徒然日記

 日記と言うより、自分の行動記録と日々の雑感です。

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12/4(火)早朝雨 外来 飯川病院
 0:45起床、文献・新聞などPDF化。録音データ整理。6:00可燃ごみ集積所に。6:50レガシー飯川病院着。8:45-12:30中通病院外来。13:10飯川病院、微睡、14:00飯川病院勤務。入院患者対応。BRながら視聴:「廃藩置県」、「与謝野晶子と柳原白蓮」。19:10レガシー帰宅、夕食。20:00就寝。歩数計Σ7370歩。

師走2018 (2) 師走雑感 寛容・忍耐・奉仕
 今年も師走を迎えた。

 せき立てられるような、落ち着きのないこの時期、私はあまり好まない。この時期は一年を振り返る時期でもあり、結果的に腹の中に険しい感情をためやすい。心の中の毒がその量を増すときかもしれない。

 人聞は、自分中心主義であるから心の中に絶えず「毒」が形成されている。私どもは、いや、私は罪作りである。生きるために他の命を殺めた食品から逃れられられないし、生きるために社会に適合せざるを得ないから、心の中に常に他人に対して「毒」の感情を発生させている。

 人には五欲があると言う。五欲とは【食欲】、【財欲】、【色欲】、【名誉欲 】、【睡眠欲】。朝起きてから夜寝るまで、私もこの五欲に追い立てられている。私はどちらかと言うと無気力人間であったから「他人を蹴落としても自分が・・・」と言う発想は乏しいが、それでもやっぱり逃れられず、様々な悪行?を重ねてきた、と思う。?
 私も年齢を重ねて自らの業の深さに思い至り、自らの過去を反省し、自身を否定している。実際そんなことはできないが、今後罪を重ねない様に他人との間に距離を置いている。
 同時に、私もずいぶん他人や家族に、やさしく接するようになつた。
 私が家内には感謝を込めて、家内の人生を纏うしてもらうために、「寛容」・「忍耐」・「奉仕」に徹して支えている。

 心に生じた「毒」を私はこの小文を書くことでクールに再検討し、その結果を記録している。しかしながら、言葉や態度に載せて外に逃がさねば生きていけない厄介な存在の人もいる。最近の日本はその様なクレーマーが増えた様に思う。

 組織の中にはではクレームの専門担当者を置いているところもあるが、日々現場で侮しさで震えるような気持ちでクレームに耐えている人も多い。クレーム対象になりやすい業種は医療関係者>教育関係者>公務員・・・とされている。医労連の調査では、医療従事者の80%が患者や家族からクレームを受けた経験がある、と言う。

 百貨店や小売店などで働く約5万人にアンケートで聞くと、7割以上が悪質なクレームを経験していた。暴言が最も多いが、説教や威嚇といつた行為も自立つ。5割がこのような理不尽な客が最近増えていると感じていた。
 言つた側は忘れても、言われた側は長く尾を引く。日本中で一日に吐かれる毒の総量は、一体どれぐらいで、どれだけの方が傷を負っているのか、と想像すれば空恐ろしくなる。

 人が暮らしていくうえで、モラルや常識の守備範囲がある。法律より広い。しかし、今、さまざまな場面で、人間社会の澗滑油というべきその守備範囲が狭まっているように思われてならない。

 不寛容の時代である


12/3(月)曇りのち晴れ夕方から降雨 健康クリニックドック 飯川病院
1:00起床、本読み。文献・新聞などPDF化。7:10レガシー飯川病院着。9:00-11:00健康クリニックドック。11:30飯川病院へ、微睡など。14:00-18:45勤務、入院患者、外来患者対応。19:30帰宅夕食、21:15就寝。歩数計Σ10196歩。ラジオ深夜便録音数篇聞く。

最近の演奏会雑観 ブラボー プレトーク 団員への労い そのほか
 私は、演奏会、特にオーケストラの演奏会が好きで、秋田市内で聴ける場合はその知名度とは関係無く可能な限り聴いてきた。地元の青少年オーケストラ、秋田室内合奏団、秋田市管弦楽団は勿論のこと、大学の夏期休暇中に秋田を訪れる都内の大学オーケストラなども聴いてきた。先日2000年前後から集めていた演奏会のパンフレットを廃棄したが120枚ほどあった。ずいぶん聴いたものである。しかし、ここ2-4年は稀にしか行かない。

 人が集まる場所を毛嫌いするのは前からあったが、最近、その傾向が特にひどくなった。とにかく人が集まる場所に身を置くことが不快になってきている。つい前までは、知人に会うことがストレスであったが、最近は座席で前の人の頭を見るのも嫌になった。話し声、喧騒も嫌で、人混みの中ではノイズキャンセリングヘッドフォンは離せない。

 今年は、6月のベルリン交響楽団と昨日の秋田市管弦楽団のみである。

 無理して演奏会に行っても不快なことがあってがっかりする。

■ 第一は演奏終了時のブラボーのかけ声。
 昨日、秋田市管弦楽団定期演奏会があったが、第一曲目から演奏が終わるやいなや,近くの席から「ブラボー!ブラボー!」の大きな声があり、私は眠気も覚めたがすっかり興ざめした。実に迷惑である。アトリオンの演奏会でも頻回に聞く声で、よく響く低音で声もデカイ。いつも同じ人なのだろう。とにかく迷惑、やめて欲しい。私にとって秋田における演奏会の最大の不快は,この大声である。本心は注意したいのであるが、度胸がないから耐えるだけ。なんで後ろで怒鳴る。前席でやればいい。

■ 第二は演奏前の注意事項の説明。
 携帯電話の電源オフ、演奏中の出入り、飲食などに関する注意事項である。こんなのは常識である。会場入り口などに掲示するだけで良いし、さらに求めるならパンフレットに記載すればいい。

■ 第三は演奏前のプレトーク。
 昨日の演奏会もそうであったが、指揮者等によるプレトーク。多くの場合は配布パンフレットに記載されているから100%ムダである。もし挨拶したいなら自分の言葉であっさりと。

■ 第四は演奏後の団員への労い。
 例として2012年秋田県民会館で行われた小林研一郎指揮の東京都交響楽団を挙げる。プログラムはチャイコフスキー作曲ピアノ協奏曲第一番、交響曲第5番。演奏自体は見事なものであったが、交響曲第5番の演奏終了後に管楽器各パートのもとを訪れ首席演奏者から順に立たせて、驚いたことに全員に労をねぎらった。
 確かに,団員をねぎらいたい気持ちは演奏内容からも見て取れたが、それを聴衆の前でやる必要はない。演奏上の責任者であるコンサートマスターだけで良い。あえて挙げるなら見事なソロを聴かせたバスクラリネット奏者だけでよかった。聴衆は其の間拍手を強要される。主客転倒である。団員への労いは控え室でやればいい。

■ 第五は観客の退場。
 いろんな演奏会場で感じることであるが、観客がスムーズに会場を出れない。だらだらと進む。これが苦痛。緊急時、大丈夫なのか、と思う。
 私は、通常は演奏終了直後に席を立つ。大抵一番目。そのために常に後方で通路側の席を確保する。

 私も老けたものである。従来それほど大きく感じなかった事象を大げさに感じるようになった。だから、最近はコンサート自体を避けている。


12/2(日)雲ひとつない快晴終日 秋田市管弦楽団演奏会  
1:00起床、本読み、文献チェック、スクラップ化。7:00検食、9:40バスにて帰宅。入浴、スクラップ電子化、データ整理。13:30秋田市文化会館。秋田市管弦楽団演奏会。16;15Taxi飯川病院、当直医補助、読書、自炊など。18:30帰宅、19:00夕食、21:30就寝。歩数計Σ11535歩。昨年は11/20から防寒靴、スキーウエア着用、昨年は寒かった。

秋田市管弦楽団演奏会創立50周年記念定期演奏会
 本日12月2日午後,秋田市文化会館で開催された秋田市管弦楽団演奏会を聴いた。同楽団の演奏会は久々である。今回は創立50周年記念の定期演奏会とのこと。
 当初は「シェーラザード」を取り上げるとのことで興味を感じていたが、時間の面で迷っていたが、同好の方よりチケットをいただいたので聴きに行くことにした。

 演奏会の概要
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 指揮:佐々木新平氏、フルートとピッコロ独奏:菅原 潤氏。

 プログラムは
■ チャイコフスキー スラブ行進曲 Op31。
■ シャミナーデ フルーとと管弦楽のためのコンチェルティーノ Op107。
■ フンメル トランペット協奏曲(ピッコロ版)
■ リムスキーコルサコフ作曲 交響組曲「シェーラザード」Op35。

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 指揮の佐々木新平氏、フルートとピッコロ独奏の菅原 潤氏はともに秋田市出身の方で、前者は行きつけの書店の関係者でもある。

 「秋田市管弦楽団」は1968年創立。しかし、その歩みは順風満帆ではなかった。当初は秋田市の援助を受けていたが、演奏会の客足は伸びず、団員数も減少した。1983年秋田市の援助から離れ、その後、県外からプロの指揮者や演奏家を招いて指導を受け、徐々に来場者と団員も増えた。現在の団員は63人とのことである(魁新聞 12月1日)。

 私は過去に自分もやっていたことがあってアマチュアの方々の演奏は興味がある。とは言っても、私は同楽団の演奏会を意外と聴いていない。時間的余裕がなかったからである。それでも10回目ほどだろうか、そのうちの2回分については徒然日記に記録を残している。
秋田市管弦楽団定期演奏会
秋田市管弦楽団第39回定期演奏会「第九」(1)
秋田市管弦楽団第39回定期演奏会「第九」(2)

 私はやや早めに会場に出かけた。終了後迅速に席を立つ必要があり、後ろの通路脇の席を確保するためである。
 前半の2曲は寝不足もあって夢見心地で聞いたが、後半の2曲フンメルの協奏曲、交響組曲「シェーラザード」は十分楽しめた。

 第一曲目から演奏が終わるやいなや,近くの後から「ブラボー!ブラボー!」の大きな声があり、実に興ざめ、迷惑である。すっかり目も覚めた。アトリオンの演奏会でも頻回に聞く声で、とにかく迷惑、やめてほしいた。私にとって秋田における演奏会の最大の不快は,この大声である。
不快、迷惑な演奏終了直後の「ブラボー」の大声
アトリオンホール「名曲のしらべ」を聴く
またもあのブラボー・コール
 私は演奏前に拍手をしない。演奏直後も拍手をしない。静かに演奏者をねぎらう。何度かのコールでやっと拍手である。基本的には演奏終了後は静かであって欲しい。

 私はこの声を聞きたくないので、今回は演奏終了後、間髪をおかず退席、当直医の補助のために飯川病院に移動した。


12/1(土) 降雨小雪曇り不安定 飯川病院日直当直 レセプトチェック
 1:00起床、新聞文献チェック、PDF化。12:15プリにハイビスカス枝切り、室内収納セット乗せて飯川病院に、検食。14:30玄関ハイビスカス対応。室内に。16:00外来レセプト点検。18:00検食、各種データ複製処理、読書、自炊など。20:30就眠。Σ9166歩。BRながら視聴:「そこまで言って委員会:平成時代振り返り」。

師走2018 もう師走、毎日をもっとゆったりと過ごしたいものだ
 師走である。この月は多くの家で僧侶を家々に迎えて読経などの仏事を行ったため、師が東西に走り回るから師走と言った。年の暮れの往来の慌ただしさを絡めて、陽暦12月の異称として親しまれている。
 それにしても新年を迎えてからの時間、過ぎるのが早い。もう11ケ月も経過した。それだけ私自身が鈍くなって時間感覚が狂っているからである。
 「ポール・ジャネの法則」がこの現象を説明している。<a href="https://blog.goo.ne.jp/mfukuda514/d/20161201">師走2016(1) 加齢とともに時間が早く感じる、は本当か??</a>

 私は師走があまり好きでない。黙ってても何という事なく過ぎ去るのに、何かと慌ただしいからである。私は淡々と静かに過ごしたい。

 「忙しい」の「忙」は「心を亡くすこと」と言われる。昔の人はよくぞ言ったものだ。よくぞふさわしい文字を創り上げたものだ。
 ここ数年、多忙から解放され、かなり自分を取り戻している。そうなると新しく見えてくる分野が広くなる。

 師走になると世の中が喧騒になってくる。
 通勤路にはイルミネーション、商店街がクリスマスセール、お歳暮セールと、目や耳にうるさい。お歳暮は今なら10%引きなどと世の中を煽っている。半ば親切、半ば脅迫である。私は中元や歳暮など、意味の無い物品のやり取りは嫌いである。嬉しさよりも心に傷つく。

 新聞ひらけば折り込み広告がうるさい。ラジオ、TVも同様、商店街も「ジングルベル」。これからますます市井が煩くなっていく。音楽雑誌をひらけば「第九」、「第九」の広告である。
 世の中が見えない力で踊らされている。

 駅前、街中のイルミネーション、評判は良いようであるが私は嫌だ。冬の夜はモノクロ写真のごとくの雰囲気が似合うのにカラーの世界である。
 忘年会、今年は一回だけ飯川病院の会に出席する。業務の一環として出席する。私にはアルコールも不要、忘年すべきことなどない。記憶力が乏しくなった昨今、忘年会しなくとも自然に忘れていく。

 人間には、濃密でない時間があってもいい。これからは時間を大切にすることは勿論であるが、お金で買えない、静かで豊かな時間の中に身を置くことが最高の贅沢になる。

 いつも似たような結論になるが、今年師走を迎えての感想である。


11/30(金)曇り 大曲小雪 大曲中通病院外来 飯川病院ボランティア
 1:00起床、本読み、医学文献チェック。6:00家庭ゴミ集積所に。7:35Taxi。8:12こまち。9:15ー12:15大曲外来。病院間は往復徒歩。14:00飯川病院ボランティア。外来対応。19:00タクシー、書店経由帰宅、夕食、21:20就眠。Σ13455歩。BRながら視聴:「そこまで言って委員会、移民政策など」。

本:「10代に語る平成史」後藤謙次著 岩波ジュニア新書 2018年 900円(2)
 著者の後藤謙次によると、本書は白鵬大学での講義内容をベースにまとめたものとのこと。
 次の新しい時代を迎えるにあたって平成を振り返ることには大きな意味があるのでしょう、と述べ、「10代に語る平成史」として出版した。内容的には「70代の私のための平成史」として十二分に通用する。

 あとがきの中に後藤氏は以下のように平成時代の流れをまとめている。表現を適宜変え、若干のコメントを追加し、以下に紹介した。

■ 1945年の終戦以来増え続けてきた人口が減少に転じた。
 少子高齢社会はあらゆる面で日本社会を変えている。出生数が減り、65歳以上の高齢者は4人に1人を超えた。
 労働人口が減り、杜会保障費が膨れているのが現状。
 国際社会の激変によつて、日本の立ち位置が大きく変化した。米ソ冷戦構造が崩れ始めたのも平成元年(1989)。
 しかし、冷戦の終わりは平和の時代の到来ではなかった。米ソの超大国によった力の均衡から民族や宗教を背景にした争いが始まり、2001年9月11日、NYの世界貿易センタービルが過激派によつて破壊された。米国の対テロ戦争がはじまり、日本は米国の要請に沿い、自衛隊を海外に派遣した。

■ 国内では憲法9条をめぐる議論が活発化した。
 そして中国が台頭し、北朝鮮の核・ミサイル対応をめぐつてアジア情勢が大きく揺れたのも平成時代の大きな特徴である。

■ 私たちの生活も激変した。
 ネット社会の到来、携帯電話が普及した。ネット社会は超便利社会を到来させたが、人間の心理状態にも大きな影響をもたらし、新たな脅威にもなつた。
 携帯電話が普及する前に書かれた小説等を読むとその生活の不便さがよく分かる。それだけ携帯電話、スマホの存在は我々の生活、特に人間関係は一変した。

■「格差社会」の到来。
 「改革」や「規制綴和」という前向きの改革によつて様々な分野で賂差が生まれた。労働者の『非正規雇用」は4割を超えた。

■ 社会を映し出す犯罪が頻発した。
 オウム真理教による地下鉄サリン事件、秋葉原の無差別殺傷事件、親による子供の膚待死も頻発。
 虐待の背景にはしばしば貧困と孤立が指摘されている。

■ 五輪やパラ五輪で多くの選手が活躍、野球の米大リーグが身近になった。
 ノーベル貫の日本人受賞者が数多く誕生した。

 平成時代は、日本人が目標を見失った時代であり、探し求めた時代だつた。まだ模索中としか言えないが、それが平成の時代なのだろう。


11/29(木)曇 外来 飯川病院 
0:30起床、本読み、徒然他。医学文献自炊、整理、廃棄。徒歩で飯川病院着。8:45-13:00外来+ドック判定13名。微睡、14:00-19:50飯川病院、入院患者対応。20:15レガシー帰宅、夕食、21:30就寝、歩行計12473歩。ラジオ深夜便聞き直し数篇。

本:「10代に語る平成史」後藤謙次著 岩波ジュニア新書 2018年 900円
 「平成」はどんな時代だつたのか。
 私は平成になった1989年時点で44歳であった。
 長く勤務した中通総合病院のキャリアで示すと、14年に副院長、17年に院長、23年に退職、ということになる。この間、医師会の活動もあったので実に多忙な時間を過ごした。もうその頃の考え方には戻れないし、思い出すのも嫌であるが、日々の状況はバッチリ記録されている。

 私自身の過ぎ去った日々は懸案事項を一生懸命こなしながら生きてきたが、いま思い返せば忙しかっただけでいい思い出はそれほどない。虚しい時間でもあった。60歳の時に転職を考えたが実行できずにズルズルと過ごしてしまった。できれば消してしまいたいくらいである。

 だから、今なお平成の時代は自分にとって何なのか評価しきれないでいる。

 その平成も2019年4月30日で幕を下ろす。そこで自分にとって平成の時代何だったのか、新年を迎えたら4ケ月をかけて主な歴史上の出来事と共に自分自身を振り返りたいと思っている。
 そのガイドブックとしてこの本を求めた。類似の書籍も数冊出版され始めている。それら何はも求めたいと思っているが、入門書としてまずこの書籍を入手し読み始めた。

 平成とはどんな時代だったのか?この本のあとがきとしてアンケート調査の結果が載っている。
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「動揺した時代」42%、 ■「沈滞した時代」29%、 ■「進歩的な時代」25%、 ■「保守的な時代」412% 、■「安定した時代」19% 、■「暗い時代」9%、■「活気のある時代」6%、 ■「明るい時代」5%、とのこと。
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 私は現時点では、東日本大震災、阪神・淡路大震災、東電福島原発事故など何度も大きな自然災害、人災が起き、商店街は「シャッター街」化、少子高齢社会、人口減、国際社会の中の立場の変化など・・・、分類上は「どちらかと言うと暗い時代」だったが、同時に「変化の時代」であったととらえたい。

 平成の時代になって、私たちを取り巻く生活環境が一変したとも言えよう。

 本書の内容を目次の項目で示す。
(序)全ては平成元年から始まった
(1)平成政治の主役は消費税
(2)政治を激変させた選挙制度
(3)バブル経済の終焉と失われた20年
(4)今も続く沖縄の苦難
(5)9/11が変えた日本外交
(6)近くてはるかな北方領土
(7)平成は自然災害の時代
(8)中国の台頭と日中関係振幅激しい日韓関係
(9)ゴールが見えない日朝関係

 まだ読みきっていないが何も適正な項目にまとめてあるように思う。
 読み進めるのが楽しみである。


  11/28(水)曇り後晴れ 保健福祉関連高齢者見回り 飯川病院ボランティア  
 12:30起床、文献新聞チェックPDF化など。10:00保健福祉関連高齢者見回り2件。家の外回りチェック、簾など対応要す。13;04バスにて飯川病院。入院・外来対応など。インフルエンザワクチン、静脈ルート確保。19:00帰宅、夕食、20:30就眠。歩行計8146歩。

「美しい」論(3) 「美しい」という言葉は安易に使われすぎている
 「美しい」という言葉は安易に使われすぎている、と思う。
 ここ2週間ほど、購読している3紙、購読している月刊誌の記事の見出し、広告記事に注目して集めてみた。書棚にも「美しい」というタイトルの本が2冊あった。
 
 以下のごとくの文例が見つかった。

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■ 「若くなるには、美しくなるには」 ■ 「美しく心暖まる作品だが,不安も」 ■ 「おしゃれ 美しく振舞う」 ■ 「美しく老いる」 ■ 「美しい笑顔になる」 ■ 「美しい文章を書く ■ 「美しく食べる」 ■ 「美しく振舞う」 ■ 「美しく老いる」 ■ 「美しい若者よ」 ■ 「美しく美談に仕上げた戦場の話」 ■ 「美しい夕暮れ」 ■ 「LED明るさから美しさに」 ■ 「あの眼は美しい」 ■ 「もっと美しいお前に」 ■ 「美しい箸使い」 ■ 「美しい文字を書く」 ■ 「美しく食べる」 ■ 「いつまでも美しく」 
「本 激しい生と美しい死」 ■ 「本 美しい国へ 安倍晋三・著」

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 これらの中には正しいと思われる使われ方もあるが、「美しく老いる」、「美しい死」などのように非現実的問題点が「美しい」という単語を冠して前向きのイメージを無理矢理、言葉の演出として使われているのが多い。私は「美しい老い」、「美しい死」などは現実にはないと思っているから違和感を持たざるを得ない。

 日本人は「美しい」という枕詞が好きだ、と思う。
 私も時々使うが、できるだけ少なくしようと努めている。「美しい」という言葉が好きな表現者は「美しくない」という言葉を使うことはなさそうである。「美しくない老い」、「美しくない死」の方を私は好む。
 「美しい」という枕詞は本来「美しくないもの」につけることによって本来忌むべき概念を否定してふんわりと容認できる様にする効能がある。しかし、意味不明な賛美の言葉で、現実否定にも繋がる。

 グルメ番組で、一見かわいい若い女優たちが一口試食して「美味しい!!!」,「スイーティ!!」というのに似ている。そんな表現なら誰でも出来る。言葉を聞く前に、彼女らの食べるマナー、箸の使い方、口元の動きを見てがっかりすることが多い。
 意味不明な賛美のとしての「美しい」の頻用はせっかくの文章をむしろ見すぼらしくする。

 私は「美しい」ものが好きだ。ただ、美しいとはどういうことを指すのか、まだ分からない。


11/27(火)晴寒い  外来 飯川病院  
 0:30起床、献新聞チェックPDF化など。文献整理など。5:20可燃ゴミ提出。7:10スタート遅れバス飯川病院着、8:45-13:45中通病院外来。超混雑、疲弊。14:00飯川病院、入院患者対応。インフワク接種5人、その後微睡、19:00帰宅、夕食、21:30就寝。歩行計Σ9874歩。Blu-ray録画「そこまで言って委員会」。石井さん帰秋。

「美しい」論(2) 「美しい」という感覚は新たな世界への興味を喚起する
 私には「美しい」と感じる対象物は無数にある。あまりにも多くありすぎて、その一つ一つを指摘しピックアップするなんてことは出来ない。分類することもできない。だからこそ、いろんな分野で一瞬一瞬で「美しい」と発見する能力が重要なのだと、考えている。
 「美しい」とは、絵画や写真等の、動きのないものに感じるが、「不自然さを感じない」スムーズな動きの域に達した、流れるような技能・技術を見たり聴いたりした時にも感じる。
 
 さいわい、現代は映像の時代である。映像を記録できなかった時代には現場に行って直接見るか、その経験を元に文字や音声の説明で予想するしかなかった。しかし、今は違う。われわれは比較的簡単にTVを介して映像を見たり聴いたりすることができる。

 たとえぱ、すぐれた技能に到達したスポーツ選手の動きは「美しい」と思う。スポーツのみならず、和洋を問わずバレーや日舞等の世界、演劇の世界、オペラの世界、あるいは楽器を演奏する個人あるいはオーケストラの姿にも「美しい」を感じ取る。

 ある目的のために、特に限界に挑戦している時の肉体の動き、最も自然な、合理的と評してもいいようなスムーズな動き方をした瞬間の動きは、「美しい!!」に尽きる。感動さえする。
 スムーズな動きの基本は「円」を上手に描けるか!!!!にかかっている。
 人間の四肢、頭頸部が胴体に固定されているから、固定された支点を中心に一定の範囲でしか動けない。各人は重なる訓練で関節等の自由度を広げて限界までそれを駆使して表現し、想いを表現する。さらに道具を用いて表現する場合は肉体の可動域を超えて表現できるが、その場合も基本は「円」である。

 この「美しい!!」と感じる背景には、具体的には見えないが、重なる訓練によって到達し得た、長期間のたゆまない努力が感じ取れるから、それへの賛美も含む。それによって「美しい」の味わいが一層深くなる。

 それと重要なのは、限界への挑戦ながらもそれを感じさせない超絶の技術は「笑顔を絶やさない」ことにある。時には必死に作り笑いをしている、と感じさせることもあるが、それであればあるほど努力の跡が見える。だから「美しい」のだ。

 私は「美しい」に関して感受性は高い方だと思う。私以外の方々の感受性は全然分からないが、私がそういう感受性が豊かである事はとても恵まれている事だ、と思う。
 私にとって「美しい」と感じることの意義は、新発見した「美しい」を介してその対象物に無関心ではいられなくなる事である。

 「美しい」の感動は私の視野を広げてくれる効能がある。


11/26(月)快晴 健康クリニック 飯川病院 
 1:30起床、文献・新聞など。いつものごとく。6:50剪定用品積んで飯川病院。9:10-11:45健康クリニックドック13名+結果説明2名。レントゲン判定。11:30飯川病院、本読み、微睡など、14:00-19:00勤務。入院患者処置。19:30帰宅。21:15就寝。ラジオ深夜便聞きなおし数題。Blu-ray録画「そこまで言って委員会:改善すべきもの」、歩行計Σ6517歩。

「美しい」論(1) 私は「美しい」ものが好き
 私は「美しい」ものが好きである。
 音楽、絵画、彫刻、人物、自然、花、動物・・・全てを列挙する事は不可能である。私は「美しい」と感じられる感性が備わったことを嬉しく思う。生まれつき備わっていたのか、生きる過程で進歩したのか、・・・・。実はまだよくは分からない。

 先に「かわいい」について若干考察したが、この分野もまだよくわからない。まだ進行中である。ところが「かわいい」を論じる際に、「かわいい」の背景には、小さく無力なものが対象としてあげられるが、人間について「かわいい」を論じる時は、新生児、幼児などの、無力の、小さな、いたいけな存在がある。しかしながら、特に思春期以降の、成人しつつある人間について、特に女性の表情に「かわいい」を感じる際に何らかの形で「美しい」と言う感覚が同居する。両者は決して上手くわけられない。

 なぜわれわれは、「かわいい」と感じるのだろうか?
 「かわいい」論(3) 私の「かわいい」感情の背景(2)
 なぜわれわれは、「美しい」ものを「美しい」と感じるのだろうか?

 脳の生理機能が徐々に明らかになってきた現代にいて、「美しい」と感じる時、脳の中はどうなっているのだろうか??と思う。それにも関心はあるが、そんな事はさておき、ある人は「美しい」が分かり、別の人は「美しい」と感じないということが現実には存在する。こっちの方に関心がある。

 どうして人には、「美しい」と感じる、主観的、個別的なことが起こるのか?と考える。それは「人は個別に次々と「美しい」を発見し、感じ取る能力が備わって行くから」、と思う。

 「美しさ」は、対象の美的な価値が、教育による「美に関する知識の獲得」より客観的に固定されているイメージで、より普遍的な感覚である。
 一方、「美しい」は教育の結果ではない。「美しさ」と「美しい」は互いに近いような気もするが、後者はあくまでも個人的感覚である。

 私は、「美しい」の感覚は、各人がそれぞれに生涯を通じて創り上げるものだ、と考えている。私の場合、自分が″「美しい」と感じたことそのものが、「美しさ」の基礎・原点となるべきだ、と考えている。

 だから、私には「美しい」と感じる対象物は無数にある。あまりにも多くありすぎて、その一つ一つを記憶するなんてことは出来ない。綺麗に分類することもできない。だからこそ、一瞬一瞬で「美しい」と発見する能力が重要なのだと、考えてる。


11/25(日)快晴 
 0:20起床、新聞チェック、医学論文読み,整理、PDF化。新聞スクラップ、ソファに読書灯つける。10:30庭の落ち葉掃除、除雪機2台整備。微酔若干。NHKのど自慢観る、プリウスタイヤ交換。庭掃除再度、19:00家内駅に迎え、パークホテル経由帰宅、20:00テイクアウト品で夕食、21:30就寝。歩数計6092歩。

終活2018(19) 新規に購入した本は「自炊」しながら読む
 私は本が好きだ。
 終活として溜め込んだ本を「自炊」しながら処分しているが、その過程で次々と読みたい本が出てくる。「自炊」がもたらす再発見である。前に読んだ本だからスッと入ってくるし、10−30年ぶりで読み返すと、前に読んだ時と印象は大きく異なり、新しい感覚で読める。私の感受性が年を経て変わってきたからであろう。それを知るのも楽しい。

 新聞、雑誌などに本の推薦や紹介欄があるが、2008年以降それをほとんどすべてスクラップし電子的に蓄積している。一万冊以上のデータが蓄積されている。興味ある話題が生じた際には検索をかけるとその周辺に関連した書籍の名前が出てくる。
 本の購入は市内の行きつけの書店にメールで注文する。昔は届くまで1−2週間もかかったが、最近は長くて3日間ほどで届く。古すぎて出版元にも無く手に入らない時にはやむなくアマゾンで注文する。本当はアマゾンを介して購入するのが一番手っ取り早く手軽なのだが、私は市井の小さな書店を大事にしたい。

 行きつけの書店で月に7冊ほど定期購読し、別口で週に1−2冊購入している。市内の大型書店にも寄ることがあるが、欲しい本があればメモしてその書店に注文する。この歳になって本の購入は無駄に思えるが、本代はかなり贅沢させてもらっている。今は他に散財するようなところがないために大目に見てもらっている。

 本を購入しても書架の上の本は増やさない。最近は新規購入書籍でも読み終わったページまで引き剥がし、その日のうちに「自炊」してしまうからである。

 私はいつもいろいろなジャンルの本を10冊程度並行して読む。本を読む時間はまとめては取れない。だから一冊に集中して読む事は稀で、何冊も並行することになる。当然、面白い本は進むのが速い。
 机の上には、表紙を剥がされ、薄くなった読みかけの本が積まれている。

 家人などは、自分で買わないで図書館から借りて読んではどうか?ともいう。一理ある。私も時に明徳館から借りて読むが、気に入った本は資料として取って置きたい。図書館から借りた本でも気に入れば注文してしまう。

 終活として書籍を自炊し、廃棄している。「自炊」した本はパソコンやタブレットで読む。
 終活を通じて蔵書の価値を再発見する。だから読書量が増えた。
 終活は今後も進めていくが、読みたい本が出てきてもったいなくてまだまだ死ねない。いつ死んでもいいと言いながら新たな活力が湧いてくる。その矛盾した感覚が楽しい。


11/24(土)曇寒い 飯川病院外来
1:00起床。いつもの如く資料整理中心。読書。8:30レガシー出勤、9:00-12:00午前は飯川病院外来。14:00帰宅、家の種々の懸案対応、炊飯器、庭の電源修理、居間ストーブ煙突など修理。夕方、録画でらららクラシック「音楽家と恋」、題名のない音楽会「映画音楽」村治佳織ほか。19:00夕食、チクレン製のステーキ弁当。21:30就寝。歩数計7870歩。

終活2018(18) 「自炊」しながら古い本の価値を再認識した
 私は「自炊」派である。とは言つても自分で食事を作ることではなく、蔵書や学術書、医学論文、雑誌の類を裁断解体し、スキャナーで読みこみ電子書籍化をすることである。
 電子化を専門業者に依頼すこともできるが、業者による書籍の電子化は違法とされていることもあって、私は一切業者には頼まない。自炊データは著作権もあるから自分だけで楽しむ。
 自分でやるから「自炊」と称するのであるが、「自炊」によって読書量が増えるなどの効果もある。

 「自炊」のきつかけは単純だつた。
 ■ 終活。■ モバイルを含めパソコンが複数ある。■ タブレット入手。
 これで、いつでもどこでも電子データを読める環境が整った。スキャナーはもともと持っていたし、新たに裁断機を入手すればよかった。

 私が購入した書籍は膨大な数であり、かなりの置き場所を取った。身長を越すスチール書架が20ケ近くあり、それにびっしり書籍が並んでいた。
 書籍を残してはうかうか死ねない。自分にとっては宝物でも、残された本は家族にとってはゴミ同然。ゴミとして処分されては私の人生そのものを否定されたに等しい。だから、自分で処分することとした。

 自炊を開始したのは2011年、七年も続けているから今では書籍は半分以下に減少した。
 電子化された本は電子情報となり、印刷物をめくる指の感触が失われ、書籍を直接的に読む行為とはあきらかに違う世界である。近代的な、人工的世界である。字も印刷物よりは多少コントラストが低下し、ちょっとボケるという欠点もある。

 愛着もあり、価値が高い書籍をいとも簡単に裁断、解体してよいのか?という心的問題もある。本当に悩んだ。それも解決した。残すべき本はもう一度自分で再構築すれば解決する。さいわい私はその技術もある。

 私の場合、「自炊」の目的がはっきりしているから「自炊」を進めていくのに何も逡巡する必要はない。あれよあれよと私の読書方法は変わった。
 「自炊」が思わぬ効果を生んでいる。つん読されていた書籍の価値を再認識し、再読してみたくなった書籍は多い。結果として読書量が増えた。本を残しては死ねないし、再度読み直さなければ死ねない。

 ただ、「自炊」の心情を告白すれぱ、作業工程にも慣れ、快適で面白いのだが、心の片隅に説明のつかない哀しみが残るのは、CDの電子化の過程にも感じたし、愛用のチェロを解体した時にもあった。
 就活に伴う悩ましい矛盾点である。


11/23(金)曇り寒波小雪 勤労感謝の日 飯川病院日直 家内東京
1:00起床、新聞文献チェックPDF化、徒然他。6:00可燃ゴミ出し。休日なのに休まない秋田市および関連業者に感謝したい。東京に出かける家内を駅に送り、7:30飯川病院、祝日の日直。8:30-19:15日直。 初めて購入したDVD「いのち」見るもドラマ映像は自分には合わない。18:50プリウス帰宅、19:00夕食、20:30就寝。歩数計4618歩、往復車と日当直ではこんなものか。ニュースによると秋田市で初雪観測。

カルロス・ゴーン(2) いま、拘置所内で屈辱的扱いされているのではないか
 日産は不祥事を重ねてきたが、私はゴーン事件を日産の企業不正の延長線上にあるとして捉えている。
 
 ゴーン氏の逮捕容疑は有価証券報告書の虚偽記載で、ゴーン会長の5年間の報酬を実際より約50億円以上、80億との意見もあるが、過少申告した疑い。加えて日産のカネを私的な目的に流用したとされ、パリなど世界で数ケ所あるゴーン氏の自宅の購入費用を会社に肩代わりさせていた、という。また勤務実績のない実姉にも日産から報酬を払わせていたらしい。

 一連の疑いは事実なら、せっかくの名経営者も会社を私物化し、有価証券法を犯したというほかない。
 日本でもどこかの知事が、スケールはゴーン氏の数万分の一にも及ばないが、似たようが業務の私物化で辞職に至った例があるが、人間って似たようなことをするものだ・・と思う。

 日本の企業トップの犯罪は私利私欲によるものは少なく、組織の体面や存続を優先するあまり、データ改ざんや不正を隠蔽するなどのケースが多い。
 一方、欧米では「私腹を肥やす」型の不正が目立つ。国際感覚があるゴーン氏の意識はここにあったのだろう。

 トップの暴走を防ぐには、監視体制が必要であるが、日産ではゴーン氏に権限が集中していた。ルノーの最高経営責任者もゴーン氏であった。こんな状況では監視の目が届かなかったのだろう。

 これからの操作でゴーン事件の実態は明らかになるであろう。

 ゴーン氏が収容されている東京拘置所は法務省が所管する施設で、勾留中の容疑者や被告、死刑囚も収容される施設である。
 個室と共同室があるが、特捜部が捜査する事件の容疑者は基本的に個室。広さは3畳ほど、トイレがあるだけ。特捜部が捜査する事件では、接見は制限され、接見は弁護士だけ。外国人の場合は国際条約上、関係国の領事と面会できる。
 拘置所内でいまゴーン氏は、日常とかけ離れた居住空間、食事、監視下のトイレ使用など、経験したことのない惨めな環境で過ごしていると思われる。拘置所内での生活については渡辺淳一著「愛の流刑地」下巻に詳しい。
渡辺淳一著 『愛の流刑地』とくに下巻 幻冬社文庫 2004年(2)


11/22(木)寒波と小雨終日 中通病院外来 飯川病院
 1:00 起床、文献処理、徒然。本日は秋日座学、各種作業。文献他諸々。6:50小雨にてレガシー飯川病院着。8:45ー13:00外来+ドック判定13名。14:00-18:50飯川病院。入院外来対応。19:00帰宅、夕食、21:00就寝。歩数計6955歩!。

カルロス・ゴーン(1) これは個人の問題のみでなく日産の不祥事でないのか?
 11/19夕方のラジオで日産会長のカルロス・ゴーン氏が空港からそのまま地検特捜部に連行されたニュースが流れた。巨額な所得隠しの疑いのためという
 私は、人間の心理的背景を性善説と性悪説とに2分出来るとすれば、疑問なく性悪説をとる。その立場から見れば「ゴーンよお前もか!!」と、興味を持っった。驚いたか??と言えば驚かなかった。それなりの立場にある人が性悪を発揮すれ場、こういう事態になるのは当たり前である。

 人は本来は性悪なのであるが、並みの人間は性悪を発揮する環境がないことと、受けてきた教育や道義感、周りの目がその性悪の発揮を妨げている。大衆なんてその面で言えば小さな小さな気の毒な存在である。でも、そのような弱い人々は社会の監視の眼、倫理観で小悪事や犯罪的行為が抑制されている、と思う。

 ゴーン氏は他の人にはないほど性悪能力を発揮できる立場まで到達していた。だから、その可能性、危険性があると、その目で監視していなければならない対象者であったのだ。今となってみれば、あるべき監視の目というか、コントロールの目が、システムとして日産側に備わっていなかったことになる。ゴーン会長をコントロール出来るのは日産上層部だけであるが、ゴーン氏の全てを容認し、放任してきた。
 そういう意味では、個人の資質の問題はあるにせよ日産経営陣の機能障害で、回り回ってユーザーのにも迷惑をかけている。今回のゴーン事件も日産の一連の企業不正ということができる。

 日産側の立場を評価するとすれば、内部告発を契機として内部調査が行われていた、という事だろう。
 逮捕されてからの日産の反応は早かった。上層部の意見を見ると、「知らなかった」、とゴーン氏一人に責任を押し付けようとする意図が見え見えである。は自己擁護に必至である。
 ゴーン氏は日産を再生に導いた立役者であった。就任当初掲げた「日産リバイバルプラン」門外漢の私が読んだ範囲でも驚くような、大きな犠牲を払うプランで、日産自体、関連子会社は多大な影響を受けた。ゴーン氏の計画で生活基盤を失った職員も多かったはずである。

 そのゴーン氏が金融商品取引法違反の疑いで東京地検に逮捕された。
 名声をほしいままにしたリーダーがなぜ転落したのか。ゴーン氏なら十分できる立場にあった。ゴーン氏は自分の業績が報酬に見合っていない、納得できない!!1と思っていたであろう。だから禁じ手を使ったということ。それを日産側が知ってて知らぬふりをしてきた、という事なのであろう。ただ、この部分は私の推測でしかない。


11/21(水)曇りやや寒い 飯川病院 
0:50起床、新聞・文献読みとPDF化、他諸々。ネコの世話、給餌、トイレ掃除など。
11:50バスにて飯川病院へ。院長外出で午後勤務。外来患者対応。ラジオ深夜便聴き直し。18:30バス帰宅。19:00夕食、20:45就寝。歩数計7873歩。昨年夕方に家内用iPhone7プラス入手。本日でApple care終了。

渡辺淳一著 『愛の流刑地』とくに下巻 幻冬社文庫 2004年(2)
 久々、渡辺淳一氏の作品を読んでみた。当作品は氏の膨大な作品群の中でも傑作の一つ、と私は思う。

 上巻は中年男性が人妻との性の交換が中心のストーリー。
 下巻に読み進んで100ページほど進むと、男性がその最中に女性の求めに応じて頸部を強く圧迫し、窒息死させてしまう場面となる。
 この場面以降の展開こそが私が知りたいと求めていた内容である。多分、渡辺作品を好むファンは、上巻に比較して変化の乏しい冗長な、面白みに欠ける部分とみなした可能性がある。逆に私は、氏がいかにして逮捕から裁判までの過程を詳しく知ったのか、その博識についても感心し、それを作品の中にうまく取り入れた技法に驚いた。

 ■ 女性の死、逡巡、通報
 男は目覚めてみると側に動かなくなった女性横たわっていた。女が死んだことは俄かには納得できず、眺めたり、同衾して温めたりするが、やがて死を認め、自殺を考えたり逡巡する。綺麗だった死体に死斑、硬直が出るに及んで諦めて警察に通報する。この間八時間要している。すぐに救急車を呼ばなかったことがその後の経過を著しく悪しくした。
 逡巡の心理状態が読みどころである。
 若い警察官に囲まれ、自尊心が大きく傷付けられる。
 
 ■ 留置場
 環境の変化にうろたえる日々。独房であったが、トイレも含め24時間監視のもと、規則正しいスケジュールで、若い刑事による厳しい取り調べが行われる。男女間の機微など無視し、供述は警察用語に次々と置き換えられ、調書は現実とだんだん乖離していく。殺意は否定しても「ふざけるな!!!」と。毎夜、死んだ女性が眼前に現れるのが救いであった。出来上がった調書は「それは違う」というものであったが、男は投げやりな気持ちでそれを認めた。

 ■ 弁護士
 初老の弁護士。男の気持ちの理解はかなりあるが、叙情的な内容は裁判で通用しないと、弁護士の立場で供述内容の置き換えが行われる。傷害過失致死でなく委嘱殺人の立場で主張することとなる。「それは違う」と違和を覚え続ける。

 ■ 検察庁
 若い独身女性の検察官が担当となる。女性ならばわかってくれると期待したが逆で、男女間の機微はほぼ全て削ぎ落とされ、内容はさらに検察用語で置き換えられ、調書は進むほど現実の二人の関係からかけ離れていく。
 二人の関係は相思相愛に基づくが、調書では「男が邪な気持ちを持って女を頻回に誘い出し、深い関係を持ち続けたが、最終的に殺意を抱いて首を絞めた」、という内容となった。「それは全然違う」と訂正を申し入れたが、性体験もないであろう若い独身女性の検察官には全く通用せず、男は起訴された。
 男は裁判で真意を主張できるものと期待した。

 ■ 裁判
 裁判は、被告となった男が考えたような主張ができる場ではなく、裁判の進行と共にむしろ四面楚歌的となり、男は一層傷つき投げやりな気持ちとなる。男の立場を支えたのは毎夜現れる女性、父を信じてやまない息子と、ある居酒屋のママからの書簡であった。結局は求刑10年、判決は8年となった。
 判決が言い渡された瞬間、男は「違う」と叫ぶ。なぜそんな声を発したのか分からないが、警察官、刑事、検事、弁護士、裁判官に抱いていた不満が思わず声になった。制止されるが、さらに「法律だの刑法などの屁理屈だけを並べて・・・、誰も何もわかっていない・・」と叫び、刑務官によって廷外に連れ出された。

 裁判を通じての被告の心情は「違う、とにかく違う」・・・であった。
 多分、著者の言いたかったことはこの点にあったと考えられる。私が求めたのもこの点であった。

 入手できた死刑囚の手記、まだ10編ほどであるが・・、を読んでいるとほぼ全てが裁判の審理に不満を抱いたまま結審し、刑の執行を待ち、執行を受けている。何故なのかわからなかったが、「愛の流刑地」とくに下巻を読んで一部ながら理解した。


11/20(火)曇り寒い 外来 飯川病院 積雪5cm 日産ゴーン会長逮捕
 0:30起床。新聞・文献読みとPDF化、本読み、他諸々。5:30可燃ゴミ出し。7:140徒歩飯川病院着。8:45ー13:00外来。14:00-18:15飯川病院。入院外来対応。院長公開MC中通に送り通町薬局経由19:00帰宅、夕食、21:00就寝。賄いの石井さん休暇、函館に。歩数計12551歩。昨年積雪5cm。

渡辺淳一著 『愛の流刑地』とくに下巻 幻冬社文庫 2004年(1)
 久々、渡辺淳一氏の作品を読んでみた。
 つい先日まで、終活と称してCDのデータ化を進めていて時間的に余裕がなかった。CDのデータ化をはコンピューター集計では1900時間に相当する大きなデータとなった。随分時間がかかった。

 この『愛の流刑地』は15年ほど前の作品。氏の作品の中でも大作として知っていたが、小説としてはあまり興味がわかず今まで手にしたことはなかった。
 今回この作品を手にしたのは、一般的な小説、官能小説としてではなく、下卷を中心に展開する、思いがけず女性を殺めた主人公の、警察への通報までの逡巡の様子、逮捕、留置場での経験、警察官・検察卷による屈辱的取り調べの様子、起訴、裁判の過程に興味を持って読んだ。

 私は今、日本の司法制度、警察、検察、裁判について勉強し、死刑制度の是非についても学んでいる。この勉強の一環として日本の主要な犯罪の記録集、ドキュメンタリー作品をいろいろ読んでいる。
 若干上げれば以下のごとく。
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■ 森 炎「なぜ日本人は世界の中で死刑を是とするのか」
■ 佐木隆三「わたしが出会った殺人者たち」
■ 篠田博之「ドキュメント死刑囚」 
■ 大塚公子「死刑執行人の苦悩」、「死刑囚最後の瞬間」 
■ 高野和明 「13階段」
■ 新潮45編集部「殺人者はそこにいる13事件」
■ 池谷孝司「死刑でいいです」 
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・・・・・などなど

 氏は「小説・心臓移植」(後に「白い宴」)、「小説ダブル・ハート」、小説「 リラ冷えの街」、 伝記小説「花埋み 」、「光と影」、「遠き落日」など。そのほかにエッセー作品で「鈍感力」、「欲情の作法」などがある。

 氏は「エロス」の分野も濃厚に描き「エロ作家」のレッテルを貼られ若干軽く扱われているが、私は高く評価している。
 「エロス」は「生きる」エネルギーに関連しており、「生きる」ことの究極の到達点は「死」である。生老病死が濃厚に関連するが、彼は医師であることからエロス、死を哲学的にとらえるだけでなく、医学的にもとらえてその過程を追う。「阿寒に果つ」、「ひとひらの雪」、「失楽園」、「愛の流刑地」などはその方向で書かれた大作である。

 『愛の流刑地』は、氏の代表的長編小説。2004年11月から2006年1月まで、「日本経済新聞」に連載。2006年に幻冬舎から刊行された。初版発行部数は、上下巻合わせて40万部と大ヒットした。
 上巻は中年男性の主人公と人妻のあいだの性の交換の様子がしつこく繰り返される。こんなのが新聞に連載されていたのかと驚いてしまう。
 主人公はある日、おもわず女性の頸部を強く圧迫し、殺してしまうのであるが、この場面以降こそが私が知りたいと求めていた展開である。


11/19(月) 終日雨寒い 健康クリニックドック 飯川病院 
 0:45起床。文献・新聞等処理、蓄積データ処理。徒然。昨年道路は冠雪少々。雨にて7:10バス飯川病院、新聞チェック、9:00-11:30健康クリニックドック13名。12:30飯川病院。新聞、医学論文チェック。14:00-18:20勤務。入院・外来患者対応若干。19:15バス帰宅、19:00夕食。 21:15就寝。歩数計10259歩。昨年スキーウエア、手袋、上下ヒートテック着用、防寒靴使用。今年はまだ用意もしていない。

多様性の疎外が表出した事件(10) 言論自由について  杉田議員投稿、新潮45掲載・休刊を機に  
 米国は憲法條正第1条で言諭の自由をうたう。米国憲法公布の約60年前、英国の植民地時代の権力にひるまず闘つた人々が勝ち取つた権利であった。
 この戦いの裁判で、弁護士ハミルトンが「自由は全ての時代を通じて、無法な権力に対する唯一の防御だ」と陣述。真実を語ることによつて権力の横暴を暴くことの大切さを主張した。これが米国で言綸の自由が大きな一歩を刻んだ瞬間だつた。「人民による・・」と述べたリンカーン大統領、「自分が国のために何をするのか・・」と述べたケネディ大統領の名言に匹敵するものだ、と思う。

 日本国憲法にうたう「言論の自由」は自ら勝ち取つたのではなく、米国から与えられた。
 21条で「集会、結社及び言綸、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する」と定める。
 しかし、自民党が特定秘密保護法制定前に決定した憲法改正(草案)は、21条に「・・公益及び公の秩序を害することを目的とした活動を行い、並ぴにそれを目的として結社をするこは、認められない」の一文を加えることを提起している。明らかな後退である。

 戦前の大日本帝国憲法にも言諭の自由に関する規定はあつた。
 第29条には「日本臣民は法律の範囲内で言論・著作・印行・集会・結社に自由自由を有す」とされ、「法律の範囲内」で認められるものだつた。この縛りが、治安維持法などによる言諭への弾圧に結びつき、日本は無謀な戦争に突き進んだ。

 言論の自由という、大げさな土俵で考えるのは、憲法の規定で後退させようとする政治も問題であるが、それ以上に、当世の国民自体が言論自由を盾にとって結果的に抑制しようとしているような危惧を感じているからである。

 最近のこの風潮が強くなってしまうとポピュリズム化してしまい、社会が全体主義に向かう流れの方向になつてしまうはないか?と思っている。たとえ正論を主張しても、それに対する反論を巧みな言い回し、耳に心地よい言い回しで、あるいは数の力を持って対抗されれば、正論は社会への影響力を失つてしまう。とりわけ、恵まれていない、あるいは不幸な境遇にあると思つている人々が多い状況では、そうなる可能性が高くなる。

 言論の自由という、民主主義社会にとつては不可欠の約束事であるが、「何を言ってもいいのだ・・・」という詭弁の裏付けとなり、まつとうな意見や論理を抹殺する毒薬になつてしまう。

 杉田議員はよく言ってくれたと思うし、新潮45はよくぞ掲載した、と思った。しかし、なぜか休刊となったが、その背景の一つに論理性を欠く反対意見の数の力があったことは否めない。

 言論の自由には寛容が必要である。また、反対意見は起承転結に則った論理性が欲しい。


11/18(日)曇りのち晴れ 飯川病院日直 
 0:30飯川病院で起床.医学論文読み,蓄積データー整理。自炊数冊。9:00孫の誕生日のために出かける家内に同乗、飯川病院へ、日直。座学、データ整理他。散水ほか。18:00帰宅、19:00夕食、21:00就寝。歩数計Σ7199歩、日直はほとんど室内だけ。

終活2018(16) 先日愛用のチェロを解体した
 1965年私は新潟大学に入学し、未経験なのに身の程もしらず医学部管弦楽団に入部しヴァイオリンを担当することになった。本当のところはチェロに食指が動いたのであるが、初心者用楽器でもヴァイオリンの3倍ほどの値段で、貧乏学生の私には到底手を出せるものではなかった。

 チェロをやりたいとの気持ちはずっと変わらず、1980年頃、念願のチェロを購入した。
 京都の学会の時に楽器店を訪れ、年老いた店主にいろいろ相談していたが、私に相応しいであろう楽器をオークションで見つけたので仮抑えしたという連絡があり、店主の見立てを信じて購入を決め、数ケ月後の京都出張時に購入した。弓、ケース込みで60万円ほどと、ど素人の私が持つには贅沢な楽器であった。

 イタリアのクレモナにある工房の作で、底面のレッテルには「Benedikt Lung」とある新しい楽器で、形よく、音色もシャープ、私は充分気にいった。嬉しくて二条城前の京都国際ホテルで二晩チェロを抱いて寝た。

 楽器と同衾したこのホテルは、私にとってはちょっと贅沢であったが、その後も何度も利用した。

 本年4月の内科学会総会時に宿泊希望で検索したところ、このホテルは実在せず、2014年12月に惜しまれつつ53年の歴史に幕を閉じていた。
 楽器店店主も私が楽器を購入した後、数年後にお亡くなりになった、と言う。
 購入した翌々日、夜行寝台特急日本海で帰秋したが、列車のベットはチェロを持ち込むのに狭くて寝るのに苦労した。その日本海も2012年3月引退した。

 そして、このチェロ。先日2018年11月11日に私の手で解体され、その生涯を閉じた。記念に画像を残した。今後更に細断する予定である。
<img src="https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/10/e3/b9b3e4f763d76b3fdf4e0507de2635f8.jpg" border="0">
 (興味を示して寄ってきたのは我が家のネコどもの母ネコ「小さい方」)
 
 このチェロは新作で購入時は問題なかったが、2010年頃から裏板が徐々に側板から剥離してきた。単なる接着ミスと考えて仙台の工房で2回修理したがいずれも1?2年で同様の状態に戻った。私がじっくり見た範囲では裏板が収縮し、変形した事が剥離の原因と考えられた。若い楽器で、経年変化であろう。全体を作り直すには購入時と同様の修理費がかかるために、諦め、しばらくそのままにしておいた。

 考えてみればヴァイオリンやチェロなど大切に扱えば100年単位で使えるはずである。私のヴァイオリンは1700年代のクレモナ製であるが今だに準現役である。この楽器に関しては作成段階から木材の選定か設計、施工過程のどこかに問題があった、としか考えられない。売ってくれた店主もその時点では到底見抜けなかった、と思う。こう言う運命の元に生まれた楽器であったと思わざるを得ない。

 今回、私の残り時間を考えて楽器を中途半端にしていても意味がないと考えて解体した。流石に、気持ちが落ち込んだ。私を十分に楽しませた愛器が、私の元で最期を迎えた事、私の手で解体でき、短かったが私がその生涯と共に過ごせたことは、無常の喜びである。
 私は自分で愛着を持って用いた品々は自分の手で解体して廃棄する様にしているので、このチェロもそう扱った。

 私はこの楽器に愛着を持っており、練習のし過ぎで腱鞘炎になったこともある。ずいぶん練習した。しかしながら、ほとんど上達しなかった。実にヘタである。
 その理由は、誰からも指導を受けず、ヴァイオリンを立てたイメージで扱えば何とかなるだろう良いだろうと甘く考えていた事が挙げられる。本来、ヴァイオリンとチェロのテクニックは全く別物であるが、それに気づくのが遅かった。
 それでも、度胸良く時にはアンサンブルに参加し、大いにアンサンブルを乱した。今思えば実に気恥かしい。消えたいほどである。

 私がチェロを愛好していた事がきっかけで3人の愛奏者が誕生した。そのことは良かったなと思う。


11/17(土)曇り やや寒く風若干  
0:45起床。新聞・文献PDF化。読書、画像、録音資料整理。いつもと同じ。書斎整理、文献本の自炊。新聞チェック、音楽録音たのしむ。読書微睡三昧。19:00夕食、21:00就寝。歩数計Σ4844歩。ほとんど部屋に籠りきり。晴耕雨読ならぬ晴耕寒パソ生活であった。

余生をパソコンと共に生きる(12)  また一台増えた いつでもどこでも「晴耕雨パソ」
 家内も使用することがあるので所有者がどちらだかわからないが、私がいま日常的に用いているパソコンは8台となった。
 いつでもどこでも「晴耕雨パソ」生活を実行可能である。

 機種の大部分はかなり古く、かつ、私はケチで購入時にあえて低機能のグレード品を選択するから、当世のパソコンのレベルからみると非力である。しかし、私たちの能力は未舗装の田舎道をボロ車で走るようなレベルだから、最も古い2009年製のパソコンでも処理能力は私どもをはるかに越えている。だから問題ない。

 私は1993年からMacのみを用いてきたからMac以外のパソコンの実情は全く知らない。
 私がMacの良いところと思っているのは、全機種とも連携しあって同じ環境で作業ができることと、私どもが用いているApple製の他のデバイス、例えば、iPhone、iPad、iPodとの連携も取れるから、これらの全機種を一群としてあたかも1つのパソコンのように扱えることにある、と思っている。

 大曲でも、飯川病院でも、自宅でもスイッチを入れるとネットを通じて自動的に同期し、常に同じ、最新の状態で立ち上がる。だから、いつでもどこでも「晴耕雨パソ」生活が可能である。

 現有の8機種は以下。2015年以前の機種の半数が中古品。
――――――――――――――――――――――――――――――――― 
■ iMac27(2013年製) 自宅居間
■ iMac21.5(2010年製) 飯川病院、主に院長用
■ iMac21.5(2010年製) 飯川病院
■ Mac mini(2014年製) 自宅書斎
■ Mac mini(2011年製) 大曲外来
■ Mac mini(2009年製) 中通総合病院医局
■ MacBook Air(2017年製) 飯川病院病棟&外来 院長モバイル用
■ MacBook Pro(2009年製) 自宅居間、主に家内使用
――――――――――――――――――――――――――――――――― 
 下段のMacBook Pro(2009年製)が今回新しく参入した機種である。次男がMacBook Proの新機種を購入したので親子価格で譲ってもらった。

 「晴耕雨パソ」などと言って悦に入っているが、こんな生活は人として、高齢者の生き方としては問題である。わかっているが実に快適、止められない。
 私に残された時間はそれほど長いと思っていないからそう心配はしていないが、運命のいたずらで、もし長生きすることになった場合、「独居老人」、「元医師」、「パソコンの前で」、「飼いネコとともに孤独死」、「遺体は一部ミイラ化」、「餓死か」・・・などと、地方紙に小さく報道される可能性がある。

 ・・・・などと考えて一人ほくそ笑んでいる。


11/16(金)曇り 大曲中通病院外来 飯川病院ボランティア
 0:00起床.新聞、文献PDF化、読書。自炊数冊、データ整理。何時もの如く。5:30可燃ゴミ提出、7:30飯川病院経由Taxi駅に、8:11こまち、9:10-12:10大曲中通病院外来。往復徒歩。13:30-19:00飯川病院ボランティア。入院患者対応、散水など。19:00バスにて帰宅、夕食。21:00就寝。歩数計Σ12322歩。

余生をパソコンと共に生きる(11)「晴耕雨読」ならぬ「晴耕雨パソ」の生活(2)
 私は晴耕雨読という言葉が好きだ。私はこれを「晴耕雨パソ」と置き換える。?
 私は生きるものとして、生きる姿勢の一つとして何らかのレベルでの食糧生産に関与していたいという気持ちがある。だから少しであるが野菜作り、園芸もやっている。

 まだ非常勤医師として働いているから自由な時間が少ない。週休二日の生活で求められている業務はそれほどハードではないが、通常の日は6:30に家を出て帰宅は19:00頃だから、時間的には結構長い。尤も、この時間帯は自分が勝手に設定しているもので業務時間の前後に自由な時間を確保する。
 さらに、土日のうちの1日は飯川病院の日当直が当たることが多いから意外とフリーの 時間は乏しい。日当直日に快晴だと実に、勿体ないと思う。窓から外を見てため息をつく。

 何も予定がない休日に晴れると嬉しい。日が高くなってくると自然と足が外に向く。

 一方、雨の日はパソコンの前で多くの時間を過ごす。これも法外の楽しみである。それと、日当直の日も実際にはパソコンの前で過ごす時間はたっぷりある。だから毎週当たってもそれなりに満足である。

 私にとって業務以外の人付き合いはほぼゼロ、時間が空いた時はほぼパソコンの前で過ごす。こういう余生、これが私に向いているようだ。
 
 私のパソコンをどのように利用しているか。以下のごとくである。
 パソコンが生活の中に占める割合は大きいが、私はパソコンそのものにはほとんど興味もなく知識もない、便利な道具として乏しい知識の範囲で何とか利用しているだけ。パソコン関係の月刊誌MacFunも定期購読しているが、記述されている技術的内容はほとんど理解できない。
――――――――――――――――――――――――――――――――――
■ 文章を書く
■ 音楽を聴く――――ミニコンポ iPhone ヘッドフォン併用
■ 音楽ソフトのしまい場所――――ハードディスク iPad
■ 本を読む――――iPad併用
■ 自炊本の置き場所――――ハードディスク iPad併用
■ 記録の保管――――ハードディスク併用
■ 記憶力の補完にメモ機能――――iPhone 併用
■ スケジュール管理
■ 辞書・百科事典替り ちょっとした調べもの
■ 絵画を見る――――ハードディスク併用
■ 写真を見る――――ハードディスク併用 
■ 写真の保管場所――――ハードディスク併用
■ 1991年来の継続的記録――――ハードディスク併用
■ 診療の補助――――iPhone iPad併用
■ 考えた事の記録
■ スケジュール確認――――iPhone併用
■ 書籍・新聞ほか紙媒体の電子化と保存――――ScanSnap ハードディスク併用
■ 医学文献などの自炊と保存――――ScanSnap ハードディスク併用
■ 家族間の連絡手段――――iPhone併用
――――――――――――――――――――――――――――――――――

 まとめてみると結構多い。だからパソコンの前に座れば離れる時間などない。休日の雨の日など早朝から夕食前まで、時折足腰を伸ばすために動き回るが、尻と両肘には褥瘡初期のような皮膚の変化が現れることがある。


11/15(木) 小雨のち晴れ 外来 飯川病院
 0:30起床、新聞、文献PDF化など。7:10バス飯川病院着。8:45-13:00外来+人間ドック判定12名分。14:00-18:45飯川病院、入院外来患者対応+インフワク。19:00帰宅、夕食、21:10就寝。歩数計Σ9397歩。

四季2018(14)紅葉・落ち葉の季節 庭掃除、特に袋詰めが大変
 落ち葉が道路や庭先に落ち、風に吹かれてカサコソ音を立てる風情は、冬を前にした寂寥感をいや応なく増す。私なんざ、つい、人間の一生を重ねてしまう・・・等と、楽しんでいられない。道路では風が処理してくれる。しかし、庭では落ち葉の掃除が必要である。

(私の通勤路に溜まった落ち葉。湿っていると足元がすべって危ない)

 一昨年、大型の樹木を数本伐採し空が明るくなったが、我が家の庭にはケヤキの木が2本残っている。40数年たって大木になってしまった。これらから落ちる葉っぱの量もただ事でなく多い。風で飛ばされてガレージの中にツモってくる。別に放っておいても実害はないのだが、庭の管理者としての私は心穏やかではない。快晴の休日などつい落ち葉に誘われてしまう。

 風の少ない日を見計らって、大型の箒で掃き集めるのであるが、アクセス道路まで含めるとちょっとばかり広いので4ケ所ほどに小山を作る。ここまではなんとかなるのであるがその後の袋詰めの作業が一人では結構大変である。
 秋田市の場合、小枝や落ち葉は指定の袋に詰めて出せば無料で回収し処理してくれる。かつては庭の隅に積み上げて自家製の腐葉土を作っていたのであるが、樹木が増え過ぎてそのスペースが乏しくなったので今年から市のゴミとして出している。

 指定の袋はサイズはいろいろあるが、私は最も大きなサイズの90Lを用いる。この袋に詰める作業を一人でやろうとすれば大変である。かつては袋の端を車のミラーに吊したり色々工夫をしたが、袋の口がすぐに閉まってしまい、うまく入れられなかった。

 今回、簡単でかつ有効な方法を思いついた。
 それは、中等度のサイズの段ボールの底を抜き袋の中にセットするという方法である。これで袋の開口部が大きく確保できるからどんどん落ち葉を投げ入れることができる。袋に落ち葉がたまってきたら袋の中で段ボールを持ち上げると落ち葉は袋の底に移動し、新たな開口部が生まれてくる。この作業を数回繰り返すと90Lの袋がいっぱいになるから最後に段ボールを抜き取り袋を縛れば良い。

(段ボールに投げ入れれば袋の中に収まる)

 このアイデアで、従来から大変であった袋詰めの作業は大幅に軽減した。
 何でも自分で納得して、密かに成果を楽しんでいる自己満足男としては、今年のミニ発明の代表格の一つである、と思っている。


11/14 (水) 晴れ 飯川病院ボランティア
1:00起床、文献チェック。徒然他。録音データ整理など。午前はトイレ鍵修理、勝手口センサーライト撤去、そのほか。12:30バス、珈琲店、薬店経由病院着、飯川病院ボランティア。昨年はハイビスカス剪定、室に移動。19:15帰宅、夕食、21:30就寝。歩数計10543歩。

四季2018(13)紅葉・落ち葉の季節 秋田新幹線も影響受けた
 街路樹の葉か歩道に落ちて風に吹かれてカサコソ音を立てる風情は、冬を前にした寂寥感をいや応なく増す。私なんざ、つい、人間の一生を重ねてしまう。

 自然の移ろいの中で山々や樹木は大切である。その中で代表は春は桜、秋は紅葉であろうが、これを対比してみると面白い。

■ 桜はそばで観るもの、紅葉は離れて観るもの
 紅葉は色の交じり合いこそが美しい。明るい赤、暗めの赤、黄色、それに加えて常緑樹の緑。それぞれの色のバランスは場所によって千差万別、さらに、一日の中でも時刻によって、色合いもまた微妙に変わってくる。それがまた良い。
 自然のエネルギーを感じる桜もいいが、エネルギーの枯渇しつつある様を予想させる紅葉にはまた別な味がある。西に沈む夕陽がとともに見れば無常観すらも漂う。
 桜は比較的近くで枝ぶりを含めて観るものであるが、紅葉は距離を置いて山々の色調そのものを楽しむ方がいい。
https://blog.goo.ne.jp/admin/newentry/#
(私がほぼ毎日通る千秋公園の紅葉 三原色が美しい)

■ 桜はどんちゃん騒ぎ 秋は紅葉狩り
 桜はなんでどんちゃん騒ぎするのか?待ちわびた春のおとづれを嬉しく思う気持ちの高揚がそうさせるのか?花より団子、江戸文化にもあった。  
 「紅葉狩り」はより静かに楽しむものだ。
 「紅葉狩り」とは言われるが一般的には山などに行き、紅葉を目で楽しむこという。「紅葉を取ってくる」ことではない。
? 「狩り」という言葉は狩猟の時代、動物や獣などを捕まえる意味で使われていた。その後、食料の入手が比較的楽になるとともに、野鳥や小動物、さらには山に実る食べ物にも使うようになった。「きのこ狩り」「ブドウ狩り」などであるが、最近は農園で採っても「ブドウ狩り」などと言われる。言葉の意味が徐々に軽くなっている。

 実際には「紅葉狩り」の文化もある。落ち葉は拾って手の平に乗せて鑑賞するのもいい。小枝を含めて採り、生け花、押し花などに利用されることもある。大阪では「食べるもみじ」もある。紅葉の葉を揚げた甘いお菓子で、お土産にもなっているそうだ。
?
■ 桜にはないことだろうが、 紅葉・落ち葉は新幹線を遅らせた
 先週の金曜日11月9日、昼過ぎに大曲を発つ下りの秋田新幹線が10分ほど遅延した。車内放送によると「線路上に落ちた紅葉の油成分で車輪が空転し危険なために減速運転したため」と放送していた。田沢湖高原を通過する新幹線ならではの遅れである。私は初めても経験であるが、この季節頻回にあるのだろうか??

 落ち葉を馬鹿にしてはいけない!!! 私の経験からもそう主張したい。
 落ち葉が原因で車がスリップし蛇行したり、大型バイク、自転車のクロスバイクで前輪がすべって転びそうになったこともある。湿った落ち葉を踏んで足を滑らせたこともある。
 落ち葉を笑う者は、落ち葉で痛い思いするかもしれない。だから私は笑わない。

 私は行楽に行く趣味はない。紅葉ならば身近なところでも十分に味わうことができる。


11/13(火)曇りのち快晴 外来 飯川病院
0:05起床。文献・新聞等処理、徒然。自炊本読み。5:00可燃ごみ提出。7:30徒歩で飯川病院着。8:45-12:55中通外来。13:15飯川病院、14:00-18:30飯川病院。微睡若干、新聞、医学論文チェック、19:10プリウスにて帰宅、夕食、 20:45就寝。歩数計11600歩。

日本人の食を考える(8) 「お裾分け」vs 「お福分け」
 真面目な食問題との関係は乏しいが、「お裾分け」について。

 いただいた食品の一部を、さらに誰かに分けて差し上げることは食品等を無駄にしないために、また人間関係の維持、日頃の感謝の表現には重要である。
 私は基本的に物品金品食品を頂く事は好きでは無い。深く心理的負い目を感じるからである。しかし、お断りのやりとりをするのはもっと嫌だ。くれる方の気持ちを大事にす、と言う理由をかかげて原則的にはお断りしない。しかし、頂いた物品はよく病院のスタッフや清掃関係の方々に横流しする。

 普段、私は「お裾分け」という言葉は用いない。
 今回、たまたま外国人むけの日本語教科書を見ていたら「お裾分け」という言葉の使い方が記載されていた。「お裾分け」という言葉は目上の人に用いると失礼な表現になってしまう可能性がある、と記載されており、私は何と無くそのイメージを持っていたが、きちんとそのような使い方をする必要がある言葉ということは知らなかった。無知を恥じた。

 「お裾分け」は頂いたものを他の人に分け与える時に用いられる言葉で、「裾」とは、着物の裾のこと。地面に触れそうな場所にある生地のことで、「汚れもの」の意味があり、謙遜して「つまらないもの」という意味が付加されてきた。

 「お裾分け」は人から頂いたものを「つまらない物」と評価することも問題だが、その「つまらない物」を目上の人に差し上げるのは二重に失礼な事と言える。
 江戸後期の書物「譬喩尽(たとえづくし)」には「すそわけ」は「失礼なり」とある。だから、「お裾分け」は、デリケートな上下関係が潜んでいる場面では用いないほうが無難と言うことになる。

 一方、「お福分け」という馴染みがないことばが正式にあるようだ。このことも知らなかった。ここでも無知を恥じた。人から頂いた「幸せをお分けします」、という意味で、何かをくれた方に対しても、それを配る相手に対しても失礼にならない。
 
 「つまらないものですが・・・」については「ちょっとしたものですが・・」という事でとても奥ゆかしい表現であるが、高価なものを差し出す時に用いると相手に対しすごく失礼になってしまう。

 ただ、私の結論としては、「お裾分け」、「お福分け」、「つまらないものですが」という言葉は物品を分けあうという、喜ぴを共有する文化が脈々と続いてきたからであろう。上下関係などをそれほど気を使う事は無いと思う。
 大事にしていきたい言葉である。


11/12(月)快晴温暖 健康クリニックドック 飯川病院 
 0:00起床。文献・新聞等処理。蓄積データ処理。徒然。Mac Os10.14.2、慣れたらダークモード快適。7:30徒歩飯川病院、旭川の鯉にエサ。9:00-11:00健康クリニックドック12名+レントゲンチェック14名。秋銀に立ち寄り11:30飯川病院。新聞、医学論文チェック。微酔。14:00-18:45外来インフ予防接種。19:00バス帰宅、夕食。 21:00就寝。歩数計12930歩。

日本人の食を考える(7) 孤食、私は好きだ
 孤食とは家族等と一緒でなく一人で食べる食事を言う。
 私は他人と食卓を囲むのが嫌いなので、孤食は好きな言葉、習慣のひとつでもある。

 私は呆れるほど、人とご飯を食べるのを嫌う。家族ならなんとか耐えられるが。
 「同じ釜の飯を食う」ということわざがあるが、これは,“いろいろな苦労を共にした親しい仲間”という意味で、深い友情を論じる際などに例えとして用いられる。
 私は大学6年間寮で同僚たちと「同じ釜の飯」を食ったが、仲間意識などは一切感じていない。食事はできるだけ混まない時間帯を選び、混まない場所で食べた。誰もいないところが理想だが、学生寮などでは土台無理な話。大学寮の食堂の思い出は語りたくもない。

 一般的に、家族と一緒に食事をすることは,特に子供の育成過程での意義はとても大きい。食事の用意や片付けを一緒にしたり,食事をしながら会話をしたりすることで,家族間のふれあいが深まる。また,食事のマナーも身につく。私もそう思う。

 食物の入手が今ほど潤沢でなかった時代には乏しい食材を仲間で分配し、共に食べることの意義は生きることとほぼ同義であり、家族や集落にとってとても重要であった。
 そもそも食料の分配は、安定供給のためにも欠かせなかったが、食料の分配を通じて、食料の与え手と受け手の社会的関係性が成立し、食事を通して、社会における上下関係や男女間の関係が作られていった。これは家庭内も同じ。

 日本で食料が比較的潤沢に入手できるようになってまだ半世紀程度であるが、この間食文化も、家族関係も大きく様変わりした。潤沢すぎる食材が人間関係に悪しき影響を与えた、と思う。

 私は子供達が独立して家を出るまでは、特に夕食はできるだけ家族団欒の時間とするよう努力したが、独立してからはほとんどマイペースで孤食、半孤食状態で摂っている。
 最近の朝食は完全に孤食。私の朝食は4:30-5:30amだから当然一人。昼食は飯川病院の患者用検食を業務としていただく。時に院長と同室で一緒に摂るが、互いに見えない状態で摂る。夕食は同居者4人揃うことは稀で、家内の同席は率で言えば50%以下だろうか。夕食に関しては孤食とは言えないが、全員揃っても会話も乏しいから似たようなもの。

 私の食事の習慣はほぼこんな状態であるが、私は不満は一切無い。

 私は他所の方と食事を囲むのが大嫌いである。だから人を食事を誘う事は皆無。以下がその理由の一部。
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 ■ 奢る・おごられる関係は嫌、■ 喧騒な食卓は嫌、■ 各人の食事の好みに合わせるのも嫌、■ 食事の進行を合わせるのも嫌、■ 食事マナーがまずいと地獄、■ 食事時間が長すぎるのも嫌で、私は10分以内に終わらせたい。■ フランス料理、懐石料理は時間がかかりすぎて嫌、時間が持たない。定食調に食卓に並んでいるのが良い。■ アルコールは一切不要、■ 食事中の会話も嫌、■ 外食は嫌、■ 贅沢な食事は罪悪感をともなう。■ 量は食べ切れる程度で十分、食品が廃棄されるのは不快、・・・・。
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 だから私にとっては孤食がいちばん。


11/11(日)快晴 ゾンタバザー
1:30起床、新聞、文献チェック。医学雑誌のPDF化、録音データ整理など。午前書斎机周辺等整理。11:00ゾンタバザー家内送って飯川病院、14:00クロスバイク帰宅、微睡。庭掃除、ダリアの花を全部カットした。16;00録画NHKニュース、ノド自慢本日分。自炊ほか新聞入力。19:00夕食、21:00就寝。歩数計11243歩数。

写真集:「秋田国際ダリアの園Vol 3」 2018 2000円 初瀬武美 2018.8.20発行
 秋田市の雄和地区、秋田空港の近くには、700種7000株ものダリアが咲き誇る秋田国際ダリア園がある。深紅、ピンク、オレンジ、赤と白の絞り、レモンイエロー、白のダリアなどが6万本も咲き乱れている。

 入り口の看板には「開園・日の出。閉園・日の入」という、のんびりした開園時間が書いてある。色鮮やかなダリアを眺めながら園内をゆったり歩いていると、日々の忙しさも忘れてしまう。尤も、この園にいる間だけであるが・・・。

 私もダリアを育てているが、全ての株は当園から購入している。私どもも年に数回栽培の勉強を兼ねて園を訪れる。昨日、訪れた機会に発行されたばかりの写真集:「秋田国際ダリアの園Vol 3」を購入した。

 表紙の写真も美しい。

(表紙)

(裏表紙 「なまはげダリア誕生」として新種の花が提示されている。)

 発刊を祝して、秋田県知事、秋田市長、園長の鷲澤康二氏が祝辞を送っている。秋田県、秋田市にとっても重要な観光資源となっていることの現れである。

 写真集に掲載された花々の写真は100葉を越す。各葉は見事な出来栄えだと思うが、以下のジャンルごとに分けられて掲載されている。この項目に分けたこと、も慧眼である。一つ一つの写真ごとに解説は無い。それがいい。
■ 優雅――-しとやかで気品がある。
■ 感謝――-ありがたいと思う気持ち。
■ 栄華――-世にときめいて栄える。
■ 華麗――-華やかで美しい。
■ 優美――-上品で美しい。

 写真の具体例はここに提示すべきではなかろう。とにかく美しいの一言に尽きる。写真技術については言及できないが、とにかく、被写体が美しい。

 著者の初瀬武美氏のあとがきを引用する(一部省略し、一部改変した)。
――――――――――――――――――――――――――――――-
 ダリア園に初めて訪れたのは1990年でした。現ダリア園代表鷲澤幸治さん(当時園長)から秋山庄太郎写真集「ダリア天竺牡丹」をプレセン卜して頂きました。その写頁集に感銘を受けたことがきつかけとなり私は花々の写真を撮るようになりました。
 花を美しく表現する為に、1990年日木園芸協会主催の「花の写真通信教育講座」を受講し、終了時に創芸展写真部門大賞を受賞することができました。その時の審査委員長が秋山庄太郎さんで、この出来事は深く心に刻まれ、大変感激しました。
 ダリアの魅力は花径30cm以上の超巨大花輪から数cmまで9種ものサイズがあります。1500種類ものダリアの品種に名前があり、表情に合わせて命名し改良に挑む姿勢に感銘しています。
 園には共生する生き物達が生息しており、夏から秋へ移行する時期はカエルが休息に来ます。晩秋の霜の降る頃には蜘蛛の巣に朝露が輝きます。11月上旬、花々は開花できなくなり職員は球根を掘起し、来年へ向けて春へと備えます。
 鷲澤幸治さんの合言葉「花は文化、心の豊かさ」。
 写真撮影30年の節目として出版しました。
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 既刊の「秋田国際ダリアの園(1)(2)」も入手したいものだ。


11/10(土)降雨午後から一時晴れ 交際ダリア園訪問
1:00起床、新聞チェック、徒然他いつもの如し。PDFデータ整理。午前はデータ整理、文献読み、読書に集中、午後は庭掃除の後、交際ダリア園訪問。夕方から録画「らららクラシックQA特集」、「題名のない音楽会:2Cellos」、N響定期公演:ブロムシュテット、ブルックナー9、モーツアルト38」視聴、歩数計Σ9748歩。

企業不正2018(3) 不正の結末は存続が問われるほど厳しい結果になる
 最近の日本の産業界、とくに製造業ではなんでこんなに不祥事が絶えないのだろうか。いや、産業界のみならず、組織ではなぜ隠蔽行為が続くのか。

(1)なぜ不正が起きるのか?そこには甘えの構図はないか?
(2)なぜ現場は組織から浮き上がるのか?
(3)なぜ発覚後も不正は続くのか?
(4)何十年も続いたのに役員たちはなぜ気づかない?

(1)なぜ不正が起きたのか?
 かつて、日本の製品は海外から「過剰品質」といわれていた。規格に合わない不良品が極めて少なく、大きな信頼を勝ち取っていた。その国の産業界の実情に合わせるために「不良品を何%か混ぜましょうか??」といった冗談にしか取れないようなやりとりもあったとされる。規格に厳しい日本製品を生んだ自信はどこに行ったのか。

 神戸製綱所も日産自動車もスバルも、現場が勝手に作り上げたルールが外の規範的なルールから逸脱していた点が挙げられる。
 経営陣は不祥事が生じるまでそのことすらも分かっていなかった。

 甘えの構図はなぜ染みついたのか?
 専門性の高い製造現場は、もともと他の部署との人事の交流が少ない。同じ社内であつても、隣の部署からはよくわからない。

(2)なぜ現場は組織から浮き上がるのか? 
 「あうん」の呼吸で通用する、明文化されていない「知」を共有し、微妙な「すり合わせ」によつて、日本の製造業は高度の技術を維持し競争力を保つてきた。そんな土壌が外から「見える化」化を阻んだ。
 このような状況下では各現場の判断で勝手な基準が作られる。新幹線のぞみの台車を削りすぎて破断直前まで至らしめた川崎重工の例が挙げられる。ギリギリで事故は回避されたが、高速走行中に破綻が生じていたらJR福知山線脱線事故、台湾の高速鉄道の脱線事故の比でない大惨事になっていたであろう。その割には社会の追求は乏しかった。

(3)なぜ発覚後も不正は続くのか?
 神戸製綱所、日産自動車、スバルも事件が明るみに出て、社長が謝罪した後も不正が続いていた。現場からの意見を重視してきた日本の巨大企業の組織は意思伝達力が乏しく、同じ方向に向けようとしてもどうしても時間がかかる。その背景には、現場の倫理観の欠如もあるが、経営のための利潤追求にしか関心がないように見える経営陣を信頼していないことも挙げられるだろう。

(4)何十年も続いたのに役員たちはなぜ気づかない?
 日本の経営陣は現場から叩き上げられて、様々な部署を渡り歩き、種々経験を積んでからその地位に就く。日本企業では外部から優秀な経営者が抜擢されて移ってくることは少ない。
 すなわち、経営陣としては素人と言っていい人材が登用される。だから、今までの方法論に追従する。会見等で頻繁に発せられる「知らなかつた」は通用しないが、背景にはかつての家族的経営の姿が見て取れる。

 現場の問題もあるが、経営者が目先の利益を数値上で追うあまり、現場との意思疎通が不十分のようにみえる。

 企業不正の結末:スバルは本年度の収益を900億円下方修正した。免震ダンパーの川金ホールディングスは79億の黒字見込みであったが120億円の赤字に修正、スルガ銀行は900億円の赤字を見込んだ。
 企業不正の結末は、企業存続が問われるほど厳しい結果になる。


11/9(金)曇り午後から降雨 大曲中通病院外来 飯川病院ボランティア
1:00起床、録音、PDFデータ整理。新聞処理。5:00可燃ゴミ準備。7:35Taxi駅、こまちで大曲。8:50-12:15大曲中通病院外来。往路は徒歩、帰路は降雨でTaxi。13:30飯川病院着、14:00-18:45ボランティア。19:10Taxi書店経由帰宅、夕食。21:30就寝。 歩数計Σ9880歩。

企業不正2018(2) 今年も企業不正、組織不正絶えず
 本年も企業不正が続いた。東芝、スバル、日産などのように昨年からの持ち越しで不正のが続いているのもある。
 私のファイルには沢山の企業不正、組織の不正がピックアップされている。
 私は営利企業でない組織の不正も同列に扱うべきだと考えている。非営利団体の不正は金銭利潤問題でなく、利権関係が中心だけに、実は不正の根は深い。

 私の蓄積ファイルから本年の代表的な不正を以下に抽出した。まだ今年は暮れまで一月半あるから新しい不正が明らかになるかもしれない。
 
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■非営利団体による不正
 経産省:森友加計問題 隠蔽、改ざんなど
 文科省 セクハラ、パワハラ、贈収賄事件
 東京医科大学他の入試不正問題
教育機関におけるいじめ問題の対応 隠蔽など
 
 官公庁・地方自治体の障害者雇用問題
 各種のスポーツ団体の不正
 ・・・などなど。まだ挙げられるが、ここまでとする。

■企業体による不正
 スズキ、マツダ、スバル、スルガ銀行、ヤマト運輸、秋田JA、宇部興産、神戸製鋼、商工中金、三菱マテリアル、東芝子会社、日産自動車、日立化成、ジャパンライフ、はれのひ(成人式用和装関連)、川金ホールディングス(免震ダンパー関連)、フジクラ(電線関連)、川崎重工(新幹線のぞみ関連)、大林・鹿島・清水・大成の建築4社(リニア工事巡る談合)、

 ・・・などなど。まだ挙げられるが、ここまでとする。
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 日本の企業体、組織は近年過ちを繰り返すようになったのだろうか??
(1)なぜ不正が起きるのか?甘えの構図?
(2)なぜ現場は組織から浮き上がるのか?
(3)なぜ発覚後も不正は続くのか?
(4)何十年も続いたのに役員たちはなぜ気づかない?

 これには日本特有の、過去の家族的経営の影を引きずっていること、があるだろう。かつては「現場と直結した経営こそ日本の製造業の強みだつた」とされてきたが、近年の厳しい経営状態や目先の利益を追うあまり、現場との意思疎通が不可能になってきた。
 経営陣は不祥事が起こると現場のことをわからないままマスコミに向かって頭を下げる人形化になってしまった。
 いま、原発事故の裁判が行われているが、経営陣が問題点を理解していたとは思えない。
 スポーツ界の不祥事には、角界にしろ、ラグビー界、体操界も、老害と男害のるつぼとなっている。

 この辺のことを考察しなければならない。組織人って不思議な人たちだとも思う。会社からあるいは組織から自宅に戻ればそこでは常識的なパパや夫になるのだろうと思う。組織の中では良識、倫理観が通用しなくなっているとしか思えない。
 不信の連鎖を断ち切るためには、経営と現場が一体となつて出直すしかない、と思う。老害もなんとかしなければ・・・。


11/8(木)晴れ 外来 飯川病院 
1:30起床、文献・新聞チェックなど。7:10ウオーキングシューズが無くバスで飯川病院着。8:45-13:00外来+ドック判定14名。13:30飯川病院、14:00-18:29勤務。18:35バス帰宅、夕方から次男孫預かり。19:30夕食、21:45就寝。歩数計Σ9789歩。

企業不正2018(1) 「スバル」の不正が最近まで続いていたとは・・・
 昨年のいま頃、企業不正2017(4)(5)としてスバルの不正について考えていた。
 企業不正2017(4) 「スバル」の不正(1) 社長の姿勢、倫理観欠如に驚く
 企業不正2017(5) 「スバル」の不正(2) メーカー任せに問題

 今年になっても相変わらずスバルはニュースに登場している。不正の発覚が止まらないためで、1年以上も続いているという事は利用者に対する背信行為である。ここまで続くと社としての姿勢が問われ、一部であろうが社員のモラルも問われてくる。

 私はスバル車に愛着を持って1975年ころから欠かさず使い続けているユーザーである。最近まで6台乗り継いできた。
 だから、昨年から明らかになったスバルの不祥事をずっとフォローしていた。使用歴の無い日産、三菱の不祥事も続いているがそれらとは注目度がちがう。現在使用しているレガシーワゴンは20年目で、不具合も目立ってきたので買い替えの時期を迎えているが、後継車をどうするか悩んでいる。

 スバルで、最近までに明らかになったのは、■ 無資格者に出荷前検査をやらせていた、■ 排ガス・燃費データの改ざんがあった、■ ブレーキ検査時に不正、■ 更にエンジン部品の不具合も発表された、■ などなど・・・・。

 本年9月に国交省に報告した時点では、ブレーキなどの検査の不正は昨年12月までで改善済みとしていた。しかし、不正が今年の、先月まで続いていた可能性があることが分かった。結果として、乗用車10万台について、回収・無償修理を届け出ることになったらしい。
 ブレーキの検査での不正行為は、メインブレーキだけでは制動力が規格に達しない場合は、ハンドブレーキも同時に引いて辻褄を合わせていた、という。これは悪質である。

 再検査や不合格にすると、作業が滞り生産が落ちるためだったという。
 自動車の基本性能よりも製造のスピードを優先していた。さらに、先月の国交省の立ち入り検査では直近までの不正が続いていたことが判明した。
 すなわち、国への報告や謝罪の後でも現場では不正がそのまま続いていた、と言う。

 スバルは、再発防止策を取るとしている。当然な措置だが、検査不正をめぐるリコール費用の拡大や生産の減少で業績への悪影響も大きくなるだろう。
 エンジン部品の不具合で国内外41万台のリコールも公表しているが、この修理にはスバルのエンジンの特徴である水平対向エンジンを一度車体から外して解体する必要があるために、一台について2日間ほど要するという。これはスバルにとっては社運に関わる厳しい負荷になるだろう。

 スバルは背水の陣との覚悟で、社運をかけて信頼回復に臨まねばならない。


11/7(水)快晴 午前庭掃除 ガレージ整理 飯川病院ボランティア
0:30起床。新聞・文献・医学論文PDF化・録音データ編集他。午前庭掃除 ガレージ整理、12:07バス飯川ボランティア、外来患者対応。19:00プリ、薬局経由帰宅、夕食、21:00就寝。歩数計Σ9580歩。

画集:「軽井沢千住博美術館Vol 1」 2011 2000円 公益財団法人国際文化カレッジ
 私は展覧会、展示会があるとほぼ毎回その会の資料集、画集などを購入する。会の記憶を留めておくためでもあり、展示された作品をじっくり鑑賞し直すためでもある。

 一般的に各展示会などは展示資料、作品等が大量かつ多彩であり、到底私の記憶にのこす事ができない。
 そのために、私は必ずその展示会、展覧会の資料集を購入する。資料集もじっくりと楽しむが、実物を見たということで資料集の味わいも変わってくる。一般の画集との違いである。

 千住博展は「高野山金剛峯寺.襖絵完成記念 日本の美を極め、世界の美を拓く」と題して9月28日-11月4日に秋田市千秋美術館と県立美術館を会場に開催された。
 私は11月3日の文化の日に両会場を訪れ、千住氏の作品をじっくりと鑑賞した。

 その際に購入したのが画集「軽井沢千住博美術館Vol 1 2011」である。通常であれば展覧会に合わせた資料集として展示作品中心に用意されるのであるが、本画集は初版が2011年であり、今回の展示会の目玉であった作品群は含まれていない。

 画集「軽井沢千住博美術館Vol 1 2011」の構成は以下の如くである。私の印象を若干コメントにした。各作品を提示することはすべきでない。 
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■ ごあいさつ:千住博美術館館長 品川恵保
■ 対談:千住博x西沢立衛. 西沢氏は軽井沢千住博美術館の設計者である。
   この美術館は地形を活かし軽井沢の自然に溶け込む近代的建築となっている。

作品:以下のように分類されて収録されている。

■ ウオーターフォール:千住氏と滝の出会いの説明と8作品。
■ デイフォール・ナイトフォール:蛍光塗料とブラックライトの使用による新境地の説明と昼夜の滝の様相の変化。
■ フォーリングカラー:各種のカラーで描かれた滝。6作品。
■ フラットウオーター:ハワイの海岸で受けたイメージ。4作品だで
■ スカイ:紙に滲みとかぼかしの手法を用いて偶然できた作品。14作品。
■ 星の降る夜に:天空に見える星の様相と鹿のシルエット。私には東山魁夷の作品のイメージと重なる。16作品。
■ 20代前半の作品:16作品。
さまざまなモチーフの展開:5作品。夜桜満開が今回の展覧会の中心であった「断崖図」に通じる。

■ 美術館について
■ 建築について
■ ビジュアルアイデンティティについて
■ 千住略歴   
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 画集の装丁は無地の白地に「軽井沢千住博美術館」とあるだけ。さりげないが、それだけ近代的美術館の建築美と千住氏の現代美術作品を象徴しているようである。


11/6(火)快晴 外来 飯川病院 某クリニックスタッフ来訪
1:00起床。文献、新聞・徒然。5:30家庭ゴミまとめ提出。7:25徒歩病院。8:45-12:45外来。14:00-18:30飯川病院勤務、入院患者対応。五城目町某クリニックスタッフ来訪、歓談。19:00帰宅、夕食、21:00就寝。歩数計Σ13.434歩。午後倦怠感強く懸案処理の気力でず。寝不足か風邪か、はたまた・・・。

展覧会2018(7):千秋美術館+県立美術館「千住 博展」

 「高野山金剛峯寺.襖絵完成記念 千住展 日本の美を極めヽ世界の美を拓く」が秋田市の千秋美術館と県立美術館で開催されている。

 世界的に活躍する日本画家の千住博氏(60)が画業四十余年の集大成と位置付け、高野山金剛峯寺に納めるために制作した襖絵「断崖図」「瀧図」をはじめ計38点を展示している。
 展示会は昨日で終了した。

 氏は1958年生まれ。東京芸大卒、同大後期博士課程単位取得後退学。2007〜13年京都芸大大学長。現同大教授。

 私は無学にして氏の存在、業績、作品などをまったく知らなかった。ヴァイオリニストの千住真理子氏の関係者の一人かな??と思った程度であった。

 千住展は、友人の安藤忠雄氏が設計した県立美術館も会場としている。
 氏は来秋時に魁新聞のインタビューに襖絵を依頼された時の心境を以下のように答えている。神懸かり?ならぬ仏懸かりと言わざるを得ない啓示を空海から受けていたと吐露している。宗教心を欠く私には半ば信じられないが・・・(一部改変)。

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 「最初は屏風や掛け軸を1,2点納める程度の話かと思つていたが、本堂の2部屋の襖を任せてくださるというので驚いた。
 当初は空海が見ていた高野山の森を描こうと準備していたが、ふと後ろから『お前、違うぞ』と言う声が聞こえた。それで考え直し、自分が一番得意とする滝以外にないと思つた。制作中にも随所で『駄目だ、こつちだ』『そのまま描いちやいかん』というアドバイスが聞こえてきた。最終的に『もう自分に触るな』と言つてきた。それが完成の瞬間だつた。
 空海が言われるままに描いたので、半ば空海が描いたような作品だ」。 

 「襖に表具されたら、もう絶対に寺から出られない。京都の表具師が1枚ずつ黒い縁や取つ手の金具を付ける。金具は絵を切り抜いて付けるので、純粋な作品として見られるのは、今回の巡回展が最後だ。一刻も早く高野山に納めて安心したい気持ちもあるが、やつぱりその前に皆さんに見てもらいたい」。
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 私は神仏の存在に疑問を持っているが、作品を前に氏のインタビューを思い出すと、疑う事は罪になる・・とまで考えさせられた。芸術家の感受性に驚くばかりである。

 平安時代のはじめに弘法大師空海が開いた真言密教の聖地、高野山。2015年に開創1200年記念事業が、千住氏による総本山金剛峯寺への襖絵奉納であった。
 氏が仕上げた「断崖図」は、10代の空海が修行に励んだ瀬戸内海の崖に重なる。ひたすら険しい崖は、迫力があり、人生の苦難を表しているかのようである。

 作品については、私は感受性が十分とは言えない。また、表現する筆力を欠いている。
 入館時に配布されたパンフレットから画像「断崖図」(部分)、その他を提示した。


11/5(月)曇一つない快晴 健康クリニック 飯川病院 
1:20起床。文献・新聞等処理、徒然など。いつもと同じ。7:20徒歩飯川病院に、9:00-11:50健康クリニック、ドック14名、レ線判定14名、結果説明2名。12:00飯川病院、14:00ー18:30勤務。入院患者対応。19:15帰宅、夕食。21:00就寝。歩数計Σ12053歩。医学論文、文献読み、データ整理。

「かわいい」論(4) 言葉の歴史 意外と新しい
 私は「かわいい」とは、一定の姿や形、弱々しさを見たときに、見たものの気持ち心の中に生まれる「守ってやりたい」の気持ちが喚起されるときに感じる心、と思う。

 生物や物体が初めから人間の心理に合致するよう「かわいい」姿をしているわけではなかろう。「かわいい」は、すべて美的に美しくはない。それでも感じる。
 
 それは、見るもの心の中で形成される感情であって、見る側の人が、育った環境、教育や文化の中で吸収した知識等から育成された、と思われる。
 人は、生まれたての赤ちゃんを見たときにほとんどが「かわいい」と表現するが、私は新生児は気持ち悪いのが先立ちちっとも「かわいい」と思わない。私が育った環境が私をそのように感じるようにしてくれなかったらしい。何ケ月か経った後の乳幼児の屈託のない表情に「かわいい」さは覚える。

 欧米では秋のコオロギとかスズムシの音色は雑音でしかないと言う。秋の風情を感じる文化が欠如しているから子供達にも教えられないからその感覚が育たない。それと同じ。

 だから、文化圏によって、文化の変遷によって「かわいい」の意味するところが変わっていく。また、個々人によっても差があるはずである。この差が幼児虐待にも関連するかもしれない。

 「かわいい」の意味するところの変遷は重要な何かを教えてくれるのではないだろうか。
 この辺のところを考えてみる。

 「かわいい」の古き同義語は「愛くし」で清少納言が枕草子で頻用した「うつくしきもの」と同じだろうとされている。古語の「かはゆし」は、いとおしさ、趣き深さなど、何らかの意味で「愛すべし」と感じられる場合に用いられた。それが歴史とともに現代の日本語で一般的な「愛らしい」の意に転じ、「かわいい」は幼いもの、小さいものに対する情愛や愛着などを表現する意味合いが強くなった。

 「かわいい」と思う心は日本特有のものらしい。
 かわいい」に近い意味を持つ言葉は各国にあるがせいぜい「cute」「adorable」程度で日本語のニュアンスにぴったりと当てはまる言葉はない。言葉がないと言うことは、「かわいい」と感じる文化、日本人には備わっているであろう情感、心情がなかったと言うことでもある。実にもったいないことである。

ところが、日本特有の「かわいい」文化が「Kawaii」言葉ととともにアニメや漫画、キャラクターグッズとして他の文化圏にも輸出され花開いている。
 「Kawaii」は国際的に通用する用語となった。「モッタイナイ」「ノウキョウサン」と同じように。


11/4(日)曇りのち快晴 飯川病院日直 レセプトチェック 
23:30起床、新聞・文献チェック,徒然その他。ネコ安息箱強化対応など、画像整理多数。8:37バス、飯川病院。9:00-19:00日直、2時間ほど当直医分代行。外来レセプトチェック、11:00ゼン半、14:00残り分。データ整理、本読み、19:30迎えの車で帰宅、夕食、21:30就寝。歩数計Σ10079歩。

「かわいい」論(3) 私の「かわいい」感情の背景(2)
 現代の日本語の「かわいい」が意味するものは多彩になってしまった。
 
 「このダンプ、よく俺のために働いてくれるんだ。とても『かわいい』やつだぜ!!」。これはある小説で使われた一節であるが、こんな大きく硬い対象物の評価には私はまず用いない。
 また、縫いぐるみ等の作り物に私は不気味さを感じる事はあっても、一切「かわいい」との感想は抱く事はない。

 かつての日本語では、「かわいい」は小さきもの、弱きものなどを示していた。
 私の「かわいい」感情は、より強いものが弱い者に感じとる「守ってやらねばなるまい」と言う生身の感情、いのちを守ってやりたいと思う気持ちである。

 私の「かわいい」と思う気持ちを対象をペットと女性に限ってざっと見てみる。

 人・ペット等に共通の感覚 
■見てくれ、表情がいい。
■私より小さい。
■私より弱い存在。
■私より劣っている存在。
■私の庇護を求めている。
■私と微々たる程度でもいいが、コミュニケーションがある。
■不快な音を発しない。
■清潔、汚れていない、匂いも無し。
■かわいい、は彼らに対する最高の評価の一つ。

 その背景には、私の方にいつでも無視できる、縁を切れる、ひねりつぶす事ができるなどの優位性がある事。その域に達しない状態で関係を維持している状態が「かわいい」感覚の元になっているのだと思う。今までに具体的経線はないが、条件が外れれば「可愛さ余って憎さ百倍」にもなりうる危険な、微妙な感情である。
 これはおぞましい感覚だ、と思う。

 私が女性に対して感じる「かわいい」感覚は私が男だから感じられるのであって、どうしても男尊女卑的な様相を伴う。私も古い人間になったものだ。
■見てくれがまあまあ、悪く無い範囲で、ちょっとだけ綺麗。
■年齢は、・・・問わない。幼児でも婆さんでも・・・いい。
■笑顔がいい。
■頭の回転は悪く無い程度でいい。知性を感じられればいい。
■時折、バカじゃないか?と思わせる、抜けたところがある。生来の天然バカがよりいい。
■気が強くない。
■理詰め、理屈をしつこくは言わない。
■ぐさっとくる様な内容をソフトに表現できる。
■社会的活躍、地位はほどほど。
■清潔感がある。清楚。嫌な匂いも無し。
■私から見て、「かわいい」は女性に対しての最高の評価ではないが、高い評価にあたる。美人、綺麗よりははるかに高い。

 私が女性達に「かわいい」と感じてもまったく外には出さない。心で感じて喜んでいるだけ。言えない自分が情けない。

 その点、ネコたちには遠慮なく表現する。ネコどもの前で私はひたすら自分を捨てて素直で謙虚になる。ネコたちに「ゴロゴロニャン」と言わせながら、実は自分でゴロニャンしている。そのことが私を癒す。
 私がネコたちと遊んでいる姿は、とても他人には見せられない。


11/3(土)文化の日 超快晴 千秋美術館「千住博」展
 1:00起床、何時もと同じ.データ整理、読書中心。6:00軽朝食、文献・新聞読み。。11:00家内に同乗千秋美術館、県立美術館。千住明展。街中は種苗交換会で混雑、14:00バス帰宅、微睡、庭のケヤキの落ち葉掃除。その後は書斎で、BL録画「らららクラシック:ベートーヴェン Vnソナタ5・9番について、渡邊玲子氏出演」、「題名のない音楽会:ジャズとクラシック」。19:00夕食、20:30就寝。歩数計Σ10709歩。

「かわいい」論(2) 私の「かわいい」感情の背景
 子供は「かわいい」存在ではないのだろうか?? 
 「もうおねがい ゆるして ゆるしてください」。ノートに書かれた幼い文字、文章を新聞で読んだとき、本当に5歳児が書いたのだろうか??と私は驚いた。食事を与えないで死に至らしめた両親に対して、強い憤りを感じる。
幼児の虐待死(3) 子供はかわいい存在ではないのか 「かわいい」論

 子を守りたいと思う気持ち、子をいとおしいと思う気持ちは、人間の場合は後天的に備わるものだろう、と私は思う。だから、子供虐待事件の実態を見るときに、親の成長過程に問題を感じ取る。また、子育て環境に経済的な余裕、マンパワーに一定の余裕がなければ、子は危ない環境に晒される。

 ?私は3人の子を育てた。孫も複数いる。自分の子どもに対する「かわいい」と思う感情は十分にあるが、私の父親としての姿は家族に言わせると「役立たず」、「ダメおやじ」の域に近い。その評価には不満がある。私には自負もある。
 だから、自分の子ども、孫たちを対象にした「かわいい」論は控える。子供達がこの父を何と思っているのか?恐ろしくて聞けない。
 
 だからネコを対象に私の気持ちをまとめてみる。

 私は、いま7匹のネコと同居している。
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 互いにじゃれ合っている姿に、無防備に団子状に寝ている彼らに、私とのスキンシップを求めてくる彼らに、朝空腹を訴えて私の周りに集まってくる彼らに、私は深く、いとおしさを感じ、「かわいい」と感じる。この感情は、父親だからではない。野良ネコを一旦引き受けた以上、一家の代表として彼らを庇護しなければならない責任を感じることと、彼らが見せてくれる仕草や表情に癒し感覚を覚えるからである。

 私のネコに対する感覚の背景は、小学校1年から高校卒業まで共に過ごした一匹の雌ネコに対する感謝と、恩、加えてその晩年に十分に庇護してやれなかったことに対する懺悔の気持ちが基になっている。昭和39年当時、13歳は長命であった。体力が落ちてきた彼女を守ってやらなければならなかったのに、18歳の私が十分老化を理解し、添ってやれなかった。

 私の「かわいい」感情はより強い力があるものが弱い者に感じとる「守ってやりたい感情」だろうと思う。

 私がネコどもと共に暮らしていけるのは、知識と理性があるからである。
 その理性を保つことが出来る環境にたまたま恵まれているから・・、と思われる。

 日本語の「かわいい」は形を変えて、アニメやキャラクターグッズを通じて世界的に通用する言葉となったが、本来の日本語の意味と大きくかけ離れつつある。

 私が用いる「かわいい」は古い意味で用いている。即ち、保護してあげたくなる「不憫」な様、あるいは「小さく美しいこと」などを意昧している。「かわいく幼いこと」は、無垢ゆえに誰からも攻撃されない存在を意味する。欧米の宗教画に見られる天使の無垢さと共通する。接するに、見る者の方が憐みの気持ちになり、謙虚になる。

 我が家のネコどもは決して特別のネコではない。ノラ出身、素性もわからない。いまはやりに言えばシャムミックスが3匹、ほかに黒、ブチなど。
 ネコどもを前にして私はひたすら自分を捨てて謙虚になる。
 そのことが私を癒す。

 ただ私の「かわいい」感情には同時におぞましい感情も同居する。


11/2(金)晴れ 大曲中通病院外来 飯川病院ボランティア
1:30起床。文献、新聞チェック、徒然。6;00可燃ごみ廃棄。7:35Taxi駅東に。8:11こまち。駅病院間徒歩、9:15~12:15外来、家人の迎えあり業務用スーパーにて若干買い物後、フィットで飯川病院に。14:00飯川病院ボランティア。19:30書店経由帰宅、夕食、21:30就寝。歩数計Σ9935歩。

当HP「これからの医療の在り方?徒然日記」18年目迎えた(2) 
(5)自分の弱気に抗する毎日
 私は人と競争・抗争は好まない。だから、口頭では自己主張もしない。他人と会話することもなくなった。私の競争・対話の相手は私自身、抗する対象は私自身の弱気である。
 気力も低下しつつある。徒歩通勤は片道60~70分であるがちょっと気重になってきている。小雨程度、あるいは降雨が予想される状態だとつい逡巡してしまう。バスに乗る頻度、家内に同乗する頻度が増えた。
 ただ、一昨日徒歩通勤で岡山を通過し兵庫に入ったが、これは当初の計画通りであった。具体的にはまだそれほど明らかではない。
 最近はなんでも安易な方向に流れそう、抗するのが大変になってきた。もちろん、背景には老化による身体上の問題点、例えば下肢の衰え、バランス感覚の減弱なども意識する。
 このHPの更新は私の気力。体力のバロメーターである。

(6)ちょっとしたことをちょっと学び、一つだけ形にする楽しみ 
 普段考えている事を文章化していく作業は苦しいが楽しい。考えるだけだとすぐに霧散する。必ず得るものがある。私に長文は無理。だから、小文にまとめる。
 何故連日か? 継続は力である。一旦不定期にするとなし崩し的に頓挫するだろう。だから、一日一話と自分に負荷をかけている。キーボードはまだ打てる。気力さえ続けばまだしばらく続けられそう。

(7)生活記録、小文は自史資料としても貴重
 私は日々の記録を蓄積するのが好きだ。文章、画像、音楽など、覚えきれないから最近はほぼ全てを電子的に蓄積している。
 何か調べたいことがあると、まず自分の小文に検索をかける。5000項目以上もあるから大抵これで間に合う。それから新聞のスクラップを探す。2008年から1日20−40枚分作って蓄積しているから実に有用。次はブリタニカ。ネットでの検索は滅多にしない。

(8)私の文章は、残念ながら私の文章とは言えない
 私はペンを握れば僅か数行のハガキでも悪戦苦闘し、数枚は無駄にする。だから、パソコンで文章を作る。それでも呻吟する。
 かつては辞書を引くのが好きだった。今は辞書は滅多に利用しない。
 日本語入力ソフトはMac OSに付属したのを用いている。これが私の語彙力より何十倍も勝っている。とても便利であるが、私が知らない漢字も候補として提示されるから、飛びついてしまう。だから、自分の文章であるとの実感は乏しい。

 電気とパソコンと、他人の技術の蓄積を利用して作っているだけ。とても自分の文章とは言えない。この点は残念である。

 そうは言っても、パソコンがなければ到底続けられなかった習慣である。いい時代に生きた、と満足している。間もなく、キーワードを入れるだけで自分の文章に似た文章が自動で出来上がるようになるだろう。そうなると私は一体どうすればいい??楽しみが一つ減ってしまう。今から考えておかなければならない
 
(9)結論
 継続は力、今後もしばらく続けていく。


11/1(木)朝降雨のち晴れ 外来 飯川病院 HP開設記念日 
 0:40起床,新聞・文献チェックほかいつものごとし。雨にて7:15バス飯川病院、8:45-13:30外来、複雑な患者で時間取られた。13:46-18:30飯川病院。入院患者対応。19:10レガシー帰宅、夕食、20:45就寝。歩数計Σ8696歩。Blu-rayながら視聴:そこまで言って委員会2本。

当HP「これからの医療の在り方?徒然日記」18年目迎えた(1) 
 当ホームページ「これからの医療の在り方----徒然日記」は、2001年11月1日に開設したので本日満17年を迎えた。本日は18年目のスタート日となる。
 抜粋版「雑記帳Blog」は満14年目、「インスタグラム」は1.5年程である。

 18年目のスタート日の雑感。
 昨年とほとんど同じ。変化に乏しい日々の積み重ねだから当然でもある。

(1)なぜ続けているか? 
 「継続は力」、この言葉が好きだ。この1年間1日も欠かさず更新できた。一人で悦に入っている。
 私は意を決して始めた事はなかな止めない。
 生活記録は50年以上、うち17年分がこの徒然。1:00amに起き出す早寝早起き習慣は約30年超、新聞・文献スクラップ蓄積は20年超、ラジオ深夜便連日3時間蓄積は10年超、岩手へ復興資金寄付は7年、映画・録画の視聴6年、徒歩通勤5.5年でΣ1967万歩、距離蓄積Σ15.740Km、などなど。他人に影響を与えることのない世界、自己満足にどっぷり浸っている。

(2)「これからの医療の在り方」のタイトルが重荷になったが・・・
 過去医学関係以外の分野の勉強は乏しかった。現在、社会や経済など医療外の分野を学び直している。医療関係の記載が減ってタイトル名が重荷になった。されど、いつまで続けられるかわからない。今更名称を変えてもしょうがないからこのままにする。

(3)記録に頼らねば記憶が保持できない
 私は記憶蓄積や保持が困難になった。記録をつけていないと全て忘れる。忘れてしまえば自分は呼吸して食っていただけ、無為に生きたことになる。
 物事について、思うだけ、考えるだけでは霧のごとくすぐ消えてしまう。だからメモを作り、その中の一部を文章化しておく。
 私の記録はハードディスクに電子データとして蓄積している。
 検索にて何月何日、何時頃に私が何をしていたか、何を考えていたかを知ることが出来る。私が生きて来た証しになっている。

(4)じぶんだけ毎日の小さな積み重ねを楽しんでいる
 今は嘱託医として細々と外来診療を続けている。他の時間は100%引きこもっている。別に鬱ではないが、人と会うのが怖い。付き合いが辛い。嫌になった。
 私は生きている人間に、人間関係に興味が乏しい。人と会話すると不快な後味が必ず残る。それが嫌。最近始まった事ではなく、幼少時から我慢し続けてきたことがその必要がなくなっただけ。生者との付き合いは文章、書面上なら耐えられる。私は、生者より死者が好き。親しみを感じる。

 孫を含む家族達の動向を楽しみ、自然現象の移ろいを味わう。興味の対象は歴史、文化、政治・経済・・、と今でもまだ広がっていく。先人達の足跡は偉大である。それらを感心しつつ味わう日々である。





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