徒然日記

 日記と言うより、自分の行動記録と日々の雑感です。

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 6/12(火)降雨 外来 飯川病院 米中首脳会談
1:15起床,新聞・文献チェック、他。6:00降雨の小康をねらって可燃ゴミ集積所に45Kgx2袋提出する。7:20小雨、家内のクルマに便乗飯川病院、8:45-13:00中通外来予約数のわりに多忙。13:30飯川病院、14:00から勤務、入院患者対応、データ整理・新聞チェック。19:20帰宅、夕食、20:30就寝。Σ6381歩。CD iTune化。米中首脳会談がシンガポールで行なわれた。

?終活2018(8) ゆったりと過ごす価値ある日々の生活
 私は21:00頃就寝し、起床はam1:00頃で、早朝をマイペースで過ごしている。人とずれた時間に起きて気ままにやっている。

 だが、歳とった今は流石に疲れるので、午後の勤務、ボランティアが始まる14:00前に飯川病院で1時間余午睡をとる。一日2回の分割睡眠、失う時間も無いし、人に気遣う必要もないから心のおもむくままである。この午睡の楽しさ、心地よさ、を知ったのは退職してからである。

 超(?)朝型にしたのは現役のころ。
 当時は連日20:00前後の帰宅であったが、疲れもあって夕食を摂った後すぐに就寝した。家に持ち帰った仕事をこなす為に早朝に起きてこなし始めたのがこの習慣の始まりであった。最初の頃はam4:00頃の起床だったが、業務量に応じて起床時間を徐々に早めていった。
 この徒然日記を始めたのは2001年であったが、そのころの記録を見るとam2:00ころの起床、am6:00前には出勤していた。

 忙しい毎日を送っている時は時間をどうやって生みだすかを考えていた。
 得た結論は、子ども達も成長し手がかからなくなってきたこともあって、早朝の静かな環境を活用し、混雑を避けて出勤して、回診等を済ますなど、周囲とリズムをずらす事であった。これによって他の人と時間的に競合する事は少なくなり、業務の間にも僅かであっても自分の時間を生み出すことができた。

 現役を退いてからは必ずしもこのような生活パターンを続ける意味はなかったが、リズムを周囲とずらすことで時間の自由度が増す心地良さから現在に至るまで続けている。就寝時間は前と同じだが、起床時間は23:30-2:00頃と寧ろ早まった。午睡の時間が取れているからこれで睡眠時間は十分である。

 もう歳だから「朝の笑顔、夕べのしかばね」という状況になりうる。1日当たりの自分の時間は、単純計算で現役時代の倍くらいはある。それも体調を崩したら、死んだらその時点で終わりになる。そういう確証の無い不安定な日々だからこそ、一層味わい深い。大切にしたい。
 
 もう、それほど未練もない人生であるから、マイペースでゆったりと過ごせれば良い、と考えている。
 ゆったりと過ごす日々の生活、これは私にとって重要な終活の一つである。


6/11(月)曇りのち雨 健康クリニック 飯川病院
1:10起床,いつものごとし。データ整理ほか。5:00庭畑見廻り、風の被害は無い。
7:30徒歩飯川病院着。9:00-11:15健康クリニック、ドック14名。雨若干、11:30飯川病院、微睡、14:00-19:00勤務。入院患者対応。当直医来院を待ち19:10帰宅、夕食、21:15就眠。Σ11709歩。CD iTune化。

終活2018(7) 移ろい行く時間を深く意識出来る楽しみ
 この季節、桜が散るころまではわが家の周囲の住宅団地の庭は土があらわであったが、いまは緑に囲まれて生気に溢れている。この変化は激しく、かつ力強い。秋の移ろいはつるべ落としと称されるが、逆の意味で変化がすこぶる速い。

 秋田へは昭和48年血液学を学ぶために2年間住まった岩手県宮古市からから転居してきた。2年間ほど借家住まいしたのち、現地に小屋を建てた。
 当時は子供会のグループがあって、毎朝不供たちが誘いあって並んで登校したものだ。

 今は、私の身近ではその登校風景もなくなった。少子高齢化そのものである。我家の子供たちも中年になり、親も70代中ばにさしかかっている。

 子供たちの集団も小さくなり、登校の孫を見送っていた老人達も消えていった。
 時間の移ろいを感じる季節である。

 今、私は6Km程の距離を徒歩通勤しているが、その通勤路から1軒、2軒、3軒と空き家が目立ってきた。年代を経た門扉の中は雑草がはびこっている。

 その一軒の家から、ほぼ毎日、同時刻に散歩に出て来るお婆さんがいた。小雨の日も、恐らく足腰の鍛錬のため歩いているのだろう。時どき立ち止り、腰を反らせていた。会うたびに目礼する程度で言葉を交わしたことはなかったが、今春その家の玄関に忌中のお知らせが貼ってあった。今、その家には住む人も無く、庭には雑草がはびこっている。

 歩行者道路で会う度ごとに、私に鼻をむけてきたラブラドールを連れていたやさしげな表情のお爺さんも、ちょっと聞き分けの無かったラブラドールも、今年はまだ会っていない。私の視野から消えてしまった。

 ある本に「木も老ける」、「山も老いる」とあった。なるほどと思う。
 川も木も、石だって老いる。ましてや、私だってそうだ。

 もう今更焦ってもしょうがない。残りの時間で出来る事も少ない。そのために私も2年ほど前から気まま路線に切り持えた。
 生活を縮小し、仕事を選んでいる。つい先日、葬儀屋を予約してきた。

 思えば、現役のときから約30年、am1:00頃起床し、持ち帰った仕事をこなしていた。私は寝不足人生であった。四六時中眠い状態で働いていた。夜の帰宅時に信号待ちで運転席で寝込んだことも数回ある。パーキングブレーキを引く癖をつけていて良かった。

 いま、73歳だから「朝の笑顔、夕べのしかばね」で、いつこけても止むを得ない。しかし、1日当たりの自分の時間は、単純計算で現役時代の倍くらいはある。それも体調を崩したら、死んだらその時点で終わりになる。
 そういう確証の無い不安定な日々だからこそ、一層味わい深い。


6/10(日)曇り快晴若干風強し 飯川病院日直 
 1:00起床、通常の作業、読書ほか。5:00花壇、畑に散水。8:30バスにて飯川病院日直業務に。蓄積データバックアップ作成。新聞チェック、読書など。午後発熱患者3名あり対応する。CD iTune化。17:00業務終了だが迎えを待って待機。19:15帰宅、夕食。21:00就眠。歩数Σ4509歩、歩数計忘れて出勤、朝夕の作業のみの計測。

終活2018(6) オーディオ関連の機器廃棄
 終活を意識し始めたのは5年ほど前からである。

 かつては重厚な音を求めそれなりにオーディオ機器に投資をし数々の危機を集めていた。しかし、私が機器による音質の差を区別して聴き取ることができないボケ人間であることがわかり、発想の転換をしてオーディオ機器のグレードアップをやめてからもう20年以上も経つ。

 その間に古い機器は経時的劣化で壊れ始めた。
 これ以降の機器の補充は安価な卓上ミニステレオセットとした。

 故障を直して使う機会もゼロではない、と未練がましく残してあった古い機器も最早これまで見限り、今年になってから廃棄し始めた。
 今まで、オーディオタイマー、FMテューナー、レコードプレーヤー、イコライザーアンプ、プリメインアンプ、カセットデッキ、MDデッキ、管球式メインアンプ、などなどを廃棄した。
 廃棄は小さく薄いものは秋田市図書館に設置してある電子機器廃棄コーナーに、大型のものは秋田市の有料の粗大ゴミ回収廃棄システムに依頼した。

 書斎のオーディオラックが実にスッキリした。
 同時に、鳴る音も軽くスッキリした。聴くことができる音楽ソースはグッと狭まり、Blu-rey、パソコン、iPod touch位となった。今私の書斎では卓上型のミニスピーカーが比較的小音量で良い音で鳴っている。

 廃棄したレコード、CD、再生装置・・・計算すればどれだけ投資したか今となってはわからないが、住宅に次ぐ費用をかけた分野である。
 ずいぶん無駄な投資をした、との反省は常に持っているが、音楽鑑賞が私の人生に潤いを与えてくれ、豊かにしてくれた事は否定できない。決して無駄ではなかった。

 だからこそ、思い出深い危機を自分自身の手で廃棄のルートに乗せたかった。

 まだ、スピーカーが3-4セット残っている。ぜんぶ古く、1960年代から80年頃の製品である。ダイナコ25XS、ローラセレッション・ディットン25、タンノイGRFメモリー、そのほかパイオニア、ケンウッドのセットもある。これらはセッティング場所から移動させるのも一人では困難なのでまだ廃棄の予定にはしていない。

 まだ、スピーカーが3-4セット残っている。ぜんぶ古く、1960年代から80年頃の製品である。ダイナコ25XS、ローラセレッション・ディットン25、タンノイGRFメモリー、そのほかパイオニア、ケンウッドのセットもある。これらはセッティング場所から移動させるのも一人では困難なのでまだ廃棄の予定にはしていない。
 
 GRFmemory

 ヒロシ、わたしは好きな芸人の一人であるが、彼のネタに「終活で、家財道具を廃棄しすぎて、生活ができなくなりました・・」と言うのがあるが、私は再生装置を廃棄し過ぎて、これらのスピーカーを鳴らすことが出来なくなった。ついでにヒロシ、もうひとつ、「最近、絶滅危惧芸人のリストからも・・消えました・・」、なかなかペーソスがあるネタである。


6/9(土)曇りのち晴れ 庭仕事・畑中心 
1:15起床。文献新聞チェック、蓄積データ整理、その他いつもの如し。早朝5:30昨日購入のネギ畑に植える。午前は庭と農道の草刈り、午後は微睡後カップで成長した大豆を畑に植えつけ、落花生植えつけ。庭掃除など。19:00夕食、21:00就寝。17,557歩、敷地から一歩もでなかったのによく動いた。

終活2018(5) お宝発見 レコードの陰で忘れていたCDの存在
 終活を意識し始めたのは5年ほど前からである。
 今年の終活の重点は、■書籍の廃棄、■オーディオ関連の機器廃棄、■オーディオソフトの廃棄、とした。

 これらは暫時、秋田市の可燃ごみ、粗大ゴミの日に棄てているが、レコードは一枚一枚に思い出が残っているためになかなか廃棄が進まない。内容を確認しないで10枚単位ずつ棄てる。だから今まで捨てられたかは把握していない。最近、レコード再生に興味があるという若者が見つかったので、彼に提供するためにしばらく廃棄はしていない。

 代りにここ3け月ほど前からCDの廃棄を始めた。
 私はつい数年前までレコード派であり、CDはあまり購入しなかった。それでも、気に入ったレコードと同じ演奏でCD化されたものなどは適宜購入した。そのほかに家族が購入したり知人から頂いたのもあって500枚以上もあるだろうか。本当は欲しい人がいればさしあげたいのであるが、探すのも面倒だから5-10枚と毎日廃棄している。

 CDは他のアナログメディアと異なり、MP3化してデータとして残せる。だから、比較的大事なものはMP3化しながら廃棄している。音楽ソースはその中に人間の歴史や英知が、更に芸術家の表現が詰まっているから、単なるプラスチックの塊とは違う。アナログメディアの廃棄時には罪の意識に苛まれたが、CD廃棄は罪の意識は軽い。

 まだCDは廃棄を開始したばかりであるが、CDラック20段ほどの半数がカラになった。まだまだ作業は続く。

 CD廃棄作業を通じて気付いたことは、開封されていないCD、ほとんど聴かれていないCDが多いことである。私が好むブルックナーの交響曲8番などは10種類もあった。こんなにあったとは廃棄し始めるまでは手に取ることも無く、忘れていた。

 最近は大型の再生装置が老朽化して不調になり、レコードは殆ど聴かなくなっている。聴いていないCDを廃棄作業と並行して出来るだけ聴いて見ることとした。

 かつては時間があれば録音したラジオ深夜便、画像としては録画したBlu-reyを視聴していたが、最近はCDからMP3化した音楽を集中して聞いている。

 思えは1970年代は余暇はほとんどの時間をレコードによる音楽鑑賞に充てていた。重厚な音を求めていたが、家族にとってはさぞやうるさかっただろうと反省している。そのため、今はもっぱらヘッドフォンで音をたてないように聴いている。


6/8(金)快晴 大曲中通病院 飯川病院ボランティア ネギ苗追加購入  
0:30起床,文献本読み、新聞チェックほか。5:15可燃ゴミ提出、7:30飯川病院経由Taxi駅に。8:11こまち、病院・駅間は往復徒歩。9:10-12:05大曲中通病院外来、13:45-19:00飯川病院ボランティア。入院患者対応、散水。駅前苗屋にて預託してあったネギ購入、ついでに落花生の苗2本。19:15Taxi帰宅、夕食、21:00就寝。歩数計14816歩。CD iTune化。

「森友」をめぐる決裁文書改ざん報告書  私もミニ森友類似問題を経験した
 財務省は6月4日「森友」への国有地売却を巡る決裁文書改ざんの調査報告書を発表した。当時理財局長だった佐川氏が改ざんや交渉記録廃棄の方向性を決定したと認定、佐川氏他20人を処分した。
 2016年、国有地が評価額より8億円余り安い約1億3400万円で森友学園に売却され2017年2月に問題が表面化した。売却の経過事態もまだ分からないが、この事件の主眼は大型値引きから公文書改ざんに移っていった。

 調査報告書は、一連の公文書改ざんの不祥事は理財局の内部で行われた、と結論付けたが、今回の調査は財務省の身内による調査結果にすぎず、国会でさらに調査する必要がある。これを幕引きにしてはならない。

 国有地が評価額より8億円余りも安い値段で売られたのは更地になった土地の下にはガレキやゴミが埋まっていることがわかり、その撤去費用として減額されたとされるが、その理論的根拠がわからないままである。

 ところで、解体工事後の更地がガレキで埋め尽くされている、ということは解体業者と注文主との思惑の違いから結構あるようである。

 我が家の敷地の一部には古い家が建っていたが、平成21年夏に解体され、更地化して戻ってきた。

 更地になったところは家内の趣味で庭園化するつもりで種々の樹木を植樹したが、石やガレキに阻まれなかなか適当な穴が掘れないことが分かったし、植樹したあとも順調には育たなかった。最初は業者に植えてもらったが、私が退職してからは自分でも鍬やスコップをふるい植樹を試みた。しかしながら、鍬やスコップでは不可能でつるはしを用いて石やガレキを除かなければ先に進めなかった。

 結局、このままでは庭園などおぼつかないので平成25年6月中型ダンプ30台分の黒土と入れ替えた。

 ちなみに、先の住人と解体業者との契約がどのようになされたかは私は一切関与していないので分からない。しかしながら、現状を考察すると、解体で出たコンクリート片などはそのまま現地に埋め戻したと思われた。もし、そのような工事であることが予め分かっていれば、私の方の費用追加負担で「良質土による埋め戻し」にできたのに、と悔やまれた。

 森友問題を見る度に、我が家で経験したガレキ問題が思い出されてならない。スケールは全然違うからミニ森友問題と私は称している。


6/7(木)晴れ 外来 ドック総括 飯川病院
 1:00起床,新聞チェックほかデータ整理。いつものごとく。5:00ネコ給餌。7:30徒歩飯川病院着。8:45-13:45中通病院外来+健康クリニックドック判定14人分。14:00-16:00勤務、入院外来補助。データ整理、など。19:00夕食、20:30就寝。歩数計13188歩。BR disk視聴なし。CD iTune化。

墓なんて不要である(5) 日本人の遺骨に対する考え方
 私は生きている人が嫌いである。怖いから・・。特に若い人達が怖い。
 生きている人からは往々にして嫌われ、時に非難されるが、亡くなった人はもうそんな事はしないだろう。死んで骨になれば心がないから安心。私は故人に対して生きていたときに比してはるかに深く親近感を覚える。
 だから私は骨になった人の方が好きである。

 さりとて私は骨に、遺骨に特別の価値を認めない。
 ただし、これは100%個人的な見解である。死者を弔う行為は人間として貴重なものであり、異論はない。死者を弔う行為自体の考え方も、しかしながら私は希薄なほうなのだろうと思う。

 日本人は、中世以降は遺体を火葬したうえで、その遺骨を大事に保存して敬意を払うということを基本にしてきたが、これが欧米人の目には奇異に映る、と民俗学者の山折哲雄氏は述べている。欧米では「魂は神に召され、天に昇っていく。残された肉体は骨も含めて単なる入れ物に過ぎない」とのこと。このように遺体の扱いに関しては民族間でかなりの違いがある。

 そもそも日本には、火葬のない時代から死者をいったん土葬とか鳥葬とかで白骨化の過程にさらし、その後に遺骨を丁寧に洗って埋葬しなおすという、遺骨を尊重する文化が存在したらしい。骨が尊重されるようになるのは、藤原道長の時代の前後からだと山折氏はいう。一条天皇は1011年に火葬され、その骨が寺に安置されたといい、その所に詣でるものが多くなった、とある。
 このように、11世紀を境にして、遺体を火葬したうえで、その骨を寺の墓地に安置して詣でるという、今日と同じような遺骨尊重の葬送文化が、庶民の間でも定着してたと思われる。

 この遺骨尊重の文化の成熟過程で日本人の遺骨に対する考え方が強まったものと考えられる。

 日本人の遺骨にこだわることは理解できる。

 第二次世界大戦の激戦地であった疏黄島は1945年、日本本土への爆撃を目指す米軍と、抵抗した日本軍との間で激しい戦闘が繰り広げられた。日本の戦死者は約2万1900人、米軍も6821人死亡した。
 日本は、島が返還された1968年から遺骨収容を本格化させた。これまでに1万355柱を収容した。2011年度からは年約10億円をかけ、重機で握削してくまなく探している。78歳のある遺族は「最後の一人が戻るまで、私たちはあきらめない・・・」と語る。

 海外での戦没者は軍人軍属が約210万人、民間人が30万人。このうち復員兵らが持ち帰ったのは932,000体分、なお113万人分の遺骨が帰っていない。70代の別の遺族は「先祖のお墓に父の骨を収められればこれ以上の親孝行はない・」と語る。

 しかしながら、もう戦後70年も経過した今、どこでも遺骨発見は困難を極め、硫黄島でも年間数10人分だけ、海外の戦没者は年間1400人分だけである。本当に日本人の遺骨なのか、DNA鑑定の手法を用いても個人の特定は困難を極めている。

 厚労省は今も遺骨の収容事業を続けている。

 ご遺族の心情は大事にしたい。しかしながら、ここまで調査・発掘・帰還に意義はあるのか??慰霊の行事ではダメなのか?と思う。私自身の骨の価値を認めない私のホンネである。


6/6(水)晴 午後飯川病院ボランティア
1:00起床,新聞チェックほかデータ整理。午前フリーで散水他、畑仕事。その後はネコ用のバリア作成、ネコ室掃除など。午後、AU店にてiPhone8予約、通り町から徒歩にて飯川病院へ。外来対応、本読み、データ整理。19:10夕食、20:30就寝。歩数Σ14013歩。

墓なんて不要である(4) 秋田市合葬墓受け付けは市民不在のお役所仕事
 私は、この世に生を受けた事自体も是としたくない。今では何ともしようがないが、つくづくそう思う。ましてや積み重ねて来た自分の人生そのものも是としたくない。ただ、3人の子育ては良かったと思う。
 今、私は誰からも見えないような透明人間になりたいと念じている。退職後はそう思って可能な限り社会的な付き合いを回避して来たから、もう他人からは存在も忘れられつつあり、希望に近くなって来た。
 今後は、更に不浄な体が焼かれ、白い、カラカラの骨になるのを楽しみにしている。そのときが私の願いがほぼ叶う時である。どんなにすっきりするだろうか。

 その私の骨であるが、何も価値を認めない。だからゴミと同様捨てられても構わない。

 一般的には骨を収める墓の存在は小さくない。ただ、私は墓を個人で、あるいは個々の家で墓を有しそれを代々維持していくのは今後は無理だ、と考える。

 そんな中、県内で初の合葬墓を秋田市が建立した。
 いい時代が来そうである。私も賛同する。

 しかし、その募集関連のニュースを見てあまりの不公平なやり方に驚いてしまった。
 合葬墓は、4月2日に募集をはじめた。その日は予想外の応募者が殺到して午前で募集を締め切った。2回目の募集しは5月22日に予定された。

 方法は、先着順で募集体数(500体)に達した時点で終了予定。整理券は午前7時30分から配布、と言う。こんなバカな、不公平だ・・、と私はおもった。

 現実には徹夜で並んだ方々がいた。最も早い人は前日17時半から並んだと言い、22時には40人ほどに、当日の4:30時点では約200人。結局、市は受け付け開始時間を2時間早め、募集を締め切った。

 受付方法が市民に公平でない。絶対的に配慮不足である。お役所仕事そのもの。先着順??病気などで並べないかたはどうする??応募者の大部分は高齢者なのだ。私は仕事で行けなかった。
 今後同じ募集するなら郵送で募集、公開で抽選会を行うべきである。
 
 私が担当する外来の患者に4:30から並んで確保できたのがお一人、6:00頃着いてダメだった人がお二人いた。明暗が分かれ、後者の方々は暗い表情していた。私も落ち込んだ一人である。

 自治体や市が何かを公募する場合、納税者である県民、市民に普く公平でなければならない。広報に載せたから公平??少なくとも先着順は最悪の方法である。市役所は何考えているのだ??

 秋田市民は大人しいのか??その場で暴動が起こってもおかしくない。地方紙などを見ても今回の募集についてのクレーム、提言の投書などは、私が見た範囲では認められなかった。激しい意見が出ると思ったのだが、肩透かしであった。
 私はすでにおわった人、透明人間だから心の中で思うだけ。無責任人間である。


6/5(火)快晴 外来 飯川病院
0:30起床,いつもの如く。徒然など。5:00可燃ゴミ提出。7:35徒歩病院着。8:40-12:10外来、12:10飯川病院、14:00-18:45勤務。入院患者対応。新聞、文献読み、
19:00帰宅・夕食。20:30就寝。歩数計12534歩。BR disk視聴なし。CD iTune化。

スポーツ界の不祥事(3) スポーツ界の特殊性
 大企業、一流企業の不正は経済的視点の、過当競争から由来する事が多い。

 スポーツ界の不正には企業の不正とは異なる側面があるようだ。
 その面から見れば、角界は異常な社会である。

 その特殊性を分析してこれ以上、教育とスポーツをおとしめぬよう日大は自浄作用を発揮すべきである。異常なタックルを受けた選手も試合に復帰出来たらしい。大きな怪我でなくて良かったと思う。
 今回の事件に関しては、他の選手からも詳しく事情を聞く必要がある。恐らく信じ難い事象もでてくるだろう。監督の異常な指導の内容もあきらかになるだろう。

 この情報化の社会、学ぶ機会、情報を得る機会は相当あったはずである。
 大学関係者、アメフト関係者は、恐らく日大のアメフト部の現状を知っていたと思われるが、「自分とは関係ない」、「他山の石」、「対岸の火事」の論理で無責任に見て見ぬ振りをしていたのではないだろうか。
 実情を知っていたと思われるコメントも見受けられた。知りながら自分は何もしていなかったが、無責任にも後付けで「自分はこう考えていた・・・」などと調子の良いコメントも見受けられた。

 私はスポーツ部については不案内であるが、今回の事件の経緯を読んで感じた特殊性は以下の如くである。

 ■ 大学スポーツ部の活動の位置づけは自主的課外活動扱いである。実態とは異なるが大学のチェックが及び難い状況になっている。
 ■ 選手と指導者の過度に密着した人間関係。
 ■ 完全なる閉鎖社会形成。
 ■ 選手と指導者の絶対的な上下関係。
 ■ 強大な権限が一部の監督指導者に集中、あらゆることに采配できる。
 ■ 大学のスポーツ部は通常の選抜方法によらないから浮いた集団でもある。これも完全なる閉鎖社会となる一因。
 ■ いじめや嫌がらせ横行。さりとて選手は立場上辞められず、陰湿化していく。
 ■ 勝利一辺倒のマスコミ報道。

 予防方法としては、
 ■ スポーツ部を一元的に管理する機構を作る。
 ■ 活動ごとに日誌等の報告書提出。
 ■ 機構に外部者を一定程度いれる。
 ■ 意見の具申、内部告発を妨げない。

 ところで、今年は野球にとって何かの節目だろうか。
 新聞には甲子園を中心に過去の試合等が掘り起こされて再編集され、連日掲載されている。私にとっては過去の試合など興味も無い。紙面がもったいない。
 それにつけても過剰練習、差別、いじめなど論じられることは一切ない。高校野球が教育的視点を中心にクリーンになされてきたとは思っていない。そのへんの記事こそ若者を守るために重要でと思う。


6/4(月)快晴 健康クリニックドック 飯川病院 
1:00起床。本読み、文献チェック。データ整理。7:30徒歩で飯川病院、9:00-11:15健康クリニックドック。ハードディスク関連でIO-DATA社の相談窓口に、14:00電話やっと繋がる。14:00-18:20飯川病院勤務、16:00Apple社の担当者と対応。MacBook Airについては解決。19:30帰宅・夕食、21:30就眠。Σ12158歩。CD iTune化。

スポーツ界の不祥事(2) 組織は不正、虚偽、隠蔽が必要? 魔界だね
 日大は教育機関である。その組織の中での不祥事である。
 企業の不正とはまた次元が異なる。教育界をあげて大きく捉えるべきだ。しかし、教育界、教育者からの批判、発言は少ない。同じ穴の狢だからか??

 日大は年80億円を超す私学助成を受けている。理事の不祥事や法令違反が確認された場合、補助金が不交付、または減額される。

 これを回避するため、監督が反則行為への指示などを否定しているのだとすれば、大学としての責任は重大。監督の行為はその日の指示だけを取り上げても無駄である。長年の蓄積の結果があの日に出たにすぎない。
 監督の言葉には虚偽と隠蔽が感じとれる。
 日大は第三者委員会で真相を究明するという。

 またまた第三者委員会ですかい??
 なんでも不祥事や問題が生じると最近は第三者委員会で・・・という事になる。内部調査委員会よりは良いが、その構成、権限が問題である。桝添前都知事の第三者委員会はほとんど身内で構成された。いじめ問題で学校や教育委員会を中心に進められた第三者委員会の結論は私から見て充分でない。もっとも隠蔽の壁を打ち破る調査権も与えられていないから止むをえないかもしれない。第三者委員会への協力に反した者は処罰対象にしても良い、と考える。

 大企業、一流企業の不正が次々と明らかにされている。企業不正の裾野はどこまで広がり、いつまで時を遡るのか。ここ数日でも神戸製鋼、スバルの不正が新たに明らかになっている。

 ちょっと時を遡れば、日産自動車、神戸製鋼所、スバルの不正、東芝、三菱自動車、VW、スズキ、タカタ、化血研、旭化成杭打ち問題、廃棄カツ横流し問題・・・と私の情報ファイルを開くとすぐに出てくる。

 日産自動車、神戸製鋼所、スバルなどの不正は30年以上前から行われていたと言い、組織ぐるみであった。

 組織は人間を変える危険な場、魔界でもある。
 ■ 別企業の不正の例などから学ぶ機会もあったはずである。それでも不正が絶えない。企業人はバカか??バカとは言えなくても何かが狂っている、としか言いようがない。
 ■ 企業の要職にある方も、私人としては道徳心もあり、倫理観もあり、よき父、よき夫のはずである。それが、企業の中では変身してしまう。企業の持続エネルギーはそれほど凄い。人を変えてしまう。
 ■ わが国には企業を罰する風土が乏しい。電通の過労自殺関連違反でも罰金50万円のみ。経産省の統計では2015年通年の国内売上高は、5兆9249億2700万円。蚊の一刺しにも及ばない。
 ■ 企業人には、「不正に関わっても直接自分が利益を得るわけではない」から罪は問われないだろう、と考える。だから、後ろめたさは乏しくなる。
 ■「上司や同僚もやっていた、だから・・・」、と不正を看過する。「看過して何も言わない」、は個人の道徳心の域値を下げる原因となる。
 ■ ちょっとした誘惑が不正ヘの抵抗を鈍くさせ、組織内では徐々に不正は成長していく。
 ■ 人間は弱い。最初は「これぐらいなら」という思いだったとしても、その小さな弱さの積み重ねが、大きな会社を危うくするようになる。


6/3(日)快晴 温暖 午後飯川病院当直補助 レセプト点検  
1:30起床、本読み、文献チェック。午前から家内は秋大循環器科教授就任関連で種々多忙、16:00飯川病院、当直医補助し、この間にレセプト対応。19:30帰宅、夕食。21:00就寝。Σ11265歩。CD iTune化。

スポーツ界の不祥事(1) アメフト問題を考える
 いやになる程企業会の不祥事が続き、連日の如く報道されるている。政治の世界でも森友加計問題で国会での応酬が続いている。新聞を開くのが苦痛の日もある。

 今年はさらにスポーツ界の不祥事も続いている。

 勿論、この中には個人的問題のもあるが、多くは組織的問題であった。
 団体競技が多いスポーツ界においては、組織を作ることなしには成り立たない事もある。組織は切磋琢磨するにも重要であるが、構成する人間の考え方、倫理観を駄目にしていく場でもある。もちろん全てではないが。

 ■ ドーピング問題はロシアの組織的な問題と、最近明らかになった競泳選手の個人的な?問題があった。
 ■ カヌー競技では他の選手に対して薬物混入した問題があった。
 ■ レスリングの伊調選手のに対するパワハラ問題で強化本部長が辞任した。
 ■ 角界は昨年から引き続いて、横綱日馬富士の暴行傷害事件、貴乃花親方の理解不能な行動、大砂嵐の運転問題、土俵上で救命処置での問題など。伊之助問題もあった。角界の事件対応は一般に鈍くて重い。かつて「医者の常識は社会の非常識」と言って医師が責められた事もあったがかなり改善されつつある。角界の常識はいまでも世間の非常識といっていい。

 そして今回のアメフト問題である。スポーツ史上、前代未聞の不祥事である。

 アメリカンフットボールの日大と関西学院大の定期戦で、日大の選手がボールをパスした後、無防備な関学大の選手に背後からタックルして負傷させた。
 日大選手が、反則行為は「相手を潰せ」という同大の内田監督とコーチの指示だったと告白した。「潰せ」は負傷させる意味と受け止めたという。
 これに対し内田監督とコーチは「ケガをさせる目的で指示していない」などと釈明。危険なタックルの責任は、意図を誤解した選手にある、との姿勢である。被害者側は警察に被害届を提出し受理された。選手の発言は、監督やコーチが日常的に行っているパワハラへの悲痛な叫びに聞こえた。

 政治も、産業界も、角界も自己擁護、組織擁護に懸命で醜悪な事態である、としか言いようが無い。

 日本最大規模の有力大学が、組織防衛のため将来ある学生に責任転嫁しているようにみえる。
 内田前監督が大学経営の中枢である常務理事の要職にあることと無関係であるまい。日大は年80億円を超す私学助成を受けている。理事の不祥事や法令違反が確認された場合、補助金が不交付、または減額される。


6/2(土)快晴 温暖 
1:00起床、文献検索整理など何時ものごとし。午前、アップルと外付けHD認識について電話相談。HD側に問題??再度月曜予定。午後畑、草刈り、樹木枝落とし。家内らは三楽園バラ園見学に、まだ咲いていなかったという。夕方以降は文献整理、読書中心。BR disk視聴:読売日響演奏会再度見る、春の祭典他。19:00夕食、21:00就寝。歩数Σ12011。

退職8年目 私は労働意欲が薄れて来た 「人はなぜ働くのか」今更ながら思う
 私は退職後労働意欲が徐々に薄れて来た。年齢のせいだろうか。かつてのハードな状況がもたらした燃え尽き的な現象であろうか。

 「人はなぜ働くのか?」、昔はこんなことを考えもしなかったし、こころにそんな余裕も無かった。
 仮に、自分の個人的な喜びや楽しみを得ることを遊びとすれば、遊びだけでは生きていけない。一方で、働くことは他人の楽しみ、生きる事に奉仕することである。
 働いたことに対する見返りが得られるとは言っても、労働から直接的な喜ぴが得られるとは限らないが、それはやむを得ない。ましてやその労働環境も様々である。加えて働く事が嫌になったとしても、生きて行くためには働かざるをえない。

 本当に望む様な職業に就いている方はそれほどあるとは思われない。
 私は幼少の時から医師になる方向で育てられ、医師になった。あまり疑問を感じたことはなく、辛かったが嬉々として過ごしてきた。しかし、退職間際から医師であることがつくづく嫌になってきた。いまさらどう出来るというものでもないから惰性で続けているに過ぎない。私にとって医師を続けているのが一番楽だからやっているということ。

 いま国会では盛んに労働改革法案が審議されている。いまさら私に関係があるとは思えないが、その動きには注目している。

 我が国は過重労働が当たり前になっている厳しい状況にある。
 2016年11月朝日新聞の書籍紹介に以下の5冊が紹介になっていた。
 私も一部購入し、読んでみた。

 ■ 厚生労働省の「平成28年版過労死等防止対策白書」の一部を読んでみた。秋田市立図書館で見ることが出来た。日本の労働社会の問題点が凝縮されている。
 ■ 森岡孝二著、岩波新書「雇用身分社会」は労働環境が劣化していることを明らかにしている。
 ■ 中澤誠著、ちくま新書「ルポ過労社会」は過労社会を捉え、改革案を装った労働者不在の政策に警鐘を鳴らしている。
 ■ 川人博著、岩波新書「過労自殺第二版」は問題提起、事例紹介だけでなく、「自殺予防の10筒条」など具体的な対処法まで示している。
 ■海猫沢メロン著、大和書房「頑張って生きるのが嫌な人のための本 ゆるく自由に生きるレッスン」。

 いま、国会は「働き方改革」が論争になっている。一般的労働者の立場を十分汲んでいるとはいえない。国による「もっと効率的に働かせるには・・法案」である。
 働き方を論じる前に、過重な業務で過労死が生じる様な社会がおかしい、との立場に立たねばならない。
 国民の生き方、基本的人権の擁護の意義が再論議されるべきだろう。


6/1(金)終日降雨 大曲中通病院 飯川病院ボランティア  
1:00起床。文献、新聞など読む。書斎のパソコン調整。5:00ゴミ出し、7:30Taxi、8:11こまち。駅病院往復徒歩。9:00-12:15大曲外来。13:30飯川病院、駅前で元倉ねぎ苗予約。14:00-18:30ボランティア。秋銀スタッフ來訪、散水他。19:30帰宅、夕食、21:00就眠、Σ12798歩数。CD iTune化。

退職8年目初日 もうこんなに時間がすぎたのか 
 本日は退職8年目初日となる。ずいぶん長い時間が過ぎたものだ。

 今も社会医療法人中通総合病院で週4日、午前、一部は午後も内科嘱託医として働いている。ウイークデイの午後は近隣の飯川病院で過ごす。このうち勤務は月、火、木で、院長の補助しながら診療や院長の趣味である花の維持などの雑務を手伝っている。帰宅は当直医の来院を待って19:00前後になる。朝は7:30前後から飯川病院で過ごし、中通総合病院、健康クリニックに出勤している。だから、まだ一日12時間は病院で過ごしている事になる。

 飯川病院の勤務とボランティアで求められる業務は多くはない。だから、午睡も、読書も、音楽も聴ける。私にとっては至宝と言うべき時間で、今を、今後を大切にしたい。飯川病院の院長には感謝している。

 「組織に年寄りは不要」、「社会的使命は終わっている」と自認している私から見れば、中通総合病院からはいつ契約解除されても良い状態である。もう私はそれほど必要とされていない。当然でもある。飯川病院は院長が働いている間だけ、出来れば補助したい。

 患者以外と会話を交わすこともなく、ほぼ引きこもり状態であるが、自身はとても有意義な日々を過ごしている。診療担当時間が少なくなった分、適宜、図書館、美術館、博物館などを訪れている。

 私は最近働く意欲が乏しくなった。
 かつては身を粉にして働いた。私の日々はざっと記録してあり、1日どう過ごしたか、何を考えていたのかを振り返ることができる。貴重な蓄積であるが、もうその当時のことは思い出したくもない、考えたくもない。
 退職後、社会について、政治・経済について、労働について学んでいるが、この年になってヤット日本の労働環境の厳しさが分かってきた。

 日本国民の義務は憲法に定められている。納税、教育、労働である。
 だから、労働せずには生きてゆくわけにはいかない。しかも、私は税金で医師になったようなもの。だから社会に対して恩義がある。
 
 今この国民の義務と、社会に対する恩義と、働く意欲減退のジレンマの狭間にいる。

 まあ、いろいろあるが今年度も何とか責務を、最小限のことしかできないが、果たしていければいいと思っている。





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