徒然日記

 日記と言うより、自分の行動記録と日々の雑感です。

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7/16(火) 快晴暑い  外来 飯川病院
1:00飯川病院で起床、データ整理、本読みなど。家の可燃ゴミ廃棄はなしに。8:45-13:45中通病院外来、患者多数、14:00飯川病院、微睡。14:00-18:40勤務、19:00帰宅、夕食、21:00就眠。歩数計6769歩。自炊化すすめる。

本 黒井千次著 「高く手を振る日」 新潮文庫 2012
 私もすっかり老境に至った。誰からも強制されず、誰にも遠慮せずに、自分の五感を使って感じるままに生活の設定をしていきたいものである。
 老境に至ったといっても全ての感受性が鈍ってきたわけではない。知識欲もまだまだだし、ロマンを求めて小説類も読む。私にだってときめきはある。ただし、ときめきだけで行動には結びつかない。本当はエロ爺い、と呼ばれてみたいのだが・・・。

 老境に達した主人公が登場する小説が結構楽しい。
 最近読んだものの中では吉村昭「死顔」、「碇星」吉村昭著 「怒星」 中央公論新社 1999年(1) 多彩な氏の作品に驚くなど。渡辺淳一「孤舟」
「孤舟」 渡辺淳一著 集英社(1)「定年退職亭主在宅症候群」をテーマにした作品、内館牧子「終わった人」
内館牧子著 「終わった人」 講談社 (2015年9月) 単行本 378ページなどなどがこれに近い。

 老境に達した作者が自然に発想がその方向に向くらしい。

 著者の黒井氏は1932(昭和7)年生れ。東大経済学部卒の作家。1970年「時間」で芸術選奨新人賞を受賞。1984年「群棲」で谷崎潤一郎賞、1995(平成7)年に「カーテンコール」で読売文学賞、2001年に「羽根と翼」で毎日芸術賞、2006年に「一日 夢の柵」で野間文芸賞を受賞している。受賞歴も華々しい。

 初老の男のときめきは、もう壮年期のように生臭いものではない。若者のように丈だけしいものでもない。そこには年齢相応の分別が加わつているから、どちらかといえば遠慮っぽい。少年時代の初恋のように初々しい。だから、この小説のごとく、想いが成就しないで終わってしまう。  
 この小説は、初老期の主人公の恋する心や心理を清潔に描いている。高齢化社会のなかで生まれるべくして生まれた小説といえよう。

 私は小説も沢山読むが、あらすじなどは数行程度の記述で表現できる。楽しいのはその間に展開される行動や心理描写である。

 本書の筋書きは妻を看取って十余年、人生の終焉を意識し始めた主人公の心理を描く。主人公は就活を始める。妻の古いトランクから、かつての大学のゼミ仲間の共通の友人であった女性の、若々しい写真を見つけ、心に火が灯った。
 それ以降の、恋に揺れる、老いの日々の戸惑いと華やぎを描く。

 この小説では携帯電話が重要な役割を演じている。個人同士が直説連絡できるツールは男女間の接近を突然容易なものにした。あまりにも容易で、社会が長い時間をかけて形成した男女間の抑制や分別が失われた、と言える。若い男女間の、子供を巻き込んだ事件が後を絶たないが、この背景に携帯電話、スマホとかの通信器具の便利さが関連している。この作品でも携帯を介して二人の交際が進展してゆく様子が描かれる。

 この小説は地味な内容にもかかわらず、出版された時に多くの読者に読まれ、共感を呼んだ、とされる。大きな杜会的間題を主題に据えてはいない。市井の生活者の普通の姿を描くことのほうが技術的にはるかに難しいが、それだけに読む者の共感を醸し出したのであろう。
 
 この小説にはもうひとつの脇役が登場する。ぶどうの枝で、たまたま拾って帰り花瓶に挿していたら根が生え始め、それを庭に植える。徐々に成長していく姿を介して主人公の心理に沿った役割を果たしている。

 いつであったか新聞の書評に取り上げられており、そのメモをもとに本を求めて読んだ。80歳に近い高齢男性の心理の描写が良かった。


7/15(月)海の日休日 快晴暑い 飯川病院当直
0:45起床、各種データ、特に自炊関係整理。8:30-10:30ダリア、ネギの周辺中心に草むしり。日差し強烈、暑くて汗ポタポタ。13:30自炊数冊、ダリアに支柱追加。畑花壇に散水、トマト初収穫。16:40バスにて飯川病院、当直に就く。花壇に散水。18:00検食、新聞チェック。20:30就寝。歩数計12653歩。

ハンセン病患者家族への賠償判決(4) 病の歴史に各界が演じた負の役割(3)日本の風土、社会
■日本の風土、社会が果たした負の役割(1)
 日本の社会は多様性を認め難い文化がある。ハンセン病に限らず、精神病など、差別が生じやすい。
 ハンセン病は国が優生学的政策を掲げたことで、遺伝病との誤認・誤解が広まった。また、世界の動向に逆行、1931年に感染の拡大を防ぐため全患者を強制隔離が行われた。しかも、警察官が患者を強制的に療養所に収容した。

 強制隔離政策の背景には、医学界の古い体質、妄信的な指導者、政治的判断があったが、社会の無知、誤解、無関心、または根拠のない恐れがあった。

 「らい予防法」が廃止されて20年、法による強制隔離はなくなったが、この回復者や家族までもが、今なお社会に蔓延る偏見に苦しんでいる。今なお1600人が社会に出られず療養所内で生活している。
 患者の人権侵害には、日本の古くからの文化的風土、医療界、政府、司法が大きく関与してきた。さらに、近代の日本社会が果たしている役割も小さくない。
ハンセン病(7) 差別化の背景に日本の風土・社会が果たした役割(1)

■日本の風土、社会が果たした役割(2)
 あらゆる時代、場所で、国、地域社会、学校、企業、病院、あるいは宗教団体も含めた組織が患者とその家族に対して行ってきたことは、まさに重大な人権侵害であった。今ですら、就業はもとより、教育、結婚、住宅や居住地を見つけることにすら、まだかれらの前には壁が立ちはだかる。

 施設内でも人権無視の扱いはあたりまえの事だった。国や県等から派遣されてきた医療従事者や管理者たちは施設内で激しい差別的行動、弾圧を続けた。患者は施設内での自由な行動も許されなかった。
 施設の医療レベルは劣悪で、患者たちは病人の介護や肉体労働に従事させられた。結婚は許されても、男性には断種、女性は堕胎を強要された。この実態は社会に知らされていなかった。
 「らい予防法」の廃止によって強制隔離は解かれた。病気が治癒した元患者が世間に出ても、施設以上の差別と偏見にが残っていた。肉親や親類にまでも迷惑を及ぼすことを恐れ、帰る故郷もなく、患者たちのかなりがその後も療養所内で暮らしている。
ハンセン病(8) 療養所はアウシュビッツと変わらぬ絶滅収容所であった(2)

 わが国のハンセン病に対する誤った政策は、数多くの過ちの中でも非人間的やリ方の最たるものだった、と思う。
今回の熊本地裁の判断に対し、安倍首相は控訴をしない方針を示し患者及び家族に陳謝した。英断であった。
 私がハンセン氏病について勉強した結果は(1)-(4)に提示したが、首相がハンセン病患者家族へ謝罪すれば良いというものではない。日本医師会、感染症学会、政府機関、司法をはじめとして多くの機関が自らの間違いを総括して改めて患者及び家族たちに謝罪すべき、と思う。


7/14(日) 快晴 庭の草刈り3巡目 
1:00起床、文献検討等など,いつもの如く淡々と。蓄積データの整理中心。9:30畑、庭の草刈り、農道担当部分、今季3周目着手、11:00以降は暑さで継続困難。12:15NHKノド自慢。草刈り追加作業。微睡、飯川病院にハードディスク取りに、若干作業。19:00夕食、過食傾向。21:00就寝。歩数計13115歩。

ハンセン病患者家族への賠償判決(3) 病の歴史に各界が演じた負の役割(2)
 ハンセン病患者の歴史に司法が演じた負の役割も大きい。

■司法が果たした負の役割(1) 菊池事件裁判、死刑執行の記録から
 ハンセン病の差別化に司法が果たした役割も大きい。
 ハンセン病の患者は「特別法廷」で裁かれ、審理は事実上非公開で行われた。
 
 代表的な「菊池事件」裁判関連の史実は以下の如くである。
―――――――――――――――――――――――
 ハンセン病患者とされた男性が殺人罪に問われ、無実を訴えたが容疑者に対する取り調べも、それに引き続く裁判も、予断と偏見に満ち、本来被告人が持つ裁判上の権利も認められなかった。
 当時、ハンセン病はほとんど感染しないと判明していたが、非公開で開かれた特別法廷は、「消毒液のにおいがたちこめ、被告人以外は白い予防着を着用し、ゴム長靴を履き、裁判官や検察官はゴム手袋をはめて証拠物を扱い、調書をめくるのに火箸を用いた・・・」と言われている。
 決定的物証もないまま、ずさんな裁判で死刑判決がくだされ、上告も棄却され、1962年9月14日被告の死刑が執行された。
―――――――――――――――――――――――
ハンセン病(5) 差別化の背景に司法が果たした役割(1) 菊池事件の死刑判決と執行
 このような記録を見ると驚きを禁じ得ない。
 似たような患者扱いは1987年の国内初の女性のエイズ患者確認時にもあった。その時のセンセーショナルなマスコミの報道が因となって国内にエイズパニックが生じ、その後HIV感染者、エイズ患者に対する偏見差別が現在に至るまで続いている。

■司法が果たした負の役割(2) 「 違法であったが違憲ではない」変な説明。
 最高裁が「特別法廷」に関する検証を始めたのは2014年5月。病気などを理由に上申された61件のうち、最高裁が「特別法廷」を許可したのはわずか9件で認可率15%、ハンセン病の場合は96件中95件。明らかに差別的な扱いだった。
 最高裁は、2014年4月25日報告書を公表し、「患者の人格と尊厳を傷つけ、 一般社会での偏見・差別を助長した」と認め謝罪した。しかし、最高裁の結論は「法的違反はあったが違憲ではない」と変な結論であった。
ハンセン病(6) 差別化の背景に司法が果たした役割(2) 違法であったが違憲ではない??

 患者の隔離政策をめぐっては、2001年に熊本地裁が違憲判決を出し、判決が確定した際に「政府」と「国会」は速やかに謝罪した。三権のうち「司法」が謝罪するまでに、らい予防法の廃止から20年もかかった。

 ハンセン病関連の人権回復闘争は最高裁の謝罪によっても解決にならなかった。
 社会に一旦形成された偏見は消えゆくまでに長く長くかかるものである。原発事故の後福島に対する社会の偏見は今だに続いている。


7/13(土) 晴れ 飯川病院午前外来 午後畑仕事
0:30起床、録音データ他整理。5:00キウリ収穫。8:38バスにて飯川病院に。9:00-12:00大学循環器医不在のため午前外来、12:30園芸用ポール10数本購入帰宅、枝豆第二弾直植え、これで畑は植える作業は終了。午後室内配線の整理など。19:00夕食、21:00就寝。歩数計12332歩。

ハンセン病患者家族への賠償判決(2) 病の歴史に各界が演じた負の役割(1)
 2001年に小泉政権がハンセン病患者に対する賠償判決の控訴を断念した。卓見であった。
 今回はハンセン病元患者の隔離政策に関し、その家族への損害賠償を国に命じた熊本地裁判決が下ったが、安倍首相が控訴しない方針を表明した。小泉政権に続く画期的決断だ、と思う。

 ハンセン病がたどった歴史に一人一人が直接に、間接的に関与している。その経過をかつてまとめてみたので再掲しておく。

■国、医学会の果たした負の役割
 国は1907年、「らい予防法」を制定して患者を隔離した。全国13カ所の国立療養所に患者らを強制収容し、感染の広がりを絶つために堕胎、断種さえ強いた。
――――――――――――――――――――――――――――
 1907年、国は「らい予防法」を制定、全患者を国立療養所に収容した。
 1952年、WHOは隔離政策の見直しを提言。
 1960年、WHOは外来治療を提唱した。WHOの提言にも関わらず日本では妄信的な指導者の主張に沿って隔離政策を継続した。
 1996年、「らい予防法」廃止。隔離はこの年まで。
 2001年、熊本地裁判決が隔離政策の違憲性を認め、国は元患者に補償。
 2009年、ハンセン病問題基本法が施行。
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ハンセン病(1) 問題の根源は医学界にあった

■医学教育が果たした負の役割
 私はハンセン病について病理学、皮膚科学で学ぶ機会はあったが、通一遍の知識しかない。大学の教育は社会的な視点は欠如し、患者が差別され非人間的な扱いをされてきたことなどは一切教えられなかった。
 1996年、「らい予防法」が廃止されるまで国の隔離政策は続いた。この間約半世紀のプロセスを見ると、医学界の権威主義、妄信的な指導者、医師の社会的視点の欠如が改革を邪魔してきた。「らい」から「ハンセン病」への改称にも約半世紀を要した。
 現在は抗結核剤のリファンピシンを中心とした3種の経口薬品を用いて一年間治療する。治療中の患者数は全世界的には2008年で22万人、わが国では国内の療養所入所者数は2008年現在2717人、治療中の患者はほとんどいない。
 近年の日本国内の新規患者数は年間で0-1人、我が国ではほぼ根絶された疾病となっている。
ハンセン病(2) 私も再勉強してみた

■医療界、医師の無知と妄信、一部の権威主義の医療人が果たした負の役割。
(1)歴史的・宗教的要因、社会的要因
(2)知識不足から
(3)最近まで続く差罰
(4)国や医療界、法曹界までも加担した差別化
ハンセン病(3) なんでこれほどの差罰化が行われ、現在まで続いていたのか

■閉鎖的医学界、専門医学会や専門医が果たした負の役割 
 当時その道にあった方々には重大な過誤があったといわざるをえない。国の政策決定に深く関与していた医療人の誤りを指摘する声は以外と小さい。この間、医療関係者からのコメントは僅かしか見られない。ハンセン病問題は一般の医療人にはほとんど関心を持たれていない。
 1995年4月22日、日本らい学会会長中嶋弘氏は学会として絶対隔離政策に対する過ちを認め、患者、家族に陳謝している。
ハンセン病(4) 差罰化の背景に学会や専門医が果たした役割は大きい


7/12(金)早朝降雨午後晴れ  大曲中通外来 飯川病院ボラ  健康クリレ線判定
1:00起床、文献・新聞チェック他。5:00可燃ゴミ提出、びしょ濡れ。ネコ世話、7:30Taxi駅東、8:11こまち。雨にて病院間往復徒歩不可。9:10-12:15大曲中通病院外来。 14:00徒歩飯川病院ボランティア。16:14健康クリレ線判定、19:10Taxi薬店経由で帰宅、夕食、20:30就寝。歩数計9279歩。自炊。

ハンセン病患者家族への賠償判決(1) 国は控訴せず、異例の首相裁断
 ハンセン病元患者の隔離政策に関し、その家族への損害賠償を国に命じた熊本地裁判決について、安倍首相が控訴しない方針を表明した。画期的決断だ、と思う。

 政府内にはこの判決に対し「控訴すべきだ」との意見も強かった、と言う。しかし、安倍首相は判決を受け入れ、「筆舌に尽くしがたい経験をされたご家族のご苦労をこれ以上、長引かせるわけにはいかない」、と語った。

 誤った隔離政策によって患者たちの家庭が壊され、患者本人はもちろんのこと、家族は社会的に差別や偏見、その恐怖にさらされてきた。安倍首相はこれに対し重い判断を下した。
 
 言葉だけでは何ら意味を持たない。裁判の原告側は、首相との面会と謝罪を求めている。 救済の具体策作りを急ぐべし。

 判決では500人余に総額3億7千万円が賠償される。しかし、それ以外の家族にも広く補償する必要がある。
 判決は、大半の関係者に共通に認められる被害を土台として、患者の隔離で引き裂かれた関係が、親子や夫婦だったか、兄弟姉妹の関係だったかで類型化し、それぞれ一定額を加算する方法をとった。

 対象とする家族の範囲や、判決で、弁護士費用を除き1人当たり30万円〜130万円とされた金額など、私は低すぎると思うが、他にも具体的に検討すべき点は多い。

 問われているのは、政府だけではない。
 判決は、元患者の隔離という国策が、家族への偏見と差別という「社会構造」をつくったと。当時の政府、医療界を始め、就学や就労の拒否、村八分、結婚差別などの被害をもたらした社会そのものにも責任がある、と指摘した。

 元患者に対しては、2001年に小泉政権が賠償判決の控訴を断念た。その時も英断であった。その後、補償に乗り出した、とされる。また、国や自治体はハンセン病への理解を深めるための啓発や学習に力を入れてきた、と言う。しかし、私からはよく見えない。

 実際に差別や偏見がなくなっていない。
 ■2003年に熊本県内のホテルが元患者の宿泊を拒否。
 ■2014年には、福岡県の小学校でハンセン病について誤った教育が行われ、児童が「友達がかかったら私は離れておきます」と作文に記していた。
 ■2016年に今回の提訴に踏み切るまで大半が匿名だった。
 ■などなど・・・。

 ハンセン病がたどった歴史に一人一人が直接に、間接的に関与している。その意味を一人ひとりが考えなければならない。


7/11(木)  快晴 外来  飯川病院
0:30起床。文献,新聞、録音データなど処理。5:00ネコ対応など。バス7:10飯川病院着。8:45-12:45外来+ドック14名処理。13:00飯川病院、レ線判定忘れた。明日に。微睡、住友生命スタッフ来訪、生存確認。14:00-18:20勤務。患者対応、19:10バス帰宅、夕食、21:00就寝。Σ8500歩。 書籍自炊。石井さん函館に。

人生100年時代(12) 高齢者はもっと自由に生きればいい
 高齢化社会となった今、自然に年を重ね、老いていくのが難しくなつている。
 昔の老人のような、社会の中で一定の役割を果たしながら老いに向けての人生観を作ってきた良さが失なわれている。古き良き分別を備えた老人(?)がいまいるだろうか?

 社会の中で高齢者は役割を失っている。糸の切れた凧のような半端な立場である。
 IT産業に代表される現代の新しい産業では、つねに新しい知識が求められる。かつてのような年と共に備わる知恵や経験が完全に蔑ろにされてしまう。その結果、老いの功績よりも若さの瞬発力、持続力が大事にされる。
 
 現代の社会では年功序列の型が失つた。老人の価値がどうしても低くなる。当然、かつて老人が尊敬されていた時代の型が失なわれた。

 これは最小単位としての家庭像の変化としても同様である。三世代が共に暮らした時代にあった家庭の持つ重要な庇護機能はほぼ失われてしまった。もちろん、マイナスの面もあったが、その良さを残すことなく、家庭機能は簡単に崩壊していった。

 親から独立して新所帯を持った次世代たちは、子育てを終わって子供達が離れていってしまうしまうと、老々夫婦の世帯として朽ち果てて行く。

 社会的にも同じである。定年になると突然社会から放り出される。歳にふさわしい生の形が、その役割が、見失われた。

 日本の高齢者は長い歴史の中で比較的厚い社会保障の庇護の中にいる。
 現役世代はこの担い手として寄与し、というか、搾取され、第一線を退いた後は社会保障の給付を受ける立場となる。かつては長い間社会に貢献しいてきたことに対しての慰労的な意味を含めての社会保障であったが、いまは、社会のお荷物として消費者の立場だけが強調さている。

 確かに、我が国が持つ少子高齢化の中では重要なことではあるが、高齢者は、健康、休力の維持、左は会参加の重要性ばかりが尊重される時代となった。もちろん、健康は高齢者の望みでの第一であるが、マスメディアは高齢者の健康増進の記事で一杯である。

 私が強調したいのは、老境になって初めて到達できる、豊かな心境の素晴らしさの再確認である。そこには年齢に伴う諦観も伴っていい。初老に至ってもときめきの心がある。無論、それはもう壮年期のようになまぐさいものではないし、若者のようにたけだけしいものでもない。そこに大入の分別が加わつているから、青春時代の初恋のように遠慮っぽくういういしい、懐かしい感覚となる。  

 私は一歩、二歩スキップして、自分が迎えるであろう最期の時を考えてみるだけでも、一層心が豊になるだろうと思う。


7/10(水) 快晴 暑い 飯川病院勤務 
1:00起床。新聞・文献チェック、歴史関連書籍他。外仕事は無理、8:00飯川病院から応援の要請ありレガシーにて出勤、院長外出、入院・外来患者対応する。昼微睡、自炊化すすめる。19:10バス帰宅、夕食、20:55就眠。歩数計14357歩。

家庭菜園・園芸2019(3) キウリ最盛期 ダリアが咲き始めた
 私の野菜つくりなど、食糧生産などとは一切言えない。我が家の食卓に一時期上る程度である。コスト面でも赤字である。スーパーで買うほうがはるかに安い。

(今朝収穫したキウリ 連日の食事がキウリ三昧 嬉しくもあり・・・)

 雑草の処理も大変。ただ、自然に触れる喜びもあり、天候問題、農漁業問題、食料自給率、世界の食糧不足、温暖化、太陽の恵み、土のめぐみ・・・にも関心が向き、私の視野が広くなっていく。いま土、土壌に関する書籍に取り組んでいる。

 今年は住宅の前のスペースにダリア中心に植え、余ったスペースにはキウリ、ネギを植えた。お盆頃にはダリアの前にネギの姿か見ものだろう。ダリアに十分陽がさす様にカキの木、クリの木を枝を大幅に落とした。その効果がいかに出るか楽しみである。

 花の世話も決して楽ではない。休日が作業の中心であるが、休日が雨降りだとがっかりするし、飯川病院の日当直に当った日が晴天だと心穏やかに過ごせない。

 ダリアは今季は5季目。
 昨秋、越冬のために掘り出した球根は予想に反して、何故か小さく、弱々しかった。ちょっとガッカリし来季を危惧した。凍結させない様に新聞紙に包み書斎の隅で越冬させた。

 5月初旬、球根は乾燥し半分ほどに縮み、中には鉛筆の如く、哀れな姿となっていたのもあった。乾燥過剰状態で発芽が危ぶまれたので、自己流であるが外に並べ太陽の光を浴びさせ、一日一回球根に水分を与えてみた。3-5週間ほど続けたところやっと新芽が現れ始めた。新芽を確認した球根から適宜花壇に植えた。昨年は14株植えたが今年は10株に減ってしまった。
 無事成長するか危惧されたが、植えてから3週間ほどで全株発芽したから開花が楽しみである。

 昨日、まだ一種類であるが、ついにダリアが開花した。「不動心」と言う種類で力強く且つ美しく開花した。他種の株も花芽が徐々に膨らみつつある。楽しみである。

(不動心)

 かつては樹木や草花までは私の関心は及んでいなかった。第一線を退いて初めて開かれた興味である。今は図鑑やカタログで楽しむほどになった。
 それだけ、かつては狭い世界で生きていたんだな・・・、と反省している。


7/9(火) 快晴曇小雨  外来 飯川病院 日本一周徒歩静岡県に到達
0:30起床,新聞、文献読み、自炊2冊、その他いつものごとく。5:30可燃ゴミ提出。徒歩7:00バス飯川病院。8:45-13:00中通外来。飯川病院へ、微睡、14:00-18:20飯川病院。入院患者対応、19:10バス帰宅、19:30夕食、20:15就眠。Σ10017歩。自炊進める。

徒歩通勤(4)2019 日本一周徒歩 三重県終了し愛知県に到達
 平成13年3月から徒歩通勤を始めた。間も無く6年3ケ月になる。
 歩数計「新・平成の忠孝」で連日歩行実績をチェックしている。
 伊能忠敬が歩いた海岸線をたどり、東京を基点に、東北、北海道、日本海側の海岸線を経て、九州、次いで四国一周、再度本州に戻り岡山県、兵庫県日本海側を経て大阪、本年1月7日和歌山県、3月14日三重県を通過、本日愛知県に入った。

 平成13年3月から本日平成31年7月9日時点までの積算データから分析してみた。
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■歩行開始後 2.290日目、6.3年。
■総歩数 Σ2.171万歩 (平均9.480歩/日)。
■歩行距離 Σ17.372Km(平均7.59Km/日)。
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 三重県通過のデータ。
 三重に入ったのが3月14日、愛知に入ったのが7月09日。

■三重県の海岸線は948Km、
■三重県通過の所要日数 118日。
■一日平均歩行距離 8.03Km。
■現在の位置 日本一周目標の93%終了。
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 最低1日10.000歩を目標にしていたが、兵庫県通過中は9.000歩、大阪・和歌山通過中は9.400歩、三重県通過中は9.900歩と目標には達していない。

 今年は全コースの徒歩通勤はしていない。1時間余の連続した徒歩は体調不良が生じうるために自信なく、基本をバス通勤にした。さらに、天候や業務の都合で自分でボロ・レガシーを運転して出かける頻度も増えた。その為、病院周辺はこまめに歩いて歩数を稼いでいる。
 
 通過した三重県は海岸近くの熊野市、志摩市、鳥羽市、伊勢市、津市、四日市市、松坂市など知っているが、私は三重県を訪れた記憶はない。地名の多くはNHKのど自慢開催地として、高校野球甲子園大会の代表校を通じて、かつての公害などの社会問題で知っていたに過ぎない。松坂市は長女の婿殿の出身地である。
 伊勢神宮にはいつか・・と思っていた時期もあるが、もう歳だし、諦める方がいいようだ。


(愛知県、名古屋市付近。引用フリーの地図から引用した)

 いま歩き始めた愛媛県の海岸線は509Kmと長い。
 体調はまだ不良で今一つ。1日8Kmの低ペースにして、64日、9月上旬中に通過出来れば良いと考えている。


7/8(月) 快晴暑い 健康クリニックドック  飯川病院
0:30起床、医学文献等など中心に読書、録音データ整理。5:00畑花壇に散水、7:00バス飯川病院着。9:00-11:15健康クリニック、ドック14名、レントゲン読み14名、結果説明1名。11:30飯川病院で文献読みなど、微睡。14:00-19:00業務。入院患者対応。Σ9951歩。19:30帰宅夕食、20:30就眠。自炊3冊。昨年ダリア4鉢開花、今年はまだ蕾。

人生100年時代(11) リバースモーゲージ(2) 国の事業としてやったら?
 今の高齢者は、一部の例外を除くと蓄財はそれほど多いわけではない。少なくとも年金だけで暮らしている夫婦が2−3000万円も蓄財しているとは考え難い。

 しかしながら、年金世代は多くの場合は蓄財が少なくとも住宅や不動産を所有していることが多い。これをリバースモーゲージとして利用すれば、生存中はそのまま住み続けることができ、かつ現金も得られるから、有効な方法となろう。

 わが国では核家族化が当たり前になってきている。
 新所帯を持った次世代は、例え親の近くで生活していたとしても、親が長生きして何時迄も住宅が空かないから多くの場合、自分たちで新居を建てる。ましてや遠方に分かれて生活しているときは尚更である。

 親世代は、何れは体力的に自宅で生活できなくなり、死亡したり、施設に入所する。そのために親の家は空き家化してくる。私の通勤路の傍らには徐々に空き家が増えている。次世代が家を持つ事はわが国のGDPを一時的に上昇させる効果はあるだろうが、空き家が増えて社会経済的には大きな損失となる。

 また、子供達には相続敬遠の動きもある。現金とか有価証券等は別であるが、自分たちが住まない親の住居や不動産なんかを相続しても何らメリットが無いからである。これも、かなり社会的に無駄になっている。
 子供達の世代は、自分の子供達の、要するに高齢者世代から見て孫たちの教育資金や住宅ローンを抱えて経済的余裕が無いのが一般的である。晩婚化もしているから定年間際まで支払いに追われ、蓄財する余裕などない。ましてや親を見る余裕など無い。親の不動産は親がそのまま老後の資金として活用すればよいという、一昔前とは異なった意識になっている。

 従って、親世代は子供達をあてにせず、自分たちの不動産を担保にして不足する生活費を賄えばいい。これがリバースモーゲージである。
 これを国が賄えば、国は一定の原資が得られるし、うまく運用すれば、社会保障費用や年金の維持に充てることが出来る。ただし、制度的に改変するべき点は少なくないが・・・。

 リバースモーゲージは高齢社会で収入がなく、社会的立場が乏しくなって有効な融資を受けられない世代にとってはいい方法だと思うが、今だに知名度は低く、あまり活用されていない。

 私はリバースモーゲージは我が国を救う手立てになるのではないかと思っている。


7/7(日) 快晴暑い 飯川病院日直 町内会役員会議
  O:10起床、読書、文献チェック。録音データ整理。微睡。自炊。8:340飯川病院日直
。患者は落ち着いている。映画「きみの膵臓を食べたい」2回目視聴、やっとストーリーを理解できた。19:00ケヤキの切り株運んで帰宅、そのまま 町内会役員会議20:00終了夕食。20:55就眠。歩数計89434歩。

人生100年時代(10) リバースモーゲージ(1) 国の事業としてやったら?
 先月上旬、現役を退いてから年金生活をしている夫婦が95歳まで長生きしたらどうなるのかの試算が発表された。
 2000万円ほど蓄財を取り崩さなければならないとあり、社会に大きな衝撃を与えた。実際には3000万円近くの計算になるはずである。これほど蓄財して年金生活をしている夫婦は極めて稀と考えられる。

 「家計の金融行動に関する世論調査 平成27年調査結果(金融広報中央委員会)」で見ると、貯金額の平均額は70代以上の世帯で1,350万円、一方で、70代以上で金融資産を持っていない世帯は2人以上の世帯で28.6%となっている。
 よく、「日本の高齢者は金持ちだ・・」と言われるが、私の正直な感覚では、随分豊かな人もいるものだと感心する一方、厳しい世帯はその何倍も多い、と思う。

 結局、長生きすると、収入面での改善は最早期待し難いため、生活が苦しくなったら、生活保護ということになる。国は年齢とともに細ぼって行く下層にある高齢者を何としようとしているのか。今まではそれに対する政策を明確にしてこなかった。事実をつかんでいたのに、先月まで話題にもしていなかった。これは隠蔽である。

 少子高齢化の中で年金制度は無くなる事はないだろうが、将来的には年金額が今の半額程度になる可能性がある。そんな状態で貧困化した高齢者に生活保護を広げたら国の経済は簡単に破綻する。困窮者は生活できなくなる。

 私はこの点での問題を解決する方策として、国がリバースモーゲージと称される、自宅を担保にした年金制度を併用すればいい、と思う。自宅を担保にして老後資金を借りることができる。年金生活で苦しい、現金が欲しい、さりとて収入の道はない、などの人に適応すればいい。

 自宅を担保にしてまとまつた金額を借りる事ができ、利息を払いながら家に住み続けられる仕組みである。不動産はそのまま所持しながら老後生活に不安・問題を抱える高齢者の資金調達手段として考えればいいと思う。

 現在、一部の保険会社などでリバースモーゲージ保険を販売している。保険会社も経営が苦しいために宣伝も乏しく知名度は今一つであるが、国が運用することで年金の原資が得られ、担保としての不動産は国有地になるから、国の資金不足はかなり解消するのではないか?

 リバースモーゲージは自宅の土地や建物を担保に入れて金融機関から融資を受ける点では住宅ローンと同じだが、返済の仕組みか大きく異なっている。住宅ローンが元本と利息を毎月返済するのに対し、リバースモーゲージは利息のみを毎月払うだけでいい。元本は生存中は返す義務がなく、死亡後に担保である土地や自宅を売却するなどして一括返済する仕組みである。 


7/6(土) 快晴暑い 室内配線再調整 畑・園芸
2:50起床、少量ながらアルコールの影響か。新聞・文献チェック他いつもの如し。録音データ大量整理。9:30外仕事に、ガレージに電源設置、外の水道のホース水漏れ修理、キウリ・ナス多数収穫、ネギ周辺の草むしり、不慣れで数本ダメにした。12:10昼食、エアコン設置時に抜かれた多数のコンセントを床を這わせない状態で再連結。3時間ほど要した。本雑誌数冊自炊データ化。微睡。有機肥料散布。散水。19:00検食。20;30就眠。歩数計8774歩。

コンピューター関連機器の故障、不調対策の困難さ(2):電話が繋がっても!!
 電話が各社のサービス部門に繋がっても、直接担当者が電話口に出ることはなく、多くは音声ガイドである。
 これがまた面倒くさい。
 「修理の方は1番を、ユーザー登録の場合は2番を、・・・」と番号が次々と読み上げられ、それを選ぶとやっと修理担当部署に繋がる??と思っても必ずしもそうでもない。この時点でも数分待たされることもある。ここまで頑張ってやっと係りの担当者が出る。

 ここまでの間はなんとも対応できず、ユーザーの立場ではひたすら電話がつながるのを待つだけである。人の声となるとホッとする。
 担当者に対して「なんでこんなに電話が繋がらないのだ??・・・」と愚痴りたくなるが、愚痴ってもその部門の担当者でないからなんら解決しない。耐えるしかない。

 修理担当者のレベルも様々でがっかりすることも少なくない。その場で対応方法など色々教えてくれるが、多くの対応法は自分でも試し済みである。結局はこの段階では解決ぜず、当該の物品を修理センターに送ることになる。ここまでの道のりが実に長い。半日係、時には数日がかりである。

 修理を各会社のホームページを介してメールで質問することもできるが、これまた返事が遅く数日かかることもあるので私はもっぱら電話で相談する。

 こんな便利な時代になったのに、多くの社のサービス部門の対応の仕組みは最悪である。

 家電製品も頻回に故障する。私はほぼ例外なく市内の家電販売店で購入するから、修理の対応に困った事はない。

 もう一つ、コンピューター関連機器の故障ではないが、私が経験した困惑事例はJALのチケットの予約に関連してである。
 肝心の予約番号を失念し、その状態ではメールによる予約状況の確認は不可能、かつ電話も数日間に渡って何度も試みたが一度も繋がらなかった。最終的には搭乗できたが、冷や汗ものであった。<a href="https://blog.goo.ne.jp/mfukuda514/d/20180419">第115回日本内科学会総会講演会で京都(4) 雑観 JALの予約状況確認が困難</a>
 私が予約番号を忘れたことが原因であったが、JALの電話によるサービス部門の機能にも問題があると思った。

 各社のユーザー対応に関しては一考を要すると思うケースが稀でない。


7/5(金) 午前小雨 午後快晴  大曲中通病院外来  飯川病院勤務 飯川病院歓送迎会
0:30起床。文献読みなど。新聞雑誌スクラップ入力。録音データ整理、5:00可燃ごみ集配所に。7:30Taxi駅に。8:11こまち、病院徒歩、橋の欄干に七夕飾り。9:10-12:00大曲外来。帰路歩行。暑い日。13:30検食、飯川病院勤務外来入院対応。 BR disk視聴:そこまで言って委員会:教育問題。18:00飯川病院歓送迎会、周りのアルコール量に圧倒された。とてもついていけない、次回から考えねば。21:15Taxi帰宅、直ぐに就寝。歩数計12846歩。掃除機故障再購入。

コンピューター関連機器の故障、不調対策の困難さ(1):電話が繋がらない!!
 私がコンピューターを導入したのは1992年であった。それまで毛嫌いしていたパソコンに踏みきったのは、エプソンのワープロの故障で、なかなか修理がうまくいかずやむなくパソコンに切り替えた。憶測であるが、この頃エプソンはワープロから撤退したこともあって、サービス体制を薄くしていたのかもしれない。

 ただ、コンピューターへ乗り換えは今となってみればメリットの方が遥かに多かった。今はエプソンのユーザー対応の拙さに感謝している。

 それから30年、時代の流れに合わせ・・・と言っても、難しくてついていけないこともあったが、私はパソコン、および周辺機器を次々とグレードアップし、仕事に趣味に、記憶力の補充に、日々の記録に頼りっきりとなった。
 今では、音楽視聴、読書、専門誌の勉強、美術鑑賞なども含め、全てパソコンと周辺機器によっている。現在、予備のを含め、パソコン8台を稼働し、いつでもどこでも利用している。この間、私の周辺から去っていった電子機器は数知れない。そのうちのいくつかは故障して修理を諦めたものもある。

 パソコンや周辺機器の故障に悩むことは結構頻回である。

 パソコンはマックしか用いていない。マックの場合は故障してもユーザーへの対応がとてもいい。不満はないというと嘘であるが、ほとんどない。

 周辺機器の場合は不満が大きい。
 全てではないが、対応にちょっと困惑したのは、ソニー、IO-DATA、エプソン、キャノン、など。

 一番困ったことは保証書やネットから探し当てた相談窓口の電話がなかなか繋がらない、あるいは一切繋がらない事である。

 昔のことに話を戻すと、ソニー、エプソン、キャノンなどは秋田市内にも取次店があって、購入もそこからで、故障の際はメーカーとユーザーの間の仲介を果たしてくれた。いつからかわからないが、パソコンや周辺機器はメーカーの直売センター、大型家電店、通販等で入手することが当たり前の時代になって、身近にあった販売店、代理店はほとんど姿を消してしまった。

 故障の際には各会社のユーザーサービスセンターで一元的に受けるようになっているが、これの機能が良くない。私の感覚では最悪に近い。

 対応はピンからキリまでいろいろであるが、最悪のをピックアップすると、最初から一切電話に出ない会社もあった。一旦繋がるものの音声案内で「ただいま電話が混み合っております。このままお待ちいただくか、後ほどお掛け直し下さい・・・」である。後者の場合、そのまま待つと10分、20分、・・それでも繋がらない。ここまで繋がらなければ電話代金も考えて諦めざるをえない。
 
 日時を変えて電話し、通じる迄に3日間、要した時間は延べ1時間近くかかったこともあった。(続く)


7/4(木) 降雨曇り午後快晴 外来 飯川病院 エアコン取り付け工事
1:30飯川病院で起床。新聞チェックし文献、歴史書を読む。自炊数冊、8:20中通病院着、8:50-13:00中通病院外来。14:00-18:45飯川病院。入院患者対応。文献チェック。19:30帰宅、夕食、 21:30就眠。歩数計9272歩。昨年、 14万枚スキャンしてくれたScan-Snap昇天す。

人生100年時代(10) 無駄な医療の指摘は医師が主体的に進めるべき
 いま保険診療で認められている個々の医療が現実にどう使われ、どんな効果を上げているのか、ビッグデータを活用して検証し、費用対効果で優位性のある結果が出てこないものは保険診療から外す、そういう具体的な検討に入るべき時期である。

 「Choosing Wisely」は良識ある選択、とでも役するのが良いのか。医療の無駄を廃するために2012年に米国で誕生し、国際円卓会議には21ケ国が参加するまでに拡大している。米国で75の学術団体が495項目に及ぶリストをあげた。その一つ一つは検証する必要があるが、日本ではその考え方自体が従来からの行ってきた医療の否定を含むために、普及は簡単ではない、と考えられる。
 私は臨床医各人が項目を検討し、その考え方を身につけるべきである、と思う。
 「Choosing Wisely」では多剤療法や過剰な医療の再検討が行われていくであろう。現実には現場の医師が作ってきた医療文化の結果だから改善していく道はイバラだろう。

 医療には「アクセス」、「質」、「費用」という重要な三要素があり、互いに相反する意義を含有しているから、同時に三要素を改善することはできない。「質」を保ってかつ医療費を抑えるとすれぱ「アクセス」を制限せざると得ない。このバランスをいかにとるか、どの項目を中心に据えるか、によって今後の医療が変わっていく。

 AIが医師の代わりになれたら、多分、人件費、無駄な医療を選別することで医療費の削減ができるだろう。AIは結果を示すことができるが途中のプロセスの説明はない。だから、患者の不安をくみ取り、解決に導くという医師の本来的な役割は担えない。今でも時折見られるが、AIで置換できるような医師なら初めから不要である。診療の補助により効率化、生産性を上げ、医療費の削減は可能とは思うものの、AIが医療の中で主流を占める状況は予想するだけで不快になる。

 人生100年時代を迎えるにあたって、どこまで公的医療でカバーすべきなのか、という難しい議論をする必要がある。
 長生きは本当に幸せなのか?という問いも自ら考える必要がある。尊厳死と言われ様な、死を待つコースに自分の最後を委ねるかいなかも含めて、考えるべきである。

 いずれにせよ、超高齢化社会では自立できない高齢者が増えていく。


7/3(水) 快晴 暑い 飯川病院ボランティア+当直 年金窓口相談所支給停止について
1:10起床。文献・新聞チェックなど。収穫、午前中にきうり等のつる処理、収穫など。11:50バスにて薬局経由、徒歩飯川病院。12:40飯川病院ボランティア。14:30秋田駅アルヴェ年金相談、支給停止額の問い合わせ。年金って不思議な仕組み。帰路暑くてパーラーに寄る。新聞データ化など。文献・新聞チェック、17:00当直勤務、18:00検食、21:20就眠。歩数計9230歩。

人生100年時代(9) 長命化時代の医療は無駄を排して
 健康寿命の延長が医療費軽減につながらないが、自分が健康になり人生を享受するため投資であると考えれば、基本は自分一の財布から費用を負担すべき。

 いま、我が国ではGDPあたりの医療費は11%ほどである。高齢者の経済状態が明らかになって、社会保障費も増えていく流れにあるときに、これ以上の負担は耐え難くなる、と思われる。

 我が国には国民皆保険制度があり、厚い補助が受けられている。医療費の自己負担は若年者で3割、高齢者は1-2割負担である。
 そのために患者の医療費に関する考え方は、イヤ、現場の医師の考えも狂っているとしか思えない。

 検査の頻度は一般に過剰である。全く無症状なのに、患者は年に1-2回全身的評価を含めて検査を希望する。MRI、CTをも希望する。それに応じる医師は良い主治医とされる。私も断りきれないことがあるが、拒否するのに疲れる。患者には「頻回の検査など不要・・」は通用し難くなっている。医師もデータデータを騒ぐから患者もそうなってしまう。

 このような検査は自費扱いにするか、人間ドックで代用してもらおう。
 また、薬が多すぎる。後期高齢者が、寝たきりに近い方も、20種類もの投薬を漫然と受けている例も散見される。これほどの投薬に患者が耐えているとすれば、基本的に丈夫であり、一つ一つの薬剤が体内で有効に働いていないことを示唆している。

 皆保険に関する専門委員会、政治家の考え方も、通院、投薬、検査に関して拡張路線上にある。私は無駄が多すぎると思う。現状の延長線上で考えると早晩破綻が来る。
 大事な医療には投資をするが無駄は排除する、と医療者自身が考えることが必要である。

 医療費を払うなら質の良い、効果の高い医療を受けさせたい。効果のない、あるいは効果が乏しい医療は行うべきではない。現在の医療のどこに無駄があるかは医師をはじめとする現場の医療者にしか判断できない。日本医師会は国民皆保険の堅持を主張している。しかし、皆保険を将来的に維持するために現場の医療関係者に提言することはなく、常に拡張路線上にある。

 フランスでは昨年、認知症薬を公的保険の対象から外した。費用対効果の面から効果が乏しいから、との理由と聞いている。
 私は、感冒とか軽い胃腸炎とかは保険診療から外すべき、と思う。
 また、検診とかで発見され、疾患としてまで至っていない脂質データ高値、血糖高値なども保険診療の対象外にしてもいいと考える。医療に乗せる以前にやるべき事、運動とか、禁煙、体重コントロールの方が重要であるが、受診すればまず投薬が始まる。このような場合、服薬は生涯続く。こんな無駄はない。


7/2(火)曇り、降雨 中通病院外来 飯川病院
1:00 起床。文献など読む。蓄積データ整理。5:00可燃ゴミ出し。ネコ世話、畑収穫、ダリア開花間近。7:00バス飯川病院。8:45-13:00中通病院外来、院内紹介状複数名記載。13:10飯川病院、14:00-19:00勤務。19:30車帰宅、夕食、20:45就寝。歩数計7519歩。

四季2019(7)夏至 残念、今年も気がつかずに過ごした 
 自然の移ろいを楽しむ心境、辞世の句などを楽しむのも終活の一つ、ととらえてこの辺の変化に感受性を高めてきた。とは言うものの、今年も、私にとって重要な季節の節目である夏至を失念して経過してしまった。

 2018年は「6月21日(木)」、今年は「6月22日(土)」であった。すっかり失念していた。 サクランボと夕張メロンに気が取られていた。
 二十四節気は毎年日付が異なるのは日本人の生活に密着した暦だからである。夏至は、6月21日〜6月22日になる。
 北半球の日照時間が最も長くなる日で、高緯度の北海道では16時間40分程度、低緯度の沖縄では13時間50分程度である。

 最近はam3:00ころから東の空からしらじらと明けて来る。
 夏至近く、秋田の日の出はam4:11。冬至はam7:11で、夏至と冬至の頃とは約3時間もの差がある。

 冬至の日はうれしい これからどんどん明るくなるのだと思うと、まだ厳冬だというのに心が明るむ。
 一方で、夏至は嫌だ。まだ梅雨も明けていないのに、あとは明るい時間がどんどん短くなつてゆくばかりだから。悲観的、下向きの性格の私は半年も先の冬の訪れを今から思ってしまう。

 私はカンカン照りで汗だくで過ごす真夏が好きである。しかし、徐々に日照時間が短くなり、季節は秋に向かって変化する。実際には気候としては2ケ月遅れて変化する。8月14日には天候としてはまだ真夏であるが、私は秋の雰囲気を先取りし、気持ちの上では寂しくなる。

 夏至を失念して7月を迎え、いまになって慌てて夏至近辺の季節感を味わっている。

 二十四節気は半月毎の季節の変化を示しているが、これをさらに約5日おきに分けて、気象の動きや動植物の変化を知らせるのが七十二候。二十四節気と同じく古代中国で作られた。二十四節気は半月毎の季節の変化を示しているが、これをさらに約5日おきに分けて、気象の動きや動植物の変化を知らせるのが七十二候。二十四節気が古代のものがそのまま使われているのに対し、七十二候は日本の気候風土に合うように改定された。
 七十二候には、気候の変化や動植物の様子が短い文で表されています。おおかたはその時期の「兆し」を伝え、繊細な季節のうつろいを感じさせ、実務的には農作業の開始時期などを示してくれる。

 ところで、2016年4月からラジオ深夜便で『ピアノが奏でる七十二候』という、意味不明なコーナーがあった。
ラジオ深夜便と共に過ごす2017(2) 『ピアノが奏でる七十二候』(1) https://blog.goo.ne.jp/mfukuda514/d/20170106

 ピアノソロで1-2分程度の小品が週4日間放送される。作曲家でピアニストの川上ミネ氏が七十二候のそれぞれのイメージをもとに作曲した小品である。音楽は好きだが、作曲家が抱いたイメージを感じ取る程の能力も感性もない私にとって、何のためにこれだけの期間継続して放送しているのか??が、私の正直な気持ちである。はっきり言ってこの「ピアノが奏でる七十二候」は作曲者の独自の感覚で作られたもので、作曲者の意図が汲み取れなかった。「ピアノが奏でる七十二候」は私にとって邪魔な存在であった。それがこの3月で終了した。ほっとしている。ただし、小品一つ一つの魅力は十分にあった。せめて番組の開始でなく終了時に流してくれたら良かった。ラジオ深夜便はその時間が来たらすぐにその日の話題に入って欲しい。・・・と思った。

 なお、この小品集はCDで発売されている。


7/1(月) 曇り 健康クリニックドック  飯川病院
0:00起床。文献処理。新聞チェック。録音データ整理。自炊3冊。
7:30徒歩飯川病院着、9:00-11:30健康クリニックドック診察13名、結果説明2人。12:00飯川病院に移動、微睡、14:00-18:45勤務、19:00帰宅・夕食、21:30就眠。Σ6227歩。

新年からもう6ヶ月も経った 時間の移ろいは実に速いとしみじみ思う
 「老後の一日は値千金に相当する」とはよく言われてきた言葉である。実感、実感。
 「朝の笑顔、夕べのしかばね」を念頭に置いて日々を過ごしているが、大きく健康を損なったらそれまで。そういう確証の無い不安定な日々だからこそ、毎日が一層味わい深い。大切にしたい。

 新年を迎えてからもう半年経過した。私の記憶力はかなり劣化してきた。この半年間は具体的出来事の記憶としてほとんど残っていない。今ここに居ることは継続的に存在したことの証であるが、この徒然の記録、新聞雑誌から収集している毎日のスクラップなどをハードディスクから呼び出すと、毎日の出来事が、思索内容が思い出され、生きていた事が実感できる。

 ちょっと気力が萎えてきているが、そんな効能もあるから日々を記録し続けることに意味を感じている。

 私が費やしてきた人生は約2.5万日に相当する。実に長い。しかし、全体として眺めてもそんな長いという実感は無い。

 現役を完全に引退すれば、時間が全て自分の時間ということになるが、私はまだ勤務していて、ウイークデイは労働、拘束時間に今も12時間程度費やしている。8月から木曜午前外来がなくなり、勤務時間が減る。自由になる時聞が増えるので楽しみにしている。

 今は私は健康管理など何もしていない。今から健康管理しても先が伸びるか分からない。運がいいか否かだけに頼っている。

 確かに日々残り少なくなる時間は惜しい。
 心ある人は、時間の損失をもっとも悲しむ、と言う。私もちょっと前まではそうであったが、今はそう緊張した生活はしていない。思うがまま、流されるまま時間を失ってもそれほど気にしない。そんなゆったりとした気分で過ごしている。

 私は21:00頃就寝し、起床はam1:00頃で、早朝をマイペースで過ごしている。
 だが、歳とった今は流石に疲れるので、午後の勤務、ボランティアが始まる14:00前に飯川病院で1時間余午睡をとる。一日2回の分割睡眠、失う時間も無いし、人に気遣う必要もないから心のおもむくまま。この午睡の楽しさ、心地よさ、を退職してから知った。

 もう、それほど未練もない人生であるから、マイペースでゆったりと過ごせれば良い、と考えている。ゆったりと過ごす日々の生活、これは私にとって重要な終活の一つである。就活は物を整理することだけではなく、生き方を整理することでもある。
 もう今更焦ってもしょうがない。残りの時間で出来る事も少ない。そのために私も2年ほど前から気まま路線に切り持えた。ついでに葬儀屋も予約した。


6/30(日) 曇り、時に小雨模様
0:00起床。新年を迎えて6ヶ月経過、速い。 本読み、文献読み、整理。午前は新聞チェック、データのコピー、10:30収穫、畑の苗世話。12:00NHKニュース、のど自慢観る。13:00-15:00再度外仕事。カップに豆種まき第二弾用。以降座学、BR disk「読売日響:新常任指揮者ヴァイクレによるブルックナー交響曲No9第2楽章」,「N響幻の名演奏シリーズ、H.Stein Beeth 運命、 アンセルメ火の鳥、Pフルニエほか」。19:00夕食。21;30就眠。歩数計 Σ8198歩。

人生100年時代(8) 少子高齢化のもとで寿命が伸びれば国は窮地に
 国が進める健康寿命延長の施策、検診、がん検診、人間ドックなどがどの程度の生命延長効果があるのか、科学的根拠はまだ十分ではない。個人に対する生命延長効果は明らかにあると思う。しかしながら、集団としてみれば、寿命が長くなるのは社会の変貌の結果であり、検診とかの効果のためではない。
 例えば、メタボ健診の重要な項目である男性85cm・女性90cmという腹囲の基準の意義も解決していない。運動不足、過食による肥満は種々の合併症の原因となるという悪しきイメージはある。

 厚労省は2006年メタボ健診によつて2025年に約2兆円の医療費を削票するという目標を褐げたが、それが出来るという科学的根拠は全くない。逆に、発見された高脂血症、糖尿病、ガン等の治療のために医療費は増大している。

 そもそも医療費はなぜ増えていくのか??

 医療費増に及ぼす大きな要因は、■医療技術の進歩、■受診対象者の増加、■疾患像の変化である。
 近代医療の黎明期には感染症が大きな比率を持っていた。感染症の場合は治療期間は短く、医療費はそれほど大きくない。重症患者は死亡し、軽症患者は治癒するからである。しかし、現代のようにガンや糖尿病の様に生活習慣病が中心になると、劇的に病気が治つてしまうことはなく、疾患のコントロールが中心になる。したがって一度医療を受け始めた場合、生涯継続する必要が出て来る。これを国が全て支えるのは難しいだろう。

 進歩が目覚ましいガン医療の場合も、新しい治療薬や技術の進歩があって、いずれも非常に高価なのに早期発見例以外は完治は難しい。
 医療技術は日進月歩で国民もそれを享受している。この喜びを政治的にコントロールすることはできない。

 ならば、医療費の増加を国の財政が支え切れるのだろうか。
 医療費の増加を抑制する必要はあるが、少子高齢化、寿命の伸延に伴う社会保障費という視点で捉えれば、国は窮地に陥っていく。

 なのに、政治を見ていると、国民の考えを見ていると、危機感が極めて乏しい、と思ってしまう。今回の2000万円不足のニュースは甘い考えに一石を投じた、と私は喜んでいる。


6/29(土) 曇り午後から降雨 
1:00起床、各種データチェック、新聞文献PDF化。本読みほか。ネコの世話など。9:00-9:30サンキュウカット店にて散髪、1080円から1200円に値上がりしていた。畑、庭の草刈り。今季2巡目ほぼ終了。ついでに草むしりも。午後は座学に。BR disk視聴「題名のない音楽会:チェロ特集、宮田大」。「読売日響演奏会:新常任指揮者となったヴァイクレによるブルックナー交響曲No9第一楽章」視聴。19:00夕食。20;40就眠。歩数計Σ11509歩。自炊数冊。

人生100年時代(7) 健康寿命を延ばしても医療費削滅効果はない
 人生100年時代は国の財政にとっても、個人の経済にとっても、健康維持と言う意味でも相当しんどい状態をもたらす。

 ざっと考えてみれば、体力がおとろ得てくる高齢者は存在するだけでも、経済という面から見るとかなり費用がかかる。高齢化は社会保障費がかかる。さらに少子化はその原資を乏しくさせる。要するに、国の財政は人口減・少子高齢化の結果として逼迫して行く。

 健康で長生きすれば一般的に医療費はかなり軽減するものと、イメージ的には考えられる。しかしながら、健康寿命を延長しても医療費は軽減しない。
 近年の治療対象疾患はガンや生活習慣病が中心。だから健康寿命を保っていてもいずれは病気は進行し、重篤化する。要するに、生涯にかかる医療費には影響しない。予防医療は医療費がかかる時期を先送りしているだけで、医療費を減らす効果はほとんどない。
 寿命も長くなるので、一生にかかる経費の総額はむしろ増える。経費だけでなく、生きていくだけでエネルギー消費、栄養摂取、排泄行為等で地球を汚染する。

 メタボ健診、がん検診なども同じこと。経済的価値は乏しい。これは専門家の間ではほぽ共通認識されている。それに反するような意見やデータも散見するが、この結論を覆すことはできない。

 早死にすれば医原費がかからない。それは自明の理である。しかし、これはまつたく本末転倒の論理。

 予防医療は健康という価値を得るためで、医療費を削滅するためにやるものではない。健康寿命の延長そのものにはお金がかかるし、それで長命がもたらされるとすればそれだけお金がかかるし、さらに、病気になれば医療費がかかることになる。国は国民向けの宣伝として健康寿命の延長を求めている。しかし、そこには医療費が軽減するという論理性は成り立たない。

 医療費が削減できる予防医療は例えば、子どもへのワクチン接種などがあげられる。それによって子供や若者が病気にかからずに済み、子どもが大人になり天寿を全うするまでの間に働いたり、人生を楽しんだりする効果を通じて経済的に寄与する。これに反して、高齢者の場合は、ほとんどの予防医療は効果があっても一過性であり、結果的に医療費も増える。

 かけがえのない健康を勝ち取り、維持するためにも、効果のはっきりしている方法には投資は必要であろう。ただそのような効果が明解になっている方法は少ない。私は、一般的に流通しているサプリなどはほとんど意義を認めない。


6/28(金)小雨午後曇り 大曲外来 年金相談予約 飯川病院ボランティア
1:00起床、文献検索、新聞チェック,本読み他.5:00可燃ごみ処理、提出せず。7:30Taxi飯川経由駅へ。8:11こまち、9:10-12:15大曲外来。駅往復徒歩不可。13:30Alve年金相談予約、Taxi飯川病院勤務、岩銀スタッフ来訪、微睡。自炊数冊、19:10Taxi帰宅。夕食、20:30就眠。歩数計Σ6765歩。

人生100年時代(6) 健康寿命を延ばしても生活費削滅効果はない むしろ逆
 人生100年時代と言われるように超高齢化社会に突入した日本。
 人間の生き方として、人生100年時代が果たして幸せなのか?もともとそんな議論があった。私は幸せな高齢化社会はないとの視点であるが、一般的にはそう考えられていない。

 先月上旬、現役を退いてから年金生活をしている夫婦が95歳まで長生きしたらどうなるのかの試算が発表された。
 2000万円ほど蓄財を取り崩さなければならないとあり、社会に大きな衝撃を与えた。実際には3000万円近くの計算になるはずである。

 金融広報中央委員会「家計の金融行動に関する世論調査 平成27年調査結果」で見ると、貯金額として普通貯金と定期預金に限った金額の平均額をみると、70代以上の貯金額の平均は2人以上の世帯で1,350万円となっていているが、一方で、70代以上で金融資産を持っていない世帯は2人以上の世帯で28.6%となっている。私の正直な感覚では、持てる方々は随分持っているものだと感心する一方、厳しい世帯も多いと思う。

 結局、長生きすると、収入面での改善は期待し難いため、生活が苦しくなったら、親族からの援助か生活保護ということになる。と入っても、子供たちの経済力にはそれほど期待出来ない。国は年齢とともに細ぼって行く経済的に下層にある高齢者を何としようとしているのか。今までは明確にしてこなかった。事実をつかんでいたのに、これは隠蔽である。

 高齢化と病気罹患率は切っても切れない関係にある。
 病気を予防して「健康寿命を延ばせぱ長生きしても医療費は減らせる」、と考える人は多い。政府もそういう期待を振りまいてきた。しかしながら、その効果はほとんど期待できない。
 
 大前提として「健康寿命を延ばして長生きすること」は万人の、一部は異なった考えを持っているとしても・・・、望みであるから、健康寿命の延長は絶対に推進すべきである。健康というかけがえのない価値が得られる喜びはとてつもなく大きい。これを経済を視点に考えるならば血の通わない論旨である。

 しかし、「健康寿命の延長」によつて医療費を減らすこと、老後の経費を減らすことは不可能である。長生きするとそれなりにお金がかかる。霞を食って生きて行くことはできない。病気にも罹患する機会が増えていく。

 だから、国民の長命化はそれだけ経費がかかることになる。長期的には、高齢者対策費用は、社会保障は、むしろ増える可能性の方が高い。


6/27(木)晴れ午後から雨 外来 飯川病院 
 1:00起床、文献チェックほか、資料整理。本読み。7:10バス飯川病院。8:45-12:45中通病院外来+ドック判定総括14名分。13:00-18:50飯川病院勤務。入院患者処置、BR disk視聴:「そこまで言って委員会」視聴。19:20帰宅、夕食、20:30就寝。歩数Σ10638歩。

本 画文集「炭鉱に生きるーー地の底の人生記録」山本作兵衛著 講談社 2011年 新装版(2)
 「山本作兵衛」氏は迫り来る石炭から石油へのエネルギー革命のあおりを受けて炭鉱の衰退と共に働く場所を奪われ、60代半ばに福岡県田川市にある炭鉱事務所の宿直警備員として働き始めた。
 「子や孫にヤマ(炭鉱)の生活や人情を残したい」と絵筆を取るようになり、自らの経験や伝聞を基に、明治末期から戦後にいたる炭鉱の様子を墨や水彩で描いた。余白に説明を書き加える手法で1000点以上の作品を残した。

 氏は初等教育すらまともに受けていない。ましてや美術教育を受けた経験は無く、水彩やデッサンの技術もほとんど自己流であった。文盲であったが、勉強意欲は強く、成人になってから漢和辞典を写しながら独習したのだ、という。

 福岡県中央部に位置する市田市は市内に残る旧三井田川鉱業所など炭鉱遺産について「九州・山口の近代化産業遺産群」として世界遺産登録を目指したが選考から漏れた。その際、関連資料として紹介した作兵衛作品の記録画は海外の専門家から高く評価された。2010年3月、ユネスコに推薦書を送付し、2011年5月に日本で初めて登録を受けた。

 ユネスコの記憶遺産は、歴史上重要な文献や絵画、音楽などを後世に伝えるのが目的で1992年から始めた事業。これまでにベートーベンの交響曲第9番の自筆楽譜、マグナカルタ、「アンネの日記」など268件が登録されている。これに無名の一坑夫が描いた絵が採用されたことは驚きをもって迎えられた。その背景には、今も行われている国があるが、当時世界的に行われていた石炭採掘の現場を示した資料が乏しかったことも挙げられよう。

 自然や建物など不動産が中心の世界遺産、伝統芸能などが対象の無形文化遺産と合わせ、ユネスコの三大遺産事業ともいわれる。

 これに気を良くしてか、日本ユネスコ委員会は続いて複数の作品の推薦を提出,2013年には「慶長遣欧使節資料」、「御堂関白記」が,2015年には「舞鶴への生還 1945〜1956シベリア抑留等日本人の本国への引き揚げの記録」、「東大寺百合文書」が登録された。

 赤裸々な炭鉱夫の赤裸々な姿を尊敬の気持ちを持って描いている。男はたくましく、女性は生き生きし艶かしい。一説によると2000枚以上書いた、とされている。本格的に描き始めたのは60歳を過ぎてから。
 幼児が母親とともに入坑する絵、母が振り返って子供を見る絵は「筑豊の聖母子像」といわれている。女坑夫が上半身裸で、背に赤子を背負い、カンテラを口にくわえ、200Kgにもおよぶ石炭を運ぶ苦痛に耐える姿は感動的である。


 炭鉱夫の世界にも上下関係はあり、かつ資産家たちの横暴もあった。これらの中で耐えてきた炭鉱夫の姿がこの本の中にみえる。
 
 座右から離し難い本である。


6/26(水)快晴 午後飯川病院ボランティア
 1:00起床、文献チェック,本読みほか、新聞データ化。9:00畑園芸就寝、紫陽花周辺の笹だけ切除、キウリトマト枝まとめと固定、収穫草むしり。DIY店にてスリッパ、座り作業用イスなど購入。11:50バス飯川病院ボランティア、ハイビスカス植え替え散水ほか。19:15バス帰宅・夕食、21:30就寝。歩数Σ17576歩。ダリアは全部発芽した。

本 画文集「炭鉱に生きるーー地の底の人生記録」山本作兵衛著 講談社 2011年 新装版(1)
 5月17日、NHKラジオ深夜便4:00に、映像ジャーナリストの熊谷博子氏の「我が心の人:山本作兵衛」を聴いた。熊谷氏は炭鉱労働者の「山本作兵衛」の生涯と作品について広く世に紹介するために「作兵衛さんと日本を掘る」をいう映画作品を今年の5月、7年がかりで完成させた方である。
 2011年、日本初のユネスコ世界記憶遺産となった絵や日記697点を残した炭坑画家・山本作兵衛に迫るドキュメンタリー映画である。

 熊谷氏は「山本作兵衛」について約1時間熱く語られ、私は感銘を受けた。
 私は「山本作兵衛」に興味があり数年前に本書を購入してあったが、購入時にはさらりと手をつけただけで仕舞い込んでいた。早速取り出し、自炊しiPadで一気に読みきった。

 本書は1967年に刊行された画文集をユネスコ「世界記憶遺産」登録を機に緊急復刊された復刻版である。
 「山本作兵衛」が孫たちの世代のために遺した文章と約150点の図版で、明治・大正期の炭鉱のありのままの姿を記している。
 著者の「作兵衛」は明治25(1892年)福岡県生まれ。7歳の時から筑豊で炭鉱夫として働き、還暦を過ぎて絵筆を握った方である。
 7歳から父の仕事を手伝う。以来50余年、筑豊地方の炭鉱で働き続けてきた。昭和33年(1958年)に、「炭鉱の姿を記録して孫たちに残しておこう」と絵筆を握り、明治・大正・昭和の炭鉱の姿を描き始めた。昭和59(1984年)、91歳で老衰により逝去。過酷な労働に耐えてきたが、長命であった。

 2011年5月、585点の絵画や6点の日記などが、ユネスコが認定する「世界記憶遺産」に国内から初めて登録された。この記憶遺産はベートーヴェン交響曲第9番、アンネの自筆日記などが指定されている。名もない炭鉱夫が書いた文章絵画が「世界記憶遺産」になったことで世界的に驚きを与えた。
 過酷な現場に才人がいて歴史的に貴重な資料が残った。文章も読みごたえがあるが、なんといっても歴史を証言する絵の数々に価値がある。

 当時、子供のころから働かねばならないのは貧しさのせい。乳飲み子の弟を背中にせおって過酷な労働に従事した。炭鉱労働者が、かつていかに劣悪で非人間的環境で搾取されながら働かされていたのかがよく理解できる。実に生活や労働が生々しい。彼らは差別的境遇にあり、炭鉱で働いていたことを堂々と述べれなかった。こんな方々の血を流すような苦労の上に今の私たちの生活があることに感謝せずにはいらない。

 本書に多数掲載されている絵画は写真よりリアル。虐げられてきた人々の話なのに、絵自体に、労働者の表情にもユーモアがある。記憶力も抜群。入浴シーンは人気があって多数が散逸したらしい。女性の姿は神々しく描かれている。表現力と共に論理的思考力にも恵まれていたことがわかる。教育を受けられなかった人の作品とはとても思えない。絵の後ろから作業の音が聞こえてくるほどのリアルさがある。その画集はプロの写真家によるものよりもはるかにリアリティがある。
 本書に多数掲載されている絵画は写真よりリアル。虐げられてきた人々の話なのに、絵自体に、労働者の表情にもユーモアがある。記憶力も抜群。入浴シーンは人気があって多数が散逸したらしい。女性の姿は神々しく描かれている。表現力と共に論理的思考力にも恵まれていたことがわかる。教育を受けられなかった人の作品とはとても思えない。絵の後ろから作業の音が聞こえてくるほどのリアルさがある。その画集はプロの写真家によるものよりもはるかにリアリティがある。


 この百年の間にこんなにも社会が変化したんだ、と学んだ。また、当時、力強く走っていた蒸気機関車などがこのような過酷な労働に支えられていたことにも想いを馳せた。


 この百年の間にこんなにも社会が変化したんだ、と学んだ。また、当時、力強く走っていた蒸気機関車などがこのような過酷な労働に支えられていたことにも想いを馳せた。


6/25(火) 小雨-中等降雨 午後快晴 外来 飯川病院
 0:30 起床。新聞、音声データ整理.書類処理、7:30バス飯川病院、降車後雨にあたりびしょ濡れ。 ソニーヘッドフォン不調に。8:45-13:00中通病院外来。8月からの木曜休診に備えて紹介状記載数件。14:00-19:00飯川病院、患者対応、静脈確保、微睡。ソニー修理部門に電話等でアクセス、不調に。機能的にはリセットで回復。19:30帰宅、夕食、21;30就眠。歩数計12718歩。

夕張メロン 令和の初競りは1箱(2玉)で500万円
 この時期、北海道の代表といえば夕張メロン。
 札幌の知人から賄いの石井さんの分も含め毎年8ケいただく。先日届いたが、1ケ約2Kg程度だから重くてなかなか移動できない。運送会社の方は軽々と運んできたが、私は玄関先で数が減っていくのを待っている。

 今回届いた8ケは6月25日から27日が食べ頃の札がついていた。あまりにも短期間である。
 

 必ずしもこだわる必要はないだろうが、高齢者世帯では到底食べきれない。ご近所や孫たちに適宜分配した。ちょうどサクランボの時期とも重なったために計画的に食べるのが大変である。うれしい悲鳴を上げている。

 夕張メロンとして出荷できる農家は120戸だけらしい。寡占でないか?これもどうかと思うが、現場のことはわからないからなんとも言えない。地元JAが種の供給から販売まで一元管理している。JAでは品質管理を徹底し、この先100年を見据えて次世代につなげるための工夫と、説明している。

 今年の夕張メロンの令和元年の初競りは5月24日に札幌市中央卸売市場で行われた。
 1箱(2玉)をポッカサッポロフード&ビバレッジという会社が500万円で落札した。
 これまでの高値は2008年、14年の250万円、2018年300万円であったが、それを上回った。同社は「北海道夕張メロンのソーダ」の発売10周年を記念し、原料を提供してきた夕張市の生産者へ「感謝の思いを伝えたくて」落札したという。落札した「夕張メロン」は、北海道新千歳空港で展示し、その後は同社の研究開発本部において、香りの研究などに活用する、という。同社は「今後も生産者の方々の生産サポートになるような取り組みを展開していきます」としている。

 なんでも初競りはご祝儀値段で競り落とされる。
 青森県大間産のクロマグロが新年の話題になるが、今年は278Kgのマグロに3億3360万円の値がついた。2013年に1億5540万円の最高値が出たが、今年はこれを2倍以上上回った。競り落としたのは、13年と同じすしチェーン店であった。

 私には到底理解できない世界である。正直なところ不快感を伴う。


6/24(月)快晴 健康クリニック 飯川病院
 1:00起床、新聞・文献チェック。読書中心。7:00バス病院着。9:00-11;20健康クリニックドック。11:30飯川病院へ。微睡読書、14:00勤務。院内電気系統点検のため1時間停電。入院患者血対応。19:30帰宅夕食、21:30就眠。歩数計9271歩。いつものごとく淡々と。

サクランボ 我が家には錯乱母
 今年もサクランボの季節がやってきた。
 毎年、この時期になるとわが家の食卓には殆ど途切れることなくサクランボが並ぶ。それも結構な量である。
 例年、知人から送られてくる県南の十文字産のサクランボがきっかけとなって始まる習慣である。今年も見事なのをいただいた。

 この時期、家内は「錯乱母」と化する。さすがに最近は食べる量は減ってきたように思うが、かつては2Kgの箱、それも比較的高級なのが、1-2晩で全てツルと種に変身し、腹ふくれた「錯乱母」が箱の横でうたた寝していたこともあった。健康面も心配である。注意しても効果はない。救いはサクランボの旬が短いことである。

 サクランボ好きの家内にとっては嬉しい、私にとっては恐怖の、かつ心配な時期でもある。これ以降、旬の終わりまでほぼ毎日の如く食卓で途切れることがない。
 
 (これ何Kg目??聞くのも怖い)

 調べてみると、サクランボは世界で1000種類も栽培されているといわれている。結構多くの国で栽培されているものだ。国内で100種類程、山形県では30種程度といわれている。

 中でも、佐藤錦は日本を代表する品種。果実は6グラム程度であるが、摘果等により10グラム程度の大玉生産も行われている。果肉は比較的軟らかく、乳白色で見ていても美しい。
 紅秀峰は1991年に山形県で誕生した比較的新しい、晩生種で、佐藤錦の後に食べ頃になるため人気が高まつているという。 

 旬が短いために、私はジャムなどの加工品にできないものか?と思う。栽培農家によると収穫するだけで精いつぱい、かつ加工費用の方が高くつくらしく、この方面ではあまり進展はしていない様だ。残念なことである。  
 
 それでも新しい工夫はある様だ。
 サクランボは、通常収穫して3日で味や風味が落ちるが、「紅姫」というブランド品は特殊な冷蔵保存技術により、6月下旬から7月上旬に収穫した紅秀峰などを、酸素を通しにくいフィルムをかけ、3度以下の低温で冷蔵保管したもの。紅姫は約40日間鮮度を保つとされている。一度は試してみたいものだ。

 家内は自分が楽しむだけでなくお世話になった方々にも送っているらしい。

 サクランボはあのツルをプラプラさせて指先の遊びを楽しみ、形や色合いを十分見て楽しんでからおもむろに口に運ぶ。果実の表面はとてもスムーズで舌触りがとても良い。1ヶずつ口に含む。 この時、おちょぼ口である。若くて口元の美しい女性をイメージするとエロチックなイメージが伴う。ひげの男が大口を開けて食べているシーンなど思いたくもない。

 産地ではサクランボ狩り、種飛ばし大会なども行われている様だが、後者はあまりイメージが良くなく、いただけない。


6/23(日)快晴、一時雨 飯川病院日直 ヤートセ祭 
 1:00起床、いつもの如く、新聞、文献など。蓄積データ大幅に整理。5:00収穫他。8:30バス飯川病院、日直。昨日からヤートセ祭、通町で。19:00帰宅、夕食、20:30就眠。歩数計9084歩。 

人生100年時代(4) 死のデザインも医師の仕事
 人間は生物だからいずれ死ぬ、さらに死ぬ前に人間の感性が失われていく。それであっても生きているという、本人にとってはどうでもいいことが優先されていく。

 近年、社会の考え方も、医療関係者の考えはかなり変わりつつあるが、それでも肉親である家族たちの感覚はまだそこまでは至っていない。
 
 終末期には苦痛を除くという、対症療法しか意味がない。それ以外の医療は不要である。
 終末期にある患者のケアにおいては、しかしながら、医師の立場ではたとえ理不尽と思っていても、発生するであろう家族との確執を考えれば家族の希望を入れざるを得ない。要するに家族が死にゆく方々に苦痛を強いており、その時間も長めている。背景に年金等の問題が絡んでいることもある。

 極めて古い話であるが、私は若い時に秋田大学第三内科で血液の臨床を学んだ。白血病を中心とする疾患群が中心であったが、そこで展開される検査や治療は、患者のためにと思っていたことは疑いはないが、当時はいかに生存期間をいかに伸ばすか、を求めていた。今から考えれば理不尽であったが、患者が重症化すればするほど濃厚な治療を行なった。結果として死に至る経過は壮絶なものとなった。
 私はこの様な死を、名古屋空港で生じた中華航空機の墜落事故にたとえて話すことが多い。この事故は25年前の4月、長いフライトを終えて着陸直前まで順調であった中華航空機が滑走路上で突然機種を挙げて失速。空港内に墜落し264人が犠牲になったものである。操縦士は別にして乗客の誰もがこのまま静かに着陸するものと思っていたはずである。一度離陸した飛行機はいずれは着陸しなければならない。着陸はスムーズでなければならない。人生も同じである。

 私は、昭和30年代に岩手の田舎で育ったが医師である祖父の仕事を垣間見て、「人は静かに死を迎えられる。そのように迎えさせるべきだ・・・」との考えを持っていたので、私はその様な医療の世界を求めて中通病院に移った。私の性格もあって、医療チームに深く同化できなかったために、逆に単独で思い通りの治療を概ね実現できた、と思う。

 最近では、クオリティ・オブ・デスということまで言われるようになった。
 私はこの動きを待っていた。

 人は必ず死ぬのだから、良い死を迎えられる様に手伝うのも医師の重要な役割だと思ってきた。航空機の操縦士も同じである。操縦士の場合は自分の命もかかっている。

 2009年、映画で大きく話題になったのはアカデミー賞受賞作品「おくりびと」であり、私はいたく興味を持った。何で、興味をいだいたかというと、私自身が自ら「おくりびと」を自認していたからで、葬儀屋や納棺師にすっかり株を奪われてしまった、と思ったからである。
 映画「おくりびと」を観た(2)私も「おくりびと」デス


6/22(土)曇りのち快晴 ヤートセ祭
1:30起床、新聞、文献など。午前・午後畑と庭の対応。草刈り、伐採した小枝の処理、ガレージ掃除。午後微睡、16:00書斎にて蓄積データ整理。N響定期公演最新録画楽しむ、:本読み三昧、「N響定期公演、ツァラトゥストラはこう語った 、ヤナーチェクなど」。歩数計11826歩、敷地外に一歩もでず。

人生100年時代(3) 人は死ぬべき存在なのだ
 高齢化が進んで虚弱化した高齢者は複数臓器に障害があり、臓器別の診療では対応が難しい。

 虚弱高齢者は、身体的、精神・心理的、社会的な問題を抱える。この状態をまとめて老年症候群という。
 高齢者の初期治療を扱う「高齢者総合診療部」を設置している医療機関が増えてきた。高齢者は全体的にガタがきているから特定の臓器のみを対象に高度の専門的医療で診療すれば解決するというものではない。

 医師・看護師、薬剤師、医療ソーシャルワーカーや栄養士など、多職種の者達からなるチーム医療で、多様性がある高齢者の問題に立ち向うのがいい。かつ、高齢者は病気をいろいろ抱えているので、院内をウロウロさせずに一カ所で診るのがいい。各診療科の連携が取れてさえいれば不可能ではないし、専門の診療科にとっても集中すべき患者に集中できるという意味でも都合がいい。

 高齢者は、加齢とともに身体機能が衰え、食が細くなり、だんだん歩けなくなるがこれは自然の摂理である。このような状況に医療が介入すれば、若干の効果はあるだろうが、元に戻ることは期待できない。治療の結果、歩行も不可能になり、患者から笑顔が失われる状況になることは目に見えている。医師の使命は何なのか、と思う。

 老年医学会も現場の関係者も高齢者医療のあり方を原点に立ち返って考えるべきである。
 まず自然の摂理、医療の限界を認識すべきである。
 何で虚弱高齢者をフレイルなどと呼び替えるのか?何に対しての遠慮するのか??私は賛成できない。メタボよりデブでいいじゃないか。その方が本質を明快に示す。

 社会参加をしている方は、認知症の発症率も低く虚弱化率も低い。
 認知症の方が2025年には約700万人になるとの予測もある。生物である限り自然の摂理である。予防も大事だが効果は乏しい。認知症を受け入れる社会をつくるべきである。

 人は死ぬべき存在なのに忘れられていないか?
 誰だって人は「死すべき定め」があることは知っている。しかしながら、意識的に触れない様にしていないか?

 人間は生物だからいずれ死ぬ。さらに死ぬ前に人間の感性が失われていく。栄養が外から与えられて、呼吸ができていればそれでいいのか??そんな状況が医療によってもたらされているが、それでいいのだろうか。とにかく患者さんを生かそうと思って手をつくしたことが、かえって患者さんにマイナスになっている場合の方が多い。

 それが高齢者医療の実態の一面である。


6/21(金)快晴暑い 大曲中通病院外来 飯川病院ボランティア
0:30起床、文献・新聞チェック。何時ものごとく、5:00可燃ゴミ出し。7:35Taxi駅東口に、8:11こまち。9:15-12:15大曲外来,往徒歩。複は時間切れTaxi。飯川病院散水ほかボランティア。新聞チェック。19:00Taxi書店経由帰宅、夕食、21:00就眠。歩数計9773歩。自炊数冊。

人生100年時代(3) 明るい高齢社会などは幻想 政府は年寄りを騙すな
 日本の人口減少・少子高齢化は世界でトップを走っている。日本の社会の行く末は全世界が固唾を飲んで注目していると言っていい。だから、そのモデルをしっかりと示していかなければならない。
 我が国の高齢者対策は正しい道にあるのか? 私は疑問に思っている。

 高齢者に関わるさまざまな問題を取り上げてみる。超高齢社会において、大きな課題としては三つに集約できる。
――――――――――――――――――――――――
■ 老後資金。
■ 医療、健康。
■ 終の住まい。
 ――――――――――――――――――――――――

 従来、高齢者問題を論じる場合は医療、健康が第一と考えられてきたが、今月初旬、年金生活者の経済状態が明らかになってからは順番が逆転し老後資金が第一に躍り出た。巷には8050問題と言って80代の老人が50代の子供の面倒を見なければならない実態もある。結局、亡くなるまでにどれだけの生活費や医療費が掛かるのか、更にどういうリスクがあり、そのリスクを避けるために何をやってはいけないかといった話は重要になる。

 しかしながら、2000万円不足問題が表面化してからの政府の慌て方を見ていると本来手をつけるべきことが明快にされて来なかった、隠蔽されていたとしかいえない。データをクールに見ると2000万円では足りない。金融庁の試算では3000万円ともされている。

 実際には、高齢者にとって一番大事なのは「お金」であること今に至らなくても自明の理であった。
 かつて「消えた年金」が問題になって安倍首相の退陣に結びついたときから、私は年金問題に関心を持ってきた。政府は「100年安心」を主張してきたが、私はどうも計算が合わない、と思っていた。

 また、私が現役を引退した時に確定した私の年金支給額を見て、あまりの低さに驚いたものであった。20代からずっと天引きされていたが、こんなものなのかと??驚いた。
 さらに、私は現在も働いているので厚生年金は「支給停止額」が30%以上と大きい。
 これじゃ何のために天引きされてきたのか??と思う。私が預けた年金はどこに消えたのか??

 年金問題を他人と比較する資料を持ち合わせていないが、国民年金しか支給されていない高齢者、かつ満額支給に至らない高齢者、無年金の高齢者などの存在を考えると私は恵まれている方には属すだろうが、なんかスッキリしない。

 高齢者の寿命が延びると老後資金が不足する国民はうなぎのぼりに増えてくる。しかも、高齢者にとって収入を増やす道は皆無である。国はセフティネットとしての生活保護支給に対する準備はできているのだろうか。私の感覚では「無い」である。

 人口減、少子高齢化を放置して至った現状は、今になってはもう誰も手がつけられない。過去の政策の当然の帰結なのだと、私はクールに捉えている。
 何で今更騒ぐのだ、と政治家にも言いたいところであるが、このままでは日本は立ち行かなくなる。
 
 改善させる方法はひとつしかない。


6/20(木)快晴 外来 飯川病院 
1:00起床。録音他各種データ整理。7:00バス飯川病院。8:40-13:45中通病院外来+ドック判定14人分。14:00飯川病院、午睡。14:00-18:45飯川病院。入院患者対応5名。19:30帰宅。夕食、21:00就寝。歩数計9071歩。

家庭菜園・園芸2019(2) ボタン、バラ、紫陽花など
 私の野菜つくりなど、小規模だから食糧生産などとは一切言えない。我が家の食卓に一時期上る程度である。コスト面でも割りに合わない。苗は高いし、腐葉土、肥料、添え木なども全て買わなければならない。肥料の一部はコンポストで自作しているが、全体でみれば赤字である。スーパーで買うほうがはるかに安い。
 雑草の処理も大変。ただ、その作業を通じて、天候問題、農漁業問題、食料自給率、世界の食糧不足、温暖化にも関心が向き、私の視野が広くなっていく。そんなところが私の畑作業の喜びにつながっている。

 今年は住宅の前のスペースにダリア中心に植え、ボタン、バラなどの世話をしている。余ったスペースにはキウリ、ネギを植えた。お盆頃にはダリアの前にネギの姿か見ものだろう。花の世話も決して楽ではない。休日が作業の中心であるが、休日は高頻度に飯川病院の日当直に当たる。その日が良い天気だと心穏やかではない。

 鉢植え、地植えのボタン、バラの管理は家内が主で、私は実作業をする従たる立場であるが、結構うるさく指示が出て大変である。鉢植えのボタンはワラのこもで全体を覆い、玄関先にで凍結を防いだ。
 両者とも今年も見事な花をつけた。


 ダリアは主役は私である。今季は5季目。
 昨秋、シーズンが終わり、霜が降りる前に球根を掘り出した。球根は植えた時の何倍にも増えているだろうと期待したが、予想に反して小さく、弱々しかった。数日乾燥させ、ビニールの買い物袋に小分けして、凍結させない様に書斎の隅で越冬させた。
 5月初旬、球根を出してみると乾燥し切っており、掘り起こした時の半分ほどに縮み、中には鉛筆の如く、哀れな姿となっていたのもあった。過剰乾燥状態で発芽が危ぶまれたので、自己流であるが外に並べ一日一回球根に水分を与えてみた。3-5週間ほど続けたところやっと新芽が現れ始めた。新芽を確認した球根から適宜花壇に植えた。昨年は14株植えたが今年は10株に減ってしまった。本日の段階では全株発芽して元気に成長している。今年は再生に苦労したから開花が楽しみである。

 いま紫陽花が綺麗である。

 これは何だろうか。可憐な花である。
 調べてみた。ホタルブクロというらしい。

 10年ほど前までは自宅の花にそれほど関心はなかった。
 今は図鑑やカタログで楽しむほどになった。それだけ狭かった視野が開けてきた、ということ。


6/19(水)曇り昼より若干降雨 飯川病院ボランティア   
 0:30起床。データ整理、本読み。5:00庭と畑見廻り、散水。畑草取り、草刈り2巡目、枝伐採、足元引っ掛け転倒、大事にいたらず。10:50降雨で石井さん乗せてレガシー飯川病院へ。11:20-19:00ボランティア。本読み、データ整理、19:00夕食、21:00就眠。歩数計8877歩。

家庭菜園・園芸2019(1) きうり収穫始まる 家庭菜園園芸の喜び
 2011年、現役を退いてから小規模ながら家庭菜園・園芸をやっている。
 勤務があるので、水曜午前と週末に天候と相談しながら適宜作業する。
 その日は晴耕雨読のどちらかを適宜判断するが、5-6月は秋田は晴天が続き、身体は疲弊傾向にある。

 植えた種や苗の成長過程を眺めるのは楽しいし、初めてしまえば相手は生き物だから散水とか手が抜けない。年齢のせいか、作業を開始するまでは億劫な気持ちもあってずるずる延ばしていたが、4月下旬から今年の作業を開始した。

 家の西側に隣接する畑は通常どおり今年も借用し、ネギ、トマト、キウリ、ナス、大豆を植えた。キウリ、トマトは旬になると一気に成熟する。とても食べきれない。だから、時間差収穫を狙って各々の苗の植え付けは2週間以上ずらした。

 枝豆は畑に直播にすると発芽率が良くない。そのためにカップに栽培し、6月に入ってから本植えしたが、順調に育っている。今週中にもう一回カップに栽培する。今年の植え付けはここまでになる。
 キウリ、ナスの収穫が始まった。

(買う方が安いんじゃないか??それがどうした!! 私はそうは思わないよ)

 ネギは秋頃から初春まで長く味わうことができ、家族たちの評判もよかったので今年は昨年の3倍強、150本を植えた。ネギは白色の部分の比率を増やすために途中で土盛りが必要であるが、その手間を省くためにムネに金属棒を深く打ち込み、その穴に深々と植えた。この工夫が吉と出るか、楽しみである。

 今年は支柱も工夫した。
 秋田も結構強風にさらされる日がある。だから、トマト、キウリ、ナスなど背丈が大きくなる苗には成長に合わせ支柱を立てて茎を固定しなければならない。従来は真っ直ぐな支柱のみで対応したので倒れないような補強が縦横に必要で、それでも台風の時には倒れて大変であった。今年は二つのムネにまたがるような大型のU字型の支柱を採用した。おそらくこれで万全とおもう。

 今後はメインテナンス中心となるが、今年は追肥も工夫してみる。

 家庭菜園の収穫などしれたもので、多分買う方が安いとおもう。それでも楽しいのは成長の姿、収穫の楽しみである。
 細々と畑を作っているといろんな自然現象についていろいろな疑問が湧いてくる。それらを調べて見るのは楽しい作業である。
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 ■ 連作障害とはなんだろうか?水田はなんで連作障害が生じないのか?
 ■ 日本全国に水田を作ることができるのは何故か?何故水漏れしないのか??
 ■ 食物を支える土壌とは何か??
 ■ 植物にとって日光の意義とは?
 ■ 肥料の意義とは?水は??
 ■ などなど、
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 疑問は尽きることはない。徐々に調べていく。
尽きない。


6/18(火)快晴 外来 飯川病院  
0:30起床,いつもと同じ、5:30可燃ゴミ、ネコ対応、7:00バス飯川病院着。8:45-13:30中通病院外来。13:45飯川病院へ、微睡。14:00-18:45飯川病院勤務。入院患者対応。19:00帰宅、夕食、20:30就寝、歩数計9762歩。

秋田新幹線の車内販売なくなった 残念なコーヒー、アイス 
 この3月のJRダイヤ改正を前に秋田新幹線の秋田-盛岡間の車内販売がなくなった。私は東京往復でもせいぜいコーヒーを買う程度で売上への寄与度はほとんどないが、車内販売がなくなってとても寂しい。

 私はこの車内販売中止の件に関しては100%誤解していた。
 てっきり少子高齢化のための若いスタッフ不足したのが原因と考えていた。だから、より年寄りを雇えばいいじゃないか、と考えていた。私は最近、何でも人口減、少子高齢化に結びつける傾向がある。要反省。

 実際、スタッフ不足もあるが、売上が2000年前後に比較して半分ほどと減ったことが主な原因だ、という。
 JR北海道によると、2013年度の車内販売の赤字額は過去最大の3億円に達し、経営難のJR北海道は車内販売を維持する余裕はないと判断し、2015年以降、特急列車の車内販売を次々に廃止した。
 ここでも私は誤解していた。車内販売はJR直営ではなく、委託された別の会社が担っていた、と思っていた。

 売上減の原因は各駅の売店が立派になってきていること、列車の高速化、乗客の旅行スタイルの変化にある様だ。
 確かに、車窓を眺めている乗客は少なく、居眠りしたり、パソコンやスマホをいじるなど、鉄道旅行を楽しもうとはしていないように見える。客は食べ物や飲み物を駅で購入してくるようだ。だとすればなかなか対策は困難だろう。最近の車内は静かになった。中年女性の集団が大声で騒ぎ立てる、ということ少なくなった。

 盛岡-秋田間の新幹線だけでなく、全国の新幹戦で、車内販売が縮小されている。 
 JRによると、北海道、九州の各新幹線、秋田新幹線と東北新秤線のやまびこは3月15日を最後に車内販売を終了した。一部の東北新幹線やこまち、上越、山形新幹線の車内では、弁当や土産物の取り扱いをやめ飲み物や菓子、つまみ類に品目を絞った。
 先日こまちで来秋した長女によると、東京-盛岡間で車内販売があったが、カップアイスはなくなった、という。私もたまには購入した。極めて固く、スプーンが刺さらない硬さで、一気に食べられずいい時間つぶしになつた。 
 
 一方、在来線特急ではすでに車内販売が消えつつあつた。
 JR九州は2015年に特急で廃止、JR北海道の在来線特急の車内販売はすべてなくなっている。 

 売り上げが半分になったとすればその流れには逆らえない。

 せめて、コーヒーの自動販売機は設置できないだろうか?東京までの4時間、駅で購入したコーヒーをすするが、冷めるし、残念である。


6/17(月)快晴 健康クリック 飯川病院 損保スタッフ来訪
1:00起床、いつもの如し。データ整理、一部廃棄。5:00畑に散水。700バス飯川病院着。9:00-11:00健康クリドック14名+レントゲン判定。11:30飯川病院へ、微睡、14:00から業務、入院患者対応。玄関のピロティにハイビスカス5鉢移動、固定。今年はどんな花になるか。19:00帰宅、夕食。20:30就寝。9207歩。

人生100年時代(2) 高齢者は隠居など夢の夢
 75歳以上が高齢者と定義した日本老年学会他の意図は、65歳を過ぎても昔より5-20歳若々しいという評価が背景になっている。

 日本は厳しい人口減、少子高齢化の中にある。その面では日本は世界一の先進国である。
 他の国国は日本のこの厳しい現状をどう乗り切るか、注目してみている。しかし、その渦中にある我が国の高齢化対策は不明瞭である。為政者たちは何を考えているのか?と思う。

 現状をざっと計算すれば、一人の高齢者を二人の生産人口者が支えている、という構造である。75歳まで仕事に従事するようにすれば、支える側、支えられる側の比率が大きく変わる。
 今話題になっている老後2000万円不足問題も変わってくるし、危機的状態にある年金を含む我が国の社会保障環境も一変するだろう。この辺のことをヴィジョンとして付則で語らなかったから、大変な事情、と捉えられた。

 古く我が国では「功なし名遂げて道退くは・・」などとされ、戸主権を次世代の相続人に承継させる制度があった。伊能忠敬は50歳にして隠居生活に入り天文学を学んだ。当時の家業は次々と継代できる環境があったから可能になった制度である。早めに隠居生活に入ることは当時の高齢者の夢であったとされるが、実行できたものは少なかった、とされる。

 65歳を過ぎたら、「支えられる側」として計算されるのは今でも実態に属していないと思う。高齢者が社会参画をいつまでも続けることができれば、社会を救うし、本人の健康にとってもいい。

 ただし、高齢者の身体状況は多彩であり、虚弱高齢者もいるのでそういう方にはきちんと社会保障で手当てすることが必要である。
 現代の高齢者は隠居など夢の夢、元気で働く意欲のある方には若い世代の負担を減らすという意味でも働くべきであろう。ただ、秋田では高齢者が働ける職場がとても少ない。私が担当している外来の患者の中にも「就活中」の方が少なくない。

 私など、人口減、少子高齢化を悲観的にしか捉えられないが、老人パワーという資産を活用するという発想転換すれば、まだまだ活力のある国と言えるのではないか、と思う。
 そのためには、高齢者が働きやすい環境を用意してほしい。

 私は高齢者の定義を75歳以上とする提言は社会保障そのほかをめぐる高齢者制度に利用するのであれば賛成である。早く環境整備をしてほしい。


6/16(日)終日降雨 飯川病院日直  
1:10起床、随想読み、徒然など。データ整理。8:30降雨のためにレガシーで出勤、9:00-17:30飯川病院日直。風強し、降雨あり。微睡。各種のデータ複製保存。19:00帰宅、夕食。20:30就寝、歩数計10011歩。録画で「そこまで言って委員会3回分」、「世界は今」見る。

人生100年時代(1) 高齢者医療のあり方について
 最近、人生100年時代と言われる。
 あたかも長寿社会には今以上の幸があるような雰囲気で語られている。私は人生100年時代など、考えて見ただけでゾッとする、ひどい社会になると思っている。

 6月3日金融庁が、夫婦で95歳まで生きながらえると年金を受けていながら2000万円ほど備蓄から取り崩すことになるという試算を発表して、甘い考えに水をかけた状態になった。実際には2000万円は豊かな高齢者にとっての控え目な数値であって、実際には倍ほど不足する。
 大体、95歳という年齢を設定して考えていたことが驚きである。より若い年齢で区切ればこんなことにならなかったものを・・・。なんで95歳としたのか??

 私は、年金論議にいい材料が提供されたと思っているが、国民の反応はいまのところ静か。この問題は生活者が騒ぐのではなく、政争の具となっている。

 人生100年時代に高齢者にどのように対応していくかが大きな課題になっている。

 少なくとも今のままではダメだ。人口減と少子高齢化が最大のネックになって行く。半世紀も前から今日の状況は十分予測できたのに、政治的に何も手を打ってこなかったツケがこれから徐々にあらわになる。もう取り返しがつかない。しかしながら、そんな危機感はあまり語られない。政府はこの辺のことを隠している。
 心ある高齢者は国の将来を憂えている。若者はそれほど関心がないようだ。高齢者は間も無くいなくなるからそう深刻に憂える要はない。若者の問題なのだ。

 我が国は、自ら衰退の道を選択した。なのに、今になって大騒ぎである。もう取り返しがつかない。
 例えば、秋田県の場合、2045年には人口が現在の100万から60万人まで減少する。この広大な地で何とするのだろう。

 人生100年時代を迎えるにあたり、高齢者医療のあり方について考えなければならない。

 まず、高齢者とは何歳からの人達のことをいうのか??
 2017年1月、日本老年学会と日本老年医学は65歳ではなく、75歳からで良いのでは、と提言を出している。

 65歳以上を高齢者というのは、多くの先進国の定義。しかしながら、高齢者が65歳以上という定義が、もう今の社会の状況にマッチしていないのではないか、というのは実感である。

 学会では、高齢者の体力、知力などを科学的に調べた。
 歩行スピードなどの体力、知的機能、残っている歯の数など、いろいろなコホートスタディの結果を見たところ、以前に比べて少なくとも5年-20年、平均的には10年若返っていることが分った。
 このデータが根拠に高齢者とは75歳以上でいいのでは・・、と提言した。
社会保障環境2017年(7) 高齢者定義75歳?? 制度的意義がなければ無駄


6/15(土)風強し、終日曇り小雨  
1:10起床、随想読み、徒然など。データ整理。降雨の前に畑園芸に。散水、ネギ50本追加、ダリアの前にも。ミニカップに植えた大豆を畑に移植。キウリ初収穫一本、昨年と同日。10:30以降は強風、降雨あり座学に変更。小説読み、録画で「題名のない音楽会:千葉青少年オケ関連」、データ整理。19:00夕食、21:30就寝。歩数計13011歩。

老後2000万円不足問題(2) 裕福な高齢者のタンス預金、銀行預金等を引き出す目的??
年金受給を受けている高齢夫婦が95歳まで長生きした場合、老齢資産として2000万円の備蓄の取り崩しが必要との試算は、おそらく年金生活者の8-9割に「そんなにお金なんかないよ・・・」とショックを与えたと思われる。

 2000万円の備蓄を持って年金生活に入れる高齢者はどれだけいるのだろうか??
 定年まで勤めたサラリーマンは退職金、企業年金、厚生年金、国民年金などで身の丈にあった備蓄、おそらく2000万円近くの備蓄が可能であろうが、その実態は不明である。国民年金のみ受給する高齢者は、年金受給者の約半数に上るが、国民年金だけでは月6万円余だけなので95歳まで長生きした場合はこんな程度の不足ではありえない。5000万円にも上ると考えられる。無年金の人もいる。

 だから、あまりピンとこなかったはずである。体力も資金もない人には収入を得る道は閉ざされている。長寿化のもとでは生活保護受給申請はうなぎのぼりに増えるだろう。
 この点は報告書の中では触れていないが国は準備しているのか??

 今回の報告書が、多様な高齢者の生き方の平均値を出したところに問題があるが、多分、報告書は裕福な高齢者、まあまあ裕福な高齢者に対して、「手持ちの資金の寿命を伸ばす必要があるから、資金は眠らせていないで投資とかで運用を図る必要がある・・・」、ということを示したかったのだろう。

 長寿化か進む社会で社会保障の原資が不足する我が国の将来においては、一人ひとりの老後資産づくりをどう考えるかは政府として避けては通れない課題となる。そのための手段として政府が推奨するのが「個人型確定拠出年金」などの私的年金や「少頷投資非課税制度などの投資であるが、本来勤勉なワカ国の国民は投資による利殖に対して消極的で、これら私的年金等の加入者は公的年受給者の1%ほどにとどまっている。
 だいたい一般の高齢者には蓄財などする余裕がないのだ。
 
 本来ならば、ある程度の裕福な高齢者に対してこのような形での自助努力を喚起する予定で今回の試算を公表したのであるが、多様な状況にある高齢者をまとめて平均値として示したものだから、逆効果になり、公的年金制度の失敗を意味する印象を植え付けた。

 日本の納税者の6割は課税対象の所得が195万円以下である。
 このような低所得の人たちに対して自助努力せよ、というのは土台無理な話である。このような方々にとっては収入を増やす方法は思いつかず、支出を控えるか、生活保護受給の方法しかない。まず、この様な積み立てるお金がない人の支援を優先すべきである。

 少子高齢化と人口減は社会保障の仕組みを脆くする。公的年金の持続性を高めるには高齢者にできるだけ長く働いてもらうこと、自己資金の有効活用などの自助努力を支える仕組みの充実を並行して進めることが不可欠である。


6/14(金)晴れ暑い 大曲外来 飯川病院ボランティア
1:00起床,新聞文献、徒然など。5:30可燃ごみ提出。7:30Tax駅に、8:11こまち。9:10大曲中通病院外来。駅病院間往復徒歩。秋田の袋も徒歩、ネギ1束入手。13:30-18:45飯川病院ボランティア、19:00Taxi帰宅、夕食、21:00就寝。Σ13834歩。

老後2000万円不足問題(1) 「政府のスタンスとも異なっている」は政府が間違っている

 1週間前に紹介した有識者の報告書が、内容的に今夏の参議院選挙の逆風になり得るとみるや、政府は「これまでの政府の政策スタンスとも異なっている」と一転報告書を批判し、受け取りを拒み、報告書ごと「なかったこと」にして、躍起になって火消しを始めた。
 こんな馬鹿な話は無いだろう。別の視点からの考え方が提示されたのに、この対応は疑問、呆れるしかない。

 あるデータによると国民の8割が老後の生活に資金不足を感じている、としている。とりわけ「年金不足」は深刻である。誰の目から見ても不足は明らかであろうが、政府はその事実が白日のもとに晒され、夏の参院選の争点になることを恐れている。
 そもそも審議会を招集し議論を頼んでおきながら、風向きが悪くなると背を向けるのでは、行政の責任者としての資格はない。審議会は政府を代弁すべき内容でまとめるべきだという「本音」が露呈している。
 要するに、最初から「結論ありき」の会議であることを期待していたのだろう。
 今回の審議会の論旨は明快である。ただし、今回の判断の根拠としたのは総務省の9.000世帯の家計調査で、そのデータから導き出した2000万円が不足になる、は間違いではない。しかしながら、利用したデータによっては数100万円程度のばらつきが出る可能性がある。生活者が都会に住んでいるのか、地方に住んでいるのかだけでも差が出る。
 報告書は、学者や金融業界関係者らが昨秋来12回の会合を重ねてまとめたもので、「年金生活に入った夫婦が95歳まで長生きしするには、予め約2000万円の蓄えが必要である・・」、とした内容を含むが、これが社会に衝撃を与える内容だからである。
 この報告書は、麻生氏の諮問を受けて設けられた作業部会で作成された。金融庁が事務局を務め、会合は公開、資料や議事録も公表されている。
 私は新聞に掲載されたこの報告書を読んでみた。

 論旨も、話題の展開も、結論も、より科学的であり、この報告書の論旨は正しいだろうと思う。ただ、個々の生活者は多様なのであり、この平均値を直ちに国民の実態とするには乱暴かもしれないが、少なくとも考え方の方向性としては間違ってはいない。
 「政府のスタンスと異なっている・・・・」との意見は政府の方が間違っていると私は解釈したい。データに不正確なところがあると言うのなら、より正確なデータや解釈を示すべきだ。
 確かに、報告書は資産の取り崩しが必要としたが、年金の水準が下がり、年金だけでは最低限の生活すら維持できないと思う国民が多数いるのは動かしがたい事実である。大体、2000万円の備蓄を用意して年金生活に入れる国民はどれだけいるのだろうか?疑問である。
 さらに、報告書は長寿時代には資産の寿命も延ばす必要がある、と述べている。だから、資金は長期の積み立てや分散投資が大事で、金融機関も顧客のニーズに応えるべきだとあるが、私から見て非現実的である。そんなに余裕を持って蓄積できた高齢者は多く無い、と思う。
 それに、現実に資金が不足になった高齢者にとって収入をうる方法はほとんど無い。生活保護受給は最後の手段であるが、国は準備しているのだろうか??逆に問いたい。
 日本の高齢者の格差と貧困は極めて深刻であり、今後も一層深刻になっていく。この報告書の結論の趣旨は正しいと思う。


6/13(木)晴れ 外来 飯川病院 
0:30起床,文献整理。7:00バス飯川病院、8:45-12:50中通病院外来+ドック判定総括14人分。13:15飯川病院、微睡。秋銀スタッフ来訪、入院患者対応。19:00帰宅、夕食、21:30就寝。Σ9732歩。

車社会の今日2019(5) 高齢者ドライバー問題(1) 年齢で質の異なる事故原因
 昨今、高齢者ドライバーの交通事故のニュースが世間を騒がせている。
 具体的は大津市の16人死傷事故、池袋の10人死傷事故、福岡の9人死傷事故などなどである。

 75歳以上の運転者による交通死亡事故は昨年460件あり、前年に比較して1割増えた。これは、高齢者のドライバーの絶対数が増加していることと関連する。
 死亡事故全体に占める高齢者のドライバーの割合は14.8%で、統計が残る1990年以降で最多になつた。 
 警察庁によると、80歳以上の件数は、前年より7.2%増の252件で、死亡事故全体に占める割合は8.1%で、こちらも統計上最多だつた。

 免許人口10万人当たりの死亡事故件数は、過去10年減少傾向が続いていたが、今回はやや上昇した。
 理由の一つは長寿化によって高齢の免許保有人口が増えていることで、さらにこの傾向は続く。だから、今後、高齢運転者対策が課題となる。

 75歳以上の運転者による死亡事故を要因別でみると、
――――――――――――――――――――――――――――――
■ 操作の誤りやブレーキとアクセルの踏み間違いなどの操作の誤りが136件で最も多く3割を占めた。
   ハンドル操作ミスが79件
   ブレーキとアクセルの踏み間違いが25件。
■ 漫然運転や脇見など前方不注意は133件、
   電柱や標識などへの衝突が94件
   出合い頭の衝突が85件、正面衝突が70件
■ 後方をよく見ないなど安全確認不備が105件。
――――――――――――――――――――――――――――――

 75歳未満の運転者による死亡事故2639件では、75歳以上の運転者とは異なり
――――――――――――――――――――――――――――――
■ 前方不注意が1119件で約4割を占め、
■ 操作の誤りは432件で1割台にとどまる。 
―――――――――――――――――――――――――――――― 

 75歳以上の運転者に対しては2017年3月施行の改正道路交通法で、運転免許更新時や一方通行逆走などの違反をした場合に認知機能検査を受けることが義務づけられた。
 17年に検査を受けた196万2千人のうち認知症の恐れがあると判定されたのは2.8%、認知機能低下の恐れがあるが26.8%だつた。 

 今後、高齢運転者対策が課題となるが、認知機能の低下だけではない。視力の低下、瞬間の対応能力の低下、バランス感覚の低下なども問題である。

 しかしながら、いちばんの問題は自分自身の状況を認識していないところにある。要するに、年齢とともに増えていく「運転技能に対する自信過剰状態」である。


6/12(水)快晴 午前フリー 飯川病院ボランティア 
1:15起床,文献読み、データ整理中心、いつもの如く。7:30畑見回り。9:30DIY店にてキウリ苗、ナス苗追加購入。畑とプランターに。12:00レガシーバッテリー上がり、なぜか??院長大学病院受診で留守番。13:00飯川病院出勤。19:00帰宅、夕食、21:00就寝。Σ12618歩。
 
車社会の今日2019(5) 車のフロントに速度表示灯を復活させよう
 車同士の接触事故は、車が自由に動けるという特性がある以上、やむを得ない。

 防ぐべきは、交通弱者と車との間で生じる事故である。
 この場合、殆どは車のフロント部で事故が生じる。かつ、傷害を受けるのは常に弱者の方である。これらの事故を防ぐためには、ドライバーの運転状況が弱者に分かるように車のフロントにブレーキランプ、速度表示灯を装着するのが一方法である。

 また、バイクと車、車同士の衝突の中でも多いのは直進車と対向車線の右折車間の衝突事故であり、しかも死亡に至る大事故が多い。フロントに両者のランプがあれば互いに相手の運転状況が分かり、事故防止に役立つはずである。

 交通弱者の一人としての深刻な要望、希望である。

 速度表示灯は、1967年(昭和42年)車両総重量8トン以上または最大積載量5トン以上の大型トラックのみに義務付けられていた。

 速度表示灯は3つのライトでセットとなっており、
―――――――――――――――――――――――――――-
■40km/h以下で一つ点灯、
■40km/h-60km/hで2つ点灯、
■60km超…3つ点灯
―――――――――――――――――――――――――――-
 私は日常参考にしていた。
 しかしながら、この速度表示灯の義務化は、車の輸入に弊害となった。国内で運行するには改造が必要であった。また、一般人には速度表示灯の意味すら知られなかった。
 
 結局は実用性に乏しいと判断されて、1999年(平成11年)廃止されたが、悔やまれる判断であった。私は軽自動車をはじめ全ての車両に再度義務付けて欲しいと思っている。

 最近の経験を二つ。
 時差式交差点は対向車の方が先に赤信号になるが、それにもかかわらず直進してくる対向車がマレにある。このような車は減速しないから予想が付く。私の方で右折しないで待つが、とても危険である。

 その他、自転車通勤時に、徒歩通勤の時にも危ない思いをする。横断歩道でも止まらない車が少なくない。車の運転状況が判断出来れば身を守ることができる。ドライバーが自分を認識して対応してくれているか否かを判断できる。

 最近、あおり運転も問題になる。フロントに両者のランプが付いていれば、後続車の運転状況を知ることができ、危険を早めに察知できる。

 監督官庁は、全車両のフロントにストップランプと速度表示灯を復活してほしい。


 6/11(火)晴れ 外来 飯川病院 
1:15起床,新聞・文献チェック、他。5:00可燃ゴミ集積所に45Kgx2袋提出する。7:00バス飯川病院、8:45-13:00中通外来予約数のわりに多忙。13:15飯川病院、14:00から勤務、入院患者対応、データ整理・新聞チェック。19:20帰宅、夕食、20:30就寝。Σ11642歩。

車社会の今日2019(4) 車のフロントにブレーキランプをつけてほしい
 2010年5月、私は秋田市内の交差点で青信号で進行中、左側から赤信号を無視した車に側面に突っ込まれた。相手がブレーキをかけていないことを勘で察知し、回避しようとしたが間一髪間に合わず後部側面に衝突された。

 私は1992年から以下の件を提案している。当時の運輸省に提言したこともあったが返事さえもらえなかった。
 この事故に関してその重要性を再確認した。この3点が備わっていたらもっと早く回避操作が取れた、とおもう。

 今回もう一回強調したい。
―――――――――――――――――――――――――――――-
 ■ フロントにブレーキランプがあればいい。
 ■ さらにスピードを示すインジケーターがほしい。
 ■ さらには、運転手の顔が視認できやすいよう工夫をしてほしい。
―――――――――――――――――――――――――――――-
 同様に、もし、この3点が備わっていたら、5月8日に大津市で起こった園児2人の死亡を含む13人が巻き込まれた事故は、恐らくは回避できていたのではないだろうか、と私は思っている。

 この事故は信号のない交差点で、右折車が不用意に発進、対向してきた直進車が衝突し、煽りで直進車が歩道上にいた園児たちに突っ込んだものである。
 右折車は直進車の状況を見誤って発進したのだろう。もし直進車のフロントグリルに速度のインジケーターとブレーキランプがあれば、また、ドライバーの表情を知ることができれば右折車は危険を察知して発進しなかったのではないだろうか??
 また、直進車も右折車のブレーキが外されたことを知って、発進するのでは??と感知できたのではないだろうか。
 不幸なことに、この交差点には歩行者を守るガードがなかった、ことも事故を大きくした。

 車は自由に動くことができる以上、危険と紙一重である。だから、その運転者の意図は周囲から確認できる構造にすべきと思う。すなわち、対向車や右折車がどの程度のスピードが出ているのか、ブレーキを踏んでいるのかが分かれは不安感はかなり減る。
 ドライブレコーダーの装着も有用であるが事故の原因究明には有用であるが、事故防止の意義は少ない。

 2002年、国交省はRVや乗用車リヤに第3のブレーキランプを義務化した。視認性を高め、追突防止が目的である。確かに、追突防止方策は重要だが、車同士の事故はもとより交通弱者を巻き込んだ事故はフロント部で生じる。かつ、傷害を被るのは常に弱者の方である。最近の車はドライバーの表情が見えがたい。あうんの呼吸で、紙一心の判断で安全がなんとか保持されているなんて恐ろしい。

 リヤに第3のブレーキランプを付けるなら一緒にフロントに第4のブレーキランプつけるようにすればよかった。単純に考えればランプと配線だけ済む問題である。

 関係省庁は、全車両の前部に第4のブレーキランプ装備を義務化してほしい。


6/10(月)晴れ 健康クリニック 飯川病院
1:10起床,いつものごとし。データ整理ほか。5:00庭畑見廻り、風の被害は無い。
7:00バス飯川病院着。9:00-11:15健康クリニック、ドック14名。11:30飯川病院、微睡、14:00-19:00勤務。入院患者対応。当直医来院を待ち19:10帰宅、夕食、21:15就眠。Σ7411歩。

緑内障(2) 40歳以上の失明原因の4分の1以上を占める重大は疾患
 緑内障とは何か??

 私たちの眼球は液体の房水で満たされ、内側から一定の圧力をかけて丸い形や大きさを保っている。この圧力を眼圧と呼ぶが、眼圧は高すぎても低すぎても目に障害がおこり得る。
 眼圧の異常でおこる病気のひとつに緑内障がある。 

 房水は眼内で作られ、一定量が眼の外に流れ出て眼圧が保たれている。何かの原因で房水が外に流れ出にくくなると眼圧が上がり眼の中にある神経が傷つき徐々に見える範囲が狭くなる。これが緑内障である。 

 しかし 眼圧の上昇=緑内障ではない。視神経が傷つきやすい人は眼圧がそれほど高くなくても緑内障になることがある。逆に、視神経が眼圧に強い人は眼圧が高くても緑内障にならない。だから、眼圧検査だけでなく、血管や神経を調べる眼底検査や視野検査が必要となる。 

 緑内障は急性の、1-2日で失明につながるタイプもあるが、ほとんどは自覚症状がないい慢性型で、気がつかないままに病気が進んでいることが多く、そのままにしていると失明につながることがある。早期診断早期治療が重要である。

 私はたまたま職員健診で見つかったが、40歳以上の方で、その機会がない人はメガネの更新時などの際にはメガネ店だけで済ますのではなく、眼科医で診察を受けるのがいい。ドックの検査で診断がつく場合も少なくない。

 国内には約465万人の患者がおり、40歳以上の20人に1人とされる。子どもや若者でも発症する場合もある。日本の失明原因の4分の1以上を占める。
 
 治療は眼圧を下げて視神経の損傷が進むの防ぐことだが、一度欠けた視野は戻らない。眼圧を下げる薬にはいくつもの種類がある。きちんと点眼すれぱ多くの場合、進行を抑えることができる。

 超高齢社会を前に、緑内障とともに生きる人はさらに増える。
 緑内障については自覚症状が少ないだけに社会によく知ってもらうことが重要である。


6/9(日)快晴 畑、庭など中心 映画:君の膵臓をたべたい
 0:40起床、通常の作業、新聞チェック、読書ほか。録音データ整理、自炊データ整理。9:00花壇、畑に散水。庭掃除、草刈り2巡目開始、畑・農道も。NHKのど自慢楽しむ。iPadで視聴可能とわかったので映画:「君の膵臓をたべたい」観る。iPadでの映画は1年ぶり。午後は庭木の枝落とし。19:15帰宅、夕食。21:00就眠。歩数Σ8652歩。

緑内障(1) 心配するほど進んでいなかった 
 私は生来病弱で長く生きられないとされてきたが、成長とともに丈夫になり、中年までは著患を知らなかった? と言っていいだろう。
 しかしながら還暦を迎えることから状況は一変し、病気と外傷のオンパレード化した。

 個々の病気については体験記として記載しているが、それらを一覧にまとめてみた。
―――――――――――――――――――――――――――
■2003年10月テニスで右アキレス腱断裂、縫合手術。
■2005年11月腰椎ヘルニアとそれに由来する坐骨神経痛。。
■2006年不整脈頻発 徐々に心房細動に移行、放置。
?■2007年8月膀胱頸部硬化症手術。
■2008年3月肺がん疑いにて経過観察にーー数ケ月後に病巣消失。
■2010年高血圧にて服薬開始 心房細動は慢性化。 
■2011年緑内障・白内障の診断 点眼治療開始。
■2012年10月自転車で転倒、胸腹部打撲。
■2012年10月腸閉塞 腹腔鏡下手術 腹部打撲による内ヘルニアか?
■2012年11月心原性脳梗塞 右片麻痺+失語症 抗凝固療法開始。
■2015年8月花巻で崖から数m滑落し転倒 頭部裂傷 腰背部筋肉内出血
■2017年9月右鼠径ヘルニア手術。  
■2019年5月変質食品摂取にて強烈な急性胃腸炎。
―――――――――――――――――――――――――――
 これほど診断名が並んだが現状の服薬は、降圧剤、抗凝固療法剤の2剤と点眼薬だけで、後遺症や合併症は見られない。つくづく運のいい星のもとに生まれた、と思う。

 私は、視力はもともと悪いがそれ以外のことでは目に関する自覚症状は一切なかった。

 2011年2月の職員検診の眼底検査で異常をチェックされ精密検査を受けた。
 眼圧が若干高く、機能検査で左目に視野欠損があり初期-中期の緑内障と診断された。それ以降、今日まで点眼薬で治療を続けている。
 最初の頃は、年に2−3回眼科を受診して経過観察を受けていたが、その後は特に症状もなかったし、視野欠損も自覚していなかったことから約2.5年点眼薬のみ続けていた。眼科の主治医からは「そろそろ受診を・・」と何度か勧められていたがのらりくらりと逃げていた。

 先ごろ、家内の恩師の某元教授が緑内障で片方の目の視力を失ったということを聞きつけ大騒ぎ、うるさく私に受診を迫ってきたので折れて、恐る恐る受診した。一旦受診の間隔が空くと受診し難くなる。

 受診の結果は、
――――――――――――――――――――――――――――
■左側の診察所見、視野検査で若干悪化傾向あるも進行は遅々としている。
■前回までなかった右にも一部視野欠損が生じている。
■今までの経過から見て、余病さえ発症しなければ後10余年は視力を失うことはないだろう。
■治療は現状通りで良い。
■白内障は視力に影響を与えている。手術を勧めます。
■3ケ月後に受診を!! (→わがまま言って半年後に伸ばしていただいた)。
――――――――――――――――――――――――――――
という結果であった。

 私は連日目を酷使する生活で、悪しき宣告を怖れていたが、まだしばらく読書など楽しめそうである。
 最高の結果であった。


6/8(土)午前小雨午後晴れ 午前座学、午後庭仕事・畑中心 ネギ植え
1:00起床。文献新聞チェック、蓄積データ整理、その他いつもの如し。午前小雨で座学中心、N響定期公演、題名のない音楽会録画見る。後者は千葉県立青少年オケ。製本など。午後は畑でネギ50本追加植え。iPhone5電池交換試みるも失敗。新聞チェック、19:00夕食、21:00就寝。8157歩、敷地から一歩も出ず。

車社会の今日2019(3) ヒトと車の運動エネルギー差
 歩いている体重50Kgの人間と、50Km/hで疾走する重さ1tの車の運動エネルギー差は2.000倍ほどあり、幼児の場合は数万倍の差にもなり得る。

 こんな違いがあるのに、また、歩行者はほぼ無防備、運転手は衝撃吸収構造、シートベルト、エアバックなどで安全に守られているのに、互いの通行区域を分ける隔壁もない道路を共用している。これでは事故が生じてもやむを得ない。

 交通マナーの順守は重要であるが、その効果が発揮されるのは、道路の安全対策が充実してからである。道路の構造的欠陥の解消が先である。
 既存道路の改良は進んでいない。

 ドライバーの技量や安全への考え方は百人百様で、運転は本人の意志に任される。通常は安全運転を心掛けている人でも、平静な心理状況の時のみ運転するのではない。運転に障害をきたすような睡眠薬などを服用している人、めまいや胸腹痛に悩んでいるかもしれないし、便意を我慢している状況のドライバーもいるだろう。

 特に、歩行者の多くを占める幼児や老人に交通マナー順守を求めても効果に限界がある。幼児は後先を考えずに道路に飛び出すし、高齢者は交通システム、車の特性を理解できない。幼児レベルの判断力しかなくなった高齢者も増えている。

 今の交通教育、交通安全週間は、現状を100%容認し、注意を喚起する程度である。
 交通安全の標語は、「飛び出すな、車は急には止まらない」で歩行者を抑えてはダメ。「飛び出すぞ、歩行者は急には止まらない」がいい。
 交通事故に関しては、国民全体が不感症に陥っているように感じられる。このままでは貴重な命がいつまでも失われ続ける。

 とりあえずの対策は以下のようなものだろう。
――――――――――――――――――――――――――――――
■ 歩行者、自転車、バイクの保護。
■ 横断歩道の機能強化。監視カメラも。
■ 歩行者に目立つ服装、反射板の着用。
■ ドライバーの表情を見易くする。アイコンタクトを可能に。
■ スピードやブレーキ操作などを明示するインジケーターを前部またはルーフに付ける。
■ ナンバープレートを大型にする。一部を大文字化。
■ 住宅地の車の使用は原則として住民に限定。
■ 進入禁止区域の拡大。原則として歩道が完備された道路に限定すべき。
■ 速度制限。スピードを出したままでは通れないような凸凹道路の導入。
■ 高齢者ドライバーの運転制限。
■ 車に市街地モード、高速道モードの切り替え。
■ 車の事故防止装置の機能拡充。
■ ・・・・・などなど。


6/7(金)曇りのち快晴 大曲中通病院 飯川病院ボランティア ネギ苗追加購入  
0:30起床,文献本読み、新聞チェックほか。5:15可燃ゴミ提出、7:30飯川病院経由Taxi駅に。8:11こまち、病院・駅間は往復徒歩。9:10-12:05大曲中通病院外来、13:45-19:00飯川病院ボランティア。駅前苗屋にて預託してあったネギ購入。19:15Taxi帰宅、夕食、21:00就寝。歩数計15484歩。書籍自炊化。

車社会の今日2019(2) 交通事故減には多角的方面からの対策が必要
 確かに近年交通事故死者数は大幅に減少している。

 死者数の減少に有効に関与したのは以下の状況が考えられる。ただし、他の要因がある。挙げきれない。互いに複合的な効果と考えられる。
―――――――――――――――――――――――――――――――
■ 飲酒運転防止の社会的運動、取締り、厳罰化 
■ 危険運転防止罪の施行 
■ 道路の改良
■ 交通安全教育の普及、登下校時の地域住民による見守り。 
■ シートベルト着用、チャイルドシート着用 
■ 危険防止アシスト機能付き自動車の普及 急発進防止装置など 
■ ドラレコの普及、運転状況診断機能付きドラレコ貸与保険
■ 衝突時の生存空間確保等の安全機能
■ 歩行者を守る衝撃吸収ボンネット等の安全機能
■ などなど・・・。
―――――――――――――――――――――――――――――――

 マイナスの要因、あるいはまだ進んでいない分野。
―――――――――――――――――――――――――――――――
?? これが先進国道路なの??歩車分離などが遅々として進まない。 
?? 信号機の不備。
?? ガードレールなどで歩行者の安全が確保されていない道路が多い。
?? 幹線道路と市街地の区別がない。 
?? 歩行者優先の不徹底、横断歩道一時停止不徹底。停止率8.5%(JAF調べ)と驚くほど低い。
?? 住宅地道路の抜け道的利用。
?? 煽り運転の頻発。 
?? 高齢ドライバーの増加、持病、認知症等で判断力低下、身体機能低下など。
?? 危険防止アシスト機能の開発 自動運転車の開発。
??などなど・・・・。
―――――――――――――――――――――――――――――――

 私が文章をまとめた当時、秋田大学の某教授は「交通事故の85%は人的要因である」と述べていた。交通取締りを強化し、声掛け運動をすれば、交通事故が防げると考えるのは甘い幻想でしかない。インフラを始め、多方面からの検討が求められる。

 かつては道路の主役であった歩行者、自転車はすっかり脇に押しやられ、道路の端を利用しなけれ.はならなくなった。わが国では新しい道路ですら歩行者の安全確歩は十分でない。

 歩道が設置されていない道路が多く、たとえあっても、その安全対策は不備である。こんなところに車を通すこと自体が問題と考える。
 歩道・車道を分けるブロック一つ程の段差は車は容易に乗り越える。
 交通信号も問題がある。横断者は青信号でも右・左折車に擾ねられる危険がある。
 道路脇の白線は何のためにある??自転車はもとより歩くことさえ出来ない幅である。

 多くの人は経済活動の維持、日常の便利さ確保のために車が優先されて当然と言う。
 しかし、交通弱者の安全が脅かされていることは、重要である。


6/6(木)曇りのち晴れ 外来 ドック総括 飯川病院 眼科受診
 1:00起床,新聞チェックほかデータ整理。いつものごとく。5:00ネコ給餌。5:30空き瓶中心に廃棄。7:00バス飯川病院着。8:45-13:00中通病院外来+健康クリニックドック判定13人分。一旦飯川病院に戻り勤務、14:00-15:20眼科受診、視野検査等、疲弊した。入院外来補助。データ整理、など。19:00帰宅、夕食、20:30就寝。歩数計8652歩。BR disk視聴なし。

車社会の今日2019(1) 「車よ驕るなかれ、車を驕らせるなかれ」
 車は実に便利である。車なしの生活は考えられない。しかし、私はそろそろ免許証返上も視野に入れる必要がある年齢に達した。
 交通に関する社会状況は変わりつつある。

 私は、あまり車は好きでない。閉鎖空間が嫌なことも理由の一つであるが、交通行政、特に道路整備に不満で、車を気分良く利用出来ないからである。かつてはバイクも利用していたが、最近は、日常的に歩くか、自転車か、バスを利用する。車での移動は都合がつけば家内の車に同乗する。
 自分では滅多に運転しないが、それでも車は必要であり、20年もののボロ車を持っている。

 いずれにせよ、私は基本的に交通弱者の一人である。この意識は運転するときに大いに役立っている。

 交通弱者は車との関係では常に危険と紙一重である。

 その立場で、私は1992年に日本医事新報に「車よ驕るなかれ、車を驕らせるなかれ」と題する小文の投稿をした。車よ騎るなかれ!! 車を騎らせるなかれ!!。この投稿もあってその後も交通問題には関心を持ち続けていた。
 当時は、「交通戦争」という言葉が用いられ、年間の交通事故死者は、11,000人を超えていた。死者のうち約1/3-1/4が歩行者と自転車利用者で、特に高齢者、幼児が多かった。この小文の結論は、車の対人事故の大部分は道路の構造的欠陥に由来するので、事故を防ぐ手立ては幾らでもある、しかし、なかなか改善されない、というのが結論であった。
 もう27年前の話である。その後、我が国の交通事情は大きく変わった。

 2018年の全国の交通事故死者数は3532人で、統計のある1948年以降最少だつた.。65歳以上の死者は33年ぶりに2000人を切つたが死者の過半数を占め、比率では過去最高となつた。 


 警察庁によると、インフラ整備や取り締まりの推進、飲酒運転の取り締まりなどを背景に死者の減少傾向が続き1970年と比ぺ5分の1程度となつた。2018年の事故件数は全国で43万345件、負傷者数は52万4695人でともに減少傾向にある。

 そうは言っても多くの尊い命が失われていることに変わりなく重大な事故も後を絶たない。
 その中でとみに問題になってきたのは高齢者ドライバーの事故である。


6/5(水)晴、夕方から突然降雨雷雨 午後飯川病院ボランティア
1:00起床,新聞チェックほかデータ整理。午前フリーで園芸畑作業他、畑仕事。急遽11:40バス飯川病院ボランティアに。13:00近隣のサティスファクションで昼食、外来対応、本読み、データ整理。19:15帰宅、夕食、20:30就寝。歩数Σ9482歩。

秋田県の政治(3) クジ引き民主主義を試行しては??

 今回の参議院選挙では、衆参同日選の可能性も取りざたされている。
 
 何のため??私は理解できていない。
 解散権を持つ安倍首相による、勢力拡大が最大の理由であれば困る。前の衆院選から2年しか経っておらず何を問う解散なのかが まずわからない 
 一応、以下の理由が取りざたされている。
――――――――――――――――――――――――――――――――
■消費増税の延期を首相が決断し その是非を問う?
■憲法改正
■内閣不信任案の提出?
■解散権を持つ安倍首相による勢力拡大? 
――――――――――――――――――――――――――――――――

 某新聞が実施した世論調査で、いまの政権が国民の声を政治に反映させる役罰を果たしていない、との意見が71%もあった。だから民意を問う??

 今の選挙制度が果たして機能しているか、についてはいろんな疑問がある。 

 こんな現状から脱するには まずは
■小選挙区制を考え直す。
■対抗勢力としての野党が強くなる。 
■政治参加の多様化を図る、きれ目のない民主主義へ。

 吉田徹北海道大教授は選挙制度の問題点を改善する方法として「クジ引き民主主義」を提案している。
 興味ある考え方である。
 氏によると抽選で選ばれた市民が政策決定にかかわることは欧州では珍しくなくなつている、と言う。

 なぜ「くじ引き」なのか? 
■古代や中世における抽選制ことこそ民主的だと考えられていた。 
■近代になると貴族らが支配の正当化のため選挙による代議制を生み出した。
■近年はその選挙制度の機能不全が著しい。
■くじで選べば議会の中に社会の縮図ができることで政治を広く開放する。
■なり手不足の解消になる。 
■選挙目当ての政策提示が目に余る、などなど。 

 確かに、司法の世界では裁判員制度を導入してから10年になる。いろいろ問題点はあるが一般市民の考え方を反映させる方法として一定の効果をあげている。
 この、ランダムに選んだ人を司法の中に取り入れる手法は、議会政治の在り様に一石を投じることになるだろう。

 旋回の地方選では、秋田県では全14選挙区のうち8選挙区が無投票となった。県民に選択の自由が与えられていない。候補者が定員に達していない場合は「信認」するか否かを問えばいい。
 さらに、一歩進めて「クジ引き民主主義」を考えてみては??と思う。


6/4(火)快晴 外来 飯川病院
0:30起床,いつもの如く。徒然など。5:00可燃ゴミ提出。7:05バス飯川病院着。8:40-12:45外来、13:10飯川病院、14:00-18:45勤務。入院患者対応。新聞、文献読み、
19:00帰宅・夕食。20:30就寝。歩数計10158歩。BR disk視聴:「そこまでいって委員会2回分」。文献自炊化。

秋田県の政治(2) 低調であった4月の県議会選挙 
 もちろん、私は投票に行ったが、本年4月7日に投開票が行われた県議選の投票率は52%で、前回2015年の56%を下回り過去最低を更新した。1979年から11回運続低落傾向が続いている。最も低かつたのは秋田市の46%。

 この低投票率では選挙の意義が問われる。新県議43人は県の活性化のために何が必要なのかを考えてほしい。

 全14選挙区のうち8選挙区が無投票となった。 
 ■ 急速に進む人口減と少子高齢化にいかに臨むかは喫緊の課題である。
 ■ さらに、今回はイージスアショアにどう対応するのかが問われている。

 これほど重要な問題が山積しているにもかかわらず、この低低投票率は・・・深刻である。 

 低投票率の背景の一つに議員のなり手不足があり、14選挙区の候補者数が過去最少の51人にとどまつたことが挙げられる。対抗する野党からの候補擁立も少なかった。
 要するに秋田県の政治に魅力が無いからだろう。
 
 国会議員ですら当選してしまうとその存在感は薄れるが、県議の存在感ははるかに薄い。県議は何している??県議会は県の政策をただ承認しているのでは??疑問は尽きない。

 知事ら県当局と緊張関係を保ち、活発に政策論議を展開すべきだ。
 大体、各家庭に届く県議会頼りは簡単すぎて読む値が無い。地方紙であるさきがけ新聞も積極的に県政を報道すべきである。県や知事の記事だけでは心もとない。県民が議員の活躍を知る手段としては地方紙しか無いと言っていい。
 地方紙の報道がそれが県民の関心を喚起する。現状では地方紙も同じ穴の狢の役割を果たしている。 

 有権者ももつと県政に目を向けたい。

 秋田は農業県であり、政治的には保守が強い風土をもつ。だから、安定感があり緊張感を書く、と言っていい。一方、野党は力不足で、候補擁立も少なかった。今後もかわりないだろう。

 いっそ選挙をやめて裁判員制度のような新制度を秋田県の地方政治に導入してはどうだろうか??
 選挙制度は民主主義の根幹をなすが、機能不全に陥っていないか??


6/3(月)快晴 健康クリニックドック 飯川病院 
1:00起床。本読み、文献チェック。データ整理。7:00バス飯川病院、9:00-11:15健康クリニックドック+レ線判定。微睡、読書など。14:00-18:20飯川病院勤務、外来・入院患者対応。19:00帰宅・夕食、21:30就眠。Σ13172歩。自炊進める。

秋田県の政治(1) 第25回参議院議員通常選挙 立候補予定に寺田静氏、中泉松司氏
 今夏の第25回参議院議員選挙は、公示日は7月4日、投開票7月21日ということになりそうである。まだ衆参同時選挙になる可能性はゼロではなさそうだ。

 秋田の参議院議員通常選挙では、2004年以降はマスコミ等で知名度が高かった2名のアナウンサーが当選、両名は結局は一期だけ。それ以降は元野球選手であった石井氏、元県議会議員の中泉松司氏が任を担っている。

 1995年以降の参議院選挙の秋田県選出議員は以下のごとく
――――――――――――――――――――――――――――――――-
第17回参議院議員通常選挙 1995年 金田勝年氏
第18回参議院議員通常選挙 1998年 斎藤滋宣氏
第19回参議院議員通常選挙 2001年 金田勝年氏
第20回参議院議員通常選挙 2004年 鈴木陽悦氏
第21回参議院議員通常選挙 2007年 松浦大悟氏
第22回参議院議員通常選挙 2010年 石井浩郎氏
第23回参議院議員通常選挙 2013年 中泉松司氏
第24回参議院議員通常選挙 2016年 石井浩郎氏
第25回参議院議員通常選挙 2019年 立候補予定 寺田静氏 中泉松司氏
――――――――――――――――――――――――――――――――-

 秋田では、民主党への政権交代があった一時期、無所属の鈴木陽悦氏、松浦大悟氏が担っていたこともあったが、自民党政権に返り咲いた後は、自民党公認の石井氏、中泉氏に取って代わった。

 3年ごとの参議院改選をその目で見れば秋田選挙区は3回連続タレント候補を送り出したことになる。しかも、すべて新人、これでは秋田の声は国会まで届き難い。勿論、タレント候補、新人が政治的に適格でないなどという気は一切ない。当選後の活動で評価されれなければならない。

 今夏の参議院選秋田選挙区は定数1名で、立民、国民、社民の3党県組織は、秘書経験があり即戦力であるなどとして、野党統一侯補公認で寺田静氏が決まつた。各党の推薦は受けずに選挙に臨む方針だ、という。
 寺田静氏は横手市生まれ、早大卒業、寺田学衆院議員の秘書を10年近く経験している。

 寺田静氏は「安倍政権は周囲の声ばかりを聞き、地方が抱える問題やこれからの世代の不安に向き合っていない。一県民、母親として秋田と未来ある子どもたちのために、できる限りのことをしたい」と述べた。

 自民現職の中泉松司氏も立侯補を表明している。 

 私は前々会の選挙で元県会議員の中泉松司氏の出馬と当選を高く評価したい。

 今までの秋田県の参議院候補は知名度で選ばれている。今回の寺田静氏は、秘書経験が10年あるとしても、私からみるとほぼ同様である。

 県議会議員の中から中泉氏に続く方は出ないものか??と思う。秋田が抱える問題点を一番身近に感じているのは県議会議員であろう。その中から国政に打って出ようとする士はいないものなのか??地道に準備している方はいないのか??

 地元の政界、特に野党はどうなっているのか?選挙が近くなるとドタバタと候補を決める。
 秋田の野党の地方政治、国政への参加のビジョンはどうなっているのだろうか。


6/2(日)快晴 温暖 園芸畑中心に過ごす 
1:30飯川病院起床、本読み、文献チェック。9:40バス帰宅、10:30草刈り残終了。NHKニュース、のど自慢楽しむ、微睡。14:00水分を与え根が出始めたダリア一株植える。ミニポットに大豆植え付け、畑にも直播。キウリ棚追加、バラの鉢がえ。散水。録画、「昭和は輝いていた小林亜星氏」。医学部進学するも道を変えた、という。19:00夕食、21:00就寝。Σ10863歩。

退職9年目(2) 生活のレベルをダウンサイジング 
 「急性期の病院に年寄り医師は不要」、「私の社会的使命は終わっている」、「社会の老害、男性害」・・・と発言している私から見れば、現在嘱託として働いている社会医療法人明和会からいつ契約解除されても良い状態である。もう私はそれほど有用な役割を果たしていない。必要ともされていないだろう。私の医療レベルからみても当然でもある。

 現に、本年8月からは週2回の外来は1回に縮小となる。予約患者の一部は8月以降の受診になるために、そのような患者には他の医師にするよう働きかけ始めた。
 飯川病院は院長が働いている間だけは補助したいが、これも病院側の意向次第である。

 患者以外と会話を交わすこともなく、ほぼ引きこもり状態であるが、自分としてはとても有意義な日々を過ごしている。診療担当時間がさらに少なくなる分、園芸に割く時間に余裕ができるだろうし、気力が湧いたら図書館、美術館、博物館などを訪れたいと思っている。

 私は最近、働く意欲が乏しくなった。何で人は働かなければならないのか??
 日本国民の義務は憲法に定められている。教育を受け、労働し、納税することである。
 私は税金で医師になったようなもの。社会に恩義がある。だから労働せずには生きてゆくわけにはいかない。
 
 今この国民の義務と、社会に対する恩義と、働く意欲減退のジレンマの狭間にいる。

 社会的に義務を果たすことは放棄できないが、私的なことは意欲の減退に合わせた調整が必要になってきている。
??????????????????????????????-
 ■このホームページの更新が苦しくなってきた。数年ぶりであるが、先月30日の分、更新を休んでみた。今後は更新できない日がおそらくは増えていくだろう。
 ■徒歩通勤。億劫になってきた。ウオーキングシューズを新調し準備しているが、靴ずれが続いていることを言いことに全コース歩行は昨年暮れからやっていない。また、昨年は途中で気分が悪くなることもあった。
 ■岩手県への復興資金の送付。8月以降収入が減るのを機会に若干減額したい。
 ■録音、録画、新聞スクラップ、文献スクラップ、学術文献スクラップを減らしルーチンワークを減らしていく。
 ■目が悪くなってきた。棟方志功氏に似た状況になりつつある。書籍購入、読書も減らすか。
 ■緊張感の少ない生活にシフト。惰眠をむさぼる、などなど。
 ■終活も嫌になった。残ったらよろしく・・・・・・
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 まあ、いろいろあるが今年度も何とか責務を、最小限のことしかできないが、果たしていければいい、と思っている。


6/1(土)快晴 温暖 飯川病院午前外来 日当直 レセプト点検
1:00起床、文献検索整理など何時ものごとし。8:37バス飯川病院、9:00午前外来。その後日当直に。12:00検食、14:00某診療所医師来訪、歓談。16:00ミサワホームスタッフ来訪、エアコン関連打ち合わせ。18:00検食、20:00外来レセプトチェック。21:00就寝。歩数Σ5802。

退職9年目(1) 労働だけでなく概して意欲が薄れて来た
 本日は退職9年目初日となる。ずいぶん長い時間が過ぎたものだ。

 最近とみに、全般的に意欲が薄れて来た。年齢のせいだろうか。かつてのハードな状況がもたらした燃え尽き的な現象であろうか。

 「人はなぜ働くのか?」、昔はこんなことを考えもしなかったし、そんな余裕も無かった。働くことは生計を立てる収入を得るだけでなく、他人に奉仕することである。労働から直接的な喜ぴが得られるとは限らない。ましてや、個々人の労働環境も様々である。加えて働く事が嫌になったとしても、生きて行くためには働かざるをえない。

 本当に望む様な職業に就いている方はそれほどあるとは思われない。でもそんなものだと思う。

 私は幼少の時から医師になる方向で育てられ、医師になった。しかし、還暦を迎える頃から医師であることがつくづく嫌になっていた。されど、環境を変える勇気もなく、たまたま病院の管理者にもなったから道を変えようにも変えられないまま、惰性で続けてきたに過ぎない。
 私にとって医師を続けているのが一番楽だからやっている、ということ。

 今も社会医療法人明和会で週4日、午前、一部は午後も診療所、病院で内科嘱託医として働いている。ウイークデイの午後は近隣の飯川病院で過ごす。このうち勤務は月、火、木で、院長の補助しながら、診療もするがや院長の趣味である花の維持などの雑務を手伝っている。帰宅は当直医の来院を待って19:00前後になる。朝は6:30前後に家を出るからまだ一日12時間は病院で過ごしている事になる。

 飯川病院の勤務とボランティアで求められる業務量はそれほど多くはない。大体、院長が私の働きをそれほど評価していない。補助的存在である。外出の際の留守番とかが中心。「外来に出すと患者が来なくなる、病棟に出すと患者が具合悪くなる・・・」とひどいことを言う。私もそうだと思っているから反対もせず甘んじている。その方が楽だから。午睡も、読書も、音楽も聴ける。私にとっては至宝と言うべき時間で、今を、今後を大切にしたい。最近注目して読んでいる作家の一人、西村賢太氏に「どうせ死ぬ身の一踊り」と言うのがあるが、そんな心境である。

 飯川病院の院長には感謝している。


5/31(金)午前曇り午後から降雨 大曲中通病院 飯川病院勤務 コンサート  
1:00起床。文献、新聞など読む。5:30ゴミ出し、7:30Taxi、8:11こまち。大曲駅病院往復徒歩。9:00-12:00大曲外来。13:30飯川病院勤務、14:00-18:20午後の勤務は本日まで。アトリオンバリトンコンサート。20:30帰宅、夕食、21:00就眠、Σ13333歩数。

今井俊輔バリトンコンサート 不快なバリトン男
 本日、秋田市のアトリオンホールでバリトンの今井俊輔氏のコンサートが開催された。主催は秋田ゾンタクラブ。
 今井俊輔氏は東京芸術大学音楽学部声楽科を卒業。2014年から東京二期会による本公演、ローマ歌劇場などのほか公演に主役として出演。また毎週月曜日「BS日本こころの歌」フォレスタのメンバーとして出演している。東京二期会会員、日本演奏家協会員。

 ピアノは濱野基行氏。
 そのほかに秋田在住の2名のソプラノ歌手、井島佐恵子氏、後藤純子氏が共演、アリアを披露し、後半ではオペラの二重唱を共演した。

 演奏曲目は、
■ 山田耕筰 からたちの花 バラの花にをを込めて この道 
■ 中田義尚 ネムの花 サルビア ほか
■ 瀧廉太郎荒城の月
■ そのほかオペラ、カンツオーネなど。

 主催した秋田ゾンタクラブは、1919年に米国で設立され、今年記念すべぎ100同年を迎えた。現在世界で63力国30.000人の会員が活躍している。日本ゾンタクラブは1961年に設立され1.000人の会員。

 このコンサート自体は見事な出来で十二分に楽しめた。

 私にとっては半年ぶりの、久々のコンサートであった。
 アトリオンホールに対する不満などそれほどないが敢えていうなら、
―――――――――――――――――――――――――――――――
■ やや過剰な残響、
■ ホールを出てから外に出るまでの混雑する。危険でないか?
■ 傾斜が少なく部隊がよく見えないこともある 椅子の配置をずらせばいい。
■ 客席のイスが小さい。臨席と近すぎる、足のやり場に困る。
■ 特定の人、クループの人からの「ブラボー」コール。不快。
―――――――――――――――――――――――――――――――
 上記の不満はそれほど大きくはないが、最後の項目だけは私にとって小さくない。
 今回はそのために中座して帰途についた。

 私は演奏前に拍手をしないが、演奏直後も拍手をしない。静かに演奏者をねぎらう。遅れて、時には何度かのコールでやっと拍手である。

 ここ数年、何人かが後部座席から即座に「ブラボー」コールを、何度も何度も発する様になった。しかも、とても良い声!!! 、すごくでかい声!!!である。 私はこの「ブラボー」が不快である。発せられた瞬間、余韻も冷めて気分は一気に地獄に堕ちる。演奏家を讃えて拍手をしたり叫ぶのは自由であるが、やるなら演奏家の近く、もっとも前の席でやればいいのだ。

 私は、「ブラボー」コールが嫌で最近は演奏が終了すると即座に席を立ち、会場を離れる。いつも一番である。そのために後ろの通路脇の席に座る。私のささやかな防御である。

 私も老けたものである。従来それほど大きく感じなかった事象を大げさに感じるようになった。だから、最近はコンサート自体を避けている。
 

5/30(木)曇り夕方から降雨 外来 飯川病院 
 1:30起床。いつもの如く文献、新聞など。画像データ整理、廃棄。7:10バス飯川病院着。8:45-13:00外来+紹介状、人間ドック判定総括14名。微睡、14:00-17:50飯川病院、入院患者対応、19:10帰宅、夕食、21:30就眠、9042歩。

?福田の雑記帳Bulg(欠)


5/29(水)曇りのち晴れ 終日飯川病院勤務
 0:40起床。早朝は新聞・文献読みとデータ化etc座作業中心に。畑庭に散水。7:10バス飯川病院着、午前午後共勤務、外来患者対応、午後は読書中心。19:00帰宅、夕食、20:30就眠、Σ10986歩。

本 三田一郎著「科学者はなぜ神を信じるのか」講談社2018(2)
 本書では、物理学がどのように発展してきたか、その発展の上で宗教がどのような役割を担ってきたかについて説明している。

 筆者は「人間は神(の力)を持ち出さずに宇宙の起源を理解した。もはや神は必要がない」という発想こそが思考停止である」と述べる。このことこそ筆者の言いたいことの根幹だと思われる。
 更に、「すべてを説明する科学的法則を人間が解明しても、その法則を作ったのは誰か?という疑問には答えられない。だから、神の存在を意識すべきだ」という結論は、果たしてそうなのだろうか。疑問である。カトリック教会の聖職者である筆者の目でまとめているからそういう論旨になるのではないのか。

 また、本書の興味深い点は、物理についての豆知識が広く紹介されているところにもある。この本は、そのためにもとても有用と思える。 それぞれの科学者が語る神についての話は興味深い。

 物理学者と宗教といえば、いや、政治家路宗教についても、私は限界を覚える。
 「神をも恐れない姿勢」でマンハッタン計画に沿って大量破壊兵器である原子爆弾を作成したリーダーのロバート・オッペンハイマーを始めとして、ニールス・ボーア、エンリコ・フェルミ、ジョン・フォン・ノイマンなど著名な科学者、ハーバード大学やカリフォルニア大学など名門校の学生などが何を考えて計画を進めたのか、物理学の興味の前には、「神などの存在は忘れ去られていた」、としか言いようがない。

 「現代物理学の粋を集めた」を宇宙開発計画に自らの命をかけて搭乗した宇宙飛行士のかなりのメンバーが地球帰帰還後に「神の姿を見た・神を感じた・・」と述べているのも興味深い。どういう意味なのだろうか?

 米国人は比較的気楽に「Oh, my God!」というが、どんな気持ちで言っているのか?果たして宗教心か?
 科学と直接関係無いが、政治家は「神について」何と思っているのだろうか。なんで殺戮などできるのか?それを黙って見過ごしている宗教家は何を考えているのか?

 私は、特定の宗教、例えばキリスト教と人間の関係についてはまだ分かっていない。集団催眠術にかかっているとしか思えない。オカルトとどこが違うのだろうか、とさえ思う。
 
 それを考えると日本の自然宗教観の方が、ずっと道徳的だとさえ思える。


5/28(火)曇り終日降雨 外来 飯川病院 トランプ離日
0:30起床1:00飯川病院から患者死去の知らせ、プリウスにて病院へ、見送りなど、4:00帰宅、新聞・文献入力、データ整理etc。ネコへの給餌、花壇はために散水。可燃ゴミ提出忘れた。7:00プリウスで再度出勤飯川病院着。8:45-13:00中通外来、13:10飯川病院、院長退院していた。微睡、14:00-18:30勤務、入院患者対応。19:00帰宅、夕食、20:30就歩行計Σ9169歩。

本 三田一郎著「科学者はなぜ神を信じるのか コペルニクスか らホーキングまで」講談社ブルーバックス新書2018(1)
 著者が講演した際、「先生は科学者なのに、科学の話に神を持ち出すのは卑怯では?」 ある高校生から投げかけられた質問が契機となってこの本が生まれた。著者の三田氏は1944年生まれ、私と同年代。著名な素粒子物理学者で名古屋大学理学部教授を努められ、同時にカトリック教会の聖職者でもある。
 私は生活上で宗教行事を利用しているが無宗教者と言っていい。しかし、自然宗教的な神羅万象を対象に宗教心はある。
 無宗教はキリスト教社会、イスラム教社会ではまず到底理解されない、社会からネグレクトされかねない。
 しかしながら、日本人の無宗教は真の無宗教ではない。
 自然宗教、神道、創唱宗教など日本人の宗教文化の中における位置付けはとても大きい。
 本書の構成を目次からたどる。
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第1章 神とはなにか、聖書とはなにか?第2章 天動説と地動説 ――コペルニクスの神?第3章 宇宙は第二の聖書である ――ガリレオの神
第4章 すべては方程式に ――ニュートンの神
第5章 光だけが絶対である ――アインシュタインの神
第6章 世界は一つに決まらない ――ボーア、ハイゼンベルク、ディラックらの神
第7章 「はじまり」なき宇宙を求めて ――ホーキングの神
終章 最後に言っておきたいこと ――私にとっての神
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 聖書が教える「天地創造」の物語は科学が発展した今、もはや覆されてたのではなかったのか?? しかし、重要な発見をした科学者の多く、例えば、コペルニクス、ガリレオ、ニュートン、アインシュタイン、ボーア、ディラック、ホーキングらは神への思いを熱く語り、神の存在を強く意識していた、という。歴史的な業績を残した科学者300人のうち、8-9割の人間が神を信じていたらしい、ということも紹介す流。
 物理学の仕組みや歴史を科学的に解明すればするほど、神の存在が限定化されていく。だが、多くの科学者は、新発見をするたびに「より神に近づけた」と考えていたことは極めて感慨深い。
 私にとってはあまり考えたことがないジャンルの書籍で、いたく興味が持てた。
 ただ著者はカトリック教会の聖職者でもあることから、論旨の展開に最初からバイアスがかかっている。自分は、科学分野の端くれに位置する立場であり、かつ、無神論者に近いと思っている。だから、この本のテーマには大いに興味を惹かれた。もし無神論者がこのテーマで書くとどのような内容になるのだろうか。
 筆者は科学と神との関係を歴史を追って丁寧に説明する。
 キリスト教の宗教史と科学の発展の歴史を絡め、神の領域が徐々に少なくなって来たものの、「神を信じる事は科学と矛盾しない」と、筆者はいう。
 「神の存在を信じるということは、宗教や教会を信じるということではなく、それらを超えたところでの神の存在を意識するということだ」、という筆者の考え方にも説得力がある。
 日本の無神論者の論理に近い説明、と私は感じとる。


5/27(月)快晴  健康クリニック 飯川病院 トランプ国賓三日目
1:10 起床。新聞チェック他資料整理、ディスクバックアップetc、いつもの如し。5:00畑、庭に散水等。7:00プリウス飯川病院。9:00-12:30健康クリニックドック14名、レ線判定。12:45飯川病院、検食、微睡など。14:00-18:30飯川病院勤務。19:30大学病院経由帰宅、夕食、20:30就眠。歩行Σ11931歩。

トランプ国賓来日(3) 皇室外交の様子

 トランプ米大統領の国賓としての来日の三日目は皇室の歓迎行事、午後は首脳会談が組まれた。
 天皇・皇后両陛下が初の国賓を迎え、国際親善のスタートを切られた。

 今回のトランプ米大統領の訪日は従来の国賓以上に長時間NHKTVで流された。皇室外交がこれほど長時間にわたって中継されたことはなかったように思われる。安倍首相の演出?が見え隠れする。

 両陛下は留学など、豊富な海外経験のある初の天皇となる。通訳を介さずに大統領夫妻と接する両陛下の様子は新時代の世代交代の姿がうかがわれた。
 歓迎行事後の会見は通訳が同席したが 陛下はほとんどが英語で、皇后とメラニア夫人のやりとりは全て英語だつた、という。
 
 天皇は若い時代に2年間、英のオクスフォード大で学美、皇后は米ハーバード大卒で外交官の経験もある。天皇の政治関与が憲法で禁じられ何かと制約があるが、上皇ご夫妻とは一味違う国際親善の形が期待できるだろう。

 多分、初の公式行事として天皇陛下は十二分に準備なされたのであろう。日米の親善の歴史を中心に丁寧に挨拶された。従来の天皇の挨拶よりは長かった気がする。トランプ米大統領の挨拶も同様であった。 

 国賓で迎えるか否か、は外務省が関係機関と協議し政府が閣議で決めるという。対象は外国の元首、国王や大統領で、天皇をはじめ皇室の最高ランクのもてなしを受け、皇居宮殿での歓迎行事や会見、宮中晩餐会も開かれる。
 国賓に次ぐのは公賓、公式実務訪問賓客のランクもある。
 国賓や賓客をもてなすのは国事行為ではないが、象徴天皇という地位に基づく公的行事とされている。

 本日、天皇ご夫妻は皇居宮殿の車寄せで大統領を迎えられ、離日の際には宿泊先のホテルに出向いてお別れのご挨拶されると言う。丁寧な歓迎ぶりであった。

 TV映像を見る限り皇后の表情もよく、私は安心した。これを機会に今後の経過が期待される。

 午後の迎賓館での首脳会談は小人数で行われ、米中、日中の貿易問題を中心に結構ホットなやり取りがあったと伝えられた。8月以降、トランプ米大統領が豹変しないことを期待するが、今回の国賓来日で日本側が抱え込んだ荷物は小さくない。


5/26(日)快晴 外仕事中心 トランプ国賓二日目
 1:00起床、データ整理。徒然、5:00畑、庭に散水。8:30草刈り、樹木枝下とし、横浜用コーヒー購入。書籍購入。釘材木購入、12;00ニュース、のど自慢楽しむ。13:00見舞い来秋の長女離秋、東側の窓に金網設置。ほぼ満足の出来。17:00トランプの相撲観戦を見る。本日は大学は見舞いなしに。19:00夕食、21:00就寝。Σ9629歩。

トランプ国賓来日(2) ゴルフ、国技館、居酒屋・・ ほぼ観光旅行?
 2017年1月にトランプ米政権が誕生して以来の安倍と大統領の蜜月ふりは世界中のどの指導者と比肩出来ないほど突出しているように見える。ドイツのメルケル首相は安倍総理にトランプ大統領の付き合い方についてノウハウを尋ねたそうだ。
 安倍総理はなんと答えたか明らかになっていないが、『愛犬の気持ちになって・・・』とでも答えたのだろうか。有名なジョークがある。米国人の愛犬家が日本のドックショーを見学した際、「素晴らしい。ところで米国の犬はいないのですか?」と問うたら、会の主催者は首相官邸に連れて行った、という。

 トランプの心のうちはなかなか読めない。だから、安倍首相の努力ぶりは評価すべきだろう。トランプが選挙で勝利し、まだオバマが在任しているうちにトランプの私邸を訪問して親交を温め始めた。この首相の行動はトランプの心に小さな楔を打ち込む価値はあっただろうと思う。

 天皇の代替わりの機運に大統領を国賓として招いたことは、日米両首脳の親密ぶりをこれ以上ない形で示すこととなつた。私はもう一度、安倍首相の努力は認めたい。
 
 だけど、何かが違うのではないかと、違和感を覚えざるを得ない。
 トランプは安倍首相が期待するほど日本に対して関心があるとは思えない。必ずしも日本に理解があるわけではない。そのことは就任直後のトランプの発言を見れば分かる。日本に対して、日米同盟の意義についてもほとんど知識はなかったように思われる。いちばんの関心は貿易不均衡である。

 安部首相がここまでトランプ大統領を必要こする背景には、中国が台頭し、朝鮮半島外交も袋小路の現状にあつては おのずと米国に頼らざるを得ない。米国との同盟維持に日本の防衛面での生命線だから、という認識であろう。
 日米同盟についてもいろいろな考え方がある。アメリカへの追従から離れて・・という意見もある。しかし、国政を預かる首相としては無責任な意見は吐けない。自助策を高めていく一方で、少しでも確実な、確固とした関係を追求せざるを得ない。

 安部首相はそうした日本外交の限界を踏まえた対米外交を見事に演じていると言えよう。

 ここまで徹底してトランプ大統領にすり寄っているのは、トランプは基本的にビジネスマンであり頑強に米国第一を掲げるから、明日のトランプの行動は予劇不能だから、対米外交の真価は大統領の日本に関する関心を如何に維持できるか、で試されるといえる。対中貿易問題を見てもトランプ大統領は実にクールである。

 トランプ大統領は、日本の総選挙までは具体的な成果を求めないという意向を示した。明らかに安倍首相への選挙協力である。実質、3ケ月ほどの先送りに過ぎないが安倍首相にとっては大きな借りとなった。 

 まあ、ゴルフではそう問題にならないだろうが、相撲協会にとっては多数のSPを受け入れ、座席を用意し、短時間ながら主役の座を奪われてしまった。優勝が前日決まっていてよかった。トランプ大統領の表情は決して楽しげではなかったのが気になる。
 居酒屋、都の中心部で接待するのはどう考えても迷惑だった、としか評価できない。

 トランプ大統領の国賓としての招待は巨額の経費が動いた、と思われる。


5/25(土)快晴 草刈り等外仕事 トランプ国賓来日  
 0:20飯川病院で起床、新聞入力、データ整理。徒然、など。散水。10:00コーヒー購入して帰宅。すぐに畑等に散水。草刈り等開始、途中でナイロンブレード、金網など導入。12:30秋田駅に見舞いで帰省の長女迎え、15:00-16:00大学病院に見舞い、草刈り、窓の一部にネコ逃走防止の金網張り、19:00夕食、20:30就寝、食の行事で駅前交通規制。Σ11814歩。

トランプ国賓来日(1) 誰が、シンゾウがセットした?不思議な訪問
 トランプ大統領が国賓として本日来日した。1974年のフォード大統領以来7人目の来日である。
 米国大統領が国賓として来日することは意義は大きい。しかし、今回の来日はその意図が汲み取れない。誰が、どのような目的でセットしたのであろうか??それが見えない。不思議な来日である。

 この間に予定されている、一見過剰演出?から推定できるのは、おそらく安倍首相がセットし、トランプ大統領が自己の保身と対日交渉への「恩義」を売るために乗った計画だろうと思う。

 私は、今回の異常な来日で日米関係、特に貿易交渉はむしろ困難さを増した、と感じた。

 来日の大義名分はなんとでも作られる。
――――――――――――――――――――――――――――――
■ 新時代、令和の初の元首としての来日
■ 新天皇即位のお祝いとして初の元首
■ 極めて稀な直行直帰の旅程
■ 一つの国に4日も滞在するなど稀中の稀
■ ゴルフ、国技館、居酒屋 ほぼ観光旅行に近い、
■ 強固な日米同盟を内外にアピール
■ 安倍・トランプのホットな関係もアピール
■ 共通の軍備の確認、先進兵器の売り込み
■ とってつけたような首脳会談
■ 対日貿易不均衡の是正に対し日本側に無言の、強力な圧力
――――――――――――――――――――――――――――――
 
 令和時代、新天皇即位後の初の元首として歴史に残るだろう。
 大統領の通常の旅程は同一地域の各国を訪問するのが例であるが、今回は直行直帰の旅程、しかも4日も同じ国に滞在するなど異例づくめである。
 なかなか打ち解けないトランプと一見良好な関係を維持している安倍首相の手腕に対して世界中の元首が大いに興味を感じている、とされる。その背景は御しやすい日本を相手に外交手腕の成果を内外に提示するためであろう。

 本日来日したばかりなので詳細は不明であるが、自己中心的なトランプがなんでここまで譲歩して来日したか、大きな来日の成果を期待してのことであるのは明らかである。

 私は興味と一抹の不安を抱えながら来日の推移を見ている。


5/24(金)曇りのち晴れ 大曲外来 午後飯川病院+夜間当直 
0:45起床.書類、文献・新聞チェック。徒然。5:00可燃ごみ提出。7:15プリウスにて飯川病院、徒歩で駅に。8:12こまち、徒歩病院往復。9:10-12:00大曲中通病院外来。秋田は曇り模様、13:30-17:00飯川病院勤務。17:00から急遽当直業務に。心臓血管外科医が緊急手術と、21:30就寝。歩行Σ11133歩。自炊進める。

清水潔著 「桶川ストーカー殺人事件-遺言」 新潮文庫 2004年(2) 
 私は事件を詳細に調査し報告する本書のようなドキュメンタリー書が好きだ。小説も読むが比較すれば少ない。
 中には猟奇的な興味本位の作品もあるが、そんなのは読み進むとすぐに分かる。

 社会の中で生じた多くの事件には必ず社会的な問題点があり、その分析を通じて社会に問題提起している。そこにノンフィクションの価値があるとおもう。
 本書は読むだけの値があった。
 

 重大な事件の背景には必ずと言っていいほど警察の重大な不手際があきらかになる。また、報道被害も小さくない。

 今も警察の、市民を拒むかのような体質は依然として残り続けていると思わざるを得ない。未だストーカー殺人事件は後を絶たたない。警察は被害者や家族の訴えを拒むどころか、むしろ家族たちを苦境に追い込んでいることもある様だ。

 警察がなぜ事件解決への動きを鈍らせたのか。暴かれた警察の闇が「事件」そのもの以上に空恐ろしい。その実態があきらかになった。
 また、著者の報道によって「ストーカー規制法」が成立した。真実を追究する報道が国民にとっての利益となっている。

 地方都市で起きた一つの事件が警察、マスコミ報道の歪みを浮き上がらせた。そしてその歪みがどのように生成されていったのかが筆者の地道な調査からよくわかる。警察発表があり、それを受け取り報道するだけの大手マスコミ記者、それを受け取る一般市民。警察の思惑でミスリードを誘えばいくらでも誤ったストーリーは描区ことができる。

 警察の腐敗を実感できた一冊で、警察批判の書でもある。警察はある意味どんな凶悪犯よりも恐ろしい組織なのかもしれない。

 警察には日々膨大な用件が持ち込まれる。本当は大変なのだと思うが、人命に係わる訴えを嗅ぎ分ける嗅覚を磨いて欲しいし、自分達の組織の置かれている立場に対して真摯になって欲しい、と願う。

 著者の地道な努力と真実を嗅ぎ分ける臭覚、仲間のジャーナリストに恵まれていた事がどれだけ素晴らしいか、語るに及ばないほど価値があったことが示されている。


5/23(木)快晴 外来 飯川病院 家内手術
1:00起床.文献等資料チェックなど何時もと同じ、7:30プリウス飯川病院着、8;40-13:00中通外来+クリニックドック。8:30大学で手術開始、10:30終了したという。13:15飯川病院、外来入院患者対応。18:30大学病院経由帰宅。家内は全身麻酔後の経過良し。19:30夕食、休暇取っていた石井さん札幌から帰秋。21:00就寝。歩行計Σ7861歩。自炊数冊。

清水潔著 「桶川ストーカー殺人事件-遺言」 新潮文庫 2004年(1)
 1999年10月の白昼、埼玉県桶川市のJR桶川駅前路上で21歳の女子大生が殺害された。この事件は当時の新聞報道で関心を持っていたが、時が経つにつれて報道も少なくなり、私の記憶も薄れていった。

 数ヶ月前、他の事件のドキュメントを読んでいる中で当事件の詳細なドキュメンタリーがあることを知った。
 本書の著者である雑誌記者が、警察よりも先に犯人を特定したことも驚きであったが、警察の隠蔽体質も明らかにし、かつ後に、著者の報道によってストーカー規制法が出来るきっかけになっていた。それを初めて知った。

 事件前、ある男からしつこいストーカー行為を受け、殺されるかもしれないと恐怖におののく被害者が被害届を警察に訴えていたにもかかわらず放置され、本当に悲劇が起きた。あまりに酷い所轄の県警の対応だった。

 本書は事件後から取材を始めた著者が、警察より先に実行犯を特定し、事件全体の構図を明らかにした。 
 著者はその過程で、警察の隠蔽体質をあばく。著者は桶川署の記者クラブにも属さないマイナーは会社の記者である。警察発表を無批判に垂れ流す大手マスコミの記者とは立場が違う。警察でははじめからミスリードの意図を持って記者クラブを介して発表すればいくらでも誤ったストーリーに誘導できる。警察に寄りかかった無責任報道を支えているのは、突き詰めると報道の自由、表現の自由を制限的にしか認めない警察と、物言わぬ購読者や視聴者ではないか。

 事件が起きた当時、著者は写真週刊誌「Focus」の記者だつた。「Focus」は写真週刊誌の草分け的存在で1981年創刊、記事だけでなく写真を前面におし出すスタイルで芸能人や政治家のスキャンダルのスクープ写真を売り物に劇的に部数をのばした。しかしこの様な編集姿勢には批判もあり、2001年に休刊に追い込まれた。  
 「Focus」の記者は警察につめる記者クラブのメンバーから外されている。だから警察発表を直接聞くことも、質問することも許されていない。筆者の場合は一次情報を自らの取材によって入手する。決定的な証拠になる映像を撮影するためひそかにファインダーを覗き続けるカメラマンたちの苦労も記されている。

 取材を進めていくと、事件は初めは通り魔事件とみられたが、被害者がストーカー被害に悩み、被害を警察に訴えていたことなどが明らかになつていく。
 筆者は被害者が事情を打ち明けていた友人を探し出し、被害者の意思と人柄を知る。さらに両親にも会い、被害者と遺族の無念を晴らそうと執念の取材を続けることになった。一般的に事件の被害者家族は「報道被害」を被るのであるが、著者の人柄と真摯な取材姿勢で遺族の理解を得ることもできた。

 真相を探つていく中で、著者の心も揺れ動いた。そのことが何度も記される。
 答えのない迷路を進む不安、恐怖、いかり、意地、正義感などなど。迷いが生じたときにいつも立ち戻るのは事件の現場であり、常に胸に抱いていたのは若くして命を絶たれた被害者の思い、遺族の思いである。 
      


5/22(水)快晴 飯川病院終日勤務
 0:45起床。文献・本読み他、いつもの如し。8:00プリウス飯川病院出勤。本日は終日勤務。午前は各種データ整理、外来・入院患者対応。微睡、新聞チェック、そのほかデータ整理。18:45秋田大学病院経由で帰宅、入浴、19:00夕食、新聞入力、8:30就寝。歩行Σ7221歩。ラジオ深夜便録音ながら聞き直し10本ほど。

グリーン車 グランクラス 普通席 1-3等車(2)
 かつてのグリーン車は特別豊かな人とかが乗るものというイメージがあり、私も最近までそんな目で見ていた。しかし、最近はグリーン車の客層にも変化が出てきた様に思う。

 本年、4月下旬の平曰昼下がり、学会出張からの帰路、JR名古屋駅のぞみ号に乗ろうとしたところ結構混雑していて予想外にもグリーン車にも長い行列ができていた。滑り込んできたのぞみ号は指定席は完売とのことでほぽ満席と考えられた。

 グリーン車も複数の車両があるが私と家内が乗車した車両は9割方の乗車率で、スーツ・ネクタイをしっかり着込んだビジネス客と思われた客に混じって、赤ん坊連れ、小・中学生の子連れの若夫婦、ラフな姿をした若い方々、若い女性のグループなど、多彩な顔ぶれで、むしろ高齢者は少なかった。

 JR東海道の走るエリアは、より旺盛な経済活動があって豊かなのだろうか、グリーン車であってもほとんど普通車の雑踏とした雰囲気は変わりなかった。東北新幹線等のグリーン車は静かな雰囲気が漂っているが、それとはちょっと違うイメージである。かつての高根の花も、今では豊かになった層の乗客たちには気軽に利用できるレベルなのだろうと思う。しかし、ここまで気軽に利用されると普通車と変わりがなくなっている。
 JR東海道のグリーン利用客はここ10年で4割ほど増えた、と鉄道関係の小冊子か何かに書いてあった。

 私も最近、迫加料金を払つても混雑を遊けたい、座つていきたい、少しでも静かに、快適に、との気持ちが昔より高まつている。長距離侈動の時ほど車内ではくつろいで過ごしたい、と思う。 

 私は一人でグリーン席を利用することはまずないが、時折利用する東京・秋田間のこまちのグリーン席のメリットはその静けさにある。静けさとは、音だけではない。私は車中では必ずノイズキャンセリングヘッドフォンを着けているので走行音を含め、騒音は気にならない。私の言う静けさは客の出入りによる喧騒を含む。こまちは全車指定のために立ち席の乗客はめったにいないが、普通車だと時にそのような乗客が車両内に入ってくることもある。グリーン車ではそのような事はない。こまちの場合、車両幅が狭いためにグリーン席といえど座席間のスペースがそれほど広くなく、シートの質も普通車と大差ない。この静けさに価値がある。

 さらに、3月下旬から盛岡・秋田間では車内販売もなくなった。静けさもいいがちょっと寂しい。

 ここまでグリーンの利用が一般的になると、幹線新幹線などではさらにワンランク上の環境を求める声も根強くある、と言う。それに応えたのがグランクラスで、従来のグリーン車以上に広い座席や深く倒れる背もたれなど設備を充実させた。これがかつての1等車に近い雰囲気だ、と言う。 
 私は一度だけ函館北斗駅-盛岡間でグランクラスの経験がある。試しに乗ってみた。確かに豪華なインテリアであるが、私にとっては過剰で、むしろ落ち着けなかった。

 地上では新幹線の快適さが求められているが、空の上ではやや狭苦しい座席配置のLCCが人気である。これはどうしたことだろうか??


5/21(火)終日降雨 外来 飯川病院 院長長期休暇で代行
0:45起床、夜半から久々の降雨。文献チェック、徒然。本読み他いつもの如く。5:20可燃ゴミ提出、7:00プリウス飯川病院着。8:40-13:00外来、疲弊。14:00-18:30飯川病院。大学病院経由帰宅。19:15夕食、21:30就眠。歩数計7993歩。ラジオ深夜便録音ながら聞き直し。

グリーン車 グランクラス 普通席 1-3等車(1)
 列車による長距離を立って移動するのは辛い。だから長距離を移動するときは可能な限り指定券を購入する。

 若かりし時、新潟-仙台間の準急「あがの」で盛岡へ帰省する時、ホームで十分座れる位置で待っていたのであるが、私の前の集団が乗り込むなり次々と荷物を座席に置き占拠、後から乗り込んだ仲間が座り、私は結局は座れず4時間以上立ったまま移動したことがある。この時の集団は新潟の某有名中学の教師の一団で、明らかに社会的に見て暴挙であった。これを機に、教育者集団への私の評価は陥落した。いじめ問題などについて私の教育者への見方は厳しいが、この経験がルーツのひとつである。

 私はこの年代になってやっとグリーン車に乗る機会が増えた。家内と一緒に移動する機会が相対的に増えてきたからである。若い時から家内はなぜか原則的にグリーン車を利用していた。私は貧乏性で長い間利用できなかった。

 1969年、国鉄時代にグリーン車が登場し今年でちようど50年, 私はずっとグリーン車は高嶺の花、贅沢感を持っていて特別豊かな人とかが乗るものというイメージがあり、最近まで気楽には乗れなかった。・・・というか、私は普通車で十分であまり困っていなかったからである。

 座席のグレードについての変遷をたどって見た。
―――――――――――――――――――――――――――――――-
 日本の鉄道では1872(明治5)年の開業当初から外国に倣って等級制を導入、上・中・下の3ランクに分けた。
 運震は上等は下等の3倍、中等が下等の2倍と大きな差かあつた。その代わり、座席や内装も等級ごとに豪華なものであった。 

 呼び名は後に1-3等車に変わり、1等車の乗客は戦前は貴族や政治家、高級軍人、文化人といつたいわゆる特権階級の人たちだつた。
 戦後は身分意識が薄れ、値段の格差も縮小、椅子の座り心地や冷暖房の有無など等級による差も少なくなくなった。 

 その後、より速く、割安略のある飛行機との競争もあり、1等車の利用は低迷、国鉄経営の厳しさも相まって3等級は2等級になり、1等車に代わつたのが追加料金を設定したグリーン車であった。だからグリーン車は昔の1等車のイメージを引き継ぎ、特別なものという意識がどこか残つた。
―――――――――――――――――――――――――――――――-

 私が中学の時、修学旅行は北海道であったが、出発はひどい座席の3等車であったが、帰路は2等車であった。話すたびに驚かれるが、この間に3等車が廃止になった。3等車が2等車になっただけで実質は何も変わらなかった。
 鉄道の歴史の小さな節目に遭遇しただけ。でもいい思い出になっている。


5/20(月)快晴風強し 健康クリニック 飯川病院 
 0:30起床、各種データ整理。徒然。5:00畑に散水。7:10バス飯川病院着。新聞・画像処理。9:00健康クリニックドック+レ線判定。11:45飯川病院に、検食後微睡。14:00-19:00勤務。入院患者対応、読書、自炊進める。ラジオ深夜便録音ながら聞き直し10。19:30帰宅。夕食、21:30就眠。歩行Σ7043歩。

親戚付き合い(3) 降って湧いた相続の話 戸籍の重要性を認識した
 大型連休が明けた今月8日夜、予想だにしなかった方からの電話があった。
 60年近く(?)、会っても居らず、連絡も取り合っていなかった母方の従兄弟からであった。

 私の母は1978(昭和53)年64歳で死去した。
 それまで細々と続いていた母方の姻戚関係の方々との付き合いは、それほど間合いをおかず自然に消滅した。父方の姻戚関係との付き合いは私にとってはどんよりと重かったが、母方のそれは肩もはらない間柄で、年齢も近い遊び相手も何人かいて、私はどちらかといえば好きであった。
 母の死を機会に付き合いが消滅したということは、我が家における母親の地位を間接的に表していた、と言えよう。

 電話の主は私より若干年長であったが、歳が近く私が中学生の頃までは互いに行き来していた。特に中学3年の頃、当時居住していた静岡県某市を訪問したときのことは今でも明瞭に思いだす。当時、祖母も元気で、観光地として隆盛を極めていた熱海にも連れて行ってくれた。岩手のど田舎育ちの私にとっては、あたかも竜宮城にでも行ったような、夢の世界がそこにあった。また、台風がきて側の川が氾濫し住宅の玄関先まで冠水した記憶も鮮明である。

 突然の電話の用件は何なのか、と訝りながらも、電話口で直ぐに打ち解け会うことができた。互いにまだ生きていることを互いに喜び合った。
 用件に関しては相続に関連する内容であることは理解したが、先方の家族関係も不明な中で電話口で理解するのは到底無理で、従兄弟は後日秋田を訪問したいという。5月11日を約したが、直前、私は急に体調不良に陥り、到底迎えできる状況になく13日に延期した。

 秋田駅に迎えたが、私の記憶にある中学生の頃の容貌は完全に消失していた。これは当たり前のこと、お互い様であるが、何となく亡き実兄の容貌の面影を備えていたから血縁者の絆が感じられた。

 自宅で3時間ほど歓談した。
 来訪用件は、昨年死去した母の妹叔母の遺産相続の件であった。生涯独身で過ごした叔母の死去にあたって、詳細不明の同胞もいて解析に難渋したようであるが、本来の相続人が次々と死去し、最終的には私を含む5人に絞られた、という。ここまで詰めて戸籍を明らかにした従兄弟の熱意には敬服した。相続以前の問題として、家系の流れを明らかにしたいということが熱意のルーツだったと言う。

 私にとっては、全く想定も出来なかった、降って湧いたような話である。

 相続の件はともかくとして従来情報が少なくて理解できなかった母親の周辺の人間関係を知ることができた。これは大きい。
 この件についてはすべて従兄弟に一任するという私の意向を背景に、彼はさらに内容を詰め、早急に結論を出したいとのことであった。私は了解した。

 この件に関する背景を考えてみた。
 被相続者の高齢化、生涯独身、生前に高齢による判断力低下、戸籍にない同胞の存在などがあった。同様に、相続者の高齢化と死去・・・・などなど。

 それにしても戸籍の意義は大きい。しかも、法の前ではそれが明解でなければならない。
 今回の従兄弟の訪問は、私に数々の教訓をもたらしてくれた。


5/19(日)超快晴なるも風強し 飯川病院日直
0:40起床、早朝は本読み、文献チェック、新聞処理。5:00畑庭先に散水。8:38バス飯川病院に。9:00-19:00日直業務。患者は安定。新聞チェック、読書、自炊進めた。19:30帰宅夕食、21:00就眠。Σ7836歩。

親戚付き合い(2) 子供の結婚で生じた新しい姻戚とのおつきあい
 子供達が結婚すると新しい姻戚関係ができる。
 私はこの方々とのおつきあいの方法がわからず疎遠な状態で維持してきた。

 基本的には次世代の家族たちが幸せであればそれで十分であるが、常識的にはには相手方とはどう接すればいいのか?慣習としてはどんな風になっているのだろうか。私にはほとんど知識も情報もない。

 長女は1997(平成9)年に、次男は2008(平成20)年に結婚した。
 長女の婿殿のご両親には2013年に16年振りで、次男の嫁さんのご両親にはつい先日お会いしたから11年振りであった。

 長女の場合は、ご両親は三重県在住である。互いの両親を紹介し合うということで二人が居住していた横浜で、結婚式の2ケ月ほど前にお会いし歓談した。次にお会いしたのは結婚式の当日であった。
 2013年に長女が生まれた。里帰り出産であったが、私どもの事情があって比較的長く秋田で過ごさせたために、初孫に早く会いたかろうと先方のご両親を秋田にご招待した。なんと16年も経過していた。間に孫を挟んで、老人同士で会話が弾んだ。その後はお会いする機会は得られていない。

 次男の嫁さんのご両親は秋田県内在住である。結納で両親を紹介し合い歓談した。次にお会いしたのは結婚式の当日。
 先日、4月下旬に次男のところで地鎮祭が催され、先方のご両親も出席され、昼食会で歓談した。なんとこちらは既に11年も経過していた。

 勿論、双方の方々には盆暮には常識的のあいさつとちょっとした品々の交換、賀状の交換などは、家内がいつも手配してくれていた。

 長女夫婦も次男家族も頻回に我が家を訪れているのであるが、当事者の彼らからも互いの両親が面談するような機会を作るような提案はなかった。私も新時代的?考えを持つ人間であるが、子供たちはさらに現代的な考え?をそなえているらしい。

 外来で私の診療補助をする看護師4人に確かめて見たところ、いずれも孫の成長に関連する行事には双方のジジババを招待している、あるいは招待していた、という。我が家の現状を話したら驚いていた。

 旧態依然とした私の両親世代から受け継いだ親戚付き合いは嫌であったが、新しく生じた姻戚関係までは忌避する気持ちはなく、これでいいのかと思いながらズルズルと過ごしてきた。私の心には小さなプレッシャーとなっていたが、お会いして肩の荷が少しだけ降りた。


5/18(土)快晴 よく働いた一日
1:00起床。新聞、文献PDF化他、録音データ処理、本読みなど。午前午後共に外仕事不可。クリーニング屋、水撒き、草刈り、畑園芸用品購入、網戸・ラティス等修理、固定。居間の掃除。機能性たかまる。夕方から新聞処理。読書、データ処理に。徒然更新。19:00夕食、21:00就眠。歩行Σ9166歩。

親戚付き合い(1) 前世代から受け継いだしがらみからの解放
 私は岩手県のど田舎で育ったが、ど田舎だけに親戚関係の縛りがとても大きかった。それに、一族は昔の貴族院議員を始め、県会議員、町長など勤めたから、一応地元の比較的名家とみなされ、その為か一族はプライドが高い集団で、結構結束もあった。私の家はそこから派生した分家であった。

 常に目の前に本家の影がちらついていた。私の祖父は私が小学5年の時に死去したが、墓石の高さは本家の墓よりも低くするよう厳命された、という記憶がある。そのように、本家は常に越せない存在であった。

 私は長男である兄から小学校1年の時に、今思えば半ば騙されて、家督を譲られた。経過はともあれ、そのことは感謝すれど後悔はしていない。

 私は戦後育ちなので、旧態依然とした親戚関係に関しては「面倒なこと、迷惑な関係」としか捉えられず、最小限ののみにしてきた。それでも、お盆には本家を訪問し、仏壇に線香をあげるということはつい数年前にまで50年近く、欠く事なく続けてきた。その本家の主人が死亡した際に私には報せがなく、葬儀にも呼ばれなかった。その現実を見てやはり時代の流れだろうと納得し、私の気持ちに完全に整理がついた。それを機会に私は盛岡周辺の親戚全ての付き合いをやめた。

 残っのは実兄のみとなったが、その兄も2015年死去した。心に残っているのは年老いた兄嫁のことで、年一回墓参りを兼ねて訪問している。

 盛岡関連の親戚付き合いに関しては常にどんよりとした重さが心から離れたことはなかったが、今は100%スッキリした。実害は何も生じていない。一体何だったのか・・と呆れるだけである。

 盛岡関連でひとつ残っているのは墓の問題である。私の段階でケリをつけるか、次世代に任すか、まだ決めかねている。

 秋田では家内の親戚縁者との、そう濃厚ではないホットな付き合いがある。1973年、秋田に越してきたが、越してきた当初、子育ての時期には本当に世話になった。感謝にたえない。
 秋田の親戚も代替わりし、徐々に関連が薄くなりつつある。これも時の流れ、時代の流れである。

 今後、残っていくのは親子関係だけになっていく。


5/17(金)快晴暑い!!! 大曲中通病院外来 飯川病院ボランティア 
1:00起床。新聞・文献・雑誌読みと自炊他。6:00降雨の間隙を縫って可燃ゴミ提出、7:30Tax駅に向かう。体調不良にて1列車遅らせ飯川で待機、一層厳重な対策必要。9:12こまち、9:55-12:10大曲中通病院外来、往路は時間なくTaxi、復路徒歩。13:30飯川病院ボランティア。暑い!!!19:20Taxi帰宅、夕食、21:15就眠。歩行Σ11887歩。本日歩行積算開始後2233日目、総歩行数2113万歩、16900Kmに。

確定申告・ふるさと納税2019(2)ふるさと納税制度は問題あり
 税金の納付は、教育の義務、労働の義務と並び国民の三大義務である。

 ふるさと納税はこの基本的な義務を「都市の寛容と地方の感謝に支えられる連帯の税制(福井県)」などと耳当たりのいい美句のもとに汚してしまった。
 神聖な納税に「遊び、ギャンブル的要素」、「カタログショッピング的発想」を付加してしまった。ふるさと納税の発想、考え方とも、最初からおかしい。ふるさと納税2017(1) 何か変ですよ

 総務省が過度な返礼品をに対し苦言を呈し、返礼品を寄付額の三割以下にするように通達を出した。私は返礼品はせいぜい寄付額の一割以下でいいと考えていた。ふるさと納税2017(3) 総務省は返礼品は3割以下に?? バカな結論だ 

 総務省が最初に警告を発してから4年、多くの自治体は昨年までに返礼品を見直したが、泉佐野市などは応じなかった。今回の措置はやむを得ない。6月からこれらの自治体に寄付しても税優遇措置は受けられなくなる。
 これが、ふるさと納税の基本的姿である。これを機会に健全な姿に向かう一歩としてほしい。
 
 ここまでこじれたのは、寄付の申し込みと返礼品選びを仲介するサイトが過度に拍車をかけた面も否めない。これらの仲介サイトの事務手数料などが寄付額の一割にもなり、税金の一部がこれらの仲介サイトに回っている、とみられる。これも正しい姿ではない。仲介サイトのあり方も健全化に向けて考える余地がある。

 日本は寄付文化が育っていない。
 ふるさと納税の当初は「育ってきた地方への愛着と感謝」を基本としていたように思う。私はその気持ちで岩手県の東日本大震災の復興に毎月収入の2割程度寄付をしているが、返礼品は一切ない。達増知事名で礼状が一枚届くだけである。私の寄付金は1円もムダなく利用してほしい。もし返礼品があるなら、無駄だから寄付はしない。

 ふるさと納税の利用者は年々増えて300万人を超えた。2017年度は寄付額が3600億円を超えた。今は返礼品目的に納税先が選ばれている。私が「カタログショッピング的発想」と言いたくなる所以である。

 今回、東京都は制度への参加を申請せず、「住民サービスのための税金を地方に回す趣旨そのものに反対する」姿勢を示した。これにも問題はあるが、当然の姿勢でもある。

 ふるさと納税の適正化を探る時期が来ている。


 5/16(木)快晴 外来 飯川病院
0:50起床。いつもの如く本読み、データ整理中心。7:10バス飯川病院、8:45-13:00中通総合病院外来+クリニックドック判定。13:30飯川病院。院長Petで外出、そのまま橋本五郎氏を囲む会へ。18:30バス帰宅、19:00夕食、21:00就眠。歩行Σ11360歩。月刊誌の自炊進める。「アイドルと病」再読。

確定申告・ふるさと納税2019(1)間違ってより多くの国税還付を受けた
 毎年3月15日は確定申告の締め切り日である。
 源泉徴収や年末調整などの制度は、戦費調達の狙いもあつて1940年代に導入された。今回初めて知った。

 税金を納付する事、払いすぎた税金の還付を受けることは納税者の義務であり権利である。
 税金は税務署に厳しくとられる、というイメージが払拭できないが、我々は子供達の教育をはじめとして、公共サービスを行政に委ねている。その費用をまかなうのが税金である。税制への関心は持たざるを得ない。知れば知るほど納税の大切さは理解できる。 

 確定申告が必要なのは個人の事業主が中心である。私のような給与所得者は、源泉徴収で毎月の給料から税金を自動的に天引きされている。さらに、年末調整もあるから申告は自分にとって関係ないと思う人が少なくないだろうが、実際はそうではない。
 医療費の自己負担額が一定額を超えた人や、要件を満たす寄付をした人、副収入がある人などがそれにあたる。

 私の場合は、大学病院時代は日雇い勤務医で給与が少額で、生活費を稼ぐために休日をアルバイトで暮らしていたから、毎年申告した。一般病院に変わってからは給与はそれなりにいただいたが、盛岡から少額の地代収入などもあって申告を欠く事ができなかった。勤務医としての後半は、市や県の医師会の役員、日本医師会での委員会活動のほか、県の委員会等でも働いたので不定の副収入があった。岩手県の復興資金を送っているから確定申告は欠かせなかった。

 確定申告手続きは結構面倒であった。初期の頃は書類を揃えて北税務署に行き申告、2010年頃からは市内に設置される申告場所で手続きした。いずれも混雑し、手続きが終わるまで2-3時間も要した事がありストレスであった。 

 2013年からはパソコンで申告が可能になって自宅でできるようになり、利便性が大きく改善した。私は家内の分も申告している。家内の場合は高額の医療費があり、かつ寄付行為も少なくない。

 申告者の7割に還付、つまり納めた税金の一部が戻ることになるらしい。
 私の場合は寄付が、家内の場合は医療費と寄付で必ず還付がある。だから、パソコンでできるようになってからは申告は結構楽しみである。

 私は今年の申告で計算間違いを侵した。
 間違いはわかってもすでにその資料は税務署に送付済みであるので自分で訂正できなかった。政務署の方の審査を待つこととした。4月になって税務署から決定通知が送られてきた。私の間違いは見逃されたらしい。多分、数万円程度なのか?
 収めるべき税金をちょろまかしたことになったが、先方の審査もあったことだから大目に見てもらうこととした。


5/15(水) 晴 飯川病院ボランティア 
 1:10起床。文献チェックほかいつものごとし。早朝- 午前、庭の花、畑に散水.ダリア発芽確認できた5株を植えた。体力退化を感じる。11:50バス、飯川病院ボランティアに。院長外出。微睡。患者は落ち着いている。病院花壇に朝顔、ヒマワリを植え散水。19:10帰宅、夕食、21:15就眠。Σ12250歩。書籍自炊進める。

74回目の感謝の日(2) 五感を生かして余生を生きる
 私には自省すべき言動が数多くあり、今になってそれを恥じている。

 そうはいっても、私以外の方々は私が過去を自省していることなど考えもしないだろうし、私のことなど記憶にも残っていないと思うが、口を開くと同じ過ちを繰り返すからなるべく他の方々との接点を持たない様にしている。
 私の拠り所の一つは、他所の方を傷付けることはとても少なかっただろうことである。それだけ、人間関係には心配りをしてきた。しかし、自分では随分傷を負った。人間関係に疲れた、ということでもある。

 私にとって自省すべき言動・・・はほぼ自分だけの問題である。数多く自分の過去は自分の中でも徐々に消えつつある。これはボケの効能なのだろう。

 私が本当に消える日までの生き方は昨年と同じだが、以下の如くに過ごすつもりである。

(1) 私の社会的使命は終わっている。仕事は最小限の診療に限定する。今年の8月からより少なくなる予定である。
(2) 自由に、ホンネで生きる。やりたくないことは受けない。
(3) 時間がない。だから、堅苦しくなく、意の赴くまま、気ままに生きる。
(4) 五感を生かして生きる。まだまだ人生には深い味わいを感じる。
(5) 移動機能を維持する。
(6) 診療で得られた報酬の20%を岩手の復興資金に送る。 徐々に少額になりつつあるが。
(7) 終活を一層進める。

 矛盾する気持ちでスッキリしない部分もあるが、家族も元気であるし、まずは良い74歳のスタート日だと思っている。


5/14(火) 74回目の感謝の日 晴れ 外来 飯川病院
1:30起床。文献他PDF化、徒然、6:00可燃ゴミ出し。7:10バス飯川病院着,8:45-12:50外来、13:10飯川病院、14:00ー18:30勤務、15:00院長大学でCT撮影、入院外来患者対応。19:15帰宅。夕食、祝いとして寿司。21:15就眠。Σ7933歩。書籍自炊進める

74回目の感謝の日(1) まだ運良く生きています 時間感覚が一層くるった
 数日前にNHK第一放送でたまたま本田美奈子の歌が一曲放送された。曲名はわからなかったが、見事な歌唱力である。急にもう一度彼女の曲を集中して聴いてみたいと思った。

 私のMP3データに検索をかけたところ「AVE MARIA」が一枚抽出された。2003年にリリースされた本田のソプラノ・アルバムの第1作。クラシックへの志向を強めていた頃の本田の作品。
<img src="https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/53/e9/e7a48f2a465f47525030fbda84ab582e.jpg" border="0">

収録曲は以下の如く
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1 流声〜プロローグ〜 (作詞・編曲:井上鑑)
2 アヴェ・マリア (作曲:カッチーニ)?3 私のお父さん〜歌劇「ジャンニ・スキッキ」(作曲:プッチーニ)?4 タイム・トゥ・セイ・グッバイ (作詞・作曲:F・サルトリ、
5 美しい夕暮れ (作曲:ドビュッシー)?6 ヴォカリーズ (作曲:ラフマニノフ)?7 グリーンスリーブス (イングランド民謡 )
8 ジュピター〜組曲「惑星」 (作曲:ホルスト )
9 私を泣かせてください〜歌劇「リナルド」( 作曲:ヘンデル)
10 シシリエンヌ(作曲:フォーレ )
11 ニュー・シネマ・パラダイス (作曲:モリコーネ)
12 タイスの瞑想曲(作曲:マスネ )
13 アメイジング・グレイス (作詞:J・ニュートン)
14 ベラ・ノッテ〜映画「わんわん物語」 (作詞・作曲:ペギー・リー)
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 このアルバムでは意識的に高音域が使われているように思える。それに対して本田の歌は全くぶれるところがなく、見事な安定感がある。彼女の夭折が今更ながら惜しまれる。

 次に私の自炊データに検索をかけたところ、前田忠明著「アイドルと病」メディアファクトリー新書(2010)が検出された。本書は若くして夭折した才能豊かな8人を取り上げ、特に病気との関連を中心に記述されている。
<a href="https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/13/55/51a5b9d238f5ed306b47d8248faace37.jpg"><img src="https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/13/55/51a5b9d238f5ed306b47d8248faace37_s.jpg" border="0"></a>

 本書中に収録されている人物は、夏目雅子、堀江しのぶ、テレサ・テン、本田美奈子、飯島愛、川村カオリ、大原麗子、岡田有希子の7人。いずれも、若くして夭折している。彼女たちは“死に至る病”をどんな思いで受けとめ、最期の日々を送ったのか。痛々しい記録である。

 今回通読してみたが、この中では特に、急性骨髄性白血病で死亡した夏目雅子と本田美奈子の二人の闘病の記録が印象的である。両人共に抗がん剤の副作用に苦しんだ姿がとても痛々しい。にも関わらず、両人共に体調が少しでもよければ、復帰に向けての準備を病室で進めていた、という。大変な気力の持ち主だった、と感嘆する。

 購入時にも読んだはずであるが、私も高齢になって、いのちに対する感受性が徐々に高まっているためか、各人の病の受け止め方について、感じるところが多々あり、今回再読して深く感銘を受けた。


5/13(月)晴れ  健康クリニック 飯川病院
1:10起床、データ整理、画像データ、音楽データなど。7:40降雨のために家内に同乗飯川病院に。9:00-11:00健康クリニックドック。11:15飯川病院。微睡。14:00-19:00勤務、入院外来患者対応。19:20帰宅、夕食、21:00就眠。CDの廃棄のiTune化進める。Σ6749歩。

余生をパソコンと共に2019(8) 本田美奈子の歌唱を聴き、闘病の様子を読む 
 数日前にNHK第一放送でたまたま本田美奈子の歌が一曲放送された。曲名はわからなかったが、見事な歌唱力である。急にもう一度彼女の曲を集中して聴いてみたいと思った。

 私のMP3データに検索をかけたところ「AVE MARIA」が一枚抽出された。2003年にリリースされた本田のソプラノ・アルバムの第1作。クラシックへの志向を強めていた頃の本田の作品。

収録曲は以下の如く
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1 流声〜プロローグ〜 (作詞・編曲:井上鑑)
2 アヴェ・マリア (作曲:カッチーニ)?3 私のお父さん〜歌劇「ジャンニ・スキッキ」(作曲:プッチーニ)?4 タイム・トゥ・セイ・グッバイ (作詞・作曲:F・サルトリ、
5 美しい夕暮れ (作曲:ドビュッシー)?6 ヴォカリーズ (作曲:ラフマニノフ)?7 グリーンスリーブス (イングランド民謡 )
8 ジュピター〜組曲「惑星」 (作曲:ホルスト )
9 私を泣かせてください〜歌劇「リナルド」( 作曲:ヘンデル)
10 シシリエンヌ(作曲:フォーレ )
?11 ニュー・シネマ・パラダイス (作曲:モリコーネ)
12 タイスの瞑想曲(作曲:マスネ )
13 アメイジング・グレイス (作詞:J・ニュートン)
14 ベラ・ノッテ〜映画「わんわん物語」 (作詞・作曲:ペギー・リー)
?――――――――――――――――――――――――――――――
 このアルバムでは意識的に高音域が使われているように思える。それに対して本田の歌は全くぶれるところがなく、見事な安定感がある。彼女の夭折が今更ながら惜しまれる。

 次に私の自炊データに検索をかけたところ、前田忠明著「アイドルと病」メディアファクトリー新書(2010)が検出された。本書は若くして夭折した才能豊かな8人を取り上げ、特に病気との関連を中心に記述されている。

 本書中に収録されている人物は、夏目雅子、堀江しのぶ、テレサ・テン、本田美奈子、飯島愛、川村カオリ、大原麗子、岡田有希子の7人。いずれも、若くして夭折している。彼女たちは“死に至る病”をどんな思いで受けとめ、最期の日々を送ったのか。痛々しい記録である。

 今回通読してみたが、この中では特に、急性骨髄性白血病で死亡した夏目雅子と本田美奈子の二人の闘病の記録が印象的である。両人共に抗がん剤の副作用に苦しんだ姿がとても痛々しい。にも関わらず、両人共に体調が少しでもよければ、復帰に向けての準備を病室で進めていた、という。大変な気力の持ち主だった、と感嘆する。

 購入時にも読んだはずであるが、私も高齢になって、いのちに対する感受性が徐々に高まっているためか、各人の病の受け止め方について、感じるところが多々あり、今回再読して深く感銘を受けた。


5/12(日)快晴 次男宅の地鎮祭
1:20起床、若干腹に緊張感あり、疲れか。本読み、文献読みほか。10:00飯川病院、11:30-15:00次男宅の地鎮祭、昼食会。武田さんと10年ぶりお会いし歓談。
その後飯川病院、読書、データ入力整理中心。18:30迎えアリ帰宅、19:00夕食。21:00就眠。5048歩数。書籍自炊進める

余生をパソコンと共に2019(7) 書籍をタブレットで読む(2) 
 終活の次の対象としているのは書籍である。
 最近もかなり書籍を購入している。10冊/月のことも珍しくない。これは止められ無い。しかし、購入した本は書籍として書架の中に並ぶことは無い。

 購入した本は直ぐに裁断し、スキャナーで読み込む。私のスキャナーは5年以上前の旧式で読み取り速度は遅いが何事にも鈍くなった私にとってはちょうど良い。500ページほどの文庫本なら10分程度で読み込める。最新式の機器なら2分くらいで読み取る。

 読み込んだ電子データはパソコンに保存される。必要なデータをDropboxに入れ、iPhoneとiPodに各々に入れたComicGlassというソフトを介して読み込ませればiPhoneとiPodですぐに閲覧できる。iPhoneは画面が小さいので読書にはまず用いることはない。

 現在、3種のiPadが手元にある。iPad mini(64GB)、 iPad2(64GB) 、 iPad Pro(250GB)で、全2者はOSが古く、動作が若干にぶい。しかしながら私の書籍リーダーとして考えれば十分である。3機種とも長男、次男が新機種を購入するというので私に回ってきた。結果的に高くついたが、親としてはやむ得ない出費だと思っている。

 自炊したデータは優に1000冊はある。検索をかければ簡単に探し出すことができる。今、次々とこれらを3種のiPadに取り込んでいる。私の書庫からは書籍は消えたが、ComicGlass内の書庫の中に整然と並んでいる。

 かつては自炊したデータはパソコン画面で読んでいたが、場所と姿勢が限定される。iPadは軽いから持ち運ぶのにも便利、読む姿勢にも制約はない。

 あえて問題点を上げれば、書籍をそのまま読むときに比較して字のコントラストが若干甘くなるという事だろう。これについてはスキャナーの読み取り条件をいろいろ変えて検討中である。

 タブレットで読む対象としては読書としての書籍だけではない。学術雑誌、医学関連書籍も、新聞スクラップも、写真などの画像も自由に読める。
 加えて言えば、決してメインではないが、その気になれば音楽も聞く事ができる。WiFiを通じてネットにも繋がる。メールも出来る。
 私が蓄積してきた医学上のヒントやポイントも確認できるから、診療の脇役にもなっている。

 要するに、タブレットを身近に置くと、衣食住などの生きる基本以外のことのほとんどに役に立つ。

 これからの残りの時間は、パソコンと共に、末端機器としてタブレットとともに過ごす事になるだろう。

 そうはいっても、私に備わっている五感を使った感受性を軽視することが無いよう、日々心掛けたいものである。


5/11(土)曇り・快晴 午前から体調不良終日
1:10起床。文献読みと新聞電子化、録音データ整理、徒然。午前来客を迎える準備しつつ10:00畑・園芸仕事に、しかし急に上腹部痛発来、以降夕方まで苦痛に喘ぐ。来客には後日ということに。予定のダリアなど一切できず。夕方には改善、19:00軽く夕食、21:30就眠。4517歩、半日寝たきり状態だからやむなし。11:59最終こまちにて家内金沢から帰宅。書籍自炊進める

余生をパソコンと共に2019(5) 書籍をタブレットで読む(1)
 私は無趣味な人間で、アルコール、タバコも嗜まず、旅行や美食にも興味がほとんどない。人付き合いも嫌。あえていえば根暗、読書、音楽鑑賞や演奏かな、と思う。

 音楽に関しては、昨年、私は終活の一環として、約半年かけて我が家にあるCDのほぼ全てをパソコンを用いてMP-3化し、数100枚あったCDの大部分は廃棄した。だから、音楽鑑賞はオーディオ装置からほぼ全てをパソコンを中心とし、関連した装置で味わっている。
 パソコンから直接聞くこともあるが、多くはパソコンのデータをiPhone8、iPod touch、iPadにコピーし、Blue toothを介してノイズキャンセリングヘッドフォンで聴いている。軽薄短小的システムであるが、それなりにいい音で結構満足している。

 今となって見れば、社会に出てからしばらくの間、オーディオの世界にそうのめり込んだわけではないが、ちょっとだけ浸り、いい音を追求していたのは何だったのだろうか、と思ってしまう。

 次の終活の対象は書籍である。
 書架を眺めて見てつくづく思うのは、私の蔵書など、次世代に残す価値のあるものはほとんどない、ということであった。
 私は自分で集めたもの、愛着を持っていたものは、家族の手を含め、他人によって処分されることなどは考えるだけも嫌。転売も嫌。自分の手によって可能な限り処分したい。全てを焼却処分したいのであるが、時代柄果たせない。資源ゴミとしてリサイクルに回すことしかないのが、極めて残念である。

 書籍は2011年からスキャナーを通して電子化し、処分を開始した。要するに自炊である。かなり進んだ。書架はガラガラになり、単なる棚として役立っている。
<img src="https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0b/ac/2ffcdde146a6d86a3a4b0b1dbfaa4af6.jpg" border="0">
(頻用中の富士通製スキャナーとiMac27。同型にこだわって使い続けこれが3台目、累積スキャンは5万ページに及ぶ)

 書籍の自炊作業を通じて、積ん読になっていた書籍にも最注目している。購入当時にあまり興味を持てずにほとんど読んでいなかった書籍、当時感銘を受けていた書籍にも大きな価値を再確認した。

 終活は自分の人生の終焉を意識して、人間関係をはじめとして有形無形の財産を処分していく、どちらかというと下向きの作業であるが、私の場合はその作業を通じて新たな価値を見出し、勿体無くてそう簡単には死なれないという新たな生きる意欲が湧いてきている。
 私にとっての終活は生きるエネルギーの元になっている。だから楽しい作業である。

 最近もかなり書籍を購入しているが、書籍としては増えていない。購入した本は直ぐに自炊し、3種のiPadで読むのが日常となっているからである。音楽鑑賞と同じようなコースになってしまった。


5/10(金)快晴 大曲中通病院 院長不在 飯川病院勤務 iPad pro入手
1:30起床。文献検討、徒然。新聞チェック。5:00家庭ゴミまとめ、提出せず。7:40Taxi駅に。8:11こまち12号 9:10-12:15大曲中通病院外来、デパートで菓子購入、種苗店にネギ苗予約、13:30-19:00飯川病院勤務。19:15Taxi、通町書店経由帰宅。夕食、20:30就眠。Σ8731歩。家族からused iPad pro入手。書籍自炊進める

自分にとっての物品の価値、価格(2) TVの「なんでも鑑定団」は番組の位置付けを明確に
 1994年に始まつたTV東京の「なんでも鑑定団」は看板番組の一つで、一般人や著名人が自慢のお宝を紹介し「鑑定士が本物か偽物か、鑑定額はいくらか・・・」を示す番組である。鑑定結果の提示はとても歯切れがよく、所有者の100万程度の評価額に対して「全くの偽物で、5000円」とか、その逆もあって見るものを喜ばせている。 

 2016年11月の放送の「なんでも鑑定団」に出品された焼き物は現存する最高峰の茶碗の一つとされる「曜変天目」の本物と鑑定された。

 「曜変天目」はどんな茶碗なのか??
 12-3世紀に中国で作られたとされ、製法が一切伝わつておらず、日本にある2点と中国で発見された陶片のみしかない、とされている。

 TV東京は4点目が確認された、と前宣伝を流し、徳島新聞が1面で報じ、徳島県は文化財指定を視野に調査に乗り出していた。番組の中の評価額は2500万円をつけた。

 放送後、真贋を巡ってかなり話題になった。一番の疑問点は評価額の低さで、「曜変天目」ならば少なくとも億単位、と考えられ、2500万円ははじめから考え難いと言うものから始まったようである。
 関係者の一部の方々は放送倫理・番組向上機構(BPO)に審査要請をしたとされるが、BPOは鑑定能力はない、と却下したらしい。

 TV東京は見解を問われ「鑑定は番組独自の見解で、番組制作過程は一切答えない」とし、結果的には真贋はうやむやになっているようである。 

 確かに、BPOでは判断のしようがないだろう。しかしながら、番組製作局の姿勢は疑問である。自ら放送倫理に対する責任放棄で、メディアとして墓穴を掘っているようなものである。最小限、番組製作自体がそのような姿勢であることを明確にすべきだろうと思う。

 単純に見れば、持てる者も持てない者も、双方ともに溜飲を下げられる、嗜虐性を楽しむ番組ととらえればいいのではないだろうか。コレクターの方々は楽しみいっぱい、不安いっぱいの気持ちで見ているだろう。

 私は、よその方に誇れるような価値のある物品は持ち合わせていない。贅沢品は、ましてや骨董品などには一切興味がない。全部実用品のレベルである。


5/9(木)快晴 外来 飯川病院 院長日本消化器病学会で金沢
0:50起床。随想読み、新聞処理。徒然など。7:30家内出勤に同乗、北海道に帰る石井さん駅に送り出勤。8:45-13:00外来。連休明けであるが混雑せず、されど内容で疲弊。14:00飯川病院、院長日本消化器病学会で金沢、秋銀スタッフ来訪。入院外来患者対応。19:00プリウス帰宅・夕食、21;00就眠。歩数7689歩。まだ体調正常化ならず。

わが家のゴールデンウイーク(2019) (2) 10連休、私はシルバーウイーク
 (1) からの続き。
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■ 2019(令和元年)/5/1(水)天皇即位の日 曇りのち快晴 GW5日目
 2019(令和元年)/5/1 天皇即位の日。9:00飯川病院採血業務3名。iPad miniデータリニューアルと習熟。夕方は録画関連の操作、データ整理。歩行、令和初日なのでご祝儀、10000歩。
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■ 5/2(木)国民の休日 快晴されどやや寒い GW6日目 
午前は文献等若干処理。画像収集処理。午後は借用している畑にマルチ敷手伝う。作業コーナー用電気スタンド修理。BR diskながら視聴:「N響伝説の名演 マタチッチ指揮ブルックナーNo8」、「ギドンクレメル:Beethoven Vn con」再視聴。歩行5130歩。
―――――――――――――――――――――――――――――――
■ 5/3(金)憲法記念日 快晴 GW7日目 飯川病院日当直 
飯川病院日当直。8:38バスにて出勤。9:00から翌朝まで。院内患者は落ち着いている様子。新聞切り抜き、微睡、午後は某診療所医師来訪歓談。蓄積データのバックアップ、iPad2の習熟化、Σ5249歩。
―――――――――――――――――――――――――――――――
■ 5/4(土)みどりの日 快晴 GW8日目 
 10:00バス帰宅。DIY店にて畑の苗購入、キウリ・ナス・トマト・ネギ。午後からそれらを植えた。本格的な畑作業開始。夕方は書斎整理、物品廃棄。BR disk視聴:「NHKso定期公演:シェーラザード3種類」味わう、「読響:シェーンベルクーーグレの歌」、夕方、観光兼ねて山形経由でF杉一家来訪。歩行計Σ8541歩
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■ 5/5(日)こどもの日 快晴温暖 GW9日目 二人急性胃腸炎??に罹患
7:00am、古い冷凍タラコを試食し、8:00強度の腹痛、しぶり腹発来。かなりひどく救急受診も考えたが午後自然に回復。午後から客人が腹痛発来、救急外来受診となった。18;00家族全員12人揃い、外で焼肉パーティ、歩行計4398歩。
―――――――――――――――――――――――――――――――
■ 5/6(月)振替休日 快晴 GW10日目最終日 飯川病院日直
8:38バスにて飯川病院、9:00-17:00日直業務、11:30F杉一家離秋。12:00検食、読書、微睡、文献チェック三昧。歩行計7894歩。
―――――――――――――――――――――――――――――――

 私は10連休のうち最初の二日間は学会で名古屋で過ごした。人出が多くて閉口した。飯川病院の日当直が3回あった。
 5/5の子供の日は孫5人含め家族総勢12名が集まった。まあ、家族が一緒に過ごす時間を持てたのでかった。
 ただし、私はこの日は急性胃腸炎にて七転八倒状態だった。

 地方紙の秋田魁新聞によると、連休中県内交通機関の利用者が軒並み増加し、観光地もにぎわつた、と言う。私は救急医療機関の混雑を懸念していたが、予想に反して目立つた混乱はなかつたようであった。 

 私に取っては、内容的にはシルバーウイークレベルだったけど、10日間は気持ちだけはリラックスできて良かった。


5/8(水)快晴 飯川病院ボランティア
0:50起床。随想読み、新聞処理。徒然。畑に散水など、10:40バス飯川病院へ。11:00-19:50ボランティア。入院外来患者対応。文献読み中心。14:00秋銀スタッフ来訪、いつもの事務処理。20:20プリウス帰宅、夕食、21:40就寝。 歩行計6722歩。まだ体調正常化ならず。

わが家のゴールデンウイーク(2019) (1) 10連休、好天に恵まれたが・・
 今年のゴールデンウイーク(GW)は、天皇退位、新天皇即位の関連で図らずも10連休となった。
 この連休は昨年11月の閣議で決定された。これにより4月27日(土)-5月6日まで10連休となった。
 私は50年ほど医師として働いてきたが、病気・手術の際に10日ほど現場を離れたことはあるが、休暇として10日間もの時間を得た事はない。

 私は、医療関係者として10連休を半ばあきれた気持ち、批判的な気持ちで捉えていた。
天皇退位 大嘗祭 秋篠宮発言 10連休(3)
 しかし終わってみれば、懸念したような混乱はなかったようである。

 私はこの10間、最初の二日間は日本内科学会で名古屋市で過ごし、飯川病院の日直1回、日当直に当たった。それでも開放感があった。

 今年のGWの天候、1日の過ごし方、歩数、考えたことなど記録しておく。

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■ 4/27(土)名古屋快晴風強し GW初日 日本内科学会総会二日目
前日夕方から日本内科学会総会に出席のために名古屋に。宿泊は名古屋ストリングスホテル。
11:00-17:30日本内科学会総会二日目出席、認定医更新手続き。
歩行計8227歩。
半日ながら勉強できた日。

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■ 4/28(日)名古屋秋田快晴 GW2日目 日本内科学会総会三日目
日本内科学会三日目は有効に出席できないのでキャンセル。13:12こだま、こまちにて19:15帰秋。
歩行計8837歩。
名古屋駅、東京駅はまっすぐ歩けないほどの混雑。田舎者には辛い。

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■ 4/29(月)昭和の日 快晴 GW3日目 
午前は録音データ整理など。
午後は微睡、この間不明の上腹部痛あり、熱感も。自転車整備、録画データ処理。
歩行数6030歩。

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■ 4/30(火)国民の休日 GW4日目 平成最終日 秋日小雨模様 飯川病院日当直 
 今上天皇退位の日。平成最終日。終日ラジオでその雰囲気味わう。
飯川病院日当直、午前はデータ整理。午後はレセプトチェック。入院患者対応、
歩行数Σ5563歩。
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5/7(火) 晴れ 外来 飯川病院  
 1:00起床,文献チェック、随想読みほか。5:00可燃ごみ提出、45L 二袋。畑に散水。7;10バス飯川病院着。 8:45-13:45外来、連休明けで混雑、疲弊。14:00-19:00飯川病院勤務、外来入院対応、帰宅、19:10夕食、21;00就眠。歩行計9411歩。まだ体調正常化ならず。

私はまだ医師として通用するのか?(9) 医師が、学生が患者を症例というのに違和感
 医師が患者のことを示すのに患者というのが一般的であるが、時に症例という言葉を使うことがある。
 数種の日本語辞典で「症例」を引いてみても「症例とは病気やけがの症状のこと」とあり、患者の呼び方の一つであることは示されていない。しかし、我々医療人は、特定の患者を示す時に症例と称することがある。

 私は患者というべき時に、あるいは書くべき時に症例と表現された時に大きな違和感を持つ。

 どういう時に症例と言われるのかと言うと、
 第一は、病院と卒業間近の学生の研修マッチングの面接の時である。私が現役の時には研修を希望してきた学生全員と面談したが、その時に「どのような理由で当院での研修を希望するのか?」と質問する。それに対して10人中10人が「たくさんの症例を経験できるから・・、指導体制もしっかりしているから・・」とワンパターンで答えてくる。おそらく、研修マッチングのマニュアルにそのようにガイドされているからであろう。学生たち面接時の手法をかなり勉強している、と思う。
 第二は、かなりのベテラン医師が医師としての過去を振り返るようなエッセイ等の中で使われている。散見される。

 私は一般的に患者を呼称する時は患者というべきだし、特別な状況にある特定の患者を示す時は症例と称するのがいいと思う。

 医療界の中で重要な位置付けなのは患者の病態の検討会や症例報告である。

 症例報告は、患者の病態を記録することにおいて、最も古くから存在する。臨床診療から得られた新しい知識を普及させるための重要な手段である。
 医師は、周知のものとは異なる症状、すでに知られてい無いような疾病の合併症、治療に対する異常な副作用や有害反応、あるいはよくある症状に対する新しい対処法など、従来とは異なる反応を示した患者の事例に遭遇する。これは医師としてストレスである一方、大きな喜びでもある。
 私も症例報告は頻回に論文にしたが、溶血性貧血の分野で「The first case in japan」と冠した希な病態の症例報告を2件することができた。

 このような意味で、特別な患者を呼称する際には私も症例を使う。それ以外の時は患者である。

 患者を症例と安易に呼ぶのは上から目線的である。ましてやこれから実地研修で患者から教わらなければならない未経験の医師の卵にとっては「診察させていただく」という謙虚さが必要である。特別な目的を持って特別な患者を示す場合は使ってよかろう。少なくとも「症例をたくさん経験できるから・・」という表現は正しく無い。「患者をたくさん経験できるから・・」ならまだいい。

 最近ベテラン医師のエッセイの中に症例という言葉が頻回に使われているを見て、かつて考えていたことを思い出した。


5/6(月)振替休日 快晴 GW10日目最終日 飯川病院日直
0:30起床,文献チェック、随想読みほか。8:38バスにて飯川病院、9:00-17:00日直業務、11:30F杉一家離秋。12:00検食、読書、微睡、文献チェック三昧。19:00帰宅、夕食、21;15就眠。歩行計7894歩。書籍自炊進める

私はまだ医師として通用するのか?(8) 家族の受診を機に救急医療について考えた
 私が5月5日、食品に当たって急性胃腸炎で苦しんでいるときに、家族の別の一人(40代男性)も同様に腹痛に悩んでいた。
 私の症状から遅れること6時間、朝から食欲減退はあったらしいが、14:00頃から上腹部痛が発来、様子を見ていたが徐々に増悪し、夕方には耐え難いほどになったということで、夜になって家内が付き添って市内の総合病院の救急外来を受診した。

 急性胃腸炎、急性膵炎??などとも思ったが、この方は前日夜、子供を連れて寿司を食べに行っている。アニサキスか??とも思ったが私も不調であったので深くは関与しなかった。少なくとも私が食事に同行しなくてよかった。家族内で同一食品を摂り腹痛が発生した場合は感染性食中毒も否定できなくなり、ことは複雑になるからである。
 
 救急受診から帰宅したのは翌朝2:00am頃、帰宅まで6時間を要している。疼痛は3本目の鎮痛剤が効いて改善し帰宅となった。原因に関しては明快な説明はなかった、という。

 この間、採血検査、腹部CT検査、さらにもう一度造影腹部CT検査が行なわれている。腹部CT検査が2回も続けて行なわれているということは救急担当医がそれなりの危機感を持って、重症疾患を念頭に、診療していたことを示す。疼痛の激しさからは膵炎とか、大動脈解離も考えたであろうから当然の対応と評価する。

 この間、一般的なアセトアミノフェン鎮痛剤、次いで鎮痙鎮痛剤が使用されているが約5時間ほどは症状が緩和せず疼痛に苦しんだという。問題はこの間、患者の症状の様子などを確かめに医師も看護師も患者の元を2時間近くも訪問しなかったことにある。
 鎮痛剤を用いたならその効果は時間をおかずに確認されるべきである。鎮痛剤の効果が乏しいことも診断の助けになるからである。

 最終的には3本目として投与されたオピオイド鎮痛薬(非麻薬)で症状は寛解した。

 私のような老年医師が救急医療に関して現役の医師達をさしおいて指導出来ることは何もない。?ただ、私の感覚では救急担当医として最も大事なのは、来院した患者のトリアージである。超緊急状態にあるのか、緊急状態なのか、非緊急状態なのか、救急時間帯の対症療法だけで帰宅させて良いのか、の判断で、まず患者をみて大凡の見当をつけることである。具体的病名などは疑いとして寄せておき、その後に考えればいい。

 今回の家族の受診に関して感じた問題点は、鎮痛剤が投与されているにも関わらず、その効果を確かめずに数時間疼痛を我慢させた状況においたことにあろう。
 一般的には、医師の立場では原因究明が優先し、患者の立場では症状の寛解が優先する。この両者のお折り合いをつけるのが担当医師の務めであろう。
? 老医の立場では、救急診療では患者の症状を緩和することが第一だ、と考える。判明した検査結果などは逐次説明することも欠かせない。


5/5(日)こどもの日 快晴温暖 GW9日目 二人急性胃腸炎??に罹患
1:00起床、画像・文献新聞チェック。録音データ整理。7:00、いつから冷凍されていたのかわからない古いタラコを焼いたのを試食した。私の判断ではOKであったが8:00強度の腹痛発来。午後自然に回復。午後から客人が腹痛発来。BR disk視聴:「N響定期演奏会」数回分視聴。19:00夕食。20:30早々に就寝。歩行計4398歩。18;00家族全員11人揃い、外で焼肉、私は体調考え不参加。

激しい急性胃腸炎で、私の「食あたりはしない」との自信が崩壊した
昨日、夕方に我が家の周辺、我が家の中にも変な匂いが充満していた。
 結構強烈な匂いで、腐ったような、焦げたような、かつ何となく美味そうとも感じられる、表現が困難な匂いである。単純な私は、近隣の農家の方が畑に肥料でも撒いたのではないかと、さほど気にしていなかった。
 この匂いは夕食の頃にはほとんど消失した。
 実はこの匂いの元は我が家のオーブンから発していたことが翌日になってから判明した。

 私は6:00am前に軽く朝食をとる。5日は休日でのんびりしていた。7:00am頃に賄いの石井さんが焼き「たらこ」のブロックを持ってきて「いつからあるかわからない古い古い古い「たらこ」が冷凍庫の隅から見つかって、一応焼いてみたんだけど食べてみる??」と持ってきた。
 私は食品が廃棄されることを極端に嫌う。早速、一切れを口に入れて味をみたが、古さは感じられたが、異様な味はほとんどなかった。私が責任を持って食べるから取っておいて、と告げた。

 ところが、8:00am頃から上腹部痛が発来し、急速に耐え難いほどに増悪した。急性膵炎??腸閉塞か??などとも思ったが、その後、しぶり腹状態となり、数回トイレに駆け込んだ。ここまでくれば食中毒が濃厚となる。しかも私だけ、ということは焼き「たらこ」に原因があった、と推定できた。
 
 確かめてみると昨日の強烈な匂いはこの「たらこ」を焼いたときに出たものだったという。先に焼いた新しい「たらこ」では殆ど匂いはしなかった、らしい。賄いの石井さんはもともと嗅覚が弱い他に、風邪をひいており一層匂いを感じない状態だった、らしい。

 試食してからそれほど時間が経っていないうちに症状が出たことから、感染型胃腸炎ではなく、毒素型だったのであろう。
 それにしても腹痛は強烈であった。全身的に冷や汗が吹き出し、心臓は早鐘のごとくうち、立ち上がると顔から汗が滴り落ち、めまいがした。一時的に血圧等が下がっていたのであろう。さらに増悪すれば救急車要請か??とも考えたが、正午頃から状況の改善が見られ、夕方には殆ど問題ないほどまでに回復し、ことなきを得た。
 夕方から我が家恒例の焼肉ガーデンパーテイが行われたが、今回は参加しなかった。

 私は基本的に胃腸が丈夫なのだろう。期限切れの食材、多少不安を感じるような食材は一気に私が引き受けて消費している。食品廃棄はしたくない・・・の一心である。
 それで50年以上もやってきた。今までは今回のごとくのトラブルは生じたこともなかった。ちょっと今回は無理した。本心では怪しいと思ったのであるが、「ここぞ私の能力を試すべきチャンス」、とチャレンジしたのが悪かった。

 今回の経験を参考にしながら、・・・考えようによっては危なかったのであるが・・・今後も個人的に食品廃棄低減運動を続けていく。


5/4(土)みどりの日 快晴 GW8日目 
 1:20飯川病院で起床。早朝読書、文献処理一部廃棄、録音データ整理など。10:00バスにて帰宅。一休み後、DIY店にて畑の苗購入、キウリ・ナス・トマト・ネギ。午後からそれらを植えた。本格的な畑作業開始、というところ。夕方は微睡の後、書斎整理、物品廃棄。BR disk視聴:「NHKso定期公演:シェーラザード3種類味わう」、「読響:シェーンベルクーーグレの歌」、夕方、観光兼ねて山形経由で舩杉一家来訪。歩行計Σ8541歩

四季2019(6) 庭先の花(2) みどりの日の朝の様子
 わが家の木々は、毎週次々と最盛期を迎える。今週になってから「ハナカイドウ」、「ライラック」、「ドウダンツツジ」、「りんご」、「シャクナゲ」が満開となり、一気に華やかになった。次の開花候補として「フジ」が待っている。咲けばきれいだろう。

 なんで花はキレイに咲くのか?誰のために??少なくとも人間のためではなかろう。昆虫にも美的感覚があり、それで引き寄せられるのか??私の疑問は1-2週間では解けない。

「椿」:2週間前よりいっそうきれいになった。

「ハナカイドウ」、
「タンポポ」
「ライラック」、
「ドウダンツツジ」、
「りんご」
「シャクナゲ」
「フジ」:白いフジ。まだ咲き始め。


5/3(金)憲法記念日 快晴 GW7日目 飯川病院日当直 
0:30起床、文献読み。データ整理。5:00可燃ごみ提出。秋田市から委託された業者の方々ご苦労様。飯川病院日当直。8:38バスにて出勤。9:00から翌朝まで。院内患者は落ち着いている様子。新聞切り抜き、微睡、11:55検食、午後は蓄積データのバックアップ、iPad利用の習熟化、17:55検食夕食。21:00就寝。Σ5249歩。

憲法記念日 私の考えは昨年から進展していない
 我が国の憲法は制定後73年経過しているが、世界的にも平和憲法して評価が高い。
 平和主義憲法を持つのは日本だけではなく、憲法に平和主義条項を盛り込む事は世界の常識で、 8割以上の国が平和条項をもっている、とされる。ただ、具体的にそれぞれを調べて知っているわけではない。

 この73年間、日本国憲法は一度も改憲されていない。しかし、毎年5月の憲法記念日の時期になると改憲論を中心に憲法論議が若干ながら盛んになる。

 憲法9条で戦争放棄が謳われている。
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 憲法9条は、
1項:日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
?2項:前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
―――――――――――――――――――――――――――――――――-

 実に立派な条項だと思う。
 しかしながら、戦後平和が守られてきたのはにこの平和憲法があったためではない。世界情勢、日本の情勢、日米安保条約しかり、米国との同盟関係など、がそうさせてきた。さらに、わが国も情勢に対応しながら自衛隊の解釈を捻じ曲げながら、軍拡を進めてきた。いろいろな評価方法はあると考えられるが、我が国の戦闘能力は世界的に見て10番以内らしい。これは憲法9条2項から見てどうなのか?日本の軍事力は軍隊でないのか?

 憲法に関する各新聞社やメディアの世論調査によると、改憲については「不要」>「要」である。また、ここ数年「不要」とする割合は増加している。
 特に9条の改正「反対」は7割に近い数字となっている。この背景には改憲論者の安部首相の支持率低下がある。

 平和の維持は平和、平和と唱えるだけでは達成できない。

 安倍首相は9条に関して自衛隊を合憲化し軍隊としたいという意向である。
 これは正しい判断だと思う。今の自衛隊は何なのか??曖昧にしたまま、黙している日本人の曖昧文化はここにも極だっている。

 改憲反対論者は、9条の改正は日本の平和主義を放棄することにつながりかねず、再び戦争に巻き込まれるリスクを増大させる、と主張する。9条の改正は、即、日本の平和主義を放棄することには直結しない。私はそう思っている。

 9条を改正することによってごまかしのない形になる。
 戦争という非常事態が生じても、あくまで平和主義を貫くべきだ、という意見がある。特に護憲派の人たちはそのように言う。国際世論に訴えながら「座して死を待て」、ということだろう。

 戦後憲法の基本的な理念に無理があった、と思う。憲法作成当時としては価値ある考え方であっただろう。

 有事の際に日本としてどう対応すべきかについてもほんど論議されていない。国民に問いかけてもいない。
 こんな状態で憲法改正を提起されては困る。これが私の現時点での感覚である。


5/2(木)国民の休日 快晴されどやや寒い GW6日目 
1:00起床。文献等若干処理。画像収集処理。午後、借用している畑にマルチ敷手伝う。作業コーナー電気スタンド修理。BR diskながら視聴:「N響伝説の名演 マタチッチ指揮ブルックナーNo8」、「ギドンクレメル:Beethoven Vn con」。風邪気味か??19:00夕食。21:20就寝、歩行5130歩。

前天皇陛下退位を心から喜び、新天皇即位を祝いたい(2) 男性害・老害の社会を是正すべし
 今回、皇位の引き継ぎの行事は全て新聞、ラジオを通じてフォローしている。しめやかに代替わりした。TV映像に関してはのちにまとめのドキュメント作られるであろうからそれを楽しみにしている。

 新聞を見る限りにおいては、日本の皇室関連、及びその行事は時代遅れの旧体制、男性社会、老人社会の状況であり、不快に思った。言葉がふさわしくないだろうが、男性害・老害の社会である。
 皇位継承の行事に際して女性の姿はほとんど見えなかった。

 今回の皇位継承を機に一気に皇室問題に関心が高まったので新しい皇室観が生まれてくると考えられる。さらに広げて男女平等社会について検討を一層深める、いまがその機会である。

 天皇の皇位継承権は、従来の男性天皇にこだわれば皇嗣の秋篠宮、その長男である悠仁さんの二人しかいない。いろいろな可能性がありうるが、このままでは天皇家が消滅してしまう可能性がある。

 女性女系天皇に関する検討はなかったわけではない。
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 ■2005年小泉純一郎首相が設置した皇室典範に関する有識者会議は、女性天皇、女系天皇に皇位継承を認める報告書をまとめた。だか 秋篠宮ご夫妻に男子悠仁さんが生まれ皇室典範改正の機運は急速にしぽんだ。

 ■2012年民主党の野田総理は皇室制度に関する有識者会議を立ち上げた。愛子さん、真子さん、佳子さんの3人が、結婚後も皇族の地位にとどまる女性宮家創設の足非が主な諭点だつた。

 ■自民党が政権に復帰し、男系男子の皇位継承の伝統に固執する安倍内閣の発足で議論は消えになつた。天皇退位特例法の付帯決議に盛り込まれた女性宮家ら創設を含む安定的な皇位継承の方策についても本格的な議諭は始まっていない。
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 議論を疎んじ、都合の悪い話から逃げる。そんな姿勢がここにもあらわれている。
 ここに至って問題になっている少子高齢化、労働力不足は識者によっては半世紀も前から予測されていたが、我が国の為政者は真摯に受け止める力量がなかった。対策が後手となりもはや再生不能状態に陥った。

 私は皇位継承について早急に対策を練らなければ同じ轍を減る可能性がある、と思う。

 私は単純に女系・女性天皇の存在を認めたい。生物学的にみれば差が殆ど無いし、人間社会が男女の共存で成り立っている。心身的に機能の差はあるが、生物として存在し続ける特質であって、ネガティブの差別を生む元になるのではない。にもかかわらず、男性社会が女性の地位を抑制してきた。

 今こそ真に男女問題を考えるべきである。


2019(令和元年)/5/1(水)天皇即位の日 曇りのち快晴 GW5日目
 2019(令和元年)/5/1 天皇即位の日。2:00起床、文献チェック他。新聞チェックなど。データ関連処理進む。9:00採血業務3名。9:30-10:00秋田駅往復、札幌までの指定席確保。11:00レガシー、書店経由で帰宅。iPad miniデータリニューアル。習熟。夕方は録画関連の操作、データ整理。自炊方針変更。19:00夕食。21:00就眠。歩行、令和初日なのでご祝儀、200歩足して計10000歩に調整した。

前天皇陛下退位を心から喜び、新天皇即位を祝いたい(1) 
 前天皇陛下は昨日で退位され、本日から新天皇が即位された。
 退位後、天皇陛下は上皇、皇后は上皇后となり一切の公務から退く。皇太子妃が新しい皇后に、秋篠宮が次の皇位継承者である皇嗣になる。

 私は、我が国の皇室制度に一定の意義と役割を認めているが、それほど強く興味とか関心を持っているわけではなかった。
 ただ、高齢者医療を担っている立場として、高齢となった天皇の退位については感心はあった。とても大変な状態だろうと推察していた。

 それが、2016年8月に天皇陛下が退位の章向をにじませるヴィデオメッセージを公表した。2012年に心臓のバイパス手術を受けられ、行事の所作を間違うことも目立つようになられた、とされ、高齢になり、憲法が定める象徴としての務めを全身全霊で果たすことが今後難しくなる、と訴えられた。いわゆる生前退位の意向の打診表明であった。

 明治時代に作られた皇室の法律、旧皇室典範には天皇は終身在位と定め、逝去した時だけ代善わりすると決められていた。この法律にそつて大正、昭和の天皇は前天皇の逝去にともなつて即位し、喪に服しながらながらの代替わりであった。 
 戦後に作られた新しい皇室典範も規定は同じで、本来は上皇になられた陛下も存命中に退位はできないはずだつた。

 政府関係者、皇室関係者が前天皇をここまで追い込んでいたと言うのは驚きであった。私はてっきり水面下では生前退位のことは検討されているものと思っていた。それが全くなかったらしい。高齢者を支える医師の立場から見ても信じ難いことであった。

 その後、政府が検討を始め、今回一代に限つて退位を認める特別な法律が17年6月につくられた。退位は江戸時代後期の光格天皇以来202年ぶり。 
 
 元号も令和に変った。 
 1979年に元号法に「皇位の継承があった場合にのみ改める」と定めている。新天皇が即位した本日午前0時から令和の時代が始まった。

 天皇はやっと退位された、私は心から喜びたいと思う。
 しかも、昭和天皇が逝去して世代交代した前回とは全く雰囲気が違う。前天皇は昭和天皇の逝去にともなつて即位し、喪に服しながらながらの代替わりであった。それはそれなりに悪くない雰囲気でもあったが、今回は祝賀ムードの中でことが進められた。
 メディアは騒ぎすぎだと思ったが、私は今回のほうがいいと思う。一代限りの枠を外して新しい伝統文化にしていくのががいいと思っている。

 今回の退位に際して、皇室に対するニュースが満ち溢れ、皇室、天皇制度に対する関心も高まったと思う。朝日新聞の調査では皇室に関する親しみの気持ちを抱いているとの意見は76%にも及んでいる。
 
 私は可及的早期に退位を、と思っていたが、色々曲折して昨日までかかってしまった。無事迎えられた今回の退位を心から喜んでいる。
天皇陛下の生前退位(1) ご高齢に配慮し直ちに実質的対応に着手すべき
天皇陛下の生前退位(2) 陛下は最もお気の毒な境遇の方 解放してあげたら? 
天皇陛下の生前退位(3) 陛下のお身体よりも法整備が重要なのか?
天皇陛下の生前退位(4) 陛下のビデオメッセージは第二の玉音放送


4/30(火)国民の休日 平成最終日 秋日小雨模様 飯川病院日当直 レセプト
 今上天皇退位の日。平成最終日。1:00起床。新聞チェック、本読み、録音データ整理他。8:38バスにて飯川病院。9:00飯川病院日当直、午前はデータ整理、入れ替え。午後はレセプトチェック。入院患者対応、微睡、読書。17:55検食。20:30就寝。GW3日目 Σ5563歩。

平成最終日、平成最後の日当直 ラジオで雰囲気味わう 不快なラジオでの大笑い
 本日は平成最後の日。大晦日と言っていいのか分からないが平成の大晦日。
 何となく新年を迎えるような厳粛な気持ちになる。人の気持って分からないものだ。物理的には何ら端境などなく淡々と過ぎていくのであるが、人にとって、特に今回は日本国民にとっては特別な日である。
 今上天皇陛下の退位があり、明朝0:00をもって元号が平成から令和に変わり、新天皇が即位される。世界中で元号という制度があるのは日本だけである。私は元号は好きである。歴史を学ぶのにそれなりの区切りがあるのが嬉しい。

 本日は飯川病院の日当直で9:00からずっと院内である。解放されるのは明朝9:00。いつものごとく入院患者対応、外来レセプトのチェックはあるが、読書、蓄積データの整理、iPadで読む本の工夫など、マイペースで過ごせる時間もある。

 本日は平成から令和に変わり節目の日で、TVでは数々の特集番組が組まれているが、私にとっては画面がない方がいい。私はNHK第一放送を終日流しておいた。

印象に残った番組
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■午前10時05分-10時55分(50分間)
    子ども科学電話相談「天文・宇宙」「植物」「鳥」。今の子供たちはレベルが異なる。昔は「バナナは何で曲がっているんですか??」のレベルであった。
■午後0時30分-午後0時55分(25分間)
    忘れじの洋楽スター・ファイル ▽カーペンターズ
■午後1時05分-1時55分(50分間)
    クリス松村セレクト 平成最後の日に聴きたい歌
■午後2時05分-3時55分(110分間)
    路上の平成〜貧困・格差のむこうへ〜生活者の視点で平成の課題を問う。
    出演 湯浅誠(東大特任教授)安田菜津紀(フォトジャーナリスト)近藤博子(こども食堂店主)滝沢秀一(マシンガンズ)司会 真下貴
    30年に渡る「平成」時代の終わり、新たな時代「令和」のはじまりを“生活者の視点”で見つめた。市井の人々が浮き彫りにした「平成」は、格差が拡大し、貧困が暮らしを追いつめる厳しい時代でもあった。平成から令和へ、その課題を解く鍵をさぐる。
■午後4時00分-5時55分(115分間)
    天皇陛下 退位へ〜「平成」と私たち〜 野村正育 御厨貴 片山杜秀 中江有里
    本日、天皇陛下は退位され、平成の時代は幕を閉た。「退位礼正殿の儀」の中継、識者とともに天皇陛下の歩みをたどり、私たちにとっての平成の意味を考える。陛下は、平成に「象徴」としてのあり方を模索し続けてこられた。新たな令和の時代には、何を受け継いでいくべきか。私たちにとっての「平成」の意味を考えた。
■午後6時05分-6時50分(45分間)
    お笑いコンビ「アインシュタイン」が送るラジオバラエティー。午後7時20分から続きあったが、不快な二人の大笑いに耐えられずラジオを切った。
    二人でかわす大笑いの声は、少なくとも私の心を逆撫でした。異常な笑いの連続、このような馬鹿笑いは基本的にTVよりもがなり立てないラジオには不向き。表情が見えるTVでやればいい。私はすっかり不快になりスイッチを切った。
■午後11時05分-5月 1日午前1時00分(前後で110分)
    平成から令和の一瞬を意識。『ラジオ深夜便』も新時代へ
    ▽美智子さまと子どもの本について
    ▽美智子さまと子どもの本 後半  
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 馬鹿笑い番組以外は色々な意見が聞けて参考になった。


4/29(月)昭和の日 快晴 GW3日目 
0:50起床。徒然、録音データ整理など。昨日のNHKのど自慢視聴、福岡、美形揃い。午後は微睡、この間不明の上腹部痛あり、熱感も。1週前の嘔気と合わせ何か??回復したので自転車整備、録画データ処理。19:00夕食、21:00就寝。歩行数6030歩。

本;「二人で紡いだ物語」 米沢富美子著 出窓社 2000年
 日本を代表する女性物理学者・米沢富美子の半生記。
 2000年7月に刊行されて評判を得たが、2011年に新章と口絵を加え、「定本 二人で紡いだ物語」として再刊行された。私が入手していた本は旧版(朝日文庫)である。

 「かけがえのない人をなくしたとき、ひとは物語を紡ぎ始める」こんな帯つきで出版された本書は、最愛の伴侶を亡くして茫然自失に陥った著者が、夫との出会いと共に過ごした日々を綴ることによって再び立ち上がっていく生き方が共感を呼んだ。その後、文庫化され、朝日文庫、中公文庫に収められ多くの人に愛読されている。

 以下のごとくの8章からなり、さらに5-10の細項目にから成る。
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 ■ 一年間の新婚旅行 ■ 夢のような日々 ■ フルハウス ■ 実りの季節 ■ 悠々自適 ■ 素晴らしい人生をありがとう ■ 思い出の物語 ■ また会う日まで
      
 ■目次の後には、「夫・米沢允晴の遺した最も大切な宝 三人の娘たち ルミ子 恵美 美由樹 に本書を贈る」とある。
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読後感。
■人柄がにじむ文章も魅力的。
■2005年女性科学者のノーベル賞と位置づけられているロレアル・ユネスコ賞を受賞。このような偉人がいたことを知る意味において素晴らしい資料である。
■夫婦のつながりこそが大切なもの、と再確認できるがこれは米沢氏にとっての話。一般論にはなり得ない。
■氏は優秀な能力を持っていた他に、超人的行動力。全部を引き受けて,全部をこなし,全部で達成を得る。だから、疲れ果てて,落ち込んでいるときに読むべきではない。むしろ、落ち込む。仕事との両立に悩む方にも不適。
■当時このような超人的女性でなければ、社会は受け入れてはくれなかった。
■家庭を持ち、子を産み育て、家事もこなし、自らの病とも立ち向かい、夫の看病と見送り、そして母の介護。何事からも逃げない姿勢。さらに、専門の分野で業績を上げ続けるという密度の濃い人生。
■圧倒的な業績と成功の陰には並外れた苦労と努力が伺えた。
■氏の前向きな生き方には、ほとほと感心。こういう生き方もあるのだと思わされた。ただし氏以外の人に適応してはならない。
■夫婦の信頼関係を紡いできた歴史。しかし夫婦のあり方には共感できない。家事、育児にノータッチの夫に愚痴も言わない本人にも問題。「最近、君の勉強している姿をみなくなった、なまけているのじゃないか」という言葉は問題。
■しばしば文中、亡き夫に「のろけ」表現が見られる。それだけに、夫に先立たれた喪失感が痛いほど伝わった。しかしながら、このような夫婦関係には疑問も感じる。
■女性は、仕事・学問も、家庭を持つ喜びも、二者択一ではなく、どちらも手に入れることができるのだ、という事を自らの経験をもって示し、「あなたにもできる」と呼びかけている。しかし、真にに受けてはならない。
■手を差し伸べて助けあうだけじゃない、互いに信頼し、高めあった夫婦の物語。氏の本当の気持ちは??・・立場が違うから私には理解不能。夫の感想も聞きたいものだ。
■「お父さんは最後までお母さんを幸せにしてくれたね・・・」と娘達がつぶやく。娘たちの「母を語る、父を語る・・」が何らかの形で出版されないか?期待している。


4/28(日)名古屋秋田快晴 GW2日目 日本内科学会総会三日目
 2:00名古屋ストリングホテル起床、入浴その他、文献検索。文献整理,新聞チェックなど。行動開始が遅れ、帰路の時間と学会の場所を考えると日本内科学会は無理。11:00チェックアウト。あおなみ線名古屋に、松坂屋で買い物。13:12こだま、こまちにて19:15帰秋。そのままナカイチにて外食。22:30帰宅、ネコ相手、21:30就寝。 歩行計8837歩。

物理学者 米沢富美子氏の生き方
 物理学者の米沢富美子氏は1月17日に心不全で死去された。享年80歳。

 氏について、高名な学者としてお名前だけは知っていたが、より詳しく知ったのは2013年02月にラジオ深夜便で2時間にわたって放送されたインタビューを聴いてからである。氏の死去を受けて、本年3月下旬に再放送があり、再度関心した。とてもチャーミングな話し方をされる方である。

 氏はアモルファス(非結晶物質)の研究を続けながら、3人の娘を育てあげ、母親の介護にも前向きに取り組んだ。この頃のことは著書「二人で紡いだ物語」2000年、「朗朗介護」 2011年に詳しい。

 氏は1938(昭和9年)大阪府に生まれる。父は戦死し、妹とともに母に育てられる。子供の頃から幾何が得意で小学生のときIQは175!!!だつたという。ちなみに平均IQは90-105、最高IQは特別な人を除いて135-145程度、と言う。驚くほどの高さであった。

 湯川博士に憧れて京都大学に進学し物理学を学ぶかたわら、英会話やエスペラント語でも活躍する。研究か結婚かで悩んだ時期に、決断に踏み切らせたのは「研究も結婚もすればいいじやないか」いう、後に夫となる米沢允晴氏の言葉だつた。米沢氏とは大学入学した日に初めて出会った、と言う。
 
 大学院生の時に米沢氏と学生結婚、迷うことなく最先端のアモルファスの研究を続けなながら家庭を切り盛りした。
 
 23歳のとき、夫が社命で単身英国に留学したときには、英国の30の大学に書類を送り自分の留学先を決めて英国に渡った。この行動力もすごい。 
 帰国後、京大基礎物理学研究所の助手となる。胞状奇胎を経験し、長女、次女の子育てに苦んだ時期に書いた綸文が米沢氏を非結晶物質研究の世界的な最前線へと押し出した。つらくなつたときはあの時期のことを思い出すことで乗り切った、と述べている。

 三女を出産した翌々1972年から、今度は夫のニューヨーク赴任に合わせ米国ヤシバ大学の客員研究員を務め、1976年には京大基礎物理学研究所の助教授として招聘される。 
 1981年、京大から慶応義塾大学理工学部に移り、2年後には教授として後進の指導にもあたった。以来、ずつと忙中にあつても毎年何本もの論文を発表したが、1996年だけは一本も書けなかつた。この年に女性として初めて日本物理学会の会長に就任し、夫が肝臓癌で亡くなつた。「危篤の床で夫は私を抱きしめてくれた。あのとき、私は幸せでした」、と語っている。夫は育児家事は一切することの無いマイペース人間であったが、氏はそのことを口に出したこともなく、すべてを自分でこなした、と言う。驚異の人である。

 その後も物理学会の会議を主催するなど指導者としての手腕を見せた。
 「物理学は楽しい。新しい発見に遭遇したとき、このことを知つているのは私だけだという感動は何ものにも代えがたい」、と語っている。


4/27(土)名古屋快晴風強し GW初日 日本内科学会総会二日目
1:00名古屋ストリングスホテル起床、入浴その他、文献検索。9:00朝食、11:00-17:30あおなみ線にてポートメッセ名古屋に移動、日本内科学会総会二日目出席、認定医更新手続き。家内に付き合い松坂屋で買い物、夕食。20:30Taxホテル、21:30就寝。歩行計8227歩。終日強風状態。

第116回日本内科学会総会(2) 日本内科学会総会二日目 
 新幹線は1時間余り遅れ、乗り換え含め約6.5時間の行程。
 この間、ノイズキャンセリングヘッドフォンとiPad2はおおいに役立った。前者のおかげで新幹線の中でもほとんど無音状態を確保出来、これにBlueToothを介して音楽を流した。ヴェルディのオペラを数曲堪能した。後者では最近自炊した数10冊の書籍、小説等を入力してきたので適宜切り替えて楽しんだ。
 ホテルは名古屋ストリングスホテル、21階ツインで比較的新しい?快適であった。朝食時窓から比較的大きな、美しい教会が見えた。
 
 学会は「あおなみ線」で約30分、名古屋港近くの「ポートメッセなごや」。

 第116回日本内科学会総会(2) 日本内科学会総会二日目 聴講した講演会は以下のごとく。
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■ 会長講演:呼吸器病への挑戦一これまてそして未来に向けて 長谷川好規会長
■ パネルディスカッション:How Doctors Think
   臨床医の診断思考過程とピットフォールを探る  
特別講演:新産業革命の時代におけるり一ダーシップ 
教育講演:我が国の非B非C型肝細胞霧の現状
■ 教育講演:家族性地中海熱の診断と治療
■ 教育講演:骨髄腫類縁疾患の診新と治療の進歩
■ 教育講演:喀痰の科学と臨床一咳嗽・喀痰の診療GL2019をふまえて一
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 私は日本内科学会総会の講演会が大好きである。座席が快適ならば朝から夕方まで聴いている。
 現役の頃はほぼ毎年出席していたが、この6年ほどは出席していなかった。私の記録では2012年の第109回、次は昨年の第115回総会が最後となっている。だから、今回を逃せば認定医更新はできない事となり、早めから計画を立てていた。

 ところが、今回も座席に問題があった。会場は多目的施設でメインの講演会場はだだっ広い平場に置かれたパイプ椅子席であった。パイプ椅子は狭くて固い。背もたれ機能もチャチで姿勢が限定される。本日は5時間ほど座っていたが、好きな微睡すらも出来ず、姿勢も限定され、背部痛・腰痛が生じ苦痛であった。そのために最終日はキャンセルとした。健康のために勉強を諦めた、と言う感じ。

 今回の学会に関しての感想。
―――――――――――――――――――――――――――
■会場へのアクセスはよくない。名古屋駅から30分もかかった。もっと便利な会場はないのか?
■座席はパイプ椅子と最悪で高齢者にとっては辛い。貸し座布団が用意されている事も問題。座布団など用意しなくてもいい会場を用意して欲しい。
■会場には大型ディスプレイは3ケあり、どの座席からも視認できた。
■会場の音響は低域がカットされておりとても聞きやすかった。
■開催期間の設定に一考要する。いつもは4月上旬であるが、GWにかかると移動が大変。特に今年は10連休になったために移動が大変であった。―――――――――――――――――――――――――――

 明日の最終日は秋田到着時間を考慮する1時間余しか聴講できない。ホテルでちょっと長居をしてゆっくりと帰路についた。
 名古屋駅、東京駅はまっすぐ進めないほどの大混雑であった。


4/26(金)小雨模様 大曲診療応援 日本内科学会総会で名古屋に こまち遅れ  
0:00起床、文献検索、録音データ処理その他,3:30可燃ゴミ確認提出不要。4:00Taxi飯川病院。種々7:40Taxi駅東、Stava coffee、8:11こまち、大曲駅で金沢分、札幌分のチケット購入。雨模様病院往復Taxi、9:00-12:15大曲中通病院外来。12:50こまち秋田大曲間のポイント不調で1時間超遅れ。東京名古屋の指定には乗れず、超混雑で18:00頃のこだま普通車、名古屋20:00過ぎに着。駅で夕食、20:45Taxiホテル着、21:00就眠。歩数計10726歩。

第116回日本内科学会総会(1) 名古屋に移動 こまち遅れJR東海接続予定車に乗れず 
 本日4月26日から名古屋にて第116回日本内科学会総会が開かれている。

 しばらく日本内科学会をご無沙汰していたので認定医更新手続用の蓄積点が不足。今回出席すれば何とか足りるので出席を決めた。
 もう私は引退も考えている。だから認定医の更新など不要と考えていて血液関連の資格は返上したが、この学会だけは維持しておこうと考えた。まだ生き長らえて仕事をさせて頂いている以上、もっとも基礎的な資格である内科学会の認定医は維持しておくべきだろう。

 初日の参加は勤務の関係で無理。昨年同様二日目から参加とした。大曲の診療応援終了後、12:50新幹線で東京に向かい、JR東海のぞみに乗継ぎ名古屋に向かう予定であった。

 大曲駅は異常に人が多くざわついていた。秋田新幹線が一時不通になっていて11時発の列車が未到着だ、という。理由は掲示されていなかったが、駅員に確かめたところ秋田駅付近のポイントの不具合らしい。

 私が席を確保していた列車の前の便は運休が決定、予定の便は80分ほど遅れて大曲到着、乗車出来た。
 この場合、JR東海の「のぞみ」への乗り継ぎは??
 駅員に聞いたところ「個別の調整は車内できるので車掌に相談を・・」、とのことであった。車掌の持つ小さな端末で可能か否かは疑問であったが、一応納得した。

 しかしながら、車中で乗務員に確認したところ車中では不可能で、「東京駅に着いた時点でみどりの窓口て変更が可能である」とのことであった。想定内の答えであったが、「大曲駅の窓口でそのような説明があったことは問題である・・」と呆れたような表情であった。

 東京駅のみどりの窓口に並んだが連休直前で大変な人だかりであった。
 指定券は4時間後の20時頃の列車まで全席完売、普通車での移動を勧められた。やむなく「こだま」に変更、静岡まで立ち席であった。名古屋には20時過ぎに到着した。

 前日名古屋入りしている家内からの連絡で、ホテル付近には店がないから名古屋駅で食事を済ませてから来るのが賢明とのこと。駅ビル内の福岡ラーメン店に入り辛いラーメンを注文した。5段階中4番目の辛さを選択したが、中途半端でなく、若干残してギブアップした。私は辛い味が好きであるが、今まで経験した中で最高の辛さであった。

 新幹線に関しての感想。
―――――――――――――――――――――――――――
■故障・不具合はやむを得ないし、事故を防ぐために十分な対策が必要。
■運行開始予定時間の提示は頻回あったが、遅れ・運休に関する原因などは提示なかったが適宜出して欲しい。
■発券窓口の、乗り継ぎ列車の関する説明は正しくなかった。社内で徹底されていない印象を受けた。
■2時間以内の遅れは払い戻し対象外であった。後続列車の普通席への変更は払い戻された。


4/25(木)降雨午後快晴 外来 飯川病院 院長内科学会総会に出発
0:30起床、いつもと変わらず読書、データ整理など。6:30降雨にてレガシー出勤。8:45-13:45外来+クリニックでレントゲン判断、混雑で疲弊、14:00-19:00飯川病院。外来・入院患者対応。19:30帰宅・夕食、21:30就寝。BR diskながら視聴:昭和は輝いていた:母の歌。Σ9210歩。

本:「ヘンな論文 」サンキュータツオ著 単行本 2015年 出版社: KADOKAWA/角川学芸出版
 著者は一橋大学非常勤講師、お笑いコンビ「米粒写経」として活躍中。ラジオ出演や雑誌連載など多数。早大卒、早大大学院日本語日本文化専攻、文学修士。日本初の学者芸人。自称珍論文ハンター。

 人生の貴重な時間の多くを、一見無駄な研究に費やしている研究者たちに注目して紹介する本。著者は各論文を高く評価しながらも、お笑いコンビらしく適正な「ツッコミ」を入れ、自分なりの紹介文にしており、読む者を飽きさせない。

本書で取り上げた項目と()内は私の追記。
――――――――――――――――――――――――
■世間話の研究             (河原町ジュリーについて)
■公園の斜面に座る「カップルの観察」  (人目を気にせず座る隙間は??)
■浮気男の頭の中            (不倫男の心理はどうなっている?)
■「あくび」はなぜうつる?」      (見て、読んで、聞いても、TVで見てもうつる)
■「コーヒーカップ」の音の科学     (注ぐと変る音程の研究)
■女子高生と「男子の目」        (共学化したら女子高生はどう変わったか?)
■おっぱいの揺れとブラのずれ       (走っている時の乳房振動とブラの抑制効果)
■猫の癒し効果             (飼わずにはいられないことが、猫の最大の癒し効果)
■しりとりはどこまで続く         (56519語続いた)

■謎かけの法則
■「元近鉄ファン」の生態を探れ
■現役「床山」アンケート。

■湯たんぽ異聞             (この論文の紹介が圧巻)。

――――――――――――――――――――――――
 湯たんぽ異聞は圧巻。この項だけでも読む価値がある。湯たんぽの研究にこれほどを意欲を持っておられた論文の著者、元共立女子大学教授の伊藤紀之氏については実際に会いに行ったりして特に詳細に記述している。氏の研究成果を出典を示さずに盗用されたことがある、という被害に心が痛む。湯たんぽ博士の努力に頭が下がる。

 どの論文の紹介も論文を読み慣れない人間にもその面白さが分かるように噛み砕いて解説しているところに筆者の功績がある。
 いずれの研究も、真剣に真面目に情熱を注いで研究し結論に至っている。変わった研究の数々が著者の視点で紹介している。
 世の中にはこんなことを真剣に研究して論文に 残している人がいた、ということを知って改めて感心した。
 私が書いた論文など影が薄い。
 
 すでに続編も出ているらしい。購入して読む予定である。


4/25(木)降雨午後快晴 外来 飯川病院 院長内科学会総会に出発
0:30起床、いつもと変わらず読書、データ整理など。6:30降雨にてレガシー出勤。8:45-13:45外来+クリニックでレントゲン判断、混雑で疲弊、14:00-19:00飯川病院。外来・入院患者対応。19:30帰宅・夕食、21:30就寝。BR diskながら視聴:昭和は輝いていた:母の歌。Σ9210歩。

本:「ヘンな論文 」サンキュータツオ著 単行本 2015年 出版社: KADOKAWA/角川学芸出版
 著者は一橋大学非常勤講師、お笑いコンビ「米粒写経」として活躍中。ラジオ出演や雑誌連載など多数。早大卒、早大大学院日本語日本文化専攻、文学修士。日本初の学者芸人。自称珍論文ハンター。

 人生の貴重な時間の多くを、一見無駄な研究に費やしている研究者たちに注目して紹介する本。著者は各論文を高く評価しながらも、お笑いコンビらしく適正な「ツッコミ」を入れ、自分なりの紹介文にしており、読む者を飽きさせない。

本書で取り上げた項目と()内は私の追記。
――――――――――――――――――――――――
■世間話の研究             (河原町ジュリーについて)
■公園の斜面に座る「カップルの観察」  (人目を気にせず座る隙間は??)
■浮気男の頭の中            (不倫男の心理はどうなっている?)
■「あくび」はなぜうつる?」      (見て、読んで、聞いても、TVで見てもうつる)
■「コーヒーカップ」の音の科学     (注ぐと変る音程の研究)
■女子高生と「男子の目」        (共学化したら女子高生はどう変わったか?)
■おっぱいの揺れとブラのずれ       (走っている時の乳房振動とブラの抑制効果)
■猫の癒し効果             (飼わずにはいられないことが、猫の最大の癒し効果)
■しりとりはどこまで続く         (56519語続いた)

■謎かけの法則
■「元近鉄ファン」の生態を探れ
■現役「床山」アンケート。

■湯たんぽ異聞             (この論文の紹介が圧巻)。

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 湯たんぽ異聞は圧巻。この項だけでも読む価値がある。湯たんぽの研究にこれほどを意欲を持っておられた論文の著者、元共立女子大学教授の伊藤紀之氏については実際に会いに行ったりして特に詳細に記述している。氏の研究成果を出典を示さずに盗用されたことがある、という被害に心が痛む。湯たんぽ博士の努力に頭が下がる。

 どの論文の紹介も論文を読み慣れない人間にもその面白さが分かるように噛み砕いて解説しているところに筆者の功績がある。
 いずれの研究も、真剣に真面目に情熱を注いで研究し結論に至っている。変わった研究の数々が著者の視点で紹介している。
 世の中にはこんなことを真剣に研究して論文に 残している人がいた、ということを知って改めて感心した。
 私が書いた論文など影が薄い。
 
 すでに続編も出ているらしい。購入して読む予定である。


4/24(水)晴れ・曇り、小雨 暑い 飯川病院ボランティア 
 1:00起床。新聞・文献・録音データ処理,いつものごとく。11:07バス、従業員の薬で佐野薬局に。徒歩飯川病院へ。院長口腔外科ほか受診のため留守ボランティア。入院患者対応。微睡。画像データ処理。かえで伐採終了、カラスの卵3ケあったという。19:00帰宅・夕食。21:30就寝。Σ9210歩数。

カラスとの付き合い(4) ケヤキ、まるボーズに
 私はカラスに対してはそれほど悪いイメージを持っていない。何とも面白くかわいいところがあることも発見した。
 ただ、黒くて、うるさくて、不吉なイメージを身にまとい、生ゴミを漁る迷惑な鳥である印象は常にある。

 今回、カラスの営巣で私を悩ませている飯川病院の玄関脇のケヤキに関しては、私は種々の理由を挙げ枝伐採を、場合によっては根元からの伐採を、と提言してきた。カラスの件は上げていない。
―――――――――――――――――――――――――――――
■ 枝葉が電線にかかりそうで危険。
■ 公共の道路に大きくはみ出している。
■ 枝折れが生じ、歩行者や車を傷付ける可能性がある。
■ 毎秋の落ち葉の処理が大変。
■ 台風とかで根元から倒れる可能性がある。
■ 駐車場を狭めている。
・・・・・・・・
―――――――――――――――――――――――――――――

 しかしながら、飯川病院の院長・理事長はボランティアの高齢医師の私の意見などには聞く耳を持たず、許可がなかなか下りなかった。
 それが、今回、カラスの営巣の件があって突然許可が降りた。
 院長は私以上にカラスの喧騒さを嫌っていたらしい。

 4月23日-24日の二日間にわたって脇の道路の通行を遮断して作業が行われた。下から眺めた以上に幹も枝も太く重く、大変だったようである。

(作業中の様子。小さくカットして下に降ろしていた)

 中通総合病院外来の午前診療を終了してから病院に戻ってみると見事なだけ丸坊主にされていた。

(作業数日前のケヤキの様子 前と後 病院前の景色が一変した)

 私はあまりにも見事に切られたのでこれでは枯れるのではないかと危惧したが、業者は十分生き残ると述べていたそうである。

 カラスの巣に関しては白い針金のハンガーが20本ほど補強に使われており、頑丈にできていた、という。さらに中には3ケの卵があったという。私が時折BB弾を打ち込みながら観察した範囲では抱卵している状態ではあり得ないと思っていただけに驚いた。その後、カラスの反撃で悩まされることもあるのでは??と思ったが、伐採してからは全然よってこない。

 これでカラスに関しては100%解決と言っていいようである。
 カラスの威嚇のために購入した拳銃はどうしようか、新たな悩みである。


4/23(火)快晴 外来 飯川病院 かえで伐採開始
 0:50起床。新聞・文献・録音データ処理,いつものごとく。5:00可燃ごみ2袋提出。
ネコ給餌他、6:47バス飯川病院着、8:45-12:45外来、飯川病院へ、微睡、かえで伐採開始、14:00-18:15勤務。バス、19:10帰宅・夕食、21:30就眠。8150歩。

?自分にとっての物品の価値、価格(1)
 私は70数年生きてきて、何か特別に価値があるものを持っているのだろうか??と思うことがある。
 私は、夕食後にネコ3-4匹をマッサージしたり相手するのが日課なのであるが、家族たちは傍らでTV見ながら飲みながら、歓談している。TVに関しては私はアウトサイダーで、主に音だけを聞き家族たちの展開する話を聞いている。

 その中に「なんでも鑑定団」という番組もある。私には関連ない世界の収集マニア達が自分が生涯をかけて収集品した品、親から受け継いだ品などを持ち込み、各方面の鑑定の専門家に評価・鑑定してもらおうというものである。

 持ち込んだ人の自己評価価格が示された後、鑑定結果が示される。自己評価学が100万円レベルの物品も頻回に出てくるが、結果は数千円から数100万円のこともある。今まで1,000万円以上、2500万円の鑑定が出たこともある、らしい。出品者はその度ごとに悲喜こもごもの反応が見られる。かなりショックを受ける方もいて会場にはAEDも備えられているという。

 評価額の発表の瞬間の様子には嘘や誇張は無いようであるが、鑑定の場面は偽で、鑑定はあらかじめ時間をかけて検討された結果の提示と思われる。大体、番組の中で鑑定だできるわけではなかろう。

 私はこの番組について、■鑑定者の能力はどれだけ高いのか?? ■鑑定に客観性はあるか? ■骨董などの世界は詐欺まがいの世界でないか?? ■税務署は注目していないか? ■・・・などなどの疑問を持つ。

 番組のコンセプトは「番組の鑑定は局独自のもの」と言う。その見解からは信憑性が疑われる。「本当か?」という意味も含めての娯楽番組としてみれば良いのではないか??視聴者にとっては嗜虐性、羨望を満足させられる。結構人気がある番組なのだそうだ。

 市場の価格が物品やサービスの価値を的確に反映しているか否かに関しては私は常に疑問がある。価格と価値の乖離を考えれば趣味の世界でのみ成り立つ・・と思っているが、実際にはそうでないらしい。

 例えば私にとっての時計。
 宝石などをゴテゴテとあしらってないにも関わらず、億単位の価格のもあるようだが、そんなものが存在すること自体信じがたい。私は時計のメカニズム等には興味はあるが、時計から得るものはほぼ正確な時間だけでよい。
 私は時計を購入した経験はない。小学校6年の時に兄からゼンマイ式の古の腕時計をもらったが大学卒業まで動いていた。その後は子供達が使わなくなった「たまごっち」等の小さなゲームなどの液晶時計で、最近はスマホの時計で十分である。

 いろんな考え方の人たちで世の中ができているものだ、と思う。


4/22(月)晴れ 健康クリニックドック 飯川病院 
 1:45起床。新聞・文献・録音データ処理,いつものごとく。6:47バス飯川病院、9:00-11:00健康クリニックドック、レ線判定。11:00飯川病院、一時微睡、14:00-18:40勤務、花壇散水。19:00帰宅・夕食、21:00就眠。歩数Σ6289歩。

四季2019(5) 庭先の花(1)
 わが家の木々は、先週咲いた「うめ」を嚆矢として、今週になってから「椿」、「もも」、「こぶし」、「ユキヤナギ」の花が満開となり、一気に華やかになった。次の開花候補として「りんご」が待っているが、まだツボミ状態である。咲けばきれいだろうと思われる。なんで花はキレイに咲くのか?誰のために??私の疑問は解けていない。

「椿」

「こぶし」

「もも」

「ユキヤナギ」
コメント


4/21(日)快晴 暑い日 飯川病院日直
1:00起床。新聞・文献・録音データ処理,いつものごとく。8:38バス飯川病院、日直。
午前は準寝たきり患者花見のための下準備二日目。午後は散水など。ハイビスカス鉢交換3ケ、これで終了。文献、読書。19:30帰宅そのまま市会議員選挙投票所に夕食。21:30就眠。歩数Σ7059歩。

キャッシュレス化の功罪1019(3) 新券発行は時代に逆行してないか??
 キャッシュレス化を進めるというのに、20年ぶりに紙幣を刷新するという。
 偽札事件が頻繁だとかの問題あるなら別だが、最近はそんな事件が報道されたこともない。この時期に新券を発行する意味はなんなのだろうか??私は理解できない。

 紙幣を刷新するには多額の費用がかかる。
 さらに、銀行のATMや駅の券売機、自動販売機などはそのために改修や入れ替えが必要になる。だから、経済効果はありそうである。脱デフレの一翼を期待??

 ATMメーカーや紙幣両替機メーカーでは対応策の検討を急ぐことなるだろう。富士通もメーカーの一つであるが2004年の紙幣刷新時は業績に好影響をもたらしたという。このような形で、特需に沸く企業がありそうだ。

 ただし、財務省によると、新紙幣のサイズは1万円、5千円、千円とも現行の紙幣と同じ、という。新紙幣によほど特殊な技術が採用されない限り、ATMなどはソフトを入れ替えるだけでも良いのでは、と予測する向きもある。収益が落ち込んでいる銀行はコスト削減が急務なので、なるべくコストはかけたくないとの意向を示している。

 一方、新券発行で私どもにはどんな影響がでるのだろうか??はっきりいえばメリットはそれほどなさそうである。

 ■詐欺
 財務省と日銀は新紙幣発行を発表すると同時に詐欺に注恵を促す一文を出して注意を喚起した。 
 今のお札が使えなくなる前に、お宅にお邪魔して引き取つてあげましよう・・などとの手口の詐欺が考えられるらしい。まさか、とは思うが、高齢者なら引っかかるかも。
 日銀によると一度発行された紙幣は法令に基づく特別な措置がとられない限り通用力を失うことはない。実際、現在22種の紙幣が通用しているが、うち18種類はすでに発行されていない。

 ■紙幣自体の売買
 希少性が増すとみられる発行年や肖像のお札を額面以上の価格で売買される?? 

 ■一家の金庫、タンスなどに保管されている紙幣は国全体で推定約50兆円もある。信じ難いが特殊詐欺の被害などを見ればそうかもしれない。日本では相続課税から逃れる目的で現金を家に隠しておく例が珍しくないという。目新しい紙幣の登場は現金志向への後戻りにつながる??政府はこれらの休眠中のお金を消費や投資に向かわせる副次効果を狙つているのかもしれない。
 ちなみに我が家は金庫、タンス預金は一万円くらいだろうか。

 要するに新券発行の意味はよく理解できない。


4/20(土)晴れ ガレージ他清掃整理 飯川病院ボランティア
2:00起床。新聞・文献・録音データ処理。読書中心。10:00園芸用の土つくり、掘り起こし、元肥さんぷ、ガレージ他清掃整理、12:08バス飯川病院、準寝たきり患者花見のための下準備でボランティア。ハイビスカス鉢替え作業3ケ。散水ほか。文献的考察、蓄積データ整理など。19:00帰宅、夕食、21:30就眠。歩数計10531歩。

キャッシュレス化の功罪1019(2)
 我が国は現金志向が強い。日本がなぜキャッシュレス後進国なのか? そのワケは、現金の持ち歩いても安全な国だから・・も一つの理由とされている。
 日本は世界的にみて、銀行数もATM数も多く、現金の引き出しが容易で、治安も良好なので、多くの人が不安無く現金を持ち運んでいる。

 私は最近、現金を持つことに不安を感じないが、現金での支払いを不便だと感じる。また、遅れている、とも感じる。
 しかしながら、キャッシュレス決済を利用する事は便利だ、とだけは言っておれない経済の仕組みがあり、知らず知らずのうちにのその中に組み込まれて行く。
 具体的には、
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■決済アプリの提供者は、誰が、いつ、どこで何を買ったかの情報を得られる。 
■他のさまざまな個人情報が合わせて個人の経済的能力が解析される。
■人工知能が消費力や個人情報を採点し、各利用者を格付けし、評価が高い場合には低金利でローンが組めたり、担保なしで融資を受けられたりする。
■信用は富の一つなので、人は評価を上げようと躍起になる。
■購買力のランクが目に見得ないものから見えるものになり、偏差値のごとく人のランク付けに利用される危険がある。
■そのほか。
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 今回、アップルペイを使うようになってから経済の向こう側がちょっとだけ見えるようになってきた。

 キャッシュレス化の功を否定したいわけではない。今の所、利便性だけで利用している。ただ、それが私個人にとつて価値ある社会参加なのか、容易には結論付けられない。


4/19(金) 小雨のち快晴 大曲中通病院外来 飯川病院 飯川病院歓迎会
 1:00起床、新聞・文献自炊。7:35Taxi飯川病院経由秋田駅。8:11こまち、9:10-12:00大曲中通病院外来。駅病院往復徒歩、14:30佐野薬局に立ち寄り飯川病院勤務。18:00飯川病院佐藤師長定年退職祝賀会、浜のやにて。20:45Taxi帰宅、21:30就眠。歩数計12863Km。

キャッシュレス化の功罪1019(1)
 私の生活はキャッシュレス化に向かっている。従来から比較的まとまった支払いには現金をいじるのが嫌なのでクレジットカードを用いてきた。例えば書店の年払い、月払いとか、JRチケット、学会時のホテルの支払いなどである。
 クレジット支払いは、これを面倒ということ自体が問題なのであるが、カードを出す必要があり、さらに暗証番号を押したり、サインを求められるなど結構面倒である。

 昨年6月にスマホのiPhone8を購入した。音楽プレーヤーとしての使用がメインであるが、この機種からアップルペイが利用できるようになった。レジでスマホを機械の上にかざすだけで一瞬にして支払いが終了する。10月からは少額の買い物も含め、全てをキャッシュレスにしている。
 まだスマホ決済ができない店もあるが、支払いができるか否かで店舗を選ぶことが多くなった。

 要するに、私は知らず知らずに時代の流れ、しかも最先端の一角に乗ってしまった、という事。

 もともと私は家の日常生活にほとんどタッチしていないから買い物の頻度は少ない。さらにキャッシュレス化で現金を使う頻度は著減している。私の生活の中では、時折利用するバス料金くらいである。だから、私の財布の中には現金をいれていない。ただ、緊急時のためにディバッグの底に紙幣を貼り付けている。

 週一回私は大曲中通病院の外来を手伝いに行くが、この時交通費として病院から7000円弱支給されるが、「現金は使わないでしょう・・」と家内から没収される。私の唯一の現金収入の機会はキャッシュレス化で失ってしまった。

 日本は世界でも現金払いが主流の国とされる。なのに数年後には新紙幣、新コインも発行されるという。偽札事件もほとんど聞くことはないが、何が目的で新券を発行するのだろうか、と勘繰ってしまう。そう言えば2000年に発行された2000円札は一切見ることはないが、今どうなっているのだろうか??

 最近、政府もキャッシュレス化推進の旗を振っている。 
 経産省の推計では、日本のキャッシュレス比率は2015年時点で2割弱と低い。一方、韓国9割弱、中国6割、欧米諸国も半数近い。政府はこの比率を2027年に4割にする目欄を掲げた。

 キャッシュレス決済の手段は多様化している。
 クレジットカードのほか、即時に通帳講座から引き落とされるデビットカード、電子マネー、QRコード決済、それに携帯電話等によるクイックペイ、アップルペイなどがある。

 店舗側でもそれなりの器具の準備などが必要で経費がかかるが、売上の集計が不要、現金を預けに行く手間も不要になるなど、店舗運営のコストの削減や従業員の働き方の効率化、安全性にもつながる。


4/18(木)晴れ 外来+ドック判定総括 飯川病院 
 1:OO起床、書類PDF化、文献読みなど数件。6:47バスにて飯川病院。8:45-13:00中通病院外来+ドック判定総括。14:00-18:30飯川病院。入院患者対応。19:30プリウスにて帰宅、夕食、21:00就寝。歩行計10634歩。全行程の91%。通勤路の桜は満開近い。

私はまだ医師として通用するのか?(7) 医師の働き方改革(2) 
 2035年度末に医師の「時間外労働時間の特例を廃止」する、というが、あまりにも時間がかかりすぎる。
 特例廃止の目標は、厚労省が進める地域の医療提供体制の見直しが軌道に乗ることが前提。このような計画が思うように進まなければ、特例廃止もずるずると続く。

 医療現場ではこれまで、労働時間がきちんと管理されてきたとは言えない。だから、議論の前提となるデータも十分ではなかった。
 自己研修、学習の時間、各科の検討会、拘束時間の扱い、病院全体のカンファレンスなど、どのように評価されるのだろうか。
 大規模の高機能病院では朝7時台から検討会が行われている例もまれではない。内容的には診療に関連したものであるが、勤務時間内に開催できないためである。
 厚労省は医療機関の業務の実態把握に乗り出すという。どういう結果になるか楽しみである。

 特例の対象となる医師の健康を守るため、以下を医療機関に義務付ける。
――――――――――――――――――――――――――――――
■連続勤務を28時間以下にする、
■次の勤務までに9時間の休息を確保する、
■残業が月100時間以上になる場合は産業医らが面接指導する、
■などなど
――――――――――――――――――――――――――――――
 医師の疲労の状況を客観的にどうチェックするのか。ドクターストップがかかった場合に代わりの医師をどう確保するのか。実効性のある仕組み作りも課題だ。

 特例廃止は重要であるが、私は特例廃止に至るまでに医師の労働環境がどう変化して行くのか、に興味がある。その際、医療のもう一方の主役である患者の立場が揺らぐようであってはならない。

 私が現役として働いていた頃は診療業務も半端でなかったが、診療に伴う各種の書類作成の業務の方がはるかにストレスであった。最近は書類作成業務は訓練を受けた医療秘書(クラーク)が完成直前まで作成するようになり、医師の業務は大幅に軽減し、診療業務に集中できるようになってきている。これは大きな改革であった。

 日本医師会の今村副会長は今回の取りまとめを受け、「これまで一般労働者と同じ扱いになっていた医師について、その業務の特殊性が認められたことの意義は大きい」とコメントしている。しかしながら、業務に特殊性があると言えども、医師も他職種の方々と同じ人間として扱われるべきである。基本的人権は医師にもある。


4/17(水) 快晴で温暖 飯川病院ボランティア 
 1:00起床、新聞・文献読み、徒然。自炊本読み。画像データ処理。9:00院長多忙にて同乗、終日飯川病院ボランティア、外来入院患者対応、浴室用具解体に難渋。日本消化器病学会総会金沢、宿泊が奇跡的に取れた。19:30帰宅、夕食、21:30就眠。歩数計3415歩。

私はまだ医師として通用するのか?(6) 医師の働き方改革(1) 

 「働き方改革関連法」が4月1日に施行され、長時間労働の是正に向けた仕組みが動き出す。企業には社員の残業を減らしたり、有給休暇の取得を促したりすることが求められ、違反すると罰則もある。

 「医師の働き方改革」については社会に対する影響が大きいとして、一般的な職種の改革とは別に論じられてきた。
 要するに、勤務医たちの多くが過剰な働きをしていたことを、いま頃になってやっと国が認めた、ということである。
 最近、難渋したが、医師の働き方に対する検討が進み、医師の時間外労働上限の案が提示されていた。

 その「検討会」が3月28日に開催され、日本医師会からは今村副会長を含む2名が討論に加わった。
 これまで22回にわたって議論した結果を踏まえて、2024年度に義務付けられる医師の時間外労働上限規制等などを盛り込んだ案が了承された。

 それによると、
――――――――――――――――――――――――――――
■一般の勤務医は過労死の労災認定の目安である「過労死ライン」を上回らない月100時間未満、年960時間を上限とする。
■ただし、地域医療のためにやむを得ない場合と、研修医や専門医をめざす医師など技能向上のために集中的な診療が必要な場合には、特例で年1840時間まで認める。
■特例は、2035年度に終了する。
――――――――――――――――――――――――――――

 医師に対して特例としながらも「過労死ライン」の2倍近い残業を認めることに、検討会では「非常識な数字」といった批判も出た。しかし、一律に勤務医の残業を制限すれば、地域医療が崩壊するという関係者の声に配慮し、このような数値に落ち着いた、という。

 日本の医療は国民皆保険のもと、世界的に素晴らしい成果を上げてきた。その成果はWHOによっても認められている。しかしながら、私は勤務医の自己犠牲のもとに極限までの過重労働で社会の要請に対応してきたからであって、単純に素晴らしいと評価することはできない、との考えを持っていた。

 そうした医療の現状を今までの長い間放置してきた国、厚労省、日本医師会の責任は重い。

 医師の過重労働の最大の背景は、地域の医師不足などの構造的な問題、患者側の不適切診療などである。
 その解消に取り組み、特例なしで成り立つ地域医療を早期に実現しなければならない。そのためには「医師の必要数の把握」、「偏在の解消」、「医療機関の適正な機能分化」、「各地域の医療圏ごとの医療機関の適正な配置」等が必要となる。

 これらはどの項目を取っても対応が難しい項目である。


 4/16(火)快晴で温暖 外来 飯川病院
1:00起床、新聞・文献読み、徒然といつもと同じ。6:00可燃ゴミ集積所に。6:47バス飯川病院。8:45-13:40外来。院内他科紹介など人数の割に時間がかかった。疲弊。14:00
-18:30飯川病院。19:00プリにて帰宅、夕食、21:00就眠。Σ8795歩。

四季2019年(4) 桜のゲノム解読成功のニュース  通勤道路の桜が開花し始めた
 各地で開花を迎えている桜であるが、今春の桜に関する明るいニュースとして、ソメイヨシノの全遺伝情の解読に京都府立大や島根大、かずさDNA研究所が成功した事が挙げられる。
 この研究によって、祖先の桜が552万年前に異なる種に分かれた後、百数十年前の人工的な?? 交雑で再び一つになつた誕生のルーツがわかつた。

 今のソメイヨシノは全て原木から接ぎ木や挿し木で増やされてきた。だから、同じDNAを持つクローンである。もともとの由来が雑種だったこともあり遺伝子が複雑で解読が難しく、今まで研究があまり進んでいなかつた。 

 そこで原木由来と推定される上野公園のソメイヨシノから葉を採取、葉のDNAを調べソメイヨシノのゲノムは約3億5千万塩基対あることを突き止めた。
 
 さらに、島根大が持つ桜139品種のDNAから種としての類縁関係を調べたところ通説の如くエドヒガシとオオシマザクラを祖先に持つ可能性が濃厚となった。さらに、552万年前に一旦それぞれの種に分かれた後、再度百数十年前に交雑によつて再ぴ一つになりソメイヨシノが生まれたというルーツもわかつた。 

 また、開花の1ケ月前からつぽみの遺伝子の働き方を解析、開花に至る遺伝子の仕組みもわかつた、と言う。 

 大変ご苦労な、地道な研究である。原木の歴史、交雑の歴史なども解析できるなど素晴らしい。私など到底近ずくことも出来ない世界である。

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 私の通勤路コースの前半分は奥羽本線に沿っての歩行者道路、後半は千秋公園を中心とした市街地であるが、今年は体調が今ひとつでまだ全コースを歩いてはいない。

 奥羽本脇には比較的若い桜の並木がある。中でも若い桜の枝、日当たりのいい枝には桜が3-4分咲きになっていた。

 正確な比較は出来ないが、今季は開花開始が4月13日、昨年4月15日、一昨年4月10日、その前は4月8日であった。
 今年は比較的暖冬であったが、昨年同様、4月に入ってから寒い日が続き開花が遅れたのだと思われる。

 千秋公園他の桜の蕾はまだ固い。4月20日から29日は広場で桜祭りが開催される。

 寒い日々であるが、いい季節になった。
 私の春は桜が散ると共に終わり大好きな夏が訪れる。
 うれしいが、我が家のプリウスはまだ冬タイヤのままで全体に春の作業が遅れている。花壇の準備もしなければならないし、畑も・・・。
 
 年齢のせいか、体調もあるのか、これら作業に若干気後れしているが、止めるわけにはいかない。これから忙しい日々になる。
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 桜の話題は喧しい。連日報道される。一方、梅はひっそりと咲く。
 我が家の一角にある梅の花、桜と同時期に咲く。

(若枝に咲く梅の花 青空に美しく映える)

(幹から出た小枝に咲く桜の花 けなげで美しい)


4/15(月)雨 健康クリニック 飯川病院 孫4人預かり
0:00起床、新聞・文献読み、自炊など。いつもと同じ。6:20レガシー飯川病院着、9:00-11:00健康クリニック。11:30飯川病院、検食後微睡。14:00-19:00飯川病院勤務。入院外来対応。村山長編小説「おいしいコーヒーいれかた」シリーズの電子化、画像化終了。
孫4人預かり、19:00帰宅、夕食、21:00就眠。Σ7232歩。BRながら視聴「昭和は輝いていた」2本。

四季2019年(2) ついに春が来た
 ついに、私にとって春が訪れた。私の定義による冬は2月9日に終わった。
 じっくり様子を見ていて、春だ春だと言っている間に桜が開花し、私にとってはまもなく夏が訪れる。

 私の個人的な四季の定義は以下の如く。
―――――――――――――――――――――――――――-
■冬 除雪を要した期間。ゆえに、本年は12月28日-2月9日まで。
■春 除雪が不要になった日から桜が散るまで。
―――――――――――――――――――――――――――-
 かんかん照りの夏が大好きな一方で、降雪期には除雪のストレスにさいなまれる私にとって、これが一番合理的な分類である。だから間も無く夏になる。今年の春は結構寒かった。

 第一回目の除雪は12月28日、ただ、それ以降除雪を要するような降雪は無く、2回目除雪は1月上旬、そして最後となる3回目の除雪は2月9日で、例年に比較できないほど少なかった。

 1月31日時点での我が家の除雪機稼働回数
―――――――――――――――――――――――――――
■2010年 13回  ■2011年 9回   ■2012年 14回 
■2013年 21回  ■2014年 11回  ■2015年 7回 
■2016年 2回    ■2017年 8回 ■2018年 5回
■2019年 2回
―――――――――――――――――――――――――――

 今季は全国的には雪が多かった、とされている。
 秋田県の降雪は例年並みと思われるが、秋田市内は極めて少なかった。市道の除雪機には一度も遭遇しなかった。秋田市道路維持課によると、当初予算に除雪費約11億円を盛り込んだが、市内一斉除雪が一度もなかつたこともあり、3月末までの執行は約6億円で、過去10年間で最少だつた。
 除雪は建設業や土木業では冬の重要な収入源になるが、秋田市から委託された業者は30年振りに稼働要講が一度もなかつた。車両の維持費だけがかさみ業者からは悲鳴も上がったという。

 降雪量も少ない暖冬だつた。
 各地で平均気温が平年を上回り、秋田地方気象台によると、昨年12月から今年2月までの各地の平均気温は秋田市で平年より0.5度高い1.7℃。平年のデータがある20/24観測地点で平年を上回つた。 
 3月末までの降雪量は12/13地点で平年を下回つた。

 一方で、県南の豪雪地帯は平年並みでいつもと変わらず厳しい冬だつたた。湯沢市795cm(平年750cm)。横手市791cm(808cm)といずれも平年並みだつた。

 県内で今冬発生した雪関連の事故による死傷者は3月末現在95人で、前年より78人少なかつた。少雪が大幅滅の要因とみられる。


4/14(日)午前 花壇耕し肥料撒き 八幡田町内会総会
 2:00起床、本読み、文献・録音・画像整理。微睡など。7:00検食。9:00日直医と交代、Fitで帰宅。花壇耕し肥料撒き、12:15NHKのどじまん楽しむ。14:00八幡田町内会総会、懇親会は欠席。15:41バスにて飯川病院、当直医と一時交代、19:30迎えあり帰宅、夕食、21:00就眠。Σ9838歩。

日本の食文化の崩壊2019(10) たまごの値段考

 卵の値段は、長い間ほぼ横ばいとなっている。物価があがっても横ばいを維持しているところが「物価の優等生」と言われるゆえんである。

 便宜的に1Pack程度をイメージしてKgあたりの価格を比較する。
 1950年(昭和25年)にはなんと現在の値段に換算すると「2,370円」相当の価格だったが、以降価格が下がり、1987年(昭和62年)に200円台に入った後は変動はあるものの価格は安定している。
 農水省のデータによれば「2015年(平成27年)度4-6月で219円」。

■卵が物価の優等生である理由
 なぜ卵が「物価の優等生」であり続けてきたのか??
 その最大の理由は「円高」にあるらしい。ニワトリの飼料は現在ではほとんど外国から輸入されている。戦後、輸入される飼料は、日本の経済力を背景にした円高によって安価になり、それが卵の市場価格に反映されてきた。

 円高に関しては、戦後すぐは「1ドル = 360円」で固定制でだったが、1973年変動相場制に移行、今や「1ドル = 約120円前後」となり他国通貨に比べ購買力が高まった。強い円により「日本経済の国際的な存在感は非常に高くなった」。しかし、日本の成長をけん引してきた輸出産業は円高に苦しみ、一方、輸入品は相対的に安価になった。

 また、鶏卵の生産での競争の激化による市場価格の低下も因子として見逃すことはできない。一般的に鶏卵が生産されればされるほど市場価格は下がる。養鶏家には頭の痛いことであろうが、生産競争が激しくなることは消費者に大きなメリットをもたらす。

■実際の価格差は何から由来するか?
 養鶏農家では差別化を図り収入を上げるいろいろな試みを行なっている。

 価格差を決める因子。
―――――――――――――――――――――
茶色の殻 >> 白色の殻
平飼い・放し飼い >> ケージ飼い
自家配合飼料飼育 >> 工場配合飼料飼育
栄養価、ヨード強化、ビタミン強化などの付加価値 >> 通常卵
黄身の色調  濃い色>>うすい など。
―――――――――――――――――――――
 これらの価格差をどのように考えるかは消費者の自由でいいが、思ったより差が小さいのだそうだ。しかし、消費者が抱くイメージは意外に大きい??。

■栄養価などに差はあるのか?
 白いニワトリが産む白い卵と、茶色いニワトリが産む茶色い卵、後者のほうが若干値段は高い。何となく栄養価が高そうで、何となく美味そう、という理由??で、茶色い卵の方が好まれる傾向がある。しかし、与えているエサなどの条件が同じなら、両者にまったく差はない。
 ニワトリは、産む場所の環境にあわせて、より目立たない色の卵を産み分ける特性がある。生産者の中には窓のない鶏舎で、色の濃い卵を産ませる工夫をしている。しかし、その理由は野鳥の侵入を防ぎ、鳥インフルエンザ感染を予防するという意味の方が大きいと考えられる。

 卵かけごはん礼賛を機会に鶏卵の価格について勉強した。


4/13(土)晴れ 飯川病院日当直 
 1:00起床。本読み、つれづれなど。6:45朝食、葉っぱ中心に。12:00家内に同乗飯川病院。明朝まで日当直。病棟は平穏。ハイビスカスの鉢変え一つ。18:00検食、21:00家族たちは外食、ダイショウ苑??就寝。歩行Σ9831歩。

日本の食文化の崩壊2019(9) 賞賛!!卵かけご飯
 私は日常は料理はしない。それでも、湯を沸かしたり、冷蔵庫の開閉、電子レンジ程度なら使えるし、卵を割ったり納豆をかき混ぜたりはできる。我が家の炊飯器はボタンが多すぎて使えない。
 こんな私だから、私の朝ごはんの一番の頻度は最も簡単で美味しい卵かけご飯である。

(美しい生卵 この黄身の張り、素晴らしい)

 卵かけご飯は卵をごはんの上で割り、醤油をかけ、気楽にかきまわして、食べておしまい・・・ではない。
 
 集中して食べれば一分もかからない。私はいろいろ考え込みながら時間を延ばして食べる。ニワトリさん有難う、などと感謝の気持ちも忘れない。
 昨日の白い卵は200円/Pack、今日の茶色い卵は1000円/Pack。この値段の違いは何か?味に差はあるのか?栄養には?・・・などと考えながら。
 
 私は、卵かけご飯の時には卵をよく混ぜない。卵と醤油をよく混ぜない。ごはんともよく混ぜない。
 ものぐさだから、何とか最小限の混ぜ方で済ませたい、という基本方針で卵かけごはんに臨むのではない。
 実は大いに楽しんで食べている。
 
 黄身と白身は明らかに味が違う。だから、二つの昧を最後まで損なわずに食べたい。ご飯も美味しい、醤油もなかなかである。それを全部味わう。私の卵かけご飯のポリシーである。

 冷凍ごはん60gをチンする。茶わんにごはんを盛り、軽く崩す。茶碗のヘリに沿って慎重に卵を割り入れる。いろんな形に流れる。その形を楽しみ、黄身の頂点に醤油をポタポタかける。醤油は、白身と黄身のはざ間を縫うようにして沈んでいく。これが美しい。 

 箸の先で醤油が溜まっている所の近くのごはんを、ほんのちよつとだけ崩して味わう。懐かしい醤油かけご飯である。これでも美味しい。ついでご飯と白身と醤油の混合をはかり味わう。ついで、ご飯と黄身と醤油の混合をはかる。最終的にはご飯と白身と黄身と醤油の混合をはかり味わう。本当は、さらに微妙な組みあわせがあるのだが、如何せん60gのごはんはこれで終わってしまう。次回のお楽しみとしてとっておく。

 別の器で黄身と白身と醤油をかき混ぜてしまう食べ方もあるが、それだと食べても食べても同じ昧だから、この小さな喜びは得られない。
 卵かけご飯って美味しいよね、程度のことを言つている人は認識が甘い。本当の深さを味わっていない。シンプルなものほど奥が深いのだ。

 卵は、あまりに値段が安いために正当な評価を与えられていない、と思う。もし、値段が一個300円になつても、私は卵かけご飯を食べる、と思う。


4/12(金)晴れ 大曲中通病院外来 飯川病院ボランティア
1:00起床。読書データ整理中心。5:00可燃ごみ提出。昨年全コース徒歩、今年はまだ。Tax7:40Taxi駅に、8:11こまち、9:10-12:15大曲中通病院外来、混雑。帰路は時間的に徒歩不可、12:47こまち。14:00-19:00飯川病院ボランティア。帰宅、21:00就眠。歩数
計11620歩。

日本の食文化の崩壊2019(8) コメ消費量低下に私も関与、反省 
 我が国の米の消費量は毎年80万トンも減少している。
 図に国民一人当たりの摂取量を示した。

(驚くほどの低下である)

 秋田の米作地帯を通っていると時に休耕田、あるいは耕作放棄地が見える。辛い風景である。

 なんで日本人はコメ離れしているのか?
――――――――――――――――――――――――――-
■ライフスタイルの変化か?食品嗜好の変化か?。
■パン・麺類の消費量は年々増加傾向。主食がコメ以外にシフトしている。
■コメの価格は低下している。価格は消費量に関係ない。
■食事の簡便化、簡素化。
■高齢化・少子化で高齢夫婦単独世帯が増えている。食事摂取の簡素化に関連するだろう。
――――――――――――――――――――――――――-

 私は米飯が好きである。しかしながら私のコメ消費量はとても少ない。肥満体質だから。コメ消費量減少の一翼を担っている。反省し、4月から朝食に出来るだけご飯を食べるようにしている。

 私が食事を選べるのは朝だけ。昼は通常は飯川病院の検食を担っていて副食だけ食べる。夕食は自宅で、副食だけで、ご飯は、カレーや丼物の時だけ。せいぜい3-4杯(食)/月程度かな、と思う。
   
 米飯は栄養のバランスがいい。健康的な生活に欠かせない食品と言えよう。
 私は米飯を忌避しているのではなく、太りやすい体質なので止む無く控えている。標準的なご飯1杯分は150g 252kcalである。これを3食摂るとかなりのカロリーになる。 

 朝食にご飯を食べ始めたのは4月に入ってからである。正月から今までの3ヶ月間は、年末についた餅を私が一人でご飯代わりに消費していたからである。40gほどに分割して冷凍しておいた餅ブロックを一日おきほどに消費し、今までかかった。

 私の朝食は5:00-5:30ころ、ネコに給餌しながら共に摂る。我が家のネコエサは固形だから、みんな揃って噛み砕くカリカリ音は食欲をそそる。ネコと一緒と言えども当然孤食である。
 私はものぐさだから料理はしない。今の所全くしないで済んでいる。だから、朝食の内容は狭い範囲で繰り返される。

 私の朝食は「気楽めし」と称している。市販のカット野菜をサラダ代りとし、それだけで済ますこともあるが、日によっては以下のうちのどれかを食べる。
 ■生卵かけご飯、■納豆かけご飯、■納豆&卵かけご飯、■納豆単独ご飯なし、■お茶漬け、■前夜の残り物

 私はこれでほぼ満足している。なお、私の朝食時のご飯の量はサイズにすれば生卵1ヶほどで60g(約100kcal)。冷凍したのをチンして食べる。1日でもこの程度だから、これじゃお米の消費拡大には繋がらない。でも、デブるから止むを得ない。


4/11(木)晴れまだ寒い 外来 飯川病院 
0:45起床。新聞・文献チェック他。6:30園芸用品のせレガシー飯川病院。8:45-13:15外来+ドック総括6名分。秋田銀行経由、14:00-18:30飯川病院。入院患者対応。ハイビスカス鉢入れ替え作業開始、19:30帰宅、夕食、21:30就眠。歩数計8871歩。

任命責任は私にあります!!!(2) 桜田国務大臣の更迭
 桜田氏は千葉県出身69歳。1996年以後、連続当選4回、通算当選7回。大臣就任資格はまず十分であるが、2018年10月第4次安倍改造内閣において初入閣した。

 以下に示した発言が私のファイルに入っている。一部はWikipediaも参照し追記した。
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■大臣就任会見で「東京ぱらんぴっく、ぱらぴっく、大会担当大臣の桜田義孝・・」。
■パソコンは自分では使わない。USBメモリについて「使う場合は穴を入れるらしいが、よくわからない」と答弁。
■2018年11月の参議院予算委員会での蓮舫議員から東京五輪の基本コンセプトなど聞かれたが即答できず。大会予算の国の負担分を「1,500円」と答えた。蓮舫を「れんぽう」と称した。
■2018年11月、閣議後の記者会見で、東京五輪への北朝鮮選手団の参加について「所管分野外」と回答。
■2018年11月、「防衛に関することは国防省」と発言した。
■2019年2月、池江選手に触れ、「がっかりしている」、「盛り上がりが若干、下火にならないか心配している・・・」と発言した。
■2019年2月、衆議院予算委員会では、オリンピック憲章について質問された桜田は「聞いたことがあるが、自分では読んでいない」と発言。
■2019年2月、衆議院予算委員会に3分近く遅刻。
■2019年3月、千葉県柏市での集会に出席し、東日本大震災について「国道や東北自動車道が健全に動いたからよかった。首都直下型地震が来たら交通渋滞で人や物資の移動が妨げられる」と発言。
■2019年4月、宮城県石巻市で行われた東京五輪・パラリンピック関連のイベントを欠席した理由を説明する際「石巻市」を「いしまきし」と3度にわたり言い間違えた。
■2019年4月10日、都内で行われ高橋衆議院議員のパーティーで挨拶、「復興以上に大事な高橋さんなので、よろしく」と震災復興を軽視するような発言をした。
―――――――――――――――――――――――――――――-

 安倍首相は4月10日夜に震災復興を軽視する発言を受けて、事実上更迭する方針を固め、桜田は同日に辞表を提出した。
 一部は桜田氏にとっても不運な発言、と思えるのもないわけではないが、ここまで続くと大臣としての資質を疑われてもやむを得ない。いや、議員資質も問題となる。議員って何をする人か?

 首相はまたまた「任命責任は私にあります!!!」と述べた。「任命責任」の取り方はどうすればいいのかわからないが、「ここまで擁護し続け、引っ張って事態を拡大させない」ことにもある、と思う。閣僚の失言によって失われる国会の機能低下は大きい。

 それにしても東日本大震災・原発事故関連の不適切発言は何でこんなに続くのか?閣僚不適切発言集としてまとめてみるのも意味あるかも。
失言閣僚(1) 本音を語るバカ 首相の任命責任はなんと軽いことか
失言閣僚(2) 首相が任命責任を取ると言うことは?


4/10(水)乙部火災記念日 曇り晴れ 飯川病院ボランティア
1:30起床。文献検索、徒然ほか。10:20DIYにて花壇用の土、肥料など購入。N響定期公演:シェーラザード鑑賞、見事な演奏。12;07バス飯川病院に。院長大学に、ボランティア。新聞チェック、音楽データiPodに入力。データ整理、本読みほか。19:00医師会班会議出席の院長送り帰宅。19:30夕食、21:45就眠。おもに音楽楽しむ。歩数計10122歩。

任命責任は私にあります!!!(1) 入閣待機組70人もいる自民党の事情
 安倍内閣は現在第4次内閣である。
 毎回の内閣改造の行方を入閣待機組とされる自民党議員、派閥の長たちが熱く注視している。

 閣僚起用の目安とされるのは、衆院当選5回以上、参院当選3回以上相当の経歴とされるが、まだ閣僚経験のない議員は同党で70人超に上る。

 各派閥は改造の度ごとに入閣希望者をポストも含め首相側に伝えて売り込みに懸命となるが、閣僚枠には限りがあり、派閥の期待に背けば派閥の議員たちの不信が募り、内閣の運営、総裁選にも影響するだけに、首相も難しい選択を迫られる。 

 現行制度で閣僚は最大19人任命できる。第3次安倍改造内閣では自民党から8人が初人閣を果たした。秋田2区の金田勝年元外務副大臣もこの時入閣を果たし法務大臣を務めた。
 有能と評価された当選回数の浅い議員の抜擢や、女性閣僚を増やすという事情や、民間人を起用する可能性も排除できず、何人が初入閣できるかは見通せていない。

 当選6回にもなっていながら大臣に指名されていない衆院議員は地元支援者からも後援会がもたないと脅迫されるらしい。 
 派閥の長にとつても所属議員をどれだけ閣内に送り込めるかは、長として腕の見せどころ。それがなければ派閥に有能な人が集まらない。 

 存在感を発揮しようと議員活動も熱を帯ぴる。待機組の議員らが中心になってアベノミクス完遂を強力に支える意思を首相に提言したりしている。 

 首相は人事を通じて党内での求心力を高め長期政権をうかがう。なかなか大変な事である。内閣の機能を高めるために有能な人材が欲しいとしても、それだけでは抜擢できない事情が交々する。

 衆院当選5回以上、参院当選3回以上の実績がありながら入閣待機組とされる議員の中には最初から大臣としての資質を疑わせるような人物も残っていると考えられる。派閥の長はそのことは分かっているだろうが推薦せざるをいないのだろう。首相も一人一人の資質まではご存知ないと思われる。首相は比較的影響の少ない部署の大臣に任命する。閣僚の不適切発言を聞く度に身が切られるような思いが募るだろう。

 私は内閣改造の度に新閣僚の経歴などを注目している。


4/9(火)曇り・強風 外来 飯川病院 
1:10起床、新聞・文献・本読み他、蓄積データ整理、徒然。5:30可燃ゴミ提出。6:4バス飯川病院。8:45-12:55外来。13:15飯川病院、微睡など。花壇の土入れ替え、秋銀スタッフ来訪、14:00-18:45勤務、夕食、文献処理等、19:30帰宅、夕食、21:30就眠。歩行計9437歩。

カラスとの付き合い(3) 良かった!!! カラスのおかげでケヤキの枝落としが決まった
 私は終活の一環として、プロの庭師を入れて我が家の樹木の枝を切除し小型化している。毎年または隔年程度でやっている。今年の分は先週終わったばかりで、その費用もバカにはならない。
 この件に関しては家内の賛成がなかなか得られない。何度か話し合って「もうどうでも良い!!! 勝手にしたら・・」との言葉を得たのでバッサリと切除した。高くなったケヤキなどを次世代に残してはいけないからである。

今回、カラスの営巣で私を悩ませている飯川病院の玄関脇のケヤキに関しては以下のような理由を挙げ対応を提言してきた。
―――――――――――――――――――――――――――――
■ 枝葉が電線にかかりそうで危険。
■ 道路に大きくはみ出している。
■ 枝折れが生じ、歩行者や車を傷付ける可能性がある。
■ 毎秋の落ち葉の処理が大変。
■ 台風とかで倒れる可能性がある。
■ 駐車場を狭めている。
・・・・・・・・
―――――――――――――――――――――――――――――

(昨秋の落葉の直前のケヤキの様子。木洩れ日とシルエット。頭でっかちで不安が募る)

 しかしながら、飯川病院の院長・理事長はボランティアの高齢医師の私の意見などには聞く耳を持たず、許可がなかなか下りなかった。
 それが、今回、カラスの件があって突然許可が降りた。

 私にとっては災い転じてベストなチョイスとなった。一転、「このカラスめ!!!!」という気持ちから、「カラス様様・・・」ということになった。15日から二日間かけて半分程度の高さに処理される予定である。

 飯川病院の院長・理事長の樹木に対する愛着・執着はやや度を越している。「この木を切るなら辞めたい・・・」などと感情に任せて不穏なことをいう。

 院長は外見上は丈夫そうであるが、実は病弱である。随想
 最も体調不良の時に院長として雇われ、厳しい体調の中でやっと業務をこなしていた。その頃になんらかの拠り所をこのケヤキの命に求めたのだろう。一種の自然宗教である。
 O.Henryの短編にも共通する心理描写がある。窓の外に見える枯れかけた蔦の葉を数え、「あの葉がすべて落ちたら、自分も死ぬ」と思い込んでいたある患者が、一晩中激しい風雨が吹き荒れ、朝に最後の一枚になった健気な葉を見て
、患者は生きる気力を取り戻した。この一枚の葉っぱは、夜を徹して壁に葉の絵を描いた老画家の最後の作品であった。

 私は病院前のケヤキに、自分の思いを託した院長の気持ちは理解できる。だから、全て撤去することまでは提言しなかった。辞められたら後任はそう簡単には見つからないだろう。最も困るのは患者達である。

 なお、自宅の木の伐採を賛成しなかった家内と飯川病院のケヤキの伐採に反対した院長・理事長は同一人物である。


4/8(月)晴れのち曇り 健康クリニックドック 飯川病院 
 1:30起床。いつものごとく。6:48バス飯川病院着.9:00-11:00健康クリニックドック7名と結果説明1名。飯川病院に移動。微睡、本読みなど、玄関先のケヤキ対策、カラス対策。結局プロの手で枝伐採となる。14:00-18:45飯川病院。外来入院患者対策。玄関先花壇土入れ替え。19:30帰宅・夕食、21:30就眠。ComicGlass対策中心。歩行計6576歩。

カラスとの付き合い(2) 困った!!! 病院の窓のすぐ側で営巣
 カラスは身近な鳥としては大型で、集団行動しゴミや作物を荒らすために害鳥として扱われている。
 なぜカラスが市街地に現れたのかと言うと、人間が山や森を荒らしてしまった事に原因があると一般的にされているが私はそう思わない。カラスには爪や嘴など攻撃的武器もなく、飛び方も下手。自然界の中では生きるのが困難で、他の鳥以上に人間とのかかわり、残飯漁りなどをせざるを得ないし、外敵から自身を守るためにも人間の側を好むから、と思う。

 困ったことに、私が午後勤務またはボランティアをしている飯川病院の駐車スペースにある太いケヤキの木にカラスが営巣を始めた。4-6階の窓から10mも離れていない近い枝に、である。

(針金ハンガーで補強されている完成まじかの巣。実に見事!!!などとは言っておれない)

 カラスは抱卵中は比較的静かであるが、雛が孵ると共に親の鳴き声も激しくなり、餌を求める雛の鳴き声も半端でない。入院患者にとっても私にとって堪え難くなるし、子育て中は攻撃性が増して外来患者やお見舞い客を襲う事もある。

 だから、病院の立場では騒音防止のためになんとか駆除せざるを得ない。
 ただ、カラスは農家の方にとってはタヌキやシカ、クマなどの害獣に並ぶ存在として害鳥扱いであるが、その駆除は鳥獣保護法によって禁止されている。このため許可のない捕獲や駆除など、カラスの生命を脅かす行為は禁じられている。

 どうしてもカラスを駆除したい場合には、「有害鳥獣捕獲の許可」をとれば可能であるが、カラス如きに市役所とかに行くのも気が重い。

 カラスに身体的危害を加えなければ許可はいらない。私が準備したのは
―――――――――――――――――――――――――――――――-
■エアガン
■高圧洗浄機
その他に、カラス忌避薬の散布、手持ちのレーザーポインターも考えた。
―――――――――――――――――――――――――――――――-

 エアガンは早速購入し、直接カラスを狙わなくても効果的であった。

(BB弾用の非力なガン。10歳以上の子供用)
 カラスに目をつけられないよう覆面をつけるなどの工夫も必要であったが、私が感じる範囲ではカラスが飛来する頻度は明らかに減少した。しかし、カーテンを5cmほど開けて、見えないように射つのであるがちょっとしたカーテンの動きも察知して逃げ去る。カラスも常に私の動きを監視している。私がつねに見張っていることは出来ない。スタッフの話では私が不在の午前中や休日には巣作りを盛んにしているとのこと。確かに日々巣が大きくなっている。多分、エアガンでは営巣阻止はできないだろうと判断した。

 高圧洗浄機を病院スタッフから借用した。病院脇の道路上の歩行者や車に水をかけない様に見張りを立てるなど準備していたが、実行直前にこのケヤキの木の枝おろしを打診していた評者から来週中に可能との報告が入ったので、高圧洗浄機による巣の破壊は中止とした。

 私は別な事情から、このケヤキの枝落し、場合によっては根元からの伐採が必要と考えていたが、ボランティアの高齢医師の意見など聞く耳を持たない院長・理事長の許可がなかなか下りなかった。
 私にとっては災い転じてベストなチョイスとなった。一転、カラス様様・・・ということになった。


4/7(日)晴れ曇り晴れ まだ肌寒い 
 1:00起床。Bookの習熟、早朝午前ともに本読み、文献・録音データ整理中心に過す。12:15NHKのど自慢楽しむ。13:00微睡。14:30居間のカーテンレール修理、ガレージ内の物品整理。花壇の土を堀返し、土作りに着手、元肥まく準備。19:00夕食。21:00就寝。歩行計7225歩。

カラスとの付き合い(1) 嫌いではないが、悲喜交交

 私は小・中・高校と伝書バトを飼っていた。ハトがカラスに襲われることも稀でないとされていたからカラスについても無関心ではいられなかった。実際に私のハトが襲われたことはなかった。ハト小屋からこぼれ漏れたエサをついばみにいつも来ていたから、カラスに対してはそれほど悪いイメージを持っていない。

 ただ、カラスが激しく泣くと近隣の誰かが死ぬと子供の頃は言い伝えがあった。
 黒くて、うるさくて、不吉なイメージを身にまとい、生ゴミを漁る迷惑な鳥と思われていたが、私の印象では、何とも面白くかわいいところがあることも発見した。

 ここ数年徒歩通勤している。千秋公園や旭川のコイに適宜餌を与えているが、その時に寄ってくるカラスにも、住民に見られないようにさりげなく餌を分け与えていた。

 直接カラスの被害を受け始めたのは園芸を始めてからのことである。
 手塩にかけて育てたトマトの実を食い荒らしに来る。その現場を見つければ2Fの窓から小石を投げたり、不要になったCDをぶら下げたり、光るテープを近くに張り巡らしたが、効果は一時的なものであった。 
 トマトが青いうちは見向きもしないのに、真つ赤に熟したトマトだけをついぱむ。その眼力には驚かされる。カラスは利口で、対策は一時的効果しかない。最終的には園芸用品店で仕入れた防鳥網でトマトの枝を全体を覆った。これだけは効果は抜群だつた。

 私の実害はトマト程度だから小さい。まだ笑って見過ごすこともできるのだが、農家の方々のカラスをはじめとする野生動物による作物荒らしは深刻な被害だ、と思う。

 カラスは、図体がでかく声もうるさく、見た目もなんか怖い。カラスは鳥の中ではちょっと嫌われ者。
 でも、狩りにふさわしい爪もクチバシもなく、攻撃力は弱い。狩が得意じゃないから小動物、小鳥の雛をねらったり、死体やゴミをあさって周囲に散らかす。弱いものいじめの、ずる賢い印象がある。人を威嚇するのは、人の生活圏で営巣し子育てをするからで、巣と雛を守りたいの一心からである。

 街のごみ収集所にはいろんな種類のカラス除けがある。私は徒歩通勤を通じて多くのカラス除けを見たが、中でも私どもの町内会のケージは頑丈で効果抜群である。

 ありふれた鳥、カラス。その行動は結構奥が深い。カラスが胡桃を空から地面のコンクリートに落として割って食べることは有名であるが、私も実際に見て感心した事がある。

 子供を慈しみ、弱いからこそ集団でがなり立てながら、真剣に日々を暮らす彼らを私は嫌いではない。


4/6(土)時々降雨午後はれ  
1:00起床。iPadをより日常的に用いるための手順と習熟に時間とった。読書はパソコンより快適になった。庭師作業二日目、15:00頃終了。本読み、音楽など楽しむ。データ整理。夕方外仕事、購入土整理、レガシーバッテリー交換。昨年より値上がり2800から3500円に。19:30帰宅・夕食、21:00夕食。21:00就眠。歩行計6954歩。

人は死ぬ権利があることを私は強く主張したい(8) 識者の意見を聞く(2)
 東京大学死生学・応用倫理センター教授小松美彦氏による「命の自己決定権」について解説されたが、放送の中では教授の「個人的な考え方」として示されている。私はこの放送を聞いて些か落胆した。
 もう少し切り込んだ内容と期待したが、テキストなどのないラジオ放送であり、時間も7-8分と限られており、聞くだけで分かりやすいように掻い摘んで説明されたのであろう。残念ながらソフトな総論のレベルであった。東大で死生学を研究されている方のお話としては研究の片鱗を感じとれなかった。

 尤も、この放送だけから判断は出来ないと思う。教授の論文や著作などを当たって見なければなるまい。今回以下の書を注文した。
????????????????????????????-
■小松美彦著『脳死・臓器移植の本当の話』PHP新書
■小松美彦著『自己決定権は幻想である』洋泉社(新書)
■小松美彦著『生権力の歴史 脳死・尊厳死・人間の尊厳をめぐって』
????????????????????????????-

 それにしても「私見として」でしか示されていなかったのは「命の自己決定権」に対して正解はないということだろう。

 自分の死について、自己決定したからそれで良いというものではなく、患者の気持ちは揺れ動いている。教授はそう述べているし、今回の透析拒否例も数日後には苦しみが増して透析再開についての希望を述べた、と報道されている。しかし、再開せずに鎮静剤で苦しみをとった、という。その間の詳細は明らかになっていない。
 しかし、全体の経過については私は納得できる。

 人は社会的動物、と言われるように全てに関して社会や環境、経済的状況、人間関係など複雑な関係にある。自死についても、末期の苦しみについても、終末期の治療についても、社会的な調整など、できることは本人の希望に沿って改善することの意義は大きい。
 しかし、他人がそこまで関与できるかというと疑問である。自死予防の為の「蜘蛛の糸」などのNPOの働きの働きは大きいが、環境調整まで至らなければ片手落ちではないだろうか。たとえ自分たちが出来ないとしても各方面に働きかけでも。
 
 教授は「命を与えられてことは恵みであり、最後までそれを纏うして欲しい」、「授かった命を、生を纏うすることで初めて人間としての尊厳が生じてくる」、「尊厳死はあるが尊厳生はない。安楽死はあるが安楽生はない」などと述べ、「授かった命は自分だけのものではない。自分の死生観だけで行動を起こすのは認め難い」と結論付けた。
 
 自死は究極的な自己決定権の行使である。
 教授の考え方からいえば、自死は認められないことになる。

 自死希望者が自死しなくてもいい社会の構築も必要となる自死希望者は無くなることはないだろう。その一つの行き方として安楽死を認めると言うのはどうだろうか。


4/5(金)曇り、午後から雨 大曲中通病院外来 飯川病院ボランティア 
 0:30起床、新聞、文献などいつものごとく。徒然、5:30可燃ごみ提出、7:35Taxi駅に、8:11こまち、9:10-12:15大曲中通病院、往路は徒歩、帰路はTaxi。13:30業務用スーパー経由飯川病院、14:00飯川病院ボランティア。入院外来患者対応。19:00Taxi帰宅、夕食。21:30就眠。歩行Σ9185歩。本日から庭師が入り樹木の剪定等開始。

人は死ぬ権利があることを私は強く主張したい(7) 識者の意見を聞く(1)
 NHK-AM放送で月曜から金曜まで、6:50分ころから「社会の味方・私の意見」と言う番組がある。著名な方々が隔週ほどの頻度で登場し10分ほど時局について解説する。
 3月19日金曜の放送は、東京大学死生学・応用倫理センター教授小松美彦氏による「人工透析中止問題 〜自分の死は自分のものか」があった。私も関心を持っている分野なのでので聞いて見た。
 以下がその論旨である。放送を聞きながら筆記したので不十分であるが、まちがったメモにはしていないつもりである。
―――――――――――――――――――――――――――――――

 透析をしないという自己決定で患者が亡くなったが、大変なことが起きたと思う。
 病院側は多職種の関与で何度か話し合って決め、正当な手続きを経たので問題はないとメディアに述べている。しかし、自分としては認め難い。

 終末期において自分の死は自分で決めていいのかについて自分の考えを述べたい。

 自分の死について、自己決定したからそれで良いというものではない。患者の気持ちは揺れ動くのもである。より重度の状況では一層揺れ動く。
 米国の教科書に掲載されている例であるが、重度の脳性麻痺の患者、自殺願望が強くて精神科に入院させた。それでも状況は変わらず、病院では胃ろうを通じて栄養を与え、四肢を拘束して自由を奪って治療を進めた。最終的に裁判に訴え、判決として患者は自己の裁量権が認めたられたが、判決が出た後、患者には生きようとする意欲が湧いてきた。患者は従来、ほとんど人間らしく扱われた事がなかったが、裁判で初めて人権が認められた、と感じ、そのことが生きる力、生きる喜びになった。
 
 この例にあるように、自己決定したとしても状況によっては変わる事がある。自己決定したと言っても、周りの環境で大きな影響を受けている。
 したがって、自己決定しないでいい環境を構築する事が重要である。

 最近の医療の中で、苦しい思いをする患者には死ぬ権利を認ても良いのでは、という考えもあり、家族からの声もある。
 しかし、私としては命を与えられてことは恵みであり、最後までそれを纏うして欲しいと思う。
 授かった命を、自ら絶つのではなくて、人間としての生を纏うすることで初めて人間としての尊厳が生じてくる。
 
 自殺は死の自己決定である。自分で決定し、そう行動することは現実に多数起こっているが、それを人間の権利として保証することは問題である。
 尊厳死はあるが尊厳生はない。安楽死はあるが安楽生はない。

 結論として、授かった命は自分だけのものではない。自分の死生観だけで行動を起こすのは認め難い。


4/4(木)曇り寒い 外来 飯川病院 
 1:00起床、文献チェック、徒然他いつものごとし。6:47バス飯川病院。8:45-12:30外来。13:00飯川病院、微睡ほか、14:00-18:45勤務、19:10帰宅、夕食、21:30就寝。Σ12185歩。玄関先の花壇の土入れ替え作業、寒くてなかなか進まず。

インフルエンザの診療(2) 感染症は治療戦略の見直しが必要である
 今期も全国で、あるいは秋田でも老人病院、保健施設等でインフルエンザの集団感染が生じ、虚弱状態にあった患者が死亡した。その度ごとにメディアを通じてニュースとして流されるが、私は助けられない状況にある患者だと思っている。
 徐々に報道の雰囲気は変わりつつあるが、医療機関側に重大な落ち度があるように報じられる。このような死亡例は引き金としてインフルエンザ感染ではあるがインフルエンザで死亡したのではない。マスコミの姿勢には困ったものだ。ことの成り行きもかまわず、大げさにことを荒立てて火事だ火事だと騒ぎ立てる。
 インフルエンザ2019(2) 高齢者の死亡は防ぎきれない

 私はもっと報じて欲しいのは、ほとんどの健康人はインフルエンザに感染しても自然に改善するから、医療機関に受診しないことも、受診しても抗インフルエンザ薬による治療を受ける必要がないことも選択肢の一つと、正確な知識を伝達して欲しいということである。特に救急病院への受診は控えて欲しい。軽症なものほど待ち時間等に不満の声を上げる。

 わが国ではほとんどの患者が受診し、ほとんどが投薬を受けていると私は感じているが、国の負担についても考えて欲しいる。

 治療薬の価格を見ると以下の通りである。
――――――――――――――――――――――――――-
ゾフルーザ 4789円
イナビル  4278円
タミフル  2729円
タミフル(後発品)1360円
――――――――――――――――――――――――――-
 日本各地のクリニック等からゾフルーザが入手できないという苦情があったという。それほど需要があったということ。約300万人の患者に用いられたという推定もある。目が飛び出る。

 検査については、典型的なインフルエンザは突然の高熱・関節痛・強度の全身倦怠などの症状を伴うから検査なしでも診断は可能であるが、ワクチン接種を受けている医療関係者などではちょっとした咽頭痛、鼻汁程度の軽い症状でも検査で陽性に出ることがある。このような感染者でも伝染力はある。他の患者の安全を守るために検査の範囲は広げ、集団感染を防がなくてはならない。

 インフルエンザの治療はを説明する際に、私はJRの切符に例えて説明する。
 目的日に行く方法としては鈍行、急行、特急、新幹線などを選べる。さらに自由席か指定席か、グリーン車か、グランクラスを選べる。どれで行っても目的には着くが、快適さ、所要時間には差がある。当然負担すべき費用も異なるが、我が国では一般的に7割引となる。
 自己負担が少ないために、多くの方は新幹線のグリーン車以上を望むのが通常である。医師を含めての最良の治療薬の選択は薬剤の価値を低めてしまう。まだ使用可能になってから1年しか経っていないが、ゾフルーザ の耐性問題が問題になっている。使いすぎにも因がある。

 インフルエンザの治療に関して国の負担は大きい。
 もともと自然治癒する疾患なだけに、治療の要否についてガイドラインなど必要であろう。


4/3(水)小雨寒い 飯川病院ボランティア 家内大学口腔外科受診生検
 0:15起床,文献検索と本読みetc.いつもと同じ。家内は昨夜半看取りと見送りあり3:30帰宅。朝起きられず、年齢的に大変。代わりに出勤。ボランティアから勤務に。小雨レガシーで出勤、午後は家内大学口腔外科受診し生検。玄関先の花壇の土入れ替え作業開始。8:00-19:15勤務、帰宅、19:30夕食、21:00就眠。9720歩。カラス撃退用BB彈ピストル購入した。

インフルエンザの診療(1) 多くは不要の検査投薬 
 今年のインフルエンザの最大の話題はインフルエンザの新薬ゾフルーザの投与が可能になったことだと思う。新薬ゾフルーザの作用機序は従来のタミフル等と異なり治療効果も大きいとされた。私は期待していなかった。治療手段として無いよりはあった方がいい、というレベルの期待であった。

 今期のインフルエンザは猛威をふるった。今でも少なからず発症している。

 私は中通総合病院で高齢者の馴染みの患者の再来外来を週2回と、大曲中通病院で週一回一般内科で診療している。前者では新患は別の診察室に集中するので私がインフルエンザを診る機会は少ない。後者ではどちらかというと新患が回ってくるので、インフルエンザの患者を見る機会は少ないとは言えなかった。とは言っても週一回の外来なので、私が関与したのは30人ほどだっただろうか。このうち10名程度は病歴から検査もせずにインフエンザと診断した。
 流行期には典型的例では検査は不要である。

 慢性疾患を持つ高齢者、介護関連のスッタフ、受験生などは検査で診断を確定し、症状が典型的であれば、検査が陰性であってもインフルエンザと診断し、休業等をアドバイスした。

 治療は、私は新薬ゾフルーザを一人にも使わなかった。新薬を用いるに足る経験が、私にも医療界にも少なかったからである。私は投薬が必要な患者には古くからあるタミフルを使用した。
 昨年のうちに新薬ゾフルーザについて一通りの勉強した。タミフルは5日間服用を要するのに対してゾフルーザは一回服用するだけ。これのメリットは小さくは無いが、薬効としては従来のタミフルとリレンザに比較しても著効と言えるほどのものはないと考えられた。

 しかし、私はゾフルーザがこれほど用いられるとは予想していなかった。今期の治療薬の中で一時ゾフルーザはなんと47%も占め300万人近い患者に投与され、他剤を圧巻した。使用経験も乏しい薬剤が彗星の如くあわわれてこれほど用いられるとは!!! 私の医療、薬物療法に対する保守的な考え方は通用しないのか??
 未経験の薬剤、国がその安全性まで認めているのだから使用することには問題はないが、「自家薬籠中の」といった考えは古いのだろうか。
 さらに加えて言えば、既にゾフルーザ耐性ウイルスが高頻度に検出されているという事実にも驚いた。

 私は自然治癒する疾患、特に感染症は基本的には検査も治療の不要と考えている。
 高齢者など重症化する可能性が高い患者、およびその方達を世話しているスタッフを除き、理屈の上では不要である。自然に治ります、と説明し治療薬ではなく解熱剤を処方する。

 ところが、新聞やTVなどのメディアはインフルエンザの可能性が高い時は早期に病院に行って検査を受け、治療を受けるよう勧めている。これは必ずしも正しくない。患者は受診し、検査と治療を希望する。

 日本の患者は恵まれすぎて、結果として贅沢である。医師も同様である。コスト意識なしに仕事ができるなんて・・・と思う。

 このままでは日本の医療経済は破綻する。今期のインフルエンザの検査・投薬を通じて日本の医療の将来に一層の危機感を覚えた。


4/2(火)くもりのち晴れ 中通病院外来 飯川病院 
1:00起床、文献、新聞チェック録音データ整理。6:10可燃ゴミまとめ。7:47バス、飯川病院、8:45-12:50外来、スタッフと面談。14:00-18:45飯川病院。入院患者対応、19:10帰宅、夕食、20:30就眠。Σ6637歩。

祝新元号「令和」 それにまつわる隠蔽姿勢は今の政治そのものを表している
 政府は昨日、新元号を「令和」に決定した。5月1日から新元号となる。平成への改元は、昭和天皇の逝去に伴って行われた。今回はあらかじめ期日が定まった退位に基づくものであり、従来の改元とは状況が違う。

 平成への改元は小渕官房長官によってなされた。小渕氏はのちに首相も務めた逸材であったが、国民の多くは氏の首相としての業績を想い出さなくともこの時の発表の様子は忘れ難いだろう。「令和」は菅官房長官が発表した。この画像も歴史に残るだろう。

 新元号の出典は万葉集。日本の古典からの採用は確認できる限り初めて。
 万葉集は1200年余前に編纂された日本最古の歌集である。「令」は良い、めでたい、美しいを、「和」は平和を意味する。
 穏やかで、平和で希望にあふれた新時代となることを期待したい。

 「令和」は画数の少ない漢字2字で、書きやすい、読みやすい、などの要件を十分に満たしている。「令和」のほかに候補として「英弘」、「久化」、「広至」、「万和」、「万保」が上がっていた、という。その中で、私なら漢字の姿形から「万和」の方かな??

 安倍首相は会見で「明日への希望とともに、花を咲かせるとの表現を用いたことは、国民が令和という元号を身近に感じ、若者から高齢者までが生き生きと暮らす社会の実現を目指す・・・」と述べたが、単なる「お祝いの挨拶」ととらえておこう。

 元号は日本の歴史や文化とも大きく関わっている。わたしは近代日本の歴史を学んでいる途中であるが、元号毎に時代を区切って考える。西暦では到底考えられない意義を感じる。だから私は併記したい。

 今回の選定も従来と同様に密室で行われた。馬鹿らしい配慮である。「令和」以外の案についても当初は明らかにされなかった。決定直前の有識者会議等でも正式発表まで関係者は逢留めされ、携帯も預けてもらった、と言う。また、元号決定までの過程の議事録等は明らかにしないとの意向である。
 私はこの措置を見て、「政治家は国民を信用していない」、「その背景は自らすらも、仲間も信用していないから」だろうと思う。事前の漏れたっていいではないか。

 この隠蔽姿勢は今の政治そのものを表している、と思う。

 また、官房長官による発表は予定より11分遅れの午前11時41分に始まったが、この遅れもメディアなどで取りざたされている。下らない指摘である。日本人の寛容さはどこに行った?


4/1(月)新元号「令和」 曇り小雨 健康クリニック休診 飯川病院
0:20飯川病院で起床、文献、新聞チェック他。健康クリニックは年度始めで休診。
鉢植え移動など、散水ほか。自転車整備。眼鏡市場にて修理、グランマートで家人の昼食購入、11:30新元号発表見る「令和」に。12:07バス飯川病院、ボランティア、照明改良。14:00-19:10勤務。入院患者対応。19:30帰宅、夕食、21:30就眠。 Σ8540歩。

新年度(2019)スタート 就労予定と発想の転換  
 本日は新年度スタート日。健康クリニックは年度初めで休診。そのために新元号「令和」発表をTVで見た。その後、飯川病院の勤務に。

 本日から私の就業契約も改訂になった。昨年度とほとんど同じ内容。
 今年は明和会からは声がかからないかも、と思っていたが、相変わらず医師体制が厳しいらしく、本年度も嘱託医師として、また、飯川病院の応援医、ボランティア医として働くことになった。但し、秋口からは中通総合病院の外来診療を週2回から一回に、との内示を受けた。

 以下がスケジュールである。あくまでも予定。
――――――――――――――――――――――――
 月曜 午前は健康クリニックドック診察、結果説明。 午後は飯川病院勤務。
 火曜 午前は中通総合病院外来。          午後は飯川病院勤務。
 水曜 勤務なし(飯川病院ボランティア)。     午後は飯川病院ボランティア
 木曜 午前は中通総合病院外来+ドック判定。     午後は飯川病院勤務。
 金曜 午前・午後は大曲中通病院勤務。     (帰秋後飯川病院ボランティア)
 土・日曜日 月1-3回飯川病院日直または当直。
――――――――――――――――――――――――

 せっかく時間に余裕ができたのに、最近は体力・気力の低下が著しい。
 上記の勤務予定以外は、無計画的に過ごしている。

 一日の過ごし方で充実感に乏しかったとしても気にしないようにしている。

 「無の境地」に至る過程にある?? イヤイヤ、「ボケ老人の境地」への信仰過程なのか、とも思う。まあ、どちらでもいい。自然に任せる。

 こう考えてから心身ともにとても楽になった。惰眠も楽しんでいる。「明日も、明後日も生きる・・・」、と考えるから窮屈なのだ。
 
 新年度初日、こんな私にとっても新しい気分でのスタートになる。
 いい季節である。






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