徒然日記

 日記と言うより、自分の行動記録と日々の雑感です。

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8/31(火)早朝降雨 曇りのち快晴、時に降雨 外来 飯川病院 
1:30 起床、医学文献・新聞ほか。5:15可燃ゴミ提出、6:47バス飯川病院着、新聞切り抜き。9:00-12:30外来、13;00飯川病院、微睡、注文したiMac27(2017)届く。早速以降アシスタントでデータ引っ越し。14:00-19:10勤務。14:00-15:00 COVID-19ワクチン担当。19:30帰宅、夕食、20:30就寝。歩数9002歩。書籍自炊化。

地球環境 プラスチックごみ(4)大・中・微小・極微小プラスチック 動物生物への害
 熱回収とは、焼却処分する際に発生する熱を再利用することをさす。焼却によって温室効果ガスの排出量が増える。廃プラスチックを循環させず、その上地球温暖化を助長する熱回収は地球環境を悪化させる。それに、本当に熱として回収できているのだろうか??私は不勉強にして、焼却場にそんな設備や装置があるか否かを知らない。

 さらに、プラスチックは焼却時だけでなく生産時にも温室効果ガスを発生させる。日本は使い捨てプラスチック大国で、レジ袋やペットボトルなどの「容器包装プラスチック」の廃棄量は国民一人あたりで見るとアメリカに次いで世界第2位。

 日本で今後、焼却処分に頼らずにプラスチックを適正に国内処理していくためには、「リユース」の徹底が必要。「リユース」できないものは「リサイクル」する。適切な国内処理体制を作っていくことが求められる。
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 ■大きなサイズのプラごみは水中、地上の動物にまとわりついて行動を制限し、やがて彼らは死を迎える。
 ■中サイズのプラスチックゴミは水中、地上の動物たちが餌と間違えて誤摂取する。その結果、消化管の機能低下をきたし、やがて彼らは死を迎える。

 ■世界各地で研究者たちが生物の体内に取り込まれた直径5ミリ以下の微小なマイクロプラスチックに注目している。体内から微小プラスチックが見つかった水生生物は114種。今のところ、これらが特定の魚の個体数に影響を及ぼしているという科学的な証はない。

 だが、魚介類にとって微小マイクロプラスチックが有害であることは明らか。日光や風、波にさらされてプラスチックが細かく砕かれると、食べ物と見分けがつかなくなり、ブランクトンや二枚目、魚、そしてクジラにまで摂取される。微小マイクロプラスチックは消化管を塞ぎ、食欲を減退させて、発育不良や力の低下を招く。マイクロプラスチックが原因で命を失う生物もいる。
 化学物質による影響もある。微小マイクロプラスチックの表面は、陸から海へ流出して浮遊している汚染物質が吸着する。

 魚介類由来のマイクロプラスチックが人間に影響を及ぼしているかどうかを調べるのは容易ではない。私たちが吸う空気、水道やペットボトルの水、さらには食べ物まで、ありとあらゆるものにプラスチックが関わっているから区別ができない。しかも、プラスチックの種類は多く、そこに使われている添加物も多岐にわたる。添加物のなかには、ホルモンの正常な働きを妨げる物質もある。

 マイクロプラスチックが人体に与える影響の研究は難しい。人が食べて実験するわけにはいかないし、食物連鎖の段階を経るにつれてその特性が変化する可能性もある。加工や調理がプラスチックの毒性にどんな影響を及ぼすか、そしてどの程度の汚染が有害なのか、何もわかっていない。
 救いは、マイクロプラスチックの大半が魚の内臓にとどまり、人間が食べる筋肉組織へは移動しないとみられていること。

 ■プラスチックが、劣化して粉々になると、最終的には1ミリの1万分の1未満の大きさの超微小プラスチックになる。そうなったら細胞膜を通り抜け、生体組織や臓器に侵入する可能性がある。

 今のところは食品中のナノプラスチックを特定する手立てがないため、人体への吸収が実際にあるかどうかについては何のデータもない。
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 廃プラスチックは適正な処理をしなければ、地球の、人間の首を絞めることになる。早急な対策を望みたい。 

私が心掛けていることは、我が家で出た廃プラ製品は分別を徹底し、リサイクルできるものはそのコースに乗せ、他は可燃ゴミとしてまとめて出す。決して自然の中に放置することはない。先月から宅配牛乳をプラスチック容器からガラス瓶に変更した。プラスチック容器はリユースせず廃棄されることが分かったからである。
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 (プラスチック容器はリユースされると聞いていたが、確認したところ廃棄されていた。扱いは不便であるがガラス瓶にした)


8/30(月)曇りのち晴 健康クリニックドック 飯川病院
1:00起床。家内のMacBook air借用で進める。iMac27(2012)は不調治らず。新聞・文献チェック。データ整理、医学文献・新聞ほか。6:47バス飯川病院着、9:00-11:30健康クリニックドック12人結果判定14人。結果説明2名。飯川病院メインのiMac27(2019)順調、ほっと一息。11:45飯川病院、微睡ほか、14:00-18:50勤務。新聞チェック、読書他、通町書店経由19:00帰宅、夕食、20:30就寝。歩数7634歩。

地球環境 プラスチックごみ(3)日本の有効利用の統計はおかしい
 海へのプラスチックごみの流出を止めるためにとるべき道はあるのだろうか?
 何しろ、世界の海にはすでに合計15,000万トンのプラスチックがあり、さらに毎年100万トンが、新たに海に流入していると推定されている。

 しかも、プラスチックは製造過程でも、焼却処分の際にも炭酸ガスを排泄し地球温暖化の原因になっている。ゴミとして地球の美観を損ねているほか、温暖化にも関連していることは重大である。
 一刻も早くこの状況から抜け出るために、世界の全ての人が対策をとらねばならない。
 
 日本では年に850万トンの廃ブラスチックが発生している。
 日本のプラスチックの有効利用は約85%で、政府は世界の中でも処理が進んでいると言っている。しかし、この有効利用には、製品を有効に繰り返し何度も使う「リユース」の評価が含まれていない。また、資源として再利用する「リサイクル」以外の、「焼却処分」、「埋め立て処分」も有効利用に含んでいる。全然有効でないのだ。だからおかしい統計である。
 廃プラの有効利用の中心は「リユース」と「リサイクル」であるべき。

 このうち「外国に輸出」して処理を任せている79万トンについて、国は「リサイクル」という位置づけにカウントしている。
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(出典:財務省「貿易統計」より)

 しかも、国は輸出した廃ブラスチックがどのように処理されているか確認を怠っている。リサイクル体制が整っていない途上国へのプラ輸出は、結果的に海への流出を助長してしまう可能性がある。自国で処理できない分を他の国へ輸出しそれでよしという姿勢は納得できない。

 「国内リサイクル」は134万トンで、廃プラ全体の16%に過ぎない。この16%に、海外輸出分(約9%)と熱回収処理されている 514万トン(約60%)を加えた数字が、政府が主張する「有効利用率85%」の数字のからくりである。

 プラスチックの焼却処分は化石燃料と同じ温暖化効果をもたらしている。
 いま温暖化が問題になり化石燃料の使用を控える傾向にあるが、それと同じくプラスチック製品の焼却処理を抑えなければならない。それには、生産抑制と使用抑制を同時に考えなければ片手落ちである。

 スーパーのレジ袋が生活上で有用なのは数時間に過ぎない。ストローに至っては数分でしかない。にもかかわらず、これらは半永久に地球環境を汚染し続ける。

 私はレジ袋の有料化、ストローの紙製品化などはなんと小さな取り組みだ。もっと有効な何かないのかと思っていたが、この時間的意義を考えれば意義は小さくない。


8/29(日)快晴 飯川病院日直 飯川病院のメインMac再不調に 
 1:00起床、スキャンスナップ、印刷機能ともに家内のマックに移行、なんとかうまくいき緊急的には懸案は解決。一時退役させていたMacMiniを引っ張りだし、再調整。満足はできない。書斎のiMac27(2012)を居間に移したがやはり不調、クリーンインストール。新聞チェック+歴史本、医学論文読み。8;30回診に行く家内に同乗、飯川病院に。日直業務に就く。飯川病院メインのiMac27(2019)起動せず。ソフトの異常??やぶれかぶれでこちらもクリーンインストール。読書、新聞データ化。蓄積データ整理。19:30帰宅、夕食、20:30就寝。歩数6305歩。自炊進める。

地球環境 プラスチックごみ(2) 象牙の代替品として原油から安価につくられる
 軽くて壊れにくく、水を通さず、どんな形にも成形できるプラスチックは、画期的な素材として、人間社会に広く受け入れられた。
 原油から灯油やガソリン、軽油などを精製する過程で出る副産物から作られるため、安価に生産できることも、プラスチック利用拡大を後押ししてきたといえる。

 しかし、いったん自然界に流出すると、軽さと耐久性が仇となり、広く拡散して残り続け、特に海の生きものたちに多大な被害を与えている。さらには、私たち人間も、飲食や呼吸を通じて、微細なプラスチックを日々、体に取り込んでいることがわかってきた。

 プラスチック製品に触れることなく一日を終えることはほぼない、といえるほど、身の回りにあふれるプラスチックと、今後どのように付き合っていけばよいのか。

 象牙の代替品としてプラスチックが開発されたのは、1860~70年代のアメリカ。当時、高価になっていた象牙の代替品として、セルロイドが発明されたのを嚆矢とする。生産が増大したのは、第二次大戦後の1950年代、その後、生産量は増加の一途をたどっている。
 2016年の1年間に、新しい素材から生産されたプラスチックの量は3億9,600万トンで、1950年の生産と比べると実に200倍以上に増えている。

 生産が拡大するのと並行して、廃棄される量も急増。
 そして今、大きな問題となっているのが、適正に処理されないで、自然界へ放出される大量のプラスチックである。

 プラスチックは本来、適切に処理できる範囲で生産、使用されるのが理想である。しかし、それを大幅に上回って生産された結果、大量のプラスチックごみが発生。それが空き地や川などへ捨てられたり、うめ立て処理されている。
 廃棄されたプラスチックの約3分の1が適正に処理されていない。そして、風で飛ばされたり、川や水路を経て海に運ばれる。そして、海の生物たちが、プラスチックを摂取したり、プラスチックに自由を奪われて餓死するなどの被害を受けている。

 漁業を介して発生するプラスチックごみもある。これは、ロープ,漁網などで、ほとんどにプラスチックが使用されている。作業中に切れたり、時には意図的に廃棄されている場合もある。海のプラスチック全体の1割上を占めるとされている。

 さらに問題なのは半永久に消滅しない5mm以下の「マイクロプラスチック」である。プラスチックごみが紫外線や波で破砕されて発生する場合と、プラスチック製品そのものから生じるものがある。「マイクロプラスチック」を摂取した場合の影響は未知であるが、直接の害、有害化学物質を吸着する性質があるために、その影響が懸念されている。


8/28(土)曇りのち晴れ 終日不調の居間のパソコンと対峙
 1:20起床、昨日からWi-Fi居間のメインのiMac27(2015)繋がらず。種々対応はから振り。新聞・文献他、本読み、9:00-12:00Appleスタッフの指導うけるも解決せず。最終的にプロバイダーの不調か機器の不調となる。前者については納得できず、最終的に自己責任でクリーン化を試みたがクリー化の後のWi-Fiが繋がらず対応方法なく昇天と判断した。午後もマック対応で夕方まで。書斎のiMac27(2012)不調であったが居間に引っ越し調整。読書、データ整理三昧。19:00夕食、20:30就寝。書籍データ化。歩数計5026歩。本日はマック対応で一日過ごした。

地球環境 プラスチックごみ(1)最新の研究結果
 地球をダメにするのは何も原水爆だけではない。温暖化による環境の変化も今や全世界で気候変装、海水面の上昇などで具現化しており、無視できない。さらに、人間が廃棄するゴミも地球環境を汚染している。
 これら全ては人間のエゴと欲望に由来している。
 COVID-19の蔓延でも同じことである。

 環境中には毎年数百万トンの使用済みプラスチック類が放棄されている。

 このプラスチックを誤って食べた野生生物が、世界で少なくとも約1500種以上に上る。このような研究結果をブラジルなどのチームが今年7月2日付米学術誌「サイエンス電子版」に発表した。

 それは以下のデータからなる。
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 ■汚染が自立つ、海の生き物だけでなく、河川などの淡水域や陸上の多くの種でも確認される。深刻な状況という。
 ■チームは、毎年数百万トンのプラスチックが環境中に出て蓄積していると指摘し、生産と使用を大幅に減らし、廃棄物管理と回収に投資することが必要、と訴えた。
 ■1980年~本年5月に報告された、野生生物のプラスチック摂取例を集約した。
 ■魚類は932種、鳥類は291種、哺乳類でも94種の報告があった。無脊椎動物などを含め計1565種で摂取が判明した。
 ■生息域の分類別では、海の生き物が1288種、淡水域が224種、陸域が53種だった。
 ■哺乳類ではクジラやアザラシの仲間が摂取しているほか、オーストラリアでジュゴン2頭の体内からプラスチック製の釣り糸が見つかった。インドではアジアゾウのふんにプラ製の袋の破片が合まれていた。ノルウェーのホッキョクグマのふんにもプラスチックがあった。
 ■日本の事例として、国の天然記念物コウノトリがのみ込んで死んだケースが挙げられた。兵庫県立コウノトリの郷公園によると、この個体は、餌の摂取や消化吸収ができずできず衰弱死したとみられる。
 ■プラごみは、生き物が餌と間違えてのみ込むほか、食物連鎖を通じて音積する。摂取により、栄養が取れなくなったり、含まれる有害な化学物質が悪影響を及ぼしたりすることが懸念される。
―――――――――――――――――――――――――――――――-

 これだけの問題でなく、見た目も悪い。観光地などでもゴミの中で最も目立つのは色とりどりに彩色されたプラスチックごみである。


8/ 27(金)晴暑い 大曲中通病院 飯川病院ボランティア 首相辞任発表
 1:20起床、新聞・文献他、本読み。可燃ゴミ提出。7:35Taxi、8:45大曲中通病院、気怠くて往復Taxi、市内書店訪問、15:30飯川病院ボランティア。新聞記事チェック、微睡、19:00帰宅、夕食、20:30就寝。書籍データ化。歩数計7038歩。

本 原田マハ著 最果ての彼女(2) 角川文庫 2013
 「さいはての彼女」は4つの短編からなる。第一話、第四話はバイクのハーレーにまつわる物語である。
 原田氏がハーレー?? アート小説でややとっつきにくい作家と感じていたが、この作品を読めば原田氏の別の魅力に気づく。

 私は意外な感じを持ってこの作品を読み始めた。
 あらすじは、25歳で起業した敏腕若手女性社長、猛烈に頑張ったおかげで会社は順調に成長した。年下の男と気が合い恋愛関係の陥り、フェラーリを買い与え、クルーザーさえ、と思っていたが、美人で癒し系の平凡なOLに奪われた。最後のひと言は「僕は君が怖い」。高額な物品はなんの役にも立たなかった。

 痛みから逃れようと一層必死になった。走れば走るほど空回りする。秘書や側近スタッフに当たり散らした。夏のボーナスを機に、何人かの重要なスタッフが辞表を出しにきた。その中に秘書もいた。

 沖縄で優雅なバカンスを取る予定であったが、空港に送ってくれた秘書は約束の時間になんと30分も遅れた。チケット確認もできずに搭乗口に並んだが、何故か女満別行きの飛行機であった。100%ひとまかせにしてきたから完全に自業自得であった。

 「!?」、の連続であったが、旅先でのハーレー乗りの少女との出逢いが、こわばった主人公の心をほぐしていく。この旅は主人公のワンマン振りに問題を感じていた秘書が、人生のあり方を考え直すよう、退職前に最後の仕事として仕組んだ旅。丁寧に罠が仕組まれていた。

 この10年、BMB6シリーズ以外に乗ったことはない主人公であったが、レンタカー会社に予約されていたのはボロの軽自動車であった。当初は動かし方も分からなかった。

 以下、ハーレーにまつわるエピソードは続くがこの短編集の第一話の主題はいわゆる「ハラスメント」。調子に乗って、鼻息荒くがむしゃらに働く中年女性は、がんばっているけど、気をつけないと「ヤバい女」になっている、ということ。

 人は何度でも立ち上がれる。再生をテーマにした、珠玉の短篇集。
 旅をテーマにした短編集で4作収録されている。

 ハーレーで一直線の道を駆け抜けているような読後感。爽やかに読めた。最初と最後の短編が繋がっていた。この構成も面白い。

 今までの価値観が揺らいでしまうような、時は誰でもある。そんな時、知らない土地に行って、知らない価値観を持っている人々に会うことに意味があるだろう。新たな希望を見いだして、また立ち上がる。前向きな気持ちにしてもらえることもあろう。
 仕事に疲れた女が旅に出てそこで色々な出会いをして、様々な経験を積んでいくいい話が詰まった短編集。

 読んでいる間にハーレーに乗りたくなって困った。
 
 (私の1991年製のハーレーFLSTOF1430cc。乗り心地に独特の味があった。 2012年売却し、東日本大震災の義援金として岩手県に寄付された)


8/26(木)快晴 飯川病院 職員検診
1:10起床。新聞雑誌データか。録音データ整理。ダリアは枝の処理と肥料追加。散水など、11:10バス飯川病院、昨日から進めていたパソコンへのデータ修復無事終了していた。13:00-18:45飯川病院勤務、入院患者対応。15:45職員検診。19:30帰宅、夕食、21:00就寝。歩数計5179歩。歩行9511歩。

本 原田マハ著 さいはての彼女(1) 角川文庫 2013
 私は絵画を好む。絵画は美術館で見る他に画集で鑑賞する。絵画に関する書籍もかなり読む。それによって作品の見方が変わる。絵画は優れた解説書によって見えなかった部分が見えてくる。だから私にとって優れた解説書は値千金である。

 最近は原田マハ氏の作品を集中的に読んでいる。氏の作品は多少難解なところもあるが、よむことで絵画作品の見方が一新するほどの価値を感じる。絵画鑑賞上の参考書にもなる。

 氏の絵画に関する最近の作品は、以下がある。これらの大部分はすでに読んだが、絵を見るたびに座右に置く。
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■『モネのあしあと 私の印象派鑑賞術』2016年、幻冬舎新書
■『いちまいの絵 生きているうちに見るべき名画』2017年、集英社新書
■『ゴッホのあしあと 日本に憧れ続けた画家の生涯』2018年、幻冬舎新書
■『現代アートをたのしむ 人生を豊かに変える5つの扉』(2020年 祥伝社新書)、高橋瑞木共著
■『キネマの神様』(2008年 文藝春秋 / 2011年 文春文庫)
■『まぐだら屋のマリア』(2011年 幻冬舎 / 2014年 幻冬舎文庫)
■『デトロイト美術館の奇跡』(2016年 新潮社 / 2020年 新潮文庫)
■『サロメ』(2017年 文藝春秋 / 2020年 文春文庫)
■『〈あの絵〉のまえで』(2020年 幻冬舎)
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 氏は東京都出身。関西学院大学文学部日本文学科、早稲田大学第二文学部美術史科卒。森美術館開設室、ニューヨーク近代美術館勤務を経て、フリーのキュレーターとして独立。2012年『楽園のカンヴァス』で山本周五郎賞、本屋大賞など。直木賞候補には数回ノミネートされているが受賞には至っていないようである。

■本作品の『さいはての彼女』(2008年 2013年角川書店)は絵画に直接関連していないが、高慢な女、仕事の挫折、秘書の最後の鬱憤ばらし、行き先の違う旅行、ハーレーによる旅、が中心になっている。それなりに意味のある作品である。
<img src="https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/18/32/ab5e78288480aa7355ef54647fa5f2f5.jpg" border="0">

 ちょっぴりまたハーレーにまたがってみたくなった。


8/25(水)曇り降雨時に晴 飯川病院終日 iMac27(2019)不調に
1:00起床、文献検討、新聞チェック。8:00家内に同乗飯川病院、院長は市立病院に患者を送り不在、留守役、外来患者対応、新聞チェック、微睡。14:00-15:15COVID-19ワクチン担当、病棟患者対応。読書と書籍データ化進める。途中でiMac27反応無くなり、Apple対応でも解決せず、クリーンインストールへ、OSがCatalinaからBigSurになる。19:00帰宅、夕食、21:00就寝。歩数計5179歩。

食2021 (43)  炊き立てのご飯を見ると思い出す、65年もご無沙汰の憧れの食事
 私は幼児期、学童期は極めて病弱であった。呼吸器系が弱く、頻回に風邪とか気管支炎とかに罹患し、かつ胃腸系も不調になりやすく、特に冬季間は臥床していることが多かった。隣の乙部小学校から聞こえてくる元気な学童の声を聞いて羨ましく思ったものである。

 ただ、そんな私にもちょっとした楽しみがあった。風邪などで臥床していると、母やお手伝いさんが、出来上がったばかりの真っ白なお粥に梅干しを添えて枕元まで持ってきてくれた。

 私に優しく声をかけ、時にはスプーンで口元まで運んでくれたものである。私にはこのようなシーンが数多くある。重症化して、医師である祖父が匙を投げ、恐山のイタコの祈祷に頼ったこともあり、自分も意識朦朧の中臨死体験ようの夢を見たこともあった。


 誰かと子供時代の風邪っぴき話をしていると、たいていの人にはその手の
風邪をひいた時の甘い思い出”のようなものがあるようなのです。風邪をひ
くと、いつもお父さんが近所のケーキ屋さんのプリンを買ってきてくれた、と
か。少し年配の人だと、風邪の時だけはバナナや桃の缶詰が食べられたので、
風邪をひくのは嬉しかった、とか。

 私には、その手の思い出がほとんどありません。風邪をひいたら、ひたすら
寝るだけ。特別なものが食べられたということも、なし。
 それというのも、私は風邪をひいたとしても、起き上がれなくなるほど具合
が悪くなることは決してない体質で、なかんずく胃腸の調子だけは決して悪く
ならなかった、という事情と関係があるのでしょう。お粥を食べた記憶すら、
あまり無いのです。
だからこそ私は、「お母さんがお粥を運んできてくれる」ということに、
れる。テレビドラマで見ると、そんな時のお母さんはいつも、茶色い小鍋のよ
うなものに、お粥を炊いてくれます。あの茶色の小鍋に入ったお粥は、とても
おいしそうに見えるし、お母さんは時にはお粥をフーフーしてから「アーン」
と食べさせてくれたりもするらしい。リンゴをすりおろしたものを食べさせて
くれるなんてことも、あるようです。ああ、いいなあ。
私の場合は、風邪をひいて寝込んでいても、食事の時間になると母親が、
「ごはんよーっ」
と普通に呼びに来たものでした。ムックリと起き上がって食卓へ行くと、そ
うらや
岩の上げ下ろし
こにはコッテリした肉料理など、普通のおかずが普通に並んでいる。
「食べられるんだったら、食べなさい」
と言われ、アタシ、風邪なのになぁ…。などと思いつつも、意外に食べ
られてしまったりしたのです。
「風邪の時は、ゼリーぐらいしか食べられないの……」
などと言う病み上がりの友達が、いかにも蒲林の質、という感じで羨ましか
ったものでしたっけ。
風邪で食欲がなくなる、ということがどうもよくわからない子供であった私
は、長じてからも何となく、損をしてきたような気がしないではありません。
よく、恋人が風邪をひいた時にいそいそと駆け付け、お粥を作ってあげたこと
によって「やはりこいつしかいない」と彼の心を決めさせた女の子の話、など
というものがあるようですが、その手の経験は、一切ナシ。たとえ、
「風邪ひいちゃってさぁ」
と連絡があろうと、何もものが食べられないという感覚が理解できない私は、
「あっそうなんだー、お医者さん行った? 風邪は暖かくして寝るのが一番。
お大事にねーっ!」
などと言い放ち、電話を切っていたような気がする。ああ、丈夫な胃を持っ
てしまった人間の悲しいサガよ。
大人になった今も、ほとんど風邪をひくことがない頑健な私。何となく風
邪をひきそうかも。と思ったら、とりあえずスーパーに出向いて食科をたんと
買い込み、しばらく外に出ないでも生活できるようにしておくのですが、翌日
には軽快していることがほとんど。どうやら「お粥、アーン」の夢は、一生町
いそうにないのでした。


8/24(火)快晴 中通病院外来 飯川病院 
1:00起床、文献検討、新聞チェック。書籍ゴルゴ13シリーズの自炊化開始。5:00可燃ゴミ集積所に。6:47バス飯川病院、8:45-13:20中通外来、混雑。13:35飯川病院。14:00-15:10COVID-19ワクチン担当。微睡、入院患者対応なし。19:30帰宅、夕食、20:30就寝。歩数計9396歩。

食2021 (13) 炊飯器(3) 高機能の炊飯器がなくともなんとかなる
 電気炊飯器の研究は随分進んでいるが、節電への配慮は二の次になっている。今の所、味を追求するとどうしても消費電力のアップに結びつかざるを得ない。

 省エネを旨とする私にとって痛し痒しである。
 特に今夏は電力会社が再生エネの普及もあって火力発電の使用をセーブしているために電力事情が厳しいと言われていた。しかしながら、供給事情が逼迫したというニュースは入ってこない。熱夏でエアコンの使用量は増えたと思われるがなんとかなったらしい。しかし、今冬は供給事情は一層厳しくなると予想されている。

 省エネルギーセンターが発表しているデータによると、4人家族での平均年間消費電力量はおよそ5,500kwhで、電気料金としては15万円程度。
 年間を通して一番多く消費する家電は、冷蔵庫で14.2%>照明機器が13.4% >TVが8.9%>エアコンが7.4%という。この統計には出てこないが、炊飯器は電気使用量の多さで洗濯機・乾燥機を上回っている、とされている。
 
 炊飯器の消費電力は使う時間が短いこともあってユーザーもあまり意識していないらしい。米の消費量は減っているとはいえ米飯は日本人の主食であり、それだけにこだわりも強いからである。でも、1400W程度が上限でないだろうか。これ以上だと壁のコンセントの容量、電源コードの容量を越し、事故などにつながる可能性がある。

 我が家が購入した象印NW-AS10は1450Wも消費する。これじゃ省エネ派の私の立場がなくなってしまう。 
 実際、炊飯時にどのくらいの電気代がかかるか??計算してみた。 

■炊飯時一回あたり=約3.7円
■保温10時間=約4円

 上記から考えられる節電法は、
■炊く回数をできる限り減らす。一度に多く炊く。
■保温はしない。
■1食分ずつ小分けして冷凍する。
■待機電力を意識、使わないときはコンセントを抜く。

 エネルギーは有効に使うもので、浪費してはならない。この炊飯器は発生した熱量を機器の中に有効に閉じ込め、炊飯効率を上げる工夫もなされている。この工夫が見えるからなんとか納得できている。

 高度に高機能化していく炊飯器であるがまだまだ改良が進められると思われるが、基本に立ち帰ることも重要ではないかと考える。

 具体的なことは忘れたが、亡母が何かのときに土鍋でご飯を炊いたことがあった。ちょっと水っぽい感じがしたがそれなりに美味であった。土鍋の炊飯は自分として試したことは無いが、高級な道具がなければご飯が食べられないことは無い。生活上での工夫の一つとして土鍋の炊飯を知っているだけで可能性が広がっていくような気がする。


8/23(月)早朝降雨のち晴れ 健康クリニックドック 飯川病院 
 1:00起床。文献、新聞チェック。自炊、データの電子化。雨上がる、6:47バス飯川病院。新聞チェック、9:00-11:45健康クリニック、ドック診察14名。先週分の結果判定14 名分。12:00飯川病院へ、微睡。 14:00-19:15勤務。入院患者対応なし、散水、19:10帰宅、夕食。21:00就寝。歩行Σ6721歩。書籍の自炊化。

食2021 (12) 炊飯器(2) 重い!!! うまい!!! 高い!!!
 我が家では昭和30年前半頃から電気炊飯器を用いてきた。当時は贅沢品だった。初期型は単にご飯が炊けると自動でスイッチが切れる程度のものであったが、祖父の診療所を手伝いながら主婦業をやっていた母にとっては、火起こしも不要、途中の火加減調整も不要の炊飯器はとても重宝し、喜んでいた。
 主婦にとって恩恵となった文明機器の第一番は洗濯機、第二番はカマドの前から主婦を解放した電気炊飯器だ、と思う。 

 それ以降、ざっと見直してみると我が家では炊飯器は約10数年ごとにリニューアルして来たように思う。最初期のは簡単に言えば電気コンロの上にアルミの釜が乗っているようなものでスイッチも一つであったが、最近用いている機種はいわゆるマイコン炊飯器と言われるもので、機能が複雑で、もう私には扱いきれない。

 現有の機種は、象印・圧力IH炊飯ジャー「極めだき」NW-AS10である。

 私は味音痴で、あまり関心もなく購入に同意した。届いた製品を見て驚いた。簡単には持ち上がらない!!! 「IH」式で、内釜に「南部鉄器」を使用、かつ圧力釜仕様で1.5気圧で112℃で炊き上げる、と言う。重量は内釜だけで2Kg、全体で11Kgと重く、機能面では140種ほどの炊き上げコースを選べるという複雑な製品であった。蓋自体もとても重いが、開閉はボタンを押すだけで自動で開閉する。
 もうここまで重いと、私にとっても持ち上げるのが困難、我が家の高齢の女性たちにとっては無理。だから、キャスター付きの炊飯器台を作り、リードをつけ犬の散歩さながらの姿で、台所、居間を移動している。使わないときは階段の下のスペースに鎮座している。

 味は・・・??ふっくらと透き通ったご飯に炊き上がる。私は微妙な味を表現する筆力はない。結論は美味しい!! の一言。これが私の評価である。その視点から見ると驚く機種である。私はご飯をお代わりした記憶はない。10年以上もなかったのではないだろうか、と思う。それが、この釜に替えて初めての夕食で、つい2杯食べた。

 ただ、炊飯器の仕様を見てがっくり来た。炊飯容量:0.5〜5.5合。サイズW305×H245×D400cm/約11.5s。炊飯最大時1450W!!!!とのこと。

 ご飯を美味しく炊くには効率よく強い熱源でコメを加熱する必要がある。電気炊飯器のエネルギー源が電気である以上、理論上、消費電力に見合った以上の発熱は得られない。さりとて消費電力も無限には大きくできない。
 そのため発熱体を熱効率の良い「IH方式」に変え、かつ、内蓋の材質や形状、厚さなどに工夫を凝らし、かつ、一部は圧力釜の方式も応用している。

 電気炊飯器の高級機種では消費電力は1200-1400Wも珍しくない。希望小売価格は10?15万円を超える。上位機種の一部には「炊き分け機能」がついている。前回炊いたご飯の硬さや粘りについての評価を入力すると、炊飯器がそれに沿って食感を調整する。マイコン炊飯器からAI炊飯器に移行しつつあるようだ。

 日本電機工業会のデータでは、売れ筋は5-6万円の製品で、2-3万円で結構おいしく炊ける商品は若い年代に好まれている、と言う。


8/22(日)終日雨模様か 
0:30起床、本読み。いつもの如く。8:10草刈り29回目、畑農道完了、途中で降雨で中止。11:00座学に。午後微睡後雨がやんだのでダリア、ガレージ整理。読書進める、データ整理、読書中心。16:00-17:30庭中心に草刈り30回目、以降座学。音楽関連録画視聴。19:00夕食、20:00就寝。歩行Σ8395歩。

食2021 (11) 炊飯器(1) 炊飯器がなかった頃・・・
 日本人家庭の台所における、精神的な「中心点」は、どこにあるのか。
 台所の機能は多彩である。だから色々な道具が所狭しと並ぶ。その中でも、昔から「中心点」は、ご飯を炊く炉であったと思う。
 時代は変わった。台所には巨大な冷蔵庫、大きなオーブンガスレンジ、流し場、エレクトロニクスの機能が発揮される電子レンジなどが並んでいる。
 それら高価な道具類が設置されていたとしても、そこに一個の炊飯器が鎮座していると、それだけで「ああ、日本人の心のルーツがここにあるのだな」と私は感じてしまう。

 電気やガスによる炊飯器は、ご飯を炊き上げるという実にシンプルな機能に特化している単純な機器である。保温機能はおまけ的機能だから大した価値はない。そんなシンプルな機能しか持っていないからこそ、価格も高価ではなく、場所も取らない。
 炊飯器は日本人の主食であるご飯を炊くと言った、大事な、ある種の「神聖」ささえも漂わせる道具である。

 他の道具類とは明らかに格が違う。当然、床に置いて使うなど恐れ多い。

 炊飯という行為には、なぜこのように神聖なそして神秘な感じが漂うのか。
 もちろんお米というとても大切なものを扱うからという理由が大きい。私には蓋を開けた時の感激を挙げたい。

 若い世代の方々にはこんな感慨があるのかわからない。私にはバッチリそんな感覚が残っている。私も薪の用意を通じて炊飯には一役買っていたからである。

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 幼少の頃から薪を台所に運んでくるのは私の仕事であった。小学2-3年生頃からは体力に応じて薪の切断や薪割りもできるようになり、中学生の頃からは我が家の薪関連の仕事は全部私が担った。当時、ストーブ、風呂、台所の熱源は全て薪で賄われていたために、私は一年を通して、夏場も少しずつ処理していた。
 
 朝5:00頃から、母が二口ある炉に火を入れ、湯を沸かすとともに釜でご飯を炊き上げた。冬場には飼いネコが炉の脇で暖をとっていたのが嬉しかった。

 はじめチョロチョロ中パッパ。そのうち、厚くて重い木の蓋の脇から激しく湯気が吹き出てくる。中を確認したいのを我慢し、火を弱めてしばらく待ち、蒸らし上がったかという頃、一気に蓋をとる。その瞬間、いい香りのする湯気とともに、真っ白いご飯が炊き上がっている。純白で光沢のある大切な宝物を発見した様な、この時の感激はなんとも言えなかった

 釜と薪でご飯を炊いていた頃は、おそらく毎日、釜の蓋をとる瞬間、感激と達成感とを味わっていた様に思う。
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 最近の炊飯は、私が参加する余地もない。味はいいが、なんとなく味気ない。


8/21(土)快晴暑い 水洗トイレプロの手で改善
 1:15起床、新聞・文献他、本読み。早朝トイレ対策するも解決せず。9:00志摩水道に以来、便器外して修理、解決する。もうすでに暑くて座学中心。録音機器ローランド、ラジオサーバーPJ10整備。午後微睡、座学、17:00畑、庭作業若干、ガレージ整頓、18:00音楽関連録画鑑賞、読売日響など、読書三昧、19:00夕食、20:30就寝。歩数計3511歩。

食2021 (10) 死蔵されていた料理本 
 子供の頃、我が家で祖母が定期購読していた雑誌「主婦の友」をつらつら眺めるのは私の楽しみの一つであった。子供にとって理解困難な記事もあって難解であったが、それを読み解くことで私の文章読解力はかなり進んだように思う。
 そんな中で、特に好きだったのは、料理の特集記事であった。
 とにかく情報が乏しい時代である。本や書籍は貴重であった。殆どはモノクロの写真であったが、料理やお菓子、ケーキ、色々な形のクッキーなどを見ていると、どこの世界の料理か、と夢を馳せらせることができた。

 その料理本がどれだけ役に立っているのかというと、実は皆無であった。
 何しろ、私は岩手のど田舎で育った。毎日の食卓は母と住み込みのお手伝いさんが用意したが、ともに保守的で野菜中心の地味な田舎料理しか登らなかった。

 新潟に進学し、同級生たちと入った喫茶店でミートソースなるものに初めて出会い、驚き、感激した。

 時は流れて、私どもの子育ての頃、我が家の食事のほとんどは同居している石井さんが担ってくれていた。家内は仕事が多忙であったこともあってあまり食事の支度、料理はしなかったが、文献的考察は好きだったようではある。
 NHK「きょうの料理」を定期購読していたし、そのほかにも単発の料理本を少なからぬ数を購入していた。

 家内は、集めた本にざっと目を通し、書架に並べるととそれだけで満足してしまうタイプ。それらを読んで何かを実践してみるということはあまりしなかった。
 良い「料理本」を手に入れた、ということでそれが自信となり満足しきってしまい、多忙であったこともあって行動に移さなかったのだろう。
 
 私もそうであるが、「本を買うだけで満足」という癖はそう悪くはない、と思っている。似たような本がたくさんあると、背表紙だけ見て「これで万事OK」といった満足感は深まり、さらに新しい本を求めて彷徨う。
 そんなことを繰り返してきたが、いま、この歳になって買い集めた遺産を紐解いている。

 家内にとっては料理本というのは、作り方を知るためにあるのではなく、「眺めるだけで楽しい」という写真集の役割も果たしているのだ、と思う。
 で、私はいま終活中で書架の書籍を処分している。内緒であるが家内の古い料理本にも手をつけた。いま処分の対象になっているのは昭和50年代の「きょうの料理」10数年分ほど。
 もうこの頃には写真はオールカラーになっている。

 最近の書籍はCGで作るために表紙も中身も派手派手であるが、当時の料理本の表紙は水彩画が中心であった。子供の頃の田舎料理のイメージが残っている。
 
(昭和57年のきょうの料理の表紙 しっとりと穏やかな感じの絵がいい)

 ただ、私は家内とは逆で、料理本や雑誌類、TVの料理番組、新聞の記事などを見るのは大嫌いである。立派な料理の陰で食材が無駄に扱われているような気がしてならない。


8/20(金)快晴 大曲中通病院 飯川病院ボランティア  
 1:00起床、新聞・文献他、本読み。5:10可燃ゴミ提出。7:30Taxi駅東、8:11こまち、9:00-12:00大曲中通病院、駅病院間往復Taxi、暑さのため。秋田も徒歩。書店訪問、15:30飯川病院ボランティア。18:45Taxiにて通町書店経由で帰宅、夕食、20:30就寝。歩数計6040歩。

?食2021 (9) 地ビール?? いや、微ビール ASAHI「ビアリー」楽しむ
 アサヒビールから新しいカテゴリーの微アルコール「ビアリー」がこの春に発売され、6月29日から全国販売されたのに興味を感じ、おそるおそる飲んでみた。
 ビールと区別できない明るめの琥珀色。泡もたつ。飲んでみるとホップの苦みと麦芽の味、滑らかなおいしさを感じた。しかも殆ど酔わない。ここ2週間ほど夕食時に楽しんでいる。

 私はビールは好きである。最初の一杯はなんとも言えない美味しさを感じた。ただアルコールには極めて弱く、コップ1杯以上飲むと身体に不快感が生じた。現役の頃は対外的に必要なため練習に練習を重ねなんとか600mlの瓶ビール1本くらいまでは飲めるようになっていたが、一眠りした後も脱力感が残り、仕事がなかなか手につかなかった。だから私にとっては飲酒は時間を無駄にすることであり、現役を退いた後の10年ほどはほとんど口にしていなかった。

 さりとて、ノンアルコールビールはほとんど飲む気がしなかった。酸味があって美味しくないし、なんとなく紛い品として馬鹿にされたようなイメージが拭えなかった。

 このビアリーはその酸味がなく結構美味である。製法として、ビールからアルコールを抜き微アルコール化したのだという。すなわち、100%ビール由来で、ビールらしい本格的な味わいを残し、アルコール濃度を0.5%まで落としたビール様飲料で、分類は清涼飲料水とのこと。350ml缶、価格は180円程度という。
 <img src="https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/16/c4/565d6c04446e5dcbfdc0765072f9efb9.jpg" border="0">
 (缶のデザインも色調も安っぽさがなくなかなかである)

 私にとっては、ビールの味を楽しめて、しかもほとんど酔わないから酔いの不快感もなく、その後の時間も無駄にならない、という利点ばかりの品である。

 我が家では夕食時、私以外の3人は私をそっちのけにして毎日ビールを酌み交わして談笑している。このビアリーを飲むようになってからは私もチョットだけ仲間入りした。

 実際にビアリーは税法上はアルコール分1.0%未満なのでノンアル製品になる。過去には同様の微アルコール製品もあったが味も今ひとつであまり普及していなかったらしい。キリンビールがアルコールフリーの「キリンフリー」を発売したことでノンアルは0.00%に固定したらしい。

 アルコールフリーも何度か飲んでみたがはビールの代わりになる味にはならないというのが個人的な感想で、その後はウーロン茶にしていた。

 私は地ビールも好きだ。各々の製品ごとに特徴があって面白い。ただ、一口だけ。地ビールは一般的に高い。大手ビールの倍ほどにもなる。だから私にはチョット無駄になる。微アルコールビールASAHI「ビアリー」をしばらくは地ビールと間違っていた。


8/19(木)快晴暑い 午後飯川病院勤務
1:00起床。文献・新聞ほか処理、読書。自炊多数、畑、収穫。今朝は家内に同乗して飯川病院へ出勤する予定であったが、秋大付属病院にCOVID-19クラスター発生で受診できず午後勤務となる。午前DIYショップで草刈り用ブレード、スリッパ購入、コメダ珈琲店でフラッペ食す。午後飯川病院勤務。入院患者対応、書類等処理。散水、19:00佐野薬局経由帰宅、夕食、20:30就寝。歩数計8092歩。

?入国者収容所の死亡事件(3) 情報開示を 第三者委員会を
 先進国では極端に低い難民認定率や、入管の人権意識欠如は国際的に評価が低い。入管の在り方自体の改革が急がれる。

 ウィシュマさんのような収容者の死は、全国難民弁護団連結会議によると、1997年以降で少なくとも21人目。一昨年には、ナイジェリア人男性サニーさんが長期収容への抗議のハンストの末に餓死した問題がある。それを機会に収容の長期化、劣悪な居住環境や医療体制に批判が集まった。

 ウィシュマさんの場合、死因は特定されておらず遺族らが求める真相解明からは程遠い。身内の調査ではダメだ。専門家ら第三者により再調査すべきだ。意識改革や医療体制の拡充にとどまらず、内外から人権侵害と批判されてきた入管制度の抜本改革に取り組む必要がある。

 3月の死亡当日は朝から血圧や脈拍が計測できないほど弱っていた。入管は土曜日で医療従事者が不在だったため対応できなかったとするが、その日だけの問題でなく、助ける機会は多々あったはずである。
 女性が問い掛けに反応しなくなった後も、脈が止まるまで救急車を呼ばなかったという。にわかに信じられないほど生命を軽視した対応であった。

 収容者が外部病院の受診などを求めた際、内規では幹部へ報告することになっているのに伝えていなかった。現場職員たちが不要と判断すれば報告しない慣例になっていた。その感覚に呆れるばかり。

 死因について報告書は、複数の要因が影響した可能性があるとして「特定は困難」とした。一方、収容者支援に携わる医師は、体調が悪化した中で飲食させたことが誤嚥性肺炎や窒息につながった可能性を指摘しているが、それは最後の姿でありことの本質とは関係ない。医師はそれまでどのように関与していたのか。さらなる真相解明が不可欠だ。

 入管施設は「一時的な収容場所」と位置付けられ、手厚い医療は後回しにされてきた。

 入管難民法の改正も避けて通れない課題だ。現行法は非正規滞在者らを原則全員、強制送還までの間収容する「全件収容主義」を採用。収容の判断は入管の裁量に委ねられ、期限はない。近年、収容の長期化、収容者数の増加が進み、国内外から批判を招いている。

 政府は入管法改正案を先の通常国会に提出。その内容についても、難民に認定されるべき人が本国へ強制送還され、生命の危険にさらされる恐れがあるなどと国連機関から指摘されていた。スリランカ人女性の問題も重なって野党が反発し、事実上の廃案に追い込まれた。

 入管制度は全件収容主義をやめ、収容するのは逃亡の恐れが強い場合などに限定すべきだ。裁判所による収容可否の審査義務付けも不可欠だ。

 本件は業務上過失死に相当する懸案のように思う。
 組織的隠蔽体質も見え隠れする。情報公開が必要である。国の機関だから国が責任をもって開示すべきである。
 法相の謝罪はあまりにも軽かった。

 安倍元総理が関与している森友の会計処理に関しても自殺者が出た。この件に関しても国は記録の存在を否定し、情報公開を拒んだ。国全体として隠蔽体質がある。
 五輪も同様、うやむやの中での開始であった。

 入管の厳しい環境についてはそう詳しく知っていなかった。関心が乏しい限り遠い世界の出来事である。関心を持っても何ができるわけではないが、無関心は罪悪の一つであるのだ、と思う。


 8/18(水)朝まで降雨曇りのち快晴暑い 午後飯川病院 COVID-19ワク担当
1:30起床。文献・新聞ほか処理、自炊。収穫、早朝トイレが詰まった。できる範囲で対策するも解決せず。9:00志摩水道に依頼、一部解決様子見ることに。散水など、11:50バスにて飯川病院へ。ボランティア。検食、微睡、新聞チェック、書類等処理。19:00帰宅、夕食、20:30就寝。歩数計9742歩。

入国者収容所の死亡事件(2) スリランカ人女性はなぜ、死に至ったのか
 スリランカ人女性、ウィシュマ・サンダマリさんはなぜ、死に至ったのか。一人の若い女性の死は心筋梗塞やクモ膜下出血等の緊急的重症疾患以外はそう簡単に死ぬものではない。

 ウィシュマさんは3ケ月にわたって不調を訴えていたようだから対応できる機会は多くあったと考えられ、医療的対応がされていたとはいえない。情報不足の中で軽々には言えないが、私は業務上過失死に相当するように思う。
 ウィシュマさんは2017年に留学のため来日。その後、不法残留となり、2020年8月から名古屋入管施設に収容されていた。今年1月中旬から体調不良を訴え、食事や移動には施設職員の介助が必要となるほど衰弱、3月6日、搬送先の病院で死亡が確認された。

 スリランカ人女性はなぜ入管施設で死に至ったのか、出入国在留管理庁がおととい調査報告書を公表した。
 それによると、職員の意識や医療体制に問題があったと指摘し、全入管職員の意識改革を求め局長らを処分した。上川陽子法相、オウム事件の被告13人の死刑を命じた法相であった、が謝罪した。

 しかし、疑問を正面から取り上げた調査とは到底言えない。
 名古屋出入国在留管理局の人権軽視の組織体質に目を背け、言い訳や責任逃ればかり。死因についても「病死であるが、複数の要因が影響し、特定は困難」と曖昧な結論しか出していない。1人の命が失われたのに責任の所在も不透明。名古屋入管の佐野豪俊局長と当時の次長へ訓告、警備監理官ら2人への厳重注意にとどまった。

 いつものごとく、身内のお手盛り調査の結果で、死者が出ているのにこんな軽い処分ではあきれるほかない。遺族が「真実を知るため日本に来たのに、これで調査報告書と言えるのか」と疑問を投げ掛けるのも当然だろう。
 例えば、亡くなる3週間前の尿検査で「飢餓状態」や腎臓機能の悪化が示唆され、内科的な追加検査、治療が必要なのに、対応していなかった。ベットから落ちて、自ら動けなくなったウィシュマさんを数時間放っておいた、とも言う。

 報告書は原因を「医療体制の不備」に責任転嫁している。確かに、週2回、各2時間勤務の非常勤内科医らだけでは十分とは言えないだろう。しかし、医療体制の不備が原因とは言えない。職員達はなぜ、死に至るほど厳しい状況にあるウィシュマさんを医師に報告しなかったのか。その点にこそ問題がある。

 ウィシュマさんを人間として扱っていなかったようだ。現場のそんな人権意識の欠如が、うかがえる。

 入管庁は「危機意識に欠けた」として全職員の意識改革を求めるという。何を今更、である。人命を預かっている責任感を欠いた組織風土は許されない。
 問題の一つは入管組織の閉鎖性にもある。
 昨日、私は被収容者処遇規則を読み、一部を掲載したが、正当に機能していれば「絶対に死に至らしめること」など考えられない。

 入管庁の隠蔽体質は、ウィシュマさんの様子を写した監視カメラの映像を巡る対応でもさらけ出された。
 遺族にようやく見せることにしたが、亡くなる直前2週間分、それも全てではなく、2時間ほどに編集したものだという。これでは都合の悪い部分をカットしたとの疑念を持たれても仕方あるまい。なぜ全て公開出来ないのか、理解できない。遺族に開示できないような状況が記録されていたのだろう。


8/17(火) 快晴 中通病院外来 飯川病院 
1:00飯川病院で起床,論文読み、データ処理・整理他、8:30中通病院外来、比較的楽。 12:45飯川病院、微睡、14:00-15:15COVID-19ワクチン接種関連、慣れたら能率改善。
微睡、17:00読書、文献読み散水ほか。19:30帰宅、夕食、20:30就寝。歩数計6440歩。

入国者収容所の死亡事件(1) 医師の目で見て理解できない事件だ
 入管施設に収容されていたスリランカの若い女性が死亡した。
 死亡の状況は情報が乏しく何が生じたのかわからないが、私の立場から見て理解できない経過の様に見える。

 入国者収容所は、日本の出入国在留管理庁の施設等機関の一つ。国内2か所に置かれ、主として入管法またはその関連法の規定に違反し退去強制手続の対象とされた外国人を収容し、その送還または放免等までの処遇・執行を行っている。

 入管法等の規定に違反して退去強制手続の対象となった外国人は、まず地方出入国在留管理局の警備担当部門において入国警備官による違反調査を受ける。この場合は一旦当該地方入管局に付設されている収容場への収容がなされ、続いて入国審査官による違反審査・認定を行う。不服があれば特別審理官による口頭審理・判定、さらには法務大臣への異議申出という手続を踏むことになる。
 この際、出頭申告等で自ら早期の日本出国意思を明確にし、他に罪を犯した嫌疑もなく、かつ、逃亡等のおそれもない者については、事実上収容せずに在宅のまま後日手続をする取扱いがなされる。

 数日で事案の終結が見込まれる者についてはそのまま収容場に留め置き送還手続となる。
 事案処理の見通しがつかず収容が中長期に及ぶと想定される者についてはより設備等の整った入国者収容所に移送・収容されることとなる。
 収容・処遇についての詳細は、昭和56年被収容者処遇規則で規定されている。

 これらの規定を読むと今回の死亡事故が何故生じたのか理解に苦しむ。
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 ■被収容者の人権を尊重しつつ、適正な処遇を行う。
 ■被収容者がその属する国の風俗習慣によつて行う生活様式を尊重。
 ■所長等は被収容者からの処遇に関する意見の聴取、その他の措置を講じて、被収容者の処遇の適正を期する。
 ■男子と女子とは、分離して収容。
 ■所長等は、新たに収容される者について、必要があると認めるときは、医師の健康診断を受けさせ、り病していることが判明したときは、病状により適当な措置を講じなければならない。
 ■入国警備官は、巡視、見張りを行い、被収容者の動静及び施設の異状の有無に注意を払い、もつて保安上の事故の防止に努めなければならない。
 ■所長等は、被収容者の給養の適正と衛生の保持に努めなければならない。
 ■被収容者に給与する糧食は、主食、副食及び飲料とする。一人一日当たりのエネルギーは、2200キロカロリー以上3000キロカロリー以下とする。
 ■所長等は、被収容者に毎日戸外の適当な場所で運動する機会を与えなければならない。
 ■所長等は、被収容者の衛生に留意し、適宜入浴させるほか、清掃及び消毒を励行し、食器及び寝具等についても充分清潔を保持するように努めなければならない。
 ■所長等は、被収容者がり病し、又は負傷したときは、医師の診療を受けさせ、病状により適当な措置を講じなければならない。
 ■収容所等には、急病人の発生その他に備え、必要な薬品を常備しておかなければならない。
 ■所長等は、被収容者が伝染病又は伝染性の病気にかかつたとき、又はその疑いがあるときは、直ちにその者を隔離するとともに、保健所に通報し、消毒を施す等適当な応急措置を講じなければならない。
 ■・・・・・・以下は省略。


8/16(月) 午後から晴れ 健康クリニック 飯川病院勤務+当直
 2:00起床。文献・新聞、医学論文チェック、古い録音器、ローランド録音機再度使用開始した。豊かな機能に驚く。新聞休刊日でほっと一息。9:00-11:20健康クリニックドック14名、結果判定昨週終了で本日無し。11:30飯川病院。読書、微睡、新聞切り抜きなど。13:20-16:10書店訪問。17:00当直勤務。18:00検食、19:30就寝。歩数計4349歩。

76回目の終戦記念日(2)
 今年もいわゆる終戦の日が巡ってきた。大戦で戦火その他で死亡された国内外の多くの犠牲者に哀悼の意を表し、反戦への誓いを新たにしたい。

 戦前・戦中生まれは全人口の7人に1人になった。戦争を経験した旧軍人は1万人を割り込んでいる。私もギリギリ戦中派に属す。だから戦争について学ばなければならないと思う。

 最近の国際情勢をみると、米中の覇権争いが激しさを増している。この時期、あの戦争をきちんと振り返り、再び我が国を、世界を惨禍に陥れない道筋を探ることが重要である。

 昭和の日本は1931年の満州事変以降、日本は戦争続きだった。決定的だったのが米ハワイの真珠湾への奇襲。今年はそれから80年の節目に当たる。
 当時の日本の国力が米国にはるかに及ばないことは、戦争指導者たちもよく認識していた。国内総生産(GDP)の実質的な差は12倍程度とされていた。しかも日本が必要とする石油や鉄といった戦略物資のほとんどを米国からの輸入に依存していた。
 厳しさを増す我が国に対する米国の締め付けに対し、政府は官僚、軍人、民間有識者らを集めて「総力戦研究所」を設け検討した。その結果、「敗北は避けられない。戦争は不可能」との結論に達し、近衛首相や東条陸相にも報告された届けられた。
 
 にもかかわらず、戦争回避との判断に至らなかった。識者の一部は強力に開戦を主張した。それもあって、必敗を知りつつ、開戦させたのは、ひとえに組織のメンツゆえである。陸軍・海軍が姿を消したいま、そのメンツを大和魂の栄光と呼ぶのは、あまりにもむなしい。

 組織の体裁を優先し、現実から目を背ける日本人のこうした体質は、いまの社会のゆがみにも相通じるものがあるのではなかろうか。COVID-19対策、東京五輪の強行を見てもそう感じる。

 太平洋戦争・大東亜戦争突入の責任は陸海軍だけにあるのではない。東条首相ら指導者に、開戦後の講和プランが全くなかったわけではない。世論が後押しした。開戦前年、月刊誌「文芸春秋」が読者アンケートで、米国との外交交渉について聞いたところ、「強硬に出る」が431票で6割を占めた。
 大衆は集団の威を借りて強硬論を後押ししがちである。ドイツでも国民の熱狂的指示でヒトラー政権が誕生した。

 世論の過熱が政治決断を難しくする。軍部とともに大衆を戦争へと導く一翼を担ったのが、当時の新聞である。開戦を煽れば煽るほど部数が増えた。言論人の多くが戦争支持に回った。ネットの発達などで、ポピュリズムが勢いづきやすい時代を迎えている。だからこそ、メディアは一歩引いて冷静な視点、感情に流されない情報を提供する役割を担って欲しい。

 日本は日米同盟を結んでいるとはいえ、自国を守るのはまず自国でなければならない。今の国際情勢を考えれば、防衛力の増強といった現実判断は必要である。

 しかし、それと戦争とは別次元の話である。

 戦後76年、私はさらに勉強する必要があるようだ。


8/15(日)曇り晴 ポツダム宣言受諾日 飯川病院日当直 
 1:30起床、新聞文献チェック。本読み、データ整理他。きょうの健康、趣味の園芸など自炊。本日は大学派遣医が来院不可になったとのことで急遽日当直することに。8:30回診にいく家内に同乗飯川病院に。9:00日当直業務につく。午前、読書、新聞データ化。微睡など。検食後13:00病院周辺の草刈り、草刈りとして28回目、欅周辺殻切り取った枝など廃棄処分。ナイロンブレード交換品なく中断。微睡読書三昧。19:00夕食。20:30就寝。歩行Σ7369歩。

76回目の終戦記念日(1) 
 太平洋戦争終結から本日で76年。今年は開戦から80年に当たる。

 私は太平洋戦争に関しては以下のように感じている。

 ■8月15日を終戦記念日というのは間違った記念日で、正しくは終戦ではない。実際にはこの日はポツダム宣言受諾の日で、国民に向かって天皇から放送を通じて周知された日である。正しい終戦日は米戦艦ミズーリ号の甲板で降伏文書の調印式が行われた9月2日である。
 ■確かに日本は実質的には敗戦したが、戦争は外交手段の一つで勝ち負けがあるのだろうか?疑問である。確実にあるのは降伏したという事実であって、残ったのは悲惨さだけである。
 ■二度と戦争という過ちを繰り返さない、と平和の誓いを新たにする。これも是としがたい。日本は過ちを犯したのか?複雑な国際関係の中で開戦というやむを得なかった手段に追い込まれ、止むに止まれず開戦に至ったのだ、と思っている。
 ■アジアの国々の人々も巻き込んで多大な犠牲を強いたが、列強の圧政からアジア諸国を救ったのも事実であった。
 ■最終的には米国の無差別爆弾や原爆の投下という事態を招いたが、これらは国際法に違反する非人道的行為であったが、国際的に正しい評価を得ていない。

 戦争体験を語ることができる世代は高齢化し、年々数が減っている。いかにして戦争の記憶を風化から守り次世代に伝えていくかが問われている。しかしどの土壌があるとは言えない。これは政府の姿勢にも関連している。


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最近の国際情勢
 政治・経済面で大国化した中国が軍事力を増強し、米中対立が激化するなど、日本を取り巻く安全保障環境が複雑さを増している。

 台湾や沖縄県・尖閣諸島周辺で、不穏な動きが生じている。中国は尖閣諸島を「固有の領土」と主張、船を繰り返し日本の領海に侵入させているほか、統一を目指す台湾に対する軍事圧力や南シナ海での海洋進出を強めている。
 香港や新疆ウイグル自治区での人権抑圧も深刻である。どれも看過できない問題であり、中国・台湾と経済的関係が深い日本は難しい対応が求められる。日本は両国に働き掛け、冷静な対応を求めるべきだ。粘り強く平和外交を徹底しなければならない。

 米国で世界第一の立場が犯されることは誇りの喪失につながる。中国による台湾侵攻への危機感が強い。台湾海峡は米中双方の海軍艦通過で緊張が高まっている。台湾海峡や尖閣諸島周辺で米中、日中の偶発的な衝突の恐れがある。
 日本は米国との間で同盟関係にあるが、決して隷属関係にあるのではない。この点、国民に周知されているとは言い難い。トランプ、バイデン大統領の方針によって流動的側面が見え隠れする。日米同盟のもとでどれだけ我が国が守られるのか、私は不明だと思う。

 米中紛争が生じた場合、米軍基地が集中する沖縄も巻き込まれる危険性が強まる。
 日本は台湾有事や尖閣問題を見据え防衛力を強化することになった。これを受け政府は台湾有事が発生した際の自衛隊活動を巡り、安全保障関連法の運用について検討を進めている。

 憲法9条は国際紛争を解決する手段として武力による威嚇、行使を永久に放棄している。
 歴代政権は自衛の範囲を超えるとして集団的自衛権行使を禁じた。
 台湾などを巡る緊張の高まりを理由に、再び集団的自衛権行使に向けた動きが進むことが。

 平和外交こそ日本の取るべき道であると再確認することは当然であるが、それが限界を迎えそうになったらどうするかも考えておくべきである。
  憲法論議2017(2) 9条


8/14(土)曇り小雨のち晴れ 飯川病院は盆休み二日目 午前日直
 1:30起床、文献・新聞チェック等、本読み等。ダリアのケア、回診に行く家内に同乗、飯川病院、9:00-12:30午前日直に。本日は飯川病院は盆休み二日目。午前は自炊ほかのデータ整理録音機整備。昼の検食は鰻丼というが私の分はなかった。残念、代わりにカップヌードルで代用。それなりに美味。16:00次男宅経由帰宅。ダリア周辺草刈り27回目。17:30音楽関連、絵画関連録画。19:00夕食、20:30就寝。歩数計6165歩。

ひさびさほっこりした話、日本語 
 以下は秋田厚生医療センターの連携室だよりNo33に見つけた話である。感心した。以下に引用させていただいた。
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 至高の詩

 取りためた古い新聞の切り抜きをぼんやりながめていて、とうに忘れてしまっていた10年余りも前の小さな記事に目がとまった。今から50年以上も前の晩秋のこと、東京の6畳一間のアパートに住む、子供が生まれて間もないらしい息子夫婦のもとに手紙が届いた。
 便せんには、明治生まれの母親が独学でやっと習い覚えたひらがな文字を、ミミズがはうような字で懸命に書いたであろう文面があった。

『げんきだが さびぐて さびぐて かじぇしぐな おめのすぎだりんごど しんめおぐた わらしさもかひれ、じっぱりかひれ ぼんにくるが まってる けーこさんだいじにな  したら』

 コロナに立ち向かう勇気をもくれる至高な詩。
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 拙いが日本語に換えてみる。
 『元気か?寒くて寒くて、風邪ひくな。お前の好きなリンゴと新米送った。子供にも食べさせろ、たくさん食べさせろ。盆には帰ってくるか?けいこさんを大事にね。それでは』
 この文を紹介された方は医師だろうか?私と同じく新聞の切り抜きを大事にしているようだ。10年も前の切り抜きに想いを馳せるなど素晴らしい。
 
 母親と思われる高齢の方が書いたであろう実に美しい文章である。
 書こうとしても、到底表現できない味がある。自然と素晴らしい詩になっている。

 久々、ほっこりとした気持ちになった。
 
 一方、内容的には素晴らしく、支持する識者も多いが、私がとても残念に思ってる文章がある。対比すると面白い。「保育園落ちた」とのブログを巡って(1) 怒りは十分伝わるが、品位欠く文章
 どちらが説得力があるのだろうか?


8/13 (金)降雨 飯川病院日直 飯川病院盆休み 飯川病院日直
 0:30起床,文献・新聞ほかこなす。5:00家庭ごみ廃棄、ダリアのケア、回診に行く家内に同乗、飯川病院、9:00日直に。本日は飯川病院は盆休み初日。本来なら大曲中通病院外来担当であるが日直医の人ぐりつかず休診として飯川病院日直に就いた。 12:00検食、データ整理と微睡・読書三昧、19:30帰宅。21:00就寝。歩数9436歩。

原爆投下76年(4) 平和宣言 長崎平和公園・平和の像
 広島は8月6日、長崎は8月9日、被曝76年を迎えた。

 両市で行われた平和記念式典は今年もCOVID-19蔓延のために縮小されて行われた。それでも継続の意義は小さくない。

 8月9日には広島市長が、8月9日には、長崎市長が毎年メッセージを出している。
 私はここ10年ほどは両者のメッセージに注目している。
 両者のメッセージには互いに違いがあると思ってきた。
 それは長崎は2番目の被爆地であること、犠牲者の数が広島に比して少なかったこととも関連していると思われる。   

 広島のそれはより論理的で世界に発信する力は大きいように思われてきたし、長崎のそれはより一般的な被爆者の立場にそっているような気がしていた。

 その中で第3の被爆地である福島の原発事故と復興に言及したのは長崎は11回目である。広島の宣言は当初の3年間は言及したがその後は触れていない。

 これには平和宣言の起草の仕方によっていることも大きいと考えられる。
 広島市では2010年まで市長が学者らの意見を個人的に聞いて宣言をつくってきたのに対して、長崎は宣言起草委員会を作り被爆者や学者市民参加型で報道陣も前で5~7月に議論して練り上げている。今年の委員会メンバーには20代の大学生や地元企業の社長も加わった、という。これは「長崎方式」と呼ばれている。

 そのメッセージは平和祈念式典で市長が読む。
 被爆地の代表として 、犠牲者を悼み、核兵器の廃絶を世界に訴えている。この点は両者に違いは大きくない。
 長崎の宣言は、その年の被爆地の願いや問題意識が詰まった内容になっている。福島第1原発事故が起きた2011年には「原子力にかわる再生可能エネルギーの開発を」、COVID-19が広がった20年には核兵器の問題と共通するのはみんなが「当事者である」と訴えた。

 今年は、1月に核兵器の開発や保有などを全面的に禁じる核兵器禁止条約が発効した後の初の祈念式典である。長崎や広島の被爆者にの悲願といえる条約だが、日本政府は条約批准をするつもりはないようだ。今年の宣言は、唯一の戦争被爆国として条約に加わるよう政府に求め、長崎の宣言ではこの条約を世界のルールに育てる年が始まる・・、と述べている。私は長崎の平和宣言に親しみを感じている。

長崎平和記念公園、平和祈念像についての印象
 私は広島で行われた学会だけでなく、近隣県で行われた学会の際にも広島に足を伸ばして平和公園を3回ほど訪問した。長崎の被爆施設にも2度ほど訪問し、共に深い驚きと悲しみ、自分の無知さを感じてきた。この時以降、私は日本史を学び続けている。
 長崎の平和記念公園は1950年(昭和25年)に、 平和祈念像は1955年(昭和30年)に完成したという。後者は見事な像であるが、あまりにも日本人離れした立派な体躯で筋肉も隆々とし過ぎている。だから、原爆との関連では現実味が乏しい。


8/12 (木)夜半から午前降雨、午後快晴暑い 飯川病院
1:00起床,文献・新聞ほかこなす。早朝涼風ありむしろ寒い。秋の訪れが怖い。8:00ダリア周辺草刈り26回目、不注意で一本切断した。12:02秋田中央交通お盆体制、飯川病院に。14:00勤務、入院患者対応。19:30帰宅、19:30夕食、20:45就寝。歩行Σ7944歩。

原爆投下76年(3) 戦争は国際的に認められた外交手段でルールがある
 戦争は国際的に認められた外交手段の一つである。
 だから、戦争といっても何をしても良いということは無区禁止事項が定められている。
 戦争のルールは19世紀に成立したジュネーブ条約にて初めて定められた。武力紛争中にやっていいことダメなことを定め、武器や戦術に制限を設けることで、非戦闘員である民間人を保護し、虐殺や不要な殺害を抑制することを目的としていた。

 1949年にジュネーブで、これまでの条約を再確認・更新し、一般市民を保護するための条項を拡大した条約を採択した。戦争の最も重要なルールを定めている。
 2019年時点で196の国と地域が批准している。

 ■民間人・施設をターゲットにしない
 ■投降した兵士を殺してはいけない
 ■捕虜・被収容者に対する拷問又は非人道的な取扱いの禁止
 ■病院や救命隊員を攻撃してはいけない
 ■民間人が避難するための安全な通路を提供する
 ■人道支援組織へのアクセスを提供する
 ■不必要、過度な損失及び苦痛がないこと

(関連事項)世界で禁止されている10の兵器
 ■化学兵器 サリンやVXガスといった致死性がある毒ガス。最初に使用
 ■催涙弾催涙ガス
 ■生物兵器(細菌兵器)
 ■毒矢・毒弾
 ■検出不可能な兵器プラスチック弾丸など
 ■対人地雷
 ■焼夷兵器
 ■ブラインドレーザー兵器
 ■ダムダム弾
 ■クラスター爆弾

 しかしながら、しばしは国際紛争では上記のルールは無視されている。ジュネーブ条約を批准しているテロ組織や武装組織はない。また、批准国であっても条約を強制させることはできない。

 さらに古くは、ハーグ陸戦規則や海戦規則の国際法で禁じられていた。軍事目標と非軍事的な施設や民衆とを区別することなく爆撃することも禁じられていた。これらの規定は航空機の発達や,原水爆の出現以前に締結されたから,厳密には適用できないという考え方もある。 1923年日本,アメリカ,イギリス,フランス,イタリア,オランダの6ヵ国で審議された「空戦に関する規則」はより明確に無差別爆撃の違法性を規定しており,現在一応の規準となっているが,これは草案にとどまっている。第2次世界大戦でのアメリカの広島,長崎への原子爆弾投下,ベトナム戦争でのアメリカの爆撃など,いずれも戦略上正当視する見解から,人道上無条件に否定する考え方まで議論が分れている。

 無差別東京空爆などは非合法だったとされているが、原爆投下に対しては国際法違反との言葉をほとんど聞かない。広島長崎に原爆投下を決めたトルーマン元大統領を非難する言葉も弱々しい。
 原爆投下が第二次世界大戦を早期に終わらせた、などの考え方は、世界最大級のデマ、嘘である。

 加えて言えば、東京大空襲、ポツダム宣言受諾前日の秋田の空爆は、作り過ぎた兵器を消費するために計画されたゴミ捨て行為であった。もはや戦略的に意味をなさないことを熟知していながらあえて実行したのは戦略的必要性からでなく、当時の政治家の保身のためであった。


8/11(水)昨夕から降雨続く 歯科治療 飯川病院
0:30起床,画像データ整理、文献・新聞ほかこなす。6:00トマト・キウリ収穫。8:20ダリアの世話、9:30佐々木歯科医院、書店訪問、12:15飯川病院、12:30:飯川病院ボランティア。14:00勤務、COVID-19ワクチン接種担当、微睡。19:30帰宅、夕食、21:00就寝。歩行Σ5763歩。

原爆投下76年(2) 核保有9か国の弾頭数の増減と実態
 スウェーデンのストックホルム国際平和研究所は世界の核軍備に関する報告書を発表している。今年1月の世界の保有核弾頭数(推計)は1万3080発で前年から320発減った。しかし、実戦使用可能弾頭数が増えていることに懸念を示した。

 核保有9か国のうち、最多のロシアが前年比120発減の6255発、2位の米国は同250発減の5550発、3位の中国は30発増えて350発。英国、インド、パキスタンも5-10発増。フランスとイスラエルは昨年と同数だった。北朝鮮は40-50発を保有し、前年から10発増えた。報告書は北朝鮮の昨年の動きについて、核分裂物質の生産やミサイルの開発を継続したと分析し、「引き続き軍事目的の核計画を強化している」と指摘した。

 実戦配備数は同105発増の3825発で、米国が50発、ロシアが55発増やした。
 トランプ大統領の不用意な(?)ツイッターが反応を呼び、核のリスクが高まってる。米ロ双方で戦略上の核兵器の重要性が増しているようだ。どんな理由だか私にはわからないが、「両国間で追加の核軍備管理が進む見通しは弱い」と評価されている。
 「核兵器が存在し、抑止論に頼り続ける限り、いつか使われる」、「核兵器が使われるリスクは、第2次世界大戦後で今が最も高い」との識者からの警告もある。

 ジュネーブで一昨年4月末から5月初めにかけて開かれた核不拡散条約(NPT)再検討会議の準備委員会では、国連で採択された条約を推進する国々と、これに反対する核保有国・同盟国との溝が埋まる気配はなく、議長総括は核禁止条約について賛否両論を併記した。

 米・ロシアはそれまで互いに核弾頭数を減らしてきた。といえども世界の核兵器のうち9割、計12,000発を保有している。
 核不拡散条約で核保有の権利を認められてはいるが、両国は核軍縮に逆行するふるまいが目立つ。
 核をめぐり、数年前までの「核なき世界」への方向性が後退し、核大国は再び、軍拡に転じようとしている。

 従来の核は威力向上を目的にしてきたために非実用的になっていた。大型の核では被害が大きすぎるために使用できない、というジレンマを抱えていた。
 大型核兵器は軍事的に国威を示し抑止力にはあるだろうが、一度核攻防が生じれば地球環境は放射能汚染だけでなく、地球環境の変化を介して気候も大きく変動する。陸地は砂漠化し、食糧生産も困難になる。結果として人類滅亡も視野に入ってくる。

 だから、核兵器を小型化し、兵器として実用性のあるものにする動きが生じたことが、実戦使用可能弾頭数が増えた背景である。
 それでも「使用できない兵器」であることは変わりがない。

 こんな兵器を保持し続ける核保有国の指導者は総じてバカである。核なんてもはや無駄、時代遅れ。人類はこのままでは温暖化でいずれ滅亡する運命にある。


8/10(火)早朝から降雨午後晴 中通病院外来 飯川病院
1:00起床,台風上がりの熱帯低気圧北上中というも風なく雨もほとんどなし。文献・新聞ほかこなす。立秋も過ぎ、早朝涼風あり快適・・というより秋の息吹に恐怖感。4:00頃から雨ポツポツ。久しぶりの降雨。5:30家庭ゴミ、資源ごみ集積所。畑花壇の対応散水、収穫。8:47バス飯川病院。8:45-13:00中通病院内科外来。13:20飯川病院、14:00-15:30COVID-19ワクチン接種担当16:00微睡1時間、読書ほか、19:20帰宅夕食。20:30就寝、歩数9432歩。恒例の鎮魂・家族親睦小旅行今年もなし。

原爆投下76年(1) 平和公園・平和記念式典でなく祈念公園、祈念式典がいい
 広島は8月6日、長崎は8月9日、被曝76年を迎えた。

 平和記念式典は、慰霊碑が平和記念公園に建立された昭和27年以来、途切れることなく続けてきており、今年もCOVID-19蔓延のために広島・長崎での慰霊祭は縮小されて行われた。継続は力だからその運動の意義は小さくない。

 「原爆の日」を迎え、広島の平和記念公園で午前8時から平和記念式典、すなわち「原爆死没者慰霊式・平和祈念式」が行われた。松井市長は、核兵器禁止条約の発効から初めてとなる平和宣言で、日本政府に「一刻も早く締約国となる」よう条約批准を訴え、締約国会議への参加も求めた。

 原爆投下直後に降った「黒い雨」被害者については「早急に救済するとともに、被爆者支援のさらなる充実を強く求める」と要望。政府に核保有国と非保有国との「橋渡し役」を果たすよう訴え、各国には、条約の支持と、核抑止論に基づく安全保障政策を転換するよう求めた。

 広島市に1945年、米国によって原爆が投下された。
 45年末までの推計死者は広島約14万人、長崎約7.4万人。生存する被爆者の高齢化が進み、被爆の悲惨さや実態を肉声で伝えられる時間は限られる。
 核兵器の保有や使用を禁止する核兵器禁止条約が1月に発効してから最初の原爆の日。米国の「核の傘」に頼っている事情はあろうが、唯一の戦争被爆国である日本が条約を批准しないのはどうなのだろうか。この辺の政府の見解も明らかにされているとは言えない。

 広島市の平和記念公園で開かれる式典には菅首相も参列した。
 黒い雨訴訟では国が上告を用意していたが菅首相の意向で断念し、原告を被爆者と認めた広島高裁判決が確定。放射性物質を含んだ黒い雨を「特例区域」の外で浴びた原告らを医療費無償化などで救済することになった。私は関連して福島原発事故の避難者に対する補償のことが頭をよぎった。

 広島の平和記念式典はCOVID-19のため昨年に続き、出席者は例年の1割未満、被爆地の取り組みが大きな困難に直面している。
 式典の内容自体に大きな動きはなかったようである。

 私は原爆の事実は重要だと思うが、被爆者を思い、過去を振り向く記念式典は限界を迎えている、と思う。それよりも前向きの言葉である平和祈念式典にする方がいいと思う。

 1954年4月1日に広島平和記念公園が完成した。この名称についても私は違和感を持つ。日本の文化としてなんでも綺麗にヴェールをかぶせて問題点を曖昧にしたまま収めてしまう傾向がある。なんで国際法に違反する無差別大量殺戮兵器が使用された場所を示す公園に「平和記念」と名がつくのか?「平和祈念公園」ならまだ理解できるし、もっと直接アメリカの暴挙を糾弾する名称をつけるべきだった、と思う。

 米国は第二次世界大戦末期には無差別殺戮を繰り返した。東京空襲、沖縄戦、各地の艦砲射撃、終戦前日の6都市における空襲窓などである。秋田の土崎空襲は8月14日夜間から翌日の8月15日にかけて行われた。
 1945年(昭和20)1月19日連合国最高司令官マッカーサーの命令で設置した極東国際軍事裁判所が日本の戦争指導者を裁いたが、戦勝国が敗戦国を捌くといった国際法的に違法な裁判であった。この時も無差別殺戮、原爆投下は審議の対象から外された。
 1952年(昭和27)4月28日はサンフランシスコ講和条約が発効し、日本の主権が回復したが、その前もそれ以降も、無差別殺戮、原爆投下に関して米国の非人道性、違法性を国際社会に訴え続けなかった。この点については日本の責任は大きい。


8/9(月)山の日振替休日 早朝曇りのち晴れ、暑い ネコ四匹脱走対策要す
 1:30起床、新聞記事チェック。蓄積データ整理。5:00草刈り25回目、家屋の東側、ダリア周辺ほか、園芸、収穫、散水ほか。12:00家内に同乗飯川病院へ。槻の周辺の樹木、草花の伐採、散水、微睡。音楽データパソコン2機に取り込む。17:30帰宅、新聞チェック。19:00夕食、20:30就寝。歩数計14448歩。日本国中35℃ほど熱暑のニュース。我が家は室内で31℃。5台の扇風機大活躍。

COVID-19(2021)(30) まだまだ終わらないCOVID-19との闘い(2)弱毒化変異

(2)「懸念される変異」は現在4種類ある。
 「ラムダ型」は6月1日に新たに分類された。ペルーで20年8月に最初の報告がされた。チリ、ペルー、エクアドルなど特に南米で広まっている。
 「L452Q」の変良をもち、感染性の増加と抗体の効果が弱まる可能性があるが、データが限られておりよく分かっていない。

 ほかにも英国で見つかった「イータ型」、米ニューヨークで見つかった「イオタ型」、インドで見つかりデルタ型と同じくL452Rの変異をもつ「カッパ型」がある。
 いずれも詳細は不明なようである。

(3)「監視が必要な変異」は現在3種類ある。
 米国で見つかった「イプシロン型」、ブラジルで見つかった「セータ型」、フィリピンで見つかった「シータ型」は発生率が下がったため、WHOは「懸念される変異」から「監視が必要な変異」に引き下げた。


「ウイルス変異についての誤解」を解く
 「変異種」といえば強毒化だけがイメージされるが、上記の「監視が必要な変異」の如く、弱毒化するものもある。
 ウイルス自体には意思がない。だから、自ら感染力を上げようとしているわけではなく、ウイルスが増殖していく過程で、遺伝子のコピーにエラーが起こり、性質の異なる変異種が生まれていく。そして、結果的に感染力は比較的強く、弱毒の変異種が生物と共存という形で生き残る。

 ウイルスは必ず何かに寄生しないと生きていけない。寄生した宿主が死ねばウイルスも死ぬ。長期的に見れば、ウイルスは宿主と共存するために、「弱毒化」していく。「強い病原性をずっと維持」しているウイルスも稀にはあるが、強毒化したウイルスは長期的には存在し得ない。

 ワクチンがまったく効かなくなるウイルスの変異種は、簡単には出て来ない。効果が乏しくなっても今のワクチン技術があれば時間をかけずに比較的短期間に開発できると思われる。


8/8(日)快晴暑い 山の日休日 五輪閉幕
 1:00飯川病院起床。読書、徒然、データ整理など。当直明けで帰宅しても猛暑なので仕事にならない。病院で待機、書店訪問、12:00帰宅、微睡、読書、書斎改修、散水収穫ほか、自炊数冊。音楽関連の録画視聴、読売日響など。19:00夕食、20:30就寝。歩数計5364歩。

COVID-19(2021)(29) まだまだ終わらないCOVID-19との闘い(1)強毒化変異
 インド型 (デルタ型変異株)は感染が拡大し、世界的に、日本国内で更に大勢を占めると予想される。
 もともとウイルスは変異しやすく、今後も新たなタイプの登場が危惧されている。変異の誘因としては感染の蔓延化、長期化がある。だから、感染の抑制は重要である。

 ウイルスは変異が全て強毒型になるわけでなく栄枯盛衰がある。一時世界を震撼させた「SARS」は変異によって弱毒化し、最終的には消滅した。
 COVID-19に関しても、米国で見つかった「イプシロン型」、ブラジルで見つかった「セータ型」、フィリピンで見つかった「シータ型」は発生率が下がったため、WHOは「監視が必要な変異」扱いにランクを引き下げた。

 WHOはCOVID-19変異ウイルスを以下の如くに分類している。
――――――――――――――――――――――――――
 ■「懸念される変異」にアルファ、ベータ、ガンマ、デルタの4種類
 ■「注意すべき変異」にイータ、イオタ、カッパ、ラムダの4種類
 ■「監視すべき変異」にイプシロ、セータ、シータの3種類
――――――――――――――――――――――――――

 「懸念される変異」とは感染力や重症度が増し、ワクチンの効果を下げるといった性質の変化がみられた変異ウイルス。
 「注意すべき変異 」とは感染力やワクチンの効果などに影響を与える可能性のある種類と指定。
 「監視が必要な変異」とは発生率が下がったため、現状では意義が小さいもの。

(1)「懸念される変異」
 「デルタ型」は20年10月にインドで初めて確認された。国際的に感染割合が増しており、WHOによると111の国や地域で報告されている。ウイルスが細胞に感染する際に足がかりにするウイルス表面のたんぱく質「スパイク」に「L452R」という変異がある。

 WHOのグループの分析では感染力が英国型(アルファ型)よりも55%強い。
 シンガポールの報告では、従来よりも、酸素利用、ICU入室または死亡のリスクが4.9倍になり、肺炎のリスクが約1.9倍になる。
 スコットランドの報告では、米ファイザー製ワクチンの感染予防変異効果は79%としている。
  イングランド公衆衛生庁などに2回接種すると発症では予防効果は88%、入院予防効果は96%ある。


 「アルファ型」は20年10月に確認された。スパイクに「N501Y」変異がある。国立感染症研究所は、感染力を従来の約1.3倍としている。海外の報告では、従来と比べて死亡率は61%増え、入院リスクは約1.5倍とした。米ファイザー製ワクチンを2回接種すると、感染で約95%、発症で97%の予防効果があるとイスラエルの研究者らが報告している。WHOによると178の国や地域で報告があった。

 「ベータ型」の発生は20年5月。N501Yに加え、免疫から逃れる「E484K」という変異を持つ。感染力が約5割高く、入院時の死亡リスクが増えた可能性が指摘されている。
 ベータ型が流行したカタールの報告では、ファイザー製ワクチンを2回接種後の感染予め効果は75%としている。重症化予防の効果などの報告はあまりないが、日本感染症学会は「一定の効果はあると考えられる」との見解を示す。

 「ガンマ型」は20年1月にブラジルで発生、ベータ型と同様にN501YとE484Kの変異を持つ。感染力は従来の1.7-2.4倍との報告があり、入院リスクが増した可能性がある。ワクチン接種後の血液の分析から、ワクチンの効果を弱める可能性も指摘されている。


8/7(土)快晴暑い 立秋 飯川病院午後日直+当直
 2:00起床,読書、入浴、5:00草刈り25回目、畑、農道中心。収穫、畑、ダリアの世話など。10:30孫たちと男鹿に出かける家内に同乗飯川病院へ。12:00日直業務、昼検食、微睡。14:00-15:30かつての同僚医師来訪歓談。話の内容にいささか驚く。散水他、読書など。18:00検食、20:30就寝。10588歩。

COVID-19(2021)(28)  病床逼迫地域では中等症以下の人は自宅療養!!!???(2)
 中等症は呼吸不全を起こして酸素投与が必要な場合もあり、入院できなくなるのは医療体制の大幅な後退で「医療崩壊」と言える。五輪、五輪と言ってこのような事態を招いた政府の対応遅れの責任は重大である。

 菅首相は、ワクチン接種が進んだ結果、高齢者の新規感染が減少傾向にあることなどから状況を楽観視していた。感染拡大が著しい東京都も、重症化しにくい若年世代の感染が多いことを理由に、医療逼迫を否定していた。

 にもかかわらず、唐突に入院制限を打ち出さざるを得なかったのは、緊急事態宣言を出しても感染拡大を抑えられず、新たな病床確保も進まなかったため。政府は自宅療養者の健康観察を徹底し、往診する医師を確保することなどを目指す、というが、感染急拡大が続く中で対応やシステム作りが間に合うのか??政府は専門家や自治体などと具体的な対応を協議し、自宅療養者の生命を守るための備えを急がなければならない。

 東京五輪は明日閉幕するが、国民の警戒態勢は五輪強行開催で緩んでしまった。
 夏休み、お盆などで人出や移動が増加すること、変異デルタ株の影響で、従来にない勢いで感染が急拡大することが懸念される。
 専門家らは前から指摘していたが為政者は取り上げなかった。
 感染症や人口問題は疫学的に予想が可能な世界である。後者に関しては50年も前から予想されていたのに政治家たちは無視し、いま頃になって少子高齢化、人口減をどうするか、出生率向上、・・・などと騒いでいる。

 実際に首都圏を中心に新規感染者は過去最多の更新を繰り返している。東京、沖縄の2都県に出ていた緊急事態宣言は2日に首都圏3県と大阪府に拡大された。

 今春の感染第4波の際、大阪府では本来助かる生命を助けられないという医療崩壊が起き、重症者が入院できないまま自宅療養中に亡くなる例が相次いだ。その間も、政府は同様の事態を避けるための努力はしていなかった。
 急増の結果を見て、政府は慌てて入院制限を打ち出した格好だ。

 緊急事態宣言下の6都府県では既に自宅療養者が約3万人に上っている。入院が制限されればさらに増加するのは避けられない。現在も自治体によっては、保健所などによる健康観察は人手が追い付かず、困難を来している。
 自宅療養を進めるのであれば、どのようにして経過観察体制を強化するか、急変時の収容をどうするか、政府は自治体任せにせず、具体策を提示すべき。
 休業補償だけでなく、前向きの医療体制についても予算を振り分けるべきだ。

 首都圏の医療関係者は疲弊している。


 8/6(金)広島原爆投下76年 晴れ暑い 大曲中通病院 飯川病院ボランティア 
 1:05起床,文献・新聞チェックその他。自炊5冊、5:30一般ゴミ提出、7:40Taxi駅東。8:11こまち。大曲市内は暑さのために往復Taxi。9:10大曲中通病院外来、混雑なし。新幹線は若干乗客は増えたか??書店訪問、15:20飯川病院ボランティア。散水など。19:30帰宅、夕食、20:30就寝。歩数8205歩。

COVID-19(2021)(27)  病床逼迫地域では中等症以下の人は自宅療養!
 COVID-19の新規感染者が1万人/日にもなった。東京では4000人 /日である。まだワクチン接種が不十分な状態では、一度このくらいの感染者に達すれば自然の改善は期待できなくなる。

 政府はまず、感染症の専門家らの分析や意見に真摯に耳を傾けること。その上で責任を持って全力で医療逼迫を食い止め、命を守るための対策を最優先させなければならない。

 菅首相は国会で、五輪・パラリンピック開催の前提として「国民の命と健康を守る」ことを挙げた。「守れなければ実施しない」とも明言した。しかしながら、完全に二枚舌。専門家の意見は殆ど取り上げることなく、国民の命を守るべき首相から五輪事業主に変身した。

 感染症の専門家らの分析や意見はちょっと見だけの軽い扱いであった。専門家は完全にコケにされている。感染症の専門家、と言われる人たちはちょっと大人しすぎるのではないか??尾身氏は頑張っているのだろうが表現が紳士的で周りくどく弱腰に見える。

 結果として感染者は五輪前後に急増し、東京ではCOVID-19以外の一般診療を制限する医療機関も出ている。

 4度目の宣言下にある東京の感染状況は深刻だ。都では、既に医療逼迫が始まっている。

 『政府はCOVID-19感染者の急増を受け、病床が逼迫している地域の入院患者を原則重症者などに制限し、中等症以下の人は自宅療養とする方針を決めた』。

 「・・・・あまりにも唐突でないか?」、このニュースを聞いた私の最初の印象はこれであった。専門家会議に諮ったのか??尾身会長は知っていた??日本医師会や地域医師会との協議はなされたのか??そのことが一切見えてこない。

 これまで自宅療養は軽症や無症状の感染者を対象とし、中等症以上は入院が原則だった。重症者の増加に備え病床を確保する狙いだが、「何もやってこなかったのに今更なんで急に・・」と思った。
 ■より強毒性のデルタ株の蔓延ということもあるが、
 ■ここまで楽観論を持ち続け、
 ■ここまで感染者数を増やしたのはどこの誰なのか?
 ■病床確保の対策はこの間進めてきていたのか?
 ■在宅での管理方法に安全を確保する何か工夫を加えたのか??
 ■在宅で重症化した際に速やかに入院に結びつける工夫を加えたのか??
 ■肺炎などの症状がある中等症患者は重症化予備軍で容体が急に悪化する可能性がある。その頻度や早期発見法は?

 ・・・・疑問が残る。


8/5(木)晴れ暑い 飯川病院 健康クリニック結果判定 散髪
1:30起床、新聞データ化と整理。画像データ処理。5:00野菜収穫。9:00散髪、コメダ珈琲店でフラッペ他。暑くて座学、11:50バス飯川病院勤務、微睡。14:00健康クリニック結果判定。入院患者対応、読書。19:30帰宅、夕食、20:30就寝。歩数計積算9164歩。

?COVID-19(2021)(26)  新規感染者が1万人/日
 全国のCOVID-19の感染者数は7月末には9500人を超えて過去最多に、東京都では3千人台に達した。加速する感染拡大に対し、政府は楽観姿勢を改めてほしい。
 東京と同様に過去最多の感染者数となった埼玉、千葉、神奈川の首都圏3県は緊急事態宣言を政府に要請した。4都県で全国の感染者数の約6割を占めている。
 北海道、大阪、沖縄など各地で感染者の増加も顕著。もはや首都圏だけの感染拡大ではない。

 都に発令された4回目の緊急事態宣言の効果は薄い。専門家が7月末に示した五輪期間中の感染は早々に3千人を超えるだろうと指摘されていた。

 年代別に見ればワクチン接種が進んだ65歳以上の新規感染者は少なく、未接種の50代以下が多い。都の担当者は若い世代の重症化リスクの低さを強調して、医療逼迫の状況は生じていないとした。本当か??

 衆院内閣委員会では対策分科会の尾身会長が「医療の逼迫が既に起きている」と強い危機感を示した。これほどの感染者の増加が医療現場に影響が小さいはずはない。
 菅首相は「人の流れは減っている。心配はない」という極めて楽観的な見解だ。ならば感染者増は何から来ているのか?
 国民は首相の言うことなどもはや信じていない。

 都内の繁華街の人出は宣言後にやや減少しているが、夏休みが始まり、五輪の熱戦が繰り広げられる都内では、高揚した気分の広がりもあって人出の抑制はますます困難になっている。

 感染のピークが見通せないまま、お盆の帰省や夏休みの家族旅行シーズンを迎える。
 政府が明確なメッセージを打ち出し、各自治体と連携して強力な対策を取らない限り、この感染急拡大は止められない。

 7月29日新規感染者が1万人/日を超えた。政府は東京都と沖縄県に加え埼玉、千葉、神奈川3県と大阪府にも発令した。期間は8月2日から31日まで。
 感染力の強いデルタ株が猛威を振るい、東京など首都圏や関西圏をはじめ、全国的に感染が再拡大している。

 厚労省の専門家組織は「これまでに経験したことのない感染拡大」と指摘。東京で「このままの状況が続けば助かる命も助からない」と強い危機感を示していた。
 状況が日々急速に悪化する中、スピードが求められるのが感染症対策だ。政府にはあまりにも危機感が足りない。

 首都圏3県は4連休明けの7月26日に要請するはずだった。だが政府が難色を示した。五輪への影響を回避しようと発令を渋った??

 最も厳しい対策を取るべき宣言下、五輪開催に踏み切ったことが矛盾したメッセージとなり、気の緩みをもたらしている可能性もある。今必要なのは社会全体が危機感を共有することだ。希望者全てにワクチンが行き渡るのを待っていては、目の前の急速な感染再拡大を抑え込むのは難しい。


8/4(水)晴れ暑 歯科受診 午後飯川病院 COVID-19予防注射担当外来
 1:00起床,新聞・録音のデータ整理中心。読書データ整理、9:00収穫、胡瓜、トマト、ナス豊作。自炊3冊。9:30Taxi佐々木歯科医院、定期メインテナンス。虫歯一本もなしと評価。書店訪問12:20飯川病院、昼食検食、14:00-15:30 COVID-19ワクチン接種担当、外来入院患者対応。散水、肥料追加。19:30帰宅、夕食。20:30就眠。歩数計積算7764歩。

秋田の盛夏 今年は例年以上に暑い 健康管理に留意を
 暑い日が続く。畑の野菜達も総じて元気がない。私が育てているダリアの育ちも悪いし、花もまだ旬ではない。
 7月後半からは私は暑さ対策として外仕事、散水、収穫などは5時台に始めてしまう。それでも暑くて長時間は無理である。

 気象庁は2日、7月の天候まとめを発表した。本県では12測定地点で観測史上最高を記録した。大潟村では2.9度秋田市では2.6度高かった。本県を含む東北北部が梅雨明けしたのは7月16日で平均より12日も早かった。

 今年は特に熱中症多発が心配である。体温の調整機能が低下、あるいは未発達な高齢者や乳幼児は特に注意が必要。喉の渇きや体温の上昇を自覚しないまま危険な状態に陥る可能性もある。家族や地域の人々の目配りも必要。

 県内は7月後半から最高気温30度C以上の真夏日が続く。7月19日-25日の1週間に113人が熱中症の疑いで搬送された。真夏日が少なかった昨年7月と比べると2倍近い。全体の7割が65歳以上の高齢者で、このうち90代と80代の3人が死亡した。高齢者がいかに酷暑に弱いか、明確である。

 乳幼児の搬送は比較的少ないが、県外では死亡例も出ている。
 福岡県では保育園児5歳が送迎バス内に長時間取り残されて死亡。千葉県では母親が車内に残した1歳児が亡くなった。
 真夏の車内は短時間で温度が急上昇するので危険。JAFによれば、外気温35度Cで15分ほどで車内は40度に達する。眠っているとか、短時間だからと車内に残してはいけない。親がすぐに戻れないこともある。パチンコに興じて忘れていた、などの事象は聞くに耐えない。

 熱中症リスクは気温だけでなく、湿度、日射、風なども影響する。国際指標「暑さ指数」が毎日、環境省の熱中症予防情報サイトで公表されている。指数が一定値を超えると予想される場合、前日や当日の早朝に「熱中症警戒アラート」を発令している。県内では7月21日に初めてアラートが出たが、湯沢市の畑で90代男性が倒れ死亡した。高齢者は自分の感覚に頼る傾向があり危険である。謙虚に参考にすべきである。
 
 過去5年間に県内の熱中症による救急搬送数は8月が多い傾向にある。ここ数日を見ても今夏も意識する必要があるだろう。
 喉が渇いていなくても1時間にコップ1杯程度の水分を補給し、涼しい場所で休憩するように心掛けたい。大量の汗をかいた際は塩分も忘れずに取ろう。

 屋外だけでなく屋内で発症する場合もある。エアコンだけでなく、扇風機を使い、生体に備わっている温度調節機構も最大限利用したいものである。

 今夏も昨年に続き熱中症対策とCOVID-19感染予防が求められる。マスクは熱中症のリスクを高める。秋田ではまだ感染はそれほど心配はない。屋外で人との距離が2m以上離れているときなどはマスクは不要である。


8/3(火)快晴暑い 34度C? 外来 飯川病院  COVID-19予防注射担当外来
1:20起床,いつもの如く、新聞入力、自炊3冊。5:00可燃ゴミ廃棄。散水、収穫。6:45バス飯川病院。8:45-13:30外来、疲弊。14:00飯川病院、18:45まで勤務。COVID-19予防注射担当外来。19:15帰宅、夕食。20:30就眠。歩数計10654歩。竿灯なく市内平穏。

暑さ対策=エアコンではない 扇風機も併用し体温調節機能を有効に働かそう(2)
 汗を分泌する汗腺には、エクリン腺とアポクリン腺の2種類がある。体温調節に関与しているのはエクリン腺でほぼ全身にあり、環境、体調によって大量の汗を出す。一方、アポクリン腺は腋窩や陰部にあり、出す汗の量は体温を下げるほど多くはない。アポクリン腺から出る汗は皮膚面の細菌によって匂いが作られ、異性を惹き付けるのに有用と考えられている。中には香しい体臭を持つ女性がいるという。会ってみたいものである。会うだけでは嗅げないか??

 エクリン腺は、生まれたときは未発達で、徐々に汗を分泌するようになる。エクリン腺の数は生後2歳半くらいまでに決まり、大人になっても変わらない。また、エクリン腺の数は、幼児期に過ごした環境の影響を受けるといわれ、熱帯地方で育つと多くなり、寒冷地方で育つと少なくなる。だから、エアコンなどで過保護に育てるとエクリン腺の発達が未熟に終わる。確かに、最近の小児は体温調節能が悪く、環境の影響を受けやすい、とされる。要するに恒温動物から爬虫類等の変温動物にやや近くなっている。

 エクリン腺の機能は、環境で高まり、汗をかきやすくなる。これを暑熱順応といい、季節によっても変化する季節順応という現象もある。発汗機能はこれらに大きく関与する。
 日本のように四季がはっきりしている場合、寒冷から暑さまで約半年かけて生体が順応するようにできている。だから、あまりに安易に暖房や冷房を用いることによって季節順応能が劣化する。暑くても寒くてもある程度は自然の移ろいに任せる方が健康のためにはいい。

 発汗機能には性差もあり男性のほうが汗かきである。女性は卵胞ホルモンが増加する初経ごろから発汗量が少なくなり、閉経後男性と変わらなくなる。更年期障害の一症状として多汗などの愁訴が増えるがこのためとされる。

 一方、高齢になると発汗の機能が低下して体温調節能が低下する。だから熱中症になりやすい。
 だから高齢者は特段の注意が必要である。
――――――――――――――――――――――――――――
 ■水分摂取。生活で飲み物からとるべき水分量の目安は1日約1.2リットル。1時間おきにコップ1杯の水を飲むイメージで暮らす。スポーツドリンクを水で薄めたもので塩分も補給する。
 ■エアコンだけでなく扇風機を併用するのがいい。
 ■温度や湿度の調節を自分の感覚だけに頼らない。温度計や湿度計をみて、意識的に冷房や服装を調節するようにする。
 ■室内での運動や屋外での軽い散歩を欠かさない。体の外に熱を逃す能力は、運動習慣で改善する。
 ■酷暑では倦怠感があって動きたくなくなるが、そんな時は無理しないで横になる。骨格筋の弛緩によって熱の産生を抑えることになる。
 ■マスクは呼吸による排熱を妨げる。人が少ない外などではマスクをする必要がないから外せばいい。


8/2(月)晴れ暑い 健康クリニックドック 飯川病院 
 1:00飯川病院で起床,新聞・文献チェック他。9:00-11:30健康クリニック。14人、結果判定13名、11:45飯川病院に。読書、データ整理。微睡。昼の検食手違いでなし、弥た高で。14:00-18:30勤務。本読。撒水。19:15帰宅、夕食、21:00就寝。歩数計積算6207歩。

暑さ対策=エアコンではない 扇風機も併用し体温調節機能を有効に働かそう(1)
 汗をかくのは不快だし臭いも気になるが、発汗は生体に備わっている体温を一定に保つ重要な機能なのだから、熱暑を乗り切るのに上手に利用したいものである。しかしながら、メディアでは適正に冷房を、エアコンを用いることばかりが強調されている。

 人間は気温の高い環境下や運動で汗をかく。それは、体温の異常な上昇は生命に直結する危険があるからで、体、特に熱に弱い脳を冷やすための重要な機能である。そのために脳の近くに体の温度調節に関与する内分泌器官の甲状腺という臓器が置かれている。

 汗をかくと体が冷えるのは、汗が蒸発するときに気化熱で体表や皮膚を冷やすからである。体重約70kgの人が100m?の汗をかくと、体温が 1°C上昇するのを抑えるといわれる。これは我々が生きるためにとても重要な防御機構である。
 体温を一定に保つための汗は「温熱性発汗」という。他にも、「精神性発汗」、「味覚性発汗」がるが、後2者の発汗量は少なく体温調節機能はない。
 発汗は他の動物にはみられない人間特有の体温調節機能である。これは、ヒトが、体温調節をするために発汗機能を発達させたためである。例えばネコやイヌは全身に汗をかかず、 肉球など体の一部に少し汗をかくだけ。そのため発汗ではなく、頻呼吸で鼻の奥の海綿静脈洞を冷やす。脳にいく動脈はこの網目状になった海綿静脈洞を通るため、血液は十分に冷やされて脳に届く。もし、ネコが暑くて汗をかいていたら気持ち悪くて抱っこできない。

 馬はやはり発汗により体温調節を行っているらしいが、私はヒトを対象に診る医師なので馬のことはよく分からない。詳細は不明である。

 ヒトはどのようなメカニズムで、汗をかくのか。
 温熱性発汗の場合、大脳にある視床下部が体温の上昇を感知し 「 汗を出して体温を下げよ」という指示を出す。その指示を受けて全身に分布している交感神経の末端からアセチルコリンという神経伝達物質が分泌される。このアセチルコリンが皮膚にある汗腺にくっつくと、汗腺は汗をつくり分泌する。

 興味深いことに、通常、交感神経の末端から出る物質はノルアドレナリンで、発汗の場合だけアセチルコリンが分泌される。ノルアドレナリンは血管収縮作用で汗を止める。このように私たちの体は絶妙な体温調節の機構を持っている。

 だから、この発汗機構を夏を乗り切るのに用いないのは不自然であり、安易にエアコンを用いることは発汗機構を狂わせることにもなる。
 エアコンが中心になると電力も足りなくなる。
 発汗機構と扇風機を上手に用いれば節電のためにも健康管理のためにもより有用である。


8/1(日)快晴一時小雨暑い 飯川病院日当直 外来レセプト点検
 1:00飯川病院起床、読書、新聞、画像データ整理など。竿灯中止で市内は平穏。8:42バス飯川病院、9:05日当直業務、午前は微睡などゆっくり、入院患者対応。12:00検食。13:30-14:30外来レセプト点検、散水。読書、18:00検食、20:00就寝。歩数計5811歩。

?電力不足の可能性 今夏及び今冬に予想されているが
 今年の夏と冬に電力が不足する可能性がある、という。
 電力の需給逼迫は今年1月にも起きた。
 経産省や電力業界は当面の供給は勿論のこと、中長期的に需給を安定させる策を講じる必要がある。

 今夏について予告は出ていたが現実にどうなっているのか、最近の事情の報告はないようである。熱暑を迎えていてメディアでは冷房を適正に使って熱中症を予防してほしいというが、エネルギー事情は大丈夫ということか??
 来年1-2月はより深刻になる予想で、厳寒厳冬になれば、東京電力管内では、北海道や東北から容量ギリギリに給電してもらっても0.3-0.2%の不足に陥る可能性がある、という。沖縄を除く西日本も3%ぎりぎりを見込んでいる。

 電力を安定的に供給するには、需要を3%以上の供給余力が必要とされる。東北から九州の地域で7月の予想は3.7%だった。

 供給量低下の原因は、太陽光の増加で稼働率が下がった古い火力発電所を大手電力が休廃止したことが大きい。

 このため経産省は、以下の方針を明らかにしている。
―――――――――――――――――――――――――――――-
 ■冬に予定される発電所の補修時期をずらしてもらう
 ■休止中の火力の再稼働を求めることも検討する
 ■余力が3%を切ることが予測されたときに出す「需給逼迫警報」の前段として「警戒モード」を新設し、節電に向けた早めの準備を呼びかける体制もとる。
 ■次年度以降、火力発電の休廃止を事前届け出制にするなどして、需給に大きな影響を与える場合は実施を一時見合わせてもらうしくみを検討する
―――――――――――――――――――――――――――――-

 しかしながら、脱炭素社会に向かうには、以下の方針も求められる。
―――――――――――――――――――――――――――――-

 ■大量の二酸化炭素放出する古い火力は続けられない。
 ■原発も、抱えるリスクの大きさや国民の不信、放射性廃棄物の問題を考えれば、当てにするわけにはいかない。
 ■再エネの拡大を急ぐべき。太陽光だけでなく、風力や地熱などをバランスよく組み合わせる。
―――――――――――――――――――――――――――――-

 年初の逼迫の教訓も生かし、今回は早めに不足の可能性と対策が示された。
 しかしながら、社会的に危機感を感じられない。

 発電量には上限がある。ならば、電気を使う消費者や企業も、生命や健康確保、経済活動に不可欠な分野以外では節電に努めるべきである。
 都会の夜の状況を見ても相変わらず明るい。とても節電に努めているようには見えない。


7/31(土) 快晴暑い 
 1:00起床。いつものごとく。時間があると油断して朝の涼しい時間に外仕事を開始する機会を失った。午前は読書、作文、医学文献読みなど。午後は微睡、iPad、iPhoneにOCR関連の便利なソフト導入を検討。16:00収穫、散水ほか。19:00夕食、20:45就寝。歩数計積算9398歩。

本 吉村昭 「海の鼠」 新潮社 1973年  COVID-19対策と重なる地域社会の大混乱
 本作は吉村昭著「魚影の群れ」に収録されている短編の一つ。
 ねずみ騒動は実際に起こった事件である。Wikipediaを参照しながら抄述すると、騒動は1949年-63年頃まで続いた、宇和海の島嶼部及び海岸部で起こったネズミの大量発生に伴う農作物や海産物等への被害、人的被害が生じた。翌1950年には日振島に、1954年には三浦半島、1960年には南宇和郡、北宇和郡津島町まで騒動は拡大した。
  島民にとってこの地は平地が乏しく生活用水も不足するなど厳しい生活環境であったが、ネズミにとっては天敵がおらず、温暖で環境が適し、いわしの煮干や甘藷、麦などの農作物、食料が
潤沢にあることで、他の地区から海を渡り、集団移転し定着したもの。7年後には120万匹に達したと思われた。

 ネズミによる具体的被害は
――――――――――――――――――――――――――――――
(1)甘藷、麦、トウモロコシ、大豆、小豆など。
(2)いわしの煮干などの水産加工物。
(3)家屋や家具の被害。
(4)幼児がかじられるなど人身被害。
(5)島民の安眠妨害など
――――――――――――――――――――――――――――――
 導入した駆除方法
(1)薬剤:黄燐製剤、デスモア、フラトールなど。
(2)器具:パチンコ式捕獲器、弓張式竹罠、鼠捕網
(3)天敵導入による駆除:青大将191匹、イタチ 156頭、猫4392匹導入
(4)ネズミの尾を一本5円で買い上げる等の捕鼠奨励制度
(5)栗のいがを鼠の穴に詰める、清掃など
しかしどの方策も、決定的な解決には結びつかなかった。
――――――――――――――――――――――――――――――
 終息
(1)1963年頃より、不漁によるいわしの煮干製造の廃業、
(2)若者の村外流出による段々畑の耕作放棄など
(3)畑作の減少などで餌が乏しくなり生息環境が劣化し、ネズミの生息数は徐々に減少していった。
――――――――――――――――――――――――――――――

 私はこのネズミ大発生事件をこの作品を読むまで不勉強にして知らなかった。
 折しも、今世界は、日本もCOVID-19の蔓延の最中にある。COVID-19と同様に、降って湧いたようにネズミの大群が島を襲い、定着し、住民の生活を大混乱におとしめた。
 島の住民達は郡や県、国に働きかけると共に、学者の意見を参考に上記のごとくの対策を行った。その多くは導入直後だけはそれなりに効果があったが、ネズミが慣れるのか効果は持続しなかった。
 結局は10年以上もこの被害は持続したが、やがて島の住民達の高齢化、過疎化で住民の経済活動も衰退し、ネズミ達も餌が確保できなくなり、自然と消滅していった。ネズミが生存環境が悪くなった島を放棄した、と考えられた。

 作家吉村昭氏はこのネズミ大量発生により被った島民の被害状況に注目し、島民の生活ぶりや被害状況を生々しくし描出している。氏はかなり抑制的にネズミと人間の関係を描写しているが、ネズミ嫌いの人は到底読めないだろうほどの迫力で描写している。
 多くは引用できないが、
 「海岸の岩石や砂浜が、一斉に動いている!!」
 「上方の斜面は、静止しているのに磯だけがかなり長い距離にわたってゆらいでいる!!」
 「黒々と動くのは岩や砂礫ではなく、おびただしい生き物の群れらしい!! 」
 「それは、重なるようにひしめきながら磯づたいに西から東へと移動している!!」
 「・・・・・・!!」

 ネズミの出現を最初に気づいた漁民の驚きを描いた数行であるが、事の重大さと、その後に起こるだろうネズミとの闘いの困難さを見事に予告している。
 吉村氏は入念な調査を重ね、この稀な騒動をわかりやすくまとめ提示した。
 
 私は座して読ませていただいたが、驚きと感謝の念で一杯である。


7/30(金)晴れ暑い夕方降雨 大曲中通病院 飯川病院ボランティア
 1:00起床。いつものごとく。4:00可燃ゴミ提出、収穫、散水ほか。7:35Taxi駅東口に。8:11こまち。往路徒歩、9:10大曲中通病院外来、帰路時間なく徒歩不可。書店訪問、15:30飯川病院、ボランティア、19:30通町書店経由帰宅、夕食、20:45就寝。歩数計積算9630歩。

ガレージの天井にスズメバチの巣 芸術的な形、色彩
 我が家のガレージの天井にスズメバチの巣が作られていた。恐らくキイロスズメバチと思われる。キイロスズメバチは屋根裏、軒下などいたるところに巣を作る。巣の形は個性があって微妙に違うが、基本的にはどれも球体やとっくりのような形をしている。
 
 スズメバチは、4月くらいから活動をはじめ、5〜6月あたりにとっくりを逆さにしたような巣を作り始め、7月くらいに丸い形状に変化していく。


 9月以降には直径が1mを超えることもある。その巨大なサイズの巣は子供の頃に田舎の物置の天井に作られていたのを見たことがある。

 スズメバチの巣の駆除は、危険度が高く、最悪の場合には死亡事故にもつながってしまう。だから基本的には駆除業者に依頼すべきと言われている。ただ、知識がある人が15cm程度までの小さな巣に対し重装備のガードをした上で慎重におこなうのであれば不可能ではない。

 私はなんでも自分でやってみる方である。サイズも形もちょうどよくて自分で駆除しようと心の準備していたのであるが、家内が病院の事務を通じて駆除業者に連絡したらしく2-3日後にはなくなっていた。一件落着となったが惜しかった、ちょっとがっかりした。
 病院では排気ダクトの中に作られた巣の駆除をしてもらったばかりと言うので、事務も業者も対応は早かった。しかも、病院では3万円ほどであったというが、我が家の場合は2回目の依頼にあたるので通常の半額で1万円だったという。病院とは別口の個人的注文なのに、と思ったがサービスしてくれた、と思うことにした。

 この蜂の巣を見たときに私は観光地にある熱気球を連想した。そっくりだったからである。


7/29(木)快晴夕方雷雨 午後飯川病院勤務 
 1:30起床、新聞・書籍データ化整理などいつもと同じ。自炊4冊。8:00収穫、ダリアの簀巻きを解放。9:30カウンター室の天井のブラインド、プチにやられたのを修理、再発防止まで。座学多少、11:50バス飯川病院、微睡読書ほか、14:00勤務、患者対応なし。読書、散水ほか。19:30帰宅夕食、20:30就寝、歩数計積算8381歩。

東京五輪・パラリンピック2021(25) まさか私が生きて五輪を迎えるとは!!
 石原都知事が2005年夏から運動を始め、2011年6月に招致の意思表明、2016年開催の候補地選考では最下位で落選。私は落選して当然と喜んだのだが、再び立候補し、2013年9月ブエノスアイレスでのIOC総会で20年夏季五輪開催都市を東京と決定し、私は落胆した。

 私は五輪に関心はない。
 1964年の東京五輪は受験期で、仙台で予備校に通っていてそれどころではなかった。画像で見たのは翌年夏、大村崑監督による記録映画を新潟の映画館で初めて見て感激した。この画像はさらに10数年後レーザーディスクで購入、じっくり楽しんだ。「東洋の魔女」の異名をとつた日紡貝塚バレーチーム、「マラソン銅メダリスト」の円谷選手をどうしても思い浮かべる。チェコのチャスラフスカの美技も素晴らしかった。
 
 しかし、それ以降、五輪は徐々に変質、理念から徐々に遠くなり、私は次第に興味を失ってしまった。

 だから、2013年9月、IOC総会で20年夏季五輪開催都市が東京と決定し、私は落胆した。「どうせ私には関係のないこと」と思ったのを思い出す。
 私はそのころの数年間、自分の不注意もあったが、体調を崩し、いろいろ健康上の不調が続いていた。

 「アキレス腱断裂手術」、「膀胱頚部硬化症手術」、「肺がんを疑われて経過観察」、「自転車同士の衝突による外傷」、「腸閉塞発症し腹腔鏡手術」、「脳梗塞発症」、「鼠径ヘルニア悪化と手術」・・・などなどである。その当時、「自分は長くは生きられないだろう・・」と考え終活を強力に進めていた。長く納めた年金も「少しでも回収しなければ損・・・」と考え、受領の手続きもした。

 2013年の徒然日記を見直した。
 今から思えば、そのころ私は若干下向きの姿勢で生きていたのだろう。70歳を迎える前であったが、7年後の2020年の東京五輪を生きて迎えることなど考え難かった。

 外来で70-80歳の高齢者10数名に五輪について聞いたところ、ほとんどが「東京に決まって嬉しい。7年後の五輪を楽しみに、その時までは元気に生きていたい・・」と明るくのたまわったのには驚いたものである。
 その時に答えてくれた高齢者の半数ほどは五輪を迎えることなく亡くなられたが、可能性が低いと諦めていた私が体調も改善し、8年後の今も生きて五輪を迎えているのは幸運だったと喜ぶべきであろう。

 今回の五輪についてはCOVID-19の蔓延の下での開催については政治的に、医学的に興味は尽きないが、競技自体は新聞記事で結果に若干触れるだけである。
 
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 1964年の東京五輪は日本に転機をもたらした。それは明らかである。しかしながらもうその価値は失われている。
 2005年夏、それでも多くの日本人は2回目の東京誘致を支持した。五輪神話は熱病のようにメディアで再演され、呪文として機能する。
 平成の停滞ムードの中で国民は、過去の五輪の再演によって輝かしい時代を招来しようとした。しかしながら、それは幻想であった。
  
 1964年当時の日本は工業化途上の貧しい国だった。その時代だから価値があった。
 沖縄からスタートした聖火リレーは全国を周りナショナリズムの高揚に役立った。当時日米はその関係において転機を迎えていた。1972年沖縄はわが国に返還された。 

 一方、国内では繊維産業には膨大な女子工員がいて多数の強豪チームが誕生したが、背景には労使関係の問題があり、「東洋の魔女」の輝かしい栄光は、不満のガス抜きの作用を果たしてしまった。
 円谷選手は福島の貧しい農家の末つ子、口減らしのために自衛隊に入った。彼は親譲りの律儀な性格を有しており、組織の期待とプレッシャーに耐えかね自死した。


7/28(水)晴れ降雨 飯川病院 COVID-19ワクチン接種担当
0:20飯川病院起床、文献新聞整理。徒然ほか。7:00検食、読書、9:30書店訪問後自宅に。台風8号宮城に上陸秋田を横断し熱帯低気圧に、風少ないが降雨、緊張したが助かった。ダリアの風対策作業若干追加。13:30バス飯川病院、14:00COVID-19ワクチン接種担当、入院外来患者対応、散水、微睡。19:30帰宅夕食。20:30就寝。歩数計6067歩。

東京五輪・パラリンピック2021(24) 傷だらけの五輪(6) 開催後の状況は悲惨
 傷だらけの五輪が開幕した。
 今まで沈黙を保っていたアスリート達は堰を切ったようにはつらつとプレイしている。この面だけとれば開催も是となるが、それに至るまでの非科学的な判断は責められなければなるまい。

 東京のCOVID-19感染者数はいまだにうなぎのぼり。しかも、変異株が隆盛、若者が感染者の大半を占めている。
 対コロナ対策として人類が成し得ていることは3蜜の回避とワクチンだけ。都会の社会的文化、人々の生活は3蜜によってもたらされているのだから、現実には予防は困難である。

 マスク、フェイスシールド、アクリル板・ビニールカーテンの遮蔽の効果は微々たるもの。治療薬はまだまだ有効なものはない。
 唯一の朗報はワクチン。その中で、中国製、ロシア製のワクチンの効果には疑問があるようだ。もともと両国の統計は初めから信頼性が低いから驚きはない。

 ファイザーを代表とする欧米製のワクチンは変雄株にも80数%の効果があるとされる。

 だから今のところ3蜜回避とワクチンしかない。
 ところが、五輪開会後東京は3蜜回避どころか人流はますます増えている・

 現在、都内の新規感染者数は3千人超となった。今後はうなぎのぼりに感染者が増えていく。これは専門家の多くが指摘していることである。関係者は危機感をあらわにする。

 都内の某病院では都の要請で4月にコロナ病床数を8床まで増やしたが、既に半数が埋まった。看護部長からは「これ以上増やせば人繰りは難しい」と報告を受けている、という。入院患者が8人を超えると外科系の医師が応援に入ることに。そうなれば通常診旗の制限につながってしまう。この例でもわかるように、COVID-19入院患者が増えるとあらゆる医療が影響を受けてしまう。第4波の大阪府のように、必要な医療を受けられずで亡くなるケースが相次ぐといった医療崩壊も現実味を帯びる。

 国や体も手をこまねいていたわけではない。労働省は3月、第3波や変異株を考慮して病床確保計画を見直すよう都道府県に要請、全国の保病床数を約3万床から約3万7千床まで増やした。東京でも千以上増の約6400床(7月2日時点)を確保した。しかし人手が足りない。

 五輪前後からの都民の感染急増に対して、IOCバッハ会長、菅首相とも五輪は関係ないとコメントしている。

 政府対策分科会・尾身会長は最も重要な危機に直面していると指摘している。尾身会長はかなり遠慮がちに政府の対応を責めているが、首相には危機感が伝わっていない。

 さて、総裁選挙が話題になりつつある。菅首相は続投の考えだが、その動きについても注目せざるを得ない。ただ、代わる後継者が見えてこない。


7/27(火)快晴暑い 中通病院外来 飯川病院+当直 COVID-19予防注射
1:00起床,文献整理。本読み。雑誌データ化。4:30可燃ごみ提出。台風8号接近に備えダリア花部分固定、収穫。6:47バス飯川病院。8:45-12:50外来。13:15飯川病院、14:00-18:45勤務、COVID-19予防注射、終了後微睡。17:00当直業務、18:00検食、20:00就寝。積算9510歩。

東京五輪・パラリンピック2021(23) 傷だらけの五輪(5) 相次ぐ辞任劇
  傷だらけの五輪が開幕した。

 (3)JOC竹田恒和前会長が贈賄に関与??
 東京大会の招致委員会がシンガポールのコンサル会社に振り込んだ約4億4222万円をめぐって、当時の竹田理事長が贈賄の疑いで捜査対象になった。フランス司法当局が捜査を始めたらしい。不正の疑惑はJOCが設置した外部調査チームは違法性はないと結論付けていた。これも根拠不明。
 竹田氏は疑惑によって追い込まれる形で、任期満了時に退任した。部外者には何がなんだかよくわからない経過である。

 (4)マラソンの札幌移転(2019年)
 マラソンと競歩の会場が札幌に変更された。暑さを問題視したIOCが会場変更計画を発表、小池都知事は「突然の変更に驚きを感じる」と不満を露わにした。7月開催を決めたのはTV放映をめぐるIOCの都合だった。
 その後の協議で、会場変更に伴う費用は東京都に負担させないことや、今後他の競技の会場変更はしないことなどを条件に、小池知事はIOCの決定を容認。「合意なき決定です」と述べた。これも不可解。

 ■新型コロナで1年延期(2019年5月)
 COVID-19感染拡大の影響で、オリパラ史上初延期とされた。安倍・バッハ会談で決定したが決定の根拠不明。この時日本の感染者は二千人台。日本や世界規模の感染拡大から開催を望まない声が相次いだ。カナダのオリンピック・パラリンピック委員会は選手団を派遣しないと発表した。
 その後もCOVID-19は終息せず、全国の感染者は88万人に。2021年5月海外観客の受け入れを断念、9月に首都圏や福島などでの無観客開催が決定。これまでに東京に4回の緊急事態宣言が発令されたが、五輪開催ありきの宣言ではないかと批判が集まっている。

 ■森前会長の女性蔑視発言で辞任(21年2月)
 組織委の森喜朗前会長の女性蔑視発言は、記憶に新しい。
 2021年4月のIOC評議員会で「女性がたくさんいる会議は長くなる」と発言し、批判や辞任を求める声が相次いだ。85人の評議員中女性が3人だけという格差も問題視された。
 森氏は記者会見で発言を謝罪・撤回したが、進退や蔑視発言について追及する記者に対して声を荒げ、さらなる批判を浴び、森氏は会長を辞任した。
 さらに、後任選びでは、引責辞任する森氏の一存で、選手村の川淵三郎村長に会長就任を打診した。氏が組織委を勝手に牛耳っていた体制が問題視された。 後任には橋本聖子氏が就任した。

 ■容姿を侮辱する企画提案で開会式の統括者佐々木宏氏が辞任(2021年3月)
 開会式演出の総合統括だった佐々木宏氏が、お笑いタレント渡辺直美さんの容姿を侮辱するような演出を提案していたことが発覚。氏は組織委を通じて謝罪し、辞意を表明した。

 ■開会式の楽曲担当当小山田圭吾氏「いじめ加害」告白の過去で辞任(21年7月)
 開会式の楽曲担当小山田圭吾氏が小中学校時代に「いじめの加害者だった」と告白する過去の雑誌インタビューが掘り返された。発言への批判が炎上し、氏は辞任を申し出た。問題のインタビューの聞き手だった「ロッキング・オン・ジャパン」編集長も声明で謝罪。自身の取材姿勢や掲載判断について「いじめという問題に対しての倫理観や真摯さに欠ける間違った行為」と振り返った。
 また、同じく小山田氏がいじめに参加していたことを語っていた「クイック・ジャパ ン」を発行する太田出版も謝罪した。

 まだまだあるがこの辺で。


7/ 26(月) 快晴  健康クリニックドック 飯川病院
1:20起床。文献処理他録音データ整理。6:47バス飯川病院、9:00~11:45健康クリニックドック14名+結果判定15名、結果説明1名。12:00飯川病院、本読み微睡、14:00~19:00飯川病院勤務、19:30帰宅、お夕食、21:00就寝。歩数8227歩。

?東京五輪・パラリンピック2021(22) 傷だらけの五輪(4) 2千人で延期、88万人で開催の奇
 東京五輪が開幕した。
 石原慎太郎都知事が2011年6月に招致の意思表明したが根拠不明。スタンドプレイだったのでは?? 9月には招致委員会が発足し、招致活動が始まった。2016年開催の候補地へは最下位で落選。落選して私は当然と喜んだのだが、再び立候補し2020年の開催地に選ばれ、私は落胆した。

 それ以降、ここに至るまで傷だらけの五輪であった。細々したのを挙げればキリがないが、最大の傷はCOVID-19感染蔓延下の強行開催であろう。
 以下が代表的問題点。
――――――――――――――――――――――――――――――――-
 ■昨年1月から国内でもCOVID-19感染者が増え、安倍・バッハ会談で3月に大会の1年延期を決定した。これも根拠不明。当時、感染者は国内総数で2015人、東京で202人であった。今思えば延期する必要はなかったけれど、悔やんでもダメである。
 ■COVID-19感染蔓延下の強行開催。開会日付近では感染者は国内で88万3000人、東京で17万3000人に達した。これは大きな誤算。
 ■安倍首相(当時)は、福島原発事故状況は「アンダーコントロール」 と発言し、物議を醸した。これも小さいが傷。
 ■組織委員会、森氏を会長にしたことも小さいが傷。東京五輪と震災復興(2) 森元首相をトップに据えたオールドジャパン体制が問題
 ■国立競技場建設案の白紙撤回 東京五輪と震災復興(1) 新国立競技場建設問題
 ■エンブレム盗作疑惑
 ■日本オリンピック委員会会長の贈賄疑惑
 ■森会長の女性蔑視発言 東京五輪・パラリン組織委員会森会長の発言(2) 老害そのもの
 ■容姿を侮辱する開会式の企画案
 ■開会式の楽曲担当「いじめ加害」告白の過去
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 (1)国立競技場の建設計画の白紙撤回。
 約3522億円程度の予算で建て替えられる予定だったが、コンペで選ばれたザハ・ハディド氏のデザイン案は 5222億円以上かかることが判明した。ハディド氏の案を白紙にした上で、3822億円規模のコンパクト案を練り直した。
 だが、資材費や労務費の高騰などから、4742億円にまで膨れ上がった。
 結果論であるが、国立競技場はCOVID-19で観客を迎え入れることができなくなった。

 (2)大会エンブレムのデザイン盗作疑惑。
 組織委が採用した佐野研二郎氏のデザインに対して、ベルギー・リエージュ劇場のロゴと似ていると制作者から指摘があった。 佐野氏は記者会見でも「全くの事実無根」と盗作疑惑を否定した。その後、佐野氏が応募時に提出した原案が「ヤン・チヒョルト展」のロゴと似ていると別の指摘が寄せられ、エンブレム展開案での画像の無断使用も明らかになった。佐野氏から取り下げの提案があり、新たに公募した。 組織委は記者会見で、盗用はなかったという見解を示したが根拠不明。


7/25(日)  快晴32度予想 
0:00飯川病院で起床、書類、読書、徒然などいつもの如く。散水、午前暑くて外仕事無理、書店訪問。11:45帰宅。午後、暑くて外仕事には向かない。微睡、網戸修理など、書斎整理、新聞チェック、データ整理、本読みなど。17:00散水、収穫ほか。19:00夕食、21:00就寝。歩数5588歩。

東京五輪・パラリンピック2021(21) 傷だらけの五輪(3) 根拠なかった1年延期
 緊急事態宣言発令に伴いほとんどの会場は無観客になった。自宅でテレビ観戦し外出の機会を減らすことは、感染を避ける上で有意義だろう。一人一人がいま一度、感染防止策を徹底し、危機を乗り越えたい・・・。
 しかし、今まで1年以上も言い続けられているからもう飽きた、聞きたくない。

 1964年以来、57年ぶり2度目の東京五輪。COVID-19の感染再拡大で、開催都市の東京では4度目の緊急事態宣言が発令中。その中で、史上最多の33競技が10都道県で行われるが、ほとんどの会場が無観客となり、前代未聞の五輪となった。

 昨年3月にCOVID-19は国内で2015人、東京で202人に達し、安倍首相とバッハ会長の間で大会の1年延期しCOVID-19感染対策を徹底する事が決まった。
 新型肺炎(21) 国際協調(3) 東京五輪、私は2年延期がいいと思う

 この間、COVID-19感染者は国内で88万3000人、東京で17万3000人に達した。
 この1年間、COVID-19の世界的大流行下で選手、関係者は開催されるのかと不安を感じ、大会に出場してもいいのかと苦しんできたに違いない。

 だが、開幕た今、主役は選手。練習の成果を思う存分に発揮してほしい。流れてくるニュースはアスリートたちの溌剌とした活躍である。それは救いだが、五輪に関する我が国の判断を全て是、としてはならない。

 懸念されるのは感染対策だ。選手らの行動範囲は制限され、外部との接触を遮断する「バブル方式」を採用しているが、選手村では陽性反応者が続出し、ほころびが出ている。選手村は最大1万8千人が宿泊できる大型施設だ。深刻なクラスターが発生した場合は、大会の打ち切りをも想定しなければならない。

 当初の開催理念は「復興五輪」だった。延期が決まってからは「人類がCOVID-19に打ち勝った証し」と意義を強調したが、結局「世界中が感染に苦しんでいる中での非科学的政治判断のゴリ押し開催」になってしまった。IOCの経済問題、JOCの無能さ、日本政府のメンツが前面に出ただけ。

 菅首相は「安全・安心」と繰り返すが、根拠はない。この状況ではもはや安全も安心もできない。開催することだけが目的になっている。

 招致段階での大会経費は7340億円。昨年12月の段階で延期に伴う追加経費が加わり、1兆6440億円に膨らんだ。道路整備などの大会関連経費を含めると、総コストは3兆円超になるとみられる。

 さまざまなトラブルが続いた。国立競技場の建設計画、エンブレムの白紙撤回、マラソンと競歩の突然の札幌開催決定、大会組織委員会の森喜朗前会長による女性蔑視発言など挙げればきりがない。開幕直前に開閉会式の演出統括役が解任、開会式の楽曲制作担当が辞任という異常事態になった。

 コロナ禍での開催は非科学的な政治的な判断。
 「国民不在」の世界最大のスポーツ大会が始まった。


7/24(土) 快晴暑い 飯川病院午後日直+当直 
1:00起床、新聞や文献読み、いつものごとく。7:00日光と暑さを避けて外仕事に。草刈り24回目、庭の残り部分と畑。今回で何クール目か終了、ちょっと安堵できる。散水、キウリ、茄子収穫、庭掃除など。歳だね、暑くてダウン、入浴など。11:30勤務に出る家内に同乗、当直出勤、12:30から当直業務、検食後新聞チェック、微睡、読書など。散水他、18:00検食、読書。20:00就眠。徒歩9980歩。

東京五輪・パラリンピック2021(21) 傷だらけの五輪(2) 首都圏COVID-19「第5波」
 首都圏の1都3県でCOVID-19はの感染再拡大が続き、「第5波」の様相を呈している。4度目の緊急事態宣言下の東京とまん延防止等重点措置が延長された3県ではともに、その効果が表れていない。このまま新規感染者の増加が続けば、医療提供体制が再び逼迫する。

 この4連休、夏休み、8月のお盆の期間には行楽や帰省で首都圏から各地に移動する人が増えるから、第5波の全国への波及も懸念される。政府と4都県は感染拡大に歯止めをかけるため、対策を一層徹底しなければならない。しかし、政府が何を言っても国民は、都民は協力する意欲はなくなっているだろう。
 五輪開催への特別扱いと国民都民への生活抑制依頼のダブルスタンダードでは協力する気が失せる、と思う。

 新規感染者の増加が著しいのは東京。14日以来、連日のように1000人超えが続き、5月の第4波のピークを上回る。22日には1979人と、2千人に迫った。

 都のモニタリング会議で21日、東京五輪期間中の8月3日時点で新規感染者が直近7日間平均2600人近くになるとの試算が示された。年末年始の第3波をもはるかに超える。今月15日に示した試算では閉会後に2400人程度とされていた。感染拡大のペースが加速していることを意味し、状況は深刻だ。

 東京の入院患者に占める若年・中年層の割合が急増している。これは危険の兆候。従来の対策で重視してきた高齢者層へのワクチン接種が進んだこともあり減少。50代以下が新規感染者の約9割を占め、入院患者も増加している。
 感染者の主体が若年層に移った事はとてつもない危険を表す。さらにウイルスが変異し毒性を増したら人類の存亡自体に影響を持つ。
 医療崩壊を招かないために、入院医療体制の一層の充実が求められる。
 政府は科学的提言を受け入れるべきだ。

 東京では酒類を提供する飲食店に休業などが呼び掛けられている。要請に従わない飲食店もあるため、政府は金融機関などを通じて酒類提供停止を働き掛けることを表明。飲食店に圧力を掛ける行為と反発を招き、撤回する失態を演じた。
 それでなくても飲食店や国民の間には「宣言慣れ」「自粛疲れ」が進んでいる。
 東京五輪の最中、その後に我が国のCOVID-19感染状況は一層悪化することが危惧される。

 東京五輪の開催後はCOVID-19に関する政府の感染防止の呼びかけは消えてしまった。


7/23(金)スポーツの日 五輪開幕 快晴暑い 飯川病院散水出勤
1:10起床,文献・新聞チェックその他。5;00可燃ゴミ集積所に、8:00散水、収穫、草刈り23回目。12:30家内に同乗飯川病院へ散水のため。13:00書店訪問後帰宅。暑くて外仕事できず、微睡などのんびり。読書文献、データ整理など、19:00夕食、20:30就寝。徒歩12200歩。

東京五輪・パラリンピック2021(19) 傷だらけの五輪(1) 猛暑の五輪開幕日 秋田も連日猛暑続き
 秋田も連日猛暑続きである。そうは言っても35°Cは越さないようだ。勤務日の場合は病院内にエアコンが効いているから過ごしやすいが。休日に自宅で過ごすには暑さ対策が必要となる。

 秋田に居住してから48年。夏はせいぜい30℃と、郷里の岩手の片田舎に比較すれば過ごしやすかった。北海道を含めて全国が軒並み33-35℃の時に、29-33℃ほどと気温はワンランク低い。

 我が家の暑さ対策として、
(1)風の利用。ドア、窓を開放し、窓にはヨシズをつるし、さらに窓には遮光シートをつけ、光も遮って午後からの温度上昇を抑えた。
(2)扇風機。大型の、中型の扇風機を動かす。暑い日は4台も並ぶ。
(3)エアコン利用。
(4)冷水、冷菓摂取。保冷剤の利用。

 夏好きの私にとっては秋田の夏はそれほど辛くはない。病院の診察室ではエアコンを切って嫌われているほどである。寝苦しい夜はあってもそれほど深刻ではなかった。
 よく「毎日暑いですな・・・」という挨拶を受けるが私からは言うことはない。「夏だもの当たり前。何か別に言う事はないのか??」、と思う。

 ただ、ここ数年は状況が変わってきた。個人的感覚であるが、秋田も1-2度C高くなっているようである。

 昨夏、ついに家族達が音をあげた。真夏には台所で調理の際耐え難い、という。確かにそうかも・・、台所に立つ機会がほとんどない私には反対する資格はない。賄いのおばあさんは84歳、これ以上無視すると高齢者虐待と言われかねない。2019年6月下旬、やや大きめの15畳タイプのエアコンが居間に設置された。
我が家の猛暑対策2019 居間にエアコン設置

 私がいないときには頻用しているようである。賄いのおばあさんの表情も柔和になってきた。

 エアコン設置2年目であるが、私自身はまだ一度もエアコンのスイッチを入れていない。日中の暑い最中に家にいることが少ないから、でもある。
 私が夏を乗り切るのに、「自宅でエアコンを使わないで乗り切る・・」が新たな目標に加わることになった。

 次の工夫は冷水、冷菓である。
 私は甘党でアイスクリーム、シャーベットなどを好む。いくらでも入るが最近の製品は甘すぎてカロリー過剰となりやすい。豆乳などを利用し80Calに抑えた製品も利用しているが、それでも過剰となりやすい。
 炭酸水を凍らせて解かしながら飲む。氷を適宜口に含む。私の歯は幸いなことに冷たさが滲みない。バリバリと氷を噛み砕くことが出来る。さらに暑い時には保冷剤を凍らせ、タオルに包んで首に巻く。これらの効果は抜群である。

 私の場合、酷暑と戦っているうちは、夏との別れが意識されないから幸せ感がある。あと2週間も経つと早朝などちょっと秋の気配を感じとる。私は途端に寂しくなる。

 こんな中の五輪開幕日、完全に季節選定を間違ったね。


7/22(木) 海の日祭日 快晴
1:00飯川病院で起床、新聞・文献・本読みなどいつもの如く。7:00検食、8:00微睡、10:30早めに来院、一仕事終了した家内同乗帰宅、散水、草刈り22回目、故障した草刈機修理、セカンドマシンとして使用予定。午後、本読み中心に。16:00音楽関連録画視聴、17:30草刈り追加、庭周辺草刈り、19:00夕食、20:50就眠。歩数計5975歩。

電動草刈機故障!!! 五輪連休に集中的に作業予定
 本日から五輪関連で4連休となる。COVID-19蔓延下の五輪開催には私は医師の立場から否定的であったが、ごり押し開催となった。アスリートたちの努力は評価するが、私は五輪そのものには関心も興味もない。
 先週後半まで連休になることなど知らなかった。確かに暦の一部は7/22海の日、7/23スポーツの日で祭日となっていたが、何かの間違いだと勝手に思い込んでいた。

 なんであれ、私にとっては思いがけない休日である。日常業務は楽にしてもらっているが、それでも日常の業務は負荷になっているのだろう、休日が増えるのは嬉しい。

 折しも、電動草刈機が故障したために庭や畑の草刈り作業が遅れている。それを取り返すのにいい機会となる。

 私が日常的に用いている機械、工具といえば、エンジン式の除雪機、電動草刈機、電動カッター、電動ドリルが代表的である。いずれも体力が低下し、非力になり、腰痛に悩む私にとっては重要な位置を占めている。

 2011年退職を機会に家内の趣味の一つである家庭菜園を手伝っている。実際には家内の指示で大部分を私が作業しているのが実情。
 野菜作りは楽しいが、実際には散水、支柱立て、追肥、間引きなどの作業の他、草取りが必要である。

 2時間ほどの草むしり後、腰痛で約一週間難儀したこともあって、2012年に100V400Wの電動式草刈機を購入した。意外と安く1万円程度である。カッター部分は金属製の円盤、プラスチック製のカッター刃が取り付けられるが、足を怪我する可能性があることから、私は安全性を重視してナイロン製の紐状のカッターを用いている。自由人(10)家庭菜園(4) 腰痛防止に電動草刈機導入

 使い勝手がとてもよく、その後は腰痛をきたすこともなく作業できている。もう手放せない。

 いま、3台目を用いている。
 1台目は2012年に購入、昨年まで8年間故障もなく働いてくれた。
 2台目は2020年に購入、これは1年間しか持たなかった。
 3台目は本年7月に購入、まだ数回しか用いていない。

 1台目はモーター自体が劣化したので修理は諦め、部品取りとした。
 2台目は過負荷時のブレーカーが故障し、スイッチがダメになったので回路を直結し、中間スイッチを入れることで修理した。これは3台目が不調になった時の補助機となる。これで一安心。

 問題は、私の技術のせいもあるだろうが、あまり細やかな作業が出来ないことで、大事な薔薇の枝を切ってしまったこともある。それでもこの機器で私の作業の可能性が広がったことは確かである。


7/21(水)快晴暑い 午後飯川病院+当直
1:00起床、新聞・文献・本読みなどいつもの如く。午前フリー、7:30電動草刈り機組み立て、草刈り21回目。10:30書店訪問、12:30飯川病院。検食、微睡、読書、COVID-19ワクチン接種担当。入院患者対応。17:00当直業務、18:00検食、20:50就眠。歩数計8140歩。読書三昧+トロトロ寝に近い一日。私は日当直一回あるが本日から東京五輪関連4連休。

吉村昭著「梅の蕾」文春文庫 2000年(3) 
 吉村昭著「梅の蕾」には私はいろいろな面から接してきた。思い入れのある小説である。

(1)個人的に私は田野畑村の景観を好み、宮古在住中の2年間に数回、秋田に移ってからも家族で2回ほど訪れている。特に鵜の巣断崖、北山崎の景観は忘れられない。

(2)2006年ラジオ深夜便「こころの時代」に「田野畑村に梅が咲くころ」と題して田野畑村長早野仙平氏が出演された。当時、私はその録音を何度も繰り返し聴き、さらに一層田野畑村への思いを深くした。
 田野畑村は、太平洋に面した人口4500人あまりの村。早野氏は25歳で漁業協同組合組合長になり、破産状態の組合を再建。35歳で田野畑村の村長に就任、32年に渡って努められた。かつて「陸の孤島」と言われた田野畑村にも、1972年に国道が開通。陸中海岸国立公園に指定された景観を観光資源として、出稼ぎのない村づくりを進めた。思惟(しいの)大橋は高さ120m、長さ315mの逆ローゼ橋でV字形の深い渓谷を渡る。リアス式の海岸沿いに村が深い谷と森で分断されていて人々が行き来するのに苦労も多かったが、それを解消した意義ある橋であった。

(思惟大橋)
 教育を村政の大きな柱にすえ、村づくりを人づくりから始めた早野氏が2時間近く田野畑村の歩みを語った。
 その中で医師として赴任した将棋面氏とその夫人の人となりについて熱っぼく語った。

(3) 2000年吉村昭氏が小説「梅の蕾」を著書「遠い幻影」の一編として出版。
 私はこの書を出版直後に購入した。氏は田野畑村に思い入れがあり、夫婦で何度も足を運んだ。早野村長とは半世紀にわたるお付き合いがあり、氏の短編集「星への旅」、「見えない橋」の中にも鵜の巣断崖を舞台にした作品が認められる。氏の鵜の巣断崖の景観への思い入れは終生変わらなかったようで私も嬉しい。
 田野畑村も東日本大震災で大きな被害を被った。村は、明治三陸津波(1896年)や昭和三陸津波(1933年)の教訓から、海沿いには堤防が築かれた。それでも、震災では関連死と行方不明を含め41人の犠牲が出た。「三陸海岸大津波」を現した氏が、3.11の震災、大津波のとき、すでに故人になられていたのは残念なことであった。
 妻である津村氏は「三陸の海」でその悔しい想いを引き継いだ。

(4) 2021年5月10日ラジオ深夜便「ラジオ文明館」に「梅の蕾」が取り上げられ、私は田野畑村への思いを改たにし、この小文を記載した。

 私は、作家の吉村氏の作品を好むが、その背景には氏の田野畑村に対する想いに共感するものがあるからだろう。改めて思った。


7/20(火) 快晴暑い 外来  飯川病院 昨年プリウス全塗装
1:00起床、文献読みなど。4:30可燃ゴミ収集所に、畑庭収穫ほか。6:47バス飯川病院。新聞チェック。8:45-13:00中通病院外来。何かと不調な高齢者数名。13:20飯川病院、微睡。14:00-19:15勤務、COVID-19ワクチン接種担当。入院患者対応など。その後微睡、散水など、疲弊した。歩数計10626歩。19:30帰宅、夕食、 21:30就眠。

吉村昭著「梅の蕾」文春文庫 2000年(2) 夫人の葬儀に200人の村民が参列
 本作は吉村昭著「遠い幻影」文春文庫 2000年に収録されている短編の一つ。

 陸の孤島と言われた岩手県のある村は医師不在だった。村長の悩みはの一つは村営診療所の運営で多方面に医師を募集していた。
 それが千葉の癌センターに勤務する堂前医師の目に留まり、村に電話が入る。もし、募集内容が本当であれば考えてみたいとのことだった。堂前は、癌センターで枢要な地位にある医師であった。家族内の調整も済み、村の診療所に夫人と二人の子供と共に赴任してきた。

 診療所での堂前医師の評判は上々で、村人に慕われた。子供は転校先でも、学業成績は優秀だった。一方、夫人は野草を摘むのが趣味で、それは素人の域を越えた専門知識を持つほどであった。気さくな人柄ゆえ、村の女性たちに溶け込み連日のように一緒に山に入った。
 夫人は村での暮らしを楽しみ、それはしばらく続いた。そして定期検査を兼ね実家に帰った折、村人に梅の苗木を贈った。その一つは、村長へ。

 だが、夫人は既に白血病に侵されていた。余命の長くないことを知る堂前は、妻が命を燃やす最良の環境としてこの村を選び、一家で来たのだ。

 そして、2年後のある日、出張で東京にいた村長に、「千葉で療養中の堂前夫人がお亡くなりになった」との訃報が入った。村長は村人代表として夫人の実家のある湘南の町で営まれた葬儀にかけつけた。既に読経が始まり。飾られた夫人の写真はふくよかで、笑みを浮かべていた。

 村長は挨拶と焼香を済ませ、一旦家の前の道に出たが、その時、数台のバスが近づいて来た。
 見ると全て岩手ナンバーで、そこから喪服を着た大勢の人が降りてきた。それは、何と200人を越える見慣れた村人たちであった。よぼよぼのおばあさんまで家族に付き添われて来ていた。夫人の訃報を知った人々がバスを手配し、夜を徹して千葉までやって来たのだ。

 夥しい数の人に葬儀社の人は呆気にとられていた。
 村長は促され祭壇に向い、弔辞を読み始めた。「梅の蕾が・・・」だが、絶句し言葉が続かない。立ち尽くすのみであった。後ろからは大勢の参列者のむせび泣く声が聞こえてきた。

 やがて、寒気も緩み三陸海岸に再び春が訪れようとしていた。
 村長は、再びまた無医村となることを覚悟していたが、再度訪れた堂前医師は、「子供は妻の実家で預かってもらうことになりました」、「単身赴任ですよ。大勢の村の人が遠くから来て下さって、診療所に戻らぬわけにはいかないでしょう」。

 二人の目に、光るものが溢れた。
 「先生。今私の家の庭に、奥様から頂いた梅の花が満開です」。
 堂前は、にこりと微笑んだ。


7/19(月) 快晴 健康クリニックドック  飯川病院 電動草刈機届く
1:00起床。文献処理。新聞チェック。6:47バス飯川病院、9:00-11:30健康クリニックドック診察12名、判定14人。結果説明1人。11:45飯川病院に移動、微睡、14:00-19:00勤務、入院患者対応。散水、ダリア茎固定。秋田信用金庫スタッフ来訪。19:20帰宅・夕食、20:30就眠。Σ8155歩。

吉村昭著「梅の蕾」文春文庫 2000年(1) 陸の孤島田野畑村の村医と夫人の話
 本作は吉村昭著「遠い幻影」文春文庫 2000年に収録されている短編の一つ。
 作家吉村昭氏の作品は『三陸海岸大津波』、『戦艦武蔵』を含め、私が好む作家の一人であり30冊近く読んでいる。

 氏の文学は歴史、戦記、実録、時代短編など多種多彩である。作品のリストを見ると優に100冊に及ぶ。どんな毎日を送っていたのか??驚くばかりである。
 その中に長編小説、短編小説集もあった。吉村氏の随筆や短編現代小説も愛好されている。
 共通して、健康問題、人生の黄昏、定年退職者が感じる老年の孤独がテーマとなっている。

 吉村昭著「梅の蕾」は私が医師になって最初に赴任した岩手県宮古市から北に向かって40Kmと比較的近い下閉伊郡田野畑村が舞台になっている。
 
(中央の宮古市 北に向かって40Kmほどに田野畑村がある)

 ここには風光明媚な鵜の巣断崖、北山崎があり、私も赴任していた2年間の間に何度も訪れたところである。

(高さ約200mの断崖が5層に連なる鵜の巣断崖)


(高さ約200mの大断崖が約8kmに渡り連なる北山崎 日本の海岸風景の中で最も迫力のあるものの一つ)

 ここは古くは陸の孤島と呼ばれていた地域であり、診療所医師の赴任が常に懸案の一つであった。
 そこに思いがけず赴任してくれそうな医師の情報があった。

 ここから吉村昭著「梅の蕾」が始まる。

 この小説は実話を基にしている。
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 医師の将基面誠氏は千葉県がんセンターの産婦人科医師であったが、事情があって田野畑村に赴任した。19年にわたって地域医療に尽くし、村の青年たちとも交流を重ねた。45歳で亡くなった妻春代さんは梅の花が好きで、村人たちとも積極的に交流を重ねた。村内には二人を顕彰する「花笑みの碑」が建立されている。碑には村を愛した夫婦にふさわしい、梅の花が彫られている。

 医療活動とそれを支えた妻の春代氏の半生が後に将基面氏によって綴られいる。
 将棋面誠著:無医村に花は微笑む ごま書房 2006。
 また、これはドラマ化され、2006年1月にフジTVで放送された。
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 村医として田野畑村に19年間をささげた将基面氏。
 氏の活動を支えたものはなんだったのか、それは夫人の力であり、夫人が亡くなった際に村人が示した感謝の気持ちであった。

 吉村昭著「梅の蕾」にはその状況が余すことなく表現されている。


7/18(日) 快晴 飯川病院日直 
1:00起床。読書、データ整理他。自炊、新聞切り抜き、8:42バス飯川病院、9:00日直業務。微睡、新聞切り抜き。検食微睡。散水、19:30帰宅夕食、21:00就寝。Σ6914歩。自炊進める。白鵬全勝優勝、照ノ富士横綱昇進確実。ともに偉業、驚く。

?書 佐藤康弘著 伊藤若冲 生涯と作品 東京美術KK 2006
 私はあと何回目を通すことができるのかと思いながら、最近は集めていた画集に再度目を通している。いつ頃購入したか忘れたが久々若冲の画集を取り出した。随分、長い間ほったらかしにしたもんだ。

 伊藤若冲(1716−1800年)は江戸時代の画家。 

 若冲の絵画が近年富みに注目を浴びているが、そのきっかけは2000年(平成12年)京都国立博物館にて、没後200年を記念し『若冲展』が開催され、爆発的ブーム起こってからである。
 西洋画に関しては国立西洋美術館など立派な美術館が日本にも数多くあるが、日本画専門の美術館となると、私が知る範囲では数える程しかない。
 企画展も印象派絵画展やダビンチ、フェルメールの展示等では行列が出来るが、邦画の場合はひっそりとしている。

 若冲は奇想の画家とされ、従来の日本絵画史の観点から見れば異端に属する画風である。これだけの特異性は世界史的に見てもあまり類をみない画風であり、若冲も自ら「神の前に若冲なし、神の後に若冲なし」と言い、自分は「1000年後に評価されれば良い」と言っていたが、それより750年も早く脚光を浴びたことになる。こんな発言も若冲が言えば許されるだろう。しかしながら、若冲は、狩野派の画法を捨て、濃彩の花鳥画を題材にした宋元画に学んだために、戦前の日本画壇や美術史家から冷たい評価で、多くの作品は海外に渡ってしまったのは残念なことである。

 若冲はじめ北斎や歌麿、狩野派など海外での日本画、日本文化の評価は国内の一般の認知度よりも遥かに高く、当の日本人自身が自分達が素晴らしい文化を持っていたという事を忘れている。この傾向はあらゆる分野で見られる。

 本書は、そんな京の絵師若冲の画業を余す所なく紹介したもの。学生時代から若冲に傾倒、研究してきた佐藤東大教授が監修、解説し、若冲の全体像を見渡せる書籍となっている。若冲の生涯もコンパクトにまとめられており、若冲の初期の作品から晩年の作品まで実にうまく焦点を当てて紹介されている。
 最初の一冊として選んだのは間違いがなかった。

 相国寺に寄進した30幅の「動植綵絵」の極彩色の細画には脅かされる。華麗な色彩を駆使しており、写実的でありながら非現実的なモティーフがまた異端の画家の本領発揮と言える。

 その他、雪中雄鶏図、糸瓜群虫図、鹿苑寺大書院障壁画、樹花鳥獣図屏風、重要文化財の仙人掌群鶏図、菜虫譜、鶏頭蟷螂図など、作品群の素晴らしさにただただ感嘆の声しか出ない。

 若冲の作品は、本当に色鮮やかで、魚や鳥などに対する愛情がこの本を通して感じる事ができる。
 やはり、若冲というと鳥の絵なのだろうが、私はちょっと心がひける。今にも屏風や掛け軸から飛び出してきそうな魚や昆虫の躍動感はなんとも言えない。


(私が好きな藻魚図 魚のマジメな表情がいい)


(私が好きな老松白鳳図 他にも極彩色の作品があるが、単色系のこちらの方が好き 切れ長の目が私を誘惑する)


7/17(土) 快晴暑い 畑園芸作業中心に 草刈り20回目電動草刈機故障
0:30起床。読書、データ整理他。自炊、新聞切り抜き。6:00散水、8:00草刈り開始。間も無く電動草刈機不調に。電子部分をシャンとして直結としたが不調。新しいのを注文。今回は寿命は1年だった。胡瓜収穫、トマト初収穫。昼食後微睡。庭の作業追加、草刈り4周目だろうか。作業用椅子修理、散水、読書。19:00検食、20:30就寝。Σ9685歩。

日本のパワハラ問題、セクハラ問題は緒についたばかり
(1)パワハラ防止法
 日本ではパワハラ防止法が施行されて1年経つが被害は増えている。罰則がないと言う法の甘さなどが解決を阻んでいる。
 20年4月から施行されたパワハラ防止法は以下の3要件からなり企業に対策を義務付けた。まず大企業に適応され、22年からは中小企業にも適応される。
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 ■職場の優越的関係を背景に
 ■業務上の必要な範囲を超え
 ■労働者の就業環境が害される
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 だが、法施行後もパワハラ被害は増えている。
 連合の相談窓口には、20年6月から1年間2818件で43%増加した。厚労省の20年の1年間に労災認定は608件で、18%増。その原因は99%が上司からのパワハラと言う。ただ、上司による業務上の指導との差が不明確にならざるを得ないことが、判断の難しさを示している。

 ポイントは、必要以上に長時間にわたって叱責をしたのか、それによってどんな被害が生じたかが判断の基準になるようだ。この点に細かく条件を決めると業務が成り立たな具なる、との問題点がある。

(2)セクハラ規制の強化
 20年4月から施行されたパワハラ防止法の成立とともにセクハラ規制の強化が法改正で盛り込まれた。

 新たに盛り込まれた規制は以下の要件が含まれる。

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 ■セクハラに関する国事業主、労働者の責務を明確化
 ■事業主に相談した労働者への不利益の扱いの禁止
 ■他社の労働者に対しセクハラを行なった際の協力
 ■紛争調停への職場の同僚の出頭と聴取対象者の拡大
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 職場におけるセクハラ、妊娠・出産・育児休業等に関するハラスメントについては、すでに男女雇用機会均等法、育児・介護休業法により、雇用管理上の措置を講じることが義務付けられているが、今回のパワハラ防止法改正により、上記のとおり、セクハラ防止対策が強化される。

 セクハラに関する「事業主・労働者の債務」、「不利益取り扱い」は、パワハラと同じ。
. ?????? ???????????????????????????????????????????? 自社の労働者が他社の労働者にセクハラを行い、他社が実施する雇用管理上の措置への協力を求められた場合、これに応じるよう努めることとされた。
 なお、セクハラについては、他社の労働者等の社外の者が行為者である場合についても、雇用管理上の措置義務の対象となった。
 自社の労働者が他社の労働者等からセクハラを受けた場合には、必要に応じて他社に事実関係の確認や再発防止への協力を求めることも、雇用管理上の措置に含まれる。

 この「セクハラ等の防止対策の強化」の内容については、事業所の規模を問わず、2020年6月1日 より施行されている。

?????????? パワハラは、セクハラよりはより分かりやすいといえ業務上の指導や叱責との区別がつき難いところが運用上の難しさである。わが国では両者とも歴史が浅く具体的運用面ではまだ未熟である。

 私は、立場上の格差があるところには差別、いじめ、ハラスメントが生じることは人間の特質として止むを得ないことと考えている。何しろこの特質こそが個人としてのアイデンティティの確立に必要なものであり、これがなければ存在できない。さらに性差によっても格差を生じる。ならば、社会的に抑制、被害者の保護しなければならない。社会のさらなる成熟を待たなければならない部分もある。被害者の保護も同様であるが、被害者の自覚も必要であろう。

 音楽界で最近明らかになってきたハラスメントは解決に向けて緒についたばかりである。


7/16(金) 快晴暑い  大曲中通病院外来  飯川病院ボランティア
1:00起床。文献など読む、録音データ整理。5:00可燃ゴミ廃棄、キウリは6本。散水、7:35Taxi駅東に、8:11こまち、9:00大曲中通病院外来。暑さで徒歩せずTaxi 。書店訪問後15:30飯川病院ボランティア。微睡、読書、新聞チェッ ク。散水。19:30帰宅・夕食。21:00就寝。Σ7230歩。書籍自炊進める。

クラッシック音楽会のセクハラ、パワハラ問題
 具体的に名前はあげないが、最近、著名な音楽家、声楽家、指揮者、オペラ指揮者などからの暴言とかセクハラを受けたと言うニュースが見られるようになった。
 クラシック音楽界も蓋を開けてみればパワハラ、セクハラがはびこっていたことが示されている。
 考えてみればはっきりとした格差社会であり、今まで明らかにならなかったことの方が異常である。

 これから音楽家になりたい若手、特に女性はそれを意識して対応しなければならないだろうし、実態はわからない部分があるが、今活躍している女性達のうちの一部であろうがキャリアを積むためにその誘いに乗るしか無かったのかもしれない。こんなことは考えたくもないが、格差あるところにハラスメントが生じるのは人の常でもあった。
 権力を持った者が自分の立場を利用してハラスメントする事は二重の意味で脅しになる。芸術性の差の指摘はやむないとして、誘惑を断る事でキャリアに悪い影響が出るという恐れもありうる。性被害を受けても、将来への不安のためと口止めされている事で被害者は行動できない。

 私は被害者の立場に立つことはできない。常識的であるが、女性はいつでも証拠を用意できるようにしたり、断る勇気が必要だろう。

 2017年11月、ノルウェー最大紙アフテンポステンに、音楽業界での性暴力に改善を求める706人の女性からの連名抗議文が掲載された。 クラシック音楽界の女性歌手295人も、業界で広がるセクハラ被害に対して連名抗議文を公開した。 両業界から合計で30の詳しい被害エピソードが匿名で公開されている。
 プロデューサーに性行為を強要された例では、抵抗すると「お前はこの業界から消えるぞ」 と脅した例もある。ノルウェー音楽家団体は、緊急対策の必要があるとして、セクハラや性被害を体験した会員は団体弁護士に連絡をするように呼び掛けている。
 隣国スウェーデンでは、スポーツ界でのセクハラ被害やなどを2290人の女性が連名で抗議した。


7/15(木) 快晴 暑い!!33度C?? 草刈り19回目  午後飯川病院
1:00起床。新聞・文献等。データ入力、自炊2冊。5:00庭見回り、8:00-11:00草刈り19回目。ダリア付近、畑、農道、敷地北側。11:50バス飯川病院に、読書、微睡など。14:00-19:15勤務。入院患者対応。19:30帰宅、夕食。21:00就寝。歩数計11965歩。書籍データ化。

バイオリンの巨匠ズーカーマン氏が人種差別発言
 世界的なバイオリニストの一人、ピンカス・ズーカーマン氏 (72)が、韓国・中国・日本の音楽家に対して人種差別発言をし、波紋が広がっている。

 インターネットの音楽専門メディア「バイオリニスト・ドットコム」などが13日に報じたところによると、ズーカーマン氏は先月25日、米ジュリアード音楽院の主催によりオンラインで行われたマスタークラスで、韓国と日本を侮辱した、と言う。

 氏は「もう少し歌うように演奏を」とアジア系学生の姉妹に指示し、演奏が気に入らないという様子で、「韓国人は歌わない」、「芸術性が足りない」と言いたかったのだろう。
 「韓国人ではありません」という姉妹に対し、氏は「じゃあ、どこの出身なんだ」と尋ね、日本系のハーフだと答えると「日本人も歌わないのは同じ」と述べた。
 氏はマスタークラスの終了時も「韓国人は歌わない。歌うことは彼らのDNAにはない」と述べた。ジュリアード音楽院は、氏の発言を意識したのか、同氏のマスタークラスの講演をホームページに掲載しなかった。

 氏はイスラエル出身のバイオリンの巨匠。1967年には世界的に有名なレーベントリット国際音楽コンクールで、同じ19歳だった韓国のチョン・キョンファ氏と同時優勝した。現在はニューヨーク・マンハッタン音楽院の所属だが、外部講師としてジュリアード音楽院での講演を担当した。
 批判が沸き起こると、氏は「文化的に鈍感な発言だった。学生たちに個人的に謝罪したい」と声明を発表し、「誤った言葉を使い、多くの人を傷つけた」と電子メールを送ったが、波紋は収まっていない。
 SNSで拡散されているある動画では、ズーカーマン氏は中国人も侮辱している。動画の中で同氏は「中国人のみなさんは決してメトロノームを使わない。ただ速くうるさく演奏するだけ」として「みなさんは速くてうるさければ最高だと思っている。そんなふうに考えないでくれ」と述べた。
 インターネット上では「ボイコット・ズーカーマン」という書き込みがあふれている。

 指導者と指導を受ける者の間には技術的にも、音楽性においてもその差は小さくない。だから若手はこぞって指導を受けるのだ。今回の発言は指導者としての要因を欠くものだ、と私は思っている。指導される側の立場は尊重しなければならない。
 個人的な問題点を指摘するならまだ理解できるが、韓国、日本、中国人をあげたことからはアジア人に対するいわれもない冒涜、人種差別発言とも取れる。

 私も氏が演奏したレコードや、CDなどを通じて音楽を楽しんでいただけに残念なニュースであった。
 氏もついにボケたのかという心配もしている。


7/14(水) 曇り  午後飯川病院 COVID-19ワクチン接種
1:00起床。データ整理などいつもと同じ。久々雨なしの朝。5:00庭に出て小作業。8:50家内に同乗、ダリアのプランター2ケ飯川病院へ。9:30書店訪問など。12:30飯川病院、微睡後、14:00 COVID-19ワクチン接種担当、入院患者対応。 19:30帰宅・夕食、20:50就眠。歩数計6218歩。書籍自炊化すすめる。

季節の話題2021(18) 家庭菜園・園芸(7) キウリ、ナス、トマト、ネギ(2)
 私の野菜つくりの成果は食卓に新鮮な野菜が一時期上る程度である。
 6月26日キウリの初収穫があった。以降本日まで毎朝4-5本収穫できている。毎日朝夕の食卓に酢の物として食べる。これが一番私にあっている。もちろん野菜サラダ、そのほかにも利用される。とにかくキウリは新鮮さが命。朝採りキウリをその日のうちに食べるのがベスト。多分お盆頃まで収穫できるだろう。

 7月4日ナスの初収穫があった。ナスは成長が遅く数日に5-6本というところか。漬物に、ナス焼き、ひき肉との炒め物、味噌汁などに適宜活躍中である。ナスは9月初旬まで採れるだろう。

 自家菜園はコスト面では割りに合わない。キウリ、ナス、トマト、ネギなどはスーパーで買うほうがはるかに安い。

 採りたての野菜が食卓に上るのは最高の喜びである。完全有機栽培、無農薬栽培だから安心して食べられる。

 次の収穫予定はトマト。完熟トマトはおいしい。これに枝豆、里芋と続く。ネギは降雪期が旬である。私の園芸はここまで。

 自然の恵みは素晴らしい。その感謝の気持ちは畑園芸関連の作業を通じて一層深く感じられる。これがいちばんの収穫かな?
 そうそう、私の場合は完全無農薬だから植物とともに昆虫も育てることになる。これも楽しみの一つである。

 余談だが、コストの面から趣味を考えればそんなものでないだろうか。ペイすることはホントに少ない。
 私は釣りも好きで、三陸の宮古市に住んだ2年間はよく釣りを楽しんだ。三陸では陸釣りが主であった。釣果は最もいい時で半日で3-4Kgも釣り上げた。秋田に来てからは10年間ほど船釣りを楽しんだ。釣り船は6時間ほどで1-1.5万円ほど。数人で乗船したが、10cmほどの手のひらサイズのマダイが一枚1万円ほどについたことも稀でなかった。私の釣果は最も良かった日で50cmほどのクロダイ、マダイをペアで釣り上げた時である。負け惜しみではないが、それでも数時間日本海の沖合で陽を浴びながら波に揺られて過ごす時間は至福であった。


7/13(火) 快晴  外来 飯川病院ボランティア
1:00起床、データ整理、本読みなど。4:30家の可燃ゴミ廃棄1ケ。6:47バス飯川病院、新聞切り抜き、8:45-13:00中通病院外来、患者中等度、されど疲弊。13:30飯川病院、微睡。ボランティア、散水など。19:30帰宅、夕食、21:00就眠。歩数計10259歩。自炊数冊。

季節の話題2021(17) 家庭菜園・園芸(6) ダリア(2)
4月8日に花壇の一角に条件のいい球根を10数ケ選び、腐葉土を中心とした柔らかな土に仮植えした。
5月上旬に一部から発芽が見られ、15日過ぎには全株から発芽した。5月26日から仮植え球根を掘り出し、球根の状況に応じて分株し、6月上旬までかけて順次本植えにした。
球根は32株に分株され6月下旬には全株が発芽した。
今年は株ごとの成長状態が様々で、7月上旬には最も早い株にはツボミがついた。

7月中旬に至り、1/3ほどが開花し始めた。

以下は昨日朝の段階の花たちである。
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 見事に咲き始めた。それぞれはそれなりに美しく咲き、私を喜ばせているが、各々の花は最盛期のそれに比べるとやや貧弱である。開花するのに十分条件が整っていないうちに開花を迎えたからであろう。

 それぞれの株の生命力、土と、日光と水、それに肥料の威力は絶大である。私の関与はそれほど大きくはない。

 我が家のダリアのシーズンの始まりである。今年もなんとかここまで来た。ダリアにとって9月が旬である。その頃どうなっているか、楽しみと不安が交錯する。

 なんで花はキレイに咲くのか?誰のために咲く??私の疑問はまだ解けていない。


7/12(月) 終日降雨午後午後豪雨  健康クリニックドック 飯川病院
0:45起床、雨勢増、秋田の一部冠水、名田地下道閉鎖。各種データ、特に自炊関係整理。そのほかはいつもの如く。6:50バスにて飯川病院、雨にてアンダーパス避け別ルート。9:00-12:00健康クリニックドック、受審者14名、結果判定14名。12;15飯川病院、12;50検食、微睡。14:00勤務、患者対応なし。午後からメール関係の設定に費やす、なんとか解決。19:30帰宅、夕食、20:30就寝。歩数計6712歩。

東京五輪・パラリンピック2021(18) 菅首相、西村担当相の本音は・・・・・
 東京五輪が迫り来る中で、COVID-19の感染は止まずかなり厳しい現実を迎えている。
 政府は6月22日にいったん緊急事態宣言を解除したが、五輪の開催を決めるためだった??と私は感じている。宣言解除は適切ではなかった。
 案の定、新規感染確認者はそれをきっかけに増加に転じている。

 7月12日に東京都に4回目の緊急事態宣言が再発出されても、人流はほとんど減っていない。14日には東京都の新規感染確認者が1149人と、5月13日以来の1000人超えとなっ た。変異ウイルス「デルタ株」が急速に広がっていることや、若年層での重症化が進んでいるといった報道にもかかわらず、人々の警戒心は高まらない。

 しかも、今回の緊急事態宣言は五輪を挟んで8月22日までと長期にわたることで、居酒屋などにとっての休業要請はまさに死活に関わる問題。もはや政府の言うことには従えないとばかりに、深夜まで酒類営業を始めるところも出ている。

 そんな中で、西村経済再生担当相が発した、酒の提供自粛に応じない店舗へ2つ のルートで「圧力」をかけようとした。取引金融機関と酒販店に店舗の情報を知らせこれらから自粛「要請」するというもの。 ようするに「店舗への兵糧攻め」である。
 蔓延防止等重点措置を緊急事態宣言に切り替えた以上、「より厳しい措置」が必要と考えた関係者が思いついた「圧力」だった。

 しかしながら、流石に独禁法の濫用に当たるのではないか、あまりにも上から目線だ、といった批判が巻き起こり、西村大臣はすぐさま撤回に追い込まれた。 すでに国税庁の事務連絡は各方面に伝達されていたが、それを撤回したのは7月13日だった。
 あたかも西村大臣の思い付きによるスタンドプレーであったかのような印象を与えているが、実際はそうではなく金融庁や財務省、経済産業省、農林水産省と多岐にわたり事前に調整が行われ、文書が出されていた。調整については首相、副首相ら関係大臣に事務方から説明がされていたらしい。ようするに国を挙げての政策であった、ということ。

 菅首相、西村担当相は「政府の方針になぜ都民や国民が従ってくれないのか??」と感染状況のデータを見ながら「イライラ」していることだろう。そのため力で押さえ込もうとした。

 なぜ、政府の方針が国民に浸透しない、国民が協力しないのか??
 それは政府が信用されていないからである。都民に我慢を強いながら、東京五輪を開催する、と言うダブルスタンダードを敷いてはもう誰も協力しない。さらに今回の強権発動は火に油を注いだ。内閣支持率は急速に低下している。秋の国政選挙は大きなダメージを受けるだろう。

 秋田県は累計の感染者数は1000人にも達していない。全国の都道府県の中で鳥取、島根に次いで少ない方から3番目である。にもかかわらず、夏祭りは秋田竿燈を始めとして、土崎港祭り、花輪ばやし、大曲花火大会は軒並み中止となった。COVID-19蔓延抑制のための決断である。

 東京五輪とはレベルも意義も異なる、と言えばそれまでであるが、地方はCOVID-19蔓延抑制のために苦渋の決断をし、協力しているのだ。


7/11(日) 雨小康状態 夕方から降雨 
1:30起床、文献検討等など,いつもの如く淡々と。蓄積データの整理中心。午前園芸関連、つい日、トマトナス支柱に固定。微睡若干、昼NHKニュース、のど自慢。13:30家人とともにDIY店に、草刈鎌、有機肥料購入。作業若干読書、16:00データ整理中心。17:00書斎にて「日本のオーケストラ」シリーズ鑑賞。午後から雨勢増、秋田の一部に避難勧告。19:00夕食、20:30就寝。歩数計5373歩。

東京五輪・パラリンピック2021(17) 菅首相は本心本音を言えない苦しい立場なのだ
 7月8日、政府は東京都に4度目の緊急事態宣言発令を決めた。直後に菅首相は記者会見に臨み、NHK総合などが生中継を行った。
 菅首相の会見には、今回に限ったことではないが、かなりの方々が不満を感じたようだ。ネットのコメントには非常に厳しい意見が目立つ。
 「緊急事態宣言4回目というのにこんなにも国民の心に響かない会見が出来るもんだ」 、「総理の説明は、全く心に響かない」、「質問にはまともに答えられていない。首相はもっと能力のある人に・・・」などなど。
 菅首相にとっては迅速な国民への説明のつもりだったろうが厳しい評価だったようだ。

 私は常に、NHK第一放送を微かな音量で流し続けている。そのルーツは小学低学年の鉱石ラジオに求められる。
 勿論、全部聴いているわけではない。適宜、国会中継とか、歴代首相の記者会見とかを聞いてきた。菅首相になってからも同様である。

 菅首相は就任当初、学術会議のメンバー問題で最初の壁に突き当たり、野党から厳しく追及されていたが、今に至るまで真相を明らかにしなかった。文書の存在も認めていない。当然である。できないのだ。
 その後の会見でもCOVID-19、五輪についても明快に答えた例の方が少なかった。
 東京五輪や衆議院選挙を目前にする菅首相は、首相としてのリーダーシップを示したいところであろう。

 しかしながら、菅首相が会見するたびに厳しい意見の方が目立つ。
 官房長官時代の菅氏は記者の質問を「全く問題ない」、「批判は当たらない」とクリアカットで、そのスタイルを評価する声もあっただけに、首相就任後180度異なるグズグズ反応には驚かされる。
 やはり首相の立場の会見は勝手が違うのだろう。

 私はかつて病院の管理を担ったことがあるが、この間、会議などでも知りうることの半分も口に出せない、苦しい日々であった。真実を、本音で全部語れたらどんなにスッキリするだろうと毎日思っていた。これは不都合なことを隠蔽するためではない。負っている責任が大きければ大きいほど言葉を選ばなければならない。それが組織に対する責任だ、と思う。

 菅首相の会見の問題点は喋り方でもなければ、喋る内容でもない。私は発言内容を批判しつつも、一方では首相を擁護したいとの気持ちはある。

 そもそも、どんなに優秀な首相であっても、COVID-19禍という未曾有の危機に立ちむかうことは簡単ではない。
 感染対策は、防疫面ではブレーキを踏み、経済面ではアクセルを踏まねばならない。まさに相反する政策が求められる。私はCOVID-19禍の「感染予防と経済のバランス」について考えるとき、いのちの危険と数秒の単位で勝負を争うカーレース、フォーミュラーカーの運転技術のことを思い浮かべる。
 ここではブレーキとアクセルを同時に繰る「ヒール&トウ」の高度の技術が使われる。事前に迫る危険性と展望性を道路の状態、車の調子、他車との関連情報を瞬時に得て微妙にコントロールしなければならない。この際、判断に要する時間がほぼ瞬時である。そうでなければ自分が繰る車はめちゃくちやな動きをしてしまう。全てがうまくいかなくて当然、迅速な判断と修正が次の力になる。

 とにかく、今は忍の一字で、ワクチン接種率の上昇に全力を注ぐしかない。
 菅首相の会見はキレが悪い。言葉足らずである。しかし、饒舌であった前首相の会見に比較すると嘘を感じ取れないだけ好感が持てる。


7/10(土) 昨夜から降雨昼から曇り 九州南部雨被害 ゾンタP演奏会と講演会
1:00起床、読書、新聞・文献チェック他いつもの如し。外仕事不可なのでデータ整理など中心に。雨一時やむ、ダリアの支柱追加、成長方向を固定。数株咲き始めた。13:14バスアトリオンへ、14:00ゾンタP演奏会と講演会、中座、スライド状況悪く講師に気の毒。書店訪問、飯川病院で微睡読書、18:30帰宅、19:00夕食。20;30就眠。歩数計7509歩。

東京五輪・パラリンピック2021(16) 西村経済財政・再生相の発言
 緊急事態宣言を発令し都民に抑制を強いながら、五輪強行というダブルスタンダードの政策では感染の抑制は困難だろう。五輪開催前後に都民の感染者は急増するだろうと思う。
 遠く秋田にいるから首都圏の人たちの心情はわからないが、都民は緊急事態宣言に慣れ過ぎ、疲れ果て、その効果にも疑問を持っている・・・と思われる。五輪やるなら何も我慢することはない、と都民は考えるだろう。

 COVID-19対策を担う西村経済財政・再生相が、酒の提供停止に協力しない飲食店に対して、取引がある金融機関や酒類販売業者などから「圧力」をかけさせようと発言した。氏は、酒の提供をやめない一部の飲食店に向けて方針を徹底させるため、外堀を埋めて行こうとしたもの。
 飲食店の弱み、零細企業が置かれている厳しい状況を理解しないばかりか、そのに弱みにつけこむ方針を示したもの。
 政府のこんなやり方には当然賛同できない。

 すぐに撤回に追い込まれたが、酒類販売業者に向けた、酒の提供を続ける飲食店との取引停止の依頼は取り消していない。例え「依頼」という形をとったとしてもその影響は大きい。

 私は常日頃から、「発言の訂正はいいが撤回させることには反対」と思っている。
 丸川環境相の発言:間違い発言は修正すべきだが、撤回させてはならない
  政治家の発言は撤回させるな 機会を与えて持論を展開させろ

 コロナ禍で苦しい経営が続いている飲食店にとって、金融機関は資金繰りを支え、酒類販売業者は酒類の流通を支えるから、共に命綱と言うべきである。そこからの働きかけは飲食店をさらに窮地に追い込む。
 金融機関や酒類販売業者から反発の声が上がったのは当然である。
 政府はこうした権力を背景にした姿勢を全面的に改めるべきだ。

 COVID-19の特別措置法は、緊急事態宣言などが出された地域で酒を出す飲食店に時短や休業を要請・命令できる。従わない場合は罰則もある。だが取引先を通じて飲食店の経営に介入するような手法は規定されていない。
 COVID-19の長期化で経営が追い詰められ、営業の制限要請に応じない飲食店が増えているのは確かだろう。秋田にいてもその状況は理解できる。ルールを守る飲食店からすれば不公平で、こうした現状を放置していいわけはない。

 政府や自治体は営業制限が感染抑制のために必要だという根拠を示し、飲食店の理解を求める努力がいる。その際、協力してくれる店に対しては最大限の支援が必要である。協力金支給の遅れが指摘されている。迅速かつ公平に給付する態勢をつくるべきだ。

 政府が力に頼るのは信頼がないからである。
 弱い強制力と協力要請を基本とする日本のCOVID-19対応は、行政と国民の間の信頼関係が前提であり、感染拡大防止の効果をあげる重要な条件になる。目的のために手段を選ばない今回のような手法は、その信頼関係を崩す悪手といえる。


7/9(金) 晴夕方から降雨  大曲中通病院外来 飯川病院ボランティア  
0:30起床。文献読みなど。新聞雑誌スクラップ入力。5:00可燃ごみ集配所に。5:30-6;00原因不明の腹痛、朝食とらず、大曲危ぶんだが若干改善、7:35Taxi大事をとって駅西口に。問題なかった。8:11こまち、途中でサンドとライトニング購入。9:00大曲外来。往復は若干体調悪くTaxi。書店訪問、15:30飯川病院ボランティア、微睡、読書、散水など。18:30家内ゾンタ、Taxiにて帰宅、夕食、就寝。歩数計7473歩。

東京五輪・パラリンピック2021(15) 東京への4度目の緊急事態宣言発令 菅首相の空虚な会見
 8日、19:30頃帰宅。NHK-TVは東京への4度目の緊急事態宣言発令に関連して菅首相の会見を放映していた。もう30分近くも続いているという。私も五輪との関連を含め興味があるので夕食を取りながら眺めていたが、記者質問に対してもマトモに答えず、のらりくらり、となかなか終わらない。私は呆れて途中で見るのをやめた。多分20:00近くまでやっていたのではなかろうか。

 首相としての責任をどう考えているのか。強調するのはワクチン接種のことばかり。
 記者の質疑応答、北海道新聞の記者は「いつまでこんな生活がダラダラ続くのか。 国民の疲労や不信感はピークに達している」、「甘い見通し、遅い対応、不十分な中身」を挙げ、首相の政治責任を追及した。ところが、菅首相はマトモに答えず、のらりくらりと「一進一退の状況から脱する決め手となるのがワクチン・・・」とダラダラと話し続けた。

 2021年に入り東京に緊急宣言を発令したのは1月7日、4月25日に続いて3度目。1月の発令から今回の期限の8月22日までの7カ月半、都民が「緊急宣言」も「まん延防止等重点措置」も出ていない状況で暮らしたのは、わずか21日間のみ。

 これだけ長期間、都民に不自由と我慢を強いながら、全く感染を抑え込めていない。昨日までの全国の感染者数は累計81万人だが、2回目の宣言発令の1月7日以降が55万人と68%を占める。

 結果が出ないのは、同じ内容を繰り返しているからだ。
 北海道新聞の記者の「甘い見通し、遅い対応、不十分な中身」は問題点をついている
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 ■GoToトラベルを年末まで引っ張り、
 ■遅きに失した1月の緊急宣言。
 ■短期集中と言いながら、半端な中身でズルズルと長期化。
 ■2月末の関西3府県の前倒し解除で4月に関西は感染爆発。
 ■4月も6月も東京は、リバウンドの兆候が明らかだったのに、解除に踏み切り、2度とも大きな波に見舞われた。
 ■変異株への対応も後手。英国で変異株が大流行していた昨年12月、英国株(α株)が国内に入っている可能性を示していたのに、 変異株への検査をすぐには行わず、水際作戦は失敗した。
 ■4月にインドから渡航の陽性者が前月の8人から80人へと10倍に増えても、インド株(δ株)検査対応は後手に回った。国立感染研の推計によると、今や首都圏では感染の約35%がδ株に置き換わっている。
 ■結局、失敗から何も教訓を得ていない。
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 私は、首相会見のやり方も変えなければならないと思う。
 質問者には回答を聞いた後にもう一度だけコメントする短時間の機会を与えるべき。今のままではのらりくらりと的を得ない回答していてもそれで終わってしまう。こんな質疑応答は時間の無駄である。「総理のお答えには不満です・・・」とでも言わせたらいい。


7/8(木)  快晴   飯川病院
0:30起床。文献,新聞、録音データなど処理。5:00ネコ対応など。ダリア付近中心に草刈り18回目。バス11:50、14:00飯川病院勤務、入院患者、外来患者対応。散水、家内講演会にて提供されたTaxiにて19:30帰宅、夕食、21:00就寝。Σ131963歩。書籍自炊4冊。

東京五輪・パラリンピック2021(14) あと2週間 無観客決定
 東京五輪の開催について中止すべきとの意見もあったが、G7サミットで菅首相が開催を表明したこと、開会まで一月となりもう変更できなくなって、この2週間ほど前からすっかり影を潜めた。
 政府五輪関係者は開催一辺倒の姿勢で最後まで聞く耳も持たなかった。

 本日8日、JOCとIOC、政府などの5者協議で1都3県の首都圏会場が無観客に決まった。首都圏を中心とするCOVIDの感染再拡大を受け、菅首相は渋り続けていた緊急事態宣言の東京都への再発令などを決定。最終的に無観客へと追い込まれた。

 3月に海外観客の受け入れを断念。国内観客数は2週間ほど前に「定員50%以内で最大1万人」としたばかりだった。本日、土壇場で最終的に無観客に決定した。
 菅首相は有観客の開催を政権浮揚策と位置付け、その勢いを背景に衆院解散・総選挙に持ち込むつもりだったらしいがこれは無理な話。
 東京五輪が政治の道具に利用された。すっかり理念からかけ離れてしまった。政権浮揚とは逆作用になるのではないか。

 感染症専門家からは慎重な意見が相次いでいた。政府の対策分科会の尾身茂会長らは当初は「開催の有無を含め検討を・・」としていたが、開催を追認せざるを得なくなって無観客の提言に落ち着いた。
 分科会に決定する権限はないのだから言うべき意見に遠慮はいらない。科学的判断として言うだけは言ってよかったのだ。ちょっと遠慮が過ぎる、と思う。

 COVID-19が世界で猛威を振る困難の中で開催される、今までにない五輪となる。無観客とはいえ、大規模な国際大会であり感染防止対策は難しいだろう。

 大会では、選手ら大会関係者の行動範囲を制限して外部との接触を遮断する「バブル方式」を採用するという。関係者の行動を24時間管理することなどできるのだろうか。関係者が選手村などにウイルスを持ち込めば、ワクチンを打っているとはいえ閉鎖空間で感染が一気に拡大する恐れもある。

 4回目の緊急事態宣言下での大会開催が個々人の感染対策に緩みをもたらす。これは当然である。
 何しろ、国民には忍耐を強いていながらの開催である。4回目の緊急事態は、国民の立場からはダブルスタンダードと見える。こんな状況で五輪をやるなら何も政府の方針に従う必要はない。行動に移すかは別としても、誰しもそう考えるだろう。

 東京五輪を契機に全国、世界に感染が再拡大する状況も発生し得る。そうした事態を引き起こさないため、政府は厳しい安全対策を講じる必要がある。
 五輪開催の政治責任は、かつてないほど重いと言わなければならない。

 ところで、政治家の責任とはなんだろうか。これを機会に改めて考えなければならない事項である。


7/7(水) 曇りのち晴れ 飯川病院 
1:00起床。新聞・文献チェック、歴史関連書籍他。外仕事、キウリの支柱追加、畑周辺草刈り17回目。 12:11バス、飯川病院。昼微睡。14:00-16:30COVID-19ワクチン18名。入院患者対応、読書他、微睡。19:30帰宅、夕食、20:55就眠。歩数計8675歩。通町で書店でコミック2冊ほか購入。

?絵画を楽しむ(10) 本: 中野京子著「12の物語シリーズ」に学ぶ 光文社新書
 私は世界史に疎い。その要因の一つのは私がカタカナ語、数字に弱いからである。

 私たちは3種類の文字、漢字、カタカナ、平仮名を駆使して日本語を読み書きしている。これにアルファベットを加えた4種類の混在はとても心地よい。特に散在する漢字はそれだけをざっと追っていくだけで長文でも大体の文脈をつかむことができ、とても読みやすい。こんな言葉を用いている国は恐らく日本だけではないか?
 日本に生まれてよかったと思う。

 しかしながら、漢字、平仮名、カタカナだけではとても読み難い。カタカナと漢字だけで書かれた森鴎外の「瘋癲老人日記」はとても読み難かった。

 世界史の教科書はカタカナ表記が多い。人名、場所、時代区分など。加えて数字が苦手の私にとっては年号が覚えられない。高校まで世界史は不得意な分野であった。

 世界史に興味を感じ始めたのは絵画や人間そのものに興味を感じ始めた中年以降であった。
 中世の富豪は権力、財力を誇るために城や宮殿を建立したが、節目節目に高名な画家やお抱えの画家に依頼して宗教画、自画像、家族像などをこぞって描かせた。それにはには莫大な経費をかけていた。それが人間の貴重な「文化遺産」として残っている。

 私は絵画を通して世界史を学び直している。世界史が絵画を通してビジュアル化した。私の中で歴史は平面的なモノトーンから立体的なカラーの史実に置き換わった。

 著名な絵画作品はずいぶん味わってきていたが、画像イメージとしてなんとなく味わってきたにすぎない絵画が大部分であった。

 テーマごとに作品群をまとめていただくとより一層親しみが湧き立体化する。
 また、絵画の生まれた背景、描かれている人物像、絵画そのものの技法などについて適正な解説があると一層いい。

 中野京子著「名画で読み解く12の物語」シリーズはこの視点で味わうのにとてもいいシリーズである。
 そのうちの一冊、「ハプスブルグ家12の物語」。
 歴史のいたずらか、スイスの一豪族に偶然ころがりこんだ神聖ローマ帝国皇帝の地位。ルドルフ一世(13世紀)を嚆矢に、約650年にわたり王朝として君臨したハプスブルク家。歴史の荒波に翻弄され、その一族の運命は激しく揺さぶられた。血の争い、一途に愛を貫いた王妃、母に見捨てられた英雄の息子、ギロチンにかけられたM・アントワネット。過酷な運命と立ち向かい、また定めのまま従容と散っていったヒーロー、ヒロインたちを描いた名画は素晴らしい。それを紹介しながら、著者はその波瀾万丈の物語を歴史をつむぐ。

 私は中野京子氏の著作を通して作品の見方を学んだ。「私は絵画を見ても実際には何も見ていなかったのだ・・・」、と自覚した。絵の見方が変わった。

 「名画で読み解く12の物語」シリーズは以下の5冊が出版されて、私は全て読了した。
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 ■ハプスブルグ家12の物語
 ■ブルボン王朝12の物語
 ■ロマノフ家12の物語
 ■イギリス王家12の物語
 ■プロイセン王国12の物語
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 いずれも、名画を味わうにも、歴史を学ぶにも大いに参考になった。


7/6(火) 雨のち雲  外来  飯川病院 COVID-19予防注射18名
1:00起床,新聞、文献読み、自炊2冊、その他いつものごとく。5:00可燃ゴミ提出。徒歩6:47バス飯川病院。8:45-13:40中通外来。13;50飯川病院へ、14:00-16:15COVID-19予防注射18名、昼食時間も取れず、終了後微睡、バス帰宅、19:30夕食、20:15就眠。Σ9151歩。自炊進める。

絵画を楽しむ(9) 絵画と写真(2) 真の写実絵画(仮称)
 写実絵画とは、一見、写真のように見える、細部まで丁寧に描写した油絵のこと。
 写実絵画にはもう一つの行き方がある。区別するために仮に「真の写実絵画」と呼んで置く。

 写真を元にしたスーパー(フォト)リアリズムと「真の写実絵画」は2点で異なる。
 (1)絵の具。「真の写実絵画」は油絵の絵の具だけ使用。スーパーリアリズムはアクリル絵の具を使うことが多い。アクリル絵の具は乾くのが速く、制作日数が少なくて済む。
(2)写真の用い方。スーパーリアリズムは写真をキャンバスに投射し、輪郭などを写していく。一方、「真の写実絵画」は写真を参考にするが、細部まで自分の手で描いていく。

 「真の写実絵画」は物がそこに存在するということを、描くことを通してしっかり確かめようとする。物が存在するということのすべてを二次元の世界に描き切ろうという、一種無謀ともみえる絵画創造のあり方。物がそこに在るということを見える通りに、触れる通りに、聞こえる通りに、匂う通りに、味のする通りに、描ききろうとする試み」である。(野田弘志著『リアリズム絵画入門』より)

 すなわち、「真の写実絵画」は実物、写真を見ながら、自分で咀嚼して、あらためて画面上に対象を生き返らせる。
 2016年8月、秋田県立近代美術館で「ホキ美術館展」が催された。同館は「真の写実絵画」を集めている世界で2館しかない稀有な美術館の一つで、「真の写実絵画」専門の美術館として2010年に千葉県にオープンした。
 展示された日本の「真の写実絵画」の作品はいずれも奇跡の表現とも言うべき技術を駆使したもので、その作品を見て「真の写実絵画」とはこのようなものであったのかと驚き、感じ入った。

 そこには、画集とか印刷物からは絶対に感じ取ることができない、実物だけが持つ繊細な表現が感じ取れた。絵の具による凹凸で見る角度による微妙な光の反射の違いがあり、微妙なニュアンスの表現に重要な意味を持っている。

 
 生島浩「5:55」ホキ美術館所蔵 (会場で購入した絵葉書から借用。モデルの心理状況も分かるようだ。椅子の背もたれのすり減り様がリアル。甲状腺がやや大きい?)


 写真は時間の瞬間を、その時の怒り、悲しみといった感情をそのまま写し取る。しかし、時間の経過が必要な揺れる感情を表現することは不可能に近い。その点、「真の写実絵画」は複雑な感情、相反する意志を人物の表情のなかに描く。
画家自身が対象と向き合い、そこに存在する対象物をそれぞれの視点で受け止め、固有の美観、解釈で表現している。

 写真を自由に撮れる現代にあって、「真の写実絵画」は完成までに数週間から数年はかかるだろう。1枚の絵画に数週間から年余の時間を費やす「真の写実絵画」にどんな意味があるのか、ずっと疑問に思っていたが、存在の意義を確信した。「真の写実絵画」が写真や映像とは違った存在、芸術作品として後世に残るかは、まだ未知数かもしれない。そういった意味では、絵画愛好者が一人でも多く優れた写実絵画を見ることが必要である。

 今回の作品群の中では、私は特に女性を描いた作品に魅力を感じた。いずれも女性の美しさを徹底して描いている。そこには、写真には見られない、作者が意図的に追求したと思われる奥深さが感じられる。長い時間をかけて作品を練り上げたであろう女性たちに、製作者は感情移入までして描いたのではないだろうか。それを感じられるだけに、私もすっかり描かれた女性像に魅了されてしまった。


7/5(月) 終日降雨 健康クリニックドック  飯川病院 
0:00起床、医学文献等など中心に読書、録音データ整理。5:00畑花壇に散水、6:47バス飯川病院。9:00-11:50健康クリニック、ドック13名、レントゲン読み14名。12:10飯川病院。14:00-19:00業務。散水など。19:30帰宅夕食、20:30就眠。自炊3冊。Σ6901歩。

絵画を楽しむ(8) 絵画と写真(1) 写実絵画 フォトリアリズム(ハイパーリアリズム)とは

 歴史的に見れば、ビジュアルで記録し、再現するには絵画しかなかった。19世紀に写真が登場すると絵画の有り様は大きく変わり、対象物をほぼ写実的に描く絵画の使命は徐々に失われ、抽象画も台頭した。
 
 一方、発達した写真時代の中、対象物を写真のごとくに精密に、リアルに伝える写実絵画を一部の画家が描き始め、そして現在日本では写実作家が多く登場してきている。

 写実絵画と写真芸術とは異なる意味があるはずである。
 私は長い間、この差がわからなかった。

■写実絵画フォトリアリズム(ハイパーリアリズム)とは何か
 19世紀はじめに写真技術が発明されてから、写真と絵画はつねに影響を与え合いながら発展を遂げてきた。
 その中で「写真」をもとに絵を描くフォトリアリズムはハイパーリアリズムとも言われた。「リアリズム以上のリアリズム」の意味で、第二次大戦後の美術の傾向のひとつとなった。1960年代から70年代にかけて欧米、特にアメリカを中心に現われた動向で、抽象表現主義の対極的反動として現われた。

 実物とみまがうばかりの完全な再現から、細部のクローズアップによる細密描写や、機械的複製の応用などさまざまな手法があるが、基本的には、写真を利用し、人物、都市のシーンなどを主観をまじえずに克明に描写したり、本物そっくりの人間像を作ったり、物体の質感、光沢を再現しようとしたりする。

 考えようによっては、現代のコピー文化を反映するものともいえるが、その目指す方向は作家によって大きな幅があるようである。対象を写真に撮って、それを見ながら描く手法も似ている。
 基本的にはフォトリアリズムは写真と同じ? 写真とは何が違うのか? 写真が芸術作品と同様の価値を発揮している今、繊細緻密な絵画、にどのような意味があるのか、よくわからなかった。尤も、繊細緻密な写実絵画も画集とか印刷物でしか見る機会がなかったから、その意義、違いはわからなかったのは当然である。

 具体的には期日は思い出さないが、30年ほど前、秋田西武デパートの特設会場でフォトリアリズムの作品の展示会があった。
 そこには写真展と見紛うような作品が20点ほど掲示されていた。じっと見れば作品そのものには絵画としての質感は見られ、写真ではないことは理解できた。
 画商?の一人が、「いかがですか??これなど写真と変わりない作品です・・・」と説明してくれたが、これら作品の存在意義についての説明はなく、私は疑問が解けないまま会場を後にした。その後このジャンルの作品には接していない。
 だから、今だによくわからない。


7/4(日) 曇り午後から小雨 外仕事若干 
0:30飯川病院にて起床、文献検索、画像データ処理、読書、微睡など。7:00検食、9:00花壇に散水、外来レセプト点検残り分終了。11:30Seriaにて庭用支柱購入ご帰宅。NHK弼のニュースは熱海の土砂災害中心、のど自慢を楽しむ。新聞スクラップ後外仕事試みるも降雨で不可。微睡、書斎の整理。読響の録画楽しむ。19:00夕食。20:55就眠。歩数計8801歩。

絵画を楽しむ(7) 映画の場合も実は私はほとんど見ていなかった
 いくら熱心に観たとしても長い映画の一本が持つ情報量を全て味わい尽くすことはできない。情報が不正確であってもストーリーの面白さ、登場人物の魅力などの影に隠れて見逃されていた作品もあった。
 しかし、動画の情報の分析に秀でた技能を持つ方もおられて通常人の何倍もの感受性を発揮してその問題点をつき、優れた解説を展開してくれている。
 私は映画に関しては感受性が乏しく漫然と見ていた。実にもったいないことであった。現代は録画技術も進み、録画での鑑賞が安価に、気軽にできるようになり、若干見方が変わってきた。映画を特定のテーマに絞って情報源としてみれば、見逃していた情報を読み取ることができる。それでも、不十分にしか汲み取れない、と思っている。

 絵画の基本は時間の固定で画像として表現される。映画はより幅広く時間因子を固定する。
 映画と絵画は同一のものではない。
 同様の機能がある写真が登場し、時間を画像として記録するという初期の機能から、改良に改良を重ね、深い芸術性までも表現できるようになるまでそれほど時間を要さなかった。

 歴史的に見れば、写真が世の中に登場するまではビジュアルで物を見せることかできるのは絵画しかなかった。しかも、秀でた絵画を得るには優れた画家を雇い、報酬も高かったから一部の富豪しかできなかったし、富豪は節目節目に競って作品を注文した。だから、このころの絵画は時代と文化を濃厚に反映している。
 この時代の絵画は、ざっと見たときの印象も貴重であるが、時代を読み解く力があれば一層時代や文化、思想も深く鑑賞できる醍醐味がある。

 しかし、19世紀に写真が登場すると大きな変化が生まれた。画家の手法は大きく変わり、対象物を写実的に描く絵画の使命は徐々に失われ、ピカソなどは抽象画の方向に転向した。そこまでできなかった画家は職を失い、写真家に転向した画家も少なくない。戦後日本でもほとんどの作家がその影響を受けた。
 
 モノクロであった写真はやがてカラーヘ進化し、デジタル化やCG画像によって映像はその再現性から、空想のイメージ化まで簡単に作成することができるようになった。

 発達した写真時代の中、絵画の存在価値は当然問われることになる。
 そのような現代にあって失われるかと思われた、対象物をリアルに伝える写実絵画を、一部の画家が描き始め、そして現在日本では写実作家が多く登場してきている。
 写実絵画作家は1枚の絵画に1カ月、3ヵ月、一年という時間を費やし完成する写実絵画は写真芸術とは異なる意味があることではないだろうか。


7/3(土)  飯川病院日当直 外来レセプト点検 熱海地区で豪雨土砂災害発生
1:00起床、新聞・文献チェック他いつもの如し。録音データ大量整理。5:00庭畑に散水、収穫。10:00出勤する家内に同乗、飯川病院に。12:00検食、日当直勤務に就く。読書中心。微睡、16:00-17:30外来レセプト点検、18:00検食。19;30就眠。23:30起床。歩数計4953歩。

絵画を楽しむ(6) 実は私には何も見えていなかったのだ
 私は絵画が好きである。
 絵画の鑑賞は何と言っても美術館、そこで本物の作品に接する事がベストだ、と頑なに思っていたが、最近考えを変えた。

 私にとって美術館で本物の作品に接した事は貴重な経験となっているが、美術館で短時間本物の作品にに接しても「本物を観た」というアリバイ造りに過ぎなかった、と今になって思う。
 秋田では「美術館」そのものが少ない。主に「秋田市立美術館」、「秋田県立美術館」、「秋田県立近代美術館」であり、そのほかにアトリオン特設会場で開催されるギャラリー程度と狭い。これらでは年に数回企画展が開催されるが万難を排して訪れる。「秋田市立美術館」は年間のパスポートを購入しているために気軽に何度も訪れる。

 もう機会はなくなったが、現役時代の学会出張時には国内各地の美術館を訪問した。多分、100箇所ほどの美術館を訪問した。その中では倉敷市の「大原美術館」、その中でもエルグレコ「受胎告知」が特に印象深い。そのほかの貴重な経験は記録にも残していないから大部分忘れてしまった。

 1985年秋田大学退職時はオペラのツアーに、2000年欧米医療視察団としてヨーロッパを訪問したが、訪問した各地、ハンブルグ、ウイーン、ポーランドなどで美術館も積極的に訪れた。優劣はつけられないが、その中では何と言ってもルーブル、オルセー美術館のスケール、展示作品には圧倒された。

 今まで見た作品を見返してみても、ここに描かれているのは何なんだ、絵の主題と関連性があるのか? なんでこの色調で描かれているのか?・・・・と疑問は尽きない。 
 描かれたものをざっと眺めるだけで、何も解決しないまま通り過ぎていた。要するに、私は絵画を前にしても実はなにも見ていななかったのだ、ということを知った。

 最近は美術展に併設する売店で必ず画集や解説書を購入する。これらを絵画以上に時間をかけて読む。それらは「絵画の見方は一つではない」ことを教えてくれる。絵を見る面白さを教えてくれる。
 私が見落としていた細部を、その絵の意味を、紹介してくれる本は、実に爽快、読むたび毎に眼から鱗が落ちる事になる。

 何も考えずに、素直な心で絵を見ればいい、とも言われるが、それは一つの鑑賞法であろう。昔は私もそう考えていたが、今の私には容認し難い考えになった。
 資料を読んでもっと絵の中をちゃんと見よう、と思うからである。


7/2(金) 快晴  大曲中通病院外来 飯川病院ボランティア  
0:30飯川病院で起床。文献読みなど。7:40徒歩秋田駅に。8:11こまち、大曲往路徒歩、9:10大曲外来。復路は暑すぎTaxi、丸子橋欄干の七夕飾りは今年は見られなかった。書店訪問、15:30飯川病院ボランティア。読書、散水、微睡など。19:30行きつけ書店経由で帰宅、夕食、21:00就寝。歩数計9695歩。

原発事故10年(4) 汚染土廃棄
 原発事故で汚染された地域では除染がなされ、大量の除染土が発生した。私は除染ではなく単なる移染作業でないかと思う。東京電力福島第一原発事故後、福島県内の除染で出た汚染土は1400万立方メートル以上になる。
 これらの土を含む放射線物質は2045年には福島県以外に搬出して処分されることになっている。しかし、そのことは福島県内でも、ましてや県外ではよく知られていない。
 
 国はよく問題を先送りにするこんな決め方をする。引き取り場所を決めないで期限だけを決め、その後検討を進めないまま放置、期限が近ずくと慌てて場所探しをする。
 私は汚染度に関しての決め方にも疑問を感じていた。
 かつて放射線漏れを起こした原子力船むつの最終寄港地問題が同様であって、むつは14年間も各港を点々とした、という経緯がある。
原発事故から4年(3) 汚染物質中間貯蔵施設(1) 原子力船むつの二の舞にならないか

 最近、国は放射能濃度が基準値以下の汚染土について、最大で99%再利用可能と試算し、福島県内の公共事業で再利用する計画を進めている。
 県外で最終処分するためにも総量を減らす狙いがあるとするが、地域住民からは「放射線が不安」、「事実上の約束反故、福島を最終処分場にするのか・・・」と反発が出ており、実現は見通せていない。

 福島県内にある中間貯蔵施設には4年前から汚染土の搬入が始まった。2021年度までに東京ドーム11個分に相当する1400万立方メートルが搬入される。

 だが、最終処分場を巡る交渉や議論は始まっていない。
 環境省の某参事官補佐は「最終処分の受け入れは地を決めることは簡単ではない。今は全国的な理解を進めている段階」と話す。汚染土の再利用はその理解を進める手段の一つという位置づけ。

 同省は有識者会議で2016年6月、「全量をそのまま最終処分することは処分場確保の観点から実現性が乏しい」として、再利用で最終処分量を減らし、県外での場所探しにつなげる考えを提示した。

 ■「指定廃棄物」の放射能濃度(8千ベクレル超/Kg)を下回ったり、下げたりした汚染土を再利用
 ■管理者が明確な公共事業などで使う
 ■道路や防潮堤の基礎のように安定した状態が続く使い方を求める
 ■・・・・などの条件を示した。

 また再利用する汚染土の量については、2018年12月の同じ会議で、濃度低減などの技術開発が最も進んだ場合、1400万立方メートルのほぼすべてが再利用でき、最終処分すべき汚染土は全体の約0.2%、3万立方メートルほどに減らせるという試算を明らかにした。

 しかし、むつ問題と同じく思惑通り進むとは限らない。処理水の海洋放出と同様、地元の理解を得る努力をしていない。
 同省は「再利用の対象は県内、県外を問わない」としているが、実証事業と称して実際に再利用計画を提案したのは県内の3自治体のみで、そのうち二本松市など2自治体では住民の反対を受け、難航している。


7/1(木) 晴れ風強し 午後飯川病院 当直
1:20起床。新聞入力、文献などを読む、自炊数冊。8:00外仕事、畑庭に散水など。強風対策としてダリアを添え木に固定。乾燥しておいた樹木の枝葉の裁断処理に着手。12:12バスで飯川病院、ボランティア。14:00から勤務、入院患者対応。新聞雑誌スクラップ、文献チェック。17:00当直業務に移行、18:00検食、 20:30就眠。歩数計7075歩。

新年からもう半年経過 1日が短い 時間なく困難になった日記記述
 本日は7月1日。随分と早いものである。光陰矢の如し。もう新年を迎えてから半年経過した。本当にこんなに経過したんだろうか?
 つい先日まで除雪に悩んでいたのに、いつの間にか桜も散ったなあ、野菜もダリアも植えたっけか・・・などなど。
 なんか日常生活の一つ一つの印象が薄く、希薄になっているようだ。
 幸い、私は毎日生活記録を作っているから、ざっと見直してみて、確実に新年から半年生きていた。

 私の日記は大まかな日常の時間的行動記録になっている。
 これは過去の嫌な経験、「職務質問」に端を発している。1日ごとのアリバイ証明のためである。大して詳しい内容ではないが、これに加えて、仕事上で残している記録、他の私的な記録、Suicaなどのクレジット記録、メモなどを組み合わせればなんとか立体的なアリバイデータに構築できるだろう。もう2度と職質なんて受けないだろうがこんな記述がクセになった。

 私はここ10年以上、世間、人間から離れてのんびり過ごそう、と念じて実行している。最初は嘱託医としての結構仕事を継続していたから一気に切り替えはできなかったが、徐々に勤務時間を減らしてきて今はほぼ満足できるような環境にある。

 だから、大きな話題も、奇跡もなく、逸脱も過剰もない淡々とした生活を送っている。

 1:00am頃起床する。スキャナーで新聞切り抜き記事、文献などを電子化し名称化する。徒然日記記述すると一段落、iPadで読書する。5:00amネコたちが周りに寄って来る、朝の餌タイムである。その後外に出て花壇畑の世話、散水、収穫をする。その後私の朝食タイム、野菜サラダ中心の食事ですます。6:30am出勤する。水木は午前フリーで読書ほか、草刈りとかまとまった仕事をする。出勤日、ボランティア日は先方の業務に従う。帰宅は19:30、夕食後ネコ達と過ごし、21:00就寝である。休日は自由時間となるが頻回に飯川病院の日当直が当る。こんな生活が淡々と続く。

 本人がどう考えていようと結果的には目立たない人生を、平凡な人生を歩んでいる。そのように生きて、いづれ消え去るのだ。それでいい。
 現役を引退後、根が出不精で引きこもり状態の私だから、生活記録は動きのない、似たような日々の繰り返しの記録となる。
 そんなことを綴った日記は読んでて退屈なものになるのはやむを得ないが、自身の存在の確認のために書くのだからそれでいい。

 私の生活記録には1000字くらいのミニエッセイがつく。普段考えていること、読んだ本など、他愛ないことを毎日1項目綴る。
 これが意外と重荷になってきている。
 1日があまりにも短く、サッと過ぎ去るものだから、記述内容に沿った資料を集め、検討し、まとめるのにうろうろしているうちに、もう次を書くべき時間が迫ってくる。
  
 時間が乏しくなった原因として、とにかく本が読みたい、季節柄外仕事が多いことをあげられるが、加えて、何をするにもペースが落ちてきて一つ一つが時間がかかるようになっている事だろう。そのバロメーターの一つ、急いて歩こうという意欲は無くなったこともあるが、歩行スピードは確実に落ちている。

 まあ、いいじゃないか、もう歳だし・・と、気楽な気持ちで行こう。


6/30(水) 快晴 草刈り16回目 午後飯川病院
1:10起床。文献・新聞チェックなど。午前8:00中にきうり等のつる処理、収穫など。書店訪問、12:30飯川病院。新聞データ化など。14:00-16:00COVID-19注射係。微睡、新聞チェック、19:30帰宅夕食、21:20就眠。歩数計8351歩。

原発事故10年(3) 処理水、海洋廃棄以外にどんな方法があったのか
 私は秋田大学で勉強しているときに、培養細胞の核酸代謝を見るためにトリチウムを使用していた。だからトリチウムには親しみを覚えている。
 その作業は当然、放射線物質を扱える特別な実験室で、一定のマニュアルに沿って行なったが、直接触らないようにシリコンゴムの手袋は用いたが、防護服などは用いなかった。
 放射性物質については規制基準を守り、生活圏への影響を及ぼさない様、処分方法が厳密に決められている。
 使用済みのトリチウムを含む液体はそのまま実験室の排水管に流していた。その排水は特殊な処理をされたのか、よく覚えていない。多分通常の下水につながっていたのではないか、と思われる。実験室レベルではそれでよかったのだ。
 
 福島の原発事故では雨水、地下水等もあって予想外の大量の汚染水が発生した。それが処理水問題になっている。

 処理水の廃棄方法として以下の5つの処分方法が考えられている。
――――――――――――――――――――――――――――――――――-
@ 地層注入
A 海洋放出
B 水蒸気放出
C 水素放出
D 地下埋設
――――――――――――――――――――――――――――――――――-

 これらの選択肢毎にもたらす放射線の影響を、互いに比較する方法はない。5処分法のうち、国際的にも放出実績があるのは海洋放出と水蒸気放出だけである。今までのところこれらの廃棄で環境汚染が生じた、という事実はない様である。

 福島の処理水はAの海洋放出に決まった。

 沿岸投棄か沖合い投棄か、表層投棄か深海投棄かなどはまだ決まっていないが、
放射線の環境への影響は、自然被曝の1ミリシーベルト/年よりも少なくなる、と予測されている。

 これでも、漁業関係者は風評被害を恐れている。その懸念は科学的データがどう出ようと消え去ることはないだろう。
 国は海洋放棄がベストと決めながら、地元への説明を欠いてきた。地元民は今更ながら国の決定に落胆しているが、地元民の方での準備状態、反対運動などどうしていたのか、と思う。

 地層注入と地下埋設方法は特定の地域を選ばなければならないから実現は不可能である。

 余談であるが、福島第一原発を設置した際、将来自然現象にこれほど痛めつけられるなどは誰も予想もしてなかったのではないだろうか。地震、津波、地下水、雨水などなど。それに加えて「風」、すなわち風評被害である。


6/29(火) 曇り  中通病院外来 飯川病院ボランティア
1:00 起床。文献など読む。蓄積データ整理。5:00可燃ゴミ出し。ネコ世話、畑収穫、ダリア、畑に散水。6:47バス飯川病院。8:45-12:00中通病院外来。12:20飯川病院、微睡、14:00-19:00勤務。14:00 COVID-19ワクチン接種。19:30帰宅、夕食、20:45就寝。歩数計9476歩。

原発事故10年(2) 汚染水、処理済み汚染水、処理水とは何か
 福島第一原発では現在120万トンの処理済み汚染水が貯蔵されている。

 汚染水の定義は簡単に分ければ、
――――――――――――――――――――――――――――――-
 ■汚染水 核燃料に触れた冷却水に地下水など混入したもので高濃度の放射線物質を含む。
 ■処理済み汚染水 汚染水を各種除去設備(ALPS)で処理した後に貯蔵タンクに溜められている。放出基準の1万倍以上の放射性物質を含んだ水もある。
 ■処理水 処理済み汚染水を再びALPSで処理し、セシウム、ストロンチウムなどを除去したもので海洋廃棄の対象となる。トリチウムは除去されていない。
――――――――――――――――――――――――――――――-

 処理水にはトリチウムが含まれる。
 トリチウムから出る放射線は弱く紙一枚で遮る事ができる。半減期は12.3年。自然界でも作られている。
 世界の運転中の原発や再処理工場からも廃棄されている。一つの原発あたり年間数兆ないし数10兆ベクレルの範囲とされる。福島のタンク内のトリチウムの総量は900兆ベクレルで、国の放出基準の6万ベクレル/Lの1/40まで海水で薄めて廃棄するとされるから、開始後何10年もかけて投棄することになる。
 したがって、今回海洋廃棄が決まったからといって直ぐに解決する問題ではなく、今も汚染水は1日平均140トン溜まっているからタンクがなくなることはない、とされている。
 
 トリチウムがヒトの生態に及ぼす影響は、国の放出基準の6万ベクレル/Lの水を毎日2L、70年間飲み続けても被爆量は国際基準に達しないという。

 国の処理水処分の基本的方針は以下の通り
――――――――――――――――――――――――――――――-
 ■廃棄は海洋放出とし、2年後に開始する
 ■国の基準以下に薄めて廃棄
 ■トリチウムの年間排出量は22兆べクレル以内とする
 ■少量から始めモニタリングで監視する
――――――――――――――――――――――――――――――-
 ただ、これとて問題は残る。海洋放棄は決まったが、放棄の具体的方法はまだ決まっていない。風評被害対策も同じ。
 環境汚染のモニタリングは時間と費用がかかる。海水のトリチウムの測定はサンプルあたり1ケ月ほどかかり、魚類とかからの測定は3ケ月ほどかかるとされる。またこの技術を持つ企業は国内で数社しかない。
 この10年間、いずれ廃棄が必要であり、方法として海洋廃棄がベストと目されていたのに、周辺の対策もなんら進めてこなかったのは問題である。先送りが決まった時点で一件落着と処理したからであろう。安倍長期政権時代は何をしていたのか。これは菅首相も共同で負うべき責任で、彼が苦労を背追う事になったのは当然でもある。

 モニタリングで問題が生じたら次の手として何か対策を考えているのだろうか。


6/28(月) 快晴 健康クリニックドック  飯川病院
1:00起床。文献処理。新聞電子化。録音データ整理。自炊3冊。4:30庭、畑に散水。キウリ収穫。6:47バス飯川病院へ、9:00-12:30健康クリニックドック診察14名、結果判定15人。12:40飯川病院に移動、微睡、14:00-18:45勤務、15:15入院患者対応、医局扇風機出す、快適。19:30帰宅。20:00夕食、21:00就眠。Σ8641歩。

原発事故10年(1) 処理水問題 10年放置し今になって海洋投棄決定
 原発事故10年経ったが、東電第一原発の敷地には溜まり続ける処理水保管タンクが林立し、今後予定されている廃炉作業の計画にも障害となっている。
 原子炉建屋内にはなおデブリが残る。敷地の96%は防護服なしで行動できるようになったが、いつまでも廃炉を先送りできない。難作業が待ち受ける。

 放射線物質で高度に汚染された水は汚染水と呼ばれる。この汚染水から大半の放射性物質を取り除いた水が処理水であり、これは今も溜まり続けている。この処理水には現在の技術では除けないトリチウムその他が含まれている。

 事故直後の2011年4月、高濃度の汚染水が海に流出しているのが発覚した。地元や海外から猛反発を受けた。
 東電はしっかりと浄化処理して保管するとし、タンクを1000基用意し137万トン貯蔵できるまでにしたが、現在、その9割が満杯状態である。またタンクの一部は老朽化して安全性にも問題が生じている。

 汚染水は地下水が建屋に入る前に組み上げたり、凍土壁等のバリア増設などの対応でこの5年で1/3に減少したが、今なお1日平均140トンたまり続け、2022年には満杯となる。

 単にタンクが満杯になるだけでなく、今後の廃炉作業は広大な面積が必要。そのためにはタンクの撤去が必須で、これ以上処分を先送りできない。背景の一つにさらに秋に予定されている総選挙対策としての側面もある、とされている。

 処理水の処分方法は、2013年から検討を進めてきた。
 ■海洋投棄、■大気中投棄、■地層注入、などの方法がある。その中では海洋投棄が技術的にも可能で、費用も最も安価であることから、政府は2021年4月13日に海洋投棄を行うことを正式に決定した。

 何故原発事故10年間も処理水の処分方針を決定せず放置したのか!!!
 私は疑問に思う。

 一般論として、我が国の政府は懸案事項を先送りにする傾向がある。我が国には早期に手をつけられるべき課題が山積みのまま対策が先送りされてきた。
 この背景には長期の一党独裁の政治形態が挙げられよう。節目がないから、ズルズルと同じ懸案事項を抱え続ける。

 先延ばしにしてきた懸案事項をざっとあげれば以下が挙げられるが、いずれも結果的に我が国にとっては危機的状態になりうるものばかりである。
---------------------------------------------------------------------------------------------------------------
 ■少子高齢化等の人口問題、
 ■経済再建、
 ■新興感染症対策、
 ■皇室典範改正、
 ■食料自給率の向上、
 ■原発事故処理を含む長期のエネルギー政策
 ■などなど。
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 処理水の処分方針は海洋廃棄がベスト、としながら何故約10年も最終決定せずずるずると放置し、タンクを増やしてきたのか??
 この間、政府や原子力委員会は何をしていたのか??


6/27(日) 快晴暑い 園芸作業中心 草刈り16回目 
1:00起床。 本読み、文献読み、データ整理。9:00-11:00、16:00-17:30庭畑仕事、草刈り、キウリなど支柱追など、収穫。12:00軽昼食、NHKニュース、のど自慢観る。13:00微睡、14:00居間のパソコン移動範囲拡張、安定した。トイレ網戸修理、玄関風除室網戸修理、再度外仕事。ダリアの世話、周辺の草刈り。18:00以降座学、読書に費やす。19:00夕食。20;30就眠。歩数計 Σ10127歩。

季節の話題2021(16) 家庭菜園・園芸(5) 飯川病院の花々
 私は一応、補助的ながら医療的業務もあるが、飯川病院の午後の勤務、ボランティア日で院長に最も期待されているのは、緊急的対応と花壇のメインテナンスなどの雑用である。いや、雑用というべき仕事などない。雑用係と自称するのはょっと辛い。
 飯川病院は正面玄関が東に向いているために建物に隣接している狭い花壇は日当たりが悪く午前しか陽に当たらない。さらに、建物の庇があるために雨も当たらない、というハンディがある。
 だから、この花壇に植える花の維持には人手が必要である。まあそのために雇われている、と割りきれば私の存在意義もあろうというもの。

 今年は春から、スイセン、パンジー、アマリリス等若干の花があったが、現在はナスタチウム、ハイビスカス、アジサイ程度である。アジサイは柏葉アジサイというらしい。これからはハイビスカスが開花し、アサガオ、キクが台頭してくる。

(ナスタチウム)


(ハイビスカス一輪目)

(ハイビスカス二輪目)

(柏葉アジサイ)

 今年はプランターに植えたダリアを4株自宅から出張させる予定である。


6/26 (土) 快晴 草刈り15回目
1:00起床、各種データチェック、新聞文献PDF化。本読みほか。ネコの世話など。4:30キウリ収穫。8:00畑庭作業、花壇の草刈り15回目、給水、清掃一般。11:45陽射し強く避難、昼食、微睡。13:30居間のパソコン移動範囲増やす。15:00畑仕事。キウリつる処理。19;00夕食、20;40就眠。歩数計Σ8775歩。自炊数冊。

季節の話題2021(15) 家庭菜園・園芸(4) 我が家の紫陽花たち
 まだ6月だというのに全国的に夏日・猛暑だと伝えている。33℃以上の暑さとはいかなるものなのか。秋田に住む私にはちょっと想像がつかない。秋田では気温が30℃を超える日は盛夏の1-2週間ほどで8月中旬の墓参りの頃には朝夕に秋風が立つ。
 私は虫の声が大好きであるが、聞こえると私はちょっとがっかりする。すぐに秋がくるし、その先には厳しい冬が待っている。冬、というより降雪が辛い。加齢とともに除雪が負荷になって来ているからである。
 
 熱暑か厳寒か、と問われれば私は熱暑のほうがいい。熱暑のほうがいい、というからにはエアコンの力は当てにしない。せいぜい団扇と扇子、扇風機でいい。

 この件に関して「徒然草」では、「家の作りやうは、夏をむねとすべし」としている。さらに「冬はいかなる所にも住まる暑き頃わろき住居は堪へがたき事なり」と続く。兼好法師は熱暑を嫌っていたようである。
 人は勝手なものである。寒い時期にはあれほど太陽の復活を待ち望んでいるが、熱暑の季節には太陽の方を見つめて、汗を拭きふき憎たらしげに「こんちくしょう!!!・・・」とつぶやく。

 7月中〜下旬は我が家の紫陽花は満開を迎える。


 古くから日本人や紫陽花を好んだようで万葉集にも2首歌われている。紫陽花は日本固有の花らしい。紫陽花は土地の性質によっても色が変化すると言われる。その件について正岡子規は「アジサイや 昨日の誠 けふの嘘」と歌っている。

 我が家の紫陽花は濃い青紫色、白色、赤系統である。いずれも美しく発色している。

 花の色は人間の目で見れば美しいが、別に人間にサービスするために美しいのではない。
 赤系統の花の色素はアントシアニンが、黄色はカロチンが、白色系はフラボンが含まれ発色している。

 花の色を決める発色物質は美しさのためでなく子孫を紫外線から守るためである。単に色で紫外線を遮っているのではなく、これらの発色物質は強力な抗酸化作用を持ち、紫外線で生じた有害な活性酸素を中和して、めしべの基部にある卵細胞を守っている。日当りが悪いところの花は同じ花でも発色が弱いのは、紫外線が弱いため強力に発色する必要がないからである。

 めしべの基部に卵細胞があるから、花は植物にとってみれば生殖器である。花を好む方々は、私もその一人であるが、人間で言えばヒップの辺りを、見て、嗅いで、触って楽しんでいる様なもので、考えようによっては卑猥な行為である。老齢を迎えて、考え過ぎかな?


6/25(金)快晴 大曲外来 飯川病院ボランティア 
1:00起床、文献検索、新聞チェック,本読み他.5:00可燃ごみ提出せず。7:35Taxi駅東口へ。8:11こまち、9:10大曲外来。駅往秋田市内徒歩。書店訪問。15:10飯川病院ボランティア、微睡。家内は院友会理事会でキタスカに、19:25タクシー帰宅、夕食、21:00就眠。歩数計Σ10355歩。

季節の話題2021(14) 家庭菜園・園芸(3) キウリ初収穫 ダリア初開花
 (1)園芸、野菜作りをやっていると採りたての野菜が食卓に上るのは最高の喜びである。

 昨朝、畑の苗に散水や枝葉の世話したがキウリが10本ほど一気に大きくなっているのに気づいた。その前の朝の見回りの時には中等度のサイズのが数本ぶら下がっており、そろそろ収穫かなと思ったが、突然ちょうどいいサイズのが目に飛び込んできた。
 キウリは条件が良い時には枝葉は一日15-20cmも、キウリの実自体は4-5cmも伸びることもあるとされる。これほどに育っているとは気がつかなかった。
 初収穫したキウリはサイズよし、姿よしであたかもスーパーに並んでいる規格品のごとくであった。早速、生で食べようと包丁を入れたが、果肉は色白、豊かな厚みがあり、一方タネは従来のものに比し明らかに少なかった。これらはキウリ の種類に由来するのかもしれない。購入した時に苗の名前を記録しておくのを忘れた。美味かった。
 
 私の栽培は完全有機栽培、無農薬栽培だから安心して食べられる。
 キウリ、トマトなどは自分が育てた子供のようなもの。とても枝落としや剪定は出来ない。全ての枝をそのまま切らずに育てる。剪定しないことで果実が劣化すると言われるが、本日収穫分を見てもそんな様子はない。
 これから約1ヶ月、いろいろな料理に活躍するが、薄くスライスしたキウリの酢の物を朝・夕食時に食べるが、これがまた絶品である。


(初収穫したキウリはサイズよし、姿よし 味もよかった)

 (2)園芸、花つくりをやっていると初開花を見るのは最高の喜びである。

 今朝、ダリアの一株が開花した。約1週間前につぼみが一本伸びてきて楽しみにしていた。
 最初の開花だからまだそんなに堂々としていない。なんとなく恥ずかしげでひっそりと咲いている。
 毎年春には鶯が誇らしげに鳴き始めるが、きれいな声で鳴くには相当の練習が必要らしく最初は下手らしい。そんなイメージである。
 今年は30株ほど栽培した。最もきれいに咲くのは9月以降である。楽しみである。


(恥ずかしげに咲いた最初の一輪)


6/24(木)快晴 午後飯川病院勤務 
 1:00起床、文献チェックほか、資料整理。本読み。4:30キウリトマト枝まとめと固定、キウリ初収穫9本。9:00-11:00座学と自宅玄関風除室にすだれつるす下準備。穴あけなど。11:47バス飯川病院に。14:00勤務、入院患者対応、微睡読書など。家内は勉強会へ、
タクシー19:00帰宅、夕食、21:30就寝。歩数Σ7595歩。

季節の話題2021(13) わが家のチマキ作り今たけなわ
 チマキは、もち米を長円錐形または三角形に笹の葉で巻いてイグサで縛ったもの。
 もち米を植物の葉で包み、蒸す・ゆでるなどで食べる料理法は平安時代に中国から伝わった、といわれている。
 笹の葉には殺菌・抗菌・防腐作用があるため、保存食としても優れている。それは実感できる。

 我が家では、もち米を笹の葉に包んでゆでる「三角チマキ」を作る。


(出来上がった我が家の三角チマキ 日本各地でいろんな形のチマキが伝わっているようだ)

 緑萌える時期を迎え、クマ笹の葉っぱも一斉に緑化する。この季節になると我が家ではチマキづくりが行われる。
 これは我が家のお手伝いさんの石井さんの技能と仕事である。

 秋田市の中央墓地である天徳寺は小高い丘陵にあり、ここの道路脇に群生しているクマ笹を千枚以上採取してくる。これには石井さんの指導のもと、次男の嫁さん、孫たちが参加した。孫たちもチマキが大好きで嬉々として参加する。

 以下がその過程であるが、私は直接はタッチしないので詳細は語れないが、大体は以下のごとく。
-------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
1) もち米はザルで水切りしておく。
2)笹の葉を三角に折り、もち米約40gを詰め、もう1枚笹の葉をかぶせて三角に包み、紐で縛る。米は水分を含むと膨らむので軽めに縛る。
3)三角に縛ったチマキは、5個1束でまとめる。水に漬けて置く時、ゆでる時、吊るしておくときに便利。
4)出来たちまきは水を張った鍋に入れておく。
5)中火で約1時間煮る
6)チマキを吊るし冷やす。
7)チマキは、きな粉(砂糖・塩少々)とよく合う。とても美味である。
-------------------------------------------------------------------------------------------------------------------

 孫たちはチマキが大好きで4-5ケまたはそれ以上嬉々として食べる。その様子は見ているだけで楽しい。

 この時期、石井さんは千個以上のチマキを作るようであり、孫たちの家に届けるほか、ご近所、病院のスタッフにも提供しているという。北海道の、埼玉等の知人にも送られる。
 私も好きなのであるが、私に回ってくるのは少なく残念である。

 このチマキづくりは、秋田でも一部の高齢者にしか伝わっていない。
 多分、郷愁を感じさせる食品の一つとして市販品は永く残っていくであろうが、自家製のチマキは絶滅食品の一つに挙げられよう。

 惜しい地方文化の一つ、である。


6/23(水)晴 当直明けフリー 午後飯川病院
 1:00飯川病院で起床、文献チェック,新聞チェック。7:00検食、9:30書店訪問、12:20飯川病院勤務、14:00-16:00 COVID-19ワクチン接種6名。入院患者対応。19:15帰宅・夕食、21:30就寝。歩数Σ6223歩。

?日本の人口(2021)(7) 女性蔑視の典型 現皇后は「男子を産むべき機械」であった
 雅子さまは皇太子から結婚を望まれたがなかなか同意されなかった。最終的には外交官としてのキャリアを皇室のために、日本のために生かしたいと考えられ同意された、とのことである。
 だが、結婚後に皇太子妃として望まれがのは外交官のキャリアなどでなく、男子を産むことだけと言ってよかった。

 雅子さまはなかなか懐妊されなかった。6年後に懐妊されたが不用意なメディアのスクープにてショックを受けられ流産された。この後、一層強いプレッシャーがかかった。
 平成13年1月愛子親王を出産されたが、女児であったことから、続けて第2子、男子を産むことが一層強く望まれた。

 要するに、雅子さまは単に「産む機械」、「男子を産む機械」とみなされていた、と言っていいい。その後、人格否定を含む心ないメディアの攻撃にあい心身に異常をきたされ平成15年(2003)以降公務から距離を置くようになった。適応障害として治療を受けられたが病状は一進一退であった。一時は離婚すべき、秋篠宮を次期天皇に、と言うような暴言までメディアに登場した。その後も紆余曲折はあったが、現上皇様の天皇生前退位の意向表明後は雅子さまが次の皇后になることが確実になるとバッシングはサッと影を潜めた。

 今、皇位継承が問題になっている。
 「男系男子しか認めない」と頑なに主張する者たちがいる。
 皇位を安定的に継承していくには、皇室典範を改正し、女性・女系天皇、女性宮家を認めなくてはならない。

 ただでさえ基本的人権が著しく制限された皇室に嫁いだ女性が、2代にわたって激しい非難にさらされたことは重大である。
 
 皇室の方々は国民から見ると厳しい制約の中で過ごされている。
―――――――――――――――――――――――――――――――-
 ■職業選択の自由なし
 ■移動自由なし
 ■居住移転自由なし 
 ■表現の自由なし
 ■選挙権・被選挙権なし
 ■財産権なし
 ■婚姻の自由なし
 ■出産の自由なし
 ■信教の自由なし
 ■などなど・・・
―――――――――――――――――――――――――――――――-

 皇室典範を改正し、皇室の方々がもっと人間的な生き方ができるよう配慮して差し上げたいものである。

 裄V厚労相が2007年に「女性は産む機械」と表現して、政界だけでなくメディアも国民もこぞって非難したが、実は重要な意味のある内容の言葉であった。言葉上の揚げ足をとって非難するレベルで終わらしたことが、皇太子妃のバッシングにつながったし、日本の人口問題が今まで先送りされてきた背景の一つになった。


6/22(火) 快晴 外来 飯川病院ボランティア 飯川病院当直
 1:30起床。新聞、データ整理.書類処理、4:30可燃ゴミ提出、畑とダリアに散水、ダリアに有機肥料散布。6:47バス飯川病院、8:45-13:00中通病院外来。13:15飯川病院、14:00-19:00ボランティア、患者対応。17:00当直業務に、18:00検食、20;30就眠。歩数計8211歩。

日本の人口(2021)(6) 女性蔑視の言葉:かつて西洋人はなんて言ったか
 2007年1月、安倍内閣の柳澤厚労相は、自民党島根県議の集会で少子化対策に触れ、「女性を産む機械って言ってごめんなさい。その産む役目の人に頑張ってもらうしかないんです・・」どの発言をした。この発言に関連してマスコミが大きく報道し、辞任、罷免と大騒ぎになった。大臣は「失礼な例えであるが・・」と前置きしているが、通じなかったようだ。

 ならば、男性は「産ませる機械として共に頑張ってもらうしかないんです・・」ということ。日本の人口問題には男性にも責任があるからね。

 「女性は子どもを産む機械」に近い見方は過去にはいくらでもあった。
 西欧ではレディファーストなどと女性の立場を尊重する生活習慣がある。しかし、過去に遡れば全く逆で、著名人の発言を見れば、女性は蔑視されていたことを知ることが出来る。

 例を多少あげる
――――――――――――――――――――――――――――-
■J・J・ルソー:女が男と同じ権利を得ても、損するぱかりで、得になることは何もない。
■パウロ:男は神の栄光であるが、女は男の栄光であるにすぎない。女は男の肋骨からできたもの。男は女のために造られたのではないが、女は男のために造られた。人間が霊的存在であるためには、私のように結婚しないでいるのが最もよい。だが肉の思いを自制できないのなら、結婚するのもやむをえない。
■カント:女は知的天分に乏しい。男は愛している時に嫉妬する。女は愛してもいないのに嫉妬する。女は美しくて愛嬬があればそれでたくさん。ギリシャ語を頭一杯に詰め込んでいる女は、口髭でもつけるがよい。
■ミルトン:女は美しい不具である。
■ラ・ロシュフーコー:若くても美しくなく、美しくても若くない女は何の役にもならない。
■ショーペンハウエル:子供の世話をするのに女が向いているのは、女自身が子どもじみて、他愛なく、浅はかだからである。女は精神的に近視である。女は劣った性であり、男性に劣る第二の性である。髪ばかり長くて知能が足りない動物である。ずんぐりして尻の大きい、肩幅も狭ければ足も短い女を美しいなどと呼べるのは、男性が性欲に眩んでいるからで、女の美しさは、すべて性欲に絡んでいる。
■ニーチェ:女は神の第二の失敗作である。
――――――――――――――――――――――――――――-
(横浜市の開化館クリニック石田春夫医師の記述から引用)

 上記に挙げた著名人達は言いたい放題であるが、時代がそれを容認していた。もし、彼らが今の日本の大臣だったら明らかに罷免・問責に発展する。

 私は「今の日本には孕める子宮が足りない。人口問題のためには若い子宮を輸入しなければならない・・・」などと発言している。これはひどい意見とわかっているが、他に名案は湧かない。他にも案があれば知りたいものである。


6/21(月)曇りのち晴 健康クリニック 飯川病院
 1:00起床、新聞・文献チェック。読書中心。6:47バス病院へ。9:00-11;20健康クリニックドック15名+結果判定14名。11:30飯川病院へ。微睡読書、14:00勤務。入院患者対応。19:30帰宅夕食、21:30就眠。歩数計6125歩。

日本の人口(2021)(5) 女性は子供を産む機械(柳澤)?女性は子供を産むヴィーナスさん(福田)

 2007年1月下旬、当時の柳澤厚労相が社会保障の講演の中で「女性は子どもを産む機械」だと発言し、野党のみならず、与党内部からも辞任要求まで出た。当時のメディアはこぞって批判を繰り広げた。
 私は氏の発言の真意をうかがい知ることは出来ないが、不適切きわまりない発言であることは確か、と思った。しかし、氏が言いたかったことは「日本の厳しい少子化問題」であって、そっちを論じずに言葉尻を捕まえて批判するなど、与野党、メディアも幼稚である。

 一方、過去に「女性は子どもを産む機械」並みに扱われてきたことは歴史を勉強すれば分かること。私も講演の中でなんども、「女性の性、人格」が軽く考えられていた悪しき時代があった、と発言してきた。

 人類が食料を蓄め込むことが出来るようになって以降に民族単位の意識の高揚が始まり、冨の継承、血筋の継承が社会の構造維持に欠かせない意義を持ったが、この時に絶対的に必要なのは権力者の子供を産む女で、配偶者の他に側室や妾の存在も大きかった。

 封建社会では、血の継承が絶対的に重要であったが、近代社会においても国力維持のために子供を産むと言うことの重要性は変わっていない。私自身、「産めよ、増やせよ」の国策に添って両親が頑張ってくれたために終戦前になんとか間に合って生を受けた、と思っている。

 柳澤厚労相は当時人口問題を真摯に考えていたと思われるが、古い政治家だから、戦前の発想と共通する表現法をつい使ってしまったのだろう。
 そんな歴史を考えてくると「女性は子どもを産む機械」と言うニュアンスの発言は何ら特別のものではない、というべきである。ただ、それを不適切に「機械」に例えて口にしたのは配慮不足であった。

 女性に対してどの様に考えようと、思おうと、それは自由である。発言も自由である。ただ、立場とTPOをわきまえないといけない。自らを「産む機械」などと考える女性はいないだろうが、大臣を責めた男性連中に大臣を責める資格はあったのだろうか?? ただ、ちょっとお利口さんで口に出さなかっただけではないのか?

 私は女性が好きである。存在自体がどこから見ても素晴らしい。だから、大事に扱っている。もちろん、ピンからキリまであるが、それは多様性ということで納得しよう。

 人間の歴史、医療の歴史を学ぶ中で、女性が生命の危険を顧みず、妊娠・出産・育児で果たしてきた意義を考えれば、私は決して女性を軽んじることは出来ない。
 尊敬に値する、と思っている。「産む機械」なんて言えない。私なら「子どもを産むヴィーナスさん」と言うだろう。

<a href="https://blog.goo.ne.jp/mfukuda514/e/1eb4b657d0fd59624161393d0561c570">妊産婦死亡率(1)安全になった我が国の出産 だが、決して「当たり前のこと」ではない</a>
<a href="https://blog.goo.ne.jp/mfukuda514/d/20150824">医療の時代と死生観(3) 医療の歴史を振り返る(1) 出産を例に考える</a>


 6/20(日)快晴午後一時降雨 畑園芸中心 草刈り14回目
 1:00起床、いつもの如く、新聞、文献など。蓄積データ大幅に整理。8:30園芸畑作業。草刈り14回目、2巡目に。畑の草刈りも。午後、微睡後DIY店訪問、里芋の苗購入。畑に本植え。えだ豆蒔く。16:00新聞チェック。17:00書斎整頓、不用品廃棄。録画でN響次期主席のF・ルイジのベートーヴェンNo7、ブラームスNo4、小沢・ロストロポーヴィチによるドンキホーテ鑑賞。19:20夕食、20:30就眠。歩数計10169歩。 

日本の人口(2021)(4) 現在の人口問題 出生数の著しい減少
 長い経過があったにもかかわらず、有効な手立てをとってこなかったのに、政治家もメディアも今になって少子化少子化と騒いでいる。人口問題は予測可能であり、その弊害が生じてから対策してももう遅い。

 我が国の人口問題、出生数はすでに不可逆的レベルに達した。私はそう思う。

(出生数は往時の1/3程度に減少)

 しかし、だからと言ってこの子育て問題を放置していいというわけではない。
 出生数急減は社会や経済の活力を奪い、社会保障制度の維持を難しくする。それは社会にとって重要問題であるが、そんなことを強調しても出生数は増えない。

 子供を育てたいと思うような社会の構築が必要がある。

 現在の核家族による子育て環境は、新生児が未熟状態で生まれてくる人間の出産、子育てを考えると自然に反している異常習慣である。ましてや一人親家族の子育ては厳しい。
 2020年、出生数は約2万4千人減少し、84万832人と過去最少を記録した。21年は80万人を割るおそれが強まっている。
 
 出生率の低下や出生数の減少を、このまま放置することはできない。政府、自治体、経済界が人口危機を正面から受け止め、あらゆる策を総動員するときだ。今は、そのラストチャンスと言っていい。

少子化の要因をざっとあげると
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 ■少子化の最大の要因は、戦後から始まり始めた高齢化および少子化。
 ■子供を産むことができる年代の人口、特に女性は減少を続けている。
 ■だから、出生率を論じてもダメ。敢えて言えば出生数の減少を論じるべき。
 ■若者達の出会いの機会も減っている。
 ■婚姻率の低下と未婚化・晩婚化。非正規社員を中心に雇用が不安定になり、将来への不安が高まっている。婚姻率は価値観の変化などとともに減少傾向にある。
 ■離婚率の増加、最近は減少。離婚率は2002年には戦後最高値の0.23%。それ以降は離婚率は減少傾向。直近数年間は0.20%を切り、さらに漸減する動きを示しているが、婚姻率がそれ以上低下している。
 ■COVID-19の流行が出生数の低下に拍車をかけた。
 ■などなど。 
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今後の対策をざっとあげると、効果は大きくないだろうが、以下の如く
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 ■最優先すべきは、COVID-19の流行の収束で社会を安定させること。まずは経済を正常化させ企業の中途採用の拡大や非正規の処遇改善などに取り組み、若い世代の生活基盤を支えたい。
 ■男性の子育ても参加も重要。日本の育休制度は世界トップレベルだが、男性の利用は7.48%だけ。”男性産休"改正法が成立した。
 ■東京に若者が集中しているが合計特殊出生率は1.13と全国で最低。少子化対策は重要。
 ■地方によっては女性の就職先が少ない。女性の流出が止まらなければ出生数は増えない。
 ■政府の役割は大きい。効果的な支援には、安定財源が不可欠。
 ■子どもを持ちたい、という若い世代の思いに、官民をあげて応えるべき。社会・地域を挙げて子育てを支えたい。


6/19(土)曇り時々降雨 
1:20起床、新聞、文献など。午前畑と庭の見回り。外仕事まとめてはできず。座学中心。午後微睡、網戸小の張り替え、キット購入にて比較的簡単に綺麗に出来た。16:00書斎にて新聞チェック。録画にてジュリアナ東京、N響定期次期主席指揮者のF・ルイジのインタビューなど。片付けなど。19:00カツ吉のテイクアウト夕食。歩数計5470歩。

日本の人口(2021)(3) 戦後の人口問題 子供は貴重な労働力だったが今は消費者
 
戦前の価値観の否定と民主化。

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??戦後の従来の価値観の否定と民主化。
 第二次世界大戦が終了し、第一次ベビーブームが生じた。日本は窮乏の時代を経て朝鮮戦争特需で急速に経済復興した。
――――――――――――――――――-
??第一次ベビーブームによって生まれた多数の若年労働人口は10歳程度でも簡単な労働力となり家庭を支えた。中学卒業後は田舎から都会の工業地帯に大量就職した。日本経済を支え、仕送り等で田舎を潤した。

 この頃は子供が多い家庭ほど親にとって見返りがあった。
 この時代、「親の中に子供がいて、子供の中に親がいた」。良き時代だったかも。

 子供一人あたりの養育期間は15-16年間程度。
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??日本は高度成長期を迎え、国民全体が経済的に余裕が生じ、家庭内の人間関係に変化、より孤立性となる。
 子供は高校進学が当たり前となり、家庭内での労働力としてアテにならなくなったばかりでなく、手伝いもしなくなった。

 子供一人あたりの養育期間は18-19年程度。

??子供達は家庭を持っても親と別居。古き良き家庭が持っていた養育・介護、世代間の生活協力等の機能が崩壊。
 子供から親に対する経済的援助は期待できなくなった。親にとって子育ては無償の労となった。
 この時代、「親の中に子供がいたが、子供の中の親の影は薄くなった」。時代の変遷かも。

??子育ては夫婦単独で、主に母親が担うことになった。
 社会資源が乏しい中、妊娠・出産・子育、教育を含め、女性・母親の負担が増大。成長とともに教育費の負担が増大した。
 大学進学率は高まり、塾や予備校も含め教育費は子育て費用の中心となる。子供は一人又は二人程度。
 教育費の一部にするために母親がパート勤務などに。この時代、「親の中に子供がいたが、子供の中の父の影はどこかに行ってしまった」。
 とにかく、女性の負担が大きかった時代。子供はせいぜい二人が限度。出生率は1.3程度で改善しない。

 子供一人あたりの養育期間は22-24年程度

??長期的には日本は低成長時代を迎える。子育てにも当然影響を与えることになろう。

 時代とともに親世代と子供世代の関係が変化した。親にとっての子育ては生物としての喜びであるが、子供からの見返りはほとんど期待できない。

 だから、どんなに政治家が騒いでも、メディアが騒いでも、出生率は1.3程度で改善しない。


6/18(金)快晴暑い 大曲中通病院外来 飯川病院ボランティア
1:00起床、文献・新聞チェック入力。何時ものごとく、5:00可燃ゴミ廃棄。ダリアに給水、2本ほどツボミが見えた。数日で開花か。7:35Taxi駅東口に、8:11こまち。先頭車両は3人。9:15大曲外来,往徒歩。秋田駅飯川病院徒歩。ボランティア。新聞チェック。19:30帰宅、夕食、21:00就眠。歩数計8090歩。

日本の人口(2021)(2) 政府は具体的対策を取らなかった
 出生率の目標値をあげたとしても「産む産まないを決めるのは個々人に任されるべきであって政府が口を出すべき問題ではない」、という考え方は、第二次世界大戦前までの日本ならいざ知らず、近年では定着した考え方である。だから、こんな数値をあげても影響を受ける人はいない。

 そんなことよりも何で出生率低下が生じたのか、を考えなければ解決しない。いや、考えても解決しない。もう遅い。
 私は、人口問題は文明の発達に伴う自然の流れであり、流れに逆らうことはできない、と思う。

 例え、ドラスティックな環境整備、経済的支援をして、妊婦、出産前後の女性を保護し、子育てを支援し、教育費を補助したとしても、微々たる効果しか期待できない。
 ましてや今の日本はそんなことはできない。だから、人口問題は解決しない、と思う。
 だから、7000万人時代に見合う社会を構築するよう発想の転換を考えたほうがいい。これについても政府には具体策はないようだ。

 少子化の最大の要因は、未婚化・晩婚化。非正規社員を中心に雇用が不安定になり、将来への不安が高まっている。出会いの機会も減っている。こうした状況に、COVID-19の流行が拍車をかけたのは間違いない。

 次の代表的原因は、現代の若い男女にとっては子供がいなくともそれほど困らない、ということ。子供を持つことの意義と子育てに楽しみを感じている夫婦にとってすらも、子供は1~2人で十分であり、もう一人欲しくても子育ての人的負担と経費、特に教育費の負担が大きくなりすぎて無理、と言う。

 何で人は子供を産むのか?何で産まなくなったのか?そこから考えなければならない。
 思いつくまま人口問題の推移を挙げてみる。
――――――――――――――――――-
??人類の発生。生物としての繁殖能・種の保存能のもと、新生児高死亡率による多産多死を乗り越え、人類が存続してきた。
??社会化と共に、種族・部族の維持繁栄のため多産傾向強まる。
??農耕文化の発展とともに種族・部族としてマンパワーの必要度高まる。
??蓄財が始まり、貧富差が生じた。直系の血筋を重視する家族、家の概念。
??貧富差の拡大、上層階級は血筋重視、下層階級は子供は労働力として必要となる。
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??安政の不平等条約の屈辱から、明治以降は富国強兵策を掲げ、国家の意図的な出産・育児・教育政策が画策され、人口が急激に増加。
??明治時代には管理体制として「家」制度が再編成・強化され、女性には「家」を守るために男児の出産を半ば強要。
??明治以降の農業生産力の増大、工業化による経済発展と国民の所得水準の向上と生活の安定、公衆衛生水準の向上等で、人口は増加の一途。
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??軍国主義的人的資源の増強によって、女性に男児の出産が奨められた。
??国は、資源が少ないことから将来経済的に一層窮乏していくと考え、国外に食料、エネルギーを求める大東亜共栄圏構想へ。このことで日中戦争・第二次世界大戦に進展していくことになる。


6/17(木)快晴 終日飯川病院 
1:00起床。録音他各種データ整理。4:30外周り、ダリアに散水、特に問題なし。家内に同乗、9:00飯川病院勤務、院長大学病院受診のため。午前外来、午後入院患者対応、検食、微睡、散水など。19:30帰宅。夕食、21:00就寝。歩数計5365歩。

日本の人口(2021)(1) 第一次ベビーブーム直後から危機の指摘があったのに
 約60年前の、第一次ベビーブーム直後から日本の人口問題に危機の指摘があった。しかし、政治家、産業界、教育界の誰しもが注目しなかった。ここまで放置しといて、今更慌てても、少子化、出生率の減少はどうにもならない、と思う。

 日本の少子化が止まらない。合計特殊出生率は2020年に1.34となった。低下は5年連続で、07年以来の低水準である。出生数は約2万4千人減り、84万832人と過去最少を記録した。21年は80万人を割るおそれが強まっている。

 国にとって少子化は社会の全ての分野に影響を与える。
 出生率の低下や出生数の減少を、このまま放置することはできない・・・、と今更ながら政府、自治体、経済界が騒いでいる。もう遅い。

 人口増政策は時代の流れと自然の摂理に逆行する施策であり、安倍政権が2014年人口減対策の考え方をまとめた文書に、出生率1.8を「目指すべき水準」と記した。これに対し「出産の押しつけだ」等とメディアは騒ぎ、政権の方でも「数値目標ではない」と躍起になって説明しているようだ。「出産の押しつけだ」などと騒ぐ方がおかしい。出生率1.8など掲げてもそのために子供を産もうという女性がいるのだろうか。まさか!! と思う。
 何で出生率1.8に設定したのかがよく分からない。おそらく日本の人口はこのままでは50年後に7000万人程度になることが考えられるため、人口1億人を維持するために「当面は出生率を1.8程度を目標にしておく」と唱えたのであろう。

 日本の人口の将来像は第二次ベビーブームが落ち着いてしばらく経った頃から専門家の中では予測され始め、出生率の低下傾向の推移から将来日本が迎えるであろう状況は60年以上も前から予想されていた。国力の維持は人口数の維持が基本である事は確かである。ところが当時政治家、産業界、教育界の誰しもが注目しなかった。ここまで放置しといて、今更慌ててもね、と思う。

 まず、なんで7000万人程度ではダメなのか。そうなると日本はどうなるのか?
 私はかねてから人口問題に関心があったから凡そのことは理解しているつもりであるが、政権の文書の中に出生率1.8と具体的に出すなら、なんで7000万人ではダメで、1億人ならいいのかの考え方を具体的に提示すべきである。

 次に、何で出生率が減少しているのか?その分析結果も提示してほしい。

 私でも出生率の低下原因に関して20項目程度の要因は挙げられる。
 その内の代表的原因は、現代の若い男女にとっては子供がいなくともそれほど困らない、ということ。子供を持つことの意義と子育てに楽しみを感じている夫婦にとってすらも、子供は1~2人で十分であり、もう一人欲しくても子育ての人的負担と経費、特に教育費の負担が大きくなりすぎて無理、と言う。

 それに、日本は出生率が低くて国が維持困難になろうとしているのに、妊婦や子連れに対して世間の目は一般的に冷たい。社会が人口減問題に目覚めていない。妊娠・子育て期間中の母親はひたすら忍従を強いられる。子供ができるまでは共同作業であろうが、子育てに夫の協力も得られ難い。社会もそれをサポートしてくれない。これでは女性は大変である。この困難な時期を乗り越えた女性のほぼ全てが困難を自覚して居るはずなのに、喉元過ぎれば・・・と関心を持たないし、発言もしない。

 この、子供がいなくともそれほど困らないという考え方、子育ての負担を負いきれないと考えに対してどのように対処していくのか、また、「結婚、出産に関する国民の希望が実現すると、出生率は1.8程度に改善すると試算した」というが、これこそが至難事項である。どう対応するのか。

 私は、日本の人口危機をあらゆる策を総動員したとしても日本の人口数を維持する事はもうできない、と思う。


6/15(火)午前曇り午後快晴 中通病院外来 飯川病院  
0:30起床,いつもと同じ、5:30可燃ゴミ、ネコ対応、6:47バス飯川病院。8:45-12:45中通病院外来。13:15飯川病院へ、微睡。14:00-18:45飯川病院勤務。入院患者対応なし。19:30帰宅、夕食、20:30就寝、歩数計8968歩。

季節の話題2021(13) 家庭菜園・園芸(1) ダリア(1)
 今年、ダリアを昨年同様、住宅の前のスペース4辺のうち3辺に、およびに2ヶのプランターに合計34株植えた。

 ダリア栽培は今年まで10余シーズン経験している。
 球根の保存は難しい。まだ試行錯誤的である。昨秋掘り起こした球根はダンボールに入れ凍結を恐れ居間の隅で越冬させた。3月6日状態を確認したが、一部はカビがつき、一部は腐敗、過乾燥状態、一部はすでに発芽するなどいろいろであった。
 昨年は過乾燥状態になっていて発芽するかわからない状態であった。今年はそれを反省し居間の窓際で保存した。居間の暖房のためだろう。ちょっと失敗したか?と今年も反省した。
 
 昨年は過乾燥で半ば諦めていたが、仮植えという新しい手法を導入したところ予想外に発芽した。今年もこの手法をとることとし、4月8日に花壇の一角に条件のいい球根を10数ケ選び、腐葉土を中心とした柔らかな土に仮植えした。
 5月上旬に一部から発芽が見られ、15日過ぎには全株から発芽した。5月26日から仮植え球根を掘り出し、球根の状況に応じて分株し、6月上旬までかけて順次本植えにした。

 本日の段階で32株に分株され全株が発芽した。今年は株ごとの成長状態が様々で。最も早い株にはツボミがついた。


(庭の南側のダリヤコーナーの現状 成長の早さは様々)


(もうツボミがついた どんな花が咲くか楽しみ)

 お盆頃には居間から見るとぐるっとダリアに囲まれたようになるだろう。楽しみである。
 
 ただ、今年の問題点は、越冬直前までは株の名前、花の色を記録し、各々に荷札をつけていたが越冬中に荷札が劣化して判別不能となった。だから、今年は開花してみないと分からない。別に名前などどうでもいいのだが、管理上失敗してしまった。荷札がわりになるプラスチックのカードもあるというので次はそれにする。

 各々はいずれも見事な花を咲かせるが、花を咲かせることはそれほど苦労はない。土と、日光と水、それに肥料の威力は絶大である。
 ダリアは短期間に急速に成長するから茎は中空で風に弱い。特に大輪の花は自立さえできないのもある。支柱をうまく使う必要がある。

 強風が予想されるときには支柱を追加し、ビニールテープで根元から花の位置までグルグルと簀巻き状態にして枝折れを防ぐ。
 ダリアの世話は休日が中心であるが、休日は飯川病院の日当直に当たることが多い。その日が良い天気だと心穏やかではない。

 幸い、全株ほぼ順調に成長している。早い株はもう蕾をつけ始めている。我が家のダリアのシーズンの始まりである。今年もなんとかここまで来た。


6/14(月)晴れ 健康クリック 飯川病院 
0:30起床、いつもの如し。データ整理、一部廃棄。5:00畑に散水。6:47バス飯川病院。9:00-11:30健康クリドック14名+結果判定。11:45飯川病院へ、微睡、14:00から業務、入院患者対応。散水昨年ハイビスカス2鉢外に。19:00帰宅、夕食。20:30就寝。6671歩。

終活2021(6)  私は物欲が少ない方だ、と思っている(2)
(10)面倒くさがり(○):物欲がない人は面倒くさがり屋の性格も持っていて、世間に興味を持つことも、他人に興味を持つことも面倒という。 私の場合は、興味ある部門には労を惜しまないが、それ以外はだめ。人が多いところ、旅行や行楽がその最たるもの。

(11)マイペース(○):全て自分のペースで進める。ただ、そのタイミングはワンからツーテンポくらい遅れてしまう。物品の購入などを提案すると家族から「何を今更・・」と呆れられることも多い。

(12)単独行動を好む(○):現在の医療はチーム医療が求められる。私の場合は仕事の面でも誰かと一緒に進めるのは苦手であった。 よく総合病院の内科で働いていたな、と思う。一方、同僚には迷惑をかけた。

(13)平和主義(○):誰かと争う、競争することは好まない。私の場合はその場を回避するか、自分が我慢する道を選ぶ。我慢することには慣れている。

(14)リアリスト的性格者が多い(○):物欲がない人は、先を見据えてより安全な道を選ぶ、とされる。私の場合は予想できる困難には、あらかじめ準備し対策を考えている。要するに臆病なのだ。

(15)精神面での満足を求める(○):私の場合は物にこだわることをせず、精神面での満足感を求める。自己研鑽といえばかっこいいが、昨日とは違う自分でありたい、と思う。

(16)自分の物欲の多くはすでに達成されている(○):物欲は少ないからほぼ達成している。

(17)物品はコストパフォーマンスを考える(○):例えば、時計など興味がないから100円のでもいい。時間は大事にする。気に入った分野の品にはそれなりのコストを惜しまないが、どうでも良い分野の物品は旧製品、中古品でも十分満足できる。使用中に故障した際などには可能な限り修理して使い続ける。

 どなたの案かはわからないが、某誌に掲載されていた物欲についての記事に私自身の性格や状態を当てはめてみた。それによると私は物欲が少ない方だ、と判断できる。
 根拠は乏しいが、この結果をバネに終活を一層進めたい。


6/13(日)晴れ 畑園芸関連 草刈13回目2巡目終了
1:10起床、徒然など。データ整理。8:00庭、畑のケア、散水。草刈13回目2巡目終了。庭の樹木の枝払い。11:00作業終了。座学に・微睡。13:30DIY店、ねぎ苗、グリ墓用のクレマチスなど、電動のこ替え刃購入、培養土購入。ネコ部屋天井に通路作成、玄関に手すり作成。17:00書斎で新聞チェック、録画でルーブル美術館など、19:00夕食。20:30就寝、歩数計12797歩。

終活2021(5)  私は物欲が少ない方だ、と思っている(1)

 物欲は誰でも持って居るが、その強さや求めるものは人それぞれ、と言われる。

 物欲は、個人の置かれて居る環境、例えば経済力、権力の有無でも変わってくるが、ある本を読んでいたら物欲が少ない人には生活や性格に一定の傾向がある、と述べていた。
 引用文献については記載がないために誰が考えたことなのかわからないが、参考になるためにそれを引用し、それが自分にも当てはまるかをチェックしてみた。

 自分に当てはまるのは(○)、当てはまらないのは(X)とした。

――――――――――――――――――――――――――――――-
(1)貯金ずき(X):私の場合は無駄遣いしないし浪費もしない。利殖など興味がない。働くことが一番。年齢の割に仕事に恵まれているので貯金などに関心もない。現役退職後の10年間、私の金銭関連の全ての管理は家内に奪われており現状についてどうなっているか不明。
 
(2)冒険しない(○):現状維持を好み、敢えて冒険しない。リスクを負うことが嫌い。チャレンジしようとも思わない。
 評価がわかるまでは新しいことを受け入れない。複数の人が安全、と勧めてくれるまで行動を起こさない。物品ならそれまで買わない。

(3)世間に疎い(○):自分の世界の中だけで生きていて、世の中のことをあまり知らない。特に、最近流行っていることに対してまったく興味がない。知りたいとも思わない。私は衣食に関してはノータッチなので、たまにスーパーなどに行くと食品の値段を見てびっくりする。

(4)他人に興味がない(○):興味があるのは自分だけ。「自分は自分、他人は他人」と思っている。私は「自己満足男」と自認している。他人の持ち物を羨むことはない。
 
(5)もの持ちがいい(○):使い慣れているものをいつまでも大切に使い続ける。他では代用が効かない。例えばボールペンなどは芯だけを購入して長年使っている。車は22年も用いた。 服装に関して擦り切れるまで着る。家内にはみっともない、と言われる。面倒なのでいつも作業服を着ている。

(6)一人でいることを好む(○):他人と話が合わない。人と一緒にいても苦痛だけ。だから、友人もいない。

(7)いつも忙しい(○):自分の生活に、趣味にやりたいことが詰まっておりいつも忙しい。いかに少なくするか、思案中。

(8)こだわりが少ない(X):物欲が少ない人はこだわりが少ないという特徴があり、他のもので代用ができるという柔軟性を持っている、という。 私の場合は真逆で持ち物、愛用品に対してのこだわりは強い。

(9)食品にこだわりが少ない(○):この性格は明確という。私の場合は、質的にも拘らず、身近な安価な食品で満足する。 賞味期限・消費期限などにもこだわらない。

(次に続く)


6/12(土)晴れ 当直開け午前フリー、午後飯川病院日直 
1:10起床、随想読み、徒然など。映像データ整理。9:00書店訪問、12:30-19:00飯川病院午後日直、患者は落ち着いている。微睡後外作業の追加。16:30以降は座学。小説読み、視聴する。データ整理。19:30帰宅夕食、21:00就寝。歩数計4846歩。

終活2021(4) 生まれた時には何も持ってこなかったのに・・・・
 私は生まれた時には何も手に握ってこなかったし、その頃は物の所有欲などは一切なかったのに、75年余生きて来た結果、今は物に囲まれた生活をしている。
 なんでこんなことになるんだ?

 いや、それでも私は物欲は少ない方、所持品は少ない方だと思う。
 それでも、何故、こんなに物品を所持してしまったのだろうか?

 まず、人間は成長とともに理性では抑えられない、本能的な欲求を備えていくと考える方が楽である。
 生きるために飲食する、家族や大切な人を守る、恐怖や危険から逃れたいとか・・・。
 人間にはこういう本能的な欲求がいくつもあって、 その中に「人生を楽しみたい」という欲求がある。この欲求自体がなければ、向上心が生まれない。
 人は道具を使って生活を豊かにする。今より良い生活を望むからこそ、現状の状態に不満を抱くようになる。人間の本能に、この欲求「向上心」が組み込まれているということ。

 心理学者A・マズローは「欲求階層論」という考え方を提唱している。これは、人間は、ある欲求が満たされると、より高次の欲求を満たそうとする、という。人間の欲求は、「生理的欲求」、「安全への欲求」、「社会的欲求」、「自我欲求」、「自己実現欲求」の、低次から高次元までの、5つの階層をなしていて、低次元の欲求が満たされれば次のレベルの欲求へと移行する、とした。だから、人間の欲望には限りがない、ということ。

 確かに人それぞれ物欲の強さが違う。それは個々が生まれ持った欲求、後天的に備わった欲求の強さの現れともいえる。 それは人生のステージでも異なり、経済力でも大きく異なり、権力を行使できる状態か否かでも異なる。

 人間は他の生物とは違う。人生を楽しみたい、という欲求自体は、 人類全員が持っている。だから、それを具現していくために物欲が消えることはないだろう。

 物欲を満足させるには、ストレスが蓄積したときに買い物をするというのは、一番手っ取り早くストレスを解消できる方法である。なぜなら、代価さえ払えば欲しかった品がすぐに手に入り、 自分が思ったレベルの結果がすぐ得られるから。 しかしながら、衝動的に欲しい物を入手したとしてもその幸せ感は一般に短時間である。

 私は、どうなのかというと、欲しい物を衝動的に手に入れる事はしない。熟慮してから決断する。


6/11(金)快晴 大曲外来 飯川病院ボランティア+当直
1:00起床,新聞文献、徒然など。5:30可燃ごみ提出。6:00頂きダリア5株本植え、これでダリアの本植えは全て終了。散水。7:35Tax駅に、8:11こまち。9:10大曲中通病院外来。駅病院間往徒歩。書店訪問。15:00飯川病院ボランティア。17:00当直、18:00検食、20:00就寝。Σ7834歩。

終活2021(3) 書斎兼オーディオルームにCDが一枚もなくなった
 2011年の東日本大震災は私の生活への見直しのきっかけとなった。特に津波で破壊された街の様子、瓦礫の映像は衝撃的であった。
 私が特に意識して収集してきたのは書籍と音楽のソース、再生装置であった。それで震災以降は「もういい、もう十分だ!、もう持ち続ける必要はない」,とこれらの物品を中心に整理し始めた。

 オーディオ機器の整理は震災よりはるか前の2000年頃から徐々に開始していた。音質追求に限界と虚しさを感じたからで、超重量級のプリアンプ、メインアンプを廃棄し、最後は2019年のタンノイスピーカーGRF-memoryの処分で一段落した。私が半生かけて追求してきた重厚なサウンド再生と完全に別れを告げた。

 私のオーディオシステムは重量級から片手で持てる程度の超軽量のミニコンポに代替わりした。ちょっと寂しかったがずいぶん身軽になった。音も軽く軽薄になったが、実際にはこれでも音楽を聴くには十分である。真摯に聞きたいときはパソコンまたはスマフォを介してヘッドフォンで楽しむ。

 CDの処分は2017年に終了、レコードの廃棄は2020年に終了した。
 CDは廃棄する前にデジタルデータだけをパソコンでMP3化したので具体的に失ったのは光り輝くディスクのプラスティックの塊だけであった。

 レコードはアナログでありデジタルに変換してデータとして保存してから廃棄する、という方法もあったが、ずいぶん時間がかかる作業であり、レコードの枚数と私の残り少ない余命を考えるとそんな時間はなかったのでビニール系樹脂の塊と捉えて一気に廃棄した。

 最近までかかったが、私の書斎=オーディオルームの簡素化は、書籍もCDもレコードも一切なくなった。これらに関してはかなり目的を達成した、と言える。

 代わりにメインになったのはTV番組の録画装置である。私が使って居るTVチューナーには大容量のハードディスクが内蔵されており、12倍速の通常の録画ではびくともしない。週末などには書斎でこれらを鑑賞する。美術館巡り、各種のコンサートの記録は私にとって有用である。美術品はもちろんであるが、演奏会記録も画像がある方が演奏者の表情がわかるのがいい。これはレコードやCDを凌駕するメリットである。

 物品が少なくなったこの書斎はとても落ちつく。しばらくこの貴重な時間を楽しみたい。


6/10(木)快晴 午前フリー 飯川病院 
1:30起床,文献整理。いつもの如し。8:00外仕事、畑は根の固定、キウリつるガイド。ダリア追加本植え。グリフィス埋葬。頂きダリア5株のうち3株本植え。11:52バス飯川病院、微睡。14:00勤務、入院患者対応。19:15通町書店経由帰宅、夕食、21:30就寝。Σ10548歩。

終活2021(2) 書斎に書籍が一冊もなくなった
 書斎を横切るのも大変になったので、この際、書籍のほとんどを処分することにした。
 その決断の背景には東日本大震災が大きく関係している。この書斎の状態で大地震が生じたら、書斎自体がメチャメチャになるだけでなく、書斎で仕事中に大地震でも起こったら私自身のいのちも危ない、と自覚したからであった。

 そうは言っても私は本を捨てられなかった。
 私が採った方法としては、書籍そのものを所蔵する暮らしから、書籍を電子化しデータを保存する、そういう新しい発想に踏み出した。
 蔵書のデータ化に具体的に着手したのは2011年夏、東日本大震災から数け月後であった。それだけ被災地の瓦礫のインパクトが大きかったからである。

 時期を同じくしてMac用のドキュメントスキャナーが富士通社から発売になり、私は飛びついて購入、現在に至るまで大活躍している。初期型から現在は3代目の機器医を用いている。スキャンは両面可能で一層高速になり、200ページほどの文庫本なら2分ほどで電子化できる。

 大学時代に読んだ書籍、自宅新築時までに購入した書籍の大部分は段ボールに入れてガレージの2Fにまとめてあった。それらも含め、現在に至るまでほぼ連日数冊ずつ作業を進めた。
 私の書籍としては90%ほど電子化しことになる。優に1000冊は超えるだろう。例外的に残してあるのは美術系の画集で、これは電子化に向かない。

 今でも書籍は月に15冊ほど購入する。それらは数日中にデータ化されパソコンとiPadに保存され、書架に並ぶ事は一切ない。
 結果的に本で溢れていた私の書斎から全ての本が消えてしまった。

 さりとて私は電子書籍で購入するのは好まない。今まで電子書籍は10冊程度しか購入していない。ほぼ全て紙の書籍を購入し、自分で裁断して電子化する。この作業は自炊と呼ばれるが、楽しいし、自分でやらなければ著作権法に抵触する。もちろんデータを他人に提供してはならない。

 書籍の電子化で重たい書籍との戦いは終わった。
 データを400g程度のiPad miniにうつせばいつでも読める。書籍の全データは200gほどのハードディスクに収納し、3重にバックアップも取って厳重に管理している。

 私はパソコンなどの電子機器を気軽に操作できるわけではないが、この程度までならなんとかなる。いい時代に生まれた物である。


6/9(水)快晴 午前フリー 草刈12回目 飯川病院 グリフィス死す
1:15起床,文献読み、データ整理中心、いつもの如く。4:30畑見回り。8:00草刈り12回目、昨年ネギ50本植える。11:50バス飯川病院、14:00勤務。入院患者対応、肺炎球菌ワクチン接種。19:30帰宅、夕食、20:15慢性的摂食不良で衰弱していたグリフィス死す。21:00就寝。Σ7458歩。
 
終活2021(1) 所持品整理
 私は幸せなことに自宅に12畳ほどの広さのプライベート空間を持っている。いわゆる書斎という部屋である。
 一時は9人が同居していたが、子育てを終え今は少人数の家庭になった。我が家は8LDKらしいが、2部屋は物置と化している。
 家族と言え、家内とは互いを思いやれる距離を保ちながら別々過ごす場所があるのが理想である。さらに、別々でもいいし一緒でもいいが一緒に費やせる時間も豊かにあれば一層いい。だがその面ではまだ不十分。

 書斎を持っていたから、書籍に囲まれ幸せを感じ、音楽好きであったから音響機器、レコード、CDとかに囲まれ実に幸せであった。
 加えて私の場合、書斎スペースの一角は木工などの作業・工作場を兼ねていて簡単な電動工具などをがそろっている。これまた幸せである。
 それでも実際には自分用の簡易ベットがあり、用いている事務机も大型なので意外とスペースに余裕はない。そうそう、大型の仏壇もある。
 比較的広いと思っていた書斎も歩くスペースにもこと欠くようになった。

 私は特に贅沢品を好むわけではない。生活用品は並なものでいい。ただ、物を捨てられない。特に、知的とされる分野、書籍、音楽ソースなどは収集癖もある。

 1965年(昭和40)年大学に進学してから狂った様に本を読んだ。社会に出てからは生活費を切り詰めてまで書籍の購入、オーディオ関係の機器、音楽ソースの購入に充てた。
 それらの一部は書斎をはじめとする書架に並べてあったが、並べきれないものは箱詰めにしてガレージの2Fに積み上げていた。
 要するに、もう滅多に利用しない物に囲まれて幸せを感じていた。

 私の家はゴミ屋敷に近い!! それを意識したのはやはり加齢である。家内など、「こんな状態ならば100歳まで生きても収集してきたものを味わいきれないでしょう・・」を脅す。その通りである。
 もう一つの切っ掛けは、東日本大震災の被災地の様相であった。生活者の全てが「いのち」を含め一瞬にして瓦礫と化した。その現実は見るに忍び難かった。従来の生き方を見直した。

 我が家が津波に襲われることは日本沈没以外考え難いが、私の脳裏からはあの様相が離れない。
 それで身辺を整理することとした。

 断捨離という流行語があった。その意味は、■1. 断:入ってくる不要な物を断つ、■2. 捨:家にずっとある不要な物を捨てる、 ■3. 離:物への執着から離れる、こと。
 すなわち、物への執着から「離れる」ことにより、「もったいない」という固定観念に凝り固まった心を開放し、身軽で快適な生活と人生を手に入れようとする考え方である。その方向には同調するが、断捨離はヨーガの行法の言葉が由来であり、私にはしっくりこないから使わない。 また、■1. 断:入ってくる不要な物を断つ、は馴染まない。私は今でも月に15冊ほどは書籍を買い込んでいる。


6/8(火)晴れ曇り一時雨 中通病院外来 飯川病院ボランティア 
1:15起床,新聞・文献チェック、他。5:00可燃ゴミ廃棄せず。6:47バス飯川病院へ、8:45-13:00中通外来。中通病院院長交代があった。秋大第三内科から赴任の奥山医師。13:15飯川病院へ、微睡、14:00ボランティア、データ整理・新聞チェック。19:20帰宅、夕食、20:30就寝。Σ7944歩。

本 帚木蓬生:「沙林」 偽りの王国(3) 帚木氏の怒り
 地下鉄サリン事件から25年、今でも多くの方々が視力障害などの後遺症を抱えている。
 日本ばかりか世界をも騒然とさせた地下鉄サリン事件。まるで全容の見えなかった松本サリンと併せて、あの事件は、全てがショッキングな出来事であった。

 地下鉄サリン事件を扱った本としては、村上春樹氏の「アンダーグラウンド」と「アフター・ダーク」が忘れ難い。二冊とも、事件に巻き込まれた多数の人たちのインタビューで構成されていた。
 村上氏が、人間のもたらした闇を人間の立場から、帚木蓬生氏は精神科の医師の立場から化学兵器に於ける毒性と治療という観点から事件が再検証している。
 化学テロという歴史の汚点の解明者として、両氏の作品とも最後には人間の「いのち」に焦点を絞っている。犠牲者たちの上に連ねられた文章の重みがあまりに痛々しく、そして凄まじい。

 平成の時代の日本に於いて、狂った集団によって箱庭的な「偽りの王国」が造られようとした事実を忘れてはならない。

 化学兵器のサリンが世界で初めて用いられたのは1994年6月の松本サリン事件であった。翌年3月東京地下鉄サリン事件、6000人以上が被害を受けた。
 当時メディアは事件を詳細に報じ、裁判でも長期にわたって裁かれた。しかし、全体像は未解決であった。
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 ■結局は金集め。
 ■高学歴者の洗脳。殺人兵器作成と実践
 ■事件は各所で起こったが、警察の捜査に横の連携を欠いていた
  坂本弁護士事件 神奈川県警
  国土法違反 熊本県警 
  松本サリン 長野県警
  公証人殺害 警視庁 
  上九一色村 山梨県警
  教団本部 静岡県
 ■松本サリン事件が適正に勧められていれば、地下鉄サリン事件は防ぎ得た。
 ■オウム関連では29人の死者、6500人超の負傷者が生じた。
 ■192人が起訴され、死刑が13人、無期6人、実刑81人、執行猶予付き懲役87人、罰金3人、無罪は2人のみ。13人が2018年7月に死刑が執行された。
 ■未解決は重松警察庁長官殺害未遂事件、村井秀夫殺害事件。オウム関連事件はまだ解決していなかった。それを政治が力で葬り去った。
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 人は洗脳されやすい。高学歴の専門性などは何も役に立たない。偏狭であればあるほど洗脳され易い。人間にはこの洗脳の問題は付いて回る。教育の名を借りた洗脳もある。

 尊師が与えたホーリーネームは教祖への帰順の証になり、個人は分断される。分断された宗教心は伝播しやすく疫病的になりその教えは正当化される。

 帚木氏は、評価すべきは医療機関の奮闘であったと説く。オウムが起こしたの傷害事件では原因物質もわからず治療法が不明ながらも最大限の知識を導入し、救命に当たった。我が国の優れた医療の実力が示された。


6/7(月)晴れ 健康クリニック 飯川病院
1:00起床,いつものごとし。データ整理ほか。5:00庭畑見廻り。散水。6;47バス飯川病院へ。9:00-11:15健康クリニック、ドック12名。結界判定14名。11:15飯川病院、微睡、14:00-19:00勤務。入院患者対応。当直医来院を待ち19:10帰宅、夕食、21:15就眠。Σ6655歩。

本 帚木蓬生:「沙林」 偽りの王国(2) オウムとは?? 死刑執行が悔やまれる
 帚木蓬生著「沙林 偽りの王国」を読み終えた。読後感想はオウム事件についてやっと出会えた良書の一つ、ということ。この分野の書籍にはかなり目を通した私の感想である。

 主人公を神経内科専門医である九州大学医学部衛生学教授に設定し、その視点でオウム真理教による前代未聞な犯罪を、改めて展望し直したドキュメントである。
 本作はエンターテインメント性を重視する小説という立場からは大きくかけ離れているとのイメージ。オウム真理教に関して知り得た知見をできるだけ記録し、世に残しておこうという執筆の意図が濃厚に感じ取れる。数々の毒ガス、細菌兵器関連に関して、詳細な神経障害について医学者・科学者としての分析を加えた多数のページは、通常の小説の姿を求めた読者には腰が引けるだろう。

 この洪水のように押し寄せた情報を整理できる優れた情報処理能力、全体像を鳥瞰する力、加えて必要なディテールへの踏み込み、科学的知識には舌を巻く。そして、それをわかりやすく読者に伝える能力には圧倒的な力量が必要だが、それには常人離れした能力が必要である。この著者はそれを成し遂げている。

 今回の作品は、あくまで医学者としての眼で全体を俯瞰し、総体的・歴史的にオウム真理教がやったことの全体像を見直す形で、本書を綴っている。他に、当時の新聞報道や、裁判記録などにも触れている。裁判に関しても「教祖出廷」から始まり「証人召還」までの法廷場面において、主人公と弁護人の間でかわされた不毛と思える質問と答弁まで詳述している。
 改めて全貌を多角的に振り返る作家としての技術が読者を駆り立てる。
 この事件は、関わった人の数や時間だけでも相当なボリュームを持つゆえに、相当の集中力と準備時間を窺わせる苦心の作となっている。

 オウムが起こした事件は、多くはメディアを通じて知っているつもりと思い込んでいたが本書をよむとそれも自己満足に過ぎなかった、と思い知らされる。
 
 犯罪を糊塗するためにより大きな犯罪を繰り返す教祖は、巨大なエゴを持ちながら、若者達を駆り集め、王国を作り上げた。
 いずれ崩壊していくことは自明の理であったし、首謀者らには死の結末が待っていることも予測できたが、それでもブレーキをかけることはなかった。

 未解決の国松警察庁長官狙撃事件、幹部の重鎮を口封じのために殺害した事件などを含め、まだまだ解決していなかった。にもかかわらず、内情を知る幹部13人の死刑を急いでしまったことで、事件の一部は闇に葬られた。また、多くの犠牲者、その家族は深い哀しみを残したままとなった。

 だからオウム関連事件はまだ解決していなかったのだ。
 それを政治が力で葬り去った。
 このやり方で多くの疑獄を処理してきたが、我が国の政治の一つの特徴なのかもしれない。桜を見る会、森友加計問題他もいずれはこの様に処理されるのだろう。


6/6(日)快晴 温暖 畑、庭など中心 
 1:00飯川病院にて起床、通常の作業、新聞チェック、読書ほか。録音データ整理、自炊データ整理。家内達は本荘に。9:30秋田駅映画館など、13:00帰宅、微睡、花壇、畑に散水など。ダリア周辺草刈り11回目。16:00書斎で音楽関連の録画整理。新聞チェック、19:00夕食。21:00就眠。歩数Σ4810歩。

本 帚木蓬生:「沙林」 偽りの王国(1) 新潮社 2021年 2310円 やっと出会えた良書

 (500ページ余の大作「沙林」 名称の由来は台湾語だと言う)
 1995年03月20日、オウム真理教が起こした地下鉄サリン事件は日本の犯罪史上得意な意義がある。この事件は、我が国初のテロ事件でもある。
 オウム事件はまだ十分に解明されていないが、関係者13人が死刑になってその解明の道は閉ざされた。
 化学兵器サリンが世界で初めて使用されたのは1994年の松本サリン事件であり、大量殺人を目的として用いられたのは翌年の東京地下鉄であった。教団が置かした梶数の犯罪の全貌を探ろうとした本書の意義は大きい。

 サリンほか化学兵器、生物兵器などについて驚くほど詳述している。
 今までオウム真理教については洗脳や教団の欲望のように人間的面から追求した作品は数多く出版されている。そのうちのかなりの作品を読んできたが、本書は科学・化学的側面を加えての教祖の欲望むき出しの集団の闇が一層明らかにした。この様なアプローチは、精神科医師である作者だからこそ為し得たことと大きく評価したい。

 同様のアプローチをした氏の作品に和歌山カレー毒物事件をノンフィクション的に扱った著作がある。「本:帚木蓬生:悲素 新潮社 2018年」である。1998年(平成10年)7月2に和歌山市園部で発生した毒物混入・無差別大量殺傷事件である。 地区で行われた夏祭りにおいて提供されたカレーライスに毒物が混入された事件であるが、この作品ではヒ素と人間との関わりについて紀元前からの歴史、知見も加えて詳述している。ヒ素の神経障害についての記述も詳しく、作者の特筆的作品になっている。

 本書「沙林」は小説に分類されているが、ちょっと抵抗がある。事実に基づいた記述が多いからである。

 「沙林」は、1994年に生じた松本サリン事件から始まる。
 本書の主人公は九州大学医学部衛生学沢井教授で神経内科医でもある。広範な知識から長野県警への協力を通じて一連の事件に関わる。これは前述の「悲素」と同じ構成になっている。

 「地下鉄サリン」、「松本サリン」、「坂本弁護士殺害」、「VXなどの開発」、「教団の修行内容」から「捜査、逮捕」、「裁判」、そのほかの項目について被害状況から治療内容、酷い被害と被害者の声や証言など、あまりの執拗さに読む方が根を揚げそうになるが、作者の労苦を思えば、同じ医師として耐えて読まなければならぬ、と思った次第。なんとか完読した。

 本書は巻末の参考文献を含めて580ページのボリュームがある。参考文献は内外の出版物、学術的文献を広く集めており、そのリストを見ているだけで読みたいという意欲が生じてくる。
 第一次世界大戦後のドイツの「毒ガス兵器」開発、旧日本軍731部隊の「細菌兵器」開発などの人間の所業までもを暴き出す。未読であった何冊かの出版物を新たに取り寄せた。
 
 作家の真実を伝えたいという本能的意欲とオウム事件に対する、国民として、医師として、科学者として、作家としての怒りが手に取るようにわかる作品に仕上がっている。
 私は今、作者の意欲、意図を知りたくて、またオウム事件を一層深く知りたくて再度読み始めている。


6/5(土)快晴 午前園芸、飯川病院午後日直+当直 レセプト点検
1:00起床。文献新聞チェック、蓄積データ整理、その他いつもの如し。午前は庭仕事中心、草刈り10回目、ダリア、畑中心に。12:20家内に同乗飯川病院、日当直に就く。検食、新聞チェック、読書、外来レセプト点検、18:00検食、読書、20:00就寝。8157歩。孫は笹巻き作りに挑戦、宿泊なし。

政府「孤立・孤独対策」に乗り出す(3) 果たして機能できるか?(2)
 政府が「孤立・孤独対策」に乗り出す。私はその動きを評価するが、果たして機能できるか?危惧している。

 「孤立・孤独」は、多くの人にかかわる問題である。決して個人の問題でなく現代社会がもたらした病理の一つである。自己責任論、雇用形態の変化は大きい。したがって、政治・社会の総力を挙げて対策が求められる。

 特に、昨年初頭からはCOVID-19の流行があって、人びとの暮らしを直撃している。失職者も多く、経済的困窮に陥っている人たちも多い。外出自粛などで社会や地域とのつながりが薄れ、悩みや不安をひとりで抱え込むことも少なくない。
 厚労省によると、2020年に自死した人は約2万1千人で、前年より約900人増えた。自死者の増加は11年ぶり。とくに女性が7025人と前年より15%増え、小中高生も計498人と過去最多を記録した。COVID-19禍による孤立や孤独が影響していると考えられる。

 悩みに寄り添い、必要な支援につなぐ仕組みづくりを急ぐべき。
 相談が来るのを待つだけでなく必要な情報や支援を個別に届ける工夫もいる。地域の見守り活動や、居場所づくりも大事になる。

 行政だけでなく、NPOによる電話相談なども多い。活動実績としては後者が勝るような気がする。

 (3)相談しやすいNPOなどの準私的組織
 私の印象では、実際の成果を上げているのはNPOなどの準私的組織である。ここでは地道な努力が続いている。若い世代向けにSNSを使うところもある。ただ、その活動費は乏しく、活動の実態も、その成果もよく知られていない。こうした取り組みを社会で後押ししたいものである。スタッフたちはほぼ同一の価値観にあり、ほとんどが相談の担当員であることが強みだと思う。

 秋田にはNPO法人「蜘蛛の糸」の活動が有名である。自殺率が最も高いとされる秋田県で2002年から自殺対策に取り組んでいる。長年の活動で形になってきた自殺予防の民学官連携、すなわち秋田県、秋田大学、医師会、NPO法人などの連携のもとに取り組む「秋田モデル」が実績を上げつつある。

 (4)相談し難く、相談者の悩みを排除する傾向にある公的機関
 私の印象では、公的医療機関の福祉関係の相談機能はあまり評価できない印象がある。公的相談機関の問題点は、国などの方針を背景に安易に受け入れないという方針があり、相談の窓口に立つ係員は若手が多い。したがって、担当者は経験も足りず、深刻な相談を受けても裁量が殆どない。多忙さもあるのだろうが、頻回に来る相談者は疎まれ、けんもほろろに扱われる傾向がある。

 最近、生活困窮者の生活保護受給の相談は厳しくなり、相談者は人としての尊厳まで奪われかねない扱われ方にショックを受け、以後の相談を諦めるケースも少なくないという。

 報道で見る例は一部の特殊な例なのだろうが、児童相談所の受け入れ体制、警察のストーカー相談などもなかなか受け入れられないらしい。

(5)高齢者の自活の傾向はいいことだ
 上野千鶴子氏等は「おひとりさま生活・・」、「孤独死」などの著書を通じて高齢者の自活に関して意識改革を求めているが、これはいいことだ、と思う。
 ただ、それに呼応できるような方々は「孤立・孤独」からは無縁に近い環境にある方なのだろうと思う。


 抱えている悩みは人によって様々。失業などの経済問題や将来不安、人間関係、病気、暴力・虐待など、複数にまたがることも多い。
 「孤立・孤独対策」においては縦割り体制をなくし、包括的な支援につなげてほしい。もちろん、それぞれの分野で支援の専門家を育成・確保することは大前提となる。


6/4(金)終日降雨 大曲中通病院 飯川病院ボランティア  
1:00起床,文献本読み、新聞チェックほか。5:15可燃ゴミ提出。7:35Taxi駅東に。渋滞で8:11こまちに飛び乗る、先頭車は二人だけ。9:10-12:05大曲中通病院外来、病院・駅間は往復Taxi。秋田も同様。飯川病院ボランティア。19:15帰宅、夕食、21:00就寝。歩数計6736歩。画集ルーブル 、オルセー届く。

政府「孤立・孤独対策」に乗り出す(2) 果たして機能できるか?(1)

 (1)まず一般論として
 政府が「孤立・孤独対策」に乗り出すことにした。私はその動きを評価するが、果たして機能できるか?残念ながら危惧している。
 壁に当たっている人に手を差し伸べるには、時間的にも心理的にも、金銭的にも余裕が必要である。またその解決には権力、経済的バックアップを必要とすることが多い。

 有名人の自殺報道が出るたびに「話せる人はいなかったのか?」、「他に道はなかったのか?」、世にいう識者たちはそのような常識的な役にも立たないコメントを出す。実際にその識者が相談受けたらどう答える?どう応えるのか?その具体的内容を示してほしい。

 (2)私の場合、何も力がないから限界を迎えやすい
 私は外来診療を通じて、孤立・孤独に悩む方々、経済的困窮、生活上の不自由に関しての広範な相談を受ける。その際にはまず話をじっくり聞く。そのためには時間的余裕が必要である。診療途中ではできないから、診療の最後に回ってもらい面談の時間を作る。多くは対話の中で、自ら今後の道を探せるようになることが多い。
 
 しかしながら、悩みの内容によっては私には限界がある。
 私は若干のアドバイスまではできるが、種々の社会的支援が必要な場合もある。そのような場合には院内のMSW (Medical Social Worker)室に紹介し、専門家の判断に委ねる。彼らの判断で社会的支援の道が開けていくことが多い。

 患者が、家庭の事情で生きずらさを訴えてきても、私の範囲では何もできなかったケースが多い。人を助けるにはこころに余裕、社会資源・社会保障に関する知識も広く身についていなければならない。

 (2)相談者たちの気持ち
 この社会には余裕がない。皆自分のことで一杯なのだ。このスピードのある、能率一辺倒の社会をなんとかしなければならない。
 例を挙げる。2019年台風19号が東京を直撃し各所で避難所が作られたが、台東区では路上生活者の受け入れを拒否した。
 弱い立場の命を切り捨てるのか、と義憤を感じてそのニュースを見たが、それ以上に衝撃的だったのは路上生活者達の反応であった。拒否され、ずぶ濡れ状態の彼らの表情に意外と怒りはなかった。「仕方がない」、「自分たちは社会にとって邪魔もの。避難所は納税者が行く場所・・」などの発言が見られた。
 助けを求めても拒否されるという体験が積み重なり、差別に慣れきっている姿があった。

 助けて思っていても人に言えないのは、相談できないのは、支援者への信頼感がないことに尽きる。大事なのは普段からの両者の関係性や環境である。一人一人の顔が見えること、ここは安心して助けてと言っていいんだと思える関係しかない。
 この様な環境を国が主導して作ってくれるのか?


6/3(木)快晴夜半降雨 午後飯川病院 
 2:00起床,新聞チェックほかデータ整理。いつものごとく。5:00ネコ給餌。畑ほか見回り。ほぼ順調。11:50バス飯川病院着。検食微睡など。読書。14:00-から勤務、入院患者処置。録音データ整理、など。19:00帰宅、夕食、20:30就寝。歩数計11238歩。

政府「孤立孤独対策」につ乗り出す(1) いい政策と思う
 政府は本年2月「孤立・孤独対策」に乗り出した。
 社会的不安に寄り添い、深刻化する社会的な「孤独・孤立の問題」について総合的な対策を国が推進する、というもの。
 そのための企画及び立案を処理するため、内閣官房に「孤独・孤立対策担当室」を設置した。この試みは英国に次いで2番目という。
 当初は6月までに提言をまとめる、ということになっていた。間も無く期限が来る。

 私は、現在準備中の「デジタル庁」、「子ども庁」とともにいい政策だと思う。ただ、「子ども庁」とともに問題は複雑で、従来の縦割りシステムを改善しようとする意欲が無い限り、提言の作成さえもかなり困難を伴うものと思われる。「孤独・孤立対策担当室」にそこまで踏み込んだ提言をする力があるのか、ちょっと疑問に思っている。

 今の社会にはいろいろな問題があり、毎日が凄いスピードで過ぎて行く。そんな中、一つのことでつまづくと出口が見えなくなる。我が国の社会では若い時に人生のルートに乗り損ねた場合、なかなか修復、再出発が困難である。結果的に、一人で悩んでしまいやり直すこともできなくなる。
 そんな場合、実行力、決断力のある組織を作り、そのメンバーがじっくり話を聞き、相談に乗る、そしてつながりを保っていくことが一番大切な事だと言える。

 「孤立・孤独」は個人の問題として捉えられやすいが、必ず社会的要因がそこにある。
 そこには文化、文明、時代の流れに他、「政治」によって生じてきたものもある。特に我が国の政治は、「自己責任」の美名の元に多くを弱者に落しめただけでなく、救い上げすらを困難にしてきた。「孤立・孤独」はこの様な政治の結果である。菅総理が過去の政権の方向と問題点に目覚めた??とは思えないが、この検討過程で、日本の政治の問題点そのものの洗い出しも必要となろう。私はその点に大きな興味を感じている。

 まず実情の洗い出し、社会・行政などの種々の要因の洗い出しが必要になる。その際に、厚労省の国民生活基礎調査の指標として「孤立・孤独」の項目を盛り込むのもいいかもしれない。

 「子ども庁」に関して種々の問題点を書き出した。子供の日2021(3) こどもをめぐる諸問題を羅列してみた
 そこにあげた要因と共通するのも少なくない。
 子供達、若者たちには、頑張っても公正に報われない社会が待ち構えている。

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自殺リスク者
家にも学校にも居場所がない
消えてしまいたい
周囲に助けを求められない 助けて、と言えない社会
誰にも話せない、理解されない孤独
LGBTや性被害
何日も食事もしていない生活困窮者
生活保護をためらう意識
暴力、児童虐待、配偶者からのDVなど
孤独死
無縁社会
孤独な育児
孤独感の末に破壊行為

などなど
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 問題点として、支援が必要な人に支援が届き難い実情がある。困難を抱えると助けを求める力が自体が弱くなり、望まない孤独におちいる人たちが増えていく。
 孤独・孤立で悩んでいる人々はそれまで頑張って来たと思われる。しかし、頑張っても頑張ってもどうしようもない状況に追い込まれる時は必ず誰にでもある。

 そんな時はいろいろな方々とつながって、相談することである。それが新たな知を生み出すことにもなる。


6/2(水)快晴 午後飯川病院 歯科受診
1:00起床,新聞チェックほかデータ整理。午前畑仕事若干、歯科受診他。医家美術展は終了していた。12:30飯川病院。入院外来患者対応、本読み、自炊データ整理。19:15帰宅、夕食、20:30就寝。歩数Σ5335歩。

徒歩通勤2021(2) 2回目の日本一周 青森終了北海道に至る
 2013年4月に自転車通勤をやめ、片道7Kmを徒歩で通勤することとした。その際に購入したのが歩数計「新・平成の伊能忠敬」である。
 伊能忠敬の足跡を、ゲーム感覚で日本一周約18.000Kmを地図を作りながら進んでいくという優れものであった。いまだにこれで毎日の歩数を計測している。

 2013年4月7日に東京を起点に北上開始した。
 2020年1月17日、6.8年かかって日本一周を達成した。
 その時の最終的積算データ。 所要日数2.290日目、6.8年。総歩数Σ2.171万歩 (平均9.480歩/日)。歩行距離Σ17.372Km(平均7.59Km/日)。

 この間の歩行距離を抜き出してみた。徒歩通勤開始の当初、1日25.000歩、20Kmにも達したことがあったが、2017年5月歩行平均7.7Km/日、2019年9月時点 歩行平均7.56Km/日と目標には達しなかった。

 特に、2019年あたり1時間余の連続した徒歩は体調不良が生じうるため、全コース徒歩をやめ往路の通勤をバスにした。そのために、天候や業務の都合で自分でボロ・レガシーを用いている機会が増え歩行距離は一層低下した。

 最近では自宅や病院周辺、病院の階段をこまめに歩いて歩数を稼いでいる。

 第1回目は開始約1年後2014年3月の段階で青森県を終了した。積算計はΣ2932Kmを示していた。

 今は2回目の日本一周に挑戦している。
 2回目のスタート日は2020年4月15日だから青森終了まで398日かかった。第一回目より一月半長くかかっている。それだけ毎日の歩数が落ちてきたことを示している。
 現在の最終的積算データ。 所要日数2.982日目、8.2年。総歩数Σ2.777万歩 (平均9.3歩/日)。歩行距離Σ22.219Km(平均7.5Km/日)。

 本日、2回目の北海道の開始である。北海道一周は2750Kmと長い。多分一年以上かかるだろう。年齢を考えるとちょっと気が遠くなる感じがする。

 それにしてもこの8.2年、歩数計を無くさないで、故障もさせないで毎日計測できたことは自分にとっても驚きである。 


6/1(火)曇り午後快晴 外来 飯川病院
1:30起床。いつもの如く。徒然など。大坂なおみ全仏棄権、鬱病だった?音楽の友自炊
5:00可燃ゴミ提出。6:47バス飯川病院。8:40-12:45中通病院外来、院長交代したらしい。13:00飯川病院、ボランティア、微睡、読書、新聞、文献読み、19:00帰宅・夕食。20:30就寝。歩数計8342歩。文庫本自炊化。

退職11年目 この10年の感想 振り返ってみればパラダイス期間 
 「急性期の病院に年寄り医師は不要」、「私の社会的使命は終わっている」、「社会の老害、男性害の一人」、「もう私は医師として有用な役割を果たしていない、必要ともされていない」・・・などと発言した私は、現在も嘱託医師として働かせていただいているが、明和会からいつ契約解除されても良い状態である。
 
 飯川病院の方は病身の院長が在任している間だけは補助したいが、これも病院側の意向次第で明日のことはわからない。飯川病院では作業員としては有用らしい。

 患者以外と会話を交わすこともなく、ほぼ引きこもり状態であるが、私としてはとても有意義な、自由時間が豊かな日々を過ごさせてもらっている。人生の最終コースに入った身にしてみれば、この様な環境が与えられていることは法外の喜びで、感謝以外の何者でもない。

 私は最近、老化や体調不良もあって意欲が乏しくなった。そうはいえど、私は学資負担はほとんどなく税金で医師になったようなものだから、社会に恩義がある。だから求められるうちは働くつもりである。
 
 近況。
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 ■ホームページ:更新が負担になった。今後、更新しない日が増えていくだろう。
 ■徒歩通勤:体調不良もあって全コース歩行は出来ない。伊能忠敬の足跡を辿っての日本一周は、2周目で間もなく北海道に渡る。焦らずゆっくり歩きたい。
 ■通勤の交通:am6:47のワンコインバスに、復路は家内に同乗。
 ■岩手県への復興資金:収入が減ったので若干減額した。
 ■日々のルーチンワーク:録音、録画、新聞スクラップ、文献スクラップ、学術文献スクラップ、書籍の自炊を減らしている。
 ■園芸:野菜、花壇づくりに興味を感じてきた。
 ■視力低下;パソコンの画面を舐めっている感じ。されど、書籍購入、読書は減らしたくない。
 ■運転免許:返上済み。なかなかいいもんだ。
 ■緊張感の少ない生活にシフト:惰眠をむさぼる、ネコと遊ぶ、などなど。
 ■体重コントロール:難渋している。ブタ!!と言われても腹も立たない。
 ■終活:嫌になった。
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 飯川病院の院長は私の家内で雇われ院長である。
 私は病身の彼女を休ませるために居るようなもの。業務をもっと代行してもいいのだが、「外来に出すと患者が減る、入院を担当させれば患者が死ぬ」と言って出させてくれない。

 まあ、いろいろあるが今年度も、最小限の責務しかできないが、果たしていければいい、と思っている。


5/31(月)曇りのち晴れ 健康クリニックドック 飯川病院 
1:00起床。本読み、文献チェック。データ整理。自炊5冊。6:47バス飯川病院、9:00-11:30健康クリニックドック14名+結果判定14名。11:45飯川病院、
微睡、読書など。14:00-18:00飯川病院勤務、入院患者対応。20:00院長COVID-19関連の講習会。20:00帰宅・夕食、21:30就眠。Σ6192歩。

COVID-19(2021)(26) 米ファイザー社は菅首相からの電話もCEOに取りつがなかった 
 菅首相がCOVID-19対応の切り札と位置付けるワクチン確保は他国に比較して大幅に遅れていた。出遅れに焦った菅首相は従来の厚労省ルートではなく、当時の杉山駐米大使を動かし直接米ファイザー社本社に働きかけることにした。

 以下がその交渉の概要である。
 世界的危機の中で我が国が特別扱いを求めることは出来ないだろうが、国家の首長も一製薬会社からも結構軽く扱われていた。これは私が抱いた否めない印象である。
――――――――――――――――――――――――――――――― 
 (1)杉山駐米大使は「日本国総理からの連絡である」として同社に連絡を試みたが「同じようなリクエストは各国からきている」と全く相手にされなかった。

 (2)壁にあたった杉山氏はトランプ政権の厚生長官であったA・アザール氏に仲介を依頼した。同氏は「あなたが電話してもファイザー社のCEOは電話にも出ないだろう。こちらでできるだけのことをやってみる」ということになった。

 (3)A・アザール氏の申し出にファイザー社のCEOから「18:00から5分間のみ」電話可能との返事を得た、という。
 
 (4)この時間に杉山氏が電話し、日本政府の窮状を訴えたところCEOは担当役員へ善処するよう指示する、との約束をした。

 (5)この時の交渉によって、結果的に4月になっていた供給開始が2月に前倒しされたが、逆に十分な供給量確保の時期は6月から12月に後退した。

 (6)その後は河野担当大臣が先頭に立ち、総理もファイザー社のCEOと直接交渉することで「9月までに全ての対象者に確実に供給できる目処がたった」と会見で述べた。首相が就任当時に述べた計画より3ケ月遅れで確保できたことになる。

――――――――――――――――――――――――――――――― 

 米ファイザー社の規模はどのようなものであるかは私は知らない。また、今は全世界的にCOVID-19ワクチンを求めているという特殊な時期に当たるということもあろうが、ファイザー社の対応には驚く。首相からの申し出に対し「同じようなリクエストは各国からきている」と全く相手にされなかった、というのは厳しい。
 米国のビジネス界の平均的な対応なのだろうか?

 この件に関してこのエピソードだけで全てを理解できるわけではない。ここに至るまでのワクチン確保の過程も大事だろう。しかし、それについて知ることは出来ない。

 五輪問題を含め国家としての尊厳は軽視されている、と思う。


5/30(日)曇り降雨 飯川病院日直 
1:30起床、本読み、文献チェック。8:42バス飯川病院、9:00日直業務に。新聞チェック、微睡。12:00検食、読書三昧。散水。18:00帰宅、新聞電子化。19:00夕食、21:00就寝。Σ5638歩。

東京五輪・パラリンピック2021(13) 国家としての尊厳はIOCより下位 そんなバカな!!!
 東京五輪・パラリンピック開催については国内外で中止論がやっと台頭してきた。しかし、菅首相、JOCなどは耳をかさず開催一辺倒の意向である。

 その理由は、IOCと日本側が結んだ開催都市契約には大会中止の権利や手続きが定められているが、圧倒的にIOC側が有利で極めて不平等な内容だからである。

 すなわち、「日本側に中止の権限はなく、中止決定の権限はIOCだけにしかない!!!!」。それならばいくら国民が菅首相、JOCに意見を述べても無駄である。だから、菅首相はIOCが中止の決定するまでは、実体のない非科学的な精神論で大会を乗り切る・・と言った時間稼ぎの方針が答弁されるのだ。開催意向に関して総理の答弁はこの一月以上にわたって全く進展がない。

 契約によると、日本側が中止を要請することは不可能ではないが、その場合、多額の賠償金が発生する仕組みになっている。

 開催都市契約は2013年に結ばれた、17年に公開された。その契約内容は歪な構造が多数示されていた。
 参加者の安全が保証できない時だけに中止可能となっているが、その際には日本はいかなる損失に対する保証も放棄することになっている。逆にIOCは日本に損害賠償を求めてくる可能性が高い。

 こんな不平等の契約がまかり通っていたのは、開催地決定にIOCに大きな決定権があり、東京は「お情けで」開催させていただくという姿勢でやっと選んでもらったからである。喜び勇んだ状態でIOCとの間で開催都市契約を結んでしまったということだろう。こんな不平等契約を呑んだ当時の責任者は誰なのか?どう責任を取るというのか??

 IOCの2014-16年の収入の6200億円、このうち放映権料は78%を占めている。2032年までの放映権はIOCとNBCとの間で7800億円で契約しているという。中止の場合IOCにはこの契約料が入ってこなくなる。これはIOCにとっても大問題となる。
 
 日本が中止要請した場合は日本側が損害賠償の義務も負うかもしれない。一方、今回IOCが日本側に多大な補償を求めると、次回、次次回の開催地は二の足を踏むだろう。そういう弱みはIOC側にもある。

 今回のCOVID-19蔓延は開催が決まった当時は予想もできなかった。しかしながら、COVID-19蔓延で都内で緊急事態宣言がなされた状態など、今回の場合は不可抗力で中止と言えるだろう。この様な場合には免責事項をはっきりさせておかなければならなかった。

 IOCとの開催都市契約に関しては私は以下のごとくに考える。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
 ■開催主体国である日本政府にも中止の権限がないということは、国家としての尊厳はIOCより下位であることを示す。こんなバカなことはない。
 ■ 2013年に結ばれたこの契約は、国内でどんな討論を経て結ばれたのか明らかにしてほしい。また、その契約者は誰なのか。
 ■五輪の理念はいろいろある。歴史も長いが、たかがスポーツの事務局に過ぎないIOCをここまで肥大化させ、権力を持たせたことをすべての関係者は反省すべきである。
 ■一度解体し、原点に戻してはどうか。


5/29(土)曇りのち降雨 園芸畑ダリヤなど
1:10起床、文献検索整理など何時ものごとし。午前畑に支柱立て。ダリヤ分割本植え。電動ノコで切断、分割する。微睡若干。午後は降雨あり座学に。新聞チェック、書斎にて音楽関連の録画見る「N響を指揮したマエストロたち」など。19:00夕食、20:30就寝。歩数Σ10180。

絵画を楽しむ(5) 初めて見たミレー作「ついばみ」に感じ入った
 文藝春秋には毎号「中野京子の名画が語る西洋史」と題し西洋絵画が紹介されている。
中野京子氏は、作家、ドイツ文学者、西洋文化史家、翻訳家で、著書多数。新聞や雑誌に連載を持ち、TVの美術番組にも出演している。

 文藝春秋2021年6月号にはミレー作「ついばみ」が紹介されていた。
 私はミレーの作品は好きであるが、そんなに幅広く作品を見たわけではない。この「ついばみ」は先日初めて見て衝撃を受けた。そして、この絵が表紙に使われている中野京子著「そして全ては迷宮に」、文藝文庫、2021年3月出版、を購入した。
 

 ジャン=フランソワ・ミレー(1814年-75年)はフランスの画家。パリから約60kmのところにある、フォンテーヌブローの森の一画に定住し、風景や農民の風俗を描いた。しかし、なかなか評価されなかったが、1850年に「種をまく人』、「藁を束ねる人』につづき「麻をほぐす人』、「刈り入れ人たちの休息』57年に代表作「落穂拾い」を出品した。しかし、「落穂拾い」は現実離れしていると批評家たちから酷評された。

 私は2000年、ルーブル、オルセー美術館を見学する機会を得た。オルセー美術館は駅舎を改造して作られたもので、絢爛豪華な前者よりはしっとりと落ち着いた印象の後者にホットする様な共感を覚えた。?オルセー美術館にはミレーのコーナーがあり多数の作品を見ることができた。

 この「ついばみ」は2014年山梨でミレー展が開催されたときに中野氏が山梨日々新聞に寄稿している。
 「この作品はミレー自身の意図の通り、誰しもが巣のヒナ鳥を連想するに違いない。右端の少女がとりわけ愛らしい。隣の妹がちゃんとこぼさずに食べられるか心配で、その口元に集中しながら自分まで少し口を開けている。小首を傾げ手を握ってやるお姉ちゃんぶりの微笑ましいこと(前後略、一部改変)」。中野京子著:そして全ては迷宮に、より引用。

 この右端の少女は真ん中の少女の手を取り、肩に手を添えて「もっと前屈みに」、「お口を大きく開けて・・」そう言った言葉すら聞こえてくる様な微笑ましい情景が手に取る様にわかる。ミレーが描いた作品の少女像はどの作品も可愛らしい。

 ミレーの作品の女性像は総じて体格がいい。農家の主婦としての体格なのだろう、存在感が大きい。この絵では座っている小さな椅子が前のほうに片向けられているのが落ち着いた構図の中でも動きがあってとてもいい。

 私は絵画が好き、と言ってもまだまだ初心者である。だから、時折この絵の様な新鮮な驚きを体験する。それがまた楽しい体験となる。
 ミレーの作品の女性像は総じて体格がいい。農家の主婦としての体格なのだろう、存在感が大きい。この絵では座っている小さな椅子が前のほうに片向けられているのが落ち着いた構図の中でも動きがあってとてもいい。

 私は絵画が好き、と言ってもまだまだ初心者である。だから、時折この絵の様な新鮮な驚きを体験する。それがまた楽しい体験となる。


5/28(金) 曇り小雨午後快晴 大曲中通病院 飯川病院ボランティア   
1:00起床。文献、新聞など読む。5:00ゴミ出し、7:40Taxi、8:11こまち。大曲駅病院往徒歩。9:00-12:15大曲外来。書店訪問 飯川病院、15:30外来患者来院し対応、19:30広面経由帰宅、夕食、21:00就眠、Σ9485歩数。

絵画を楽しむ(4) 本 深井晃子著:ファッションから名画を読む PHP新書 2009年
 私は服装について関心も知識も乏しい。ただ、人間の歴史、文明の発達などと衣服は濃厚に関連しており無視できない文化の一つとしての関心はある。
馬子にも衣装とは(1)最近、ファッションに興味を感じている
馬子にも衣装とは(2)そもそも人は何で衣服をまとうのか

 絵画を味わう場合、特に近・近代の作品においては服飾は時代の政治、経済、権力財力の過剰な集中、庶民からの搾取問題を無視できない。
 そういった意味で興味がある。

 上記書籍は絵画における服装の描写から歴史・文化の推移を論じており、いろいろ勉強になった。

 筆者は、パリの大学院で美術史を学び、京都国立博物館等でファッション関係の企画展示の企画に携わったキュレーターの方。京都服食文化財団の理事。

 画家が描いた美しいファッション、画家の情熱にモデルの誇り、絹の光沢にビロードの艶、贅をこらした装飾、流行のシルエット、鮮やかな色彩、衣擦れの音さえ聞こえてきそうな布の質感すらも表現されており、時代の輝きと、そこに生きた人々の息づかいを感じ取れる。

 有名な絵画も、「装い」に目を向けて改めて見直せばれば、隠された魅力が見えてくる。

 フェルメール、ダ・ヴィンチ、ルノワールetc. 画家たちの筆がとらえた折々の服装は、時代を超えて、衣服は多くを語っている。

 ヌード画は別であるが、いやこれですら脱ぎ捨てた衣服などは重要な鑑賞対象になる。人物画を好む人にとってとてもよい指南書になっている。

 ファッションの絵画史はそのままファッションの歴史でもある。時代とともにどう変わったのか、なぜ変わる必要があったのか。

 昨今、美術史や絵画を解説した本は多いが、ファッションから名画を分析するというのはとても珍しいように思う。

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 当初私は美術館には赴き、掲げられている肖像画の表情には注目することはあっても、ファッションについては知識がないこともあり関心を持って見ていなかった。私が絵画を見る視点は大きく変わった。

 なお、文中に引用された絵画は数多いが、新書版ということもあって小さく、じっくり見るには耐え難い。同じ絵画を別の大型の画集を参照しながら読むと一層楽しめる。


5/27(木)曇り午後降雨 午後飯川病院 
 1:00起床。いつもの如く文献、新聞など。画像データ整理、廃棄。8:00-10:45庭仕事と畑、草刈り8回目、ダリア用の本植え。11:50バス飯川病院着。微睡、14:00-17:50飯川病院、入院患者対応、19:10帰宅、夕食、21:00就眠、11715歩。

絵画を楽しむ(3) 画集や複製品で楽しむ TV番組も価値が高い
 私はどんな絵画を好むのか?
 有名な作者の有名な作品については知識が先に立っているから純粋には味わえない。
 しかしながら、例えば秋田県展などの場合、作品・作者についても何も知らないから、パッとみて「その絵が美しいか否か」が第一の選択基準になる。その時点では「誰が書いたものか」などは関係がない。深く感じ入った場合にはそれから調べればいい。

 作品を「味わう」には、やはり美術館やギャラリーで直接見るのが一番・・、これは正論。しかし、いかに本物の作品を直かに見たとしてもすぐに忘れてしまう。特に私は即忘れてしまう。見たことがあるということは記憶に残っているが具体的作品のことなどすぐ忘れてしまう。

 だから、私にとって画集や複製品を買うという選択肢も重要である。自分の手元でいつでも楽しめるから展覧会よりは価値が高い。
 画集や複製品は、書店で購入することはなくて、私の場合には美術館の会場に併設されている売店で購入する。来館の記念にもなるからである。

 画集や複製品は結局は偽物でないのか、と言われるが、それでもいいじゃないか、と割り切る。真贋に対する知識も私にはないから関係ない。

 絵画は直感で「美しい」とか「いいな」と自分の感覚で楽しむことが重要。
 絵画を見るのに知識はそれほど必要はない。しかしながら、写真がなかった時代の中世から近・近代の絵画には時代の流れとか、依頼者の意向などが濃厚に込められており歴史の勉強になる。この場合は、知識が作品の理解を助けるのも事実、私の場合はガイドブックを参照しながら見る。

 絵画の理解には、放送もすごく役に立つ。
 最近画質がとても良くなって満足度が高いし、到底見ることが出来ない世界の美術品を見ることができる。
 私がときに参考にするのは以下の二つが代表。
―――――――――――――――――――――――――――――
 ■ NHK教育TV毎週日曜朝9時(再放送は日曜20時)に放映されるNHK・Eテレの美術番組「日曜美術館」。
 1976年に放送が始まった同番組は、数あるテレビの美術番組でも最長の歴史を持ち、美術界への影響も大効いらしい。「日曜美術館」は毎週異なる特集を組むスタイルを貫いており、個人のアーティストを取り上げることもあれば美術界の動向や美術館を取り上げることもある。
 ■火曜BS日テレ 20:00ブラブラ美術館
 ブラブラ歩きながらの解説だからまだるっこしいのが玉に瑕。


5/26(水)早朝降雨快晴 午後飯川病院勤務
 1:30起床。早朝は新聞・文献読みとデータ化etc座作業中心に。午前ダリアの植え替え6株ほど、もう一息だが疲弊する。11:47バス飯川病院、休息微睡、14:00勤務、外来入院患者対応、美術系読書中心。19:15帰宅、夕食、20:30就眠、Σ9510歩。

絵画を楽しむ(2) 「美術館に行って本物を見る」は必ずしもベストではない
 絵画鑑賞のベストな方法は誰でも、恐らくは美術館等で本物を見ること、と答えるであろう。それは正論でその通りだと思う。

 しかし、内外でずいぶん多数の絵画等を見てきたが、私にとっては必ずしもベストといえないことがわかった。第一、見た多くの作品は「これは、本物を〇〇美術館で見たことがある」という事実、その時の感動の記憶、記録は残っているものの、大部分はもう忘れてしまっている。

 そうは言っても、できれば足を運んで実物を見るべき、と私は思う。見たという経験はその後の作品鑑賞に良き影響を及ぼすからである。

 理由は以下の様に考える。
―――――――――――――――――――――――――――――――――
?@作品を近くで見る? 美術館では作品を近くで見られるのが最大の利点。作品によってはガラスケースの中での少し離れている場合もある。ただ、ルーブルでのモナリザは人混みのために数mまでしか近ずけなかった。
 近くでみるということは作品の細かなところまで見れるということ。作品の質感、素材感や微細な表現もわかる。特に光線によっては筆圧とか髪の毛一本に対しての繊細な作者の技術がわかることも少なくない。この経験は秋田県立美術館での企画展「ホキ美術館展」で精密写実画を見て実感した。
 秋田県立近代美術館「ホキ美術館展」(1) 写実絵画の現物に初めて触れ感動した

A絵のサイズがわかる
 「大きさ」については画集などに「〇〇x〇〇cm」などと書いてあるが、画集ではそのサイズに応じた表現として再現されているわけではない。実際のサイズは、大きな作品だと実際に見るのとでは迫力が違う。小さな作品だと作者が作品に向かっている時の雰囲気を感じさせる。実際に作品の前に立ち、対峙することでその作品の意味が感じられる。
 秋田県立博物館で開催された「リ・クリエイト(再創造)作品」によるオランダ2大巨匠展は全てが再創造品であったがサイズなどは実物と同じでそのことを実感させてくれた。
 展覧会2017(2):県立美術館 オランダ2大巨匠展(1)


B額装などの付属品の素晴らしさも感じ取れる。
 多くの画集では額装がない状態で掲載されているが、展覧会では額装を描く作品は稀である。見事な作りの額縁は絵の印象を2倍にも3倍にも引き立てる。

C展示の仕方、会場の雰囲気も絵に影響する。
 会場が狭かったり、展示の仕方によって絵は影響を受ける。これを如実に感じたのは秋田県立近代美術館での葛飾北斎展であった。140景に及ぶ作品が所狭しと展示された。作品展示の密度、数に圧倒され鑑賞の後半はすっかり疲れ果てた。
展覧会2018(2):県立美術館「北斎の富士冨嶽三十六景と富嶽百景」 


5/25(火)早朝小雨終日曇天 外来 飯川病院 
0:30起床、花壇ダリアに見回り。5:00可燃ゴミ提出。6:47バス飯川病院着。8:45-13:40中通外来、疲弊。14:00-18:30飯川病院勤務。微睡、入院患者対応なし。文献読み、読書など、散水。19:00帰宅、夕食、20:30就眠、歩行計Σ9769歩。

?絵画を楽しむ(1) 私は美しいものが好き。
 私は「美しい」ものが好きである。
 音楽、絵画、彫刻、人物、自然、花、動物、小動物、女性・・・などなど、美しいと感じる全てを列挙する事は到底不可能。
 私は「美しい」と感じる感性が備わったことを嬉しく思う。「美しい」の感動は私の視野を広げてくれる。

 なぜわれわれは、視覚、聴覚で得られる情報に「美しい」と感じるのだろうか?
 どうして私は、主観的、個別的に多くのものに「美しい」と感じるのだろうか?

 最近、「なぜ花は美しいのか」についてずっと考えているのであるがまだ解決できていない。花に群がる昆虫たちは花を美しいと感じているのだろうか・・?彼らが美しいと感じていないとすれば何のために?誰のために美しく咲くのだろうか。人間のタメに??まさか、と思う。

 私の場合、「美しい」の感覚は「先天的に備わった感覚ではなく、幼少期に親から受けた影響、野山を駆け回った遊び、動物の飼育経験などをもとに個別に次々と『美しい』を発見し、感じ取る能力が育ったから」、と思う。

 「美しさ」と「美しい」は異なる。前者は教育による「美に関する知識の獲得」で、より客観的、より普遍的な感覚である。一方、「美しい」と感じる心は個別的で教育の結果ではない。
 「美しさ」と「美しい」は互いに近いが、前者はあくまでもより客観的で、後者は主観の個人的感覚である。

 私は、「美しい」の感覚は、各人がそれぞれに生涯を通じて創り上げるものだ、と考えている。自分が「美しい」と感じたことそのものが、「美しさ」の感覚の原点になっている。

 私は絵画が好きである。
 絵画の鑑賞は何と言っても美術館である。
 秋田にいると「美術館に行く」という絵画の鑑賞方法は「美術館」そのものが少ないからかなり限界がある。秋田にも私が知らない画廊などもあるのだろうが、主に「秋田市立美術館」、「秋田県立美術館」」、「秋田県立近代美術館」であり、そのほかにアトリオン特設会場で開催されるギャラリー程度と狭い。これらでは年に数回企画展が開催されるが万難を排してほど訪れてる。「秋田市立美術館」は年間のパスポートを購入しているために気軽に何度も訪れる。

 もう機会はほとんどなくなったが、現役時代の学会出張時には国内各地の美術館を訪問した。多分、100箇所ほどの美術館を訪問した、と思われる。その中では倉敷市の「大原美術館」が印象深い。

 1985年秋田大学退職時はオペラのツアーに、2000年欧米医療視察団としてヨーロッパを訪問したが、訪問した各地、ハンブルグ、ウイーン、ポーランドなどで美術館も積極的に訪寝歩いた。その中では何と言ってもルーブル、オルセー美術館のスケール、展示作品には圧倒された。


5/24(月)くもり降雨 健康クリニック 飯川病院 
1:10起床。ディスクバックアップetc。6:47バス飯川病院、9:00-11:30健康クリニックドック13名、レ線判定10名。11:45飯川病院、検食、微睡など。14:00-18:30飯川病院勤務。入院患者対応、19:00帰宅、夕食、20:30就眠。歩行Σ6671歩。

?COVID-19(2021)(25) 政府の方針はなぜ浸透しないのか??(4)田舎 vs 都会
 秋田のような田舎に住んでいるとCOVID-19蔓延地区で、緊急事態宣言が出ているのになぜ人出が減らないのか、理解に苦しむとことはある。

米国グーグルが集計した位置情報の集計によると公共交通機関を用いた人の移動は第1回目の東京は7割近く減少したが、2-3回目は5割以下にとどまっている。
 緊急事態宣言慣れも一因とは考える。

 特に若者はじっとしているのが不得意で常に刺激を求める傾向がある。都会には若者が喜ぶ施設などが溢れている。

 都会には田舎人が理解できない事情もあるようだ。
 背景は、人口密度と窮屈さ、生活のスピード感でないだろうか。

 私など、学会などで東京に3-4泊することが年に何度かあった。夜は文化会館、鈴本、サントリーホールなどで音楽、落語等で時間を過ごしたが、それでも居た堪れなくなり早く秋田に帰って落ち着きたい・・・と思った。
 私は根っからの田舎者である。だから都会に住む方々の気持ちは理解できていない。

 秋田は空が広い。
 わざわざ遠くに出かけなくともすぐそばに自然がある。これだけでも田舎はいい。

 COVID-19蔓延地域ではなぜ人出が減らないのか?
 私は以下の要因があるだろうと思う。だから一概に責められない。
――――――――――――――――――――――――――――――――
 ■ 緊急事態宣言慣れも一因とは考える。
 ■ 蔓延地域では旺盛な経済活動が続くから、テレワークできない職種では出勤が必要。
 ■ 若者達が満足するような施設などがあり、集うし群れる、交流する。
 ■ 住宅事情が異なる。多くは狭い、コンクリートの高層住宅が多い。そこには庭もない。
 ■ 一見便利そうに見える住宅構造であるが、住人はCOVID-19下の外出制限を遵守するのは厳しいだろう。拘禁ストレス様になるだろう。
 ■ 長期に及ぶ在宅ワークも困難。子育て中であれば一層困難。
 ■ 子供達は家の中でじっとしてくれない。
 ■ 子供達はゲームに依存しやすくなり家族間のトラブルが増える。
 ■「亭主は元気で留守がいい」と言われるが、いつも顔を合わせていると家族関係も変化していく。
 ■ 家族間の人間関係も破綻しやすくなる。子供、家族へのDVの増加が見られる。
 ■ せっせと子作りに励んでくれればいいのだが、出生数は減少傾向にある。
 ■ などなど
――――――――――――――――――――――――――――――――

 都会の若者たちは住居の中にじっと止まっていない。意外と選択肢は少ないのではないか。


5/23(日)終日降雨夕方晴れ 
 1:00起床、データ整理。徒然、6:30バス飯川病院、7:00日当直業務に就く。11:00家内は3姉妹で本荘方面に買い物? 11:30飯川病院、データ整理など。16:00帰宅。読書中心。微睡。19:00夕食、21:00就寝。Σ7020歩。

COVID-19(2021)(22) 政府の方針はなぜ浸透しないのか??(3)若者はなぜ外出する?
 菅首相は2月2日緊急事態宣言を3月7日まで延長すると決め記者会見した。従来の強気が目立った姿勢から一転し「国民と共に悩みながらあらゆる方策を尽くす」と言う姿勢を示した。
 この想いが本物なら具体策で示してほしい。独善に陥ることなく国民の声に耳を傾ける必要がある。何を言っているのかわからない精神論では困難は克服できない。科学と証拠に基づき判断をすべきである。
 ウイルスは人の動きで伝播していく。人の動きが抑制されるならば必ず感染は下火になる。しかし、緊急事態宣言を発しても市井の人出は少なくならない。菅首相の言葉が浸透しない所以である。

 このことはCOVID-19下における五輪の開催の方針表明にも言える。五輪への夢、幻想は消失した。多くの国民が生活できなくなり、命の危険も感じるなか多額の資金をかけ社会に負担を強いる五輪の実態に国民は気づいている。
 「五輪はIOCのために??」「COVID-19克服の証としての五輪」の言葉はどこに行った?「緊急事態宣言下でも強行するの??」。
 どのような状態が確保できたら開催し、それが纏うできないなら中止するのか?何も示されていない。

 こんな状態では日常的困難さを抱えている国民、特に関係者には政府の方針は浸透するはずもない。
 五輪を強行するなら、我々がこんなに我慢する必要はない、それも本音である。

 東京都の街中アンケートで若者たちが外出している理由は
 ■マスクをしているから大丈夫だ、
 ■他の人も外出しているから、
 ■若いと感染し難いし、感染しても軽症で済む、
との答えが目立った。

 本当に「マスクをしているから大丈夫だ・・・」と考えているなら危険だ。改めてマスク着用の目的、意義、限界について教育すべきである。厚労省の職員がマスクなしで深夜まで宴会したなど、呆れるばかりである。

 「他の人も外出しているから・・」と言うのは意外と本音かもしれない。日本人は農耕民族らしく多く人たちと共に行動する傾向が強い。迷っている日本人を説得するのに有用な言葉は「皆さんがそうなさってますよ・・・」だと言うし、「赤信号みんなで渡れば怖くない・・・」と言う言葉もある。

 蔓延地域の住民たちには、「外出せざるを得ない事情」もある様に思う。これにも配慮すべきだろう。


5/22(土)曇り 園芸中心、ダリア本植え・キウリ・ナス・トマト畑に 
 1:10起床、新聞入力、データ整理。徒然、など。仮植えダリアを本植え。10:00DIY店でキウリ・ナス・トマト苗購入。午後微睡後に畑に植える。支柱たてまで終了。16:00座学、新聞入力、データ整理、読書。19:00帰宅、夕食、21:00就寝。Σ9603歩。

?COVID-19(2021)(22) 政府の方針はなぜ浸透しないのか??(2)マスク効果を過信
 厚労省職員23人が3月24日に銀座で深夜まで送別会を開き、のちに複数の感染者が出た。参加者はマスクを外したままだったと言う。通常の会話では口から1分間で9.000個程度の飛沫が出ると言から、会話だけでも2-3分で咳一回分の飛沫が飛ぶ事になる。カラオケなど、歌の場合は1分で咳一回分の飛沫が飛ぶ。直径0.01mm程度の大きな飛沫はすぐに落下するが、0.005mmの微細な飛沫は10分間ほど空気中を漂うと言う。これらは呼吸によって気管支の奥まで到達する。換気は重要であるが、正しいマスクの着用は感染予防効果がある。

 東京都は4月末に渋谷・原宿・新宿付近で、二人以上のグループで外出している30代までの若者約500人に対して「不要不急の外出を避けるように言われている中で外出した理由」をアンケートで尋ねた。

 得られた回答は以下のごとく。
―――――――――――――――――――――――――――――――――
 外出している理由は
 ■マスクをしているから大丈夫だ、160人
 ■他の人も外出しているから、73人
 ■若いと感染し難いし、感染しても軽症で済む、12人
 ■そのほか、「もともと計画していた」、「友人と約束があった」などなど、が235人であった

 外出を控えるよう訴える呼びかけかたについては
 ■「不要不急の外出はダメです」193人
 ■「あと少しだけ我慢を」161人
 ■「その他」125人
 ■「絶対外出するなと言って欲しい」といのもあった。
―――――――――――――――――――――――――――――――――

上記は「朝日新聞」に掲載された小さな記事からの引用で母集団とかに関しては説明が乏しく詳細を読み取るには資料不足であるが、「マスクへの過信」、「若者は感染しても重症化し難い」との誤った認識が背景にあるように思われる。外出を控えるよう訴える呼びかけかたについては「もっと強く求めれば外出を控えるかも・・・」という無責任な回答が多い。

 私はマスクのCOVID-19感染予防効果は「正しい装着で感染予防効果は比較的大きいが、絶対ではない」、「不十分な装着ではやらないよりはマシ程度で予防効果は弱いか無い」と考えている。やはり、「マスクなしでは危険」と言うべきだろう。

 今までわかっている感染予防対策は、何と言っても「ワクチン」であるが、基本は「人混みを避ける」、「大声を出さない」、「長時間会話しない」、「マスク着用」、「手洗い」、である。加えて重要なのは「換気」。「うがい」の予防効果に関しては科学的有効性は明らかになっていない。

 マスクは洗って使えるものなど多彩な製品が市販されるようになった。通常手に入れられる市販のマスクはウイルスの捕獲率は表示されているよりも低いとのデータもある。
 医療機関で用いられているサージカルマスクは薄い紙3層からなっているが、最近のスパコンなどを用いた研究では微粒子捕獲率は結構高い。ただ、これとて顔との隙間から空気が出入りするので予防効果は完全ではない。

 マスク着用は一般的には感染防止でなく感染を広げないようにするためである。
 咳、くしゃみをする方々のエチケット、それがマスクの基本である。

 「マスクをしているから大丈夫だ」、と軽く考えて装着している人たちはきちんと装着していない可能性が高く、「鼻と口をマスクで覆っているだけの、見てくれだけの装着者」が多く、感染予防効果は乏しい。


5/21(金)終日降雨 大曲外来 飯川病院ボランティア 
0:45起床.書類、文献・新聞チェック。徒然。5:00可燃ごみ激しい降雨のために提出準備のみ。自炊数冊。7:30Taxi駅東に。渋滞あり、8:12こまち、大曲駅徒病院復路Taxi。9:00大曲中通病院外来。書店訪問、15:30-19:00飯川病院ボランティア。19:30帰宅夕食、21:00就寝。歩行Σ7161歩。

COVID-19(2021)(22) 政府の方針はなぜ浸透しないのか??

 COVID-19は緊急事態宣言下でも感染が拡大し、宣言地域の拡大、期間延長が余儀なくされている。ウイルスは必ず人の動きに伴って感染し、増殖する。ウイルスは航空機、船舶、新幹線等で世界中を移動する。
 要するに、緊急事態宣言かでもこれだけ感染が生じていることは、予防策の意義が社会に十分浸透したとは言い難いし、国民の行動の変容が生じていないからである。

 政府の動きは活発である。逆に統制を書いているように見える。ワクチンの話題も頻繁である。毎日毎日報道呆れるほど小出しに報道されている。
 一方、感染者数は減少していない、加えて感染力が増強したと思われる変異株が社会を覆い始めている。

 なぜ国の方針は国民に届きにくいのか

 その要因のいくつかを思いつくまま挙げてみる。
―――――――――――――――――――――――――――――――――-
 ■ COVID-19は問題化してから1.5年経過した。この間、感染対策に政府と国民との思惑にすれ違いが生じ、徐々に広がってきた。

 ■政府の方針が不十分、かつ不合理に見えるのもある
 ■緊急事態宣言は1回目は経済を止めるという方針、それ以降は経済の維持をしならや、と方針が変更された。
 ■緊急事態宣言は期間限定のイメージが強すぎる。翌日から元に戻る。メディアも悪い。

 ■メディアの情報は過剰状態にある。19:00のNHKTVニュースはほぼ連日COVID-19関連で始まる。新聞紙上でも同様。私は新聞記事のスクラップを作っているが連日10-20枚はCOVID-19関連で、それも似たような内容である。もはやCOVID-19は当たり前の日常になっている。ニュースにも新鮮味を感じない。メディアは報道方法に工夫を要する。一定の期限を定めて総括する必要がある。
 ■メディアの情報は国民に、特に高齢者に恐怖感を植え付けているが、逆に若者には軽視され、行動抑制に結びついていない。

 ■五輪開催を強行に進めること自体が矛盾の最たるもの。
 ■国民全体で一丸となって乗り切るべき事態なのに、政府は東京五輪の開催について強硬である。最近、開催反対の意見も取り上げられるようになってきたが、ほとんど対話になっていない。無視されている。
 ■こんな事態での五輪開催は何のためか??具体的に行動の抑制が求められる国民は疑問が募る。

 ■緊急事態宣言の中、議員の一部や厚労省の職員が会食やカラオケに興じてクラスターを生じさせている。官僚達が違反行為してているならば・・・。これでは伝わらない。

 ■外出時はマスクをしてと強調しているが、マスクさえすれば外出など許される、と若者たちは免罪符のように都合よく考え、マスク着用が行動の免罪符になっている。マスクの機能と限界を示すべき。

 ■ワクチン行政に関してもモタモタしているように見える。

 ■変異株の危険性とその感染予防策が浸透していないし、国民の行動にも反映されていない。
 ■医療機関の逼迫はこそが最大の問題点の一つなのに蔓延地域では自分のことと思われていない。
 ■ などなどまだまだあるが・・・。


5/20(木)午前曇り午後快晴 3Q散髪+コメダ珈琲店 午後飯川病院 
1:00起床.文献等資料チェックなど何時もと同じ、自炊数冊。9:00-9:20 3Qカットで散髪、のちコメダ珈琲店でコーヒーと軽食。ちょっと過食傾向。読書など、11:52バス飯川病院、14:00勤務、入院患者対応。19:00帰宅、夕食。21:00就寝。歩行計Σ6630歩。

運転免許証返納への道(5) レガシー廃車

 私が運転免許証返納して使用頻度が大幅に減ったスバルレガシーツーリングワゴンが2021年5月19日弘前市の解体業社に引き取られていった。

 この車は初年度登録1998年7月(平成10)で22年使用した。ずいぶん長く用いていた。

 横浜在住の長女の婿殿が購入した車であるが、あまり使わないということで2005年に我が家で使ってきた。当初は次男が使い、ついで家内が使ってきた。ここ5年ばかりはプリウスを家内専用とし、レガシーは私が用いてきた。

 さすがにいろいろ問題は生じているが、決定的不調でないから、ごまかしごまかし使っていきた。
 ■ 2014年からエンジン不調の警告灯が頻回に点灯している。これはダメか?と思ったが機能には問題ない。センサーの異常か??
 ■ 暖気・エアコンの温度調整ができなくなった。
 ■ 運転席の背もたれ角度調整できなくなった。
 ■ バックドアの内装が脱落。再装着不状態。
 ■ エンジンルーム下部のカバー脱落。再装着不能。
 ■ フロントバンパーが錆と変形で脱落。自分で再装着。
 ■ バッテリーはなんと18年も持った。
 ■ 外装に大きな変形はないが小さな傷は数え切れない。

 外装を含めちょっとした故障なら自分で治した。修理すればするほど愛着が湧いた。次第に自分の車になって来た。

 私はスバルの四輪駆動車を好み5台乗り継いできた。車は四輪駆動が基本なのだ、と考えていたからで、これを開発した富士重工業に敬意を表し、1980年頃から、スバルセダン1300、スバルレオーネ、レガシーツーリングワゴン、レガシーセダン、それに今度廃車にしたレガシーツーリングワゴンと乗り継いできた。スバル車との歴史は50年余で途切れることとなった。

 私の運転免許返納は昨年9月であったが、まだ車検が1年残っていたことからゆっくり構えていた。しかし、昨冬は天候不順で寒気が強く降雪量も多かった。こんな時はやはり四輪駆動車の出番である。12月から3月までは家内が前輪駆動のプリウスに代えて通勤に使い重宝した。廃車を急がなくて良かった、と思った。


(傷は少なくないが全体にしっかりしているレガシーツーリングワゴン 長い間ご苦労様)

(昨年全塗装し綺麗になった17年目のプリウス こちらも高年式車になった)

 消雪を待って廃車手続きに入ったが、所有者の名義変更をしていなかったために難渋した。あまり面倒なので専用の業者に依頼し手続きを代行してもらった。
 なお、22年目の高年式車であるが、車検が1年残っており、自走もできる状態であったことから15.000円の値段で引き取られた。


5/19(水)曇り・降雨 レガシー廃車引き取り 草刈り7回目 午後飯川病院勤務
 0:45起床。文献・本読み他、いつもの如し。午前は中等度の倦怠感があったが、レガシーを解体業社が回収に来るというので待機状態。その間に草刈り7回目。ダリア本植え4本追加。13:00弘前の業社来訪引き取られた。13:10バス飯川病院、入院患者対応。微睡後に体調改善、睡眠不足が原因だったか。新聞チェック、そのほかデータ整理。19:25帰宅夕食、新聞入力、8:30就寝。歩行Σ14016歩。

運転免許証返納への道(4) 便利さで失っていた感覚を楽しむ
 運転免許返納に関して私は爽やかな気持ちで前向きに返上したが、不便であることは否定しない。でも、私はなんとか暮らしている。

 自分で運転しなくとも家族が免許を持っているからやむを得ない時には車を出してもらう。今の所は重い荷物が予想される時、暴風雪の時などに限られるが、後者に関してはまだ依頼したことはない。
 家族の都合がつかない時には気軽にタクシーを利用しよう、と考えていた。秋田県では免許返納時に希望者に交付される運転免許経歴証を提示すれば10%割引になる。これも一度も利用していない。

 私の家からバス停留所までは歩いて7-8分、一時間に2?3本、渋滞時間を避ければ15分で秋田駅まで着くからが利便性は悪くはない。 
 JR奥羽本線は近隣の泉外旭川駅まで歩行15分、一時間に2?3本、秋田駅まで4分で着く。
 自転車という手もある。
 足もある。大きな傘、便利な雨具を購入して悪天候に備えた。

 上記のごとく私は恵まれている。
 しかし、田舎の高齢者にとっては車は生活の足であり、生活が成り立たないこともありうる。私は高齢者用に、車種限定、走行地域限定、高速道路不可などの条件をつけた限定免許証も一つの方法かな、と考えている。

 かなり不便になるだろう、と覚悟していたが実際にはそうではなかった。いや、それ以上にメリットが大きかった。
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 ■事故に遭遇する危険性から解放されたこと、これは大きい。
 ■高速移動で失われていた情報が目に入ってくるようになった。新幹線や航空機は論外であるが、車レベルの速度での移動の場合、特に運転者は視野が、心が狭くなっている。
 ■自然現象との対話が増えた。季節の移ろい、天候の移ろいなど。気温、風雪など。
 ■などなど。
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 これら自然現象との対話は自動車を持たなかった時には体で直に感じていたことである。
 免許返上後は毎日がこれらとの対話である。自然により近く、同化しているような満足感がある。

 今年の冬は寒く、暴風雪の日も少なくなかった。こんな日はバスも遅れてくるから停留所で風雪に曝されて待つ時間も長くなる。確かに老体には辛いが、こんなことは子供の時は当たり前であった。当時と比較すれば道路事情もよく、防寒具も改良されている。
 何回かは暴風雪の中、待っている間に雪像になるのではないかと思うようなことがあった。それでも辛いだけではなく、昔の感覚が蘇って懐かしい気持ちでが湧いてきた。

 私は車という便利な生活を得て、代わりに五感による感性を失っていた、と実感した。


5/18(火)終日曇り降雨 中通病院外来 飯川病院ボランティア
1:45起床、まだ降雨続く。文献チェック、新聞スクラップ電子化、自炊。5:00可燃ゴミ提出。6:47バス飯川病院着。8:40-13:30中通病院外来、疲弊。14:00-18:30飯川病院ボランティア。院長COVID-19ワクチン2回目で保健所に。18:30バス帰宅、19:00帰宅・夕食、21:30就眠。歩数計10890歩。

運転免許証返納への道(3) 決断は視力の減弱による
 2020年9月13日(日)、県交通運転免許センターで運転免許証を返納してきた。
 56年間の運転に終止符を打った。

 免許証返納の背景としては、
???????????????????????????-
 ■視力の低下
 ■バランス感覚の低下で運転技術が落ちている
 ■集中力の減弱で注意力が散漫になった
 ■疲れやすくなり、思考力も減弱
 ■運転開始とともに睡魔が襲ってくる
 ■自身にも漠然とした事故の恐れも感じた
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 運転免許更新時適性検査では、認知症検査等はクリア出来たのであるが、視力が限度の0.8 に今一歩不足していた。眼科的対応やメガネの調整でクリアできる自信はあったが、無理やり更新しても「危険運転候補者(?)資格の更新にもなるじゃないか」、と考え思い切って免許返納を前倒しした。

 年齢も年齢だし、返納はやむないだろう、とも納得。
 しかしながら、車は寒さや風雨の時には重宝であった。返納当初は足をもがれたような寂しさを感じたが、それはせいぜい1週間くらいなものでむしろ清々しさ、気楽さ、開放感を感じた。事故を起こす不安とは無縁の立場になった、との間隔は大きい。

 通勤にはバスがある。
 そうそう、今年3月からそれほど遠くないところに奥羽線泉外旭川駅が開業した。渋滞でいつ着くかわからないような道路事情の場合は鉄道を用いれば4分で秋田駅に着く。
 それに、自転車という手もある。

 数年前から、同乗した家族から私の運転のことをいろいろ注意されていた。自覚は無かったが気にはなっていた。多分指摘は正しかったのだろう。
 実は、私は家族の誰よりも安全運転励行者であった、・・と思う。そう感じていること自体が傲慢であり問題があるのかもしれないが、免許証を返納した今だからこそ自信を持って言える。ただ、返上した今となっては家族の運転に助けてもらわなければならない機会はある。

 今週末も家内を誘ってDIY店に行って腐葉土、肥料、野菜の苗など購入するが、こんな時はやはり車である。でも自分で運転していく必要はないのだ。


5/17(月)終日降雨風つよし 健康クリニック 飯川病院 
 1:20飯川病院起床、各種データ整理。徒然。9:00健康クリニックドック12名+レ線判定10名。11:00飯川病院に、新聞・画像処理。検食後微睡。14:00-15:30勤務、入院患者対応、読書。当直明けで院長行為にて帰宅。16:30帰宅。今のメインのストーブの仕舞い作業。19:00夕食、21:30就眠。歩行Σ9230歩。

運転免許証返納への道(2) 渋滞は嫌 その回避方法
 私のような渋滞嫌い人間からすると、せっかく時間がある休日などに、行楽などで観光地などに車で出かける気持ちはトント理解できない。運転が好きで渋滞など苦にならないという方々の気持ちも理解できない。そんな方は渋滞の真っ只中にいても明るく楽しくハンドルを握っているのだろうか。

 私が主に用いている車が年代物が多い。走行距離は年間3.000-5.000Km程度と少ない。明後日廃車にするレガシーは22年間で90.000Km。これは家族で使い回した結果で、私だけなら半分程度か。

 渋滞は耐えがたい。回避のための私の工夫は以下のごとく。生活時間すら変えている。
――――――――――――――――――――――――――――――――
(1)生活時間帯をずらしラッシュに会わないようにする
 現役の後半は多忙で、出勤時間はam5:30前後であった。起床時間がam1:00前後であったから早朝出勤は苦にならなかった。この時間帯だと職場まで片道10分前後であった。ラッシュ時は30-40分ほどかかった。帰宅時間は20:00前後で渋滞はほとんどなかった。
 今はバスであるが、混雑とラッシュを避けるためにam6:00台の便を選ぶ。

(2)渋滞が予想されるところには出かけない
 私は渋滞が嫌で、かつ出不精なので必要がなければ自宅から一歩も出ないことが多い。外に出かけなくともやることはたくさんある。だから、私はCOVID-19で外出制限勧告があっても何ら困っていない。読書三昧、音楽三昧、農作業もある。飽きたらネコと戯れる。私にはこれで十分。閉塞感皆無。

(3)誰かに運転を依頼する
 家族以外と同乗する事なんてほぼ皆無。家族と一緒の場合は運転を任せる。家族たちは私の運転は危なくて嫌だ!!というがそれをずる賢く利用させてもらう。実は家族の運転を信用していないのだが、口には出さない。
 
(4)他の方法があれば車を使わない
 (A)家族旅行などの場合
 COVID-19の前には、毎年盆には家族みんなで盛岡郊外の墓参りを兼ねた小旅行をしてきた。総勢12人もの移動であったから車の座席はやりくりが大変である。窮屈な思いをしての移動は嫌。そんな時は私だけ新幹線で移動、現地で拾ってもらうかタクシーなどで移動した。

 (B)毎週の大曲出張
 もう30年近くになるが、週一度、約60Km の距離にある大曲中通病院の診療応援に行っている。もう1000回以上になるだろうが自家用車で行ったことは10回にも満たない。秋田の中通病院から毎週10人ほどの医師が診療応援しているが、その多くは高速道路を用いて自家用車で通っているらしい。ご苦労様。
 新幹線で40分ほど、この間ハンドルを握っている自分の姿は予想するだけで嫌。新幹線だと寝る、読む、聴くなど有効に時間を過ごせる。
――――――――――――――――――――――――――――――――

 こんなわがままが許されている私は恵まれている、と思う。


5/16(日)曇りのち降雨 飯川病院日直→日当直に
1:40起床、早朝は本読み、文献チェック。自炊数冊。6:00ダリア部分に支柱たて。7:40バードウオッチング会出席の家内に同乗飯川病院に。9:00-19:00日直業務。患者は安定。新聞チェック、読書、自炊データ整理進めた。午後、大学にCOVID-19?当直医来院できず急遽当直もする。18;00検食、21:00就眠。Σ4933歩。

運転免許証返納への道(1) 車は便利だが、並ぶ道具
 私は普通運転免許を21歳の1966年(昭和41)4月に、自動2輪免許も同年8月に取得した。ともに自動車学校に数回通って最小限のコツを教えてもらい、県の運転免許試験場に受けに行き一発で合格した。当時としても珍しい、と評価された。これには背景がある。決して褒められたことではないが、小学校時から父親のバイクで山道を遊んでいたが功を奏した結果だろう。

 免許を取ったとはいえ、当初は車がなく運転の機会は多くなかったが、就職して間も無く、1971年(昭和46)車を購入した。
 車を得ていつでもどこにでも出かけられる自由は大きかったが、私はあまり運転には向いていないことに気づいた。得られる自由度は大きかったが、渋滞で時間が費やされ、疲弊するというマイナス面も大きかったから、である。

 2020年 (令和1)、私は運転免許証を返納した。54年の運転歴であった。この間警察が関与する事故は自分からは起こしていない。1972年(昭和47)に不注意で若者の車と衝突し車を買い替えた。また、女性の運転する車に2度ぶつけられた。
今夕、路上で接触事故に遭う(1) 3回目の経験となった
今夕、路上で接触事故に遭う(2) 私の車の車検切れが発覚

 違反摘発は1974年(昭和49)、24Kmオーバーで15.000円、一時停車違反で3.000円が実績である。 運転免許返上したので、事故にしろ違反にしろこの程度で済んだのはラッキーだと思っている。車の車検切れに関しては違反を問われなかった。私の誠意が通じたのだろう。
 
 私は車の渋滞はとても嫌だが、決して短気でもせっかちな性格でもないと思う。
 ただ、交通渋滞に関してだけは特別に耐え難い、許しがたい、時間が無駄、という感覚が強くある。

 医師である以上、緊急的な出勤などは日常茶飯事で、車を用いることは止むを得なかったが、渋滞が予想される時間帯には可能であれば運転を避けていた。

 秋田でも、早朝などでは10分ほどで行ける距離でも渋滞に引っかかると30分、冬季間などでは時に1時間もかかる。私は我慢できなかった。秋田で渋滞で悩んでいると言っても誰もまともに聞いてくれなかった。

 運転していると赤信号に引っかかるのは当然であるが、青に変わっても通過できず2回目の赤信号に引っかかる状態は、私にとっては渋滞の定義に、3回ならば大渋滞の定義に当てはまる。

 ただし、運転を誰かに委ねているときはこの感覚はない。


5/15(土)快晴 飯川病院午前外来
1:00起床。新聞、文献PDF化他、録音データ処理、本読みなど。自炊数冊、8:30家内に同乗飯川病院、午前は男鹿市民病院COVID-19クラスターで外来担当医自宅待機となり急遽午前外来担当に。午後は病院で休息ほか、16:00帰宅、ダリア本植え作業、一部、 DIY店にて腐葉土4袋購入、19:00夕食、20:45就寝。歩行Σ11848歩。

季節の話題2021(12) 庭先の花萌ゆ(2)
 4月23日、秋田の桜が散った。私に夏が来た。今年の春は短かった。
 結構まだ寒暖の差が大きく肌寒い日も多い。
 夏、花の季節である。庭先の花たちが萌えている。

 今年は巷ではCOVID-19の世界的蔓延を迎え、緊急事態宣言も出て社会は混乱している。
 人間社会がいかに混乱しようと自然は偉大である。我が家の庭の花達はいつもと変わりなく開花し一気に華やかになった。

 花個々への私の知識は乏しい。名称もろくに知らない。名前など知らなくとも花を愛でることができる。木々、草花の美しさをじっくり味わえる幸せを感じている。
 なんで花はキレイに咲くのか?誰のために??私の疑問はまだ解けていない。

 私にとって夏が始まった。これから木々草木は緑に萌え、種々の花々が次々と開花する。
 いい季節になった。


5/14(金)76回目感謝の日 快晴 大曲中通病院外来 飯川病院ボランティア 
1:00起床。新聞・文献・雑誌読みと自炊他。5:00可燃ゴミまとめだけで提出せず。7:40Tax駅に,こまち。往復ともガラガラ。病院到着直後地震あり震度3か??下りのこまちは地震の影響で遅延20分。9:00大曲中通病院外来、15:30飯川病院ボランティア。19:20帰宅、夕食、21:15就眠。歩行Σ8212歩。

76回目の感謝の日 まだ生きています もう少し生きてみるかと意欲が湧いてきた
 本日76回目の誕生日。
 私が本当に消え去る日までの生き方は昨年と同じだが、ここまで来たのだからもう少し真面目に生きてみようかとも思い始めた。

 毎年のことだけれど、以下のように生きていく。
―――――――――――――――――――――――――――――――――-
(1) 私の社会的使命は終わっている。仕事は最小限、補助的診療にのみに限定、今までよりもさらに少なくする。
(2) 自由に、ホンネで生きる。やりたくないことは受けない。
(3) 時間がない。だから、意の赴くまま、気ままに生きる。
(4) 五感を生かして生きる。自然、人生に一層深く味わいを感じる様になった。
(5) 長時間の歩行は心臓機能の低下(?)、腰痛などで出来なくなったが、こまめに歩いて移動機能、下半身機能を維持したい。伊能忠敬の足跡を辿る日本一周は今2周目、間も無く北海道に至る。一時やめていた飯川病院5Fまでの階段昇降を再開した。
(6) 診療で得られた報酬の約10-20%を岩手の復興資金に送る。収入減とともに徐々に少額になりつつある。
(7) 終活を一層進める。
(8) 私には自省すべき言動が数多くあった。それらを恥じて隠遁生活続ける。
(9) 何もしない、一見無為な時間が大切に思えてきた。
(10) より中性的になった立場から、女性の立場について、ジェンダーなどについて考察したい。 
(11) 年とともに心身の衰えを感じるが、それを得難い経験と考える。
(12) より寛容になってきた。人の気持ちがわかってくる。物事をじっくりと味わうことができる。多様な考え方を受け入れていく。さりとて人の言葉に左右されたくはない。これは矛盾点。
(13) 同年代者の訃報を見れば安堵する。若い方々の訃報に接するのは寂しい。
(14) 自然の大事さを認識。自分自身が自然の一員と思える様になりたい。
(15) いい詩には言葉以上の、無限の広がりがある。私も美しい日本語を書きたいものだ。
(16) 1日一話の随想はできるなら継続したい。
(17) COVID-19の動向、社会の動きが気になる。
(18) 肥満傾向にあり、生活習慣を若干見直したい。
(19) 視力が低下傾向であるが、広いジャンルの書籍を読みたい。
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 矛盾し、スッキリしない部分もあるが、家族も総じて元気であるし、まずは良い76歳のスタート日になったと思っている。


5/13(木)快晴 午前フリー 午後飯川病院
0:50飯川病院で起床。いつもの如く本読み、データ整理中心。7:00検食。8:30勤務明けとなるがバスの便から見て非効率なのでそのまま飯川病院にて過ごす。読書三昧。男鹿市民病院で看護師感染で今週土曜急遽外来となる。14:00勤務、散水など。19:20帰宅夕食、21:00就眠。歩行Σ4123歩。

?落語家で医師の立川らく朝氏が死去された
 立川らく朝氏は内科医師で落語家。
 2008年7月15日夕方、私は秋田ビューホテルで氏の落語を楽しんだ。その後はラジオの落語番組で何度か接したが、一度直接拝見した方には親しみを覚え、今後の活躍を期待していた。

 この落語会は、秋田県病院協会と賛助会員との定例の懇談会の企画として行われた。とても良い企画だったと思う。
 聴衆が大部分医療関係者と言うことでなかなかやりにくかったのではないだろうか。イントロとして世間や世相の話、厳しい医療情勢などを中心に話題を展開された。これも素晴らしい出来ではあったものの、何か一つ乗り切れないものがあったような気がした。後半は名作『番町皿屋敷』で、皿を手からすべらして割ってしまい殿に咎められ、井戸に身を投げたお菊が美形の幽霊となって現れ、皿を「いちまーい、二まーい・・・」と数える、あれである。

 「らく朝」氏はこの話に運動不足、ストレス、過食による肥満等の生活習慣病の話題を織り交ぜ、現代調の「健康落語」に作り上げていたが、動きも少なく静かだった前半とは一変、全身を使っての大熱演で、演技力、迫力も充分で感心して聞き入った。落語は大変な全身運動であることがよく分かったし、これだけの域に達するには、あるいはこれ以上を求めるなら、最早医業とは到底両立し得ないだろうとも思われた。

 氏は杏林大学卒、慶大内科で生活習慣病、動脈硬化症なとの研究に従事、一方ではエイズ対策企業懇話会を設立してこの方面でも活躍しておられた。1998年、44才で立川志らく門下に客分弟子として入門、2年後正式に入門して研鑽を積み、2004年二つ目、2015年10月、真打に昇進した。
 秋田を訪れた当時、二つ目であった氏は東京表参道福澤クリニックの医師でもあり、ご自身の専門性を生かして、健康教育と落語をミックスした新しいジャンルである「健康落語」を確立しつつあった。

 氏は全ての病の元凶はストレスにあり、そのストレス解消は笑うことに尽きると演目の中でも強調していた。確かに、笑うことが免疫力を高めるとことについては実験的にも確かめられているし、ガンやリューマチの患者の自覚症状も軽減することは日常的にも経験していることでもある。

 ならば、医療関係者はむすっとして患者達にストレスを与えるようではダメだと言うことにもなる。患者は総じて健康不安を抱えている。私は診療を通じ、患者に安心を与え、笑う余裕を与えるが、これが氏が言うように患者を救うことにもなる。

 氏は本年2月頃から病気で療養していたとのことであるが5月2日に死去された。享年67歳であった。

 私なんぞ緊張感の欠如から不健康な生活を送り肥満傾向で悩んでいるがまだ生きている。私以上に多くの方に健康の重要さを啓蒙されていた氏が私よりも若くして亡くなられたのは運命のいたずらとしか思えない。氏のご冥福を祈りたい。


5/12(水) 快晴 午後飯川病院+当直 
 1:10起床。文献チェックほかいつものごとし。午前歯科受診+アルファ。12:12バス、飯川病院に。微睡。入院患者対応。庭に散水、ほか。17:00飯川病院当直、18:00検食、21:00就眠。Σ4904歩。

書評 さだまさし作「解夏」 幻冬舎文庫 2003年
 主人公は失明が必至の病、ベーチェット病に侵され、絶望の怒りと恐怖に向かい合うという「業」を背負っている。恋人と母と友人達の絶対的な愛に支えられ、運命を受け入れ、解放される日々を過ごす。
 物語の内容は映画評「解夏」にも記載した。

 数々の名曲を生み出したのみならず、筆者の文章はとても美しい。淡々としているのに読むものの心を震わせる。

 表題作のほか5編の短編が収められている。いずれの物語も素晴らしい内容である。
 
 (文庫本の表紙)

 余談(1)
 書評ではないが、私は旅行嫌いで、観光にも土地の味覚にもそれほど興味がない。特に九州は馴染みが乏しい。その中でも長崎については関心が大きい方である。

 亡母の話によると幼少の頃に一度何かの用事で長崎を訪れたことがあるらしい。
 その後、内科や血液学会を通じて30年ほど前に2回長崎市を訪れた。学会のことなど記憶は皆無だが、長崎市に関しては、平地が少なく坂道だらけの地形、夜景の素晴らしさ、歴史的な街として長崎出島、グラバー邸などが記憶に残っている。
 長崎チャンポン?はあまり美味とは言えなかった。
 中でも2回訪れた平和公園、原爆資料館は衝撃的で、広島のそれとともに機会があれば何度でも訪れたいところである。

 最初の訪問時には航空機が海面すれすれまで降下して長崎空港に着陸した。長崎空港は大村湾の中央付近、海岸から約2kmに浮かぶ世界初の海上空港として開業したが、その情報を得ていなかったためにこのまま海上に不時着するのかとさえ思った。

 長崎については10年ほど前だったか、吉村昭氏の戦艦「武蔵」建造に関わる著作を読んだことが機会となって、長崎について認識を新たにした。

 余談(2)
 内容的には映画で取り上げた病気とは全く違うが、私も進行性の視力障害の最中にある。視力検査の字や記号は全く見えない。両眼とも0.01以下と判定される。
 私の場合は白内障、緑内障などが原因なので治療しようと思えばできないわけではないが、私はあえて治療せずに放置し、徐々に進む軽度の視力障害の世界を楽しんでいる。焦点がずれていてはっきりは見えないが、だからこそ景色は美しく、夜景は綺麗、かつ女性は美しく見え、ネコは可愛い。見え過ぎるよりは総じていい感じである。


5/11(火)晴れ 外来 飯川病院ボランティア
1:30起床。文献他PDF化、徒然、5:00可燃ゴミ出し。6:47バス飯川病院,8:45-13:20中通総合病院外来、混雑中等度しかし疲弊。14:00ー19:00飯川病院勤務、ボタン白一鉢飯川玄関に。19:00帰宅。夕食、21:15就眠。Σ8233歩。

?映画 さだまさし作「解夏」 監督:磯村一路 東宝 2004年
 今年のGWは飯川病院で日当直として3日間過ごした。時間が長いこともあって読書三昧で過ごし得た。時間があるだけに、久々じっくり見せていただいた。
 その時に読んだうちの一冊が本書さだまさしの「解夏」(幻冬舎文庫)で、余勢をかってアマゾンで見たのがこの映画である。

 表題の「解夏」とは仏教用語で、昆虫などが繁殖期に入る陰暦4月16日から7月15日までの三か月間、無駄に殺生しないよう僧が出歩かず、一か所にこもって修行するが、その最終日のことらしい。さだまさしが用いる用語は難しい。
 
 難病ベーチェット病であと数ヶ月で視力が失われていく若い主人公とそれを支える婚約者、母、友人たち。
 舞台は坂の町長崎。長崎の階段と海と空に美しい風景。この映画で長崎の風景を見、改めて美しい街だと思った。長崎の老人たちは足腰が丈夫なのではないだろうか。

(東宝関連HPより借用)

 主演は、大沢たかお、石田ゆりこ、富司純子、松村達男他。
 富司純子氏は映画「フラガール」で見たばかりであるが、他は私にとっては初めての方。脇を固めた配役は絶妙の動き。印象深かったのは、富司氏の表情。母の強さ優しさ。誰でも持っている当たり前の立場を的確に表現する演技力に感じ入った。偉人・変人・奇人を演ずるのはむしろ楽で普通の人を演じるのが最も難しいとされている。もう一方、松村達男氏はこの映画出演を最後に亡くなられたとされるが、氏の存在感も大きい。

 人物、風景ともに絶妙のカメラワークで示される。バックグランドミュージックもいい。 淡々と、長崎の雰囲気が心地よく入ってくる。

 作品そのものはいわゆる難病の闘病記にあたる。視力が段々と落ちてくる主人公の心の葛藤と、それを支える女性の物語であるが暗くならず静かにストーリーが進み全体的に静寂感を感じる。決してお涙頂戴ではない。

 爽やかな印象を持った名作である。


5/10(月)早朝降雨以降快晴 健康クリニック 飯川病院
1:10起床、データ整理、画像データ、音楽データなど整理。6:47降雨の合間を縫ってバス飯川病院。9:00-11:00健康クリニックドック10名。判定は昨週終了しており早めに終了。11:15飯川病院。入院患者対応。14:00-19:00勤務、入院,患者対応再度。19:20帰宅、夕食、21:00就眠。Σ7975歩。

皇位継承(3) 生前退位 人間天皇ならば老化するのも当然
 平成16年、82歳であった現上皇陛下は天皇として生前退位の意向を示された。近代の皇室にはないことだけに、各界に大きな話題を提供し、憲法論議までた。

 私にとって皇室の話題など、別世界のことであり、特に考えることなどないし、考えることも不遜なことと思っていたが、陛下をお一人のご高齢の方と捉えれば、いろいろな考えが湧いてくる。

 生前退位に対し、天皇について定めた法律「皇室典範」があり、生前退位はできないなどと、宮内庁や政府の関係者は発言しているが、法による制限があるから、と片付けるのは納得し難い。法律があることで関係者は思考停止状態にあったのだ。

 私はこの問題が生じた当時、陛下がご高齢になるのに、生前退位すらも念頭に置ていない皇室規範をそのままにしていたことこそが問題であって、周辺の方々の職務怠慢だと思った。それを盾に、憲法まで出して天皇の希望を受け入れなかったことは、人道的にも問題と思った。

 天皇の地位は終身制となっている。私から見れば他に例のない、例えようのない厳しい地位である。高齢に達したとき、その地位はどうあるべきか、「皇室典範」にあるからと、今まで検討もされてこなかったとすれば驚きである。
 生前退位には法改正が必要とのこと。確かにそうだろうが、これ以上の公務をお願いし続けることは、「高齢になって疲れ果てた名馬に、死ぬまで働け・・」と鞭を当てているに等しいと思った。私は、もういいじゃないか、皇室典範の改正は後付けでもいい。すぐにでも激務から解放してあげるべきだ、と思った。
 今まで生前退位など考えもしなかった関係者の怠慢を指摘したい。状況の把握に問題があるし、前例がないから、となんら準備してなかった、とすれば、問題である。

 幸い、2019(平成31年)4月30日に施行された皇室典範特例法に基づき、憲政史上初めて譲位され、上皇となった。

 たとえ陛下の意向がどうであろうと、お膝元の宮内庁が陛下の年齢を考慮した対策を国に提案できなかったのは職務怠慢だと思う。尤も、侍従長、宮内庁長官、皇室医務主管・・・等の年齢を見ると総じて年寄り。政治家は総じて保守的。これじゃ問題に気がつくはずもない。

 もちろん、陛下をサポートする職務の方が若すぎても問題があるだろうが、高齢の取り巻きは天皇陛下のお気持ちを受け取れていなかったのではないかと思われる。

 生前退位が問題になった当時、人間天皇ならば老化するのも当然、天皇は人間扱いされていない、と思った。

 今度は天皇の性別問題である。人間天皇ならば男女は同権。「父方に天皇の血を引く男系の男子のみが皇位につく」という伝統は現在まではなんとか引き継がれてきたが、この伝統の方に無理があるのだ。もうそんな規定は必要ない。
 
 今、有識者会議が検討しているが、私は天皇は人間であり、性別で資格を論じることは人権問題であり、その視点に立てば結論は自ずと決まる。女性天皇を認めるべきだ、と思う。
 ここで、従来からの伝統を重んじ、「天皇は男性に限る」という判断が出たら、日本はジェンダー問題ではどうしようもない後進国として世界の笑者になるだろう。


5/9(日)降雨午後晴れ 草刈り6回目
1:20飯川病院で起床。本読み、文献読みほか。書店巡り予定は母の日で中止。10:00バス帰宅。孫たち迎えあるも母の頭痛のため14:00近くまで帰らず、疲弊。14:00-16:00草刈り6回目。微睡後新聞チェック収集、入力など。読書。19:00夕食、20;30就寝。Σ10955歩。昨年、キウリトマトを畑に植えた。レガシー廃車やっと着手。

皇位継承(2) 人間天皇ならば性別で規定するのはおかしい
 安定的な皇位の継承のあり方を検討する有識者会議の初会合が3月23日開かれた。

 その会議の論点は、■男系男子の継承、■女性天皇や女系天皇、■女性宮家の創設、■旧宮家の皇籍復帰、■女性皇族の結婚後の公務、が挙げられている。このうちの前二者がメインとなると思われる。

 従来は伝統に基づき、血筋、血統を満足させる男性天皇、とほぼ限定されていたが、敗戦後に「人間宣言」で天皇は「人間」となった。
 しかし、天皇には人権もなく、ひたすら国家に奉仕し、崩御するまで退位は認められないなど、人間扱いされていない。天皇は人間になったのだからその時点から「人間的な扱いを検討」すべきであったが、おざなりのままに残されていた。この間、政治家は怠慢であり、宮内庁も同様であった。このことで皇室問題は、特に皇位継承問題はいまだに古い伝統が主役となっている。そのため2000年になって後継者不足がにわかに前面に出てきた。小泉、野田内閣では検討会を設置したが、悠仁さまの誕生で立ち消えになったが問題は決して解消していなかった。ちょっと先送りの時間ができただけであった。

 有識者会議ではまず、「父方に天皇の血を引く男系の男子のみが皇位につく」という今の制度を保つのか否かが大きな論点になろう。
 現在、皇位継承の資格のある皇族は、55歳の秋篠宮、14歳の悠仁さま、85歳の常陸宮の3人だけ。うち秋篠宮、常陸宮さまはもうお子様を設けられないだろうから、皇位継承は14歳の悠仁さまのもとで将来生まれる男の子のみで継承されることととなる。だから、悠仁さまに期待されるのはただひたすら男の子を生むと言うこと、になる。

 これは非人間的期待である。ましてや、こんな状況の中で「男子を産むことを、しかも複数の男子を生むことを絶対条件」として受け入れ、悠仁さまと結婚される女性はいるのだろうか。私はいないと思う。

 したがって、今までの伝統を維持すれば将来の皇統の維持は「幸運と偶然に支配される極めて危うい状況」になる。私は、多分、維持不能になると思われる。これは「国家の基本に関わる極めて重要な事柄」(菅首相の弁)である。

 私は天皇は人間であり、性別で資格を論じることは人権問題であり、その視点に立てば結論は自ずと決まる。女性天皇を認めるべきだ、と思う。男性に拘らず周辺の環境を変えていけば皇位継承の選択肢はかなり広がってくる。

 各種の世論調査では、国民の多くが女性が天皇につく「女性天皇」や、父方に天皇の血を引かない「女系天皇」を肯定的に受け止めている。
 もう時代は変わっている。

 有識者会議では、人間天皇を時代にあった形にすべき、と思う。


5/8(土)快晴 飯川病院日当直
1:10起床。文献読みと新聞電子化、録音データ整理、徒然。台所の水道蛇口故障したが修理、ほぼ満足の出来。8:00微睡。11:00仕事で出勤の家内に同乗飯川病院に。そのまま日当直に就く。昼検食、午後映画「ホットまま」一部観る。散水など。17:55検食、20:30就眠。5331歩。

わが家のGW(2021) COVID-19下でいつもの如く淡々と、多忙に過ごした
 今年のGWは、暦上は5月1日(土)-5月5日(木)の5日間であった。
 私はこの間、5月1日(土)は飯川病院の日当直、5月4日(火)も日当直、最終日5月5日(水)は日直が当たったから、実質的に家で過ごしたのは5月2日と3日だけ。

 毎年のことなので、今年のGWの天候、1日の過ごし方、歩数、考えたことなど記録しておく。
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■5/1(土)曇り午後から快晴 GW初日 飯川病院日当直   
 1:00起床。9:00今季初の草刈り。12:20家内に同乗、書店経由で飯川病院へ、12:30-翌朝9:00日当直。歩行計Σ6541歩。
?COVID-19(2021)(21) 秋田も急増しつつある 

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■5/2(日)降雨午後快晴寒い GW2日目 
1:00飯川病院起床、画像・文献新聞チェック。録音データ整理。10:00バス帰宅、読書、新聞データ化。19:00夕食。20:30早々に就寝。歩行計5038歩。
?皇位継承(1) 人間と認めるなら皇室に人権を認めよう

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■ 5/3(月)憲法記念日 降雨午後から快晴 GW3日目 草刈り4回目
0:30起床,文献チェック、随想読みほか。iPhone2台、iPad3台iOSアップデート、自炊3冊、午後14:00草刈り4回目。それ以降は座学、文献読み、読書など。新聞チェックなど。書籍自炊。19:00夕食、21;15就眠。歩行計7457歩。
?憲法記念日に思う(2021)(1)

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■ 5/4(火) みどりの日 晴れ GW4日目 飯川病院日当直
 2:00起床,文献チェック、随想読み、読書ほか。8:30家内に同乗飯川病院へ。9:00-翌日9:00飯川病院日当直。座学など、新聞チェック。午睡後読書、さだまさしの小説「解夏」、ついでに映画も鑑賞。18:00夕検食、21;00就眠。歩行計4759歩。
?憲法記念日に思う(2021)(2)

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■5/5(水)子供の日 快晴 GW5日目 飯川病院日直 
0:50飯川病院にて起床。随想読み、新聞処理。徒然。さだまさしの小説「解夏」読む。映画も鑑賞。文献読み中心。9:00-19:00日直。19:00家内の迎えあり帰宅、夕食、21:00就寝。 歩行計4886歩。
?子供の日2021(1) 「こども庁創設案」について いい政策と思う

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 今年もGWは飯川病院の日当直で時間が取られ、草刈りに時間が取られたが、本も5冊ほど読めた。この間検討すべきと決めていた事項、自分の死亡時の具体的手続きをまとめ、家内や子供たちに残そうとしたが、できなかった。

 何と言っても、今年のGWは昨年に引き続きCOVID-19の世界的流行とその影響である。
 3回目の緊急事態宣言が発令されて企業や商店の営業自粛、人の移動の抑制などの指示が出た。

 昨年、今年のGWはいつも郷里で過ごす長女一家が来秋できなかったことである。勿論、その原因はCOVID-19で、40年ばかりを振り返ってみてもほとんどなかったことである。私と家内、次男は病院勤務でありともに厳しい感染防止が求められている。だから蔓延地域からの来客も受けることができない。

 この間、
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■全世界の感染者数は約1.5億人に増加、死者も315万人。
■国内の感染者数は約650.000人、死者10,000人超となった。
 昨年同期の国内の感染者数は約2000人であったことを考えると驚く推移である。しかも、現在は変異株が優位となっており感染防止に気を抜くことはできない。朗報はワクチン摂取が始まったことであるが、まだ供給量が少なく今後の経過は見通せない。
■秋田県の感染者は昨年同期16名。最近は徐々に増加し520名になっている。
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 私は緊急事態宣言が出たからといってもともと3蜜状態が嫌いなのでほとんど影響は受けない。
 私は毎金曜に大曲の中通病院に診療応援に行くのであるが、往復の新幹線はガラガラ、私が利用する先頭車両はせいぜい1-2名である。

 私にとって、内容的にはゴールデンじゃなくシルバーウイークレベルだった。


5/7(金)曇りのち晴 大曲中通病院 飯川病院勤ボランティア
1:00起床。文献検討、徒然。新聞チェック。5:00家庭ゴミまとめ提出。7:40Taxi駅に。8:11こまち14号、先頭車2名のみ。9:10大曲中通病院外来、大曲復路徒歩、秋田駅病院間Taxi。飯川病院ボランティア。19:30帰宅夕食、21:00就眠。Σ9829歩。

子供の日2021(3) こどもをめぐる諸問題を羅列してみた
 私は興味を感じた新聞記事をスクラップし、項目ごとに分類して保存している。しかし、紙媒体ではみるみる量が嵩み書棚を占拠する他、目的の記事を探し出すのも困難で2008年頃からはスキャナーで電子化し項目ごとに分類し保存している。これだと体積も重量も一切増えることはない。それらのデータは検索をかけることによってすぐに目の前の画面に提示される。

 私は小学校6年を頭に孫が5人いる。しかしながら、内孫でないから、今の子供が置かれている現状を十分に分かっているわけではない。
 子供は各家庭にとっても地域にとっても社会的に見てもかけがえのない存在だから子供達の置かれている現在の環境に、高齢になったからと言って無関心では居られない。

 2008年以降を検索すると膨大になりすぎる。
 2020年分と2021年上半期分に「教育 子育て いじめ 差別など」として分類した記事の枚数は1000余枚になる。

 それらから代表的項目を挙げてみた(順不同)。
 これだけでも現代の子供たちが置かれている状況の概要がわかる。
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子供の安全教育
他人を信用できない子供 感じない心を持つこ 
子供たちの裏社会 、裏サイト
育児放棄 ネグレクト
家庭内暴力DV  躾名目の虐待 
家庭内虐待、虐待死
教育虐待、指導死 スクールハラスメント 教師からの嫌がらせ 校長セクハラ
児相 いじめ いじめ死 ネットいじめ 
COVID-19と鬱 
わいせつ教員 
校則がんじがらめ 黒髪強要
生きずらさ
保健室登校 
嫡出否認問題 無国籍児童 
あしなが問題 給食費問題本 奨学金 子供の貧困
オンライン授業 
COVID-19下のストレス
学校崩壊 
脱ゆとり教育 ゆとり教育
不登校 
スマホ子供は悪影響? ゲーム依存 
育児 保育所落選 育児病児保育課題
単独育児 双子三つ子などの出産 単独育児の困難さ 
子供お断り社会 ベビーカーで嫌な思い
子供の事故と安全教育 
発達障害 障害児 ADHD(注意欠如・多動性) ASD(自閉スペクトラム症) DCD(発達性協調運動障害) 吃音チック・トウレット症候群 知的障害
いのちの授業
食物アレルギー
こどもの自殺
SSW倍増(スクールソーシャルワーカー)増員問題 
ストーカー対策 
子供110番 
児童ポルノ問題
子供の性被害 

などなど他にも多数―――――――――――――――――――――――――――――――-

「こども庁」をもし創設するならこれらの項目についても検討してほしいものである。


5/6(木)快晴 午前草刈り5回目 午後飯川病院勤 健クリ結果判定
 0:50起床。随想読み、新聞処理。徒然など。午前草刈り5回目。12:12バス出勤。14:00飯川病院勤務、一時外出、健康クリニックドック判定、大曲出張費受け取り。入院患者対応。19:30帰宅。夕食、20;30就眠。歩数12279歩、草刈りとクリニック往復。

子供の日2021(2) 「こども庁創設案」(2)
 しかし、なぜ今「こども庁」と言う組織の創設なのか。唐突感が否めない。

 従来、わが国の社会保障などは若者に薄く高齢者に厚く采配されてきた。選挙の投票者が高齢者中心であったから、どうしても高齢者に甘く傾く。だからシルバーデモクラシーと言われる。逆に、そのことが若者の政治離れに結びついた。
 ところが、少子高齢化がここまで進み、わが国の将来に懸念が出てきて、やっと高齢者から子育て世代へ社会補償の傾向を変ることが求められてきた。ただし、数の上での少子化対策はもう間に合わない。質の向上でいくしかない。
 私は今更ながら観はあるが、子供は宝である。高齢者の何倍も大切にしてほしい。

 今、こどもたちが育つ環境を考えたときに、こどもたち自身にも、育てる世代にも、社会構造そのものにも、問題は多々ある。あまりの多さにに目が眩むほどである。

 「こども庁」創設に関しては、現状ではイメージ的なアイデアだけで、どんな課題を重視していくのか、具体的に示されていない。中身の整理もしないまま組織の構造や名称だけが独り歩きしかねない。これでは次期衆院選をにらんだ「選挙目当て」と言われても仕方ない。

 かつては、「地方創生」、「1億総活躍社会」などと名を冠した政治スローガンを掲げて選挙の目玉にしたことがあったが、これはわが国の政治の悪しき傾向である。これらがどうなったのか、総括もされないからその後行方不明である。

 政府はこれまでも少子化対策をうたい、保育施設の拡充や現金給付といった施策を打ち出してきたが、なかなか問題解消の決定打にはなっていない。その因は果たして組織が一元化していなかったためなのだろうか。
 確かに、医療、教育、福祉など、子どもに関わるあらゆる分野を一括して担う組織があれば、縦割りの弊害は解消されるだろう。
 従来の施策がなぜ思うような効果を上げられないのか、省庁間の連携にどんな支障があったのか、新組織創設の前に、検証すべきだ、と思う。

 しかし、子供に関しては整理すべき課題はあまりにも多い。学校、勉強、友人、遊びなどなどである。
 
 菅政権は「デジタル庁」創設を打ち出した。「孤独問題解消」を図る対策室や担当大臣を置くなどしてきた。COVID-19対策を見ていても、担当大臣ばかりが増え、かえって複雑化し混乱している

 国民が求めているのは、施策の実効性だ。ならば、新組織ありきではなく、参加党派を募り「こども庁」創設準備室でも作り、子どもを第一に考える視点から議論すべきだ。


5/5(水)子供の日 快晴 GW5日目 飯川病院日直 
0:50飯川病院にて起床。随想読み、新聞処理。徒然。さだまさしの小説「解夏」、映画も鑑賞。7:00検食。文献読み中心。9:00-19:00引き続き日直。12:00昼の検食。入院患者平穏。文献読み中心。19:00家内の迎えあり帰宅、夕食、21:00就寝。 歩行計4886歩。

子供の日2021(1) 「こども庁創設案」について いい政策と思う
 子供をめぐる話題といえばどうしても少子化に関わることが多くなる。子供の減少は社会・経済・地域の生活などすべてについて大きな影響を持つからである。その割には国民の関心を呼んでいない。
 少子化の具体例を挙げれば、総務省の都道府県別人口推計(2019年)によると、秋田県の総人口に占める14歳以下の子どもの割合は9.8%で、2011年から9年連続で全国最低となった。ちなみに沖縄県は17.9%。  

 そのため秋田県の将来を語る際「出生率改善」とか「少子高齢化社会の先行き」に関心が集まるが、私は少子化対策は遅きに失し、改善は困難と思っている。存続のために他の方法を考えなければならない。

 少子化とともに「子供たちが育つ環境は豊かになってきたか?」という点で見ると、今を生きる子供たちは従来にない困難を抱えた環境にある。

 幼児期、成長期に良好な育成環境が与えられること、教育環境を提供することは子供達の可能性を広げる。子供が豊か育つ環境を如何に提供できるか、財政を確保して社会全体で子育て支援の方法を共有したいものである。

 これは、全世代の国民の大部分が納得できる政策であることは論を待たない。子供は国の宝である。数でダメなら質で高めよう。

 菅首相が子どもに関連する政策を一元化して担う「こども庁創設」に、突然意欲を示した。私も興味を持った。
 4月1日、少子化対策に取り組む自民党の若手有志からの提言を受け、何か閃くものがあったのだろう、すぐに自民党に党総裁直属機関の設置を指示した。

 自民党は「こども庁」創設を、次期衆院選の目玉公約に据える方針で党内議論を始めた。選挙の目玉??それが目的ならあまり賛同できないが、菅首相が目指す「縦割り打破」にも沿っているから注目はしたい。

 子ども関連施策の所管は厚労省や文科省など複数の省庁にわたっている。そのことで機能的でない部分は多々あると考えられる。それらがまとまれば、窓口が分かりやすくなったり手続きがスムーズになったりする可能性はある。
 子どもに関する施策は、保育や教育、少子化対策、児童虐待防止など実に多岐にわたる。

 就学前の子どもの例を挙げれば、
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 ■「保育園が厚労省」、
 ■「幼稚園が文科省」、
 ■「認定こども園」が内閣府、
 ■ その他にも、法務省や警察庁などに及ぶ問題など
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 このような状況だから施策の決定に時間がかかるなど、行政の「縦割り」の弊害は長く指摘されてきた。


5/4(火) みどりの日 晴れ GW4日目 飯川病院日当直
 2:00起床,文献チェック、随想読み、読書ほか。5:00可燃ごみ提出、秋田市契約の処理業者さん、連休中だと言うのにご苦労様。8:30家内に同乗飯川病院へ。9:00から明日の夕方まで飯川病院日当直。長丁場。座学など、新聞チェック。12:00昼の検食。午睡後読書、さだまさしの小説「解夏」、ついでに映画も鑑賞。18:00夕検食、21;00就眠。歩行計4759歩。

憲法記念日に思う(2021)(2)
 戦争は非常事態ではあるが、国際的に認められた正式な外交手段の一つである。戦争というが事態が生じても、あくまで平和主義を貫くべきだ、という意見がある。特に護憲派の人たちはそのように言う。国際世論に訴えながら「やめて、攻めてこないで・・」と叫び「座して死を待て」、ということだろう。戦争というが事態が生じても、あくまで平和主義を貫くべきだ、という意見がある。特に護憲派の人たちはそのように言う。国際世論に訴えながら「やめて、攻めてこないで・・」と叫び「座して死を待て」、ということだろう。

 戦後憲法の基本的な理念に無理があった、と思う。軍国主義の否定と米国由来の自由と民主主義の考え方で日本人のアイデンティティが混乱をきたした時期に押し付けられた憲法としては価値ある考え方であっただろう。

 日本国憲法は公布から75年目を迎えた。
 新憲法発令後間も無く憲法改正の息吹は始まっていて「憲法の自主的改正」を自民党の党是としてきたが、いまだにどの内閣も成し遂げていない。国民的論議を喚起したこともない。安倍氏が長期政権、国会議員の数の優位性を背景に意欲を示したのは理解できないことではない。

 ずっと現憲法でやってきて「それほど大きな問題が生じていないのに改憲改憲という意義が国民には一切伝わってきていない」、「自民党の思惑と国民の思惑は全く一致していない」。にも関わらず「任期中、安倍首相が改憲改憲と常に語っていること自体が、国民から浮いた状態」にあったとも言える。

 2017年の憲法記念日に首相は「2020年を新しい憲法が施行される年にしたい」と踏み込み、9条への自衛隊明記に意欲を示した。成し得なかった。

 2018年に自民党は4項目の改正案のたたき台をまとめたが、憲法審査会はろくに開かれず議論は進んでいない。このの4項目とは、■9条改正、■緊急事態条項、■参議院の合区解消、■教育制度、から構成されている。

 安倍氏がめざした2020年の改正憲法に盛り込もうとしている緊急事態とは、@内閣の一存で、国会の審議抜きで、法律と同じ効力を持つ政令を定めることができ、これによって、例えば官庁組織を自由に設立したり、刑罰を定めることもできる。A国会議員の任期を無限に延長することができ、内閣総理大臣も終身在任とすることができる、なども含まれている。かなりの強権を目指している。

 憲法改正に向け国民の意識はクールである。
 自民党内でも憲法に自衛隊明記など考え方が多様にあり一枚板ではない。

 与野党対立に加えそれに、森友・加計・桜の会など、権力の私物化の疑惑などが解決しない中での憲法改正は国民に浸透しない。

 憲法改正は急ぐ必要はない。クリーンな内閣のもとで進めてほしい。
 安倍内閣のもとで論議が進まなかったのは当然でもある。このような中での改正論議はできるはずもなかった。
 憲法改正は「笛吹けども踊らず」、であったがその因は自分にあったことを安倍氏には考えていただきたい。


5/3(月)憲法記念日 降雨午後から快晴 GW3日目 草刈り4回目
0:30起床,文献チェック、随想読みほか。iPhone2台、iPad2台iOSアップデート、iPad1台バックアップ。自炊3冊、午後14:00-16:00草刈り4回目、裏の農道終了。それ以降は座学、文献読み、読書など。新聞チェックなど。書籍自炊。19:00夕食、21;15就眠。歩行計7457歩。草刈りでうろうろ。

憲法記念日に思う(2021)(1)
 我が国の憲法は制定後75年であるが、世界的にも平和憲法して評価が高い。不戦の誓いを成文化した条文を持つからだ、と多くは考えているのだが、平和主義憲法を持つのは日本だけではなく、8割以上の国が平和条項をもっている、とされる。

 この75年間、日本国憲法は一度も改憲されていない。しかし、毎年5月の憲法記念日の時期になると改憲論を中心に憲法論議が盛んになる。今年は安倍首相から菅首相に変わったこと、新型コロナ禍のために論議は低調である。ほとんど話題になっていない。

 憲法9条で戦争放棄が以下の文章で謳われている。
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 憲法9条、
1項:日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2項:前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
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 実に立派な条項だ。
 しかしながら、戦後平和が守られてきたのはこの平和憲法があったためではない。
 世界情勢、日本の情勢、日米安保条約しかり、米国との同盟関係、外交努力など、がそうさせてきた。
 平和は平和、平和と唱えるだけでは達成できない。

 わが国も情勢に対応しながら、自衛隊の解釈を捻じ曲げながら、防衛機能拡張を進めてきた。我が国の戦闘能力は世界的に見て10番以内らしい。
 これは憲法9条2項から見てどうなのか?日本の軍事力は軍隊でないのか?

 憲法に関する各新聞社やメディアの世論調査によると、改憲については「不要」>「要」である。また、ここ数年「不要」とする割合は増加している。
 特に9条の改正「反対」は7割に近い数字となっている。この背景には改憲論者・安倍首相のこだわりへの反発もあっただろう。

 改憲論者・安倍首相は最長政権を打ち立てたが、経過とともにダーティなイメージがつきまとってきた。最終的には支持率も低下した。私は改憲が必要だと思うが、こんな首相のもとでは改憲論議はしたくない。

 安倍首相は9条に関して自衛隊を合憲化し軍隊としたいという意向であった。
 私もこれについては正しい判断だと思う。今の自衛隊は何なのか??曖昧にしたまま、黙している日本人の曖昧文化はここにも極だっている。軍隊を持たない我が国は同盟の美名の元で米国の属国みたいである。自衛隊は災害救助隊ではないのだ。

 先日、菅首相・バイデン間でより深い同盟関係を確認した、と言うが、一層属国化したのではないか??

 改憲反対論者は、9条の改正は日本の平和主義を放棄することにつながりかねず、再び戦争に巻き込まれるリスクを増大させる、と主張する。
 9条の改正は、即、日本の平和主義を放棄することには直結しない。
 私はそう思っている。


5/2(日)降雨午後快晴寒い GW2日目 
1:00飯川病院起床、画像・文献新聞チェック。録音データ整理。7:00検食。!0:00バス帰宅、正午のNHKニュース後ののど自慢公開放送はなし。昨年ダリア球根仮植え、今年は2週以上前にすみ。若干新芽が出始めた。ボタンは開花直前。読書、新聞データ化。19:00夕食。20:30早々に就寝。歩行計5038歩。

位継承(1) 人間と認めるなら皇室に人権を認めよう
 安定的な皇位の継承のあり方を検討する有識者会議の初会合が先日開かれた。
 皇族数が減るなかで、皇室制度をどう維持するか、これは「国家の基本に関わる極めて重要な事柄」(菅首相の弁)であるが、従来は血筋、血統、伝統が前に立ち、敗戦直後出された「人間宣言」において昭和天皇は、天皇と国民との間の「紐帯」が、戦前の「神話と伝説」から「信頼と敬愛」に変わった、と述べられた。昭和天皇の人間宣言によって「神話」性が取り除かれ「人間」となった。

 しかし、GHQは天皇を象徴として地位を認めたので、天皇を特別な方として特別な規範の中に置かれた、と見なす考え方は国民の中に残り、人間宣言後に当然迎えるであろう「人間的な扱いの検討」はおざなりのままに残されていた。このことで皇室問題は、特に皇位継承問題はいまだにうやむやの中に残されている。

 平成28(2016)年7月天皇陛下に生前退位の御意向があることが報じられた。陛下は同年8月8日に、御自身のお気持ちを国民へのビデオメッセージという形で表明された。
 しかしながら、現行法では、「皇位継承は天皇の崩御の場合に限られ、崩御によらずに退位して皇位を後継に譲ることできない・・・」と解されていた。極論の一つとして天皇が生前退位を表明されたこと自体が憲法違反とみなす考えも出てきた。

 「天皇を人間として尊重する」ならば退位については、前向きに考えてしかるべき時がきた、と私は単純に考えたが、そんな簡単なものではなく、歴史学者、識者を中心に肯定的な意見と否定的な意見が交錯した。私は高齢天皇の立場を人間的に捉えたから考えは単純であった。天皇陛下の生前退位(1) ご高齢に配慮し直ちに実質的対応に着手すべき

 退位を可能にするとした場合の法改正の方法については、皇室典範の改正により退位を制度化すべきとする意見、一代限りの退位を特別法で認めるべきとする意見などが出た。
 私は驚いた。生前退位に反対する先鋒者は安倍前首相であったが、私はその挙げた理由に納得できず心から驚いた。
 「天皇は御存在自体が尊いというから存命中は一定のお役目を持つ」、と言う。ある人は、日本は「天照大神の子孫の神々様から始まり、神武天皇の即位で神話が国になったのだから、国民のために祭祀を執り行うのが、天皇の最重要任務である」と生前の退位に反対した。よくわからない論理であった。

 皇室構成員を人間として捉えれば事は簡単に進むのに、と思う。


5/1(土)曇り寒い、午後から降雨 GW初日 飯川病院日当直 レセプトチェック  
 1:00起床。早朝読書、文献処理一部廃棄。9:00-10:30草刈り3回目。読書、12:00家内に同乗飯川病院、午後日直、当直。午睡、読書、外来レセプトチェック。入院患者対応なし、読書三昧、久々渡辺淳一「愛ふたたび」。歩行計Σ8093歩。

COVID-19(2021)(21) 秋田も急増しつつある 

 秋田のCOVID-19感染症は国内の集計では都道府県別にみて少ない方から2-3番目であった。1月下旬から3月下旬頃までは1日ごとの感染者数はほとんど見られなかったが4月以降斬増している。

 現状でも、秋田県は感染者数で言えば都道府県別では少ない方から3番目であり、人口10万人あたりの感染者数でいえば少ない方からの10番目くらいである。


(全国の感染者数の累計)

 COVID-19蔓延地区の感染者の状況は凄まじいものがある。その地の医療関係者が負っているプレッシャーは如何ばかりかと毎日危惧していたが、正直言って対岸の火事的に構えていた。
 先月下旬頃までは私も秋田県は新規感染者数が少ないことに感心して見ていたが、ここ2週間ほどはその数の増加傾向に驚いている。
 そうは言っても多くてもまだ一日20数名に過ぎない。

 
(秋田県の毎日の感染者数の推移 累計では500余名と他の県に比較すれば少ない)

 最近急増してきた原因として、4月上旬の大仙市の農業組織であるJAおばこ、中旬に秋田市の某老健施設でクラスターが発生したことと、4月下旬から秋田市の繁華街での感染者の急増である。
 秋田市と県は、5月1日すなわち本日、20-90歳代の25人が新規に感染したと発表した。この数は従来からの集計では最多となる。

 これで秋田県の累計患者数は500人を超えた。
 秋田県のCOVID-19対応は新しいステージを迎えつつある。


4/30(金)降雨夕方晴れ 大曲中通病院診療 飯川病院ボランティア
1:00起床、文献検索、5:30可燃ゴミ提出。7:35Taxi駅東に。8:11こまち、先頭車両2人だけ。雨模様病院往復Taxi、9:00大曲中通病院外来。帰路こまち同様に一人だけ。市内も雨でTaxi。飯川病院ボランティア、19:20帰宅夕食、21:00就眠。歩数計7058歩。

COVID-19(2021)(20) ワクチン(3) 私も接種 
 COVID-19ワクチン接種が2月17日から国内で始まり妊婦を除く16歳以上の国民に法に基づく接種の努力義務が課せたれた。強制力はなく接種を受けるかどうかは個人が決めるというのが国の考え。我が国の予防接種法は1948年に定められたが、当時は罰則の伴う義務であった。1994年から努力義務となった。

 ワクチンの効果に関しては米国ファイザー製のワクチンは発症率95%??を抑制するという高い効果が報告されている。COVID-19のコントロールはワクチン接種を除いては現在のところ頼れるものはない。人同士の交流と接触は社会生活を営んでいる中では完全な抑制は困難、緊急事態宣言、マスクなど感染を抑制するには相対的な価値しかない。

 私は医療従事者としてワクチン接種優先者の一人である。
 病院から指示があり、COVID-19ワクチンを3月23日に1回目、4月13日に2回目接種を受けた。米国ファイザー製のワクチンである。

 利腕でない左上腕部の筋肉内に注射したが2回ともに刺入時の痛みは皮下注であるインフワクチンよりも少ない感じであった。しかし、2-3時間後頃から接種部位の筋肉に疼痛が生じ、翌朝には左側の首の筋痛もあった。2回目は若干疼痛が強い感じであったが日常生活に困るほどでなく痛みは自制範囲であった。ともに疼痛は接種後数日残ったが自然に消失した。発熱や全身倦怠感は感じなかった。

 最近、高齢者への接種の予約が秋田県の自治体で始まったこともあってワクチン接種に関する質問が高齢者から多い。

 その中では副作用に関するものが圧倒的に多い。ワクチンの有用性については予防効果がありそうだとの漫然とした知識しかないが、副作用については関心が強いらしくよりシャープな質問をしてくる。血栓症や脳出血などメディアレベルからであるがよく関心を持っている。

 インフルエンザでも肺炎球菌ワクチンでもそうであるが、一部の方は接種までの時間があるときは「自分は副作用が怖いので受けたくありません・・・」と言うのであるが具体的に接種時期が近くなると前言を翻し接種を希望する。そのように答えるのが高齢者の一般で、「早く死にたいものです・・・」などと同様に、一種の甘えの姿である。

 そのすべての方にワクチンのもたらすメリットは副作用とかの危険性に比較して遥かに大きいから受けるように指導している。ワクチンのメリットは、■自分を救う、■社会を救う、■医療崩壊を防ぐ、■接種対象外の年代、特に子供達を守る・・・などと説明している。


4/29(木)昭和の日 終日降雨やや寒い  午前飯川病院ハイビスカス剪定
0:00飯川病院で起床。文献等若干処理。画像収集処理。10:45院長来院ハイビスカス剪定その他。休息後15:00帰宅。文献読み、新聞チェック。微睡など、19:00夕食。21:00就寝、歩行4113歩。

東京五輪・パラリンピック2021(8) IOCの利権稼ぎ、日本はその犠牲
 私は今回の五輪は中止すべきと思っているがIOC、JOCは中止など考えていないらしい。特にJOCの姿勢は納得しがたい。

 IOCは肥大化してしまった。収入の7割は放映権料。最大のスポンサーは米国のNBC放送で、2022-32年までの6大会で8300億円が大会後にIOC支払われることになっている。IOCはだから東京五輪を中止できない。また中国の中央TVとの間では2018ー24年の五輪について600億円もの契約が交わされた、とされる。

 IOCは開催に執着するするが日本人の犠牲のもとに成り立っている。JOCがIOCに向けてはっきりと意見を言ったことなどあるのだろうか。

 五輪の開催は日本の気候からいえば10月頃が適していることは1964年の東京大会のことを思えば当然であるが、IOCは真夏の7月開催を押し付けてきた。その理由は最大スポンサーの米国のNBC放送の事情が背景にあるとされる。この時期は電波に空きがあるからだ、とされる。この開催時期に関してもJOCがIOCに向けてはっきりと意見を言ったことなどあるのだろうか。結果的に選手、観客等の危険を考えてマラソンなどは札幌に場所を移すなどの苦肉の策が取られた。

 私はIOCのトーマス・バッハ会長はドイツ人ではあるが、開催国の日本の事情などそれほど深刻に考えているようには思えない。都民の健康や経済負担などの日本の事情など深く考えていないのではないか?と思う。私は、私自身の考え方がいじけているかもしれないが、一種の人種差別の観があるのではないかと思われる。

 IOC、JOCは外国人の観戦は諦めたが、ワクチン接種が間に合わないにも関わらず日本人観客は入れる予定であるが、その詳細はまだ公表されていない。
 COVID-19のさらなる状況については無観客開催にする可能性もある。それでも外国から選手役員、そのほかの関係者がが2万人ほど来日するというのでそれでも危険である。私はそんなに開催にこだわれるならリモート競技、テレ競技で開いたらどうか、と思う。
 
 今、緊急事態宣言下で生活自粛が行われている。
 医療は崩壊直前状態にある。JOCは10.000人近くの医療関係者の動員を求めてきているが、危機的状況にある医療の現状は無視されている これほど動員したら東京の医療は壊滅的になる。五輪関係者が感染したらどうするつもりなのか?

 ワクチンを五輪関係者に優先して接種しては?との意見もあるようだが、人権問題である。WHOが言うように、若者に接種するのは医療従事者や高齢者ほか高リスク群の人権を無視している。
 健康な選手が割り込む余地はない。むしろ、途上国へ回すべき。

 IOCはバッハだけが目立つ。IOCとして真に機能しているのかも見えない。
 私は五輪は1日も早く中止と宣言すべきである。


4/28(水)曇り昼から降雨 午後飯川病院勤務+当直
1:00起床、文献チェック他。新聞チェックなど。データ関連処理進む。9:00庭の作業若干、寒い。樹木の選定若干進める。12:30飯川病院、ボランティア、微睡、14:00勤務、入院患者対応、読書。17:00当直に就く。18:00検食、20:00就寝。歩行計6181歩。

東京五輪・パラリンピック2021(7) 開催はCOVID-19蔓延下ではリスクが大きい

 今回の新型コロナウイルスの世界的感染伝播は、経済効率のみを追求し、生物としての身の丈を超えた欲望実現活動が背景になっている・・と思う。

 同様の事が1年延期した東京五輪・パラリンピック強行開催の方向性にも表れている。COVID-19蔓延の前に、開催は意味がない以上に危険であるが、IOCは巨大な利権を前に強行する積りであり、JOCは膨らみすぎた巨大投資の回収のために開催を諦めきれない。

 東京オリンピック・パラリンピックの大会運営費用や会場整備費用は、当初見込んでいた3.000億円を遥かに超えて総予算の計上は現時点ですでに2兆円超である。国民としては呆れるほかないが、当初から予算の肥大化は織り込み済みで、国民を騙すために開催にかかわる費用をあえて少なく発表していたという見方がある(参考文献『オリンピック秘史: 120年の覇権と利権』Jボイコフ著、中島由華(訳)、早川書房)。

 オリンピック開催は利益もあるが、リスクも大きい。お祭り騒ぎの裏側で、一部の企業が利益をごっそりともっていく。経済格差は広がる。オリンピックのための施設の多くが、その後使われずに取り壊される。
 開催への立候補が絶えないのは、誤った経済成長への理想がまかりとおり、それを元に夢を語るからである。空想の見積もりを出して騙し騙し物事を前に進めていく。誘致の際、経済効果は〇〇兆円だ、と安部首相も何度も強調していたがもはやあてにはできない。ましてや無観客では・・・。

 肥大したオリンピックの開催予算を少なくすることは難しいだろう。テロの脅威もあり、警備費用も上がり続ける。
 特に、今回はCOVID-19蔓延下にある。五輪関連の医療はどうするのか?医療崩壊が目前にあるのに、五輪のために医療関係者のマンパワーなんて裂け無い。医師300人??看護師500人動員するらしいが、都民が危機的状態にあるのにJOCは何を考え、何とする気なのだろうか??

 これから先、東京オリンピック開催に向かって理不尽な事態が多数起こると思われる。

 現在、東京都ほか3都道府県には3回目の緊急事態宣言が発令されていて、その地の住民は大きな不便が強いられている。こんな時になぜ五輪強行か、と誰しも感じていると思う。
 国民の意向、都民の意向に反した五輪、一部の関係者の満足のためになど五輪を開催する必要はない。

 私は五輪開催に反対する。


4/27(火)快晴 中通病院外来 飯川病院ボランティア 院長COVID-19ワク接種 
1:00起床。新聞チェック、本読み、録音データ整理他いつもと同じ。5:30可燃ゴミ提出、袋破れ補強。6:47バスにて飯川病院。8:35-12:40中通病院内科外来、14:00-19:00飯川病院ボランティア、微睡、読書。散水その他。マックの電話相談、ハードディスクの空きに関して。院長市保健センターでCOVID-19ワク接種、その後学習会。18:30バス帰宅。19:00夕食。21:00就寝。Σ9680歩。

東京五輪・パラリンピック2021(6) メディアで中止の意見は極端に少ない
 本当に開催するの??? 私は中止すべき、と思う。

  1年延長を決めた、昨年3月より国内と世界の感染状況は比較にできないほど悪化している。

簡単に示せば以下の如くである。
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 ■新型コロナウイルス 日本全国の感染状況4月27日 更新毎日新聞
現在感染者数52,521人
ーー五輪1年延期が決まった2020年3月の頃感染者数1.000人
ーー全世界 30万人超
新規感染者数4,161人
陽性率5.21%
死亡者数10,001人


(延期を決めた3月は感染者数は驚くほど少なかった。要するにCOVID-19を甘く見ていた、ということ。現状を鑑みれば強行開催は危険である。IOCバッハ会長、当時の安倍総理に責任をとれとは言わないが、見込み違いは謙虚に認めて欲しい)

 ■新型コロナウイルス 世界の感染状況WHO


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 こんな状況なのに、開催するのだろうか。何で開催にこだわるのか? 基本は経済問題だろうと思う。

 ところで不思議なのは、国民の大部分は今夏の五輪は開催が無理だ、と新聞各社のアンケートに答えているのに、しっかりとした論理を持って五輪中止を提言している方、いわゆる識者と言われる方々の発言は極めて少ない。
 この現象はなぜか?と思う。ネガティブの意見が広く知られるのが嫌なのだろうか。

 今夏に大会を開催すれば、医療関係者の負担は避けられず、国内外で感染拡大のリスクにもなる。COVID-19の先行きは依然として不明だから今後どれだけの費用がかかるのか推定も困難である。開催に用いられる費用を本当に困っている人たちに回す方がいい。

 仮に中止になっても日本が悪いわけではない。その状況をしっかり分析して歴史に残し、しっかり検証ていていくことの方が歴史に意味ある値になると思われるのだが・・・。


4/26(月)快晴 健康クリニックドック 飯川病院 
1:00起床。新聞・文献,いつものごとく。6:47バス飯川病院、9:00-11:20。ドック12名、レ線判定8名。11:30飯川病院、一時微睡、14:00-18:40勤務。入院患者対応、散水ほか。入院患者は平穏、読書、新聞チェック。19:00帰宅夕食、20:30就寝。歩行計8432歩。

東京五輪・パラリンピック2021(5) 1年延期が決まった2020年3月の頃
 東京五輪・パラリンピックの準備中に誰も考えてはいなかったCOVID-19という予想外の問題が発生し、世界的蔓延からオリンピックは延期せざるを得なくなった。
 安倍首相は2020年3月24日に、IOCのバッハ会長と電話会談を行い、COVID-19の世界的蔓延を受けて東京五輪・パラリンピックの開催を1年程度延期する方針で一致し、来年夏に開催することで合意した。

 この頃のCOVID-19状況は今から見ればそれほどではなかった。振り返ってみる。
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 ■1月30日WHO「国際的に懸念される公衆衛生上の緊急事態宣言」
 ■2月28日WHO「世界的流行」を認定。この間感染者は10倍に急増。
 ■3月4日COVID-19国内感染者総数は1000人。全世界では30万人超。
 ■3月11日WHO「パンデミック」と認定。遅い遅い認定発表であった。
 ■3月18日G7会議 医療、経済両面で協力確認の共同声明を発表。
 ■3月24日安倍首相はIOC会長と電話会談、1年延期で合意した。
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 いろいろな因子を考慮して1年後開催に、と思われるが、国際的にパンデミック状態にあり、右肩上がりに感染者が増加している最中での1年延期は根拠のわからない希望的判断だった、と思う。

 私は全世界的に感染対策を最優先に行い、ワクチンが実用化されれば、COVID-19が収束に向かかも??と予測し、2年延期がいいのでは??と思った。

 結局は1年延期で押し切ったが現在のCOVID-19状況はその時に比較してはるかにひどい状態である。COVID-19は欧州で深刻な状況に陥っているほか、途上国でも広がっている現状、ウイルスの強毒化を踏まえれば、また、3度目の緊急事態宣言発令で国民に不便を強いている日常を考えれば五輪どころではないと私は思う。

 本当に開催するの??? 私は中止すべき、と思う。
 ワクチン接種は始まったばかりで十分行き渡るには不足している。3度目の緊急事態宣は中途半端で効果が期待できない。五輪を強行したら国内外にさらなる災禍をもたらす。医療が逼迫しているのに大会のために医師や医療関係者をどこからどれだけ動員するのか?

 政府、都、IOC、JOCは「開催ありき」の姿勢を崩さず、国民の懸念や疑問に向き合おうとしない。根拠不明の強気の発言ばかり繰り返している。菅首相以下、関係者は使命を果たしていない。思考停止状態にある様だ。

 どんな状態になれば中止するのか、それだけでも基準を示すべきである。


4/25(日)雨くもり 午後晴れ 草刈り2回目
 1:30起床、文献検索整理,など。午前は雨にて外仕事無理。家内の携帯のカバー修理、家計簿ソフトの不具合対策など。午後は新聞データ化、読書など。午睡、新聞データ化再度、15:00-16:30ガレージ床落ち葉掃除ほか、草刈り2回目。誕生日前夜祭として夕食祝いの寿司出前。21:00就寝。歩行計9154歩。

東京五輪・パラリンピック2021(5) 開催が東京に決まった2013年を思い出すと
 2016年のオリンピック・パラリンピックは大金を使って招致運動を展開したにも拘らず東京でなくリオデジャネイロに決まった。
 2013年9月に、2020年大会は東京に決定した。関係者は満面笑みで驚喜しているがなんか白々しかった。
 結局、東京の7年後の姿が支持されたと言う事。東京だって分からないが、東京は相対的に治安の良さ、コンパクトな会場設定・運営方針なども支持されたことになる。

 東京にも懸念があった。東京電力福島第1原発の汚染水問題である。
 安倍首相が「事故後の原発事故の状況はコントロールされている。今後も東京にダメージを与えることはない」と明言した。この演説はかなりインパクトがあった。しかし、首相は汚染水対策に関しては政治家らしい大風呂敷を広げた、と思う。
 あれから7年、本年4月に汚染水の海洋放出が決まったばかりで、改めて国際的に論議が湧き上がっている。

 私はタンクに貯めて貯蔵すると言う不安定な方法に懸念を抱いている。タンクの強度も十分でないらしい。パッキングも劣化、締めているネジに錆も生じているとの事。これらは何とか修理出来るかもししれないが、現状のように多数のタンクが並んでいる状況で再度大きな地震や津波が来た際に、満タンとなったタンクは果たして耐えられるのだろうか?私はタンク群の写真を見るたびに、災害で破壊されるタンクの情景を思わずにはいられない。今日まで無事だったのはたまたま運が良かっただけ。

 2020年の夏季オリンピックは、なんで東京なのか。
 私は他の候補地の問題点が大きくなってきたために、IOC委員会は消去法で東京開催に大きく傾いていた、と思う。
 安倍首相は自分で述べた大風呂敷の問題点を理解していないフシがあるし、関係団体も疑義を持っている。
 東京開催が決定してのち、首相は被災地を訪問し、5号機・6号機の廃炉を要請した。その廃炉の方向は良いが、なんでいまになっての要請なのか。オリンピックの演説に合わせたパフォーマンスかなと思った。

 私はもともと大騒ぎのイベントは嫌いであるからオリンピックへの関心も乏しかった。2013年当時、2020年東京オリンピックは多分見れないと諦めていた。私自身がこの世に存在している可能性はかなり小さいと考えていた。この予測だけは嬉しいことに見事に外れた。しかし、誰も考えてはいなかったCOVID-19という予想外の問題が発生し、オリンピックは一年延期せざるを得なかった。


4/24(土)快晴 iMac27(2012)居間にセット 草刈り一回目 
1:00起床、文献検索。読書、iPhoneデータバックアップ。飯川病院メインであった iMac27(2012)を居間にセット、iTuneデータ入れ替えなど。午後微睡のあと庭仕事、草刈り一回目。16:00居間にて音楽関連録画見る。読書、新聞チェック、データ整理。HDデータバックアップ。20:30就寝。歩行計6668歩ほとんど室内で。

東京五輪・パラリンピック2021(4) 開催一途 JOCはIOCの手下か??
 東京五輪・パラリンに関しては2月には森前会長発言関連でもめた。
 女性蔑視問題はメディアで炎上に炎上を重ねた。結局、森氏の最大の業績は日本のジェンダー論を大きく進めたことになった。
 JOC会長は橋本聖子氏に変わった。ほぼ妥当なコースのように見える。

 東京五輪・パラリンピックは厳しいCOVID-19感染下にありながらIOC、JOC、政府、東京都も開催の意思を曲げてはいない。
 「外国からの観客は入れない」、「感染の検査を徹底し」、「選手らを競技会場と選手村の外に出さないなど、万全を期す」などの動きが表明されている。

 関係者の一部には開催は無理かなという気持ちはあるのだろうが、対外的に表明されることはない。自由に物言えない委員なんて気の毒でしかない。

 明日から東京、京都、大阪、兵庫に3回目の緊急事態宣言が発令される。国民は混迷の最中にあるというのに、これでいいのだろうかと思う。
 二階自民党幹事長「感染との関連では最終的には中止の可能性は否定できない」と真っ当な意見を述べたが、各界から批判を浴びている。

 特にIOCバッハ会長の意向は強烈である。「緊急事態宣言はGWを意識したもので五輪とは関係ない」、「選手には連日でも検査をしてもらう・・・」などなど。医療の現場を担っている医師・医療関係者、生活制限を受ける都民からは「五輪は特別なのか」、「海外の人に言われたくない・・」との異論が湧いている。

 3度目の緊急事態宣言は2度目の宣言の解除からわずか1カ月余、こんな状態で五輪・パラリンピックを開催できるのか。多くの人が抱く率直な思いだろう。
 
 「安全で安心できる大会を実現する」、「宣言の影響はない」、「COVID-19に打ち勝った証としての開催」といった根拠不明の強気の発言ばかり。
 医師や医療関係者はどれだけ必要で、確保の見通しは立つのか。ワクチン接種はそれまでに進むのか、変異株の流行という新たな脅威もある。

 結論ありきだけで進めるなら、思考停止と同じ。菅首相以下、関係するリーダーが使命を果たしているとは到底いえない。
 某紙のアンケート調査では、今夏の開催賛成は11%に過ぎない、という。私も中止派である。完全に国民の意向から遊離した状態にある。
 開催の可否や開く場合の態様を、誰が、いつまでに、どんな権限と責任をもって決定するのかも、メディアからの情報ではわからない。速やかに明らかにすべきだ。

 開催一途のIOCの意向もわからない。私はJOCは単なるIOCの手下か??とさえ思っている。


4/23(金)快晴 大曲診療応援 飯川病院ボランティア  
1:00起床、文献検索、録音データ処理その他,5:30可燃ゴミ提出。7:40Taxi駅東に。8:11こまち、先頭車両3人だけ。9:10-12;00大曲中通病院外来。帰路こまち数人だけ。13;20飯川病院、ボランティア、散水、ひまわりを植えた、ほか。19:20帰宅夕食、21:00就眠。歩数計12.961歩。

四季2021(11) 桜散り私に夏が訪れた 庭先の花たちが萌えている
 私は除雪を意識して季節を分類している。

 2月10日に私に春が訪れた。除雪の苦労から解放された。
 4月20日秋田市内千秋公園の桜が満開を迎えた。私の通勤路脇の桜もほぼ満開、通るたびに季節感を味わっている。千秋公園では例年であれば屋台が出たり観桜会などが開催されるのであるが、今年は昨年に続きCOVID-19の蔓延を迎え、大阪などでは3回目の緊急事態宣言も出そうで、その煽りが出て人出はまばらである。それに、今年は満開の後天候が不順で桜開花に伴う気持ちの高揚も中途半端である。

 4月23日に秋田の桜が散り、私に夏が来た。しかし、時にはまだ寒い。

 花の季節である。同時に園芸作業も始まった。
 4月5日に花壇の草むしりとアサガオの植え付け、
 4月8日ダリアの仮植え、
 4月11日飯川病院にパンジー、デイジー、アマリリスなどを植え、

 4月21日飯川病院のハイビスカスの鉢替えを行い、全部の鉢を外に出した。

 わが家の木々、草花は、2週前に咲いた「うめ」を嚆矢として、先週になってから「桜」、「椿」、「もも」、「こぶし」、「水仙」、「ムスカリ」などの花が満開となり、一気に華やかになった。

 なんで花はキレイに咲くのか?誰のために??私の疑問はまだ解けていない。

 ついに、桜の季節は終わった。私にとっては夏の始まりである。
 これから木々草木は緑に萌え、種々の花々が次々と開花する。
 いい季節になったが、それ以上に萌え上がる「名も無い草たち」との対話が始まる。
 明日は天気がいいようだ。今季初の草刈を始めよう。


4/22(木)快晴 午前フリー 午後飯川病院 
0:30飯川病院にて起床、いつもと変わらず読書、データ整理など。13:00飯川病院、14:00-19:00勤務。外来・入院患者対応。散水、ハイビスカス鉢全部外に出す。19:30帰宅・夕食、21:30就寝。Σ7022歩。

食2021 (8) バナナ(4)
書評 本;黒木夏美著 「バナナの皮はなぜすべるのか」水声社 2010


 黒木夏美氏は1984年生まれの女性、九州大学文学部卒。図書館勤務歴あり。現在はファッションモデルとして活躍。

 鬱々とした心で散歩していた著者の前にバナナの皮が落ちていた。それを見た瞬間「バナナの皮で人が滑って転ぶギャグ」を連想した。そのことでテンションが上がった著者は素朴な疑問を抱く。最もポピュラーなギャグである「バナナの皮ですべって転倒」は、いつ、どこで、誰によって、どうやって生みだされたのか?という疑問であった。

 この素朴な疑問を解決すべく、著者はネットを駆使し内外の映画、文学作品、テレビ番組、マンガ、短歌俳句に至るまでバナナが関連したギャクなどを広範に集めた。さらに、実際に転んで怪我をした記録や事件を調べあげ、その社会的背景までを調べつくし、300ページの作品にまとめた。


 幅広い年代の、多数の資料にあたり、バナナの扱われ方の変化や各時代のバナナ事情を読み解く。
 さらに、そもそもの「笑いとは何か」のギャク論や「バナナ産業」、「植民地問題」、「労働者の被搾取問題」、「捨てられるからこそ転ぶのだというモラル論」にも視野は伸び話題は次々と広がる。

 疑問を追いかけていくたびに得られた収穫が増える一方、疑問も増殖に増殖を重ねる。その一つ一つが読む者の想像力を刺激するし、読んだ後には豊穣なバナナの果実を味わい尽くした満足感も生まれてくる。
 内容的には引用文献も豊富に挙げられ、さらに人名索引などもあり、書籍としての構築がしっかりしていて安心して読める。

 この本はネットがなければ生まれなかった本と言える。さらに著者の図書館勤務歴も重要である。ネットに散財する単なる情報を吟味し、書籍にある資料と組み合わせて一貫性のある本にまとめ上げた。

 ちょっとしたこんなことでも情報収集を駆使し、体系化するもできるという可能性を教えてくれた貴重な本である。大いに参考になった。しかし、この著者の作品はこの一冊だけなようである。その資質が勿体無い。

 マンガなどでよくみかける捨てられたバナナの皮は、実のしっぽのほうからむいたように硬い軸を中心に放射状に広がっている。果物を頭のほうからむいて食べるとあの形にはならないことなど、も指摘されている。こういう小さな物事を気にかけて徹底的に追求してみる著者の態度に頭が下がる。

 その他、バナナに関しては、以下の文献も参照した。私のバナナ好きがこんな文献を集めていた。
 ■鶴見良行著 「バナナと日本人 フィリッピン農園と食卓の間」 岩波新書
 ■ダン・コッペル著 「バナナの世界史 歴史を変えた果物の数奇な運命」 太田出版
 ■獅子文六著 バナナ ちくま文庫


4/21(水)晴れ曇り、午後飯川病院 ハイビスカス鉢替え 飯川病院当直
 0:30起床。新聞・文献データ処理,いつものごとく。自炊、趣味の園芸他数冊進める。靴底に亀裂、10:00靴流通センターにてウオーキングシューズ購入、ダンロップ。ダリア残りの球根をプランター仮植え。12:12バス飯川病院へ。ボランティア、14:00
勤務。読書、微睡。ハイビスカス鉢替え2鉢。散水他。入院患者対応、画像データ処理。17:00当直業務、18:00検食。20:30就寝。Σ8392歩数。

食2021 (7) バナナ(3) バナナについてのエッセイ、著作には面白いのが多い
 バナナのエッセイや著作は多い。

 高齢者によるエッセイは子供の頃の病気の時に・・・という回想と、今はいつでも手に入る喜びを扱っている内容が多い。
 バナナは99%輸入品。総務省の家計調査はバナナの突出した人気が示されている。  栄養が豊富で割安感がある、すぐに食べられ手間がかからない、甘い品種が増えた、などなど。
 バナナの新しい農場は土地不足のために700m程の高地が多くなっているがこれが甘味の原因らしい。健康ブームで一時バナナダイエットがブームになったこともあるが、その後も朝食にバナナ食を続けている人は多い。ある調査によると朝食にパン73%、ご飯61%、バナナ35%という統計もある。ランナーの多くがバナナを利用している。
 
 国産の果物の代表であるリンゴ、みかんは近年価格が上昇しているが、バナナは1970年代と大差がなく割安感がある。輸入品で賞味期間も決して長いと言えないが、それでもこの価格を維持できているのが不思議である。どこかで大きな搾取が行われているのではないかと心配する。

 話題はさらに料理やお菓子作りのものが多い。

 もう一つの代表的話題ではバナナの皮が滑るという話題である。
 バナナの皮が滑る古いのはサザエさんではなかったか、と思う。2013年のイグノーベル賞は北里大学医学部教授が授与されたが、バナナの摩擦係数の少なさ、なぜ滑るのかなどを明らかにした。この研究は関節の動きの滑らかさの機序の解明にも応用されている。

 獅子文六には1959年、バナナと題した風俗小説がある。ドロドロした金儲けの話題だが、最後は主人公が皮で滑って自身の愚行に目が覚めるという設定になっている。
 また、黒木夏美著「バナナの皮は何故滑るのか」も面白い。

 かつて一時バナナの残留農薬が話題になってが最近の検査では基準を大きく下回っている、というので一応安心である。

 国産バナナも少量ながら出回っている。在野の研究者である田中節三氏は自身の称する「凍結解凍覚醒法」という方法で国内でバナナを栽培している。成長細胞を−60°Cで凍結した後解凍すれば0℃の環境でも育つという。現在のバナナは「新パナマ病」で危機に瀕しているとされているが、気温が低いと病原菌が繁殖できないため、無農薬で育てることができる、という。その詳細は田中節三著「奇跡のバナナ」 に詳しい。


4/20(火)曇りのち晴 中通病院外来 飯川病院 
 1:00飯川病院で起床。新聞・文献・録音データ処理,いつものごとく。可燃ごみ提出なし。8:30中通病院、8:40-12:15外来、本日は予約患者10名と少ない、12:30飯川病院、ボランティア、一時微睡、新聞チェックなど。19:20帰宅夕食、20:00就眠。歩数Σ7700歩。

食2021 (6) バナナ(2) バナナの危機「新パナマ病」 世界食料事情にも影響する
 かつてバナナは贅沢品であり子供たちのあこがれであったが、今や他の果物より安く売られている。しかし近年、栄養豊富なバナナはスポーツ食や病人食として見直され始めた。

 人類は誕生以来バナナと共に生きてきた。バナナが生育する地域では重要な栄養源であった。
 バナナは、ふだん私達が食べている生食用のものだけではない。料理にも、繊維にも加工され、薬用にも使われる人類にとって貴重な農作物である。
 われわれはバナナについてもっと知っていい。

 バナナは1950年代までは「グロスミッチェル」という種が主な品種であったが、「旧パナマ病」でほぼ廃れ、この病気に耐性のあった「キャベンディッシュ」が主役の座についた。
 「キャベンディッシュ」に「新パナマ病」を起こすTR4が見つかったのは、1990年代初頭、台湾の土壌サンプルから。
 その後、東南アジア、オーストラリアでも見つかり、2013年には中東とアフリカでも確認。防除方法が確立されていないため、感染が広がれば農園に深刻な被害をもたらす。

 「新パナマ病」は、糸状菌TR4が根から侵入して広がり、維管束を破壊して立ち枯れを起こす。バナナの品種の中で最も生産量が多い「キャベンディッシュ」に感染し、台湾や中国、東南アジア、中東などでバナナ栽培に甚大な損害をもたらしてきた。「新パナマ病」に耐えられるような新種のバナナは、今のところ存在していない。もし「キャベンディッシュ」が絶滅してしまったら、輸入できるバナナはなくなるだけではなく、世界の食料事情にも大きな影響を与えることになる。

 「新パナマ病」に感染したバナナを食べても人体に害はないが、この病気への効果的な防除方法はいまだ確立されておらず、このまま世界的に感染が広がれば、「キャベンディッシュ」が絶滅するおそれも懸念されている。

 日本のスーパーに並んでいるバナナは台湾、フィリピンから輸入されている。
 フィリピンは、インド、中国に続くバナナ生産量第3位、輸出国としてはエクアドルに続く第2位。
 しかし、フィリピンのバナナが今、「新パナマ病」で危機的な状況に向かっている。フィリピンでは、2015年頃から「キャベンディッシュ」の栽培面積の18%の農園が新パナマ病に感染した。
 バナナ生産者輸出協会によれば、2019年のバナナ輸出量は1億9,500万箱で、前年の2億700万箱から6%減少した。

 また、バナナ生産における競争国が増えてきていることも、フィリピンにとっては脅威。
? 近年中国の企業が、ベトナムやラオス、カンボジアで新たなバナナのプランテーション事業を始めている。
? バナナの最大消費国である中国からこれらの国は距離的に近く、フィリピンから輸入するより輸送費もかからない。
? このままではフィリピンのバナナは輸出先も失ってしまう。
?
? 現在のバナナ農園は、キャベンディッシュ1種であることが問題なのだが、品種改良は進んでいない。
? そのため、世界的食糧危機に対峙するためにも、様々な病気に耐えられるよう、多様な品種のバナナを開発していかなければならない。


4/19(月)曇りのち快晴 健康クリニックドック 飯川病院 急遽当直に
 1:00起床。新聞・文献・録音データ処理,いつものごとく。6:47バス飯川病院、9:00-11:15健康クリニックドック10名と少ない、結果、レ線判定14名。途中で医局秘書来訪、本日急遽当直となる。今月は日直も入れると延9回となる。飯川病院、一時微睡、14:00勤務。17:00当直に就く。18:00検食、20:00就眠。歩数Σ6136歩。

食2021 (5) バナナ(1) 蒼いのが好き COVID-19蔓延とも関連した考察
 私はバナナが好きである。 しかも、蒼いく実が白く硬いのがのが好き。購入してから時間たたち黄色く熟成したのは、本当は好きでないが食品として尊重しているからありがたく頂いている。
 時々食卓に乗っているが、ちょっと恐れ多くて簡単には手が出ない。幼少時の記憶がいまだに残っていてそれに囚われているからである。子供の時の思い出が齢70年になっても心の隅に残っているものだ。
 幼いころ、病気になっても一つだけ楽しみなことがあった。日常食べることができなかったバナナを特別に食べさせてもらえたのだ。みかんや洋梨、桃などのフルール缶詰も同様で、同じ感覚が残っている。

 そんな貴重なバナナも今はありふれた果物の一つとなった

 バナナは種無しである。
 バナナの原種は硬くごろごろした種がたくさん入った、とても食べにくい果物であった。ところが自然のいたずらで、種がないのに果実だけが太る突然変異種が出現した。 

 種ができない植物を一体どうやって増やすことができるのか??
 幸いバナナは地下茎を伸ばすのでそれを株分けすると簡単に栽培ができる。

 これと同様な身近な植物の代表は桜の代表ソメイヨシノである。ソメイヨシノも挿木や株分けなどで増やすことができる。

 バナナのなかでも、グロスミッチェル種は優れた品種あった。
 大きくて皮が厚く、舌触りはなめらか、昧は淡白でフルーティ。これに目をつけた米国資本が中南米に大規模なプラントを作り上げた。グロスミッチェルは売れに売れたが、社会的には乱開発と深刻な労働搾取があった、とされる。 

 とこるが、大きな災難が降りかかり、グロスミッチェルを枯らせはじめた。カビがとりついたパナマ病である。グロスミッチェルは株分けで増えた単一クローンの植物。多様性のない性質からいったん崩壊し始めるとひとたまりもない。パナマ病はグロスミッチェルを絶滅させた。

 現在、私たちが食べているのはキャベンディッシュという品種。しかし、単一品種という構造は変わっていない。病原体の方も進化して新パナマ病が出現している。

 人口爆発を支える重要な生物資源のバナナ。それをバナナの未来は無関心ではいられない。

 あまりに都合よく、自然に抗し、恣意的にバナナを利用しきた人間。つくりかえた生命体に対しヒトはどのように責任をとるぺきなのか。
 バナナを巡って生命感、自然観、世界観を間い必要である。

 間接的にCOVID-19の発生と伝播と関係している、と私は思う。


4/18(日)終日嵐強風と降雨 飯川病院日直 
1:00起床。新聞・文献・録音データ処理,いつものごとく。8:42バス飯川病院、9:00-19:00飯川病院日直。新聞チェック、2時間当直医の代行。新聞データ化、読書、微睡など。19:30帰宅、夕食、21:00就眠。歩数Σ6923歩。

食2021 (4) ミカン 乾涸びた、しわくちゃ蜜柑礼賛
 ミカンが美味しい季節になった。  ?
 2月-4月は私にとってミカンが美味しい時期で、この時期に集中的に食べる。

 最近は柑橘類はデコポンを始め、種類も産地も豊富で年中何時でも食べられる。しかし、最近の改良されたミカンは概して甘過ぎて自然の酸っぱさが弱い。その点、昔からの小粒の変哲もない、ノーブランドのミカンを私は好む。

? 岩手の片田舎で育ったから、子供の頃から冬場の果物といえばやはり柿とリンゴであった。「紅玉」、「国光」、「ゴールデンデリシャス」等などのリンゴ、もうこれらは殆ど手に入らない品種になったが、リンゴは北国の冷たい雰囲気を身辺に漂わせている果物だと思う。これに秋口からは南の方から運ばれてくるミカンが加わる。?
 ?裸電球の灯る、暗く、寒い室内にチョロチョロと赤い炎を見せながら燃える薪ストーヴとコタツが暖房機の主役であった。その側には静岡産などのミカンが箱のまま無造作に置かれていた。

 秋に手に入るミカンは、青いものもあって新鮮そのもの、実がパンパンに詰まっていて実と皮の間に隙間がない、はち切れんばかりである。味は、新鮮な甘酸っぱさ、独特でこれも捨てがたいが、私はこの時期はミカンは眺めるだけで手に取ることはまずない。
?? ところが2月頃になると私は突然蜜柑を食べ始める。この頃の蜜柑は水分を失って萎縮し、皮と実の間に広く隙間が出てくる。外見も熟成した余裕の雰囲気が漂う。指先でシゴくと一層皮を剥きやすくなる。こうなると家族達はあまり食べなくなるから私の独壇場となる。味も酸っぱさや強烈な甘みは消え、マイルドな甘さが残っているだけ。実に美味しい。??
 数個食べたいと思うとき、時に主食の座をミカンが占める。時々だが、こういう事もある。??

 このしわくちゃミカンを楽しむ頃になると、どんよりとしていた秋田の空が日に日に春の息吹を帯びてくる。私にとっても春の訪れが近いと意識するときでもある。 

 しかし、4月に入るとスーパーの店頭からみかんの姿がそろそろ消える。とても寂しい。

(昨日購入できたミカン 私の所でさらに干からびさせてから順に食べる)

 ところで、ミカンを歌った童謡「みかんの花咲く丘」(1946年)川田正子 、音羽ゆりかご会、は歴史的名曲であるが、大竹しのぶが歌った「みかん」もいい。作詞:阿久悠、作曲:大野克夫。思春期の恋心の爽やかさが表現されている。名曲である。

 しわくちゃミカン礼賛者の独り言。


4/17(土)早朝から終日降雨 雨読三昧の一日
1:00起床。新聞・文献・録音データ処理。終日で外仕事なし、読書中心。終日いまのパソコンに向かう。微睡。読書、蓄積データ整理など。19:00夕食、21:30就眠。歩数計9740歩。

COVID-19(2021)(19) ワクチン(2) ワクチンの種類 国産ワクチンも実用化直前
 メディアによるワクチンの話題は喧しいが、語られるのは、■米ファイザー社、■米モデルナ社、■米J&J社、■独ビオンテック社、■英アストラゼネカ社、■ロシア製「スプートニV」、■中国シノファーム、シノバックが中心である。

 多くの国民は日本は何しているのだ、国産ワクチンは無いのかと感じているようだ。
 確かに、国産ワクチンは現場では話題性が乏しい。

 しかしながら、国産ワクチンはCOVID-19(2021)(18) ワクチン(1) に述べたように遅ればせながら数種類が治験の段階にある。

 日本政府はアンジェス、シオノギにテコ入れしている。
 COVID-19ワクチンの製造には新しい技術を使うが、特殊なタンクが必要とされ、新しい技術を使う世界中のタンクは抗がん剤の開発などで、奪い合いになっている。大きなタンクがある工場は世界でも限られる。

 まだ成果が確立していないワクチン、商品化が見込めないかもしれない段階で多額の投資するリスクを負いながら国が支援をするのは、完成したワクチンを世界中で奪い合うことになり、国民の接種開始時期が大幅に遅れるからである。 
 商品化が見込めない段階で多額投資するリスクを民間企業に負わせられないと政府関係者は言う。その通りだと思う。
 ただし、開発に成功しなければ投じた公費が無駄になるおそれもある。 

 一般的に今までのワクチンの開発には年単位の時間が必要とされ、先行きは見通せない。期待が先行し、準備が進むがワクチンは健康な人にも接種するため安全性と有効性を確認する過程をおろそかにすることはできず、治療薬以上に慎重さが求められる所以である。

 2020年1月10日に中国保健当局がCOVID-19の全塩基配列を公表したが、その日から世界中のワクチン開発レースが始まった。それからわずか11ヶ月後には、米ファイザー社、米モデルナ社、英アストラゼネカ社が治験第3相の結果を報告したが、高い安全性と効果が示されており、COVID-19の収束に望みが持てるようになった。

 従来からの製法による生ワクチン、不活性化ワクチンは開発から完成までに数年かかる。
 それが、新しい技術で11ヶ月後に実用化した。これは驚きである。

 mRNAワクチンは抗原性のある病原体の抗原を人細胞が利用できる形に組み上げ、筋肉内に投与する。筋細胞がmRNAを取り込んで産生された標的抗原が放出され、免疫細胞が抗体を作る。史上初の技術。

 べクターワクチンは人間にとって無害なベクターウイルスに抗原を組み込み筋肉内に投与する。あとは同じ機序で筋肉から標的抗原が放出される。
 ともに遺伝子工学がもたらした革新的技術である。


4/16(金) 快晴 大曲中通病院外来 飯川病院ボランティア 
 1:00起床、新聞・文献自炊。5:30可燃ごみ集積所に。7:40Taxi秋田駅。8:11こまち、乗客は増えているといえど先頭車両には三人だけ。9:10-12:15大曲中通病院外来。駅病院往路徒歩。飯川病院ボランティア。19:20帰宅、夕食、21:00就寝。10685歩。Suica快適。

COVID-19(2021)(18) ワクチン(1) 現状
 特効的治療薬はなさそうである。
 次の期待はワクチン、ということになる。

 私は従来からワクチンに関しては期待と心配とが同居していた。そう簡単には実用化されないだろう、と思っていた。しかし、製品化の進展は早かった。

ワクチンの現状について調べてみた。
(1)WHOの4月16日時点のまとめによると、現在、臨床試験に入っているCOVID-19ワクチン候補は88種類。184種類が前臨床の段階にある。
?
(2)実用化されたワクチンは以下の8種。
―――――――――――――――――――――――――――――――
 ■米ファイザーと独ビオンテックのmRNAワクチンは、昨年12月に英国、米国、欧州など40カ国以上で承認。
 ■米モデルナのワクチンも昨年12月に米国で緊急使用が認められ、今年1月には欧州でも承認。
 ■英アストラゼネカのワクチンは、英国やインド、欧州などで承認。
 ■ロシアはウイルスベクターワクチン「スプートニクV」を承認。
 ■中国はシノファームの不活化ワクチンを昨年12月末、今年2月にシノバックの同ワクチンを承認。チリやインドネシアでも緊急使用が認められている。
 ■インドは国産の不活化ワクチンを承認。
 ■米ジョンソン・エンド・ジョンソン(J&J)のウイルスベクターワクチンが今年2月に米国で緊急使用許可を取得。同ワクチンは1回接種で85%の重症化予防効果を示した上、通常の冷蔵庫の温度で最大3カ月間保存が可能。
―――――――――――――――――――――――――――――――
(3)ワクチンの効果。
 ファイザー/ビオンテックとモデルナのワクチンは、いずれも数万人規模で行われた臨床試験で95%前後の予防効果を示している。
 英アストラゼネカと同オックスフォード大が共同開発しているウイルスベクターワクチンも、P3試験の中間解析結果では平均で70%の有効性が確認。
?
(4)変異株に対するワクチン
 GSKと独キュアバックは、複数の変異株に対応できる多価mRNAワクチンの共同開発で提携。来年の実用化を目指し開発中。
 モデルナやファイザー/ビオンテックも、変異株に対応した新ワクチンを開発中。?

(5)比較的重大な合併症
 アストラゼネカとJ&Jのワクチンをめぐっては、接種後に血小板減少を伴う血栓症を発症したケースが複数報告されており、欧米の規制当局が調査を行っています。欧州医薬品庁は4月7日、アストラゼネカのワクチンについて、接種後の血栓との関連性がある可能性があるとの認識を表明。しかしながら、ワクチンの利益は副反応のリスクを上回っていると強調。EMAによると、血栓症の大半は60歳以下の人で発生しており、欧州では同社ワクチンの接種を高齢者層に限定する動きが広がっている。
?
(6)日本の承認の現状
 ファイザーとビオンテックのワクチンが2月に特例承認を取得。医療従事者への接種開始。
 2月にアストラゼネカが、3月にモデルナのワクチンが承認申請、5月にも承認される見込み。?
?
(7)国産ワクチンの開発状況
 ■大阪大とアンジェスが共同開発するDNAワクチンが国内P2/3試験を実施中。
 ■塩野義製薬の組換えタンパクワクチンも昨年12月からP1/2試験を実施中。
 ■第一三共のmRNAワクチンとKMバイオロジクスの不活化ワクチンも、今年3月からP1/2試験を実施中。
 ■IDファーマは、センダイウイルスをベクターに使ったワクチンの臨床試験を計画。

 ■国内ではこのほか、阪大微生物病研究会などが開発する不活化ワクチンや組換えタンパクワクチンも前臨床の段階にあるという。


4/15(木)快晴 終日飯川病院 
 1:00飯川病院起床、文献読みなど数件。そのまま本日は院長大学受診のため終日飯川病院勤務。午前は外来患者対応、午後は入院患者対応。19:30帰宅、夕食、21:00就寝。通勤路の桜は満開。歩行計4839歩。

COVID-19(2021)(17) 治療薬はここまで来た
 COVID-19に対してこれまでの対策は、実際何ができているのだろうか??
 マスク着用、不要不急の外出抑制要請、3蜜回避程度・・・昨年から続けてきたこのような行動は一定の効果を上げてきた。しかし、行動抑制に対し緊張感を欠いた大衆は規制を守らなくなったから最近に至っても感染者が各地で増えてきた。蔓延地域では医療破綻が生じつつある。

 今となれば、治療薬とワクチンが頼りになる。

 治療薬として注目されているのは以下の製品がある。ただ、私はCOVID-19の最前線にないから自分としての使用経験はない。
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 ■レムデシビル(米ギリアド社)
 もともとエボラ出血熱の治療薬として開発された抗ウイルス薬。コロナウイルスを含む一本鎖RNAウイルスに抗ウイルス活性を示す。日本では昨年5月、重症患者を対象に厚生労働省が特例承認。今年1月には中等症の患者にも使用可能になった。レムデシビルは、入院患者の回復を5日間早めたとのデータが得られ、世界約50カ国で承認または使用許可を取得している。しかし十分薬効があるとはいえないようだ。
?
 ■デキサメタゾン(日医工社など)
 デキサメタゾンは重症感染症や間質性肺炎などの治療薬として従来から用いられている薬。厚労省の「診療の手引き」にレムデシビルとともに重症者に対し標準的な治療法として掲載されている。
?
 ■ナファモスタット(日医工社など)/カモスタット(小野薬品工業)
 臨床研究が進行中。効果のほどはまだ明らかになっていない。
?
 ■トシリズマブ(中外製薬)
 抗IL-6受容体抗体でサイトカインの一種であるIL-6(インターロイキン-6)の作用を阻害することで急激な重症化をきたすサイトカインストームを抑える薬剤。国内外で有効性が検証されている。
?
 ■ファビピラビル(富士フイルム富山化学)
 2014年に日本で承認された抗インフルエンザ薬。新型インフルエンザが発生した場合にしか使用できない。新型インフルエンザに備えて国が備蓄している。
 COVID-19感染症への適応拡大を申請したが、厚生労働省の専門家部会は「有効性を明確に判断するのは困難」として承認を見送った。現在実施中の臨床試験結果が提出され次第、改めて審議することになっている。
?
 ■バリシチニブ(米イーライリリー社)
 サイトカインによる刺激を伝えるJAK(ヤヌスキナーゼ)を阻害する薬剤。サイトカインストームに対する治療薬として候補に挙がっている。
?
 ■その他
 腸管糞線虫症と疥癬の治療薬のイベルメクチン、HIV感染症治療薬として承認されているネルフィナビル、痛風治療薬コルヒチンが治験を行っている。
 吸入ステロイド薬シクレソニドは、国立国際医療研究センターの臨床研究で、対症療法群に比べて有意に肺炎の増悪が多かったとの結果が出た。

 結論:治療薬として最も期待が寄せられてきたアビガンは残念なことに効果が乏しいことがわかった。


4/14(水) 曇り 午後飯川病院 引き続き当直
 1:00起床、新聞・文献読み、徒然。自炊本読み。画像データ処理。9:00家内に同乗飯川病院に、粗大ゴミ出す、デロンギヒーター2ケ廃棄、勿体ないがコスパ悪く使用することはない。古いガス台、犬のケージ。9:30秋田駅、ALシアター。12:00Alve市民課、バス証明書更新。13;15近隣にオープンしたレストラン「TO-MART」で昼食。14:00飯川病院、入院患者対応。17:00当直業務に。18:00検食、19:30疲れて就眠。歩数計7540歩。ワク注射部位、首の筋痛。

映画 「FUKUSHIMA50」 監督:若松節朗(2)

 この映画は基本的にはドラマである。記録映画ではない。
 かなりの部分で事実に基づいていると私は思うが、全体を2時間にまとめ上げるために、また、被災者の立場、スタッフたちの家族への思いなども重視して詰め込んだために後半は尻切れとんぼ的になっているのは否めない。

 とにかく炉心は冷却しなければならない。自衛隊による空からの水の散布は当てにならない。吉田所長は海水の注入を決断する。海水を注入することは廃炉することである。海水注入で不十分ながら原子炉の冷却は成功したが、原子炉格納容器の圧力が設計強度を超えて上昇、ここが破裂したら一貫の終わり。残された方法は減圧廃棄、即ち、ベントしかない。世界的にも前例がない。作業は高放射能の原子炉内に突入し手作業で行われた。ベントは成功したが、その後1号機、3号機、4号機で水素爆発が生じた。

(水素爆発を起こした原発 原発事故写真集より引用)

 ベントが遅れた件では、首相の視察と住民避難の2つで遅れたとされる。なんでこんなときに首相が視察、と怒り狂う吉田所長。
 次に海水の注入が遅れた件については、待てと官邸から指示。吉田が激怒する。
 事故対応する現場と政府や東京本社の人々が怒鳴りあう姿を嫌という程繰り返し見せられる。渡辺謙の演技がいい。

 この映画を通じていろいろ考えることがあった。実際に現場に残り命がけの作業に従事した人達には敬意を表したい。最終的には福島原発事故は「奇跡的に難関を乗り越えた」ということになる。つまり、全てが論理的に進められたということではなく、不運と幸運と努力と偶然の賜物である。

 大事故が生じた際に、放射能汚染で東日本を壊滅させる可能性のある、結果として日本の崩壊に結びつく可能性のある危険な原発システムは、「この世に存在してはならない」のだ、と思う。目に見えない放射線は怖い。それだけでない、使用済み燃料の処理方法も決まっていない。

 事故原因の掘り下げなどは確かに甘い。何故、設置する丘を削って低くしたのか、予備電源を地下に設置したのか、問題点はいくらでも挙げられるが、人災因子は「想定外の津波」にかき消されてしまっている。
 それぞれにドラマ的な誇張もあるが、実に壮大な作品に仕上がっている。
 
 このような作品の欠陥や問題点をいちいち挙げることよりも、放射能汚染のために5000万人が住めなくなり、次いで日本破綻の瀬戸際まで追い込まれた事実を、後世に遺す価値はとてつもなく大きい。

 火山帯の上にあって地震が絶えない日本は、自然の前にして人智に完璧はなく、放射能汚染は超長期間にわたって故郷の全てを奪う。今回は奇跡的に危機を脱出しただけなのだ。その現実を示した意義は大きい。
 脱炭素社会が叫ばれる中で原子力とどう向き合うのか、老朽化した原発をどうするのかを考えるために本作の存在意義は十分にある。

 最後は吉田所長の葬儀の場面で終わる。遺影は渡辺謙ではなく吉田所長自身のものであった。とてもいい演出であった。


 4/13(火)曇り午後小雨 外来 飯川病院ボランティア ワクチン2回目
0:20飯川病院で起床、新聞・文献読み、徒然といつもと同じ。6:00可燃ゴミはまとめだけ依頼。8:45-13:15外来。安定している患者は90日処方に。14:00-18:30飯川病院ボランティア。15:00COVID-19ワクチン2回目接種、筋痛あり。19:00帰宅、夕食、21:00就眠。Σ7936歩。

映画 「FUKUSHIMA50」 監督:若松節朗(1)
 東日本大震災・原発事故から10年を迎えた。
 10年という時間の経過は貴重である。私はこの間に原発事故関連のニュースを集め、文献を多数読んできた。やっと、より冷静に原発事故問題を考えることができるようになった。

 しかし、10年立ったと言え、まだ避難民が4万人もいる。しかも、帰還困難域の問題、地域のコミュニティ再構築の問題、核のゴミ処理問題、汚染水問題、再稼働問題、東電の隠蔽問題など問題は必ずしも解決に向かっていない。
 10年立ったからこそ、沈静化していた諸問題がクローズアップされ始めた、といえよう。

 原発事故は、事故そのものの内容がよく知られていないだけでなく、一歩間違えば東日本が壊滅状態に、すなわち日本壊滅になり得た原発事故の恐ろしさすら、風化しかかっているように思われる。

 原発事故を学ぶ資料の一つとして、映画「FUKUSHIMA50」を視た。アマゾンのプライムヴィデオに紹介されており興味を持っていたが、私のネットの知識では観ることができず半ば諦めていた。それがヒョンとしたことからネット内でレンタル可能と知りやっと視聴できた。
――――――――――――――――――――――――――――――
 作品は、監督は若松節朗、上映時間2時間2分、 2020年3月に公開された。配信は松竹。
 原作は、既読の門田隆将氏のノンフィクション 「死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発」(角川文庫)。これも資料としては大いに役立った。
 事故発生時、第一原発に留まって対応した約50名の作業員たちを、海外メディアは「Fukushimaフィフティ」と呼んだがこれが題名となっている。
 主演は佐藤浩市、渡辺謙ら。

 最前線で日本崩壊を守った男たちのドラマ。困難に立ち向かう勇気、犠牲を厭わない姿、事故後の5日間に予測不能なアクシデントが次から次へと起こり、すべて緊急対策を要する状態で、観る者にも息もつかせない。

 制御不能の原子炉と対峙したのは現場のスタッフで、本社と官邸の命令を無視して、現場が信じる方法を推し進めた。
 あの時、現場で何が起き、スタッフたちは何を思い、どう対策したのか。人間の弱点とそれを乗り越えた英知を描いている。

 2011年3月11日午後2時46分。M=9.0、最大震度7の地震発生。大津波が福島第一原子力発電所(イチエフ)を襲う。浸水により全電源を喪失したイチエフは、原子炉を冷やせない状況に陥った。原発は常に水で冷やしておく必要がある。水がなければメルトダウンを起こし、連鎖的に想像を絶する甚大な被害をもたらしていく。

 全体指揮を執る吉田所長は、現場を知らない本社や官邸からの指示に怒りをあらわにする。渡辺謙の怒りの演技が素晴らしい。
 しかし、現場の奮闘もむなしく事態は悪化の一途をたどり、近隣の人々は避難を余儀なくされてしまう。
 官邸は、最悪の場合、放射能被害範囲は東京を含む半径250q、その対象人口は約5,000万人にのぼると試算。それは東日本の壊滅、即ち日本の壊滅を意味していた。それでも政府は積極的対応は決断できなかった。


4/12(月)快晴 健康クリニック 飯川病院 飯川病院当直
0:20起床、新聞・文献読み、自炊など。いつもと同じ。6:47バス飯川病院着、9:00-11:30健康クリニック。受審者14名、結果判定12名。11:45飯川病院、検食後微睡。14:00-17:00飯川病院勤務。入院外来対応。17:00当直業務、18:00検食、19:30就眠。Σ6930歩。鹿児島の列島付近に群発地震。

秋田でもSuicaを使えるようになった しかし・・・
 3月13日JRのダイヤ改正が行われた。
 私に関連しては、週一回大曲往復するための新幹線の発着時間にはほとんど変更ない。しかし、この日に合わせ近隣に泉外旭川駅がオープンなど、多少の変化があった。

 その中で一番身近な問題は今まで便利に利用していた「新幹線W切符」が発売終了になったことで、券売機に向かって購入できなくなったことを初めて知った。

 「新幹線W切符」は2013年10月1日から従来あった新幹線回数券に代わり発売になったお得な切符のシリーズの一つ。運賃と新幹線自由席特急券がセット2枚綴りで3980円で、有効期間が1か月。秋田〜大曲間は通常料金は指定券なしで2190円だから往復で400円の割引となっていた。
 この割引は今回の改定はなくなった。チケットレス推進を隠蓑にした値上げと言っていい。基本的には「窓口にかかる人員の削減」、「紙のきっぷの削減」が目的と思われる。

 券売機で「新幹線W切符」は簡単であったが、大曲までの新幹線自由席と乗車券を購入するのは結構面倒である。

 JR東日本では「モバイル Suica」をリニューアルしたとのこと。
そのパンフレットによると、実際にはよくわからない説明文が並んでいるのであるが、「モバイル Suica」、その中の「タッチでGo!新幹線」はスマートフォンの操作だけで、駅の窓口や券売機に 立ち寄ることなく乗車できるサービスとのことであり、券売機の処理が嫌な私は飛びついた。

 私はかつては東京出張が多かったが、その時にJRなどの乗客の多くはスマートフォンをかざすだけで乗降車できる様子を見てとても羨ましく思っていた。
 それが秋田でも実現できるようになった。

 早速、私のiPhoneにSuicaを導入し準備に入った。あとは駅の券売機で初回の手続きをすれば使用開始できるはずであった。しかし、秋田駅で探してもその手続きができる機能を持った券売機が見つからない。係の駅員に訊ねたところ、「秋田ではその機能を持った券売機はまだ設置されていない」とのこと。その後の対応は秋田駅では得られなかった。当日は通常の切符を購入して大曲に向かい、大曲駅のスタッフが初期設定アドヴァイスしてくれ「タッチでGo!新幹線」機能が使えるようになった。

(やっと夢が叶ったSuica これでピッピと通過できた)

 それにしてもJR東日本のSuicaのパンフレットの記載は問題である。
 駅の券売機にかざすだけで初回の手続き完了、以後使用は可能と強調してあるが、秋田にはこの機能を持った券売機がない。にもかかわらずパンフレットには大きく宣伝している。しかも、秋田駅のスタッフはこの件について不案内であった。

 私は大曲駅のスタッフの助言を得てソフト的に使用可能になったが、JR東日本のSuicaのパンフレットの記載は「まだ設置していない券売機をあるように前面に出して宣伝」してあって、問題がある、と思った。


4/11(日)雲ひとつない超快晴 飯川病院日直
 1:15起床、本読み、文献・録音・画像整理。微睡など。8:30家内に同乗飯川病院。日直業務、午前は座学中心。午後微睡若干後、病院花壇に花を植えた。17:30クリーニング店経由で帰宅。18:00~19:00書斎で音楽録画見る。19:10夕食、ネコどもと団欒、21:00就眠。Σ6883歩。

新聞考2021(3)  マスメディアの方々には頑張って欲しい

 ネット上のフェイクニュースや怪しい情報は、視聴者に正しい判断力があれば、本当かな??と気づく場合が多いはずである。その判断力をメディアリテラシーという。すなわち、インターネットやメディアの伝える情報が正しいか否かを見きわめる能力のことである。

 日常メディアからの情報を得ている者にとっては、私もそうであるが、ネット情報のかなりの部分が何かおかしいと感じることはある。しかし、多くの人々がメディアリテラシーを持っている訳ではない。

 もし、中国などのように政府や公的機関が「これはフェイクです」と判断したら、検閲の始まりを意味し、戦前の軍国主義に通じる恐ろしい社会になってしまう。

 ならば、どうすれば良い??「結局、ジャーナリズムの自浄作用しかない」、とジャーナリストの池上氏は言う。
 毎日新聞や共同通信社をはじめ多くの社が読者などから広く意見を求める機構を持っている。また、弁護士会でも報道に意見を述べるシステムを有している。

 アメリカやフランスではファクトチェックを担う組織や団体があり、グーグルやフェイスブックと連携してフェイクニュースの検証に取り組んでいる。

 新聞は雑多な情報が取り上げられているが、ネットでは検索やリンクなどから、自分が見たい記事ばかりを集めて見てしまう傾向がある。

 例えば、アマゾンで書籍を数冊購入すると次からは類似の書籍の広告が上位に並ぶようになる。これをパーソナライズというが、企業側はユーザーの満足度を上げて視聴頻度を上げ、販売を促進しようとする。
 これがネットで「見たい記事、類似の記事ばかり見る」傾向を後押しする。自分の考えに近い論調の記事ばかりを集中して読んでいると、気分はいいがどんどん判断力を失ってあらぬ方向に行ってしまう。

 その点、新聞はいい。
 見開きの広いページに政治、経済、社会だけでなくスポーツ欄、健康や料理などの生活欄、識者と言われる方々からのオピニオン、読者からの声欄など多方面にわたる記事を掲載している。自分が興味を持っている分野でなくとも、少なくともページをめくる際、見出しは目に入ってくる。

 マスメディア、それぞれの新聞が社論を主張するのはいいが、読者に対して社論を押し付けるのではなく、一方でそれに反対する意見を紹介するのも重要だと思う。いろんな意見を紹介し、民主主義を支えるインフラと多くの人々にわかってもらうことは新聞の将来を考える上で重要である。

 新聞の部数は右肩下がり。若年層のテレビ離れも指摘されている。厳しい現実が迫っている。経営が思わしくなければ思った紙面を作れなくなる。

 私はスマホの狭い画面では大局的判断はでき難い、と思う。
 スマフォをじっと見ている顔は般若の面に似ている。


4/10(金)終日曇り寒波  
1:00起床。読書、データ整理中心。6:00可燃ゴミ、7:35Taxi駅に、秋田駅員はSuicaに不案内。通常切符で8:11こまち、9:10大曲中通病院外来、非混雑。大曲駅で駅員対応してくれた。秋田は徒歩。15:30-19:00飯川病院ボランティア。iMac2019届く。19:00帰宅、21:00就眠。歩数計8419歩。日中降雪若干あり、夕方からみぞれ降る。

新聞考2021(2) メディアの信頼性がネットで侵害されている
 メディアの信頼性が下がり続けている。
 正確なニュースを報じ、民主主義社会のインフラとなるべき報道機関が信用されなくなっていることに、どう対応すべきか、これは重要な問題である。なんとなれば、情報を受け取る側が何を信じていいのか分からなくなるからである。これは恐ろしいことである。

 ここ数年、フェイクニュースに関しての話題が多い。フェイクニューとは、まるで本当のニュースのように装ったデマ情報。デタラメをニュースのように仕立てているから一見真偽の程がわからず、信じてしまう人は驚くほど多い。

 日本にいると実感できないが、昨年の米大統領選の終盤では、ニューヨークタイムズやワシントンポストなどの主要新聞やテレビよりも、フェイクニュースの方がより頻繁にフェイスブック上で拡散していた、とされる。従来のメディアが信頼を失っている証座である。

 日本でもマスメディアに対する信頼性は下がっている。新聞通信調査会が2008年から毎年実施する「メディアに関する全国世論調査」では、NHK、新聞、民放テレビ、ラジオの信頼度が、いずれも過去最低となった。

 また、総務省の「平成27年 情報通信メディアの利用時間と情報行動に関する調査」によると、全体ではテレビ62.7%、新聞68.6%と高い信頼度を保っているが、若い世代ほどその数字は下がり、テレビは30代で47.3%、新聞は20代で58.9%となる。ネットや雑誌はそれよりも圧倒的に低い。


 いまの10〜20代は新聞を読まず、ネットのニュースしか読んでいない。だから、ネットの実態を知らないからマスメディアに対して不信感を持っているのだろう。

 なぜ、メディアは信頼性を失っているのか??
 視聴者が知りたいことを報じることが、業績を伸ばす近道。これがメディアの現実であり、危うさでもある。しかしながら、メディアは民衆が好まない嫌な内容であっても伝えなければいけないことは伝える、という姿勢を貫いてきたことが信用されてきたルーツであった。

 その信頼性が、ネットの登場で崩れて来ている。

 ネットは、
 ■ ネットには新聞やテレビで報じられていないことが出ている。
 ■ 新聞やテレビが報じない真実、という見出しで「新聞やテレビのマスメディアは隠している」という誤解が広がり、ネットの方が信頼できると感じる人が増えている。
 ■ 週刊誌や雑誌の影響力はそれを読んだ人にとどまる。しかし、ネットでは双方向だから個々人の不信感が増幅しシェアされる。
 ■ 自分で裏を取る確認作業もせずに、ネットに情報を流す。それを見て「ネットがいち早く伝えている」と捉える人がいる。
 ■ かつてはメディアの競争相手はメディア業界内だけであった。しかし、ネットではあらゆる組織や個人にまで広がった。
 ■ ネットは報道やメディアにとってマイナス作用しか持たない訳ではない。あらゆる個人が情報発信できるようになったことで、「情報の民主化」の面もある。他方、ネット情報の中に不正確なものやフェイクが大量に混じっている。

 ネットについては上記のような特徴を捉えておく必要がある。


4/9(金)終日曇り寒波 大曲中通病院 飯川病院ボランティア Suica使用開始
1:00起床。読書、データ整理中心。6:00可燃ゴミ、7:35Taxi駅に、秋田駅員はSuicaに不案内。通常切符で8:11こまち、9:10大曲中通病院外来、非混雑。大曲駅で駅員対応してくれた。秋田は徒歩。15:30-19:00飯川病院ボランティア。iMac2019届く。19:00帰宅、21:00就眠。歩数計8419歩。日中降雪若干あり、夕方からみぞれ降る。

新聞考2021(1) 新聞の将来は厳しい
 私は毎朝の習慣として新聞を数紙読む。いや習慣というよりも貴重な情報源として積極的に資料集めが主たる目的である。

 東日本段震災・原発事故後4?5年は地域の事情を知るため最高で6紙を購読していたこともあったが時間的に追いつかず、現在はやむなく朝日、日経、さきがけの3紙に絞っている。これらは有料の電子版にも加入しているから1.3万円/月程度と決して安くはない。
 信頼おける情報には対価を払う必要がある。
 毎朝、記事内容をざっとチェックし、選び、切り抜く。電子化してデータとして残し活用する。

 新聞は日本と世界の現況、政治・経済・社会・市民生活を要約して報道している。
 新聞は単にニュースを報道するだけでなく、各紙がそれぞれ明快な立地点を有している。それに全面的に賛同するか否かは別にして、各紙の立場は明快である。だからその論評や主張には一本筋が通っており、安心して読むことができる。

 一方、ネットにはツイッターなど個人発信の情報と意見があふれている。こちらは明確な背景、基盤を持たないから、即ち、筋の通った骨格がないから信頼度が低い。ちょっとした切っ掛けで注目され、異常なほど増殖して、いくらでも変形するし、時にはすつと消滅もする。だから、私はネットの情報は背景がしっかりし、出所が明快で信頼おけるもの以外は見ることはない。

 近代国家は立法・司法・行政の三権から成る。それに対して報道機関が第四の権力と呼ばれることがある。国家の運営に及ぽす影響力が大きく、三権を批判する機能があるからだ。
 今の日本は行政府の力が異常に強く、立法府と司法府はその前にひれ伏していると思われる事象は少なくない。そういう時こそ第四権力である報道機関の真価が問われることになる。

 日本の新聞発行部数は、2000年の5370万部をピークに減少が続いており、2015年には4424万部にまで落ち込んでいる。その後のデータは入手していないが傾向は変わっていないと思われる。そして、新聞は世帯普及率も右肩下がりが続いている。単身世帯では、もはや新聞を取っている人の方が少数派である。

 新聞離れの最大の理由が、インターネットの普及であることは明らか。ネットのニュースサイトは、世界中の情報がリアルタイムで知れるうえ、料金も無料という強烈なメリットがある。新聞は有料で、速報性という意味ではインターネットに勝ち目がない。

 私は活字媒体が好きで、中でも新聞の比重が極めて大きい。
 ただ、そんな私も新聞が将来的にも生き残って行くには、批判に耐えうる立派な企画、記事を掲載するしかない、と思う。


4/08(木)寒い曇り 飯川病院 
1:15起床。新聞・文献チェック他。ダリア仮植えしたので外仕事一段落、座学中心。11:50バス飯川病院。ボランティア、14:00-17:00勤務。入院患者対応。19;30帰宅夕食、21:00就眠。歩数計7153歩。

モノクロとカラー(3) 個々人は果たして同じ色調で見ているのか?
 色調を区別し難い方々がいる。色覚異常とされ、先天的に異常と各種の疾患によって後天的に生じることもある。かつては色覚異常者に就業規制を敷く職種が多く、小学校の頃から健康診断には色覚異常検査が行われていた。

 実際には「一部の色が区別し難いだけで日常生活にはほとんど影響がない」と、すべての色覚異常者がこれらの就業規制に該当するわけではないことがわかり、規制がゆゆくなってきた。かつては医師なども不適格業種とされていた。色覚異常の安易な考え方は人権侵害であった。

 日本の小学校:1994年以降は1回だけ、2003年(平成15年)より色覚検査を定期健康診断の必須項目から削除し、希望者だけに色覚検査を実施している。
 雇用者による制限:2001年に履歴書の記載が廃止された。
 大学への入学制限:1993年廃止。
 会社への就職制限:雇い入れ時検査を課しているところもある。

(色覚異常の考え方:日本医師会のパンフレットより一部)

最近の就業規制(地上自治体などで基準か異なる場合もある)
―――――――――――――――――――――――――――――――――
異常なし      自衛官(航空) 潜水艦乗組員 鉄道運転士 航空管制官
          海上保安庁(航空)
勤務に支障なし   海上保安官 皇室護衛官 入国警備艦 パイロット
個別の基準     海技師 小型船舶操縦士 消防士
―――――――――――――――――――――――――――――――――

 人間者は網膜上に3種の色センサーがあるが、犬・ネコ・ネズミ・豚などの研究の対象になった動物には2種の色センサーしかない。だから、大体の色はわかっても人間ほど細かくない。赤と緑の識別に弱点があるようである。我が家の猫7匹の溜まり場にフェルメールの「デルフトの眺望」のレプリカが掛かっているがまるで感心を示さないのはそのせいか。

 この人間の色覚は冬には感受性が異なってくるという研究もある。北欧や、秋田も含めて冬季には「動きたくない、眠い、人と会いたくない」といった症状が出る人が多く、「冬季うつ病」と言われる。こうした人は冬季間には光の感じ方が鈍くなっている、と言われる。
 先天性色覚異常の約300万人うち、実生活上困難が生じているのは125万人とされている。しかし、白内障・緑内障・糖尿病性網膜症どの病気、怪我などで1000万人ほどいるとされる。したがって、誰もが色覚異常になりうるとも言える。

 色覚異常の治療は困難であるが、色覚に訴えず判断ができるようにユニバーサルデザインが採用されつようになってきた。色覚におけるバリアフリー化である。

 その前に、私は各人の色調の感受性はかなり異なっているのではないか、と思っている。科学的証明はない様であるが、各人が薄い色調のサングラスをかけているようなものでないだろうか。画家たちに見えている世界は我々とは異なっているのではないか?と思う。


4/8(水)曇り晴れ 飯川病院ボランティア 秋田さくら開花宣言
0:30起床。文献検索、徒然ほか。9:00-11:30ダリア発芽しすぎたので仮植えした。12:12バス飯川病院に。ボランティア。新聞チェック、14:00勤務、入院患者対応、花壇に散水。データ整理、本読みほか。昨年家内用にiPad mini5落札。19:30帰宅。夕食、21:00就眠。歩数計歩行計8419歩。秋田市さくら開花宣言、史上最速だらしい。

モノクロとカラー(2) 写真 モノクロの情報量は意外と深い
 2018年、富士フィルムはモノクロのフィルムと印画紙の発売を中止した。1936年からの製品だと言うが今は需要が減ってしまったのであろう。

 デジカメではカラーからモノクロへの変換は簡単にできる.
 だから、多くの人には問題ないのだろうが、電気的変換には飽き足らずモノクロフィルムの醸し出すゴツゴツした質感を惜しむ声は小さくない。
 私は中学生の頃カメラを持っていたが、カラーフィルムは高くて買えず当時の写真は全てモノクロだった。

 今はカラー写真が当たり前で、モノクロの黒から白への「明暗情報」のみで表現される像がむしろ新鮮に映る。

(私が撮った写真のうち最も大切にしているうちの一枚 三毛ネコ 昭和35年頃撮影)

 ざっと考えればカラー写真とモノクロは「色」があるか否かの違いであるが、モノクロ写真から改めて「色」という要素の重要さを実感できる。
 興味深いのは「色」が無くなると、逆に「色」が豊かになるという経験である。それまでの経験の中で体験したそれぞれの「色」を見る者が自由に思い浮べるからである。すなわち、モノクロ写真は見る者に自由を与える広い容認力がある。
 仏像を撮るときにいかに頑張っても金色の色調が出せないときには暗闇の中で仏像をモノクロで写せば、見る者には素晴らしい金箔の仏像として見えることもある。

 映像の基礎を築いたのは、サイレント映画やモノクロ写真であった。そして今もなおモノクロ写真は独自の芸術的価値を持っている。モノクロ写真は過去のものではなく、現代においても人びとの美的感覚に訴える魅力がある。

 カラー写真は表層的な描写を味わう気軽さがある。
 モノクロ写真はレトロな物、昔ながらの風景などを被写体とするといい雰囲気になることが多い。山岳写真にも向いている。それ以上に、身近な被写体としては人の顔がモノクロに向いている、と思う。

 私が所持している山岳写真集のかなりがモノクロのアルバムである。
 また、有名な木村伊兵衛のモノクロのポスター「秋田美人」も素晴らしい。
 山岳写真からは地上の様子から地中の様子までも類推できるし、モノクロの顔写真には被写体となった方々が過ごしてきた人生すらも伺い知ることができる、ような気がする。
 少なくとも私にはそう思えてならない。

 カラー写真の場合、主題やイメージそのものよりも色に目が惹かれがち。
 モノクロ写真は「純白」と「漆黒」、「無数の段階のグレー色調」しか存在しない。写真の良しあしは「被写体」と「光の取り込み」、「構図」によって決まる。

 カラー写真が当たり前の時代に育った人たちが、モノクロ写真にどのような印象を抱くか、確かめて見るのも面白いかもしれない。


4/6(火)快晴 中通病院外来 飯川病院ボランティア
1:10起床、新聞・文献・本読み他、蓄積データ整理、徒然。5:30可燃ゴミ提出。6:47バス飯川病院。8:45-14:25外来。30名と超混雑、疲弊。14:45飯川病院、微睡など。ボランティア。やはり火曜日は疲弊する。19:30帰宅、夕食、21:00就眠。歩行計8696歩。

モノクロとカラー(1) TV 画面がうるさいカラーTV
 時は昭和30年代中頃、それまでは娯楽といえばラジオであったが、やっとTVが普及し始めた。

 当時のTVはブラウン管の白黒。14インチが定型で、価格は10万円前後。公務員であった父親の給与の2ケ月分以上とかなりの高額であった。 私が中学三年年の時に、風呂敷に10万円を包み、それを腹巻きのように巻いて自転車で16Km離れた盛岡の電気店に買いに行った。 汗びっしょり、紙幣の大部分も汗で濡れていた。「子供が一人で現金でTVを買いに来た!!」、と店の人たちもびっくり。TVは翌日に届いた。

 テレビの創成期に育った私は、物珍しさから興味があったが決してTVを好きになれなかった。当時、NHKの「ジェスチャー」や日曜夜の「シャボン玉ホリデー」、アニメ「鉄腕アトム」など楽んだが、進行に無駄が多く時間がかかる割に得られる楽しみは少なかった。

 これは今でも同じ感想で、私の感覚では1時間番組は15分程度にまとめられる。映画も同様。TV、映画は時間の無駄という意識感覚が取れない。

 日本では1960年にカラーTVが本放送開始、1968年頃から大量生産で値段が下がり、1973年にはカラーTVの普及率が白黒TVを上回った。初期の頃は、画面にほんのりと色が付いている程度であったが、新しい時代の到来に興奮した。

 トリニトロン方式だのシャドウマスク方式などの論争もあったが、今やTVの形やサイズは多様化し、高解像の8K対応TVも一般向けに発売された。

 TVを見ながら食事を摂るのが普通になり、家庭内、家族間の話題や人間関係も様変わりした。かつては家族全員が家庭団欒の主役と脇役であったが、今はTVが主役。しかも、個々人が自分の部屋で独りで別々の番組を見るようになっている。これでは家族間で行われるべき子供たちへの指導、コントロールはできない。思春期を迎えた子供達と、親とのコニュニケーション失われ、親は子供たちのことをほとんど知らないようになった。

 過去ばかりを振り返ってはいけないと思いつつも、白黒TVの前で熱中したことや初めてカラーTVを見た時のことが懐かしく思い出される。

 TVのカラー化によって情報量は明らかに増えた。だけどちょっと質が違う。
 TVのカラー化によって私が新しく抱えた悩みは、自然を写した画面は不自然に美しすぎる印象で入り込めない。スタジオ収録番組は登場人物、舞台やセット、背景が全体に派手になって、見てて苦しい。アニメはコンピューターグラフィックスの影響で派手派手、画面に閃光が走り、辛い。 

 私はセピア色が好きなんだが、そんな画面なんて誰も見ないだろうね。


4/5(月)曇りのち晴れ 健康クリニックドック 飯川病院 
 1:00起床。いつものごとく。6:48バス飯川病院着.9:00-11:00健康クリニックドック12名。結果判定なし、飯川病院に移動。微睡、本読みなど。14:00-18:45飯川病院勤務、花壇の草むしりとアサガオの植え付け、散水。iMac27(2012)OS入れ替えも不調!!!注文す、2019年後期モデル落札127400円。入院患者対応なし。19:30帰宅・夕食、21:00就眠。歩行計8419歩。

私の近隣にJR東日本「泉外旭川駅」オープン(2)
 秋田市は奥羽線秋田ー土崎間に新駅、「泉外旭川駅」を設置した。新駅設置は穂積現市長が初当選した2009年から掲げてきた公約の一つ。

 実施費を盛り込んだ予算が2018年2月に議会で承認され、2019年1月に国土交通省東北運輸局が設置を認可し、21年3月開業の運びとなった。

 秋田-土崎間7.1Kmは東北6県の県庁所在地の中で、中心駅との駅間距離が最も長く、沿線側の住民や施設にとって鉄道利用不便区間地域となっていた。
 高齢化の一層の進展を見据え、車依存からの脱却を図る意味でも新駅は周辺住民の悲願だつた。 

 新駅は秋田駅から約4Km、泉地区、外旭川地区とも住宅地のど真ん中に位置する。その意味ではいい場所を選んだ、と思う。

(外旭川側と泉側を結ぶ東西通路の外旭川側の入り口 スロープがあり自転車を曵いて往来できる)

 市の試算では1日当たりの乗客数は2118人で、開業から50年間の経済効果が48.3億円。総事業費は20.5億円。地元要望設置駅のため事業費は全額市の負担となった。

 重い財政負担を理由に市民からその必要性について賛否の声も寄せられたが、市民アンケートでは賛成が泉・外旭川地区住民76%、市内全域では62%と賛意が優位であった。全域での賛意が意外と高く、私は些か驚いた。 

 重い財政負担だったから、新駅をどう活用するかは市の重要課題となる。市には新駅設置の効果が及ぶような手だても講じる必要がある。

 サッカーJ3プラウブリッツ秋田の本拠地となる新スタジアム建設や大型ショッピングモールの誘致も取りざたされている。スタジアムは人口27万余の秋田市に15.000人収容できる施設を、100億円もかけて作る意義はない。現在の観客動員数はせいぜい2.000人に過ぎない。現状の計画では私は賛成できない。
 大型商業施設に関しては誘致賛成である。


4/4(日)早朝から降雨 
 1:45起床飯川病院で起床。iMac27(2012)OS入れ替えも不調うまくいかない!!! 本読み、サブのiMac21(2015)を用いルーチン作業は進められた。iMac27の件で10:15のバスにするも遅れ通り町まで歩く。11:06に乗車帰宅。久々孫と会う。12:00 NHKニュースとのど自慢楽しむ。13:00微睡。19:00家内帰宅夕食。21:00就寝。歩行計8055歩。

私の近隣にJR東日本「泉外旭川駅」オープン(1)
 JR秋田支社奥羽線の新駅「泉外旭川駅」は、3月13日のダイヤ改正日に開業した。また、男鹿線と五能線の全編成を新型車両に切り替えることも明らかにした。
 外旭川の住民有志は13日夜、新駅開業を祝う花火50発を打ち上げ、新駅開業に尽力した方々の労をねぎらった。
 泉外旭川駅は県内で20年ぶりに開業した無人の新駅で、隣の秋田駅、土崎駅までの所要時間はそれぞれ4分程度。1日に奥羽、男鹿線計76本が停車する。秋田市の試算によると、1日の乗客数は、県内最多の秋田駅に次ぐ2118人を見込む。

 (秋田駅まで4分 この空の広さが秋田の魅力の一つ)

 男鹿線では今回のダイヤ改正を機会に全ての車両を新型の蓄電池電車「EV-E801系」にする。これでディーゼル車は引退することになる。男鹿線は電化工事なしに、車両のEV化で電動化することになる。

 泉外旭川駅は無人駅で、開業当日券売機の前には朝から行列ができていた。

(駅の看板と待合室)

 秋田市は新駅を新たな交通結節点と位置付け、鉄道とバスの連携強化を図る方針で泉外旭川駅は泉側と外旭川側にそれぞれバス停が設置された。

 市は21年度から5カ年計画の「公共交通政策ビジョン」を策定中。路線バスの運行頻度を適正化し、タクシーも含めた公共交通網の整備を行い、郊外部や公共交通の空白地域で移動しやすくする仕組みを検討する。

 JR秋田支社は3月25日、「泉外旭川駅」の乗降客数が1日当たり1000人程度で、現時点では試算の4分の1ほどにとどまっている。
 現時点の利用者が市の試算を大幅に下回っていることについて、市交通政策課は学生が春休み期間であり、「開業したばかりで多い少ないの評価はできない。市としては周辺の交通網の整備などを進め、駅利用者の増加につなげたい」としている。

 私は往路はバスで通勤している。そのための歩行を含む所用時間は40分、運賃は100円。往路を泉外旭川駅を利用すると歩行時間は同じ40分で運賃は190円。ちょっと利用し難いが便利になったことは確かで、時間帯を見ながら適宜利用したいとは思っている。


4/3(土)快晴・夕方から降雨 飯川病院午後日直・当直 外来レセプト点検  
1:00起床。本読み、データ整理、自炊5冊、飯川病院日直・当直で孫たち宿泊に来る予定。
11:30家内に同乗、飯川病院午後日直・当直に就く。12:00検食、微睡後に新聞チェック、読書、14:00-15:30外来レセプト点検、以降は読書三昧。18:00検食、20:30就眠。歩行計5380歩。飯川病院のメインのiMac27(2012)不調続きOS入れ替えを試みるがうまくいかない。どうなる??


私の日々のルーチン作業(2) 私の人生はなんなんだ!!!と時に思う
 私の日々のルーチン作業は(1) に示した通りである。
 情報収拾作業は私の知識欲も満足させてくれるから、大きな喜びにつながっている。それは良いとして、その後のスキャナーによるPDF化、分類作業は結構時間がかかり辛い作業である。
 さりとてこの一連の作業は私自身の興味に関わってくることだから、生きるためエネルギー源になっているのだから、誰かに代行させて良しとできるものではない。全ての工程を自分でやるしかない。

 起床後、まず1:00-3:00am頃に前日収拾した新聞や書籍などをスキャナーでの取り込みを行う。分類作業や徒然記述などは適宜時間が空いた時に進める。
 新たな情報の収拾は7:00頃から飯川病院で始業前に行う。

 私は生きている世界はとても狭い。興味を持っている世界は狭く、世間知らずである。だから、連日の新聞をチェックする作業は知らなかった世界を、知らなかった人物を知るのに有用で、とても楽しい時間である。

 そうはいってもこの一連の作業にはかなりの時間を使っている。
 1日も休まず、という作業だからそれをやりながら時には「私の人生はなんなんだ!!! もっと有意義は時間の過ごし方があるのではないか・・?」と時に思う。

  さいわい、私は連日生活記録をつけているし、徒然日記の中にミニ随想も書いているから、過去の日に何を考え、何をやって過ごしたのかは比較的詳細に再現できる。決して無駄に、無為に過ごしていたとは思えないが、何か大きなことを失った人生でなかったかと思わないわけではない。

 少なくとも人と接触することはなかった。

 何かを選択することは何かを失うことでもある。
 毎日を平穏に、時には疑問を抱きながらも、ほぼ満足しながら過ごしている私にとっては、今更何か新しいことに踏み出すというよりは、淡々と継続しながら過ごすことを、自分の修練の一方法になっているのだ、と無理やり納得するしかないのだ、と思う。

 私が存在したということは家族以外にとってはもう意義がない。私が蓄積した情報やデータは誰かが意図的に消去しなければ電子的に残ることになるだろうが、私以外に必要なデータではなかろう。機会があったら自分で消去して旅立つのが良いかもしれない。


4/2(金)快晴 大曲中通病院 飯川病院ボランティア 
 0:30起床、新聞、文献などいつものごとく。徒然、5:30可燃ごみまとめるも少量で提出無し、7:35Taxi駅に、8:11こまち、先頭車キャビンに二人のみ。8:50大曲中通病院、復徒歩。秋田市内も徒歩。昼食がなかった。即席カレー食す。新幹線Wきっぷ発売中止。今後はSuicaに移行するか。13:30飯川病院ボランティア。19:15帰宅、夕食。20:30就眠。歩行Σ9878歩。

私の日々のルーチン作業(1) データの蓄積と分類

 私は自分に課した日課、作業を机に向かってコツコツ進めるのが好きである。

 早朝1:00-2:00からスタートし、19:00の帰宅までの間、診療時間、読書、園芸とかの外の仕事以外はほとんどパソコンに向かってデータ入力やデータへの名称付け、データの分類に割いている。そう入っても、体力不足の最近は午後に1時間ほどの微睡を取っている。

 現在,収集しているデータは主に以下がある。
―――――――――――――――――――――――――――――――-
(1)連日、処理もほぼ連日
 ■ 新聞の切り抜き。
 ■ 雑誌などの有用記事の切り抜き。
 ■ 学術、専門誌等の有用記事の切り抜き。
 ■ 書籍の裁断。

(2)連日、処理は週一回程度
 ■ 録音データの蓄積。
 ■ 音楽関係録画データの蓄積。

(3)連日は難しい。
 ■ 日常生活の記録。歩数計のチェックと記録。
 ■ ミニ随想記述。
 ■ ・・・・・・
―――――――――――――――――――――――――――――――-

 私がこれらのデータを収集し蓄積しているのは、生来からのガラクタ類の収集癖を背景にしているが、脳機能の低下のために記憶として蓄積できないためである。私は記憶として残すのを諦めた。文章や画像、録画データ等の情報を電子化しハードディスクに収める。ハードディスクは2重に3重にバックアップを取っている。

 小川洋子の「博士の愛した数式」 という作品には80分しか記憶が保てない博士が出てくるユニークな作品である。記憶力が薄れてきた私は身につまされ、感心して読んだ。
 この作品にあるほど私の状態は酷くはないが、記名力が乏しいことは似たようなところがあり共感できる作品である。

 (1)のグループは毎日50項目くらいずつ増えていく。新聞は3紙に目を通し、専門誌は今は3冊くらい。書籍購入は週5冊程度か。
 重要な記事、興味ある記事を裁断し、スキャナーで電子化する。新聞書籍はすべて廃棄する。
 ちょっと油断しているとどんどん溜まり処理が困難になる。記事を収集しているときには項目をチェックする程度であまり深くは読まない。項目の名称をつけ、分類した後に必要に応じて詳しく読むことが多い。
 名称付け、項目分類は自分なりの一定の形式に収めないとのちに検索をかけたときにうまくピックアップされない。

 一連の作業は ■記事裁断 → ■スキャナーによりPDF化 → ■名称つけ → ■内容別に分類 → ■ハードディスクに収納

 (2)のグループは、蓄積そのものは自動で行われ、週一回ほどまとめて分類処理する。1日4時間分ほど録音・録画が録られており、週30項目ほど増えていく。

 (3)のグループは連日と思っているがどうしても2−3日遅れてしまう。

 もうこんな生活は20年以上進めている。かつては、信頼して蓄積したパソコンソフトが突然販売中止になったり消滅したりしてかなりのデータを失ったが、今は殆どをPDF、JEPGで記録している。


4/1(木)快晴 午後飯川病院 
1:30起床、いつものごとく。10:30冬用衣服仕舞いクリーニングに。散髪3Qカット店、11:30-12:50ブックオフ土崎店、10冊購入。砂山からバス、新国道経由飯川病院。13:30着。14:00-19:00勤務。入院患者対応。19:15帰宅、夕食。21:00就寝。Σ5921歩。

新年度(2021)スタート  今年度就労予定とコメント 
 本日は新年度スタート日。
 本日から私の就業契約も改訂になった。変更は一部のみ、昨年度とほとんど同じ。
 今年は明和会からは声がかからないかも、と思っていたが、本年度も嘱託医師として、また、飯川病院の応援医、ボランティア医として働くことになった。

 以下が今年度予定されている勤務スケジュールである。飯川病院の午後の勤務が(火)から(水)に変更になった。これで終日フリー日は無くなった。
 ただし、いつまで続くかは不明。

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午前 午後
 月曜 健康クリニックドック診察、結果説明       飯川病院勤務。
 火曜 中通総合病院外来。               飯川病院ボランティア。
 水曜 (飯川病院ボランティア)             飯川病院勤務
 木曜 (飯川病院ボランティア)             飯川病院勤務。
 金曜 大曲中通病院                  大曲中通病院

 土・日曜日・祭日 月1-3回飯川病院日直または当直
平日に月1-2回飯川病院当直
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 上記の勤務時間以外は、適宜読書などで過ごしている。
 飯川病院ボランティアの時間帯には木々や花のケア、散水なども含まれる。

 せっかく時間に余裕ができたのに、最近は体力・気力の低下が著しい。
 心肺機能、四肢体幹機能の低下も自覚する。

 日々、時間を無為に過ごすことはまだないが、その日充実感に乏しかったとしてももう気にしないようにしている。
 「無の境地」に至る過程??
 イヤイヤ、「ボケ老人の境地」への進行過程と思う。まあ、どちらでもいい。自然に任せる。

 こう考えてから心身ともにとても楽になった。惰眠も楽しんでいる。
 余生である。余生とはいつ途切れてもいい状態。旅立つ準備は必要だが、「明日も、明後日も生きる・・・」、と考えるから窮屈となる。
 
 新年度初日、こんな私にとっても新しい気分でのスタートになるから節目というものはいいものだ。
 


3/31(水)曇り晴れ 飯川病院
0:30起床。文献検索、徒然ほか。11:07バス、珈琲店経由で徒歩で飯川病院に。ボランティア。新聞チェック、音楽データiPodに入力。データ整理、本読みほか。散水、17:20iPad mini5落札。19:30帰宅。夕食、21:00就眠。歩数計7506歩。

秋田県の話題;人口減(2) 文明と人口
 国は少子化対策として出生率向上を問題にしてきた。
 若い女性の数が少なくなった現在、出生率の目標値をあげるならば2.0以上に設定しなければならないが、事実上不可能な数値である。
 出生率でなく出生数を目標に掲げた秋田県の少子化対策の方が理にかなっているが、ここに至ってはやはり実現不可能である。

 何で人は子供を産むのか?何で産まなくなったのか?人口問題はそこから考えなければならない。

 わが国の人口問題の推移を思いつくまま挙げてみる。
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??人類は生物としての繁殖能・種の保存能のもと、新生児多死の時代を多産で乗り越えてきた。

??社会化と共に、種族・部族の維持繁栄のため多産傾向が一層強まる。農耕文化の発展とともにマンパワーが必要になった。

??蓄財が始まり、貧富差が生じた。血筋を重視した家族、家の概念が生じた。上層階級は血筋維持重視となり、下層階級は労働力としてマンパワーが必要となった。

??明治以降は富国強兵策を掲げ、国家による意図的な出産・育児・教育政策が画策され、人口が急激に増加した。農業生産力の増大、工業化による経済発展と国民の所得水準の向上と生活の安定、公衆衛生水準の向上等で、人口は増加の一途となった。

??国は、人口問題を抱え、将来は経済的に窮乏していくと考え、外に食料、エネルギーを求める大東亜共栄圏構想を打ち立てた。しかし、実現はできなかった。

??戦後、従来の価値観の否定と民主化があった。第一次ベビーブームが起こり、朝鮮特需で落ち込んでいた経済は急速に復興を遂げた。

??ベビーブームによって生まれた子どもは10歳程度でも労働力となり家庭を支えた。中学卒業後は田舎から都会の工業地帯に大量就職した。日本経済を支え、仕送り等で田舎を潤した。この頃は子供が多い家庭ほど親にとって見返りがあった。
 子供一人あたりの養育期間は15年間程度と短かった。

??日本は高度成長期を迎え、国民全体が経済的に余裕が生じた。家庭内の人間関係は変化し、より孤立性となる。子供は高校進学が当たり前となり、家庭内での労働力として当てにならなくなった。子供達は家の手伝いもしなくなった。
 子供の養育期間は18-19年程度。

??子育ては夫婦単独で、主に母親が担う。社会資源が乏しい中、妊娠・出産・子育、教育を含め、女性・母親の負担が増大。成長とともに教育費の負担が増大した。大学進学率は高まり、塾や予備校も含め教育費は子育て費用の中心となる。子供は1-2人程度。教育費の一部にするために母親がパート勤務などに出るようになった。出生率は1.3程度で改善なし。
 子供一人あたりの養育期間は22−24年程度と延びた。

??子供は結婚を機に親と別居。家庭が持っていた養育・介護、世代間の生活協力等の機能が崩壊。子供から親に対する経済的援助は期待できず。親にとって子育ては無償の労となった。

??日本経済は低迷。今後も、長期的には低成長時代を迎える。低成長時代の背景には少子・高齢化の果たした役割は小さくなかった。
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 この少子・高齢化の現実は文明がもたらす自然の摂理である。時代が悪い、世の中がおかしい、と言っても仕方がない。まず。現実を認め対策を考える必要がある。

 日本の将来に向けての国力を維持するには人口減問題にどう対処するかにかかっていた。人口問題に詳しい有識者達は半世紀も前から将来の日本の姿を予想し、主張していた。
 しかし、その声は小さく時の政治家達には伝わらなかった。

 日本は右肩上がりの成長をなしとげ、経済的・物質的豊かさを享受して来た。
 日本の将来に少子・高齢化がからんでいたのに、為政者たちはその自覚は乏しく、不可逆的事態を迎えてしまった。
 子育て世代に対する社会保障の重要性が認識されて、慌てて視点を移し始めたのはここ1-2年であるがそんなことでは出世率は改善しない。

 日本人の日本人による人口維持能力は、出産可能女性の絶対数が減少してしまった今となっては、すでにその機会は失なわれてしまった。

 改善策は、国内にはない。移民に対する捉え方にかかわっている。
 移民政策は、島国日本の文化にとって文化の崩壊につながりかねずなかなか踏み切れない問題であるが、人口問題に関しては忌避してはいられない重要課題である。


3/30(火)曇り 中通病院内科外来 飯川病院
2:00起床。新聞チェック、本読み、他。5:00可燃ゴミ提出。6-47バス飯川病院。8:40-13:00中通病院内科外来、比較的余裕。13:30飯川病院勤務、入院患者対応。19:15帰宅、夕食。21:00就寝。Σ7939歩。

秋田県の話題;人口減 (1)
 県人口は今年1月に95万人を割った。2017年に100万人を割ってから3.9年で約5万人減ったことになる。近年は年間約1万4千人のペースで減少が続いている。

 2019年の出生数は4.696人、5.000人を割ったのは明治以降の統計開始以来初。1969年には18.056人も生まれていた。

 県の政策として、出生数対策をやってきた。
 ■ 2009-13年元気創造プラン第1期 出生数目標8.000人 実績は6.177人
 ■ 2014−17年元気創造プラン第2期 出生数目標6,100人 実績は未達成
 ■ 2018−21年元気創造プラン第3期 出生数目標6.000人 実績は未達成

 2010年少子化対策局設置、秋田結婚支援センター設置、全国有数の子育て世帯への経済支援で全国有数の支援内容になった。しかし効果を上げていない。
 結婚支援の強化、保育料や医療費の助成の拡充などに積極的に取り組んできた。

 急速に進む本県の人口減少、少子高齢化にいかに歯止めをかけ、地域での県民の暮らしをどう持続していくのか。

 その戦略や政策を示すことが何より求められているが、県の施策では効果を上げるのは困難だと思う。補助金によって出生率をあげることは困難である。

 出生率は文明の成熟とともに低下するのは歴史的に認められる現象である。だから、出生率を上げることではなく、子供を産める若い生産人口を増やすしかない。さらに直截的に言えば、機能する子宮を増やす以外に道はない。これは極めて困難な道である。

 人口減少に特効薬はないと諦めてしまえばこの傾向はさらに加速する。

 最善の方法は、若い人たちが秋田で生活できる様、生活環境、秋田の経済力を高めることしかない。
 産業振興策の役割は大きい。自動車や航空機産業の集積が進んでいる。とはいえ現状では若者にとって十分とはいえないし産業振興策はどこの県でも力を入れている。秋田は決して条件に恵まれているとは言えない。

 私は、農業の振興策が秋田の地にあったベストな方法と思う。
 離農を防ぎ、県内外から農業希望者を呼び込む。東日本大震災と原発事故の避難者はまだ数万人いるが、その中から農業就農者を募集する、などなど。
 さらには外国人にも就農の機会を与える、のもよかろう。
 
 人口密集地で拡大するコロナ禍を機に東京一極集中を見直す動きもある。
 リモートワークの普及により都会の企業で働きながら地方移住が可能な時代。県がこの新しい移住スタイルを積極的に支援するのも良い。


3/29(月)晴れ 健康クリニック休診 飯川病院 電話再診研修
 1:30飯川病院起床。本読み、徒然他。健康クリニック年度末で休診、午前は電話再診研修に充てる。9:45-13:30電話再診試みるも不全。14:00-19:00飯川病院勤務。入院患者対応。19:30帰宅、夕食、21:00就寝。Σ6364歩。

季節の話題2021(10) サクラ(2) 盛岡の「石割桜」は私の気力のルーツの一つ
 JR東日本の月一回リニューアルされる車内紙「トランヴェール」に浅田次郎氏が巻頭随想を書いていたことがある。?
 古い、ある号に南部盛岡について小文を書いていた。
 「盛岡の町、それは岩手山、南には早池峰。北には姫神山。北上川と中津川の合流する先に不来方のお城、ああ、なんと美しい町なのか・・」、「盛岡の桜は、石ば割って咲く」と石割桜を表現し、「盛岡の町並み、自然、風景は日本一である・・」、などと記載していた。
 また、ある号には北国の大学に進学するために、上野駅で夜行列車に乗り込む娘を、悲しい思いで見送る父親の心象を描いた小文もあった。名文として記憶に残っている。娘さんの進学地は多分盛岡であった、と思われる。

 彼に南部盛岡を舞台にした作品があることをその小文から知った。随想を読みつつ浅田氏がどの様に南部盛岡を表現しているのかいたく興味を感じ購入した。文庫本「壬生義士伝(上下巻)」である。?? その作品には、盛岡訛りの言葉がふんだんに盛り込まれている。江戸幕末のころの一人の脱藩武士を中心とした人間模様が語られる。しかもその当時のことを回想する語る場面がでてくるから新しい時代、と言っても明治だろうが、そのころの南部盛岡についても自然、風物が豊かに表現されている。語りの部分が典型的な盛岡弁で語られているところにある。私自身が子供の頃つかってきた言葉が次々と出てくる。半ば忘れかけていた懐かしい言葉が、言い回しが、語尾が、・・・次々と。?? 私がもし盛岡近郊出身でなければ読まなかったと思う。方言を豊かに盛り込んだ小説は少なくないが基本的には読むのは嫌。方言を書き込んだ作家の中では三浦哲郎氏の作品はいい。「忍ぶ川」、「白夜を旅する人々」等々だけは集中的に読んだ。彼の場合は津軽弁だからまだ読めた。最近の作品は若竹氏の「オラオラで一人で・・・」は読めた。

??――――――――――――――――――――――――――――――-
 盛岡市の官庁街のど真ん中、盛岡地方裁判所の庭先に「石割桜」と呼ばれる江戸彼岸がある。周囲21mの花崗岩の割れ目に落ちた桜の種から発芽したのか?その割れ目を広げながら成長した。1922年に天然記念物に指定された。推定樹齢は300−400年。幹周は4.6mの巨木。

 私の子供の頃は、樹勢が弱っていつ枯れるかの話題が新聞紙上を賑わしたが、有能な樹木医たちの関与で樹勢を取り戻した。
 開花は4月中旬から。
 
 (盛岡市HPより借用)

 毎年12月には「石割桜」の防寒対策が行われる。100本以上の吊り縄で枝が雪の重さから守られ、幹には厚くコモが撒かれる。開花シーズンと同様、盛岡市民は暖かい眼を向ける。「石割桜」は市民の温かい目で生かされている感じがする。

 私が中学高校の頃、冬場を除き、樹勢が衰えた「石割桜」の脇を通って自転車通学していた。片道16Kmとハードであったが、「石割桜」の生きる姿を心配し、私は力を得た様な気がする。
 「石割桜」は私の気力の拠り所の中の一つである。尊敬している、といっていいかも知れない。


3/28(日)晴れ、昼から小雨 飯川病院当直 
 1:00起床。新聞チェック、本読み、他。午前はデータ整理、入れ替え。12;00ニュース、のど自慢楽しむ、新聞チェック、微睡、読書。15:00家内に同乗、飯川病院へ。17:00当直業務。18:00検食、20:30就寝。Σ5528歩。

季節の話題2021(9) サクラ(1) 日本特有の文化?? 「願はくは 花の下にて春死なん その如月の 望月のころ」  西行
 これは私の最も好きな歌のうちの一つである。ここに出てくる花はサクラのことである。
 なんとしっとりとした寂寥感を伴ううたであろうか。
 サクラといっても今盛んに咲き始めたソメイヨシノではない。ヤマザクラの一種を歌ったのであろう。
 最近、森山直太朗の歌「さくら」は、春の別れと出合いの風景に、舞い散る桜のイメージを重ねた曲で、若者を中心に支持され大ヒットした。
 西行から800余年、サクラは日本人の心の琴線に触れ続けている。いや、むしろ近年の方が強いインパクトを与えている。

 わが国ではサクラの開花は真の春の到来を告げ、日本全体明るくする。日本全体が活気づく。 
 秋田でも間も無く開花が始まる。今年はとりわけ早く咲くらしいが、市内の名所の一つ千秋公園のサクラ祭りはCOVID-19にて昨年に続き今年もお預けである。

 私は自他共に認める人混み嫌悪者。だから、サクラは一人で徒歩や自転車で近隣のサクラを楽しむ。

 サクラはその特徴から簡単に擬人化される花である。こんな花は他にはない。
 咲きかた、散りかたを含め、人生のあり様に容易に重ね合わせる話題に事欠かない。

 クローン化したソメイヨシノが咲き始めた江戸末期から観桜の文化が一層発達した。ソメイヨシノが日本国中に広く植えられたのは1960年代からであるが、地域の花が一気に開花し一気に散る様は擬人化を推し進めた。

 日本人はどうしても人と同じ、という画一性を好む民族でがある。その画一性が好まれる要因の大きなファクターであろう。この民族性が種々の問題を醸し出している。
 私が嫌なのは軍国主義下の時代、国民のナショナリズムの高揚に、兵士の戦意の高揚に用いられた歴史である。サクラが歌われた軍歌、とても嫌だ。もちろん、サクラには罪はない。

 桜は代表的なものだけでも300種類はある。山桜も珍重したい。それによって多様なサクラ文化が楽しめることになる。
 ソメイヨシノの普及で画一化していったサクラのイメージ、もっと多様なサクラも楽しめばいいように思うが、生活圏の中で知れらを味わう機会は得られない。

 「満開のサクラと群木下で」、「飲酒など」、「大勢が群れる」と言う楽しみ方は世界のどこにもない文化とされる。私は真の春を迎える喜びの現れ、と捉えている。

 サクラについて蓄積した情報を検索して勉強したいと思っても、「桜」と入力すると安倍首相の「桜の会」の話題が多数ヒットする。不快である。


3/27(土)午前快晴午後曇り、やや寒い
 1:00起床。新聞、文献関連整理他。座学。10:00-11:00コンポスト4ヶのうち最も小さいのを勝手口の傍に移動した。石井さんの体力を考慮して。午後は微睡の後新聞チェック、書斎にて録音データ確認と整理。ベートーヴェン「ミサソレムニス」視聴、ドレスデンフィル、Pルイージ指揮、ほか。以後読書など 19:00夕食。ネコたちと交流、20:30就寝。徒歩Σ5703歩。

季節の話題2021(8) 秋田の雪(7) 過疎の雪国の避難施設の一つが閉所? 今年は県内は記録的な大雪が続いた。
 雪との闘いに悲鳴を上げている市民が大勢いた。ましてや過疎の田舎は高齢化と高齢者単独世帯で住めなくなっている。
 寒冷で、豪雪の地域ではもはや高齢者が自力で冬を越せるレベルの環境ではない。

 県内の高齢化率は現在の高齢化率は約38%、1人暮らしの高齢者世帯は約32%を占める。
 本来、田舎は農業を中心に、多世代が同居する大家族制の生活様式でなければ成り立たないものである。家族が一団となって農作業を手伝い、冬には雪と対峙し、生活の仕事を分担し乗り切ったものだ。

 人口が減少した今は、まばらにある高齢者の住宅を維持するための道路の雪よせも大変、在宅介護も大変、とても非効率的。地域ごとの共助組織があるが、そのメンバーすら高齢者である。
 住民は日用品の買い物もできない日が何日も続く。高齢者の生活はいずれ立ち行かなくなる。

 この厳しい状況に対しては、豪雪期だけでも高齢者を収容する施設を作り、集中的にお世話してはどうだろうか?
 多分高齢者は自宅の生活にこだわり、是としないだろうが、徐々に発想を転換していかねばならない。

 この様な施設が県内にあった。
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 秋田県北部の大館市にある「こぶしの家」が今月末に閉所することになった。
 老朽化のため維持費の高騰が主たる理由である。1998年設置以降、これまでの利用者は述べ130人。最後の入居者は4人で平均年齢83歳。
 「こぶしの家」は旧営林局の保養施設であった。和室6部屋があり共同の食堂や浴室もある。
 入居期間は11−3月、経費は3食食事付きで7.5万。管理員や調理員の世話で生活してきた。入居者は決して不自由だから入居するのではない。
 春になり雪が消えると自宅や田畑などが心配となり、家に戻って作業を始めるという。

 築37年の建物は雨漏りなどで、修理費がかかり閉所を決めた。
 今後は市の補助を受け大館市内の養護老人ホームが同様の業務を提供するというので機能的に消滅するわけではない。よかった、と思う。
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 私は県内にこの様な施設が何カ所あるか、不勉強にして知らない。ただ。今後はさらに必要な時代を迎える、と思う。

 また、私が子供の頃は岩手県の過疎の田舎では冬季間だけ開校し、生徒が教師他と集団生活する冬季分校があったが、今はどうなっているのだろうか。


3/26(金)曇り快晴 大曲中通病院外来 飯川病院ボランティア
 1:00起床。起床前右下腿に激しいキン痙攣あり、芍薬甘草湯2包服用改善す。新聞、文献関連整理他、5:30可燃ゴミ提出。7:35Taxi駅。8;11こまち。帰りも同様。8:50-12:00大曲中通病院外来。13:30飯川病院着、ボランティア。19:30帰宅。夕食、21:00就寝。徒歩Σ7311歩。

政治家不祥事2021 「政治家として責任を取る」河合元法相翻意
 2019年7月の参院選をめぐって公職選挙法違反の罪に問われ、参院議員を辞職した河井案里被告(47)に懲役1年4カ月執行猶予5年の東京地裁判決が確定した。案里氏側、検察側ともに控訴しなかった。証人として出廷した受領者側が次々と、買収の意図を感じたと証言をしている。もはや言い逃れはできぬと観念したということか。
 私思うに、選挙に関して票集め以外の目的で金をばらまくことなどあるのだろうか??

 案里氏への1月の地裁判決は、広島県議4人への160万円の現金提供を有罪とした。買収の全体計画を指揮したのは、夫で元法相の河合克行被告(57)だったと認めた。

 有罪確定により、過去に遡って案里氏の当選は無効になるが、選挙後の議員活動や給与は「有効」として扱われるという。
 案里氏には歳費や期末手当、毎月100万円の文書通信、交通滞在費などとして計4942万円が支払われた。これらの返還を求める法律や制度はなくそのままになるらしい。
 本人に返納する意思があっても、自主返納が「国への寄付」と見なされて規定に抵触する可能性がある、と言う。返納くらい認めてもいいと思うが。

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 一方、河合元法相は妻の案里氏を当選させようと100人に計約2900万円を配ったとする罪で公判中である。

 河合氏は現金を渡したことは認めながらも、統一地方選の当選祝いや陣中見舞いなどだったとして、買収の意図を一貫して否定してきた。こんなの通用するか??
 しかし、妻の案里氏は一審の有罪判決を受け入れ、参院議員を辞職した。

 河合氏は公判の中で、これまでの無罪主張から一転、起訴内容の大半を認め、責任をとって衆院議員を辞職する意向を表明した。
 「民主主義の根幹である選挙の信頼を損なった」、「政治家としての責任を取る」と述べた。遅ればせながらも説明責任を果たし、この、法相による前代未聞の大規模買収事件の真相を明らかにしなければならない。
 具体的な買収の実態と、その原資を明らかにして欲しい。

 案里氏には、自民党本部から、同じ選挙区で落選した現職の10倍にあたる1.5億円の活動資金が提供された。うち1.2億円は税金による政党交付金である。買収とは無関係だというなら、具体的な使途をすべて明らかにすべきである。自民党の責任は??

「政治家として責任を取る」、河合元法相の言葉であるが議員資格以前の問題である。私は「人間として責任をとる」と言って欲しかった。


3/25(木)快晴、夕方小雨 健康クリニック結果判定 飯川病院 
 0:40飯川病院起床。文献関連整理他。午前はフリーであるがそのまま飯川病院で座学。外来患者対応。13:00-13:45健康クリニックで月曜日分の結果判定。14:00-19:00勤務、入院患者対応。19:30帰宅、21:00就寝。徒歩Σ7224歩。

終活2021(3) デジタル写真(1) カシオの「QV-10」から始まった
 私は写真が好きでない。しかしながら、デジカメには早くから興味を持った。銀塩カメラは金銭的負荷が大きかったからである。デジカメの良さは何枚でも気楽に撮影できることであった。

 1990年代、カシオが「QV-10」が発売した。液晶パネルで撮影画像を直ちに確認できた。メモリーも備わっており、96枚撮影可能でパソコンに画像を取り込むことができた。この製品は25万素子程度、電池寿命も短かった。価格6万余円で高価であったが私は飛びついた。購入価格4万円ほどであった。
 
 その後、デジカメは高画素数化や小型化が図られ現在に至っている。私は名刺サイズの200万素子のカシオ製品にグレードアップしたが、その後はiPhone5のカメラを利用している。現在iPhone8であるが、私のレベルではカメラ機能に不満はない。
 我が家の子供達は携帯、スマフォのカメラには不満らしく、3人とも高機能の一眼レフで撮影を楽しんでいる。

 デジカメデータはいかに大量であっても場所を取らない。しかし、データ保存のための費用はかかる。私のデジカメデータは家内と共通の場所に保存されるから容量を食う。それらはパソコンとハードディスク、iPhone、iCloudに保存されている。正確なことはわからないが1万枚程度になっているようだ。私のiCloudは安価な200GBプランでは不足になって2TBに更新した。またバックアップ用のハードディスクは3TBのを2ケ用いている。

 終活をしてデジカメデータの整理と廃棄をしなければならない時期に達した。
 デジカメ写真は蓄積と消去だけは簡単であるが、撮影日付、被写体ごとに分類してインデックスをつけなければ二度と見ることはできない。
 で、一大決起して先月からデータの分類と廃棄を開始した。

 多くの画像を見直しているが、流石に「QV-10」での撮影は拡大すると辛い。だが、拡大せずにそのまま見れば記録としては十分通用するので嬉しい。

(当時飼っていたシベリアンハスキーの雌ルーチェ 自宅にて)

 
(秋田市郊外の梅林園脇のテニス場にて。同じ頃のフィルムカメラの像 スキャナーでの取り込み画像)

 必要な画像データを選択し、そのほかは消去するのであるが、誤って全部消去しないかハラハラしながらの作業である。


3/24(水)快晴 午後飯川病院勤務+当直
 1:00起床。新聞、文献チェック、本読み中心に過ごす。読書、データ整理、11:50バス途中まで、ひらのや書店経由で徒歩飯川病院、14:00勤務、入院患者対応。読書、17:00当直に就く。18;00検食。20:30就寝。徒歩7124歩。

終活2021(2) スナップ写真とVサイン(2) 異文化圏では要注意

 我が国で写真を撮る時のポーズとして用いられるVサインには何ら深い意味は無いだろう。楽しさ、喜びを表す意味でしかない。また、日常的にも物事がうまく行った時などにも喜びを表すポーズとして用いられる。
 平和を願うサインとしての意味は、皆無だろう。

 日本のVサインはいつ頃からあるのか分からないが、私が秋田大学で勉強し始めた1970年中頃のスナップ写真にも見られているから結構古い習慣である。欧米ではVサインは1960年代以降ピースサインとしても用いられるようになった。

 私はVサインをして写真に収まっている方々にいい印象は持たない。

 Vサインは単に数字の「2」を意味もある。
 手の向け方、手のひらの向け方、上向きなのか下向きなのかなどによって、様々な意味をもっている。

 一部の途上国などでは卑猥な意味の場合もあるらしい。旅行時などには要注意である。手のひらを自分に向け、中指だけを立てるのは「H」のサインと見なされるそうである。

 音声によらず、身振りや手まね、顔の表情などで相手に意思を伝えることをボディ・ランゲージという。UCLAの研究では人はコミュニケーションをする際、人のことを7%を言葉から、38%を声のトーンから、残りの55%をボディ・ランゲージから理解するという。
 ちょっとした仕草ですら異文化の中では全く別の意味を持つなども、これからのグローバルな時代には知っておく必要がある。


3/23(火)快晴 外来 飯川病院 COVID-19ワクチン接種
0:30起床。文献チェックなど。5:30可燃ごみ提出。6:47バス病院へ。8:40-13:10外来、超疲弊。飯川病院に移動、ボランティア。微睡、15:30COVID-19ワクチン接種。19:00プリ帰宅+夕食。20:45就寝。徒歩Σ12301歩、注射部位筋痛あり。

終活2021(1) スナップ写真とVサイン(1) 受け入れがたい習慣 嫌悪感さえ持つ
 現役を離れたのを機会に自分が関与していた社会的な部分はほぼすべてリセットしサラにした。過ぎし日との決別である。
 残っているのは家族間の付き合い、細々と続けている外来診療だけ。あとは引きこもっている。
 よその方と対話しないで済む環境が自分にとっていかに素晴らしいことか、現役の頃のはしゃべり続けていた。今、こんな状態を楽しんでいる。

 終活の一環として、プリントされた古い写真の処分を始めたがなかなか進まない。
 さすがに岩手で撮った写真等は古いアルバムにあるだけで未分類の写真はない。
 秋田に来てからの40年間のスナップ写真、記念写真は未整理のまま大きめの段ボールに乱雑にため込まれている。
 私は基本的に写真は記録の目的で撮る。人物には興味はない。だから、自分で撮ったスナップ写真は一枚もない。殆ど頂いたものである。

 子供達からも、我が家ではなんで写真が少ないのだ?といわれた。その反動か、3人とも高機能の一眼レフで撮影を楽しんでいる。

 写真を捨てるにあたってこれらを見直していると、特に若い女性たちはいわゆるVサインのポーズをとっているのが多い。
 私はあんまり良い慣習と思っていないし、今も嫌である。私はVサインをした経験も殆ど無い。

 Vサインは、人差し指と中指でV字にする手のジェスチャー。
 Vサインは提示の仕方などによって、様々な意味をもっている。
 第二次世界大戦中の連合軍側の陣営においては、「勝利」を意味する仕草として広く用いられた。だから、選挙等でもスポーツでも年齢問わずVサインを出している著名人も多い。
 1960年代以降、通常は手のひらを相手側に向ける形で、ピースサインとしても用いられるようになった。

 この若い世代の特にスナップ写真を撮る時の Vサインは何なんだろうか。何を考えているのか?

 日本の政治家は当選した時に万歳三唱する。Vサインを出したのを見たことは無いが、政治家で公的な場でも頻繁に出したとされるのはイギリスのチャーチル首相と言われる。彼はカメラを向けられるとヒョイと気軽にVサインしたという。
 そのチャーチルが広島、長崎に原爆投下の報告を受けた際にも記者団に向かってVサインを出し、「これは勝利ではなくピースサインだ。広島・長崎に落とされた原爆によってもたらされる平和の意味だ・・・」と答えたらしい。真偽は定かではないが結構有名な話である。連合国側の戦争遂行の首謀者の一人が広島・長崎を名指しして平和を語った・・・・???。そんな資格はない。

 これも含め、だから私は Vサインが嫌である。


3/22(月)小雨のち晴れ 健康クリニック 飯川病院 
1:10起床、新聞・文献・徒然ほか何時もの如く。6:47バス飯川病院、9:00-12:30健康クリニック。ドック13名+結果説明3名+先週分結果判定、で負荷が大きく時間がかかった。12:40飯川病院。微睡本読みなど。14:00-19:00勤務。入院患者対応。19:30帰宅、夕食、21:00就眠。徒歩Σ7217歩。

公務員の人事異動の季節(2021) 秋田県・秋田市の人事異動はなぜ新聞に掲載??
 また公務員の人事異動の時期がやってきた。
 毎年年度末になると秋田県の県警、教職員、県庁の各部署の他、秋田市の職員の人事移動、加えて県内市町村の人事移動が、地方新聞の1-3面ほど、多い日は5面も、数日間にわたって続く。
 

 毎年似た文章を書いているが、私の文章は外への影響はないから、私の愚痴のはけ口でしかない。分かっているのだが、黙って見過ごしているとストレスがたまる。今年もあえて取り上げた。

 私はこの様な人事異動の新聞掲載の歴史と背景を知らない。だが、新聞購読者として不快に感じている。私は今は3紙購読しているが地方紙に掲載される人数と字数に圧倒される。

 行政機関の人事異動は、定年退職者、人員補充、新採用者の配属、人員整理、機構改革、降格・昇進などを含む適材の配置など多数の因子が絡んでいる様だ。
 私は人事異動の名簿など見たくもないが、公務員は許認可の決定権を持っていることが多く、長期間同じポストを同じ職員が占めることは、時に不祥事の温床にもなる。だから新聞発表なのか??

 大変な人数の異動が行われると感心する。これらを過不足無く、間違いもなく配属を決める部署の能力と業務の煩雑さは大変だろうと思う。ほぼ出来上がった状態で急に誰かに不都合が生じれば、芋蔓式に変更を余儀なくされることもあるだろう。上級役職であれば人事部だけでは決められず細かな再調整が必要で、大変な労力を要するだろう。この点に関しては人事関係の職員の能力に頭が下がる。
 
 人事を新聞報道する理由は何だろう??毎年感じる疑問だ。
 部長クラスの移動は県民・市民への影響もあるだろうから報道する価値はあろうが、非役職者はその必要はない。

 私の疑問と感想を並べてみた。
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 ■ 税で賄われている公務員の人事は行政が納税者に報告するのは当然。その有用性は論を待たない。しかし、本来は県とか市が責任もって納税者に広報すべきである。商業誌になんで??
 ■ 新聞社にとって報道すべき価値があると判断しているのなら掲載するのは自由だが、購読者の意向調査などやっているのだろうか??購読者はなんと思っている?
 ■ 県や市が独自の方法で正式に発表すべき。新聞社と県や市との間で何らかの合意とか費用分担などの契約があるのだろうか。
 ■ 税を納め、かつ新聞購読料を払っている納税者。読者の立場から見れば無駄払いになる。
 ■ 新聞は地方紙といえども県民が全て購読しているわけではない。だから、新聞に掲載したからといって県民に広報したことにならない。片手落ちだ。
 ■ 県や市には全戸配布の広報誌がある。これを使って広報すべき。
 ■ 年に一回の移動の名簿より、いつでもスタッフ名を確認できるように県や市はホームページに人事を公開しておくべきであろう。私は公務員は個人名を公開されてしかるべきだと思う。
 ■ 一般人にとってこれらの名簿は本当に必要なのか??講読者に直接関係の無いであろう自治体の異動まで読ませる必要性はどこにある?記録として残すため?もし、そうだとしてもそれは県とか市の仕事である。
 ■ 部課長以上の移動はニュース性がある。しかし、末端までの人事異動が新聞報道されるべきか疑問?


3/21(日) 小雨  
0:00起床。文献・録音データその他の整理で過ごす。午前はデータ中心座学、NHKのど自慢久々あり楽しむ。昨年水洗トイレのルートの詰まり部位発見、除去。新聞チェック、本読みなど。書斎にて音楽関連録画視聴、N響定期井上道義指揮チャイコNo4ほか。「らららクラシック」3月で終了するという。19:00夕食、記念日関連第2夜牛玄亭弁当シリーズ。20:30就眠。Σ3743歩、ガレージまでの往復だけ。

ストラップ  スマフォになぜストラップ穴が無いのか
 ストラップ は、一般的には「何かをつり下げる紐」を指し、私の知っている範囲では「ファゴット、サキソフォーンとかの大きな管楽器などの重さを支えるために首からかける紐」などで、決してメジャーな単語ではなかった。例外的にストップウォッチにはよく付いていたっけ。

 一躍有名になったのは携帯電話の普及によってである。
 ストラップはその落下・破損防止を目的に実理性の面から使われ始め、ガラケーの爆発的な普及に伴い、そのファッション性もあって瞬く間に広まった。手頃な価格であることから、お土産グッズとしての人気も高かった。若い女性はガラケーに数本のストラップをぶら下げていたものだ。

 私はチーム医療を好まず単独行動が多かったから、可能な限り自分で対応するために早くからポケベルを用いていた。1980年代後半に携帯に乗り換えた。当時はかなり贅沢な持ち物で、機器は重く、電池の持ちは悪く、かつ秋田市外に出ると通話困難になったから費用の割にはメリットは小さかった。

 2010年からは各社からスマートフォンの発売が相次ぐと、関心を集め爆発的な普及が始まり現在に至る。
 私も2012年iPhone5にし、現在はPhone8を用いている。
 嘱託医となって入院患者を担当しなくなって以降病院との業務上の連絡は激減し、かつ隠遁生活に入ったから電話通話はほとんどなく、家族間の連絡にラインを用いている程度。Phone8は電話機ではなく音楽プレーヤーとしてとても有用、身から離すことはない。
 それにしても月額9000円は高すぎる。
 
 近年、スマートフォンがモバイルフォンを席巻しガラケーが少なくなった、なぜかストラップもその運命を共にして急速に市場がしぼんでいるようだ。「スマホ用ストラップ」もあるようだが、スマートフォンユーザーには殆ど支持されていない。
 このカラケーにはストラップを用い、スマートフォンにはつけない、と言う現象は面白い変化だ、と思う。電話機とコンピューター端末の機能の違いか??

 私はスマートフォンを落とすのが怖くて必ずストラップを用いている。
 私と家内はiPhoneをグレードアップしつつ使っているのだが、なぜかiPhoneにはストラップをつける穴がない。これはとても不便なことである。外国人の発想にはストラップをつける、と言う発想はないのだろうか?疑問である。

 私はやむなくiPhoneに透明なケースを被せ、そのケースに細工してストラップをつけている。私のはまさに実用性を重視したタイプで見てくれは悪いが、落下防止のために指を通すリングも全てにつけてあり便利で手放せない。家内のは置き忘れを防ぐために首下げタイプにしている。

 iPadにも穴がない。より大きく重いからストラップは必需である。私は5台全てにつけている。

 (iPad mini、iPhone7+、iPhone8のストラップ。iPad miniのケースは古いハンドバッグの皮を用いて自作、iPhone7+もストラップで皮に開けた穴が拡大していかないよう金属輪をはめている。iPhone8は伸縮性のあるプラスティックのストラップでポケットの縁にとめられるよう書類用クリップを付けている)


3/20(土)春分の日 超快晴 宮城県で震度5強、M=7.2の地震 津波警報発令。
11:30起床、新聞・文献・徒然ほか。録音データ整理。自炊4冊。10:00除雪機2台収納前整備、クロスバイクほか整備。泉外旭川駅発見学、爽やかな駅舎。午後は微睡のち椅子の修理に集中す、略満足の出来。16:00新聞チェック。18:06M=7.2の地震が発生。宮城県で最大震度5強を観測、津波警報発令。19:00夕食、記念日関連の寿司、20:30就眠。徒歩Σ8301歩。

災害2021(8) 宮城県沖地震 宮城で震度5強の地震
 3月20日(土)18:10ころ、私は机に向かって座学中であったが、震度3-4程度と思われる地震があった。いつもの如く、すぐにラジオのスイッチを入れたが、以下の内容であった。

 3月20日18時09分頃の宮城県沖の地震について
――――――――――――――――――――――――――――――――-
 ■M=6.9(速報値7.2から更新)
 ■宮城県沖 深さ59km(速報値約60kmから更新)
 ■最大震度は5強 宮城県の合計10の市町村で最大震度5強を観測した他、北海道から近畿地方にかけて震度5弱〜1を観測
 ■2011年東北地方太平洋沖地震の余震と考えられる。
 ■8時11分に津波注意報を発表、19時30分に解除。

 ■地震発生から1週間程度、最大震度5強程度の地震に注意。
 ■東北地方太平洋沖地震の余震域内の地震は、全体として地震前の状態に近づきつつあるが、1年あたりの地震の発生数は、地震の発生前より多い状態が続いている。
――――――――――――――――――――――――――――――――-

 宮城で震度5強!!!!で、津波注意報が出たが発生せず、19時30分に解除。


 (今回も意外と広範囲であった地震域 秋田魁より借用)

 2011年3月11日の東日本大震災から10年を過ぎたばかりのM=6.9の強い地震だった。直前の2月13日の地震はM=7.2であった。

 今回の場合も東北新幹線は緊急停止し、夜半まで運転を見合わせた。

 電力各社にる緊急情報によると、宮城県、福島県、茨城県にある各原子力発電所やその周辺では、放射線量を測定するモニタリングポストの値に変化は見られていない。
 女川原発3号機のプールには1386体の核燃料が入っている。周辺に小さな落下物があったが、東北電力は、落下物が小さいことから核燃料への影響はないとしている。
 東京電力によると、福島第一原発の1号機から3号機では、溶け落ちた核燃料がある原子炉や原子炉をおさめる格納容器への注水を継続していて、格納容器内部の温度や水位、それに圧力に大きな変化はないという。

 私は、地震といえばとにかく福島、第一原発が心配である。

 私は自宅や病院の医局などではラジオを微弱な音で流しているが、最近は全国的にも地震発生が多くなっているような印象である。
 今回の地震も東日本大震災の一連の余震と考えられる。全体的に減少傾向にあるが、最近の1年間は増加傾向にあると言う。
 ちょっと気にしている。


3/19(金)49年周年 曇り 大曲中通病院外来 飯川病院ボランティア 
1:00起床。文献・新聞読み、データ整理などいつもの如く。6:00ゴミ出し。7:35Taxi。8:12こまち、8:50-11:45外来、来週から新幹線津城ダイヤ、今週まで時間短縮で。13:00-19:00飯川病院ボランティア、19:30通町書店経由帰宅、夕食。21:00就寝。徒歩Σ7590歩。文庫本2冊読む。21:00就寝、徒歩Σ7590歩。

映画:「フラガール」(2) 制作:2006年 監督 : 李相日  
 映画「フラガール」の紹介記事を新聞で見た30分後には、残務をかたずけAmazon Prime videoでiPadで観始めていた。部屋に寝転んだまま映画を観れるなど実に便利な世になったものである。
 監督を始め、出演者たちは私にとって初めて見る方々。

???1965年(昭和40)、福島県いわき市は炭鉱の町として栄えていたが、石炭から石油へエネルギー源が変わり、閉山が続いていた。その危機を乗り越えるために炭鉱会社が変身を図ったのが観光業で、いわき市にレジャー施設「常磐ハワイアンセンター」を計画した。閉鎖の迫る炭鉱のまちを救うため、北国をハワイに変えるという、起死回生のプロジェクトであった。

 目玉はフラダンスのステージだったが、一流のダンサーを集める経済力はなかった。地元で養成することになったが、募集に集まったのは素人の娘4人だけ。ダンス教師として東京からプロのダンサーを呼んだが、教師は田舎をバカにし、素人を前に教える気がない。しかし、生きるためにひたむきに練習を積む少女たちの姿に、いつしか忘れかけていた情熱を思い出す。

 しかし炭鉱のまちは男世界である。世間の風当たりはつめたく、教える相手はドシロウト。炭鉱の町の危機をフラダンスで救おうとするけなげな女性たちを受け入れることができなかった炭鉱の男たちから次々と迫害を受け続ける。
 地元の娘たちの熱心さに心を開いていくダンス教師、厳しい生活環境に陥ったダンサー志望者の家庭のエピソードなどにも、胸が打たれた。

 内容はど素人が努力を重ね 実力をつけていくと言う普遍的なサクセスストーリーだが、現在にも繋がる社会不安を背景にしているからこそ、時代を超えて愛される作品へと昇華していったといえる。

 昭和40年に、衰退する常磐炭鉱で街の再生を賭けて取り組まれた「常夏のハワイを丸ごと持ってくる」と言う壮大な常磐ハワイアンセンター計画が凄い。温水プールドームやリゾートホテルを建設し、ヤシの木を植え、そして日本人のフラガール、その全てを外国資本に頼らずにゼロから地元で創った。その圧倒的なエネルギーこそ、当時の日本人が持っていたエネルギーの根幹なんだ、と感じさせる作品となっている。

 日本経済が農林水産業や製造業等からサービス業等の第三次産業化が急速に進む過程で女性の活躍の場が広がって行った。いつの時代も未来を信じて飛び込む人々が歴史を造ってきた。多くの地方テーマパークが行き詰まる中、3.11震災後の今も、コロナ蔓延後の今も「スパリゾート」として元気に営業を続けている。

 映画「フラガール」のラストシーンはフラガールたちのデビューステージでその映像は一回だけの撮り直しなしの真剣勝負の撮影だったと言われている。高い完成度でここだけでも視聴の価値は十分価値ある。私はフラダンスを堪能した。

 ダンス終了後の俳優陣の頬を伝うえ涙と笑顔が、この作品にかけた彼女らの意気込みと達成感が感じられる。
 いい作品であった。


3/18(木)曇りのち快晴 午後飯川病院 映画「フラガール」観る
1:00起床、新聞文献、雑誌チェックとPDF化、読書。11:50バス飯川病院、
14:00-19:00勤務、入院患者対応。15:30新聞整理中に映画「フラガール」の記事発見、iPad、アマゾンにて視聴。炭鉱の歴史等懐かしい。19:15帰宅夕食、20:30就眠。徒歩Σ5780歩。

映画:「フラガール」(1) 制作:2006年 監督 : 李相日  
 映画「フラガール」を観た。
???現在「スパ・リゾート・ハワイアンズ」に改名した元「常磐ハワイアンセンター」誕生実話を映画化した2006年の古い作品。出演 : 松雪泰子, 豊川悦司, 蒼井優, 山崎静代, 池津祥子ほか。

 新聞文献、雑誌記事をチェックしている最中に、地方紙である秋田魁新聞に映画「フラガール」の紹介記事があった。
 私は福島の地に全く異質の常磐ハワイアンセンターが建立され、存在も存在し続けていること、フラダンス、フラガールの踊りそのものにも興味があり、機会があれば現地を訪れたいとも思っていたが実現は無理と諦めている。

 映画「フラガール」に興味を持ったもう一つの理由は、日本のエネルギー革命の世相であった。その地の一つが福島県常磐炭鉱であり、その地が迎えた厳しい現実の上に作品が作られた、と言うこと。

??1965年(昭和40)、福島県いわき市は日本有数の炭鉱の町だったが、石炭から石油へエネルギー革命があって常磐炭鉱は続々と廃坑に晒された。さらに、石炭から石油へエネルギー革命は時を同じくして原発が導入され、福島県が原発の地になった。
 さらに2011年3月11日に東日本大震災で原発事故が生じ、世界的に有名な地になったことである。

 日本の原発の歴史は石炭から石油へ変わっていく中で、その時期にほぼ近く、同時に原発が導入されていた。炭鉱の廃坑が一気に進んだのは国策であった。石炭産業はその影響をもろに受け、住民の生活は一気に厳しくなった。

日本のエネルギー産業の変遷
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 ■1965年(昭和40)、常磐炭鉱は続々と廃坑に晒された。
 ■1966年7月 英国から導入した東海発電所が営業運転を開始。
 ■1970年11月 福井県に関西電力美浜発電所1号機。
 ■1971年3月 福島県大熊町に東京電力福島第一原発1号機が営業運転開始。
 ■2011年3月11日 東日本大震災、原発事故の地になった
――――――――――――――――――――――――――――――――――-

 石炭産業の衰退とともに原子力発電が本格化した。
 この映画は原発については触れてはいないが、石油、原発へのシフトも始まり、石炭産業が一気に斜陽化したものと思われる。世相に翻弄され地域の生活は一気に厳しくなっていった。そんなこともあってこの映画に興味を持っていた。


3/17(水)曇り 午後飯川病院勤務 
1:00起床、文献整理関連ほか。午前は座学。11:50バス飯川病院。午後飯川病院勤務、入院患者対応はなかった。微睡、データ整理、文献読み、読書など。19:30帰宅、夕食、21:00就眠。Σ5650歩。

東日本大震災・原発事故10年(7)  無責任な意見をあえて申し上げる(2) 
 避難生活が長期化し、元住民で帰還を諦める人も年々増えている。避難者は高齢化して行く。
 原発問題には終わりがない。
 福島第一原発の廃炉作業は今の技術だけではできない。新しい設備や道具も開発しなければならない。COVID-19の世界蔓延で英国等に依頼しているロボットアームの開発が大幅に遅れている。こんな状態だから、いつ終わるか全く見えない。廃炉のゴミの収容先も決まっていない。

 私は、帰還に夢を持たせるよりも、この10年間の生活を支えた避難先での生活再建が早く軌道に乗るよう住民に支援を進める方が理にかなっていると思う。
 原発近辺では人口は大幅に減少し、コミュニティは戻らず、社会福祉などのインフラ再構築はできないだろう。

 原発被災地域に関しては10年も経ってこんな状態だから、従来の「待ちの方針」でなく、発想の転換が必要な時期に至ったと考える。

 通用しない意見だろうと思うが、私は以下のように考える。
―――――――――――――――――――――――――――――――――
 ■ 現在帰還困難区域と言われる原発被災地域を全て国が買い上げ国有地化する。
 ■ 未帰還者には現在の避難地区あるいは新たな場所で生活できるよう一層援助する。
 ■ 国有地化した地域に原発汚染物質、放射線廃棄物、廃炉で生じた核のゴミなどを集約し処理する。
 ■ 日本全体が少子高齢化する中、地域の事情はもっと厳しい。将来的に街が成り立つか、コミュニティが形成されるか、私は先行きは厳しいと思う。
―――――――――――――――――――――――――――――――――

 福島県の集計では3万6千人が避難を続ける。戻りたいと願う人。帰還をあきらめ、新たな地で暮らす人。共通するのは故郷への思いだ。

 私も故郷に対する思い入れは強い方だと思う。そんな私がこんな意見を出すことは辛い。

 長く続く廃炉、大震災の余震とされる地震への備えなど課題は多い。
 政府の避難指示が出された福島県内11市町村の北西端にある飯舘村。4年前に大部分で指示は解除されたが、いま村で暮らすのは、事故前の6500人の4分の1に満たない。しかも、多くは長く村に住んできたお年寄りだ。若い方々はとっくに故郷を見限って他の地区で生計を営む。

 計画された除染は3年前に完了し、生活の場の放射線量は落ち着いている。しかし手つかずの場所もある。

 福島県の産業は県全体では、電子部品や医療機器に牽引されて製造業の出荷額が原発事故前を上回った。対照的に農林漁業は苦境が続く。


3/16(火)小雨 飯川病院外来 飯川病院ボランティア
1:00起床、いつもの如し。5:50可燃ゴミ提出、6:47バス飯川病院に、まだ寒い。8:45-13:00中通総合病院外来。13:30飯川病院ボランティア。19:00帰宅、夕食、21:00就眠。8773歩。外来患者他から礼状他届く。歩数8772歩。

東日本大震災・原発事故10年(6)  無責任な意見をあえて申し上げる(1)
 東日本大震災・原発事故から10年が経った。
 福島の復興はなお不十分である。福島県は約4万人がふるさとを離れたままである。

 政府も東日本大震災の地震や津波の被災地は復興の総仕上げ段階だとしている。地元の住民も、なお十分ではない、としながらも復興の進展は認めている。
 しかしながら、国も原発事故災害による福島は別な対応が必要だ、と認めている。
 全くその通りだと思う。

 原発事故に伴う避難対象地域は事故直後に比べ、面積では1/3に減つた。
 放射線量が高く、人が住めない帰還困難区域、立ち入りが禁止区域が双葉町、大熊町など7市町村に残つている。これらの地域では早期の帰還を目指して除染が進められているが、野山や湿地帯などの除染は極めて困難で、費用も莫大にかかる。除染を進めたとしても汚染された里山が残る地域に住民がどの程度戻るかは不透明。
 多分期待出来ないだろう。

 帰還希望者が戻れるように、行政や商店街などをコンパクトに集約しながら生活基盤の再建を急ぐべき、との意見もある。
 私の感想を無責任に言えば、こんなアイデアでは再建しても生活基盤の再建、産業の再建は無理だと思う。

 住民の帰還希望者は年々減少している。
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 ■ 福島第一原発がある双葉町は今も全町避難が続く。調査に対して6割超の世帯が「戻らない」と答えた。

 ■ 2年前の春から住民の帰還が始まった大熊町。1万人以上が住民登録をしているが、実際の居住者は約730人で、東電関係者以外は100人ほどだと町はみる。大熊でも「戻らない」と考える世帯が6割にのぼる。

 ■ 原発に近い富岡町、浪江町では住民の帰還率は1割に届かない。
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 双葉町、他の町や村に汚染土などを詰め込んだ保管袋が積み上がる。
 双葉町には政府が管理して汚染土を保管する中間貯蔵施設が広がる。双葉・大熊両町の林や田畑、家屋が汚染土の受け入れをしてきた。昨年の台風19号の時は汚染土の中身の一部が流出したりした。

 これらの汚染度は法律で、30年後に県外へ運び出すことなっている。
 私はそんな約束が果たされることはあり得ない、と思う。受け入れのことを何ら調査や議論することなく取りめた国の方針は超無責任である。かつて「原子力船むつ」の母港を巡ってトラブルが生じたことをもう誰もわかっていないのではないか。

 原発の廃炉は遅々ではあるが進んでいる。その際、出てくる放射性廃棄物や溶け落ちた核燃料の処分方法の検討も、保管場所もの検討も進んでいない。

 原発の汚染水を浄化処理したトリチウム水については、政府の有識者会議が、薄めて海に流す処分を最有力視する報告書を3年がかりでまとめた。しかし、住民の納得をうるのは困難であろう。国は決めかねている。福島はずっと風評被害と闘ってきた。海洋処分したらさらに再燃する。ならばどうする??
 
 こんな問題を抱えたまま、国は原発の再稼働を進めようとしている。
 原発事故の復興への道のりは長い。


3/15(月)曇り 健康クリニックドック 飯川病院
 1:00起床、いつもと同じパターン。寒い、データ整理、6:47バス、飯川病院に。9:00-12:00健康クリニックドック14名+レ線チェック結果判定14名。飯川病院へ、微睡、14:00-19:00勤務、入院外来患者対応。19:30帰宅、夕食、 21:00就眠。Σ6423歩。

東日本大震災・原発事故10年(5)  故郷を離れての避難生活(3) 故郷とは
 私が故郷を思う時に心から離れないのは石川啄木のうたである。
 啄木は1886年(明治19年)現在の盛岡市に生まれた。現在の岩手第一高校で学んだ。私も同校で学んだのでちょっぴりと親しみを感じる。
 啄木のうたは全体的に好きだが、故郷を歌った作品がとりわけ良い。
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 ■ ふるさとの なまりなつかし 停車場の人ごみの中に そを聴きに行く
 ■ ふるさとの 山にむかいて言うことなしふるさとの山はありがたきかな
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  私はこれに第1歌集『一握の砂』にある以下の「初恋」も加えたい。
 直接には故郷を歌ってはいないが、ほろ苦い初恋の思い出はこころの故郷そのものである。越谷達之助がつけた曲がとりわけ胸を打つ。ソプラノ歌手鈴木慶江(すずきのりえ)氏が情感豊かに歌っている。私は数100回も再生してこころの中の故郷を味わっている。

 ■ 初恋
砂山の砂に 砂にはらばい 初恋のいたみを 遠くおもい出ずる日
初恋のいたみを 遠く遠く ああ おもい出ずる日
砂山の砂に 砂にはらばい 初恋のいたみを 遠くおもい出ずる日

――――――――――――――――――――――――――――――
 啄木の作品は悲しい。この悲しみも私のこころの故郷に共鳴する。

 ■ 非凡なる 人のごとくにふるまへる後のさびしさは 何にかたぐへむ
 ■ 友がみな われよりえらく見ゆる日よ花を買ひ来て 妻としたしむ

 ■ たわむれに 母を背負いてそのあまり軽きに泣きて 三歩あゆまず
 ■ はたらけど はたらけど猶わが生活楽にならざり ぢっと手を見る

 ■ 砂山の 裾によこたはる流木にあたり見まはし 物言ひてみる
 ■ 路傍に 犬ながながと呻しぬわれも真似しぬ うらやましさにる

 ■ 東海の 小島の磯の白砂にわれ泣きぬれて 蟹とたわむる

 ■ かめにさす 藤の花ぶさ みじかければたたみの上に とどかざりけり
 ■ 頬につたふ なみだのごはず一握の砂を示しし 人を忘れず
 ■ 馬鈴薯の うす紫の花に降る雨を思えリ 都の雨に
 ■ さりげなく 言ひし言葉はさりげなく君も聴きつらむ それだけのこと


3/14(日)寒いが快晴 飯川病院日直・当直医補助
0:40起床、蓄積データの整理と確認、本読み、文献読み。8:42バス飯川病院に。9:00~19:00日直+当直医師補助。微睡、読書、蓄積データの整理とバックアップ。12:00検食。本読み。19:30帰宅、夕食。21:00就寝、Σ6870歩。

東日本大震災・原発事故10年(4)  故郷を離れての避難生活(2) 私なら耐え難し
 私どもは、普段は「故郷」が自分にとってどんな意味があるのかをあまり深く考えることはない。しかし、今回のような「故郷の喪失」の危機に直面するとその重みが重ひしひしと感じられるようになるだろう。これは老若男女の別なく共通の感覚らしい。

 一体、人間にとって「故郷」とはなんなのか???

 生きるために辛酸を舐めながら生活し、残り時間が少なくなった高齢者の集会や高齢者施設で歌を歌う機会があれば、一番所望されるのは小学唱歌「故郷」だ、という。

 「故郷」は単に生まれ育った懐かしい街、あるいは村を示すだけでない。
 「故郷」は心にきざまれた自分の人間形成の過程で原点となった、幼少期から青脊時代にかけての親兄弟をはじめとする人間関係、四季折々の生活、忘れ難い出来事のイメージが包括的に記憶に刻まれているはずである。
 楽しいことだけではない、苦悩もあったろう、ほろ苦い初恋の思い出もあっただろう。苦い思い出は、年齢を重ねるごとに浄化されていっただろう。
 「故郷」には小中学校の校歌には必ず読み込まれている山河も懐かしい。同級生の顔も浮かぶ。

 現実に実行できるか否かは別として、「故郷」がいつでも帰れる場として個々人のこころに存在するならば、その人は人生で挫折しても心を破綻させる事なく乗り越える強さを備えているはずだ、とまで思う。

 私にとって「故郷」イメージは上記の全てが当てはまる。
 私は18歳で勉学のために故郷を離れた。22歳の頃、住み慣れた家屋敷を手放した。
 私の「故郷」には、3年ほど前の実兄の死をもって血縁者は一切残っていない。今は「故郷」に具体的に残っているのは代々受け継いできた墓のみである。

 にもかかわらず私のこころの中の「故郷」はいまだに大きい存在である。
 青春時代まで過ごした家族たち、一匹のネコとの濃厚な思い出、それに友人たちもいた。
 岩手片富士と言われる雄峰岩手山、水流豊かな北上川、その間に広がる田んぼや畑などなど、思い出し始めたら尽きることはない。

 私にとっての故郷は私を育ててくれた。しかし、今は秋田の生活の方が何につけても濃厚である。
 私が息をしなくなったら、一人寂しく「故郷」に帰り、土に戻っていく。それを考えるだけで私のこころの中に安堵の気持ちが広がっていく。

 「故郷」とはかけがえのないものである。その「故郷」を離れざるを得ない、あるいは戻れない環境は、私にとっては想像するだけでも耐えがたい。


3/13(土)終日小雨 泉外旭川駅開業 居間の椅子修理 
 1:10起床、文献検討、徒然など、8:00泉外旭川駅開業の狼煙上がる午前は座学、午後は居間の椅子修理。データ整理。17;30泉外旭川駅開業の祝いの花火が上がる。Σ4428歩、敷地から一歩も出ず。19:00夕食。20:30就寝。

東日本大震災・原発事故10年(4)  故郷を離れての避難生活(1) 苦痛はいかばかりか
2011年3月11日14:46のM=9.0の地震発生、それから約50分後沿岸部は巨大津波に飲み込まれた。

 東京電力福島第一原子力発電所は全電源を焼失し原子炉の冷却が困難となり、メルトダウン、引き続く水素爆発で1-3号機では建屋が大きく破壊された。
 東日本大震災は戦後最大の災害と言われた。

 この災害が1995年の阪神淡路大震災と大きく異なるのは、2011年12月の時点で33万人という多数の被災者たちが、いつ帰れるか目処のないまま長期に避難を余儀なくされた事である。 
 東日本大震災関連では避難者が多数出た。津波被災区域では復興のために建築制限が引かれた。福島県では放射線被曝のために避難者が多数出た。

 10年経過してその数は1/10程度にはなったものの、いまだに4万人の方々が避難生活を送っている。

 

 原発周辺町内には、原発に何か事故があっても東電がなんとかしてくれるだろうと楽観論すらあったが、11日夜から避難区域の指定が始まった。
 住民は何が何だかわからないまま、原発から半径3Km、10Km、20Kmと同心円状に避難区域はどんどん広げられた。それだけ自治体、住民には事故時の対応など説明されていなかった。
 
 東日本大震災被災地から秋田県内への避難者は、今月1日現在で190所帯、484人となっている。このうち70所帯が秋田県への定住を視野に避難生活を送っていると言う。福島からは383人、宮城96人、岩手5人となっている。最も避難者が多かったのは被災直後の2011年で、1571人、福島県人が最も多かった。避難して10年も経つのにまだ定住先を決められないでいる方がいる事自体が驚きであるが、日本一人口減少県である秋田県にとっては移住していただく機会なのではないか?ぜひ早く県内定住の方向を決めてほしい。秋田県は今年「被災者受入支援室」を縮小して「班」にするという。これでいいのだろうか。

 津波被災、放射線被災の両者に共通するのは生活や人生を支える基板となる「故郷の喪失」という事態である。今までの歴史の中でこれほどの方が移住を強いられた事はないのではないだろうか。為政者たちにとっても初めての体験であろう。

 「故郷の喪失」は人間にとって家屋の喪失、財産の喪失とは比肩できない、親族を失うに等しい重大事である。しかしながら、「故郷の喪失」は損害賠償、保証などの対象になりがたいところに問題がある。

 原発事故関連の賠償額は10兆円にまで膨らんだ、という。果たして東京電力の経営陣、復興庁などの関連者の方々は「故郷の喪失」に関して何と考え、評価しようとしているのだろうか。同様のことは原発訴訟の裁判官にも問うてみたい。


3/12(金)曇り 大曲中通病院外来 飯川病院ボランティア
 1:00飯川行院で起床、文献・新聞読み、データ整理など。7:00検食、7:45徒歩駅に、8:11こまち、9:10-11:45大曲中通病院外来、勤務時間少しでも確保するためにTaxi。秋田市内は徒歩。秋田新幹線は26日まで間引き運転と。13:00 -18:40飯川病院ボランティア。新聞点検など、18:15書店経由Taxi帰宅、夕食、20:30就寝。Σ8387歩。

東日本大震災・原発事故10年(3)
2011年3月11日、14:46の地震発生から50分後、第一原発は津波によって全電源を喪失した。

 周辺町内には、それでも東電がなんとかしてくれるだろうと、まだ楽観論すらあったが11日夜から避難区域の指定が始まった。
 12日の15:36、1号機で水素爆発が生じ、それまでの我が国の「原発の安全神話」が完全に崩れた瞬間であった。

 原子炉の冷却ができなくなると何が起こるのかすら知らされていない自治体、住民は何が何だかわからないまま半径3Km、10Km、20Kmと避難区域はどんどん広がった。
 放射性物質の拡散方向を決める『SUPEEDI』は入力べき原発のデータが役立たず、結果的に放射性物質が多く流れる方向に向けて多くの住民が避難した。
 国は事故後の放射線予測には『SUPEEDI』は不正確だからこれに頼らず、モニタリングポストなどの実測値による方法に変更した。

 言えることは、原発事故が生じた際に部内、部外者に「一体何が生じたのか」、住民や自治体が何も示されていないことが問題であった。だから、だとすれば住民や自治体は国の方針に従うしかない。だが、肝心の国は知識不足からその情報を発信できなかったことにある。
 日本の原発政策は「原発の安全神話」のもとに作られてきたから事故の際の対応など司令塔うになるべき部署も専門家もいなかった。

 逆に、最近「福島原発10年検証委員会」は、「日本は福島の原発事故のあと世界一厳しい規制を行う」との方針を示した結果、「日本では二度と原発事故は起こらない」との「新たな安全神話」形成されることになった。
 原発事故直後、脱原発の機運、節電の機運が一気に高まったが、10年経過した今、ともにその機運はしぼんでいる。東京電力の関連ニュースを集めていると今でも綱渡り状態であることがわかる。

 人は物事を都合よく考える傾向がある。

 原発事故はどんなに安全を求めても事故を防ぐことができない。
 例えば、考えたくないことであるが、某国の通常ミサイルが日本の原発を数箇所攻撃すれば、我が国は放射能汚染のためにほとんど居住できなくなりうる。原発のエネルギーはそれほど大きいものである。いかに安全を高めても人間の英知を超えている予想外の事象が生じうる。


3/11(木) 東日本大震災10年目 快晴 午後飯川病院+当直 
1:00起床,新聞入力。文献多数検討など。本読み、など。快晴なるも寒い。ガレージの鉢植え全部庭に。 11:50バスにて飯川病院、ボランティア、14:00-17:00飯川病院勤務、入院患者対応。東日本大震災政府主催慰霊祭の様子を聞く。今年が最後だと言う。菅首相の言葉が虚しく響く。言葉にすることで失われるものがある。17:00当直業務に。18:00検食、20;30就寝。Σ5877歩。

東日本大震災・原発事故10年(2) またこの日がやってきた 一気に増えたメディアの特集記事
 東日本大震災・原発事故から10年が経った。
 「カレンダージャーナリズム」という言葉がある。過去に大きな出来事が起きた日の前後に、関連するニュースが増加することを指す。

 「被爆○年」、「終戦○年」などがそれである。この話題の場合は「8月ジャーナリズム」とも呼ばれる。同様に、東日本大震災についても「3月ジャーナリズム」と呼べる現象がある。
 今年は東日本大震災が生じてから10年目の節目にあたる。報道記者たちはその日に向けて関連特集を含め、報道の準備に忙しかったであろう。

 「カレンダージャーナリズム」はあまり良い意味では使われない。「毎年その時期だけは熱心に報道するが、後は忘れてしまう」という皮肉の意味がある。

 しかし、私は必ずしもこの種の報道を否定しない。
 ■ 毎年節目の時期には思い出すべきものがある、ということ。この動きが記憶の喪失、風化を防いでいく。自分が成長、あるいは老化して行く毎に捉え方も異なるから大きな意味がある。
 ■ 他の理由は、同じテーマの記述が集中するから、その折々の評価、経時的変化などがまとめられるから資料として活用できる。新聞が毎日発行され、その誌面が広いといえども限界があるし、読者が興味を向けてくれるかわからないから、関連のない時期に取り上げることは困難である。
 ■ メディアの役割は速報だけではない。次世代に知恵と経験を伝え得ていくことも重要だ。被災者が置かれている状況を個人個人のドラマに終わらせず、大きな目で評価し問題提起していく機能ももとめられる。

 今年、3月11日は東日本大震災の10年の節目にあたる。一月ほど前から東日本大震災、原発事故関連の報道が目に見えて増えてきた。
 カレンダージャーナリズムにも十分な意味がある。


3/10(水) 快晴 午後飯川病院勤務 
2:00起床,新聞入力、文献多数、データ検討など。11:50バス飯川病院往、ボランティア。14:00-19:00勤務。13:30検食、微睡。入院患者対応、19:20帰宅,、夕食、Σ5869歩。

東日本大震災10年(1) その二日前の地震が被害を大きくした
 2011年3月11日は東日本大震災が生じた日であるが、あれから明日で10年を迎える。

 その2日前の3月9日午前11時45分頃、秋田で深度4ほどの地震があった。三陸沖を震源とし、宮城県北部では震度5弱だった。

 3月11日の地震はあまりにも大規模で、来襲した津波は歴史上みられないほどの規模で、多数の人命が奪われ、岩手県・宮城県の沿岸部の街、福島も含め壊滅状態となった。

 そのために2日前に生じたゆっくりした揺れの地震が話題に上ることは少ない。
 私自身はこの地震について今でもはっきりと覚えている。 

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 3月9日午前11時45分、震源地は牡鹿半島東沖約160Kmで、深さは8Km、M=7.3と推定された。その後も震度3程度の余震とみられる揺れが相次いだ。秋田市では震度4を記録した。
 
 気象庁は青森県、岩手県、宮城県、福島県に津波注意報を発令、岩手県大船渡港で60cm、石巻市で50cm、釜石市で40cmの津波を観測した。津波注意報は14時50分に解除された。大船渡市は1996世帯5555人に避難勧告を出した。
 この津波による人的被害はなかった。
 
 東北・東京電力によると、女川原発や福島第1・第2原発に異常はなく、通常運転を続けた。

 気象庁は、今回の地震は震源の位置などから近い将来想定される宮城県沖地震との直接の関係はないだろう、との見解を示した。
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 私自身が経験した大きな地震は、1965年仙台で経験したM=7.5の新潟地震、秋田で1983年に経験したM=7.7の日本海中部地震があるが、この時は小刻みな揺れから始まり、間も無く揺れがひどくなり、次第に振幅の大きな横揺れとなった。

 3月9日の地震は小刻みな揺れを殆ど伴っていなかった。いつもなら直ぐに何としようかと慌てるのであるが、この程度の長周期的地震なら被害は出ないだろうと思いつつそのまま身を任せていた。一方、それだけ揺れをじっくり体感できた。

 この日の地震で、二日後にあの歴史的災害が生じるなど、誰が想定できただろうか。

 被災地の行動から見れば、3月9日の地震の津波が小さかったこと、また約1年前の2010年3月のチリ地震でも津波警報が出て多くが避難したが津波はこなかった。この経験と記憶が3月11日の津波来襲の判断と避難行動を鈍らせたと指摘されている。

 本年、2021年2月13日に福島県で震度6強、M=7.1の地震が発生した。震源が55kmと深く津波の発生はなかった。
 震源の深さと津波発生に大きな関連がある。3月11日は深さ24kmと最近の地震の中では浅かった。それが巨大津波に結びついている。


3/9(火)超快晴終日  中通病院外来 飯川病院ボランティア
0:40起床、新聞・文献チェック。5:30可燃ゴミ提出、作業衣に1週前から、まだ若干寒い。6:40バス飯川病院、8:40-13:20中通病院外来。若干難渋。14:00飯川病院、本日から火曜日はボランティアに変更、勤務は水曜日に。検食、微睡。19:30帰宅、夕食。21:30就眠。Σ8787歩。

ラジオ2021 As a theater of the mind(2) ラジオ深夜便のMP3録音1.9000時間分
 私にとってラジオは重要な情報源になっている。興味ある話題があればICレコーダーに残したり、メモし、のちに新聞で確かめる。

 早朝1:00-5:00am間は私が起きている時間で、ラジオ深夜便を聞きながら過ごす。
 この時間帯は一定の基準で放送内容が決まっている。
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 ■ 1:00-2:00amはNHKニュースの後、文学作品の朗読、上方落語など。
 ■ 2:00-3:00amは洋楽を中心にしたロマンチックコンサート。
 ■ 3:00-4:00amは日本の歌、心の歌。
 ■ 4:00-5:00amは明日への言葉。哲学あり、宗教あり、各界で活躍している著名な方々の人生観など。
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 かつてはカセット、コンパクトディスクに録音していたが、カセットなら60分テープで毎日2本づつたまるからスペースもバカにならない。
 それで購入したのが2007年に発売になったばかりのオリンパス社のラジオサーバーVJ-10。37GBの、当時としては大容量ハードディスク搭載で最大約2500時間のFM/AMラジオ番組をMP3でデジタル録音することができる。USB接続によりパソコンにデータ転送が可能。とっくに発売終了した。回転部分のハードディスクの寿命が心配であるが、いまだに現役でしっかり働いてくれている。


 2008年から毎日4時間のラジオ深夜便がデータとして蓄積されている。約19.000時間分にもなった。これらを有効に活用するには目録がなければなんの役にも立たない。私は全録音分の目録を欠かさずに作っている。出演者、演題名で検索をかければ録音データを簡単に呼び出し聞くことができる。

 蓄積した録音データはパソコンでも聞けるが、私はiPhoneにデータを移しブルートゥースを介してノイズキャンセリングヘッドフォンで、主に移動時間に聴いている。

 意外と面白いのが、 1:00amのNHKニュース。日本で、世界で生じた大事件、大災害などのニュースを当時の雰囲気そのままで聞きなおすことができるのは貴重である。
 ラジオは映像がないが、私にとっては不要である。自分の中で状況が目に浮かぶ。昔聞いたある音楽グループの名で「Theater of the mind」と言うのがあったが、私にとってはラジオ放送はそう言ってもいいような世界が眼前に展開してくる。
 だから、ラジオは面白いし、有意義なのだ。

 最近、ラジオも聞ける多機能スピーカーを購入し、私のラジオ生活は一層充実してきた。
音声でコントロールできる多機能スピーカー「Amazon Echo Show5」を購入


3/8(月)午前雲ひとつない快晴気温は低い 健康クリニックドック 飯川病院
1:15起床、新聞・文献チェック。その他蓄積データ整理。6:47バス飯川病院へ。9:00-11:45健康クリニックドック14名+結果判定14名、12:00飯川病院、微睡、14:00-19:15勤務。入院患者対応。読書など。19:30帰宅・夕食、21:00就寝。Σ9326歩。

ラジオ2021 As a theater of the mind(2) 私のラジオ歴の変遷 貴重な情報源
 私のラジオとの付き合いは小学校入学時頃から始まる。鉱石ラジオとイヤフォンでもっぱらNHK第一放送を聞いた。また、ラジオ=NHK第一放送と言う図式、イヤフォンからヘッドフォンに進化したが、一人で耳元でラジオを聞きながら、という図式が確立した。
 約70年間、常にながら勉強、ながら仕事をしていた。ヘッドフォンをかけていると人から声がかからないというメリットもあった。

 ながら状態といえども、集中すると耳からはほとんど何も聞こえなくなるから問題はないのであるが、集中できずだらだらとながらをやっているときは頭は適宜切り替えているとされるから勉強も仕事も半分しかやっていないことになる。

 勿体ないことをしたものである。私は勉強には随分時間を費やした、と思っているが、ながら勉強していなければ、私の人生は別はコースをたどっていた可能性があった。

 1953年TVの本放送を開始が始まり、1958年頃、我が家にもTVを購入した。一時的にTV放送に興味を持ったが、私には一過性の興味しか湧かな買った。今でもそれは変わらず、日常的にTV視聴は19:00のNHKニュース中心に一日15分程度である。居間にはTVがあるが、映っている時間はうるさい音声を含め私には不快な時間である。

 高校まではもっぱらラジオ第1放送であったが、1965年(昭和40)頃からはNHK-FM放送を併用した。音楽番組を聞くのに段違いの音質の良さがあったからである。
 この後しばらくは音楽中心の聴取になり、オーディオの世界にのめり混んだが、2000年頃に音質追求の道から決別し、徐々にラジオ第1放送に戻った。やはり無機的な名曲群よりは、人間が登場し、会話中心の、より人間的な第一放送の方がいい。

 私にとってラジオは単に楽しむのではなく重要な情報源になっている。日中の放送は聞きっぱなしであるが、興味ある話題がある場合にはICレコーダーに残したり、メモして置き、のちに新聞で確かめる。早朝1:00-5:00am間は録音をとりながら聞いている。


3/7(日)雲ひとつない快晴・やや温暖  
 1:30飯川病院起床、データチェック。関連文献検討、本読みなどほかいつもの如く。9:30バス帰宅。昨日からお泊まりの孫が二人パン作りしながらまだ自宅にいた。11:00陽気につられて外仕事。庭仕事、つるバラの剪定など。自転車降ろし整備。14:00時間一家も加わり今年小学校に上がる孫の一人にランドセル贈呈式。微睡。久々書斎にこもり新聞チェック、データ整理。音楽関連録画確認。19:00夕食、21:00就眠。Σ10595歩。

ラジオ2021 As a theater of the mind(1) 私のラジオ歴
 私はメディアとしては第一に新聞、第二にラジオ、第三に・・・の順である。

 私のラジオとの付き合いは小学校入学時頃から始まる。当時、東北大学の通信工学部で学んでいた兄の影響だった。兄は私に鉱石ラジオを作ってくれた。電波のエネだけで動く簡素で不思議なこのラジオ、NHK第一放送しか入らなかったし、イヤフォンだけで、音量は微々たるものであった。この鉱石ラジオは私を虜にした。また、ラジオ=NHK第一放送と言う図式が私に出来上がった。なんだか内容が理解できない放送だけであったが、落語、歌謡などの娯楽番組が救いであった。

 ラジオは船舶用無線から発展した。長距離通信では19世紀に既に海底ケーブルがあつたが海上を動く船舶は無線通信が求められた。

 第1次世界大戦後には軍用だった無線器が放出されアマテュア無線が生まれる。
 1920年には米国で放送局も生まれた。この時代は鉱石式ラジオで真空管式は出始めたはかりだつた、と言う。

 日本でも新聞社を中心にデモ放送を始めたこともあってラジオは急速に知られていく。 
 1923年の関東大震災で有線網か壊滅、無線放送の重要性が認識され、1925年のラジオ放送開始の遠因となった。 
 日本で放送か始まった頃に米国製の真空管ラジオが輸入されたが、家1軒に相当する値段だった、と言う。その後数年で全国に放送局か設立されラジオが普及した。 

 第2次大戦が近づくとラジオは政策の一部になる。
 真空管式が増えお茶の問にラジオは当たり前となりつつあった。ドイツでは海外放送を聴けないように性能の低いラジオをあえて普及させ、日本も海外放送の聴取は禁止され、規賂叱された製品が量産された。多くの国民が聞いた玉音放送がこれである。 

 私にとってのラジオは鉱石ラジオから始まり、1950年ころから居間には5球スーパーのラジオが備えられ、私の机上のラジオは1960年代に入るとトランジスタ式に変わる。いつも放送を聞きながら勉強し、寝る時は鉱石ラジオを聴きながら眠った。
 1953年TVの本放送を開始が始まり、以後、徐々にメディアの主役がTVどになりラジオは衰退する。しかし、私は常にラジオを好んできた。

 現在、ラジオはスマフォで聴くようになった。そのためか若者の中でラジオが復活し始めているらしい。(歴史部分は日本ラジオ博物館長 岡部氏の文献を参考にした)


3/6(土)快晴 飯川病院日当直 レセプトチェック
 1:00起床、新聞・文献・資料検討。朝までは座学中心。微酔など。ダリアの球根のチェック、ややウエット。芽が出始めている。死んではいなかったが今の隅っこは暑すぎたか。11:30家内に同乗、飯川病院に。12:00から明日朝まで日当直。微睡、新聞チェック、外来レセプト点検。18:00夕食、20:30就寝。Σ4290歩。微睡の時間が長かった。

季節の話題2021(5) 秋田の雪(5) 過疎の雪国の田舎は高齢化で住めなくなっている
 今年は県南部を中心に記録的な大雪が続いた。横手市、湯沢市では積雪が平年の5倍ほどに達し、屋根の雪下ろしや除排雪中の事故が相次いでいる。
 県の災害派遣要請を受けた陸上自衛隊が横手市で活動を始めた。

 雪との闘いに悲鳴を上げている市民がいる。市街地でも大変な状況である。
 ましてや、過疎の田舎は高齢化と高齢者単独世帯で住めなくなっている。

 まだ新しい統計を得ていないが、1月中旬の統計で全国で雪下ろしなどで全国で249人が重軽傷を負い、死者は65人であった。
 秋田県南では1月4日夜から5日にかけて屋根の雪下ろし、除雪作業中の事故で3人が亡くなった。1月中旬の時点で秋田では18人が死亡している。多くが高齢のジジババである。屋根からの落雪に巻き込まれた1人暮らしの高齢者の犠牲もあった。豪雪地帯ではもはや高齢者が自力で冬を越せるレベルではない。

 過去に1973年の「四八豪雪」や2005年の「平成18年豪雪」といった記録的豪雪があった。
 
 (2013年もやや降雪量が多かった。庭に停めてあったHONDAオープンカー CR-Xデルソルの上にも何層にも雪が積み重なった。やっと掘り出した。この車は鹿児島の愛好者にに貰われていった)

(本年1月の降雪。たった一晩でこれだけ降った。75歳の私でも除排雪に難渋したが、その後の数日寒気が緩みとても助かった)

 県内の高齢化率は過去の豪雪当時それぞれ約8%、約27%であったが、現在の高齢化率は約38%、1人暮らしの高齢者世帯は約32%を占める。高齢者の命と生活を守る支援や対策が急務である。

 県の調査によると、秋田県内には地域の高齢者宅などの除排雪を行う共助組織が50団体ある、と言う。
 しかし、地域そのものが高齢化している。支える側も決して若くはない上、大雪で自宅の雪下ろしや除雪に追われる毎日。記録的大雪を前にしては、共助組織の奮闘にも限界がある。

 陸上自衛隊秋田駐屯地による除雪支援、高校生や市役所職員による除雪ボランティアが始まった地域がある。地域を挙げて支援の手を差し伸べることは大切だ。しかし、継続的に支援するにはこれらにも限界がある。

 本来、田舎は農業を中心に、多世代が同居する大家族制の生活様式でなければ成り立たないものである。家族が一団となって雪と対峙し乗り切ったものだ。そのような現実を捨てて、日本は高度成長時代を突っ走った。その結果迎えたのは現状である。秋田の高齢化率は日本一である。
 人口が減少し、まばらにある高齢者の住宅を維持するための道路の雪よせも大変、在宅介護も大変、とても非効率的。いずれ立ち行かなくなる。住民は日用品の買い物もできない日が何日も続く。

 この厳しい状況に対しては、豪雪期だけでも高齢者を収容する施設を作り、集中的にお世話してはどうだろうか? 多分高齢者は自宅の生活にこだわり、是としないだろうが、徐々に発想を転換していかねばならないだろう。


3/5(金)曇りやや温暖 大曲中通病院外来 飯川病院ボランティア 
1:00起床。文献・本読み、徒然他、データ処理。5:20可燃ゴミ提出。7:30Taxi駅、8:11こまち。診療時間の関係で往復タクシー、8:50-11:35大曲中通病院外来。11:50新幹線。秋田駅から徒歩。途中で自分分の申告書提出、一段落。13:45飯川病院ボランティア。微睡、読書中心。19:00帰宅、夕食、20:30就寝。ラジオ深夜便数回分。歩数7729歩。ヘッドフォン忘れる。

季節の話題2021(5) 秋田の雪(5) 廃車予定の22年目のボロレガシー大活躍
 ついに、待ちに待った春が訪れた。今年は寒い冬であった。実際まだ寒い。
 今季は秋田市も降雪量が多かった。しかも、積雪と融雪が短期間に繰り返され、交通はかなり渋滞した。

 私は昨年8月いっぱいで運転免許を返上した。
 私が日常使っていた車は初登録後22年目のスバルレガシー4WD車である。さすがに小さな故障は数多いが、私は基本的に車は可能な限り4WD車にすべしと考えていて,1980年頃からスバル4WDの乗用車を利用している。

 私が秋田に移り住んだ1971年(昭和48)は冬季間を通じて、日本海沿岸東北地方を豪雪が襲った。 横手観測所では2月に最大積雪深259pを記録、交通機関がマヒし、2月26日から奥羽本線が5日間ストップするなど、深刻な影響が出た。この年の豪雪は「昭和48豪雪」として秋田の歴史に刻まれている。

 私は当時FRのマツダグランドファミリアを用いていたので通勤や駐車場にて頻回にスタックし、大きな不便を味わったので4WD車に興味を持った。
 スバルは長い年月をかけて4WD車を開発していたが、初代4WD車1972年「ジープタイプではない量産4WD」が世界で初めて世に送り出された。それまで四輪駆動といえば、ジープタイプの車を意味し、乗用車タイプの四輪駆動車は存在しなかった。

 実際に発売当初は高価であり手が出なかったが、1980年頃スバルレオーネ4WDを購入できた。雪道の機動性はFR車、FF車とは段違いの走行機能が得られた。
 以降私は現在に至るまで40年間ほど所有する車の一台は必ず4WD車にしてきた。

 4WD車にこだわったのは、走る・止まるが車の基本だし、当時勤務していた秋田大学病院に通勤するには丘越えが出来て4WDであれば近道ができたこと、私の自宅のアクセス道路が狭くスタックすると抜け出るのにかなりの苦労したからである。

 私の最後の愛車はスバルレガシー4WDで、初登録から22年用いたボロレガシーである。私は自分が長い間用いてきた道具などに大きな愛着を持つ。このレガシーも傷は多いし、エアコンも不調であるが全部自分で対策してきた。修理すればするほど愛着が強まっていく。
<img src="https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/48/f3/6db805f4e652c02787ea2361757f1703.jpg" border="0">
(今冬大活躍したスバルレガシーワゴン4WD。22歳と思えないほど力強い。役目を終えて庭先で静かに次の出番の機会を待っている)

 運転免許返納した後、維持費軽減のためにスバルレガシーを廃車にしようと考えたが、車検が1.5年も残っているから焦ることはないと手続きを後回しにしていた。12月に入って意外に降雪量が多く、FFのプリウスでは心配なので降雪期は家内が用いることとなった。外見も悪く、当初は使用をビビっていたが降雪量が増えるにあたって彼女も4WDの機動性を認め12月中旬から2月中旬までプリウスに代えて使用した。

 春を迎えて家内はプリウスに戻った。
 私は自分では乗ることはないが、スバルレガシーワゴン4WDは最小限いつでも動かせるようメインテナンスだけはしっかり続けている。


3/4(木)超快晴 寒い 今季初の園芸関連作業開始 飯川病院 
 1:00起床。文献新聞など。放射冷却による寒波。午前座学、9:30園芸関連社業今季初。ボタンの鉢を外に出す。レガシー充電。ガレージ整頓、散水用ホース準備。ボタンに給水、11:50バス飯川病院。ボランティア、14:00勤務。入院患者対応、次年度の飯川病院診療契約締結。19:15帰宅、夕食、21:00就寝。歩数計7979歩。スキーウエアなしで出勤。

季節の話題2021(5) ついに私に春が訪れた 秋田の雪(4) 今年は降り方が変だった
 ついに、待ちに待った春が訪れた。今年は寒い冬であった。実際まだ寒い。

 私の定義による冬は2月10日に終わって、私は春を迎えた。 
 秋田の手付かずの田んぼはまだ一面雪に覆われている。徐々に強くなりつつある日差しを受け、とても美しい。やっと春の訪れである。


(庭先のボタンは昨秋から小さな花芽をつけていたが、ここ数日目に見る見る膨らみ始めている。今後が楽しみである)

 私の四季の定義は以下の如くに決めている。
■冬 除雪を要した期間。ゆえに、今季は12月19日-2月10日間。今季はこの間に11回回除雪機を出した。久々頻回であった。
■春 除雪が不要になった日から桜が散るまで。

 私は四季を上記のように勝手に分類している。
 カンカン照りの夏、日差しを浴びながら外仕事をするのが大好きな一方で、降雪期には除雪のストレスに苛まれる私にとって、冬季間を短く算定するために一番合理的な分類である。

 今季は全国的には雪が多かったと思う。
 1-2月上旬には北陸を中心に大雪の被害が続いた。新潟も多かった。豪雪に見舞われた福井では、交通網が寸断され、鉄道の運休が相次いだ。
 積雪が140cmを超えた福井市内、学校の休校が続き、車の立ち往生が起きた。

 秋田県内も全体に多かったが、内陸県南の豪雪地帯と言われている湯沢、横手、大曲地方は特に多かった。雪に関する死亡事故も頻回であった。
 秋田市内も雪が多かったが量的には例年並み+アルファといったところだろうか。昨年は異常に少なかった。

 秋田市の今年の降り方を見ると、1月中から2月上旬まではよく降ったが、週間を通して連続的に降ったのではなく、数日単位で集中的に降った。
 しかも、数日降雪を伴う寒波が続いた後は数日間は寒波は緩み、路上はすぐに解け始めた。例年除雪が数日続くと雪を寄せるスペースが少なくなるのであるが、今年はそう言うことはなかった。

 降雪と融雪の繰り返しでむしろ交通は障害を受け、予測がつかなくなった。道路は圧雪状態にある方が融雪でベトベトな状態よりは通行はスムーズである。
 秋田市内の除雪は我々の目から見て中途半端だ、と思うが、早々に除雪完了の宣告が除雪対策本部から発せられた。私は??であった。私はそれほど路上に出ることはないが、作業中の除雪車に一度も遭遇していない。

 私は毎週金曜日、大曲中通病院に診療応援に行く。
 8:11分発のこまちに乗る。自宅から駅までの6kmをタクシーで行くのであるが、自宅へのタクシーの予約は道路状態を推定しながら日によって7:05-7:40の間になった。こんな田舎で交通量ももそれほどあるわけではないが、わずかの距離を1時間もかかる日があるなど、異常な状態が発生した。


3/3(水)晴れ時々曇り 飯川病院ボランティア
桃の節句。1:30起床。文献など処理。午前中は座学中心、手元の LEDライトの改造。一層明るくなった。データ整理。12:12バスにて飯川病院、12:10ボランティア。19:30帰宅j、夕食、20:50就眠。Σ5870歩。

?災害2021(5) 福島県沖地震(7) 福島第一原発は(3) 2月22日時点の報告
 以下は2月22日時点の報告。
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 ■福島第一原発の地震計関連:福島第一原発の3号機の地震計2台が故障し、13日の地震のデータを取れていないことを22日になって正式に認めた。

 強度の地震を契機に壊滅的メルトダウンに至ったが、地震計の故障を知ってながら交換も修理もおこなわなかったという杜撰さには驚く。さらに問題なのは、この事実を東電が地震発生後から1週間以上も“隠蔽”していたこと。

 ■地震によって福島第一原発の処理水や浄化途中の汚染水が入ったタンクの位置が10数個でずれが生じた。漏水はなかったらしい。14日に把握、18日になって公表した。

 ■1号機と3号機の格納容器で水位が低下した。
 1号機で15日から、3号機で17日以降に、それぞれの格納容器内の水温が低下、原因は水位低下と結論付けた。
 1号機で1.9mの水位が40〜70cm低下、3号機も6.3mあった水位が約30cm下がった。

 メルトダウンによって生じた格納容器の損傷が、13日の地震によってその破損が拡大したと見られている。22日以降も格納容器の水位は低下傾向にある。水はどこに漏れているのか??冷却機能に問題はないのだろうか。

 ■水素爆発を防ぐために格納容器には窒素が注入され、圧力を高めているが、1号機では機密性が失われ、ほぼ大気圧に等しくなっているという。格納容器に新たに損傷が生じた可能性がある。
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 東電は周辺の放射線量などに異常はないと説明しているが、水位の低下による核燃料の冷却への影響はないのか?? 漏れた水はどこに流れているのか?? 水素爆発の危険はないのか??

 とくに、原発事故は巨大地震とその後の地震で壊滅的状況を迎えているのに、地震計の修理をしていなかったのは見逃せないと思う。
 事故後10年を迎えてたるみが出ているのではないかと危惧する。

 不都合な事実がこれだけありながら「すべて正常」、「外部への放射線漏れはなかった」とくくっている。これは事実を隠蔽する為ではないのか??

 福島沖地震で東電と菅首相が福島原発の異変を隠蔽している。
 地震計故障の放置、汚染水タンクのずれ、格納容器が水位低下は特に重要と思われるが「すべて正常」との評価には納得できない。それぞれについて詳細を提示すべきである。


3/2(火)曇り 中通り病院内科外来 飯川病院 
1:00起床、文献・新聞関連など。6:00可燃ゴミ2袋出し。6:47バス飯川病院、8:45-13:30中通病院外来。混雑と複雑で疲弊。昨年病院内理髪で髭よさらば4年間分、バッサリ。13:45-18:45勤務、飯川病院、入院患者対応なし、微睡はやや長めになった。19:00通町書店経由Taxi帰宅、夕食、20:20就寝。Σ8260歩。

災害2021(4) 福島県沖地震(6) 福島第一原発は(2) 2月19日時点の報告
 2021年2月13日午後11時8分頃、福島県沖を震源とする地震最大震度6強、マグニチュード7.3が発生した。

 私は、地震といえばとにかく廃炉過程で不安定な状態にある福島、第一原発が心配である。特に今回の地震は東日本大震災後2番目の規模であったから何かあるだろうと思っていた。

 当然、いつ生じるかもわからない巨大余震に対して盤石の体制を敷いているものと思っていたが、地震計の故障の放置、水の漏洩などが認められている。たまたま今回はこの程度の地震で済んだもののさらに大きい地震の発生はないとは言えない。

 原子力規制委員会は、今月14日時点での地震による福島第一原発への影響や対応について東京電力から説明を受けた。

 以下は2月14日時点の評価で既掲の前回と重複するが、2月22日と比較するために再掲した。
――――――――――――――――――――――――――――――-

 ■福島第一原発の地震計:去年7月に故障するも修理せず、今回の地震データが記録できていなかった。地震計は3号機の原子炉建屋に去年3月、地震計2つを設置した。7月の大雨などで故障を把握していたが修理していなかったもの。今回の福島県沖地震のデータは取れていなかった。

 ■福島第一および第二原発において、以下の所見が得られた。
 排水路モニタの指示値が低下。環境への影響はなし。
 大型休憩所で火災警報発生。誤作動と判断。
 5号機および6号機の使用済燃料プール付近において、プール水が溢水(約1,600ml)。  
 施設内の使用済燃料プール付近において、水溜りを確認(約600ml)。

 ■福島第二原子力発電所
 1号機使用済燃料プールからの溢水(約160ml)
 2号機原子炉建屋5階ダクトチェンバーから水の漏えい(約90ml)
 サイトバンカ建屋プールからの水の漏えいを確認(約1.4L)
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 東京電力は外部への放射線漏出はなく問題ないと報告し、菅首相は、原発でも異常報告はない。すべて正常、と述べた。

 上記の評価でいいのだろうか??


3/1(月)曇り  健康クリニックドック 飯川病院 
 1:00飯川病院起床。新聞・文献チェック。徒然など。6:47バス飯川病院、9:00-11:50健康クリニックドック14名、結果判定13名、意外と時間がかかった。12:00飯川病院。微睡、14:00-19:00勤務。入院患者対応。19:10帰宅、夕食、20:30就寝。Σ7933歩。

災害2021(3) 福島・宮城で震度6強の地震(3) 私が受けた影響
 JR東日本の報告によると、2月13日福島・宮城両県で生じた震度6強、M7.3の地震で被った東北新幹線の被害状況は以下のごとくであった(再掲)。
――――――――――――――――――――――――――――-
 ■ 電柱の折損20本 ひび割れ40本。
 ■ 架線は6本断線、架線関連の金具が550箇所で破損。
 ■ 高架線の柱は損傷10本、梁に60ヶ所の損傷。
 ■ レールのズレは220ヶ所。
――――――――――――――――――――――――――――-
 JR東日本は被害状況をまとめた時点で、乗客の安全に関わるものはなかった、と評価しているようであるが、それは違う。たまたまその区域を通過している列車がなく、運が良かっただけ。密に、高速で走っている時間帯ならばこうはいかなかっただろう。

 今回、巨大地震時の新幹線関連事故について学んだ。地震時の事故防止の歩みも学んだ。大変な研究や対策がなされていることを知った。
 しかし、その割には今回の震度6強、M7.3の地震は地上設備の被害が意外と大きかったような気がする。
 私は気が小さい、度胸もない。新幹線を含め、航空機などの高速システム、巨大な建造物などに恐れを抱いている。だからと言って利用しないわけではないが、その時の心は安らかではない。都庁も怖かった。原発も然り。自分の理解力を超えた存在だからである。

 東北新幹線の設備が上記のごとく大きく被災し、一部で運休した。13日の地震後、秋田新幹線は一時運転を見合わせていたが、15日に盛岡―秋田間で大幅に減便した臨時ダイヤで運行を再開、全線で運転再開は24日からとなった。

 私が受けた影響は微々たるものであるが、皆無ではなかった。

 地震が生じたあと、2月19日(金)は大曲中通病院の診療応援があったが、秋田・盛岡間だけの臨時ダイヤのために勤務に都合が良い時間帯の移動は出来ず、止むを得ず休診とした。
 2月24日からは東北新幹線は全線開通したが、応急修理区間もあるために減速しての運行となった。そのために帰路の便が不便となり、ちょっと早めに診療を終えている。

 こんな場合、通常であれば自家用車で行くのであるが、昨年夏に運転免許を返上したのでそれも出来ず残念な結果となった。
 免許返上後もこの時まで特に不便を感じていなかったが、この地震に関してはやや早めの返上をちょっと反省した。


2/28(日)寒波緩む 快晴 終日申告関連自分分終了
1:10起床、本読み。データ整理。確定申告は一月延びたが早めに終えたい。終日申告にかかりっきり。午前8:00日曜討論、女性問題。琵琶湖マラソンのため、NHK「のど自慢」なし。19:00夕食、20:30就寝。Σ4043歩。

災害2021(4) 福島・宮城で震度6強の地震(4) 新幹線の耐震研究の現状
 地震国の日本では巨大地震のリスクは避けて通れない。人身事故に繋がらなかったのは偶然と幸運の賜物であった。

 ■東日本大震災と新幹線の被害
 東北地方太平洋沖地震は、2011年(平成23年)3月11日(金)14時46分18.1秒に発生した大地震。 最大震度7、マグニチュードは9.0で、日本の観測史上最大規模で、地震そのものによる被害のほか、巨大津波で岩手、宮城では壊滅的被害が生じたほか、福島では世界的規模の原発事故が発生した。

 新幹線に関しては、内陸部も構造物や軌道の変状のほか、電化柱に傾斜や倒壊が多発するなど、今までに経験のない被害が発生した。また、東北新幹線仙台駅付近を走行中の新幹線は緊急ブレーキが作動したが脱線した。2004年10月23日に発生した中越地震による脱線事故以来 、2回目の脱線事故となった。今回も乗客乗員に、死者・負傷者は1人も出なかった。

―――――――――――――――――――――――――――
JR東日本の新幹線の地震対策について。

 1978年の宮城県沖地震では建設中の東北新幹線で構造物に被害が生じて耐震設計法が発展する契機となった。
 1995年の阪神淡路大地震、2004年の中越地震を経験して、以下のプロセスごとの目標を定め対策を実施してきた。

 ■「地震時に列車をいち早く停止させる」、
 ■「地震を受けても地上構造物を大きく損傷させない」、
 ■「脱線しても被害を拡大させない」、

 東日本大震災の地震でも、地震時に列車をいち早く停止させるシステムは複数の列車で機能した。高架橋柱、橋脚の耐震補強工事により構造物に顕著な損傷は発生しなかった。また中越地震の脱線の教訓から導入した列車脱線時の車両逸脱防止ガイドは、比較的低速での脱線ではあったものの機能を果たした。

――――――――――――――――――――――――――――-
東日本大震災後の取組み
 ■ 列車緊急停止の検知体制を強化するため地震計を増設、2012年に緊急地震速報を新幹線早期地震探知システムと接続。
 ■ 耐震補強では、地震被害のリスクが高い高架橋柱、橋脚の補強は、首都圏、 仙台圏は終了。
 ■ 残る高架橋柱、橋脚のうち、強い地震動で被害が生じる恐れがあるものの対策を前倒しして実施。
 ■ 電化柱、駅やホー ム天井の耐震補強、
 ■ 中越地震の教訓である列車脱線時の 車両逸脱防止対策の地上側工事も引き続き実施。
 ■「車両の走行安全性上で問題となる共振現象が生じることが想定される場所を明らかにする」研究を進めている。
 ■ 車両側の対策として、より大きな揺れ受けても脱線しにくくする方策についても研究中。
 ■ 車両の脱線を抑制するには、車体-台車間の左右動ダンパの減衰力を高めることなどを研究中であるが、実用化に向けた車両での評価を検討予定。

 上記のごとくの対策について一つ一つの意義は理解できないが、結果として安全機能は高まっていると評価すべきだろう。

 しかし、2月13日福島・宮城両県で生じた震度6強、規模は推定のM7.3の地震では東北新幹線の地上設備に大きな被害が生じてしまった。


2/27(土)曇り小雪寒波 終日申告関連
 1:00起床。新聞、文献、徒然などゆったり進める。午前から申告関連。まず家内の分から、ほとんど座りっぱなし。昨年の夕方MacBook Air2019製届く。準備していた移行アシスタントでMacBook Air2017からデータ移行。19:00夕食、21:15就寝。玄関から一歩も出ず。歩数Σ3740歩のみ。

災害2021(3) 福島・宮城で震度6強の地震(3) 意外と大きかった新幹線の設備損傷
 JR東日本は2月26日に、2月13日福島・宮城両県で生じた震度6強、規模は推定のM7.3の地震で被った東北新幹線の被害状況をまとめた。

 被害は福島の新白と岩手の一関間で確認されたが、乗客の安全に関わるものはなかったと言う。これは偶然の賜物ではないか??と思う。
 
 具体的被害
――――――――――――――――――――――――――――-
 ■ 電柱の折損20本 ひび割れ40本。
 ■ 架線は6本断線、架線関連の金具が550箇所で破損。
 ■ 高架線の柱は損傷10本、梁に60ヶ所の損傷。
 ■ レールのズレは220ヶ所。
――――――――――――――――――――――――――――-

 JR東日本は東北・上越新幹線の電柱20.000本のうち、2028年度までに約5.000本を補強する工事を進めてきた。本年度末までに2.200本の修理を終える予定で、今後さらにペースを上げることを検討する、としている。

 東北新幹線は13日の地震で運転を見合わせ、2月14日からは栃木の那須塩原ー盛岡間で終日運休した。復旧に合わせ徐々に運転を再開していたが、2月24日から臨時ダイヤで全線再開した。応急処置の箇所もあるために、運行本数を8割に落とし、減速して運行すると言う。

 今回の福島・宮城両県で生じた震度6強の地震では、発生時刻が23:10分頃と、新幹線がほとんど走行していない時間帯でよかった。走行していた新幹線は品川駅のホームに入ったところで停電し、緊急停止し乗客は約30分間、車内に閉じ込められた、という。

 JR東日本は被害状況をまとめた時点で、乗客の安全に関わるものはなかった、と評価しているようであるが、それは違う、と思う。

 その視点で、過去の大地震と新幹線被害について調べてみた。

 ■ 阪神・淡路大震災
  阪神・淡路大震災は、1995年(平成7年)1月17日5時46分52秒に発生した。マグニチュードは今回と同じ7.3であった。この時は走行中の新幹線はなかったが、神戸市内の新幹線の設備も壊滅的な被害が生じた。もし走行中の新幹線があれば大変な事態が生じた、と推定される。偶然の賜物であった。

 ■ 新潟県中越地震
 新潟県中越地震は、2004年(平成16年)10月23日17時56分に発生した。新潟県中越地方を中心とした地域で観測史上最大震度7で、マグニチュードは6.8。揺れは阪神・淡路を上回る。東京発新潟行き「とき325号」の7・6号車を除く計8両が脱線した。地震発生当時、同列車は長岡駅への停車に向けて約200 km/hに減速して走行中であったが、早期地震検知警報システムによる非常ブレーキが作動し停車した。列車は、8両が脱線したものの、軌道を大きく逸脱せず、逸脱した車両も上下線の間にある豪雪地帯特有の排雪溝にはまり込んだまま滑走し、横転や転覆、高架橋からの転落を免れた。
 また、脱線地点がトンネルや高架の支柱などに被害がなく、ほぼ直線で、対向列車がなく二次事故が起きなかったことなどの幸運が重なり、乗客乗員155人に、死者・負傷者は1人も出なかった。
 なお、日本では、営業中の新幹線の初脱線事故であった。
 人身事故に繋がらなかったのは偶然と幸運の賜物であった。


2/26(金)曇り小雪寒波再来 大曲中通病院外来 飯川病院ボランティア
1:10起床。文献・データ整理、読書。5:30可燃ゴミ廃棄。7:25Taxi駅に、8:11こまちは通常通りに運行、8:55-11:35大曲中通病院外来。病院駅間は往復Taxi。中央交通案内所で遺失したこう持ち川受け取る。駅病院徒歩、飯川病院ボランティア、看護室の椅子修理。19:00帰宅、夕食、21:15就寝。歩数Σ8124歩。

総務省官僚接待問題(2) 疑念の解消前に移動や処分は隠蔽工作
 総務省官僚接待問題の関与は、報じられた4件だけではなかったようだ。
 政策判断に影響はなかったのか、総務省は徹底的に調査する必要があるが、同じ穴のむじなたちによる身内の調査ではダメだろう。第三者による調査が必要である。

 解せぬのは首相の対応。
 首相は小泉政権で総務副大臣、第1次安倍政権で総務相を歴任し、総務省内に強い影響力を持つ。大臣時代はこの長男を大臣秘書官に起用した。総務省官僚からみれば、その背後に首相の存在が見えるだろう。

 安倍前政時代には夫人がしゃしゃり出た。
 安倍政権時代、森友学園、加計学園、桜を見る会をめぐる一連の問題に共通するのは、身内を含め首相と親しい人たちが便宜を受け、官僚までがそれを支えた疑いがある。

 首相の威光を背景に、一般人には考えすら及ばない影響力を行使していたのだとしたら、政治や行政への信頼は揺らぐ。業者との馴れ合いは長期政権の持つ癒着構造である。首相はそのことを重く受け止めるべきだ。

 それにしても、国家公務員倫理規程にもとる接待がこれほど横行していたとは驚く。一晩の会食が一人7万円以上だったと言うが、いったい何を食べ何を飲んだのか??

 官僚と業界のなれ合いは過去から繰り返し批判されてきた。
 国政の中で有名なものだけでも
 ■ 1988年リクルート汚職
 ■ 1998年大蔵省汚職
 ■ 2007年防衛省汚職
 ■ 2017年文科省汚職

 そのほかにうやむやに処理されたが、関西電力微増収賄事件が目新しい。

 行政はこのような供応を通じてかなり歪められてきているのではないか。このような供応の効果がなければ企業側も投資しないし、官僚側もわかった上で受けているだろう。
 内部の一通りの調査で、その疑いを拭い去ることはできない。省の幹部の国会答弁はのらりくらりとしていたが、週刊誌側が会食の際の長男や前局長の発言を録音したとする音声をインターネット上で公開すると、前局長は出席や発言があったことを認めた。それまでの国会答弁は「虚偽」だった。これだけでも罪は大きい。

 総務省が、菅首相の長男が勤める放送関連会社「東北新社」との会食に関する調査結果を公表し、加えて、幹部たちの移動を発表した。

 週刊文春が報じたのは、総務審議官2人と情報流通行政局長ら4人による4回だったが、他にも8人が19回の接待を受けていた。
 谷脇氏らの「親会社を利害関係者とは思わなかった」という説明は、およそ常識に反する。
 省は11人の倫理規程違反を認め、近く処分する方針を示しているが、多くの疑問点が残されたままである。
 この人事異動は隠蔽工作の一つであることは明らか。これで幕引きは許されないが、不十分な調査の中で早期に処分を行うことも隠蔽工作の一つである。


2/25(木)換気若干緩む午後快晴 飯川病院
 1:00起床。文献・データ整理、読書。昨年は暖春だった? 花壇用の水道ホース出し連結、ボタンの鉢を外に出すなど。今年はまだまだ程遠い。午前は座学中心、読書文献中心。11:50バス飯川病院。新聞チェックなど。14:00-18:45飯川病院、入院患者対応。19:00帰宅、19:15夕食、21:15就寝。Σ7211歩。昨年COVID-19一斉休校へ。何も全国一律でなくとも良かったのでは??

総務省官僚接待問題(1) 省の接待供応土壌=福島の汚染土 除染すべきだ
 菅首相の長男が総務省官僚接待問題に関わってきたことが明らかになった。

 放送行政を所管する総務省の総務審議官ら幹部4人が昨年10-12月、衛星放送や番組制作を手がける東北新社に勤める首相の長男らから高額の接待を受けていたことが、週刊文春の記事で明らかになった。手土産や帰りのタクシーチケットも受け取っていたとされる。
 この接待がちょうど菅首相氏が首相になった時期と重なったのは偶然なのだろうか。
  
 これが問題になった時に、菅首相は「長男とは別人格である」とのべ、自身の職務との関連を否定していた。その姿勢は正しくない。総理である父親を持った職員の利用価値は会社にとっては格段に高まったことだろう。こんな答弁では菅首相の政治信条まで疑われかねない。

 総務省は国家公務員倫理規程に違反する可能性があるとして、人事院の国家公務員倫理審査会とともに調査を始めた。違反する可能性??これで違反していないとすれば規定そのものが何も効果を発揮していない、ことになる。

 国家公務員倫理規程は、
 ■「利害関係者から供応接待を受けたり、金品を受け取ったりすることを禁止」。
 ■「自分の分の費用を支払う会食は認められる」。
 ■「1回1万円を超える場合は事前の届け出が必要」。しかし、幹部らが届けを出したのは、週刊文春の取材を受けた後だった。

 4人のうちの1人、秋本情報流通行政局長は衆院予算委員会に出席し、東北新社側の負担で会食をした事実を認めたが、「当時は利害関係者が同席しているとは思わなかった」、「何を話したか記憶にない」、と釈明した。高額な接待が利害関係なしに行われるとは、総務省側は何を考えているのか?「記憶にない」? こんなことを忘れてしまうなど、日常業務はできているのか?

 今になって費用を返金したというが、調査中を理由にその金額を明かすこともなかった。

 行政の公平性・中立性への信頼を傷つける事態である。なぜ接待に応じたのか???
 総務省内部には、私どもが知り得ない供応の文化があるのではないか??

 原発事故では目に見えない形で、環境や土壌の放射能汚染が残っている。放射線は目には見えないが、計測計(ガイガーカウンター)で知ることができる。供応カウンターなる計測器を総務省に持ち込み建物全体、職員各人を測定してみればいい。高濃度の汚染されている事実が可視化できるかもしれない。そういう機器の開発が望めれる。需要は大きいと思われる。
 汚染が確実になったら大規模に除染すべきである。


2/24(水)寒波終日降雪若干 申告開始
1:00 起床。文献・新聞チェック。飯川病院は休むことに。昨年MacBook Air2017にiMac27 2012のアプリケーションを上書き、約6時間要した。今は入手できないソフト読取革命が使用可能になった。午前から申告開始準備、書類の準備だけで大変で一日かかった。新聞チェック、読書多数。19:00夕食、21:30就眠。Σ4020歩。

水泳の池江璃花子さん(2) 当時の桜田五輪担当相の発言が物議を醸した
 競泳女子の池江璃花子さん(20)が病気を乗り越えて選手として戻ってきた。心からお祝いしたいし、応援したい。

 病気を公表した池江選手について、当時のオリンピック・パラリンピック担当大臣の発言に対し、ネット上で不用意な発言との批判の声が相次いだ。

 ちょうど2年になるが、つい先日、東京五輪・パラリン組織委員会森会長の発言が女性蔑視の発言として問題にされ、結局辞任に追いやられたばかりで、このことを関連して思い出した。

 NHKやテレビ朝日系などの報道によると、桜田氏は2月12日、池江選手が病気と診断されたことについて、「金メダル候補で、日本が本当に期待している選手ですから、本当にがっかりしています」などと記者団に対し発言。さらに、「早く治療に専念して頑張ってもらいたい。また、元気な姿を見たい」と労いの言葉も伝えたが、「オリンピック担当大臣としては、オリンピックの水泳の部分には、非常に期待している部分があるんです。 一人リードしてくれる選手がいると、みんなその人につられて全体が盛り上がりますからね。そういった盛り上がりが若干下火にならないか、心配しています」と述べた。

 私は、桜田氏は、池江選手に対する期待の大きさ、体調を気遣うことを正直に表現したのだ、と思う。また、五輪担当相としての当然の感想を述べたものである、と捉えた。

 しかしながら、桜田氏の発言は、一部の方々には選手の健康よりも東京オリンピックの成功の方に関心がある発言にも聞こえたらしい。私はそれだっていいじゃないか、と思う。

 この発言がメディアに取り上げられると、TwitterなどSNS上では「配慮に欠ける言葉」などと批判の声が相次いだ。

 森氏の時にも感じたが、正直な感想とか、心情を述べたことに対して過剰に反応する現代の世相の方がまずい方向にあると思う。

 桜田氏のこの発言は間も無く収まったが、氏は2019年4月10日、東京都内で行われた高橋比奈子議員のパーティーで、「復興以上に大事なのは高橋さんでございますので、よろしくお願いします」と発言し問題になった。桜田はその日のうちに大臣の辞表を提出した。「被災者の気持ちを傷付けるような発言をして申し訳ない。発言の撤回だけでは十分でないと思うので辞表を提出した」と記者団に述べた。その日のうちに辞表は受理された。

 辞任後、安倍首相の「任命責任は私にあります・・・」という言葉の軽さも問題になった。私はこちらの方がはるかに問題と考えた。
任命責任は私にあります!!!(2) 桜田国務大臣の更迭


2/23(火)天皇誕生日 曇り寒波 飯川病院日直 
1:00起床,文献読み、新聞チェック、昨年MacBook Pro2009蘇生試みるも不可だった。購入か。8:30仕事混んでいると言う家内に同乗、飯川病院、9:00日直に就く。微睡、MacBook Air2019を購入。家内の迎えあり19:30帰宅、夕食。21:00就寝。Σ5512歩。

水泳の池江璃花子さん(1) 選手として復活 
 競泳女子の池江璃花子さん(20)が病気を乗り越えて選手として戻ってきた。確実に力をつけてきている。とても素晴らしいことで、心から応援したい。

 池江さんは1919年2月12日、自身のツイッターでやんごとない重病であることを公表した。
 池江さんは、個人11種目とリレー5種目の日本記録を保持している有能な水泳選手で、このニュースは各方面に衝撃的に伝えられ、メディアで大きく取り上げられた。

 NHK-TVを始めメディアの当時の取り上げ方は好意的な視点からであるが、やはり過剰だと思った。
 池江さんには競技選手であることから降りて、ゆったり、療養に集中してほしい。それが私の最大の願いであった。病気の池江選手はそっと見守ってあげよう
 私は、内心ハラハラしながら池江さんに関する報道情報を集めていた。少ない情報であったが、彼女が受けている治療内容を具体的に想像できるだけに、心配もしていた。

 池江さんは公表時のツイッターを通じ「未だに信じられず、混乱している状況です。ですが、しっかり治療をすればなおる病気でもあります。今は少し休養を取り、治療に専念し、1日でも早く、さら強くなった池江璃花子の姿を見せられるよう頑張つていきたいと思います」、とのコメントを発表した。本人の気丈なコメントが救いであった。

 池江さんは1年余経過した19年5月に「治療は当初考えていた時より、数100倍ないし数千倍辛いです・・・」と、時に弱気になる心情を吐露していた。その苦痛は類推できた。それらを乗り越え、病気を克服し、夏には退院に至った。病状は安定したという。
 闘病中の2019年4月8日、日本大学スポーツ科学部に入学し、水泳部に入部することが発表された。東京五輪は事実上断念、2024年のパリ五輪への出場・メダル獲得を目標としていることを明らかにした。病に対しても挑戦していく気力と、小学生の頃から歩んできた足跡にに対する自信が自身を支えたものと思う。

 翌20年8月には1.7年ぶりにレースに復帰、その後も着実に力をつけ、2021年2月7日競泳ジャパン・オープンの50メートル自由形で24秒91で2位となり、復帰後4戦目で初めて表彰台に上がった。2月21日の東京都オープン女子50mバタフライで25秒77で優勝した。療養期間中に体は10Kg異常減少したが、最近は3Kgほど戻っている、という。

 最近出場している競技大会のニュースは池江選手の成績を大きく報じている。これも過剰であるが、同じ病で闘病中の方々に夢をもたらす意義はあろう。
 しかしながら、池江選手を報じるに当たっていまだに「病から復帰の・・・」の説明がつき、予選を含め池江選手よりも上位の入賞者の選手名や記録などは報じられていないなど、恣意的に取り上げられている。
 競技などの場合、注目選手を報じるのはいいが、成績は公平に扱われるべきである。病気であった、という説明はもう外してあげたいものだ。


2/22(月) 曇り小雨温暖 健康クリニックドック 飯川病院 
 1:00起床。本日はネコの日。文書整理、徒然他。いつもの如く。6:47バス飯川病院へ。新聞チェックなど。9:00-11:45健康クリニックドック13名。結果判定14名。12:00飯川病院。微睡、本読みほか、14:00-19:00勤務、入院患者対応、19:20帰宅、夕食、21:00就眠。歩数計:Σ6480歩。

災害2021(3) 福島・宮城で震度6強の地震(3) 福島第一原発被害状況(2月14日pm2時時点) 
 ○2021年2月13日午後11時8分頃、福島県沖を震源とする地震(マグニチュード7.3)が発生した。

 私は、地震といえばとにかく廃炉過程で不安定な状態にある福島、第一原発が心配である。特に今回の地震は東日本大震災後2番目の規模であった。
 当然、いつ生じるかもわからない巨大余震に対して盤石の体制を敷いているものと思っていたが、地震計の故障の放置、火災報知の誤作動、若干ながら水の漏洩などが認められている。たまたま今回はこの程度の地震で済んだもののさらに大きい地震の発生はないとは言えない。

 原子力規制委員会は22日、今月14日時点での地震による福島第一原発への影響や対応について東京電力から説明を受けた。

 ■東京電力 福島第一原発の地震計去年7月に故障するも修理せず。今回の地震データが記録できていなかった。報告受けた原子力規制委員会は、故障を把握しながら修理をしていなかった東京電力に理由や経緯の報告を求めた。
 地震計は3号機の原子炉建屋に去年3月、地震計2つを設置した。7月の大雨などで故障を把握していたが修理していなかった。「地震の詳細な記録が取れなかったことは反省すべきで、対応に問題がある」などとして、すぐ修理を行わなかった理由や経緯などについて報告を求めた。

 ■福島第一原子力発電所および福島第二原子力発電所において、現時点で、外部への影響を及ぼすような異常はなかった。しかし以下の所見が得られた。
  午後11時08分 免震棟1階南側渡り廊下で火災警報発生
  午後11時10分頃 物揚場排水路モニタの指示値が低下。環境への影響はなし。
  午後11時20分 大型休憩所で火災警報発生。原子力警戒態勢発令
  午前0時07分 免震棟1階南側渡り廊下の火災警報は誤作動を確認
  午前2時8分頃 5号機および6号機の使用済燃料プール付近において、地震の揺れでプール水が溢水したものと思われる水溜りを確認計約1,600cc。溢水の継続はなく、外部への影響なし。
  午前3時50分頃同施設内の使用済燃料プール付近において、地震の揺れでプール水が溢水したものと思われる水溜りを確認(約600cc)漏えいした水は、堰内にとどまっており、外部への影響はなかった。その後、連結弁を閉め、当該タンクを隔離したが、漏えいはタンク下部フランジ5箇所から継続している。

 ■福島第二原子力発電所
  午後11時08分 1〜4号機使用済燃料プール水位高/低 警報発生
  午前0時47分 1号機使用済燃料プールからの溢水を確認(約160ミリリットル・堰内)
・2号機原子炉建屋5階ダクトチェンバーから水の漏えいを確認(約90ミリリットル)
 ・サイトバンカ建屋プールからの水の漏えいを確認(約1.4リットル)

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 上記は地震翌日の時点での速報である。さらに詳細な評価は間も無く行われるというが、対策をより盤石にしてほしいものである。

 とくに、原発事故は巨大地震とその後の地震で壊滅的状況を迎えているのに、地震計の修理をしていなかったのは見逃せないと思う。事故後10年を迎えてたるみが出ているのではないかと危惧する。


2/21(日)温暖曇り
1:00起床、早朝は文献関連。データ整理。午前カウンター室の天井ブラインド、ネコにより乱されたが修理、結構難渋する。ネコ用のビューわにライト設置、ミラーの安定化。包丁研ぎ5本ほど、評価は高い。昼近くまで蓄積データ整理、読書。昼NHK-TVのど自慢見る。今年最初の会。微睡ご新聞PDF化。書籍自炊。19:00夕食、21:00就眠。Σ3140歩。平穏な1日。

わが国のエネルギー政策2021(5) 日本の原子力行政は??(1) エネルギー基本計画の変遷
 この10年間、原発政策は「迷走」と「その場しのぎ」を重ねた。

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 ■ エネ計画をめぐる一計画経過

??2003年10月 初のエネルギー基本計画策定。原発比率を高めて50%以上に。
??2010年06月 民主党政権が計画改定 原発14基以上新増設計画
??2011年03月 東京電力福島第1原発事故    
??2012年09月 民主党政権30年代 原発稼働ゼロ目標   
??2012年12月 安倍政権発足  
??2014年04月 計画改定一原発を重要なベースロード電源と位置付け、ゼロ目標と決別
??2015年07月 30年度電源構成見通し策定。原発20-22%、再生可能エネ22-24%。
??2017年08月 内閣改造 エネルギー基本計画改定
??2021年10月 菅内閣 二酸化炭素の排出量実質ゼロ 原発は利用
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 ■ 福島第一原発事故以降の電力関連の主な出来事。

??2011年3月11日 東日本大震災と東電福島第一原発の事故が発生
??2011年3月14日 東電が計画停電を初めて実施
??2012年5月国内 全原発が一時停止
??2012年7月関西電力大飯原発3号機が再稼働 政府が東電を実質国有化
??2012年9月 民主党野田政権が2030年代に原発稼働でゼロをめざす政策
??2012年12月 民主党から自民党に政権交代。安倍内閣が発足
??2014年4月 政府が原発を重要なベースロード電源と位置づけた
??2016年12月 政府が高速増殖炉もんじゆの廃炉決定
??2019年10月 菅首相が温室効果ガスの排出を2050年までに実質ゼロ目標表明。
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 菅内閣の新戦略は原発に関しては通産省の圧力で「可能な限り依存度を低減しつつも、引き続き最大限利用していく」とおかしな日本語で表明。

 自民党は嘘で固めた原発政策を推し進め、原発事故の惨禍を経験しても、原発に依存したエネルギー政策を進めるのは一体なんだろうか??経済優先のためは明らか。

 再度なんらかの災害が生じた際の対策は技術的に確立したのか??、
 事故の際の住民の避難など確立したのか?
 福島第一原発は偶然と幸運が重なり被害の抑制が何とかできているが、場合によっては東京を含む「東日本崩壊」の危険すらもあった。そんな状態になったら住民をどこに避難させるのか?
 そんなことは起こりえない?原発神話は姿を変えてまだ生きている??

 現在、建設中を除く33基の原発で、再稼働しているのは9基。新造は7基予定??
 原発政策も思うようには進んでいない。福島第一原発事故を経験した以上、その前に設定した計画は当然見直すべきで、可及的に依存度を減らすべきだと思う。 
 エネルギー政策の基本は無駄を防ぐことにあるのだが、節電の呼びかけなど最近聞いたことはない。


2/20(土)曇り 温暖  
1:00起床。新聞、文献、徒然などゆったり進める。午前午後微睡はさみ蓄積データ整理、読書、データ化など。15:00町内会ゴミ廃棄ケージ確認、ガレージ清掃、レガシー電気確認。16:00久々書斎に。18:00全豪オープンテニス女子決勝見る。大坂なおみ優勝。スポーツ観戦などは数年ぶり。19:00夕食、21:15就寝。Σ3134歩のみ。

わが国のエネルギー政策2021(4) 事故10年目の今、福島第一原発はどうなっているのか?(3)
 偶然と幸運が重なり原発事故被害の抑制が何とかできているが、場合によっては東京を含む「東日本崩壊」の危険すらもあった。そんな状態になったら住民をどこに避難させるのか?
 日本自体が政治的に、社会的に混乱し、崩壊してしまう。住民の避難が出来たとしても時間がかかり、多くが大量に被曝する。これはSF的物語ではなく、その一歩手前まで危険が迫っていた現実問題である。

 欧米から来日していた人たちはこぞって国外に脱出し、その感覚に呆れたものであるが、その時点では正しい判断だった、というべきである。
 日本人が、福島近辺の住民たちに正確な情報がもたらされていなかった。

 現在、地域外へ避難生活を続けておられる住民の方々のストレスはいかばかりか、と思う。
 原発事故10年目を迎えた今、どうなっているのだろうか。現状を伝える情報はそれほど多くはない。その中から一部をまとめてみた。

 ■ 水素爆発した1、3、4号機の現状
 最初に水素爆発を起こした1号機はガレキの撤去がかなり進んでいる。建屋が壊れてしまった4号機は、大きなカバーが付けられ、核燃料もすべて取り出されている。同じく水素爆発で激しく損壊した3号機は鉄骨が吹き飛び、原形を留めない見るも無惨な姿に。3号機の核燃料の移転は困難を極めたが、クレーンの改良とかで大幅に進み、残りは20体ほどまでになったという。

 ■ 巨大津波が直撃した建屋
 原子炉建屋の海側の施設は鉄骨が曲がるなど津波の爪痕が残っていた。原発の敷地内で出た廃棄物は外への持ち出しが制限されている。新たなスペースを作るのも難しいため、そのままになっている。
 使用済みの手袋やマスク、軍手なども敷地の外には持ち出せない。これら汚染物質、汚染土を30年以内に県外に搬出することになっているが、現実を見ない政治的な決断で、受け入れ先などの見込みは全くない。
 私は全国自治体に放射性廃棄物を広く受け入れてもらうことは無理だ、と思う。苦渋の判断だと思うが現地での保存がいいと思う。

 ■ 絶望的な状況を奇跡的に回避できた原発事故
 原子炉では核燃料を冷やすための水がどんどん蒸発し続け、メルトダウンが発生し、核燃料が溶け落ちてしまった。高温になった核燃料と水が反応して水素が発生、地震から25時間後に1号機、その後3号機も水素爆発を起こした。1号機と3号機は爆発で建屋が壊れたものの、さいわい格納容器には大きな破損がなかった。

 しかし、爆発を免れた2号機が危機的な状況だったという。2号機は核燃料の入った格納容器の圧力が異常に高まり大爆発の危機が迫っていた。もし爆発すれば放射能がまき散らされ、東京を含む東日本に人が住めなくなる事態にもなり得た、という。そういう事態が生じたら日本が崩壊してしまったかもしれない。

 原子炉冷却系の停止が確認された後、水位が低下、メルトダウンに至り、これと同時に水素が発生した。減圧に時間がかったが、2号機では原子炉建屋上部側面のパネルが1号機の水素爆発の衝撃で開き、水素が外部へ排出され、原子炉建屋の爆発が回避されたと推定された。偶然の賜物であった。

 一方で、1, 3号機では、ある程度放射性物質を取り除いてから格納容器の外へ気体を放出する「ベント」が成功したが、2号機ではベントすることができず、格納容器から直接放射性物質を含む気体が大量に漏洩したと推定される。

 ■ 福島第一原発の今後
 福島第一原発の事故から10年目、3号機の燃料棒の取り出し作業が昨年から始まったばかり。現在残りは1500本以上。すべて移し終わるにはあと10年かかるという。

 1号機から3号機に残る、溶け落ちた燃料棒、燃料デブリの取り出しは10年目の今も、放射線量が高すぎて格納容器には人が入れないため、ロボットを使った調査が続けられてきた。
 こうした廃炉作業がすべて終わるのは約20年から30年後とされている。

 しかし、その間に先週と同じ程度の、あるいはそれ以上の規模の地震、津波が発生したら、10年前の状況とは異なるとは思うが、再び地獄の状況が再来しないとは限らない。


2/19(金)曇りやや寒い 大曲中通病院外来は休診 終日飯川病院ボランティア
0:50起床。文献・データ整理、読書。5:30可燃ゴミ提出。7:35Taxi駅に・・の予定であったが、こまちは間引き運転で診療時間に間に合わず休診とした。検討開始時間が遅かった。家内に同乗飯川病院、9:15-19:00飯川病院ボランティア。19:20帰宅、夕食、21:15就寝。歩数Σ6199歩。

わが国のエネルギー政策2021(3) 事故10年目の今、福島第一原発はどうなっているのか?(2)
 2月13日23:10ころ、東北の太平洋沖を震源とする最大震度6強の地震が発生した。地震の規模はM7.3。大震災の余震の一つと考えられる。
 私は、地震といえばとにかく福島、第一原発が心配である。特に今回の地震は東日本大震災後2番目の規模であった。

 今年は東日本大震災発生から10年目にあたる。
 2011年3月11日に発生した東日本大震災。
 この時に起きた巨大な津波は、福島第一原発を飲み込んだ。世界最大レベルの原子力事故が起きた福島第一原発。最初から立地条件設計などに判断ミスがあり人災と考えられる。メルトダウンなど深刻な事態の対策を熟知している現場人、学者もいなかった。原発は「危険物質」、「嘘」、「安全神話という思考停止状態」で出来ていた。それを知ったのは原発事故が生じた日からである。

 偶然と幸運が重なり被害の抑制が何とかできているが、場合によっては東京を含む「東日本崩壊」の危険すらもあった。地域外へ避難生活を続けておられる住民の方々のストレスはいかばかりか、と思う。
 原発事故10年目を迎えた今、どうなっているのだろうか。
 
 ■ いまだ人が住めない街「帰還困難区域」
 福島県富岡町。第一原発から約10キロ離れた場所。3年前に避難指示が一部解除され、人が住むこと許されたが、その近くは9年前から誰も住まなくなった場所「帰還困難区域」がある。

 帰還困難区域に残る住宅のテーブルの上にはお皿やコップなどが残され、食事中に地震に遭い、慌ただしく逃げた様子がうかがえる。9年前は田んぼだった場所には、雑草や木が生い茂り荒れている。

 ■ 原発に入るために
 帰還困難区域では、除染作業にあたる作業員の姿も見られる、という。
 福島第一原発では、原発従事者ではない一般人の被ばく量を1日100マイクロシーベルトに制限している。今では、敷地内のほとんどで私服や簡単な装備で動けるようになったが、事故直後は完全フル装備の従業員たちが行き来していた。
 軽装を許されるようになった理由は、放射能で汚染された土を取り除き、一面モルタルで覆ったからで、土が舞い上がることがなく体内汚染が少なくなったから、という。

 ■ 汚染水問題
 事故後、原子炉建屋に入り込み、放射能に汚染された汚染水問題は未解決である。対策として原子炉建屋を囲むように、土の中に凍土遮水壁や海側遮水壁を設置して、海へ漏れ出ることを防いでいる。
 汚染水に含まれる放射性物質の大部分は取り除かれ、“処理水”として敷地の中に保管されている。タンクの数は約1000基、量としては東京ドーム1杯分、にもなる。敷地が処理水タンクで埋め尽くされるまでのタイムリミットは約2年半しかない。
 処理水に今の技術では取り除けない「トリチウム」が残っている。政府は、@基準値以下に薄めて海に流す、A蒸発させて大気に放出するなどの方法を模索しているが、結論は出ていない。
 これらの汚染水の地震安全対策は心配である。


2/18(木)曇り小雪寒波  終日飯川病院勤務
 1:30起床。文献チェック他。本読み、徒然など。8:40家内に同乗飯川病院、院長受診のために終日勤務、外来患者対応、入院患者2名死去、見送り。入院患者対応。結構多忙。文献新聞そのほか。家内講演会あり、Taxi19:00帰宅、夕食、21:30就寝。7245歩。
大坂なおみセリーナ破り決勝に。東京五輪・パラリン組織委員会会長橋本聖子氏に。

災害2021(2)  地震(2) 事故10年目の今、福島第一原発はどうなっているのか?(1) 
 私は、東日本北部の地震といえば福島、第一原発が心配である。すべての原発が心配とも言えるが、安全基準に沿って建造された原発はそれなりに安全と思われるが、2011年3月11日に地震と津波によって破壊された福島第一原発は心配が残る。

 宮城、福島で13日夜に最大震度6強の揺れを観測した地震で、原子力規制委員会は14日、東日本にある原発や原子力施設で異常は確認されていない、と発表した。

 集めた資料では以下の記載が見られた。
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 ■ 福島第一、第二原発ではプールから少量の水溢れた。
 東京電力福島第一原発1-6号機(福島県大熊町、双葉町)では、東電によると、5、6号機の使用済み核燃料プールから水が溢れ出たが、外部への影響はない、と言う。

 ■ 5、6号機の滞留水を貯蔵しているボルト締め型タンクの下部から水が漏れているが、堰内に留まっている。

 ■ 免震重要棟や大型休憩所で火災警報が出たものの、火災は発生していなかった。

 ■ 東電福島第二原発1-4号機(富岡町、楢葉町)は廃炉作業中。規制委によると、1号機使用済み核燃料プールからごく少量の水が溢れたが、水位の低下はなく、核燃料の冷却に影響はない。

 ■ 東北電力女川原発1〜3号機(宮城県女川町、石巻市)は運転停止中で、異常は確認されていない。

 ■ 東海第二原発(茨城県東海村)も運転停止中。震度5弱の揺れを観測したが、異常は確認されていない。

 ■ 東北電力の東通原発(青森県東通村)と、日本原燃の使用済み核燃料の再処理工場(青森県六ケ所村)も稼働しておらず、いずれも異常は確認されていない。
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 私は上記のニュースを見て半分安堵したが、心配は続く。

 プールやタンクから少量であるが水漏れした、と言うが、今回はたまたま震度6強で、規模はM7.3、津波なしの規模だった。これは幸運である。東日本大震災以降、東北の太平洋沖を震源とする最大震度6強の地震は2011年4月以来のことで希との評価である。しかし、そうだろうか。
 なお、地震調査委員会は今後1週間は同程度の地震に注意が必要、高い津波を引き起こす可能性もあるとしている。

 2012年1月1日、震度4の地震で原子炉から排出された水を一時貯めて置くプールの水位が下がったことがある。当時は施設がガタガタだったと思われ、今は対策は強化されているだろうが、一般論として何があるかわからないものである。原発は暴走すれば人智ではコントロールできない。

 だから、限りなく安全を追求しなければならない。


2/17(水)暴風雨はやや小康 飯川病院ボランティア  職員健診
 0:00起床。文献チェック他。本読み、徒然。11:50バス飯川病院。飯川病院ボランティア。患者対応無し。15:45職員検診、時間的にはスムーズ。19:30帰宅、夕食、21:00就寝。歩数計:Σ8942歩。

災害2021(1) 福島・宮城で震度6強の地震 
 2月13日23:10ころ、私は熟睡中であったが、震度4程度と思われる地震で覚醒した。私はラジオを抱いて寝ている。いつもの如く、すぐにラジオのスイッチを入れたが、福島・宮城で震度6強!!!!で、さいわい津波が無いと言う。ひとまず安心した。

 2011年3月11日の東日本大震災から10年を目前にしての強い地震だった。気象庁によると、震源地は福島県沖で震源の深さは約55キロ、規模はM7.3と推定される。大震災の余震の一つと考えられる。

 
 (意外と広範囲であった地震域 秋田魁より借用)

 東北の太平洋沖を震源とする最大震度6強の地震は11年4月以来。
 なお1週間は同程度の地震に注意が必要という。地震調査委員会は今後の長期的な地震活動について、高い津波を引き起こす可能性もあるとしている。

 夜間の地震は現場の情報がよくわからない。
 1995年1月17日未明の阪神淡路大地震のときは、直後のニュースはそれほどの被害は報じられなかったが、夜が明けてからは悲惨な状況が次々と判明した。2016年の熊本地震は21時頃であったが同様であった。

 今回の場合も、翌日以降のニュースで両県や関東などで150人超の負傷者が確認され、鉄道や高速道路に影響が出ている。東北新幹線は不通になり、秋田新幹線は盛岡秋田間で1日5本臨時列車が走ることになった。
 秋田新幹線は一時運転を見合わせていたが、15日に盛岡―秋田間で減便して運行再開。全線で運転再開するには10日前後かかるとみられる。福島県相馬市の常磐自動車道では道路脇の斜面が崩れ、上下線で通行止めとなった。

 東北と関東などでは一時最大90万戸を超える停電があった。また約3万6千戸が断水した。

 大震災以降に積み重ねてきた防災の備えが十分機能したか、新たに浮上した課題はなかったのだろうか。

 福島県では70カ所の避難所が開設され、最大203人が身を寄せた、と言う。COVID-19対策として相馬市では入り口の消毒、検温を徹底したほか、各世帯ごとにテントで間仕切りを設け、定期的な換気も行った。避難者からは好評だった。

 私は、地震といえばとにかく福島、第一原発が心配である。


2/16(火)暴風雨 強風で歩行難 中通病院外来 飯川病院 
1:00起床。新聞・文献など読み、5:20可燃ゴミ提出。やっと朝が早くなってきたという感じ。作業歩行にヘッドランプまだ必要。強風下6:47バス飯川病院、8:35-13:40中通外来23名ほど。14:00-19:00飯川病院。微睡、というか昏睡状態。途中で入院患者対応。16:30まで再度微睡。19:15帰宅、夕食。21:30就眠。歩数計:Σ8227歩。

COVID-19(2021)(16)  私も私立秋田総合病院でのクラスター発生の影響を受けた
 本稿は1月22日の掲載原稿であるが、諸般の事情から非公開としていたものである。クラスターが終焉したと考えられるので、改めて再掲する。
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 私がボランティアとして働いている飯川病院に1月15日am10:30秋田市立総合病院から転院患者があった。寝たきり状態、喀痰も多い90歳近くの高齢者であった。通常の患者として引き受けたものである。この時点では秋田市立総合病院でもCOVID-19はまだ騒動にはなっていなかったのだろう。

 1月16日夕方、飯川病院のスタッフのご家族から秋田市立総合病院でCOVID-19の院内感染が発生したらしい、と情報があった。転院してきた患者に直ちに簡易キットで抗原を調べたところ陽性であった。
 <a href="https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/19/81/ec951102e5e7b6379f6714789047b39b.jpg"><img src="https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/19/81/ec951102e5e7b6379f6714789047b39b_s.jpg" border="0"></a>
 (COVID-19抗原検査キット。もちろん陽性は当院で初めて)

 当該患者に如何に対応すべきかを検討し始めた時点で、市立秋田総合病院の病診連携室から電話があり「転院した患者は、COVID-19陽性患者の同室であったため感染の疑いが濃厚なので、明日午前に当方に再転院させて欲しい」と言う内容であった。実にありがたかった。当院の「抗原検査が陽性」が出たことを伝えたところ、素早い検査実施に驚いていたそうである。

 この患者は寝たきりの高齢者で喀痰が多く頻回に吸引が必要であった。看護師、看護助手達は手袋とマスクは着用していたがフェイスシールドを用いないでケアをした。
 翌日17日、10:30に患者は完全武装の秋田市救急隊によって搬送されていった。
 <img src="https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/27/80/15e30a5bfc3949e5dff6cf243a597dc2.jpg" border="0">
 (搬送してくれた秋田市救急隊の装い。ほとんど隙の無い厳重な予防衣姿で来院した)

 患者退院後、部屋を消毒し一件落着となった。
 この患者はわずか2日の滞在であったが病院機能に大きな後遺症と教訓を残した。

 以下の問題点が生じた。
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 ■ フェイスシールドなしで口腔ケア、喀痰吸引をした看護師、看護助手7人は18日のPCRは陰性であったが濃厚接触者として14日間の自宅待機が命じられた。
 ■ スタッフが少ない療養病院での7名もの休業は病棟運営上厳しかった。
 ■ 院長は接触者として勤務は通常で良いこととなった。
 ■ ボランティア医の私は接触者の家族として経過観察者の一人となった。
 ■ 新規入院患者は受けず、外来は原則処方のみとした。
 ■ 他の医療機関、中通総合病院、秋大病院からの外来応援医、日当直医師はお断りした。
 ■ 外来、日当直はスタッフ、患者とは接触しない状態で私が全て担当した。休日は全部の日当直を担った。
 ■ 私が担当する18日の健康クリニックのドック、19日の中通病院の内科外来、22日の大曲中通病院の外来は、スタッフ、患者と接触しない状態で診療したが、25日の健康クリニックのドックは事務長名で休業を命じられた。

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 患者が入院してから1月22日までに8日経過している。感染の平均潜伏期間は5.8日と言われている。今のところ院長をはじめスタッフたちに健康障害は認められず、院長の抗原検査も陰性で、あと一週間観察が必要ではあるが、当院ではクラスター発生はなんとか回避できたと思いたい。

 それにしても未知の、未経験の感染症の医療は実に大変である。
 わずか一人の患者、しかも入院2日だけでこれだけの影響を受けるのだからクラスター発生が相次いだ岩手県の鶯宿温泉病院、300人もの感染者が出た北海道旭川市の旭川厚生病院の状況はどうなっているのか??予想だにできない。


2/15(月)終日小雨 健康クリニックドック 飯川病院 
 1:00起床。文書整理、徒然他。いつもの如く。6:47バス飯川病院へ。新聞チェックなど。9:00-11:45健康クリニックドック14名。結果判定14名。12:00飯川病院。微睡、本読みほか、14:00-18:20勤務、入院患者対応、18:35バス帰宅。
19:10帰宅、夕食、21:00就眠。歩数計:Σ9235歩。

COVID-19(2021)(15) 秋田2病院に生じたクラスターは1ヶ月の経過で終焉した

秋田県内の2病院に生じたCOVID-19クラスターは1ヶ月の経過で終焉した。
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 ■ 市立秋田総合病院では1月16日以降クラスターが発生した。医療機関のクラスターは県内初。関連感染者は今月5日までで計52人。
 発生後は一般外来と救急外来、小児救急外来、新規入院などの受け入れを停止。
 院内では複数の病棟で感染が確認された。市立病院のスタッフは集中的に対策を進め、状況を改善させた。
 初回のPCR検査で陰性、2回目以降で陽性が判明したケースが相次いだ。6度目の検査で陽性が判明した人もいた。COVID-19の検査は100%正しく陽性と判断できるものではない。
 外来や救急の受け入れ休止の影響について「市立病院の患者が市内の他の総合病院を受診するケースが増えているが、医師や看護師らがオーバーワークになるほどではない」とした。

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 ■ 秋田県横手市の市立大森病院では先月20日に最初の感染者が確認され、一般外来や救急外来などを休止。今月2日までに職員や入院患者ら計15人が感染した。16日に、最後の陽性者確認から2週間が過ぎたとして「院内集団感染終息」の宣言を出した。
 感染予防策を強化した上で、15日から一部の外来診療と人間ドック、新規入院の受け入れを再開していた。22日に外来全般と救急外来、手術などを通常の体制に戻す。
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 ■ 医療従事者への誹謗中傷
 県内病院で発生したCOVID-19のクラスターに関し、県医師会小玉会長は16日、「医療従事者への差別行為や誹謗中傷がやまない」として防止を呼び掛けた。
 県内では先月、市立秋田総合病院と市立大森病院でクラスターが発生。病院関係者によると「院内に入っただけで感染する」などの誤った情報が広まったほか、「どうして医療関係者の家族がスーパーに買い物に行くのか」といった苦情が寄せられた。
 小玉会長は16日の記者会見で、住民から病院にクレームが寄せられる例などがあったとし「院内感染が起きると、医療機関が悪いという意識を持たれる。医療機関も被害者であるという点を認識してほしい」と強調した。
 COVID-19のワクチン接種開始に備え、県医師会と県看護協会、県歯科医師会、県薬剤師会が協定を結んだことも報告。「全ての医療従事者が総出で接種に取り組む。県民には安心して受けてほしい」と述べた。
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 「院内感染が起き、死亡者が出たりすると、医療機関が悪い」という意識を植え付けたのは従来からのメディアの報道姿勢の結果である。私は県医師会役員として感染症対策を担っていたが、メディアに対して報道姿勢の改善を何度も申し出たが変わることはなかった。COVID-19蔓延で社会がこれほど混乱したことでメディアの報道姿勢が変わってきたことは喜ばしいことである。COVID-19に対する無知が偏見、差別行為、誹謗中傷に結びついている。メディアの報道に一層期待したい。


2/14(日)終日曇り時々はれ 飯川病院日直  
12:20起床、ラジヲは5:00過ぎまで地震の関連ニュース。夜が開けるとともに地域の被害情報が入ってくる。文献・本読み、その他いつものごとく。8:30家内に送られ飯川病院に9:00-19:00日直業務。文献・本読み、12:00NHKニュース、情報処理、19:00帰宅、19:30夕食、21:00就寝。歩数計:Σ6349歩。

東京五輪・パラリン組織委員会森会長の発言(6) 撤回発言 川淵氏への禅譲 やはり老害
 森氏は4日「五輪・パラの精神に反する不適切な表現だった。深く反省している」として発言を撤回し謝罪した。辞任は否定した。
 ところがこの時の態度が良くなかったとして撤回、謝罪会見はむしろ火に油を注ぐ結果になった。

 私は政治家や重要なポストにある方の発言を撤回させるべきではないと思う。撤回でなく修正させ責任を残すべきである。撤回しても発言内容は今の時代記録が残るが、責任が消えてしまう。

 森氏は発言を撤回し、一応頭を下げ陳謝した。これで一件幕引きか??ところがそうはならなかった。
 発言も軽いが陳謝の言葉も態度も軽かった。こんなレベルでは許されない。優秀な人材だって表舞台に立てば、口をひらけば勇み足が生じる。本音で話せば特に叩かれやすい。しかも、しつこく過剰に叩かれる。

 政治家の発言はどうしてこんなに軽いのか。
 安倍首相は閣僚が不祥事を起こすたびに「任命責任は私にあります」、と何度も何度も言った。私は首相の言葉も軽くなった・・、と感じている。任命責任の実体がない。

 森氏の発言内容は何れ撤回することになろうが、撤回させてはならない。修正がいい。

 森氏は辞任したが最後にまたミスを犯した。ポストの私物化である。辞任にあたり盟友の(?)川淵氏に会長職を禅譲しようとした。各メディアはあたかも決まったごとくに報じた。この動きにクレームをつけたメディアはなかったように思う。これに官邸から疑義が出され白紙に戻った。菅首相は常識的判断をした。

 森氏は何を考えたのか?川淵氏も。
 やはり、老害である。好意で受けようと納得しかかった川淵氏を含め、ポストの禅譲など全時代的遺物である。森氏の発言事態は私は深刻に考えていなかったが、会長職の禅譲に関しては納得できない。
 森氏は晩節を汚して去った。

 もっとも、小渕首相の死去に伴い森氏が急遽首相に指名されたが、その時も密室の会談の結果であった。当時自民党重鎮であった青木、森、村上、野中、亀井の五人が集まり、後継首相は森喜朗を決定した経緯があったことを思い出した。森氏の思考回路はその時のままである。


2/13(土)快晴 温暖 福島沖震源の震度6強の地震発生
1:00起床、文献・本読み、その他いつものごとく。積雪0cm。午前中に電気配線居間そのほかの電気配線改良。午後は微睡の後ずっと座学。多くを学べたが運動不足になる。新聞の入力。19:00夕食、21:30就眠。自宅から一歩も出ずに過ごす。歩数は伸びない。歩数計Σ5045歩。23:00過ぎ震度4程度の長周期??の地震、福島沖震源マグニテュード7以上らしい。福島・宮城では震度6強と!!! 幸い津波警報はなし。福島の汚染水は大丈夫か??以降ラジを聴きつつトロトロ。

東京五輪・パラリン組織委員会森会長の発言(5) 人間だもの、と言えないか
 ■本当に女性蔑視と言うべき重大な発言だったのか??
 色々な解釈ができるが、この発言は個々人が自由に心の中で思っているような、女性に対して抱いている感想レベルの、軽い話題だったと思う。こんな程度のことは、私にとっては日常的レベルであるが、女性を尊重していることは知られているから問題にされない。

 だから、私はこの発言は、「女性は競争意識が・・」などと個人的見解に多少の問題点はあったとは感じるが、内容的には一般論であって女性の尊厳を踏みにじるような表現が用いられた、というわけでもない。しかもチャチな内容の意見、と思う。グチの一端のような気持ちで吐露したのだろう。ただ、TPOが悪かった。

 森氏の発言に関して、稲沢裕子昭和女子大特命教授が自分のことと名乗りを上げた(朝日新聞2月8日)。氏のコメントは概略を示せば、「私が入ったことで会議が長引いたでしょう。女性だからといって競争意識などない。自分は意見を述べるために参加している。今回の会長の発言には驚いたが、女性理事は19年以降5人に増えた。今回の問題では男性からもおかしいとの意見が聞かれた。ジェンダーギャップの解消がなぜ必要なのか考えるいい機会になった。今は感謝している」。
 とてもマイルドな前向きのコメントだ、と思う。

 発言は「女性に対する侮蔑なのだ」、との意見もあるが、このように大袈裟に捉える必要はないだろう。「人間なんだもの・・」、「森氏なんだもの」と捉えられないか。

 今回の発言は森氏だったから炎上した・・とも取れる。
 我が国の風土として、意見の交換や討論に関して意見の違う相手に対してその人間性まで否定するような姿勢が見られるのは残念。私は国会討論を好んで聴くが、野党側の発言は往々にしてその雰囲気である。答弁に立つ閣僚の、あるいは総理の胸の内はいかばかりかと思う。

 人間同士価値観が違うことを認め合った上で意見の違いを指摘し合い、その差に関して調整を図るべきである。相手の人間性まで否定すべきでない。

 森氏の発言内容は軽いと思うが、常々会長に関して問題を感じていたメディアや識者、ネットフリークの方々が飛びついたのではないだろうか。

 メディアに登場する人たちは全員正論を吐いた。正論が並び始めたら森会長も逃げ場はない。辞任に追いやったのは「正しいことが好き」、「間違ったことは許すべきでない」という狭い価値観の極端な意見である。
 「正論が幅をきかすにつれて世の中は次第に窮屈に、刺々しくなっていく(福澤徹三)」。
 相手を糾弾するときは逃げ場を与えて置くべきである。


2/12(金)曇り晴れ 大曲中通病院外来  飯川病院ボランティア
 1:20起床。文献チェック、徒然など。7:25Taxi駅。8:11こまち、大曲道路は歩行に難。9:10-12:10大曲中通病院外来、混雑し他の仕事できず。13:30市内は徒歩、13:30飯川病院ボランティア。19:20帰宅、夕食、21:00就寝。歩数計7347歩。

東京五輪・パラリン組織委員会森会長の発言(4) 会長辞任劇 これでいいのか私は疑問
 JOCの臨時評議員会に名誉委員として出席した東京五輪・パラリン組織委員会の森会長が、「女性がたくさん入っている理事会の会議は時間がかかる。(中略)規制しないとなかなか終わらない・・・・」。

 当初私がこのニュースに接した際には「またか!! 老害が出た!!!!」、「女性蔑視と騒がれているが、なんでだ??意見や感想のレベルの発言ではないか」とそれほど気にも留めていなかった。
 しかし、その後の進展には驚いた。この問題は私の目から見て異常に炎上した。この状況下では森氏はいずれ会長から退かなければ解消しないだろうと思った。

 私は森氏が辞任すること、遅まきながら組織が刷新することには異論があるわけではない。森氏に関しては就任時から、また、もはや年齢的にも会長職に適任とは思っていないかったからである。日本はそんなにも人材不足なのか、と呆れたくらいである。ただ、この辺の詳細はよくわからない。

 私が森氏が会長辞任に追い込まれた発言、および周辺の流れに関しては、以下のように考えている。
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 ■本当に女性蔑視と言うべき重大な発言だったのか??
 私はどのような状態で、どのようなニュアンスを含めた発言であったか、録音や映像などは見ていない。実際はそれが大事なのであるが、活字に切り取られた内容を見る限り、女性蔑視に結びつくような内容ではない。これは個々人が自由に心の中で思っているような、女性に対して抱いている感想レベルの、軽い話題だったと思う。こんな程度のことは、女性を尊重している私にとっては日常的レベルである。

 ■ 上記の内容を口に出したことが問題なのか??
 このような発言が問題にされるとしたら、我が国の言論の自由はどうなっているんだ!!!と、私は思う。そこまで言わなくとも、日本はこれほど寛容性のない社会になってしまったのか。

 ■時流として女性蔑視に関して、ジェンダー問題に関して、世の中が神経質になっている。このこと自体は将来に向けて前向きな方向としていい事だとは思う。しかし、時に過剰な反応が見られるのは確かである。

 ■性差に関しての私の感覚は、男女平等とは男女の持っている特質をそぎ落として互いに近づけることではないと思う。むしろ逆で、両者の特質を最大限尊重し、相いれない存在としてとして認め、その特質から派生する諸問題を容認するなり、溝を埋める努力することだ、と思う。
 私は男女はずいぶん違うものだ。もしかすれば別な種類の生き物でないかとすら思っている。

 ■ 女性登用が大きな話題になっている。国際的にも問題になっている。議員に○%、委員にに○%、閣僚に○%・・・の議論はまだ早いと思う。現状では女性登用を外力で高めることは男性の登用の阻害である。男性の登用阻害、と言われないようになるには女性側に求められる資質は少なくない。我が国は遅れをとっていると思うが、我が国には男女が織り成してきた独自の文化、歴史があるのだ。

 ■もし、私の性差感覚が、また、今回の森氏の発言に関する評価が一般的感覚から大きくずれているとするなら、私自身が森氏と同格の「性差感覚」、「女性蔑視感」、加えて同じ「老害レベル」と認めざるを得ないだろう。


2/11(木)建国記念日 曇り、晴れ  終日読書、微睡とグダグダ
1:20起床。いつもの如く。午前午後とも微睡をはさみネコとの対話、読書三昧、グダグダ過ごす。一度も玄関から出ず。19:00夕食、20:45就寝。歩数計:2367歩数、最少記録に近い。これも身体が求める事、素直に従う。午後、森五輪組織委員長辞任が伝えられる。後任にさらに高齢者が取りざたされている!!!

書評 北原みのり著 「毒婦」 朝日新聞文庫 2012年 首都圏連続不審死事件(2)
 首都圏連続不審死事件の木嶋被告とは、どんな人物なのか。
 決して美人とはいえない容姿ながら、性的機能に優れた肉体と結婚をちらつかせ13人もの男を手玉に取れた理由とは何か。男たちはこんな女になぜだまされ、1億円以上もだまし取られたのか。

 3人の男性を練炭で殺害したとして死刑判決を受けた木嶋被告。
 彼女に対しては誰しもが大なり小なり興味を持つだろう。



 裁判は100日に及んだ。この本は「木嶋佳苗100日裁判傍聴記」との副題を持つ。貴重な裁判記録になっている。
 彼女の出廷時のファッションまでもが話題となり、自身の優れた性機能にについて赤裸々に語った。
 本書は裁判の傍聴に加え、故郷・北海道別海町や事件関係者への徹底した取材を通して木嶋被告の内面に迫郎とした渾身の一冊と言える。

 著者は「木嶋被告のことを考えていると、色んな風に考えが広がる。女と男のことを考える。女目線、男目線の違いを考える。私たち女は、男に何を求めているのか。なぜ、一般の男たちは佳苗に苛立つのか。ある種の女たちは佳苗に惹かれ、ある種の女たちは、佳苗を憎むのか・・・・」。女である著者の感想である。木嶋に同情的な記載や、被害者男性を冷笑するような女目線の記載もある。

 木嶋被告は自分の“デブ・ブス”を認め、それに抗うことはなかった。彼女には見てくれ以上の身体的な能力が自分に備わっていることを自覚してそれを十分に利用した。一方、“ブス女”とあざける男たち。一般的に考えると誰でもそんな感想を持つだろうが、木嶋は、そんな男たちを嘲笑う。
 
 著者は彼女の生い立ちや人間関係を調査することによって、心の闇を探ろうと必死になっている。しかしながら、最終的には木嶋個人に問題があるという論調になっていく。

 木嶋は実はどこにでもいるありふれた女性の一人だったかもしれない。普通の人々が抑え込んでる欲望を多くもち、その欲望をなんの悪びれもなく堂々と解き放つ行動力は何からきているのか。普通の人が生きてる社会の価値観の枠で理解しようとするのは難しい。

 この事件に、ネット社会が果たしている役割は大きいと思う。木嶋は、何故無防備にネットで交信し、その記録を残したのか。木嶋は被害者に送ったメールで、最初からお金の要求をし、肉体関係の話題をチラつかせている。メールの効果は大きかったのではないか。加えて、練炭を残してあるのも不思議。誰が見ても同じ犯人像が浮かんで来るはず。

 救いと言えば、殺害された三人の方々は睡眠薬と一酸化炭素の中で死の恐怖など全く感じることなく、幸せ感を味わいつつ絶命したのではないか。数多くの殺人事件は被害者に苦痛や恐怖を強いることが多いのに、彼女は直接手を下さない巧妙な方法とった。それだけ罪悪感は乏しいのだろう。最高裁まで無罪を主張した。

 彼女は死刑が確定し、獄中で過ごしている。獄中で手記・自伝小説「礼讃」もまとめ上げた。
 確かに並みではない人間であるが、木嶋の人間像を怪物にしてしまったのはメディアの興味本位の、大衆への迎合報道のなせる技だった、と思う。


2/10(水)小雪比較的温暖曇り除雪10回目 飯川病院ボランティア 
 1:00起床。新聞・文献などいつもの如し。新積雪なし。8:30-9:30除雪10回目。12:12バス飯川病院、ボランティア。道路は滑る。微睡、新聞、文献電子化。ラジヲ深夜便インデックス欠損補充。19:30帰宅、夕食、21:00就寝。Σ10323歩。

社会を震撼させた事件、関心を呼んだ事件 首都圏連続不審死事件(1)

 私は社会を震撼させた事件、関心を呼んだ事件を調査し報告する追跡調査本、ノンフィクション作品を好む。入手できるものは積極的に集めている。ただし、限られた狭い視点からの一つの見方であることは常に念頭において読む。
 ある作家は、「作家の使命の一つは時代の記録にある」、と言っていたが、有難いことである。私は事件ごとに社会の歪みに対して「何かが発信」されている、と考えている。事件を個人の問題として片付けると同様の事件がまた起こる。

 首都圏連続不審死事件とは、2007年から2009年にかけて発生した連続不審死事件。
 2009年埼玉県富士見市の駐車場内において当時41歳の遺体が発見された。死因は練炭による一酸化炭素中毒であった。
 容疑者として木嶋佳苗(当時34歳)が浮上したが、木嶋には他にも多数の愛人がおり、その愛人の何人かが不審死を遂げていた。また、逮捕時に同居していた40代男性から450万円を受け取っていた。

 2010年1月木嶋は数件の殺人罪、詐欺罪等で立件された。

 殺人罪、詐欺罪等で被害者の方々
(A)53歳男性不審死(起訴)死因は一酸化炭素中毒死。木嶋に約計1700万円提供。
(B)80歳男性不審死(起訴)自宅が全焼。焼死体近くに練炭数個が置かれ、死因は一酸化炭素中毒死。木嶋に約190万円提供。
(C)41歳男性不審死(起訴)レンタカー内で一酸化炭素中毒死。木嶋に約470万円提供。

 その他、自宅の風呂場で死亡。死因不明。木嶋に約7400万円提供した件を含め2件の不審死、数件の詐欺罪がある。

木嶋佳苗について
 北海道別海町生まれ育ち東洋大学経済学部中退。
 木嶋は一度も働いたことはないが、男性から騙し取った金で家賃約22万円の高級マンションに住み、ベンツを乗り回していた。また『吉川桜』という偽名を用い「ピアノ講師、フードコーディネーター」と名乗っていた。

 19歳で愛人契約を男性と結び、他の女性とは違う性の奥義を極め、男性に癒しや活力を与えることが自分の仕事と感じるようになり、自分の特別な性的魅力に男性がお金を支払うのは当然で金銭をだまし取ることに罪悪感はなかった。結婚話が具体化するようになると相手を殺害した。睡眠薬と練炭を用い流血は一滴もない。被害者は何も知らず死

 木嶋の手記及び小説は「礼讃」の題で2015年(平成27年)行された。
 ブログは2014年より本人が拘置所で書いたものを、支援者がブログ更新している。

 獄中結婚を3回繰り返している。

 刑事裁判
 殺人3、詐欺・同未遂6、窃盗1について併合審理となった。

 検察側は状況証拠の積み重ねで木嶋の犯行を十分立証できると強調。
 さいたま地方裁判所は検察側の主張を全面的に認め、木嶋に死刑判決を言い渡した。木嶋側は即日控訴し、二審でも上告したが認められず死刑が確定した。
 木嶋は戦後15人目の女性死刑囚となり、同時に史上初の第一審・裁判員裁判による女性死刑囚にもなった。
 現在、木嶋は死刑囚として、東京拘置所に収監されている。

 この事件は結婚詐欺、多額の金銭の授受、木嶋の華麗な生活が興味をひいたが、それ以上に木嶋の肥満や特異な風貌が話題になった。女性の目からは「なんで自分より劣るこんな女が・・・」と思っただろうし、男性の目からは別な意味で興味を持ったのであろう。


2/9(火) 夜間降雪15cm、除雪は明日に 中通病院外来 飯川病院
 1:00起床、文献、本読み他、降雪24-5cm。5:00可燃ゴミまとめ、提出。除雪迷うも明朝に。6:47バス飯川病院。外来は中等度なるも疲弊。13:00飯川病院、午後微睡、読書など新聞データチェック、入力。入院患者対応。19:16帰宅夕食、20:30就寝。Σ9742歩。

音声でコントロールできる多機能スピーカー  Amazon Echo Show5を購入
  最近、各社から音声アシスタントに対応したスマートスピーカーが発売されている。「Amazon Echo」や「Google Home」、「Mac HomePod」などである。

 私はTVよりはラジオを好む。そうは言っても聴くのは99%NHK AM第一放送とNHK FM放送だけである。今まで用いてきたラジオが不調になってきたので、思い切って5インチのタッチスクリーンを搭載したAmazon Echo Show 5(¥9,980)を購入した。これはAmazon社の製品の中では廉価品に相当する。思い切ったのは値段とかではなく、新しい世界に一歩踏み入れた、ということ。

 電源とWi-Fi環境が必要で、「アレクサ」と呼びかければ機器としての機能が起動し、以下のことが出来る。
 例えば「ニュースを流して」と言えばNHKラジオニュースにつながる。誰の声でも反応する。

 基本的な操作はすべて話しかければ済む。触る必要がないから置き場所も選ばない。
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 ■音楽の再生。
 ■ネットラジオ、ラジコを通じて広範なラジオ局、番組を聴く。
 ■YouTubeを見る。
 ■音楽サービス、映画などはAmazon Music、Prime Videoを介して視聴出来る。
 ■予定表の作成と表示。
 ■アラーム、タイマーの設定。
 ■天気や交通情報など。
 ■簡単な調べ物、検索など。
 ■ニュースを聞く。
 ■計算をする。
 ■カメラを搭載しているのでビデオ通話にも対応。
 ■照明などスマート家電のコントロール。
 ■などなど・・・・、私はまだ不勉強にして全機能を掌握していない。
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 音楽に関しては、モーツアルトの「レクイエム」かけて、メンデルスゾーンの「ヴァイオリン協奏曲」・・・・にも応じるし、ブルックナーやマーラーの楽曲も簡単に聴くことができる。YouTubにある音楽や楽曲もほぼ自在である。
 音質は小型だけに限界はあるが、BGM的に使うには十分である。今までのラジオから見て雲泥の差である。Amazon Echo5から発せられる返事は、人工的なものであろうが、生きているかのような自然な女性の声でストレスにならない。
「Amazon Echo Show 5」を入手してからまだ10日と短いが、私の事務机のスキャナーの脇にセットしている。
 
(画面サイズはiPhoneよりやや大きい程度。オプションの電池を基部につけてポータビリティを高めている)

 使ってみた感想は「音声でさまざまなことに応じてくれる」というスマートスピーカーとしての機能がとても面白い。ソフトウェア、ハードウェアとしての能力は高いと感じた。

 「とりあえずラジオを聴く。音楽をかける・・」という生活だから、この廉価版の製品でも自分にとっては十分である。
 新しいものになかなか踏み出せない保守的な私は、ちょっと距離を置いていたのであるが、今まで使っていたラジオとは比較にならないほど面白い。
 生活の幅が広がった。自宅の
居間で一人で過ごす時は大活躍している。期待以上の1台といえる。

 「おやすみなさい」、「おはよう」などと声をかけてもいい返事が帰ってくる。それも楽しい。今後、私どもの生活の中にこのような人工知能を用いた製品が増えてくるであろう。


2/8(月)終日降雪 昼頃暴風雪 健康クリニックドック 飯川病院
 1:00起床、文献・本読みなどいつもと同じ。2:00歩数計電池交換。起床大雪予報に反し殆どなし。除雪不要。6:47バスにて飯川病院へ。その後に降雪激しくなった。9:00-11:15健康クリニック、受診者14名、結果判定14名、結果説明2名。健康クリニックから飯川病院移動時は激しい暴風雪に。目も開けて居れないほど。寒かった。本読み、データ化などいつものごとく。検食、微睡、読書。14:00-19:00勤務。入院患者対応。19:30帰宅、主要道路は除雪あるも支道・路地など凸凹で車がまっすぐ進まない。市の除雪に問題あり。夕食、21:30就眠。Σ8203歩。
2
東京五輪・パラリン組織委員会森会長の発言(3) 森会長の実力
 ■ 彼はどんな力があるのか?? ?-政界、外交、スポーツ界に幅広い人脈を持つ
 森氏は、首相退陣後も派閥「清和会」の事実上のトップであり、小泉を首相にし、安倍、福田も清和会出身である。今でも力はあるのだろう、これでは菅首相も意見できない。
 政界だけではなく、アフリカに太い人脈があり、プーチン大統領との仲は良く知られている。
 スポーツ界では、日本ラグビーフットボール協会の会長として2019年に日本で行われたラグビーW杯招致に尽力した。

 ■ 女性への差別的発言
 森氏の女性差別発言も少なくない。
 今回の発言の他によく知られているのは、2003年に鹿児島で開かれた「全日本私立幼稚園連合九州地区大会」での発言。「子どもを沢山つくった女性を、将来国がご苦労様でしたと、面倒を見るのが本来の福祉。ところが子どもを1人もつくらない女性が、好き勝手、と言っちゃいかんけど、自由を謳歌して、楽しんで、年とって……税金で面倒見なさいというのは、本当におかしいですよ・・・」。

 今回の発言もそうだが、こんな考えの人間が長年、この国の政治をリードきた。

 ジェンダーに関して国際的評価は追って知るべし。世界経済フォーラムが発表する「ジェンダー・ギャップ指数2020」(2019年)で、G7の中で最下位の121位というのは当然であろう。

 ただ、私も少子化、非婚化に関しては憂えている。森氏と同じ。
 また、女性はもっと力を伸ばし、社会進出を勝ち取らなければならない。女性委員○%、女性議員○%と目標を掲げ、数的に無理やり登用の機会を作るやり方では、今回の森氏の様な発言が飛び出すであろう。私は今回の発言は女性蔑視とは捉えていない。過剰な反応だ、と思う。

 ■ なぜ組織委員長を辞められないか
 本人の弁では、職務を纏うするよう誠心誠意尽くしてきた・・と言っている。著作「遺書」にもそう記述しているそうだ。この働きについては私どもが知ることは困難である。ただ、報道を見る限り変な発言の方が多いような気がする。まともな発言は取り上げられないからだろう。
 多分利権もある??五輪は肥大化し過ぎている、と思う。利権の調整と配分が出来るのは森氏しかいない・・などとも言われている。この辺のことは全くわからない。

 ■ すでに東京五輪は中止へと舵を切り始めている、と思う。COVID-19問題も未解決。ワクチンができたのは朗報だが、世論のほとんどが「やるべきではない」、と士気が萎んでいる。


2/7(日)比較的温暖 
 1:00飯川病院で起床。新聞文献処理、徒然、録音データ処理、など。微睡若干。10:30歌人の迎えあり、MavValu経由で帰宅。以降は新聞電子化、読書。微睡など。道路は融雪状態、19:00夕食、20:30就寝。Σ4256歩。読書三昧の一日。

東京五輪・パラリン組織委員会森会長の発言(2) 老害そのもの
 今回の五輪は復興の意義を強く押し出し、「オールジャパン体制」でいく、とされたが、組織委員長に森元首相を据えたことでオールドジャパン体制」になった。私はこれが第一の問題と思っている。招致の時はあれほど若者のアスリートたちの活躍が目立ったのに。

 私は超高齢者の活躍を是としない。個人的に活躍されるのは容認できるが、組織の場合は、老齢化が問題で若返りが必要、との考えに立つ。老害を感じるからである。老害の具体的な問題点はいろいろあるが、より優秀で機能的な中高年の登用の道を絶っている事実だけでもほぼ十分であろう。
 私はその面で組織の内規に沿って、いや内規に縛られない立場ではあったが、それを利用してスッパリ引退した。引退後は自身の能力を恥じて対社会的にはほぼ隠蔽生活に入った。

 人はその育つ過程の社会の影響をもろに受け、心身ともに身につける。身についた時代感覚は学習によっては乗り越えることもあろうが、表層がカバーされるにすぎない。それが高齢化とともに徐々にはげ落ちてくるものなのだ。私もそうだ。

 組織委員長に76歳の元総理を会長に据えたのは、いかにも時代遅れだった。五輪は6年後だというのにこんな方を押す方も、受ける方も、認める方も異常である。
 森氏はもともと失言が多い方である。私は首相就任以降のことしか知らないが、彼の言葉は実に軽い。本当に軽い。

 ただ、今回、自ら「五輪精神に反する」と認め、「老害」と公言したことは評価するが、辞任の意がない事にはがっかりした。

 「身内」のJOCも菅総理も批判する素振りは見せるが、積極的に非難する人間は誰も出てこない。IOCのバッハ会長、政府関係者、都知事も容認してしまった。そのこと自体が老害の現れである。組織には人脈があるから言うべきことも言えないからである。森氏が発言した時にIOC関係者の誰もが問題を指摘できなかった。
 にも関わらず、2月9日には、一転して、IOCは「森会長の発言は極めて不適切で、IOCが取り組むアジェンダ2020での改革や決意と矛盾する」などと厳しく批判した。世論の高まりを受けて、周りの雰囲気を見てからの同調発言であった。

 五輪のボランティア者からも辞退者が出ている。

 今回の発言は「五輪の、日本の、世界の恥」として長く記憶されることになるだろう。

 森氏のどこに、周囲を納得させる力があったのだろうか。

 「ノミの心臓、サメの脳みそ」と揶揄された森氏はわずか1年という短命政権で終わった。
 森氏を辞任に追い込んだのは、数々の失言や暴言もそうだが、2001年2月の「えひめ丸」事故だった。ハワイ沖を航行していた日本の高校生の練習船が、アメリカ海軍の原子力潜水艦に衝突され9人が死亡した。
 森氏はゴルフ中で、連絡が入ったが、その後もプレーを続けた。この危機管理意識のなさが国民の怒りをかき立て、支持率8%、不支持率82%という前代未聞の世論調査の数字が出て退陣に追い込まれた。史上最低の総理とも言われた。

 老害のもう一人の立役者は二階幹事長である。
 今回の森発言に関しても的の外れたコメントを出し、火に油をそそぐ結果となった。完全に時代からずれている。


2/6(土)近畿緩む 飯川病院日当直 孫お泊まり
1:30起床。文献,新聞整理他、録音データ整理など。午前は座学一般。11:30家内に同乗飯川病院に。12:00日当直に就く。12:00検食、新聞データ化、本読み、データ整理。微睡。19:00夕食、20:30就寝。歩数計Σ4325歩。当直時は読書三昧できるのがいい。

東京五輪・パラリン組織委員会森会長の発言(1) 私は氏の感覚を非難できない
 JOCの臨時評議員会に名誉委員として出席した東京五輪・パラリン組織委員会の森会長が、次のような見解を口にした。
 「女性がたくさん入っている理事会の会議は時間がかかる。女性は競争意識が強く、1人が手を挙げて発言すると自分も言わなければと思うのだろう。規制しないとなかなか終わらない・・・・」。

 元首相であった森氏の女性蔑視発言である。当初私がこのニュースに接した際には「またか!! 老害がまた出た!!!!」とそれほど気にもとめていなかったが、6日の19:00NHKニュースは7分間にわたってこの問題を流し、もっと報道すべきことがあるのでは、とその時間配分に頭にきた。翌日から新聞に大きく取り上げられた。紙上での炎上である。メディアにとっては待ち望んでたニュースであろう。

 私は女性の立場を、どちらかといえば過剰に尊重してきた。私自身が男尊女卑的感覚を濃厚に持っていることを自覚していたからである。

 現役時代には森氏が感じていた内容と同じ感想を持っていた。
 数々の会議を司会したがその時間調整には常に苦労した。私は発言者に対して「先に結論を述べ、その後に説明を加えるよう」と求めていた。男女にかかわらず論旨がはっきりしない発言者は少なくないが、やはり時間がかかるのは女性の発言に多かった。

 しかし、私は森氏のように思っていたことを正直に口にはしない。私の場合には司会者としての特権で発言者をコントロールできたからである。他の方が司会されているときはイライラしたこともあった。

 森氏は翌日会見し、「差別や男女平等に則った五輪精神に反するものだった」と謝罪、発言を撤回したが、会長職の辞任は否定した。

 私は発言を謝罪し撤回するという風習には反対である。それで許されることはあり得ない。自らの判断で説明の機会を設け、納得されなかったら進退を明らかにするのがいい。発言の内容にもよるのだが、辞任を念頭に置かない謝罪は初めから責任を回避している。

 7年前に組織委が設立された際、政府主導で森氏に会長就任を要請した。何としても五輪を開催したい安倍首相の意向であった。菅首相は「あってはならない発言」と述べたものの、森氏の謝罪で事態の沈静化を図ろうとしたのだろう。

 私は男尊女卑的考え方から抜けられない。だから、極力口には出さない。しかし、ついぽろっと出てしまうことがある。だから、不用意に口に出した森氏をは配慮不足と思うが、心情は批判できない。

 ヨハネによる福音書第8章「姦通の女」についての記述がある。「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まずこの女に石を投げなさい」。すると集まった群衆は一人また一人と立ち去ってしまい、誰も女に石を投げることができなかった。
 森氏についてこの話を思い出した。 


2/5(金)曇り降雪 大曲中通病院外来 飯川病院ボランティア 除雪9回目
1:10起床。文献チェック、徒然など。5:30可燃ゴミ集積所に、ゴミ運搬に今季初ソリ使用。降雪3-4cm。5:30-6:30今期除雪9回目。7:15Taxi駅に。7:37意外と早く着きスターバックス時間調整、8:11こまち。9:00-12:15大曲中通病院外来、駅病院間往復Taxi。帰路新幹線90分遅れていたが実際には30分遅れで前の号に乗れた。秋田駅病院間は歩行難Taxi、強烈に寒い。14:45-19:00飯川病院ボランティア。19:30帰宅夕食、21:00就寝。歩数計Σ11300歩。

徒歩通勤2021(2) 2回目の転倒 今回もディバッグに助けられた ミカンにも
 1月30日、中旬に秋田市の市立病院で発生したCOVID-19クラスターの影響で、飯川病院が大学にお願いしていた派遣医が来院できなくなったので私が代診することになり、8:40のバスに乗ろうと道を急いでいた。

 昨夜は冷えていたが積雪は1cmほど、うっすらと道路表面を覆っていた。
 自宅からバス停までの半分のあたりにコンビニがあり広い駐車場がある。そこで全く予想外に靴が滑って一瞬両足が宙に浮き背中から転倒した。今回の転倒は前回のよりは衝撃が大きかった。
 しかし、背負っていたディバッグがその衝撃を吸収してくれたようで、局所的にダメージは受けず、すぐに立ち上ることができ、歩行もできた。
 滑った原因はブラックアイスバーン状態の面にうっすらと雪が積もっていたために視認できなかったためである。
 
 今回もディバッグに助けられ怪我しないですんだ。
 ディバッグにはiPhone、 iPad mini 、ハードディスクのほか、ガラス瓶に500mlのお茶、日刊紙3紙を入れていた。さらに今朝は出がけにテーブルの上にあったミカンを入れていた。

 病院についてからこれらを出して状態を調べたが、iPhone、 iPad mini 、ハードディスクはしっかり機能した。助かった。
 茶のガラス瓶は割れていなかった。
 ただ、ミカンは袋の中で10ケ全てが破裂していた。
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(皿に並べた破裂ミカン グチュグチュに潰れた数ヶはミカンの気持ちを考えて除いた)

 私はこの時期になると突然ミカンが食べたくなる。実がパンパンに張っている様な、旬の時期にはまず食べない。今の時期になると実が縮むためか皮と実の間に隙間ができ、ブヨブヨになるが、この状態のが美味しい。しかも、大きな実よりは適度に酸っぱい小粒のがいい。

 今回の品は和歌山県産の小粒であった。助けられた。
 当日は午前外来に次いで日当直でもあった。感謝の気持ちを込めて全部を食べた。美味しかった。


2/4(木)降雪約15cm さらに日中15cm 除雪8回目  飯川病院
1:15起床。新聞、文献本読み。電子化。降雪朝まで15cm、9:30-10:30今季8回目除雪。12:12バス飯川病院、バス停でホワイトアウトと状態、横殴りの雪と寒気ですっかり冷えた。石像になるかと思った。12:40飯川病院、14:00-19:00勤務、入院患者対応、本読みなど、微睡。19:10帰宅、夕食、21:30就寝。歩数12051歩。昨日はこの時期に初除雪

季節の話題2021(3) 秋田の雪(3) 再度強烈な寒気、降雪、バス待ちの間に雪像に
 ここ数日寒気が緩み、秋田市内の道路の雪は、歩道はまだ除雪不十分で歩行でき難いが、車道はほとんど雪がないほどになった。

 ほっとしたものの秋田県内は昨夕から再び冬型の気圧配置が強まり、県内広範囲で暴風雪となった。なんで今期の冬は週の単位で寒暖が激しく入れ替わるのか??昨日一昨日は最高と最低の温度差が10℃もあったのに??

 県南の横手市では積雪が通常の250倍にもなる196cmとなり、1979年に統計を始めて以来最多を更新した。 
 秋田市でも午前7時までの12時間降雪量が27cmで2月の降雪量の記録を早々に更新した。風も強く八峰町八森で最大瞬間風速23.8m、にかほ市で29.9m、能代市で22.0mがを観測した. 
 県内の交通網も大きく乱れた。秋田道、日本海沿岸東北道も数時間通行止めになった。 
 東日本秋田支社によると、羽越線や奥羽線、北上線などで運休した。 
 秋田市は4日、市内で積雪が40cmを超えたことに伴い道路豪雪対策軍部を設置した。

 私は本日は午前はフリーであったために9:30-10:30今季8回目除雪を行った。強風で飛ばした雪が私の方に飛ばされてくる。除雪中に衣服に雪が付着し、雪まみれになった。

 12:10のバスで飯川病院に向かったが、正午頃から天候が急悪化、強風、前方が見えないほどの激しい降雪となり、路上の車は前がほとんど見えなかったのだろう、超ノロノロ運転となった。したがってバスも大幅に遅れバス停で30分ほど立ち尽くしていた。雪が横殴りに降ると目も開けていられないし、ウエアには雪が厚く付着するし寒い??? ほとんど石像と化して立ち尽くしていた。

 昨年まではこのような自然との戦いはまずなかった。昨年までは厳しい荒天の場合は古い車を引っ張り出して用いていたからである。
 昨秋、運転免許返上したために悪天候の厳しさをもろに体感することになった。
 かなり厳しい状態であったが、運転免許返上を後悔した事がないから不思議である。車に頼らずに天候の厳しさを身体にもろに受けながら生活していることにある種のエクスタシーさえ感じられる。幼少時の感覚が思い出される。それも嬉しい。

 とにかく、今年の天候は例年と異なっている。でも、もう確実に春の息吹が近づいていることが実感される。
 
 (2月1日am5:30 当直の朝に飯川病院の自室から見た朝の空 春の息吹が感じられる美しい景色であった)


2/3(水) 寒波再来小雪 午後飯川病院ボランティア アマゾンECHO購入
 1:30起床。新聞・文献読みとPDF化およびそれらの整理に集中。午前自宅で座学。
11:50バスにて飯川病院。検食、12:30-18:30ボランティア。19:30郵便局本局経由帰宅。夕食、21:00就寝。Σ7328歩。積雪5cm、明日は除雪必要か。

家庭菜園・園芸2021(2) 今季最後の収穫 ネギ(2)  私は徹底して手抜きで栽培
 ネギは白根を食べる長ネギが代表的。根深ネギは冬が旬の野菜。暑さ、寒さ、乾燥にはよ強いが、湿害に弱い。

 根深ネギの栽培は種からだと苗作りに45〜50日と時間がかかる上、成長は遅い。白根部分を長く伸ばすために、植え溝を深く掘り、定期的な追肥と土寄せ作業が必要とされるなど結構栽培は困難。しかしながら、未収穫で畠に残しておいたネギは寒さに耐え、味は甘味を増して格別である。

 ネギは育苗床を準備してタネを撒いて育ててもいいが結構手がかかる。私は種苗店で苗を購入して畠に植えている。いつもは下仁田ネギ、横倉ネギを購入しているが今季は入手できず、種名は不明である。

 長ネギの場合、追肥は約一ヶ月ごとに株元に行い、根元に3−4回土盛りして白身を長くする必要がある。倒れるほど伸びすぎた場合、葉先をハサミなどで剪葉する。
 これらの作業は素人にとっては楽ではない。だから、私は追肥も土盛りもやらない。全て自然任せである。ただ、ネギは生育が遅いために雑草が追い越していくことがあるから草むしりばかりは欠かせない。

 真夏はネギにとっては休眠期??で成長はほとんどない。秋口になると元気を取り戻す。ある程度の大きさになればいつでも収穫できる。今はネギはいつでもスーパーなどで購入できるから急にネギが欲しくなったときに緊急的に収穫する。

 他の作物は収穫時期が決まっているが、ネギの場合は春先まで収穫できる。今季は畠が厚く雪に埋まったが掘り出すと青々として元気であった。
 数日前に最後の収穫を行った。
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 (今季最後となったネギ 追肥も土寄せもやっていないから全体に小ぶり 白根部分は細め しかし、味は最高であった)

 次季は葉ネギや小ネギも栽培してみたいが、欲張りは自分の首を絞めることになるし、もっと楽をしたいし・・・、と複雑である。


2/2(火)小雪やや寒い 中通病院外来 飯川病院
1:00起床。新聞、本読み、電子化などいつもの如く。5:30可燃ゴミ集配所に。6:47バス飯川病院。8:45-14:00外来。警察からの患者の病状良い合わせあり準備に難渋す、疲弊。14:15飯川病院-19:00勤務、入院患者対応。また微睡も。19:30帰宅・夕食、21:20就寝。Σ10633歩。

家庭菜園・園芸2021(1) 今季最後の収穫 ネギ(1)  

 私は18歳まで盛岡市の郊外で育った。
 田舎だけに敷地は広く1000坪もあって、不相応の庭園があり、池には鯉が泳ぎ、松やかえで、けやきなどの樹木の一角では野鳥が営巣していた。
 住宅は医院を含め火災前には400坪もあったが、昭和27年の火災で200坪程に減築した。
 家の周囲の畑には果樹が実った。リンゴ、ナシ、モモ、カキ、クリなど。
 畠は家で食べる程度であったが、各種の野菜が植えられていた。耕し、種を撒くときには近所の農家の方々に依頼したが、草取り等のメインテナンスは不十分ながら母親、ときに父親が担ってた。

 私は母が33歳で生まれた。だから中学生の時はもう50歳前後で、現代のお年寄りとは異なりもはや初老老人であった。私はそんな母親の姿をみかねて、勉強の傍、時間があれば手伝っていた。新潟大進学後も連休があれば帰省し、手伝った。
 この家屋敷は私が22歳の頃、メインテナンスが次第に困難になったこともあり手放し、盛岡に50坪ほどの宅地、30坪ほどの小屋を構え、労力的には解放された。

 昭和48年に私は秋田に転居したが、子供の時の環境を再現したくなるものである。やや広めの敷地を構えた。
 65歳でハードであった現役から退いたが、少しづつ野菜作り、園芸にも時間を裂くようになった。田舎暮らしの時の経験が大きい。

 畑の栽培の対象は標準的なキウリ、ナス、トマト、枝豆、落花生、ネギなど。
 園芸としてはダリア を栽培し、果樹としてはリンゴ、モモ、カキ、クリ程度である。
 畠の作業、園芸などは嫌いではないが好き、とはいえない。できればやりたくない・・と言いながら、春になり陽射しが強くなるとるとどうしても始めてしまう。5月の連休の頃から始める。一旦初めると水やり、草取りとか日常的に世話が必要で手を抜けない。

 私の野菜作りは一切の追肥や駆虫剤などは用いない。太陽と土壌、水の力だけに頼っている。面倒だからである。
 台風などの風対策は入念に行う。さもなければ根こそぎ持っていかれる。

 9月になると私の野菜作りの意欲は急速に萎えてしまう。秋野菜、冬野菜は手をつけない。時折、必要に応じてネギを収穫し鍋物の時に用いるだけ。

 この時期から座学中心になるのであるが、ダリアが最盛期を迎えて手がかかるようになる。

 数日前に雪に埋没して頭だけ出していた最後のネギを収穫して舌鼓を打った。雪中野菜の例に漏れず甘みが増して美味であった。


2/1(月)曇り 健康クリニックドック 飯川病院
2:10飯川病院起床、新聞、本読11:45飯川病院へ、微睡、データ整理。14:00-18:30勤務、入院患者対応。19:15帰宅、夕食、21:20就寝。Σ6211歩。

徒歩通勤2021(1) 2回目の日本一周 岩手徒破終了青森に至る
 私は車が嫌いである。だから先走って2020年9月運転免許を返上した。

 1990年(45歳)に子供達も大きくなり、一人での移動が多くなったので5人乗りの車を利用するのは無駄と考え、バイクのヤマハビラーゴ250ccを購入、次いで1991年2月(46歳)にハーレーダビッドソンFLSTOF1340ccを購入した。長く利用したが60代後半になって重いバイクの取り回しが困難になり、2012年(68歳)換金して東日本大震災の義援金に充てた。

 2011年(67歳)ドロップハンドルのクロスバイクで通勤していた。2012年(68歳)高校生と接触して転倒、その後腸閉塞、脳塞栓を発症し、ついで右下腹部にヘルニアが出たために自転車通勤は諦めた。

 2013年4月以降、片道7Kmを徒歩で通勤することとした。その時に購入したのが歩数計「新・平成の伊能忠敬」である。伊能忠敬の足跡を、ゲーム感覚で日本一周約18.000Kmを地図を作りながら進んでいくというものであった。

 2013年4月(69歳)に開始し、2020年1月(75歳)日本一周を達成した。
 その後は2回目の日本一週にトライしているが、2021年1月末に郷里の岩手県を通過し青森県に至った。今回は2回目の中間報告である。

 (東京の日本橋を再スタート10ケ月経過、やっと岩手県を終了した)

 2013年の開始当初は新しい試みに燃えて、やる気満々、さらに私も若かった。その頃1日25.000歩、20Kmにも達したことがあった。しかし、加齢とともにやる気が減弱、体調不良もあって2019年春(74歳)から全コースの徒歩通勤を止め基本をバス通勤にした。
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 ■ 2020年1月日本一周達成時の最終的積算データは以下の如く。
経過期間:2.290日目、6.8年。総歩数:Σ2.171万歩 (平均9.480歩/日)。歩行距離Σ17.372Km(平均7.59Km/日)。
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 ■ 2020年4月沖縄一周を達成した時点の最終的積算データ。
経過期間:2.565日、7.03年。総歩数:Σ2.411万歩 (平均9.399歩/日)。歩行距離Σ19.292Km(平均7.52Km/日)。
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 ■ 2021年1月30日 岩手県2回目歩破時点の最終的積算データ。
経過期間:2.850日、総歩数:Σ2.683万歩 (平均9.414歩/日)。歩行距離Σ21.464Km(平均7.53Km/日)。
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 最近では自宅や病院周辺、病院の階段をこまめに歩いて歩数を稼いでいる。今の所がっくりと1日歩数が減ったわけではないようである。





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