徒然日記

 日記と言うより、自分の行動記録からの抜粋と日々の雑感です。

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6/30(水)雨  療養病棟診療部会議
1:30起床,同時に家内帰宅。ドック判定総括x1、秋田医報関連作文、5:15バイクにて病院着、怪しい空であったが到着直後から土砂降りの雨。回診他、9:00-14:00午前外来x2.ドック診察x1。15:00一般病棟へ新入院x1。17:00-18:00療養病棟診療部会議。20:00帰宅、21;00就眠.

友人とタクシー談義(2)県内タクシー乗務員の賃金はとても低い
 友人とタクシー談義の中で乗務員の収入についても話題になった。その場でははっきりとは言えなかったが、私はラジオか何かで聴いたか、何か雑誌とかで見たこともありとても低いような話をした。

 ちょっと調べてみた。県内のタクシー運転手は推定2000人あまりで、平均年齢は55歳。厚労省の「賃金構造基本統計調査」によると、県内タクシー運転手の昨年の平均年収は約217万円と東北で最低、全国でも下から4番目に安い、となっているとのこと。県内他の産業の平均より約200万円も下回ったという。無作為抽出120人から得たデータとのことで、秋田市内はタクシー台数が人口比としても多いこと、全国一多い代行事業者の存在が要因とみられる。市内のことではないが、県内の認定代行業者数は341(3月末現在)で全国平均のほぼ3倍、全国一多いと言う。

 景気低迷は第一の要因だが、同業者間での競争の他、代行等の異職種との競合があれば、これは経営上痛いだろう。代行業はたぶんより厳しい免許制になった様に思うが、タクシー業界にどんな影響を与えたのか、まだ聞こえてこない。
 そういう厳しい中で地道に勤務されている方々には頭が下がる。中には驚くほど接客態度の良い運転手の方もおられ、いつもこういう方の車に乗れるなら・・と感心することもあるが、指定出来るわけでもなく、何ともしようがない。

 私は基本的にタクシーを呼んで乗る場合にはみなと交通を利用する。全てとは言えないが、概して運転手さん方のマナーもいいからで、注文の際も細々と説明しないで済むのが良い。ツケが利くのも便利で降車時に会計をしないで済むのはとても楽である。ただ、月に一度の会計日には、時には胸にグサッと来る。アキレス切断時には一往復約4000円、10万円近い支払いにもなったこともある。
 タクシーは利用する側からは決して安いと思えないが、やはり乗務員の給与のことを考えると複雑な気持ちとなる。賃金構造の詳細は解らないが、マンパワーを濃厚に必要とする、合理化が困難な経営構造のようだ。


6/29(火)曇り  医師会打ち合わせ 医局会
1:30起床,人間ドック判定総括x1、紹介状2部、Vnなど。家内帰宅せずカラオケでVnなど楽しんでいたら4:40帰宅し、突然朝食用意始める。久々軽食摂って5:30病院着。回診他、8:15救急カンファ。9:00-13:30午前外来.13:30医師面談。15:00医師会打ち合わせ。16:00-17:00医療評価受審委員会。16:00-17:30医局会「電子カルテ」、夢もあるが苦労の方が一杯、金食いばかりの難しい分野。導入困難。20:30ハーレー帰宅、Vn若干、21;00就眠.

友人とタクシー談義
 先日のある夕方、市内の外れに開業している友人と会食する機会があった。その時、話題がたまたまタクシーの話になった。彼は市内で夕方から開催される研究会や勉強会には出来るだけ出席していると言うが、その帰りはいつもタクシーなのだという。
 乗車時、行き先を言う際に、自分の診療所の名前は出さずにまず地域の名前を告げ、医院の近くになってから「そこの○○医院の前まで・・」と言うのだという。私は何故なんだといぶかったが、彼は、最初に、不用意に「○○医院まで・・」と言ったときなどにそのまま通じれば気分がとても良いが、「えっ、そこは何処ですか?」などと聞き返されるとガックリ来るのだそうだ。彼はもう開業して20年もたつ。秋田市内でもよく知られた医院のはずである。それでもそう一発で通じるものではないようだ。「○○医院まで・・」と言ってスーと走り始めたときなどはその間ずっと気分良く、医院の前で堂々と降車し、釣り銭はそのままチップとしてあげる。何かの祝い事の帰りなどはもっとはずむという。一発で通じないときは、知名度の低さを自覚し、やや意気消沈するが、そのときは数10m通り過ぎて、医院とは関係ないよ・・と言う雰囲気で降りるという。その時は釣りはしっかりと貰うのだそうだ。

 なかなか面白い。彼はそんなに周りに自己を主張したり自慢したりする押しの強いタイプの人間ではない。私と同様、ひっそりと静かに暮らすのを好む男だ。なのに、それでもやっぱりヒトは社会的生き物なのだ、社会に参加し、ある種の寄与していることが小さな誇りとして自分を支えているものだ。

 先週の土曜、夜、県医師会館からの帰路、我が家でいつも利用しているM交通に電話をかけたが、名乗っても配車係のヒトは初めてらしくスッとは通じず、いちげんの客と同じ様な対応。いつも良い対応いただいているだけに、いつも利用するのだが、ちょっとがっかりした。これも同じだね。


6/28(月)曇り 管理会議  長副会議
2:00起床,ドック判定総括x1。退院患者総括。5:20病院に。回診,書類処理。8:00管理会議,9:00-14:00外来+ドック説明x2。16:30-18:10長副会議。全体集会の分担など。入院患者不調にて回診。19:30所用あり早めに帰宅,21:00就眠。

仕事をお断りする、無念さと快感とが共存する
 最近、特に病院内の業務が多くなってきて時間的に余裕が一層乏しくなっている。
 閉塞感がとても大きい。一方、相変わらず外部からいろいろな仕事が飛び込んでくる。有り難いことではある。

 昨年春頃までは何とかやりくりして、物理的に完全に不可能なもの以外はなるべく応えるようにしてきたが、さすがに療養病棟の患者の大部分を受け持つようになってからは事情は一変した。患者一人一人への対応もさることながら、それに付随しての書類の処理、これはミニ地獄である。もう一つ大きいのは病院評価機構の受審の責任者となったこと。これから来春初頭の受審に向けて日々日々多忙になっていくと予想される。今ですら時間の隙間をさがして取りかかるのがやっとで、私自身が受審のためにまとまった時間が取れないようでは、審査結果が危ぶまれる事にもなりかねない。

 本年度から会長の理解も得て県医師会関連の業務も減らしていただいた。その分どなたかに回ったと考えると心苦しいものがあったが、医師会役員返上との二者択一の一つとして判断をした。本音は、ちょっと寂しい。

 この2週間ほどの間に、TV放送出演2件、タウン誌からの依頼原稿1件、講演1件、患者相談事業の担当1件についてお断りのFax、メールを出した。送信のボタンを押す迄の間、これで本当に良かったのか・・、後ろめたさが一瞬脳裏をかすめる。しかし、エイッと押してしまう。その瞬間、満足感、安堵感、そして今取りかかっている仕事へのやる気が生じてくる。

 外部からの仕事は一旦お断りするとどんどん減っていくものである。しかし、私自身がいろいろな対外的な仕事を引き受けるべきでない年齢を迎えた・・・・と考え、これからは発想を変えてあえて断るべきなのだ、と割り切っていきたい。


6/27(日)秋田曇→仙台快晴 No12東北大学艮陵協議会総会+初期研修懇談会 1:30起床.ドック判定・総括x1、ほか.退院患者総括。県薬剤師会報校正作業。Vnなど、比較的ゆっくり。9:20病院に。回診、書類処理。出張準備、12:02こまちにて仙台に。15:00-17:15 第12回東北大学艮陵協議会総会+初期研修懇談会。17:38こまちにて帰秋.混雑で座席とれずG席確保。20:00病院着。業務,21:30帰宅。21:45就眠。

自伝  宮古病院時代 1971〜73 (7)
 家内宅のオープンな雰囲気にカルチャーショックを受ける(1)
 家庭を持つまでの間、私も何度か秋田市土崎港にあるの家内宅を訪れることになるが、見るもの聞くもの全て私の育った家庭とは異なっており、驚くことばかり。大きなショックを受けた。

 第一は、やはり酒による歓待、酒の量、出される食品が多彩、かつ大量であること、を挙げねばならない。何しろ私の人生の方向性を大きく変えたルーツをここに発見したからである。とにかく人が集まれば酒、酒、さけ、サケ、Sake・・・であること。
 私も当初は立場もあるし緊張もしていたから必死に
対応したつもりだが、家内宅の家族、親戚から見れば雀の涙にも達しない程度らしい、直ぐに酒が飲めないと看破・断罪され、直ぐにアウトサイダー的立場に追いやられた。そのために酒に関しては無理に呑むことを勧められることもなく、実に有り難かった。
 並べられる食品もたいしたもの。豊かであった。岩手の質素さ、貧乏くささとは比較にならない。これは家内宅の問題ではなく秋田の食文化、酒文化なのだと思う。私の食卓の言は「一汁一菜を有り難く押しいただく・・」であることは変わりはないが、事実は大きく異なってしまった。



 後日談:今でも賄いの石井さん(彼女は家内の母の妹)の用意する食卓は質的にも量的にも私を苛む。味も時に失敗することがあって、と言っても彼女たちには通常の味だが、私にとってはすごく塩辛いこともあるが、概して美味過ぎる。質素な食事が好みのはずであった私の生活は、食品で今の家内に釣られてしまったという嬉しくも悲しい事実も含め、家内一族の影響ですっかり乱されている。「一汁一菜・・」なんて主張しても、それどこ国の言葉です?と全く取り合わない。私の一日一食主義は生きるための知恵の結果でもある。数日前も隣近所に配るのか??と思われるほどの大量の食品が並べられた。ウイルス感染で具合が悪くて、食欲が大幅に減退してるのに!!!
 日曜の夜に限って、時に家内が夕食を用意することがある。何時に食べられるか、何が出てくるか予想だに出来ない、恐怖の夕食である。私が好むから、と言って用意する特製のサラダ類、野菜料理は洗面器に盛られたかの如く大量である。それに顔を突っ込んでばりばりと食べる私がここにおり、食器に顔を突っ込んでキャットフードを食べているネコが一匹が居る。我が家の夕食の一こま、30数年前に感じたショックが今もなお新鮮味を失っていない。


6/26(土)曇り  第126回県医師会臨時代議員会+第72回臨時総会+懇親会
1:30起床,体調はほぼ正常化した感じ。ドック判定・総括x1、院内業務等.4:00家内やっと帰宅。5:20病院着、回診他。8:45救急カンファレンス、9:00ドック説明x1、10:30-12:00外来。書類処理。14:30入院患者不調で対応。15:30-19:20第126回県医師会臨時代議員会+第72回臨時総会。随分と長い会であった。19:30-20:45懇親会。多くの代議員は疲れ果てたのかそのまま帰られた。21:00帰宅、21:10就眠.

随分長い会となった本日の県医師会臨時代議員会
 本日の午後は平成15年度の会計、今年度の事業計画と予算を審議する重要な代議員会である。今回は参議院選挙が告示されたこともあって日本医師会桜井副会長が来秋され、代議員会開催の前10分ほど西島候補の支持を訴えて行かれた。この10分間のためだけにわざわざお出でになられた。ご苦労なことである。事後の批判に耐えるためにも執行部としてやむないことなのであろう。

 代議員会は会計中心なので聞く側にとっては無味乾燥に近い内容が延々と説明される。担当者、代議員双方にとって辛い時間である。更に、長老格の代議員が延々と質問を繰り返す。確かに着眼点はすごいと思うが、あらかじめ質問事項を短文にまとめてお送りいただければ時間を大幅に短縮出来ると思われる。また、その代議員は質問もなければ代議員会が活性化しないとのお考えな様であるが、逆効果の方が大きいのではないかと思われる。

 代議員会の持ち方は簡素にすればそれなりのクレームが付き、だからといって詳しくすれば集中出来ず苦行のみ。一刻も早く退散したくなるのは当然である。
 懇親会は残念なことに出席者がいつもの半分ほど。医師同志が語り合い知り合うだけで県民の医療は一変すると私は考えている。せっかくの懇談の機会が生かされず、経費も水分無駄になった。
 この点も含めて、代議員会の持ち方はやはり一考を要すると思われる。

 懇親会ではオレンジジュースの用意がなく、やむなくビールを飲んだので私は帰宅後玄関から直接ベットに向かった。「事務局へ・・、次回はジュースの用意をよろしく・・」と思いつつ眠りに入った。

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6/25(金)曇→雨 医師会打ち合わせ(欠) 法人理事会 
2:30起床,若干寝疲れた雰囲気で起き出す。浮球感というかフワフワ感あり。習性だね、それでもドック判定・総括x1、徒然日記若干など始めてしまう.
.4:00-5:00微睡む、若干良いかな、と言う感じ。5:20病院着、回診他、書類と格闘。8:15救急カンファ。10:30-12:30外来。
書類の山崩しに集中、主治医意見書2-3件。午後若干発熱、頭痛とか悪化、医師会打ち合わせは中止.17:30-18:30法人理事会.20:20帰宅、21:00就眠.

新潟出身の小説家新井 満氏「千の風になって」
 数日前、ラジオ深夜便こころの時代に新潟出身の小説家新井 満氏が登場、詩「千の風になって」について2回にわたって話していた。時に、詩の朗読を挿入し、彼が作ったという曲も流された。ややハイの、細身の声での淡々とした語り、私は二日間、4:00-5:00の間ラジオに引きつけられつつ業務をこなしていた。
 
 新井 満氏が「
千の風になって」を作曲する切っ掛けは、おさななじみの友人の妻がガンで亡くなり、追悼文集発行が計画され、その文集の中で、ある人が「千の風」の翻訳詩を紹介していたのに触れたことだという。彼は一読して心底から感動し、これを歌にしてみよう、と思ったとのこと。
 原詩をさがし出し、翻訳して私流の日本語訳詩を作り、曲をつけて歌唱したという。
 その後、この詩と彼の歌を含む作品は次第に知られるようになり、今では絵本、映画、CD、DVDなどとなっているという。その辺のことは全く知る由もないが、初めて耳にしたこの詩は素晴らしいものだと思う。

私のお墓の前で 泣かないでください
そこに私はいません 眠ってなんかいません
千の風に
千の風になって
あの大きな空を
吹きわたっています

秋には光になって 畑にふりそそぐ
冬はダイヤのように きらめく雪になる
朝は鳥になって あなたを目覚めさせる
夜は星になって あなたを見守る

私のお墓の前で 泣かないでください
そこに私はいません 死んでなんかいません
千の風に
千の風になって
あの大きな空を
吹きわたっています
(一部略)


 ヒトの死というのは、本人にとっての重大事ととらえられ、論じられる。しかし、そうではないのだ。
 私は、「死」はむしろ、死ぬべき状況にある本人にとっては「安息」「休息」「解放」「救済」「・・・」の世界に入ること、と私は思っている。だから、患者の死を看取ったときにホッと安堵し、満足し、その死にたいして共感することの方が多い。

 しかし、身近な家族、親しい友人達にとってはヒトの死というのは、本人以上にの重大事なのだ、と思う。その一端をこの詩がうまく表現している.


6/24(木)曇 歯科保健部会(欠席) 
1:30起床,ドック判定・総括x1、
退院総括・紹介状・出張復命書等途中まで作成.5:20病院。6:15回診他。8:15救急カンファ。9:00-13:30外来、混雑.ドック説明x1。10:30頃から急に体調不良に。外来とドックは何とか乗り切ったが、15:00からの県の歯科保健部会は出席困難、お断りした。仮眠室で休息をとり、最小限の業務処理のみ済まして、19:30帰宅、20:00就寝。

本日、急に体調不良に陥った
   本日外来途中の10:30頃から急に体調不良に陥った。頭痛、発熱、違和感、倦怠感等、若干の嘔気・・何だ!!!   外来は何とか終了させたが、そのまま外来で30分ほど一休みした。横になると沈んでいくような感じ。座っているのも辛く、15:00からの県の歯科保健部会は出席困難でお断りした。体調不良を理由に会議を休んだのは初めてかも知れない。数年ぶりで医師仮眠室のベットに潜り込み、15:00-17:30午睡をとった。若干は改善したか??と言う程度。運転して帰るのも億劫であったが何とか19:30に帰宅、夕食を少な目にとって20:00就寝した。

 6月16日にもほぼ同様のことがあった。今回のは不整脈は軽いが、倦怠感等はその時のより若干ひどい。経過から言えば今回もウイルス感染だろう。
今、6月25日3:15am、寝飽きた感じでソロソロと起き出したが、まだ倦怠感が強い。

 と言うことで、徒然日記等はここまでにして、今朝はまた布団にもぐることにした。 今朝はいつものように出勤出来るかな??


6/23(水)秋田曇 東京快晴 暑い 第2回院機能評価受審病院説明会
1:30起床,ドック判定・総括x1等、いつもの如く.5:40病院着、回診他出張申し送りなど。8:10救急カンファ。
10:00病院発秋田道経由空港→11:20ANA→モノレール→地下鉄東西線東陽駅→会場ホテル東京イースト着。14:30-16:30第2回院機能評価受審病院説明会。帰路は逆コース18:10JAL→19:15秋田着→秋田道経由、20:10自宅着21:00就寝。

久々の東京出張 台風一過後で空路は快適 東京は暑かった
 東京出張は4月1日前後の日本医師会代議員会以来でえある。
 日医を始め県医師会も新執行部となり、まだ組織的活動は少ない。本日は病院の関連出張である。往路は11:20発ANA AirBus A301で、搭乗率40%程度で最後尾の座席をとったがこの付近は人影がパラパラで快適。
帰路は逆コース18:10JAL MD-81で満席。これはもともと座席間隔が狭いが、特に今日は三列座席の窓側だったから極めて窮屈。やはり私にとってはヒト同士は一定の距離が必要なことを実感した。ただ、ANA AirBus A301は快適だったが、最後部の座席はリクライニング機能が付いていなかった。
 往路は若干揺れたが復路は殆ど揺れず、快適であった。

 それにしても東京は暑かった。如何に外が暑くても会議場などは冷房が効くので、あまり軽装だと寒くなるからスーツとかは離せない。これもまた面倒くさいがやむを得ない。何でこんな暑い日に寒い思いをしなきゃならんのか?

 移動時間のほぼ全行程でBOSEのヘッドフォンQuiet Comfort2にMDプレーヤーをつないでバッハの無伴奏Vn曲を流していたが、このヘッドフォン機内では使えなかったことは残念であった。エンジンの騒音軽減効果を期待していた残念であった。次は座席のオーディオのアダプターの使用で許可を得てみようと思う。また如何に雑音を低減してくれるとはいえ、あまりにもダイナミックレンジの広い大編成の音楽はモノレールや山手線、地下鉄の中では十分に聞き取れず不適であることが解った。その点はVnソナタや協奏曲、弦楽四重奏曲はまだ良いようである。1/2倍速で録音すると一枚のディスクが150-180分も使えるし、音質は遜色ないからとても良い。カセット時代が懐かしくなる。


6/22(火)曇ー晴れ 医師会打ち合わせ 医局カンファ(喫煙問題)
 1:30W,ドック判定・総括x1、
秋田医報用原稿用意等.5:15病院着、回診他。8:10救急カンファ。9:00-14:00。15:30-16:30県医師会打ち合わせ,17:30医局カンファ「医師に必要な喫煙の知識」.新入院患者回診他。20:30帰宅Vn若干。21:00就寝。

私の車の運転席側のドア凹ませたのは誰??
 私が主に使う車はスバルレガシーワゴン2000cc、1990年型で走行10万キロ以上のボロ車。レオーネワゴン1800ccが再起不能になった日、修理工場で見つけた中古車でそれからもう8-9年乗っている。良い車だけど欠陥もあり随分維持・修理費もかかったからまだまだ乗るつもり。手がかかるほど結果的に愛着が湧いてくる。
 長男も一時使用していたし、今でも厳寒期は何かと便利なので家内が用いている。冬期間は私は通常家内が使っているホンダの1500cc  Delsorを使う。こっちはワンタッチでオープンカーになる面白い車だが、カッコウ優先なので冬期間は乗り降りなどやや不便だから私が引き受けている。

 バイク通勤で乗らないこともあるから、私の車は家族の誰かが適当に使い回している。2ヶ月ほど前、乗車しようとしたら何となく雰囲気がおかしい。見たら運転席のドアが大きく凹んでいる!   塗料も広くはげ落ちている。ドアもきちんと閉まらない。
   たまげたが、何とか窓ガラスは開閉する。数日バイク通勤の後だったので気がついていなかっただけか
 夜、家内に確かめたら「アラ、やっと気がついたの??」と気楽なもの。10日ほど前に右折時に近所の電柱に擦ったのだという。単に擦ったと言うより圧した感じ。電柱は何ともなかったらしいが、さぞや驚いたことだろう。
 私は基本的に車の外装には無頓着である。みてくれ良く維持しようと言う気が殆ど無い。車は自由な場所を自由に走れるだけぶつかるのは当然、と割り切っているから。今まで乗車中に3度ほどぶつけられ、凹まされたが、「この程度なら良いです・・・」とそのままにした。ぶつけた方がびっくりしていた。
 今回のドアの凹み、これは交換以外方法は無いだろうから修理しないこととした。さらに気楽に乗れるようになった。街にはこんなに傷物の車はまず走っていまい。


6/21(月)台風6号接近で雨・強風  管理会議 秋大包括医療実習開始 長副会議 
2:00起床。ドック総括x1,原稿作成送付等.5:10病院へ。回診他。8:00-8:40管理会議。9:00-14;00午前外来。午後は残務処理に追われ、本来の仕事手つかず.総括・紹介状・訪問看護指示書など。16:30-19:10長副会議、懸案多数で長丁場。20:30帰宅。21:00就眠。

サクランボの季節が再びやってきた
 今年も家内にとっては嬉しい、私にとっては恐怖の、サクランボの季節がやってきた。この季節、家内は「錯乱母」に変身する。私にとっては心配な時期でもある。 今年も十文字や湯沢、山形産の見事なサクランボを沢山送って頂きました.F
T先生、SM先生、その他の皆様方、本当に有り難うございました.

 今年のサクランボも、何れも見事な出来である。大粒でかたち良し、何でこんなに良い形しているんだろう。これほどの一定の規格のサクランボがこんなに綺麗に並べられると、驚き、感動してしまう。だが、この感動の対象はサクランボ自体に対してと言うより、生産地の農家の方々の労力に対するものだ。時期を選んで一気に収穫し、規格を揃え並べるだけでも随分人手がかかっている。ご苦労様。今日の台風の風雨、大丈夫なんだろうかとちょっと思いをはせる。
 それに、高級に並べられたサクランボ達はちょっと窮屈そう。それに全員が私に尻を向けている格好で並べられているから何か可哀想だ。早く箱から出してやりたいという衝動を感じてしまう。その点はバラに箱詰めになっている方が暖かい。なんか個性を感じて気持ちの上で休まるものがある。

 箱から出して水洗いする。ザルの中でバラバラの方向を向いて、やっと窮屈な正座から解放され思い思いの姿でノビノビしている。ホッとした感じが見て取れる。なんとお尻を向けていたときの何倍もの良い姿、良い色合い、である。表面にうっすらと水を含むと黄色から淡赤色、深紅に遷ろう何とも言えない色調が、これが結構一ヶ一ヶ個性があって、一層輝く。弾いた水がちょっと表面に残った光沢がまた良し。それにあのツル、あのツルがなかったらサクランボの魅力半減するだろうし、食べ方も変わってくるだろう.プラプラさせて十分に姿形、色調を楽しんでから口に含む.口は所謂おちょぼ口、普段とは全く違う。一つずつ口に運ぶ。数ヶまとめて口に含むなんて事は決してしない。サクランボを味わって食べる時、何かエロチックなイメージも感じてしまうが、私だけなんだろうか。

 サクランボに関しては国産のが絶対である。より早くからより遅くまで、真夏でも米国産のも店頭に並ぶが、佐藤錦を中心とする国産のサクランボの魅力、素晴らしさは比較にならない。形、色調、味・・何処の点から見ても大差があると言わざるを得ない。


6/20(日)降雨  病棟拘束   FF tennis中止 父の日 
2:00起床。人間ドック総括x1、新聞チェック。明日老健施設に入所患者の紹介状等.8:00出勤。8:45救急カンファ。回診他種々処理11:00帰宅、tennis中止になった分時間がリッチ。十分にVn練習出来た。娘から花束が届く。家内は午後病院で過ごしている。人間ドック判定・総括x1、院内業務など処理。新聞処理等.今日一日雨と言うこともあって仕事もしたがVn三昧と言えた日。弦を押さえる左手の指先が痛い。21:00就眠。
(写真は父の日の娘からの花束に喜ぶ筆者)


自伝  宮古病院時代 1971〜73 (7)
Fさん(今の家内のこと)とのおつき合い けじめを付けなかったのが悔やまれる
 卒業式には二人とも出席しなかったために医師国家試験の日が久々の再会の日であった。彼女は国家試験後は秋田市土崎港にある秋田組合総合病院の小児科に勤務予定になっているとのことで、落ち着いたら何れまた連絡し会うことを約して私は宮古に戻った。

 多分5月の連休あたりだったと思うが、盛岡で再会、まあこれが通常のプロセスなのだろうと思いFさんを私の家族、と言っても両親と兄夫婦であるが、に紹介した。母親は古くからの友人の娘との結婚を考えていたらしく、それなりのイメージ、夢を膨らませていたらしい。ある時、チラッとは仄めかしたものの、Fさんを気に入ってくれ、その後その話は二度と聞くことはなかった。実際どんな人だったんでしょうね。

 以降は月一ほど週末にお互いの時間と業務を調整しつつ盛岡や宮古で会うことになるが、なかなか調整が困難でわざわざ盛岡に出てきてもどちらかが旧に都合が付かなくなったりして空振りに終わることも希ではなかった。

 私からはっきり結婚しようと言った記憶はないが、秋田の方では翌3月頃に、式を挙げさせようと予定していたらしい。その事を伝え聞いたとき些か驚いたが、どうせその方向にあるのだし・・とそのまま任せっきりにした。秋口に両親を伴って秋田のFさん宅に型どおりの結納金等を持参し挨拶、歓待を受けた。
 で、機は熟して??大学卒業約一年後の昭和47年3月19日本荘市の蔵厳寺という寺で仏式で挙式した。

 この過程の中で今でも悔やんでいるのは、私からはっきりと結婚の意思表示をFさんにもそのご家族にもしなかったことである。二人とも疑問はないはず、との阿吽の了解があるものと勝手に解釈してそのままにしておいたが、これはヒトとして礼に反することであった、と今さらながら悔やんでいる。


6/19(土)小雨  病棟拘束 中通総合病院友の会総会講演 
1:30W、ドック総括x1、本日の講演準備ほか.5;30病院着.回診その他、8:45救急カンファ。9:00ドック説明x3。本日は講演準備で外来なし。主治医意見書等残務処理,講演準備。13;00中通総合病院友の会総会へ、14;00-15:10講演「初めての老化、初めての旅立ち」.懇親会出席、16;30帰院。18:00軽い酔いも醒めたので帰宅。Vnなど。20:30就眠.

バイク乗りは天気を読む(2)。でも最近、自己判断は放棄した
 病院の自室の西側には新棟が建ったために空が見えない。帰宅時てっきり晴れているものと思いバイクでの帰宅の準備をして外にでたら、雨が降っていたと言うことも良くあった。バイクに乗るには荷物の整理からディバック、ウエア、靴、ヘルメット等、結構準備は大変で、知らずに出て雨だとかなりガックリ来る。今は帰宅時には先ずインターネットの天気予報で明日の秋田市内の天気を確認し、かつ東側の秘書室の窓から雨が降っていないことを確かめてからウエアを着る様にしている。

 最近は天気の予報を自分でしなくなった。インターネットの天気予報で秋田市内の天気の予想がリアルタイムに更新されているからである。これが結構精度が高くて十二分に実用的である。

 私が子供のころNHKラジオ第二放送ではかなりの時間天気状況放送にあてていた様に記憶する。「アムール川西方2Kmに◎◎ミリバール の低気圧・・・」「カムチャッカ半島東方・・・」等々日本周辺の地名が良くあげられていてどんなところなのだろうかと思いをはせたものである。そのころは富士山測候所を始めとして日本周辺に天候観測定点があって毎日入電していたからである。時代がら他の方法で情報を入手出来るようになって需要が無くなったのであろう。

 今は気象の情報は「 静止気象衛星ひまわり」「風船、気象ロケット」「気象レーダー、ブイロボット」「海洋気象観測船」「航空機・船舶」などから情報が集められているとのことでこれでは正確なのは当たり前。自己流の判断力なんてもう役に立たないと最近はすっかり放棄した。

 それでもバイクで感じる季節の自然、風、空気、空・・・はとてもいい。
 ちなみに秋田県にも気象予報士と言う国家資格を持つ方が16人居るのだそうだ。どんな形で資格を生かしているのか興味が持たれるところである。

※研修医諸君へ更新しました※


6/18(金)晴れ→曇り、県医師会打ち合わせ(中止) 院内対策会議
2:30起床。就寝前不良だった体調かなり戻っている。ドック総括x1、etc。退院患者総括追記。5:30病院、回診など。早朝、一人の高齢患者が茨城の家族の元に引き取られていった。
8:10救急カンファ。総括,紹介状などに集中。10:30-12:30外来、数名のみ。13:30ドック診察x5,県医師会うち合わせは北原元県医師会事務局長死去で中止に。病棟患者処置数件。16:30-17:30院内対策委員会。回診数件。20:30帰宅21:00就眠。

バイク乗りは天気を読む(1)。だから自然がより身近になる
 私は基本的には自然現象はそのまま受け入れる。暑ければ暑がり、寒ければ寒がる。小雨なら濡れる・・・。勿論、程度次第ではあるが・・。
 そうは言っても例外がある。冬の降雪予報、夏の降雨予報については多少神経質に考える。冬は早朝夜半の雪かき作業のため、夏はバイク、自転車通勤と週一のテニスのため。それ以外は黙って受け入れる。天候を読むために天候関連の本も随分読んだし、雲の写真集も購入した。天候、天気予報も突っ込んでみればなかなか面白い世界である。自分も予報官あたりやってみたくなる。

 バイクは車より遙かに自然と親しめる。だから好きなのだが、雨の日は出来る限り乗りたくない。危険だからである。アスファルト舗装の道路は滑る白線上が滑る、マンホール他の金属部分は特に滑る。ヘルメットのフードも濡れて曇り視野がぼけるのも嫌。歩行者も車も視野が狭くなるんだろうね、飛び出しなども増えてくる。対向車が激しく路上に溜まった水ををはね飛ばし、頭から全身ひっかぶることもある。だから降っているときは乗らない。
 雨具はいつも携帯しているから濡れることはあまりないが、途中で降られるとやはり困ってしまう。

 だから天気を読む。これが結構楽しい作業であった。これが最近大きく様変わりした。かつては、新聞の天気図、天気予報から情報を入れ、あとは自分の感覚で決めていた。自分なりの確信の裏にも一抹の不安もあり、緊張感も、楽しみもあった。雲と風そのほかの雰囲気を身体で感じ取って読む。この場合、意外と天候に関する言い伝えは役に立ったものである。「朝焼けは雨、夕焼けは晴れ」「トンビが高く飛べば晴れ、低く飛べば雨」「雲が東へ進めば晴れ続く」「日がさ、月がさがは雨」「星がきらめけば雨」・・・等々。そうそう、「ネコの顔洗い」というのもあったっけ。これらに加えて地方特有の言い伝えもある。
 先人は良い言葉を残していったと思う。


6/17(木)快晴 秋田市医師会臨時総会
1:30起床。ドック総括x1、etcいつもの如し。5:30バイク病院、6:00入院患者家族と面談、明日早朝茨城に転送。回診など。8:10-救急カンファ。9:00-13:30外来,吉田元副総師長死去。午後はずっと紹介状や総括、その他急がなければならない書類数件と格闘。療養病棟担当してからは書類に追われて、本来やるべき仕事のための時間がとれないのが悩み。19:20-20:30秋田市医師会総会に出席。討論は低調に終了。20:55帰宅21:30就眠.

私にとっての感冒の予兆、不整脈、頻尿など
 6/16夕方から不整脈、頻尿・多尿が続いている。実際には不整脈は数年前からあるのだがどんなタイプなのかは検査もしていないので把握していない。今回はかなりの程度で、リズムからいえば殆ど心房細動様である。胸部の不快感は当然だが、全身的にも違和感を生じ、かつ、頻尿・多尿状態となった。午後の県の身体障害関連の委員会の間、夜の医師会常任理事会の間も同様、帰宅、夕食時にも、就寝、起床時にも殆ど不変であった。

 6/17も早朝から通常に業務処理したが、何か乗らないものがあり、小説の一節を読んだりドックやったり、世界地図を見たり・・と集中しない。
 私の場合この様な状態を一日ほど経過した後で発熱咽頭痛等のカゼ症状が出ることが多い。また罹ったかな??と思いつつほぼ終日不快感と共に、患者家族との面談、外来、書類処理等で過ごした。 やはり夕方から頭痛、微熱、咽頭痛が生じてきた。やはりいつものコースを辿っての上気道炎らしい。こんな時は寝るに限ると秋田市医師会臨時総会終了後、夕食もそこそこに就寝した。就眠中は結構体熱感を感じつつ眠っていた感じであった。

 今、6/18  4:15amであるが、今朝も生活はいつもと同じである。体熱感、発熱後の倦怠感はあるが、不整脈はすっかり消えている。頻尿多尿もない。もう、ここまで来れば、通常は大丈夫である。発熱と共に多分回復機転が働いたのだろう。

 高齢者を診ていても何か原因の分からない不調な状況を呈した後で高熱を発することはよくある。寧ろ高熱が出た後の方が良い表情をする。発熱は生体にとって回復機転に入った証であることを実感出来る。

 だから私はまだ解熱剤を用いた経験はない。今日から元気になりそうな予感がする。


6/16(水)晴 内分泌外科と面談 秋田県社会福祉審議会 医師会常任理事会+委員会 
2:00起床。人間ドック総括x1、院内業務。5:20 バイク病院、回診など。8:10救急カンファ、etc。9:00-13:30外来、14:00内分泌外科と面談。15:00-16:30秋田県社会福祉審議会。17:30-20:00県医師会常任理事会+委員会。20:40帰宅.21:10就眠。

方言たっぷりの小説は好きでない。が、「壬生義士伝」は良い
 私は冬期間の東京出張時には空路よりもJRの方を選ぶ。移動時間を落ち着いて有効に時間を過ごせるからで、集中的に本を読む。数ヶ月前に「こまち」の座席に配布荒れているJR広報誌を手に取ってみた。最近は作家の浅田次郎氏が巻頭随想を書いている。

 ある号に南部盛岡について小文を書いていた。「盛岡の桜は、石ば割って咲く」と石割桜を表現し、盛岡の町並み、自然、風景は日本一である・・、などと記載していた。彼の作品に南部盛岡を舞台にしたものがあると言うことをその小文から知った。随想を読みつつ浅田氏がどの様に南部盛岡を表現しているのかいたく興味を感じ購入してみた。文庫本で「壬生義士伝」、上下巻である。

 まだ集中して読むほどの時間はないが、就寝前の僅か数分だけ開く。そこには、盛岡訛りの言葉がふんだんに盛り込まれている。江戸幕末のころの一人の脱藩武士を中心とした人間模様が語られる。しかもその当時のことを回想する語る場面がでてくるから新しい時代、と言っても明治だろうが、そのころの南部盛岡についても自然、風物が豊かに表現されている。まだ上巻の半分をすぎたばかり、前後関係など忘れて、字だけおっているような読み方であるが興味が失せないのは語りの部分が典型的な盛岡弁で語られているところにある。私自身が子供の頃つかってきた言葉が次々と出てくる。半ば忘れかけていた懐かしい言葉が、言い回しが、語尾が、・・・次々と出てくる。

 この本がどれだけ読まれたか解らないが、私がもし盛岡出身でなければ読まない本だと思う。方言を豊かに盛り込んだ小説は少なくないが基本的には読むのは嫌である。方言を書き込んだ作家の中ではここ数年、機会あって「忍ぶ川」「白夜を旅する人々」等々の三浦哲郎氏の作品だけ、集中的に読んだが、彼の場合は津軽弁だからまだ読めた。

 浅田氏の表現は、字を追っていても独特のイントネーションが解るだけ、身近である。彼は東京出身の作家だという。南部訛りをこれだけ書き込むためにはかなりの努力が必要だったと思うが、長編小説の構成力、自然描写を含めて、作家ってすごいものだと、だたひたすら感心するだけである。


6/15(火)曇り・小雨  県医師会打ち合わせ  医局カンファ(肺ガン)
2:00起床。22:00頃帰宅の家内はTV見ながら食卓に突っ伏して寝ていたが、やおら起きてパソコンで仕事始める。出勤時間まで付き合ってくれた。気ままなヒトだね。人間ドック総括x1、病院業務他etc。5:20バイクにて病院、回診など。8:10救急カンファレンス。9:00-14:15外来、16:00-16:40県医師会打合せ。17:30-18:30医局カンファ,呼吸器外科の肺ガンの手術適応と予後。入院対応など。20:50帰宅.21:10就眠。

この一週間に県内で3名がバイク事故死。明日は我が身か!!
 私は平成2年から突然バイクに乗り始めた。幼少の頃から親しんでいた乗り物ではあったが、しばらく離れていたので先ず250ccのバイクを購入,十分感覚が戻ったところで大型のハーレーを購入した。だからバイクの車歴は現在13年目。機能的には100%問題なく維持されているが、マフラー等のクロームメッキにも錆が浮き、当初の姿はないが、個性的となり、やっと自分のものになったと言う実感がする。錆は落としていない。もう13年もの。バイクをコツコツ磨くなんて私のにとってなんの意味もない。最小限の掃除しかしていかったから当然の姿である。
 
 早朝のバイク通勤はいい気分。帰宅時,車を運転して帰るのも嫌であるが,バイクの場合,ひんやりした風が実に心地よく,走っている間に次第に活力が沸いてくる。一日2回,ほんのちょっとの時間だけれど,私にとってはリフレッシュのための貴重な時間となっている。

 この一週間に県内で3名がバイク事故死している。2件は自動車との衝突、1件は自損事故でガードレールにこすってバランスを崩し運転者は投げ出されて即死したとのこと、バイクはそのまま50mほど走って何かに衝突して止まったという。二次災害が無くて良かったと思う。10年ほど前に県内のバイク事故の資料を収集してまとめあげようと思っていたことがあるが多忙で頓挫してしまったのが悔やまれる。バイクは身体がむき出しなだけ死亡事故の場合、実に悲惨な様相を呈する。この車中心の道路では、とても気楽には乗れる代物ではないと思う。ヒトにはとても勧められない。

 明日は我が身かもしれない、と私はいつも思いながら乗る。例え犬とぶつかっても転倒すれば大ケガするのは自分だから何ともバカくさい。だから、私は真夏でも上下とも革ジャン、革ズボンをはき安全に走る。だが、それでも、やはり、明日は我が身かもしれない。覚悟はしているつもりであるが、バイク事故に遭うなんて一度限りの人生、無駄なことだ。


6/14(月)快晴 管理会議  長副会議 
1:00起床、就寝時間も、最近起床時間もやや早めになた。外来中に睡魔が来て若干辛い。人間ドック総括x1、etcいつもの如し。5:20ハーレーにて病院へ、回診など。8:00管理会議、9:00-13:30外来、16:30-18:30長副会議。19:00療養病床種々処理。20:20帰宅.21:00就眠。机上処理出来た日。

本日の夕日、帰宅時の紺青の空、感動した
 夕方、長副会議終了後、不調の患者を診るために7階病棟に登った。西側の病室の窓の殆どは何故か?カーテンが引かれている。理由は、夕日が眩しいから、であった。何と勿体ない。
 私はその足でベランダに出てみた。大きく、素晴らしい夕日である。眩しい。直視するにはまだ明るすぎて、眩しい!! 暫く佇んでいると徐々に光が陰ってきて、更に美しく映えてくる。私は感動した。そうそう、6月5日の当直の夕、リハビリ7階の窓から見た夕日も素晴らしかった。今日のは更に素晴らしい。私は、海岸沿いの木々に太陽の全てが隠れるまで、ずっとそこにいた。
 私は感動した。今日の、この夕日の、この一瞬の美しさを味わうために私は生きてきた、生きていて良かった、と思えるほどの感動であった。もうここまで美しければ言葉なんて要らない。いかなる言葉を用いてもこの美しさは表現出来ない。ましてや私ごときが言葉にしてこの素晴らしさの何割を表現出来るのか。例え、表現出来たとしても、私以外のヒトにとって何の意味があろう。だから、止めた。

 私は、朝日も好きだ、月も美しい。しかし、特にこの夕日が好きだ。いや、夕日が無くとも夜のたたずまいが徐々に深まっていくこの夕方の情景が好きだ。間もなく、夜の帳が降りて夕闇が来る。何という安息。 この一日の時間の流れ、その喜び、安息を心から味わえる自分はとても恵まれている、と思う。
 夜8時半頃、ハーレーにまたがってゆっくりとゆっくりと走り、帰宅した。空は深い紺青である。信号で止まるたびにヘルメットのフードを開ける。紺青である。深い!!    安息。

 この時間の流れ、夜の安息、これ人生そのものだね。 今日は夕日から、空から、人生を教わった。


6/13(日)快晴 病棟拘束  FF tennis 
 1:00リハビリ当直室起床.ドック判定・総括x1、病院関連業務
退院患者総括。検食、8:30病院に、8:45救急カンファ。バックアップ体制に問題。回診他業務処理もあり11:30帰宅、Vn。13:00-16:30梅林園、6-2、6-2、4-6,6-2で何とかタイにこぎ着けたところで終了.一部業務をこなし、19:00-20:00午睡。20:30夕食。21:00就眠。

自伝  宮古病院時代 1971〜73 (6)
 脳血管撮影のことなど
 宮古病院には脳外科医は常駐していなかったが県立中央病院の脳外科部長が1-2週間毎に来院し外来・入院患者の診療にあたっていた。宮古病院は地域では最も大きく救急患者の大部分が搬送されてくる。当然脳卒中の患者も多い。当時脳卒中は脳出血、くも膜下出血が多くを占めていた。当時は当然CTやMRI などはなく、診断は腰椎穿刺と脳血管造影によっていた。従って脳梗塞等はとほどの大きなものでなければ画像的には特定出来なかった。
 その脳外科部長は来院の度に数例の脳血管撮影をして確定診断とかしていくのであるが、われわれ3人のなりたて医師に脳血管撮影の特訓をしてくれた。それによって急性期の脳卒中の診断が現場で出来るようになると言うメリットがあったからである。
 脳血管撮影は患者の所見から部位を推定し、頸動脈を穿刺して行う方法、時には腋下を穿刺して上腕動脈から逆行性に造影する場合もあった。後者の場合には椎骨動脈も造影されることもあると言うメリットがあるからである。連続撮影装置は無く、注入しながらの動脈相、7-8秒後の撮影で静脈相を撮影した。この間フィルムを入れ替える技師達にとっても大変な作業ではあった。くも膜下出血の際には動脈瘤を探すために角度を変えて数回の撮影を行った。
 血管撮影の後、電話で所見と患者の状況を連絡し、手術適応のありそうな患者は県立中央病院に搬送した。その時は救急車に同乗して行き、そのまま救急車でとんぼ返りするのであるが、一部未舗装の宮古街道を往復230Km、よく頑張ったものだと思う。何人かの患者は救急車の中で死亡し、途中で引き返したこともある。
 
 この血管撮影で基本が解ったこともあり、鼡径動脈からカテーテルを入れて大血管を造影することも出来るようになった。大動脈瘤、腎臓癌、その他の診断に有用であった。業務は多忙であったが、診療科毎の壁はなきが如くで、内科は一つで今で言う総合内科的で、それだけ実にいろいろな経験が出来て有意義に過ごしたと思う。


6/12(土)朝小雨 午後快晴晴れ 病棟拘束  リハビリ当直
 1:30起床.ドック判定・総括x1、主治医意見書ほか.4;30家内帰宅、94歳の女性重症だと。ご苦労様。5:20病院着.6:10回診、8;45救急カンファ。入院患者書類処理。10:30-12:30 外来。入院患者家族と面会。総括、他。17:00リハビリ病院に移動当直業務。ドック判定・総括x1。20:00就眠.

友の会講演では、「老化とは何か、旅立ち=死」について話す予定 
 来秋の土曜日午後は中通病院友の会の総会がある。久しぶりに私に講演の依頼が来た。演題を「初めての老化、初めての旅立ち」としたが、数日前に大体の構成が出来上がった。

 講演については、誰でも参加できるようなので、興味ある方はどうぞ。一応、病院の友の会の担当者に電話で問い合わせ下さい。

 私の講演は何故か高齢者関連の機会が多く、半数くらいは高齢者の組織とかからの依頼である。私自身も若い方向きの講演よりはどちらかというと好きである。
 高齢の方々に何が一番貴重か??と問えば、多くの方々は「健康」と答える。「時間」と答える方もいる。多分そうだろうと思う。求められる演題も殆どが「高齢者の健康管理について」「健やかな高齢・・・」などである。またか、と思う。一応引き受けるが、こういう方向での講演は私はしないし、出来ない。内容を勝手にねじ曲げて「高齢者の健康状態は日々悪くなって行くのが当たり前」という視点で内容を構成する。キーワードは「納得」「今が全て」「覚悟」である。

 私は間もなく還暦を迎えようとしている。思いがけずこんな歳迄生きたが、私なら最も大事なのは時間でもなく健康でもなく、「今、生きている幸せに気づくこと」が第一と答えたい。これで解決するはずである。これは私自身の毎日の心情である。未だ高齢者の本当の気持ちはわかっていない、との思いもあって内心忸怩たるものもないわけではないが、それを言い出すと何も言えなくなるから、現時点での考えを述べることになる。いや、それしか出来ない。

 私のホームページを見て、私の生活記録を見て、何でこんなハードな状態に耐えられるのか、苦痛ではないのか??とよく問われ、ねぎらいの言葉をかけてくれる。この様な方々は例外なく院外の方々である。職員からはまずねぎらいの言葉がかかることはない。私の答えは、「今、生きている幸せを味わっているから」である。何とキザな、と気恥ずかしくなるが、それが心境である。この辺のことについて講演では話してみる積もりである。

 数日前から、7月下旬に予定されている講演「自然死、尊厳死、安楽死」についての準備を始めている。


6/11(金)曇り  医師会打ち合わせ(略) 法人理事会   
 1:30起床.ドック判定・総括x1、ほか書類処理、退院患者総括。5;10バイクにて病院着。昨夜から気温が若干低く、寒さが身にしみるが寧ろ快適。6:10病棟回診、机上の書類の山を一部処理。10:30-14:30外来+ドック説明x1+ドック診察x5、再度回診他で時間なく医師会打ち合わせは電話で済。17:30-18:30法人理事会。20:30帰宅,21:00就寝。

土曜の中通リハビリテーション病院当直が3週連続あたっている 
 私の勤務する病院から直線距離で200mほどしか離れていないところに220床のリハビリテーションを専門とする病院があり、経営母体は同じ法人であることからマンパワーの交流があり、私ども相対的高年齢の医師、内科外科系以外の若手医師が当直をしている。大体月に1-2度と言うところ。私は隔週の大体月2回、時に3回というのが平均的。

 業務規程上、更に医療法上からみても当直医は朝は8:30までリハビリ病院に居なければならないから、私は通常の日は当直しない、と言うより出来ない。月から土曜は少なくとも8:30前には病棟の仕事を終了しておかなければ飛び込みの来客や懸案などに対応出来ないから。本当は日曜の朝もその時間まで当直室に居るのは苦痛なのだがやむを得ない。日曜朝は回診等してから帰るので時に昼頃になる。

 2週連続の当直は希ではないが、今回は3週連続となった。他の土曜日は公務等で当直が出来ないためであるからやむを得ない。当直のある土曜は入院患者対応、ドック、午前外来、そのほかで結局15:00頃までかかるので一旦帰宅するにも中途半端でそのまま残務処理し17:00に移動する。だから当直があたる週末は早朝5時過ぎから日曜の昼頃まで院内で過ごすことになる。

 勤務パターンとして土曜の週休返上に加えての当直で些かアブノーマルに過剰だがやむを得ないと納得している。医局の取り決めでは55歳以上は免除と言う内規もあるが、もう誰も覚えていないだろうし、外来がないからゆっくりと当直室で仕事が出来るのが救いだし、返上すれば誰かがあたることになるし、と私は申告もしないで続けている。

 数年前まで当直も含めて医局のスケジュールを私が作っていたが、やむなく2週連続で割り振ったときなどスケジュール配布のその日に怒鳴り込まれることも希ではなかった。そんなときには自分が代わったりして調整したが不快な思い出も数多くある。
 今は医局秘書が作成するのでどうなっているか分からないが、私は淡々と従うことで秘書室の労をねぎらいたい。

 今日もトランクにノートパソコン、キーボード、MDミニステレオ、本、書類・・をぎっしり詰めて出かけることにしよう。明日の午後は晴れるかな?


6/10(木)うす曇  
1:30起床.ドック判定・総括x1、書類処理、5:10病院着、6:10回診、患者は殆ど睡眠中。8:10救急室カンファに。9;00-14;30外来・混雑。15;00-16:00病棟3点セット処理x5。医局7月分個人予定表作成.中旬に東京出張。紹介状x2、退院時総括x1処理.本日午後は対外的な予定は無かったが、患者関連書類のためにやりたい仕事まで手が届かない。予定がどんどん遅れていく。19;30夕食、20:30就寝.

研修医諸君へ(4)。まず病態を考える。病名にこだわると視野が狭くなる


6/9(水)秋田快晴 仙台曇 第6回東北ブロック感染症危機管理対策委員会 
 
2:00起床。ドック判定総括x1ほか。いつもの如し。5:20病院着。回診、出張時申し送り他。8:07こまちにて仙台に。10:30-17:00第6回東北ブロック感染症危機管理対策委員会「バイオテロ対策の実際」天然痘を如何に防ぐか。午前は机上のシミュレーション。午後は予防接種のシミュレーション。質疑応答など。長丁場であった.17:38こまち、19:58秋田着病院に。この間ずっとBOSE ヘッドフォン装着していたが新幹線の騒音も抑制され、快適であった。21:00帰宅21:30就眠。

第6回東北ブロック感染症危機管理対策委員会「バイオテロ対策の実際」
危機管理の視点は天然痘バイオテロ対策に移っている。
 昨年の今頃はSARS対策で大変な時期であったが、今年はSARS発症例は中国10数例のみで国外発生はなく、終息宣言も出された。新興感染症は発症当初は対策が重要なのだが、原因となる病原体の分析、それに基づく予防対策を十分に行えば現代の医療では何とか封じ込めが出来ることを示した。特にSARSについては中国政府の初期の隠蔽工作が重大な結果をもたらしたことが最大の反省材料である。その面では今期の対応はほぼ安心して見ていることができた。今年は医師会の感染症対策担当として会員への情報提供は一応準備していたが一度も行う機会はないまま終息した。

 今、感染症
危機管理の視点は「天然痘バイオテロ」対策に移っている。天然痘、炭疽菌、ペスト菌等を用いるバイオテロは貧者の核兵器と言われるほど安価に出来ることでテロリストにとっては格好の武器とみなされている。特にイラクへの自衛隊派遣はわが国が標的になる可能性を一層高めた。東京上空で数Kgの病原体が撒かれるだけで都民の大部分が罹患するとされる。しかも長期間にわたって次々と伝染していく。あたかも放射線被害が長期に渡るように。だから核兵器になぞらえられる。天然痘の場合、わが国が直接標的にならなくとも潜伏期も比較的長いから国際的交流が激しい時代、短期間に世界に広く拡散してしまう可能性がある。幸い天然痘の場合、4日目以前にワクチンを受けることによってかなり抑制することが可能である。今日の仙台での会議では実際の予防接種もシミュレーションした。私はワクチン接種係を命じられ、見るも触るも全くはじめての二股針なるものを用いて20名ほどの模擬被験者に接種してみた。良い経験であった。

 今までの危機管理対策委員会は講義を聴講する形式で、ピンと来なかった部分もあるが、本日のような実際的シミュレーションが行われると、小さい可能性とはいえ差し迫った危険を実感出来る。秋田県でも県、医師会を中心に対策方法を構築しなければならない。そんな時期を迎えている。


6/8(火)曇り 秋田県感染症評価委員会 医師会打ち合わせ 医局カンファ
2:00起床,ドック判定総括x1、ほかいつもの如く淡々.5:20病院着。6:30入院患者定期処方箋40数枚薬局に送付。実に気分がいい仕事。回診、他。9:00-13:10外来.14:00-15:00秋田衛生検査研究所にて県感染症評価委員会。15:10医師会打ち合わせ、17:30ー18:30医局カンファ「モルフィネの使い方」。20:30帰宅。21;00就眠.

研修医諸君へ(3)重症者はまず初期対応、専門医に連絡、それから検査


6/7(月)雨 梅雨入り宣言 管理会議  長副会議
2:00起床、昨日のFF tenisの疲れか、やや眠い。家内は私が寝た後市内のレストランで夕食摂ったらしい。ドック判定・総括x1,民医連データ収集、改変、紹介状送付ほか。5:20病院着。6:30回診、他。8:00管理会議.9:00-14:50外来+紹介状返事。仙台検疫所より電話、炭疽菌ワクチンの実施訓練について。16:30-18:30長副会議。20:30帰宅。21:00就眠。

政治が扱う生活習慣病対策
 5月中旬与党幹事長・政調会長会議があって、今後わが国が目指すべきは単なる長寿でなく「明るく活力のある健康社会」だとして、健康寿命を延ばすために以下の目標を掲げたという(Medifaxによる)。
 ●ガン対策:5年生存率20%改善●心疾患対策:5年生存率20%改善●糖尿病対策:死亡率を20%改善●要介護者減少対策:1/7人→1/10人・・・・。

 政治が国民の健康を考えることはとても良いことであろうが、この様に疾病をあげての対策をするなら国民の医療を何とかしなければ駄目だ。医療費をどんどん下げて、なおかつこの様な効果を上げるための歪みは医療・福祉関係者に来るのだ。
 高齢者の健康問題は高齢者自身に語らせなくてはならないし、医療・福祉現場で考えなければならない。数々の地位特権を有して一般庶民と隔絶された環境下にいる政治家が何を言うのか・・・。不調なときには、あるいは不利なときには、某私立医大病院の特別室に入院するような、ぬくぬくと種々の特権で守られた政治家が、医療・福祉の現場を見もしないで机上で空論をこね回す、こんなバカな。2週間ほど老人病院、老健施設等に試験入院しては?? ある大病院の超高齢の理事長が老人達に新しい生き方を・・と呼びかけているが、これも私は好意的にはとらえない。言ってる本人と呼びかけ対象者は全然土俵が違う。あまりにも違う。

 高齢者の人生は高い山に登るがごとしで一歩一歩毎に環境は徐々に厳しくなる、と私は思う。そんな状態にさしかかった高齢者に今更体力を付けろというのは拷問だよ。高くなるに従って欲しくなるのは防寒具であり、補助、人手なのだ。

ガン、心疾患、糖尿病などで死ねるのは幸せなのだ。死亡率は下げる必要はないし、下がらないよ。


6/6(日)快晴  病棟拘束 FF tennis  
1:30リハビリ病院当直室にて起床、ドック判定・総括x2,新聞処理、院内業務。8:30病院に移動、8:45救急カンファ。丁度救急車が着いたばかり。くも膜下出血、CT撮影など手伝う。その間にも心肺停止状態の高齢者救急車で来院。多忙であった。脳外科医にバトンタッチして、11:30帰宅.Vnなど。13:00-17:00梅林園FF tennis、5人。FFは2-6、5-3で時間切れ。19:00息子二人とかつ吉にて外食、22:30就眠.

自伝  宮古病院時代 1971〜73 (5)
血液疾患を受け持つ。血液内科学を学ぶ決断をする
 大学の時から血液学の臨床に興味を感じていたこともあって、宮古病院では時間外の静かな時間帯に血液検査室を利用させていただき、最初は末梢血から、次いで骨髄像を図鑑を片手に独学した。最初の2-3回、橋本副院長から骨髄像の読み合わせをしていただき良いスタートが切れた。時間を見つけては顕微鏡を覗いていた時期もある。
 たいした知識はなかったが、血液に興味を持っている医師として結構重宝され、血液関連の問題のある患者は殆ど私が受け持つこととなり、結構大変であった。2年間の宮古病院の勤務のうちで急性・慢性の白血病10名ほど、血小板減少症、白血球減少症等も多数受け持った。
 当時は抗白血病剤と言っても今では殆ど使用されていない?果も乏しい数種類のみ、輸血は全血輸血だけであり、急性の変化には新鮮血輸血で対応するしかなかった。急性白血病は診断しても薬物療法の効果はそれほど無く、せいぜい短期間の部分寛解程度であり、為す術もなく高熱と出血を繰り返しながら1-3ヶ月で死去した。特発性血小板減少症の23歳の女性も脳出血で死亡したが、未だに心残りである。

 2年目の春、不可解な病状を持つ25歳男性を受け持った。何とか「血球貪食性細網症」と言う疾患の疑いまでたどり着いたが文献上、治療法などどれにも書いていない。文献にある著者に直接聞くしかないと考え、思い切って電話をかけたのが当時新設されたばかりの秋田大学の第一内科の柴田昭助教授で種々の指導をいただいた。数回の電話での対応をうけたが、その中で機会があったら秋大に勉強に来なさい、と言うことにまで話が発展した。患者は約一ヶ月後に死亡した。剖検までさせていただいたが、臨床医としての力不足、治療学としての血液学の限界を大いに感じたものである。これを機会に約一年後、私は秋田大学第一内科血液グループに所属することになる。


6/5(土)晴 病棟拘束 リハビリ当直
2:00起床。ドック総括x1。医報用校正。紹介状ほか。5:20病院着、6;30回診他。8;45救急カンファ。9:00ドック結果説明x2。10:30-12:30外来。14:30-14:45散髪。残務処理、17;00リハビリ病院当直に移動、残務処理、検食。新聞数日分チェック。22:30就眠.

病院全館禁煙の波紋と討論(3)早速メールがありました
 
私が担当している外来に定期的に通院されている女性の患者さんから早速喫煙に関するメールが入りました。ご本人の同意がえられましたので原文のまま掲載させていただくことにしました。

 『ホームページチェックが日課になりました。
 6月3日「徒然日記」から喫煙について。
 私は日ごろからストレスになっておりましたので・・・。

 4月、5月の通院時、玄関前で4,5人の喫煙者の煙の中を通り過ぎなければならず、大変不愉快になりました。血圧が、かなり上昇したと思います。看護師さんにお尋ねしましたら「全館禁煙、喫煙室廃止でやむを得ない」との答えでした。 吸殻が散らかり、病院外は、まるで喫煙者のためのロードと化して行くようです。

 秋田は、喫煙者に甘いようで、かつて秋田市長へ質問したことがあります。公共の場所での禁止を提言しましたが、・・・。アトリオンなどは、今でも、ご丁寧に煙を浴びてからの入館となる始末です。全店禁煙表示の飲食店をさがすのは至難の業です。かつて仙台の開業医が、「水虫(スリッパに履き替えでしたので)は治療してから、喫煙者は禁煙してからご来院ください」と掲示しておりました。私は先生に大いに拍手したものです。

 タバコは嗜好品ではないニコチン中毒患者との認識を、お医者さんからの立場でアッピールしていただきたいと考えています。なにがなんでも理由の如何に関わらず・・です。』


 YSさん、ご意見どうも有り難うございました。自身のストレス解消のため時間の隙間を見つけて、推敲もろくにしないまま掲載している雑文を見ていただいているだけでも感謝です。私のタバコに対する姿勢、考えは全館禁煙の波紋と討論(1)(2)の通りですが、以下に若干だけ追加します。

●私は喫煙する者さんを単なる嗜好品とは考えてはいない。軽重様々な病気の一つだと思う。
●仙台の個人の診療所の姿勢と主張は良いと思う。ただ、喫煙者が来院したらどうするのか??窓口で診療拒否すれば医師法違反。他の医療機関を紹介すれば問題はないが。
●医療機関はその規模に応じて担うべき責任がある。病める方で診療を希望して受診された方は喫煙者であっても入院医療を含めて公平な医療を受ける権利がある。だから医療機関は問題を抱え込むことになる。
●喫煙で他人が健康被害を受けるために医療機関内は完全分煙は当然。
●締め出しによる敷地内分煙達成は簡単だが、現況では自己満足でしかない。歪みは必ず来る。
●タバコによる火災発生予防は患者の命、地域の安全を守るために医療機関として最重点課題。
・・・・
●追記;私は煙より音
 実は、個人として私自身が最も嫌なのは煙そのものではなく、喫煙者のマナーにあります。他人のいる前で傍若無人の喫煙、吸い殻を他人に始末させ平然とし、時にはポイ捨てなど、項目を挙げるのに暇はありません。行為そのもののだけでなくその人全体を否定したいほどそのマナーは嫌ですが、「坊主憎くけりゃ袈裟まで憎い」はあってはならない事である、とも主張しているので、ジレンマに悩んでいます。
 私は騒音の方が煙より遙かに嫌で、他人との距離、空間も重視します。今でも明らかに空いて静かそうならば、喫煙車、喫煙コーナーの方を選ぶこともあります。その意味でもBOSEのヘッドフォン、とても良いです。
 


6/4(金)晴れ メルク社来院 医師会打ち合わせ 健康対策課来訪 
1:00起床。ドック総括x1。医師会医薬分業に関する検討。5:20ハーレー病院着、院内業務。6:30回診他。身体障害診断書他、10:30-13:00新患補助外来。13:30-14:00メルク社員来訪「蜂刺されアレルギー対策」関連。14:30ドック診察5名。午後外来補助3名ほど診察。16:00-17:00医師会打ち合わせ+健康対策課来訪。医療評価機構関連業務。20:20帰宅21:00就眠.

病院全館禁煙の波紋と討論(2)私は敷地内に吸い殻捨て容器の設置を求めた
 全館禁煙にした結果生じた現象は、敷地内の多くの場所での喫煙であり、吸い殻のポイ捨てであり、かつ、院内のゴミ箱から吸い殻が見つかるという重大な事実であった。この、ゴミ箱から吸い殻が見つかると言うことは病院の安全対策上絶対にあってはならないことである。恐らく、捨てられた吸い殻は缶とか携帯用の灰皿が一杯になったために捨てたものであろうと推察は出来るが、そんなことはどうでも良い、吸い殻がゴミ箱に捨てられること自体、喫煙者のマナーの問題を含めて禁煙問題の複雑さを示している。

 私は吸い殻捨て用の容器の設置を主張した。
 いろいろな会で概ね以下の如くに発言している。勿論、多くの方々の意見も参考にしている。鋭く反対されていることも知っている。

●禁煙問題の解決は、社会から喫煙者、特に若年者の喫煙を減らすことにある。それに対する寄与は医療関係者、医療機関としての責務でもある。
●究極的には敷地内を含めての禁煙である事は論を待たない。その点では禁煙推進の方々と到達点は同じと思う。
●その到達までは徹底した分煙の追求。当面、少なくとも医療機関内では完全分煙であるべき。
●分煙の目的は非喫煙者の安全の確保であり、喫煙者の締め出しが主目的であってはならない。
●敷地内禁煙が最終目標としても、方法としては段階を踏まざるを得ない。
●まず、館内完全禁煙。当院の敷地内を禁煙にすることは不可能ではないが、それだけでは喫煙問題の根本的解決にはならない。現状では単なる締め出しでしかない。
●現状で全館禁煙にした場合、問題を敷地周辺の道路や住宅近接区域に拡げていくことになるだろう。これを喫煙者の方のマナーの問題だ、と私は言いたくない。周辺地区の方々の安全確保にもわれわれは責任を負っているのだ。清潔保持にも。
●全館禁煙に踏み切ったことで二次的に現実に生じた現象は、トイレ等での喫煙、敷地の各所での喫煙、吸い殻のポイ捨て、各所の院内ゴミ箱から吸い殻が見つかったことであるが、これらは喫煙者のマナーを含めて喫煙問題の根の深さを示している。
●吸い殻のポイ捨て、院内にゴミ箱に吸い殻が捨てられることは、火災という取り返しのつかない大事故にもなり得るために絶対に看過出来ない。これは最優先して回避しなければならない。
●そのために敷地内に吸い殻捨て専用の容器を設けるべき。
●吸い殻捨て専用の容器設置すれば、そこの場所で喫煙する者が生じるであろうが、これは新たな対策に伴うひずみであり、やむを得ない。敷地内各所で吸われるよりは私は良いと思う。
●次の目標は喫煙者数自体を減らすことである。方法としては来院時、入院時の協力要請、駄目なら他の医療機関を紹介しても良い。喫煙者であるということでの来院や入院拒否は出来ない。
●入院を機会に禁煙を勧め、希望者には禁煙治療も勧める。
●・・・・
 時間もないし、きりがないから止めた。書けば書いたで激しく追求されるだろうね。


6/3(木)快晴  秋田県アイバンク評議員会 
2:00起床。ドック総括x1。レセプト数枚チェック。ほか淡々と.5:20ハーレー病院着、気分良し。徒然送付。6:30回診、他。9:00-14:00外来、連休4週間の効果が薄れ、再び混雑始まる。入院患者不調数人。14:30-15:45秋田県アイバンク評議員会、県臓器移植推進財団との合併でコメント。16:15-17:00中通病院委員会。20:30帰宅。雲一つ無い、紺青の空が素晴らしい。21:00就眠。

病院全館禁煙の波紋と討論をめぐって(1)
 私は第16回秋田民医連学術集談会の運営を担当した時、パネルディスカッションで「医療機関内における禁煙」を取り上げた。医療関係者としてこれほど健康に悪影響ある生活習慣を放置して置くべきでない、との視点からであった。討論自体は盛り上がったが、この試みが当法人内の喫煙、医療にいかなる影響を及ぼしたのかについては、恐らく全くゼロに近かったと思う。その頃は喫煙に対してまだ社会全体が甘過ぎ、嫌煙権の主張に対する抵抗は大きかった。あのころは主張をすること自体困難だったのだ。要するに時代を10数年早取りしていたのだ。

 過去に秋田民医連学術集談会で喫煙問題を取り上げた事などもう覚えている職員もいないだろうが、当法人はこの分野でも先進的一歩は踏み出していたのだ。 あれから10数年、時代はすっかり変わってしまった。世を挙げての禁煙運動である。喫煙者はすっかり肩身が狭くなってきた。一昔前と違って禁煙運動もやり易くなってきた。とても良い時代になったと思う。

 一方、病院の運営を担当する側にしてみれば困難な調整を求められることになった。否、調整どころか対応に時間をとっていると生っちょろい、無能だ・・・などとなじられる、そんな時代になってきた。到達点は同じであることは論を待たないが、なかなか理解が得られない。結果的に、昨年夏、当院も院内完全分煙を達成、本年四月からは全館禁煙となった。
 先進的考えに沿って明日からでも敷地内完全禁煙と決めることは不可能ではないが、言うのは簡単であるが、そんな決め方をすれば必ずひずみを生じる。そのひずみが大きな災害の原因にも成りうる危険をも包含する。だから当院では段階を十分に踏んでいる。時間的に余裕を持って進めたのは喫煙する職員に禁煙のための時間を与えることであった。要するに、どうしてもタバコを止められない喫煙者は病人であると言う視点である。離煙のための治療する、治療を受けるための時間を与えたものである。この期間内に禁煙に踏み切った職員も少なくないと聞く。大きな進展であったと思う。

 喫煙者には喫煙の害を広告する様にしたが、禁煙区域は現状は全館であり、敷地内での喫煙は禁止していない。その結果生じた現象は、敷地内の多くの場所での喫煙であり、吸い殻のポイ捨てであり、かつ、院内のゴミ箱から吸い殻が見つかるという重大な事実であった。この、ゴミ箱から吸い殻が見つかると言うことはおぞましいことであって絶対にあってはならないことである。


6/2(水)快晴  県医師会理事会
1:20起床,丁度家内帰宅。ドック総括x1、ほか淡々.5:20病院着、今朝はハーレーは寒い。回診他、8:15救急カンファ、9:00-13:00外来。14:00病棟処置、主治医意見書作成他書類に追われる。16:30-20:10県医師会理事会+委員会.代議員会を控え議案他最終調整、話題多数で長丁場。20:40帰宅。21:30就眠。

またまた衝撃的な事件 小学6年女児殺害 あれはリセットに近い行為
  11歳の女子が同級の女子をカッターナイフで殺害した。よく解らないが、誰もいない教室に呼び出して、かつ傷の深さは10cmもあること等から見てかなりの憎しみの感情があったことを推定させ、計画性もあったように見える。 動機が何であれ、陰惨である。凶悪事件の低年齢化には目を覆いたくなる。
 11歳ほどの幼児がいだく愛憎とはなんだろうか??    私はそんなに根が深いものだとは思っていない。

 一方、こんな時に登場する文科省、教育委員会等のコメントは全部的を外れている。 ことの基本は、ヒトをヒトらしく育ててくれる五感、これらわれわれに備わっている素晴らしい感覚を用いずに、視角と脳でだけの教育、養育、情報交換がなされ、それを当たり前だとする社会環境に大きな主因があると思う。要するに大人が悪いのだ。今は小学校でパソコンを教えるのだというが私はバカなことだと思っている。パソコン、TV社会こそが問題なのだ。この被害者・加害者共にパソコンを自由に駆使し、ホームページさえ持っているという。
 私は、被害者はパソコンゲーム上で不利・不都合になったときに気軽にリセットする感覚とほぼ同じ感覚で、リセットされた、消されてしまった、そんな気軽な判断基準・動機で殺害されたのだと思う。リセットのためには手加減なんてない。結果だけが重要なのだ。だから最大の力をふるったのだろう。
 子供は元来乱暴なものだ。手加減なんて良く教え込まなければ、また自分で痛みを感じる経験がなければ分からないものなのだ。インプットをして大きなアウトプットが得られるほど子供は単純に喜ぶ。それが自然のことだから当然だ。幼い子供によって親が大きく負傷して救急外来に来ることも希でない。

 何でこの様になってきたのか。合理主義の近代科学文明は人間から感性、情念を奪ってしまった。それによる生老病死観の軽視がある。重要なはずの身内の病、死ですら病院に隔絶される。一般の人達にとって、人の死とはニュースで見る死、ドラマの死、パソコンゲームの中の死、たまごっちのリセット等だけでまったく実感のない死になっている。死=リセットでしかない感覚が今の子供達の感性なのかと思う。


6/1(火)快晴  医師会打ち合わせ  医局会 
1:30起床。丁度家内帰宅、直ぐ寝てくれた。ドック判定x1.入院患者のレセプトチェック数人分、書類2,3処理他いつもの如く淡々と過ごす
5:20病院着。6:15より回診、定期処方40数枚送付、昨年の記録みると27枚。それだけ患者数が増えたと言うこと。8:15救急患者カンファに。9:00-13:30 外来。医師会関連と病院関連の作文、紹介状関連処理など.次々と書類に追いかけられ、本来の仕事が出来ない!自室に病棟で不要になったファックスを取り付けた。若干合理化になるだろう。17:30医局会、喫煙で盛り上がる。回診他、20:30帰宅、21:00就眠。

研修医諸君へ(2)救急患者は時間的余裕が異なる。それを読みとること


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   年を通じてワンパターンで淡々とした毎日です。AM2:00-5:00にメールチェック・返事送付、人間ドック(HDD)判定・報告書作成、新聞切り抜き、病院・医師会業務など。
  月〜土曜は6:00頃出勤、HDD報告書印刷、外来書類処理など。病棟回診、HDD受診者とミーティングと診察。8:45-14:00外来とHDD受診者に結果説明。昼食は摂りません。午後は病院業務・医師会業務、各種委員会等に出席など。20:00頃帰宅。
  日曜・祭日もほぼ同様ですが、病院には午後出かけます。時間的に余裕無いのが悩みです。


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