徒然日記

 日記と言うより、自分の行動記録と日々の雑感です。

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1/16(水)雪3-4cm除雪なし 午後飯川病院ボランティア
1:00起床、いつもの如し、午前は今で録画データ再チェック。チャイコフスキー交響曲No5スベトラーノフ指揮再視聴。12:10バスにて飯川病院に。ボランティア、外来対応。19:00帰宅、夕食、21:15就眠。歩数計Σ10224歩。

人口問題2019(3) 重要なのは出生率でなく出生数
 アベノミクスの5年はいくつかの点で曰本経済を大きく好転させた。労働市場は完全雇用を達成しつつある。むしろ労働力が不足している。企業経営者は若干自信を取り戻したように見える。

 だが、その陰で日本の経済・社会をむしぱむ重大な構造問題には、ほとんど手がついていない。
 その最たるものは人口問題である。
 人口減への正しい危機感を個人、企業、政府・地方自治体を含めあらゆる分野で強めるべきだ。

 人口減問題は、国力、というか国の活力に深く関連している。だから、政治・経済・文化・文明・教育、社会保障、インフラの維持など、ほぼすべての分野の将来、全国民の将来に関連してくる。だから、アベノミクスの効果はいずれは低下してくる。

 にも拘らず、どの分野でも人口減を危機感を持って語られることが少なかった、・・・・と私は感じる。 
 人口減問題は我が国の将来において最重要課題なのに何故危機感を持って語られなかったのだろうか? 人口問題は個人的には何ともしようがない状況だからなのか。
 だからこそ、政治家とか世の有識者を言われる方々が能力を発揮しなければならなかった分野である。

 今になって先細りの状況が現実に危機意識とともに論じられている。人口問題に対して有効な対策を講じてから効果が現れるのに30-50年かかると思われる。この間に社会がどんどん衰退していく。だから、もう遅い。私にはそう思える。

 日本は重要課題を議論するのは好きだが、砂上に楼閣をイメージするだけで何ら具体策を講じない、という特徴がある。政治家しかり、学者しかり、将来の危機を正面切って主張する人は居ない。

 20紀初めに4400万人弱だつた日本の人口は産めよ増やせよ政策で1967年に1億人を突破し、今世紀初めに1億2800万人で頂点に達した。
 人口過剰論が台頭したのは敗戦後だった。1974年の日本人口会議は子供は二人まで、という大会宣言を出した。宣言は出すまでもなかったと思われるが、以降、人口は急速に減少しつつある。

 仮に、男女の年齢別生存率と合計特殊出生率が2004年のレベルで推移すれぱ、22世紀初めには我が国の人口は4100万人になる。人口の少ない県が年に一つずつ減っていくイメージに近い。

 少子高齢化を伴いながら人口減少が加速することは、今世紀に入る前からわかつていた。その間、日本の人口政策は有効な政策を持たないまま紆余曲折した。

 出生率は1989年には1.57まで低下し、今は若干改善傾向にあるのだが、付近をうろうろしていて大差ない。いつも注目され論じられるのは出生率であるが、その間にも子供を産める年代の女性の人口が減少し続けているのだから、出生率を論じてもしょうがない。人口を維持するのに足る出生数が問題となる。出生率で言えば3.0ほどの実現不可能な数値になる。
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(出生率が改善しても出生数は右肩下がりに低下していく)

 今後の人口問題に手立てはあるのか?従来の延長線上では無理だ、と思うのだが。


1/15(火) 寒波曇り 
0:30起床、文献・新聞チェック,PDF化。降雪なし、これで良い??むしろ不安になる。寒波厳しい。7:10バス飯川病院。8:45-13:10中通病院外来。13:30飯川病院、14:00-19:00勤務、入院患者対応。19:00帰宅、夕食、21:15就寝。歩数計Σ7287歩。

人口問題2019(2) 外国人の受け入れ 角界は一つの成功モデル
 日本人は文化的に完全に島国根性である。今までは島国内で処理できる問題だけでてあった事が良い面で生きて来たと思う。
 しかし、人口問題に関してはもう国内では解決できないレベルに達している。

 自国内で賄おうとすると、すでに出産可能人口が減ってしまったから出生率を今の倍以上の3.0以上にしなければ成り立たない。
 
 日本は一定の人口を維持し、国力を維持するより、日本人による純血主義の国家で居続ける事を選んでしまった。
 ところで、いつ誰が純血主義を維持し、座して死を待つという日本の将来の選択をしたのだろうか??
 閣議でもない、国会討論でも取り上げられたことは無かったはずで、私は指摘できない。この問題は、国民投票をしてもいいような話題である。

 日本人による純血主義の選択は何を意味するのか??
 結論は、一方的衰退の道だけである。

 資本主義社会、民主主義社会を取るならば、先進国の衰退は途上国の発展を背景に自然の理ではある。搾取の相手が成長してくると、先進国と右肩上がりの途上国の間のズレは無視できない問題を生じてくる。中国の台頭と発言力の向上、日本の守勢傾向はその一つである。日中、日米、米中の関係はすっかり変わってしまった。

 外国人の助けを借りて来て成功している分野がある。そのもっとも顕著なのは角界である。
 あれほど伝統にこだわる角界が外国人力士を導入した事は今となっても驚きであるが、驚くほどの慧眼であった。いまの隆盛は外国人力士の活躍の結果である。もし純血主義にこだわっていたら、面白みにかけ、ファンは離れ、マイナーな世界になっただろう。
 それなのに、まだ外国出身力士に批判的であったり、日本人横綱の誕生を異常なほど熱望するなど純血主義のなごりは深く残っている。もちろん外国出身力士が持っている文化的土壌は角界の中では問題を醸し出している。

 介護部門の労働力不足を補う為に外国人スタッフの導入について、取り組み始めている。

 我が国では人口問題など、将来の少子化など人口問題を語る人は少なくなかった。医療関係者として私は早くから人口問題、少子高齢化について問題意識は持っていた。まとめる機会はなかったが、秋田市の総合病院の将来構想についても検討していた。

 国内では再生産可能人口はすでに減ってしまった。
 だから、人口維持に関して出生率を論じてももう遅い。諸外国から若い男女の移住を図るしかない。


1/14(月)雲ひとつない快晴 秋田ゾンタ新春チャリティコンサート(欠) 音楽三昧
 1:00飯川病院起床。本読み、新聞・文献チェック他。7:30チャリティコンサート家内をViewHに送る。11:20私の出席は座席不足がわかり不要となる。微睡。文献・新聞チェックと音楽三昧。19:00夕食、21:15就寝。BRながら視聴:「クールジャパン:日本の刃物」、N響定期公演:「ハイドンVc協」他。チャイコフスキ「交響曲No5」聴き比べ。歩数計Σ6781歩。

人口問題2019(1) 座して死を待つのか日本
 日本人は従来の延長線上でのみ物を考える。なかなか抜本的な考え方に至らない。農耕民族であること、島国であることも関連している。

 保守政権がずっと続いた。保守的社会では抜本的な変革はおこせない。抜本的な改革は得する、損する国民が双方に大勢発生するから、社会が混乱する。
 従来の延長線上で小さな改革を続けていれば社会的には安定する。しかし、そこには大きな落とし穴がある。将来が見えないからである。

 人口減問題は日本にとって危機的問題だと思うが、語るだけで具体策は無きに等しい。国内でこれの解決策はない。もう遅い。

 日本の人口は2010年以降、減少し始めている。減っているだけでなく、少子化・高齢化を伴っている。誰でもそのことは知っている。しかしながら、危機意識がほとんどない。その状態を全国民が甘受しているとしか思えない。日本がやせ細っていくのをただ見ているだけ。高齢化、不治の病にて死の床にある病人の心臓が止まるのを待っているだけ。それを尊厳死というらしいが、国も尊厳死の道をとるのか?

 大都市は人口が集中していくためにその変化は明らかではない。大都市集中化は地方の人口減、活力の低下が原因である。

 地方の人口減少問題はさらに深刻である。
 公共的インフラの維持が困難になりつつある。
 秋田などその最たるもので、1970年代の県の人口は200万人超、それが一昨年100万人を切った。高齢化も日本一、出生率も最低、厳しい状況にある。しかし、県や県知事には重大問題だとの認識を感じとれない。
 各自治体は、都会からのUターン、Iターンを奨励しているが、都会との間でやりとりしていても、秋田を出ていく人が勝っているから人口問題にはなんら寄与しない。

 日本は人口減少を誰しもが静かに受け入れている、としか言いようが無い。
 人口減を受け入れるというのは、もはや国力を追求しようとしない、自然衰退、自然消滅の道に運命を委ねた国だ、と言うことが出来る。

 日本の人口の推移は昭和40年代にに描かれたとおりの曲線の上を辿って減少している。当然である。人口問題は有志の中では戦後間もなくから指摘されてきたが、何ら対策して来なかったから推定どおりの経過をたどるのは当然である。

 出生率低下問題、人口減問題は個々人を含む社会全体の問題であるが、個々人には例えば関心があっても対策のしようが無い。これは政治家と、学者の仕事である。

 政治家は当面の問題だけで、自分の当選の事とか派閥の立場でしかモノを考えず、日本の将来を論じる程の力は無い。この一年の政治活動、野党の動きをみれば、一体彼らは何を考えているのか?と疑問をもつ。

 学者は理屈だけは述べている。学者にはかなりの経費を払っているはずだが、こんなに役立たないものなのか??

 私は辛いことであるが、日本の人口問題を解決方法として、諸外国で昔からのとりいれている大規模な移民に頼ることしかないと思う。


1/13(日)雲ひとつない快晴 飯川病院日直
1:00起床。文献読み・録音・PDFデータ整理など。8:38バス飯川病院、9:00-17:00日直。微睡を挟み読書、データ整理大量。ラジオ深夜便数編聴く。19:00帰宅、夕食、20:15就寝。歩数計Σ7087歩。

余生をパソコンと共に(16)2019(4) (付)演奏会の画像 カメラワークに驚き
 オペラやオーケストラのCDも全部MP3化した。とても便利に利用しているが、自分の書斎で聴く時には基本的には映像付きの音楽番組のライブ録画を視聴することが多い。

? 最近、音楽番組が良い音質、鮮明な画像で放送されるようになってきている。私のライブラリーには300本以上の録画がある。メインは「N響定期公演・特別演奏会」のライブ、そのほか「読売日本交響楽団演奏会」、「題名のない音楽会」、「らららクラシック」などである。これらは自動的にハードディスクに録画される。

 音楽CDそのものも企画から製品になるまでに多数の人材が関与する総合芸術だと思うが、オペラ、バレーを始めとする各種演奏会の実況録画は更に技術の粋を集めた壮大な総合芸術だ、と思う。

 今期の年末年始休暇は音楽鑑賞三昧で至福の中で過ごした。いつも感じていたことであるが、演奏会の中継映像はカメラワークが実に素晴らしく、多くは見事に音楽と映像が一体になっている。これは驚きである。

 私が驚くのはライブ録音・録画である。
 演奏家の構成が単純な、例えば弦楽器のソナタ、弦楽四重奏、室内楽でも曲の構造に応じた映像が提供され、観るものを飽きさせない。

 これは大変な技術だと思う。いや、それ以上に映像ディレクターは数台のカメラに相応しい映像を得るよう指示し、曲の進行に応じて画面を適宜切り替えて相応しい画面を構成しているのだろう。その切り替えのタイミングは、曲を隅々まで知り尽くしていなければ出来ないことである。このことだけでもすごい。??
 編成が大きくなる協奏曲や交響曲、管弦楽曲に至っては50-100人ほどの編成となり、楽器の種類も多く、曲の構成自体が実に複雑になっている。指揮者、ソリスト、管楽器のソリスト達、コンマス、ヴァイオリンやチェロなどが次々と選択されていくが、曲想にマッチした画像となっている。

 またこの画像によって音としてあまり聞こえてこないパートの音を聞き分けられる様になる。演奏者の表情を見るのも楽しい。映像なしの場合とは別の発見があって面白い。??
 オペラ・バレーの場合には劇場で見るのはやはり良いが、視覚的には座席によってかなり限定される。この場合も映像の構成にはいつも感心する。本当に隅から隅まで知り尽くした技術者によって、しかも、ライブで、同時進行で作られている。私の想像を遙かに越えた技術家集団が居て、楽譜を片手にどの様な構成にするのか研究に研究を重ねているのだろう。
 恐らく指揮者に匹敵するほど曲の全体像を把握しているのだろうと思う。

 私の音楽鑑賞の基本はかつては演奏会であった。そのために上京もした。
 しかし、人が集まる場所を忌避するようになってからは滅多に行かなくなった。その代わりに、CD由来のMP3データを集中的に聞いている。その際、スコアを片手に聴く、あるいは映像を伴う演奏会の記録を聴くのは実に楽しい。

 作曲家も指揮者も、演奏家も素晴らしい。スコアを見てひたすら驚くばかりである。
 さらに実況中継を記録するカメラマンたちの技能には驚くばかりである。演奏会の映像を見てひたすら驚くばかりである。


1/12(土)曇り小雪 飯川病院午前外来補助     
1:15起床。いつもの如く。新聞文献PDF化。文献読み、本読み。10:40レガシー飯川病院、担当医学会とかで午前外来補助。検食後微睡、15:00帰宅、読書、音楽三昧で過ごす。19:00夕食、21:00就寝。BRながら視聴:「N響定期公演:P協奏曲ラベル アリス沙羅オットー」「らららクラシック:ヘンデルのハレルヤ」「NHKクールジャパン:日本人の時間感覚、猫と日本人」。歩数計Σ8181歩。

余生をパソコンと共に(15)2019(3) スコアを見ながら音楽を聴く楽しみ
 昨年、私は終活の一環として約半年かけて我が家にあるCDのほぼ全てをMP3化した。

 MP3化した音楽データはパソコンでも聴くが、最もじっくり聴く時間は出勤等の移動時間でiPhone8とiPod touchとヘッドフォンでBluetoothを介して聴く。

 ヘッドフォンの場合、周辺環境の影響を受け難く、微細な音も聞こえるし、一つ一つの音の解像力も良く、音楽の構築が一層よくわかる。ヘッドフォンで聴く音楽を一層深く味わうために、最近は時折であるが、ポケットスコアを見ながらじっくり音楽を聴く。時間的余裕が増えたことも一因である。

 私は中学生の頃にクラシック音楽の魅力に目覚めたが、当時は漫然とレコードでメロディやリズムを楽しんでいた。学生時代、新潟大学のオーケストラに属した。私自体は下手であったがオーケストラを通じてそれまで漫然と聞いていた作品の構築を知り、ますますのめりこんだ。自分たちが演奏する曲目はスコアを全部入手して勉強した。

 いつしかスコアを参照にしながら曲を聴くこともなくなって、音楽はBGM的に聴いていたが、昨年からヘッドフォンの多用とともに再びスコアを開き始めた。
 スコアを見ながら聴くとこれまで聴こえてこなかった音が聞こえてくるから、聴くたびごとに新発見があると言っていい。

 スコアはいま100曲分ほどしかないが、最近また買い始めている。

 親しんだ曲、たとえばベートーヴェンの交響曲のいくつかはスコアがあれば音として再現でるが、ブルックナー、ワーグナーの曲などは構築が更に複雑になり、楽譜を追いかけるだけでも大変である。より近代の曲、ストラヴィンスキーの「春の祭典」などは楽譜を見ただけでは何が何だかわからない。なんでこの楽譜があの美しい曲に変身するのか??と驚く。スコアの追っかけはせいぜいこの時代の曲までである。

 協奏曲のスコアを見るとその精緻さには驚くばかりである。ソリストは神がかり的技術を発揮して音にしていくが、スコアがないと私が聞き取っている音は8割くらいでしかない。

 作曲家も指揮者も、演奏家も素晴らしい。スコアを見てひたすら驚くばかりである。


 1/11(金)曇り 大曲中通病院外来 飯川病院ボランティア
 1:00起床。文献・新聞PDF化。6:00可燃ゴミ廃棄、7:30Taxi飯川病院経由駅に、8:11こまち。大曲駅・病院は往復共Taxi、雪で歩くスペース狭い。9:00-12:10診察終了。新幹線福島県内強風のため遅れ前の便にて帰秋。13:50ダイソー、業務用スーパー。14:30飯川病院ボランティア。18:50Taxi、書店経由帰宅。19:30夕食、21:30就眠。 歩数計Σ7754歩。

余生をパソコンと共に(14)2019(2) MP3化データを気軽に楽しむ 
 昨年、私は終活の一環として約半年かけて我が家にあるCDのほぼ全てをMP3化した。

 MP3化の処理中はパソコンがCDプレーヤーに変身した。今は、MP3プレーヤーとなった。MP3化したデータを集計してみると1900時間分、休みなく再生しても80数日分にもおよぶ大容量になった。1900枚近く?? 実際にそんなに多くのCDがあったはずはないと思っているが、データ上はそうなっている。

 これだけの量をデータ化しても利用できなければ単なる廃棄処分でしかない。
 MP3データはクラッシック系、非クラシック系に2大別され、前者は交響曲、協奏曲、宗教曲、室内楽・・・と10ほどのジャンルに分けて、聴きたい曲は芋ずる式に簡単に、10数秒で探し出すことができる。検索で探すことも可能である。書棚からCDを探し出し聴いていた不便な状態にはもう戻れない。

 MP3化データはバックアップを兼ねてデスクトップのパソコン5台に納めている。だから、居間でも、書斎でも、飯川病院でも大曲中通病院外来でも、いつでも利用できる。

 私が一番音楽を聴く時間はパソコンに向かっている時ではなく、移動時間である。出勤時、帰宅時、大曲への新幹線などなどである。歩行している時間も長いから充分聴ける。
 そのためにはパソコンと同じデータをiPhone8と一部をiPod touchに入れて適宜使い分けている。

 居間、書斎などでパソコンを介して聴く場合は、サブウーファー付きのミニコンポに繋ぐ。居間でも大型のスピーカータンノイGRFは用いない。
 iPhone8とiPod touchの場合はソニーのノイズキャンセリングヘッドフォンHW-1000XM2でBluetoothを介して聴く。運転の場合には周囲の音が聞こえず、危険なので聴くことはない。

 音楽鑑賞の場合、音質等が問題になる。私が現在用いている再生機器は超廉価の製品で、全てが2010年以前の古い製品である。しかも専用機ではなく重要な部分にはパソコンの機能を用いている。
 はっきり言って私は高級機・中級機・廉価製品の区別がつかない。かつて用いていた機器は、CDプレーヤー単体でも現有のパソコンを含めた再生機器群よりもずっと高価であった。私は違いが分からないことが分かったから、今は安心して超廉価のシステムの音に身を委ね、不満もなく楽しんでいる。違いが分からない(2) オーディオ(1)かなり投資し、回り道した?
 本当に私の聴覚はどうなっているんだろうか?低レベルであるほかに能天気的だからであろう。
 私が購入したCDの音楽がまずそこまで理想だったとしても、私の耳にとどくまでに、劣化につずく劣化の過程を経ている。低機能のCDの再生装置によるデータ圧縮行程とMP3化、ハードディスクへのコピー、たび重なるコピー、低機能の再生装置、iPhone8とiPod touchでのデータの劣化、Bluetoothを介した劣化、ヘッドフォン自体の能力などなどによる劣化・・・。

 しかしながら、これらの劣化を私は全く気にしないで再生される音楽に没頭できる。
 なんと幸せなことか、と思う。

 なんで私が劣化しているであろう音楽データを不満なく楽しめているのかを考えてみた。現時点では、私自身の聴覚の劣化、中枢機能の劣化、感受性の劣化の方が音楽データの劣化以上に進んでいるために認識できなくなっているためだ、ということに至った。要するに、劣化の全てがバランスよく進んでいるためだろう。これも加齢の妙か。


1/10(木)比較的温暖 外来 飯川病院
 1:10起床、文献・新聞PDF化。朝方から気温の上昇の感じとともに雨が降ってきた。昨夜までとは一変。昨夜の転倒がショックで7:10レガシーで病院へ。 8:45-13:00外来、ドック判定総括14名分、疲弊。13:10健康クリニック、レ線判定。14:00某クリニック院長来訪、歓談。飯川病院勤務、入院対応。ラジオ深夜便録音再聴数篇。録画「そこまで言って委員会」「いま世界は」。19:30帰宅、夕食、20:30就寝。歩数計Σ7286歩。

余生をパソコンと共に(13)2019(1) 音楽鑑賞はMP3化したデータで聴く(1) 
昨年、私は就活の一環として約半年かけて我が家にあるCDのほぼ全てをMP-3化した。

 私は無趣味な人間で、アルコール、タバコも嗜まず、旅行や美食にも興味がほとんどない。人付き合いも嫌。あえていえば本、音楽関係かな、と思う。
 この方面だけは長年追求し続けてきた。医師としては、なんとか対話技術でカバーして患者に大きな不満を与えないようにしてきた、と思っているが、自分はネクラ、ネクラ的人間だった、と思う。年とともに一層その傾向がひどくなった。

 結果的に、本・音楽関係のソフト・ハードが家のかなりのスペースを占拠した。とはいえ、次世代に残す価値のあるものはほとんどない。これらを残しては死ねない。
 私は自分で集めたもの、愛着を持っていたものは、家族の手を含め、他人によって処分されることなどは考えるだけも嫌である。転売するのは更に嫌。自分の手によって可能なかりぎ処分したい。全てを自分の手で焼却処分したいのであるが、時代柄果たせない。極めて残念である。

 書籍などは2011年から電子化と処分を開始した。要するに自炊である。かなり進んだが、今でも購入する本が少なくないために全体としては遅々としか進まない。

 CDに関していえば、私の音楽鑑賞は10年ほど前まではLPレコードがメインであって、ここ5年ほど前からは音楽番組放送の録画をメインに演奏家の姿とともに楽しむ様になった。だから、一世を風靡したCDによる音楽鑑賞は私にとっては両者のつなぎの位置ずけでしかなかった。CDの購入枚数も少なく、私が最後に購入したCDは、おそらく2013年の「いきものがかり」のアルバム・バラードンだったと思う。

 昨年3月からCDの廃棄を始めた。
 廃棄といってもCDは他のメディアと異なり、パソコンによって容易にMP3化できる。MP3化しておけば簡単に再生できる。だから、レコードの廃棄と異なり罪の意識は軽い。約半年かかったが、家中にあるCDはほぼ全て処理し終わった。
 結果的にパソコンがCDプレーヤーに変身し、かつMP3プレーヤーとなった。

 取り込んだCDの枚数は数えなかったから分からないが、パソコンデータを集計してみると1900時間分、休みなく再生しても80数日分にもおよぶ大容量になった。
 CDの取り込み作業を通じて全く新しいジャンルにも目が開かれた。あまり興味を持てずにほとんど聴いていなかったCDの中に大きな価値を再確認した。

 終活は自分の人生の終焉を意識して、人間関係をはじめとして有形無形の財産を処分していく、どちらかというと下向きの作業であるが、私の場合はその財産の中に新たな価値を見出し、そう簡単には死なれないという新たな生きる意欲が湧いてきている。

 私にとっての終活は生きるエネルギーの元になっている。


1/9(水)寒波曇り 飯川病院ボランティア 今季初転倒
0:20起床、家内のゾンタ新春コンサートのパンフ作成関連。文献チェック他、医学書、本、数冊に目を通す。12:10バス出勤、飯川病院ボランティア。18:30バス帰宅、途中の道路硬く凍結、町内に入ってから滑って転倒、膝若干ひねるも問題なし。夕食、20:30就寝。ラジオ深夜便数編聴く。歩数計Σ8811歩。

四季2019年(1) 年末、ついに私に冬が来た 今夕、凍結路で初転倒
 今期12月29日に今冬初除雪をした。昨季は12月28日であった。
 私にとってついに冬が来た。しかし、その後の2週間、一度軽く除雪したもの本日までまとまった降雪はない。雪のない正月は楽だった。時間を自由にできた。

 私にとっての冬の訪れは初除雪の日、春は除雪不要になった日から、と決めている。
 アクセスが悪い細く長い道路の除雪を中心に私の一年が回る。それだけ私にとってこの道路の除雪がストレスとなっている。

 私にとってこれから3月上旬迄本格的な冬である。この間、決して楽しいわけではないが、私は雪と闘い、戯れる。

 今年の降雪量の予想がどうだったか、私は知らない。出たとこ勝負でその日の行動が決まる。

 除雪は手が抜けない。私が通る路地は市道であるが滅多に来ない。一度手を抜いてしまうとその後が恐ろしい状態になる。

 ■ 新雪や初期の圧雪状態はそんなにこわくは無い。邪魔なだけ。しかしその後のことを考えれば除雪が必要である。
 ■ 気温が上がって積雪や圧雪が溶け始め、路上の雪がシャーベット状になった時で、歩行にも、クルマの運転にも支障が出る。轍もできる。
 ■ さらに、夜間の冷え込みで凍結した道路は超危険である。とにかく滑る。中でも路面の薄い水膜が凍結するブラックアイスバーンと呼ばれる状態は、路面状態の把握が困難だけにクルマにとっても歩行者にとっても危険いっぱい。車は滑って、停まれない、曲がれない状況になる。歩行者は一歩踏みだすごとに滑る危険がある。
 今夕、凍結路で初転倒した。本日の夕方、バスで帰宅したが、19:00にはバッチリ凍結していた。自宅への数100mは緊張した。最終的に自宅の近くで激しく転倒し、若干左膝をひねった。足底にスパイク状のアダプターを取り助けていたにもかかわらず・・である。
 昨季は4回転倒した。靴も買い換えた。それでも滑る。

 転倒を予測して若干前かがみにそろそろと歩く。滑った瞬間に体が宙に浮き路面に激しく叩きつけられる。頭を打たないように、腕で身を守るために両手には荷物を持たず、手には厚手の手袋も欠かせない。暗い時期にはライトもいる。今回も背中のディバッグが衝撃を緩和してくれた。6年も使っておりボロボロであるが感謝と共に今後も使い続けたい。
 歩行者が歩くスペースは狭く、ブロックとかの出っ張りがあるのでとても怖い。車もすれすれに通る。

 外来では受診者のほぼ全員に転倒に注意と呼び掛けている。患者はその言葉に感謝して去るが、その言葉は実は私自身に語りかけている。骨折でもしたら大勢の方に迷惑をかけることになる。


1/8(火)曇り 中通外来 飯川病院
1:00起床。新聞チェック、文献、本読み。いつもと同じ。7:00大量の可燃ゴミ廃棄をかねてレガシー飯川病院へ。8:45-13:15中通病院外来、余裕なし。飯川病院14:00-18:50勤務。病棟外来対応。19:00帰宅、夕食、20:45就寝。歩数Σ8447。録画「そこまで言って委員会」「いま世界は」。

年末年始休暇2018-2019 例年より怠惰、読書音楽鑑賞三昧であった
 今期の年末年始は暦上は12月29日- 1月3日までなのであるが、4日には通常勤務、ボランティアがあったが個人的には1月6日まで年末年始休暇と見做した。
 
 この間の勤務及びボランティア状況は以下のごとく。

―――――――――――――――――――――――――――――――――――-
           午前     午後 ほか       1日歩数
―――――――――――――――――――――――――――――――――――-
12月29日(土) (フリー)     (フリー)知人と会食  Σ9260歩  
12月30日(日)  飯川病院日直    飯川病院日当直     Σ8533歩
12月31日(月) (フリー)      (フリー)       Σ7919歩
―――――――――――――――――――――――――――――――――――-
1月1日(火)  (フリー)      (フリー)       Σ6050歩
1月2日(水)  (フリー)      (フリー)       Σ6553歩
1月3日(木)  (フリー)      (フリー)       Σ8863歩
1月4日(金)   大曲中通病院    飯川病院ボランティア Σ8299歩
1月5日(土)   飯川病院日直    飯川病院日当直 Σ7047歩
1月6日(日) (フリー)      (フリー)       Σ5392歩
―――――――――――――――――――――――――――――――――――-

 この間、飯川病院日直当直は2回、フリーが6日間あり、かなりの時間を自宅で過ごし得た。

 長女夫婦の舩杉一家来秋、次男の孫達も頻回に来訪した。孫のうちの男1人は事情で参加できなかったが女孫4人、活発で私はペースを合わせるのに大変であった。私は早々に自室に避難した。

 今回の休暇は読書、音楽鑑賞、微睡三昧であった。

 読書はハードカバー、文庫本など1日一冊のペース。内容的には死、終末期医療、自死、死刑、裁判制度関連の作品に集中した。

 音楽関連では録画で、「N響定期公演:忘れ得ぬ名演奏:スベトラーノフ、サバリッシュ、ノイマン・チェコフィル演奏会、シルベストリの画像」など。「N響定期公演:ベートーヴェンVn協ほか」数回分、「音楽界の動き2014年」、「音楽界の動き2018年」,「読響公演:シェーラザード」。そのほか「らららクラシック」、「題名のない音楽会」、など数回分の録画をじっくりと楽しんだ。実に貴重な数日であった。
 
 家内も比較的ゆっくり出来たようである。
 ネコ7匹、元気すぎる。いたずらは徐々に少なくなってきている。私との関係も最近ホットになってきた。

 私は歳と共に体力気力の減退を感じている。何事にも億劫になりつつある。
 身体的な活動のマーカーとして、この暇間の歩数計をプロットしてみた。フリーの日は我が家から一歩も出なかったような気がする。目標の1万歩に達したのは1日もない。低活動状態であった。

 一昨年から、新年に気持ちをリセットすることも止め、目標設定などは行わず、肩を張らず、あるがままに、気の向く方向で生きようと思っている。

 日々、年齢による老化を感じている。ちょっと進行が早いかな?と思うが比較する対象はない。
 私自身の変化も含め、今年がどんな年になるか、楽しみである


1/7(月)曇り 健康クリドック 飯川病院 徒歩通勤:和歌山到着
1:00起床。文献検討.徒然など処理。6:47バス飯川病院、9:00-11:00健康クリニックドック14名、飯川病院へ移動。微睡、検食、14:00勤務入院患者対応。読書等座学中心。BRながら視聴:「美術館:横山大観」、「イグノーベル賞」。19:30帰宅・夕食、21:30就寝。歩行Σ8579歩。和歌山到着、三重まで501Km、2026万歩、2096日、16214Km。

徒歩通勤2019(1) 本日、大阪通過し和歌山に入った
 平成13年3月から徒歩通勤を始めた。間も無く6年になる。
 歩数計「新・平成の忠孝」で歩行実績を積算している。
 伊能忠敬が歩いた海岸線をたどり、東京を基点に、東北、北海道、日本海側の海岸線を経て、九州、次いで四国一周、9月22日再度本州に戻り岡山県、兵庫県日本海側を経て12月13日大阪に、そして本日和歌山県に到達した。

 平成13年3月から本日平成31年1月7日時点までの積算データ
■歩行開始後 2.096日目、
■総歩数 Σ2.026万歩 (平均9.667歩/日)、
■歩行距離 Σ16.214Km(平均7.74Km/日)。

 大阪通過のデータ。
 大阪に入ったのが12月13日、歩破日1月7日。
■大阪の海岸線は160.26Km。
■大阪の通過所要日数 25日。
■一日平均歩行距離 6.41Km。
■現在の位置 日本一周目標の87%終了。

 最低1日10.000歩を目標にしていたが、兵庫県通過中は9.000歩と、大阪通過中は8400歩と目標に大きく不足した。
 大阪は1月上旬に通過できれば良いかな、とゆったりとした計画にしたが、なんとかその範囲で収まった。

 兵庫県・大阪を通過している間は天候も悪く、歩行出来る機会は少な目だったことに加えて、体調不良のためにバス通勤にしたことも関連している。さらに、天候や業務の都合で自分でレガシーを運転して出かける頻度も増えた。年末になってからは凍結した道路が転びやすい私にとって危険なことも関連している。
 
 通過した大阪は医学系大学も多いが大阪で開催された学会は出席した記憶はない。内科系の研究会や勉強会には何度か訪れた。大阪近辺での学会は大抵京都国際会議場で行われたし、最近の京都は宿泊の確保が困難で最初から大阪で宿泊した。

 大阪への学会出張は古くは特急寝台日本海、特急白鳥でを用いていたので大変であった。秋田空港が現在位置に転居したのが1981年(昭和56年)6月でそれ以降はJRによる移動はない。

 私が大阪に抱いている郷愁的感覚は父親の弟が守口市門真町にある松下病院の副院長であったことからそのご家族との交流を通じて作られた。幼少時は東京より親しみを感じていた。



(Yahoo地図から引用した)

 いま歩き始めた和歌山県の海岸線は506Kmと長い。
 天候不順の季節、積雪で足元が危ないこと、加えて私の体調から1日6-7Kmの低ペースにして、3月上旬に通過出来れば良いと考えている。


1/6(日)曇りときどき晴れ  当直明け 
1:00飯川病院で起床、文献・録音データ整理。文献読みと整理。頂き物の礼状数枚記載、7:00検食、9:00当直明け、レガシー帰宅。微睡若干。「NHKのど自慢」なし。居間の小物改良。「ウイーンフィルNY con」一部。「題名のない音楽会声楽3人」、19:00夕食、20:00睡魔あり就寝。Σ5392歩。

2019年(〇〇元年) 日本と国際情勢
 安倍首相の外交・安全保障政策はおおむね順調といってよいのだろうか。
 歴代首相最多の78カ国を訪れ、外交を展開中である。昨日国会答弁していたかと思うと今日はアラブ首長国連邦に向けて移動中。そんなニュースによく触れる。

 そうした積み重ねを評価すべきだろうが、具体的な果実はどうなっているのか??相手国から来るなと拒否されたこともなさそうだ。ただ、あまりにも多過ぎてよく分からない。
 国際情勢が混沌とするなかで、長期政権を維持している安倍外交の評価が問われる年を迎える。かつては、毎年首相が交代し諸外国からも呆れた目で見られていた。今は逆である。

 何かと物議を醸すトランプ政権になってからも日米同盟は概ね安定しているし、首相も「日米同盟の絆を強める」、安倍首相はそう言い続けてきた。
 「米国第一」主義の外交政策に世界が翻弄され、米中の「貿易戦争」は世界経済に暗い影を落とした。北朝鮮の核・ミサイルの脅威がなくなったわけではない。日米の安保協力はさらに緊密にする必要がある。

 また、「準同盟国」的(?)な存在であるオーストラリアやインドなどとの連携の強化に努めたい。

 日中関係は改善に向かいつつあるが、中国が海洋進出を目指していることに変わりはない。中国とは対話で時には毅然と対峙する、つよい外交で臨んでもらいたい。

 日ロ交渉は大きなヤマ場を迎えており、平和条約の締結に向け、日本も歩み寄りを迫られるかもしれない。国民世論を踏まえた交渉が重要だ。
 
 韓国とのギクシャクした関係は側から観ていてイライラする。これ以上、遠慮がちに対応する必要はないのではないか?

 北朝鮮との間の拉致問題は解決は時間がない。拉致問題は日朝間における最強のカードである。これを背景に日朝首脳会談の実現を志向し、日本が核・ミサイル問題で積極的な役割すことが望まれる。

 外交は相手があることだから交渉の中身を明かせないことも少なくないだろう。だが、あまりに秘密外交に陥っては国民の理解を得られまい。日本がどこに向かおうとしているのかを上手に伝えることも国のリーダーの務めのひとつである。

 貿易問題と外交は分けて考える必要がある。
 自由貿易を推し進めようとする世界貿易機関(WTO)の枠組みを逸脱する米国の保護主義的な政策をこれ以上許すわけにはいかない。世界各国が連携を強化し、保護主義的な動きに一丸となって立ち向かう必要がある。世界秩序や国際的規範を再構築する年にしなければならない。
 G7は国際政治や経済をけん引する役割を担ってきたが、米国が発動した鉄鋼などに追加関税を課す輸入制限を巡って米国と他の6カ国が対立、首脳宣言もまとめられなかった。
 アジア太平洋経済協力会議(APEC)首脳会議、20カ国・地域首脳会合(G20)でも米国の暴走のためにできず協調体制は大きく後退した。米中の「貿易戦争」は3月1日まで休戦中だが、両国の協議が不調に終われば世界経済に一層の悪影響を及ぼすことは必至だ。
 日本政府は、米中両国の関係改善を後押しするよう積極的に努力してほしい。


1/5(土)比較的温暖 飯川病院午後から日直当直
1:00起床。新聞・文献チェックほか。10:30次男の孫3人来襲、午後まで預かり。13:15日当直かないと交代のためレガシー。雪解けで路地は大変。13:40検食、微睡、ラジオ深夜便数篇再聴。iPhone、Hard diskの内容更新、18:00検食、20:00就寝。歩数Σ7047歩。文庫本2冊終了後。

2019年(〇〇元年) 消費増税の陰に隠れ、社会保障環境改革乏しい
 政府が12月末に閣議決定した2019年度予算案で、社会保障費は34兆円に達した。18年度当初に比べ1兆円あまり増えた。団塊の世代か全員75歳以上になる25年度が迫る中、絶対に避けられないとされる「負担と給付を見直す社会保障改革」の実現はむしろ遠のいている。

 19年は10月に消費増税を控えている。
 厚労省内で医療や介護など社会保障で同時に負担増を求めることは困難との見方が大勢で、改革機運はいつもより乏しかつた。
 19年予算では、高齢化に伴う自然増の具体的な目安額を設けなかつた。16〜18年度はいすれも5000億円度に抑制する目標があつた。結果的に4768億円に収めたという結果からすれば一見効果あったと言えるが、薬価改定の結果で制度の改革の結果ではなかった。

 収入の少ない後期高齢者の医療保険料負担を軽減する特例の段階的な廃止については消費増税と重なるため20年4月に先送りすべきだとの意見もあつたが、予定通り19年10月こに実施される。これはいい決断だと思う。
 
 医療や年金などの抜本改革は選挙や消費税増税が終了する19年秋以降に進める、という。抜本改革は関係者にとっては激震になる。安易に「抜本」などの言葉を使うべきでない。

 ただ、社会保障改革に残された時間は少ない。
 2022年から団塊の世代が後期高齢者になつていく。後期高齢者の1人あたり医療費は年関91万円。65歳未満の5倍近く、社会保障費の急増が予想される。政府の推計では高齢者人口がピークを迎える2040年の社会保障給付費は190兆円にのぽる。思い切つた改革で持続可能性を図らなければならないことは明らかである。

 負組増を強いられる人が多くなるほど、制度の見直しに低抗が強まり、改革が進みにくくなる。早いほどいい。
 
 2019年度予算は実質国内総生産(GDP)成長率で1.3%という高成長を前提にした設計だが19年は海外情勢が不透明。景気か落ち込めぱ税収か兆円単位で下振れする可能性がある。歳出総額は過去最大の101兆円を超える規模で減らすことはできない。消費増税に備えた景気対策に増収予定の2兆円を上回る2.3兆円の経済対策が行われる。こんな消費税増税をやる必要はあつたのか??
 消費税は毎年0.5%ほど小幅に上げる方式にして、対策を抑制する方がいいのではないか。

 社会保障は、国民の生活に密着した政策であり、単なるトップダウンだけで決められるものではない。国のビジョンに基づく政策が複数示され、有権者の選択を経て決定がなされるという、民主主義的プロセスが機能しなければ、改革を行えない。


1/4(金)曇り小雪小雨 大曲中通病院 飯川病院ボランティア
仕事始め。0:30起床。データ整理、歴史の本読み、新聞入力中心。7:25Taxi飯川病院経由駅に。駅帰省客でごった返し。8:50-13:15勤務、外来混雑で一列車遅らせ帰秋。大曲駅も混雑。大曲駅帰省客で混雑、遅延なし。14:30-19:00飯川病院ボランティア。19:30夕食、21:00就寝。歩数計Σ8299歩。

2019年(〇〇元年) 消費増税と軽減処置の矛盾
 政府予算編成・税制改正作業で、2019年10月の消費税率引き上げへの影響を軽減するための対応策が焦点になっている。

 14年4月に消費税率を5%から8%に上げた際、増税前の駆け込み需要と増税後の消費の反動減が大きかったことを踏まえ、政府は増税前後の消費の急変動をならす方策を検討してきた。しかし、今回は2%増だから景気に与える影響は小さいと考えられるが、政府は何を怖がっている??

 最近は変動をならすというよりは「消費増税対策」に名を借りた与野党の攻防の圧力が強まっているようだ。消費増税前は増税前の駆け込み需要があり、反動減が起きるのは増税後の10月以降である。19年度後半の景気落ち込みを和らげるはずが、いつのまにか「いつもの景気対策に似たもの」になってしまった。

■ 消費増税に続き、20年の東京五輪後には五輪需要減が起こるが、それを避けるための対策が必要ということになり、財政出動はいつまでもやめられなくなってしまう。景気対策に財政出動をむやみに積み上げれば問題が解決するわけではなく、増税の意義が消滅してしまう。

■ 今の国際情勢の中で日本経済の成長力引き上げが重要なことはいうまでもないが、それは規制改革や技術革新による生産性向上で潜在成長率を高めるのが筋。

■ 消費増税対策も乱立気味だ。
 食料品購入では持ち帰りか否かで税率が異なる。持ち帰りは8%据え置きであるが、店の中で食べる場合は外食扱いとして10%となると言う。どうやって確認するのか?店の外のベンチで食べるのは?途中で気が変わった時はどうする?
 こんな小さいことに差をつけてどうするのだ?コンビニのベンチや食事コーナーは撤去されるのでは?そっちの影響が大である。

■ 政府は、10月以降にキャッシュレス決済で買い物した人に9ケ月間に限ってポイントを5%還元する案を検討している。そうなると2020年7月1日からユーザーは消費税率5%から突然10%になる。遅れているキャッシュレス化を推進する政策だという。これに伴う歳出も馬鹿にならない。

■ クレジットカードを持たない高齢者や低所得者に不公平にならないようにプレミアム付き商品券を発行する案も浮上している。これでは消費税、キャッシュレス化を推進する効果は薄れてしまう。

 消費増税をしても、その対策と称してどんどん財政支出を増やせば、増税の意味はなくなる。
 多分、我が国の財政を考えた場合に、将来的に消費税は15-20%にしなければ国の経済が成り立たない。今回の2%の増税はその小さな過程に過ぎない。この小さな過程に大きな景気対策を持ち込むと言うことは、一見評判が良さそうなアベノミクスの脆弱性を自ら認めることであり、同時に、日本の将来に先がないことを認める事に等しい。

 消費税増収分は、増加を続ける社会保障費と財政健全化に充てると明確に宣言し、国民の理解をえて、痛みを共有すべきである。与党はいつも選挙を恐れている。

 10%消費税は我が国の経済運営の序の口であって、消費増税対策に名を借りたあの手この手のピンポイントのバラマキになってはならない。国民を騙していることと同義でないか?


1/3(火)曇り雪時々晴れ 年始休暇三日目 除雪2回目
 1:00起床、医学文献、新聞などチェック。午前は家内の年賀状投函、除雪2回目、庭に敷いたシート巻き込み除去に難渋。その他。おせちにて昼食。午後はずっと居間で本「北斗」読み。19:00夕食、歩数計Σ8863歩。21:00就寝。
一応、年末年始休暇としては終了す。

2019年(〇〇元年) 日本の財政は大丈夫か??
 世界で最も深刻な財政状況にもかかわらす、消費税増税は2度にわたり延期され、基礎的財敢収支(プライマリーバランス)の黒字化の目標年度も2025年度に先送りされた。

 私は経済に関しては勉強不足でよく分からないが、漫然とした不安がある。こうした無責任に見える財政運営で日本は大丈夫なのか??

 まず、プライマリーバランスの黒字化は財政再建のほんの一歩にすぎず、それだけでは財政破綻は回避できない、・・・はずである。政権はプライマリーバランスの黒字化を見込んでいたがそれをも延期した。
 
 国債は昭和40年(1965年)に戦後初めて発行され、残高は平成元年(89年)に161兆円、19年度は897兆円に増えている。戦後最長に並ぶ景気回復が続き、税収が増加基調にあっても、そう簡単に減らせない。理由は歳出を減らし難いからである。歳出を減らすには大ナタをふるう必要があり、国民の痛みを伴う。

 歳出全体のおよそ4分の1は、借金の返済にあてる国債費が占める。国債の利子を賄うために新たに国債を発行している。このままでは、安定した国の財政をを維持するのも難しくなる。

 その危機感を内閣、与野党に全く感じられないところが、恐ろしい。選挙を意識して誰も決定的なことを言わない。
 あるいは、私が国の財政に関して誤解しているのだろうか??

 本年度の政府予算案は、歳出総額が101兆4561億円と、予算で初めて100兆円を上回った。
 
 「経済再生と財政健全化を両立できる予算になった」菅官房長官と麻生財務相は自賛したが、どういう意味なのか?理解困難である。

 歳出増の最優先は、消費税率10%への引き上げに備えた景気対策である。キャッシュレス決済でのポイント還元などに総額2兆280億円を計上し、増収分の約1兆3000億円を上回る。

 社会保障費は34兆587億円と、前年より1兆円多く過去最大だ。高齢化による伸びと幼児教育と保育の無償化も始まる。
 
 防衛費も新たな中期防衛力整備計画を踏まえ、過去最大になる。

 18年度の歳出規模も、補正予算を加えると101兆3581億円になった。あまり報じられていないが、歳出は2年連続で101兆円を超える。19年度も同じように補正で対応すれば、歳出はさらに増えていく。

 「それでも財政健全化と両立できる」、と政府が主張するのは何故だろうか?
 安倍政権発足から7年連続で、当初予算での国債発行額を減らしたから、らしい。今年の予算では国債発行額を32.7兆円と見込んでいる。だから、国債残高は増えるはずなのに何で「財政健全化と両立できる」・・のだろうか。

 国債発行減の裏付けとなる歳入は大丈夫か?
 国の税収は水物である。通常、予定どうりにはいかない。世界の経済状況などの影響をもろに受ける。


1/2(水)曇り 年始休暇二日目 
 1:10起床、新聞、文献、雑誌など読み。蓄積データ整理。10:35新幹線舩杉一家離秋。虚脱感あり。元旦の大量新聞チェック開始。BR視聴せず。ラジオ深夜便録音を数回分聴いた。18:00検食、20:00就寝。歩数計Σ6553歩。

2019年(〇〇元年)はどんな年に? 
 今年は4月に天皇陛下が退位され、5月に皇太子殿下が即位される。200年振りのこととされ、新元号は4月に発表されるという。元号の考え方にもいろいろあろうが、我が国にとって元号は全ての面で歴史を刻む区切りとなる。いい年になってほしい。

 昨年は7月の西日本を中心とした豪雨、9月に近畿地方を中心とした豪雨、超大型の台風21号、更にはその直後に北海道胆振地方で発生した地震など、さまざまな災害が相次ぎ、多くの方々が被災した。
 「これまでに経験したことのないような大雨」や「25年ぶりの非常に強い勢力の台風が列島上陸」など、メディアには聞きなれない表現が溢れている。従来の治水等の対策では太刀打ちできない場面が増えている。

 自然の猛威の前には人間の文明・文化など小さく見えるのであるが、そこに住む人がいる限り自然の猛威にじっと指をくわえて屈するわけにはいかない。超高齢社会が到来し、障害者等も増えている中で、災害時に社会的弱者の生命や健康を守るためには、地域包括ケアによる地域づくりが最大の災害対策である。政治だけに頼ってはいられない。町内会組織等の再編が重要で、その上で迅速に医療・介護・ケアを提供できるよう準備しておく必要がある。日本医師会、県医師会でもその体制を充実させつつある。

 本庶京大教授にノーベル医学生理学賞受賞は明るいニュースであった。「がん免疫療法」は、従来の抗がん剤治療の限界を打破する治療法となり多くの患者に命と夢を与えた。
 医師の偏在の解消、働き方改革の議論は今年進展が進むであろう。

 負のニュースとして、東京医大女性差別など不正入試の問題が挙げられる。正論を吐くのは最も簡単である。このの背景には女性医師がかかえる諸問題が隠されている。それを明らかにし改善していくいい機会にしなければ意味がない。

 今年も予算案を見ると日本の借金財政はより一層進むことになりそうである。こんな中で少子高齢化をいかに乗り切っていくのか課題は尽きない。
 今年秋の消費税増税は景気対策が多岐にわたる。ここまで対策が必要なのだろうか?

 人生100年時代に向け、健康寿命の一層の延伸が求められてる。これ無くしては日本の医療制度、社会保障制度は成り立たない。医師は病気を診ることだけにとどまらず患者の人生、家族、住んでいるまちを含めて鳥観し、行動することが大切となる。

 そして、国際情勢の中の日本、日米同盟は様変わりしていく。それを基礎にいっそう困難な懸案事項が増えていくだろう。


1/1(火)曇り 年始休暇初日目 
 1:00起床。新聞入力昨年文終了。本読み、徒然などゆったり過ごす。微睡、本日は音楽三昧で過ごすことに。
 午後はデータ整理、2019年度に移行処理。
録画BRで「N響第九演奏会」,「2018クラシックハイライト」、バッハ「ロ短調ミサ曲」、十分楽しめた。。19:00おせち3け目開封、夕食として楽しむ。文献検討。新聞電子化、読書など。21:30就寝。Σ6050歩。

2019年元旦 明けましておめでとうございます
あけましておめでとうございます。
良き一年になるように、陰ながら願っております。


(玄関先の新年のお飾り 年々チャチになってきている)

(飯川病院玄関先の新年のお花)


12/31(月)大晦日 曇り降雪若干 年末休暇三日目 当直明け 
 1:00飯川病院で起床。本読み、徒然などゆったり過ごす。9:45帰宅、録画BRで「N響定期公演:忘れ得ぬ、名演奏:スベトラーノフ、サバリッシュ再視聴」。午後は書斎の整理データ整理、新年に移行処理、録画BRで「N響定期公演:ベートーヴェンVn協ほか」、「音楽界の動き2014年」、「読響公演:シェーラザード」。12:00年越し蕎麦で昼食。午後次男と孫来訪。19:00お節料理中心に夕食。紅白最初だけ、人海戦術、過剰演出に耐えられずギブアップ、20:00就寝。Σ7919歩。

2018年大晦日 小雪ちらほら寒い いつもと同じく「感謝」 で締めたい
 時間の経過は実に早い。2018年も大晦日を迎えた。
 淡々と過ごし得た一年であった。

 私は先に勤務していた病院の嘱託医、家内が傭われ院長している飯川病院の補助医師として診療を細々と続けている以外は外との接触・交流・対話は一切ない。今年も同様、家族とネコ、自分との対話を中心に過ごした。

 年毎の蓄積データの更新など。読書三昧、文献整理その他、文献チェックなど。新聞雑誌、文献等の活字体、録画映像、ラジオ番組の録音を通じていろいろ情報を仕入れ勉強した。無知であった自分を恥じながら新しい史実、事実を知った。

 私は、昨年は右下腹部の鼠径ヘルニアと数週毎に現れた原因不明の腹痛に悩まされたが、9月に手術を受け経過は順調である。
 この一年間は健康上のトラブルはほとんど無かったが、最近、体力・気力の衰えが顕著である。

 終活は進めた。今年は特に音楽関係、書籍関係で大幅に進んだ。
 自宅にあるCDほぼ全てをiTune化した。
 また書籍の自炊も進んだ。
 これらの作業を通じて音楽にも、読書面でも持てる財産の魅力を新発見した。音楽の再視聴と書籍の再読に明け暮れた年となった。その延長線上でこの一年間に新しく購入した関連書籍は100冊に近い。それらを自炊しながら書架に入れないように読んでいる。

 家内は基本的に元気であるが、昨年末に大腸ガンが再発し6回目の手術を受けた。新年から業務に復帰したが、腹部の血管への浸潤処理のために術後下腿の循環障害が生じ、歩行や立位維持困難など日常生活にも支障が生じたが、副血行路の発達なのか徐々に改善してきている。実に嬉しい。
 家族達は、総じて元気に過ごしている。孫5人、何れも個性豊かにすくすくと育っている。

 私自身はそろそろ引退を希望するが、家内が働いている間は補完的に、補助的に手伝わなければなるまい。

 我が家はのネコたちは今年、風除室住まいのネコから飼いネコに昇格した。彼らはとても元気、毎日笑いを提供してくれている。ただ、そのうちの1匹「しまじろう」が仲間との諍いで家出した。餌は与えているが、この寒空健康面が心配である。

 私供がこうして無事年末を迎え得たのは、やはり多くの方々のお陰である。
 私の最近よく口にする標語は「寛容」、「忍耐」、「感謝」であるが、この一年、いつもより深い「感謝」の気持ちを込めて、厳粛な気持ちで締めたい。


12/30(日)年始休暇二日目 曇り 飯川病院日当直 レセプトチェック
 1:00起床、いつものごとくデータの更新・整理、コンピューター関連読書、徒然ほか、微睡。除雪不要。8:30レガシー飯川病院日当直業務につく。データ整理中心に。本年分の蓄積データの更新作業。午前は読書中心。オネスティ終了。12:00検食、13;00-15:00.外来レセプト点検、午後は微睡を挟みつつデータ整理、18:00検食。19:00就寝。Σ8533歩。

2018年年末(5) 終活(21) 宗教 心理 自死 死刑 生老病死 尊厳死・安楽死
 今年はずいぶん本を読んだ。
 ジャンルとしては、オウム関連で宗教、高齢者心理と生老病死、尊厳死・安楽死問題、重要犯罪関連のドキュメンタリー、警察・検察・裁判制度・日本の司法制度など。三島由紀夫事件、西部邁の自死を中心として自死問題などである。

 自分もそろそろ死ぬ時期を迎えるだろうと考えると、死そのものに興味がわく。
 尤も、別に、何も考えなくとも死ぬときは死ぬのであってあらかじめ考えていても何にもならない。でも、自分にとっての初体験になるのだから私としては無視したくない。自身の過程を観察しながら、楽しみながら死にたい。
 
 私は自分の命は自分のものであって、自由に扱っていいと考える立場である。

 だから、私は自死も容認できる。疾患や衰弱での死亡に際しては過剰な延命治療の是非が問題になっていて、そのこと自体は良い方向性だと思うが、基本的には死に行く本人から自由を奪った状態で、生命が朽ち果てるのをひたすら待っているだけ。社会は実に残酷だ、と思う。極論であるが、本人の希望が確固たるものがあれば、安楽死を認めてもいいと思う。
 「死ぬ権利」を認めようとしないから患者の一部は飛び降りたり、飲食を拒み、死を早めようとする。しかし、死までの過程は長く辛い。だから、死に関しては引力とか、温熱とかの他の力が必要となる。絶食死は興味があるが、その完遂は身体的苦痛を伴う。一般的にはほぼ不可能である。

 今の医療の中では患者や家族から強い要望があつても、医師が自らの手で致死量の薬剤を役与して患者を死に導いた場合、法で裁かれる可能性がある。
 自死するほど元気なら自死を選べるが、その体力が残っていない患者は飲み食いをやめる自由、栄養補給をやめる自由しかない。

 心身ともに末期の状態になっても患者にこのような苦しみを口にさせる。医療はこれでいいのだろうか。
 
 延命医療を中止する「尊厳死」の権利を法で定めるべきか否か。欧米ははぽ全ての国が尊厳死を法的に定め、近年、韓国や台湾でも法律ができた。日本では法整備の動きは鈍い。ましてや安楽死などまだまだ遠い話である。国として決めるにはまだハードルが高い。

 私の場合には私の命の価値は豆粒一つでしかない。だから、「好きにさせてよ!!」、私はそう願う。


12/29(土)年末休暇初日 曇り 今冬初除雪
1:00起床、いつものごとくデータの更新・整理、コンピューター関連読書、徒然ほか。夜間の降雪3-4cm除雪。ざっと初除雪、8:30上飯島駅付近、画家宅訪問30号作品寄贈受ける。孫の一人入院のため3人あづかり、16:00飯川病院。19:00-21:00サンビーム年一回の知人と会食。21:30帰宅。BRながら視聴:「西條八十」。22:00就寝。Σ9260歩。

2018年年末(4) 自身の行動の評価と総括   
 私は自己満足観を重視し、生活を楽しんでいる。

 新年に立てた目標の達成状況をざっと自己評価した。

―――――――――――――――――――――――――――――――-
■ 向上した項目あるいは計画を維持できた項目。
(1)時間を自分のために有効に使えたか――――――(→)達成度7割
(2)徒然日記の連日更新―――――――――^^―――(→)達成度10割
(3)新聞3紙の記事、雑誌記事を電子化ファイリング-(→)達成度10割
(4)月収の2割以上を岩手県の復興基金に送る---------(→)達成度10割
(5)契約上の勤務達成度 ――――――――――-----―(→)達成度10割
(6)終活・身辺整理――――――――――――------―(→)達成度8割
(7)園芸・野菜作り・除雪その他の作業-----------------(↓)達成度7割
(8)隙間時間を読書に当てる-------------------------------(↑)達成度9割

――――――――――――――――――――――――――――)――――-
■ やや減退した項目。
(1)ラジオ深夜便 録音聞き直し----------------------(↓)達成度6割
(2)録画の映像、音楽映像視聴―――――――――(↓)達成度3割
(3)天候不順日をのぞく徒歩通勤----------------------(↓)達成度5割
(4)医療・医学を学ぶ姿勢、取り組み------------------(↓)達成度3割
(5)階段昇降――――――――――――--――――(↓)達成度5割
(6)健康管理面への配慮、注意、努力----------------(↓)満足度5割

―――――――――――――――――――――――――――――――-
■ 大幅に低下した項目。
(1)惰眠をむさぼらなかったか―――――――――(↓)満足度3割
(2)英語、芸術、歴史、特に近代日本史を学ぶ――(↓)満足度3割
―――――――――――――――――――――――――――――-

 上記の判断の尺度は客観性はない。自分の心の良心と邪心を鬩ぎ合わせて適当に判断した。
 
 達成感、満足感は全般に低下傾向にある。
 最近はやたらに睡魔が襲ってくる。読書や作業を3時間ほど続けると横になって休みたくなる。午睡の時間も長くなりつつある。身体が要求するから無理せずそれには従う。21:00pmに就眠し1:00am前後に起床するという変則的な生活を今も続けていることも関係しているのかもしれない。しかし、変えるつもりはない。

 私の好きな言葉は「継続は力なり」であるが、中身より継続することが主目的となり、本末転倒だと思うこともある。

 昨年、こんな評価は今回を最後にしよう。来年からもっと無計画に、適当に生きてみることにする・・・と思ったが、今年もついやってしまった。
 期せずして「継続は力なり」になってしまったが、来年は途切れてもいい。無理せず自然体でいきたい。


12/28(金) 寒波降雪 大曲中通病院 飯川病院
 1:15起床。データの更新・整理、読書、徒然ほか。降雪4-5cm除雪不要。5:30今年最後の可燃ゴミ提出。7:15Taxi駅に、早めについてスターバックス。8:11こまち、8:50-12:15大曲中通病院、13:45-19:00飯川病院勤務。舩杉さん来秋。21:00就寝。歩数Σ9776歩。

2018年年末(3) 医学界の出来事
 今年も残すところ数日となった。
 2018年は医学界にとってどんな年だったのか?
 私の医療面での情報収集能は明らかのに低下してしまったので、昨年に引き続きm3.comの年末記事を引用しながら振り返ってみた。
 医師会員の開業医501人、勤務医526人の計1027人が回答した(一部改変)。

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(1)本庶京大特別教授にノーベル医学生理学賞
(2)東京医大女性差別など不正入試
(3)医師の働き方改革議論進む
(4)AI、医療分野で実用化検討
(5)複数の大学で不正入試 文科省中間報告
(6)順天堂大学女性差別など不正入試
(7)大学病院など労働基準監督署の指導相次ぐ
(8)東京医大、44人を追加合格
(9)ゲノム医療、再生医療など最先端医療の推進
(10)医師の地域偏在、診療科偏在対策の動き

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 東京医大の不正入試問題。前理事長と前学長が、前文科省局長の息子を不正に合格させた事に端を発し、長年にわたって女性や多浪の受験生を不利に扱っていた。計10大学で女性・多浪差別などの「不適切」な事例があったことが明るみに出た。

参考
●2017年医療界の主な出来事(医療維新による)。
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(1)2018年開始の専門医制度を巡る動き 
(2)医師の働き方改革への動き
(3)2018年診療・介護報酬同時改定を巡る動き
(4)日野原氏105歳で死去
(5)小林麻央さん死去
(6)千葉大医学部学生に有罪、集団乱暴事件
(7)医師の地域偏在、診療科偏在を巡る動き
(8)京都医大、虚偽診断諸問題
(9)NHK糖尿病治療に睡眠薬推奨
(10)2018年薬価制度改革を巡る動き
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●医療界2016医療界の主な出来事(医療維新による)。
(1)オプジーポを対象に緊急薬価改定実施 薬価の毎年改定導入
(2)大隅氏がノーベル医学・生理学賞受賞
(3)全国がん登録がスタート
(4)新専門医制度の2018年度開始に
(5)診療報酬改定で多剤投与の見直し
(6)国際医療福祉大の医学部設認可
(7)HPVワクチン接種を巡る混乱
(8)過労死等防止対策白書が初めて公表
(9)B型肝炎ワクテンか定期接種化
(10)世界医師会総会で横倉日医会長が次期会長に


12/27(木)寒波風雪 中通外来 飯川病院  横浜長女孫と再帰秋。
1:00起床。いつものごとく、文献読みデータ整理。7:10バス飯川病院、8:45-13:25外来、14:00飯川病院勤務、外来患者病棟対応。16:30長女と孫再来秋、長女インフワク接種。横浜では入手難という。19:30帰宅、夕食。21:00就寝。ラジオ深夜便ながら聴数時間分。歩数Σ6845歩。

2018年年末(2) 国内外の出来事
 今年も残すところ数日となった。
 2018年はどんな年だったのか、朝日新聞のランキング記事を引用しながら振り返ってみた(一部改変した)。
 一つ一つは緊迫した出来事だったのにもう忘却されかかっている項目も少なくない。
 私にとってこのような形で記録しておかなければ無に化してしまう。

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2018年国内10大ニュース

(1)西日本豪雨で死者220人超、台風、猛暑も
(2)森友問題で公文書改ざん発覚、佐川氏辞任
(3)日産ゴーン会長を逮捕、報酬過少記載の容疑
(4)オーム真理教事件で教祖ら13人に死刑執行
(5)北海遊地震で41人死亡、初のブラックアウト
(6)自民党総裁に安倍首相3選、改憲に強い意欲
(7)障害者の雇用水増し、国と地方で7000人超
(8)辺野古埋め立て承認撤回、国は土砂投入強行
(9)本庶佑氏にノーベル賞、がん新薬開発に道
(10)スポーツ界でパワハラ、選手らが相次ぎ訴え
(11)平昌五輪でフィギア男子の羽生が連覇

 2018年も災害が頻発した。日本列島は災害列島と化した。北海道の地震は初のブラックアウトが生じ、電化社会のもろさが露呈した。
 森友問題は、公文書改ざんを認める展開。障害者肩用では目に余る水増し。官の信輯は地に落ちた。
 一連のオウム真理教事件は教祖らの死刑が執行され一つの節目を迎えた。
 がんの新たな免疫療法を可能にした本庶氏にノーベル賞の栄誉。


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2018年国際10大ニュース

(1)初の米朝首脳会談、非核化と関係改善で声明
(2)米中が報復関税で応酬、貿易摩擦の収拾難航
(3)南北が3回の首脳会談、平和共存へ共同宣言
(4)元徴用工訴訟、日本企業に相次ぎ賠償命じる
(5)米がイラン核合意を離脱、禁輸など制裁再開
(6)中国で国家主席3選禁止規定撒廃、習氏1強
(7)サウジの著名記者、トルコの総領事館で殺害
(8)米中間選挙で民主党が下院奪還、ねじれ議会
(9)米を除くTPPが年内発効、保護主義に対抗
(10)米がINF廃棄条約の破棄を表明、ロシアを非難
(11)メルケル独首相か党首退任表明、求心力低下

 2018年は、トランプ、習近平、プーチン、金正恩の動きに連動してせめぎ合つた。 その過程でグローバリゼーションは機能不全に陥り、従来の秩序や規範は瓦解した。
 6月に実現した初の米朝首脳会談は、平和体制を構築する流れを生み出したかに見えたが、非核化と交渉は難航、南北関係と共に失速した。慰安婦、元徴用工をめぐる日韓関係の悪化は、先が見えない。


12/26(水)曇り 飯川病院ボランティア 
 0:30起床、新聞チェックほか,ほぼいつもと同じに過ごす。12:30バスにて飯川病院。ボランティア。入院患者肺炎ワクチンなど。19:30帰宅、夕食。21:30就寝、。Σ11677歩。BRながら視聴:「アナザーストーリー:韓国セオール号沈没」、「ぶらぶら美術館:横浜美術館、ヌード」。

2018年年末(1) 秋田県の出来事 過去3年の10大ニュース
 クリスマス行事も終わった。今年も残すところ数日となった。
 2018年はどんな年だったのか、秋田魁新聞12月26日の記事を引用しながら振り返ってみた(一部改変した)。

 また、過去3年間のニュースもアップした。
 身近な出来事だったのにもう忘却されている項目も少なくない。私にとってこのような形で記録しておかなければ無に化してしまう。
 

■ 2018年 秋田県の出来事ランキング 1-20位
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(1)金足農業旋風
(2)地上イージス
(3)ザギトワと秋田犬
(4)なまはげ来訪神 無形遺産登録決定
(5)記録的大雨 4万人に避難勧告
(6)バトミントン 長原・松本ペア世界選手権で金
(7)JA秋田おばこ巨大累積赤字
(8)全国学力テストで11回連続でトップ級
(9)ノーザンハビネッツ1部復帰
(10)県民会館閉館
(11)県人口97万9765人に
(12)横手市で今年県内最高の38、6度を記録。
(13)県内の14JAが統合を検討
(14)秋田港にクルーズ船観光客向けターミナル整備
(15)能代工高バスケ部元監督死去
(16)県の道路除雪予算が過去最高に 
(17)2045年の県人口60万人となり、減少率が全国最大の41.2%に(?)
(18)由利本荘市の日本海東北自動車道で若者3人が事故死 
(19)東北屈指の規模「ナイスアリーナ」が由利本荘市石脇にオープン      
(20)本県「健康寿命」は男性71.21歳で都道府県別最下位、女性は74.53歳で33位 


■ 過去3年の秋田県の出来事ランキング 1-10位   
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2017年
(1)記録的大雨
(2)北朝鮮、男鹿沖にミサイル
(3)県人口100万人割れ
(4)佐竹敬久知事のゴルフ問題
(5)ブラウブリッジ秋田がJ3初制覇
(6)北朝鮮籍船漂着
(7)クマ目撃、千件超え
(8)よねたな、バドミントンSS初V
(9)衆院選小選挙区、自民独占
(10)ねんりんピック秋田開催

2016年
(1)鹿角・クマに襲われ4人死亡
(2)本県の3行事無形遣産登録
(3)大森山動物園で鳥インフルエンザ
(4)全国学力テスト、本県9回達続トップ級
(5)リオ五輪、本県関係4人出場
(6)金田勝年氏、法相就任
(7)軽乗用車が逆走、日本海東道で3人死亡
(8)豪風関に県民栄誉章
(9)県人口、101万人割る
(10)秋田市新庁舎完成

2015年
(1)東北六魂祭が秋田市で開催
(2)秋田市の太平物産偽装
(3)夏の全国高校野球で秋田商80年ふり8強
(4)金国学力テストで本県8回連続トップ級
(5)仙北市で源泉設備を調整中の3人死亡
(6)TPP交渉が大筋合意、県内にも波紋
(7)県の新PRキャラに「んだっち」
(8)鳥海山ろく線で乾電池車両がギネス記録
(9)湯沢市で深夜に住宅全焼、一家7人死亡
(10)本県の白殺率が全国ワース卜脱却


12/25(火)晴れ曇り 外来 飯川病院・サンタ姿で病室訪問
 0:30起床、文献読み。データ整理、6:00可燃ゴミ出し、コンポスト処理。7:10バス飯川病院。8:45中通病院外来やや混雑、書類4種あり終了は13:30。疲弊した。14:00-18:45飯川病院勤務。入院対応、サンタ姿で病室訪問。BRながら視聴:「アナザーストーリー:ベトナム戦争と少女」、「昭和:安井かずみ&岩谷時子」。19:30帰宅、夕食、21:00就寝。Σ8251歩。

クリスマス雑感 飯川病院にサンタ 家ではケーキ 私はオラトリオ数曲
 12月24日の夕方から25日の夕方までの1日がクリスマス。ちなみに、クリスマスはキリストの誕生日ではないらしいが、慣習的にこの時期に祝うことになっている。

 私は中学生の頃まで毎年サンタクロースからプレセントをもらっていた。私は中学生頃までサンタがいると信じて疑わなかった。
 でも疑問はいくらでもあった。何で爺さんだけなのだ? 何人いるのか? 夏はどうしているのか? 火が燃えている細い煙突からどうやって入ってくる?? など分からない事ばかりだった。
 やがて、何だそうだったのか、と納得した。
 サンタがいると信じていたときは幸せだった。夢があった。

■ 25日夕方、飯川病院にサンタが来た。
 25日夕方、飯川病院にサンタが来た。入院患者一人一人の枕元を訪問し、声を掛けながらリボンの付いたティッシュボックスを手渡した。悲しい事に、入院患者30数名の中で、サンタを、小さなプレゼントを認識できたのは10名弱に過ぎなかった。殆どの患者はほぼ無反応で、サンタは哀しげな表情をしてはそっと枕もとにプレゼントをおいて帰っていった。
 たぶんサンタは日本の高齢化と延命治療について、自らを重ね合わせて複雑な感慨を抱いた事だろうと思う。

 (このサンタ、どっかで見たような ヒゲは自前 今年のコスチュームは新品、トナカイ役も同伴)

■ 23日午後我が家でケーキパーティ 私は早々に避難 
 22日に家内主催の餅つきパーティが休宝寺を会場に開かれた。横浜から長女と孫が、弘前からは休宝寺の孫が出席するなど、良い会であった。私は一杯のビールで酔いつぶれ最初の15分ほど会場に居ただけ。
 本来は秋田の親戚たちの懇親会であったが、徐々に子供達中心の会になった。子供達に古来の餅つきの様子を見せるだけでも値があるし、総出で丸餅、大福、のし餅を作る作業もインパクトがあったはずだ。子供同士の親睦にもなる。
 集まった爺婆世代、親たち世代、孫たち世代を見てみると少子高齢化など、信じがたかった。

 翌24日午後は我が家で孫達5人を中心にクリスマスケーキパーティが行われた。
 私は孫たちの動きのスピード感、黄色い声についていけず、午後から飯川病院に避難した。夜帰宅したら私のためにケーキの一辺が残っていた。一片と言っても通常のショートケーキの2倍以上あった。家内は巨大なケーキを奮発したらしい。美味かった。

■ 私は25日の早朝、クリスマス・カンタータを一人静かに味わった。
 クリスマス・カンタータはスイスの作曲家オネゲルの最後の作品である。
 自らの死を意識しながら完成させた。全体は、「暗黒の時代」、「キリスト生誕」、「賛歌」に分けられる。
 ミシェル・コルボ指揮、リスボン・グルべンキアン管弦楽団の盤で、久々に取り出した。バッハのクリスマス・カンタータ等の作品類似の静かな宗教曲かと思って20年以上前に購入したが、結構おどろおどろしい音楽である。

 今週は久々、クリスマス関連の雰囲気を味わった。


12/24(月) 天皇誕生日振替休日 晴れ曇り小雪 
 1:00起床、徒然、文献読み。微睡ほか、庭掃除、落ち葉処理。12:00長女と孫離秋。庭掃除、落ち葉処理一段落。BRながら視聴:「N響公演アーカイブス:スベトラーノフ指揮チャイコ5番、サバリッシュ指揮ベートーヴェン7番ほか」素晴らしい遺産だと思う。19:00夕食、21:00就寝。Σ10312歩。

新幹線「こまち」 遅れ四題 おかしい!!! 秋田に定刻の10分前に到着した!!
 私は毎週金曜日に新幹線で大仙市にある大曲中通病院に出張する。内科外来の診療応援の為である。

 私は車も怖いが、新幹線も怖い。新幹線に限らず巨大なシステムは怖い。100%システム任せで自分がどのような状態なのか、理解もできないからである。現に昨年、東海道新幹線のぞみの台車亀裂問題があった。誰も気づいていなかった。亀裂が実際に破たんしていたら世界最大の大惨事になっていたことだろう。新幹線「のぞみ」台車亀裂(1) 何であの日、あの時間に、あの危機が
 その点、秋田新幹線は最高速度120Kmだし、秋田-大曲間は片道40分だからちょっと気楽である。

 往路は秋田始発なので滅多に遅れないが、降雪・積雪期になると東京駅からの距離が長いだけ、下りでは多少の遅れが頻回となる。それでも、せいぜい5-30分程度である。JRの技能は大したものだ、と感心する。また、遅れてくるということは安全のために無理していないことの現れと考えれば、容認できる。それでも悲喜交々がある。

 ここ一月余りの間に私が利用する新幹線の遅れが数回あった。

■ 11月9日、下りが線路上の落ち葉のため速度制限したとのことで10数分遅れた。
 こんなこともあるのかと感心した。初めての経験であるが、紅葉が美しい田沢湖高原を通過する列車ならではのことと思った。落ち葉の油脂成分で車輪がスリップする可能性があるのだ、と言う。四季2018(13)紅葉・落ち葉の季節 秋田新幹線も影響受けた

■ 12月7日、下り新幹線が 全国的な降雪悪天候のために約30分遅れた。
 大曲はこの日吹雪模様で積雪10cm。遅れは想定内であった。

■ 12月14日 上り8:11始発のこまちが3分遅れて発車した。 
 この日は秋田市は寒波で降雪あり、道路はアイスバーン状態の場所もあった。道路の渋滞が予想されたためにいつもより15分ほど早めに駅に向かったが、改札に着いた時は8:11で発車の時刻であった。いつもなら入場を止められるのであるが、その日は「まだ間に合うのでお入りください」と言われた。先着の奥羽本線の列車が遅れたとのことで、それを待ち3分遅れで出発した。こまちの発車が遅れたことで業務に穴を開けずにすんだ。こまちが「小待ち」してくれた。

■ 11月21日 下り新幹線が10分早く秋田に着いた。本当か??と驚いた。
 大曲中通病院内科外来終了後、歩いて駅に急いだ。いつもの通りだと大曲駅で10分ほど待って下りの新幹線に乗るのであるが、「間も無く列車が着くのでお急ぎ下さい」とのアナウンスがあり、私はホームに入ってきた列車に乗った。着席した後はノイズキャンセリングヘッドフォンで音楽を楽しみつつ本を読んでいた。車内放送ではいろいろ言っていたが注意を向けなかった。秋田で降車し、飯川病院まで歩いている路上でスマホのアラームが鳴った。これは目覚ましを兼ねてセットしていたもので、いつもなら秋田到着直前に車内で鳴る。
 これはおかしい!!! 新幹線が10分早く秋田に着いた?? そんなことはあるはずがないと半信半疑であった。実際には、いつもの列車の一つ前の列車が約40分遅れて大曲駅に到着、私が知らずに乗ってしまったためであった。車内放送で「払い戻し」云々とも言っていたような気がした。


12/23(日) 天皇誕生日 夕方から雨、比較的温暖 飯川病院回診など
13:15起床、本読み、新聞PDF化、徒然。BRながら視聴:「読売日響:遠藤真理マルティヌーチェロ協奏曲」、「N響定期公演:ドビュッシー&ウオルフ:牧神、カルミナブラーナ」ほか。次男一家来訪。13:00-18:00飯川病院へ、患者対応。18:30帰宅。19:00?20:00孫サービスで回転寿し、18:15帰宅。21:00就寝。Σ8209歩。

冬至2018:私には大きな節目 柚子湯・カボチャ小豆粥考
 昨日は冬至。冬至は1年のうちで日の出の時刻が最も遅く、日の入りの時刻が最も早い日。今後、朝が明るくなるだけでなく、朝の日差しが徐々に力強くなって行くのを感じ取れるのは嬉しい。

 我が家の可燃ごみは週2回5:00-6:00am頃に私が集積所に出すが、10月末から12月末までは真っ暗闇の中の作業で結構大変である。除雪は5:30に始める。自転車用のヘルメットを改造して作ったヘッドランプで手元、足元を照らしつつ作業を進める。

 秋田では通常は冬至は積雪状態で迎え、寒さはとても厳しい。今年の冬至は昨年同様、秋田市はまだ積雪はない。それでも、冬至は一つの節目を越えることになり私はほっとしている。実際の気温や天候は日照時間とは約二ケ月のタイムラグがある。まだまだ寒いし、秋田ではこれからが本格的な雪の季節である。
 
 今後一週間単位で見れば夜が明けるのが確実に早くなっていく。春を待つ私の心の拠り所になるスタート日である。
 古代には冬至が1年の始まりだつたと言う。

 冬至といえば「カボチャと小豆」が、「風呂には柚子」。

 柚子湯は身体を温めて、風邪知らずに。この習慣は冬至と湯治の語呂あわせから来ているほか、柑橘系の芳香成分による保温効果や、沈静効果が期待できるというミニ根拠かある。
 一昨年は、風呂に入れるだけでは勿体無いと、美味そうだと考えて柚子の果肉を食べ、ジュースも作ってみた。香りは強烈で、酸味がきつくて飲用に、食用には適さないことがわかった。柚子風呂としては皮だけで十分であったが、果肉の利用できないからその後はまるまる数け浮かべている。

 冬至にカボチャを食すと健康によいといわれている。カボチャは16世紀に日本に伝わった渡来作物であり、一般に晋及したのは江戸時代とされている。だから、この風習は江戸時代以降に始まつた新しい習慣と考えられる。現在と違つて冬場は野菜類が少ないため、保存がきく、食昧などの点から珍重されたのであろう。
 実際、カボチャには力口チンが多く含まれており、風邪など感染症への抵抗力を得られるというミニ根拠かある。
 小豆粥は元来1月15日の小正月に食されていた。小豆の赤が冬季間の陰気・邪気を祓うといういうことから食されたものと考えられる。小豆は利尿作用などがあるので健康によいというミニ根拠かある。

 この日を境に「太陽の力が再び力を持って来ることを祝う祭り」は冬の長い北欧では今でも盛んだという。私も一人、心の中で祝っている。

 私たちにとつては暖かさの実感はまだ遠いが、小さな植物のなかにはいち早く太陽の恩恵を受けているものがある。
 木の幹の周りは雪解けか早く見られる所のひとつ。のぞきこむと、何かわからないが小さな芽が見られる。

 暦上では間もなく今年も暮れる。来年がどのような年になるのか?
 今年は夏から異常気象が続いており冬場に来てもどうなるのかちょっと心配である。

 日が長くなっていく毎日、日毎に元気を出していく植物、私も一緒に春までの日々を歩んで行きたい。


12/22(土)快晴で温暖 餅つきパーティ 
 1:00起床、新聞チェック、医学系論文読み、徒然ほか。昼食、微睡など。13:10長女と孫来秋、15:00所準備開始、17:00-21:00休宝寺で餅つきパーティ。21:30帰宅、就眠。歩数Σ9378歩。

老医のつぶやき(6) 主治医が怖い? 顔も見ずに画面で診察?
 86歳高齢女性の新患患者のもう一つの弁。「・・・、主治医には怖くて話もできません。画面だけ見ていて診察もありません・・・」にも私は注目した。

 「最近の医師は常にパソコンのモニターばかりを見ていて、患者の顔を見ながら話すことが少なくなっていること」に対する意見は頻繁に聞くようになってきた。

 カルテも電子化された昨今、このようなクレームが頻発することに私は実に不思議なことと思う。
 私はいい時代になったと満足しているし、患者とこの便利さを共有すればいい、と思う。
 中通総合病院の私の診察机の場合、モニターは患者と私の間に配置されている。すなわち、患者と医師の間にモニターを置いている。だから、私からは患者とモニター画面を同時に見ることができ、患者からは医師とモニターを見ることができる。

 診療も、診療録部分の記載も、検査結果も私と患者がモニターを見ながら対話する。「先生、漢字変換が間違ってますよ・・」、「ちょっとここのニュアンスがちがいます・・」、「血糖が高いですね、食べ過ぎました・・」、「処方のこれとこれは今日は不要です・・」、「次の予約は・・」などなど対話が弾む。画面を印刷して渡すことも頻回である。

 私の診療範囲は慢性疾患の患者が中心である。だから、呼んだ時の返事の様子、診察室に入ってくる様子、患者の顔の表情、患者の話す内容、話すときの表情などは、私の診療では最も重視する情報である。身体所見、検査の数値よりははるかに役立つ。
 だから、私には顔も姿も見ない診療は考えられない。

 タウン紙等には新規開業クリニックの紹介記事が掲載される。建物も実に素晴らしいデザインであり、素晴らしい医療機器、アメニティが並ぶ。
 医師の診察机、患者の座る椅子なども紹介されるがいずれも立派。しかしながら、多くは医師の正面に大型のパソコンモニターが鎮座している。これは私には理解できないレイアウトである。

 人は、顔を、目を見ながら話すことで安心する。ましてや、不安を抱えて来院される患者にとっては不可欠である。顔の表情には嘘がない。
 医療は人である医師が、人である患者を診るものであり、医師と患者の信頼関係があって成り立つものである。勿論、最初から信頼などある筈もない。しかし、不安の核心を共有できればその道は拓けていく。

 主治医が怖い?そんな医師患者関係など今でもあるのか、と思う。

 今回の多剤投薬を受けていた患者の訴えは、診療の基本を忘れてはいないか、と自省するきっかけとなった。




12/21(金)快晴温暖化 大曲中通病院 飯川病院 
23:30起床、寝不足感あり、徒然、文献読み。5:30可燃ごみ提出。7:30Taxi飯川病院経由駅に。8:11こまちで大曲、9:10-12:00外来業務、駅病院間は往復共徒歩。新幹線10分早くついた!!!! 13:30飯川病院。19:00TAXI書店経由帰宅、夕食、21:30就寝。歩数計Σ10771歩。

老医のつぶやき(5) 多剤療法(2)  
 それにしても86歳の女性患者に連日25剤の経口薬剤の使用は明らかに異常である。


 私は各患者の病態そのものにも関心はあるが、それ以上に薬物療法には関心がある。医師の診療姿勢にも関心がある。
 わが国の保険診療で用いられる薬物は、国が安全と保証して認可している薬品だから、医師が正規に用いた場合の副作用などの責任は個々の臨床医にはない。しかし、その使用量、適用疾患については厳しく制限されている。禁忌とされる薬剤の併用もある。

 ただ、各患者に何種類の薬物を併用するかは法で制限されているわけではない。また、我が国では各患者が複数の医療機関、診療科を受診するのにも制限がない。だから薬物投与に関しては各担当医が注意してみないとその実態がわからないこともある。10年ほど前から「おくすり手帳」が用いられるようになってからはその実態がわかるようになってきた。これは大きな進展であった。

 私はかつて新設なった秋田大学で血液学を学ぶ機会を得た。研究分野ではそのひとつが「薬物の造血障害」であった。薬物の副作用で死亡した患者の実態調査も行った。秋田県の行政の要職にあった方の診療にも当たった。そんな経過もあって、私は自然界にない物質を医師として患者に投与する、している、という現実に畏怖の念を禁じえない。薬物は私には怖い存在である。

 私が主治医としてずっと治療している患者の併用薬は3-5種程度日が多いが、平均的には7-8種かもしれない。それは前主治医から継続して診ている患者がいるタメである。このような患者の多くは減薬に抵抗する。日本の患者は薬好きであると言われるが、その医療文化を作ったのは医師である。ただ、その背景には日本独自の事情もあった。診療報酬が低く抑えられているために医療機関の経営は厳しく、薬品の利ざやをあてにせざるを得なかった時代もあったからである。

 私は日常的に患者の処方をチェックしている。今までの多剤併用は複数の診療科で複数の主治医からの処方で20剤が最高であった。それからみても25剤は異常である。

 この方の場合は、各薬物の効果がどのように現れているか、元々の病態が不明なので今のところ判断はできないが、消化器系の副作用は明らかなようである。

 私の予想としては、これだけ多剤を用いていることは、各々一剤ごとにはあまり薬効が現れていないだろうということである。薬効同士が体の中でバッティングしてもいなさそう。この患者にとっては幸運だったと言える。
 
 この患者が紹介状を持って再来院するかはわからないが、もし私宛ての紹介状持参で来院したなら主治医として処方減から手をつけようと思う。


12/20(木)曇り晴れ 外来 健康クリニック 飯川病院
1:00起床、新聞、文献自炊。徒然ほか。7:10バス病院着。8:45-13:50外来+ドック総括14名分。14:00-14:30健康クリニック胸部レ線判定。14:45-18:55飯川病院、入院・外来患者対応。17:00家内家で預かる孫のために帰宅。当直医来院まち19:00プリにて帰宅、夕食、20:30就寝。歩数計Σ5735歩。

老医のつぶやき(4) 傾聴(2) 多剤療法 86歳の新患の女性しみじみ語る 
 約1週間前の外来での話。
 86歳高齢女性の新患患者が私の診療を希望して来院した。新患担当医師も外来に出ており、私はもう新患を診ることは少ないのであるが、本人が強く希望されたとのことで私に回ってきた。

 某有名総合病院の循環器科に長く通院してきた方である。主治医は循環器科の高名な方で、指導的立場にある方であるが、患者いわく、「何か症状を訴えるとその度ごとにお薬が増えるんです。最近食欲もなくて、飲み込んでも途中で引っかかり落ちていきません。痩せてきました。こんな状態を続けていいのでしょうか?
 主治医には怖くて話もできません。画面だけ見ていて診察もありません。できることであればこの病院に転院したい。」というのが来院の趣旨であった。

 何か症状を訴えるとその度ごとにお薬が増える、というのは従来からよくある話である。
 このように長い経過を持つ患者に対してはまず傾聴、対話が基本である。
 「なんで私の外来を受診したのですか??」と聞くと「先生は日頃から、自分自身が薬ですから、薬はそれほど使いません・・・」と言っている、ことをどこからか聞いたことがあり、「迷いに迷ったが受診しました」、と言う。いやはや困ったことになった、口から出まかせ言うものではないね、が最初の印象であった。

 「おくすり手帳」を持ってきたと言うので見せてもらったら、なんとそこには25種類の処方のコピーが貼り付けてあった。これが数ヶ月前から継続して処方されていた。患者は一つ残らず服用してきた、という。

 内容的には循環器用薬が5種類以上、抗不安薬2種類以上、消化器薬7種類以上、高脂血症薬、血栓予防薬・・・、と続く。

 診察を一式終わらせたが、やや羸痩傾向にあるものの全身状態は悪くなく、心臓を含め局所的には問題はなかった。緊急的に治療方針を変える必要ない、と考えられた。

 私の患者に対して述べたのは
―――――――――――――――――――――――――――――
■ 診察の結果からは緊急的対応は不要です。もう少し時間をかけてベストな対応を考えましょう。
■ 特に悪い状態と思えないので、検査などは本日は不要です。
■ 長くお世話になった主治医に、処方減とかの希望を述べられてはいかがですか?それが転院まえの基本です。
■ どうしても私どもの病院に転院希望されるのであれば病状を知りたいので紹介状をもらってきてください。
■ 紹介状を見て、私の手に余るような病気であれば、私から当院の循環器科にも紹介し、私と一緒に診療進めます。
■ ただし、私は一年契約の嘱託医なので4月以降も外来に出るかわかりません。健康状態から見てもいつまでか診れるか保証はできません。その際には適宜対応します。
・・・・・
―――――――――――――――――――――――――――――

 患者は私の説明に納得し、27日に主治医の診察があるというのでその時に話してみます、と言って晴れやかな表情で帰っていった。


12/19(水)小雨小雪 飯川病院ボランティア
 0:40起床、徒然ほか。新聞、文献チェック。11:07バス、通町珈琲店、飯川病院、院長受診のために留守番。外来など。19:00帰宅・夕食、21:30就寝。BRながら視聴:「そこまで言って委員会:映画」、「今世界は」など。歩数計Σ8815歩。

終活2018(19) 人間関係を整理(2) 年賀状、ご恩があるからこそ
 2013年の暮れから、毎年250枚以上も出していた年賀状をやめた。また、届いた年賀状は一切見ない。

 今は嘱託医師として細々と診療を続けている。
 私は、第一線を退いた者は、現役世代の誰に対しても、負担や迷惑もかけるべきでない、と思っている。だから、退職後は、診療以外は誰とも交流せず、会合にも一切出ずひっそりとマイペースで生活している。

 私は現役の時には多くの方々から助けられた。その恩は忘れることはない。私の宝でもあった。これからも忘れることはないだろう・・と言えど、記憶障害が進んでいるから保証できない。そのことは意識しながらも、退職後はすべての方と距離を置いている。恩を忘れていないのに、忘れる前に、お亡くなりになった方も少なくない。
 私は感謝を忘れたのではなく、恩があるからこそ、一切迷惑をかけたくない。

 年賀状は60年以上も続けてきた。年賀状にはハガキ代金以上の無形の力がある。最大の効能は先方の方との関係を思い出し、懐かしみながら感謝の気持ちを再確認すること、であった。
 名刺を並べてみても、交友録等の名簿を見てもこんな気持には絶対になり得ない。
 しかしながら、割り切って考えれば、無くても何ら困らない習慣でもある。裏を返せば私の賀状が先方に迷惑になっている可能性もある。
 
 印刷だけ、写真だけの賀状は受け取っても心が動かされることはない。
 私は賀状には必ず自筆で一筆添えた。その縛りを自分に課していたので毎年準備が実に大変であった。
 現役を退いて後は、いま迄蓄積してきた有形無形の、人的交流を含めて、私にとっての貴重な財産を手放しつつある。年末の年賀状もその一つである。年賀状の用意から解放された後は、心静かに年の暮れを迎えることができている。

 挨拶もなくひっそりと賀状をやめた私の行為は、多分、非常識だろう。それを分かった上での判断であった。今でも40−50枚ほどの賀状が届く。申し訳ない気持ちになるが、一枚も見ないで封印している。


12/18(火)比較的温暖曇り 外来 飯川病院
 0:40起床、文献チェックなど。まだ除雪不要でうれしい。5:00可燃ごみ処理、提出。7:10バス飯川病院。8:45-13:00外来。13:15飯川病院、14:00勤務、入院患者インフ対応。19:00帰宅、夕食、20:00就寝。BRながら視聴:「そこまで言って委員会:韓国問題」、「今世界は:ゴーン問題」。歩数計Σ12679歩。

終活2018(19) 人間関係を整理(1) 私の「見ざる・聞かざる・言わざる」

 三匹の猿が、おのおの目、耳、口を両手でふさいでいる彫刻や置物は「見ざる・聞かざる・言わざる」 という古来からのことわざを示していることで有名である。
 日本で有名な三猿は、栃木県・東照宮にある作品で、左甚五郎の作とされているが、日本各地で見ることが出来る。

 「自分に都合の悪いこと、人の欠点や過ちなどは、見ない、聞かない、言わないのが良い」という意味がある。
 同じような考えは西洋にもあり、シルクロードを経て中国に伝わり、更に日本には8世紀ごろ伝わってきたとされている。
 「見ざる・聞かざる・言わざる」という言葉は、孔子の論語が由来という説もある。
  孔子は「礼節に背くことに注目してはいけない。耳を傾けてはいけない。言ってはいけない。行ってもいけない」と、四つの戒めを挙げている。

 私は、図らずも、いや、求めて「見ざる・聞かざる・言わざる」を実践している。
 視力低下、騒音回避用へッドホン使用、日常会話する相手が居ない、から結果的にそうなっている。

 視力は眼疾患のために裸眼では0.01程度。しかし、矯正せずあえてぼやけた外界の中で過ごしている。全てがぼけて見える。道や廊下ですれ違っても人物を識別できない。こんな状態が不便か??というと全く逆で、気を使うこともないし、楽しんでいる。世の中全体が綺麗に見える。眼鏡で0.8程度となるが、焦点があった状態はむしろ辛く運転するとき以外用いることはない。

 聴力は検診の範囲では異常なしであるが、騒音ノイローゼためにほぼ常時ノイズキャンセリングへッドホンを装着している。だから話しかけられてもほとんど聞こえない。実に快適であるが歩行時、車の音が聞こえず若干危険である。

 診療以外話す相手がいない。家族以外と話す事もない。寂しいか?いや実に快適である。

 こういう状態に至って、私は従来受けていたストレスから回避できている。私は人に対して過剰に神経を尖らし、気配りしていた。今はこの状態を心から楽しんでいる。

 ただ、孔子の言う「礼節に背くことに注目してはいけない・・・」の四つの戒めは正しいとは思わない。 孔子は格好良すぎる。これでは生きていても面白くないだろう。「遺言的、老害的思想」であり、私のごとくの凡人は到底実践できない。

 私は「見ろ・聞け・言え・やれ」を基本にしていて、社会に対するアンテナを広げていろいろ収集をしている。いろいろ考えてもいる。ただ、自分の意見の表現方法としては会話という手段を用いない。私は性格的に弱く、意見交換や論争を好まないからである。


 12/17 (月)寒波小雪 健康クリニック 飯川病院 
 1:00起床、降雪若干。新聞チェック、そのほか文献読み。PDF化書類。7:10バス飯川病院。9:00-10:50健康クリニックドック業務、14名。レ線判定。11:15飯川病院、本読み、14:00-18:30飯川病院勤務、外来対応する。聴く。BR録画「そこまで言って委員会:映画そのほか」 、「世界は今:ゴーン関連」、19:30帰宅、夕食、21:30就眠。Σ歩数計Σ8656歩。

師走2018 (3) 雑感 庖丁を研ぐ 鉛筆を削る
 私は日常台所に立つことはまずない。料理は一切しない。しかし、もし、ほぼあり得ないことであるが、私が生き残った際にはなんとか糊口をしのげる程度の食事の支度はできると自負していて、その点では焦っていない。

 しかしながら、台所の模様替えとか、棚の不具合、つり金具、照明、電気の配線などの対応は私の役目である。更に、取手とか鍋等の修理もやる。私の場合はそれに、包丁研ぎが加わる。

 10代の頃から包丁研ぎは、私の役目であった。
 そのときの名残で、いまでも庖丁を研ぐのが好きである。

 包丁研ぎの道具としては簡易なものとしては包丁を溝に接して滑らすタイプの簡易型、ダイヤの粉を表面につけた棒状タイプのもの、電動型もある。簡易型も一時的には効果があるが、やはり砥石を用いるのが一番である。ただし時間的に余裕がないと出来ない。

 私のやり方は、テーブルに新聞紙を広げ、その上に軽く濡らした布巾を置き、あらかじめ水に浸けておいた砥石を置く。
 刃こぽれがあれば電動グラインダーに装着する荒砥石も必要だが、通常の手入れは、中砥石と仕上げ砥石で充分である。
 片刃の和包丁の場合は、まず左手の3本の指を研ぐ刃の裏にあてがい、刃をゆっくり滑らせる。刃先を砥石に対して角度は30度ほどと一定にし、刃先に水をつけながら刃線に沿って50回ほど研ぐ、次に、裏返してなぞるように軽く研ぐ。
 仕上げ用の砥石でも同様に研ぐ。
 洋包丁の湯合は、両刃だから両側をほとんど同じ要領で研ぐ。
 
 菜切り包丁、出刃包丁、刺身包丁、それから両刃の小さな万能包丁、と手持ちの包丁を何でも研ぐ。ハサミも研ぐことがあるが、一体型のは難しい。

 庖丁研ぎは家人からの申し出に沿って行う。小口切りのネギが切れなくなった時、トマトの切れ味が悪くなった時などに声が掛かる。
 家人からよく言われるが、切れ昧を取り戻した包丁を用いた場合、料理上手になつた気分になるらしい。出来上がった料理も一味違う・・・という。そう言われると嬉しい。

 包丁は幼少の時から私が研ぐものと思い込んでいた。最近、庖丁研ぎの話題を聞くことがなくなったのは、カット野菜、調理済みの鮮魚、肉などがあって包丁やまな板をおかない家もあると聞く。スーパーの食品売り場を見ればそれもうなずける。
 欧米では包丁の代わりに、はさみで何でも切るということを聞く。

 包丁は料理の要である。上質のを求めるべきと思う。いい庖丁は研いでいても実感する。作りが違う。
 
 研ぎ終わったらトマトを切ってみる。すうっと刃先が入り、包丁が蘇った実感がする。

 今年の年末は包丁研ぎに追われそうな予感がする。

 ついでに、私は鉛筆を削るのも好きである。
 包丁にしろ、鉛筆にしろじっくり研ぎ、削ると私自身も研がれたようなフレッシュな気持ちになる。それがいい。


12/16(日)寒波多少ゆるむ、曇り晴れ 飯川病院日当直医補助 
 1:00起床、新聞チェック、そのほか文献読み等淡々と処理。PDF化書類、ラジオ深夜便のMP3データを整理。14:00レガシー飯川病院に、日当直医補助19:00まで。病棟は平穏。ラジオ、深夜便録音数日分聴く。BR録画「ローマの休日」、「がん免疫療法」。19:30帰宅・夕食、21:30就眠。歩数計Σ8515歩。

徒歩通勤2018(13) バス通勤雑感 若者は何故座らない?
 2012年春、自転車通勤を止め徒歩通勤にした。
 徒歩の場合、片道で6-7Kmで往路は6:30前に家を出る。60-70分要する。
 勤務終了時間は通常は18:00で、当直医の来院が遅れた場合などは19:00頃まで待つ。それから徒歩で戻るファイトは湧かず、通常は家内の車に同乗して帰るが、講演会等で都合がつかない時は私だけバス帰る。?

 天候によってはバスを利用する。
 2012年,35年振にバスに乗った。その頃まで秋田市のバスネットワークは知らなかったが、停留所は自宅からも病院からも歩いて10分ほどにあった。なかなか快適である。 
 私は車の運転が嫌いである。出来るだけやりたくない。自分で運転しないで移動できるのはなんと素晴らしいことなのか。長くバスを利用してこなかったのが悔やまれた。

 秋田市では68歳以上の高齢者は「コインバス乗車資格証明書」を提示すると一区間100円で乗車できる。私は略現役で働いているので市に負担をかけたくなかったが、納税もしているし、市のプランに乗って高齢者のバス利用者を増やすのも貢献の一つだろうと考えて申請した。往復で200円、通常は640円だからかなりの割引となる。
 ただ、思うに、高齢者福祉は重要であるが、高齢者を一括りにして対応するから財政上の問題が生じる。バスも高齢者の経済状態に応じてクラス分けしてはどうだろうか。

 本年12月になって私の体調もあって徒歩通勤は小休止してバス通勤にする機会を増やした。家内に同乗しても通勤は可能であるが、時間的に遅すぎる。バスは6:47を利用する。

 大きな問題点は感じないが、多少乗客のマナーに問題を感じる。
 ■ 乗車時、順番を守らない。
 ■ 2人分のシートの独り占めが結構ある。荷物は膝に置いて席を開けて欲しい。
 ■ 一方、若者や学生はシートが空いていても立っているが、空席があったら座って欲しい。降りる客が移動でき難く迷惑である。特に、最近は多くがディバッグを背負っているために降車時になかなか前に進めない。

 ■時代柄、大多数がスマフォを見ている。だから、声は一切聞こえず静かでとてもいい。
 ■降車時にいちいち現金を用意するのは面倒。Apple Payとかの支払方法を考えてほしい。ドライバーの事後事務処理も楽だろうし、利用者統計も集められる。


12/15(土)曇り小雪 晴読雨パソ生活 
2:00起床、本読み、医学文献読みなど。午前は文献整理など入力。午後はダリア球根越冬用処理。ガレージ整頓掃除。BR録画:「読売日響:シェーラザード」、「らららクラシック」、「題名のない音楽会:女性トリオ」、「ロンドン響ラトル指揮:ラヴェル、コダーイなど」。19:00夕食。20:55就寝。晴読雨パソ生活でほとんど歩行せず。歩数計Σ3945歩、

スポーツ選手と貧血(2) エリスロポエチンを用いたドーピングもある
 一般的に、特別な血液疾患をもたない若い女性の貧血の大部分は「鉄欠乏性貧血」である。だから「鉄欠乏性貧血」について学べば女性の貧血の大部分は正確に診断や治療が出来る。

 成人女性、男性の貧血は様々ば原因が考えられるが、「鉄欠乏性貧血」の診療は多くは婦人科、消化器科で扱うことが多い。前者は月経過多、後者は消化管出血に続発するからである。この診療科の先生方には「鉄欠乏性貧血」について是非学んでほしいと思う。一般的に、私の立場から見て、貧血の診断治療は過剰に「鉄欠乏性貧血」とされ、無用に鉄剤の投与を受けている、と思う。

 先日、某消化器科から紹介受けた「鉄欠乏性貧血」の患者の治療には「鉄剤の投与とエリスロポエチンの併用が必要です」、とコメントがあった。私は驚いた。

 エリスロポエチンと言えば、スポーツ界にはエリスロポエチン単独、あるいは自己血輸血法と組み合わせた持久力向上法があることがも知った。

 どちらの場合も副作用もあり、ドーピング検査で発見されないように細やかな投与スケジュール化が必要で、医師の関与がないとできない。ましてや、エリスロポエチン単独、自己輸血との組み合わせは医療行為であり、医師の参加が必要である。医師が関与していてもいなくとも医師法違反に問われる。

 こんなことに関与している医師がいるとは驚きである。

 今、スポーツ界でドーピングが問題になっている。
 ドーピングは厳しいトレーニングの成果の上に、さらにもう一押し、力を加えてくれるものとされている。並の選手には不要である。
 造血ホルモンであるエリスロポエチンを投与すれば、血液中の赤血球が増え持久力の向上につながるとされている。
 ただ、私はその効果に対しては疑問を持っている。逆効果もありうる。

 エリスロポエチンを用いたドーピングは単独投与法、自己血輸血法と組み合わせた方法がある、と言う。どちらの場合も副作用もあり、ドーピング検査で発見されないように細やかな投与スケジュール化が必要で、医師の関与がないとできない。

 アスリートのドーピングは不道徳のレベルを超えて、私は犯罪行為だと思う。
 それに協力する医師も、同じ穴の狢だ、と思う。
 ドーピングとエリスロポエチン(1)医師の関与はないか??
 ドーピングとエリスロポエチン(2) 効果は疑問だが、ドーピングは犯罪的行為

 さらに、スポーツ界では持久力を増すために低酸素室の利用もされているという。鉄剤投与、エリスロポエチン投与と同じ効果も得られると言うが、確証は得られていない。これにも医師が絡む。低酸素室の使用中に体調不良となり救急搬送された例もある。

 ここまで無理無駄なことをやって生身の人間が競うより、いっそのこと工夫に工夫を重ねたアスリートロボットに競わせればいいのに・・・、と思う。


12/14(金)降雨降雪 大曲中通外来 飯川病院ボラ 飯川病院忘年会
0:40起床、本読み他いつもの如く、6:00家庭ゴミ処理、提出。7:25Taxi駅に、渋滞であわや遅れたかと思ったが、8:11こまちが接続列車待ちで3分遅れで出発、間に合った。9:50ー12:15大曲中通病院外来。往復Taxi。帰路のこまちは定刻。13:30-17:40飯川病院ボランティア。18:00-20:30飯川病院忘年会キャスル東天紅、Taxi帰宅、21:30就寝。歩数計Σ8345歩。

スポーツ選手と貧血(1) 鉄剤投与には医師の関与があるはず
 高校駅伝の一部強豪校で貧血治療用の鉄剤注射が不適切に使われていたことが分かった。
 日本陸上競技連盟(陸連)は、高校、中学、大学、社会人の競技団体に鉄剤注射の使用実態の調査を依頼することを決めた。

 鉄剤注射は、持久力を高める効果があるとされる。それが使用の背景であるが、私はその効果には疑問を持っている。「鉄欠乏状態」、「鉄欠乏性貧血」の場合は筋力の低下、持久力は低下するが、治療によって改善していく。その状態ならば鉄剤使用は間違いではない。
 「鉄欠乏状態」、「鉄欠乏性貧血」がない場合の注射剤の使用は100%間違っている。その治療によって持久力が増すとのデータもない。
 「鉄欠乏状態」、「鉄欠乏性貧血」の判断、診断は「抹消血液検査」、「血清鉄値」、「不飽和鉄結合能値」、「血清フェリチン値」の測定で簡単にできる。

 鉄欠乏状態のない正常人に鉄剤注射を不適切に投与すると、体内に過剰な鉄分が蓄積され、肝機能障害など、新たな疾患を引き起こす恐れがある。それは比較的簡単に生じる。

 陸連は、来年12月の全国高校駅伝大会から、選手の血液検査結果の報告を義務付けるほか、身長、体重を報告させることも検討中だ。
 私はそれにも疑義がある。単なる抹消血液検査で貧血の有無を見るだけでは体内の鉄欠乏の状態は正確には判断できない。

 これに加え、日本中学校体育連盟、全国高等学校体育連盟、日本学生陸上競技連合、日本実業団陸上競技連合の4団体とも対策を協議していく、と言う。

 陸連は、中高生時代に好記録を残しても、伸び悩んでしまう選手がいる背景には、鉄剤注射の使用があるとみており、若手選手の健康管理を総合的に推進する必要があると判断した。この判断も正しくない。

 陸連には、全国から「鉄剤注射の使用が低年齢化している」との情報が寄せられていることから、調査対象を中学生にまで広げたい考えだ。読売新聞の取材でも、高校で鉄剤注射を打っていたという大学生の女子選手が、「中学で打ち始めた」と証言した。

 はっきり言って、こんな馬鹿なことが行われているとすれば糾弾しなければならない。
 言えることは選手や監督・コーチなどが「持久力向上のために鉄剤注射をして欲しい」と判断したとしても、そこには保護者の同意が必要であり、かつ、「鉄剤注射」の実施は明らかな医療行為であり、医師の指示がなければならない。

 この場合の医師の判断であるが、病気でない選手に鉄剤注射を不適切に投与することは医学的に間違っているだけでなく、保険診療も認められない。
 中等度ないし高度の貧血の際でも体内の鉄の欠乏量は2000mg+αで、この計算のもとで過剰投与にならないよう留意しなければならない。ましてや鉄欠乏を証明していない場合は危険である。
 
 関与している医師は、恐らくは「鉄欠乏性貧血」について誤解している可能性がある。
 
 恥ずかしながら私が40年近く前に書いた小文を併記しておく。鉄欠乏性貧血治療のポイント。


12/13(木)寒気ややゆるむ 雨夕方から降雪 外来 飯川病院 
1:00起床、徒然。文献・録音データの整理・処理など。7:10バス飯川病院に。8:40-13:00外来+人間ドック判定13名、14:00飯川病院、勤務。外来・入院患者対応、新聞、文献読みなど。玄関先のツツジに屋根つけた。19:30帰宅、夕食、21:30就寝。歩数計Σ7940歩。兵庫終了大阪に入った。昨年MacBookエアー注文。

徒歩通勤2018(12) 本日、兵庫通過し大阪に入った
 平成13年3月から徒歩通勤を始めた。ちょうど5年半になる。
 歩数計「新・平成の忠孝」で歩行実績を積算している。
 伊能忠敬が歩いた海岸線をたどり、東京を基点に、東北に向かい、北海道一周、日本海側の海岸線を経て、九州、次いで四国一周、9月22日再度本州に戻り岡山県、兵庫県に入った。本日、兵庫県を終了し、大阪に入った。

 平成13年3月から本日12月13日時点までの積算データ
■歩行開始後 2.072日目、
■総歩数 Σ2.007万歩 (平均9.686歩/日)、
■歩行距離 Σ16.059Km(平均7.75Km/日)。

 兵庫県通過のデータ。
 兵庫県に入ったのが10月31日、通過日12月13日。
■兵庫県の海岸線は308.95Km。
■兵庫県の通過所要日数 44日。
■一日平均歩数 9.000歩、
■一日平均歩行距離 7.22Km。
■現在の位置 日本一周目標の85%終了。

 最低1日10.000歩を目標にしていたが、兵庫県通過中は9.000歩と、目標に不足した。
 兵庫県は12月10日頃に通過できれば良いかな、とゆったりとした計画にしたが、3日遅れの13日に終了した。

 兵庫県を通過している間は天候も悪く、歩行出来る機会は少な目だったことに加えて、体調不良のためにバス通勤にしたことも関連している。
 
 通過した兵庫県は兵庫医科大学医学部内科に血液学関係の講座があった事から学会や研究会で何度も訪れた。もう古い話で学術的なことは忘れたが、私が昭和50年秋の日本臨床血液学会総会のシンポジウム「薬剤因性血液障害」でシンポジストとして登壇し「クロラムフェニコール・肝炎・再生不良性貧血」について述べた思い出の地域である。尤も、私の能力で選ばれたのではなく、当時の秋田大学第三内科の教授のお力のお陰であった。身に余るほどの機会を与えていただいたが、それだけに忸怩たる思いから逃れられない。

 兵庫県の中では姫路市、加古川市、神戸市、尼崎市を知っているに過ぎないが訪問したことのあるのは神戸市だけである。市内は日本の文明の中でも諸外国との交流が盛んで街中にもエキゾチックな雰囲気が見られた。また、平野が少なく近隣の丘や山の中腹にまで住宅が広がっていたのが印象に残っている。
 この地域が1995年1月17日にM7.3の激震に襲われ神戸市市街地の被害は甚大で、日本国内のみならず世界中に衝撃を与えた。犠牲者は6,434人に達した。私は震災後には神戸市を訪れていない。

(Yahoo地図から引用した)

 いま歩き始めた大阪の海岸線は160.26Kmと東京、山形、富山に次いで際立って短い。
 天候不順の季節、積雪で足元が危ないこと、加えて私の体調から1日6-7Kmの低ペースにして、1月上旬に通過出来れば良いと考えている。


12/12(水)曇り 飯川病院ボランティア 
耕陽命日。1:30起床、文献読み。蓄積データ処理。午前データ整理、煙突修理、居間整理、12:07バスにて飯川に。ボランティア。外来対応、植木の冬囲いスタート。18:00院長は明和会年末交流会。プリウスにて18:30帰宅、夕食、21:30就寝。歩数計Σ7151歩。昨年、MacBookPro17、2009年12月製造、起動せず昇天する。

四季2018(16)家庭菜園・園芸2018(8) ダリア冬眠に入る 今年の園芸作業は終了
 いつもながら晩秋から初冬は日照時間がとても短く、季節の移ろいが釣瓶落とし的に推移し実に速い。
 11月末頃から晴天の日がほとんどなく、なかなかダリア球根を掘り出すチャンスが得られなかった。12月5日と9日にわけて曇り空の下でダリアの球根を掘り出し、乾燥させた。

 掘り出した球根は植えた時には各1本であったが、掘り出した時には一部を除き数ケに増えており、来年は分株できそうである。嬉しいが植える場所が足りなくなりそう。

(植え付け時の球根)

(7け月後、掘り出した球根。多房化したのが多いが、1本のまま巨大化したのもあった)

 これで、元蔵ネギがまだ土中に埋まっているが、追い追い鍋料理の時に引き抜く事として、今年の菜園・園芸の外作業は本日をもって終了となった。

 今季ダリア栽培は4年目である。3年で種類が減ったので国際ダリア園から新種7株入手、我が家の株も一部分割し7株として14株を植えた。今年はちょっと離れた畑でなく敷地脇の花壇に植えた。

 今年のダリア栽培の反省点。
 ■ 新しく仕入れた株は栗と柿の木の下に植えた。早朝の陽は葉によって遮られるるであろうが、昼頃からは十分に日差しが得られるものと期待した。しかし、1シーズン観測した範囲では判断が甘かったようである。陽が陰ったであろう順にダリアの成長に大きく差がついた。日差しを十分に浴びたと思われる端の2株は私が経験したことが無いほどの速さで成長し、茎も十分太くなり私を驚かせたが、そうでない株は背も低く、全体に華奢な感じに育った。来季は終日陽に当たるよう考慮しなければならない。栗と柿の木の枝の剪定もその一つの候補となろう。

 ■ 株間の隙間が狭すぎた。

 ■今夏は日差しが強すぎて花が日焼けしてうす汚く咲いた。日差しが弱まってきた9月下旬からの花は見事、とても美しかった。

 ■ 台風21号は最近の台風の中では最大級の勢力とされ、9月4日夜から5日未明にかけて本県沖を通過、県内は激しい雨と暴風に見舞われた。瞬問風速は秋田市29.7mだったと言う。我が家のダリアは大きな被害を受けた。4日は19:15帰宅、雨の中で急遽ダリアに支柱を追加し、枝に紐をかけてまとめたが、その時点で地植えのダリア10本程のうちの半数は様々に折れ曲がり、いくつかは既に折れていた。前日から対策すべきであった。鉢植えダリア5鉢は、軒下に避難させたので被害はなかった。

 ■ 台風21号の直接の被害のほとぼりが冷めた頃から塩害によると思われる葉刈れ、枝刈れが生じ始め花勢は落ち込んだが、それに対して積極的対応は何もできなかった。

 今年のダリアは教えられたことも多かった。7月-11月下旬まで私の目を楽しませてくれただけでなく、切り花として飯川病院の玄関先をきれいに飾った。自然の恵みに感謝!!!である。

(球根掘り出しの日まで咲き続けた一輪「不動心」 切り花として食卓の上を飾った) 。


12/11(火)曇り寒波 外来  飯川病院 靴底スパイク初装着
1:00起床、データ処理。5:30可燃ごみ処理、提出。その間も靴滑る。靴底スパイク初装着。7:05バス飯川病院へ。8:45-12:50外来。13:00秋銀経由、飯川病院。14:00-19:00勤務に。19:20帰宅夕食。21:00就寝。歩数計Σ7463歩。ラジオ深夜便録音数篇聞く。

四季2018(15)秋田にも寒波到来 早朝、図らずも尻出し姿で歩いた
 今期、初冬のうちは比較的暖かかった。温かいうちに、と11月25日に車のタイヤ交換を済ませ、二台の除雪機の整備をして厳寒、雪の到来に備えた。

 一昨日あたりから日本列島はすっぽりと西高東低型の気圧配置に覆われ、寒波が襲ってきた。北陸や山陰、北海道等の豪雪地帯では1mほどの積雪がニュースになっている。秋田も例に漏れず冷え始め、県南の雪が多い地方、横手や湯沢では1m近くも積もった、と言う。除雪、雪下ろし関連の事故、死者も出始めている。

 秋田市内も初冠雪した、と言っても。まだ積雪2-3cm程度と、除雪が必要なレベルではない。
 
 寒くなった。ここ2−3日で一気に冬が来た感じであった。

 昨日10日は降雪であったが、これ以上は猶予ないと午後からはボタンの鉢の冬囲いを進めた。次いで、外の水道凍結対策、散水用ホースの収納など。車の冬支度として窓ガラス用融雪剤、車用雪かき棒、雪に埋まった時の脱出用のプレートなどを用意するなど、冬支度、雪対策を行った。

 私も衣替えが必要になった。通勤着である作業服での通勤は耐え難い状況となった。
 病院間の移動などで外を歩くことが多いので、ヒートテックの下着、丸首セーターを出し、次男が中学生時に着たスキーウエア、これは私には若干カラフルすぎるのであるが今更私用に用意する気もない、に変えた。防寒靴、手袋など用意した。

 通勤路に積もった雪の一部は凍結してもう危険な状況になっている。昨年は4回ほど雪道で転倒したので、滑り難いとされる防寒靴に買い変えたが、それでも結構滑る。雪道での転倒は高齢者の、いや、私の人生を一変させる危険があるのでここ数年来使用している靴底アタッチメントも装着した。

 昨日から冬用ウエアで通勤し始めたが、バスから降りて飯川病院に100mほどになった時に、何だか尻のあたりがスースーして冷気を感じた。また下着がずり落ちたのか?と考えしばらく歩いていたが徐々に歩きずらくなった。確認してみたら、冬用のズボンが大腿の半分ほどまでずれ下がっていた。後ろから見れば、白い下着を出して歩いている状態であった。慌てて振り返ってみたが、7:10ほどと時間が早かったからか、誰も後ろを歩いていなかった。
 別にみられて困ることではないが、自分で一人恥じ入った。
 原因はズボンの前ホックが外れ、次いでジッパーも下がってきたためであった。衣替えの朝だから起こったこと、と思いたい。


12/10(月)寒波終日曇り 健康クリドック 午後飯川病院 
0:30起床、文献・新聞チェック、読書。防寒靴、手袋など。作業衣からスキーウエアに。7:10バス飯川病院。9:00-11:15健康クリニックドック。11:20飯川病院、微睡など。13:30秋銀スタッフ来訪、14:00-18:45勤務、入院患者対応。19:00帰宅、夕食、21:30就寝。歩数計Σ8298歩。

天皇退位 大嘗祭 秋篠宮発言 10連休(3)
 秋篠宮が来年11月に打われる大嘗祭への公費支出に疑問を示された。
 宗教色の強い大嘗祭べの公費支出は政教分離を定めた憲法に抵触するのでは、という意見であった。
 この問題は平成の大嘗祭でも話題になつた。

 政府は大嘗祭は宗教儀式と認めながらも、「憲法で皇位の世襲が明記されており、その儀式に国が関与するのは当然」、「大嘗祭は公的性略があるから公費を支出できる」と判断した。
 政府はすでに閣議で決めたことと秋篠宮の発言の火消しに躍起になっている。問題は皇室関係者の意見を汲み上げながら決定したのかが問題になろう。秋篠の宮の発言を見る限り不十分であった様だ。

 平成を踏襲して行われようとしている大嘗祭は本来の姿でないと皇族が考えているということ、重大な指摘である。

 大嘗祭に際して造られる大嘗宮は、古くは祭りの1週間ほど前から建造を始め、3日ほどで落成。祭りの後は直ちに破棄された。そのため萱、黒木、草や竹などで簡素に作られた。
 近代以降は天皇の権威を示すためか、大きな改変が加えられた。
 大正、昭和の大嘗祭、大嘗宮をほぼ踏襲した平成の大嘗宮の建設費は約14億円、大嘗祭関連費は総額約25億6700万円に登った。

 天皇のお立場は戦後大きく変わった。過去の天皇の権威とは全く異なる象徴天皇である。今上天皇は新しい時代の象徴としてのお立場から国民と共に歩むとの姿勢を貫かれた。その様な中、身の丈にあった大嘗祭をと言う意向は大事にしてあげたかった。

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 皇太子が新天皇に即位する来年5月1日を祝日とすることが、11月13日の閣議で決定され、12月8日参議院本会議で、賛成219票、反対14票で可決、成立した。法の定めに従い、来年は4月27日の土曜日から5月6日のこどもの日の振り替え休日まで、10連休になる。

 休日が増えることは、社会的にほぼ死んだも同然の私にはそれほど大きな影響はない。
 しかし、一人の医療関係者としてみれば、10連休問題が健康弱者に及ぼす問題は小さくないことから、賛成できない。健康に問題を抱える方々にとっては、この期間、不安を抱えることになるだろう。

 この間、医療機関だって困る。持てる病院機能は明らかに低下する。

 スタッフの確保も困難になり、手術が組み難い、血液の入手等が困難になるなど、緊急事態に対応し難くなる。さらに、クリニックは休まざるを得ないから地域医療は混乱する。病院の救急患者は軽症者で混雑し、重症者への対応が困難になり、バックアップする緊急入院対応も手薄になりかねない。

 リハビリテーション、施設介護、在宅医療の運営も困難になる。もちろん、医療機関内部ではスタッフの調整して対応に当たるだろうが限界もある。この10連休間、私は飯川病院の日当直が2-3回割り当てられるだろう。

 内閣の方々、国会議員の方々は、健康弱者への配慮はしたのだろうか?
 一方で、長期休暇を歓迎する人も少なくはないだろう。もちろん、他の分野でも問題は多々生じるだろう。それらを全部自助努力で乗り切れ、と言うのか。
 
 天皇退位に関する政府の対応は、退位意向の表明以来、判断ミスを重ねてきた様に思う。


12/9(日)寒波、雲、積雪多少 
 1:30起床、新聞チェック、読書など。自炊2冊。午前はデータ整理。「NHKのど自慢」見る。13:30-15:30ボタンの鉢冬囲い。結構苦労する。車の冬支度、外の水道凍結対策など。通勤着、防寒靴など用意。19:00夕食、21:00就寝。 歩数計Σ7716歩。

天皇退位 大嘗祭 秋篠宮発言 10連休(2)
 退位の希望が述べられた後は天皇ご自身の希望などはどうであったのか明らかにされていない。
 天皇をはじめとして皇室の方々の生の声はもっと伝えられていいと思う。

 政府は30日、天皇陛下の退位と新天皇即位に伴うスケジュールを発表した。
 「基本的な考え方や内容は前回を踏襲する」と昭和から平成への代替わりの前例にそって行われる、と言う。
 新天皇の即位に伴う儀式は五つあり、いずれも国事行為として実施する。
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2019年02月04日 天皇陛下在位30年記念式典
2019年04月30日 退位礼正殿の儀                      
2019年05月01日 改元 剣璽等継承の儀 即位後朝見の儀
2019年10月22日 即位礼正殿の儀 祝賀御列の儀 饗宴の儀
2019年11月14-15日 大嘗祭
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 19年5月1日即位に続き、皇室に伝わる剣や勾玉などを引き継ぐ「剣璽等承継の儀」、新天皇が三権の長らを前に最初のお言葉を述べる「即位後朝見の儀」が行われる。
 10月22日には、内外に即位を宣明する「即位礼正殿の儀」の他、パレー ドで国民に広く即位を披露する「祝賀御列の儀」が、同日以降、外国元首らを招待する「饗宴の儀」を開催する。国民の安寧や五穀豊穣を祈る儀式「大嘗祭」は11月14-15日。
 「大嘗祭」は古代からの天皇即位の儀式。天皇が年毎の稲の初穂を,皇祖神に供えて共食する祭りを新嘗祭をといい,それを一代に一度の大祭として行うのが大嘗祭である。今上天皇の大嘗祭は1990(平成2)年に秋田県南秋田郡五城目町で行われた。当時のニュースに若干記憶がある。

 私は一つ一つの儀式の意味、また国事行事であることの意味もわからない。即位の礼・大嘗祭について、基本的に神事であり、政教分離の立場から国の公費で行うことは違憲であるとする説もある。私もそう思うが、詳細はわからない。判断出来ない。

 秋篠の宮は11月30日に53歳になられたが、その会見で「宗教色の強い大嘗祭は公費ではなく、天皇、皇太子の日常経費の内廷費で行うべき」という意見を述べた。これは簡素にとの今上天皇、皇后の考えにも沿う。
 かつて秩父の宮らの弟宮はマスコミに様々な意見を表明していた。天皇、皇太子が立場上、発言しにくい「皇室の意思」を代弁していたが、現在、秋篠の宮はそれに近い役割を担つているといえる。

 政府は平成の大嘗祭をほぽ前回に踏襲し、公費である宮廷費で実施するとしている。その平成の大嘗宮は歴史上最大規模といわれた昭和の大嘗宮と並ぶもので、建設費は14億円超。大嘗祭関連予弊は約25億円。

 大嘗祭は、かつては簡素のものであったが、近代以降、天皇の権威を高めるために大規模化された。秋篠宮と政府との間に大きなズレがあるようにも思える。「身の丈に合つた儀式」との主張が取り上げられなかったいう言葉は、さしたる議論なしに前例を踏襲することを決めた政府への懸念、を表している。


12/8(土)寒波小雪終日 初冠雪2-3cm ダリア球根堀など
1:10起床。文献検索、徒然他何時もと同じ。新聞チェック、データ整理中心。外仕事に向かない天候なるも余裕なし、10:30ダリア球根堀、途中微睡、15:30終了。19:00夕食、21:00就寝。BRながら視聴「らららクラシック:(1)シューマン仲道。(2)月の名曲」、「題名のない音楽会:フィギアスケートに使用された音楽」,画像邪魔。「エルプフィル演奏会、ギルバート指揮、ワーグナー・ラベル・ブラームス」。歩数計Σ9764歩。ラジオ深夜便録音数篇聴く。

天皇退位 大嘗祭 秋篠宮発言 10連休(1)
 2016年8月8日、「次第に進む身体の衰えを考慮する時、これまでのように全身全霊をもつて象徴の務めを果たしていくことが、難しく・・・・」と天皇陛下が退位の表明をされた時、私は一日も早くそうされるように、と素直に思つた。あの誠意ある発表を聞き、多くの方々も、ごく自然にそう願つたのではないだろうか。

 皇室、天皇制に関する憲法とか、生前の退位が困難なことは予想されたが、これほど時間がかかるとは正直思わなかった。陛下の退位希望の表明自体が憲法違反か否かから論議が始まったのは驚きであった。

 人は誰でも加齢によつてさまざまな身体的な衰えを生じる。陛下のご高齢による体力の衰えはTV映像などから誰しも認めるところであろうが、政府も側近の宮内庁もなんら退位に関してアクションを起こさずにだんまりをし続けていたことには驚きを禁じ得ない。
 もちろん、生前に退位されるということは歴史的に稀な事態であるし、社会的に影響が大きい事項だから簡単にオープン化できない。止むを得ない点はある。ただ私が集めた情報からは、水面下でも目立った動きはなかった様で私は驚いた。誰しも、天皇の御崩御を願っていた・・としか思えない。

 私たちは加齢を迎え入れるべきである。
 天皇は新憲法の下では神から人間になられた。だから、天皇は我々と同じ高齢者のお一人である。私はご本人が高齢に伴う心身の衰えから限界を感じられたのだから、その意向を受けて簡単に推移するものと楽観視して、推移を見守ってきた。
 しかし、天皇の体調のことはそっちのけに天皇退位は憲法論議、宮内庁と官邸の問題として表面化し、有識者会議を経て1017年12月退位の日がやっと決定した。
 自分の身の処し方として、私たちが軽やかに考えられる問題でなく、陛下の場合は極めて重く考えなければならなかった。それが象微のお立場なのだろうと妙に納得せざるを得ない。私たちが言う、当たり前の自由や選択とは別世界で象微であり続け、退位もなかなか思いのままにいかない・・・。そのことを考えると、息が詰まる。

 生れながら個としての選択がほとんど認められない、逃れることが出来ない不自由さの中におられることが皇室の存在感であり、皇族、天皇として尊敬を集める背景である。もし就任も退位も民意でなされる様な環境であるなら天皇制は存在しえない。
 その中で陛下は皇后とともに新しい時代の開かれた皇室を目指して来られた。

 わたしたちに認められていて、天皇には認められていない「基本的人権の行使」をできるだけ速やかに、と願つてやまない。おふたりの、今後の自由や平穏を願わない人などいるだろうか。

 私は今日までの推移を見ると納得できない点が多々ある。
 ■ ご本人の退位の意向がある、
 ■ 次の天皇になられる皇太子が控えている、
 ■ 多分、国民のほとんどが退位されることが自然と思っている。
 ■・・・・
 この様な状況の中、退位の条件設定にこれほどの時間を取る必要があったのか??疑問である。
 今回の退位問題は今生天皇だけの特例として退位をしていただき、その後時間をかけて法の整備をすればよかった、と思われる。
 入管法改正案は喫緊の課題だから、まず法律を通してから内容を吟味するといった妙な内容であったが、私は生前退位に関してはこの方式をとればよかったのだ、と思っている。
 退位の時期に関しては、その後は退位表明のあとはご希望はどうであったのか明らかにされていない。
 天皇をはじめとして皇室の方々の生の声はもっと伝えられていいと思う。


12/7(金)小雨小雪 大曲外来 飯川病院ボランティア
1:00 起床。文献検索、6:00家庭ゴミ収集所に。7:30Taxi駅、8:11こまち。9:00-1210大曲中通病院外来。駅病院間は小雪のためにTaxi、帰路のこまち30分遅れ、強風のため。14:30-18:40飯川病院ボランティア。19:30帰宅。21:30就寝。歩数計Σ6419歩。BRながら視聴:「歴史秘話:足利義満」、「市川昭介」。

ネコ談義2018(6) 複数飼育のネコ 飼育方法としては誤りだった
 いま、わが家には七匹のネコがいる。
 先輩格のプチははじめから家ネコとして飼われ、約1年間の野良生活があったが家に入れてから時間はかかったが徐々に私どもに慣れてきた。プチは性格もやわらかく、いたずらも少なく、3-4ケ月後頃から私の膝に好んで乗るようになった。1年間野良だったなんて信じられないくらいである。

 プチに遅れること3ケ月、風除室に親猫を含む仔ネコを6匹保護し、餌とトイレ、安全を確保した。
 ネコ共にとって自分たちの空間に、毎日朝夕二回髭面のジジイが侵入し、食事中に背中をこすられたり触られたり嫌なことをされる、と思ったのであろう。私は親しみを込めて、食べ終わってからもスキンシップを試みてきたたが、ほとんど示し合わせた様に天井の棚の上に避難された。どうも私は彼らにとっては不快な闖入者だったようである。ネコハラ??髭面は役に立たなかった様である。

 そんな状態で、仔ネコたちはとても落ち着きなく育った。里子希望者の方も何組か見にきたが、「可愛いけれど、活発すぎて飼うのに自信がない・・・」とやんわり断られた。そのうち一匹だけ里子に引き取られていった。

 私はそのうち慣れるだろう、と2年以上この状態で世話してきたが、ネコどもとの交流はほとんどうまくいかなかった。夏季の猛暑、冬季の厳寒に際しては、昼間は居間を解放し、夜だけ風除室に入れていたが、昨冬からは我が家全部を解放した。
 当初は人に慣れず、近ずくと逃げ回り、さらに、いたずらに閉口したが、徐々に人間にも慣れ、側に寄っても逃げなくなった。最近はネコ達ものびのびとした気持ちで暮らしている様に見えた。
 ネコ談義2018(1) 厳寒のために風除室ネコを居間に避難させた

 風除室にいるときは満足にはさわれなかったが、家に入れて約一年、全員が徐々に慣れ、餌と関係なく私のタッチやマッサージなどをゴロゴロと喉を鳴らして受け止める様になってきた。表情も柔和になってきた。最近では、プチ >>> 小さい方 > グリ > 鉄=雪音と私に近ずく様になり、時には私の椅子の下で順番待ちをすることもあり、二本の手ではスキンシップに足りなくなってきた。

 こんな中、「しまじろう」に家出されてしまった。

 私は小学校から最近まで、間欠的に一匹のネコとともに過ごして来た時期があるが、ネコがそんなに好きなわけではなかった。私は複数のネコを同時に世話するなどということは予想もしていなかったが、家内の「孕んだネコが不憫、産まれたら私がなんとかするから入れてやって・・・」の一言で世話し始めたのがきっかけである。その言葉の後半はウソであった。またまた騙された。

 風除室に閉じ込めたのは、当時としては最善の選択と思って来たが、私とネコの関係構築、ネコどもに恐怖感を与えていたという意味では間違いであった。反省している。

 いま、3年目であるがやっと私に慣れ始め、それとともに一層愛しく感じて来た。彼らはまだ若い。幸多かれ、と願っている。


12/6(木)曇やや寒い 外来 飯川病院
1:10起床、新聞。文献読み。労働問題の文献読む。6:50レガシー飯川病院。8:45-13:00外来+人間ドックデータ整理13名分。14:00-19:00飯川病院勤務、入院・外来対応、19:30帰宅。夕食、21:20就眠。歩数計Σ8986歩。ラジオ深夜便録音数篇聞く。BRながら視聴:「昭和は輝いていた:昭和3大女優、原節子、田中絹代、京マチ子」、「歴史秘話:日本刀」。

ネコ談義2018(5) 8月に「しまじろう」が家出した
 風除室はネコ共にとって居住空間としては辛いだろうと考え、約一年前の厳寒期に居間を解放し、夏になってからは我が家全部を解放した。風除室ネコから飼いネコへの昇格である。ネコ共にとっては広々とした空間であり、ネコ自体ものびのびとした気持ちで暮らしている様に見えた。多分満足しているだろうと思うが、私にはネコの気持ちなどわからない。

 居間に閉じ込めていたときは居間に作ったバリアをかいくぐり別室に侵入することに腐心していて、私の工夫は何度か破られ、その都度対策を強化した。とても考えられない狭い隙間をくぐったり、重いサッシを開けたり、とネコどもの知恵と技術も進化する。大したものである。

 家全部を解放してからは、今度はいかに外に逃れるかに関心が集中した様だった。

 折しも夏である。
 特に今夏の暑さはただ事ではなかった。エアコンのない我が家では従来締め切っていた窓にも網戸をつけ換気を図った。この網戸が彼らの絶好のターゲットとなり、何度か外されたり破られて逃げられた。その度ごとに対策を強化し、やがて逃げられなくなった。
 夏の間に数回逃げられたが、その日のうちに、あるいは翌日あたりには空腹を抱えて戻ってきていた。

 しかしながら、8月下旬の最後の逃走で「しまじろう」だけが戸口までは姿は見せるものの家の中に入ろうとしなかった。確かにその頃仲間内で折り合いが悪く、いじめられている様に思われ心配していたが、「しまじろう」にしてみればかなりのストレスであったのかもしれない。
 

 「しまじろう」はその後も時々我が家の周りをウロウロしていた。その度に私は餌を与えていたが、あれから3ケ月経過し、もう寒い師走を迎えている。餌の与え方を工夫しつつ家に入るよう誘っているが今日の段階では入ろうとしない。最近は自転車小屋の棚の上の座布団の上で過ごしている。やはり外の環境は生きるのに厳しい面もあるのだろう、家にいる時よりも表情がきつくなった。

 私は毎朝自転車小屋を覗き、声をかけ「しまじろう」がいれば餌を与えている。風が当たらない様シャッターを閉めるなど対策しているが、大変だろうと思う。

 我が家ではもう一匹外で暮らしているクロネコの「ゆう」がいる。「ゆう」は2005年生まれだから高齢ネコである。元々は家ネコであったが、やはり他のネコと折り合いが悪く家には入ろうとしない。「ゆう」は勝手口に1日数回訪れ餌をねだる。その度ごとに対応している。「ゆう」は長毛だからかなり寒さには強い様に見える。また、外で冬を越すのも何回も経験している。どこで過ごしているか直接確認はしていないが、それなりのノウハウもあるだろうと思う。

 どちらにせよ「ゆう」、「しまじろう」を不憫とは思うが、ネコ同士の問題に介入できない。半分諦めつつ家に戻ることを願っている。


12/5(水)曇り 飯川病院ボランティア
 0:30起床。医療文献PDF化、書類整理淡々と処理。文献・新聞読み。午前は鉢のダリア球根最終保存。12:50バスにて飯川へ、外来入院対応。19:00帰宅、20:50就眠。BRながら視聴:「三橋美智也」、「浅田真央」途中まで、「原発事故 被ばくの実態」。歩数計Σ7122歩。

ネコ談義2018(4) 風除室ネコから家猫になって1年
 わが家の「飼いネコ」が7匹になった。

 1年前までは「飼いネコ」が2匹、「風除室ネコが5匹」であった。「風除室ネコが5匹」も3年も我が家にいるのであるが、立場上はずっと「半飼いネコ」状態であった。しかしながら、最近の厳しい気象状態から「風除室」に閉じ込めておくのが困難となり、1年前から我が家に同居となった。それで「飼いネコ」が2匹から7匹となったわけ。

 全部が野良。だから素性はしれない。
 先輩「飼いネコ」の2匹は2005年横浜で拾われたゆう(13歳)、2014年生まれで1年間野良で過ごしたのち2015年春から「飼いネコ」となったプチ(4歳)の2匹。

 2015年生まれの元「半飼いネコ」はテツ、グリズリー、雪音、シマ次郎(何れも3才)とその母親の「小さい方」(年齢不詳)。もう1匹いたが里子に出した。我が家の周囲はネコ嫌いが多く、ネコにとって危険がいっぱい。だから、私はやむを得ず風除室内に保護しエサとトイレと安全な環境を与え、世話してきた。

 全面ガラス張の風除室はネコの居住空間としては厳しいものがある。

 夏場は陽を浴びると簡単に40度にも達した。だから、日中だけは居間を解放し何とか凌いできた。我が家はエアコンがないからネコと人間が喘ぎながら過ごしてきた。
 厳冬期の風除室はさらに厳しい。風こそ当たらないがガラスの断熱性はほぼゼロで室内温度は外気温と大差ない。
 2015年の冬は暖房マットを与え、2016年はコタツを用意した。
 2017年の冬は冷え込みが半端で無かった。止む無く12月から居間を開放してストーブの下で一緒に過ごし始めた。

 こんな経過をたどったが、ここまで来ればもう全員を「飼いネコ」として認めざるを得ない。だから、2017年暮れからはネコの話題になった際には私どもは「飼いネコ7匹います」と話すようにになった。

 「飼いネコ」に昇格した当初は、悪戯盛りの仔猫であった。私の書斎には仏壇があり、台所には食品もある。頻繁にいたずらされたためにラティスとかで入れない様工夫してきたが、私の工夫は頻繁にウラをかかれ、互いの知恵くらべがしばらく続いた。

 ところがネコどもを観察していると、行動に次第に落ち着きが見られるようになり、あまりイタズラしなくなってきた。要するに珍しくてイタズラに及んだのであろう。それで夏以降は、外には出さないものの、家の中は全室自由に出入りを許している。

 我が家の猫たちの生活ぶりはインスタグラム、petit_zzlyで紹介している。


12/4(火)早朝雨 外来 飯川病院
 0:45起床、文献・新聞などPDF化。録音データ整理。6:00可燃ごみ集積所に。6:50レガシー飯川病院着。8:45-12:30中通病院外来。13:10飯川病院、微睡、14:00飯川病院勤務。入院患者対応。BRながら視聴:「廃藩置県」、「与謝野晶子と柳原白蓮」。19:10レガシー帰宅、夕食。20:00就寝。歩数計Σ7370歩。

師走2018 (2) 師走雑感 寛容・忍耐・奉仕
 今年も師走を迎えた。

 せき立てられるような、落ち着きのないこの時期、私はあまり好まない。この時期は一年を振り返る時期でもあり、結果的に腹の中に険しい感情をためやすい。心の中の毒がその量を増すときかもしれない。

 人聞は、自分中心主義であるから心の中に絶えず「毒」が形成されている。私どもは、いや、私は罪作りである。生きるために他の命を殺めた食品から逃れられられないし、生きるために社会に適合せざるを得ないから、心の中に常に他人に対して「毒」の感情を発生させている。

 人には五欲があると言う。五欲とは【食欲】、【財欲】、【色欲】、【名誉欲 】、【睡眠欲】。朝起きてから夜寝るまで、私もこの五欲に追い立てられている。私はどちらかと言うと無気力人間であったから「他人を蹴落としても自分が・・・」と言う発想は乏しいが、それでもやっぱり逃れられず、様々な悪行?を重ねてきた、と思う。?
 私も年齢を重ねて自らの業の深さに思い至り、自らの過去を反省し、自身を否定している。実際そんなことはできないが、今後罪を重ねない様に他人との間に距離を置いている。
 同時に、私もずいぶん他人や家族に、やさしく接するようになつた。
 私が家内には感謝を込めて、家内の人生を纏うしてもらうために、「寛容」・「忍耐」・「奉仕」に徹して支えている。

 心に生じた「毒」を私はこの小文を書くことでクールに再検討し、その結果を記録している。しかしながら、言葉や態度に載せて外に逃がさねば生きていけない厄介な存在の人もいる。最近の日本はその様なクレーマーが増えた様に思う。

 組織の中にはではクレームの専門担当者を置いているところもあるが、日々現場で侮しさで震えるような気持ちでクレームに耐えている人も多い。クレーム対象になりやすい業種は医療関係者>教育関係者>公務員・・・とされている。医労連の調査では、医療従事者の80%が患者や家族からクレームを受けた経験がある、と言う。

 百貨店や小売店などで働く約5万人にアンケートで聞くと、7割以上が悪質なクレームを経験していた。暴言が最も多いが、説教や威嚇といつた行為も自立つ。5割がこのような理不尽な客が最近増えていると感じていた。
 言つた側は忘れても、言われた側は長く尾を引く。日本中で一日に吐かれる毒の総量は、一体どれぐらいで、どれだけの方が傷を負っているのか、と想像すれば空恐ろしくなる。

 人が暮らしていくうえで、モラルや常識の守備範囲がある。法律より広い。しかし、今、さまざまな場面で、人間社会の澗滑油というべきその守備範囲が狭まっているように思われてならない。

 不寛容の時代である


12/3(月)曇りのち晴れ夕方から降雨 健康クリニックドック 飯川病院
1:00起床、本読み。文献・新聞などPDF化。7:10レガシー飯川病院着。9:00-11:00健康クリニックドック。11:30飯川病院へ、微睡など。14:00-18:45勤務、入院患者、外来患者対応。19:30帰宅夕食、21:15就寝。歩数計Σ10196歩。ラジオ深夜便録音数篇聞く。

最近の演奏会雑観 ブラボー プレトーク 団員への労い そのほか
 私は、演奏会、特にオーケストラの演奏会が好きで、秋田市内で聴ける場合はその知名度とは関係無く可能な限り聴いてきた。地元の青少年オーケストラ、秋田室内合奏団、秋田市管弦楽団は勿論のこと、大学の夏期休暇中に秋田を訪れる都内の大学オーケストラなども聴いてきた。先日2000年前後から集めていた演奏会のパンフレットを廃棄したが120枚ほどあった。ずいぶん聴いたものである。しかし、ここ2-4年は稀にしか行かない。

 人が集まる場所を毛嫌いするのは前からあったが、最近、その傾向が特にひどくなった。とにかく人が集まる場所に身を置くことが不快になってきている。つい前までは、知人に会うことがストレスであったが、最近は座席で前の人の頭を見るのも嫌になった。話し声、喧騒も嫌で、人混みの中ではノイズキャンセリングヘッドフォンは離せない。

 今年は、6月のベルリン交響楽団と昨日の秋田市管弦楽団のみである。

 無理して演奏会に行っても不快なことがあってがっかりする。

■ 第一は演奏終了時のブラボーのかけ声。
 昨日、秋田市管弦楽団定期演奏会があったが、第一曲目から演奏が終わるやいなや,近くの席から「ブラボー!ブラボー!」の大きな声があり、私は眠気も覚めたがすっかり興ざめした。実に迷惑である。アトリオンの演奏会でも頻回に聞く声で、よく響く低音で声もデカイ。いつも同じ人なのだろう。とにかく迷惑、やめて欲しい。私にとって秋田における演奏会の最大の不快は,この大声である。本心は注意したいのであるが、度胸がないから耐えるだけ。なんで後ろで怒鳴る。前席でやればいい。

■ 第二は演奏前の注意事項の説明。
 携帯電話の電源オフ、演奏中の出入り、飲食などに関する注意事項である。こんなのは常識である。会場入り口などに掲示するだけで良いし、さらに求めるならパンフレットに記載すればいい。

■ 第三は演奏前のプレトーク。
 昨日の演奏会もそうであったが、指揮者等によるプレトーク。多くの場合は配布パンフレットに記載されているから100%ムダである。もし挨拶したいなら自分の言葉であっさりと。

■ 第四は演奏後の団員への労い。
 例として2012年秋田県民会館で行われた小林研一郎指揮の東京都交響楽団を挙げる。プログラムはチャイコフスキー作曲ピアノ協奏曲第一番、交響曲第5番。演奏自体は見事なものであったが、交響曲第5番の演奏終了後に管楽器各パートのもとを訪れ首席演奏者から順に立たせて、驚いたことに全員に労をねぎらった。
 確かに,団員をねぎらいたい気持ちは演奏内容からも見て取れたが、それを聴衆の前でやる必要はない。演奏上の責任者であるコンサートマスターだけで良い。あえて挙げるなら見事なソロを聴かせたバスクラリネット奏者だけでよかった。聴衆は其の間拍手を強要される。主客転倒である。団員への労いは控え室でやればいい。

■ 第五は観客の退場。
 いろんな演奏会場で感じることであるが、観客がスムーズに会場を出れない。だらだらと進む。これが苦痛。緊急時、大丈夫なのか、と思う。
 私は、通常は演奏終了直後に席を立つ。大抵一番目。そのために常に後方で通路側の席を確保する。

 私も老けたものである。従来それほど大きく感じなかった事象を大げさに感じるようになった。だから、最近はコンサート自体を避けている。


12/2(日)雲ひとつない快晴終日 秋田市管弦楽団演奏会  
1:00起床、本読み、文献チェック、スクラップ化。7:00検食、9:40バスにて帰宅。入浴、スクラップ電子化、データ整理。13:30秋田市文化会館。秋田市管弦楽団演奏会。16;15Taxi飯川病院、当直医補助、読書、自炊など。18:30帰宅、19:00夕食、21:30就寝。歩数計Σ11535歩。昨年は11/20から防寒靴、スキーウエア着用、昨年は寒かった。

秋田市管弦楽団演奏会創立50周年記念定期演奏会
 本日12月2日午後,秋田市文化会館で開催された秋田市管弦楽団演奏会を聴いた。同楽団の演奏会は久々である。今回は創立50周年記念の定期演奏会とのこと。
 当初は「シェーラザード」を取り上げるとのことで興味を感じていたが、時間の面で迷っていたが、同好の方よりチケットをいただいたので聴きに行くことにした。

 演奏会の概要
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 指揮:佐々木新平氏、フルートとピッコロ独奏:菅原 潤氏。

 プログラムは
■ チャイコフスキー スラブ行進曲 Op31。
■ シャミナーデ フルーとと管弦楽のためのコンチェルティーノ Op107。
■ フンメル トランペット協奏曲(ピッコロ版)
■ リムスキーコルサコフ作曲 交響組曲「シェーラザード」Op35。

――――――――――――――――――――――――――――――――

 指揮の佐々木新平氏、フルートとピッコロ独奏の菅原 潤氏はともに秋田市出身の方で、前者は行きつけの書店の関係者でもある。

 「秋田市管弦楽団」は1968年創立。しかし、その歩みは順風満帆ではなかった。当初は秋田市の援助を受けていたが、演奏会の客足は伸びず、団員数も減少した。1983年秋田市の援助から離れ、その後、県外からプロの指揮者や演奏家を招いて指導を受け、徐々に来場者と団員も増えた。現在の団員は63人とのことである(魁新聞 12月1日)。

 私は過去に自分もやっていたことがあってアマチュアの方々の演奏は興味がある。とは言っても、私は同楽団の演奏会を意外と聴いていない。時間的余裕がなかったからである。それでも10回目ほどだろうか、そのうちの2回分については徒然日記に記録を残している。
秋田市管弦楽団定期演奏会
秋田市管弦楽団第39回定期演奏会「第九」(1)
秋田市管弦楽団第39回定期演奏会「第九」(2)

 私はやや早めに会場に出かけた。終了後迅速に席を立つ必要があり、後ろの通路脇の席を確保するためである。
 前半の2曲は寝不足もあって夢見心地で聞いたが、後半の2曲フンメルの協奏曲、交響組曲「シェーラザード」は十分楽しめた。

 第一曲目から演奏が終わるやいなや,近くの後から「ブラボー!ブラボー!」の大きな声があり、実に興ざめ、迷惑である。すっかり目も覚めた。アトリオンの演奏会でも頻回に聞く声で、とにかく迷惑、やめてほしいた。私にとって秋田における演奏会の最大の不快は,この大声である。
不快、迷惑な演奏終了直後の「ブラボー」の大声
アトリオンホール「名曲のしらべ」を聴く
またもあのブラボー・コール
 私は演奏前に拍手をしない。演奏直後も拍手をしない。静かに演奏者をねぎらう。何度かのコールでやっと拍手である。基本的には演奏終了後は静かであって欲しい。

 私はこの声を聞きたくないので、今回は演奏終了後、間髪をおかず退席、当直医の補助のために飯川病院に移動した。


12/1(土) 降雨小雪曇り不安定 飯川病院日直当直 レセプトチェック
 1:00起床、新聞文献チェック、PDF化。12:15プリにハイビスカス枝切り、室内収納セット乗せて飯川病院に、検食。14:30玄関ハイビスカス対応。室内に。16:00外来レセプト点検。18:00検食、各種データ複製処理、読書、自炊など。20:30就眠。Σ9166歩。BRながら視聴:「そこまで言って委員会:平成時代振り返り」。

師走2018 もう師走、毎日をもっとゆったりと過ごしたいものだ
 師走である。この月は多くの家で僧侶を家々に迎えて読経などの仏事を行ったため、師が東西に走り回るから師走と言った。年の暮れの往来の慌ただしさを絡めて、陽暦12月の異称として親しまれている。
 それにしても新年を迎えてからの時間、過ぎるのが早い。もう11ケ月も経過した。それだけ私自身が鈍くなって時間感覚が狂っているからである。
 「ポール・ジャネの法則」がこの現象を説明している。<a href="https://blog.goo.ne.jp/mfukuda514/d/20161201">師走2016(1) 加齢とともに時間が早く感じる、は本当か??</a>

 私は師走があまり好きでない。黙ってても何という事なく過ぎ去るのに、何かと慌ただしいからである。私は淡々と静かに過ごしたい。

 「忙しい」の「忙」は「心を亡くすこと」と言われる。昔の人はよくぞ言ったものだ。よくぞふさわしい文字を創り上げたものだ。
 ここ数年、多忙から解放され、かなり自分を取り戻している。そうなると新しく見えてくる分野が広くなる。

 師走になると世の中が喧騒になってくる。
 通勤路にはイルミネーション、商店街がクリスマスセール、お歳暮セールと、目や耳にうるさい。お歳暮は今なら10%引きなどと世の中を煽っている。半ば親切、半ば脅迫である。私は中元や歳暮など、意味の無い物品のやり取りは嫌いである。嬉しさよりも心に傷つく。

 新聞ひらけば折り込み広告がうるさい。ラジオ、TVも同様、商店街も「ジングルベル」。これからますます市井が煩くなっていく。音楽雑誌をひらけば「第九」、「第九」の広告である。
 世の中が見えない力で踊らされている。

 駅前、街中のイルミネーション、評判は良いようであるが私は嫌だ。冬の夜はモノクロ写真のごとくの雰囲気が似合うのにカラーの世界である。
 忘年会、今年は一回だけ飯川病院の会に出席する。業務の一環として出席する。私にはアルコールも不要、忘年すべきことなどない。記憶力が乏しくなった昨今、忘年会しなくとも自然に忘れていく。

 人間には、濃密でない時間があってもいい。これからは時間を大切にすることは勿論であるが、お金で買えない、静かで豊かな時間の中に身を置くことが最高の贅沢になる。

 いつも似たような結論になるが、今年師走を迎えての感想である。


11/30(金)曇り 大曲小雪 大曲中通病院外来 飯川病院ボランティア
 1:00起床、本読み、医学文献チェック。6:00家庭ゴミ集積所に。7:35Taxi。8:12こまち。9:15ー12:15大曲外来。病院間は往復徒歩。14:00飯川病院ボランティア。外来対応。19:00タクシー、書店経由帰宅、夕食、21:20就眠。Σ13455歩。BRながら視聴:「そこまで言って委員会、移民政策など」。

本:「10代に語る平成史」後藤謙次著 岩波ジュニア新書 2018年 900円(2)
 著者の後藤謙次によると、本書は白鵬大学での講義内容をベースにまとめたものとのこと。
 次の新しい時代を迎えるにあたって平成を振り返ることには大きな意味があるのでしょう、と述べ、「10代に語る平成史」として出版した。内容的には「70代の私のための平成史」として十二分に通用する。

 あとがきの中に後藤氏は以下のように平成時代の流れをまとめている。表現を適宜変え、若干のコメントを追加し、以下に紹介した。

■ 1945年の終戦以来増え続けてきた人口が減少に転じた。
 少子高齢社会はあらゆる面で日本社会を変えている。出生数が減り、65歳以上の高齢者は4人に1人を超えた。
 労働人口が減り、杜会保障費が膨れているのが現状。
 国際社会の激変によつて、日本の立ち位置が大きく変化した。米ソ冷戦構造が崩れ始めたのも平成元年(1989)。
 しかし、冷戦の終わりは平和の時代の到来ではなかった。米ソの超大国によった力の均衡から民族や宗教を背景にした争いが始まり、2001年9月11日、NYの世界貿易センタービルが過激派によつて破壊された。米国の対テロ戦争がはじまり、日本は米国の要請に沿い、自衛隊を海外に派遣した。

■ 国内では憲法9条をめぐる議論が活発化した。
 そして中国が台頭し、北朝鮮の核・ミサイル対応をめぐつてアジア情勢が大きく揺れたのも平成時代の大きな特徴である。

■ 私たちの生活も激変した。
 ネット社会の到来、携帯電話が普及した。ネット社会は超便利社会を到来させたが、人間の心理状態にも大きな影響をもたらし、新たな脅威にもなつた。
 携帯電話が普及する前に書かれた小説等を読むとその生活の不便さがよく分かる。それだけ携帯電話、スマホの存在は我々の生活、特に人間関係は一変した。

■「格差社会」の到来。
 「改革」や「規制綴和」という前向きの改革によつて様々な分野で賂差が生まれた。労働者の『非正規雇用」は4割を超えた。

■ 社会を映し出す犯罪が頻発した。
 オウム真理教による地下鉄サリン事件、秋葉原の無差別殺傷事件、親による子供の膚待死も頻発。
 虐待の背景にはしばしば貧困と孤立が指摘されている。

■ 五輪やパラ五輪で多くの選手が活躍、野球の米大リーグが身近になった。
 ノーベル貫の日本人受賞者が数多く誕生した。

 平成時代は、日本人が目標を見失った時代であり、探し求めた時代だつた。まだ模索中としか言えないが、それが平成の時代なのだろう。


11/29(木)曇 外来 飯川病院 
0:30起床、本読み、徒然他。医学文献自炊、整理、廃棄。徒歩で飯川病院着。8:45-13:00外来+ドック判定13名。微睡、14:00-19:50飯川病院、入院患者対応。20:15レガシー帰宅、夕食、21:30就寝、歩行計12473歩。ラジオ深夜便聞き直し数篇。

本:「10代に語る平成史」後藤謙次著 岩波ジュニア新書 2018年 900円
 「平成」はどんな時代だつたのか。
 私は平成になった1989年時点で44歳であった。
 長く勤務した中通総合病院のキャリアで示すと、14年に副院長、17年に院長、23年に退職、ということになる。この間、医師会の活動もあったので実に多忙な時間を過ごした。もうその頃の考え方には戻れないし、思い出すのも嫌であるが、日々の状況はバッチリ記録されている。

 私自身の過ぎ去った日々は懸案事項を一生懸命こなしながら生きてきたが、いま思い返せば忙しかっただけでいい思い出はそれほどない。虚しい時間でもあった。60歳の時に転職を考えたが実行できずにズルズルと過ごしてしまった。できれば消してしまいたいくらいである。

 だから、今なお平成の時代は自分にとって何なのか評価しきれないでいる。

 その平成も2019年4月30日で幕を下ろす。そこで自分にとって平成の時代何だったのか、新年を迎えたら4ケ月をかけて主な歴史上の出来事と共に自分自身を振り返りたいと思っている。
 そのガイドブックとしてこの本を求めた。類似の書籍も数冊出版され始めている。それら何はも求めたいと思っているが、入門書としてまずこの書籍を入手し読み始めた。

 平成とはどんな時代だったのか?この本のあとがきとしてアンケート調査の結果が載っている。
―――――――――――――――――――――――――――-

「動揺した時代」42%、 ■「沈滞した時代」29%、 ■「進歩的な時代」25%、 ■「保守的な時代」412% 、■「安定した時代」19% 、■「暗い時代」9%、■「活気のある時代」6%、 ■「明るい時代」5%、とのこと。
―――――――――――――――――――――――――――-

 私は現時点では、東日本大震災、阪神・淡路大震災、東電福島原発事故など何度も大きな自然災害、人災が起き、商店街は「シャッター街」化、少子高齢社会、人口減、国際社会の中の立場の変化など・・・、分類上は「どちらかと言うと暗い時代」だったが、同時に「変化の時代」であったととらえたい。

 平成の時代になって、私たちを取り巻く生活環境が一変したとも言えよう。

 本書の内容を目次の項目で示す。
(序)全ては平成元年から始まった
(1)平成政治の主役は消費税
(2)政治を激変させた選挙制度
(3)バブル経済の終焉と失われた20年
(4)今も続く沖縄の苦難
(5)9/11が変えた日本外交
(6)近くてはるかな北方領土
(7)平成は自然災害の時代
(8)中国の台頭と日中関係振幅激しい日韓関係
(9)ゴールが見えない日朝関係

 まだ読みきっていないが何も適正な項目にまとめてあるように思う。
 読み進めるのが楽しみである。


  11/28(水)曇り後晴れ 保健福祉関連高齢者見回り 飯川病院ボランティア  
 12:30起床、文献新聞チェックPDF化など。10:00保健福祉関連高齢者見回り2件。家の外回りチェック、簾など対応要す。13;04バスにて飯川病院。入院・外来対応など。インフルエンザワクチン、静脈ルート確保。19:00帰宅、夕食、20:30就眠。歩行計8146歩。

「美しい」論(3) 「美しい」という言葉は安易に使われすぎている
 「美しい」という言葉は安易に使われすぎている、と思う。
 ここ2週間ほど、購読している3紙、購読している月刊誌の記事の見出し、広告記事に注目して集めてみた。書棚にも「美しい」というタイトルの本が2冊あった。
 
 以下のごとくの文例が見つかった。

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■ 「若くなるには、美しくなるには」 ■ 「美しく心暖まる作品だが,不安も」 ■ 「おしゃれ 美しく振舞う」 ■ 「美しく老いる」 ■ 「美しい笑顔になる」 ■ 「美しい文章を書く ■ 「美しく食べる」 ■ 「美しく振舞う」 ■ 「美しく老いる」 ■ 「美しい若者よ」 ■ 「美しく美談に仕上げた戦場の話」 ■ 「美しい夕暮れ」 ■ 「LED明るさから美しさに」 ■ 「あの眼は美しい」 ■ 「もっと美しいお前に」 ■ 「美しい箸使い」 ■ 「美しい文字を書く」 ■ 「美しく食べる」 ■ 「いつまでも美しく」 
「本 激しい生と美しい死」 ■ 「本 美しい国へ 安倍晋三・著」

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 これらの中には正しいと思われる使われ方もあるが、「美しく老いる」、「美しい死」などのように非現実的問題点が「美しい」という単語を冠して前向きのイメージを無理矢理、言葉の演出として使われているのが多い。私は「美しい老い」、「美しい死」などは現実にはないと思っているから違和感を持たざるを得ない。

 日本人は「美しい」という枕詞が好きだ、と思う。
 私も時々使うが、できるだけ少なくしようと努めている。「美しい」という言葉が好きな表現者は「美しくない」という言葉を使うことはなさそうである。「美しくない老い」、「美しくない死」の方を私は好む。
 「美しい」という枕詞は本来「美しくないもの」につけることによって本来忌むべき概念を否定してふんわりと容認できる様にする効能がある。しかし、意味不明な賛美の言葉で、現実否定にも繋がる。

 グルメ番組で、一見かわいい若い女優たちが一口試食して「美味しい!!!」,「スイーティ!!」というのに似ている。そんな表現なら誰でも出来る。言葉を聞く前に、彼女らの食べるマナー、箸の使い方、口元の動きを見てがっかりすることが多い。
 意味不明な賛美のとしての「美しい」の頻用はせっかくの文章をむしろ見すぼらしくする。

 私は「美しい」ものが好きだ。ただ、美しいとはどういうことを指すのか、まだ分からない。


11/27(火)晴寒い  外来 飯川病院  
 0:30起床、献新聞チェックPDF化など。文献整理など。5:20可燃ゴミ提出。7:10スタート遅れバス飯川病院着、8:45-13:45中通病院外来。超混雑、疲弊。14:00飯川病院、入院患者対応。インフワク接種5人、その後微睡、19:00帰宅、夕食、21:30就寝。歩行計Σ9874歩。Blu-ray録画「そこまで言って委員会」。石井さん帰秋。

「美しい」論(2) 「美しい」という感覚は新たな世界への興味を喚起する
 私には「美しい」と感じる対象物は無数にある。あまりにも多くありすぎて、その一つ一つを指摘しピックアップするなんてことは出来ない。分類することもできない。だからこそ、いろんな分野で一瞬一瞬で「美しい」と発見する能力が重要なのだと、考えている。
 「美しい」とは、絵画や写真等の、動きのないものに感じるが、「不自然さを感じない」スムーズな動きの域に達した、流れるような技能・技術を見たり聴いたりした時にも感じる。
 
 さいわい、現代は映像の時代である。映像を記録できなかった時代には現場に行って直接見るか、その経験を元に文字や音声の説明で予想するしかなかった。しかし、今は違う。われわれは比較的簡単にTVを介して映像を見たり聴いたりすることができる。

 たとえぱ、すぐれた技能に到達したスポーツ選手の動きは「美しい」と思う。スポーツのみならず、和洋を問わずバレーや日舞等の世界、演劇の世界、オペラの世界、あるいは楽器を演奏する個人あるいはオーケストラの姿にも「美しい」を感じ取る。

 ある目的のために、特に限界に挑戦している時の肉体の動き、最も自然な、合理的と評してもいいようなスムーズな動き方をした瞬間の動きは、「美しい!!」に尽きる。感動さえする。
 スムーズな動きの基本は「円」を上手に描けるか!!!!にかかっている。
 人間の四肢、頭頸部が胴体に固定されているから、固定された支点を中心に一定の範囲でしか動けない。各人は重なる訓練で関節等の自由度を広げて限界までそれを駆使して表現し、想いを表現する。さらに道具を用いて表現する場合は肉体の可動域を超えて表現できるが、その場合も基本は「円」である。

 この「美しい!!」と感じる背景には、具体的には見えないが、重なる訓練によって到達し得た、長期間のたゆまない努力が感じ取れるから、それへの賛美も含む。それによって「美しい」の味わいが一層深くなる。

 それと重要なのは、限界への挑戦ながらもそれを感じさせない超絶の技術は「笑顔を絶やさない」ことにある。時には必死に作り笑いをしている、と感じさせることもあるが、それであればあるほど努力の跡が見える。だから「美しい」のだ。

 私は「美しい」に関して感受性は高い方だと思う。私以外の方々の感受性は全然分からないが、私がそういう感受性が豊かである事はとても恵まれている事だ、と思う。
 私にとって「美しい」と感じることの意義は、新発見した「美しい」を介してその対象物に無関心ではいられなくなる事である。

 「美しい」の感動は私の視野を広げてくれる効能がある。


11/26(月)快晴 健康クリニック 飯川病院 
 1:30起床、文献・新聞など。いつものごとく。6:50剪定用品積んで飯川病院。9:10-11:45健康クリニックドック13名+結果説明2名。レントゲン判定。11:30飯川病院、本読み、微睡など、14:00-19:00勤務。入院患者処置。19:30帰宅。21:15就寝。ラジオ深夜便聞きなおし数題。Blu-ray録画「そこまで言って委員会:改善すべきもの」、歩行計Σ6517歩。

「美しい」論(1) 私は「美しい」ものが好き
 私は「美しい」ものが好きである。
 音楽、絵画、彫刻、人物、自然、花、動物・・・全てを列挙する事は不可能である。私は「美しい」と感じられる感性が備わったことを嬉しく思う。生まれつき備わっていたのか、生きる過程で進歩したのか、・・・・。実はまだよくは分からない。

 先に「かわいい」について若干考察したが、この分野もまだよくわからない。まだ進行中である。ところが「かわいい」を論じる際に、「かわいい」の背景には、小さく無力なものが対象としてあげられるが、人間について「かわいい」を論じる時は、新生児、幼児などの、無力の、小さな、いたいけな存在がある。しかしながら、特に思春期以降の、成人しつつある人間について、特に女性の表情に「かわいい」を感じる際に何らかの形で「美しい」と言う感覚が同居する。両者は決して上手くわけられない。

 なぜわれわれは、「かわいい」と感じるのだろうか?
 「かわいい」論(3) 私の「かわいい」感情の背景(2)
 なぜわれわれは、「美しい」ものを「美しい」と感じるのだろうか?

 脳の生理機能が徐々に明らかになってきた現代にいて、「美しい」と感じる時、脳の中はどうなっているのだろうか??と思う。それにも関心はあるが、そんな事はさておき、ある人は「美しい」が分かり、別の人は「美しい」と感じないということが現実には存在する。こっちの方に関心がある。

 どうして人には、「美しい」と感じる、主観的、個別的なことが起こるのか?と考える。それは「人は個別に次々と「美しい」を発見し、感じ取る能力が備わって行くから」、と思う。

 「美しさ」は、対象の美的な価値が、教育による「美に関する知識の獲得」より客観的に固定されているイメージで、より普遍的な感覚である。
 一方、「美しい」は教育の結果ではない。「美しさ」と「美しい」は互いに近いような気もするが、後者はあくまでも個人的感覚である。

 私は、「美しい」の感覚は、各人がそれぞれに生涯を通じて創り上げるものだ、と考えている。私の場合、自分が″「美しい」と感じたことそのものが、「美しさ」の基礎・原点となるべきだ、と考えている。

 だから、私には「美しい」と感じる対象物は無数にある。あまりにも多くありすぎて、その一つ一つを記憶するなんてことは出来ない。綺麗に分類することもできない。だからこそ、一瞬一瞬で「美しい」と発見する能力が重要なのだと、考えてる。


11/25(日)快晴 
 0:20起床、新聞チェック、医学論文読み,整理、PDF化。新聞スクラップ、ソファに読書灯つける。10:30庭の落ち葉掃除、除雪機2台整備。微酔若干。NHKのど自慢観る、プリウスタイヤ交換。庭掃除再度、19:00家内駅に迎え、パークホテル経由帰宅、20:00テイクアウト品で夕食、21:30就寝。歩数計6092歩。

終活2018(19) 新規に購入した本は「自炊」しながら読む
 私は本が好きだ。
 終活として溜め込んだ本を「自炊」しながら処分しているが、その過程で次々と読みたい本が出てくる。「自炊」がもたらす再発見である。前に読んだ本だからスッと入ってくるし、10−30年ぶりで読み返すと、前に読んだ時と印象は大きく異なり、新しい感覚で読める。私の感受性が年を経て変わってきたからであろう。それを知るのも楽しい。

 新聞、雑誌などに本の推薦や紹介欄があるが、2008年以降それをほとんどすべてスクラップし電子的に蓄積している。一万冊以上のデータが蓄積されている。興味ある話題が生じた際には検索をかけるとその周辺に関連した書籍の名前が出てくる。
 本の購入は市内の行きつけの書店にメールで注文する。昔は届くまで1−2週間もかかったが、最近は長くて3日間ほどで届く。古すぎて出版元にも無く手に入らない時にはやむなくアマゾンで注文する。本当はアマゾンを介して購入するのが一番手っ取り早く手軽なのだが、私は市井の小さな書店を大事にしたい。

 行きつけの書店で月に7冊ほど定期購読し、別口で週に1−2冊購入している。市内の大型書店にも寄ることがあるが、欲しい本があればメモしてその書店に注文する。この歳になって本の購入は無駄に思えるが、本代はかなり贅沢させてもらっている。今は他に散財するようなところがないために大目に見てもらっている。

 本を購入しても書架の上の本は増やさない。最近は新規購入書籍でも読み終わったページまで引き剥がし、その日のうちに「自炊」してしまうからである。

 私はいつもいろいろなジャンルの本を10冊程度並行して読む。本を読む時間はまとめては取れない。だから一冊に集中して読む事は稀で、何冊も並行することになる。当然、面白い本は進むのが速い。
 机の上には、表紙を剥がされ、薄くなった読みかけの本が積まれている。

 家人などは、自分で買わないで図書館から借りて読んではどうか?ともいう。一理ある。私も時に明徳館から借りて読むが、気に入った本は資料として取って置きたい。図書館から借りた本でも気に入れば注文してしまう。

 終活として書籍を自炊し、廃棄している。「自炊」した本はパソコンやタブレットで読む。
 終活を通じて蔵書の価値を再発見する。だから読書量が増えた。
 終活は今後も進めていくが、読みたい本が出てきてもったいなくてまだまだ死ねない。いつ死んでもいいと言いながら新たな活力が湧いてくる。その矛盾した感覚が楽しい。


11/24(土)曇寒い 飯川病院外来
1:00起床。いつもの如く資料整理中心。読書。8:30レガシー出勤、9:00-12:00午前は飯川病院外来。14:00帰宅、家の種々の懸案対応、炊飯器、庭の電源修理、居間ストーブ煙突など修理。夕方、録画でらららクラシック「音楽家と恋」、題名のない音楽会「映画音楽」村治佳織ほか。19:00夕食、チクレン製のステーキ弁当。21:30就寝。歩数計7870歩。

終活2018(18) 「自炊」しながら古い本の価値を再認識した
 私は「自炊」派である。とは言つても自分で食事を作ることではなく、蔵書や学術書、医学論文、雑誌の類を裁断解体し、スキャナーで読みこみ電子書籍化をすることである。
 電子化を専門業者に依頼すこともできるが、業者による書籍の電子化は違法とされていることもあって、私は一切業者には頼まない。自炊データは著作権もあるから自分だけで楽しむ。
 自分でやるから「自炊」と称するのであるが、「自炊」によって読書量が増えるなどの効果もある。

 「自炊」のきつかけは単純だつた。
 ■ 終活。■ モバイルを含めパソコンが複数ある。■ タブレット入手。
 これで、いつでもどこでも電子データを読める環境が整った。スキャナーはもともと持っていたし、新たに裁断機を入手すればよかった。

 私が購入した書籍は膨大な数であり、かなりの置き場所を取った。身長を越すスチール書架が20ケ近くあり、それにびっしり書籍が並んでいた。
 書籍を残してはうかうか死ねない。自分にとっては宝物でも、残された本は家族にとってはゴミ同然。ゴミとして処分されては私の人生そのものを否定されたに等しい。だから、自分で処分することとした。

 自炊を開始したのは2011年、七年も続けているから今では書籍は半分以下に減少した。
 電子化された本は電子情報となり、印刷物をめくる指の感触が失われ、書籍を直接的に読む行為とはあきらかに違う世界である。近代的な、人工的世界である。字も印刷物よりは多少コントラストが低下し、ちょっとボケるという欠点もある。

 愛着もあり、価値が高い書籍をいとも簡単に裁断、解体してよいのか?という心的問題もある。本当に悩んだ。それも解決した。残すべき本はもう一度自分で再構築すれば解決する。さいわい私はその技術もある。

 私の場合、「自炊」の目的がはっきりしているから「自炊」を進めていくのに何も逡巡する必要はない。あれよあれよと私の読書方法は変わった。
 「自炊」が思わぬ効果を生んでいる。つん読されていた書籍の価値を再認識し、再読してみたくなった書籍は多い。結果として読書量が増えた。本を残しては死ねないし、再度読み直さなければ死ねない。

 ただ、「自炊」の心情を告白すれぱ、作業工程にも慣れ、快適で面白いのだが、心の片隅に説明のつかない哀しみが残るのは、CDの電子化の過程にも感じたし、愛用のチェロを解体した時にもあった。
 就活に伴う悩ましい矛盾点である。


11/23(金)曇り寒波小雪 勤労感謝の日 飯川病院日直 家内東京
1:00起床、新聞文献チェックPDF化、徒然他。6:00可燃ゴミ出し。休日なのに休まない秋田市および関連業者に感謝したい。東京に出かける家内を駅に送り、7:30飯川病院、祝日の日直。8:30-19:15日直。 初めて購入したDVD「いのち」見るもドラマ映像は自分には合わない。18:50プリウス帰宅、19:00夕食、20:30就寝。歩数計4618歩、往復車と日当直ではこんなものか。ニュースによると秋田市で初雪観測。

カルロス・ゴーン(2) いま、拘置所内で屈辱的扱いされているのではないか
 日産は不祥事を重ねてきたが、私はゴーン事件を日産の企業不正の延長線上にあるとして捉えている。
 
 ゴーン氏の逮捕容疑は有価証券報告書の虚偽記載で、ゴーン会長の5年間の報酬を実際より約50億円以上、80億との意見もあるが、過少申告した疑い。加えて日産のカネを私的な目的に流用したとされ、パリなど世界で数ケ所あるゴーン氏の自宅の購入費用を会社に肩代わりさせていた、という。また勤務実績のない実姉にも日産から報酬を払わせていたらしい。

 一連の疑いは事実なら、せっかくの名経営者も会社を私物化し、有価証券法を犯したというほかない。
 日本でもどこかの知事が、スケールはゴーン氏の数万分の一にも及ばないが、似たようが業務の私物化で辞職に至った例があるが、人間って似たようなことをするものだ・・と思う。

 日本の企業トップの犯罪は私利私欲によるものは少なく、組織の体面や存続を優先するあまり、データ改ざんや不正を隠蔽するなどのケースが多い。
 一方、欧米では「私腹を肥やす」型の不正が目立つ。国際感覚があるゴーン氏の意識はここにあったのだろう。

 トップの暴走を防ぐには、監視体制が必要であるが、日産ではゴーン氏に権限が集中していた。ルノーの最高経営責任者もゴーン氏であった。こんな状況では監視の目が届かなかったのだろう。

 これからの操作でゴーン事件の実態は明らかになるであろう。

 ゴーン氏が収容されている東京拘置所は法務省が所管する施設で、勾留中の容疑者や被告、死刑囚も収容される施設である。
 個室と共同室があるが、特捜部が捜査する事件の容疑者は基本的に個室。広さは3畳ほど、トイレがあるだけ。特捜部が捜査する事件では、接見は制限され、接見は弁護士だけ。外国人の場合は国際条約上、関係国の領事と面会できる。
 拘置所内でいまゴーン氏は、日常とかけ離れた居住空間、食事、監視下のトイレ使用など、経験したことのない惨めな環境で過ごしていると思われる。拘置所内での生活については渡辺淳一著「愛の流刑地」下巻に詳しい。
渡辺淳一著 『愛の流刑地』とくに下巻 幻冬社文庫 2004年(2)


11/22(木)寒波と小雨終日 中通病院外来 飯川病院
 1:00 起床、文献処理、徒然。本日は秋日座学、各種作業。文献他諸々。6:50小雨にてレガシー飯川病院着。8:45ー13:00外来+ドック判定13名。14:00-18:50飯川病院。入院外来対応。19:00帰宅、夕食、21:00就寝。歩数計6955歩!。

カルロス・ゴーン(1) これは個人の問題のみでなく日産の不祥事でないのか?
 11/19夕方のラジオで日産会長のカルロス・ゴーン氏が空港からそのまま地検特捜部に連行されたニュースが流れた。巨額な所得隠しの疑いのためという
 私は、人間の心理的背景を性善説と性悪説とに2分出来るとすれば、疑問なく性悪説をとる。その立場から見れば「ゴーンよお前もか!!」と、興味を持っった。驚いたか??と言えば驚かなかった。それなりの立場にある人が性悪を発揮すれ場、こういう事態になるのは当たり前である。

 人は本来は性悪なのであるが、並みの人間は性悪を発揮する環境がないことと、受けてきた教育や道義感、周りの目がその性悪の発揮を妨げている。大衆なんてその面で言えば小さな小さな気の毒な存在である。でも、そのような弱い人々は社会の監視の眼、倫理観で小悪事や犯罪的行為が抑制されている、と思う。

 ゴーン氏は他の人にはないほど性悪能力を発揮できる立場まで到達していた。だから、その可能性、危険性があると、その目で監視していなければならない対象者であったのだ。今となってみれば、あるべき監視の目というか、コントロールの目が、システムとして日産側に備わっていなかったことになる。ゴーン会長をコントロール出来るのは日産上層部だけであるが、ゴーン氏の全てを容認し、放任してきた。
 そういう意味では、個人の資質の問題はあるにせよ日産経営陣の機能障害で、回り回ってユーザーのにも迷惑をかけている。今回のゴーン事件も日産の一連の企業不正ということができる。

 日産側の立場を評価するとすれば、内部告発を契機として内部調査が行われていた、という事だろう。
 逮捕されてからの日産の反応は早かった。上層部の意見を見ると、「知らなかった」、とゴーン氏一人に責任を押し付けようとする意図が見え見えである。は自己擁護に必至である。
 ゴーン氏は日産を再生に導いた立役者であった。就任当初掲げた「日産リバイバルプラン」門外漢の私が読んだ範囲でも驚くような、大きな犠牲を払うプランで、日産自体、関連子会社は多大な影響を受けた。ゴーン氏の計画で生活基盤を失った職員も多かったはずである。

 そのゴーン氏が金融商品取引法違反の疑いで東京地検に逮捕された。
 名声をほしいままにしたリーダーがなぜ転落したのか。ゴーン氏なら十分できる立場にあった。ゴーン氏は自分の業績が報酬に見合っていない、納得できない!!1と思っていたであろう。だから禁じ手を使ったということ。それを日産側が知ってて知らぬふりをしてきた、という事なのであろう。ただ、この部分は私の推測でしかない。


11/21(水)曇りやや寒い 飯川病院 
0:50起床、新聞・文献読みとPDF化、他諸々。ネコの世話、給餌、トイレ掃除など。
11:50バスにて飯川病院へ。院長外出で午後勤務。外来患者対応。ラジオ深夜便聴き直し。18:30バス帰宅。19:00夕食、20:45就寝。歩数計7873歩。昨年夕方に家内用iPhone7プラス入手。本日でApple care終了。

渡辺淳一著 『愛の流刑地』とくに下巻 幻冬社文庫 2004年(2)
 久々、渡辺淳一氏の作品を読んでみた。当作品は氏の膨大な作品群の中でも傑作の一つ、と私は思う。

 上巻は中年男性が人妻との性の交換が中心のストーリー。
 下巻に読み進んで100ページほど進むと、男性がその最中に女性の求めに応じて頸部を強く圧迫し、窒息死させてしまう場面となる。
 この場面以降の展開こそが私が知りたいと求めていた内容である。多分、渡辺作品を好むファンは、上巻に比較して変化の乏しい冗長な、面白みに欠ける部分とみなした可能性がある。逆に私は、氏がいかにして逮捕から裁判までの過程を詳しく知ったのか、その博識についても感心し、それを作品の中にうまく取り入れた技法に驚いた。

 ■ 女性の死、逡巡、通報
 男は目覚めてみると側に動かなくなった女性横たわっていた。女が死んだことは俄かには納得できず、眺めたり、同衾して温めたりするが、やがて死を認め、自殺を考えたり逡巡する。綺麗だった死体に死斑、硬直が出るに及んで諦めて警察に通報する。この間八時間要している。すぐに救急車を呼ばなかったことがその後の経過を著しく悪しくした。
 逡巡の心理状態が読みどころである。
 若い警察官に囲まれ、自尊心が大きく傷付けられる。
 
 ■ 留置場
 環境の変化にうろたえる日々。独房であったが、トイレも含め24時間監視のもと、規則正しいスケジュールで、若い刑事による厳しい取り調べが行われる。男女間の機微など無視し、供述は警察用語に次々と置き換えられ、調書は現実とだんだん乖離していく。殺意は否定しても「ふざけるな!!!」と。毎夜、死んだ女性が眼前に現れるのが救いであった。出来上がった調書は「それは違う」というものであったが、男は投げやりな気持ちでそれを認めた。

 ■ 弁護士
 初老の弁護士。男の気持ちの理解はかなりあるが、叙情的な内容は裁判で通用しないと、弁護士の立場で供述内容の置き換えが行われる。傷害過失致死でなく委嘱殺人の立場で主張することとなる。「それは違う」と違和を覚え続ける。

 ■ 検察庁
 若い独身女性の検察官が担当となる。女性ならばわかってくれると期待したが逆で、男女間の機微はほぼ全て削ぎ落とされ、内容はさらに検察用語で置き換えられ、調書は進むほど現実の二人の関係からかけ離れていく。
 二人の関係は相思相愛に基づくが、調書では「男が邪な気持ちを持って女を頻回に誘い出し、深い関係を持ち続けたが、最終的に殺意を抱いて首を絞めた」、という内容となった。「それは全然違う」と訂正を申し入れたが、性体験もないであろう若い独身女性の検察官には全く通用せず、男は起訴された。
 男は裁判で真意を主張できるものと期待した。

 ■ 裁判
 裁判は、被告となった男が考えたような主張ができる場ではなく、裁判の進行と共にむしろ四面楚歌的となり、男は一層傷つき投げやりな気持ちとなる。男の立場を支えたのは毎夜現れる女性、父を信じてやまない息子と、ある居酒屋のママからの書簡であった。結局は求刑10年、判決は8年となった。
 判決が言い渡された瞬間、男は「違う」と叫ぶ。なぜそんな声を発したのか分からないが、警察官、刑事、検事、弁護士、裁判官に抱いていた不満が思わず声になった。制止されるが、さらに「法律だの刑法などの屁理屈だけを並べて・・・、誰も何もわかっていない・・」と叫び、刑務官によって廷外に連れ出された。

 裁判を通じての被告の心情は「違う、とにかく違う」・・・であった。
 多分、著者の言いたかったことはこの点にあったと考えられる。私が求めたのもこの点であった。

 入手できた死刑囚の手記、まだ10編ほどであるが・・、を読んでいるとほぼ全てが裁判の審理に不満を抱いたまま結審し、刑の執行を待ち、執行を受けている。何故なのかわからなかったが、「愛の流刑地」とくに下巻を読んで一部ながら理解した。


11/20(火)曇り寒い 外来 飯川病院 積雪5cm 日産ゴーン会長逮捕
 0:30起床。新聞・文献読みとPDF化、本読み、他諸々。5:30可燃ゴミ出し。7:140徒歩飯川病院着。8:45ー13:00外来。14:00-18:15飯川病院。入院外来対応。院長公開MC中通に送り通町薬局経由19:00帰宅、夕食、21:00就寝。賄いの石井さん休暇、函館に。歩数計12551歩。昨年積雪5cm。

渡辺淳一著 『愛の流刑地』とくに下巻 幻冬社文庫 2004年(1)
 久々、渡辺淳一氏の作品を読んでみた。
 つい先日まで、終活と称してCDのデータ化を進めていて時間的に余裕がなかった。CDのデータ化をはコンピューター集計では1900時間に相当する大きなデータとなった。随分時間がかかった。

 この『愛の流刑地』は15年ほど前の作品。氏の作品の中でも大作として知っていたが、小説としてはあまり興味がわかず今まで手にしたことはなかった。
 今回この作品を手にしたのは、一般的な小説、官能小説としてではなく、下卷を中心に展開する、思いがけず女性を殺めた主人公の、警察への通報までの逡巡の様子、逮捕、留置場での経験、警察官・検察卷による屈辱的取り調べの様子、起訴、裁判の過程に興味を持って読んだ。

 私は今、日本の司法制度、警察、検察、裁判について勉強し、死刑制度の是非についても学んでいる。この勉強の一環として日本の主要な犯罪の記録集、ドキュメンタリー作品をいろいろ読んでいる。
 若干上げれば以下のごとく。
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■ 森 炎「なぜ日本人は世界の中で死刑を是とするのか」
■ 佐木隆三「わたしが出会った殺人者たち」
■ 篠田博之「ドキュメント死刑囚」 
■ 大塚公子「死刑執行人の苦悩」、「死刑囚最後の瞬間」 
■ 高野和明 「13階段」
■ 新潮45編集部「殺人者はそこにいる13事件」
■ 池谷孝司「死刑でいいです」 
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・・・・・などなど

 氏は「小説・心臓移植」(後に「白い宴」)、「小説ダブル・ハート」、小説「 リラ冷えの街」、 伝記小説「花埋み 」、「光と影」、「遠き落日」など。そのほかにエッセー作品で「鈍感力」、「欲情の作法」などがある。

 氏は「エロス」の分野も濃厚に描き「エロ作家」のレッテルを貼られ若干軽く扱われているが、私は高く評価している。
 「エロス」は「生きる」エネルギーに関連しており、「生きる」ことの究極の到達点は「死」である。生老病死が濃厚に関連するが、彼は医師であることからエロス、死を哲学的にとらえるだけでなく、医学的にもとらえてその過程を追う。「阿寒に果つ」、「ひとひらの雪」、「失楽園」、「愛の流刑地」などはその方向で書かれた大作である。

 『愛の流刑地』は、氏の代表的長編小説。2004年11月から2006年1月まで、「日本経済新聞」に連載。2006年に幻冬舎から刊行された。初版発行部数は、上下巻合わせて40万部と大ヒットした。
 上巻は中年男性の主人公と人妻のあいだの性の交換の様子がしつこく繰り返される。こんなのが新聞に連載されていたのかと驚いてしまう。
 主人公はある日、おもわず女性の頸部を強く圧迫し、殺してしまうのであるが、この場面以降こそが私が知りたいと求めていた展開である。


11/19(月) 終日雨寒い 健康クリニックドック 飯川病院 
 0:45起床。文献・新聞等処理、蓄積データ処理。徒然。昨年道路は冠雪少々。雨にて7:10バス飯川病院、新聞チェック、9:00-11:30健康クリニックドック13名。12:30飯川病院。新聞、医学論文チェック。14:00-18:20勤務。入院・外来患者対応若干。19:15バス帰宅、19:00夕食。 21:15就寝。歩数計10259歩。昨年スキーウエア、手袋、上下ヒートテック着用、防寒靴使用。今年はまだ用意もしていない。

多様性の疎外が表出した事件(10) 言論自由について  杉田議員投稿、新潮45掲載・休刊を機に  
 米国は憲法條正第1条で言諭の自由をうたう。米国憲法公布の約60年前、英国の植民地時代の権力にひるまず闘つた人々が勝ち取つた権利であった。
 この戦いの裁判で、弁護士ハミルトンが「自由は全ての時代を通じて、無法な権力に対する唯一の防御だ」と陣述。真実を語ることによつて権力の横暴を暴くことの大切さを主張した。これが米国で言綸の自由が大きな一歩を刻んだ瞬間だつた。「人民による・・」と述べたリンカーン大統領、「自分が国のために何をするのか・・」と述べたケネディ大統領の名言に匹敵するものだ、と思う。

 日本国憲法にうたう「言論の自由」は自ら勝ち取つたのではなく、米国から与えられた。
 21条で「集会、結社及び言綸、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する」と定める。
 しかし、自民党が特定秘密保護法制定前に決定した憲法改正(草案)は、21条に「・・公益及び公の秩序を害することを目的とした活動を行い、並ぴにそれを目的として結社をするこは、認められない」の一文を加えることを提起している。明らかな後退である。

 戦前の大日本帝国憲法にも言諭の自由に関する規定はあつた。
 第29条には「日本臣民は法律の範囲内で言論・著作・印行・集会・結社に自由自由を有す」とされ、「法律の範囲内」で認められるものだつた。この縛りが、治安維持法などによる言諭への弾圧に結びつき、日本は無謀な戦争に突き進んだ。

 言論の自由という、大げさな土俵で考えるのは、憲法の規定で後退させようとする政治も問題であるが、それ以上に、当世の国民自体が言論自由を盾にとって結果的に抑制しようとしているような危惧を感じているからである。

 最近のこの風潮が強くなってしまうとポピュリズム化してしまい、社会が全体主義に向かう流れの方向になつてしまうはないか?と思っている。たとえ正論を主張しても、それに対する反論を巧みな言い回し、耳に心地よい言い回しで、あるいは数の力を持って対抗されれば、正論は社会への影響力を失つてしまう。とりわけ、恵まれていない、あるいは不幸な境遇にあると思つている人々が多い状況では、そうなる可能性が高くなる。

 言論の自由という、民主主義社会にとつては不可欠の約束事であるが、「何を言ってもいいのだ・・・」という詭弁の裏付けとなり、まつとうな意見や論理を抹殺する毒薬になつてしまう。

 杉田議員はよく言ってくれたと思うし、新潮45はよくぞ掲載した、と思った。しかし、なぜか休刊となったが、その背景の一つに論理性を欠く反対意見の数の力があったことは否めない。

 言論の自由には寛容が必要である。また、反対意見は起承転結に則った論理性が欲しい。


11/18(日)曇りのち晴れ 飯川病院日直 
 0:30飯川病院で起床.医学論文読み,蓄積データー整理。自炊数冊。9:00孫の誕生日のために出かける家内に同乗、飯川病院へ、日直。座学、データ整理他。散水ほか。18:00帰宅、19:00夕食、21:00就寝。歩数計Σ7199歩、日直はほとんど室内だけ。

終活2018(16) 先日愛用のチェロを解体した
 1965年私は新潟大学に入学し、未経験なのに身の程もしらず医学部管弦楽団に入部しヴァイオリンを担当することになった。本当のところはチェロに食指が動いたのであるが、初心者用楽器でもヴァイオリンの3倍ほどの値段で、貧乏学生の私には到底手を出せるものではなかった。

 チェロをやりたいとの気持ちはずっと変わらず、1980年頃、念願のチェロを購入した。
 京都の学会の時に楽器店を訪れ、年老いた店主にいろいろ相談していたが、私に相応しいであろう楽器をオークションで見つけたので仮抑えしたという連絡があり、店主の見立てを信じて購入を決め、数ケ月後の京都出張時に購入した。弓、ケース込みで60万円ほどと、ど素人の私が持つには贅沢な楽器であった。

 イタリアのクレモナにある工房の作で、底面のレッテルには「Benedikt Lung」とある新しい楽器で、形よく、音色もシャープ、私は充分気にいった。嬉しくて二条城前の京都国際ホテルで二晩チェロを抱いて寝た。

 楽器と同衾したこのホテルは、私にとってはちょっと贅沢であったが、その後も何度も利用した。

 本年4月の内科学会総会時に宿泊希望で検索したところ、このホテルは実在せず、2014年12月に惜しまれつつ53年の歴史に幕を閉じていた。
 楽器店店主も私が楽器を購入した後、数年後にお亡くなりになった、と言う。
 購入した翌々日、夜行寝台特急日本海で帰秋したが、列車のベットはチェロを持ち込むのに狭くて寝るのに苦労した。その日本海も2012年3月引退した。

 そして、このチェロ。先日2018年11月11日に私の手で解体され、その生涯を閉じた。記念に画像を残した。今後更に細断する予定である。
<img src="https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/10/e3/b9b3e4f763d76b3fdf4e0507de2635f8.jpg" border="0">
 (興味を示して寄ってきたのは我が家のネコどもの母ネコ「小さい方」)
 
 このチェロは新作で購入時は問題なかったが、2010年頃から裏板が徐々に側板から剥離してきた。単なる接着ミスと考えて仙台の工房で2回修理したがいずれも1?2年で同様の状態に戻った。私がじっくり見た範囲では裏板が収縮し、変形した事が剥離の原因と考えられた。若い楽器で、経年変化であろう。全体を作り直すには購入時と同様の修理費がかかるために、諦め、しばらくそのままにしておいた。

 考えてみればヴァイオリンやチェロなど大切に扱えば100年単位で使えるはずである。私のヴァイオリンは1700年代のクレモナ製であるが今だに準現役である。この楽器に関しては作成段階から木材の選定か設計、施工過程のどこかに問題があった、としか考えられない。売ってくれた店主もその時点では到底見抜けなかった、と思う。こう言う運命の元に生まれた楽器であったと思わざるを得ない。

 今回、私の残り時間を考えて楽器を中途半端にしていても意味がないと考えて解体した。流石に、気持ちが落ち込んだ。私を十分に楽しませた愛器が、私の元で最期を迎えた事、私の手で解体でき、短かったが私がその生涯と共に過ごせたことは、無常の喜びである。
 私は自分で愛着を持って用いた品々は自分の手で解体して廃棄する様にしているので、このチェロもそう扱った。

 私はこの楽器に愛着を持っており、練習のし過ぎで腱鞘炎になったこともある。ずいぶん練習した。しかしながら、ほとんど上達しなかった。実にヘタである。
 その理由は、誰からも指導を受けず、ヴァイオリンを立てたイメージで扱えば何とかなるだろう良いだろうと甘く考えていた事が挙げられる。本来、ヴァイオリンとチェロのテクニックは全く別物であるが、それに気づくのが遅かった。
 それでも、度胸良く時にはアンサンブルに参加し、大いにアンサンブルを乱した。今思えば実に気恥かしい。消えたいほどである。

 私がチェロを愛好していた事がきっかけで3人の愛奏者が誕生した。そのことは良かったなと思う。


11/17(土)曇り やや寒く風若干  
0:45起床。新聞・文献PDF化。読書、画像、録音資料整理。いつもと同じ。書斎整理、文献本の自炊。新聞チェック、音楽録音たのしむ。読書微睡三昧。19:00夕食、21:00就寝。歩数計Σ4844歩。ほとんど部屋に籠りきり。晴耕雨読ならぬ晴耕寒パソ生活であった。

余生をパソコンと共に生きる(12)  また一台増えた いつでもどこでも「晴耕雨パソ」
 家内も使用することがあるので所有者がどちらだかわからないが、私がいま日常的に用いているパソコンは8台となった。
 いつでもどこでも「晴耕雨パソ」生活を実行可能である。

 機種の大部分はかなり古く、かつ、私はケチで購入時にあえて低機能のグレード品を選択するから、当世のパソコンのレベルからみると非力である。しかし、私たちの能力は未舗装の田舎道をボロ車で走るようなレベルだから、最も古い2009年製のパソコンでも処理能力は私どもをはるかに越えている。だから問題ない。

 私は1993年からMacのみを用いてきたからMac以外のパソコンの実情は全く知らない。
 私がMacの良いところと思っているのは、全機種とも連携しあって同じ環境で作業ができることと、私どもが用いているApple製の他のデバイス、例えば、iPhone、iPad、iPodとの連携も取れるから、これらの全機種を一群としてあたかも1つのパソコンのように扱えることにある、と思っている。

 大曲でも、飯川病院でも、自宅でもスイッチを入れるとネットを通じて自動的に同期し、常に同じ、最新の状態で立ち上がる。だから、いつでもどこでも「晴耕雨パソ」生活が可能である。

 現有の8機種は以下。2015年以前の機種の半数が中古品。
――――――――――――――――――――――――――――――――― 
■ iMac27(2013年製) 自宅居間
■ iMac21.5(2010年製) 飯川病院、主に院長用
■ iMac21.5(2010年製) 飯川病院
■ Mac mini(2014年製) 自宅書斎
■ Mac mini(2011年製) 大曲外来
■ Mac mini(2009年製) 中通総合病院医局
■ MacBook Air(2017年製) 飯川病院病棟&外来 院長モバイル用
■ MacBook Pro(2009年製) 自宅居間、主に家内使用
――――――――――――――――――――――――――――――――― 
 下段のMacBook Pro(2009年製)が今回新しく参入した機種である。次男がMacBook Proの新機種を購入したので親子価格で譲ってもらった。

 「晴耕雨パソ」などと言って悦に入っているが、こんな生活は人として、高齢者の生き方としては問題である。わかっているが実に快適、止められない。
 私に残された時間はそれほど長いと思っていないからそう心配はしていないが、運命のいたずらで、もし長生きすることになった場合、「独居老人」、「元医師」、「パソコンの前で」、「飼いネコとともに孤独死」、「遺体は一部ミイラ化」、「餓死か」・・・などと、地方紙に小さく報道される可能性がある。

 ・・・・などと考えて一人ほくそ笑んでいる。


11/16(金)曇り 大曲中通病院外来 飯川病院ボランティア
 0:00起床.新聞、文献PDF化、読書。自炊数冊、データ整理。何時もの如く。5:30可燃ゴミ提出、7:30飯川病院経由Taxi駅に、8:11こまち、9:10-12:10大曲中通病院外来。往復徒歩。13:30-19:00飯川病院ボランティア。入院患者対応、散水など。19:00バスにて帰宅、夕食。21:00就寝。歩数計Σ12322歩。

余生をパソコンと共に生きる(11)「晴耕雨読」ならぬ「晴耕雨パソ」の生活(2)
 私は晴耕雨読という言葉が好きだ。私はこれを「晴耕雨パソ」と置き換える。?
 私は生きるものとして、生きる姿勢の一つとして何らかのレベルでの食糧生産に関与していたいという気持ちがある。だから少しであるが野菜作り、園芸もやっている。

 まだ非常勤医師として働いているから自由な時間が少ない。週休二日の生活で求められている業務はそれほどハードではないが、通常の日は6:30に家を出て帰宅は19:00頃だから、時間的には結構長い。尤も、この時間帯は自分が勝手に設定しているもので業務時間の前後に自由な時間を確保する。
 さらに、土日のうちの1日は飯川病院の日当直が当たることが多いから意外とフリーの 時間は乏しい。日当直日に快晴だと実に、勿体ないと思う。窓から外を見てため息をつく。

 何も予定がない休日に晴れると嬉しい。日が高くなってくると自然と足が外に向く。

 一方、雨の日はパソコンの前で多くの時間を過ごす。これも法外の楽しみである。それと、日当直の日も実際にはパソコンの前で過ごす時間はたっぷりある。だから毎週当たってもそれなりに満足である。

 私にとって業務以外の人付き合いはほぼゼロ、時間が空いた時はほぼパソコンの前で過ごす。こういう余生、これが私に向いているようだ。
 
 私のパソコンをどのように利用しているか。以下のごとくである。
 パソコンが生活の中に占める割合は大きいが、私はパソコンそのものにはほとんど興味もなく知識もない、便利な道具として乏しい知識の範囲で何とか利用しているだけ。パソコン関係の月刊誌MacFunも定期購読しているが、記述されている技術的内容はほとんど理解できない。
――――――――――――――――――――――――――――――――――
■ 文章を書く
■ 音楽を聴く――――ミニコンポ iPhone ヘッドフォン併用
■ 音楽ソフトのしまい場所――――ハードディスク iPad
■ 本を読む――――iPad併用
■ 自炊本の置き場所――――ハードディスク iPad併用
■ 記録の保管――――ハードディスク併用
■ 記憶力の補完にメモ機能――――iPhone 併用
■ スケジュール管理
■ 辞書・百科事典替り ちょっとした調べもの
■ 絵画を見る――――ハードディスク併用
■ 写真を見る――――ハードディスク併用 
■ 写真の保管場所――――ハードディスク併用
■ 1991年来の継続的記録――――ハードディスク併用
■ 診療の補助――――iPhone iPad併用
■ 考えた事の記録
■ スケジュール確認――――iPhone併用
■ 書籍・新聞ほか紙媒体の電子化と保存――――ScanSnap ハードディスク併用
■ 医学文献などの自炊と保存――――ScanSnap ハードディスク併用
■ 家族間の連絡手段――――iPhone併用
――――――――――――――――――――――――――――――――――

 まとめてみると結構多い。だからパソコンの前に座れば離れる時間などない。休日の雨の日など早朝から夕食前まで、時折足腰を伸ばすために動き回るが、尻と両肘には褥瘡初期のような皮膚の変化が現れることがある。


11/15(木) 小雨のち晴れ 外来 飯川病院
 0:30起床、新聞、文献PDF化など。7:10バス飯川病院着。8:45-13:00外来+人間ドック判定12名分。14:00-18:45飯川病院、入院外来患者対応+インフワク。19:00帰宅、夕食、21:10就寝。歩数計Σ9397歩。

四季2018(14)紅葉・落ち葉の季節 庭掃除、特に袋詰めが大変
 落ち葉が道路や庭先に落ち、風に吹かれてカサコソ音を立てる風情は、冬を前にした寂寥感をいや応なく増す。私なんざ、つい、人間の一生を重ねてしまう・・・等と、楽しんでいられない。道路では風が処理してくれる。しかし、庭では落ち葉の掃除が必要である。

(私の通勤路に溜まった落ち葉。湿っていると足元がすべって危ない)

 一昨年、大型の樹木を数本伐採し空が明るくなったが、我が家の庭にはケヤキの木が2本残っている。40数年たって大木になってしまった。これらから落ちる葉っぱの量もただ事でなく多い。風で飛ばされてガレージの中にツモってくる。別に放っておいても実害はないのだが、庭の管理者としての私は心穏やかではない。快晴の休日などつい落ち葉に誘われてしまう。

 風の少ない日を見計らって、大型の箒で掃き集めるのであるが、アクセス道路まで含めるとちょっとばかり広いので4ケ所ほどに小山を作る。ここまではなんとかなるのであるがその後の袋詰めの作業が一人では結構大変である。
 秋田市の場合、小枝や落ち葉は指定の袋に詰めて出せば無料で回収し処理してくれる。かつては庭の隅に積み上げて自家製の腐葉土を作っていたのであるが、樹木が増え過ぎてそのスペースが乏しくなったので今年から市のゴミとして出している。

 指定の袋はサイズはいろいろあるが、私は最も大きなサイズの90Lを用いる。この袋に詰める作業を一人でやろうとすれば大変である。かつては袋の端を車のミラーに吊したり色々工夫をしたが、袋の口がすぐに閉まってしまい、うまく入れられなかった。

 今回、簡単でかつ有効な方法を思いついた。
 それは、中等度のサイズの段ボールの底を抜き袋の中にセットするという方法である。これで袋の開口部が大きく確保できるからどんどん落ち葉を投げ入れることができる。袋に落ち葉がたまってきたら袋の中で段ボールを持ち上げると落ち葉は袋の底に移動し、新たな開口部が生まれてくる。この作業を数回繰り返すと90Lの袋がいっぱいになるから最後に段ボールを抜き取り袋を縛れば良い。

(段ボールに投げ入れれば袋の中に収まる)

 このアイデアで、従来から大変であった袋詰めの作業は大幅に軽減した。
 何でも自分で納得して、密かに成果を楽しんでいる自己満足男としては、今年のミニ発明の代表格の一つである、と思っている。


11/14 (水) 晴れ 飯川病院ボランティア
1:00起床、文献チェック。徒然他。録音データ整理など。午前はトイレ鍵修理、勝手口センサーライト撤去、そのほか。12:30バス、珈琲店、薬店経由病院着、飯川病院ボランティア。昨年はハイビスカス剪定、室に移動。19:15帰宅、夕食、21:30就寝。歩数計10543歩。

四季2018(13)紅葉・落ち葉の季節 秋田新幹線も影響受けた
 街路樹の葉か歩道に落ちて風に吹かれてカサコソ音を立てる風情は、冬を前にした寂寥感をいや応なく増す。私なんざ、つい、人間の一生を重ねてしまう。

 自然の移ろいの中で山々や樹木は大切である。その中で代表は春は桜、秋は紅葉であろうが、これを対比してみると面白い。

■ 桜はそばで観るもの、紅葉は離れて観るもの
 紅葉は色の交じり合いこそが美しい。明るい赤、暗めの赤、黄色、それに加えて常緑樹の緑。それぞれの色のバランスは場所によって千差万別、さらに、一日の中でも時刻によって、色合いもまた微妙に変わってくる。それがまた良い。
 自然のエネルギーを感じる桜もいいが、エネルギーの枯渇しつつある様を予想させる紅葉にはまた別な味がある。西に沈む夕陽がとともに見れば無常観すらも漂う。
 桜は比較的近くで枝ぶりを含めて観るものであるが、紅葉は距離を置いて山々の色調そのものを楽しむ方がいい。
https://blog.goo.ne.jp/admin/newentry/#
(私がほぼ毎日通る千秋公園の紅葉 三原色が美しい)

■ 桜はどんちゃん騒ぎ 秋は紅葉狩り
 桜はなんでどんちゃん騒ぎするのか?待ちわびた春のおとづれを嬉しく思う気持ちの高揚がそうさせるのか?花より団子、江戸文化にもあった。  
 「紅葉狩り」はより静かに楽しむものだ。
 「紅葉狩り」とは言われるが一般的には山などに行き、紅葉を目で楽しむこという。「紅葉を取ってくる」ことではない。
? 「狩り」という言葉は狩猟の時代、動物や獣などを捕まえる意味で使われていた。その後、食料の入手が比較的楽になるとともに、野鳥や小動物、さらには山に実る食べ物にも使うようになった。「きのこ狩り」「ブドウ狩り」などであるが、最近は農園で採っても「ブドウ狩り」などと言われる。言葉の意味が徐々に軽くなっている。

 実際には「紅葉狩り」の文化もある。落ち葉は拾って手の平に乗せて鑑賞するのもいい。小枝を含めて採り、生け花、押し花などに利用されることもある。大阪では「食べるもみじ」もある。紅葉の葉を揚げた甘いお菓子で、お土産にもなっているそうだ。
?
■ 桜にはないことだろうが、 紅葉・落ち葉は新幹線を遅らせた
 先週の金曜日11月9日、昼過ぎに大曲を発つ下りの秋田新幹線が10分ほど遅延した。車内放送によると「線路上に落ちた紅葉の油成分で車輪が空転し危険なために減速運転したため」と放送していた。田沢湖高原を通過する新幹線ならではの遅れである。私は初めても経験であるが、この季節頻回にあるのだろうか??

 落ち葉を馬鹿にしてはいけない!!! 私の経験からもそう主張したい。
 落ち葉が原因で車がスリップし蛇行したり、大型バイク、自転車のクロスバイクで前輪がすべって転びそうになったこともある。湿った落ち葉を踏んで足を滑らせたこともある。
 落ち葉を笑う者は、落ち葉で痛い思いするかもしれない。だから私は笑わない。

 私は行楽に行く趣味はない。紅葉ならば身近なところでも十分に味わうことができる。


11/13(火)曇りのち快晴 外来 飯川病院
0:05起床。文献・新聞等処理、徒然。自炊本読み。5:00可燃ごみ提出。7:30徒歩で飯川病院着。8:45-12:55中通外来。13:15飯川病院、14:00-18:30飯川病院。微睡若干、新聞、医学論文チェック、19:10プリウスにて帰宅、夕食、 20:45就寝。歩数計11600歩。

日本人の食を考える(8) 「お裾分け」vs 「お福分け」
 真面目な食問題との関係は乏しいが、「お裾分け」について。

 いただいた食品の一部を、さらに誰かに分けて差し上げることは食品等を無駄にしないために、また人間関係の維持、日頃の感謝の表現には重要である。
 私は基本的に物品金品食品を頂く事は好きでは無い。深く心理的負い目を感じるからである。しかし、お断りのやりとりをするのはもっと嫌だ。くれる方の気持ちを大事にす、と言う理由をかかげて原則的にはお断りしない。しかし、頂いた物品はよく病院のスタッフや清掃関係の方々に横流しする。

 普段、私は「お裾分け」という言葉は用いない。
 今回、たまたま外国人むけの日本語教科書を見ていたら「お裾分け」という言葉の使い方が記載されていた。「お裾分け」という言葉は目上の人に用いると失礼な表現になってしまう可能性がある、と記載されており、私は何と無くそのイメージを持っていたが、きちんとそのような使い方をする必要がある言葉ということは知らなかった。無知を恥じた。

 「お裾分け」は頂いたものを他の人に分け与える時に用いられる言葉で、「裾」とは、着物の裾のこと。地面に触れそうな場所にある生地のことで、「汚れもの」の意味があり、謙遜して「つまらないもの」という意味が付加されてきた。

 「お裾分け」は人から頂いたものを「つまらない物」と評価することも問題だが、その「つまらない物」を目上の人に差し上げるのは二重に失礼な事と言える。
 江戸後期の書物「譬喩尽(たとえづくし)」には「すそわけ」は「失礼なり」とある。だから、「お裾分け」は、デリケートな上下関係が潜んでいる場面では用いないほうが無難と言うことになる。

 一方、「お福分け」という馴染みがないことばが正式にあるようだ。このことも知らなかった。ここでも無知を恥じた。人から頂いた「幸せをお分けします」、という意味で、何かをくれた方に対しても、それを配る相手に対しても失礼にならない。
 
 「つまらないものですが・・・」については「ちょっとしたものですが・・」という事でとても奥ゆかしい表現であるが、高価なものを差し出す時に用いると相手に対しすごく失礼になってしまう。

 ただ、私の結論としては、「お裾分け」、「お福分け」、「つまらないものですが」という言葉は物品を分けあうという、喜ぴを共有する文化が脈々と続いてきたからであろう。上下関係などをそれほど気を使う事は無いと思う。
 大事にしていきたい言葉である。


11/12(月)快晴温暖 健康クリニックドック 飯川病院 
 0:00起床。文献・新聞等処理。蓄積データ処理。徒然。Mac Os10.14.2、慣れたらダークモード快適。7:30徒歩飯川病院、旭川の鯉にエサ。9:00-11:00健康クリニックドック12名+レントゲンチェック14名。秋銀に立ち寄り11:30飯川病院。新聞、医学論文チェック。微酔。14:00-18:45外来インフ予防接種。19:00バス帰宅、夕食。 21:00就寝。歩数計12930歩。

日本人の食を考える(7) 孤食、私は好きだ
 孤食とは家族等と一緒でなく一人で食べる食事を言う。
 私は他人と食卓を囲むのが嫌いなので、孤食は好きな言葉、習慣のひとつでもある。

 私は呆れるほど、人とご飯を食べるのを嫌う。家族ならなんとか耐えられるが。
 「同じ釜の飯を食う」ということわざがあるが、これは,“いろいろな苦労を共にした親しい仲間”という意味で、深い友情を論じる際などに例えとして用いられる。
 私は大学6年間寮で同僚たちと「同じ釜の飯」を食ったが、仲間意識などは一切感じていない。食事はできるだけ混まない時間帯を選び、混まない場所で食べた。誰もいないところが理想だが、学生寮などでは土台無理な話。大学寮の食堂の思い出は語りたくもない。

 一般的に、家族と一緒に食事をすることは,特に子供の育成過程での意義はとても大きい。食事の用意や片付けを一緒にしたり,食事をしながら会話をしたりすることで,家族間のふれあいが深まる。また,食事のマナーも身につく。私もそう思う。

 食物の入手が今ほど潤沢でなかった時代には乏しい食材を仲間で分配し、共に食べることの意義は生きることとほぼ同義であり、家族や集落にとってとても重要であった。
 そもそも食料の分配は、安定供給のためにも欠かせなかったが、食料の分配を通じて、食料の与え手と受け手の社会的関係性が成立し、食事を通して、社会における上下関係や男女間の関係が作られていった。これは家庭内も同じ。

 日本で食料が比較的潤沢に入手できるようになってまだ半世紀程度であるが、この間食文化も、家族関係も大きく様変わりした。潤沢すぎる食材が人間関係に悪しき影響を与えた、と思う。

 私は子供達が独立して家を出るまでは、特に夕食はできるだけ家族団欒の時間とするよう努力したが、独立してからはほとんどマイペースで孤食、半孤食状態で摂っている。
 最近の朝食は完全に孤食。私の朝食は4:30-5:30amだから当然一人。昼食は飯川病院の患者用検食を業務としていただく。時に院長と同室で一緒に摂るが、互いに見えない状態で摂る。夕食は同居者4人揃うことは稀で、家内の同席は率で言えば50%以下だろうか。夕食に関しては孤食とは言えないが、全員揃っても会話も乏しいから似たようなもの。

 私の食事の習慣はほぼこんな状態であるが、私は不満は一切無い。

 私は他所の方と食事を囲むのが大嫌いである。だから人を食事を誘う事は皆無。以下がその理由の一部。
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 ■ 奢る・おごられる関係は嫌、■ 喧騒な食卓は嫌、■ 各人の食事の好みに合わせるのも嫌、■ 食事の進行を合わせるのも嫌、■ 食事マナーがまずいと地獄、■ 食事時間が長すぎるのも嫌で、私は10分以内に終わらせたい。■ フランス料理、懐石料理は時間がかかりすぎて嫌、時間が持たない。定食調に食卓に並んでいるのが良い。■ アルコールは一切不要、■ 食事中の会話も嫌、■ 外食は嫌、■ 贅沢な食事は罪悪感をともなう。■ 量は食べ切れる程度で十分、食品が廃棄されるのは不快、・・・・。
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 だから私にとっては孤食がいちばん。


11/11(日)快晴 ゾンタバザー
1:30起床、新聞、文献チェック。医学雑誌のPDF化、録音データ整理など。午前書斎机周辺等整理。11:00ゾンタバザー家内送って飯川病院、14:00クロスバイク帰宅、微睡。庭掃除、ダリアの花を全部カットした。16;00録画NHKニュース、ノド自慢本日分。自炊ほか新聞入力。19:00夕食、21:00就寝。歩数計11243歩数。

写真集:「秋田国際ダリアの園Vol 3」 2018 2000円 初瀬武美 2018.8.20発行
 秋田市の雄和地区、秋田空港の近くには、700種7000株ものダリアが咲き誇る秋田国際ダリア園がある。深紅、ピンク、オレンジ、赤と白の絞り、レモンイエロー、白のダリアなどが6万本も咲き乱れている。

 入り口の看板には「開園・日の出。閉園・日の入」という、のんびりした開園時間が書いてある。色鮮やかなダリアを眺めながら園内をゆったり歩いていると、日々の忙しさも忘れてしまう。尤も、この園にいる間だけであるが・・・。

 私もダリアを育てているが、全ての株は当園から購入している。私どもも年に数回栽培の勉強を兼ねて園を訪れる。昨日、訪れた機会に発行されたばかりの写真集:「秋田国際ダリアの園Vol 3」を購入した。

 表紙の写真も美しい。

(表紙)

(裏表紙 「なまはげダリア誕生」として新種の花が提示されている。)

 発刊を祝して、秋田県知事、秋田市長、園長の鷲澤康二氏が祝辞を送っている。秋田県、秋田市にとっても重要な観光資源となっていることの現れである。

 写真集に掲載された花々の写真は100葉を越す。各葉は見事な出来栄えだと思うが、以下のジャンルごとに分けられて掲載されている。この項目に分けたこと、も慧眼である。一つ一つの写真ごとに解説は無い。それがいい。
■ 優雅――-しとやかで気品がある。
■ 感謝――-ありがたいと思う気持ち。
■ 栄華――-世にときめいて栄える。
■ 華麗――-華やかで美しい。
■ 優美――-上品で美しい。

 写真の具体例はここに提示すべきではなかろう。とにかく美しいの一言に尽きる。写真技術については言及できないが、とにかく、被写体が美しい。

 著者の初瀬武美氏のあとがきを引用する(一部省略し、一部改変した)。
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 ダリア園に初めて訪れたのは1990年でした。現ダリア園代表鷲澤幸治さん(当時園長)から秋山庄太郎写真集「ダリア天竺牡丹」をプレセン卜して頂きました。その写頁集に感銘を受けたことがきつかけとなり私は花々の写真を撮るようになりました。
 花を美しく表現する為に、1990年日木園芸協会主催の「花の写真通信教育講座」を受講し、終了時に創芸展写真部門大賞を受賞することができました。その時の審査委員長が秋山庄太郎さんで、この出来事は深く心に刻まれ、大変感激しました。
 ダリアの魅力は花径30cm以上の超巨大花輪から数cmまで9種ものサイズがあります。1500種類ものダリアの品種に名前があり、表情に合わせて命名し改良に挑む姿勢に感銘しています。
 園には共生する生き物達が生息しており、夏から秋へ移行する時期はカエルが休息に来ます。晩秋の霜の降る頃には蜘蛛の巣に朝露が輝きます。11月上旬、花々は開花できなくなり職員は球根を掘起し、来年へ向けて春へと備えます。
 鷲澤幸治さんの合言葉「花は文化、心の豊かさ」。
 写真撮影30年の節目として出版しました。
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 既刊の「秋田国際ダリアの園(1)(2)」も入手したいものだ。


11/10(土)降雨午後から一時晴れ 交際ダリア園訪問
1:00起床、新聞チェック、徒然他いつもの如し。PDFデータ整理。午前はデータ整理、文献読み、読書に集中、午後は庭掃除の後、交際ダリア園訪問。夕方から録画「らららクラシックQA特集」、「題名のない音楽会:2Cellos」、N響定期公演:ブロムシュテット、ブルックナー9、モーツアルト38」視聴、歩数計Σ9748歩。

企業不正2018(3) 不正の結末は存続が問われるほど厳しい結果になる
 最近の日本の産業界、とくに製造業ではなんでこんなに不祥事が絶えないのだろうか。いや、産業界のみならず、組織ではなぜ隠蔽行為が続くのか。

(1)なぜ不正が起きるのか?そこには甘えの構図はないか?
(2)なぜ現場は組織から浮き上がるのか?
(3)なぜ発覚後も不正は続くのか?
(4)何十年も続いたのに役員たちはなぜ気づかない?

(1)なぜ不正が起きたのか?
 かつて、日本の製品は海外から「過剰品質」といわれていた。規格に合わない不良品が極めて少なく、大きな信頼を勝ち取っていた。その国の産業界の実情に合わせるために「不良品を何%か混ぜましょうか??」といった冗談にしか取れないようなやりとりもあったとされる。規格に厳しい日本製品を生んだ自信はどこに行ったのか。

 神戸製綱所も日産自動車もスバルも、現場が勝手に作り上げたルールが外の規範的なルールから逸脱していた点が挙げられる。
 経営陣は不祥事が生じるまでそのことすらも分かっていなかった。

 甘えの構図はなぜ染みついたのか?
 専門性の高い製造現場は、もともと他の部署との人事の交流が少ない。同じ社内であつても、隣の部署からはよくわからない。

(2)なぜ現場は組織から浮き上がるのか? 
 「あうん」の呼吸で通用する、明文化されていない「知」を共有し、微妙な「すり合わせ」によつて、日本の製造業は高度の技術を維持し競争力を保つてきた。そんな土壌が外から「見える化」化を阻んだ。
 このような状況下では各現場の判断で勝手な基準が作られる。新幹線のぞみの台車を削りすぎて破断直前まで至らしめた川崎重工の例が挙げられる。ギリギリで事故は回避されたが、高速走行中に破綻が生じていたらJR福知山線脱線事故、台湾の高速鉄道の脱線事故の比でない大惨事になっていたであろう。その割には社会の追求は乏しかった。

(3)なぜ発覚後も不正は続くのか?
 神戸製綱所、日産自動車、スバルも事件が明るみに出て、社長が謝罪した後も不正が続いていた。現場からの意見を重視してきた日本の巨大企業の組織は意思伝達力が乏しく、同じ方向に向けようとしてもどうしても時間がかかる。その背景には、現場の倫理観の欠如もあるが、経営のための利潤追求にしか関心がないように見える経営陣を信頼していないことも挙げられるだろう。

(4)何十年も続いたのに役員たちはなぜ気づかない?
 日本の経営陣は現場から叩き上げられて、様々な部署を渡り歩き、種々経験を積んでからその地位に就く。日本企業では外部から優秀な経営者が抜擢されて移ってくることは少ない。
 すなわち、経営陣としては素人と言っていい人材が登用される。だから、今までの方法論に追従する。会見等で頻繁に発せられる「知らなかつた」は通用しないが、背景にはかつての家族的経営の姿が見て取れる。

 現場の問題もあるが、経営者が目先の利益を数値上で追うあまり、現場との意思疎通が不十分のようにみえる。

 企業不正の結末:スバルは本年度の収益を900億円下方修正した。免震ダンパーの川金ホールディングスは79億の黒字見込みであったが120億円の赤字に修正、スルガ銀行は900億円の赤字を見込んだ。
 企業不正の結末は、企業存続が問われるほど厳しい結果になる。


11/9(金)曇り午後から降雨 大曲中通病院外来 飯川病院ボランティア
1:00起床、録音、PDFデータ整理。新聞処理。5:00可燃ゴミ準備。7:35Taxi駅、こまちで大曲。8:50-12:15大曲中通病院外来。往路は徒歩、帰路は降雨でTaxi。13:30飯川病院着、14:00-18:45ボランティア。19:10Taxi書店経由帰宅、夕食。21:30就寝。 歩数計Σ9880歩。

企業不正2018(2) 今年も企業不正、組織不正絶えず
 本年も企業不正が続いた。東芝、スバル、日産などのように昨年からの持ち越しで不正のが続いているのもある。
 私のファイルには沢山の企業不正、組織の不正がピックアップされている。
 私は営利企業でない組織の不正も同列に扱うべきだと考えている。非営利団体の不正は金銭利潤問題でなく、利権関係が中心だけに、実は不正の根は深い。

 私の蓄積ファイルから本年の代表的な不正を以下に抽出した。まだ今年は暮れまで一月半あるから新しい不正が明らかになるかもしれない。
 
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■非営利団体による不正
 経産省:森友加計問題 隠蔽、改ざんなど
 文科省 セクハラ、パワハラ、贈収賄事件
 東京医科大学他の入試不正問題
教育機関におけるいじめ問題の対応 隠蔽など
 
 官公庁・地方自治体の障害者雇用問題
 各種のスポーツ団体の不正
 ・・・などなど。まだ挙げられるが、ここまでとする。

■企業体による不正
 スズキ、マツダ、スバル、スルガ銀行、ヤマト運輸、秋田JA、宇部興産、神戸製鋼、商工中金、三菱マテリアル、東芝子会社、日産自動車、日立化成、ジャパンライフ、はれのひ(成人式用和装関連)、川金ホールディングス(免震ダンパー関連)、フジクラ(電線関連)、川崎重工(新幹線のぞみ関連)、大林・鹿島・清水・大成の建築4社(リニア工事巡る談合)、

 ・・・などなど。まだ挙げられるが、ここまでとする。
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 日本の企業体、組織は近年過ちを繰り返すようになったのだろうか??
(1)なぜ不正が起きるのか?甘えの構図?
(2)なぜ現場は組織から浮き上がるのか?
(3)なぜ発覚後も不正は続くのか?
(4)何十年も続いたのに役員たちはなぜ気づかない?

 これには日本特有の、過去の家族的経営の影を引きずっていること、があるだろう。かつては「現場と直結した経営こそ日本の製造業の強みだつた」とされてきたが、近年の厳しい経営状態や目先の利益を追うあまり、現場との意思疎通が不可能になってきた。
 経営陣は不祥事が起こると現場のことをわからないままマスコミに向かって頭を下げる人形化になってしまった。
 いま、原発事故の裁判が行われているが、経営陣が問題点を理解していたとは思えない。
 スポーツ界の不祥事には、角界にしろ、ラグビー界、体操界も、老害と男害のるつぼとなっている。

 この辺のことを考察しなければならない。組織人って不思議な人たちだとも思う。会社からあるいは組織から自宅に戻ればそこでは常識的なパパや夫になるのだろうと思う。組織の中では良識、倫理観が通用しなくなっているとしか思えない。
 不信の連鎖を断ち切るためには、経営と現場が一体となつて出直すしかない、と思う。老害もなんとかしなければ・・・。


11/8(木)晴れ 外来 飯川病院 
1:30起床、文献・新聞チェックなど。7:10ウオーキングシューズが無くバスで飯川病院着。8:45-13:00外来+ドック判定14名。13:30飯川病院、14:00-18:29勤務。18:35バス帰宅、夕方から次男孫預かり。19:30夕食、21:45就寝。歩数計Σ9789歩。

企業不正2018(1) 「スバル」の不正が最近まで続いていたとは・・・
 昨年のいま頃、企業不正2017(4)(5)としてスバルの不正について考えていた。
 企業不正2017(4) 「スバル」の不正(1) 社長の姿勢、倫理観欠如に驚く
 企業不正2017(5) 「スバル」の不正(2) メーカー任せに問題

 今年になっても相変わらずスバルはニュースに登場している。不正の発覚が止まらないためで、1年以上も続いているという事は利用者に対する背信行為である。ここまで続くと社としての姿勢が問われ、一部であろうが社員のモラルも問われてくる。

 私はスバル車に愛着を持って1975年ころから欠かさず使い続けているユーザーである。最近まで6台乗り継いできた。
 だから、昨年から明らかになったスバルの不祥事をずっとフォローしていた。使用歴の無い日産、三菱の不祥事も続いているがそれらとは注目度がちがう。現在使用しているレガシーワゴンは20年目で、不具合も目立ってきたので買い替えの時期を迎えているが、後継車をどうするか悩んでいる。

 スバルで、最近までに明らかになったのは、■ 無資格者に出荷前検査をやらせていた、■ 排ガス・燃費データの改ざんがあった、■ ブレーキ検査時に不正、■ 更にエンジン部品の不具合も発表された、■ などなど・・・・。

 本年9月に国交省に報告した時点では、ブレーキなどの検査の不正は昨年12月までで改善済みとしていた。しかし、不正が今年の、先月まで続いていた可能性があることが分かった。結果として、乗用車10万台について、回収・無償修理を届け出ることになったらしい。
 ブレーキの検査での不正行為は、メインブレーキだけでは制動力が規格に達しない場合は、ハンドブレーキも同時に引いて辻褄を合わせていた、という。これは悪質である。

 再検査や不合格にすると、作業が滞り生産が落ちるためだったという。
 自動車の基本性能よりも製造のスピードを優先していた。さらに、先月の国交省の立ち入り検査では直近までの不正が続いていたことが判明した。
 すなわち、国への報告や謝罪の後でも現場では不正がそのまま続いていた、と言う。

 スバルは、再発防止策を取るとしている。当然な措置だが、検査不正をめぐるリコール費用の拡大や生産の減少で業績への悪影響も大きくなるだろう。
 エンジン部品の不具合で国内外41万台のリコールも公表しているが、この修理にはスバルのエンジンの特徴である水平対向エンジンを一度車体から外して解体する必要があるために、一台について2日間ほど要するという。これはスバルにとっては社運に関わる厳しい負荷になるだろう。

 スバルは背水の陣との覚悟で、社運をかけて信頼回復に臨まねばならない。


11/7(水)快晴 午前庭掃除 ガレージ整理 飯川病院ボランティア
0:30起床。新聞・文献・医学論文PDF化・録音データ編集他。午前庭掃除 ガレージ整理、12:07バス飯川ボランティア、外来患者対応。19:00プリ、薬局経由帰宅、夕食、21:00就寝。歩数計Σ9580歩。

画集:「軽井沢千住博美術館Vol 1」 2011 2000円 公益財団法人国際文化カレッジ
 私は展覧会、展示会があるとほぼ毎回その会の資料集、画集などを購入する。会の記憶を留めておくためでもあり、展示された作品をじっくり鑑賞し直すためでもある。

 一般的に各展示会などは展示資料、作品等が大量かつ多彩であり、到底私の記憶にのこす事ができない。
 そのために、私は必ずその展示会、展覧会の資料集を購入する。資料集もじっくりと楽しむが、実物を見たということで資料集の味わいも変わってくる。一般の画集との違いである。

 千住博展は「高野山金剛峯寺.襖絵完成記念 日本の美を極め、世界の美を拓く」と題して9月28日-11月4日に秋田市千秋美術館と県立美術館を会場に開催された。
 私は11月3日の文化の日に両会場を訪れ、千住氏の作品をじっくりと鑑賞した。

 その際に購入したのが画集「軽井沢千住博美術館Vol 1 2011」である。通常であれば展覧会に合わせた資料集として展示作品中心に用意されるのであるが、本画集は初版が2011年であり、今回の展示会の目玉であった作品群は含まれていない。

 画集「軽井沢千住博美術館Vol 1 2011」の構成は以下の如くである。私の印象を若干コメントにした。各作品を提示することはすべきでない。 
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■ ごあいさつ:千住博美術館館長 品川恵保
■ 対談:千住博x西沢立衛. 西沢氏は軽井沢千住博美術館の設計者である。
   この美術館は地形を活かし軽井沢の自然に溶け込む近代的建築となっている。

作品:以下のように分類されて収録されている。

■ ウオーターフォール:千住氏と滝の出会いの説明と8作品。
■ デイフォール・ナイトフォール:蛍光塗料とブラックライトの使用による新境地の説明と昼夜の滝の様相の変化。
■ フォーリングカラー:各種のカラーで描かれた滝。6作品。
■ フラットウオーター:ハワイの海岸で受けたイメージ。4作品だで
■ スカイ:紙に滲みとかぼかしの手法を用いて偶然できた作品。14作品。
■ 星の降る夜に:天空に見える星の様相と鹿のシルエット。私には東山魁夷の作品のイメージと重なる。16作品。
■ 20代前半の作品:16作品。
さまざまなモチーフの展開:5作品。夜桜満開が今回の展覧会の中心であった「断崖図」に通じる。

■ 美術館について
■ 建築について
■ ビジュアルアイデンティティについて
■ 千住略歴   
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 画集の装丁は無地の白地に「軽井沢千住博美術館」とあるだけ。さりげないが、それだけ近代的美術館の建築美と千住氏の現代美術作品を象徴しているようである。


11/6(火)快晴 外来 飯川病院 某クリニックスタッフ来訪
1:00起床。文献、新聞・徒然。5:30家庭ゴミまとめ提出。7:25徒歩病院。8:45-12:45外来。14:00-18:30飯川病院勤務、入院患者対応。五城目町某クリニックスタッフ来訪、歓談。19:00帰宅、夕食、21:00就寝。歩数計Σ13.434歩。午後倦怠感強く懸案処理の気力でず。寝不足か風邪か、はたまた・・・。

展覧会2018(7):千秋美術館+県立美術館「千住 博展」

 「高野山金剛峯寺.襖絵完成記念 千住展 日本の美を極めヽ世界の美を拓く」が秋田市の千秋美術館と県立美術館で開催されている。

 世界的に活躍する日本画家の千住博氏(60)が画業四十余年の集大成と位置付け、高野山金剛峯寺に納めるために制作した襖絵「断崖図」「瀧図」をはじめ計38点を展示している。
 展示会は昨日で終了した。

 氏は1958年生まれ。東京芸大卒、同大後期博士課程単位取得後退学。2007〜13年京都芸大大学長。現同大教授。

 私は無学にして氏の存在、業績、作品などをまったく知らなかった。ヴァイオリニストの千住真理子氏の関係者の一人かな??と思った程度であった。

 千住展は、友人の安藤忠雄氏が設計した県立美術館も会場としている。
 氏は来秋時に魁新聞のインタビューに襖絵を依頼された時の心境を以下のように答えている。神懸かり?ならぬ仏懸かりと言わざるを得ない啓示を空海から受けていたと吐露している。宗教心を欠く私には半ば信じられないが・・・(一部改変)。

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 「最初は屏風や掛け軸を1,2点納める程度の話かと思つていたが、本堂の2部屋の襖を任せてくださるというので驚いた。
 当初は空海が見ていた高野山の森を描こうと準備していたが、ふと後ろから『お前、違うぞ』と言う声が聞こえた。それで考え直し、自分が一番得意とする滝以外にないと思つた。制作中にも随所で『駄目だ、こつちだ』『そのまま描いちやいかん』というアドバイスが聞こえてきた。最終的に『もう自分に触るな』と言つてきた。それが完成の瞬間だつた。
 空海が言われるままに描いたので、半ば空海が描いたような作品だ」。 

 「襖に表具されたら、もう絶対に寺から出られない。京都の表具師が1枚ずつ黒い縁や取つ手の金具を付ける。金具は絵を切り抜いて付けるので、純粋な作品として見られるのは、今回の巡回展が最後だ。一刻も早く高野山に納めて安心したい気持ちもあるが、やつぱりその前に皆さんに見てもらいたい」。
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 私は神仏の存在に疑問を持っているが、作品を前に氏のインタビューを思い出すと、疑う事は罪になる・・とまで考えさせられた。芸術家の感受性に驚くばかりである。

 平安時代のはじめに弘法大師空海が開いた真言密教の聖地、高野山。2015年に開創1200年記念事業が、千住氏による総本山金剛峯寺への襖絵奉納であった。
 氏が仕上げた「断崖図」は、10代の空海が修行に励んだ瀬戸内海の崖に重なる。ひたすら険しい崖は、迫力があり、人生の苦難を表しているかのようである。

 作品については、私は感受性が十分とは言えない。また、表現する筆力を欠いている。
 入館時に配布されたパンフレットから画像「断崖図」(部分)、その他を提示した。


11/5(月)曇一つない快晴 健康クリニック 飯川病院 
1:20起床。文献・新聞等処理、徒然など。いつもと同じ。7:20徒歩飯川病院に、9:00-11:50健康クリニック、ドック14名、レ線判定14名、結果説明2名。12:00飯川病院、14:00ー18:30勤務。入院患者対応。19:15帰宅、夕食。21:00就寝。歩数計Σ12053歩。医学論文、文献読み、データ整理。

「かわいい」論(4) 言葉の歴史 意外と新しい
 私は「かわいい」とは、一定の姿や形、弱々しさを見たときに、見たものの気持ち心の中に生まれる「守ってやりたい」の気持ちが喚起されるときに感じる心、と思う。

 生物や物体が初めから人間の心理に合致するよう「かわいい」姿をしているわけではなかろう。「かわいい」は、すべて美的に美しくはない。それでも感じる。
 
 それは、見るもの心の中で形成される感情であって、見る側の人が、育った環境、教育や文化の中で吸収した知識等から育成された、と思われる。
 人は、生まれたての赤ちゃんを見たときにほとんどが「かわいい」と表現するが、私は新生児は気持ち悪いのが先立ちちっとも「かわいい」と思わない。私が育った環境が私をそのように感じるようにしてくれなかったらしい。何ケ月か経った後の乳幼児の屈託のない表情に「かわいい」さは覚える。

 欧米では秋のコオロギとかスズムシの音色は雑音でしかないと言う。秋の風情を感じる文化が欠如しているから子供達にも教えられないからその感覚が育たない。それと同じ。

 だから、文化圏によって、文化の変遷によって「かわいい」の意味するところが変わっていく。また、個々人によっても差があるはずである。この差が幼児虐待にも関連するかもしれない。

 「かわいい」の意味するところの変遷は重要な何かを教えてくれるのではないだろうか。
 この辺のところを考えてみる。

 「かわいい」の古き同義語は「愛くし」で清少納言が枕草子で頻用した「うつくしきもの」と同じだろうとされている。古語の「かはゆし」は、いとおしさ、趣き深さなど、何らかの意味で「愛すべし」と感じられる場合に用いられた。それが歴史とともに現代の日本語で一般的な「愛らしい」の意に転じ、「かわいい」は幼いもの、小さいものに対する情愛や愛着などを表現する意味合いが強くなった。

 「かわいい」と思う心は日本特有のものらしい。
 かわいい」に近い意味を持つ言葉は各国にあるがせいぜい「cute」「adorable」程度で日本語のニュアンスにぴったりと当てはまる言葉はない。言葉がないと言うことは、「かわいい」と感じる文化、日本人には備わっているであろう情感、心情がなかったと言うことでもある。実にもったいないことである。

ところが、日本特有の「かわいい」文化が「Kawaii」言葉ととともにアニメや漫画、キャラクターグッズとして他の文化圏にも輸出され花開いている。
 「Kawaii」は国際的に通用する用語となった。「モッタイナイ」「ノウキョウサン」と同じように。


11/4(日)曇りのち快晴 飯川病院日直 レセプトチェック 
23:30起床、新聞・文献チェック,徒然その他。ネコ安息箱強化対応など、画像整理多数。8:37バス、飯川病院。9:00-19:00日直、2時間ほど当直医分代行。外来レセプトチェック、11:00ゼン半、14:00残り分。データ整理、本読み、19:30迎えの車で帰宅、夕食、21:30就寝。歩数計Σ10079歩。

「かわいい」論(3) 私の「かわいい」感情の背景(2)
 現代の日本語の「かわいい」が意味するものは多彩になってしまった。
 
 「このダンプ、よく俺のために働いてくれるんだ。とても『かわいい』やつだぜ!!」。これはある小説で使われた一節であるが、こんな大きく硬い対象物の評価には私はまず用いない。
 また、縫いぐるみ等の作り物に私は不気味さを感じる事はあっても、一切「かわいい」との感想は抱く事はない。

 かつての日本語では、「かわいい」は小さきもの、弱きものなどを示していた。
 私の「かわいい」感情は、より強いものが弱い者に感じとる「守ってやらねばなるまい」と言う生身の感情、いのちを守ってやりたいと思う気持ちである。

 私の「かわいい」と思う気持ちを対象をペットと女性に限ってざっと見てみる。

 人・ペット等に共通の感覚 
■見てくれ、表情がいい。
■私より小さい。
■私より弱い存在。
■私より劣っている存在。
■私の庇護を求めている。
■私と微々たる程度でもいいが、コミュニケーションがある。
■不快な音を発しない。
■清潔、汚れていない、匂いも無し。
■かわいい、は彼らに対する最高の評価の一つ。

 その背景には、私の方にいつでも無視できる、縁を切れる、ひねりつぶす事ができるなどの優位性がある事。その域に達しない状態で関係を維持している状態が「かわいい」感覚の元になっているのだと思う。今までに具体的経線はないが、条件が外れれば「可愛さ余って憎さ百倍」にもなりうる危険な、微妙な感情である。
 これはおぞましい感覚だ、と思う。

 私が女性に対して感じる「かわいい」感覚は私が男だから感じられるのであって、どうしても男尊女卑的な様相を伴う。私も古い人間になったものだ。
■見てくれがまあまあ、悪く無い範囲で、ちょっとだけ綺麗。
■年齢は、・・・問わない。幼児でも婆さんでも・・・いい。
■笑顔がいい。
■頭の回転は悪く無い程度でいい。知性を感じられればいい。
■時折、バカじゃないか?と思わせる、抜けたところがある。生来の天然バカがよりいい。
■気が強くない。
■理詰め、理屈をしつこくは言わない。
■ぐさっとくる様な内容をソフトに表現できる。
■社会的活躍、地位はほどほど。
■清潔感がある。清楚。嫌な匂いも無し。
■私から見て、「かわいい」は女性に対しての最高の評価ではないが、高い評価にあたる。美人、綺麗よりははるかに高い。

 私が女性達に「かわいい」と感じてもまったく外には出さない。心で感じて喜んでいるだけ。言えない自分が情けない。

 その点、ネコたちには遠慮なく表現する。ネコどもの前で私はひたすら自分を捨てて素直で謙虚になる。ネコたちに「ゴロゴロニャン」と言わせながら、実は自分でゴロニャンしている。そのことが私を癒す。
 私がネコたちと遊んでいる姿は、とても他人には見せられない。


11/3(土)文化の日 超快晴 千秋美術館「千住博」展
 1:00起床、何時もと同じ.データ整理、読書中心。6:00軽朝食、文献・新聞読み。。11:00家内に同乗千秋美術館、県立美術館。千住明展。街中は種苗交換会で混雑、14:00バス帰宅、微睡、庭のケヤキの落ち葉掃除。その後は書斎で、BL録画「らららクラシック:ベートーヴェン Vnソナタ5・9番について、渡邊玲子氏出演」、「題名のない音楽会:ジャズとクラシック」。19:00夕食、20:30就寝。歩数計Σ10709歩。

「かわいい」論(2) 私の「かわいい」感情の背景
 子供は「かわいい」存在ではないのだろうか?? 
 「もうおねがい ゆるして ゆるしてください」。ノートに書かれた幼い文字、文章を新聞で読んだとき、本当に5歳児が書いたのだろうか??と私は驚いた。食事を与えないで死に至らしめた両親に対して、強い憤りを感じる。
幼児の虐待死(3) 子供はかわいい存在ではないのか 「かわいい」論

 子を守りたいと思う気持ち、子をいとおしいと思う気持ちは、人間の場合は後天的に備わるものだろう、と私は思う。だから、子供虐待事件の実態を見るときに、親の成長過程に問題を感じ取る。また、子育て環境に経済的な余裕、マンパワーに一定の余裕がなければ、子は危ない環境に晒される。

 ?私は3人の子を育てた。孫も複数いる。自分の子どもに対する「かわいい」と思う感情は十分にあるが、私の父親としての姿は家族に言わせると「役立たず」、「ダメおやじ」の域に近い。その評価には不満がある。私には自負もある。
 だから、自分の子ども、孫たちを対象にした「かわいい」論は控える。子供達がこの父を何と思っているのか?恐ろしくて聞けない。
 
 だからネコを対象に私の気持ちをまとめてみる。

 私は、いま7匹のネコと同居している。
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 互いにじゃれ合っている姿に、無防備に団子状に寝ている彼らに、私とのスキンシップを求めてくる彼らに、朝空腹を訴えて私の周りに集まってくる彼らに、私は深く、いとおしさを感じ、「かわいい」と感じる。この感情は、父親だからではない。野良ネコを一旦引き受けた以上、一家の代表として彼らを庇護しなければならない責任を感じることと、彼らが見せてくれる仕草や表情に癒し感覚を覚えるからである。

 私のネコに対する感覚の背景は、小学校1年から高校卒業まで共に過ごした一匹の雌ネコに対する感謝と、恩、加えてその晩年に十分に庇護してやれなかったことに対する懺悔の気持ちが基になっている。昭和39年当時、13歳は長命であった。体力が落ちてきた彼女を守ってやらなければならなかったのに、18歳の私が十分老化を理解し、添ってやれなかった。

 私の「かわいい」感情はより強い力があるものが弱い者に感じとる「守ってやりたい感情」だろうと思う。

 私がネコどもと共に暮らしていけるのは、知識と理性があるからである。
 その理性を保つことが出来る環境にたまたま恵まれているから・・、と思われる。

 日本語の「かわいい」は形を変えて、アニメやキャラクターグッズを通じて世界的に通用する言葉となったが、本来の日本語の意味と大きくかけ離れつつある。

 私が用いる「かわいい」は古い意味で用いている。即ち、保護してあげたくなる「不憫」な様、あるいは「小さく美しいこと」などを意昧している。「かわいく幼いこと」は、無垢ゆえに誰からも攻撃されない存在を意味する。欧米の宗教画に見られる天使の無垢さと共通する。接するに、見る者の方が憐みの気持ちになり、謙虚になる。

 我が家のネコどもは決して特別のネコではない。ノラ出身、素性もわからない。いまはやりに言えばシャムミックスが3匹、ほかに黒、ブチなど。
 ネコどもを前にして私はひたすら自分を捨てて謙虚になる。
 そのことが私を癒す。

 ただ私の「かわいい」感情には同時におぞましい感情も同居する。


11/2(金)晴れ 大曲中通病院外来 飯川病院ボランティア
1:30起床。文献、新聞チェック、徒然。6;00可燃ごみ廃棄。7:35Taxi駅東に。8:11こまち。駅病院間徒歩、9:15~12:15外来、家人の迎えあり業務用スーパーにて若干買い物後、フィットで飯川病院に。14:00飯川病院ボランティア。19:30書店経由帰宅、夕食、21:30就寝。歩数計Σ9935歩。

当HP「これからの医療の在り方?徒然日記」18年目迎えた(2) 
(5)自分の弱気に抗する毎日
 私は人と競争・抗争は好まない。だから、口頭では自己主張もしない。他人と会話することもなくなった。私の競争・対話の相手は私自身、抗する対象は私自身の弱気である。
 気力も低下しつつある。徒歩通勤は片道60~70分であるがちょっと気重になってきている。小雨程度、あるいは降雨が予想される状態だとつい逡巡してしまう。バスに乗る頻度、家内に同乗する頻度が増えた。
 ただ、一昨日徒歩通勤で岡山を通過し兵庫に入ったが、これは当初の計画通りであった。具体的にはまだそれほど明らかではない。
 最近はなんでも安易な方向に流れそう、抗するのが大変になってきた。もちろん、背景には老化による身体上の問題点、例えば下肢の衰え、バランス感覚の減弱なども意識する。
 このHPの更新は私の気力。体力のバロメーターである。

(6)ちょっとしたことをちょっと学び、一つだけ形にする楽しみ 
 普段考えている事を文章化していく作業は苦しいが楽しい。考えるだけだとすぐに霧散する。必ず得るものがある。私に長文は無理。だから、小文にまとめる。
 何故連日か? 継続は力である。一旦不定期にするとなし崩し的に頓挫するだろう。だから、一日一話と自分に負荷をかけている。キーボードはまだ打てる。気力さえ続けばまだしばらく続けられそう。

(7)生活記録、小文は自史資料としても貴重
 私は日々の記録を蓄積するのが好きだ。文章、画像、音楽など、覚えきれないから最近はほぼ全てを電子的に蓄積している。
 何か調べたいことがあると、まず自分の小文に検索をかける。5000項目以上もあるから大抵これで間に合う。それから新聞のスクラップを探す。2008年から1日20−40枚分作って蓄積しているから実に有用。次はブリタニカ。ネットでの検索は滅多にしない。

(8)私の文章は、残念ながら私の文章とは言えない
 私はペンを握れば僅か数行のハガキでも悪戦苦闘し、数枚は無駄にする。だから、パソコンで文章を作る。それでも呻吟する。
 かつては辞書を引くのが好きだった。今は辞書は滅多に利用しない。
 日本語入力ソフトはMac OSに付属したのを用いている。これが私の語彙力より何十倍も勝っている。とても便利であるが、私が知らない漢字も候補として提示されるから、飛びついてしまう。だから、自分の文章であるとの実感は乏しい。

 電気とパソコンと、他人の技術の蓄積を利用して作っているだけ。とても自分の文章とは言えない。この点は残念である。

 そうは言っても、パソコンがなければ到底続けられなかった習慣である。いい時代に生きた、と満足している。間もなく、キーワードを入れるだけで自分の文章に似た文章が自動で出来上がるようになるだろう。そうなると私は一体どうすればいい??楽しみが一つ減ってしまう。今から考えておかなければならない
 
(9)結論
 継続は力、今後もしばらく続けていく。


11/1(木)朝降雨のち晴れ 外来 飯川病院 HP開設記念日 
 0:40起床,新聞・文献チェックほかいつものごとし。雨にて7:15バス飯川病院、8:45-13:30外来、複雑な患者で時間取られた。13:46-18:30飯川病院。入院患者対応。19:10レガシー帰宅、夕食、20:45就寝。歩数計Σ8696歩。Blu-rayながら視聴:そこまで言って委員会2本。

当HP「これからの医療の在り方?徒然日記」18年目迎えた(1) 
 当ホームページ「これからの医療の在り方----徒然日記」は、2001年11月1日に開設したので本日満17年を迎えた。本日は18年目のスタート日となる。
 抜粋版「雑記帳Blog」は満14年目、「インスタグラム」は1.5年程である。

 18年目のスタート日の雑感。
 昨年とほとんど同じ。変化に乏しい日々の積み重ねだから当然でもある。

(1)なぜ続けているか? 
 「継続は力」、この言葉が好きだ。この1年間1日も欠かさず更新できた。一人で悦に入っている。
 私は意を決して始めた事はなかな止めない。
 生活記録は50年以上、うち17年分がこの徒然。1:00amに起き出す早寝早起き習慣は約30年超、新聞・文献スクラップ蓄積は20年超、ラジオ深夜便連日3時間蓄積は10年超、岩手へ復興資金寄付は7年、映画・録画の視聴6年、徒歩通勤5.5年でΣ1967万歩、距離蓄積Σ15.740Km、などなど。他人に影響を与えることのない世界、自己満足にどっぷり浸っている。

(2)「これからの医療の在り方」のタイトルが重荷になったが・・・
 過去医学関係以外の分野の勉強は乏しかった。現在、社会や経済など医療外の分野を学び直している。医療関係の記載が減ってタイトル名が重荷になった。されど、いつまで続けられるかわからない。今更名称を変えてもしょうがないからこのままにする。

(3)記録に頼らねば記憶が保持できない
 私は記憶蓄積や保持が困難になった。記録をつけていないと全て忘れる。忘れてしまえば自分は呼吸して食っていただけ、無為に生きたことになる。
 物事について、思うだけ、考えるだけでは霧のごとくすぐ消えてしまう。だからメモを作り、その中の一部を文章化しておく。
 私の記録はハードディスクに電子データとして蓄積している。
 検索にて何月何日、何時頃に私が何をしていたか、何を考えていたかを知ることが出来る。私が生きて来た証しになっている。

(4)じぶんだけ毎日の小さな積み重ねを楽しんでいる
 今は嘱託医として細々と外来診療を続けている。他の時間は100%引きこもっている。別に鬱ではないが、人と会うのが怖い。付き合いが辛い。嫌になった。
 私は生きている人間に、人間関係に興味が乏しい。人と会話すると不快な後味が必ず残る。それが嫌。最近始まった事ではなく、幼少時から我慢し続けてきたことがその必要がなくなっただけ。生者との付き合いは文章、書面上なら耐えられる。私は、生者より死者が好き。親しみを感じる。

 孫を含む家族達の動向を楽しみ、自然現象の移ろいを味わう。興味の対象は歴史、文化、政治・経済・・、と今でもまだ広がっていく。先人達の足跡は偉大である。それらを感心しつつ味わう日々である。





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