8/15(火) ポツダム宣言受諾日 快晴暑い 中通病院外来
1:30起床,寝苦しかった。論文読み、データ処理・整理他、5:30可燃ゴミ提出、トマト収穫、6:40バスは明日まで休日体制、40分近所の建物の日陰で待つ。7:17に乗る。その間iPadで本読み。病棟対応、8:45-12:00中通病院外来、大曲佐藤副院長死去!!! AMIという。中通リハ病院、定期処方など。微睡、13;00-15:00ビスイ後病棟対応。19:30帰宅、夕食、20:30就寝。長女一家は次男宅のバーベキューに。
8/15はポツダム宣言受諾日(1) 正しい終戦日は9月2日 我が国と世界の犠牲者数
太平洋戦争終結から本日で78年。今年は開戦から82年に当たる。
国内外の多くの犠牲者に哀悼の意を表し、平和の尊さを再確認し、反戦への誓いについて考えたい。
毎年8月15日はポツダム宣言受諾日であるが一般的には終戦記念日として捉えられている。先の大戦において亡くなられた方々を追悼し平和を祈念するため、「戦没者を追悼し平和を祈念する日」とされていて追悼式典がおこなわわれている。
式典には、岸田総理を始め、衆議院議長、参議院議長、最高裁判所長官、関係団体の代表、遺族の方々などが参列し、先の大戦における全戦没者に対して追悼の誠をささげた。
追悼の対象は「第二次世界大戦(日中戦争/支那事変・太平洋戦争/大東亜戦争)で戦死した旧日本軍軍人・軍属約230万人」と、「空襲や原子爆弾投下等で死亡した一般市民約80万人」の、「日本人戦没者計約310万人」である。
式典は政府主催で行う。
第二次世界大戦の国別の戦死者数は、ソ連の1450万人が図抜けて多く、ドイツの280万人、日本の230万人がこれに次ぐ。
アジア・太平洋地域の軍民の犠牲者数はフィリピン100万人、ベトナム200万人、中国1000万人以上・・・などとされる。
日本人死者の9割が1944年以降の戦争末期に集中して亡くなったと推算される。そのほとんどは戦闘死ではない。30万人を超える海没死した。軍の乏しい補給力を背景に考え難いほどの兵士が辛酸を舐め、餓死・病死で命を失った。また、特攻などの理不尽な作戦で命を失った。
なぜ我が国の死者がこれほど多く非業の死を遂げたのか、国による分析はあるのだろうか。私は無学にして知らない。
その検討や反省もなく、犠牲者達をまとめて追悼するのは死者の霊に失礼ではないか、とさえ思っている。
一人一人の人間の死は悲劇だが、100万人の死はもはや統計である。
戦争は人間の死の重みを変える。 かけがえのない命を数えるのに「約」がつく。
赤紙ひとつで駆り出され故郷や家族に別れを告げなければならなかった兵士たち、そこにはここの人生があったはずであるが全て抹殺されて統計的数値となってしまう。やむを得ないことだと思いながら、私は心やすらかには捉えられない。
8月15日は、ほとんど戦争を知らない世代の私にとっても重い鎮魂の日である。
8/14(月) 健康クリニック休診 中通リハ休診
3:00起床。文献・新聞、医学論文チェック、録音データ整理。10:00回診に行く家内に同乗、旭川のコイに給餌。中通リハ病院。12:00軽食、読書、微睡、新聞切り抜きなど。18:00帰宅、19:00夕食、20:30就寝。
被爆78年目の夏(5) 国連機能不全で国際法はほぼ形骸化(2)
国際社会に国際法という規範が存在することも事実。しかし、基本的原理の確認だけであり実効性は乏しい。
国際法の流れを見ると、19世紀以降、国際的の商品取引、資本輸出が増大し、交通・通信手段も発達するにつれて、国際法の必要性は増している。
通商航海条約をはじめ、領事関係、犯罪人引渡し、郵便、電信、鉄道、著作権、工業所有権などを規制する無数の条約が締結され、国際法の内容を豊富にしてきた。
これらの中では国際法は一部機能している、と言える。
国際法は国家間の対立関係に関しては無力であった。
?第一次世界大戦以前
戦争そのものを実行する国家の行為については、まったく放任し、法的規制の対象としなかった。いわば戦争は、国家の大義を認めさせる最後の手段とされてきた。
?第一次世界大戦以降
侵略戦争すなわち攻撃戦争を違法化する一般的な条約が結ばれてきた。国際連盟規約、不戦条約、国際連合憲章はその代表的な例である。
?米英のイラク攻撃
2003年3月、米英など「有志連合」は一方的にイラク攻撃を始めた。2001年のアメリカ同時多発テロ事件をきっかけに、アフガニスタンに続いて、イラクを標的にした。これによってフセイン体制が、あっけなく崩壊した。
今日では侵略戦争の違法性は、世界のすべての国によって法的に確信されている・・・と、ロシアのウクライナ侵攻までは思われていた。私もそう思っていた。
しかしながら、調べてみればソ連、ロシアが他国と結んだ条約などが悉く無視されてきている。枚挙にいとまがないほどである。
これらの2国間の条約や約束はかつてのソ連、ロシアによって見事に破られた。対ロシアの不信感は私にもあるが、調べてみれば欧米の歴史は対ロ不信感に基づいていると言っていい。
我が国との間でも、ソ連は日ソ中立条約があるにもかかわらず1945年(昭和20年)8月8日に対日宣戦布告を行いわずか1週間で漁夫の利を得た。
これにも日本は戦後沈黙し、犯罪性を問うことなく有耶無耶にした。シベリア抑留と強制労働も同様である。シベリア抑留に対する国の公式見解は聞いたことも見たこともない。
今回のロシアのウクライナ侵攻は国連の常任理事国であり、核保有国であるロシアが、他国の領土の一体性や政治的独立を脅す武力の行使を禁じた国連憲章や国際法を無視し、大規模な武力行使によって現状変更を試た。
ロシアは核兵器など大量破壊兵器の使用もちらつかせている。
さらに、ロシア軍は民間人を標的とする非人道的な攻撃をあからさまに行っている。
ロシアは批判を受けているだけで、どこからも軍事的実効的抑制を受けていない。プーチン批判は何ら実効を果たしていない。
国際法は無とは言えないが、この程度の力しかない。
日本の大学にも国際法専門学者が大勢いるが、ほとんど沈黙している。何故なのか? もともと学者の存在意義はそれほどないが、もう少し情報を発信していいのではなかろうか。存在意義が問われる。
8/13(日)盛岡午前曇りのち快晴、暑い 墓参り 帰秋 途中バッグ忘れ寺に取りに
5:00起床、入浴、読書、10:30大観発江岸寺に。11:30住職の読経いただだく。12:30解散、青山の兄貴宅訪問、兄嫁上気道炎で不調と。途中バッグ忘れ寺に取りに。次男の車が故障した、という。詳細不明。17:00中通リハ着、病棟対応。20:45帰宅夕食。21:45就寝。
被爆78年目の夏(4) 国連機能不全で国際法はほぼ形骸化(1)
国際法は存在する。しかしながら、とても脆弱である。とても法と言えるものではない。
各独立国では国内法は充実してきている。
日本の国内法と国際法を比較してみれば以下のような差異があり、国際法の問題が浮き彫りになる。
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●立法機関がない
国際社会には各国の議会に相当するような立法機関がない。
そのため、すべての国家を拘束する強い法になりえず、理念的慣習的の形態でしか存在し得ない。
●裁判機関ががない
国際社会には裁判機関がない。
現在では国際連合の主要な司法機関として国際司法裁判所が設けられている。今回のロシアの戦争犯罪を論じる際にも時折話題になっている。しかし、当事国間の合意がなければ裁判できないことになっている。
その結果、国際法に違反する紛争でも、裁判所の判断に服するとは限らない。果てしない水掛け論が繰り返されたり、結論まで至らずに審議が終了する可能性もある。
●法の執行機関がない
国際社会には法の執行機関がない。
国家の場合には、警察などがあって犯罪を防止し秩序を維持するから裁判所の判決も実効的に執行できる。国際社会には、統一的な権力的機関は存在せず、国際法違反を実効的に監視・執行する制度がない。
侵略戦争に対して国連が防止措置や強制措置をとる制度はあるが、その実効性は保証がない。
漫画チックで仮想の話であるが、国連に国連軍があって国際条約違反の国に力を行使できれば抑止力になるが、現実にはあり得ない話である。
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国際法には、このような脆弱性がある。
だから、法の文章にそぐわないレベルの機能しかない。
8/12(土)秋田晴れ暑い!!午後盛岡降雨激しく つなぎ温泉大観に
2:15起床、文献チェック等、本読み等。散水、収穫。10:00中通リハ、12:30盛岡に向け出発。14:00盛岡激しい降雨。台風の影響か?? 15:00ホテル大観着、様相に変化あり。15:30次男長女一家と合流。本読み中心、入浴、19:15夕食、ビュッヘスタイルも個室で。21:00解散、就眠。
被爆78年目の夏(3) 東京裁判の容認の影を今でも引きずっている
私は、今問題になっているロシアのウクライナ侵攻、非戦闘員の殺戮、核兵器使用の脅しは、東京裁判で連合軍、とりわけアメリカの戦争犯罪行為を有耶無耶にして来た日本政府の態度に辿り着く、と思う。
東京裁判(極東国際軍事裁判)は、1946年(昭和21年)5月3日から1948年(昭和23年)11月12日にかけて行われた。戦勝国が敗戦国を一方的に裁くという報復的な裁判であった。
A級「平和に対する罪」で25名が有罪判決を受け、うち7名が死刑となった。
おかしなことに、後に日本政府はこの判決を受諾し、「異議を申し立てる立場にない」という見解を示した。
独立のための政治判断だったと思うが、日本が「人類の歴史的犯罪を容認」したという姿勢で国際的犯罪行為に大きく加担した、と私は思う。
東京裁判では、
?原子爆弾の使用、
?民間人を標的とした無差別爆撃、
?・・・・・
などの国際法違反行為は一切取り上げられず、証人の偽証罪も問われず、罪刑法定主義や法の遡及もなかった。
こうした欠陥の多さから、東京裁判は「裁判の名にふさわしくなく、単なる一方的な復讐の儀式であり、全否定すべきだ」との意見も少なくなく、国際法の専門家の間では本裁判に対しては否定的な見方をする者も多い。
サンフランシスコ平和条約は、1951年9月8日調印、1952年4月28日発効したが、これにより連合国による占領は終わり、日本国は主権を回復した。
日本は、東京裁判の判決を受け入れたが、そこに政治的判断が行われた。
しかしながら、日本は裁判とは別に連合国軍の行為の問題点を明らかにすべき立場は残しておくべきだった。いや、これからでも明らかにすべきである。
勿論、日本の戦争犯罪についても明らかにされるであろうが、それが歴史学者に課せられた使命である。
岸田首相や閣僚は、EUやバイデンと同調して外交を盛んに進めている。
その際、各国に対し「ロシアのウクライナ侵攻は明らかに国際法違反であり・・・」と述べているが、第二次世界大戦の違法行為を容認してきたという歴史を考えれば、政府の対応は説得力を欠く。
確かに、東京裁判の時代は国際法はまだ十分なものではなかった。
今はどうなのか?今でも実効力を伴わない骨抜き法でないのか?
そんな効力の無い法を前面に出して主張して何になる?とは思うが、それしか言いようがないことも事実である。
日本は東京裁判を受諾し、米国の人類初の非人道的行為を不問にしてきた。このことがロシアのウクライナ侵攻をに結びついた。これが私の感想である。
8/11 (金)山の日祝日 快晴
1:45起床,文献・新聞チェックその他。9:30一般ゴミ提出忘れていた。確認して間に合ったが量的に準備のみで済んだ。11:00家内同情旭川コイに給餌後中通リハ、病棟対応数名。発熱者数名。新聞チェック、電子化、自炊3冊。19:30帰宅夕食、20:30就寝。
被爆78年目の夏(2) 核兵器を用いてはならないと明確に示した条文はあるの??
広島/長崎は被爆投下78年目の夏を迎えた。
私はほぼ毎年広島/長崎の平和記念式典中継をラジオで聴いている。業務で聞けない時には録音する。従来まではややマンネリ化した式典と考えていたが、昨年からは新しい気持ちで聴いている。
一昨年までは過去への振り返りの様相、被爆国の被害者意識が大きかったが、昨年からは未来に向けての確個たる意思を示す式典のように感じ取った。
広島平和公園にある記念碑(原爆死没者慰霊碑)は昭和27年(1952)8月6日設立された。中央には原爆死没者名簿を納めた石棺が置かれており、石棺の正面には、「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」と主語のない言葉が刻まれている。誰の過ちなのか??まさか被爆者が主語ではなかろう。日本の軍部か??投下したアメリカなのか??アメリカなら、トルーマンなら納得できるが、はっきりしない不思議な碑である。
この碑の言葉こそ日本が、世界が核問題を有耶無耶にしてきたことへの象徴のように思えてならない。
独立国に対し力で侵略することは許されない。ただ許されない、というのはあくまでも理念だけのレベルであることが今回のウクライナ侵攻によって示された。国際法違反と騒いでも、誰もプーチンを、ロシアを捌けない。国連ですら捌けないし、止められない。
国連の機構ってどうしてこうなっているのか?大国に拒否権を与えた背景はどうなっているのか??私はまだ勉強不足でこの辺の事情は知らない。おそらく大国がゴネた結果であろう。当時の加盟国はそんな機構を理不尽と思っていても「無いよりはいい」ということで成立したのであろうか。
主義主張は異なっても、たとえ、ロシアと友好関係にあって政治経済的に利害関係があるとしても、一国の主権を力で犯す「ロシアの暴挙に対して明確に反対しない国々がある」のは驚きである。そのような国はロシアの行為をを容認するだけでなく、期が熟せば自らもそのような方法をとる可能性を示している。
こんな国は信用できない。
広島、長崎の惨禍を経て、戦後世界が堅持してきた得体の知れない、実態のない規範がある。
「核兵器を使うことは本質的な過ち」とする、不文律である。越えてはならぬ一線として共有されてきた。しかし、この規範が今プーチン一人のために大きく揺らいでいる。
「なんとなく形作られてきた」規範どころかイメージ的レベルの規範でしかなかった。私はそう思う。核兵器を用いてはならないと明確に示した条文は何処かにあるのだろうか。多分ないだろう。
それでも、今までは、このイメージ的規範が世界を覆っていた。
そんなレベルだったが、その規範を真っ向から否定したのはプーチンであった。
8/10(木)快晴暑い 健康クリニック結果判定
2:00起床,徒然ほかこなす。早朝涼風ありむしろ寒い。立秋も過ぎたが私は秋の訪れが怖い。中通リハ、微睡から。11:00病棟対応。14;00健康クリニック結果判定。往復の歩行時熱風であった。19:30帰宅夕食、20:45就寝。
被爆78年目の夏(1) G7を中心に核兵器への考え方が変わった
広島、長崎に原爆が投下されて今年で78年となる。
昨年末までの推計死者は広島で約14万人、長崎で約7.4万人。今なお多くの被爆者が放射能の影響による病気に苦しんでいる。昨年1年間の被爆者の死は5.300余人に上る。
広島市で6日、長崎市で9日にいつもの平和式典が開かれた。
広島で5月に開かれたG7広島サミットは「核兵器のない世界へ道を開く」ことを目標に掲げた。核軍縮に焦点を当てた初の独立文書「広島ビジョン」は、ウクライナ侵攻で分断を一層深める世界の現実を浮き彫りにするものだった。
ロシアのウクライナ侵攻を「良くないこと」と考えない国々も少なくないのは驚きであった。
ロシアの核兵器使用を認めないのは当然。その上で、G7国側が持つ核兵器は抑止力として是認する姿勢が示された。
従来の核禁止に関する議論は実態のない理想論でしかなかったと思う。確かに核兵器はない方がいい。今回は一歩踏み込んで核抑止を明記した。
世界一の核弾頭数保有国のロシア、さらに核兵器を拡充しようとしている中国、ロシアと同様に核による威嚇を繰り返す北朝鮮などのトップは、簡単に言えば押し並べてバカだ、としか言いようがない。他の表現法はない。これらのバカには、核を持たない平和主義者達が理想論をいくら述べてもなんの影響もないのだろう。
少なくとも今までの核禁止に関する歴史がそれを物語っている。
ならば、この問題を乗り越えるための方策を探っていくことが大切だ。そのためには何が必要か??
無責任な意見なのかもしれないが、私は核の抑止力の力を借りるしかないと思う。
核抑止は、報復用核兵器の保有が、対立する二国間関係において互いに核兵器の使用が躊躇される状況を作り出し、結果として重大な核戦争と核戦争につながる全面戦争が回避される、という考え方である。
G7広島サミットではロシアの核威嚇、使用は許されないと断じた一方、G7参加国が持つ核兵器は「防衛目的の役割を果たし、侵略を抑止する力がある」核兵器をの保持を正当化した。
この矛盾に満ちた行き方、考え方は各方面から厳しい評価を受けているが、私は話が通用しないような国、バカな指導者がいる核保有国があるかぎり、核抑止力に頼らざるを得ないと思っている。
G7首脳のみならず、インド他のグローバルサウスと呼ばれる新興・途上国の首脳らがG7広島サミットで来日し、被爆地に立ち、訪れた原爆資料館で被爆の惨禍を目にした意義は大きい。しかし、それだけで核兵器がなくなるとは到底思われない。
8/9(水)快晴 長崎原爆投下77年
2:00起床,読書、画像データ整理、文献・新聞ほかこなす。途中微睡する。
暑くなる前にダリアの世話、収穫、散水などこなす。11:50バス、中通リハ病院、14:00病棟対応、14:30定例のカンファ、評価会議。19:00通町書店経由帰宅・夕食、20:30就寝。
今年の秋田は暑い(6) 40℃超の熱波が頻発する環境でヒトは生きていけるのか?? 可能だが困難
人の体温保持の仕組みは非常に見事なしくみによっている。ということは、ヒトは体温の許容範囲は狭い、ということ。
しかしながら、ヒトには知恵があり、衣服や建築、土木の工夫によって身を守ることが可能である。
ただ、ちょっとしたことで、体温調節が破綻する。
熱中症は、緻密な体温調節が破綻する重篤な病気である。
極寒環境による体温保持の破綻は新田次郎「八甲田山死の彷徨」などの文学作品に詳しい。
熱中症の解決の手立ては明確にあり、熱中症を減らすことはできる。
ポイントは、?異常な高体温にならないようにする。?熱中症になったら、できるだけ短時間に身体を冷やすこと、である。
この6月以降、マスコミを中心に熱中症予防の呼びかけが頻繁に行われている。にも関わらず多数の患者が救急病院に搬送されている。
「エアコンを適正に用いましょう」、という呼びかけだけでは、ポイントがズレている。
日本の少子高齢化は一部の識者たちから半世紀も前から指摘されていたが、為政者たちは対策を一切とらなかった。あらゆる分野でその障害が顕著になり、もう不可逆状態に至った今になってポイントがずれた少子化対策で騒いでいる。これに似ている。
ヒトの体温に直接与える影響も重要であるが、以下の要因の方がより大きな問題になり、大規模に人に影響を与えるであろう。
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?海面の上昇による国土の些少化、
?未曾有の気象激甚化による天災の頻発、
?未知の感染症の新興と蔓延、
?食糧生産に重要な植物生育環境や農業などへの影響、
?他の生物への影響
?水不足
?・・・
――――――――――――――――-
現在の暑さの問題は、人間の際限のないエゴに由来する生活習慣に関連することは明らかである。
まず手をつけるべきは、?都市の構造の改善、?人口分布や集中、?労働や居住地域の集中、?緑地化、?移動手段の高速化・便宜化の見直し、などが必要に思われる。 これらは、短期的な努力で改善が可能だと思う。
40℃になるのを漫然と憂うより、今できる改善策に早く手をつけるべき、と考える。40℃超えの日本列島にヒトは住んでいけなくはないが、エゴのままにしては40 ℃超えが常態になってしまう。
8/8(火)快晴暑い 夜間降雨若干 中通病院外来
1:45起床,文献・新聞ほかこなす。5:30家庭ゴミ集積所。花壇の対応散水、立秋も過ぎ、早朝涼風あり快適、一方、私は秋の息吹に恐怖感を覚える。6:40バス中通リハ病院。7:00-8:00病棟対応、8:45-12:45中通病院内科外来。人数の割に疲弊。13;00リハ病院、微睡1時間、読書ほか。病棟ではお盆を前にした点滴等のオーダー求められる。新入院あり。多剤服用患者。19:20帰宅夕食。20:30就寝。
今年の秋田は暑い(5) 次世代エアコンは日本発
現在のエアコンは人間の命を熱波から守るには必須のアイテムになっている。
約1世紀の歴史を持つ偉大な発明ではあるが、使用する冷媒も、電力の消費の面からも地球環境への負荷が大きすぎる。
人間の健康と地球環境を守るために新しいアイデアのエアコンの必要性は明らかである。
米国のシンクタンク、ロッキーマウンテン研究所はそのために最近、国際コンペを開催した。優勝したのは日本のチーム、 中国のチームでいずれも水の気化熱を利用してエネルギー消費を減らす方式を採用している。 この方式のエアコンは2025年までに商品化される見込み。
静岡市にあるGF技研は従来と比べて半分の消費電力で、冷房機能と換気機能を両立し、低排熱で地球温暖化防止と健康的な社会の実現に貢献する空調システム、フレッシュ・フリー・エアコン『FFA』を開発した。将来的には、GF技研が開発した太陽光発電と熱回収を同時に行う一体型パネルを組み合わせることで、消費電力ゼロを目指す、という。
FFAは水の蒸発によって空気を冷やすためにフロンなどの冷媒不要で、室内空気を通すだけで冷房が可能。電力は送風にしか利用されないという理想的な構造を持つ(詳細は省略)。
世界の空調システム市場は、2019年の約9.7兆円から2025年には約14.1兆円に拡大すると予想される。同社では物流倉庫や工場、オフィスといった事業者向けを中心に事業を展開し始めており、そのうちの10%程度は「FFA」への置き換えが可能だと見込んでいる。
家庭用エアコンとしても発売が予定されているという。
秋田も近年暑くなってきている。調理を担ってくれている石井さんの希望もあって我が家でも2019年6月に居間にエアコンを設置した。確かにこの季節台所で火を使うのは大変であろうと思った。私の生活時間帯は早朝のなのであまり必要性を感じないが、昼にはそれなりに利用されているようである。
私の書斎は午後から夕方にかけて西陽が当たる。就寝時はとても暑いが扇風機を活用して汗だく状態で眠っている。秋田だからなんとかなっていると思う。もっと暑い地方ではエアコンに頼らざるを得ないだろう。
8/7(月)早朝曇りのち晴れ、暑い 夕方降雨 健康クリニックドック
1:30起床。文献チェック他。エッセイ読み、データ整理。5:00アマリリス分株、1鉢から3鉢に。上手く根付けばいいが。散水。6:40バス中通リハ病院、7:00-8:10病棟対応。9:00-11:30健康クリニック。15人、結果判定12名、11:45中通リハ病院に。微睡、読書、データ整理。15:00病棟対応。16:00秋銀スタッフ2名来訪歓談。19:10帰宅、夕食、21:00就寝。
今年の秋田は暑い(4) 現在のエアコンの問題点
熱波から命を守るにはエアコンの意義は大きい。エアコンの設置台数は、世界中で現在の16億台から21世紀半ばまでに56億台に増えると、国際エネルギー機関は予測している。
ただ、困ったことに、 今のエアコンの普及は地球温暖化を加速する。
かつて住宅にエアコンを設置するのは、富層だけに許された贅沢だった。だが今
では世界各地で、エアコンは熱関連死の予防に欠かせない装置になりつつある。
大半のエアコンの仕組みは、液体状の冷媒が循環し液体からガスに気化する過程で、室内の空気から熱と湿気を奪う。 建物の外には室外機が設置されていて、ガスになった冷媒を再び液体に戻し、熱を放出する。
1世紀の歴史をもつこの独創的な方式には四つの問題がある。
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?一つ目は、一般的に冷媒として使われるハイドロフルオロカーボン (代替フロン) はそれ自体が温室効果ガスであり、環境中に漏れ出せば、分子1個で比べると二酸化炭素の何千倍にものぼるとみられる温室効果を発揮する。
モントリオール議定書に基づき、先進国は冷媒に使用するフロン類を2011〜2013年の平均値から2024年には40%以上、2029年には70%以上削減しなければならず、対応のために多大なコストが発生する。また、フロン冷媒には火災時に有毒ガスが発生する懸念もある。
?二つ目は、今のエアコンでは熱を屋外に捨てるだけ。夜間にエアコンの使用により、屋外の気温が最大1℃上がっているというデータもある。
?三つ目は、エアコンを動かすには大量の電気が必要。 その量は世界の電力消費の約8.5%を占め、大半は今も化石燃料で得られている。 2016年にはエアコンの使用による世界の二酸化炭素の排出は11億3000万トンにのぼった。2050年までにこの数字は2倍近くになると予想されている。
このままエアコンの世界的普及が進展すれば、地球温暖化がさらに加速することが想定される。
?四つ目は、効果的な換気ができないこと。冷媒使用のエアコンには、この課題に対する解決策が見つかっていない。
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いま、次世代のエアコンが実用化途上にあり、我が国の技術が期待されている。
8/6(日)快晴暑い 竿灯最終日 広島原爆投下78年
1:30起床。読書、徒然、音楽関連データ整理。特に歌謡曲に集中。徒然など。7:30ダリア等に撒水、アマリリス株分準備、データ入力ほか。8:15慰霊祭、その後は歩くて無理、読書等座学に。のど自慢楽しむ。14:30家内とともに旭川コイに給餌後長崎屋古書店経由中通リハに。病棟対応。発熱者数名。19:00帰宅、夕食。20:30就寝。
今年の秋田は暑い(3) 諸外国熱波事情
古い話であるが、内容的には古くはない。近々の問題でもある。
2003年夏、フランスを襲った熱波で気温が危険域の40℃に達する日が8日間も続いた。当時のフランスはエアコンの普及率が低く、高齢者が自宅で熱中症になって死亡する事例が相次いだ。
病院には患者があふれ、遺体安置室が満杯になって、冷蔵トラックや食品市場の冷蔵室にまで遺体が運び込まれた。
最終的にフランスでは熱波による死者は1万5.000人余りにのぼった 。
欧州大陸全域で死者は7万人以上。その後の分析で、この年の夏の暑さは欧州では過去500年間で最高を記録したことがわかった。
この異常な猛暑は明らかに気候変動と関わりがある。
気候変動では、威力を増す熱帯低気圧、干ばつ、 海面上昇、森林火災シーズンの長期化など、地球温暖化に関連するとみられる異変が次々と明らかになっているが、そのなかでも、熱波の増加は日常生活にじかに響く。
欧州では、2003年の熱波はもはや異例ではない。 以後5回も大規模な熱波が襲
い、2019年にはフランスで46℃など、西欧の6カ国で観測史上最高の気温を記録した。
地球温暖化に対する解決策は温室効果ガスの大幅な排出削減であるが、現状のまま排出が続けば、米国では2100年までに熱波関連死者は年間10万人を超えると予測されている。インドでは年間の死者が150万人にのぼる可能性があるという。
たとえ排出を削減できても、気温の上昇は今後何十年も続く。 極端な気象現象はすぐには収まらず、人々の生活は大きな変化を迫られる。
今の国際情勢から見て排出削減は困難であり、異常気象は今後も続くと私は思う。
この中で人類は生きていかねばならなくなった。
猛暑は、早産児や低出生体重児、死産の増加と関連があるといわれている。 猛暑が続くと、 所得水準を問わず人々はより暴力的になる。子どもの学習成績は下がり、大人の労働生産性は低下する。農作物の収量は減少し食糧危機は一層ひどくなる。
人間と作物と家畜は過去1万年にわたり、年平均気温13℃近くを中心とする比較的狭い気候条件の環境で進化してきた。人体はそれより高温の気候にも適応できるが、生存可能な気温と湿度には上限がある。
エアコンの効いた屋内で過ごせばいいと思うかもしれないが、これは一部の富裕層の考え方であり、今のエアコンはそれ自体が地球温暖化を促す一因となる。
しかもエアコンを最も必要としている人たちの多くはエアコンを買う経済的余裕がない。暑さ対策は、住宅や水の確保、医療サービスの提供など、より広い社会問題と切り離せないのだ。
経済発展が進めば、エアコンの普及率が上がり、年間に何百万人もの命が救われるという。
エアコンの設置台数は、世界中で現在の16億台から21世紀半ばまでに56億台に増えると、国際エネルギー機関は予測している。
ただ、困ったことに、 今のエアコンは地球にやさしいシステムとはとても呼べない問題児でもある。
8/5(土)快晴暑い 竿灯3日目
3:00起床,寝苦しかった。いつもと同じ。読書、入浴、座学など。8;00ダリアに散水、畑収穫など。トマト大量に収穫。暑さにて継続は無理休息。座学、新聞チェック、読書など。13:00家内に同乗、旭川コイに給餌、通町経由中通リハ。病棟対応、新聞入力、自炊3冊。19:15帰宅。19:00夕食、20:30就寝。
今年の秋田は暑い(2) 熱中症は単なる脱水症ではない、極めて重症な病態なのだ
人間の体には、体温を危険レベルまで上昇させないよう、熱を放出する仕組みが主に二つ備わっている。
?一つは、血管が広がり、 皮膚に熱が送られて放出されるというもの。
?他の一つは、 大量に発汗し汗が蒸発したときの気化熱で皮膚を冷やす。
こうした仕組みがうまく働かなくなると人は死に至る。
熱中症で体温が上がると、拡張した血管にたっぷり血液を送るために心臓と肺はフル稼働する。心臓の働きが追いつかなくなると、血圧が急低下し、めまいがしたり、よろけたり、ろれつが回らなくなる。 大量の発汗で塩分が失われるため、 筋肉のけいれんも起きる。多くの患者は意識が混濁して、すぐにも助けが必要な重大な状況であることに気づかない。
大量の血液が皮膚に送られると、職器に流れ込む血液が減る。すると血流の低下が引き起こす一連の反応で、多くの臓器の細胞が破壊される。
丈夫な人は深部体温が42℃まで上がっても何時間かは耐えられるが、乳幼児と高齢者は概して熱に弱い。健康であっても、高齢になると熱中症のリスクは高まる。
高齢者が弱い理由の一つは、加齢に伴って汗腺が小さくなり、汗が出にくくなること。 また、 喉の渇きを感じ難いため、十分に水分を摂取しない場合も多い。 そうなると体は残ったわずかな水分を失わないよう発汗を止め、逆に寒気がして震えることもある。
この時点で心臓発作を起こすこともあるが、より健康な人も視野狭窄や幻覚に襲われる。また、神経が過敏になって、衣服が肌に触れただけでもひりひり痛み、 着ているものを次々に脱ぎ捨てる。血圧が低下するにつれて、意識を失うこともある。
ここまで来ると心筋も含め、 筋肉組織が正常に機能しなくなる。
防御反応が低下した消化管から毒素が血流に入り始め、血管の中で血液が固まり始める。その結果、脳や心臓、腎臓、腎臓などの重要臓器が機能障害に陥り、やがて死を迎えることになる。
このように、熱中症は単に脱水症の範疇にとどまらない複雑な病態を持つ。特に厳しい多臓器不全の状態に進行しうる危険な状態なのだ。
8/4(金)晴れ暑い 大曲中通病院 竿灯二日目
1:05起床,文献・新聞チェックその他。5:30一般ゴミまとめ提出。散水、収穫ほか。7:40Taxi駅東。8:11こまち。大曲は往復Taxi。帰路郵便局でユキへ薬送る。8:55大曲中通病院外来、混雑。帰路の新幹線は乗客混雑、書店訪問なし、15:20中通リハ病院。病棟対応。新聞チェック、電子化の余裕なし。19:30帰宅、車はスムーズ、夕食、20:30就寝。
今年の秋田は暑い(1) 吹く風は熱風 気温も38度Cを超えることも
厳しい暑さが世界的に続いている。
秋田もとても暑い!!! 今日は遠くにある台風の影響かやや強めの風が吹いた。通常なら風が吹くと吹き出た汗に当たって涼風感を伴うのであるが、風自体が熱風なのでむしろ辛い。こんな経験は私は初めてである。
気候変動対策は、緊急的対応とその原因を緩和の二つがある。前者は温暖化で起きた現象への対処、後者は気温上昇を抑える活動だ。
目の前の命や健康を守る行動が必要だ。同時に、気象激甚化の原因である地球温暖化対策にも力を入れなければならない。この二つのことは互いに矛盾を含む。
温暖化による気象災害への影響は近年スパコンで調べられるようになった。温暖化した地球と、していない地球をスパコンの中に作り出し、比較する計算を繰り返すと、豪雨や猛暑の起こりやすさの違いがわかるらしい。
この手法を使った研究チームは、今夏の欧州南部や米国の熱波は「地球温暖化がなければ起こりえない現象だった」と指摘した。深刻な現実から目をそらさずに、気候変動に正面から向き合う必要がある。
はっきり言って戦争など、軍拡などしている暇はないのだ。
国連の気候変動に関する政府間パネル(IPCC)が今年まとめた報告書は、気温が産業革命前に比べて1.5度上昇すれば「10年に1度」の熱波の確率が4.1倍になると指摘した。すでに1.1度上昇しており、いまのままなら2030年までに1.5度を超えるとしている。
対策として、猛暑なら、水分を補給し、適切に冷房を使う。炎天下での外出をなるべくせずにすむような社会を作るのも適応策だ。サマータイムの適応も一方法だろう。
一方で、将来の自分や子孫たちのために、再生可能エネルギーの利用を広げて温室効果ガスの排出を減らすという緩和策も急ぐ必要がある。
日本の7月の気温は、観測史上最高の暑さになった。
熱波は世界的で、国連では各国に具体的な効果が期待できる行動を求めた。
だが、世界的にみて排出削減は遅々として進んでいない。
ロシアのウクライナ侵略によるエネルギー情勢の変化も影を落とす。
再エネの課題も小さくない。だが、できることはまだ多い。
太陽光や風力など地産の電力は災害対策にもなる。
国産エネルギーである再エネの拡大に全力を注ぐべきだ。しかし、我が国でのエネルギー対策は原発に指向している。それも気になるところである。
8/3(木)快晴暑い 竿灯初目
2:00起床、録音データ処理。9:00中通リハ、入院患者対応、リエゾンなど。10:30-12:30 IVH挿入見学。13:00−14:00患者家族面談2件、新聞チェック、自炊など。19:00帰宅、夕食、20:30就寝。
最近時間が足りない(2) 信条 「継続は力なり」が弱まった
最近、私の自由時間が不足している。
その要因は、?就業環境の変化、?健康状態の劣化、?睡眠時間を伸ばした、?読書に割く時間が増、?園芸や畑は私の都合を待たない、?加齢とともに時間感覚が短縮・・・など、まだまだあるが、大したことをやっていないのに時間だけが早くすぎる。
結果としてブログの記述の時間が乏しくなり、連日更新は困難なようである。
今回、上記のごとくのさまざまな要因が重なった。
少し手抜きしたりしても時間がリッチになるわけではないが、少しクールに「こんな状況ではダメだ」とも思えるようにはなった。
「もう年齢は戻らない」のだ。だから、素直に「気を楽に・・」、「時には怠けるべき・・」と捉えるべきだろう。
しかしながら、高校生・大学生の時から保持し続けてきた「継続は力なり・・」という私の信条の地位がフラフラと落下していくのを感じ、とても残念である。
これからどう生きるか。それはいまだに見えてこない。誰もが、どんな年齢であってもそうだろう。しかし、7月末頃から新しいスタイルを歩み出そうとしているのは事実。
私の生活パターンは他人とはずれているが、「規則正しい生活にして心身を整えよ」という最適な手段を教えてくれた私の心臓の言うことを素直に聞いて、今を生きることにする。
私は「継続は力なり」と言う言葉が好き、というか信条としてきた。というか、私の場合には好きのレベルを越えて、この言葉に時に「励まされ」、時に「追いかけられ」、時に「苛まれ」てきた、と言っていい。私はこの言葉によって育てられた。
思い立って何かを始めた際、一定期間続けてしまうと、「継続」することが主たる目的となってもう止められない状況に陥ってしまう。主客転倒であるが、私にとっては自分に対する励みにもなっている。
私の「継続は力なり」の項目(一部)
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■ 早寝早起き励行(1965〜継続中)
■ アリバイ用生活記録を書く(1968〜 継続中)
■ 徒然・ブログ記載(2001〜 継続中)
■ 新聞スクラップ(2008年〜 継続中)
■ ラジオ深夜便録音と再聴(2008年〜 継続中)
■ 岩手へ復興資金として収入の10%ほど寄付(2011〜 継続中)
■ 徒歩通勤と連日歩数記録(2001年〜2023年7月 Σ26.220Kmで終了)
■ などなど・・・
8/2(水)晴れ
1:30起床,それほど寝苦しからず。読書、録音のデータ整理中心。8:50散水、ダリア紐で締め上げ。草刈り9回目東側、樹木若干抜粋。バス11:10中通リハ病院、新聞チェック、14:30病棟カンファ。入院患者対応。19:00佐野薬局経由帰宅、夕食。20:30就眠。
紙の本と電子化書籍
私は持っていた書籍のほぼすべてを自分でばらしてスキャナーで取り込み電子化した。部屋がすっきりして、本当によかったと思っている。
一方、私はまだ本や雑誌の電子版ほとんど購入していない。やはり購入する本は紙の書籍がいい。
電子書籍に疑問を持っている。第一は価格面である。紙の本はエコではないし、電子書籍作成過程も大幅に省力化できるはずだからもっと安くてもいいじゃないだろうか。しかし紙の書籍に負けず劣らず高額である。
幼い頃からの習慣で、本は紙で読むものと思っていた。 紙の本は重いし、手触りが感じられるし、それぞれの本には匂いもある。 装丁も重要な要素で、眺めるだけでも楽しい。紙の本は内容はもちろん、外側からも愛でられる。
私が自炊し始めた当時はまだ、電子化書籍を読む端末が一般的に普及していなかった。 タブレットはもちろん、スマホも現在のように、学生や子どもまでが持つような状況ではなかった。
しかしその後のスマホやタブレットの普及はすさまじく、あっという間に広がっていった。
私が蔵書の書籍化を始めたのは終活の一環としてこの世に残す物理的な荷物を減らすためであって、当初は電子化するものの書籍をタブレットで読む気にはならなかった。
そのうちに必要があってその一部を読み始めたのであるが、当初はただ目がタブレット上の字面を追っているだけで文章がまったく頭に入ってこないのには自分でも驚いた。
徐々に慣れ、結果的にとても便利な存在となった。ここ10年ほどは購入した書籍は装丁や感触を楽しんだ後すぐにバラして電子化し直接読むことはほぼ皆無になった。
しかし、電子化書籍の場合、気になった文章をあとから探そうとしても、どこにあったのか分かり難い。紙の本だと、パラパラめくりながら大体このあたりにあったはずと、見当がつけられるが、パラパラめくりが不得意なタブレットではそれができないので、目当ての文章がなかなか見つからずにひと苦労する。これが電子化の大きな欠点である。
それへの対策として目次をじっくり見て本の構成を頭に入れて読み、時々また目次に戻リ再確認する。従来ほとんど見なかったインデックスも利用する。これで電子化の欠点をかなりカバーできるようになった。
かつては、将来はすべて電子書籍になるだろうという書籍編集者もいた。しかしそうはならなかった。電子書籍にもたくさんの利点はある。
しかし、紙の書籍の魅力を電子書籍は凌駕することはできなかった、と思う。
紙の本を手にしたら、内容はもちろん、その触感から様々な想像する。紙の本は視覚だけではなく、触覚、嗅覚などの五感を通して私どもを養ってくれる。 これが本の魅力である。
読書は、手軽に文章が読めればいいのではない。読んだら機会を得てアウトプットしないと読書の価値は発揮できない。だから、私は紙の本のよさを無視できない。
だから、まず紙の書籍を購入し、その存在を十分あじわってから電子化する所以である。
8/1(火)朝から快晴夕方降雨 中通病院外来
2:00起床,降雨のためか気温低下、寝苦しさ改善した。朝はいつもの如く。5:00可燃ゴミ廃棄準備のみ。6:40バス飯川病院。7:00-8:10病棟患者対応、8:45-12:30外来、予約患者25名程度、疲弊。12:45飯川病院、15:00患者家族対応、堀井氏。19:15ひらのや経由帰宅、夕食。20:30就眠。竿灯明日から。
最近時間が足りない(1) 種々合理化・省力化を試みている ブログの連日更新無理に
最近時間が不足している。
勿論、物理的な時間が短くなっていることはないが、私が自由に使える持ち時間が乏しくなっていることは確か。そのせいでブログの記載が遅れ加減である。連日の更新は困難になりつつある。7月は10日分ほど遅れてしまった。
時間不足の要因の第一は就業環境の変化である。
私は4月以降勤務先が変わった。法人の嘱託職員としては変わりがないが、主たる勤務先が中通総合病院+飯川病院から中通リハビリテーション病院となった。今までの健康クリニック(月曜日午前)、中通総合病院内科外来(火曜日午前)、大曲中通病院外来(金曜日終日)は同じである。
勤務時間を見れば従来までと大差はないが、内容的には大きな変化がある。
中通リハビリテーション病院では約10年振りに主治医として患者を10数人受け持っている。さらに患者数は20名前後まで増える予定である。基本的には24時間責任を持つので結構大変である。
第二の要因は私の体力の劣化である。
5月5日に急性心不全を発症し約1週間入院した。幸い事なきを得たが、精密検査の結果心機能の著名な低下があり、冠動脈に狭窄部位が見つかった。再発防止のために1日の運動量・活動量を大幅に制限された。
健常者の場合の活動量は10Mets程度とすれば、私の場合は2.7Mets以内が求められている。歩行で言えば3Km/時以下で、というレベルである。これで私の移動能力、仕事効率はとても低くなった。新しい勤務先のスタッフ達は私を大事に扱ってくれているが、彼らのためにも不用意に再発させられない。
第三の要因は健康を考えて睡眠時間を若干長くしたこと。
従来平均am1:00起床であったがam2:00頃にした。これでちょっと自由時間がなくなった。
第四の要因は読書を中心に、種々の物事に対する興味が亢進していること。
いろいろなジャンルの書籍を毎月20冊以上を買い込み、自炊してiPadで読んでいる。ラジオ深夜便などの録音データの再視聴も欠かせない。
今集中しているのは弘兼憲史の島耕作シリーズのマンガである。これは100巻を越す大作で一人のサラリーマンの人生を学生時代から定年後まで追った長編で、私は自分の人生を主人公に重ね合わせて味わいながら読んでいる。
第五の要因は園芸や畑仕事を細々ながらやっていること。
草刈作業の代わりに除草剤を広く使用するなどかなり手を抜いているが、植物たちは私を待ってくれないから結構大変である。彼らは見事な開花や結実で私に応えてくれる。
第六の要因は年とともに時間感覚が短縮していること。大したことをやっていないのに時間だけが早くすぎる。
まだまだ要因はある。
結果としてブログの連日更新は無理なようである。
ブログの開設当初は今よりもハードに業務を抱えていて時に更新できないことはあったが、ここ10数年は連日更新していた。
先月月末分は残念ながら諦めることにした。
これからは連日更新にこだわらないようにするつもりである。