徒然日記

 日記と言うより、自分の行動記録と日々の雑感です。

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 6/8(火)晴れ曇り一時雨 中通病院外来 飯川病院ボランティア 
1:15起床,新聞・文献チェック、他。5:00可燃ゴミ廃棄せず。6:47バス飯川病院へ、8:45-13:00中通外来。中通病院院長交代があった。秋大第三内科から赴任の奥山医師。13:15飯川病院へ、微睡、14:00ボランティア、データ整理・新聞チェック。19:20帰宅、夕食、20:30就寝。Σ7944歩。

本 帚木蓬生:「沙林」 偽りの王国(3) 帚木氏の怒り
 地下鉄サリン事件から25年、今でも多くの方々が視力障害などの後遺症を抱えている。
 日本ばかりか世界をも騒然とさせた地下鉄サリン事件。まるで全容の見えなかった松本サリンと併せて、あの事件は、全てがショッキングな出来事であった。

 地下鉄サリン事件を扱った本としては、村上春樹氏の「アンダーグラウンド」と「アフター・ダーク」が忘れ難い。二冊とも、事件に巻き込まれた多数の人たちのインタビューで構成されていた。
 村上氏が、人間のもたらした闇を人間の立場から、帚木蓬生氏は精神科の医師の立場から化学兵器に於ける毒性と治療という観点から事件が再検証している。
 化学テロという歴史の汚点の解明者として、両氏の作品とも最後には人間の「いのち」に焦点を絞っている。犠牲者たちの上に連ねられた文章の重みがあまりに痛々しく、そして凄まじい。

 平成の時代の日本に於いて、狂った集団によって箱庭的な「偽りの王国」が造られようとした事実を忘れてはならない。

 化学兵器のサリンが世界で初めて用いられたのは1994年6月の松本サリン事件であった。翌年3月東京地下鉄サリン事件、6000人以上が被害を受けた。
 当時メディアは事件を詳細に報じ、裁判でも長期にわたって裁かれた。しかし、全体像は未解決であった。
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 ■結局は金集め。
 ■高学歴者の洗脳。殺人兵器作成と実践
 ■事件は各所で起こったが、警察の捜査に横の連携を欠いていた
  坂本弁護士事件 神奈川県警
  国土法違反 熊本県警 
  松本サリン 長野県警
  公証人殺害 警視庁 
  上九一色村 山梨県警
  教団本部 静岡県
 ■松本サリン事件が適正に勧められていれば、地下鉄サリン事件は防ぎ得た。
 ■オウム関連では29人の死者、6500人超の負傷者が生じた。
 ■192人が起訴され、死刑が13人、無期6人、実刑81人、執行猶予付き懲役87人、罰金3人、無罪は2人のみ。13人が2018年7月に死刑が執行された。
 ■未解決は重松警察庁長官殺害未遂事件、村井秀夫殺害事件。オウム関連事件はまだ解決していなかった。それを政治が力で葬り去った。
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 人は洗脳されやすい。高学歴の専門性などは何も役に立たない。偏狭であればあるほど洗脳され易い。人間にはこの洗脳の問題は付いて回る。教育の名を借りた洗脳もある。

 尊師が与えたホーリーネームは教祖への帰順の証になり、個人は分断される。分断された宗教心は伝播しやすく疫病的になりその教えは正当化される。

 帚木氏は、評価すべきは医療機関の奮闘であったと説く。オウムが起こしたの傷害事件では原因物質もわからず治療法が不明ながらも最大限の知識を導入し、救命に当たった。我が国の優れた医療の実力が示された。


6/7(月)晴れ 健康クリニック 飯川病院
1:00起床,いつものごとし。データ整理ほか。5:00庭畑見廻り。散水。6;47バス飯川病院へ。9:00-11:15健康クリニック、ドック12名。結界判定14名。11:15飯川病院、微睡、14:00-19:00勤務。入院患者対応。当直医来院を待ち19:10帰宅、夕食、21:15就眠。Σ6655歩。

本 帚木蓬生:「沙林」 偽りの王国(2) オウムとは?? 死刑執行が悔やまれる
 帚木蓬生著「沙林 偽りの王国」を読み終えた。読後感想はオウム事件についてやっと出会えた良書の一つ、ということ。この分野の書籍にはかなり目を通した私の感想である。

 主人公を神経内科専門医である九州大学医学部衛生学教授に設定し、その視点でオウム真理教による前代未聞な犯罪を、改めて展望し直したドキュメントである。
 本作はエンターテインメント性を重視する小説という立場からは大きくかけ離れているとのイメージ。オウム真理教に関して知り得た知見をできるだけ記録し、世に残しておこうという執筆の意図が濃厚に感じ取れる。数々の毒ガス、細菌兵器関連に関して、詳細な神経障害について医学者・科学者としての分析を加えた多数のページは、通常の小説の姿を求めた読者には腰が引けるだろう。

 この洪水のように押し寄せた情報を整理できる優れた情報処理能力、全体像を鳥瞰する力、加えて必要なディテールへの踏み込み、科学的知識には舌を巻く。そして、それをわかりやすく読者に伝える能力には圧倒的な力量が必要だが、それには常人離れした能力が必要である。この著者はそれを成し遂げている。

 今回の作品は、あくまで医学者としての眼で全体を俯瞰し、総体的・歴史的にオウム真理教がやったことの全体像を見直す形で、本書を綴っている。他に、当時の新聞報道や、裁判記録などにも触れている。裁判に関しても「教祖出廷」から始まり「証人召還」までの法廷場面において、主人公と弁護人の間でかわされた不毛と思える質問と答弁まで詳述している。
 改めて全貌を多角的に振り返る作家としての技術が読者を駆り立てる。
 この事件は、関わった人の数や時間だけでも相当なボリュームを持つゆえに、相当の集中力と準備時間を窺わせる苦心の作となっている。

 オウムが起こした事件は、多くはメディアを通じて知っているつもりと思い込んでいたが本書をよむとそれも自己満足に過ぎなかった、と思い知らされる。
 
 犯罪を糊塗するためにより大きな犯罪を繰り返す教祖は、巨大なエゴを持ちながら、若者達を駆り集め、王国を作り上げた。
 いずれ崩壊していくことは自明の理であったし、首謀者らには死の結末が待っていることも予測できたが、それでもブレーキをかけることはなかった。

 未解決の国松警察庁長官狙撃事件、幹部の重鎮を口封じのために殺害した事件などを含め、まだまだ解決していなかった。にもかかわらず、内情を知る幹部13人の死刑を急いでしまったことで、事件の一部は闇に葬られた。また、多くの犠牲者、その家族は深い哀しみを残したままとなった。

 だからオウム関連事件はまだ解決していなかったのだ。
 それを政治が力で葬り去った。
 このやり方で多くの疑獄を処理してきたが、我が国の政治の一つの特徴なのかもしれない。桜を見る会、森友加計問題他もいずれはこの様に処理されるのだろう。


6/6(日)快晴 温暖 畑、庭など中心 
 1:00飯川病院にて起床、通常の作業、新聞チェック、読書ほか。録音データ整理、自炊データ整理。家内達は本荘に。9:30秋田駅映画館など、13:00帰宅、微睡、花壇、畑に散水など。ダリア周辺草刈り11回目。16:00書斎で音楽関連の録画整理。新聞チェック、19:00夕食。21:00就眠。歩数Σ4810歩。

本 帚木蓬生:「沙林」 偽りの王国(1) 新潮社 2021年 2310円 やっと出会えた良書

 (500ページ余の大作「沙林」 名称の由来は台湾語だと言う)
 1995年03月20日、オウム真理教が起こした地下鉄サリン事件は日本の犯罪史上得意な意義がある。この事件は、我が国初のテロ事件でもある。
 オウム事件はまだ十分に解明されていないが、関係者13人が死刑になってその解明の道は閉ざされた。
 化学兵器サリンが世界で初めて使用されたのは1994年の松本サリン事件であり、大量殺人を目的として用いられたのは翌年の東京地下鉄であった。教団が置かした梶数の犯罪の全貌を探ろうとした本書の意義は大きい。

 サリンほか化学兵器、生物兵器などについて驚くほど詳述している。
 今までオウム真理教については洗脳や教団の欲望のように人間的面から追求した作品は数多く出版されている。そのうちのかなりの作品を読んできたが、本書は科学・化学的側面を加えての教祖の欲望むき出しの集団の闇が一層明らかにした。この様なアプローチは、精神科医師である作者だからこそ為し得たことと大きく評価したい。

 同様のアプローチをした氏の作品に和歌山カレー毒物事件をノンフィクション的に扱った著作がある。「本:帚木蓬生:悲素 新潮社 2018年」である。1998年(平成10年)7月2に和歌山市園部で発生した毒物混入・無差別大量殺傷事件である。 地区で行われた夏祭りにおいて提供されたカレーライスに毒物が混入された事件であるが、この作品ではヒ素と人間との関わりについて紀元前からの歴史、知見も加えて詳述している。ヒ素の神経障害についての記述も詳しく、作者の特筆的作品になっている。

 本書「沙林」は小説に分類されているが、ちょっと抵抗がある。事実に基づいた記述が多いからである。

 「沙林」は、1994年に生じた松本サリン事件から始まる。
 本書の主人公は九州大学医学部衛生学沢井教授で神経内科医でもある。広範な知識から長野県警への協力を通じて一連の事件に関わる。これは前述の「悲素」と同じ構成になっている。

 「地下鉄サリン」、「松本サリン」、「坂本弁護士殺害」、「VXなどの開発」、「教団の修行内容」から「捜査、逮捕」、「裁判」、そのほかの項目について被害状況から治療内容、酷い被害と被害者の声や証言など、あまりの執拗さに読む方が根を揚げそうになるが、作者の労苦を思えば、同じ医師として耐えて読まなければならぬ、と思った次第。なんとか完読した。

 本書は巻末の参考文献を含めて580ページのボリュームがある。参考文献は内外の出版物、学術的文献を広く集めており、そのリストを見ているだけで読みたいという意欲が生じてくる。
 第一次世界大戦後のドイツの「毒ガス兵器」開発、旧日本軍731部隊の「細菌兵器」開発などの人間の所業までもを暴き出す。未読であった何冊かの出版物を新たに取り寄せた。
 
 作家の真実を伝えたいという本能的意欲とオウム事件に対する、国民として、医師として、科学者として、作家としての怒りが手に取るようにわかる作品に仕上がっている。
 私は今、作者の意欲、意図を知りたくて、またオウム事件を一層深く知りたくて再度読み始めている。


6/5(土)快晴 午前園芸、飯川病院午後日直+当直 レセプト点検
1:00起床。文献新聞チェック、蓄積データ整理、その他いつもの如し。午前は庭仕事中心、草刈り10回目、ダリア、畑中心に。12:20家内に同乗飯川病院、日当直に就く。検食、新聞チェック、読書、外来レセプト点検、18:00検食、読書、20:00就寝。8157歩。孫は笹巻き作りに挑戦、宿泊なし。

政府「孤立・孤独対策」に乗り出す(3) 果たして機能できるか?(2)
 政府が「孤立・孤独対策」に乗り出す。私はその動きを評価するが、果たして機能できるか?危惧している。

 「孤立・孤独」は、多くの人にかかわる問題である。決して個人の問題でなく現代社会がもたらした病理の一つである。自己責任論、雇用形態の変化は大きい。したがって、政治・社会の総力を挙げて対策が求められる。

 特に、昨年初頭からはCOVID-19の流行があって、人びとの暮らしを直撃している。失職者も多く、経済的困窮に陥っている人たちも多い。外出自粛などで社会や地域とのつながりが薄れ、悩みや不安をひとりで抱え込むことも少なくない。
 厚労省によると、2020年に自死した人は約2万1千人で、前年より約900人増えた。自死者の増加は11年ぶり。とくに女性が7025人と前年より15%増え、小中高生も計498人と過去最多を記録した。COVID-19禍による孤立や孤独が影響していると考えられる。

 悩みに寄り添い、必要な支援につなぐ仕組みづくりを急ぐべき。
 相談が来るのを待つだけでなく必要な情報や支援を個別に届ける工夫もいる。地域の見守り活動や、居場所づくりも大事になる。

 行政だけでなく、NPOによる電話相談なども多い。活動実績としては後者が勝るような気がする。

 (3)相談しやすいNPOなどの準私的組織
 私の印象では、実際の成果を上げているのはNPOなどの準私的組織である。ここでは地道な努力が続いている。若い世代向けにSNSを使うところもある。ただ、その活動費は乏しく、活動の実態も、その成果もよく知られていない。こうした取り組みを社会で後押ししたいものである。スタッフたちはほぼ同一の価値観にあり、ほとんどが相談の担当員であることが強みだと思う。

 秋田にはNPO法人「蜘蛛の糸」の活動が有名である。自殺率が最も高いとされる秋田県で2002年から自殺対策に取り組んでいる。長年の活動で形になってきた自殺予防の民学官連携、すなわち秋田県、秋田大学、医師会、NPO法人などの連携のもとに取り組む「秋田モデル」が実績を上げつつある。

 (4)相談し難く、相談者の悩みを排除する傾向にある公的機関
 私の印象では、公的医療機関の福祉関係の相談機能はあまり評価できない印象がある。公的相談機関の問題点は、国などの方針を背景に安易に受け入れないという方針があり、相談の窓口に立つ係員は若手が多い。したがって、担当者は経験も足りず、深刻な相談を受けても裁量が殆どない。多忙さもあるのだろうが、頻回に来る相談者は疎まれ、けんもほろろに扱われる傾向がある。

 最近、生活困窮者の生活保護受給の相談は厳しくなり、相談者は人としての尊厳まで奪われかねない扱われ方にショックを受け、以後の相談を諦めるケースも少なくないという。

 報道で見る例は一部の特殊な例なのだろうが、児童相談所の受け入れ体制、警察のストーカー相談などもなかなか受け入れられないらしい。

(5)高齢者の自活の傾向はいいことだ
 上野千鶴子氏等は「おひとりさま生活・・」、「孤独死」などの著書を通じて高齢者の自活に関して意識改革を求めているが、これはいいことだ、と思う。
 ただ、それに呼応できるような方々は「孤立・孤独」からは無縁に近い環境にある方なのだろうと思う。


 抱えている悩みは人によって様々。失業などの経済問題や将来不安、人間関係、病気、暴力・虐待など、複数にまたがることも多い。
 「孤立・孤独対策」においては縦割り体制をなくし、包括的な支援につなげてほしい。もちろん、それぞれの分野で支援の専門家を育成・確保することは大前提となる。


6/4(金)終日降雨 大曲中通病院 飯川病院ボランティア  
1:00起床,文献本読み、新聞チェックほか。5:15可燃ゴミ提出。7:35Taxi駅東に。渋滞で8:11こまちに飛び乗る、先頭車は二人だけ。9:10-12:05大曲中通病院外来、病院・駅間は往復Taxi。秋田も同様。飯川病院ボランティア。19:15帰宅、夕食、21:00就寝。歩数計6736歩。画集ルーブル 、オルセー届く。

政府「孤立・孤独対策」に乗り出す(2) 果たして機能できるか?(1)

 (1)まず一般論として
 政府が「孤立・孤独対策」に乗り出すことにした。私はその動きを評価するが、果たして機能できるか?残念ながら危惧している。
 壁に当たっている人に手を差し伸べるには、時間的にも心理的にも、金銭的にも余裕が必要である。またその解決には権力、経済的バックアップを必要とすることが多い。

 有名人の自殺報道が出るたびに「話せる人はいなかったのか?」、「他に道はなかったのか?」、世にいう識者たちはそのような常識的な役にも立たないコメントを出す。実際にその識者が相談受けたらどう答える?どう応えるのか?その具体的内容を示してほしい。

 (2)私の場合、何も力がないから限界を迎えやすい
 私は外来診療を通じて、孤立・孤独に悩む方々、経済的困窮、生活上の不自由に関しての広範な相談を受ける。その際にはまず話をじっくり聞く。そのためには時間的余裕が必要である。診療途中ではできないから、診療の最後に回ってもらい面談の時間を作る。多くは対話の中で、自ら今後の道を探せるようになることが多い。
 
 しかしながら、悩みの内容によっては私には限界がある。
 私は若干のアドバイスまではできるが、種々の社会的支援が必要な場合もある。そのような場合には院内のMSW (Medical Social Worker)室に紹介し、専門家の判断に委ねる。彼らの判断で社会的支援の道が開けていくことが多い。

 患者が、家庭の事情で生きずらさを訴えてきても、私の範囲では何もできなかったケースが多い。人を助けるにはこころに余裕、社会資源・社会保障に関する知識も広く身についていなければならない。

 (2)相談者たちの気持ち
 この社会には余裕がない。皆自分のことで一杯なのだ。このスピードのある、能率一辺倒の社会をなんとかしなければならない。
 例を挙げる。2019年台風19号が東京を直撃し各所で避難所が作られたが、台東区では路上生活者の受け入れを拒否した。
 弱い立場の命を切り捨てるのか、と義憤を感じてそのニュースを見たが、それ以上に衝撃的だったのは路上生活者達の反応であった。拒否され、ずぶ濡れ状態の彼らの表情に意外と怒りはなかった。「仕方がない」、「自分たちは社会にとって邪魔もの。避難所は納税者が行く場所・・」などの発言が見られた。
 助けを求めても拒否されるという体験が積み重なり、差別に慣れきっている姿があった。

 助けて思っていても人に言えないのは、相談できないのは、支援者への信頼感がないことに尽きる。大事なのは普段からの両者の関係性や環境である。一人一人の顔が見えること、ここは安心して助けてと言っていいんだと思える関係しかない。
 この様な環境を国が主導して作ってくれるのか?


6/3(木)快晴夜半降雨 午後飯川病院 
 2:00起床,新聞チェックほかデータ整理。いつものごとく。5:00ネコ給餌。畑ほか見回り。ほぼ順調。11:50バス飯川病院着。検食微睡など。読書。14:00-から勤務、入院患者処置。録音データ整理、など。19:00帰宅、夕食、20:30就寝。歩数計11238歩。

政府「孤立孤独対策」につ乗り出す(1) いい政策と思う
 政府は本年2月「孤立・孤独対策」に乗り出した。
 社会的不安に寄り添い、深刻化する社会的な「孤独・孤立の問題」について総合的な対策を国が推進する、というもの。
 そのための企画及び立案を処理するため、内閣官房に「孤独・孤立対策担当室」を設置した。この試みは英国に次いで2番目という。
 当初は6月までに提言をまとめる、ということになっていた。間も無く期限が来る。

 私は、現在準備中の「デジタル庁」、「子ども庁」とともにいい政策だと思う。ただ、「子ども庁」とともに問題は複雑で、従来の縦割りシステムを改善しようとする意欲が無い限り、提言の作成さえもかなり困難を伴うものと思われる。「孤独・孤立対策担当室」にそこまで踏み込んだ提言をする力があるのか、ちょっと疑問に思っている。

 今の社会にはいろいろな問題があり、毎日が凄いスピードで過ぎて行く。そんな中、一つのことでつまづくと出口が見えなくなる。我が国の社会では若い時に人生のルートに乗り損ねた場合、なかなか修復、再出発が困難である。結果的に、一人で悩んでしまいやり直すこともできなくなる。
 そんな場合、実行力、決断力のある組織を作り、そのメンバーがじっくり話を聞き、相談に乗る、そしてつながりを保っていくことが一番大切な事だと言える。

 「孤立・孤独」は個人の問題として捉えられやすいが、必ず社会的要因がそこにある。
 そこには文化、文明、時代の流れに他、「政治」によって生じてきたものもある。特に我が国の政治は、「自己責任」の美名の元に多くを弱者に落しめただけでなく、救い上げすらを困難にしてきた。「孤立・孤独」はこの様な政治の結果である。菅総理が過去の政権の方向と問題点に目覚めた??とは思えないが、この検討過程で、日本の政治の問題点そのものの洗い出しも必要となろう。私はその点に大きな興味を感じている。

 まず実情の洗い出し、社会・行政などの種々の要因の洗い出しが必要になる。その際に、厚労省の国民生活基礎調査の指標として「孤立・孤独」の項目を盛り込むのもいいかもしれない。

 「子ども庁」に関して種々の問題点を書き出した。子供の日2021(3) こどもをめぐる諸問題を羅列してみた
 そこにあげた要因と共通するのも少なくない。
 子供達、若者たちには、頑張っても公正に報われない社会が待ち構えている。

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自殺リスク者
家にも学校にも居場所がない
消えてしまいたい
周囲に助けを求められない 助けて、と言えない社会
誰にも話せない、理解されない孤独
LGBTや性被害
何日も食事もしていない生活困窮者
生活保護をためらう意識
暴力、児童虐待、配偶者からのDVなど
孤独死
無縁社会
孤独な育児
孤独感の末に破壊行為

などなど
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 問題点として、支援が必要な人に支援が届き難い実情がある。困難を抱えると助けを求める力が自体が弱くなり、望まない孤独におちいる人たちが増えていく。
 孤独・孤立で悩んでいる人々はそれまで頑張って来たと思われる。しかし、頑張っても頑張ってもどうしようもない状況に追い込まれる時は必ず誰にでもある。

 そんな時はいろいろな方々とつながって、相談することである。それが新たな知を生み出すことにもなる。


6/2(水)快晴 午後飯川病院 歯科受診
1:00起床,新聞チェックほかデータ整理。午前畑仕事若干、歯科受診他。医家美術展は終了していた。12:30飯川病院。入院外来患者対応、本読み、自炊データ整理。19:15帰宅、夕食、20:30就寝。歩数Σ5335歩。

徒歩通勤2021(2) 2回目の日本一周 青森終了北海道に至る
 2013年4月に自転車通勤をやめ、片道7Kmを徒歩で通勤することとした。その際に購入したのが歩数計「新・平成の伊能忠敬」である。
 伊能忠敬の足跡を、ゲーム感覚で日本一周約18.000Kmを地図を作りながら進んでいくという優れものであった。いまだにこれで毎日の歩数を計測している。

 2013年4月7日に東京を起点に北上開始した。
 2020年1月17日、6.8年かかって日本一周を達成した。
 その時の最終的積算データ。 所要日数2.290日目、6.8年。総歩数Σ2.171万歩 (平均9.480歩/日)。歩行距離Σ17.372Km(平均7.59Km/日)。

 この間の歩行距離を抜き出してみた。徒歩通勤開始の当初、1日25.000歩、20Kmにも達したことがあったが、2017年5月歩行平均7.7Km/日、2019年9月時点 歩行平均7.56Km/日と目標には達しなかった。

 特に、2019年あたり1時間余の連続した徒歩は体調不良が生じうるため、全コース徒歩をやめ往路の通勤をバスにした。そのために、天候や業務の都合で自分でボロ・レガシーを用いている機会が増え歩行距離は一層低下した。

 最近では自宅や病院周辺、病院の階段をこまめに歩いて歩数を稼いでいる。

 第1回目は開始約1年後2014年3月の段階で青森県を終了した。積算計はΣ2932Kmを示していた。

 今は2回目の日本一周に挑戦している。
 2回目のスタート日は2020年4月15日だから青森終了まで398日かかった。第一回目より一月半長くかかっている。それだけ毎日の歩数が落ちてきたことを示している。
 現在の最終的積算データ。 所要日数2.982日目、8.2年。総歩数Σ2.777万歩 (平均9.3歩/日)。歩行距離Σ22.219Km(平均7.5Km/日)。

 本日、2回目の北海道の開始である。北海道一周は2750Kmと長い。多分一年以上かかるだろう。年齢を考えるとちょっと気が遠くなる感じがする。

 それにしてもこの8.2年、歩数計を無くさないで、故障もさせないで毎日計測できたことは自分にとっても驚きである。 


6/1(火)曇り午後快晴 外来 飯川病院
1:30起床。いつもの如く。徒然など。大坂なおみ全仏棄権、鬱病だった?音楽の友自炊
5:00可燃ゴミ提出。6:47バス飯川病院。8:40-12:45中通病院外来、院長交代したらしい。13:00飯川病院、ボランティア、微睡、読書、新聞、文献読み、19:00帰宅・夕食。20:30就寝。歩数計8342歩。文庫本自炊化。

退職11年目 この10年の感想 振り返ってみればパラダイス期間 
 「急性期の病院に年寄り医師は不要」、「私の社会的使命は終わっている」、「社会の老害、男性害の一人」、「もう私は医師として有用な役割を果たしていない、必要ともされていない」・・・などと発言した私は、現在も嘱託医師として働かせていただいているが、明和会からいつ契約解除されても良い状態である。
 
 飯川病院の方は病身の院長が在任している間だけは補助したいが、これも病院側の意向次第で明日のことはわからない。飯川病院では作業員としては有用らしい。

 患者以外と会話を交わすこともなく、ほぼ引きこもり状態であるが、私としてはとても有意義な、自由時間が豊かな日々を過ごさせてもらっている。人生の最終コースに入った身にしてみれば、この様な環境が与えられていることは法外の喜びで、感謝以外の何者でもない。

 私は最近、老化や体調不良もあって意欲が乏しくなった。そうはいえど、私は学資負担はほとんどなく税金で医師になったようなものだから、社会に恩義がある。だから求められるうちは働くつもりである。
 
 近況。
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 ■ホームページ:更新が負担になった。今後、更新しない日が増えていくだろう。
 ■徒歩通勤:体調不良もあって全コース歩行は出来ない。伊能忠敬の足跡を辿っての日本一周は、2周目で間もなく北海道に渡る。焦らずゆっくり歩きたい。
 ■通勤の交通:am6:47のワンコインバスに、復路は家内に同乗。
 ■岩手県への復興資金:収入が減ったので若干減額した。
 ■日々のルーチンワーク:録音、録画、新聞スクラップ、文献スクラップ、学術文献スクラップ、書籍の自炊を減らしている。
 ■園芸:野菜、花壇づくりに興味を感じてきた。
 ■視力低下;パソコンの画面を舐めっている感じ。されど、書籍購入、読書は減らしたくない。
 ■運転免許:返上済み。なかなかいいもんだ。
 ■緊張感の少ない生活にシフト:惰眠をむさぼる、ネコと遊ぶ、などなど。
 ■体重コントロール:難渋している。ブタ!!と言われても腹も立たない。
 ■終活:嫌になった。
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 飯川病院の院長は私の家内で雇われ院長である。
 私は病身の彼女を休ませるために居るようなもの。業務をもっと代行してもいいのだが、「外来に出すと患者が減る、入院を担当させれば患者が死ぬ」と言って出させてくれない。

 まあ、いろいろあるが今年度も、最小限の責務しかできないが、果たしていければいい、と思っている。


5/31(月)曇りのち晴れ 健康クリニックドック 飯川病院 
1:00起床。本読み、文献チェック。データ整理。自炊5冊。6:47バス飯川病院、9:00-11:30健康クリニックドック14名+結果判定14名。11:45飯川病院、
微睡、読書など。14:00-18:00飯川病院勤務、入院患者対応。20:00院長COVID-19関連の講習会。20:00帰宅・夕食、21:30就眠。Σ6192歩。

COVID-19(2021)(26) 米ファイザー社は菅首相からの電話もCEOに取りつがなかった 
 菅首相がCOVID-19対応の切り札と位置付けるワクチン確保は他国に比較して大幅に遅れていた。出遅れに焦った菅首相は従来の厚労省ルートではなく、当時の杉山駐米大使を動かし直接米ファイザー社本社に働きかけることにした。

 以下がその交渉の概要である。
 世界的危機の中で我が国が特別扱いを求めることは出来ないだろうが、国家の首長も一製薬会社からも結構軽く扱われていた。これは私が抱いた否めない印象である。
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 (1)杉山駐米大使は「日本国総理からの連絡である」として同社に連絡を試みたが「同じようなリクエストは各国からきている」と全く相手にされなかった。

 (2)壁にあたった杉山氏はトランプ政権の厚生長官であったA・アザール氏に仲介を依頼した。同氏は「あなたが電話してもファイザー社のCEOは電話にも出ないだろう。こちらでできるだけのことをやってみる」ということになった。

 (3)A・アザール氏の申し出にファイザー社のCEOから「18:00から5分間のみ」電話可能との返事を得た、という。
 
 (4)この時間に杉山氏が電話し、日本政府の窮状を訴えたところCEOは担当役員へ善処するよう指示する、との約束をした。

 (5)この時の交渉によって、結果的に4月になっていた供給開始が2月に前倒しされたが、逆に十分な供給量確保の時期は6月から12月に後退した。

 (6)その後は河野担当大臣が先頭に立ち、総理もファイザー社のCEOと直接交渉することで「9月までに全ての対象者に確実に供給できる目処がたった」と会見で述べた。首相が就任当時に述べた計画より3ケ月遅れで確保できたことになる。

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 米ファイザー社の規模はどのようなものであるかは私は知らない。また、今は全世界的にCOVID-19ワクチンを求めているという特殊な時期に当たるということもあろうが、ファイザー社の対応には驚く。首相からの申し出に対し「同じようなリクエストは各国からきている」と全く相手にされなかった、というのは厳しい。
 米国のビジネス界の平均的な対応なのだろうか?

 この件に関してこのエピソードだけで全てを理解できるわけではない。ここに至るまでのワクチン確保の過程も大事だろう。しかし、それについて知ることは出来ない。

 五輪問題を含め国家としての尊厳は軽視されている、と思う。


5/30(日)曇り降雨 飯川病院日直 
1:30起床、本読み、文献チェック。8:42バス飯川病院、9:00日直業務に。新聞チェック、微睡。12:00検食、読書三昧。散水。18:00帰宅、新聞電子化。19:00夕食、21:00就寝。Σ5638歩。

東京五輪・パラリンピック2021(13) 国家としての尊厳はIOCより下位 そんなバカな!!!
 東京五輪・パラリンピック開催については国内外で中止論がやっと台頭してきた。しかし、菅首相、JOCなどは耳をかさず開催一辺倒の意向である。

 その理由は、IOCと日本側が結んだ開催都市契約には大会中止の権利や手続きが定められているが、圧倒的にIOC側が有利で極めて不平等な内容だからである。

 すなわち、「日本側に中止の権限はなく、中止決定の権限はIOCだけにしかない!!!!」。それならばいくら国民が菅首相、JOCに意見を述べても無駄である。だから、菅首相はIOCが中止の決定するまでは、実体のない非科学的な精神論で大会を乗り切る・・と言った時間稼ぎの方針が答弁されるのだ。開催意向に関して総理の答弁はこの一月以上にわたって全く進展がない。

 契約によると、日本側が中止を要請することは不可能ではないが、その場合、多額の賠償金が発生する仕組みになっている。

 開催都市契約は2013年に結ばれた、17年に公開された。その契約内容は歪な構造が多数示されていた。
 参加者の安全が保証できない時だけに中止可能となっているが、その際には日本はいかなる損失に対する保証も放棄することになっている。逆にIOCは日本に損害賠償を求めてくる可能性が高い。

 こんな不平等の契約がまかり通っていたのは、開催地決定にIOCに大きな決定権があり、東京は「お情けで」開催させていただくという姿勢でやっと選んでもらったからである。喜び勇んだ状態でIOCとの間で開催都市契約を結んでしまったということだろう。こんな不平等契約を呑んだ当時の責任者は誰なのか?どう責任を取るというのか??

 IOCの2014-16年の収入の6200億円、このうち放映権料は78%を占めている。2032年までの放映権はIOCとNBCとの間で7800億円で契約しているという。中止の場合IOCにはこの契約料が入ってこなくなる。これはIOCにとっても大問題となる。
 
 日本が中止要請した場合は日本側が損害賠償の義務も負うかもしれない。一方、今回IOCが日本側に多大な補償を求めると、次回、次次回の開催地は二の足を踏むだろう。そういう弱みはIOC側にもある。

 今回のCOVID-19蔓延は開催が決まった当時は予想もできなかった。しかしながら、COVID-19蔓延で都内で緊急事態宣言がなされた状態など、今回の場合は不可抗力で中止と言えるだろう。この様な場合には免責事項をはっきりさせておかなければならなかった。

 IOCとの開催都市契約に関しては私は以下のごとくに考える。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
 ■開催主体国である日本政府にも中止の権限がないということは、国家としての尊厳はIOCより下位であることを示す。こんなバカなことはない。
 ■ 2013年に結ばれたこの契約は、国内でどんな討論を経て結ばれたのか明らかにしてほしい。また、その契約者は誰なのか。
 ■五輪の理念はいろいろある。歴史も長いが、たかがスポーツの事務局に過ぎないIOCをここまで肥大化させ、権力を持たせたことをすべての関係者は反省すべきである。
 ■一度解体し、原点に戻してはどうか。


5/29(土)曇りのち降雨 園芸畑ダリヤなど
1:10起床、文献検索整理など何時ものごとし。午前畑に支柱立て。ダリヤ分割本植え。電動ノコで切断、分割する。微睡若干。午後は降雨あり座学に。新聞チェック、書斎にて音楽関連の録画見る「N響を指揮したマエストロたち」など。19:00夕食、20:30就寝。歩数Σ10180。

絵画を楽しむ(5) 初めて見たミレー作「ついばみ」に感じ入った
 文藝春秋には毎号「中野京子の名画が語る西洋史」と題し西洋絵画が紹介されている。
中野京子氏は、作家、ドイツ文学者、西洋文化史家、翻訳家で、著書多数。新聞や雑誌に連載を持ち、TVの美術番組にも出演している。

 文藝春秋2021年6月号にはミレー作「ついばみ」が紹介されていた。
 私はミレーの作品は好きであるが、そんなに幅広く作品を見たわけではない。この「ついばみ」は先日初めて見て衝撃を受けた。そして、この絵が表紙に使われている中野京子著「そして全ては迷宮に」、文藝文庫、2021年3月出版、を購入した。
 

 ジャン=フランソワ・ミレー(1814年-75年)はフランスの画家。パリから約60kmのところにある、フォンテーヌブローの森の一画に定住し、風景や農民の風俗を描いた。しかし、なかなか評価されなかったが、1850年に「種をまく人』、「藁を束ねる人』につづき「麻をほぐす人』、「刈り入れ人たちの休息』57年に代表作「落穂拾い」を出品した。しかし、「落穂拾い」は現実離れしていると批評家たちから酷評された。

 私は2000年、ルーブル、オルセー美術館を見学する機会を得た。オルセー美術館は駅舎を改造して作られたもので、絢爛豪華な前者よりはしっとりと落ち着いた印象の後者にホットする様な共感を覚えた。?オルセー美術館にはミレーのコーナーがあり多数の作品を見ることができた。

 この「ついばみ」は2014年山梨でミレー展が開催されたときに中野氏が山梨日々新聞に寄稿している。
 「この作品はミレー自身の意図の通り、誰しもが巣のヒナ鳥を連想するに違いない。右端の少女がとりわけ愛らしい。隣の妹がちゃんとこぼさずに食べられるか心配で、その口元に集中しながら自分まで少し口を開けている。小首を傾げ手を握ってやるお姉ちゃんぶりの微笑ましいこと(前後略、一部改変)」。中野京子著:そして全ては迷宮に、より引用。

 この右端の少女は真ん中の少女の手を取り、肩に手を添えて「もっと前屈みに」、「お口を大きく開けて・・」そう言った言葉すら聞こえてくる様な微笑ましい情景が手に取る様にわかる。ミレーが描いた作品の少女像はどの作品も可愛らしい。

 ミレーの作品の女性像は総じて体格がいい。農家の主婦としての体格なのだろう、存在感が大きい。この絵では座っている小さな椅子が前のほうに片向けられているのが落ち着いた構図の中でも動きがあってとてもいい。

 私は絵画が好き、と言ってもまだまだ初心者である。だから、時折この絵の様な新鮮な驚きを体験する。それがまた楽しい体験となる。
 ミレーの作品の女性像は総じて体格がいい。農家の主婦としての体格なのだろう、存在感が大きい。この絵では座っている小さな椅子が前のほうに片向けられているのが落ち着いた構図の中でも動きがあってとてもいい。

 私は絵画が好き、と言ってもまだまだ初心者である。だから、時折この絵の様な新鮮な驚きを体験する。それがまた楽しい体験となる。


5/28(金) 曇り小雨午後快晴 大曲中通病院 飯川病院ボランティア   
1:00起床。文献、新聞など読む。5:00ゴミ出し、7:40Taxi、8:11こまち。大曲駅病院往徒歩。9:00-12:15大曲外来。書店訪問 飯川病院、15:30外来患者来院し対応、19:30広面経由帰宅、夕食、21:00就眠、Σ9485歩数。

絵画を楽しむ(4) 本 深井晃子著:ファッションから名画を読む PHP新書 2009年
 私は服装について関心も知識も乏しい。ただ、人間の歴史、文明の発達などと衣服は濃厚に関連しており無視できない文化の一つとしての関心はある。
馬子にも衣装とは(1)最近、ファッションに興味を感じている
馬子にも衣装とは(2)そもそも人は何で衣服をまとうのか

 絵画を味わう場合、特に近・近代の作品においては服飾は時代の政治、経済、権力財力の過剰な集中、庶民からの搾取問題を無視できない。
 そういった意味で興味がある。

 上記書籍は絵画における服装の描写から歴史・文化の推移を論じており、いろいろ勉強になった。

 筆者は、パリの大学院で美術史を学び、京都国立博物館等でファッション関係の企画展示の企画に携わったキュレーターの方。京都服食文化財団の理事。

 画家が描いた美しいファッション、画家の情熱にモデルの誇り、絹の光沢にビロードの艶、贅をこらした装飾、流行のシルエット、鮮やかな色彩、衣擦れの音さえ聞こえてきそうな布の質感すらも表現されており、時代の輝きと、そこに生きた人々の息づかいを感じ取れる。

 有名な絵画も、「装い」に目を向けて改めて見直せばれば、隠された魅力が見えてくる。

 フェルメール、ダ・ヴィンチ、ルノワールetc. 画家たちの筆がとらえた折々の服装は、時代を超えて、衣服は多くを語っている。

 ヌード画は別であるが、いやこれですら脱ぎ捨てた衣服などは重要な鑑賞対象になる。人物画を好む人にとってとてもよい指南書になっている。

 ファッションの絵画史はそのままファッションの歴史でもある。時代とともにどう変わったのか、なぜ変わる必要があったのか。

 昨今、美術史や絵画を解説した本は多いが、ファッションから名画を分析するというのはとても珍しいように思う。

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 当初私は美術館には赴き、掲げられている肖像画の表情には注目することはあっても、ファッションについては知識がないこともあり関心を持って見ていなかった。私が絵画を見る視点は大きく変わった。

 なお、文中に引用された絵画は数多いが、新書版ということもあって小さく、じっくり見るには耐え難い。同じ絵画を別の大型の画集を参照しながら読むと一層楽しめる。


5/27(木)曇り午後降雨 午後飯川病院 
 1:00起床。いつもの如く文献、新聞など。画像データ整理、廃棄。8:00-10:45庭仕事と畑、草刈り8回目、ダリア用の本植え。11:50バス飯川病院着。微睡、14:00-17:50飯川病院、入院患者対応、19:10帰宅、夕食、21:00就眠、11715歩。

絵画を楽しむ(3) 画集や複製品で楽しむ TV番組も価値が高い
 私はどんな絵画を好むのか?
 有名な作者の有名な作品については知識が先に立っているから純粋には味わえない。
 しかしながら、例えば秋田県展などの場合、作品・作者についても何も知らないから、パッとみて「その絵が美しいか否か」が第一の選択基準になる。その時点では「誰が書いたものか」などは関係がない。深く感じ入った場合にはそれから調べればいい。

 作品を「味わう」には、やはり美術館やギャラリーで直接見るのが一番・・、これは正論。しかし、いかに本物の作品を直かに見たとしてもすぐに忘れてしまう。特に私は即忘れてしまう。見たことがあるということは記憶に残っているが具体的作品のことなどすぐ忘れてしまう。

 だから、私にとって画集や複製品を買うという選択肢も重要である。自分の手元でいつでも楽しめるから展覧会よりは価値が高い。
 画集や複製品は、書店で購入することはなくて、私の場合には美術館の会場に併設されている売店で購入する。来館の記念にもなるからである。

 画集や複製品は結局は偽物でないのか、と言われるが、それでもいいじゃないか、と割り切る。真贋に対する知識も私にはないから関係ない。

 絵画は直感で「美しい」とか「いいな」と自分の感覚で楽しむことが重要。
 絵画を見るのに知識はそれほど必要はない。しかしながら、写真がなかった時代の中世から近・近代の絵画には時代の流れとか、依頼者の意向などが濃厚に込められており歴史の勉強になる。この場合は、知識が作品の理解を助けるのも事実、私の場合はガイドブックを参照しながら見る。

 絵画の理解には、放送もすごく役に立つ。
 最近画質がとても良くなって満足度が高いし、到底見ることが出来ない世界の美術品を見ることができる。
 私がときに参考にするのは以下の二つが代表。
―――――――――――――――――――――――――――――
 ■ NHK教育TV毎週日曜朝9時(再放送は日曜20時)に放映されるNHK・Eテレの美術番組「日曜美術館」。
 1976年に放送が始まった同番組は、数あるテレビの美術番組でも最長の歴史を持ち、美術界への影響も大効いらしい。「日曜美術館」は毎週異なる特集を組むスタイルを貫いており、個人のアーティストを取り上げることもあれば美術界の動向や美術館を取り上げることもある。
 ■火曜BS日テレ 20:00ブラブラ美術館
 ブラブラ歩きながらの解説だからまだるっこしいのが玉に瑕。


5/26(水)早朝降雨快晴 午後飯川病院勤務
 1:30起床。早朝は新聞・文献読みとデータ化etc座作業中心に。午前ダリアの植え替え6株ほど、もう一息だが疲弊する。11:47バス飯川病院、休息微睡、14:00勤務、外来入院患者対応、美術系読書中心。19:15帰宅、夕食、20:30就眠、Σ9510歩。

絵画を楽しむ(2) 「美術館に行って本物を見る」は必ずしもベストではない
 絵画鑑賞のベストな方法は誰でも、恐らくは美術館等で本物を見ること、と答えるであろう。それは正論でその通りだと思う。

 しかし、内外でずいぶん多数の絵画等を見てきたが、私にとっては必ずしもベストといえないことがわかった。第一、見た多くの作品は「これは、本物を〇〇美術館で見たことがある」という事実、その時の感動の記憶、記録は残っているものの、大部分はもう忘れてしまっている。

 そうは言っても、できれば足を運んで実物を見るべき、と私は思う。見たという経験はその後の作品鑑賞に良き影響を及ぼすからである。

 理由は以下の様に考える。
―――――――――――――――――――――――――――――――――
?@作品を近くで見る? 美術館では作品を近くで見られるのが最大の利点。作品によってはガラスケースの中での少し離れている場合もある。ただ、ルーブルでのモナリザは人混みのために数mまでしか近ずけなかった。
 近くでみるということは作品の細かなところまで見れるということ。作品の質感、素材感や微細な表現もわかる。特に光線によっては筆圧とか髪の毛一本に対しての繊細な作者の技術がわかることも少なくない。この経験は秋田県立美術館での企画展「ホキ美術館展」で精密写実画を見て実感した。
 秋田県立近代美術館「ホキ美術館展」(1) 写実絵画の現物に初めて触れ感動した

A絵のサイズがわかる
 「大きさ」については画集などに「〇〇x〇〇cm」などと書いてあるが、画集ではそのサイズに応じた表現として再現されているわけではない。実際のサイズは、大きな作品だと実際に見るのとでは迫力が違う。小さな作品だと作者が作品に向かっている時の雰囲気を感じさせる。実際に作品の前に立ち、対峙することでその作品の意味が感じられる。
 秋田県立博物館で開催された「リ・クリエイト(再創造)作品」によるオランダ2大巨匠展は全てが再創造品であったがサイズなどは実物と同じでそのことを実感させてくれた。
 展覧会2017(2):県立美術館 オランダ2大巨匠展(1)


B額装などの付属品の素晴らしさも感じ取れる。
 多くの画集では額装がない状態で掲載されているが、展覧会では額装を描く作品は稀である。見事な作りの額縁は絵の印象を2倍にも3倍にも引き立てる。

C展示の仕方、会場の雰囲気も絵に影響する。
 会場が狭かったり、展示の仕方によって絵は影響を受ける。これを如実に感じたのは秋田県立近代美術館での葛飾北斎展であった。140景に及ぶ作品が所狭しと展示された。作品展示の密度、数に圧倒され鑑賞の後半はすっかり疲れ果てた。
展覧会2018(2):県立美術館「北斎の富士冨嶽三十六景と富嶽百景」 


5/25(火)早朝小雨終日曇天 外来 飯川病院 
0:30起床、花壇ダリアに見回り。5:00可燃ゴミ提出。6:47バス飯川病院着。8:45-13:40中通外来、疲弊。14:00-18:30飯川病院勤務。微睡、入院患者対応なし。文献読み、読書など、散水。19:00帰宅、夕食、20:30就眠、歩行計Σ9769歩。

?絵画を楽しむ(1) 私は美しいものが好き。
 私は「美しい」ものが好きである。
 音楽、絵画、彫刻、人物、自然、花、動物、小動物、女性・・・などなど、美しいと感じる全てを列挙する事は到底不可能。
 私は「美しい」と感じる感性が備わったことを嬉しく思う。「美しい」の感動は私の視野を広げてくれる。

 なぜわれわれは、視覚、聴覚で得られる情報に「美しい」と感じるのだろうか?
 どうして私は、主観的、個別的に多くのものに「美しい」と感じるのだろうか?

 最近、「なぜ花は美しいのか」についてずっと考えているのであるがまだ解決できていない。花に群がる昆虫たちは花を美しいと感じているのだろうか・・?彼らが美しいと感じていないとすれば何のために?誰のために美しく咲くのだろうか。人間のタメに??まさか、と思う。

 私の場合、「美しい」の感覚は「先天的に備わった感覚ではなく、幼少期に親から受けた影響、野山を駆け回った遊び、動物の飼育経験などをもとに個別に次々と『美しい』を発見し、感じ取る能力が育ったから」、と思う。

 「美しさ」と「美しい」は異なる。前者は教育による「美に関する知識の獲得」で、より客観的、より普遍的な感覚である。一方、「美しい」と感じる心は個別的で教育の結果ではない。
 「美しさ」と「美しい」は互いに近いが、前者はあくまでもより客観的で、後者は主観の個人的感覚である。

 私は、「美しい」の感覚は、各人がそれぞれに生涯を通じて創り上げるものだ、と考えている。自分が「美しい」と感じたことそのものが、「美しさ」の感覚の原点になっている。

 私は絵画が好きである。
 絵画の鑑賞は何と言っても美術館である。
 秋田にいると「美術館に行く」という絵画の鑑賞方法は「美術館」そのものが少ないからかなり限界がある。秋田にも私が知らない画廊などもあるのだろうが、主に「秋田市立美術館」、「秋田県立美術館」」、「秋田県立近代美術館」であり、そのほかにアトリオン特設会場で開催されるギャラリー程度と狭い。これらでは年に数回企画展が開催されるが万難を排してほど訪れてる。「秋田市立美術館」は年間のパスポートを購入しているために気軽に何度も訪れる。

 もう機会はほとんどなくなったが、現役時代の学会出張時には国内各地の美術館を訪問した。多分、100箇所ほどの美術館を訪問した、と思われる。その中では倉敷市の「大原美術館」が印象深い。

 1985年秋田大学退職時はオペラのツアーに、2000年欧米医療視察団としてヨーロッパを訪問したが、訪問した各地、ハンブルグ、ウイーン、ポーランドなどで美術館も積極的に訪寝歩いた。その中では何と言ってもルーブル、オルセー美術館のスケール、展示作品には圧倒された。


5/24(月)くもり降雨 健康クリニック 飯川病院 
1:10起床。ディスクバックアップetc。6:47バス飯川病院、9:00-11:30健康クリニックドック13名、レ線判定10名。11:45飯川病院、検食、微睡など。14:00-18:30飯川病院勤務。入院患者対応、19:00帰宅、夕食、20:30就眠。歩行Σ6671歩。

?COVID-19(2021)(25) 政府の方針はなぜ浸透しないのか??(4)田舎 vs 都会
 秋田のような田舎に住んでいるとCOVID-19蔓延地区で、緊急事態宣言が出ているのになぜ人出が減らないのか、理解に苦しむとことはある。

米国グーグルが集計した位置情報の集計によると公共交通機関を用いた人の移動は第1回目の東京は7割近く減少したが、2-3回目は5割以下にとどまっている。
 緊急事態宣言慣れも一因とは考える。

 特に若者はじっとしているのが不得意で常に刺激を求める傾向がある。都会には若者が喜ぶ施設などが溢れている。

 都会には田舎人が理解できない事情もあるようだ。
 背景は、人口密度と窮屈さ、生活のスピード感でないだろうか。

 私など、学会などで東京に3-4泊することが年に何度かあった。夜は文化会館、鈴本、サントリーホールなどで音楽、落語等で時間を過ごしたが、それでも居た堪れなくなり早く秋田に帰って落ち着きたい・・・と思った。
 私は根っからの田舎者である。だから都会に住む方々の気持ちは理解できていない。

 秋田は空が広い。
 わざわざ遠くに出かけなくともすぐそばに自然がある。これだけでも田舎はいい。

 COVID-19蔓延地域ではなぜ人出が減らないのか?
 私は以下の要因があるだろうと思う。だから一概に責められない。
――――――――――――――――――――――――――――――――
 ■ 緊急事態宣言慣れも一因とは考える。
 ■ 蔓延地域では旺盛な経済活動が続くから、テレワークできない職種では出勤が必要。
 ■ 若者達が満足するような施設などがあり、集うし群れる、交流する。
 ■ 住宅事情が異なる。多くは狭い、コンクリートの高層住宅が多い。そこには庭もない。
 ■ 一見便利そうに見える住宅構造であるが、住人はCOVID-19下の外出制限を遵守するのは厳しいだろう。拘禁ストレス様になるだろう。
 ■ 長期に及ぶ在宅ワークも困難。子育て中であれば一層困難。
 ■ 子供達は家の中でじっとしてくれない。
 ■ 子供達はゲームに依存しやすくなり家族間のトラブルが増える。
 ■「亭主は元気で留守がいい」と言われるが、いつも顔を合わせていると家族関係も変化していく。
 ■ 家族間の人間関係も破綻しやすくなる。子供、家族へのDVの増加が見られる。
 ■ せっせと子作りに励んでくれればいいのだが、出生数は減少傾向にある。
 ■ などなど
――――――――――――――――――――――――――――――――

 都会の若者たちは住居の中にじっと止まっていない。意外と選択肢は少ないのではないか。


5/23(日)終日降雨夕方晴れ 
 1:00起床、データ整理。徒然、6:30バス飯川病院、7:00日当直業務に就く。11:00家内は3姉妹で本荘方面に買い物? 11:30飯川病院、データ整理など。16:00帰宅。読書中心。微睡。19:00夕食、21:00就寝。Σ7020歩。

COVID-19(2021)(22) 政府の方針はなぜ浸透しないのか??(3)若者はなぜ外出する?
 菅首相は2月2日緊急事態宣言を3月7日まで延長すると決め記者会見した。従来の強気が目立った姿勢から一転し「国民と共に悩みながらあらゆる方策を尽くす」と言う姿勢を示した。
 この想いが本物なら具体策で示してほしい。独善に陥ることなく国民の声に耳を傾ける必要がある。何を言っているのかわからない精神論では困難は克服できない。科学と証拠に基づき判断をすべきである。
 ウイルスは人の動きで伝播していく。人の動きが抑制されるならば必ず感染は下火になる。しかし、緊急事態宣言を発しても市井の人出は少なくならない。菅首相の言葉が浸透しない所以である。

 このことはCOVID-19下における五輪の開催の方針表明にも言える。五輪への夢、幻想は消失した。多くの国民が生活できなくなり、命の危険も感じるなか多額の資金をかけ社会に負担を強いる五輪の実態に国民は気づいている。
 「五輪はIOCのために??」「COVID-19克服の証としての五輪」の言葉はどこに行った?「緊急事態宣言下でも強行するの??」。
 どのような状態が確保できたら開催し、それが纏うできないなら中止するのか?何も示されていない。

 こんな状態では日常的困難さを抱えている国民、特に関係者には政府の方針は浸透するはずもない。
 五輪を強行するなら、我々がこんなに我慢する必要はない、それも本音である。

 東京都の街中アンケートで若者たちが外出している理由は
 ■マスクをしているから大丈夫だ、
 ■他の人も外出しているから、
 ■若いと感染し難いし、感染しても軽症で済む、
との答えが目立った。

 本当に「マスクをしているから大丈夫だ・・・」と考えているなら危険だ。改めてマスク着用の目的、意義、限界について教育すべきである。厚労省の職員がマスクなしで深夜まで宴会したなど、呆れるばかりである。

 「他の人も外出しているから・・」と言うのは意外と本音かもしれない。日本人は農耕民族らしく多く人たちと共に行動する傾向が強い。迷っている日本人を説得するのに有用な言葉は「皆さんがそうなさってますよ・・・」だと言うし、「赤信号みんなで渡れば怖くない・・・」と言う言葉もある。

 蔓延地域の住民たちには、「外出せざるを得ない事情」もある様に思う。これにも配慮すべきだろう。


5/22(土)曇り 園芸中心、ダリア本植え・キウリ・ナス・トマト畑に 
 1:10起床、新聞入力、データ整理。徒然、など。仮植えダリアを本植え。10:00DIY店でキウリ・ナス・トマト苗購入。午後微睡後に畑に植える。支柱たてまで終了。16:00座学、新聞入力、データ整理、読書。19:00帰宅、夕食、21:00就寝。Σ9603歩。

?COVID-19(2021)(22) 政府の方針はなぜ浸透しないのか??(2)マスク効果を過信
 厚労省職員23人が3月24日に銀座で深夜まで送別会を開き、のちに複数の感染者が出た。参加者はマスクを外したままだったと言う。通常の会話では口から1分間で9.000個程度の飛沫が出ると言から、会話だけでも2-3分で咳一回分の飛沫が飛ぶ事になる。カラオケなど、歌の場合は1分で咳一回分の飛沫が飛ぶ。直径0.01mm程度の大きな飛沫はすぐに落下するが、0.005mmの微細な飛沫は10分間ほど空気中を漂うと言う。これらは呼吸によって気管支の奥まで到達する。換気は重要であるが、正しいマスクの着用は感染予防効果がある。

 東京都は4月末に渋谷・原宿・新宿付近で、二人以上のグループで外出している30代までの若者約500人に対して「不要不急の外出を避けるように言われている中で外出した理由」をアンケートで尋ねた。

 得られた回答は以下のごとく。
―――――――――――――――――――――――――――――――――
 外出している理由は
 ■マスクをしているから大丈夫だ、160人
 ■他の人も外出しているから、73人
 ■若いと感染し難いし、感染しても軽症で済む、12人
 ■そのほか、「もともと計画していた」、「友人と約束があった」などなど、が235人であった

 外出を控えるよう訴える呼びかけかたについては
 ■「不要不急の外出はダメです」193人
 ■「あと少しだけ我慢を」161人
 ■「その他」125人
 ■「絶対外出するなと言って欲しい」といのもあった。
―――――――――――――――――――――――――――――――――

上記は「朝日新聞」に掲載された小さな記事からの引用で母集団とかに関しては説明が乏しく詳細を読み取るには資料不足であるが、「マスクへの過信」、「若者は感染しても重症化し難い」との誤った認識が背景にあるように思われる。外出を控えるよう訴える呼びかけかたについては「もっと強く求めれば外出を控えるかも・・・」という無責任な回答が多い。

 私はマスクのCOVID-19感染予防効果は「正しい装着で感染予防効果は比較的大きいが、絶対ではない」、「不十分な装着ではやらないよりはマシ程度で予防効果は弱いか無い」と考えている。やはり、「マスクなしでは危険」と言うべきだろう。

 今までわかっている感染予防対策は、何と言っても「ワクチン」であるが、基本は「人混みを避ける」、「大声を出さない」、「長時間会話しない」、「マスク着用」、「手洗い」、である。加えて重要なのは「換気」。「うがい」の予防効果に関しては科学的有効性は明らかになっていない。

 マスクは洗って使えるものなど多彩な製品が市販されるようになった。通常手に入れられる市販のマスクはウイルスの捕獲率は表示されているよりも低いとのデータもある。
 医療機関で用いられているサージカルマスクは薄い紙3層からなっているが、最近のスパコンなどを用いた研究では微粒子捕獲率は結構高い。ただ、これとて顔との隙間から空気が出入りするので予防効果は完全ではない。

 マスク着用は一般的には感染防止でなく感染を広げないようにするためである。
 咳、くしゃみをする方々のエチケット、それがマスクの基本である。

 「マスクをしているから大丈夫だ」、と軽く考えて装着している人たちはきちんと装着していない可能性が高く、「鼻と口をマスクで覆っているだけの、見てくれだけの装着者」が多く、感染予防効果は乏しい。


5/21(金)終日降雨 大曲外来 飯川病院ボランティア 
0:45起床.書類、文献・新聞チェック。徒然。5:00可燃ごみ激しい降雨のために提出準備のみ。自炊数冊。7:30Taxi駅東に。渋滞あり、8:12こまち、大曲駅徒病院復路Taxi。9:00大曲中通病院外来。書店訪問、15:30-19:00飯川病院ボランティア。19:30帰宅夕食、21:00就寝。歩行Σ7161歩。

COVID-19(2021)(22) 政府の方針はなぜ浸透しないのか??

 COVID-19は緊急事態宣言下でも感染が拡大し、宣言地域の拡大、期間延長が余儀なくされている。ウイルスは必ず人の動きに伴って感染し、増殖する。ウイルスは航空機、船舶、新幹線等で世界中を移動する。
 要するに、緊急事態宣言かでもこれだけ感染が生じていることは、予防策の意義が社会に十分浸透したとは言い難いし、国民の行動の変容が生じていないからである。

 政府の動きは活発である。逆に統制を書いているように見える。ワクチンの話題も頻繁である。毎日毎日報道呆れるほど小出しに報道されている。
 一方、感染者数は減少していない、加えて感染力が増強したと思われる変異株が社会を覆い始めている。

 なぜ国の方針は国民に届きにくいのか

 その要因のいくつかを思いつくまま挙げてみる。
―――――――――――――――――――――――――――――――――-
 ■ COVID-19は問題化してから1.5年経過した。この間、感染対策に政府と国民との思惑にすれ違いが生じ、徐々に広がってきた。

 ■政府の方針が不十分、かつ不合理に見えるのもある
 ■緊急事態宣言は1回目は経済を止めるという方針、それ以降は経済の維持をしならや、と方針が変更された。
 ■緊急事態宣言は期間限定のイメージが強すぎる。翌日から元に戻る。メディアも悪い。

 ■メディアの情報は過剰状態にある。19:00のNHKTVニュースはほぼ連日COVID-19関連で始まる。新聞紙上でも同様。私は新聞記事のスクラップを作っているが連日10-20枚はCOVID-19関連で、それも似たような内容である。もはやCOVID-19は当たり前の日常になっている。ニュースにも新鮮味を感じない。メディアは報道方法に工夫を要する。一定の期限を定めて総括する必要がある。
 ■メディアの情報は国民に、特に高齢者に恐怖感を植え付けているが、逆に若者には軽視され、行動抑制に結びついていない。

 ■五輪開催を強行に進めること自体が矛盾の最たるもの。
 ■国民全体で一丸となって乗り切るべき事態なのに、政府は東京五輪の開催について強硬である。最近、開催反対の意見も取り上げられるようになってきたが、ほとんど対話になっていない。無視されている。
 ■こんな事態での五輪開催は何のためか??具体的に行動の抑制が求められる国民は疑問が募る。

 ■緊急事態宣言の中、議員の一部や厚労省の職員が会食やカラオケに興じてクラスターを生じさせている。官僚達が違反行為してているならば・・・。これでは伝わらない。

 ■外出時はマスクをしてと強調しているが、マスクさえすれば外出など許される、と若者たちは免罪符のように都合よく考え、マスク着用が行動の免罪符になっている。マスクの機能と限界を示すべき。

 ■ワクチン行政に関してもモタモタしているように見える。

 ■変異株の危険性とその感染予防策が浸透していないし、国民の行動にも反映されていない。
 ■医療機関の逼迫はこそが最大の問題点の一つなのに蔓延地域では自分のことと思われていない。
 ■ などなどまだまだあるが・・・。


5/20(木)午前曇り午後快晴 3Q散髪+コメダ珈琲店 午後飯川病院 
1:00起床.文献等資料チェックなど何時もと同じ、自炊数冊。9:00-9:20 3Qカットで散髪、のちコメダ珈琲店でコーヒーと軽食。ちょっと過食傾向。読書など、11:52バス飯川病院、14:00勤務、入院患者対応。19:00帰宅、夕食。21:00就寝。歩行計Σ6630歩。

運転免許証返納への道(5) レガシー廃車

 私が運転免許証返納して使用頻度が大幅に減ったスバルレガシーツーリングワゴンが2021年5月19日弘前市の解体業社に引き取られていった。

 この車は初年度登録1998年7月(平成10)で22年使用した。ずいぶん長く用いていた。

 横浜在住の長女の婿殿が購入した車であるが、あまり使わないということで2005年に我が家で使ってきた。当初は次男が使い、ついで家内が使ってきた。ここ5年ばかりはプリウスを家内専用とし、レガシーは私が用いてきた。

 さすがにいろいろ問題は生じているが、決定的不調でないから、ごまかしごまかし使っていきた。
 ■ 2014年からエンジン不調の警告灯が頻回に点灯している。これはダメか?と思ったが機能には問題ない。センサーの異常か??
 ■ 暖気・エアコンの温度調整ができなくなった。
 ■ 運転席の背もたれ角度調整できなくなった。
 ■ バックドアの内装が脱落。再装着不状態。
 ■ エンジンルーム下部のカバー脱落。再装着不能。
 ■ フロントバンパーが錆と変形で脱落。自分で再装着。
 ■ バッテリーはなんと18年も持った。
 ■ 外装に大きな変形はないが小さな傷は数え切れない。

 外装を含めちょっとした故障なら自分で治した。修理すればするほど愛着が湧いた。次第に自分の車になって来た。

 私はスバルの四輪駆動車を好み5台乗り継いできた。車は四輪駆動が基本なのだ、と考えていたからで、これを開発した富士重工業に敬意を表し、1980年頃から、スバルセダン1300、スバルレオーネ、レガシーツーリングワゴン、レガシーセダン、それに今度廃車にしたレガシーツーリングワゴンと乗り継いできた。スバル車との歴史は50年余で途切れることとなった。

 私の運転免許返納は昨年9月であったが、まだ車検が1年残っていたことからゆっくり構えていた。しかし、昨冬は天候不順で寒気が強く降雪量も多かった。こんな時はやはり四輪駆動車の出番である。12月から3月までは家内が前輪駆動のプリウスに代えて通勤に使い重宝した。廃車を急がなくて良かった、と思った。


(傷は少なくないが全体にしっかりしているレガシーツーリングワゴン 長い間ご苦労様)

(昨年全塗装し綺麗になった17年目のプリウス こちらも高年式車になった)

 消雪を待って廃車手続きに入ったが、所有者の名義変更をしていなかったために難渋した。あまり面倒なので専用の業者に依頼し手続きを代行してもらった。
 なお、22年目の高年式車であるが、車検が1年残っており、自走もできる状態であったことから15.000円の値段で引き取られた。


5/19(水)曇り・降雨 レガシー廃車引き取り 草刈り7回目 午後飯川病院勤務
 0:45起床。文献・本読み他、いつもの如し。午前は中等度の倦怠感があったが、レガシーを解体業社が回収に来るというので待機状態。その間に草刈り7回目。ダリア本植え4本追加。13:00弘前の業社来訪引き取られた。13:10バス飯川病院、入院患者対応。微睡後に体調改善、睡眠不足が原因だったか。新聞チェック、そのほかデータ整理。19:25帰宅夕食、新聞入力、8:30就寝。歩行Σ14016歩。

運転免許証返納への道(4) 便利さで失っていた感覚を楽しむ
 運転免許返納に関して私は爽やかな気持ちで前向きに返上したが、不便であることは否定しない。でも、私はなんとか暮らしている。

 自分で運転しなくとも家族が免許を持っているからやむを得ない時には車を出してもらう。今の所は重い荷物が予想される時、暴風雪の時などに限られるが、後者に関してはまだ依頼したことはない。
 家族の都合がつかない時には気軽にタクシーを利用しよう、と考えていた。秋田県では免許返納時に希望者に交付される運転免許経歴証を提示すれば10%割引になる。これも一度も利用していない。

 私の家からバス停留所までは歩いて7-8分、一時間に2?3本、渋滞時間を避ければ15分で秋田駅まで着くからが利便性は悪くはない。 
 JR奥羽本線は近隣の泉外旭川駅まで歩行15分、一時間に2?3本、秋田駅まで4分で着く。
 自転車という手もある。
 足もある。大きな傘、便利な雨具を購入して悪天候に備えた。

 上記のごとく私は恵まれている。
 しかし、田舎の高齢者にとっては車は生活の足であり、生活が成り立たないこともありうる。私は高齢者用に、車種限定、走行地域限定、高速道路不可などの条件をつけた限定免許証も一つの方法かな、と考えている。

 かなり不便になるだろう、と覚悟していたが実際にはそうではなかった。いや、それ以上にメリットが大きかった。
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 ■事故に遭遇する危険性から解放されたこと、これは大きい。
 ■高速移動で失われていた情報が目に入ってくるようになった。新幹線や航空機は論外であるが、車レベルの速度での移動の場合、特に運転者は視野が、心が狭くなっている。
 ■自然現象との対話が増えた。季節の移ろい、天候の移ろいなど。気温、風雪など。
 ■などなど。
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 これら自然現象との対話は自動車を持たなかった時には体で直に感じていたことである。
 免許返上後は毎日がこれらとの対話である。自然により近く、同化しているような満足感がある。

 今年の冬は寒く、暴風雪の日も少なくなかった。こんな日はバスも遅れてくるから停留所で風雪に曝されて待つ時間も長くなる。確かに老体には辛いが、こんなことは子供の時は当たり前であった。当時と比較すれば道路事情もよく、防寒具も改良されている。
 何回かは暴風雪の中、待っている間に雪像になるのではないかと思うようなことがあった。それでも辛いだけではなく、昔の感覚が蘇って懐かしい気持ちでが湧いてきた。

 私は車という便利な生活を得て、代わりに五感による感性を失っていた、と実感した。


5/18(火)終日曇り降雨 中通病院外来 飯川病院ボランティア
1:45起床、まだ降雨続く。文献チェック、新聞スクラップ電子化、自炊。5:00可燃ゴミ提出。6:47バス飯川病院着。8:40-13:30中通病院外来、疲弊。14:00-18:30飯川病院ボランティア。院長COVID-19ワクチン2回目で保健所に。18:30バス帰宅、19:00帰宅・夕食、21:30就眠。歩数計10890歩。

運転免許証返納への道(3) 決断は視力の減弱による
 2020年9月13日(日)、県交通運転免許センターで運転免許証を返納してきた。
 56年間の運転に終止符を打った。

 免許証返納の背景としては、
???????????????????????????-
 ■視力の低下
 ■バランス感覚の低下で運転技術が落ちている
 ■集中力の減弱で注意力が散漫になった
 ■疲れやすくなり、思考力も減弱
 ■運転開始とともに睡魔が襲ってくる
 ■自身にも漠然とした事故の恐れも感じた
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 運転免許更新時適性検査では、認知症検査等はクリア出来たのであるが、視力が限度の0.8 に今一歩不足していた。眼科的対応やメガネの調整でクリアできる自信はあったが、無理やり更新しても「危険運転候補者(?)資格の更新にもなるじゃないか」、と考え思い切って免許返納を前倒しした。

 年齢も年齢だし、返納はやむないだろう、とも納得。
 しかしながら、車は寒さや風雨の時には重宝であった。返納当初は足をもがれたような寂しさを感じたが、それはせいぜい1週間くらいなものでむしろ清々しさ、気楽さ、開放感を感じた。事故を起こす不安とは無縁の立場になった、との間隔は大きい。

 通勤にはバスがある。
 そうそう、今年3月からそれほど遠くないところに奥羽線泉外旭川駅が開業した。渋滞でいつ着くかわからないような道路事情の場合は鉄道を用いれば4分で秋田駅に着く。
 それに、自転車という手もある。

 数年前から、同乗した家族から私の運転のことをいろいろ注意されていた。自覚は無かったが気にはなっていた。多分指摘は正しかったのだろう。
 実は、私は家族の誰よりも安全運転励行者であった、・・と思う。そう感じていること自体が傲慢であり問題があるのかもしれないが、免許証を返納した今だからこそ自信を持って言える。ただ、返上した今となっては家族の運転に助けてもらわなければならない機会はある。

 今週末も家内を誘ってDIY店に行って腐葉土、肥料、野菜の苗など購入するが、こんな時はやはり車である。でも自分で運転していく必要はないのだ。


5/17(月)終日降雨風つよし 健康クリニック 飯川病院 
 1:20飯川病院起床、各種データ整理。徒然。9:00健康クリニックドック12名+レ線判定10名。11:00飯川病院に、新聞・画像処理。検食後微睡。14:00-15:30勤務、入院患者対応、読書。当直明けで院長行為にて帰宅。16:30帰宅。今のメインのストーブの仕舞い作業。19:00夕食、21:30就眠。歩行Σ9230歩。

運転免許証返納への道(2) 渋滞は嫌 その回避方法
 私のような渋滞嫌い人間からすると、せっかく時間がある休日などに、行楽などで観光地などに車で出かける気持ちはトント理解できない。運転が好きで渋滞など苦にならないという方々の気持ちも理解できない。そんな方は渋滞の真っ只中にいても明るく楽しくハンドルを握っているのだろうか。

 私が主に用いている車が年代物が多い。走行距離は年間3.000-5.000Km程度と少ない。明後日廃車にするレガシーは22年間で90.000Km。これは家族で使い回した結果で、私だけなら半分程度か。

 渋滞は耐えがたい。回避のための私の工夫は以下のごとく。生活時間すら変えている。
――――――――――――――――――――――――――――――――
(1)生活時間帯をずらしラッシュに会わないようにする
 現役の後半は多忙で、出勤時間はam5:30前後であった。起床時間がam1:00前後であったから早朝出勤は苦にならなかった。この時間帯だと職場まで片道10分前後であった。ラッシュ時は30-40分ほどかかった。帰宅時間は20:00前後で渋滞はほとんどなかった。
 今はバスであるが、混雑とラッシュを避けるためにam6:00台の便を選ぶ。

(2)渋滞が予想されるところには出かけない
 私は渋滞が嫌で、かつ出不精なので必要がなければ自宅から一歩も出ないことが多い。外に出かけなくともやることはたくさんある。だから、私はCOVID-19で外出制限勧告があっても何ら困っていない。読書三昧、音楽三昧、農作業もある。飽きたらネコと戯れる。私にはこれで十分。閉塞感皆無。

(3)誰かに運転を依頼する
 家族以外と同乗する事なんてほぼ皆無。家族と一緒の場合は運転を任せる。家族たちは私の運転は危なくて嫌だ!!というがそれをずる賢く利用させてもらう。実は家族の運転を信用していないのだが、口には出さない。
 
(4)他の方法があれば車を使わない
 (A)家族旅行などの場合
 COVID-19の前には、毎年盆には家族みんなで盛岡郊外の墓参りを兼ねた小旅行をしてきた。総勢12人もの移動であったから車の座席はやりくりが大変である。窮屈な思いをしての移動は嫌。そんな時は私だけ新幹線で移動、現地で拾ってもらうかタクシーなどで移動した。

 (B)毎週の大曲出張
 もう30年近くになるが、週一度、約60Km の距離にある大曲中通病院の診療応援に行っている。もう1000回以上になるだろうが自家用車で行ったことは10回にも満たない。秋田の中通病院から毎週10人ほどの医師が診療応援しているが、その多くは高速道路を用いて自家用車で通っているらしい。ご苦労様。
 新幹線で40分ほど、この間ハンドルを握っている自分の姿は予想するだけで嫌。新幹線だと寝る、読む、聴くなど有効に時間を過ごせる。
――――――――――――――――――――――――――――――――

 こんなわがままが許されている私は恵まれている、と思う。


5/16(日)曇りのち降雨 飯川病院日直→日当直に
1:40起床、早朝は本読み、文献チェック。自炊数冊。6:00ダリア部分に支柱たて。7:40バードウオッチング会出席の家内に同乗飯川病院に。9:00-19:00日直業務。患者は安定。新聞チェック、読書、自炊データ整理進めた。午後、大学にCOVID-19?当直医来院できず急遽当直もする。18;00検食、21:00就眠。Σ4933歩。

運転免許証返納への道(1) 車は便利だが、並ぶ道具
 私は普通運転免許を21歳の1966年(昭和41)4月に、自動2輪免許も同年8月に取得した。ともに自動車学校に数回通って最小限のコツを教えてもらい、県の運転免許試験場に受けに行き一発で合格した。当時としても珍しい、と評価された。これには背景がある。決して褒められたことではないが、小学校時から父親のバイクで山道を遊んでいたが功を奏した結果だろう。

 免許を取ったとはいえ、当初は車がなく運転の機会は多くなかったが、就職して間も無く、1971年(昭和46)車を購入した。
 車を得ていつでもどこにでも出かけられる自由は大きかったが、私はあまり運転には向いていないことに気づいた。得られる自由度は大きかったが、渋滞で時間が費やされ、疲弊するというマイナス面も大きかったから、である。

 2020年 (令和1)、私は運転免許証を返納した。54年の運転歴であった。この間警察が関与する事故は自分からは起こしていない。1972年(昭和47)に不注意で若者の車と衝突し車を買い替えた。また、女性の運転する車に2度ぶつけられた。
今夕、路上で接触事故に遭う(1) 3回目の経験となった
今夕、路上で接触事故に遭う(2) 私の車の車検切れが発覚

 違反摘発は1974年(昭和49)、24Kmオーバーで15.000円、一時停車違反で3.000円が実績である。 運転免許返上したので、事故にしろ違反にしろこの程度で済んだのはラッキーだと思っている。車の車検切れに関しては違反を問われなかった。私の誠意が通じたのだろう。
 
 私は車の渋滞はとても嫌だが、決して短気でもせっかちな性格でもないと思う。
 ただ、交通渋滞に関してだけは特別に耐え難い、許しがたい、時間が無駄、という感覚が強くある。

 医師である以上、緊急的な出勤などは日常茶飯事で、車を用いることは止むを得なかったが、渋滞が予想される時間帯には可能であれば運転を避けていた。

 秋田でも、早朝などでは10分ほどで行ける距離でも渋滞に引っかかると30分、冬季間などでは時に1時間もかかる。私は我慢できなかった。秋田で渋滞で悩んでいると言っても誰もまともに聞いてくれなかった。

 運転していると赤信号に引っかかるのは当然であるが、青に変わっても通過できず2回目の赤信号に引っかかる状態は、私にとっては渋滞の定義に、3回ならば大渋滞の定義に当てはまる。

 ただし、運転を誰かに委ねているときはこの感覚はない。


5/15(土)快晴 飯川病院午前外来
1:00起床。新聞、文献PDF化他、録音データ処理、本読みなど。自炊数冊、8:30家内に同乗飯川病院、午前は男鹿市民病院COVID-19クラスターで外来担当医自宅待機となり急遽午前外来担当に。午後は病院で休息ほか、16:00帰宅、ダリア本植え作業、一部、 DIY店にて腐葉土4袋購入、19:00夕食、20:45就寝。歩行Σ11848歩。

季節の話題2021(12) 庭先の花萌ゆ(2)
 4月23日、秋田の桜が散った。私に夏が来た。今年の春は短かった。
 結構まだ寒暖の差が大きく肌寒い日も多い。
 夏、花の季節である。庭先の花たちが萌えている。

 今年は巷ではCOVID-19の世界的蔓延を迎え、緊急事態宣言も出て社会は混乱している。
 人間社会がいかに混乱しようと自然は偉大である。我が家の庭の花達はいつもと変わりなく開花し一気に華やかになった。

 花個々への私の知識は乏しい。名称もろくに知らない。名前など知らなくとも花を愛でることができる。木々、草花の美しさをじっくり味わえる幸せを感じている。
 なんで花はキレイに咲くのか?誰のために??私の疑問はまだ解けていない。

 私にとって夏が始まった。これから木々草木は緑に萌え、種々の花々が次々と開花する。
 いい季節になった。


5/14(金)76回目感謝の日 快晴 大曲中通病院外来 飯川病院ボランティア 
1:00起床。新聞・文献・雑誌読みと自炊他。5:00可燃ゴミまとめだけで提出せず。7:40Tax駅に,こまち。往復ともガラガラ。病院到着直後地震あり震度3か??下りのこまちは地震の影響で遅延20分。9:00大曲中通病院外来、15:30飯川病院ボランティア。19:20帰宅、夕食、21:15就眠。歩行Σ8212歩。

76回目の感謝の日 まだ生きています もう少し生きてみるかと意欲が湧いてきた
 本日76回目の誕生日。
 私が本当に消え去る日までの生き方は昨年と同じだが、ここまで来たのだからもう少し真面目に生きてみようかとも思い始めた。

 毎年のことだけれど、以下のように生きていく。
―――――――――――――――――――――――――――――――――-
(1) 私の社会的使命は終わっている。仕事は最小限、補助的診療にのみに限定、今までよりもさらに少なくする。
(2) 自由に、ホンネで生きる。やりたくないことは受けない。
(3) 時間がない。だから、意の赴くまま、気ままに生きる。
(4) 五感を生かして生きる。自然、人生に一層深く味わいを感じる様になった。
(5) 長時間の歩行は心臓機能の低下(?)、腰痛などで出来なくなったが、こまめに歩いて移動機能、下半身機能を維持したい。伊能忠敬の足跡を辿る日本一周は今2周目、間も無く北海道に至る。一時やめていた飯川病院5Fまでの階段昇降を再開した。
(6) 診療で得られた報酬の約10-20%を岩手の復興資金に送る。収入減とともに徐々に少額になりつつある。
(7) 終活を一層進める。
(8) 私には自省すべき言動が数多くあった。それらを恥じて隠遁生活続ける。
(9) 何もしない、一見無為な時間が大切に思えてきた。
(10) より中性的になった立場から、女性の立場について、ジェンダーなどについて考察したい。 
(11) 年とともに心身の衰えを感じるが、それを得難い経験と考える。
(12) より寛容になってきた。人の気持ちがわかってくる。物事をじっくりと味わうことができる。多様な考え方を受け入れていく。さりとて人の言葉に左右されたくはない。これは矛盾点。
(13) 同年代者の訃報を見れば安堵する。若い方々の訃報に接するのは寂しい。
(14) 自然の大事さを認識。自分自身が自然の一員と思える様になりたい。
(15) いい詩には言葉以上の、無限の広がりがある。私も美しい日本語を書きたいものだ。
(16) 1日一話の随想はできるなら継続したい。
(17) COVID-19の動向、社会の動きが気になる。
(18) 肥満傾向にあり、生活習慣を若干見直したい。
(19) 視力が低下傾向であるが、広いジャンルの書籍を読みたい。
―――――――――――――――――――――――――――――――――-

 矛盾し、スッキリしない部分もあるが、家族も総じて元気であるし、まずは良い76歳のスタート日になったと思っている。


5/13(木)快晴 午前フリー 午後飯川病院
0:50飯川病院で起床。いつもの如く本読み、データ整理中心。7:00検食。8:30勤務明けとなるがバスの便から見て非効率なのでそのまま飯川病院にて過ごす。読書三昧。男鹿市民病院で看護師感染で今週土曜急遽外来となる。14:00勤務、散水など。19:20帰宅夕食、21:00就眠。歩行Σ4123歩。

?落語家で医師の立川らく朝氏が死去された
 立川らく朝氏は内科医師で落語家。
 2008年7月15日夕方、私は秋田ビューホテルで氏の落語を楽しんだ。その後はラジオの落語番組で何度か接したが、一度直接拝見した方には親しみを覚え、今後の活躍を期待していた。

 この落語会は、秋田県病院協会と賛助会員との定例の懇談会の企画として行われた。とても良い企画だったと思う。
 聴衆が大部分医療関係者と言うことでなかなかやりにくかったのではないだろうか。イントロとして世間や世相の話、厳しい医療情勢などを中心に話題を展開された。これも素晴らしい出来ではあったものの、何か一つ乗り切れないものがあったような気がした。後半は名作『番町皿屋敷』で、皿を手からすべらして割ってしまい殿に咎められ、井戸に身を投げたお菊が美形の幽霊となって現れ、皿を「いちまーい、二まーい・・・」と数える、あれである。

 「らく朝」氏はこの話に運動不足、ストレス、過食による肥満等の生活習慣病の話題を織り交ぜ、現代調の「健康落語」に作り上げていたが、動きも少なく静かだった前半とは一変、全身を使っての大熱演で、演技力、迫力も充分で感心して聞き入った。落語は大変な全身運動であることがよく分かったし、これだけの域に達するには、あるいはこれ以上を求めるなら、最早医業とは到底両立し得ないだろうとも思われた。

 氏は杏林大学卒、慶大内科で生活習慣病、動脈硬化症なとの研究に従事、一方ではエイズ対策企業懇話会を設立してこの方面でも活躍しておられた。1998年、44才で立川志らく門下に客分弟子として入門、2年後正式に入門して研鑽を積み、2004年二つ目、2015年10月、真打に昇進した。
 秋田を訪れた当時、二つ目であった氏は東京表参道福澤クリニックの医師でもあり、ご自身の専門性を生かして、健康教育と落語をミックスした新しいジャンルである「健康落語」を確立しつつあった。

 氏は全ての病の元凶はストレスにあり、そのストレス解消は笑うことに尽きると演目の中でも強調していた。確かに、笑うことが免疫力を高めるとことについては実験的にも確かめられているし、ガンやリューマチの患者の自覚症状も軽減することは日常的にも経験していることでもある。

 ならば、医療関係者はむすっとして患者達にストレスを与えるようではダメだと言うことにもなる。患者は総じて健康不安を抱えている。私は診療を通じ、患者に安心を与え、笑う余裕を与えるが、これが氏が言うように患者を救うことにもなる。

 氏は本年2月頃から病気で療養していたとのことであるが5月2日に死去された。享年67歳であった。

 私なんぞ緊張感の欠如から不健康な生活を送り肥満傾向で悩んでいるがまだ生きている。私以上に多くの方に健康の重要さを啓蒙されていた氏が私よりも若くして亡くなられたのは運命のいたずらとしか思えない。氏のご冥福を祈りたい。


5/12(水) 快晴 午後飯川病院+当直 
 1:10起床。文献チェックほかいつものごとし。午前歯科受診+アルファ。12:12バス、飯川病院に。微睡。入院患者対応。庭に散水、ほか。17:00飯川病院当直、18:00検食、21:00就眠。Σ4904歩。

書評 さだまさし作「解夏」 幻冬舎文庫 2003年
 主人公は失明が必至の病、ベーチェット病に侵され、絶望の怒りと恐怖に向かい合うという「業」を背負っている。恋人と母と友人達の絶対的な愛に支えられ、運命を受け入れ、解放される日々を過ごす。
 物語の内容は映画評「解夏」にも記載した。

 数々の名曲を生み出したのみならず、筆者の文章はとても美しい。淡々としているのに読むものの心を震わせる。

 表題作のほか5編の短編が収められている。いずれの物語も素晴らしい内容である。
 
 (文庫本の表紙)

 余談(1)
 書評ではないが、私は旅行嫌いで、観光にも土地の味覚にもそれほど興味がない。特に九州は馴染みが乏しい。その中でも長崎については関心が大きい方である。

 亡母の話によると幼少の頃に一度何かの用事で長崎を訪れたことがあるらしい。
 その後、内科や血液学会を通じて30年ほど前に2回長崎市を訪れた。学会のことなど記憶は皆無だが、長崎市に関しては、平地が少なく坂道だらけの地形、夜景の素晴らしさ、歴史的な街として長崎出島、グラバー邸などが記憶に残っている。
 長崎チャンポン?はあまり美味とは言えなかった。
 中でも2回訪れた平和公園、原爆資料館は衝撃的で、広島のそれとともに機会があれば何度でも訪れたいところである。

 最初の訪問時には航空機が海面すれすれまで降下して長崎空港に着陸した。長崎空港は大村湾の中央付近、海岸から約2kmに浮かぶ世界初の海上空港として開業したが、その情報を得ていなかったためにこのまま海上に不時着するのかとさえ思った。

 長崎については10年ほど前だったか、吉村昭氏の戦艦「武蔵」建造に関わる著作を読んだことが機会となって、長崎について認識を新たにした。

 余談(2)
 内容的には映画で取り上げた病気とは全く違うが、私も進行性の視力障害の最中にある。視力検査の字や記号は全く見えない。両眼とも0.01以下と判定される。
 私の場合は白内障、緑内障などが原因なので治療しようと思えばできないわけではないが、私はあえて治療せずに放置し、徐々に進む軽度の視力障害の世界を楽しんでいる。焦点がずれていてはっきりは見えないが、だからこそ景色は美しく、夜景は綺麗、かつ女性は美しく見え、ネコは可愛い。見え過ぎるよりは総じていい感じである。


5/11(火)晴れ 外来 飯川病院ボランティア
1:30起床。文献他PDF化、徒然、5:00可燃ゴミ出し。6:47バス飯川病院,8:45-13:20中通総合病院外来、混雑中等度しかし疲弊。14:00ー19:00飯川病院勤務、ボタン白一鉢飯川玄関に。19:00帰宅。夕食、21:15就眠。Σ8233歩。

?映画 さだまさし作「解夏」 監督:磯村一路 東宝 2004年
 今年のGWは飯川病院で日当直として3日間過ごした。時間が長いこともあって読書三昧で過ごし得た。時間があるだけに、久々じっくり見せていただいた。
 その時に読んだうちの一冊が本書さだまさしの「解夏」(幻冬舎文庫)で、余勢をかってアマゾンで見たのがこの映画である。

 表題の「解夏」とは仏教用語で、昆虫などが繁殖期に入る陰暦4月16日から7月15日までの三か月間、無駄に殺生しないよう僧が出歩かず、一か所にこもって修行するが、その最終日のことらしい。さだまさしが用いる用語は難しい。
 
 難病ベーチェット病であと数ヶ月で視力が失われていく若い主人公とそれを支える婚約者、母、友人たち。
 舞台は坂の町長崎。長崎の階段と海と空に美しい風景。この映画で長崎の風景を見、改めて美しい街だと思った。長崎の老人たちは足腰が丈夫なのではないだろうか。

(東宝関連HPより借用)

 主演は、大沢たかお、石田ゆりこ、富司純子、松村達男他。
 富司純子氏は映画「フラガール」で見たばかりであるが、他は私にとっては初めての方。脇を固めた配役は絶妙の動き。印象深かったのは、富司氏の表情。母の強さ優しさ。誰でも持っている当たり前の立場を的確に表現する演技力に感じ入った。偉人・変人・奇人を演ずるのはむしろ楽で普通の人を演じるのが最も難しいとされている。もう一方、松村達男氏はこの映画出演を最後に亡くなられたとされるが、氏の存在感も大きい。

 人物、風景ともに絶妙のカメラワークで示される。バックグランドミュージックもいい。 淡々と、長崎の雰囲気が心地よく入ってくる。

 作品そのものはいわゆる難病の闘病記にあたる。視力が段々と落ちてくる主人公の心の葛藤と、それを支える女性の物語であるが暗くならず静かにストーリーが進み全体的に静寂感を感じる。決してお涙頂戴ではない。

 爽やかな印象を持った名作である。


5/10(月)早朝降雨以降快晴 健康クリニック 飯川病院
1:10起床、データ整理、画像データ、音楽データなど整理。6:47降雨の合間を縫ってバス飯川病院。9:00-11:00健康クリニックドック10名。判定は昨週終了しており早めに終了。11:15飯川病院。入院患者対応。14:00-19:00勤務、入院,患者対応再度。19:20帰宅、夕食、21:00就眠。Σ7975歩。

皇位継承(3) 生前退位 人間天皇ならば老化するのも当然
 平成16年、82歳であった現上皇陛下は天皇として生前退位の意向を示された。近代の皇室にはないことだけに、各界に大きな話題を提供し、憲法論議までた。

 私にとって皇室の話題など、別世界のことであり、特に考えることなどないし、考えることも不遜なことと思っていたが、陛下をお一人のご高齢の方と捉えれば、いろいろな考えが湧いてくる。

 生前退位に対し、天皇について定めた法律「皇室典範」があり、生前退位はできないなどと、宮内庁や政府の関係者は発言しているが、法による制限があるから、と片付けるのは納得し難い。法律があることで関係者は思考停止状態にあったのだ。

 私はこの問題が生じた当時、陛下がご高齢になるのに、生前退位すらも念頭に置ていない皇室規範をそのままにしていたことこそが問題であって、周辺の方々の職務怠慢だと思った。それを盾に、憲法まで出して天皇の希望を受け入れなかったことは、人道的にも問題と思った。

 天皇の地位は終身制となっている。私から見れば他に例のない、例えようのない厳しい地位である。高齢に達したとき、その地位はどうあるべきか、「皇室典範」にあるからと、今まで検討もされてこなかったとすれば驚きである。
 生前退位には法改正が必要とのこと。確かにそうだろうが、これ以上の公務をお願いし続けることは、「高齢になって疲れ果てた名馬に、死ぬまで働け・・」と鞭を当てているに等しいと思った。私は、もういいじゃないか、皇室典範の改正は後付けでもいい。すぐにでも激務から解放してあげるべきだ、と思った。
 今まで生前退位など考えもしなかった関係者の怠慢を指摘したい。状況の把握に問題があるし、前例がないから、となんら準備してなかった、とすれば、問題である。

 幸い、2019(平成31年)4月30日に施行された皇室典範特例法に基づき、憲政史上初めて譲位され、上皇となった。

 たとえ陛下の意向がどうであろうと、お膝元の宮内庁が陛下の年齢を考慮した対策を国に提案できなかったのは職務怠慢だと思う。尤も、侍従長、宮内庁長官、皇室医務主管・・・等の年齢を見ると総じて年寄り。政治家は総じて保守的。これじゃ問題に気がつくはずもない。

 もちろん、陛下をサポートする職務の方が若すぎても問題があるだろうが、高齢の取り巻きは天皇陛下のお気持ちを受け取れていなかったのではないかと思われる。

 生前退位が問題になった当時、人間天皇ならば老化するのも当然、天皇は人間扱いされていない、と思った。

 今度は天皇の性別問題である。人間天皇ならば男女は同権。「父方に天皇の血を引く男系の男子のみが皇位につく」という伝統は現在まではなんとか引き継がれてきたが、この伝統の方に無理があるのだ。もうそんな規定は必要ない。
 
 今、有識者会議が検討しているが、私は天皇は人間であり、性別で資格を論じることは人権問題であり、その視点に立てば結論は自ずと決まる。女性天皇を認めるべきだ、と思う。
 ここで、従来からの伝統を重んじ、「天皇は男性に限る」という判断が出たら、日本はジェンダー問題ではどうしようもない後進国として世界の笑者になるだろう。


5/9(日)降雨午後晴れ 草刈り6回目
1:20飯川病院で起床。本読み、文献読みほか。書店巡り予定は母の日で中止。10:00バス帰宅。孫たち迎えあるも母の頭痛のため14:00近くまで帰らず、疲弊。14:00-16:00草刈り6回目。微睡後新聞チェック収集、入力など。読書。19:00夕食、20;30就寝。Σ10955歩。昨年、キウリトマトを畑に植えた。レガシー廃車やっと着手。

皇位継承(2) 人間天皇ならば性別で規定するのはおかしい
 安定的な皇位の継承のあり方を検討する有識者会議の初会合が3月23日開かれた。

 その会議の論点は、■男系男子の継承、■女性天皇や女系天皇、■女性宮家の創設、■旧宮家の皇籍復帰、■女性皇族の結婚後の公務、が挙げられている。このうちの前二者がメインとなると思われる。

 従来は伝統に基づき、血筋、血統を満足させる男性天皇、とほぼ限定されていたが、敗戦後に「人間宣言」で天皇は「人間」となった。
 しかし、天皇には人権もなく、ひたすら国家に奉仕し、崩御するまで退位は認められないなど、人間扱いされていない。天皇は人間になったのだからその時点から「人間的な扱いを検討」すべきであったが、おざなりのままに残されていた。この間、政治家は怠慢であり、宮内庁も同様であった。このことで皇室問題は、特に皇位継承問題はいまだに古い伝統が主役となっている。そのため2000年になって後継者不足がにわかに前面に出てきた。小泉、野田内閣では検討会を設置したが、悠仁さまの誕生で立ち消えになったが問題は決して解消していなかった。ちょっと先送りの時間ができただけであった。

 有識者会議ではまず、「父方に天皇の血を引く男系の男子のみが皇位につく」という今の制度を保つのか否かが大きな論点になろう。
 現在、皇位継承の資格のある皇族は、55歳の秋篠宮、14歳の悠仁さま、85歳の常陸宮の3人だけ。うち秋篠宮、常陸宮さまはもうお子様を設けられないだろうから、皇位継承は14歳の悠仁さまのもとで将来生まれる男の子のみで継承されることととなる。だから、悠仁さまに期待されるのはただひたすら男の子を生むと言うこと、になる。

 これは非人間的期待である。ましてや、こんな状況の中で「男子を産むことを、しかも複数の男子を生むことを絶対条件」として受け入れ、悠仁さまと結婚される女性はいるのだろうか。私はいないと思う。

 したがって、今までの伝統を維持すれば将来の皇統の維持は「幸運と偶然に支配される極めて危うい状況」になる。私は、多分、維持不能になると思われる。これは「国家の基本に関わる極めて重要な事柄」(菅首相の弁)である。

 私は天皇は人間であり、性別で資格を論じることは人権問題であり、その視点に立てば結論は自ずと決まる。女性天皇を認めるべきだ、と思う。男性に拘らず周辺の環境を変えていけば皇位継承の選択肢はかなり広がってくる。

 各種の世論調査では、国民の多くが女性が天皇につく「女性天皇」や、父方に天皇の血を引かない「女系天皇」を肯定的に受け止めている。
 もう時代は変わっている。

 有識者会議では、人間天皇を時代にあった形にすべき、と思う。


5/8(土)快晴 飯川病院日当直
1:10起床。文献読みと新聞電子化、録音データ整理、徒然。台所の水道蛇口故障したが修理、ほぼ満足の出来。8:00微睡。11:00仕事で出勤の家内に同乗飯川病院に。そのまま日当直に就く。昼検食、午後映画「ホットまま」一部観る。散水など。17:55検食、20:30就眠。5331歩。

わが家のGW(2021) COVID-19下でいつもの如く淡々と、多忙に過ごした
 今年のGWは、暦上は5月1日(土)-5月5日(木)の5日間であった。
 私はこの間、5月1日(土)は飯川病院の日当直、5月4日(火)も日当直、最終日5月5日(水)は日直が当たったから、実質的に家で過ごしたのは5月2日と3日だけ。

 毎年のことなので、今年のGWの天候、1日の過ごし方、歩数、考えたことなど記録しておく。
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■5/1(土)曇り午後から快晴 GW初日 飯川病院日当直   
 1:00起床。9:00今季初の草刈り。12:20家内に同乗、書店経由で飯川病院へ、12:30-翌朝9:00日当直。歩行計Σ6541歩。
?COVID-19(2021)(21) 秋田も急増しつつある 

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■5/2(日)降雨午後快晴寒い GW2日目 
1:00飯川病院起床、画像・文献新聞チェック。録音データ整理。10:00バス帰宅、読書、新聞データ化。19:00夕食。20:30早々に就寝。歩行計5038歩。
?皇位継承(1) 人間と認めるなら皇室に人権を認めよう

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■ 5/3(月)憲法記念日 降雨午後から快晴 GW3日目 草刈り4回目
0:30起床,文献チェック、随想読みほか。iPhone2台、iPad3台iOSアップデート、自炊3冊、午後14:00草刈り4回目。それ以降は座学、文献読み、読書など。新聞チェックなど。書籍自炊。19:00夕食、21;15就眠。歩行計7457歩。
?憲法記念日に思う(2021)(1)

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■ 5/4(火) みどりの日 晴れ GW4日目 飯川病院日当直
 2:00起床,文献チェック、随想読み、読書ほか。8:30家内に同乗飯川病院へ。9:00-翌日9:00飯川病院日当直。座学など、新聞チェック。午睡後読書、さだまさしの小説「解夏」、ついでに映画も鑑賞。18:00夕検食、21;00就眠。歩行計4759歩。
?憲法記念日に思う(2021)(2)

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■5/5(水)子供の日 快晴 GW5日目 飯川病院日直 
0:50飯川病院にて起床。随想読み、新聞処理。徒然。さだまさしの小説「解夏」読む。映画も鑑賞。文献読み中心。9:00-19:00日直。19:00家内の迎えあり帰宅、夕食、21:00就寝。 歩行計4886歩。
?子供の日2021(1) 「こども庁創設案」について いい政策と思う

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 今年もGWは飯川病院の日当直で時間が取られ、草刈りに時間が取られたが、本も5冊ほど読めた。この間検討すべきと決めていた事項、自分の死亡時の具体的手続きをまとめ、家内や子供たちに残そうとしたが、できなかった。

 何と言っても、今年のGWは昨年に引き続きCOVID-19の世界的流行とその影響である。
 3回目の緊急事態宣言が発令されて企業や商店の営業自粛、人の移動の抑制などの指示が出た。

 昨年、今年のGWはいつも郷里で過ごす長女一家が来秋できなかったことである。勿論、その原因はCOVID-19で、40年ばかりを振り返ってみてもほとんどなかったことである。私と家内、次男は病院勤務でありともに厳しい感染防止が求められている。だから蔓延地域からの来客も受けることができない。

 この間、
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■全世界の感染者数は約1.5億人に増加、死者も315万人。
■国内の感染者数は約650.000人、死者10,000人超となった。
 昨年同期の国内の感染者数は約2000人であったことを考えると驚く推移である。しかも、現在は変異株が優位となっており感染防止に気を抜くことはできない。朗報はワクチン摂取が始まったことであるが、まだ供給量が少なく今後の経過は見通せない。
■秋田県の感染者は昨年同期16名。最近は徐々に増加し520名になっている。
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 私は緊急事態宣言が出たからといってもともと3蜜状態が嫌いなのでほとんど影響は受けない。
 私は毎金曜に大曲の中通病院に診療応援に行くのであるが、往復の新幹線はガラガラ、私が利用する先頭車両はせいぜい1-2名である。

 私にとって、内容的にはゴールデンじゃなくシルバーウイークレベルだった。


5/7(金)曇りのち晴 大曲中通病院 飯川病院勤ボランティア
1:00起床。文献検討、徒然。新聞チェック。5:00家庭ゴミまとめ提出。7:40Taxi駅に。8:11こまち14号、先頭車2名のみ。9:10大曲中通病院外来、大曲復路徒歩、秋田駅病院間Taxi。飯川病院ボランティア。19:30帰宅夕食、21:00就眠。Σ9829歩。

子供の日2021(3) こどもをめぐる諸問題を羅列してみた
 私は興味を感じた新聞記事をスクラップし、項目ごとに分類して保存している。しかし、紙媒体ではみるみる量が嵩み書棚を占拠する他、目的の記事を探し出すのも困難で2008年頃からはスキャナーで電子化し項目ごとに分類し保存している。これだと体積も重量も一切増えることはない。それらのデータは検索をかけることによってすぐに目の前の画面に提示される。

 私は小学校6年を頭に孫が5人いる。しかしながら、内孫でないから、今の子供が置かれている現状を十分に分かっているわけではない。
 子供は各家庭にとっても地域にとっても社会的に見てもかけがえのない存在だから子供達の置かれている現在の環境に、高齢になったからと言って無関心では居られない。

 2008年以降を検索すると膨大になりすぎる。
 2020年分と2021年上半期分に「教育 子育て いじめ 差別など」として分類した記事の枚数は1000余枚になる。

 それらから代表的項目を挙げてみた(順不同)。
 これだけでも現代の子供たちが置かれている状況の概要がわかる。
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子供の安全教育
他人を信用できない子供 感じない心を持つこ 
子供たちの裏社会 、裏サイト
育児放棄 ネグレクト
家庭内暴力DV  躾名目の虐待 
家庭内虐待、虐待死
教育虐待、指導死 スクールハラスメント 教師からの嫌がらせ 校長セクハラ
児相 いじめ いじめ死 ネットいじめ 
COVID-19と鬱 
わいせつ教員 
校則がんじがらめ 黒髪強要
生きずらさ
保健室登校 
嫡出否認問題 無国籍児童 
あしなが問題 給食費問題本 奨学金 子供の貧困
オンライン授業 
COVID-19下のストレス
学校崩壊 
脱ゆとり教育 ゆとり教育
不登校 
スマホ子供は悪影響? ゲーム依存 
育児 保育所落選 育児病児保育課題
単独育児 双子三つ子などの出産 単独育児の困難さ 
子供お断り社会 ベビーカーで嫌な思い
子供の事故と安全教育 
発達障害 障害児 ADHD(注意欠如・多動性) ASD(自閉スペクトラム症) DCD(発達性協調運動障害) 吃音チック・トウレット症候群 知的障害
いのちの授業
食物アレルギー
こどもの自殺
SSW倍増(スクールソーシャルワーカー)増員問題 
ストーカー対策 
子供110番 
児童ポルノ問題
子供の性被害 

などなど他にも多数―――――――――――――――――――――――――――――――-

「こども庁」をもし創設するならこれらの項目についても検討してほしいものである。


5/6(木)快晴 午前草刈り5回目 午後飯川病院勤 健クリ結果判定
 0:50起床。随想読み、新聞処理。徒然など。午前草刈り5回目。12:12バス出勤。14:00飯川病院勤務、一時外出、健康クリニックドック判定、大曲出張費受け取り。入院患者対応。19:30帰宅。夕食、20;30就眠。歩数12279歩、草刈りとクリニック往復。

子供の日2021(2) 「こども庁創設案」(2)
 しかし、なぜ今「こども庁」と言う組織の創設なのか。唐突感が否めない。

 従来、わが国の社会保障などは若者に薄く高齢者に厚く采配されてきた。選挙の投票者が高齢者中心であったから、どうしても高齢者に甘く傾く。だからシルバーデモクラシーと言われる。逆に、そのことが若者の政治離れに結びついた。
 ところが、少子高齢化がここまで進み、わが国の将来に懸念が出てきて、やっと高齢者から子育て世代へ社会補償の傾向を変ることが求められてきた。ただし、数の上での少子化対策はもう間に合わない。質の向上でいくしかない。
 私は今更ながら観はあるが、子供は宝である。高齢者の何倍も大切にしてほしい。

 今、こどもたちが育つ環境を考えたときに、こどもたち自身にも、育てる世代にも、社会構造そのものにも、問題は多々ある。あまりの多さにに目が眩むほどである。

 「こども庁」創設に関しては、現状ではイメージ的なアイデアだけで、どんな課題を重視していくのか、具体的に示されていない。中身の整理もしないまま組織の構造や名称だけが独り歩きしかねない。これでは次期衆院選をにらんだ「選挙目当て」と言われても仕方ない。

 かつては、「地方創生」、「1億総活躍社会」などと名を冠した政治スローガンを掲げて選挙の目玉にしたことがあったが、これはわが国の政治の悪しき傾向である。これらがどうなったのか、総括もされないからその後行方不明である。

 政府はこれまでも少子化対策をうたい、保育施設の拡充や現金給付といった施策を打ち出してきたが、なかなか問題解消の決定打にはなっていない。その因は果たして組織が一元化していなかったためなのだろうか。
 確かに、医療、教育、福祉など、子どもに関わるあらゆる分野を一括して担う組織があれば、縦割りの弊害は解消されるだろう。
 従来の施策がなぜ思うような効果を上げられないのか、省庁間の連携にどんな支障があったのか、新組織創設の前に、検証すべきだ、と思う。

 しかし、子供に関しては整理すべき課題はあまりにも多い。学校、勉強、友人、遊びなどなどである。
 
 菅政権は「デジタル庁」創設を打ち出した。「孤独問題解消」を図る対策室や担当大臣を置くなどしてきた。COVID-19対策を見ていても、担当大臣ばかりが増え、かえって複雑化し混乱している

 国民が求めているのは、施策の実効性だ。ならば、新組織ありきではなく、参加党派を募り「こども庁」創設準備室でも作り、子どもを第一に考える視点から議論すべきだ。


5/5(水)子供の日 快晴 GW5日目 飯川病院日直 
0:50飯川病院にて起床。随想読み、新聞処理。徒然。さだまさしの小説「解夏」、映画も鑑賞。7:00検食。文献読み中心。9:00-19:00引き続き日直。12:00昼の検食。入院患者平穏。文献読み中心。19:00家内の迎えあり帰宅、夕食、21:00就寝。 歩行計4886歩。

子供の日2021(1) 「こども庁創設案」について いい政策と思う
 子供をめぐる話題といえばどうしても少子化に関わることが多くなる。子供の減少は社会・経済・地域の生活などすべてについて大きな影響を持つからである。その割には国民の関心を呼んでいない。
 少子化の具体例を挙げれば、総務省の都道府県別人口推計(2019年)によると、秋田県の総人口に占める14歳以下の子どもの割合は9.8%で、2011年から9年連続で全国最低となった。ちなみに沖縄県は17.9%。  

 そのため秋田県の将来を語る際「出生率改善」とか「少子高齢化社会の先行き」に関心が集まるが、私は少子化対策は遅きに失し、改善は困難と思っている。存続のために他の方法を考えなければならない。

 少子化とともに「子供たちが育つ環境は豊かになってきたか?」という点で見ると、今を生きる子供たちは従来にない困難を抱えた環境にある。

 幼児期、成長期に良好な育成環境が与えられること、教育環境を提供することは子供達の可能性を広げる。子供が豊か育つ環境を如何に提供できるか、財政を確保して社会全体で子育て支援の方法を共有したいものである。

 これは、全世代の国民の大部分が納得できる政策であることは論を待たない。子供は国の宝である。数でダメなら質で高めよう。

 菅首相が子どもに関連する政策を一元化して担う「こども庁創設」に、突然意欲を示した。私も興味を持った。
 4月1日、少子化対策に取り組む自民党の若手有志からの提言を受け、何か閃くものがあったのだろう、すぐに自民党に党総裁直属機関の設置を指示した。

 自民党は「こども庁」創設を、次期衆院選の目玉公約に据える方針で党内議論を始めた。選挙の目玉??それが目的ならあまり賛同できないが、菅首相が目指す「縦割り打破」にも沿っているから注目はしたい。

 子ども関連施策の所管は厚労省や文科省など複数の省庁にわたっている。そのことで機能的でない部分は多々あると考えられる。それらがまとまれば、窓口が分かりやすくなったり手続きがスムーズになったりする可能性はある。
 子どもに関する施策は、保育や教育、少子化対策、児童虐待防止など実に多岐にわたる。

 就学前の子どもの例を挙げれば、
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 ■「保育園が厚労省」、
 ■「幼稚園が文科省」、
 ■「認定こども園」が内閣府、
 ■ その他にも、法務省や警察庁などに及ぶ問題など
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 このような状況だから施策の決定に時間がかかるなど、行政の「縦割り」の弊害は長く指摘されてきた。


5/4(火) みどりの日 晴れ GW4日目 飯川病院日当直
 2:00起床,文献チェック、随想読み、読書ほか。5:00可燃ごみ提出、秋田市契約の処理業者さん、連休中だと言うのにご苦労様。8:30家内に同乗飯川病院へ。9:00から明日の夕方まで飯川病院日当直。長丁場。座学など、新聞チェック。12:00昼の検食。午睡後読書、さだまさしの小説「解夏」、ついでに映画も鑑賞。18:00夕検食、21;00就眠。歩行計4759歩。

憲法記念日に思う(2021)(2)
 戦争は非常事態ではあるが、国際的に認められた正式な外交手段の一つである。戦争というが事態が生じても、あくまで平和主義を貫くべきだ、という意見がある。特に護憲派の人たちはそのように言う。国際世論に訴えながら「やめて、攻めてこないで・・」と叫び「座して死を待て」、ということだろう。戦争というが事態が生じても、あくまで平和主義を貫くべきだ、という意見がある。特に護憲派の人たちはそのように言う。国際世論に訴えながら「やめて、攻めてこないで・・」と叫び「座して死を待て」、ということだろう。

 戦後憲法の基本的な理念に無理があった、と思う。軍国主義の否定と米国由来の自由と民主主義の考え方で日本人のアイデンティティが混乱をきたした時期に押し付けられた憲法としては価値ある考え方であっただろう。

 日本国憲法は公布から75年目を迎えた。
 新憲法発令後間も無く憲法改正の息吹は始まっていて「憲法の自主的改正」を自民党の党是としてきたが、いまだにどの内閣も成し遂げていない。国民的論議を喚起したこともない。安倍氏が長期政権、国会議員の数の優位性を背景に意欲を示したのは理解できないことではない。

 ずっと現憲法でやってきて「それほど大きな問題が生じていないのに改憲改憲という意義が国民には一切伝わってきていない」、「自民党の思惑と国民の思惑は全く一致していない」。にも関わらず「任期中、安倍首相が改憲改憲と常に語っていること自体が、国民から浮いた状態」にあったとも言える。

 2017年の憲法記念日に首相は「2020年を新しい憲法が施行される年にしたい」と踏み込み、9条への自衛隊明記に意欲を示した。成し得なかった。

 2018年に自民党は4項目の改正案のたたき台をまとめたが、憲法審査会はろくに開かれず議論は進んでいない。このの4項目とは、■9条改正、■緊急事態条項、■参議院の合区解消、■教育制度、から構成されている。

 安倍氏がめざした2020年の改正憲法に盛り込もうとしている緊急事態とは、@内閣の一存で、国会の審議抜きで、法律と同じ効力を持つ政令を定めることができ、これによって、例えば官庁組織を自由に設立したり、刑罰を定めることもできる。A国会議員の任期を無限に延長することができ、内閣総理大臣も終身在任とすることができる、なども含まれている。かなりの強権を目指している。

 憲法改正に向け国民の意識はクールである。
 自民党内でも憲法に自衛隊明記など考え方が多様にあり一枚板ではない。

 与野党対立に加えそれに、森友・加計・桜の会など、権力の私物化の疑惑などが解決しない中での憲法改正は国民に浸透しない。

 憲法改正は急ぐ必要はない。クリーンな内閣のもとで進めてほしい。
 安倍内閣のもとで論議が進まなかったのは当然でもある。このような中での改正論議はできるはずもなかった。
 憲法改正は「笛吹けども踊らず」、であったがその因は自分にあったことを安倍氏には考えていただきたい。


5/3(月)憲法記念日 降雨午後から快晴 GW3日目 草刈り4回目
0:30起床,文献チェック、随想読みほか。iPhone2台、iPad2台iOSアップデート、iPad1台バックアップ。自炊3冊、午後14:00-16:00草刈り4回目、裏の農道終了。それ以降は座学、文献読み、読書など。新聞チェックなど。書籍自炊。19:00夕食、21;15就眠。歩行計7457歩。草刈りでうろうろ。

憲法記念日に思う(2021)(1)
 我が国の憲法は制定後75年であるが、世界的にも平和憲法して評価が高い。不戦の誓いを成文化した条文を持つからだ、と多くは考えているのだが、平和主義憲法を持つのは日本だけではなく、8割以上の国が平和条項をもっている、とされる。

 この75年間、日本国憲法は一度も改憲されていない。しかし、毎年5月の憲法記念日の時期になると改憲論を中心に憲法論議が盛んになる。今年は安倍首相から菅首相に変わったこと、新型コロナ禍のために論議は低調である。ほとんど話題になっていない。

 憲法9条で戦争放棄が以下の文章で謳われている。
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 憲法9条、
1項:日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2項:前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
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 実に立派な条項だ。
 しかしながら、戦後平和が守られてきたのはこの平和憲法があったためではない。
 世界情勢、日本の情勢、日米安保条約しかり、米国との同盟関係、外交努力など、がそうさせてきた。
 平和は平和、平和と唱えるだけでは達成できない。

 わが国も情勢に対応しながら、自衛隊の解釈を捻じ曲げながら、防衛機能拡張を進めてきた。我が国の戦闘能力は世界的に見て10番以内らしい。
 これは憲法9条2項から見てどうなのか?日本の軍事力は軍隊でないのか?

 憲法に関する各新聞社やメディアの世論調査によると、改憲については「不要」>「要」である。また、ここ数年「不要」とする割合は増加している。
 特に9条の改正「反対」は7割に近い数字となっている。この背景には改憲論者・安倍首相のこだわりへの反発もあっただろう。

 改憲論者・安倍首相は最長政権を打ち立てたが、経過とともにダーティなイメージがつきまとってきた。最終的には支持率も低下した。私は改憲が必要だと思うが、こんな首相のもとでは改憲論議はしたくない。

 安倍首相は9条に関して自衛隊を合憲化し軍隊としたいという意向であった。
 私もこれについては正しい判断だと思う。今の自衛隊は何なのか??曖昧にしたまま、黙している日本人の曖昧文化はここにも極だっている。軍隊を持たない我が国は同盟の美名の元で米国の属国みたいである。自衛隊は災害救助隊ではないのだ。

 先日、菅首相・バイデン間でより深い同盟関係を確認した、と言うが、一層属国化したのではないか??

 改憲反対論者は、9条の改正は日本の平和主義を放棄することにつながりかねず、再び戦争に巻き込まれるリスクを増大させる、と主張する。
 9条の改正は、即、日本の平和主義を放棄することには直結しない。
 私はそう思っている。


5/2(日)降雨午後快晴寒い GW2日目 
1:00飯川病院起床、画像・文献新聞チェック。録音データ整理。7:00検食。!0:00バス帰宅、正午のNHKニュース後ののど自慢公開放送はなし。昨年ダリア球根仮植え、今年は2週以上前にすみ。若干新芽が出始めた。ボタンは開花直前。読書、新聞データ化。19:00夕食。20:30早々に就寝。歩行計5038歩。

位継承(1) 人間と認めるなら皇室に人権を認めよう
 安定的な皇位の継承のあり方を検討する有識者会議の初会合が先日開かれた。
 皇族数が減るなかで、皇室制度をどう維持するか、これは「国家の基本に関わる極めて重要な事柄」(菅首相の弁)であるが、従来は血筋、血統、伝統が前に立ち、敗戦直後出された「人間宣言」において昭和天皇は、天皇と国民との間の「紐帯」が、戦前の「神話と伝説」から「信頼と敬愛」に変わった、と述べられた。昭和天皇の人間宣言によって「神話」性が取り除かれ「人間」となった。

 しかし、GHQは天皇を象徴として地位を認めたので、天皇を特別な方として特別な規範の中に置かれた、と見なす考え方は国民の中に残り、人間宣言後に当然迎えるであろう「人間的な扱いの検討」はおざなりのままに残されていた。このことで皇室問題は、特に皇位継承問題はいまだにうやむやの中に残されている。

 平成28(2016)年7月天皇陛下に生前退位の御意向があることが報じられた。陛下は同年8月8日に、御自身のお気持ちを国民へのビデオメッセージという形で表明された。
 しかしながら、現行法では、「皇位継承は天皇の崩御の場合に限られ、崩御によらずに退位して皇位を後継に譲ることできない・・・」と解されていた。極論の一つとして天皇が生前退位を表明されたこと自体が憲法違反とみなす考えも出てきた。

 「天皇を人間として尊重する」ならば退位については、前向きに考えてしかるべき時がきた、と私は単純に考えたが、そんな簡単なものではなく、歴史学者、識者を中心に肯定的な意見と否定的な意見が交錯した。私は高齢天皇の立場を人間的に捉えたから考えは単純であった。天皇陛下の生前退位(1) ご高齢に配慮し直ちに実質的対応に着手すべき

 退位を可能にするとした場合の法改正の方法については、皇室典範の改正により退位を制度化すべきとする意見、一代限りの退位を特別法で認めるべきとする意見などが出た。
 私は驚いた。生前退位に反対する先鋒者は安倍前首相であったが、私はその挙げた理由に納得できず心から驚いた。
 「天皇は御存在自体が尊いというから存命中は一定のお役目を持つ」、と言う。ある人は、日本は「天照大神の子孫の神々様から始まり、神武天皇の即位で神話が国になったのだから、国民のために祭祀を執り行うのが、天皇の最重要任務である」と生前の退位に反対した。よくわからない論理であった。

 皇室構成員を人間として捉えれば事は簡単に進むのに、と思う。


5/1(土)曇り寒い、午後から降雨 GW初日 飯川病院日当直 レセプトチェック  
 1:00起床。早朝読書、文献処理一部廃棄。9:00-10:30草刈り3回目。読書、12:00家内に同乗飯川病院、午後日直、当直。午睡、読書、外来レセプトチェック。入院患者対応なし、読書三昧、久々渡辺淳一「愛ふたたび」。歩行計Σ8093歩。

COVID-19(2021)(21) 秋田も急増しつつある 

 秋田のCOVID-19感染症は国内の集計では都道府県別にみて少ない方から2-3番目であった。1月下旬から3月下旬頃までは1日ごとの感染者数はほとんど見られなかったが4月以降斬増している。

 現状でも、秋田県は感染者数で言えば都道府県別では少ない方から3番目であり、人口10万人あたりの感染者数でいえば少ない方からの10番目くらいである。


(全国の感染者数の累計)

 COVID-19蔓延地区の感染者の状況は凄まじいものがある。その地の医療関係者が負っているプレッシャーは如何ばかりかと毎日危惧していたが、正直言って対岸の火事的に構えていた。
 先月下旬頃までは私も秋田県は新規感染者数が少ないことに感心して見ていたが、ここ2週間ほどはその数の増加傾向に驚いている。
 そうは言っても多くてもまだ一日20数名に過ぎない。

 
(秋田県の毎日の感染者数の推移 累計では500余名と他の県に比較すれば少ない)

 最近急増してきた原因として、4月上旬の大仙市の農業組織であるJAおばこ、中旬に秋田市の某老健施設でクラスターが発生したことと、4月下旬から秋田市の繁華街での感染者の急増である。
 秋田市と県は、5月1日すなわち本日、20-90歳代の25人が新規に感染したと発表した。この数は従来からの集計では最多となる。

 これで秋田県の累計患者数は500人を超えた。
 秋田県のCOVID-19対応は新しいステージを迎えつつある。


4/30(金)降雨夕方晴れ 大曲中通病院診療 飯川病院ボランティア
1:00起床、文献検索、5:30可燃ゴミ提出。7:35Taxi駅東に。8:11こまち、先頭車両2人だけ。雨模様病院往復Taxi、9:00大曲中通病院外来。帰路こまち同様に一人だけ。市内も雨でTaxi。飯川病院ボランティア、19:20帰宅夕食、21:00就眠。歩数計7058歩。

COVID-19(2021)(20) ワクチン(3) 私も接種 
 COVID-19ワクチン接種が2月17日から国内で始まり妊婦を除く16歳以上の国民に法に基づく接種の努力義務が課せたれた。強制力はなく接種を受けるかどうかは個人が決めるというのが国の考え。我が国の予防接種法は1948年に定められたが、当時は罰則の伴う義務であった。1994年から努力義務となった。

 ワクチンの効果に関しては米国ファイザー製のワクチンは発症率95%??を抑制するという高い効果が報告されている。COVID-19のコントロールはワクチン接種を除いては現在のところ頼れるものはない。人同士の交流と接触は社会生活を営んでいる中では完全な抑制は困難、緊急事態宣言、マスクなど感染を抑制するには相対的な価値しかない。

 私は医療従事者としてワクチン接種優先者の一人である。
 病院から指示があり、COVID-19ワクチンを3月23日に1回目、4月13日に2回目接種を受けた。米国ファイザー製のワクチンである。

 利腕でない左上腕部の筋肉内に注射したが2回ともに刺入時の痛みは皮下注であるインフワクチンよりも少ない感じであった。しかし、2-3時間後頃から接種部位の筋肉に疼痛が生じ、翌朝には左側の首の筋痛もあった。2回目は若干疼痛が強い感じであったが日常生活に困るほどでなく痛みは自制範囲であった。ともに疼痛は接種後数日残ったが自然に消失した。発熱や全身倦怠感は感じなかった。

 最近、高齢者への接種の予約が秋田県の自治体で始まったこともあってワクチン接種に関する質問が高齢者から多い。

 その中では副作用に関するものが圧倒的に多い。ワクチンの有用性については予防効果がありそうだとの漫然とした知識しかないが、副作用については関心が強いらしくよりシャープな質問をしてくる。血栓症や脳出血などメディアレベルからであるがよく関心を持っている。

 インフルエンザでも肺炎球菌ワクチンでもそうであるが、一部の方は接種までの時間があるときは「自分は副作用が怖いので受けたくありません・・・」と言うのであるが具体的に接種時期が近くなると前言を翻し接種を希望する。そのように答えるのが高齢者の一般で、「早く死にたいものです・・・」などと同様に、一種の甘えの姿である。

 そのすべての方にワクチンのもたらすメリットは副作用とかの危険性に比較して遥かに大きいから受けるように指導している。ワクチンのメリットは、■自分を救う、■社会を救う、■医療崩壊を防ぐ、■接種対象外の年代、特に子供達を守る・・・などと説明している。


4/29(木)昭和の日 終日降雨やや寒い  午前飯川病院ハイビスカス剪定
0:00飯川病院で起床。文献等若干処理。画像収集処理。10:45院長来院ハイビスカス剪定その他。休息後15:00帰宅。文献読み、新聞チェック。微睡など、19:00夕食。21:00就寝、歩行4113歩。

東京五輪・パラリンピック2021(8) IOCの利権稼ぎ、日本はその犠牲
 私は今回の五輪は中止すべきと思っているがIOC、JOCは中止など考えていないらしい。特にJOCの姿勢は納得しがたい。

 IOCは肥大化してしまった。収入の7割は放映権料。最大のスポンサーは米国のNBC放送で、2022-32年までの6大会で8300億円が大会後にIOC支払われることになっている。IOCはだから東京五輪を中止できない。また中国の中央TVとの間では2018ー24年の五輪について600億円もの契約が交わされた、とされる。

 IOCは開催に執着するするが日本人の犠牲のもとに成り立っている。JOCがIOCに向けてはっきりと意見を言ったことなどあるのだろうか。

 五輪の開催は日本の気候からいえば10月頃が適していることは1964年の東京大会のことを思えば当然であるが、IOCは真夏の7月開催を押し付けてきた。その理由は最大スポンサーの米国のNBC放送の事情が背景にあるとされる。この時期は電波に空きがあるからだ、とされる。この開催時期に関してもJOCがIOCに向けてはっきりと意見を言ったことなどあるのだろうか。結果的に選手、観客等の危険を考えてマラソンなどは札幌に場所を移すなどの苦肉の策が取られた。

 私はIOCのトーマス・バッハ会長はドイツ人ではあるが、開催国の日本の事情などそれほど深刻に考えているようには思えない。都民の健康や経済負担などの日本の事情など深く考えていないのではないか?と思う。私は、私自身の考え方がいじけているかもしれないが、一種の人種差別の観があるのではないかと思われる。

 IOC、JOCは外国人の観戦は諦めたが、ワクチン接種が間に合わないにも関わらず日本人観客は入れる予定であるが、その詳細はまだ公表されていない。
 COVID-19のさらなる状況については無観客開催にする可能性もある。それでも外国から選手役員、そのほかの関係者がが2万人ほど来日するというのでそれでも危険である。私はそんなに開催にこだわれるならリモート競技、テレ競技で開いたらどうか、と思う。
 
 今、緊急事態宣言下で生活自粛が行われている。
 医療は崩壊直前状態にある。JOCは10.000人近くの医療関係者の動員を求めてきているが、危機的状況にある医療の現状は無視されている これほど動員したら東京の医療は壊滅的になる。五輪関係者が感染したらどうするつもりなのか?

 ワクチンを五輪関係者に優先して接種しては?との意見もあるようだが、人権問題である。WHOが言うように、若者に接種するのは医療従事者や高齢者ほか高リスク群の人権を無視している。
 健康な選手が割り込む余地はない。むしろ、途上国へ回すべき。

 IOCはバッハだけが目立つ。IOCとして真に機能しているのかも見えない。
 私は五輪は1日も早く中止と宣言すべきである。


4/28(水)曇り昼から降雨 午後飯川病院勤務+当直
1:00起床、文献チェック他。新聞チェックなど。データ関連処理進む。9:00庭の作業若干、寒い。樹木の選定若干進める。12:30飯川病院、ボランティア、微睡、14:00勤務、入院患者対応、読書。17:00当直に就く。18:00検食、20:00就寝。歩行計6181歩。

東京五輪・パラリンピック2021(7) 開催はCOVID-19蔓延下ではリスクが大きい

 今回の新型コロナウイルスの世界的感染伝播は、経済効率のみを追求し、生物としての身の丈を超えた欲望実現活動が背景になっている・・と思う。

 同様の事が1年延期した東京五輪・パラリンピック強行開催の方向性にも表れている。COVID-19蔓延の前に、開催は意味がない以上に危険であるが、IOCは巨大な利権を前に強行する積りであり、JOCは膨らみすぎた巨大投資の回収のために開催を諦めきれない。

 東京オリンピック・パラリンピックの大会運営費用や会場整備費用は、当初見込んでいた3.000億円を遥かに超えて総予算の計上は現時点ですでに2兆円超である。国民としては呆れるほかないが、当初から予算の肥大化は織り込み済みで、国民を騙すために開催にかかわる費用をあえて少なく発表していたという見方がある(参考文献『オリンピック秘史: 120年の覇権と利権』Jボイコフ著、中島由華(訳)、早川書房)。

 オリンピック開催は利益もあるが、リスクも大きい。お祭り騒ぎの裏側で、一部の企業が利益をごっそりともっていく。経済格差は広がる。オリンピックのための施設の多くが、その後使われずに取り壊される。
 開催への立候補が絶えないのは、誤った経済成長への理想がまかりとおり、それを元に夢を語るからである。空想の見積もりを出して騙し騙し物事を前に進めていく。誘致の際、経済効果は〇〇兆円だ、と安部首相も何度も強調していたがもはやあてにはできない。ましてや無観客では・・・。

 肥大したオリンピックの開催予算を少なくすることは難しいだろう。テロの脅威もあり、警備費用も上がり続ける。
 特に、今回はCOVID-19蔓延下にある。五輪関連の医療はどうするのか?医療崩壊が目前にあるのに、五輪のために医療関係者のマンパワーなんて裂け無い。医師300人??看護師500人動員するらしいが、都民が危機的状態にあるのにJOCは何を考え、何とする気なのだろうか??

 これから先、東京オリンピック開催に向かって理不尽な事態が多数起こると思われる。

 現在、東京都ほか3都道府県には3回目の緊急事態宣言が発令されていて、その地の住民は大きな不便が強いられている。こんな時になぜ五輪強行か、と誰しも感じていると思う。
 国民の意向、都民の意向に反した五輪、一部の関係者の満足のためになど五輪を開催する必要はない。

 私は五輪開催に反対する。


4/27(火)快晴 中通病院外来 飯川病院ボランティア 院長COVID-19ワク接種 
1:00起床。新聞チェック、本読み、録音データ整理他いつもと同じ。5:30可燃ゴミ提出、袋破れ補強。6:47バスにて飯川病院。8:35-12:40中通病院内科外来、14:00-19:00飯川病院ボランティア、微睡、読書。散水その他。マックの電話相談、ハードディスクの空きに関して。院長市保健センターでCOVID-19ワク接種、その後学習会。18:30バス帰宅。19:00夕食。21:00就寝。Σ9680歩。

東京五輪・パラリンピック2021(6) メディアで中止の意見は極端に少ない
 本当に開催するの??? 私は中止すべき、と思う。

  1年延長を決めた、昨年3月より国内と世界の感染状況は比較にできないほど悪化している。

簡単に示せば以下の如くである。
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 ■新型コロナウイルス 日本全国の感染状況4月27日 更新毎日新聞
現在感染者数52,521人
ーー五輪1年延期が決まった2020年3月の頃感染者数1.000人
ーー全世界 30万人超
新規感染者数4,161人
陽性率5.21%
死亡者数10,001人


(延期を決めた3月は感染者数は驚くほど少なかった。要するにCOVID-19を甘く見ていた、ということ。現状を鑑みれば強行開催は危険である。IOCバッハ会長、当時の安倍総理に責任をとれとは言わないが、見込み違いは謙虚に認めて欲しい)

 ■新型コロナウイルス 世界の感染状況WHO


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 こんな状況なのに、開催するのだろうか。何で開催にこだわるのか? 基本は経済問題だろうと思う。

 ところで不思議なのは、国民の大部分は今夏の五輪は開催が無理だ、と新聞各社のアンケートに答えているのに、しっかりとした論理を持って五輪中止を提言している方、いわゆる識者と言われる方々の発言は極めて少ない。
 この現象はなぜか?と思う。ネガティブの意見が広く知られるのが嫌なのだろうか。

 今夏に大会を開催すれば、医療関係者の負担は避けられず、国内外で感染拡大のリスクにもなる。COVID-19の先行きは依然として不明だから今後どれだけの費用がかかるのか推定も困難である。開催に用いられる費用を本当に困っている人たちに回す方がいい。

 仮に中止になっても日本が悪いわけではない。その状況をしっかり分析して歴史に残し、しっかり検証ていていくことの方が歴史に意味ある値になると思われるのだが・・・。


4/26(月)快晴 健康クリニックドック 飯川病院 
1:00起床。新聞・文献,いつものごとく。6:47バス飯川病院、9:00-11:20。ドック12名、レ線判定8名。11:30飯川病院、一時微睡、14:00-18:40勤務。入院患者対応、散水ほか。入院患者は平穏、読書、新聞チェック。19:00帰宅夕食、20:30就寝。歩行計8432歩。

東京五輪・パラリンピック2021(5) 1年延期が決まった2020年3月の頃
 東京五輪・パラリンピックの準備中に誰も考えてはいなかったCOVID-19という予想外の問題が発生し、世界的蔓延からオリンピックは延期せざるを得なくなった。
 安倍首相は2020年3月24日に、IOCのバッハ会長と電話会談を行い、COVID-19の世界的蔓延を受けて東京五輪・パラリンピックの開催を1年程度延期する方針で一致し、来年夏に開催することで合意した。

 この頃のCOVID-19状況は今から見ればそれほどではなかった。振り返ってみる。
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 ■1月30日WHO「国際的に懸念される公衆衛生上の緊急事態宣言」
 ■2月28日WHO「世界的流行」を認定。この間感染者は10倍に急増。
 ■3月4日COVID-19国内感染者総数は1000人。全世界では30万人超。
 ■3月11日WHO「パンデミック」と認定。遅い遅い認定発表であった。
 ■3月18日G7会議 医療、経済両面で協力確認の共同声明を発表。
 ■3月24日安倍首相はIOC会長と電話会談、1年延期で合意した。
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 いろいろな因子を考慮して1年後開催に、と思われるが、国際的にパンデミック状態にあり、右肩上がりに感染者が増加している最中での1年延期は根拠のわからない希望的判断だった、と思う。

 私は全世界的に感染対策を最優先に行い、ワクチンが実用化されれば、COVID-19が収束に向かかも??と予測し、2年延期がいいのでは??と思った。

 結局は1年延期で押し切ったが現在のCOVID-19状況はその時に比較してはるかにひどい状態である。COVID-19は欧州で深刻な状況に陥っているほか、途上国でも広がっている現状、ウイルスの強毒化を踏まえれば、また、3度目の緊急事態宣言発令で国民に不便を強いている日常を考えれば五輪どころではないと私は思う。

 本当に開催するの??? 私は中止すべき、と思う。
 ワクチン接種は始まったばかりで十分行き渡るには不足している。3度目の緊急事態宣は中途半端で効果が期待できない。五輪を強行したら国内外にさらなる災禍をもたらす。医療が逼迫しているのに大会のために医師や医療関係者をどこからどれだけ動員するのか?

 政府、都、IOC、JOCは「開催ありき」の姿勢を崩さず、国民の懸念や疑問に向き合おうとしない。根拠不明の強気の発言ばかり繰り返している。菅首相以下、関係者は使命を果たしていない。思考停止状態にある様だ。

 どんな状態になれば中止するのか、それだけでも基準を示すべきである。


4/25(日)雨くもり 午後晴れ 草刈り2回目
 1:30起床、文献検索整理,など。午前は雨にて外仕事無理。家内の携帯のカバー修理、家計簿ソフトの不具合対策など。午後は新聞データ化、読書など。午睡、新聞データ化再度、15:00-16:30ガレージ床落ち葉掃除ほか、草刈り2回目。誕生日前夜祭として夕食祝いの寿司出前。21:00就寝。歩行計9154歩。

東京五輪・パラリンピック2021(5) 開催が東京に決まった2013年を思い出すと
 2016年のオリンピック・パラリンピックは大金を使って招致運動を展開したにも拘らず東京でなくリオデジャネイロに決まった。
 2013年9月に、2020年大会は東京に決定した。関係者は満面笑みで驚喜しているがなんか白々しかった。
 結局、東京の7年後の姿が支持されたと言う事。東京だって分からないが、東京は相対的に治安の良さ、コンパクトな会場設定・運営方針なども支持されたことになる。

 東京にも懸念があった。東京電力福島第1原発の汚染水問題である。
 安倍首相が「事故後の原発事故の状況はコントロールされている。今後も東京にダメージを与えることはない」と明言した。この演説はかなりインパクトがあった。しかし、首相は汚染水対策に関しては政治家らしい大風呂敷を広げた、と思う。
 あれから7年、本年4月に汚染水の海洋放出が決まったばかりで、改めて国際的に論議が湧き上がっている。

 私はタンクに貯めて貯蔵すると言う不安定な方法に懸念を抱いている。タンクの強度も十分でないらしい。パッキングも劣化、締めているネジに錆も生じているとの事。これらは何とか修理出来るかもししれないが、現状のように多数のタンクが並んでいる状況で再度大きな地震や津波が来た際に、満タンとなったタンクは果たして耐えられるのだろうか?私はタンク群の写真を見るたびに、災害で破壊されるタンクの情景を思わずにはいられない。今日まで無事だったのはたまたま運が良かっただけ。

 2020年の夏季オリンピックは、なんで東京なのか。
 私は他の候補地の問題点が大きくなってきたために、IOC委員会は消去法で東京開催に大きく傾いていた、と思う。
 安倍首相は自分で述べた大風呂敷の問題点を理解していないフシがあるし、関係団体も疑義を持っている。
 東京開催が決定してのち、首相は被災地を訪問し、5号機・6号機の廃炉を要請した。その廃炉の方向は良いが、なんでいまになっての要請なのか。オリンピックの演説に合わせたパフォーマンスかなと思った。

 私はもともと大騒ぎのイベントは嫌いであるからオリンピックへの関心も乏しかった。2013年当時、2020年東京オリンピックは多分見れないと諦めていた。私自身がこの世に存在している可能性はかなり小さいと考えていた。この予測だけは嬉しいことに見事に外れた。しかし、誰も考えてはいなかったCOVID-19という予想外の問題が発生し、オリンピックは一年延期せざるを得なかった。


4/24(土)快晴 iMac27(2012)居間にセット 草刈り一回目 
1:00起床、文献検索。読書、iPhoneデータバックアップ。飯川病院メインであった iMac27(2012)を居間にセット、iTuneデータ入れ替えなど。午後微睡のあと庭仕事、草刈り一回目。16:00居間にて音楽関連録画見る。読書、新聞チェック、データ整理。HDデータバックアップ。20:30就寝。歩行計6668歩ほとんど室内で。

東京五輪・パラリンピック2021(4) 開催一途 JOCはIOCの手下か??
 東京五輪・パラリンに関しては2月には森前会長発言関連でもめた。
 女性蔑視問題はメディアで炎上に炎上を重ねた。結局、森氏の最大の業績は日本のジェンダー論を大きく進めたことになった。
 JOC会長は橋本聖子氏に変わった。ほぼ妥当なコースのように見える。

 東京五輪・パラリンピックは厳しいCOVID-19感染下にありながらIOC、JOC、政府、東京都も開催の意思を曲げてはいない。
 「外国からの観客は入れない」、「感染の検査を徹底し」、「選手らを競技会場と選手村の外に出さないなど、万全を期す」などの動きが表明されている。

 関係者の一部には開催は無理かなという気持ちはあるのだろうが、対外的に表明されることはない。自由に物言えない委員なんて気の毒でしかない。

 明日から東京、京都、大阪、兵庫に3回目の緊急事態宣言が発令される。国民は混迷の最中にあるというのに、これでいいのだろうかと思う。
 二階自民党幹事長「感染との関連では最終的には中止の可能性は否定できない」と真っ当な意見を述べたが、各界から批判を浴びている。

 特にIOCバッハ会長の意向は強烈である。「緊急事態宣言はGWを意識したもので五輪とは関係ない」、「選手には連日でも検査をしてもらう・・・」などなど。医療の現場を担っている医師・医療関係者、生活制限を受ける都民からは「五輪は特別なのか」、「海外の人に言われたくない・・」との異論が湧いている。

 3度目の緊急事態宣言は2度目の宣言の解除からわずか1カ月余、こんな状態で五輪・パラリンピックを開催できるのか。多くの人が抱く率直な思いだろう。
 
 「安全で安心できる大会を実現する」、「宣言の影響はない」、「COVID-19に打ち勝った証としての開催」といった根拠不明の強気の発言ばかり。
 医師や医療関係者はどれだけ必要で、確保の見通しは立つのか。ワクチン接種はそれまでに進むのか、変異株の流行という新たな脅威もある。

 結論ありきだけで進めるなら、思考停止と同じ。菅首相以下、関係するリーダーが使命を果たしているとは到底いえない。
 某紙のアンケート調査では、今夏の開催賛成は11%に過ぎない、という。私も中止派である。完全に国民の意向から遊離した状態にある。
 開催の可否や開く場合の態様を、誰が、いつまでに、どんな権限と責任をもって決定するのかも、メディアからの情報ではわからない。速やかに明らかにすべきだ。

 開催一途のIOCの意向もわからない。私はJOCは単なるIOCの手下か??とさえ思っている。


4/23(金)快晴 大曲診療応援 飯川病院ボランティア  
1:00起床、文献検索、録音データ処理その他,5:30可燃ゴミ提出。7:40Taxi駅東に。8:11こまち、先頭車両3人だけ。9:10-12;00大曲中通病院外来。帰路こまち数人だけ。13;20飯川病院、ボランティア、散水、ひまわりを植えた、ほか。19:20帰宅夕食、21:00就眠。歩数計12.961歩。

四季2021(11) 桜散り私に夏が訪れた 庭先の花たちが萌えている
 私は除雪を意識して季節を分類している。

 2月10日に私に春が訪れた。除雪の苦労から解放された。
 4月20日秋田市内千秋公園の桜が満開を迎えた。私の通勤路脇の桜もほぼ満開、通るたびに季節感を味わっている。千秋公園では例年であれば屋台が出たり観桜会などが開催されるのであるが、今年は昨年に続きCOVID-19の蔓延を迎え、大阪などでは3回目の緊急事態宣言も出そうで、その煽りが出て人出はまばらである。それに、今年は満開の後天候が不順で桜開花に伴う気持ちの高揚も中途半端である。

 4月23日に秋田の桜が散り、私に夏が来た。しかし、時にはまだ寒い。

 花の季節である。同時に園芸作業も始まった。
 4月5日に花壇の草むしりとアサガオの植え付け、
 4月8日ダリアの仮植え、
 4月11日飯川病院にパンジー、デイジー、アマリリスなどを植え、

 4月21日飯川病院のハイビスカスの鉢替えを行い、全部の鉢を外に出した。

 わが家の木々、草花は、2週前に咲いた「うめ」を嚆矢として、先週になってから「桜」、「椿」、「もも」、「こぶし」、「水仙」、「ムスカリ」などの花が満開となり、一気に華やかになった。

 なんで花はキレイに咲くのか?誰のために??私の疑問はまだ解けていない。

 ついに、桜の季節は終わった。私にとっては夏の始まりである。
 これから木々草木は緑に萌え、種々の花々が次々と開花する。
 いい季節になったが、それ以上に萌え上がる「名も無い草たち」との対話が始まる。
 明日は天気がいいようだ。今季初の草刈を始めよう。


4/22(木)快晴 午前フリー 午後飯川病院 
0:30飯川病院にて起床、いつもと変わらず読書、データ整理など。13:00飯川病院、14:00-19:00勤務。外来・入院患者対応。散水、ハイビスカス鉢全部外に出す。19:30帰宅・夕食、21:30就寝。Σ7022歩。

食2021 (8) バナナ(4)
書評 本;黒木夏美著 「バナナの皮はなぜすべるのか」水声社 2010


 黒木夏美氏は1984年生まれの女性、九州大学文学部卒。図書館勤務歴あり。現在はファッションモデルとして活躍。

 鬱々とした心で散歩していた著者の前にバナナの皮が落ちていた。それを見た瞬間「バナナの皮で人が滑って転ぶギャグ」を連想した。そのことでテンションが上がった著者は素朴な疑問を抱く。最もポピュラーなギャグである「バナナの皮ですべって転倒」は、いつ、どこで、誰によって、どうやって生みだされたのか?という疑問であった。

 この素朴な疑問を解決すべく、著者はネットを駆使し内外の映画、文学作品、テレビ番組、マンガ、短歌俳句に至るまでバナナが関連したギャクなどを広範に集めた。さらに、実際に転んで怪我をした記録や事件を調べあげ、その社会的背景までを調べつくし、300ページの作品にまとめた。


 幅広い年代の、多数の資料にあたり、バナナの扱われ方の変化や各時代のバナナ事情を読み解く。
 さらに、そもそもの「笑いとは何か」のギャク論や「バナナ産業」、「植民地問題」、「労働者の被搾取問題」、「捨てられるからこそ転ぶのだというモラル論」にも視野は伸び話題は次々と広がる。

 疑問を追いかけていくたびに得られた収穫が増える一方、疑問も増殖に増殖を重ねる。その一つ一つが読む者の想像力を刺激するし、読んだ後には豊穣なバナナの果実を味わい尽くした満足感も生まれてくる。
 内容的には引用文献も豊富に挙げられ、さらに人名索引などもあり、書籍としての構築がしっかりしていて安心して読める。

 この本はネットがなければ生まれなかった本と言える。さらに著者の図書館勤務歴も重要である。ネットに散財する単なる情報を吟味し、書籍にある資料と組み合わせて一貫性のある本にまとめ上げた。

 ちょっとしたこんなことでも情報収集を駆使し、体系化するもできるという可能性を教えてくれた貴重な本である。大いに参考になった。しかし、この著者の作品はこの一冊だけなようである。その資質が勿体無い。

 マンガなどでよくみかける捨てられたバナナの皮は、実のしっぽのほうからむいたように硬い軸を中心に放射状に広がっている。果物を頭のほうからむいて食べるとあの形にはならないことなど、も指摘されている。こういう小さな物事を気にかけて徹底的に追求してみる著者の態度に頭が下がる。

 その他、バナナに関しては、以下の文献も参照した。私のバナナ好きがこんな文献を集めていた。
 ■鶴見良行著 「バナナと日本人 フィリッピン農園と食卓の間」 岩波新書
 ■ダン・コッペル著 「バナナの世界史 歴史を変えた果物の数奇な運命」 太田出版
 ■獅子文六著 バナナ ちくま文庫


4/21(水)晴れ曇り、午後飯川病院 ハイビスカス鉢替え 飯川病院当直
 0:30起床。新聞・文献データ処理,いつものごとく。自炊、趣味の園芸他数冊進める。靴底に亀裂、10:00靴流通センターにてウオーキングシューズ購入、ダンロップ。ダリア残りの球根をプランター仮植え。12:12バス飯川病院へ。ボランティア、14:00
勤務。読書、微睡。ハイビスカス鉢替え2鉢。散水他。入院患者対応、画像データ処理。17:00当直業務、18:00検食。20:30就寝。Σ8392歩数。

食2021 (7) バナナ(3) バナナについてのエッセイ、著作には面白いのが多い
 バナナのエッセイや著作は多い。

 高齢者によるエッセイは子供の頃の病気の時に・・・という回想と、今はいつでも手に入る喜びを扱っている内容が多い。
 バナナは99%輸入品。総務省の家計調査はバナナの突出した人気が示されている。  栄養が豊富で割安感がある、すぐに食べられ手間がかからない、甘い品種が増えた、などなど。
 バナナの新しい農場は土地不足のために700m程の高地が多くなっているがこれが甘味の原因らしい。健康ブームで一時バナナダイエットがブームになったこともあるが、その後も朝食にバナナ食を続けている人は多い。ある調査によると朝食にパン73%、ご飯61%、バナナ35%という統計もある。ランナーの多くがバナナを利用している。
 
 国産の果物の代表であるリンゴ、みかんは近年価格が上昇しているが、バナナは1970年代と大差がなく割安感がある。輸入品で賞味期間も決して長いと言えないが、それでもこの価格を維持できているのが不思議である。どこかで大きな搾取が行われているのではないかと心配する。

 話題はさらに料理やお菓子作りのものが多い。

 もう一つの代表的話題ではバナナの皮が滑るという話題である。
 バナナの皮が滑る古いのはサザエさんではなかったか、と思う。2013年のイグノーベル賞は北里大学医学部教授が授与されたが、バナナの摩擦係数の少なさ、なぜ滑るのかなどを明らかにした。この研究は関節の動きの滑らかさの機序の解明にも応用されている。

 獅子文六には1959年、バナナと題した風俗小説がある。ドロドロした金儲けの話題だが、最後は主人公が皮で滑って自身の愚行に目が覚めるという設定になっている。
 また、黒木夏美著「バナナの皮は何故滑るのか」も面白い。

 かつて一時バナナの残留農薬が話題になってが最近の検査では基準を大きく下回っている、というので一応安心である。

 国産バナナも少量ながら出回っている。在野の研究者である田中節三氏は自身の称する「凍結解凍覚醒法」という方法で国内でバナナを栽培している。成長細胞を−60°Cで凍結した後解凍すれば0℃の環境でも育つという。現在のバナナは「新パナマ病」で危機に瀕しているとされているが、気温が低いと病原菌が繁殖できないため、無農薬で育てることができる、という。その詳細は田中節三著「奇跡のバナナ」 に詳しい。


4/20(火)曇りのち晴 中通病院外来 飯川病院 
 1:00飯川病院で起床。新聞・文献・録音データ処理,いつものごとく。可燃ごみ提出なし。8:30中通病院、8:40-12:15外来、本日は予約患者10名と少ない、12:30飯川病院、ボランティア、一時微睡、新聞チェックなど。19:20帰宅夕食、20:00就眠。歩数Σ7700歩。

食2021 (6) バナナ(2) バナナの危機「新パナマ病」 世界食料事情にも影響する
 かつてバナナは贅沢品であり子供たちのあこがれであったが、今や他の果物より安く売られている。しかし近年、栄養豊富なバナナはスポーツ食や病人食として見直され始めた。

 人類は誕生以来バナナと共に生きてきた。バナナが生育する地域では重要な栄養源であった。
 バナナは、ふだん私達が食べている生食用のものだけではない。料理にも、繊維にも加工され、薬用にも使われる人類にとって貴重な農作物である。
 われわれはバナナについてもっと知っていい。

 バナナは1950年代までは「グロスミッチェル」という種が主な品種であったが、「旧パナマ病」でほぼ廃れ、この病気に耐性のあった「キャベンディッシュ」が主役の座についた。
 「キャベンディッシュ」に「新パナマ病」を起こすTR4が見つかったのは、1990年代初頭、台湾の土壌サンプルから。
 その後、東南アジア、オーストラリアでも見つかり、2013年には中東とアフリカでも確認。防除方法が確立されていないため、感染が広がれば農園に深刻な被害をもたらす。

 「新パナマ病」は、糸状菌TR4が根から侵入して広がり、維管束を破壊して立ち枯れを起こす。バナナの品種の中で最も生産量が多い「キャベンディッシュ」に感染し、台湾や中国、東南アジア、中東などでバナナ栽培に甚大な損害をもたらしてきた。「新パナマ病」に耐えられるような新種のバナナは、今のところ存在していない。もし「キャベンディッシュ」が絶滅してしまったら、輸入できるバナナはなくなるだけではなく、世界の食料事情にも大きな影響を与えることになる。

 「新パナマ病」に感染したバナナを食べても人体に害はないが、この病気への効果的な防除方法はいまだ確立されておらず、このまま世界的に感染が広がれば、「キャベンディッシュ」が絶滅するおそれも懸念されている。

 日本のスーパーに並んでいるバナナは台湾、フィリピンから輸入されている。
 フィリピンは、インド、中国に続くバナナ生産量第3位、輸出国としてはエクアドルに続く第2位。
 しかし、フィリピンのバナナが今、「新パナマ病」で危機的な状況に向かっている。フィリピンでは、2015年頃から「キャベンディッシュ」の栽培面積の18%の農園が新パナマ病に感染した。
 バナナ生産者輸出協会によれば、2019年のバナナ輸出量は1億9,500万箱で、前年の2億700万箱から6%減少した。

 また、バナナ生産における競争国が増えてきていることも、フィリピンにとっては脅威。
? 近年中国の企業が、ベトナムやラオス、カンボジアで新たなバナナのプランテーション事業を始めている。
? バナナの最大消費国である中国からこれらの国は距離的に近く、フィリピンから輸入するより輸送費もかからない。
? このままではフィリピンのバナナは輸出先も失ってしまう。
?
? 現在のバナナ農園は、キャベンディッシュ1種であることが問題なのだが、品種改良は進んでいない。
? そのため、世界的食糧危機に対峙するためにも、様々な病気に耐えられるよう、多様な品種のバナナを開発していかなければならない。


4/19(月)曇りのち快晴 健康クリニックドック 飯川病院 急遽当直に
 1:00起床。新聞・文献・録音データ処理,いつものごとく。6:47バス飯川病院、9:00-11:15健康クリニックドック10名と少ない、結果、レ線判定14名。途中で医局秘書来訪、本日急遽当直となる。今月は日直も入れると延9回となる。飯川病院、一時微睡、14:00勤務。17:00当直に就く。18:00検食、20:00就眠。歩数Σ6136歩。

食2021 (5) バナナ(1) 蒼いのが好き COVID-19蔓延とも関連した考察
 私はバナナが好きである。 しかも、蒼いく実が白く硬いのがのが好き。購入してから時間たたち黄色く熟成したのは、本当は好きでないが食品として尊重しているからありがたく頂いている。
 時々食卓に乗っているが、ちょっと恐れ多くて簡単には手が出ない。幼少時の記憶がいまだに残っていてそれに囚われているからである。子供の時の思い出が齢70年になっても心の隅に残っているものだ。
 幼いころ、病気になっても一つだけ楽しみなことがあった。日常食べることができなかったバナナを特別に食べさせてもらえたのだ。みかんや洋梨、桃などのフルール缶詰も同様で、同じ感覚が残っている。

 そんな貴重なバナナも今はありふれた果物の一つとなった

 バナナは種無しである。
 バナナの原種は硬くごろごろした種がたくさん入った、とても食べにくい果物であった。ところが自然のいたずらで、種がないのに果実だけが太る突然変異種が出現した。 

 種ができない植物を一体どうやって増やすことができるのか??
 幸いバナナは地下茎を伸ばすのでそれを株分けすると簡単に栽培ができる。

 これと同様な身近な植物の代表は桜の代表ソメイヨシノである。ソメイヨシノも挿木や株分けなどで増やすことができる。

 バナナのなかでも、グロスミッチェル種は優れた品種あった。
 大きくて皮が厚く、舌触りはなめらか、昧は淡白でフルーティ。これに目をつけた米国資本が中南米に大規模なプラントを作り上げた。グロスミッチェルは売れに売れたが、社会的には乱開発と深刻な労働搾取があった、とされる。 

 とこるが、大きな災難が降りかかり、グロスミッチェルを枯らせはじめた。カビがとりついたパナマ病である。グロスミッチェルは株分けで増えた単一クローンの植物。多様性のない性質からいったん崩壊し始めるとひとたまりもない。パナマ病はグロスミッチェルを絶滅させた。

 現在、私たちが食べているのはキャベンディッシュという品種。しかし、単一品種という構造は変わっていない。病原体の方も進化して新パナマ病が出現している。

 人口爆発を支える重要な生物資源のバナナ。それをバナナの未来は無関心ではいられない。

 あまりに都合よく、自然に抗し、恣意的にバナナを利用しきた人間。つくりかえた生命体に対しヒトはどのように責任をとるぺきなのか。
 バナナを巡って生命感、自然観、世界観を間い必要である。

 間接的にCOVID-19の発生と伝播と関係している、と私は思う。


4/18(日)終日嵐強風と降雨 飯川病院日直 
1:00起床。新聞・文献・録音データ処理,いつものごとく。8:42バス飯川病院、9:00-19:00飯川病院日直。新聞チェック、2時間当直医の代行。新聞データ化、読書、微睡など。19:30帰宅、夕食、21:00就眠。歩数Σ6923歩。

食2021 (4) ミカン 乾涸びた、しわくちゃ蜜柑礼賛
 ミカンが美味しい季節になった。  ?
 2月-4月は私にとってミカンが美味しい時期で、この時期に集中的に食べる。

 最近は柑橘類はデコポンを始め、種類も産地も豊富で年中何時でも食べられる。しかし、最近の改良されたミカンは概して甘過ぎて自然の酸っぱさが弱い。その点、昔からの小粒の変哲もない、ノーブランドのミカンを私は好む。

? 岩手の片田舎で育ったから、子供の頃から冬場の果物といえばやはり柿とリンゴであった。「紅玉」、「国光」、「ゴールデンデリシャス」等などのリンゴ、もうこれらは殆ど手に入らない品種になったが、リンゴは北国の冷たい雰囲気を身辺に漂わせている果物だと思う。これに秋口からは南の方から運ばれてくるミカンが加わる。?
 ?裸電球の灯る、暗く、寒い室内にチョロチョロと赤い炎を見せながら燃える薪ストーヴとコタツが暖房機の主役であった。その側には静岡産などのミカンが箱のまま無造作に置かれていた。

 秋に手に入るミカンは、青いものもあって新鮮そのもの、実がパンパンに詰まっていて実と皮の間に隙間がない、はち切れんばかりである。味は、新鮮な甘酸っぱさ、独特でこれも捨てがたいが、私はこの時期はミカンは眺めるだけで手に取ることはまずない。
?? ところが2月頃になると私は突然蜜柑を食べ始める。この頃の蜜柑は水分を失って萎縮し、皮と実の間に広く隙間が出てくる。外見も熟成した余裕の雰囲気が漂う。指先でシゴくと一層皮を剥きやすくなる。こうなると家族達はあまり食べなくなるから私の独壇場となる。味も酸っぱさや強烈な甘みは消え、マイルドな甘さが残っているだけ。実に美味しい。??
 数個食べたいと思うとき、時に主食の座をミカンが占める。時々だが、こういう事もある。??

 このしわくちゃミカンを楽しむ頃になると、どんよりとしていた秋田の空が日に日に春の息吹を帯びてくる。私にとっても春の訪れが近いと意識するときでもある。 

 しかし、4月に入るとスーパーの店頭からみかんの姿がそろそろ消える。とても寂しい。

(昨日購入できたミカン 私の所でさらに干からびさせてから順に食べる)

 ところで、ミカンを歌った童謡「みかんの花咲く丘」(1946年)川田正子 、音羽ゆりかご会、は歴史的名曲であるが、大竹しのぶが歌った「みかん」もいい。作詞:阿久悠、作曲:大野克夫。思春期の恋心の爽やかさが表現されている。名曲である。

 しわくちゃミカン礼賛者の独り言。


4/17(土)早朝から終日降雨 雨読三昧の一日
1:00起床。新聞・文献・録音データ処理。終日で外仕事なし、読書中心。終日いまのパソコンに向かう。微睡。読書、蓄積データ整理など。19:00夕食、21:30就眠。歩数計9740歩。

COVID-19(2021)(19) ワクチン(2) ワクチンの種類 国産ワクチンも実用化直前
 メディアによるワクチンの話題は喧しいが、語られるのは、■米ファイザー社、■米モデルナ社、■米J&J社、■独ビオンテック社、■英アストラゼネカ社、■ロシア製「スプートニV」、■中国シノファーム、シノバックが中心である。

 多くの国民は日本は何しているのだ、国産ワクチンは無いのかと感じているようだ。
 確かに、国産ワクチンは現場では話題性が乏しい。

 しかしながら、国産ワクチンはCOVID-19(2021)(18) ワクチン(1) に述べたように遅ればせながら数種類が治験の段階にある。

 日本政府はアンジェス、シオノギにテコ入れしている。
 COVID-19ワクチンの製造には新しい技術を使うが、特殊なタンクが必要とされ、新しい技術を使う世界中のタンクは抗がん剤の開発などで、奪い合いになっている。大きなタンクがある工場は世界でも限られる。

 まだ成果が確立していないワクチン、商品化が見込めないかもしれない段階で多額の投資するリスクを負いながら国が支援をするのは、完成したワクチンを世界中で奪い合うことになり、国民の接種開始時期が大幅に遅れるからである。 
 商品化が見込めない段階で多額投資するリスクを民間企業に負わせられないと政府関係者は言う。その通りだと思う。
 ただし、開発に成功しなければ投じた公費が無駄になるおそれもある。 

 一般的に今までのワクチンの開発には年単位の時間が必要とされ、先行きは見通せない。期待が先行し、準備が進むがワクチンは健康な人にも接種するため安全性と有効性を確認する過程をおろそかにすることはできず、治療薬以上に慎重さが求められる所以である。

 2020年1月10日に中国保健当局がCOVID-19の全塩基配列を公表したが、その日から世界中のワクチン開発レースが始まった。それからわずか11ヶ月後には、米ファイザー社、米モデルナ社、英アストラゼネカ社が治験第3相の結果を報告したが、高い安全性と効果が示されており、COVID-19の収束に望みが持てるようになった。

 従来からの製法による生ワクチン、不活性化ワクチンは開発から完成までに数年かかる。
 それが、新しい技術で11ヶ月後に実用化した。これは驚きである。

 mRNAワクチンは抗原性のある病原体の抗原を人細胞が利用できる形に組み上げ、筋肉内に投与する。筋細胞がmRNAを取り込んで産生された標的抗原が放出され、免疫細胞が抗体を作る。史上初の技術。

 べクターワクチンは人間にとって無害なベクターウイルスに抗原を組み込み筋肉内に投与する。あとは同じ機序で筋肉から標的抗原が放出される。
 ともに遺伝子工学がもたらした革新的技術である。


4/16(金) 快晴 大曲中通病院外来 飯川病院ボランティア 
 1:00起床、新聞・文献自炊。5:30可燃ごみ集積所に。7:40Taxi秋田駅。8:11こまち、乗客は増えているといえど先頭車両には三人だけ。9:10-12:15大曲中通病院外来。駅病院往路徒歩。飯川病院ボランティア。19:20帰宅、夕食、21:00就寝。10685歩。Suica快適。

COVID-19(2021)(18) ワクチン(1) 現状
 特効的治療薬はなさそうである。
 次の期待はワクチン、ということになる。

 私は従来からワクチンに関しては期待と心配とが同居していた。そう簡単には実用化されないだろう、と思っていた。しかし、製品化の進展は早かった。

ワクチンの現状について調べてみた。
(1)WHOの4月16日時点のまとめによると、現在、臨床試験に入っているCOVID-19ワクチン候補は88種類。184種類が前臨床の段階にある。
?
(2)実用化されたワクチンは以下の8種。
―――――――――――――――――――――――――――――――
 ■米ファイザーと独ビオンテックのmRNAワクチンは、昨年12月に英国、米国、欧州など40カ国以上で承認。
 ■米モデルナのワクチンも昨年12月に米国で緊急使用が認められ、今年1月には欧州でも承認。
 ■英アストラゼネカのワクチンは、英国やインド、欧州などで承認。
 ■ロシアはウイルスベクターワクチン「スプートニクV」を承認。
 ■中国はシノファームの不活化ワクチンを昨年12月末、今年2月にシノバックの同ワクチンを承認。チリやインドネシアでも緊急使用が認められている。
 ■インドは国産の不活化ワクチンを承認。
 ■米ジョンソン・エンド・ジョンソン(J&J)のウイルスベクターワクチンが今年2月に米国で緊急使用許可を取得。同ワクチンは1回接種で85%の重症化予防効果を示した上、通常の冷蔵庫の温度で最大3カ月間保存が可能。
―――――――――――――――――――――――――――――――
(3)ワクチンの効果。
 ファイザー/ビオンテックとモデルナのワクチンは、いずれも数万人規模で行われた臨床試験で95%前後の予防効果を示している。
 英アストラゼネカと同オックスフォード大が共同開発しているウイルスベクターワクチンも、P3試験の中間解析結果では平均で70%の有効性が確認。
?
(4)変異株に対するワクチン
 GSKと独キュアバックは、複数の変異株に対応できる多価mRNAワクチンの共同開発で提携。来年の実用化を目指し開発中。
 モデルナやファイザー/ビオンテックも、変異株に対応した新ワクチンを開発中。?

(5)比較的重大な合併症
 アストラゼネカとJ&Jのワクチンをめぐっては、接種後に血小板減少を伴う血栓症を発症したケースが複数報告されており、欧米の規制当局が調査を行っています。欧州医薬品庁は4月7日、アストラゼネカのワクチンについて、接種後の血栓との関連性がある可能性があるとの認識を表明。しかしながら、ワクチンの利益は副反応のリスクを上回っていると強調。EMAによると、血栓症の大半は60歳以下の人で発生しており、欧州では同社ワクチンの接種を高齢者層に限定する動きが広がっている。
?
(6)日本の承認の現状
 ファイザーとビオンテックのワクチンが2月に特例承認を取得。医療従事者への接種開始。
 2月にアストラゼネカが、3月にモデルナのワクチンが承認申請、5月にも承認される見込み。?
?
(7)国産ワクチンの開発状況
 ■大阪大とアンジェスが共同開発するDNAワクチンが国内P2/3試験を実施中。
 ■塩野義製薬の組換えタンパクワクチンも昨年12月からP1/2試験を実施中。
 ■第一三共のmRNAワクチンとKMバイオロジクスの不活化ワクチンも、今年3月からP1/2試験を実施中。
 ■IDファーマは、センダイウイルスをベクターに使ったワクチンの臨床試験を計画。

 ■国内ではこのほか、阪大微生物病研究会などが開発する不活化ワクチンや組換えタンパクワクチンも前臨床の段階にあるという。


4/15(木)快晴 終日飯川病院 
 1:00飯川病院起床、文献読みなど数件。そのまま本日は院長大学受診のため終日飯川病院勤務。午前は外来患者対応、午後は入院患者対応。19:30帰宅、夕食、21:00就寝。通勤路の桜は満開。歩行計4839歩。

COVID-19(2021)(17) 治療薬はここまで来た
 COVID-19に対してこれまでの対策は、実際何ができているのだろうか??
 マスク着用、不要不急の外出抑制要請、3蜜回避程度・・・昨年から続けてきたこのような行動は一定の効果を上げてきた。しかし、行動抑制に対し緊張感を欠いた大衆は規制を守らなくなったから最近に至っても感染者が各地で増えてきた。蔓延地域では医療破綻が生じつつある。

 今となれば、治療薬とワクチンが頼りになる。

 治療薬として注目されているのは以下の製品がある。ただ、私はCOVID-19の最前線にないから自分としての使用経験はない。
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 ■レムデシビル(米ギリアド社)
 もともとエボラ出血熱の治療薬として開発された抗ウイルス薬。コロナウイルスを含む一本鎖RNAウイルスに抗ウイルス活性を示す。日本では昨年5月、重症患者を対象に厚生労働省が特例承認。今年1月には中等症の患者にも使用可能になった。レムデシビルは、入院患者の回復を5日間早めたとのデータが得られ、世界約50カ国で承認または使用許可を取得している。しかし十分薬効があるとはいえないようだ。
?
 ■デキサメタゾン(日医工社など)
 デキサメタゾンは重症感染症や間質性肺炎などの治療薬として従来から用いられている薬。厚労省の「診療の手引き」にレムデシビルとともに重症者に対し標準的な治療法として掲載されている。
?
 ■ナファモスタット(日医工社など)/カモスタット(小野薬品工業)
 臨床研究が進行中。効果のほどはまだ明らかになっていない。
?
 ■トシリズマブ(中外製薬)
 抗IL-6受容体抗体でサイトカインの一種であるIL-6(インターロイキン-6)の作用を阻害することで急激な重症化をきたすサイトカインストームを抑える薬剤。国内外で有効性が検証されている。
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 ■ファビピラビル(富士フイルム富山化学)
 2014年に日本で承認された抗インフルエンザ薬。新型インフルエンザが発生した場合にしか使用できない。新型インフルエンザに備えて国が備蓄している。
 COVID-19感染症への適応拡大を申請したが、厚生労働省の専門家部会は「有効性を明確に判断するのは困難」として承認を見送った。現在実施中の臨床試験結果が提出され次第、改めて審議することになっている。
?
 ■バリシチニブ(米イーライリリー社)
 サイトカインによる刺激を伝えるJAK(ヤヌスキナーゼ)を阻害する薬剤。サイトカインストームに対する治療薬として候補に挙がっている。
?
 ■その他
 腸管糞線虫症と疥癬の治療薬のイベルメクチン、HIV感染症治療薬として承認されているネルフィナビル、痛風治療薬コルヒチンが治験を行っている。
 吸入ステロイド薬シクレソニドは、国立国際医療研究センターの臨床研究で、対症療法群に比べて有意に肺炎の増悪が多かったとの結果が出た。

 結論:治療薬として最も期待が寄せられてきたアビガンは残念なことに効果が乏しいことがわかった。


4/14(水) 曇り 午後飯川病院 引き続き当直
 1:00起床、新聞・文献読み、徒然。自炊本読み。画像データ処理。9:00家内に同乗飯川病院に、粗大ゴミ出す、デロンギヒーター2ケ廃棄、勿体ないがコスパ悪く使用することはない。古いガス台、犬のケージ。9:30秋田駅、ALシアター。12:00Alve市民課、バス証明書更新。13;15近隣にオープンしたレストラン「TO-MART」で昼食。14:00飯川病院、入院患者対応。17:00当直業務に。18:00検食、19:30疲れて就眠。歩数計7540歩。ワク注射部位、首の筋痛。

映画 「FUKUSHIMA50」 監督:若松節朗(2)

 この映画は基本的にはドラマである。記録映画ではない。
 かなりの部分で事実に基づいていると私は思うが、全体を2時間にまとめ上げるために、また、被災者の立場、スタッフたちの家族への思いなども重視して詰め込んだために後半は尻切れとんぼ的になっているのは否めない。

 とにかく炉心は冷却しなければならない。自衛隊による空からの水の散布は当てにならない。吉田所長は海水の注入を決断する。海水を注入することは廃炉することである。海水注入で不十分ながら原子炉の冷却は成功したが、原子炉格納容器の圧力が設計強度を超えて上昇、ここが破裂したら一貫の終わり。残された方法は減圧廃棄、即ち、ベントしかない。世界的にも前例がない。作業は高放射能の原子炉内に突入し手作業で行われた。ベントは成功したが、その後1号機、3号機、4号機で水素爆発が生じた。

(水素爆発を起こした原発 原発事故写真集より引用)

 ベントが遅れた件では、首相の視察と住民避難の2つで遅れたとされる。なんでこんなときに首相が視察、と怒り狂う吉田所長。
 次に海水の注入が遅れた件については、待てと官邸から指示。吉田が激怒する。
 事故対応する現場と政府や東京本社の人々が怒鳴りあう姿を嫌という程繰り返し見せられる。渡辺謙の演技がいい。

 この映画を通じていろいろ考えることがあった。実際に現場に残り命がけの作業に従事した人達には敬意を表したい。最終的には福島原発事故は「奇跡的に難関を乗り越えた」ということになる。つまり、全てが論理的に進められたということではなく、不運と幸運と努力と偶然の賜物である。

 大事故が生じた際に、放射能汚染で東日本を壊滅させる可能性のある、結果として日本の崩壊に結びつく可能性のある危険な原発システムは、「この世に存在してはならない」のだ、と思う。目に見えない放射線は怖い。それだけでない、使用済み燃料の処理方法も決まっていない。

 事故原因の掘り下げなどは確かに甘い。何故、設置する丘を削って低くしたのか、予備電源を地下に設置したのか、問題点はいくらでも挙げられるが、人災因子は「想定外の津波」にかき消されてしまっている。
 それぞれにドラマ的な誇張もあるが、実に壮大な作品に仕上がっている。
 
 このような作品の欠陥や問題点をいちいち挙げることよりも、放射能汚染のために5000万人が住めなくなり、次いで日本破綻の瀬戸際まで追い込まれた事実を、後世に遺す価値はとてつもなく大きい。

 火山帯の上にあって地震が絶えない日本は、自然の前にして人智に完璧はなく、放射能汚染は超長期間にわたって故郷の全てを奪う。今回は奇跡的に危機を脱出しただけなのだ。その現実を示した意義は大きい。
 脱炭素社会が叫ばれる中で原子力とどう向き合うのか、老朽化した原発をどうするのかを考えるために本作の存在意義は十分にある。

 最後は吉田所長の葬儀の場面で終わる。遺影は渡辺謙ではなく吉田所長自身のものであった。とてもいい演出であった。


 4/13(火)曇り午後小雨 外来 飯川病院ボランティア ワクチン2回目
0:20飯川病院で起床、新聞・文献読み、徒然といつもと同じ。6:00可燃ゴミはまとめだけ依頼。8:45-13:15外来。安定している患者は90日処方に。14:00-18:30飯川病院ボランティア。15:00COVID-19ワクチン2回目接種、筋痛あり。19:00帰宅、夕食、21:00就眠。Σ7936歩。

映画 「FUKUSHIMA50」 監督:若松節朗(1)
 東日本大震災・原発事故から10年を迎えた。
 10年という時間の経過は貴重である。私はこの間に原発事故関連のニュースを集め、文献を多数読んできた。やっと、より冷静に原発事故問題を考えることができるようになった。

 しかし、10年立ったと言え、まだ避難民が4万人もいる。しかも、帰還困難域の問題、地域のコミュニティ再構築の問題、核のゴミ処理問題、汚染水問題、再稼働問題、東電の隠蔽問題など問題は必ずしも解決に向かっていない。
 10年立ったからこそ、沈静化していた諸問題がクローズアップされ始めた、といえよう。

 原発事故は、事故そのものの内容がよく知られていないだけでなく、一歩間違えば東日本が壊滅状態に、すなわち日本壊滅になり得た原発事故の恐ろしさすら、風化しかかっているように思われる。

 原発事故を学ぶ資料の一つとして、映画「FUKUSHIMA50」を視た。アマゾンのプライムヴィデオに紹介されており興味を持っていたが、私のネットの知識では観ることができず半ば諦めていた。それがヒョンとしたことからネット内でレンタル可能と知りやっと視聴できた。
――――――――――――――――――――――――――――――
 作品は、監督は若松節朗、上映時間2時間2分、 2020年3月に公開された。配信は松竹。
 原作は、既読の門田隆将氏のノンフィクション 「死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発」(角川文庫)。これも資料としては大いに役立った。
 事故発生時、第一原発に留まって対応した約50名の作業員たちを、海外メディアは「Fukushimaフィフティ」と呼んだがこれが題名となっている。
 主演は佐藤浩市、渡辺謙ら。

 最前線で日本崩壊を守った男たちのドラマ。困難に立ち向かう勇気、犠牲を厭わない姿、事故後の5日間に予測不能なアクシデントが次から次へと起こり、すべて緊急対策を要する状態で、観る者にも息もつかせない。

 制御不能の原子炉と対峙したのは現場のスタッフで、本社と官邸の命令を無視して、現場が信じる方法を推し進めた。
 あの時、現場で何が起き、スタッフたちは何を思い、どう対策したのか。人間の弱点とそれを乗り越えた英知を描いている。

 2011年3月11日午後2時46分。M=9.0、最大震度7の地震発生。大津波が福島第一原子力発電所(イチエフ)を襲う。浸水により全電源を喪失したイチエフは、原子炉を冷やせない状況に陥った。原発は常に水で冷やしておく必要がある。水がなければメルトダウンを起こし、連鎖的に想像を絶する甚大な被害をもたらしていく。

 全体指揮を執る吉田所長は、現場を知らない本社や官邸からの指示に怒りをあらわにする。渡辺謙の怒りの演技が素晴らしい。
 しかし、現場の奮闘もむなしく事態は悪化の一途をたどり、近隣の人々は避難を余儀なくされてしまう。
 官邸は、最悪の場合、放射能被害範囲は東京を含む半径250q、その対象人口は約5,000万人にのぼると試算。それは東日本の壊滅、即ち日本の壊滅を意味していた。それでも政府は積極的対応は決断できなかった。


4/12(月)快晴 健康クリニック 飯川病院 飯川病院当直
0:20起床、新聞・文献読み、自炊など。いつもと同じ。6:47バス飯川病院着、9:00-11:30健康クリニック。受審者14名、結果判定12名。11:45飯川病院、検食後微睡。14:00-17:00飯川病院勤務。入院外来対応。17:00当直業務、18:00検食、19:30就眠。Σ6930歩。鹿児島の列島付近に群発地震。

秋田でもSuicaを使えるようになった しかし・・・
 3月13日JRのダイヤ改正が行われた。
 私に関連しては、週一回大曲往復するための新幹線の発着時間にはほとんど変更ない。しかし、この日に合わせ近隣に泉外旭川駅がオープンなど、多少の変化があった。

 その中で一番身近な問題は今まで便利に利用していた「新幹線W切符」が発売終了になったことで、券売機に向かって購入できなくなったことを初めて知った。

 「新幹線W切符」は2013年10月1日から従来あった新幹線回数券に代わり発売になったお得な切符のシリーズの一つ。運賃と新幹線自由席特急券がセット2枚綴りで3980円で、有効期間が1か月。秋田〜大曲間は通常料金は指定券なしで2190円だから往復で400円の割引となっていた。
 この割引は今回の改定はなくなった。チケットレス推進を隠蓑にした値上げと言っていい。基本的には「窓口にかかる人員の削減」、「紙のきっぷの削減」が目的と思われる。

 券売機で「新幹線W切符」は簡単であったが、大曲までの新幹線自由席と乗車券を購入するのは結構面倒である。

 JR東日本では「モバイル Suica」をリニューアルしたとのこと。
そのパンフレットによると、実際にはよくわからない説明文が並んでいるのであるが、「モバイル Suica」、その中の「タッチでGo!新幹線」はスマートフォンの操作だけで、駅の窓口や券売機に 立ち寄ることなく乗車できるサービスとのことであり、券売機の処理が嫌な私は飛びついた。

 私はかつては東京出張が多かったが、その時にJRなどの乗客の多くはスマートフォンをかざすだけで乗降車できる様子を見てとても羨ましく思っていた。
 それが秋田でも実現できるようになった。

 早速、私のiPhoneにSuicaを導入し準備に入った。あとは駅の券売機で初回の手続きをすれば使用開始できるはずであった。しかし、秋田駅で探してもその手続きができる機能を持った券売機が見つからない。係の駅員に訊ねたところ、「秋田ではその機能を持った券売機はまだ設置されていない」とのこと。その後の対応は秋田駅では得られなかった。当日は通常の切符を購入して大曲に向かい、大曲駅のスタッフが初期設定アドヴァイスしてくれ「タッチでGo!新幹線」機能が使えるようになった。

(やっと夢が叶ったSuica これでピッピと通過できた)

 それにしてもJR東日本のSuicaのパンフレットの記載は問題である。
 駅の券売機にかざすだけで初回の手続き完了、以後使用は可能と強調してあるが、秋田にはこの機能を持った券売機がない。にもかかわらずパンフレットには大きく宣伝している。しかも、秋田駅のスタッフはこの件について不案内であった。

 私は大曲駅のスタッフの助言を得てソフト的に使用可能になったが、JR東日本のSuicaのパンフレットの記載は「まだ設置していない券売機をあるように前面に出して宣伝」してあって、問題がある、と思った。


4/11(日)雲ひとつない超快晴 飯川病院日直
 1:15起床、本読み、文献・録音・画像整理。微睡など。8:30家内に同乗飯川病院。日直業務、午前は座学中心。午後微睡若干後、病院花壇に花を植えた。17:30クリーニング店経由で帰宅。18:00~19:00書斎で音楽録画見る。19:10夕食、ネコどもと団欒、21:00就眠。Σ6883歩。

新聞考2021(3)  マスメディアの方々には頑張って欲しい

 ネット上のフェイクニュースや怪しい情報は、視聴者に正しい判断力があれば、本当かな??と気づく場合が多いはずである。その判断力をメディアリテラシーという。すなわち、インターネットやメディアの伝える情報が正しいか否かを見きわめる能力のことである。

 日常メディアからの情報を得ている者にとっては、私もそうであるが、ネット情報のかなりの部分が何かおかしいと感じることはある。しかし、多くの人々がメディアリテラシーを持っている訳ではない。

 もし、中国などのように政府や公的機関が「これはフェイクです」と判断したら、検閲の始まりを意味し、戦前の軍国主義に通じる恐ろしい社会になってしまう。

 ならば、どうすれば良い??「結局、ジャーナリズムの自浄作用しかない」、とジャーナリストの池上氏は言う。
 毎日新聞や共同通信社をはじめ多くの社が読者などから広く意見を求める機構を持っている。また、弁護士会でも報道に意見を述べるシステムを有している。

 アメリカやフランスではファクトチェックを担う組織や団体があり、グーグルやフェイスブックと連携してフェイクニュースの検証に取り組んでいる。

 新聞は雑多な情報が取り上げられているが、ネットでは検索やリンクなどから、自分が見たい記事ばかりを集めて見てしまう傾向がある。

 例えば、アマゾンで書籍を数冊購入すると次からは類似の書籍の広告が上位に並ぶようになる。これをパーソナライズというが、企業側はユーザーの満足度を上げて視聴頻度を上げ、販売を促進しようとする。
 これがネットで「見たい記事、類似の記事ばかり見る」傾向を後押しする。自分の考えに近い論調の記事ばかりを集中して読んでいると、気分はいいがどんどん判断力を失ってあらぬ方向に行ってしまう。

 その点、新聞はいい。
 見開きの広いページに政治、経済、社会だけでなくスポーツ欄、健康や料理などの生活欄、識者と言われる方々からのオピニオン、読者からの声欄など多方面にわたる記事を掲載している。自分が興味を持っている分野でなくとも、少なくともページをめくる際、見出しは目に入ってくる。

 マスメディア、それぞれの新聞が社論を主張するのはいいが、読者に対して社論を押し付けるのではなく、一方でそれに反対する意見を紹介するのも重要だと思う。いろんな意見を紹介し、民主主義を支えるインフラと多くの人々にわかってもらうことは新聞の将来を考える上で重要である。

 新聞の部数は右肩下がり。若年層のテレビ離れも指摘されている。厳しい現実が迫っている。経営が思わしくなければ思った紙面を作れなくなる。

 私はスマホの狭い画面では大局的判断はでき難い、と思う。
 スマフォをじっと見ている顔は般若の面に似ている。


4/10(金)終日曇り寒波  
1:00起床。読書、データ整理中心。6:00可燃ゴミ、7:35Taxi駅に、秋田駅員はSuicaに不案内。通常切符で8:11こまち、9:10大曲中通病院外来、非混雑。大曲駅で駅員対応してくれた。秋田は徒歩。15:30-19:00飯川病院ボランティア。iMac2019届く。19:00帰宅、21:00就眠。歩数計8419歩。日中降雪若干あり、夕方からみぞれ降る。

新聞考2021(2) メディアの信頼性がネットで侵害されている
 メディアの信頼性が下がり続けている。
 正確なニュースを報じ、民主主義社会のインフラとなるべき報道機関が信用されなくなっていることに、どう対応すべきか、これは重要な問題である。なんとなれば、情報を受け取る側が何を信じていいのか分からなくなるからである。これは恐ろしいことである。

 ここ数年、フェイクニュースに関しての話題が多い。フェイクニューとは、まるで本当のニュースのように装ったデマ情報。デタラメをニュースのように仕立てているから一見真偽の程がわからず、信じてしまう人は驚くほど多い。

 日本にいると実感できないが、昨年の米大統領選の終盤では、ニューヨークタイムズやワシントンポストなどの主要新聞やテレビよりも、フェイクニュースの方がより頻繁にフェイスブック上で拡散していた、とされる。従来のメディアが信頼を失っている証座である。

 日本でもマスメディアに対する信頼性は下がっている。新聞通信調査会が2008年から毎年実施する「メディアに関する全国世論調査」では、NHK、新聞、民放テレビ、ラジオの信頼度が、いずれも過去最低となった。

 また、総務省の「平成27年 情報通信メディアの利用時間と情報行動に関する調査」によると、全体ではテレビ62.7%、新聞68.6%と高い信頼度を保っているが、若い世代ほどその数字は下がり、テレビは30代で47.3%、新聞は20代で58.9%となる。ネットや雑誌はそれよりも圧倒的に低い。


 いまの10〜20代は新聞を読まず、ネットのニュースしか読んでいない。だから、ネットの実態を知らないからマスメディアに対して不信感を持っているのだろう。

 なぜ、メディアは信頼性を失っているのか??
 視聴者が知りたいことを報じることが、業績を伸ばす近道。これがメディアの現実であり、危うさでもある。しかしながら、メディアは民衆が好まない嫌な内容であっても伝えなければいけないことは伝える、という姿勢を貫いてきたことが信用されてきたルーツであった。

 その信頼性が、ネットの登場で崩れて来ている。

 ネットは、
 ■ ネットには新聞やテレビで報じられていないことが出ている。
 ■ 新聞やテレビが報じない真実、という見出しで「新聞やテレビのマスメディアは隠している」という誤解が広がり、ネットの方が信頼できると感じる人が増えている。
 ■ 週刊誌や雑誌の影響力はそれを読んだ人にとどまる。しかし、ネットでは双方向だから個々人の不信感が増幅しシェアされる。
 ■ 自分で裏を取る確認作業もせずに、ネットに情報を流す。それを見て「ネットがいち早く伝えている」と捉える人がいる。
 ■ かつてはメディアの競争相手はメディア業界内だけであった。しかし、ネットではあらゆる組織や個人にまで広がった。
 ■ ネットは報道やメディアにとってマイナス作用しか持たない訳ではない。あらゆる個人が情報発信できるようになったことで、「情報の民主化」の面もある。他方、ネット情報の中に不正確なものやフェイクが大量に混じっている。

 ネットについては上記のような特徴を捉えておく必要がある。


4/9(金)終日曇り寒波 大曲中通病院 飯川病院ボランティア Suica使用開始
1:00起床。読書、データ整理中心。6:00可燃ゴミ、7:35Taxi駅に、秋田駅員はSuicaに不案内。通常切符で8:11こまち、9:10大曲中通病院外来、非混雑。大曲駅で駅員対応してくれた。秋田は徒歩。15:30-19:00飯川病院ボランティア。iMac2019届く。19:00帰宅、21:00就眠。歩数計8419歩。日中降雪若干あり、夕方からみぞれ降る。

新聞考2021(1) 新聞の将来は厳しい
 私は毎朝の習慣として新聞を数紙読む。いや習慣というよりも貴重な情報源として積極的に資料集めが主たる目的である。

 東日本段震災・原発事故後4?5年は地域の事情を知るため最高で6紙を購読していたこともあったが時間的に追いつかず、現在はやむなく朝日、日経、さきがけの3紙に絞っている。これらは有料の電子版にも加入しているから1.3万円/月程度と決して安くはない。
 信頼おける情報には対価を払う必要がある。
 毎朝、記事内容をざっとチェックし、選び、切り抜く。電子化してデータとして残し活用する。

 新聞は日本と世界の現況、政治・経済・社会・市民生活を要約して報道している。
 新聞は単にニュースを報道するだけでなく、各紙がそれぞれ明快な立地点を有している。それに全面的に賛同するか否かは別にして、各紙の立場は明快である。だからその論評や主張には一本筋が通っており、安心して読むことができる。

 一方、ネットにはツイッターなど個人発信の情報と意見があふれている。こちらは明確な背景、基盤を持たないから、即ち、筋の通った骨格がないから信頼度が低い。ちょっとした切っ掛けで注目され、異常なほど増殖して、いくらでも変形するし、時にはすつと消滅もする。だから、私はネットの情報は背景がしっかりし、出所が明快で信頼おけるもの以外は見ることはない。

 近代国家は立法・司法・行政の三権から成る。それに対して報道機関が第四の権力と呼ばれることがある。国家の運営に及ぽす影響力が大きく、三権を批判する機能があるからだ。
 今の日本は行政府の力が異常に強く、立法府と司法府はその前にひれ伏していると思われる事象は少なくない。そういう時こそ第四権力である報道機関の真価が問われることになる。

 日本の新聞発行部数は、2000年の5370万部をピークに減少が続いており、2015年には4424万部にまで落ち込んでいる。その後のデータは入手していないが傾向は変わっていないと思われる。そして、新聞は世帯普及率も右肩下がりが続いている。単身世帯では、もはや新聞を取っている人の方が少数派である。

 新聞離れの最大の理由が、インターネットの普及であることは明らか。ネットのニュースサイトは、世界中の情報がリアルタイムで知れるうえ、料金も無料という強烈なメリットがある。新聞は有料で、速報性という意味ではインターネットに勝ち目がない。

 私は活字媒体が好きで、中でも新聞の比重が極めて大きい。
 ただ、そんな私も新聞が将来的にも生き残って行くには、批判に耐えうる立派な企画、記事を掲載するしかない、と思う。


4/08(木)寒い曇り 飯川病院 
1:15起床。新聞・文献チェック他。ダリア仮植えしたので外仕事一段落、座学中心。11:50バス飯川病院。ボランティア、14:00-17:00勤務。入院患者対応。19;30帰宅夕食、21:00就眠。歩数計7153歩。

モノクロとカラー(3) 個々人は果たして同じ色調で見ているのか?
 色調を区別し難い方々がいる。色覚異常とされ、先天的に異常と各種の疾患によって後天的に生じることもある。かつては色覚異常者に就業規制を敷く職種が多く、小学校の頃から健康診断には色覚異常検査が行われていた。

 実際には「一部の色が区別し難いだけで日常生活にはほとんど影響がない」と、すべての色覚異常者がこれらの就業規制に該当するわけではないことがわかり、規制がゆゆくなってきた。かつては医師なども不適格業種とされていた。色覚異常の安易な考え方は人権侵害であった。

 日本の小学校:1994年以降は1回だけ、2003年(平成15年)より色覚検査を定期健康診断の必須項目から削除し、希望者だけに色覚検査を実施している。
 雇用者による制限:2001年に履歴書の記載が廃止された。
 大学への入学制限:1993年廃止。
 会社への就職制限:雇い入れ時検査を課しているところもある。

(色覚異常の考え方:日本医師会のパンフレットより一部)

最近の就業規制(地上自治体などで基準か異なる場合もある)
―――――――――――――――――――――――――――――――――
異常なし      自衛官(航空) 潜水艦乗組員 鉄道運転士 航空管制官
          海上保安庁(航空)
勤務に支障なし   海上保安官 皇室護衛官 入国警備艦 パイロット
個別の基準     海技師 小型船舶操縦士 消防士
―――――――――――――――――――――――――――――――――

 人間者は網膜上に3種の色センサーがあるが、犬・ネコ・ネズミ・豚などの研究の対象になった動物には2種の色センサーしかない。だから、大体の色はわかっても人間ほど細かくない。赤と緑の識別に弱点があるようである。我が家の猫7匹の溜まり場にフェルメールの「デルフトの眺望」のレプリカが掛かっているがまるで感心を示さないのはそのせいか。

 この人間の色覚は冬には感受性が異なってくるという研究もある。北欧や、秋田も含めて冬季には「動きたくない、眠い、人と会いたくない」といった症状が出る人が多く、「冬季うつ病」と言われる。こうした人は冬季間には光の感じ方が鈍くなっている、と言われる。
 先天性色覚異常の約300万人うち、実生活上困難が生じているのは125万人とされている。しかし、白内障・緑内障・糖尿病性網膜症どの病気、怪我などで1000万人ほどいるとされる。したがって、誰もが色覚異常になりうるとも言える。

 色覚異常の治療は困難であるが、色覚に訴えず判断ができるようにユニバーサルデザインが採用されつようになってきた。色覚におけるバリアフリー化である。

 その前に、私は各人の色調の感受性はかなり異なっているのではないか、と思っている。科学的証明はない様であるが、各人が薄い色調のサングラスをかけているようなものでないだろうか。画家たちに見えている世界は我々とは異なっているのではないか?と思う。


4/8(水)曇り晴れ 飯川病院ボランティア 秋田さくら開花宣言
0:30起床。文献検索、徒然ほか。9:00-11:30ダリア発芽しすぎたので仮植えした。12:12バス飯川病院に。ボランティア。新聞チェック、14:00勤務、入院患者対応、花壇に散水。データ整理、本読みほか。昨年家内用にiPad mini5落札。19:30帰宅。夕食、21:00就眠。歩数計歩行計8419歩。秋田市さくら開花宣言、史上最速だらしい。

モノクロとカラー(2) 写真 モノクロの情報量は意外と深い
 2018年、富士フィルムはモノクロのフィルムと印画紙の発売を中止した。1936年からの製品だと言うが今は需要が減ってしまったのであろう。

 デジカメではカラーからモノクロへの変換は簡単にできる.
 だから、多くの人には問題ないのだろうが、電気的変換には飽き足らずモノクロフィルムの醸し出すゴツゴツした質感を惜しむ声は小さくない。
 私は中学生の頃カメラを持っていたが、カラーフィルムは高くて買えず当時の写真は全てモノクロだった。

 今はカラー写真が当たり前で、モノクロの黒から白への「明暗情報」のみで表現される像がむしろ新鮮に映る。

(私が撮った写真のうち最も大切にしているうちの一枚 三毛ネコ 昭和35年頃撮影)

 ざっと考えればカラー写真とモノクロは「色」があるか否かの違いであるが、モノクロ写真から改めて「色」という要素の重要さを実感できる。
 興味深いのは「色」が無くなると、逆に「色」が豊かになるという経験である。それまでの経験の中で体験したそれぞれの「色」を見る者が自由に思い浮べるからである。すなわち、モノクロ写真は見る者に自由を与える広い容認力がある。
 仏像を撮るときにいかに頑張っても金色の色調が出せないときには暗闇の中で仏像をモノクロで写せば、見る者には素晴らしい金箔の仏像として見えることもある。

 映像の基礎を築いたのは、サイレント映画やモノクロ写真であった。そして今もなおモノクロ写真は独自の芸術的価値を持っている。モノクロ写真は過去のものではなく、現代においても人びとの美的感覚に訴える魅力がある。

 カラー写真は表層的な描写を味わう気軽さがある。
 モノクロ写真はレトロな物、昔ながらの風景などを被写体とするといい雰囲気になることが多い。山岳写真にも向いている。それ以上に、身近な被写体としては人の顔がモノクロに向いている、と思う。

 私が所持している山岳写真集のかなりがモノクロのアルバムである。
 また、有名な木村伊兵衛のモノクロのポスター「秋田美人」も素晴らしい。
 山岳写真からは地上の様子から地中の様子までも類推できるし、モノクロの顔写真には被写体となった方々が過ごしてきた人生すらも伺い知ることができる、ような気がする。
 少なくとも私にはそう思えてならない。

 カラー写真の場合、主題やイメージそのものよりも色に目が惹かれがち。
 モノクロ写真は「純白」と「漆黒」、「無数の段階のグレー色調」しか存在しない。写真の良しあしは「被写体」と「光の取り込み」、「構図」によって決まる。

 カラー写真が当たり前の時代に育った人たちが、モノクロ写真にどのような印象を抱くか、確かめて見るのも面白いかもしれない。


4/6(火)快晴 中通病院外来 飯川病院ボランティア
1:10起床、新聞・文献・本読み他、蓄積データ整理、徒然。5:30可燃ゴミ提出。6:47バス飯川病院。8:45-14:25外来。30名と超混雑、疲弊。14:45飯川病院、微睡など。ボランティア。やはり火曜日は疲弊する。19:30帰宅、夕食、21:00就眠。歩行計8696歩。

モノクロとカラー(1) TV 画面がうるさいカラーTV
 時は昭和30年代中頃、それまでは娯楽といえばラジオであったが、やっとTVが普及し始めた。

 当時のTVはブラウン管の白黒。14インチが定型で、価格は10万円前後。公務員であった父親の給与の2ケ月分以上とかなりの高額であった。 私が中学三年年の時に、風呂敷に10万円を包み、それを腹巻きのように巻いて自転車で16Km離れた盛岡の電気店に買いに行った。 汗びっしょり、紙幣の大部分も汗で濡れていた。「子供が一人で現金でTVを買いに来た!!」、と店の人たちもびっくり。TVは翌日に届いた。

 テレビの創成期に育った私は、物珍しさから興味があったが決してTVを好きになれなかった。当時、NHKの「ジェスチャー」や日曜夜の「シャボン玉ホリデー」、アニメ「鉄腕アトム」など楽んだが、進行に無駄が多く時間がかかる割に得られる楽しみは少なかった。

 これは今でも同じ感想で、私の感覚では1時間番組は15分程度にまとめられる。映画も同様。TV、映画は時間の無駄という意識感覚が取れない。

 日本では1960年にカラーTVが本放送開始、1968年頃から大量生産で値段が下がり、1973年にはカラーTVの普及率が白黒TVを上回った。初期の頃は、画面にほんのりと色が付いている程度であったが、新しい時代の到来に興奮した。

 トリニトロン方式だのシャドウマスク方式などの論争もあったが、今やTVの形やサイズは多様化し、高解像の8K対応TVも一般向けに発売された。

 TVを見ながら食事を摂るのが普通になり、家庭内、家族間の話題や人間関係も様変わりした。かつては家族全員が家庭団欒の主役と脇役であったが、今はTVが主役。しかも、個々人が自分の部屋で独りで別々の番組を見るようになっている。これでは家族間で行われるべき子供たちへの指導、コントロールはできない。思春期を迎えた子供達と、親とのコニュニケーション失われ、親は子供たちのことをほとんど知らないようになった。

 過去ばかりを振り返ってはいけないと思いつつも、白黒TVの前で熱中したことや初めてカラーTVを見た時のことが懐かしく思い出される。

 TVのカラー化によって情報量は明らかに増えた。だけどちょっと質が違う。
 TVのカラー化によって私が新しく抱えた悩みは、自然を写した画面は不自然に美しすぎる印象で入り込めない。スタジオ収録番組は登場人物、舞台やセット、背景が全体に派手になって、見てて苦しい。アニメはコンピューターグラフィックスの影響で派手派手、画面に閃光が走り、辛い。 

 私はセピア色が好きなんだが、そんな画面なんて誰も見ないだろうね。


4/5(月)曇りのち晴れ 健康クリニックドック 飯川病院 
 1:00起床。いつものごとく。6:48バス飯川病院着.9:00-11:00健康クリニックドック12名。結果判定なし、飯川病院に移動。微睡、本読みなど。14:00-18:45飯川病院勤務、花壇の草むしりとアサガオの植え付け、散水。iMac27(2012)OS入れ替えも不調!!!注文す、2019年後期モデル落札127400円。入院患者対応なし。19:30帰宅・夕食、21:00就眠。歩行計8419歩。

私の近隣にJR東日本「泉外旭川駅」オープン(2)
 秋田市は奥羽線秋田ー土崎間に新駅、「泉外旭川駅」を設置した。新駅設置は穂積現市長が初当選した2009年から掲げてきた公約の一つ。

 実施費を盛り込んだ予算が2018年2月に議会で承認され、2019年1月に国土交通省東北運輸局が設置を認可し、21年3月開業の運びとなった。

 秋田-土崎間7.1Kmは東北6県の県庁所在地の中で、中心駅との駅間距離が最も長く、沿線側の住民や施設にとって鉄道利用不便区間地域となっていた。
 高齢化の一層の進展を見据え、車依存からの脱却を図る意味でも新駅は周辺住民の悲願だつた。 

 新駅は秋田駅から約4Km、泉地区、外旭川地区とも住宅地のど真ん中に位置する。その意味ではいい場所を選んだ、と思う。

(外旭川側と泉側を結ぶ東西通路の外旭川側の入り口 スロープがあり自転車を曵いて往来できる)

 市の試算では1日当たりの乗客数は2118人で、開業から50年間の経済効果が48.3億円。総事業費は20.5億円。地元要望設置駅のため事業費は全額市の負担となった。

 重い財政負担を理由に市民からその必要性について賛否の声も寄せられたが、市民アンケートでは賛成が泉・外旭川地区住民76%、市内全域では62%と賛意が優位であった。全域での賛意が意外と高く、私は些か驚いた。 

 重い財政負担だったから、新駅をどう活用するかは市の重要課題となる。市には新駅設置の効果が及ぶような手だても講じる必要がある。

 サッカーJ3プラウブリッツ秋田の本拠地となる新スタジアム建設や大型ショッピングモールの誘致も取りざたされている。スタジアムは人口27万余の秋田市に15.000人収容できる施設を、100億円もかけて作る意義はない。現在の観客動員数はせいぜい2.000人に過ぎない。現状の計画では私は賛成できない。
 大型商業施設に関しては誘致賛成である。


4/4(日)早朝から降雨 
 1:45起床飯川病院で起床。iMac27(2012)OS入れ替えも不調うまくいかない!!! 本読み、サブのiMac21(2015)を用いルーチン作業は進められた。iMac27の件で10:15のバスにするも遅れ通り町まで歩く。11:06に乗車帰宅。久々孫と会う。12:00 NHKニュースとのど自慢楽しむ。13:00微睡。19:00家内帰宅夕食。21:00就寝。歩行計8055歩。

私の近隣にJR東日本「泉外旭川駅」オープン(1)
 JR秋田支社奥羽線の新駅「泉外旭川駅」は、3月13日のダイヤ改正日に開業した。また、男鹿線と五能線の全編成を新型車両に切り替えることも明らかにした。
 外旭川の住民有志は13日夜、新駅開業を祝う花火50発を打ち上げ、新駅開業に尽力した方々の労をねぎらった。
 泉外旭川駅は県内で20年ぶりに開業した無人の新駅で、隣の秋田駅、土崎駅までの所要時間はそれぞれ4分程度。1日に奥羽、男鹿線計76本が停車する。秋田市の試算によると、1日の乗客数は、県内最多の秋田駅に次ぐ2118人を見込む。

 (秋田駅まで4分 この空の広さが秋田の魅力の一つ)

 男鹿線では今回のダイヤ改正を機会に全ての車両を新型の蓄電池電車「EV-E801系」にする。これでディーゼル車は引退することになる。男鹿線は電化工事なしに、車両のEV化で電動化することになる。

 泉外旭川駅は無人駅で、開業当日券売機の前には朝から行列ができていた。

(駅の看板と待合室)

 秋田市は新駅を新たな交通結節点と位置付け、鉄道とバスの連携強化を図る方針で泉外旭川駅は泉側と外旭川側にそれぞれバス停が設置された。

 市は21年度から5カ年計画の「公共交通政策ビジョン」を策定中。路線バスの運行頻度を適正化し、タクシーも含めた公共交通網の整備を行い、郊外部や公共交通の空白地域で移動しやすくする仕組みを検討する。

 JR秋田支社は3月25日、「泉外旭川駅」の乗降客数が1日当たり1000人程度で、現時点では試算の4分の1ほどにとどまっている。
 現時点の利用者が市の試算を大幅に下回っていることについて、市交通政策課は学生が春休み期間であり、「開業したばかりで多い少ないの評価はできない。市としては周辺の交通網の整備などを進め、駅利用者の増加につなげたい」としている。

 私は往路はバスで通勤している。そのための歩行を含む所用時間は40分、運賃は100円。往路を泉外旭川駅を利用すると歩行時間は同じ40分で運賃は190円。ちょっと利用し難いが便利になったことは確かで、時間帯を見ながら適宜利用したいとは思っている。


4/3(土)快晴・夕方から降雨 飯川病院午後日直・当直 外来レセプト点検  
1:00起床。本読み、データ整理、自炊5冊、飯川病院日直・当直で孫たち宿泊に来る予定。
11:30家内に同乗、飯川病院午後日直・当直に就く。12:00検食、微睡後に新聞チェック、読書、14:00-15:30外来レセプト点検、以降は読書三昧。18:00検食、20:30就眠。歩行計5380歩。飯川病院のメインのiMac27(2012)不調続きOS入れ替えを試みるがうまくいかない。どうなる??


私の日々のルーチン作業(2) 私の人生はなんなんだ!!!と時に思う
 私の日々のルーチン作業は(1) に示した通りである。
 情報収拾作業は私の知識欲も満足させてくれるから、大きな喜びにつながっている。それは良いとして、その後のスキャナーによるPDF化、分類作業は結構時間がかかり辛い作業である。
 さりとてこの一連の作業は私自身の興味に関わってくることだから、生きるためエネルギー源になっているのだから、誰かに代行させて良しとできるものではない。全ての工程を自分でやるしかない。

 起床後、まず1:00-3:00am頃に前日収拾した新聞や書籍などをスキャナーでの取り込みを行う。分類作業や徒然記述などは適宜時間が空いた時に進める。
 新たな情報の収拾は7:00頃から飯川病院で始業前に行う。

 私は生きている世界はとても狭い。興味を持っている世界は狭く、世間知らずである。だから、連日の新聞をチェックする作業は知らなかった世界を、知らなかった人物を知るのに有用で、とても楽しい時間である。

 そうはいってもこの一連の作業にはかなりの時間を使っている。
 1日も休まず、という作業だからそれをやりながら時には「私の人生はなんなんだ!!! もっと有意義は時間の過ごし方があるのではないか・・?」と時に思う。

  さいわい、私は連日生活記録をつけているし、徒然日記の中にミニ随想も書いているから、過去の日に何を考え、何をやって過ごしたのかは比較的詳細に再現できる。決して無駄に、無為に過ごしていたとは思えないが、何か大きなことを失った人生でなかったかと思わないわけではない。

 少なくとも人と接触することはなかった。

 何かを選択することは何かを失うことでもある。
 毎日を平穏に、時には疑問を抱きながらも、ほぼ満足しながら過ごしている私にとっては、今更何か新しいことに踏み出すというよりは、淡々と継続しながら過ごすことを、自分の修練の一方法になっているのだ、と無理やり納得するしかないのだ、と思う。

 私が存在したということは家族以外にとってはもう意義がない。私が蓄積した情報やデータは誰かが意図的に消去しなければ電子的に残ることになるだろうが、私以外に必要なデータではなかろう。機会があったら自分で消去して旅立つのが良いかもしれない。


4/2(金)快晴 大曲中通病院 飯川病院ボランティア 
 0:30起床、新聞、文献などいつものごとく。徒然、5:30可燃ごみまとめるも少量で提出無し、7:35Taxi駅に、8:11こまち、先頭車キャビンに二人のみ。8:50大曲中通病院、復徒歩。秋田市内も徒歩。昼食がなかった。即席カレー食す。新幹線Wきっぷ発売中止。今後はSuicaに移行するか。13:30飯川病院ボランティア。19:15帰宅、夕食。20:30就眠。歩行Σ9878歩。

私の日々のルーチン作業(1) データの蓄積と分類

 私は自分に課した日課、作業を机に向かってコツコツ進めるのが好きである。

 早朝1:00-2:00からスタートし、19:00の帰宅までの間、診療時間、読書、園芸とかの外の仕事以外はほとんどパソコンに向かってデータ入力やデータへの名称付け、データの分類に割いている。そう入っても、体力不足の最近は午後に1時間ほどの微睡を取っている。

 現在,収集しているデータは主に以下がある。
―――――――――――――――――――――――――――――――-
(1)連日、処理もほぼ連日
 ■ 新聞の切り抜き。
 ■ 雑誌などの有用記事の切り抜き。
 ■ 学術、専門誌等の有用記事の切り抜き。
 ■ 書籍の裁断。

(2)連日、処理は週一回程度
 ■ 録音データの蓄積。
 ■ 音楽関係録画データの蓄積。

(3)連日は難しい。
 ■ 日常生活の記録。歩数計のチェックと記録。
 ■ ミニ随想記述。
 ■ ・・・・・・
―――――――――――――――――――――――――――――――-

 私がこれらのデータを収集し蓄積しているのは、生来からのガラクタ類の収集癖を背景にしているが、脳機能の低下のために記憶として蓄積できないためである。私は記憶として残すのを諦めた。文章や画像、録画データ等の情報を電子化しハードディスクに収める。ハードディスクは2重に3重にバックアップを取っている。

 小川洋子の「博士の愛した数式」 という作品には80分しか記憶が保てない博士が出てくるユニークな作品である。記憶力が薄れてきた私は身につまされ、感心して読んだ。
 この作品にあるほど私の状態は酷くはないが、記名力が乏しいことは似たようなところがあり共感できる作品である。

 (1)のグループは毎日50項目くらいずつ増えていく。新聞は3紙に目を通し、専門誌は今は3冊くらい。書籍購入は週5冊程度か。
 重要な記事、興味ある記事を裁断し、スキャナーで電子化する。新聞書籍はすべて廃棄する。
 ちょっと油断しているとどんどん溜まり処理が困難になる。記事を収集しているときには項目をチェックする程度であまり深くは読まない。項目の名称をつけ、分類した後に必要に応じて詳しく読むことが多い。
 名称付け、項目分類は自分なりの一定の形式に収めないとのちに検索をかけたときにうまくピックアップされない。

 一連の作業は ■記事裁断 → ■スキャナーによりPDF化 → ■名称つけ → ■内容別に分類 → ■ハードディスクに収納

 (2)のグループは、蓄積そのものは自動で行われ、週一回ほどまとめて分類処理する。1日4時間分ほど録音・録画が録られており、週30項目ほど増えていく。

 (3)のグループは連日と思っているがどうしても2−3日遅れてしまう。

 もうこんな生活は20年以上進めている。かつては、信頼して蓄積したパソコンソフトが突然販売中止になったり消滅したりしてかなりのデータを失ったが、今は殆どをPDF、JEPGで記録している。


4/1(木)快晴 午後飯川病院 
1:30起床、いつものごとく。10:30冬用衣服仕舞いクリーニングに。散髪3Qカット店、11:30-12:50ブックオフ土崎店、10冊購入。砂山からバス、新国道経由飯川病院。13:30着。14:00-19:00勤務。入院患者対応。19:15帰宅、夕食。21:00就寝。Σ5921歩。

新年度(2021)スタート  今年度就労予定とコメント 
 本日は新年度スタート日。
 本日から私の就業契約も改訂になった。変更は一部のみ、昨年度とほとんど同じ。
 今年は明和会からは声がかからないかも、と思っていたが、本年度も嘱託医師として、また、飯川病院の応援医、ボランティア医として働くことになった。

 以下が今年度予定されている勤務スケジュールである。飯川病院の午後の勤務が(火)から(水)に変更になった。これで終日フリー日は無くなった。
 ただし、いつまで続くかは不明。

――――――――――――――ーーーーーーーーーー――――――――――
午前 午後
 月曜 健康クリニックドック診察、結果説明       飯川病院勤務。
 火曜 中通総合病院外来。               飯川病院ボランティア。
 水曜 (飯川病院ボランティア)             飯川病院勤務
 木曜 (飯川病院ボランティア)             飯川病院勤務。
 金曜 大曲中通病院                  大曲中通病院

 土・日曜日・祭日 月1-3回飯川病院日直または当直
平日に月1-2回飯川病院当直
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 上記の勤務時間以外は、適宜読書などで過ごしている。
 飯川病院ボランティアの時間帯には木々や花のケア、散水なども含まれる。

 せっかく時間に余裕ができたのに、最近は体力・気力の低下が著しい。
 心肺機能、四肢体幹機能の低下も自覚する。

 日々、時間を無為に過ごすことはまだないが、その日充実感に乏しかったとしてももう気にしないようにしている。
 「無の境地」に至る過程??
 イヤイヤ、「ボケ老人の境地」への進行過程と思う。まあ、どちらでもいい。自然に任せる。

 こう考えてから心身ともにとても楽になった。惰眠も楽しんでいる。
 余生である。余生とはいつ途切れてもいい状態。旅立つ準備は必要だが、「明日も、明後日も生きる・・・」、と考えるから窮屈となる。
 
 新年度初日、こんな私にとっても新しい気分でのスタートになるから節目というものはいいものだ。
 


3/31(水)曇り晴れ 飯川病院
0:30起床。文献検索、徒然ほか。11:07バス、珈琲店経由で徒歩で飯川病院に。ボランティア。新聞チェック、音楽データiPodに入力。データ整理、本読みほか。散水、17:20iPad mini5落札。19:30帰宅。夕食、21:00就眠。歩数計7506歩。

秋田県の話題;人口減(2) 文明と人口
 国は少子化対策として出生率向上を問題にしてきた。
 若い女性の数が少なくなった現在、出生率の目標値をあげるならば2.0以上に設定しなければならないが、事実上不可能な数値である。
 出生率でなく出生数を目標に掲げた秋田県の少子化対策の方が理にかなっているが、ここに至ってはやはり実現不可能である。

 何で人は子供を産むのか?何で産まなくなったのか?人口問題はそこから考えなければならない。

 わが国の人口問題の推移を思いつくまま挙げてみる。
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??人類は生物としての繁殖能・種の保存能のもと、新生児多死の時代を多産で乗り越えてきた。

??社会化と共に、種族・部族の維持繁栄のため多産傾向が一層強まる。農耕文化の発展とともにマンパワーが必要になった。

??蓄財が始まり、貧富差が生じた。血筋を重視した家族、家の概念が生じた。上層階級は血筋維持重視となり、下層階級は労働力としてマンパワーが必要となった。

??明治以降は富国強兵策を掲げ、国家による意図的な出産・育児・教育政策が画策され、人口が急激に増加した。農業生産力の増大、工業化による経済発展と国民の所得水準の向上と生活の安定、公衆衛生水準の向上等で、人口は増加の一途となった。

??国は、人口問題を抱え、将来は経済的に窮乏していくと考え、外に食料、エネルギーを求める大東亜共栄圏構想を打ち立てた。しかし、実現はできなかった。

??戦後、従来の価値観の否定と民主化があった。第一次ベビーブームが起こり、朝鮮特需で落ち込んでいた経済は急速に復興を遂げた。

??ベビーブームによって生まれた子どもは10歳程度でも労働力となり家庭を支えた。中学卒業後は田舎から都会の工業地帯に大量就職した。日本経済を支え、仕送り等で田舎を潤した。この頃は子供が多い家庭ほど親にとって見返りがあった。
 子供一人あたりの養育期間は15年間程度と短かった。

??日本は高度成長期を迎え、国民全体が経済的に余裕が生じた。家庭内の人間関係は変化し、より孤立性となる。子供は高校進学が当たり前となり、家庭内での労働力として当てにならなくなった。子供達は家の手伝いもしなくなった。
 子供の養育期間は18-19年程度。

??子育ては夫婦単独で、主に母親が担う。社会資源が乏しい中、妊娠・出産・子育、教育を含め、女性・母親の負担が増大。成長とともに教育費の負担が増大した。大学進学率は高まり、塾や予備校も含め教育費は子育て費用の中心となる。子供は1-2人程度。教育費の一部にするために母親がパート勤務などに出るようになった。出生率は1.3程度で改善なし。
 子供一人あたりの養育期間は22−24年程度と延びた。

??子供は結婚を機に親と別居。家庭が持っていた養育・介護、世代間の生活協力等の機能が崩壊。子供から親に対する経済的援助は期待できず。親にとって子育ては無償の労となった。

??日本経済は低迷。今後も、長期的には低成長時代を迎える。低成長時代の背景には少子・高齢化の果たした役割は小さくなかった。
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 この少子・高齢化の現実は文明がもたらす自然の摂理である。時代が悪い、世の中がおかしい、と言っても仕方がない。まず。現実を認め対策を考える必要がある。

 日本の将来に向けての国力を維持するには人口減問題にどう対処するかにかかっていた。人口問題に詳しい有識者達は半世紀も前から将来の日本の姿を予想し、主張していた。
 しかし、その声は小さく時の政治家達には伝わらなかった。

 日本は右肩上がりの成長をなしとげ、経済的・物質的豊かさを享受して来た。
 日本の将来に少子・高齢化がからんでいたのに、為政者たちはその自覚は乏しく、不可逆的事態を迎えてしまった。
 子育て世代に対する社会保障の重要性が認識されて、慌てて視点を移し始めたのはここ1-2年であるがそんなことでは出世率は改善しない。

 日本人の日本人による人口維持能力は、出産可能女性の絶対数が減少してしまった今となっては、すでにその機会は失なわれてしまった。

 改善策は、国内にはない。移民に対する捉え方にかかわっている。
 移民政策は、島国日本の文化にとって文化の崩壊につながりかねずなかなか踏み切れない問題であるが、人口問題に関しては忌避してはいられない重要課題である。


3/30(火)曇り 中通病院内科外来 飯川病院
2:00起床。新聞チェック、本読み、他。5:00可燃ゴミ提出。6-47バス飯川病院。8:40-13:00中通病院内科外来、比較的余裕。13:30飯川病院勤務、入院患者対応。19:15帰宅、夕食。21:00就寝。Σ7939歩。

秋田県の話題;人口減 (1)
 県人口は今年1月に95万人を割った。2017年に100万人を割ってから3.9年で約5万人減ったことになる。近年は年間約1万4千人のペースで減少が続いている。

 2019年の出生数は4.696人、5.000人を割ったのは明治以降の統計開始以来初。1969年には18.056人も生まれていた。

 県の政策として、出生数対策をやってきた。
 ■ 2009-13年元気創造プラン第1期 出生数目標8.000人 実績は6.177人
 ■ 2014−17年元気創造プラン第2期 出生数目標6,100人 実績は未達成
 ■ 2018−21年元気創造プラン第3期 出生数目標6.000人 実績は未達成

 2010年少子化対策局設置、秋田結婚支援センター設置、全国有数の子育て世帯への経済支援で全国有数の支援内容になった。しかし効果を上げていない。
 結婚支援の強化、保育料や医療費の助成の拡充などに積極的に取り組んできた。

 急速に進む本県の人口減少、少子高齢化にいかに歯止めをかけ、地域での県民の暮らしをどう持続していくのか。

 その戦略や政策を示すことが何より求められているが、県の施策では効果を上げるのは困難だと思う。補助金によって出生率をあげることは困難である。

 出生率は文明の成熟とともに低下するのは歴史的に認められる現象である。だから、出生率を上げることではなく、子供を産める若い生産人口を増やすしかない。さらに直截的に言えば、機能する子宮を増やす以外に道はない。これは極めて困難な道である。

 人口減少に特効薬はないと諦めてしまえばこの傾向はさらに加速する。

 最善の方法は、若い人たちが秋田で生活できる様、生活環境、秋田の経済力を高めることしかない。
 産業振興策の役割は大きい。自動車や航空機産業の集積が進んでいる。とはいえ現状では若者にとって十分とはいえないし産業振興策はどこの県でも力を入れている。秋田は決して条件に恵まれているとは言えない。

 私は、農業の振興策が秋田の地にあったベストな方法と思う。
 離農を防ぎ、県内外から農業希望者を呼び込む。東日本大震災と原発事故の避難者はまだ数万人いるが、その中から農業就農者を募集する、などなど。
 さらには外国人にも就農の機会を与える、のもよかろう。
 
 人口密集地で拡大するコロナ禍を機に東京一極集中を見直す動きもある。
 リモートワークの普及により都会の企業で働きながら地方移住が可能な時代。県がこの新しい移住スタイルを積極的に支援するのも良い。


3/29(月)晴れ 健康クリニック休診 飯川病院 電話再診研修
 1:30飯川病院起床。本読み、徒然他。健康クリニック年度末で休診、午前は電話再診研修に充てる。9:45-13:30電話再診試みるも不全。14:00-19:00飯川病院勤務。入院患者対応。19:30帰宅、夕食、21:00就寝。Σ6364歩。

季節の話題2021(10) サクラ(2) 盛岡の「石割桜」は私の気力のルーツの一つ
 JR東日本の月一回リニューアルされる車内紙「トランヴェール」に浅田次郎氏が巻頭随想を書いていたことがある。?
 古い、ある号に南部盛岡について小文を書いていた。
 「盛岡の町、それは岩手山、南には早池峰。北には姫神山。北上川と中津川の合流する先に不来方のお城、ああ、なんと美しい町なのか・・」、「盛岡の桜は、石ば割って咲く」と石割桜を表現し、「盛岡の町並み、自然、風景は日本一である・・」、などと記載していた。
 また、ある号には北国の大学に進学するために、上野駅で夜行列車に乗り込む娘を、悲しい思いで見送る父親の心象を描いた小文もあった。名文として記憶に残っている。娘さんの進学地は多分盛岡であった、と思われる。

 彼に南部盛岡を舞台にした作品があることをその小文から知った。随想を読みつつ浅田氏がどの様に南部盛岡を表現しているのかいたく興味を感じ購入した。文庫本「壬生義士伝(上下巻)」である。?? その作品には、盛岡訛りの言葉がふんだんに盛り込まれている。江戸幕末のころの一人の脱藩武士を中心とした人間模様が語られる。しかもその当時のことを回想する語る場面がでてくるから新しい時代、と言っても明治だろうが、そのころの南部盛岡についても自然、風物が豊かに表現されている。語りの部分が典型的な盛岡弁で語られているところにある。私自身が子供の頃つかってきた言葉が次々と出てくる。半ば忘れかけていた懐かしい言葉が、言い回しが、語尾が、・・・次々と。?? 私がもし盛岡近郊出身でなければ読まなかったと思う。方言を豊かに盛り込んだ小説は少なくないが基本的には読むのは嫌。方言を書き込んだ作家の中では三浦哲郎氏の作品はいい。「忍ぶ川」、「白夜を旅する人々」等々だけは集中的に読んだ。彼の場合は津軽弁だからまだ読めた。最近の作品は若竹氏の「オラオラで一人で・・・」は読めた。

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 盛岡市の官庁街のど真ん中、盛岡地方裁判所の庭先に「石割桜」と呼ばれる江戸彼岸がある。周囲21mの花崗岩の割れ目に落ちた桜の種から発芽したのか?その割れ目を広げながら成長した。1922年に天然記念物に指定された。推定樹齢は300−400年。幹周は4.6mの巨木。

 私の子供の頃は、樹勢が弱っていつ枯れるかの話題が新聞紙上を賑わしたが、有能な樹木医たちの関与で樹勢を取り戻した。
 開花は4月中旬から。
 
 (盛岡市HPより借用)

 毎年12月には「石割桜」の防寒対策が行われる。100本以上の吊り縄で枝が雪の重さから守られ、幹には厚くコモが撒かれる。開花シーズンと同様、盛岡市民は暖かい眼を向ける。「石割桜」は市民の温かい目で生かされている感じがする。

 私が中学高校の頃、冬場を除き、樹勢が衰えた「石割桜」の脇を通って自転車通学していた。片道16Kmとハードであったが、「石割桜」の生きる姿を心配し、私は力を得た様な気がする。
 「石割桜」は私の気力の拠り所の中の一つである。尊敬している、といっていいかも知れない。


3/28(日)晴れ、昼から小雨 飯川病院当直 
 1:00起床。新聞チェック、本読み、他。午前はデータ整理、入れ替え。12;00ニュース、のど自慢楽しむ、新聞チェック、微睡、読書。15:00家内に同乗、飯川病院へ。17:00当直業務。18:00検食、20:30就寝。Σ5528歩。

季節の話題2021(9) サクラ(1) 日本特有の文化?? 「願はくは 花の下にて春死なん その如月の 望月のころ」  西行
 これは私の最も好きな歌のうちの一つである。ここに出てくる花はサクラのことである。
 なんとしっとりとした寂寥感を伴ううたであろうか。
 サクラといっても今盛んに咲き始めたソメイヨシノではない。ヤマザクラの一種を歌ったのであろう。
 最近、森山直太朗の歌「さくら」は、春の別れと出合いの風景に、舞い散る桜のイメージを重ねた曲で、若者を中心に支持され大ヒットした。
 西行から800余年、サクラは日本人の心の琴線に触れ続けている。いや、むしろ近年の方が強いインパクトを与えている。

 わが国ではサクラの開花は真の春の到来を告げ、日本全体明るくする。日本全体が活気づく。 
 秋田でも間も無く開花が始まる。今年はとりわけ早く咲くらしいが、市内の名所の一つ千秋公園のサクラ祭りはCOVID-19にて昨年に続き今年もお預けである。

 私は自他共に認める人混み嫌悪者。だから、サクラは一人で徒歩や自転車で近隣のサクラを楽しむ。

 サクラはその特徴から簡単に擬人化される花である。こんな花は他にはない。
 咲きかた、散りかたを含め、人生のあり様に容易に重ね合わせる話題に事欠かない。

 クローン化したソメイヨシノが咲き始めた江戸末期から観桜の文化が一層発達した。ソメイヨシノが日本国中に広く植えられたのは1960年代からであるが、地域の花が一気に開花し一気に散る様は擬人化を推し進めた。

 日本人はどうしても人と同じ、という画一性を好む民族でがある。その画一性が好まれる要因の大きなファクターであろう。この民族性が種々の問題を醸し出している。
 私が嫌なのは軍国主義下の時代、国民のナショナリズムの高揚に、兵士の戦意の高揚に用いられた歴史である。サクラが歌われた軍歌、とても嫌だ。もちろん、サクラには罪はない。

 桜は代表的なものだけでも300種類はある。山桜も珍重したい。それによって多様なサクラ文化が楽しめることになる。
 ソメイヨシノの普及で画一化していったサクラのイメージ、もっと多様なサクラも楽しめばいいように思うが、生活圏の中で知れらを味わう機会は得られない。

 「満開のサクラと群木下で」、「飲酒など」、「大勢が群れる」と言う楽しみ方は世界のどこにもない文化とされる。私は真の春を迎える喜びの現れ、と捉えている。

 サクラについて蓄積した情報を検索して勉強したいと思っても、「桜」と入力すると安倍首相の「桜の会」の話題が多数ヒットする。不快である。


3/27(土)午前快晴午後曇り、やや寒い
 1:00起床。新聞、文献関連整理他。座学。10:00-11:00コンポスト4ヶのうち最も小さいのを勝手口の傍に移動した。石井さんの体力を考慮して。午後は微睡の後新聞チェック、書斎にて録音データ確認と整理。ベートーヴェン「ミサソレムニス」視聴、ドレスデンフィル、Pルイージ指揮、ほか。以後読書など 19:00夕食。ネコたちと交流、20:30就寝。徒歩Σ5703歩。

季節の話題2021(8) 秋田の雪(7) 過疎の雪国の避難施設の一つが閉所? 今年は県内は記録的な大雪が続いた。
 雪との闘いに悲鳴を上げている市民が大勢いた。ましてや過疎の田舎は高齢化と高齢者単独世帯で住めなくなっている。
 寒冷で、豪雪の地域ではもはや高齢者が自力で冬を越せるレベルの環境ではない。

 県内の高齢化率は現在の高齢化率は約38%、1人暮らしの高齢者世帯は約32%を占める。
 本来、田舎は農業を中心に、多世代が同居する大家族制の生活様式でなければ成り立たないものである。家族が一団となって農作業を手伝い、冬には雪と対峙し、生活の仕事を分担し乗り切ったものだ。

 人口が減少した今は、まばらにある高齢者の住宅を維持するための道路の雪よせも大変、在宅介護も大変、とても非効率的。地域ごとの共助組織があるが、そのメンバーすら高齢者である。
 住民は日用品の買い物もできない日が何日も続く。高齢者の生活はいずれ立ち行かなくなる。

 この厳しい状況に対しては、豪雪期だけでも高齢者を収容する施設を作り、集中的にお世話してはどうだろうか?
 多分高齢者は自宅の生活にこだわり、是としないだろうが、徐々に発想を転換していかねばならない。

 この様な施設が県内にあった。
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 秋田県北部の大館市にある「こぶしの家」が今月末に閉所することになった。
 老朽化のため維持費の高騰が主たる理由である。1998年設置以降、これまでの利用者は述べ130人。最後の入居者は4人で平均年齢83歳。
 「こぶしの家」は旧営林局の保養施設であった。和室6部屋があり共同の食堂や浴室もある。
 入居期間は11−3月、経費は3食食事付きで7.5万。管理員や調理員の世話で生活してきた。入居者は決して不自由だから入居するのではない。
 春になり雪が消えると自宅や田畑などが心配となり、家に戻って作業を始めるという。

 築37年の建物は雨漏りなどで、修理費がかかり閉所を決めた。
 今後は市の補助を受け大館市内の養護老人ホームが同様の業務を提供するというので機能的に消滅するわけではない。よかった、と思う。
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 私は県内にこの様な施設が何カ所あるか、不勉強にして知らない。ただ。今後はさらに必要な時代を迎える、と思う。

 また、私が子供の頃は岩手県の過疎の田舎では冬季間だけ開校し、生徒が教師他と集団生活する冬季分校があったが、今はどうなっているのだろうか。


3/26(金)曇り快晴 大曲中通病院外来 飯川病院ボランティア
 1:00起床。起床前右下腿に激しいキン痙攣あり、芍薬甘草湯2包服用改善す。新聞、文献関連整理他、5:30可燃ゴミ提出。7:35Taxi駅。8;11こまち。帰りも同様。8:50-12:00大曲中通病院外来。13:30飯川病院着、ボランティア。19:30帰宅。夕食、21:00就寝。徒歩Σ7311歩。

政治家不祥事2021 「政治家として責任を取る」河合元法相翻意
 2019年7月の参院選をめぐって公職選挙法違反の罪に問われ、参院議員を辞職した河井案里被告(47)に懲役1年4カ月執行猶予5年の東京地裁判決が確定した。案里氏側、検察側ともに控訴しなかった。証人として出廷した受領者側が次々と、買収の意図を感じたと証言をしている。もはや言い逃れはできぬと観念したということか。
 私思うに、選挙に関して票集め以外の目的で金をばらまくことなどあるのだろうか??

 案里氏への1月の地裁判決は、広島県議4人への160万円の現金提供を有罪とした。買収の全体計画を指揮したのは、夫で元法相の河合克行被告(57)だったと認めた。

 有罪確定により、過去に遡って案里氏の当選は無効になるが、選挙後の議員活動や給与は「有効」として扱われるという。
 案里氏には歳費や期末手当、毎月100万円の文書通信、交通滞在費などとして計4942万円が支払われた。これらの返還を求める法律や制度はなくそのままになるらしい。
 本人に返納する意思があっても、自主返納が「国への寄付」と見なされて規定に抵触する可能性がある、と言う。返納くらい認めてもいいと思うが。

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 一方、河合元法相は妻の案里氏を当選させようと100人に計約2900万円を配ったとする罪で公判中である。

 河合氏は現金を渡したことは認めながらも、統一地方選の当選祝いや陣中見舞いなどだったとして、買収の意図を一貫して否定してきた。こんなの通用するか??
 しかし、妻の案里氏は一審の有罪判決を受け入れ、参院議員を辞職した。

 河合氏は公判の中で、これまでの無罪主張から一転、起訴内容の大半を認め、責任をとって衆院議員を辞職する意向を表明した。
 「民主主義の根幹である選挙の信頼を損なった」、「政治家としての責任を取る」と述べた。遅ればせながらも説明責任を果たし、この、法相による前代未聞の大規模買収事件の真相を明らかにしなければならない。
 具体的な買収の実態と、その原資を明らかにして欲しい。

 案里氏には、自民党本部から、同じ選挙区で落選した現職の10倍にあたる1.5億円の活動資金が提供された。うち1.2億円は税金による政党交付金である。買収とは無関係だというなら、具体的な使途をすべて明らかにすべきである。自民党の責任は??

「政治家として責任を取る」、河合元法相の言葉であるが議員資格以前の問題である。私は「人間として責任をとる」と言って欲しかった。


3/25(木)快晴、夕方小雨 健康クリニック結果判定 飯川病院 
 0:40飯川病院起床。文献関連整理他。午前はフリーであるがそのまま飯川病院で座学。外来患者対応。13:00-13:45健康クリニックで月曜日分の結果判定。14:00-19:00勤務、入院患者対応。19:30帰宅、21:00就寝。徒歩Σ7224歩。

終活2021(3) デジタル写真(1) カシオの「QV-10」から始まった
 私は写真が好きでない。しかしながら、デジカメには早くから興味を持った。銀塩カメラは金銭的負荷が大きかったからである。デジカメの良さは何枚でも気楽に撮影できることであった。

 1990年代、カシオが「QV-10」が発売した。液晶パネルで撮影画像を直ちに確認できた。メモリーも備わっており、96枚撮影可能でパソコンに画像を取り込むことができた。この製品は25万素子程度、電池寿命も短かった。価格6万余円で高価であったが私は飛びついた。購入価格4万円ほどであった。
 
 その後、デジカメは高画素数化や小型化が図られ現在に至っている。私は名刺サイズの200万素子のカシオ製品にグレードアップしたが、その後はiPhone5のカメラを利用している。現在iPhone8であるが、私のレベルではカメラ機能に不満はない。
 我が家の子供達は携帯、スマフォのカメラには不満らしく、3人とも高機能の一眼レフで撮影を楽しんでいる。

 デジカメデータはいかに大量であっても場所を取らない。しかし、データ保存のための費用はかかる。私のデジカメデータは家内と共通の場所に保存されるから容量を食う。それらはパソコンとハードディスク、iPhone、iCloudに保存されている。正確なことはわからないが1万枚程度になっているようだ。私のiCloudは安価な200GBプランでは不足になって2TBに更新した。またバックアップ用のハードディスクは3TBのを2ケ用いている。

 終活をしてデジカメデータの整理と廃棄をしなければならない時期に達した。
 デジカメ写真は蓄積と消去だけは簡単であるが、撮影日付、被写体ごとに分類してインデックスをつけなければ二度と見ることはできない。
 で、一大決起して先月からデータの分類と廃棄を開始した。

 多くの画像を見直しているが、流石に「QV-10」での撮影は拡大すると辛い。だが、拡大せずにそのまま見れば記録としては十分通用するので嬉しい。

(当時飼っていたシベリアンハスキーの雌ルーチェ 自宅にて)

 
(秋田市郊外の梅林園脇のテニス場にて。同じ頃のフィルムカメラの像 スキャナーでの取り込み画像)

 必要な画像データを選択し、そのほかは消去するのであるが、誤って全部消去しないかハラハラしながらの作業である。


3/24(水)快晴 午後飯川病院勤務+当直
 1:00起床。新聞、文献チェック、本読み中心に過ごす。読書、データ整理、11:50バス途中まで、ひらのや書店経由で徒歩飯川病院、14:00勤務、入院患者対応。読書、17:00当直に就く。18;00検食。20:30就寝。徒歩7124歩。

終活2021(2) スナップ写真とVサイン(2) 異文化圏では要注意

 我が国で写真を撮る時のポーズとして用いられるVサインには何ら深い意味は無いだろう。楽しさ、喜びを表す意味でしかない。また、日常的にも物事がうまく行った時などにも喜びを表すポーズとして用いられる。
 平和を願うサインとしての意味は、皆無だろう。

 日本のVサインはいつ頃からあるのか分からないが、私が秋田大学で勉強し始めた1970年中頃のスナップ写真にも見られているから結構古い習慣である。欧米ではVサインは1960年代以降ピースサインとしても用いられるようになった。

 私はVサインをして写真に収まっている方々にいい印象は持たない。

 Vサインは単に数字の「2」を意味もある。
 手の向け方、手のひらの向け方、上向きなのか下向きなのかなどによって、様々な意味をもっている。

 一部の途上国などでは卑猥な意味の場合もあるらしい。旅行時などには要注意である。手のひらを自分に向け、中指だけを立てるのは「H」のサインと見なされるそうである。

 音声によらず、身振りや手まね、顔の表情などで相手に意思を伝えることをボディ・ランゲージという。UCLAの研究では人はコミュニケーションをする際、人のことを7%を言葉から、38%を声のトーンから、残りの55%をボディ・ランゲージから理解するという。
 ちょっとした仕草ですら異文化の中では全く別の意味を持つなども、これからのグローバルな時代には知っておく必要がある。


3/23(火)快晴 外来 飯川病院 COVID-19ワクチン接種
0:30起床。文献チェックなど。5:30可燃ごみ提出。6:47バス病院へ。8:40-13:10外来、超疲弊。飯川病院に移動、ボランティア。微睡、15:30COVID-19ワクチン接種。19:00プリ帰宅+夕食。20:45就寝。徒歩Σ12301歩、注射部位筋痛あり。

終活2021(1) スナップ写真とVサイン(1) 受け入れがたい習慣 嫌悪感さえ持つ
 現役を離れたのを機会に自分が関与していた社会的な部分はほぼすべてリセットしサラにした。過ぎし日との決別である。
 残っているのは家族間の付き合い、細々と続けている外来診療だけ。あとは引きこもっている。
 よその方と対話しないで済む環境が自分にとっていかに素晴らしいことか、現役の頃のはしゃべり続けていた。今、こんな状態を楽しんでいる。

 終活の一環として、プリントされた古い写真の処分を始めたがなかなか進まない。
 さすがに岩手で撮った写真等は古いアルバムにあるだけで未分類の写真はない。
 秋田に来てからの40年間のスナップ写真、記念写真は未整理のまま大きめの段ボールに乱雑にため込まれている。
 私は基本的に写真は記録の目的で撮る。人物には興味はない。だから、自分で撮ったスナップ写真は一枚もない。殆ど頂いたものである。

 子供達からも、我が家ではなんで写真が少ないのだ?といわれた。その反動か、3人とも高機能の一眼レフで撮影を楽しんでいる。

 写真を捨てるにあたってこれらを見直していると、特に若い女性たちはいわゆるVサインのポーズをとっているのが多い。
 私はあんまり良い慣習と思っていないし、今も嫌である。私はVサインをした経験も殆ど無い。

 Vサインは、人差し指と中指でV字にする手のジェスチャー。
 Vサインは提示の仕方などによって、様々な意味をもっている。
 第二次世界大戦中の連合軍側の陣営においては、「勝利」を意味する仕草として広く用いられた。だから、選挙等でもスポーツでも年齢問わずVサインを出している著名人も多い。
 1960年代以降、通常は手のひらを相手側に向ける形で、ピースサインとしても用いられるようになった。

 この若い世代の特にスナップ写真を撮る時の Vサインは何なんだろうか。何を考えているのか?

 日本の政治家は当選した時に万歳三唱する。Vサインを出したのを見たことは無いが、政治家で公的な場でも頻繁に出したとされるのはイギリスのチャーチル首相と言われる。彼はカメラを向けられるとヒョイと気軽にVサインしたという。
 そのチャーチルが広島、長崎に原爆投下の報告を受けた際にも記者団に向かってVサインを出し、「これは勝利ではなくピースサインだ。広島・長崎に落とされた原爆によってもたらされる平和の意味だ・・・」と答えたらしい。真偽は定かではないが結構有名な話である。連合国側の戦争遂行の首謀者の一人が広島・長崎を名指しして平和を語った・・・・???。そんな資格はない。

 これも含め、だから私は Vサインが嫌である。


3/22(月)小雨のち晴れ 健康クリニック 飯川病院 
1:10起床、新聞・文献・徒然ほか何時もの如く。6:47バス飯川病院、9:00-12:30健康クリニック。ドック13名+結果説明3名+先週分結果判定、で負荷が大きく時間がかかった。12:40飯川病院。微睡本読みなど。14:00-19:00勤務。入院患者対応。19:30帰宅、夕食、21:00就眠。徒歩Σ7217歩。

公務員の人事異動の季節(2021) 秋田県・秋田市の人事異動はなぜ新聞に掲載??
 また公務員の人事異動の時期がやってきた。
 毎年年度末になると秋田県の県警、教職員、県庁の各部署の他、秋田市の職員の人事移動、加えて県内市町村の人事移動が、地方新聞の1-3面ほど、多い日は5面も、数日間にわたって続く。
 

 毎年似た文章を書いているが、私の文章は外への影響はないから、私の愚痴のはけ口でしかない。分かっているのだが、黙って見過ごしているとストレスがたまる。今年もあえて取り上げた。

 私はこの様な人事異動の新聞掲載の歴史と背景を知らない。だが、新聞購読者として不快に感じている。私は今は3紙購読しているが地方紙に掲載される人数と字数に圧倒される。

 行政機関の人事異動は、定年退職者、人員補充、新採用者の配属、人員整理、機構改革、降格・昇進などを含む適材の配置など多数の因子が絡んでいる様だ。
 私は人事異動の名簿など見たくもないが、公務員は許認可の決定権を持っていることが多く、長期間同じポストを同じ職員が占めることは、時に不祥事の温床にもなる。だから新聞発表なのか??

 大変な人数の異動が行われると感心する。これらを過不足無く、間違いもなく配属を決める部署の能力と業務の煩雑さは大変だろうと思う。ほぼ出来上がった状態で急に誰かに不都合が生じれば、芋蔓式に変更を余儀なくされることもあるだろう。上級役職であれば人事部だけでは決められず細かな再調整が必要で、大変な労力を要するだろう。この点に関しては人事関係の職員の能力に頭が下がる。
 
 人事を新聞報道する理由は何だろう??毎年感じる疑問だ。
 部長クラスの移動は県民・市民への影響もあるだろうから報道する価値はあろうが、非役職者はその必要はない。

 私の疑問と感想を並べてみた。
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 ■ 税で賄われている公務員の人事は行政が納税者に報告するのは当然。その有用性は論を待たない。しかし、本来は県とか市が責任もって納税者に広報すべきである。商業誌になんで??
 ■ 新聞社にとって報道すべき価値があると判断しているのなら掲載するのは自由だが、購読者の意向調査などやっているのだろうか??購読者はなんと思っている?
 ■ 県や市が独自の方法で正式に発表すべき。新聞社と県や市との間で何らかの合意とか費用分担などの契約があるのだろうか。
 ■ 税を納め、かつ新聞購読料を払っている納税者。読者の立場から見れば無駄払いになる。
 ■ 新聞は地方紙といえども県民が全て購読しているわけではない。だから、新聞に掲載したからといって県民に広報したことにならない。片手落ちだ。
 ■ 県や市には全戸配布の広報誌がある。これを使って広報すべき。
 ■ 年に一回の移動の名簿より、いつでもスタッフ名を確認できるように県や市はホームページに人事を公開しておくべきであろう。私は公務員は個人名を公開されてしかるべきだと思う。
 ■ 一般人にとってこれらの名簿は本当に必要なのか??講読者に直接関係の無いであろう自治体の異動まで読ませる必要性はどこにある?記録として残すため?もし、そうだとしてもそれは県とか市の仕事である。
 ■ 部課長以上の移動はニュース性がある。しかし、末端までの人事異動が新聞報道されるべきか疑問?


3/21(日) 小雨  
0:00起床。文献・録音データその他の整理で過ごす。午前はデータ中心座学、NHKのど自慢久々あり楽しむ。昨年水洗トイレのルートの詰まり部位発見、除去。新聞チェック、本読みなど。書斎にて音楽関連録画視聴、N響定期井上道義指揮チャイコNo4ほか。「らららクラシック」3月で終了するという。19:00夕食、記念日関連第2夜牛玄亭弁当シリーズ。20:30就眠。Σ3743歩、ガレージまでの往復だけ。

ストラップ  スマフォになぜストラップ穴が無いのか
 ストラップ は、一般的には「何かをつり下げる紐」を指し、私の知っている範囲では「ファゴット、サキソフォーンとかの大きな管楽器などの重さを支えるために首からかける紐」などで、決してメジャーな単語ではなかった。例外的にストップウォッチにはよく付いていたっけ。

 一躍有名になったのは携帯電話の普及によってである。
 ストラップはその落下・破損防止を目的に実理性の面から使われ始め、ガラケーの爆発的な普及に伴い、そのファッション性もあって瞬く間に広まった。手頃な価格であることから、お土産グッズとしての人気も高かった。若い女性はガラケーに数本のストラップをぶら下げていたものだ。

 私はチーム医療を好まず単独行動が多かったから、可能な限り自分で対応するために早くからポケベルを用いていた。1980年代後半に携帯に乗り換えた。当時はかなり贅沢な持ち物で、機器は重く、電池の持ちは悪く、かつ秋田市外に出ると通話困難になったから費用の割にはメリットは小さかった。

 2010年からは各社からスマートフォンの発売が相次ぐと、関心を集め爆発的な普及が始まり現在に至る。
 私も2012年iPhone5にし、現在はPhone8を用いている。
 嘱託医となって入院患者を担当しなくなって以降病院との業務上の連絡は激減し、かつ隠遁生活に入ったから電話通話はほとんどなく、家族間の連絡にラインを用いている程度。Phone8は電話機ではなく音楽プレーヤーとしてとても有用、身から離すことはない。
 それにしても月額9000円は高すぎる。
 
 近年、スマートフォンがモバイルフォンを席巻しガラケーが少なくなった、なぜかストラップもその運命を共にして急速に市場がしぼんでいるようだ。「スマホ用ストラップ」もあるようだが、スマートフォンユーザーには殆ど支持されていない。
 このカラケーにはストラップを用い、スマートフォンにはつけない、と言う現象は面白い変化だ、と思う。電話機とコンピューター端末の機能の違いか??

 私はスマートフォンを落とすのが怖くて必ずストラップを用いている。
 私と家内はiPhoneをグレードアップしつつ使っているのだが、なぜかiPhoneにはストラップをつける穴がない。これはとても不便なことである。外国人の発想にはストラップをつける、と言う発想はないのだろうか?疑問である。

 私はやむなくiPhoneに透明なケースを被せ、そのケースに細工してストラップをつけている。私のはまさに実用性を重視したタイプで見てくれは悪いが、落下防止のために指を通すリングも全てにつけてあり便利で手放せない。家内のは置き忘れを防ぐために首下げタイプにしている。

 iPadにも穴がない。より大きく重いからストラップは必需である。私は5台全てにつけている。

 (iPad mini、iPhone7+、iPhone8のストラップ。iPad miniのケースは古いハンドバッグの皮を用いて自作、iPhone7+もストラップで皮に開けた穴が拡大していかないよう金属輪をはめている。iPhone8は伸縮性のあるプラスティックのストラップでポケットの縁にとめられるよう書類用クリップを付けている)


3/20(土)春分の日 超快晴 宮城県で震度5強、M=7.2の地震 津波警報発令。
11:30起床、新聞・文献・徒然ほか。録音データ整理。自炊4冊。10:00除雪機2台収納前整備、クロスバイクほか整備。泉外旭川駅発見学、爽やかな駅舎。午後は微睡のち椅子の修理に集中す、略満足の出来。16:00新聞チェック。18:06M=7.2の地震が発生。宮城県で最大震度5強を観測、津波警報発令。19:00夕食、記念日関連の寿司、20:30就眠。徒歩Σ8301歩。

災害2021(8) 宮城県沖地震 宮城で震度5強の地震
 3月20日(土)18:10ころ、私は机に向かって座学中であったが、震度3-4程度と思われる地震があった。いつもの如く、すぐにラジオのスイッチを入れたが、以下の内容であった。

 3月20日18時09分頃の宮城県沖の地震について
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 ■M=6.9(速報値7.2から更新)
 ■宮城県沖 深さ59km(速報値約60kmから更新)
 ■最大震度は5強 宮城県の合計10の市町村で最大震度5強を観測した他、北海道から近畿地方にかけて震度5弱〜1を観測
 ■2011年東北地方太平洋沖地震の余震と考えられる。
 ■8時11分に津波注意報を発表、19時30分に解除。

 ■地震発生から1週間程度、最大震度5強程度の地震に注意。
 ■東北地方太平洋沖地震の余震域内の地震は、全体として地震前の状態に近づきつつあるが、1年あたりの地震の発生数は、地震の発生前より多い状態が続いている。
――――――――――――――――――――――――――――――――-

 宮城で震度5強!!!!で、津波注意報が出たが発生せず、19時30分に解除。


 (今回も意外と広範囲であった地震域 秋田魁より借用)

 2011年3月11日の東日本大震災から10年を過ぎたばかりのM=6.9の強い地震だった。直前の2月13日の地震はM=7.2であった。

 今回の場合も東北新幹線は緊急停止し、夜半まで運転を見合わせた。

 電力各社にる緊急情報によると、宮城県、福島県、茨城県にある各原子力発電所やその周辺では、放射線量を測定するモニタリングポストの値に変化は見られていない。
 女川原発3号機のプールには1386体の核燃料が入っている。周辺に小さな落下物があったが、東北電力は、落下物が小さいことから核燃料への影響はないとしている。
 東京電力によると、福島第一原発の1号機から3号機では、溶け落ちた核燃料がある原子炉や原子炉をおさめる格納容器への注水を継続していて、格納容器内部の温度や水位、それに圧力に大きな変化はないという。

 私は、地震といえばとにかく福島、第一原発が心配である。

 私は自宅や病院の医局などではラジオを微弱な音で流しているが、最近は全国的にも地震発生が多くなっているような印象である。
 今回の地震も東日本大震災の一連の余震と考えられる。全体的に減少傾向にあるが、最近の1年間は増加傾向にあると言う。
 ちょっと気にしている。


3/19(金)49年周年 曇り 大曲中通病院外来 飯川病院ボランティア 
1:00起床。文献・新聞読み、データ整理などいつもの如く。6:00ゴミ出し。7:35Taxi。8:12こまち、8:50-11:45外来、来週から新幹線津城ダイヤ、今週まで時間短縮で。13:00-19:00飯川病院ボランティア、19:30通町書店経由帰宅、夕食。21:00就寝。徒歩Σ7590歩。文庫本2冊読む。21:00就寝、徒歩Σ7590歩。

映画:「フラガール」(2) 制作:2006年 監督 : 李相日  
 映画「フラガール」の紹介記事を新聞で見た30分後には、残務をかたずけAmazon Prime videoでiPadで観始めていた。部屋に寝転んだまま映画を観れるなど実に便利な世になったものである。
 監督を始め、出演者たちは私にとって初めて見る方々。

???1965年(昭和40)、福島県いわき市は炭鉱の町として栄えていたが、石炭から石油へエネルギー源が変わり、閉山が続いていた。その危機を乗り越えるために炭鉱会社が変身を図ったのが観光業で、いわき市にレジャー施設「常磐ハワイアンセンター」を計画した。閉鎖の迫る炭鉱のまちを救うため、北国をハワイに変えるという、起死回生のプロジェクトであった。

 目玉はフラダンスのステージだったが、一流のダンサーを集める経済力はなかった。地元で養成することになったが、募集に集まったのは素人の娘4人だけ。ダンス教師として東京からプロのダンサーを呼んだが、教師は田舎をバカにし、素人を前に教える気がない。しかし、生きるためにひたむきに練習を積む少女たちの姿に、いつしか忘れかけていた情熱を思い出す。

 しかし炭鉱のまちは男世界である。世間の風当たりはつめたく、教える相手はドシロウト。炭鉱の町の危機をフラダンスで救おうとするけなげな女性たちを受け入れることができなかった炭鉱の男たちから次々と迫害を受け続ける。
 地元の娘たちの熱心さに心を開いていくダンス教師、厳しい生活環境に陥ったダンサー志望者の家庭のエピソードなどにも、胸が打たれた。

 内容はど素人が努力を重ね 実力をつけていくと言う普遍的なサクセスストーリーだが、現在にも繋がる社会不安を背景にしているからこそ、時代を超えて愛される作品へと昇華していったといえる。

 昭和40年に、衰退する常磐炭鉱で街の再生を賭けて取り組まれた「常夏のハワイを丸ごと持ってくる」と言う壮大な常磐ハワイアンセンター計画が凄い。温水プールドームやリゾートホテルを建設し、ヤシの木を植え、そして日本人のフラガール、その全てを外国資本に頼らずにゼロから地元で創った。その圧倒的なエネルギーこそ、当時の日本人が持っていたエネルギーの根幹なんだ、と感じさせる作品となっている。

 日本経済が農林水産業や製造業等からサービス業等の第三次産業化が急速に進む過程で女性の活躍の場が広がって行った。いつの時代も未来を信じて飛び込む人々が歴史を造ってきた。多くの地方テーマパークが行き詰まる中、3.11震災後の今も、コロナ蔓延後の今も「スパリゾート」として元気に営業を続けている。

 映画「フラガール」のラストシーンはフラガールたちのデビューステージでその映像は一回だけの撮り直しなしの真剣勝負の撮影だったと言われている。高い完成度でここだけでも視聴の価値は十分価値ある。私はフラダンスを堪能した。

 ダンス終了後の俳優陣の頬を伝うえ涙と笑顔が、この作品にかけた彼女らの意気込みと達成感が感じられる。
 いい作品であった。


3/18(木)曇りのち快晴 午後飯川病院 映画「フラガール」観る
1:00起床、新聞文献、雑誌チェックとPDF化、読書。11:50バス飯川病院、
14:00-19:00勤務、入院患者対応。15:30新聞整理中に映画「フラガール」の記事発見、iPad、アマゾンにて視聴。炭鉱の歴史等懐かしい。19:15帰宅夕食、20:30就眠。徒歩Σ5780歩。

映画:「フラガール」(1) 制作:2006年 監督 : 李相日  
 映画「フラガール」を観た。
???現在「スパ・リゾート・ハワイアンズ」に改名した元「常磐ハワイアンセンター」誕生実話を映画化した2006年の古い作品。出演 : 松雪泰子, 豊川悦司, 蒼井優, 山崎静代, 池津祥子ほか。

 新聞文献、雑誌記事をチェックしている最中に、地方紙である秋田魁新聞に映画「フラガール」の紹介記事があった。
 私は福島の地に全く異質の常磐ハワイアンセンターが建立され、存在も存在し続けていること、フラダンス、フラガールの踊りそのものにも興味があり、機会があれば現地を訪れたいとも思っていたが実現は無理と諦めている。

 映画「フラガール」に興味を持ったもう一つの理由は、日本のエネルギー革命の世相であった。その地の一つが福島県常磐炭鉱であり、その地が迎えた厳しい現実の上に作品が作られた、と言うこと。

??1965年(昭和40)、福島県いわき市は日本有数の炭鉱の町だったが、石炭から石油へエネルギー革命があって常磐炭鉱は続々と廃坑に晒された。さらに、石炭から石油へエネルギー革命は時を同じくして原発が導入され、福島県が原発の地になった。
 さらに2011年3月11日に東日本大震災で原発事故が生じ、世界的に有名な地になったことである。

 日本の原発の歴史は石炭から石油へ変わっていく中で、その時期にほぼ近く、同時に原発が導入されていた。炭鉱の廃坑が一気に進んだのは国策であった。石炭産業はその影響をもろに受け、住民の生活は一気に厳しくなった。

日本のエネルギー産業の変遷
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 ■1965年(昭和40)、常磐炭鉱は続々と廃坑に晒された。
 ■1966年7月 英国から導入した東海発電所が営業運転を開始。
 ■1970年11月 福井県に関西電力美浜発電所1号機。
 ■1971年3月 福島県大熊町に東京電力福島第一原発1号機が営業運転開始。
 ■2011年3月11日 東日本大震災、原発事故の地になった
――――――――――――――――――――――――――――――――――-

 石炭産業の衰退とともに原子力発電が本格化した。
 この映画は原発については触れてはいないが、石油、原発へのシフトも始まり、石炭産業が一気に斜陽化したものと思われる。世相に翻弄され地域の生活は一気に厳しくなっていった。そんなこともあってこの映画に興味を持っていた。


3/17(水)曇り 午後飯川病院勤務 
1:00起床、文献整理関連ほか。午前は座学。11:50バス飯川病院。午後飯川病院勤務、入院患者対応はなかった。微睡、データ整理、文献読み、読書など。19:30帰宅、夕食、21:00就眠。Σ5650歩。

東日本大震災・原発事故10年(7)  無責任な意見をあえて申し上げる(2) 
 避難生活が長期化し、元住民で帰還を諦める人も年々増えている。避難者は高齢化して行く。
 原発問題には終わりがない。
 福島第一原発の廃炉作業は今の技術だけではできない。新しい設備や道具も開発しなければならない。COVID-19の世界蔓延で英国等に依頼しているロボットアームの開発が大幅に遅れている。こんな状態だから、いつ終わるか全く見えない。廃炉のゴミの収容先も決まっていない。

 私は、帰還に夢を持たせるよりも、この10年間の生活を支えた避難先での生活再建が早く軌道に乗るよう住民に支援を進める方が理にかなっていると思う。
 原発近辺では人口は大幅に減少し、コミュニティは戻らず、社会福祉などのインフラ再構築はできないだろう。

 原発被災地域に関しては10年も経ってこんな状態だから、従来の「待ちの方針」でなく、発想の転換が必要な時期に至ったと考える。

 通用しない意見だろうと思うが、私は以下のように考える。
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 ■ 現在帰還困難区域と言われる原発被災地域を全て国が買い上げ国有地化する。
 ■ 未帰還者には現在の避難地区あるいは新たな場所で生活できるよう一層援助する。
 ■ 国有地化した地域に原発汚染物質、放射線廃棄物、廃炉で生じた核のゴミなどを集約し処理する。
 ■ 日本全体が少子高齢化する中、地域の事情はもっと厳しい。将来的に街が成り立つか、コミュニティが形成されるか、私は先行きは厳しいと思う。
―――――――――――――――――――――――――――――――――

 福島県の集計では3万6千人が避難を続ける。戻りたいと願う人。帰還をあきらめ、新たな地で暮らす人。共通するのは故郷への思いだ。

 私も故郷に対する思い入れは強い方だと思う。そんな私がこんな意見を出すことは辛い。

 長く続く廃炉、大震災の余震とされる地震への備えなど課題は多い。
 政府の避難指示が出された福島県内11市町村の北西端にある飯舘村。4年前に大部分で指示は解除されたが、いま村で暮らすのは、事故前の6500人の4分の1に満たない。しかも、多くは長く村に住んできたお年寄りだ。若い方々はとっくに故郷を見限って他の地区で生計を営む。

 計画された除染は3年前に完了し、生活の場の放射線量は落ち着いている。しかし手つかずの場所もある。

 福島県の産業は県全体では、電子部品や医療機器に牽引されて製造業の出荷額が原発事故前を上回った。対照的に農林漁業は苦境が続く。


3/16(火)小雨 飯川病院外来 飯川病院ボランティア
1:00起床、いつもの如し。5:50可燃ゴミ提出、6:47バス飯川病院に、まだ寒い。8:45-13:00中通総合病院外来。13:30飯川病院ボランティア。19:00帰宅、夕食、21:00就眠。8773歩。外来患者他から礼状他届く。歩数8772歩。

東日本大震災・原発事故10年(6)  無責任な意見をあえて申し上げる(1)
 東日本大震災・原発事故から10年が経った。
 福島の復興はなお不十分である。福島県は約4万人がふるさとを離れたままである。

 政府も東日本大震災の地震や津波の被災地は復興の総仕上げ段階だとしている。地元の住民も、なお十分ではない、としながらも復興の進展は認めている。
 しかしながら、国も原発事故災害による福島は別な対応が必要だ、と認めている。
 全くその通りだと思う。

 原発事故に伴う避難対象地域は事故直後に比べ、面積では1/3に減つた。
 放射線量が高く、人が住めない帰還困難区域、立ち入りが禁止区域が双葉町、大熊町など7市町村に残つている。これらの地域では早期の帰還を目指して除染が進められているが、野山や湿地帯などの除染は極めて困難で、費用も莫大にかかる。除染を進めたとしても汚染された里山が残る地域に住民がどの程度戻るかは不透明。
 多分期待出来ないだろう。

 帰還希望者が戻れるように、行政や商店街などをコンパクトに集約しながら生活基盤の再建を急ぐべき、との意見もある。
 私の感想を無責任に言えば、こんなアイデアでは再建しても生活基盤の再建、産業の再建は無理だと思う。

 住民の帰還希望者は年々減少している。
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 ■ 福島第一原発がある双葉町は今も全町避難が続く。調査に対して6割超の世帯が「戻らない」と答えた。

 ■ 2年前の春から住民の帰還が始まった大熊町。1万人以上が住民登録をしているが、実際の居住者は約730人で、東電関係者以外は100人ほどだと町はみる。大熊でも「戻らない」と考える世帯が6割にのぼる。

 ■ 原発に近い富岡町、浪江町では住民の帰還率は1割に届かない。
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 双葉町、他の町や村に汚染土などを詰め込んだ保管袋が積み上がる。
 双葉町には政府が管理して汚染土を保管する中間貯蔵施設が広がる。双葉・大熊両町の林や田畑、家屋が汚染土の受け入れをしてきた。昨年の台風19号の時は汚染土の中身の一部が流出したりした。

 これらの汚染度は法律で、30年後に県外へ運び出すことなっている。
 私はそんな約束が果たされることはあり得ない、と思う。受け入れのことを何ら調査や議論することなく取りめた国の方針は超無責任である。かつて「原子力船むつ」の母港を巡ってトラブルが生じたことをもう誰もわかっていないのではないか。

 原発の廃炉は遅々ではあるが進んでいる。その際、出てくる放射性廃棄物や溶け落ちた核燃料の処分方法の検討も、保管場所もの検討も進んでいない。

 原発の汚染水を浄化処理したトリチウム水については、政府の有識者会議が、薄めて海に流す処分を最有力視する報告書を3年がかりでまとめた。しかし、住民の納得をうるのは困難であろう。国は決めかねている。福島はずっと風評被害と闘ってきた。海洋処分したらさらに再燃する。ならばどうする??
 
 こんな問題を抱えたまま、国は原発の再稼働を進めようとしている。
 原発事故の復興への道のりは長い。


3/15(月)曇り 健康クリニックドック 飯川病院
 1:00起床、いつもと同じパターン。寒い、データ整理、6:47バス、飯川病院に。9:00-12:00健康クリニックドック14名+レ線チェック結果判定14名。飯川病院へ、微睡、14:00-19:00勤務、入院外来患者対応。19:30帰宅、夕食、 21:00就眠。Σ6423歩。

東日本大震災・原発事故10年(5)  故郷を離れての避難生活(3) 故郷とは
 私が故郷を思う時に心から離れないのは石川啄木のうたである。
 啄木は1886年(明治19年)現在の盛岡市に生まれた。現在の岩手第一高校で学んだ。私も同校で学んだのでちょっぴりと親しみを感じる。
 啄木のうたは全体的に好きだが、故郷を歌った作品がとりわけ良い。
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 ■ ふるさとの なまりなつかし 停車場の人ごみの中に そを聴きに行く
 ■ ふるさとの 山にむかいて言うことなしふるさとの山はありがたきかな
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  私はこれに第1歌集『一握の砂』にある以下の「初恋」も加えたい。
 直接には故郷を歌ってはいないが、ほろ苦い初恋の思い出はこころの故郷そのものである。越谷達之助がつけた曲がとりわけ胸を打つ。ソプラノ歌手鈴木慶江(すずきのりえ)氏が情感豊かに歌っている。私は数100回も再生してこころの中の故郷を味わっている。

 ■ 初恋
砂山の砂に 砂にはらばい 初恋のいたみを 遠くおもい出ずる日
初恋のいたみを 遠く遠く ああ おもい出ずる日
砂山の砂に 砂にはらばい 初恋のいたみを 遠くおもい出ずる日

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 啄木の作品は悲しい。この悲しみも私のこころの故郷に共鳴する。

 ■ 非凡なる 人のごとくにふるまへる後のさびしさは 何にかたぐへむ
 ■ 友がみな われよりえらく見ゆる日よ花を買ひ来て 妻としたしむ

 ■ たわむれに 母を背負いてそのあまり軽きに泣きて 三歩あゆまず
 ■ はたらけど はたらけど猶わが生活楽にならざり ぢっと手を見る

 ■ 砂山の 裾によこたはる流木にあたり見まはし 物言ひてみる
 ■ 路傍に 犬ながながと呻しぬわれも真似しぬ うらやましさにる

 ■ 東海の 小島の磯の白砂にわれ泣きぬれて 蟹とたわむる

 ■ かめにさす 藤の花ぶさ みじかければたたみの上に とどかざりけり
 ■ 頬につたふ なみだのごはず一握の砂を示しし 人を忘れず
 ■ 馬鈴薯の うす紫の花に降る雨を思えリ 都の雨に
 ■ さりげなく 言ひし言葉はさりげなく君も聴きつらむ それだけのこと


3/14(日)寒いが快晴 飯川病院日直・当直医補助
0:40起床、蓄積データの整理と確認、本読み、文献読み。8:42バス飯川病院に。9:00~19:00日直+当直医師補助。微睡、読書、蓄積データの整理とバックアップ。12:00検食。本読み。19:30帰宅、夕食。21:00就寝、Σ6870歩。

東日本大震災・原発事故10年(4)  故郷を離れての避難生活(2) 私なら耐え難し
 私どもは、普段は「故郷」が自分にとってどんな意味があるのかをあまり深く考えることはない。しかし、今回のような「故郷の喪失」の危機に直面するとその重みが重ひしひしと感じられるようになるだろう。これは老若男女の別なく共通の感覚らしい。

 一体、人間にとって「故郷」とはなんなのか???

 生きるために辛酸を舐めながら生活し、残り時間が少なくなった高齢者の集会や高齢者施設で歌を歌う機会があれば、一番所望されるのは小学唱歌「故郷」だ、という。

 「故郷」は単に生まれ育った懐かしい街、あるいは村を示すだけでない。
 「故郷」は心にきざまれた自分の人間形成の過程で原点となった、幼少期から青脊時代にかけての親兄弟をはじめとする人間関係、四季折々の生活、忘れ難い出来事のイメージが包括的に記憶に刻まれているはずである。
 楽しいことだけではない、苦悩もあったろう、ほろ苦い初恋の思い出もあっただろう。苦い思い出は、年齢を重ねるごとに浄化されていっただろう。
 「故郷」には小中学校の校歌には必ず読み込まれている山河も懐かしい。同級生の顔も浮かぶ。

 現実に実行できるか否かは別として、「故郷」がいつでも帰れる場として個々人のこころに存在するならば、その人は人生で挫折しても心を破綻させる事なく乗り越える強さを備えているはずだ、とまで思う。

 私にとって「故郷」イメージは上記の全てが当てはまる。
 私は18歳で勉学のために故郷を離れた。22歳の頃、住み慣れた家屋敷を手放した。
 私の「故郷」には、3年ほど前の実兄の死をもって血縁者は一切残っていない。今は「故郷」に具体的に残っているのは代々受け継いできた墓のみである。

 にもかかわらず私のこころの中の「故郷」はいまだに大きい存在である。
 青春時代まで過ごした家族たち、一匹のネコとの濃厚な思い出、それに友人たちもいた。
 岩手片富士と言われる雄峰岩手山、水流豊かな北上川、その間に広がる田んぼや畑などなど、思い出し始めたら尽きることはない。

 私にとっての故郷は私を育ててくれた。しかし、今は秋田の生活の方が何につけても濃厚である。
 私が息をしなくなったら、一人寂しく「故郷」に帰り、土に戻っていく。それを考えるだけで私のこころの中に安堵の気持ちが広がっていく。

 「故郷」とはかけがえのないものである。その「故郷」を離れざるを得ない、あるいは戻れない環境は、私にとっては想像するだけでも耐えがたい。


3/13(土)終日小雨 泉外旭川駅開業 居間の椅子修理 
 1:10起床、文献検討、徒然など、8:00泉外旭川駅開業の狼煙上がる午前は座学、午後は居間の椅子修理。データ整理。17;30泉外旭川駅開業の祝いの花火が上がる。Σ4428歩、敷地から一歩も出ず。19:00夕食。20:30就寝。

東日本大震災・原発事故10年(4)  故郷を離れての避難生活(1) 苦痛はいかばかりか
2011年3月11日14:46のM=9.0の地震発生、それから約50分後沿岸部は巨大津波に飲み込まれた。

 東京電力福島第一原子力発電所は全電源を焼失し原子炉の冷却が困難となり、メルトダウン、引き続く水素爆発で1-3号機では建屋が大きく破壊された。
 東日本大震災は戦後最大の災害と言われた。

 この災害が1995年の阪神淡路大震災と大きく異なるのは、2011年12月の時点で33万人という多数の被災者たちが、いつ帰れるか目処のないまま長期に避難を余儀なくされた事である。 
 東日本大震災関連では避難者が多数出た。津波被災区域では復興のために建築制限が引かれた。福島県では放射線被曝のために避難者が多数出た。

 10年経過してその数は1/10程度にはなったものの、いまだに4万人の方々が避難生活を送っている。

 

 原発周辺町内には、原発に何か事故があっても東電がなんとかしてくれるだろうと楽観論すらあったが、11日夜から避難区域の指定が始まった。
 住民は何が何だかわからないまま、原発から半径3Km、10Km、20Kmと同心円状に避難区域はどんどん広げられた。それだけ自治体、住民には事故時の対応など説明されていなかった。
 
 東日本大震災被災地から秋田県内への避難者は、今月1日現在で190所帯、484人となっている。このうち70所帯が秋田県への定住を視野に避難生活を送っていると言う。福島からは383人、宮城96人、岩手5人となっている。最も避難者が多かったのは被災直後の2011年で、1571人、福島県人が最も多かった。避難して10年も経つのにまだ定住先を決められないでいる方がいる事自体が驚きであるが、日本一人口減少県である秋田県にとっては移住していただく機会なのではないか?ぜひ早く県内定住の方向を決めてほしい。秋田県は今年「被災者受入支援室」を縮小して「班」にするという。これでいいのだろうか。

 津波被災、放射線被災の両者に共通するのは生活や人生を支える基板となる「故郷の喪失」という事態である。今までの歴史の中でこれほどの方が移住を強いられた事はないのではないだろうか。為政者たちにとっても初めての体験であろう。

 「故郷の喪失」は人間にとって家屋の喪失、財産の喪失とは比肩できない、親族を失うに等しい重大事である。しかしながら、「故郷の喪失」は損害賠償、保証などの対象になりがたいところに問題がある。

 原発事故関連の賠償額は10兆円にまで膨らんだ、という。果たして東京電力の経営陣、復興庁などの関連者の方々は「故郷の喪失」に関して何と考え、評価しようとしているのだろうか。同様のことは原発訴訟の裁判官にも問うてみたい。


3/12(金)曇り 大曲中通病院外来 飯川病院ボランティア
 1:00飯川行院で起床、文献・新聞読み、データ整理など。7:00検食、7:45徒歩駅に、8:11こまち、9:10-11:45大曲中通病院外来、勤務時間少しでも確保するためにTaxi。秋田市内は徒歩。秋田新幹線は26日まで間引き運転と。13:00 -18:40飯川病院ボランティア。新聞点検など、18:15書店経由Taxi帰宅、夕食、20:30就寝。Σ8387歩。

東日本大震災・原発事故10年(3)
2011年3月11日、14:46の地震発生から50分後、第一原発は津波によって全電源を喪失した。

 周辺町内には、それでも東電がなんとかしてくれるだろうと、まだ楽観論すらあったが11日夜から避難区域の指定が始まった。
 12日の15:36、1号機で水素爆発が生じ、それまでの我が国の「原発の安全神話」が完全に崩れた瞬間であった。

 原子炉の冷却ができなくなると何が起こるのかすら知らされていない自治体、住民は何が何だかわからないまま半径3Km、10Km、20Kmと避難区域はどんどん広がった。
 放射性物質の拡散方向を決める『SUPEEDI』は入力べき原発のデータが役立たず、結果的に放射性物質が多く流れる方向に向けて多くの住民が避難した。
 国は事故後の放射線予測には『SUPEEDI』は不正確だからこれに頼らず、モニタリングポストなどの実測値による方法に変更した。

 言えることは、原発事故が生じた際に部内、部外者に「一体何が生じたのか」、住民や自治体が何も示されていないことが問題であった。だから、だとすれば住民や自治体は国の方針に従うしかない。だが、肝心の国は知識不足からその情報を発信できなかったことにある。
 日本の原発政策は「原発の安全神話」のもとに作られてきたから事故の際の対応など司令塔うになるべき部署も専門家もいなかった。

 逆に、最近「福島原発10年検証委員会」は、「日本は福島の原発事故のあと世界一厳しい規制を行う」との方針を示した結果、「日本では二度と原発事故は起こらない」との「新たな安全神話」形成されることになった。
 原発事故直後、脱原発の機運、節電の機運が一気に高まったが、10年経過した今、ともにその機運はしぼんでいる。東京電力の関連ニュースを集めていると今でも綱渡り状態であることがわかる。

 人は物事を都合よく考える傾向がある。

 原発事故はどんなに安全を求めても事故を防ぐことができない。
 例えば、考えたくないことであるが、某国の通常ミサイルが日本の原発を数箇所攻撃すれば、我が国は放射能汚染のためにほとんど居住できなくなりうる。原発のエネルギーはそれほど大きいものである。いかに安全を高めても人間の英知を超えている予想外の事象が生じうる。


3/11(木) 東日本大震災10年目 快晴 午後飯川病院+当直 
1:00起床,新聞入力。文献多数検討など。本読み、など。快晴なるも寒い。ガレージの鉢植え全部庭に。 11:50バスにて飯川病院、ボランティア、14:00-17:00飯川病院勤務、入院患者対応。東日本大震災政府主催慰霊祭の様子を聞く。今年が最後だと言う。菅首相の言葉が虚しく響く。言葉にすることで失われるものがある。17:00当直業務に。18:00検食、20;30就寝。Σ5877歩。

東日本大震災・原発事故10年(2) またこの日がやってきた 一気に増えたメディアの特集記事
 東日本大震災・原発事故から10年が経った。
 「カレンダージャーナリズム」という言葉がある。過去に大きな出来事が起きた日の前後に、関連するニュースが増加することを指す。

 「被爆○年」、「終戦○年」などがそれである。この話題の場合は「8月ジャーナリズム」とも呼ばれる。同様に、東日本大震災についても「3月ジャーナリズム」と呼べる現象がある。
 今年は東日本大震災が生じてから10年目の節目にあたる。報道記者たちはその日に向けて関連特集を含め、報道の準備に忙しかったであろう。

 「カレンダージャーナリズム」はあまり良い意味では使われない。「毎年その時期だけは熱心に報道するが、後は忘れてしまう」という皮肉の意味がある。

 しかし、私は必ずしもこの種の報道を否定しない。
 ■ 毎年節目の時期には思い出すべきものがある、ということ。この動きが記憶の喪失、風化を防いでいく。自分が成長、あるいは老化して行く毎に捉え方も異なるから大きな意味がある。
 ■ 他の理由は、同じテーマの記述が集中するから、その折々の評価、経時的変化などがまとめられるから資料として活用できる。新聞が毎日発行され、その誌面が広いといえども限界があるし、読者が興味を向けてくれるかわからないから、関連のない時期に取り上げることは困難である。
 ■ メディアの役割は速報だけではない。次世代に知恵と経験を伝え得ていくことも重要だ。被災者が置かれている状況を個人個人のドラマに終わらせず、大きな目で評価し問題提起していく機能ももとめられる。

 今年、3月11日は東日本大震災の10年の節目にあたる。一月ほど前から東日本大震災、原発事故関連の報道が目に見えて増えてきた。
 カレンダージャーナリズムにも十分な意味がある。


3/10(水) 快晴 午後飯川病院勤務 
2:00起床,新聞入力、文献多数、データ検討など。11:50バス飯川病院往、ボランティア。14:00-19:00勤務。13:30検食、微睡。入院患者対応、19:20帰宅,、夕食、Σ5869歩。

東日本大震災10年(1) その二日前の地震が被害を大きくした
 2011年3月11日は東日本大震災が生じた日であるが、あれから明日で10年を迎える。

 その2日前の3月9日午前11時45分頃、秋田で深度4ほどの地震があった。三陸沖を震源とし、宮城県北部では震度5弱だった。

 3月11日の地震はあまりにも大規模で、来襲した津波は歴史上みられないほどの規模で、多数の人命が奪われ、岩手県・宮城県の沿岸部の街、福島も含め壊滅状態となった。

 そのために2日前に生じたゆっくりした揺れの地震が話題に上ることは少ない。
 私自身はこの地震について今でもはっきりと覚えている。 

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 3月9日午前11時45分、震源地は牡鹿半島東沖約160Kmで、深さは8Km、M=7.3と推定された。その後も震度3程度の余震とみられる揺れが相次いだ。秋田市では震度4を記録した。
 
 気象庁は青森県、岩手県、宮城県、福島県に津波注意報を発令、岩手県大船渡港で60cm、石巻市で50cm、釜石市で40cmの津波を観測した。津波注意報は14時50分に解除された。大船渡市は1996世帯5555人に避難勧告を出した。
 この津波による人的被害はなかった。
 
 東北・東京電力によると、女川原発や福島第1・第2原発に異常はなく、通常運転を続けた。

 気象庁は、今回の地震は震源の位置などから近い将来想定される宮城県沖地震との直接の関係はないだろう、との見解を示した。
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 私自身が経験した大きな地震は、1965年仙台で経験したM=7.5の新潟地震、秋田で1983年に経験したM=7.7の日本海中部地震があるが、この時は小刻みな揺れから始まり、間も無く揺れがひどくなり、次第に振幅の大きな横揺れとなった。

 3月9日の地震は小刻みな揺れを殆ど伴っていなかった。いつもなら直ぐに何としようかと慌てるのであるが、この程度の長周期的地震なら被害は出ないだろうと思いつつそのまま身を任せていた。一方、それだけ揺れをじっくり体感できた。

 この日の地震で、二日後にあの歴史的災害が生じるなど、誰が想定できただろうか。

 被災地の行動から見れば、3月9日の地震の津波が小さかったこと、また約1年前の2010年3月のチリ地震でも津波警報が出て多くが避難したが津波はこなかった。この経験と記憶が3月11日の津波来襲の判断と避難行動を鈍らせたと指摘されている。

 本年、2021年2月13日に福島県で震度6強、M=7.1の地震が発生した。震源が55kmと深く津波の発生はなかった。
 震源の深さと津波発生に大きな関連がある。3月11日は深さ24kmと最近の地震の中では浅かった。それが巨大津波に結びついている。


3/9(火)超快晴終日  中通病院外来 飯川病院ボランティア
0:40起床、新聞・文献チェック。5:30可燃ゴミ提出、作業衣に1週前から、まだ若干寒い。6:40バス飯川病院、8:40-13:20中通病院外来。若干難渋。14:00飯川病院、本日から火曜日はボランティアに変更、勤務は水曜日に。検食、微睡。19:30帰宅、夕食。21:30就眠。Σ8787歩。

ラジオ2021 As a theater of the mind(2) ラジオ深夜便のMP3録音1.9000時間分
 私にとってラジオは重要な情報源になっている。興味ある話題があればICレコーダーに残したり、メモし、のちに新聞で確かめる。

 早朝1:00-5:00am間は私が起きている時間で、ラジオ深夜便を聞きながら過ごす。
 この時間帯は一定の基準で放送内容が決まっている。
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 ■ 1:00-2:00amはNHKニュースの後、文学作品の朗読、上方落語など。
 ■ 2:00-3:00amは洋楽を中心にしたロマンチックコンサート。
 ■ 3:00-4:00amは日本の歌、心の歌。
 ■ 4:00-5:00amは明日への言葉。哲学あり、宗教あり、各界で活躍している著名な方々の人生観など。
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 かつてはカセット、コンパクトディスクに録音していたが、カセットなら60分テープで毎日2本づつたまるからスペースもバカにならない。
 それで購入したのが2007年に発売になったばかりのオリンパス社のラジオサーバーVJ-10。37GBの、当時としては大容量ハードディスク搭載で最大約2500時間のFM/AMラジオ番組をMP3でデジタル録音することができる。USB接続によりパソコンにデータ転送が可能。とっくに発売終了した。回転部分のハードディスクの寿命が心配であるが、いまだに現役でしっかり働いてくれている。


 2008年から毎日4時間のラジオ深夜便がデータとして蓄積されている。約19.000時間分にもなった。これらを有効に活用するには目録がなければなんの役にも立たない。私は全録音分の目録を欠かさずに作っている。出演者、演題名で検索をかければ録音データを簡単に呼び出し聞くことができる。

 蓄積した録音データはパソコンでも聞けるが、私はiPhoneにデータを移しブルートゥースを介してノイズキャンセリングヘッドフォンで、主に移動時間に聴いている。

 意外と面白いのが、 1:00amのNHKニュース。日本で、世界で生じた大事件、大災害などのニュースを当時の雰囲気そのままで聞きなおすことができるのは貴重である。
 ラジオは映像がないが、私にとっては不要である。自分の中で状況が目に浮かぶ。昔聞いたある音楽グループの名で「Theater of the mind」と言うのがあったが、私にとってはラジオ放送はそう言ってもいいような世界が眼前に展開してくる。
 だから、ラジオは面白いし、有意義なのだ。

 最近、ラジオも聞ける多機能スピーカーを購入し、私のラジオ生活は一層充実してきた。
音声でコントロールできる多機能スピーカー「Amazon Echo Show5」を購入


3/8(月)午前雲ひとつない快晴気温は低い 健康クリニックドック 飯川病院
1:15起床、新聞・文献チェック。その他蓄積データ整理。6:47バス飯川病院へ。9:00-11:45健康クリニックドック14名+結果判定14名、12:00飯川病院、微睡、14:00-19:15勤務。入院患者対応。読書など。19:30帰宅・夕食、21:00就寝。Σ9326歩。

ラジオ2021 As a theater of the mind(2) 私のラジオ歴の変遷 貴重な情報源
 私のラジオとの付き合いは小学校入学時頃から始まる。鉱石ラジオとイヤフォンでもっぱらNHK第一放送を聞いた。また、ラジオ=NHK第一放送と言う図式、イヤフォンからヘッドフォンに進化したが、一人で耳元でラジオを聞きながら、という図式が確立した。
 約70年間、常にながら勉強、ながら仕事をしていた。ヘッドフォンをかけていると人から声がかからないというメリットもあった。

 ながら状態といえども、集中すると耳からはほとんど何も聞こえなくなるから問題はないのであるが、集中できずだらだらとながらをやっているときは頭は適宜切り替えているとされるから勉強も仕事も半分しかやっていないことになる。

 勿体ないことをしたものである。私は勉強には随分時間を費やした、と思っているが、ながら勉強していなければ、私の人生は別はコースをたどっていた可能性があった。

 1953年TVの本放送を開始が始まり、1958年頃、我が家にもTVを購入した。一時的にTV放送に興味を持ったが、私には一過性の興味しか湧かな買った。今でもそれは変わらず、日常的にTV視聴は19:00のNHKニュース中心に一日15分程度である。居間にはTVがあるが、映っている時間はうるさい音声を含め私には不快な時間である。

 高校まではもっぱらラジオ第1放送であったが、1965年(昭和40)頃からはNHK-FM放送を併用した。音楽番組を聞くのに段違いの音質の良さがあったからである。
 この後しばらくは音楽中心の聴取になり、オーディオの世界にのめり混んだが、2000年頃に音質追求の道から決別し、徐々にラジオ第1放送に戻った。やはり無機的な名曲群よりは、人間が登場し、会話中心の、より人間的な第一放送の方がいい。

 私にとってラジオは単に楽しむのではなく重要な情報源になっている。日中の放送は聞きっぱなしであるが、興味ある話題がある場合にはICレコーダーに残したり、メモして置き、のちに新聞で確かめる。早朝1:00-5:00am間は録音をとりながら聞いている。


3/7(日)雲ひとつない快晴・やや温暖  
 1:30飯川病院起床、データチェック。関連文献検討、本読みなどほかいつもの如く。9:30バス帰宅。昨日からお泊まりの孫が二人パン作りしながらまだ自宅にいた。11:00陽気につられて外仕事。庭仕事、つるバラの剪定など。自転車降ろし整備。14:00時間一家も加わり今年小学校に上がる孫の一人にランドセル贈呈式。微睡。久々書斎にこもり新聞チェック、データ整理。音楽関連録画確認。19:00夕食、21:00就眠。Σ10595歩。

ラジオ2021 As a theater of the mind(1) 私のラジオ歴
 私はメディアとしては第一に新聞、第二にラジオ、第三に・・・の順である。

 私のラジオとの付き合いは小学校入学時頃から始まる。当時、東北大学の通信工学部で学んでいた兄の影響だった。兄は私に鉱石ラジオを作ってくれた。電波のエネだけで動く簡素で不思議なこのラジオ、NHK第一放送しか入らなかったし、イヤフォンだけで、音量は微々たるものであった。この鉱石ラジオは私を虜にした。また、ラジオ=NHK第一放送と言う図式が私に出来上がった。なんだか内容が理解できない放送だけであったが、落語、歌謡などの娯楽番組が救いであった。

 ラジオは船舶用無線から発展した。長距離通信では19世紀に既に海底ケーブルがあつたが海上を動く船舶は無線通信が求められた。

 第1次世界大戦後には軍用だった無線器が放出されアマテュア無線が生まれる。
 1920年には米国で放送局も生まれた。この時代は鉱石式ラジオで真空管式は出始めたはかりだつた、と言う。

 日本でも新聞社を中心にデモ放送を始めたこともあってラジオは急速に知られていく。 
 1923年の関東大震災で有線網か壊滅、無線放送の重要性が認識され、1925年のラジオ放送開始の遠因となった。 
 日本で放送か始まった頃に米国製の真空管ラジオが輸入されたが、家1軒に相当する値段だった、と言う。その後数年で全国に放送局か設立されラジオが普及した。 

 第2次大戦が近づくとラジオは政策の一部になる。
 真空管式が増えお茶の問にラジオは当たり前となりつつあった。ドイツでは海外放送を聴けないように性能の低いラジオをあえて普及させ、日本も海外放送の聴取は禁止され、規賂叱された製品が量産された。多くの国民が聞いた玉音放送がこれである。 

 私にとってのラジオは鉱石ラジオから始まり、1950年ころから居間には5球スーパーのラジオが備えられ、私の机上のラジオは1960年代に入るとトランジスタ式に変わる。いつも放送を聞きながら勉強し、寝る時は鉱石ラジオを聴きながら眠った。
 1953年TVの本放送を開始が始まり、以後、徐々にメディアの主役がTVどになりラジオは衰退する。しかし、私は常にラジオを好んできた。

 現在、ラジオはスマフォで聴くようになった。そのためか若者の中でラジオが復活し始めているらしい。(歴史部分は日本ラジオ博物館長 岡部氏の文献を参考にした)


3/6(土)快晴 飯川病院日当直 レセプトチェック
 1:00起床、新聞・文献・資料検討。朝までは座学中心。微酔など。ダリアの球根のチェック、ややウエット。芽が出始めている。死んではいなかったが今の隅っこは暑すぎたか。11:30家内に同乗、飯川病院に。12:00から明日朝まで日当直。微睡、新聞チェック、外来レセプト点検。18:00夕食、20:30就寝。Σ4290歩。微睡の時間が長かった。

季節の話題2021(5) 秋田の雪(5) 過疎の雪国の田舎は高齢化で住めなくなっている
 今年は県南部を中心に記録的な大雪が続いた。横手市、湯沢市では積雪が平年の5倍ほどに達し、屋根の雪下ろしや除排雪中の事故が相次いでいる。
 県の災害派遣要請を受けた陸上自衛隊が横手市で活動を始めた。

 雪との闘いに悲鳴を上げている市民がいる。市街地でも大変な状況である。
 ましてや、過疎の田舎は高齢化と高齢者単独世帯で住めなくなっている。

 まだ新しい統計を得ていないが、1月中旬の統計で全国で雪下ろしなどで全国で249人が重軽傷を負い、死者は65人であった。
 秋田県南では1月4日夜から5日にかけて屋根の雪下ろし、除雪作業中の事故で3人が亡くなった。1月中旬の時点で秋田では18人が死亡している。多くが高齢のジジババである。屋根からの落雪に巻き込まれた1人暮らしの高齢者の犠牲もあった。豪雪地帯ではもはや高齢者が自力で冬を越せるレベルではない。

 過去に1973年の「四八豪雪」や2005年の「平成18年豪雪」といった記録的豪雪があった。
 
 (2013年もやや降雪量が多かった。庭に停めてあったHONDAオープンカー CR-Xデルソルの上にも何層にも雪が積み重なった。やっと掘り出した。この車は鹿児島の愛好者にに貰われていった)

(本年1月の降雪。たった一晩でこれだけ降った。75歳の私でも除排雪に難渋したが、その後の数日寒気が緩みとても助かった)

 県内の高齢化率は過去の豪雪当時それぞれ約8%、約27%であったが、現在の高齢化率は約38%、1人暮らしの高齢者世帯は約32%を占める。高齢者の命と生活を守る支援や対策が急務である。

 県の調査によると、秋田県内には地域の高齢者宅などの除排雪を行う共助組織が50団体ある、と言う。
 しかし、地域そのものが高齢化している。支える側も決して若くはない上、大雪で自宅の雪下ろしや除雪に追われる毎日。記録的大雪を前にしては、共助組織の奮闘にも限界がある。

 陸上自衛隊秋田駐屯地による除雪支援、高校生や市役所職員による除雪ボランティアが始まった地域がある。地域を挙げて支援の手を差し伸べることは大切だ。しかし、継続的に支援するにはこれらにも限界がある。

 本来、田舎は農業を中心に、多世代が同居する大家族制の生活様式でなければ成り立たないものである。家族が一団となって雪と対峙し乗り切ったものだ。そのような現実を捨てて、日本は高度成長時代を突っ走った。その結果迎えたのは現状である。秋田の高齢化率は日本一である。
 人口が減少し、まばらにある高齢者の住宅を維持するための道路の雪よせも大変、在宅介護も大変、とても非効率的。いずれ立ち行かなくなる。住民は日用品の買い物もできない日が何日も続く。

 この厳しい状況に対しては、豪雪期だけでも高齢者を収容する施設を作り、集中的にお世話してはどうだろうか? 多分高齢者は自宅の生活にこだわり、是としないだろうが、徐々に発想を転換していかねばならないだろう。


3/5(金)曇りやや温暖 大曲中通病院外来 飯川病院ボランティア 
1:00起床。文献・本読み、徒然他、データ処理。5:20可燃ゴミ提出。7:30Taxi駅、8:11こまち。診療時間の関係で往復タクシー、8:50-11:35大曲中通病院外来。11:50新幹線。秋田駅から徒歩。途中で自分分の申告書提出、一段落。13:45飯川病院ボランティア。微睡、読書中心。19:00帰宅、夕食、20:30就寝。ラジオ深夜便数回分。歩数7729歩。ヘッドフォン忘れる。

季節の話題2021(5) 秋田の雪(5) 廃車予定の22年目のボロレガシー大活躍
 ついに、待ちに待った春が訪れた。今年は寒い冬であった。実際まだ寒い。
 今季は秋田市も降雪量が多かった。しかも、積雪と融雪が短期間に繰り返され、交通はかなり渋滞した。

 私は昨年8月いっぱいで運転免許を返上した。
 私が日常使っていた車は初登録後22年目のスバルレガシー4WD車である。さすがに小さな故障は数多いが、私は基本的に車は可能な限り4WD車にすべしと考えていて,1980年頃からスバル4WDの乗用車を利用している。

 私が秋田に移り住んだ1971年(昭和48)は冬季間を通じて、日本海沿岸東北地方を豪雪が襲った。 横手観測所では2月に最大積雪深259pを記録、交通機関がマヒし、2月26日から奥羽本線が5日間ストップするなど、深刻な影響が出た。この年の豪雪は「昭和48豪雪」として秋田の歴史に刻まれている。

 私は当時FRのマツダグランドファミリアを用いていたので通勤や駐車場にて頻回にスタックし、大きな不便を味わったので4WD車に興味を持った。
 スバルは長い年月をかけて4WD車を開発していたが、初代4WD車1972年「ジープタイプではない量産4WD」が世界で初めて世に送り出された。それまで四輪駆動といえば、ジープタイプの車を意味し、乗用車タイプの四輪駆動車は存在しなかった。

 実際に発売当初は高価であり手が出なかったが、1980年頃スバルレオーネ4WDを購入できた。雪道の機動性はFR車、FF車とは段違いの走行機能が得られた。
 以降私は現在に至るまで40年間ほど所有する車の一台は必ず4WD車にしてきた。

 4WD車にこだわったのは、走る・止まるが車の基本だし、当時勤務していた秋田大学病院に通勤するには丘越えが出来て4WDであれば近道ができたこと、私の自宅のアクセス道路が狭くスタックすると抜け出るのにかなりの苦労したからである。

 私の最後の愛車はスバルレガシー4WDで、初登録から22年用いたボロレガシーである。私は自分が長い間用いてきた道具などに大きな愛着を持つ。このレガシーも傷は多いし、エアコンも不調であるが全部自分で対策してきた。修理すればするほど愛着が強まっていく。
<img src="https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/48/f3/6db805f4e652c02787ea2361757f1703.jpg" border="0">
(今冬大活躍したスバルレガシーワゴン4WD。22歳と思えないほど力強い。役目を終えて庭先で静かに次の出番の機会を待っている)

 運転免許返納した後、維持費軽減のためにスバルレガシーを廃車にしようと考えたが、車検が1.5年も残っているから焦ることはないと手続きを後回しにしていた。12月に入って意外に降雪量が多く、FFのプリウスでは心配なので降雪期は家内が用いることとなった。外見も悪く、当初は使用をビビっていたが降雪量が増えるにあたって彼女も4WDの機動性を認め12月中旬から2月中旬までプリウスに代えて使用した。

 春を迎えて家内はプリウスに戻った。
 私は自分では乗ることはないが、スバルレガシーワゴン4WDは最小限いつでも動かせるようメインテナンスだけはしっかり続けている。


3/4(木)超快晴 寒い 今季初の園芸関連作業開始 飯川病院 
 1:00起床。文献新聞など。放射冷却による寒波。午前座学、9:30園芸関連社業今季初。ボタンの鉢を外に出す。レガシー充電。ガレージ整頓、散水用ホース準備。ボタンに給水、11:50バス飯川病院。ボランティア、14:00勤務。入院患者対応、次年度の飯川病院診療契約締結。19:15帰宅、夕食、21:00就寝。歩数計7979歩。スキーウエアなしで出勤。

季節の話題2021(5) ついに私に春が訪れた 秋田の雪(4) 今年は降り方が変だった
 ついに、待ちに待った春が訪れた。今年は寒い冬であった。実際まだ寒い。

 私の定義による冬は2月10日に終わって、私は春を迎えた。 
 秋田の手付かずの田んぼはまだ一面雪に覆われている。徐々に強くなりつつある日差しを受け、とても美しい。やっと春の訪れである。


(庭先のボタンは昨秋から小さな花芽をつけていたが、ここ数日目に見る見る膨らみ始めている。今後が楽しみである)

 私の四季の定義は以下の如くに決めている。
■冬 除雪を要した期間。ゆえに、今季は12月19日-2月10日間。今季はこの間に11回回除雪機を出した。久々頻回であった。
■春 除雪が不要になった日から桜が散るまで。

 私は四季を上記のように勝手に分類している。
 カンカン照りの夏、日差しを浴びながら外仕事をするのが大好きな一方で、降雪期には除雪のストレスに苛まれる私にとって、冬季間を短く算定するために一番合理的な分類である。

 今季は全国的には雪が多かったと思う。
 1-2月上旬には北陸を中心に大雪の被害が続いた。新潟も多かった。豪雪に見舞われた福井では、交通網が寸断され、鉄道の運休が相次いだ。
 積雪が140cmを超えた福井市内、学校の休校が続き、車の立ち往生が起きた。

 秋田県内も全体に多かったが、内陸県南の豪雪地帯と言われている湯沢、横手、大曲地方は特に多かった。雪に関する死亡事故も頻回であった。
 秋田市内も雪が多かったが量的には例年並み+アルファといったところだろうか。昨年は異常に少なかった。

 秋田市の今年の降り方を見ると、1月中から2月上旬まではよく降ったが、週間を通して連続的に降ったのではなく、数日単位で集中的に降った。
 しかも、数日降雪を伴う寒波が続いた後は数日間は寒波は緩み、路上はすぐに解け始めた。例年除雪が数日続くと雪を寄せるスペースが少なくなるのであるが、今年はそう言うことはなかった。

 降雪と融雪の繰り返しでむしろ交通は障害を受け、予測がつかなくなった。道路は圧雪状態にある方が融雪でベトベトな状態よりは通行はスムーズである。
 秋田市内の除雪は我々の目から見て中途半端だ、と思うが、早々に除雪完了の宣告が除雪対策本部から発せられた。私は??であった。私はそれほど路上に出ることはないが、作業中の除雪車に一度も遭遇していない。

 私は毎週金曜日、大曲中通病院に診療応援に行く。
 8:11分発のこまちに乗る。自宅から駅までの6kmをタクシーで行くのであるが、自宅へのタクシーの予約は道路状態を推定しながら日によって7:05-7:40の間になった。こんな田舎で交通量ももそれほどあるわけではないが、わずかの距離を1時間もかかる日があるなど、異常な状態が発生した。


3/3(水)晴れ時々曇り 飯川病院ボランティア
桃の節句。1:30起床。文献など処理。午前中は座学中心、手元の LEDライトの改造。一層明るくなった。データ整理。12:12バスにて飯川病院、12:10ボランティア。19:30帰宅j、夕食、20:50就眠。Σ5870歩。

?災害2021(5) 福島県沖地震(7) 福島第一原発は(3) 2月22日時点の報告
 以下は2月22日時点の報告。
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 ■福島第一原発の地震計関連:福島第一原発の3号機の地震計2台が故障し、13日の地震のデータを取れていないことを22日になって正式に認めた。

 強度の地震を契機に壊滅的メルトダウンに至ったが、地震計の故障を知ってながら交換も修理もおこなわなかったという杜撰さには驚く。さらに問題なのは、この事実を東電が地震発生後から1週間以上も“隠蔽”していたこと。

 ■地震によって福島第一原発の処理水や浄化途中の汚染水が入ったタンクの位置が10数個でずれが生じた。漏水はなかったらしい。14日に把握、18日になって公表した。

 ■1号機と3号機の格納容器で水位が低下した。
 1号機で15日から、3号機で17日以降に、それぞれの格納容器内の水温が低下、原因は水位低下と結論付けた。
 1号機で1.9mの水位が40〜70cm低下、3号機も6.3mあった水位が約30cm下がった。

 メルトダウンによって生じた格納容器の損傷が、13日の地震によってその破損が拡大したと見られている。22日以降も格納容器の水位は低下傾向にある。水はどこに漏れているのか??冷却機能に問題はないのだろうか。

 ■水素爆発を防ぐために格納容器には窒素が注入され、圧力を高めているが、1号機では機密性が失われ、ほぼ大気圧に等しくなっているという。格納容器に新たに損傷が生じた可能性がある。
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 東電は周辺の放射線量などに異常はないと説明しているが、水位の低下による核燃料の冷却への影響はないのか?? 漏れた水はどこに流れているのか?? 水素爆発の危険はないのか??

 とくに、原発事故は巨大地震とその後の地震で壊滅的状況を迎えているのに、地震計の修理をしていなかったのは見逃せないと思う。
 事故後10年を迎えてたるみが出ているのではないかと危惧する。

 不都合な事実がこれだけありながら「すべて正常」、「外部への放射線漏れはなかった」とくくっている。これは事実を隠蔽する為ではないのか??

 福島沖地震で東電と菅首相が福島原発の異変を隠蔽している。
 地震計故障の放置、汚染水タンクのずれ、格納容器が水位低下は特に重要と思われるが「すべて正常」との評価には納得できない。それぞれについて詳細を提示すべきである。


3/2(火)曇り 中通り病院内科外来 飯川病院 
1:00起床、文献・新聞関連など。6:00可燃ゴミ2袋出し。6:47バス飯川病院、8:45-13:30中通病院外来。混雑と複雑で疲弊。昨年病院内理髪で髭よさらば4年間分、バッサリ。13:45-18:45勤務、飯川病院、入院患者対応なし、微睡はやや長めになった。19:00通町書店経由Taxi帰宅、夕食、20:20就寝。Σ8260歩。

災害2021(4) 福島県沖地震(6) 福島第一原発は(2) 2月19日時点の報告
 2021年2月13日午後11時8分頃、福島県沖を震源とする地震最大震度6強、マグニチュード7.3が発生した。

 私は、地震といえばとにかく廃炉過程で不安定な状態にある福島、第一原発が心配である。特に今回の地震は東日本大震災後2番目の規模であったから何かあるだろうと思っていた。

 当然、いつ生じるかもわからない巨大余震に対して盤石の体制を敷いているものと思っていたが、地震計の故障の放置、水の漏洩などが認められている。たまたま今回はこの程度の地震で済んだもののさらに大きい地震の発生はないとは言えない。

 原子力規制委員会は、今月14日時点での地震による福島第一原発への影響や対応について東京電力から説明を受けた。

 以下は2月14日時点の評価で既掲の前回と重複するが、2月22日と比較するために再掲した。
――――――――――――――――――――――――――――――-

 ■福島第一原発の地震計:去年7月に故障するも修理せず、今回の地震データが記録できていなかった。地震計は3号機の原子炉建屋に去年3月、地震計2つを設置した。7月の大雨などで故障を把握していたが修理していなかったもの。今回の福島県沖地震のデータは取れていなかった。

 ■福島第一および第二原発において、以下の所見が得られた。
 排水路モニタの指示値が低下。環境への影響はなし。
 大型休憩所で火災警報発生。誤作動と判断。
 5号機および6号機の使用済燃料プール付近において、プール水が溢水(約1,600ml)。  
 施設内の使用済燃料プール付近において、水溜りを確認(約600ml)。

 ■福島第二原子力発電所
 1号機使用済燃料プールからの溢水(約160ml)
 2号機原子炉建屋5階ダクトチェンバーから水の漏えい(約90ml)
 サイトバンカ建屋プールからの水の漏えいを確認(約1.4L)
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 東京電力は外部への放射線漏出はなく問題ないと報告し、菅首相は、原発でも異常報告はない。すべて正常、と述べた。

 上記の評価でいいのだろうか??


3/1(月)曇り  健康クリニックドック 飯川病院 
 1:00飯川病院起床。新聞・文献チェック。徒然など。6:47バス飯川病院、9:00-11:50健康クリニックドック14名、結果判定13名、意外と時間がかかった。12:00飯川病院。微睡、14:00-19:00勤務。入院患者対応。19:10帰宅、夕食、20:30就寝。Σ7933歩。

災害2021(3) 福島・宮城で震度6強の地震(3) 私が受けた影響
 JR東日本の報告によると、2月13日福島・宮城両県で生じた震度6強、M7.3の地震で被った東北新幹線の被害状況は以下のごとくであった(再掲)。
――――――――――――――――――――――――――――-
 ■ 電柱の折損20本 ひび割れ40本。
 ■ 架線は6本断線、架線関連の金具が550箇所で破損。
 ■ 高架線の柱は損傷10本、梁に60ヶ所の損傷。
 ■ レールのズレは220ヶ所。
――――――――――――――――――――――――――――-
 JR東日本は被害状況をまとめた時点で、乗客の安全に関わるものはなかった、と評価しているようであるが、それは違う。たまたまその区域を通過している列車がなく、運が良かっただけ。密に、高速で走っている時間帯ならばこうはいかなかっただろう。

 今回、巨大地震時の新幹線関連事故について学んだ。地震時の事故防止の歩みも学んだ。大変な研究や対策がなされていることを知った。
 しかし、その割には今回の震度6強、M7.3の地震は地上設備の被害が意外と大きかったような気がする。
 私は気が小さい、度胸もない。新幹線を含め、航空機などの高速システム、巨大な建造物などに恐れを抱いている。だからと言って利用しないわけではないが、その時の心は安らかではない。都庁も怖かった。原発も然り。自分の理解力を超えた存在だからである。

 東北新幹線の設備が上記のごとく大きく被災し、一部で運休した。13日の地震後、秋田新幹線は一時運転を見合わせていたが、15日に盛岡―秋田間で大幅に減便した臨時ダイヤで運行を再開、全線で運転再開は24日からとなった。

 私が受けた影響は微々たるものであるが、皆無ではなかった。

 地震が生じたあと、2月19日(金)は大曲中通病院の診療応援があったが、秋田・盛岡間だけの臨時ダイヤのために勤務に都合が良い時間帯の移動は出来ず、止むを得ず休診とした。
 2月24日からは東北新幹線は全線開通したが、応急修理区間もあるために減速しての運行となった。そのために帰路の便が不便となり、ちょっと早めに診療を終えている。

 こんな場合、通常であれば自家用車で行くのであるが、昨年夏に運転免許を返上したのでそれも出来ず残念な結果となった。
 免許返上後もこの時まで特に不便を感じていなかったが、この地震に関してはやや早めの返上をちょっと反省した。


2/28(日)寒波緩む 快晴 終日申告関連自分分終了
1:10起床、本読み。データ整理。確定申告は一月延びたが早めに終えたい。終日申告にかかりっきり。午前8:00日曜討論、女性問題。琵琶湖マラソンのため、NHK「のど自慢」なし。19:00夕食、20:30就寝。Σ4043歩。

災害2021(4) 福島・宮城で震度6強の地震(4) 新幹線の耐震研究の現状
 地震国の日本では巨大地震のリスクは避けて通れない。人身事故に繋がらなかったのは偶然と幸運の賜物であった。

 ■東日本大震災と新幹線の被害
 東北地方太平洋沖地震は、2011年(平成23年)3月11日(金)14時46分18.1秒に発生した大地震。 最大震度7、マグニチュードは9.0で、日本の観測史上最大規模で、地震そのものによる被害のほか、巨大津波で岩手、宮城では壊滅的被害が生じたほか、福島では世界的規模の原発事故が発生した。

 新幹線に関しては、内陸部も構造物や軌道の変状のほか、電化柱に傾斜や倒壊が多発するなど、今までに経験のない被害が発生した。また、東北新幹線仙台駅付近を走行中の新幹線は緊急ブレーキが作動したが脱線した。2004年10月23日に発生した中越地震による脱線事故以来 、2回目の脱線事故となった。今回も乗客乗員に、死者・負傷者は1人も出なかった。

―――――――――――――――――――――――――――
JR東日本の新幹線の地震対策について。

 1978年の宮城県沖地震では建設中の東北新幹線で構造物に被害が生じて耐震設計法が発展する契機となった。
 1995年の阪神淡路大地震、2004年の中越地震を経験して、以下のプロセスごとの目標を定め対策を実施してきた。

 ■「地震時に列車をいち早く停止させる」、
 ■「地震を受けても地上構造物を大きく損傷させない」、
 ■「脱線しても被害を拡大させない」、

 東日本大震災の地震でも、地震時に列車をいち早く停止させるシステムは複数の列車で機能した。高架橋柱、橋脚の耐震補強工事により構造物に顕著な損傷は発生しなかった。また中越地震の脱線の教訓から導入した列車脱線時の車両逸脱防止ガイドは、比較的低速での脱線ではあったものの機能を果たした。

――――――――――――――――――――――――――――-
東日本大震災後の取組み
 ■ 列車緊急停止の検知体制を強化するため地震計を増設、2012年に緊急地震速報を新幹線早期地震探知システムと接続。
 ■ 耐震補強では、地震被害のリスクが高い高架橋柱、橋脚の補強は、首都圏、 仙台圏は終了。
 ■ 残る高架橋柱、橋脚のうち、強い地震動で被害が生じる恐れがあるものの対策を前倒しして実施。
 ■ 電化柱、駅やホー ム天井の耐震補強、
 ■ 中越地震の教訓である列車脱線時の 車両逸脱防止対策の地上側工事も引き続き実施。
 ■「車両の走行安全性上で問題となる共振現象が生じることが想定される場所を明らかにする」研究を進めている。
 ■ 車両側の対策として、より大きな揺れ受けても脱線しにくくする方策についても研究中。
 ■ 車両の脱線を抑制するには、車体-台車間の左右動ダンパの減衰力を高めることなどを研究中であるが、実用化に向けた車両での評価を検討予定。

 上記のごとくの対策について一つ一つの意義は理解できないが、結果として安全機能は高まっていると評価すべきだろう。

 しかし、2月13日福島・宮城両県で生じた震度6強、規模は推定のM7.3の地震では東北新幹線の地上設備に大きな被害が生じてしまった。


2/27(土)曇り小雪寒波 終日申告関連
 1:00起床。新聞、文献、徒然などゆったり進める。午前から申告関連。まず家内の分から、ほとんど座りっぱなし。昨年の夕方MacBook Air2019製届く。準備していた移行アシスタントでMacBook Air2017からデータ移行。19:00夕食、21:15就寝。玄関から一歩も出ず。歩数Σ3740歩のみ。

災害2021(3) 福島・宮城で震度6強の地震(3) 意外と大きかった新幹線の設備損傷
 JR東日本は2月26日に、2月13日福島・宮城両県で生じた震度6強、規模は推定のM7.3の地震で被った東北新幹線の被害状況をまとめた。

 被害は福島の新白と岩手の一関間で確認されたが、乗客の安全に関わるものはなかったと言う。これは偶然の賜物ではないか??と思う。
 
 具体的被害
――――――――――――――――――――――――――――-
 ■ 電柱の折損20本 ひび割れ40本。
 ■ 架線は6本断線、架線関連の金具が550箇所で破損。
 ■ 高架線の柱は損傷10本、梁に60ヶ所の損傷。
 ■ レールのズレは220ヶ所。
――――――――――――――――――――――――――――-

 JR東日本は東北・上越新幹線の電柱20.000本のうち、2028年度までに約5.000本を補強する工事を進めてきた。本年度末までに2.200本の修理を終える予定で、今後さらにペースを上げることを検討する、としている。

 東北新幹線は13日の地震で運転を見合わせ、2月14日からは栃木の那須塩原ー盛岡間で終日運休した。復旧に合わせ徐々に運転を再開していたが、2月24日から臨時ダイヤで全線再開した。応急処置の箇所もあるために、運行本数を8割に落とし、減速して運行すると言う。

 今回の福島・宮城両県で生じた震度6強の地震では、発生時刻が23:10分頃と、新幹線がほとんど走行していない時間帯でよかった。走行していた新幹線は品川駅のホームに入ったところで停電し、緊急停止し乗客は約30分間、車内に閉じ込められた、という。

 JR東日本は被害状況をまとめた時点で、乗客の安全に関わるものはなかった、と評価しているようであるが、それは違う、と思う。

 その視点で、過去の大地震と新幹線被害について調べてみた。

 ■ 阪神・淡路大震災
  阪神・淡路大震災は、1995年(平成7年)1月17日5時46分52秒に発生した。マグニチュードは今回と同じ7.3であった。この時は走行中の新幹線はなかったが、神戸市内の新幹線の設備も壊滅的な被害が生じた。もし走行中の新幹線があれば大変な事態が生じた、と推定される。偶然の賜物であった。

 ■ 新潟県中越地震
 新潟県中越地震は、2004年(平成16年)10月23日17時56分に発生した。新潟県中越地方を中心とした地域で観測史上最大震度7で、マグニチュードは6.8。揺れは阪神・淡路を上回る。東京発新潟行き「とき325号」の7・6号車を除く計8両が脱線した。地震発生当時、同列車は長岡駅への停車に向けて約200 km/hに減速して走行中であったが、早期地震検知警報システムによる非常ブレーキが作動し停車した。列車は、8両が脱線したものの、軌道を大きく逸脱せず、逸脱した車両も上下線の間にある豪雪地帯特有の排雪溝にはまり込んだまま滑走し、横転や転覆、高架橋からの転落を免れた。
 また、脱線地点がトンネルや高架の支柱などに被害がなく、ほぼ直線で、対向列車がなく二次事故が起きなかったことなどの幸運が重なり、乗客乗員155人に、死者・負傷者は1人も出なかった。
 なお、日本では、営業中の新幹線の初脱線事故であった。
 人身事故に繋がらなかったのは偶然と幸運の賜物であった。


2/26(金)曇り小雪寒波再来 大曲中通病院外来 飯川病院ボランティア
1:10起床。文献・データ整理、読書。5:30可燃ゴミ廃棄。7:25Taxi駅に、8:11こまちは通常通りに運行、8:55-11:35大曲中通病院外来。病院駅間は往復Taxi。中央交通案内所で遺失したこう持ち川受け取る。駅病院徒歩、飯川病院ボランティア、看護室の椅子修理。19:00帰宅、夕食、21:15就寝。歩数Σ8124歩。

総務省官僚接待問題(2) 疑念の解消前に移動や処分は隠蔽工作
 総務省官僚接待問題の関与は、報じられた4件だけではなかったようだ。
 政策判断に影響はなかったのか、総務省は徹底的に調査する必要があるが、同じ穴のむじなたちによる身内の調査ではダメだろう。第三者による調査が必要である。

 解せぬのは首相の対応。
 首相は小泉政権で総務副大臣、第1次安倍政権で総務相を歴任し、総務省内に強い影響力を持つ。大臣時代はこの長男を大臣秘書官に起用した。総務省官僚からみれば、その背後に首相の存在が見えるだろう。

 安倍前政時代には夫人がしゃしゃり出た。
 安倍政権時代、森友学園、加計学園、桜を見る会をめぐる一連の問題に共通するのは、身内を含め首相と親しい人たちが便宜を受け、官僚までがそれを支えた疑いがある。

 首相の威光を背景に、一般人には考えすら及ばない影響力を行使していたのだとしたら、政治や行政への信頼は揺らぐ。業者との馴れ合いは長期政権の持つ癒着構造である。首相はそのことを重く受け止めるべきだ。

 それにしても、国家公務員倫理規程にもとる接待がこれほど横行していたとは驚く。一晩の会食が一人7万円以上だったと言うが、いったい何を食べ何を飲んだのか??

 官僚と業界のなれ合いは過去から繰り返し批判されてきた。
 国政の中で有名なものだけでも
 ■ 1988年リクルート汚職
 ■ 1998年大蔵省汚職
 ■ 2007年防衛省汚職
 ■ 2017年文科省汚職

 そのほかにうやむやに処理されたが、関西電力微増収賄事件が目新しい。

 行政はこのような供応を通じてかなり歪められてきているのではないか。このような供応の効果がなければ企業側も投資しないし、官僚側もわかった上で受けているだろう。
 内部の一通りの調査で、その疑いを拭い去ることはできない。省の幹部の国会答弁はのらりくらりとしていたが、週刊誌側が会食の際の長男や前局長の発言を録音したとする音声をインターネット上で公開すると、前局長は出席や発言があったことを認めた。それまでの国会答弁は「虚偽」だった。これだけでも罪は大きい。

 総務省が、菅首相の長男が勤める放送関連会社「東北新社」との会食に関する調査結果を公表し、加えて、幹部たちの移動を発表した。

 週刊文春が報じたのは、総務審議官2人と情報流通行政局長ら4人による4回だったが、他にも8人が19回の接待を受けていた。
 谷脇氏らの「親会社を利害関係者とは思わなかった」という説明は、およそ常識に反する。
 省は11人の倫理規程違反を認め、近く処分する方針を示しているが、多くの疑問点が残されたままである。
 この人事異動は隠蔽工作の一つであることは明らか。これで幕引きは許されないが、不十分な調査の中で早期に処分を行うことも隠蔽工作の一つである。


2/25(木)換気若干緩む午後快晴 飯川病院
 1:00起床。文献・データ整理、読書。昨年は暖春だった? 花壇用の水道ホース出し連結、ボタンの鉢を外に出すなど。今年はまだまだ程遠い。午前は座学中心、読書文献中心。11:50バス飯川病院。新聞チェックなど。14:00-18:45飯川病院、入院患者対応。19:00帰宅、19:15夕食、21:15就寝。Σ7211歩。昨年COVID-19一斉休校へ。何も全国一律でなくとも良かったのでは??

総務省官僚接待問題(1) 省の接待供応土壌=福島の汚染土 除染すべきだ
 菅首相の長男が総務省官僚接待問題に関わってきたことが明らかになった。

 放送行政を所管する総務省の総務審議官ら幹部4人が昨年10-12月、衛星放送や番組制作を手がける東北新社に勤める首相の長男らから高額の接待を受けていたことが、週刊文春の記事で明らかになった。手土産や帰りのタクシーチケットも受け取っていたとされる。
 この接待がちょうど菅首相氏が首相になった時期と重なったのは偶然なのだろうか。
  
 これが問題になった時に、菅首相は「長男とは別人格である」とのべ、自身の職務との関連を否定していた。その姿勢は正しくない。総理である父親を持った職員の利用価値は会社にとっては格段に高まったことだろう。こんな答弁では菅首相の政治信条まで疑われかねない。

 総務省は国家公務員倫理規程に違反する可能性があるとして、人事院の国家公務員倫理審査会とともに調査を始めた。違反する可能性??これで違反していないとすれば規定そのものが何も効果を発揮していない、ことになる。

 国家公務員倫理規程は、
 ■「利害関係者から供応接待を受けたり、金品を受け取ったりすることを禁止」。
 ■「自分の分の費用を支払う会食は認められる」。
 ■「1回1万円を超える場合は事前の届け出が必要」。しかし、幹部らが届けを出したのは、週刊文春の取材を受けた後だった。

 4人のうちの1人、秋本情報流通行政局長は衆院予算委員会に出席し、東北新社側の負担で会食をした事実を認めたが、「当時は利害関係者が同席しているとは思わなかった」、「何を話したか記憶にない」、と釈明した。高額な接待が利害関係なしに行われるとは、総務省側は何を考えているのか?「記憶にない」? こんなことを忘れてしまうなど、日常業務はできているのか?

 今になって費用を返金したというが、調査中を理由にその金額を明かすこともなかった。

 行政の公平性・中立性への信頼を傷つける事態である。なぜ接待に応じたのか???
 総務省内部には、私どもが知り得ない供応の文化があるのではないか??

 原発事故では目に見えない形で、環境や土壌の放射能汚染が残っている。放射線は目には見えないが、計測計(ガイガーカウンター)で知ることができる。供応カウンターなる計測器を総務省に持ち込み建物全体、職員各人を測定してみればいい。高濃度の汚染されている事実が可視化できるかもしれない。そういう機器の開発が望めれる。需要は大きいと思われる。
 汚染が確実になったら大規模に除染すべきである。


2/24(水)寒波終日降雪若干 申告開始
1:00 起床。文献・新聞チェック。飯川病院は休むことに。昨年MacBook Air2017にiMac27 2012のアプリケーションを上書き、約6時間要した。今は入手できないソフト読取革命が使用可能になった。午前から申告開始準備、書類の準備だけで大変で一日かかった。新聞チェック、読書多数。19:00夕食、21:30就眠。Σ4020歩。

水泳の池江璃花子さん(2) 当時の桜田五輪担当相の発言が物議を醸した
 競泳女子の池江璃花子さん(20)が病気を乗り越えて選手として戻ってきた。心からお祝いしたいし、応援したい。

 病気を公表した池江選手について、当時のオリンピック・パラリンピック担当大臣の発言に対し、ネット上で不用意な発言との批判の声が相次いだ。

 ちょうど2年になるが、つい先日、東京五輪・パラリン組織委員会森会長の発言が女性蔑視の発言として問題にされ、結局辞任に追いやられたばかりで、このことを関連して思い出した。

 NHKやテレビ朝日系などの報道によると、桜田氏は2月12日、池江選手が病気と診断されたことについて、「金メダル候補で、日本が本当に期待している選手ですから、本当にがっかりしています」などと記者団に対し発言。さらに、「早く治療に専念して頑張ってもらいたい。また、元気な姿を見たい」と労いの言葉も伝えたが、「オリンピック担当大臣としては、オリンピックの水泳の部分には、非常に期待している部分があるんです。 一人リードしてくれる選手がいると、みんなその人につられて全体が盛り上がりますからね。そういった盛り上がりが若干下火にならないか、心配しています」と述べた。

 私は、桜田氏は、池江選手に対する期待の大きさ、体調を気遣うことを正直に表現したのだ、と思う。また、五輪担当相としての当然の感想を述べたものである、と捉えた。

 しかしながら、桜田氏の発言は、一部の方々には選手の健康よりも東京オリンピックの成功の方に関心がある発言にも聞こえたらしい。私はそれだっていいじゃないか、と思う。

 この発言がメディアに取り上げられると、TwitterなどSNS上では「配慮に欠ける言葉」などと批判の声が相次いだ。

 森氏の時にも感じたが、正直な感想とか、心情を述べたことに対して過剰に反応する現代の世相の方がまずい方向にあると思う。

 桜田氏のこの発言は間も無く収まったが、氏は2019年4月10日、東京都内で行われた高橋比奈子議員のパーティーで、「復興以上に大事なのは高橋さんでございますので、よろしくお願いします」と発言し問題になった。桜田はその日のうちに大臣の辞表を提出した。「被災者の気持ちを傷付けるような発言をして申し訳ない。発言の撤回だけでは十分でないと思うので辞表を提出した」と記者団に述べた。その日のうちに辞表は受理された。

 辞任後、安倍首相の「任命責任は私にあります・・・」という言葉の軽さも問題になった。私はこちらの方がはるかに問題と考えた。
任命責任は私にあります!!!(2) 桜田国務大臣の更迭


2/23(火)天皇誕生日 曇り寒波 飯川病院日直 
1:00起床,文献読み、新聞チェック、昨年MacBook Pro2009蘇生試みるも不可だった。購入か。8:30仕事混んでいると言う家内に同乗、飯川病院、9:00日直に就く。微睡、MacBook Air2019を購入。家内の迎えあり19:30帰宅、夕食。21:00就寝。Σ5512歩。

水泳の池江璃花子さん(1) 選手として復活 
 競泳女子の池江璃花子さん(20)が病気を乗り越えて選手として戻ってきた。確実に力をつけてきている。とても素晴らしいことで、心から応援したい。

 池江さんは1919年2月12日、自身のツイッターでやんごとない重病であることを公表した。
 池江さんは、個人11種目とリレー5種目の日本記録を保持している有能な水泳選手で、このニュースは各方面に衝撃的に伝えられ、メディアで大きく取り上げられた。

 NHK-TVを始めメディアの当時の取り上げ方は好意的な視点からであるが、やはり過剰だと思った。
 池江さんには競技選手であることから降りて、ゆったり、療養に集中してほしい。それが私の最大の願いであった。病気の池江選手はそっと見守ってあげよう
 私は、内心ハラハラしながら池江さんに関する報道情報を集めていた。少ない情報であったが、彼女が受けている治療内容を具体的に想像できるだけに、心配もしていた。

 池江さんは公表時のツイッターを通じ「未だに信じられず、混乱している状況です。ですが、しっかり治療をすればなおる病気でもあります。今は少し休養を取り、治療に専念し、1日でも早く、さら強くなった池江璃花子の姿を見せられるよう頑張つていきたいと思います」、とのコメントを発表した。本人の気丈なコメントが救いであった。

 池江さんは1年余経過した19年5月に「治療は当初考えていた時より、数100倍ないし数千倍辛いです・・・」と、時に弱気になる心情を吐露していた。その苦痛は類推できた。それらを乗り越え、病気を克服し、夏には退院に至った。病状は安定したという。
 闘病中の2019年4月8日、日本大学スポーツ科学部に入学し、水泳部に入部することが発表された。東京五輪は事実上断念、2024年のパリ五輪への出場・メダル獲得を目標としていることを明らかにした。病に対しても挑戦していく気力と、小学生の頃から歩んできた足跡にに対する自信が自身を支えたものと思う。

 翌20年8月には1.7年ぶりにレースに復帰、その後も着実に力をつけ、2021年2月7日競泳ジャパン・オープンの50メートル自由形で24秒91で2位となり、復帰後4戦目で初めて表彰台に上がった。2月21日の東京都オープン女子50mバタフライで25秒77で優勝した。療養期間中に体は10Kg異常減少したが、最近は3Kgほど戻っている、という。

 最近出場している競技大会のニュースは池江選手の成績を大きく報じている。これも過剰であるが、同じ病で闘病中の方々に夢をもたらす意義はあろう。
 しかしながら、池江選手を報じるに当たっていまだに「病から復帰の・・・」の説明がつき、予選を含め池江選手よりも上位の入賞者の選手名や記録などは報じられていないなど、恣意的に取り上げられている。
 競技などの場合、注目選手を報じるのはいいが、成績は公平に扱われるべきである。病気であった、という説明はもう外してあげたいものだ。


2/22(月) 曇り小雨温暖 健康クリニックドック 飯川病院 
 1:00起床。本日はネコの日。文書整理、徒然他。いつもの如く。6:47バス飯川病院へ。新聞チェックなど。9:00-11:45健康クリニックドック13名。結果判定14名。12:00飯川病院。微睡、本読みほか、14:00-19:00勤務、入院患者対応、19:20帰宅、夕食、21:00就眠。歩数計:Σ6480歩。

災害2021(3) 福島・宮城で震度6強の地震(3) 福島第一原発被害状況(2月14日pm2時時点) 
 ○2021年2月13日午後11時8分頃、福島県沖を震源とする地震(マグニチュード7.3)が発生した。

 私は、地震といえばとにかく廃炉過程で不安定な状態にある福島、第一原発が心配である。特に今回の地震は東日本大震災後2番目の規模であった。
 当然、いつ生じるかもわからない巨大余震に対して盤石の体制を敷いているものと思っていたが、地震計の故障の放置、火災報知の誤作動、若干ながら水の漏洩などが認められている。たまたま今回はこの程度の地震で済んだもののさらに大きい地震の発生はないとは言えない。

 原子力規制委員会は22日、今月14日時点での地震による福島第一原発への影響や対応について東京電力から説明を受けた。

 ■東京電力 福島第一原発の地震計去年7月に故障するも修理せず。今回の地震データが記録できていなかった。報告受けた原子力規制委員会は、故障を把握しながら修理をしていなかった東京電力に理由や経緯の報告を求めた。
 地震計は3号機の原子炉建屋に去年3月、地震計2つを設置した。7月の大雨などで故障を把握していたが修理していなかった。「地震の詳細な記録が取れなかったことは反省すべきで、対応に問題がある」などとして、すぐ修理を行わなかった理由や経緯などについて報告を求めた。

 ■福島第一原子力発電所および福島第二原子力発電所において、現時点で、外部への影響を及ぼすような異常はなかった。しかし以下の所見が得られた。
  午後11時08分 免震棟1階南側渡り廊下で火災警報発生
  午後11時10分頃 物揚場排水路モニタの指示値が低下。環境への影響はなし。
  午後11時20分 大型休憩所で火災警報発生。原子力警戒態勢発令
  午前0時07分 免震棟1階南側渡り廊下の火災警報は誤作動を確認
  午前2時8分頃 5号機および6号機の使用済燃料プール付近において、地震の揺れでプール水が溢水したものと思われる水溜りを確認計約1,600cc。溢水の継続はなく、外部への影響なし。
  午前3時50分頃同施設内の使用済燃料プール付近において、地震の揺れでプール水が溢水したものと思われる水溜りを確認(約600cc)漏えいした水は、堰内にとどまっており、外部への影響はなかった。その後、連結弁を閉め、当該タンクを隔離したが、漏えいはタンク下部フランジ5箇所から継続している。

 ■福島第二原子力発電所
  午後11時08分 1〜4号機使用済燃料プール水位高/低 警報発生
  午前0時47分 1号機使用済燃料プールからの溢水を確認(約160ミリリットル・堰内)
・2号機原子炉建屋5階ダクトチェンバーから水の漏えいを確認(約90ミリリットル)
 ・サイトバンカ建屋プールからの水の漏えいを確認(約1.4リットル)

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 上記は地震翌日の時点での速報である。さらに詳細な評価は間も無く行われるというが、対策をより盤石にしてほしいものである。

 とくに、原発事故は巨大地震とその後の地震で壊滅的状況を迎えているのに、地震計の修理をしていなかったのは見逃せないと思う。事故後10年を迎えてたるみが出ているのではないかと危惧する。


2/21(日)温暖曇り
1:00起床、早朝は文献関連。データ整理。午前カウンター室の天井ブラインド、ネコにより乱されたが修理、結構難渋する。ネコ用のビューわにライト設置、ミラーの安定化。包丁研ぎ5本ほど、評価は高い。昼近くまで蓄積データ整理、読書。昼NHK-TVのど自慢見る。今年最初の会。微睡ご新聞PDF化。書籍自炊。19:00夕食、21:00就眠。Σ3140歩。平穏な1日。

わが国のエネルギー政策2021(5) 日本の原子力行政は??(1) エネルギー基本計画の変遷
 この10年間、原発政策は「迷走」と「その場しのぎ」を重ねた。

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 ■ エネ計画をめぐる一計画経過

??2003年10月 初のエネルギー基本計画策定。原発比率を高めて50%以上に。
??2010年06月 民主党政権が計画改定 原発14基以上新増設計画
??2011年03月 東京電力福島第1原発事故    
??2012年09月 民主党政権30年代 原発稼働ゼロ目標   
??2012年12月 安倍政権発足  
??2014年04月 計画改定一原発を重要なベースロード電源と位置付け、ゼロ目標と決別
??2015年07月 30年度電源構成見通し策定。原発20-22%、再生可能エネ22-24%。
??2017年08月 内閣改造 エネルギー基本計画改定
??2021年10月 菅内閣 二酸化炭素の排出量実質ゼロ 原発は利用
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 ■ 福島第一原発事故以降の電力関連の主な出来事。

??2011年3月11日 東日本大震災と東電福島第一原発の事故が発生
??2011年3月14日 東電が計画停電を初めて実施
??2012年5月国内 全原発が一時停止
??2012年7月関西電力大飯原発3号機が再稼働 政府が東電を実質国有化
??2012年9月 民主党野田政権が2030年代に原発稼働でゼロをめざす政策
??2012年12月 民主党から自民党に政権交代。安倍内閣が発足
??2014年4月 政府が原発を重要なベースロード電源と位置づけた
??2016年12月 政府が高速増殖炉もんじゆの廃炉決定
??2019年10月 菅首相が温室効果ガスの排出を2050年までに実質ゼロ目標表明。
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 菅内閣の新戦略は原発に関しては通産省の圧力で「可能な限り依存度を低減しつつも、引き続き最大限利用していく」とおかしな日本語で表明。

 自民党は嘘で固めた原発政策を推し進め、原発事故の惨禍を経験しても、原発に依存したエネルギー政策を進めるのは一体なんだろうか??経済優先のためは明らか。

 再度なんらかの災害が生じた際の対策は技術的に確立したのか??、
 事故の際の住民の避難など確立したのか?
 福島第一原発は偶然と幸運が重なり被害の抑制が何とかできているが、場合によっては東京を含む「東日本崩壊」の危険すらもあった。そんな状態になったら住民をどこに避難させるのか?
 そんなことは起こりえない?原発神話は姿を変えてまだ生きている??

 現在、建設中を除く33基の原発で、再稼働しているのは9基。新造は7基予定??
 原発政策も思うようには進んでいない。福島第一原発事故を経験した以上、その前に設定した計画は当然見直すべきで、可及的に依存度を減らすべきだと思う。 
 エネルギー政策の基本は無駄を防ぐことにあるのだが、節電の呼びかけなど最近聞いたことはない。


2/20(土)曇り 温暖  
1:00起床。新聞、文献、徒然などゆったり進める。午前午後微睡はさみ蓄積データ整理、読書、データ化など。15:00町内会ゴミ廃棄ケージ確認、ガレージ清掃、レガシー電気確認。16:00久々書斎に。18:00全豪オープンテニス女子決勝見る。大坂なおみ優勝。スポーツ観戦などは数年ぶり。19:00夕食、21:15就寝。Σ3134歩のみ。

わが国のエネルギー政策2021(4) 事故10年目の今、福島第一原発はどうなっているのか?(3)
 偶然と幸運が重なり原発事故被害の抑制が何とかできているが、場合によっては東京を含む「東日本崩壊」の危険すらもあった。そんな状態になったら住民をどこに避難させるのか?
 日本自体が政治的に、社会的に混乱し、崩壊してしまう。住民の避難が出来たとしても時間がかかり、多くが大量に被曝する。これはSF的物語ではなく、その一歩手前まで危険が迫っていた現実問題である。

 欧米から来日していた人たちはこぞって国外に脱出し、その感覚に呆れたものであるが、その時点では正しい判断だった、というべきである。
 日本人が、福島近辺の住民たちに正確な情報がもたらされていなかった。

 現在、地域外へ避難生活を続けておられる住民の方々のストレスはいかばかりか、と思う。
 原発事故10年目を迎えた今、どうなっているのだろうか。現状を伝える情報はそれほど多くはない。その中から一部をまとめてみた。

 ■ 水素爆発した1、3、4号機の現状
 最初に水素爆発を起こした1号機はガレキの撤去がかなり進んでいる。建屋が壊れてしまった4号機は、大きなカバーが付けられ、核燃料もすべて取り出されている。同じく水素爆発で激しく損壊した3号機は鉄骨が吹き飛び、原形を留めない見るも無惨な姿に。3号機の核燃料の移転は困難を極めたが、クレーンの改良とかで大幅に進み、残りは20体ほどまでになったという。

 ■ 巨大津波が直撃した建屋
 原子炉建屋の海側の施設は鉄骨が曲がるなど津波の爪痕が残っていた。原発の敷地内で出た廃棄物は外への持ち出しが制限されている。新たなスペースを作るのも難しいため、そのままになっている。
 使用済みの手袋やマスク、軍手なども敷地の外には持ち出せない。これら汚染物質、汚染土を30年以内に県外に搬出することになっているが、現実を見ない政治的な決断で、受け入れ先などの見込みは全くない。
 私は全国自治体に放射性廃棄物を広く受け入れてもらうことは無理だ、と思う。苦渋の判断だと思うが現地での保存がいいと思う。

 ■ 絶望的な状況を奇跡的に回避できた原発事故
 原子炉では核燃料を冷やすための水がどんどん蒸発し続け、メルトダウンが発生し、核燃料が溶け落ちてしまった。高温になった核燃料と水が反応して水素が発生、地震から25時間後に1号機、その後3号機も水素爆発を起こした。1号機と3号機は爆発で建屋が壊れたものの、さいわい格納容器には大きな破損がなかった。

 しかし、爆発を免れた2号機が危機的な状況だったという。2号機は核燃料の入った格納容器の圧力が異常に高まり大爆発の危機が迫っていた。もし爆発すれば放射能がまき散らされ、東京を含む東日本に人が住めなくなる事態にもなり得た、という。そういう事態が生じたら日本が崩壊してしまったかもしれない。

 原子炉冷却系の停止が確認された後、水位が低下、メルトダウンに至り、これと同時に水素が発生した。減圧に時間がかったが、2号機では原子炉建屋上部側面のパネルが1号機の水素爆発の衝撃で開き、水素が外部へ排出され、原子炉建屋の爆発が回避されたと推定された。偶然の賜物であった。

 一方で、1, 3号機では、ある程度放射性物質を取り除いてから格納容器の外へ気体を放出する「ベント」が成功したが、2号機ではベントすることができず、格納容器から直接放射性物質を含む気体が大量に漏洩したと推定される。

 ■ 福島第一原発の今後
 福島第一原発の事故から10年目、3号機の燃料棒の取り出し作業が昨年から始まったばかり。現在残りは1500本以上。すべて移し終わるにはあと10年かかるという。

 1号機から3号機に残る、溶け落ちた燃料棒、燃料デブリの取り出しは10年目の今も、放射線量が高すぎて格納容器には人が入れないため、ロボットを使った調査が続けられてきた。
 こうした廃炉作業がすべて終わるのは約20年から30年後とされている。

 しかし、その間に先週と同じ程度の、あるいはそれ以上の規模の地震、津波が発生したら、10年前の状況とは異なるとは思うが、再び地獄の状況が再来しないとは限らない。


2/19(金)曇りやや寒い 大曲中通病院外来は休診 終日飯川病院ボランティア
0:50起床。文献・データ整理、読書。5:30可燃ゴミ提出。7:35Taxi駅に・・の予定であったが、こまちは間引き運転で診療時間に間に合わず休診とした。検討開始時間が遅かった。家内に同乗飯川病院、9:15-19:00飯川病院ボランティア。19:20帰宅、夕食、21:15就寝。歩数Σ6199歩。

わが国のエネルギー政策2021(3) 事故10年目の今、福島第一原発はどうなっているのか?(2)
 2月13日23:10ころ、東北の太平洋沖を震源とする最大震度6強の地震が発生した。地震の規模はM7.3。大震災の余震の一つと考えられる。
 私は、地震といえばとにかく福島、第一原発が心配である。特に今回の地震は東日本大震災後2番目の規模であった。

 今年は東日本大震災発生から10年目にあたる。
 2011年3月11日に発生した東日本大震災。
 この時に起きた巨大な津波は、福島第一原発を飲み込んだ。世界最大レベルの原子力事故が起きた福島第一原発。最初から立地条件設計などに判断ミスがあり人災と考えられる。メルトダウンなど深刻な事態の対策を熟知している現場人、学者もいなかった。原発は「危険物質」、「嘘」、「安全神話という思考停止状態」で出来ていた。それを知ったのは原発事故が生じた日からである。

 偶然と幸運が重なり被害の抑制が何とかできているが、場合によっては東京を含む「東日本崩壊」の危険すらもあった。地域外へ避難生活を続けておられる住民の方々のストレスはいかばかりか、と思う。
 原発事故10年目を迎えた今、どうなっているのだろうか。
 
 ■ いまだ人が住めない街「帰還困難区域」
 福島県富岡町。第一原発から約10キロ離れた場所。3年前に避難指示が一部解除され、人が住むこと許されたが、その近くは9年前から誰も住まなくなった場所「帰還困難区域」がある。

 帰還困難区域に残る住宅のテーブルの上にはお皿やコップなどが残され、食事中に地震に遭い、慌ただしく逃げた様子がうかがえる。9年前は田んぼだった場所には、雑草や木が生い茂り荒れている。

 ■ 原発に入るために
 帰還困難区域では、除染作業にあたる作業員の姿も見られる、という。
 福島第一原発では、原発従事者ではない一般人の被ばく量を1日100マイクロシーベルトに制限している。今では、敷地内のほとんどで私服や簡単な装備で動けるようになったが、事故直後は完全フル装備の従業員たちが行き来していた。
 軽装を許されるようになった理由は、放射能で汚染された土を取り除き、一面モルタルで覆ったからで、土が舞い上がることがなく体内汚染が少なくなったから、という。

 ■ 汚染水問題
 事故後、原子炉建屋に入り込み、放射能に汚染された汚染水問題は未解決である。対策として原子炉建屋を囲むように、土の中に凍土遮水壁や海側遮水壁を設置して、海へ漏れ出ることを防いでいる。
 汚染水に含まれる放射性物質の大部分は取り除かれ、“処理水”として敷地の中に保管されている。タンクの数は約1000基、量としては東京ドーム1杯分、にもなる。敷地が処理水タンクで埋め尽くされるまでのタイムリミットは約2年半しかない。
 処理水に今の技術では取り除けない「トリチウム」が残っている。政府は、@基準値以下に薄めて海に流す、A蒸発させて大気に放出するなどの方法を模索しているが、結論は出ていない。
 これらの汚染水の地震安全対策は心配である。


2/18(木)曇り小雪寒波  終日飯川病院勤務
 1:30起床。文献チェック他。本読み、徒然など。8:40家内に同乗飯川病院、院長受診のために終日勤務、外来患者対応、入院患者2名死去、見送り。入院患者対応。結構多忙。文献新聞そのほか。家内講演会あり、Taxi19:00帰宅、夕食、21:30就寝。7245歩。
大坂なおみセリーナ破り決勝に。東京五輪・パラリン組織委員会会長橋本聖子氏に。

災害2021(2)  地震(2) 事故10年目の今、福島第一原発はどうなっているのか?(1) 
 私は、東日本北部の地震といえば福島、第一原発が心配である。すべての原発が心配とも言えるが、安全基準に沿って建造された原発はそれなりに安全と思われるが、2011年3月11日に地震と津波によって破壊された福島第一原発は心配が残る。

 宮城、福島で13日夜に最大震度6強の揺れを観測した地震で、原子力規制委員会は14日、東日本にある原発や原子力施設で異常は確認されていない、と発表した。

 集めた資料では以下の記載が見られた。
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 ■ 福島第一、第二原発ではプールから少量の水溢れた。
 東京電力福島第一原発1-6号機(福島県大熊町、双葉町)では、東電によると、5、6号機の使用済み核燃料プールから水が溢れ出たが、外部への影響はない、と言う。

 ■ 5、6号機の滞留水を貯蔵しているボルト締め型タンクの下部から水が漏れているが、堰内に留まっている。

 ■ 免震重要棟や大型休憩所で火災警報が出たものの、火災は発生していなかった。

 ■ 東電福島第二原発1-4号機(富岡町、楢葉町)は廃炉作業中。規制委によると、1号機使用済み核燃料プールからごく少量の水が溢れたが、水位の低下はなく、核燃料の冷却に影響はない。

 ■ 東北電力女川原発1〜3号機(宮城県女川町、石巻市)は運転停止中で、異常は確認されていない。

 ■ 東海第二原発(茨城県東海村)も運転停止中。震度5弱の揺れを観測したが、異常は確認されていない。

 ■ 東北電力の東通原発(青森県東通村)と、日本原燃の使用済み核燃料の再処理工場(青森県六ケ所村)も稼働しておらず、いずれも異常は確認されていない。
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 私は上記のニュースを見て半分安堵したが、心配は続く。

 プールやタンクから少量であるが水漏れした、と言うが、今回はたまたま震度6強で、規模はM7.3、津波なしの規模だった。これは幸運である。東日本大震災以降、東北の太平洋沖を震源とする最大震度6強の地震は2011年4月以来のことで希との評価である。しかし、そうだろうか。
 なお、地震調査委員会は今後1週間は同程度の地震に注意が必要、高い津波を引き起こす可能性もあるとしている。

 2012年1月1日、震度4の地震で原子炉から排出された水を一時貯めて置くプールの水位が下がったことがある。当時は施設がガタガタだったと思われ、今は対策は強化されているだろうが、一般論として何があるかわからないものである。原発は暴走すれば人智ではコントロールできない。

 だから、限りなく安全を追求しなければならない。


2/17(水)暴風雨はやや小康 飯川病院ボランティア  職員健診
 0:00起床。文献チェック他。本読み、徒然。11:50バス飯川病院。飯川病院ボランティア。患者対応無し。15:45職員検診、時間的にはスムーズ。19:30帰宅、夕食、21:00就寝。歩数計:Σ8942歩。

災害2021(1) 福島・宮城で震度6強の地震 
 2月13日23:10ころ、私は熟睡中であったが、震度4程度と思われる地震で覚醒した。私はラジオを抱いて寝ている。いつもの如く、すぐにラジオのスイッチを入れたが、福島・宮城で震度6強!!!!で、さいわい津波が無いと言う。ひとまず安心した。

 2011年3月11日の東日本大震災から10年を目前にしての強い地震だった。気象庁によると、震源地は福島県沖で震源の深さは約55キロ、規模はM7.3と推定される。大震災の余震の一つと考えられる。

 
 (意外と広範囲であった地震域 秋田魁より借用)

 東北の太平洋沖を震源とする最大震度6強の地震は11年4月以来。
 なお1週間は同程度の地震に注意が必要という。地震調査委員会は今後の長期的な地震活動について、高い津波を引き起こす可能性もあるとしている。

 夜間の地震は現場の情報がよくわからない。
 1995年1月17日未明の阪神淡路大地震のときは、直後のニュースはそれほどの被害は報じられなかったが、夜が明けてからは悲惨な状況が次々と判明した。2016年の熊本地震は21時頃であったが同様であった。

 今回の場合も、翌日以降のニュースで両県や関東などで150人超の負傷者が確認され、鉄道や高速道路に影響が出ている。東北新幹線は不通になり、秋田新幹線は盛岡秋田間で1日5本臨時列車が走ることになった。
 秋田新幹線は一時運転を見合わせていたが、15日に盛岡―秋田間で減便して運行再開。全線で運転再開するには10日前後かかるとみられる。福島県相馬市の常磐自動車道では道路脇の斜面が崩れ、上下線で通行止めとなった。

 東北と関東などでは一時最大90万戸を超える停電があった。また約3万6千戸が断水した。

 大震災以降に積み重ねてきた防災の備えが十分機能したか、新たに浮上した課題はなかったのだろうか。

 福島県では70カ所の避難所が開設され、最大203人が身を寄せた、と言う。COVID-19対策として相馬市では入り口の消毒、検温を徹底したほか、各世帯ごとにテントで間仕切りを設け、定期的な換気も行った。避難者からは好評だった。

 私は、地震といえばとにかく福島、第一原発が心配である。


2/16(火)暴風雨 強風で歩行難 中通病院外来 飯川病院 
1:00起床。新聞・文献など読み、5:20可燃ゴミ提出。やっと朝が早くなってきたという感じ。作業歩行にヘッドランプまだ必要。強風下6:47バス飯川病院、8:35-13:40中通外来23名ほど。14:00-19:00飯川病院。微睡、というか昏睡状態。途中で入院患者対応。16:30まで再度微睡。19:15帰宅、夕食。21:30就眠。歩数計:Σ8227歩。

COVID-19(2021)(16)  私も私立秋田総合病院でのクラスター発生の影響を受けた
 本稿は1月22日の掲載原稿であるが、諸般の事情から非公開としていたものである。クラスターが終焉したと考えられるので、改めて再掲する。
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 私がボランティアとして働いている飯川病院に1月15日am10:30秋田市立総合病院から転院患者があった。寝たきり状態、喀痰も多い90歳近くの高齢者であった。通常の患者として引き受けたものである。この時点では秋田市立総合病院でもCOVID-19はまだ騒動にはなっていなかったのだろう。

 1月16日夕方、飯川病院のスタッフのご家族から秋田市立総合病院でCOVID-19の院内感染が発生したらしい、と情報があった。転院してきた患者に直ちに簡易キットで抗原を調べたところ陽性であった。
 <a href="https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/19/81/ec951102e5e7b6379f6714789047b39b.jpg"><img src="https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/19/81/ec951102e5e7b6379f6714789047b39b_s.jpg" border="0"></a>
 (COVID-19抗原検査キット。もちろん陽性は当院で初めて)

 当該患者に如何に対応すべきかを検討し始めた時点で、市立秋田総合病院の病診連携室から電話があり「転院した患者は、COVID-19陽性患者の同室であったため感染の疑いが濃厚なので、明日午前に当方に再転院させて欲しい」と言う内容であった。実にありがたかった。当院の「抗原検査が陽性」が出たことを伝えたところ、素早い検査実施に驚いていたそうである。

 この患者は寝たきりの高齢者で喀痰が多く頻回に吸引が必要であった。看護師、看護助手達は手袋とマスクは着用していたがフェイスシールドを用いないでケアをした。
 翌日17日、10:30に患者は完全武装の秋田市救急隊によって搬送されていった。
 <img src="https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/27/80/15e30a5bfc3949e5dff6cf243a597dc2.jpg" border="0">
 (搬送してくれた秋田市救急隊の装い。ほとんど隙の無い厳重な予防衣姿で来院した)

 患者退院後、部屋を消毒し一件落着となった。
 この患者はわずか2日の滞在であったが病院機能に大きな後遺症と教訓を残した。

 以下の問題点が生じた。
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 ■ フェイスシールドなしで口腔ケア、喀痰吸引をした看護師、看護助手7人は18日のPCRは陰性であったが濃厚接触者として14日間の自宅待機が命じられた。
 ■ スタッフが少ない療養病院での7名もの休業は病棟運営上厳しかった。
 ■ 院長は接触者として勤務は通常で良いこととなった。
 ■ ボランティア医の私は接触者の家族として経過観察者の一人となった。
 ■ 新規入院患者は受けず、外来は原則処方のみとした。
 ■ 他の医療機関、中通総合病院、秋大病院からの外来応援医、日当直医師はお断りした。
 ■ 外来、日当直はスタッフ、患者とは接触しない状態で私が全て担当した。休日は全部の日当直を担った。
 ■ 私が担当する18日の健康クリニックのドック、19日の中通病院の内科外来、22日の大曲中通病院の外来は、スタッフ、患者と接触しない状態で診療したが、25日の健康クリニックのドックは事務長名で休業を命じられた。

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 患者が入院してから1月22日までに8日経過している。感染の平均潜伏期間は5.8日と言われている。今のところ院長をはじめスタッフたちに健康障害は認められず、院長の抗原検査も陰性で、あと一週間観察が必要ではあるが、当院ではクラスター発生はなんとか回避できたと思いたい。

 それにしても未知の、未経験の感染症の医療は実に大変である。
 わずか一人の患者、しかも入院2日だけでこれだけの影響を受けるのだからクラスター発生が相次いだ岩手県の鶯宿温泉病院、300人もの感染者が出た北海道旭川市の旭川厚生病院の状況はどうなっているのか??予想だにできない。


2/15(月)終日小雨 健康クリニックドック 飯川病院 
 1:00起床。文書整理、徒然他。いつもの如く。6:47バス飯川病院へ。新聞チェックなど。9:00-11:45健康クリニックドック14名。結果判定14名。12:00飯川病院。微睡、本読みほか、14:00-18:20勤務、入院患者対応、18:35バス帰宅。
19:10帰宅、夕食、21:00就眠。歩数計:Σ9235歩。

COVID-19(2021)(15) 秋田2病院に生じたクラスターは1ヶ月の経過で終焉した

秋田県内の2病院に生じたCOVID-19クラスターは1ヶ月の経過で終焉した。
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 ■ 市立秋田総合病院では1月16日以降クラスターが発生した。医療機関のクラスターは県内初。関連感染者は今月5日までで計52人。
 発生後は一般外来と救急外来、小児救急外来、新規入院などの受け入れを停止。
 院内では複数の病棟で感染が確認された。市立病院のスタッフは集中的に対策を進め、状況を改善させた。
 初回のPCR検査で陰性、2回目以降で陽性が判明したケースが相次いだ。6度目の検査で陽性が判明した人もいた。COVID-19の検査は100%正しく陽性と判断できるものではない。
 外来や救急の受け入れ休止の影響について「市立病院の患者が市内の他の総合病院を受診するケースが増えているが、医師や看護師らがオーバーワークになるほどではない」とした。

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 ■ 秋田県横手市の市立大森病院では先月20日に最初の感染者が確認され、一般外来や救急外来などを休止。今月2日までに職員や入院患者ら計15人が感染した。16日に、最後の陽性者確認から2週間が過ぎたとして「院内集団感染終息」の宣言を出した。
 感染予防策を強化した上で、15日から一部の外来診療と人間ドック、新規入院の受け入れを再開していた。22日に外来全般と救急外来、手術などを通常の体制に戻す。
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 ■ 医療従事者への誹謗中傷
 県内病院で発生したCOVID-19のクラスターに関し、県医師会小玉会長は16日、「医療従事者への差別行為や誹謗中傷がやまない」として防止を呼び掛けた。
 県内では先月、市立秋田総合病院と市立大森病院でクラスターが発生。病院関係者によると「院内に入っただけで感染する」などの誤った情報が広まったほか、「どうして医療関係者の家族がスーパーに買い物に行くのか」といった苦情が寄せられた。
 小玉会長は16日の記者会見で、住民から病院にクレームが寄せられる例などがあったとし「院内感染が起きると、医療機関が悪いという意識を持たれる。医療機関も被害者であるという点を認識してほしい」と強調した。
 COVID-19のワクチン接種開始に備え、県医師会と県看護協会、県歯科医師会、県薬剤師会が協定を結んだことも報告。「全ての医療従事者が総出で接種に取り組む。県民には安心して受けてほしい」と述べた。
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 「院内感染が起き、死亡者が出たりすると、医療機関が悪い」という意識を植え付けたのは従来からのメディアの報道姿勢の結果である。私は県医師会役員として感染症対策を担っていたが、メディアに対して報道姿勢の改善を何度も申し出たが変わることはなかった。COVID-19蔓延で社会がこれほど混乱したことでメディアの報道姿勢が変わってきたことは喜ばしいことである。COVID-19に対する無知が偏見、差別行為、誹謗中傷に結びついている。メディアの報道に一層期待したい。


2/14(日)終日曇り時々はれ 飯川病院日直  
12:20起床、ラジヲは5:00過ぎまで地震の関連ニュース。夜が開けるとともに地域の被害情報が入ってくる。文献・本読み、その他いつものごとく。8:30家内に送られ飯川病院に9:00-19:00日直業務。文献・本読み、12:00NHKニュース、情報処理、19:00帰宅、19:30夕食、21:00就寝。歩数計:Σ6349歩。

東京五輪・パラリン組織委員会森会長の発言(6) 撤回発言 川淵氏への禅譲 やはり老害
 森氏は4日「五輪・パラの精神に反する不適切な表現だった。深く反省している」として発言を撤回し謝罪した。辞任は否定した。
 ところがこの時の態度が良くなかったとして撤回、謝罪会見はむしろ火に油を注ぐ結果になった。

 私は政治家や重要なポストにある方の発言を撤回させるべきではないと思う。撤回でなく修正させ責任を残すべきである。撤回しても発言内容は今の時代記録が残るが、責任が消えてしまう。

 森氏は発言を撤回し、一応頭を下げ陳謝した。これで一件幕引きか??ところがそうはならなかった。
 発言も軽いが陳謝の言葉も態度も軽かった。こんなレベルでは許されない。優秀な人材だって表舞台に立てば、口をひらけば勇み足が生じる。本音で話せば特に叩かれやすい。しかも、しつこく過剰に叩かれる。

 政治家の発言はどうしてこんなに軽いのか。
 安倍首相は閣僚が不祥事を起こすたびに「任命責任は私にあります」、と何度も何度も言った。私は首相の言葉も軽くなった・・、と感じている。任命責任の実体がない。

 森氏の発言内容は何れ撤回することになろうが、撤回させてはならない。修正がいい。

 森氏は辞任したが最後にまたミスを犯した。ポストの私物化である。辞任にあたり盟友の(?)川淵氏に会長職を禅譲しようとした。各メディアはあたかも決まったごとくに報じた。この動きにクレームをつけたメディアはなかったように思う。これに官邸から疑義が出され白紙に戻った。菅首相は常識的判断をした。

 森氏は何を考えたのか?川淵氏も。
 やはり、老害である。好意で受けようと納得しかかった川淵氏を含め、ポストの禅譲など全時代的遺物である。森氏の発言事態は私は深刻に考えていなかったが、会長職の禅譲に関しては納得できない。
 森氏は晩節を汚して去った。

 もっとも、小渕首相の死去に伴い森氏が急遽首相に指名されたが、その時も密室の会談の結果であった。当時自民党重鎮であった青木、森、村上、野中、亀井の五人が集まり、後継首相は森喜朗を決定した経緯があったことを思い出した。森氏の思考回路はその時のままである。


2/13(土)快晴 温暖 福島沖震源の震度6強の地震発生
1:00起床、文献・本読み、その他いつものごとく。積雪0cm。午前中に電気配線居間そのほかの電気配線改良。午後は微睡の後ずっと座学。多くを学べたが運動不足になる。新聞の入力。19:00夕食、21:30就眠。自宅から一歩も出ずに過ごす。歩数は伸びない。歩数計Σ5045歩。23:00過ぎ震度4程度の長周期??の地震、福島沖震源マグニテュード7以上らしい。福島・宮城では震度6強と!!! 幸い津波警報はなし。福島の汚染水は大丈夫か??以降ラジを聴きつつトロトロ。

東京五輪・パラリン組織委員会森会長の発言(5) 人間だもの、と言えないか
 ■本当に女性蔑視と言うべき重大な発言だったのか??
 色々な解釈ができるが、この発言は個々人が自由に心の中で思っているような、女性に対して抱いている感想レベルの、軽い話題だったと思う。こんな程度のことは、私にとっては日常的レベルであるが、女性を尊重していることは知られているから問題にされない。

 だから、私はこの発言は、「女性は競争意識が・・」などと個人的見解に多少の問題点はあったとは感じるが、内容的には一般論であって女性の尊厳を踏みにじるような表現が用いられた、というわけでもない。しかもチャチな内容の意見、と思う。グチの一端のような気持ちで吐露したのだろう。ただ、TPOが悪かった。

 森氏の発言に関して、稲沢裕子昭和女子大特命教授が自分のことと名乗りを上げた(朝日新聞2月8日)。氏のコメントは概略を示せば、「私が入ったことで会議が長引いたでしょう。女性だからといって競争意識などない。自分は意見を述べるために参加している。今回の会長の発言には驚いたが、女性理事は19年以降5人に増えた。今回の問題では男性からもおかしいとの意見が聞かれた。ジェンダーギャップの解消がなぜ必要なのか考えるいい機会になった。今は感謝している」。
 とてもマイルドな前向きのコメントだ、と思う。

 発言は「女性に対する侮蔑なのだ」、との意見もあるが、このように大袈裟に捉える必要はないだろう。「人間なんだもの・・」、「森氏なんだもの」と捉えられないか。

 今回の発言は森氏だったから炎上した・・とも取れる。
 我が国の風土として、意見の交換や討論に関して意見の違う相手に対してその人間性まで否定するような姿勢が見られるのは残念。私は国会討論を好んで聴くが、野党側の発言は往々にしてその雰囲気である。答弁に立つ閣僚の、あるいは総理の胸の内はいかばかりかと思う。

 人間同士価値観が違うことを認め合った上で意見の違いを指摘し合い、その差に関して調整を図るべきである。相手の人間性まで否定すべきでない。

 森氏の発言内容は軽いと思うが、常々会長に関して問題を感じていたメディアや識者、ネットフリークの方々が飛びついたのではないだろうか。

 メディアに登場する人たちは全員正論を吐いた。正論が並び始めたら森会長も逃げ場はない。辞任に追いやったのは「正しいことが好き」、「間違ったことは許すべきでない」という狭い価値観の極端な意見である。
 「正論が幅をきかすにつれて世の中は次第に窮屈に、刺々しくなっていく(福澤徹三)」。
 相手を糾弾するときは逃げ場を与えて置くべきである。


2/12(金)曇り晴れ 大曲中通病院外来  飯川病院ボランティア
 1:20起床。文献チェック、徒然など。7:25Taxi駅。8:11こまち、大曲道路は歩行に難。9:10-12:10大曲中通病院外来、混雑し他の仕事できず。13:30市内は徒歩、13:30飯川病院ボランティア。19:20帰宅、夕食、21:00就寝。歩数計7347歩。

東京五輪・パラリン組織委員会森会長の発言(4) 会長辞任劇 これでいいのか私は疑問
 JOCの臨時評議員会に名誉委員として出席した東京五輪・パラリン組織委員会の森会長が、「女性がたくさん入っている理事会の会議は時間がかかる。(中略)規制しないとなかなか終わらない・・・・」。

 当初私がこのニュースに接した際には「またか!! 老害が出た!!!!」、「女性蔑視と騒がれているが、なんでだ??意見や感想のレベルの発言ではないか」とそれほど気にも留めていなかった。
 しかし、その後の進展には驚いた。この問題は私の目から見て異常に炎上した。この状況下では森氏はいずれ会長から退かなければ解消しないだろうと思った。

 私は森氏が辞任すること、遅まきながら組織が刷新することには異論があるわけではない。森氏に関しては就任時から、また、もはや年齢的にも会長職に適任とは思っていないかったからである。日本はそんなにも人材不足なのか、と呆れたくらいである。ただ、この辺の詳細はよくわからない。

 私が森氏が会長辞任に追い込まれた発言、および周辺の流れに関しては、以下のように考えている。
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 ■本当に女性蔑視と言うべき重大な発言だったのか??
 私はどのような状態で、どのようなニュアンスを含めた発言であったか、録音や映像などは見ていない。実際はそれが大事なのであるが、活字に切り取られた内容を見る限り、女性蔑視に結びつくような内容ではない。これは個々人が自由に心の中で思っているような、女性に対して抱いている感想レベルの、軽い話題だったと思う。こんな程度のことは、女性を尊重している私にとっては日常的レベルである。

 ■ 上記の内容を口に出したことが問題なのか??
 このような発言が問題にされるとしたら、我が国の言論の自由はどうなっているんだ!!!と、私は思う。そこまで言わなくとも、日本はこれほど寛容性のない社会になってしまったのか。

 ■時流として女性蔑視に関して、ジェンダー問題に関して、世の中が神経質になっている。このこと自体は将来に向けて前向きな方向としていい事だとは思う。しかし、時に過剰な反応が見られるのは確かである。

 ■性差に関しての私の感覚は、男女平等とは男女の持っている特質をそぎ落として互いに近づけることではないと思う。むしろ逆で、両者の特質を最大限尊重し、相いれない存在としてとして認め、その特質から派生する諸問題を容認するなり、溝を埋める努力することだ、と思う。
 私は男女はずいぶん違うものだ。もしかすれば別な種類の生き物でないかとすら思っている。

 ■ 女性登用が大きな話題になっている。国際的にも問題になっている。議員に○%、委員にに○%、閣僚に○%・・・の議論はまだ早いと思う。現状では女性登用を外力で高めることは男性の登用の阻害である。男性の登用阻害、と言われないようになるには女性側に求められる資質は少なくない。我が国は遅れをとっていると思うが、我が国には男女が織り成してきた独自の文化、歴史があるのだ。

 ■もし、私の性差感覚が、また、今回の森氏の発言に関する評価が一般的感覚から大きくずれているとするなら、私自身が森氏と同格の「性差感覚」、「女性蔑視感」、加えて同じ「老害レベル」と認めざるを得ないだろう。


2/11(木)建国記念日 曇り、晴れ  終日読書、微睡とグダグダ
1:20起床。いつもの如く。午前午後とも微睡をはさみネコとの対話、読書三昧、グダグダ過ごす。一度も玄関から出ず。19:00夕食、20:45就寝。歩数計:2367歩数、最少記録に近い。これも身体が求める事、素直に従う。午後、森五輪組織委員長辞任が伝えられる。後任にさらに高齢者が取りざたされている!!!

書評 北原みのり著 「毒婦」 朝日新聞文庫 2012年 首都圏連続不審死事件(2)
 首都圏連続不審死事件の木嶋被告とは、どんな人物なのか。
 決して美人とはいえない容姿ながら、性的機能に優れた肉体と結婚をちらつかせ13人もの男を手玉に取れた理由とは何か。男たちはこんな女になぜだまされ、1億円以上もだまし取られたのか。

 3人の男性を練炭で殺害したとして死刑判決を受けた木嶋被告。
 彼女に対しては誰しもが大なり小なり興味を持つだろう。



 裁判は100日に及んだ。この本は「木嶋佳苗100日裁判傍聴記」との副題を持つ。貴重な裁判記録になっている。
 彼女の出廷時のファッションまでもが話題となり、自身の優れた性機能にについて赤裸々に語った。
 本書は裁判の傍聴に加え、故郷・北海道別海町や事件関係者への徹底した取材を通して木嶋被告の内面に迫郎とした渾身の一冊と言える。

 著者は「木嶋被告のことを考えていると、色んな風に考えが広がる。女と男のことを考える。女目線、男目線の違いを考える。私たち女は、男に何を求めているのか。なぜ、一般の男たちは佳苗に苛立つのか。ある種の女たちは佳苗に惹かれ、ある種の女たちは、佳苗を憎むのか・・・・」。女である著者の感想である。木嶋に同情的な記載や、被害者男性を冷笑するような女目線の記載もある。

 木嶋被告は自分の“デブ・ブス”を認め、それに抗うことはなかった。彼女には見てくれ以上の身体的な能力が自分に備わっていることを自覚してそれを十分に利用した。一方、“ブス女”とあざける男たち。一般的に考えると誰でもそんな感想を持つだろうが、木嶋は、そんな男たちを嘲笑う。
 
 著者は彼女の生い立ちや人間関係を調査することによって、心の闇を探ろうと必死になっている。しかしながら、最終的には木嶋個人に問題があるという論調になっていく。

 木嶋は実はどこにでもいるありふれた女性の一人だったかもしれない。普通の人々が抑え込んでる欲望を多くもち、その欲望をなんの悪びれもなく堂々と解き放つ行動力は何からきているのか。普通の人が生きてる社会の価値観の枠で理解しようとするのは難しい。

 この事件に、ネット社会が果たしている役割は大きいと思う。木嶋は、何故無防備にネットで交信し、その記録を残したのか。木嶋は被害者に送ったメールで、最初からお金の要求をし、肉体関係の話題をチラつかせている。メールの効果は大きかったのではないか。加えて、練炭を残してあるのも不思議。誰が見ても同じ犯人像が浮かんで来るはず。

 救いと言えば、殺害された三人の方々は睡眠薬と一酸化炭素の中で死の恐怖など全く感じることなく、幸せ感を味わいつつ絶命したのではないか。数多くの殺人事件は被害者に苦痛や恐怖を強いることが多いのに、彼女は直接手を下さない巧妙な方法とった。それだけ罪悪感は乏しいのだろう。最高裁まで無罪を主張した。

 彼女は死刑が確定し、獄中で過ごしている。獄中で手記・自伝小説「礼讃」もまとめ上げた。
 確かに並みではない人間であるが、木嶋の人間像を怪物にしてしまったのはメディアの興味本位の、大衆への迎合報道のなせる技だった、と思う。


2/10(水)小雪比較的温暖曇り除雪10回目 飯川病院ボランティア 
 1:00起床。新聞・文献などいつもの如し。新積雪なし。8:30-9:30除雪10回目。12:12バス飯川病院、ボランティア。道路は滑る。微睡、新聞、文献電子化。ラジヲ深夜便インデックス欠損補充。19:30帰宅、夕食、21:00就寝。Σ10323歩。

社会を震撼させた事件、関心を呼んだ事件 首都圏連続不審死事件(1)

 私は社会を震撼させた事件、関心を呼んだ事件を調査し報告する追跡調査本、ノンフィクション作品を好む。入手できるものは積極的に集めている。ただし、限られた狭い視点からの一つの見方であることは常に念頭において読む。
 ある作家は、「作家の使命の一つは時代の記録にある」、と言っていたが、有難いことである。私は事件ごとに社会の歪みに対して「何かが発信」されている、と考えている。事件を個人の問題として片付けると同様の事件がまた起こる。

 首都圏連続不審死事件とは、2007年から2009年にかけて発生した連続不審死事件。
 2009年埼玉県富士見市の駐車場内において当時41歳の遺体が発見された。死因は練炭による一酸化炭素中毒であった。
 容疑者として木嶋佳苗(当時34歳)が浮上したが、木嶋には他にも多数の愛人がおり、その愛人の何人かが不審死を遂げていた。また、逮捕時に同居していた40代男性から450万円を受け取っていた。

 2010年1月木嶋は数件の殺人罪、詐欺罪等で立件された。

 殺人罪、詐欺罪等で被害者の方々
(A)53歳男性不審死(起訴)死因は一酸化炭素中毒死。木嶋に約計1700万円提供。
(B)80歳男性不審死(起訴)自宅が全焼。焼死体近くに練炭数個が置かれ、死因は一酸化炭素中毒死。木嶋に約190万円提供。
(C)41歳男性不審死(起訴)レンタカー内で一酸化炭素中毒死。木嶋に約470万円提供。

 その他、自宅の風呂場で死亡。死因不明。木嶋に約7400万円提供した件を含め2件の不審死、数件の詐欺罪がある。

木嶋佳苗について
 北海道別海町生まれ育ち東洋大学経済学部中退。
 木嶋は一度も働いたことはないが、男性から騙し取った金で家賃約22万円の高級マンションに住み、ベンツを乗り回していた。また『吉川桜』という偽名を用い「ピアノ講師、フードコーディネーター」と名乗っていた。

 19歳で愛人契約を男性と結び、他の女性とは違う性の奥義を極め、男性に癒しや活力を与えることが自分の仕事と感じるようになり、自分の特別な性的魅力に男性がお金を支払うのは当然で金銭をだまし取ることに罪悪感はなかった。結婚話が具体化するようになると相手を殺害した。睡眠薬と練炭を用い流血は一滴もない。被害者は何も知らず死

 木嶋の手記及び小説は「礼讃」の題で2015年(平成27年)行された。
 ブログは2014年より本人が拘置所で書いたものを、支援者がブログ更新している。

 獄中結婚を3回繰り返している。

 刑事裁判
 殺人3、詐欺・同未遂6、窃盗1について併合審理となった。

 検察側は状況証拠の積み重ねで木嶋の犯行を十分立証できると強調。
 さいたま地方裁判所は検察側の主張を全面的に認め、木嶋に死刑判決を言い渡した。木嶋側は即日控訴し、二審でも上告したが認められず死刑が確定した。
 木嶋は戦後15人目の女性死刑囚となり、同時に史上初の第一審・裁判員裁判による女性死刑囚にもなった。
 現在、木嶋は死刑囚として、東京拘置所に収監されている。

 この事件は結婚詐欺、多額の金銭の授受、木嶋の華麗な生活が興味をひいたが、それ以上に木嶋の肥満や特異な風貌が話題になった。女性の目からは「なんで自分より劣るこんな女が・・・」と思っただろうし、男性の目からは別な意味で興味を持ったのであろう。


2/9(火) 夜間降雪15cm、除雪は明日に 中通病院外来 飯川病院
 1:00起床、文献、本読み他、降雪24-5cm。5:00可燃ゴミまとめ、提出。除雪迷うも明朝に。6:47バス飯川病院。外来は中等度なるも疲弊。13:00飯川病院、午後微睡、読書など新聞データチェック、入力。入院患者対応。19:16帰宅夕食、20:30就寝。Σ9742歩。

音声でコントロールできる多機能スピーカー  Amazon Echo Show5を購入
  最近、各社から音声アシスタントに対応したスマートスピーカーが発売されている。「Amazon Echo」や「Google Home」、「Mac HomePod」などである。

 私はTVよりはラジオを好む。そうは言っても聴くのは99%NHK AM第一放送とNHK FM放送だけである。今まで用いてきたラジオが不調になってきたので、思い切って5インチのタッチスクリーンを搭載したAmazon Echo Show 5(¥9,980)を購入した。これはAmazon社の製品の中では廉価品に相当する。思い切ったのは値段とかではなく、新しい世界に一歩踏み入れた、ということ。

 電源とWi-Fi環境が必要で、「アレクサ」と呼びかければ機器としての機能が起動し、以下のことが出来る。
 例えば「ニュースを流して」と言えばNHKラジオニュースにつながる。誰の声でも反応する。

 基本的な操作はすべて話しかければ済む。触る必要がないから置き場所も選ばない。
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 ■音楽の再生。
 ■ネットラジオ、ラジコを通じて広範なラジオ局、番組を聴く。
 ■YouTubeを見る。
 ■音楽サービス、映画などはAmazon Music、Prime Videoを介して視聴出来る。
 ■予定表の作成と表示。
 ■アラーム、タイマーの設定。
 ■天気や交通情報など。
 ■簡単な調べ物、検索など。
 ■ニュースを聞く。
 ■計算をする。
 ■カメラを搭載しているのでビデオ通話にも対応。
 ■照明などスマート家電のコントロール。
 ■などなど・・・・、私はまだ不勉強にして全機能を掌握していない。
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 音楽に関しては、モーツアルトの「レクイエム」かけて、メンデルスゾーンの「ヴァイオリン協奏曲」・・・・にも応じるし、ブルックナーやマーラーの楽曲も簡単に聴くことができる。YouTubにある音楽や楽曲もほぼ自在である。
 音質は小型だけに限界はあるが、BGM的に使うには十分である。今までのラジオから見て雲泥の差である。Amazon Echo5から発せられる返事は、人工的なものであろうが、生きているかのような自然な女性の声でストレスにならない。
「Amazon Echo Show 5」を入手してからまだ10日と短いが、私の事務机のスキャナーの脇にセットしている。
 
(画面サイズはiPhoneよりやや大きい程度。オプションの電池を基部につけてポータビリティを高めている)

 使ってみた感想は「音声でさまざまなことに応じてくれる」というスマートスピーカーとしての機能がとても面白い。ソフトウェア、ハードウェアとしての能力は高いと感じた。

 「とりあえずラジオを聴く。音楽をかける・・」という生活だから、この廉価版の製品でも自分にとっては十分である。
 新しいものになかなか踏み出せない保守的な私は、ちょっと距離を置いていたのであるが、今まで使っていたラジオとは比較にならないほど面白い。
 生活の幅が広がった。自宅の
居間で一人で過ごす時は大活躍している。期待以上の1台といえる。

 「おやすみなさい」、「おはよう」などと声をかけてもいい返事が帰ってくる。それも楽しい。今後、私どもの生活の中にこのような人工知能を用いた製品が増えてくるであろう。


2/8(月)終日降雪 昼頃暴風雪 健康クリニックドック 飯川病院
 1:00起床、文献・本読みなどいつもと同じ。2:00歩数計電池交換。起床大雪予報に反し殆どなし。除雪不要。6:47バスにて飯川病院へ。その後に降雪激しくなった。9:00-11:15健康クリニック、受診者14名、結果判定14名、結果説明2名。健康クリニックから飯川病院移動時は激しい暴風雪に。目も開けて居れないほど。寒かった。本読み、データ化などいつものごとく。検食、微睡、読書。14:00-19:00勤務。入院患者対応。19:30帰宅、主要道路は除雪あるも支道・路地など凸凹で車がまっすぐ進まない。市の除雪に問題あり。夕食、21:30就眠。Σ8203歩。
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東京五輪・パラリン組織委員会森会長の発言(3) 森会長の実力
 ■ 彼はどんな力があるのか?? ?-政界、外交、スポーツ界に幅広い人脈を持つ
 森氏は、首相退陣後も派閥「清和会」の事実上のトップであり、小泉を首相にし、安倍、福田も清和会出身である。今でも力はあるのだろう、これでは菅首相も意見できない。
 政界だけではなく、アフリカに太い人脈があり、プーチン大統領との仲は良く知られている。
 スポーツ界では、日本ラグビーフットボール協会の会長として2019年に日本で行われたラグビーW杯招致に尽力した。

 ■ 女性への差別的発言
 森氏の女性差別発言も少なくない。
 今回の発言の他によく知られているのは、2003年に鹿児島で開かれた「全日本私立幼稚園連合九州地区大会」での発言。「子どもを沢山つくった女性を、将来国がご苦労様でしたと、面倒を見るのが本来の福祉。ところが子どもを1人もつくらない女性が、好き勝手、と言っちゃいかんけど、自由を謳歌して、楽しんで、年とって……税金で面倒見なさいというのは、本当におかしいですよ・・・」。

 今回の発言もそうだが、こんな考えの人間が長年、この国の政治をリードきた。

 ジェンダーに関して国際的評価は追って知るべし。世界経済フォーラムが発表する「ジェンダー・ギャップ指数2020」(2019年)で、G7の中で最下位の121位というのは当然であろう。

 ただ、私も少子化、非婚化に関しては憂えている。森氏と同じ。
 また、女性はもっと力を伸ばし、社会進出を勝ち取らなければならない。女性委員○%、女性議員○%と目標を掲げ、数的に無理やり登用の機会を作るやり方では、今回の森氏の様な発言が飛び出すであろう。私は今回の発言は女性蔑視とは捉えていない。過剰な反応だ、と思う。

 ■ なぜ組織委員長を辞められないか
 本人の弁では、職務を纏うするよう誠心誠意尽くしてきた・・と言っている。著作「遺書」にもそう記述しているそうだ。この働きについては私どもが知ることは困難である。ただ、報道を見る限り変な発言の方が多いような気がする。まともな発言は取り上げられないからだろう。
 多分利権もある??五輪は肥大化し過ぎている、と思う。利権の調整と配分が出来るのは森氏しかいない・・などとも言われている。この辺のことは全くわからない。

 ■ すでに東京五輪は中止へと舵を切り始めている、と思う。COVID-19問題も未解決。ワクチンができたのは朗報だが、世論のほとんどが「やるべきではない」、と士気が萎んでいる。


2/7(日)比較的温暖 
 1:00飯川病院で起床。新聞文献処理、徒然、録音データ処理、など。微睡若干。10:30歌人の迎えあり、MavValu経由で帰宅。以降は新聞電子化、読書。微睡など。道路は融雪状態、19:00夕食、20:30就寝。Σ4256歩。読書三昧の一日。

東京五輪・パラリン組織委員会森会長の発言(2) 老害そのもの
 今回の五輪は復興の意義を強く押し出し、「オールジャパン体制」でいく、とされたが、組織委員長に森元首相を据えたことでオールドジャパン体制」になった。私はこれが第一の問題と思っている。招致の時はあれほど若者のアスリートたちの活躍が目立ったのに。

 私は超高齢者の活躍を是としない。個人的に活躍されるのは容認できるが、組織の場合は、老齢化が問題で若返りが必要、との考えに立つ。老害を感じるからである。老害の具体的な問題点はいろいろあるが、より優秀で機能的な中高年の登用の道を絶っている事実だけでもほぼ十分であろう。
 私はその面で組織の内規に沿って、いや内規に縛られない立場ではあったが、それを利用してスッパリ引退した。引退後は自身の能力を恥じて対社会的にはほぼ隠蔽生活に入った。

 人はその育つ過程の社会の影響をもろに受け、心身ともに身につける。身についた時代感覚は学習によっては乗り越えることもあろうが、表層がカバーされるにすぎない。それが高齢化とともに徐々にはげ落ちてくるものなのだ。私もそうだ。

 組織委員長に76歳の元総理を会長に据えたのは、いかにも時代遅れだった。五輪は6年後だというのにこんな方を押す方も、受ける方も、認める方も異常である。
 森氏はもともと失言が多い方である。私は首相就任以降のことしか知らないが、彼の言葉は実に軽い。本当に軽い。

 ただ、今回、自ら「五輪精神に反する」と認め、「老害」と公言したことは評価するが、辞任の意がない事にはがっかりした。

 「身内」のJOCも菅総理も批判する素振りは見せるが、積極的に非難する人間は誰も出てこない。IOCのバッハ会長、政府関係者、都知事も容認してしまった。そのこと自体が老害の現れである。組織には人脈があるから言うべきことも言えないからである。森氏が発言した時にIOC関係者の誰もが問題を指摘できなかった。
 にも関わらず、2月9日には、一転して、IOCは「森会長の発言は極めて不適切で、IOCが取り組むアジェンダ2020での改革や決意と矛盾する」などと厳しく批判した。世論の高まりを受けて、周りの雰囲気を見てからの同調発言であった。

 五輪のボランティア者からも辞退者が出ている。

 今回の発言は「五輪の、日本の、世界の恥」として長く記憶されることになるだろう。

 森氏のどこに、周囲を納得させる力があったのだろうか。

 「ノミの心臓、サメの脳みそ」と揶揄された森氏はわずか1年という短命政権で終わった。
 森氏を辞任に追い込んだのは、数々の失言や暴言もそうだが、2001年2月の「えひめ丸」事故だった。ハワイ沖を航行していた日本の高校生の練習船が、アメリカ海軍の原子力潜水艦に衝突され9人が死亡した。
 森氏はゴルフ中で、連絡が入ったが、その後もプレーを続けた。この危機管理意識のなさが国民の怒りをかき立て、支持率8%、不支持率82%という前代未聞の世論調査の数字が出て退陣に追い込まれた。史上最低の総理とも言われた。

 老害のもう一人の立役者は二階幹事長である。
 今回の森発言に関しても的の外れたコメントを出し、火に油をそそぐ結果となった。完全に時代からずれている。


2/6(土)近畿緩む 飯川病院日当直 孫お泊まり
1:30起床。文献,新聞整理他、録音データ整理など。午前は座学一般。11:30家内に同乗飯川病院に。12:00日当直に就く。12:00検食、新聞データ化、本読み、データ整理。微睡。19:00夕食、20:30就寝。歩数計Σ4325歩。当直時は読書三昧できるのがいい。

東京五輪・パラリン組織委員会森会長の発言(1) 私は氏の感覚を非難できない
 JOCの臨時評議員会に名誉委員として出席した東京五輪・パラリン組織委員会の森会長が、次のような見解を口にした。
 「女性がたくさん入っている理事会の会議は時間がかかる。女性は競争意識が強く、1人が手を挙げて発言すると自分も言わなければと思うのだろう。規制しないとなかなか終わらない・・・・」。

 元首相であった森氏の女性蔑視発言である。当初私がこのニュースに接した際には「またか!! 老害がまた出た!!!!」とそれほど気にもとめていなかったが、6日の19:00NHKニュースは7分間にわたってこの問題を流し、もっと報道すべきことがあるのでは、とその時間配分に頭にきた。翌日から新聞に大きく取り上げられた。紙上での炎上である。メディアにとっては待ち望んでたニュースであろう。

 私は女性の立場を、どちらかといえば過剰に尊重してきた。私自身が男尊女卑的感覚を濃厚に持っていることを自覚していたからである。

 現役時代には森氏が感じていた内容と同じ感想を持っていた。
 数々の会議を司会したがその時間調整には常に苦労した。私は発言者に対して「先に結論を述べ、その後に説明を加えるよう」と求めていた。男女にかかわらず論旨がはっきりしない発言者は少なくないが、やはり時間がかかるのは女性の発言に多かった。

 しかし、私は森氏のように思っていたことを正直に口にはしない。私の場合には司会者としての特権で発言者をコントロールできたからである。他の方が司会されているときはイライラしたこともあった。

 森氏は翌日会見し、「差別や男女平等に則った五輪精神に反するものだった」と謝罪、発言を撤回したが、会長職の辞任は否定した。

 私は発言を謝罪し撤回するという風習には反対である。それで許されることはあり得ない。自らの判断で説明の機会を設け、納得されなかったら進退を明らかにするのがいい。発言の内容にもよるのだが、辞任を念頭に置かない謝罪は初めから責任を回避している。

 7年前に組織委が設立された際、政府主導で森氏に会長就任を要請した。何としても五輪を開催したい安倍首相の意向であった。菅首相は「あってはならない発言」と述べたものの、森氏の謝罪で事態の沈静化を図ろうとしたのだろう。

 私は男尊女卑的考え方から抜けられない。だから、極力口には出さない。しかし、ついぽろっと出てしまうことがある。だから、不用意に口に出した森氏をは配慮不足と思うが、心情は批判できない。

 ヨハネによる福音書第8章「姦通の女」についての記述がある。「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まずこの女に石を投げなさい」。すると集まった群衆は一人また一人と立ち去ってしまい、誰も女に石を投げることができなかった。
 森氏についてこの話を思い出した。 


2/5(金)曇り降雪 大曲中通病院外来 飯川病院ボランティア 除雪9回目
1:10起床。文献チェック、徒然など。5:30可燃ゴミ集積所に、ゴミ運搬に今季初ソリ使用。降雪3-4cm。5:30-6:30今期除雪9回目。7:15Taxi駅に。7:37意外と早く着きスターバックス時間調整、8:11こまち。9:00-12:15大曲中通病院外来、駅病院間往復Taxi。帰路新幹線90分遅れていたが実際には30分遅れで前の号に乗れた。秋田駅病院間は歩行難Taxi、強烈に寒い。14:45-19:00飯川病院ボランティア。19:30帰宅夕食、21:00就寝。歩数計Σ11300歩。

徒歩通勤2021(2) 2回目の転倒 今回もディバッグに助けられた ミカンにも
 1月30日、中旬に秋田市の市立病院で発生したCOVID-19クラスターの影響で、飯川病院が大学にお願いしていた派遣医が来院できなくなったので私が代診することになり、8:40のバスに乗ろうと道を急いでいた。

 昨夜は冷えていたが積雪は1cmほど、うっすらと道路表面を覆っていた。
 自宅からバス停までの半分のあたりにコンビニがあり広い駐車場がある。そこで全く予想外に靴が滑って一瞬両足が宙に浮き背中から転倒した。今回の転倒は前回のよりは衝撃が大きかった。
 しかし、背負っていたディバッグがその衝撃を吸収してくれたようで、局所的にダメージは受けず、すぐに立ち上ることができ、歩行もできた。
 滑った原因はブラックアイスバーン状態の面にうっすらと雪が積もっていたために視認できなかったためである。
 
 今回もディバッグに助けられ怪我しないですんだ。
 ディバッグにはiPhone、 iPad mini 、ハードディスクのほか、ガラス瓶に500mlのお茶、日刊紙3紙を入れていた。さらに今朝は出がけにテーブルの上にあったミカンを入れていた。

 病院についてからこれらを出して状態を調べたが、iPhone、 iPad mini 、ハードディスクはしっかり機能した。助かった。
 茶のガラス瓶は割れていなかった。
 ただ、ミカンは袋の中で10ケ全てが破裂していた。
 <img src="https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/18/23/39e0d603d40c485815c27f1cdf1af7f3.jpg" border="0">
(皿に並べた破裂ミカン グチュグチュに潰れた数ヶはミカンの気持ちを考えて除いた)

 私はこの時期になると突然ミカンが食べたくなる。実がパンパンに張っている様な、旬の時期にはまず食べない。今の時期になると実が縮むためか皮と実の間に隙間ができ、ブヨブヨになるが、この状態のが美味しい。しかも、大きな実よりは適度に酸っぱい小粒のがいい。

 今回の品は和歌山県産の小粒であった。助けられた。
 当日は午前外来に次いで日当直でもあった。感謝の気持ちを込めて全部を食べた。美味しかった。


2/4(木)降雪約15cm さらに日中15cm 除雪8回目  飯川病院
1:15起床。新聞、文献本読み。電子化。降雪朝まで15cm、9:30-10:30今季8回目除雪。12:12バス飯川病院、バス停でホワイトアウトと状態、横殴りの雪と寒気ですっかり冷えた。石像になるかと思った。12:40飯川病院、14:00-19:00勤務、入院患者対応、本読みなど、微睡。19:10帰宅、夕食、21:30就寝。歩数12051歩。昨日はこの時期に初除雪

季節の話題2021(3) 秋田の雪(3) 再度強烈な寒気、降雪、バス待ちの間に雪像に
 ここ数日寒気が緩み、秋田市内の道路の雪は、歩道はまだ除雪不十分で歩行でき難いが、車道はほとんど雪がないほどになった。

 ほっとしたものの秋田県内は昨夕から再び冬型の気圧配置が強まり、県内広範囲で暴風雪となった。なんで今期の冬は週の単位で寒暖が激しく入れ替わるのか??昨日一昨日は最高と最低の温度差が10℃もあったのに??

 県南の横手市では積雪が通常の250倍にもなる196cmとなり、1979年に統計を始めて以来最多を更新した。 
 秋田市でも午前7時までの12時間降雪量が27cmで2月の降雪量の記録を早々に更新した。風も強く八峰町八森で最大瞬間風速23.8m、にかほ市で29.9m、能代市で22.0mがを観測した. 
 県内の交通網も大きく乱れた。秋田道、日本海沿岸東北道も数時間通行止めになった。 
 東日本秋田支社によると、羽越線や奥羽線、北上線などで運休した。 
 秋田市は4日、市内で積雪が40cmを超えたことに伴い道路豪雪対策軍部を設置した。

 私は本日は午前はフリーであったために9:30-10:30今季8回目除雪を行った。強風で飛ばした雪が私の方に飛ばされてくる。除雪中に衣服に雪が付着し、雪まみれになった。

 12:10のバスで飯川病院に向かったが、正午頃から天候が急悪化、強風、前方が見えないほどの激しい降雪となり、路上の車は前がほとんど見えなかったのだろう、超ノロノロ運転となった。したがってバスも大幅に遅れバス停で30分ほど立ち尽くしていた。雪が横殴りに降ると目も開けていられないし、ウエアには雪が厚く付着するし寒い??? ほとんど石像と化して立ち尽くしていた。

 昨年まではこのような自然との戦いはまずなかった。昨年までは厳しい荒天の場合は古い車を引っ張り出して用いていたからである。
 昨秋、運転免許返上したために悪天候の厳しさをもろに体感することになった。
 かなり厳しい状態であったが、運転免許返上を後悔した事がないから不思議である。車に頼らずに天候の厳しさを身体にもろに受けながら生活していることにある種のエクスタシーさえ感じられる。幼少時の感覚が思い出される。それも嬉しい。

 とにかく、今年の天候は例年と異なっている。でも、もう確実に春の息吹が近づいていることが実感される。
 
 (2月1日am5:30 当直の朝に飯川病院の自室から見た朝の空 春の息吹が感じられる美しい景色であった)


2/3(水) 寒波再来小雪 午後飯川病院ボランティア アマゾンECHO購入
 1:30起床。新聞・文献読みとPDF化およびそれらの整理に集中。午前自宅で座学。
11:50バスにて飯川病院。検食、12:30-18:30ボランティア。19:30郵便局本局経由帰宅。夕食、21:00就寝。Σ7328歩。積雪5cm、明日は除雪必要か。

家庭菜園・園芸2021(2) 今季最後の収穫 ネギ(2)  私は徹底して手抜きで栽培
 ネギは白根を食べる長ネギが代表的。根深ネギは冬が旬の野菜。暑さ、寒さ、乾燥にはよ強いが、湿害に弱い。

 根深ネギの栽培は種からだと苗作りに45〜50日と時間がかかる上、成長は遅い。白根部分を長く伸ばすために、植え溝を深く掘り、定期的な追肥と土寄せ作業が必要とされるなど結構栽培は困難。しかしながら、未収穫で畠に残しておいたネギは寒さに耐え、味は甘味を増して格別である。

 ネギは育苗床を準備してタネを撒いて育ててもいいが結構手がかかる。私は種苗店で苗を購入して畠に植えている。いつもは下仁田ネギ、横倉ネギを購入しているが今季は入手できず、種名は不明である。

 長ネギの場合、追肥は約一ヶ月ごとに株元に行い、根元に3−4回土盛りして白身を長くする必要がある。倒れるほど伸びすぎた場合、葉先をハサミなどで剪葉する。
 これらの作業は素人にとっては楽ではない。だから、私は追肥も土盛りもやらない。全て自然任せである。ただ、ネギは生育が遅いために雑草が追い越していくことがあるから草むしりばかりは欠かせない。

 真夏はネギにとっては休眠期??で成長はほとんどない。秋口になると元気を取り戻す。ある程度の大きさになればいつでも収穫できる。今はネギはいつでもスーパーなどで購入できるから急にネギが欲しくなったときに緊急的に収穫する。

 他の作物は収穫時期が決まっているが、ネギの場合は春先まで収穫できる。今季は畠が厚く雪に埋まったが掘り出すと青々として元気であった。
 数日前に最後の収穫を行った。
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 (今季最後となったネギ 追肥も土寄せもやっていないから全体に小ぶり 白根部分は細め しかし、味は最高であった)

 次季は葉ネギや小ネギも栽培してみたいが、欲張りは自分の首を絞めることになるし、もっと楽をしたいし・・・、と複雑である。


2/2(火)小雪やや寒い 中通病院外来 飯川病院
1:00起床。新聞、本読み、電子化などいつもの如く。5:30可燃ゴミ集配所に。6:47バス飯川病院。8:45-14:00外来。警察からの患者の病状良い合わせあり準備に難渋す、疲弊。14:15飯川病院-19:00勤務、入院患者対応。また微睡も。19:30帰宅・夕食、21:20就寝。Σ10633歩。

家庭菜園・園芸2021(1) 今季最後の収穫 ネギ(1)  

 私は18歳まで盛岡市の郊外で育った。
 田舎だけに敷地は広く1000坪もあって、不相応の庭園があり、池には鯉が泳ぎ、松やかえで、けやきなどの樹木の一角では野鳥が営巣していた。
 住宅は医院を含め火災前には400坪もあったが、昭和27年の火災で200坪程に減築した。
 家の周囲の畑には果樹が実った。リンゴ、ナシ、モモ、カキ、クリなど。
 畠は家で食べる程度であったが、各種の野菜が植えられていた。耕し、種を撒くときには近所の農家の方々に依頼したが、草取り等のメインテナンスは不十分ながら母親、ときに父親が担ってた。

 私は母が33歳で生まれた。だから中学生の時はもう50歳前後で、現代のお年寄りとは異なりもはや初老老人であった。私はそんな母親の姿をみかねて、勉強の傍、時間があれば手伝っていた。新潟大進学後も連休があれば帰省し、手伝った。
 この家屋敷は私が22歳の頃、メインテナンスが次第に困難になったこともあり手放し、盛岡に50坪ほどの宅地、30坪ほどの小屋を構え、労力的には解放された。

 昭和48年に私は秋田に転居したが、子供の時の環境を再現したくなるものである。やや広めの敷地を構えた。
 65歳でハードであった現役から退いたが、少しづつ野菜作り、園芸にも時間を裂くようになった。田舎暮らしの時の経験が大きい。

 畑の栽培の対象は標準的なキウリ、ナス、トマト、枝豆、落花生、ネギなど。
 園芸としてはダリア を栽培し、果樹としてはリンゴ、モモ、カキ、クリ程度である。
 畠の作業、園芸などは嫌いではないが好き、とはいえない。できればやりたくない・・と言いながら、春になり陽射しが強くなるとるとどうしても始めてしまう。5月の連休の頃から始める。一旦初めると水やり、草取りとか日常的に世話が必要で手を抜けない。

 私の野菜作りは一切の追肥や駆虫剤などは用いない。太陽と土壌、水の力だけに頼っている。面倒だからである。
 台風などの風対策は入念に行う。さもなければ根こそぎ持っていかれる。

 9月になると私の野菜作りの意欲は急速に萎えてしまう。秋野菜、冬野菜は手をつけない。時折、必要に応じてネギを収穫し鍋物の時に用いるだけ。

 この時期から座学中心になるのであるが、ダリアが最盛期を迎えて手がかかるようになる。

 数日前に雪に埋没して頭だけ出していた最後のネギを収穫して舌鼓を打った。雪中野菜の例に漏れず甘みが増して美味であった。


2/1(月)曇り 健康クリニックドック 飯川病院
2:10飯川病院起床、新聞、本読11:45飯川病院へ、微睡、データ整理。14:00-18:30勤務、入院患者対応。19:15帰宅、夕食、21:20就寝。Σ6211歩。

徒歩通勤2021(1) 2回目の日本一周 岩手徒破終了青森に至る
 私は車が嫌いである。だから先走って2020年9月運転免許を返上した。

 1990年(45歳)に子供達も大きくなり、一人での移動が多くなったので5人乗りの車を利用するのは無駄と考え、バイクのヤマハビラーゴ250ccを購入、次いで1991年2月(46歳)にハーレーダビッドソンFLSTOF1340ccを購入した。長く利用したが60代後半になって重いバイクの取り回しが困難になり、2012年(68歳)換金して東日本大震災の義援金に充てた。

 2011年(67歳)ドロップハンドルのクロスバイクで通勤していた。2012年(68歳)高校生と接触して転倒、その後腸閉塞、脳塞栓を発症し、ついで右下腹部にヘルニアが出たために自転車通勤は諦めた。

 2013年4月以降、片道7Kmを徒歩で通勤することとした。その時に購入したのが歩数計「新・平成の伊能忠敬」である。伊能忠敬の足跡を、ゲーム感覚で日本一周約18.000Kmを地図を作りながら進んでいくというものであった。

 2013年4月(69歳)に開始し、2020年1月(75歳)日本一周を達成した。
 その後は2回目の日本一週にトライしているが、2021年1月末に郷里の岩手県を通過し青森県に至った。今回は2回目の中間報告である。

 (東京の日本橋を再スタート10ケ月経過、やっと岩手県を終了した)

 2013年の開始当初は新しい試みに燃えて、やる気満々、さらに私も若かった。その頃1日25.000歩、20Kmにも達したことがあった。しかし、加齢とともにやる気が減弱、体調不良もあって2019年春(74歳)から全コースの徒歩通勤を止め基本をバス通勤にした。
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 ■ 2020年1月日本一周達成時の最終的積算データは以下の如く。
経過期間:2.290日目、6.8年。総歩数:Σ2.171万歩 (平均9.480歩/日)。歩行距離Σ17.372Km(平均7.59Km/日)。
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 ■ 2020年4月沖縄一周を達成した時点の最終的積算データ。
経過期間:2.565日、7.03年。総歩数:Σ2.411万歩 (平均9.399歩/日)。歩行距離Σ19.292Km(平均7.52Km/日)。
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 ■ 2021年1月30日 岩手県2回目歩破時点の最終的積算データ。
経過期間:2.850日、総歩数:Σ2.683万歩 (平均9.414歩/日)。歩行距離Σ21.464Km(平均7.53Km/日)。
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 最近では自宅や病院周辺、病院の階段をこまめに歩いて歩数を稼いでいる。今の所がっくりと1日歩数が減ったわけではないようである。





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