徒然日記

 日記と言うより、自分の行動記録と日々の雑感です。

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1/15(月)曇り降雪やや寒い 健康クリニック 新エコー後循環器科受診
 1:20起床、本読み、徒然。データ整理。6:40バス病院、7:00-8:00病棟業務、9:00-11:健康クリニックドック。15名、判定は先週休みのためなし。11:00心エコー、心電図後外来受診。半年前よりは機能的に改善していた。読書など、13:00患者家族面談。入院患者対応。紹介状など。19:30帰宅。夕食、21:00就寝。歩数計Σ8816歩。

羽田空港滑走路上衝突事故(4)あってはならない事故であったが、幸運もあった
 航空機同士が空港の滑走路で衝突、犠牲者を出すという考え難い事故が起きた。

 海保機側には犠牲者が出たが、JAL機側に客室乗務員(CA)の機転、乗客の協力ももあって犠牲者は出なかったのは不幸中の幸いであった。
 全員脱出を確認して最後に脱出した機長も素晴らしい。
 この点はいくら賞賛しても仕切れないほどである。
 一方、海自機は5人が犠牲になった。悔やみきれないことである。

 (1)衝突事故はたまたま羽田空港のC滑走路上で起きた。
 羽田空港の事故対応能力は他の空港よりも充実している、とされる。
 だから、飛行中にトラブルが生じた際にもパイロットは近くに代替空港があっても羽田に向かうことを希望するという。御巣鷹に墜落したJAL123便も米軍横田基地、名古屋空港への着陸を提起されたが、機長は羽田に戻りたい、と何度か希望を出していた。

 (2)事故機の耐火性が優れていた。
 JAL機は、欧州航空機大手エアバス社のA350-900型機。 新しい機種で、機体に炭素繊維複合材を使うことで、軽量化を図っている。炭素繊維は鉄よりも軽くて硬く、一般的には耐熱性にも優れている。ただ、航空機は樹脂などを混ぜた炭素繊維複合材が使われる。エアバス日本法人によると、機体の耐火性は「従来のアルミ合金と同程度」である、と表明した。
 着陸後全員脱出するまでに客室内に火災が及ばなかったことは幸いであった。

 (3)JAL機の「翼の燃料タンク、機体中央部のタンクの直接の破損は免れた、と思われる。詳細不明、私の推定による。
 JAL機には、代替空港に向かうことも場合も考慮しさらに1時間程度飛行できる量のジェット燃料を積んでいたと思われる。全員脱出後10分で爆発した、がこの時に燃料タンクが爆発したのであろう。

 (4)JAL機機長によると衝突後操縦不能状態に陥った、という。
 おそらく前輪が吹き飛び胴体着陸に近い状態であったと考えられるが、大きくC滑走路から逸れることなく進み、最終的に左側にそれて草地に停止した。
 草地に停止したことで脱出シューターによる二次被害も少なかった、と思われる。

 (5)JAL機の接地点近くで海自機と衝突。
 小型の海自機にとっては不幸なことであったが、300Kmほどの速度の大型のJAL機が覆い被さってきた状態で、海自機は一瞬で破壊されたと思われる。一方、JAL機にとっては衝突は丈夫な構造の主輪付近だったで生じた、と思われる。

 (6)JAL機の客室に直接的被害が及ばなかった。
 このことは重要である。そのため乗客は比較的冷静に行動できた、のだろう。

 JAL機のCAの機転、乗客の協力ももあって犠牲者は出なかったのは不幸中の幸いであったが、その背景には幸運もあった、と思う。








 1/14(日)小嵐曇小雪 
1:45起床、データ整理、読書、時に微睡。終日読書、微睡、徒然など。昼に京都女子駅伝見る、新聞チェック、14:00家内に同乗病院、紹介状2件作成、新聞PDF化大量。自室で座学継続。19:00帰宅夕食、20:20就寝、歩数計7086歩。

羽田空港滑走路上衝突事故(3)許可なく滑走路へのご侵入は意外と頻回にある
 航空機同士が空港の滑走路で衝突、犠牲者を出すという考え難い事故が起きた。
 同じ滑走路に誤侵入することは重大な事故につながる。

 理屈から言えば、管制が正しい指示を出し、パイロットがその内容に正しく従っていれば起こり得ないこと。

 実際に類似の事象が昨年末までの 10年に少なくとも23件起きていた。

 背景にはヒューマンエラーの要素が何処かにあるだろう。
 さいわい重大な事故に結び付いた例はなかったが、それが現実になったのが今回のJAL機と海保機の衝突事故であった。

 実際にあってはならない事象であるが、実際にはこれだけの件数があるのにヒューマンエラーとして片付け、根本的対策をしてこなかったことが今回のJAL機と海保機の衝突事故に繋がった。今回の事故は過去の事例から学び対策していれば起こり得なかった、と思う。

 23件の内訳は以下の如くである。
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 12件は、地上の航空機や作業車両に原因があるとされた。
 5件は管制側に原因が疑われるものだった。
 2件は上空の航空機側が原因と考えられた。
 4件は、報告書の公表はなく、現在も運輸安全委による調査が続いている。
 空港別では、那覇空港が4件、羽田空港が3件だった。
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 私の資料に欠損があり全例を示せないが、代表的事例は以下の如くである。
●那覇空港では2018年6月、上空の旅客機が着陸しようとし ていた滑走路上で、航空自衛隊機が離陸準備に入っていた。空自機は管制からの「滑走路手前」の待機指示を「滑走路上」と思い違いし、進入していたとみられる。 今回の海保機の誤侵入のケースに類似している。
●徳島空港では15年4月、航空管制員が滑走路上の作業車両の存在を失念し、上空の航空機に着陸を許可。航空機は着陸直前に車両に気づ き、ゴーアラウンド(着陸やりなおし)をした。
●熊本空港では21年8月、航空機が管制からのゴーアラウンドの指示を聞き取れず、そのまま着陸。同じ滑走路の前方には離陸を中止したヘリコプターが残されていた。航空機は離着陸訓練中で、機長が訓練生への指導に集中しており、指示を聞き漏らした可能性を指摘した。
●羽田では18年10月、他機に出され た滑走路横断許可を自機向けと勘違いした旅客機が滑走路に無許可で進入。
●羽田では19年6月には、管制側が上空の旅客機に着陸許可を出しながら、同じ滑走路に別の旅客機の横断を許可していた。

 絶対に起こってはならない事象がこれだけあるというのに運輸安全委員会が根本的対策を策定してこなかったことが今回のJAL機と海保機の衝突の遠因になっている。

 基本的にヒューマンエラーが原因となっているにも関わらずそれを補完する機能の導入を怠ってきたことが今回の衝突事故につなかった。
 航空行政上の欠陥であった。




1/13(土)曇り小雪 
2:00起床、文献読み。午前・午後はともに読書三昧、微睡三昧。病院には行かず。新聞チェックなど。19:00夕食。20:30就寝。歩数計Σ3016歩、寝たきりに近い過ごし方をした。

羽田空港滑走路上衝突事故(2)CAの判断、乗客の協力が命を救った
 航空機同士が空港の滑走路で衝突、犠牲者を出すという考え難い事故が起きた。

 管制が正しい指示を出し、パイロットがその内容に従っていれば起こり得ない事故であり、最終的結論はまだであるが、ヒューマンエラーの要素が何処かにあるだろう。

 ヒューマンエラーは他の補助的システムの導入によって予防または被害の軽減ができる。これが十分機能していなかったようだし、音声指示に頼っているだけでは防ぎ得ない場合もありうる、との証左でもある。

 一方で、JAL機の乗客乗員379人はけが人や体調不良者が若干いたというが全員が脱出した、ということで、これには心底驚いた。
 機長が最後に脱出したというが避難完了は衝突から18分後だったという。あの炎の中で客室内に直接火災が及ばなかったことはすごいことで、ここにも客室乗務員(CA)の判断力が役だった。
 全員脱出10分後、機体は爆発しさらに大きな炎に包まれた。

 さらに、乗客の冷静な対応があったとされる。

 CAは9人登場していた。CAは冷静に緊急時の手順に従い、安全に避難できる非常口を判断。機長らと連絡が取れない中、後方担当のCAは自身の決断で脱出シューターを降ろした。乗客は混乱しながらも指示に従い、危機一髪で機外に逃れた。 
 この機種はエアバスA350-900型定員400名、2021年11月JALに納入された新しい機種で、緊急脱出口は8箇所にある。この脱出口を不用意に開けると乗客が炎に巻き込まれるだけでなく炎が客室に及んでくる。

 機内に少しずつ煙が広がる。 CAは煙を避けるため低い姿勢をとるよう指示しながら、安全に脱出できる経路を探る。 最前方の左右の非常口が使えることを確認し、脱出口を開け避難を始めた。

 後方のCAは最後方の右側のドアの外に炎を見た。最後方左側のドアの外に火はなく、スペースがあった。機長とは連絡が取れない。煙がどんどん濃くなる中、CAは後方左側の脱出シューターを降ろす判断を自ら下した。

 「落ち着いて・・・」、「荷物を持たないで・・・」。 乗客らは指示に従い、スマートフォンぐらいしか持たずに3箇所の脱出口から次々と滑り降り、先に脱出した人はシューターの下で避難を手伝った。

 この間のCAと乗客の行動は海外メディアから「奇跡」と称された。

 通常はCAは乗客ににこやかに接し各種のサービスを行い、乗客の緊張をとるが、一度事故が生じた際には保安要員に変身する。
  日航によると、入職時の緊急時の脱出訓練は数日かけて行いとても厳しいものだ、という。さらに年に1回、丸1日をかけ、非常用ドアの操作などの保安要因としての再訓練をするを確認するという。この辺のことは、青山透子著:日航123便墜落ー疑惑の始まり 天空の星達へ、に詳しい。

 今回の事故はヒューマンエラーの可能性が濃厚で、起きてはならない事故だが、幸運にも恵まれたし、JALの乗員乗客の命を救ったのは乗客を含めたヒューマンファクターであった。




1/12(金)荒れ雨小雪など模様 大曲中通病院外来 
2:00起床、文献チェック他本読み。降雪なし。5:00可燃ごみ準備のみ、やや少なめで提出せず。7:35Taxi駅東に。8:11こまち。8:50大曲中通病院外来。往復Taxi。長崎屋寄らず病院、病棟入院患者対応。19:00帰宅・夕食、21:00就寝。歩数計Σ7355歩。

羽田空港滑走路上衝突事故(1)無線交信だけではエラーを防ぎ得ない
 航空機同士が空港の滑走路で衝突、犠牲者を出すという考え難い事故が起きた。
 管制が正しい指示を出し、パイロットがその内容に従っていれば起こり得ない事故。2機が同時に同じ滑走路に進入することがないよう、パイロットは管制からの指示内容を復唱することになっている。

 事故の発生は1月2日17時47分ごろ。羽田空港C滑走路で札幌発のJAL機が着陸した際、海上保安庁の航空機と衝突した。私は職場のラジオで一報を聞いた。その時は詳細不明とのことで施設の何かが燃えた??と思ったが、自宅に帰ってからみたTV映像ではJAL機が炎と煙に包まれながら滑走路を走り続ける様子が映し出されていた。

 JAL機の乗客乗員379人はけが人や体調不良者が若干いたというが全員が脱出した、ということで、これには心底驚いた。避難完了は衝突から18分後だったというが、あの炎の中で18分以上も脱出ルートが確保されていたのは驚きである。

 一方、海保機に乗っていた6人のうち5人が死亡。機長は脱出したが重傷を負った、という。能登半島地震の対応で、新潟航空基地へ支援物資を搬送する予定だった、という。犠牲になられた方の義冥福を祈りたい。

 私は医療安全確保の視点から航空機事故の事例を収集してきたし、今でも航空機事故への関心は高い。医療事故も航空機事故も結果が人命に関わることが多いし、両者はヒューマンエラーが生じやすいことも共通している。事故が生じた際にも影響が広がらないよう二重三重に対応するノウハウもできている。それでも完全ではないところに難しさ、苦しさがある。

 滑走路上の衝突事故は滅多にあるものではない。
 1977年、大西洋のカナリア諸島テネリフェ島の空港で、悪天候で緊急避難していたジャンボ機同士が出発時に滑走路上で衝突し、史上最大の580人余が犠牲になった事例がある。この事故は通信状態が悪い中でパイロットが管制の指示内容を誤認して発生したものである。

 2機が同時に同じ滑走路に進入することは、大事故につながる。管制が正しい指示を出し、パイロットがその内容に従っていれば起こり得ない事故。

 JAL乗務員は、着陸許可を復唱した後に着陸操作をした、という。海保機には滑走路の手前で待機しを指示し、海保機側もその内容を復唱した。だが、海保機の機長は許可を得て滑走路に侵入したという。

 解明されるべき疑問は多い。
 私は重要な伝達内容が音声による無線交信だけで行われていることに問題がある、と思っている。
 耳からの情報は誤解されやすい。音声だけでなく、操縦席内のディスプレイに通信内容が文字または記号で明示されるようにすべきである。

 



1/11(木)寒い朝 雲ひとつない快晴 
1:50起床、座学、読書。そのほか何時もの如く。8:40家内と病院。道路は完全に消雪し快適。昨日と今日、自宅の玄関で寒気によって元気がなくなってきたアマリリスを病院医局に移す。暖房と日当たりによって元気になればいいが。11:00病棟対応、新入院あり。午後も入院患者対応。微睡、新聞チェック、入力、読書、録音データ整理など。19:00広面経由帰宅、19:30夕食、就寝。歩数計Σ4470歩。

令和6年能登半島地震(7) 備蓄は分散すべき

 犠牲者が200人を超えた能登半島地震は地震の規模も大きく、家屋倒壊による圧死も多かったようである。それに季節が厳寒降雪期のまっただなかで生じたことで被災された方々が低体温症などでも命を落としている、ようだ。

 地域の電気や水道のライフラインは止まり1週間経過した今でも3万人近くの被災者が寒い避難所で不便な状態で暮らしている。 それだけ地震の規模が大きかったのであろう。

 さらに能登地方は道路網が元々少ない他に、それらが壊滅的状況に陥った。そのため救援の手がなかなか現場に届いていない。

 連日報道される被災地の現状は大変な状況である。
 10日午後の時点でまだ約3万人が県内の避難所に身を寄せるが、厳しい寒さをしのぐ暖房器具などが不足し、断水でトイレも満足に使えず、衛生面でも衛生面でも最悪、という。

 今までの災害の中では被災者支援が立ち遅れている印象が否めない。

 私はかつて、10数年まえの古いことであるが、秋田県医師会の役員をしていた時に、秋田県の危機管理関連委員会の委員、委員長ををいくつか務めていたことがあった。私は委員会の中で「厳冬期の自然災害では被災と同時に被災者の寒冷対策が必要になるが、秋田県の実情はどうなっているのか??」と質問したことがある。その時に県の担当者は、「県では秋田空港の県有地に一定数備蓄されております。また、その件に関しては別の委員会で検討がなされていますのでこの委員会では取り上げません」、とのことであった。

 厳冬の最中に大規模災害、特に地震が生じた際は被災者は寒冷ですぐに危機的状態に陥る。道路の損傷と降雪で交通事情も悪化するだろう。個人的意見として「救援物資や備蓄を一箇所にまとめておくのは問題。可能なだけ分散備蓄にすべき・・・」と述べたがこの件に関してはこのままになった。

 現在、秋田県の災害対策はどうなっているのだろうか??寒冷地にふさわしい対策が取れるのか??私はいつも心配している。その心配が今回能登で現実もののになった。

 能登半島一帯では2020年12月から今回の地震までに、震度1以上の地震が500回以上発生。昨年5月には、最大震度6強の地震もあった。にもかかわらず、石川県が「災害度は低い」とした26年前の地震被害の想定は更新されておらず、行政の対応の甘さに批判が上がっている。
 石川県が策定した能登半島の地震被害想定は1998年に公表された後、見直されてこなかった。具体的な被害は県内全体で死者7人、建物全壊120棟、避難者2781人など、今回の被害を大幅に下回る予測が並ぶ。 市町の地域防災計画も、この想定に基づいて作られていた。

 私がニュースなどから受けている印象は水や食糧、暖房器具、ガソリンや灯油などの備蓄不足だったのでないのか??という点である。

 食料は自衛隊の輸送などで次第に行き渡り始めている。県によると、備蓄は以前に起きた地震に基づいて余裕を持たせていたが「これだけ大きな被害は想定外」と釈明する。
 自衛隊の輸送が目に見えて本格化したのは、4日に隊員が大幅に増員されて以降だ。珠洲市の避難所では5日にようやく支援物資が届いたところも。

 孤立しても1週間は過ごせるように家庭や地域ごとに食料、水、燃料、簡易トイレ等を備蓄しておきたい。大災害では行政による「公助」、自衛隊による初期対応には限界がある。それまでは自活しなければならない。





1/10(水)寒波緩む終日曇り 中通歯科診療所初受診 

2:20起床。歯科受診のことで緊張し浅い眠りであった。データ整理、午前座学。8:45家内に同乗病院へ、10:00-12:20中通歯科診療所初受診、ソフトな対応受けた。略満足だが長丁場であった。13:00患者家族面談、微睡、14:30合同カンファ。患者処置。新聞チェック入力。19:00帰宅、夕食、21:15就眠。歩数計Σ4335歩。

令和6年能登半島地震(6) 住宅の耐震化というけれど・・・(2)
 私の家はミサワホームOU型の49坪タイプの製品に改変を加えて53坪にしたプレハブ住宅である。築1979年だから築後45年になる。
 当時耐震性など意識して購入したわけではないが、構造的に住宅全体の強度を支えるのは柱ではなく壁の木質パネルである。
 私は印象としてはダンボール箱の強さを考えて、地震には強い構造なのではないかとの印象を受けていた。

 住宅の旧耐震基準(1981年)は1950年-1981年5月31日までに建築確認を行った建物に適用され、新耐震基準(2000年)は旧耐震の基準を補強し、震度6強〜7に達する程度の大規模地震に対して安全を確保するという規定で1981年以降の建築が適応となっている。

 だから、私の家は旧耐震基準に沿っているはずである。

 専門的なことはわからないが、
 (1)1964年に起きたM7.5の新潟地震では、全半壊家屋約8,500棟という被害において、ミサワホーム建造物は本体は無傷という結果だった、という。これにより大蔵省関東財務局から「災害復興住宅」として承認されている。

 (2)2011年3月11日。史上で未曾有の被害をもたらしたM9.0の東日本大震災では、震度6以上を記録した地域のミサワホームは12,000棟以上あり、津波・土地の隆起・液状化などによる建物被害は発生していたが、地震の揺れによる倒壊家屋は見られなかった・・・という。

 これらのデータは私に大きな安心感をもたらしたが、あくまでも社内の調査報告であり、100%信じているわけではない。

 今回のR6能登半島地震はM7.6で最大震度7であったが、新耐震基準後に新築・改築した住宅でも半数の木造家屋が全壊していたことが金沢大などの現地調査で分かった。調査した村田助教(地震防災工学)は「新基準を満たしていても、約3年間続いた群発地震でダメージが蓄積し、倒壊に至った可能性がある」としている。
 現地調査は1月3日、特に被害が集中した珠洲市正院町の一部の木造家屋(約100棟)を対象に行われた。
 40棟ほどが居住不可能な「全壊」で、そのうち半数が新耐震基準導入後に新築、もしくは改築された住宅とみられた。原形をとどめていない「倒壊」も約10棟あった。

 能登半島一帯では2020年12月から今回の地震までに、震度1以上の地震が500回以上発生。昨年5月には、最大震度6強の地震もあった。この間に耐震性が障害されていたのだろう。

 住宅の耐震化は重要である。しかし、今回の倒壊住宅にみるように、開口部が広く、1Fに広い居間とか座敷があり、さらに二階建て、瓦葺の古い様式の住宅の耐震化は価格的にも難しいレベル、と思う。

 家の中に耐震性の高い箱型の個室「耐震シェルター」を置くことで生存空間だけは確保する、という工夫は価格を考えれば一方法であろうが、大家族には向かない。




1/9(火) 寒波緩む曇り小雪 中通病院内科外来 佐々木歯科医院廃業判明
1:45起床、文献・新聞チェック。5:15可燃ゴミ2袋提出。6:40バス病院。7:00-8:20病棟対応、8:45-13:00中通病院外来。新年初にしては患者多く疲弊、13:15病院、処方と点滴のオーダー。連絡つかない佐々木歯科医院、歯科医師会通じ廃業判明。法人内歯科診療保受診を決めた。どうなることか不安あり。その後一時微睡す。新聞チェック+入力。19:30帰宅、夕食、21:15就寝。歩数計Σ9237歩。

令和6年能登半島地震(5) 住宅の耐震化というけれど・・・(1)
 日本海中部地震、東日本大震災の場合、家屋倒壊数の割には圧死した犠牲者は少なく、大部分が津波の被害によっていた。

 一方、今回のR6能登半島地震では写真で見る限り、それも瓦葺の大型住宅が多数倒壊し、阪神大震災と同様圧死による「直接死」が大部分を占める災害になった。


 阪神大震災以降の主な地震による直接死の数
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1995年 阪神大震災      5516人(火災による焼死含む)
2004年 新潟県中越地震     16人
2008年 岩手・宮城内陸地震    23人
2011年 東日本大震災    18423人(津波による犠牲含む)
2016年 熊本地震         50人
2018年 北海道地震        41人
   (※行方不明者を含む。 警察庁や内閣府などによる集計)

2024年 R6能登半島地震 168人 (1/8時点、安否不明は323人)
 
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 今回の、R6能登半島地震はMは7.6で阪神大震災のM7.3を上回る。
 しかも、木造家屋に被害が出やすい地震波「キラーパルス」と呼ばれる地震波が観測された、という。揺れの周期が1~2秒で、木造家屋に大きな被害をもたらすことで知られ、阪神大震災でも観測された。

 人口の減少や高齢化が進む地域に共通するのは、古い建物に高齢者らが暮らしていること。
 今回の倒壊建物の写真を見ると、立派な瓦葺きの、かつ大型の住宅が多い。このような住宅では屋根や2階の重量を支えるのは柱が中心のようである。しかも、1Fで間取りを広くとっているために柱の本数が相対的に少ないように思われる。

 最近の住宅の建築現場を見ると柱自体は細めの木材であるが、しっかりとしたコンクリートの土台に金具で柱がしっかりと固定されている。
 柱の本数が驚くほどの緻密さで立てられ、柱材で作られる四角形の構造部分には斜めの筋交いが渡され、中には「X形」に筋交がかけられているのもある。木造建物の場合、耐震要素としての耐力が2倍になるという。
 しかも、屋根瓦は殆どない。最近の住宅は開口面が狭く、窓も小さくなるが、このタイプこそが新建築基準の成果なのであろう。

 最大震度7を観測した能登半島の耐震化率は2018年度末で51%だ、という。この数値の高さには驚いた。本当だろうか??

 一方、静岡県の場合、南海トラフの地震に備え、2001年から耐震化を推進するプロジェクト「TOKAI 0(倒壊ゼロ)」を実施し、無料の耐震診断などを進めてきた。 静岡県内には2018年の時点で142万戸あまりの住宅があり、耐震化率は89.3%となっていて、2025年には95%を目指しているとのこと。

 耐震化を阻むハードルが高齢化。
 未耐震化木造住宅の約7割が65歳以上の高齢者が住む。今から多額の費用をかけて住宅を耐震化することに躊躇するという現状がある。
 静岡県は1981年5月以前に建てられた木造住宅に対し、無料の耐震診断を行い、補強工事に最大で100万円を支給する補助制度を設けていて工事の実施を呼びかけている。

 自治体がここまでやらなければ住民は動かないだろう。





1/8(月)成人の日 やや寒波終日小雪チラチラ 積雪2cm
2:15起床。本読み、新聞・文献チェック他。午前午後ともに読書中心に過ごす。昼食に七草粥昨年に続き食したが、決してうまいものではない。これで無病息災で過ごせるならいいのだが、やはり私の明日は見えない。午後は新聞チェック、微睡後、録音データインデックス整理大量、読書など。19:00夕食。20:15就寝。歩数計Σ4096歩。

令和6年能登半島地震(4) 地震予知はできるのか?? まだ出来ない
 能登半島では2020年12月ごろから地震活動が活発化し、群発地震が起きていた。
 専門家の間には大地震のリスクが高まっているとの認識はあったとされるが、一方では、群発地震が大地震につながる事例は多くないとの意見もある。

 大地震の可能性があったとの危機感を自治体、住民が共有できていれば、古い建物の耐震補強や家具固定、集落の孤立に備えた備蓄にもっと取り組めたはずで、被害を軽減できたのではないか・・・と思われるが、地震予知の判断には未確定要素があり、予知の発表によって社会機能が停滞し、住民を不安に貶めるだけに、地震予知発表に関しては更なる科学的根拠、疫学的根拠の確立が必要であろう。

 東海地方の大地震の発生についてはその大きさの予測を含めマスコミでもとりあげられてきたが、実際に起こったのは東日本大震災であった。
 その後も南海トラフが常に話題になっていたが、実際に巨大地震生じたのは熊本地震であった。

 我が国の地震を研究する日本地震学会は、会員は学者ら約2000人で、1880年に世界初の地震学会として創設された。
 それまで日本周辺では1707年の宝氷地震が推定M8.6で最大と考えられており、M9規模の地震が起きる可能性を指摘する研究者はほとんどいなかった。観測史上最大級の地震となった東日本大震災M9.0は、多くの地震学者にとって「想定外」だった。

 「地震予知はできない」、「政府が発表する地震発生確率は無意味」、「地震は不意打ちで、どこでもあり得る」・・・冷めた意見の学者も少なくない、という。専門家の本音を聞いてみたい。

 我が国にはにはわかっているだけで2000もの断層がある。小さな地震は高頻度に起こっており、ときには大きなエネルギーに成長して大地震になることがある。大きくなるかどうかは偶然に左右され、しかも、地下深くにある断層の状態を測定できない、という。だから、地震の予測は非常に難しい。

 結論を言えば、専門家の研究成果には地殻変動の「プレスリップ」「スロースリップ」などのデータから中・長期的地震の発生については可能性は示すことができるようであるが、「何時」「何処で」「どの規模の」地震が生じるかを正確に知ることは現在の科学技術では不可能とのこと。

 これが、現在の地震予知の現状である。
 今回のR6能登半島地震を見れば、そう考えざるをえない。

 地震列島の日本に住む以上、「想定外の地震」が、「いつ生じるかは予知できないが、身近に起こりうると想定」して、被害を少なくする準備をしておくことが肝要ということになる。




1/7(日)曇り比較的温暖 降雪殆どなし 
2:30起床。文献読み・録音・PDFデータ整理など。新聞チェック。14:00家内に同乗病院、
新聞入力、16:00病棟対応、落ち着いている。18:00帰宅、19:00お歳暮にいただいた
宮古川秀の瓶に入った海鮮具材食する、美味珍味であった。20:15就寝。歩数計Σ3222歩。一昨年配電盤故障交換す。

令和6年能登半島地震(3) 秋田県の地震・津波想定 県民市民にもっと啓発を
 日本海側の地震は、太平洋側に比べて頻度が低いといわれるが、油断はできない。

 現に、今回のR6能登半島地震では短時間に津波が押し寄せ、何名か死亡しているようだ(詳細不明)。

 日本海側津波の仕組み解明のため津波の発生履歴を調べる研究も進んでいる。

(1)「日本海地震・津波調査プロジェクト」の調査
 文部科学省の委託を受けた有識者が2013年から行っている調査。
 北海道から九州まで各地点の地層の津波堆積物を解析した。

 最近公表された青森県五所川原市十三湖の湖底の地層調査では、日本海中部地震があった1983年を最後に、約7000年前までに9回の巨大津波履歴があったことが判明した。これは、北東北地域での巨大津波の履歴を解明した初めての成果だ、という。

(2)日本海側の津波:住民の認知度は5割
 日本海側に住む人でも、日本海側津波についての認知度は高くないことが調査で分かった。

 上記の「日本海地震・津波調査プロジェクト」では、2016年度に全国を対象に日本海地震や津波に関してアンケート調査を実施した。その結果によると、秋田を含む日本海側の住民で も、日本海側で津波が起こる可能性があることを「知っている」と答えた人は51.8%。日本海側の津波は到達までの時間が短いことを「知っている」と答えたのは34.9%だった。

(3)日本海中部地震の風化も懸念
 一方、県外出身学生59人で日本海中部地震を「知っている」と答えたのは10%(6人)。秋田県の担当者は「県出身の学生は6割が知っていることを考えると、5月26日を県民防災の日にして教育していることで風化が防がれている一面もある」と指摘した。

(4)自治会や自主防災組織の維持は困難
 地域の実情に合った防災活動のため、自治会や自主防災組織の役割は大きい。だ が、高齢化などの理由から、こうした住民組織を維持するのは難しくなっており、状況が好転している地域はない、という。

(5)M8.7大規模地震で14mの津波想定  短い到達時間
 秋田県は2013年、日本海沖の三つの海域でM8.7規模の連動地震が起きたと想定する独自の被害想定を公表していたが、2016年に新たに「津波浸水想定」を発表した。

 県によると、M8.7規模の連動地震の発生確率は低いが、最大津波高が最も高いのは八峰町八森の14.1m、次いで秋田市新屋町の13.5mなど。
 最大波が到達する時間は各地点15~36分となっている。

 この最大津波高が発生した場合、県は津波によって最少で1841人、最多で2万1538人が死亡すると予測している(詳細は略す。2013年の地震被害想定調査 県のHPに記載)。

 県によると、日本海側の津波は地震の規模に比べて津波が高く、到達までの時間 も短い特徴があるため、大きな揺れを感じたら、まず高い所に逃げることが重要としている。我が家の場合は天徳寺の高台が候補となるが結構距離がある。

 秋田県、秋田市住民の地震・津波認知度は高いとは言えない。
 機会あるごとに県民市民にもっと啓発をすべき、と思う。

 


1/6(土)曇り比較的温暖  
3:15起床。いつもの如く。文献読み、本読み。13:30買い物と回診に行く家内に同乗病院に、新聞チェック入力。夕方まで院内で座学、録音データ整理。微睡、16:30病棟対応、比較的落ち着いている。19:00帰宅、夕食。歩数Σ4500歩。

令和6年能登半島地震(2) 私が経験した日本海中部地震 忘却を防ぐために

 私の記憶にある地震、記録にも残してある日本海側で起きた地震のうち、津波を伴う主な地震は以下の如くである。

 1964年の新潟地震は仙台市で経験した。震度5で本棚が軒並み崩れた。
 1983年日本海中部地震は秋田市で経験した。震度5で、昼食時、私は秋田大学第3内科の研究室、実験室に一人残っていたが両室ともに倒れるものは倒れ、足の踏み場もないほどの状態になった。特に液体酸素、二酸化炭素のボンベ数本が倒れてホースが外れてガスが噴出、元栓を閉め歩いてことなきを得た。
 人的被害はなかったのが幸いであった。

(1)最近の日本海側の巨大地震
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@ 1964年 新潟地震M7.5
A 1983年 日本海中部地震M7.7
B 1993年 北海道南西沖地震M7.8
C 2007年 能登半島地震M6.9
D 2007年 新潟県中越沖地震 M6.6
E 2019年 山形県沖地震M6.7
F 2024年 R6能登半島地震M7.7
    参考資料「日本被害地震総覧便覧」(一部追記)

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 日本海中部地震は1983年5月26日午前11時59分、男鹿半島の北西約70Kmで発生した。近年では93年の北海道南西沖地震 (M7.8)に次ぐ、日本海側で起きた過去最大級の地震。

 死者104人(秋田83人、青森17人、 北海道4人)のうち、100人が津波で亡くなった。建物の全壊は924件 半壊が1616件もあったのに、建物の崩壊に伴う犠牲者は数人程度であった。幸い火災は発生しなかった。
 これに対し、今回のR6能登半島地震では情報が乏しいが、本日の段階の犠牲者200人余は建物の崩壊に関連しているようである。津波で、あるいは火災で焼死された方はいるのだろうか??

(2)日本海中部地震と津波の関係
 日本海側の地震の最大の特徴は、震源地が近く、短い時間で津波が来ること。
 地震発生は午前11時59分、津波警報が出されたのは12時14分。深浦、能代では警報と前後して第一波が押し寄せた。
 津波の最大値は、能代港で194cm、 山形県酒田で82cm、深浦で65cm、男鹿で53cmなど。

 「日本海には津波が来ない」。当時そう信じていた人が多かった。
 住民にとって不意打ちに近い津波だったことも被害を大きくした。

 男鹿市の加茂青砂海岸では、内陸部の合川町から遠足で訪れた合川南小の4年生と5年生の児童13人が犠牲となった。
 能代市では護岸工事の作業員ら36人が犠牲になった。

(3)実際には過去にも日本海東縁部では津波が多発していた
 日本海側には「地震の巣」と言われる活断層の集中帯があり、地震や津波を繰り返してきた。特に地震が多発しているのが、北海道沖から新潟県沖にかけての「日本海東縁部」と呼ばれるエリア。
  活断層の動きの活発さを示す指標は、太平洋側よりも日本海東縁部の方が大きく、活断層数も多い。このため、地震が多発する。

  日本海側の地震の最大の特徴は、震源地が列島に近く、地震後短時間で津波が来ること。地震の規模の割に津波が高くなるのも特徴だという。


1/5(金)晴れ曇りと一定せず 大曲中通外来 
 2:20起床。降雪殆どなし。5:30可燃ゴミ2袋廃棄。7:35Taxi、8:11こまち、大曲に。大曲往復Taxi、長崎屋、古書店5冊。15:40Taxi病院に。病棟対応。疲れて微睡。新聞チェックできず。19:30帰宅。夕食、21:30就眠。 歩数計Σ7931歩。

令和6年能登半島地震(1) 道路寸断でまだ全容がわかっていない
 元旦の16:00過ぎ、自宅で新聞チェック+切り抜き作業中に震度3程度の揺れ、結構長時間の揺れを体に感じた。即ラジオにて状況確認、能登半島を震源とした地震で最大震度7超でマグニチュード(M)は7.6。瞬時に日本海沿岸に津波警報も発令され大事になるとの予感がした。

 北海道から九州にかけての広い地域で揺れ、石川県志賀町で最大震度7を観測した。能登地方に大津波警報、日本海沿岸に津波警報や津波注意報が一時発表された。津波は各地に到達し、同県輪島港では1.2m以上を観測した。

 国内での震度7は2018年の北海道地震以来。
 大津波警報が発表されたのは11年の東日本大震災以来となる。

 日本海中部地震は、1983年(昭和58年)5月26日11時59分に、秋田県の能代市西方沖80Kmの地点で発生した地震。規模はM7.7。
 当時日本海側で発生した最大級の地震であり、秋田・青森・山形県の日本海側で10mを超える津波が襲った。死者は104人、そのうち100人が津波による犠牲者。家屋の全半壊3049棟。

 今回の能登半島地震で本県沿岸には津波注意報が発表され、秋田港で0.3mの津波が確認された。被害は確認されていない。北海道の沿岸にも0.6mの津波が到達した。

 地震発生から5日経過した。

 能登半島地震で道路が大きく損傷を受け現地へのアクセスが困難な様子であ。
 能登地方は土砂崩れなどで道路が各地で寸断されており、大きな余震も続いているため、被害の全容がまだ分かっていない。倒壊した建物の中に取り残されたり、孤立した集落にとどまったりしたまま、救助や救援を待っている人が多数に上るとみられる。

 5日午後の時点で370ヶ所の避難所に3万人以上が避難し、停電が27.000戸、断水が66.000戸。死者92人、安否不明者は222人。

 被災地は寒さが厳しくなっている。被害が大きい石川県珠洲市では、2日未明の気温が氷点下1.2度まで下がった。被災者が暖を取れるようにすることが急務である。

 既に石川県からの災害派遣要請を受けた自衛隊が被災地に入って活動している。

 岸田首相は自分が中心となって災害対策を進めるとしている。水や食料、燃料などを地元の要望を待たずに送る「プッシュ型」で対応すると強調した。支援物資の輸送に海路を使う方針を示している。

 首相が対策の前面に立つということは一見格好がいいが国家としての機能の分担や支持系統が不十分であるこの証左でもある。

 被災地の医療機関には、多数の負傷者が搬送されているとみられる。ライフラインがどうなっているか詳細は不明。可能な限りの医療資源を投入しなければならない。

 地震の際にいつも気になるのが原子力発電所である。
 北陸電力滋賀原発は石川県志賀町にあるが、2011年福島原発事故以降稼働していない。今回、使用済み核燃料の冷却用の電力に問題が生じたらしいが、ほかの系統で電気を受けるなどして安全上重要な機器の電源は確保されているという。

 文末ながら被災された方々に心からお見舞いを申し上げたい。





1/4(木)終日超快晴 通常勤務開始 健康クリニック結果判定
2:10起床、文献チェック他、本、数冊、入浴。8:45雲ひとつない超快晴。冬季間の秋田では珍しい。8:30リハ病院。新聞チェックと入力、11:00健康クリニック結果判定、微睡、文献、数冊裁断と自炊。13:30病棟対応ほか読書。19:20帰宅夕食。20:30就寝。ラジオ深夜便数編聴く。歩数計Σ5957歩。

日本の音楽界は2023年はどんな年だったのか(2) 年末のNHK特集番組から
 年末のNHK特集番組を見ながら興に任せて感心した演奏会をピックアップしてみた。

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トウガン・ゾヒエフ指揮 N響 ラフマニノフ幻想曲「岩」
篠崎史紀 Vn Vivaldi 「調和の霊感」
モルゴアカルテット ショスタコービチ 弦楽四重奏曲No5
ヤコブ・フルシャ指揮 N響 ドヴォルザーク「フス教徒」
アミハイグロス Vla  シューベルト 「アルペジオーネ」
フィリップ・ジャリス カウンターテナー モンテヴェルディ 「天使の薔薇」

ヤルヴィ指揮 N響 Rシュトラウス「アルプス交響曲」
コリン・カリグループ 18人の音楽家のための音楽
甲斐栄次郎 バリトン 「ドンカルロ」より
モーリス・ベジャール振り付け パリオペラ座バレー団「ボレロ」
ノセダ指揮 N響 カゼッラ「蛇女」
ウイーン少年合唱団 「美しく青きドナウ」

ティボー・ガルシア ギター バリオス「ワルツ」
ジョン・ウイリアムス セイジオザワコンサート
ファビオ・ルイージ N響定期2000回記念演奏会 マーラー「一千人の交響曲」
高関 健 N響 シベリウス「交響曲No2」
尾高忠明 N響 ブラームス「交響曲No3」

ジュリアードカルテット ベートーヴェン セリオーソ
ギル・シャハム Vn フォーレソナタ
ジョン・アクセルロッド N響 チャイコ「くるみ割り人形」
キリル・ペトレンコ指揮 ベルリンフィル ブラームス「交響曲No3」

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夏の音楽祭シリーズ
 ウイーフィル サムソンとデリラ
 ライプチヒバッハ音楽祭 コレギウムジャパン ミサ曲ロ短調
 ワルとビューネ音楽祭 ネルソンス指揮ベルリンフィル ローエングリン
 ザルツブルグ音楽祭 マクベス
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物故音楽家
 メヘナムプレスナー Pn
 イングリッドへブラー P
 外山雄三
 飯守泰次郎
 西村 朗
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No92日本音学コンクール 優勝者たち5人

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 この番組で初めて見ることができた演奏家が多い。
 随分と多彩な技能のある演奏家たちが多くの楽曲を取り上げている。

 10年前のデータと比較してみると、演奏家の顔ぶれ、演奏曲目は一変し、私にとって耳慣れない曲も多くなってきている。
 優劣はつけられないが、キリル・ペトレンコ指揮 ベルリンフィルの画像を初めて見て感じ入った。彼はわずか6回の客演で首席指揮者に抜擢された、という。逸材なのだろう。

 私にとって貴重な録画資料となった。


1/3(火)曇り小雨 年始休暇3日目 
2:20起床。夜間積雪ゼロ、新聞チェック、文献、本読み。いつもと同じ。8:45書斎に暖房入れて整理。録音データ整理。昼食後14:00家内に同乗、飯川病院ガレージ内の植物を屋内に運ぶ。病棟チェック、患者は安定、読書。19:00帰宅夕食、22:45就寝。歩数Σ5352歩。能登地震の対応は交通インフラの破壊のために対応が遅々としている様子。JALと海自機の衝突事故の原因は明らかになりつつある。

日本の音楽界は2023年はどんな年だったのか(1) 年末のNHK特集番組から

 私は音楽を全般的に好むが、基本的にはクラシックと言われるジャンルが好きである。ただ、最近はゆっくり鑑賞する時間がなく、日常的には歌謡曲、流行歌、演歌などと分類される楽曲をラジオやパソコン等で聞き流している。

 音楽関連の月刊誌「音楽の友」は1946年から刊行されたというが、私は定期的に購読したのは1971年からでもう50年近くになる。

 この雑誌には全国でどのような演奏会が催されたか、オーケストラ情報、どのような演奏家が来日するのか、などの情報を得るのに有用である。
 各地の演奏会の様子などもリポートされる。

 しかしながら、文字情報も有用であるが、音楽は演奏を聴けなければその価値は激減する。

 幸いNHKには音楽関連の放送が多い。「音楽の友」で得た情報のいくつかはNHKの放送で、演奏会の全て、またはその一部を高音質でTV、FM、インターネットラジオで聴くことができる。特にインターネットラジオは雑音もなく音質もとてもいい。
 その際、「音楽の友」の演奏会情報はとても有用である。

 とりわけ、毎年年末には「日本の音楽界はどんな年だったのか」を提示するダイジェスト番組が放送される。

 昨年も年末の12月31日夜、「N響第九特別演奏会」に続いて放送された。個々の演奏は2−5分程度しか聞けないが、それでも文字情報で我慢していた演奏会の様子、演奏者の姿を垣間見ることができた。

 今年も国内では多くの演奏会が催された。
 今年は放送された演奏会のうち注目した演奏会や演奏者をリストアップしてみた。


1/2(月)終日曇り 年始休暇2日目 積雪なし 羽田で海自機とJAL機衝突
0:30起床。地震津波のニュースをラジオ聞き続けた。徐々に被害が明らかになってきている。文献検討。徒然など記述。微睡、読書、早朝・午前ともに読書等座学中心。午後、元旦の新聞のうち付録的部分読む。14:00家内とともに病院へ。入院患者は比較的落ち着いていた。18:00頃羽田で事故があったらしいが詳細不明。19:10帰宅、夕食、21:30就寝。歩行Σ4528歩。羽田事故は海自機と着陸したJAL機が滑走路上で衝突、海自機で5名死亡、JAL機は炎上したが400名近くの乗客乗員は全員機外に逃れた、という。奇跡的、というべきだろう。



NHK交響楽団の第九演奏会

 1月1日午後は書斎に籠り12月22日にNHKホールで行われた下野竜也指揮、NHK交響楽団の「第九演奏会」を録画で鑑賞した。

 下野氏は、2001年にブザンソン国際指揮者コンクールで優勝、読売日響正指揮者、京都市響常任を歴任、現在、広島交響楽団音楽総監督などを兼務。
 N響とは2005年から共演。2023年10月にN響正指揮者に就任した。

 演奏者は、N響定期響、sp中村恵理、msp脇園彩、tn村上公太、ba河野鉄平、新国立劇場合唱団。
 
 最初に、バーバーの「弦楽のためのアダージョ」が演奏された。葬送の音楽として奏でられることが多い曲。

 次いで「第9」の演奏。
 下野によって隅々までよく考えられた「第九」。私はすぐに演奏に引き込まれた。充実感のある「第九」で、私は堪能した。

 ベートーヴェンの「第九」はバーバーの「弦楽のためのアダージョ」ととも祈り平和の祈願と歓喜の曲である。

 ヨーロッパでは二つの紛争が起こっていてともに出口が見えない。

 それもあって、今年の「第九」はひとしお感慨深く聴こえた。

 

1/1(月)終日曇り 年始休暇初日 舩杉一家離秋 夕方能登地方で大規模地震・津波
1:30起床。ネコ対応、文献検討.徒然など処理。9:00舩杉一家離秋、微睡。ネコ対応、読書。午後、元旦の新聞読む。10:00-13:30書斎に籠り「N響第九特別公演」味わう。「名演奏2023」視聴。多忙でなかなか音楽番組を視聴できなくなった私にとっては貴重な記録であった。夕方16:10能登地方で震度7以上の大規模地震発生、直ちに津波情報が発令された。19:00お餅とおせちで夕食、20:30就寝。病棟から栄養の投与ルートの自己抜去の報告あり。歩行Σ4980歩。運動不足。

2024年元旦 明けましておめでとうございます


2024年元旦 明けましておめでとうございます。

 今年が良き年でありますよう、願っております。


 (今年の玄関のしめ飾りは世界と日本の平和を願って2種掲げた)

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 午後、16:10北陸地方で震度7ほどの大規模地震、津波も発来している。
 余震と思われる揺れも頻発しているようだ。

 詳細はまだ不明。
 当該地域の方々、被災された方々には心からお見舞い申し上げます。


 12/31(土)大晦日 曇り小雨 年末休暇二日目
 4:00起床、ネコ対応、読書中心。いつものごとく、7:00昨日のオードブル中心に朝食。読書、微睡など。13:00年越しそばで昼食。14:00買い物、回診に行く家内に同乗病院に。読書、データ整理微睡で過ごす。新聞チェック+入力。ラジオの録音数件。データ整理・・・。19:00帰宅、明日離秋する長女一家含め7人で大晦日のおせち料理をつつく。
夕食後、久々NHK紅白歌合戦を観ようとしたがどんちゃん騒ぎの設定についていけず早々に頓挫、21:00就寝。歩数計Σ4265歩。

?2023年この一年(7)  感謝の気持ちで締めたい ? 時間の経過は実に早い。本年もついに大晦日を迎えた。 

 最近やたらに睡魔が生じてくる。身体が求めているのだから・・と、業務や日常作業の隙間が生じればその欲求にできるだけ応じている。早朝に起き出すという変則的な生活の歪みが関係しているのかもしれない。

 私の好きな言葉は「継続は力なり」であったが、ここ数年来、「もっと無計画に、適当に生きてみたい・・・」と思い、昨年あたりから「できるだけズルしたい、手抜きしたい、楽したい」に進化した。

 手を抜けるところは抜きたいものだ、とウジウジ考える。今年は5日連続で除雪を要したが、ここ数日暖かくかなりかなり溶けてしまった。これだけでも嬉しい。

 いま時計は23:30を示している。あらゆることに感謝の気持ちを抱きながら新年を迎えよう・・・などなど、考える。
 
 今年も無事終わりそう。本年分の記述はここまでとし、ズルさせていただく。

 この一年、ありがとうございました。


 12/30(土)曇り温暖 年末休暇一日目 恒例の餅つき大会?
2:00起床、読書中心。いつものごとく、7:00コンポスト処理。9:30オードブル等買い物、に行く家内に同乗、病院に。いつもの如く。昼食は田吾作弁当。15:00病棟対応。読書、新聞チェック、自炊3冊。17:00迎えあり、東天紅に立ち寄り休宝寺に。恒例の餅つき大会+親睦会、21;30帰宅。22:00就寝。歩数計Σ1256歩、自宅に忘れたため。??2023年この一年(6)  我が家の出来事(2) 諸々に対し

感謝の気持ちで締めたい ? 時間の経過は実に早い。本年もついに晦日を迎えた。 

 ずいぶん本を購入し読んだ。野菜を作った。ダリアを育てた。ただし、想定外の熱暑のために作柄は良くなかった。
 秋田の水害は特記すべき事件であったが、私共は直接の被害は被らなかった。

 毎日の新聞、読書、文献整理その他などを通じていろいろ情報を仕入れ勉強し、データとしても蓄積した。無知であった自分を恥じながら、新しい史実、事実を学んで日々一人で感激している。

 最近、体力・気力の衰えが顕著である。徒然日記の更新にも穴が開くようになった。バランス感覚の衰えか筋力低下か、時折ふらつく。それに視力障害が進んだ。白内障の対応が必要なことは理解しているが、とても良く見える距離があり、この部分の視力が治療でどうなるかわからないのでまだ決めかねている。

 一方、まだまだ読書欲は衰えていない。この一年間に新しく購入した書籍だけでも100冊を超えている。全部解体しデータ化しiPadで読む。よく読んだ、と思う。

 本日夕方左奥歯の被せ冠が干し芋を齧っているときに外れた。新年早々通院が必要となった。ご無沙汰している歯科に歯の方から受診を誘導してくれたのだろう。

 本日は家内の発案で恒例となっている餅つき大会が休宝寺で開催され、老若男女20人余が集まり旧交を温めた。秋田に越してきて以来世話になった家内の両親を頂点にこれだけの多数の人間関係が生まれてきている。驚きであり、感謝である。

 我が家のネコたちはとても元気、毎日明るい話題を提供してくれている。横浜で拾われた18歳の老ネコの「ユー」はボケ症状が出ているがなんとか頑張っている。

 私がこうして無事年末を迎え得たのは、やはり多くの方々のお陰である。
 私が最近よく口にする標語は「寛容」、「忍耐」、「感謝」であるが、この一年、まだ一日あるがいつもより深い「感謝」の気持ちを込めて締めたい。

 ありがとうございました。


12/29(金)降雪なし 大曲中通病院外来 リハ病院御用納
 2:00起床、文献読みほか。5:50可燃ごみ2袋提出、今年最後の。市の依頼を受けたごみ処理業者のスタッフの方々この一年間ご苦労様。7:30Taxi駅東に。道路に雪なくスムーズに進行。8:11こまち、8:50大曲中通病院。今年最後の外来。往復ともTaxi、15:30長崎屋経由病院、上野氏のおひとり様関連書籍購入。病棟対応。微睡など。リハ病院御用納、病棟婦長、総婦長の立派な挨拶あり。主任達からスイーツとお茶いただく。私どもは歓迎されている、との実感を持った。19:20帰宅、21:00就寝。歩数Σ7432歩。夜半に舩杉氏到着予定。

2023年この一年(5)  我が家の出来事(1) 健康・職場環境 
 時間の経過は実に早い。本年も晦日を迎えた。

 (1)私の健康
 5月5日午後、急に呼吸困難が生じ私が勤務している病院の救急外来受診、診察直前には意識も飛んだらしい。心臓由来の急性呼吸不全とのことで死を覚悟したが、酸素12L+αの吸入ほかで比較的短時間で改善、結果的にはことなきを得た。
 改善後の心機能検査では全般的に低下状態にあり、運動量3.7メッツ以内に行動を抑えるよう指示を受けた。冠動脈造影では狭窄部が見つかったが、ステント治療は受けていない。だから、先が読めない。

 (2)家族たちの健康面
 病身の家内は大きなトラブルなくほぼ健康的に過ごしている。最高である。3人の子供たちも元気、5人の孫たちも何れも個性豊かにすくすくと育っている。年長の孫はでっかくなってジジイの背を超えそうだ。
 賄いの石井さんも弱ってきたがなんとか頑張っている

 (3)飯川病院閉院
 家内が傭われ院長、私はその補助医+作業員として午後に勤務していた飯川病院が設備は老朽化が理由で3月末で閉院となった。
 私どもは隣の中通リハビリテーション病院に嘱託医として雇用された。中通リハビリテーション病院では電子カルテで運用されており、家内77歳、私78歳で、うまく対応できるか不安もあったが、何とか細々と対応できている。飯川病院のスタッフ20数名は、各々苦労しながら法人内の医療機関で働いている。

 (4)中通リハビリテーション病院
 赴任後当初は前任の医師も含め3人体制であったが徐々に5F病棟を2人に任されるようになった。当病棟は婦長を中心に運営はとてもスムーズでスタッフ達の礼儀もよく、職場としての雰囲気もよく、感心し、快適に働いている。

 3月下旬には飯川病院からの患者10数人と私どもを受け入れた。
 7月には秋田市の水害のために診療に困難をきたした中通総合病院からの患者を緊急に数名受け入れた。
 11月には病棟内でCOVID-19のクラスターが発生、8割程度の患者が感染したが、約一月の経過で死亡者を出すこともなく乗り切った。スタッフたちの乱れぬチームワークが功を奏した結果である。感心した。

 (5)私は月火金の午前+αは健康クリニック、中通総合病院、大曲中通病院の診療もあるためこれらの日はに一気に多忙となった。休日も利用して何とか対応しているのが現状。ただ、4月以降日当直が全く当たらず休日は開放感に浸っている。

 (6)私共は何とか職場では歓迎されている(?)ように感じられる。この歳になってのことで、ひたすら嬉しい、と思う。

 今後も周辺の方々に感謝しつつ、健康に注意しつつしっかりと果たしていきたいと考えている。


12/28(木)曇りのち快晴温暖降雪なし  中通リハ御用納  
3:00起床、一昨年オリンパスPV-10不調廃棄。ネコ相手して医学文献、新聞などチェック。座学、データ移行。8:30家内に同乗病院、微睡、本読み、その他。不明の外耳道出血のRS例中通の耳鼻科に。13:00病棟対応、新入院患者対応。読書。新聞チェック、データ化19:30帰宅、夕食、21:00就寝。歩数計Σ4978歩。中通リハ御用納なるも特に行事なし。静かな年末に。

2023年の出来事のまとめ(4) 国際的ニュース
 共同通信社版 秋田魁新聞より引用させていただいた。

1位 ガザで戦闘激化、死者2万人に
 10月7日、パレスチナ自治区ガザを実効支配するイスラム組織ハマスの戦闘員が越境し住民を殺害、多数を人質にした。 ハマス壊滅を訴えるイスラエルはガザを空爆し地上侵攻。病院や学校、国連施設も攻撃されガザ側の死者は2万人超に。人口8割以上の約190万人が避難を強いられ、水や食料、エネルギーが欠乏する人道危機が続く。 7日間の戦闘休止中に人質解放で進展はあったが、米国の拒否権発動で国連安全保障理事会も機能せず。イスラエル側の死者は約1200人。

2位 ウクライナ侵攻2年目、戦争長期化
 昨年2月に始まったロシアの侵攻は長期化の見通し。米欧の武器供与を受けるウクライナは6月に反転攻勢を開始。しかし、戦況は膠着状態に。水力発電所の巨大ダムが決壊し洪水被害も。

3位 大谷が日本人初の米大リーグ本塁打王、2度目の満票MVP
4位 米FRBが利上げ停止。 一時円安止まらず
5位 中国の習近平国家主席が初の3選
6位 WHOが新型コロナ緊急事態宣言終了
7位 WBCで侍ジャパン優勝
8位 生成A巡り国連で規制と活用のルール作り議論

9位 GDP世界第3位が日本からドイツへ
 国際通貨基金 (IMF) によると、 今年の日本の名目国内総生産(GDP) はドル
ベースで世界3位から4位に転落、ドイツに逆転される見通し。 円安によるドル換算の目減りやドイツの物価上昇率が背景に。

10位 北朝鮮がICBM発射、 軍事衛星打ち上げも
 大陸間弾道ミサイル (ICBM)「火星15」を発射し日本の排他的経済水域(E
EZ)に。固体燃料型の「火星1」も試射。2回失敗した軍事偵察衛星は11月「成功」と発表された。

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参考資料 2022世界の10大ニュース
【1位】露、ウクライナ侵略
【2位】エリザベス女王死去(96歳)
【3位】韓国雑踏事故158人死亡
【4位】カタール W杯開催
【5位】世界COVID-19 感染6億人
【6位】原油急騰100ドル突破
【7位】習氏3期目
【8位】世界人口80億人
【9位】上海都市封鎖
【10位】マスク氏、ツイッター買収


12/27(水)曇り積雪なし 医局会
 2:10起床。ネコ対応、徒然など。8:50家内同乗病院に、微睡、座学。11:00病棟対応。13:00医局会、14:30合同カンファレンス、入院患者処置。新聞チェック、入力、座学他、19:30帰宅、夕食、21:00就寝。Σ5369歩。夜長女と孫帰秋。

2023年の出来事のまとめ(3) 国内のニュース
 共同通信と全国の加盟新聞社の編集・論説責任者、契約放送局の報道責任者らが
選んだ今年の10大ニュース(共同通信 秋田魁新聞)。

2023年 10大ニュース 国内版
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1位 自民派閥の裏金問題、
  自民党派閥のパーティー裏金問題。安倍派閣僚らの事実上の更迭、関係議員の任意の事情聴取、そして安倍派、二階派事務所が家宅捜索された。政治と金の関係は古くて、かつ常に新しい問題。他の先進国はどうなっているんだろうか?

2位 ジャニーズ事務所の性加害に被害の声続出
 故ジャニー喜多川氏による性加害問題で極めて重要であるが、私には実態が理解できていない。なぜこれほどまでに被害が多かったのに今年まで表に出なかったのか??その後の報道を見ても、読んでもよく理解できない。

3位 新型コロナが5類へ移行、訪日客増加
4位 物価上昇率が41年ぶりの伸び
5位 酷暑の夏、平均気温が過去最高に
6位 福島第1原発処理水放出、 中国が輸入停止
7位 旧統一教会の解散命令請求
8位 将棋の藤井聡太竜王が全8タイトルを独占
9位 広島でG7サミット、 ゼレンスキー氏来日
10位 阪神タイガースが38年ぶり日本一

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参照
?◆2022年の十大ニュース
【1位】安倍元首相撃され死亡
【2位】知床観光船沈没事故
【3位】円安1ドル150円突破
【4位】旧統一教会 政治問題化
【5位】COVID-19 感染1日10万人
【6位】辞任ドミノ、閣僚更迭相次ぐ
【7位】五輪汚職、組織委元理事ら逮捕
【8位】宮城・福島で震度6強、新幹線脱線
【9位】サッカーW杯日本代表16強、野球界で大谷、村上、佐々木朗希活躍 
【10位】藤井竜王 最年少五冠

【番外】
北京五輪 冬季最多メダル
改正民法施行、成人年齢18歳に
3歳女児、通園バスに取り残され死亡
北ミサイル発射相次ぐ 
山口・阿武町が4630万円誤給付
夏の甲子園で仙台育英優勝、東北勢初 
沖縄本土復帰50年
などなど。


12/26(火)曇り小雪午後快晴 中通病院外来 患者救急搬送  
2:20起床。本読み、データ整理、徒然などゆったり過ごす。除雪なし。5:30可燃ゴミ集積所に。足元凍結滑って厳しい。6:40バス病院に。患者胸部苦痛の訴えあり。7:00-8:00病棟対応、8:45-12:40中通病院外来、今年最後、混雑なし。13:00救急外来へ患者SF氏搬送、14:30帰院、微睡、新聞入力、読書中心に。病棟対応。19:30帰宅夕食。21:00就寝。Σ9286歩。

2023年の出来事のまとめ(2) 秋田県に関連するニュース
 秋田魁新報社が読者から募集した2023年の秋田県に関連の深い10大ニュースが決まった。?
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??1位:県内で記録的大雨
 秋田市の市街地が冠水、病院が救急診療を停止するなど、自然が猛威を振るい、住民の日常を奪った。

? 2位:クマ異常出没、人身被害多発
? 3位:県内猛暑、横手で39.2度
? 4位:佐竹知事、四国の料理けなし陳謝?
? 5位:女子マラソン・鈴木選手パリ五輪代表に
? 6位:横手市の再開発ビルに施工不良
? 7位:秋田港、風車13基が商業運転開始?
? 8位:秋田市の人口33年ぶり30万人割れ
? 9位:秋田市で特殊詐欺被害、過去最高1億3600万円?
10位:1等米比率58.2%

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参照
?◆過去3年の十大ニュース
【2022年】
?(1)ミルハスがグランドオープン
?(2)県内、記録的大雨
?(3)サキホコレがデビュー
?(4)「西馬音内の盆踊」「毛馬内の盆踊」が無形文化遺産登録
?(5)秋田の夏祭り、3年ぶりに開催
?(6)児玉前鹿角市長逮捕、官製談合疑い
?(7)東北絆まつり、来場者11万人
?(8)新型コロナ感染者、県内累計10万人超える
?(9)サキホコレ「特A」
(10)ハピネッツが初のCS進出 ??

【2021年】
?(1)菅首相が退陣表明
?(2)県内大雪、暴風雪
?(3)ワクチン接種開始
?(4)縄文遺跡群、世界遺産に
?(5)サキホコレ先行販売
?(6)コロナ感染急拡大
?(7)佐竹知事4選
?(8)横手で鳥インフル
?(9)聖火リレー、秋田路駆ける
(10)東京五輪・パラ、県勢躍動

【2020年】
?(1)菅氏、第99代首相に就任
?(2)コロナ禍、一斉休校や休業要請も
?(3)地上イージス配備撤回
?(4)新品種米の名称は「サキホコレ」
?(5)夏の行事、軒並み中止
?(6)ブラウブリッツ秋田がJ2昇格
?(7)漫画家・矢口高雄さん他界
?(8)コロナ感染拡大、部活動に影響
?(9)クマ襲撃、藤里町の女性死亡
(10)バド永原・松本組、東京五輪確実

12/25(月)寒気若干緩む 健康クリニック  
2:00起床。徒然などゆったり過ごす。除雪なし、ただ、飯川病院のガレージの入り口の雪を退けるために7:50家内に同乗、ツルハシとスコップ持って病院に。既に除雪されており、空振り。9:00-11:30健康クリニック、11:45飯川病院。データ整理など。14:00-19:00飯川病院勤務。入院患者対応。微睡など読書、新聞チェック。19:30帰宅、夕食。21:00就寝。Σ7619歩。家と健クリで体調不良、コントロール困難状態に陥った。何とか人知れずに対応できたが先が思いやられる。

2023年の出来事のまとめ(1) 秋田県内、国内。国際・・・
 一年の出来事をまとめる季節となった。

 私はこの時期が好きである。新聞を中心としたメディアはこぞって各界の10大ニュースとして社会の出来事などのまとめを取り上げる。

 私は毎日の生活記録をつけていて、折々に生じた社会の出来事などについてコメントを加えているが、私の記録では年間の動きを俯瞰的に見るることは苦手である。だからメディアの記事は参考になる。

 かつてはメディアの記事を参考に自分で再評価して再編集を試みた時期もあったが、最近は時間が乏しくそのような修飾は無理となった。

 そのために近年では新聞記事をそのまま引用することが多くなった。それに多少自分の考えをコメントとして付け加えることもある。

 それにしてもこの一年の中で生じた出来事を資料がなければうまく思い出せないようになった。そうはいってもきっかけさえあれば各項目は鮮明に思い出すことができる。

 だから、これは認知機能障害ではなく、加齢に伴う記憶障害の範囲、思い出し機能の低下のためである。そう認識することができた。
 自分を慰める時期でもある。
 


12/24(日)寒波まだ続く曇り降雪 除雪5回目
 2:00起床、いつものごとくデータの更新・整理、コンピューター関連読書、新聞チェック。徒然ほか、微睡。7:00-8:00除雪5回目。NHKラジオでは音楽の泉。日曜討論と進む。後者は人口減少を取り上げた。ついでこども電話相談の予定であったが高校駅伝のためになし。TVにて感染した。12:00家内に同乗病院に、駐車場入れられず。微睡後15:00-16:00病棟業務年末年始用処方、点滴入力。19:00帰宅、夕食、21:00就寝。Σ9489歩除雪関連。夕食時にケーキが出た。

全国高校駅伝大会 東京五輪の円谷の姿を彷彿させたデットヒート
 NHKラジオ日曜の朝は8:00「音楽の泉」、9:00「日曜討論」と進む。後者は今朝は人口減少問題を取り上げた。10:00「こども電話相談」の予定で毎週楽しみにしているのだが、本日の「こども電話相談」は全国高校駅伝のためになかった。
 
 TVに切り替えて観戦した。特に目当ての高校や選手などはなかったが、高校生たちが力を出し切って走る姿には目を惹きつけられる。

 優勝候補の仙台育英は2区でトップに立ち第4中継所で2位の立命館宇治に30秒、3位の神村学園には1分20秒差をつけていた。そのまま逃げ切るかとと思われていたが、神村学園のアンカー、Cカロラインが力強い追い上げを見せ、競技場のトラック上でラスト100mで首位を奪う劇的な展開となった。
 
 素晴らしい勝負が展開された。
 私は1964年(昭和39)東京五輪の最終日、浪人中でほとんどTVは見れなかったが、最終日の男子マラソンは観た。優勝はエチオピアのアベベであったが、円谷は最後の国立競技場のトラック上でイギリスのヒートリー選手に抜かれたものの、第3位の栄冠を獲得した。
 私は今日の駅伝を見て東京五輪の最後のデッドヒートのシーンを思い出し、円谷の時と同様の感動を覚えた。

 仙台育英のアンカーの選手は大きなショックを受けたであろうが、彼女の走りも立派で、彼女が果たした役割は大きかった。しかし、1分20秒差を追い上げ、追いついたCカロラインの想定外の持久力、最後のスパートは驚くべきものであった。私は両人を称えたい。
 
 ただ、残念なことに全国高校駅伝競走大会の実行委員会は24日、来年の大会から男女とも外国人留学生の起用を最短距離の3キロ区間のみに制限すると発表した。外国人留学生はこれまで最長の1区(男子10Km、女子6Kmを除いて起用できたが、来年の大会から、留学生が走れるのは男子が2区か5区、女子は3区か4区の3Km区間に限られることになった。

 今回の決定に先立ち、都道府県高校体育連盟の陸上関係者に意見を求めるアンケートを実施したところ、留学生の区間制限に過半数が賛成した、という。ちょっと甘くはないか??

 私は優れた選手が勝つのは当然と思うから、外国人留学生の出場人数の制限はやむを得ないとしても、他の部分に制限をかけるのは不公平と思う。

 それも、劇的な勝負を展開した本日の感動が冷めやらぬうちにこの決定が発表されたことに、大会関係者の配慮のなさが見て取れる。
 嫌な気分も味わった。

12/23(土)曇り降雪若干 積雪10cm  除雪4回目
1:30起床、いつものごとくデータの更新・整理、コンピューター関連読書、徒然ほか。
ここ数日は記録的寒波降雪の予報、九州を含め全国的に大雪情報、北陸等では50cm超の積雪が予想されている。秋田市内も荒れつつある。一昨年初除雪、昨年は未だであった。7:00-8:00除雪4回目。一応全範囲。13:00家内買い物、私は病院で過ごす。保阪正康氏の昭和の歴史ピックアップ開始。19:00帰宅、夕食。21:00就寝。Σ9557歩、除雪関連。

季節の話題(21) 忘年会に代わる福引大会 
 昨日22日は中通リハビリテーション病院内福引大会であった。

 COVID-19流行後の2020年以前は年末には秋田地区の病院関連施設を中心にホテルの宴会場で忘年会ならぬ年末大交流大会が催されていたが、それ以降は開催されていない。

 私は法人に勤務してもう38年になるが、忘年会に出ると「その年のことを忘れてしまう」から勿体無い、という理由で法人の秋田地区の忘年会には1-2回しか参加しなかった様に思う。
 院長の時は医師の派遣をお願いしている大学の医局の忘年会が10回ほどありこちらの出席は立場上欠かすことが出来なかったから結構多忙であり、私の記憶も飛んでしまった。

 その後、中通総合嘱託になってからの様子はわからない。COVID-19以降は代わりに各病院や施設ごとに小さなイベントが模様されていた様である。

 今年4月から中通リハビリテーションの嘱託になって初めての年末の会である。この病院では忘年会の代わりに院内福引大会が行われている、という。
 資金がどこから用意されるかわからないが、一位は象印の「高級炊飯器」、二位が掃除ロボットの「ルンバ」、三位は・・・、以下順次、「秋田こまち5Kg」、「巨峰セット」などと続いていた。
 私どもも景品の供出を求められ、詳細不明なので辛子明太子のセット(五千円相当)を十本供出した。

 当日、私にとって初めの行事で詳細不明なので17:00からの抽選会に出席した。会議室で院長が全職員の名前を書いた券を引くといういうもの。その状況はZOOMで各職場に中継され、当選者が受け取りに来る、という形態。なかなか楽しげで、当選者は三々午後当選した景品を取りに会場に来ていた。

 私は生きる上では運のいい男だ、と自認しているが、このようなイベントでは運はとても悪い。大当たりして喜んだという記憶はほとんどない。

 今回も同様であった。18:00最後のくじ引きでも当たらなかったことを確認し自室に戻ったが、当選者はさることながら全職員が楽しみにしていたことが感じられ、いい気分で終わりを迎えた。


12/22(金) 冬至 寒波と降雪 大曲中通病院外来 積雪7-8cm 除雪3回目
 2:00起床、本日は嬉しい冬至。明日から夜明けが少しずつ早くなる。積雪7-8cm、除雪3回目。天候自体は厳しくなるも気持ちの上でとても楽になる。7:20Taxi駅東に。30分以上かかった。8:11こまち、8:50大曲中通病院。激しい降雪、往復ともTaxi15:30Taxi病院。微睡など。17:00リハ病院福引大会、家内5万円分カラメン提供。何も当たらず。19:00帰宅、鴨南蛮夕食、21:00就寝。歩数Σ6507歩。
 昨年2:40停電、6:00復旧。2Fからダルマストーブ下ろす際に階段踏み外しソフトに転倒、灯油抜いてあって大事に至らず。

季節の話題(20) 冬至2023 私には大きな喜びの日 柚子湯・カボチャ小豆粥考 
 本日23日は冬至。
 冬至は1年のうちで日の出の時刻が最も遅く、日の入りの時刻が最も早い日。今後、朝が明るくなるだけでなく、朝の日差しが徐々に力強くなって行く。

 冬が長い北欧ではこの日を「太陽の力が再び力を持って来る日」として祝う。
 我が国でも、古くは冬至が1年の始まりの日だつたと言う。その気持ちはよくわかる。

 私にとっては冬至は元旦よりも大きな希望の日でもある。
 何で冬至を重要視するのか、というと、私の早朝の作業が結構多いく通勤も厳しいから。

 私は家事分担として家事料理関連は一切しない。一切口も挟まない。賄いの石井さんがいるから掃除、洗濯もほとんどしない。私は共同作業が嫌いであり、分担している分野に中途半端な手伝いや介入を嫌う。
 代わりに、外仕事、家のメインテナンスは私が担う。ゴミ処理も全て担う。降雪期は早朝の雪かきも担う。

 私は1:00-2:00頃起床し、6:30前に出勤する。
 そのために5:00過ぎになると朝の作業の開始である。火曜・金曜は可燃ごみの日、5:30頃に集積所に向かう。10月末から1月末までは真っ暗闇の中の作業になる。自作のヘッドランプの灯のもとで作業を進める。そして道路状況に応じて一輪車またはそりで集積所に向かうが、暗闇の中では足元が滑るから危ない。

 心機能が落ちているためゴミ廃棄はちょっと辛い。約50分かかる除雪作業も、除雪機を用いるとは言え徐々に辛くなってきている。

 秋田では冬至は積雪状態で迎え、寒さはとても厳しい。本年の冬至は積雪がやや多く除雪はもう3回目である。

 実際の気温や天候は日照時間とは約2ケ月のズレがある。だから、冬至を迎えたとは言え秋田ではこれからが本格的な雪の季節である。 
 今後、一週間単位で見れば夜が明けるの早くなる。これが私にはとても嬉しい。

 冬至といえば「カボチャと小豆」、「柚子風呂」である。
 高齢の賄いの石井さんがいるからこういう季節の生活の節目を感じ取れる料理等が用意される。貴重である。 

 除雪のストレスに悩み、春を待つ心が誰よりも強い私にとって、冬至は一年の新しいスタート日でもある。
 私にとつては暖かさの実感はまだまだ遠いが、植物のなかにはいち早く花芽が用意され、太陽の恩恵を受け、開花し始めるのもある。

 私は暖かさを実感できるまでの日々を、寒さと雪と対話しながら耐えて過ごす。


12/21(木)曇り積雪1?2cm午後から寒波降雪   
2:00起床。いつものごとく、ヴァイオリン「HIMARI」の演奏に魅入る。12歳、恐るべし。座学中心。8:30家内に同乗病院、座学、11:00病棟対応。入院2名、13:00患者家族面談。再度病棟対応、座学。19:30帰宅夕食。21:00就寝。歩数Σ4936歩。



12/20(水)曇り 積雪なし 
1:30起床。ほか、ほぼいつもと家内干し芋購入16万円?? 徒然などゆったりと過ごす。8:30家内に同乗病院。微睡、新聞チェック。昼は弁当、14:30-16:30病棟カンファ、患者処置。19:00帰宅夕食。20:00就寝。Σ4636歩。


12/19(火)曇り時に晴れ 積雪6cm除雪第二回目 中通病院外来 
1:30起床、ネコども大バトル??夢だったのか?? 文献読み。データ整理、5:00可燃ゴミ出し+資源ごみ2袋、除雪第二回目、疲弊した。6:40バス、発車時車内でふらつく。7:00-8:00病等業務、看取り一名。8:45中通病院外来-12:50、除雪の疲れもあって疲弊。微睡、15:07看取り更に一名、19:00帰宅、21:00就寝。Σ11804歩、久々大台に、除雪のため。


12/18(月)曇り小雪寒波 健康クリドック 積雪4cm除雪第一回目
 2:20起床、徒然、文献読み。積雪4cm除雪に悩むざっと一往復で第一回目。6:40バス病院。7:00-8:00病棟、点滴処方入力、9:00-11;30健康クリニックドック13名+結果判定14名。11:45病院へ。微睡とか。14:00入院患者対応。以降座学、19:30帰宅夕食、20:40就寝。Σ8742歩。昨年頻用しているオリンパスPJ-20の外部出力部分が故障


12/17(日)暴風雨説寒波終日 
 2:00起床、本読み、徒然。暴風雨説寒波終日、いよいよ冬将軍到来。幹事機、除雪用ズボンなど用意。午前は座学、のど自慢。13:30家内に同乗病院。読書、データ整理。新聞チェック、微睡。15:00病棟対応。家内は餅つき準備、料理など算段。今年は東天紅の仕出らしい。18:00帰宅、19:00夕食、21:00就寝。Σ3614歩。

日米開戦82年(10) 大戦前史(9) ついに開戦へ
 1940年9月27日、政府はドイツ・イタリアと結んでいた防共協定を強化する「三国軍事同盟」に調印した。この同盟では、欧州においてはドイツとイタリアが、アジアにおいては日本が指導的地位に立つことを承認し合い、さらに軍事・経済・政治の多方面にわたる相互援助関係が築かれた。

 こうした動きにアメリカ、イギリスが態度を硬化させた。

 当時、日本はアメリカとの貿易が盛んで軍需物資の大部分をアメリカに依存しなくてはならない状況にあった。1940年頃には、鉄類の69.9%、石油76.7%、機械類66.2%もアメリカに依存していた。

 イギリスでは1940年11月からはアメリカとの間で対日戦に向けた協議が始められた。

 このような動きの中で日本が干上がるのも時間の間題となり、東南アジアの資源を求める必要性はより強くなった。

 一方、日米交渉をより円滑に進めようと国内では第三次近衛内閣が成立した。しかし、日本軍は東南アジアへの進駐を強行。ここに至りアメリカは、在米日本資産を凍結するとともに、日本に対しての石油輸出を全面禁止、 イギリス・オランダもこれに倣った。

 近衛首相は陸軍を説得して中国大陸からの一部撤退を提案しアメリカとの妥協を図ろうとするも陸軍の拒否に遭い実現せず。行き詰まった近衛は、それ以上の努力をせずに内閣を投げ出した。

 次に天皇から大命降下を受けたのは東条英機である。 10月16日に成立した東条内閣は、戦争準備と同時に、天皇に戦争回の道を探るよう示唆され、日米交渉を並行して進める方針でスタートした。

 石油の輸入ができなくなった当時、日本軍は1日に約1.2万トンの石油を消費しており、2年ほどで備蓄が枯渇すると計算されていた。
 東条内閣は対アメリカ交渉の最終期限を11月末とし、妥協点が見出せなったなら武力行使を12月初旬に開始と決定した。

 しかし、日本が提示しようとした妥協案は蒋介石、チャーチルの反発もあり、アメリカはこれを全面的に拒否し交渉は決裂、12月8日に武力行使開始と決定した。
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 本年12月8日に82回目の開戦日を迎えたのを機会に、それまで断片的であった歴史の流れを少しでも理解しようと日清戦争以降の歴史を再勉強した。

 日本が世界の潮流の中で必死に適合しようとしてきた歴史を理解できたが、2.26事件を機に軍部が大きく台頭した。それを許容したのも日本社会であった。
 
 最後に登場したキーパーソンの東條英機は私と同じく岩手県にもゆかりのある人物である。彼の伝記、評論などを読むと、性格・資質ともに決して宰相として相応しい人物ではなかったと思う。あの時点に至っては拝命を辞退することなど考えられず、さらに、彼以外の誰が率いても日本の行く道は大きくは変えられなかった、と思う。

 私は極東裁判で潔く責任を認めた氏の姿勢を評価したい。
 戦後の日本を救った中心的人物の一人、と評価している。


12/16(土)曇り夕方から暴風雨 昨年抜歯 
 2:30起床、読書、徒然ほか。新聞チェック、微睡、座学、読書三昧。データ整理、11:00雪かき等のどうぐ用意、12:00買い物ほかに行く家内に同乗、病院に。新聞入力など。16:00病棟対応、17:15帰宅、19:00夕食。20:00就眠。歩数Σ4879歩。昨年玄関先に融雪剤初使用。

日米開戦82年(9) 大戦前史(8) 第一次世界大戦(2) 日中戦争(支那事変)で疲弊
 満州事変ののちに、何故日本はずるずると、中国大陸での戦線を拡大していったのか?? ?
 いまは「日中戦争」と呼ぶが、戦略性がまったくないまま中国大陸の奥地へ奥地へと、当時の中国をまとめていた蒋介石を追いかけて行った。

 1937年(昭和12年)にいわゆる蘆溝橋事件が起きた。この軍事的衝突を始まりとして、一挙に日本軍と中国の蒋介石軍と毛沢東軍との戦争に発展していく。
 その初期に南京大虐殺とも言われる大事件が生じた。この事件では30万人が虐殺されたとも言われているが、その規模に関しての定説はまだない。ただ、南京以外の土地でも日本の軍隊が、多くの人を殺したことは間違いないだろう。

 日本軍はこういった大規模な戦争、とくに長期間の持久戦について、まったく準備していなかった。日清、日露戦争もわずか1年余りで終戦を迎えたし、それから占領についてのノウハウをきちんと持っていなかった。

 それ以上に、もう既に日本は、こんな広大な土地で大規模な戦争をやるだけの国力がなかった。それでもやらなければならなかった。中国軍にはイギリス・フランス協力なバックアップがあり、日本は手を引けなかった。そこに昭和の日本が持つ歴史的な問題が内在していた。

 第二次大戦の日本の敗北は、戦う前から決まっていたといっていい。
 経済的なデータをもとにすれば、日本に到底勝ち目がないことは、開戦前から軍の幹部たちはよく理解していた。

 そんな戦争をなぜやってしまったのか。
 昭和14年(1939年)に、ヨーロッパではドイツ対フランス、イギリス、ソビエトの戦争が始まった。
 日本は当時「三国同盟」をドイツ、イタリアとの三者間に結び、さらにソビエトとは日ソ不可侵条約を結んでいた。そういう形で日本は国際的な孤立を回避しようとしていた。

 退却や縮小を好まない日本の組織が、ヒトラー下のドイツの戦果に過剰に期待し、生き残るために勝ち目の乏しいイギリス、アメリカとの戦争に自らを追い込んでしまった。

 明治維新以降、日本はイギリスのバックアップを得て日清戦争、日露戦争を乗り切ったが、日中戦争ではドイツと同盟し、イギリス、フランスに対抗した。
 歴史的流れの中ではこのような国際関係の変遷は少なくない。


12/15(金)降雨終日 大曲中通病院  
1:20起床、積雪0cm、徒然、文献読み。可燃ごみ、資源ごみ廃棄。7:30Tax駅に。8:11こまちで大曲。大曲は往復Taxi。8:50外来業務。15:30長崎屋古書店、鷲田の著書購入。経由病院。微睡など。新聞チェックと入力。19:30帰宅、夕食、20:45就寝。歩数計Σ6692歩。

日米開戦82年(8) 大戦前史(7) 第一次世界大戦(2) 満州国擁立→日本が孤立化→大戦へ
 第2次世界大戦につながる流れを考えていくときに、「満州事変」を除いては考えられない。

 満州事変は、日本が日露戦争の結果、ロシアから譲りうけた南満州鉄道を守るために満州に駐留させていた陸軍の軍隊(関東軍)が、政府には何のことわりもなしに、当時満州を支配していた国民党の張学良軍を攻撃して追い払い、それを日本政府が追認して満州国として建国した (1931~32年)こと。

 要するに、日本人の土地ではないところに日本人が国をつくってしまった。このことは侵略という側面をもっていることは確かだ。

 私の勉強不足もあるのだが、当時の満洲はどうなっていたのか??特に、帰属が分からない地域である。その地域に各国がそれぞれ進出してきていた。
 ロシア人、日本人、イギリス人、中国人、ドイツ人と、さまざまな国の人間が競うようにしていい街をつくろうとしてきた。その歴史の痕跡は今も大連などにそのまま残っているらしい。

 日本は満州にこれらの国の人々が共存できる一種の合衆国をつくろうとしたらしい。

 日本人が満州で何をやろうとしてきたのか??
 当時、日本は世界貿易のなかから完全に閉め出された。
 日本が失った国際貿易というのか、経済の自由な領域を満州につくろうという発想がまずあった。日本が、満州国に対して掲げた国のスローガン「五族協和」はそういう意味だった。満州事変の当事者たちは、それくらいのスケールで考えていた。

 しかしながら、満州に独自の空間をつくろうとしたとき西欧との鋭い対立が始まった
 つまりそれまで西欧の大国がつくる国際秩序に頼って、そのなかで生きていこうとしていた道から、自分たちで新しい空間をつくり、そのなかで生きていこうとした。

 それまで、 適応という受け身の姿勢で国際社会に対してきた日本が、突然、独自の道を歩きだした。西欧の秩序と鋭く対立しつつも、日本が自分の歩く道を見つける挑戦であった。

 だから、満州建国は、白人中心の国際社会の反撃を買った。
 そして満州事変が、 日本の軍事的陰謀として国際連盟で追及されて、満州国
が承認されなかったために、日本は国際連盟から離脱した。

 実際、日本が新しい国を建国して、新しい政治・経済空間をつくるという構想をもったことが、欧米には許せなかった。
 日本は孤立の道を歩み始めたが、、結果的に第2次世界大戦に向かって行く。


12/14(木)快晴温暖?
2:20起床、積雪0cm,。文献読み。徒然ほか。8:30家内に同乗病院へ。カレンダー運び。まず微睡、10:00入院患者対応。11:00?12:00入院患者中心静脈カテ挿入、新聞チェック、PDF化。読書微睡三昧。14:00患者採血など。紹介状作成。19:00帰宅夕食、20:30就寝。歩数計Σ5097歩。??

日米開戦82年(7) 大戦前史(6) 第一次世界大戦(1) 世界秩序の崩壊
 昭和元年は1926年から始まる。

 第一次世界大戦 (1918年)はドイツとオーストリアが、イギリス、フランス、ロシア、アメリカと戦った。大戦には日本も参戦していたものの、ちょっと中国のほうでドイツと戦った程度だったが、戦勝国として国際舞台に招待された。

第一次世界大戦の影響は大きかった。
―――――――――――――――――――――――――――――
(1)18世紀から続いていた、ヨーロッパ大陸中心の世界秩序が崩壊。
(2)イギリスの支配力の零落。
(3)4帝国、すなわち、ドイツ帝国、オーストリア・ハンガリー二重帝国、トルコ帝国、ロシア帝国の崩壊。
(4)崩壊した帝国の後に新たに国をつくる必要が生じた。
(5)ベルサイユ会議で、国際連盟がつくられた。
 国際連盟は国際社会の大きな問題は、全部公開の場で話し合いで決めようという趣旨でつくった。もう戦争がない世界にしようという理想を掲げた。
――――――――――――――――――――――――――――――――-

 日本が明治維新以来、ずっと成長してこれたことの背景にはイギリスの圧倒的な支配力があった。イギリス流の国際的な経済の流通があったからこそ、日本は初めて経済的に自立できた。

 日本は国づくりのための資金や、戦争のための資金も、イギリスから調達した。日英同盟(1902年)を背景にイギリスはさまざまな形で日本をサポートし、日本は日露戦争に勝利できた。

 ところが、第一次世界大戦でイギリスが力を失った。

 そんな中、世界大恐慌が生じ世界経済は萎縮した。その結果として日本は明治以来成長してきた経済的環境が失われた。これまでの、自由貿易を前提としたやり方では日本は生きていけない。日本は完全に八方塞がり状態に陥った。

 どうする??。そのなかで出た一つの答が満州国だった。


12/13(水)曇り 小雨
1:30起床、文献読み。読書。徒然ほか座学。8:50家内に同乗病院、積雪0cm、午前座学。13:00病棟対応、病棟カンファなし。15:00入院患者処置。19:00帰宅、夕食、21:00就寝。歩数計Σ4738歩。

日米開戦82年(6) 大戦前史(5) 日露戦争(2) 朝鮮併合に至る

 日露戦争は薄氷の勝利で、もっと長引いていたら日本に勝ち目はなかったとされる。経済的にも限界を超えていた。しかし、日本がバルチック艦隊を壊滅したことによりロシアは早期に形勢逆転を起す手段が無くなり、拒否していた日本との講和交渉を受け入れた。

 日露戦争は初めて「白人の国に非白人が初めて勝った」、そういう画期的な出来事でもあった。18世紀、帝国主義の時代には「有色人種は白人に勝てない」、という思い込みがあり、「白人は世界の支配者」と信じられていた。

 同時に、日露戦争に勝ったことで、日本人は自分たちの国が凄い国だと誤解した。
 日露戦争後5年、1910年(明治43年)に日本は朝鮮を併合し、日本が朝鮮半島を自国の領土にした。
 日本の企業や官庁が朝鮮を収奪したが、一応体制としては併合という形をとっていたから、朝鮮王朝を潰すことはなく、さらに、一方で道路網や鉄道、発電所、学校などの社会インフラの整備を積極的におこなった。なにしろ、第二次世界大戦が終了し、日本の朝鮮支配に終止符が打たれたときに、 決算をしてみたら、日本側は大幅な赤字だった。

 他民族を支配する、それは誉められたことではない。しかし、日本人は独立国を維持するために「朝鮮半島をロシアや中国に渡すわけにはいかなかった」。もちろん朝鮮の人たちが、自力で国を守ってくれれば問題はなかったのだが、その力も意志もなかった。
 とにかく日本は独立国として生き残るために朝鮮半島をなんとしても保持しなければならなかった。

 朝鮮半島のその後

 1897年から1910年までは大韓帝国が半島を統一していたが、1910年からは「韓国併合」により日本の統治下となった。
 1945年の第二次世界大戦の終結とともに日本が朝鮮から撤退。その後、朝鮮半島の統治に乗り出したのが、連合国側のソ連とアメリカ。北緯38度線を境に、北側をソ連が、南側をアメリカが占領した。

 1948年8月15日、李承晩が宣言し、38度線より南側に「大韓民国」が成立した。同年9月9日、金日成が「北朝鮮」の成立を宣言。
 1950年6月25日、北朝鮮が突如北緯38度線を越えて南下を開始。朝鮮戦争が始まった。?
 韓国には日本に駐在していたアメリカが向かい、反対に北朝鮮には中国から大量の戦闘員が流れ込み、戦闘が続いた。
 
 現在も両国は戦時下にある。
 我が国にとって朝鮮半島の平和は今でも死活問題の一つである。



12/12(火)早朝降雨のち晴れ 患者死去 中通病院外来  
 1:43起床、患者死去にて起床、文献チェックなど。5:30可燃ごみ処理、雨にて提出なし。6:00Taxi病院死亡診断書作成、病棟患者対応。8:45-13:00中通病院外来。紹介状作成、越後屋クリあて、疲弊した。微睡、病棟対応、読書、19:30帰宅、夕食、20:45就寝。歩数計Σ6297歩。

日米開戦82年(5) 大戦前史(4) 日露戦争(1) またも朝鮮半島問題 悲惨な戦争であった
 日清戦争(1894年-1895年)に続いて 日露戦争(1904年−1905年)がおきた。この戦争も問題は朝鮮半島であった。

 日本は日清戦争で中国(清国)を朝鮮から押し返したが、今度はロシアが、満州から朝鮮に向かってきた。

 ロシアが朝鮮半島をとってしまったら、日本はとても独立を守れない。もしもこの時点で、日本がロシアと戦争をしていなければ、朝鮮半島はロシア領になっていただろうし、日本もロシアの属国になっていただろう。

 実際に、ポーランドやフィンランドといった、ヨーロッパでロシアと国境を接していた国は、みんな併合されたり、属国にされたりしていた。

 だから、日本が独立を保とうとすれば、絶対ロシアの南下を防がなければならなかった。

 西洋の国は、ひとたまりもなく日本が負けると思っていた。

 ロシアは当時、イギリスの植民地であるインドも狙っていたからイギリスと鋭く対立していた。

 イギリスと日本が日英同盟(1902年)を結び、ロシアと戦ったのが日露戦争だった。直接戦ったのは日本であったが、イギリスはさまざまな形で、日本をサポートした。大国ロシアを相手に悲惨な戦争となった。日本は国力の100%を出し切ってしまったが、なんとか日本はロシアに勝った。戦いが長引いていたら、日本は確実に敗れたことだろう。

 ポーツマス講和会議
 ロシアの満洲・朝鮮からの撤兵という日本がそもそも日露戦争をはじめた目標を実現し、新たな権益を獲得して強国の仲間入りを果たした。ロシア側は賠償金支払いなしの合意を日本から取り付けた。
 講和内容の骨子は、以下の通りである。
―――――――――――――――――――――――――――-
(1)日本の朝鮮半島に於ける優越権を認める。
(2)日露両国の軍隊は、鉄道警備隊を除いて満洲から撤退する。
(3)ロシアは樺太の北緯50度以南の領土を永久に日本へ譲渡する。
(4)ロシアは東清鉄道の内、旅順−長春間の南満洲支線と、付属地の炭鉱の租借権を日本へ譲渡する。
(5)ロシアは関東州(旅順・大連を含む遼東半島南端部)の租借権を日本へ譲渡する。
(6)ロシアは沿海州沿岸の漁業権を日本人に与える。
―――――――――――――――――――――――――――-
 ロシアでは戦争継続の主張も少なくなかった。日本は賠償金の放棄で世論の不満が高まったが、両国とも1905年10月に批准し、成立した。


12/11(月) 曇り夕方から降雨 健康クリニック 循環器科受診  
1:20起床、降雪0cm。文献読み。6:40バス病院。新聞休刊日。7:00-8:50病棟業務、9:00-11:30健康クリニックドック業務、14名+レ線判定15名。11:40病院、循環器受診忘れ再度中通病院。13:00-19:00勤務、入院患者対応。19:30帰宅、夕食、20:30就眠。Σ歩数計Σ7867歩。

日米開戦82年(4) 大戦前史(3) 日清戦争(2) 下関条約で朝鮮独立勝ち取る
 当時、中国は資金がふんだんにあり、日本よりはるか軍備は近代的であった。だから、西洋の国は、ひとたまりもなく日本が負けると思っていた。

 ただ、清国は日本とちがって、明治維新の如くの近代化改革がおこなわれていなかった。要するに中国の兵隊は、軍閥や将軍の手兵が寄せ集めで、国のために戦うという意識が殆どなかった。

 一方、日本には明治維新をおこしたエネルギーが充満していて、独立を守ろう、という意識・気運が国民全体に浸透していた。

 そこが中国とは決定的に違った。
 この差が、貧乏国の日本に勝利をもたらした、とされている。

 両国間に結ばれた講和条約が、下関条約である。
 1895年4月17日、下関で日本全権伊藤博文・陸奥宗光と清国全権李鴻章の間で締結された、日清戦争の講和条約。中国では馬関条約と呼ぶ。
―――――――――――――――――――――――――――――――――
(1)清は朝鮮の独立を承認する(宗主権の放棄)。
(2)清は遼東半島、台湾、澎湖諸島を日本に割譲する。
(3)清は2億両の賠償金を日本に支払う。
(4)日清修好条規を破棄し、新たな通商条約を締結する。
(5)開港場・開市場での外国企業による工場経営を正式に認める。
(6)揚子江(長江下流)の航行権を認め、沙市・重慶・蘇州・杭州を開市・開港場とする。
―――――――――――――――――――――――

 明治時代のころの国際社会では、戦争は大事な外交手段だった。
 その手段を行使できない国は、国際社会のなかで生き残れなかったし、植民地にされても仕方がなかった。
 日本は維新以降、戦争という外交手段が採れるよう国を挙げて努力に努力を重ねた結果が日清戦争の勝利であった。

 もしこのような準備がなく、時代の流れを消極的に捉えていたら、我が国が列強の配下に下り悲惨な植民地になっていた可能性が高い。

 鎖国が終わって突然投げ込まれた、残酷きわまる世界のなかで、なんとか独
立を守ろうという努力の結果としてに戦争があった。そして勝利したと言うこと。

 日清戦争の勝利がなければ今の日本はないし、当然私も生まれていなかった。


12/10(日)曇り時に晴れ 
 2:00起床、文献読み等淡々と処理。PDF化書類、ラジオ深夜便のMP3データを整理。2F。9:00外仕事、ガレージ掃除、園芸用支柱整理、農具、電動農具等整理、車の雪対策、散水用ホース仕舞い。これで外仕事の大部分終了。11:00同級会に行く家内に同乗病院、患者は落ち着いている。16:00帰宅、19:00夕食、20:30就眠。歩数計Σ4932歩。
昨年は除雪機整備、今年は先週済み。

日米開戦82年(3) 大戦前史(2) 日清戦争(1) なぜ日本と中国が戦争?? 重要であった朝鮮半島

 明治になって近代化路線が敷かれたとはいえ、国民の生活は苦しく、戦争や騒乱もあった。
 明治国家自体が、幕府と薩摩、長州という戊辰戦争の結果でできたもので、1877年(明治10年)には、近代化に不満をもつ士族たちの反乱、「西南戦争」があった。

 その後も、「 秩父事件」とか、 「加波山事件」 (ともに1884年明治17年)といった大きな暴動と、それにたいする強権的な制圧、死刑施行といった血なまぐさい騒乱が続いた。

 維新にともなう国内の混乱からたった10年、日清戦争で今度は中国と戦った。

 日本はなぜ中国と戦争しなければならなかったのか。

 日本も中国も、そのころ一生懸命近代化しようとしていた。
 
 近代化に取り組んでいる中国と日本が、朝鮮半島をめぐって衝突した結果が日清戦争であった。

 当時、
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 (1)中国は、朝鮮を 「属国」と見做していた。
 (2)朝鮮も、中国の政治や文化をそのまま取り入れ、中国の清王朝にたいして「家来」だという姿勢をとっていた。
 (3)日本は、朝鮮が「独立国」であるという立場をとっていた。
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 日本が独立国としてやっていく上で朝鮮半島が中国の「属国」にあることは、とっても危険なことであった。

 この状況は本質的に、今も変わっていない。

 1950年に生じた朝鮮戦争も、北朝鮮が中国とソビエトという共産国の支配下におかれたら、日本を防衛できないとマッカーサーは必死で北朝鮮軍の進攻を防いだ。

 要するに、日清戦争は朝鮮半島を日本の勢力範囲におくために戦った、ということ。


12/9(土)曇り時々晴れ午後降雨 家内はゾンタ
1:30起床、本読み、プチ対応、医学文献読みなど。午前はダリアの茎裁断処理、袋詰、外水道終了と。患者は落ち着いているらしく病院は欠。新聞チェック、座学、本読み、微睡など。午後もほぼ同様。読書三昧の午後。19:00夕食、20:45就寝。ほとんど歩行せず。歩数計Σ6024歩。

日米開戦82年(2) 大戦前史(1) 歴史を学び直すということ
 最近、史実を自分にかかわる事としてより身近に感じることができるようになってきている。歳を重ねたせいか??

 歴史は、かつては自分とは縁遠い、別世界に生じたどうでもいい事象なんだ、歴史はただの年表みたいにまとめられる、こまかい知識の積み重ねに過ぎない、というように捉えていたこともある。特に学生時代はそうであった。

 でもそんなのは歴史ではないことに気づいたのはずっと後のことである。
 史実を、自分の生な感覚というのか、自分が生きていくのに関係している肝心なこととして感じられるようになってきている。

 どうして、自分がここにいて、そういう感想を持てるようになったのか、そのことが分かるというか、少なくとも朧げながら把めるようになってきた。ちょっと遅過ぎたように思う。

 歴史の背景になっている、正の面も負の面も含め背景全体を見れるようになったこと、自分が自分であるという感覚の背景すべてが歴史の流れの結果であるのだ、ということにも気づいた。

 歴史はただの年表みたいな、こまかい知識だけではない。そんなの歴史じゃない。

 歴史上にそこにいた人たち、生きていた人たちというのは、私どもと同じ人間だということ。まずそれを頭に置きたい。

 歴史上でかつては「良いこと」または「とんでもない」ことをした人たちも、私とまったく同じ人間。喜怒哀楽をもち、感情をもった人なんだと思う。
 私と同じように、小さなことで喜んだり、悲しんだり、ちょっとしたことに傷ついたり、人を愛したり、裏切られたりした人たち、誇り高くあろうとしながら、卑しいこともして生きざるを得なかったた人たち、なのだということを最近強く意識する。

 それが、生きた時代、才能の有無、社会的立場、置かれている立場などによって強く修飾されているということ。

 云いかえれば、平和が一番大事だと思っている人々だって、その場にいたらどうなったかわからない。
 
 共感、というか、自分たちに直接かかわる問題として、昭和の「歴史」を考えたいと思う。と言っても考えるべきことは多すぎる。

 当面、日本が関与した対外的戦争に的を絞って見直してみたい。


12/8(金) 太平洋戦争開戦日 超快晴 大曲中通外来 
 1:50起床、本読み他いつもの如く、6:00家庭ゴミ、資源と2袋提出。7:30Taxi駅に、8:11こまち。8:50大曲中通病院外来。大曲秋田もTaxi。15:20駅から直帰病院へ、病棟対応、微睡、新聞チェック、19:15帰宅、20:30就寝。歩数計Σ7214歩。昨年11月電子カルテに移行、なんとか対応できたが汗びっしょり。

日米開戦82年(1) 太平洋戦争とは一体なんだったのか??私にはまだ分からない
 本日は太平洋戦争開戦の日である。
 今からちょうど82年前の1941年12月8日ラジオから真珠湾を攻撃し太平洋戦争が始まったことを報じた。実際には、真珠湾の2時間前に南方でマレー半島上陸が開始されていた。

 奇襲攻撃の成功は国民を高揚させた。
 識者の回顧録などを見ると、当時我が国は「ABCD包囲網」と言われる状況で軍備、貿易など八方塞がり状況にあり経済は困窮していたが、これを打ち破り、局面を変える切掛になる、と多くの人が思い世論が高揚したのは事実だったらしい。ただ、当時新聞をはじめとするメディアが国民に適正な情報を提示されていたのかは疑問である。

 私は終戦の年に生まれた。昭和の歴史は我が国にとって動乱の時期であった。私は昭和の歴史を、第二次世界大戦を中央に置いて、非力ながら勉強中であるが、開戦決定に実質的役割を果たしたキーパーソンの存在がいまだに見えない。

 「太平洋戦争とはいったい何だったのか」、開戦後82年の月日が流れたわけだが、未だに我々日本人はこの問いにきちんとした答えを出していないように思える。

 毎年8月15日に行われる終戦記念日の式典。
 8:00の時報と共に会場では一斉に黙祷を捧げる。それは「美しい光景」である。私も毎年心の中で大戦中に日本を支えた当時の方々、犠牲になられた300万人超の御霊に哀悼の意と感謝の意を捧げている。

 しかし、私はどうにも大戦を考えるに違和感を覚える。
 広島平和記念公園にある原爆死没者慰霊碑に記されている「安らかに眠って下さい。 過ちは繰り返しませぬから」、という碑文は 何を訴えたいのか、よくわからない。 この文に主語はない。開戦の火蓋を切ったのは日本であったが、 複雑な国際情勢の中、そうせざるを得なかったように仕向けたのは米国であり、米国は原爆、無差別殺戮など人道に対する罪を繰り返した。極東裁判では日本は全ての罪を負わせられた。
 太平洋戦争を語る際にどうして誰も変に思わないのだろうか。

 戦後82年、太平洋戦争は様々に語られてきた。
 私もずいぶん文献を読んだ。しかし、私の目から見て、太平洋戦争を本質的に総体として深く捉えた文献に巡り合っていない。?

 「あの戦争とは何であったのか、どうして始まって、どうして負けたのか??」、私はいまだに納得できる結論を持っていない。


12/7(木)曇り時折降雨 ダリア球根処理終了 家内大学受診
 1:30起床、徒然、文献・画像・録音データの整理・処理など。7:30庭仕事、ダリア球根分類、乾燥のため箱に。8:30家内に同乗病院、微睡、10:00家内大学受診、問題なかったらしい。11:00病棟対応、午後も入院処置。微睡、新聞、文献読みなど多数。19:00帰宅、夕食、20:30就寝。歩数計Σ5977歩。

某サプリメントの「医師の85%以上が推奨!!!」の広告に驚く(3) 日本人のサプリメント利用率

日本人のサプリメント利用率は男性21.7%、女性28.3%であることが厚労省2019年 国民生活基礎調査」(2020年08月)でしめされた。
 私は外来患者の実態から見て、新聞広告の派手さから見てもっと多いものと思っていたが、意外と少なく安心した。

 この報告は多項目にわたる。
 調査は全国の世帯及び世帯員を対象とした。詳細は2019年 国民生活基礎調査の概況(厚生労働省)に示される。

 調査は国勢調査を基にし、健康調査の対象は301.334世帯という莫大なものである。
 以下に概要を示した。

 「有訴者率」:なんらかの症状がある方は302.5人/1000人だった。性別にみると男性270.8、女性332.1で女性が高く、年齢別では10〜19歳が157.1で最低で、年齢が高くなるに従い上昇し、80歳以上では511.0であった。

 「症状の種類」としては、男性は腰痛が91.2>肩こり(57.2)。女性は肩こりが113.8>腰痛(113.3)>関節痛(69.9)>体がだるい(54.5)>頭痛(50.6)。

 「サプリメントの摂取」は、60代男性、50代女性が最多。
 サプリメントのような健康食品を摂取している人の割合は、男性21.7%、女性28.3%で、年齢別では、男性は60〜69歳が28.1%で最多、女性は50〜59歳が37.6%で最多だった。


(サプリメントのような健康食品を摂取している人の割合 ? 意外と全世代にわたっている)


 (参考) 米国CDCのデータ
 紹介された論文は60歳以上の閉経後の女性がサプリによってどのような有益・不利益があるかを調べたもので閉経後の女性38.772人を追跡調査したもの。ただし、私は論文の内容をチェックしていない。∴紹介だけに止める。

27%の女性が4種類以上のサプリメントを服用していた
飲んでいるサプリはカルシウム・マルチビタミン・ビタミンC・ビタミンEが多かった
マルチビタミンは死亡リスクを2.4%増加させていた
マグネシウムは死亡リスクを3.6%増加させていた
葉酸は死亡リスクを5.9%増加させていた
銅は死亡リスクを18%増加させていた
 アメリカは医療費がとても高額である。そのため健康維持・エイジングケア目的でサプリが普及している。米国では政府系の機関がサプリメントは効果がないだけでなく、危険であるとしている。

 結論
 サプリメントには効果が科学的に証明されていない場合もあるため、消費者は自身の健康目標やニーズに合った製品を選ぶ際に注意が必要。医師や専門家との相談を通じて摂取を検討することが大切。

12/6(水)曇り降雨 Web講演会「COVID-19とインフルエンザ」
 1:15起床、文献読み。なぜかファイト湧かずプチとグダグダと過ごす。ボイラーの説明書読む。5:00頃からいつものペースに戻った。座学中心。8:00ダリア球根掘り出し対応。11:00バスにて病院、なんとなく不調、心機能レベル超えたか??微睡若干、14:00病棟対応、座学読書。19:00-20:00Web講演会「COVID-19とインフルエンザ」、知見を新たにした。20:30帰宅、夕食、21:30就寝。歩数計Σ9364歩。

某サプリメントの「医師の85%以上が推奨!!!」の広告に驚く(2) 

 先日、朝日新聞に「医師の85%以上が、健康を維持したい方に酢酸菌配合の免疫対策サプリを推奨」、という某食品会社の広告が掲載された。

 誌面には某クリニックの中年女性医師の顔写真を大きく掲載し、その方のコメントを掲載している。文末には小さな字で、あくまでも医師個人の印象であり、効果効能を保証するものではありません、とある。

 また、免疫細胞 (PDC)に対する免疫維持エビデンスはず表として示されている。対象者は通常成人88名、これを2群に分けて、サプリメント投与期間は僅か12週間で両群の比較している。無理やり統計処理にに持ち込んだ印象が否めない。論文掲載文献としてJpn Pharmacol Ther2022:50:2237-48 、とある。

 見出しに用いられた「医師の85%以上!!!」という数値の意味するところは大変なものである。私は医師の立場で無視できなかった。
 ちなみに、J日本の医師数は2020年末で33万9623人(厚労省)。

 私はどうやって調査したのか??興味を持った。

 この広告の左欄には、読み難いほど極小の文字で、(調査対象医師数:165名、調査委託先:マクロミルKK、回答内容:あくまで医師個人の印象による・・・) とある。


 (同広告の一部を示した サプリメント界の広告の一般的傾向を示すためであり、販売する食品会社の名称は伏せた)

 この広告の最大の問題点は33万人もいる医師のうち、僅か165人を抽出した調査でありながら「医師の85%以上が推奨!!!」とまとめたところにある。

 調査対象になった医師は、抽出方法も不明、年代も男女比も不明、勤務医か診療所医師か不明、食品会社との関連も不明・・・・である。もしかして自社の関連企業の医師かもしれない。

 これを背景に考えれば、誌面に登場させた某クリニックの中年女性医師は実在の医師なのか? 記載の文章はご自身が作成した?・・・などの疑問も生じてくる。

 一般的にサプリメントの広告は多かれ少なかれこのような誇大解釈、誇大広告の傾向が認められる。興味を惹きつけるため、と思われるが、これでは欺瞞の域である。
 
 サプリメントは2016年、当時の安倍首相の時に景気高揚のために大幅な規制緩和が認められ、自社の基準で販売や広告が認められた。一般的にはこの程度のことは認められているのかもしれない。そのために私の目から見ると非科学的表現が多く、看過でき難い。


12/5(火)曇り 中通病院外来  風呂ボイラー交換設置
 1:30起床、データ処理中心。可燃ごみ+資源ごみ枝葉一袋。6:40バス病院。7:00-8:10病棟対応、8:45-12:30中通病院外来、混雑ないが疲弊。12:45病院、首はまだ痛い!!! 昼食後疲れ果て微睡1時間余、14:00病棟業務他、新聞チェック+入力、19:00帰宅夕食。20:30就寝。歩数計Σ4971歩、脱衣所に忘れて半日のみ計測。

某サプリメントの「医師の85%以上が推奨!!!」の広告に驚く(1) 

 先日、誇大広告を超えて虚偽広告でないかと思われる某社のサプリメントの広告に驚いた。そこには見出しとして、「医師の85%以上が推奨!!!」と記載されていた。 

 新聞の一面をそっくり用いた全面広告は目を引く。宣伝効果も大きいだろう。
 かつては自動車関連の広告が多かったが、最近は様変わりしてサプリメントの広告がこれに替わっている。

 我が国では高齢化の幸せを語るよりは、高齢化に伴う健康不安を煽るような記事が多いのには驚く。

 健康不安は高齢者の主だった悩み事になっていることは十分理解できる。高齢者の健康に対しては、本来であれば食事や運動等の地道な努力が必要なのであるが、そのような努力抜きに、安易にサプリメントに頼る傾向がある。

 結果としてサプリメンとの市場は拡大し1兆円に迫ろうとしている。
 健康への寄与はないが、高齢者の蓄積資産を市場に導き出す効果は明らか。


 私はかねてから講演や講話を通じて「サプリメントには効果がない。科学的根拠がない」、と主張しているが私の意見などは露ほどの効果もない。

 せめて、サプリメントを購入する際には以下の項目のチェックをするよう勧めているが、購入者は見向きもしないだろう。
―――――――――――――――――――――――――――――――
(1)服用、 非服用者の二つの群にわけて効果を比較しているか?
(2)比較する二つの群を公平に選んでいるか?
(3)統計処理に叶うだけ十分な人数か?
(4)比較検討は十分長期間か?
(5)寿命への影響は明らかになっているか?
(6)統計データを全面に示しているならちょっとは信用可能だが、それに叶う内容の検討は稀。
(7)個人的有効談を前面に出している広告は疑う。
(8)などなど・・・・
―――――――――――――――――――――――――――――――

 最近の新聞広告には一見信用できるようなデータも掲載されているが、説得力のあるデータが揃っているケースはほとんどない。

 結論として、私が推奨できるサプリは今のところ一つもない。
 アンチエイジングは効果なし。長寿化は文化の発展の効果である。

 なぜ女性はサプリに頼るのか!!!!



12/4(月)曇り時々晴れ 転倒第1回目 健康クリニックドック 
 2:10起床、文献、読書。6:40バス。6:50ブラックアイスバーン、転倒第1回目。首を痛めた。痛い!!! 7:00-8:45病棟対応。9:00-11:00健康クリニックドック。ドック13名、結果判断15名分。11:15飯川病院、首が痛い。11:30微睡など。15:00病棟、入院患者対応。スミルチックもらう。やや効果。19:15帰宅、夕食、20:30就寝。歩数計Σ6098歩。

師走2023(4)師走雑感 うまい話に乗ってはダメ、架空請求が来るかも
 2019年、秋田の生活センターに寄せられた中で、最も多かった相談は「架空請求」のはがきやメール、ショートメッセージだ、という。

 私にも「法務省管轄支局 ○○訴訟○○センタ-」と名乗る機関から未納料金を請求するはがきが何度か届いた。 「地方裁判所管理局」や 「◯◯消費生活センター」などと名乗る場合もあった。
 また、「連絡がない場合は、給料や不動産の差し押さえを強制的に履行させて
いただきます」などの文言も記載されていた。

 これらは全部架空請求の連絡で、私には心当たりがないから全て無視しているが問題は生じたことがない。

 実際に未払いがあり、正規の手続きの場合には、裁判所から「特別送達」という郵便が送付される。通常のはがきで来ることはない。

 また、パソコンやスマホに「有料動画の未納料金があるので連絡ください」 とアマゾンのカスタマーセンター名でSMSが届くこともある。昨日も届いた。実在し、自分も有料会員になっているので迷ってしまうが、無視である。

 公的機関や事業者などに聞き覚えがあるからといって安易に信用せず、内容に身に覚えがなければ無視していい。

 出会いサイトのSNSでは、72歳のお婆さんが22歳の娘のふりして相手してくれることもあるようだ。楽しければ良いだろうが、後に経費未払いで仲介業者から途方も無い料金を請求されることもある。架空請求は利用した覚えがなければ無視である。


 「サポート詐欺」という手口もある。
 パソコンの画面に「ウイルスに感染した」と虚偽の警告を表示させ、対策費名目で金銭をだまし取られたという被害もやまない。

 国民生活センターによると、本年度の相談件数は過去最多ペースで推移。
 本年度の相談件数は10月末時点で3573件で、21年度は約5億9千万円。

 相手側の手口として
@警告音で不安をあおる?
A画面を消せない設定にする
B本物と思わせるため電話でマイクロソフト社などの社名を使う
C画面に有名会社のロゴを載せる
など・・・・・。

 警告が出たら再起動であるが消えないこともある。そうなれば初期化してOSの入れ替えが必要になってくる。

 私のパソコンはMacで、Timemachineで、毎日自動的に全データがバックアップされるからOSの入れ替え、現状復帰は比較的容易くできる。これはとても良い機能である。


12/3(日)寒波、降雨 
 1:40起床、読書など。新聞チェック、微睡。エッセイ集読む。昼のど自慢楽しむ。病院へ同乗希望して約4時間、やっと16:30回診出勤する家内に同乗病院、受け持ち患者たちは意外と平穏。新聞ほか入力多数。19:15帰宅、夕食。21:00就寝。 歩数計Σ5178歩。一昨年転倒第1回目。

師走2023(3)師走雑感 ズルするのはいいが儲け話に乗ってはダメ 
 特殊詐欺は20年以上前から続く卑劣な犯行である。一向に途絶えない。「架空請求」「おれおれ詐欺」「還付金詐欺」「融資保証」など多様である。

 私の場合は「おれおれ詐欺」と思われる電話が3回かかってきた。一度は秋田組合病院院長を名乗る電話で「息子さんが医療事故を起こした。示談のために300万円必要」というもの。他の2回もほぼ同様の内容。いずれもノラリクラリと対応しているうちに先方から電話が切られた。

 クレジット詐欺と思われるメールは「アマゾン」「楽天」「三菱UFJ銀行」などから何度も届いたが全部無視し、実害は生じていない。

 詐欺の手口を知っていて「私は大丈夫」と思っていても、「配当金がある」などの話を言葉巧みに伝えられれば信用してしまいかねない。自分の職業や家族の名前を出されれば、少なからず冷静さを失ってしまうだろう。

 特殊詐欺で億単位、千万円単位の金をだまし取られる被害が10月、秋田県内で相次いだ。いずれのケースもSNSやネット動画に表示された広告がきっかけで被害に遭っている。うまい話は全て怪しい、と疑うべきである。安易にアクセスしてはならない。

 県警によると、秋田市の60代女性は7月にスマートフォンを操作中、投資に関するSNS広告を見つけてアクセス。「お金を入れておくだけでもうかる」と持ちかけられ、計約1.36億円をだまし取られ、1件当たりの被害額として県内では過去最高となった。

 秋田市の50代女性も7月、「もうかる投資」「投資セミナーを受けて稼ごう」とうたったSNS広告を見つけて相手に接触。計約1.2億円を詐取された。別の60代女性も似た手口で計約3900万円を奪われた。

 これまで年間ベースで被害額が最も多かったのは2014年の3.14億円だった。今年は立て続けに高額の被害が発生し、既に3.5億円を超過。過去最悪の深刻な事態となっている。

 私は人間嫌いだからネット上での人間関係も嫌である。だから、フェイスブックなどは利用したこともない。SNSの炎上も側から見ていて呆れるが、SNSを利用して自らの情報を発信するならどこかに危険が潜んでいる、と警戒心を持つべきだろう。

 被害を防ぐ一番の特効薬は、家族間で詐欺の手口を日常的に話題にし、一人で判断しないようにすることではないか・・・と識者マスコミは言う。

 それは無理、と言うもの。
 特に、スマートフォンやパソコンを用いる1人暮らしの高齢者は特に危険。何となればネットで怪しげなサイトを密かに一人でニヤケながら楽しんでいるのが実情と推定されるからである。

 特殊詐欺は被害に遭っても恥ずかしくて他人には言い難い。だから発覚し報道されるのはほんの一部のことと思う。

 高齢者は思いの外健康でエッチなようである。それと一部の人であろうがずいぶん金持ちで、かつ欲張りであることがわかる。


12/2(土)終日曇り小雨 寒気緩む 除雪機整備
2:45起床。文献検索、徒然他何時もと同じ。データ整理中心。新聞チェック、12:00検食、微睡、11:00除雪機2機種整備、自転車小屋整理。読書、ネコと微睡などトロトロ過ごす。19:00夕食、20:00就寝。歩数計Σ7856歩。本日は出勤せず。電話対応で。

師走2023(2) 師走雑感(2) やや下向きの発想になる
 私も後期高齢者である。
 本年5月5日急性心不全と思われる病態で1週間入院した。それ以降、体調は良くない。心臓を薄い膜で覆われたような感じ、かな? 

 さらに、加齢に由来する小さな不具合はある。いろいろあるが、今年前面に出てきたのが視力障害である。多分白内障が進んだからであろう。
 視野全体に靄がかかった状態で、見える世界もなんとなく暗い。そろそろ年貢の納め時か?眼科受診か?手術を勧められるだろう。そういえば前回は半年後に来るよう言われていたがもう2年以上受診していないなあ・・・。

 今年はできるだけ心身に相談し、無理せずに、休息をとりながら生活するよう心がけている。

 今後は「心身」の求めに沿って「出来るだけズルする、ゆったりと過ごす」と思っている。本来ズルというのは「より少ない努力で大きな利益を得ること」なので「ズルい」のであるが、私のいうズルはなんら人に迷惑かけないチャチなものだ。このチャチさがいい。

 11月25日、秋田市に初雪が降った。初雪の割には結構な量が降った。一気に除雪が必要な季節がきた。除雪機の整備はまだ良いだろうと油断していた。気持ちが焦る。12月2日、本日除雪機2台整備した。

 我が家はアクセス道路に難がある。過去、つい数年前までは「除雪するぞ、やるぞ」の攻めの気持ちであったのだが、近年は「何時まで除雪しないで済ませられるのか」である。「ズルしたい」、「ズル出来ないか」の気持ちが先に立つ。
 それだけ私は素直になった。

 昨年は融雪剤を用いて見た。十分な量を散布出来れば良いのだろうが、まだ恐る恐るのレベルである。今年はより大量な融雪剤を用意して積極的に使用して見たい。

 ズルしたら読書に集中したい。私は「ズルする」ことが多分最高の贅沢になるだろう、と楽しみにしている。

 ただ、読書は運動不足になる。高齢者の運動不足は重大な結果を生みうる。内臓疾患でコケるのはやむを得ないが、四肢機能低下で自活できなくなれば人様に迷惑をかける。運動機能は「出来るだけズル」しないで維持したい。

 私も大なり小なり五欲に追い立てられてきた。チャチなレベルであるが五欲から逃れられずミニ悪行??を重ねてきた。
 私のミニ悪行は誰にも知られていないを具体的に明かすことはないだろう。自らの過去を反省し、現役引退を機会に「終わった人」と、小さくなって生きている。 

 家内には一生かけて付き合ってもらった。感謝である。信頼している。「なんで、50年も同じ屋根の下で、暮らせたのだろう?」家内のそんな小文がどっかにあった。

 怖くてまともに話し合ったことはないが、彼女は私との生活にあんまり満足していなかったみたいだ。
 私と一緒になって失ったものは小さくなかろうが、今更どうしてあげることもできない。
 私は「寛容」・「忍耐」・「奉仕」に徹して今後も彼女を支えていく。
 長年連れ添った同志であるが、まだ駆け引きは続く。

 年の暮れになると、いつも同じ思いをくり返しているが、今年は何時もより下向きのような気がする。


12/1(金)曇り小雨など 大曲外来  
 1:45起床。積雪5cm、ベト雪、文献検索、読書、医学文献読み。靴は今朝から防寒靴に。6:00家庭ゴミ2袋収集所に。一輪車困難心臓に負担かけた。7:20Taxi駅東に。隣が除雪に出ていた。8:12こまち。8:50大曲外来、15:30病院。患者対応、COVID-19新期一例発症。全病院に広がった。読書、新聞チェック。部屋の電子カルテパソコンリニューアル。19:30帰宅。21:00就寝。歩数計Σ6285歩。

師走2023(1)師走雑感 出来るだけズルし、ゆったりと過ごしたい 
 ついに師走となった。早いものだ。2023年を迎えてから早くも11ケ月経過した。

 歳とともに時間が過ぎるのが早くなった。自身の体内時計が遅くなって物理的時間に追いつかなくなったため時間が過ぎるのが早く感じるのだ。例えて言えば新幹線から鈍行に乗り換えた様なもの。同じ距離を行くのに時間だけかかって時間的余裕を失うから、時間が乏しくなって気持ちだけ焦るのだ。

 すべての動作が遅くなっている。とりわけ歩く速度が遅くなっている。
 そのため一層忙しく感じるのだが「忙」は「心を亡くすこと」。
 昔の人は相応しい文字を創ったものだ。
 それから見たら現代人などなんでも横文字化である。味も素っ気もない。それが格好良いと思っているらしい。最近の新聞は現代用語辞典。略語辞典無しでは読めない。

 最近、視力障害を「アイフレール」と呼ぶそうだが、視力障害ならわかるが、これではなんだかわからない。日本語の真の価値を捨て、なんでも横文字化する安易な医師達もバカだが、すぐ擦り寄って無批判に同調するメディアもバカである。

 ここ数年、医師としての業務が大幅に軽減され、かなり自分を取り戻していた。
 しかし、3月下旬からは職場が変わり病棟での受け持ち患者も増え時間がふたたび乏しくなった。毎日の業務は半ば面白いが、面倒くさくもある。
 78歳にもなって病棟業務も担っているなんて異常である。ただ、若いスタッフたちと一緒に働けるのは刺激的で楽しい。

 意外と自分は「勤勉に働いてきたが、実は勤勉でなかったのだ。周りに迎合していたのだ」と思い直している。

 私は師走の慌ただしさが好きでない。私自身は淡々としているのだが、師走になると世の中が喧騒になってくる。
 通勤路のイルミネーション、商店街のクリスマスセール、お歳暮セール、新聞とじ込み広告も目や耳にウルさい。半ば親切、半ば脅迫である。

 私は歳暮など、意味の無い物品のやり取りは嫌いである。嬉しさよりも負担感で傷つく。私は頂き物があれば必ずハガキで礼状を出すがそれも面倒である。ただ、経済的活力の維持は生物の「いのち」に劣らず社会にとって重要であることがこのCOVID-19禍で示された。だから、私は御託を言わずにこの年末の習慣を静かに見守っている。 

 今日も何度か宅急便のトラックがきたようだ。


11/30(木)秋田は初冠雪 寒い小雪 1Fシャワートイレ交換
2:20起床。データ整理、8:00志摩水道1Fシャワートイレ交換に。8:30家内に同乗病院へ。読書、文献読み、微睡。10:00病棟対応、その後も何度か。COVID-19のためにできることは限られている。新聞チェック、入力。文献読書。積雪2-3cm滑る。19:30帰宅。夕食、20:20就眠。歩数計Σ4807歩。

昨年、衣服関連の冬支度。上着は作業服からスキーウエアに。薄手のサマーセーターから毛糸のトックリセーターに、ズボンは薄手の作業服のまま。

師走2022 (1)師走雑感 出来るだけズルしたい 心身共にゆったりと過ごしたい 
 ついに師走となった。早いものだ。2022年を迎えてから早くも11ケ月経過した。
 「法師が忙しく、東西に走り回る」からこの月を師走と言った。年の暮れの慌ただしさを絡めて、12月の異称として親しまれている。ただ、街中で僧侶を見かけることはない。

 歳とともに時間が過ぎるのが早くなった。自身の体内時計が遅くなって物理的時間に追いつかなくなったため時間が過ぎるのが早く感じるのだ。例えて言えば新幹線から鈍行に乗り換えた様なもの。時間だけかかって時間的余力を失うから、焦るのだ。

 すべての動作が遅くなっている。とりわけ歩く速度が遅くなっている。

 そのため一層忙しく感じるのだが「忙」は「心を亡くすこと」。昔の人はよくぞ相応しい文字を創ったものだ。それから見たら現代人などなんでも横文字化である。
 最近、視力障害を「アイフレール」と呼ぶそうだが、視力障害ならわかるが、これではなんだかわからない。日本語の真の価値に気づかず、なんでも横文字化する安易な医師達もバカだが、すぐ擦り寄ってくる無批判なメディアもバカである。

 ここ数年、業務から大幅に解放され、かなり自分を取り戻している。そうなると新しく見えてくる分野が広くなる。意外と自分は「実は勤勉でなかったのだ」と思い直している。私は忙しさに振り回されて「自分を見失っていた」、と思う。

 私は師走の慌ただしさが好きでない。私自身は淡々としているのだが、師走になると世の中が喧騒になってくる。
 通勤路のイルミネーション、商店街のクリスマスセール、お歳暮セール、新聞とじ込み広告も目や耳にウルサい。半ば親切、半ば脅迫である。

 私は歳暮など、意味の無い物品のやり取りは嫌いである。嬉しさよりも負担感で傷つく。私は頂き物があれば必ずハガキで礼状を出すがそれも面倒である。ただ、経済的活力の維持は社会にとって生物の「いのち」に劣らず重要であることがこのCOVID-19禍で示された。だから、私は御託を言わずに静かに見守っている。 

 私も後期高齢者に入った。体調はそう悪くはないが加齢に由来する小さな不具合はある。だから、今年はできるだけ心身に相談し、無理せずに、休息をとりながら生活するよう心がけている。

 今後は「心身」の求めに沿って「出来るだけズルする、ゆったりと過ごす」と思っている。本来ズルというのは「より少ない努力で大きな利益を得ること」なので「ズルい」のであるが、私のいうズルはなんら人に迷惑かけないチャチなものだ。「自分の気持ちを緩めるだけで、人に迷惑をかけない。」このチャチさがいい。

 本日、秋田市に初雪が降った。
 初雪の割には結構な量が降った。一気に除雪の季節がきた。気持ちが焦る。
 子規の歌に「いくたびも雪の深さを尋ねけり」、と言うのがある。私も何度も外を見て積雪の状態を確かめた。
 過去には「除雪するぞ、やるぞ」の気持ちで何度も確かめたのであるが、近年は「どこまで除雪しないで済ませられるのか」である。「ズルしたい」、「ズル出来ないか」の気持ち優先。
 私はより素直になった。


11/29(水)曇り寒い小雪パラパラ小雨
3:30起床、ネコ相手しつつまた微睡、給餌。5:00読書、文献読み。8:30家内に同乗病院。11:00病棟、以降座学。新聞チェックと入力。私の終活の一環として浴室ボイラー交換の件についてタカラスタンダードに相談。タカラ秋田営業所 →神奈川のタカラコールセンター →秋田営業所担当者 →某燃料店紹介のコースを辿った。面倒なものである。この線で決定しそう。19:15帰宅、夕食、20:45就寝。歩数計4104歩。 一昨年Fit冬タイヤ購入。

特殊詐欺(1) 驚く高額被害
 特殊詐欺で千万単位や億単位の額の金をだまし取られる被害が今月、秋田県内で相次いで判明している。いずれのケースもSNSやネット動画に表示された広告に安易アクセスして被害に遭っている。

 県警によると、秋田市の60代女性は7月にスマートフォンを操作中、投資に関するSNS広告を見つけてアクセス。「お金を入れておくだけでもうかる」と持ちかけられ、指定された口座に計約1億3600万円の現金振り込みだまし取られた。1件当たりの被害額として県内では過去最高となった。

 同市の50代女性も7月「もうかる投資」「投資セミナーを受けて稼ごう」とうたったSNS広告を見つけてアクセス、約1億2千万円を詐取された。別の60代女性も似た手口で計約3900万円を奪われた。

 これまで被害額が最も多かったのは2114年の3億1455万円だった。今年は立て続けに高額の被害が発生し、既に3億5千万円を超過。過去最悪の深刻な事態となっている。

 SNS上では偽広告などがあふれており、全国で現金や暗号資産をだまし取られる被害が多発している。アクセスしただけで、個人情報が犯罪組織に伝わってしまうリスクもある。甘い話には危険が潜んでいる、と警戒心を持ってSNSを利用すべきだろう。

 特殊詐欺は20年以上前から続く卑劣な犯行だ。一向に途絶えないのは「架空請求」「おれおれ」「還付金」「融資保証」など詐欺の手口が多様。

被害を防ぐ一番の特効薬は、家族間や住民同士で詐欺の手口を日常的に話題にし、一人で判断しないようにすることではないか。

 たとえ手口を知っていても、「配当金がある」などの話を言葉巧みに伝えられれば信用してしまいかねない。自分の職業や家族の名前を出されれば、少なからず冷静さを失ってしまうだろう。相手はだましのプロだ。「自分は大丈夫」という思い込みは禁物だ。

 電話やSNS上のやりとりでお金の話を持ちかけられたら、まずは詐欺を疑うべきだ。連絡を絶って警察に相談してほしい。「必ずもうかる」などの話は信じず、アクセスしないことが肝要だ。

 1人暮らしの高齢者には、社会全体で目配りする必要がある。
 防犯機能付き電話機の導入を促すなどし、できる限りの対策を講じたい。



 11/28(火)降雨夕方から夜にかけ強風 中通病院外来  
2:30起床、文献・新聞など。録音データ整理。5:20可燃ごみ降雨のために廃棄できず。6:40バス病院。7:00-8:00病棟対応、比較的平穏。8:45-13:10中通病院外来。微睡、新聞スクラップ。新聞そのほか文献入力。COVID-19更に一例、S氏、高熱ほか。Web学習会「高齢者の脳」、「てんかん」について、別世界の勉強をした。 20:45帰宅、夕食、22:00就寝。歩数計Σ8685歩。

季節の話題(19)  本年最後の庭仕事 ダリアの球根掘り起こし
 今年は猛暑の夏であり、秋の残暑も厳しかった。そのために我が家のダリアは大きな影響を受けた。

 ダリアは温暖ないしやや寒冷な気候を好む。
 7月には早い開花のものは通常のごとく咲き始めたが、8月の猛暑下で花を一切つけずに、一部は茎枯れした。9月の猛残暑も同様であった。私はできることとして散水給水だけは十分に行った。 

 10月になり急に元気になり始め、中旬頃から一気に開花し、11月下旬まで私を楽しませてくれた。

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 11月25日今後は天候に恵まれないらしい。もっとゆっくり地中におきたかったのであるが

 
 収穫してみるとピンポン玉からビー玉程度の小芋が数ケずつ付いていた。
(里芋 せいぜいピンポン球程度 茹でて食べたがとても美味かったのが救い 数ヶ月世話した結果が一晩の夕食になった これも醍醐味の一つ)

 このような中、ちょっと元気だったのはサツマイモであった。
 私にとっては初めての栽培経験で、大きくは期待していなかったのであるが、掘り出してみて驚いた。真っ黒な土の中から大小のさまざまの真っ赤な芋が現れた。

(見事なサイズのさつまいも 早速ふかし芋、天ぷらにした 美味であった)
 サツマイモは条件の悪い土地でもよく実り、戦中戦後の食糧不足の救世主になったと言われるが、私も実感した。



11/27(月)曇り午後から降雨 健康クリニック 秋田市内に年末のイルミネーション
 3:45起床。文献、蓄積データ処理。徒然。6:40バス病院、7:00-8:30病棟対応、比較的平穏。9:00-11:30健康クリニックドック15名+結果判定14名。家内の財布が届けられた、と新宿警察署から連絡あったという。原因は置き忘れ、日本はすごい国だ、と思う。11:45病院。微睡ほか。15:00入院患者対応。COVID-19感染者さらに一名、患者比較的平穏、新聞チェック+入力。読書。19:30帰宅、夕食、21:40就寝。歩数計6319歩。

季節の話題(18)  本年最後の畑仕事 里芋・さつまいもの収穫
 今年は猛暑の夏であり、秋の残暑も厳しかった。そのために野菜類は総じて影響を受けた。
 新聞によると一般的に野菜類は値段が高かったようであるが、自分のところのミニ畑の様子からもさもアランと類推できた。 
 
 比較的早く収穫するキウリ、トマトは影響は少なかった。その後に収穫期を迎えるナスは茎の背が低く、実も全体で小ぶりであった。収量としてはそれほど影響を受けなかった。


(ある朝の収穫 これでも少ない方)

 一番大きな影響を受けたのは里芋であった。
 通常でも私のところでは概して背丈が低くせいぜい私の腰から胸程度までしか伸びない。今年は50cm程度まで。強烈な直射日光を受け、広い葉っぱは端の方から徐々に枯れ始めた。もちろん、この小雨と日光である。給水は力になるだろうと考え、勤務の合間を縫って機会あるほどに散水・給水したが、大きくは改善しなかった。最終的には殆ど収穫はできないだろうと諦めた。

 収穫してみるとピンポン玉からビー玉程度の小芋が数ケずつ付いていた。
(里芋 せいぜいピンポン球程度 茹でて食べたがとても美味かったのが救い 数ヶ月世話した結果が一晩の夕食になった これも醍醐味の一つ)

 このような中、ちょっと元気だったのはサツマイモであった。
 私にとっては初めての栽培経験で、大きくは期待していなかったのであるが、掘り出してみて驚いた。真っ黒な土の中から大小のさまざまの真っ赤な芋が現れた。

(見事なサイズのさつまいも 早速ふかし芋、天ぷらにした 美味であった)
 サツマイモは条件の悪い土地でもよく実り、戦中戦後の食糧不足の救世主になったと言われるが、私も実感した。


11/26(日)曇り 寒波やや緩む 家内帰秋
1:30起床、文献画像データ処理。画像整理多数。11:40バス病院、病棟COVID-19はクラスターに。整然と対応され、個々の患者は問題なし。新聞入力、読書、15:15外出、古書店など。17:30帰宅、新聞、文献入力、読書。19:00夕食。20:30就寝。23;10帰宅の家内迎える準備で起床、歩数計Σ7881。無事帰宅。財布紛失されど落ち込み軽度、2:30就寝。

財布取られちゃった!!(2) 家内の人を疑わない性格がいい
 「財布取られちゃった!!!」という連絡がラインに届いた。
 財布取られた??。私は「またか!!!」と思った。彼女のことだからおそらくスリに合ったのだろう、と思った。洞爺湖で前科があるからである。とにかく早めに警察に届けるよう指示した。
 丸の内署、多分東京駅の派出所であろうが、に届けた、という。とても親切に受付してくれたらしい。カードの無効化手続きは合流した長女がやってくれたようである。

 家内の財布管理は日常から問題が多い。人がいいというか、素直というか。一般的に言って危機管理に対する配慮が少ないように思う。
 時間感覚も実にのんびりしている。
 そんな性格は私と正反対。彼女の持つ世界に私に欠けている部分を見つけ、注目してみていた。

 で、娘の弁によると、家内は若干は落ち込んでいたらしい。私は「怪我させられたわけでなし、命取られたわけでなし・・・」と慰めた。
 25日(日)23時過ぎ、最終の新幹線で帰秋した。通常なら私は熟睡している時間であるが、落ち込んで帰ってくるだろうと予想して起きて待っていた。意外と元気に帰ってきたので安堵した。

 後日談
 26日(月)私は健康クリニックでドック関連の業務をこなしていたが、家内からLINEに「丸の内警察署から電話があり、財布が匿名の方から警察署に届けられ、中身も全部(?)無事らしい。宅急便着払いで送る・・・」とのこと。

 ということは盗られたのではなくどこかにおき忘れ、善意の方に拾われた、ということだろう。

 振り返ってみれば、丸善書店でカレンダーを購入した後トイレに入り、ついでパーラーに寄ってその会計の時点で財布がないことに気づいた、とのこと。多分トイレの何処かにおき忘れたのであろう。

 前回、今回から教訓として得たことは盗られたか紛失したかに関わらず、とにかく警察に届けることが必要ということ。今回は警察に届けていなければ持ち主不明の遺失物として処理されていたはず。

 それにしても洞爺湖の件も、今回の件も善意の人に拾われた幸運なケースといえよう。こういう善意の人がいるということが素晴らしい。日本というのはすごい国だ、と思う。

 今後のことであるが、家内にAppleのAirTagを持たせようと思う。これはiPhoneからAirTagが一定の距離以上離れると音で警告する、というもので財布とかに入れておけばいい。まだ詳細な機能は不明であるが役に立ちそうに思う。


11/25(土) 降雨雷鳴不安定 初雪 家内東京
 1:50起床、新聞文献チェックなどいつものごとく。5:30庭にはうっすらと雪。まさか降るまいと思っていたのだが気象庁が正しかった。家内は妹同伴で東京、暦購入目的。6:11新幹線にはなんとか間に合ったらしい。読書と微睡。朝食は菓子で済ます。病棟はCOVID-19感染者発症で大変な様子、婦長から出勤不要と。新聞チェック。読書。冬物整理。14:00家内から「財布取られちゃった!!」という連絡ラインにあった。財布紛失したらしい、取られた??不明。警察に届けるよう指示。カードは無効化手続き指示。19:00夕食、20:30就眠。Σ5555歩。

財布取られちゃった!!(1) 過去の経験
 家内は実妹を誘って今朝(24日)6:10発の新幹線で上京した。
 毎年恒例になっているカレンダーの購入のためである。例年、横浜在住の娘一家と合流して2泊してくるのであるが、今年は多忙のため一泊だけとしたらしい。

 14:00家内から「財布取られちゃった!!!」という茶目っ気のある表現の、深刻さのかけらもない連絡がラインに届いた。
 財布紛失した??、取られた??。私は彼女のことだからおそらくスリに合ったのだろう、と思った。前科があるからである。とにかく警察に届けるよう指示し、カードは無効化手続きするように指示した。

 家内の財布管理は日常から問題が多い。
 財布に関しては小さなエピソードは何度かあるが、2017年10月には見事に盗られてしまった。
 その時、私どもは新潟大学の同級会出席をかねて洞爺湖温泉郷・有珠山ジオパークを訪問していた。
 バスやタクシー、ロープウエイを使っての旅であったが、天候にも恵まれ、有珠山、洞爺湖、昭和新山の自然を味わった。

 当時は外国からの観光客が大勢で、その地域は8割方がアジア系の人々であった。日本に居ながら外国に行ったような錯覚さえ覚えた。この旅の間、バス移動中に中国人と思われる若者からの2回席を譲られた。日常的にはめったにない事だけに中国、韓国等では高齢者を大事にする文化が残っていたのかと感心し、好意に甘えた。

 心に残る旅だったと思うが、最後にオチが付いた。

 有珠山から洞爺駅に移動するバスから降りてしばらくして家内のハンドバッグから財布がなくなっているのに気づいた。混雑したバスの中で盗られたのだろう。
 家内の財布管理はいつも問題がある。バッグの蓋、ファスナーなど閉めないから、財布が丸見えのことも稀でない。常々注意はしていたのであるが注意した時だけは閉めるが、日常的には効果がない。

 バスの中の状況を考える家内は座席の脇にバッグを置いていたから後部座席から手を伸ばせば簡単に盗られるような状況であった。

 家内はカードも例外的に用いるが相変わらず現金派である。そのため財布は大型で丸々と膨れている。財布にはいくら入っていたのかはっきりしないが、そう少なくはなかったらしい。お土産を買って秋田に送った後で良かった。一応、洞爺湖署に盗難届は提出した。

 帰路の新幹線の切符は私が持っていたし、私のディバッグの底には若干のお金を隠し持っていたので、なんとか自宅まで帰り着いた。

 財布については100%諦めていたのであるが、数日後、洞爺湖の住民と言う若い男性の声で「バス路線の傍の草むらから財布を拾ったが、中に名刺があったので連絡しました。カード、保険証等しか入ってませんでした。警察に届けておきます」と電話があり、翌日、洞爺湖署からも電話があった。

 クレジットカード等はその場で凍結の手続したので現金以外に実害はなかった。
 7年も前の話。洞爺湖温泉郷は風光明媚な良い場所であった、と思っている。


11/24(金)終日降雨大荒れ予想 大曲中通病院外来
1:30起床、本読み、5:30昨日の資源ごみだけ3袋集積所に。7:30Taxi駅東、こまち。8:50大曲中通病院外来。長崎屋古書店訪問。15:30帰院。COVID-19発生3人目。19:40帰宅、夕食、21:00就眠。Σ7978歩。

卵 たまご タマゴ(6) 鳥インフで卵の値段崩壊した2023年春
高病原性鳥インフルエンザ(鳥インフ)の流行は全世界で生じている。
 我が国で卵の不足や値段の高騰などを引き起こした鳥インフの流行期は10月-3月で、今春ひとまず収束した。

 2022年10月に始まった今季の鳥インフの感染拡大で、殺処分された鶏の数は過去最多の約1.771万羽、全数の8%にのぼった。とくに採卵鶏を育てる農場で多発し、卵の供給が大幅に減少した。

  スーパーで値段が上がり、外食店が卵を使うメニューをやめるなど影響が広がった。

 養鶏場の防御措置が終わってから一定期間新たに発生しないと、国内の農場にウイルスがなくなったことを意味する「清浄化」 を宣言できる。 農水省はこの国際ルールに基づき、6月20日に清浄化を宣言した。

 課題は今後の感染拡大の防止。
 鳥インフのウイルスは渡り鳥が秋ごろに運んでくる。飛来を止めるのは不可能なので、養鶏場にウイルスが侵入するのをいかに防ぐかが重要になる。

 現行制度では、鳥インフが発生した農場のすべての鶏が殺処分の対象になる。今期の流行では一箇所で100万羽を超す鶏が殺処分になったケースもある。養鶏業は徐々に大規模化しており市場に与える影響は無視できない。実に無駄、勿体無いが、ウイルスを増やさないためには現状では止むを得ない。

 農水省が検討しているのが、養鶏場の「分割管理」の導入。 養鶏場を複数の区域に分け、人や車両の移動を厳しく制限して一全体に感染が広まるのを防ぐ。 これにより、殺処分の対象鶏を感染が発生した区域に留めることが可能になる。

 「物価の優等生」といわれた卵の価格の安定は、農場の大型化と円高による安価な飼料の輸入が支えてきた。 規模拡大による効率化にブレーキをかけないためにも、新しいルールのもとで衛生管理を徹底すべきだろう。

 一方、飼料に関しては国産比率を高めることで、価格の変動を抑えることが求められている。 酪農も含めた畜産全体の経営を安定させるため、家畜飼料を国産化し、国際相場の影響を和らげる努力が欠かせない。

 今年も鳥インフの発生期に入った。今年の動向が注目される。


11/23(木)勤労感謝の日 晴れ COVID-19陽性者発症 庭孫たち活躍
2:00起床、本読み、9:00畑など最終作業、里芋、さつまいも収穫。後者の立派さに驚く。10:00受け持ち患者COVID-19陽性者発症。12:00自分も検査にTaxi。総師長、師長、院長が対策に。私の検査は陰性であった。結局患者は2名に。治療は院長によって進められた。主治医は影が薄かった。読書その他、18:15帰宅、夕食、20:30就寝、歩行計8180歩。

卵 たまご タマゴ(5) 50gの卵には50gの雛の全身を作る栄養が詰まっている

 安価で手軽に食べられる卵。
 庶民の口に入るようになったのは、江戸時代も中期の300年ほど前から。 当時は高級食材として珍重され、食べらるのは祝いごとなど特別な日のみであった。

 卵が日常食となったのは、はるかはるか遅く、昭和30年代の高度経済成長期以降。 日本の経済力と共に、平均寿命も延び、卵の消費量も増加した。
 日本人は卵好きで、1人あたりの摂取個数はほぼ1日1個に相当。これはメキシコに次いで世界第2位(2021年)である。

 50gの卵は一つの細胞から50gの雛の全身を作る栄養が詰まっているからその栄養価とバランスの良さには疑いがない。この事実から卵には何という栄養素が????mg含まれるという栄養素個別の議論は無用である。

 コレステロールに関しては誤解が蔓延っている。
 確かに、卵、とくに卵黄はコレステロールを最も多く含む食品の一つ。 しかし、卵を食べる→コレステロール値上昇→動脈硬化症につながる という因果関係を証明する研究結果は、実は存在していない。

 コレステロールは、身体の細胞膜を形成・修復し、性ホルモンや副腎皮質ホルモン、胆汁酸などの原出料となるが、食事由来のものは約20%で、約80%は肝臓で作られる。たとえ食事でとり過ぎても、肝臓で合成量が抑制され、体内のコレステロールは一定量が保たれる。そのため、1日1-2個は摂取しても問題ない。

 高齢者は「栄養」に「運動」も加えて健康を考えていかねばならない。
 たんぱく質が不足すると筋肉の減少とともに筋力が低下し、免疫能も低下し 「虚弱状態(サルコペニア)」になる。高齢者の場合は筋力不足で運動機能が低下すると、「心身が衰えた状態(フレイル)」状態になり、認知機能の低下にもつながる。

 いずれも筋肉不足が引き金となるため、卵でたんぱく質を補給し、適度に運動するのは理に適った話。
 たんぱく質は1日に50~60g必要とされているが、卵2個で1日必要量の20%を補える。

 卵は気づかないうちに、私たちの健康を支えている。
 安く手に入り、美味で栄養豊か。毎日でも食べたい食品である。


11/22(水)快晴比較的温暖  
 1:55起床、本読み、徒然他。文庫本、医学文献、整理。ネコの世話、給餌。8:30家内に同乗病院。新聞チェック+入力、11:00病棟、微睡、13:00医局会、14:30合同カンファ+ECなし+患者処置。家族家庭関連文献読み。16:00患者家族RS例面談。19:20帰宅夕食、20:45就寝。歩数計5342歩。

卵 たまご タマゴ(4) 採卵鶏の一生、散々産まされて痩せ細り、2歳ほどで処分される

 私は卵好きなのであるが、白玉を産む白色レグホン、赤玉を産むポリスブラウンなどの採卵鶏について最近まで大きく誤解していた。
 先に、農業関連の本を読んで初めて知った。

 採卵鶏の雄は雛の段階で処分される。
 何故か私の父が鶏の雌雄鑑別師の免許(?)を持っており、時々話を聞いていたからである。判定はきわめて難しく時に雄鶏が混じって育つ事もあるのだと言っていた。養鶏場では雄は無用なので、彼らは見つかった時点で処分される。
 同じ男の立場で身の毛がよだつ。人間の世界ではジェンダー問題として性差が否定されつつある、というのに・・・採卵鶏の世界は厳しいものである。

 また、嘴で互いに怪我が絶えない。そのため無麻酔で嘴を切る。日本では約80%で実施されている、との事である。

 採卵鶏は生後5か月頃から産卵を始める。
 私は、その後ずっと数年間にわたって産卵し続けるものだと思っていた。

 それが、産卵開始後1年ほど経つと換羽期に入り卵質や産卵率が低下し、休産期に入る。この時点で処分する養鶏場もあるが、約半数の養鶏場では人工的に強制換羽を行う。鶏を給餌制限により栄養不足にさせると
羽が抜け替わる。この処置で生き残った鶏は、その後8か月ほど質の良い卵を生む。再び産卵率が落ちるが、この時点で多くは処分され、鶏肉または動物の餌となる。強制換羽は日本では半数の施設で実施されている。

 採卵鶏の一生をまとめると、
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■生まれた時点で雄は処分される。
■嘴が無麻酔で切られる。
■産卵開始後約一年で休産期を迎えるが、一部はこの時点で処分される。
■処分しない場合は人工的に栄養失調状態にさせ換羽させる。一部は栄養失調死する。
■強制換羽後8か月ほど産卵するが再び産卵率が落ちる。この時点で多くは殺処分される。
■この時点ではやせ細り食肉用にはあまり向いていない。肉の価格は安い。家畜のエサ用などとなる。
■鶏の寿命は20年ほどとされるが、採卵鶏の寿命は2年ほどである。気の毒!!!。
■などなど・・・。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 恐れ入りました。
 人間は他の生物の「いのち」をいただいて生きている。好物の卵を産んでいる鳥を遠くから尊敬していただけに、彼女らがこんな厳しい一生を送っているとは、知らなかった。

 産卵鶏は動物愛護の精神が届かない苦難続きの一生だと思う。
 今後は、心して卵をいただきたい、と思う。


11/21(火)午前曇り午後快晴 中通内科外来 
1:30起床、早朝まで降雨が上がった。5:20可燃ゴミ提出、6:40バス飯川病院、7:00-8:30病棟教務、8:45-12:30中通病院内科外来、紹介状作成、スムーズ。12:45病院。午睡、15:00病棟対応。17:00患者家族面談。19:00帰宅、夕食、21:30就寝。歩行計Σ9414歩。

卵 たまご タマゴ(3) 大量生産で価格安定 更に付加価値で差別化
 卵の値段は、長い間ほぼ横ばいで「物価の優等生」となっている。私が大学学生寮で有難くいただいていた時も一つ10円前後であった。

 便宜的に10ケ入れのPack程度をイメージしてKgあたりの価格を現在の価格に変換して比較してみた。
 1950年(昭和25年)には「2,370円」相当の価格だったが、以降価格が下がり、1987年(昭和62年)に200円台に入った。その後は変動はあるものの価格は安定している。
 農水省のデータによれば「2015年(平成27年)度4-6月で219円」であった。

■卵が物価の優等生である理由
 なぜ卵が「物価の優等生」であり続けてきたのか??
 その最大の理由は「円高」にあるらしい。ニワトリの飼料は現在ではほとんどが外国から輸入されている。輸入される飼料は、日本の経済力を背景にした円高によって安価になり、それが卵の市場価格に反映されてきた。

 しかしながら、日本の経済力に翳りが出てきた以上、将来は読めない。家畜用食料は発展途上国の経済的戦略物質になってきている。国産化方向は夢なのだろうか。
 また、養鶏場は大規模化している。利潤が少ないからである。一般的に鶏卵が生産されればされるほど市場価格は下る。養鶏家には頭の痛いことであろうが、消費者は今まではこれで助かってきた。

■卵の価格差は何から由来するか?
 養鶏農家では卵に付加価値をつけ収入を上げる試みを行なっている。

 価格に影響する因子。
――――――――――――――――――――
茶色の卵 >> 白色
平飼い・放し飼い >> ケージ飼い
自家配合飼料飼育 >> 輸入飼料、工場配合飼育
ヨード強化、ビタミン強化など >> 通常卵
黄身の色調  濃い色>>うすい
・・・などなど。
―――――――――――――――――――――
 これらの差をどのように考えるかは消費者の自由でいい。しかし、消費者が抱くほどの差はない。消費者のイメージは意外に大きくそれが値段に反映されている。

■栄養価などに差はあるのか?
 茶色い卵の方が若干値段は高い。何となく栄養価が高そうで、美味そう、という理由で茶色い卵の方が好まれる傾向がある。しかし、与えているエサなどの条件が同じなら、両者にまったく差はない、という。

 だから私は白い卵を好む。


11/20(月)曇り降雨寒い 早朝患者救急搬送 健康クリニックドック 
 2:00起床。間もなく患者不調の連絡、出勤して対応。敗血症ショックで対応困難。5:00頃中通病院救急に患者搬送。久々救急車に同乗。6:00帰院、微酔、7:00病棟業務。9:00-11:30健康クリニックドック14名+結果判定14名分。リハ病院。部屋の空調安房に切り替え。読書微睡。14:00新聞チェック、15:00入院患者対応、病棟パソコンの入れ替えあり、処理スピードは速くなったが従来の機能が使えなくなった。改善しつつあるが操作が面倒に。 19:00帰宅、夕食、20:30就寝、歩数計6488歩。

卵 たまご タマゴ(2) 貧乏学生の朝のご馳走納豆卵かけご飯

 1965年(昭和40)、私は新潟大学に進学した。貧乏であったために学生寮に入寮した。そこで供される食事は超質素なものであった。

 朝食は30円でご飯、味噌汁、二切れの黄色いたくあんが標準であった。週のうち何回かは気のあった友人二人と示し合わせて食堂に集まり、各自10円出し合って30円で生卵とパック納豆を購入、納豆生卵かけご飯とし、三人で分けあって食べた。
 昼食夕食は各々50円で、その内容は推して知るべしのレベルであった。

 私はこの寮に6年間在籍した。常に空腹を抱えていた。食事内容に好き嫌いなど言っておれない状況で、何でも残さずに食べた。食品に好き嫌いはもちろんあるが、イヤで食べられない食品はない。
 納豆生卵かけご飯には深く感謝している。

 寮生活はかれこれ60年近く前の話であるが、今でも私の朝食は1日おき程度に卵かけご飯、または納豆生卵ご飯である。


(美しい生卵 この黄身の張り、素晴らしい)

 賞賛 卵かけご飯と納豆卵ご飯
 私は日常は料理はしない。それでも、湯を沸かしたり、電子レンジ程度なら使えるし、卵を割ったり納豆をかき混ぜたりはできる。わが家の炊飯器はボタンが多すぎて使えない。

 私は朝が早い。5:30amには朝食を摂る。当然孤食である。私の朝ごはんの一番の頻度は今でも納豆卵かけご飯である。次いで生卵かけご飯、三番目は三島名物「農兵漬け」かな?

 60gのチンで解凍したご飯の上で卵を割り、醤油を少々かけ、若干かきまわして、食べる。
 
 集中して食べれば一分もかからない。
 昨日の白い卵はスーパーで買った200円/Packのもの、今朝の茶色い卵は1000円/Packである。後者は家族たちの希望で定期的に届けられる品である。この値段の違いは何か?味に差はあるのか?栄養には?・・・などと考えるが、茶色の方が高級感がある。大きな差があるハズないじゃないか!!!! だから、両方あるときは私は白い方を選んで食べる。 

 黄身と白身は明らかに味が違う。だから、二つの昧を最後まで損なわずに食べたい。ご飯も美味しい、醤油もなかなかである。それを全部別々に味わう。私の卵かけご飯のポリシーである。
 
 卵は、人間の生活の中で重要であるがあまりに値段が安く、食材として正当な評価を与えられていない、と思う。養鶏農家にはちょっとだけ潤ってほしい。

 もし、値段が一個300円になつても、私は卵かけご飯を食べる、と思う。



11/19(日)終日降雨
 1:30起床、医学論文読み、読書、データ整理など。11:00着付けの会ミルハスに出席の家内に同乗病院。病棟業務から、不調の患者2.3対応。午後から新規に不調患者TS例、発生、19:00帰宅夕食、不調の患者連絡、20:30就寝、歩数計4943歩。
プリウスシフトレバーが自然にニュートラルに戻る不具合あり点検、原因は一本の輪ゴムであった。

卵 たまご タマゴ(1) 幼少期の火災のトラウマ「麻薬」「火炎」「厚焼き卵」

 1952年(昭和27)4月10日、近所の家が火だるまになっているのに気づいたのが昼食時で、私は食事中であった。目の前の皿には母が焼いた大きな厚焼きの卵焼きがあった。あとで食べようと楽しみに残していたのであるが、食べないまま避難した。
 
 祖父から麻薬の入った手提げ金庫を託され、200mほど離れた裏のリンゴ畑でその金庫の上に座って自宅と診療所が焼け落ちる過程をずっと見ていた。400坪ほどの建物を焼き尽くした炎は恐怖感とともに、全てを浄化するパワーに感動すらも覚えた。燃え盛る熱気も耐え難く時折場所を移動した。
 建物があらかた焼け落ちた時に家族らの待つ場所に戻ったが、その時、麻薬が無事だったことで祖父が安堵した表情は忘れられない。

 この火災は幼少期の私にトラウマとして残っている。特に、「麻薬」・「火炎」・「厚焼き卵」である。

 「麻薬」
 祖父が私に麻薬が入った小型金庫を背負わした時の真剣な表情は忘れられない。小学校に入ったばかりで、麻薬のことなど知る由もなかったが、目の前で自宅が焼け落ちようとしている中でのあの祖父の表情である。私は事の重要性を理解した。
  
 医師になってから患者への治療上、モルフィネを中心に麻薬を用いる機会は多かったが、使用の手続きは結構煩雑で、使用した後のアンプル、残液も回収されるなど、火災の際の祖父の真剣な表情のルーツが理解できた。火災の際に私が担った責務を果たし得たことは大きな心の糧になっている。

「火炎による浄化」
 全てを焼き尽くす「火炎」に「美的魅力と浄化力」を感じ、不浄な私が焼かれる状況を夢想し、安堵する。

「厚焼き卵焼き」
 手をつけないままに逃げたが、実にでっかくて美味そうであった・・。燃え盛る火事の最中にも卵焼きのことが頭から離れなかった。
 
 今でも私は食品売り場に、食卓に卵焼きや出し巻き卵などがあれば心がさわぐ。自宅の食卓であれば、私用に大きめのブロックが用意される。滅多に出かけることはないが寿司店では卵の握りなど、独占する。足りなければ卵の握り、または卵焼きそのものをブロックで追加注文する。

 幸い、家族たちはあまり卵焼きを好まないから、集めて食べてもあまり文句は言わない。
 ふわふわの食感、やや甘めのだし巻き卵を好むが、作り方は奥は深いようである。そう難しくはなさそうであるが、自分では料理しない。出された品を淡々といただく。塩気が前面に出る味のは嫌であるが、大抵は満足できる。

 その度に火災の際に食卓に置いたままにした厚焼き卵が思い出される。あの、表面の焦げ目の模様すら、目の前にチラチラする。

 火災の辛い記憶はいろいろある。
 今となってみれば卵に対する思い入れは、火災が残してくれた幸せな記憶の一つなのかもしれない。


11/18(土)終日降雨
2:20起床。いつもの如く。資料整理中心。読書。9:00家内は歯科に。読書など終日過ごす。昼新聞チェックその他。微睡、読書。夕方雷鳴、いつもより低音、長時間鳴り響く。地響き音伴う。19:00夕食、20:30就寝。歩数計4259歩。本日は病院に行かず、ほとんど室内で過ごした。

高齢者問題(9) 「高齢者達よ、貴方たちはどう生きたいのか!!!」(5) 臨死の静けさ

 高齢者の延命治療の項を小休止するにあたり、宮沢賢治の「眼にて云ふ」 という詩を味わい直した。
 宮沢賢治といえば 「雨にも負けず」「銀河鉄道の夜」「注文の多い料理店」 などの傑作があるが、私は「眼にて云ふ」で表現された臨死期の静けさの心情を好む。

以下に示す。

『眼にて云ふ』  宮沢賢治
―――――――――――――――――――――――――――――――――
だめでせう とまりませんな
がぶがぶ湧いてゐるですからな
ゆふべからねむらず血も出つづけなもんですから
そこらは青くしんしんとして
どうも間もなく死にさうです
けれどもなんといゝ風でせう
もう清明が近いので
あんなに青ぞらからもりあがって湧くやうに
きれいな風が来るですな
もみぢの嫩芽と毛のやうな花に
秋草のやうな波をたて
焼痕のある藺草のむしろも青いです
あなたは医学会のお帰りか何かは知りませんが
黒いフロックコートを召して
こんなに本気にいろいろ手あてもしていたゞけば
これで死んでもまづは文句もありません
血がでてゐるにかゝはらず
こんなにのんきで苦しくないのは
魂魄なかばからだをはなれたのですかな
たゞどうも血のために
それを云へないがひどいです
あなたの方からみたらずゐぶんさんたんたるけしきでせうが
わたくしから見えるのは
やっぱりきれいな青ぞらと
すきとほった風ばかりです。
―――――――――――――――――――――――――――――――――

 高齢者の延命治療との関連でこれを読むのは半ばこじつけであろうが、ここに表現された臨死状態にある病者の心の静けさ、私が好きな詩である。何度も吐血している状況が描かれているのが、本人は安息の状態に近い。

 多分臨終前に多くの患者に訪れる「和やか期」の様子の様に思えるが、この安息の時間を乱してはならない、と思う。



11/17(金)終日降雨 大曲中通病院 歩数計京都に到着
1:45起床、徒然他。5:30可燃ゴミ、7:35Taxi、ギリギリ間に合った。8:11こまち、大曲中通病院外来。大曲報復Taxi。長崎屋経由15:30病院。遅い昼食、16:30病棟業務。新聞チェック+入力、19:00帰宅、夕食。21:00就寝。歩数計Σ7839歩。個人用こたつ快適。歩数計京都に到着。兵庫まで300Km、3328万歩、26630Km/3877日。

高齢者問題(8) 「高齢者達よ、貴方たちはどう生きたいのか!!!」(4) 延命治療の行きつく先

 今日の医学, 医療の世界では患者本人の自己決定権の尊重が基本になっている。最近は本人の意思確認が困難な場合は家族等の情報から類推することもできるようになった。

 Advance Care Planning(ACP)は人生の最終段階において、患者本人の意思を尊重した医療・ケアを受けられるようにするために行われる。本人・家族・医療従事者との話し合いをもとに本人の意思決定が行われるため、患者の希望が家族・医療・ケアの関係者からも受け入れやすい。

 たとえば延命治療を受けるか否かも重要な選択肢の1つである。
 人は、特に高齢者は、いつ、どんなときに人生の最終段階を迎えるか分からないため、誰しもACPを検討しておく必要がある。

 ACPでは、意思決定にあたって、医療従事者から専門的な情報提供や説明が行われ、それらをもとに本人をはじめさまざまな人が意見を述べて話し合いが進められて行く。
 しかしながら、特に延命治療においてはその情報提供は包括的であろうとすればするほど難しい。そもそも人の「いのち」はだれのものかという問題に帰することにもなる。「いのち」は @ 自分のもの、A 社会のもの、B 神様(?)のものとか、いろんな考え方がある。医療従事者と言え他人の「いのち」に介入していいものか?

 私は「いのち」は最終的には自分のものと考えるが、各個人は社会の中で家族などに守られて生きているわけで、社会あっての自己である。このように、患者の自己決定権の尊重といっても人間には 「死ぬ権利」 があるのかと言われると答は難しく、自ずから限界がある。

 生物学者の池田清彦早大教授は、「いのちは自分の所有物ではない。だから、死ぬ権利はない」と述べている。

 私は「いのちは自分のもの、だから、死ぬ自由も権利もある」と思っている。しかし、そう簡単には社会的にコンセンサスは得られないだろう。

 延命処置、特に経鼻胃管、胃瘻からの栄養補給、頸静脈的栄養補給の問題点を挙げてみる。これらは施行当初は問題が少ないが、期間が長くなると以下のごとくの種々の問題が生じてくる。

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対象者の多くはベット上のほぼ寝たきりの状態となる
チューブ等不用意に抜かれないためにベットに縛られる
その結果、全身の関節が拘縮する
体位返還もままならず、褥瘡ができやすくなる
誤嚥のために肺炎、気道感染症が生じやすい
喀痰の吸引が頻回にな理、時には気管切開を要する
酸素吸入が必要になる
頻回の感染、高熱で抗生剤療法が必要となる
各種抗生剤に耐性を示す耐性菌感染症で治療効果が乏しくなる
拘束とかで精神活動の一層の低下が生じる
不適切抗利尿ホルモン分泌が生じ低Na症になり意識障害が進む
栄養状態が悪化し、免疫能低下状態となる
全身に浮腫が生じる
などなど
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 もちろん延命治療を受けさせて良かった、という家族もいる。
 しかし、私は必ずしもそう思えない。
 延命治療の行く末はこの世の地獄(?)と思う。



11/16(木)雲一つない快晴 秋銀スタッフ来訪
 2:00起床、文献処理、徒然などいつものごとし。8:30家内と病院 新聞処理後。11:00秋銀スタッフ来訪、新聞入力ほか読書。14:00病棟対応、16:30患者家族面談、紹介状作成。19:15帰宅、夕食、21:00就寝。歩数計5646歩。

高齢者問題(7) 「高齢者達よ、貴方たちはどう生きたいのか!!!」(3) 事前指示書とACPについて

 内閣府の調査によると、病気や怪我によって命の危機にさらされたとき、高齢者の91.1%が「延命のみを目的とした医療は行わず、自然に任せてほしい」と回答している(出典:内閣府「平成25年版 高齢社会白書」)。

 しかし、現在の高齢者医療の実態とは全く様相が異なっている。高齢者は事前に上記の旨を表現しておかないと、意に沿わない延命医療を受ける可能性が大きい。それを回避するためには元気なうちに、不治の病気や事故の際にどうするか、認知症が進んで意思表示ができなくなった時にどうするか、などに分けて自分の考えを記載しておくべきと考える。

 2018年頃からその意思決定の過程を補助する考え方が生まれて来た。それがAdvance Care Planning(ACP)の動きである。
 ACPは、人生の最終段階で受ける医療やケアなどについて、患者本人と家族、医療従事者などが事前に繰り返し話し合う取り組みのこと。

 ACPの以前から、一部の先駆者などの間では「事前指示書」と呼ばれる文書による意思表示が行われてきた。事前指示書は、将来病気やけがなどで自分が意思決定できない状態に陥った場合に、判断を委ねる人物、受けたい医療・ケア、受けたくない医療・ケアなどについて文書化した書類のことである。

 事前指示書とACPの大きな違いは、意思決定の際に家族や医療従事者との話し合いを行うか否かにある。

 「事前指示書」では誰とも話し合いを行う必要性はないため、事前指示書に記載された内容と家族の意見が大きく異なることもありうる。この場合、基本的に指示書に記載されている内容が優先される。また、事前指示書の内容が医療的に実施不可能であれば拒否される場合もある。

 ACPは家族・医療従事者との話し合いをもとに本人の意思決定が行われるため、患者の希望が家族・医療・ケアの関係者からも受け入れやすい。
 
 人はいつ、どんなときに人生の最終段階を迎えるか分からないため、誰しもACPを検討しておく必要がある。

 しかし、中には人生の最終段階について事前に考えること自体に嫌悪感を持つ方もいる。また、自分のことを他人と相談することに耐えられない人もいる。その場合は、まずは自分がどうしたいのか考えてみることが大切である。

 私はすでに事前指示書は作成済みであり公開している。
 私は自分の「いのち」は自分のものと考えている。だから、死に際のありようについては、家族を始め他人に相談することなどは考えられない。だから、ACPはより理想的とは理解しているが、自分のためのACPなど無用である。


11/15(水)曇り小雨 
1:00起床、新聞・文献読み他諸々。ネコの世話、給餌。8:30家内に同乗病院。新聞チェック+入力、11:00病棟、微睡、14:30合同カンファ+EC+患者処置。高齢者関連文献読み。19:20帰宅夕食、20:45就寝。歩数計5348歩。

高齢者問題(6)  「高齢者達よ、貴方たちはどう生きたいのか!!!」(2)
 現在の老人は「社会のマジョリティ」で「社会の隠れた主役」でもある。否、隠れてなどいない、真の主役かもしれない。

 我が国の平均寿命(0歳の平均余命)は2022年男81.05年、女は87.09年なる。 一方, 自立生活可能な生存年齢が「健康寿命」で2019年で男性72.7歳、女性75.4歳である。

 寿命の延長とともに「寝たきり」と「認知症」の増加が社会問題化しつつある。
 萩原らの百寿者の研究では、ADL(日常生活機能)別の割合は,良好群と中間群がいずれも約20%,不良群が約60%であった。男女差が著しく、男のADLは良好。 ADLが不良群では脳血管疾患と老人性認知症が多かった。百寿者全体の在宅率は66%であった。

 「健康寿命の延伸」こそが高齢者医療の目指すところであるが、しかし、高齢者関連医療従事者の実態は、私を含めて「寝たきり」と「認知症」患者の世話と延命に費やされている。医療従事者としてもこの分野の業務は重要であるが一抹の虚しさもある。

 人にはそれぞれ, 個性があり, 人間性がある。異なった価値観を互いに認め合える多様社会なくしては良き人生はない。元気な時は「 天上天下唯我独尊」でいいが、人間, 生まれると同時に死への旅路が始まっていることを忘れてはならない。

  最後まで脳と身体の活力を人間らしく保ちながら、最終段階でどのように生き、どのように死ぬのが問われることになる。

 私は中通リハビリテーション病院療養病棟で高齢者医療を担当している。
 私は家族面談を重視する。何しろ現在主治医として受け持っている20名の患者のうち、回診時に私と会話可能な患者は5人に満たず経管栄養、ないし点滴、酸素吸入を受けながら天井の模様をじっと見つめているだけ??だから患者本人がどういう考えで医療を受けているか知ることができない。

 患者面談の際に必ず確かめるのは、
 (1)「ご本人と認知症や要介護状態になったらどう生きたいのか、話し合ったことはありますか??」
 (2)「ご本人の死生観を確かめたことはありますか??またはそのような心情を示した文章などはありますか??」
 ・・・であるが、今まで面談したご家族のべ30家族以上についていえば「あります・・・」と答えた家族は全くない。

 患者面談を通じては、ご家族が如何に患者を大切にしているかを窺い知ることができる。親孝行息子、娘達でこれはほぼ例外がない。

 しかし、「親の死生観を知らずして親孝行できるのか」、「どんな状態を迎えてもひたすら長命を願うのは真の親孝行と言えるのか??」、周り回って「結果的に親に苦痛を強いているのではないか??」、「・・・・・」。

 私の素朴な疑問である。

11/14(火)終日降雨 中通病院内科外来  
 1:15起床。新聞・文献読みと本読み。5:30可燃ゴミ出し。6:40バス病院。7:00ー18:20病棟対応、8:45-13:00中通病院外来。超疲弊。13:30-15:30熟睡。病棟対応、新聞チェック+入力、自炊数冊。19:15帰宅、夕食、21:00就寝。歩数計8387歩。

高齢者問題(5)  不治の病における医師の責務の考え方の変遷
 16~17世紀のイギリスの思想家F・ベーコンは、著書 「学問の進歩」 の中
で、「医師は患者の健康を回復させるだけでなく回復の見込みのない病気で苦痛に悩まされている患者では息をひきとらせ苦痛を取り除くことも任務であろう」 とし, これを安楽死と呼び、西洋の人々の関心を集めていた。
 しかし、実際には、この行為は殺人に相当するので、医師は加担できないことであった。

 幕末の蘭方医である緒方洪庵(1810〜1863)はドイツ人医師フーフェランドの著書にある医の道徳についての記述を訳し「医戒」として広めたが、その中で 「たとえ病気が、もはや重大な危機に至っているとはいえ、医師としてもう全く救済の手がないなどとは断定すべきでない。ヒトの生命を保全し、努めてこれを長く有しめるのは、医師の最大の目的である」としている。この考えは我が国の医師の倫理として長い間重視されてきた.

 時代が流れ、 1960年代後半になると、 特に人工呼吸器が進歩普及し、意識もなく人工呼吸器につながれ、漫然と生き長らえるような患者が目立つようになり、そのような場合には人工呼吸器を取り外すべきであるという考えが台頭してきた。

 そのころアメリカを中心に医療における患者の自己決定権の尊重という考えが普及し、患者の意思があればこれを容認しようという考えが起こってきた。しかし、終末期にある患者はすでに正常な判断ができない状況にあることが多く、このような状況に至る前にあらかじめその意思を文書にしておき、 終末期になったら医師に意思を尊重してもらい延命治療の差し控えや中止を認めさせようということで、この事前指示書の作成を推進する社会運動も盛んになった。さらにベーコンの言う、いわゆる積極的安楽死も容認しようという考えも強くなった。

  死にゆく過程について医師の役割も複雑になってきた。医師はこの生死にかかわる問題について何が重要な問題なのかを十分に理解しておくことが肝要である。その際のキーポイントは患者本人の意思確認になる。

 この頃、射水市民病院事件が明らかになった。
 2006年3月射水市民病院で、当時50歳の外科医師が78歳の入院患者の人工呼吸器を取り外そうとする、不自然な点があったために、病院が調査を始め警察に届け出た。
 2008年に、警察は問題の7件のうち六件の主治医だった外科部長二人を殺人容疑で地検に書類送検した。
 最終的に不起訴となったが延命治療に消極的な考えを持つ私は主治医に共感したものであった。
 この事件を機に本人の意思確認ができないときは家族等の話から本人の意思を推定する方向も認められるようになり、延命処置中断の条件が多少緩和される事になったのは朗報であった。



11/13(月) 早朝降雨終日 寒い一日 健康クリニックドック 
 
 1:00鼻詰まり苦しくて起床。文献処理、蓄積データ処理。徒然。6:40バス病院に。7:00-8:45病棟対応。9:00-11:30健康クリニックドック13名+結果判定15名分。11:45病院。新聞、医学論文チェック。微睡。13:00患者家族面談、気管切開関係。入院患者対応若干。データ整理、19:15帰宅、夕食。 20:45就寝。歩数計7347歩。

高齢者問題(4)  延命治療、ターミナルケア、緩和ケアとは
 人生の終末期を迎えた患者の選択肢として、私は自然死が一番と思うがほとんど賛同が得られない。

 食事を自分で摂れなくなった時、種々の疾患で呼吸の維持ができなくなった時、自分の腎臓の機能で生命を維持できなくなった時などには、一時的に生命を維持する方法が確立している。これには「人工栄養補給」療法、「人工呼吸器」療法、「人工透析」療法も含まれる。

 若干用語解説する。

(1)延命治療とは
 延命治療とは、老化や病気により生命の維持が難しくなった患者に対し、医療的措置によって一時的に生命をつなぐ行為を言う。

 「人工栄養補給」療法はあまりにも手軽に行われているから延命治療だと思っていない医療関係者もいる。

 それによって、少しでも長生きしてほしいという家族の願いは実現するものの、様々な問題が生じてくる。患者にとっては寝たきり、尿便の垂れ流し、ベットへの拘束などなど、この世の地獄の始まりである。

 例えば、本人の意思が確認できないままでの延命措置導入が多いこと、本人に苦痛を与えてしまう可能性がある、延命措置を中止する場合の法的問題があることなど・・・の問題も多い。

 いずれ人は全員死を迎えるが、その際にどこまで医療を受け続けるのか、本人の意思を確認しておくことが必須である。航空機に例えれば、目的地にスムーズに着陸するのか、途中で墜落するのか、不時着するのか・・・に相当する重大な判断に相当する。後二者を希望する人はいるのだろうか??

(2)ターミナルケアとは
 ターミナルケアとは、余命が短いと判断された患者に対し、残りの時間を患者がより快適に過ごせるよう、医療・看護・介護などの多面的なアプローチでケアすること。
 その主な内容は、以下の3種類に纏められる。

「身体的ケア」は痛みの緩和や生活の介助一般
「精神的ケア」は死への不安や残された家族への配慮など、心の問題の緩和を図る
「社会的ケア」は医療費などの経済的不安や社会的な孤立感などに対するケア

 医療的には延命措置、治療への移行が可能であるが、それらを望まない場合にはターミナルケアが重要になってくる。

(3)緩和ケアとは
 緩和ケアとは、がんなどで不治の状態と診断された患者、治癒の可能性があるが治療に難渋する患者が受けることができる総合的なケアを言う。緩和ケアの目的は、身体的苦痛・精神的苦痛・社会的不安などを緩和させることなので、ターミナルケアと重複する部分もある。

・・・・・・



11/12(日) 曇り寒いほぼ終日降雨 居間ストーヴ整備と初点火
1:30起床.プチ相手にグダグダ。読書。微睡など思うがまま。4:30ルーチンに入る。早朝家内担当の患者死去で出勤。昼食、NHKのど自慢。新聞チェック、微睡後居間ストーヴ整備と初点火、もう修理は不能機器であるが、機能的には問題なし。今年持つだろうか。機器周辺整理。文献検索、読書中心。19:00夕食。20:30就寝。歩数計Σ4984歩。


高齢者問題(3) 食べられない → 即延命治療が開始されるがここに最大の問題がある

 食べられなくなった → 即延命治療、すなわち栄養補給が開始される。

 この時点で延命に関して大きな問題があるのだが、誰からも深く検討されないまま、患者の意向を確かめることもなく初期の延命治療が開始される。いや、あまりにも当たり前の治療になっているから、延命治療という意識すらほとんどない状態で、延命治療が開始され、徐々に悲惨な状態になっていく。

 栄養補給のルートとしては消化管の機能を利用する方法と静脈内栄養補給がある。消化器系が十分機能する状態であれば当然消化管の機能を利用する方がより自然なやり方である。

 一般的にはカロリーの少ない点滴で水分を中心に投与しながら、状況が改善しないと見ると経鼻経管栄養に移行し、長期に及ぶような場合ならその後に胃ろう増設が勧められる。厳密にはこれでも誤嚥が無くなるわけではない。誤嚥性肺炎は時には生じるが、当面はまだしばらくは生きられることになる。

 経鼻経管栄養は一日3回注入され、それに用いている管は鼻から入れ続けているのが通常である。
 短期間であればともかく、長期間鼻に管が入っている状況に患者は耐えなければならない。これは決して良いことではない。患者が不快感を持つ他に、鼻に管が入っている状況は見てくれも悪く非人間的でもある。その面で、もしこのような形で栄養補給をし延命を図るのであれば胃ろう増設が勧められる。

 私は2012年に腸閉塞を起こしたが、その際に鼻からイレウス菅というやや太めのチューブを入れて4日間過ごした。その治療効果もなく手術を受けたが、鼻のチューブは何をするにも不快、十分に眠ることもできなかった。手術によって鼻のチューブから解放されホットしたが、これが死に至るまで続けられるとしたら患者のQOLは無きにに等しい、と実感した。

 更に、経鼻胃管は2週間毎に交換する必要があるがこの操作も患者にとっては辛いと思う。

 別な方法として点滴で栄養を補給するという方法もあるが、これについては別に論じたい。

 結局、経鼻胃管栄養補給であっても、胃瘻増設者であってもその対象者はほぼ全員が加齢による身体機能障害や誤嚥性肺炎肺炎の繰り返しによってほとんど寝たきり状態で、排泄を含めて全介助状態にある。この様な方々が廊下を散歩している姿など予想もできない。

 チューブを抜去されないよう手足をベットに縛られ、終日じっと天井を見つめているだけの人生。
 毎日何を考えて生きているのだろうか?その問いに対して答える患者はいない。

 こういう状況は私から見れば悲惨、地獄の一言であるが、この状況は医療者の安易な治療方針と家族の意向で決まっているのが恐ろしい。



11/11(土)降雨今日から寒波 家内ゾンタに
1:45起床。読書、画像データ整理。いつもと同じ。個人用こたつ、というか足温器快適。11;30ゾンタ例会に行く家内に同乗、病院に、カップカレー昼食に。十分美味い。読書、微睡。病棟業務殆どせず。相続関連の勉強。19:00帰宅。夕食、20:30就寝。歩数計Σ5309歩。

高齢者問題(2) 食べられなくなった時が終わりなのだが・・・・
 老年者医療のコアとなる点は, 「死をどう捉え、死に向かう本人およびその家族のケアをどう進めていくか」ということにある。

 まず、このテーマ、基本は延命治療についてどう考えるか、生きるということはどういうことなのか・・・に到達するのであるが、より身近な問題から具体的に考えてみたい。

 高齢者は各種の疾患のみならず加齢によっても何れ口から食べられなくなる時期を迎える。食欲があっても嚥下がうまくいかないという状態である。

 通常は舌・咽頭の神経・筋肉・食道が相互に連携して食べたものを胃に送り込むのであるが、何らかの理由でこれらの機能のうちのどれかが正常に動かなくなると、食物が気管支の方にも入っていく事になる。これが「誤嚥」である。「誤嚥」の結果、頻繁に肺炎が起きてしまう。 肺炎は医学的対応をで一旦は治るが、再び誤嚥して肺炎 を繰り返す。

 「誤嚥」は食事時だけに生じるのではない。
 高齢者の就寝中に、唾液や胃内容物が少しずつ気管に入る現象は頻繁に確認される。口腔内は黴菌が繁殖する不潔な場所である。そのために口腔ケアが勧められているが、短時間でまた黴菌が増殖する。このような状態になると、口から食べるわけにはいかないと判断される。

 この状態は人間として生きる能力に限界を迎えたことを示している。私はこの状態をヒトとしての一つの節目と考える。

 この時点での治療上の判断がとても大事なのであるが、高齢者の治療にあたっている主治医の大部分は、深く考えもせずに簡単に延命治療に入っていく。家族も何も知らないまま大部分その方針に従っていく。
 
 安易な延命治療の導入こそが、患者に苦痛と忍耐、地獄の苦しみを強いる事になるのだが、医療者も家族も深く関わることをしない。

 私は延命治療には消極的な考えを持つ医師である。
 私が50年ほどの医師生活で担当した末期状態、節目を迎えた患者のうち、ご本人及びご家族が私の治療方針に納得して点滴や経管栄養を一切しないで死亡された患者は10数名に満たない。
 点滴で水分のみを投与し、比較的短期間でお亡くなりになった患者はも50名に満たない。

 人の終末期の治療・ケアの考え方は問題が多い分野である。



11/ 10(金)曇りと降雨 大曲中通病院外来 
 1:15起床、読書。5:30可燃ゴミ、7:35Taxi、8:11こまち、大曲中通病院外来。大曲報復Taxi。長崎屋経由15:30病院、昼食はステーキだった。16:00患者家族PICC面談、微睡。新聞チェック入力できず、19:00帰宅、個人用こたつ、というか足温器届く。夕食。21:00就寝。歩数計Σ7215歩。

高齢者問題(1) 「高齢者達よ、貴方たちはどう生きたいのか!!!」(1)
 本年9月16日の敬老の日におとぎ話、昔話にある高齢者にまつわるの話題を展開した。
 その際の結論としては、当時の老人は「社会の厄介者の少数者」であったが、昔話の中ではなぜか主役になっている。それは明治の頃に教育上の見地から無理矢理作り変えたからである。

 対して、現代の日本は超高齢化社会・老人社会といわれ、 新聞・雑誌・ネットなど、あらゆるメディアに老人に関する話題が上がらぬ日はない。そして「老人が金を貯め込むから経済が回らない」、「年金・医療・介護費が国を滅ぼしかねない」、などど揶揄されている。

 現在の老人は「社会のマジョリティ」で「社会の隠れた主役」でもある。否、真の主役かもしれない。

 これからは現代の高齢者の諸問題、とりわけ高齢者医療を中心について考察してみることにしたい。

 近年、わが国では少子高齢化が著しい。
 総務省は2023年4月に昨年10月1日時点での65歳以上がの高齢者が約3600万人で、高齢化率は29.0%とを公表した。また、75歳以上の人口は約1900万人で全体の15.5%となった。

 女性1人当たりの合計特殊出生率は1.26で過去最低となり、現在1億2千万人の人口は100年後には半分の6千万人になるとされる。
 
 妊娠可能期女性がここまで減少してしまうともうどのような少子化対策しても超高齢少子社会の到来を防ぐことはできない。

 人間の寿命は約120歳が限度とされる。令和4年の平均寿命(0歳の平均余命)は 男81.05年、女は87.09年なる。 ちょっと短くなっているのが嬉しい。

 寿命の延長とともに「寝たきり」と「認知症」の増加が社会問題化しつつある。
  一方, 自分のことは自分でできるという自立生活可能な生存年齢が「健康寿命」であり, 日本では2019年で男性72,7歳、女性75.4歳となっている。

 健康寿命の延伸こそが高齢者医療の目指すところといえる。しかし、実態は「寝たきり」と「認知症」患者の延命に駆り出されている。
 古い一句「寝たきりを  増やして 今年も世界一(読み人知らず)」

 人にはそれぞれ, 個性があり, 人間性がある。異なった価値観を互いに認め合える社会なくしては良き人生はない。元気な時は「 天上天下唯我独尊」でいいが、人間, 生まれると同時に死が始まっていることを忘れてはならない。

 降りることを考えないで旅客機が出発することはない。

  最後まで脳と身体の活力を人間らしく保ちながら、どのように生き、どのように死ぬのが問われていることになる。

 児童文学者・吉野源三郎の「君たちはどう生きるか」が2017年に漫画化されてブームになった。

(私が愛読した漫画版)
 ブームの端緒となった小説は「子供たちに生き方や人生の意味を考えさせる」作品なのだが、この書名の問いは、むしろ今のシニア世代にも問われるべき、と思う。

 「高齢者よ、貴方達はどう生きたいのか!!!」と。



11/9(木) 超快晴、空の雲が高い   
 1:50起床、文献読みなど。8:30家内に同乗、旭川コイに給餌、病院着。9:30病棟対応、紹介状作成。微睡。デイルームの植木のまとめなど。14:00-15:00適宜病棟対応、雑誌類自炊多数。19:20帰宅、夕食、20:10就寝。歩数計Σ7300歩。居間ストーブ咋季初点火。今年の秋は熱い方か。

不思議な臓器「脳」(7) 記憶について(5) 頭がいい、ということはどういうこと?

 人間は、ほかの動物よりもさまざまな点で劣っていながら、それをカバーしながらこれだけの文明を発達させたから、人間は「頭がいい」のだろう。

 小さい頃から私はいつも兄と比較され「兄よりも頭が悪い・・」と言われながら育ってきた。確かに11歳上の兄は私よりはよくものと知っていたし、話していたことを隅々まで覚えていて驚いたものである。
 当時は、子供の時は「頭が良くない=記憶力が良くない」という意味で捉えていた。乏しい記憶力は時間をかけることでカバーできると思っていた。だから、私が兄の域に近づくには兄の何倍も努力しなければならないのだ・・・と思い込んでいたし、大学受験が終了するまでは実際そのように私自身の勉学生活を設定していた。結果としてそれも良かったのだろう。

 しかし、11歳も歳の離れた兄と比較されていたこと自体が異常であったのだが、その自覚は結果的に私をいい方向に導いてくれた。

 今となってみれば「頭のよさは記憶力のことでない」、「空気を読めて他人とうまくやっていけること」と考えている。 他人と心を通じ合わせ、協力して社会をつくりあげることが、人間の頭のよさの本質なのだ、と気づいた。

 人間は一人では生きられない社会的的動物と言われる。「頭のよさ」というのは、社会性と深く関わっている。そういった意味では、最近のコミュニケーション不足の風潮はどんなものだろうか?と思う。

 現代のコンピュータはいくら計算能力が素早くても、心の理論を持っていない。 生成AI、チャットGPTといえども人の心を読み取り、うまくコミュニケーションをとる能力においては、人間はコンピュータよりもはるかに優れている。

 現在までの知見を総合すると、厳密な意味で他人の心を読み取ることができるのは、すべての動物のなかで人間だけだとされている。
 相手の考えが容易に判断できない場合であっても、相手の心を感じることができるのは人間だけで、「あうんの呼吸」といった言葉は、そんな微妙な人間同士の関係を言い表している。

 「頭のよさ」によって他者を受け入れ、共生していく。

 記憶をする時は集中力が必要であろう。
 集中力を鍛えるにはどうしたらいいのか。 脳科学的に見れば、人間の前頭葉はどんな場所でも、瞬間的に集中できるように設計されているから、いつでも集中できるよう脳にクセづけするのがいい。

 私は鉱石ラジオの時代、すなわち小学校低学年のことから「ながら」勉強をしてきた。確かに、集中している時間は聞こえていない。だからここ10数年はラジオ深夜便は全部録音しながら聞いている。


11/8(水) 曇り 病院 
1:45起床、文献チェック。徒然他。データ整理など。昨日の雨で外仕事不適、8:30家内に同乗理は病院に。10:00病棟対応、11:15新聞チェック+ 入力、14:30合同カンファ、入院患者処置、読書、自炊他、微睡。19:15帰宅、夕食、20:30就寝。歩数計4350歩。

不思議な臓器「脳」(7) 記憶について(4) 誰にでもある「ど忘れ」との付き合い方
 物忘れ、その中でもは「ど忘れ」は日常生活で誰でも経験しているハズ。
 知っているハズなのに思い出せないのが「ど忘れ」。 なかなか思い出せない。もどかしい思いをするし、認知症の前兆かな?と焦ってしまう。

 「確かに知っていた」という感覚を「既知感」と呼ぶ。既知感は記憶の読み出しの最初のステップである。
 最初から知らない、初めて聞いた事などは思い出しようがないので、何も感じないが、「既知感」があって思い出すことができないと、自分の記憶力に対する信頼すら揺らいでしまう。

 脳のうち、耳の位置に近いところにある側頭葉で記憶蓄積に関与していることがわかっている。 この側頭葉に向かって、額の後ろにある前頭葉から「こういう記憶を思い出したい。急いで調べて出してきて・・・」といった信号が側頭葉にいく。

 既知感から読み出しへのバトンタッチがうまくいかないときに「ど忘れ」が起こる。

 「ど忘れ」をすると私も歳とったな!!!と思う。
 
 しかしながら、「ど忘れ」した事項を思い出そうとしているとき、脳が大きく活性化していることが機能的MRI検査などで明らかになっている。 一生懸命思い出そうとするなかで、脳がさまざまな手段を総動員し思い出し作業をしていることがわかる。

 この、思い出し作業は、新しいものを生み出す創造の、閃きを求めるプロセスに似ている。思い出し作業がうまく行った時、達成感と高揚感がある。その時、脳内で快楽物質の一つであるドーパミンが分泌され、嬉しさとともに思い出し回路が強化される。

 「ど忘れ」すると、直ぐに人に聞いたり、スマホなどで調べたくなるが、 なんとか自力で思い出すことが、脳の創造力を鍛えるチャンスと言える。

 「ど忘れ」で多くの老人は認知症になるのでは??と恐れる。
 認知症の場合は忘れているという自覚すら失われているから「ど忘れ」とは異なる。数分前の食事で何を食べたのか思い出せないが、指摘されると「そうだった」と思いだす場合は「ど忘れ」。数分前に食事したことを自体を忘れて「まだ食べていない!!」というのが認知症、といったイメージになる。

 「ど忘れ」対策としては、覚えておくべきことはスマホとかノートなどにメモしておくのがいいが、なるべくそれに頼らず思い出すのがいい。

 「ど忘れ」を老化現象と決めつけて諦めず、なんとか思い出そうと頑張れば、若々しい脳、創造力を保つ一助になるだろう。

 私の場合、記憶能低下の実態はひどい。
 だからメモはマメに取っている。しかし、なるべく見ない。
 かつて、スイス出身の指揮者シャルル・デュトワの名前を思い出せなくて一週間苦しんだが、思い出したときの達成感は実に大きかった。

 「ど忘れ」対策を脳活に有効に利用しよう。



11/07(火)終日降雨風強し 中通病院外来 
1:45起床。文献等データ処理、徒然。映像データ整理、本読み。可燃ごみはまとめだけ。
6:40バス病院、7:00-8:20病棟対応、8:45-14:00中通外来。CFS関連の患者その他予約数多く疲弊。14:30リハ病院、微睡やや長め。新聞処理、自炊数冊準備。16:00病棟対応、19:10帰宅、夕食、20:45就寝。歩数計8055歩。終日降雨風強し、ダリア大丈夫だったか??石井さん骨折あるらしい。

不思議な臓器「脳」(6) 脳は単細胞から、宇宙は水素から始まった
(1)脳の場合
 人の体は多くの細胞からなっている。脳もまたこの例にもれず、細胞が集まってできあがっている。この事実が認められたのはホンの100年ほど前のこと。
 脳だけは特別な存在で、ほかの臓器とは異なっているだろうと考えられていた。そして、宗教的な立場から、この聖域に科学のメスを入れることをタブー視とする時代もあった。

 時代とともに考えが変わり、イタリアの解剖学者ゴルジとスペインの組織学者カハールの二人は、脳の構造を科学的に調べあげ、特別な形態を持つ「神経細胞」が、脳の複雑で精巧な機能を担っていることを発見した。二人はその業績で 1906年ノーベル賞を受賞した。

 これ以降、神経科学の技術進歩はめざましく発達した。
 その結果、人の脳にはなんと約1000億個もの神経細胞があることがわかった。

 人の発生、成長を考えると1000億個の神経細胞数は驚きである。
 われわれは1ヶの受精卵から形成されるが、誕生の前の10ヶ月間に頭蓋内では約1000億個の細胞によって脳が形成されている。

 しかも、胎児の脳の発達の仕方は人に差がない。誰の脳でもほぼ同じ数の神経細胞が同じような秩序で並んでいる。脳のしわの数も人による差はない。さらに脳を顕微鏡で詳細に観察してみても、細胞の並び方や形には、まったくといってよいほど個人差がない。

 人の神経細胞の数は、誕生時が最も多く、歳をとるにつれてどんどん減っていく。神経細胞が減るスピードは、一日に数万個という猛烈な速さである。脳細胞には再生力がないから減る一方で、その結果、脳の重さは生まれてから70歳になるまでに約5%も減る。

 他の体細胞には増殖脳があるが、なぜ神経細胞には増殖能がないのか。
 おそらく、「脳の個性=すなわち個人の個性」を維持し続けるためと考えられる。神経細胞は、まさに人の性格や行動を司どっているから、それが入れ替わってしまったら、それまでの経験による蓄積、記憶も失われ、生存していくうえでもきわめて不利になってしまう。だから、神経細胞を入れ替えずに、同じ細胞を生涯かけて使い回すのだろう。

 (2)宇宙の場合
 宇宙の誕生の頃は水素しかなかった。この段階では岩石からなっている地球などは絶対にできないはずであった。私はまだ不勉強でのそメカニズムはよくわからないが、この第一世代、水素を燃料にした灰から、窒素や、炭素や、珪素や、鉄が生じた。これらの集合体であった星たちが爆発して小片となり、ばら撒かれ第二世代、第三世代の宇宙を作り、惑星ができ、地球ができ、我々の身体もできた、ということ。

 このメカニズムについては今後勉強して見たいと思うが、われわれの身体の炭素や窒素は、50億年以上前に、どこかの星でできたもの、ということになるらしい。

 それらが生命体の元になり、長い時間をかけて進化したのが生物体であ理人間である。

 われわれの一生を通じて見た場合、脳の中にも宇宙が果たしてきた発展過程と共通している部分がある、と私は感じてしまう。やはり脳には宇宙が宿っているのだ、と。


11/6(月)快晴夕方から降雨 健康クリニックドック  
 1:50起床。文献・新聞等処理。蓄積データ処理。徒然記載。6:40バス病院、7:00-8:45病棟対応、9:00-11:30健康クリニックドック15名+結果判定14名。11:45リハ病院。新聞、医学論文チェック。微酔など。14:00病棟対応、新入院あり、19:00帰宅、夕食。 21:00就寝。歩数計6020歩。先週から長袖厚手の作業服に。

不思議な臓器「脳」(5) 個々人の頭の中に宇宙がある
 脳の複雑な働きは、脳に含まれている約1000億個の「神経細胞」の機能によって営まれる。
 こんな小さな頭の中に、頭蓋骨で安全に守られた空間に、地球上の人間の数・・・現人口は80億人もいると言われていてこれもすごい数だ、と思うが、その80億人ひとりひとりが、頭の中にその10倍以上の神経細胞を持っていることを知ると驚いてしまう。
 いや、人口の場合はもう抑制しなければ、地球は発熱状態になり、尿毒症や呼吸不全に似た病気になってしまう。戦争なんかしている暇などないのだ。

 脳について、さらに重要な事は、脳の複雑な働きはひとつひとつの神経細胞が持つ多彩な能力ではなくて神経細胞同士が互いに密接にネットワーク(神経回路)を作って集団で機能しているということにある。

 脳の神経細胞には、タコの糸のように長い紐(軸索)がついている。神経細胞同士はこの軸索を介して他の細胞と接している。この神経細胞同士の接点をシナプスと呼ぶが、一つの神経細胞がシナプスを介して10000個の別の神経細胞と神経回路を作っているとされ、そのシナプスの総数は人の脳では1000兆個にも及ぶといわれている。しかも、個々の神経細胞は、一分間に数百から数万回も他の神経細胞と連絡を取り合っているという。

 だから、個々人が頭の中に小さな宇宙を持っていると表現していい。また、酸素やエネルギーの消費が多い理由、休息のための睡眠の重要性もわかって来る。

 宇宙に想いを馳せると、我々を取り巻く星々からなる世界を、銀河系と呼ぶ。 銀河系には星が1000億個、ちょうど脳細胞の数に近い数がある。19世紀末頃までは、これが全てだと思われていたが20世紀の初め、230万光年の彼方にアンドロメダ大星雲があることが分かった。アンドロメダには3000億個の星がある。宇宙にはこのような星の大集団がまだまだ存在する。
 まさに宇宙には天文学的数値が並ぶが、脳の細胞は数だけではなく複雑なネットワークを形成していることが星々の世界と決定的に異なる点である。

 脳の機能の中で記憶はどのようにして脳にたくわえられるのか。そもそも「記憶力」とは何なのか。
 記憶力をコントロールできるようになれば、人間はより多くのものごとを習得できるようになる、と考えられる。

 脳は知れば知るほど奥深い臓器である。



11/5(日)快晴  10年間用いたディバッグ引退に
0:30熟睡できず起床、22:00ALS例、23:00KK氏不調の連絡。ともに経過観察。読書、脳関係文献チェック。若干微睡。12:15NHKのど自慢、新聞切り抜き作成。14:00旭川のコイに給餌、リハ病院、病棟対応。新聞チェック。新聞電子化。文献整理など。自炊ほか新聞入力。18:30帰宅夕食、21:00就寝。歩数計5544歩。

不思議な臓器「脳」(4) 脳を語ることは人生を語ること
 私も高齢になり脳の機能の落ち込みが著しくなったと自覚する。特に記名力、記憶力は大幅に落ち込んできて自分でもあまり当てにならなくなってきた。従来、全く、その存在すらも滅多に意識する事がなかった自分の脳に、最近では感謝の気持ちを込めて暖かく見直している状況である。

 アルツハイマー認知症の病態が解明されつつあり、病状の進行を若干抑制できる薬物が承認されるなど、脳の科学的知見も進展している。

 人工知能の発展もある。人工知能は計算能力はもちろん、パターン認識の能力でも、人間を上回っている。人工知能の発達はすばらしいが、人間の脳も負けたものではない。特に、他人といろいろな意見をやりとりしたり、感情を共有したりする「コミュニケーション能」や、「創造性」においては、まだまだ人間の脳は大きな可能性をもっている、と思っている。

 私は記憶のメカニズムばかりでなく、脳全体の機能に改めて関心を向けている。

 脳は実に不思議な臓器である。
「脳」を知らずとも生きて行くことはできる。しかしながら、こんなに1300g程度の小さな臓器で、「記憶したり」、「考えたり」、「悩んだり」、「想像したり」、といった多彩な能力を発揮できるのか、不思議に思わずにはいられない。

 動物の身体的の機能は生命維持のため何れをとってみても素晴らしいと思う。その中でも脳はとりわけ複雑で奥深いものがある。

 脳の重さは体重のほんの2%なのに酸素やブドウ糖などのエネルギーをなんと全体の20~25%も消費する。このことからだけでも「脳」が生命体にとって如何に重要であるかがわかる。

 脳の機能の究極は、神経細胞の集合体である脳に、なんで「意識」や、「心」が宿るかということに尽きる。脳の神経細胞の活動によって人間の「意識」が生まれていることは疑いのない。 しかしながら、いまだにその機序が解明されているとは言えない状況に留まっている。

 大切な「心」を生み出しているのが脳だから、脳を考えるということは、すなわち「私たちの人生を考える」ということを意味しているといえる。

 このような不思議な臓器「脳」に無関心でいられようか??


11/4(土)早朝から降雨日中快晴 
3:00起床、23時に別の患者CHIKUNI氏不調の電話後熟睡できず。文献読み、徒然他いつもの如し。13:30家内に送られリハ病院、入院患者治療指示だし、患者は比較的落ち着いている。新聞チェック、入力。16:30帰宅。石井さん右手不調で家内料理。微睡、19:00夕食、20:30就寝。歩数計Σ6338歩。

11/3(金)文化の日 快晴 患者不調
1:45起床、ネコ対応、データ整理。8:45可燃ゴミ提出。8:45病棟より患者TI氏不調の連絡。10:00Taxiにて中通リハへ。TI氏家族面談、病状説明.新聞チェック+入力、他座学。13:30-15:00家内はアトリオンコンサートに満席のために入れなかったという。初めて十分機能せず、長崎や古書店訪問。病棟業務。17:30家内と帰宅、次男来訪ACアダプターの件で。夕食。20:30就寝。歩数計Σ7249歩。

欠  残したい自分>>見せたい自分

そもそも日記とは、誰かに読まれることを前提に書くものなのか。
明治以降、初等教育で日記の書き方を教わってきた。 夏休みの日記など、「日記は自分のために書く」という定義を知る一方で、教師に読まれるとわかっているため、子どもは最初から教師の視線を意識して日記を書く。

そういう意味では日本人はほぼ全員のありようについては知っていていいだろう


「見せたい自分。見られてもいい自分。残したい自分。 他者の視線をどこまで前提とするかで、日記の内容も変わる」。

それなら、誰にも見られない状態が保証されれば、人は「偽らざる自分」を書くのか。 「そうとは限らない」。「日記を読み返す未来の自分が納得するだろう自分像」を書きたい欲求も存在するからだ。


前出の夏休みの日記と同様、書き手は失敗や秘密を「書かない」と選択することができるし、理想の自分を現実の自分かのように思い込んで書くこともできる。

なぜ人は日記を書くのか。
田中さんは「書きたい欲求があるから書く、と言えばそれまでなのですが」と前置きした上でこう語る。

 今日も自分らしく生きたと確認する。

日記己の存在正れること

当たり前となった。一方で、不も浮き彫りになってきた。見られたいのか、見られてもいいのか、残したいだけなのか。その区別があいまいなまま感情や考えを発信
すれば、時に批判や無関心に傷つく。

手元に残っていない以上、長書きためた文章が突然、見られなくなる可能性もゼロではない。

紙の日記帳を試したくなり、
舗文具店「和気文具」(大阪)の大池めぐみさんにトレンドを尋ねた。
「3年、5年、10年の運用日記が根強い人気です」。 長いスパン過去の自分を振り返る楽しみがあり、1日に書くスペースが数行程度なので「続けられそう」と思う人が多いそうだ。 「毎日書かなければとプレッシャーに思うより、感情や経験の振り返り、頭の整理のため、書きたい時に書く、というスタンスがお勧めですよ」

日記帳やSNS、日記アプリなど書くことで考えや感情を整理する身近な人にも言えない思いをはき出す読み返すことで自分を見つける、


1日の仕事、活動を正直に報告、反省する義務がある勤勉さ、向上心、協調性などが求めら



11/2(木) 快晴 リハ認知症学習会 
1:30起床。石井さん転倒右手不調、家内は折れてはいないだろうとの判断。文献、録音データ編集他。徒然など。8:30家内に同乗リハ。微睡、新聞チェックほかは読書三昧。データ整理、午後は病棟対応、13:45リハ認知症学習会,、看護師、訓練士らの熱意に驚く。19:00帰宅・夕食、21:00就寝。歩数計Σ5004歩。

当HP「これからの医療の在り方 徒然日記」23年目の雑感(1)

 雑感(1)とも重複するが・・・。

 私は何故ロクに読まれもしない駄文を日記として綴り続けているのか?

 それには、私だけの事情がある。

 ■私の日常記録は、3回経験した警察の職務質問かがきっかけとなっている。
 ■継続は力なり
 私はこの言葉が好きで、継続している第一の理由がこれ。いつでも止められるが、惜しくて止められない。これをやめる時、私の人生が次の世界に移る時であろう。
 ■記録せねば記憶が保持できない
 私の記憶装置、すなわち「脳みそ」が劣化して記憶の蓄積や保持が困難になった。記録がないと直ぐに忘れる。忘れてしまえば、自分の過去は全て無になる。徒然日記は、私が生きて来た証しになっている。記録はハードディスクに蓄積する。その代わり頭は空っぽ。
 ■忘却防止のため
 思うだけ、考えるだけではすぐ霧散する。だから気になったことは文章化しておく。文章化することで考えが固定される。点を線に変え、さらに面に変える行為である。
 ■生活記録、ミニエッセイは自史的資料としても貴重
 私は日々の記録を蓄積するのが好きだ。文章、画像、音楽など、読後の感想など。覚えきれないからほぼ全てを電子的に蓄積する。
 ■新聞スクラップは2008年から1日もかかさず作業しているから30万枚ほどある。紙ベースでは到底不可能な量。しかも、検索ですぐ出てくるのがいい。
 ■自分だけの、毎日の小さな積み重ねを楽しむ
 今は嘱託医として細々と診療を続けている。読書などに使える時間が減った。読書量も減った。購入した図書はすぐに自炊するから書棚には並ばない。パソコン、iPadの電子書棚に並ぶ。
 ■家族達の動向を楽しみ、飼いネコたちとの日々を楽しみ、畑作や園芸を通じて自然現象の移ろいを味わう。
 ■興味の対象は、歴史、文化、政治・経済、国際問題、自然・・、と今でもまだ広がっていく。先人達の足跡は偉大である。それらに少しでも多く触れてみたい。新聞、文献、書籍を通じて味わう日々は最高。
 ■自分の弱気、意欲低下、体力低下に抗する毎日
 私は人と競争・抗争は好まない。対話も好まない。だから、引きこもり状態である。最近は意欲の低下からなんでも安易な方向に流れる傾向がある。もちろん、背景には老化による身体上の問題点、例えば下肢の衰え、バランス感覚の減弱も意識する。気力を維持できる時間も短くなった。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
 などなど。
 自分に残された時間はそう長くはないのではないか、と思う。幼少・少年時代にも、そんな考えがあった。だからこそ残された時間、それがどれだけかわからないが、愛しく思う。大事にしたいものである。

 このHPの更新はいつまで出来るか分からないが、私の気力、体力の総合的バロメーターである。


11/1(水)晴れ  
1:30起床。新聞チェック、文献、録音データ編集他。徒然など。微睡も。TS氏胃瘻増設で出勤。8:00ダリアの世話、8:30家内に同乗出勤。新聞チェックほか。院内ネット回復。10:30胃瘻増設見学、14;00患者家族面談、14:30合同カンファレンス,患者処置対応その他。音楽録音など。19:00帰宅夕食検食。21:00就寝。歩数計Σ5300歩。昨年柿伐採。

当HP「これからの医療の在り方 徒然日記」23年目の雑感(1)
 当ホームページ「これからの医療の在り方」は、2001年11月1日に開設したので本日満22年を迎えた。
 本日は23年目のスタート日。ちょっとした記念日に当たる。
 抜粋版「雑記帳Blog」は満19年目、最近更新が滞っているが「インスタグラム」は6.5年である。
 
 23年目の雑感
 変化に乏しい日々の積み重ねであったが、昨年10月には「大腸憩室から出血」し入院。一時、これでダメか??と覚悟したが幸い大事に至らなかった。

 今年5月には「急性心不全による呼吸不全」で入院治療を受けた。今回こそ遂にダメか??と覚悟したがこの時も幸い大事に至らなかった。その後遺症の心臓機能低下で運動制限下にあるが、心臓に負担をかけないようゆっくり行動することでほとんど自覚症状なく通常の日常生活を遅っている。

 いつまで続くかわからないが、私はつくづく「運がいい」人間だと思う。過去の「脳梗塞」「腸閉塞」「頭部外傷」の時も無事であった。何かに暖かく庇護されているような気がしてならない。ご先祖様か、はたまた初代ネコのタロか・・・・。

 全体としては毎年似たような感想になるのはやむを得ない。

 私が習慣的に続けている項目は以下の如く。
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 ■ 生活記録は50年以上、うち20年分は徒然として記述。
 ■ 早朝に起き出す。約30年超。最近起床は2:00前後としている。
 ■ 新聞・文献スクラップ蓄積は20年超。
 ■ ラジオ深夜便連日3時間録音蓄積は14年超。そのうち6割聴いている。
 ■ 岩手へ毎月復興資金寄付は12年。金額は年々少なくし、最近は5万円/月。
 ■ 終活。今回入院に当たり不都合な電子データを削除した。
 ■ 自身の過去を反省し、準引きこもり状態10年以上。
 ■ 徒歩通勤は健康上の問題で中止しバス通勤に。
 ■ 日常的に歩行を意識。伊能忠敬の足跡を追った日本一周は現在2周目で富山途上。
 ■・・・などなど。
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 最近、加齢による意欲減退があり、何をするにも時間がかかる。歩行速度も遅くなった。園芸・畑作業は億劫になりつつある。
 一方でこの4月から職場が中通リハビリテーション病院に移り、業務は大幅に増加した。

 終活を兼ねた書籍や文献の廃棄が逆に読書欲に火をつけた。フリーの時間は少なくなったがほとんど自炊した書籍の読書に充てている。

 自分に負荷している習慣、やるべき仕事をこなすのに1日24時間では足りない。
 でも、そんな考えはやめた。全体をミニ化し、簡素化し、休息を大事にしている。 


10/31(火) 爽やかな快晴放射冷却 中通病院外来 散髪
1:45起床、文献検索、読書中心、放射冷却で冷える。5:30可燃ゴミ集積所に。6:40バス病院へ、7:00-8:15病棟対応、8:45-12:50中通病院外来、疲弊。院内理髪で散髪。14:00リハ病院。昼食、新聞入力、16:00病棟対応、19:30ひらのや書店経由帰宅、夕食、20:30就寝。歩数計Σ7614歩。



10/30(月) 晴れ 健康クリニックドック 
1:30起床。いつもと同じ、6:40バス飯川病院、7:00-9:00病棟対応、途中8:44患者SY氏死去。9:10-11:30健康クリニックドック15名+結果判定。11:45病院、微睡、14:00病棟対応、文献検討など。新聞チェック+入力、院内のインターネット不調に。19:30帰宅・夕食、20:30就寝。 歩数計Σ7114歩。



10/29(日) 曇り
1:30起床。徒然など。午前は微睡挟みながら座学。10:20病棟より患者の病状報告。12:00新幹線指定券購入に行く家内に同乗、リハ病院。病棟対応。微睡、13:45新聞切り抜き+入力、読書。雑誌自炊、録音、データ整理多数。17:00PICC用紹介状作成、19:00帰宅、夕食、20:30就寝。歩数計Σ5306歩。

不思議な臓器「脳」(4) 脳を語ることは人生を語ること

 私も高齢になり脳の機能の落ち込みが著しくなったと自覚する。特に記名力、記憶力は大幅に落ち込んできて自分でもあまり当てにならなくなってきた。従来、全く、その存在すらも滅多に意識する事がなかった自分の脳に、最近では感謝の気持ちを込めて暖かく見直している状況である。

 アルツハイマー認知症の病態が解明されつつあり、病状の進行を若干抑制できる薬物が承認されるなど、脳の科学的知見も進展している。

 人工知能の発展もある。人工知能は計算能力はもちろん、パターン認識の能力でも、人間を上回っている。人工知能の発達はすばらしいが、人間の脳も負けたものではない。特に、他人といろいろな意見をやりとりしたり、感情を共有したりする「コミュニケーション能」や、「創造性」においては、まだまだ人間の脳は大きな可能性をもっている、と思っている。

 私は記憶のメカニズムばかりでなく、脳全体の機能に改めて関心を向けている。

 脳は実に不思議な臓器である。
「脳」を知らずとも生きて行くことはできる。しかしながら、こんなに1300g程度の小さな臓器で、「記憶したり」、「考えたり」、「悩んだり」、「想像したり」、といった多彩な能力を発揮できるのか、不思議に思わずにはいられない。

 動物の身体的の機能は生命維持のため何れをとってみても素晴らしいと思う。その中でも脳はとりわけ複雑で奥深いものがある。

 脳の重さは体重のほんの2%なのに酸素やブドウ糖などのエネルギーをなんと全体の20~25%も消費する。このことからだけでも「脳」が生命体にとって如何に重要であるかがわかる。

 脳の機能の究極は、神経細胞の集合体である脳に、なんで「意識」や、「心」が宿るかということに尽きる。脳の神経細胞の活動によって人間の「意識」が生まれていることは疑いのない。 しかしながら、いまだにその機序が解明されているとは言えない状況に留まっている。

 大切な「心」を生み出しているのが脳だから、脳を考えるということは、すなわち「私たちの人生を考える」ということを意味しているといえる。

 このような不思議な臓器「脳」に無関心でいられようか??


10/28(土)晴れのち夕方から小雨 国際ダリア園訪問
1:30起床、体調良好。何時もと同じ。データ整理、読書中心、微睡後。10:30旭川コイ給餌、雄和ダリア園に。12:30フローラで昼食、ビ−フカレー+コーヒー共に美味であった。14:00病院、足が疲れた。17:50病棟対応、19:00帰宅、夕食。20:20就寝。歩数計Σ6634歩。 一昨年居間のストーブ準備、初点火。今年はまだ。

不思議な臓器「脳」(3) 記憶について(3) 理解と共感(2) 日航123便墜落事故について
 1985年(昭和60年)8月12日(月曜日)、JAL123便(ボーイング747SR-100型機)が群馬県多野郡上野村の御巣鷹山ヘ墜落した。

 乗客乗員524名のうち死亡者数は520名、生存者は4名。単独機の航空事故の死者数として過去最多。

 私は乗るのは嫌だが飛行機そのものは大好きで書籍を通じて飛行機や航空業界についてずっと学んできた。

 こんな中、1987年(昭和62年)6月、運輸省航空事故調査委員会は1978年(昭和53年)伊丹空港で起こした「しりもち事故」で破損した圧力隔壁の、ボーイングによる不適切な修理が原因で生じた再破損が墜落事故の原因と推定される、という報告書をまとめた。

 報告書の骨子は、以下のごとく。
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 隔壁の修理ミスがあった
→ その付近に疲労亀裂が進行した
→ 客室の加圧に耐えかねて隔壁が再破損、穴が開いた
→ 激しい空気の流れが生じ機内は「急減圧」した
→ その風圧で垂直尾翼が空中で破壊
→ 全油圧システム破損
→ 操縦不能に陥った
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 この論理の最重要点は垂直尾翼を吹き飛ばすほどの空気の流れの存在であるが、その事実を客観的に示す証拠が全く見当たらない。 この理屈に合わない論旨がこの報告書の最大の弱点であり問題点である。

 この事故調査報告書に対しては識者、パイロットや航空関連職種団体から異論が出されたが運輸省はこのような声に全く耳を貸さず、調査資料を破棄し、調査を終えた。

 この事故は30分近く激しいローリング (横揺れ)、フゴイド運動(縦揺れ)を繰り返し、あたかもジェットコースターに乗っているごとくの激しい揺れを続けながら墜落した。
 乗客たちの恐怖は如何許りかと思う。

 日航123便事故は「しりもち事故」で修理したことがあった機体を都合よく利用した虚偽の結論で、国家の権力のもとに結論はねじ曲げられ、しかも真実解明の道は閉ざされた。

 犠牲者の人生は抹殺されたに等しい。
 数千人に及ぶであろう犠牲者の縁故の方々、事故の関連の方々にとっても同様である。この38年の歳月は苦しかったと思う。

 私は現役時代に200回ほど旅客機に搭乗したが、その度ごとに若干の恐怖感・不安感を味わった第三者に過ぎない。
 それでもこの事故の犠牲者の方々の人権について、事故の処理顛末には疑問を感じざるを得ない。

 この事故で私が読んだ関連書籍は30冊を優に超える。事故は調べれば調べるほど理解できない形で処理されている。

 今後も記憶にとどめ、目を離さずに関心を持ち続けたい。


10/27(金) 早朝降雨のち快晴  大曲中通病院外来 
1:40起床。体調良好。文献、新聞チェック、画像データ確認、徒然。5:30可燃ゴミ出し。まだ暗い。7:35Taxi駅、8:11こまち、大曲Taxi。8:50大曲中通病院外来、余裕なし。15:30長崎屋経由帰院。家内用意した昼食摂る。新聞チ ェックできず。16:00病棟対応。19:15帰宅・夕食、20:30就寝。歩数計Σ6834歩。

不思議な臓器「脳」(2) 記憶について(2) 理解と共感(1) 深く刻まれる記憶
 記憶には深さがある。
 それを決めるのは第一にその事象に対する共感であろう。さっと目の前を通り過ぎた事象は、たとえ一瞬目を向けた、としても記憶に残り難い。

 共感は、印象付けられた物事との間に、瞬発的に生まれるものと、意図的に理解しようとする努力の中で育まれて行くものがある。

 瞬発的共感は目まぐるしい生活の中で一瞬で生まれるものだ。そのような共感を引き起こしうる事象は日常的にあふれている。
 
 特に、自分と深く関わりのある事象についてはなおの事、共感の感情的強度は増すに違いない。瞬発的に生じる共感にはそれを自分で判断する鋭い感度のアンテナと共鳴しうる素養が備わっていなければならない

 共感は調べ学習し理解することでも深まっていく。

 強い感情をもたらさなかった事象は背後に追いやられ、やがて忘れ去られる
ことになる。

 物事と共感の距離は、自分で調整することができる。 慎重にピントを合わせ、自らの内に像を結んでゆくこと。 その際大切なのは、「理解する」姿勢である。

  全体像の把握のために情報を集め、事実と信頼できるものを選び出し、それを思考の起点として生まれるのが、理解というものではないだろうか。 そこに強い共感が伴うことがある。

 当然ながら、それには時間がかかる。 すぐに結論にたどり着き、「分かった」と満足感を得ることが目的ではない。

 つまり、理解するために大切なのは、答えにたどり着かず、常に問い続けることだろう。

 言い換えれば、自分の思い込み思考や既知の眼差しの方向性を完全に信頼しないことなのだ。自分に寄り添いすぎず、少し距離を置いて見つめること。この過程で浮かんでくる像こそが理解の形であり、やがては共感、記憶として自らに刻み込まれることになる。 自分がいかに無知であるかの自覚がスタートラインになる。

 既製の言説で満足せず、自分の足で歩いて見回し、誰かの声に耳を傾け、読書や調査など独自の方法で、物事に対する視点を築き上げること、それこそが「記憶すること」なのである。そのように時間をかけて出来上がったものは、簡単に壊れはしない。 そして、新たに何かを得る度に形を変えつつも、深く根付き育まれることになる。

 別の言い方をすれば、記憶するという行為は、簡単に消えて行くようなものをを引き留めることなのかもしれない。

 共感には物事を噛み砕き、消化を促す作用がある。
 意図的に自分で仮説をたて、消化不良を起こせば、内に留まるものに目を向けるきっかけとなる。その時、一過性のものではない、理解に依る共感的感情も生まれてくるに違いない。



10/26(木) 晴れ
1:20起床,自宅に溜まった書類ほか整理、ほかいつものごとし。7:50家内に同乗病院、新聞チェック+入力。11:00病棟患者対応、14:00患者家族面談。歌謡スクランブルインデックス作成、視聴他、19:00帰宅、夕食 20:45就寝。歩数計Σ5499歩。昨年孫虫垂炎大学で手術。

不思議な臓器「脳」(1) 記憶について(1) 遠ざかる戦争や災害の記憶

 2022年6月、私の子供の頃から用いていた本棚が図鑑の重みなどで壊れたために、修理に2階に上がった。 本棚の状態と修理工程について確認したが、やがて私の眼と心はそこにしまい込まれていた古い本やアルバム、写真や手紙、などに向かった。

 過去の生活の痕跡、記憶に触れてゆくうちに、ふいに敬虔な気持ちになった。
 この本棚は私の体験や記憶をしっかり内に抱えているのだ。

 ある一つの出来事について思い出すということは、その後ろに長く連なる過去の記憶も扱うこと。次から次へと古い記憶に沈んでいる声を引き出して行く。 記憶は、個人の言葉、語りによって立体的になってゆく。

 過去は、文献や各種の記録、映像などを通じて確かめられるが、真の過去は箇々人の記憶の中だけにある。

 東日本大震災で津波による壊滅的な被害を受けた場所では、震災遺構が保存され、たくさんの声や言葉と共に記憶を留めようとしている。福島の帰還困難区城のように、震災の生々しい爪痕が刻みつけられたままの場所もある。

 証人の声が集められ、 デジタルアーカイブ化する試みも始まっていた。

 津波の具体的なルートを地図に表し、証言者の目撃場所も重ねて特定してゆく。

 日付や数字、出来事の概要の間にある空白を、生きた声や語りで埋めてゆく。 鮮やかに、そして立体的に留められた記録は、ここで初めて土地と人の記憶となるのだろう。

 ある出来事と時間的に距離が近ければ、それは記憶に留まりやすい。しかし、時間が経ち遠ざかるうちに、物事は平面的に受け止められ、記憶からすり抜けてしまう。だからこそ、遺構など視覚的な記録を土地に埋め込みつつ、生身の言葉や語りでそれの意義を持続させてゆかなくてはならない。

 このような方法が必要となるのは、私たちが自分に距離が近いものに目を向けがちで、かつ共感しやすいからだ。 この場合の距離とは空間的なものだけではなく、時間的なものも含まれる。

 身近な物事は、共感の範囲内に収まるからこそ忘れにくい。
 遠い時代の戦争、遠方の自然災害を、ただ過去や場所の出来事と平面的に位置づけてしまいかねない。

 何かに共感する時、隅々まで思いが覆いつくすのであるが、しかし、多忙な生活、情報過多の中、実際の関心が容易に別のものへ置き換わってしまう。


10/25(水) 爽やか快晴 
1:45起床、まだやや気だるい。ネコ相手にだらだら。3:00ルーチンに。読書中心、家内に同乗8:40病院へ、自己研修、11:00病棟対応。微睡、新聞チェック、14:00病棟対応、合同カンファ+アルファ、入院患者処置。データ整理。19:30通町書店経由帰宅、夕食、20:30就寝。歩数計Σ4911歩。

作曲家・指揮者の外山雄三氏死去された(2) 不肖、私も間接的に影響を受けた
 外山雄三氏(1931-2023年)は東京出身。1952年に東京藝大作曲科卒。N響の打楽器練習員、1954年指揮研究員となり、25歳N響を指揮してデビュー。1958年から1960年にかけてウィーンに留学。

 1960年秋に行われたN響世界一周演奏旅行では、岩城宏之氏とともに多くの公演で指揮を務めて世界の檜舞台に立つ一方、このツアーのアンコールで演奏するために作曲した日本民謡に基づく《管弦楽のためのラプソディー》は各地の聴衆に熱狂的に迎えられ、作曲家としての名声も高まった。

 私が氏が指揮するN響を聴いたのは1958年頃と思う。実に颯爽とした指揮ぶりでその格好良さに一度に魅了された。その後楽器を始め、大学オーケストラの一員としてアンサブルを乱し続けたのは氏の影響でもある。

 氏は1979年にはN響正指揮者に就任。定期公演や日本各地での公演でたびたび指揮台に立ち、現代音楽の振興にも熱心に取り組んだ。

 N響以外でも大阪フィル、京都市交響楽団、名古屋フィル、神奈川フィル、仙台フィルで要職を務めたのをはじめ、日本国内のプロ・オーケストラを数多く指揮し、また教育者として若手指揮者の育成面で氏の貢献は計り知れないものがある、という。

 氏の代表的作品としてヴァイオリン協奏曲、交響曲があるほか合唱曲も多い。

 指揮のリハーサルでは多くを語らず奏者を見て「にやりと皮肉っぽく笑った」り、「ギョロッとにらんだり」。 そのたびに楽員たちは震えあがり、結果として虚飾のない楽曲が現れた、という。

(晩年の外山氏 yahoo記事より借用)

 NHKは7月にFM放送で氏の追悼番組を二日間にわたって4時間ぶん放送した。氏のインタビューのほか氏が指揮した貴重な音源が放送された。私はそれを録音しておいた。今それを再生しながら当時を回顧しつつこの小文を記載している。



10/24(火) 爽やかな快晴放射冷却 中通病院外来 インフワクチン接種
1:45起床、文献検索、読書中心、放射冷却で冷える。5:30可燃ゴミ集積所に。6:40バス病院へ、7:00-8:15病棟対応、8:45-12:50中通病院外来、疲弊。13:00リハ病院。微睡、新聞入力、インフワクチン接種、15:00病棟対応、専門誌入力。データ整理。新聞チェック+入力、気だるい、ワクチン関連か。19:30帰宅、夕食、20:30就寝。歩数計Σ8626歩。

作曲家・指揮者の外山雄三氏死去された(1) 
 外山雄三氏が2023年7月11日、慢性腎臓病のため長野県の自宅でお亡くなりになった。享年92。

 氏は私が初めて生のオーケストラを聴いた時の指揮者で今でもその時の様子は鮮明に思いだす。

 我が家には蓄音機2台と大量のSPレコードがあり、私の格好なおもちゃであった。子供用のレコードも20-30枚はあり童謡を中心によく聴いた。自然と「G線上のアリア」「タイスの瞑想曲」等、クラッシックの小品にも親しんでいた。

 そんな私を音楽にのめり込ませる決定的機会は中学1年頃に訪れた。
 ある夕方、初来日したオイゲン・ヨッフム指揮アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団の演奏会がNHKTVで中継された。最初の曲はベートーヴェンの「エグモント序曲」。題名すら聴いたこともなかったが、最初の強奏和音を聴いた途端に全身に鳥肌が立った。

 それから間もなく、盛岡でNHK交響楽団演奏会を聴く機会が訪れた。

 中学1年か2年かは忘れたが、市の市立体育館でNHK交響楽団演奏会が開かれた。市立体育館にパイプ椅子を並べての会場設定で、席は前1/3ほど、やや右よりの特等席であった。
 演奏会は指揮が外山雄三氏、独奏者は深沢(旧姓、大野)亮子氏。コンサートマスターは海野義雄氏。曲はウエーバー「魔弾の射手序曲」、モーツアルト「ピアノ協奏曲20番K466」、ドボルザーク「交響曲 第9番(新世界より)」。アンコールは「フィガロの結婚序曲」、外山雄三作曲「管弦楽の為の木挽き歌」。

 「魔弾・・」の不安をかき立てるような弦のトレモロによるうねり、「ピアノ協奏曲 K466」の独特な弦の刻み、「新世界交響曲」のダイナミズム・・・。この間、私は全身に、頻繁に鳥肌が立つのを感じながら聴いていた。コンマスの海野氏の音は終始際立って聴こえた。

 これら全てが私にとって鮮烈な体験であり、その後、弦楽器、特にバイオリン、チェロに興味を持ち、大学ではオーケストラに属し、多くの演奏会に通い、今に至るまで代表的趣味の一つとなっている。

 N響演奏会の後、LP用のレコードプレーヤーを購入した。当時レコードはおいそれとは購入できないほど高価であり、ステレオで3200円、モノラルでも2800円ほどで当時のレコードは超高価な買い物であった。2年ほど後の、私の3食付きの下宿が月額5500円だったから・・・。

 最初に購入したレコードは「運命」。ヤッシャ・ホーレンシュタイン指揮、ウイーンプロムジカ管弦楽団の演奏。本当にレコードがすり減るほど聴きこんだものである。


10/23(月) 爽やかな快晴 健康クリニックドック
1:45起床、いつもの如し。6:40バス病院、7:00-8;45病棟対応、9:00-11:30健康クリニックドック14名+結果判定14名。1145病院、微睡。読書、昼食は炭化したハンバーグ。新聞入力、日航123便関連東山透子氏「墜落の新事実」自炊。読書。15:00病棟対応。文献検討など。19:10帰宅・夕食、20:30就寝。歩数計Σ7598歩。

回顧 今年の秋田は暑かった(12) クマ(6) 対クマ犬を養成してどうだろう
 どうすれば人間とクマとが共存できるようにすることが出来るのか!!!

 クマの個体数減は必須と思うが、クマの対人間観が変わったのでそれだけでは不足と思う。

 クマに対して人間は非力である。ならば、私は対クマ犬を養成はしてはどうか、と思う。

 かつて山形県では高安犬と呼ばれる優秀なマタギ犬がいて、熊などの獣猟に使われていたが、昭和初期に絶滅した。
 戸川幸夫の小説『高安犬物語』は、高安犬の最後の1頭とされた「チン」の姿を描いた作品である。これを読むと高安犬の猟犬としての優れた技能がよくわかる。

 マタギ犬は、古くからマタギによってクマやシカの狩猟目的で使われていた日本の中型の猟犬のこと。

 東北のマタギには犬を使って追跡し仕留める狩猟法があった。猟銃が普及した以降は、津軽犬、岩手犬、高安犬など地域犬を連れた狩猟が行われていた。しかしながら、平成14年(2002年)に鳥獣保護法が改正され、猟犬に噛みつかせて捕獲する方法は禁止され、それとともに猟犬を伴う狩猟法は廃れてしまった。

 先週、大曲中通病院の外来に行ったが、仙北地方でもクマが頻繁に出没するために農家では危険で農作業できない状態で、特にリンゴの被害が大きいという。

 非力な人間を守るために、猟犬とまでは言わないがクマに対する威嚇等の技能を備えた犬を養成してはどうか、と思う。
 人間に対してはビビらなくなったクマも中型犬とその吠える声に恐れをなすのではないか、と思う。

 秋田県には秋田犬がいる。
 秋田犬は国の天然記念物に指定されている唯一の大型犬で、品評会などでは姿形の美しさが珍重されている。確かに可愛い表情ではある。
 犬としての技量はどうだろうか?私はその知識がないが、クマ対策犬としての技能を備えればさらに評価が大きくなるだろう。


10/22(日) 降雨ほぼ終日 時々曇り
 1:30起床、3時頃からルーチン作業。読書、午前座学、読書。12:00ニュース、のど自慢。国際ダリア園目指すも降雨のために諦め、リハ病院に。家内は17;00頃まで買い物ほか。新聞チェック+入力。生命保険関連書類チェッっく。19:00ひらのや書店経由帰宅。20:30就寝。歩数計3450歩。

回顧 今年の秋田は暑かった(11) クマ(5) クマが人間を恐れなくなった!!!

 近頃、クマ自体が変わってしまった、としか思えない。
 かつては、人間とクマとの居住区が明確に分かれていた。それが暗黙の了解であったがその関係が突然に破られた。

 数年前から予兆があったが、特に今年の秋田のクマたちは遠慮がない。
 子連れで堂々と、果樹園や住宅地に、時には市街に現れる。そして人を襲う。

 従来クマは臆病で人間を避けていた。人間の気配があると自分から山奥に逃げていた。

 秋田県がクマの被害がダントツに多い。 岩手でも、新潟でも被害が増えているそうだ。この変化は、クマの個体数が増え、かつ食料であるドングリやブナの実が少ないからだとかいう説明だけでは理解しがたい。
 クマ自身の対人間感覚が変化しているとしか考えられない。

 クマは本当に甘いものが好きだ。甘党のクマが、畑のスイカや果樹園のブドウ、リンゴの味をおぼえた。そこに行けば潤沢に食べられる。今年は収量が半分以下のりんご農園、ブドウ農園もある、という。

 人間は鐘やラジオを鳴らすだけで襲ってこない。人間は自分達にとって手ごわい敵でないことも覚えた。
 逆に、鐘やラジオの音が聞こえたらそこに人間が来ていて何か美味いものを持っているのではないか? ちょっと脅かしてみるか、と近づいてくるのではないか。

 人間に捕らえられたクマは駆除されて戻ってこないので、人間は怖い、近づくなという教えは伝わらない。

 人の住むところには美味なものがたっぷりあって、人間は逃げるだけで自分達を襲ってくることなど全くない。人間なんて実は怖くもないのだ。
 さあ、冬眠までの時間も迫っている。今日もお腹を空かしている子どもを連れて出かけよう。

 クマたちは潤沢で安全な餌場を知ったのだ。
 突然、人間に近づいてきた。すっかり様変わりした。異変と言っていい。

  私たちとクマはこういう関係になってしまった、と考えるべきではないだろうか?
 そうなると対クマ対策は単に駆除によって個体数を減らせばそれで済むと言うものでもない。果樹園を守るなど困難であろう。

 どうすれば人間とクマとが共存できるようにすることが出来るのか!!!
 クマの個体数減は必須と思うがそれだけでは不足のような気がする。


10/21 (土) 降雨 第三者内科同窓会(欠)
 2:00起床するもプチ相手にグダグダ過ごす。早朝から降雨ずっと。5:00頃から通常の作業処理に。新聞チェックなど読書。9:30ぞんたバザーに行く家内に同乗、アトリオン経由リハ病院、新聞チェックほか座学。読書。13:00病棟対応。紹介状作成、その後は生命保険関係書類整理。19:00帰宅夕食、20:30就寝、歩数計7124歩。

回顧 今年の秋田は暑かった(10) クマ(4) 抗議電話・メール撃退法(私案)

 3頭駆除した秋田県美郷町に4日夕方から5日にかけ450件以上の抗議電話がかかってきたという。「どうして生かしたまま逃がさなかったのか」「人間の都合で命を奪うな」などの常識的正論、かつ、的外れの内容で、メールも130件以上届いた、という。

 世の中には暇人がいるものだ、と思う。そんな電話に私ならどう対処するか。暇なので考えてみた。

(私案)
「もしもし、三郷町役場です。」

「クマに対するご意見でしょうか??担当者に回しますのでお待ちください。只今電話が大変混み合っていますので少々お待ちください(・・・と言ってそのまま5分くらい待たせる)。」

「もしもし、クマ担当部署です。」

「もしもし、ただいま担当者が不在です。今回のクマ駆除に対するご意見でしょうか?? 大変ありがとうございます。じっくりお伺いいたします。この電話は録音されております。ツーンという信号音の後、ご用件を10分以内でお話しください。担当者が後ほどご返事いたしますので、貴方様の住所、氏名、性別、年齢、電話番号もお話しください。」
「それではよろしくお願いいたします。」「ツーンツーン・・・・・・・ブツッ。」

 これで大抵の電話は退治できる。発信者が記載されていない不明のメールは無視すればいい。

 迷惑電話など事情を良く知らない傍観者がかけてくるものである。真面目に対応する必要はない。

 福島第一原発で処理水が放出された8月24日から約1カ月間で、北京の日本大使館が受理した抗議の電話は40万件以上にのぼった。また、福島県内を中心に、日本側の各種の行政機関や、果ては一般の商店にまで、中国から多数の嫌がらせ電話が掛かってきた。ほとんど処理水についての知識がない若者からであった。中国では最近若者の就職難で暇人が多数だったこともあろう。
 しかし、中国国民が飽きる速さも驚くほど速かった。その理由は彼らが良く実情を調べもせず「飽きた」ため、と考えたほうが良いようだ。

 ネット上の炎上、抗議電話などこんなものだ。
 真面目に扱う必要はない。



10/20(金) 降雨終日  大曲中通病院外来  昨年大量下血
2:00起床、ちょっとグダグダ過ごす。航空事故関連本読み、5:30可燃ゴミ出し。まだ暗い。7:35Taxi駅、8:11こまち、大曲Taxi。8:50大曲中通病院外来。午後下肢筋肉に痙攣生じた。15:30長崎屋なしで帰院。家内用意した昼食摂る。微睡、新聞チ ェックできず。16:00 -17:30病棟対応。19:15帰宅・夕食、20:30就寝。歩数計Σ5103歩。

回顧 今年の秋田は暑かった(9) クマ(3) 駆除の自治体に抗議電話メール殺到
 10月4日秋田県美郷町の畳店の作業小屋にクマ3頭が侵入しそのまま留まった。3頭は5日朝に捕獲され、その後駆除された。
 不安な1日を過ごした近隣住民らは安堵するとともに、身近に迫るクマの脅威に改めて警戒感を強めていた。

 大仙署や町によると、クマは体長約1mと約50cmの2頭で親子とみられる。3頭は4日午前7時半ごろ、作業小屋に入っていくのを町職員が見つけ、大仙署に通報した。駆除のため爆竹を鳴らすなどして外に誘い出そうと試みたが、日没までにうまくいかず、中に閉じ込めた上で檻を仕掛けた。

 5日午前6時ごろ町職員や猟友会関係者が檻に3頭が入っていることを確認。人里離れた山中で駆除した。町は「山に逃がしても、再び人里に戻ってくる可能性がある。町民の安全を守るため駆除するべきと判断した」としている。
 現場は美郷町役場の東約350m。田んぼの中に住宅が点在している。

 3頭駆除したことはニュースで報道されたが、美郷町に4日夕方から5日にかけ450件以上の抗議電話がかかってきたという。

 電話の内容は「どうして生かしたまま逃がさなかったのか」「人間の都合で命を奪うな」などの内容で、県外からが多いとみられる。また、同様の内容のメールも130件以上届いた、という。

 町は、現場が認定こども園の近くで住民や保護者の不安が大きかったことや、県や猟友会などの意見も踏まえて対応した。「町民からは『安心した』という声をいただいている。難しい問題だが、理解して頂きたい」、と言っている。

 私は秋田県では今年クマの人的被害が50件以上も発生している。クマの居住区とヒトの居住区が混じり合ったことでクマの危険性は増している。クマの駆除はもっと積極的であっていいと思う。オリに入ったクマをそのまま逃すなどの対応は考えられない。

 町では苦情電話に実に丁寧に対応したようである。ご苦労なごとだ、と思う。しかし、詳細はわからないが、私には及び腰、弱腰の対応のように思えてならない。もっと毅然としていい。


10/19(木) 曇りはれ 
2:00起床。起床、いつもの如し。家内に同乗8:40病院へ、自己研修、11:00病棟対応。微睡、新聞チェック、14:00病棟対応、15:00患者家族面だん、胃ろうについて。Alb1.2の患者死亡あり。本院耳鼻科に紹介状作成、18:00家内Web学習会、重症患者における栄養管理。19:30帰宅、夕食、20:30就寝。歩数計Σ5154歩。

回顧 今年の秋田は暑かった(8) クマ(2) 生息数増で県は駆除方針強化
 秋田県内でクマの目撃情報、人身被害が相次いでいる。

 NPO法人「日本ツキノワグマ研究所」(広島県)の米田代表は、クマと遭遇しないためには自治体ホームページなどで出没情報を確認することが大事だとする。しかし、秋田県内ではそんなことも必要ないほどの高頻度で目撃情報、被害情報がある。全国でも有数の被害を被っている。

(秋田県のクマによる人的被害頻度は岩手とともに突出している)

 人間側の事情なのか、クマ側の事情なのか??

  「クマよけ」の鈴はキーンと高い音が鳴る釣り鐘型のものが効果的で、「ラジオは大音量にしても山中では音が吸収されて音の通りが悪く、効果は薄い」という。

 クマの活動時間帯は明け方や夕暮れ時ということも覚えておきたい。

 クマと近距離で遭遇した場合、ホームセンターなどで数千円から売られている唐辛子成分が入ったクマ撃退スプレーも有効。

 出没件数増
 9月末までに全国で1万4943件、前年同期より4210件も増えた。
 環境省は人口減や高齢化などにより里山の下刈りがされなくなり隠れやすいやぶの増加、耕作放棄地の増加などを挙げている。

 生息域拡大
 クマの生息域が広がっている。環境省はクマの生息域は19年度は10年度の比で約1.4倍に拡大したのとの調査結果を発表した。

 個体数拡大
 クマの個体数もも増え、読売新聞が17年度以降にツキノワグママの生息数調査を実施した都府県の結果を集計したところ、推定約4万4000頭。17年度は推定約15000頭であったが、約3倍に増えた。
 クマが増えた理由につい酪農学園大の佐藤教授(野生動物学)は1990年代以降にの自然保護意識の高まりにより、過剰な駆除から共存を目指して抑制傾向になっだことを指摘する。教授は「人里周辺に現れるクマには、定着させないための追い払いや駆除捕獲すべき。国による財政支援も必要だ」と指摘する。

 秋田県は「クマも指定管理鳥獣に」と国に求めている。
 指定管理鳥獣のシカやイノシシは、国の交付金をもとに計画的に駆除している。

 秋田県は第5次ツキノワグマ管理計画で、捕獲上限を推定生息数の23%(年間1012頭)と定めている。年度ごとに上限を増減して調整している。
 昨年度の捕獲数は442頭と少なかったため、本年度の上限は1582頭。今月9日時点で1032頭を捕獲している。

 佐竹知事は人間の安全が最優先、と県が定める捕獲上限にこだわらずに捕獲を進める考えを示し、弾丸の費用を支援する方針を明らかにした。県が捕獲に応じて支払う慰労金(1頭あたり5000円程度)とは別枠で、金額は今後詰める。


10/18(水)  快晴   
1:45起床、文献検索、読書中心、家内に同乗8:40病院へ、自己研修、11:00病棟対応。微睡、新聞チェック、14:00病棟対応、合同カンファ+アルファ、入院患者処置。データ整理。19:30帰宅、夕食、20:30就寝。歩数計Σ5587歩。

回顧 今年の秋田は暑かった(7) クマ(1) 餌不足(?)でヒトの生活圏に出没
 秋田県内でクマの目撃情報、人身被害が相次いでいる。
 住宅地でも起きており、もはや異常事態と言っていい。

 秋田県内、今秋の国有林調査で熱暑のためかクマの餌となる木の実が「大凶作」で、殆ど実がついていない、という。
 クマは食べ物を求め里へ降りてきていることがクマ被害の拡大の一因となっている可能性がある。クマが冬眠を控えて皮下脂肪を蓄積する必要があり、餌を求めて行動範囲を広げ、今後も住宅地に現れる恐れは十分ある。

 10月9日は秋田市新屋の住宅地で、散歩などをしていた男女4人がそれぞれ突然クマに襲われ、頭や腕にけがを負った。うち1人は自宅敷地内で背後から襲われた。襲ったクマの行方は分かっておらず、住民は不安を抱えたまま。現場は県警運転免許センターのそばで、周辺には小中学校や保育園もある。住民が少しでも安心できるよう、警察は勿論のこと保護者の方々も見回りに、児童の送迎に力を入れてほしい。
 
 県によると、今年の県内のクマによる 今年、秋田県警に寄せられたクマの目撃件数が、15日時点で2144件となり、記録の残る2009年以降で初めて2000件を超えた。
 人身被害は同日現在、被害の累計は41件45人。件数、人数とも過去最多を更新した。

最近の地方紙秋田魁新聞の見出しだけでもほぼ連日以下の如くである・・・
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?クマ、生活圏近くで生息増加人への恐怖心も少ない 
?秋田県内で列車・車とクマの衝突多発 けが人なし
?秋田厚生医療センターの病院出入り口にクマ 猟友会員が捕獲
?本荘第一病院の玄関にクマ侵入 捕獲、駆除
?相次ぐ食害、秋田・大館で比内地鶏30羽食われる ハウスにいたクマ3頭を駆除
?クマに襲われ鹿角の女性死亡 夫は頭をかまれ重傷、キノコ採り中、
?北秋田・鷹巣市街地でクマに襲われ5人重軽傷 バス待ちの女子高生らけが
?大館市比内町でクマの人身被害相次ぐ 17日、クマによる人身被害が相次ぎ、80代女性と40代男性の2人がけがをした。
?・・・・・・・・・・・・・・・・
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 クマの行動範囲は相当広がっていると言えそうだ。
 従来はクマが来るはずがないと思われていた地域にも現れていることを認識しなくてはいけなくなった。まずは自分の住む地域にクマは来ないとの思い込みを排除しなくてはならない。

 県は、これまでのクマ人身被害を防ぐために鈴やラジオなどをで音を出して人の存在をアピールすることで鉢合わせを防ぐようにと再三呼びかけている。それでも遭遇した場合は、ゆっくり後ずさりをして、静かにその場を立ち去るようにとの呼びかけも、繰り返し発信し、今年は学校でも指導している。
 しかし、これだけでは不十分であろう。


10/17(火) 曇り時々降雨 中通病院外来
1:45起床、文献検索、読書中心、雨のなか5:15可燃ゴミ集積所に。6:40バス病院へ、7:00-8:15病棟対応、8:45-12:45中通病院外来、対応困難患者あり疲弊。途中大雨でずぶ濡れ、13:00病院。微睡、新聞入力、15:00病棟対応、専門誌入力。データ整理。19:30帰宅、夕食、20:30就寝。歩数計Σ8344歩。

回顧 今年の秋田は暑かった(6) 生き物達 セミ、蚊は少なかった
 今年の夏はセミの鳴き声をあまり聞かなかった。
 昨年までと明らかに異なる。
 やはりこれも記録的な猛暑のためかと思う。

 セミの愛好家や研究者でつくる日本セミの会(神奈川県) によると、国内に生息するセミは30種以上。秋田県内では少なくとも10種が確認されている。 平地にすむ代表的なセミは、茶褐色の羽を持つアブラゼミやミンミンゼミなど。
 専門家はセミが「夏バテ」した可能性を挙げる。

 私の自宅には結構樹木が多い。毎年夏、ケヤキやイチョウにセミが集まり、お盆ぎにかけて鳴き声がこだまし喧騒状態になる。ところが今夏はほとんどセミの鳴き声が聞こえなかった。

(我が家の庭の一角 樹木が多く毎年蝉が集まったものだ)

 秋田市では猛暑日(最高気温が38度以上)が相次いだ。この暑さがセミに影響を与えたことは十分に考えられる。

 日本セミの会の幹事の意見では「セミに限らず昆虫は暑さに強いわけではなく、今年のような厳しい暑さだとダメージを受けた可能性がある。 求愛のために鳴くということも含め、セミの活動そのものに影響が出る。アブラゼミはもともと暑い環境下ではあまり活動しない種類だといい、気温が35度を超えても活発なセミは少ない」と話す。

 セミの幼虫は土中で5-6年過ごし、夏場に地表に出て夜に羽化する。土中ではまさか秋田の気温がこんな猛暑になっているとは考えなかったであろう。嬉々として地上に這出てみたらあまりの暑さに愕然し、ろくに繁殖活動もできないままに寿命を迎えたのではないか、と想いを馳せた。

 今夏は蚊も少なかった。
 私は真夏の間、自宅ではほとんど衣服をつけない。最小限の一枚だけである。そんな私は蚊の餌食になりやすく頻回に刺される。多少痛痒いが私にとってはどれほど苦痛ではない。腕に止まった場合などは、血を吸ってお腹が赤く膨らんでいくのをじっと見て、いい卵を産むのだよ、と呼びかけることもある。私は女性に、メスの動物達の繁殖機能に敬意を持っているからである。

 所が、今夏はほとんど刺されなかった。

 殺虫剤のメーカー「フマキラー」(東京)の広報担当者によると、6~8月は蚊対策商品の売り上げが伸び悩んだが、9月に入り持ち直したという。「9月半に蚊の商品が伸びるのはまれ」と驚く。

 本州で人間をよく刺すのは「ヒトスジシマカ」。人が呼吸で出す二酸化炭素を巧みに感知し、成虫になると人を追い回す。25~30度で活動が活発になり、38度以上で木陰で休むらしい。寿命は2週間から1カ月。メスは吸血活動をすることで卵を産む。

 生息域も広がっている。国立感染症研究所の調査では、ヒトスジシマカの北限は1950年ごろは栃木県だったが、2016年には青森県での定着が確認された。温暖化で北上しているらしい。


10/16(月) 曇り時々雨 健康クリニックドック
1:45起床、いつもの如し。6:40バス病院、7:00-8;45病棟対応、9:00-11:15健康クリニックドック14名+結果説明1名。11:30病院、微睡、新聞入力、メタモルフォーゼん自炊開始。14:00、17:00病棟対応。文献検討など。19:10帰宅・夕食、家内はWeb講演会末梢神経障害視聴、20:30就寝。 歩数計Σ7214歩。

回顧 今年の秋田は暑かった(5) 農家には厳しかった激暑(2)
 秋田はダリアやキク栽培が盛んで県の特産品の一つになっている。

 県内で続いた記録的な猛暑と雨不足で、特産のダリアやキクなどの花卉に悪影響が出た。芽や茎が途中でが枯れてしまったり、花が小さくなってしまったりした。花もまばらにしか咲かないなどの被害が確認されており、秋の彼岸や結婚式に向けた出荷時期を迎える中、農家は対応に追われている。

 秋田市雄和にある平沢ファームでは畑とハウス7棟で4万5000本のダリアを例年出荷するが猛暑の中3割が枯れてしまった。8月の出荷量は6000本ほどで、例年の1万~2万本の半分程度まで落ち込んだ。

 毎年秋に700品種7000株のダリアが咲き誇る秋田国際ダリア園(秋田市) でも、葉や花が日焼けするなど、生育に支障が出ている。9月末から10月にかけて花を咲かせるため、7-8月には開花した花を切り落とすしかなかった、と話す。

 JA秋田なまはげ男鹿地区営農センター(男鹿市)では、彼岸向けの出荷の準備が本格化しているが、猛暑続きで開花が遅れ、1日ありたりの出荷量は例年の半出分ほどにとどまる。

 県園芸振興課によると、猛暑による生育不良は県内全域に及び、県が重点品目とするダリア、リンドウ、トルコギキョウ、キク類、ユリ類で出荷量低下が見られたという。

 私も小規模にダリアを栽培していて、激暑の間は枯らさないよう給水を中心に維持するだけで精一杯であったが、県内の専門農家でも同様の影響を被っていた、とのこと。維持管理はさぞや大変なことだっただろう、と思いを馳せた。

 記録的な猛暑が続いた横手市で、収穫期を迎えるリンゴやイモノコ、大根など特産品の生育不良が確認され農家は不安を募らせている。

 山内土渕のイモノコ生産者は枯れた葉を見て顔を曇らせた。例年なら身長を超えてくる草丈も、今年は1mほどで成長が止まっている。根元にできたイモノコは小ぶりで数も少ない。収量は例年の半分程度??とぽつり。
 私のイモノコも背丈が50cmほどしか伸びなかった。現実を確かめるのが怖くてまだ掘り起こしていない。土の下ではどうなっているのだろうか??

 いぶりがっこ用のダイコンも発芽状況はまばらだと話す。

 増田町のリンゴ農家では「つがる」の収穫が最盛期だが、いまだに果実が色づかず、 黄に薄く赤がまじる程度だ。「昼夜の温度差が小さいためか、着色が進まない。「日焼けや高温障害で駄目になった果実も例年より圧倒的に多い」と語った。
これでは市場価値はほとんどない、ジュースや加工用になるのではないか」と力を落としている。
 我が家のリンゴは結実ほとんどゼロであった。


10/15(日) 快晴 夕方から降雨 家内の椅子のキャスター交換
1:30起床。家内の椅子のキャスター交換、新ゴミ箱の底にキャスター装着。徒然など。
途中で微睡取る。12:00ニュース、のど自慢は大曲市、新聞切り抜き、読書。14:30回診家内に同乗、秋田郵便局、久保田新橋のコイ経由、リハ病院。Picc用紹介状作成、19:00帰宅、夕食、20:30就寝。歩数計Σ5790歩。昨年はマルチ外し、ナス抜き取り、里芋一本掘り出す、などなど。

回顧 今年の秋田は暑かった(4) 農家には厳しかった激暑(1)

 私など農家の真似事しかしていないが、それでもいろいろ影響があった。

 記録的な猛暑に見舞われている県内で、家畜や農作物に暑さの影響が出た。 品質低下や収量減少が見込まれる作物もあり、農家は対策に追われた。

 稲作では稲の生育が早く進み、出穂から稲刈りまでの期間が例年より1週間から10日ほど短くなりそうという。こんな状態だとと1粒当たりの重量が軽くなる傾向があるため、今年は収量が減少する可能性がある。昼夜ともに平均気温が高かったことから、コメに十分な澱粉が蓄積されず白っぽくなったり、粒が細くなったりする白未熟粒の発生も懸念される。

 JA秋田おばこ(本店大仙市) の2023年産米の1等米比率が、9月28日時点で1.4%にとどまっていることが分かった。他のJAでも等級低下が目立ち、被害を「想像以上」とする声が上がっている。
 JA秋田おばこによると、28日時点の集荷量は約2万2400d。 食味に影響はない
が、ほとんどが2等米。 収量も落ち込む見込みだという。
 
 JA秋田なまはげ(本店秋田市) 管内の主食用米の1等米比率は例年ならば90%ほどであるが、9月28日時点で67.5%にとどまっている。

 ブドウなどにも影響
 巨峰やシャインマスカットなどを栽培している産地では、実が干からびる「日焼け」や水不足で皮が割れてしまう「裂果」、成長過程で実が部分的に変色する「縮果症」などが例年の1.5倍ほど確認されている。
 ブドウ栽培は日中と夜間の寒暖差が重要とされるが、今夏は熱帯夜が続き気温差が広がらなかったためとみられる。被害を最小限に抑えようと小まめに水をまいたり、実に栄養を行き渡らせるため伸びた枝を切ったりするなどの作業を進めた。
 
酪農にも影響
 乳牛、約280頭のを飼育する鳥海高原花立牧場では、8月下旬頃から1日当たりの搾乳量が通常より1割ほど落ちた。暑さと湿度で牛もバテてた、という。牛舎内では扇風機がフル稼働しているが、それでも牛の動きは鈍く、自動搾乳ロボットでの乳搾りがスムーズにいかない。脱水などにも注意が必要で、必要に応じて獣医に点滴などをしてもらっている、という。

 比内地鶏の産地・大館市の飼育農家で8月に計1770羽が死んだ。同市比内町の農家でも約880羽が猛暑のほか、水飲み場に集まりすぎて圧死した。 7月末頃から異常な暑さが続き、お盆が過ぎても鶏たちは口を開けてグタっと弱っている、という。


10/ 14(土) 快晴温暖 医局にSP設置 銀行、生保関連書類整理
2:30起床、文献、徒然、その他、ゆったりと。11:00ゾンタにいく家内に同乗、久保田新橋のコイに給餌、パン屋経由病院へ。スピーカー設置、そのまま座学、新聞入力。データ整理。銀行、生保関連書類整理。家内はさらに消化器ガン関連講演出席、18:30帰宅、夕食、20:55就寝。歩数計6025歩。

回顧 今年の秋田は暑かった(3) 高齢者の熱中症著増
 この夏、今まで体験したことのないほどの異常な暑さが続いた。涼しくなった今、迫っていた危険な暑さは過ぎ去ったが、過ぎ去ればそれでいいというものではない。
 この夏に感じたことを振り返りつつ記録し次に備えたい。

 この夏、危険な暑さが続いた県内で、熱中症の疑いによる救急搬送者数が急増した。
 5~8月は昨年同期の約2.7倍に当たる1048人に上り、このうち8月は約7割に当たる747人。消防庁が記録を公開している2010年以降で最多となった。

 9月に入っても気温の高い日が続く見込みで、県などは予防対策の徹底を呼びかけた。

 8月3日は、県内で7人が熱中症の疑いで搬送された。そのうちの一人の女性は独居で、倒れていた部屋にエアコンはなかった。搬送時に意識はなく、体温が41℃と高い状態だったという。

 県総合防災課によると、今年5月から8月30日までに搬送されたのは1048人で、死者は2人。65歳以上の高齢者が727人で全体の約7割を占めた。
 住宅内で発症した方は586人で屋外での発症は123人であった。

 8月の747人は、これまで最多だった2010年の374人を大幅に上回った。

 搬送されずに亡くなったは9人。県総合防災課によると、乳幼児から18歳未満の子どもの発症は昨年より減っている一方で、高齢者は3倍近くに増えている。

 秋田市消防本部は高齢者の搬送について「室内でエアコンをつけずにいる場合が多い。暑さに体が反応しづらく、危険な状態になるまで異常に気付かない傾向があるのではないか」とみる。

 熱中症で体温が上がると、拡張した血管にたっぷり血液を送るために心臓と肺はフル稼働する。心臓の働きが追いつかなくなると、血圧が急低下し、めまいがしたり、よろけたり、ろれつが回らなくなる。
  大量の発汗で塩分が失われるため、 筋肉のけいれんも起きる。多くの患者は意識が混濁して、すぐにも助けが必要な重大な状況であることに気づかない。

 丈夫な人は深部体温が42℃まで上がっても何時間かは耐えられるが、乳幼児と高血圧が低下するにつれて、意識を失うこともある。

 ここまで来ると心筋も含め、 筋肉組織が正常に機能しなくなる。
防御反応が低下した消化管から毒素が血流に入り始め、血管の中で血液が固まり始める。その結果、脳や心臓、腎臓、腎臓などの重要臓器が機能障害に陥り、やがて死を迎えることになる。

 このように、熱中症は単に脱水症の範疇にとどまらない複雑な病態を持つ。厳しい多臓器不全の状態に進行しうる危険な状態なのだ。
 早期発見、早期の対応が必要な所以である。



10/13(金)快晴 大曲中通病院外来  患者家族面談
2:00起床、医療関連本読み、5:30可燃ゴミ出し。7:35Taxi駅、8:11こまち、大曲Taxi。9:10大曲中通病院外来。15:30 長崎屋なしで帰院。微睡、新聞チ ェックできず。17:00 -18:00患者家族面談。ひらのや経由19:15帰宅・夕食、20:30就寝。歩数計Σ6678歩。

回顧 今年の秋田は暑かった(2) 我が家のダリアに見る激暑の影響
 私はちょっとした園芸と畑の野菜作りをしているが、このことを通じて気候等の自然と対話する。植物もいろんなことを表現してくれる。

 我が家のダリア栽培は私の体力減退に応じて徐々に縮小しつつあるが、今年は庭の南側に面した一角にだけ植えた。この部分は日当たりも風通しも良く、ダリアにとって生育条件がいいらしい。毎年見事な花をつける。

 今年も本植えしてから2ヶ月後の7月から、背丈は小さい状態から旺盛に開花し、今年は十二分に楽しめる予感がした。


(7月中旬頃の成長と開花の様子 植えてから2ヶ月だから花の背丈は小さい)

 7月中旬頃も暑かったのであるが8月になってから日差しは強烈になり、気温は猛暑では不十分で激暑と言うべき状態にまで上昇した。

 ダリアは涼しい環境で成長するから8月の強烈な日差しの元ではみるみる元気を失って、7月にあれだけ咲いたのに8月はほとんど開花しなかった。それどころか、開花途中まで成長した蕾もそのまま開花することなく茶色に変色して落ちていった。
 
 ダリア栽培のプロであれば強烈な日差しを避ける遮光ネットなどの用意はあるだろうがズブの素人の私にはそのような準備はない。
 私にできることは朝の水やりのみであり、8月、9月中は1日も欠かさず、私はそれだけは十分にやったつもりである。しかしながら、激暑の元、ダリアの枝葉はみるみる萎み始め、一部は枯れ始めていた。

(8月中旬頃のダリアの様子 葉は縮み上がり元気がなく、枝も枯れ、ほとんど開花していない)

 実際にダリアが元気になり始めたのは9月中旬ころからである。この時期は私どもにとっては8月に続き激暑の最中であったが、ダリアたちは一気に元気を取り戻し背も伸び、葉も広く開き十分に陽を浴びた。
 私はダリアの花勢の変化から激暑の終焉を予測できた。
(9月中旬頃のダリアの様子 よく激暑に耐えてくれたものだと思う)


(昨朝の純白のダリアの開花の様子 美しい!!!)

 私は出勤前にダリアたちの様子を見るが、とても癒される。
 今年はそれが一入である。


10/12(木) 快晴  畑
1:30起床。文献チェック。いつもの如し。断水には至らなかった様子。早速早朝の入浴。
8:50家内に同乗リハに、微睡。10:00入院患者対応。本読み中心。15:00入院患者対応。18:00突然の高熱発症患者あり。19:30帰宅、夕食、20:30就寝。歩数計再計測開始、本日は2933歩。昨年半袖作業服を長袖に、ランニングシャツ着用。今年はまだ半袖。


10/11(水) 快晴 秋田市北部地区断水予定となる
1:30起床。読書、録音データ整理と処分など。外仕事は不要で、8:30整形眼科受診石井さん同乗、リハへ。オーディオアンプ設置。Lo-Dスピーカー接続、音質にやや不満。音量上げられないからまあいいか。文献読みなど。微睡など。11:30病棟対応、新入院あり。12:30-13:15新入院患者家族面談。14:30病棟カンファ、入院対応。自炊データチェック。19:10帰宅、夕食、20:15就寝。秋田市北部地区断水予定となるも実際には断水なし。

カレーライス(3) 書籍 重松 清著 カレーライス 新潮文庫


10/10(火) 早朝降雨のち快晴  中通病院外来
1:30起床、データ整理などいつものごとし。読書中心、5:00可燃ゴミ集積所、6:40バスリハ病院へ、7:00-8:30入院患者対応、8:45-12:30中通病院外来、疲弊。12:45リハ病院。微睡、新聞チェエック、入力。新入院あり。19:00帰宅夕食、20:30就寝。

回顧 今年の秋田は暑かった(1) 秋の太陽はつるべ落とし もう朝夕は肌寒い
 10月になってから急速に陽が短くなったような気がする。
 私は朝は自宅を6:20に出る。日の出は5:50なので流石に明るいが、空の様子によってはやや薄暗い。夕は19:00過ぎに通常は家内の車に同乗して帰るのだが、その都合が合わない時には18:30秋田駅発のバスを利用する。この間20分ほど徒歩になるが帰路の時はもう真っ暗で安全のために足元を照らす懐中電灯が必要である。

 それに伴い朝夕の気温は急速に寒くなった。
 つい2週間ほど前までは残暑というにはふさわしくないほどの猛暑が続いていたが、その後は「秋の太陽は、つるべを落とすかのように早く沈んでしまう」と言う表現そのままである。夕暮れが早く感じる。そして、あっという間に暗闇が来る。

 夜は一夜ごとに伸びていく。季語としては「夜長」は秋を、冬には「日短」を用いる。

 秋の夕暮れ、私は晴れた日の夕景が好きだ。あかね色に染まる西方の空の美しさには表現すべき言葉が見つからないこともある。しかも、毎日毎日異なる情景が繰り返されていく。しかし、その期間は長くは続かない。そのうちに初冬の静けさに向かっていく。

 「つるべ落とし」は井戸の水汲みに「つるべ」を使っていたことを知る私どもの世代にとっては、実感のある時間感覚の表現である。

 さて、今年の秋田は暑かった。
各所に影響を及ぼしたがもその名残も多くは残っていない。「喉元過ぎれば熱さを忘れる・・・」、の言い伝えがある。煩悶するほどの苦痛、苦労も、それが過ぎてしまえばその痛みや苦しみをすっかり忘れてしまう、ということだが、今年の酷暑で農作物などに被害を受けた方々の思いはそう簡単に癒えるものでは無い。

 秋田地方気象台がある秋田市では1882年からのデータが公開されている。

 この間の140年余りの月平均気温を比較したところ、「今年8月の気温」はこれまで最高だった「1999年8月」と「1985年8月」の27.3度を2.7度も上回った。

 2023年8月は観測史140年で最も暑い1ヶ月だった、ということ。

 日中の最高気温の上昇だけでなく、最低気温も高かった。最低気温が25度以上で寝苦しい熱帯夜は25日間に上り、過去最長を更新した。

 秋田地方気象台の担当者は8月の猛暑について
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@フィリピン周辺の海水温が高くなり、積雲などの発生を伴う対流活動が活発化し、太平洋高気圧が強まった
A偏西風の蛇行による南東からの暖かい空気の流入
B山越えして乾いた風が吹き込むフェーン現象―といった要因が複合的に重なり。「1日を通じて暖かい空気が入り込む状態が、ほぼ1カ月にわたり続いた」と説明している。
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  また、気象庁の異常気象分析検討会は、地球温暖化や北日本付近の海水温の高さも今夏の猛暑に影響したとの見方を示している。

 果たしてこの現象は今年だけの特異なものなのだろうか??
 私はそうは思えない。

10/9(月) スポーツの日 晴れ
2:30起床。何時もと同様、書類書籍、医学論文などチェック。9:00-11:00草刈12回目、東北側。この間隣家2ケンとの話し合い、私も含め三者で境界線の合意成立。現状の位置で。境界にはブロック工事する、費用は折半。家内は回診に。午後は微睡後書斎で過ごす。片付け、18:15家内帰宅、19:00夕食。20:15就寝。病院出勤なし。

歩数計  寂しくて歩数計計測を復活させた
 歩数計「平成の伊能忠敬」は氏が歩いたと思われる海岸線にそって日本を一周するゲーム機。
 日本の海岸線の総距離は19.044.18Kmとセットされているから、一周するのに1日1万歩で7-8年かかる。

 東京を出発して太平洋側海岸線を北上、北海道、日本海側を南下、九州、四国を経て沖縄を含む日本一周を達成したのが2020年4月14日で7年かかった。
 その時点でのデータ。
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所要期間:2.565日(7.03年)
総歩数:Σ2.411万歩 (平均9.399歩/日)
歩行距離:Σ19.292Km(平均7.52Km/日)
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 当初、最低1日10.000歩を目標にしていたが、結果的に9.480歩と目標には達しなかった。

 日本一周達成後2周目に取り掛かった。

 2周目に入って約3年、2023年4月23日福井修了富山に入った。
 2023年5月5日、心不全を発症、継続挑戦ができなくなった。2023年7月で計測をやめたが、この10年間頓挫しなかったことに満足している。

 心不全を発症してから約半年経ち体調も悪くない。
 10年近く積み重ねてきた実績を捨てるのは勿体無いと考え、本日から再度1日の歩数計測を開始した。

 本日の時点でのデータ
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総歩数:Σ3.306万歩 、Σ26.453Km
所要期間:3.842日(10.05年)
-----------------------------------------------

 私は「継続は力なり」という言葉が好きである。
 この10年間、午前2:00過ぎに毎日歩数を確認して私の健康度、活動性のバロメーターとして役立ててきた。
 その習慣を捨ててからなんか寂しい。

 結局、本日から1日あたりの歩数のチェックを再開した。
 日本2周目が成就するか、私がそれまで持つかは不明であるが・・・。


10/8(日) 快晴
2:30起床。文献チェック他。何時ものごとし。8:30畑仕舞い作業、黒のビニール、マルチ剥がし、雑草抜き、それらを袋詰め。10:30家内帰宅、11:00 -12:00Nrs今野氏の葬儀に出席。先日の暴風雨で倒れたダリア救出。12:00NHKニュース、のど自慢楽しむ。新聞スクラップ、微睡。15:00畑作業後片付け。読書、座学中心。19:00帰宅、夕食、20:00就寝。病院出勤なし。

相貌失認(2) 私の場合、視力障害も認知機能低下も関与
 私は人の顔を覚えるのが苦手である。よく家人から指摘される。ただし、顔以外の特徴によって人物を区別することはできる。

 相貌失認とは、人の名前や特徴を聞いても、顔つきを思いだせない、イメージできない状態、写真をみても、直接本人に会ってもそれが誰であるか区別できない状態を指す。脳障害による失顔症の一つとされ、1947年ドイツの神経学者によって疾患としての概念が確立した。

 相貌失認は高度の認知症でも生じる。
 認知症が進行すれば自分の家族も認識できない状態に陥ることは高齢者医療に携わっていると頻繁にみられる現象である。

 私の場合は幼少時からだから認知症に伴ったものではなく、また、その程度は軽い。しかし、私の記憶にある多くの方々の顔はのっぺらぼうで特徴的な目鼻がついていない。写真をみてやっと思い出す事が多い。

 ところが、不思議なことにこんな私でも画集や書籍に描かれた顔は明瞭に記憶している。実生活の人物の風貌の記憶と書籍の画像の記憶が異なっているのかも知れない。

 私は、かつて名刺をいただく機会が多かったが、名前だけの名刺はほとんど役だっていなかった。

 私は視力が極度に低下している。日常的にはメガネを用いずにぼやけた視野の世界を楽しんでいる。

 仕事上でも生活上でも私は視力障害をそう苦にしていない・・・が、階段や冬道などでは、特に夜道は、よく見えず危険を感じる。バスの行先表示が見えずに乗れなかったり、行き先を間違えて乗ったこともあった。

 私は記憶力も極端に落ちている。日常的にはそれが前面に出ないように話題を選び展開させる。自分としては綱渡り的生活である。私のスマフォやパソコンはメモだらけ。記憶でなく記録してカバーしている。

 かつて某メガネ店で女性スタッフの相貌の認識力と記憶力に驚き、感心したことがあった。
 
 入店してカウンターに座った途端に「福田さま、いらっしゃいませ・・」と声が掛かった。このメガネ店では3年前に眼鏡を新調したがその後一度も訪れていない。私はネームカードなど着けていないのに・・・。
 レンズが破れた事情を話したら、更に「このメガネは運転免許更新のためでしたね・・」とも言われた。

 私はこの店で購入した事は覚えていたが、その間のやりとりなどは全く忘れていた。その時担当してくれたスタッフであろうが、その顔も記憶になく、このやり取りは記憶減退と相貌失認を自認している私にとってショックであった。

 私は、そのときは見積もりだけのつもり立ち寄ったのだが、即座に修理を申し出た。スタッフの相貌の記憶力にほとほと感心したからである。

10/7(土) 夜間降雨、曇り降雨、午後快晴 家内ゾンタ名古屋
2:20起床。データ入力整理。早朝午前は降雨で座学中心、自炊データ整理。10:00不動産会社スタッフの訪問あり。ダリア数本折れていた。明日修復要す。13:28バス病院、入院患者対応若干、患者は落ち着いている。微睡、新聞データ化、19:00長崎屋経由、古書10冊ほど購入。19:30帰宅、夕食、キムチ鍋、20:30就寝。

相貌失認(1) 新しい職場で困っている

 私は人の顔を覚えるのが苦手である。
 子供の時からなので、あるとすれば先天性相貌失認(?)と思われるが詳細は検討していない。先天的相貌失認を発症する確率は2%程度と推定されており、一般的に想像されるよりかなり多い、らしい。

 人間の個体識別は顔の認識だけでなく、声、体格、振る舞い、着衣、など様々な情報を総合して行われており、顔の認識に障害があっても他の機能で代償し、日常生活に支障をきたさないため、相貌失認を自覚している人は少ない、と考えられる。

 しかし、私ははっきり自覚し、とても不便している。
 街で、あるいは病院内で患者さんに声を掛けられ名乗られることは少なくないが、意愛想よく返事し話題を合わせても、実際に誰であったか最後まで思い出せないことが頻回にある。

 今ちょっと困っているのは、新年度になって新たな職場を得たが、スタッフ方々の顔が覚えられないこと。

 特に若い女性看護師の顔が覚えられない。もう半年経ったが30人余のスタッフの半数ほどしか覚えていない。
 皆さん方、痩せてスラっと(?)しており、同じような背格好で、コロナ対策のマスク越しから見える目はアイメイクがばっちりで、私にはみんな同じような美人にみえる。

 さらに私が担当している病棟には介護福祉士や訓練士が頻繁に出入りしているからお手上げ状態である。

 近くにいるスタッフは名札を見ればいいが、私は極度に視力が悪く20cmまで近づかなければよく見えない。名札の位置は微妙な場所にある。ジロジロ見ているとセクハラ行為と誤解されてエロジジイと思われそう。本当はこの歳でエロジジイと呼ばれることは名誉だと思うが、職場では支障が出る。

 私は職員名簿の顔写真をiPadに入れて職場で時々眺めているが、それでも覚えられない。用事がある場合には名前を呼びたいのであるがそれができ難い。制服にゼッケンや背番号が欲しいくらいである。

 よって、よく会う人でも、TPOによって、化粧や服装が違ったりすると、また、マスクなしでは判断に迷う。院外でたまたま会うスタッフはよくわからん。

 同じことは患者でも起こる。
 仕事柄、患者取り違えは大変なことになる。名前をしっかり確認し、ダブルチェックもして、間違えないよう気を付けている。
 今までのところ患者間違いは経験していない。


10/6(金) 風強し降雨  大曲中通病院  健康クリニックチェック 家内ゾンタ名古屋
1:30起床、いつもの如く。5:00可燃ゴミ資源ごみ廃棄準備のみ、降雨で廃棄せず。7:35Taxi駅東口に、降雨で渋滞、8:11こまちに乗り遅れ、スターバックスにて時間待ち、9:12にて大曲。往復Taxi、10:10外来、リハ入院の患者、嘔吐で整形主治医の判断で救急外来へ。13:30-14:30Taxi健康クリニックにデータ判定、14:45帰院。救急搬送された患者帰院。めまいによる嘔吐と。15:10病棟対応、新聞検討。18:40港交通、ひらのや経由帰宅、夕食、20:30就寝。

ウエラブル端末(3) 我が家にとってのApple Watch(2) 結局、家内に安物を購入た
 家内は難聴がある。
 原因は長期間に及んだ抗がん剤の神経障害と加齢だろう。何度か補聴器の使用を勧めたが用いていない。会話は相手が大きな声だとそれほど不便ではなさそうであるが相手はちょっとストレスだろう。

 一番困るのは携帯にかかってきた電話に気づかないことである。
 会議中などでサイレントモード+振動に切り替えた場合が一番問題である。いつも携帯は振動がわかるように身体に触れさせておくよう進言しても、家内は日常携帯をバッグに入れていることが多い。だから電話に気が付かないことが頻繁にある。特に病棟からの電話連絡の場合は重要で、代わりに私にかかってくることもまでではなかった。

 Apple Watch購入検討の際、iPhoneに着信がある場合Apple Watchが振動する機能があることを知って私以上に家内の方こそ必要だ、と考えた。

 しかしながら、私と同じ事情で購入は諦めざるを得なかった。家内のiPhone 7plusは私のiPhone8より型が古いからApple Watchと同期できないからである。
 家内はiPhone 7plusの機能に何ら不満を感じていないから、そのためだけに15-20万円の出費は不要とのこと。私も納得し、安堵した。

 結局、我が家では新型のApple Watchは購入しないことになった。

 その過程で、Apple Watchに類似の機能を持ったSmart Watch、多くは中国製なのだが、多数発売になっていたことに気がついた。
 ここまで検討したのだから、ダメもとと試しに安価の一つを購入してみた。
 送料無料で2900円。更にタイムセールかで1000円引きで実質1900円で入手できた。

 これには、旧機種のiPhoneとも同期できるという利点もあった。Apple Watchよりは全体に機能は簡素だがiPhoneの着信時には振動し、誰から電話が来ているのかを表示する機構はついている。


(今回購入したSmart Watchの基本画面。Apple Watchよりは当然簡素であるが、脈拍数、体温、歩数などは常に表示される)


(電話着信時、時計自体が短時間振動し、相手の名前が表示される)

 結論として、着信時振動で知らせる機能は家内にとって有用であった。家内にとっては今のことろこれで十分である。

 他の機能は信憑性は確認できていないが、心拍数、体温、血中酸素濃度、メッセージ通知、歩数などの記録も可能となっている。

 ウエラブル端末は電子機器の中で、よりパーソナルな情報を収集し分析して還元するなど、より新しい発想の機器である。
 今後さらに発展していくことを期待したい。






ウエラブル端末(3) 我が家にとってのApple Watch(2) 結局、家内に安物を購入た
 家内は難聴がある。
 原因は長期間に及んだ抗がん剤の神経障害と加齢だろう。何度か補聴器の使用を勧めたが用いていない。会話は相手が大きな声だとそれほど不便ではなさそうであるが相手はちょっとストレスだろう。

 一番困るのは携帯にかかってきた電話に気づかないことである。
 会議中などでサイレントモード+振動に切り替えた場合が一番問題である。いつも携帯は振動がわかるように身体に触れさせておくよう進言しても、家内は日常携帯をバッグに入れていることが多い。だから電話に気が付かないことが頻繁にある。特に病棟からの電話連絡の場合は重要で、代わりに私にかかってくることもまでではなかった。

 Apple Watch購入検討の際、iPhoneに着信がある場合Apple Watchが振動する機能があることを知って私以上に家内の方こそ必要だ、と考えた。

 しかしながら、私と同じ事情で購入は諦めざるを得なかった。家内のiPhone 7plusは私のiPhone8より型が古いからApple Watchと同期できないからである。
 家内はiPhone 7plusの機能に何ら不満を感じていないから、そのためだけに15-20万円の出費は不要とのこと。私も納得し、安堵した。

 結局、我が家では新型のApple Watchは購入しないことになった。

 その過程で、Apple Watchに類似の機能を持ったSmart Watch、多くは中国製なのだが、多数発売になっていたことに気がついた。
 ここまで検討したのだから、ダメもとと試しに安価の一つを購入してみた。
 送料無料で2900円。更にタイムセールかで1000円引きで実質1900円で入手できた。

 これには、旧機種のiPhoneとも同期できるという利点もあった。Apple Watchよりは全体に機能は簡素だがiPhoneの着信時には振動し、誰から電話が来ているのかを表示する機構はついている。


(今回購入したSmart Watchの基本画面。Apple Watchよりは当然簡素であるが、脈拍数、体温、歩数などは常に表示される)


(電話着信時、時計自体が短時間振動し、相手の名前が表示される)

 結論として、着信時振動で知らせる機能は家内にとって有用であった。家内にとっては今のことろこれで十分である。

 他の機能は信憑性は確認できていないが、心拍数、体温、血中酸素濃度、メッセージ通知、歩数などの記録も可能となっている。

 ウエラブル端末は電子機器の中で、よりパーソナルな情報を収集し分析して還元するなど、より新しい発想の機器である。
 今後さらに発展していくことを期待したい。


10/ 5(木) 昨夜雷鳴、激しい降雨 家内名古屋
4:00起床、体調はかなり改善。昨日分新聞切り抜き。薄手の長袖作業服に着替え。6:40バス以外には乗りたくなくて8:00港交通依頼、2400円。8:15-9:00病棟対応、のち部屋で休養、総婦長主任が見舞いに。11:50弥高会館レストランでカレー。15:00入院患者対応。家族面談湯是氏。新聞スクラ作成入力。健康クリニックは明日に伸ばした。体調は改善傾向、18:20バス帰宅・夕食、またカレーであった。20:00就寝。

ウエラブル端末(2) 我が家にとってのApple Watch(1) 結局、私は購入しなかった
 Apple Watchのは2014年に発売になったが、その先進性はおどろくばかりである。私は当初は変な機能がついた贅沢な時計(?)としか捉えていなくて興味がわかなかった。

 本年5月5日に慢性心不全の急性増悪状態になったことでちょっと考えを変えた。8月時点で真面目にApple Watchの購入を考えた.
 しかし、9月に新製品が発表される予定で出荷停止状態にあり購入できなかった。
 
 私が興味を持った機能としては以下の如く。
-----------------------------------------------------------
●日常の歩行など活動性の管理ーーー私は循環器の主治医から運動量2.7Mets以内での生活を指示されている。

●心電図の記録など心臓の状態を知るーーー私は慢性心房細動である。脈拍数は徐脈・頻脈ともに危険な状態を示す。その判断に有用。

●血中酸素濃度など心肺の状態を知るーーー心不全急性増悪の早期確認のため有用。

●健康上の緊急SOSを119番や家族、その他必要なところに連絡する機能。
-----------------------------------------------------------

 他の機能の多くはiPhoneにも備わっているからあまり必要でない。

 今や発売から10年、Apple Watchは改良を重ね価値ある実用品になった。
 今やアスリートたち、循環器系に問題のある人たちの健康管理上も必要なアイテムとなっている。

 9月の新製品が発表とともに再度新型のApple Watchは購入を考えたが、その時点で単純な理由で購入しても無駄であることがわかった。
 Apple WatchはiPhoneと機能を同期させて用いるが、その同期の相手として私のiPhone8は古過ぎて既に対象から外れていた。

 確かにiPhone8は2018年6月に購入したものでもう満5年使っている。私のiPhone8は通信装置付きの音楽プレーヤーとしての位置付けで、いまだに何ら不便を感じていない。Apple Watchをもし購入するとなるとiPhone自体も更新しなければならない。Apple Watchと合わせると約16-20万円となる。だから止めた。

 健康管理のために有用といいながら最後はケチるのか?
 いや、そうではない。私自身が心臓に関しての知識と優秀なセンサーを備えていてApple Watchはその確認程度だから必須なものではないからである。


10/4(水) 晴れ、終日体調不良 病棟カンファレンス
1:20起床、歴史、整理。9:00畑仕舞い若干。とても疲れた。熱感あり、全身倦怠感強度、11:00バスリハに。微睡。14:30-15:30病棟カンファレンス。微酔、微酔、今日はルーチン仕事全くできず持ち帰り。19:30帰宅、夕食。20:00就寝。

ウエラブル端末(1) Apple watchの実力
 私はパソコンなどの大部分はアップル製品を用いている。
 ただ、コンピュータの世界でシェアは20%程度と普及は今ひとつ。
 私の職場でも電子カルテはWindowsが基本になっているから操作に毎日四苦八苦している。

 アップル製品の先進性はおどろくばかりで、製品を通じて世界を変えた、と言っても過言ではない。
 パソコン分野でも機能的には先端を走っている。全分野における製品のデザインも秀逸で、スマートフォンでもiPhoneで常に先端を走り、タブレット分野ではiPadシリーズ確立、オーディオの世界でも発想の先進性からソニーのウオークマンシリーズをすっかり駆逐してしまった。

 2014年にApple Watchとして時計型の端末が発表されて話題をさらっている。

 私はついにアップルが時計業界へ進出してきたかと訝ったが、単なる時計とは全く異なる、時計型のコンピューター端末であった。
 私はコンピューター端末としてiPhoneで十分満足していたのであまり興味がわかなかったが、今年9月新製品が発表され、その機能も一気に拡張し興味を覚え、心臓にも問題を抱えているから購入を検討した。

 ただ、高額である。Apple Watch SEが34,800円から、Series 9が59,800円から、Ultraが128,800円からで、私には健康状態のチェックのためにもSeries 9がいいと思うが、余命いくばくもない私には高額過ぎて悩ましいところである。

Apple Watchの機能をざっと示すと以下の如く(SEには欠ける機能も)。
――――――――――――――――――――――――――
●時計機能一般、国際時計、タイマー、目覚まし、ストップウオッチなど
●日常の歩行など活動性の管理
●心電図の記録など心臓の健康状態を知る
●血中酸素濃度の測定
●睡眠の質のモニタリング
●マインドフルネスで精神状態をチェックする
●月経周期の記録と予測
●健康上の緊急SOSを必要なところに連絡する
●転倒事故/衝突事故検出し必要なところに連絡する
●服薬を管理する
●騒音から聴覚を保護する
●Naviで道案内してもらう
●電話やメールの着信を振動で知らせる
●電話やメールで連絡を取る
●Apple Payで買い物をする
●交通機関を利用する
●音楽やラジオを聴く
●手洗いを習慣化する
●懐中電灯にする
●iPhoneやMacを探す
●iPhoneのカメラを遠隔操作する
●家電を操作する
●素早く録音する
●などなど

 今や発売から10年、腕時計型ウエラブル端末は価値ある現実の実用品になった。
 今や健康管理上も必要なアイテムとなっている。



10/3(火) 快晴  中通病院外来  卯月の会

1:45起床、データ整理などいつものパターン。5:30可燃ゴミ集積所に、6:40バス病院。神田旭野線減便4本。7:00-8:30入院患者対応、8:45-12:45中通病院外。疲弊した。13:00理は病院、12:30微睡。15:00病棟対応、卯月の会は失念。19:30帰宅、夕食、21:00就寝。


「カレーライス」(3) 書籍 重松 清著 カレーライス 新潮文庫
 主人公の「ひろし」は小学校六年生。
 小中学生の頃を描いた作品を読むと、78歳の爺じいもあの頃の生活にタイムスリップする。
 授業中の様子が、放課後の空気が、先生や友だちの声が、よみがえってくる。本書は9編の短編を収録。老人になっても決して忘れることはない、子どもの心とことばを思い出させてくれた。これらの感受性を残している作家の感受性と筆力にはほとほと関心する。


 その書き出しは 「ぼくは悪くない」。 これは物語の主人公である「ひろし」の心情から始まる。

 著者の重松清氏は1963(昭和38)年、岡山県生れ。出版社勤務を経て執筆活動に入る。2001年『ビタミンF』で直木賞を受賞。現代の家族を描くことをテーマとし、話題作を次々に発表している。父親の転勤で家族で9回の引っ越しをした少年時の実体験などをふまえ、いじめや親子の断絶、夫婦の齟齬といったシリアスな問題を描き続けてきた。

 「カレーライス」は、教科書のために書き下ろされたもの。 子どもの成長と親子の心情、思春期の子どもの微妙な心情を読み取ることのできる作品である。

 夕食後もゲームをしたことで父に怒られたが、素直に謝れない、反抗期に差し掛かった「ひろし」。何度も謝ろうとしたが言葉が出てきない。

 後日、父が体調を崩した時に、一緒にカレーを作ることになった。初めて父と二人で作った料理。父はその時に「ひろし」が「中辛」のルーを選んだことを通じて子供の成長を実感する。 初めはけんかをしていて気まずかった父も、終盤ではほのぼのした雰囲気となっている。この二人の間の空気も「ぴりっと辛くて」でも「ほんのり甘い」というカレーの辛さの記述と重ねて読み解くことができる。

 「ひろし」口を大きく開けてカレーをほお張った。二人で作った特製カレーは、ぴりっと辛くて、でも、ほんのり甘かった。

 思春期の成長と心情に重ね合わせたカレーの辛さ表現。

 「ひろし」と父は普段仲が悪いわけでないことは、風邪ぎみの父の姿を見てすぐに心配している様子や、「ひろし」がなかなか口をきいてくれないからとしょんぼりしている父の様子から容易に想像がつく。

 思春期にさしかかった「ひろし」に一喜一憂しながら親子の関わりあいを大切にしようとしている父、そしてその二人の姿を第三者的立場から見守っている母の姿を読み解くことができる。

 自分の家族構成とは異なっている登場人物の家族構成であったとしても、共感しながら読みやすいテーマであることは間違いない。 家族間における小さな諍いなどを解決させるヒントもちりばめられている。

 自分でも困るくらい「ごめんなさい」があっさり言えなくなるのが反抗期だったのだ。身に覚えもあるし、我が子3人もみんな通過した。微妙な時期だったのだ、としみじみ感じ入った。




10/2(月) 曇り時折降雨 午前健康クリニックドック
1:30起床。文献チェック。データ電子化整理。6:40バスリハ病院、7:00-8:45HDコピー開始と病棟対応、9:00-11:30健康クリニック、ドック診察15名。 結果判定15名分。11:45帰院微睡。 14:00入院患者対応。新聞チェック、入力なし。HDコピー14時間要している。19:15帰宅、夕食。20:30就寝。

カレーライス(2) 書籍 杉田淳子編 アンソロジー「カレーライス」大盛り ちくま文庫 2018
 50余人の作家、芸術家たちがカレーライスについて書いていた随筆を集めた本。巻末に原本の目録と簡単な著者のプロフィルがついている。いわゆる有名な大作家の、なかなか珍妙なエッセイが満載されている。それほどカレーには魔力が潜んでいる。




 日本人ってみんなカレーが好きなのだ、とあらためて思う。それぞれの「カレーに対する思い入れ」がにじみ出ている。
 全ての方々のカレーに対する蘊蓄も半端でない。
 
 個々の作品は切り口も様々、名店のカレーに対する評価あり、子供の頃から親しんできた母の味のカレー、自分で作る工夫に満ちたカレーなどなど、田舎のはやらないカレー屋さんの主人が、実は10時間も玉ねぎを炒めて作っているというカレーなども・・・・。

 私などカレーが好きなだけで単純に喜んで毎回楽しむだけ。とてもこのような文章は作れない。さすが、と思う。
 作者と題名のみを記した。
――――――――――――――――――――――――――――――
池波正太郎   カレーライス
向田邦子      昔カレー
林真理子    カレーと煙草
井上靖     ほんとうのライスカレー
安西水丸    カレーはぼくにとってアヘンである
伊丹十三    料理人は片づけながら仕事をする
北杜夫     カレーライス
阿川佐和子   カレー好き
平松洋子    夏はやっぱりカレーです
宇野千代   私のカレー・ライス
檀一雄     カレーライス (西欧式)、
村松友視    カレーライス (インド式)

吉行淳之介   カレーライスをチンケに食う
寺山修司    ライスカレー 歩兵の思想
獅子文六    議論
神吉拓郎    カレー党異聞
阿川弘之     米の味・カレーの味
吉本隆明    即席カレーくらべ
東海林さだお   大阪「自由軒」のカレー
藤原新也    アルプスの臨界現象カレー
山本一力    洋食屋さんのキングだ
五木寛之    カツカレーの春
内田百閨@   芥子飯
中島らも    子供の頃のカレー
滝田ゆう    ライスカレー
小泉武夫    悪魔のライスカレー
町田康     カレーの恥辱
古山高麗雄   ビルマのカレー
石田ゆうすけ  カレー中毒 ジョディのカレー
石川直樹    インドのカレー
角田光代    カレー、ですか…
石井好子    カレーあれこれ
内館牧子    カレーライス
伊集院静    カレーライス
赤瀬川原平   インド人もびっくり
久住昌之    カレーライス
泉麻人     カレーのマナー
井上ひさし   セントルイス・カレーライス・ブルース
小津安二郎   処女作前後ライス・カレー
山口瞳     カレーライス
ねじめ正一   カツカレーの町
よしもとばなな カレーライスとカルマ
色川武大    紙のようなカレーの夢
――――――――――――――――――――――――――――――
 この随筆集は適当にページを開き読みかえすのも楽しい。
 何度読んでもその度にカレーが食べたくなる名著である。



10/1(日) 降雨 ゾンタバザー
3:00起床。何時もと同様、音楽関連データ整理、医学論文などチェック。読書。
9:30ゾンタが国際関連のバザーに、家内に同乗アルべへ、荷物運び。10:00リハ病院、退院予定患者の身長提供書補足分記載。昼は売店よりおにぎり+茶碗蒸し。新聞チェック+入力、のち座学、19:00帰宅、20:30就寝。バスダイヤ変更。高齢者コインバス事業昨年から、便利。

「カレーライス」(1) 母の味
 私はカレーとラーメンが大好きである。 前者は舌を刺激する辛さがたまらない。毎日食べても嫌になる事はない。
 
 我が家のカレーは美味である・・というかひどいカレーに当たったことはない。カレーという料理が食材を広く包み込む、フトコロが深いことと、我が家では多分出来合いのルーを使っているためなのではないかと思っている。

 大抵夕食に出るのであるが、どうしても大鍋で大量に作るほど美味しく出来るのではないか。だから、余るから、その量に応じて翌朝から毎朝3-4日続けて食べるのが常である。

 カレー好きの方はを自分でつくることも厭わないらしいが私は作らない。数年前に家族がいない時にレトルトカレーを湯煎して食べた時が最後である。本当はカレー専門店とか有名店に行って一流の味なるものを味わってみたいのであるが、それ以上に外食が嫌なものだから果たされてはいない。ちなみに私が盛岡時代に外食で食べたものはラーメンだけであった。それが、新潟に行って初めてスパゲッティミートソースを食べた瞬間、私の人生はすっかり変わってしまった。

 1953年に死んだ母が作ったカレーは美味かった、というか他に美味なものが多く無かった時代だったからかカレーというと心ときめいたものであった。

 当時、岩手の田舎で入手できたのはバラ肉と言われるような低級な(??)豚肉であったが、それを炒め、ぶつ切りのニンジンとタマネギを放りこみ、タマネギが透き通ってくると、水を加え、大きめのジャガイモを落とし、SBカレー粉パウダーをそっと溶かし、じっくりと煮こむ。 あとはそのときの気分で鍋をかきまわしていく。すると、まもなくカレーの刺激的な香りがあたりに漂いはじめる。そうなると、香りを味わっているだけで豊かな気分になってきたものだ。

 しかも、私のカレーの原点は黄色くて、ぶつ切りのタマネギがところどころに浮かぶ、どろりとしたカレーだ。 が、その味は母の味である。

 最近のカレーには結構高級な食材も混じっていて昔の味とは似ても似つかないのだろう。私は薬味は裁断したラッキョウを大量にまぶす。

 カレーを食べる時に母の姿を思い浮かべてしまう。忘れられない。
 ああ、日本人のカレーライスここにあり・・の感である。


9/30(土)午前曇り 午後降雨 初めてカミソリで髭剃り
 1:00起床。文献チェック他。何時ものごとし。読書、昨日多忙でできなかった新聞チェック。畑仕舞い先を越されてできなかった。14:00家内に同乗、リハ病院、微睡、 病棟対応。初めてカミソリで髭剃り、快適にできた。18:20のバスで帰宅。19:00夕食、20:30就寝。


9/29(金)快晴 大曲中通病院 Zoom学習会

 1:50起床。文献読み・徒然など。画像電子データ整理。5:20可燃ゴミと畑の回収物廃棄、7:35Taxi駅に。8:11こまち12号、Taxi、9:00外来、比較的スムーズ、15:20長崎屋経由4冊ほど購入、帰院。15:30病棟対応他。18:30帰宅、家内Zoom学習会、脳外科関連、20:30就寝


9/28(木)曇り時に降雨終日 家内運転免許更新
 1:30起床。文献他。自炊準備数冊。8:45家内に同乗リハ病院着、微睡、新聞チェック、入力。10:30患者面談、11:00病棟対応。12:00家内運転免許更新に。新入院あり対応。19:10帰宅、夕食、20:30。


9/27(水)早朝降雨のち晴れ 
 1:45起床。読書、録音データ整理と処理、データ分類など。外作業出来ず、9:00午前は家内に同乗リハ病院へ、微睡、新聞チェック、入力。11:00病棟対応、13:00医局会、昼食、14:30カンファレンス、入院患者処置など。医局自室の机上若干整理、電子カルテのノートパソコンを通常使用にセット、若干は業務改善になろう。19:30帰宅、夕食、20:30就寝。昨年早朝寒くてフリースセーター着用。

9/26(火)快晴 中通病院外来 
 1:30起床、文献チェック、徒然など。5:10家庭ゴミ1袋と畑のキウリの茎など一袋。6:40バス飯川病院、7:00-8:15病棟対応、8:45-12:50中通病院外来、疲弊。13:00リハ病院、微睡、入院患者対応、新入院、整形外科より一人。19:00帰宅、夕食、20:30就寝。

無精髭(2) 髭の効能はいろいろ
 イチロー氏が大リーグで大活躍していた頃、いつも無精髭でいる理由を問われて、「なめられないように」と応えていた、という。「日本に帰れ!!」コールを浴びせられ辛かった時期に、童顔の彼が少しでもワイルドな雰囲気を備えようと思ったからと推察する。異国で活躍するためには、こんな気負いも必要だったに違いない。

 一般的な日本の男たちは毎朝髭をそる。無精髭は他人にいい感じを与えない。私も他人の無精髭ヅラなど見たくもない。私は自分の顔を鏡で見ることも滅多にないから自分の無精髭に対しての不快感はない。
 私は若いときから髭そりについては、全て仕方なくであった。
  
 今、無精髭ではなく、本格的に髭を蓄える男性が増えているらしい。「男性」性をアピールするのに手っ取り早いからであろう。

  戦国武将や明治の元勲は、権威の象徴として髭を蓄えていた。

 近年は個性が求められ、自分らしさを示すツールとして若者を中心に髭スタイルが広がった。それが中年層にも受け入れられ、社会全体の許容度が上がった。

 ただ、勘違いしてはいけない。
 私のような「単なる無精髭」がだらしない印象を与えることは、今も変わらない。

 髭を整えると、なりたい自分に一歩近づくことができる。なりたい自分とは、「貫禄をつけたい」 「ワイルドになりたい」「・・・・」などなど。

 たとえば、口髭だけのスタイルは貫禄ある印象に。丸顔、面長など顔の形に合った髭にすることを心がける。丸顔ならあご髭ともみあげをつなげるとシャープになる。髪が薄い人は、髭を蓄えることで頭に視線が行きにくくなる・・・など。

 男性の髭は上手に活用すればある種のコンプレックスの解消にもつながるだろう。
 
 さっぱりと剃るもよし。 個性的に整えるもよし、である。

 最近では毛根を取り去り、顔をつるつるにする若者も増えているという。うまくいかないで後遺症に悩んでいる方も少なくない様子。

 私の髭剃り道具は簡便単純、かつ安価である。


 髭が短い時は電気髭剃りがいい。T型のは刃とホルダーの間に毛が挟まってすぐ切れなくなって効率が悪い。今回伸ばし過ぎたので初めて直刄のカミソリを用いてみた。ちょっと怖かったが出血することもなく綺麗に剃れて感激した。もっと早く使っておけば良かった。
 
 今後、髭剃りのストレスから解放されそうである。


9/25(月)快晴 健康クリニックドック  
 1:30起床、文献チェック。データ整理、6:40バスリハ病院。7:00-8:00病棟対応、30程微睡。9:00-11:15健康クリニックドック15人、結果判定なし。11:30リハ病院、読書、微睡ほか、14:00入院患者対応。新聞チェック+入力、読書他。5-8月の勤務状況を報告した。19:15帰宅、夕食、20:30就寝。半ズボンから薄手の作業服へ、半袖作業服着用。急速に寒くなっている。

無精髭(1) 効能はいろいろ
 私はものぐさである。とりわけ髭を剃るのが嫌いである。
 しかしながら日本では無精ヒゲは社会生活の中では会う方々へ失礼になる。だから、現役の頃は毎日または隔日に、短い時には電動カミソリで、長くなった場合にはT型の安全カミソリで剃っていた。

 引退してからは髭剃りの頻度はどっと減った。週一くらいになった。病院内の業務中には無精髭を隠す目的でマスクを着用した。

 そのうち、放置していた顎髭は20cmほどにまでなった。

 何故ヒゲを生やしたか。私にとって都合が良い効能があったからである。
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(1)要するに、ものぐさで面倒だと言うこと
(2)自ら別人になったような気分を味わい得たこと
(3)他人から無視されるようになった。他人から見れば、まことにむさ苦しい、見苦しいジジイに見えるからであろう。自由人を自認する私には好都合である。
(4)に当時はクロスバイクで通勤していたが髭が風に当たってそよぐのが気持ちよかった。
(5)ネコどもが親しげに寄ってくるようになった(?)・・・・・。
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 それが二つの理由で頓挫した。
(1)2016年9月鼠径ヘルニアの手術には全身麻酔が必要で、気管内に入れたチューブを顔面に固定できないから麻酔科医から髭を落とすよう指示された。約3年間の結晶が泡と消えた。

(2)2020年COVID-19流行とともにマスク着用が当たり前となり、髭が伸びていると顔面に密着せずに装着効果が失われるから感染予防のためにも髭を伸ばせなくなった。

 本年5月以降はCOVID-19が5類になったこともあって真面目な髭剃りは時々サボっている。

 先日、ヒゲという漢字が分からなくて国語辞書を引いた。
 ヒゲには3種類の漢字があった。髭はくちひげ、鬚はあごひげ、髯はほほひげを指すという。 日本語というか、漢字というか、繊細な分類と表現に改めて驚いた。

 かつての偉人達は 髭と鬚をのばしていて形良く整えている。流行もあったかも知れないが、恐らく、ある種のエリート意識とか威厳の表現に用いていたと思う。
 
 一方、イスラム社会では男達は髭、髯、鬚 の二者または三者をほぼ全員生やしている。ここでも結構よく手入れされている。この社会では男はヒゲを伸ばさないと一人前に扱われないとか。

 どっちにせよ無精髭は全く評価されないようである。


9/24(日)快晴 家内誕生日  
1:40起床、結構寒い。データ整理、読書など。8:00畑仕舞い2回目作業コンポストから逢が抜けず転倒、大きな怪我はなし。11:30患者不調ということで回診に行く家内に同乗、リハ病院。15:00病棟対応、退院患者、発熱患者あり。新聞チェック+入力ほか微睡も、読書など。20:00家内誕生日焼肉屋、夕食。21;30就眠。大昌園四人、なかなか美味。

敬老の日に思う(9) 昔話、おとぎ話はなぜハッピーエンドか 老人の環境が厳しかったから
 太古の昔話、「舌切り雀」や「笠地蔵」、「かちかち山」、「かぐや姫」や「桃太郎」は子のいない老夫婦単独世帯、加えて 一人暮らしの老人の話も少なくない。家族ともども和気藹々といった展開の話題はほとんどない。
 
 昔話の老人は貧乏で、いつもあくせく働いている。

 更に、昔話の老人は、もし子や孫がいても、「姥捨て説話」に代表されるように、「冷遇」を受けていることが多い。
 要するに昔話の老人の地位はとても低かった。
 にもかかわらず、 彼らは、物語の「主役」となっている。しかも、ほとんどがハッピーエンドである。

 昔の人、少なくとも古典文学に描かれた1700年もの昔の平均寿命は30歳程度であっただろうが、無事に成人を迎えた者は長生きで70歳以上の長寿者も少なくなかった。 
 その時代、その長命者が問題であった。健康で働けるうちはなんとか生きられたが、一度健康を害すると世話されることなく一気にどん底に落ち、野垂れ死してしまう。死体も埋葬されることもなく放置されていた。

 昔話の老人の特徴は「貧しさ」と「孤独」にあった。

 そういう時代では、現世はどんなに努力しても状況が改善することは期待できず、来世には幸せになれるだろうという期待しながら生きるという状態であった。

 そういう中では現世では「思いがけないきっかけで一気に幸せになれたら・・・」という夢と共に生きるしかなかった。現代で言えば、高額の宝くじの一等に当るという夢のようなものである。

 一枚のふんどしによって富を得たり、枯れ木に灰を振りかけたら花が咲き殿様から巨額の褒美をもらう・・・、これらは全て庶民の夢、幻想であったのだ。

 昔話の多くは不衛生、不潔、寒さと飢え、物乞いと餓死、エログロ、残虐行為・・なども伝えている。多くは明治時代にこれらは削ぎ落とされ、子供の教育用にハッピーエンドになるように改変されていた。

 これらの原典をに触れると「現代に生まれて良かった」、とつくづく思う。
 それでも現代の老人はいろいろ問題を抱えているものだ。
 いや、老人だけではない。どんな年代のヒトも、どんな時代であっても、生きるには常に困難が伴うものだ、と思う。

 敬老の日を機会にいろいろ考えた。



9/23(土)快晴午後一時降雨 
 1:00起床。文献チェック他。何時ものごとし。読書、新聞チェック。10:00家内に同乗死亡診断書不備あり訂正に病院。11:00帰宅、畑仕舞いに着手。支柱抜去中心。昼食微睡間に降雨あり。書斎で音楽関連録画鑑賞。19:00夕食、20:30就寝。

敬老の日に思う(8) 老人の地位は低く食糧危機の際は食われた!!
 1687年に「捨て病人」の禁令が出るまでは、病人を捨てても罪に問われなかったという。元気な老人を捨てることは流石になかったにしても、瀕死の老人を、山中に捨てることは、現実にあったに違いない。

 「姥捨て」伝説や昔話が全国にあるのは、??「病人に対する穢れ意識」と??「極端な貧しさ」、??「慢性的な食料不足」という背景があったからだろう。

 有史以来、日本はたびたび飢饉に襲われており、文献に記録をとどめた凶作や飢饉は、古代から江戸時代までに「約3年に一度の割合」(菊池勇夫『飢饉』)という。

 つい200年前の「天明の大飢饉」下の東北地方では、子に捨てられて餓死した親もいた。それどころか、死にそうな息子を食べようと隣家の男に「殺してくれ。肉を半分やる」 と言って殺させて肉を塩漬けにした父親もいた(橘南谿「東遊記 補遺』)。

 「母が餓死したらあげますから・・」と、餓死者の肉を求める者もおり、「親は子が死せば食はん事を思ひ、子も親の肉を食んとす」というような極限状態が繰り広げられていた (高山彦九郎『北行日記』)。

 老人が捨てられる理由の一つに食糧不足による極限状態があった、と考えられる。不潔で飢えた状態で自分についたしらみをかじっていたのに「白米を盗んで噛んでいる」と誤解され捨てられた親もあり、凄まじいまでの貧しさと食料不足、家族の中の老人が「みじめな立場」 「低い地位」があった。

 老人に家族がいる場合には、子供の世話になっているだけに食糧難の時代には精神的にはむしろつらかったのだろう。

 1878年、来日したイギリス人旅行家女性イザベラ・バードは、福島県会津村で、「年配の男性が貧しくて体力も衰えて大家族を養えず、首を吊った」 という話を聞き、「家族がいる者が自殺する話はよくあること」と書き記している(大島ひかる)。

 現代の統計でも、自殺者の「ほとんどが三世代同居の老人で、全体の60%強を占め」、「一人暮らしの老人の自殺者は全体の5%以下に過ぎない」という。

 心身両面の衰えを自覚し、同居する家族に「看護や介護の負担をかけることへの遠慮が生じる」こと、更に、信頼する身内から理解されず、冷たく疎外されているわびしさこそが、老人にとって耐えられない自殺の原因になっている。

 太古の頃は貧しさで老人は阻害され、現代では看護や介護への負担、老人特有の寂しさなど、老人問題はいつの世でも困難を抱えてきた。

 現在も社会保障の面で主役を演じ、国を、国民を、家族を悩ませている。


9/22(金)大曲中通病院 
 1:50起床。文献読み・徒然など。画像電子データ整理。5:20可燃ゴミ廃棄、7:40Taxi駅に。8:11こまち12号、Taxi、9:00外来、比較的スムーズ、15:20長崎屋経由10冊ほど購入、帰院。16:10病棟対応他。17:20アミロイドの患者死去、19:30帰宅、20:30就寝。

敬老の日に思う(7) 庶民は超貧乏 生きるのも困難
 私は昔話、おとぎ話、童話から、大昔の庶民は『老人』を大切にしていたというイメージを抱いていた。しかし、そうではなかった。自活力、生活力を失いつつある老人は、段階的に「疎まれていった」厳しい現実があった。

老人は遺棄されていた??殺されていた??
 1945年に出版されたシモンズの書籍によると、老人の遺棄に関して情報のある39社会中、18で老人遺棄を実施していた。
 さらに老人殺しについては44社会中、 「頻繁にある」、「かなり頻繁にある」が11社会、「時として存在する」 が11社会もあった(大島ひかる)。

 また、「老人は社会の資源か? 社会の重荷か?」という1981年に発表されたある論文によると、57の未開社会のうちの84%は老人を「冷遇」「 侮蔑・財産奪取・
隔離・放置・遺棄・殺人など」していた様である。そこでは老人殺しは19%で見らた。
 その大多数では「扶養と老人殺しとが共存している」といい、きっかけは老人が「健康」を失った時という。
 つまり、健全な老人は、尊敬愛着の対象(?)となるものの、「老人に心身の衰えや、老衰・痴呆などの症状が現れ始めると、彼らは社会の荷物となり、冷たくあしらわれた」(青柳まちこ)。

 要するに無文字社会における老人は基本的に「社会のお荷物」であり、老人が大事にされるのは、農耕や漁撈などによる安定した食の供給があり、土地の所有権などの体系が確立し、年功序列や階級など「複雑化」した社会になってから、というわけ。

老人たちが貧しい理由
 日本列島に人が住み始めたのは3万年以上前、農耕が始まったのが3500年ほど前といわれ、それ以前は食の確保は極めて不安定だったと思われる。
 これは昔話の老人たちが判で押したように不安定な暮らしをしていることにも表れている。

 柳田國男の『日本の昔話』(全106話)には、老人が主人公となっている話は28話。それらではその日暮らしというのがほとんどで、金持ちだった老人の話は皆無。
 働く老人の話は17話。 さらにその中で老夫婦共働きは4話。生業が分かる15話中、苗代の見回りが1話、畑仕事が1話、山で畑仕事が3話、山で竹・薪・柴木を刈るなどの山仕事が7話、川で雑魚捕りや山で鹿狩りが1話、約73%が山仕事であった(大島ひかる)。
 これでは、ほとんど食うにやっとの収入しか得られなかっただろう。

 上記の如く、昔の庶民の老人の特徴は「食うに困る」ほどの貧しさである。

 昔話だけではない。
 文字後の歴史にもまた、昔話以上に、書かれた当時の厳しい現実が描かれている。


9/21(木)終日降雨 家内大学受診
 2:00起床、画像データ処理、新聞、医学文献他読む。徒然。8;30家内に同乗、リハ病院、微睡、新聞チェック、10:30CV挿入、10数年振り。入院患者対応、19:00通町書店経由帰宅、夕食。20:30就眠。。昨年ガス給湯器交換。

敬老の日に思う(6) 庶民を描いた昔話から知る『人間の真実』
 私はここ20年来文献上で歴史を学んでいる。
 その中で古い民話やお伽話の中の庶民の生活を中心とした歴史(?)の方が好きである。

 資料として、稲田浩二「日本昔ばなし通観」、柳田國男「改訂版日本昔ばなし」、秋田県国語教育研究会「秋田の昔話」、大島ひかり氏等の著書ほかを利用している。

 幼い日に親しんだ昔話は明治時代に子供用に大幅に改変されたもの。そこは老人が多く登場し、一見高齢者のパラダイスのようにも感じられる。しかしながら原典に接するとそこには「貧困・孤独・嫉妬」の世界である。

 昔話から知ることができる老人は「地位はとても低く」、「生きるのに難渋」していた。そうは言ってもそこに、人間の原点ともいうべき真理や日本人の歴史がひそんでいて、私はそれらのいくつかを子供の頃の思い出とともに懐かしさも味わっている。

 昔話の老人と現代の老人の間には共通点もたくさんあるがそれを味わうのが楽しい。

 70歳で婚活に精を出す老人、 介護目当てで3-40歳年下の尼と同棲し殺されかかった70歳の僧侶、80歳過ぎの寺の住職を殺そうとする70歳の次席僧などなど、どれも超高齢化社会の現代日本にも居る老人達で、昔話や古典文学に描かれた老人と現代の老人の共通点にも驚かされる。

 「昔話では、なぜお爺さんとお婆さんが主役なのか??」、これも不思議な扱いである。これは多くの老人が身寄りもなく、食べるものもなく野垂れ死にしたであろう社会で、誰しもが夢見た、幻想、一瞬の心のパラダイスなのだ、と思う。

 このような話の展開は西洋にもある。オランダの名作アンデルセンの「マッチ売りの少女」はマッチの火が燃えている瞬間だけ幸せな夢を見る、という幻想の世界だが、日本の昔話もこれに似ている。貧しさが懐かせるヒトの心理には共通点が少なくない。

 「孝行息子」がなぜ山に老母を捨てるのか。

 「浦島太郎」は40歳の独身男。「なぜ鯛や平目の舞い踊る宴」に招かれたのか。
 「良いお爺(婆)さん」と「悪いお爺(婆)さん」がセットになっているのか。

 「桃太郎」は川に流れてきたのではなく、若返った爺婆が頑張って作った子供。
 「かちかち山」では爺が婆を食った。
 「一寸法師」は障害のために親からも見捨てられ、いじめを受けていた。
 「・・・・・・」
 などなどの作品は明治時代に見事に教育用に編纂され、「貧困・孤独・嫉妬」は見事に削ぎ落とされた。
 原典は楽しい。


9/20 (水) 快晴 
 1:30起床,まだ若干降雨あり、午前から快晴。文献読み、画像データ整理。徒然記載などなどゆったり過ごす。外仕事できない。9:00家内に同乗リハ病院着、全ての地下道通行解除になっていた。天徳寺地下道経由。特に渋滞なし・午前自室で。12:00業務に、紹介状など。14:30カンファレンス。患者対応、微睡。読書、家内はゾンタ、18:30バス帰宅、21:00就寝。

敬老の日に思う(5) 古の時代はいつから老人だったのか
 古の時代も長生きの人たちは少なくなかった。老人も多かった、と推定される。

 そうなると「老い」とみなす年齢が問題になってくる。

 「老人とは何歳以上を指すか」の認識も、長い歴史を通じて古今東西ともに変わっていない。これも意外なことである。

 これは庶民のことではなく、当時の社会の高貴なものたちの記録からの類推である。
 古代の律令(「戸令」)では、「61を老と為し、66を耆と為せ」とあるという。

 「老」と「耆」は共に老人のことを指すが、兵役や課役の負担に差をつけるため66歳を「耆」として「課役を全免した」(日本思想大系『律令』 補注)。60歳以降を老人というが66歳までは働け、とする現代の日本の感覚と大差ない。
 現代はこの年齢の頃から年金が支給される。「いいな、今の高齢者は・・」と古の高齢者は思うだろう。

 昔の人はそんなに高年齢になるまで現役だったのかと驚く。
 律令の規定では、官人は70歳以上になって退職が許される、とある。しかも、70歳で辞めるかどうかは任意であったために意欲と健康さえあれば、働き続ける人はいたとされている (日本思想大系 『律令』 校注)。

 例として、平安中期の藤原道長の長男藤原頼通は28歳から76歳まで関白職にあった。弟の藤原教通が関白職に就いたのは73歳で80歳で死ぬまで関白をつとめていた。

 権力者たちは死ぬまで権力の上に居座ろうとしていたことが窺われる。

 ちなみに、道長の正妻の倫子は90歳、その母親の穆子は86歳、道長のもう一人の妻の明子も推定年齢85歳まで生きた。鎌倉時代の後深草院や亀山院の母方祖母の藤原貞子は107歳で死亡している。

 80歳過ぎまで創作活動をした老人も数多くいた。『沙石集』の著者無住も80歳の時、『雑談集』という説話集を完成させているなど老人パワーは凄かったことが窺われる。

 権力者たちは死ぬまで権力の上に居座ろうとしていたようであるが、現在の政治家も似たようなところがある。政治の世界では現代も高齢の年寄りがのさばっている。政治家の特徴なのだろうか??

 私は老害を来さぬうちに「老兵は去るべし・・・」と思っている。

 当時の庶民は年老いても、若い者も、薪拾いや行商といったロクに金にならない仕事をして細々と我が身を養っていたのに、と思う。これも現代に通じる話。

 いつの世も、人間は、社会は変わっていない、ということを知るのに大いに参考になる史実である。


9/19 (火) 午後激しい降雨 アンダーパス冠水 中通病院外来  
 1:30起床,文献、データ整理などなど。5:00可燃ゴミ廃棄。6:40バスリハ病院、7:00-8:10病棟業務、8:45-12:45中通病院外来。結構疲弊微睡、降雨の前にリハ病院着。14:00激しい降雨、隣のビルが霞むほど、微睡、病棟対応、19:00帰宅、天徳寺、八幡田のトンネル冠水で通れず、新国道・将軍野経由で19:40帰宅、夕食。21:00就寝。秋田市2回目の冠水。

敬老の日に思う(4) 結構長生きだった古の日本 成人は現代に近く長生き
 無文字時代のことはよくわからないが、文字で記録が作られるようになった頃の老人は、現代人が考える以上に元気で長生きだった、と思われる。

 現代は医療が発達し誰でも気軽に医療が受けられる時代に生きているが、祈祷以外の医療行為(??)がなかった時代の人はいろんな原因で早死しただろうから、 老人といっても40歳くらい?、と思われがち。
 時代設定がいつのことかわからないが、童謡唱歌にある「村の渡しの船頭さんは今年60のおじいさん。お船を漕ぐ時は元気一杯櫓がしなる・・・」と一見老けていても元気な様子である。


 歴史研究者の鬼頭宏氏によれば、日本の「全国人口が初めて調査されたのは1721年のこと」で、それまでは正確な人口はもちろん、年齢構成も不明であるが、宗門人別改帳(一種の戸籍調査) や寺の過去帳などから推計できる1600年ころの平均寿命は、30歳程度としている (『人口から読む日本の歴史』)。

 この数値は、「昔の人は早死に」という印象を裏づけているが、平均寿命が短いのは「非常に高い乳幼児死亡率」のせいであり、「死亡率の高い危険な年齢、即ち一般的には8歳と思われていた・・・が、この時期を無事乗り越えた人々の平均余命は案外長く、70歳以上の長寿者もまれではなかった」 (鬼頭氏)という。
 鬼頭氏が作成した、信濃国湯舟沢村の「年齢別平均余命」から計算すると、1675年から1796年にかけて、21歳まで生き延びた者の平均寿命は男子59.6歳、女子55.5歳。61歳まで生き延びた者の平均寿命となると、男女とも74歳に達している。

 こうした事情はヨーロッパでも同様で、「二十世紀以前のいかなる時期においても、平均寿命はどこでもわずか40-45歳程度であった」が、「危険の多い乳幼児期を過ぎれば、60歳かそれ以上長生きをする可能性は十分にあった」 (バット・セイン『老人の歴史』)。

 日本では平均寿命(2023)が男性 81.05歳、女性87.09歳になっているが、この値は著しく低下した乳幼児死亡率の反映である。ここ1-2年はCOVID-19の流行で高齢者の死亡が増えたために若干だけ短縮した。

9/18(月)敬老の日祝日 時折激しい降雨の晴れ 患者死去
 1;45起床。本読み、5:00患者死去の電話。5:20Taxiリハ着、種々手続き、7:30Taxi帰宅。降雨のため濡れて草刈不能、10:00患者不調で回診に行く家内に同乗、再度リハに。新聞記事チェック+入力後微睡、その後は読書、病棟対応、点滴と定期処方終了。19:00帰宅、夕食、20:30就寝。

敬老の日に思う(3) 悲惨だった昔の高齢者 なのに昔話では主役
 私はここ20年来文献上で歴史を学んでいる。
 私の中で勉強不足で大きく欠損していた分野という自覚があったからである。しかしながら、有名人を中心に語られる一般的歴史よりは古い民話やお伽話の中の庶民の生活を中心とした歴史(?)が好きである。

 よく読む資料としては、稲田浩二「日本昔ばなし通観」、柳田國男「改訂版日本昔ばなし」、大島ひかり氏等の著書、そのほかを中心に読んでいる。

 昔話の主役はお爺さん・お婆さんで、総じて老人である。若いピチピチの人の話はあまり語られていない。その登場人物の老人達はいつも笑顔で幸せそうに見えるが、これは明治初期に一気につくられた教育用の編纂による改変の結果で、私もすっかり最近まで騙されていた。 

 実際の昔話の原典にある老人の姿は「貧困・孤独・嫉妬」にあるようだ。
 昔話から知ることができる老人は「地位はとても低く」、「生きるのに難渋」していたようだ。

 「舌切り雀」や「笠地蔵」、「かちかち山」は高齢者単独夫婦世帯。
 「かぐや姫」や「桃太郎」は子のない老夫婦が、偶然、子供を見つける話。
 「聞き耳頭巾」の如くの独居老人の話、も少なくない。

 昔話の老人はとても貧乏で、生きている間はあくせく働かねばならなかった。
 「お爺さんは山へ柴刈りに、 お婆さんは川で洗濯に」は昔話の定番であり、お爺さんは刈った柴を背負って町に出て売って細々と生活している。体力的に大変な状況が読み取れる。
 「笠地蔵」のお爺さんなどは、大晦日のぎりぎりまで笠を売りに町へ出かけている。それでも食べるものにもこと欠いている。どちらかが倒れたら先がない。

 昔の老人は、子や孫がいても、役に立たなくなれば厄介者として「捨てられる」ことが多かったようだ。
 更に、昔話の老人は「善良な老人」と「悪い老人」が近所に住み、最後は「悪い老人」が妬みのために破滅する。

 要するに、過酷な「生き残り」の世界がそこにあった。

 昔話の頃の老人は「社会の厄介者のミノリティ」であったと思われるが、昔話の中ではなぜか主役を演じている。対して、今の日本は超高齢化社会・老人社会といわれ、 新聞・雑誌・ネットなど、あらゆるメディアに老人に関する話題が上がらぬ日はない。現在の老人は「社会のマジョリティ」で「社会の隠れた主役」でもある。「老人が金を貯め込むから経済が回らない」、「年金・医療・介護費が国を滅ぼし兼ねない」、などど揶揄されるなどの問題も抱えている。

 陰の主役などではなく真の主役かもしれない。


9/17(日)晴れ    
3:30起床。文献読み。画像データなど整理。午前患者不調の連絡があり、対応を指示し
午後に患者家族面談をセット。新聞チェックしながらのど自慢楽しみ、13:30家内に同乗、旭川コイに給餌、リハ病院に。14:00-15:00患者家族面談、以降は座学読書、19:00まで院内で座学、読書。19:30帰宅夕食。20:30就寝。

敬老の日に思う(2) 高齢者定義の再検討を
 日本人の平均寿命が延び、高齢者の存在がますます高まっている。
 今や日本社会の「主役」となっている。

 健康で意欲のある人が多い。そのまま就業し続けることができる社会は勿論のこと、新たに就業できる社会を目指すべきだろう。実際、高年齢者雇用安定法は、70歳まで働けるよう、企業に努力義務を課している。70歳以上の社員を抱える企業も少なくない。

 今や「高齢者」の定義を変えるべきときが来ている。70歳以上でいいのではないか。
 社会全体がこの年代の方々を本当に大事に扱うか否か。高齢者と一括りにすべきではない。高齢者の括りを外し、伸び伸びと社会参加してほしい。『なに!!! ここまで頑張ってきた高齢者を更にこき使うきか・・・』といった意見は当然あるだろうが、これからの日本の社会を維持する主役は高齢者だ、という自覚が欲しい。

 総務省などによると、65歳以上の人は3623万人で、日本の総人口の約3割。平均寿命は男女とも80歳を上回り、100歳以上の人は9.2万人を超えた。

 少子化が進む現状では、高齢者は貴重な労働力である。企業は、高齢者が体力に応じて安全に働ける環境を整え、意欲も能力もある人の就労を後押してもらいたい。

 豊富な人生経験をもとにボランティアで活躍する道もあるだろう。いや、キチンと報酬を支払うべきだ。ボランティアという言葉の裏には、たとえ好意による申出によったとしても、搾取の匂いがして嫌だ。勿論、災害などの支援の場合などは別であるが。

 高齢者がやりがいを持って活動することは、個人のみならず家庭にとっても、地域にとっても、国の活性化にもつながる。国や自治体は、シニア世代の様々な活動を支援するような施策を展開してほしい。

 2021年4月施行の改正高年齢者雇用安定法により、70歳まで就業機会を確保することが企業の努力義務となった。
 秋田県は高齢化、人口減による人手不足が深刻化して活力を失ってしまったが、秋田労働局が発表した2022年のデータでは、70歳以上まで働ける制度のある企業の割合は50.7%、1042社と全国第2番目であった。1位は島根県。

 調査対象の全企業の就業機会確保の方策を見ると、「70歳以上の希望者全員を雇用する制度」は22.8%(263社)、「健康や職能面の基準を満たす70歳以上の継続雇用制度」が12.1% (249社)、「定年制の廃止」が3.3%(67社)だった。

 秋田県でも健康に恵まれ、意欲のある高齢者が増えている。それと人手不足が背景にある。個々人の生活設計、健康状態に見合った就業条件を選び社会参加を続けて欲しい。

 私はいま78歳である。4月から職場が変わり、就業時間が増え、電子カルテの扱いにも相当悩んでいる。読書の時間は大幅に少なくなった。それでも妙な充実感がある。
 毎日出かけられる場所があることだけでも幸せなことだ、と思う。


9/16(土)晴れ 千秋花火 旧知友人と会食
 1:50起床。画像データ整理、文献読み・徒然など。新聞チェック昨日分、電子データ整理。午前はSmartWatchiの調整に。昼頃新聞チェック本日分、読書。14:27バスにてリハ病院、15:00 -16:00不調の患者対応、新聞入力。先週花火。7:00Taxiサンビームへ。旧知友人と会食、3年ぶり、21:35Taxi帰宅、22:00就寝。

敬老の日に思う(1) かつての敬老、最近の敬老
 9/18(月)は敬老の日である。自ら後期高齢者の域に達した今、敬老の日は決して特別な日でなく、嬉しいものではない。

 我が家では賄いの石井さんを含め四人家族であるが、そのうち三人が後期高齢者で衰えた体にムチ打って協力して生活している。もう一人若いのが居るが、その存在は宝である。

 私は高齢者問題には若い頃から興味があった。しかしながら、その観察や調査の目的のために諸外国も訪れたこともないので外国の老人問題の実態はわからない。しかし、文献的考察はずっと続けてきたし、今も続けている。だから、あまり大きなことは言えないが、各国の老人問題には若干通じている方であろう。

 総じて日本の高齢者は恵まれていると言えよう。しかも、高齢者、家族たちにその自覚が乏しいように思われる。

 かつては敬老の日と言えば地域にとって重要な日であって、各町村単位でお祝いの会が盛大に行われたものである。子供の頃はいつも演劇とかの出し物に駆りだされていた。
 当時、高齢者は少なく、地域の祭りや行事、冠婚葬祭の際には欠かせない存在であり、地域で尊敬されていた。私の育った地域では日常的に敬老の精神があった様に思う。我が家では祖父が家長として君臨していた。
 高齢者は子供にとって怖くもあり、恐れと崇拝の念を抱く存在であった。

 私はまだ現役として週5日働いている。実際には休日も職場に出かけるほど多忙である。私も3年ほど前から地域の敬老会の会員になった。最近は地域で何か催しすることなく、お祝いの記念品として海苔の詰め合わせセットが送られてくるだけ。だから、何かと印象が薄い。年に一回敬老に思いを寄せる程度である。

 確かに、高齢化率がこれほどになると左右を見ても老人、前後を見ても老人だらけである。私は今は高齢者の医療を担当している。外来患者の7割、入院患者15名全員が70歳以上である。だから、敬老の精神は持ち合わせているが、それ以上に現実的、具体的な高齢者対応に心を砕かざるを得ない。

 敬老の日が祝日となったのは1966年で約60年前。その頃の日本人の平均寿命は、男が68.35歳、女が73.61歳であったが、それが今や何と、男81.05歳、女87.09歳と大幅に伸びた。今後も更に延びて行くであろう。

 100歳以上の方も今年全国で9万人超となったという。
 恐れ多いことである。


9/15(金)快晴 大曲中通病院 健康クリニックデータ判定
 1:20起床。文献読み・徒然など。電子データ整理。5:20可燃ゴミ廃棄、7:40Taxi駅に。8:11こまち12号、9:00外来、15:20健康クリニックデータ判定。疲れてリハまでTaxi。16:10微睡他。19:30通町書店経由帰宅、20:30就寝。

処理水海洋放出(12)  中国は内憂のガス抜きに利用?? 
 処理水放出をめぐって、日中は対立を深めている。
 なぜ中国政府は我が国からの禁輸入のみならず、中国国内の海産物関連業者の経営も圧迫するような強硬姿勢を取るのか。 そこにはいろんな事情が見えてくる。

 中国は2021年、処理水の問題は対日外交のカードになり得ると考え、放出に反対する国際世論の形成をもくろんで拳を振り上げた。ところが、IAEAは「国際的な「安全基準に合致」と日本にお墨付きを与え、各国も中国の主張に同調しなかった。

 中国は計画が狂い、処理水では孤立することとなる。
 処理水を国内向けに「危険な汚染水」と発信し続けた結果、中国国民は非常に恐れるようになった。その世論を無視できず、強い措置に出ざるを得なくなった、と考えられる。

 習政権は国内事情として、●不動産市場の冷え込みなどによる経済停滞、●若者の20%にものぼる失業率、●8月の洪水への対応、●米国からの経済制裁などで、国民の政府への不満は大きくなっている。

 処理水で日本に批判の矛先が向き、「ガス抜き」に利用している、という考え方も成り立つ。ただ、尖閣国有化の時のような反日デモが起きるような事態は避けたい。尖閣の時は政府自体が反日デモを煽っていた。
 反日デモが反政府デモに発展する可能性が否定できないだけにそのような事態は避けたい。

 また、処理水問題はデマ情報に基づく、作られた反日感情であるが、国民がそのことに気づくと政府の経済政策、中国の環境問題に飛び火する可能性もある。
 対日関係を改善させるという習政権の基本政策は変わっていないはずである。恐らく、日本への批判が行き過ぎないように調整はしていくだろう。

 中国も国政運営の要は経済。そのためには日本との安定的な関係が不可欠だ。
 日本側も外交・安全保障政策の基本は維持しつつ、中国との関係を重視する姿勢も折に触れて示すべきだ。

 ただ、日本国内では中国からの処理水問題に対する嫌がらせ行動に不快感が広がる。 
 福島県内の飲食店や東京の公的施設などに対し、中国発のいやがらせ電話が多数かかってきた。中国の日本人学校のいくつかでは、石やタマゴが投げ入れられたという。

 中国政府は非科学的な情報を流布し、国民の不安を煽り、根拠を十分に示さずに日本の水産物を全面禁輸とした。
 中国政府の対応は国際関係の中では大きく責任を欠いたものといわざるをえない。


9/14(木)時々降雨時に晴れ 
1:45起床。本読み、文献若干,本読みなど。8:30家内に同乗、リハ院着、新聞チェックと入力。微睡、14:00健康クリニックデータ判定忘れた。明日に延期、患者面談準備、15;00、16:00患者面談対応、読書進める。19:30:帰宅夕食、20:45就寝。

処理水海洋放出(11)  処理水をめぐっての国際情勢 中国は孤立している 

 処理水の海洋投棄を巡って中国はヒステリックな反応していると思うが、その背景には、処理水を巡る国際世論形成で反対の拳を上げたものの賛同を得られず劣勢に立たされてきたことへの焦りがあろう。

(1)2021年、処理水海洋廃棄に対して中国が反対を表明し国際社会に問題提起したことがあったが、国際社会の賛同は得られなかった。その際韓国も反対の立場であった。

(2)中ロ両国は昨年にも2度にわたり20項目にもわたる質問リストを日本政府に送り、大気への水蒸気放出を検討するように迫っていた。

(3)さらに、本年7月に中ロ両政府が日本政府に水蒸気放出は海洋放出より「周辺諸国への影響が少ない」と主張した。TAEAにも同様の文書を送った。

 水蒸気放出は放射性物質トリチウムを含む処理水を蒸発させ大気中に排出する方法。 日本政府内で一時検討されたが、大気中の放射性物質のモニタリングが海洋よりも難しいなどとして見送られた経緯がある。

(4)中口は大気中の放射性物質のモニタリング手法は技術的に確立されていると指摘し、海洋放出の経費が水蒸気放出の1/10分の1とする日本側の試算を引用して「日本の投棄方法の選択がコストに基づく」と主張した。

(5)IAEAのグロッシ事務局長は海洋放出以外の選択肢に否定的な見解を表明している。

(6)「日本は国際社会の懸念にしっかり応え、核汚染水の海洋放出の強行をやめるべきだ」。 ウィーンで7月末に開幕した核拡散防止条約(NPT) 再検討会議に向けた第1回準備委員会で、中国外務省幹部は海洋放出計画への懸念を改めて表明した。
 だが、中国の主張に対する国際社会の賛同は広がっていない。今月8日の同委員会で処理水が議題に上がった際には日本の計画に理解を示す意見が各国から相次ぎ、強硬に反対する中国の孤立が際立った。

(7)8月15日にオンライン形式で開催された日米韓外相会談。「日本の海洋放出) 計画は安全で国際的な基準に合致しており、満足している」。会談後の記者会見でプリンケン米国務長官は強調した。

(8)中国にとって「最大の誤算」だったのは韓国の支持が得られなかったこと。
 日本政府が海洋放出処分を正式決定した2021年4月、中韓両国はそろって反発。 当時の文大統領は国際海洋法裁判所への提訴検討まで指示していた。ところが22年5月に韓国で尹政権が発足すると日韓関係は一気に好転。韓国の支持は得られなくなった。

(9)中国の習主席とプーチン大統領は3月の首脳会談後に署名した共同声明で、 海洋放出計画への「深刻な懸念」を表明した。

(10)この様に、中国政府は日本政府の対応に不満を表し、日本が中口の質問リストに回答せずに海洋放出に踏み切れば「周辺国の疑問を解消しないまま核汚染水の排出を強行した」と非難するのは確実であった。

 これが、処理水の海洋放出に対して中国が突然日本の水産物の全面禁輸措置をとったことの背景である。
 とはいえ中国政府が早期に矛を収めるとは考えにくく、妥協点を見いだすのは容易ではないだろう。禁輸が長期に及ぶことを覚悟する必要がある。
 

9/13(水)早朝から降雨
1:45起床、書籍データ整理。8:50家内に同乗リハに。新聞チェック+入力。微睡。14:30カンファと症例検討。入院患者対応、文献読み、新聞チェックほか。19:15帰宅、夕食、20:45就寝。

処理水海洋放出(10)  中国の禁輸対応には保証をしっかりせよ 
処理水放出開始後、中国政府は「自分勝手な行為」などと日本の放出に反対。根拠を十分に示さずに日本の水産物を全面禁輸とした。
 これは国際的な貿易のルールを無視した暴挙と言っていい。

 福島沿岸産のみならず日本のすべての海産物が禁輸の対象となった。何故だろう。
 ヒステリックな反応でしかない。

 中国の漁船が日本の近海で操業しているがこれらは禁じられていない。本当に安全な水産物を、という考え方であればこれらの操業を放置している方針は矛盾している。

 さらに中国国内での加工調理販売も禁止となった。

 中国の日本からの水産物の輸入量は871億円、香港が755億円と巨大であり、その中ではホタテが半分を占めるという。日本の水産物輸出全体の4割に相当する。
 これらのホタテは中国で加工調理され、欧米に向けて輸出されるという。だから、日本産ホタテの禁輸処置は国内の加工業者の経営を圧迫する。

 一般的に貿易で輸入制限をかけるときは自国の産業を守る目的が第一で、自国の産業に苦難を強いる政策は稀である。この面からも、私は今回の禁輸処置は長引かないのではないか??と予想している。

 日本の政府は、国でホタテを買い取って冷凍保存したり、国内でホタテを加工して直接輸出する方法,国内消費の勧奨などを考えているようである。EUなどは輸入制限をかけていない。このために風評被害対策800億円とは別に200億円の追加を決定している。
 影響を受ける日本の水産業に対して十分に支援する必要があろう。
 水産物の国内消費を促進し、欧米を含む新たな販路開拓で、中国市場への依存を改めていく努力も求められる。

9/12(火)晴 中通病院外来
 2:00起床。医学論文チェック他データ整理。書籍自炊データ整理、5:00ゴミ出し。6:40バスリハ病院、7:00-8:15病棟対応、8:45-12:45中通病院外来混雑なし。パソコン持ち込み徒然など。13:00リハ病院、微睡。15:00病棟対応、新聞チェック+入力。データ整理多数。自炊、読書。19:15帰宅、20:45就寝。


処理水海洋放出(9)  中国の禁輸対応 中国は墓穴を掘った
 放出開始後 中国政府は「国際的な公共利益を無視した極めて自分勝手な行為」などと放出に反対。根拠を十分に示さずに日本の水産物を全面禁輸とした。

 中国外務省は「海洋環境と食品の安全、人々の健康を断固守る」ためとし「日本政府は国際社会の強い疑念と反対を無視している」と激しく非難した。

 これは論理性を欠くゴリ押し論理であり、巨大市場を武器に、貿易で他国に圧力をかける「経済的威圧」である。我が国ではかねてから処理水放出の問題点を国際原子力機関(IAEA)と協力して安全性の評価を進めてきた。
 その結果、科学的論拠が明確なので他国の理解も徐々に広がっていた。

 だが、科学に基づいた協議に中国は応じてこなかった。これは健康や安全をめぐる正確な情報を欲する中国の消費者に対しても、誠実な態度とはいえない。

 今までに中国が居丈高な対応にしてきたことには多くの前例がある。
 3年前には豪州の首相がCOVID-19の発生源の調査を求めたことに中国が反発。豪州産ワインなどに高関税をかけ、取引量を激減させた。
 日本に対しても尖閣諸島の国有化をめぐってレアメタルの輸出制限をかけてきたことがある。
 こうした経済的威圧は中国をめぐる経済安保面のリスクの一つとして、先のG7サミットの議題にもなった。

 中国外務省は「日本政府は処理水海洋放出に関して国際社会の強い疑念と反対を無視している」と非難するが、これは世界の流れの中で、また科学的に見て全然正しくない論理である。

 私は今回の禁輸措置は、中国政府の政治的判断がこの時代になっても客観的事実でなく、感情論が優先していることを全世界に自ら喧伝した、と捉えている。
 国際的に自国の信用構築に関して、また国内的には自国の政府のあり方に対して、中国は自分で墓穴を掘った、と思う。

 確かに、事故が起きた原発由来の処理水を海洋放出するのは、前例のない世界初の試みであり、各国の政府が懸念を抱いたのは当然のことである。しかしながら、通常運転されている全世界の原発ではトリチウムを含む処理水を当たり前のように海洋に投棄している。中国の原発も然りで、年間の投棄量は我が国の原発からの投棄量よりもはるかに多い。



 放出原発事故を起こした国として、厳格な監視と情報開示を尽くす重責を負うのはいうまでもない。


9/11(月) 快晴 健康クリニックドック  
 2:00起床、文献チェック。データ整理、6:40バスリハ病院。7:00−8:00病棟対応、新聞チェック、9:00-11:00健康クリニックドック15人+結果判定12人分。11:15病院、微睡ほか、13:30新聞チェック+入力、病棟対応、読書他、19:15帰宅、夕食、20:30就寝。

処理水海洋放出(8)  処理水放出にあたって東電の影はあまりにも薄い
 処理水の放出の主体は政府と東電であるが、処理水の放出に関しては政府が前面に立っているが、東電の関与への印象は極めて薄い。
 具体的な放出用の海底トンネルなどの工事についてのハード面、安全管理体制などのソフト面では責任を果たしているのであろうが、放出に関する全体像の関与は政府主体にある様に見え、東電の姿はなかなか見えてこない。

 東電は政府ととも処理水処理の全責任を負わなければならないことになっている。特に、内外への説明と対話を通じ、安全確保や風評被害対策に責任を負わなければならない。

 東電の小早川社長は放出決定まで漁業関係者に会おうとせず、7月の記者会見では、「漁業者側から要望があれば会うが、自分たちから持ちかけるものではない」と説明している。当事者意識の欠如に驚くばかりだ。こんなことでは信頼感は生まれない。

 処理水に関しては結論と日程ありきの手順が不信感を高めた。
 福島県漁連と政府と東電が約束は完全に反故にされた。

 風評被害を懸念する漁業者に対し、岸田首相は「今後、数十年の長期にわたろうとも、全責任をもって対応する」と新しい約束を口にした。先の約束も果たされなかったのに、と思う。この約束は、必ず守らなければならない。

 東電は、他の原発でも不祥事を繰り返している。
 30年余の長期に及ぶ処理水の放出に際し、積極的な情報公開と説明を尽くせるか。
 想定外の事態が起きたときに十分な対処ができるか。主体的に動か気情報を公開しなければ信頼は得られないことを自覚すべきだ。

 福島第一原発には、処理水を含め重い問題が山積する。
------------------------------------------------------------------
 ?溶けた核燃料を取り出す見通しは今も立っていない。
 ?30年余の長期に渡り汚染水・処理水タンクの安全は確保されるのか、
 ?損傷した炉が今後の地震や自然災害でさらに壊れる恐れもある。
 ?福島県内にある除染土は2045年までに県外で最終処分するという約束がされているが、受け入れ先をはじめ具体的道筋は不明。
 ?などなど。
------------------------------------------------------------------
 処理水放出の決定にあたり、政府は「廃炉と復興」を進めることを大義名分にした。
 その場しのぎの「約束」をさらに重ねるようなことは、もはや許されない。

 私は福島原発事故、東電の姿勢、政府の方針には常に関心を持っている。
 処理水放出に関しての東電が果たしている情報が乏しいのが残念である。


9/10(日)快晴 終日庭仕事 免許証返納3年経過
3:00起床、疲れが残っており今ひとつ気力が湧かない。ネコを相手にしばらくグダグダとすこす。8:00畑の草刈り11回目。里芋の近くまで。成長は極めて悪い。座学、12:00NHKニュース、のど自慢後若干微睡、14:00旭川コイに給餌、リハ病院。患者対応、17:50患者死去。19:00帰宅、夕食、20:30就寝。

処理水海洋放出(7)  交わされた言葉遊び 苦渋の漁業関係者 vs 軽い政府の解釈(2)
 実際には全漁業連は一貫して放出に反対している。それにもかかわらず、政府が海洋放出を強行実施した。約束は反故にされた。

 ちょっと立ち戻って考えてみれば・・・、
 処理水放出の判断は全魚連が賛成すればそれでいいのか?? という問題にもぶち当たる。
 海は果たして漁業者のものなのか??
 漁業者の理解が得られれば処理水を放出していいのか?
 国民不在のやり取りが重ねられた。

 もう一つ、私は、政府のこの一連のやり取りを小学生たちにその是非を聞いてみてはどうだろうか、と思う。「裸の王様」を指摘できる小学生は「約束は破られた」、と判断するだろう。

 私は直接関連を持たない無責任な立場であるが国民の一人として次の様にいうだろう。
 「政府、東電との間に交わされた約束は完全に反故にされた。政府の場当たり的発言、強行執行は許し難い!!・・・」と。

 推測であるが、私は漁業者と政府の間では水面下で交渉があってギリギリの折り合いがつく言葉を作りあげたのではないか、と思っている。両者が傷つかない玉虫色の言葉のような気がする。補償問題も絡んでいるのでは?

 しかし、なんでわが国はなんでも玉虫色の、丸くおさめる方法をとるのか、不思議でならない。
 その最たるものは広島・長崎の平和公園の名称である。私なら「非人道的無差別殺戮を永久に忘れないための公園」とでも名前をつけるだろう。

 処理水についても、中途半端にせずに「政府はウソをついた。政府に騙された!!!」で締めればいい。もう選択肢はなかったのだから政治的決断を待つしかなかったから、なんと言っても結果は同じことであった。

 科学的には処理水放出は環境にも、人の健康にも問題はないだろう。だから、明確に政府のやり方を責めるべきだった。私はそう思う。


9/9(土)早朝項羽のち快晴 暑い35℃ ゾンタ今井俊介コンサート 
1:30起床。早朝降雨。蓄積資料整理。概ねいつもの如し。8:20家内は終日ゾンタに。12:00NHKニュース、データ整理など。微睡、14:00草刈り10回目、主に広場、ダリア周辺、散水。15:30バス、病院、書店、19:00帰宅、夕食、20:30就寝。

処理水海洋放出(6)  交わされた言葉遊び 苦渋の漁業関係者 vs 軽い政府の解釈
 政府は、科学的には安全であることを地元に「丁寧に説明」して判断した、と強調する。地元ではそのように理解していない。しかも、福島だけでなく、宮城、茨城各県の漁連も説明は不十分で反対を表明している。

 政府や東京電力は、放出で風評被害が生じたら、適切に賠償すると説明する。しかし、漁民達は金銭的保障だけでは納得できない、と政府の賠償方針に不信を募らせる。東電の原発事故の補償にも納得できていない。

 政府の「丁寧な説明」とは同じ説明の繰り返しのことを指す。

 かつて、秋田市の住宅地近隣にミサイル迎撃システム「イージスアショア」設置を計画があった。2018年から20年にかけて論議が重ねられたが、住民、県、市への説明会では何度も聞いても同じ内容の繰り返しに終始し、質問に対する返答もワンパターン、何も新しくない。聞くほうが辛くなった。
 2020年6月、政府は突然この計画を撤回した。その撤回の理由の説明も不十分で、私は唖然とした。

 処理水に関して政府と東電は2015年、「関係者の理解なしにはいかなる処分もしない」と地元漁業関係者と約束した。
 この文書が交わされた時期の交渉が実際どの様な状況にあったのか私はわからない。しかし、この約束は事実であろう。しかし、今回完全に反故にされている。福島の沿岸漁業の水揚げは徐々に増えているが、原発事故前の2割ほどにとどまる。回復途上での放出で、漁業関係者の風評被害への不安は大きいだろう。

 岸田首相は全漁連の坂本会長と面会し、処理水海洋放出に理解を求めた。
 全漁連会長は「いかなる処分も行わない、という約束は果たされてもいないが、破られてもいない。海洋放出にはあくまでも反対である」という、意味のわかり難い言葉で無理やり納得した様である。

 政府関係者はこの言葉を得て「漁業者の理解は得られた!!!」と真意を勝手に捻じ曲げて解釈し嬉々として計画をごり押しした。
 私は漁業者でもなく、福島県人でもない。しかし、国民の一人として到底納得し難い経過である。



9/8(金)快晴 大曲中通外来  
 2:00起床、新聞・文献他、本読み。書籍。5:10可燃ゴミ提出。キウリ、ナスの収穫、7:40Taxi秋田駅東口、8:11こまち、往路Taxi。8:50大曲中通病院、安藤醸造スタッフ来院、COVID-19の影響は甚大なものであった、という。15:30長崎屋経由。古書店で取り寄せ分10冊購入、リハ病院、病棟対応。夕方比較的大きな地震。19:15帰宅、夕食、20:30就寝。

処理水海洋放出(5)  なんでも先送りの我が国の政府
 一般論として、我が国の政府は懸案事項を先送りにする傾向がある。我が国には早期に手をつけられるべき課題が山積みのまま対策が先送りされてきた。

 この背景には長期の一党独裁の政治形態が挙げられよう。節目がないから、ズルズルと同じ懸案事項を抱え続ける。

 先延ばしにしてきた懸案事項をざっとあげれば以下が挙げられるが、いずれも結果的に我が国にとっては危機的状態になりうるものばかりである。
---------------------------------------------------------------------------------------------------------------
 ■少子高齢化等人口問題、すでに社会各所に人手不足の歪み。
 ■経済再建、さらに増大させている。
 ■新興感染症対策、やっと危機管理統括庁発足させた。
 ■食料自給率の向上、まだ効果なし。
 ■日米同盟、安全保障、防衛問題。
 ■原発事故処理を含む長期のエネルギー政策
 ■皇室典範改正、
 ■などなど。
---------------------------------------------------------------------------------------------------------------
 処理水の処分方針は海洋廃棄がベスト、としながら何故約10年も最終決定せずずるずると放置し、98%まで満タンになるまでタンクを増やしてきたのか??

 これまで、原子炉建屋への地下水・雨水の流入を減らすため、地下水のくみ上げや凍土壁等、重層的な取組みを実施した結果、汚染水発生量は、対策前の約540m3/日(2014年)から、約140m3/日(2020年平均)まで減少しているが、毎日増えていることは確か。満杯になる本年、やっと海に放出する計画となった。

 
これ以上海洋放出を待てない理由
――――――――――――――――――――――――――――――――――-
 ?貯蔵用タンクの置き場が限界に達しつつある。
 ?廃炉作業のためにタンク設置場所を空ける必要がある。
 ?タンクの腐食も始まっている。
 ?新たな地震の際などでタンクの安全性が確保できない。
 ?などなど
――――――――――――――――――――――――――――――――――-
 全国漁業協同組合連合会は一貫して放出に反対している。それにもかかわらず、政府が21年に海洋放出を決定した。ここまで切羽詰まれば、2015年、政府と東電は「関係者の理解なしにはいかなる処分もしない」と地元漁業関係者と約束した、ことなど反故にせざるをえない。

 今夏の放出開始が地元の納得の上とは言い難い。


9/7(木)快晴暖気やや緩む   
1:30起床。文献検索、微睡など、座学。8:50家内に同乗リハに。新聞チェック+入力、病棟業務、入院患者対応。比較的落ち着いている。自炊数冊、家内ゾンタ、18:30バス帰宅、バス停側のトンカツ専門店閉店にショック。夕食、20:50就寝。

処理水海洋放出(4)  我が国のトリチウム排出量は世界の中でも少ない方
 原発は超高温状態の核炉心を常に水で冷やしてコントロールしているから必ず放射能を帯びた冷却水が発生する。
 世界中の原発ではそれらを処理水として海洋や河川に放棄、一部は空気中に放棄されている。

 トリチウムは世界の運転中の原発や再処理工場からも廃棄されている。原発一基あたり年間数兆ないし数10兆ベクレルの範囲とされる。


(経産省の資料から引用)

 トリチウムは天然 の放射性物質の一種で 天然トリチウムは、主に銀河中心から飛来する高エネルギー宇宙線によって、大気中で常時生成され、雨となって降り注ぎ、自然界の水の中に存在する。
 当然飲用水の中にも含まれ、私どもは知らず知らずに摂取している。

 日本における降水中のトリチウムは年間約223兆ベクレル。 日本全国の原発による海洋へのトリチウム排出量(約380兆ベクレル/年)は、降水中に含ま れるトリチウム量(約223兆ベクレル/年)の約1.7倍に相当する。

 福島のタンク内のトリチウムの総量は900兆ベクレルで、国の放出基準の6万ベクレル/Lの1/40まで海水で薄めて年間22兆ベクレル廃棄する予定だから、開始後何10年もかかることになる。

 したがって、今回海洋廃棄が決まったからといって直ぐに解決する問題ではなく、今も汚染水は1日平均100トン溜まっているからタンクがなくなることはない。
 
 今回の処理水海洋放出に抗議してであろう、中国政府が日本産水産物の輸入を全面停止した。しかし、福島第一原発から放出される年間のトリチウム量は、中国の秦山原発から放出されるトリチウム量の約1/10でしかない。
 したがって、中国の水産物の輸入禁止措置は「科学的原則に基づくものではなく、政治的ゴリ押し」。背景に何があるのかが問われるところ。

(参考)国の処理水処分の基本的方針は以下の通りで、極めて慎重なものである。
――――――――――――――――――――――――――――――-
 ■廃棄は海洋放出とする。
 ■国の基準以下に薄めて廃棄。
 ■トリチウムの年間排出量は22兆べクレル以内とする。
 ■少量から始めモニタリングで監視する。
――――――――――――――――――――――――――――――-
 本年の排出量はさらに慎重で、5兆べクレル程度。


9/6(水)早朝降雨午前曇り 勉強会「過活動膀胱治療薬」 COVID-19講演会 
1:20起床。主として座学、途中微睡。録音データ整理、降雨のために草刈りできず午前から出勤、新聞チェック、入力。12:30勉強会「過活動膀胱治療薬」、14:30-15:30合同カンファ+症例検討会。新聞チェック入力ほか。18:30バス帰宅、夕食、20:30就寝。

処理水海洋放出(3)  処理水3処理法 海洋投棄、地下注入、空中放出
 いずれ満杯になることは10年近くも前からわかっていたこと。
 2013年から処理水処理の検討を進めてきた。

 処理水の処分方法は主に以下の三方法がある。
――――――――――――――――――――-
 ■海洋投棄、
 ■大気中投棄、
 ■地層注入、など
――――――――――――――――――――-
 その中では専門家は6年間の検討を重ね、その結果、技術的にも可能で、費用も最も安価である海洋投棄が妥当と2019年に判断した。これを受けて、政府は2021年4月13日に海洋投棄を正式に決定した。

 何故、原発事故10年間も処理水の処分方針を決定せず放置したのか!!!

 地層注入は場所の選定が極めて困難で我が国ではほとんど不可能。
 大気中投棄は費用が莫大で、モニタリングが困難、国際的にもより多くの国から反対が生じる可能性がある。
 海洋投棄は世界中の原発ですでに行われている方法である。
 要するに最初から選択肢は限られていた。

 専門家は海洋投棄を提言するまで6年時間をかけ、政府はさらに2年間放置して今年の実施に踏み切ったことになる。

 この間、専門家、政府は何をやってきたのか?? タンクが満杯になるのを待っていたとしか思えない。
 処理方法をろくに検討もせずに結論を延ばし延ばしにし、タンクの98%が満杯になり、これ以上は待てない切羽詰まった状況に追い込まれてから実施を決断した。そのために投棄に要する期間は大幅に延長し、30年余も要することとなった。

 私は海洋投棄が始まってホッとしているのだが、この政治家たちの時間感覚が危険と思う。

 日本は災害大国である。タンク1,000基を林立させた状態であったが、この間の10年間大きな災害などに見舞われなくてよかった。地震も何度か生じ、新幹線まで被害を受けた。私はその度に貯蔵タンクが壊れなかったかを心配してきた。

 今後30年間、廃棄が計画通りに進められれば問題は少ないが、この間に災害に見まわ、計画通りに廃棄できなくなれば大変である。2050年終了予定の廃炉計画もさらに延期となる。

 日本海溝・千島海溝地震は、南海トラフ地震ほど知られていないのが残念だが、東日本大震災と同等のマグニチュード (M) 9級が想定されている。北海道東北沿岸7道県で死者1万9千人、 建物全壊2万棟という衝撃的な数字を政府が公表した。
 これが同じ政府から発表されたことが驚きである。
 この地震に際し、福島原発関連の危機管理はどのように対策が練られているのか?? 知りたいものである。

 処理水が計画通りに、安全に処理されることを望むしかない。
 科学の知見に加え、災害が生じないよう祈るしかないのだ。


9/5(火)快晴  中通病院外来  
1:30起床、寝苦しさなし、良眠できた。医学文献・新聞読みほか。徒然記載。可燃ゴミ廃棄準備のみ、提出不要。6:40バス、7:00病棟業務+処方、8:45-12:40外来。患者多くなく種々対話できた。12:50リハ病院。微睡。入院患者対応。微睡、新聞スクラップ+入力、19:10帰宅・夕食、20:30就寝。

処理水海洋放出(2)  処理水にはトリチウムが残っている 私もトリチウムを用いていた 
汚染水の定義は簡単に分ければ、以下の3種がある。
――――――――――――――――――――――――――――――-
 ■汚染水 核燃料に触れた冷却水に地下水など混入したもので高濃度の放射線物質を含む。

 ■処理済み汚染水 汚染水を各種除去設備(ALPS)で処理した後に貯蔵タンクに溜められている。放出基準の1万倍以上の放射性物質を含んだ水もある。

 ■処理水 処理済み汚染水を再びALPSで処理し、セシウム、ストロンチウムなどを除去したものでトリチウムは除去されていない。海洋廃棄の対象となる。
――――――――――――――――――――――――――――――-

 放射線物質で高度に汚染された水は汚染水と呼ばれる。
 汚染水は地下水が建屋に入る前に組み上げたり、凍土壁等のバリア増設などの対応でこの5年で1/3に減少したが、今なお1日平均90ー100tたまり続け、2023年には満杯となる。
 この汚染水から大半の放射性物質を取り除いた水が処理水。トリチウムは放射能が微量すぎ、かつ物質的に周囲の水と区別できない。だから除去はできない。

 トリチウムから出る放射線は弱く紙一枚で遮る事ができる。半減期は12.3年。自然界でも作られている。
 トリチウムは天然 の放射性物質の一種である。 天然トリチウムは、主に銀河中心から飛来する高エネルギー宇宙線によって、大気中で常時生成される。トリチウムは水分子を構成する水素として存在するものが多く、大気中の水蒸気、雨水、海水、水道水にも少量ながら含まれる。

 トリチウムのヒトの身体に及ぼす影響は、国の放出基準の6万ベクレル/Lの水を毎日2L、70年間飲み続けても被爆量は国際基準に達しないというほど弱い。体内への蓄積性もない。だからほぼ心配ない、と言っていい。

 私もかつては細胞培養の実験に2年間に渡り週一回程度トリチウムを用いていた。もちろん、放射線物質取扱規定に沿って厳密に扱ってはいたが、残液に残ったトリチウムは一定の濃度に薄めて浄化槽に流していた。ここで放射能の測定後に下水に廃棄された、と思われる。自分への放射能障害は心配もしていなかった。

 今回の処理水海洋廃棄は科学的根拠から言えば、福島も中国も過剰反応していると思う。しかし、人間の感情は科学的事実からだけでは割り切れない。トイレの手洗いの水は「消毒済み 飲用可」とあっても気分良く飲めるのだろうか?? 著名な実績を挙げた科学者の多数のは神の存在を信じているともされる。これは何故だろうか??

 それが人間の心理の複雑なところでもある。



9/4(月)快晴・曇り 健康クリニックドック 
 2:00起床。書類、録画データ整理。6:40バス、中通リハ。7:00−8:00病棟業務、9:00-11:00健康クリニックドック12人+結果判定15人分。11:30リハ病院にて初めての職員健診、微睡ほか、新聞入力、入院患者対応。家内休宝寺に花届けに、19:45帰宅夕食、21:00就寝。5F婦長キャリアアップ研修にて暫く不在という。

処理水海洋放出(1)  選択肢のない状況に追い詰めてからの決断 政府はずるい
 福島第一原発では事故直後の2011年4月、高濃度の汚染水が海に流出しているのが発覚し地元や海外から猛反発を受けた。

 東電はしっかりと浄化処理して保管するとし、タンクを1000基用意し137万トン貯蔵できるまでにしたが、現在、それが98%満杯状態である。またタンクの一部は老朽化して安全性にも問題が生じている。今なお一日100t増加しつつある。
 廃炉のためにも広大な面積の確保が必要であり、タンクをどのままにして置けないという事情も生じてきた。

 これが紆余曲折を経ながら、「これ以上待てない」との論理で8月24日から海洋に投棄され始めた理由である。

 この10年間、いずれ廃棄が必要であり、専門家の5年間にわたる検討結果「海洋廃棄がベスト」と目されていた。
 その後、今まで周辺の対策、特に県魚連への説明はメディアによって報じられることはなかったが、それほど積極的に進めてこなかったらしい。

 そして、時間的にも物理的にも「これ以上待てない」という切羽詰まった状況になったこの時に、政治的決断がなされたということ。
 福島県民の多くは説明不足との感を抱いた状態での放出であるが、他の選択肢も時間もない以上やむを得ないという諦めムードのようである。

 最初からタンク内の処理水は溜め始めた時点から将来的にはなんらかの処理が必要とわかっていたが、誰も手をつけなかった。安倍長期政権時代は何をしていたのか。これは菅首相も共同で負うべき責任である。


 (参考)事故後の経過と今後の予定
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2011年3月 東日本大震災が発生、福島第1原発1~3号機で炉心溶融事故
2011年4月 高濃度の汚染水が海に流出してい
   るのが発覚。

2013年3月 トリチウム以外の62種類の放射性物質を除去できる浄化装置   
        「ALPS」が稼働

2014年6月 建屋まわりの土壌を凍結して汚染水増加を防ぐ 「凍土壁」の着工
2015年   関係者の理解なしに放出しないと
   県魚連と文書交わす
2020年2月 政府の有識者会議が海洋放出が「より確実」 との報告書
2020年2月-10月 福島と東京で意見を伺う会を
   7回開催
2021年4月 処理水の海洋放出を政府が決定
2022年3月 除染土壌の中間貯蔵施設への搬入を概ね完了
2023年8月24日 処理水の海洋放出開始
   約30年もかかる予定


2023年後半 2号機の燃料デブリの試験的取り出しに着手の予定
2024−26年 2号機の使用済み燃料取り出し開始の予定
2031年  1~6号機で使用済み燃料取り出し完了の予定
2045年  福島県内の除去土壌の県外搬出期限の予定
2051年以降 廃炉完了の予定


9/3(日)快晴 暑い 
 2:00起床、ねぐるしさはやや軽減。本読み、画像、録音データ整理ほかいつもの如し。読書進める。昨日の降雨で朝の散水不要。午前は書斎に籠り録画データ整理、N響公演公演等鑑賞。正午、NHKニュース、のど自慢など。14:00旭川増水で給餌不可、千秋公園コイ、ハトに給餌久々。14:30高熱患者あり病棟対応1時間、新聞データ化多数。19:00帰宅夕食。20:00就寝。

今年の秋田は暑い(11) 何と140年ぶりに記録塗り替え 歴史的夏に
 今年8月の秋田市の平均気温は30.0℃となり、気象庁の統計がある1882年以降の140年間で、1カ月の平均気温として最高だった。

 8月は最高気温や猛暑日数なども観測史上1位を更新。「歴史的」な夏になった。

 秋田県内には気象庁の観測所が37地点あり、このうち26地点で気温を測っている。大半は1976年以降に統計を取り始めたアメダス地点。

 この間140年余りの月平均気温を比較したところ、今年8月はこれまで最高だった1999年8月と1985年8月の27.3度を2.7度も上回り、過去最高となった。

 秋田市では8月23日に最高気温が38.5度に達し、観測史上1位を更新。最高35度以上の猛暑日は13日に上り、これまで最多の1999年の9日を超えた。
 他の18日間も最高30度以上の真夏日で、厳しい暑さが切れ目なく続いた。最高気温の月平均は猛暑日の基準に合致する35.0度だった。

 暑さを感じやすい日中の最高気温だけでなく、最低気温も高かった。
 最低25度以上で寝苦しい暑さの熱帯夜は25日に上り、過去最多を更新。他の県内25地点と比べ、23年8月の熱帯夜の日数は秋田市が最も多かった。最低気温の月平均は26.2度に上った。

 秋田地方気象台の担当者は8月の猛暑について「1日を通じて暖かい空気が入り込む状態が、ほぼ1カ月にわたり続いた」。
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@フィリピン周辺の海水温が高くなり、積乱雲などの発生を伴う対流活動が活発化し、太平洋高気圧が強まった。

A偏西風の蛇行による南東からの暖かい空気の流入。

B山越えして乾いた風が吹き込むフェーン現象。

C状況要因が複合的に作用した。
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 また、気象庁の異常気象分析検討会は、地球温暖化や北日本付近の海水温の高さも今夏の猛暑に影響したとの見方を示している。

 気象庁は、7月も全国の平均気温は過去最高だったが、秋田市では中旬の大雨の影響もあり、歴代9番目にとどまった。
 しかし、8月に入ってから気温の上昇が顕著になり、過去最高ペースで推移。特に例年気温が下がり始める20日以降も暑さが緩まず、猛暑日や熱帯夜が月末まで続いた。

 結果的に8月の猛暑が夏全体を引き上げ、秋田市は6〜8月の平均気温も25.4度で過去最高となった。



9/2(土)夜半から降雨・終日 ワクチン接種影響強度の倦怠感 
2:40起床。夜半から降雨続く。慈雨である。先の降雨は8月13日つなぎ温泉郷であった。起床時倦怠感強度、しばらくはワクチンのためとは気づかず。左腕の筋肉痛でそれと気づく。一応起きたもののグダグダ過ごし再度臥床。朝食、昼食は取らずにベットで過ごす。10:00ころ病棟から高熱患者についての連絡あり。いつもなら休日出勤するのであるがファイトでず休む。電話で指示のみ。15:00頃に体調、食欲戻り軽食とる。夕方やっと元気が出て書斎のパソコンの整備。録音データ整理。19:00夕食。20:30就寝。

COVID-19ワクチン接種の話題2023(2) やはり副反応の倦怠感
 本日9月2日は、起床時から全身倦怠感強度であった。
 いつもの寝苦しさのためかな?と思っていたが右上腕部の筋肉痛もある。そういえば昨日の午後COVID-19ワクチンの6回目の接種をしたばかり。やはり今回もその副反応としての全身倦怠感なのだろうと思い当たった。

 何もやる気は生じずイタズラに時間だけ経過した。一応起きたもののグダグダ過ごし再度臥床。朝食、昼食は取らずに水分だけ摂取し午後までベットで過ごした。15:00頃になりやっと体調、食欲戻り軽食をとる。
 こんな時は果物の缶詰がいい。子供の頃はこれが楽しみだった。今日は桃のシロップ漬けを開けたが缶詰でなくラミネート(?)の袋詰めの品であった。時代だね。美味かった。子供の頃を思い出した。

 夕方ほぼ回復した。

 私はCOVID-19ワクチンを今回で6回受けたが回を重ねるごとに副作用の全身倦怠感がひどくなった。そのため4回目以降は接種日を金曜に設定した。4回目は自宅で寝て過ごし、5回目は接種翌日に飯川病院の日当直が当たっていたが、終日当直室のベットで過ごした。昼と夜の検食には手をつけられなかった。

 そんなこともあって今回の6回目も金曜日を希望した。土曜は食事も取らずに半日臥床して過ごした。

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 最近のワクチンに関する明るいニュース
 本年8月に国産ワクチンの初承認がなされた。第一三共KK製のワクチンで、mRNAを使ったタイプ。初期に流行した「従来株」に対応している。
 ウイルスは変異を繰り返し、現在はオミクロン株の「XBB」系統が主流となっている。厚労省はこれに対応した海外のワクチンを輸入し、9月から全世代を対象にした追加接種を始める。

 今となっては第一三共KK製ワクチンに需要はない。
 しかしながら、すでにXBB対応のワクチン開発を開始し、年内の供給を目指しているという。今回の承認をステップとして、開発に弾みをつけてほしい。

 日本は感染症に対する危機管理が甘く、ワクチンの研究開発を手がける企業や大学への国の支援も不十分だった。結果的にワクチン開発で出遅れることになり、コロナ禍で日本は自前のワクチンを用意できず、米国からの輸入に頼らざるを得ず、接種の開始は欧米よりも遅れた。
 これに対し、米国はコロナ前から国家戦略として感染症研究に巨費を投じてきた。その結果、コロナ禍の一年のちにはワクチンの実用化にこぎ着けている。

 地球温暖化の昨今、新しい感染症がいつ襲ってくるかわからない。

 ワクチン開発には、時間がかかり、かつ莫大な資金も必要である。それを民間企業に丸投げでは進展は望めない。遅れを一気に挽回する体制を国で整えてもらいたい。



9/1(金)快晴秋田夕方降雨 大曲中通外来 COVID-19ワクチン接種 
 2:15起床、寝苦しさやや軽減。映像データ整理、文献他、本読み。徒然。5:35可燃ゴミ廃棄、7:35Taxi秋田駅に、iPad忘れ港交通から自宅に届いた、という。8:11こまち、大曲市内往復測定痛Taxi、8:50大曲中通病院。書店訪問、15:00中通病院、COVID-19ワクチン6回目接種。リハ病棟対応。新聞チェック。微睡。19:30帰宅、夕食、20:30就寝。ワクチン接種影響なし。

COVID-19ワクチン接種の話題2023(1) 本日6回目の接種を受けてきた
 私は一応医療従事者なのでワクチンは優先的に接種する機会が与えられている。それと、ある程度の副反応は容認せざるをえない立場にある。

 今まで5回接種した。回を重ねるごとに副反応がひどくなり、3-5回目は注射部位の局所痛と食欲不振、強度の倦怠感などで日常的活動はほとんどできなかった。
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●1回目 2021年3月23日(水) ファイザー
   注射部位疼痛軽度、翌日まで
●2回目 2021年4月13日(水) ファイザー
   注射部位疼痛軽度、翌々日まで 
頸部筋肉痛軽度、翌々日まで
●3回目 2022年2月9日(水) ファイザー
   注射部位疼痛中等度、翌々日まで 
頸部筋肉痛中等度、翌々日まで 
   全身倦怠感強度、翌日まで。
食欲不振強度 夕食摂らず帰宅後すぐに臥床。翌朝は改善。
●4回目 2022年8月19日(金) モデルナ
   注射部位疼痛にて腕挙上難 頸部筋肉痛、持続3日間 
   食欲不振強度にて当日夜、翌日も水分のみで食事一切摂らず。
   強度全身倦怠感にて帰宅後そのまま臥床、翌日も終日臥床。
   翌々朝は改善。

●5回目  2023年1月13日(金)  コミナティ2価 BA 4/5
   よく知らないコミナティ2価 BA 4/5ワクチン
   翌日起床時から全身倦怠感、微熱感。
   食欲も皆無、ほとんど臥床で過ごす。
   飯川病院の日直業務はなんとかこなした。
   翌日は改善。

●6回目 2023年9月1日(金) ファイザー
   本日就寝時までは問題無し。明日はどうなるか。
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 私の場合の副反応は発熱とか頭痛はないものの全身倦怠感が回を重ねるごとにひどくなっている。その為、接種日を選択できる場合は金曜日にしている。

 3回目は全身倦怠感が強度であったが一晩で解消した。
 4回目は全身倦怠感が前回と同様、強度で持続時間も長かった。接種が金曜日でよかった。翌日は飯川病院の日当直であったが、ほとんど臥床して過ごした。通常勤務ならかなり辛かっただろうと思う。

 COVID-19ワクチン接種は今後もしばらく続くだろう。私は外来診療を通じて患者に接する機会があるし、基礎疾患を有する高齢者にも相当する。
 だから接種せざるを得ない。

 本日6回目の接種を受けてきた。本日の就寝時までの様子では特別な変化はない。
 明日はどうなるだろうか。


8/31(木)快晴 暑い 
2:00起床,やや寝苦しかった。医学文献他読書、久々音楽で早朝過ごす。徒然。8;45家内と共に旭川コイに餌、中通リハ。10:00患者家族面談。午前座学中心。微睡など、13:30昼食、入院患者対応、問題なし。座学読書三昧、19:15帰宅、夕食、20;30就寝。

欠(5)



8/30(水) 午前休暇なるも終日病院に
1:45起床,今晩は寝苦しさかなり軽快。画像データ整理など。7:00散水ほか、かなり暑くなっている。医学文献他読書、徒然。自宅の仕事無理、家内とともにリハ病院に。微睡など、新聞チェック、入力。14:30合同カンファ。入院患者種々対応。発熱者数名、座学読書、19:15通町書店経由帰宅、夕食、20;30就寝。

欠(4)




8/29(火)快晴 外来  
2:00起床、医学文献・新聞ほか。5:15可燃ゴミ提出、6:40バス病院着、7:00病棟対応。。8:45-12:45外来、13;00病院、微睡、15:00患者対応、新入院。新聞チェックと入力、座学中心。19:30帰宅、夕食、20:30就寝。

欠(3)



8/28(月)晴 健康クリニックドック
1:45起床。寝苦しさ少しだけ改善、汗はびっしょり。新聞・文献チェック。データ整理、医学文献・新聞ほか。6:40バス病院、7:00病棟業務、9:00-11:30健康クリニックドック15人+結果判定14人。11:45リハ病院、微睡ほか、新聞チェック+入力、雑誌類自炊数冊、読書他、患者対応。19:15帰宅、夕食、20:30就寝。

欠(2)



8/27(日)快晴 暑い 
 3:15起床、歴史本、医学論文読み。ネコと微睡、散水など、座学中心、12:00NHKニュース、のど自慢。13;30家内に同乗、中通リハ病院に。病棟対応。受けもち患者は平穏、読書、新聞データ化。蓄積データ整理。微睡と読書三昧。19:00帰宅、夕食、20:30就寝。

欠(1)



8/26(土)快晴 Apple ID変更 大曲花火競技会 
2:20起床、夜間の暑さ山越えか?? なかなか乗らずウダウダと。新聞チェック、文献読み他、各種データ整理。2回目の新聞チェック。8:35散水など。11:30家内と病院へ。読書、データ整理。16:00-18:00Apple ID変更に2時間要す。Wi-FI環境の問題もあった。担当者も大変。19:00帰宅、夕食、家内はゾンタ関連のZOOM会議、大曲花火競技会はTVで見てもつまらん。20:30就寝。

今年の秋田は暑い(12) 家庭菜園・園芸への影響(2) 植物たちは多くの水を求めている
 ここ3-4週間ほどまとまった降雨がない。かつ、秋田も35℃をこす猛暑が続いた。鉢植えやプランターの花、花壇の木々や花、成長盛りの畠の作物は簡単に水不足状態に陥る。だから、朝夕の水撒きは欠かせない。しかしながら私に時間の余裕がなく給水、散水は朝のみにしていた。

 毎日細かく観察していれば彼らが水をほしがっていることは一目瞭然である。飼い犬が主人に散歩を求めてくる様に、植物たちは私に水を求めてくる。いても立ってもいられなくなるのだが、如何せん対応できないこともある。

 今夏も鉢植えの花のいくつかを枯らしてしまった。
 目が届かずに水不足にしてしまったからで、生きながらドライフラワーにした。辛かっただろう。

 先日それらを鉢から外し、洗浄した。小さな鉢の中は隙間がないほど細かく、かつ、複雑に根が張り巡らされ、鉢の形を保ってなかなか崩れない。その一部の根を伸ばして見たら鉢の深さの10倍はありそうである。狭い鉢の中にこれだけの根が張っているということは旺盛な水の吸収のためであることが予想できる。


 この水を求める根の様子を見て、私は小さく狭い鉢に草木を植えるのは人間のエゴと悟った。それで、最近では鉢のサイズを次々に大きめのに移し替え、花々に余裕を与えている。


(左 狭い鉢で数年間見事な花を咲かせたアマリリス 
 右 今夏3株に分割し余裕を与えた 心なしか葉が伸び伸びしている様に思える)


 夏の暑い日、人は日差しを避け、扇風機やクーラーで身体を冷やすが、炎天下でも植物たちは強い太陽を浴びながら耐えなければならない。茎や葉は触ってみてもそれほど熱くなっていない。これは実に不思議なことだと思っていた。
 それには温度調節に私の知らないメカニズムがあった。

 植物の体温調節は水が豊かでないときは葉をすぼめて受ける太陽光を少なくし、水が豊かなときは大量の水を体表から蒸発させてその気化熱で体温を調節しているという(甲南大学教授 田中修氏による)。

 炎天下で植物たちが元気をなくすのはすべて水不足と思っていたのであるが、確かに水を与える前に独りでシャンと葉の張りが戻っていることもあり、自己防衛のためにあえて葉を萎れさせていた、と理解した。

 私は植物が水を求めるのは体内に水を満たし張りを維持するすため、と思っていたが内部環境を守るために大量の水を蒸発させていた。植物たちは私が思っていた以上に多くの水を求めていた。

 それを思い知ったのは2010年頃庭で「ハス」を育てていた時であった。
 こまめに水管理をし丁寧に育てていた。葉は驚くほど、1m以上の長さにまで成長した。7月下旬、元気な花芽が数本姿を見せた。

 2010年7月27日(土)は飯川病院の日当直で11:00頃から翌日10:00過ぎまでほぼ24時間留守にした。その日は30度を超す暑い日であった。帰ってみると「ハス」の葉の大部分が萎れて元気がなくなっていた。いつも水を満たしていた鉢のも干上がって土が固くなっていた。その後連日十二分に給水し続けたが、一月ほどで枯れてしまった。まる一日、22時間ほど給水しなかったことで干上がったのは予想外であった。

 「ハス」は池や沼に生育する花であることは、大量の水が必要なことを示している。
 ヒトは自然の摂理を無視して自分のために不自然な小さな環境で植物を育成する。動物のペット化もそうであるが、私どもの自己満足のために、である。このことの問題点、罪深さを勉強させてもらった。

 生涯にわたって世話が必要なのはペットも鉢植えの草木も同じである。

8/25(金)快晴 大曲中通病院 
3:00起床、文献他、本読み。まだ寝苦しい。やや寝過ごし。画像処理。5:10可燃ゴミ提出。7:40Taxi、8:11こまち、9:00大曲中通病院外来、往復Taxi、明日は大曲花火競技会というのに街中に歓迎の看板やのぼりなどもなくそのような雰囲気は一切ないのが不思議。15:30長崎や古書店2冊購入。中通リハ病院。微睡、19:30帰宅、軽夕食、20:30就寝。

今年の秋田は暑い(11) 家庭菜園・園芸への影響 クリ 小モモ リンゴ
 我が家には栗の木、柿の木、モモが各1本、リンゴの木が2本ある。そのうち柿の木は昨年秋に隣の畑の日陰になるというので大部分の枝を落としたが、残った幹から新しい枝が生えてきている。生命力がすごい。それを讃えたいからその枝は大事に育てよう。

 (1)小モモ
 咋年は我が家の庭の小モモが200-300ケほど結実した。あまりタワワになり過ぎて枝折れするほどであった。私は肥料をやったり剪定したりはせず木の思うがままに育てている。木々が一生懸命に開花し、結実していくその過程を見るのは嬉しい。
 果実の熟成と共に樹の周辺には甘いモモの匂いが漂った。

(とてもいい香りの小桃)
 ところが、今年はほとんど結実していない。せいぜい20−30ヶ程度。しかも成熟することなく落果してしまった。今は一つも枝についていない。

 (2)リンゴ
 2本のリンゴの木には昨年は100ヶほどが結実した。リンゴも桃と同様に自然に任せている。

(昨年の結実の様子)
 私は青リンゴが好きである。熟成の過程で虫もつく。その前に、と毎日2ヶほど採って食べている。市場にある青リンゴは立派であるが、実は軟化し始めていてがっかりすることが少なくない。我が家の採りたては固くて、ちょっと渋くて最高に美味である。
 ところが、今年はほとんで結実していない。せいぜい20−30ヶ程度。実の生育も悪く殆ど食用にならない。

 (3)クリ
 栗の木はどうか。我が家の栗は大型の実をつける。毎年栗ご飯を数回炊けるだけ摂れるのであるが、今年は小さなイガ栗状態のまま次々と落ちている。木を見上げても残っている若いイガ栗の中には何も入っていない感じ。

(例年採れたクリ)

 我が家の果物の木は熱暑の被害を受けた、と思わざるを得ない。
 私の、狭い小さな経験だけから結論を導き出せないが、県内紙を見ると記録的な猛暑が続いた横手市を中心に、収穫期を迎えるリンゴ農家が対応に苦心しているようである。
 リンゴ「つがる」の収穫が最盛期だが、いまだに果実が色づかず、黄に薄く赤がまじる程度だ、という。これでは市場価値はほとんどない、と声を落としている、という記事が載った。高温や少雨、昼夜の温度差が小さいため、とみられ、「収量が大幅に減りそうだ」とリンゴ農家は不安を募らせている。

 やはり今年の熱暑は植物にとっても尋常ではないらしい。


8/24(木)快晴  3:55北朝鮮が衛星?? 大谷故障か
2:15起床。寝苦しかったが起床後はそう暑くはない。3:55北朝鮮が衛星??失敗。大谷急遽降板、なぜか。データ検討。録音データ整理。ダリア散水など。8:30中通リハに。患者家族面談準備。15:00面談、入院患者対応。明日転院の患者の書面準備、19:00帰宅、夕食、21:00就寝。

今年の秋田は暑い(10) 私の暑さ対策(2) 扇風機と冷蔵庫で
 私はエアコンなしの環境での暑さ対策は以下の工夫をしている。活躍する道具は扇風機と冷蔵庫である。これで十分過ごし得る。

(1)カンカン照り、暑い日は室内に篭り読書中心、座学に勤しむ。音楽もいい。
(2)休日家にいても外仕事ができないことも。その場合、病院に行って残務他をこなすことも。
(3)就寝時は最小限の下着のみで、上には何も掛けない。外気を取り入れるために扇風機を活用する。
(4)時に氷枕も活用。
(5)汗を放置すれば汗疱(アセモ)が生じ易い。こまめに拭き取るか洗い流す。
(6)ぬるめの温度で、時には水風呂で汗を流し身体を冷やす。
(7)朝に1.5Lの茶を淹れる。500mlのガラス瓶三本に分け、そのうちの一本はそのまま飲むが、2本は冷凍し、適宜解かしながら飲む。
(8)500mlの強炭酸水、ミネラルウオーターを凍らせ、布に包んで体につける。水分が不足したら飲めばいい。
(9)水分摂取時には氷を齧る。ガリガリとかじれる私は恵まれている。

エアコンがある環境は正直なことろやはり過ごしやすい。
(1)一人の時はエアコンは最初は28℃で。冷えてきたら29−30℃で。
(2)扇風機を併用する。地球を温めないよう配慮する。
(3)車ではエアコンを用いず窓からの風を利用する。開窓して走行している車がほとんどないのが恐ろしい。温暖化、異常気象は自業自得。

 県内は今後も気温の高い日が続く見込み。 エアコンの他にも工夫すべきことは多い、と思う。

8/23(水)快晴 仏壇の灯り改良、仏具の一部廃棄 午後病院 
2:20起床、文献検討、データ整理。8:00ダリア世話若干、古い枯れた花弁排除、撒水ほか、仏壇の配線劣化しており危険、交換、灯り改良、仏具の一部廃棄。11:10バス、病院へ。微睡。13:00医局会。14:30合同カンファ、症例検討会、そのほか。病棟患者対応。読書と書籍データ化進める。新聞入力、自炊5冊。座学。19:30帰宅、夕食、21:00就寝。

今年の秋田は暑い(9) 私の暑さ対策(1) エアコンに頼らない

 今年の秋田は暑い。今年は耐え難いほど。時に日本で最高気温のことも。従来なら猛暑と言っても強烈なのはせいぜい1週間ほどであった。しかし、今年は従来とは異なり、もう一ヶ月近く寝苦しい夜を過ごしている

 私の書斎は寝室を兼ねている。エアコンはない。
 部屋は西側に面しているために夏の午後から夜にかけてはとても暑い。8月中旬、就寝時に室温度を測ってみると連日35℃超である。私はそこで寝るのであるが、これが結構大変。毎日が戦いのようなもの。
 窓際に置いた扇風機で外気を取り入れ、さらにもう一台の扇風機をドアの外に置き玄関先からの外気を取り入れる。それでいつもなら十分なのであるが、今年は外からの風、扇風機の風は涼風ならぬ温風、時には熱風である。
 夕食時に意識的にやや多めの水分を摂り、21:00時頃に最小限の下着姿で、上には何もかけずに就寝。更に、0:00時頃に水分を補給するために一度起きる。2:00時頃の起床時には全身汗まみれ、敷き布団は大袈裟に言えば絞れるほど湿っている。
 起床するとまず入浴し洗髪する。これでいつものペースで早朝のスケジュールをこなすことができる。

 私は暑いのが好きで夏でも休日などは車庫などでいろんな作業をしていた。しかし、今夏は暑すぎて無理、熱中症を防ぐため、早朝にだけダリアの世話とかの若干作業を行うだけ。暑さと直射日光で疲労感を強く感じ、疲れが取れにくくなった。

 日中はほとんど外に出ない。街中もガラガラらしい。
 昨日の人間ドックの受審の方のお二人は、市内でケーキ屋を営んでいる夫婦であった。「景気(ケーキ)はどうですか?」、と冗談半分に話を向けたら「この夏は日中には出歩く人がほとんどないので全く売れません。夕方からぼちぼちと客が来るだけ」と力なく話していた。

 県内は記録的な暑さが続き、熱中症の疑いによる搬送者が相次いでいる。特に私を含め高齢者は熱中症になりやすい。
 消防庁と県総合防災課のまとめによると、県内では5月から今月20日までに783人が熱中症の疑いで搬送され、このうち65歳以上は551人と7割を占めた。搬送数は昨年に比べ6倍ほどという。

 高齢者は体内の水分量が少なく、口渇などの感覚のも鈍っている。さらに暑さに対する感覚も鈍くなっている。高齢者は、私も含めて、意識的に熱中症対策をする必要がある。

 予防としてはマスコミや識者は、小まめに水分補給を行い、エアコンで暑さを避けること。室温は長時間過ごす部屋は28度を超えないように、室温が下がらない夜間もエアコンを緩やかに使用した方がいい・・・などとワンパタ−ンに正論で呼びかける。

 私が外来で診療する患者の一部はとても貧しい。ここ2年ほどの生活物資の値上がりで3食を2食にしやっと生活ができている方々も多数である。エアコンがない人はどうすればいいのか。あっても電気料の高騰で使用を控る人もいる。

 エアコン以外に何か提言はないのか??
 最近の私の外来の話題は暑さ対策がメインであることも。

8/22(火)快晴 中通病院外来 家内は汀友会役員会
2:50起床、画像文献検討。5:00可燃ゴミ集積所に。6:40バス病院、7:00病棟対応、8:45 -12:50中通外来、中等度混雑。13:00リハ病院。微睡、15:00入院患者対応。新聞文献チェック不能、室生犀星作「蜜のあわれ」鑑賞していて19:10バスに乗り遅れTaxi帰宅、2500円、19:30夕食、21:30就寝 室温は38.5で寝苦しい。

今年の秋田は暑い(8) 私のエアコン観 
 今年の秋田は暑い。今年は耐え難いほど。従来なら寝苦しい夜はあったとしても1週間ほどで、それなりに夏らしさを謳歌できていた。しかし、今年は従来とは異なり、もう一ヶ月近く寝苦しい夜を過ごしている
 
 私は「夏だもの暑いのは当たり前、秋田ではエアコンなどいらん・・・」、と考えていたが、2019年に居間にエアコンを設置した。
 82歳になる賄いの石井さんが根をあげた。「最近は暑くて夕食を作るのが苦痛」という。なるほど、この暑さの中で火を使うのは辛いだろう。エアコン嫌いの私は「高齢者虐待をしている」かもしれない。「エアコンがない職場は嫌・・・」と北海道に帰られたら私どもも大変である。
 エアコンを設置したらストレスも減ったのだろう、石井さんの表情も良くなった。

 設置後日常的に用いられているようで帰宅すると涼しく夕食時は実に快適である。

 ただ、私はまだ「エアコン嫌い」の考えが残っており、自分では自宅のエアコンのスイッチを入れたことはない。
 
 何故「エアコン嫌い」なのか、というと、私は暑いのはあまり苦にならず、夏は暑くて当然と考えているからである。
 この季節、私は快適とは言えないほどの「寒い環境」で過ごさねばならない方が辛く、不快である。

 今日1日私が過ごした環境の温度をざっと示すと、
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?起床時、2:00頃の居間は25℃、朝日と共に上昇したが窓から風が入り快適。
?6:00ゴミ廃棄、ダリアの散水等。すでに暑くなってちょっと動くと汗だくに。
?6:40の通勤のバスが過剰に冷えていた。25℃前後か、不快。
?7:00からの回診時、ナースセンターの温度設定が24℃にセットされ、不快。
?8:45から中通総合病院外来であったが温度設定が25℃で同様に寒かった。
?13:00中通リハ病院の医局の自室は35℃。暑くてエアコンを29℃にセットした。
?19:30帰宅。居間の温度設定は27℃ほどで快適であった。
?21:00就寝時の室温は35℃。汗だくになって眠った。
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 私はエアコン環境を否定するものではないが「一般に冷やし過ぎる」、と思うが気が小さいから言い出せずじっと耐えている。
 「健康を守り、より快適に過ごそうとするのはこの時代当然だが、エアコンは地球を温める大きな副作用があることを忘れてはならない」、「上手に、適温で用いるべき」と思う。


8/21(月)晴れ34℃ 健康クリニックドック 
 2:00起床。文献、新聞チェック。データ整理。散水他、6:40バス病院。7:00病棟対応、新聞チェック、9:00-11:00健康クリニック、ドック診察14名。先週分の結果判定なし。中通リハ病院へ、微睡。新聞チェックと入力、自炊。 15:00病棟対応。死亡診断書の扱いについて婦長より指摘あり。正論だろう。点滴次週まで終了。データチェック。19:10帰宅、夕食。20:30就寝。

今年の秋田は暑い(7) 暑すぎて「晴耕雨読」ならぬ「晴読雨読」の毎日 

 今年の秋田は暑い。私は暑いのが好きなのだが今年は耐え難いほど。

 秋田県内では7月24日以降、18日続けて最高気温が30度以上の真夏日を観測。今月3日から8日までの5日連続で35度以上の猛暑日となっている。 7日は県内観測26地点中9地点で猛暑日となり、秋田市では今年最高の38.4度まで上昇した。

 秋田地方気象台によると、太平洋高気圧の勢力が強く、長い間高気圧に覆われていることが猛暑の原因と見ているようだ。この状況は今後も続く予報となっている。
 気象庁の2週間気温予想(8月7日午後5時時点)では、12日まで最高気温が38度以
上、その後も30度を超える暑さになるとしている。

 本県のほか、新潟や福井など日本海側を中心に猛暑が続いており、「フェーン現象」が発生しているとみている。「フェーン現象」とは高い山の上から麓に向かって、熱く乾燥した空気が流れ込んでくる現象のこと。強い風が吹いたり、気温が上昇したりする。

 私はかんかん照りの日差しと暑い夏が好きで、直射日光と暑さを避けながら外で過ごすのを好むのだが、今年は耐え難い。8月になってからは早朝こそ若干涼しいが、朝日が登り、8:00前後になると急速に気温が上昇する。いつもなら心地よい朝の日差しも強烈である。

 私は例年ダリアを育てているが全株とも元気がない。一部は枯れかかっている。それらに散水ならぬ給水をしなければ立ち所に枯れるだろう。早朝に散水を済ますのが日課となっている。そのほかに、いつもなら晴れた休日には畑の野菜の世話、庭の草刈りもするのであるが、この激暑の中では意欲が湧かない。 

 だからこの2ヶ月ほどほとんど外仕事ができない。庭も畑も見るのがつらいほど草ぼうぼうであるがやむを得ない。収穫だけはなんとかしている。

 私は「晴耕雨読」を念頭に生活を天候任せにしている。別に農家でもないのでそれほど拘るわけでもなく作業量もそれほどないのだが、自然に任せるのが心地よかった。

 しかしながら、今年は晴れていても暑すぎて外仕事は無理である。自分の健康を考えて外仕事は控えている。
 「晴耕雨読」ならぬ「晴読雨読」で過ごしている。


8/20(日)快晴 暑い
2:30起床、座学いつものごとく。早朝患者死亡。8:00散水、除草剤散布、西側と農道中心に。10:30家内と中通リハ。旭川のコイに給餌、食欲旺盛。病棟対応、死亡診断書作成。その後っも病院で。新聞チェック、入力、微睡、蓄積データ処理、雑誌類自炊といつものパターンに近くなる。18:30夕食通常通り、20:00就寝。

3年ぶりの墓参り2023(4) 犬も私も変わりなく、今年の墓参りは無事終了


 COVID-19蔓延で墓参できなかった3年間は「お布施」をお送りしていた。寺の方からは受け取った旨の連絡もなく一抹の寂しさを感じた。それが宗教界のしきたりなのだろうが時代に合わないような気がした。

 何年か前、草ぼうぼう状態の中に墓があった。今回、草刈り用の大型のハサミを3丁ほど持参したが、草は刈られておりそれを用いるまではなかった。

 墓は若干埃にまみれていたがざっと水で洗い、持参の花、ろうそくと線香をたき合掌後、本堂で住職殿から読経していただいた。住職殿は若干丸みを帯びていたが、声にもハリがありお元気そうで安心した。
 私の墓参は今回が最後かも、その際にはよろしく、と伝え寺を後にした。

(我が家の墓石は私が小学3年頃に建立したもの みんなで綺麗にした 今後どうするかは次世代に委ねる)

 3家族はその後別行動にしそれぞれ秋田に向かった。

 私は、実兄である故正明宅を訪問、霊前に手を合わせた。兄嫁は80余歳で独り暮らしであるが風邪気味とかで若干元気がなかったのが気がかりであった。
 
 その後、寺に私のディバッグを忘れたことに気づき一旦戻るなどのミニアクシデントがあったが17:30頃に病院に着き、入院患者に関する業務を処理して19:30頃帰宅し、一連の墓参りを終了した。

 次男の車が盛岡市内で故障し、一部は新幹線で、一部は代車で秋田に戻ったという。まあ、老犬も私も状態に変わりなく、墓参りミニツアーは無事終了できた。


8/19(土)快晴暑い 2TBハードディスク不調バックアップ
 2:25起床、文献他、本読み。散水、トマト収穫、11:30不調の連絡でゾンタに行く家内と共に病院。回診他、そのまま病院で、座学中心、本読み、自炊3冊、2TBハードディスク不調バックアップ、終了す。19:00帰宅、夕食、20:30就寝。

3年ぶりの墓参り2023(3) ドライブイン、ホテル等にCOVID-19流行3年間の影響を感じた(2)

 墓参途上で立ち寄ったドライブイン、宿泊したホテルで受けた印象はCOVID-19流行後の客足の落ち込みと、客足が回復しつつある最近の人手不足の両者の影響が深く感じられるものであった。

 この間は旅館・ホテル業界は厳しい現状にさられれていたということはメディアの記述で知っていたが、私は観光とかには全く興味がないために実感がなかった。

 私は旅行嫌いである。かつては学会、医師会活動で各地を訪問したが、現役を退いてからは旅行といえば年に一回の新潟大学の同級会のみとなった。この同級会も2017年洞爺湖、2018年新潟が最後で、以降はCOVID-19のために中断している。
 私は2019年以降、秋田市内から出た、という記憶はない。

 観光地といえば、2017洞爺湖で受けた印象は強烈であった。
 新函館北斗駅で在来線に乗り換えたが、駅・列車の案内は日本語と中国語で行われ異様に感じた。
 洞爺湖で過ごした2日間、私はあたかも中国を旅行しているのでは?という錯覚を持った。ホテルは満室であり、宿泊客の言葉はほとんどが中国語、韓国語であり、日本語はほとんど聞かれなかった。昭和新山、有珠山とかの名所は超混雑していた。
 当時、有名観光地の外国人による賑わいに心底から驚いたというのが実感であった。


(政府の統計による外国人旅行者の推移 2020年以降は激減、最近回復傾向にある)

 2017年といえば訪日観光客が3000万人にも届こうという右肩上がりの時期で、洞爺湖近辺の観光客は9割は外国人と思われた。彼らの姿からは日本が大好き、といった友好的な雰囲気が感じられ、私の対中国、対韓国の方々に対する印象や感覚もこの二日間の経験でかなり変わった。

 それが2020年以降、COVID-19によって訪日客は激減した。
 それまで拡張し続けていたホテル・旅館業会は大打撃を受けたであろう。廃業も少なくなかったようであるが、業界ではリストラ、経営合理化でなんとか持ち堪えてきたところも多い。

 COVID-19が一段落した今、観光客は戻りつつあるが、今は人手不足に悩んでいる状況という。

 医療という比較的安定した業界に身を置く私は、訪日観光客減少にそれほどの実感が湧かなかったが、今回の墓参を通じて接した状況から観光業界、ホテル・旅館業会の厳しかった実態を垣間見た。

 また、日本にとって観光が持つ経済的重要性についても考えさせられた。

8/18(金)快晴 大曲中通病院 
 2:20起床、ピークは過ぎたようだがまだ寝苦しい、汗まみれ。映像データ処理。文献他、本読み。5:10可燃ゴミ提出。7:40Taxi駅東、8:11こまち、9:00大曲中通病院、駅病院間往復Taxi、暑さのため。書店訪問9冊購入、15:30中通リハ。新聞チェックと入力。病棟対応、19:00帰宅、夕食。20:30就寝。

3年ぶりの墓参り2023(2) ドライブイン、ホテル等にCOVID-19流行3年間の影響を感じた(1)
 例年は2泊3日の予定を組んで繋温泉と花巻志戸平温泉で家族12名で懇親するのであるが、今年は次男宅の飼い犬、年長のボーダーコリーの健康状態が良くなくて心配とのことで、つなぎ温泉のTホテル1泊のみとした。

 私の健康状態に関しては気遣いする話題が誰からも出ずちょっと寂しかった。
 甘ったれるわけではないが、一見通常と変わらない様子で過ごしているから家族達の意識から私が厳しい状況でふらふらと生きているように見えないからだろう。同じ思いを抱える私も犬の健康状態が気がかりであった。

 私ども3人は8月12日昼前、病院で受け持ち患者の対応ののち長男の運転で盛岡に向かった。私は車の移動は苦痛で、本心では新幹線で行きたかったのであるが、そう我儘を通すわけにはいかない。私は車の後部座席に布団と枕を持ち込み、楽な姿勢を確保してほぼ横になって車中を過ごした。

 角館には醸造会社経営のドライブインがあり、醤油味のソフトクリームが美味で毎年楽しむのであるが、3年前に比し店舗が一回り規模が縮小したように感じた。

 15:30頃ホテルに到着、長女一家、次男一家も間も無く到着し3年ぶりに親交を温めた。
 夕食は大広間でのビュッフェスタイルであったが、私どもは12人と人数が多いこともあって個室を与えられ、その形式の中では静かに夕食を楽しめた。

 つなぎ温泉のTホテルは2018、19年も利用した。客の賑わいとしてはいつもと変わりなかったが、お盆前の一時的にぎわいかな??私にはわからなかった。
も客の賑わいとしてはいつもと変わりなかったが、お盆前の一時的にぎわいかな??私にはわからなかった。

 ホテルのサービスには従来と小さな違いがみられた。
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 ?従業員数が全体に少ない印象。
 ?日本語が十分通じない東南アジア系の女性のスタッフが混在していた。
 ?フロントの中央には浴衣、タオルなどのほか、アメニティと言われる歯磨きセットなどの小物が山積みとなっていた。これらは通常各部屋の洗面台に予め人数分配布されているものである。
 ?12名で3部屋確保した。入室後に通常は茶などのサービスがあり、宿泊上の注意点などの説明があるが、今回はこれがなかった。
 ?各部屋の壁ぎわにはあらかじめ人数分の布団がたたまれてあった。従来なら食事中に担当者が各部屋を周り布団の準備していたものである。
 ?ビュッフェスタイルの夕食、朝食は内容的には不満ではなかったが、共に従来よりも品数が少ないような印象を受けた。
 ?孫たちの成長に合わせて会計区分も変わった。全体も高くなっている。一泊で30余万円であった。これはいつもの如く主催のジジババの負担。
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 これらの変化はCOVID-19流行後の客足の落ち込みと、客足が回復しつつある最近の人手不足の影響であろう。


8/17(木)快晴昼頃1時間ほど降雨暑い 舩杉一家離秋 中通リハ感染症学習会
1:20起床。文献処理、読書。8:30舩杉一家離秋、永遠の別れかも。家内に同乗して中通リハ。入院患者対応、新聞チェック入力、病棟対応、13:30中通リハ感染症学習会、多剤耐性菌について、講師は中通病院水戸医師、座学終日、19:30帰宅、夕食、21:00就寝。

3年ぶりの墓参り2023(1) お盆の墓参りの意義
 今年はCOVID-19が5類に移行したこともあって、また感染者数も全体的に少なくなり行動制限もなくなった。横浜在住の長女一家も3年ぶりに来秋する事となった。それもあって2020年から中断していた岩手にある菩提寺への墓参りを行った。

 私は1983年(昭和58)の父親病没の数年前から一応我が家の代表者として墓参りを行ってきた。その間、業務の関係で時期を少しだけを外したことはあったが今まで欠いた事はなかった。

 私は二人兄弟である。兄とは11歳歳が離れている。2015年実兄が死去した。それまではこの墓参りは年に一回の兄弟とその家族の親睦の場になっていた。兄が体力気力が衰えて死去の2−3年前からは参加する事は無くなり、兄弟間の親睦会は自然消滅した。

 それ以降は盆の墓参りは私どものだけの家族だけの行事となった。
 私どもは3人の子供に恵まれた。現在、私が家族と称するのはそれら3人と孫5人を含む12人のことを指す。長女一家3人は横浜在住でそのほかのメンバーは秋田在住である。

 最近の墓参とその前後のミニ家族旅行は、時を経るに従って先祖を偲ぶための墓参の意義は小さくなり、孫を中心とした家族親睦会にシフトしている。何しろ私の両親を知っているのは我々夫婦のみであり、子供たちも小学生で滅多に会うこともなかったから具体的思い出や記憶としてはないだろう。
 それでも家族一同は盆の墓参り行事には参加してくれる。

 幼い孫たちにとってこの盆の時期に家族全員が田舎にある菩提寺に集まり、墓石をきれいにし、花を飾り、本堂で厳かに読経をあげてもらう事は、その意義などはほとんど直接教えた事はないが、この家族12人がこの墓を中心に緩やかに結ばれていることを自覚していく過程になるのだろう。また、日本の宗教的文化の一隅に接しその雰囲気を味わっていくことになるだろうが、孫たちにとってこれは人生の中での重要な体験となる。

 その意義は今後の人生にとっての心の拠り所になるもの、と私は信じている。だた、私はそういう意味での宗教感はあるが、問われれば私はどの宗教にも帰依していない、どちらかと言えば無宗教なのだが、日本の宗教的行事には素直に沿っているだけ・・・、と答える不埒者の一人である。

 実際には、孫たちにとってはにとっては墓参り前後のミニ旅行の方が楽しいのは論を待たない。


8/16(水)快晴暑い 
1:30起床。寝苦しい夜。文献・読書。午前休みなるも熱暑雨読の一環として8:30中通リハにて業務こなす。微睡、新聞チェック、入力。書類等処理。13:00、14:00家族面談、14:30-15:30合同カンファ、症例検討会。病棟対応、19:00帰宅、夕食、20:30就寝。

8/15はポツダム宣言受諾日(2) 文民の犠牲者数が注目されるようになってきた

 第二次世界大戦では一般市民約80万人が「空襲や原子爆弾投下等で死亡した」とされている。しかし、その実態は定かではない。当時の戦況では死者の具体的な調査などは行われなかったであろう。

 これに対して、今回のロシアのウクライナ侵攻では非戦闘員の犠牲者数は不完全ながら連日のごとく報道されている。
 国連の諸機関や人権NGOが文民被害のデータを定期的に調査・公表し、一人ひとりの市民もロシア軍の戦争犯罪をスマホに収めている。

 人権監視団はウクライナ戦争の開始から500日間で9千人以上の文民が殺害されたと発表した。実際の犠牲者ははるかに多いだろうと付け加えた。文民とは職業軍人でないものを指す。文民被害の正確な把握は容易でない。

 危険な戦場で正確なデータを収集することはそもそも困難だが、加えて戦争当事国は、都合が悪いデータを改竄したり、文民を戦闘員だと偽ったりする。それでも、数々の制約を乗り越え、文民被害の正確な把握への試みは着実に発展してきた。

 その推進力は、人権NGOや国際組織、専門家が形成するグローバルな人道ネットワークだ、という。

 文民被害が記録され、告発されるようになったのはここ数十年のことだ。
 第2次世界大戦後のジュネーブ諸条約(1949年)でようやく戦時の文民保護が明文化されたが、その履行を監視する制度は設けられなかった。

 人道法違反を調査・告発するNGOが登場し、グローバルな人権監視のネットワークを形成し始めたのは、1970年代以降のこと。

  戦死者についての事実を解明しても命は戻らない。
それでも、記録からも記憶からも知らず知らずのうちに抹消されるという最悪の暴力からその人を救える。


 一人の人間の死は悲劇だが、100万人の死はもはや統計である。
 戦争は人間の死の重みを変える。 かけがえのない命を数えるのに「約」がつき十把一絡げに扱われる。

 戦死者ことに文民の被害はどのようにして数値に置き換えられてきたか。
  「戦死者保護」つまり遺体を保護する国際規範が明文化されたのは1906年。 国や赤十字、戦後は国連などが戦場の遺体、兵士の身元情報を記すタグ、遺留品、埋葬場所の記録などを分析し、死者数を推定してきた。

 内戦やゲリラ戦で国家が軍隊を管理する前提が崩れると、 死者数の推定はより困難になる。国際NGOや人権団体のネットワーク、統計学と人道問題が有意に結びついた。
 彼らは生存者の証言を丹念に収集、失踪者の膨大なデータベースと、紛争後の生存者リストを照らし合わせて生存確認を行う。 DNA検査など法医学の手法でバラバラの遺体を再構成、虚殺や拷問などの死因まで特定する。 科学的耐久性の高いデータは裁判で法的証拠になり、世論も動かすことになる。

 これを歓迎しない軍事勢力は遺体を何度も埋め直すなどで調査を妨害。 フェイクニュースで事態を攪乱し、時に調査員の命まで狙う。

 新聞各社は最近、ウクライナの民間犠牲者を「約1万人」と伝えた。データの向こう側には、見えない犠牲者の存在を明らかにしようとする者たちのもうひとつの努力がある。

 戦争の非人道性を明らかにするには、文民の犠牲者の把握を欠かすことはできない。貴重な努力と思う。  

8/15(火) ポツダム宣言受諾日 快晴暑い 中通病院外来 
1:30起床,寝苦しかった。論文読み、データ処理・整理他、5:30可燃ゴミ提出、トマト収穫、6:40バスは明日まで休日体制、40分近所の建物の日陰で待つ。7:17に乗る。その間iPadで本読み。病棟対応、8:45-12:00中通病院外来、大曲佐藤副院長死去!!! AMIという。中通リハ病院、定期処方など。微睡、13;00-15:00ビスイ後病棟対応。19:30帰宅、夕食、20:30就寝。長女一家は次男宅のバーベキューに。

8/15はポツダム宣言受諾日(1) 正しい終戦日は9月2日 我が国と世界の犠牲者数
 太平洋戦争終結から本日で78年。今年は開戦から82年に当たる。
 国内外の多くの犠牲者に哀悼の意を表し、平和の尊さを再確認し、反戦への誓いについて考えたい。

 毎年8月15日はポツダム宣言受諾日であるが一般的には終戦記念日として捉えられている。先の大戦において亡くなられた方々を追悼し平和を祈念するため、「戦没者を追悼し平和を祈念する日」とされていて追悼式典がおこなわわれている。 

 式典には、岸田総理を始め、衆議院議長、参議院議長、最高裁判所長官、関係団体の代表、遺族の方々などが参列し、先の大戦における全戦没者に対して追悼の誠をささげた。

 追悼の対象は「第二次世界大戦(日中戦争/支那事変・太平洋戦争/大東亜戦争)で戦死した旧日本軍軍人・軍属約230万人」と、「空襲や原子爆弾投下等で死亡した一般市民約80万人」の、「日本人戦没者計約310万人」である。
  式典は政府主催で行う。

 第二次世界大戦の国別の戦死者数は、ソ連の1450万人が図抜けて多く、ドイツの280万人、日本の230万人がこれに次ぐ。
 アジア・太平洋地域の軍民の犠牲者数はフィリピン100万人、ベトナム200万人、中国1000万人以上・・・などとされる。
 
 日本人死者の9割が1944年以降の戦争末期に集中して亡くなったと推算される。そのほとんどは戦闘死ではない。30万人を超える海没死した。軍の乏しい補給力を背景に考え難いほどの兵士が辛酸を舐め、餓死・病死で命を失った。また、特攻などの理不尽な作戦で命を失った。

 なぜ我が国の死者がこれほど多く非業の死を遂げたのか、国による分析はあるのだろうか。私は無学にして知らない。
 その検討や反省もなく、犠牲者達をまとめて追悼するのは死者の霊に失礼ではないか、とさえ思っている。

 一人一人の人間の死は悲劇だが、100万人の死はもはや統計である。
 戦争は人間の死の重みを変える。 かけがえのない命を数えるのに「約」がつく。

 赤紙ひとつで駆り出され故郷や家族に別れを告げなければならなかった兵士たち、そこにはここの人生があったはずであるが全て抹殺されて統計的数値となってしまう。やむを得ないことだと思いながら、私は心やすらかには捉えられない。

 8月15日は、ほとんど戦争を知らない世代の私にとっても重い鎮魂の日である。

8/14(月) 健康クリニック休診 中通リハ休診 
 3:00起床。文献・新聞、医学論文チェック、録音データ整理。10:00回診に行く家内に同乗、旭川のコイに給餌。中通リハ病院。12:00軽食、読書、微睡、新聞切り抜きなど。18:00帰宅、19:00夕食、20:30就寝。

被爆78年目の夏(5)  国連機能不全で国際法はほぼ形骸化(2)
 国際社会に国際法という規範が存在することも事実。しかし、基本的原理の確認だけであり実効性は乏しい。

 国際法の流れを見ると、19世紀以降、国際的の商品取引、資本輸出が増大し、交通・通信手段も発達するにつれて、国際法の必要性は増している。
 通商航海条約をはじめ、領事関係、犯罪人引渡し、郵便、電信、鉄道、著作権、工業所有権などを規制する無数の条約が締結され、国際法の内容を豊富にしてきた。
 これらの中では国際法は一部機能している、と言える。

 国際法は国家間の対立関係に関しては無力であった。
 ?第一次世界大戦以前
 戦争そのものを実行する国家の行為については、まったく放任し、法的規制の対象としなかった。いわば戦争は、国家の大義を認めさせる最後の手段とされてきた。

 ?第一次世界大戦以降
 侵略戦争すなわち攻撃戦争を違法化する一般的な条約が結ばれてきた。国際連盟規約、不戦条約、国際連合憲章はその代表的な例である。

 ?米英のイラク攻撃 
 2003年3月、米英など「有志連合」は一方的にイラク攻撃を始めた。2001年のアメリカ同時多発テロ事件をきっかけに、アフガニスタンに続いて、イラクを標的にした。これによってフセイン体制が、あっけなく崩壊した。

 今日では侵略戦争の違法性は、世界のすべての国によって法的に確信されている・・・と、ロシアのウクライナ侵攻までは思われていた。私もそう思っていた。

 しかしながら、調べてみればソ連、ロシアが他国と結んだ条約などが悉く無視されてきている。枚挙にいとまがないほどである。
 これらの2国間の条約や約束はかつてのソ連、ロシアによって見事に破られた。対ロシアの不信感は私にもあるが、調べてみれば欧米の歴史は対ロ不信感に基づいていると言っていい。

 我が国との間でも、ソ連は日ソ中立条約があるにもかかわらず1945年(昭和20年)8月8日に対日宣戦布告を行いわずか1週間で漁夫の利を得た。
 これにも日本は戦後沈黙し、犯罪性を問うことなく有耶無耶にした。シベリア抑留と強制労働も同様である。シベリア抑留に対する国の公式見解は聞いたことも見たこともない。

 今回のロシアのウクライナ侵攻は国連の常任理事国であり、核保有国であるロシアが、他国の領土の一体性や政治的独立を脅す武力の行使を禁じた国連憲章や国際法を無視し、大規模な武力行使によって現状変更を試た。

 ロシアは核兵器など大量破壊兵器の使用もちらつかせている。
 さらに、ロシア軍は民間人を標的とする非人道的な攻撃をあからさまに行っている。

 ロシアは批判を受けているだけで、どこからも軍事的実効的抑制を受けていない。プーチン批判は何ら実効を果たしていない。

 国際法は無とは言えないが、この程度の力しかない。
 日本の大学にも国際法専門学者が大勢いるが、ほとんど沈黙している。何故なのか? もともと学者の存在意義はそれほどないが、もう少し情報を発信していいのではなかろうか。存在意義が問われる。

8/13(日)盛岡午前曇りのち快晴、暑い 墓参り 帰秋 途中バッグ忘れ寺に取りに
5:00起床、入浴、読書、10:30大観発江岸寺に。11:30住職の読経いただだく。12:30解散、青山の兄貴宅訪問、兄嫁上気道炎で不調と。途中バッグ忘れ寺に取りに。次男の車が故障した、という。詳細不明。17:00中通リハ着、病棟対応。20:45帰宅夕食。21:45就寝。

被爆78年目の夏(4)  国連機能不全で国際法はほぼ形骸化(1)
 国際法は存在する。しかしながら、とても脆弱である。とても法と言えるものではない。
 各独立国では国内法は充実してきている。

 日本の国内法と国際法を比較してみれば以下のような差異があり、国際法の問題が浮き彫りになる。
―――――――――――――――――――――――――――――――
 ●立法機関がない
 国際社会には各国の議会に相当するような立法機関がない。
 そのため、すべての国家を拘束する強い法になりえず、理念的慣習的の形態でしか存在し得ない。

 ●裁判機関ががない
 国際社会には裁判機関がない。
 現在では国際連合の主要な司法機関として国際司法裁判所が設けられている。今回のロシアの戦争犯罪を論じる際にも時折話題になっている。しかし、当事国間の合意がなければ裁判できないことになっている。
 その結果、国際法に違反する紛争でも、裁判所の判断に服するとは限らない。果てしない水掛け論が繰り返されたり、結論まで至らずに審議が終了する可能性もある。

 ●法の執行機関がない
 国際社会には法の執行機関がない。
 国家の場合には、警察などがあって犯罪を防止し秩序を維持するから裁判所の判決も実効的に執行できる。国際社会には、統一的な権力的機関は存在せず、国際法違反を実効的に監視・執行する制度がない。
 侵略戦争に対して国連が防止措置や強制措置をとる制度はあるが、その実効性は保証がない。

 漫画チックで仮想の話であるが、国連に国連軍があって国際条約違反の国に力を行使できれば抑止力になるが、現実にはあり得ない話である。
―――――――――――――――――――――――――――――――

 国際法には、このような脆弱性がある。
 だから、法の文章にそぐわないレベルの機能しかない。

8/12(土)秋田晴れ暑い!!午後盛岡降雨激しく つなぎ温泉大観に
 2:15起床、文献チェック等、本読み等。散水、収穫。10:00中通リハ、12:30盛岡に向け出発。14:00盛岡激しい降雨。台風の影響か?? 15:00ホテル大観着、様相に変化あり。15:30次男長女一家と合流。本読み中心、入浴、19:15夕食、ビュッヘスタイルも個室で。21:00解散、就眠。

被爆78年目の夏(3)  東京裁判の容認の影を今でも引きずっている 
 私は、今問題になっているロシアのウクライナ侵攻、非戦闘員の殺戮、核兵器使用の脅しは、東京裁判で連合軍、とりわけアメリカの戦争犯罪行為を有耶無耶にして来た日本政府の態度に辿り着く、と思う。

 東京裁判(極東国際軍事裁判)は、1946年(昭和21年)5月3日から1948年(昭和23年)11月12日にかけて行われた。戦勝国が敗戦国を一方的に裁くという報復的な裁判であった。
 A級「平和に対する罪」で25名が有罪判決を受け、うち7名が死刑となった。
 おかしなことに、後に日本政府はこの判決を受諾し、「異議を申し立てる立場にない」という見解を示した。
 独立のための政治判断だったと思うが、日本が「人類の歴史的犯罪を容認」したという姿勢で国際的犯罪行為に大きく加担した、と私は思う。

 東京裁判では、
?原子爆弾の使用、
?民間人を標的とした無差別爆撃、
?・・・・・
などの国際法違反行為は一切取り上げられず、証人の偽証罪も問われず、罪刑法定主義や法の遡及もなかった。

 こうした欠陥の多さから、東京裁判は「裁判の名にふさわしくなく、単なる一方的な復讐の儀式であり、全否定すべきだ」との意見も少なくなく、国際法の専門家の間では本裁判に対しては否定的な見方をする者も多い。

 サンフランシスコ平和条約は、1951年9月8日調印、1952年4月28日発効したが、これにより連合国による占領は終わり、日本国は主権を回復した。

 日本は、東京裁判の判決を受け入れたが、そこに政治的判断が行われた。
 しかしながら、日本は裁判とは別に連合国軍の行為の問題点を明らかにすべき立場は残しておくべきだった。いや、これからでも明らかにすべきである。
 勿論、日本の戦争犯罪についても明らかにされるであろうが、それが歴史学者に課せられた使命である。

 岸田首相や閣僚は、EUやバイデンと同調して外交を盛んに進めている。
 その際、各国に対し「ロシアのウクライナ侵攻は明らかに国際法違反であり・・・」と述べているが、第二次世界大戦の違法行為を容認してきたという歴史を考えれば、政府の対応は説得力を欠く。

 確かに、東京裁判の時代は国際法はまだ十分なものではなかった。
 今はどうなのか?今でも実効力を伴わない骨抜き法でないのか?
 そんな効力の無い法を前面に出して主張して何になる?とは思うが、それしか言いようがないことも事実である。

 日本は東京裁判を受諾し、米国の人類初の非人道的行為を不問にしてきた。このことがロシアのウクライナ侵攻をに結びついた。これが私の感想である。

8/11 (金)山の日祝日 快晴 
 1:45起床,文献・新聞チェックその他。9:30一般ゴミ提出忘れていた。確認して間に合ったが量的に準備のみで済んだ。11:00家内同情旭川コイに給餌後中通リハ、病棟対応数名。発熱者数名。新聞チェック、電子化、自炊3冊。19:30帰宅夕食、20:30就寝。

被爆78年目の夏(2)  核兵器を用いてはならないと明確に示した条文はあるの?? 
 広島/長崎は被爆投下78年目の夏を迎えた。
 私はほぼ毎年広島/長崎の平和記念式典中継をラジオで聴いている。業務で聞けない時には録音する。従来まではややマンネリ化した式典と考えていたが、昨年からは新しい気持ちで聴いている。

 一昨年までは過去への振り返りの様相、被爆国の被害者意識が大きかったが、昨年からは未来に向けての確個たる意思を示す式典のように感じ取った。

 広島平和公園にある記念碑(原爆死没者慰霊碑)は昭和27年(1952)8月6日設立された。中央には原爆死没者名簿を納めた石棺が置かれており、石棺の正面には、「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」と主語のない言葉が刻まれている。誰の過ちなのか??まさか被爆者が主語ではなかろう。日本の軍部か??投下したアメリカなのか??アメリカなら、トルーマンなら納得できるが、はっきりしない不思議な碑である。

 この碑の言葉こそ日本が、世界が核問題を有耶無耶にしてきたことへの象徴のように思えてならない。

 独立国に対し力で侵略することは許されない。ただ許されない、というのはあくまでも理念だけのレベルであることが今回のウクライナ侵攻によって示された。国際法違反と騒いでも、誰もプーチンを、ロシアを捌けない。国連ですら捌けないし、止められない。

 国連の機構ってどうしてこうなっているのか?大国に拒否権を与えた背景はどうなっているのか??私はまだ勉強不足でこの辺の事情は知らない。おそらく大国がゴネた結果であろう。当時の加盟国はそんな機構を理不尽と思っていても「無いよりはいい」ということで成立したのであろうか。

 主義主張は異なっても、たとえ、ロシアと友好関係にあって政治経済的に利害関係があるとしても、一国の主権を力で犯す「ロシアの暴挙に対して明確に反対しない国々がある」のは驚きである。そのような国はロシアの行為をを容認するだけでなく、期が熟せば自らもそのような方法をとる可能性を示している。
 こんな国は信用できない。

 広島、長崎の惨禍を経て、戦後世界が堅持してきた得体の知れない、実態のない規範がある。
 「核兵器を使うことは本質的な過ち」とする、不文律である。越えてはならぬ一線として共有されてきた。しかし、この規範が今プーチン一人のために大きく揺らいでいる。
 「なんとなく形作られてきた」規範どころかイメージ的レベルの規範でしかなかった。私はそう思う。核兵器を用いてはならないと明確に示した条文は何処かにあるのだろうか。多分ないだろう。

 それでも、今までは、このイメージ的規範が世界を覆っていた。
 そんなレベルだったが、その規範を真っ向から否定したのはプーチンであった。

8/10(木)快晴暑い 健康クリニック結果判定
2:00起床,徒然ほかこなす。早朝涼風ありむしろ寒い。立秋も過ぎたが私は秋の訪れが怖い。中通リハ、微睡から。11:00病棟対応。14;00健康クリニック結果判定。往復の歩行時熱風であった。19:30帰宅夕食、20:45就寝。

被爆78年目の夏(1)   G7を中心に核兵器への考え方が変わった 
 広島、長崎に原爆が投下されて今年で78年となる。
 昨年末までの推計死者は広島で約14万人、長崎で約7.4万人。今なお多くの被爆者が放射能の影響による病気に苦しんでいる。昨年1年間の被爆者の死は5.300余人に上る。
 広島市で6日、長崎市で9日にいつもの平和式典が開かれた。

 広島で5月に開かれたG7広島サミットは「核兵器のない世界へ道を開く」ことを目標に掲げた。核軍縮に焦点を当てた初の独立文書「広島ビジョン」は、ウクライナ侵攻で分断を一層深める世界の現実を浮き彫りにするものだった。
 ロシアのウクライナ侵攻を「良くないこと」と考えない国々も少なくないのは驚きであった。

 ロシアの核兵器使用を認めないのは当然。その上で、G7国側が持つ核兵器は抑止力として是認する姿勢が示された。
 従来の核禁止に関する議論は実態のない理想論でしかなかったと思う。確かに核兵器はない方がいい。今回は一歩踏み込んで核抑止を明記した。

 世界一の核弾頭数保有国のロシア、さらに核兵器を拡充しようとしている中国、ロシアと同様に核による威嚇を繰り返す北朝鮮などのトップは、簡単に言えば押し並べてバカだ、としか言いようがない。他の表現法はない。これらのバカには、核を持たない平和主義者達が理想論をいくら述べてもなんの影響もないのだろう。
 少なくとも今までの核禁止に関する歴史がそれを物語っている。

 ならば、この問題を乗り越えるための方策を探っていくことが大切だ。そのためには何が必要か??
 無責任な意見なのかもしれないが、私は核の抑止力の力を借りるしかないと思う。

 核抑止は、報復用核兵器の保有が、対立する二国間関係において互いに核兵器の使用が躊躇される状況を作り出し、結果として重大な核戦争と核戦争につながる全面戦争が回避される、という考え方である。

 G7広島サミットではロシアの核威嚇、使用は許されないと断じた一方、G7参加国が持つ核兵器は「防衛目的の役割を果たし、侵略を抑止する力がある」核兵器をの保持を正当化した。
 この矛盾に満ちた行き方、考え方は各方面から厳しい評価を受けているが、私は話が通用しないような国、バカな指導者がいる核保有国があるかぎり、核抑止力に頼らざるを得ないと思っている。

 G7首脳のみならず、インド他のグローバルサウスと呼ばれる新興・途上国の首脳らがG7広島サミットで来日し、被爆地に立ち、訪れた原爆資料館で被爆の惨禍を目にした意義は大きい。しかし、それだけで核兵器がなくなるとは到底思われない。

8/9(水)快晴 長崎原爆投下77年 
2:00起床,読書、画像データ整理、文献・新聞ほかこなす。途中微睡する。
暑くなる前にダリアの世話、収穫、散水などこなす。11:50バス、中通リハ病院、14:00病棟対応、14:30定例のカンファ、評価会議。19:00通町書店経由帰宅・夕食、20:30就寝。

今年の秋田は暑い(6) 40℃超の熱波が頻発する環境でヒトは生きていけるのか??  可能だが困難
 人の体温保持の仕組みは非常に見事なしくみによっている。ということは、ヒトは体温の許容範囲は狭い、ということ。
 しかしながら、ヒトには知恵があり、衣服や建築、土木の工夫によって身を守ることが可能である。

 ただ、ちょっとしたことで、体温調節が破綻する。
 熱中症は、緻密な体温調節が破綻する重篤な病気である。 
 極寒環境による体温保持の破綻は新田次郎「八甲田山死の彷徨」などの文学作品に詳しい。

 熱中症の解決の手立ては明確にあり、熱中症を減らすことはできる。 
 ポイントは、?異常な高体温にならないようにする。?熱中症になったら、できるだけ短時間に身体を冷やすこと、である。

 この6月以降、マスコミを中心に熱中症予防の呼びかけが頻繁に行われている。にも関わらず多数の患者が救急病院に搬送されている。

 「エアコンを適正に用いましょう」、という呼びかけだけでは、ポイントがズレている。
 日本の少子高齢化は一部の識者たちから半世紀も前から指摘されていたが、為政者たちは対策を一切とらなかった。あらゆる分野でその障害が顕著になり、もう不可逆状態に至った今になってポイントがずれた少子化対策で騒いでいる。これに似ている。

 ヒトの体温に直接与える影響も重要であるが、以下の要因の方がより大きな問題になり、大規模に人に影響を与えるであろう。 
――――――――――――――――-
?海面の上昇による国土の些少化、
?未曾有の気象激甚化による天災の頻発、
?未知の感染症の新興と蔓延、
?食糧生産に重要な植物生育環境や農業などへの影響、
?他の生物への影響
?水不足
?・・・
――――――――――――――――-

 現在の暑さの問題は、人間の際限のないエゴに由来する生活習慣に関連することは明らかである。

 まず手をつけるべきは、?都市の構造の改善、?人口分布や集中、?労働や居住地域の集中、?緑地化、?移動手段の高速化・便宜化の見直し、などが必要に思われる。 これらは、短期的な努力で改善が可能だと思う。

 40℃になるのを漫然と憂うより、今できる改善策に早く手をつけるべき、と考える。40℃超えの日本列島にヒトは住んでいけなくはないが、エゴのままにしては40 ℃超えが常態になってしまう。

8/8(火)快晴暑い 夜間降雨若干 中通病院外来 
1:45起床,文献・新聞ほかこなす。5:30家庭ゴミ集積所。花壇の対応散水、立秋も過ぎ、早朝涼風あり快適、一方、私は秋の息吹に恐怖感を覚える。6:40バス中通リハ病院。7:00-8:00病棟対応、8:45-12:45中通病院内科外来。人数の割に疲弊。13;00リハ病院、微睡1時間、読書ほか。病棟ではお盆を前にした点滴等のオーダー求められる。新入院あり。多剤服用患者。19:20帰宅夕食。20:30就寝。

今年の秋田は暑い(5) 次世代エアコンは日本発
 現在のエアコンは人間の命を熱波から守るには必須のアイテムになっている。
 約1世紀の歴史を持つ偉大な発明ではあるが、使用する冷媒も、電力の消費の面からも地球環境への負荷が大きすぎる。

 人間の健康と地球環境を守るために新しいアイデアのエアコンの必要性は明らかである。 
 米国のシンクタンク、ロッキーマウンテン研究所はそのために最近、国際コンペを開催した。優勝したのは日本のチーム、 中国のチームでいずれも水の気化熱を利用してエネルギー消費を減らす方式を採用している。 この方式のエアコンは2025年までに商品化される見込み。

 静岡市にあるGF技研は従来と比べて半分の消費電力で、冷房機能と換気機能を両立し、低排熱で地球温暖化防止と健康的な社会の実現に貢献する空調システム、フレッシュ・フリー・エアコン『FFA』を開発した。将来的には、GF技研が開発した太陽光発電と熱回収を同時に行う一体型パネルを組み合わせることで、消費電力ゼロを目指す、という。

 FFAは水の蒸発によって空気を冷やすためにフロンなどの冷媒不要で、室内空気を通すだけで冷房が可能。電力は送風にしか利用されないという理想的な構造を持つ(詳細は省略)。

 世界の空調システム市場は、2019年の約9.7兆円から2025年には約14.1兆円に拡大すると予想される。同社では物流倉庫や工場、オフィスといった事業者向けを中心に事業を展開し始めており、そのうちの10%程度は「FFA」への置き換えが可能だと見込んでいる。
 家庭用エアコンとしても発売が予定されているという。

 秋田も近年暑くなってきている。調理を担ってくれている石井さんの希望もあって我が家でも2019年6月に居間にエアコンを設置した。確かにこの季節台所で火を使うのは大変であろうと思った。私の生活時間帯は早朝のなのであまり必要性を感じないが、昼にはそれなりに利用されているようである。
 私の書斎は午後から夕方にかけて西陽が当たる。就寝時はとても暑いが扇風機を活用して汗だく状態で眠っている。秋田だからなんとかなっていると思う。もっと暑い地方ではエアコンに頼らざるを得ないだろう。

8/7(月)早朝曇りのち晴れ、暑い 夕方降雨 健康クリニックドック  
 1:30起床。文献チェック他。エッセイ読み、データ整理。5:00アマリリス分株、1鉢から3鉢に。上手く根付けばいいが。散水。6:40バス中通リハ病院、7:00-8:10病棟対応。9:00-11:30健康クリニック。15人、結果判定12名、11:45中通リハ病院に。微睡、読書、データ整理。15:00病棟対応。16:00秋銀スタッフ2名来訪歓談。19:10帰宅、夕食、21:00就寝。

今年の秋田は暑い(4) 現在のエアコンの問題点
 熱波から命を守るにはエアコンの意義は大きい。エアコンの設置台数は、世界中で現在の16億台から21世紀半ばまでに56億台に増えると、国際エネルギー機関は予測している。
 ただ、困ったことに、 今のエアコンの普及は地球温暖化を加速する。

 かつて住宅にエアコンを設置するのは、富層だけに許された贅沢だった。だが今
では世界各地で、エアコンは熱関連死の予防に欠かせない装置になりつつある。 

 大半のエアコンの仕組みは、液体状の冷媒が循環し液体からガスに気化する過程で、室内の空気から熱と湿気を奪う。 建物の外には室外機が設置されていて、ガスになった冷媒を再び液体に戻し、熱を放出する。

 1世紀の歴史をもつこの独創的な方式には四つの問題がある。
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?一つ目は、一般的に冷媒として使われるハイドロフルオロカーボン (代替フロン) はそれ自体が温室効果ガスであり、環境中に漏れ出せば、分子1個で比べると二酸化炭素の何千倍にものぼるとみられる温室効果を発揮する。
 モントリオール議定書に基づき、先進国は冷媒に使用するフロン類を2011〜2013年の平均値から2024年には40%以上、2029年には70%以上削減しなければならず、対応のために多大なコストが発生する。また、フロン冷媒には火災時に有毒ガスが発生する懸念もある。

?二つ目は、今のエアコンでは熱を屋外に捨てるだけ。夜間にエアコンの使用により、屋外の気温が最大1℃上がっているというデータもある。

?三つ目は、エアコンを動かすには大量の電気が必要。 その量は世界の電力消費の約8.5%を占め、大半は今も化石燃料で得られている。 2016年にはエアコンの使用による世界の二酸化炭素の排出は11億3000万トンにのぼった。2050年までにこの数字は2倍近くになると予想されている。
 このままエアコンの世界的普及が進展すれば、地球温暖化がさらに加速することが想定される。

?四つ目は、効果的な換気ができないこと。冷媒使用のエアコンには、この課題に対する解決策が見つかっていない。
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 いま、次世代のエアコンが実用化途上にあり、我が国の技術が期待されている。

8/6(日)快晴暑い  竿灯最終日 広島原爆投下78年
 1:30起床。読書、徒然、音楽関連データ整理。特に歌謡曲に集中。徒然など。7:30ダリア等に撒水、アマリリス株分準備、データ入力ほか。8:15慰霊祭、その後は歩くて無理、読書等座学に。のど自慢楽しむ。14:30家内とともに旭川コイに給餌後長崎屋古書店経由中通リハに。病棟対応。発熱者数名。19:00帰宅、夕食。20:30就寝。

今年の秋田は暑い(3) 諸外国熱波事情
 古い話であるが、内容的には古くはない。近々の問題でもある。
 2003年夏、フランスを襲った熱波で気温が危険域の40℃に達する日が8日間も続いた。当時のフランスはエアコンの普及率が低く、高齢者が自宅で熱中症になって死亡する事例が相次いだ。

 病院には患者があふれ、遺体安置室が満杯になって、冷蔵トラックや食品市場の冷蔵室にまで遺体が運び込まれた。 
 最終的にフランスでは熱波による死者は1万5.000人余りにのぼった 。
 欧州大陸全域で死者は7万人以上。その後の分析で、この年の夏の暑さは欧州では過去500年間で最高を記録したことがわかった。 

 この異常な猛暑は明らかに気候変動と関わりがある。
 気候変動では、威力を増す熱帯低気圧、干ばつ、 海面上昇、森林火災シーズンの長期化など、地球温暖化に関連するとみられる異変が次々と明らかになっているが、そのなかでも、熱波の増加は日常生活にじかに響く。 

 欧州では、2003年の熱波はもはや異例ではない。 以後5回も大規模な熱波が襲
い、2019年にはフランスで46℃など、西欧の6カ国で観測史上最高の気温を記録した。

 地球温暖化に対する解決策は温室効果ガスの大幅な排出削減であるが、現状のまま排出が続けば、米国では2100年までに熱波関連死者は年間10万人を超えると予測されている。インドでは年間の死者が150万人にのぼる可能性があるという。 

 たとえ排出を削減できても、気温の上昇は今後何十年も続く。 極端な気象現象はすぐには収まらず、人々の生活は大きな変化を迫られる。
 今の国際情勢から見て排出削減は困難であり、異常気象は今後も続くと私は思う。

 この中で人類は生きていかねばならなくなった。
 猛暑は、早産児や低出生体重児、死産の増加と関連があるといわれている。 猛暑が続くと、 所得水準を問わず人々はより暴力的になる。子どもの学習成績は下がり、大人の労働生産性は低下する。農作物の収量は減少し食糧危機は一層ひどくなる。

 人間と作物と家畜は過去1万年にわたり、年平均気温13℃近くを中心とする比較的狭い気候条件の環境で進化してきた。人体はそれより高温の気候にも適応できるが、生存可能な気温と湿度には上限がある。

 エアコンの効いた屋内で過ごせばいいと思うかもしれないが、これは一部の富裕層の考え方であり、今のエアコンはそれ自体が地球温暖化を促す一因となる。 

 しかもエアコンを最も必要としている人たちの多くはエアコンを買う経済的余裕がない。暑さ対策は、住宅や水の確保、医療サービスの提供など、より広い社会問題と切り離せないのだ。
 経済発展が進めば、エアコンの普及率が上がり、年間に何百万人もの命が救われるという。 
 エアコンの設置台数は、世界中で現在の16億台から21世紀半ばまでに56億台に増えると、国際エネルギー機関は予測している。

 ただ、困ったことに、 今のエアコンは地球にやさしいシステムとはとても呼べない問題児でもある。


8/5(土)快晴暑い 竿灯3日目
 3:00起床,寝苦しかった。いつもと同じ。読書、入浴、座学など。8;00ダリアに散水、畑収穫など。トマト大量に収穫。暑さにて継続は無理休息。座学、新聞チェック、読書など。13:00家内に同乗、旭川コイに給餌、通町経由中通リハ。病棟対応、新聞入力、自炊3冊。19:15帰宅。19:00夕食、20:30就寝。

今年の秋田は暑い(2) 熱中症は単なる脱水症ではない、極めて重症な病態なのだ
 人間の体には、体温を危険レベルまで上昇させないよう、熱を放出する仕組みが主に二つ備わっている。
 ?一つは、血管が広がり、 皮膚に熱が送られて放出されるというもの。
 ?他の一つは、 大量に発汗し汗が蒸発したときの気化熱で皮膚を冷やす。
 こうした仕組みがうまく働かなくなると人は死に至る。

 熱中症で体温が上がると、拡張した血管にたっぷり血液を送るために心臓と肺はフル稼働する。心臓の働きが追いつかなくなると、血圧が急低下し、めまいがしたり、よろけたり、ろれつが回らなくなる。 大量の発汗で塩分が失われるため、 筋肉のけいれんも起きる。多くの患者は意識が混濁して、すぐにも助けが必要な重大な状況であることに気づかない。

 大量の血液が皮膚に送られると、職器に流れ込む血液が減る。すると血流の低下が引き起こす一連の反応で、多くの臓器の細胞が破壊される。 

 丈夫な人は深部体温が42℃まで上がっても何時間かは耐えられるが、乳幼児と高齢者は概して熱に弱い。健康であっても、高齢になると熱中症のリスクは高まる。 

 高齢者が弱い理由の一つは、加齢に伴って汗腺が小さくなり、汗が出にくくなること。 また、 喉の渇きを感じ難いため、十分に水分を摂取しない場合も多い。 そうなると体は残ったわずかな水分を失わないよう発汗を止め、逆に寒気がして震えることもある。

 この時点で心臓発作を起こすこともあるが、より健康な人も視野狭窄や幻覚に襲われる。また、神経が過敏になって、衣服が肌に触れただけでもひりひり痛み、 着ているものを次々に脱ぎ捨てる。血圧が低下するにつれて、意識を失うこともある。

 ここまで来ると心筋も含め、 筋肉組織が正常に機能しなくなる。
防御反応が低下した消化管から毒素が血流に入り始め、血管の中で血液が固まり始める。その結果、脳や心臓、腎臓、腎臓などの重要臓器が機能障害に陥り、やがて死を迎えることになる。

 このように、熱中症は単に脱水症の範疇にとどまらない複雑な病態を持つ。特に厳しい多臓器不全の状態に進行しうる危険な状態なのだ。
 
 8/4(金)晴れ暑い 大曲中通病院  竿灯二日目
 1:05起床,文献・新聞チェックその他。5:30一般ゴミまとめ提出。散水、収穫ほか。7:40Taxi駅東。8:11こまち。大曲は往復Taxi。帰路郵便局でユキへ薬送る。8:55大曲中通病院外来、混雑。帰路の新幹線は乗客混雑、書店訪問なし、15:20中通リハ病院。病棟対応。新聞チェック、電子化の余裕なし。19:30帰宅、車はスムーズ、夕食、20:30就寝。

今年の秋田は暑い(1) 吹く風は熱風 気温も38度Cを超えることも 
 厳しい暑さが世界的に続いている。
 秋田もとても暑い!!!  今日は遠くにある台風の影響かやや強めの風が吹いた。通常なら風が吹くと吹き出た汗に当たって涼風感を伴うのであるが、風自体が熱風なのでむしろ辛い。こんな経験は私は初めてである。

 気候変動対策は、緊急的対応とその原因を緩和の二つがある。前者は温暖化で起きた現象への対処、後者は気温上昇を抑える活動だ。

 目の前の命や健康を守る行動が必要だ。同時に、気象激甚化の原因である地球温暖化対策にも力を入れなければならない。この二つのことは互いに矛盾を含む。

 温暖化による気象災害への影響は近年スパコンで調べられるようになった。温暖化した地球と、していない地球をスパコンの中に作り出し、比較する計算を繰り返すと、豪雨や猛暑の起こりやすさの違いがわかるらしい。

 この手法を使った研究チームは、今夏の欧州南部や米国の熱波は「地球温暖化がなければ起こりえない現象だった」と指摘した。深刻な現実から目をそらさずに、気候変動に正面から向き合う必要がある。

 はっきり言って戦争など、軍拡などしている暇はないのだ。
 国連の気候変動に関する政府間パネル(IPCC)が今年まとめた報告書は、気温が産業革命前に比べて1.5度上昇すれば「10年に1度」の熱波の確率が4.1倍になると指摘した。すでに1.1度上昇しており、いまのままなら2030年までに1.5度を超えるとしている。

 対策として、猛暑なら、水分を補給し、適切に冷房を使う。炎天下での外出をなるべくせずにすむような社会を作るのも適応策だ。サマータイムの適応も一方法だろう。
 一方で、将来の自分や子孫たちのために、再生可能エネルギーの利用を広げて温室効果ガスの排出を減らすという緩和策も急ぐ必要がある。

 日本の7月の気温は、観測史上最高の暑さになった。
 熱波は世界的で、国連では各国に具体的な効果が期待できる行動を求めた。

 だが、世界的にみて排出削減は遅々として進んでいない。
 ロシアのウクライナ侵略によるエネルギー情勢の変化も影を落とす。

 再エネの課題も小さくない。だが、できることはまだ多い。
 太陽光や風力など地産の電力は災害対策にもなる。
 国産エネルギーである再エネの拡大に全力を注ぐべきだ。しかし、我が国でのエネルギー対策は原発に指向している。それも気になるところである。

8/3(木)快晴暑い 竿灯初目
2:00起床、録音データ処理。9:00中通リハ、入院患者対応、リエゾンなど。10:30-12:30 IVH挿入見学。13:00−14:00患者家族面談2件、新聞チェック、自炊など。19:00帰宅、夕食、20:30就寝。

最近時間が足りない(2) 信条 「継続は力なり」が弱まった
 最近、私の自由時間が不足している。
 その要因は、?就業環境の変化、?健康状態の劣化、?睡眠時間を伸ばした、?読書に割く時間が増、?園芸や畑は私の都合を待たない、?加齢とともに時間感覚が短縮・・・など、まだまだあるが、大したことをやっていないのに時間だけが早くすぎる。

 結果としてブログの記述の時間が乏しくなり、連日更新は困難なようである。

 今回、上記のごとくのさまざまな要因が重なった。
 少し手抜きしたりしても時間がリッチになるわけではないが、少しクールに「こんな状況ではダメだ」とも思えるようにはなった。
 「もう年齢は戻らない」のだ。だから、素直に「気を楽に・・」、「時には怠けるべき・・」と捉えるべきだろう。
 しかしながら、高校生・大学生の時から保持し続けてきた「継続は力なり・・」という私の信条の地位がフラフラと落下していくのを感じ、とても残念である。

 これからどう生きるか。それはいまだに見えてこない。誰もが、どんな年齢であってもそうだろう。しかし、7月末頃から新しいスタイルを歩み出そうとしているのは事実。

 私の生活パターンは他人とはずれているが、「規則正しい生活にして心身を整えよ」という最適な手段を教えてくれた私の心臓の言うことを素直に聞いて、今を生きることにする。

 私は「継続は力なり」と言う言葉が好き、というか信条としてきた。というか、私の場合には好きのレベルを越えて、この言葉に時に「励まされ」、時に「追いかけられ」、時に「苛まれ」てきた、と言っていい。私はこの言葉によって育てられた。
 思い立って何かを始めた際、一定期間続けてしまうと、「継続」することが主たる目的となってもう止められない状況に陥ってしまう。主客転倒であるが、私にとっては自分に対する励みにもなっている。

 私の「継続は力なり」の項目(一部)
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■ 早寝早起き励行(1965〜継続中)
■ アリバイ用生活記録を書く(1968〜 継続中)
■ 徒然・ブログ記載(2001〜 継続中)
■ 新聞スクラップ(2008年〜 継続中)
■ ラジオ深夜便録音と再聴(2008年〜 継続中)
■ 岩手へ復興資金として収入の10%ほど寄付(2011〜 継続中)
■ 徒歩通勤と連日歩数記録(2001年〜2023年7月 Σ26.220Kmで終了)
■ などなど・・・


8/2(水)晴れ 
1:30起床,それほど寝苦しからず。読書、録音のデータ整理中心。8:50散水、ダリア紐で締め上げ。草刈り9回目東側、樹木若干抜粋。バス11:10中通リハ病院、新聞チェック、14:30病棟カンファ。入院患者対応。19:00佐野薬局経由帰宅、夕食。20:30就眠。

紙の本と電子化書籍
 私は持っていた書籍のほぼすべてを自分でばらしてスキャナーで取り込み電子化した。部屋がすっきりして、本当によかったと思っている。

 一方、私はまだ本や雑誌の電子版ほとんど購入していない。やはり購入する本は紙の書籍がいい。

 電子書籍に疑問を持っている。第一は価格面である。紙の本はエコではないし、電子書籍作成過程も大幅に省力化できるはずだからもっと安くてもいいじゃないだろうか。しかし紙の書籍に負けず劣らず高額である。

 幼い頃からの習慣で、本は紙で読むものと思っていた。 紙の本は重いし、手触りが感じられるし、それぞれの本には匂いもある。 装丁も重要な要素で、眺めるだけでも楽しい。紙の本は内容はもちろん、外側からも愛でられる。

 私が自炊し始めた当時はまだ、電子化書籍を読む端末が一般的に普及していなかった。 タブレットはもちろん、スマホも現在のように、学生や子どもまでが持つような状況ではなかった。
 
 しかしその後のスマホやタブレットの普及はすさまじく、あっという間に広がっていった。

 私が蔵書の書籍化を始めたのは終活の一環としてこの世に残す物理的な荷物を減らすためであって、当初は電子化するものの書籍をタブレットで読む気にはならなかった。

 そのうちに必要があってその一部を読み始めたのであるが、当初はただ目がタブレット上の字面を追っているだけで文章がまったく頭に入ってこないのには自分でも驚いた。
 徐々に慣れ、結果的にとても便利な存在となった。ここ10年ほどは購入した書籍は装丁や感触を楽しんだ後すぐにバラして電子化し直接読むことはほぼ皆無になった。

 しかし、電子化書籍の場合、気になった文章をあとから探そうとしても、どこにあったのか分かり難い。紙の本だと、パラパラめくりながら大体このあたりにあったはずと、見当がつけられるが、パラパラめくりが不得意なタブレットではそれができないので、目当ての文章がなかなか見つからずにひと苦労する。これが電子化の大きな欠点である。

 それへの対策として目次をじっくり見て本の構成を頭に入れて読み、時々また目次に戻リ再確認する。従来ほとんど見なかったインデックスも利用する。これで電子化の欠点をかなりカバーできるようになった。

 かつては、将来はすべて電子書籍になるだろうという書籍編集者もいた。しかしそうはならなかった。電子書籍にもたくさんの利点はある。

 しかし、紙の書籍の魅力を電子書籍は凌駕することはできなかった、と思う。

 紙の本を手にしたら、内容はもちろん、その触感から様々な想像する。紙の本は視覚だけではなく、触覚、嗅覚などの五感を通して私どもを養ってくれる。 これが本の魅力である。

 読書は、手軽に文章が読めればいいのではない。読んだら機会を得てアウトプットしないと読書の価値は発揮できない。だから、私は紙の本のよさを無視できない。
 
 だから、まず紙の書籍を購入し、その存在を十分あじわってから電子化する所以である。


8/1(火)朝から快晴夕方降雨 中通病院外来  
2:00起床,降雨のためか気温低下、寝苦しさ改善した。朝はいつもの如く。5:00可燃ゴミ廃棄準備のみ。6:40バス飯川病院。7:00-8:10病棟患者対応、8:45-12:30外来、予約患者25名程度、疲弊。12:45飯川病院、15:00患者家族対応、堀井氏。19:15ひらのや経由帰宅、夕食。20:30就眠。竿灯明日から。

最近時間が足りない(1) 種々合理化・省力化を試みている ブログの連日更新無理に
 最近時間が不足している。
 勿論、物理的な時間が短くなっていることはないが、私が自由に使える持ち時間が乏しくなっていることは確か。そのせいでブログの記載が遅れ加減である。連日の更新は困難になりつつある。7月は10日分ほど遅れてしまった。

 時間不足の要因の第一は就業環境の変化である。
 私は4月以降勤務先が変わった。法人の嘱託職員としては変わりがないが、主たる勤務先が中通総合病院+飯川病院から中通リハビリテーション病院となった。今までの健康クリニック(月曜日午前)、中通総合病院内科外来(火曜日午前)、大曲中通病院外来(金曜日終日)は同じである。
 勤務時間を見れば従来までと大差はないが、内容的には大きな変化がある。
 中通リハビリテーション病院では約10年振りに主治医として患者を10数人受け持っている。さらに患者数は20名前後まで増える予定である。基本的には24時間責任を持つので結構大変である。
 
 第二の要因は私の体力の劣化である。
 5月5日に急性心不全を発症し約1週間入院した。幸い事なきを得たが、精密検査の結果心機能の著名な低下があり、冠動脈に狭窄部位が見つかった。再発防止のために1日の運動量・活動量を大幅に制限された。
 健常者の場合の活動量は10Mets程度とすれば、私の場合は2.7Mets以内が求められている。歩行で言えば3Km/時以下で、というレベルである。これで私の移動能力、仕事効率はとても低くなった。新しい勤務先のスタッフ達は私を大事に扱ってくれているが、彼らのためにも不用意に再発させられない。

 第三の要因は健康を考えて睡眠時間を若干長くしたこと。
 従来平均am1:00起床であったがam2:00頃にした。これでちょっと自由時間がなくなった。

 第四の要因は読書を中心に、種々の物事に対する興味が亢進していること。
 いろいろなジャンルの書籍を毎月20冊以上を買い込み、自炊してiPadで読んでいる。ラジオ深夜便などの録音データの再視聴も欠かせない。
 今集中しているのは弘兼憲史の島耕作シリーズのマンガである。これは100巻を越す大作で一人のサラリーマンの人生を学生時代から定年後まで追った長編で、私は自分の人生を主人公に重ね合わせて味わいながら読んでいる。

 第五の要因は園芸や畑仕事を細々ながらやっていること。
 草刈作業の代わりに除草剤を広く使用するなどかなり手を抜いているが、植物たちは私を待ってくれないから結構大変である。彼らは見事な開花や結実で私に応えてくれる。

 第六の要因は年とともに時間感覚が短縮していること。大したことをやっていないのに時間だけが早くすぎる。

 まだまだ要因はある。
 結果としてブログの連日更新は無理なようである。
 ブログの開設当初は今よりもハードに業務を抱えていて時に更新できないことはあったが、ここ10数年は連日更新していた。
 先月月末分は残念ながら諦めることにした。
 これからは連日更新にこだわらないようにするつもりである。





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