徒然日記

 日記と言うより、自分の行動記録と日々の雑感です。

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2/8(月)終日降雪 昼頃暴風雪 健康クリニックドック 飯川病院
 1:00起床、文献・本読みなどいつもと同じ。2:00歩数計電池交換。起床大雪予報に反し殆どなし。除雪不要。6:47バスにて飯川病院へ。その後に降雪激しくなった。9:00-11:15健康クリニック、受診者14名、結果判定14名、結果説明2名。健康クリニックから飯川病院移動時は激しい暴風雪に。目も開けて居れないほど。寒かった。本読み、データ化などいつものごとく。検食、微睡、読書。14:00-19:00勤務。入院患者対応。19:30帰宅、主要道路は除雪あるも支道・路地など凸凹で車がまっすぐ進まない。市の除雪に問題あり。夕食、21:30就眠。Σ8203歩。
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東京五輪・パラリン組織委員会森会長の発言(3) 森会長の実力
 ■ 彼はどんな力があるのか?? ?-政界、外交、スポーツ界に幅広い人脈を持つ
 森氏は、首相退陣後も派閥「清和会」の事実上のトップであり、小泉を首相にし、安倍、福田も清和会出身である。今でも力はあるのだろう、これでは菅首相も意見できない。
 政界だけではなく、アフリカに太い人脈があり、プーチン大統領との仲は良く知られている。
 スポーツ界では、日本ラグビーフットボール協会の会長として2019年に日本で行われたラグビーW杯招致に尽力した。

 ■ 女性への差別的発言
 森氏の女性差別発言も少なくない。
 今回の発言の他によく知られているのは、2003年に鹿児島で開かれた「全日本私立幼稚園連合九州地区大会」での発言。「子どもを沢山つくった女性を、将来国がご苦労様でしたと、面倒を見るのが本来の福祉。ところが子どもを1人もつくらない女性が、好き勝手、と言っちゃいかんけど、自由を謳歌して、楽しんで、年とって……税金で面倒見なさいというのは、本当におかしいですよ・・・」。

 今回の発言もそうだが、こんな考えの人間が長年、この国の政治をリードきた。

 ジェンダーに関して国際的評価は追って知るべし。世界経済フォーラムが発表する「ジェンダー・ギャップ指数2020」(2019年)で、G7の中で最下位の121位というのは当然であろう。

 ただ、私も少子化、非婚化に関しては憂えている。森氏と同じ。
 また、女性はもっと力を伸ばし、社会進出を勝ち取らなければならない。女性委員○%、女性議員○%と目標を掲げ、数的に無理やり登用の機会を作るやり方では、今回の森氏の様な発言が飛び出すであろう。私は今回の発言は女性蔑視とは捉えていない。過剰な反応だ、と思う。

 ■ なぜ組織委員長を辞められないか
 本人の弁では、職務を纏うするよう誠心誠意尽くしてきた・・と言っている。著作「遺書」にもそう記述しているそうだ。この働きについては私どもが知ることは困難である。ただ、報道を見る限り変な発言の方が多いような気がする。まともな発言は取り上げられないからだろう。
 多分利権もある??五輪は肥大化し過ぎている、と思う。利権の調整と配分が出来るのは森氏しかいない・・などとも言われている。この辺のことは全くわからない。

 ■ すでに東京五輪は中止へと舵を切り始めている、と思う。COVID-19問題も未解決。ワクチンができたのは朗報だが、世論のほとんどが「やるべきではない」、と士気が萎んでいる。


2/7(日)比較的温暖 
 1:00飯川病院で起床。新聞文献処理、徒然、録音データ処理、など。微睡若干。10:30歌人の迎えあり、MavValu経由で帰宅。以降は新聞電子化、読書。微睡など。道路は融雪状態、19:00夕食、20:30就寝。Σ4256歩。読書三昧の一日。

東京五輪・パラリン組織委員会森会長の発言(2) 老害そのもの
 今回の五輪は復興の意義を強く押し出し、「オールジャパン体制」でいく、とされたが、組織委員長に森元首相を据えたことでオールドジャパン体制」になった。私はこれが第一の問題と思っている。招致の時はあれほど若者のアスリートたちの活躍が目立ったのに。

 私は超高齢者の活躍を是としない。個人的に活躍されるのは容認できるが、組織の場合は、老齢化が問題で若返りが必要、との考えに立つ。老害を感じるからである。老害の具体的な問題点はいろいろあるが、より優秀で機能的な中高年の登用の道を絶っている事実だけでもほぼ十分であろう。
 私はその面で組織の内規に沿って、いや内規に縛られない立場ではあったが、それを利用してスッパリ引退した。引退後は自身の能力を恥じて対社会的にはほぼ隠蔽生活に入った。

 人はその育つ過程の社会の影響をもろに受け、心身ともに身につける。身についた時代感覚は学習によっては乗り越えることもあろうが、表層がカバーされるにすぎない。それが高齢化とともに徐々にはげ落ちてくるものなのだ。私もそうだ。

 組織委員長に76歳の元総理を会長に据えたのは、いかにも時代遅れだった。五輪は6年後だというのにこんな方を押す方も、受ける方も、認める方も異常である。
 森氏はもともと失言が多い方である。私は首相就任以降のことしか知らないが、彼の言葉は実に軽い。本当に軽い。

 ただ、今回、自ら「五輪精神に反する」と認め、「老害」と公言したことは評価するが、辞任の意がない事にはがっかりした。

 「身内」のJOCも菅総理も批判する素振りは見せるが、積極的に非難する人間は誰も出てこない。IOCのバッハ会長、政府関係者、都知事も容認してしまった。そのこと自体が老害の現れである。組織には人脈があるから言うべきことも言えないからである。森氏が発言した時にIOC関係者の誰もが問題を指摘できなかった。
 にも関わらず、2月9日には、一転して、IOCは「森会長の発言は極めて不適切で、IOCが取り組むアジェンダ2020での改革や決意と矛盾する」などと厳しく批判した。世論の高まりを受けて、周りの雰囲気を見てからの同調発言であった。

 五輪のボランティア者からも辞退者が出ている。

 今回の発言は「五輪の、日本の、世界の恥」として長く記憶されることになるだろう。

 森氏のどこに、周囲を納得させる力があったのだろうか。

 「ノミの心臓、サメの脳みそ」と揶揄された森氏はわずか1年という短命政権で終わった。
 森氏を辞任に追い込んだのは、数々の失言や暴言もそうだが、2001年2月の「えひめ丸」事故だった。ハワイ沖を航行していた日本の高校生の練習船が、アメリカ海軍の原子力潜水艦に衝突され9人が死亡した。
 森氏はゴルフ中で、連絡が入ったが、その後もプレーを続けた。この危機管理意識のなさが国民の怒りをかき立て、支持率8%、不支持率82%という前代未聞の世論調査の数字が出て退陣に追い込まれた。史上最低の総理とも言われた。

 老害のもう一人の立役者は二階幹事長である。
 今回の森発言に関しても的の外れたコメントを出し、火に油をそそぐ結果となった。完全に時代からずれている。


2/6(土)近畿緩む 飯川病院日当直 孫お泊まり
1:30起床。文献,新聞整理他、録音データ整理など。午前は座学一般。11:30家内に同乗飯川病院に。12:00日当直に就く。12:00検食、新聞データ化、本読み、データ整理。微睡。19:00夕食、20:30就寝。歩数計Σ4325歩。当直時は読書三昧できるのがいい。

東京五輪・パラリン組織委員会森会長の発言(1) 私は氏の感覚を非難できない
 JOCの臨時評議員会に名誉委員として出席した東京五輪・パラリン組織委員会の森会長が、次のような見解を口にした。
 「女性がたくさん入っている理事会の会議は時間がかかる。女性は競争意識が強く、1人が手を挙げて発言すると自分も言わなければと思うのだろう。規制しないとなかなか終わらない・・・・」。

 元首相であった森氏の女性蔑視発言である。当初私がこのニュースに接した際には「またか!! 老害がまた出た!!!!」とそれほど気にもとめていなかったが、6日の19:00NHKニュースは7分間にわたってこの問題を流し、もっと報道すべきことがあるのでは、とその時間配分に頭にきた。翌日から新聞に大きく取り上げられた。紙上での炎上である。メディアにとっては待ち望んでたニュースであろう。

 私は女性の立場を、どちらかといえば過剰に尊重してきた。私自身が男尊女卑的感覚を濃厚に持っていることを自覚していたからである。

 現役時代には森氏が感じていた内容と同じ感想を持っていた。
 数々の会議を司会したがその時間調整には常に苦労した。私は発言者に対して「先に結論を述べ、その後に説明を加えるよう」と求めていた。男女にかかわらず論旨がはっきりしない発言者は少なくないが、やはり時間がかかるのは女性の発言に多かった。

 しかし、私は森氏のように思っていたことを正直に口にはしない。私の場合には司会者としての特権で発言者をコントロールできたからである。他の方が司会されているときはイライラしたこともあった。

 森氏は翌日会見し、「差別や男女平等に則った五輪精神に反するものだった」と謝罪、発言を撤回したが、会長職の辞任は否定した。

 私は発言を謝罪し撤回するという風習には反対である。それで許されることはあり得ない。自らの判断で説明の機会を設け、納得されなかったら進退を明らかにするのがいい。発言の内容にもよるのだが、辞任を念頭に置かない謝罪は初めから責任を回避している。

 7年前に組織委が設立された際、政府主導で森氏に会長就任を要請した。何としても五輪を開催したい安倍首相の意向であった。菅首相は「あってはならない発言」と述べたものの、森氏の謝罪で事態の沈静化を図ろうとしたのだろう。

 私は男尊女卑的考え方から抜けられない。だから、極力口には出さない。しかし、ついぽろっと出てしまうことがある。だから、不用意に口に出した森氏をは配慮不足と思うが、心情は批判できない。

 ヨハネによる福音書第8章「姦通の女」についての記述がある。「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まずこの女に石を投げなさい」。すると集まった群衆は一人また一人と立ち去ってしまい、誰も女に石を投げることができなかった。
 森氏についてこの話を思い出した。 


2/5(金)曇り降雪 大曲中通病院外来 飯川病院ボランティア 除雪9回目
1:10起床。文献チェック、徒然など。5:30可燃ゴミ集積所に、ゴミ運搬に今季初ソリ使用。降雪3-4cm。5:30-6:30今期除雪9回目。7:15Taxi駅に。7:37意外と早く着きスターバックス時間調整、8:11こまち。9:00-12:15大曲中通病院外来、駅病院間往復Taxi。帰路新幹線90分遅れていたが実際には30分遅れで前の号に乗れた。秋田駅病院間は歩行難Taxi、強烈に寒い。14:45-19:00飯川病院ボランティア。19:30帰宅夕食、21:00就寝。歩数計Σ11300歩。

徒歩通勤2021(2) 2回目の転倒 今回もディバッグに助けられた ミカンにも
 1月30日、中旬に秋田市の市立病院で発生したCOVID-19クラスターの影響で、飯川病院が大学にお願いしていた派遣医が来院できなくなったので私が代診することになり、8:40のバスに乗ろうと道を急いでいた。

 昨夜は冷えていたが積雪は1cmほど、うっすらと道路表面を覆っていた。
 自宅からバス停までの半分のあたりにコンビニがあり広い駐車場がある。そこで全く予想外に靴が滑って一瞬両足が宙に浮き背中から転倒した。今回の転倒は前回のよりは衝撃が大きかった。
 しかし、背負っていたディバッグがその衝撃を吸収してくれたようで、局所的にダメージは受けず、すぐに立ち上ることができ、歩行もできた。
 滑った原因はブラックアイスバーン状態の面にうっすらと雪が積もっていたために視認できなかったためである。
 
 今回もディバッグに助けられ怪我しないですんだ。
 ディバッグにはiPhone、 iPad mini 、ハードディスクのほか、ガラス瓶に500mlのお茶、日刊紙3紙を入れていた。さらに今朝は出がけにテーブルの上にあったミカンを入れていた。

 病院についてからこれらを出して状態を調べたが、iPhone、 iPad mini 、ハードディスクはしっかり機能した。助かった。
 茶のガラス瓶は割れていなかった。
 ただ、ミカンは袋の中で10ケ全てが破裂していた。
 <img src="https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/18/23/39e0d603d40c485815c27f1cdf1af7f3.jpg" border="0">
(皿に並べた破裂ミカン グチュグチュに潰れた数ヶはミカンの気持ちを考えて除いた)

 私はこの時期になると突然ミカンが食べたくなる。実がパンパンに張っている様な、旬の時期にはまず食べない。今の時期になると実が縮むためか皮と実の間に隙間ができ、ブヨブヨになるが、この状態のが美味しい。しかも、大きな実よりは適度に酸っぱい小粒のがいい。

 今回の品は和歌山県産の小粒であった。助けられた。
 当日は午前外来に次いで日当直でもあった。感謝の気持ちを込めて全部を食べた。美味しかった。


2/4(木)降雪約15cm さらに日中15cm 除雪8回目  飯川病院
1:15起床。新聞、文献本読み。電子化。降雪朝まで15cm、9:30-10:30今季8回目除雪。12:12バス飯川病院、バス停でホワイトアウトと状態、横殴りの雪と寒気ですっかり冷えた。石像になるかと思った。12:40飯川病院、14:00-19:00勤務、入院患者対応、本読みなど、微睡。19:10帰宅、夕食、21:30就寝。歩数12051歩。昨日はこの時期に初除雪

季節の話題2021(3) 秋田の雪(3) 再度強烈な寒気、降雪、バス待ちの間に雪像に
 ここ数日寒気が緩み、秋田市内の道路の雪は、歩道はまだ除雪不十分で歩行でき難いが、車道はほとんど雪がないほどになった。

 ほっとしたものの秋田県内は昨夕から再び冬型の気圧配置が強まり、県内広範囲で暴風雪となった。なんで今期の冬は週の単位で寒暖が激しく入れ替わるのか??昨日一昨日は最高と最低の温度差が10℃もあったのに??

 県南の横手市では積雪が通常の250倍にもなる196cmとなり、1979年に統計を始めて以来最多を更新した。 
 秋田市でも午前7時までの12時間降雪量が27cmで2月の降雪量の記録を早々に更新した。風も強く八峰町八森で最大瞬間風速23.8m、にかほ市で29.9m、能代市で22.0mがを観測した. 
 県内の交通網も大きく乱れた。秋田道、日本海沿岸東北道も数時間通行止めになった。 
 東日本秋田支社によると、羽越線や奥羽線、北上線などで運休した。 
 秋田市は4日、市内で積雪が40cmを超えたことに伴い道路豪雪対策軍部を設置した。

 私は本日は午前はフリーであったために9:30-10:30今季8回目除雪を行った。強風で飛ばした雪が私の方に飛ばされてくる。除雪中に衣服に雪が付着し、雪まみれになった。

 12:10のバスで飯川病院に向かったが、正午頃から天候が急悪化、強風、前方が見えないほどの激しい降雪となり、路上の車は前がほとんど見えなかったのだろう、超ノロノロ運転となった。したがってバスも大幅に遅れバス停で30分ほど立ち尽くしていた。雪が横殴りに降ると目も開けていられないし、ウエアには雪が厚く付着するし寒い??? ほとんど石像と化して立ち尽くしていた。

 昨年まではこのような自然との戦いはまずなかった。昨年までは厳しい荒天の場合は古い車を引っ張り出して用いていたからである。
 昨秋、運転免許返上したために悪天候の厳しさをもろに体感することになった。
 かなり厳しい状態であったが、運転免許返上を後悔した事がないから不思議である。車に頼らずに天候の厳しさを身体にもろに受けながら生活していることにある種のエクスタシーさえ感じられる。幼少時の感覚が思い出される。それも嬉しい。

 とにかく、今年の天候は例年と異なっている。でも、もう確実に春の息吹が近づいていることが実感される。
 
 (2月1日am5:30 当直の朝に飯川病院の自室から見た朝の空 春の息吹が感じられる美しい景色であった)


2/3(水) 寒波再来小雪 午後飯川病院ボランティア アマゾンECHO購入
 1:30起床。新聞・文献読みとPDF化およびそれらの整理に集中。午前自宅で座学。
11:50バスにて飯川病院。検食、12:30-18:30ボランティア。19:30郵便局本局経由帰宅。夕食、21:00就寝。Σ7328歩。積雪5cm、明日は除雪必要か。

家庭菜園・園芸2021(2) 今季最後の収穫 ネギ(2)  私は徹底して手抜きで栽培
 ネギは白根を食べる長ネギが代表的。根深ネギは冬が旬の野菜。暑さ、寒さ、乾燥にはよ強いが、湿害に弱い。

 根深ネギの栽培は種からだと苗作りに45〜50日と時間がかかる上、成長は遅い。白根部分を長く伸ばすために、植え溝を深く掘り、定期的な追肥と土寄せ作業が必要とされるなど結構栽培は困難。しかしながら、未収穫で畠に残しておいたネギは寒さに耐え、味は甘味を増して格別である。

 ネギは育苗床を準備してタネを撒いて育ててもいいが結構手がかかる。私は種苗店で苗を購入して畠に植えている。いつもは下仁田ネギ、横倉ネギを購入しているが今季は入手できず、種名は不明である。

 長ネギの場合、追肥は約一ヶ月ごとに株元に行い、根元に3−4回土盛りして白身を長くする必要がある。倒れるほど伸びすぎた場合、葉先をハサミなどで剪葉する。
 これらの作業は素人にとっては楽ではない。だから、私は追肥も土盛りもやらない。全て自然任せである。ただ、ネギは生育が遅いために雑草が追い越していくことがあるから草むしりばかりは欠かせない。

 真夏はネギにとっては休眠期??で成長はほとんどない。秋口になると元気を取り戻す。ある程度の大きさになればいつでも収穫できる。今はネギはいつでもスーパーなどで購入できるから急にネギが欲しくなったときに緊急的に収穫する。

 他の作物は収穫時期が決まっているが、ネギの場合は春先まで収穫できる。今季は畠が厚く雪に埋まったが掘り出すと青々として元気であった。
 数日前に最後の収穫を行った。
<img src="https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/66/10/7db80d40ddc05202af3e9c02aaa89d97.jpg" border="0">
 (今季最後となったネギ 追肥も土寄せもやっていないから全体に小ぶり 白根部分は細め しかし、味は最高であった)

 次季は葉ネギや小ネギも栽培してみたいが、欲張りは自分の首を絞めることになるし、もっと楽をしたいし・・・、と複雑である。


2/2(火)小雪やや寒い 中通病院外来 飯川病院
1:00起床。新聞、本読み、電子化などいつもの如く。5:30可燃ゴミ集配所に。6:47バス飯川病院。8:45-14:00外来。警察からの患者の病状良い合わせあり準備に難渋す、疲弊。14:15飯川病院-19:00勤務、入院患者対応。また微睡も。19:30帰宅・夕食、21:20就寝。Σ10633歩。

家庭菜園・園芸2021(1) 今季最後の収穫 ネギ(1)  

 私は18歳まで盛岡市の郊外で育った。
 田舎だけに敷地は広く1000坪もあって、不相応の庭園があり、池には鯉が泳ぎ、松やかえで、けやきなどの樹木の一角では野鳥が営巣していた。
 住宅は医院を含め火災前には400坪もあったが、昭和27年の火災で200坪程に減築した。
 家の周囲の畑には果樹が実った。リンゴ、ナシ、モモ、カキ、クリなど。
 畠は家で食べる程度であったが、各種の野菜が植えられていた。耕し、種を撒くときには近所の農家の方々に依頼したが、草取り等のメインテナンスは不十分ながら母親、ときに父親が担ってた。

 私は母が33歳で生まれた。だから中学生の時はもう50歳前後で、現代のお年寄りとは異なりもはや初老老人であった。私はそんな母親の姿をみかねて、勉強の傍、時間があれば手伝っていた。新潟大進学後も連休があれば帰省し、手伝った。
 この家屋敷は私が22歳の頃、メインテナンスが次第に困難になったこともあり手放し、盛岡に50坪ほどの宅地、30坪ほどの小屋を構え、労力的には解放された。

 昭和48年に私は秋田に転居したが、子供の時の環境を再現したくなるものである。やや広めの敷地を構えた。
 65歳でハードであった現役から退いたが、少しづつ野菜作り、園芸にも時間を裂くようになった。田舎暮らしの時の経験が大きい。

 畑の栽培の対象は標準的なキウリ、ナス、トマト、枝豆、落花生、ネギなど。
 園芸としてはダリア を栽培し、果樹としてはリンゴ、モモ、カキ、クリ程度である。
 畠の作業、園芸などは嫌いではないが好き、とはいえない。できればやりたくない・・と言いながら、春になり陽射しが強くなるとるとどうしても始めてしまう。5月の連休の頃から始める。一旦初めると水やり、草取りとか日常的に世話が必要で手を抜けない。

 私の野菜作りは一切の追肥や駆虫剤などは用いない。太陽と土壌、水の力だけに頼っている。面倒だからである。
 台風などの風対策は入念に行う。さもなければ根こそぎ持っていかれる。

 9月になると私の野菜作りの意欲は急速に萎えてしまう。秋野菜、冬野菜は手をつけない。時折、必要に応じてネギを収穫し鍋物の時に用いるだけ。

 この時期から座学中心になるのであるが、ダリアが最盛期を迎えて手がかかるようになる。

 数日前に雪に埋没して頭だけ出していた最後のネギを収穫して舌鼓を打った。雪中野菜の例に漏れず甘みが増して美味であった。


2/1(月)曇り 健康クリニックドック 飯川病院
2:10飯川病院起床、新聞、本読11:45飯川病院へ、微睡、データ整理。14:00-18:30勤務、入院患者対応。19:15帰宅、夕食、21:20就寝。Σ6211歩。

徒歩通勤2021(1) 2回目の日本一周 岩手徒破終了青森に至る
 私は車が嫌いである。だから先走って2020年9月運転免許を返上した。

 1990年(45歳)に子供達も大きくなり、一人での移動が多くなったので5人乗りの車を利用するのは無駄と考え、バイクのヤマハビラーゴ250ccを購入、次いで1991年2月(46歳)にハーレーダビッドソンFLSTOF1340ccを購入した。長く利用したが60代後半になって重いバイクの取り回しが困難になり、2012年(68歳)換金して東日本大震災の義援金に充てた。

 2011年(67歳)ドロップハンドルのクロスバイクで通勤していた。2012年(68歳)高校生と接触して転倒、その後腸閉塞、脳塞栓を発症し、ついで右下腹部にヘルニアが出たために自転車通勤は諦めた。

 2013年4月以降、片道7Kmを徒歩で通勤することとした。その時に購入したのが歩数計「新・平成の伊能忠敬」である。伊能忠敬の足跡を、ゲーム感覚で日本一周約18.000Kmを地図を作りながら進んでいくというものであった。

 2013年4月(69歳)に開始し、2020年1月(75歳)日本一周を達成した。
 その後は2回目の日本一週にトライしているが、2021年1月末に郷里の岩手県を通過し青森県に至った。今回は2回目の中間報告である。

 (東京の日本橋を再スタート10ケ月経過、やっと岩手県を終了した)

 2013年の開始当初は新しい試みに燃えて、やる気満々、さらに私も若かった。その頃1日25.000歩、20Kmにも達したことがあった。しかし、加齢とともにやる気が減弱、体調不良もあって2019年春(74歳)から全コースの徒歩通勤を止め基本をバス通勤にした。
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 ■ 2020年1月日本一周達成時の最終的積算データは以下の如く。
経過期間:2.290日目、6.8年。総歩数:Σ2.171万歩 (平均9.480歩/日)。歩行距離Σ17.372Km(平均7.59Km/日)。
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 ■ 2020年4月沖縄一周を達成した時点の最終的積算データ。
経過期間:2.565日、7.03年。総歩数:Σ2.411万歩 (平均9.399歩/日)。歩行距離Σ19.292Km(平均7.52Km/日)。
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 ■ 2021年1月30日 岩手県2回目歩破時点の最終的積算データ。
経過期間:2.850日、総歩数:Σ2.683万歩 (平均9.414歩/日)。歩行距離Σ21.464Km(平均7.53Km/日)。
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 最近では自宅や病院周辺、病院の階段をこまめに歩いて歩数を稼いでいる。今の所がっくりと1日歩数が減ったわけではないようである。





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