徒然日記

 日記と言うより、自分の行動記録と日々の雑感です。

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1/15(土)晴/曇り 積雪3-4cm 飯川病院日当直 トンガで海底火山 
1:00起床、新聞チェック、文献読み。 富士通Scaner510M、2010年製、昇天したらしい。蘇生試みるの反応なし。11:00病院に所用ある家内に同乗、飯川病院。飯川病院午後日直、当直に就く。昼頃南方のトンガで海底火山、検食、午後は微睡後、文献読み、読書、座学中心。18:00検食、iPadで「アルキメデスの大戦」みる。21:30就寝。夜間になり津波関連の警報発令、NHKラジオが全て地震津波関連番組に。歩数計Σ3069歩。昨年秋田市立総合病院でCOVID-19クラスター発生、当院にも影響。

本 村山由佳「風よあらしよ」(2) 伊藤野枝の評伝 力作と思う
 本作は、20世紀初頭に活躍した婦人解放運動家である伊藤野枝の一生を描いた作品。

 九州の貧しい漁村から激しい向学心を持って上京、女学校4年へ編入し、翌年には級長となるノエ。実在の人物を描いた小説ではあるものの、伝記的な内容ではなく、作者は女性の活躍がまだまだ抑圧されていた明治・大正の時代に、自分の意志のままに躍動する野枝の姿を詳細に調べ、著者の心で咀嚼され、結果を生き生きと描いている。

 ノエは貧しいが故に貧困や立場が弱い女性問題に早くから目覚めていたが、貧乏であるがために郷里で無理やり結婚させられるが婚家を早々に飛び出し再度上京、教師であった辻潤と再会、同棲し二児を設ける。
 その後、ノエは女性問題、社会問題の活動を地道に続けていたが、足尾鉱毒事件に関する見解を講演で述べた大杉栄に宛てた手紙は、大杉のハートをわしづかみにして、大杉と強烈な個性でひかれあう。夫も子供も棄てて大杉のもとへ走った彼女の、さらなる精神的な高みへの飛躍はこうして始まった。「あたりを意識するあまり、自分の意見さえ口にできないような、口にすればたちまち弾圧をうけるような、そんな世の中であっていいはずがない」、その頃の彼女の言葉の一つ。

 大杉栄はいわゆるイケメンであったが同時に自由恋愛論者であった。そのために彼の周辺には常に複数の女がいて頻回に問題を起こしていた。ノエ、堀保子、神近市子、女性の三角関係ならぬ男性を巻き込んでの五角関係は修羅場となって、大杉は神近に刃物で刺され重傷を負う。これが日蔭茶屋事件である。
 女性解放運動の活動家は概して男女間の倫理上のハードルが低いように思われる。それも女性の解放なのか?

 大杉にも野枝にも定まった収入がないのに、平塚らいてうが進めていた解放運動の新聞や同人誌を代わりに出版し活動に努めたが、常に出版禁止処分を受け赤貧を洗うが如くの貧乏生活が強いられていた。約束した家賃を払えず引っ越しの頻度も数えきれない。にもかかわらず、大杉と野枝は6人の子供を育て、明るく生きていた。

 大杉が不当な逮捕を受けた時、野枝は当時の内務大臣後藤新平への抗議の手紙も書いた。この手紙は男まさりの筆跡で「あなたは一国の為政者でも、私よりは弱い・・・」とあり、後藤新平はこの手紙を書いた伊藤野枝にいたく興味をひかれた、という。この手紙は岩手県奥州市立後藤新平記念館に所蔵されている。

 大杉栄、野枝の死は闇から闇に葬られそうであったが、陸軍憲兵による拉致をつかんだ警察から後藤新平の耳にも入り、後藤の強力な指示の元で憲兵による私的なリンチであったことが明るみになった。

 関東大震災に続く社会不安の不幸な時代の事件とはいえ、あまりにも理不尽な国家の犯罪行為には怒りを覚える。「本来は国家権力の暴走を見張るべき新聞が、軍人どもの極悪非道な行為を護ってきた」、現代のマスコミはどうであろうか?

 28歳で終えた野江の人生はまさに波乱の連続で、多くの女性作家の関心を引くのであろう。寂聴にも著作、「美は乱調にあり」、「諧調は偽りなり―伊藤野枝と大杉栄(上) (下)(共に岩波現代文庫)がある。

 村山氏の作品は、概して話題が豊富すぎて時に食傷気味になることもあるのだが、この作品では伊藤野枝28年の生涯について、つぶさによく研究し、野江を取り巻く多くの人物も登場し詳しく語られる。その登場人物の視点を通して、野江の実像に迫る。資料としても参考になる。時代背景の描写も素晴らしい。力作である。


1/14(金)曇り 大曲中通病院外来 飯川病院ボランティア
 1:00起床、文献チェック他本読み。6:00可燃ゴミ集積所に。降雪1cm。7:15Taxi、されど渋滞のために8:11こまちにやっと間に合う、次回からもう少し早めに。8:42-9:15タクシーなく寒空で待つ。9:10大曲中通病院外来。往復Taxi。秋田駅病院間徒歩。15:30飯川病院ボランティア、微睡、読書など。19:00帰宅・夕食、21:00就寝。歩数計Σ7294歩。

本 村山由佳「風よあらしよ」(1) 集英社 2020/9/25 単行本:656ページ 伊藤野枝の評伝
 2021年年末にかけて村山由佳著「風よあらしよ」を読んだ。単行本で656ページもある長編である。

 この本を手に取ったのは20世紀初頭に活躍した婦人解放運動家である伊藤野枝について知りたかったからである。

 伊藤野枝、大杉栄という人物については明治・大正期における日本の代表的なアナキストである。大逆事件で幸徳秋水らが死刑となった後に共産主義の中で目立つ存在になった大杉栄はアナキストの立役者であったために危険視され、関東大震災直後、憲兵隊司令部で二人が不当に殺害され短い生涯を閉じた。これは甘粕事件と言われている。

 大逆事件は有名であるが実効性の乏しい幼稚な計画であり、無政府主義者の陰謀と言うよりも、むしろ検事の手によって捏造された陰謀と言う方が適当なようである。政府の巧みなキャンペーンで一般社会に社会主義の恐ろしさを植え付けると同時に、文学者にも大きな衝撃を与えた。
 徳冨蘆花は一高で「謀叛論」を講演して幸徳らを殉教者と訴え、石川啄木は事件の本質を鋭く見抜いて社会主義の研究を進め、森鴎外や永井荷風は事件を風刺する作品を書いている。欧米の社会主義者も日本政府に多数の抗議電報などを送るなど、抗議運動を展開した。

 伊藤野枝、大杉栄については歴史上の事件を介して若干の知識はあった程度だったから、先入観なく読むことが出来た。このような激動の人生を歩んだ女性が大正の時代にいて若くして殺害されたのかと知って驚いた。彼らは「国家より国民」の無政府主義を理想とし、行動した人たち。当時の恐るべき国家に抵抗した自由主義者である。

 この本は伊藤野枝、大杉栄の家庭の描写から始まる。彼らには五人の子があったが出生届も出さず、二人の婚姻届も出していない。無政府主義の考えに沿って国の機構には始めから頼ろうとしていない。骨太の活動家であった。

 次に、大正12年9月1日11時58分発生した関東大地震の被災の様子に移る。死者・行方不明者は推定10.5万人で、明治以降の日本の地震被害としては最大の被害となっている。
 この地震で「富士山が大噴火した」、「大津波がやってくる」、「伊豆大島が水没した」、「皇居が炎上した」・・・などなどの流言が広まった。

 それらの中でも最もまことしやかに囁かれているのが、「朝鮮人が攻めてくる」というもの。「朝鮮人が大挙して暴動を起こし、強盗、強姦をくり返し、井戸を見れば次々に毒を投げ入れている」。おまけに彼らの後ろには、この機に乗じて何ごとか起こさんとする「社会主義者たちがいて糸を引いている」、という流言であった。

 流言は広まるばかりだった。何しろ政府までもそれを信じてか、「不定な輩を取り締まれ」との通達を下したのだ。またたくまに自警団が地域ごとにされた。逃げれば追いかけ、抵抗すれば問答無用で殺したという。戦争でもないのに不安はさらに不安を煽り、いよいよ収拾がつかなくなって行った。

 こんな社会的背景の中、震災から半月後、二人は憲兵に突然拘束された。


1/13(木)比較的温暖道路は雪どけ 午後飯川病院 積雪10cm除雪8回目
1:20起床、新聞・文献チェック他。座学、読書、学術書自炊2冊ほど。積雪10cm8:30-9:30除雪8回目。院長外出予定あり、10:40バス飯川病院。融雪状態で歩行困難。病院はボランティア+14:00から勤務。微睡、読書など。19:30帰宅、夕食、21:15就寝。歩数計Σ9860歩。

2022おせち料理雑感 今年はおせち料理をほぼ完食した 
おせち料理は、種々の節目に供される特別な料理のことであるが、今では節目の風習の大部分が廃れてしまい、おせち料理は正月料理を指すようになった。
 おせち料理の基本は地方により異なるが、味を濃くしたり焼いたり、酢を用いて日持ちするように工夫されている。正月の間、「神聖な火」を使う煮炊きをできるだけ避けるという風習が背景になっているらしい。
 私は、正月の間女性を家事から一時解放するための保存食、と教わって納得していた。だから、ワンパターンなちょっと食傷気味のおせち料理を有り難くおし頂いていたものである。

 おせち料理はかつては各家庭で作られ、年末は大変多忙であった。子供であった私もキントン作りなどで芋の裏ごしなどで手伝わされた。ただ、我が家ではおせち料理を作ったのは母の世代までであった。

 家内との生活の中で私の食生活はかなり変わった。
 今は賄いの石井さんが夕食作りを担ってくれる。日常から多忙のため料理をすることの少ない家内が、たまに主役となって夕食を用意するが、その際のメインとなる食事はいわゆるデパ地下食材が並ぶ。時に北海道名産展などがデパートで開催されるときは名物弁当が中心となる。私はこのような食生活になんら不満はない。恵まれすぎていると思っている。

 家内はおせちに対するこだわりなど全く無いと思っていたが、そうではなかった。年末になると子供たちも来るので毎年市内の有名料亭からおせち料理を購入していた。多かったときには3-4箇所から取り寄せていた。1セット3-4万円ほどと安くはなかった。ケチな私はかならずしも納得していなかったが、家内は自分が采配して購入するおせちに強い思い入れと誇りを持っているので、その気持ちを踏み躙ってはならないと、私が口を挟むことはなかった。

 ここ2年間は長女一家が来れず寂しい正月になった。おせち料理もにも変化が現れた。今回は初めて1セットのみの購入となった。おかげでいつもなら10日過ぎには食べられず廃棄され、私の心が傷つくのであるが今年はほぼ完食できた。


(今年のおせち1セット4段の一部を示した)

 現在ではおせちの内容も多様化し、伝統的な和食、中華料理、西洋料理など多種多様な料理で供されている。最近のおせち料理は早いものは9月頃から作り、冷凍保存されているらしい。
 おせち料理は贅沢ではあるが、質的にも味としても私は満足できない。どんなに高価であっても内容がワンパターン、見た目は素晴らしいが、決しておいしいわけではない。コストパフォーマンスが良くない。だから、ついついおいしいと無理やり自分を納得させながら食べている。

 私としては、単品を買い揃えて自分で好きなようにセッティングする方が満足できるのではないか、と思うが、その準備をする気はないので今のままで納得しよう。
 様々な気分が交錯する正月、おせちを用意する家内、それをありがたく押いただく私。何10年も続けて来たが、それぞれ思うことにズレがあるということだけは、互いにわかつていた方がいいと思う。


1/12(水)寒波終日強風大荒れ、飯川病院ボランティア+勤務1:00起床、いつもの如し。寒波終日強風大荒れ予想あり、路上の雪が解け歩行難、雪は降った時よりもこの状態が困る。バス待ちがきついと考え出勤する家内に同乗飯川病院、9:00ボランティア、データ整理。午後勤務、微睡、入院患者対応他。19:30帰宅、夕食、21:15就眠。歩数計Σ4515歩。運動不足に日々続く。

秋田市の成人式2022(4)  成人式の和装を見ての雑感(2) 「うなじ」の魅力
 私は和服を着た女性の姿が好きである。
 シャキっと背を伸ばした姿が魅力的。和装では身体の露出部分は、頭部と頸部、手くらいのもの。ボディラインもわからない。着る人のスタイルも分からない。
 全てをラッピングして隠してしまう和服がなぜ女性の衣服としてこんなにすばらしいのか??

 私は和服そものもの質感、生地の様子、着物の柄模様などもあるが、その美しさのルーツは着る人の姿勢、露出しているクビの部分、特に「うなじ」にあると思う。
 成人式の和装では大部分の方々が背が伸びていない。多くはネコ背で、着物が生きていない。絵柄もゴテゴテしすぎている。

 さらに、なんでショールでクビの部分を覆ってしまうのか?私には分からない。
 和服を着たがる本人たちが、和装の最も魅力的な二つのチャームポイント、「姿勢の美」、「うなじの美」を知らないのではないか、と思う。だいたい突然その日だけ和装してもダメなのだ。着物も嘆いている。

 和装の方の「うなじ」は私には妙に生々しく、時には色っぽく見える。
 「うなじ」の存在は和服を着る日本人にとってとても重要である。ことさら隠さなければならない理由はないのに、ふだんは髪の毛によって否応なしに隠されている「うなじ」は、着物を着用した時だけは、露出することが多い。日本人女性は古くから和装の際の「うなじ」の価値を知っていて和服の際には髪をあげるのではないか??

 「うなじ」は常に見えるものではない。だから特別に価値がある。まず、髪の毛を下ろしている時は存在しない。一方、ショートヘアの人の「うなじ」はそれほど意味はない。常に見えている「うなじ」は単なる首の後ろ部分でしかない。

 「うなじ」は髪の長い人がたまに髪をあげた時に真価を発揮する幻の部位。和服を着ている方の「うなじ」が魅力的なのは、この時しか見れない妖しい存在ということなのだ。

 「うなじ」の下には骨がある。頸椎の上部と頭蓋骨とがおりなす山と谷がほどよく存在し、程よく硬いイメージを伴い、ブヨブヨの印象はない。重い頭蓋を支えているという強さも醸し出す。さらに、頭髪に移行する生えぎわのやわやわとした毛、おくれ毛などが、さらに複雑な陰を作っていく。

 「うなじ」自身が持つ形の良さもある。「うなじ」は10cmほども露出していないが、女性に「らしさ」を与え、全身の姿をイメージさせる貴重な部位である。
 手軽に女性らしさを醸し出すために、肌をさらけ出す人がふえている。しかし、「うなじ」は僅か10cmほどの露出であるが男性に夢を見させる部位である。

 成人式の画像から受けた印象をもとに勝手な偏見を述べてみた。私は芸術家か、はたまた単なるエロ爺か。


1/11(火) 寒波緩む曇り小雪 中通病院内科外来 飯川病院
 1:15起床、文献・新聞チェック,PDF化。降雪なし。寒波緩む、6:00可燃ゴミ2袋提出。6:40バス飯川病院、路地など道路状態最悪、歩行困難、危ない。8:45-12:30中通病院外来。13:45飯川病院、14:00-19:00勤務、入院患者対応。微睡。録音データ整理、読書三昧、19:30帰宅、夕食、21:15就寝。歩数計Σ8310歩。

秋田市の成人式2022(3)  成人式の和装を見ての雑感(1)
 私は自分が着る衣服などにはほとんど興味がない。だからロクな衣服は持っていない。いま、私が最も気に入って毎日着ているのは作業服、作業着と言われるもの。これは気楽である。第一安い。伸縮するから生地だから動きも自由。汚れても洗濯も簡単、ポケットがたくさんあるから便利などなど、私にとってはいい事づくめ。

 ただ、衣服、ファッションそのものに興味がないか、というとそうでもない。数多くの生物の中で衣服を身につけるのは、人間だけであり、この特徴、文化について考えないのは片手落ちである。いずれじっくり勉強して見たいと思っている。

 衣服をまとう第一の目的は、厳しい気象条件から体を保護するためであろう。毛を失った人間は衣服を着ける知恵と文化があったから、ヒトは寒冷地や寒暖の差の著しい地域への進出が可能となった。
 加えて、一定の組織に属していることを示す制服もあり、資格や職業を象徴したりする制服などもある。

 更に、これが重要なことなのだが、衣服には富や権力、地位を誇示するアイテムにもなるし、ファッションとしての極めて重要な要素がある。私が興味を感じている分野はこの装いの文化とそれを着用する人間の心理についてである。

 どうして、人は、時には健康を害しながらも体を締め付け、時間的にも、経済的にもかなり無理してまでも、美しく()装うのだろうか。私にとってはまだ謎である。

 以下の部分は現状における私の感覚で、偏見である。

 女性の和服姿はとても素敵である。これが結論。
 成人式の和装も個々人として見れば素晴らしいが、これほどワンパターンな装いの女性が大量に集まると魅力半減を超えて食傷気味となる。

 和服の魅力は、体の大部分がきちっと隠されているから、なのだと思う。美しい着物で、美しくラッピングされた女性には未知の魅力が漂い、ビキニ姿で海岸やプールサイドにいる女性方よりは遥かに魅力的である。
 和服姿の美しさのポイントは、着る方の姿勢である。成人式の集団は普段着慣れていないせいか一般的に姿勢が良くない。背中が伸びておらず前屈みである。
 それに、満面笑み・・ならいいのだが、仲間同士でのバカ笑い、じゃれつきは和服姿には似合わない。和服が泣いている。
 和装には、それにふさわしい抑制された行動も必要である


1/10(月)成人の日 ほぼ快晴、寒波緩む 近所の三浦氏による除雪 
1:00起床。本読み、新聞・文献チェック他。11:00回診に来た家内に同乗帰宅。道路は融雪でひどい状態。読書、微睡、データ整理大量。午後、近所の三浦氏による除雪が行われた、我が家の敷地は綺麗に、感謝。家内は大倉医師の葬儀に。19:00夕食。20:15就寝。歩数計Σ6031歩。明日から再び荒天予想。

秋田市の成人式2022(2)  なんで成人式で女性達はワンパターンに着飾るのか??
 これだけジェンダー論が交わされ、履歴書にも性別を書かなくて良くなり、かつ個性が珍重される時代、なんで成人式で女性達はワンパターンに振袖、白いショールに身を包むのか?

(魁電子版より借用)

 私の理解を越えている。もともと女性の気持ちは理解できるものではない。ましてや若い娘の考えることなど、解らない。

  成人式は最初から「晴れ着」だったわけではない。
 「成人式発祥の地」の記念像がある埼玉蕨市では、敗戦直後の1946年、当時の蕨町が若者たちをはげまそうと「青年祭」を開催。当時の参加者の服装は男性が国民服、女性はもんぺだったという。
 いつから、振り袖が当たり前なったのか。和装業界に詳しい着物プローサーの石崎氏によると、第二次大戦中にぜいたく品が禁じられ、壊滅状態になった着物業界が復興策として業界が成人式に目をつけたのがきっかけだという。
 人の通過儀礼として古来からの『元服』をヒントに、未婚女性の礼装である振り袖を成人式に着てもらおうと、当時の百貨店などが動いたという。
 
 成人式は着物業界にとってかき入れ時で、約2800億円の市場のうち700億円程度が成人式の振袖関連だとみる。

 一方で、一部の自治体が平服での参加を促そうと1970年前頃から成人式の開催月を8月に変えた。秋田県でも夏季開催の自治体は何ヶ所かみられる。だが、2014年にずっと夏季に開催してきた石川県の某町が行った調査では、1月開催を希望する人が約7割いて、その理由の1位は本人たちの「振り袖、着物を着たい」、娘に「着せたい」と思う親の意見だった、という。

 うーん、はやり女心は分からない。

 2018年の成人式の話題といえば着物の販売・レンタルなどを手がける「はれのひ」が突然店を閉じ、同店に60万円ほど支払い、契約していた多くの新成人が晴れ着を着られなかったと言う事件が発生した。私には全く予想も出来ないことで驚いた。成人式を当て込んだ、こんな大規模な業界があったのか??ひたすら驚くばかりであった。同店は1月26日に横浜地裁に破産を申し立て、破産手続き開始決定を受けた。負債額は契約金ベースの被害総額は2億円以上、全体で約6億3500万円に上ったという。

 我が国のジェンダー論議は、話題にはなっているがその論議は実効性が伴っていない。日本のジェンダー論の進展には、まず女性自身が変わらなければならないと思うのだが、女性たちはなんでこんなワンパターンの装いにこだわるのだろうか。これでは先が思いやられる。
 意外と、大多数の女性たちは、日本の現状の女性像にほぼ満足しきっているのではないのだろうか。成人式の装いを見てそう考えた。
 うーん、はやり女心は分からない。

 2018年の成人式の話題といえば着物の販売・レンタルなどを手がける「はれのひ」が突然店を閉じ、同店に60万円ほど支払い、契約していた多くの新成人が晴れ着を着られなかったと言う事件が発生した。私には全く予想も出来ないことで驚いた。成人式を当て込んだ、こんな大規模な業界があったのか??ひたすら驚くばかりであった。契約金ベースの被害総額は2億円以上。1月26日に横浜地方裁判所に破産を申し立て、破産手続き開始決定を受けた。負債額は約6億3500万円に上ったという。


1/9(日)早朝雷鳴と雨 飯川病院日当直 秋田市成人式
1:00起床。文献読み・録音・PDFデータ整理など。ネコの邪魔で非効率。8:30回診に行くかないに同乗飯川病院に。9:00日当直に就く。終日読書三昧、データ整理大量。午後午睡など。12:00、19:00夕食、20:15就寝。終日部屋に篭りきり、歩数計Σ3566歩と運動不足。

秋田市の成人式2022(1)  成人が法的に変わる端境期の成人式
 今年の成人式「新成人のつどい」が2022年1月9日、午前、午後の2回に分けてCNAアリーナ (市立体育館)で開かれた。昨年の成人式はCOVID-19の影響で中止、2年ぶりの開催となった。今年は、2001年4月2日~02年4月1日生まれの新成人計2013人が出席した。
 マスクを着用した出席者は、久しぶりに会う友人たちと一緒に写真撮影したりして節目を祝っていた。市長は「柔軟な発想で新たな未来を切り開き、秋田を豊かに創造するために活躍してもらいたい」と呼び掛けた。
 秋田市の新成人は2613人(男1320人、女1293人)。年々人数は減少している。

 民法が改正され、2022年4月法的には18歳で大人と見做すことになった。すでに選挙権が18歳に引き下げられている。現行法下では最後の成人式となる。

 ■成人に達すると何が変わるのか??
・親の同意なしに、結婚ができ、
・車や家などをローンを組んで購入したりでき、
・公認会計士司法書士や行政書士、土地家屋調査士、社会・保険労務士などの資格がとれる。(実際にはこれらの資格取得は結構難しく、年齢が早まることはないと思われる。)

 成人式は、日本では地方公共団体などが、多くは成人の日近くでに成人に達する人々を招き、激励・祝福する行事である。敗戦間もない1946年(昭和21年)11月12日に現在の蕨市において実施された「青年祭」がルーツとされている。
 成人年齢が18歳に引き下げられるが、成人式の対象者は何歳にすべきか自治体が頭を悩ませている。「20歳の式」の継続を決めたところも出始めている。

 ■成人式の対象年齢をめぐる主な意見。日本財団「18歳の意識調査」800人の意見では「20歳での開催」が74%を占めた。
 (1)20歳とすべきだ
・飲酒や喫煙も含め、すべてで大人と扱われる年齢だから
・都会に出た若者が式で帰省することで、Uターンのきっかけになる
・18歳の1月の式だと大学受験期と重なり、出席が困難になる
・受験期に重なると家計の負担が増え、晴れ着の準備が大変
・パーティで飲酒できる・・・など

 (2)18歳とすべきだ
・成人になった歳だから
・成人の自覚を早い段階で促すべき
・学生服で参加すればいい、家計の負担が軽減できる
・開催時期をずらせば、受験期は避けられる
・飲酒問題がない

 秋田市も従来通り20歳で行うとのこと。


1/8(土)快晴温暖
    1:15起床。いつもの如く。新聞文献PDF化。文献読み、本読み。学術書自炊3冊。午前は座学中心、午後微睡ごDIY店に。防寒手袋なく玄関アプローチに敷く中型のゴムマット購入。枝に残して寒波にさらされた柿の一部採取、甘い美味!! 16:00書斎に籠り新聞チェック。年末のN響第9公演試聴、名演だった。つづいて内外の音楽名演・名場面2021、反田恭平氏の足跡を再認識。歩数Σ5560歩。

2022年はどんな年に??(4) COVID-19オミクロン株(3) 世界中に席捲するだろう
 COVID-19感染は第5波をもたらしたデルタ株から、オミクロン株への置換が進む。
 ジョンホプキンス大学の推計では現在まで世界で3億人がCOVID-19に感染し、500万人超が死亡したと推計されている。

 全世界的に見て同株の感染者数が驚くほどの増加である。毎日毎日同株の感染者数が日毎に倍々と急増している。WHOの1月2日付集計によると、1週間の新規感染者数は約952万人と、昨年4月に記録した約570万人を大幅に上回る形で過去最多を更新した。

 従来株より感染力が強いオミクロン株の流行と、年末年始で人の交流が活発になったこと、COVID-19慣れが要因とみられる。

 もはや、流行地ではゲノム分析で同株による感染との判断は不要であろう。

 オミクロン株の感染では一般的に症状が軽いか欠如している。だから、医療機関を訪れる感染に対する不安や軽い症状のある人は全員検査の対象となる。現状では検査なしでCOVID-19感染ということはできない。陽性者は感染を伝播させないような行動が求められるからである。
 一方、無症状の不顕性感染者がいると推定されるから感染者と非感染者の区別は曖昧となる。すなわち感染蔓延地方では実際には誰から感染をもらったのかわからない状態にある。だから、感染予防は一層困難となった。オミクロン株は世界中に席捲するだろう。

 感染蔓延地域では医療崩壊の懸念があるためにオミクロン株を意識して、これまで通りの予防策をより徹底する必要がある。不要不急の外出を避け、空気感染の可能性があることから、マスクと換気が重要となる。食事するとき以外はマスクを着用し、また、3回目のワクチン接種を速やかに受けることも重要。もし、症状が出たり、感染が疑わしい状況ではすぐに医療機関に相談する必要がある。

 オミクロン株にワクチンが有効との臨床試験結果が米国の製薬大手2社により確認されている。国内でも既に医療従事者から3回目接種が始まっている。

 治療に関しては、デルタ株に有効だった抗体カクテル療法はオミクロン株にはあまり効果を期待できないため、厚労省が投与を推奨しないことにした。同様の治療薬「ソトロビマブ」はオミクロン株にも用いられる。また、最近承認された経口薬は効果はが期待できそうでこれは朗報である。

 オミクロン株をただ恐れるだけでなく、知見の集積を急ぎ、それを踏まえて適切・柔軟に対応していくことが求められる。


 1/7(金)夜間早朝降雪7-8cm除雪7回目 大曲中通外来 飯川病院ボランティア
  1:00起床。文献・新聞PDF化。5:00可燃ごみの整理。意外と降雪量が多く、除雪に切り替えた、5:20-6:20除雪7回目。可燃ゴミ廃棄。7;25いつもより10分はやくTaxiで秋田駅に向かうも渋滞が激しくいつもの新幹線に乗り遅れた。14:30飯川病院ボランティア、微睡読書、新聞文献チェック。1950Taxi帰宅。19:30帰宅、夕食、21:30就眠。 歩数計Σ8770歩。

2022年はどんな年に??(4) COVID-19オミクロン株(2) 救世主(株)
 COVID-19感染は第5波をもたらしたデルタ株から、オミクロン株への置換が進む。
 全世界的に見て感染者数が驚くほどの増加である。オミクロン株に関する知見の集積を急ぎ、それを踏まえて適切・柔軟に対応していくことが求められる。
 我が国でも感染者数が日毎に倍々と急増している。沖縄、山口、広島の3県に、1月9日からまん延防止等重点措置を適用することが正式に決まった。
 
 オミクロン株の特徴は、従来株とは比べものにならない伝播力。
 重症化リスクは低いとされるが、高齢者や基礎疾患のある人が感染した場合のデータはまだ十分に集まっておらず、軽々に判断できない。
 医療崩壊も起こりうるから、責任ある専門家たちは激しく警鐘を鳴らしている。

 私は医療者の一員とはいえ今は何も責任ある立場にはない。
 私はちょっと発想を変えてオミクロン株を見ている。
 「高い伝播力と低い重症化リスク()」を持った変異株は、私は人類にとって実に都合の良い変異株が現れた、と考えて事態の推移を見ている。

 オミクロン株は、もう各国ですでにかなりの人たちが不顕性感染として広まっていると考えられる。
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 (1)一般の方々のうちで検査を受けてCOVID-19、オミクロン株と検出されるのは感染者のうちで発熱等の症状を持ち検査を受けようとした一部の人たちである。無症状の方々は検査を受ける機会は多くはない。
 (2)水際作戦として国際線空港とかで発見される方々はほとんどが無症状。ただ、全員検査対象になっているから検査を受ける。濃厚接触者とされ待機している方々からも陽性者が出ている。
 (3)スポーツ選手等は定期的に検査を受けていて、その中から思いがけず陽性者が出てその後の試合ガ中止になる事態が散見される。
 (4)無症状の方々を母集団のとしたCOVID-19感染検査、さらにはオミクロン株検出者はまだわからない。しかし、年末年始の各地の人流とオミクロン株の特徴から推定するに、もうすでにかなりの人たちが不顕性感染として広まっていると考えられる。
 (5)蔓延地域ではかなりのCOVID-19、さらにはオミクロン株ウイルスが存在しているから感染経路不明の感染者が多い。
 (6)蔓延地域住民は不顕性感染でかなり免疫が備わっていると考えられる。
 (7)感染者は軽症無症状であっても10日間ほどウイルス排泄があり、標準的予防策は必須。
 (8)軽症無症状の感染者は一定の隔離期間は必要であろう。その後、標準的予防策のもと、対面のない職場であれば復帰させて良いのでは。
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 とは言え、何より大切なのは医療逼迫、崩壊の状況を招かないことが必須。

 まずは、
 (1)最前線に立つ医療従事者へのワクチンの3回目接種を急ぐ。
 (2)高齢者についても、ワクチン3回目接種さらなる前倒し。
 (3)医療機関には陽性者の中から重症者およびその危険度が高い患者のみを収容する。
 (4)そのほかは自宅や施設で経過を観察するが、健康状態観察機能を高める必要がある。

 私はCOVID-19のうちオミクロン株は人類にとって救世主ではないかと考えている。
 オミクロン株は多くの不顕性感染で多くの人々に免疫を授けてくれるはずである。
 強毒性、高感染力のさらなる変異が生じなければ、オミクロン株が世界を、人類を救うかもしれない。
 そういう目で見るのも必要でないか


1/6(木)午前降雪5cm、午後快晴 除雪6回目 午後飯川病院 
 1:10起床、文献・新聞PDF化準備。夜間は強風で嵐状態。8:00-9:00除雪6回目、午前から凪いで快晴状態。11:50バス飯川病院、12:30検食、微睡、読書三昧。午後飯川病院勤務、入院患者対応。15:30秋銀スタッフ来訪、歓談。19:30帰宅、夕食、21:00就寝。歩数計Σ8770歩。

2022年はどんな年に??(4) 核兵器保有5カ国が「核戦争を避ける」共同声明
 核兵器を保有する5カ国、米露中英仏が「核戦争を避ける」との異例の共同声明を発表した。
 2022年初頭に当たって素晴らしいニュースが飛び込んできたものだ。散発的には同様のニュースは従来からあったが、共同声明という形で出たのは初めてである。もちろん実効性が問われることになるが、なんでもはじめの一歩が大切、まずはいい傾向と喜びたい。

 被爆者や専門家は、核兵器禁止条約の発効など、国際世論の高まりが影響したと歓迎している。一方で、実際に核軍縮が進むかは見通せない。必要なのは次のステップである。

 「核戦争に勝者なし」、「核兵器は防衛目的で戦争を防ぐためのもの」、「軍事衝突を防止するため2国間、多国間の外交的取り組みを続ける」などが明記された。主義主張が異なる保有国が同じテーブルについた意義は大きい。

 現状の核保有数は13.000発以上と推定されている。内訳は、米5800、露6370、中320、英195、仏290 、イスラエル80−90、パキスタン160、インド150、北朝鮮35発と推計されている。大変な数であるが、1985年には約7万発もあったことを考えると米露の保有数はかなり減少している。

 各国保有の核はなんでこれだけの数が必要なのか、私には理解できない。核保有国間には不信感があふれ、軍拡競争が激化してきた結果である。サイバー空間や宇宙など新たな競争分野の台頭で危機的事態が起きやすくなっている。核の威力が持つ抑止力は相対的に低下している。各々の核は巨大化し、長崎広島の当時の威力の数100倍らしい。地球や人類を根こそぎ滅ぼしてなお余りある威力となる。逆に、巨大化しすぎて実用性は乏しくなってきたので核の小型化が図られている。

 ロシアはウクライナ、中国は台湾をにらみそれぞれ軍事的緊張を高めている。そんな中、5カ国が核軍縮に向け歩調を合わせたことは評価したい。
 ただ、共同声明は踏み込んだ内容ではない。「核戦争に勝者はおらず・・」は名言だと思うが、すでに1985年の米ソ首脳会談の共同声明で盛り込まれていた。
 その後、インド、パキスタンや北朝鮮などが核実験を強行し、中国は急速に核戦力を増強している。核兵器を巡る状況は当時よりむしろ悪化した。

 共同声明をきっかけに核軍縮に取り組んでほしい。2021年に核兵器の使用を禁止する「核兵器禁止条約」が発効し、非保有国からの圧力は高まっている。最終的に目指すべきは核兵器の廃絶であることは論をまたないが、これこそ非現実的と言わざるを得ないだろう。核兵器がない時代になれば各首脳たちの肩の荷が軽くなり、ストレスはグッと減るだろうに、とゲスの私は思うのだが。

 1月4日からは核拡散防止条約(NPT)再検討会議がニューヨークで始まる予定だった。これは核保有国、非保有国がともに参加した唯一の枠組みだ。
 2015年の前回会議では保有国と非保有国の対立で合意文書を採択できなかった。非保有国の発言力は増している。そこに望みがある。


1/5(水)曇り雪若干 除雪5回目 飯川病院ボランティア
2:00起床、文献チェック他、本、数冊に目を通しながら自炊進める。9:00-10:00除雪5回目、録音データ分類整理、11:50バス飯川病院ボランティア。検食微睡、新聞チェック文献、数冊裁断。19:30広表経由で帰宅、夕食、20:30就寝。歩数計Σ8590歩。

年末年始休暇2021-2022 読書三昧で例年より怠惰に過ごし得た
 昨期の年末年始休暇は前後が週末で9日間の休暇となった。
 今期の2021-2022年の年末年始休暇は、中通病院は12月29日(水)-1月3日(月)、飯川病院は12月31日(金)-1月3日(月)までであった。この間に飯川病院の日当直が2回あった。当直明けの日はどうしても帰りが遅くなり午前が潰れるから、丸々時間が自由というわけにはいかない。それを入れれば丸一日休みとなったのは結局0日であった。

 現役のときは休日にも出勤して溜まった残務をこなしたが、嘱託となった今はそれもなく、休日はとても嬉しい。
 昔のことは思い出したくもない。

 この間の勤務状況は以下のごとく。
 1日の行動の様子を知るために歩数計のデータをつけた。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――- 
         午前     午後 ほか    1日歩数(活動) 
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12月29日(水)   (フリー)   飯川病院勤務    Σ7255
12月30日(木)   (フリー)  飯川病院勤務    Σ6450
12月31日(金)   飯川病院日当直 飯川病院日当直   Σ3561
―――――――――――――――――――――――――
1月1日(土)    (当直明け)    (フリー)    Σ9508
1月2日(日)     飯川病院日当直 飯川病院日当直   Σ6493
1月3日(月)    (当直明け)    (フリー)     Σ7623
―――――――――――――――――――――――――――――――――――-
 最近は歩数計は腕につけている。日本一周も済んだことだし、歩行以外にも腕の動きもカウントされ10%ほど増える事になるが、私の活動のバロメータとして見做している。
 年末年始休暇中の活動を歩数計から見ると、昨季は9日間で平均9504、今期は6日間で平均6804であった。活動が少なかった理由はひと月前の転倒による左膝痛がまだ残っていることもあろう。

 結局、フリー日が全くなく、6日間の間はかなりの時間を飯川病院で過ごしたことになる。
 この間は蓄積した各種のデータの整理、読書に充てたので結構充実した時間となった。


1/4(火)曇り小雪 中通外来 
飯川病院 今季転倒2回目1:20起床。夜間積雪ゼロで除雪不要、新聞チェック、文献、本読み。いつもと同じ。5:30大量の可燃ゴミ廃棄。6:40バス飯川病院へ。バス停へ向かう途中雪に足を取られて転倒、今季2回目、崩れるように転んだからダメージはなし。8:45-12:45中通病院外来、混雑せず。13:00飯川病院。14:00-18:50勤務。19:30帰宅、夕食、20:45就寝。歩数Σ9077歩。

2022年はどんな年に??(3) COVID-19 オミクロン株感染増加を侮ってはならない
 2022年は年末年始の人的移動を機会に世界で猛威を振るう「オミクロン型」の市中感染が日本でも増加し始めた。今後は感染者数を今に抑制し、医療体制をいかに維持できるかが焦点となる。

 「オミクロン型」は感染力は従来の数倍はありそう。日本でも「第6波」が間近に迫ってきた。東京や大阪では病床逼迫に結びつくような動きが出てきている。
 「オミクロン型」の毒性についてはまだ基礎的研究の範囲であるが、欧米の研究では入院治療が必要となる患者は従来株の2/5程度という。これがワクチンによる免疫能獲得による結果なのかはまだわからないが、ハムスターによる実験でも肺組織の中でのウイルス増殖は従来型よりも少ないことが示された。
 これは朗報の一つではあるが、しかしまだ軽々には言えないと思う。

 COVID-19対策では途上国へのワクチン供給が課題となる。
 感染症対策では政治上の主義主張、経済力、科学力の差を超えて協調しなければ感染予防は機能しない。如何に一国の対策が抜きんでいても対策が遅れた国とは併走できないからである。

 私が子供の頃は、科学雑誌などには火星人などの地球外生物が地球を侵略する話があって心を沸き立たせたものである。その際は地球防衛軍なるものが組織され世界が協調し、一体化してして敵と戦い、苦労しながらも勝利を収め地球が助かる、というストーリーであった。これぞ感染症対策の基本である。名だたる為政者に読ませたいものだ。今の子供達は宇宙に対する知識も深く、こんなチャチなストーリーを喜ぶとは思えないが、まさにCOVID-19問題はこの状態に近い。
 地球上のすべての国にとって、人間にとって遍く共通の問題であるにもかかわらず各国の対応がバラバラな状態は目を覆いたくなる。
 このCOVID-19の問題点はWHOが不甲斐ないため、と言わざるを得ない。事務局長が声明を出しただけでは効果は期待できない。WHOは持てる力で集めた科学的データを背景に説得すべきである。

 COVID-19感染が昨年後半から国内で鎮静化した。その原因はわかっていない。
 しかしながら、年末年始を挟んでオミクロン株を中心に再度感染拡大が見られている。

 国内は「第6波」を迎えようとしている。医療体制が逼迫し「いのち」を支える仕組みが揺らいでいる。
 企業の倒産や解雇、雇い止めも相次いでおり、特にサービス業の倒産が目立つ。倒産に至らないまでも雇いどめなどで職を失っている弱い立場の労働者の数も増えている。特に女性労働者の立場は弱い。

  厚労省は2020年2月からコロナ禍を理由にした解雇や雇い止めの人数を集計している。21年2月末までの累計は約2万3千人で、半数超が正社員とみられる。
  当初は派遣や契約社員といった非正規雇用が半数超を占め、正社員を上回っていた。コロナ禍を受けて、非正規雇用にまずは手をつける企業が多かった。影響が長引くなか、希望退職などの手法で正社員も減らすところが増えてきている。
 感染拡大を封じ込め、国民の「いのち」を守り、生活の要である経済活動をどう再生させるか。それが今年の、岸田首相の最重要課題となる。


1/3(月)終日曇り 年始休暇三日目 
1:00飯川病院で起床。文献検討、徒然など処理。書籍自炊数冊分準備。道路は固く凍結状態で歩行には危険、回診にきた家内同乗9:50帰宅。車に乗るまでも、降りた後も滑った。微睡、新聞電子化など、読書等座学中心。夕食用の畑のネギ、雪が固く凍結していて抜けず。19:00夕食、新春オペラコンサート一部見る。21:30就寝。歩行Σ8115歩。

2022年はどんな年に??(2) 国会 参議院選 地方政策 まもなく国会が開催される。
 論戦の中ではオミクロン対策、経済安定が問題になろう。
 市井では半導体の供給不足から、物がない、部品が少ない、湯沸かし器が直せない・・・などが問題化している。これは半導体不足、流通機能の低下が関連していると言われ、時期を待たねばなるまい。

 本年夏には参議院選挙が行われる。
 岸田首相は就任後100日経過、まだ何も具体的政策を出していない。中心となる政策を出せるか 具体的メッセージの発信が求められる。
 今までは「新資本主義の始まり」、「デジタル田園都市国家構想」とか大きなこと言っているが中身は見えない。後者は地方創生と絡んでいるようだが、県や県内各市町村の発展にどう生かすか。 国の政策ばかりでなく、自治体側の主体的な姿勢の在り方も問われる。

 野党は困難を抱えている。
 立憲は政策提案型に舵を切るというが、これは一見良いように見えるが危険な方針転換である。与党案に対する反対を中心に掲げている方が国民の目を引き、存在は目立つ。特に経験の乏しい弱小の政党は政策提案型になると政党間で埋没してしまう危険があり、結果的に相対的に岸田政権は安定する。

 岸田首相は成長戦略の柱の一つとし「デジタル田園都市国家構想」を掲げ、「新しい資本主義」の主役は地方と強調している。
 新型コロナウイルスのコロナ後を見据えた経済対策も不可欠。

 岸田首相デジタルを活用し、医療や教育、交通などの分野で都市と地方の格差を解消することをす。 第5世代 (5G)通信システムなどデシタル技術を活用するためのネットワークなどの普及も進める。また、海底ケーブルで日本を周回する「デジタル田園都市スーパーハイウェイ」を3年程度で完成させる方針。国内どこでも高速大容量のデジタルサービスを使えるようにするという。

 首相の構想も看板の掛け替えに終わらないよう地方の視点からチェックし、積極的に働き掛けていいくがある。県や市町村は地域の特性をしっかり認識した上で、どんな政策、インフラ、人材が必要か、明確なビジョンを持たなければならない。

 今春からの県政運営の指針「新秋田元気創造プラン」が始まる。
 長年の課題に、直ぐに効果的な特効薬を求めても難しいのかもしれない。しかし、国が「デジタル田園都市国家構想」に本腰を入れるのであれば、これをいかに本県の発展に活用するか検討を急ぐべきだろう。国に注文すべき点があれば積極的に声を上げ、さまざまな政策の実を高めていくことが必要だ。

 北半球が冬場に入ってから米欧で再び感染が拡大している。米では1日の感染者数が100万人にも達している、という。
 経済の再生の価値は人の命の重要さそのものに匹敵する。
 その多くの問題は、数世紀に渡る世界の産業構造変化、旺盛な経済活動、人的交流の濃厚化、エネルギー消費増大、人間の生活の変化に伴い生じたもので、コロナ禍でこの一年の間に弱点としてあぶりだされた、と言うこと。
 だから、今回は単にコロナ前に戻すだけではなく、デジタル化や雇用市場の改革など新たな経済・社会を切り開く戦略、一極集中の解消を伴わなければならない。


1/2(日)年始休暇2日目 寒波小雪除雪4回目 
飯川病院日当直 レセプトチェック1:30起床。新聞・文献チェックほか。殆どいつものペースに。専門誌等4冊ほど自炊。7:00-7:50除雪4回目、回診に行く家内に同乗飯川病院へ。8:45日当直業務に就く。新聞チェック、ラジオ深夜便データ移行、数篇再聴。11:00数日前に注文したオリンパスPJ-20届く。14:00-15:30外来レセプトチェック。ハードディスクデータ整理とバックアップ。読書三昧、微睡三昧で過ごす。正月だからいいか、と割り切る。12;00、18:00検食、21:00就寝。歩数Σ6499歩。

2022年はどんな年に??(1)岸田政権はどんな政策を出すのか
 昨年までは以下のような動きがあった。

(1)世界の動きとして 
■バイデン米政権発足 アフガン米軍撤退、タリバンが政権を掌握
 ■COVID-19の感染爆発。世界のCOVID-19死者500万人 ■中国共産党歴史決議 習近平3期目に
 ■G20今世紀半ばに温室効果ガス実質ゼロ ■世界中で分断や歪みが目立った。

(2)国内の動き
 ■COVID-19で度重なる緊急事態宣言 経済活動には急ブレーキ
 ■五輪強行 菅首相退陣、岸田政権誕生
 ■記録的大雨で土砂災害、熱海土石流
 ■ 不穏な世相。小田急線、京王線での刺傷事件、 大阪ビル火災25人死亡

 9年間続いた安倍氏退陣、短期の菅首相を経て岸田政権が発足した。
 岸田首相は今の所政策よりも、「聞く力のある総理」としての個人的イメージで勝負している。確かによく聞いているようだ。しかし、政策には朝令暮改のニュアンスがつきまとう。10万円の配布にしても現金、クーポンなどまだ一定していない。

 今までの政権と異なり非難が少なく50%の支持率を維持している。聞く力のイメージ、および前、前々政権にない個人的なソフトな魅力が作用しているのだろう。
 岸田首相は自身の派閥を大きくしようとは考えていようで、そのことが自民党内である種の安定感をもたらしている。

 国会が間も無く開催される。
 今年の最優先課題はCOVID-19感染封じ込めであることは言うまでもないが、COVID-19は足掛け3年を迎え、国民の反応にもある種の納得感、パターン化が見られてきている。

 COVID-19の衝撃が大きかったため、世界の災禍はすべてこの感染症のせいと考えがちだが、多くの問題は世界の産業構造変化、旺盛な経済活動、人的交流の濃厚化、エネルギー消費増大、人間の生活の変化に伴い生じたもので、COVID-19でこの二年の間に弱点として一挙にあぶりだされた、と言うこと。

 特に、世界一と誇ってきた我が国の医療体制が意外と脆かったのは、有事を考えない危機管理体制の弱点が顕になった。なにしろ、保健所を統合整理して縮小し、病床も減らそうとしていたのだから。その歪みがモロに出た。

 南海トラフ地震予測に続き、千島日本海溝地震についての被害予想も発表された。
 特に後者については対策によっては被害を8割まで減らせることも示された。

 さあ、これからは政治の判断に移っていく。


1/1(土)元旦 暴風雪  年始休暇初日 MacOs 12.1 Monterey導入  
1:00飯川病院で起床。データ整理、歴史の本読み、新聞入力中心。新年を期して飯川病院に設置のiMac27(2019)にMacOs12.1 Monterey導入。当直の畠山医師に膝関節について相談、さらに時間を、と。安心した。11:00家内買い物のついでの迎えあり帰宅。入浴など。データ整理関係を2022年度版に書き換え。読書、微睡、書籍の自炊等でゆったり過ごす。新聞・文献大量にチェック。自炊数冊ほか。昼は雑煮、19:00雑煮とおせち。「ウイーンフィルNY con」一部視聴。バレンボイム指揮で行われた。21:00就寝。歩数計Σ7120歩。

2022年元旦 明けましておめでとうございます。
新年あけましておめでとうございます。
今年が良き年でありますよう、願っております。


12/31(金)大晦日 暴風雪 年末休暇三日目 飯川病院日当直
1:00起床。データ整理、歴史の本読み、新聞入力中心。読書、微睡で過ごす。8:30課内に同乗、飯川病院へ、9:00日当直に就く。ラジオの録音数件。データ整理、読書、微睡、また読書・・・・18:00検食、20:00就寝。歩数計Σ3561歩。

2021年大晦日 雑感+豪華な検食 私は外からの評価よりも自分自身の評価を重視し自己満足を楽しむ。
 今年最大の喜びは、家族を含め無事生きられた、ということ。 昨年は地域の敬老会から初めて招待いただいた。
 また後期高齢者にも加入させていただいた。
 運転免許証を返上した。
 今年は秋田市医師会から喜寿のお祝いのご招待を受けたが、目下引きこもり中として辞退させていただいた。

 自分を鼓舞しながら、達成感、満足感を楽しんできたが、70歳台になってその意欲は全般に低下傾向にある。
 最近やたらに睡魔が生じてくる。身体が求めているのだから・・と、業務の隙間があればできるだけ応じている。21:00pmに就眠し1:00am前後に起床するという変則的な生活の歪みが関係しているのかもしれない。

 私の好きな言葉は「継続は力なり」であるが、ここ数年来、「もっと無計画に、適当に生きてみたい・・・」と思い、徒然日記にも書いてきたが、まだ実行できていない。徒然日記に関して言えば、今年も更新できなかった日はなく、期せずして「継続は力なり」になってしまった。 来年こそは途切れてもいいから、無理せず自然体でいきたい。 私は我が家の仕事の分担として、食事・掃除洗濯以外のかなりの部分を担っている。これらは手抜きしても大きく非難されることはないが、家の内外がゴミだらけになってしまう。そうそう、ネコどもの世話は生き物が相手だけに手を抜けない。

 意欲の高揚を要する仕事はすべてやめる、など選択ができればいいな、と思うが、私が手抜きすれば誰かが担わなければならない。面倒くさいからといって、やりがいがないから、とやめるわけにはいかない仕事がまだまだ一杯ある。

 今年は除雪が増えるだろう。
 でも、手を抜けるところは抜きたいものだ、とウジウジ考える。 あらゆることに感謝の気持ちを抱きながら新年を迎えよう・・・などなど、思いながら今年も無事終わりそう。


(超豪華な本日の夜の食事。左側のフルーツとローストビーフ握りは家内からの差し入れ。右は病院の検食、メニューは一口蕎麦、海老フライ、三色きんぴら、付け合わせ、フルーツ 他)

 この一年、ありがとうございました。


12/30(木)比較的温暖降雪殆どなし 路上は大変 年末休暇二日目  
1:20起床、オリンパスPV-10不調、初期化するも改善なし、廃棄か??医学文献、新聞などチェック。座学、データ移行。11:30バス飯川病院。融雪ザラメで歩行難。膝には悪い。微睡、本読み、その他。入院患者対応、19:30帰宅、蕎麦屋のうなぎで年越しの夕食、美味、ネコ相手して21:00就寝。歩数計Σ6450歩。

年末恒例のまとめ2021(5) 私自身の出来事    
時間の経過は実に早い。本年も晦日を迎えた。 私としては淡々と過ごし得た一年であった。
 私は、先に勤務していた法人の嘱託医として、また、家内が傭われ院長している飯川病院の補助医、作業員として診療や花々の世話を細々と続けているが、それ以外は外との接触・交流・対話は一切ない。
 今年も同様、家族とネコ、自分との対話を中心に引きこもり状態で過ごした。 ずいぶん本を読んだ。 野菜を作った。
 ダリアを育てた。 毎日の新聞、読書、文献整理その他などを通じていろいろ情報を仕入れ勉強し、データとしても蓄積した。無知であった自分を恥じながら新しい史実、事実を学んで日々一人で感激している。
 この一年間は、私は健康上のトラブルはほとんど無かったが、12月6日、当直明けで時間的余裕があるために健康のために、と思い久々徒歩で帰宅した。路面はうっすらと雪が積もっていた。あと自宅まで200mほどの路地を歩いていた時に、全く予想外に右足が滑り、後方に激しく転倒した。左膝に一瞬の強い疼痛が走った。左膝をひねったようだ。時間が解決してくれる程度と判断したが、ほぼ3週間にもならんとしているがいまだに痛いのが気掛かりである。

 最近、体力・気力の衰えが顕著である。バランス感覚の衰えか筋力低下か、ふらつく。徒歩通勤は健康に自信なく一度もできなかったが、最初の試みで転倒するなどついていない。

 まだまだ読書欲は衰えていない。この一年間に新しく購入した書籍だけでも100冊に近い。全部解体しデータ化している。よく読んだものである。
 家内はいろいろ病気を抱えているが今は元気で実に嬉しい。
 私自身はそろそろ引退を希望するが、家内が働いている間は補完的に、補助的に手伝わなければなるまい。引退するなら同時だろう。
 我が家のネコたちのうち「グリ」が病死した。他の若手はとても元気、毎日話題を提供してくれている。横浜で拾われた16歳の老ネコの「ユー」もなんと頑張っている。 私がこうして無事年末を迎え得たのは、やはり多くの方々のお陰である。
 私が最近よく口にする標語は「寛容」、「忍耐」、「感謝」であるが、この一年、まだ一日あるがいつもより深い「感謝」の気持ちを込めて締めたい。


12/29(水)終日小雪積雪若干除雪なし 年末休暇初目 ダリア球根処理 1:30起床。静かに朝を迎えた。昨夜購入の本読み、徒然など。本日から天候は荒若干改善予想。新聞雑誌類データ化など。午前はダリアの球根処理、乾燥した球根を箱詰め2Fの空き室に収納。これで全コース終了。13:30バスにて飯川病院に、ボランティア。データ移行に費やす。19:15帰宅、夕食、読書など、21:00就寝。Σ7255歩。年末恒例のまとめ2020(4) 我が家の出来事    時間の経過は実に早い。本年も晦日を迎えた。 この一年間は、我が家では全員健康上のトラブルはほとんどなく平穏に過ごした。 家族達は、総じて元気に過ごしている。
 孫5人、何れも個性豊かにすくすくと育っている。
 賄いの石井さんも弱ってきたがなんとか頑張っている。 COVID-19のために横浜在住の長女一家がこの2年間一度も帰省できなかった。そのために横浜の孫とは会っていない。家内とはネットを通じた動画サイトを介して時折話しているようだ。長女はもともと帰郷願望が強く年に数回は帰省していた。この2年間一度も帰省しなかったのは初めて。COVID-19緊急事態宣言が解けた後には帰省することも不可能ではなかったが、迎える方が医療帰還関係者で蔓延地区からの来客の受け入れなども厳しく制限されていたために受け入れられなかった。娘一家は元気なようである。 毎年年末には家内が主催して、休宝寺で餅つきパーティを行い、親戚の子供たちを中心に懇親会をするのであるが、昨年は中止したが今年は無事できた。参加者は20人ほどと少なかったのが残念であった。 私供がこうして無事年末を迎え得たのは、やはり多くの方々のお陰である。私自身は引きこもり中であるが、多くの方々に直接的、間接的にはお世話になっている。心から感謝申し上げたい。 私が最近よく口にする言葉は「寛容」、「忍耐」、「感謝」であるが、この一年、まだ2日あるがいつもより深い「感謝」の気持ちを込めて締めたい。


12/28(火)曇り小雪 中通病院外来 飯川病院ボランティア 積雪4cm 
1:00起床。新聞入力準備。本読み、徒然などゆったり過ごす。除雪なし。6:00可燃ゴミ集積所に提出。本年最後。市の依頼を受けた業者のスタッフの方々ご苦労様。6:40バスで飯川病院に。8:45-12:00中通病院外来、今年最後、混雑なし。12:30飯川病院ボラ、微睡後、午後は読書、15:30中心に。19:00通町書店経由帰宅夕食。21:00就寝。Σ9742歩。

年末恒例のまとめ2021(3) 医療界の出来事 医療界のキーパーソン 
昨年は新年早々から中国・武漢を中心に肺炎患者相次いだという不穏なニュースが飛び込んできた。
 このウイルスは世界各国に広まり、年末までの2年間途切れることなく報じられ、今でも右肩上がりに感染者は増加を続けている。世界的に500万人が死亡したとされ、過去のスペイン風邪を思わせる状況にある。
 その中での朗報としてはワクチンが数種完成し接種が始まった。
 そうこうしている間に恐れていた変異株「オミクロン株」が発生し、新たな脅威を迎えている。
 2021年もコロナで開け、コロナで暮れることになるが、コロナとの戦いはまだまだ続く。

(1)医師が選ぶ2021年30大ニュース
大部分COVID-19関連で占められた
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1 COVID-19 ワクチン、日本国内で医療従事者から接種開始
2 COVID-19 各国で「オミクロン株」発見、VOCに
3 COVID-19 第5波、デルタ株で感染急拡大、各地で最多更新
4 COVID-19 第3波、2回目の緊急事宣言を発出
5 旭川医大、学長と対立した病院長を解任
6 COVID-19 感染後も入院できず自宅で死亡する事例が相次ぐ
7 COVID-19 厚労省、ファイザー製ワクチンを薬事承認
8 COVID-19 東京都に4回目の緊急事態宣言、宣言下でのオリバラ開催に
9 HPVワクチン、積極的動の再開を決定
10 COVID-19 第4波、関西を中心に医様が逼迫
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11 COVID-19| 全国で医療従事者へのワクチン接種が進む
12 東京五輪開幕、開会式に医師も登場、大半の会場は無観客に
13 COVID-19 「高齢者へのワクチン接種開始、予約殺到で混乱も
14 COVID-19 国内感染者数が急減、緊急事態宣言を解除
15 COVID-19 「抗体カクテル康法」特例承認、重症化予防に期待
16 ラグビー福岡堅樹選手、順大医学部に合格
17「岸田内閣生、厚労相に後藤氏、菅内閣は1年で退陣
18 旭川医大、パワハラなど報じられていた学長が辞任
19 COVID-19 「ワクチン、国内でも3回目接種を決定
20 COVID-19 「自衛隊によるワクチンの大規模接種センター開設
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21 COVID-19 13回目の緊急事態宣言、全都道府県の解除まで5カ月を要した
22 乳腺外科医事件、最高裁で弁論へ、二審有罪判決見直しも
23 COVID-19 厚労省、モデルナ・アストラゼネカ製のワクチンを承認
24 衆院選で自民勝利、立民は議席減らし新が躍進
25 COVID-19 ワクチン接種のミスや募集が相次ぎ報道される
26 COVID-19 ワクチンの接種開始、申し込み殺到で一時受付停止も
27 COVID-19 2回接種後の「ブレイクスルー」相次ぐ、重症リスクは低減も
28 COVID-19 国内初の接種後死亡事例、接種との因果関係は評価できず
29 医療機器入巡る汚職で三重大院元教授を逮捕
30 COVID-19 WHO査察チーム、武研究所からの新型コロナ流出「可能性低い」
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(2)医師が選ぶ2021年キーパーソン
やはりコロナが関連している。
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1 尾身茂氏(政府新型コロナ対策分科会会長など)
2 忽那賢志氏(阪大教授)
3 山中伸弥氏(京大iPS細胞研究所所長)
4 岸田文雄氏(首相)
5 西浦博氏(京大教授)
6 中川俊男氏(日医会長)
7 河野太郎氏(前ワクチン担当相)
8 本庶佑氏(京大特別教授)
9 菅義偉氏(前首相)
10 Aファウチ氏(米 NIAID 所長)「われわれは間違った方向に進んでいる」
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(m3comより引用 一部改変)


12/27(月)降雪荒れ模様 積雪20cm除雪3回目  健康クリニック 飯川病院勤務  
1:30起床。餅つきで今年の行事は終了。本読み、本、書類自炊、徒然などゆったり過ごす。5:00-6:00除雪3回目、バスが定時に来たのでびっくり。9:00健康クリニック、12:30飯川病院。データ整理など。14:00-19:00通常勤務。入院患者対応。微睡など読書、新聞チェック。15:30秋銀スタッフ来訪。19:30帰宅、夕食。21:00就寝。Σ9468歩。

年末恒例のまとめ2021(2) 国内の動き、世界の動き年末恒例のまとめ。備忘録として毎年記述。 
今年は新年から全世界的に新型コロナ対応に追われた。日本も同様であった。
(1)2021世界の動き
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1 バイデン米政権発足2 アフガン米軍撤退、タリバン政権に
3 大谷二投流大活躍 初のMVP
4 世界のCOVID-19死者500万人5 ミャンマー軍事クーデター
6 香港リンゴ日報廃刊7 トランプ支持者議会襲撃一時占拠8 中国共産党歴史決議 習近平3期目に
9 松山英樹がマスターズ優勝 日本人初
10 G7首脳生命に台湾明記
次 G20今世紀半ばに温室効果ガス実質ゼロ―――――――――――――――――――――――――――(朝日新聞の記事を参照し、一部改編)
(2)2021国内の動き
1 東京五輪・パラ 無観客開催
2 新型コロナで度重なる緊急事態宣言
3 菅首相退陣、岸田政権誕生
4 新型コロナ「第5波」で医療崩壊
5 衆院選で自民絶対安定多数
6 東日本大震災10年
7 眞子さん、小室圭さんと結婚
8 記録的大雨で土砂災害、熱海土石流
9 新型コロナワクチン接種率7割超
10  藤井聡太さんが竜王位獲得で最年少四冠

次点  小田急線、京王線で相次ぐ刺傷事件
番外 大阪ビル火災25人死亡、放火疑い

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(3)2020世界の動き 国内の動き 光陰矢のごとしの感、より一層思う
――――――――――――――――――――――――――1 コロナ世界的蔓延2 バイデン氏勝利 トランプ氏認めず3 香港で民主化弾圧4 黒人差別デモ世界に5 英国EU離脱6 米中対立激化
7 核兵器禁止条約発効8 コロナワクチン接種開始9 副大統領初の女性10 イスラエルアラブと国交正常化11 日韓関係元徴用工で関係悪化
―――――――――――――――――――――――――――(朝日新聞の記事を参照した)

(4)2020国内の動き―――――――――――――――――――――――――――-
1 コロナ蔓延 政府が緊急事態宣言2 東京五輪・パラ延期3 歴代最長の安倍首相辞任 菅首相に
4 安倍首相 小中高に一斉休校5 移動自粛・休業要請・GoToトラブル6 7月豪雨80人死亡7 国民一人当たり当たり10万円 マスク8 河合夫妻 9 学術が異議 会員任命拒否10 安倍前首相不起訴11 鬼滅の刃
番外 はやぶさ帰還
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 先には自分で重要事項を書き出していたこともあったが最近はその意欲、時間がなくなった。今年は新聞記事を参照し、若干改変して作成した。


12/26(日) 寒波暴風 除雪2回目 恒例の餅つきと懇親会
 1:00起床、いつものごとくデータの更新・整理、コンピューター関連読書、徒然ほか、微睡。午前はデータ整理等で過ごす。午後は14:30-15:30除雪2回目。16:30-20:00休宝寺にて恒例の餅つきと懇親会。20:30帰宅、就寝。Σ9500歩。年末恒例のまとめ2021(1) 秋田県の動き年末恒例のまとめ。備忘録として記述しておく。 

2021秋田県の動き
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(1)本県出身の初の総理大臣退陣ーーーーーー突然秋田人になった政治家   
(2)大雪暴風雪ーーーーーー県南中心雪害(3)COVID-19ワクチン接種ーーー結構大変でした 
(4)縄文遺跡世界遺産に
(5)新品種米サキホコレ先行販売ーーー秋田こまちを越せるか?
(6)COVID-19急拡大ーーー都道府県別では少ない方から3番目
(7)佐竹知事4選ーーー多選は良くない
(8)横手で鳥インフル発生ーーー気の毒なことに
(9)聖火リレー県内走破
(10) 東京五輪パラリンピックに県勢活躍
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(11)秋田市立秋田総合病院で1月にCOVID-19のクラスターが発生。その後、他の医療機関でも相次いだ。
(12)JR奥羽線の新駅「泉外旭川駅」が3月13日、秋田市泉菅野に開業。20年ぶりの新駅設置となった。
(13)プロ野球日本シリーズでヤクルトの石川雅規、石山泰稚両投手が活躍。オリックスは中嶋聡監督が指揮した。
(14)コロナ禍で「秋田竿燈まつり」や「土崎神明社祭の曳山行事」などが2年連続中止。
(15) 第49回衆院選の本県3小選挙区は、2区で自民党が敗れ、過去3回続いた自民の議席独占が崩れた。落選候補が比例で復活はおかしい。
(16)仙北市のわらび座は、秋田地裁から民事再生手続きの開始決定を受けた。
(17)プロ野球ドラフト会議でソフトバンクが明桜高校の風間球打投手を1位で単独指名した。TDKの小木田敦也投手はオリックスが7位指名。
(18)バドミントンの全英オープン各種目の決勝で、女子ダブルスで永原和可那、松本麻佑組(北都銀行)が初優勝。
(19)県警は5月8日、県発注工事の入札で最低価格の基礎となる情報を業者に漏らした疑いで県幹部を、入手した情報で落札したとして業者の元相談役を、それぞれ逮捕。
(20)7月11日夕から12日午前にかけて大雨に見舞われた由利本荘、秋田両市は一時、計646世帯1443人に法改正後初となる「避難指示」を発令。
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2020秋田県の動き 光陰矢のごとし
(1)本県出身の初の総理大臣誕生ーーーーーーどこの出身でも政策が問われるのだ   
(2)新型コロナ 一斉休校や休業要請ーーーーその頃は国県とも過剰反応
(3)地上イージス計画撤回 ーーーーーーーーー防衛省自滅(4)新品種米サキホコレ ーーーーーーーーーーあきたこまちに不満はないが
(5)新型コロナ 夏の行事軒並み中止に
(6) ブラウブリッツ秋田J2昇格(7)漫画家矢口高雄氏他界ーーーーーーーーー貴重な作品を遺した方
(8)新型コロナ感染拡大 中高生の部活動に影響(9)クマ襲撃 藤里町の女性死亡
(10) ナガマツペア東京五輪確実――――――――――――――――――――――――――――
(11)昨年引退した元関脇豪風噺髪式(12)記録的な暖冬少雪。冬の行事やスキー場などに影響
(13)秋田市出身の佐藤監督の映画「泣く子はいねえか」が国際映画祭で最優秀撮影賞(14)高校バスケの名門能代工業の名称が来春消滅する
(15)世界ミスワールドの日本代表に大館市出身の金谷さん
(16)2019年に県内誕生新生児の数が5千人を下回った
(17)洋上風力発電施設を整備する区域として秋田沿岸が指定(18)東京渋谷駅のハチ公前広場に置かれていた鉄道車両青ガエルが大館駅前に移設
(19)1953年のボストンマラソン優勝の大館市出身の山田敬蔵氏死去(92歳)
(20)県内小中高校特別支援学校の2019年度のいじめが過去最多となつた
 --------------------------------------------------------------------------------------一
2017-2019年は昨年記述した(秋田魁新聞より引用。読者アンケによる。一部改変


12/25(土)曇りやや荒れ模様 積雪6-7cm  今季初除雪
2:00起床、いつものごとくデータの更新・整理、コンピューター関連読書、徒然ほか。ここ数日は記録的寒波好転が予想される、という。積雪6-7cm、9:40-10:00今季初除雪。午後微睡後継続作業。16:00座学、読書、新聞チェック。19:00夕食。21:00就寝。Σ8020歩。寒くて書斎使用不可。

ジェンダー論2021(8) 皇位継承(4)ジェンダー論を重ねれば
 安定的な皇位の継承のあり方を検討する有識者会議の最終案がまとまった。
 皇族数が減るなかで、皇室制度をどう維持するか。これは喫緊の問題のはずなのに危機感が乏しい結果であった。
 2017年6月、天皇の「退位特例法」が成立した際の国会の付帯決議で、政府は「安定的な皇位継承を確保する諸課題」、「女性宮家の創設等」などを速やかに検討するよう求められた。この間4年経過し、眞子さんが皇籍を離れてしまった。
 有識者会議の初会合は付帯決議から4年も経た本年3月であった。その途上で報告された中間報告を見て、悠仁さま以降の皇位について「具体的に議論するには機が熟していない」などとしていたし、国民に一定の支持がありつつも、国論が二分される恐れのある女性天皇、女系天皇の議論は避けていた。
 全然危機感と責任感がない無能委員会でないか!!! 私はこりゃダメだ、と思った。
 大体、委員たちは皇位継承者が「いのち」も「感情」もある「生身の人間」であることを分かっているのだろうか??
 <a href="https://blog.goo.ne.jp/mfukuda514/d/20210502">皇位継承(1) 人間と認めるなら皇室に人権を認めよう</a>
 12月に岸田首相に手渡された報告書を見ると、有識者会議は、まず、現在の天皇陛下から秋篠宮さま、さらには悠仁さまという皇位継承の流れを前提とした。これもおかしい。このままでは、皇統の維持ができるか心もとない。
 世論調査では、女性天皇や、父方に天皇の血を引かない女系天皇を肯定的に受け止めている。ただ、後者には保守層から強い反発もあり、戦後に皇籍を離れた旧宮家の男系男子の復帰に関しても疑問の声も根強い。
 委員会は皇族数の確保策は喫緊の課題として3案を示している。喫緊の課題と本当に考えているのか??
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 ■未婚の女性皇族が結婚後も皇族の身分を保持する案、
 ■戦後、皇籍を離れた旧宮家の男系男子を養子として迎える案、
 ■旧皇族の男系男子を法律により復帰させる案、
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である。
 この3案が国民の納得を得て実現するにはことがことだけに予想できないほどの時間がかかると思われる。
 こんなことより、皇族方が生身の人間であり、皇位継承者も健康を害する可能性を考えないのか??と思う。
 <a href="https://blog.goo.ne.jp/mfukuda514/d/20210510">皇位継承(3) 生前退位 人間天皇ならば老化するのも当然</a>
 私は日本の皇室は女性天皇の時代を迎えた、と思っている。
 <a href="https://blog.goo.ne.jp/mfukuda514/d/20210509">皇位継承(2) 人間天皇ならば性別で規定するのはおかしい</a>
 日本が現在の男子のみの皇位継承にこだわっていたら国際的に笑いものになるだろう。
 今後は最終報告の内容をもとに、国会の場で皇室典範の改正などの議論が進むとみられるが、うまくできるかな?先が思いやられる答申案である。


12/24(金) 曇り 大曲中通病院 飯川病院ボランディア 積雪2-3cm
 0:00飯川病院で起床。データの更新・整理、読書、徒然ほか。7:45早めに出勤した家内に送られ秋田駅。8:11こまち、8:50大曲中通病院。今年最後の外来。左膝痛のために往復ともTaxi。15:10ブックオフ土崎店、先日置き忘れたiPad miniをとりに。16:30飯川病院。微睡など。19:00帰宅夕食、21:00就寝。歩数Σ6991歩。

ジェンダー論2021(7) 女が悪い、男も悪い 私を含め高齢者も悪い
 「ジェンダー・ギャップ指数2021」の日本の順位は156か国中120位で、先進国中最低レベル。アジア諸国の中でも低い。
 初年度の2006年は80位だったが、調査の度にどんどん低下し史上最低のランクとなった。日本の順位の上昇を妨げているのは、「経済」、「政治」の分野への女性参加が少ない点。それは統計の指標を見ればわかる。

 そんな統計上のことを問題にする前に、日本のジェンダー文化の歴史、日本の男女、高齢者に染み付いたジェンダー観があり、改善を妨げている。

 「女性の活躍を推進する」や「男女平等社会を目指す」という言葉が近年よく見受けられ「男女機会均等法」なる法律も成立したが、ジェンダー格差の解消はなかなか進まない。

 日本が抱える課題とは一体何なのか いつまでも改善しない、改善できない背景は??。
 それは、日本の社会が持っている保守性のため。理屈で言えば「経済」および「政治」の分野に女性がしっかり進出してくることはいいことなのだが、日本の男女が持つジェンダー感覚がそれを素直に許さない。

 男性にとって女性の社会的進出の意義は認めざるを得なくとも、女性の社会進出は男性社会への侵食であり、男性の既得権限、立場を奪う。男性にとって女性解放運動家は敵である。

 女性にとっても地位向上は前向きに考えたいところであるが、男性に依存してきた長い被・庇護的状態を失うことに対する不安があるように思う。女性にとって女性解放運動家はありがたい存在と共に迷惑な存在でもある。女性は今後何を求められるのか不安でもあるのだ。
 しかしながら、家庭の収入が減少してきて女性もパートなどで家計を助けなければならなくなった。ここで多くの女性たちは改めて社会の中で置かれている厳しい立場を自覚し、ジェンダー論の底辺は広くなったが、まだ深くは浸透していない。

 女性がなかなか要職に付けない背景には、日本社会に年功序列の考え方が根付いており、勤務歴に比例して男性が役職につきやすいことがある。
 一方、女性には月経に伴う痛みや不快感、月経困難症に伴う気力の低下、労働力の低下がある。更年期障害もある。加えて、育児や介護などの負担が女性にかかりやすい日本では、必然的に子育てや介護の分野で女性の労働時間が長くなり、キャリアに空白期間ができ、年功序列から外れてしまう。これに対し、医療や薬品の提供で生理とか更年期障害のギャップを埋めてあげようようという考え方もあるが、私は不自然なことで正しくない、と思う。

 制度上の変革は絶対に必要であろう。ジェンダーギャップを埋めようとする取り組みは多くの話題を呼んだ。
 ジェンダーギャップを解消するためには社会全体での取り組みが必要だが、さりとて議員の一定数を女性に割り当てる、という考えは良くない。男性を凌げばいいのだ。

 こうした課題を解消するためにも、進歩的な企業のみが働きやすい制度を採用するのではなく、社会で広く導入することで、荷重になっている女性の負担を分ち合うべきである。

 ジェンダーギャップを解消するための様々な改革を取り入れることははじめは負担が大きいが、少子高齢化で労働力不足が続く昨今、継続的に取り組めば、女性の労働力を最大限に活用することもでき、結果的に社会的利益にも繋がっていくと考えられる。
 改革に阻害因子となるような古い感覚の年寄りは放っておこう。間も無くいなくなる。
 ジェンダーギャップと言うとネガティブな言葉に聞こえるが、我が国ではまだまだ改善する余地が大きいという意味で楽しみな分野なのだ。


12/23(木)曇り 飯川病院勤務+当直 健康クリドック判定 
1:00起床。いつものごとく、文献読みデータ整理。自炊を含む座学中心。明朝可燃ゴミ提出できないためにまとめだけ済ます。座学、玄関の靴入れ角のとって修理。11:30土崎ブックオフへ。10冊購入、12:58バス飯川病院、文献整理など。14:00飯川病院勤務、14:30-15:30健康クリドック判定。17:00当直勤務に、検食。21:00就寝。歩数Σ5790歩。

ジェンダー論2021(6) 女性解放運動 フェミニズム運動 ウーマンリブ運動
 各国の人々のジェンダー意識はどうなっているのか??
 これに関しては電通総研が1990年から参画している世界価値観調査が参考になる。
 世界価値観調査は、1981年から100を超える国・地域で実施されている調査。調査の方法の詳細はまだよくわからないが、調査に協力した日本国民の8割が「女性が男性と同じ権利を持つべき」と答えており、社会、国民がジェンダー平等を肯定していることがわかる。しかし、この内容を国別にランキングにしてみると、77カ国中45位に位置している。
 要するに日本のジェンダー・ギャップ指数 (GGI)は120位と低いが、国民のジェンダー平等への要求度は必ずしもそれほど高いわけではない、ことを示している。
 結局日本人はジェンダー問題に関しても保守的だ、ということ。

 ■日本の女性解放運動
 女性解放運動家家を称される方はたくさんおられる。枚挙にいとまはない。代表として歴史的には、「平塚らいてう」、「市川房枝」、「奥むめお」、「伊藤野枝」、「福田英子」の名前を挙げておく。彼女らは大正時代を中心に、時に激しく、あるいは地道に、周囲の無理解、差別に耐えながらその活動を進めてきたが、その成果が上がったとは言えなかった。時代が、社会が彼女らに追いついていなかったことを示している。
 最近の活動家としては、「上野千鶴子」氏、「田嶋陽子」氏等を挙げておく。
 多分、女性解放運動家は、遅々ながら確実な成果が見られるものの、総じて日本の国民の、特に女性の反応が乏しいことを自覚し、内心忸怩たる思いであろう。

 ■フェミニズム運動とは、女性たちが男性と同じ社会的・政治的・経済的権利を得られるべきだという思想や、性差別のない社会の実現を目指す運動を指す。その発生は19世紀終わりごろのこと。それから20世紀初頭にかけて、女性たちはその能力を伸ばし、より自由に生きるためのさまざまな運動を展開し、女性たちが求めた参政権や職業選択の自由は、多くの国で20世紀初頭に実現し始めた。

 ■ウーマンリブ運動は、1960年代から1970年代にかけて新たに発生した運動で、女性たちは自己実現や、性別による役割分担からの解放を目指した運動である。ウーマンリブはフェミニズムの流れの一つであるが、内容的に同一ではない。

 ■現代における女性の社会的立場
 フェミニズムの時代やウーマンリブの時代と比較して、現代の女性の社会的立場は格段に向上している。参政権や自由に職業を選ぶ権利は、男性と平等に与えられている。女性解放運動から100年以上が経過したいま、こうした女性の権利の拡張について疑問を抱く人はいない。現代女性のライフスタイルは多様化し、厳しかった時代と比較して、より「自分らしい幸せ」を追求できる時代になっている。 だからといって、現代女性の社会的立場が、男性のそれと完全に平等になったわけではない。セクシュアル・ハラスメントなどの性暴力にさらされる女性は、まだまだ多い。2017年に盛り上がった「#MeToo運動」は、そうした事実を端的に表している。
 共働き家庭が増える一方で、「家事や育児・介護は主に女性が担う仕事」とみる風潮は、まだまだ根強く残っている。そのため「ジェンダー平等の実現」は、2030年までに世界全体で取り組む課題(SDGs)の一つに挙げられた。現代女性たちの社会的立場が今だにの低いことをうかうことができる。

 過去から続く女性解放運動によって、女性たちはさまざまな「自由」を手にしてきたものの、まだ十分ではない。完全なる解放を成し遂げて男女平等を実現するためには、より一層の努力や工夫が求められる。


12/22(水)冬至 曇り ダリア球根掘り出し 飯川病院 サンタ姿で病室訪問 
 1:20起床、本日は嬉しい冬至。明日から夜明けが早くなる。左膝まだ疼痛残る。いつもより遷延。新聞電子化ほか、ほぼいつもと同じに過ごす。8:00-11:00全てのダリア球根掘り出し、種分け乾燥。ちょっと疲れた。12:12バス飯川病院、ボランティア、検食に小豆カボチャ、微睡、15:00サンタ姿で病室訪問。再微睡、19:30帰宅、夕食は我が家も小豆カボチャ。風呂にはゆず。21:30就寝。Σ10126歩。

冬至2021  私には大きな喜びの日 柚子湯・カボチャ小豆粥考 本日22日は冬至であった。
 勝手な私的分類では私はまだ秋の最中にある。 冬至は1年のうちで日の出の時刻が最も遅く、日の入りの時刻が最も早い日。今後、朝が明るくなるだけでなく、朝の日差しが徐々に力強くなって行く。私にとっては希望の初日でもある。
 我が家では家事分担として掃除、洗濯、料理関連は一切しないし、一切口を挟まない。代わりに、外仕事、家のメインテナンスは私が担っている。コンポストを含めゴミ処理も全て担う。私は分担している分野に家族であろうと中途半端な関与を許さない。発言も基本的には受け付けない。
 私は1:00頃起床し、6:20に出勤する。そのために5:00過ぎになると朝の作業の準備にかかる。火曜金曜は可燃ごみの提出日なのでゴミを集め5:30頃に集積所に向かう。10月末から1月末までは真っ暗闇の中の作業になる。自転車用ヘルメットを改造して自作したヘッドランプの灯のもとで作業を進める。そして一輪車またはそりで集積所に向かうのであるがこの時間帯の道路はとても危ない。積雪が凍っている場合もあるし、夜間降った雨が凍りつきブラックアイスバーンになっている場合があり、灯りがないと判断できず危険である。

 秋田では通常は冬至は積雪状態で迎え、寒さはとても厳しい。本年の冬至は積雪が1-3cmと少なくまだ除雪機は動かしていない。昨年は2回除雪していた。
 実際の気温や天候は日照時間とは約二ケ月のズレがある。だから、冬至を迎えたとは言え秋田ではこれからが本格的な雪の季節である。 
 今後、一週間単位で見れば夜が明けるの早くなることが実感できる。これが私にはとても嬉しい。

 冬が長い北欧ではこの日を「太陽の力が再び力を持って来る日」として祝う、祭りが今でも盛んだという。
 我が国でも、古くは冬至が1年の始まりの日だつたと言う。その気持ちはよくわかる。
 除雪のストレスに悩み、春を待つ心が誰よりも強い私にとって冬至は新しいスタート日でもある。
 冬至といえば食卓には「カボチャと小豆」、風呂には「柚子」である。 柚子湯は身体を温めて、風邪知らずに。柑橘系の芳香成分による保温効果や、沈静効果が期待できるという根拠も上げられている。 冬至にカボチャを食すと健康によいといわれている。カボチャは16世紀に日本に伝わった渡来作物であり、一般に晋及したのは江戸時代とされている。だから、この風習は江戸時代以降に始まつたと考えられる。現在と違つて冬場は野菜類が少ないため、保存がきく、食昧などの点から珍重されたのであろう。ただ、この時期まで保存されたカボチャは皮が硬く簡単には刃物が通らない。かつてはマサカリなどで破壊してから料理したものであるが、最近は私が電動のこぎりで裁断する。

 私たちにとつては暖かさの実感はまだまだ遠いが、小さな植物のなかにはいち早く太陽の恩恵を受けているものがある。ボタンの枝先には来春のための芽が硬く準備され、春の訪れを待っている。

 日が長くなリ始める毎日、来春への準備を怠らない植物たち、私も一緒に春までの日々を歩んで行く。


12/21(火)曇り時に晴れ 中通病院外来 飯川病院ボランティア 積雪なし
 1:30起床、文献読み。データ整理、5:30可燃ゴミ出し、コンポスト処理。6:40バス飯川病院。8:45中通病院へ。12:30外来、疲弊した。14:00-19:00飯川病院ボランティア。十分睡眠とる、入院対応は院長に依頼する。病院のダリア球根堀理、乾燥へ。19:30帰宅、21:00就寝。Σ7890歩。

ジェンダー論2021(5) ジェンダー・ギャップ指数 (GGI)120位の意味と衝撃
 社会の女性への扱いには理不尽さが残る。
 大学入試では、女性であるだけで減点されていた。
 COVID-19の不況下では、女性が職を失っていく。

 なぜ医学部の入試では女子が不当な扱いをされてきたのか?当時はあまり問題になっていなかったが、私大医学部の運営に深く関わる問題があったから。大学医学部の使命は「教育」「診療」「研究」にあるのだが、そのためには有能は多数のスタッフが必要である。女子学生は卒業後も大学に残り、研究者としてあるいはスタッフとして技能を発揮する可能性が少なく、現実的に私大医学部はアカデミックな活気の維持などが困難になっていた。

 私大教授の多くは国立の有名大学から選抜されて赴任してくるが、それまでの研究の業績を継続することは実質困難になることが通常であった。教授の研究を支える有能なスタッフが集め難いからである。
 これでは寄付が集まらない。国の補助だけでは到底運営できない。巨大な運用経費がかかる大学にとっての死活問題であった。
 この問題を女子学生にのみ押し付けることはできないが、私大にとっては頭が痛い問題であった。この問題は「男女平等論」「かくあるべし・・」「許し難い不当なジェンダー問題だ」という正当論のみで押し切られたが、その後の大学側はどんな状況に陥っているのだろうか。

 確かに、我が国ではジェンダー問題では理不尽なことばかりが起きていた。
 そしてさらにおかしいのは、そんな問題が昔から露呈してもなお、遅々として正されないことにある。

 世界経済フォーラムがまとめる男女格差の報告書、すなわち「ジェンダー・ギャップ指数 (GGI)」が今年も、日本の後進ぶりを示した。156カ国中、120位だった。過去最低だった前回の121位とほぼ変わっていない。

 ジェンダー・ギャップ指数 (GGI)構成要素と各項目のランキングは以下の如く。
―――――――――――――――――――――――――――――
■経済分野(115位) :
労働参加率の男女比、同一労働における賃金の男女比、推定勤労所得の男女比、管理的職業従事者の男女比、専門・技術の男女比

■教育分野(91位) :
識字率の男女比、初等教育就学率の男女比、中等教育就学率の男女比、高等教育就学率の男女比

■保健分野(40位) :
出生時性比、平均寿命の男女比

■政治分野(144位) :
国会議員の男女比、閣僚の男女比、最近 50 年における行政府の長の在任年数の男女比

―――――――――――――――――――――――――――――

 憂うべきは、そうした国際的評価そのものよりも、改善に腰を上げない日本の内なる硬直さである。
 明白に遅れをとっているのが、政治分野である。国会議員と閣僚の女性比率は、世界最低レヴェルである。

 では、各国の人々の意識はどうなっているのか。これに関しては電通総研が1990年から参画している世界価値観調査が参考になる。
 世界価値観調査は、1981年から100を超える国・地域で実施されている調査。「女性が男性と同じ権利を持つべき」に肯定的な考えは国民の8割で、社会、国民がジェンダー平等を肯定していることがわかる。しかし、これを国別にランキングにしてみると、77カ国中45位に位置している。
 要するに日本のジェンダー・ギャップ指数 (GGI)は120位と低いものの、国民のジェンダー平等への要求度は必ずしも高いわけではない、ことを示している。


12/20(月)曇り小雪 健康クリドック 飯川病院 積雪4cm除雪なし
 1:20起床、徒然、文献読み。6:40バス飯川病院。9:00-11:30健康クリニックドック。14名+結果判定15名。11:45飯川病院へ。データ処理とか微睡とか。14:00勤務、入院患者対応。以降座学、ラジオ録音、19:30帰宅夕食、21:00就寝。Σ5952歩。

ジェンダー論2021(4) 男尊女卑を形成した文明論

 女性は立場をわきまえよ、昔からそういわれて何かと制限されてきた。これは日本の歴史や文化に関連してきた。女性蔑視の文化である。日本の女性蔑視の根は深い。

 現代日本で男尊女卑を口にする人は、少なくなった。しかし、1945年に日本が第2次世界大戦に敗北し、民主化するまで、日本では男尊女卑が制度化されていた。
 すばらしい文化や伝統は大切にしたいが、男尊女卑の伝統は引き継ぎたくない伝統である。

 私は戦前戦後の家父長制について具体的な制度は知らないが、わが家の雰囲気を通じて伝統の一部は体験してきた。私は育つ過程で男尊女卑的考え方を身につけてしまった。それを隠しながら女性を敬う姿勢をつらぬくのが実に大変であった。
 生まれ出でた人は感知できるまわりの文化や雰囲気を学びつつ、自分を成していくことになる。私たちにとって、伝統のどこをとるか、そこはとらずここをとるという、個人としての判別が必要となるであろうが、それは簡単なことではない。

 国によってもたらされた知識文化は、国民に対してボディブローのような力を持って浸透することなった。しかも、それは男性にとって好都合なものであった。
 福沢諭吉も男女同権論者であった。男尊女卑は過去のものであり、文明開化によってそれは消滅すべきものと考えていた。
 もちろん、私たちが、最近のフェミニズムやジェンダー論議によって気づかされた男女平等論が論じられていたわけではない。

 自由の民権運動で突出した仕事を残した植木枝盛氏(1857-92年)は、男が持つ武力・腕力・戦争と、仏教と儒教の教えが男女差別を支えてきた、とした。また、男尊女卑の考え方が綿々と存在し続けるの理由については、知識が進まず、文明が進まず、野蛮ゆえ、だとしている。

 ちょっと古い内容であるが、植木枝盛氏の議論は体系的と思われるので彼の主張を確認しておく。

 氏は男尊女卑の風習の所以を次のように分析、説明している。
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 ■第1に、男尊女卑は封建制の産物。封建下の武家では、男子のみが家を継ぐことができた。何故なれば武に在り
 ■第2に、男尊女卑は戦国時代による。武事軍事ばかり重視し、文事が衰退した。女が価値をさげ、地位を落とし、勢力を失った。
 ■第3に、男尊女卑の風習をもたらしたものは、腕力重視である。未開、野蛮の社会では、魔獣社会の弱肉強食が支配的であり、女の真の価値が顕われない。
 ■第4に、男尊女卑の風習にも地域や階級による違いがある。夫婦の不同等は、武士が最も激しい。男女の間、夫婦の間に不同等をきわむるは士夫婦>>農民>>商人に至っては左程にしからず。
 ■第5に、男尊女卑を正当化したイデオロギーとして儒教がある。女性は父、夫、息子に隷属するものとした。
 ■第6に、男尊女卑を支えるイデオロギーとしても機能してきたのは仏教と指摘。仏教は女は罪深いとか、不浄とか主張した。
 ■第7に、専制主義である。一方を非常に尊きとし、一方を非常に卑きものとすることで成立する。
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(参考文献) 栗原るみ ジェンダーの近現代史(2)


12/19(日)小雪曇り終日 膝受傷2週間まだ疼痛あり 積雪3cm 除雪なし
1:00起床、本読み、新聞PDF化、徒然。午前は読書、データ整理。NHKのど自慢、微睡微睡。15:00回診に行く家内に同乗、花徳経由飯川病院。玄関前のダリアの鉢を訓練室に回収、明日球根作業。宗教の時間録音。19:30グランマート経由帰宅、夕食、21:00就寝。Σ4214歩。

ジェンダー論2021(3) 女性が「ダブル・スタンダード」から抜ける時代が来た

 女性が著しい業績を上げ、高い評価を受けた際に、我が国でもつい先日まで、「優れた科学者である前に良妻賢母であるべき」いう「ダブル・スタンダード」的な報道が続いた。

 小さな例は数多いが、卑近な例は「STAP細胞」を発見した小保方晴子氏に関する報道であった。
 将来ノーベル賞の候補にもなりうるという画期的新発見とのニュースの熱気が一段落した後の氏に関する報道は、実験室では祖母からもらった「かっぽうぎ 割烹着」姿で仕事をしている写真など、また家ではケーキを焼いたり、料理をするなどの「家庭的な良き娘像」が多数報道された。その周辺の記事を今読み返すと「男のやっかみ」が見え見えである。

 結果的に彼女の業績は盗作とか改竄とかで間も無く地に落ちたが、それからの報道は男性側からの羨望ややっかみが消え、男尊女卑的視点からの「だから女はダメなのだ」と言ったバッシング論調の記事が主流となった。氏が男性であったらその報道は別の姿をとっていただろう。私はメディアの取り上げ方に当初から問題を感じていた STAP細胞(2) 異様な報道合戦の末に。不思議なことに氏に関する報道は地味ながら今に至るまで報道され続けている。それだけ大きなインパクトのある事件だったし、人物だったのだろう。

 同じことは最近の芥川賞、直木賞の受賞ニュースでも顕著である。最近これらの賞は比較的若い女性に与えられることが多くなったが、作家像に加えて「良き妻、良き母」としての姿が強調される。

 ノーベル賞の女性受賞者が「ダブル・スタンダード」から抜ける日が来た。
 バーバラ・マクリントックが独身女性初のノーベル賞を受賞したのは1983年であり、一流の科学者が「良き妻良き母」であるべきとする制約が解消されるまでに第2世代といえる受賞者の後20年もの歳月が必要であった。
 1980年代に受賞した3人は、奇しくもみな独身であった。3人は生理学・医学賞の受賞であったが、受賞年齢が、81歳、77歳、71歳という高齢であった。彼女たちの受賞が過去に差別を受け見送られてきた可能性は否定できない。1980年代に入って独身の女性たちに受賞の機会がもたらされたことは、フェミズム運動の影響が少なからずあったのだろう。

 こうして女性受賞者を中心にノーベル賞の120年を通覧し、彼女たちを3人ごとに世代を区切って見てみると、女性科学者を取り巻く社会的な環境変化が濃厚に反映していることに気づかされる。

 確かに彼女たちは特別な女性ではあるが、それぞれが教育や研究の時代的制約の中で奮闘してきた様子が窺える。辛酸を舐めた経験は数少なくあっただろうが、彼女らはその状況にめげずに意思を貫いた、と言える。
 ジェンダーギャップに負けた女性研究者はノーベル賞受賞女性の何100倍もいるであろう。それを考えると、ジェンダー論が正面切って討論される時代を迎えて、今後は女性たちの科学的分野の業績が正当に評価されていくのだろう。楽しみである。

 (参考文献) 小川真里子 『學鐙』2003年3月号


12/18(土)曇り寒波 除雪機整備など 積雪2cm除雪なし
 1:30起床、新聞チェック、医学系論文読み、徒然ほか。9:30車の冬支度、クレッパーなど、除雪機2台整備。クロスバイクガレージ2Fに仕舞う。微睡、座学、読書三昧。データ整理、19:00夕食。21:00就眠。歩数Σ7940歩。
昨年積雪10cm初除雪、今年は未。

ジェンダー論2021(2) 女性は「ダブル・スタンダード」で評価された
 最近我が国では理系の女子学生が少ないこと、女性研究者が少ないこと、学問的指導的立場の女性が少ないことが話題になっている。また、IT業界や理工学分野のジェンダーギャップは著しい。日本の工学系の大学で学ぶ女生は全学生中の15%に過ぎない。「女性は理工系には合わない」という偏見も根強い。果たしてそうだろうか。
 日本の教育環境が閉鎖的で遅れていたことは自明の理である。今はかなり改善していると考えられるが、今ですら理工系の専門分野に学ぶ学生や専門職に就く若手は妙な、変わり者的レッテルを貼られている。我が国の女性の専門職を育成する環境は良くない。その背景には女性蔑視、差別感の存在は大きい。

 欧米でもそうであった。当時の理工系の研究者は言われのない差別を受けていたことがわかる。ノーベル賞受賞した女性たちはその艱難に苛まれつつ研究を進めた稀な方々である。

 マリー・キュリーは、ノーベル賞120年の歴史の中、科学部門で二度ノーベル賞に輝いた稀有な三人の研究者の一人である。
 しかし彼女でさえ、1911年2度目のノーベル賞受賞直前にもフランス科学アカデミーへの入会を拒否された。彼女の娘イレーヌもノーベル賞受賞しているが会員にはなれなかった。同アカデミーが初めて女性の正会員を選出したのは1979年のことであった。
 またイギリスの最も格式ある王立協会が、女性の正会員を認めたのは第二次世界大戦後の1945年のことであった。

 人は誰も天才的能力を秘めて生まれる、という意見がある。教育の機会と、十分な環境が得られなければ、優れた成果を成し遂げることは誰にとっても不可能である。

 なにゆえに女性科学者は少数なのか 女性に課せられ続けている「ダブル・スタンダード」であることに違いない。

 ノーベル賞受賞女性5-7人目は夫と共同研究をしていたわけでなく、それぞれ独立の研究を遂行してノーベル賞を受賞した。
 1963年に5人目のマリア・メイアーはドイツで学位を取得した後、夫について渡米したが、第二次世界大戦後にシカゴ大学に職を得るまでおよそ16年間満足なボストに就けなかった。
 1964年に6人目としてイギリスのドロシー・ホジキンがノーベル化学賞に輝いた。
 1977年に7人目としてアメリカの核物理学者ロザリン・ヤーロウに生理学・医学賞を受賞している。

 ノーベル賞受賞の女性延7人は、例外なく結婚し子どもを持っている。おそらくは、その頃までは女性のアイデンティティはまず「妻であり母である」ことを前提としており、優れた女性科学者と評価されるためには、それを先に確立している必要があったようだ。

 このような女性科学者に対する「ダブル・スタンダード」は、ノーベル賞受賞時の彼女たちの報道にもよく表れていた。
 男性の受賞者は能力の非凡さや研究への没入や集中力が賞賛されるのに対し、女性の受賞者には、世界的な科学研究の成果のみならず「普通の女性としても有能である」ことが強調されてきた。
 男性科学者が実験室や研究室で写真に収まったりするのに対し、女性科学者は台所で写真が撮られたりする。新聞の見出しも、メイアーのときは「サンディエゴのお母さんノーベル賞受賞」、ホジキンのときは「イギリスの妻、ノーベル賞受賞」、1977年のヤーロウのときも、「彼女は料理し、掃除し、ノーベル賞をとった」という見出しが紙面を飾った。ちなみにメイアーとヤーロウは二人の、ホジキンは三人の子どもの母親であった。

 (参考文献) 小川真里子 『學鐙』2003年


12/17(金)小雨終日寒波 大曲中通病院 飯川病院 
1:20起床、徒然、文献読み。6:00可燃ごみ2袋提出。7:35Taxi駅東に。8:11こまちで大曲。8:50外来業務、駅病院間は往復Taxi。15:30飯川病院。花壇が乾燥気味、散水。微睡など。19:30通町書店経由帰宅、夕食、21:30就寝。歩数計Σ7201歩。

ジェンダー論2021(1) 女性ノーベル賞受賞者の推移から見る女性の地位
 今年もノーベル賞受賞者が発表になり、わが国関連受賞者として米国国籍の真鍋氏が受賞した。
 戦前は日本人受賞者はゼロだった。戦後の受賞者数では日本は第4位、今世紀(2001年以降)は、米国の76人に次ぐ18人と世界第2位。ただ、女性の受賞者はまだいない。
 
 総じて女性のノーベル賞受賞者は少ない。
 受賞した最近の女性は、2021年のマリア・レッサ(平和賞)である。2019年までの受賞者は男性が866人、女性が53人で女性は全体のわずか5%である。科学分野に限定して女性の受賞者をみると23人である。

 この歴史から、先進国の女性が置かれていた厳しい地位が伺いできるように思われる。
 ノーベル賞を受賞した最初の女性はマリ・キュリーである。 彼女は1903年に夫のピエール・キュリーとアンリ・ベクレルとともに物理学賞を受賞した。その後、1911年単独で化学賞も受賞し、唯一の2度受賞した女性となる。マリの娘、イレーヌ・ジョリオ=キュリーは1935年に化学賞を受賞し、ノーベル賞を受賞した唯一の母娘ペアである。

 科学分野のノーベル賞には、物理学賞、化学賞、生理学・医学賞の三部門があり、それぞれの部門で受賞は最大3人までとされている。

 女性が占める割合が5%ということは、女性の科学者や技術者の少なさを論じるにはいいとしても、唐突にノーベル賞受賞者を引き合いに出してみても、あまりの少なさから、女性科学者が置かれている普遍的状況を考えるには無理がありそうに思われる。

 ところが、わずかの女性受賞者の人生を通して見えてくる事柄は、女性科学者達が置かれてきた社会的困難を時代ごとによく反映しいる。
 従って、なにゆえ女性科学者・技術者が少ないのだろうという問題を考えるのに案外よい事例ではないかと思われる。

 女性受賞者1人目、2人目はマリー・キュリーである。彼女は1903年に夫とともに物理学賞を受賞し、その8年後には化学賞を単独受賞している。
 女性受賞者3人目は、マリーの娘、イレーヌ・ジョリオ = キュリーである。彼女は1935年に夫とともに化学賞を受賞している。
 女性受賞者4人目はチェコスロヴァキア出身の生化学者ガーティ・コリで、夫とともに渡米して研究を続け、1947年夫婦でノーベル生理学・医学賞に輝いた。

 彼女たち延4人がいわば女性ノーベル賞受賞の第一世代といってよいだろう。

 最初の4人は、マリーの2度目の受賞を除き、すべて夫と一緒の受賞である。このことは、女性一人で科学分野の研究者として立つには、相当に困難な時代であったと推測できる。

 この第一世代の女性たちの人生から、なにゆえ女性科学者・技術者が少ないのだろうという問題を考えるのによい事例ではないかと思われる。
 この第一世代の女性たちの青春時代には正規の高等教育が十分に整えられておらず、大学教育の前に花嫁学校に入るという回り道を余儀なくされたり、大学入学資格取得に苦労したり、あるいはマリーのようにポーランドから教育の機会を求めてパリに出たりしなければならなかった。

 実際のところ人並みはずれた才能も、特別の機会を得て育てられなければ凡庸のまま終わる。女性の天才が少ない原因は、優れた才能の多寡というより、教育、さらに研究の機会などの社会的問題として考察されるベき事柄なのである。

(参考文献) 小川真里子 『學鐙』2003年


12/16(木)終日曇り小雨 終日飯川病院
1:50起床、左膝痛20%ほど続く。改善なし。新聞、文献読み。徒然ほか。8:30院長大学受診のために同乗、飯川病院へ。9:00勤務、外来患者なし。入院患者対応。19:30帰宅、夕食、20:30就寝。歩数計Σ43720歩。

日米開戦80年(6) 帰還兵はなぜ多くを語らなかったのか 
少なくとも、私が見聞したその当時の状況からすれば、日本国内の庶民は日米開戦を望んでいたし、この戦争が悲惨な末路をたどるとは想像すらしていなかった。
 兵士として、徴兵され、故郷では貧しい生活があるのに、大切な家族に、生まれたばかりの子供に別れを告げて出征した。おそらくは故郷に大きな未練を残しながら出征したのだろう。

 にもかかわらず、入隊した後、下級兵士は上級兵士に殴られ、いじめられ、差別された。しかも、その上官は戦闘に対して思想や技能は乏しく、軍部中枢から伝えられる戦闘方針を下達するのみであった。

 しかも、作戦本部の不味い判断から兵士は戦場にも着けず、海の中に消え、感染症に倒れ、戦死し、住民に虐殺され、人肉を喰らうところまで追いつめられ、また食われた人々も少なくない。
 たとえ若く、鍛えた身体でも、衰弱すれば何もかも不可能になる。そのような中で迎えた非業の死、彼らに「安らかに眠れ」とは言えない。
 その中では純粋な国を守るという意識は乏しくなり、ただ無批判に上官の命令に従うようになった。敗戦色が濃厚になるにつれ、兵士たちは戦闘どころではなく、生きることに必死だった様子がうかがわれる。

 敗戦の、原因と責任者の究明は、未だ終わっていない。しかし、それをしなければ、非行の死を遂げた多くの兵士の魂は浮かばれないだろうし、また地獄を見る日が来るのではないか。

 海軍陸軍の不協力のもあったが、大本営にいた高級上官の人間的資質すらも、戦術すらもは洗い直さなければなるまい。

 約310万人の日本国民が犠牲になった。そのうち約240万人は日本の本土の外で絶命した。その半分は骨すら拾われずにいる。食糧や武器が補給されないために起きた飢餓地獄の中での死。

 餓死の一字をとって「餓島」と呼ばれていたガダルカナル島では、死者2万人のうち1万5千人が餓死。東ニューギニア戦線では9割、インパール作戦では8割、50万の死者を出したフィリピンでは40万人、中国本土では半数が餓死したとの推計もある。
 戦地における兵士の実態を、数字に基づき客観的に描写した文献では「戦闘」場面はほとんどなく、描かれたのは、重い荷物を背負っての行軍、食料不足による栄養失調、私的制裁という暴力、兵士の逃亡・自殺・奔敵、戦争神経症に苦しむ様子である。飢餓が激しくなると、食糧を求めて、日本軍兵士が同志を襲う事態まで発生した。食糧強奪のための殺害、あるいは、人肉食のための殺害まで横行した。
 日本人死者は、310万人(軍人・軍属が230万人、民間人が80万人)に達し、その9割が1944年以降の戦争末期に集中して亡くなったと推算される。
 戦争指導者の無謀な作戦の結果、連合軍の攻撃による輸送船の沈没で陸軍だけでも約20万人が溺死した。

 帰還兵はさらにショックを生けたのは世の中がすっかり変わってしまったことで、自分達の身の置き場がなくなった。こんな状況の中では戦争の実態を語っても通用しなかった。

 それが戦争体験の記述が少ない原因だと思う。辛酸を舐めた兵士ほど何も語らずに、心に秘めたまま鬼籍に入っていった。彼らを軽視したのは戦後の我々である。

 (参考文献)
藤原 彰著『餓死した英霊たち』青木書店 2001年
吉田 裕著『日本軍兵士』アジア太平洋戦争の現実 中公新書 2017年


12/15(水)終日小雨 午後飯川病院
1:30起床、新聞、文献読み。自炊5冊ほど準備。徒然ほか。午前は座学。合間を縫ってダリア紫掘り出す。11:00家人に同乗、ブックオフ広表店、漫画含め19冊購入、12:30飯川病院、14:00-19:00勤務、外来患者対応。19:00帰宅、夕食、20:30就寝。歩数計Σ5312歩。

日米開戦80年(5) 現場からの指摘、敗因21箇条 
小松 真一氏(1911-1973)は日本の実業家で、戦時中の第一次資料をして貴重な『虜人日記』の著者。
 戦地では生死の狭間を生き抜き、敗戦と共にフィリッピンで捕虜になる。 一年半の収容中に、戦争体験を絵と文章により記録。 10数冊に及んだこのドキュメントを友人の骨壺に隠して日本に持ち帰り、それが1974年に私家版として出版された。翌年筑摩書房から出版され公のものになった。

 小松 真一氏がまとめた敗因21ヶ条配下の如く
――――――――――――――――――――――――――――――――
 日本の敗因、それは初めから無理な戦いをしたからだといえばそれにつきるが、それでもその内に含まれる諸要素を分析してみようと思う。
01、精兵主義の軍隊に精兵がいなかった事。然るに作戦その他で兵に要求されることは、総て精兵でなければできない仕事ばかりだった。武器も与えずに。米国は物量に物言わせ、未訓練兵でもできる作戦をやってきた
02、物量、物資、資源、総て米国に比べ問題にならなかった
03、日本の不合理性、米国の合理性
04、将兵の素質低下 (精兵は満州、支那事変と緒戦で大部分は死んでしまった)
05、精神的に弱かった (一枚看板の大和魂も戦い不利になるとさっぱり威力なし)
06、日本の学問は実用化せず、米国の学問は実用化する
07、基礎科学の研究をしなかった事
08、電波兵器の劣等 (物理学貧弱)
09、克己心の欠如
10、反省力なき事
11、個人としての修養をしていない事
12、陸海軍の不協力
13、一人よがりで同情心が無い事
14、兵器の劣悪を自覚し、負け癖がついた事
15、バアーシー海峡の損害と、戦意喪失
16、思想的に徹底したものがなかった事
17、国民が戦いに厭きていた
18、日本文化の確立なき為
19、日本は人命を粗末にし、米国は大切にした
20、日本文化に普遍性なき為
21、指導者に生物学的常識がなかった事

 順不同で重複している点もあるが、日本人には大東亜を治める力も文化もなかったことに結論する
――――――――――――――――――――――――――――――――
 これらの21項目は山本七平氏の著作で詳しく紹介されている。
 私は大戦を知るために教科書や歴史本、記録、手記などをよく読む方である。のちに識者とか評論家がまとめた記述、これらは二次三次資料とされる。これらからも知ることは少なくないが、現場で苦労された方々が小松 真一氏がほぼリアルタイムに記録した資料は一次資料として貴重である。
 
 出兵された方々は大なり小なり上記の項目について憤怒を感じていたことであろう。私も当時の軍部の状況には義憤を感じることが多い。その際たるものは兵の命の軽視である。

(参考文献)
小松真一 小松 真一の虜人日記 (ちくま学芸文庫) 1975。
山本七平 日本はなぜ敗れるのか―敗因21ヵ条 (角川oneテーマ21) 2004.


12/14(火)寒波強風若干弱まる 中通病院外来 飯川病院ボランティア 
 1:40起床、文献チェックなど。寒波来ているが除雪不要でうれしい。5:30可燃ごみ処理、落ち葉などの二袋提出。7:45バスに遅れ家内に同乗飯川病院。8:45-14:00中通病院外来。14:10飯川病院ボランティア、入院患者対応。微睡読書、19:30帰宅、夕食、20:45就寝。歩数計Σ6860歩。

日米開戦80年(4) 日本人の歴史観、組織観 
歴史は連続性があり、継続的に経過していくものであり、戦前・戦中・戦後などの人為的区切りはそれほど意味はない。憲法9条はとても重要な条項であるが、日本人の歴史観を分断してしまった。そして日本人の歴史を学ぶ姿を変えてしまった。太平洋戦争は特別な悪しき時代であり特別であった。これからは憲法9条があるからもう再び戦争は関係ないのだ、と。
 憲法に条項があって、国民に平和希求の願望があろうともそれだけで平和は維持できない。日本人はもっともっと歴史を、近隣国、米国を、国際情勢を学ばなければならない。
 憲法9条が日本人をむしろアホにした?とも言いうるのでは。


 それに、日本には独特の組織観がある。
 この日米開戦80年を学ぶ中で日本の特殊性を再確認したが、それが現在にまで面々と続いていることを認識できた。
 卑近な例を挙げれば、安倍長期政権時代の物言い難い雰囲気、安倍後にも続く遠慮と忖度など。
 また、数多くの組織の判断ミス、犯罪など。日大の理事長の不正問題でも誰も意義を挟めなかった、とされる。
 
 日本にある独特の組織観、その特徴を上げれば
――――――――――――――――――――――――――――――-
 ■空気を読むことが求められる、同調圧力がある
 ■異論を挟むことは異端 
 ■個々人は一見わきまえた行動をとる
 ■誤った判断が出された際にも修正できない 
 ■結論をせっかちに決める 
 ■思いつきの提案 
 ■過去の検証ないまま次へ進む 
 ■事実に基づかない主観的意見がまかり通る
 ■科学的客観的データを公表しない、あるいは重要視しない
 ■・・・・・・
――――――――――――――――――――――――――――――-
 私たちには言論自由があり、自由に思考し発言していると考えているが、実際のところ、見えない圧力に強く影響を受けている。同調圧力、忖度など日本では、言論の自由はタテマエで、実際には種々の制約がある。

 そんな状況の中で無理矢理合議が作られ、太平洋戦争に突入した。
 なぜ日本には言論の自由がないのか?「合理的な思考をゆがめる強力な力」=空気の存在である。
 「空気」とは、ある種の前提を持つ強い圧力で、強固でほぼ絶対的な支配力をもつ「判断の基準」であり、「この考え方に従え」「これを疑うな」「この前提をそのままのみ込め」といった強固な圧力を生み出し、抑圧する。

 この「空気を読む」という日本人の特有の感覚は時に集団を致命的な失敗に導く。約300万人の日本人が命を失った太平洋戦争は、大衆が空気に導かれてしまったことが大きいと指摘される。 経済力、国力から国家の破滅と敗北がほぼ間違いない日米戦に日本は突入しが、戦争は避けられないという前提を国民が押し付けられた結果の決断と考えることができる。

 日本は厳しい国際情勢の中にある。日本人は日本的「空気」と対峙して、その正体を見抜き、打破すべきときを迎えている。もし私たちが今、空気を打破する方向を明確にしなければ、「次に日本を滅ぼすのも空気」となってしまう。
 (参考文献:鴻上尚史・佐藤直樹「同調圧力」日本社会はなぜ息苦しいのか 講談社現代新書2579 2020年)


12/13(月)暴風雨 健康クリニック 飯川病院  
1:00起床、降雪若干、積雪は1cm。文献読み。PDF化書類。自炊4冊。6:40バス飯川病院。初冠雪なるも遅延渋滞なし。
9:00-11:50健康クリニックドック業務、14名+レ線判定15名。12:00飯川病院、道路は凍結。本読み、微睡、14:00-18:30飯川病院勤務、入院患者対応。19:30帰宅、夕食、21:30就眠。Σ歩数計Σ7709歩。

日米開戦80年(3) 日本が口火を切ったのは事実だが、12月8日にはまだ交渉の余地が? 
確かに日本が開戦の口火を切ったが、開戦時にも両国間には相互の置かれている事情に対する無知があり、複雑な国際情勢、日本の経済情勢が後押しして、結果として思いがけない方向に焦ってコマを進めてしまったと言えるのではないか?
 12月8日の時点ではまだ開戦を回避する余地があったのでは?
 その過程の一部、
――――――――――――――――――――――――――――-
 ■41年4月にハル米国務長官から野村大使に示された「日米了解案」では米側の強固な原則論を前提としながらも、日本の立場に配慮した内容ともいいうるものであった。米国の対日石油供給再開と引き換えにインドシナ南部から日本軍を引き揚げるとする「ハル・ノートの乙案」もあった。

 ■同年夏には近衛首相とルーズベルト大統領の首脳会談が模索された。

 ■11月に米国が示した「ハル・ノート」も最後通告ではない
 中国から日本軍は全面撤退せよというときの『中国』は満州を含むか否かなど交渉の余地があり、回答期限もなく、交渉を続ける道が残されていた。にもかかわらず日本側は一気に硬化してしまった。

 ■当時の国際情勢のうち、2041年6月に突如始まった独ソ戦に大きく左右された。ドイツと同盟を結んでいた日本は、ドイツが劣勢になれば日本の立場は不利になり米国が要求水準を上げてくると想定した。やるなら勝ち目が少しでもあるうちに、という発想に賭けた?

 ■世界恐慌も開戦に影響を与えた。格差や貧困が広がり、政治家も対策が必要だと認識していた。戦争には大きな犠牲が伴う一方、経済が活性化する作用がある。戦争による経済活性化で社会的懸案の解決に期待した?

 ■世論と国際情勢のはざまで政治家や外交官は難しい立場に置かれた。

 ■41年10月東条内閣発足、この内閣はこの頃には戦争回避の意識を保っていてその努力を続けていた。

 ■世論と国際情勢が政治に大きなを及ぼした。東条首相も対米開戦まで弱腰政策と言われたが、開戦と共に支持が高まった。

 ■・・・・・
――――――――――――――――――――――――――――-

 現在、東アジアは米中対立の舞台となり、中国の拡張政策により台湾海峡の安全保上のリスクも高まっている。戦前の日本の姿勢を見ているようで辛いところがあるが、中国の国力は米国に迫りつつある現在、内容的には一層複雑化している。

 日本はその歴史の経験と地理的要件から「米中対立の緩衝地になりうる存在」であり、日米同盟を背景に親米政策に追従することなく、米中の外交修復を促す存在として我が国独独自の技量を発揮すべき、と思う。
 この場合、必要なのは、「相手国の実像をしっかり見極め、自国の長期的戦略をしっかり説く」ことであろう。
 
 厳しいアジア情勢の真っ只中にある中、私は歴史問題、国際問題についての一層の勉強が必要である、と認識している。


12/12(日) 祖父耕陽命日  寒波、終日降雨風夕方から強風大荒れ 
 1:00飯川病院起床、新聞チェック、そのほか文献読み等淡々と処理。PDF化書類、ラジオ深夜便のMP3データを整理。9:13降雨の直前バス帰宅できた。午前もデータ整理など、居間のパソコン周辺整理、機能強化。12:30NHKのど自慢途中で関東地方で地震、ch中継中止。作業継続、微睡。16:00書斎にて音楽関連の録画確認。N響定期公演:ブロムシュテット、ペールとドヴォルザークNo8。19:00夕食、20:30就眠。歩数計Σ10183歩。

日米開戦80年(2) 日本が口火を切ったのは事実だが、12月8日は勇み足だった?
 日米間には土地や植民地をめぐる争いなど、国際政治の中で戦争という外交手段に訴えないと解決でき難い問題は存在しなかった。

 だから、日米間にはいくつも問題点が存在したが、直接戦争をする必要はなく、従って、太平洋戦争は回避できる機会がたくさんあった。
 確かに、我が国の軍拡、対中、東南アジア政策は国際的に批判の的になり、特に強く米国を刺激した。結果的に米国はさまざまな方法で我が国を締め上げつつあった。

 1941年になっても日米交渉が続いており、徐々に熱気を増してきたといえども開戦直前まで戦争回避の可能性は小さくなかった。
 第一、米国にとって日本の行動は黙認し難いものであったが、遥か極東の小国の軍事行動に対し武力抗争にて解決を図るには無理があった。当時米国は厭戦的空気が支配していた。ルーズベルト大統領は好戦的と言われるが、いかにして世論をまとめ上げるかに苦慮していた。

 突然、大統領にとって国内世論をまとめ上げるには最良の機会が訪れた。真珠湾の奇襲攻撃である。 1941年12月8日、米ハワイ・オアフ島の真珠湾にある米軍基地や艦隊を戦闘機などで攻撃し、米側は戦艦アリゾナなどが沈没、約2400人が死亡した。米国は日本に宣戦布告し、「リメンバー・パールハーバー」を掛け声に反撃した。この言葉は現在に至るまで生きており、トランプ大統領もアリゾナ記念館を訪れた際にTwitterに投稿した。

 日本人の多くは米国について知らなさすぎた。だから、米国に対してして誤った印象を抱いていた。

 近年の中国の軍拡、南シナ海への進出、台湾問題、領土問題、米中摩擦などに眉を顰めない日本人はいないと思われるが、私はこの中国の姿勢に過去の我が国の姿の一部を重ね合わせて考えることが多い。しかし、こういった見方はほとんど見ることはない。

 私は戦後の日本人は歴史に対してとても不勉強だ、と思う。終戦とともにそれまでの歴史上の概念は否定された。それにはGHQの洗脳策があった。GHQは戦前の日本の文化、考え方を否定することに成功した。飴と鞭を与えながら、第二次世界大戦は悪しき政治家、軍部によって指導された悪しき行動の歴史であり、国民はひたすら犠牲になったのだ、と説いた。それを日本人の多くが無批判に受け入れた。

 すなわち、日本には軍国主義で牛耳られたの戦前があり、それによって大戦がもたらされ、敗戦とともに米国によって新しい文化文明がもたらされたということで、近代日本の歴史は、戦前・戦中・戦後の3つに分断された。
 私は現在の日本人は戦後の新時代にしか興味が向いていないような気がしてならない。歴史教育も変わったこともある。特に憲法9条の存在が日本人に悪き時代と良き時代の区別を作ってしまった。

 しながら、歴史は連続性があり、継続的に経過していくものであり、戦前・戦中・戦後などの人為的区切りはそれほど意味はない。この区別を廃して近代日本の歩みを正しく鳥瞰する必要がある。


12/11(土)快晴 飯川病院日当直 
1:00起床、本読み、医学文献読みなど。午前は座学、本読みなど。10:00白色のダリアの球根ほり。水でざっと洗浄し乾燥に。12:00家内の車に同乗飯川病院、午後日当直に就く。検食、文献整理自炊準備。患者落ち着いており読書三昧の午後。18:00検食。20:45就寝。ほとんど歩行せず。歩数計Σ4435歩。

日米開戦80年(1) 日本が口火を切ったのは事実だが、両国ともに問題
 今からちょうど80年前の1941年12月8日ラジオから開戦の第一報が流れた。真珠湾攻撃により太平洋戦争がはじまったことを報じた。実際には真珠湾の2時間前に南方で侵攻が始まっていたが知られていない。

 奇襲攻撃の成功は国民を高揚させた。識者の回顧録などを見ると、当時我が国は「ABCD包囲網」と言われる状況で軍備、貿易など八方塞がり状況にあったが、これを打ち破り、局面をかえるきっかけになる、と多くの人が思ったのは事実のようだ。

 ただ、当時新聞をはじめとするメディアで国民が適正な情報を提示されていたのかは疑問である。
 今となってみれば、国力に大きな隔たりがあってとても勝ち目のない戦争になぜ突入したのだろうか。指摘されているのは政治の側面だ。近衛、東条ら政治指導者の資質、明治憲法下で権力が多元的で統一性を欠いた統治構造などの問題である。それに軍部の介入である。

 経済力は英米と日本が「20対1」で開戦後2年間は抗戦できても、持久戦は無理というものだった。当時の指導層にとってもそれは自明のことだったと言われている。
 ではどうして、客観的で正確な国力判断にもとづかずに、短期的に戦えるという楽観的で冒険主義的な選択になってしまったのか。終わりにすべき状況をどう設定するかも検討されていなかった?

 たとえ確率が低くても局面転換の可能性があると踏めばリスクの高い選択をしてしまう行動パターンがまたしてもあらわれた。万が一の僥倖に賭けた、とも言える。過去の日清、日露戦争における薄氷を踏みながらの勝利の歴史も判断を狂わせた可能性がある。元寇の時の神風もある。

 私は開戦に関して非力ながら勉強中であるが、開戦決定に実質的役割を果たしたキーパーソンの存在が見えない。集団合議制であったとされるが、集団で意思決定する場合は、個人で決めるときよりも、結論が極端になる傾向がある。責任の所在は不明確となることから、リスクを冒す方向に意見が偏っていくという。
 また、新聞雑誌が誤った情報のもとに対米強硬論を展開、米英戦争辞さずのムードが広がっていったとみられる。世論の高まりは当然判断に影響しただろう。

 開戦に当たっては日本側にも問題はあっただろうが、それがよく見えない。総括されていないのではないか?
 ただ、同じことは米側にも言える。

 今みれば開戦回避の方法は両者にあったと思われる。


12/10(金)快晴 大曲中通外来 飯川病院ボランティア
 1:20起床、左膝痛横ばい。腫張感あり。本読み他いつもの如く、自炊6冊準備、新聞入力。6:00家庭ゴミ処理、2袋提出。7:35Taxi駅に、8:11こまち。9:50大曲中通病院外来。往復膝守るためTaxi。秋田もTaxiにて病院へ、15:25飯川病院ボランティア。19:30帰宅、21:30就寝。歩数計Σ6538歩。

音楽談義2021(9) 本 中川右介著 「巨匠たちのラストコンサート」 文春新書 2008年(2)
 引退してもおかしくない高齢の指揮者をそこまで活躍させるのは何なのだろうか。過去の名声、人気があり集客力があるという運営上の理由? 楽団員の共演の喜び? 聴衆の求め? 指揮者にとっては高価な報酬? などなど・・・?
 本書を読むと個々の事情が見えてくる。

 以下に本書の内容を抄述した。
――――――――――――――――――――――――――――-
 ■トスカニーニ 
 死去は90歳。
「ラストコンサート」はニューヨークカーネギーホール。記憶力の減退でマイスタージンガーの途中で指揮をやめ片手で両眼を覆いステージを去る(87歳)。

 ■バーンスタイン
 死去は72歳。病死 肋膜腫瘍と肺の感染症の併発
「ラストコンサート」は1990年8月19日、呼吸困難に陥りながらボストン交響楽団とタングルウッドの演奏会に臨み、ベートーヴェン交響曲No7第三楽章で指揮棒が止まった。そのまま引退公表。3ヶ月後に死去。

 ■グールド 
 死去は50歳。1982年9月27日、脳卒中によりトロント総合病院に緊急入院。10月4日、父親の判断により延命措置の停止が決断され、同日死亡。
「ラストコンサート」は32歳、何も問題がなかった。コンサートを否定し次々とキャンセル、シナリオに書かれていたかのような人生を送った。

 ■フルトヴェングラー
 死去は68歳、1954年11月30日肺炎により死去。
「ラストコンサート」は同年9月20日ベルリン。交響曲史の「始点」と「終点」を求めた音楽家。耳介精神性と言われるも「演出過剰」にしか聴こえなかった。ドイツ・オーストリアで最高の地位。絶賛も酷評もなかった自作交響曲にショックを受ける。晩年は聴覚障害に悩む。死に望んで「ありがとう。みなさん、もう充分です」、担当医は「生さる意思のない患者を助けることはできない」、と記録を残している。

 ■リパッティ(33)
 死去は1950年、33歳、病死 白血病。
「ラストコンサート」は1950年9月16日ブザンソン。主治医も反対したブザンソンのリサイタル。弾けなかったショパンワルツ第二番。夭逝した天才ピアニストとの評価。

 ■カラヤン
 死去は82歳、1989年心臓病にて死去。
「ラストコンサート」は同年4月23日ウイーン楽友協会ホール。ブルックナー交響曲No7。ソニー社長との商談中に死去。最後の言葉は「まだ、今ではないのに」。

 ■カラス
 死去は53歳、1977年心臓病にて死去とされている。
「ラストコンサート」は1974年11月11日札幌厚生年金会館ホールでのリサイタル。最初で最後の日本公演であった。恋多き女性でスキャンダルの女王でもあった。引退同然の隠蔽暮らしの中で死去。

 ■クライバー
 死去は74歳、2004年前立腺癌死とされている。
「ラストコンサート」は1999年2月26日イタリアカリアリのコムナーレ劇場。
終生ポストに就かず、1980年代後半から指揮の回数が2,3年に数回のペースに。スケジュール表が真っ白だったという。主にバイエルン国立歌劇場管弦楽団、ウィーン・フィル、ベルリン・フィルなどを振ったが、クライバーがどこかで指揮するというだけで大きなニュースになり、多くのファンが彼の演奏会を待ち望んでいた。インタビュー嫌い、公演嫌い、レコーディング嫌いの理解できない指揮者であった。

 ■ロストロポーヴィチ
 死去は80歳、2007年4月27日、モスクワにて死去。80歳没。
「ラストコンサート」指揮者としては2006年12月日本フィル、チェロ奏者としては2005年6月ウイーンフィルと共演。しかしながら、著者はモスクワ市民権を奪われ出国する直前の1974年05月10日モスクワ音楽院大ホールでの演奏会をあげている。
 西側の諸国は氏を演奏家としてより「自由の戦士」として「反ソ」の象徴として扱った。

――――――――――――――――――――――――――――-
 上記の演奏家が残した録音は質的にはレヴェルが高い。従って、普段音楽を鑑賞する際には上記の如くの情報は不要である。
 彼らは才能はに恵まれているが、同時に当たり前の人間である。喜怒哀楽も欲望もそれなりに強烈である。本書には知らない方がよかった、と思われる内容も含まれるだが、彼らの音楽にはいささかも傷が付くことはない。

 これらの音楽家の生き方に興味を持ったときには本書は貴重な資料の一つとなる。

 この項は、82歳で死去したカラヤンが同年ウイーン楽友協会ホールで録音したブルックナー交響曲No7を聴きながら記述した。あまりにも美しい完成度の高い録音で、私が同曲を聴きたくなった時に最初に選ぶ盤である。ただ、これほどの完成度の高い表現をひたすら求め続けたカラヤンの人生はなんだったのかとも思ってしまう。高度の録音を残せる時代になって音楽のありようはあまりにも先鋭化しすぎたように思う。私はスタジオ録音盤よりもライブ盤を好むが、完成度に多少傷があっても、観客の咳が入っていても、それらが一体となって醸し出す雰囲気が好きである。


12/9(木)快晴 飯川病院
 1:00飯川病院起床、膝若干改善。徒然、文献・画像・録音データの整理・処理など。9:40迎えあり畑作業のために帰宅、入浴、ネコ対応。里芋3株掘り起こし。これで残るはネギだけ。ダリア掘り出し準備。12:50バス飯川病院、外来入院とも処置者なし。微睡、新聞、文献読みなど多数。19:30帰宅、夕食、21:00就寝。歩数計Σ7963歩。

音楽談義2021(8) 本 中川右介著 「巨匠たちのラストコンサート」 文春新書 2008年(1)
 音楽家、とくにクラシック音楽の演奏家は現役時代が長く、70歳を過ぎても現役として活躍している方は数知れない。その中では指揮者は特に長く、N響桂冠指揮者のブロムシュテット氏は現在94歳で、いま来日中でN響定期を指揮している。指揮台に歩む姿も問題なさそう、2時間近く立ったまま指揮され、表情にも衰えを感じない。矍鑠とした姿で、驚くべき活力である。

 指揮者の場合、音楽表現の芸術面の総合的ディレクターである。自分では音を出さず、他力本願で音楽を表現する。だから老化しても「音楽の真髄の表現は可能である」、と考えているのだろうし、周りもそれを支持しているようだ。
 周囲から「まだやれるのに」と惜しまれながら引退する指揮者はあまりいない。むしろ指揮者の場合は、60歳頃までは若手と称され、それ以上の高齢になるとやっと「円熟しつつある」、「古潭の味わい」などと理解できない形容詞をつけて尊重される傾向にある。だから、指揮者の芸術上の「引退」と生物としての「死」は限りなく近くなる。中には指揮台の上で最期を迎える超幸せな方もいる。

 「引き際の美学」という言葉が、クラシック音楽の演奏家たちには、ほとんど当てはまらない。その中で比較的早めに引退を決意するのは自分の体を楽器とする声楽家である。どうしても声帯に加齢の影響が出やすく音域が狭くなり表現力が落ちる。器楽奏者もいずれその時期を迎える。
 多くの指揮者は自らの肉体の衰えを超えて、音楽と共に生きようとする。指揮者の衰えは演奏家がカバーしてくれるから演奏に大きな傷は出ない。ある文献には、ウイーンフィルで某名指揮者のもとでの演奏はほとんど指揮者をあてにしていなかった、指揮者が演奏に合わせて棒を振っていた、と団員の回想録にある。
 これは極端な例であるが、高齢の指揮者をそこまでさせるのは何なのだろうか。過去の名声?楽団や聴衆の求め?高価な報酬?・・・?

 私は高齢の指揮者が指揮する姿を見るのは嫌いではないが、音楽をあまり評価しない。加齢とともに自らに備わっているリズム感が狂い始めているのではないか? だから一般的に高齢指揮者の表現は若いときに比してテンポが遅くなる。人は20歳頃から高音域が聞こえ難くなる。楽器の音量バランスなど的確に指示しできるのか?などなど、

 彼らは自分の体調から時をおかず「最後のコンサート」を迎える準備はできているだろうし、聴衆はいつまできけるのだろうか、今回が最後の機会かもしれないと思いながら聴くのだろう。

 この本は、以下の10人の著名な音楽家をピックアップし「最後のコンサート」または晩年の様子を、物語として描いたものである。

 これらの方々に、演奏に関心のある方には貴重な資料となりうる。
 普段は知ることができない芸術家の生の姿が詰まった貴重な資料である。
――――――――――――――――――――――――――――
 ●トスカニーニ ● バーンスタイン ●グールド  ●フルトヴェングラー
 ●リパッティ ●モーツァルト  ●カラヤン ●カラス ●クライバー  ●ロストロポーヴィチ
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 私はここに取り上げられたすべての方々の演奏を味わってきた。バーンスタイン、カラヤン、クライバーは来日公演を聞くことができた。
 だから興味を持って読んだ。


12/08(水)曇り 太平洋戦争開戦日 飯川病院+当直
 1:15起床、文献読み。いつもの座学中心。午前はダリア対応したいのであるが左膝の安静のために延期。10:30散髪とブックオフ土崎店へ。10冊購入、13:30バスにて飯川病院、14:00勤務。15:30秋銀スタッフ来訪、カレンダー、歓談。17:00当直、18:30検食、20:30就寝。歩数計Σ3833歩。左膝痛で歩くのを控えた。

音楽談義2021(7)NHK音楽番組 なぜ古い音源を使うのか(2)
 なぜ古い音源を使うのか(1)で記載した音源の多くは名盤と言われている歴史的価値はある。しかし、半世紀も前のモノラル盤あるいはSPからの復刻版で、現在の放送に載せるには音質的に聴くに堪えない。

 好事家がレコードやCDを購入して楽しむには良いだろう。
 こんな音源を名盤として公共の電波で紹介する音楽評論家の方々、あるいは放送の選曲を担当するスタッフは、「古き良き時代で進歩が止まっている化石の様な方」、「古きを好み、心が狭い名盤主義の方々」に違いない。あるいは、ラジヲ深夜便を聴く方々は高齢者が多いからそれに合わせた??とも考えてあげたいのだが、高齢者を馬鹿にしてはいけない。私を含め高齢者こそ現代の表現を聞くべきだ。
 
 今はすぐれた演奏、録音の音源が沢山あり選択に困らないはずである。
 評論家と言われる方々は常にすぐれた演奏や録音を広範な資料の中から発掘して紹介して欲しい。それが責務なはずである。何時までもリパッティ、ハイフェッツ、グールド、フルトベングラー、カラヤンではないはずである。
 私にとってこれらは名盤としての評価が高い録音だとしても「死んだ音楽」、「文献的価値」でしかない。

 2021年12月6日、二日前のラジヲ深夜便の2:00-3:00に「クラシックへの誘い:モーツアルトのしらべ」という特集があった。モーツアルトの交響曲のうちから楽章を選んで放送するものであった。交響曲No1、No25、No29、No35、No40、No41が取り上げられた。

 ところが、演奏を聞くとLP初期の1960年頃に録音された古い音源が使われており、私はがっかりした。
 これらの盤の指揮者を挙げると、マリナー、ベーム、セル、クレンペラーなどなど、確かに名盤の誉が高かった。全て私が所持していた盤と同じであるが、私はゴミとして廃棄した。
 
 音楽を聴くなら演奏会に勝るのもはない。それらは呼吸し、拍動している、生きた演奏だからである。聴くものも生きている。
 そろそろ第九の季節である。1824年に初演されてから今までこの曲は進化し続けている。だから価値があるのだ、と思う。今年はどのように表現されるのだろうか。

 私は大勢の中で音楽を聴くのも苦痛になったので、今はNHK交響楽団の定期演奏会を中心に録画で楽しんでいる。全てライブ録画で全て3ヶ月以内に録画されている。演奏家は全て現役なのがいい。


12/7(火)曇り 比較的温暖 中通病院外来  飯川病院
 1:00起床、データ処理。6:40バス飯川病院。8:45-13:30外来混雑疲弊。西村書店日本医事新報1年分更新。13:45飯川病院、14:00-19:00ボランティア。疲れ果てて微睡1時間余、入院患者対応なし、19:20帰宅夕食。21:00就寝。歩数計Σ8688歩。左膝疼痛最悪時の8割程度と改善。

音楽談義2021(6)NHKラジオ音楽番組 なぜ古い音源を使うのか(1)
 私は音楽が好き。ジャンルはあまり問わないがいわゆるクラシックから歌謡曲、演歌など、ほぼなんでも聴く。
 しかし、音楽鑑賞などという、真面目くさった聴き方はしない。いや、例外的には、気が向いた時にはヘッドフォンで、楽譜を見ながらじっくり鑑賞することもある。これによって通常聞き取れていないかすかな楽器の音、微妙な表現までを聞くことができる。

 日常的には主にラジオで気楽に、ながら聞きをしている。最近はNHKのネットラジオで聴き逃しサービスというのがあって、最近1週間ほどの間にNHKで放送した番組の一部をインターネットを介して聞き返すことができるが、これがなかなかいい音で頻回に利用している。
 NHK-FMは音質が良好なので音楽番組が多い。一方、NHK-AMの第一放送はより生活に密着した番組が流される。私は近年は情報収集のためにNHK第一放送を音量をしぼって常に鳴らしている。

 NHK-AMでもクラシック音楽を流す番組がある。日曜am8:00他、ラジオ深夜便にも適宜番組が組まれている。
 前者では評論家が登場し解説等行う。最近代変わりして比較的新しい録音を取り上げてくれるが、前の担当者は酷かった。後者では頭の硬い選曲担当がディレクターがおられるのであろう、古い録音が用いられる。あるいはディレクターの個人的好みによる選択と思われるのもある。

 下記は2012年12月6日のラジヲ深夜便の2:00-3:00に「クラシックへの誘い:バイオリン名演奏家の調べ」として放送された曲と演奏家である。
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■ディニーク:ホラ・スタッカート 「ヤッシャ・ハイフェッツ」
■クライスラー:ウイーン奇想曲 作品2 「フリッツ・クライスラー」 
■パガニーニ:協奏曲 第2番から 第3楽章 「ルジェーロ・リッチ」
■ベートーベン:ソナタ 第7番から 第1楽章 「アドルフ・ブッシュ」
■モーツァルト:ソナタ 第40番 第3楽章 「エリカ・モリーニ 」
■ファリャ:スペイン舞曲 第1番 「イダ・ヘンデル」
■エルガー:気まぐれ女 作品17 「ヨゼフ・ハシッド」
■チャイコフスキー:ヴァルス・スケルツォ  「ダヴィド・オイストラフ 」
■ヴィエニャフスキ:協奏曲 第2番 第2楽章 「ヤッシャ・ハイフェッツ」
―――――――――――――――――――――――――――――――――
 なぜ古い音源を使うのか
 これらの音源の多くは半世紀も前のモノラル盤あるいはSPからの復刻版で、音質的に聴くに堪えない。歴史的価値はあるが骨董品である。
 音楽は生きている。音楽家も生きている。愛好家も生きている。
 それを忘れては困る。


12/6(月)曇り時々晴れ 健康クリニックドック 午後飯川病院
 2:10起床、歩行はできるが左膝がかなり痛い。文献・新聞チェック、読書。7:30昨日の転倒で歩くのは困難、家内に頼ん同乗し飯川まで。9:00-11:20健康クリニックドック、クリニックまでは歩けた。ドック15名、結果判断15名分。11:20飯川病院、11:30明和会本部スタッフ来訪飯川病院の今後について打ち合わせ。午後微睡など。14:00-18:45勤務、15:00入院患者対応。19:15帰宅、夕食、20:30就寝。歩数計Σ4492歩。

季節の話題2021(28) 今季初転倒 路地にプラスチック板!!!!
 昨日朝、当直明けで時間的余裕があるために久々徒歩で帰宅した。路面はマダラにうっすらと雪が積もっていた。あと自宅まで200mほどの路地を歩いていた時に、全く予想外に右足が滑り、後方に激しく転倒した。左膝に一瞬の強い疼痛が走った。左膝をひねったようだ。

 路面は凍結もしておらず全く予想外の転倒であった。
 見るとその路面に1m四方ほどの厚手のプラスチック版が敷かれていてうっすらと積雪があり、私としては全く予想外の状況であった。私がそれに気づかずに足を乗せたことになる。
 考えるに、こんな状況ならば華麗に氷上を舞うフィギアスケート選手でも転倒するのではないだろうか。
 頭は打っておらず両脚とも痛みはあったがなんとか動かせ、なんとか立ち上がることができた。今回も骨折とかはしていないようでホッとした。

 滑って転倒しやすい道路は、以下が多い。
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 ■ブラックアイスバーン。さらにその状態にうっすらと雪が積もっている場合は予想外に滑る。
 ■金属製マンホールの蓋、側溝の排水用の金属製カバーも滑る。
 ■雨の日の道路の白線。
 ■綺麗に圧雪状態になった平坦な道路、特に、大型の除雪機による除雪後の道路も危ない。
 ■道路工事で路面に敷かれている大型の金属板も。
 ■・・・・・・・
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 今回の転倒の原因になった厚手のプラスチック版は初めて見た。近くで住宅の新築工事があり、その関係のものかもしれない。自由に動けるようになったら確かめに行きたい。

 私は特に冬道で転倒しやすい。その自覚があるから降雪の季節、凍結の季節には転倒を予想して歩き方も慎重にしている。防寒靴も慎重に選び、危険が大きい道路では足底にスパイク状のアダプターを取り助けている。
 転倒を予測して若干前かがみにそろそろと歩く。それでも滑った瞬間に体が宙に浮き路面に激しく叩きつけられる。頭を打たないように、腕で身を守るために両手には荷物を持たず、手には厚手の手袋も欠かせない。暗い時期にはライトもいる。

 今回も背中のディバッグが衝撃を緩和してくれた。8年も使っておりボロボロであるがほぼ全ての転倒時に私を守ってくれた。感謝と共に今後も使い続けたい。<a href="https://blog.goo.ne.jp/mfukuda514/e/a34b572cc702c5b52ee68b7f63b7d501">転倒防止(3) 転倒時に私を助けてくれたディバッグ</a>

 背負っているディバッグにはいつもiPadやハードディスクなど電子機器があるが、それらは無事であった。前日当直であったので小さな薬品入れの缶を持っていた。見ると完全に変形し完全に蓋と身が重なり合っており開けることができずやむなくカットした。これが中心となって衝撃を吸収してくれた、と思う。前回はバッグの中の蜜柑が助けてくれた。<a href="https://blog.goo.ne.jp/mfukuda514/e/c6ee17d1d1769a70e46a6eac4e5c35a5">徒歩通勤2021(2) 2回目の転倒 今回もディバッグに助けられた。</a><img src="https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0c/d9/40f2227a4734ffb56ab733e97a7a7321.jpg" border="0">

 転倒二日目で、今日になって全身の筋肉痛が生じてきた。転倒時に身を守るために全身の筋肉が緊張したためであろう。

【追記】受傷当日(12月5日)は疼痛のために詳細は確認できずヨロヨロと歩いて自宅に帰った。若干改善した9日に自転車で現場を確認に行った。敷いてあったのはプラ板ではなく工事現場でよく眼にするゴム版の小型のものであった。道路と工事中の場所に若干の溝ができたために歩行者の安全のために置いたのであろう。工事関係者は雪でゴム板が見えなくなる事態は予想していなかったのであろう。工事関係者はいなかった。
<img src="https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6c/c1/f903ee78f017682b7cb870dfd8a9b0f7.jpg" border="0">
(自転車は私が乗って行ったクロスバイク)


12/5(日)寒波、曇り、うっすら冠雪 今季転倒第1回目  
 1:15起床、新聞電子化、読書など。9:00徒歩で家に向かう。10:00頃自宅近辺の道路に敷いてあった()1m四方ほどのプラスチックの板に気づかずに足を乗せ滑って転倒。左ひざを痛めた。痛み中心で機能障害はなさそう。除雪機準備、ダリア球根堀など予定全て中止。午前はデータ整理。のど自慢見ながら新聞チェック、電子化。微睡。19:15家内帰宅し夕食。21:00就寝。 歩数計Σ9023歩。

私は馬が好き(7) 馬と人間の関わり(6) 何故馬の顔は長いのか 私にとって羨ましい限り
 馬の顔は長い。しかし馬の先祖は初めからこんな長い顔ではなかった。出現当初はウサギの仲間と間違えられるような小さな動物で丸顔であったが、長い長い月日をかけ、食生活も変わり、足が速くなり、体が大きくなり、私たちが現在知っている馬に進化した。

 馬の進化は蹄の変化で語られることが多いが、顔の変化は馬の食生活の変化、身を守るための変化に伴うものだけに重要である。

 2000万~2500万年前には、木の葉などを食べる葉食性からイネ科の草を主食とする草食性に変わっていった。イネ科の草は固く栄養価が低い。だから大量の餌を摂る必要があった。それに伴い歯が変化し、歯冠が高くなり歯そのものも大きくなり、大きくなった歯を収めるために上顎下顎骨が上下に伸び、広くなり、とても丈夫になった。結果的に顔が長くなった、とされる。

 さらに、なんら攻撃の武器を持たないために敵と遭遇したらひたすら逃げることしか能がなかった。そのために視覚と聴覚が発達し、目の位置が正面から進化の過程で顔の側面に移動し耳介が発達した。
 目が顔の側方に移動したことによって視界はほぼ360度の広さでになり、屹立する耳介によって微弱な音を聞き分けることができる様になった。

 さらに、馬は進化の過程ですべての足の指がまとまって1本となり蹄となった。これで長い肢を持ち、速く走ることが可能になった。足低でクッションの働きをする蹄叉もそなえさらに機能がました。

 この「1本指への進化」は馬の進化の過程の中で、早く走って身を守る上で最も画期的なものだったと考えてもいい。この変化はバレリーナのトウシューズを履いた下肢に例えられよう。
 しかし、人間たちはさらに馬の四肢機能を高めるために蹄鉄を発明して装着した。

 ところで、私は下顎骨後退症という病気らしい。私の下の歯は子供の頃は綺麗に並んでいたが成長するとともに歯並びがとても悪くなった。下顎骨後退症のためと考えられる。歯の治療2014(1) 私は歯並びが劣悪、下顎後退症のためだろう。

 今回馬の歯の勉強をして羨ましいと思った次第。


12/4(土)終日曇り小雨小雪 井川病院日当直 レセプトチェック
1:10起床。文献検索、徒然他何時もと同じ。新聞チェック、データ整理中心。10:30患者死去で出勤する家内に同乗飯川病院、12:00日当直、検食、新聞チェック、15:00-16:00レセプトチェック、読書、微睡。アマゾンアレクサ新規登録、なかなか上手くいかない。18:00検食、20:00就寝。歩数計Σ3010歩。

私は馬が好き(6) 馬と人間の関わり(5) 馬は人と生きる様に出来ていた??(2)
 馬と人間の関わりは馬の以下の性格によることが大きい。

 ■食べ物に融通性があり飼う側が餌を用意しやすいこと。
 ■縄張り意識が稀薄なこと、人間に対する凶暴性がないこと、

そのほかに
 ■人間に好まれるソフトな性格であること、飼い主の行動に関心を持つ知能と好奇心()があること
 馬が縄張り意識が稀薄なこと、攻撃性凶暴性がないことは結果として、人間と同じ世界で生きられる穏やかな特質を備えることとなった。加えてソフトな性格と比較的高い知能を持ち、周囲にいる人間に対し敵対心を持たないこと、それ以上に人間に関心を抱く高い知能を備えていることが挙げられよう。ただ、馬はその非力のためにとても神経質であることを理解しなければ付き合えない動物である。特に不用意な音をそばで立てるのは危険と言われている。

 ■飼い主が好むような、甘えや訴えかける表情や仕草を持つこと、
 馬は表情豊かな動物である。我が家の馬は馬小屋に遊びに行くと嬉しげな表情をした。とりわけ優しげな目の表情が好きだった。

 ■人間の要求に対応する知能と適応力を備えていること、
 私はサラブレッドなどのエリート馬についてはほとんど知らない。幼少の頃は農耕馬が大抵の農家に飼われていた。
 春になれば硬くなった田んぼの土を掘り起こす田起こしに力をふるい、次いで水を張った田圃に入って代かきをした。代かきは土をさらに細かく砕き、何度も何度も往復し、丁寧にかき混ぜて、水漏れを防ぐとともに、田んぼの表面を苗を植えられるよう平らにする重要な作業であった。馬は水を張った田圃をモノともせずに足を踏み入れ代かきを黙々とやっていた。
 夏や秋には荷車を曳き、厳寒の冬には馬橇をひいた。この季節を問わない対応力には驚く。
 稲作地帯の農家の仕事には馬の存在は欠かせない労働力であった。

 ■人間に餌をねだる依存性があること、その背景には自分の運命を自覚し、人間と共生するために労働力を提供しながら生きるのだ、という達観めいた自覚があるような気がしてならない。だから馬は素直に飼い主に従った。私は興奮した馬が飼い主には向かったのを見たことはない。

 ■日暮れどき、一連の働きを終えた馬は部落の馬洗い場に集まり汚れを落とす。その時にブラシをかけてやると本当に嬉しそうな表情をする。飼い主に曳かれトボトボと家路に向かう馬の満足げな表情も忘れられない。私の家は診療所で農家ではなかった。しかし、小学生頃時折近所の農家の手伝いに行ったがその時いつも馬がいた。またその時の経験が今の園芸、畑作業に生きている。

 馬に関する思い出、幼少の時に限られるが、とてもいい思い出でとして記憶に残っている。


12/3(金)曇り小雨など 大曲外来 飯川病院ボランティア
 1:00起床。文献検索、読書、医学文献読み。自炊数冊。5:00家庭ゴミ+落ち葉の袋収集所に。7:35Taxi駅、8:11こまち。9:00大曲中通病院外来。駅病院間は往徒歩。復と秋田はタクシー、15:30飯川病院ボランティア。患者対応なし、微睡、読書。19:30帰宅。21:00就寝。歩数計Σ9604歩。一昨年、秋田は積雪数cm、大曲は30cmほどの雪、隣の横手は1m近かったという。昨年、今年はまだ積雪はない。

私は馬が好き(5) 馬と人間の関わり(4) 馬は人と生きる様に出来ていた??
 自然界の動物同士が互いに助け合って生きる関係について考えれば、人間と家畜、ペットなどとしての関係がある。しかしながら、特殊な例外を除くと、家畜、ペットとして身近にいる動物はイヌ、ネコ、馬、牛、豚、羊、ロバ、ラクダくらいだろう。
 
 人間側では、餌を与え、安全の確保をするなどで色々努力したであろうがほとんどうまくいかなかった様である。動物側に、他の動物にはなつかずに、単独の種で、厳しく生きる術が遺伝子レベルで備わっているのだろう。

 例外的に人間に適応する動物には共通する何かがあるはずである。
 10月17日の再掲であるが、ざっと上げれば以下の様な特質であろう。
―――――――――――――――――――――――――――――――――-
 ■人間に餌をねだる様な依存性があること、
 ■食べ物に融通性があり飼う側が餌を用意しやすいこと、
 ■人間に対する凶暴性がないこと、
 ■縄張り意識が稀薄なこと、
 ■人間に好まれるソフトな性格であること、
 ■飼い主に関心を持つ好奇心()があること、
 ■人間の要求に対応する知能と適応力を備えていること、
 ■飼い主にが好むような、甘えや訴えかける表情や仕草を持つこと、
 ■・・・・。
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 現在ペットとしての代表はイヌ、ネコであろうが、上手く飼い慣らされた個体は全て上記の性格を兼ね備えている。

 しかしながら、馬ほど人間の世界に深く溶け込み、人間の在り方、文化にまで広く寄与した動物はいない。
 太古には人間の栄養源と寄与した。やがて車を引き、人を乗せ、武器や戦車となり、人間の生活に深く入りこんだ。馬が存在しなかったら人間の文明は大きく遅れをとったと思われる。馬の労働力は化石燃料の発達で今では殆ど期待されなくなったが、今ではスポーツ競技種目の中で、とりわけ競馬は多くのファンを熱中させている。

 何故、馬と人間との関係がこれほど密接になったのか?
 上記の特質に沿って考えてみる。

 ■食べ物に融通性があり飼う側が餌を用意しやすいこと。
 馬は自然界において他の動物たちとの競合を避けるために、餌が豊かな森林地帯からより低い草原地帯にに移動して歴史を重ねてきた。草原の草はイネ科の植物が主であるが、これは木の葉に比べると栄養価は乏しく、繊維は硬く、消化しにくい。そこで、硬い繊維を効率よく消化するには、必然的により頑丈な顎、より機能的な歯へと進化した。
 結果として、馬は人間と同じ稲科の植物で生きることができ、人間はなんら困難なく馬に餌を与えることができ、同じ世界で生きられる共通の特質を持った。

 ■縄張り意識が稀薄なこと、人間に対する凶暴性がないこと、
 馬は他の動物たちとの生存競争を避け、より平地に移動して発達した。馬にはなんら攻撃的武器となる術を持たなかった。馬の自己防衛は、ほぼ360度をカバーする視野をもつ目と、優れた聴力で敵の存在を素早く察知して優れた脚力でひたすら逃げることであった。したがって凶暴性は乏しかった。また、集団で暮らすことで身を守ったから縄張り意識も乏しくなった。
 結果として、人間と同じ世界で生きられる穏やかな特質を備えることとなった。


12/2(木)終日天候荒れ雨風 飯川病院勤務 インフルエンザワクチン接種
 1:20起床、新聞電子化。医学文献読み。午前は防寒対策。最近は寒い、バス待ち時の寒さに備え、衣服関連の冬支度。上は作業服からいつものスキーウエアに。薄手のサマーセーターから毛糸のトックリセーターに、手袋用意、靴はウオーキングから防寒靴に。ズボンは薄手の作業服のまま。11;50バス、飯川病院。読書、文献読み、微睡。14:00勤務、インフルエンザワクチン接種。文献読書。19:30帰宅。夕食、20:20就眠。歩数計Σ6613歩。

師走2021(2)師走雑感 心身が求めるままに過ごしたい 
そんな中、いま集中しているのは読書である。これは体力を使うことはないが、運動不足になるのが辛い。高齢者の運動不足は重大な結果を生みうる。内臓疾患でコケるのはやむを得ないが、四肢機能低下で自活できなくなれば人様に迷惑をかける。 私には濃密でない時間がもっとあってもいい。これからは時間を大切にすることは勿論であるが、静かで豊かな時間の中に身を置くことが多分最高の贅沢になるだろう。
 特に私は、自分中心主義であるから心の中に絶えず「歪み」、「毒」、「葛藤」が形成される。私は生きるためにウソを重ねて社会に適合、他人に迎合してきた。心の中に常に社会に対して、他人に対しての「毒の感情」を発生させてきた。 
 最近、心理学関連の書籍文献を読む機会が増えてきた。自分の「毒」感情について考えるためである。
 人には五欲があると言う。このうち、流石に「財・色・名誉」に関しては萎えてしまった。代わりに読書欲が頭をもたげてきた。今問題になっている日大理事長(74)は巨額のリベート受領で逮捕されたが、「財・色?・名誉 」にこだわる姿勢は実にお若い。感心する。

 私も大なり小なり五欲に追い立てられてきた。
 私はネクラで無気力人間で、生きる意欲も乏しかった。厳しい弱肉強食の世界に投げ込まれたら生きてはいけなかった。たまたま恵まれた世界で生きれたからなんとかしがみつけた。この弱さもコンプレックスの一つになっている。
 チャチなレベルであるが人間の五欲から逃れられずミニ悪行を重ねてきた。 私は年齢を重ねて自らの業の深さに思い至り、自らの過去を反省し、現役引退を機会に「終わった人」と、自身を否定しながら生きている。内容を具体的に明かすことはないだろうが、これ以上罪を重ねない様に社会、他人との間に距離を置いている。自称引きこもりである。 もう私には大きな目標はない。

 唯一、家内には一生付き合ってもらった。私と一緒になって失ったものは小さくなかろう。感謝を込めて、良き人生を纏うしてもらいたい、と思っている。そのために、「寛容」・「忍耐」・「奉仕」に徹して支えている。 ボランティアとして彼女の仕事を手伝っているが、評価は低い。「外来には出したくない、患者が減るから」、「病棟は任せられない、患者が死ぬから・・・」と手厳しい。花壇の世話は略合格か? 運転技能も否定され続け、ついに免許を返上した。
 もちろん、私にもプライドが若干残っている。私は彼女が言うほどひどい、役立たずの人間ではない。それが私を支えているが、口には出さない。
 長年連れ添った間といえ、まだ駆け引きは続く。

 年の暮れになるといつも同じ思いをくり返しているが、中身はちょっとだけ良くなっているようだ。


12/1(水)終日降雨風つよし 飯川病院ボランティア Fit冬タイヤ購入
 1:10起床。医療文献PDF化、書類整理淡々と処理。文献・新聞読み。8:30降雨風のためにバスは辛く家内に同乗飯川病院。午前は自主的ボランティア、微睡、新聞チェック。14;00から勤務、主に座学、微睡。Fit冬タイヤ購入、タイヤ関係は済。19:20帰宅、夕食、20:50就眠。歩数計Σ4488歩。一昨年防寒靴に。

師走2021 (1)師走雑感 心身共にゆったりと過ごしたいものだ 
ついに師走となった。早いものだ。2021年を迎えてからはや11ケ月経過した。
 師走の雑感は毎年似た様なものとなる。
  この月は法師が忙しく東西に走り回るから師走と言った。年の暮れの慌ただしさを絡めて、12月の異称として親しまれている。

 歳とともに時間が過ぎるのが早い。自分自身の心身のテンポが遅くなって物理的時間に追いつかないため。例えて言えば新幹線から鈍行に乗り換えた様なもの。時間だけかかって余力を失うからである。

 すべての動作が遅くなっている。とりわけ歩く速度が遅くなっている。

 そのために忙しく感じるのだが「忙」は「心を亡くすこと」、昔の人はよくぞふさわしい文字を創ったものだ。それから見たら現代人などなんでも横文字化である。最近、視力障害を「アイフレール」と呼ぶそうだが、視力障害なら自然とわかるが、これではなんだかわからない。なんでも横文字化する安易な医師もバカだが、すぐ乗ってくる無批判なメディアもバカである。

 ここ数年、業務から解放され、かなり自分を取り戻している。そうなると新しく見えてくる分野が広くなる。意外と自分を「勤勉でない」のだな、と思い直した。

 私は師走の慌ただしさがあまり好きでない。師走になると世の中が喧騒になってくる。
 通勤路にはイルミネーション、商店街がクリスマスセール、お歳暮セールと、目や耳にうるさい。半ば親切、半ば脅迫である。
 私は中元や歳暮など、意味の無い物品のやり取りは嫌いである。嬉しさよりも負担感で心に傷つくからである。私は頂き物があれば必ずハガキで礼状を出すがそれも面倒である。 ただ、経済的活力の維持は社会にとって生物の「いのち」に劣らず重要であることがこのCOVID-19禍で示された。だから、私は御託を言わずに静かに見守ることにしている。 
 私も後期高齢者に入った。体調はそう悪くはないが加齢に由来する小さな不具合はある。だから、今年はできるだけ心身に相談し、無理せずに、休息を適宜とりながら生活するよう心がけてきた。
 今後は・・・、ホントはちょっと残念なのだが、「心身」の求めに沿って生きて行こうと思う。


 11/30(火)超快晴 
中通病院外来 飯川病院  1:30起床、文献・新聞などPDF化。録音データ整理。5:20可燃ごみ集積所に。6:40バス飯川病院。新聞スクラップ。8:45-13:00中通病院外来。微睡14:00飯川病院勤務に。入院患者対応。散歩中一付近まで。19:15帰宅、夕食、21:00就寝。歩数計Σ11254歩。昨年作業服厚手に変更。
COVID-19(2021)(32) COVID-19感染者激減 弱毒化変異でも生じたのか
 COVID-19は欧米やアジアので最急増しているが、何故か我が国を含む100ヶ国で感染者が激減している。その原因は明確には特定出来ない。 

 いろいろ要因が考えられる。
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 ■SARSの時のような独自の弱毒化変異が生じた??
 ■ワクチンの効果で集団免疫形成
 ■不顕性感染者の急増で集団免疫形成
 ■予防対策の効果
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 COVID-19のワクチンは2回目接種から約2週間後に効果が強まり、効果は6~8カ月とみられる。しかし、それにだけではなく、免疫担当細胞のメモリー能力で長期的な免疫力も形成されると思われ、これが感染時にブースター効果を発揮すると思われる。この部分はワクチン接種後に上昇する抗体値では推し量ることができないために意外と論じられていない。

 我が国では7月から64歳以下の人の接種が急激に進み、ワクチンによる数千万人の集団免疫ができた。実態は不明だが、同時に若年者の多くが不顕性感染した、と思われる。若い人の「不顕性」感染は検査で確認された人の10倍近くはいたのではないだろうか。この両者で国内で集団免疫効果が強く表れ、8月半ば以降に感染者が急減した可能性がある。

 英国やイスラエルなどワクチン接種が先行した国では、ワクチン効果による免疫力が弱まり始めた時期デルタ型が流行し、接種した人も感染する「ブレークスルー感染」が増えた。日本ももっと早く接種が進んでいれば同じような状況になったかもしれない。
 さらに日本は衛生思想が高い国である。基本的な感染対策、手洗い、うがい、マスクなどが文化として定着している。マスクを着用し、密集を避け、十分換気する。緊急事態宣言解除後も会食を控えるなど対策を緩めていない。人出は増えても多くの人々が用心し続けていることが染者数を少なくしている効果がある、と思われる。

 COVID-19ワクチンの効果は6~8カ月とみられるから3回目の接種は必要である。
 追加接種は12月以降に始まる見込みで、接種するタイミングも良く、高い効果が期待できる。オミクロン株が蔓延する前に、あまり時間をかけずに一気に接種を進めるべきであろう。 


11/29(月)曇り 健康クリニック 飯川病院
 2:00起床。文献・新聞等処理、蓄積データ処理。徒然。6:40バス飯川病院、新聞チェック、9:00-11:15健康クリニックドック15名+結果判定14名。11:30飯川病院。微睡ほか。14:00-19:30勤務。入院患者対応。途中ドンキホーテ片道徒歩、ブックオフ2冊購入、19:30帰宅、夕食。 21:15就寝。歩数計9393歩。

COVID-19(2021)(31) 新幹線の乗客急増 なのに新株オミクロンで長女一家のイラつきも急増
 COVID-19は何故か一部の国で感染者激減している。その原因は明確には特定出来ない。私は独自の弱毒化変異でも生じたのか??と思っている。
 その例として、2003年に世界的に流行し大きな脅威となったSARSは、我が国で感染者が出る前に、ワクチンなどは開発されていなかったにもかかわらず、流行が突然終焉した。その原因はSARSウイルスの弱毒化の突然変異ではないかと思われている。

 COVID-19に関しては、菅首相が辞意を表明した頃から我が国の感染者数は突然激減方向にシフトした。8月には1日2万人を超える新規感染者が報告されていたが、11月に入ってからも減り続け、昨日の全国の集計は1日150人程度である。これは我が国だけの現象でなく減少傾向は100ケ国以上で見られている。他方、欧米やアジアの一部ではワクチンの接種率が上がっているのに感染者が急増し、各種の生活や行動制限が再び加えられている。

 政府は9月30日をもって、COVID-19対策の緊急事態宣言と、まん延防止を重点措置を全面解除した。緊急事態から重点措置への切り替えも見送った。
 秋田県の佐竹知事は11月22日、年末年始を控え「県では以前のような自粛要請はしない」と述べた。感染対策を成した上で往来するよう求める。
 東京などで今後、感染が急拡大した場合には帰省自粛の再要請を検討する。知事はワクチンを2回接種しても「感染する恐れはある」として、「忘年会、クリスマスなどでは、気を緩めず感染対策を怠らないようにしてほしい」と求めた。

 私の近辺での変化というと秋田新幹線の乗客増が挙げられる。
 私は週に一度金曜に大曲中通病院の内科の診療応援をしている。秋田新幹線は昨年春以降乗客が激減し私がいつも利用している客車にはせいぜい2−3人しか乗っていなかったが、11月に入ってから乗客が漸増し、11月26日は往復とも座席の約半数が埋まった。こんな混雑は1年半ぶりのことである。乗客の様子から見ると殆どが旅行者と思われた。

 感染者急減と国の対策の改定を受けての変化であろう。

 我が家の長女は横浜在住である。長女は秋田が好きで休みのあることに一家でに帰省していたが、昨年春以降来秋していない。かなりの欲求不満状態にあると思われる。
 今年の年末年始は帰省可能かもしれないと、我が家でも先方でも期待を膨らませていた。

 しかし、最近、アフリカで見つかった新変異株オミクロンの急速な伝播が伝えられ様相が一変しつつある。政府は水際対策を強化した。ニュースによると成田空港でアフリカからの乗客に陽性者が出た、という。
 オミクロン株の感染力、毒力などはまだ分かってはいないし、国内の対策にも変化は見られない。しかし、再び行動制限が敷かれる可能性は十分ある。

 長女一家、特に孫の落胆は目に見えるようである。


11/28(日)曇りのち晴れ プリタイヤ交換 落ち葉処理
1:00起床、新聞・文献チェック,他。画像整理多数。音楽録音数編。12:00次男一家タイヤ交換に来襲するも今までと異なり庭掃除、人海戦術。庭掃除続きに役立った。ついでにプリのタイヤ交換もやってもらった。16:00座学に戻る、新聞スクラップ化、自炊数冊。音楽関連録画視聴。おもにN響定期公演。19:00夕食。20:30就寝。歩数計Σ4862歩数。昨年スキーウエア準備。

季節の話題2021(27) 息子一家の人海戦術で落ち葉掃除あっという間に終了、感激した

 紅葉は美しい。

 
 ただ、季節の移ろいを楽しむにはそれなりの努力がいる。この紅葉の楽しみの後に来るのが落ち葉の掃除である。それが、我が家の庭は落ち葉が半端でなく毎年私が一人で苦労してきた。

 本日昼、息子一家6人がタイヤ交換のために来た。我が家のガレージにタイヤを預かっているし、広場があるから作業しやすいからである。いつもなら孫たちは家の中で本を読んだりゲームをしたりして過ごし、私が非力ながらタイヤ交換の手伝いをするのであるが、今回は孫たちがなかなか家に入ってこない。

 気になって外に出てみるとタイヤ交換は男の孫を助手に次男が進めている。
 他の女の孫たちは?嫁さんの指導のもとで落ち葉掃除を始めている。
 こうなれば私も黙ってはいられない。家の周りの整理は私の分担領域だからである。掃除道具を出したり、使い方を教えたり、廃棄用の袋を用意したり、やることはいろいろあった。女の孫は3人、各々が箒を持って、家内と嫁さんとともに年齢に応じた働きをしていた。私はびっくりした。


(働く孫たち)

(落ち葉が掃除され綺麗になった庭)

 やることは流石にチャチな部分はあったが、女性5人のパワーは私一人のそれとは比較にならないものがあった。みるみる落ち葉が集められ、90Lの大型の資源ごみ袋詰めが6袋出来上がった。その間、次男と孫は余力もあったのであろう、自分の車のタイヤ交換に続いて我が家のプリウスのタイヤも交換してくれた。


 庭掃除はここ10数年は私が黙々と何日もかけて、ネコの手も借りたい状況で借りないでやってきたが、本日の体験は夢の様である。しかも、私にとって初めての嬉しい体験であった。
 今日改めて、「次男を育ててよかった、いい嫁さんを得られてよかった、孫も産んでくれてよかった、・・・」と心から実感した。
 それだけ時間がかかっている。苦節40年、その代わりに私が老化した。作業パワーが確実に落ちてきているだけにとても助かった。

 私は口には出さなかったが、激しい降雪で手が回りきれない時に今日の様に人海戦術で除雪にきてくれないかな・・とちょっぴり欲を出してしまった。今日の出来事が今日だけで終わらない様願いながら。


11/27(土) 終日曇り降雨不安定 
 1:00起床、新聞文献チェック、PDF化などいつものごとく。オーディオライン修理など。オリンパス録音機の機能に今更ながら驚く。午前座学とダリヤ球根採掘準備開始。、里芋一株掘り出す。午後書斎のパソコン周辺の整理中心に。16:00新聞チェック。読書、自炊など。19:00夕食、20:30就眠。Σ4239歩。

作曲家 小林亜星氏の作品にハマる (2)
 作曲家小林亜星氏は請われて1974年俳優デビューした。氏の独特の体型から向田邦子氏の作品の中で太ったお父さんのイメージにふさわしいと周辺から強く説得され恐る恐る応じたという。
 結果的に、俳優としても成功し、「寺内貫太郎一家」はシリーズ化されることになった。

 今回、この小文は私の録音に残っている以下の曲と今年7月16日ラジオ深夜便am1:00「母を語る 作曲家小林亜星さんをしのんで」を聴き直しながら、氏の意見を参考に綴った。
――――――――――――――――――――――――――――――――-

ピンポンパン体操、イエイエ、赤いキッス、夜が来る、北の宿から、あわてんぼうのサンタクロース、振り向かないで、この木なんの木、人間ていいな、魔法使いのサリー、野に咲く花のように、ひみつのアッコちゃん、ガッチャマンの歌、狼少年ケン、やんちゃりか、一二の三のご挨拶、キングコング、かぜよひかりよ、花の子ルンルン、りんごがひとつ、幸せくん、恋待草、アンジェにお任せ、ゆかい痛快怪物君、夢を勝ち取ろう、ターンAターン、未知というなの船に乗り、金魚うり、北の宿から、

――――――――――――――――――――――――――――――――-

 普通、音楽家の人気や功績の物差しはレコードの売上枚数や受賞数が評価されるが、亜星氏はその枠に当てはめては評価出来ない様である。
 誰もが親しみやすく、口ずさめる名曲をこれだけつくった人は他に思いつかない。

 子供の合唱を用いた作品も素晴らしい。言葉がピチピチ跳ねる、生きている。

 彼の作品を機会があったらもっと広範に味わってみたい。


11/26(金)曇り小雨時折 大曲中通病院外来 飯川病院ボランティア
1:00起床、本読み、医学文献チェック。5:30家庭ゴミ集積所に。7:35Taxi。8:11こまち。8:55大曲外来。病院間は降雨にて往復徒歩不可。帰路の新幹線今までになく混雑。全国的に制限解除の影響か。秋田も徒歩。15:30飯川病院ボランティア。19:20帰宅、夕食、21:20就眠。Σ7811歩。

作曲家 小林亜星氏の作品にハマる (1)
 私は音楽全般が好きである。いわゆるクラッシック音楽もいい。特に弦楽器の音色が好きで、ヴァイオリンやチェロも下手ながら弾くこともある。が、日本の歌も劣らず好き。長唄、民謡を含めて何でもござれであるが、とりわけ歌謡曲が好きである、その中では子供たちが歌う元気な歌、悲しげな人生を歌う演歌もいい。

 作曲家の小林亜星氏が85歳で今年春亡くなった。氏に関しては作詞の阿久悠久氏とのコンビで、1976年の日本レコード大賞を受賞した「北の宿から」の作曲家であることは知っていたが、氏についての知識はそれほどなかった。

 先日まとめて氏の作品を聞く機会があった。NHK−FM「歌謡スクランブル」で氏の作品が特集された。
 20曲ほど聴いただけなのでコメントするのもおこがましいが、放送で流された氏の曲を聴いてみると、この曲もあのCMソングも氏がつくっていたのかと驚くことばかり。氏の曲は何も知識のない私の心と耳に、がっしりと残っていた。
 たまたま録音していたのでこのひと月の間に何度も何度も聞き返し、氏の作品を一部であるが味わうことができた。

 今回はこの番組と今年7月16日ラジオ深夜便「母を語る 作曲家小林亜星さんをしのんで」を聴き直した。

 1932年生まれの氏が生涯に残した曲は6-8千曲とも言われる。祖父が医師であった事から最初は医学部に進学したが音楽の道を諦められず経済学部に転部、卒業後は一時商社に就職するも一月も経たずに退社、服部正氏に弟子入りし作曲を学んだ。

  CM音楽に関しては、依頼されるとだいたい2曲つくって依頼主に選んでもらっていたというから、実際の作曲数がどのくらいに及ぶか、わからない。依頼を受けると頭の中で構想を練り、取りかかると2時間もかからずに作品が生まれた、という。
 亜星氏の持論は「音楽は楽しめるものでなくてはいけない」ということ。そのためには「メロディーが生きていなくてはいけない」。だから、曲づくりの最初の段階では無伴奏で、歌いながら「幸せな気分」を味わいながら作ったという。

 確かに、氏の曲は「インパクトがあり覚えやすい」、「明るくて短くて、一度いたら耳から離れない」という印象である。
 自らが全盛期と振り返る2070年ごろはCM依頼がどんどん舞い込み、1日3曲くらつくっていた。
 その中でも「この木なんの木」はCMはつくられてから半世紀ほど経った今も現役で流され、世代を超えて強い人気がある。

 当然のことだろうが氏は歌もうまい。豊かな低音で聞かせる。「夜が来る」「りんごがひとつ」「金魚うり」などで聞くことができる。


11/25(木)曇り時折降雨 飯川病院  
1:30起床、本読み、徒然他。医学文献自炊、整理、廃棄。8:30家内に同乗して飯川病院。新聞チェック微睡、10;30-11:30玄関のハイビスカス剪定と訓練室に運搬、微睡、15:00入院患者インフワクチン対応10名。読書その他、19:15帰宅、夕食、21:30就寝、歩行計6089歩。

立憲(3) 代表選 立憲の構造の複雑さと党内のグループ
 野党の一般的特徴であるが、合併や分裂を繰り返しているのでなかなか構造や歴史的な流れが分かり難い。
 下表は私が参考にしている立憲を中心にした流れである。出典は失念した。


 また、自民党内に「派閥」があるように、立憲民主党には「グループ」がある。自民党の派閥と異なり、「グループ」は掛け持ちが認められているなど結束は緩やかとされており、実際に所属議員の線引きが判断しにくい。
 以下のグループがあるとされている。

 名称、代表他、人数、今回の代表選での支持候補者、
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 ■サンクチュアリ 約27名 泉 逢坂 西村
 旧立憲民主党系議員によるグループ、枝野氏は顧問。海江田万里も所属。リベラル路線。

 ■新政権研究会(泉グループ)約20名 泉
 泉健太氏が代表。旧国民民主党系の議員らが中心。中道路線。

 ■国のかたち研究会(菅グループ)約20名 西村
 菅直人元首相が中心。民主党時代から存在する旧立憲民主党系の党内グループで存在感のあるグループ。リベラル的。

 ■直諫の会(重徳グループ)約10名 泉 小川
 立憲民主党と国民民主党をまたぐ超党派として若手を中心とした集まりだった。

 ■小沢グループ 約10名 泉
 党内でも中道〜右派。

 ■野田グループ 約10名 小川
 蓮舫参院議員など。保守派。

 ■岡田グループ 約10名 ?
 中道路線?
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 政治家は単独では活動が困難である。党内で派閥やグループに属すのは悪いことではないが、議員の投票行動がこれで制約を受けるとすれば真の民主主義とは言えない。
 その意味では結束は緩やかとされている立憲のあり方の方が納得できる。


11/24(水)終日ほぼ降雨雪混じり 飯川病院 
1:30起床、本読み、徒然他。文庫本、医学文献自炊、整理、廃棄。10:50バス通町、徒歩長崎屋、ブックオフ4冊、13:00バス飯川病院。微睡後勤務、15:00入院患者インフワクチン対応10名。微睡読書。19:15帰宅、夕食、21:30就寝、ラジオ深夜便聞き直し数篇。歩行8499歩。

立憲(2) 代表選
 立憲民主党代表選(30日投開票)には4人が立候補している。
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泉健太氏(62)政務調査会長、
逢坂誠二氏(62)元首相補佐官、
西村智奈美氏(54)厚生労働副大臣、
小川淳也氏(50)元総務政務官。
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 私はこの方々に関する知識は全くない。調べてみると、当選回数も5回以上とベテランで、党内の役職では十分活躍されている方々である。
 菅・小沢・野田、岡田、前原などの各市も在籍しているが、彼らの声が聞こえてこないのがいい。立憲は確実に世代交代が進んでいるように見える。

 時事通信社が47都道府県連の幹部(n=47)を対象にアンケート調査を行ったところ、泉健太政調会長を支持する声が最も多く、他の3候補をリードしていることが分かった。

 調査は同党各都道府県連の幹部を務める地方議員に、回答者個人の見解として支持候補やその理由などを尋ねた。
 結果は泉氏(62)が15人でトップ。逢坂氏(62)が7人、西村氏(54)が6人、小川氏(50)は1人だったという。
 国会議員票(n=140人)でも泉氏は40人程度を固めている。小川氏が30人弱で続き、逢坂、西村両氏は20人台半ばだった。約30人は態度を明らかにしていない。ただ、態度未決定の議員や総ポイントの4分の1を占める党員・サポーター票の動向次第で情勢は変わる可能性がある。

 泉氏を推す理由としては、発信力や説明力を挙げた人が多かった。逢坂氏は北海道ニセコ町長を務めた経験から、その行政手腕が評価された。唯一の女性候補である西村氏は党が重視する多様性の観点から支持するとの回答があり、小川氏は掲げる政策だった。

 先の衆院選で前代表が進めた共産党を含む野党共闘への評価を聞いたところ、「与党候補との1対1の構図を多く作り、接戦に持ち込むなど効果があった」と答えたのは23人。「無党派層や一部連合の離反を招き失敗だった」と回答した5人を上回った。ただ、8人は功罪ともにあったと答え、問題の複雑さをにじませた。
 来夏の参院選での野党共闘については「必要だが修正の余地がある」と答えたのが23人で最多。衆院選と同様の手法による「継続」を訴えたのは10人、「ゼロベースで見直すべきだ」と回答したのは7人だった。
 ただ、代表選は1回目の投票で過半数には届かず、上位2人による決選投票にもつれこむとの見方が強まっている。

 私はNHKで放送される各候補の討論会などはできるだけ聞くようにしている。各々の候補者の主張は民主的な党内運営とかに関してはみるべきものがあるが、国政の最中枢での経験がないためか少子高齢化、社会保障、子育てなどの具体案については一般に浅い感じがする。人口減少子化問題については出生率の増加が日本を救うから積極的に関与・・というが、もう間に合わないのだ。その危機感は与野党問わず考えが甘い。


11/23(火)勤労感謝の日 大荒れ曇り 
 0:30起床、献新聞入力PDF化など。iMac27(2017)にデータ復元6時間。自炊2冊、文献整理など。5:20可燃ゴミ45L袋提出、徒歩でびしょ濡れ。iMacがWi-Fiに繋がらずアップルに相談、90分一応解決す。Ethanetの問題か?その後は順調。終日座学。19:00帰宅、夕食、21:30就寝。歩行計Σ4244歩。低activity日であった。

 政治に野党第1党の立憲民主党のは大きい。
 政権交代を訴えた衆院選で、逆に公示前より13議席減となった立憲の枝野幸男代表が辞意を表明した。
 私は、枝野氏が責任をとるのは当然だろう、いずれは交代はやむなしと思っていたが、早い辞任表明に驚いた。
 私のイメージでは枝野し辞任でますます立憲の影が薄くなってしまわないか??心配している。

 立憲にはあまり報じられない、私が知らない内部事情があるのだろう。
 立憲民主党は今回の選挙で選挙結果を徹底的に分析し、新しい代表を選び、体制の立て直しと地力の強化に努めねばならない。

 後任を選ぶ代表選は11月30日に行われる。
 4人立候補したが、私にとってほとんど知らない方達である。やはり、立憲は私から見て枝野氏の知名度がダントツであった。
 新たなリーダーを拙速に決めるのではなく、時間をかけ、党員も巻き込んで、候補者の資質を吟味してほしい。

 立憲は4年前の総選挙で、当時の野党第1党だった民進党が小池百合子氏率いる希望の党に合流を決めた際、たった一言「排除します」と言われた仲間達の受け皿として、枝野氏が立ち上げた。
 その時は大きな支持を集め驚いたが、その後、枝野氏は4年間かけ、所属議員を増やし、共産党を含む野党共闘を整え、自公政権に交代を迫るまでの体制をつくりあげたのは大きな功績に違いない。

 しかし、枝野氏を中心に少数の幹部だけで党の基本方針や政策を決める場面も多いらしく、枝野氏の「枝野1強」ともいわれた。枝野氏がもっと広く党員の意見を聞き、人材を育成すべきだった。

 野党共闘の検証、支持団体の連合や国民民主党との関係の再構築も不可欠だが、議員個人や地方組織が、地域における日常活動を抜本的に強化することが、有権者に選ばれる政党になるうえでカギを握ると思われる。
 政権選択選挙と称し、政権交代を訴えたが時期が早すぎた。過去の政権交代のことを、その時の失政を国民は忘れていない。広く人材を提示できない状態ではまだまだ早すぎた。

 私は枝野氏の業績を評価するが、氏の対話技術はよくなかったと思う。野党精神が丸出しでもあった。時には相手の話を折り、「なんでも反対、反対」。そこには対話に入っていけない、相手の主張をブロックするような強い響きがあり、主張を聞いていても不快を感じることもあった。それだけ言いたいことはあったのだろうが、一人相撲をしているとのイメージが残るだけであった。立憲の諸メンバーを後に抱えているというイメージは乏しかった。

 それだけ氏の辞任表明はショックだったし、代表戦はどうなるのを心配した。


11/22(月) 曇り降雨午後より嵐 健康クリニックドック 飯川病院 
 0:30飯川病院起床。文献・新聞等処理、蓄積データ処理。徒然。9:00-11:00健康クリニックドック14名+結果判定14名分。11:10飯川病院。読書微睡。新聞、医学論文チェック。14:30入院患者対応、駅まで徒歩、15:15新屋線バスにてキタムラに。iMac27(2017)修理終了、回収に。16:30帰院タクシー。19:00帰宅、夕食、20:30就寝、歩数計8999歩。

本を楽しむ2021(4) 本の自炊は法の範囲で 
 私は、最近の読書は、自分所有の本を電子化してiPadで読んでいる。書籍を捨てて身軽にすることが発想の原点である。書籍を裁断し、スキャナーを通して電子化、原本は廃棄する。
 市販の電子本には興味はない。

 ここで重要なのは著作権に対する配慮である。
 書籍の著作権は、書籍に記載されている人にある。基本的には著者が著作権保有者になる。なお、書籍の場合は原則、作者の死後70年で著作権が効力を失う。著作権が切れた青空文庫等の電子本の扱いは規制の外にある。

 PDFファイルにした電子ブックは、いくらでの複製ができる。友人・知人にメールで送信すれば、同じ電子ブックとして利用することができる。ただし、それはやってはならない厳禁行為。
 映画や音楽のコビーを配布して摘発されるケースが時折報じられるが、基本的には本も同様。「自分で購入した書籍」を、「自分で読むため」に「自分で電子ブックにする」のが許されたルールである。

 もう一つ気を付けたいのが、自炊の時に本を裁断してしまうので、古書店に売ることは恐らくできないだろう。だが、仮にできる状態だとしても、改造本として売買はルール違反になる。先に裁断後の書籍がネットオークションに出ていたのを見たことがある。自炊後の本は、自分で保管するか捨てるべき。友人、知人にプレゼントするのもルール違反である。

 著作権法の第30条によれば、「私的利用」に限りコピーができるとある。本を自炊して電子ブック化してもよいという、法的な根拠となる条項。文化庁の意見では「電子化の作業は自分で完結するのが基本。私的利用の範囲に限られる」というが「合法的な私的利用の範囲」が明らかでない。また、自作した電子ブックをコピーして、パソコン、自分のスマートフォン、iPadなどの電子ブックリーダーで読むのは問題ないが、他人に配るのは違法。

 裁断した本をスキャンしてくれる業者もあるが、これでは「自炊」とはいえない。「他炊」というべきか??利用すると違法になる可能性がある。

 理論的には本が1冊あればいくらでも電子書籍が作れてしまう。コピーが流通すれば、著者、出版関係者の首を絞めることになり、出版文化は衰退する。それは読み手にも不利益となる。これからの時代紙媒体の出棺物と電子本を並行して出すのがいいのではないか。私は新聞は3紙購読しているが、見落とした記事を検索するために一緒に電子版も購入している。新聞は紙面を見るに限る。

 私は自炊をおこなっているが遵法を旨としている。読みたいと強い希望があれば本の購入を薦めるか、データを入れたiPadを短期間貸し出す。結構厳しく自信を律している。


11/21(日)曇り晴れなど不定 飯川病院日当直
 1:00起床、新聞チェック、医学論文読み,整理、自炊5冊PDF化。新聞スクラップ入力、8;30家内に送られ飯川病院、9:00から日当直につく。新聞スクラップ作成、録音整理、読書他。12:00検食。NHKニュースのど自慢ラジオで聞く、郷里の隣村矢巾町から。微酔若干。読書。夕食、20:00就寝。歩数計2983歩。

本を楽しむ2021(3) 電子書籍購入には抵抗感 COVID-19で電子書籍需要が高まった
 私は今はほとんどの読書は自分所有の本を電子化してiPadで読んでいる。書籍を捨てることが発想の原点だからである。書籍を裁断し、スキャナーを通して電子化、原本は廃棄する。もう10年以上、作業を進めていて書架の本の大部分は廃棄されたがまだま残っている。
 一方、最近も書籍を積極的に、月に10数冊購入しているが、それらはほとんど書架には並ばない。購入した数日中には自炊して電子化してしまうからである。

 ならば、最初から電子出版された書籍を購入してはどうか、と思うが、私はまだ本そのものにこだわりがあって電子書籍を購入する気にはならない。
 しっかりした本の装丁、形を確認し、内容の一部を味わってから電子化する。それに、私は古い本も購入するから電子化されたものはまだ少ない。電子本は今までに10数冊しか購入していない。要するに私自身が電子書籍に十分の意義を認めていない、ということ。発想の転換はなかなか出来なものである。

 電子書籍市場は、COVID-19の感染拡大の影響で、外出を抑制する傾向が始まった2020年は、図書館にもなかなかいけず、在宅時間に読書の需要が高まった、という。その中でも、特に電子出版市場は活況で、前年比28.0%増の3.931億円と大幅に成長した。出版科学研究所発行の「出版月報2021年1月号」によると、電子書籍が伸びた最大の要因は、巣ごもり需要による新規利用者数の増加という。
 月報によると、2020年の電子出版市場で、書籍は14.9%増、コミックは31.9%増だった。緊急事態宣言に伴う図書館の休館や宅時間増加などで、2020年春に電子のストアの利用者が増加した。

 紙の版市場を大きくけん引した大ヒット漫画「鬼滅の刃」であるが、この作品は電子コミック市場も支えた。
 利用者数が増加したことに加え、利用者1人当たりの購入金額も増加した。やはり漫画の売りあげが伸びたことから、電子図書を支えているのは子供たちや若者なのだろう。特に、最近は学校でもタブレットを用いた授業が始まり、子供たちは抵抗感なくデジタル社会に溶け込んでいくことになる。ただ、それには問題もある。アナログ感覚も重要である。

 また、電子書籍の世界では、電子化を解禁する作家が相次いでいる。東野圭吾氏の作品が国内で初めて電子化されるなど、話題となった。

 時代は確実にデジタル時代に向けて動いている。
 私はそういった意味では純粋のデジタル派と言えない。終活デジタル派とでも呼ぼうか。


11/20(土)快晴 庭の落ち葉対応 鉢をガレージに
1:00起床。いつもの如く資料整理中心。読書。昼食微睡ご 13:30-16:00庭の掃除、鉢、ガレージに移動、ガレージ掃除、落ち葉掃除。16:30新聞チェック、読書。19:00夕食、21:30就寝。歩数計8570歩。昨年iPad mini2012自壊す、直ちにiPad mini4落札、2.7万円。

本を楽しむ2021(3) 電子化で失ったもの、失いうること
 iPad miniを用いての読書はとても便利である。
 ところが、どう考えても、本にかなわない部分がある。

 ■書籍が持つ装丁の威厳感、全体のヴォリューム感、質感、紙質感などほとんど失われる。新しい書籍を手にした時の幸せ感も電子化で失われる。
 ■書籍を持って感じる全体像のイメージ、安心感、満足感。
 ■パラパラとめくり内容について目星をつけたり、興味がありそうなところを探したりすること、
 ■書籍リーダーには電子的にしおりをつけたり、加筆したり、付箋をつけたり、それらを検索する便利な機能がついているのだが、これがどうも面倒。本ならば、ページを折ったりしおりや付箋を挟んだり、蛍光ペンで印をつけるのだが、書籍ほどには便利ではない。電子書籍を読みながら、メモ用紙を用意することも稀ではい。またはもう一台のiPadを側に置きそれに入力しながら読むという妙な事態も生じうる。

 結局、ツールは甚だしく進化しても、本に込められた情報を整理し、理解し、思考する自分の頭は、10数年程度の電子化の経験では進化してくれない様だ。頭で考える情報の主役はどうしても本や書籍なのだが、種々の事情のためにそう言っていられないのだ。
 
 本といっても、導入部から起承転結を追って読み進む小説のような「線的、時間的読書」はともかくとして、情報を吟味するために同じページ行ったり来たりする「面的、立体的の読書」となると、電子書籍は甚だしく使い勝手が悪い。

 たとえば、求める情報が、本の厚みのどのあたりのページに、どのあたりの面に位置しているか、といった空間的な記憶は情報の全体像を理解する上で大きく意味を持つようだ。理解や思考のための自分の脳内に形成された3次元的地図と書籍の特定の活字の位置が緩く、しかしかなり確信的に結びついている気がする。だから、積読とか、書架に並ぶ本の背表紙を眺めているだけでその本に何が書いてあるのかなど、朧げながらイメージが湧く。読書家の書家は本で溢れているが、同時に記憶の中も本で溢れているのだろう。書店や図書館の書架に並ぶ本とは存在の意味が全く異なる。
 とはいえ、無限大の空間と整理のための途方もない労力を必要とする紙媒体の資料の保管に代わるものとして、電子媒体は文明と、文化の継承に不可欠であることは間違いない。

 ただし、先進的と思われる電子化も楽観はできない。
 有史以来世界各地で起きた焚書坑儒は、中国秦の始皇帝が政治批判を抑えるために、一部の実用書を除くすべての書物を焼却するよう命じ、禁令を犯したとして数百人の学者を生き埋めにした故事から由来するが、このような事象は世界各地で行われてきた。
 その際、焚書なら1人の蒐集家が命がけで保存すれば、一部でも破壊を免れる可能性があるが、電子の世界では大量の書籍データが一瞬で跡形もなくなる事もあり得ないことではない。旧世代の人間としては甚だ心許ない。

 個人的には3重にデータのバックアップをとって別地域の医療機関に預けてある。狭い範囲の災害とかでは何とかなりそうであるが、もっとスケールの大きな不幸が襲ってきた時には個人的には対応できない。そんな悲劇が起こらないことを祈るばかりだが、電子データの国家レベルでの蓄積と安全確保はどの様な状態で行われているのだろうか。
 政治家にその様な発想はあるのだろうか??いや無いだろう。森友のデータ改竄問題然り、公文書の廃棄問題など然りで、見てて辛い。


11/19(金)終日天候不順 大曲中通病院 飯川病院ボランティア
1:00起床、この頃から降雨、新聞文献チェックPDF化、自炊数冊、徒然他。6:00可燃ゴミ提出。7:35Taxi秋田駅、9:15大曲中通病院外来。インフワクチン接種担当だった。秋田も降雨で徒歩不可。15:30飯川病院着、ボランティア、微睡。19:15帰宅、夕食。21:30就寝。青森在住の親戚より訃報届く。 歩数計Σ9406歩。

本を楽しむ2021(1) 今は、紙の書籍よりは電子化した文章を好む
 私は周辺に友人が少なかったこともあって幼少期から読書好きであった。
 床面積だけは十分あって収納力は十分なはずなのに、我が家は住宅の壁も、仕事部屋の壁も書棚で一杯になった。古い書籍はダンボール詰にしてガレージの2Fに引っ越ししていた。我が家はオーバーに言えば、地震とかがあった際には床が抜けるのではないかと危惧していたほどである。
 で、15年ほど前から終活を兼ねて保持している書籍を裁断してスキャナーで電子化し、原本は廃棄する作業を進めている。

 人生の黄昏期を迎え、次世代のために所持品を減らしておくべき年代でもあり、いずれはどこかで一気に処分しなければならないとは思うが、思い出が詰まっているとか、情緒的な理由で書籍は捨てるに捨てられない。レコードやCD、オーディオ機器は思い切って一気に廃棄したが、書籍に関してはそうクリアに割り切れない。

 ずいぶん専門誌も購入したが、最初に廃棄に回したのは学術書、専門書であった。書庫の分はやや古いものが多かったし、今日的情報は新たな購入書籍で得られる、と割り切った。

 読書は夢やイメージの発想の原点だ。が、そのイメージを追ってもう一度、書棚の前に立ち見渡すと、決して、体系立てた整理などしていないのに、それらしきイメージに近い本が見つかる。
 手に取れば、記憶にあるベージや記述のあった場所に何となく行き着く。読んだときには、格別感銘も受けず、なるほどと膝を打ったわけでもないのに、記億のどこかに仕舞われていたのだろう。あるいはその後の人生の過程で興味が生まれていたものもある。
 
 令和の時代、新たな知識はネットで、というのは一般的であろうが、それは大いなる誤解で、テレビや、新聞でさえそれほどの信憑性はない。私はそう思っている。
 情報がやや古びているとはいえ、私が頼るのはまずは書籍や単行本となる。それらは出版されるまでの過程で十分に吟味され、出版の意義が検討され、秩序立てられた内容で、記憶に残りやすく、理解しやすいという理由だろう。

 年老いた目に書籍や新聞の小さな活字は過酷だ、と一般的には言われる。
 私はもともと強度近視と老視なので裸眼の視力検査は0.01以下の判定である。遠近両用のメガネを作ったが、かえって不快で本はスムーズには読めない。10分も持たない。メガネなしの方が快適である。書籍でもパソコン画面でも約10cmの距離で読めばなんら不自由なく読める。パソコン画面なら細いドット模様までクリアに見えるほど見える。

 そうした視力の欠点を電子書籍リーダーが容易に解決してくれる。読書用端末は私はiPadを数機種用いている。その中では軽量のiPad miniを頻用している。書籍は重さが様々であり読むのに苦労することもあるが、iPad miniの重さは300g前後なので目からの距離を簡単には保持できるから不自由しない。採光の良くない場所でもバックライトがあるから快に読書ができ、持ち歩きに適し、そのメモリーの中に本棚ひとつ近くの書籍を収納できる。

 昔から座右の書という表現があるが、私はiPad miniを離すことはない。寝ている間も抱えている。


11/18(木)曇り時折小雨 古書店訪問 飯川病院
 1:00起床、文献処理、徒然。10:50バス、通町からブックオフドンキ店、10冊購入。12:58徒歩飯川病院へ。14:30-16:00インフワクチン担当、微睡、新聞入力ほか読書。19:30帰宅、夕食、21:00就寝。歩数計10100歩。

季節の話題2021(26)  私の近所にカモシカ出現
 カモシカ(ニホンカモシカ)はウシ科の動物で、本州・四国・九州の山岳地帯に生息している。成獣の体長は1〜1.5m程度で、体色は黒褐色や灰褐色が多く、12〜15cmの黒い角を2本もつ。カモシカは基本的に低山に分布する森林性の動物で、多種多様な植物(低木の葉、芽、小枝、花、実、ササ、草木)を食べる。

 かつてカモシカの毛皮や食肉を目的とした狩猟が行われていたが、数が激減したため、昭和30年(1955)に国の特別天然記念物に指定された。
 秋田でも時折近くの里山で見ることはあったが、つい先日私の住居の近くのゴミ廃棄所で遭遇した。

 カモシカはおとなしい性格で人を襲わない。必要以上に近づかず、もし現れても見守るのが良いとされている。帰巣本能もあるので、山に帰る道筋がわかれば立ち去ると思われる。幼獣は、一度保護してしまうと野生復帰が困難になるという。

 発情期は10月から12月とされている。単に迷い込んだのか、何かを求めてきたのかは不明。
 確かに見ているうちに去っていった。

(先日の個体)

(昨年数Km離れた小桜団地付近で遭遇した個体 角は一本だし、何となく似ている 両者は同じ個体と思われる)

 10年ほど前の話であるが、東京出張で早朝の秋田「こまち」で向かったが、出発してから15分ほどで緊急停車した。
 アナウンスによるとカモシカを跳ねたらしいとのこと。そのまま現地で30分ほど停車して、安全が確認されたので発車しますとアナウンスがあった。カモシカがどうなったかは説明はなかった。天然記念物だけに簡単には出発できなかったようだ。通常「こまち」は盛岡駅で東北新幹線「はやて」などと連結して東京に向かうが、この日は単独で東京に向かった。
 「こまち」は盛岡秋田間は最高時速120Km程度でノロノロ走るが、E6系「こまち」は、新幹線区間の最高速度320km/hで走る事ができる優れた車両という。この日も「こまち」+「はやて」の連結車両と何ら変わりなく快適に走行した。「こまち」+「はやて」が連結できない事例は少なくないと思うが、運転士の配置など、あらかじめセットされているのだろうか。


11/17(水)曇り晴れ温暖 柿取り2回目 県立美術館 飯川病院
1:00起床、新聞・文献読みとPDF化、他諸々。自炊数冊、ネコの世話、給餌、トイレ掃除など。9:30柿取り2回目、10:50バス途中下車、以降徒歩、旭川新橋から鯉に給餌、数匹。パン小片をを旺盛に食した。約1年ぶり。県立美術館、木村伊兵回顧展観る。12:30飯川病院。14:30-15:00インフワクチン担当、外来患者対応。19:00帰宅。19:30夕食、20:45就寝。歩数計8471歩。

季節の話題2021(25)  もう外が暗くなっている 早い秋の移ろい
 秋の日暮は早い、さっきまであんなに明るかったのにもう真っ暗。まさに、秋の日は釣瓶落とし。
 夏は一年のうちでもっとも昼の時間が長い。夏が終わり、秋に近づいてくると少しずつ日が短くなっていくが、思いがけずもう外が暗くなっていることに気づいて、晩秋の思いを深くする。

 なぜ秋の日暮れは早く感じるのだろう?
 秋田の年間の日没時間を調べてみると、もっとも日没時間が早いのは11月下旬〜12月上旬で、16時半頃には日が沈む。6月下旬〜7月上旬の日没時間が19時近く。実に2時間半も早い。これじゃ心の準備が間に合わない。

 もう一つ、「薄明」の現象についても理解しておきたい。薄明とは、上空の雲や大気が太陽光を散乱させ、日が沈んだ後も空がぼんやりと明るく見える現象。6月の場合、薄明の時間は1時間50分ほどで、ゆっくりと暗くなっていく。一方、9月、10月は6月に比べると30分近く薄明継続時間が短い。すなわち、日没が早いことに加えて、日が沈んでから暗くなるまでの時間が短いいため、夏に比べてあっという間に日が暮れるように感じるのも当然かもしれない。
 逆義語に、「春の日は暮れそうで暮れぬ」がある。
 秋とは反対に、冬から少しずつ日が長くなっていく春は、日暮れの移ろいがゆっくり感じられる。

 晩秋は紅葉の季節でもあるが緑に萌える時期と比較しても変化は早い。わずか10日間ほどで変容することもあり、これも関連する。

(通期途上にある紅葉、10日後の様子)


(我が家の柿、20日後の様子)

 早朝に霧が発生することもある。

(大曲の早朝の霧模様)

 日本の自然は、冬に向けて素晴らしく変化する。日本の四季は素晴らしい。


11/16 (火)快晴 中通総合病院内科外来 飯川病院ボランティア 
 1:15起床。新聞・文献読みと本読み、専門誌自炊他諸々。6:00可燃ゴミ出し。6:47バス飯川病院。8:45ー13:00中通病院外来。14:00-19:15飯川病院勤務。14:30-15:00インフワクチン担当、入院外来患者対応。19:30帰宅、夕食、21:00就寝。歩数計9175歩。

徒然ネコ談義2021(6) ネズミの害で医師の診断書が必要???生存権はどうなっているのだ!!!  
 閑話休題(2)、ネズミの害で医師の診断書が求められた話。ネコ談義と直接関係ないが・・・。

 私が外来で診ている初老の女性患者の話。
 この方は若くして配偶者と死別し、子供はおらず、病弱のために労務は不可。秋田市内の築30年以上と思われるボロアパートに住んでいる。生活保護受給者で家賃が支給額の半額近く、食費にも余裕がないギリギリの生活。したがって居住環境は最低レベルで、六畳一間+アルファ程度。前から室内にネズミが出ることはあったが、この二月ほど前から夜間にネズミが毎日現れ、布団にも上がってくるなどで、ゆっくり眠られない、という。食欲もない状況で明らかに羸痩が進んでいた。

 管理人に相談したがラチがあかず、市の福祉関連の担当部所に相談したところ、「ネズミが病状に関連しているかに関して医師の診断書をもらってくるように。引越し費用などは出ないが転居に力をかせるかもしれない・・・」とのことであった。

 2週間ほど前に患者からそのことを相談されたが、果たしてこんな事例に医師の診断書が必要なのか 私は疑問であったが、患者が困っている様子がありありなので、担当者から類似ケースに発行された診断書のサンプルをファッスしてもらうこととした。
 先週届いたが、それには「・・・、住宅環境、ネズミがこの患者の病状に悪影響を与えているか否かについて記述いただきたい」、とあった。

 私はあまりの馬鹿らしさに驚いたが、患者の窮状を見かねて「もともと中等度のうつ的状況にあったが、患者の心理状態は確実に悪化している・・・」という意見書を記載した。患者の話について私は裏をとっているわけではない。しかし、行政の担当者の反応、患者の疲弊した様子からそう大きな齟齬はないと感じた。
 この意見書がどの様に扱われるかはわからない。
 付帯事項として、私は以下に記載するニュアンスで抗議の意味での意見も記載した。

 行政がこの様な意見書を求めてくること自体おかしなことである。健康で最低限度の生活のレベルを逸脱している。私はそう思う。

 日本国憲法(昭和21年憲法)第25条には以下の記載がある。
 ■第1項 すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
 ■第2項 国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。

 要するに、国民には生存権があり、国家には生活保障の義務があることを憲法で明らかにしている。この患者の住宅環境が行政職から見て最低レベルの条件を満たしている、とでもいうのだろうか

 生活困窮に陥ったものに対しては、国家扶助によって最低限度の生活を保障するとともに、公衆衛生及び社会福祉の向上を図り、すべての国民が文化的社会の成員足る生活を営むことができるようにすることが定められている。
 我が国ではすでに生活保護法などによってホームレスの人々の居住が保障されているし、災害救助法等によって震災の被災者の緊急の居住は保障されている。したがって、問題はこれらの住居が劣悪である場合、行政がどの程度の判断力を持つかどうかかである。わが国では居住水準を定めた法律は存在せず、世田谷区等が条例レベルで定めているにすぎない。しかし、条例によるものは指導基準の効力しかない。

  生存権が外国人にも保証されるかについては議論があるが、最近起きた入管局に収監されていたスリランカ人の若い女性の死の様子を見ると殆どネグレクト状態であり、捨て置けない気がする。


11/15(月) 終日曇り 健康クリニックドック 飯川病院 
 0:30起床。文献・新聞等処理、蓄積データ処理。自炊3冊、徒然。6:30バス飯川病院、新聞チェック、9:00-11:00健康クリニックドック13名+結果判定14名分。11:10飯川病院。新聞、医学論文チェック。微睡。14:00-19:00勤務。14:30-15:00インフワクチン担当、入院患者対応若干。15:30-14:45旧長崎屋に歩行。古書籍8冊購入。データ整理、19:15帰宅、夕食。 21:15就寝。歩数計10118歩。一昨年上下ヒートテック着用開始。今年はまだ半袖。

徒然ネコ談義2021(5) ネズミの食害の凄まじさ 書:吉村昭「海の鼠」から学ぶ  
 飼い主と家畜たちの関係は、人間の生活と密着した「持ちつ持たれつ」の関係から始まった。

 イヌと異なりネコの場合、夜行性で、単独行動を好み、忍び寄りの狩りをする性格がある。その行動様式は、当初は人間の生活とまるで接点がなかった。ネコと人とを結びつけた媒介者はネズミだった。
 イエネコという家畜としてのはじまりについては、まだ決定的な学説はないが、今から約5.000年の古代エジプト人が、ネズミから備蓄食品を守るためにリビアヤマネコを飼いならしたのが始まりとされる。

 古代の人間が農業を行うようになって、頭を痛めたのはネズミの食害である。野ネズミが畑の作物を荒らしはじめ、豊かなエサがある状態では「ネズミ式に増える」という言葉があるように、ネズミは旺盛な繁殖力を持ち、エサを求めて人間の家屋の中にまで進出し、さらに、ベストなどの病気を流行させ、その後も人間の生活を長きにわたって脅かしてきた。 

 リビアヤマネコがあらゆるイエネコの祖先かどうかは断定できないが、この後、ネコはネズミ退治の使命を受けて、世界中に広まっていった。

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 ここで閑話休題(1)。
 ネズミの食害は何も古代エジプトの話だけではない。
 昭和の時代、四国宇和海の小島でネズミの大量発生があり、農作物や海産物等への被害、人的被害が生じた。1949年に始まり1963年頃まで続き、島民の生活はネズミによって破綻した。
 作家吉村昭氏の「海の鼠」はこの騒動を調査しドキュメンタリーとしてまとめた作品。
 本 吉村昭 「海の鼠」 新潮社 1973年  COVID-19対策と重なる地域社会の大混乱
 氏の筆は精密かつ生々しく、ネズミ嫌いの人は到底読み続けられないと思われるほどである。

  この小島は島民にとって厳しい生活環境であったが、ネズミにとっては天敵がおらず、温暖で環境が適し、いわしの煮干や甘藷、麦などの農作物、食料が潤沢にあることで、他の島から海を渡り、集団移転し定着したもの。7年後には120万匹に達したと思われた。最初は軽微な被害であったが、やがて畑のものも海からの物も、家の中の食糧もネズミに食い漁られるようになる。考えられる駆除対策は殆ど行ったが、どれも決定的は効果をあげなかった。大量のネコも導入されたが、ネコもあまりのネズミの多さに呆れたのか、本来の使命を忘れてネズミよりも海産物を漁るようになったという。

 人々はネズミの害と戦いながらもその島での暮らしを棄てることは出来なかったが、ついに畑作も漁も放棄し島を離れて生活の資を得る人が増えた。結果的に住民が生産する食料が尽き始めた島からネズミの大群はこの島に見切りをつけ「海を泳いで」別の島を目指し去って行った。

 人間の生産活動は、たとえそれが人間にとって不十分なものであってもネズミにとっては大きな恵みであったことが示されている。古代の人たちにとって鼠害の抑制が、ネコを家畜として受け入れることがどれだけ重要な課題であったかがわかる作品である。


11/14(日) 終日降雨 
1:30起床.新聞入力、自炊数冊。読書。微睡など思うがまま。正午NHK TVニュース、のど自慢楽しむ。晴れ間を縫って微睡後に歩行を兼ねて15:27バス、通町から徒歩で長崎屋に。最近の中で人手は最大、書籍7冊購入、バスで飯川病院、なんとか濡れないで済んだ。読書ほか、18:45帰宅、夕食、20:30就寝。歩数計Σ9319歩。

徒然ネコ談義2021(4) ネコはネズミを捕るという貴重な性質を介して人間と接点を持った 
 自然界の動物同士が互いに、深く助け合って生きる関係があるのか否か、私は無学にして知らない。

 人間と動物との関係に絞って考えれば、家畜やペットなどとしての関係がある。しかしながら、家畜、ペットとして身近にいる動物はそれほどの種類はいない。
 この地球上には4000種ほどの哺乳類がいるが、人間に飼い慣らされる動物はせいぜい10種類ほどでしかない。イヌ、ネコ、馬、牛、豚、羊、ロバ、ラクダくらいだろう。
 
 人間側では、多くの動物を捕獲しては飼い慣らそうと努力したであろうが殆どうまくいかなかった様である。
 その原因は動物側にあると思われる。
 動物側には単独の種で、厳しく生きる術が遺伝子レベルで備わっているのだろう。これが野獣の一般的な姿である。

 だとすれば、人間に適応する動物には共通する何かの性質があるはずである。
 ざっと上げれば以下の様な特質かな?これは馬の項目でも述べたことなのだが・・・
―――――――――――――――――――――――――――――――――-
 ■人間に関して興味を感じる余裕を持つ心がある、
 ■人間に好まれるソフトな性格である、
 ■飼い主に関心を持つ好奇心()がある、
 ■人間に対する凶暴性がない、
 ■人間に餌をねだる様な依存性がある、
 ■食べ物に融通性があり飼う側の人間にとってが餌を用意しやすいこと、
 ■縄張り意識が稀薄なこと、
 ■人間の要求に対応する知能と適応力を備えていること、
 ■飼い主が好む、甘えや訴えかける表情や仕草を持つこと、
 ■・・・・。
―――――――――――――――――――――――――――――――――-

 現在ペットとしての代表はイヌ、ネコであろうが、上手く飼い慣らされた個体は全て上記の性格を兼ね備えている。だから、好まれるべくして好まれている。

 共通の祖先を持つネコとイヌだが、人間の生活の中に入りこんだのはイヌの方が早かった。走って、追いかけて、狩りをするイヌの習性が、人間の生活を助けるようになりやすかった。飼い主とイヌたちは、密着した「持ちつ持たれつ」の間柄になった。とりわけイヌは、集団のリーダーに従う習性があったので、人間との関係を構築しやすく、訓練も受け入れ、役立ち方も多様だった。

 そこへゆくとネコの場合、夜行性で忍び寄りの単独の狩りをする。行動様式が人間の生活とまるで接点がなかった。
ネコはネズミを捕るという貴重な性質で人間と結びついた。古代の人間が農業を行い、穀物を貯蔵できるようになって頭を痛めたのはネズミの食害である。今から約5.000年前の古代エジプト人が、リビアヤマネコを買いならしたのがネコの家畜化のはじまりとされている。ただ定説ではない。


11/13(土)曇り晴れ午後から降雨 歯科治療 飯川病院日直 
1:45起床。新聞・文献PDF化。読書、画像。いつもと同じ。10:30-10:50歯の治療、短時間で済んだ。自宅で読書、微睡後12:00家内に同乗飯川病院。12:30-17:00午後日直。16:00新聞チェック。19:00帰宅、夕食、20:30就寝。歩数計Σ6293歩。

徒然ネコ談義2021(3) もし、こんな人が同居人だったら
 同居人が、もし、こんな人だったら私は到底耐えられないだろう。
■わがままである。
■気まぐれである。
■自分勝手である。
■人の気持ちを考えない。
■すぐ気が変わる。
■やたらにあくびをする。
■居眠りばかりしている。
■クッチャネ・クッチャネでちょっと手も借りたい時も役立たず。
■呼んでも気が向かなければ返事もしない。
■早朝から、私がやっていることにちょっかいを出し、仕事を全部消してしまうこともある。
■重い荷物を運んでいるとその上に乗っかってくる。
■新聞を読んでいると、わざと新聞の上にどっかと居座る。
■いくら言いきかせても聞く耳を持たない。
■・・・あげきれない!!!。この辺で。


 私は何も大きなことを成し得ない常識的人間であるが、自分で言うのも何であるが勤勉である。だから、こういう人と毎日一緒だったら、イライラするし、目障りだし、気分は害されるし、お付き合いしようなんて到底思わないだろう。
 しかしながら、私は「いいかげんにしろ!!!」などと言えないし、怒鳴りつけることもできない。気が小さいから出て行けと言えず、ひたすら耐えるだけ。耐え難くなれば私が出て行くかもしれない。

 ところが、これが人間でなくネコだったらどうなる。
 「そういうとこが全部かわいいんだよ、ねー!!!!!」と事情が一変する。「わがままなとこがいいんだよねー!!! 私の心を代弁しているからねー」、となり、「居眠りばかりしているところに癒されるんたよねー」ということになり、最終的には「撫でてやりたい、抱っこしてあげたい!!! おやつをあげたい・・・」ということになる。「ホントに、もう、わがままなんだから・・・!!!」などと言ことが、喜びの口癖になっている。全然困ってもいないのに「困った、困った。どうして君たちはこうなんだ!!!」と愚痴る日々である。

 ネコを研究している人は数多いが、こんなネコの心理を解明できた人はいまだに一人もいないし、ネコの心を入れ替えることに成功した人もいない。

 それでもいいのだ。わが家では一時ハスキー犬もいたが、その後はネコを飼いつづけてる。今は我が家にはネズミはいない。だからネコは直接何も仕事はない。直接役立ってはいない。

 我が家のネコどもの最大の仕事は元気でいることである。悪戯してもいい、喧嘩してもいい。猫たちの存在が私のイラつきを抑制し、結果として家内安全に寄与している、と思う。
 ここまで書けば、やはり私はネコ好きなのだ、と言わねばならないのか?? 完全に否定すればウソつきになる。それもイヤだ。


11/ 12(金)終日降雨 大曲中通病院外来 飯川病院ボランティア
 1:00起床.新聞、文献PDF化、読書。自炊数冊、5:30可燃ゴミ2袋、7:35Taxi駅に、8:11こまち、大曲中通病院外来。降雨のため大曲往復、秋田市内Taxi。15:30-19:00飯川病院ボランティア。19:00帰宅、夕食。21:00就寝。歩数計Σ6918歩。

徒然ネコ談義2021(2) 愛猫家の「擬人化」的態度は見ちゃおれん
 いうまでもなく、ネコを人間の赤ちゃんとか幼児と混同する人間はまず存在しないだろう。だが、ネコに接する実際の態度、つまりどのような行動で飼い主が被らに向かうか、と考えると多くの人たちは完全に「擬人化」、すなわち、人間でないと重々わかっているネコたちにあたかも人間と同様な心的活動があると想定または期待して扱う。ネコを呼ぶときに赤ちゃん言葉を用いる方もいる。ただ、私は愛猫家の方々との直接の交流はないからその実態はわからない。

 「擬人化、擬人主義」は、現在ではもっぱら動物に人間的な心の動きを求めようとする態度をさすが、これは、人間側の勝手な論理であって、ネコにはそんな心の動きはない、と私を含めて批判的に捉える意見も多い。

 実際には、多くのネコ好きは、事実上ネコをあたかも人間の様にあつかっている。

 それなら、ネコは人間をどう見ているのだろうか。
 ネコの立場は、明らかに人間を「擬ネコ化」して仲間だと考えている?? 著名な動物学者で都留文科大学名誉教授の今泉吉晴氏はそう考えているようだ。(ネコの探求:平凡社新書セレクション1997.7)。その記述によれば、ネコたちは人間をネコにみたて、ネコの方法をもって人間に接し、挨拶して、付き合ってくれている、という。
 それを示す事象としてネコたちは、人間の何げない動作に、時に強い反応を示すことがある。たとえば、ネコのツメとぎはネコ社会の中では、相手を威味するのに使われる、かなりつよい敵対的恣意的行動である。それゆえ、飼い主が玄関のマットで靴の泥を拭う行動は、ネコをひどくおびえさせる。また、飼い主を交尾に誘おうとする雌ネコの人間に向けた求愛行動も、ネコの行動の「擬ネコ主義」を象徴する、と言う。

 私は飼いネコからこの様な態度を受けた経験がないのでこの考えが正しいかはわからない。 
 その真偽は別にして、「擬人化」をとる人間と「擬ネコ化」をとるネコとの間に成立する関係、それが地球上に何百万、何千万組みのレベルで存在し、しかも「親密」といえる内容で保持されている現状は、動物学的に見るならば実に驚くべきことといわねばならない。
 第一に、動物の社会行動は同種のメンバーに向けて展開されるのが原則であり、またそのためにこそ進化してきたものだからである。 自然界では他種のメンバーに向けてその親密さを用いることは意味のないことであるし、また実際まずはありえないことである。
 第二に、「擬人化」も「擬ネコ化」も、人間とネコの関係を誤解を導く源となるからである。

 私たちは、ネコのある行為を見て、たとえば「楽しんでいる、喜んでいる」と判断する。だが、その判断の規準は「擬人化」的な一方的な見方であり、客観的に正しいものである保証はない。それゆえ、その判断に基づいて展開されるネコの気持ちの解釈は、人間側にとっては意味が大きいだろうが、基本的に間違っている、ネコはむしろ迷惑している、と私は思う。


11/11(木) 終日雨 午後飯川病院 インフルエンザワクチン施行
 1:00起床、新聞、文献PDF化など。11:50バス飯川病院着。14:00勤務。14:30-15:00インフワクチン担当、微睡。19:20帰宅、夕食、21:10就寝。歩数計Σ6210歩。昨年ハイビスカス剪定。

徒然ネコ談義2021(1) 私はネコ好きなんだろうか
 私はネコ好きなんだろうか?
 小学校から高校卒業までの13年間私は一匹の猫といつも一緒であった。その後しばらく、約30年近くは飼う事はなかったが1990年頃から今に至る30年間は再びネコを飼っている、というか共に暮らしている。
 簡単に言えば私の人生の約半分はネコと共に過ごしていることになる。

 私もそろそろ残り時間が少なくなってきているのでネコへの想いをまとめておきたい。

 ネコを愛する人間と愛されるネコの関係は、少なくとも、古代エジプトの昔から、広く普及してきたことらしい。
 文献の初期にはネコがいかに人間社会において必須の動物であったかが語られていた。ネコはかつては人間の生活に必須の動物といってよかった。穀類の保存、船や建物の保全、仏教経典などの文化資産の保存に重要な役割を果たしていた。
 しかし、時代の変遷と共に人間・ネコ関係は様相が変わった。ネコは本来の仕事の大部分を失ったが、愛玩動物として生き残った。

 最近はネコへの「愛」を綿々とつづる書籍や文献、新聞記事を、私共は、諸外国、そして日本の書籍から何十冊も今すぐにでも集めることができる。

 ネコへの「愛」をつづるのは街のネコ愛好家ばかりではない、作家、詩人、評論家、学者、俳優、音楽家と、自らの気持ちを表現する多くの文筆文壇人種がそこに登場する。
 それらの書物を一読するならば、ふだん辛辣な意見を吐く識者たちにしては、実にナイーブな「愛」の表現が連続する。今日、ネコ以外の対象物に対してこれほど素直な愛の表現を、私たちはそうざらには見ることができない。
 しかしながら、私はそれらを素直に読むことができない。気恥ずかしく、気持ち悪い、からである。

 なぜ人間は、ネコにそのようにメロメロに接することができるのか。その理由の一部について、私が感じている内容は、後にふれることができると思う。

 ネコは人間同様、名前をもって語りかけられ、人間同様に育てられる。家の出入の自由を許され、家族として、家庭のくつろぎの時間の大部分を人間の家族とともに共有する。彼らは人間家族の平等の一員として、遇されている。多くの場合、死後も人間の方法をもって埋葬される。

 当然のことながら、ネコを飼っている人たちにとっては特定のネコに意味があるのであって、ネコ一般に意味があるのではない。人間は特定のネコを家族関係の中にとり込むことができる。その「愛」は、家族愛の一形態にこよなく近いものにほかならないように思われる。

 私は本当にネコ好きなんだろうか?いまだに疑問を持ち続けている。


11/10 (水) 降雨 飯川病院
1:00起床、文献チェック。徒然他。データ整理など。自炊3冊、雨で座学。患者死亡関連の業務のために早めの来院求められたが10:50激しい降雨あり1便遅くして11:50バス飯川病院。14:00から勤務、14:30-15:00インフワクチン担当、微睡。ZOOMによる秋田市周辺地区医療構想会議傍聴する。19:15帰宅、夕食、20:30就寝。歩数計6068歩。

季節の話題2021(24) 秋は黄色、赤が素晴らしい 身近な紅葉など
 ついに秋たけなわ、となった。
 私にとっては秋は好きな季節ではない。大好きな夏から、除雪を要する厳しい冬の中間の季節だからである。それでも、深夜から起き出して早朝までの、誰にも邪魔されない貴重な時間、秋の夜長朝長の日々は楽しい。
 味覚の秋でもある。紅葉の季節でもある。

 冬を前に赤く変色しながら枯れて散る葉を「無常」と受け止めたのは平安の世。
 紅葉は晩秋の風物詩である。散る葉を惜しみ、人生の黄昏を歌った名歌も多い。京都を中心とした静かで優雅な雅の文化である。

 「奥山に紅葉ふみわけなく鹿の声聞くときぞ秋は悲しき(詠み人知らず)」

 一方、紅葉の風情を、積極的に、明るく楽しむスタイルを確立したのはやはり天下泰平の江戸時代だった。日本人の、普通の人が、自ら自然の移ろいを楽しもうとする、当時の人々のバイタリティー、審美眼に感服する。

 日本の文化は桜も紅葉も見るだけに止めない。秋の情景をえがく和菓子にも趣向を凝らした名品がある。季節の情景を思い浮かべてみれば一層美味に感じられる。

 奥深い山の紅葉はどこか神秘的で捨てがたい。秋の紅葉を意識して計画的に植林された京都の風情は格別美しい。しかし、何も有名な観光地を訪れる必要はない。自然は懐が深い。周辺にある木々にちょっと目を向ければ、自然の営みの一面を感じ取心にしみる。
 日本の自然は素晴らしい。

 最近は6:30amにバスで病院に向かう。徐々に明るくなっていくが、途中で見える山々の木々の紅葉が朝日に映え、刻々と様相を変えて実に美しい。ところが、この時間帯の乗客は私を除くとほぼ携帯のミニ画面に集中している。実にもったいない。週一回、大曲を往復するが、新幹線から見える山々も美しい、それに刈り取られた田圃の風情も良くマッチする。が、誰も見ていない。

 しかしながら、紅葉などの木々の評価は二分する。紅葉は美しいが、積み重なる落ち葉が嫌われる。歩行者が濡れた落ち葉で滑って転倒することもある。新幹線がスリップし遅れたこともある。

 私の家の庭にも楓や他の大きな落葉樹が数本あり、この季節になると週末には落葉の掃除に忙しい。でも、恨めしい気持ちを持って次々と葉っぱを散らす木々を見上げることはない。一年間ご苦労様、の気持ちで見上げる。

(我が家の紅葉 一部は盛りを過ぎた)

(飯川病院の窓から見える紅葉 通勤路にある紅葉)

 日本の自然は素晴らしい。


11/09(火)午前曇り午後降雨 外来 飯川病院ボランティア
昨年秋田初雪、1:05飯川病院起床。文献・新聞等処理、徒然。映像データ整理、自炊本読み。8:45-13:30中通外来。疲弊。14:30-15:00インフワクチン担当、微睡。新聞、自炊数冊準備。19:10帰宅、夕食、 20:45就寝。歩数計5904歩。

ラジオ2021(7) 浪曲、講談をたのしむ
 日本の話芸、演芸にもいろいろある。落語、漫談、漫才、コント、浪曲、講談、大神楽、手品、などなど。
 私は小中学生頃に、幸せなことに鉱石ラジオ、トランジスタラジオを与えられ、これらの演芸にもかなり親しんでいた。いま、隆盛を極めているのは落語と漫才なのだが、後者は全体に喧騒で、落ちつきなく、早口でついていけない。その点では浪曲、講談はじっくり聞かすだけにいい。

 浪曲や講談からはかなりの期間離れていたが、近年若手のスターが出たこともあって、聞ける機会も多くなった。この先、再度集中して聞いてみようと思っている。

 講談は話術を中心にした日本の伝統芸能。書物の文・語義を説き聞かせる。仏教の説教、神道講釈、古典講釈、ことに太平記読みなどを源流として成立した。講談は釈台という小机を前に置き、張扇や拍子木などを用いて演じる。江戸時代に発展し、明治時代に最盛期を迎えたが、近年は衰微した。

 浪曲は三味線に合わせてうたい語る演芸。江戸末期ごろ関西地方に始まったとみられ,江戸で浪花節と呼んだ。日露戦争後の国家主義的風潮とあいまって大衆芸能として発展,1900年から1950年ころまで民衆娯楽の最右翼となる。 
 浪曲は昭和の大流行を経て今日では低迷しているが、私は講談よりは浪曲が好きである。

 明治時代の芸人は、「遊芸人」の免許状がないと語れなかったから、講談師、浪曲師は時代を伝えるジャーナリストといっても良い存在でもあった。
 浪曲人気は絶大で、大正時代になってラジオ受信機が普及したのは「浪曲を聴きたい」人が多かったからで、貧しい庶民でも無理してまでも買っていた。
 昭和30年代に入ってTVが普及し、エンターテインメントの選択肢が増えてくると、講談は埋もれていった。浪曲にも若手のスターが育っているという。
 物語に聞き入って、この先はどうなるのか、と身を乗り手と、「ちょうど時間となりました~」と肩すかしを食わせるのもいい。

 当時の状況を知るのに昭和43(1968)年に出版された一龍斎貞鳳氏の著作のタイトルが「講談師ただいま24人」で、それほどまでに講釈師の数は減っていた。令和になって盛り返したとはいえ、それでも90人ほど。落語家は900人くらい。なんとか命脈を保ってきた講談だが、一時は絶滅が危惧されていた。その理由として、難解な言葉と時代背景の中で「講談は難しい」というイメージが広がっていったためとも言われる。最近は女性の入門者が増えている、という。

 昨年、真打ちに昇進した6代目神田伯山は講談師が一方的に語るのではなく、客との間に現代社会の話題も織り交ぜ「回路」を作ったとされる。彼の登場によって、講談へとアクセスするファンが飛躍的に増えた。
 氏は、「ラジオのリスナーや、テレビで僕を認識して、独演会に足を運んでくださる方も結構いらっしゃいます。ここ数年は、講談の存在を知っていただくことが最優先でした。初めて講談を聞いたお客さまのアンケートを読むと、笑いを求めていることが多いです。 僕のネタの中でも『万両婿』『飲講釈』といった軽い、笑いを中心とした話が喜ばれているようです。講談って難しいものだと思ってたけど、意外と楽しかった、また聞いてみたい、と思っていただくことが最初の段階。それから徐々に本格的な講談の魅力に触れていただけたらと思っています」と述べている。

 講談、浪曲等の優れた和芸が今後勢いを取り戻すことを切に願っている。


11/08(月)曇り時々降雨 健康クリニックドック 飯川病院+当直
 1:00起床。文献・新聞等処理。蓄積データ処理。徒然記載。6:40バス飯川病院、半袖ではやや寒い。9:00-11:30健康クリニックドック14名+結果判定14名。11:45飯川病院。新聞、医学論文チェック。微酔はど。14:00-18:45勤務。14:30-15:00インフワクチン担当、15:00外出、千秋公園の恋に給餌すれど喰いつかず。バスにて長崎屋、古書5冊購入、徒歩帰院、19:00当直業務に。18:00検食。 22:00就寝。歩数計1063歩。

バス通勤 乗客が車内で移動中は発車させないで欲しい
 私は日常から自分ではできる限り運転しないでように心がけ、数年来、できる限りバスで通勤してきた。昨年夏に運転免許を返納してからはほとんどバスを用いて通勤している。

 秋田市では65歳以上の高齢者は一回の乗車毎に100円で乗れる。高齢者にとっては嬉しいことであるが一律100円でなくてもいいのでは?と思う。

 他社のバスに乗る機会はないが、秋田中央交通では乗客の降車時には安全のために「ドアが開いてから席を立ってください・・・」と注意するアナウンスが必ず流れる。これはとてもいいことだ、と思う。最近のバスは後方の座席に向って車内に段差があるのが多い。だから乗客は注意して移動しなければ危ない。また、秋田などでは積雪期には靴底についた雪のために思いがけず滑ることもある。

 しかし、乗車時にまだ乗客が席に座る前に、あるいは混雑時などには立つ場所や手すりを掴んでいないうちに、姿勢が決まらないうちに「早々と発車させる運転手が多い」のはとても残念なことである。もちろん全ての方ではなく、じっと乗客が落ち着くまで待ってくれる方もいる。
 「乗客が席に着くまで発車させないでください」とアナウンスを流してはどうだろうか、とすら思う。

 先日は、後方の空席に向かった老夫婦が着席前にバスが動き始めたために、そのうちの一人が私の体の上にしなだれかかってきた。その方はその後、私も手伝ったのであるが、近くの席に座ることができ、事なきを得た。この間運転手は事態を把握していないようだった。これは実際危険な事である。

 バスの車内事故、旅客乗降時の事故は、急ブレーキの際などやむを得ない場合がありうるが、統計的に高齢の利用者、とりわけ70歳代の女性利用者に圧倒的に多くみられる(国土交通省自動車交通局自動車運送事業に係る交通事故要因分析検討会)。
 平成21年には乗り合いバスの中における転倒重傷事故は93件、そのうち65歳以上の方は82.8%を占めている。

 したがって、実効性のある予防対策が必要であるが、いろいろ理屈をこねる前に、一番簡単で重要なのは、乗客が乗降などで不安定な状態にある時に急発車や急停車をしない事である。それに尽きる。高齢者は足元が不安定な状態に実に弱いことを運転手は知るべきである。

 なお、この件はバス会社の意見欄に実名で投稿した。


11/7(日)快晴
1:30飯川病院起床、新聞、文献チェック。自炊化準備数冊。9:10-10:00徒歩で天徳寺ma迄、睡魔に負けて微睡。12:15NHKのど自慢後柿の収穫作業。ネコ部屋清掃。見ながら新聞切り抜き作成、電子化。録音データ整理など。自炊ほか新聞入力。19:00夕食、21:00就寝。歩数計5832歩。

ウワッ 脳梗塞の再発か?? 

 我が家の飼い猫であるプチは私の膝の上で過ごすのが好きで夜間早朝などに頻回に求めてくる。その際、私は作業をやめ、両足をテーブルに乗せプチを大腿部に乗せ、背中を叩いたりマッサージなどしながら30分ほどコミュニケーションを図る。その間、私はiPadで本を読んだり、少し微睡んだりもする。
 
 (プチ アップで)

 去る10月17日、am5:00頃プチを載せながら、少し微睡んだのであろう。プチも満足したのか膝から飛び降りた。am5:00過ぎといえば朝の出勤前の諸準備を始める時間でもある。廃棄するゴミをまとめたり、湯を沸かしたり、私の軽食の準備などである。

 その時、私は右下腿に特に痺れなどを感じておらず、通常のようにテーブルから足を下ろし、歩き始めようとしたが右膝から末端に力が全く入らず、動かず、そのまま右を下にして転倒した。
 それにより特に新たな外傷はなかったが、その際、第一に考えたことは数年前に生じた脳梗塞が再発したのではないかという危惧であった。

 しばらくそのまま横になっていたが、数分もたたないうちに右下腿に痺れが襲ってきて徐々に下腿が動く様になってきた。その間5分くらいであったが徐々に痺れも消失、下腿に力がもどって通常になった。

 この時間経過を感じながら、実際には脳梗塞などではなく、長時間テーブルの角によって膝裏の神経とか血管が圧迫されて起こった一過性のしびれで、時間と共に症状が改善、消失したと考えられた。プチの体重も些か関連したのであろう。

 その際、iPad miniを抱えたまま転倒した。起動したところ画面が縦に半分だけになっていた。再起動などを何度か試みたが改善しなかった。転倒時に衝撃を受け内部が断線でもしたのであろう。
 

 有難いことに、最近、秋田でもアップルの製品の修理が可能になった。「iPhone修理SHOPドン・キホーテ秋田店」である。早速翌日修理に持ち込んで3日後に修理終了して戻ってきた。費用は意外と高く25.000円であった。

 プチに責任はない。可愛いから、何があっても免責である。


11/6(土)快晴 歯科治療 飯川病院日当直 レセプトチェック
1:00起床、新聞チェック電子化、徒然他いつもの如し。PDFデータ整理。自炊5冊、11:00家内に送られ佐々木歯科医院、12:15新国道でバスに、12:30日直・当直に就く。患者は落ち着いている。12:00検食、15:00外来レセプトチェック。18:00検食、20:30就寝。歩数計Σ6929歩。微睡を交え読書三昧で過ごす。

季節の話題2021(23) 家庭菜園・園芸(12) 秋の味覚(3) 柿(2) 巧妙な自己防衛
 私が育った盛岡郊外の家には大きな柿の木があり、落葉樹が葉を落としつつある晩秋に、赤い数百個の柿の実が見事な美しさを醸し出した。

 柿は我が家にとっても、貴重な果物でもあった。私は大好きである。
 子供の頃から大人たちに混じり摘み取り作業を手伝った。柿の木は脆い。突然折れることがあり、柿の木から落ちると死ぬ、言われ、枝に直接体重をかけることは絶対にしてはならないときつく教えられた。

 なぜ柿の枝が脆いのか??
 柿の枝が身をつけたままドサッと落ちてくることもある。私は柿の木の自己防衛ではないか、と思う。柿の木には木材特有のしなりで耐える力は乏しい。驚くほど素直にポキンと折れる。成熟した実の重さに耐えきれなくなった時に、自身を折って落下させて自らを守るのだろうと思う。これは私の経験からの勘である。

 摘果作業は、長い杉の丸太数本を組み合わせてそれに梯子をかけて登った。だから効率が悪く、作業には数日もかかった。それでも全部取るのは無理で、半分程度は取り残した。鳥たちが訪れ、柔らかくなった実を選び、丁寧に食べていく。熟れて柔らかくなった実が多数雪の上にも落ちた。凍りついた実はかじかんだ手のひらで溶かして食べたが、とても美味しかった。

 なぜ柿の若い実は渋いのか??
 ここには枝の脆さとともに巧妙な自己防衛、子孫を残そうとする姿を見ることができる。
 柿の渋みのもとはタンニンで、果肉や果汁の中に溶け込んでいる。そのおかげで、未成熟の渋いカキの実は、虫や鳥などに食べられることはない。
 しかし、実の中のタネが十分できあがってくると、カキの実は、徐々に渋みが消えて甘くなる。鳥たちによって食べられ、タネが広範囲に散布され、若い芽が生える機会を増やす。

 果肉や果汁に含まれるタンニンは、「不溶性タンニン」に変化する性質がある。不溶性になれば口の中でタンニンが溶け出してこないので、味蕾を刺激しないから渋みを感じることはなくなる。タンニンを不溶性にする物質が、「アセトアルデヒド」である。渋柿の中で、タネができあがるにつれて、アセトアルデヒドがつくられタンニンと反応して、タンニンを不溶性に変え甘い柿にする。

 柿も巧妙であるが、人間はさらに上をいった。柿の実の呼吸を止めることで、アセトアルデヒドができる過程を促進させる。
 渋柿を湯に漬ける。湯につけるのは、温度が少し高いとアセトアルデヒドができやすくなるから。
 柿を干すと甘くなるのは、水分を失った外表面が硬くなって柿の内部の呼吸を妨げるからである。
 
 (軒下に吊るされた柿 一部)
 柿をアルコールや焼酎とともにビニール袋に入れて密閉するのも一方法。また、ドライアイスを入れて密閉するのもいい。
 余談であるが、重症急性アルコール中毒では人間の呼吸も止まる。柿と同じ。

 真っ赤に熟れた柿の風景は田舎の秋の風物詩である。
 ちなみに、10月26日は全国果樹研究連合会が「柿の日」と決めている。

 先週あたりから私は柿を細い枝ごと切り取って摘果している。
 
 全部は取りきれない。半分以上は鳥たちのために残す。カラスが来れば多少がっかりするが、彼らも必死で生きている。食べてくれればそれなりに嬉しい。


11/5(金)早朝降雨のち曇り 大曲中通病院外来 飯川病院ボランティア
1:10起床、データ整理。新聞処理。5:30可燃ゴミ提出。7:35Taxi駅、こまち。徒歩病院へ。9:10大曲中通病院外来。復路Taxi。15:30徒歩飯川病院着、19:00ボランティア。19:15帰宅、夕食。21:00就寝。 歩数計Σ8555歩。昨日4日朝、行方不明になった女児が発見されたとのニュースが一回だけ流れた。その後全くなし。誤報だったのか?

季節の話題2021(22) 家庭菜園・園芸(11) 秋の味覚(2) 柿(1)

 この季節は紅葉と実りの時期でもある。

 秋の果物は数々あれど、柿は秋を代表する果物の一つと思う。本当はりんご、なし、みかん・・・と、もっと列挙したいのであるが、到底挙げきれない。柿を代表的として挙げるのは単に果物として存在するだけでなく、私どもの生活の中にとても有用だからである。
 
 (たわわに実った我が家の柿 小枝ごとに切って収穫するが1本の小枝に10kgほどの身がついている場合がある)

 柿は奈良時代に中国から渡来したという説が有力。それ以来、柿は日本人の日常生活と深い関わりを持ってきた。家の周りには柿の木か必ず植えられていた。それだけ食料としても重要な樹木であった。柿は他の木の実と比べてはサイズ的にも遜色なく、しかも大量に実った。
 柿は食料として、家具材として、実、ヘタ、葉は薬として用いられてきた。今でも頑固なしゃっくりを止めるのに柿のヘタを煎じて飲ませる方法は民間療法の中で生きている。

 柿の渋は防水剤、防腐剤になる。和紙に柿渋を塗って防水紙とした。水回りに用いられる木製品には柿渋を塗りつけた。
 正月の儀礼に欠かせない鏡餅に添えられるのは、今はみかんが主であるが、従来は串柿であった。

 渋柿の渋味は果肉細胞に含まれる可溶性タンニンが舌の上で溶けだすため。渋抜きは、可溶性タンニンを不溶性タンニンにすれば良い。
 渋抜きにもさまざまな方法が見られる。渋抜きは、干してもいいが、焼酎などの高濃度のアルコール飲料などを使ってやるやり方が一般的。固形エチルアルコールを使用した棒状の渋抜き剤も市販されている。我が家では焼酎を用い、ビニール袋に密閉して1週間待つ。
 ドライアイスで二酸化炭素責めにする方法もある。

 柿は日本の文化では「甘さの源として重要で、甘さの原点」であった。砂糖がなかった時代の甘味は柿でつけられた。今でも秋野菜を漬ける際に柿の実を入れる地方がある。
 陶磁器に鮮やかな柿の色を再現したのは「柿右衛門」、それくらい柿は日本人に親しまれていた。

 昔は農家には必ず柿の木は見かけた。葉が落ちた柿の木はにたわわに残った赤みがかった柿はカラスも食べきれないくらいで秋の田舎の風物詩でもあった。

 どんな柿でも干し柿にすれば十分に美味しく食べられるし保存が効く。昔は何処の農家も作っていた。だから柿の大木が農村の何処にでもあったのだ。それが、最近柿の木が減っている様に思われる。我が家の近くの柿の木も数本伐採され寂しくなった。

 柿の木を見る度に私はもったいないと思う。あまり真剣に摘果されていない。菓子を楽しむのもいいが、もっと自然の恵みを味わって見てはいかがか。干し柿は日本人が生み出した最高の「ドライフルーツ」である。


11/4(木)午前小雨のち晴れ 飯川病院午後勤務 
1:00起床、文献・新聞チェックなど。新聞・文献入力、自炊数冊。読書など。10:50バス飯川病院着、通町から長崎屋に歩く予定なるも雨で不可。微睡、14:00勤務、15:00外出ドンキ書店5冊購入往復歩行。19:10帰宅、夕食、21:45就寝。歩数計Σ9893歩。

季節の話題2021(21) 家庭菜園・園芸(10) 秋の味覚(1) 栗・里芋
 日々かなり寒さを感じる様になった。まさに、つるべ落としの間である。早朝などは暖房器の熱が欲しくなる。

 この季節は紅葉と実りの時期でもある。

 (1)栗
 ここ数週間、庭の栗の木から時折栗が落ちてきた。かつては大量に得られたが、昨年春に庭師に依頼し、大幅に枝を切り落としたことが仇になったのだろう。今年は実が少なくなった。
 枝切りの目的は栗の木の周辺に植えるダリアの日照を確保するためであった。ちょっと切りすぎで樹勢に影響したのかもしれない。気の毒なことした、と反省した。
 あるいは今年の一定しない天候の推移、寒かったり超暑かったりが、影響したのかもしれない。

 毎年は4-5回は栗ご飯を炊くのであるが、今年は2回しか楽しめなかった。
 自分のところで取れた食材は格別美味しい。
<img src="https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4f/69/af4a5133504d3a676a13d64ff5325d0f.jpg" border="0">
(栗剥きは意外と大変である。今年は小さいのがあっておばさんが苦労していた)

 (2)里芋
 今年は定番の、キウリ、ナス、トマト、枝豆、ネギを植え終わっても畑の一部に空きが生じた。勿体ないので6月になってから6株ほど里芋を植えた。DIY店でカップに入った苗を入手した。初体験だから判断しがたかったが、里芋の成長は他に比べてゆっくりしていて初収穫はつい10日ほど前である。
 「夕食のおでんに使うので一株掘り出して見て。当日堀の芋はかなり美味しいはず・・」というので、当日の朝はかなりの降雨であったが掘り出し、洗浄して台所に置いた。
 芋は、私が思っていたよりは立派な出来で自ら感心した。
<img src="https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/42/51/1c817a2268784ad463aed97feec470fe.jpg" border="0">
(土の中でこんなに綺麗に成長するなんて!! 周辺の土、泥を洗い落として改めてと思った。繊細な根が綺麗)

 夕食のおでんの芋は、やはり美味であった。
 自分のところで取れた食材は特別美味しい。

 芋栽培は全くの初体験で、散水し周辺の雑草を刈り取った以外は特別なにも世話をしていなかった。追肥もしていない。今になって成書を読むと「茎の成長に合わせて茎の周辺に何回か土盛をすべし・・」とあった。多分そうすべきだったろう。成長とともに種芋が浮き出てきていた。おそらく土の中の小芋が行き場がなくて種芋を上に押し上げたのだろう。だから周りに盛り土、ということか。納得した。


11/3(水)文化の日 晴れ時に小雨 柿とり iMac27修理に 
0:30起床。新聞・文献、録音データ編集他。徒然など。書斎のMac mini居間に移設。しばらくこれで行くか。微睡、新聞データ化。9:30柿とり、15:00iMac27カメラのキタムラに修理に。秋田でMacが修理に出せる様になったのは嬉しい。16:00飯川病院、新聞チェックほか。19:00プリ同乗帰宅、夕食、21:00就寝。歩数計Σ7691歩。

当HP「これからの医療の在り方徒然日記」21年目のスタートを迎えた(3) 
 ■ 人生100年時代というが、私はもう時間が乏しくなってきている、と実感する。
 よしんば、もし生きながらえたとしても、身体機能、知的機能は劣化していく。現実的に、視力障害が著しく昨年運転免許証は返上した。図書館の書架の本のタイトルが見え難い。ぼんやりした視野で生きているが、これがむしろ快適なのだ。

 ■ 「可能性が一番豊かなのは今日なのだ」、と考え、生活の時間配分、終活作業にも力を注いでいる。

 ■ 終活として、CDを全て廃棄した。今は書籍の電子化、すなわち自炊に集中している。同時に読書欲にも火がついた。
 最近は読書のための時間確保に四苦八苦している。自炊データはiPad3台を駆使して読む。じっくり読み返すのもあるが、虫食い的に拾い読みしているのもある。

 今だに書籍を購入し続けている。それらはすぐ裁断、電子化する。この作業が終了したらまた購入である。
 最近の青春小説は面白い。ジェンダー関連の感覚を得るために女流作家の書く評論、随想も読んでいるが、これも面白い。

 ■ 不要なった家財道具を細く解体して燃えるゴミとして廃棄している。作業は楽しい。

 ■ 私は外来診療を除くと100%引きこもっている。別に鬱ではないが、人と会うのが面倒になった。会話すると不快な後味が必ず残るから嫌。若い頃からそうだったがずっと耐えてきた。
 私は、生者より死者が好き。改めて親しみを感じる友()となる。最近、恩師をはじめ知人がずいぶん亡くなった。

 ■ 私の文章は、私の文章とは言えない。
 私はペンを握れば僅か数行のハガキでも悪戦苦闘する。だから、普段はパソコンで文章を作る。それでも呻吟する。
 かつては辞書を引くのが好きだった。今は自動的に漢字変換されるからそれに任してしまう。便利すぎ、なんか気持ちが悪い。電気とパソコンと、他人の技術を利用して文章を作っている。
 とても自分の文章とは言えない。この点はやむを得ないが、残念だと思う。
 
 ■ 私のブログは自身の日記的なもので、子供たちへの生存報告が大きい。
 他の効用のひとつは、淡々とした生活の中にちょっとまとめてみようか、と思う話題が見つかること。言い換えれば、淡々・漫然とした暮らしの中でお宝探しをしているようなもの。
 また、一つの話題を調べる過程でたくさんの枝葉が出て、そこから新たな果実がうまれてくる。それもまた楽しい。

 ■ ただし、そのことが私を圧迫し、確実にストレスの因にもなっている。誰にも影響しないから止めりゃいいじゃないか? でもやめられない。自身に意固地になっている。それが自分であり、悩みなのだ。


11/2(火)夜半降雨快晴 中通病院外来 飯川病院ボランティア
 1:00起床。文献、新聞・徒然など。iMac27(2017)突然?まーく出現、機能障害に。全く起動しない。重大故障か。MacBook Airで代行。6:00家庭ゴミ2袋提出。6:40バス病院。8:45-13:15飯川病院外来。検食、微睡、以降はいつもと同じ。Macサポートとチャットで相談、修理に。明日カメラのキタムラに持ち込む。19:30帰宅、夕食、20:30就寝。歩数計9080歩。

当HP「これからの医療の在り方徒然日記」21年目のスタートを迎えた(2) 
 21年目のスタート日の雑感その2。若干(1)と重複するが・・・。

 なぜロクに読まれもしない駄文を綴り続けている?何のため??あくまでも自分のための作業。
 それにはやめられない自分だけの厳しい背景がある。

 ■継続は力なりーー私はこの言葉が好きで、継続している第一の理由がこれなのだが、いじけた性格の反動でもある。だから、自分さえ納得すればいつでも止められるのだが、自分に恥ずかしくて安易に止められない。

 ■記録に頼らねば記憶が保持できない
 私の記憶装置が劣化して記憶の蓄積や保持が困難になった。記録がないと全て忘れる。忘れてしまえば、自分は無為に生きたことに等しい。このHPは、徒然日記は、私が生きて来た証しになっている。

 ■忘却防止のため
 思うだけ、考えるだけでは考えはすぐ霧散する。だから気になったことはメモを作り、その中の一部を文章化しておく。文章化することで固定される。言ってみれば、点を線に変え、さらに面に変える行為である。それらはハードディスクに電子データとして蓄積している。そのための作業が連日続けている。
 その代わり頭は空っぽ。

 ■生活記録、小文は自史資料としても貴重
 私は日々の記録を蓄積するのが好き。文章、画像、音楽など、読後の感想など。覚えきれないから最近はほぼ全てを電子的に蓄積している。これがとても有用。
 新聞スクラップに関しては2008年から1日もかかさず作業しているから20万枚ほどあるが、検索ですぐ出てくる。
 何か調べたいことがあると、まず自分のデータに検索をかける。

 ■自分だけの、毎日の小さな積み重ねを楽しんでいる
 今は嘱託医として細々と外来診療を続けている。読書などに使える時間が増えた。読書量も増えた。1冊読了すれば芋蔓式に読みたい書籍が増えていく。読後感想文蓄積も増えた。購入した図書はすぐに自炊するから書棚には並ばない。電子書棚に並ぶ。

 ■孫を含む家族達の動向、飼いネコたちとの日々を楽しみ、畑作や園芸を通じて自然現象の移ろいを味わう。

 ■興味の対象は歴史、文化、政治・経済・・、と今でもまだ広がっていく。先人達の足跡は偉大である。それらを新聞、文献、書籍を介して味わう日々は最高。

 ■自分の弱気、体力低下に抗する毎日
 私は人と競争・抗争は好まない。対話も好まない。だから、他人と会話することもない。引きこもり状態である。
 対話の相手はもっぱら7匹のネコども。
 私の競争・対話の相手は私自身。抗する対象は私自身の弱気。

 最近はなんでも安易な方向に流れそうになる。それに抗するのが大変になってきた。もちろん、背景には老化による身体上の問題点、例えば下肢の衰え、バランス感覚の減弱によるふらつきなども意識する。

 このHPの更新はいつまで出来るか分からないが、私の気力、体力の総合的バロメーターである。
 昔お世話になった方々、私に少し興味のある方にも私の訃報などは届かないと思うが、このHPで生存だけは確認できます。


11/1(月)快晴 健康クリニックドック 飯川病院 
 1:00起床。昨日投票の結果の大部分が判明。自民党の重鎮らが苦杯を舐めている。若返りのためにいいが比例区で当選しているから意味ない。文献・新聞等処理。自炊3冊。6;40バスにて飯川病院、9:00-11:00健康クリニックドック13名。判定14名。11:20飯川病院。新聞、医学論文チェック。微酔。入院患者対応、散水ほか。15:30-16;45散歩Book-Offドンキ店8冊購入、5冊売却、復路はバス。19:15帰宅、夕食。21:00就寝。歩数計Σ10224歩。

当HP「これからの医療の在り方 徒然日記」21年目のスタートを迎えた(1) 
 当ホームページ「これからの医療の在り方――徒然日記」は、2001年11月1日に開設したので本日満20年を迎えた。
 本日は21年目のスタート日となる。ちょっとした記念日に当たる。

 抜粋版「雑記帳Blog」は満17年目、「インスタグラム」は4.5年程である。

 21年目の雑感。
 変化に乏しい日々の積み重ね。毎年似たような感想になるのはやむを得ない。

(1)なぜロクに読まれもしない駄文を綴り続けているか? 何のため??
 「継続は力」、この言葉が好きだから。この1年間、何とか連日更新できた。その達成を一人で喜んでいる。私は自己満足を大事にする。他人の評価にはそれほど興味ない。

 駄文は自分のために続けている。記憶力が乏しくなったから備忘録としても役立つ。

(2)私は意を決して始めた事はなかな止めない。
 習慣的に続けている項目を挙げれば、以下の如く。
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 ■ 生活記録は50年以上、うち18年間分がこの徒然として記述している。
 ■ 1:00amに起き出す。早寝早起きと言っていいか分からないが約30年超。
 ■ 新聞・文献スクラップ蓄積は20年超。
 ■ ラジオ深夜便連日3時間録音蓄積は12年超。そのうち6割方聴いている。
 ■ 岩手へ復興資金寄付は10年。金額は収入減とともに少額になりつつあるが・・・。
 ■ CDから音楽番組録画に移行し、その視聴9年。
 ■ 終活、特に書籍の電子化と廃棄は10年。今年から家財道具の整理に集中している。
 ■ 自身の過去を反省し、準引きこもり状態は10年。
 ■ 徒歩通勤は健康上の支障でやめた。昨年1月伊能忠敬の足跡を追ったゲーム上で日本一周を達成した。現在2週目で北海道通過中。
 本日で、集計開始後3135日、歩数Σ2.896万歩、距離Σ23.165Km。一日平均9800歩。
 ■・・・などなど。
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 他人に影響を与えないよう心がけて自分一人だけの世界を楽しみ、自己満足にどっぷり浸っている。

 最近「雑記帳Blog」の連日更新はちょっと辛くなってきている。
 加齢による意欲減退、何をするにも時間がかかるようになった。歩行速度も遅くなった。園芸・畑作業にかなり時間を要することもその原因。ちょっと何かに集中していると直ぐに時間がなくなる。

 終活を兼ねた書籍や文献の自炊作業が読書欲に火をつけた。フリーの時間はほとんど読書に充てている。
 自分に負荷している習慣、やるべき仕事をこなすのに1日24時間では足りない。でも、そんな考えはやめた。全体をミニ化し、簡素化し、休息を大事にしていく。

(3)「これからの医療の在り方」のタイトルが重荷に・・・
 最近、医学関係分野の勉強時間は少なくなった。もちろん最小限は維持しているが。


10/31(日) 曇り小雨終日 衆議院選挙投開票
1:00起床、新聞・文献チェック,他。画像整理多数。テーブル作成一応終了、石油タンク移動後の場所整理。昼食軽く取り、12:40歩行に。15:30新聞チェック、微睡。18:00、18:00衆議院投票に、19:00夕食、20:30就寝。歩数計Σ7474歩。

衆院選2021(13) 選挙で審判が出た 小選挙区と比例の同一人の立候補は卑怯
 約4年ぶりの衆院選で国民は、と括っていいか分からないが、結果的に自公の連立政権継続を選択したことになる。
 
 岸田首相は公約を打ち出しただけで実績はない。だから、今回の結果は9年近く続いた安倍、菅両政権、特に安倍政権への審判と言えるだろう。そんな中、自民は苦戦を制して与党による衆院の議席過半数を維持した。

 自民への風向きの厳しさは、秋田県でも明らかになった。秋田県では野党連合によって小選挙3区はいずれも自民候補と野党候補の一騎打ちとなった。2区では立憲の候補が自民元法相を破った。

 野党は共闘により全国で候補者一本化を推進。今回構築した共闘を国会でも堅持し、岸田政権と対峙する、と言う。来年は参院選がある。

 昨年以降のCOVID-19感染拡大では政府の対応が病床逼迫を招き、自宅療養中に亡くなる事例などが発生。政治が国民生活の生活、いのちに直結していることが実感された。
 それだけではない。自民の苦戦は、「官邸主導の強権政治」、「政治とカネ」の問題などによる政治不信の表れともみられる。

 その一つが自民の甘利幹事長の小選挙区の落選に表れている。

 安倍政権下で経済再生担当相だった甘利氏は2016年、建設会社側からの現金授受を巡る問題で辞任、暫く蟄居していたが岸田総裁の下で表舞台、党幹事長に就任すると問題が再燃した。当然である。私は今回の党人事に呆れた。国民をバカにしてはならない。これまで自身が十分説明責任を果たしたとは言い難いし、就任直後にNHK午前に放送された日曜討論では私は不遜な、若手を見下すような態度を感じ取った。

 岸田首相の発言が総裁選出馬表明以降、大きく後退した。「政治とカネ」に向き合おうとしない。甘利氏の件、河井案里氏に党が投入した1.5億円についても説明を避け続けている。森友学園問題を巡る公文書改ざん、菅政権下での日本学術会議任命拒否問題などにも後ろ向きなまま。

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 ところで、ベテラン議員のかなりが小選挙区で落選、比例当選となった。私は世代交代のために喜んだが、最終結果を見てがっかりした。甘利氏も同様であるが、秋田選挙区では元法相と当選5回の前議員が小選挙区で落選し比例区で返り咲いた。

 私は小選挙区制は若手や新人にとっては厳しい制度と思っている。小選挙区、比例の双方に立候補出来る制度はやめるべき、と考える。
 議員にとっての制度で国民のための制度ではない。


10/30(土)晴れ 歯科治療 国際ダリア園  
 1:00起床、何時もと同じ。データ整理、読書中心。9:00佐々木歯科医院、帰路は徒歩にて、疲れた。午前は居間のストーブ準備、初点火。微睡後午後にかけてストーブ脇のテーブル改修強化。15:30国際ダリア園に。茎の太さに驚く。土壌か肥料か。横田屋に寄り帰宅、18:00夕食。20:20就寝。歩数計Σ11466歩。

衆院選2021(12) 財源語らず財政出動を競う無責任選挙(3) 財政再建は可能か
 主要国で最悪の日本の財政は、COVID-19禍で急速に悪化した。国の国債借金残高は1200兆円超。国内総生産の2.3倍にのぼり、国民一人当たり1.000万円。
 にもかかわらず、毎回のことであるが今回の衆議院選挙も財源確保の論議を棚上げし、バラマキ中心の、耳あたりの良い言葉を羅列して対策の規模を競い合っている。票集めだろうが、あまりにも無責任だといわざるを得ない。そうか、政治家は元々二枚舌だから許されるか?

 岸田首相は「新しい資本主義」というおかしな言葉で目新しさを強調し、給付と循環を軌道に乗せればわが国の経済状況を回復機転に変えられる、と言っている。
 しかし、これは机上の空論である。

 資本主義の基本は、私の考えを簡単に言えば、先進国は強い商品の開発とそれらの貿易によって相手国からの利潤獲得と、途上国等からの搾取によって資金獲得し、それらの一部を国内で分配して豊かな社会を作ることによる。

 その設定条件として私は以下の項目を挙げたい。
 ■国内に活力ある産業がある
 ■国民の上昇志向と労働意欲がある
 ■先進的発想、アイデアが豊かで、産業は国際的に注目され、利潤を生んでいる
 ■資本主義は貿易が基本で、貿易国間に文化、労働環境、労働力、経済力等に格差があること
 ■先進国は社会の熟成とともに労働力が高騰し、産業は衰退の一途をたどる
 ■途上国の安価な労働力は先進国では得られない大きな商品価値になる
 ■格差のある貿易を通じ、両国間にウインウインのほぼ満足できる関係があるが、相手国の経済発展の結果いずれメリットは縮小する
 ■肥大化した企業や富裕層の資金は、循環することなく、中間層や低所得者層の経済状況を活性化させない
 ■・・・・
 
 岸田首相のいう言葉だけの「新しい資本主義」は、我が国は上記の項目のどこに切り込んでいけるのか?一項目も無いんじゃないか?私には全く見えない。
 資本主義の必須条件として、貿易が必要で、さらに国内の産業や消費の活性化が必須であるが、これだけで借金返済の資金獲得はあり得ない。

 上記の発想は私のチャチな知識を背景にしているから誤っているかもしれない。誤っていればいいな、と思う。

 ところで、
 ■COVID-19ワクチンの開発は製薬会社にとってはリスクが大き過ぎ、国家の支援がなければ不可能であったが国は支援しなかった。すっかり遅れをとった。
 ■再生可能エネルギーへのシフトは全世界的に必要で、かつ将来的にも続くから重要な産業になるが、太陽電池、風力発電のシステムに国産の製品が殆どないのはなぜか??
 ■EV化についても同様、その中で重要な電池産業から日本の企業は撤退しつつあるが、これでいいのか?

 ■日本の経済人は資金を流動させないで「座して死を待つ」つもりなのか?
 ■日本の政治家は増大する借金に対してなんと考える??私は考えない。私にはその資格も知識もない。政治家はそれを考えなければならない選ばれた人たちである。
 ■経済は水ものである。日本はまだ信用があるから何とかなっているが、大きなリスクであることは否定できない。


10/29(金)早朝降雨以後曇り  大曲中通病院外来 飯川病院ボランティア
1:00飯川病院起床。文献、新聞チェック、画像データ確認、徒然。可燃ゴミ出せず残念。7:45徒歩駅に。8:11こまち大曲、9:10外来、比較的暇。往路徒歩。秋田徒歩、書店により飯川病院、ボランティア。19:30帰宅、夕食、21:30就寝。 歩数計9561歩。

衆院選2021(11) 財源語らず財政出動を競う無責任選挙(2) バラマキと財政再建
 主要国で最悪とされてきた日本の財政は、COVID-19禍で急速に悪化した。3月末の国の借金残高は1200兆円超。国内総生産の2.3倍にのぼり、戦時中の比率をも上回る。国民一人当たり1.000万円に当たる。

 にもかかわらず、毎回のことであるが今回の衆議院選挙も財源確保の論議を棚上げし、バラマキ中心の耳あたりの良い言葉を羅列して対策の規模を競い合っている。あまりにも無責任だといわざるを得ない。


 COVID-19禍で苦渋を舐めた国民へ経済的な手当ては必要だろう。ただし、一律支援ではダメだ、と思う。さらに同時に、各党には収束後を見据えた財政再建の道筋を示すことも求められる。その議論は置き去りにされたまま。

 ■自民党は公約に、介護職員や保育士らの処遇改善、脱炭素社会への投資などを盛り込む。経済成長による税収増を当て込むが、人口減少が進む日本経済の成長力は弱い。岸田首相がいう新しい資本主義ってなんなんだ。仮に成長率を底上げできたとしても、高齢化で膨らむ社会保障費に加え、経済対策の費用までまかなうことは、現実的ではない。

 自民党の公約からは、過去の国政選の際にはあった財政規律を確保する文言が無くなった。
 確かに当面のCOVID-19対策を国際発行でまかなうのはやむを得ない。今後の感染動向次第では、目標の先送りを迫られよう。だからといって、COVID-19禍とは関係が無い政策まで、財政規律を無視してはならない。

 ■公明党は、0歳から高校3年生まで、一律10万円相当の「未来応援給付」を打ち出した。苦境に陥った世帯を支援する意義はいい。ただ、公明党は昨年末、自民党とともに高所得世帯への児童手当の給付廃止を決めたばかり。選挙が迫ると一律給付にすげ替えるなど無節操で一貫性がない。

 ■立憲民主党は、1年間限定で年収1千万円程度まで「所得税ゼロ」にする減税や、少なくとも3-5年間、消費税の5%への引き下げを訴える。消費減税により、社会保障の財源が年15兆円近くも減る。これを何として盛り返そうとするのか。

 ■国民民主党も消費減税に加え、全国民への10万円の一律給付など、全額国債を財源にした50兆円の経済対策を掲げる。

 「将来への不安が、消費の抑制を生み、経済成長の阻害要因となっている」と言われるが財政再建の道筋を伏せて、現金のバラマキは逆効果であろう。景気回復のためにも各党は財政再建に正面から向き合うべきだ。
 COVID-19後を見据えた経済運営も、成長より分配に傾きすぎている印象を受ける。

 日本は費用対効果や財源も顧みず、財政出動の規模を膨らませるだけ。
 与野党にもっと地に足の着いた論戦を望みたい。


10/28(木)晴れ 古書店、飯川病院 当直
 1:20起床,新聞・文献チェックほかいつものごとし。ダリア花勢の衰えあり世話。段ボールカット廃棄準備。10:50バス、通町降車、BookOffドンキ店経由で飯川病院まで歩行、ひどく疲れた。古書8冊購入。午後院長は秋田市のCOVID-19ワクチン担当で外出。17:00当直業務、18;00検食。データ整理、19:45就寝。歩数計Σ8715歩。

衆院選2021(10) 財源語らず財政出動を競う無責任選挙(1) 社会保障改革・年金改革
 衆議院選挙の大きな争点が、国民の将来不安の解消にるあるが、不安の原因が少子高齢化に伴うものだけにその対策は困難を極める。
 だが、各政党からは危機感はあまり感じられない。当然であろう、為政者たちは半世紀にわたって少子高齢化があらゆる方面に及ぼす破滅的な影響を無視し、無対策であったからである。
 だから、今だに少子高齢化に対する感覚は鈍い。
 はっきり言って、もう建設的対策はない。日本は没落の一途をたどっていく。

 各党は様々な政策を掲げるが、簡単に言えば、政策=予算である。予算の裏付けがない政策は無責任極まる。無策に等しい。日本の為政者はこの感覚も乏しい。だから、日本の政策はほとんどが砂上の楼閣である。最終的には国債発行に結びつく。各党は財源案とセットで対策を競ってほしい。

 そんなこと言っていても、もう危機が目前である。
 日本の高齢化はこれからが本番。いま75歳以上の後期高齢者は約1877万人、2025年には約2180万人まで増え、総人口に占める割合は15%から18%まで上がる。
 年金、医療・介護など社会保障の給付は2000年度に78.4兆円、2025年度には140兆円程度まで膨らむ見通しだ。優に国の税金収入を超えている。

 日本の社会保障制度は、高齢者の医療・介護を現役世代が支える仕組みなので、支え手が減れば現役1人あたりの負担はどんどん重くなる。

 (1)医療費負担についての各党の主張
 ■自民党は「改革を進め、持続可能な全世代型社会保障を構築する」としただけ。何を言いたいのかすらわからない。

 ■立憲民主党も「制度の持続可能性の強化と現役世代のさらなる負担軽減を目指す」というが、具体策は高所得の75歳以上の保険料負担を増やすことしか示していない。財源はどっから持ってくる??

 ■公明党は医療・介護の拡充は掲げるが、財源、負担の改革にはふれていない。

 ■介護職員や看護師、保育士らの処遇改善は多くの政党が掲げている。人材を確保するために処遇改善は必要だろう。だが財源をどこに求めるか、何も語っていない。

 (2)年金について各党の主張
 年金改革は情報が少なく、有権者は判断しにくい。だが、このままでは公的年金の1階部分にあたる基礎年金の給付水準が将来大きく目減りし、老後の生活を支える機能が失われる。
 各党の公約にはこの情報が乏しい。各党は国民の不安に向き合い、わかりやすく改革案を示すべきだ。

 ■自民党は改革の方向性すら記載していない。

 ■立憲民主党と国民民主党は年金の最低保障機能を強化する方針を掲げた。立民は一定以上の所得がある場合に基礎年金の支給を一部制限し、低所得者に上乗せ支給するという。これは注目すべき、と思う。

 ■日本維新の会は、減税と現金支給を組み合わせた給付付き税額控除か、国民に一定額を一律支給するベーシックインカムを軸として、年金を含む再分配の抜本改革を検討するという。何と言っているのかすらわからない。


10/27(水)曇り降雨 飯川病院
 1:00起床,文献チェックなどいつものごとし。ラジオ深夜便聴きながら読書他。8:30午前内視鏡のために外出するという家内に同乗飯川病院に、外来患者診察。データ整理、読書。19:00家内は講演会、バス帰宅・夕食、20:30就寝。歩数計Σ7391歩。

衆院選2021(9) 人口減対策(4) 子供の貧困問題(2)
 子供の貧困の背景には、
 ■日本の経済低成長との関連もある。
 ■親の結婚、離婚問題のあおりでシングルマザー、ファザーが増えた。
 ■親の就労、雇用関係は不安定でなかなか定職につけない。
 ■親が貧困である。
 ■日本政府は国民の貧困率、子供の貧困率に目を向けてこなかった。
 ■アベノミクスの成否が問われているが、その話題は、より豊かな階層の、富裕層への恩恵が論じられるのが常で、貧困世帯についての影響が論じられることはない。
 ■貧困世帯は最初から社会的お荷物としネグレクトされている。
 ■子どもの貧困問題は経済格差が子どもの教育格差を生み、将来の所得格差につながる「貧困の連鎖(世代間再生産)」が生じている。実際、これは拡大傾向にある。

 ■総務省の国民の経済状態の実態調査では、一人あたり国民所得が諸外国の中でも高いから貧困国ではあり得ない、との判断であった。要するに、わが国の実態が捉えられていない。
 ■最近、子供の貧困率が国際的にも厳しい状況にあると指摘されたこともあり、厚労省は2017年度から「子供の食と貧困調査」を進めている。国際的データを示されて初めて国は事の重大さに気づいた、ということ。政治は国民の状況にもっとアンテナを張り巡らさないといけない。
 ■子どもの貧困問題を放置することによって、貧困の連鎖が拡大し、貧困層が増えることで国内市場が縮小し、政府財政、社会保障にも影を与えることが予想される。

 子育て世帯への支援策は衆院選の大きな目玉政策になりうる。
 COVID-19禍で出産や子育てへの不安が増大している。今年の出生数は80万人を割り込む。少子化問題は一層深刻さを増している。また、パートや派遣といった非正規労働者が多い女性の雇用を直撃。失業や減収で困窮する家庭が少なくない。子どもの貧困問題も急速に浮き彫りになった。

 与野党とも現金給付などによる支援に積極姿勢なのは当然だ。しかし、それには今まで子育て支援策が誤っていたからこのような事態が生じたことへの反省が必要である。

各党の公約より
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自民党は非正規雇用者や子育て世帯などへの経済支援を公約に掲げる。
公明党は高校3年までの子ども1人当たり10万円相当支給を打ち出した。
立憲民主党が子ども・子育て予算の倍増、児童手当の所得制限撤廃と高校卒業までの対象拡大を主張。
共産党や国民民主党、れいわ新選組も児童手当をはじめ現金給付拡充を訴える。
日本維新の会は教育完全無償化、子どもの数が多いほど税負担を減らす仕組み導入を主張。
社民党も教育無償化を訴えている。

 ほかにも各党が低所得者やコロナ禍による減収世帯への支援策を掲げている。こうした現金給付はCOVID-19対策の一環で、困窮する子育て家庭に必要な支援であることに異論はない。
 ただ、基本姿勢はばらまきである。昨年全国民に現金10万円が支給されたが、これに要した費用は12兆円超である。確かに喫緊の問題であったが一律というのは無駄である。しっかり調査して給付対象を決めるべきであった。

 児童手当の対象拡大、教育無償化などの実現には、安定的な財源の確保が欠かせない。各党にはその裏付けを含めて丁寧に説明すべきである。


10/ 26(火)終日小雨曇り 外来 飯川病院ボランティア 真子さん結婚
1:00起床,文献チェックほかいつものごとし。自炊3冊、6:00可燃ゴミ提出、雨にてレガシー。木片廃棄開始。6:40バス飯川病院着。8:45-11:30中通外来。講演予定だったので予約は7人のみ。講演会は秋田市の方針で中止に。11:45飯川病院、勤務、入院患者対応なし、微睡、真子氏結婚、記者会見の様子を聴く。お二人とも爽やかな会見であった。19:15帰宅、夕食、20:30就寝。歩数計Σ7145歩。

衆院選2021(8) 人口減対策(3) 子供の貧困問題(1)
 子育てには苦労と喜びがあるはずなのに、後者の方は滅多に語られることはない。
 語られるのは前者の方ばっかりで、子供の貧困、子供の医療費、保育所探しに疲弊、児童手当縮小、電車でベビーカーを蹴られた、高校授業料軽減の廃止。出産育児一時金縮小、子ども食堂・・・などなどである。

 子どもの貧困問題は子供のことだけに話題性は高く、メディアでも頻回に取り扱われている。しかしながら、子供の貧困は単独ではあり得ない。親世代の貧困問題とリンクしている。だから、テーマを子供の貧困問題とするのは問題のすり替えである。しかしながら、これで社会の注目の的になるとすればそれでいい。

 子どもの貧困は、将来の日本社会全体を揺るがしかねな問題であり、国民一人ひとりの将来や老後の生活までにも影響するが、貧困事態には目が行くものの、社会に及ぼす影響としては認識されていないのではないか。
 そのことを社会に問う必要がある。

 日本で子どもの貧困問題が関心を呼んでいる理由は、問題の存在の頻度がよく知られていないから、という意外性もある。統計的には子供の6人に1人、すなわち16%がこれに該当する。

 貧困を定義する指標にはいくつかあり、代表的な考え方として「絶対的貧困」と「相対的貧困」とがある。とくに相対的貧困は可視化しにくく比較が難しい。

 ■相対的貧困:その国や地域の水準など、相対的な基準で比較して、大多数よりも貧しい状態のことを指す。日本の場合、2018年時点では可処分所得の中央値が254万円であるため、この半分となる127万円未満の世帯が相対的貧困層に該当する。
 ■絶対的貧困:国や地域のレベルとは無関係に、生きるのが困難なレベルで生活水準が低いことを指す。食べるものがない、住む場所がないなどの状況が絶対的貧困に該当する。

 年間127万円以下の収入しかない「相対的貧困世帯」は2018年16.1%もある。1985年が12.0%だったから右肩上がりに増加している。

 ちょっと古いデータであるが、経済協力開発機構(OECD)が2012年に発表した各国の生活に関する調査報告書では、日本の「子どもの貧困率」がOECD平均13.7%を上回る15.7%で、17歳以下の子どもの1/6人がこの貧困世帯に属し、OECD加盟34カ国中11番目に高かった。

 子供の貧困について、貧困世帯で育った子供達の現状、将来を考えた時に、貧困世帯に対する一般的対策とは別な、子供に重点的に視点を当てたより濃厚な対応が必要である。

 貧困状態にある子供の一般的特徴として、
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 ■厳しい家庭環境から親とのコミュニケーションが不十分、
 ■それに伴って人間関係の形成が不得意、
 ■自信や自己肯定感も乏しく、
 ■十分学習できる環境になく学力もより低い。
 ■いじめや虐待を通じて人間としての成長もいびつになりやすい。
 ■深い格差意識から将来に対する希望や夢の目標も持てない・・などの特徴がある。

 さらに、問題点を抱えながら成長した青年も、
 ■社会に出た際にも就労環境も恵まれず、
 ■人間関係の形成も不良、
 ■親の価値観に引きずられ貧困の連鎖が続く。
 ■時には生活のために犯罪に走る。
 ■自死例もある。

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 日本政府は国民の貧困率、子供の貧困率に目を向けてこなかった。
 地域NPOなどが主催する子ども食堂が注目されているが、このような動きに政府はもっと敏感であってほしい。

 子供の貧困の放置は、結果として大きな社会的損失を被ることになる。


10/25(月) 快晴 健康クリニックドック 飯川病院 
 0:30起床。録音データ、画像データ整理、歴史本を読む。自炊3冊、6:40バス飯川病院、9:00-11:45健康クリニックドック。14名、結果判定14名、説明1名、12:00飯川病院、検食微睡水など、14:00-19:00勤務。15:00入院患者対応、15:30徒歩ドンキホーテへ、修理済iPad mini改修とブックオフ、13冊購入。帰路は暗くて危険バスにて飯川病院、19:00帰宅、夕食。21:00就寝。歩数計9989歩。

衆院選2021(7) 人口減対策(2) 育児は人間として重要な経験なのだが・・・
 私は3人の子供に恵まれたが、時には夜半まで帰宅できないような環境で、共稼ぎであった私どもに、住み込みで子育て、家事一般を担ってくれる人材が見つかった。家内の実のおばさんにあたる方である。それまでの間は実に大変で、色々なエピソードがあった。おばさんとその娘二人の同居は大変であったが、私どもの育児の負担は大きく軽減し、かなり仕事に集中できた。

 私の場合、時間的に余裕がなく、父親としての責任感で関与のレベルであった。
 それでも、父親としてかなり参加したと自負しているが、家内たちの評価は極めて、極めて!!!低く、話題にしても歯牙にもかけられないレベルに甘んている。
 
 一緒に働いていた医療スタッフたちの間では、子どもは欲しいが、子育ては大変だという意見をよく耳にした。今はほとんどが核家族での子育てになるから、全くその通りだと思う。育児の負担の比重はなんといっても母親のほうに圧倒的に大きくなる。慟く女性にとって子どもを持つことは心身を疲労させ、時間を拘束する。ここで男性育休制度の確立が必要であるが、男性育休の取得はまだ社会的に確立しているわけではなく、取得するにしても遠慮ぽい。

 子育てはさまざまの苦労を埋め合わせてなお余りある果実がある。われわれを人間として成長させてくれる機会が付与されているように思う。

 一人の子を育てることは、三人の子を比較しながら育てることと同じである。
 ■ 目の前にいる子供・・・・これが手がかかって大変。
 ■ 理想の子供のイメージ像・・・・生まれた当初は親から見て全員天才であった。
 ■ 自分の子供時代の懐かしい思い出・・・・私は手がかからない理想的な子供だったよなあ、という理想化した像。

 本来ならば、女性にとって妊娠出産、子育ては男性がいくら望んでも体験できない貴重な体験である。この点に関しては、私は女性に到底頭が上がらない。尊敬の念すらある。
 男性にとっても、私にとっても子育てしながら自身の成長を一緒に楽しむ過程であり、いわば人生そのものの重要な学習過程と言っても良かった。
 女性にとっても、妊娠出産、子育てを乗り切ったとき、女性は社会のなかで自らの性の特性、経験を活かして活躍できるのではないだろうか。それが真の男女共生社会の礎となる。最近のジェンダー論は女性の特質を削ぎ落とすことで男女均等を論じる傾向にあるように思われ、私は納得でき難い。

 ただ、最近の子育ての話題は「喜び」よりも「苦悩の叫び」が多いよに思われ、残念である。

 確かに、子育ての現実は厳しい。
 人間の子供は超未熟の状態で誕生する。手厚い庇護がなければ生命の維持すら困難であり、本来ならば核家族下での子育ては無理であるが、社会構造が、家族形態が変化した。もう元には戻らないだろう。

 だから、人口問題への寄与は小さいが、子育て世代を、労力的に、経済的に庇護することは極めて重要な社会の義務と言える。特に、向学心の強い子供たちの教育に関して経済的に庇護することは、その成果は必ず社会に還元されるから社会機能維持のためにも必要である。

 今回の衆議院選を通じて、子育て環境が一層進展することが望まれる。


10/24(日)晴れ 飯川病院日直
1:00起床。録音データ整理、書類整理、自炊数冊。8:30回診に行く家内に同乗飯川病院に。午前は新聞チェック、読書、微睡。午後もほぼ同様、入院患者は落ち着いている。18:30迎えあり帰宅、19:00夕食、20:30就寝。歩数計4020歩。日直の日は歩行できない。

衆院選2021(6) 人口減対策(1) 半世紀無策であった もう不可逆的状況
 衆議院選の論戦として人口増対策に言及している政党はない。今各党が掲げているのは子育て支援策であってこれは人口減対策にはほとんど効果はない。

 人口減対策は「出生数」を上げることに尽きる。それが出生率などを指標にずっと論じてきて出生率が微増したの微減したの、と言っていたうちに出産適齢期の女性がどんどん減ってしまった。
 ここまで女性の数が減れば出生率で言えば2.5ほどまで上がらなければ現人口を維持できない。現在1人の女性が生涯に産む子どもの数を示す合計特殊出生率は2020年の統計によると、1.34だった。出生率2.5は到底到達できない数値である。日本の人口問題は不可逆的状態になったが今になって焦っている。

 年間の赤ちゃんの出生数は1949年(昭和24)の第1次ベビーブーム274万人、1971年の第2次ベビーブームは209万人で、以降は減少の一途で2020年は84万人だった。
 
 人口増には結びつかないが、不妊治療の保険適応は意味ある政策である。期待されるのは、経済的な負担軽減のほか、不妊治療の標準化。日本は不妊治療を始める年齢が諸外国と比べて遅いが、若い世代が収入に縛られずにアクセスできる機会になってほしい。

 つい先日、イギリスのわらべ唄に替え歌を作ってみた。再掲する。
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半世紀以上も日本の為政者は人口問題には関心が乏しく無策だった。
その結果、少子化で若い女性がいなくなった。
若い女性がいなくなって赤ちゃんが少なくなった。
赤ちゃんが少なくなって家庭がダメになった。
家庭がダメになって地域がつぶれた。
地域がつぶれて、社会機能、社会保障がつぶれた。
社会がつぶれて、人間らしい生き方ができなくなった。
人間らしい生き方ができなくなって、国が荒れ、国がつぶれた。
人口問題に無策だったために、なにもかにもつぶれた。
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 今各党が掲げているのは子育て支援であり、少ない子供を大事にそだてようという趣旨。これだけでは出生数は増えない。
 衆議院候補者は幼児教育の無償化などで少子化対策を上げるが「もはや遅きに失している」という自覚があるのか??と思う。票集め政策でしかない。

 日本では第1次ベビーブームで生まれた団塊世代のジュニアにより第3次ベビーブームが起こる可能性があった。しかし、バブル崩壊による就職氷河期が重なり、非正規雇用が増加。「自分一人が生きていくだけでも大変な時代になり、先の見通しがつかない社会」になった。こんな時にときに結婚することも、子どもをつくろうとも思えない。

 衆院選では各党が関連公約を掲げるが、若い世代が安心して子育てをしたいと思えるよう雇用の安定や年収の増加を図るのが第一である。男性の育休取得は母体が元に戻るまでの1カ月程度は男性が家事を担い、負担を減らすという意味では望ましいが、人口問題には小さい効果しかない。


10/23(土)終日降雨寒い
1:45起床、新聞文献電子化。文献その他整理。自炊多数。今朝からアンダーシャツ着込む。終日机上作業で過ごす。徒然、読書、文献読み、新聞チェック、新聞電子化など。
16:00書斎で音楽中心録画鑑賞、ショパンコンクールなど。足温の機器整備。
19:00夕食、20:30就寝。 歩数計5626歩。

衆院選2021(5)  国際情勢の変化(3) ミサイル迎撃は困難、いや、不可能だろう
我が国が防衛力を高めなければならないのは、中国や北朝鮮の攻撃能力を抑止するのが狙いである。

 ■外交による努力は最良の防衛力になろう。しかしながら、相手の考え方は往々にして変わってしまう。交渉が決裂して次の段階にすすんだら「そんなことは止めてください」、というだけ??

 ■ハード的には、米国との連携、国際的連携が重要になる。大事なのは、米国から求められて動きだすのではなく、日本が主体的に取り組む心構えと具体的な準備である。
 
 ■イージスアショアなどで迎撃して無力化する方法
 つい最近まで語られてきた。秋田と山口が設置候補地でであったが昨年突然計画が中止になった。船に搭載する方法が考えられたが今のところ具体的方法は明らかになっていない。

 ところで、ミサイル迎撃って本当に可能なのか?私は疑問に思っていた。数発が同時に発射されたら迎撃できるのだろうか。現在開発されたという超音速弾道ミサイルは迎撃が困難だ、という。
 北がミサイルを頻回に日本海に向けて発射している。その発射情報が「発射された模様・・・」という初期の情報は15分ほどで報じられるが、我々に具体的ど特には30分の1時間もかかっている。落下地点の特定もできていない。また、どんな種類のミサイルが出会ったのかもわからない。こんなもとで本当に迎撃などできるのだとうか

 ■敵基地攻撃能力の保有
 これが現在語られている。専守防衛の範囲で事前に敵地を攻撃する方法であるが、私はこの方法も効果をあげられない、と思う。どこの基地から発射されることを事前に把握し、確実な情報で先制攻撃をかける??こんなことは不可能だろう。
 もし、不確実な情報のもとで先制攻撃を仕掛ければ、その後の相手国の対応は追って知るべしである。即、開戦ということになる。
 さらに最近は潜水艦発射型SLBMの実験も行われている。潜水艦によるミサイル発射は事前に特定は不可能である。

 ■敵国攻撃能力の保有
 これは相手国の先制攻撃に対する報復にあたる戦略になる。先制攻撃を受けた場合には相手国のいずれか場所に報復攻撃するという攻撃能力の保有である。私は最小限これか??と思う。

 ■情報戦、サイバー攻撃による抑止力
 近代は戦争の形態が大きく変わろうとしている。
 軍備による抑止力は軍事力の均衡という視点にとらわれがちだが、「平時」から情報操作やサイバー攻撃などの様々な分野で、相手が侵略しようとする意図をくじく準備をしておかなければならない。
 日本は軍時と非軍時の境目がなくなったことへの対策を考えてこなかった??
 非軍事的に見える情報戦は、誰も戦争とは判断しない。軍事のソフトウェアを総動員して、「これでは勝算はない」とを思わせなければいけない。
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 まもなく衆議院選の投開票が始まろうとしている。
 日本の安全を守る手立てをどこまで準備するのか、残念ながら論戦は進んでいない。その素地も乏しいままである。


10/22(金)晴れ 大曲中通病院外来 飯川病院ボランティア
1:10飯川病院起床、新聞文献チェック。文献その他整理、6:00ダリア世話。7:50課内に送られ秋田駅、8:11こまち大曲、往路徒歩、9:10外来。復Taxi。15:30飯川病院ボランティア。6:30Taxi、修理終わったiPad取りにドンキホーテ、カード支払いうまくいかず諦め。通町書店経由、19:15帰宅、夕食、20:30就寝。 歩数計7842歩。

衆院選2021(4)  国際情勢の変化(2) 敵基地攻撃能力の保有をどう考える

 いま、国際情勢は大きく変わらんとしている。日本の安全確保は従来の概念のままでは何事につけても中途半端である。一番問題なのは「この中途半端さに対して我が国の国民は問題をあまり感じていないこと」である。外交や安全保障分野は票になりにくく選挙の争点にならないといわれてきた。しかし、激変する安保環境のもとで論戦がほとんど見られないのは異様である。政治家が平和ボケしていては困る。

 国民の安全と命と暮らしを守るという意味でまさに国政選挙の重要テーマであり、国民的な議論につなげるべきである。

 自民党は衆院選の公約で国家安全保障戦略の改定を掲げた。
 防衛費の国内総生産(GDP)比2%以上も念頭に増額をめざす。相手のミサイル拠点をたたく敵基地攻撃能力の保有にも前向きだ。
 対して、連立を組む公明党はこの問題に距離を置く。

 立憲民主党は「専守防衛に徹しつつ、領土・領海・領空を守る」と掲げた。これでは実際何を言いたいのか分からない。野党の姿勢は程度の差があり、危機感があまり伝わってこない。当然である。国民の安全をまともに願ったことなどないから。
 脅威への対応をめぐり、あるべき姿を明確にし、国民に選択肢を示してほしい。

 戦後の防衛政策の転換点になる可能性もあり、多角的な視点が欠かせない。

 防衛力を高めるのは、中国や北朝鮮の攻撃能力を抑止するのが狙いである。中国の巨大な軍事力、北朝鮮の核に対して、安全を守るのにわが国単独では限りがあり、米国との連携、国際的連携が重要になる。大事なのは、米国から求められて動きだすのではなく、日本が主体的に取り組む心構えと具体的な準備である。

 その点で、取り組みへの言及がどの政党も物足りない。
 対話による外交で中国や北朝鮮との緊張や対立を抑えながら懸案の解決に導くのは原則中の原則であるが、話がなかなか通じない相手であるから、総合的な戦略を探る必要がある。

 大湾は中国のものだ、と中国は主張している。だとすれば、台湾帰属問題は中国の国内問題である。
 世界の安全保障上、台湾海峡は最も重大で危険な発火地点のひとつとされる。細心の注意と警戒を要する緊張の海域だ。
 最近、中国軍が台湾に近い空域にまで多くの軍用機を進入させ、不安を高めている。

 抑止目的であっても、軍の行動が相互に刺激し偶発的な事故が生じる可能性がある。中国の挑発を厳しく指弾しつつ、対立の芽を摘む複層的な取り組みを心がけるべきだ。

 我が国の台湾に対する姿勢は、台湾が平和的解決の結果、中国に統一されるなら、我が国は当然受け入れるが、武力で台湾を統一しようとして紛争が発生した場合は日米安保条約による対応もありうる、としてきた。

 2021年4月に行われた菅バイデン首脳会談では、日米両国は、台湾海峡の平和と安定の重要性を強調するとともに、両岸問題の平和的解決を促す、と述べている。平和的解決が図られない場合には日本を巻き込んだ紛争に発展する可能性がある。


10/21(木)快晴 午前午後飯川病院+当直
 1:00起床,新聞・文献チェックほか。自炊4冊。ダリア世話。そろそろ最盛期を過ぎた感じ。8:42院長大学受診で同乗し飯川病院、終日勤務、外来患者対応、15:30-17:00運動不足感じ市内歩行。帰院後そのまま当直に。18:00検食。20:45就寝。歩数計Σ7516歩。

衆院選2021(3)  国際情勢の変化(1) 如何に対応する??
 北朝鮮は19日に新型の潜水艦発射弾道ミサイル(SLBM)の発射実験した。中国の軍備増強の脅威にも晒されている日本は、いかに国の主権と安全と地域の安定を維持するか。極めて重大な問いを突きつけられている。

 戦後70数年、日米安保の傘の下で微妙に、狡猾に平和を保ってきた。当初はそれで良かったかもしれない。しかしながら、アメリカの考え方は近年大幅に変化している。オバマ大統領の時に「アメリカは世界の警察ではない」と述べた。これで我が国の安全保障の内容が変わっていくことになる。

 ところで、日本は真に独立国なのだろうか。
 1952年4月28日、サンフランシスコ講和条約と日米安全保障条約は発効した。この日に日本は独立したが、同時に日米安全保障条約で日本の安全はアメリカの傘のもとに入っていた。

 しかしながら、自国で自国の安全を守られない状況は独立国とは言えるのだろうか。独立国の条件は以下の如くである。
1.領土・領空・領海を持つ。
2.国民が存在する。
3.主権がある。主権は他の国から侵略されないよう権力であり,軍隊も含まれる。
4. 他国との関係を取り結ぶ外交能力を備えている。

 なお、国際法的には独立国であっても、政治的・経済的に大国の支配の下にあって自立できない国を衛星国、従属国などの名でよぶ場合もある。

 これらの点を考えると、私は日本は独立国と言えるのだろうか?? ずっと疑問を持ち続けている。アメリカの属国でなかったのか?
 我が国は自衛隊という軍事力を有しているが、国際法的には軍隊ではない。自衛隊は軍隊でないと言われても誰も信じられないのかもしれないが国際法的には軍隊として認められていない。自衛隊を軍事力とみなした場合、2019年時点で日本は世界5位の能力を持つとされている。これは、英・仏・韓を凌ぐ実力を有することを意味する。

 これはどういうことだろうか。これも疑問の一つである。

 いま、際情勢は大きく変わらんとしている。日本は従来の概念のままでは何事につけても中途半端である。それと共に一番問題なのは「この中途半端さに対して我が国の国民は問題をあまり感じていないこと」だろう。
 しかし、これからはそんな状態は許されなくなる。

 政治家ならば私よりは遥かに情報も、今後の日本が進むべき道への考え方を有しているだろうが、今までは各党はこの問題をタブーとして国民に提示してこなかった。
 今こそ日本に危機を招かないため何に重点を置いて取り組むかを国民に正面から訴えるべきだ。

 戦後70余年、日米安保の庇護と軍事的抑止力で日本はたまたま平和であった。しかし、平和国家日本といかに喧伝していても北朝鮮と中国の軍備増強の標的になっていることから、まずは自前で国民の命を守らねばならなくなった。自前で守る力がなければ日米同盟など作動しない。


10/20(水)午前降雨午後曇り 飯川病院
 1:30起床,文献チェックほかいつものごとし。自炊3冊。午前は自宅で、11:46バス飯川病院に。勤務。COVID-19ワクチン接種関連業務。データ整理、読書。19:10帰宅・夕食、21:30就寝。歩数計Σ6027歩。

衆院選2021(2)  バラマキ政策 「分配競争」は避けよ
 岸田首相が掲げた政策は、今年5月に立憲民主党の枝野代表が公表したのと似た類似点がいくつも見られる。
 「支え合う日本」をうたう枝野代表案には「新自由主義の限界」、「再分配による消費の拡大」といった言葉が散見される。
 「新しい日本型資本主義」、これは嫌な言葉だと思うのだが、・・・を標ぼうする岸田首相の「新自由主義からの転換」、「成長と分配の好循環」のキーワードと類似するものがある。ここでも疑問なのは、首相は「新自由主義」という言葉をどういう定義で用い、日本の政治が今まで「新自由主義」に染まっていた、と総括するのだろうか。

 格差や貧困が問題となり経済的分断が問われ、COVID-19禍でその傾向が一段と強まっている。ここが選挙でのいちばんの攻めどころとなる。国民生活を第一に考えるとそうなる。ただ、もっと重要なことがある。我が国の安全防衛問題である。

 岸田首相の初信表明演説は野党の主張に近いものだったから激しい野党攻撃はとりあえず封印できる。だからこそ、具体的にどうするかの各論や、進める方法論が選挙戦の焦点となる。「成長と分配の好循環」のために首相は何をどうしていくのか、「分配競争」とならないよう、成長を前提に与野党間での議論が求められる。

 野党の選挙態勢への懸念もある。
 立憲民主、共産両党は政権交代が第一の目標で、それが実現したときに共産は「限定的な閣外からの協力」で一致し、小選挙区での候補者一本化の調整を進めている。だが、連合が反発、国民民主党は別の路線を歩んでいる。

 各党の思惑、怨念の深さは、私には到底理解できないレベルである。

 しかしながら、小選挙区では一人しか当選できないから、野党は与党と一対一の対決に持ちこまなければ勝機が殆ど生まれない。左右に寄りすぎない中道の支持、無党派層の支持も得ないと選挙戦は厳しい。野党は一致できる点で一本化し、票をまとめないと政権交代は無理である。
 
 有権者が判断しやすい政権・政策選択の選挙にしてもらわないと困る。
 投票率は2014年が52.66%、17年が53.68%と、低水準の投票率が続いている。これで国の方向性が決まるのは是とし難い。投票率をあげる努力も求められる。

 経済とあわせ膨張する中国、北朝鮮によるミサイル発射といった事態を念頭に、安全保障論議も進めてほしい。専守防衛の範囲で敵国にミサイル発射をさせないような、抑制力、防衛力の確保は最小限必要だろう。

 脱炭素は言葉上では言うは易きであるがコストが著しくかかる。それを負担するのは国民であるが、国民は十分な情報を与えられているとは言えない。課題は尽きない、各党間で大いに議論し、国民が考えていくきっかけを示してもらいたい。

 ところで、再生エネルギーを生み出す太陽光発電、風力発電のインフラは殆ど輸入に頼っているが何故なのだろうか?政府に、経済界に先を見る目がなかったのだろう。人口問題とここでも同じ経過を辿っている。


10/19(火) 曇り小雨 中通病院外来 飯川病院
 1:00起床、新聞入力などいつものごとし。読書中心、自炊3冊、5:15可燃ゴミ集積所に廃棄、里芋一株、立派になった。6:40バス飯川病院へ、8:45-13:45中通病院外来。混雑、紹介状作成で疲弊。14:00飯川病院。14:00-15:30COVID-19ワクチン接種業務。微睡、19:30帰宅、夕食、21:30就寝。歩数計Σ8697歩。

衆院選2021(1)  内閣発足のご祝儀支持をアテにした中身の乏しい選挙
 衆院選の日程が、本日「10月19日公示」、「31日投開票」になった。
 首相は新内閣誕生の「ご祝儀相場」が続く間に勝ち抜く戦略を描いている。
 解散日から投開票まで僅か17日間。1983年の中曽根首相時代の日程20日間を抜いて戦後最短。衆院議員の任期満了10月26日を越える衆院選も初めてで、異例ずくめの短期決戦となる。
 一般論として言えば、国の決定機関が任期切れで機能しない状態の中で行われる異常事態と言える。こんな状況を作ってはならない。

 内閣の実績としては所信表明だけであり、国民は判断材料に乏しい。COVID-19対策が最優先の課題だが、日本の進むべき道を明確に提示し競いあって欲しい。

 岸田内閣は4日に発足したばかり経験不足は否めない。各社の世論調査では、支持率は40-50%台。政権交代もあり得ないわけではない。

 野党側は国会で一問一答形式で質疑を行う予算委員会の開催を求めたが、自民は応じなかった。岸田内閣の政策への疑問は十分解消されず、閣僚の資質などを判断することも出来ない。

 COVID-19を巡っては与野党とも、困窮する世帯などに対する給付金による支援を公約として打ち出している。国民の活力を維持するために財政出動はやむを得ないが、その後の財政健全化も含めて公約を示さなければ、垂れ流しの批判は避けられない。

 岸田首相は9年間に及んだ経済政策アベノミクスを総括し、自らが目指す「新しい資本主義」を展開するとしている。
 マスコミは無批判に「新しい資本主義」と呼んでいるが、誇大妄想的名称であり、用いるべきでない。「資本主義」はいまだに研究過程の経済理念であり、こんなあやふやな言葉を提示するなど世界に恥ずかしい。単に「マイナーな経済政策改変」レベルでないか。

 昨日10月18日、9党党首による討論会が開かれた。
 ■今回の公約は与野党とも、コロナで傷んだ経済や家計の回復に向け、給付や減税による分配重視の姿勢が鮮明だ。しかし、それらの財源をどう確保するのか、明確でない。

 ■首相は「成長と分配の好循環で所得を上げる」と強調。首相は課税見直しに関して「経済再生を優先する。順番が大事だ」とし、感染症への司令塔機能の強化も中長期的に取り組むとしている。選挙論戦で説明を望みたい。

 ■立憲民主党の枝野代表は「社会全体で支え合う役割を政治が果たす」と訴えた。立民は共産党や国民民主党などと多くの小選挙区で候補者を一本化し、与党との対決構図に持ち込んだ。一方で政策面では各党間に溝も残る。野党共闘のめざす姿を丁寧に語ってほしい。

 一連の過程を見直すと、政権維持にかける自民党の執念を感じさせた。それだけ危機感があるのだろう。迫った衆議院選挙を考え「選挙の顔」をすげかえる手法は同党がときおり使う手であるが、このやり方は争点隠しとなる。今回も安倍・菅政権の過去を問う姿勢は見られない。

 岸田政権の政策は野党の主張をたくみに取り込んで、対立争点を巧みに防いでいる。


10/18(月)午前雨午後はれ 健康クリニックドック 飯川病院 iPad修理に
1:30起床、文献新聞他チェックそのほか。自炊4冊。6:40バス飯川病院、9:00-11:30健康クリニックドック14名+結果判定14名。11:15飯川病院、微睡、14:00-19:00勤務。晴れたのでドンキホーテへ歩行、iPad修理に、ブックオフ文庫新書購入。バスにて病院に。歩数計Σ11358歩。19:30帰宅・夕食、21:00就寝。

私は馬が好き(4) 馬と人間の関わり(3) 馬が果たして来た役割を思い、馬に感謝を捧げよう
 現在ペットとしての代表はイヌ、ネコであろうが、彼らが人間に寄与した内容といえば、果たした役割を否定する気はないが、その役割は狭くかぎられていた。今は飼い主に心理的安定感をもたらしている。
 私はネコによって心が安定しているのを自覚する。

 馬ほど人間の世界に深く溶け込み、人間の在り方、文化にまで広く寄与した動物はいない。

 簡単にまとめれば以下の如くである。
――――――――――――――――――――――――――――
 ■太古には野生馬は狩猟の対象になり、人間の栄養源となった。
 ■車を引き、その車は戦車として発展した。
 ■紀元前から第一次世界大戦初頭まで馬による戦力が国力の指標となった。
 ■後に、人を乗せるようになった。騎馬として国の戦力が増した。
 ■人間の移動能力は格段に進化した。
 ■人間の生活に深く入りこんだ。農耕などの発展をもたらした。
 ■スピードの概念をもたらし、力の指標となった。
 ■近代スポーツとして馬種競技。
 ■競馬は多くのファンを熱中させている。
 ■などなど・・・・・・・
――――――――――――――――――――――――――――

 関連して上記の関連内容を抄述すると、
 ■狩猟対象として。
 アメリカ大陸では先住のインディアンによって野生馬は絶滅したほど。
 ■車を引き、その車は戦車として発展した。
 メソポタミア時代から第一次世界大戦初頭までの長きにわたって馬は戦力の一つとして国を支えた。
 ■人を乗せるようになった。騎馬として国の戦力が増した。馬の戦力の登場は歴史を変革した。紀元前10世紀のヘブライ王国が発展したがソロモン王の時代は戦車用の馬の厩舎4万と騎兵12.000を持っていた、とされる。騎馬と戦車は、近代における火器よりも、当時の世界を大きく変えてた。
 ■人間の精神の底流に、新しい「速度」という概念が生じた。それまでにない速度で移動することによって、それで世界の「広がり」を感知し、旧知の風土を越えて領地拡大を狙う帝国主義が生じた。
 ■新しい「力」という概念が生じた。人間はそれまでにない馬の力を利用できるようになった。特に農耕を通じて食糧事情が一変した。
 ■「速度」と「力」で流通の概念が発達した。
 ■機械化で馬の「速度」と「力」が発揮する場所は徐々に失われたが、近代スポーツとして馬種競技が人気を得ている。

 世界史、日本史を振り返っても、馬は、多種多様な役割を果たし、歴史の歩みに、人間の考え方の底流にひとかたならぬ影響をおよぼしてきた。
 馬にとっては、戦争、労役などを通じて人間との共生は決して楽なことばかりではかったように思う。素直に人間に奉仕し、そのエゴで命を絶たれた馬たちも数知れない。
 なのに、馬が果たして来た役割が忘れ去られるのは惜しい。

 人間と馬の関わりを理解し、馬には謙虚に、かつ深く、感謝したいものである。


10/17(日)曇り小雨午後晴れ  
0:30飯川病院起床。新聞電子化準備。徒然など。途中で微睡取る。ピロティの菊が倒れているので紐で支える。7:00検食ほか。9:00徒歩にて帰宅、小雨もあり寒い。広小路は歩行者天国で種々の行事があるらしい。保戸野あたりで雨が強くなり迎え要請。新聞切り抜き他多数電子化、読書。NHKのど自慢、微睡。ダリアの世話若干。16:00書斎にて音楽関連録画楽しむ、ショパン関連、日本のピアノの歴史など。19:00夕食、20:30就寝。歩数計Σ9121歩。

私は馬が好き(3) 馬と人間の関わり(2) 馬ほど文明に寄与した動物はいない
 自然界の動物同士が互いに、深く助け合って生きる関係があるのか否か、私は無学にして知らない。

 人間と動物との関係に絞って考えれば、家畜、ペットなどとしての関係がある。しかしながら、特殊な例外を除くと、家畜、ペットとして身近にいる動物はそれほどの種類はいない。
 哺乳類との関係を見れば、この地球上には4000種ほどの哺乳類がいるが、人間に飼い慣らされる動物はせいぜい10種類ほどでしかない。イヌ、ネコ、馬、牛、豚、羊、ロバ、ラクダくらいだろう。
 
 これは不思議なことである。
 大英博物館などにあるエジプトの壁画をみると、古代エジプト人は、ハイエナやガゼルすらも飼い慣らそうとしていたらしい。アメリカ大陸のインディアンは、アライグマをペットにしたり、オセアニアの先住民のなかには、カンガルーをペットにしていたこともあったらしい。一部はうまく行った場合もあっただろう。しかし、それが普遍的、継続的なものとして続いたわけではなく、多くの試みは失敗したと思われる。

 人間側では、餌を与え、敵から守り安全の確保をするなどで色々努力したであろうがほとんどうまくいかなかった様である。

 結局うまくいかなかった原因は人間側にあるのではなく動物側にあると思われる。
 動物側に他の動物にはなつかずに、単独の種で、厳しく生きる術が遺伝子レベルで備わっているのだろう。北海道のヒグマの例であるが、目も開いていないような子熊の時期に捕獲し、可愛がって育てたものの、成獣になるころから凶暴化し、結局は飼い主を噛み殺して逃走した例もある。
 これが野獣の一般的な姿なのではないか、と思う。

 だとすれば、人間に適応する動物には共通する何かがあるはずである。
 ざっと上げれば以下の様な特質かな?
-
 ■人間に餌をねだる様な依存性があること、
 ■食べ物に融通性があり飼う側が餌を用意しやすいこと、
 ■人間に対する凶暴性がないこと、
 ■縄張り意識が稀薄なこと、
 ■人間に好まれるソフトな性格であること、
 ■飼い主に関心を持つ好奇心()があること、
 ■人間の要求に対応する知能と適応力を備えていること、
 ■飼い主にが好むような、甘えや訴えかける表情や仕草を持つこと、
 ■・・・・。
-

 現在ペットとしての代表はイヌ、ネコであろうが、上手く飼い慣らされた個体は全て上記の性格を兼ね備えている。だから、好まれるべくして好まれていのだろう。また、このような性格を備えているために、人間に奉仕する動物、愛玩される動物、人間の貴重な食料として身を捧げる動物たちもいる。

 確かに、飼い慣らされたあらゆる動物達から人間は多くの恩恵を得てきた。しかし、その役割は狭くかぎられている。食肉になったり、乳を飲んだり、衣服の原料になったり、牽引力として使われたりもする。犬なら番犬もいるが、今では猫と共にようにペットとしての役割の方が大きい。

 しかしながら、馬ほど人間の世界に深く溶け込み、人間の在り方、文化にまで広く寄与した動物はいない。
 太古には狩猟の対象になり栄養源として人間の存在に寄与した。やがて車を引き、人を乗せ、人間の生活に深く入りこんだ。今日でも近代スポーツのなかには馬種競技があり、競馬は多くのファンを熱中させている。

 世界史を振り返っても、馬は、多種多様な役割を果たし、歴史の歩みにひとかたならぬ影響をおよぼしてきた。


10/ 16(土)夜半から小雨終日 飯川病院日当直 iPad mini液晶ダメに??
 1:00飯川病院起床、新聞・文献、徒然、その他、ゆったりと。ビス以後右下腿動かず転倒、神経の循環障害か、そのままで10分くらいで回復、その時iPad mini液晶ダメに??半分真っ黒。修理予定。その間家内のiPad mini借用。12:30回診にいく家内に同乗飯川病院へ。そのまま日当直に。座学。データ整理。駅に歩数計取りに行く。微睡後、読書。新聞切り抜き。18:00検食、19:55就寝。歩数計半日分1230歩。

私は馬が好き(2) 馬と人間の関わり(1) 馬が文明を発達させた
 これから何度かに分けて馬の話を綴るつもりであるが、イギリスには馬が如何に重要な家畜であるかを示す興味深いわらべ唄がある、という(木村凌二)。

 日本の最重要課題である人口減・少子高齢化問題は為政者の無策のために半世紀も放置され、もう不可逆的状況に陥っている。あらゆる分野においてじわじわと影響が明らかになっている。それらの多くはもう元には戻らない。しかし、いまだに問題意識は小さい。
 衆議院選挙が行われようとしている。各党もCOVID-19対策を最優先に置いているが、実はそれ以上に重要なのは人口減問題なのだ。

 日本の人口減・少子高齢化を風刺する替え歌を作ってみた。
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半世紀以上も日本の為政者は人口問題には関心が乏しく無策だった。
その結果、少子化で若い女性がいなくなった。
若い女性がいなくなって赤ちゃんが少なくなった。
赤ちゃんが少なくなって家庭がダメになった。
家庭がダメになって地域がつぶれた。
地域がつぶれて、社会機能、社会保障がつぶれた。
社会がつぶれて、人間らしい生き方ができなくなった。
人間らしい生き方ができなくなって、国が荒れ、国がつぶれた。
人口問題に無策だったために、なにもかにもつぶれた。
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本来のイギリスの童歌は以下の歌である。

釘がなくなって、蹄鉄がつぶれた、
蹄鉄がなくなって、馬がつぶれた、
馬がなくなって、騎乗者がつぶれた、
騎乗者がなくなって、戦勝がつぶれた、
戦勝がなくなって、王国がつぶれた、
馬の蹄鉄の釘がなくなって、なにもかもつぶれた。
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 人口飼育されている馬は蹄が弱い。そのために蹄鉄で蹄を保護しなければ馬は十分に持てる力を発揮できない。だか、蹄鉄の発明は上の歌にあるように文明の要ということになる。
 蹄鉄が発明されなければ現代の文明はなかった??とさえ思わせる。

 今日、馬が軍事力や輸送力の主力をなす社会などない。馬の動力に機械力がとって代わった。私どもは、もはや、馬が人間社会のなかで長期間に担っていた役割の重大さについて、想像することすらできない。馬とめぐりあったおかげで、おそらく人間の文明は、数百年、あるいは数千年も、速く進展しただろう。
 それが人間にとって幸運だったのか不運だったのかは、わからない。しかし、そのような史実は、意外に軽んじられており、ほとんど省みられることはない。

 私は幼少時に馬と共に暮らし、親しみを感じていた。最近サラブレッドの美しさに気づいた。これほど人間社会に深く関わってきた馬が何を考えているのか、そのことにも興味を感じてすっかりハマってしまった。


10/15(金)快晴 大曲中通病院外来 飯川病院ボランティア
 1:00起床、新聞チェック他。歴史関連本読み、5:30可燃ゴミ出し。7:40Taxi駅、8:11こまち、大曲曇り往路徒歩。9:10大曲中通病院外来。15:30飯川病院ボランティア。微睡、新聞チェック。19:15帰宅・夕食、20:30就寝。歩数計Σ7917歩。歩数計どこかに忘れ半日分。

私は馬が好き(1) 幼少の頃一緒に過ごした 目がとても優しかった
 子供の頃の我が家には馬がいた。岩手の田舎の上は南部曲がり屋と言われ、住宅の一部は厩になっていて馬は大切にされ、人と馬とが同居していた。私の家は診療所を兼ねており、厩舎は母屋から離れた場所に独立していた。厩舎のまえのちょっとした広場は私の格好の遊び場であった。馬はいつも優しく見守っててくれたから私は馬に親しみを感じていた。

 当時は多くの農家で馬を飼っていた。春になると田おこし、田植えの際には足を濡らしながら代かきをし、道路では荷車を曳き、雪道では馬橇を曳いた。そんな時代で、全体にのんびりした生活であった。

 我が家の馬は毎日、近所の農家の方が来て世話をしてくれていたから厩舎は比較的清潔に保たれていた。厩舎から出る藁とか排泄物は当時の農家にとっても貴重な肥料であった。

 私は、馬の後方にだけは近づいてはならないと厳命され、その通りにしていた。その馬は道産子だったらしく、体格はやや小さめ、性格が大人しく、私は馬で怖い思いをしたことがない。馬が私を見るときの優しい目が特に好きであった。
 馬に念仏という言葉があるが、公務員であった父はその日の行事の挨拶などを馬に向かって練習していた。当然馬はキョトンとしていた。

 この馬は祖父の往診用に飼われていた。
 
 (在りし日の祖父と我が家の馬の姿)
 小学校1年の頃、自宅が火災にあって、馬は無事であったが、以降は近所の農家に預けられ、私は時折会いに行っていた。その後、祖父が体調を崩したこともあって、遠くの農家に引き取られていった。

 馬と共生していた地域の文化、全てがゆったりしていて私はとても懐かしく思い出す。
 岩手には愛馬精神のあらわれとして「チャクチャグ馬っこ」と言う行事がある。

 この祭りは毎年6月に行われる。100頭ほどの馬が、滝沢市の蒼前神社から盛岡市の八幡宮まで14キロの道のりを行進する。馬のあでやかな飾り付けとたくさんの鈴が特徴で、歩くたびにチャグチャグと鳴る。私は盛岡の八幡宮でこの行進を何度か見たが、人馬一体で行進する様は見事なものであった。
 
 (盛岡市の観光パンフレットから借用)

 その後、半世紀余り馬に関する関心は薄れたが、昨年頃からダービーで疾走するサラブレッドの美しさに感心してから再び馬に興味を持つようになった。競馬が好きになったといえども疾走する姿が好きなだけで馬券には興味がない。
 またこのことを機会に人間と馬の関係について文献を読んで勉強している。
 人間社会にとって馬は如何に重要であったか、改めて知って驚いている。


10/14(木)快晴 飯川病院 
 1:30起床。文献・新聞他電子化。いつもの如し。9:30里芋掘り出す、略いい出来。11:50バス飯川病院、14:00入院患者処置対応。微睡、本読み中心。19:30帰宅、夕食、20:30就寝。歩数計5880歩。昨年半袖作業服を長袖に、ランニングシャツ着用。今年は現状をもう少し続ける。

茶飲み茶碗 40年間ご苦労様
 私は茶が好き。子供の頃からずっと。幼少時、大好きな茶碗で茶をすすりながら歩いていて座布団につまずき転倒して鼻に大怪我を負ったこともある。家人によると、このころにもお気に入りの茶碗があり、それで怪我をしたとのこと。

 私はものに拘る部分と全く拘らない面と両方ある。身近で用いるものほど愛着が強く拘る。文房具は一般的にこだわりが強い。現在も使っている印鑑は小学校の卒業の記念品で、65年以上も使っている。側にある定規は盛岡一高の創立記念際の記念品である。

 考えてみれば、自分の手の一部になるように長く使い込んだ道具には拘りが強い、と思う。
 そんな私であるが、数日前に約40年間用いてきた湯呑み茶碗を廃棄することとした。縁に若干の欠けがあったがヤスリをかけて修理して使用には困っていなかった。しかし、数年前からその付近から底の方に向かって一本の亀裂が入っていることに気づいた。
 数け月前から時折机の上に液体がこぼれていることがあって、その茶碗のひび割れにあることが分かったが、少量であるからそのまま使い続けていた。しかし、最近、本や書類、キーボードを濡らすことがあってついに引退させることにした。

 食器にも使える陶器用の接着剤もあることは知っていて興味はあったが、毎日用いるものであり、しかも熱湯を注ぐことから接着剤の安全性と耐久性には不安があって諦めた。漆を用いて金属をまぶす金継ぎ法もあることは知っていたが、同様の理由で諦めた。

 何でこの茶碗が気に入っていたのかというと、全体の紺色調がよく、表面の触感は柔らかく肌触りもとてもよかったこと、内側は白く淹れた茶の色感を乱さないこと、サイズもちょうどよかった。最も気に入っていたのはその形で、手に触れる部分が若干絞られ、上部に向かって広がっていることで、手にしたときの時の安定感は最高であった。
 私は自宅にいる時はこの茶碗以外で茶を啜ることはほとんどなかった。他の器に入れられた茶もこの茶碗に移し替えて飲んでいた。
 
 約1年ほどかけて家内が同等品を探してくれたが見つからず、ついに諦めて代替品を用意してくれた。

(左が40年間私を支えてくれた茶飲み茶碗 右は今回購入した茶碗 手が滑らないよう工夫されている)

 まだ自分の手にしっくりしないが、早く新しい器に慣れたいと思っている。


10/13(水)晴れ 飯川病院  
1:10起床。読書、録音データ整理と処分など。歴史関連本、台湾関連読み。午前はダリアの世話、写真撮影、庭掃除など。12:12バス飯川病院。14:00-16:00COVID-19ワクチン関連業務、微睡、iPhoneに音楽データ同期できない。新聞チェック。自炊データチェック。19:10帰宅、夕食、21:15就寝。歩数計Σ5860歩。

競泳の池江選手のNHKニュース報道の扱いは未だに異常
 競泳の日本学生選手権の第2日、10月8日、池江選手は50M自由形でインカレ初優勝した。本命種目の女子100Mバタフライ予選では全体1位で決勝に進んだものの最終的には2位となった。

 このニュースを私は翌日早朝のNHK-ラジオのニュースで聞いたのであるが、やはりNHKの報道姿勢は異常だと思った。

 ニュースの内容は池江選手の50M自由形でインカレ初優勝を称えることが主であったが、池江選手についていまだに「病から復帰の・・・」の説明が長々とあり、100Mバタフライ決勝では池江は奮闘したが、残念ながら2位となった・・・、との内容。

 池江選手を凌駕する記録を出して優勝した選手名や記録などは一歳報じられなかった。これはおかしい報道である。

 競技などの場合でも、注目選手、人気選手に焦点を当てて報じるのはいいが、成績は公平に扱われるべきである。

 池江選手は病気であった、という説明抜きに語られることはないが、病気のことはもう外してあげたいものだ。
 いつまでもズルズルと過去を引きずって報道するのは、あまりにも日本的、情緒的、浪花節的、お涙頂戴的報道である。これがNHK以外ならなんとか容認もできようが、私は納得できない。

 池江選手は、個人11種目とリレー5種目の日本記録を保持している有能な水泳選手であったが、2019年2月に病に倒れ、同年12月に退院した。

 私は、内心ハラハラしながら池江選手に関する報道情報を集めていた。少ない情報であったが、彼女が受けている治療内容を具体的に想像できるだけに、心配もしていた。治療は成功し退院はできたが、筋力頼りのアスリート選手としての復帰は困難かもしれないと予想していた。だが、その予想を大きく上回るスピードで、回復を果たしたことになる。
 これだけの短期間で、アスリートとしてトップレベルまで戻してこられたというのは驚異的。本人のたゆまぬ努力と、それを支えた医療者ら関係者の手厚いサポートの成果と思われる。

 池江選手は療養中の2019年4月8日、日本大学スポーツ科学部に入学。水泳部に所属した。最近、キャプテンになったとも報じられていた。

 池江選手は2020年8月には1.7年ぶりにレースに復帰、その後も着実に力をつけ、2021年2月7日競泳ジャパン・オープンの50メートル自由形で24秒91で2位となり、復帰後4戦目で初めて表彰台に上がった。2021年2月21日の東京都オープン女子50mバタフライで25秒77で優勝した。
 東京オリンピックではリレー選手のメンバーとして出場した。
 
 池江選手の姿は、彼女に関心のある方、いま類似の疾患で治療中の人々の励みになることは確実である。どんなに高く評価しても仕切れないほどである。


10/12(火)晴れ 中通病院外来 飯川病院 
 1:00起床、新聞入力などいつものごとし。読書中心、6:00可燃ゴミ集積所に3袋廃棄、6:40バス飯川病院へ、8:45-13:45中通病院外来。混雑疲弊。14:00飯川病院。14:00-15
:30COVID-19ワクチン接種担当。散水、微睡、新聞チェエック、19:30帰宅、夕食、21:30就寝。歩数計Σ9997歩。

岸田首相(6) 所信表明演説全文を読んで 感想・疑問点など(2)
 安倍政権下での森友学園を巡る財務省の決裁文書改ざん問題再調査などについて改めて姿勢を明らかにすることが求められる。
 この辺が有耶無耶である。おそらく、続く国会の代表質問では前政権、前々政権が残した負の遺産について厳しい追及が予想される。

 人の話を聞くのが特技と言っている岸田首相の姿勢がいつまで持つのか、まだ代表質問も始まっておらず未知である。十分話を聞いた後は聞いただけでは済まない。それなりの対応が求められるが、対話の持続は徐々に困難になる。上に立つものは決して口にできない情報を持っている。丁寧に説明する内閣という姿勢であるが、だからといって無制限には公開できない。

 所信表明演説は急造の耳あたりのいい言葉の羅列であった。次から次と変更を加えられていくだろう。
 「金融所得増税」、「令和版所得倍増計画」は重要な目玉であるが、自民党の政権公約に取り上げられていない。

 自民党総裁選、岸田首相組閣とここ3週間ほど与党ばかり注目されてきた。衆院選日程が決まった今、有権者は野党の訴えにも耳を傾けるときだ。
 真摯に国民の声に耳を傾け、COVID-19禍を収束させて経済をはじめ国民生活を再び軌道に乗せられるのはどの政党か。衆院選では信頼に足る候補者、政党をこれまでに増して、しっかりと見極めなくてはならない。

 岸田首相はCOVID-19対策に最優先で取り組み、数十兆円規模の経済対策を策定する方針を表明。「新しい資本主義」の構築を掲げ、成長と分配の好循環で格差を解消する考えを打ち出している。COVID-19禍で疲弊する経済を立て直すには相当な困難を伴う。まずは実現を目指す経済政策の全容と道筋を明確に示す必要があろう。これが不十分なら衆議院選では指示が得られないだろう。安倍政権下での森友学園を巡る財務省の決裁文書改ざん問題再調査などの必要についても、改めて姿勢を明らかにすることが求められる。

 立憲民主党の枝野代表は同日、都内ホテルで会見を行い「1億総中流社会」の復活を掲げ、分配重視の姿勢を強調した衆院選公約を発表している。
 蓮舫氏は「桜を見る会、モリカケ問題はまだ終わっていない。衆院選で投票する政党は、未解決なので再調査しようとしている立憲民主党か、もう調査は終わったとする自民党か!!!と力強く訴えている。

 31日に投票が行われる総選挙の見通しについて、現状では頭をすげ替えただけの政権で国民に岸田首相の意思が浸透していない。
 
 私は「自民党は必ずしも楽勝できない」と思っている。


10/11(月)曇り小雨 健康クリニック 飯川病院 
1:00起床。何時もと同様、書類書籍自炊、新聞、医学論文などチェック。自炊数冊。
6:40バスで飯川病院へ。風邪かな??ちょっと体調不良。9:00-11:30健康クリニック、ドック診察14名。結果判定レ線読み14名分。11;45飯川病院。検食、微睡。 14:00-19:00勤務。19:15帰宅、夕食。21:00就寝。歩行Σ7485歩。

岸田首相(5) 所信表明演説全文を読んで 感想・疑問点など(1)
 岸田首相は10月4日衆参両院本会議で首相指名を受け、同日内閣発足。衆院解散を14日に決めた。10月6日には所信表明の内容が一部報道され、10月8日に所信表明を行った。実に慌ただしいスケジュールであった。

 そのためか所信表明は準備に時間をかけられなかったのだろう、総花的に懸案事項を列挙した感じが拭えない。また、内閣としての議論も乏しかったためだろう、単なる作文のレベルと思われる項目も少なくない。おそらく閣議や自民党内の声で修正されることが考えられる。
 耳あたりが良い言葉が羅列されている。日本の危機感が伝わってこない。

 首相はCOVID-19対策に最優先で取り組み、数十兆円規模の経済対策を策定する方針を表明。
「新しい資本主義」の構築を掲げ、成長と分配の好循環で格差を解消する考えを打ち出した。「新しい資本主義」ってなんだろうか。資本主義を軽く扱っていないか??ちょっと大袈裟。日本的な「新しい経済政策」レベルでしかない。

 ただ、分配重視への転換はこれまでの自民党の経済政策からの大きな転換と思われる。格差是正、中間層を拡大することに異論はないが、貧困層を忘れていないだろうか。COVID-19禍で疲弊する経済を立て直すには相当な困難を伴う。まずは実現を目指す経済政策の中身の全容と対策の道筋を明確に示す必要があろう。

 世界の平和、安全は米国をはじめ、豪州、インド、ASEAN、欧州などの同盟国・同志国と連携して包囲網を作り守らなければならない。それは正しい。
 台湾にしろ日本にしろ一国で対抗するのは無理である。しかしながら、各国の思惑、意識には温度差があるために時間をかけて調整しておかなければならない。

 敵基地攻撃能力の保有に関しては「専守防衛」を逸脱する可能性が指摘されるが、現在は撃たれたミサイルを迎撃して国を守る「専守防衛」レベルですむ時代ではない。迎撃困難な機能を持つミサイルも開発されている。通常のミサイルでも数発同時に向かってきたら撃ち漏らす可能性が高い。仮想敵国は初めからそれをみこんでミサイルを発射してくる。撃たせない状況を作らねばならない。私は敵基地攻撃能力を備えておくべきだ、と思う。これも防衛だし、「専守防衛」といってもいいのではなかろうか。

 わが国を取り巻く安全保障環境が一層厳しさを増す中、わが国の領土、領海、領空、そして、国民の生命と財産を断固として守り抜く。そのために、国家安全保障戦略、防衛大綱、中期防衛力整備計画の改定に取り組む。この中で、海上保安能力やミサイル防衛能力など防衛力の強化が必要である。

 基軸は日米同盟にあることは論を待たないが、日米同盟は変化しつつある。日米同盟の抑止力を維持するのはいいが、米が我が国を守ってくれるとは思えない。自前でも防衛力を高めていかなければならない。

 北朝鮮による核、ミサイル開発は容認できない。
 ところで、北朝鮮のミサイル発射の情報のキャッチ、分析はなんでこんなにもたつくのか??数10分後の臨時ニュースでは「北がミサイルを発射した模様・・」のレベル。こんなことではミサイル迎撃なんてできるのか??あえて情報を隠しているのかもしてないが、よくわからない。
 拉致問題は我が国が持っている優位なカードである。困難ではあろうが継続的に取り組むべき事項である。


10/10(日)快晴 28度Cと暑い 外仕事中心に 終日体調今ひとつ
 1:00起床。文献チェック他。何時ものごとし。書籍電子化、データ整理。自炊3冊。
9:00-11:00畑仕舞い。キウリ、トマトで残してあった根を掘り出し、ナスを拔き去り、マルチを排除し、これらを敷地内に移動。これだけでどっと疲れた。NHKのど自慢後微睡、15:00-16:30根や茎をゴミ袋に整理、マルチは可燃に。その後は読書、音楽観賞、N響公演記録など。19:00夕食、20:45就寝。Σ7824歩。
 
岸田首相(4) 所信表明演説全文を読む(3)
 
◆国民を守り抜く、外交・安全保障の課題
 重要政策は「国民を守り抜く、外交、安全保障」。世界から得られた「信頼」を基礎に、3つの強い「覚悟」をもって毅然とした外交を進める。

 ■第1に、「自由、民主主義、人権、法の支配といった普遍的価値を守り抜く覚悟」。米国をはじめ、豪州、インド、ASEAN、欧州などの同盟国・同志国と連携し、「自由で開かれたインド太平洋」を推進。

 ■第2に、「わが国の平和と安定を守り抜く覚悟」。わが国を取り巻く安全保障環境が一層厳しさを増す中、わが国の領土、領海、領空、そして、国民の生命と財産を断固として守り抜く。そのために、国家安全保障戦略、防衛大綱、中期防衛力整備計画の改定に取り組む。この中で、海上保安能力やミサイル防衛能力など防衛力の強化、経済安全保障など新しい時代の課題に、果敢に取り組む。

 基軸は日米同盟で更なる高みへと引き上げる。日米同盟の抑止力を維持しつつ、沖縄の基地負担の軽減に取り組む。普天間飛行場の全面返還を目指し、辺野古沖への移設工事を進める。

 北朝鮮による核、ミサイル開発は容認できない。日朝平壌宣言に基づく諸懸案を包括的に解決し、不幸な過去を清算、日朝国交正常化の実現を目指す。拉致問題は最重要課題で全力で取り組む。金正恩委員長と直接向き合う決意。

 ■第3に、「地球規模の課題に向き合い、人類に貢献し、国際社会を主導」する。核軍縮・不拡散、気候変動などの課題解決に向け、わが国の存在感を高めていきます。「核兵器のない世界」に向け、全力を尽くす。
 わが国は自由貿易の旗手を務める。

 中国とは、安定的な関係を築くことが、地域及び国際社会のために重要。普遍的価値を共有する国々とも連携しながら、中国に対して対話を続け、共通の諸課題について協力します。

 ロシアとは、領土問題の解決なくして、平和条約の締結はありません。首脳間の信頼関係を構築しながら、平和条約の締結を含む日露関係全体の発展を目指します。

 韓国は重要な隣国です。健全な関係に戻すため韓国に適切な対応を求めていく。


◆新しい経済対策
 「新型コロナ対応」、「新しい資本主義」、「外交・安全保障」。これら3つの政策を着実に実行することで、新しい時代を切り拓く。本日朝の閣議で、新型コロナ対応に万全を期すとともに、新しい資本主義を起動させるため、総合的かつ大胆な経済対策を速やかにとりまとめます。


◆おわりに 協力要請、謝辞
 日本が、先祖代々、営々と受け継いできた、人と人のつながりが生み出す、やさしさ、ぬくもりがもたらす社会の底力を強く感じます・・・。
 (以下省略)


10/9(土)曇り晴れ  
 1:00起床。データ入力整理。早朝午前は座学中心、録音データ整理、自炊3冊。12:30微睡、午後は秋から冬の巣篭もりのために機能強化。新聞データ化、16:00書斎整理、録画でN響定期公演:バルトークの管弦楽2曲ほか。19:00夕食、手巻き、20:30就寝。歩数計Σ4785歩。

岸田首相(3) 所信表明演説全文を読む(2)

◆新しい資本主義の実現(2) 成長戦略
 ■第1の柱:科学技術立国の実現。科学技術分野の人材育成を促進。10兆円規模の大学ファンドを年度内に設置。デジタル、グリーン・・など先端科学技術の研究開発に大胆な投資。民間企業への投資を応援する。新たなビジネス、産業の創出を進める。2050年カーボンニュートラルの実現に向け温暖化対策を成長に。

 ■第2の柱:地方を活性化する「デジタル田園都市国家構想」。地方からデジタルの実装を進め、新たな変革の波を起こし、地方と都市の差を縮小。デジタルインフラの整備を進める。

 ■第3の柱:経済安全保障。戦略物資の確保や技術流出の防止に向けた取り組みを進め自立的な経済構造を実現する。

 ■第4の柱は、人生100年時代の不安解消。将来への不安が、消費の抑制を生み、経済成長の阻害要因に。働き方に中立的な社会保障や税制を整備し「勤労者皆保険」の実現に取り組む。人生100年時代を見据えて全世代型社会保障の構築。

◆新しい資本主義の実現(3) 分配戦略
 ■第1の柱:働く人への分配機能の強化。非財務情報開示の充実、四半期開示の見直しなど、そのための環境整備。下請け取引に対する監督体制を強化し大企業と中小企業の共存共栄を目指す。労働分配率向上に向け賃上げを行う企業へ税制支援を強化。

 ■第2の柱:中間層の拡大に向け、成長の恩恵を受けられていない方々に国による分配機能を強化。少子化対策は大学卒業後の所得に応じて、教育費や住居費への支援を強化し、子育て世代を支える。保育の受け皿整備、幼保小連携の強化、学童保育の制度の拡充や利用環境の整備などの支援、促進。こども目線での行政のあり方を検討、実現。

 ■第3の柱:看護、介護、保育などの現場で働いている方々の収入増。新型コロナ、少子高齢化への対応の最前線にいる皆さんの収入増。そのために、公的価格評価検討委員会を設置し、公的価格のあり方を見直します。

 ■第4の柱は、財政の単年度主義の弊害是正。科学技術の振興、経済安全保障、重要インフラの整備など国家課題に計画的に取り組む。
 
 地方活性化に向けた基盤づくりにも投資。東日本大震災からの復興なくして日本の再生なしの思いの下で、支援、再建、復興・再生に取り組む。
 農林水産業の高付加価値化と輸出力強化。家族農業や中山間地農業の持つ多面的な機能を維持。米価の大幅な下落など、十分な対策を行う。老朽化対策を含め、防災・減災、国土強靱化の強化とともに、高速道路、新幹線など、交通、物流インフラの整備を推進する。
 2025年大阪・関西万博、IoTや人工知能などのデジタル技術を活用した未来の日本の姿を示す。観光立国復活に向けた観光業支援、文化立国に向けた地域の文化、芸術への支援強化にも取り組む。


◆国民を守り抜く、外交・安全保障の課題
 重要政策は「国民を守り抜く、外交、安全保障」。世界から得た「信頼」を基礎に、3つの強い「覚悟」をもって毅然とした外交を進める。

 ■第1に、自由、民主主義、人権、法の支配といった普遍的価値を守り抜く覚悟。米国をはじめ、豪州、インド、ASEAN、欧州などの同盟国・同志国と連携し、「自由で開かれたインド太平洋」を推進。

 ■第2に、わが国の平和と安定を守り抜く覚悟。わが国を取り巻く安全保障環境が一層厳しさを増す中、わが国の領土、領海、領空、そして、国民の生命と財産を断固として守り抜く。そのために、国家安全保障戦略、防衛大綱、中期防衛力整備計画の改定に取り組む。この中で、海上保安能力やミサイル防衛能力など防衛力の強化、経済安全保障など新しい時代の課題に、果敢に取り組んでいきます。

 基軸は日米同盟で更なる高みへと引き上げる。日米同盟の抑止力を維持しつつ、沖縄の基地負担の軽減に取り組む。普天間飛行場の全面返還を目指し、辺野古沖への移設工事を進める。

 北朝鮮による核、ミサイル開発は容認できない。日朝平壌宣言に基づく諸懸案を包括的に解決し、不幸な過去を清算、日朝国交正常化の実現を目指す。拉致問題は最重要課題で全力で取り組む。金正恩委員長と直接向き合う決意です。

 ■第3に、地球規模の課題に向き合い、人類に貢献し、国際社会を主導する。核軍縮・不拡散、気候変動などの課題解決に向け、わが国の存在感を高めていきます。「核兵器のない世界」に向け、全力を尽くす。
 わが国は自由貿易の旗手を務める。
 中国とは、安定的な関係を築くことが、地域及び国際社会のために重要。普遍的価値を共有する国々とも連携しながら、中国に対して対話を続け、共通の諸課題について協力します。

 ロシアとは、領土問題の解決なくして、平和条約の締結はありません。首脳間の信頼関係を構築しながら、平和条約の締結を含む日露関係全体の発展を目指します。

 韓国は重要な隣国です。健全な関係に戻すため韓国に適切な対応を求めていく。


◆新しい経済対策
 「新型コロナ対応」、「新しい資本主義」、「外交・安全保障」。これら3つの政策を着実に実行することで、新しい時代を切り拓く。本日朝の閣議で、新型コロナ対応に万全を期すとともに、新しい資本主義を起動させるため、総合的かつ大胆な経済対策を速やかにとりまとめます。


◆おわりに 協力要請、謝辞
 日本が、先祖代々、営々と受け継いできた、人と人のつながりが生み出す、やさしさ、ぬくもりがもたらす社会の底力を強く感じます・・・。
 (以下省略)


10/8(金)早朝降雨のち晴れ 大曲中通病院外来 飯川病院ボランティア
 0:30起床、ラジオは昨夜の地震関連の放送中心。同じような内容の繰り返し。いつものごとし。5:00可燃ゴミ廃棄準備まで。7:35Taxi駅東口に、8:11こまち、大曲は降雨もあり往復Taxi、9:10外来、15:30市内徒歩。19:30帰宅、夕食、21:00就寝。歩数計Σ7523歩。

岸田首相(2) 所信表明演説全文を読む(1)
 岸田首相は本日10月8日衆院本会議で所信表明演説をした。今回久々全文を読んだ。
 現状の日本が抱える内憂外患について問題点を知ることができた。私自身が今後勉強していく資料の一つとして利用したい。
 そのため、あいさつ、謝辞など省略。語尾など一部改変し、以下に箇条書きに要点を示した。
――――――――――――――――――――――――
◆はじめに
 ■このたび、第100代内閣総理大臣を拝命した。この国難を、乗り越え、新しい時代を切り拓き、心豊かな日本を次の世代に引き継ぐために、全身全霊を捧げる覚悟です。

 ■喫緊かつ最優先の課題である新型コロナ対応に万全を期します。
 ■国民に納得感を持ってもらえる丁寧な説明を行うこと、
 ■常に最悪の事態を想定して対応することを基本とします。
 ■速やかに経済対策を策定します。
 ■目指すのは、新しい資本主義の実現です。
 ■信頼と共感を得られる政治のために対話を大切にします。
 ■多様性が尊重される社会を目指す。若者も、高齢者も、障害のある方も、ない方も、男性も、女性も、全ての人が生きがいを感じられる社会を作る。
 ■経済的環境や世代、生まれた環境によって生じる格差やそれがもたらす分断。これがコロナ危機によって大きくなっているとの指摘があります。
 ■われわれは、この危機を通じて家族や仲間との絆の大切さに改めて気付きました。
 ■全ての人が生きがいを感じられる、新しい社会を創っていきます。
――――――――――――――――――――――――

◆新型コロナ対応
 ■感染者数は落ち着きを見せ、緊急事態宣言は全面的に解除された。菅前総理前総理の尽力に敬意を表す。
 ■感染が落ち着いている今、様々な事態を想定し、徹底的に安心確保に取り組む。病床と人材の確保、在宅療養者に対する対策を徹底。
 ■希望するすべての方へワクチン接種を進め、さらに、3回目のワクチン接種も行えるよう準備します。
 ■経口治療薬の年内実用化を目指す。
 ■電子的ワクチン接種証明の活用、予約不要の無料検査の拡大に取り組む。

 ■国民のみなさんが先を見通せるよう、丁寧に説明する。
 ■これまでの対応を分析し、何が危機管理のボトルネックだったかを検証。
 ■司令塔機能の強化、人流抑制、医療資源確保のための法改正、国産ワクチンや治療薬の開発など、危機管理を抜本的に強化。
 ■国民の協力を得られるよう経済支援を行う。大きな影響を受ける事業者に対し、事業規模に応じた給付金を支給す。非正規、子育て世帯などの方々を守る給付金支援も実行。
――――――――――――――――――――――――

◆新しい資本主義の実現(1)
 ■経済政策。マクロ経済運営はデフレからの脱却を成し遂げる。そして、大胆な金融政策、機動的な財政政策、成長戦略の推進に努める。
 ■危機に対し財政支出は躊躇なく行う。経済をしっかりと立て直し財政健全化に取り組みます。
_■新しい資本主義の実現。新自由主義的な政策は深刻な分断を生んだ。新しい資本主義を起動し、実現していく。
 ■成長を目指すのは、重要、全力で取り組みます。
 ■「分配なくして成長なし」。成長の果実を分配することで次の成長が実現する。「成長と分配の好循環」のために政策を総動員します。
 ■新型コロナで、わが国の経済社会は傷ついた。科学技術の恩恵を取り込み、コロナとの共生を前提とした、新しい社会を創り上げる。例えば、自動走行による介護先への送迎サービスや、配達の自動化、リモート技術を活用した働き方、農業や観光産業でのデジタル技術の活用です。
 ■ピンチをチャンスに変えたい。そのために、「新しい資本主義実現会議」を創設し、ビジョンの具体化を進める。新しい資本主義を実現していく車の両輪、これは、成長戦略と分配戦略です。


10/7(木)晴 午後飯川病院勤務 22時41分千葉県北西部を震源とする地震
 1:00起床、新聞切り抜き入力・整理。録音データ整理などいつものごとし。読書、微睡。7:45ダリア開花たけなわであるが茎の太さに比して花が大きく重い為に枝折れだのありほぼ連日の世話必要。特にシロ。11:07バス早めに飯川病院へ、院長外出のため。14:00正式に勤務、入院患者対応なし。19:30帰宅・夕食、21:00就寝。歩数計Σ6218歩。
 22時41分ごろ、千葉県北西部を震源とする地震。東京都、埼玉県で震度5強、MG5.9。東京で震度5強は、2011年3月11日の東日本大震災以来。

岸田首相(1) 首相選出前後の動き 感想

 岸田自民党総裁、首相の就任前後の日程は下記の如くで実に慌ただしい。
―――――――――――――――――――――――-
 9月29日自民党総裁選にて岸田氏が選出。
 10月4日衆参両院は本会議で首相指名選挙。第100代首相に自民党の岸田総裁を選出。
 10月4日菅内閣総辞職、岸田内閣発足。
 10月4日岸田首相、衆院解散を14日に、31日投開票の意向表明
 10月8日所信表明
―――――――――――――――――――――――-

 岸田首相は菅前首相から政権を引き継ぎ、COVID-19対策、経済再生など国内外に山積する難題に対峙する。新首相の手腕が試される。

 新内閣は20人の閣僚のうち13人が初入閣。全体的に若い閣僚であるが、個々の力量は未知数。私などこれで閣僚運営ができるのか、若干危惧している。中でも、77歳の二之湯国家対策委員長、金子農林水産大臣の就任が気になる。もしかして総選挙後に直ちにすげ替えられるのではないだろうか?

 そもそも「菅氏では衆院選を戦えない」との声が党内に高まったのがきっかけの首相交代。新首相への期待が高いうちの解散・総選挙が有利という判断なのであろうが、新内閣発足直後の選挙では有権者の判断材料は乏しく、岸田首相のイメージでの投票にならざるを得ない。
 国民に信を問う前に、少なくとも予算委員会の論戦などで懸案事項の議論を尽くすべきだと思うが、議員の任期がそれを許さないほど差し迫っているのだろうか。
 これでは野党のいう「表紙が変わっただけの政権、内閣」との批判に応えられないだろう。意外と自民党は苦戦するかもしれない。

 菅政権は1年余と短命だったが、COVID-19の感染拡大の中、デジタル庁発足、携帯電話料金値下げなど数々の懸案事項の改善を実現した。私は問題はあったがそれほど悪かったとは思わない。
 総裁選2021(11) 自民総裁候補に臨む(7)  新総裁選は岸田氏 菅義偉氏の業績を振り返る

 岸田首相には菅政権の業績を正しく評価の上で、自身の政策を進めてもらいたい。


10/6(水)晴れ、散髪 飯川病院 居間のガスストーブ短時間ながら初点火
 1:00起床、歴史、新聞切り抜き入力・整理。自炊数冊。9:00散髪3Q Cut。11:07バス飯川病院。14:00-15:30外来12名、入院5名ともにCOVID-19ワクチン関連業務。読書、資料整理。散水、19:30帰宅、夕食。21:00就寝。歩数計Σ6636歩。

過疎地の交通(3) 地域活性化は住民の移動が要 移動販売車、ネットスーパーなども
 地域交通の衰退、人の移動の減少はコミュニティの崩壊も招く。

 今回のCOVID-19蔓延では感染予防のために人の動きに抑制がかかったが、それによる地域社会の経済的困窮は明らかで、誰でも実感ができたはずである。

 社会は人が動くことにより活性化が保たれる。
 交通政策は人の流れをつくり出すから街の活性化策の要にもなる。

 人口減少率や高齢化率が全国屈指の高さの本県が、持続可能な社会を維持していくためには「移動の手段」をどう確保するかが焦点である。
 本県は各地で中心市街地の衰退ぶりが顕著である。自治体、地域住民、交通業者一体で、地域にふさわしい交通政策は何かを早急に考える必要がある。地域ごとの交通政策議論を本格化させるべきである。

 地域の足を守る新たな試みはすでに各地で始まっている。
 青森県絡ヶ沢町では、集落、町、バス会社の3者による協議会をつくり、住民参加方式でバス路線を支えている。
 富山市では、環境にも配慮して電車を公共交通の主役に据えた。赤字に悩むJRのローカル線と路面電車を接続し、運行間隔の短縮と低料金設定といった利便性の追求で、利用客増につなげている。

 しかしながら、そうした取り組みも地域だけでは限界がある。社会全体で支える仕組みが欠かせない。地方の政策をどう後押しできるのか。 法案づくりと併行して、国は支援メニューを示すべきだ。

――――――――――――――――――――――――――――

 国の試算では全国に600万人程度の「買い物弱者」がいると推定している。過疎になった地域の「買い物弱者」にとっては移動販売車は便利であろう。
 高齢化が進む山間地やスーパーが撤退した地域などでは、食料品など日用品の購入もままならない。これらの地域では移助販売やネットスーパーなどによる対策が広がり始めた。移動販売車でも500点ほど陳列しているが、個別の注文もうける。注文方法など、高齢者の目線に立った取り組みが必要で、現状ではファックスが便利、という。
 最近大手のイオンがネットスーパーを始めた。こちらはインターネットが中心となるようだ。ユーザーにタブレットを無料配布して注文を受ける事業者もあるようだ。

 我が家では「買い物弱者」には当たらないが「買い物ものぐさ」である。我が家では昨年ころからネットスーパーを利用している。注文は朝のうちにネットで申し込むと夕方には届く。会計は銀行から引き落とされ、物品は店舗が配布したラックに届けられるのでいちいち応対する必要がない。


(ネットスーパーが玄関風除室に設置したキャビネット)

 これで家族達が車を動かす頻度は半分以下に減った。

 これからの小売業の一つのあり方にもなりうる、と思う。


10/5(火)小雨曇り夕方から晴れ 中通病院外来 飯川病院 
1:00起床、新聞データ整理などいつものパターン。書籍自炊。5:30可燃ゴミ提出、7:07バス飯川病院。8:45-13:20中通病院外来、14:00-18:30飯川病院、14:00-15:30COVID-19ワクチン関連業務。19:30帰宅、夕食、21:00就寝。歩数計Σ8593歩。

過疎地の交通(2) 少子高齢化の当然の結果だが放置できない問題
 私は昨年夏に運転免許を返納した。
 早期に返納した背景には、バスやJRなどの公共交通、タクシー、自転車あるいは歩行など、私が選べる移動手段が色々残っていることを前提としてであった。家内は車で通勤している。今も公共交通、主として路線バスを利用しながら仕事を続けている。帰路は家内とともに帰ることが多い。

 数日前に行われた路線バスの運行改訂で、私が利用する路線バスのダイヤを上りの便で見てみると、平日は30本→25本に、土日祭日、盆暮の時期は20本→14本に減便となった。

 私が利用する路線は1日20本もあるからまだいい。秋田市内では一日一往復、あるいは数往復しかない地域が少なくない。ここまでくると移動手段としての価値は極めて少ない。
 私は日常、高齢者を中心とした患者の診療を続けているが、「バスの便がなくなったので近所のクリニックに転院したい。長い間ありがとうございました・・・」と申し出る方が少なくない。

 鉄道をはじめ、バスやタクシーも撤退したり、運行を減らしたりしている過疎地の交通をどう確保するか。これは手をこまねいていれば不可逆的になりうるから早急に対策を考えていかなければならない。解決には国の政治、地方政治の関与が必要であるが、今のところ積極的介入の姿は見えない。

 大袈裟なことを言えば我々には「移動の自由、移動の権利」が認められている。地域公共交通は、地域経済、生活を支える重要な社会インフラであるだけに、事業者の経営難の
問題として矮小して捉えることなく、地域全体でそのあり方を考えていくことが重要である。

 一般的に人口減少や高齢化は、通勤・通学需要の減少などから、鉄道やバスの利用客数の減少につながる。そんなことは数十年も前から予測されてきていたが誰も責任を持って考えてこなかった。身近に影響が出てから考える。
 特に、車利用を前提に郊外に進展していった秋田市でも、高齢化が進み、昨年4.000人以上の高齢者が免許証の自主返納を行っている。
 さらに、若い世代の人はそもそも自動車を保有しなくなっている。

 人口減少の中でも、高齢者の増加や免許の自主返納、若者の自動車離れにより、地域公共交通の潜在的な利用ニーズは高まっている可能性がある。この辺の視点を重視した社会インフラの構築を考えなければならない。

 交通関連事業者は、人口減や需要の減少から「路線網や運行本数の縮小による利便性の低下がさらなる利用者の減少を招く」という悪循環環を断ち切り、増収に向けた方策の検時を深めていくことが重要である。


10/4(月) 快晴 健康クリニックドック 飯川病院 大谷最終戦でHR
 1:00起床。文献、新聞チェック。データの電子化。6:47のバスは来なかった。時刻表が変更になっていた。7:07のバスに乗り飯川病院。9:00-11:15健康クリニック、ドック診察14名。結果判定15名分。11:30飯川病院。検食、微睡。 14:00-19:00勤務。入院患者対応。19:15帰宅、夕食。21:00就寝。歩行Σ6645歩。書籍の自炊化。 
10月、衣更えで街の雰囲気が変わった いつもの時間にバス来なかった 

過疎地の交通(1)

ついに10月。
 10月といえば衣替えの時期、県内の中学・高校は数日前から夏服から冬服へ衣替えした。子供たちの冬服へ衣替えで街の雰囲気が白から黒っぽく変わる。これから厳しくなる季節を先取りして私にはちょっと辛い風景であるが、10月の衣替えは毎年秋の街の風物詩の一つである。

(10月2日秋田魁新聞に掲載された高校生達。不用意にレンズを向けられないから借用させていただいた)

 高校生たちの登校時間帯にはちょっと早いが、私も深まる秋を感じながら、病院に通勤している。今はバス通勤だから歩く距離は短いが、病院の近くのカトリック系の女子高校生たちの、明るく生き生きした表情がまぶしい。 

 10月1日から市内路線バスのダイヤが変更になった。
 私は本日までバスに乗らなかったからバスのダイヤの変更に気づかなかった。本日10月4日いい天候に誘われてちょっと早めに、am6:40頃から、停留所に立って6:47のバスを待っていたがバスが来なかった。もしや?と時刻表を見たら案の定変更になっていた。結局次の7:07発に乗ったが、この間約30分停留所で立って待っていた。私はヘッドフォンと多数の音楽のソース、多数の書籍を入れたiPad miniを持っているから、コンサートホールとか図書館にいるようなものだからこの程度の待ち時間は苦にならない。セカセカと動いていた現役の時なら即タクシーと思ったであろうが今はゆったりと待てる。

 秋田のバス網は徐々に縮小されかかっている。私の通勤路のバスは2020年の改定でam6:00-8:00間に一本増えて6本から7本になった。それが今回の改訂で再度減便となり5本になった。
 私は2013年以来は時折、2018年以降は連日バス通勤にした。健康上の問題からである。この間、私が利用するバスはこの路線で2本目にあたる6:47発に固定していた。しかし、今回は1本目の便となり6:40発と7分早まった。
 私は起床はam1:00頃と早いのでバス時間が早くなっても困らないが、降雪期にはam5:30から除雪して出勤するのでこの7分の違いは大きい。今季は降雪量が多めと予想されている。

 次の方法としては、本年3月に近隣に開業した外旭川駅からJRで通う事も考えよう。


10/3(日)快晴暑い  
1:00飯川病院起床。何時もと同様、新聞大量チェック、医学論文などチェック。読書。午前は飯川病院で過ごし、ドンキホーての古書店に.11:45帰宅。のど自慢ご微睡。14:00ダリア世話、段ボール廃棄、ガレージ掃除など。16:30座学、歌舞伎など鑑賞。歩数計Σ5065歩、日当直ではほとんどの時間を机に向かって過ごすから、意識して院内をうろうろしても歩数が伸びない。運動不足。

本 ヘレン ケラー 関連書籍3冊
 今回、原田マハ著「奇跡の人」を読むにあたって原本にあたるとされるヘレンケラー関連書籍3冊も購入して併読した。ヘレンケラーの伝記は幼少の時に読んだ記憶があるがもうすでに本はない。
 ヘレン・ケラー(1880〜1968)は、米アラバマ州で生まれた。彼女の障害は2歳のころに患った熱性疾患による。6歳のヘレンに家庭教師として雇われたのが視力障害を持つアン・サリバン。両人は生涯を通じ付き合う。

 教育は困難と思われたが、散歩中に見つけた井戸の水をヘレンの手に注ぎながら手のひらに指で「water」と何度もつづるとヘレンはそれを理解した。このような指導によって、その日のうちに30語を理解できた。翌月には点字の本を読めるようになり、さらに1ヶ月後には簡単な手紙を書けるようになった。その後、盲学校に移り、口語法などをマスターし、ヘレンはこれらのことを通じて社会問題にも興味を持つようになった。

 その後は、16歳でボストンのケンブリッジ女学校に、20歳でラドクリフ女子大学に進んで様々な知識を吸収した。卒業後、ヘレンは「盲人のために尽くすこと」を使命として、盲人の社会進出を訴える活動を開始。講演や著述を通じて公民権運動や人権運動、反戦運動などの社会運動も積極的に行っていった。

 並々ならぬ才能と性格を兼添えていたのだ、と思う。

(1)ヘレン・ケラー(著)「奇跡の人 ヘレン・ケラー自伝」 新潮文庫 2004年 小倉 慶郎 (訳)
 本書はヘレン自身が残した自伝『奇跡の人 ヘレン・ケラー自伝』。三重苦を乗り越えてラドクリフ女子大学に合格するまでの軌跡や、心情をつづっている。
 光も音も言葉もない中で、どのような思考をめぐらすかについて、当事者の立場から書いている。その三重の障害を何とかしようと奮闘した部分、負けず嫌いの性格なところも随所に出ている。


 そのほかに、漫画による伝記シリーズの中から以下を購入し、参照した。

(2)奥良もと 「サリバン先生ヘレン・ケラーとともに歩んだ教育者」 学習漫画世界の伝記NEXT
 三重苦を克服する過程については、サリバン先生の力が重要な要素として描かれている。彼女なしでは障害を克服することも、世界的な社会運動家としての活動もありえなかった。

(3)關 宏之 「ヘレン・ケラー 三重苦の軌跡の人」 角川まんが学習シリーズ 


 これらの資料からヘレンの性格や、活動状況の一部を抽出した。
 ■負けず嫌いの性格。
 ■花の色の違いが触っただけでわかった。
 ■足音から誰がきたのかわかった。
 ■文学の学位を取得した初めての視聴覚障害者となった。ヘレンは点字を用いて仏語や独語、ギリシャ語、ラテン語などを読むことが出来たという。
 ■世界盲人会議に参加など障害者福祉に貢献。
 ■ミイラが苦手。
 ■日本酒が好き。
 ■盲目の江戸時代の学者、塙保己一を尊敬し目標とした。
 ■被爆都市をおとづれた。
 ■秋田犬をアメリカに紹介していた。
 1930年代にヘレン・ケラーが来日した際、秋田県を訪問、秋田犬を贈り受けた。この犬は短命であったが日本政府は同じ血筋の犬を贈った。秋田犬を米国に持ち込んだ最初の人となった。
 ■日本の障害者福祉法、雇用支援などに影響を与えた。
 講演で、その手のランプをもっと高く掲げてください。見えない方の行手を照らすため、と述べた。
 盲目であることは悲しいことです。しかし、見えるのに見ようとしないのはもっと悲しいことです・・・とも。
 ■戦争反対運動、人権運動など、戦傷による障害者の福祉改善運動に積極的に参加、これらの活動のため、ヘレンはFBIの要調査人物に挙げられている。最初の訪日の際には特別高等警察の監視対象になっていた、という。

 今回、幼少の時に読んだヘレンケラーの伝記を思い出しながら、その業績を改めて偲んだ。すごい方だと思う。


10/2(土)快晴 飯川病院日当直 レセプト点検 
0:30起床。何時もと同様、書類・録音データ整理、自炊4冊。新聞チェック。新聞データ化、ダリア世話。日差しも和らぎ最近の開花は美しい。新聞、医学論文などチェック、所用で出かける家内に同乗、飯川病院に。12:30当直業務に、検食、散水など。15:00-16:10レセプトチェック。以降は読書中心、18:00検食、20:00就眠。歩数計Σ4916歩。

本 三浦哲郎著 「白夜を旅する人々」 新潮文庫 1989年
 作家、三浦哲郎氏は1931年八戸市生まれ、2010年東京で没、満79歳であった。早稲田大学へ進学するも次兄失踪のため帰郷、中学助教諭となる。1961年(昭和36)『忍ぶ川』で芥川賞を受賞。不幸な女性、故郷青森の風土を背景とした貧しい人々を描いた。
 『白夜を旅する人々』は、一家に遺伝する病気を描いた壮大な私小説。著者自身の兄姉たちは必死に生きようとしても叶わず、滅んでいったが兄姉たち一人一人の足跡を鎮魂の思いでたどった作品。
<img src="https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2d/d4/07e91c2167ce2de75146ce5d66aaf4a4.jpg" border="0">

 本書は10数年前に友人に勧められて読んでいた。今回、原田マハ著「奇跡の人」を読むにあたって種々の共通点があることに気づき、電子化した書籍の中から引っ張り出し懐かしく再読した。
 共通点は主人公の一人の名前が両者とも「れん」、舞台は昭和初期青森県の田舎、貧しい中で裕福な家庭に育つ。田舎特有の古い風習に苛まれることなどである。兄弟たちは、自らの身体を流れる血の宿命に脅え、昭和初期における地域の閉鎖性が次第に家族を追い詰めていく。

 三浦氏の兄弟歴:6人兄弟の末子として生を受ける。長兄 -1937年に失踪。次兄 - 1950年に失踪。長姉 - 先天性色素欠乏症で弱視、1938年に服毒自殺。二姉 - 1937年19歳で津軽海峡で投身自殺。三姉 - 先天性色素欠乏症で弱視、琴の師匠となり家計を支えた。
 同胞のうち、残ったのは、病を持ちながらも琴の師匠として生きた3番目の姉と末子である三浦氏のみ。6人中4人が不本意な人生を送った。

 作者は私小説を書くことで、その血の問題、運命と向き合い続けた。死の作品、「忍ぶ川」をはじめ、氏が末弟として導き出した一つの解答が、本作であった。静かに抑えた表現で書かれ、同胞達への鎮魂歌となった。

 東北の生活は厳しい。吹雪、風の音、馬そりの鈴の音や方言が、美しい文章で綴られ、登場人物が話す方言は東北出身の私の心に温かく響いた。

 家族とは何なのだろう。家族は、支えにもなってくれるけれど、うっとうしく、つねに心にからみつく鎖である。三浦氏は時代と地域と家族の問題をわが身をの思いを削りながら教えてくれる。
 この作品を書くのは、著者にとってどれだけ苦しいことだったかと思う。自伝的物語として言葉で紡ぎ上げていったことで家族との別れに一定の結論を導くことができたのだろう。
 美しい文章。文章に魅了されつつも、内容は家族のあり方、心身の欠陥、死者の弔い、現実の重さ等、深く深く考えさせられた。

 いずれ誰でも家族と死別する。
 死別に際して十分納得して別れを惜しむことなどあり得ない。見送る自分として消化不良の部分は必ずある。私の場合もそうだった。父母を送り、兄も送った。いずれももっと言っておきたかったこと、聞いておきたかったことを残したまま逝ってしまった。私は3人への鎮魂を兼ねて、私の立場から3人の人生を振り返り小文として纏めた。一方通行の意見であるが、私はこの作業を通じて先に逝った3人と"現世では"訣別できた気がする。
<a href="http://www.mfukuda.com/profiel/hahahana.htm">母を語る</a>
<a href="http://www.mfukuda.com/profiel/titi.htm">自伝 特別編 父を語る</a> 
<a href="http://www.mfukuda.com/profiel/ani.htm">自伝 特別編 「兄を語る」</a>

 そういう意味を込めて、三浦氏が兄弟への想いを込めてまとめた『白夜を旅する人々』は私の心に沁みてくる作品である。


10/1(金)曇り小雨時々 大曲外来 飯川病院ボランティア
1:10起床、新聞その他文献チェック何時ものごとく。途中で微睡若干。文献読み多数、自炊3冊。5:30可燃ゴミ提出準備のみ。7:40Taxi駅に。8:11こまち、往復徒歩不可、9:10大曲中通病院。秋田徒歩。秋田駅で電池購入、久々。15:30飯川病院ボランティア。19:30帰宅夕食、20:30就寝。歩数計Σ7113歩。

本 原田マハ著 奇跡の人 双葉文庫 2018
 最近、私は原田マハ氏の作品を集中的に読んでいる。
 氏は美術館に勤務し、キュレーター、小説家として知られている。 早稲田大学美術史学卒。馬里邑美術館、森ビル森美術館設立準備室、ニューヨーク近代美術館に勤務後、2002年にフリーのキュレーターとして独立。文筆活動を開始した方。
 作品は多数あるが、私は最初に読んだ「最果ての彼女」以降、「本日はお日柄もよく」「総理の夫」「マグダラ屋のマリア」「デトロイト美術館の軌跡」他を読んでいる。「奇跡の人」はその中の一冊。
  
 (表紙でオディロン・ルドン作 花に囲まれた二人の少女 ヒューストン美術館 を見ることができる)

 ヘレン・ケラーに関しては小学生の頃に読んだ簡単な自伝を介して大体のことは知っていたつもりでいた。「奇跡の人」とは、私はヘレン・ケラーその人を指していると誤解してきたが、本作を読んで彼女に苦難の末に言葉をもたらしたアン・サリヴァン女史のことであったことを知った。
 原田マハ氏の本作『奇跡の人 The Miracle Worker』は、ヘレンとサリヴァンの物語を明治の津軽地方に置き換え再構築した作品。

 物語は明治20年。弱視でありながら9歳の時にアメリカ留学の一向に組み入れられ、成人になって帰国した去場安が、両親が勧める結婚を断り、弘前で暮らす盲聾唖の6歳の少女れんの家庭教師として雇われる。
 れんは弘前の名家に生まれたが、1歳に満たない時に熱病を患い、やっと助かったものの暗い蔵に閉じ込められ、手づかみで食事をとり、排泄の躾もできていない、まるで獣のような少女だった。
 そんなれんを安は「気品と、知性と、尊厳を備えた人間になってもらうために」根気よく言葉と生活のマナーを教える。「水」を認識するまでの二人の姿は時に悲惨、壮絶であり、その間の流れは、まさに私たちがよく知るヘレンケラー著「奇跡の人 ヘレンケラー自伝」そのままである。この物語は「水」を認識した頃までの初期の話題で終わっている。

 なぜ著者は、この物語を明治の津軽に置き換えたのか。
 本作には「ヘレンケラー自伝」にはない、弘前地方の特有のふたつの風習、文化が挿入される。そのひとつは恐山の「イタコ」。もうひとつは、「ボサマ」と呼ばれる家々の玄関で音曲などを披露し、食べ物やお金を貰う流しの文化。「ボサマ」の一人である三味線弾きの少女・キワとの出会いである。イタコもキワも、盲目の女性である。

 「イタコ」も「ボサマ」も津軽特有の風習、文化である。社会的身分としては最下層でありながら技術さえ磨けばなんとか食べていけるだけの扶助の文化が、津軽には存在していた。そうして自立している「ボサマ」の少女とれんを出会わせることで、レンが徐々に人間らしくなっていくのに大きく役立った。弱視、全盲の女性4人が真剣に生きる姿を見事に描出している。

 だから本書は設定を明治の津軽にしなくてはならなかった。作者の慧眼といえよう。
 津軽恐山の「イタコ」に関しては私も親しみを覚えている。小学4-5年頃お世話になったからである。医療の時代と死生観(8) 幼少時から死が身近にあった(3) 祈祷の手にゆだねられたことも





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