徒然日記

 日記と言うより、自分の行動記録と日々の雑感です。

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9/8(金)超快晴一時降雨と雷鳴、その後晴れ 入院二日目・手術日
1:30起床、録音でラジオ深夜便数件。読書、徒然など。6:00検温等、術前のチェック始まる。8;45手術室に移動その後のことは不明。12:30麻酔より覚醒。病室に移動。酸素吸入、下肢血栓予防のエアポンプ、尿道カテーテルは装着のまま。手術部付近に違和感あるも疼痛は自制内。微睡、新聞、小説、録音データなど繰り返しつつ1日過ごす。21:00就寝。

私の外傷歴・疾病歴(4) 疾病歴(2) 50年来の苦痛からの解放 膀胱頚部硬化症手術
■3 2007年8月1日膀胱頚部硬化症(経尿道的切開)+膀胱憩室手術(腹部正中切開)    
 幼少の頃は友達と連れションしたり、飛ばし合い、オシッコのかけ合いをよくやったものである。私はその頃から、友人達より尿線が弱いことに気づいていた。以来、45年、膀胱頸部硬化症だろうと自己診断して泌尿器にも相談せずなんとか維持してきたが、年とともに頻尿となり、時に尿漏れ失禁、発熱さえもきたすようになってきた。これ以上は隠し通せない。6月に腹部超音波検査を受けたが残尿量、膀胱壁の肥大から、一見して事態の深刻さを理解した。
 2007年8月各方面の業務整理を行い2週間ほど休暇を取る手続きをした。

 手術は経腹的に憩室を摘出し、次いで内視鏡的に膀胱頚部切開術ということで全麻下に行うこととなった。手術は全く分からないうちに終了し、全く無痛。しかし、手術は結構大変だったらしい。

 ベット上では出来ることは限られている。時間つぶしに苦労する。何かに飽きるとトロトロと眠る。ふだんは味わえない贅沢な感覚だ。

 硬膜外麻酔テューブ抜去後疼痛が襲ってきた。看護師達は鎮痛剤の使用を勧めてくれるが、この疼痛は術前予想したレベルであり、暫く疼痛と対話することとした。
 5日目についに尿道カテーテル抜去した。?明らかに異なったのは私がいままでに体験したことのない、抵抗のないスムーズな排尿感である。これこそ求め続けてきた未体験ゾーンであり、最高の感覚である。45年間、私も耐えたが、膀胱もよく頑張ってくれた、と思う。
 2週間で病欠期間を終えることとした。良い体験、経験が出来たと思う。
 その後、現在まで排尿に関する苦痛は味わっていない。おそらく加齢に伴う前立腺肥大の症状も出ることもないだろうと思っている。

■4 2007年頃から発作性心房細動自覚、2012年5月頃から心房細動の慢性化
 いつぞやから時折動悸を感じていた。その時は不整脈もある、心電図チェックでは散発性の上室性不整脈であったが、そのうちに発作性心房細動に移行しやがて持続性の慢性心房細動に移行した。それとともに動悸等の症状は消失した。当時は公私共々激務と心労が重なっていた時期であり、おそらくそれが原因の一つであったのであろう。心房細動の治療は多々あるが症状は何にもないし、自転車で怪我する可能性があったために、自己判断で脳梗塞予防のための抗凝固療法を受けなかった。そのこともあって12年11月心原性脳塞栓を発症した。
 


9/7(木)晴れ 外来 入院初日
0:20起床,入院準備、医学文献、新聞他、7:30入院の道具を詰めてレガシーにて出勤。飯川病院で追加の小道具、小説など持ち中通病院へ。8:45-13:00中通病院内科外来、結構混雑。13:30外科病棟入院。昼食はそうめん、完食。受け持ち看護師から入院時オリエンテーション、シャワー浴、麻酔科部長の説明、ヘパリン点滴開始、18:00家内とともに主治医と面談、術前後の状況説明、各種同意書作成。18:45夕食、主食摂らず。副食のみ。新聞スクラップ。21;00就寝。歩数計6401歩。

私の外傷歴・疾病歴(3) 疾病歴(1) いろいろ患った 改めて感慨
 自分の疾病歴をまとめてみると以下の如くである。随分、色々あったものだ、と思う。 
――――――――――――――――――――――――――――――
■1945年 出生、幼少時は虚弱・腺病質であった 
■1953年 盲腸周囲膿瘍 小学生5年
■2007年8月1日膀胱頚部硬化症(経尿道的切開)+膀胱憩室手術(腹部正中切開) 
■2007年頃から発作性心房細動自覚、2012年5心房細動の慢性化
■2008年肺がん疑い
■2011年頃から右下腹部に鼠径ヘルニア
■2012年10月腸閉塞 内ヘルニアで腹腔鏡手術  
■2012年11月心原性脳塞栓 後遺症なく改善
■2017年右下腹部鼠径ヘルニア増大と疼痛、嵌頓なし 手術を決断。
――――――――――――――――――――――――――――――

 本日は右下腹部鼠径ヘルニアの手術のための入院初日。明日の手術のためにオリエンテーション、術前準備のための点滴等を受けている。

 これを機会に、私の疾病歴をざっと振り返ってみた。

■1 1945年 出生、幼少時は虚弱・腺病質であった。
 そんな私が現在まで生きながらえてきたのは驚きである。小中高と進むにつれ丈夫になっていった。若い女性たちを眩しく感じ始め、混雑するバスで通学するのが恥ずかしく、自転車で長距離通学したのが丈夫になったきっかけだったと思う。その時の自転車好きが未だに続いている。2012年の転倒と腸閉塞発症、脳梗塞発症、ヘルニア発症と因果関係が疑われる。
 
■2 1953年 盲腸周囲膿瘍 小学生5年  
 医者の家庭で育って、なまじっか知識があって、この時の腹痛を自己判断で虫垂炎と思ったが、手術が怖く、家族の前では平然と振舞っていた。数日後、高熱と共にテニスボール大の腫瘤が生じ、祖父についに見つかった。盲腸周囲膿瘍、腹膜炎の疑い危険な状態との判断で盛岡の外科医院で開腹手術を受け、大量の排膿があった。いずれ再手術と言われたが以後順調に経過し退院した。運が良かった。

■3 2007年8月1日膀胱頚部硬化症(経尿道的切開)+膀胱憩室手術(腹部正中切開) 
 幼少の頃は友達と連れションしたりオシッコのかけ合いをよくやったものである。私はその頃から、友人達より尿線が弱いことに気づいていた。以来、45年、膀胱頸部硬化症だろうと自己診断して泌尿器にも相談せずなんとか維持してきたが、年とともに頻尿となり、時に尿漏れ失禁、発熱さえもきたすようになってきた。
(いま8日朝、まもなく手術に呼ばれる。続きは術後に)


9/6(水)曇りのち晴れ 飯川病院ボランティア
 0:00起床。文献・新聞。医学論文など。8:15クロスバイク飯川病院へ。院長受診のために代行ボランティア。13:30帰宅、微睡、データ整理。歴史本他。入院準備。庭掃除。19:00夕食、20:30就寝。歩数7993歩。

私の外傷歴・疾病歴(2) 外傷歴(2) 自転車で転倒  川べりで滑落し腰部・頭部打撲
■3 2012年10月9日自転車で転倒、全身強打
 私は2012年10月中旬、スポーティなクロスバイクと呼ばれる自転車で通勤していたが、大きな交差点を右折する際、不注意で自転車の高校生と接触した。スピードが出ていたのですぐには転倒せず、右に大きくカーブしながら車道と歩道間のブロックに前輪を引っかけ、はずみで外側の歩道に投げ出された。左半身中心に全身を強打したが頭部や手足は何ともなかった。目立った外傷もなかった。私は、かなりの衝撃を受け、約一週間、呼吸困難感、全身痛に悩んだ。よく大怪我しなかったものと、思い出す度に冷や汗ものである。幸い高校生には怪我がなかった。ヘルメットと背中のディバッグが衝撃を和らげてくれたと思う。

 この転倒と後の腸閉塞発症、脳梗塞発症、今回のヘルニア発症・増悪との因果関係は多分あるのではないか?と今にして思う。

■4 2015年8月16日「薄衣の滝」付近の川べりで足を滑らし滑落、受傷
 花巻・志戸平の「薄衣の滝」を見に行き、濡れた石に足を取られ2mほど滑落、右側頭部と右側腹部、臀部を強打した。
 滑落した瞬間、まだ着地しないうちに着地のこと、頭部強打、体幹、四肢の強打と骨折等が予想され、一瞬死を意識した。一瞬のうちにこれらのことが浮かんできた。
 着地は予想どおり頭部からであった。その時に感じた衝撃感、異様な音、光の感覚、匂いなど今までに経験したことのない妙な感覚が一瞬経験された。疼痛はほとんど感じられなかったが、短時間気を失っていたのだろう。

 気がついた時に、「あれ、生きている!!! 」と感じたのが最初であった。恐る恐る足を動かしてみると、「動く!! 骨折はなさそうだ」,次いで両手を動かしてみると「動く!! 骨折はなさそうだ」。この感覚は大きな喜びであった。体を起こしてみると頭付近は出血のために真っ赤、かなりの出血であった。

 駐車場まで小道が300mもあるが、いつまでもここに倒れてはいられない。なんとか戻らなければならない。立ち上がった際に激しいめまいがあり、何度か転んだがそろそろと歩いて下山、なんとか車にたどり着いた。出血は徐々に減少した。

 花巻病院受診、頭部CT撮影、問題なし。皮膚の縫合は8針ほど?そのうちに腰痛臀部痛増悪、腰回りが太くなり、歩行に支障生じる状態となる。とにかく秋田に戻ろうとした。途中で限界を迎えそうなら盛岡の中央病院に、と考えたが、結果的に自宅までたどり着いた。

 右背部痛と呼吸困難感。受傷4日目から出てきた。腰臀部の疼痛、先鋭化した疼痛、帯状に触覚脱出を伴っていた。腫脹して大きく膨れた臀部、ヘソが右に2cmほどシフトするほど腰部が腫れた。思いがけないほどの出血は、脳梗塞再発のために服用している抗凝固薬のプラザキサの薬効と考えられた。

 この自傷事故を考えると「極めて危険」な状況であった。もう少し頭を強く打っていたら、四肢に骨折とかが生じていたら、内臓破裂でも生じていたら・・・と考えると恐ろしくなる。無謀な単独行動を反省するとともに、大事に至らなかったのは単に運が良かっただけ、と猛省した。


9/5(火)超快晴放射冷却 外来 飯川病院 
0:30 起床、医学文献・新聞ほか。5:15可燃ゴミ提出、7:25徒歩飯川病院着、 8:45-13:40中通病院外来、数質ともに混雑。14:00-18:20飯川病院。14:40A Bankに。18:50帰宅、19:00夕食、20:30就寝。歩数15356歩。

私の外傷歴・疾病歴(1) 外傷歴(1) アキレス腱断裂など
 私は、今週末に腹部のヘルニアの手術を受ける。いま術前の準備中である。なんとなく出張に出るような、非日常的時間が得られるだろう。読書三昧に過ごせそうでちょっと楽しみである。

 主治医に提出するために私の病歴をまとめて見た。ついでに外傷歴もまとめて見た。ほとんど後遺症は残っていないが、結構、重大な病気、外傷を重ねてきたものだ、と思う。
 全身麻酔下の手術も今回で3回目である。

 各々の病気、外傷ごとに、その時点毎にリアルタイムにまとめているが、今回現時点の感覚でこれらの一部を振り返って見ることとした。

 外傷歴
■2003年10月19日アキレス腱切断 翌日縫合手術
■2005年夏以降、腰痛 腰椎MRIでヘルニアの診断
■2011年11月19日右拇指裏に裂創9針も縫合受ける
■2012年10月9日自転車で転倒、全身強打
■2015年8月16日川縁で滑落し腰部強打・頭部打撲裂傷 腰部背部に出血


■1 2003年10月19日アキレス腱切断 翌日縫合手術
 1977年頃から家内の影響で週一回のペースでテニスを始め、大学退職後も後輩と家族テニスを楽しんできた。前方に落下したボールを打ち返すためにダッシュをかけたところブツっと音がして右足が動かなくなった。疼痛はほとんど感じなかったし、前触れも全くなかった。
 救急外来受診で完全離断とされた。治療はギプス固定と縫合手術があるとのことであったが、当時仕事が混んでいたために少しでも早く歩けるなら、と手術療法とした。
 翌日、局所麻酔下で縫合手術、手術中にぐっすり寝込んでしまい呆れられた。
 術後に地獄が襲ってきた。麻酔切れた後の激痛である。
 日常、患者たちの訴える疼痛に対して、いまならあまり言うことはないだろうが、時には我慢を強いたこともある。この歳になって反省したので、術後の痛みに対して鎮痛剤なしで耐えてみた。術当日は痛みのために一睡もできなかった。疼痛は1日ごとに軽減し一周後にはかなり楽になった。
 2ケ月ギブス固定でひと月ほどは車椅子で過ごした。通勤はタクシー。
 仕事、業務に穴は開けなかった。1日でも入院すれば生命保険から入院医療給付・手術給付をもらえたがこれもチャラになった。
 アキレス腱断裂体験記
 
■2 2011年11月19日右拇指裏に裂創9針も縫合受ける
 11月7日8:00am頃、非常階段で蹴つまずいた。右拇指裏の皮膚が横一文字に3-4cm裂けていた。かなりの出血である。救急外来受診、部長が9針も縫ってくれた。
 つま先を階段に引っかけたのだから、足の上げ方が不十分だったと言うこと。やはり年齢因子で動作が緩慢になってきているためであろう。
 もう一つの要因は素足にスリッパ履きにあったと思う。私は靴が嫌いである。スリッパ履きだと歩行時の蹴りが弱いほか、脱げないように意識しどうしてもすり足歩行になる。
 その後、スリッパ履きをやめテニスシューズを用いることにしたが、結局はスリッパに戻って今に至って要る。長年の習慣は変えられない。
 階段で蹴躓き右拇指裏に裂創(1) 実に丁寧に、9針も縫ってくれた
 階段でつまずき、右拇指裏に裂創(2) スリッパのすり足が原因


9/4(月)晴れ 健康クリニックドック 飯川病院
 0:20飯川病院医局で起床。新聞・文献チェック。データ整理、新聞チェック。9:00-11:00健康クリニックドック14人。11:30飯川病院、微睡ほか、14:00-18:50勤務、入院患者対応。16:00 A Bank来訪、振込。新聞チェック、読書他、19:15帰宅、夕食、20:30就寝。歩数計4461歩。

ネットの中傷・いじめ2017(2) LINEを介したいじめ
 インターネットのありようについて悲観的な意見も増えている。私もインターネットを利用しているが、その功罪についてはざっと見て半々かな?と思う。

 SNSやLINEによる青少年のいじめに事件も少なくない。特にLINEはトラブルを引きおこす要因が内在し、いじめのツールとして用いられている。

 青森県では、昨年LINEを介したと思われる中学生の自死問題が2件生じた。
 このうちの一人RKさんについては、ご家族が適宜報道のインタビューに応じているので死に至るまでの概要を知ることができる。彼女は昨年8月以降、LINE上で同級生らによる「死ね」などの悪口に悩み、スマートフォンのメモに「もう二度といじめたりしないでください。綺麗に死ねないけれど・・幸せになります・・」と遺書を記し、鉄道に飛び込んだ。
 自死の経過・背景と原因や問題点、再発防止への対策と課題については、「いじめ防止対策審議会」に委託され、その調査報告書が待たれたが、市教育委員会の審議会は、今年4月、明確な根拠を示さないまま、RKさんが「思春期うつ」だったと認定し、自死の一因になったと示唆する報告案を提示した。家族らの反発を受け審議会は報告書を答申しないまま解散した。新たな委員の人選は難航し、調査再開の見通しは立っていない。
 いじめ問題が発覚すると「第三者委員会」が設置されて判断が委ねられるが、私はこの「第三者委員会」のレベルが低すぎると思う。

 最近の小・中学性のスマフォ所持率、使用率は、文科省の調査では、小学校高学年で4-6割、中学7-8割、高校10割となっているが、一層低学年化の傾向があり問題視されている。ネットいじめの経験は、高校生の2割、中学生1割弱、小学生1%程度と言われている。 
    
 一般論として、教師はいじめに対する危機意識が乏しく、楽観性があるとされている。多くのいじめ事件についても、かなりのレベルの暴力沙汰、恐喝などがあっても担任の教師が全く気づかないでいることも多かった。
 私は、集団のあるところには必ずいじめが生じると考えるが、次々と明るみに出てくる事件を見ると教育界、特に教師たちの認識はかなり甘い、と思う。

 特に、LINEによるいじめは気づかれないことが多い。LINEは青少年の多くが互いの通信に使っているが、このツールにトラブルを引きおこす要因が内在している。通信のやり取りは閉鎖グループ内で行われる。当事者だけでなく傍観者が多数関わっているのが特徴で、この傍観者の姿勢が加害者的に相乗的に働く。また、LINEによる中傷は内容的に的にきついようである。 

 私はLINEを用いていない。家族間では利用されている。側から見ているだけだからよくわからないところもあるが、LINEによるいじめの特性として以下のように思う。従来のいじめとかなり異なる。

■1 仲間同士、友達同士で交わされる通信だから、いじめが発生した際には有用なツールとなる。
■2 時間的にも、地域的にも制限がない。深夜でもどこにいても通信が交わされるため解放されることがない。無視すれば次のいじめにエスカレートする。だから、逃げ場がない。家に帰っても、転校しても追ってくる。 
■3 拡散性がある。直接の関係のない人にも、ツイッターなどを介して外にまで拡散していく。
■4 匿名、なりすましが可能。 
■5 加害者に罪の意識がない。指先だけの問題で、暴力行為などを伴わず、完全に遊び感覚で執拗ないじめが行われる。
■6 ・・・・・

 今の青少年は、厳しい環境で生きているものだと改めて思う。


9/3(日)晴れ時々曇り 飯川病院当直 レセプト点検
 1:00起床、新聞チェック+歴史本、医学論文読み。9:30-12:00庭木伐採、草刈りなど。NHKのど自慢、微睡。15:00バス飯川病院、15:30レセプト点検、17:00某診療所長来訪歓談。18:00検食、19:00レセプト点検再度、終了。20:00就寝、Blu-ray視聴なし。歩数10387歩、12500Km。

ネットの中傷・いじめ2017(1) 責任追及の仕組みを
 インターネットのありようについて悲観的な意見も増えている。
 インターネットは多くの人が自由に参加し、よりよい「集合知」が生まれる場と期待されてきた。確かにその有用性も発揮されている。しかしながら、ここのところ悪口や憎悪に満ちた書き込みや、その書き込みへの非難が殺到する炎上が頻回に生じるし、フェイクニュースを広める場にもなっている。災害時に流されたフェイクニュースで更に辛酸を舐めさせられた被災者も少なくない。
 青少年の間ではSNSやLINEによるいじめも少なくない、という。
 しかも、最近は発信者の身元を隠せる特殊なソフトを使った投稿が増えている。

 私たちは憲法で「表現の自由」を得た。国家権力による市民の抑圧を防ぐための規定だが、ネット空間では本来の目的と違った形で「表現の自由」が乱用されている。

 匿名性はネットの特傲であり、その利点は否定しない。とはいえ、書き込みをした人
の法的責任が最終的に追及される余地があってこそ、ネットで真に意義ある意見が展開されるはずだ、と思う。
 匿名性の最たるものは選挙であろう。通常はないことであろうが、何らかの事情が生じた場合には名簿、筆跡などから票の特定は可能とされる。

 インターネット上で個人を標的にした誹榜中傷が氾濫している。 
 一般人も標的になる。
 法務省によると、全国の法務局が助言や要請など手続きを始めたネツト上の人権侵犯事件は年々増え、昨年は1909件。警察への相談は1万件を超える。

 それによって被害が生じた際でも、一般的に投稿者特定までの道のりは困難を極める。通信事業者の多くは契約者情報を提供する条件に司法の判断が出たばあい、を挙げる。これには書類の準備や費用もかなりかかるから泣き寝入りしている被害者は多い。

 投稿者を特定するための通信履歴を保存する形式や期問が法的に整備されていないことが問題である。法で形式や保存方法を定め、少なくとも数年間の保存は義務付けるべきだ、と思う。どんな権利侵害が生じたか、などの基準があれば事業者も判断しやすくなる。
 
 私は大した内容の記事を書いていないために深刻な状況は経験していない。時に真剣に意見の往復をすることはある。
 しかし、最近驚いたことがある。過去の記事を参照しようと検索をかけたところ、「〇〇の画像(641件)」の項目ができていて、私がブログに掲載した写真を始め、講演会等の写真が多数掲載されていた。私は自分で写真を載せるときには絶対に他所の方が写っている写真は用いない。このことは徹底してきたつもりである。悪意ではないにしろ自分の知らない画像が知らないうちにネットに出ていることに、改めて怖れを感じてしまった。


9/2(土)曇天午後から晴天  植木伐採、草刈り
0:30起床、本読み、文献チェック。新聞データ化、微睡。午前はデータ整理。10:30植木伐採、草刈り。12:30昼食のち微睡。14:00-16:30植木伐採、草刈り再度。その後、新聞電子化、19:00夕食。20:00就寝。Blu-ray Disc視聴なし。歩数計14284歩。

ヘルスチャレンジ2017(2) 私の体重コントロール第2ステージに
 私は未成年の頃は超痩せ型で太れないのが悩みであった。しかし、年齢とともに太りやすい体質に変わってきたようである。

 体重のデーターは1988年以降、職員検診時の記録を残してある。1988年は62Kgであったが、年齢とともに徐々に増え始め、現役引退の2011年には70Kgに達した。退職後はさらに増え、本年2月の検診では73.5Kgであった。

 体重コントロールは常に念頭に置いてあり、退職を機にバイクをやめ、日常の通勤と運動にスポーツサイクルを取り入れ、2013年からは徒歩通勤にしている。日常の運動量は年齢を考慮するとまずまずいいところに行っていると思っているが、体重コントロールのためには効果がなかったことになる。

 得た結論は、月並みであるが、年齢・体格・運動量から見てやはり過食、ということ。アルコールは一滴も飲まず、日常からかなり食事量は制限しているが、基本的に甘党であり、間食が多いのだろう。
 
 私は右下腹部に大きなヘルニアを抱えている。徐々に大きくなってきており、そろそろ限界を迎えていると考え、手術を受けることを考えた。6月に外科医師と相談し手術と決めたのだが、外来患者の予約が8月中はほぼ一杯で休めそうもなかった。9月上旬以降は外来患者予約を調整できたので上旬に手術日を設定した。

 次にやるべきは体重コントロールであろう。皮下脂肪は少ないほどやりやすいだろう。手術を決めた6月以降食事量を減らし始めた。一昨日まで約3Kgほど減らしたが、傾向として減少傾向は中だるみ状態にある。

 さいわい、9月から法人共済会のヘルスチャレンジ2017が始まるのでこれにエントリーして10月末日までに更に?3Kgに挑戦することとした。9月1日5:00amの時点で70.5Kgであったから67.5Kgが目標となる。
 すでに3Kgほど減らした上だから厳しいものがあるが、今年の第2ステージとしてなんとか達成したい。

 私のヘルスチャレンジ暦を見ると減量3Kgは今まで3回エントリーしている。2007年は66.6Kgから63.4Kgに減らし達成、2010年はわずかに不足で未達成。2012年はエントリーしたものの病気で入院し頓挫した。

 今年は4回目のエントリーである。成果や如何に。途中は苦しいだろうが、結果が楽しみである。


9/1(金)快晴 大曲中通病院外来 飯川病院ボランティア 
1:00起床、新聞・文献他.蓄積データ整理、5:00可燃ゴミ出し。7:40Taxi駅に、8:10こまち、8:45-12:15大曲中通病院外来。往路徒歩。13:30飯川病院帰院。散水など。19:50帰宅。夕食、20:45就寝。Blu-ray Discながら視聴:「サイエンスゼロ:ロボコン」。歩数計11016歩、12855歩。

ヘルスチャレンジ2017(1) 退職後の健康管理のためにも重要な生活習慣の確立
 9月1日は法人共済会主催の「ヘルスチャレンジ2017」(以下「ヘ・チャ」)と称する2ヶ月間のキャンペーンのスタート日である。
 
 「ヘ・チャ」は共催会員の健康管理と健康増進を兼ね,一人一人が目標を立てて楽しみながらチャンレンジするもの。私は2009年から適宜参加している。項目は全部で14項目あって,「ジョギング100Km」、「完全禁煙」、「ウオーキング60万歩」・・・と身近な項目であ る。達成者には項目毎に図書券1.000円分、抽選で10名には10.000円のギフト券がつく。自己申告であるのが甘くて問題であるが、ごまかすと心に傷を負うだろう。

 職員の健康づくりを後押ししようと、健康奨励制度を設ける企業が増えている。健康は、長く元気に働き続けるための大切な基盤である。企業では有用な労働力を確保し続けるためにさまざまな工夫を凝らしている。その試みは、ローソン、サントリーHD、大和証券グループ、ワコールなどが有名である。これらの企業では健康増進への取り組み実績を給与に反映する、といった試みもあり、社員のやる気を導き出している。

 社員の健康は、企業の経営にとっての要だ。生産性が上がるし、高齢になっても働き続けることができる。

 「ヘ・チャ」などの健康増進の取り組みは国も後押しし、2016年に健康保険の保険者や企業などが取り組む際のガイドラインを作成した。国には医療費を仰えるねらいがある。
 
 職場に制度かなくても、自治体が住民向けに手掛けていることもある。

 なぜ運動やメタボ対策などの疾病予防が必要なのか。
 個々人にとっても企業で働いている時だけの問題ではない。健康で無事勤めあげることも重要であるが、退職後も20−30年生きる可能性があるから、自らしっかり健康を考えるきっかけにしたい。

 2014年における平均余命を見ると、一般的に定年退職する65歳の方々の、あと何年生きられるかという平均余命は男性で約20年、女性が24年となっている。退職後の人生は驚くほど長い。

(各年齢ごとに上記のごとくの余命が残っている)

 ただ、問題なのは自立して生きられる健康寿命は、男性は71歳、女性は74歳だから、65歳の方々の健康寿命は男性6年、女性9年と意外と短い。だから、健康寿命期間を延ばすことは高齢者の生活の第一目標に据えてもいいほどの重要事項である。

 その際のポイントは、いわゆる生活習慣病予防と自立して移動できる能力が重要である。
 だから、できるだけ若いうちから健康を守る生活習慣を身につける必要がある。企業が提供する健康増進の企画には乗ったほうがいい。
 


8/31(木)早朝午前降雨・午後晴れ 外来 飯川病院
1:10起床。新聞雑誌データか。録音データ整理。7:10飯川病院着、外来直前からいつもの不明の腹痛あり。8:45-13:00外来。混雑した。ドック関係判定総括14名分。14:00-18:45飯川病院勤務。入院患者処置1名に3件。腹痛のために横臥して過ごす。
Blu-ray Disc視聴なし。19:00帰宅、夕食、20:30就寝。歩数計8685歩。昨年の本日、40年間働いてくれた賄いの石井さん離秋した。

自転車問題2017(2) 5月に「自転車活用推進法」が施行されたが、ほとんど知られていない
 自転車事故を減らし、自転車を文化として成熟させていくために、以下の対策が必要だと思う。

■自転車レーンを増やすなど、自転車空間を確立する。歩道を自転車通行帯と歩行者通行帯に分けただけでは不十分。
 受動喫煙問題も同じだが、自転車・歩行者安全問題は野放し・後回しにされている。

■違反自転車を強く取り締まる。指導する。

■教育が重要。小・中学生の授業や高齢者向けの講習の機会は増えているが、20-50代が学ぶ機会は少ない。

■女性のための自転車の講習も必要。子どもを自転車に乗せて走る親は多い。

■自転車保険の普及が必要。

 「自転車は軽車両だが法を守らなくても許される」、が日本の空気のように感じられる。
 歩道を走っても、イヤホンをかけながらでも、よほどのことがなければ違反をとられない。最近はながらスマフォも稀でない。
 自転車は1970年の道路交通法改正で歩道を走ることが認められて以来、軽車両ではなく歩行者の道具になり、歩行者と立場が並列になった。

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 この5月に「自転車活用推進法」が施行された。
 「自転車は車道」という原則を徹底する時期が来た。
 この法は以下の施策を重点的に検討・実施するとある。
■1 自転車専用道路等の整備
■2 路外駐車場の整備等
■3 シェアサイクル施設の整備
■4 自転車競技施設の整備
■5 高い安全性を備えた自転車の供給体制整備
■6 自転車安全に寄与する人材の育成等
■7 情報通信技術等の活用による管理の適正化  
■8 交通安全に係る教育及び啓発
■9 国民の健康の保持増進
■10 青少年の体力の向上
■11 公共交通機関との連携の促進
■12 災害時の有効活用体制の整備
■13 自転車を活用した国際交流の促進 ■14 観光来訪の促進、地域活性化の支援

 自転車は車道を走らなければならないという交通ルールは理解しているけれども、事故が怖い?といった意見は多い。
?
 道路交通法上、自転車は歩・車道の区別があるところは、原則として車道を走行しなければならない。信号は当然車道信号に従わねばならない。歩行者用信号で渡るときは押して渡るべき。

 ただし、車道通行に関して以下の例外がある。
?
■1 道路標識等で指定された場合
■2 運転者が児童(6歳以上13歳未満)・幼児(6歳未満)の場合
■3 運転者が70歳以上の高齢者の場合
■4 運転者が一定程度の身体の障害を有する場合
■5 車道又は交通の状況からみて、やむを得ない場合
??
 この、「やむを得ない場合」は以下のごとく。
■路上駐車車両が多く、かつ右側に避けるのが困難な場合。
■自動車の交通量が著しく多く、かつ車道が狭い場合。
■煽り運転、幅寄せなどの危険運転や、理由もなくクラクションを鳴らすなど、自動車を用いた暴行行為を行う者がいる場合。
(参考 公益社団法人自転車道路交通法研究会HP)

? 日本の道路は狭く拡張は困難。だから最小限、自転車の走る道路の色分け、進行方向を示すマークなどの表示をつけるべきである。

 私もたまに自転車通勤する場合がある。私は年齢的に歩道走行が許されるが、ドロップハンドルのクロスバイクなので歩道走行には向かないから、車道を走っている。
 今のままでは、車道走行は危険を伴う。車のドライバーの認識も変えていかなければならない。


8/30(水)雨天一過晴天 飯川病院ボランティア 
1:00起床、文献検討、新聞チェック。午前はネコ部屋暖房機器整備。11:00にクロスバイク飯川病院に。院長外出のためボランティア。新聞チェック、微睡。16:00帰宅、畑の整理。新聞入力。19:00夕食、20:00就寝。Blu-ray Discながら視聴:「昭和は輝いていた:パレード」観る。歩数計12368歩。

自転車問題2017(1) 自転車は軽車両だよ 歩道走るな 歩行者信号では押して渡れ
 私は年齢とともに移動手段を自動車からバイクに、さらに自転車に、そして今は徒歩と公共のバスを利用して移動している。

 自分の立場が変わると考えも変わっていく。

 ■自動車の頃は、バイクや自転車の法を守らない走行に悩んだ。
 ■バイクの時には、自動車から、特に女性ドライバーから頻回に幅寄せ等の危険行為を仕掛けられた。
 ■自転車の時、私はほとんど車道走行していたが、自動車やバイク、逆走してくる自転車、無灯火の自転車が悩みの種であった。
 ■いまは歩行中心であるが、歩行者の脇をすれすれに走り去る自動車と、歩道をハイスピードですり抜ける自転車に危険と憎悪を感じている。

 私は、自転車同士衝突したことがあるが、幸い、今の所、それ以外の事故はない。

 自転車は、わが国では生活のための移動手段という面が強い。手軽な移動手段として使われるから、「歩行者が気軽に利用する道具」という感覚が根強い。欧米では、どちらかといえばレジャーの手段でスポーツやレジャーが中心である。

 日本での自転車の歴史を見ると、輸入されて来た明治時代には極めて高価で一部の階級にしか用いられなかった。主にレジャー的使用であった。大正に入ると、国産のものが安価に手に入るようになり、主に運搬手段として使われた。
 1954年頃に車体を軽くし、フレームを女性向けにし、カゴをつけ、価格を低く抑えたこともあって幅広く女性が用いるようになり、急速に普及した。女性向けサイクルの生産台数が1967年には4万台だったのが、1973年には280万台になった。

 これだけ増えてくると、問題は、やはり事故。自動車の普及とも時期を一緒にしていたから自転車と自動車の事故が増えた。

 1970年に自転車の歩道通行を認めたのも、車道での事故が多かったからで、この判断はやむを得なかったと思われるが、今となっては間違いであった。自転車の機能も向上しスピードが出るようになった。結果的に、自転車が走る凶器に化けた。

 悪質な自転車運転者に安全講習を義務付ける制度が、2015年6月に始まった。
 同年末までの問に、全国の警察が摘発したのは7924件。秋田市では40代の男性会社員が酒に酔った状態で自転車を蛇行運転したとして、6月下旬に摘発された。
 危険行為の内訳は、信号無視の3419件、携帯電話をしながら運転して事故を起こすなどの安全運転義務違反921件など。

 自転車が関連する交通事故は、10年前に比べ半減している。しかし,自転車と歩行者の事故はあまり減っておらず、大きなものでなければ、警察に届けないことも多い。
 昨年2月には千葉で77歳の高齢者が22歳の大学生に接触され転倒、死亡した。2013年神戸で小学生が高齢者に接触、転倒して後遺症が残り、9500万円の賠償判決を受けている。自転車の傷害保険はほとんど普及していない。こんな事故の時、加害者はどうするのだろうか?

 自転車は車両と歩行者のどちらに近い??と聞くと、若い人ほど「歩行者」という答えが多い、という。そういう意識がいわぱ当たり前だから、平気で歩行者の間をすり抜ける。
 この意識を変えなければ、自転車問題は解決しない。


8/29(火)終日降雨 外来 飯川病院 北朝鮮ミサイル上空通過
0:30起床、文献検討、新聞チェック。6:02北朝鮮ミサイル上空通過ニュース。7:10バス飯川病院着、8:45-12:30中通外来、比較的余裕。12:45飯川病院、微睡など。14:00-18:30飯川病院。Blu-ray Discながら視聴:「英雄選択;金子堅太郎 日露戦争アメリカを取り逃すな」、「歴史秘話;将軍と10万匹の犬」観る。19:00帰宅、夕食、20:30就寝。歩数計7748歩。

北朝鮮2017(10) 日本本土を通過 発射数分でアラート
 数日前に北朝鮮のミサイルについて疑問を感じていたことをまとめたばかりである。
 その日の結論は、国民を守るということは、着弾まで10分しかないから発射自体をリアルタイムにキャッチし、瞬時に対応開始していなければ迎撃などできない。だから、NHKニュースを通じて発表されるミサイル発射情報内容は全く役に立たないし、我が国の情報収集能力はこんなものではないはずだ、であった。

 今朝29日、可燃こみを取集所に出すなど、いつものごとく朝の出勤準備していたが、6:02に私と家内のスマフォがけたたましく、普段聴くことがなかった異音を発した。見るとYahooニュースとして北朝鮮がミサイル発射、日本国土を超えて飛翔する可能性がある、とでていた。NHKラジオは6:00の定時放送中であったがすぐに緊急放送に切り替えられた。

 それによると、am5:58頃に北朝鮮から不明の飛行体が発射され、ミサイルと思われるが、日本国土上空を通過する模様ということであった。そのことを確認した時には、すでに発射後10分ほど経過していたが、我が家の周辺の状況には変化は一切ないから一安心である。引続く情報では、北海道襟裳岬に落下した模様、とのことであった。

 今回、全国瞬時警報システムが北海道、東北、北関東に出された。今回が3回目というが、私は初めて気づいた。

 実際に全国瞬時警報システムが作動したのであろうが、それを聞いたからといって私どもにできることは殆どない。我々の地域近くに落ちないことを望むだけである。放送では直ちに丈夫な建物などに避難せよというが、そのような施設の近くで聞いた場合にしか対応できない。

 まだミサイルの詳細はわからないが、北朝鮮がグアム近傍にまで飛ばせるということを、方向を変えて誇示した、と思われる。グアムの方向なら中国四国地方を通過するが、アメリカを刺激しないよう北朝鮮に進路をとったものなのだろう。

 今後はミサイル発射訓練はどうなるかわからないが、このような形に強化される可能性があり、危険極まりない。
 直接日本国土を狙うことは現状ではないだろうが、誤射、機器の故障による迷走と本土への落下、航空機、船舶への影響など不測の事態は起こりうる。

 今回の警報発令を通じて、情報収集が迅速になされていたことを確認できた。

 それにしても今後が心配である。


8/28(月)快晴 健康クリニックドック 飯川病院 
 0:30起床。文献、新聞チェック。データの電子化。7:15バスと徒歩飯川病院。新聞チェック、9:00-11:00健康クリニック、ドック診察14名。12:00飯川病院へ、微睡。 14:00-18:45勤務。Blu-ray Discながら視聴:「地球大紀行;四季 生物の苦悩」観る。19:10帰宅、夕食。21:00就寝。歩行Σ12835歩。

展覧会2017(7) 県立近代美術館 ミューズ展
 「ミューズ(芸術の女神)---まなざしの先の女性たち」展が県立近代美術館で開催されており、楽しみにしていた。18日に大曲中通病院の診療応援の帰路遠回りして鑑賞した。
 本展は女性像をテーマとした展覧会。私とっても興味深いテーマであった。
 女性たちは、何世紀も前から芸術家たちを魅了し、その制作意欲をかき立てる存在であり続けてきた。古くは埴輪の中にも見られるし、ギリシャ神話の表現対象として花開いた。西洋の宗教画に名作は多い。ロマン派の傑作にも。しかしながら、これは何も西洋のことだけでない、日本でも浮世絵を始め女性は常に表現の対象とされてきた。

 展覧会場は、■「女性作家たち」、■「母と家族」、■「魔性の女たち」、■「恋愛・結婚・女と男の物語」、■「働く女性たち」、■「アルカディアの女性たち」、■「女性の裸体表現」に、分類して女性像の表現の歴史を紹介している。
 個々の芸術家の固有の美観、解釈の表現が魅力である。

 さまざまな社会的制約を課され、女性が作家として活動するのが困難であった時代に道を切り拓いた女性芸術家達もいた。女性たちは、時に美しく、時に妖艶な魔性の誘惑者として、時に地に足をつけた生活者として、罪人としても表現されている。描かれた作品の画面からは画家の眼差しや視点、当時の思考までが伝わってくる。

 これらの数々の作品を通じて、女性たちを取り巻いていた環境や、子供達の母へのあこがれ、あるいは嫌悪など、女性たちに向けられたまなざしの多様性も見て取れる。女性たちがいかに描き、描かれてきたか、芸術家の感性がどのようなものだったか実に深い。
 私にとっても大きな発見が数々あった。私の女性観もまだまだ変わっていく。

 絵画とは何か?
 対象がそこに存在するということのその本質をしっかり確かめキャンバスに表現する手法である。物が存在するということの意味のすべてを、二次元のカンバスの中に描き切ろうという創造である。そこに価値がある。

 19世紀に写真が登場すると、絵画の使命は急速に衰退した。写真情報とは一線を画する印象派やピカソなどの抽象絵画が登場した。

 写真を枚数を気にせず自由に撮れる現代にあるが、写真と絵画は本質的に異なる。
 今回の作品群の中では、私は特にの自画像に魅力を感じた。M.Gカペは自らの美しさを徹底して強調した奥深さが感じられる。

 写真ならば一瞬の光の固定で済んだであろうが、長い時間をかけて作品を練り上げたであろう作品の女性たち、私はすっかり描かれた女性像に魅了されてしまった。

 良い展覧会であった。



 (会場のギャラリーで入手したミューズ展の案内書、なぜか通常の案内書の半額近い。この書の価値も高い)


8/27(日)快晴 
1:00起床、本読み、データ整理他。10:00-11:30外仕事、草刈り中心、畑と庭。NHKのど自慢、微睡、ネコべや掃除、外仕事、草刈りと庭掃除中心、17:00まで。以降は文献読み、新聞切り抜きなど。自作の枝豆収穫直ちに食卓に、美味かった。19:00夕食。Blu-ray Disc視聴なし、歩行Σ12947歩。

徴用工問題2017 大統領は他に何かやることはないのだろうか。
 韓国の8月15日は、日本の植民地政治から解放された記念日の「光復節」である。
 「光復節」式典で文大統領は日韓の未解決問題の一つとして徴用工問題に言及し「日本指導者らの勇気ある姿勢が必要だ」と述べた。

 私はこの報道を見て、韓国の大統領は後ろまたは脇にしか目がついていないのか??と思った。慰安婦問題しかり、竹島問題しかりである。

 徴用工問題とは、戦時中に徴用され、工場などで働いた朝鮮半島出身者とその遺族の損害賠償や賃金をめぐる問題である。
 国交正常化交渉の当時、韓国側の対日要求要綱8項目の中にこの項目が入っていた。しかし、1965年の「日本国と大韓民国との間の協定についての合意議事録」では、「いかなる主張もなしえないこと」となった。
 その後、盧政権はこの協定の効力を検証する検討会を設置し、2005年8月、慰安婦、サハリン残留者、原爆被害者の三つの問題を効力の対象外とし、徴用工問題は解決の範囲だと再確認した。この時の文氏も委員会のメンバーの一人であった。

 文大統領の同問題への言及はこれまでの韓国政府の見解と100%異なるものであり、政策転換の表明なら協定の「無視・蒸し返し」である。このようなことは国際的視点で見て外交の基本を揺るがす。関連国との関係が根本から揺らぐことになるだけでなく、国としての国際的な信用にかかわってくる。
 韓国は政治的に、外交的にまだ二流国としか言えないと思う。

 文大統領は、17日に行った記者会見でも、「両国聞の合意にもかかわらず、徴用された個人が、三菱などの会社を相手にする民事的権利はそのまま残っているというのが、韓国の憲法裁判所や最高裁の判例だ」と述べた。
 韓国では、12年に最高裁が元徴用工の個人請求権は消滅していないとし、日本企業の賠償責任を認める差し戻し審が相次いでいる。
 韓国は司法も二流国としか言えないような動きをする。世論に迎合した判決が目立つ。産経新聞記者問題の判決でもそうであった。

 韓国の憲法裁判所や最高裁の判例だとしても、それは国内の問題であり、日本としては解決済み事項である。国交正常化交渉時の政権の非を指摘するのは勝手だが、あとは韓国内の問題として処理すればいい。

 日本政府は18日、一連の発言に対し「解決済み」との立場を韓国側へ伝達した。当然である。慰安婦問題も最初に毅然とした姿勢をとればここまでこじれなかったのだ。

 私は、韓国政権がいつまでも蒸し返し戦術をとるということは、個々の政権に実は国の運営に対してロクなビジョンが持てないからだ、と思う。とりあえず対日問題を蒸し返していれば国内の支持率は維持できるからである。大統領は他に何かやることはないのだろうか。

 文政権は対北朝鮮政策でも半ばコケにされた状態にある。
 韓国政府はもっと先を見据え、内憂外患を解決していくべきであろう。日韓関係は私どもが思っている以上の意義があると思う。
 両国の安定、安全のためにも重要だと思う。


8/26(土)早朝午前時折降雨 午後は快晴に 大曲花火
 0:45起床、新聞・文献他、本読み。早朝より不明の腹痛あり、寝たり起きたりしつつ週末をゆっくり過ごす。大曲花火は実施決定。午後は収穫、キウリほとんど最終。トマト・ナスはまだ収穫できる。微睡。ネコ部屋の網戸の強化など、微睡。19:00夕食、20:30就寝。大曲花火は無事施行された様子。歩数計7564歩数。

家庭菜園・園芸2017(4) メインのキウリ、トマト、ナスは本日の収穫をもって終了
 今年は、いつもならGW中に植えるのであるが、今年は腰痛のために予定より2週間遅れで私の定番になっているトマト、キウリ、ナス、元蔵ネギを植えた。枝豆はカップに栽培、芽の生育状態を見ながら本植えしている。

 5月下旬になってから気温は全般に低く、雨が多く日照時間が少ない。今年は植え付けが遅れたというハンディあったが、それでも例年に比して成長が明らかに遅い、と思う。

 6月25日にキウリが一本だけ収穫できた。昨年より10日遅かった。7月上旬後半から突然キウリとナスの収穫量が増えた。キウリ・ナス共に最盛期になると収穫に追われ、食べきれないから、昨年より植え付け本数を減らしたが、今年も毎日収穫に追われるようになった。
 キウリ・ナス共に家族たちはあまり好まないために私が一気に引き受ける。しかし、とても食べきれない。
 私は、適宜飯川病院に届けている。病院の検食にキウリ料理が出てくると、これは私の作品かな?とほくそ笑む。スタッフも朝どりキウリを適宜持ち帰ってくれた。

 8月になってキウリ、トマトが少しずつ葉が枯れ、枝がれし始めた。ナスは中旬以降にに枯れ始めた。
 本日を今期最後の収穫日とした。明日は、枝を刈り取り、根を抜去し、添え木、棚を抜去して終わりにする。

 写真は本日朝の収穫分である。キウリ、ナスは巨大化している。一方、トマトは概して小粒であった。
 若いキウリも好むが、私は巨大化したキウリ料理も好む。冬瓜のあんかけなどは確立した料理のようであるが、それを巨大キウリで作る。これが結構うまい。キウリ汁もうまい。こんなのはどこにも売っていない。だから、シーズン終了頃になるとあえて一部を巨大キウリにする。
 大きくなったナスはナス焼きにし味噌味で食べる。デカすぎると皮の光沢もなくなり、若干味が落ちるが、頑張って食べている。
 私はトマトは試食程度でほとんど食べないが、家内が好む。今年のトマトの評判はとても良かった。「売っているトマトとは一味も二味も違う・・」との評価である。食べている様子を見るとあながちウソを言っているとは思えない。

 メインの三種の収穫は終了した。あとは枝豆と元蔵ネギだけとなった。ちょっと寂しくなる。


8/25(金)早朝降雨のち晴れ 大曲中通病院外来休診 飯川病院ボランティア  
 0:20起床、新聞・文献他、本読み。5:10可燃ゴミ整理。7:30Taxi、駅に向かうも途中でこまち運休を知る。フィットで向かうも休診となる。雄物川水位上昇、明日の花火会場は大丈夫か??11:30保健所監査あり飯川病院ボランティア。18:45帰宅、夕食、20:30就寝。Blu-ray Disc視聴なし。歩数計7097歩。

北朝鮮2017(9) 本当は発射をリアルタイムにキャッチして入るはずだ
 北朝鮮に対してはあくまでも外交を介しての対応が必要であることは論を待たない。言葉が通じない北朝鮮と言え、自分たちが攻撃の意図でミサイルをアメリカ本土及び関連施設、関連国に発射することはない、と考えている。発射した時にはおそらく大惨事になるだろう。わが国も一定の覚悟が必要と思う。
 にもかかわらず核を含めて挑発を続ける北朝鮮の意図がわからない。

 我が国に向けてミサイルを発射した際、あるいは誤射、失敗により国土に落下しそうな際には、■海上イージス艦から「SM3」を発射して迎撃する。■さらに国内主要基地から「PAC3」で迎撃する。現状ではこの2法とされている。

 この方法で国民を守るということは、着弾まで10分しかないから発射自体をリアルタイムにキャッチしていなければできない。だから、通常のミサイル発射情報の発表内容は私は信じがたい。

 防衛省は先日、北朝鮮による相次ぐ弾道ミサイル発射に対処するため、迎撃ミサイル「SM3」を用いる地上型の「イージス・アショア」導入を決めた。北朝鮮が同時に数発のミサイルを発射したこともあって防衛能力の向上が不可欠と判断した。
 また、偵察衛星を守るための経費も計上する。これらが導入されれば陸海双方と宇宙空間かからの監視が可能となり迎撃精度も上がるはずである。
 弾道ミサイルに対応できるイージス艦を、来年3月末までに現状の4隻から5隻に増やす計画についても前倒しし、今年中に実現させる方向で調整する。

 一方、このような対応は地域の緊張を高めかねないとの指摘も出ている。しかし、言葉が通じない北朝鮮を相手にしている以上、国としては国民の命と財産を守るためにはしようがない。また為政者はその視点で準備をせざるを得ない。国民に対して「日本は平和国家だから、対抗はしない。座して死を待て・・・」とするならば、そんな政府はいらない。
 イージス・アショアはイージス艦と比ぺて常時警戒が容易で、経済的負担も軽微できる利点がある。迎撃可能な高度や防護範囲、命中精度も同上するとされる。
 自衛隊に宇宙部隊創設は、日米が弾道ミサイルの警戒監視などで使用する人工衛星を、対衛星兵器や宇宙を漂うごみから防御する狙い。23年度にも空自が実際にレーダーの運用を開始してアジア地域の監視を担う。

 自衛隊や韓国軍、米軍は北朝鮮の作業時の連絡も傍受している、と思われるし、地上や会場から、さらには衛星から監視していると思われる。雲に覆われていても地上を観察することが出来るというし、その解像力は人間一人一人の動きを観察できる制度だという。ただ、それは機密事項で明確にすることはない。

 私どもは、ことの流れを傍観していくしかないが、防衛システムは北朝鮮に合わせて重層化する必要はある。


8/24(木)早朝一時雨、終日降雨 外来 飯川病院 
 0:00起床。文献読み、PDF化他いつもの如し。7:10小雨模様にてバス飯川病院着、8:45-13:30外来+人間ドック判定総括14名分。飯川病院へ移動、微睡。14:00-18:50飯川病院。19:10帰宅。夕食。20:10就寝。Blu-ray Disc視聴:「日本の底力;車王国2」、「皇室の名品」、「サイエンスゼロ;ワイン」、「昭和は輝いていた;水の江瀧子と石原悠次郎」。歩数計7233歩。

北朝鮮2017(8) ミサイル発射を自衛隊や国は何時の時点で把握しているのか??
 北朝鮮は金正恩氏が権力を継いだ2011年末から、長距離から短距離まで多様な弾道ミサイルを少なくとも計53発発射した。昨年だけで24発。今年もすでに20発近くである。私も報道があるたびに数えていたが、今年分の数はまだ集計していない。80発との集計もある。ちなみに、金正日体制では14年間で16回だった。金正恩氏はミサイル発射により、何をどこまで求めていくのか?理解できない。

 最近の発射はICBMとされている。ICBMとなれば飛距離は格段に伸びる。まだコントロール技術等問題があろうが、場合によっては米国本土にもどどく。
 金正恩氏は先日グアム近傍に打ち込む可能性を示唆し、トランプ氏が一層の強硬姿勢を示した後、ここ10日間ほどは発車していない。

 軍事挑発を続ける背景には、国力の維持に躍起になる正恩氏の姿が見える。

 それとは別に私が疑問に思っているのは、ミサイル発射を自衛隊や国は何時把握しているのか??ということである。

 私は早朝は連日NHKのAM第一放送を聴きながら過ごしている。北朝鮮のミサイル発射はいくつかの例外を除くと、大部分早朝に行われる。臨時ニュースで発射が報じられるが、発射後30分ほど過ぎてから「北朝鮮が何らかのミサイルを発車した模様。現在韓国と連絡を取りつつ情報を集めている・・」というもの。

 私はこの報道が真の状況を示しているとすれば、もし、失敗にせよ、目的があったにせよ日本国土に落下することがあれば、正確な情報を得る前に日本のどこかに落ちてしまうことになる。
 北朝鮮は短距離の射程500KmのスカッドCを1980年代に実戦配備しており、我が国は極めて危険な状況にある。金正恩氏が狂うか、指揮系統が混乱して発車ボタンが押されたらそれまでである。北朝鮮から我が国までの到達時間は約10分とされているから、NHKのAM第一放送の臨時ニュースは現実には役に立たないことになる。日本の〇〇地方で不明の爆破時があった、という報道の方が先行する可能性がある。

 弾道ミサイルの攻撃に関しては一般住民は身を守る術はない。自身の居住地、家族たちの住む地域でないことを望むだけである。さらに、我が国の迎撃システムが上手く作動してくれることを望むだけ・・・・、しかない。

 ミサイル発射があると、日本の沿岸にある都道府県の一部では、秋田県を含めて、休日返上で被害情報収集しているというが、全て後手の対応である。
 東京メトロ全線では、5月の発射時に10分間ほど列車を止めた。一時的処置であったが、運行停止の判断はNHKの放送によって判断していた。発射後30分も経ってから流れるニュースを聞いてから列車を止めても何の意味がない。
 
 私は我が国の情報収集能力がこの程度だとは思っていない、が知る方法もないのが残念である。


8/23(水)早朝雨、晴れ 午前フリー、午後飯川病院ボランティア
1:00起床。文献・新聞ほか処理、読書。午前は庭の枝処理。13:15送られて飯川へ。ボランティア、微睡、新聞チェック、書類等処理。19:00帰宅、夕食、20:30就寝。歩数計9662歩。Blu-ray Discながら視聴:「ぶらぶら美術館;ミーシャ展」、「知恵泉;邪馬台国」、「地球大紀行:インド自然公園」。

上小阿仁村、秋田北空港、マタギの里、角館に(2)
 昼食を摂った後、マタギの里、角館に向け南下した。

 ■マタギの里の印象
 北秋田空港から米内沢を経て国道105号、比立内より外れ、20分ほどの打当温泉へ。ここにマタギ資料館がある。
 マタギは冬山を駆け、東北各地、さらに東日本を股にかけて活躍したとされる。山では「マタギ言葉」で会話し、里の言葉は使わないなど、厳しいマタギの規律と山の掟を守り、現代まで独特の狩猟文化を保ち続けてきた。雪深い山奥で生活を営んだマタギ達の生活の知恵の一部に触れることができた。
 マタギ達が使用した衣装、防寒具や装束、槍や鉈、包丁としても使われた万能ナイフ「ナガサ」、そして「村田銃」など、多くの狩猟道具と資料が展示されている。また、ツキノワグマを始め、主に狩りの対象になった動物の剥製も展示されている。
 端から見て厳しいマタギを継承する若者がいるとは思えない。昨年3月秋田魁にマタギに関する3回の連載掲載された。マタギの生活は厳しいが、現在二人が弟子入りして修行しているという。

 この「マタギ資料館」は、その文化を伝えていく大きな役割を担っている。

 ■田沢湖の印象 
  国道105号更に南下、松葉地区から外れて田沢湖に向かった。16:00過ぎの田沢湖は人も少なく静かであった。11日の昼食時には1時間も待ったレストランORAEでコーヒーを飲みつつ休憩したが、客は我々のみであった。F杉一家は娘をボートに乗せ、私は湖畔を散策した。近隣の共栄パレスで秋田三鶏を見ることができた。

 ■角館の印象 
 国道46号線を秋田方面に向かうと小京都と言われる角館である。桧木内川の桜、武家屋敷、枝垂れ桜並木が有名であるが、私はいづれも立ち寄ったことがない。
 17:30過ぎで見学するところもなく、車でざっと町内を回って見た。武家屋敷のたたずまいは落ち着きがあり、急に別世界に紛れ込んだような印象を受けた。
 更に、近隣の住居や商店も武家屋敷の雰囲気をうまく取り入れて調和がとれていた。町全体で、住民も武家屋敷を大事にしている現れであろう。
 近隣にはコンビニもあったが、他で見られるような店舗のスタイルではなく、色調も地味で、看板も目立たないように配慮され、照明もやや控えめで周辺に合わせていた。そういえば、このようなコンビニはかつて京都で見たことを思い出した。

 今年の夏は、上小阿仁村、秋田北空港、マタギの里、田沢湖、角館を訪問した。ざっと見ただけで深く触れることはできなかったが、貴重な秋田の歴史、文化の一部を垣間見ることができた。
  


8/22(火)曇り時々激しい雨 外来 飯川病院
 0:00起床,論文読み、データ処理・整理他、5:15家庭ゴミ出し。7:15バスと徒歩飯川病院着。8:45-12:50中通病院外来+書類など。13:10郵便局四季亭鍵送る、飯川病院、14:00-18:25勤務、Blu-ray Discながら視聴:「榎本武揚;ロシアと領土交渉」、「ガイヤの夜明け;道の駅」,「地球紀行;大西洋」。歩数計11492歩。19:00帰宅夕食、20:30就寝。

上小阿仁村、秋田北空港、マタギの里、角館に(1)
 横浜のF杉一家が4歳になる孫とともに墓参りを兼ねて秋田に来ている。
 昨年は、ドライブを兼ね、男鹿のなまはげ伝承館、県立男鹿水族館GAO、八郎潟干拓記念館などを訪れた。
 今年は上小阿仁、北秋田空港、阿仁、田沢湖、角館方面を案内するという。水曜日でフリーの日なので私も同行した。



(秋田県の中央部をぐるっと一周した感じとなった)

 秋田県に在住してから44年も経ちながら、秋田県のことをほとんど知らないと最近よく思う。秋田を知るのに、歴史を知るのに、重要なスポットをたくさん見落としていることがあるのではないのか?いつもそう思っているから今日はいい機会でもあった。

 上小阿仁はかつて各廃棄物処理施設誘致が話題になった。医療関係者として気がかりなのは医師退職問題。村の診療所の医師が、08年からの4年間で4人短期間で辞めていった。秋田北空港は小規模空港への興味から・・・一度は行ってみたかった。

■上小阿仁村の印象
 人口減少、高齢化の過疎の町と聞いていた。確かに至る道路の両脇はほとんどが鬱蒼とした木々に覆われていた。
 人口は1970年には5000人程度であったが、2015年は2400人と半減しているそうである。高齢化率45%で秋田県の自治体で最高水準である。村の9割が山林で、村民の年間平均所得は150万円程度という。
 立ち寄った「道の駅かみこあに」から受けた印象は、道の駅自体も上小阿仁物産センター、生涯学習センターも比較的新しく、かつ村の人口から見て規模が不釣り合いに大きい、と思った。まだ、お盆の季節であり結構人出もあって、このエリアからのイメージでは上記の村の厳しい状況を類推することもできなかった。

 小さな村の道の駅であるが、遊具施設もあり、いくつかの飲食施設も備わっていた。
 困ったときにかけられるよう、公的機関の電話番号が駅内に掲示されていて、行き届いた配慮を感じた。
 村の診療所の現状はどうなっているのか?知ることはできなかった。

 今回は、単に通過したに過ぎないから具体的情報は得られなかった。しかし村を通過しただけでも、今後上小阿仁村の話題が新聞等で報じられた際には一層親しみを持ってみることが出来る、と思う。

■北秋田空港の印象
 大館能代空港は北秋田市にある。ターミナルビルや駐車場などの施設は「道の駅大館能代空港」と兼用になっている。これはいいアイデアだと思った。
 空港は1998年開港した。滑走路は2000mで、天候不順による欠航・遅延も多い。年間利用客数は、当初予想の40万人を大幅に下回り、2002年には17万人であったが以後減少、2013年度は11.7万人、東北で最も利用客が少ない空港で、秋田県は毎年5億円ほど赤字補てんを続けている。
 全日空系の会社が運行しているが運行スケジュールをみたところ一日4便で、昼食の時間帯には発着便はなかった。カウンターには職員が座っていない。にも拘わらず、地域の人たちが家族連れで大勢レストランを利用していて、空港としてよりも道の駅として地域に親しまれていると思われた。
 家族たちはラーメンを、私は一人ビーフカレーを食べたが、期待以上の味で驚いた。

 両者を訪れて「道の駅」とはなんぞや??改めて調べて見たくなった。


8/21(月)晴れ 健康クリニック 飯川病院  術前検査
 1:00起床。文献・新聞、医学論文チェック、先週分溜まった文献その他電子化。7:10バスと徒歩飯川病院着。新聞切り抜き、9:00-11:00健康クリニックドック14名+結果説明1名。11:15中通病院、術前検査として下肢静脈エコー、呼吸機能、胸腹部単純レントゲン、採血検査など。12:30飯川病院、微睡休息。新聞切り抜きなど。14:00-18:45勤務、19:00帰宅、夕食、20:45就寝。Blu-ray Disc視聴:「昭和偉人伝sp;船村徹」。歩数計11480歩。

徒歩通勤2017(9) 宮崎県を通過し大分県に 
 平成13年3月から徒歩通勤を始めた。伊能忠敬が歩いた海岸線をたどっているが、今月20日に宮崎県を通過し大分県に到着した。

 積算開始当初、1日平均12.000歩以上、または10.0Kmを目標にしていた。
 この4年余の間に勤務形態が変わり、往復徒歩通勤は困難となった。現在、往路は原則として徒歩、復路は家内の車に便乗、あるいはバスで帰宅する。歳も歳だし、マアいいか、と妥協の日々である。

 歩行実績が積算できる歩数計「新・平成の忠孝」の積算開始して本年8月20日に1505日目、総歩数がΣ1550万歩、歩行距離がΣ12400Kmとなっている。これまでのデータから一日10229歩、8.2Km歩行していることになる。

 7月13日に宮崎に入ったが、その時点では1550日目、歩行がΣ12000Kmで、一日7.5Km、9677歩であった。だから、宮崎県歩行中のペースは若干よかったことになる。


(大差ないので宮崎に入った時点の地図を流用した。現在点は28番の大分県で、全行程の67%である)

 大分県の海岸線は約600Kmである。大分を通過すれば広島県に移動することになっている。通常なら2け月余で歩派できる距離であるが、9月上旬にヘルニアの手術を受ける予定で、その後しばらく安静が必要とされているために本年中に達成でれば良いと言うことになろう。

 歩数計「新・平成の忠孝」は歩行開始からの種々のデータが蓄積されるほか、略図でいま何県のどこらへんの海岸線上にあるのか、次の県までは何kmなどが示される。それを見ながら日本地図を開き、確認する作業を月に一度ほどやっている。地理に疎い私にとっては地図帳を開く貴重な機会でもある。

 宮崎県は訪れたことがない。私にとってはなじみの少ない土地である。
 地図で見ると、南から日南市、宮崎市、日向市、延岡市と確認できるが、名前を知っているだけでほとんど何も知らない。
 今はどうかわからないが、宮崎県はかつては新婚旅行のメッカだったことがあるらしい。そのことを思い出させる歌にデューク・エイセスのフェニックス・ハネムーンがある。なかなかいい曲で、これを聴くたびに宮崎県をの県名が浮かんでくる。
 そのほか、鳥インフルエンザ禍、口蹄疫の発生などを通じて若干知っているに過ぎない。


8/20(日)快晴・暑い フリー外仕事中心
 0:30起床、新聞文献チェック。本読み、データ整理他。9:00-11:30庭の伐採済み枝木処理。草刈り、11:30F一家離秋。NHKのど自慢、微睡。野球聞きつつ16-18:00庭の枝木処理。岩手、宮城代表はともに敗退。書斎整理など若干、本読み。新聞資料化など。Blu-ray Disc視聴なし。19:00夕食。20:30就寝。歩行Σ11480歩。大分に到着。雪音戻る。11日以降の非日常的生活は本日で終了。

炊飯器リニューアル(2) 電気炊飯器の最近の趨勢 
 約一年ほど前、電気炊飯器各メーカーがより美味しくご飯が炊け、冷めてもおいしいご飯ができる機種の開発にしのぎを削っているということを某雑誌で読み、私はいたく興味を持った。

 ご飯を美味しく炊くには効率よく強い熱源でコメを加熱する必要がある。電気炊飯器のエネルギー源が電気である以上、理論上、消費電力に見合った以上の発熱は得られない。消費電力も無限には大きくできない。
 そのため各社は発熱体の方式を熱効率の良い「IH方式」に変え、かつ、内蓋の材質や形状、厚さなどに工夫を凝らし、一部は圧力釜の方式も応用している。

 炊き上がりがふっくらとして味が良い、保温しても味が落ちないは勿論のこと、お弁当を作る人が増えたことと関連してか冷えても味が落ちない特徴も、注目が集まるポイントになっているそうである。

 電気炊飯器の市場規模は年約600万台。その大半が、強い発熱が特徴の「IH方式」という。必然的に消費電力は大きくなり、高級機種では最大1200-1400Wに達するものも珍しくない。希望小売価格は10万円を超える。
 「IH方式」が登場したのは1990年前後で、四半世紀が経つが、消費電力の低減はあまり考えられていないようだ。

 美味しいご飯を炊くには器具の選択が重要。
 最上位機種の一部には「炊き分け機能」がついている。前回炊いたご飯の硬さや粘りについての評価を入力すると、炊飯器がそれに沿って食感を調整する。マイコン炊飯器からAI炊飯器に移行しつつあるようだ。

 消費者はカタログを見ても炊き上がり具合は分かるわけはない。家電量販店などでは試食イベントが開かれることもあるが、ネットでユーザーの評価を集めるのも良い。

 高級品の価格は15万円にも達している。日本電機工集会のデータでは、売れ筋は5-6万円の製品でシニア層に人気という。2-3万円の値段で結構おいしく炊けるコストパフォーマンスの高い商品は若い年代に好まれている。

 電気炊飯器の研究は随分進んでいるが、節電への配慮は二の次になっている。今の所、味を追求するとどうしても消費電力のアップに結びつかざるを得ない。痛し痒しである。

 省エネルギーセンターが発表しているデータによると、4人家族での平均年間消費電力量はおよそ5,500kwhで、電気料金としては15万円程度という。
 年間を通して一番多く消費する家電は冷蔵庫で14.2%。次いで照明機器が13.4%、 TVが8.9%、エアコンが7.4%という順番である。この統計には出てこないが、炊飯器は電気使用量の多さで洗濯機・乾燥機を上回っている、とされている。
 
 炊飯器の消費電力はユーザーもあまり意識していないらしい。消費量は減っているとはいえ米飯は日本人の主食であり、それだけにこだわりも強いからである。だが、1400W程度が上限でないだろうか。これ以上だと壁のコンセントの容量、電源コードの容量を越し、事故などにつながる可能性がある。

 これだけ消費電力が多くなった以上、ユーザーは節電を一緒に考えないと地球温暖化に寄与してしまう。

 実際、炊飯時にどのくらいの電気代がかかるか??。我が家が購入した象印NW-AS10を例に計算してみる。
■1回あたりの炊飯時=約3.7円
■保温10時間=約4円

 上記から考えられる節電法は、
■炊く回数をできる限り減らす。一度に多く炊く。水道代の節約にもなる。
■保温はすぐに切る。小分けして冷凍に。
■1食分ずつ保存しレンジで温めなおす。
■待機電力を意識、使わないときはコンセントを抜く。

 エネルギーは有効に使うもので、浪費してはならない。


8/19(土)小雨のち快晴 飯川病院日直 外旭川地区夏祭り 
 0:30起床、文献・新聞チェック等、本読み等。雪音遁走不明に。F杉一家は県南にドライブ、白瀬記念館中心と。庭の伐採済み枝木処理。12:00斎場前からバス飯川病院、日直業務につく。遅れていた新聞のチェック大量に、疲れて微睡など。19:00迎えあり帰宅、外旭川地区夏祭りはF杉一家のみ、今年は参加なし。Blu-ray Disc視聴;「東京でエルミタージュ展覧会」、「昭和偉人伝:東山魁夷」、「春日局」。19:30夕食。20:30就寝。歩数計14136歩数。

炊飯器リニューアル(1) 恩智の私でも美味さがわかった 
私は味音痴である。
 というか、あまり味にこだわらない。というか、食事は基本的に生きるために食べるのであって必要十分と思われる内容であればほぼ満足できる。

 私の母は極めて保守的な和食、いわゆるおふくろの味的な食事しか作らなかった。さらに私の食生活に決定的な影響を及ぼしたのは新潟大学で6年間学生寮で暮らしたことである。6年間一日130円で生きた。この間一度も値上げなし。感謝である。内容的には当然超貧しい食事であった。貧乏学生にとって、確実に食事にありつける幸せを味わいながら、学業に専念できた。

 だから、私は食道楽、グルメという食文化、その言葉すらも大嫌いである。
 近年、料理関係のTV番組、新聞記事なども多い。私が最も嫌う番組であり、記事である。語弊もあるが、美食、贅沢食は罪悪とも考えている。

 食に関心が乏しいから自分では滅多に調理しない。誰かが作ってくれたものがあれば、前日の残り物でもあればそれを食べる。外食も嫌いである。コンビニ弁当?、まだ購入したことはない。

 我が家では昭和30年頃からずっと電気炊飯器を用いてきた。当時は贅沢品だった。初期型は単にご飯が炊けてスイッチが切れる程度のものであったが、祖父の診療所を手伝いながら主婦業をやっていた母にとっては、火起こしも不要、途中の火加減調整も不要の炊飯器はとても重宝し、喜んでいた。

 それ以降、ざっと見直してみると約10年ごとにリニューアルして来たように思う。最近の2機種はいわゆるマイコン炊飯器と言われるもので、機能が複雑で、もう私には扱いきれない。

 15年以上使用して来た現在の炊飯器のマイコンが不調?になったらしく、時に誤動作するというので寿命と考えてリニューアルすることとした。

 今回選んだ機種は、象印・圧力IH炊飯ジャー「極めだき」NW-AS10である。

 私はあまり関心もなく深く考えずに購入に同意した。届いた製品を見て驚いた。「IH」式加熱で、内釜に「南部鉄器」を使用、かつ圧力釜仕様で1.5気圧で112℃で炊き上げる。重量は内釜だけで2Kg、全体で11Kgと重く、機能面では140種ほどの炊き上げコースを選べるという複雑な製品であった。蓋も重いが、開閉はボタンを押すだけ。



 (右が象印NW-AS10、左が日立RZ-CR10 1999年製 炊飯最大時1060W)

 味は・・・??ふっくらと透き通ったご飯に炊き上がった。私は微妙な味の表現する筆力はない。美味しくて驚いた。私はご飯をお代わりした記憶はない。10年以上もなかったのではないだろうか、と思う。それが、この釜に代えて初めて使用した日の夕食で、つい2杯も食べてしまった。これが私の評価である。味は従来の炊飯器と明らかに違う。

 ただ、その仕様を見てがっくり来た。炊飯容量:0.5〜5.5合。サイズW305×H245×D400cm/約11.5s。炊飯最大時1450W!!!!とのこと。

 これじゃ省エネ派の私の立場がなくなってしまう。


8/18(金)午前曇り時に雨、のち晴 大曲中通病院 秋田近代美術館 焼肉パーティ
 1:15起床、新聞・文献他いつものごとし。5:00可燃ゴミ提出。7:30Taxi、8:10こまち。8:45-13:00大曲中通病院外来。盆明け混雑。駅病院間は往歩行。業務用スーパー後にF杉一家と秋田近代美術館に、ミューズ展。17:00帰宅、19:00恒例化している家族総出の焼肉パーティ。庭で火起こし係他、20:30泥酔350mlビール就寝。歩数計15523歩。Blu-ray Disc試聴なし。ヘルスチャレンジ2017スリム3Kgにエントリー。

岩手県立農業科学博物館見学(2) 暮らしを豊かにしてくれた稲わら
 農業科学博物館では、稲わら文化の歴史を見ることができた。
 私ども子供の頃は、稲わらは常に身近にあり、衣食住、労働、運搬、遊びなど、生活のあらゆる場面で使用されていた。昔は「稲わらを燃やしたら罰があたる」とされ、資源として大切に扱ってきた。

 しかし、昭和の中頃からは大量生産でき、丈夫で軽いナイロン、ビ二ールなどの化学製品の登場により、稲わら製品は急速に使われなくなった。

 今、稲わら製品は、伝統行事や民芸品でしか見ることができない。
 日本の生活文化を支え、また、生活を豊かにしてくれた稲わらが、その役割を終えて
しまったが、農業科学博物館で貰った資料をもとに、懐かしい稲わら文化について考えてみた。

■稲わら利用文化の始まり
 稲作が始まったのは、弥生時代の後期といわれる。柄のついた鉄鎌が登場する7-8世紀までは稲の刈り取りは「穂刈り」という収穫方法で、稲わらはほとんど利用されなかった。
 稲わらが日常的に使用されるようになったのは、鉄鎌が普及した奈良・飛鳥時代といわれている。

■稲わらの利用
 稲を脱穀した後には大量の稲わらが残される。それを先人達は無駄なく有効に活用しており、その利用範囲は驚くほど広範囲にわたっている。日本人の生活すべての面で活用されたと言っても過言ではない。
 「手袋?履物・ミノなど各種生活用品」、「肥料」、「家畜飼料」、「家畜敷き藁」、「住宅・小屋など建築素材」、「燃料」、「野菜貯蔵用の保温・断熱材、容器」、「漬物」、「食用油」、「エ業用油」などなどである。とても挙げきれない。

■現代の稲わら
 稲わら加工は、農家自身が自給自足の暮らしを豊かにするためであったが、大正時代には農家の副業として奨励され、多くの種類の稲わら加工品が製造・販売された。
 しかし昭和の中頃からの生活様式の多様化やナイロン・ビニールなどの登場により、人手を要し、大量生産が難しい稲わらは徐々にその需要が失われた。

 現在の稲わら利用状況(農林水産省資料より)
     肥料(水田すき込み)      70%
     飼料              10%
     堆肥原料             8%
     畜舎の敷ワラ           4%
     マルチ資材(雑草、害虫防除用) 3%
     加工用(しめ縄、工芸品など)  1%
 産業廃棄物として無駄に処分されていないのが救いである。
                       
■今後の稲わらは
 食糧やエネルギー資源の多くを輸入に頼っている日本では、数少ない自給できる作物である米と、その副産物として生産される稲わらを素材として自動車や暖房用などの燃料として活用するための研究が進んでいる。

 過去には日本文化を形作ってきた稲わらは、そのままの使用の道はほとんど閉ざされたが、新素材の一つとして注目されている。


8/17(木)晴れ 外来 飯川病院 
0:30起床。いつものごとし、新聞チェック、歴史関連本読む。昨日、当日仕上げのクリーニングに依頼したが取りに行くのを忘れたため8:00開店を待ち回収、なんとか診療に服装が間に合った。8:30家内の車に同乗、直接中通総合病院へ出勤。8:45-13:00外来、13:30飯川病院、微睡、14:00?17:50勤務、入院外来患者対応。18:00クロスバイク帰宅。夕食19:30開始、20:30就寝。Blu-ray Discながら視聴:「国際子ども図書館」、「地球紀行:ギアナ高地」、「100分で名著:陳寿三国志(1)-(4)」。歩行歩数計10230歩。

岩手県立農業科学博物館見学(1)
 8月12日(土)は墓参り兼ミニ家族旅行の二日目である。
 宿泊したつなぎ温泉から志戸平へ温泉へと移動した。毎年のミニ家族旅行では花巻を中心とした県中央から県南地域の各種の記念館や施設を見学するのを楽しみにしている。
 今までも、遠野のふるさと村、水沢の緯度観測所、後藤新平記念館、宮沢賢治記念館など、岩手出身ながらほとんど不案内であった地域を味わい直している。

 今年は北上市にある岩手県立農業科学博物館を見学した。
 私は日本の農業の将来に関心とともに一抹の不安を持っている。
 最近、カロリーベースの自給率が38%とほとんど向上していないことが示されたばかりである。世界人口は間も無く100億人に達しようとしている。20世紀は種々の改良によって食糧増産が叶えられたが、21世紀は温暖化の影響などが徐々に明らかになってくる、と考えられる。増産も頭打ちになってくる可能性が高い。そうなると確実に食糧争奪戦が生じるだろう。日本の食の将来について目を離せないと思っている。

 もう一つ、最近電気炊飯器をリニューアルした。ずいぶん味がいい。それによっても日本の主食である米飯の素晴らしさを体感できている。

 当施設は北上市の農業ふれあい公園の中にある。



(施設の全景 この周辺には桜が植樹されている まだ樹は若いが将来楽しみである 写真はHPから借用した)

 農業科学博物館は、岩手の農業の過去・現在・未来を体感できることを目指した施設で館内は「農業れきし館」、「農業かがく館」からなっている。
?
?■「農業れきし館」
 岩手県は平野は少ないが、広大な土地を有し、各地域でそれぞれの風土に合わせて特色ある農業が営まれてきた。この岩手の風土を背景に育まれてきた農業の歴史と作業の様子、そして人々のくらしを感じることがでた。
 特に、稲作・畑作に使われた圧倒的な農具の展示は、機能面だけでなく洗練された機能美すら感じ取れる。これらの器具のうち一部は私も実際に動かしたことがあるもので、懐かしく感じた。
 米という漢字は八十八を組み合わせている。米作には88以上の工程を経ていることの表れとの説明があった。
 私が幼少時には岩手はしょっちゅう冷害にも見舞われた。近隣では自殺者も出た。厳しい産業であったことがうかがわれる。
 近代の農業はすっかり様変わりし、日本人の大多数の方々は日本の生命線である農業、特に稲作のことは関心を持っていないようである。食文化の今後のことを考えると、とても残念なことと思う。

?■「農業かがく館」
 第2展示室は、農学の研究室をイメージしている。田んぼの世界・冷蔵庫の中・牛のからだ、に分かれている。ここでは、イネや田んぼについて、野菜・果物の由来、牛の身体などについて理解できるよう工夫されている。

 今回、岩手県立農業科学博物館を訪れて色々と勉強になった。
 大曲にも同様の施設がある。早速こちらの方も見学してみたいと考えている。?


8/16(水)曇り時々小雨 フリー日  北秋田市方面に
 1:00起床,文献・新聞ほかこなす。医学雑誌読書。7:00トマト・キウリ収穫。横浜のF一家と孫もいるので北秋田市方面にドライブ。9:00出発→五城目→上小阿仁村→12:00大館能代空港昼食→阿仁→マタギ資料館→田沢湖→16:30オラエ→角館武家屋敷→御所のイオンで夕食→20:00帰宅、20:45就寝。歩行Σ14322歩。

千秋美術館マリメッコ展 私にとっては場違いの展覧会であった 
 フィンランドを代表するファブリックブランド「マリメッコ」をテーマにした国内初の大規模展覧会が千秋美術館で開かれている。
 8月4日、大曲診療応援からの帰路、千秋美術館で「マリメッコ展」を観た。

 私は展覧会などを好む。千秋美術館、県立美術館は年間パスポートを購入しているから、ちょっとした時間を利用して何度でも楽しむことができる。
 好きではあるが、あまり知識はない。知らない展示会の場合は下調べもしないで出かける。作品を見るのに予断を持つことがよくない、と考えているからである。
 今回も何も調べなかったが、私にとってはファッションショーのような、場違いの展覧会に入り込んだようなものだった。

 美術品、作品を鑑賞するもの展示会ではなかった。会場には、ファブリック約50点、ヴィンテージドレス約60点 デザイナー自筆のスケッチ、各時代の資料など200点余が展示されていた。マリメッコの60年にわたる歴史、個性あふれるデザインを紹介する、国内初の大規模な展覧会であった。

 マリメッコは1951年に創業された世界的に知られるフィンランドのスタイルメーカーで60年の歴史がある。
 マリメッコはフィンランド語で「マリーのドレス」という意味を持ち、日常に溶け込んだライフスタイル・ブランドで、マリメッコを知らない国民はいない、とされる。

 マリメッコが生み出す布地の柄は、多くがフィンランドの伝統的なモチーフや自然に着想を得つつ、大胆でカラフル、抽象的なデザインが多い。鮮やかな色の大胆なプリント柄をデザインした商品ラインナップが特徴で、色調は明るく、大柄の花などを描いた大胆なデザインが印象的。装飾に凝らないシンプルな形の服は、ファブリックの柄を活かすと同時に、体を締め付けないデザインが多いようだ。動きやすく快適に過ごせる、という。ムームーとかマタニティドレスの印象である。
 マリメッコデザインの洋服とかは、我が国ではちょっと浮いてしまうのではないだろうか。

 デザインは家庭用品やインテリアにまで展開され、マリメッコは今日、世界中で絶大な人気を誇っている。
 私は何も購入しなかったが、1Fのミュージアムショップではマリメッコデザインのコップ、タペストリーなどのグッズが多数販売されている。

(今月の広報秋田の表紙はマリメッコ展であった。会場の雰囲気の一部を味わうことができる)


8/15(火)終戦記念日 快晴 外来 飯川病院休診
 1:00起床,文献・新聞ほかこなす。早朝涼風あり快適。4:30家庭ゴミ集積所に。バスで飯川病院予定が休日ダイヤで急遽クロスバイクで。8:45-12:30外来。盆で予約は少ない。13:00-18:00勤務ではないが暑いため飯川病院で過ごす。新聞、医学雑誌読書。水撒き。迎えあり帰宅、19:00夕食、20:45就寝。歩行Σ9720歩。

72回目の終戦記念日に思う 
 72回目の終戦の日を迎えた。内外の多くの犠牲者を悼み、平和への誓いを新たにしたい。

 亡くなれば敵も味方もない。生前の行動に対する評価はすべきであるが、善悪の面から
崇めたり、非を問いたくない。魂は平等である。私はこういう生者・死者観、死生観を持っている。死ねば皆平等である。

 語弊があるが、私はいま生きて活動している人間は、私を含めて、必ずしも好きでない。いやそれ以上に、私にとっては怖い存在である。さらに続ければ、先日お亡くなりになった日野原氏は、亡くなって以降急に私にとって身近な存在になった。

 私は終戦直前の5月に生を受けた。
 自分が生まれた年でもあり、過酷であった戦争から平和な時代へと、価値観が180度方向転換した昭和20年を特別な感慨を持って受け止めている。歴史は流れがある。複雑でまだまだよく理解できていない。

 8月13日に墓参りに行ってきた。思い出すのは、幼少の頃は寺に行くたびに、長押の上に整然と並べられた、50枚以上の多数の軍服姿の若者の顔写真であり、地獄極楽絵図であった。これらは見る度に圧倒された。

 後者はまだ掲げられているが、前者はいつとはなしに撤去されていた。なんか本堂自体が急に明るくなった印象を受けていたが、具体的にいつ撤去されたのか、私は記録に残していないので思い出すこともできない。
 英霊として長押に祀られていた顔写真は陸軍の戦闘帽、海軍の服装、パイロットのそれもあった。いずれも精悍で、いい表情していた。幼少の頃はなんでこのような写真が並べられていたのか理解できなかったが、小学高学年時に当時の住職からそのいわれを聞き、感じ入ったものである。

 これらの顔写真は私の心に大きな影響を与えていた、と思う。今でも思い出す。のちに日本の歴史、第二次世界大戦の歴史、史実を知って改めて感じ入った。常にこれらの英霊のことが脳裏に浮かんできた。我が家の関係者はおらず、個々人がどのような最期を迎えたのかなど全くわからない。それは英霊に対して感謝の気持ちをあわわすのに重要なことではない。

 いつもこの日を迎えると靖国問題が話題になる。今年は閣僚は一人も参拝しなかったという。閣僚が参拝するか否かも、それほど重要なことではない。各人の心の中を知ることができないが、心から御霊に感謝の心を持っていればそれで良い。
 機会があれば、私も靖国神社を訪れたいと思っている。


8/14(月)晴れ 健康クリニック休診 飯川病院休診
 2:30起床、疲れか?やや寝坊。ここから通常の生活に。新聞入力など。8:00-10:00収穫、庭仕事。以降は机に向かう。新聞記事チェック、Blu-ray Disc:「N響定期;2回文、ヤルヴィ指揮、フランス音楽他」、「題名のない音楽会:田園」他。17:00-18:30再度庭仕事。19:00夕食。20:10就眠。歩数計19999歩。

墓参り2017(2) 今年の墓参兼ミニ家族旅行
 今年の墓参とミニ家族旅行は時折小雨が降る中で略予定通りであった。
 最近は計画が墓参から孫中心しシフトしている。今回は小岩井農場とホテルの温水プールがメインであった。

■初日8/11(金) 
 今年は暦上の連休と週末の都合から13日を墓参日とし、連休利用で本日から墓参りミニ旅行とした。5:30不在時に突風などで倒れない様、飯川病院花壇のハイビスカスの鉢を固定した。早め出発を目指したが、8:00飯川病院患者不調で家内出勤し、結局出発は11:00となった。
 秋田道、46号線で田沢湖に。湖畔のレストランORAEにて昼食。さすが時期的に観光客多く混雑、30分待ちで席に。さらに20分ほど待たされた。通常なら他に移るのであるが、今回は目当てがあって時間に耐えた。目的は達成されなかった。
 16:00繋温泉四季亭着。四季亭は15年ほど前から常宿にしている。宿泊は結構高額であるが料理も良く、まず満足している。1時間ほど散歩、18:00小岩井で子供達を遊ばせた次男一家と横浜F杉一家を合流。大人5名、子供5名揃う。次男一家のうち嫁さんと新孫は不参加。いつものごとく、夕食は30mlほどの食前の果実酒で泥酔し中座、就寝。

■二日目8/12(土)
 2:00-7:00四季亭ロビーにて一人過ごす。入浴、読書、新聞処理などのんびり。
 8:00朝食、10:00車2台に分乗し花巻に移動、農業科学博物館を見学する。稲作中心に、主に歴史、いろいろ学べた。
 13:00本場の「わんこ蕎麦」目的に、賢治の作品の中でブッシュとして出てくる「藪や本店」狙うも、店の外にまで長い行列。これは無理、諦めて近隣のガストにて昼食、久々のファミレス。 
 15:00志戸平ホテル着、ここも6?7年前から利用している。子供らは温水プールで遊ばせ、私はのんびり過ごした。19:30夕食、ビュッフェスタイル。料理の質もいいが、私のダイエットには敵。なんとか摂取量を抑制して早々に帰室、就寝。

■三日目8/13(日)
 1:00-7:00志戸平ホテルロビーにて一人過ごす。入浴、読書、新聞処理など。
 7:30朝食、ビュッフェスタイル。ダイエット中なのでコーヒーと葉っぱ中心に摂る。  
 10:00チェックアウト。紫波町長岡の江岸寺に。駐車場に入りきれないほどの車の数であったが、本堂内は意外と閑散。本日は読経いただくのは困難と思っていたが住職には快く応じていただく。読経後は墓に花、ロウソク、線香をあげ、水をかけた。
 13:00ここ数年恒例となっている盛岡市黒川のひっつみ亭にて昼食。ここで解散、一台は平泉へ向かい、私どもは実兄宅を経て帰秋。数年前まで本家と親戚宅も訪問したが今はそれもなく気軽になった。
 18:00帰宅、次男一家はそのまま男鹿に向かった。20:00平泉に向かったグループも無事到着した。

 年に一回だけの私の郷里訪問、無事終了した。疲れた。


8/13(日)午前小雨模様、昼から晴天に 江岸寺墓参 帰秋  
 1:00ホテル志戸平にて起床。読書、1:30-7:00ホテルロビーにて読書、データ整理など。8:00朝食他、体重意識しコーヒーとサラダ中心。10:00ホテル発、11:45江岸寺にて読経いただく。12:30ひっつみ亭昼食後、盛岡組・平泉組に分かれ解散。私どもは男鹿に向かう次男一家とともに帰秋へ。途中14:00実兄宅訪問、短時間。17:15自宅着。微睡、20:30平泉組到着。軽夕食、小旅行の荷物整理、新聞ほか入力。0:00就寝。歩数計11059歩。

墓参り2017(1) 一応鎮魂の行脚だが、内容は様変わり 
 日本人は盆には何故憑かれたように郷里に帰るのだろうか。
 私もその例に漏れない。一昨日から墓参のために岩手に来ている。私の年に一度の郷里訪問である。

 盆の帰省については、私は「日本特有の自然宗教観による祭祀帰省」と思う。だから、暦上で休日や連休が増えたとしても墓参がらみの帰省はこの時期を外すことなどあり得ない。この時期は何かに誘われたように郷里に向かう。郷里の自然、両親・親族、友人らとの年に一度の対面の機会でもある。
 お盆は家族が墓前に集まって亡き人をしのぴ、先祖、家族を敬う子どもの心を育むいい機会である。

 我が家では、数年ほど前までは兄の家族とも一緒に墓参してきたが、ここ4年ほど別々に墓参するようになった。

 今年の我が家の墓参と小旅行は我ら夫婦中心に総勢10人で動いた。次男嫁さんは新孫と欠席。毎年墓参に参加してくれる子供達、及びその家族には頭がさがる。

 先祖を偲ぶ墓参りはとてもいいものと思う。しかし、将来この本質を変えずにどう続けていくか、私も悩んでいる。

 私が生きている間は、私がこの行事を采配していくだろうが、その後はどうなるのか。
 その判断は私がすべきだろうが間に合わなければ子供達に委ねるしかないが、様変わりするであろう。

 この墓参を機会に我が家の墓の有り様に関して考えてみた。
 わが家の墓は盛岡市の郊外の約20Km南、紫波町長岡、曹洞宗江岸寺にある。私自身は秋田に居を構えて40年、昭和53年に母が、58年に父が死亡し、盛岡の住居は売却した。盛岡在住の兄も死去した。

 もう、私が幼少期を過ごした故郷、盛岡には知己はいない。
 結局、墓だけが郷里に残った。私はずっとわが家の墓守をやってきた。遅まきながら、今からわが家の墓をどうするか、考えなければならない。私がこの墓に入るのに抵抗はないが、家内はあまり良い返事をしない。また、私が方向性を示さずに墓に入ってしまうと子供達に負荷になる。だからもう少し時間が欲しい。

 まだ結論は得ていないが、墓の将来をつらつら考えながら、本日13日昼、墓参し、住職より読経を頂いた。
 これで私の盆の行事のメインは終了した。


8/12(土)終日小雨模様 つなぎから志戸平へ
 1:00四季亭で起床,読書、入浴、2:00-7:30ロビーのコーナーにて文献・新聞チェック、読書。電気スタンド借用、有用。8:00朝食。10:00チェックアウト、12:00花巻農業科学博物館、種々勉強。あてにした藪屋にて椀子そばは待ち時間から無理、ガストにて昼食、花巻志戸平温泉へ、15;00ホテル志戸平着温泉着、15:30休息、子供達はプールへ、読書ほか。微睡。19;15ビュッフェスタイル夕食。20:30就眠。7225歩。

高レベル放射性廃棄物処分(3) かつて上小阿仁村が最終処分場を検討
 国は1960年代から、核燃料サイクル計画を進めていた。原発で使った核燃料からプルトニウムを取り出してウランと混ぜ、燃料として再利用する計画である。
 この「再処理」の過程で廃棄物が出るが、最終処分場は決まっていない。尤も、青森県六ケ所村の再処理施設は2018年度の工場完成を目指しているが、稼働時期は不透明。

 この状態での地層処分場のマップの発表である。だから、「核のゴミ処分」は何もスタートしていないに等しい。それでも原発再稼働が続いている。

 国は「再処理」、貯蔵施設には多額の交付金をつけていた。青森県六ケ所村は誘致したのか、押し付けられたのか不明であるが、一気に財政が豊かになった。しかし、村民は賛否派に分かれて対立し、人的には荒廃した。

 2007年7月頃、核燃料最終処分場誘致を秋田・上小阿仁村で検討されたことがある。
 当時の秋田魁新聞によると、7月秋田県北秋田郡上小阿仁村の小林村長が、プルサーマルの最終処分場の誘致を検討していることを明らかにした。

 小林村長は「村の財政が厳しいため」と公募を検討した。しかし、「村民の大半が反対すれば、取り下げる」とも付け加えた。これを聞いた、当時の秋田県寺田知事は記者会見で「きわめて短絡的」と反発した。村議からも反対された。県や議会の賛同がなくては進められなかった。
 毎日新聞によると、その後、27日に小林村長は、「反対を受け、この問題は幕引きする」と述べ、事実上この案を撤回した。

 小林村長は村の財政が逼迫していることから、高レベル放射性廃棄物の最終処分場を村に誘致できるかどうかの検討を始めたもの。
 そのころ、同村は一般会計24億円レベルであったが、60億円の借金を抱えていた。処分場の調査に応募すれば、最大で20億円が国から交付され、そのうち半額以上が応募した市町村に入ることになっていた。
 小林村長は、「教育や医療の分野でやりたいことが沢山あった。そのためにはお金が必要であった。次の世代に借金はまわせない」、と述べた。処分場では6500人が雇用されるといわれた。人口約3千人の過疎の村で、働き口の確保と人口増は当時からの村の課題であった。

 いかに財政が逼迫しても、「科学的特性マップ」をに基づき放射線廃棄物の貯蔵施設の誘致に乗り出す県や自治体はおそらく皆無だろう。なぜなら、今までの原子力行政は隠蔽と虚偽で成り立ってきたからである。そのつけが今問題化している。

 「核のゴミ処分」は喫緊の話題でもある。
 ならば、国はどう出るのか?見ものである。


8/11(金)山の日休日 秋田快晴・岩手曇り 墓参り小旅行繋温泉へ
 0:20起床,本日から墓参りミニ旅行。準備不足。4:30可燃ゴミ提出、5;00レガシー飯川病院へ、花壇の植木鉢固定。6;30帰宅。文献検討、ネコ室掃除。11;00盛岡に向け出発、高速経由。この2泊3日は石井さんに留守に。昨年に引き続き田沢湖、ORAEにて昼食、湖畔一周。16;00四季邸着、読書ほか。散策等、F杉一家、次男一家合流。今年は嫁と生まれた新孫は同行せず、大人5、子供5人。19;30夕食。21;00就寝。読書ほか。16259歩。

高レベル放射性廃棄物処分(2) 要するに全く目処がない計画だ
 「核のごみ」地層処分は、使用済み核燃料を再処理した際に出る放射性レベルの高い廃液を、高温のガラスに混ぜて固体化し、地下300m以上の岩盤に埋める処分法である。地層処分が世界各国で採用された方式として安全性が高い、とされている。
 使用済み核燃料の再処理は日本原燃が青森県六ケ所村の工場で行う予定で、原燃は2018年度の工場完成を目指しているが、稼働時期は不透明だ。

 「核のごみ」の処分をめぐり、国は7月28日、処分場の選定に向けて、将来、調査対象になる可能性がある地域を示した初めての全国地図「科学的特性マップ」を公表した。

 公表された全国地図は、国土全体のおよそ2/3が処分場として「好ましい特性が確認できる可能性が相対的に高い地域」とされている。これらの地域は、将来的に処分場の選定に向けた国の調査対象になる可能性がある。

 海岸から20Km以内を目安とした地域は廃棄物の輸送の面でも好ましいとされ、こうした地域が一部でも含まれる市区町村は900余に上るという。

 近くに火山や活断層があったり地盤が弱かったりする地域は、地質が長期間安定しているかという点で、また、油田やガス田、炭田などの資源がある地域も処分場として「好ましくない特性があると推定される」と位置づけられている。
 本県では、秋田駒ケ岳、秋田焼山、栗駒山、鳥海山など火山の周りや活断層の周辺に加え、将来的に石油やガス掘削の可能性があるとして秋田市や由利本荘市などの沿岸の一部が「好ましくない」とされた。

 国は、この地図は処分場の選定に向けた第一歩で、今後、各地で説明会を開いて理解を求め、今後、各地で説明会を開き、約20年かけて立地の可能性を調査し、場所が決まれば10年ほどで建設する計画を描いている。

 マップ公表を受け、さまざまな反応が見られる。
 原発立地自治体には「首都圏への電力供給、日本の電力供給のために原発を抱え、社会的責任は果たしている。だから、これ以上の関与は嫌だ。処分場は他の場所に」と考えるのは当然である。
 一方、原発のない自治体には、核のごみが持ち込まれるといった新しい事態は想定し難い。

 原発再稼働に対する国民の反発は根強い。原発稼働自体が危険な上、最終処分のめどが立たないまま再稼働が進むことへの抵抗感は当然である。
 処分場の選定に向けた第一歩はきられてが、ほとんど無策に近い。解決の目処は全く立っていない。

 解決が全く見通せない中では、これ以上ごみを増やさないようなエネルギー政策を検討すべきである。


8/10(木)晴れ、時折小雨 外来 飯川病院 
 1:00起床、新聞データ化と整理。画像データ処理。5:00野菜収穫。7:30バス通町、徒歩病院着。8:45-12:40外来+ドック判定14名分。13:00飯川病院、14:00あきぎんスタッフ、振込ほか。14:00-18:50飯川病院勤務、患者対応。19:30帰宅、夕食、20:30就寝。歩数計積算8895歩。Blu-ray Discながら視聴:「そこまで委員会;誰?後半」。

高レベル放射性廃棄物処分(1) 一口に10万年というが!!!!
 高レベル放射性廃棄物、いわゆる核のごみは現在2万トンほど。国は地下深くに埋設することを決めている。問題は、場所をどこにするか全く目処が立っていないことだ。をの最終処分場の候補地として、国土の7割近くが「適地」に分類された科学的マップを発表した。適地は本県を含め全国各地にある。

 わずか40年余の原発エネルギーを享受してきたが、その結果、10万年にも及ぶ管理が必要な核のごみを蓄積してきた。しかし、その処分が決定しているのは世界で二ケ所しかない。
 将来、日本で処分場が必要なのは間違いない事実である。しかし、問題は処分計画が確立しない今でも核のゴミが増え続けている現状である。

 国が公表したこの選定は国土の7割含まれる。こんなあまりにも対象地が広い候補地のデータををどう受け止めたらよいのだろうか。
 以下に科学的評価の概要を示す。
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■国民に、すべての居住地域および周辺地域が地下埋没地となる可能性があると、表現したに過ぎない。
■国民に核ゴミ処理の考え方の基本を提示し、全国民が核のゴミ処理の負荷を均等に負う自覚を喚起したにすぎない。
■何が科学的検討結果なのだろうか。本当にそんなに適地は多いのだろうか。結局は何も示さないのに等しいのではないか?
■具体的はどのようなことを検討したのだろうか。若干の条件を機械的に付して国土を色分けしただけでないのか??
■火山や活断層周辺、地下に採掘可能な鉱物資源がある地域などは「好ましくない」として除外された。全体の3割強に当たる。
■残りの7割弱が「好ましい」適地と判断された。日本の活断層は2000ヶ所もあるというのに本当に考慮されたのだろうか??
■適地とされたうち、海岸から約20Kmの範囲は「輸送面で好ましい」地域に分類。「最適地」と位置付けられた。秋田県沿岸部は北から南まですっぽり入った。
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 核のゴミは10万年間の厳重な管理を必要とする物質である。
 地球の誕生からの時間を示す。

■地球誕生してから約46億年。
■人類誕生してから800-500万年。
■文明誕生してから50万年、火を使用し、20万年前からは道具使用。
■農耕文明は約1万年前。計画的食糧生産。
■・・・・・
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 核のゴミの管理は10万年必要とするが、時間を逆行させると原始時代の文明にまで遡る。
 原子時代の歴史はわずか100年に満たない。簡単に10万年というが、人類の歴史に置き換えてみても気が遠くなるほどの長い期間である。この間、安全に保存できる方法と場所の開発が必要であるが、両者ともまだ道は長い。

 現代人はこのような重大な懸案事項に関して責任を負っている。

 このちょっとした検討から見ても原発再稼働の問題点が見えてくる。


8/9(水)時折降雨 午後飯川病院ボランティア  
 1:00起床,新聞・録音のデータ整理中心。12:50バス飯川病院へ。ボランティア、植木の移動など。16:30迎え車で帰宅、雨で外作業無理、新聞データ化、19:30夕食。21:00就眠。Blu-ray Disc視聴なし。歩数計積算9429歩。

原爆投下72年 長崎「原爆の日 」 田上長崎市長平和宣言 vs 安倍総理挨拶
長崎に「原爆」が投下されてから72年目を迎えた。
 本日、長崎ではしめやかに平和記念式典が行われた。

 長崎は「2番目」ではなく「最後」の被爆地になるよう運動を進めている。

 当時のトルーマン大統領は戦争終結のためにもはや原爆は必要でないことは認識していたが、極秘裏に巨費を投じて開発した原爆を使用しないまま残しておくことは議会対策のためにも、自分の地位を守るためにも考えられなかった。二発の原爆は作られた以上、使われなければならなかった。広島・長崎の命は、アメリカ国内の事情、トルーマンの保身のために奪われた。

 B29は莫大な予算を取り2700機ほどの製造されそれに見合った爆弾も準備された。日本は壊滅状態、ほぼ無防備・無抵抗状態にあったが、多くの都市が8月14日まで爆撃された。空爆の効果などはどうでも良かった。B29、大量の爆弾は作られた以上、使われなければならなかった。日本の国民の命は、米国の政治、経済上の議会対策のために奪われた。
 私はそんな風に思っている。

 本年の田上市長の平和宣言は日本政府への痛烈が批判が綴られている。記憶しておくべき内容である。
 一方、安倍総理の挨拶は広島のとほぼ同じであった。
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長崎・平和祈念式典 田上市長の平和宣言全文
 「ノーモア ヒバクシャ」
 この言葉は、未来に向けて、世界中の誰も、永久に、核兵器による惨禍を体験することがないように、という被爆者の心からの願いを表したものです。その願いが、この夏、世界の多くの国々を動かし、一つの条約を生み出しました。

 核兵器を、使うことはもちろん、持つことも、配備することも禁止した「核兵器禁止条約」が、国連加盟国の6割を超える122カ国の賛成で採択されたのです。それは、被爆者が長年積み重ねてきた努力がようやく形になった瞬間でした。
 私たちは「ヒバクシャ」の苦しみや努力にも言及したこの条約を「ヒロシマ・ナガサキ条約」と呼びたいと思います。そして、核兵器禁止条約を推進する国々や国連、NGOなどの、人道に反するものを世界からなくそうとする強い意志と勇気ある行動に深く感謝します。

 しかし、これはゴールではありません。今も世界には、1万5千発近くの核兵器があります。核兵器を巡る国際情勢は緊張感を増しており、遠くない未来に核兵器が使われるのではないか、という強い不安が広がっています。しかも、核兵器を持つ国々は、この条約に反対しており、私たちが目指す「核兵器のない世界」にたどり着く道筋はまだ見えていません。ようやく生まれたこの条約をいかに活かし、歩みを進めることができるかが、今、人類に問われています。

 核兵器を持つ国々と核の傘の下にいる国々に訴えます。

 安全保障上、核兵器が必要だと言い続ける限り、核の脅威はなくなりません。核兵器によって国を守ろうとする政策を見直してください。核不拡散条約(NPT)は、すべての加盟国に核軍縮の義務を課しているはずです。その義務を果たしてください。世界が勇気ある決断を待っています。

 日本政府に訴えます。

 核兵器のない世界を目指してリーダーシップをとり、核兵器を持つ国々と持たない国々の橋渡し役を務めると明言しているにも関わらず、核兵器禁止条約の交渉会議にさえ参加しない姿勢を、被爆地は到底理解できません。唯一の戦争被爆国として、核兵器禁止条約への一日も早い参加を目指し、核の傘に依存する政策の見直しを進めてください。日本の参加を国際社会は待っています。

 また、二度と戦争をしてはならないと固く決意した日本国憲法の平和の理念と非核三原則の厳守を世界に発信し、核兵器のない世界に向けて前進する具体的方策の一つとして、今こそ「北東アジア非核兵器地帯」構想の検討を求めます。

 私たちは決して忘れません。1945年8月9日午前11時2分、今、私たちがいるこの丘の上空で原子爆弾がさく裂し、15万人もの人々が死傷した事実を。

 あの日、原爆の凄まじい熱線と爆風によって、長崎の街は一面の焼野原となりました。皮ふが垂れ下がりながらも、家族を探し、さ迷い歩く人々。黒焦げの子どもの傍らで、茫然と立ちすくむ母親。街のあちこちに地獄のような光景がありました。十分な治療も受けられずに、多くの人々が死んでいきました。そして72年経った今でも、放射線の障害が被爆者の体をむしばみ続けています。原爆は、いつも側にいた大切な家族や友だちの命を無差別に奪い去っただけでなく、生き残った人たちのその後の人生をも無惨に狂わせたのです。

 世界各国のリーダーの皆さん。被爆地を訪れてください。

 遠い原子雲の上からの視点ではなく、原子雲の下で何が起きたのか、原爆が人間の尊厳をどれほど残酷に踏みにじったのか、あなたの目で見て、耳で聴いて、心で感じてください。もし自分の家族がそこにいたら、と考えてみてください。

 人はあまりにもつらく苦しい体験をしたとき、その記憶を封印し、語ろうとはしません。語るためには思い出さなければならないからです。それでも被爆者が、心と体の痛みに耐えながら体験を語ってくれるのは、人類の一員として、私たちの未来を守るために、懸命に伝えようと決意しているからです。

 世界中のすべての人に呼びかけます。最も怖いのは無関心なこと、そして忘れていくことです。戦争体験者や被爆者からの平和のバトンを途切れさせることなく未来へつないでいきましょう。

 今、長崎では平和首長会議の総会が開かれています。世界の7400の都市が参加するこのネットワークには、戦争や内戦などつらい記憶を持つまちの代表も大勢参加しています。被爆者が私たちに示してくれたように、小さなまちの平和を願う思いも、力を合わせれば、そしてあきらめなければ、世界を動かす力になることを、ここ長崎から、平和首長会議の仲間たちとともに世界に発信します。そして、被爆者が声をからして訴え続けてきた「長崎を最後の被爆地に」という言葉が、人類共通の願いであり、意志であることを示します。
 被爆者の平均年齢は81歳を超えました。「被爆者がいる時代」の終わりが近づいています。日本政府には、被爆者のさらなる援護の充実と、被爆体験者の救済を求めます。

 福島の原発事故から6年が経ちました。長崎は放射能の脅威を経験したまちとして、福島の被災者に寄り添い、応援します。

 原子爆弾で亡くなられた方々に心から追悼の意を捧げ、私たち長崎市民は、核兵器のない世界を願う世界の人々と連携して、核兵器廃絶と恒久平和の実現に力を尽くし続けることをここに宣言します。
  2017年(平成29年)8月9日
長崎市長 田上富久


8/8(火)台風5号接近・快晴風午後雨猛暑薄らぐ 外来 飯川病院 
0:20起床,いつもの如く。5:00可燃ゴミ処理、伐採枝葉処理。野菜収穫、7:47バス通町、以降徒歩飯川病院着。8:45-12:20外来。患者少なく余裕。13:00飯川病院、14:00-18:45。入院患者対応。19:00帰宅、夕食。20:30就眠。Blu-ray Disc:「そこまで委員会:あれは誰??」。歩数計13157歩。

ジェンダー文化未成熟(2) 蓮舫民主党辞任劇
 蓮舫氏は自らの個性を武器に踏み出したが、党内の援護を得られないまま、時間とともに孤立していった。

 私はその個性が問題だったと思う。
 蓮舫氏は49歳、画像で見る限り私の目には爽やかな印象を与える美女に映る。マスコミ関係のキャリアも長く、表情の作りも洗練されている。出てくる言葉は明瞭で批判する立場に回った時はかなり辛辣でもある。ただ責められることには弱いようだ。自身の二重国籍問題は日本国民としては法的に問題な状況である。その説明に関し、虚偽ともとられかねない発言を繰り返しながら、代表選を突破した。虚像で選ばれたのではないだろうか。

 意外とこういう女性に、時間とともに嫌悪感を覚える男性は多いのではないかと思う。少なくとも、上司には持ちたくない女性の一人、と思うのではないだろうか。私はそう思わないと確信を持って言えない。

 30年前に野党第一党の旧社会党の党首になった土井たか子氏は就任時58歳。学者肌であった。画像で見る限り私の目にはその辺のおばさん的で全然刺激的ではなかった。当時日本を挙げてマドンナ旋風が吹き荒れたが、年齢を問わず広く女性に支持された。

 今は映像の時代である。年齢、見てくれ、一般受けするキャリアなどを含む印象を偏差値に置き換えてみれば、蓮舫氏の印象は30年前の土井氏とはかなり異なる。

 蓮紡氏は男尊女卑的考え方が残る我が国の文化で目立ち過ぎる負の因子を持ちすぎていた、私はそう思う。民進党代表が蓮舫氏でなければ、代表選で敗れた前原氏が真に適任であったかは別問題であるが、別な方向に進んだのではないか?と思っている。

 私は人間社会において性別の問題は、人間は発生してきた時から持つ根の深い問題だと思う。非常識的だろうが、男と女は果たして同じ人間なのか?とまで思う。別種類の生き物だと考えれば、男女に関わる問題が一気に単純化するのだが。

 最近は性に関してセックス、セクシャリティ、ジェンダーと区別して言われる。さらにLGBTの概念も入ってきた。
 その概念は簡単に示せば以下のごとくである。

■セックス:生物学的な性別。
■ジェンダー:生物学的な性別に加え、男らしさ女らしさと呼ばれている社会的な性別。
■セクシュアリティ:性的嗜好で、異性愛者、同性愛者、両性愛者など。
■LGBT:心と体と別の性を自認する方々。

 この中で、ジェンダーという言葉が表現する世界は、複雑なニュアンスを持ち、言葉自身に男女における対立的ニュアンスを孕んでいるにもかかわらず、無理やり両者を近づけようというのが最近の風潮である。セックス、ジェンダー、セクシュアリティ、LGBTが混同されている。

 蓮舫氏の民主党代表辞任劇の背景にはジェンダーという要素を入れて考える必要がある。


8/7(月)快晴 健康クリニックドック 飯川病院 
 0:00起床,新聞・文献チェック他。明徳館ボイラーに関するメールに対応する。6:00ネコ給餌。6:20フィットに同乗飯川病院着。9:00-10:30健康クリニック。11:00飯川病院に。読書、データ整理。微睡。14:00-18:30勤務。歴史関連本読む。撒水、19:15帰宅、夕食、20:30就寝。Blu-ray Disc:「世界は今:ISの現在」。歩数計積算8087Km。

ジェンダー文化未成熟(1) 蓮舫民主党辞任劇の背景にも?
 民進党の蓮訪代表は8月2日の両院議員総会で、代表辞任を表明した。
 蓮舫氏は自らの個性を武器に踏み出したが、党内の援護を得られないまま、孤立していった。私はその個性が問題だったと思う。
 蓮紡路線はことごとく裏目に出て、支持する動きがほとんどなかった。この民進党の体たらくは一体何だったのか。本当は氏の問題でなく党の問題なのだが・・・。

 私はここでジェンダー論を持ち出したい。蓮舫代表が女性でなければ、別方向に走ったのではないか?と思っている。
 私は、責任ある地位に女が立つことを心の底では是としない、男性中心社会の風潮が残っているからだ、と考える。社会風潮がそうだと社会に責任を押し付けるまでなく、私自身にそう考える傾向が残っている。それを自覚している。

 最近の報道に見る、ジェンダー問題。
 私は、以下の報道を通じて我が国のジェンダー文化の後進性を感じ取っている。
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??STAP細胞(2014年1月)
 STAP細胞についてすごい発見が唐突になされた。「ネイチャー」、「ハーバード大学」、「理研」などのバックを伴い、報道機関も国民も最初から信じこんでしまった。そのため、マスコミはSTAP細胞そっちのけに、「リケジョ」、「かっぽう着」など、世紀のアイドル誕生といったごとくの報道が続き、実に不自然であった。後のバッシング記事も厳しい内容であった。小保方氏が男だったら別な報道になっていただろう。

??都議会のセクハラヤジ(2014年6月)
 都議会のセクハラヤジ問題。日本の男尊女卑的考えが未だに根強く残っていることの表れであった。私はバカな行為だったと思うが、女性に対して思うことは似ている。だから、私には野次飛ばし議員の心の内までを批判する資格はない。

??小渕・松島氏の閣僚辞任劇(2014年10月)
 両閣僚辞任劇は性別に全く関係ない原因にある。この件に関する新聞報道の見出しを並べてみると、「女性閣僚の失態、辞任」としての報道が大部分であった。

??クリントン氏落選(2016年11月)
 当初から本命視され、経験や知識、資金量も申し分のなかったクリントン氏が最後に逆転された理由として、米国社会に根強い女性に対する偏見を挙ける声も根強い。オバマ大統領は終盤戦、「なぜ、今まで女性大統領がいなかったのか。男性有権者の心の内をのぞいてみて欲しい」と述べた。
 今の米国で性差別を公然と口にする人は少ないが、意識下に偏見が残っているとする調査もある。

??電通過労死報道(2016年11月)
 電通で過労死した高橋まつり(24)さんは、東大卒の、若い、優秀な、可愛い女性であった。こんな方はパワハラいじめに遭いやすい。その報道では今でも顔写真を伴い目を引く。似たような環境で本年3月に過労死した、建設会社の男性若手新入職員(23)に関してはメディアの扱いは電通に比し明らかに小さい。

??蓮舫民進党代表辞任表明(2017年8月)

??稲田防衛大臣の閣僚辞任劇(2017年8月)
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 レディファースト、自由の国の米国でも人種差別問題はリンカーンの時代、ケネディの時代をへて未だに根強く残っている。性差別も同様である。人の考え方は法があろうと何があろうとなかなか変わっていくものではない。それには何代かの世代交代が必要である。
 上記の7件はちょっとした例に過ぎないが、メディア自体が遅れている。報道から「女性」を強調した部分がなくれば、我が国のジェンダー文化が真に成熟に向かった、と言えるだろう。

 現在のジェンダー論は、女性差別という伝統的テーマを超え、個人の多様性へと範囲をを広げている。


8/6(日)快晴暑い 広島原爆投下72年 飯川病院当直明け 
 1:00起床、読書、新聞、画像データ整理など。7:00検食、8:00広島原爆追悼式典の実況中継をラジオで聞く。9:00クロスバイク帰宅、熱気で厳しい。外の作業は困難。ネコ世話、収穫、読書など。ネコ達居間で過ごさせたが口呼吸であえいでいる。扇風機最強で用いるが温風。NHKのど自慢大館楽しむ。微睡など、15:00外仕事、18:00文献対応、19:30夕食、21:00就寝。Blu-ray Discなし。歩数計11600歩。

原爆投下72年 広島「原爆の日 」 松井広島市長平和宣言 vs 安倍総理挨拶 
 長崎に「原爆」が投下されてから72年目を迎えた。
 本日、長崎ではしめやかに平和記念式典が行われた。

 今朝は飯川病院の当直明けの朝。NHKラジオで中継を聞いた。

 8時15分に平和の鐘を鳴らし、1分間の黙祷。続く広島市長の平和宣言は落ち着いた口調で国民への問いかけと全世界に対する決意宣言であった。総理の挨拶も場所柄声の張り上げはなかったが、安倍節の域を脱していない。
 両者とも、要旨は記憶しておくべき内容であった。

 広島市長の平和宣言(一部)。
 「皆さん、72年前の今日、8月6日8時15分、広島の空に「絶対悪」が放たれ、立ち昇ったきのこ雲の下で何が起こったかを思い浮かべてみませんか(中略)。
 正に地獄です。「絶対悪」である原子爆弾は、きのこ雲の下で罪のない多くの人々に惨たらしい死をもたらしただけでなく、放射線障害や健康不安など心身に深い傷を残し、社会的な差別や偏見を生じさせ、辛うじて生き延びた人々の人生をも大きく歪めてしまいました。
 このような地獄は、決して過去のものではありません。核兵器が存在し、その使用を仄めかす為政者がいる限り、いつ何時、遭遇するかもしれないものであり、惨たらしい目に遭うのは、あなたかもしれません。
 それ故、皆さんには是非とも、被爆者の声を聞いてもらいたいと思います(中略)。
 皆さん、このような被爆者の体験に根差した「良心」への問い掛けと為政者に対する「誠実」な対応への要請を我々のものとし、世界の人々に広げ、そして次の世代に受け渡していこうではありませんか。
 為政者の皆さんには、特に、互いに相違点を認め合い、その相違点を克服するための努力を「誠実」に行っていただきたい。また、そのためには、核兵器の非人道性についての認識を深めた上で、自国のことのみに専念して他国を無視することなく、共に生きるための世界をつくる責務があるということを自覚しておくことが重要です(中略)。
 
 核兵器の使用は、一発の威力が72年前の数千倍にもなった今、敵対国のみならず自国をも含む全世界の人々を地獄へと突き落とす行為であり、人類として決して許されない行為です。そのような核兵器を保有することは、人類全体に危険を及ぼすための巨額な費用投入にすぎないと言って差し支えありません。

 今や世界中からの訪問者が年間170万人を超える平和記念公園ですが、これからもできるだけ多くの人々が訪れ、被爆の実相を見て、被爆者の証言を聴いていただきたい。そして、きのこ雲の下で何が起こったかを知り、被爆者の核兵器廃絶への願いを受け止めた上で、世界中に「共感」の輪を広げていただきたい。特に、若い人たちには、広島を訪れ、非核大使として友情の輪を広げていただきたい。広島は、世界の人々がそのための交流をし、行動を始める場であり続けます。

 その広島が会長都市となって世界の7,400を超える都市で構成する平和首長会議は、市民社会において世界中の為政者が、核兵器廃絶に向け、「良心」に基づき国家の枠を超えた「誠実」な対応を行えるような環境づくりを後押ししていきます。

 今年7月、国連では、核保有国や核の傘の下にある国々を除く122か国の賛同を得て、核兵器禁止条約を採択し、核兵器廃絶に向かう明確な決意が示されました。こうした中、各国政府は、「核兵器のない世界」に向けた取組を更に前進させなければなりません。

 特に、日本政府には、「日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓う。」と明記している日本国憲法が掲げる平和主義を体現するためにも、核兵器禁止条約の締結促進を目指して核保有国と非核保有国との橋渡しに本気で取り組んでいただきたい(中略)。
 私たちは、原爆犠牲者の御霊に心からの哀悼の誠を捧げ、世界の人々と共に、「絶対悪」である核兵器の廃絶と世界恒久平和の実現に向けて力を尽くすことを誓います。?
                         ?(広島市長 松井一實)


安倍総理挨拶全文
 本日、被爆72周年の広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式が執り行われるに当たり、原子爆弾の犠牲となられた数多くの方々の御霊に対し、謹んで、哀悼の誠を捧げます。
 そして、今なお被爆の後遺症に苦しんでおられる方々に、心からお見舞いを申し上げます。
 今から72年前の、あの朝、一発の原子爆弾がここ広島に投下され、十数万ともいわれる数多の貴い命が失われました。街は一瞬にして焦土と化し、一命をとりとめた方々にも、言葉では言い表せない苦難の日々をもたらしました。若者の夢や明るい未来も、容赦なく奪われました。
 このような惨禍が二度と繰り返されてはならない。唯一の戦争被爆国として、「核兵器のない世界」の実現に向けた歩みを着実に前に進める努力を、絶え間なく積み重ねていくこと。それが、今を生きる私たちの責任です。
 真に「核兵器のない世界」を実現するためには、核兵器国と非核兵器国双方の参画が必要です。我が国は、非核三原則を堅持し、双方に働きかけを行うことを通じて、国際社会を主導していく決意です。
 そのため、あの悲惨な体験の「記憶」を、世代や国境を越えて、人類が共有する「記憶」として継承していかなければなりません。昨年、オバマ大統領が、現職の米国大統領として初めて、この地を訪れ、被爆の実相に触れ、核を保有する国々に対して、核兵器のない世界を追求する勇気を持とうと力強く呼びかけました。核を保有する国の人々を含め、広島・長崎を訪れる世界中の人々が、被爆の悲惨な実相に触れ、平和への願いを新たにする。若い世代が、被爆者の方々から伝えられた被爆体験を語り継ぐ。政府として、そうした取組をしっかりと推し進めてまいります。
 そして、各国の有識者の知見も得ながら、核兵器不拡散条約(NPT)発効50周年となる2020年のNPT運用検討会議が意義あるものとなるよう、積極的に貢献してまいります。
 被爆者の方々に対しましては、保健、医療、福祉にわたる総合的な援護施策の充実を行ってまいりました。今後とも、被爆者の方々に寄り添いながら、援護施策を着実に推進してまいります。特に、原爆症の認定について、引き続き、一日も早く結果をお知らせできるよう、できる限り迅速な審査を行ってまいります。
 今や、国際平和文化都市として、見事に発展を遂げられた、ここ広島市において、改めて、「核兵器のない世界」と恒久平和の実現に向けて力を尽くすことをお誓い申し上げるとともに、原子爆弾の犠牲となられた方々のご冥福と、ご遺族、被爆者の皆様、並びに、参列者、広島市民の皆様のご平安を祈念いたしまして、私の挨拶といたします。
(内閣総理大臣 安倍晋三)


8/5(土)快晴暑い 竿燈日3日目 飯川病院日当直 レセプト点検。
0:00起床、本読み中心、画像データ整理。5:00収穫、散水他。午前は文献整理、伐採枝葉整理など。12:00クロスバイク飯川病院、日当直業務、入院患者対応、検食。新聞データ収集、レセプト点検半分。ピロティ朝顔に添え木。歩数計積算13450歩。18:00検食、20:00就寝。

民進党蓮舫代表が辞意 党の再生は困難か?
 民進党の蓮訪代表は8月2日の両院議員総会で、代表辞任を表明した。

 新代表に蓮舫氏が選ばれたのは2016年9月中旬のことであった。蓮舫氏は国会議員、地方議員、党員サポーターらの850票中500票を獲得しての圧倒的支持を得た。
 野党第1党の民進党は崖っぷちにいる。だからこそ、政治実績は乏しいが、知名度の高い運航氏を党の顔に、と期待したのだろう。
 民進党は過去から何を学ぶのか。かつて民主党が政権を取りながら失敗した要因は、国政を担うだけの資質を持たない党幹部達の悪政、国政そっちのけにしての党内の足の引っ張り合い抗争した結果によるに自滅だった。

 蓮舫氏を選んだ以上、党としては結束してことにあたることが期待されたが、就任当初から不安な材料がくすぶり始めた。
 蓮舫氏は自らの個性を武器に踏み出したが、党内の援護を得られないまま、孤立していった。
 あれほどの支持を得ながらわずか一年で・・・。そこに何があったのか?

 蓮訪代表は「しっかりとまとめることができなかった。もっと強い執行部に委ねる決断をすることが私の仕事だと思った」と氏は代表辞任を決断した経緯を説明した。総会ではさしたる意義も出ずに了承され、後継を選ぶ代表選の日程が粛々と検討された。蓮舫氏の役目は何だったのか?

 「蓮紡路線」はことごとく裏目に出た。第一は野田前首相を幹事長に起用したこと。第二は「2030年原発ゼロ」は事前の調整が不十分で、連合などが反発し、断念に追い込まれたこと、第三は都議選前に離党者が続出した、などなど。

 蓮舫氏に対し、支持する動きがほとんどなかった。高い支持を集めたのにこの体たらくは一体何だったのか。この間、民進党再建論より解党諭が語られたりした。
 蓮肪氏自身も認めたように、それほど党内の求心力は低下していた。

 今、民進党は自民党に対峙できる勢力になるという目的を持って、結束することか何よりも肝心だ。蓮舫氏の元で一致団結できるか、と私は期待したが、もう終わり。今後の民進党は存続することも困難になるだろう。

 民進党の長期低迷は、小グループが乱立していることに尽きる。民進党は烏合屋号の衆であり、政治思想も一枚板ではない。私から見てもなんで民進党に所属しているのかわからない人たちがたくさんいる、と思う。だから、次の執行部で前向きの力を結集できなければ解党、再出発も一案となる。
 次が、党としての最後の活動になるかもしれない。


8/4(金)晴れ 竿燈2日目 大曲中通病院 飯川病院ボランティア
 0:45起床,文献・新聞チェックその他。4:30一般ゴミ提出、5:00収穫、散水。7:30Taxi駅。8:10こまち。徒歩、9:10大曲中通病院外来、混雑なし。帰路病院駅はTaxi。千秋美術館:「マリメッコ展」観る。14:10飯川病院、ボランティア。19:15帰宅、19:30夕食、20:45就寝。Blu-ray Discながら視聴:「知恵泉:邪馬台国」、「英雄選択:高田屋嘉平」、「昭和は輝いていた;なかにし礼」。歩数計積算9548歩。

富島健夫著「女人追憶」全7巻 1995年 集英社文庫   
 私が担当している外来に通院している95歳の患者が、「終活で蔵書を処分しているが、一部を先生に差し上げます」と、毎回数冊書籍を持参してくる。その書籍の傾向は、どちらかといえば官能小説が多い。
 「今でもこのジャンルの書籍を読んでいます」と、とても元気である。確かに、若さの源になりうる内容の本が並ぶ。「本当は先生も好きなんでしょう」と勝手に決めつけているようだ。嫌いと言えば嘘になるから、明確には同意していない。

 いただいた書籍は今まで40冊以上になる。渡辺淳一氏の著作が最も多い。その他多彩な著者の小説が多いが、通常自分が購入することはない官能のジャンルなので、その中から適宜選んで楽しんでいる。

 半年ほど前にいただいたのは富島健夫著「女人追憶」で、全7巻、文庫本で14冊に渡る大作、長編小説である。官能小説であるが、読み始めると物珍しさもあって結構面白かった。戴いたのはそのうちの5冊であったが、結局欠けていた9冊は自分で購入して全編を読み終えた。絶版となっており、版元には在庫がなかった。

 富島健夫氏(1931-98年)は1953年文壇デビュー。1960年代からは青春小説に着手する。性の問題を回避して青春の文学は成立しないと主張し、それまでタブー視されていた10代の性の問題を正面から扱った。1973年以後、作品は官能的な傾向を強め、1980年代には川上宗薫、宇能鴻一郎とともに官能小説御三家とも称せられた。超多作作家で66歳で没するまでに刊行された著書は700冊に及ぶ。

 大変な多作の方であるが、氏を私はこの作品を通じて初めて知った。川上宗薫、宇能鴻一郎氏については作品を読んだことはなかったが名前だけは知っていた。

 「女人追憶」は氏の代表作と言われているようだ。
 主人公は20歳大学学生。
 見てくれもよく、女性によくモテる。郷里に恋人を抱えているほか、東京で学生生活を送るのだが、わずか数年間の郷里と東京での女性との交流を中心に全編を通じて次々と描写する。女性達は数が多い他に、複数回登場する場合もあり、誰が誰だか、何が何だか分からなくなる。私は登場人物の名簿を作りながら読み進めた。こんなことは大学進学時に読んだトルストイの「戦争と平和」以来である。

 内容は面白く読めた。しかし、読み進めるにつれて記述内容にマンネリを感じた。特に官能的部分については同じような記述の羅列なった。私が年を食ってしまって個々の場面に感動しなくなったからなのかもしれない。
 半分ほど読み進んだ頃からは、中途頓挫が惜しく、読み終えることが目的となってしまった。主人公と関係した女性は優に20名を超え、頻回に登場する女性も少なくない。さらにストーリーに枝葉がついて、主人公の友人などが登場し、付き合った女性達10名程度?についての記述も長ながと挿入されるから、記述自体マンネリ化しない方がおかしい。
 最後の巻に至っては、作者自身があらすじの進展を理解できなくなったような、妙な具合になり、何が何だか分からない状態で尻切れトンボで終わってしまった。

 私は今回、偶然にも富島健夫氏の代表作とされる「女人追憶」を読む機会があり、官能小説と言われるジャンルの作品に初めて触れた、と言っていい。
 文字で表現される官能の世界、意外と面白いものだ。私は遅まきながら好きになりそうである。95歳の患者にすっかり見透かされてしまった。


8/3(木)快晴暑い 竿燈祭り初日 外来 飯川病院 
 0:00起床、新聞データ化と整理。4:20資源ごみ大量に集積所に。5:00野菜収穫、畑、庭に散水他。7:30徒歩病院着、汗だくになる。8:45-13:00外来+ドック判定14名分。14:00-18:50飯川病院勤務、19:15竿灯のため大学本部経由で帰宅。19:30夕食、20:30就寝。歩数計積算12738歩。Blu-ray Discながら視聴:「歴史列伝;西郷隆盛」、「知恵泉:邪馬台国」、「昭和は輝いていた;ピン芸人」。

災害列島(10) 温暖化対策(2) 車のEV化は重要 ガソリンエンジンの改良も重要
 環境面でも車の電動化の利点を見極めたい。
 車がEV化すれば走行時の排ガスがゼロになる。地球環境の悪化の寄与すると思われる。その意味ではフランスの決断は支持したい。英国政府も7月26日に同様の政策を表明し、自動車大国のドイツでも検討されている。
 「脱・化石燃料」の動きが急な欧州は、もともと温暖化対策の国際的枠組み「パリ協定」に積極的で環境意識も高い。

 国際エネルギー機関は、EVの累計販売台数が2016年の約200万台から、20年には最大2000万台に増える、と予測している。

 一方、日本の自動車メーカーの動きを見ると、エンジンの改良で目覚ましい成果を上げてきた。我が家のフィットとプリウスの燃費は差は意外と小さい。ほぼ同じ条件下では前者は24Km/L、後者は17Km/Lである。降雪期のためにやむなく維持している20年前のレガシーは10Km/L。この3台の差は大きいようにも見えるが、日常あまり乗らないから私にとって大きな差ではない。

 日本では逆に、ガソリンエンジンの改良の技術力があるだけに国際的な新たな潮流に乗り遅れているようだ。確かにプリウスなどハイブリッド車もあるが、EV化、ハイブリッド車の全体としての普及はまだ少ない。今後ともEV化の流れは逆行することはあり得ない。

 EV化転換に対して日本の出足は必ずしも早いとは言えない。EV化転換によって車産業は一層裾野が広がり雇用にも影響が予想される。日本にはリチウムイオン電池の絶縁材など、独自の技術を持つ素材メーカーも少なくない。民間の技術開発の後押しや、市場開拓のためのEV購入支援の拡大など、官民挙げた取り組みを日本も加速すべきだろう。

 一方、EV化、ハイブリッド車の寄与は明らかであるが、既存のガソリンエンジン車の利用は世界的に見て一気に減ることはないだろう。だからこそガソリンエンジンの改良は地球環境のためにも今後も必要である。

 日本ではガソリンエンジンの低燃費化の改良が進んでいる。その目標は熱効率を50%に近づけることである。1970年代のエンジンの熱効率は30台%だった。ガソリンを撒きながら走っていたようなものである。16年度には44.4%にまで達したが、まだまだ低い。2014年度から始まった新プロジェクトではでは5年で10%引き上げ、地球温暖化対策としてCO2の排出量を2011年比で30%減らす大胆な目標を掲げている。
 
 自動車の立場から言えば、EV化、ハイブリッド化の推進、水素で走る燃料電池車の実用化も必要であるが、既存のエンジンの効率改良によって温暖化対策に寄与していく重要性は無視できない。


8/2(水)東北地方梅雨明け 快晴暑い 飯川病院ボランティア 
0:20起床、文献新聞整理。5:00収穫、散水。午前は暑くて室内で仕事など。12:30炎天でクロスバイクで飯川病院へボランティア,16:15帰宅、庭掃除、畑草刈り、樹木枝落としなど。19:00夕食、21:30就寝。Blu-ray Discながら視聴:「昭和は輝いていた:ひばりと森英恵」、「歴史列伝:徳川慶喜」。歩数計積算16685歩。

災害列島(9) 温暖化対策(1) 画期的車政策フランスで
 最近の世界的規模の異常気象の背景は地球の温暖化であることは明らかである。その原因はCO2の蓄積であり、その主たる原因は化石燃料に由来する。化石燃料の消費に大きな比率を占めるのは化石燃料エンジンを用いる車である。
 それをわかっていながら全世界的に化石燃料車が増えているのが現状である。これでは地球温暖化は防ぎ得ない。このままだと孫・子供の代には地球環境がどうなるのか、予想もつかない。

 フランスのマクロン新政権が、地球環境対策として注目すべき大胆な政策を打ち出した。即ち、2040年までに、ガソリン車などの化石燃料車の販売を禁止し、電気自動車(EV)の普及を加速するという政策である。
 従来、このような画期的政策は国家的レベルで出されたことはない。
 しかも、自国に世界的に有力な自動車会社を擁する同国は、政策の発表に至るまでの国内の調整も大変だったのではないだろうか。

 確かに、排ガスゼロのEVや、電池とエンジンを併用するハイプリッド車の普及を後押しする動きは、カリフォルニアなどの米国の一部の州や中国でも進んでおり、メーカーとしても対応が急務だ。

 日本を含む世界の自動車産業の行方に大きな影響を与える。
 スエーデンのボルポ社は、2019年以降に発売する全てをEVやハイプリッドにする、という。フォルクスワーゲン社やフォード社も車の電勧化について長期計画を発表している。
 しかしながら、昨年の世界新車販売に占めるEVの比率は0.5%にすぎず、ハイプリッドを合めても3%弱にとどまる。電池のコストがエンジンに比べてまだまだ高く、一回の充電で走れる距離も短い。

 EVがエンジン車と同等の条件で普及するようになるには、電池の改良や量産化によるコストの大幅低減などを進める必要がある。
 レアアースの生産や再利用技術も重要となる。2011年頃中国産のレアアース生産に陰りが見られたと報道されていたが、その後もEV、ハイプリッド車は順調に伸びている。どうなっているのだろうか。

 それに、EV、ハイプリッド車は走行時にこそCO2を出さないが、電気の元は化石燃料で発電した電気である。車を作り上げる過程で消費されるエネルギーは莫大なものがある。CO2排出の少ない原子力発電の比率が少ないフランスだからこそ、車の電勧化の価値は一層大きいと言える。


8/1(火)快晴暑い 外来+飯川病院 
1:00起床,新聞入力、文献整理。本読み。6:00微睡しすぎ、可燃ゴミ提出。7:10バス飯川病院。8:45-12:30外来。13:00飯川病院、保健所の立ち入り調査あり。14:00-18:45勤務、19:15帰宅、夕食、20:30就寝。積算19464歩。Blu-ray Disc:「知恵泉:宮沢賢治」、「英雄の選択:応天門の乱」、「歴史列伝:双葉山」。

四季2017(9)立秋を前にもう秋の涼風、空、雲 
 秋田は日中まだ日差しが強く暑くて31℃もある。熱中症搬送とかが続いているが、この日差しと暑さは夏好きの私にとっては最高に嬉しい。

 私は朝早くから起き出し活動する。我が家はエアコンなどないので暑い日は上半身は何も着ないで、扇風機の風を当てて流れる汗を乾かす。腰にはちょっと厚手のバスタオルを巻く。汗を吸い取るのと、飼い猫のプチがスキンシップを求めてきたとき、膝に乗りやすいように、膝の間から落ちないようにするためである。

 数日前から早朝3-5時頃はかなり冷え始め、裸では過ごせず、薄手のシャツを着用している。
 朝5:00過ぎには裏の畠にキウリ、トマト、ナスなどの収穫に、また、庭の花たちに散水するのが日課であるが、外へ出ると早朝の空は高く、秋に特徴的な細切れの雲が出始めている。涼風が足下を冷やす。畑や庭の雑草の露でスリッパ履きの足が濡れる。

 このような秋の朝の雰囲気を感じた日以降は、私はそろそろ夏の終わりか、と意識し、いつも落ち込み始める。
 通常は8月中旬、お盆の頃から体感するのであるが、今年はちょっと早い。
 それでも日中はまだまだ暑い。これからの日々は夏の名残りとしての暑さと残暑が、一日も長く続くことを願っている。

 まもなく立秋を迎える。毎年8月7日頃である。暦便覧では、立秋を「初めて秋の気配が現れてくる日」としている。立秋から立冬までが暦の上で「秋」である。
? 私が好きな季節は、夏>春>冬>秋の順。私にとって夏の熱暑の毎日は最高である。

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(真夏日に居間でぐったりするネコたちは呼吸は荒く、喘いでいる。横切る雪音もフラフラで足元おぼつかない。私もネコと同じ。汗びっしょりでiPhoneを向けた)

 これが夕方日が陰ってくると気温が下がり、ネコどもも急に元気になる。

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(思い切り背筋伸ばして外を見ている雪音。 「次は俺だ、その場所よこせ」と鉄 )

 今年も異常気象が続く。
 東北地方はなかなか梅雨明け宣言が出ない。その一方、関東関西方面では酷暑の日々が続いている。35℃以上の地域が各所に及んでいる。体温より暑い環境っていったいどんなものだろうか。呼吸も苦しくなるのではないだろうか。
 局所的ゲリラ豪雨が九州、新潟、秋田で生じた。秋田でも先日記録的豪雨による大きな被害が生じた。

 世間では秋の到来をよろこび、実りの秋だ、観光だ、紅葉狩りだ、スポーツは・・とメディアなどは大はしゃぎ、大騒ぎする。確かに秋は実りの秋で活力を感じるし、暮らしには快適な季節なのだが、私はそれ以上に冬の予感を先取りしてしまう。

 四季の移ろいにはそれぞれ味がある。それを毎日体感出来る生活であることに喜びを感じる。
 好きだ嫌いだ・・と言ってても、必ず時は流れ、秋は来る。


7/31(月)快晴 健康クリニックドック 飯川病院 
0:30 起床。文献処理他録音データ整理。7:20徒歩飯川病院着、9:00-11:00健康クリニックドック。11:30飯川病院へ、微睡。14:00-18:20勤務、19:20プリウスにて帰宅、夕食、20:30就寝。歩数計9293Km。Blu-ray Discなし。

日本経済新聞を購読し始めた
 今月初めから日本経済新聞を購読し始めた。
 昨年5月に一紙定期購読を中止したばかりであったが、これで再び購読紙が地方紙2紙を含めて4紙となった。

 今回は、若干経済のことを勉強し、若干の理解力が増し、興味も感じるようになったのたで経済関係の新聞としてみた。

 前から時折、新幹線での長時間移動時などに日本経済新聞を購入したことがあり、内容的に気に入り始めていたからであった。

 新潟大学医学部医進過程で、初歩的な「政治・社会・経済学」を学んだ。この中では自分が数字に弱いこともあって、経済への興味が乏しかった。実際、社会に出て収入を得るようになっても給与袋の見方も知らず、税金の仕組みも知らず、経済関係は最も縁遠いものとなっていた。

 あれから半世紀、似たようなレベルで過ごしてきたが、現役を引退したのを機会に経済を学び直してみようと考え、少しずつ準備を続けてきた。結果的に、日本経済の状況、世界経済の動きを知ることによって近代日本の歴史を経済の面からも徐々に理解できるようになった。これは自分にとっては大きな進歩だと思う。

 新聞には全国紙、地方紙、ブロック紙、地域紙、業界紙などさまざまあり、多様な言論活動を行っている。
 
 全国紙は狭義では読売、朝日、毎日の3紙、さらに、日経、産経を加えて捉えられているようだ。

 そのうち、私は毎日新聞を30年ほど購読してきた。内容的に不満であったが、身障者を多く雇用しているという実績を評価して継続していた。SARSに関して私が提供した情報を捻じ曲げて掲載され、ちょっとした事件になったのを機会に社の報道姿勢に疑問を感じ2003年6月購読をやめた。

 次に購読したのは読売新聞であったが、1年後に購読料支払いについて地元の業者との間にトラブルがあり、2004年2月購読をやめた。紙面は気に入っていたので残念であった。

 次いで、購読したのは朝日新聞で現在まで14年ほど購読している。歴史的にもいろいろ問題を醸してきた新聞であり、中でも2014年の慰安婦問題の記事取り消し事件には呆れはて、購読中止も考えたが、あえて中止せず現在まで継続している。最近の紙面構成に不満はないわけではない。

 日本経済新聞は主張がクリアである。
 特に経済面からの視点、主張は読みがいがあり、とても勉強になる。連載される特集記事にも読みがいがある。全てに渡って満足というわけではない。それは当然と受け入れる。政治欄、国際舞台、文化欄、社会欄の記述は詳しくはないが視点がはっきりしていて参考になる。
 活字のサイズが他紙に比較して一回り小さい。これは他誌の方が改善してきたからであるが、多分、購読者層が他紙よりは若いためだろう。私には記事を能率よく読めて嬉しい限りである。

 日本経済新聞の購読を機会に私のスクラップ記事が著増した。時間的に苦しいが、情報収集という意味では嬉しい悩みである。


7/30(日)快晴・猛暑   
1:00起床、書類、読書などいつもの如く。撒水、野菜収穫。午前は新聞チェック、データ整理、本読みなど。NHKのど自慢ご微睡、15:00伐採枝裁断。16:00講演会出席の家内迎え、花徳経由で帰宅、18:30まで外仕事継続、19:00夕食、20:45就寝。Blu-ray Disc視聴なし。徒歩積算16117歩。

秋田市中央図書館明徳館のボイラーは景観を損ねていない!!
 秋田市の中央図書館明徳館は私の通勤路にあることもあって、また、パソコン等の小型家電の廃棄コーナーもあって、私にとって親しみを覚える施設である。

 私は施設脇にボイラー設備が新設されたことは気づいていたが、利用者の一人としてそれほどの違和感を覚えていなかった。

 今月7月21日の秋田さきがけ新聞に、この明徳館の建物に隣接されたボイラーが周囲の景観を損ねていると「市民から改善を求める声が上がっている」、との記事が掲載され、注目した。

 記事の骨子は
■明徳館の玄関横に異様な存在感を放つ設備がある。
■空調用のペレットボイラーで大きさは幅19x奥行き6.6x高さ5.6m。
■周辺は新文化施設の整備を含め、環境に配慮した都市づくりを目指す、市の「あきたスマートシティプロジェクト」のエリアである。
■温暖化対策や市の誘致企業が製造するペレットの活用のために導入されたが、老朽化した旧灯油ボイラーに比べて大型で、屋外に設置された。
■当初、建物裏側に設置されたが、近隣住民から騒音への苦情などがあり、15年夏に今の場所に移された。
■最初の設置場所や現在地は広葉樹が茂る庭園で、いずれも設置に伴い庭木が伐採された。■ボイラーの導入費は約7千万円、移設費は約1700万円。
■市環境総務課は「景観に配慮する必要性は認識している」と説明。本年3月に周りに苗木20本を植えた他、今後目隠し用に「緑のカーテン」を整備する。

 この記事にはこの庭園の愛好市民一名と、秋田公立美術大某准教授の批判的意見、が添えられている。

 図書館の空調は資料の保管のためにも重要である。また利用する立場からも必要と考えた。地球環境のことも考えてのペレットボイラーの設置とのことで、私は違和感を覚えなかった。しかし、この記事で初めて市民から具体的に改善を求める声が上っていると知った。
 たしかに、今は自由に意見を述べる時代でもあるから、そのような意見もありうるかと思う。しかし、「市民から改善を求める声が上がっている」との記事の記載はどの程度のことを示しているのか?この記事からは伺うことはできない。市民一人の意見では不十分である。記事にするにあたってその辺のことを報じなければ問題提起にも値しない、と思う。まさかそんなことはないと思うが、捏造記事?とも取れないことはない。

 記事掲載の後、通勤時に私が見たボイラーの一葉である。

<img src="http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/27/c7/95ef01c72c70c0e572c0a62a3f166283.jpg" border="0">

 確かに、ない方がいいと思うが、受け入れていっていいレベルだと思う。


7/29(土)快晴猛暑 
0:30起床、新聞や文献読み。データ整理。5:00収穫、本日も暑予想。午前は暑くて外作業困難、机上作業、読書中心、自宅の不具合など修理。包丁+ハサミ研ぎ数丁、切れ味戻ったと好評。微睡、15:00早めに外に出て庭木の伐採、裁断など。汗びっしょり。19:30夕食、21:00就寝。我が家から一歩も出ず、なのに徒歩積算19820歩に。Blu-ray Disc試聴なし。本日はダイエット失敗。

コーヒー:珍しい「コピ・ルアクコーヒー」を楽しんでいる
 私は夜半から早朝の活動を好む。0:00-1:30頃に起き出す。
 私は真っ暗な中、やや暗めのスポットライトで照らされたの机に向かう。読書、情報収集、蓄積データ整理などが中心である。
 4:00にコーヒータイムをとる。ゆったりと楽しむ。これもまた、私の至福のひとときである。5:00以降に始まる慌ただしい時間に向かう気持ちをコーヒーがゆっくり静めてくれる。

 コーヒータイムが終われば、ネコども7匹分の居室やトイレ掃除、給餌、給水、曜日によっては可燃ゴミ・資源ごみ廃棄、夏場は野菜の収穫、ダリヤなどへの散水、畑の作業、降雪機には雪かきなど、始める。
 自分も軽食を摂る。6:20には病院に向かう。悪天候の場合は6:47分バスにする。朝のこの時間帯、とても忙しい。
 
 私はコーヒーが大好きであるが、味音痴で違いがわからない。むかし、「違いがわかる・・・」といったネスカフェのコマーシャルがあったが、私にはわからない。ドリップかインスタントかの違いも分からなかったこともあった。
? 嗜好品は、一般的に趣味性が強い。静かに一人楽しめば良いのにウンチクをたれる方などもおられ、私にとっては全て迷惑でこのような方には近づかない。

 私の嗜好品はお茶とコーヒーくらいだろうか。酒もタバコも一切やらず、人付き合いもない私が比較的お金をかけている分野である。ただ、私は質や価格や内容に関しては興味もなく、何も分からない。すべて家内や家人が選んでくれたもので楽しむ。飲みたいときにコーヒーがあり、緑茶があればそれで満足する。

 コーヒーに関していえば、銘柄、産地などはいろいろ知識はあるが、いま何を飲んでいるのか、全く区別出来ない。

 そういう私が、いま、「コピ・ルアク」という耳慣れないコーヒーを楽しんでいる。
 「コピ・ルアク」とは、ジャコウネコの糞から採られる未消化のコーヒー豆のこと。
 インドネシアのコーヒー園ではコーヒーの実がジャコウネコに狙われる。現地の農民はその糞を探して中からコーヒー豆を取り出し商品化している。ネコの消化酵素や腸内細菌による発酵のおかげで、コーヒーに独特の香味が加わるという。

 世界で最も高価なコーヒーとして知られているが、希少価値のためであり、コーヒーとしての味が優れているからというわけではないらしい。

 私は、つい先日、知人から「コピ・ルアク」を一袋いただいた。知人はコーヒーをあまり好まず、家族も嫌がるために飲む人がおらず処分に困っていたという。たまたま私がコーヒー好きであることを知ったらしく送ってきた。
 パックに色々書いてあるがインドネシア語??なのか解読できない。ついてきたメモには150g八千円だったらしい。細かく追求はしないが一般的な「コピ・ルアク」より安いようだ。15%のブレンド品だからか??

(パックにジャコウネコの絵がついている 15%とあるのはブレンド比か 右上の尻尾はプチ)

 私も家族たちに勧めたが誰も飲んでくれないので、毎朝一人でドリップして楽しんでいる。
 コーヒーとしての味が優れているか否かは・・・、濃厚で苦いが、その価値はやはり分からない。

 ただ、私はこれを飲みながらコーヒーについて若干勉強してみたいという気になった。今までは惰性で飲んでいたに過ぎない。なんで、そんなに美味いわけではないのにコーヒーが世界中で好まれているのか、まずその付近からのスタートである。
 書籍や文献を集め始めた。


7/28(金)小雨のち晴れ 大曲中通病院外来   
0:30起床,文献・新聞チェックその他。5;00可燃ゴミ集積所に、7:35新幹線が明日まで運休のために家人の車で大曲に、9:00-12:00大曲中通病院外来。業務用スーパーなど立ち寄り14:00自宅に直帰。机上作業後16:00庭仕事。19:00夕食、20:30就寝。Blu-ray Disc視聴なし、徒歩積算8676歩。

災害列島(8) 秋田の豪雨被害(2) 佐竹さん、何でまた
 佐竹知事の危機管理の甘さはに関しては、知事の立場を考えると問題はあったと思うが、ゴルフを含めて決定的な問題ではない。
 情報チェックに問題はあったが、全て後付けで分かってきたことで、翌日渋滞に巻き込まれて連絡会議に出席できなかったことは状況から見てやむを得なかった、と私は思う。知事には反省していただかねばならない。

 ただ、この件に関して知事が同行したメンバーに関して虚偽の報告をしたのには驚いた。
 私は、かつては病院業務や医師会業務を通じて知事と結構頻回に接する機会があって、いろいろ会話もし、知事の人となりを評価していた。それは今も変わりない。だから、「佐竹さん、どうして見え透いた嘘をついたのか・・・」というのが最初の感想であった。しかも内容的にちょっと調べれば分かる内容だったし、部下をかばうためという予想外のちゃちなレベルでなおさら驚いた。

 知事として、それほど隠すべきと思えない軽い内容のことを虚偽の説明をしたことは、危機管理の甘さとは全く別次元の「重大な」問題である。「虚偽の説明」をしたこと自体が問題であって、内容問題ではない。

 おごりの意識なのか、年齢に伴う判断力の欠如なのかはわからないが、最近、予想外な発言も見られる。「人口減を気にしているのはマスコミだけ」、「県がみんなやっちゃうと市町村はサボる」、「自分の時間が欲しくなってきた・・」などの発言である。今回の災害対応と併せ、知事として緩みがないのだろうか。

 今回の虚偽説明を見れば、あまりにもくだらなく、これでは、知事の発言や説明をどこまで信じたらいいのか分からない。知事は県民の信任を得て三選と果たしたばかりであるが、3期目のスタート早々に大きく損なわれた県民の信頼は、簡単に挽回できるものではない。

 佐竹知事はもともと県職員であった。秋田市長を経て知事になったが、県庁は古巣であり、県庁職員にとっても都合の良い知事である。友人や知人、後輩も多い。知事として8年、周りのスタッフをイエスマンで固め、結果的に苦言を呈したり、物が言いにくい状況になっているのではないか?

 私は秋田県政には問題点が山積みなのに、県にも知事にも過度の安定を感じ取っていたので今回の知事選には投票しなかった。

 知事、県庁の組織や政策に緩みが出ていると思う。
 それが今回ひょんなことから具現した。残念なことである。


7/27(木)快晴 外来 飯川病院 循環器科受診
0:30起床、新聞・文献など。データ整理。いつものパターン。7:20徒歩飯川病院着、8:40-13:20中通病院外来。途中で循環器科受診、問題なし。14:30飯川病院、勤務、19:30帰宅・夕食。20:30就寝。Blu-ray ながらDisc:「ワカコ酒:Season3 2本」,「ぶらぶら美術館:(1)国立科学博物館、(2)熊本城」。歩数計15243歩。

災害列島(7) 秋田の豪雨被害(1) 佐竹知事と県の担当部署の危機管理の甘さ
 22日からの大雨で、県内は大きな被害を受けた。県や市町村は国と連携して被災者支援や復旧に全力を挙げるべきである。

 そうした中、22日に佐竹知事が、宮城県にゴルフに出掛け、23日の連絡会議に出席できなかった、と言う。
 知事は記者会見で、「一連の行動は軽率であって深く悔いており、県民の皆さんに謝りたい」と述べた。

 私がメディアから得た情報では、知事の説明は以下のごとくであった。
――――――――――――――――――――――――――――
■出掛ける前に気象について詳細に確認せず。
■22日午前6時半ごろ、誰にも知らせず、県庁OBの友人3人と知事の私用車で出発。10時半ごろから16時ごろまでプレーし予定通りホテルに1泊した。
■プレー中に携帯電話に県危機管理監から自治体の避難情報などについてメールが送られ、知事は時々確認したが、全部を確認しなかった。この間、県庁から電話はなく、自分で問い合わせもしていない。
■県内の大雨被害の重大さに気付いたのは19時ごろという。
■翌朝、県庁で災害連絡会議を開くよう指示したが、自身は渋滞のため会議に間に合わなかった。
■知事は当初、同行者3人は「昔の仲間」と説明。実際には県の産業労働部長と観光文化スポーツ部長が含まれ、人数も6人で、車2台に分乗して出掛けた。
■知事は現職2人に責任が及ぶのを心配し、うそをついたと認めた。
■同行した部長2人は知事に一度もプレー中止や帰庁について進言しなかった。「帰るとは言えない状況」であった、と述べた。
――――――――――――――――――――――――――――
 
 知事の危機管理意識の甘さには驚いた。私ですら週間天気予報、一両日中の天候は調べて徒歩通勤や園芸畑などの週間予測を立てて行動している。

 担当部署はメールを送ったきりで次の対応を取っていない。メールなど読まれているかすらわからない。電話連絡をすべきであった。災害担当部署の危機管理意識の低さにも驚かされる。

 今回の件について、知事の判断の甘さが次々と報道されたが、その結果いかなる悪しき結果が出たのか、その判断と報道が欲しかった。知事が会議に出れなかったため、県としての災害対策機能は果たされたのか否か。私はこちらの方が重大だと思う。副知事だっているし、災害担当部長もいるはずだ。

 知事の危機管理姿勢、県の担当部署の意識には問題があった。これを機に発想の転換すればいい。災害対応の改善点を後日県民に説明してもらいたい。

 知事が意図的にうそをついた事実は、危機管理の欠如とは全く別次元の重大な問題である。


7/26(水)快晴暑い 午後飯川病院ボランティア
1:00起床、新聞・文献・本読み。午前日差し強く家の整理など、ネコ室扇風機修理ほか。14:15要請あり急遽レガシー飯川病院着、ボランティア。院長患者搬送のため。16:30帰宅。本読み。庭仕事、伐採中心。19:30夕食、20:50就眠。Blu-ray Discながら視聴:「林修関連2本」。歩数計15514歩。

就活あれこれ2017(5) 家族の死を語るとき
 日野原氏が18日にお亡くなりになった。105歳であった。ご冥福をお祈りしたい。

 いま、ここで私は尊敬の気持ちを込めて「お亡くなりになった」と記述した。
 最近、死去された身内の方を語る際にも「亡くなった○○」と表現する方が少なくないが、これはきになる。

 最近は多死社会である。メディアにも「死」を語る記事、放送が多い。
 その際、身内の方も登場し思い出などを語る場面が多い。特に私が愛聴しているラジオ深夜便の100am、4:00amからは「母を語る」、「わが心の人」などの故人を語るコーナーががほぼ定期的に取り上げられる。

 その際、死亡した家族のことを伝える際に「亡くなった母が・・」などと言うのをよく聞くが、私は違和感があり、用いない。「亡くなった」という言葉には尊敬語のニュアンスがあるからで「死んだ」、「死去した」・・・を用いている。

 この徒然日記にもプロフィルの一部に「母を語る」、「兄を語る」、「父を語る」があるが母に関しては「この世を去った」、父と兄は「死去した」と表現してある。

 「亡くなる」は講談社の日本語大辞典には「人が死ぬこと婉曲にいう言葉」とある。自分自身については使わないだろうが、身内なら誤用とは言えないかもしれない。しかし、違和感がある。

 人が死ぬことを示す表現は、死を迎えた際の状況、生前の立場などのを鑑みて「亡くなる」、「永眠する」、「あの世に行く」、「息が絶える」、「往生する」、「お隠れになる」、「帰らぬ人となる」、「逝去する」、「天に召される」など用いられる。
 なぜこんな表現があるのかといえば、「死」は「忌み嫌われる」もので、その言葉が持つ感情を避けるため、「死」を意味する間接表現を次々生み出してきた。新聞記事では「死亡する」、「死去する」を使用することが多い。

 私は医療関係者の一人として、患者の死に際しては慎重に言葉を選んできた。私自身は「死」は「死」そのものであり、特別な感情はないが、患者の家族に対しては過剰なほど気を使ったものである。家族の多くは身内の死に臨んでとてもナーバスになっており、特別な配慮を要するからである。こんな配慮が不要な状況にならないか、とずっと望んでいたがそんな時代はまだまだ遠い。

 他人が用いることには問題を感じない。身内が身内の死を「亡くなる」と言うことについて、「死」の直接的な表現を避けるため、とすれば許容できるであろうが、私はやはり使えない。

 私は自分の就活の一つとして自分には「亡くなったと表現しないで欲しい」、と言っておく。「死にました」でいい。

 尤も、飼いネコに「ご飯をあげる・・」と表現する人も少なくない。これも問題であるが目くじら立てないでおく。私はネコ以下でいい。


7/25(火)晴れ 外来 飯川病院 
1:00起床、文献読みなど。5:00収穫、他。5:15可燃ゴミ収集所に、7:10体調考慮しバスにて通町、徒歩にて飯川病院着。新聞チェック、微睡他。8:45-13:00中通病院外来、体調改善傾向。13:00飯川病院、微睡。14:00-18:15勤務、入院患者対応。歩数計11185歩。19:10帰宅、夕食、20:30就眠。Blu-ray Discながら視聴:「すごいですね日本:大相撲、出雲大社、トマト」観る。

災害列島(6) 地球温暖化(2) かつての温暖化懐疑論
 温暖化懐疑論は今でこそ消滅したに等しいが、かつては結構隆盛を持地大論争をきたしていた。30年ほど前、私は気候、温暖化について興味を持って勉強したが、当時は温暖化への懐疑論者は多数いて、文献も多かった。
 
 温暖化の懐疑論は
(1)学術的知見そのものに対する懐疑論。
(2)気温上昇、氷河融解、海面上昇、動植物の生態系変化、気象の異常等の現象が温暖化に起因しているとの知見に対する懐疑論。
(3)石油業界関係の学会が最後まで人為説に批判。

 以下は代表的温暖化の懐疑論の骨子である。

■気温は上昇していない、もしくは、そのデータの信頼性に疑問がある。
■一部の観測地点の変化と平均気温のデータに高い相関が見られるから、陸上の気温が過大に見積もられている。
■2009年〜2010年の冬が寒かったのは、地球温暖化の停止を示す。
■現代気象学における温暖化論には物理学的な裏づけがない。
■世界の平均気温上昇は1998年以降停止している。また、太陽活動の低下により今後地球は寒冷化する可能性がある。
■温暖化は二酸化炭素を主とした温室効果ガスの濃度増加に因るとの学術的知見は根拠が乏しく懐疑的にならざるを得ない。
■太陽活動の影響、宇宙線の影響、地球内部の活動、磁気圏の活動などが原因である。
■近年の温暖化は人為的な温室効果ガスの増加に因らず、自然要因の影響がはるかに大きい。
■二酸化炭素よりも、水蒸気の方が影響が大きい。
■二酸化炭素ではなく太陽活動が原因である。
■可視光より変動の大きい紫外線や太陽磁場が気候変動に少なからず影響している。
■小氷期からの回復過程に過ぎない。
■現在の温暖化は、過去にもあった自然の気候変動の繰り返しの一部である。過去にも中世の温暖期などがあった。
■中世に現在と同程度に温暖であった地域は限定的で、地球全体での平均気温は現在よりも寒冷であった。
■既に地球放射エネルギーのうち95%は吸収されて飽和状態に近く、今後二酸化炭素が増加しても、それほど気候に変化は起きない。
■主因は温暖化ガスの増加ではなく、エネルギーの使用による放熱による。
■・・・・・・・。
 なかなか面白い論旨が見られた。
 これらは現在ではほとんど通用しない。
 未だに難癖つけて主張しているのはトランプ氏くらいだろうか。


7/24(月)曇りのち晴 健康クリニックドック 飯川病院 心臓エコー
1:30起床、新聞、文献収集その他いつものごとく。7:20徒歩飯川病院、9:00-11:15健康クリニックドック14名結果説明2名。11:15術前検査として心臓エコー、心電図。12:00飯川病院、微睡。14:00-18:50病院勤務。入院患者対応。散水せず。19:15帰宅、夕食、20:45就寝。Blu-ray Discながら視聴:「陸上自衛隊2回目」、観る。歩数計14074歩。

災害列島(5) 地球温暖化(1) 地球の最大かつ最後の危機になりうる事態
 ここ数年は特に全世界規模で異常気象が続いている。随分多くの死者も出ている。
 わが国でも今月初旬の九州北部の集中豪雨、22日は秋田で集中豪雨があり、秋田気象台観の記録を塗り替えた。

 地球は数100億年という長い歴史を経つつ、環境が徐々に変化をとげた。48億年ほど前に命が誕生し、各動植物が共生しながら、自浄作用の範囲で一定の環境を成立させた。

 地球にとってヒトの誕生は、地球を蝕むガン細胞のようなものと思う。
? ヒトは食料を生産する知恵を得たときから、人口が急増し、更に産業革命などに代表されるエネルギー革命がこれに拍車をかけた。産業革命以降の活動は温室効果ガスの排出を伴うものであった。さらに化石燃料の時代を迎え、温室効果ガスの排出量は著しく増加した。

 そして、迎えた結果は、必然的に、温暖化ガスの蓄積である。
 温室効果ガスは地球の温度を上昇させる。

 気象庁のシミュレーションでは、もし温室効果ガスの対策が取られなかった場合、東京の気温は21世紀末には20世紀末に比較して+4.5度C上昇するとされている。この状況の中で人類の生活環境は危機的状況を迎えることになるだろう。

 大気温度の上昇は人類を滅ぼす。冬もあったかくなった、雪が降らなくなった・・・などと喜んではいられないのだ。

 温暖化が進んだ。人口はさらに増加する。エネルギー消費も倍増していく。
 したがって、対策なしでは地球環境は悪化するのみ。

 温室効果ガスはCO2等の温暖化ガスの蓄積である。それにはCO2、メタンガスがある。

 大気中のCO2はわずか0.04%に過ぎないが、温暖化ガスの7割をしめる。しかも寿命は300-500年ほどで一度時発生するとなかなかなくならない。原発事故の放射線、同位元素は誰でも恐ろしいと思うだろうが、CO2も同じようなものである。

 海洋、森林、土壌にもCO2吸収能力はあるが、現在の発生量はそれを凌駕している。したがって増加の一方である。

 メタンガスは温暖化ガスの16%をしめる。わずかではあるが温室効果はCO2の25倍とされる。メタンガスの3割が牛や羊のゲップだと言われる。ただメタンガスは寿命が12.4年と短い。メタンガスの温室効果効果はCO2よりは軽微であるが、その削減に向けて出来る対策は行う必要がある。
   
 温暖化がもたらす影響はざっと挙げて以下のごとくである。このどれを取っても人類の生存に大きな問題を孕む重大な項目である。

■食料や水の枯渇リスクが高まる
■気象を介した地球の反乱が頻発する
■地球の砂漠化・干ばつ化が進む
■海水温の上昇
■海面の上昇で陸地の水没
■生態系の変化
■疾病構造の変化 感染症・熱中症など


7/23(日)降雨午後から晴れ 当直明け  
 1:30飯川病院起床。読書、宗教、歴史関連勉強。データ整理他。微睡。7:00検食。
9:00通町薬局経由レガシー帰宅。午前は座学中心、データ整理など。のど自慢楽しみ微睡。ネコ室掃除、庭の作業、ダリア咲き始めた。トマトの枝まとめと固定、収穫。Blu-ray Disc視聴なし。19:00夕食、20:30就寝。Σ15110歩、外の作業で動き回った。

災害列島(4) 秋田もついに猛烈な降雨に見舞われた
 地球温暖化を背景にした異常気象が頻発している。今まで私が学んできた常識が通用しない現象が続いている。
 今月初旬、梅雨前線が活発化した北陸や、台風3号の直撃を受けた福岡・大分両県では記録的な豪雨となった。福岡県朝倉市では、6日に24時間で542mmの雨を記録した。これは、秋田市の7月の平年降水量Σ188mmの3倍近い雨が、わずか1日で降ったことになる。

 遅まきながら私も気象について学び直さなければならない・・・・と考え準備中であるが、その矢先に秋田県でも「これまでに経験したことのない猛烈な降雨」と形容される豪雨が発生した。これを機会に急がねばなるまい。

 秋田県では昨日22日から本日にかけて記録的な大雨となった。梅雨前線が停滞し、気圧の谷の影響で前線が活発化したため、という。
 雄物川をはじめ県内各地で河川が氾濫して多くの家屋が浸水し、農地が冠水したほか、道路の損壊が相次ぐなど大きな被害が出ている。秋田新幹線は線路下の土砂の流出があり大曲〜秋田駅間で運休している。

 私は昨日22日は飯川病院の日当直であった。時折屋上に叩きつける雨音を聞きながら過ごしていた。翌朝、道路が冠水して帰宅できないスタッフが何人かいたようである。

 見舞いと安否の問い合わせメールが数人からあった。私の周辺は何ら問題がなかった。被害に遭われた方々にはお見舞い申し上げたい。

 降水量が最も多かったのは秋田空港近辺で、348.5mmに達した。秋田市で最も雨が多い7月の平年降水量Σ188mmの2倍の雨がわずか1日余りで降ったことになる。24時間降水量は県内11地点で観測史上最大となった。福岡では3倍であった。

 県総合防災課によると、大仙市、仙北市、由利本荘市、美郷町の4市町約9700世帯に避難指示が、秋田市など9市町の約3万8700世帯に避難勧告が出された。大仙市神宮寺の特別養護老人ホームでは、入所者が近くの中学校に避難して無事だったという。
 県内では幸い人的な被害はない模様である(上記数値は秋田魁新報を参照した)。
 こんな激しい降雨では従来の排水治水のシステムでは処理できない。一般的に1時間あたり50mmの降水を前提に都市計画が作られている。

 南から暖かく湿った空気が流れ、北からの冷たい空気とぶつかると積乱雲が次々と発生、「線状降水帯」となり、これが長時間停滞して記録的豪雨となる。一般的に西日本の方が線状降水帯ができやすい。秋田県でも発生する可能性があるといい、油断は禁物である。

 やはり気候は異常である。
 背景には地球温暖化があるのは明らかだ。


7/22(土)終日雨 飯川病院日当直 
 1:00 起床。文献・新聞チェック他、貴重な週末を楽しむ。雨天が残念。12:00大雨レガシー飯川病院、日直当直に就く。昼検食、新聞チェック、微睡、蓄積データバックアップ作業。読書:花房観音小品集。18:00検食。微睡。20:00就寝。積算11659歩。
Blu-ray ながらDisc:「陸上自衛隊その力(上)(下)」。

社会保障環境2017年(16)  オプチーボは高価格だからといって特別な扱いはできない
 オプチーボは高い治療効果を有する画期的な薬剤として登場した。
 オプチーボの効果について要点のみをあげてみた。実際には、ほかの抗がん剤に比較して優位性はあるが、それほど画期的というほどの有効率はない、とおもう。
―――――――――――――――――――――――――- 
■悪性黒色腫
 悪性黒色腫患者の5年生存率は16.6%から35%に上昇。腫瘍を小さくする奏功率は既存の抗がん剤が約7〜12%であるが、オプジーボは約23%であった。また、米製薬会社の治験結果によると、進行黒色腫患者の5年生存率は16.6%、オプジーボは35%だった。

■肺がん
 手術などができなくなった末期の肺がんでは、患者の2割に効果があった。米国の試験では、オプジーボを使った1年生存率が42%、2年生存率が23%。全生存期間の中央値は9.2か月。

■腎癌
 欧州委員会の治療歴を有する進行期腎細胞がんの治療についてエベロリムス群と比較した結果では、全生存期間中央値は、オプジーボ群で25カ月、エベロリムス群で19.6カ月であった。

■ホジキンリンパ腫
 日本で実施された再発または難治性の古典的ホジキンリンパ腫を対象とした第2相臨床試験において、中央判定による奏効率が75.0%だった。
―――――――――――――――――――――――――-

 オプジーボは、人が本来持つ免疫力を利用してがんを退治する新薬。がん細胞が免疫なら逃れようとするのを阻止して、がん細胞への攻撃にアクセルを踏む。
 オプジーボのような薬は「免疫チェックポイント阻害薬」と呼ばれ、手術、放射線、化学療法に次ぐ「第4の治療法」として期待されている。有効例では、効果持続期間が長く、他のがんへの適応拡大も期待されている。超高額だが、多くのガンで一定の効果が得られている。

 ただ、そうは言っても患者数が多い肺がんでも2割程度に効果が認められるだけ。ずいぶん奏功率が低いように感じられるが、既存の他の抗がん剤も似たようなものである。オプジーボそれよりは優位性があると認められたので保険適応になった。

 問題は薬価である。半額になる前の計算では一人当たり年間3500万円となる。だから、ある程度の有効性が認められ一年間治療を続けた患者が100名いれば35億円、となる。実際には8割り方の患者は数ケ月間の治療を受けた後、無効のため中止となる。だから、無効の場合は一人当たり500−1500万円程度で済む。無効の判定までにこれほど経費がかかる。かなり無駄である。

 高額な薬剤は医療費も押し上げている。2000年以降は高額医療費は他の医療費に比して大幅に伸びている。薬剤費は年間約40兆円の医療費の2割弱を占めており、2015年度は前年同時期を9.0%上回るなど大幅に増加傾向にある。これが医療保険財政を圧迫している。本年3月からオプジーボの価格が半分に削られたので上記の数字は約半分になったが、適応患者が増えていくためにやはり影響は小さくない。

 患者の生存期間を数ケ月から1年程度伸ばすために、国が、国民がこれだけのコストをかけることがいいのか否か、私はにわかには答えられない。
 ただ、オプジーボ以外の抗がん剤の保険適応の過程に照らして、オプジーボが高額だからといって例外扱いはできない。

 オプジーボが効くか否かがあらかじめ判断できるようになれば、かなり空振りは減っていくのだが・・・・。 


7/21(金)快晴暑い 大曲中通病院外来 飯川病院ボランティア
0:00 起床。文献など読む.録音データ整理。5:00可燃ゴミ廃棄、キウリナスはピーク過ぎた。トマト始まる。7:35Taxi、飯川にて靴替え携帯持ち、8:10こまち、9:10大曲中通病院外来。往徒歩。3回分の休業申し出了承受く。14:00飯川病院ボランティア。微睡、文献読み、新聞チェック。19:00プリウス帰宅・夕食。20:00就寝。Blu-ray Discなし。:Σ14338歩。

社会保障環境2017年(15)  高価格抗がん剤オプチーボの意義
 抗がん剤オプチーボは、保険適用時の対象疾患は当初は黒色腫のみであったが、その後切除不能の肺がんにも適応が広げられた。その時点での薬品の価格は厚労省資料より見ると150.200円/20mgで、100mgワンボトルで73万円。
 もし、肺がん患者に1年間使うと一人あたり3500万円。適応になる肺がん患者は約5万人だから医療費が1兆7500億円増えるとの試算が公表された。驚異的数字であった。これからも、従来にない高価格薬であることがわかる。 

 2015年度概算国民医療費が41.5兆円で、これでもなかなか厳しい現実と考えているが抗がん剤一剤の適応で1.75兆円も増えるなんて!!! これは異常である。

 尤も、3500万円を、患者が支払うわけではない。
 厚労省が保険適用を認可しているクスリには高額療養費制度が適用されるので、患者は自己負担限度額を超える分は払う必要がない。自己負担額は収入によっても異なるが、平均的には月15万円を超えることはまずない。
 したがって、患者負担分を除く3000万円超は国民の健康保険料から出る。

 私はこのような高額の薬品が保険診療に導入されることは患者にとっては朗報とは思うが、国民皆保険制度がどうなるのか、と疑問と不安を持ってた。今後も類似の高価薬が次々と開発され、発売準備中である。現状ではまるで青天井である。何か別の方法を考えなければならないだろう、と思う。

 さすがに、この価格には政府も驚き、特例として価格を本年3月から薬価を1/2に下げた。それでも一人あたり1800万円/年かかることになる。適応疾患が広まったこともあるが、薬価が半額にされても製薬会社がそれほど打撃を受けた様子は見られない。これが製薬業界の不思議なところである。それどころか適応疾患が腎細胞癌、ホジキンリンパ腫、頭頸部癌にまで広げられた。未確認情報であるが、末期の胃がん患者にも適応がひろげられそうである。こうなると、やはり青天井となる。

 一人1800万円の薬を1万人に投与しただけで、兆単位になる。これでは国民皆保険制度は持たない。

 オプジーボは保険診療適応にふさわしいほどの効果があるのか??

 私は文献や治療成績のデータは、参考にするがほとんど信じていない。始めから疑って読んでいる。特に薬の開発に直接関与している方々、および関連している、と思われる方々の論文はそのままは受け取らない。
 今回、オプジーボの治療効果の文献を探した。画期的抗がん剤登場と評価されているが、治療効果はそれほど芳しくはない、と思う。


7/20(木)快晴 外来 飯川病院
1:00起床。新聞・文献等。4:30資源ごみ大量廃棄、6:47バスにて通町、徒歩、飯川病院着。8:45-13:00中通病院外来。13:20飯川病院に、微睡、14:00-18:30勤務。19:10プリウス帰宅・夕食。20:20就寝。Blu-ray Discながら視聴:知恵泉「F・コレマツ」、「昭和の選択:濱口雄幸」。歩数計11999歩。

四季2017(8)桜は観てよし、食べてもよし
 秋田市の菓子の老舗榮太棲に季節限定の桜ゼリーがある。
 桜色のゼリーの中に綺麗に開かれた八重桜が一つ入れられている。ほのかな桜の香りが素晴らしい。季節感を味わうのにうってつけの菓子で、私は大好きな一品である。桜は神奈川県西部の丹沢山麓で栽培された「関山」という品種の、濃紅色の八重桜を使用し、一つづつ手で広げて埋め込んでいる。だから二つと同じ形はない。今年はもう完売したようで、次回発売予定は2018/1頃と言う。

 今回ひょんな事から桜を食べる文化について調べて見る機会があった。

 桜の葉を応用した菓子として有名なのは何と言っても「桜餅」である。生まれて約300年、東京に元祖とされる店があり、今も桜餅だけを販売しているという。桜餅は当初は醤油漬けの葉っぱで餅を包んだとされるが、途中で塩漬けになった。塩漬けにしたことで桜の香りが強まり名物になったという。塩漬けで葉の細胞壁が壊され、糖分が分解されてクマリンという成分が生成される。このクマリンが独特の香りを放つ。

 桜の花の食用に関しては記録はなくはっきりしないが、塩と梅酢につけた花を湯に浮かべる「桜湯」は、200年ほど前、天保年間からめでたい席などで振る舞われたとの記録がある。おめでたい席では茶は「お茶を濁す」として嫌われ、縁起を担いだらしい。
 「桜湯」は、宴会料理の魚の匂い消しや、酒の悪酔いを防ぐ作用もあったとされた。

 あんパンやこの季節のお饅頭にも使われている。明治8年に明治天皇にあんぱんを献上するのに桜で変化をつけたが、明治天皇は殊の外喜ばれた、と言う。

 桜を食するのは日本だけらしい。現在は桜スイーツが徐々に広がっている。
 京都の高級懐石料理では桜が用いられているし、もち米と一緒に炊くいた「桜ご飯」も美味いらしい。蕾の塩漬けを配した和菓子、洋菓子、アイスクリームも出てきている。現在、和洋菓子、和洋食でで150種ほどのレシピが考えられている、と言う。

 江戸時代は多様な桜が育てられた。本来は食文化として発展しうる可能性を秘めていたが、現在は桜といえばソメイヨシノ一色で、そのために桜の食文化に結びつく機会が摘まれている。桜の名所である弘前では桜餅がほとんど売られていない、と言うのも面白い。

 桜の種類は500種類もあるとされる。互いに重複している名称もあり、現在遺伝子解析等で整理されつつあり、200−300にまとまるらしい。一気に開花するソメイヨシノもいいが、各々の品種が多様な雰囲気を醸し出す。

 桜の花、樹木は人を幸せにする。桜の木は花が散った後も、翌年春の期待を込めて見つめられている。日本独特の文化である。
 それだけではない。味・匂いも同様に人を幸せにする。

 食としての桜ももっと普及してほしいものである。


7/19(水)快晴 飯川病院ボランティア 
1:00起床、いつものごとく。8:30金属集配所に提出。9:30-11:30収穫、追肥、ダリア、枝豆の世話以降は文献チェック、13:47飯川病院ボランティア、外来患者対応ほか。
18:00DIY店経由18:30帰宅・夕食、20:50就眠。歩数計9190Km。Blu-ray Discながら視聴:「ヒストリア:伊勢/鎌倉/富士山」、「昭和は輝いていた:チャプリン」、「地球大紀行:ギアナ高地」、「サイエンスゼロ:ウエラブルセンサー」。歩数計17160歩

社会保障環境2017年(14) C型肝炎治療薬(ハーボニー、ソバルディ)の意義
 2015年9月、C型肝炎治療薬の抗ウイルス薬、「ハーボニー」錠が発売された。タイプ1のC型慢性肝炎患者が対象で、1日1錠を12週間経口投与する。治療効果は高く、HCV陰性化は100%と驚くべき有効率である。タイプ2への治療薬には「ソバルディ」がある。 
 両者はC型肝炎の治療上画期的効果があった。

 「ハーボニー」の薬価は1錠8万171.30円。これを12週間連用する。薬剤費だけで約640万円、3割負担患者の自己負担額は200万円であるが、厚労省は「ソバルディ」、「ハーボニー」も医療助成の対象に加えることを決定し、患者の自己負担は5-6万円となった。
 要するに約640万円以上要するC型肝炎は自己負担が約1%で受けられる。
 これが分厚い補償を誇る日本の国民健康保険制度である。

 日本のHCVの推定持続感染者数は190万〜230万人で、うちタイプ1は約7割、タイプ2は約3割を占める。
 「ハーボニー」と「ソバルディ」が使用可能になったことはC型治療上画期的なことであった。そのために2015年下半期以降、一気に多数の患者に使用された。

 厚労省は15年度医療費の特徴として、薬剤費が前年度比9.4%の大幅増となったが、「ハーボ二ー」、「ソバルディ」の影響が大きく、医療費を1%程度押しあげたとみている。

 ざっと考えて、ほとんど公費負担で治療されているが、そこまで補助す意義は何なのか、を考えた場合、背景にはC型肝炎感染伝播に医療行為が関わってきたこと、効果の面から費用をかける意義が認められる点である。C型肝炎訴訟では、一部に国の責任が認められたことも背景にある。

 我が国では輸血を受けた人の半数程度に肝炎が頻発し、非A非B型肝炎と呼ばれていたが、1988年に米国でC型肝炎ウイルスが発見されたことで診断が可能になった。輸血後あるいは血液製剤投与後肝炎のほぽ100%がC型肝炎と考えられている。

 また、戦後から1970年代にかけて、医療行為として汚染された注射器の連続使用などが行われ、感染が拡大したと考えられる。現在は注射器のディスボーザブル化でほぼ感染はない。

 C型肝炎は無治療だと20-50年かけて、肝硬変、さらには肝臓がんになる可能性が高いといわれているがそれらの発症を抗ウイルス薬は予防する。そのために患者の健康維持のためにも有用で患者の不安は大きく改善し、医療費軽減効果も大きいとされている。

 薬剤の価格の決定の仕組みはわからないが、高すぎるような気がする。

 まとめとして、私は以下のように理解している。
■ C型肝炎患者は190万〜230万人あるいはそれ以上とされる。
■ 感染ルートに医療行為が関与した。
■ 無治療だとC型肝炎は20-50年かけて、肝硬変、さらには肝臓がんに進展する。
■ 「ハーボニー」、「ソバルディ」治療は有効率が高く、患者の健康不安を大幅に軽減する。
■ 肝硬変、肝臓がんに進行した際の医療費を考慮すれば、費用対効果の面からの意義はあると評価されている。
■ 保険診療、医療補助の対象として国が認めたのは納得できる。


7/18(火)小雨のち快晴暑い 外来 飯川病院
1:00起床、データ整理、本読みなど。5:00可燃ゴミ収集所に。キウリ収穫。7:47バス通町徒歩飯川病院、コイにパン。8:45-12:10中通病院外来、12:45飯川病院、微睡。
14:00-19:00勤務、19:30帰宅夕食、21:00就眠。Blu-ray Discながら視聴:「コズミックフロント:奇跡の隕石」、「博物館展:大映自然史博物館」。歩数計11577歩。

社会保障環境2017年(13) 国民皆保険制度は持続できるのか?
 今後の医療界はどうなるのだろうか。医療費・社会補償費は経費の抑制が中心になるだろう。しかし、先が読めない。

 私も医師・患者の双方の立場で言いたいことは少なくない。

 私ども医療関係者は、ほぼ全て国民皆保険を堅持すべきだ、と考えていると思う。同時にこのままでは制度は破綻するだろうとも思っているだろう。私はそう思っている。
 ならば、国民皆保険を堅持する方向で現実的方向に向けてシフトしていかなければならない。それが政治経済の世界だけでなく、医療界がそう考えるべきであるが、私にはそれが見えない。特に、国民皆保険堅持を金科玉条のごとくに主張している日本医師会はどう考えているのだろうか。

 わが国の国民皆保険制度は、1961年に相互扶助による保険制度として確立された。当時の人口は約9,500万人、高齢化率5.7%であった。
 現在、人口は約1.3億人、高齢化率26%で人口構成も疾病構造変わった。

 かつては感染症中心の時代、回復するか死亡するかがはっきりしていた。医療を受ける期間は少なかった。
 現代は自覚症状もないのに生活習慣病予防と称して、医療を受け始め、死ぬ瞬間まで医療が続く。生活習慣の是正より医療に走る。

 ここまで医療の状況や社会的要因が異なってきたのに、医療政策を過去の良き時代の発展型として伸ばして来たが、もう限界が見えてきた。

 昨年話題になった超高価薬オプジーボは一人当たり治療費として年間3500万円もかかる。
 オプジーボは発売当初は対象患者は悪性黒色腫で患者数が数百人だけだったが、その後肺がんにも適応が拡大し対象患者は数万人以上となった。
 さすがに医療界からのも疑義の声が上がった。オプジーボ亡国論である。国はオプジーボを特例として薬価を半額に減じた。それでもこの問題は解決するどころか、悪性リンパ腫、泌尿器科領域の悪性腫瘍にも適応が広げられた。さらに、末期の胃がんにも適応が広げられるよう申請が出ている。これでは、オプジーボ亡国論は解決していない。

 厚労省は2016年9月、2015年度概算医療費が前年度比3、8%増の41.5兆円となり、13年連続で過去最高となったことを公表した。
 調剤医療費は9.4%の増。C型肝炎治療薬「ハーボニー」、「ソバルディ」の薬価収載で、調剤医療費が約3000億円膨らんだ。

 後発医薬品の普及促進など医療費適正化に向けた施策で過去3年間の医療費は1.7%、2.2%、1.8%増と低位に推移してきた。しかし、15年度は3.8%増となり、2008年以降で最も大きな伸びを示した。

 C型肝炎治療薬 「ハーボニー」、「ソバルディ」が医療費を1%押し上げ、調剤医療費はこのC型肝炎治療薬の影響で9.4%増となった。

  「ハーボニー」、「ソバルディ」の治療上の意義はどうだったのか、一方、オプジーボはどうなのか?
 考えて見たい。


7/17(月)海の日休日 曇り後晴 飯川病院日直
 1:15起床、新聞、文献収集その他。録音データ整理。回送バスに惑わされ8:38のバス乗り損ね、送られて飯川病院。9:00-17:00飯川病院日直。患者は平穏。微睡、新聞ファイル化、文献検索その他。Blu-ray Discながら視聴:「100分で名著:三木清・人生論ノート(4)」、「知恵泉:高杉晋作」、「昭和偉人伝:相田みつお」。17:40バス帰宅19:00夕食、20:00就寝。歩数計9583歩。

社会保障環境2017年(12) 増える国民医療費どうする 2015年は41.5兆円に
 ほとんどリタイヤした身とはいえ、まだ医療関係者の一員として働いている。

 2015年度概算国民医療費が3.8%増の41.5兆円になったが、なかなか厳しい現実、と考えている。これは異常な伸びである。
 わが国の医療を支えているのは国民皆保険制度であることは疑問の余地がない。しかしこのままでは制度自体が破綻しかねない。私は危惧している。
 国は保険診療の破綻を防ぐというより国家財政健全化のためにいろいろ対策を打ち出してくるだろう。

 昨年はオプジーボ問題があった。このような超高価薬を次々と保険診療として承認していては国民皆保険制度はこのままの形で存続するとは考え難い。

 2011 年度以降の医療費、調剤医療費、その伸び率を以下に示した。
 医療費の中で調剤医療費が異様な動きをしていることに気づく。

一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一 
  年度   2011   12   13   14   15
一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一
■医療費   37.8   38.4  39.3   40.0  41、5
  伸び率  3.1%   1.7%  2.2%  1.8%  3.8%
一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一
■調剤医療費 6.6    6.6   7.0   7.2   7.9
  伸び率  7.9%   1.3%  5.9%  2.3%  9.4%
一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一

 国家予算は収入の税収は増えていないのに年々膨張している。国防費も医療費も伸びている。国家予算の膨張は国力の維持のためにやむを得ない点はあるが、問題は国債の発行で借金を重ね続けていることである。

 誰が国の財政をコントロールしているのか?

 安倍一強に物申す空気が著しく欠ける最近の自民党、その奢りは閣僚たちのあるいは総理自身の発言からも明らかである。アベノミクスを名指しして批判することは無いようだ。
 安倍政権と日本銀行による経済運営は一見日本の景気は維持できているようであるが、財政は継続的に危うくしている。

 日本の財政その危機意識はたしかに広がっている。なのに、私にはそれを止めようとする力がどこからも働らいていないように見える。

 かつてなら、何らかの反対方向のベクトルが働いたのではないか。
 自民党税調にはうるさ型のベテラン議員たちがいたし、官僚たちが健全財政をかかげて食い下がった。日本銀行は政権からの圧力で結果的に金融緩和をのまされたことはあったが、常に金融政策の担い手としての自負はもち、時に政権に抵抗を試みた歴史がある。

 かつては、自民党は誰が総理をやっても大差ない、と言われて時期もあった。国家運営にはいろんな役割を担う人がいる。そこをうまく利用してバランスをとっていた、と思われるが、今は安倍一強である。財政健全化についても財務相すらも何も言えないものらしい。

 安倍総理の確固たる政治理念はなんなのか?経済政策は代案が出てこないほどの政策なのだろうか。党の経済通は?学者たちの意見はどうなのか?

 国家運営ではどうしても不人気政策をとらざるをえないこともある。

 特に高騰する医療費、社会保障については小手先の対応は見られるが、5年後、10年後のビジョンを示していない。国民に我慢を強いざるを得ないが、その説明もない。

 最近の政治は大衆迎合に流されやすい。首相みずからその方向にある。


7/16(日)夜半から激しい雨 雨読雨聴に徹す 新炊飯器届く
1:00起床、文献検討等など,いつもの如く淡々と。蓄積データの整理中心。4:00頃から間欠的に激しい降雨、一回当たり10分から15分程度と短い。ラジオは県内各所に竜巻警報、大雨洪水警報、土砂災害警報を出している。それが終日続いたが、秋田は夕方から雨は止んだ。昼に南部鉄器仕様の新電気釜届く。夕方畑収穫。19:00夕食、新電気釜の美味さに驚く。20:00就寝。Blu-ray Disc:「N響定期:フェドセーエフ指揮、ボロディン交響曲No2、チャイコ交響曲No4」視聴。歩数計室内動きだけで11836歩。

生命保険(2) 民間医療保険の考え方
 最近は国の長期間の低金利のために保険会社が自己資金の有用な活用ができず厳しい状況にあることが伺える。私も経済を勉強し、その辺のことが若干理解できるようになった。

 生命保険各社は保険料を改める準備をしているようである。
 ■「死亡保険」相当の保険料は下がる。
 ■「長生きリスク」の部分の保険料は病気・介護のリスクが高まり、値上げになる。      

 一般人は、収入が増えることはないのに長生きするほどリスクが高まり、支出も増えていくという現実は厳しい。残金ゼロの漂流老人が増えてくる。数年ごとに発表される国民の生命表は、その現実を改めて数値で突きつける。

 一般中高年サラリーマンの収入には1つの峰と5つの崖がある。これを意識して長生きした時の対策を立てておかねばならない。これでも恵まれている方なのだが。

 ■役職定年   55歳頃、多くの企業で75%程度に給与減額
 ■定年     60歳頃、退職金が入る 浪費せずに長生き時のリスク補填のために用いよう
 ■再雇用    定年時の50?80%の収入に
 ■年金生活   65歳頃から 夫婦二人の年金では5万円/月程度の赤字になる
 ■企業年金終了 70歳頃に さらに厳しくなる
 ■配偶者死去  年金が50%程度に減額になる
 ■本人死去   「私の人生って一体何だったのか??」、今さらその虚しさに気づいても遅いのだ

長命時代の生命保険の利用法を考えよう
 生命保険にはさまざまな活用法がある。
 「死亡保険」は高齢になるとその意義は小さくなる。家族関係も希薄になったから子供・孫達へ資産を残す意味は乏しい。そんな発想はやめよう。それよりも自分が生きながらえた時のリスクを考えるべきである。

 高齢者は、もし利用するなら、「医療保険」を中心に考えればいい。「死亡保険」は解約して振り替えてもいい。

 年齢が高くなると病気やけがのリスクも高まる。医療費の負担も増える。「医療保険に」と考える人も多い。しかし、無駄なように思う。

 ■公的医療保険
 我が国では公的医療保険が充実している。だから、無理して民間保険に加入することはない。公的な医療保険には、年金生活者や自営業者などが加入する「国民健康保険」、会社員が加入する「健康保険」、75歳以上が加入する「後期高齢者医療制度」などがある。医療費の自己負担率は所得などによって異なるが、最高で3割となっている。

 さらに、健康保険には患者の医療費負担を軽減する「高額療養費制度」があり、年齢や年収などで異なるが、1ケ月の自己負担に上限を設けている。

 仮定として、60代の人が総額で100万円の医療を受けた場合、ざっと計算すれば病院の窓口では3割の30万円支払うが、高額療養費制度の適用により自己負担は57600円となり、差額の24万円が戻る。
 100万円の医療費に対して自己負担は5万円代と、これがわが国が誇る国民皆保険の姿であるが、いずれ国民皆保険制度は立ち行かなくなる。病気するなら早めがいい。これは冗談。

 だから、高い掛け金を払って「民間の医療保険」に加入するよりも医療費用に一定額を寄せておく方がいい場合もある。あとは考え方。日本人は保険好きな国民だから民間保険を選ぶだろうね。
 ちなみに、私は入っていない。

 ■民間保険の場合
 人気が高いのは「がん保険」。「診断給付金」や「手術給付金」「入院給付金」が主な保障内容となっている。この給付バランスを考える必要がある。がん保険の費用もバカにならない。
 がん保険に入っても「早期発見・早期治療」のための「がん検診」を継続して受診することの方が価値が高い。
 ちなみに、私はがん保険などには入っていない。


7/15(土)晴れ 飯川病院午前外来
 0:30起床、録音データ他整理。5:00キウリ収穫。8:10クロスバイク飯川病院に。9:00-12:30午前外来、大学循環器医不在のため。14:30帰宅、伐採した樹木の枝整理。根掘り切断作業。19:00夕食、21:00就寝。Blu-ray Discなし。歩数計7641歩。

生命保険(1) 万が一の「死亡保険」から、万が一の「長生き保険」に
 私は生命保険は好まず最低限のレベルで維持してきた。私にとってメリットがあるのか疑問だったからである。

 生命保険は、初めから名称が正しくない、怪しげな業界と疑問に思ってきた。今はそう思っていないが。
 第一、生命保険加入はかなり真面目な判断を伴うのに契約交渉を「勧誘」というのだろうか?「勧誘」は怪しげなニュアンスの言葉である。
 第二に、契約交渉の際に「万が一の死去の際」に保険金が支払われる、のに何で「死亡保険」と言わず、「生命保険」と言うのだろうか?
 第三に、「万が一の死亡の際に備えて加入をお勧めする」とセールスするのか??これでは日々の生活に追われ、死ぬことなど考えていない若い年代に対して説得力はない。「人は必ず死ぬ。いつだか分からないだけ。だから用意を」・・と言えばいいのに、あまりに遠慮っぽい加入交渉であった。
 さらに、最近は改善されてが、加入者の障害や死去の際に加入時の告知等に難癖とつけて支払い額が減じられたり支払われない事例も多かった。医療者として診断書を記載したものの、結果として支払わなかった事例も少なくなかった。このことは社会問題化して改善が求められた。

 ところが、最近、生命保険への考え方が変わってきた。「死亡保険」から本当に「生命保険」と言うべき状況になってきている。
 生命保険協会によれば2016年度の医療保険の新規加入契約数は355万件で「死亡保険」351万件とほぼ同数だった。「死亡保険」は5年間で11%減だったが、「がん保険」は33%も伸びた。契約者側も長期生存のリスクに偏える商品に軸足が変わり始めている。 

 今や人生80年とも90年ともいわれる長寿社会となった。「死ぬリスク」より「長生きするリスク」が大きくなってきている。「死ぬリスク」は、残される家族などのことを考えての加入だろうが、死んでしまえば死ぬ本人にとってあとのことなど一切わからない。ところが、「長生きするリスク」の方は自分自身が負わなければならないリスクで、しかも、長生きすればするほど医療介護費増や生活困窮のリスクが高まっていく。

 だから、長寿化、高齢化社会においては「長生きするリスク」の方がはるかに(?)意義が大きい。

 平均余命が延ぴ、高度先進医療の導入もあって、高齢者の医療費は急増している。
 厚労省によると国民一人当たりの生涯医療費は2014年度2200万であったが、16年度は2600万円になった。

 厚労省によると35-44歳の男性の死亡率は1.48人/1000人。働けなくなるほどの障害発生率は35-44歳の男性で死亡率の8割程度とされている。
 生命保険会社は加入者の数から見て支払い数は少なく、かなり得な立場であるように見えた。それでも、この業界は合併や外資系への吸収などが頻繁なような気がする。なぜだろうか?疑問である。
私が加入していた某保険会社は破綻して外資系の会社に変わり、それとともに契約額が7割程度に減額された。
 契約者の立場は小さい。


7/14(金)晴れ 大曲中通病院外来 飯川病院ボランティア
0:30起床、文献・新聞チェック他。5:00可燃ゴミ提出。キウリ収穫最盛期??食べきれない!! ネコ世話、7:30Taxi、8:10こまち。暑さ負け病院間往復Taxi。9:10-12:15大曲中通病院外来。14:00徒歩飯川病院ボランティア、散水など。19:10Taxi帰宅、夕食、20:30就寝。Blu-ray Discながら視聴:「100分で名著:三木清・人生論ノート(1)(2)(3)」、歩数計7913歩。

徒歩通勤2017(8) 鹿児島県を通過し宮崎県に
 平成13年3月から徒歩通勤を始めた。先日、鹿児島県を通過し宮崎県に到着した。
 歩行実績が積算できる歩数計「新・平成の忠孝」の積算開始して本年7月13日に1550日、歩行距離がΣ12000Km、歩数がΣ1500万歩に達した。これまでのデータでは一日7.5Km、歩行していることになる。



 鹿児島に入ったのが3月28日、鹿児島県海岸線796Kmのデータでは1日あたり7.4Km、9680歩となる。
     
 積算開始当初、1日平均12.000歩以上、または10.0Kmを目標にしていた。
 当時は夕方の勤務はなく、往復徒歩も可能で1日16.000-2万歩とハイペースであった。この4年余の間に勤務形態が変わり、往復徒歩通勤は困難となった。現在、往路は原則として徒歩、復路は家内の車に便乗、あるいはバスで帰宅する。マアいいか、と妥協の日々である。

 歩数計「新・平成の忠孝」は歩行開始からの種々のデータが蓄積されるほか、略図でいま何県のどこらへんの海岸線上にあるのか、次の県までは何kmなどが示される。それを見ながら日本地図を開き、確認する作業を月に一度ほどやっている。地理に疎い私にとっては地図帳を開く貴重な機会でもある。

 鹿児島県は日本臨床血液学会で一度訪問した。学会のこと、そのほかほとんど記憶にない。私は地方に行く機会はほとんど学会関連で、しかも、ホテルと学会場を往復するだけで観光なし、土地のうまいものを食べる機会もなし、と今から見れば実にもったいないことを積み重ねてきた。

 薩摩半島の知覧平和公園などは行って見たいと思うが、機会はもないだろう。
 
 大分県までの海岸線は370Kmである。1け月で歩派したいと思う。


7/13(木)曇りのち晴れ 外来 飯川病院
 0:30起床。文献,新聞、録音データなど処理。5:00微睡、6:00ネコ対応など。6:30 5人目の孫誕生。家内に同乗8:15飯川病院着。8:45-13:00外来+ドック14名処理。飯川病院、微睡、14:00-18:45飯川病院。患者対応、15:00住友生命スタッフ来訪、生存確認のため。中通病院に見舞い、次男宅経由20:00帰宅、夕食、21:00就寝。Blu-ray Discながら視聴:「林先生:初耳学」、「ワカコ酒」観る。Σ7419歩。

家庭菜園・園芸2017(3) キウリ収穫たけなわで、追われる日々
 2011年から小規模ながら家庭菜園・園芸をやっている。週末と水曜、早朝に世話している。
 畑はご近所の畑の隣を2け所借りている。だから、立場上手抜きはできない。かなり頑張っているがそれでも私のコーナーは草ぼうぼうである。週末には草刈りと草むしりに追われる。

 私の園芸は子供の頃の経験をもとに全て自己流である。人の意見は聞いたふりするが原則として取り入れない。

 今年は連休中は腰痛に悩んでたこともあり、5月17日にトマト、キウリ、ナス、元蔵ネギ、さらに枝豆を植えた。
 6月25日からキウリが収穫できた。昨年より10日遅かった。

 今年は冷夏で成長が遅い??と思っていたが、7月上旬後半から突然キウリとナスの収穫量が増えた。トマトはまだ青い。キウリナス共に昨年より本数を減らし、かつ時間差もつけたて植えたが、毎日収穫量が増え追われるようになってきた。

 私はキウリ料理が好きである。生で食べるもよし、浅漬けもよし、キウリ揉みよし、味噌汁にしてもよしであるが、家族はあまり好まないために私が一気に引き受ける。しかし、とても食べきれない。

(本日の私の夕食。キウリアラカルト。ダイエットを兼ねて。鮭の皮が美味しかった)
 さりとて他所に差し上げるのも押し付けがましく気がひける。
 私は、適宜飯川病院に届けている。病院の検食にキウリ料理が出てくると、これは私の作品かな?とほくそ笑む。スタッフも朝どりキウリを適宜持ち帰ってくれる。しばらく嬉しい悩みが続く。


(今朝これだけ収穫した)

 ところで、このような植物を育てていると、植物には本当に知能や意識がないのか??と疑問に思う。
 キウリの場合、20cmほどに成長するとツルが伸びてきて頼るべき支柱を探し始める。この時の姿を見ていると実に真剣である。支柱を立てると、喜び勇んで一両日中にしっかりと巻きつく。さらに成長すれば高く高く支柱を求める。植え主の私へ懇願している様子である。私は喜んで対応する。キウリもそれに嬉々として応える。

 こんな気持ちで育てているから、私は野菜作りのガイドブックにはいい実を得るために剪定や間引きをせよと書かれていても、かわいそう、と思い、なかなかできない。結果として私の畑のキウリは、ご近所の畑のそれに比較して明らかに繁茂しすぎている。

 もう一つ本当に不思議だと思うのは、キウリが自分の葉で上手に実を隠して実を成長させる、ということである。だから、忙しい朝にざっと見回っても簡単には実を確認できない。「うまく隠したな・・・」、と思いながら、ちょっと成長しすぎたキウリを毎朝収穫している。


7/12(水)早朝に降雨、午前から快晴 暑い 
0:00起床。新聞・文献チェック、歴史関連書籍他。5:00ペットボトル集積所に出す。早朝に降雨、午前から快晴となったが畑庭木が乾くまで午前は座学中心、録音データ収集分類など。昼の微睡ご、畑の草取り、庭の草刈り、灌木ほりなど。キウリ茄子の収穫最盛期に。昨年はトマト色づき、ダリア二本開花したが今年は遅れている。洗濯屋、日曜大工店にて園芸用品購入。Blu-ray Discなし。19:10夕食、20:15就眠。歩数計21345歩に達した。

共謀罪テロ等準備罪(2) 金田法相の答弁は残念であった
 共謀罪は、私は必要な法と思っているが、運用にあたってはいろいろ歯止めをかける必要がある危ない法律である、とも思う。

 準備行為で、すなわち共謀罪の適応を受けてしまうと、未遂のうちから処罰をすることから、憲法に違反する可能性もある。わが国では憲法31条で「法の侵害がなければ処罰してはならない」とされているが、これに抵触する可能性がある。したがって処罰する範囲を大幅に限定しなければ憲法違反になる。

 実行がより明白になった状態のみの処罰に限定すべきであろう。共謀罪に関しては、裁判所の判断に対しても抑制的に解釈されるよう、国民が、メディアを含めて監視する必要がある。

 共謀罪では証拠が乏しい状況から捜査が開始される。したがって、自白の強要が行われる可能性がある。だから、捜査の段階から弁護士の立会いを認めるなど、被疑者を守る機構が必要である。

 政府は共謀罪は国際的バランスをとるためにも必要と強調してきた。

 指摘としては、国際的テロに関連した日本人が外国で拘束された時に、日本では共謀罪がないために罰せられない、というアンバランスがあるために送還を受けても処罰できないことも挙げられていた。

 逆の場合もありうる。国際的解釈として、送還先国でアンバランスな処罰を受ける可能性が予想された時には、被疑者を送還しない方針とする国がある。その場合の問題点は日本における死刑の存在である。OECD加盟国の中で死刑があるのは、米国・韓国・日本のみである。したがって、共謀罪を作ったからといって国際バランスが取れたわけではない。

 安倍政権下で審議不十分なまま採決を強行することが常態化しているが、与党一強だからである。共謀罪法案は参院法務委員会で審議中だったにもかかわらず、与党は「中間報告」という異例の手続きを取り、委員会採決を省略して本会議採決を強行した。
 安倍内閣の行動をコントロールするには、世論による暴走の指摘、非難しかない。都議選を前に支持率が急速に落ち、都議の議席を大幅に減らした、のはいい前例となった。

 共謀罪の審議で私がとても残念に思ったのは金田法務大臣である。
 金田氏は秋田県出身で元大蔵官僚、参議2期・衆議3期歴任し、昨年8月の内閣改造で法相に就任した。

 金田氏2011年脳出血を患ったが、病前は眼光鋭い、シャープな議員であった。私は医師会の役員としての役得で3-4度ほど氏と会食しながら日本の、秋田の医療情勢について意見を交わした。氏の医療情勢の理解の十分で、私は感心した。
 今回の共謀罪審議をめぐっては金田氏は法相として十分な働きができなかった。金田氏が答弁に立つ機会をラジオの実況で何度も聞いたが、私の耳でもポイントがずれていて、かつての金田氏の印象とは100%異なっていた。不信任案も出された。私は病気のなせる技だと思った。そういった意味では、就任前から予想されていたことであり、首相の任命に問題があった、と思う。次の内閣改造では交代になるだろう。

 共謀罪については目を離せない。


7/11(火)快晴 外来 飯川病院
0:00起床,暑い夜。新聞、文献読み、その他いつものごとく。4:30可燃ゴミ。徒歩7:30飯川病院。8:45-13:00中通外来。飯川病院へ、微睡、14:00-18:45飯川病院。Blu-ray Disc:「海上自衛隊の威力(1)(2)」、19:10帰宅、19:30夕食、20:15就眠。Σ14078歩。

共謀罪テロ等準備罪(1) 暴走に国民の監視が必要な法
 「共謀罪」法が本日7月11日から施行される。

 政府は、国連の組織犯罪防止条約に加盟し、テロを封じ込めるには、この法律が不可欠と主張したが、当の国連の専門家から疑義が寄せられるなど、不透明である。「共謀罪」関連法がないのは日本だけと強調されていたが、国連の疑義とは何なのか、諸外国の法はどんなものだろうか。

 共謀罪は、かつて捜査当局が密かに重ねてきた、国民の基本的人権を侵害するような行為の追認を含む。
 例えば、
 ■捜査当局が犯罪と関係のない環境保護団体やイスラム教徒の動向を見張っていた、
 ■野党の機関紙を配布した人を尾行した、
 ■選挙時に労働団体が入る建物の前に監視カメラを設置したなど、ここ数年問題になった行為などである。

 捜査や摘発の前倒しをねらう共謀罪法は、こうした警察の不当・違法な動きを助長することになりかねない。

 法は適用犯罪を277上げ、処罰対象をテロ組織や暴力団などの「組織的犯罪集団」と規定している。2人以上で犯行を計画し、1人以上が現場の下見や資金調達などの「準備行為」をすれば全員が処罰される。
 犯行後の処罰を原則としてきた、わが国の刑法が変容する。
 準備だけで罪が問われるならやってしまえ、と逆に犯行を助長する可能性がある。だから、軽い内容は処罰の対象から外してもいい。

 審議では「組織的犯罪集団」の定義が曖昧だという指摘が相次ぎ、警察の恣意的捜査により「一般人も処罰対象になる恐れがある」、「内心の自由やプライバシーが侵害されかねない」と野党が強く反対した。政府は、処罰対象が組織的犯罪集団に限定されるため「一般人は対象にならない」と強調してきたが、法相は答弁で別解釈示した。実際はどうなのか?

 かつて、PC遠隔操作事件では4人が誤認逮捕された。被疑者になった方々の説明がないから真相はわからないが、証拠がない状態で誘導尋問が行われたのではないか、との疑惑がある。
 共謀罪では証拠が乏しい状況で捜査が行われ、自白の強要が行われる可能性がある。だから、捜査の段階から弁護士の立会いを認めることなどが必要である。

 共謀罪は法の暴走を防ぐために市民が監視して行かなければならない法である。


7/10(月)快晴暑い 健康クリニックドック 飯川病院 腹部CT
 0:30起床、医学文献等など中心に読書、録音データ整理。5:00畑花壇に散水、7:20徒歩飯川病院着。9:00-11:15健康クリニック、14名。11:00腹部CT造影剤あり。副作用なし。11:30飯川病院で文献読みなど、微睡。倦怠感強度。14:00-18:45業務。Blu-ray Disc視聴なし。深夜便「河野裕子」聴す。Σ12646歩。19:10帰宅夕食、20:30就眠。

災害列島(3) 温室効果ガスの蓄積は人類を滅ぼす
 ここ数年は特に全世界規模で、わが国でも異常気象が続いている。随分多くの死者も出ている。先日の九州北部の集中豪雨は過去の常識、記録を塗り替えた。

 かけがえのない地球、ここは完全閉鎖空間である。あらゆる自然の営みはこの閉鎖系の中で営まれて来た。?? 完全閉鎖空間の例。
 金魚の水槽を窓際に置き、水草と少数の金魚を入れて飼育すると、しばらくたつと一定のバランスが成立し、金魚が生きるための酸素は水草の光合成で供給され、排泄物はバクテリアにより分解される。必要最小限の餌を与えればかなり長い間、特に手を加えずとも水は汚染されることなく保持される。これが身近で経験できる閉鎖系のモデルである。

 水槽のサイズの割りに多くの金魚を飼育する等バランスを欠くと、まず酸素、食料が不足し金魚は弱る。食料を増やすと排泄物も増え閉鎖系の自浄作用では維持できない。
 外から空気を送り込む必要が生じ、排泄物を処理するためのフィルター等の装置が必要になってくる。

 今、地球環境はこれに近い状況に陥りつつある。
? 数100億年という長い歴史を経つつ、環境が徐々に変化をとげ、やがて48億年ほど前に命が誕生し、各動植物が共生しながら、自浄作用のある一定の環境を成立させた。
? 約300万年前、ヒトが誕生したが、もし、地球上にヒトが誕生しなかったら、恐らく地球は別の有り様を辿っていたのではなかろうか。

 地球にとってヒトの誕生は、地球を蝕むガン細胞に似たようなものと、つくずく思う。
? ヒトは食料を生産する知恵を得たときから、バランスを欠くほどの人口増加が始まることになり、更に産業革命などに代表される文明の発達がこれに拍車をかけることになる。

 そして、迎えた結果は、必然的に、温暖化ガスの蓄積である。



 NASAの観測で大気温度は2015年に比し2016年度は0.12度高かったと公表している。
 気象庁のシミュレーションでは、もし温室効果ガスの対策が取られなかった場合、東京の気温は21世紀末には20世紀末に比較して+4.5度C上昇するとされている。この状況の中で人類の生活環境は危機的状況を迎えることになるだろう。

 大気温度の上昇は人類を滅ぼす。


7/9(日)雲ひとつない快晴 今年最高の暑さ
 O:10飯川病院で起床、新聞、文献チェック。録音データ整理。微睡。Blu-ray ながらDisc視聴:「そこまで言って委員会:世界の指導者に設問」。7:00検食、散水。見事な快晴で朝陽が目に、心にも。しみる。9:30クロスバイク帰宅。午前・午後とも外仕事やりたいことは多数あったが、強烈な日差しの中では危険、座学とした。のど自慢観た後微睡、暑い中、扇風機の風を受けながらの休息は、汗まみれにはなるが快適。ネコどもは暑さに負けて側で喘いでいる。17:00花畑に散水。19:00夕食。20:45就眠。歩数計8889歩。

災害列島(2) 人間の欲望に因する地球環境破壊が異常気象のもとに
 1950年以降、数年に一回程度、世界的にも極端な異常気象が増えている。

 産業革命以降の急速に発展した経済活動は温室効果ガスの排出を伴うものであった。さらに化石燃料の時代、温室効果ガスの排出量は著しく増加した。

 その温暖化によって異常気象の世紀を迎えた。気象災害が世界各地で頻発している。それには台風やハリケーン等の巨大化もあるが、温暖化によって地球の砂漠化、農地の荒廃、海面上昇による国土の消失等が生じて来ている。さらに疾病構造も変わりつつある。

 結果的に、間も無く人類の生命維持のための水と農作物、海産物にも深刻な影響が及んでくる可能性がある。

 21世紀はより希望に満ちた世紀になるはずであった。?
 しかしながら、初頭から目を覆いたくなるような惨劇が続いた。
 2001年、米国で9.11同時多発テロが生じ、以降、微妙なバランスで保たれていた世界の秩序は狂い始め、米国の衰退、その隙間を狙っての中国の台頭などの変動が生じている。

 わが国でも「北朝鮮問題」しかりである。全て人間社会の為せる業・・・と言うのは簡単であるが、先行きは実に不透明なものになっている。

? 更に加えて、今年は予想を超える「集中豪雨」が北九州地方で生じた。昨年は太平洋側に台風が上陸するなどなど異常気象が続く中で、大きな地殻変動まで重なった。「熊本の大地震」である。

 数年遡れば広島の土砂崩れ、東日本大震災、続く原発事故が改めて浮上してくる。?? 地球に今、一体何が起こっているのか?、人間社会はどうなっていくのか?、今後どうなるのか? 現実は実に波乱含み、先が読めない。

 ガガーリンは「地球は青かった・・・!!」と言った。今だって、丸い地球の遠景を写真で見ればつくづく当時の感動を思い出し、その包容力の大きさに心が安らぐ。
 しかし、地球はすっかり人間社会の営み、人間のエゴによって毒され、害され、障害を受け、自然の自浄力・回復力を失い、ついに包容力を失ってきた。

 何千億年という長い長い時間、歴史を通じて、多くの生物を安定的に育んできた地球は、この地球上に現れて僅か300万年程度の歴史しかない人間という新種の動物によって、それこそ僅か数100年程度の短い間に、大きく傷つけられている。


7/8(土)快晴暑い 飯川病院日直・当直
0:15起床、新聞文献チェック他いつもの如し。録音データ大量整理。8:30キウリ・ナス収穫、散水。「いちい」の根掘り出し切断で疲弊。10:30台所、ネコ室の内装改良。12:00クロスバイク飯川病院に。日直・当直に就く。検食後、新聞チェック大量、微睡。Blu-rayながら視聴:「池上:ニュース解説」。18:00検食。20;00就眠。歩数計9898歩。

災害列島(1) 異常気象時代が現実に
 地球温暖化を背景にした異常気象の世紀を迎えた。今まで私が学んできた常識が通用しない異常な現象が頻発している。
 遅まきながら私も気象について学び直さなければならない。
 
 近年、「これまでに経験したことのない猛烈な降雨」と形容されるような豪雨が頻発している。
 先週来、梅雨前線が活発化した北陸や、台風3号の直撃を受けた九州などで豪雨に見舞われた。

 新潟県や熊本県などでは、「避難準備・高齢者等避難開始」が出された。
 福岡・大分両県では記録的な豪雨となった。福岡県朝倉市では、6日に24時間で542mmの雨を記録した。これは、秋田市で一年のうち最も雨が多い7月の平年降水量188mmの3倍近い雨が、わずか1日で降ったことになる。現実に考えることすら困難な異常事態である。

 死者・行方不明者が出ているほか、孤立する地域が相次ぎ、自衛隊や消防、警察などが懸命の救助活動に当たっている。
 こんな状況では従来の排水治水のシステムではなんともならない。一般的に1時間あたり50mmの降水を前提に都市計画が作られている。

 今回は、南から暖かく湿った空気が流れ、北からの冷たい空気とぶつかって積乱雲が次々と発生、「線状降水帯」となり、長時間にわたって停滞し、記録的豪雨となった。

 一般的に西日本の方が線状降水帯ができやすい。ただし、台風が近づいている場合などには、秋田県でも発生する可能性があるといい、油断は禁物である。

 豪雨災害は事前予想が可能な場合があり、「日本型事前行動計画(タイムライン)」の策定が進んでいる。行政や警察、消防、民生委員、住民らが「事前にすべきこと」を共有する。従来はばらつきがあった組織が連携して対応する。
 地方自治体が住民の避難手順の「事前行動計画」を作成することになっている。

 県内でも、大雨への備えは欠かせない。川のそばや低い場所、斜面などに注意し、冠水などを想定して避難経路を見直すことが重要である。

 想像するのさえ難しい量だが、全国どこでも、秋田でも、時としてこうした豪雨になるということを認識しておきたい。

 やはり気候は異常である。
 背景には地球温暖化があるのは明らかだ。

 人間の欲望とエゴ (?)がついに地球の健康を害してきた。大気・水質汚染は尿毒症に、温暖化は発熱に、異常気象は喘息に例えられよう。自然破壊で共存生物を絶滅に追いやっている。早急な治療が必要である。


7/7(金)快晴 七夕 大曲中通病院外来  飯川病院ボランティア
 0:30起床。文献読みなど。新聞雑誌スクラップ入力。録音データ整理、5:00可燃ごみ集配所に。7:30Taxi駅に。8:10こまち、病院徒歩、橋の欄干に七夕飾り。9:10-12:15大曲外来。13:30検食、祝膳そうめん。飯川病院ボランティア。15:00岩銀スタッフ来訪、歓談病。 BR disk視聴なし。18:00バス、18:30帰宅、19:30夕食、21:00就寝。歩数計12011歩。

今年の七夕 昼の検食の祝膳が良かった
 本日は七夕である。七夕といえば、織姫・彦星の伝説や、七夕飾りが思い浮かぶ。

 東北の七夕まつりは児童施設などではやはりこの7月7日が中心となる。子どもの頃、地域の子供会が中心になって七夕飾りを作り、短冊に願い事を書いてつるした懐かしい思い出がある。子育ての時には我が家でも笹竹を買って毎年七夕飾りを作ったものである。あの当時は夢があった。
 七夕が長く親しまれて来たのは、天の川を渡って恋人が年に一度だけ会うという、ロマンチックな伝説が多くの人の心に刻まれているからだろう。

 4人いる孫たちはそれぞれ七夕飾りを作ってもらったのだろうか?自宅では? 学校や保育所でやってくれたのかな・・・??

 本日は大曲中通病院の診療応援の日であった。駅から病院までは約20分歩く。その中間ほどに丸子橋がある。そこの欄干に七夕飾りが飾ってあった。昨年以前のことは記憶にない。私は昨年から意識して見ている。七夕の歌にある「五色の短冊」は本来、陰陽五行説に基づく、青、赤、黄、白、黒の五色を指すのだそうだが、飾られてある短冊はピンクあり水色あり、柄付あり、と多彩である。
 今年の丸子橋の七夕飾りは昨年よりちょっと小ぶりであった。竹の幹には作った幼稚園の名札がついていた。



 業務が多少早く終了したので早めに新幹線で飯川病院に戻った。駅から病院まで晴天で日差しがギラギラ、久々汗をかいた。

 病院に着くと机上に本日の昼の検食用食事が置いてあった。

 祝膳のカードも目を惹いた。


 祝膳として、ソーメン、天ぷら、キウリと鶏肉の和え物、フルーツポンチであった。星型のソーセージなど、遊び心も嬉しかった。
 私の検食は体重コントロールのために主食なしである。本日は主食共々美味しくいただいた。いつもと違う雰囲気を楽しんだ。



 私は星空を見上げ、清らかな気持ちで願いごとをした子供の頃には戻れない。高齢に達した今となっては個人的な願い事も特別ない。だた、孫たちの顔を思い浮かべながら、この世代の世界中の子供達に、幸多かれ、と願うだけである。


7/6(木)小雨のち曇り 外来 飯川病院
0:30起床。新聞チェックし文献、歴史書を読む。6:47小雨でバス、通り街まで。徒歩、千秋公園ハト・コイに餌、飯川病院着、8:40-13:30外来。微睡、14:00-18:45飯川病院。入院患者対応。BR diskながら視聴:「歴史に残る空中戦:2本」、「映画:八甲田山完全版」。19:00帰宅、夕食、20:30就眠。歩数計12011歩。

残念な日本語(2) 「保育園落ちた、日本 死ね!!」の行く末は怖い
 近年、言葉の野蛮化、下品化、尖鋭化が進んでいることを示す事例は枚挙にいとまがない。
 この背景にはワープロ化、パソコン化もあると考える。自筆だとなかなか書き難い文章も、悪態も、パソコンならさらさらかける。私はパソコンは憎悪増幅装置とも捉えている。また、ブログ、SNS、Tuitterなどの普及があり、個人の意見として発信し易くなっている。しかも、匿名で。

 「保育園落ちた、日本 死ね!!」などの表現は私にとっては耐え難い。ヘイトスピーチにも通じる文体である。

 「アホノミクス」は教育者から、「カネを積まれても使いたくない日本語」はシナリオライターによって発せられた。ともに影響力は小さくない。
 この「保育園落ちた、日本 死ね!!」は子育て中の母親から発せられただろう、と思う。

 表現したい内容は私にも理解できる。保育園問題の本質は正しく、深い。緊急性もある。
 就業を予定していた母親が子供を保育園に入れられなかったことで生活設定の予定がくるい、困ったのだろう。その時の心情の吐露であろる。
 言葉の先鋭化、と捉えたくないが、やはり鋭い。これが子育て最中の若い母親から発せられたのは驚きである。一時的な怒りの表現ならなんとか許容してもいいが、この心情が日常的にあるならば子育に影響しないか、が心配である。
 現世代の子育ては核家族の中の、閉鎖的に近い環境で行われるから、親の心情とかから子供は影響を受けやすい。この投稿者の子育てが、その後より平穏で順調であることを望む。

 「保育園落ちた、日本死ね。何なんだよ日本。一億総活躍社会じゃねーのかよ。昨日見事に保育園落ちたわ。どうすんだよ、私活躍出来ねーじゃねーか。子供を産んで子育てして・・・・」のブログは、何でこれほど注目されたのか。
 このブログを野党が国会で取り上げた。安倍首相は当初消極的答弁を繰り返していたが、結果的に待機児童問題の改善をアピールせざるをえなくなる。政治の無策をネット世諭がひっくり返したという意味で画期的な出来事であった。
 
 保育園待機問題ついては、これまでも多くの報道がなされ、指摘がなされてきたが、今回のブログほど反響を呼んだのはまれである。
 この文体は、異様なほどの、破壊的パワーを持つ。

 だから、私は危惧する。
 問題提起が正しくともおとなしい表現ではアピールできない、通用し難い、として、このような表現が、当たり前のように蔓延していかないか?さらに注目を惹くために一層エスカレートしていかないか? さらに、注目を惹くために反社会的な行動としてエスカレートしていかないか?・・・などなどである。

 ブログ、SNS、Tuitter、Lineなどで交わされる言葉はきついのが散見される。言葉の尖鋭化が、いじめ、暴力的言葉の応酬に進まないよう、私は願っている。


7/5(水)降雨のち晴れ  
 0:30起床。文献・新聞チェックなど。収穫、降雨にて外仕事なし。座学中心。12:00フィット、クリーニング店、珈琲店経由飯川病院へ届ける。13:00枝豆本植え、庭木伐採、草刈り一部。14:30新聞データ化など。文献・新聞チェック、19:00夕食、20:20就眠。BR disk視聴:「N響定期:スメタナ我が祖国全曲」。歩数計12949歩。

残念な日本語(1) 代表的3つを例に
 最近、エキセントリックな表現や言葉が流行している。私はとても残念に思っている。

 浜矩子同志社大学大学院教授の著作「アホノミクスの完全崩壊に備えよ」、シナリオ作家・評論家の内館牧子氏の著作「カネを積まれても使いたくない日本語」、匿名の母のツイッター投稿「保育所落ちた、日本 死ね!!」などはどうかと思う。その3つを例に考える。

 前二者は何も著名人の著作である。そのために面だって批判した評者はいなかった。
 しかし、有名になった「日本 死ね!!」は匿名であったためか、ちょっと謎っぽいところもあって各所で評論家達も取り上げ、便乗して政府の無策を指摘していたが、この日本語表現をネガティヴにとらえた論評は少なかった。私は最悪の日本語の代表にあげたい。にもかかわらず2016年の「ユーキャン新語・流行語大賞」のトップ10に選ばれた。日本の言語文化がここまで来たか・・とさえ思う。

 今の時代、私は「攻撃的本音」をむやみに出す危険な時代と掟えている。トランプ氏は正しくその一役を担っている。
 本音を噴出させると言うことは、建前や知性そして理性の後退を意味する。それは、人間が持っている本能、欲望をむき出しに前面に押し出すことに他ならない。こうした本音を出して拡張しようとする動きは、社会の形成の根幹を否定するもので残念である。

 人々が本音をはびこらせていく先にあるのは「社会の野蛮化」である。「社会の野蛮化」が行き着く先は金と力、富と権力が大っびらに支配する社会に行き着く。そこでは、富と権力をいかに守り広げるかがすべてとなる。

 浜矩子同志社大学大学院教授は教育者である。経済論理からアベノミクスを支持していないのはわかるが、相容れない論理に対しても、その論者に対しても敬意が必要である。教育者として下品である。資質に問題ないのか??大体、アベノミクスがあるからこそ氏の論理の存在価値があるのではないか??それをパロディ風に言い換えるなど教育者としては如何なものか?多分、題名に惹かれて著作は売れたのだろう、似た内容の本を出し続けている。アベノミクス様様でないのか? 私も資料として購入した。氏の主張も取るべきところは多いが、総じて正しいのか?今の所、私は判断できない。

 内館牧子氏は作家として日本語の乱れを看過できないのであろう。著作「カネを積まれても使いたくない日本語」はその題名自体が、私から見れば題名そのものが下品で、そのままで日本語の乱れを表している、と思う。私は購入して参考にしているが、内容的には氏の視点に共感できる点は少なくない。この本の存在価値は十分ある。


7/4(火)午前小雨午後晴れ 外来 飯川病院 
1:00 起床。文献など読む.蓄積データ整理。5:00可燃ゴミ出し,ネコ世話、7:10雨にて歩行不可、バスにて飯川病院。8:45-13:30中通病院外来、面倒な処置多かった。13:45飯川病院、14:00-18:00勤務。秋銀スタッフ来訪、BR disk視聴:「航空自衛隊の戦力(2):N.アームストロング」,「知恵泉:島津義久、杉原千畝」,「団塊スタイル:森山良子」。19:00車帰宅、夕食、20:45就寝。歩数計7103歩。

終活あれこれ(4) 「かぜさそう 花よりなほ・・」余談
 ■風さそふ 花よりもなほ我はまた 春の名残をいかにとやせん 浅野長矩

 江戸城、松の廊下における吉良上野介刃傷事件で即日切腹となった長矩の無念の一首で、私が心惹かれる句である。

 この句を発端として外来患者とのコミュニケーションが一気に拓けたことがある。
 
 半年ほど前のこと、主治医が出張のためにある患者が私の担当外来に回ってきた。心因要素が強い、対応がむずかしい、と看護師が私を指定した。そうであればこそ常勤医が診るべき、と思ったが、口には出さなかった。嘱託医の立場は小さい。

 風変わりな様相の中年男性、診察室に入ってきても挨拶以外ろくに質問にも答えない。長い間通院し、全身状態もいい。投薬数は10種類近く、初回、2回目は会話少ないまま希望に沿って処方箋を発行した。この間の印象は良くなかった。

 3回目は、状況不明のままではこれ以上処方箋は出せない。「・・・、ここは動物病院でない、質問に答えて欲しい」、と呼びかけた。患者も少しその気になったらしく、2-3のやりとりの後、私は患者の生活環境等について質問した。未婚でアパートに独居、ほとんど誰とも接することなく引きこもり状態だという。

 引きこもりは私自身がそうであって得意分野である。話が合いそうである。

 「職業、日常の拠り所、趣味などは?」と問うたところ、小さな声で「風さそふ 花よりもなほ我はまた・・・の心境です」と返事があった。一句そのままでなく前半だけであったので、私が間髪を入れず「春の名残をいかにとやせん」と続きを合わせた。

 患者は一瞬驚いた表情をし、「この歌のような心境で暮らしています」とのこと。その後、急に会話が弾んだ。好きな文学作品のこと、仏教のこと、歴史上の人物の辞世の句など、広範な趣味と知識を持った方で、最初の印象との乖離が大きかった。

 「風さそふ 花よりもなほ我はまた・・・」の心境とは、自分を受け入れてくれない周囲の人々、社会、医療関係者などへの無念の気持ちをこの歌に込めてます、とのこと。若い時に僧職の修行していたがいじめ等で挫折、婚約者の自死などもあって人生がくるった、と言う。

 予約外来なので通常は時間を取れないが、あえて時間をかけ、この程度のことを把握した。まだまだ話したい、と思ったがここまで、とした。これ以上の詳述も問題だろう。
 長く診ていた主治医が間も無く戻ってくるので、おそらくもう私の外来を受診する機会はないだろう。

 変な先入観念を抱いて人物を評価してはならない、と言われる。全くその通り、と反省した。
 同時に、私の趣味、終活準備が患者との対話のきっかけになった、と言う、稀であろう幸運を味わった。


7/3(月)小雨 健康クリニックドック 飯川病院 外科外来受診
 0:30起床。文献処理。新聞チェック。録音データ整理。8:40雨にて家内の車に便乗、飯川病院着、9:00-10:30健康クリニックドック診察14名。11:00飯川病院に移動、微睡、12:00外科受診、鼠径ヘルニアの検査等スケジュール打ち合わせ。13:00飯川病院、微睡、14:00-18:45勤務、19:00帰宅・夕食、20:30就眠。BR diskながら視聴:「航空自衛隊の戦力(1)」内容に驚く。歩数計Σ9033歩。

終活あれこれ(3) 辞世の句・言葉を楽しむ心境 これも終活の一つ
 就活とは一般的には持ち物の整理を示すことが多いが、死を迎える心境に一歩一歩近づいて行くのも終活の一つ、と考える。
 
 私は最近、和歌や短歌の世界、人生最後の言葉等にも収集のジャンルを広げている。

 論語の一節に、「鳥のまさに死なんとするや、その鳴くこと哀し。人のまさに死なんとするや、その言ふこと善し。(泰伯第八)」とある。
 自分の死に臨んでの人生の回顧や新たな心境の発見が最後の言葉となっている。死という極限の状況の中でどのように生と対峙し、それをどう表現したかが、残されたそのことばから感じ取れる。

 辞世の句は7世紀頃に死を迎えた人によって作られるようになった、とされる。江戸時代にもその伝統は継承されて、特に刑に臨んだ際の詩は辞世の句の主流をしめてきた。そこには無念の境地、時には諦観が込められている。

 明治維新前夜に捕縛さて落命した志士達が獄中で多くの句を読んだ。いま、遅まきながら、司馬遼太郎の長編「竜馬がゆく」を読み始めた。この作品では数多くの幕末の士が登場するが、辞世の歌をも紹介されているはずであり、それらを読むのを楽しみにしている。
 戦没学徒の遺書を所収した「きけわだつみのこえ」は若い時に読んだ。死に臨んでの叫びが記録されており、当時も深い感動を得たが,当時はざっと読み終えた、に近い。最近、再度手に取って読み直している。若くして前途を絶たれた彼らの心中は、いかばかりであったことか。私は高齢まで生きて結果的に終活を考えねばならない歳になったが、今はより深く、彼らの心情を感取れる様になっている。

 心から搾り出た句に優劣はつけたくないが、私が最も感じっている辞世の句は、以下である。

 ■風さそふ 花よりもなほ我はまた 春の名残をいかにとやせん 浅野長矩

 江戸城、松の廊下における吉良上野介刃傷事件は1701年3月に起きた。時に長矩35歳だった。
 俗説がいっぱいあるから真実との区別は私にはつかないが、浅野による度重なるいじめを受けた長矩が怒り心頭に達し吉良を斬りつけ、即日切腹となった。長矩は無念の遺言すらできず「ふしぎに存ずべく候」とだけ言った、と言う。お上側の対応が通常例とひどく違っていたのだろう。無念の思いは一入だったにちがいない。

 無念の思いを託した一首、なかなかである。風に吹かれて散る花も名残おしいだろうが、それよりなお無念を感じる私は、一体どうしたらいいのか??美しい辞世である。長矩は刀を抜いた時点で死を意識しただろうが、一方的になされた突然の切腹の裁断にも納得できなかったのだろう。死を数時間後に迎えた人間がこのような形で心境を吐露できたなど、信じ難い。

 歌人の永田和宏氏は「短歌はその短さゆえに、ある瞬間の心の動きを言葉で定着するという点において、他の文芸の追随を詐さない」(一部改変)、と述べている。その通りだと思う。


7/2(日)小雨、午後より一時日差しあり
 1:00起床。本読み、文献読み、整理。7:00園芸若干、雨で不可。以降はデータチェックなど。午後はNHKのど自慢見たのち外仕事。「いちい」処理一旦終了、微睡。BR disk視聴なし。17:00庭木伐採、草刈り再度。運悪く再度降雨に。BR disk視聴ないが、秋田県女医会での特別講演「追憶、秋田女子医専」の録音をきいて感じ入った。19:00夕食。20:00就眠。 歩数計Σ14580歩。

私はなぜ徒然日記を書くか?(4) 著名な方の含蓄ある言葉に共感する
 私にとって毎日の小文作成は息抜きの時間である。また、時には苦痛の時間でもある。

 この徒然日記とミニ随想は「愚痴の記録」であり、「学習ノート」であり、「備忘録」でもある。

 先日正月を迎えたかと思ったらもう7月である。時間の経過は驚くほど速い。
 私の過去の多くは記憶としてほとんど残っていない。忘れてしまえば私が存在しなかったのに等しくなる。今いることは継続的に存在したことの証であるが、過去がそれだけのことしかないとすれば悲しいことである。
 その点では、この徒然の記録を呼び出すと、毎日生きていた事がわかる。そんな効能もあるから記録し続けることに意味を感じている。

 思索をするのにもっとも簡単で確実な方法は「書く」ことだ、と思う。さらにいえば「読む」と「書く」を繰り返すことである。私は書くことを通じて今までの蓄積をその日の段階でおぼろげなイメージから文章化と言う形で定着する。

 などなど、考えながら徒然を続けている。自己満足の世界であるが、1日一つ、その時々に浮かんだ項目をまとめる作業は実に楽しい。

 今は嘱託医としての生活だか、気軽な文章を書き続けて感じるのは、書くことでしかたどリ着けない領域があり、書くことが世界を広げてくれる、と言うこと。
 早朝、一人パソコンに向かい、文献を参照しながら書き進めるうちに新しい情報と過去の経験が溶け合う不思議な感覚、考えているだけでは到底至ることのできない領域に近づけたという実感を幾度も体験した。
 だから、結果を求めずに、2001年からコツコツと、淡々と書き続けている。
 これが、今の私のささやかな楽しみである。

 幼くして英国に移住し、世界的作家となったカズオ・イシグロ(石黒 一雄)氏は「創作のきっかけは、自分の中にあった大切な日本の記憶が消え去ってしまう焦燥感。なんとかそれを定着しておきたいという願いからだ」、時間の記憶は、「死に対する部分的な勝利だ」と述べている。私も似たようなことを感じているが、この言葉をどこかの小文で見つけてはっとした、ことがある。

 歌人の永田和宏氏は著名な生物学者でもあり、歌人の河野裕子氏の夫でもある。研究、創作双方に発見の楽しみ、喜びがある,と折につけて表現してきたが、氏は著書「もうすぐ夏至だ」の中で、「短歌はその短さゆえに、事実を正確に記録するという点においては日記や小説に及ぶべくもないが、逆に、ある瞬間の心の動きを敏感にキャッチし、短い言葉で定着するという早業においては他の文芸の追随を詐さない」と述べている。
 さらに、「なんら関係のない二つのことを同じ重さでやってきたというスタンスと、その時間の堆積が、ようやく最近になって、自分のなかでかけがえのないものであったと思えるようになってきた」、と述べている。

 また、著者の娘で歌人の永田紅氏は、20歳の頃、「歌を作るということは、自分の時に錘をつけることのような気がする」と表現したとされるが、これも同感できる言葉である。

 7月を迎えて時間の早さに驚く日々であるが、著名な方の、時間の「定着」に関する考え方に触れ、深く共感した。


7/1(土)終日小雨 飯川病院午前外来 日直医業務一部補助 レセプト点検
 1:00起床、各種データチェック、新聞文献PDF化。本読みほか。ネコの世話など。8:38バス飯川病院、9:00~12:00午前外来。13:00-15:00外来レセプト点検。16:00-19:00当直医業務代行。BR disk視聴なし。19:00帰宅。キウリ、春巻き中心の夕食ちょっと過食、反省。20;40就眠。 歩数計Σ8772歩。

新年を迎えてから6ヶ月経過?!! 今年の夏至について
 本日7月1日。新年を迎えてからもう6ヶ月も経った。

 年とともに「時間が過ぎるのが早い!!」と感じる。
 私は、年寄りは身体的活動、脳活動が鈍くなって行動も思考も時間がかかるが、それを本人が自覚しないが、気づいた時に時間の経過の早さとして感じるためだ、と思っている。
 毎年、私は夏至の日を感慨深く迎えるが、今年は失念していた。多分、秋田は毎日寒かったからだと思う。

 夏至は年によっては20日または22日になることもあるが、2017年(平成29年)の夏至は「6月21日(水)」であった。

 夏至は日照時間が最も長い日である。
 夏至を詠んだ名句は「夏至の日を 草木となりて 山の人」(宇佐美魚目)がある。

 この日以降は一日ごとに日が短くなる。だからこれ以降の日々は私はあまり好きでない。しかしながら、何と思っていても確実に一日ごとに日が短くなる。私が秋を実感する8月14日にはまだ余裕はあるが、やはり気持ちの上ではちょっと嫌いである。

 この夏至を、この日以降の日が短くなる日々の心境を、見事に表現した方がいる。
 歌人の永田和宏氏である。氏の著書「もうすぐ夏至だ」(白水社)に「冬至の日はうれしい。これからどんどん明るくなるのだと思うと、まだ真冬だというのに心が明るむ。夏至は嫌だ。あとは明るい時間がどんどん短くなってゆくばかり」。

 永田氏の妻は歌人の河野裕子氏。
 裕子氏に乳癌の転移が見つかったのが、昨年の7月。手術後8年を経過して、やっと家族が安心し始めたばかりのころ。2010年(平成22)8月、裕子氏死去、享年64歳であった。
 永田氏の詠に、「一日が過ぎれば一日減ってゆく 君との時間 もうすぐ夏至だ」、がある。どんな気持ちで妻の病状を見つめていたのか、私など想像もできない。

 裕子氏の辞世の詠は、短歌に詳しくない私の涙腺をも緩ませた。
 「手をのべて あなたとあなたに触れたきに 息が足りないこの世の息が」。

 ご夫婦で迎えた最後の夏、お二人の心境を考えれば、これに便乗して私の気持ちなど語れない。

 夏至を失念して7月を迎え、夏至を振り返る中で、かつて読んだ永田夫妻のについての小文を思い出し、読み返した。




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