徒然日記

 日記と言うより、自分の行動記録と日々の雑感です。

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7/15(土)晴れ 飯川病院午前外来
 0:30起床、録音データ他整理。5:00キウリ収穫。8:10クロスバイク飯川病院に。9:00-12:30午前外来、大学循環器医不在のため。14:30帰宅、伐採した樹木の枝整理。根掘り切断作業。19:00夕食、21:00就寝。Blu-ray Discなし。歩数計7641歩。

生命保険(1) 万が一の「死亡保険」から、万が一の「長生き保険」に
 私は生命保険は好まず最低限のレベルで維持してきた。私にとってメリットがあるのか疑問だったからである。

 生命保険は、初めから名称が正しくない、怪しげな業界と疑問に思ってきた。今はそう思っていないが。
 第一、生命保険加入はかなり真面目な判断を伴うのに契約交渉を「勧誘」というのだろうか?「勧誘」は怪しげなニュアンスの言葉である。
 第二に、契約交渉の際に「万が一の死去の際」に保険金が支払われる、のに何で「死亡保険」と言わず、「生命保険」と言うのだろうか?
 第三に、「万が一の死亡の際に備えて加入をお勧めする」とセールスするのか??これでは日々の生活に追われ、死ぬことなど考えていない若い年代に対して説得力はない。「人は必ず死ぬ。いつだか分からないだけ。だから用意を」・・と言えばいいのに、あまりに遠慮っぽい加入交渉であった。
 さらに、最近は改善されてが、加入者の障害や死去の際に加入時の告知等に難癖とつけて支払い額が減じられたり支払われない事例も多かった。医療者として診断書を記載したものの、結果として支払わなかった事例も少なくなかった。このことは社会問題化して改善が求められた。

 ところが、最近、生命保険への考え方が変わってきた。「死亡保険」から本当に「生命保険」と言うべき状況になってきている。
 生命保険協会によれば2016年度の医療保険の新規加入契約数は355万件で「死亡保険」351万件とほぼ同数だった。「死亡保険」は5年間で11%減だったが、「がん保険」は33%も伸びた。契約者側も長期生存のリスクに偏える商品に軸足が変わり始めている。 

 今や人生80年とも90年ともいわれる長寿社会となった。「死ぬリスク」より「長生きするリスク」が大きくなってきている。「死ぬリスク」は、残される家族などのことを考えての加入だろうが、死んでしまえば死ぬ本人にとってあとのことなど一切わからない。ところが、「長生きするリスク」の方は自分自身が負わなければならないリスクで、しかも、長生きすればするほど医療介護費増や生活困窮のリスクが高まっていく。

 だから、長寿化、高齢化社会においては「長生きするリスク」の方がはるかに(?)意義が大きい。

 平均余命が延ぴ、高度先進医療の導入もあって、高齢者の医療費は急増している。
 厚労省によると国民一人当たりの生涯医療費は2014年度2200万であったが、16年度は2600万円になった。

 厚労省によると35-44歳の男性の死亡率は1.48人/1000人。働けなくなるほどの障害発生率は35-44歳の男性で死亡率の8割程度とされている。
 生命保険会社は加入者の数から見て支払い数は少なく、かなり得な立場であるように見えた。それでも、この業界は合併や外資系への吸収などが頻繁なような気がする。なぜだろうか?疑問である。
私が加入していた某保険会社は破綻して外資系の会社に変わり、それとともに契約額が7割程度に減額された。
 契約者の立場は小さい。


7/14(金)晴れ 大曲中通病院外来 飯川病院ボランティア
0:30起床、文献・新聞チェック他。5:00可燃ゴミ提出。キウリ収穫最盛期??食べきれない!! ネコ世話、7:30Taxi、8:10こまち。暑さ負け病院間往復Taxi。9:10-12:15大曲中通病院外来。14:00徒歩飯川病院ボランティア、散水など。19:10Taxi帰宅、夕食、20:30就寝。Blu-ray Discながら視聴:「100分で名著:三木清・人生論ノート(1)(2)(3)」、歩数計7913歩。

徒歩通勤2017(8) 鹿児島県を通過し宮崎県に
 平成13年3月から徒歩通勤を始めた。先日、鹿児島県を通過し宮崎県に到着した。
 歩行実績が積算できる歩数計「新・平成の忠孝」の積算開始して本年7月13日に1550日、歩行距離がΣ12000Km、歩数がΣ1500万歩に達した。これまでのデータでは一日7.5Km、歩行していることになる。



 鹿児島に入ったのが3月28日、鹿児島県海岸線796Kmのデータでは1日あたり7.4Km、9680歩となる。
     
 積算開始当初、1日平均12.000歩以上、または10.0Kmを目標にしていた。
 当時は夕方の勤務はなく、往復徒歩も可能で1日16.000-2万歩とハイペースであった。この4年余の間に勤務形態が変わり、往復徒歩通勤は困難となった。現在、往路は原則として徒歩、復路は家内の車に便乗、あるいはバスで帰宅する。マアいいか、と妥協の日々である。

 歩数計「新・平成の忠孝」は歩行開始からの種々のデータが蓄積されるほか、略図でいま何県のどこらへんの海岸線上にあるのか、次の県までは何kmなどが示される。それを見ながら日本地図を開き、確認する作業を月に一度ほどやっている。地理に疎い私にとっては地図帳を開く貴重な機会でもある。

 鹿児島県は日本臨床血液学会で一度訪問した。学会のこと、そのほかほとんど記憶にない。私は地方に行く機会はほとんど学会関連で、しかも、ホテルと学会場を往復するだけで観光なし、土地のうまいものを食べる機会もなし、と今から見れば実にもったいないことを積み重ねてきた。

 薩摩半島の知覧平和公園などは行って見たいと思うが、機会はもないだろう。
 
 大分県までの海岸線は370Kmである。1け月で歩派したいと思う。


7/13(木)曇りのち晴れ 外来 飯川病院
 0:30起床。文献,新聞、録音データなど処理。5:00微睡、6:00ネコ対応など。6:30 5人目の孫誕生。家内に同乗8:15飯川病院着。8:45-13:00外来+ドック14名処理。飯川病院、微睡、14:00-18:45飯川病院。患者対応、15:00住友生命スタッフ来訪、生存確認のため。中通病院に見舞い、次男宅経由20:00帰宅、夕食、21:00就寝。Blu-ray Discながら視聴:「林先生:初耳学」、「ワカコ酒」観る。Σ7419歩。

家庭菜園・園芸2017(3) キウリ収穫たけなわで、追われる日々
 2011年から小規模ながら家庭菜園・園芸をやっている。週末と水曜、早朝に世話している。
 畑はご近所の畑の隣を2け所借りている。だから、立場上手抜きはできない。かなり頑張っているがそれでも私のコーナーは草ぼうぼうである。週末には草刈りと草むしりに追われる。

 私の園芸は子供の頃の経験をもとに全て自己流である。人の意見は聞いたふりするが原則として取り入れない。

 今年は連休中は腰痛に悩んでたこともあり、5月17日にトマト、キウリ、ナス、元蔵ネギ、さらに枝豆を植えた。
 6月25日からキウリが収穫できた。昨年より10日遅かった。

 今年は冷夏で成長が遅い??と思っていたが、7月上旬後半から突然キウリとナスの収穫量が増えた。トマトはまだ青い。キウリナス共に昨年より本数を減らし、かつ時間差もつけたて植えたが、毎日収穫量が増え追われるようになってきた。

 私はキウリ料理が好きである。生で食べるもよし、浅漬けもよし、キウリ揉みよし、味噌汁にしてもよしであるが、家族はあまり好まないために私が一気に引き受ける。しかし、とても食べきれない。

(本日の私の夕食。キウリアラカルト。ダイエットを兼ねて。鮭の皮が美味しかった)
 さりとて他所に差し上げるのも押し付けがましく気がひける。
 私は、適宜飯川病院に届けている。病院の検食にキウリ料理が出てくると、これは私の作品かな?とほくそ笑む。スタッフも朝どりキウリを適宜持ち帰ってくれる。しばらく嬉しい悩みが続く。


(今朝これだけ収穫した)

 ところで、このような植物を育てていると、植物には本当に知能や意識がないのか??と疑問に思う。
 キウリの場合、20cmほどに成長するとツルが伸びてきて頼るべき支柱を探し始める。この時の姿を見ていると実に真剣である。支柱を立てると、喜び勇んで一両日中にしっかりと巻きつく。さらに成長すれば高く高く支柱を求める。植え主の私へ懇願している様子である。私は喜んで対応する。キウリもそれに嬉々として応える。

 こんな気持ちで育てているから、私は野菜作りのガイドブックにはいい実を得るために剪定や間引きをせよと書かれていても、かわいそう、と思い、なかなかできない。結果として私の畑のキウリは、ご近所の畑のそれに比較して明らかに繁茂しすぎている。

 もう一つ本当に不思議だと思うのは、キウリが自分の葉で上手に実を隠して実を成長させる、ということである。だから、忙しい朝にざっと見回っても簡単には実を確認できない。「うまく隠したな・・・」、と思いながら、ちょっと成長しすぎたキウリを毎朝収穫している。


7/12(水)早朝に降雨、午前から快晴 暑い 
0:00起床。新聞・文献チェック、歴史関連書籍他。5:00ペットボトル集積所に出す。早朝に降雨、午前から快晴となったが畑庭木が乾くまで午前は座学中心、録音データ収集分類など。昼の微睡ご、畑の草取り、庭の草刈り、灌木ほりなど。キウリ茄子の収穫最盛期に。昨年はトマト色づき、ダリア二本開花したが今年は遅れている。洗濯屋、日曜大工店にて園芸用品購入。Blu-ray Discなし。19:10夕食、20:15就眠。歩数計21345歩に達した。

共謀罪テロ等準備罪(2) 金田法相の答弁は残念であった
 共謀罪は、私は必要な法と思っているが、運用にあたってはいろいろ歯止めをかける必要がある危ない法律である、とも思う。

 準備行為で、すなわち共謀罪の適応を受けてしまうと、未遂のうちから処罰をすることから、憲法に違反する可能性もある。わが国では憲法31条で「法の侵害がなければ処罰してはならない」とされているが、これに抵触する可能性がある。したがって処罰する範囲を大幅に限定しなければ憲法違反になる。

 実行がより明白になった状態のみの処罰に限定すべきであろう。共謀罪に関しては、裁判所の判断に対しても抑制的に解釈されるよう、国民が、メディアを含めて監視する必要がある。

 共謀罪では証拠が乏しい状況から捜査が開始される。したがって、自白の強要が行われる可能性がある。だから、捜査の段階から弁護士の立会いを認めるなど、被疑者を守る機構が必要である。

 政府は共謀罪は国際的バランスをとるためにも必要と強調してきた。

 指摘としては、国際的テロに関連した日本人が外国で拘束された時に、日本では共謀罪がないために罰せられない、というアンバランスがあるために送還を受けても処罰できないことも挙げられていた。

 逆の場合もありうる。国際的解釈として、送還先国でアンバランスな処罰を受ける可能性が予想された時には、被疑者を送還しない方針とする国がある。その場合の問題点は日本における死刑の存在である。OECD加盟国の中で死刑があるのは、米国・韓国・日本のみである。したがって、共謀罪を作ったからといって国際バランスが取れたわけではない。

 安倍政権下で審議不十分なまま採決を強行することが常態化しているが、与党一強だからである。共謀罪法案は参院法務委員会で審議中だったにもかかわらず、与党は「中間報告」という異例の手続きを取り、委員会採決を省略して本会議採決を強行した。
 安倍内閣の行動をコントロールするには、世論による暴走の指摘、非難しかない。都議選を前に支持率が急速に落ち、都議の議席を大幅に減らした、のはいい前例となった。

 共謀罪の審議で私がとても残念に思ったのは金田法務大臣である。
 金田氏は秋田県出身で元大蔵官僚、参議2期・衆議3期歴任し、昨年8月の内閣改造で法相に就任した。

 金田氏2011年脳出血を患ったが、病前は眼光鋭い、シャープな議員であった。私は医師会の役員としての役得で3-4度ほど氏と会食しながら日本の、秋田の医療情勢について意見を交わした。氏の医療情勢の理解の十分で、私は感心した。
 今回の共謀罪審議をめぐっては金田氏は法相として十分な働きができなかった。金田氏が答弁に立つ機会をラジオの実況で何度も聞いたが、私の耳でもポイントがずれていて、かつての金田氏の印象とは100%異なっていた。不信任案も出された。私は病気のなせる技だと思った。そういった意味では、就任前から予想されていたことであり、首相の任命に問題があった、と思う。次の内閣改造では交代になるだろう。

 共謀罪については目を離せない。


7/11(火)快晴 外来 飯川病院
0:00起床,暑い夜。新聞、文献読み、その他いつものごとく。4:30可燃ゴミ。徒歩7:30飯川病院。8:45-13:00中通外来。飯川病院へ、微睡、14:00-18:45飯川病院。Blu-ray Disc:「海上自衛隊の威力(1)(2)」、19:10帰宅、19:30夕食、20:15就眠。Σ14078歩。

共謀罪テロ等準備罪(1) 暴走に国民の監視が必要な法
 「共謀罪」法が本日7月11日から施行される。

 政府は、国連の組織犯罪防止条約に加盟し、テロを封じ込めるには、この法律が不可欠と主張したが、当の国連の専門家から疑義が寄せられるなど、不透明である。「共謀罪」関連法がないのは日本だけと強調されていたが、国連の疑義とは何なのか、諸外国の法はどんなものだろうか。

 共謀罪は、かつて捜査当局が密かに重ねてきた、国民の基本的人権を侵害するような行為の追認を含む。
 例えば、
 ■捜査当局が犯罪と関係のない環境保護団体やイスラム教徒の動向を見張っていた、
 ■野党の機関紙を配布した人を尾行した、
 ■選挙時に労働団体が入る建物の前に監視カメラを設置したなど、ここ数年問題になった行為などである。

 捜査や摘発の前倒しをねらう共謀罪法は、こうした警察の不当・違法な動きを助長することになりかねない。

 法は適用犯罪を277上げ、処罰対象をテロ組織や暴力団などの「組織的犯罪集団」と規定している。2人以上で犯行を計画し、1人以上が現場の下見や資金調達などの「準備行為」をすれば全員が処罰される。
 犯行後の処罰を原則としてきた、わが国の刑法が変容する。
 準備だけで罪が問われるならやってしまえ、と逆に犯行を助長する可能性がある。だから、軽い内容は処罰の対象から外してもいい。

 審議では「組織的犯罪集団」の定義が曖昧だという指摘が相次ぎ、警察の恣意的捜査により「一般人も処罰対象になる恐れがある」、「内心の自由やプライバシーが侵害されかねない」と野党が強く反対した。政府は、処罰対象が組織的犯罪集団に限定されるため「一般人は対象にならない」と強調してきたが、法相は答弁で別解釈示した。実際はどうなのか?

 かつて、PC遠隔操作事件では4人が誤認逮捕された。被疑者になった方々の説明がないから真相はわからないが、証拠がない状態で誘導尋問が行われたのではないか、との疑惑がある。
 共謀罪では証拠が乏しい状況で捜査が行われ、自白の強要が行われる可能性がある。だから、捜査の段階から弁護士の立会いを認めることなどが必要である。

 共謀罪は法の暴走を防ぐために市民が監視して行かなければならない法である。


7/10(月)快晴暑い 健康クリニックドック 飯川病院 腹部CT
 0:30起床、医学文献等など中心に読書、録音データ整理。5:00畑花壇に散水、7:20徒歩飯川病院着。9:00-11:15健康クリニック、14名。11:00腹部CT造影剤あり。副作用なし。11:30飯川病院で文献読みなど、微睡。倦怠感強度。14:00-18:45業務。Blu-ray Disc視聴なし。深夜便「河野裕子」聴す。Σ12646歩。19:10帰宅夕食、20:30就眠。

災害列島(3) 温室効果ガスの蓄積は人類を滅ぼす
 ここ数年は特に全世界規模で、わが国でも異常気象が続いている。随分多くの死者も出ている。先日の九州北部の集中豪雨は過去の常識、記録を塗り替えた。

 かけがえのない地球、ここは完全閉鎖空間である。あらゆる自然の営みはこの閉鎖系の中で営まれて来た。?? 完全閉鎖空間の例。
 金魚の水槽を窓際に置き、水草と少数の金魚を入れて飼育すると、しばらくたつと一定のバランスが成立し、金魚が生きるための酸素は水草の光合成で供給され、排泄物はバクテリアにより分解される。必要最小限の餌を与えればかなり長い間、特に手を加えずとも水は汚染されることなく保持される。これが身近で経験できる閉鎖系のモデルである。

 水槽のサイズの割りに多くの金魚を飼育する等バランスを欠くと、まず酸素、食料が不足し金魚は弱る。食料を増やすと排泄物も増え閉鎖系の自浄作用では維持できない。
 外から空気を送り込む必要が生じ、排泄物を処理するためのフィルター等の装置が必要になってくる。

 今、地球環境はこれに近い状況に陥りつつある。
? 数100億年という長い歴史を経つつ、環境が徐々に変化をとげ、やがて48億年ほど前に命が誕生し、各動植物が共生しながら、自浄作用のある一定の環境を成立させた。
? 約300万年前、ヒトが誕生したが、もし、地球上にヒトが誕生しなかったら、恐らく地球は別の有り様を辿っていたのではなかろうか。

 地球にとってヒトの誕生は、地球を蝕むガン細胞に似たようなものと、つくずく思う。
? ヒトは食料を生産する知恵を得たときから、バランスを欠くほどの人口増加が始まることになり、更に産業革命などに代表される文明の発達がこれに拍車をかけることになる。

 そして、迎えた結果は、必然的に、温暖化ガスの蓄積である。



 NASAの観測で大気温度は2015年に比し2016年度は0.12度高かったと公表している。
 気象庁のシミュレーションでは、もし温室効果ガスの対策が取られなかった場合、東京の気温は21世紀末には20世紀末に比較して+4.5度C上昇するとされている。この状況の中で人類の生活環境は危機的状況を迎えることになるだろう。

 大気温度の上昇は人類を滅ぼす。


7/9(日)雲ひとつない快晴 今年最高の暑さ
 O:10飯川病院で起床、新聞、文献チェック。録音データ整理。微睡。Blu-ray ながらDisc視聴:「そこまで言って委員会:世界の指導者に設問」。7:00検食、散水。見事な快晴で朝陽が目に、心にも。しみる。9:30クロスバイク帰宅。午前・午後とも外仕事やりたいことは多数あったが、強烈な日差しの中では危険、座学とした。のど自慢観た後微睡、暑い中、扇風機の風を受けながらの休息は、汗まみれにはなるが快適。ネコどもは暑さに負けて側で喘いでいる。17:00花畑に散水。19:00夕食。20:45就眠。歩数計8889歩。

災害列島(2) 人間の欲望に因する地球環境破壊が異常気象のもとに
 1950年以降、数年に一回程度、世界的にも極端な異常気象が増えている。

 産業革命以降の急速に発展した経済活動は温室効果ガスの排出を伴うものであった。さらに化石燃料の時代、温室効果ガスの排出量は著しく増加した。

 その温暖化によって異常気象の世紀を迎えた。気象災害が世界各地で頻発している。それには台風やハリケーン等の巨大化もあるが、温暖化によって地球の砂漠化、農地の荒廃、海面上昇による国土の消失等が生じて来ている。さらに疾病構造も変わりつつある。

 結果的に、間も無く人類の生命維持のための水と農作物、海産物にも深刻な影響が及んでくる可能性がある。

 21世紀はより希望に満ちた世紀になるはずであった。?
 しかしながら、初頭から目を覆いたくなるような惨劇が続いた。
 2001年、米国で9.11同時多発テロが生じ、以降、微妙なバランスで保たれていた世界の秩序は狂い始め、米国の衰退、その隙間を狙っての中国の台頭などの変動が生じている。

 わが国でも「北朝鮮問題」しかりである。全て人間社会の為せる業・・・と言うのは簡単であるが、先行きは実に不透明なものになっている。

? 更に加えて、今年は予想を超える「集中豪雨」が北九州地方で生じた。昨年は太平洋側に台風が上陸するなどなど異常気象が続く中で、大きな地殻変動まで重なった。「熊本の大地震」である。

 数年遡れば広島の土砂崩れ、東日本大震災、続く原発事故が改めて浮上してくる。?? 地球に今、一体何が起こっているのか?、人間社会はどうなっていくのか?、今後どうなるのか? 現実は実に波乱含み、先が読めない。

 ガガーリンは「地球は青かった・・・!!」と言った。今だって、丸い地球の遠景を写真で見ればつくづく当時の感動を思い出し、その包容力の大きさに心が安らぐ。
 しかし、地球はすっかり人間社会の営み、人間のエゴによって毒され、害され、障害を受け、自然の自浄力・回復力を失い、ついに包容力を失ってきた。

 何千億年という長い長い時間、歴史を通じて、多くの生物を安定的に育んできた地球は、この地球上に現れて僅か300万年程度の歴史しかない人間という新種の動物によって、それこそ僅か数100年程度の短い間に、大きく傷つけられている。


7/8(土)快晴暑い 飯川病院日直・当直
0:15起床、新聞文献チェック他いつもの如し。録音データ大量整理。8:30キウリ・ナス収穫、散水。「いちい」の根掘り出し切断で疲弊。10:30台所、ネコ室の内装改良。12:00クロスバイク飯川病院に。日直・当直に就く。検食後、新聞チェック大量、微睡。Blu-rayながら視聴:「池上:ニュース解説」。18:00検食。20;00就眠。歩数計9898歩。

災害列島(1) 異常気象時代が現実に
 地球温暖化を背景にした異常気象の世紀を迎えた。今まで私が学んできた常識が通用しない異常な現象が頻発している。
 遅まきながら私も気象について学び直さなければならない。
 
 近年、「これまでに経験したことのない猛烈な降雨」と形容されるような豪雨が頻発している。
 先週来、梅雨前線が活発化した北陸や、台風3号の直撃を受けた九州などで豪雨に見舞われた。

 新潟県や熊本県などでは、「避難準備・高齢者等避難開始」が出された。
 福岡・大分両県では記録的な豪雨となった。福岡県朝倉市では、6日に24時間で542mmの雨を記録した。これは、秋田市で一年のうち最も雨が多い7月の平年降水量188mmの3倍近い雨が、わずか1日で降ったことになる。現実に考えることすら困難な異常事態である。

 死者・行方不明者が出ているほか、孤立する地域が相次ぎ、自衛隊や消防、警察などが懸命の救助活動に当たっている。
 こんな状況では従来の排水治水のシステムではなんともならない。一般的に1時間あたり50mmの降水を前提に都市計画が作られている。

 今回は、南から暖かく湿った空気が流れ、北からの冷たい空気とぶつかって積乱雲が次々と発生、「線状降水帯」となり、長時間にわたって停滞し、記録的豪雨となった。

 一般的に西日本の方が線状降水帯ができやすい。ただし、台風が近づいている場合などには、秋田県でも発生する可能性があるといい、油断は禁物である。

 豪雨災害は事前予想が可能な場合があり、「日本型事前行動計画(タイムライン)」の策定が進んでいる。行政や警察、消防、民生委員、住民らが「事前にすべきこと」を共有する。従来はばらつきがあった組織が連携して対応する。
 地方自治体が住民の避難手順の「事前行動計画」を作成することになっている。

 県内でも、大雨への備えは欠かせない。川のそばや低い場所、斜面などに注意し、冠水などを想定して避難経路を見直すことが重要である。

 想像するのさえ難しい量だが、全国どこでも、秋田でも、時としてこうした豪雨になるということを認識しておきたい。

 やはり気候は異常である。
 背景には地球温暖化があるのは明らかだ。

 人間の欲望とエゴ (?)がついに地球の健康を害してきた。大気・水質汚染は尿毒症に、温暖化は発熱に、異常気象は喘息に例えられよう。自然破壊で共存生物を絶滅に追いやっている。早急な治療が必要である。


7/7(金)快晴 七夕 大曲中通病院外来  飯川病院ボランティア
 0:30起床。文献読みなど。新聞雑誌スクラップ入力。録音データ整理、5:00可燃ごみ集配所に。7:30Taxi駅に。8:10こまち、病院徒歩、橋の欄干に七夕飾り。9:10-12:15大曲外来。13:30検食、祝膳そうめん。飯川病院ボランティア。15:00岩銀スタッフ来訪、歓談病。 BR disk視聴なし。18:00バス、18:30帰宅、19:30夕食、21:00就寝。歩数計12011歩。

今年の七夕 昼の検食の祝膳が良かった
 本日は七夕である。七夕といえば、織姫・彦星の伝説や、七夕飾りが思い浮かぶ。

 東北の七夕まつりは児童施設などではやはりこの7月7日が中心となる。子どもの頃、地域の子供会が中心になって七夕飾りを作り、短冊に願い事を書いてつるした懐かしい思い出がある。子育ての時には我が家でも笹竹を買って毎年七夕飾りを作ったものである。あの当時は夢があった。
 七夕が長く親しまれて来たのは、天の川を渡って恋人が年に一度だけ会うという、ロマンチックな伝説が多くの人の心に刻まれているからだろう。

 4人いる孫たちはそれぞれ七夕飾りを作ってもらったのだろうか?自宅では? 学校や保育所でやってくれたのかな・・・??

 本日は大曲中通病院の診療応援の日であった。駅から病院までは約20分歩く。その中間ほどに丸子橋がある。そこの欄干に七夕飾りが飾ってあった。昨年以前のことは記憶にない。私は昨年から意識して見ている。七夕の歌にある「五色の短冊」は本来、陰陽五行説に基づく、青、赤、黄、白、黒の五色を指すのだそうだが、飾られてある短冊はピンクあり水色あり、柄付あり、と多彩である。
 今年の丸子橋の七夕飾りは昨年よりちょっと小ぶりであった。竹の幹には作った幼稚園の名札がついていた。



 業務が多少早く終了したので早めに新幹線で飯川病院に戻った。駅から病院まで晴天で日差しがギラギラ、久々汗をかいた。

 病院に着くと机上に本日の昼の検食用食事が置いてあった。

 祝膳のカードも目を惹いた。


 祝膳として、ソーメン、天ぷら、キウリと鶏肉の和え物、フルーツポンチであった。星型のソーセージなど、遊び心も嬉しかった。
 私の検食は体重コントロールのために主食なしである。本日は主食共々美味しくいただいた。いつもと違う雰囲気を楽しんだ。



 私は星空を見上げ、清らかな気持ちで願いごとをした子供の頃には戻れない。高齢に達した今となっては個人的な願い事も特別ない。だた、孫たちの顔を思い浮かべながら、この世代の世界中の子供達に、幸多かれ、と願うだけである。


7/6(木)小雨のち曇り 外来 飯川病院
0:30起床。新聞チェックし文献、歴史書を読む。6:47小雨でバス、通り街まで。徒歩、千秋公園ハト・コイに餌、飯川病院着、8:40-13:30外来。微睡、14:00-18:45飯川病院。入院患者対応。BR diskながら視聴:「歴史に残る空中戦:2本」、「映画:八甲田山完全版」。19:00帰宅、夕食、20:30就眠。歩数計12011歩。

残念な日本語(2) 「保育園落ちた、日本 死ね!!」の行く末は怖い
 近年、言葉の野蛮化、下品化、尖鋭化が進んでいることを示す事例は枚挙にいとまがない。
 この背景にはワープロ化、パソコン化もあると考える。自筆だとなかなか書き難い文章も、悪態も、パソコンならさらさらかける。私はパソコンは憎悪増幅装置とも捉えている。また、ブログ、SNS、Tuitterなどの普及があり、個人の意見として発信し易くなっている。しかも、匿名で。

 「保育園落ちた、日本 死ね!!」などの表現は私にとっては耐え難い。ヘイトスピーチにも通じる文体である。

 「アホノミクス」は教育者から、「カネを積まれても使いたくない日本語」はシナリオライターによって発せられた。ともに影響力は小さくない。
 この「保育園落ちた、日本 死ね!!」は子育て中の母親から発せられただろう、と思う。

 表現したい内容は私にも理解できる。保育園問題の本質は正しく、深い。緊急性もある。
 就業を予定していた母親が子供を保育園に入れられなかったことで生活設定の予定がくるい、困ったのだろう。その時の心情の吐露であろる。
 言葉の先鋭化、と捉えたくないが、やはり鋭い。これが子育て最中の若い母親から発せられたのは驚きである。一時的な怒りの表現ならなんとか許容してもいいが、この心情が日常的にあるならば子育に影響しないか、が心配である。
 現世代の子育ては核家族の中の、閉鎖的に近い環境で行われるから、親の心情とかから子供は影響を受けやすい。この投稿者の子育てが、その後より平穏で順調であることを望む。

 「保育園落ちた、日本死ね。何なんだよ日本。一億総活躍社会じゃねーのかよ。昨日見事に保育園落ちたわ。どうすんだよ、私活躍出来ねーじゃねーか。子供を産んで子育てして・・・・」のブログは、何でこれほど注目されたのか。
 このブログを野党が国会で取り上げた。安倍首相は当初消極的答弁を繰り返していたが、結果的に待機児童問題の改善をアピールせざるをえなくなる。政治の無策をネット世諭がひっくり返したという意味で画期的な出来事であった。
 
 保育園待機問題ついては、これまでも多くの報道がなされ、指摘がなされてきたが、今回のブログほど反響を呼んだのはまれである。
 この文体は、異様なほどの、破壊的パワーを持つ。

 だから、私は危惧する。
 問題提起が正しくともおとなしい表現ではアピールできない、通用し難い、として、このような表現が、当たり前のように蔓延していかないか?さらに注目を惹くために一層エスカレートしていかないか? さらに、注目を惹くために反社会的な行動としてエスカレートしていかないか?・・・などなどである。

 ブログ、SNS、Tuitter、Lineなどで交わされる言葉はきついのが散見される。言葉の尖鋭化が、いじめ、暴力的言葉の応酬に進まないよう、私は願っている。


7/5(水)降雨のち晴れ  
 0:30起床。文献・新聞チェックなど。収穫、降雨にて外仕事なし。座学中心。12:00フィット、クリーニング店、珈琲店経由飯川病院へ届ける。13:00枝豆本植え、庭木伐採、草刈り一部。14:30新聞データ化など。文献・新聞チェック、19:00夕食、20:20就眠。BR disk視聴:「N響定期:スメタナ我が祖国全曲」。歩数計12949歩。

残念な日本語(1) 代表的3つを例に
 最近、エキセントリックな表現や言葉が流行している。私はとても残念に思っている。

 浜矩子同志社大学大学院教授の著作「アホノミクスの完全崩壊に備えよ」、シナリオ作家・評論家の内館牧子氏の著作「カネを積まれても使いたくない日本語」、匿名の母のツイッター投稿「保育所落ちた、日本 死ね!!」などはどうかと思う。その3つを例に考える。

 前二者は何も著名人の著作である。そのために面だって批判した評者はいなかった。
 しかし、有名になった「日本 死ね!!」は匿名であったためか、ちょっと謎っぽいところもあって各所で評論家達も取り上げ、便乗して政府の無策を指摘していたが、この日本語表現をネガティヴにとらえた論評は少なかった。私は最悪の日本語の代表にあげたい。にもかかわらず2016年の「ユーキャン新語・流行語大賞」のトップ10に選ばれた。日本の言語文化がここまで来たか・・とさえ思う。

 今の時代、私は「攻撃的本音」をむやみに出す危険な時代と掟えている。トランプ氏は正しくその一役を担っている。
 本音を噴出させると言うことは、建前や知性そして理性の後退を意味する。それは、人間が持っている本能、欲望をむき出しに前面に押し出すことに他ならない。こうした本音を出して拡張しようとする動きは、社会の形成の根幹を否定するもので残念である。

 人々が本音をはびこらせていく先にあるのは「社会の野蛮化」である。「社会の野蛮化」が行き着く先は金と力、富と権力が大っびらに支配する社会に行き着く。そこでは、富と権力をいかに守り広げるかがすべてとなる。

 浜矩子同志社大学大学院教授は教育者である。経済論理からアベノミクスを支持していないのはわかるが、相容れない論理に対しても、その論者に対しても敬意が必要である。教育者として下品である。資質に問題ないのか??大体、アベノミクスがあるからこそ氏の論理の存在価値があるのではないか??それをパロディ風に言い換えるなど教育者としては如何なものか?多分、題名に惹かれて著作は売れたのだろう、似た内容の本を出し続けている。アベノミクス様様でないのか? 私も資料として購入した。氏の主張も取るべきところは多いが、総じて正しいのか?今の所、私は判断できない。

 内館牧子氏は作家として日本語の乱れを看過できないのであろう。著作「カネを積まれても使いたくない日本語」はその題名自体が、私から見れば題名そのものが下品で、そのままで日本語の乱れを表している、と思う。私は購入して参考にしているが、内容的には氏の視点に共感できる点は少なくない。この本の存在価値は十分ある。


7/4(火)午前小雨午後晴れ 外来 飯川病院 
1:00 起床。文献など読む.蓄積データ整理。5:00可燃ゴミ出し,ネコ世話、7:10雨にて歩行不可、バスにて飯川病院。8:45-13:30中通病院外来、面倒な処置多かった。13:45飯川病院、14:00-18:00勤務。秋銀スタッフ来訪、BR disk視聴:「航空自衛隊の戦力(2):N.アームストロング」,「知恵泉:島津義久、杉原千畝」,「団塊スタイル:森山良子」。19:00車帰宅、夕食、20:45就寝。歩数計7103歩。

終活あれこれ(4) 「かぜさそう 花よりなほ・・」余談
 ■風さそふ 花よりもなほ我はまた 春の名残をいかにとやせん 浅野長矩

 江戸城、松の廊下における吉良上野介刃傷事件で即日切腹となった長矩の無念の一首で、私が心惹かれる句である。

 この句を発端として外来患者とのコミュニケーションが一気に拓けたことがある。
 
 半年ほど前のこと、主治医が出張のためにある患者が私の担当外来に回ってきた。心因要素が強い、対応がむずかしい、と看護師が私を指定した。そうであればこそ常勤医が診るべき、と思ったが、口には出さなかった。嘱託医の立場は小さい。

 風変わりな様相の中年男性、診察室に入ってきても挨拶以外ろくに質問にも答えない。長い間通院し、全身状態もいい。投薬数は10種類近く、初回、2回目は会話少ないまま希望に沿って処方箋を発行した。この間の印象は良くなかった。

 3回目は、状況不明のままではこれ以上処方箋は出せない。「・・・、ここは動物病院でない、質問に答えて欲しい」、と呼びかけた。患者も少しその気になったらしく、2-3のやりとりの後、私は患者の生活環境等について質問した。未婚でアパートに独居、ほとんど誰とも接することなく引きこもり状態だという。

 引きこもりは私自身がそうであって得意分野である。話が合いそうである。

 「職業、日常の拠り所、趣味などは?」と問うたところ、小さな声で「風さそふ 花よりもなほ我はまた・・・の心境です」と返事があった。一句そのままでなく前半だけであったので、私が間髪を入れず「春の名残をいかにとやせん」と続きを合わせた。

 患者は一瞬驚いた表情をし、「この歌のような心境で暮らしています」とのこと。その後、急に会話が弾んだ。好きな文学作品のこと、仏教のこと、歴史上の人物の辞世の句など、広範な趣味と知識を持った方で、最初の印象との乖離が大きかった。

 「風さそふ 花よりもなほ我はまた・・・」の心境とは、自分を受け入れてくれない周囲の人々、社会、医療関係者などへの無念の気持ちをこの歌に込めてます、とのこと。若い時に僧職の修行していたがいじめ等で挫折、婚約者の自死などもあって人生がくるった、と言う。

 予約外来なので通常は時間を取れないが、あえて時間をかけ、この程度のことを把握した。まだまだ話したい、と思ったがここまで、とした。これ以上の詳述も問題だろう。
 長く診ていた主治医が間も無く戻ってくるので、おそらくもう私の外来を受診する機会はないだろう。

 変な先入観念を抱いて人物を評価してはならない、と言われる。全くその通り、と反省した。
 同時に、私の趣味、終活準備が患者との対話のきっかけになった、と言う、稀であろう幸運を味わった。


7/3(月)小雨 健康クリニックドック 飯川病院 外科外来受診
 0:30起床。文献処理。新聞チェック。録音データ整理。8:40雨にて家内の車に便乗、飯川病院着、9:00-10:30健康クリニックドック診察14名。11:00飯川病院に移動、微睡、12:00外科受診、鼠径ヘルニアの検査等スケジュール打ち合わせ。13:00飯川病院、微睡、14:00-18:45勤務、19:00帰宅・夕食、20:30就眠。BR diskながら視聴:「航空自衛隊の戦力(1)」内容に驚く。歩数計Σ9033歩。

終活あれこれ(3) 辞世の句・言葉を楽しむ心境 これも終活の一つ
 就活とは一般的には持ち物の整理を示すことが多いが、死を迎える心境に一歩一歩近づいて行くのも終活の一つ、と考える。
 
 私は最近、和歌や短歌の世界、人生最後の言葉等にも収集のジャンルを広げている。

 論語の一節に、「鳥のまさに死なんとするや、その鳴くこと哀し。人のまさに死なんとするや、その言ふこと善し。(泰伯第八)」とある。
 自分の死に臨んでの人生の回顧や新たな心境の発見が最後の言葉となっている。死という極限の状況の中でどのように生と対峙し、それをどう表現したかが、残されたそのことばから感じ取れる。

 辞世の句は7世紀頃に死を迎えた人によって作られるようになった、とされる。江戸時代にもその伝統は継承されて、特に刑に臨んだ際の詩は辞世の句の主流をしめてきた。そこには無念の境地、時には諦観が込められている。

 明治維新前夜に捕縛さて落命した志士達が獄中で多くの句を読んだ。いま、遅まきながら、司馬遼太郎の長編「竜馬がゆく」を読み始めた。この作品では数多くの幕末の士が登場するが、辞世の歌をも紹介されているはずであり、それらを読むのを楽しみにしている。
 戦没学徒の遺書を所収した「きけわだつみのこえ」は若い時に読んだ。死に臨んでの叫びが記録されており、当時も深い感動を得たが,当時はざっと読み終えた、に近い。最近、再度手に取って読み直している。若くして前途を絶たれた彼らの心中は、いかばかりであったことか。私は高齢まで生きて結果的に終活を考えねばならない歳になったが、今はより深く、彼らの心情を感取れる様になっている。

 心から搾り出た句に優劣はつけたくないが、私が最も感じっている辞世の句は、以下である。

 ■風さそふ 花よりもなほ我はまた 春の名残をいかにとやせん 浅野長矩

 江戸城、松の廊下における吉良上野介刃傷事件は1701年3月に起きた。時に長矩35歳だった。
 俗説がいっぱいあるから真実との区別は私にはつかないが、浅野による度重なるいじめを受けた長矩が怒り心頭に達し吉良を斬りつけ、即日切腹となった。長矩は無念の遺言すらできず「ふしぎに存ずべく候」とだけ言った、と言う。お上側の対応が通常例とひどく違っていたのだろう。無念の思いは一入だったにちがいない。

 無念の思いを託した一首、なかなかである。風に吹かれて散る花も名残おしいだろうが、それよりなお無念を感じる私は、一体どうしたらいいのか??美しい辞世である。長矩は刀を抜いた時点で死を意識しただろうが、一方的になされた突然の切腹の裁断にも納得できなかったのだろう。死を数時間後に迎えた人間がこのような形で心境を吐露できたなど、信じ難い。

 歌人の永田和宏氏は「短歌はその短さゆえに、ある瞬間の心の動きを言葉で定着するという点において、他の文芸の追随を詐さない」(一部改変)、と述べている。その通りだと思う。


7/2(日)小雨、午後より一時日差しあり
 1:00起床。本読み、文献読み、整理。7:00園芸若干、雨で不可。以降はデータチェックなど。午後はNHKのど自慢見たのち外仕事。「いちい」処理一旦終了、微睡。BR disk視聴なし。17:00庭木伐採、草刈り再度。運悪く再度降雨に。BR disk視聴ないが、秋田県女医会での特別講演「追憶、秋田女子医専」の録音をきいて感じ入った。19:00夕食。20:00就眠。 歩数計Σ14580歩。

私はなぜ徒然日記を書くか?(4) 著名な方の含蓄ある言葉に共感する
 私にとって毎日の小文作成は息抜きの時間である。また、時には苦痛の時間でもある。

 この徒然日記とミニ随想は「愚痴の記録」であり、「学習ノート」であり、「備忘録」でもある。

 先日正月を迎えたかと思ったらもう7月である。時間の経過は驚くほど速い。
 私の過去の多くは記憶としてほとんど残っていない。忘れてしまえば私が存在しなかったのに等しくなる。今いることは継続的に存在したことの証であるが、過去がそれだけのことしかないとすれば悲しいことである。
 その点では、この徒然の記録を呼び出すと、毎日生きていた事がわかる。そんな効能もあるから記録し続けることに意味を感じている。

 思索をするのにもっとも簡単で確実な方法は「書く」ことだ、と思う。さらにいえば「読む」と「書く」を繰り返すことである。私は書くことを通じて今までの蓄積をその日の段階でおぼろげなイメージから文章化と言う形で定着する。

 などなど、考えながら徒然を続けている。自己満足の世界であるが、1日一つ、その時々に浮かんだ項目をまとめる作業は実に楽しい。

 今は嘱託医としての生活だか、気軽な文章を書き続けて感じるのは、書くことでしかたどリ着けない領域があり、書くことが世界を広げてくれる、と言うこと。
 早朝、一人パソコンに向かい、文献を参照しながら書き進めるうちに新しい情報と過去の経験が溶け合う不思議な感覚、考えているだけでは到底至ることのできない領域に近づけたという実感を幾度も体験した。
 だから、結果を求めずに、2001年からコツコツと、淡々と書き続けている。
 これが、今の私のささやかな楽しみである。

 幼くして英国に移住し、世界的作家となったカズオ・イシグロ(石黒 一雄)氏は「創作のきっかけは、自分の中にあった大切な日本の記憶が消え去ってしまう焦燥感。なんとかそれを定着しておきたいという願いからだ」、時間の記憶は、「死に対する部分的な勝利だ」と述べている。私も似たようなことを感じているが、この言葉をどこかの小文で見つけてはっとした、ことがある。

 歌人の永田和宏氏は著名な生物学者でもあり、歌人の河野裕子氏の夫でもある。研究、創作双方に発見の楽しみ、喜びがある,と折につけて表現してきたが、氏は著書「もうすぐ夏至だ」の中で、「短歌はその短さゆえに、事実を正確に記録するという点においては日記や小説に及ぶべくもないが、逆に、ある瞬間の心の動きを敏感にキャッチし、短い言葉で定着するという早業においては他の文芸の追随を詐さない」と述べている。
 さらに、「なんら関係のない二つのことを同じ重さでやってきたというスタンスと、その時間の堆積が、ようやく最近になって、自分のなかでかけがえのないものであったと思えるようになってきた」、と述べている。

 また、著者の娘で歌人の永田紅氏は、20歳の頃、「歌を作るということは、自分の時に錘をつけることのような気がする」と表現したとされるが、これも同感できる言葉である。

 7月を迎えて時間の早さに驚く日々であるが、著名な方の、時間の「定着」に関する考え方に触れ、深く共感した。


7/1(土)終日小雨 飯川病院午前外来 日直医業務一部補助 レセプト点検
 1:00起床、各種データチェック、新聞文献PDF化。本読みほか。ネコの世話など。8:38バス飯川病院、9:00~12:00午前外来。13:00-15:00外来レセプト点検。16:00-19:00当直医業務代行。BR disk視聴なし。19:00帰宅。キウリ、春巻き中心の夕食ちょっと過食、反省。20;40就眠。 歩数計Σ8772歩。

新年を迎えてから6ヶ月経過?!! 今年の夏至について
 本日7月1日。新年を迎えてからもう6ヶ月も経った。

 年とともに「時間が過ぎるのが早い!!」と感じる。
 私は、年寄りは身体的活動、脳活動が鈍くなって行動も思考も時間がかかるが、それを本人が自覚しないが、気づいた時に時間の経過の早さとして感じるためだ、と思っている。
 毎年、私は夏至の日を感慨深く迎えるが、今年は失念していた。多分、秋田は毎日寒かったからだと思う。

 夏至は年によっては20日または22日になることもあるが、2017年(平成29年)の夏至は「6月21日(水)」であった。

 夏至は日照時間が最も長い日である。
 夏至を詠んだ名句は「夏至の日を 草木となりて 山の人」(宇佐美魚目)がある。

 この日以降は一日ごとに日が短くなる。だからこれ以降の日々は私はあまり好きでない。しかしながら、何と思っていても確実に一日ごとに日が短くなる。私が秋を実感する8月14日にはまだ余裕はあるが、やはり気持ちの上ではちょっと嫌いである。

 この夏至を、この日以降の日が短くなる日々の心境を、見事に表現した方がいる。
 歌人の永田和宏氏である。氏の著書「もうすぐ夏至だ」(白水社)に「冬至の日はうれしい。これからどんどん明るくなるのだと思うと、まだ真冬だというのに心が明るむ。夏至は嫌だ。あとは明るい時間がどんどん短くなってゆくばかり」。

 永田氏の妻は歌人の河野裕子氏。
 裕子氏に乳癌の転移が見つかったのが、昨年の7月。手術後8年を経過して、やっと家族が安心し始めたばかりのころ。2010年(平成22)8月、裕子氏死去、享年64歳であった。
 永田氏の詠に、「一日が過ぎれば一日減ってゆく 君との時間 もうすぐ夏至だ」、がある。どんな気持ちで妻の病状を見つめていたのか、私など想像もできない。

 裕子氏の辞世の詠は、短歌に詳しくない私の涙腺をも緩ませた。
 「手をのべて あなたとあなたに触れたきに 息が足りないこの世の息が」。

 ご夫婦で迎えた最後の夏、お二人の心境を考えれば、これに便乗して私の気持ちなど語れない。

 夏至を失念して7月を迎え、夏至を振り返る中で、かつて読んだ永田夫妻のについての小文を思い出し、読み返した。




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