徒然日記

 日記と言うより、自分の行動記録と日々の雑感です。

トップページへ戻る   徒然日記バックナンバー

 

 

 

 1/10(金)曇り 大曲中通病院外来 飯川病院ボランティア
 1:00起床。文献・新聞PDF化。6:00可燃ゴミ廃棄、7:35Taxi飯川病院経由駅東に、8:11こまち。大曲駅・病院は往路は寒くTaxi、雪はほとんどない。9:00-12:00診察終了。駅まで徒歩、新幹線遅れなし。13:50業務用スーパー、ドレッシング等購入。14:30飯川病院ボランティア。18:50書店経由帰宅。19:30夕食、21:30就眠。 歩数計Σ13753歩。

地球環境2020(3) 代替エネルギー開発より代替ライフスタイル開発を

 地球温暖化そのものは、自然界のさまざまな異変を通じて多くの人は身近な問題として気がついているであろう。 
 温暖化すると気候の変化が激しくなる。現に最近の我が国が被っている気候変動は異常である。

 温暖化自体は現に測定されているから疑問の余地はない。あとは原因だが、フロンとかメタンもあげれれているが、二酸化炭素以外にいまのところ有効な説明がつけられない。 
 この温暖化か人為的か?自然の変化なのか? 今でも意見の分かれるところである。
 国運では人為的だという意見が主体を占めた。クリントン政権の副大統領だつたゴア氏はこの方面で先進的考えを持って世界を指導しているが、人為的だと断定する。多分正しいだろう。

 ただ、今に至っても地球温暖化については反論もある。
 マーク・モラノ著「地球温暖化の不都合な真実」は2019年に出版された新しい本である。著者は1970年代には地球寒冷化による食料危機が論じられていたが、一転、温暖化説に取って代わったことから、気候科学そのものの信頼性が問われても不思議はない、という。そして、国連の気候変動政府間パネル(IPCC)の報告書、ゴア氏が鳴らす警鐘にことごとく反論を試みているが、その論理には無理がある、と思う。

 この温暖化問題の根本はアメリカ文明だということは明白である。
 アメリカは二酸化炭素排出量は世界の1/4を占める。次いで、中国>EU>ロシアの順で、日本は5%程度である。その意味では日本がこの問則で具体的にいくら努力しても意味がない。温暖化はまさに国際問題である。しかしながら、先日のCOP25では日本は強い非難を受けた。

 温暖化問題は政治問題である。しかも、人類全体があまねく影響を受けるから地球規模の社会問題でもある。だれかが、あるいはどこのかの国に都合か悪いからといつて放置できる問題ではない。地球に住むものが均等に負うべき問題である。にも関わらず、COP25は国同士のエゴのぶつけ合いで終わった。

 日本は排泄量が少ないといえ、温暖化に関与している。
 日本が2050年までに二酸化炭素排出を半減可能かというなら、私は可能だと思う。
 ただし、再生可能エネルギーだけが注目されているが、それだけではダメ。いかにリチウムイオン電池が発展しても、増え続けるエネルギーを再生可能エネルギーで安定確保することはできない。

 「高エネルギー消費文明を許すべきではない!!!」 ここに地球を救う方法論の原点がある。
 人間の生活の質を落とすことになるが、止むを得ない。今までエネルギーを消費することで楽にできたことができなくなるだけ。
 代替エネルギー開発をいかに進めても消費に制限がなければ追いつかない。
 代替エネルギー開発だけが注目されているが、甘い。
 エネルギー消費の少ない代替ライフスタイルの開発の方が重要である。

 「エネルギーは上手に消費すべきであって、浪費すべきではない!!!」 これは古くからの私の持論。
 根本はエネルギーにあるのではなく、人間生活、エゴにある。ここを誤解しては解決しない。

 五輪の聖火を水素で賄う??くだらんアイデア!!! 東京大会から開会式と閉会式にのみ点火し、温暖化に警鐘を鳴らすべき。これは、人類の歴史に残る快挙となる。


1/9(木)比較的温暖 飯川病院
 1:10起床、文献・新聞PDF化。朝方から気温の上昇の感じとともに雨が降ってきた。暖房不要なほど。11:50バスで病院へ。 13:30秋銀スタッフ来訪、担当者交代に。最後の歓談。15:00患者処置、15:30-16:30健康クリニックドック判定。19:00帰宅、夕食、21:00就寝。歩数計Σ6782歩、日本一周最後の東京まで55Km 。

地球環境2020(2) 発熱し、自浄作用は低下しつつある

 ■ 地球は若い だから地殻は変動する
 地震とか、地殻変動とかの大きな地球の営みは人間の存在とは直接的には関連しないだろう。
 地殻変動は、地球自体が極めて重量のある水と陸地からなり、8-9千m級の切り立った鋭い山脈、日本海溝に代表される数千m級の海溝構造を持ち、さらに地層深くの高エネルギーのマグマの存在など、まだまだ地球自体は若くて不安定な惑星である事を考えれば、地殻変動は当然の営みである。これは人的にはなんともしようがない。
? 長い年月をかけてこれらの物理的な歪みはエネルギーを蓄積し、地層をめくり上げ、あるいは沈下させる。
 この様な構造を持つ以上、時折、地球は貯まったエネルギーを放出しなければいけないし、小さく頻回に放出しなければ、何時かは日本海溝側に日本の陸地がそっくりと飲み込まれるような、日本沈没の事態が生じうる、かも知れない。?? 母なる地球の、この自然の営みに関してヒトは全く無力である。だから、もっと謙虚にならなければならない。地殻変動が近々生じうかも知れないと言う発想、準備が必要である
 その意味では、限界近くまで機能している最先端の巨大システム、新幹線、ラッシュ時間帯の都内のJR、などでは惨事が予想される。
 阪神淡路大震災では新幹線は運転直前であったし、新潟中越地震では奇跡が生じたとしか言いようのない幸運さであった。原発は大丈夫なのか?と思ってしまう。?? 
 ここまで発達したらもう機能は中庸で良い。安全性の確保。追求でかろうか。

 ■ 閉鎖空間の地球 自浄作用に限界
 かけがえのない地球、ここは重力と大気に守られた完全閉鎖空間である。あらゆる自然の営みはこの閉鎖系の中で営まれて来た。例外中の例外は、宇宙空間、火星、木星などに向けて打ち上げられた探査機のみで、総じて何千トンあるか解らないが、地球という閉鎖系から外に出され、投棄された物質はこれくらいである。?? 大きめの水槽を窓際に置き、水草と少数の金魚を入れて飼育すると、しばらくたつと一定のバランス環境が成立する。金魚が生きるための酸素は水草の光合成で供給され、排泄物はバクテリアにより分解される。必要最小限の餌は必要であるが、この状況でかなり長い間、手を加えずとも水はきれいなままで保持される。これが身近で経験できる自浄作用であり、閉鎖系のモデルである。

 水槽のサイズの割りに多くの金魚を飼育する等バランスを欠くと、閉鎖系の自浄作用では維持できずに、外から空気を送り込む必要が生じ、排泄物を処理するためのフィルター等の装置が必要になってくる。今、地球環境はこれに近い状況に陥りつつある。生活で発生するゴミ等の処理にエネルギーを費やす。そのことがさらに環境汚染につながる。??
 数100億年という長い歴史を経つつ、地球の環境が徐々に変化をとげ、やがて48億年ほど前に命が誕生し、一部の生命体、植物類、とりわけシダ類がアンバランスなほど増殖した時期はあるが、自然淘汰を受け、各静物が共生しながら、自浄作用のある一定の環境が成立させた。
? 約300万年前、ヒトが誕生したが、もし、地球上にヒトが誕生しなかったら、恐らく地球は別の有り様を辿っていたのでは無かろうか、と思う。
 地球にとってヒトの誕生は、健康人に寄生している寄生虫、いや寄生虫でもそれなりの役目を果たしているとの学説もあるくらいだから例えとして不適切かも知れない。ならば、地球にとってヒトの誕生はガン細胞のようなものかも知れないと、今、つくずく思う。

 ヒトは誕生してもしばらくは自然の掟の範囲の中で細々と生きていたのであろうが、食料を生産する知恵を得たときから、バランスを欠くほどの人口増加が始まることになり、更に文明の発達がこれに拍車をかけることになる。
 人間の営みは自浄作用のレベルを超えてしまった。


1/8(水)寒波雨終日 飯川病院ボランティア 
1:00起床、文献チェック他、本、数冊に目を通す。自炊進める。11:10レガシー出勤、飯川病院ボランティア。14:00検食、文献、数冊裁断、19:00帰宅。夕食、20:30就寝。ラジオ深夜便数編聴く。歩数計Σ7033歩。予報に反して比較的温暖。今季除雪0回。こんな年は初めて。

地球環境2020(1) すっかり健康を害した地球 熱上昇中
 21世紀は、より希望に満ちた世紀になるはずであった。
 2001年(平成13年)9月11日米国同時多発テロが、2011年(平成23年)3月11日東日本大震災と東電福島原発事故が生じ、期待は脆くも崩壊した。?
 今年も、新春からガックリくるようなニュースが続いた。米イラン情勢の緊張、米ロ情勢の緊張、ゴーン逃亡、ウクライナ機墜落などなど。北朝鮮問題然りである。

 加えて、最近は我が国において予想を超える集中豪雨、立て続けに来襲する大型台風などなど異常気象が続き、特に昨年は甚大な被害を生じた。

 地球に今、一体何が起こっているのか?今後どうなるのか?

 私なんざ、もう先が短いから諦観めいたものを感じているが、やはり、それではいけない。私にも次世代、次々世代に生きる孫達がいる。彼らの時代には地球環境はどうなっていくのか??今の内から何とかしなければならない、とも思う。?? 1961年4月12日、ボストーク1号で有人宇宙飛行をした27歳のガガーリン少佐は、人類で初めて宇宙空間から地球を見たが、そのときの感動、美しさを「地球は青かった」という言葉で表した。その時代、米ソは熾烈な勢力争いをしていたわけだが、16歳だった私はその言葉に地球の大きな包容力を感じたものである。そして、今後は地球上の人間の営みも、社会もこれで良い方向に向かうんだと、何となくそう思って感動した。

 しかし、あれから60数年、地球はすっかり人間社会の営み、人間のエゴによって毒され、害され、障害を受け、自然の自浄力・回復力を失い、ついに包容力も失ってきた。

? 何千億年という長い長い時間をかけて、多くの生物を安定的に育んできた地球は、この地球上に現れてから僅か300万年程度の人間という、例えて言えばガン細胞の如くの新生物によって、それこそ僅か数100年程度の短い間に、大きく傷つけられている。
? かけがえのないこの地球はこのままでは、厳しい病気になってしまうだろう。

 ここ数年は特に全世界規模で異常気象が続いている。随分多くの死者も出ている。わが国はかつてはそれほどではなかったが、昨年は本当に異常気象が続いた。集中豪雨あり、熱暑あり、大型台風もかつて無いほど襲来し甚大は被害を被った。
 ただ、被害と言う発想はヒトから見たエゴ的発想ではないだろうか。体温が上昇した地球にとっては当たり前の現象の一つなのだから。

 地球環境については、誰しも参加できる対策がある。エネルギー消費の抑制である。

 一部の先進的考えの方々の活動には敬意を評したい。一方、99%(?)もの方々の無関心さ、傍観者的姿勢には恐ろしささえ感じてしまう。99%(?)は私の勝手な思い込みで根拠はない。


1/7(火)曇り小雪 中通外来 飯川病院
1:00起床。新聞チェック、文献、本読み。いつもと同じ。5:30大量の可燃ゴミ廃棄。6:47スキーウエアにバス優待券忘れた。400円払う。飯川病院へ。8:45-13:45中通病院外来、新カルテシステムで余裕なし。疲弊、飯川病院14:00-18:50勤務。病棟外来対応。疲れて午睡十分に。19:00帰宅、19:30夕食、20:45就寝。歩数Σ8001。

年末年始休暇2019-2020 例年より怠惰、読書音楽鑑賞三昧であった
 今期の年末年始休暇は前後が土日で、私としては9日間の休暇となった。これほどの大型の休みは久々だな、と思ったら昨年5月には10連休があった。10連休は天皇の代替わりがあって特別なことであったが、日本は週休二日制や暦上でも休祭日が増えてきていて、休日が広く受け入れられている。

 現役の頃は休日によって輸血用血液の入手が困難となり白血病などの治療スケジュールを変更せざるを得なくなるなど、連休を呪ったりしたものだが、嘱託の今はそんな悩みはなく休日はとても嬉しい。昔のことは思い出したくもない。

 2019-2020年の年末年始休暇は12月28日(土)に始まり1月5日(日)までとなった。

 この間の勤務状況は以下のごとく。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――-
           午前     午後 ほか       1日歩数
―――――――――――――――――――――――――――――――――――-
12月28日(土)   (フリー) (フリー)某医来訪歓談   Σ6828歩  
12月29日(日)   (フリー)   餅つきパーティ     Σ5613歩
12月30日(月)   (フリー)   飯川病院勤務     Σ9287歩
12月31日(火)   飯川病院日直  飯川病院日当直   Σ6750歩
―――――――――――――――――――――――――――――――――――-
1月1日(水)    (フリー)    (フリー)        Σ6927歩
1月2日(木)   (フリー)    (フリー)       Σ6553歩
1月3日(金)    飯川病院日直   飯川病院日当直   Σ3528歩
1月4日(土)    (フリー)    (フリー)        Σ6791歩
1月5日(日)    (フリー)    (フリー)        Σ7540歩
―――――――――――――――――――――――――――――――――――-

 飯川病院日当直は2回、午後勤務日1回であった。フリー日が6日間あり、かなりの時間を自宅で過ごし得た。

 横浜から舩杉一家来秋したが、孫に発熱がありインフルエンザAに罹患していた。楽しみにしていた餅つきは一家で欠席となった。

 私の休暇は読書、音楽鑑賞、微睡三昧であった。

 読書は内容的には死、終末期医療、自死、死刑、裁判制度関連の作品に集中した。
 音楽関連では録画で、「N響定期公演」、「N響第9特別演奏会」など録画をじっくりと楽しんだ。また、2019年分の「N響定期公演」を中心とした音楽会公演全録画を見返しつつインデックス完成した。これでいつでも再視聴ができる。実に貴重な資料である。
 
 家内も比較的ゆっくり出来たようである。私が当直する夜は次男の孫二人を宿泊させて悦に入っていた。
 ネコ7匹も元気。いたずらは徐々に少なくなってきている。私との関係も最近一層ホットになってきた。

 私は歳と共に体力気力の減退で何事も億劫になりつつある。
 身体的活動の指標として、この間の歩数をプロットしてみた。目標の1万歩に達したのは1日もない。低活動状態であった。
 除雪はいつもなら何度もやっている時期であるが、今年は積雪がなくまだ一度もやっていない。とても嬉しいが恐ろしさも感じる。

 二年ほど前から、新年に気持ちをリセットすることも止め、目標設定などは行わず、肩を張らず、あるがままに、気の向く方向で生きようと思っている。
 今年の休暇はそれなりに実践できた。


1/6(月)曇り 通常勤務初日 健康クリドック 飯川病院 
1:00起床。文献検討.徒然など処理。今春初スキーウエア着込んで6:47バス飯川病院、9:00-11:15健康クリニックドック10名+結果判定14名、飯川病院へ移動。微睡、検食、14:00勤務、入院患者対応。読書等座学中心。19:30帰宅・夕食、21:30就寝。歩行Σ8923歩。

人口減・少子化2020(3) 人口減問題を解決するには
 このような、人口にまつわる数字を見ていくと、日本の将来に希望を持つことは不可能に思える。
 人口減という事態に対する対応がないまま時間だけが過ぎ去っていけば、一日遅れるごとに、高齢化が進み、かつ若年層か極めて少ない国力の乏しい特異な国になる。そんな状態の国を支えるだけの経済力が将来の目本に残っているはずもない。今ですら超借金大国である。

 高齢化は日本だけの問題ではない。米国でもヨーロッパでも高齢化への対応は大き
な問題だ。近隣の韓国や中国をはじめ他のアジアの国も同様である。 
 しかし、他の国々では具体的対策を取り始めている。

 一方、日本の国民は人口減の影響をモロに受け始めているのに、国民は観覧席の客の姿を演じている。そのうち為政者達は何か対策をしてくれるだろうとのんびり構えて日々の生活を楽しんでいる様に見える。私の感覚がずれているのか?

 若者が漫然と抱えている危機感を為政者は先取りしなくてはならない。為政者達は、いじめ、不登校、引きこもりなどから、また、低婚姻率、出生率低下、出生数低下などから何を読み取ている?

 こんな日本、人口問題で未来をひらく鍵は何か??以下の二つしかない。
―――――――――――――――――――――――――――――
 ■ このまま看過して、国が痩せ細るのを見て、社会保障とかの劣化に耐える??現在のレベルの生活は確実に維持できなくなる。若者が気の毒。
 勿論、下り坂をトロトロと、止まるまで行ってみる、という人生観もいい。個人的には。ただ、為政者の姿としては許せない。「桜を見る会」云々、「カジノ云々」、「野党再編」などに終始している場合ではない。

 ■ 何とかして人口増加を図る??
 若い女性が減った今、さらに減っていく今、日本人の子宮だけでは不足である。
―――――――――――――――――――――――――――――

 入口減問題を解く鍵は何か、移民の受入れしかない。

 なぜ移民受入れの議論をするかというと、このような逼迫した問題が目前に迫っており、悲惨な状況が予測できるのは自明のことである。

 人口問題は減少だけではない。地球上の人口の爆発的増加、歯止めのかからない温暖化は全世界のすべての人たちにじわじわと影響が迫っている。地球上の食糧生産率は温暖化によって減少に転じていき、国家間で食料の奪い合いが生じる。
 温暖化によって新しい病原体が生まれ、人類も含め、生物は未知の感染症に追いかけ回される・・・。

 いま、新たな冷戦が生じつつある。世界のトップの為政者たちは頭を冷やせ。
 冷戦より温暖化の方が重要は状況に至っている。さらに日本では人口減が・・・。


1/5(日)曇り降雪2cm 除雪不要 年始休暇最終日 
1:00起床、文献整理。読書、花村万年「イグナシオ」読了。読後感は良くなかった。1月1日録画の「ウイーンフィルNY con」一部視聴。BRレコーダーのハードディスク整理、内容一部廃棄。iPadにて「余命一月の花嫁」観る。病気話題の作品は見ていて悲しく辛い。19:00夕食、21:00就寝。Σ7540歩。12月分ラジオ深夜便データ移し終了。

人口減・少子化2020(2) 堺屋太一氏は現状を見事に予測していた
 堺屋太一氏は元通産官僚。1978年通産省を退官後、評論家、小説家、経済企画庁長官(第55〜57代)、内閣特別顧問、内閣官房参与などを歴任した。2019年没。
 近未来予測小説「平成30年(上)、(下)」は経済企画庁長官を歴任前後に「朝日新聞」に連載された小説である。

 20年以上も前の作品であるが、1997年(平成9年)の時点から 2018年(平成30年)の日本を予測した作品である。私は氏の没後に読んだが、氏の「先見の明」は、現在に生きて現実の問題として突きつけられている私から見てただただ驚くばかりである。

 「平成30年(上)」は「何もしなかった日本」、「平成30年(下)」には 「天下分け目の改革合戦」、という副題がついている。
 「何もしなかった日本」という副題は当を得ている。

 「平成30年(上)、(下)」を読み返して驚かされるのは、日本人の出生数が100万を切る年を平成30年と言い当てていたことである。その他、人口問題を介して明らかになる年金問題、医療介護等の諸問題などにも言及している。

 子供の減少は著しい。
 2016年(平成28年)の出生数は、政府の願いに反して100万人を割ってしまった。一因が、若い世代の晩婚化だという。その原因を作ったのは政府であり、何もしないで手を拱いていたのも政府でなかったか?

 わが国の「ベビーブーム」について。
 「第1次ベビーブーム」は終戦直後、1940年後半。このとき生まれた団塊世代が結婚・出産の適齢期を迎えた70年後半に「第2次ベビーブーム」は起きた。そして1990年代後半はその団塊ジュニア達(1971〜74年生まれ)が適齢期を迎え「第3次ベビーブーム」が来るは筈であった。厚労省が希望的予測をしていた。政府は何もせず看過していた。しかし、その期待は実現しなかった。

 平成に入って問もなく、バブル経済が崩壊。経営難に陥った企業は新卒採用を絞った。若者世代の非正規化が進んだ。団塊ジュニアはそのあおりを真正面から受けた。非正規願用だったり低収入の男性は結婚できなかった。雇用の劣化か未婚化を促進、少子化に拍車をかけたが、当時の政府は状況の厳しさを見抜けなかった。

 出生率低下に歯止めがかからず、政府も90年代後半にようやく本腰を入れる。政府は少子化対策相を置いた。歴代政権は少子化対策に取り組んでいる様に装ってきた。人気歌手を動員し、少子化対策キャンペーンを張るなどの牧歌的な対策に終始し、結果的に成果は何もみられていない。

 政治家は少子化が日本の最大の危機と捉えていなかった。将来的に、日本人の生活の基盤となっているあらゆる場面において危機が迫ってくる、というのに人口危機を正視できなかった。

 今に至って、やっと!!! 気づいた?? しかしながら、もう、非可逆的レベルに至ってしまった。今後どうすればいい??今後の政治家に課せられた問題は実に大きい。


1/4(土)比較的温暖 積雪なし
2:30飯川病院で起床。多少寝過ごした。正月だからいいか、と割り切る。新聞・文献チェックほか。7:00検食、9:10レガシー帰宅。昨夜次男の孫二人宿泊した、という。ラジオ深夜便データ移行、数篇再聴。昨夜録画したNHK新春オペラ他を見る。ディスクの整理も開始する。読書三昧で過ごす。19:00夕食、21:00就寝。歩数Σ6791歩。

人口減・少子化2020(1) 人口減問題は不可逆的レベル進展した
 厚生労働省が6月に人口動態調査を発表した。
 それによると、2018年に国内で生まれた日本人の子どもの数は91万8397人で、統計がある1899年以降で最少であった。出生数から死亡数を引いた自然減は44万4085人で過去最大の減少となった。

 2019年の見通しを2019年12月に発表したが、ついに出生数は90万人にも達しない見込みとなった。加えて、2020年1月1日時点で20歳を迎える予定の新成人は122万人になることが分かった。

 この出生数見込みと新成人の数は年末年始の新聞の社会面を大きく占拠した。

 私は医療関係者として日本の人口問題には早くから関心を持ってフォローしてきたが、その立場から見てその出生数の減少、新成人の減少は予てから予想されていた通りで何ら新しいニュースではない。

 何を今更、昔からわかり切っていたことを騒ぐのか??というのが感想である。

 日本の人口の推移は1960年代(昭和40年代)に予測された曲線の上を見事に辿って減少している。わが国の人口問題は、有志の中では戦後間もなくから指摘されてきたが、政府として何ら対策して来なかったから、推定どおりの経過をたどるのは当然である。

 出生率低下問題、人口減問題は個々人を含む社会全体の問題であるが、個々人には関心があっても対策のしようが無い。これは政治家と、学者の仕事である。

 政治家は自分の当選の事とか派閥の立場でしかモノを考えず、日本の将来を論じる程の力は無い。この一年の政治活動、野党の動きをみれば、一体彼らは大きな意味での日本の将来を何としようとしていたのか?と疑問をもつ。人口問題こそが最重要課題だったのだ。もう間に合わない。

 学者は理屈だけは述べている。学者にはかなりの経費を払っているはずだが、こんなに役立たないものなのか??我が国の国民は長いものには巻かれろ的で発想で、観覧席の客と同じで当事者感覚に欠ける。それをいいことに政治家は的がズレた政策しか出してこない。

 我が国の人口維持の分岐点は出生率2.07。今は1.43。積極的回復の為には2.5-3.0が必要。
 この出生率はどんなにガンバっても達成不可能である。

 私は辛いことであるが、日本の人口問題を解決方法として、日本人だけで解決は無理の段階に至った、と思う。それを本当に解決しようとするなら、学費無償化とかイクメン養成とかの小手先きの手段では無理。極言すれば若い女性の子宮を大量に輸入する・・・・しかない。換言すれば、大規模な移民に頼ることしかないと思う。

 人口減は国力の低下に直結する。日本の主権を守る国防を例に取っても、税収が少なくなれば先進的兵器を準備することもできないし、若い精鋭を養成することもできない。旧式の兵器を、視力の弱った、歯が欠けた高齢の操縦士が担うようになるかも。


1/3(金)曇り小雪小雨 飯川病院日当直
0:30起床。データ整理、歴史の本読み、新聞入力中心。8:20レガシー飯川病院へ経由駅に。8:50日当直業務に就く。10:00-11:30外来レセプト点検。12:00検食、入院患者は落ち着いている様子。データ整理、読書、音楽三昧で過ごす。18:00検食、21:00就寝。歩数計Σ6109歩。

ゴーン氏、秘密裏に出国?? いや国外に逃亡されたのだ
 ゴーン氏は12月30日レバノンに入国したことが報じられた。
 海外渡航が禁じられた状態のはず、何で? 初めてその報に接した31日、私は驚いた。

 メディアは「秘密裏に出国??」などとと報じていたが、「国外に逃亡された」と言うべきであろう。
 ゴーン氏はもう二度とわが国に戻って来ることはない、だろう。
 これは国家的に見ても屈辱的な失態でないのか??
 
 「国外に逃亡」には厳しい制約を潜らなければならない。その方法は明らかになっていないが、関係者は国内外に多数いるはずである。
 国は正規のルートを通じて氏の送還を申し出るだろうが、被疑者送還の協約に同意していないレバノンには通用しない。
 ゴーン氏は二度と戻ってこないから、国としては国内外の逃亡に関係した者の捜索に全力を挙げることしかできない。さりとてせいぜい協力者であって大きな罪は問えない。それで溜飲を下げるのか?

 日本の司法は甘かった??具体歴にはどんな制限があるのか私にはわからないが、ゴーン氏に完全に裏を書かれた。
 言って見れば、ゴーン氏の完全勝利である。ゴーン氏側を褒めるべきだろう。15億円の没収など、氏にとってみれば何ら負担にならないだろう。

 それにしてもどうやって??
 自家用機の管理はどうなっていたのだろう。最終的には給油だって? パイロットの都合は? 機の事前の整備は? 空港に提出する飛行計画は??
 パスポートの管理は? 出国手続きは? 
 渡航禁止処置下にあったとされるが、被疑者の管理観察はどうなっていた?
 などなど疑問は解けない。

 どの部分を取っても、どこでも不審な動きと捉えられなかったのか?? 実に不思議である。
 今回の国外逃亡の責任は、国の機関のどこが負うべきなのか??

 分からないことばかりである。
 要するに、こんな状態だとテロ犯人の侵入や逃亡、密輸など、日本がザル状態であることを世界に示してしまった様なものである。
 東京五輪に向けてまた一つの懸案ができてしまった。

 ゴーンは去った。Ghosn has gone。


1/2(木)曇り雪、午後時々晴れ 年始休暇二日目 除雪まだ不要
 1:00起床、医学文献、新聞などチェック。いつものごとく座学、データ移行。積雪なく除雪まだ不要が嬉しい。本日は午前・午後ともに書斎で録画クラッシックデータのインデックスに集中。昨年分完成、その他。読書。徒然記載、19:00夕食、21:00就寝。歩数計Σ3528歩。

2020年は「やる気を鼓舞しない生き方」をしてみよう
 私は外からの評価よりも自分自身の評価を重視し自己満足を楽しむ。
 自分を鼓舞しながら、達成感、満足感を楽しんできたが、70歳台になってその意欲は全般に低下傾向にある。

 最近はやたらに睡魔が襲ってくる。診療を始め、読書や種々の作業を3時間ほど続けると横になって休みたくなる。午睡の時間も長くなりつつある。身体が要求するから無理せずそれには従う。21:00pmに就眠し1:00am前後に起床するという変則的な生活を今も続けていることも関係しているのかもしれない。しかし、変えるつもりはない。

 私の好きな言葉は「継続は力なり」であるが、中身より継続することが主目的となり、本末転倒だと思うこともある。

 ここ数年来、「今年から、もっと無計画に、適当に生きてみたい・・・」と思い続け、徒然日記にも書いてきたが、まだ実行できていない。徒然日記に関して言えば、昨年も更新できなかったのは1日だけで、期せずして「継続は力なり」になってしまった。ダリアとか畑の手が抜けず疲弊した日でなんともならなかった。
 今年こそは途切れてもいい。無理せず自然体でいきたい。

 意欲の低下が著しいと言えども、仕事は減らないから、仕事を始める時には多少なりとも「やる気を育てない」とやっていけない。医師としての業務は報酬をいただいている以上手抜きはできない。

 私は我が家の仕事の分担として、食事・掃除洗濯以外のかなりの部分を担っている・・・と思っている。これらはやらなくとも大きく非難されることはないが、家の内外がゴミだらけになってしまう。そうそう、ネコどもの世話は生き物が相手だけに手を抜けない。

 意欲の高揚がなければできない仕事はすべてやめる、など選択ができればいいな、と思うが、私が手抜きすれば誰かが担わなければならない。面倒くさいからといって、やりがいがないから、とやめるわけにはいかない仕事が一杯ある。これから問題になる除雪作業はその代表である。

 でも、もう残り少ない人生なのだから手を抜けるところは抜きたい。
 すべて自分の心に聞きながら最小限にしよう、と思う。


1/1(水)終日小雪舞う 積雪数cm 年始休暇初日目 舩杉一家松坂に移動
 11:45飯川病院で起床。0:00ほぼ無音の中、静かに新年を迎えた。
 本読み、徒然などゆったり過ごす。微睡、読書、微睡など適宜。9:15レガシーにて帰宅、舩杉一家は10:00新幹線にて松坂に移動し、家の中がガラーンとしている。5日間の存在感は大きい。次男午前来訪、夜も泊まりに来た。新聞雑誌類データ化など。13:00-15:00午睡。その後もデータ移行に費やす。19:00おせちにて夕食、録画BRで「N響第九演奏会」視聴した。いい演奏であった。読書など、21:30就寝。Σ6947歩。

2020年元旦 明けましておめでとうございます。



新年あけましておめでとうございます。

 ちょっと焦って処理して来た書籍の電子化(自炊)は、蔵書のうちの2000年以前の作品はほぼ終了し、一段落したので今後はペースを落として進めることに。
 この事も含め、今年の私の生活の目標は「ゆるゆるとのんびり生きる」にしたい。


12/31(火)大晦日 降雨 年末休暇四日目 飯川病院日当直
 1:00起床。新聞入力昨年文終了。本読み、徒然などゆったり過ごす。今年の大晦日は飯川病院で過ごすことになった。6:00可燃ゴミ集積所に提出。市の依頼を受けた業者のスタフの方々ご苦労様。8:25小雨の中レガシーにて出勤。午前はデータ整理、および微睡。検食後午後は読書、中心に。18:00検食。文献検討。新聞電子化、読書など。19:00就寝。Σ6750歩。ゴーン氏極秘離日!!! 驚いた。

2019年年末(6) 大晦日 静かに時間が流れ、感謝の気持ちで越年した
 本日は大晦日である。
 久々大晦日の日当直に当たった。
 8:30、荒れ模様のほか、秋田中央交通のバスが年末年始スケジュールで運行されているので本数が少ない、という事情もあり、レガシーにて出勤、業務に就く。自炊予定の数冊持ち込む。

 病院内の患者の状態は落ち着いているようだ。
 病院内で私が過ごす部屋にはTVがない。TVがない環境は私は好きだ。
 パソコンと自炊した書籍満載のiPadで、淡々と過ごしている。
 本日は外の車の音も少ない。人通りも少ない。

 18:00検食であった。
 白米にエビフライと野菜の盛り合わせ、きんぴらごぼうの小鉢がつき、お椀にはミニ蕎麦。大晦日のための祝膳である。十分雰囲気が感じられる。

 19:00いつもより早目に休み、23:15に起床した。2020年を迎えるのにいい時間に目が覚めた。
 外はやや風が強く、小雪が舞っている。夜半までの間に数cmつもったかなというところ。明日は初除雪か?
 
 いつもより深い「感謝」の気持ちを込めて、厳粛な気持ちで締めたい。


12/30(月)曇り 年末休暇三日目 午後は飯川病院勤務 
 1:00起床。本読み、徒然などゆったり過ごす。午前の健康クリニックは年末休暇でなし、11:07バスにて飯川病院。データ整理など。14:00-19:00通常勤務。外来入院患者対応。19:30帰宅、夕食。21:00就寝。Σ9287歩。

2019年年末(5)  我が家の動き
 時間の経過は実に早い。本年も晦日を迎えた。
 私としては淡々と過ごし得た一年であった。ずいぶん本を読んだ。

 私は、先に勤務していた病院の嘱託医として、また、家内が傭われ院長している飯川病院の補助医師として診療を細々と続けているが、それ以外は外との接触・交流・対話は一切ない。今年も同様、家族とネコ、自分との対話を中心に引きこもり状態で過ごした。
 病院の嘱託医としても外来が週一回となり、患者数を意識的に他の医師に紹介したが、それでも大変である。更に、12月から新カルテシステムに移行したからこの面でも大変である。

 毎日の新聞読み、読書三昧、文献整理その他、文献チェックなどを通じていろいろ情報を仕入れ勉強し、知識を蓄積した。無知であった自分を恥じながら新しい史実、事実を学んで一人で感激している。入れた情報の一部は本徒然日記の中に文章化している。

 この一年間は、私は健康上のトラブルはほとんど無かったが、最近、体力・気力の衰えが顕著である。バランス感覚の衰えか筋力低下か、ふらつく。全コースの徒歩通勤は健康に自信なく一度もできなかったが、こまめにはよく歩いた。伊能忠敬の足跡をたどる歩数計は6.8年もかかったがトータル18.622Kmとなり、後100Kmを残すだけとなった。

 終活は昨年はCDのMP3化した。今年は書籍の自炊を通じて大幅に進めた。
 まだまだ読書欲は衰えていない。この一年間に新しく購入した関連書籍だけでも120冊に近い。よく読んだものである。

 家内は体調的には元気であるが、一昨年末に大腸ガンが再発し6回目の手術を受け、本年5月に舌癌の手術を受けた。今は元気で実に嬉しい。
 私自身はそろそろ引退を希望するが、家内が働いている間は補完的に、補助的に手伝わなければなるまい。引退するなら同時だろう。

 家族達は、総じて元気に過ごしている。孫5人、何れも個性豊かにすくすくと育っている。賄いの石井さんも弱ってきたがなんとか頑張っている。

 我が家はのネコたちは昨年飼いネコに昇格した。彼らはとても元気、毎日笑いを提供してくれている。ただ、そのうちの1匹「しまじろう」は仲間との諍いが絶えず、風除室の中で隔離している。もう一匹、横浜で拾われ搬送されたユーは外で過ごしている。現在14歳で、この寒空健康面が心配である。

 私供がこうして無事年末を迎え得たのは、やはり多くの方々のお陰である。
 私の最近よく口にする標語は「寛容」、「忍耐」、「感謝」であるが、この一年、まだ一日あるがいつもより深い「感謝」の気持ちを込めて、厳粛な気持ちで締めたい。
 ありがとうございました。


12/29(日)年末休暇二日目 積雪なし曇り 恒例の年末餅つきパーティ
 1:00起床、いつものごとくデータの更新・整理、コンピューター関連読書、徒然ほか、微睡。除雪不要。午前は録画データで音楽三昧で過ごすことに。NHK音楽祭、N響定期公演数本分みる。16:00恒例の年末餅つきパーティ、久宝寺に。家内の親族中心に年に一回の会合、30名ほど。日本酒中心に若干、20:00帰宅、就寝。Σ5613歩。

2019年年末(4) 終活(6) 宗教 自死 死刑 生老病死 尊厳死・安楽死
 今年はずいぶん本を読んだ。
 ジャンルとしては、古典的な作品を含む小説類、宗教関連、高齢者心理と生老病死、尊厳死・安楽死問題、重要犯罪関連のドキュメンタリー、警察・検察・裁判制度・日本の司法制度などなど。

 11月30日、12月7日の二回、末日聖徒なる宗教教団の二人の伝道師の方と面談した。わかりいやすく言えばモルモン教である。
 昨年12月、約1年前であったが、通町を歩いている時に路上で声をかけられたが、時間がないために携帯の電話を交換して次の機会を約していた。その後2回ほど連絡があったが面談の機会は得られなかった。
 本年11月末に再度連絡があった。その時たまたまローマ教皇来日が話題になっていて、私の宗教に対する感覚が異様に高まっていた時期であり、面談を約した。
 土曜の午後病院にきていただき、2回で3時間ほど歓談した。20代と思われる日本人、米人のお二人である。後者の方も日本語でなんとか会話できた。

 面談は先方の伝道の目的には沿わなかったであろう。
 私が抱いている宗教に対する持論、すなわち、宗教に何ができるのか? 神は何を与えてくれるのか? 宗教で社会の何が変わるのか? 宗教は集団的マインドコントロールでないのか? 宗教は個人に謙虚さを教える効果があるが・・・などを提示し、双方の考え方を述べ合った。
 私は話題の資料として11月25日の記述を提示した。宗教2019(3) 私の宗教観に示唆を与えた言葉
 各々の意見に関しては個別に記すことはしないが、双方にとって、少なくとも私にとっては有意義な面談となった。別れに当たって「モルモン教」をいう立派な書籍をいただいた。

 私の場合、私の命の価値は豆粒一つでしかない。この一年間いろいろ考えたが、「好きにさせてよ!!」と思う。だから、終活として自死も安楽死も支持する立場であることには変わりがない。


12/28(土)年末休暇初日 曇り 積雪なし
1:00起床、いつものごとくデータの更新・整理、コンピューター関連読書、徒然ほか。10:30家内に同乗飯川病院。13:30-15:00某診療所医師来訪歓談。19:30ブックオフ経由レガシー帰宅。孫はインフルエンザAであった。21:00就寝。Σ6828歩。

2019年年末(3) 医療界の出来事   
 2019年は医学界にとってどんな年だったのか?
 「これからの医療のあり方」などと名称つけた徒然日記であるが、私の医療面での情報収集能は明らかのに低下してしまった。
 昨年に引き続きm3.comの年末記事を引用しながら振り返ってみた。(一部改変)。
 また、資料として過去3年分のを併記した。

2019年医療界の動き (医療維新による)
――――――――――――――――――――――――――――――
(1)台風豪雨などで浸水被害位相次ぐ
(2)中村哲氏アフガニスタンで死亡
(3)医師の働き方改革議論進む
(4)医学部不適切入試問題で元受験生らによる提訴相次ぐ
(5)ゾフルーザ耐性インフルエンザウイルス高頻度に検出
(6)水泳の池江選手白血病公表
(7)京アニ事件36人死亡 日本の犯罪史上最大の事件
(8)MRからの情報提供規制強化
(9)424の公立・公的病院のリスト公表。再編統合視野に再検証進める
(10)医師志望の福岡、ラグビーW杯で活躍
(11)大学病院の無給医少なくとも2191人
(12)乳腺外科医裁判で無罪。わいせつ行為否定
(13)本庶京大特別教授、小野薬品と対立
(14)抗菌薬セファゾリン供給停止
(15)医師の働き方、報告書まとめ
――――――――――――――――――――――――――――――

参考 2018年医療界の動き (医療維新による)
こんなことが話題になっていた。時の流れは早いものである。

(1)本庶京大特別教授にノーベル医学生理学賞
(2)東京医大女性差別など不正入試
(3)医師の働き方改革議論進む
(4)AI、医療分野で実用化検討
(5)複数の大学で不正入試 文科省中間報告
(6)順天堂大学女性差別など不正入試
(7)大学病院など労働基準監督署の指導相次ぐ
(8)東京医大、44人を追加合格
(9)ゲノム医療、再生医療など最先端医療の推進
(10)医師の地域偏在、診療科偏在対策の動き

――――――――――――――――――――――――――――――
参考 2017年医療界の主な出来事(医療維新による)。

(1)2018年開始の専門医制度を巡る動き 
(2)医師の働き方改革への動き
(3)2018年診療・介護報酬同時改定を巡る動き
(4)日野原氏105歳で死去
(5)小林麻央さん死去
(6)千葉大医学部学生に有罪、集団乱暴事件
(7)医師の地域偏在、診療科偏在を巡る動き
(8)京都医大、虚偽診断諸問題
(9)NHK糖尿病治療に睡眠薬推奨
(10)2018年薬価制度改革を巡る動き
―――――――――――――――――――――――――――――――

参考 2016医療界の主な出来事(医療維新による)。
(1)オプジーポを対象に緊急薬価改定実施 薬価の毎年改定導入
(2)大隅氏がノーベル医学・生理学賞受賞
(3)全国がん登録がスタート
(4)新専門医制度の2018年度開始に
(5)診療報酬改定で多剤投与の見直し
(6)国際医療福祉大の医学部設認可
(7)HPVワクチン接種を巡る混乱
(8)過労死等防止対策白書が初めて公表
(9)B型肝炎ワクテンか定期接種化
(10)世界医師会総会で横倉日医会長が次期会長に


12/27(金) 若干降雨降雪 大曲中通病院 飯川病院ボランディア 長女と孫来秋
 1:15起床。データの更新・整理、読書、徒然ほか。降雪あれど積雪なしが嬉しい。5:30今年最後の可燃ゴミ提出。7:30Taxi駅東に、早めについてスターバックスで時間稼ぎ。8:11こまち、8:50-12:15大曲中通病院、往復ともTaxi。13:45-19:00飯川病院勤務。長女と孫来秋、孫は発熱状態、インフルエンザだろう。19:30帰宅、夕食、21:00就寝。歩数Σ9876歩。

2019年年末(2) 国内外の出来事
 今年も残すところ数日となった。
 今年も色々な出来事があった。自分でも需要項目をピックアップしていたが、項目が多すぎてまとめきれなかったので秋田魁新聞の記事(2018,12,24)から引用させていたいた(一部改変)。
――――――――――――――――――――――――――――――――
■ 国内
 ・天皇代替わり、平成から令和に、行事相次ぐ
 ・相次ぐ台風で列島被害甚大、停電や河川氾濫
 ・京アニ放火殺人事件で36人死亡、容疑者拘束
 ・消費税率10%に、軽減税率やポイント還元も
 ・ラグビーW杯国内開催.日本初の8強入り
 ・関電幹部に町元助役から金品。会長らは辞任z
 ・参院選で与党過半数、改憲勢力3分の2割れ
 ・安倍首相、在任最長も「桜を見る会」で疑惑
 ・沖縄の首里城が炎上、正殿、北殿などが焼失
 ・ゴルフ渋野が全英、テニス大坂は全豪を制す
 ・池袋暴走など高齢運転者の事故相次ぐ
 ・アフガニスタンで中村哲医師び銃撃死

――――――――――――――――――――――――――――――――

■ 国際
 ・日韓関係さらに悪化、GSOMIA破棄は回避
 ・米中貿易摩擦、追加関税応酬も第1段階合意
 ・英総選挙で保守党大勝、来年1月EU離脱へ
 ・米朝、ハノイと板門店で会談も非核化進まず
 ・INF廃棄条約失効、米・口は武器開発競争へ
 ・核合意巡る米・イランの対立激化、ウラン濃縮再開も
 ・温暖化防止訴えスウェーデン少女が国連演説
 ・ノートルダム寺院で火災、尖塔が焼け落ちる
 ・米大統領のウクライナ疑惑、下院で弾劾訴追
 ・北朝鮮、ミサイル発射続け米をけん制


12/26(木)寒波小雨 飯川病院 
1:00起床。いつものごとく、文献読みデータ整理。自炊を含む座学中心。録画でNHK音楽祭2019を観る。トンコープマン指揮N響公演、Mozart No40とRequiem。カラヤン初来日の記録からBeethoven No5。11:07バス飯川病院、文献整理など。14:00飯川病院勤務、外来患者病棟対応。19:20帰宅、夕食。21:00就寝。歩数Σ7640歩。

2019年年末(1) 自炊と読書に開けくれた1年
 今年はずいぶん本を買った。読んだ。
 ジャンルとしては、小説類を始め宗教、生老病死、尊厳死・安楽死問題、自死問題、重要犯罪関連のドキュメンタリー、警察・検察・裁判制度・日本の司法制度など。などである。
 本を時代的に区分して見れば、近代作品半分、ビンテージ作品半分といったところか。

 終活として、蔵書を減らす目的で自炊を始めて10年になる。かなり処理が進んだ。

 書類や本の取り込みについては富士通のページスキャナーを用いて電子化している。
 本年9月に次男からS-500Mというスキャナーをタダでもらった。S-500Mは私が頻用していたS1300よりは処理スピードを始め機能が高く自炊の能率が増した。500ページ程の厚手の文庫本を処理するのに10分もかからない。S1300の1/4ほどの時間で仕上がる。これ以降、私は自炊作業に酔いしれてしまった。連日数冊のペースで電子化している。

 次男は結構親との取引に長けている。今までもパソコンとかiPad miniとか自分が新規購入する際に旧製品が私に回ってきた。いつも親子値段で引き受けていたが、今回は何故かタダらしい。何かある??
 後日談であるが、11月に、TVボード、キッチンボード、大型冷蔵庫の請求書が回ってきた。100万円超である。新築祝いとしてもちょっと高すぎる。S-500Mは新品でも5万円程度だったし、10年も経っているし・・・、と文句はあったが、終活の一部とみなして、私は素直に振り込んだ。

 自炊し電子化したデータは12.9インチのiPad Proで読む 。最近はどこに行くのもiPad Pro同伴である。

 何で今更ビンテージ作品なのか? 1965年大学入学後から堰を切ったように内外の作品を読破し始めた。当時、何を読むべきかすらわからなかった私は、とりあえず古典を中心とした岩波100冊の本というシリーズから取り掛かった。
 新潟大学学生のうちに大体その9割を読破した。

 そのほかに当時買い求めたジャンルは、軽い者から重いものまで含む広範な小説類、人生論、心理学関連図書、老病死関連、宗教関連本などなど。これらのビンテージものはダンボール数ケに入れて倉庫の奥にしまっていたのを数ヶ月前に発見し、自炊しながら興味のあるものは読み返している。当時、私は人間関係の構築方法に悩み、人生に悩んでいたことがわかる。

 大学卒業後は古典作品から現代的作品しシフトして蒐集、読んできた。

 最後に、私は自分の命は自分のものであって、自由に扱っていいと考える立場である。今年一年関連本を読みながら考えてきたが、やはり変化はきたさなかった。安楽死も容認する立場である。
 私の命の価値は豆粒一つでしかない。だから、「好きにさせてよ!!」、私はそう願う。
 そういう気持ちをもって今年を過ごしたが、幸い来年まで長引きそうである。
 この辺のことを一層深めたいと思う。


12/25(水)曇り 飯川病院勤務 サンタ姿で病室訪問
 0:30起床、新聞チェックほか,ほぼいつもと同じに過ごす。院長受診のために終日勤務。7:00 iPhone7のバックアップ終わらずレガシーで飯川病院、8:45から勤務、外来、入院患者対応。午後にサンタ姿で病室訪問。19:30帰宅、夕食。21:30就寝。Σ10185歩。

老医のつぶやき2019(15) 仕事上の出来事二つ、外来診療縮小と新カルテシステム
 今年も間も無く暮れる。私は74歳+αであるがまだ明和会という法人の嘱託医として中通総合病院の内科外来、健康クリニックのドックの担当医、大曲中通病院の外来を各々週一回働いている。午後は別法人の病院で週3回の勤務、そのほかの日はボランティアである。

 今年は私の仕事上で多少の動きがあった。
 一つは新年度を迎える前に法人管理部門から中通総合病院の内科外来単位数を2回から1回にするように指示を受けたこと、もう一つは12月1日から旧電子カルテシステムから新システムに移行したことである。
―――――――――――――――――――――――――-
 診療単位縮小の通告。
 私は74歳+αの老医であるから、基本的に老齢医師は総合病院では不要である。だから、新年度を迎える毎に次年度の更新はないだろうと予測してきたから、今回のことは当然のことと受け止めた。
 縮小の理由として、総合内科外来を閉鎖することと、私の出身医局である秋大第3内科から中堅の医師が赴任してきたことを挙げていた。前者はこれからの一層深まっていく高齢化社会では総合内科外来の意義は一層重要になることはあれど逆はない、と考えるが、病院の方針とのことで異論は挟まない。
 中堅の医師赴任は私が現役の頃からずっと求め続けていたことでやっと実現した、ということ。早速新体制に向けて患者の仕分けを開始したが、予約が7月一杯入れてあるために8月1日から外来診療を週に一回とした。新たに赴任した医師に55名の患者の移行した。
 そうはいっても、週2回の外来が1回になったから毎回の外来は混雑し、毎火曜日は終日疲弊している。
―――――――――――――――――――――――――-
 12月1日から新電子カルテシステムに移行した。

 旧電子カルテシステム2006年に導入した。
 数年かけてコンピューターによるオーダリングシステムを準備し、段階的に医療業務、看護業務、事務処理に機能を拡張してきた。
 導入当初は戸惑い、反発、心配等もかなりあったが何とか乗り越え、全体的に見れば病院としての機能は格段に向上した。
 それから13年経過し、今回一層高機能の別システムに入れ替えることになった。私も学習会に2回参加したが、高機能になった分診療現場での入力作業は実に大変である。

 コンピューターはどんなに文句を言おうと異議を唱えようとビビラないし、ビクともしない。最期まで人間の方が合わせてくれるまで拒否し続ける。私から見てコンピューターは思い通りにならない絶対的権力者であるが、人を従順にさせるという技能を備えた羨ましい存在でもある。

 私にとっては二つの点で新電子カルテシステムは辛い。
 一つはやはり高齢に伴う脳機能低下があり、旧システムとは全く異なるシステムへの適応能力は弱い。
 もう一つは外来が週一回だけとなり、新システムに慣れるのが難しいことである。

 まだ導入後一月で私自身は混乱の最中にあるが、勤務している限り後には引けない。できる限り習熟するしかない。
―――――――――――――――――――――――――-
 今年最後のつぶやきになるかな?


12/24(火)晴れ曇り 外来 飯川病院 国立キエフバレー公演
 0:30起床、文献読み。データ整理、6:00可燃ゴミ出し、コンポスト処理。7:10バス飯川病院。8:20中通病院へ。新電子カルテシステムの予習、8:20-14:10外来、やや混雑のうえ新システム対応に四苦八苦、操作不慣れで時間がかかり疲弊した。14:40-17:00飯川病院勤務。入院対応、17:00秋田市文化会館に、車止められず労福会館に駐車。17:30-20:10キエフバレー秋田公演、22:30帰宅就寝。Σ13215歩。

国立キエフバレー秋田公演「くるみ割り人形」秋田市文化会館
 12月24日の夕方から25日の夕方までの1日がクリスマス。
 本日はタイミングよくウクライナの国立キエフ・バレエ秋田公演が催された。しかも、クリスマスの定番演目「くるみ割り人形」であった。音楽雑誌によるとウクライナ国立歌劇場管弦楽団も来日しているが、秋田では特別録音音源を使用した。会場が狭くオーケストラピットを作れなかったためなのか、入場者数から見て採算が取れないと判断されたためだろうか。

(配布パンフレットより一部を引用した)

 キエフ・バレエは創立150年を迎えた名門歌劇場のバレエ団として名高く、世界でもトップクラスの伝統と実力を誇る。予定されていたダンサーのオレシア・シャイターノワは怪我で来日できず、ダブルキャストのアンナ・ムロムツェワが主役を演じ、華やかに舞台を彩った。
 一年の締めくくりに、久々華麗な本格バレエを堪能した。

 今回のキエフ・バレエ秋田公演の観覧に関しては私は數ケ月前から知っていたのであるが、録音音源で踊るというので敬遠していた。しかし、11月に英国ロイヤルバレー団のプリンシパルを長く務めたバレリーナ吉田都氏に関するドキュメントをTVで見た家内が強く観覧を希望した。そのために付き添いとして同伴したものである。
 実は、私はバレー公演でもオペラでもお目当はオーケストラの演奏・音色である。そのため随伴音楽には詳しいがバレーやオペラの物語に関してはあらすじの解説や対訳を見たこともなくほとんど知識がない。そんなこともあってちょっと距離を置いていたのであるが、ひょんな事から観覧することになった。それが良い結果をもたらした。

 開演は17:30とちょっと苦しい時間帯であった。いつもなら業務の最中である。
 観客の入りは一階席はほぼ満席、二階席は6-7 割くらいの入りか。私供の席は二階の最後部中央であった。だから人混みを意識せずにゆっくり鑑賞できた。
 観た感想を示せば、使われた録音音源は殊の外音質が良かった。特に低弦楽器の音は、あたかも弓から松脂の粉が飛ぶようなリアルな、ゴツゴツした音色で満足した。しばらくは録音音源であることを意識したが、もう気にならなくなった。
 主役の男女の踊り手の技術、脇役の踊りを含め、総じて見事であった。

 私が驚いたのは会場の聴衆の反応である。見るべき場面場面、高度のテクニックを披露した場面などに的確に拍手を送っていた。演目の「くるみ割り人形」の舞台を知り尽くしているのでは??と思われた。秋田でもバレー教室の活動は盛んで講演会も行われているが、その生徒や家族などの関係者ではないかと考えられた。

 今回の公園で最も良かったこと、は私を悩ます不快な「ブラボー男」の声がなかったことである。秋田の演奏会では十中八九遭遇する不快感を味わわないで済んだことは別な意味で最高に良かった。最近の演奏会雑観 ブラボー プレトーク 団員への労い そのほか

 私はクリスマスなどそれほど関心はないが、キエフ・バレエ秋田公演は十分に楽しめた。良きイヴであった。


12/23(月) 晴れ曇り小雪 健康クリニックドック 飯川病院
 1:00起床、徒然、文献読み。7:10バス飯川病院。9:00-11:00健康クリニックドック。今週は少なく8名、結果判定は15名分。11:00飯川病院へ。データ処理とか微睡とか。14:00勤務、外来入院患者対応。19:00帰宅夕食、21:00就寝。Σ10757歩。

冬至2019:私には大きな節目 柚子湯・カボチャ小豆粥考

 昨日22日は冬至。冬至は1年のうちで日の出の時刻が最も遅く、日の入りの時刻が最も早い日。今後、朝が明るくなるだけでなく、朝の日差しが徐々に力強くなって行く。希望のスタート日でもある。

 我が家では家事分担として料理以外の外仕事は私が担っている。
 敷地内の掃除や草刈り、樹木の世話、花壇の整理、ガレージの整頓、廃棄物の処理などなど、意外と仕事は多い。積雪期は除雪も私が担う。

 可燃ごみは週2回5:00-6:00am頃に私が集積所に出すが、10月末から12月末までは真っ暗闇の中の作業になる。自転車用のヘルメットを改造して作ったヘッドランプで手元、足元を照らしつつ作業を進める。

 秋田では通常は冬至は積雪状態で迎え、寒さはとても厳しい。本年の冬至は昨年・一昨年同様、まだ積雪はない。実際の気温や天候は日照時間とは約二ケ月のズレがある。だから、秋田ではこれからが本格的な雪の季節である。
 
 今後一週間単位で見れば夜が明けるのが確実に認識できる。
 冬が長い北欧ではこの日を「太陽の力が再び力を持って来る日」として祝う、祭りが今でも盛んだという。
 私にとっても、冬至は除雪のストレスに悩み、春を待つ心が誰よりもつよい心が迎える新しいスタート日でもある。

 古代には冬至が1年の始まりだつたと言う。その様にしていた気持ちはよくわかる。
 キリスト教の文化圏では11月1日を「収穫を祝う日」、「聖人のための大祝日」とし、一年の始まりだったという。

 冬至といえば食卓には「カボチャと小豆」、風呂には「柚子」である。

 柚子湯は身体を温めて、風邪知らずに。この習慣は冬至と湯治の語呂あわせから来ているほか、柑橘系の芳香成分による保温効果や、沈静効果が期待できるという根拠も上げられている。

 冬至にカボチャを食すと健康によいといわれている。カボチャは16世紀に日本に伝わった渡来作物であり、一般に晋及したのは江戸時代とされている。だから、この風習は江戸時代以降に始まつたと考えられる。現在と違つて冬場は野菜類が少ないため、保存がきく、食昧などの点から珍重されたのであろう。ただ、この時期まで保存されたカボチャは皮が硬くなっており簡単には刃物が通らない。かつてはマサカリなどで破壊してから料理したものであるが、今年は電動のこぎりで裁断した。

 私たちにとつては暖かさの実感はまだまだ遠いが、小さな植物のなかにはいち早く太陽の恩恵を受けているものがある。ボタンの枝先には来春のための芽が硬く準備され、春の訪れを待っている。

 日が長くなリ始める毎日、来春への準備を怠らない植物たち、私も一緒に春までの日々を歩んで行きたい。


12/22(日) 快晴比較的温暖 冬至
13:00飯川病院にて起床、本読み、新聞PDF化、徒然。当直終了も孫がいるので12:15帰宅、この間、旅客機の着陸シーンをYuTubeにて堪能、読書、データ整理、自炊数冊。13:30微睡。TV音声用のFMトランスミッター再調整、機能安定した。19:00夕食、21:00就寝。歩数計忘れて帰宅後からの半日分の計測となりΣ3090歩。

忘年会とは何か(2) 「忘れないけれども忘れる」日本特有の文化を大事にしよう 
 私の唯一の忘年会が終わった。会そのものには一年間ご苦労様という気持ちで楽しく過ごそう、という、開放感も伴った楽しい雰囲気があ理、意義はある。全てを否定はできない。
 毎日顔を合わせながら対話の機会が少ない職員達との対話はそれなりに楽しかった。

 「忘年」と言う名称はリセット感覚としては良いが、下向き、後ろ向きなイメージが伴っていて嫌である。それに、私には忘れなければならないことなどは一つもない。忘年会などしなくても脳機能が低下していてほとんど記憶に残っていないからである。

 かつて、県医師会の会長が「忘年会」と言わず「望年会」と言おう、と挨拶したが、なかなかいいアイデアであった。私が働く法人では「年末大交流会」と称していた。

 広辞苑で忘年会を引いてみると「その年の苦労を忘れるために年末に催す宴会」とある。日本独特の行事らしく、歴史を遡れば鎌倉時代にまで行き着くのだという。鎌倉時代当時は優雅に厳かに和歌などをつなげて詠う会だったらしい。江戸時代になって庶民が一年の労をねぎらい、杯を酌み交わす会を行ったとされるが、一般的にはならず、現在の如くになったのは明治以降らしい。
 「忘年会」が文章上で初めて記載されたのは漱石の「我輩は猫である」とされているのも意外である。

 今どきの若い人達は友達と楽しむ忘年会はいいけれど、会社の先輩や上司と一緒の忘年会は勘弁してほしい、いう人が増えている、という。実は私もそうだった。組織のヒラの時は適当に理屈をつけてさぼっていたが、組織の維持や運営に関わるようになってからは、忘年会等を含む懇親会などにそれなりの意義も感じていた。人間関係が円滑になるからである。だが、現役を退いてからは全部遠慮させてもらっている。今は参加の誘いもない。

 今、働く場は派遣や非正規などが入り混じって、女性も増えて多様化が進んで、職揚が集団から個の集合体へと変化しつつある。忘年会だけでなく飲み会の機会そのものが減つている。 
 時代柄やむを得ないが、宴会の文化や伝統が完全になくなってしまうことにはいささかの不安を感じる。人間は古来から集団同士で参加する宴を開いてきた。相互に顔を突き合わせながら会話し、敵でないことを確認しあった。収穫があった時には宴を開いて幸福を分かち合ってきた。SNSが及ばない世界である。

 節目を迎えたら、忘れないけれども忘れる。
 この相矛盾する心情の積み重ねが、複雑で奥深い日本の文化を形作ってきた。何を忘れ、何を忘れるべきでないのか、忘年会のシーズン、間も無く新年が開けると言う節目の時期に、私は自らの内なるものと対峙して見る機会にしている。私はしつこく執念深い性格だから忘れることができない事象は沢山あるが、それらを割り切ることで乗り切っていく。


12/21(土)快晴で温暖 飯川病院日当直 孫預かり 
 1:00起床、新聞チェック、医学系論文読み、徒然ほか。11;00家内に同乗、飯川病院に。12:30日当直、検食、微睡、座学、読書三昧。18:00検食。データ整理、21:30就眠。歩数Σ0歩、歩数計忘れたため。

忘年会とは何か(1) 日本特有?の区切りの文化の生活密着型行事 

 今となっては、他の組織のことは全く分からないが、年末になるとかつては忘年会という行事があった。
 現役の時は役職上10数回もの忘年会に出席を余儀なくされていた。酒を飲めない私にとっては辛い年末の行事であったが、一方ではそれなりの意義も感じ、真面目に対応してきた。

 最近では私が出席する忘年会は一回だけ。それもボランティアとして働く飯川病院の忘年会で、昨日開催された。なかなか楽しい会であった。

 これを機会に、忘年会の意義、節目を越しては過去のことにこだわらない、とする日本の文化についてつらつらと考えてみた。

 日本人は歴史を区切って考える傾向がある。忘年会もその一つと考えられる
 この一年、いろいろ大変だった、歪みも生まれたがが、忘年会を機会に忘れたことにして次年に持ち越さないようにしよう、という行事である。

 日本には「水に流す」という言葉もあるように、日本人は過去のことを忘れはしないが節目を超えてまで持ち越さずに、なかったことと割り切ることで未来を築こうとする考え方や文化がある。その「水」の役目を果たすのが「盃」、「酒」であった。だから、忘年会や宴会には守らなけれぱならないルールもあった。こうしたルールが地域社会や企業社会の秩序を維持し、ものごとを円滑に動かすために有用とされてきた。

 年末年始の忘年会や新年会がその節目の一つとする。そう考える方が人間関係の構築の中で楽であるし、それは前向きに生るための一種の知恵と考えられてきた。 
 
 一方、社会としては歴史を刻み続け、記録として蓄積し、知になるように伝承されていく必要がある。
 それに関していえば、西暦が単純に連続した数字の積み重ねであるのに対して、日本特有の和暦は、明治・大正・昭和・平成・令和と細かく年代を刻む。これも大き目の節目である。和暦のような暦を採用している国は日本の他にほとんどなくなったとされる。私は和暦を支持する。ただし、西暦和暦併記がいい。

 近代日本を語るときに、戦前・戦後という区切りも置かれている。極端な言い方をすれば戦前の日本は全く異なった時代のことように感じてしまいかねない。日本人は実に上手に乗り越えたモノだ、と思う。これも日本の文化である。


12/20(金)小雨小雪寒い 大曲中通病院 飯川病院 飯川病院忘年会
1:00起床、徒然、文献読み。5:30可燃ごみ提出。7:30Taxi駅東に。8:11こまちで大曲、9:10-12:00外来業務、駅病院間は往徒歩、帰路は時間なくてTaxi。新幹線5分遅れ。 14:00飯川病院。微睡など。18:00焼肉店にて飯川病院忘年会。私にとって唯一の会。21:00Taxi帰宅、夕食、21:30就寝。歩数計Σ13412歩。

老医のつぶやき2019(15) 最近、辞書で調べたカタカナ語
 おそらく、カタカナ語を好んで用いる方々は、カタカナ語の方が最新でグローバル化の波に乗った語彙で、かっこいいと考えたのではないか。
 もしかすると、将来の日本語はカタカナ語を平仮名の「てにおは」でつないだだけになるかもしれない。
 日本語はそれだけで内容伝達性がある。カタカナ語にすればソレを失う。これは記録性や意思伝達、内容伝達が目的の言語としての価値を捨てることになる。さらに日本語は書いても聴いても歌っても美しい。その美は詩歌でしか味わえないようになるかもしれない。

 特に医療関係の用語にカタカナ語が増えるのは悲しい。フレイル、ロコモティブシンドローム
私は今も少なからず英語も学んでいる。だから、英語由来のカタカナ語の意味は大体予測がつく。しかしながら、実際の使われ方から見て意味が取れないことがある。この場合、通常の辞書では解決できない。そのような場合は「現代用語の基礎知識 2020 (新創刊)」で調べている。これはいい本である。

 最近分からなくて、あるいは意味が取れずに調べたカタカナ語は、ざっと挙げると以下のようなものである。一つ一つの意味は省略する。
―――――――――――――――――――――――――――――
○ジェンダー・セクシー・セクシャル・トランスジェンダー・LGBTなど
○コンテンツ
○ガバナンス 
○サステイナブル
○パトリオティズム
○サイクルトレイン
○イノベーション
○ジャポニスム
○ルーラ
○スタンス
○レアアース
○ハラスメント
○キラキラネーム
○プレトーク
○ジオパーク
○フェイクニュース
○アメニティグッズ
○シルバーデモクラシー
○グランクラス
○ネトウヨ
○グローバル化
○アメラジアン
○ブロックチェーン
○スピンオフ
○リバースモーゲージ
○メンター
○ストーカー・・・・他いろいろ。


12/19(木)晴れ 飯川病院
1:00起床、新聞、文献自炊。徒然ほか。午前はガレージの整理・冬支度。11:50バス飯川病院、14:00-19:00勤務、入院・外来患者対応。15:30青森県を震源にする地震発生。震度5弱。秋田市は1-3度。花壇の冬囲い。19:00プリにて帰宅、夕食、20:30就寝。歩数計Σ9819歩。

老医のつぶやき2019(14) 日本語が難しくなってきた 
 今、日本ではグローバル化が進んでいる。ソレによって日本人の言語表現が「カタカナ化」される傾向が大きくなっている。
 私はとても残念なことだ、と思っている。日本語の単語、熟語はそれだけで意味がわかるから便利である。カタカナ化すればそれだけからは意味が分からない。文章の中から予測するしかない。ソレができないときは辞書に頼るしかない。

 おそらく、カタカナ語を好んで用いる方々は、カタカナ語の方が最新でグローバル化の波に乗った語彙で、かっこいい表現と考えたのではないか、と思う。これにメディアが、各界の専門家、識者と言われる人たちが無批判に乗っている。

 訪日客を「インバウンド」と呼ぶのはどこから始まったのだろう。どうしてこんなのが通用しているのか??「インバウンド」は「入って来る」、「アウトバウンド」は「出て行く」列車やバスを指す言葉である。例えば各地から東京駅を目指す本線の列車、新幹線は「インバウンド」で、東京駅発のは「アウトバウンド」である。これがなんで訪日客なのだ??列車やバスがいつの間にか人になっている。

 私は「オリンピック」と記載することない。五輪である。五輪なら理念もわかる。五輪を控えて「アスリート」も頻繁に登場する。「運動選手、運動競技者」でなく何でアスリートなのか?

 本年の新聞切り抜きをざっと見ただけで、「オピニオン」、「サービス」、「エンタープライズ」、「イベント中止」、「プログラム」などなど、簡単な英語であるが、何でここでカタカナ語が使われなくてはならないのか?と思う。

 最近のカタカナの氾濫は、異常でないか?
 日本語に興味を持ち、できるだけ標準的な日本語を使いたいと思っている立場からは残念なことである。

 カタカナ現象は、医療分野にも波及している。
 例えば、「フレイル」。厚生労働省は何だかわからない「フレイル健診」を始めるらしい。省では「フレイル」を「健康な状態と要介護状態との中間点で、身体がストレスに弱くなり身体的機能や認知的機能の低下がみられる状態」と定義している。くどくどとうるさい定義である。「虚弱老人」でいい。
 ところで、「ユマニテュード」ってなーんだ?

 秋田市は市の標語として「エイジ・フレンドリー・シティ」とを掲げている。「高齢者に優しい街」でいいじゃないか。分かりきった標語にこんな横文字を使うのは高齢者いじめと思う。「秋田版ネウボラ」というのもあるが、これはなーんだ?

 高齢者の方々も、私も、いまや力タカナ語から逸れられない時代となった。


12/18(水)快晴温暖 飯川病院ボランティア
 0:40起床、徒然ほか。新聞、文献チェック。午前はダリア球根の整理と収納、鉢植えボタン他ガレージに収納。11:07バス、通町からは薬局経由徒歩で飯川病院。花壇の整理、冬囲い下準備。19:20帰宅・夕食、21:00就寝。BRながら視聴:「そこまで言って委員会:映画」、「今世界は」。歩数計Σ12002歩。

師走2019 (5) 私が愛聴する宗教音楽
 なんで年末になると宗教音楽が聴きたくなるのだろうか?
 私は1年間の感謝を込めて、しみじみと人生を思う季節だからではないか、と思う。
1年間の感謝を意識するのは、私は大したことをやっていないが、秋深くになって畑や園芸の作業を終えたことが一番だろう。
 座学などは季節感が乏しい。

 カトリック教会では11月1日を「収穫を祝う日」、「聖人のための大祝日」としている。これが定められたのは9世紀頃というが、農と信仰の間の古くからの習慣だったのだろう。 
 竹下節子氏は、パリ在住の文化史家、評論家で、カトリックやエゾテリスムの歴史を専攻している方であるが、氏によると全ての収穫を終えて翌年の準備か始まる11月1日が当時は年の始まりとされていた、とのこと。この時期に前の年の全ての死者が戻つてきて転生し、世界がすつかり全て新しく生まれ変わるとされ、7日7晩にわたって祝われた。前夜には死者の世界の扉が開けられて死と生の交わる時でもあり、全ての火が消され、1日に新しい火ととも新しい世界を始めた、とされる(竹下節子著 ヨーロッパの死者の書 ちくま新書 1995年)。
 ここには仏教的な輪廻転生の思想に近いものかあって面白い。

 私が愛聴する宗教音楽は、思いつくまま上げれば以下かな? 年末にかけて聴きたい曲も含むが、さわりだけになるかも。
-----------------------------------------------------------------------------------
 チマローザ 「レクイエム」 まるで天上の音楽。弦楽器が美しく歌う。 
 ケルビーニ 「レクイエム」 銅鑼の音が怒りの表現?
 フォーレ 「レクイエム」 声による天上の音楽?
 オケゲム 「レクイエム」 これは現存最古のレクイエムとされる。

 グレゴリオ聖歌、
 バッハ「ミサ曲 ロ短調」、「マタイ受難曲」 とても全曲は無理。抜粋で聴く。
 ヘンデル 「メサイア」  これも抜粋で聴く
 モーツァルト 「レクイエム」、「ミサ曲各種」、「アヴェ・ヴェルム・コルプス」
 ブルックナー 「テ・デウム」
ベートーヴェン 「ミサ・ソレムニス」、
 ヴェルディ 「レクイエム」
 ブラームス 「ドイツレクイエム」
 ロッシーニ 「悲しみの生母」
 ベルリオーズ 「レクイエム」
 シューマン 「レクイエム」
 シューベルト ミサ曲ほか
 ヴィヴァルディ モテット「おお、天にても地にても清きもの」
 デュリフレ 「レクイエム」
 ブリテン 「戦争レクイエム」
・・・・・
-----------------------------------------------------------------------------------


12/17(火)比較的温暖晴 外来 飯川病院
 0:40起床、文献チェックなど。まだ除雪不要でうれしい。5:30可燃ごみ処理、提出。7:10バス飯川病院着。8:45-12:45中通病院外来。12月から新コンピューターシステムが導入され、本日で3回目の外来であるが、だいぶ慣れてきた。13:15飯川病院、14:00勤務、入院患者対応。19:00帰宅、夕食、20:00就寝。歩数計Σ7603歩。

師走2019 (4)もう師走、 宗教音楽雑感
 自分にとっての宗教音楽についてつらつら考えて見た。
 宗教音楽といえば、具体的には、賛美歌や聖歌、ミサ曲、モテット、カンタータ、コラール、オラトリオ、レクイエムなどが挙げらる。それらはミサ典礼文や聖書に基づいたテキストによって構成されている。 歌詞を追えばみんな似た様な内容である。だから、私は歌詞を意識しない。曲の雰囲気だけを楽しむ。

 宗教音楽は、ある宗教の儀式の際に用いられる典礼音楽と,直接には典礼に用いられないが宗教的内容をもつ音楽とを総称していう。多様な芸術のなかで、特に音楽は宗教との結びつきが強く,かつ深い。

 音楽がその発生期において宗教的儀式と一体となっていたことは明らかであり,音楽の発展の初期の段階において宗教が果した役割は非常に大きい。グレゴリオ聖歌にその足跡を感じつことができる。

 古今の大宗教のうち、原則として礼拝における音楽の使用を排するのはイスラム教だけである。その教義上、音楽を官能的快楽をもたらすものとして容認していない。にもかかわらず、コーランの読誦や、礼拝の時を告げる呼びかけなどには、当事者の意識とはかかわりなく、明らかな音楽的展開を聞き取れる。

 日本でも,仏教の僧侶による読経の際の重唱には音楽的響きがある。これを声明 (しょうみょう) というらしいが、能楽の要素となっているなど,宗教音楽と世俗音楽の結びつきは随所にみられる。

 キリスト教では、教義を反映して音楽を重要視し、積極的に芸術的な宗教音楽を育成してきた。儀式に伴って発達したグレゴリオ聖歌・ミサ曲・賛美歌などがあり、それとは別に、宗教的題材による演奏会用音楽はレクイエムやオラトリオなどとして発展した。今日の世界の音楽のなかでキリスト教音楽の占める比重はきわめて大きい。

 キリスト教の代表的な宗教曲としては、グレゴリオ聖歌、バッハの「ミサ曲 ロ短調」、「マタイ受難曲」、あるいは、ヘンデルの「メサイア」、あるいはモーツァルトの「レクイエム」などが挙げられる。


 12/16(月)快晴 健康クリニック 飯川病院 
 1:00起床、降雪なし。そのほか文献読み。PDF化書類。7:10バス飯川病院着。9:00-11:50健康クリニックドック業務、14名+レ線判定。秋田銀行経由で12:00飯川病院、本読み、微睡、14:00-18:30飯川病院勤務、外来・入院対応する。19:30帰宅、夕食、21:30就眠。Σ歩数計Σ9223歩。

師走2019 (3)もう師走、宗教音楽、とりわけレクイエムを聴く日々
 私は師走があまり好きでない。何かと慌ただしいからである。私は淡々と、かつ静かに過ごしたい。
 私には、濃密でない時間がもっとあってもいい。静かで豊かな時間の中に身を置くことが最高の贅沢である。ただ、その希望は実現していない。

 音楽の面で年末の話題、といえば「クリスマス関連」音楽、「NHK紅白歌合戦」と「第九」である。音楽雑誌を見ても「第九、第九」と演奏会広告記事がうるさい。
 「クリスマス関連」音楽は季節感がありすぎて、嫌だし、「紅白」はかつては年越し行事としていつも楽しんでいたが、ここ10数年は一切見ていない。画面、演出が派手派手で、過剰、人海戦術、私は楽しめなくなってしまった。私が変わって時流に乗れなくなった為だろう。

 「第九」は作品としてはすごく好きな曲である。年間を通して聴く機会は少なくない。

 ただ、年末は「第九」を聴く気がしない。大晦日の日以外は聴く気がしない。
 「第九」は馬力がありすぎるから、師走の他の日に聴くのは嫌だ。越年近くになり、迎える新年への期待感が高揚してきてからなら、聴ける。尤も、NHK交響楽団は12月21日から26日の間に5回も演奏している。ご苦労様なことである。私だけが勝手に年越しなら、と思っているだけ。今年の指揮はシモーネ・ヤング。放送が楽しみである。

 私は師走になると突然宗教音楽が聴きたくなる。静かに内省的に過ごすためである。

 昭和53年母ハナが死去した。十分ケアできず私に遺恨を残した。この時期、鎮魂と反省、自分の心を落ち着かせるために宗教音楽のレコードを買い集め集中的に聴いた。異様な心理にあったのだろう、約40枚ものレコード、60曲程も購入していた。

 いまはこれらを自分のために聴いている。レクイエム、ミサ曲など、作曲家自身が迫り来る死を意識して作曲した曲である。時代や文化、世界が異なっていても人間はそれほど変わっていないことが理解できる。

 私は無宗教と思っているが、いわゆるクラッシックのジャンルの宗教音楽は親しみがある。宗教画も好き。特にラファエロの聖母像がいい。


12/15(日)寒波多少ゆるむ、曇り晴れ 飯川病院日当直医補助 
 1:00起床、新聞チェック、そのほか文献読み等淡々と処理。PDF化書類、ラジオ深夜便のMP3データを整理。9:00レガシー帰宅。データ整理など、12:30家内に同乗飯川病院に、日当直医補助18:30まで。病棟は平穏。ラジオ、深夜便録音数日分聴く。19:00帰宅・夕食、21:30就眠。歩数計Σ9533歩。

教育に関して思うこと(3) 「教師にふさわしい人柄」とは
 教育は、子どもが物事の前提や立場や役割にそれほど縛られていない時から行われる。だから、実に怖いものだ、と思う。
 その怖さについて、私は「かたくなな指導的姿勢の元で行われる教育は、真の意味の教育でなく洗脳なのだ」、と思っている。

 教師の資質とは何だろう。 
 興味あるテーマであるが、門外漢である私はそれを具体的に指摘することは僭越で、出来ない。先人の言葉を借用する。

 1970年、「教師の理想的パーソナリティ」という共同研究が教師の曽我静雄氏が発表している。小、中、高の児童、生徒や親らを調査し「教師にふさわしい人柄を追究」した結果である。 
 その終わりの文章で、「教師は、あるときは研究熱心な学者であり、あるときは几帳面な官僚、あるいは統率力にすぐれた将校のような性格特性も要求されているが、特に 信頼がおけるという牧師的特性が強く求められているようである」と結んでいる。
 要するに、「勇気、観察力、使命感、決断力、そして優しさ」である。生涯を通じてそれらを駆使し、教師と子どもたちとの間の信頼を問い続け、全人格で表現した曽我氏の伝言は重い。
 曽我氏に関しては、吉野興一著「教師 曽我静雄―戦時下に女生徒を救った教師の物語ー」 2009/10新読書社、に詳しい。

 最近、教育界がよくわからない。何か欠陥があるように思えてならない。
 教育を巡っては不登校、いじめやそれに伴う自死事件や悲惨なニュースが日常的に報道される。この根底にこある要因は恐らくは単純ではない。

 教員をめぐる状況は厳しさを増してきた。
 学力向上が求められ、いじめや不登校の指導、保護者への対応、部活動、事務処理など、学校の役割は膨らみ、教員の仕事も増えてきた。文科省が教師の実態調査したのは2016年であるが、小学校教諭の約3割、中学校教諭の約6割が過労死レベルに達していた。
 教師の世界は長時間労働が問題となつて、あるべきことか「ブラック職場」とみなされている、ようだ。

 こんな状態では「教師にふさわしい人柄」として、ふさわしかった人材も疲弊、燃え尽き、教育マシン化してしまう。


12/14(土)曇り小雨 飯川病院日当直 
1:00起床、本読み、医学文献読みなど。9:00散髪、3Qカット八橋店にて。文献整理自炊など入力。12:00レガシーにて飯川病院に。午後日直当直業務に就く。兼食後新聞文献切り抜き、ほか。ABSラジオヨセ2018?19年目録作り。18:00夕食。20:55就寝。ほとんど歩行せず。歩数計Σ5756歩。

教育に関して思うこと(2) 私はダメな親であった
 私の子育てはほとんど人任せに近かった。今から考えると忸怩たる思いがする。
 にもかかわらず、我が家の3人の子供たちは大家族、周りの同年代、年長の子どもたちに囲まれ、様々な影響を受けながら素直に育った、といえよう。
 勿論、親の立場から見て理想的に育ったとは言えないが、十二分に合格点である。正しい判断力を身につけた3人に、感動と感謝の気持ちを抱いている。

 一方、私は子育てに関して総括すればダメ親であった。
 私が親として子供達に与えられたのは、私の親としての気配りなどよりも、育つ為の環境であった。
 
 私は卒後2年間岩手県宮古市で過ごしたが、県医療局から貸与された奨学金の義務年限が昭和48年6月に終了した。生まれたばかりの長女をどこでどの様に育てるか思案していたが、基本的には血縁者の援助のもとで育てたい、と考えた。されど、私の両親は高齢であてにならず、秋田の両親を頼ることとし秋田に転居した。私が志向していた血液学の専攻に関しては、決して主たる要因ではなかった。機をほぼ同じくして秋田大学に血液内科が開設されたことは偶然の賜物で、私は二兎を追って二兎を同時に得て幸運であった。

 結果的に私が子どもたちに与えることができたのは
 ■ 住み込み、ほぼ専従の子育て、兼、お手伝いさん、
 ■ お手伝いさんの二人の娘も同居、
 ■ 一時10人まで増えた同居家族、
 ■ 近隣には従兄弟たちが居住、
 ■ 比較的広い住宅と敷地、
 ■ 秋田の広い空、豊かな緑、河川や山などの自然環境、
 ■ 秋田の豊かな食材など、
 ■ などなど・・・

 子供達が育つには環境も大事だと思う。だから、結構のびのびと育った様に思う。
 一方、私は子育てに関しては、必死ではあったが結果的にダメ親であった。かなり時間を作って子供たちとも接したつもりであるが、多忙さにかまけていつもイライラしていたし、時には我慢しきれず大きな声も発した。子供達にとっては、私があまり家にいなかったことが最大の救いであったのだろう。私のイライラは、社会的立場に応じて変化はしたものの、現役からの引退の時期まで続いていた、と反省する。

 父親としての評価を家内に聞くと、合格すれすれの様だ。
 だからと言って、反省しきり、と言って、可能であれば時間を巻き戻してやり直したいか?と問われれば、私はそれなりに必死だったし、なんとか頑張ってきた、と思っているから、今更やり直したいとは思っていない、と答えるだろう。

 ただ、思うに、人生って似た様なことを繰り返すのか?としみじみ思う。 
 私も、幼少期には家業の医院が多忙で、母よりは住み込みのお手伝いさんに育てられた。彼女が嫁に行ってから以降は一匹のネコと離れで暮らした。私はそのネコに母親のイメージを感じていた。


12/13(金)曇り 積雪なし 大曲中通外来 飯川病院ボランティア
 0:40起床、本読み他いつもの如く、6:00家庭ゴミ処理、提出。7:25Taxi駅に、8:11こまち。9:50ー12:15大曲中通病院外来。往復歩行は足元危険でTaxi。帰路のこまちは定刻。13:30-17:40飯川病院ボランティア。家内は組合病院関連スタッフの忘年会。18:30送ってプリウス帰宅、21:30就寝。歩数計Σ8345歩。

教育に関して思うこと(1) 幼少期の家庭内の教え
 最近、教育界がよくわからない。何か欠陥があるように思えてならない。
 教育を巡っては不登校、いじめやそれに伴う自死事件や悲惨なニュースが日常的に的に飛ぴ交うが、この根底にこあるものは恐らくは単純ではない。
 少子高齢化等の社会構造、家庭構造の変化、教育内容の非可塑性、担当する教師の資質や教育界の環境問題、子供達の経済格差など、枚挙にいとまがないが、その要因について思いつくままいくつか考えてみたい。

 小さなころからさまざまな個性を認め合い、支え合う心の交流のある教育の場があることは大切なことと思われる。この世に生を受けたら、たくさんの愛情に育まれ、成長したのちには実社会に適応できる状況まで指導されるのが望ましいのであるが、最近は適応未発達状態で社会に送り出される学生も多いように思える。

 教育は多様な状況で行われる。生まれ落ちた瞬間からもう差別があると言っていい。

 しかし、基本は両親からからの教育である。

 幼児期の教育にも様々な意見がある。両親たちもいろいろな意見を持ちつつ子育てしていると思われるが、私は以下に示すドロシー・ロー・ノルトの詩で代用したい。
――――――――――――――――――――――――――――-

「子供が育つ魔法の言葉」

けなされて育つと,子どもは、人をけなすようになる
とげとげした家庭で育つと、子どもは、乱暴になる
不安な気持ちで育てると、子どもも不安になる
「かわいそうな子だ」と言って育てると、子どもは、みじめな気持ちになる
子どもを馬鹿にすると、引っ込みじあんな子どもになる
親が他人を羨んでばかりいると、子どもも人を羨むようになる
叱りつけてばかりいると、子どもは「自分は悪い子なんだ」と思ってしまう
励ましてあげれば、子どもは、自信を持つようになる
広い心で接すれば、キレる子どもにはならない
褒めてあげれば、子どもは、明るい子に育つ
愛してあげれば、子どもは、人を愛することを学ぶ
認めてあげれば、子どもは、自分が好きになる
見つめてあげれば、子どもは、頑張り屋になる
分かち合うことを教えれば、子どもは、思いやりを学ぶ
親が正直であれば、子どもは、正直であることの大切さを知る
子どもに公平であれば、子どもは、正義感のある子に育つ
やさしく、思いやりを持って育てれば、子どもはやさしい子に育つ
守ってあげれば、子どもは、強い子に育つ
和気あいあいとした家庭で育てば、子どもは、この世のなかはいいところだと思えるようになる
――――――――――――――――――――――――――――-
 上記の詩は、たまたま他の本で知って探していたところ、ドロシー・ロー・ノルト/レイチャル・ハリス著/石井千春役 「子供が育つ魔法の言葉」1998年、PHP文庫、にあることが分かり購入した。

 著者がこの詩の原型を書いたのは1954年という。その後、改定、加筆を重ねてこの形に落ち着いたのだ、という。本書の中で何でこの様な文章になったのか、著者の子育ての心構えなど、詳しい説明が載っている。


12/12(木)寒気ややゆるむ 雨夕方から降雪 飯川病院 
祖父耕陽命日。1:00起床、徒然。文献・録音データの整理・処理など。8:40家内に同乗飯川病院、院長多忙というので午前ボランティア、外来患者対応。14:00飯川病院勤務に、外来・入院患者対応。新聞、文献読みなど。19:30帰宅、夕食、21:30就寝。歩数計Σ6998歩。

本 柳田邦男著『マッハの恐怖―連続ジェット機事故を追って』フジ出版社 1971年
 1966年(昭和41年)春の日本の空は異常であった。わずか1カ月の間に300人を超える人命が失われた。
 ■ 2月4日 全日空ボーイング727型機羽田沖に墜落、133人全員死亡。
 ■ 3月4日 カナダ太平洋航空ダグラスDC8型機羽田空港で着陸失敗炎上、64人死亡、8人重軽傷。
 ■ 3月5日 イギリスBOAC機ボーイング707型機富士山麓に墜落、124人全員死亡。

 本書は柳田氏のノンフィクション作家としての原点に相当する名著で、上記の3事故を取り上げている。氏は、1966年の全日空のB727羽田沖墜落事故を端緒にNHK記者を退職、事故原因追求の世界に入った。

 私はこれらの連続事故に関心を持っていたので、本書が発売になって直ちに購入して数回読んだ。
 航空機事故では原因を究明することがなかなかできない。事故はパイロット、機材、管制、天候、保安設備などが複雑に絡み合って最悪の状態に陥っていることが多く、原因究明は困難なことが多く、クリアな結論に至らないことも少なくない。本書で取り上げられている事故では、パイロットが事前に危険を察知した様子はなく、いずれも死亡しており原因究明はいずれも困難を極めた。また、航空会社は結論によって被害者への補償額が変わることから一層線引きが難しくなる。

 今回、約40年ぶりに本書を読み返したのは、渡辺淳一著「富士に射つ」を読んで、BOAC機富士山麓墜落事故を再確認したくて中心に読み返したものである。

 ほとんど忘れていたが、今回再読してBOAC機事故に関して確認したのは以下のごとくである。
?????????????????????????????-
 ▼ BOAC機は事故遭遇直前まで順調に飛行していた。
 ▼ 機は通常の飛行ルートから大きく外れていたが、富士観光なのか香港への近道のためだったのかは不明。
 ▼ パイロットは事故遭遇直前まで危険を察知していない。危機の交信、危険信号の発信もない。
 ▼ 機は突然進行方向右側から秒速70mもの突風を受け、右側主翼が1/3ほど脱落、垂直安定板が破壊された。
 ▼ 垂直安定板は左側水平安定板に激しく激突した。
 ▼ 機は時速700Kmほどから400Kmほどにまで一瞬で減速した。
 ▼ 一瞬の減速で乗員乗客の大部分は前の座席に頭部頚部を打ち付け、死因になったが、操縦室でも同様であったと考えられる。
 ▼ 一瞬の減速で中央タンクが破れ、燃料が荷物室を通じて機の前部に移動した。
 ▼ 機は墜落過程で中央部で二分した。
 ▼ 地上に激突後、前部に移動した燃料に引火し消失、火勢でフライトレコーダーも消失した。
 ▼ 乗客の8mmカメラの映像が原因究明に役立った。カメラが受けた衝撃は7.5Gであった。人間は4.5-5.0Gで失神、旅客機の荷重限界は4-5Gと言われている。
 ▼ ・・・・
?????????????????????????????-

 参考)柳田邦男著『続マッハの恐怖』フジ出版社1973年では、「ばんだい号墜落事故」、「全日空松山沖墜落事故」、「日本航空羽田空港暴走事故」、「同ニューデリー墜落事故」、「同金浦空港暴走事故」、「同ボンベイ空港誤認着陸事故」、「同シュレメチボォ空港墜落事故」、「デ・ハビランド コメット機の連続空中分解事故」、「イースタン航空401便墜落事故」など、様々な原因によって発生した航空事故を取り上げている。
 これもいま再読中である。


12/11(水)晴れ曇り 終日飯川病院ボランティア 
1:15起床、文献読み。蓄積データ処理。自炊、ダリアの球根整理。8:40家内に同乗飯川病院出勤、院長多忙というので終日ボランティア。外来対応。13:30秋銀スタッフ来訪、
18:00院長はゾンタの会合に向かい。19:30バスにて帰宅、夕食、21:30就寝。歩数計Σ8797歩。

渡辺淳一著 「富士に射つ」 文春文庫 1972年(2) BOAC機墜落事故関連作品
 渡辺淳一氏の著作は随分読んだが、航空機事故を扱った作品があることは失念していた。これを見つけ、数日で一気に読み切った。

 本書は1966年(昭和41年)3月5日の124人全員死亡したBOAC機事故の白煙と、パラシュートをゴルフ場で目撃したあと、強度の不安神経症に陥った中年の患者とその治療を担当した主治医を巡ってのエピソードを綴った作品である。
 私の興味と一部重複していることで親しみを感じた作品である。

 主治医の私は、44歳の元会社人の脅迫神経症疑いでうつ状態にある患者の主治医となる。昭和41年より、いらいらし不眠が激しくなり、気が重く、被害妄想的となった。42年春には都内の精神科へ行き、ノイローゼの診断の下で治療受けたが軽快せず、人と接触するのが怖くなり、話すのも、挨拶することもできなくなって妄想や幻覚が生じるようになって主治医の勤務する病院に転院した。
 主治医として関わるも一切こころを開かず、原因は不明でやむなく催眠療法を行なった。結果として、富士の見えるゴルフ場で、飛行機が落ちるのをみ、パラシュートを見た、ということまで聞き出した。

 当時の新聞からを検討し、患者は124人全員死亡したBOAC機事故の際にパラシュートを目撃したが、患者は誰もその話を信じてくれない、と悩み、その後に強度の不安神経症に陥ったことがわかった。
 旅客機にはパラシュートは搭載されていないから、主治医は患者の病態はさることながらこのBOAC機事故について興味を持ち、患者が見た、というパラシュートとの関係から事故を追って行く。事故原因は乱気流に突っ込んだための空中分解説が有力となっていた。
 さらに新聞記事による検討、患者の勤務先訪問、同様にパラシュートを見たというタクシー運転手との面談、患者の妻との面談、元パイロットとの面談を繰り返して行く。

 最も参考になったのは元パイロットとの面談で、彼は「全体的に乱気流説にマスコミ報道が作られている様な気がする。フライトレコーダーが激しく焼けているのも納得しがたい。自衛隊機のスクランブルが関与している可能性も否定できない・・」などと述べる。

 主治医は最終的には患者を信じ、患者の言葉を信じたい、と思ったが確証は得られないだろうと納得せざるを得なかった。

 作家渡辺淳一氏も航空機に興味があったのだろうか。
 事故調査団が科学的手法を駆使して乱気流による空中分解説で結論をまとめようとしている時期に、精神を病む患者のパラシュートを見たという言葉には嘘がないはずだ、ということを前提に別の視点からBOAC機事故を考えて行くという構成になっている。その解析過程、精神科領域の治療法などに魅力ある作品となっている。
 渡辺淳一氏の作品群の中では目立たない作品であるが、これを読んで私は氏に強く親近感を覚えた。このことは氏のほかの作品を読む際にも有用となるだろう。


12/10(火)晴れ、比較的温暖 中通病院外来  飯川病院 
1:00飯川病院で起床、データ処理。7:00検食。8:45-12:50外来。新コンピューターシステムでの2回目診療、看護師に助けられつつなんとか乗り切った。13:00飯川病院。微睡、14:00-19:00勤務に。19:20帰宅夕食。21:00就寝。歩数計Σ@@@歩。ラジオ深夜便録音数篇聞く。

渡辺淳一著 「富士に射つ」 文春文庫 1972年(1) BOAC機墜落事故関連作品
 1966年(昭和41年)春の日本の空は異常であった。
 ■ 2月4日 全日空ボーイング727型機羽田沖に墜落、133人全員死亡。
 ■ 3月4日 カナダ太平洋航空ダグラスDC8型機羽田空港で着陸失敗炎上、64人死亡、8人重軽傷。
 ■ 3月5日 イギリスBOAC機ボーイング707型機富士山麓に墜落、124人全員死亡。

 わずか1カ月の間に、東京を中心とする限られた空域で、これだけの大惨事が連続して発生した。しかも、みな大型ジェット機である。世界的に見ても前例のない惨事であった。
 これらの大惨事については、柳田邦夫著「マッハの恐怖」(1971年フジ出版)に詳しく記述されている。

 私は大学入学後、堰を切ったように読書の世界にのめり込んだが、ほとんどが古典や現代の文芸作品が中心であった。私は柳田邦夫著「マッハの恐怖」によってノンフィクション、ドキュメンタリーの世界にも領域を広げて読みあさることになった。その中でも巨大システム、原子力発電、巨大建築などに関するものが多かったが、とりわけ航空関係の領域が多かった。
 
 なぜ航空機か、と考えてみると、あんな重い飛行機がなんで飛ぶのかなど原理的な興味、機体、特にゼロ式戦闘機、YS-11、コンコルド、ジャンボなど最新鋭の航空機に関する興味、さらに航空機を支える管制などの運航システム、安全システムなどに対する興味など、興味の範囲は尽きることはなかった。世界中で生じた大きな航空機事故についての文献は積極的に収集した。150冊以上も求めていると思う。

 私は医師になって患者の命に責任を負うことになってその責任の大きさに慄いたが、そうは言っても患者は自分から見てあくまでも第三者であって、その命の推移・変化を冷静に観察できたが、自分が同時に巻き込まれるわけではない。一方、パイロットは事故の際に乗客と運命を共にすることになる。この点から私はパイロットの心理にも思いを馳せ、自らの問題として自分の考えに反映させようとしてきた。

 私はいま終活をかねて書籍を電子化している。やっと古い蔵書にまで手を広げているが、その中に本書があった。購入していたものの、おそらく時間がなくてそのまましまったにしておいたらしい。

 渡辺淳一氏の著作は随分読んだが、航空機事故を扱った作品があることは失念していた。これを見つけ、数日で一気に読み切った。氏は、1966年(昭和41年)3月5日の124人全員死亡したBOAC機事故で、ゴルフ場でパラシュートを目撃したあと強度の不安神経症に陥った中年の患者とその治療を担当した主治医を巡ってのエピソードを綴った作品として完成させた。私の興味と一部一致していることで親しみを感じた作品である。


12/9(月)寒波終日曇り 健康クリドック 午後飯川病院+当直
1:00起床、文献・新聞チェック、読書。7:10バス飯川病院。9:00-11:15健康クリニックドック。11:20飯川病院、微睡など。14:00-18:45勤務、入院患者対応。19:00帰宅、夕食、21:30就寝。歩数計Σ6005歩。

薬物依存症(4) 突撃錠 猫目錠として軍が使用
 昨日12月8日は、1941(昭和16)年真珠湾攻撃が行われた記念すべき日である。アメリカでは例年記念の慰霊祭などを行なっている。対して我が国の記念行事はとても少ない。メディアはあえて触れないようにしているのではないか?
 日本は当時、国際的に孤立し、国としての存続が危ぶまれる状況にあり、苦渋の決断がなされたものである。このあたりの歴史は誤解があるようで、勉強する価値は大きい。

 戦争中は覚せい剤の軍事利用があった、とされる。兵士だけでなく、工場で働く女子工員などにも用いられ生産能率向上が図られた。
 大日本製薬が覚醒剤ヒロポンを発売したのは1941(昭和16)年。同年12月には真珠湾攻撃によって日本は太平洋戦争に突入することになる。

 医薬品の分野では、1941年5月に医薬品及び衛生材料生産配給統制規則によって、全面的な医薬品統制が敷かれ、指定重要医薬品は生産許可制となるなど統制が一段と強化されていた。また、大手製薬会社は軍管理工場に指定され、戦線の拡大とともに増加する軍用医薬品の需要に応じた。
 統制下での製薬業の状況は、民間用医薬品は品不足で危機的状態にあったが軍需用には原料が割当てられ、特に覚醒剤、睡眠剤、抗マラリア剤、ホルモン剤、サルファ剤、解熱鎮痛剤、ビタミン剤などが軍管理の下で生産が強要され各地で使用された。それでも供給は不十分で、南方の戦線では栄養失調死、マラリア等の感染症死が多かったとされる。

 覚醒剤ヒロポンは、軍部や軍需工場で大量に使用されていた。しかしながら、戦争末期に資料が焼却され状況を知る資料はほとんど残されていない。散発的に、「覚醒剤は軍需工場で労働強化ために、徹夜作業にもちいられた。服用で一時的に視力が良くなることから『猫目錠』と呼ばれていた・・。」、「戦闘の前線では兵士の士気高揚のための興奮剤として覚醒剤が使われた。特攻隊員たちは「突撃錠」と称するヒロポンの錠剤を飲まされた」などなどの証言がある。

 上記の話は多分本当だろう。私は新潟大学の授業で、戦時中の軍需工場で働いていた若い女性たちがフェナセチンを投与され、それによる腎障害を起こしていた、と習ったことがある。
 当時は日本の歴史に関する知識も薄く、大きな感慨もなくそんな事実もあったのか、と受け流していたが、今は複雑な思いで日本の歴史の一場面として捉え直している。


12/8(日)寒波、曇り、積雪なし 開戦記念日 ダリア球根掘り 除雪機整備 
 1:30起床、新聞チェック、読書など。自炊2冊。午前はデータ整理。10:30-12:00除雪機整備、「NHKのど自慢」見る。13:30-15:00ダリア球根掘り、今年は成長いいようだ。外の水道凍結対策など。「題名のない音楽会」3回分視聴。19:00夕食、21:00就寝。 歩数計Σ7807歩。こまち最終で家内帰宅。

薬物依存症(3) いろんな薬物製剤がある(2) アルコールさえもそれに含まれる
 下戸の私から見ればアルコールも同様の危険物質である。
 危険な薬物の列挙を続ける。

 ■ヘロイン
 ヘロインは、けしを原料とした薬物で、けしからあへんを採取、あへんからモルヒネを精製して作られ、「麻薬及び向精神薬取締法」で麻薬として規制されている。
 ヘロインは静脈注射のほか、煙を吸う方法、吸入する方法、経口からとる方法で乱用されている。神経を抑制する作用があり、強い陶酔感を覚える。強い精神的依存、強い身体的依存が形成され、2〜3時間ごとに摂取しないと、体中の筋肉に激痛が走り、骨がバラバラになって飛散すると当該者が表現する痛み、嘔吐、失神などの激しい禁断症状に苦しむ。あまりの苦しさから精神に異常を来すこともある。大量摂取で死に至る。
 ヘロインは心身への影響が強く、医療上の使用も禁止されている。

 ■大麻
 乾燥大麻(マリファナ)、大麻樹脂(ハシッシュ)、液体大麻(ハシッシュオイル)
がある。通常は吸煙、食べる、飲むなど。一般的には快活・陽気になる。同時に、視覚、聴覚、味覚、触覚等の感覚が過敏になり、時間感覚が混乱、思考分裂、感情不安定になる。このため、興奮状態に陥って、暴力や挑発的な行為を行うことがある。幻覚や妄想に陥ることもある。

 ■シンナー、トルエン等有機溶剤
 シンナーは塗料の希釈液のこと。その成分トルエン等とともに「毒物及び劇物取締法」により、その乱用が規制されている。 用いると神経が抑制されてぼんやりとし、宿酔状態になる。乱用で集中力・判断力が低下し、無気力になるほか、幻覚や妄想などが現れる。脳心肺肝腎、生殖器に障害が生じる。大量吸入で、呼吸麻痺で死亡することも。
?
 ■酒・アルコール
 エチルアルコールは、歴史も長く、世界中で作られており、嗜好品のように考えられているが、脳に作用する危険な依存性薬物と変わりがない。習慣性、依存性、耐性がある。
 脳への作用は「抑制」で、思考や自制心などが抑制されるため、感情のおもむくままに行動する傾向になる。だから、ストレスの解放に有用なのだろう。大量摂取で昏睡状態、呼吸中枢が麻痺して死に至ることもある。
 耐性があるために次第に酒量が増えていく。精神依存、身体依存も引き起こす。中止すると禁断症状が出る。それを抑えるために飲酒するようになる。これが一部の人が陥るアルコール中毒である。

 私はアルコールは不要である。ストレスをアルコールで発散しようとは思わない。それ以外でも十分発散できる。一瞬、ビール、酒など美味しいと感じることもあるが、少しでも飲むと気だるさが襲って来るから嫌である。
 適量のアルコールは人間関係、社会の安定のためにも役立っている、と思いたいが、私はアルコールが出る席は不快なだけであった。


12/7(土)寒波小雪終日 家内横浜 飯川病院午前外来・午後日直
0:10起床。文献検索、徒然他何時もと同じ。新聞チェック、データ整理中心。7:00横浜に立つ家内駅に送りプリウスで飯川病院出勤。午前外来・午後日直。13:30-14:30末日聖徒宣教師二人来訪歓談。資料いただく。微睡文献読みなど。18:15帰宅、夕食、21:00就寝。歩数計Σ9004歩。ラジオ深夜便録音数篇聴く。

薬物依存症(2) いろんな薬物製剤がある(1) 覚醒剤、危険ドラッグなど
 薬物依存症に陥る薬物等は多数にわたる。医療関係者といってもその内容を詳しく知っているわけではない。この機会に対象薬物をまとめてみた。
 調べた結果では、結局は誰でも楽しめるアルコールですら、下戸の私から見れば同様の危険物質であることがわかる。

 ■ 危険ドラッグ・脱法ハーブ・合法ドラック
 最近、ネット上で「合法ハーブ」などとして販売され、意識障害、嘔吐、痙攣、呼吸困難等を起こして重体に陥る事件が発生している。
 これらは、法で規制されないよう化学構造を変えているが、規制薬物と同等の作用を有し危険である。中毒症状も覚せい剤や大麻などの違法薬物に比し重篤例が目立つ。

 ■ 向精神薬・睡眠薬・抗不安薬
 中枢神経に作用し、精神活動に影響を与える薬物を総称して「向精神薬」と呼ぶ。
精神科や心療内科などで処方される薬を指します。睡眠薬や抗精神病薬、抗不安薬と抗うつ剤が含まる。ハルシオン・デパス・ロヒプノール等が有名。正しく使用すれば治療効果が期待できる薬剤であるが、依存症からの離脱は困難とされている。

 ■ 覚せい剤
 覚醒剤の水溶液を注射する方法、煙を吸う、服用する方法もある。神経を興奮させ、眠気や疲労感が消失、頭が冴えた感じになる。しかし、効果が切れると、激しい脱力感、疲労感、倦怠感に襲われます。
 覚醒剤は、特に依存性が強く、幻覚や幻聴、妄想が現れるほか、錯乱状態になって、発作的に他人に暴行を加えたり、殺害したりすることがあり、このような症状は、やめても長期間にわたって残る危険性がある。1981(昭和56年)に起きた「深川通り魔殺人事件」は4人犠牲になったが犯人の尿から覚醒剤が検出された。
 
 ■ MDMA・MDA
 MDMAは化学名「3,4-メチレンジオキシメタンフェタミン(3,4-Methylene-dioxymethamphetamine)」の略名。俗に「エクスタシー」と呼ばれる。
 MDAは化学名「3,4-メチレンジオキシアンフェタミン(3,4-Methylene-dioxyamphetamine)」の略名。「ラブドラッグ」等と呼ばれる。
 MDMAとMDAの薬理作用は類似しており、視覚、聴覚を変化させる反面、不安や不眠などに悩まされる場合もあり、使用を続けると錯乱状態に陥ることがあるほか、記憶障害等の症状も現れることがあります。

 ■ コカイン
 コカインはコカの木の葉を原料とし「麻薬及び向精神薬取締法」で規制されている。
 鼻からの吸引、経口で使用され覚醒剤と同様の興奮作用がある。覚醒剤に比べて作用時間が30分程度と短いため、精神的依存が形成されると、一日に何度も乱用するようになる。乱用で幻覚等が現れたりする。大量に摂取で死亡することがある。

 ■ LSD
 LSDは化学名リゼルギン酸ジエチルアミド( lysergic acid diethylamide)は、合成麻薬の一種。「麻薬及び向精神薬取締法」の規制の対象とされ、経口で乱用されている。乱用すると、幻視、幻聴、時間の感覚の欠如などの強烈な幻覚作用が現れます。特に幻視作用が強く、ほんのわずかな量だけで物の形が変形、巨大化して見えたり、色とりどりの光が見えたりする状態が8〜12時間続く。
 また、乱用を続けると、長期にわたって神経障害を来すこともある。


12/6(金)終日小雪舞う 大曲外来 飯川病院ボランティア
0:30起床。文献検索、読書、医学文献読み。自炊数冊。6:00家庭ゴミ収集所に。路面は滑る。7:20Taxi駅、8:11こまち。9:00-12:15大曲中通病院外来。駅病院間は道路冠雪でTaxi、帰路のこまち3分遅れ。13:30-18:40飯川病院ボランティア。19:30帰宅。21:30就寝。歩数計Σ5433歩。秋田は積雪数cm、大曲の住宅の屋根には30cmほどの雪、隣市の横手は1m近いという。本格的雪の季節を迎えた。

薬物依存症(1) 孤立の病気
 違法薬物を持っていた、あるいは使用していた有名人が相次ぎ逮捕されている。 

 最近話題になったのは合成麻薬のMDMA・MDA。
 MDMAは別名エクスタシーとも呼ばれ、MDAは別名ラブドラッグとも呼ばれ、視覚、聴覚を変化させる作用があり、多幸的になったり、他人に対する親近感が増したり、その反面、不安不眠等に悩まされることにもなる。強い精神依存性をもっており、乱用を続けると錯乱状態になり、記憶障害等の症状も現れる。

 違法薬物には、覚せい剤、大麻、コカイン、ヘロイン、あへん、LSD、MDMA、MDAなどがある。
 他に、「合法ハーブ」などと称する商品を使用した人が、意識障害、嘔吐、けいれん、呼吸困難等を起こして、重大な事故をおこしたり、重体に陥る事件が多発している。これらの商品は、覚醒剤、麻薬、大麻など規制薬物の化学構造に似た構造を有している。

 日本では「薬事法」により、中枢神経系の興奮若しくは抑制、幻覚の作用を有する可能性が高く、人に使用された場合に保健衛生上の危害が発生するおそれがある1379物質(平成26年現在)が指定薬物として、医療等の用途に供する場合を除いて、その製造、輸入、販売等が禁止されている。

 違法薬物による事件は年約2万件。そのうちの7割を占める覚醒剤事件は再犯率が高いのが特徴で、2018年の摘発の場合7割近くが再犯だった。

 薬物依存症は薬物を使うことを自分の意志でコントロールできない状況に陥った状態である。薬物を使わないと体が震えるなどの身体的依存があるが、より対応が難しいのは精神的依存である。

 脳が薬物に支配された状態で、その状態が記憶され、止めて何年もたつてから急に使いたくなり再犯に走ることもある、と言われている。 

 薬物依存症は孤立の病気と言われる。人気に依存する駆け出しの芸能人や落ち目になりつつあるスポーツ選手などのストレスは大変なものだ、と思われる。
 しかしながら、治療によって回復や社会復帰は十分可能で、カウンセリング自助グループへの参加が効果的とされる。
 
 孤立することを防ぎ、自分が依存症であると認め、他の人に相談できるようになることは目標のゴールとなる。
 薬物依存症は生活習慣病のような慢性の病気なので継続的治療が必要とされる。周りの人たちの支持が重要となる。


12/5(木)終日降雪、道路の冠雪まで至らず 寒い 飯川病院
0:10起床、新聞。医学文献読み。経済問題の文献読む。午前は居間の整理、ネコ対策、自炊、読書。11:50バス飯川病院。文献読書。14:00-19:00飯川病院勤務、入院・外来対応、19:30帰宅。夕食、21:20就眠。歩数計Σ6384歩。

人生100年時代(34)  文庫本・新書の寿命は意外と短い
 私は自分が関与した物品などなかなか捨てられない。「いつか役に立つ・・」の発想自体捨てられない。したがって物置には木片を中心としたガラクタ、部品取りのためにとってある家電製品などが、多数占拠している。

 読んだ文献や新聞、雑誌の記事も捨てられない。

 書棚は「いつか読むだろう、いつかは読みたい・・」と思って購入した本も未読のままかなり占拠していた。私は本の背表紙を見ているだけでも幸せな気分になる性分だから捨てられず、また、今だに書籍を購入し続けるものだから、増えすぎる本の処理に困っていた。10年ほど前からスキャナーで取り込み、自分で電子化する自炊作業を始めて書棚の本はかなり少なくなった。

 ところが、先日、物置を探していたら、学生時代1965年以降に買い集めた古い書籍が大量に見つかった。文庫本を中心に新書など500冊以上はアリそう。所持していることさえ忘れていた本や、懐かしい本、紛失したと思い込んでいた本も出てきて、驚いたり、喜んだりして悲喜交々懐かしんでいる。

 これらの古い本も含め、ほぼ連日自炊作業をしているが、30年以上も前の古い書籍は字が小さく、フォントも古く、行間も狭くて読み難い。絶版にならず今も入手できる書籍なら新規に購入してもいいが、まずは私の歴史を大事にしたい。

 古い本は、紙自体が劣化し、ページは黄変している。また綴じ面のノリが劣化して持ち上げるとバラバラになる本もある。だからこそ、今のうちに電子化することは意味がある。書籍の自炊、電子化は劣化を防ぐ作用もある。

 しかしながら、スキャナーに取り込む前に本をカッターで裁断するのであるが、紙が劣化しコシが弱くなっている文庫本・新書はカッターでの裁断は困難で、その場合にはハサミを用いて裁断する。さらに加えて、スキャナーのページ送りがうまく機能しないこともある。

 自炊作業を通じ「文庫本・新書の寿命」は意外と短いことを知った。ハードカバーの単行本は紙質も堅牢さも段違いで当時の書籍であっても劣化していないのが多いが、当時の私は乱読主義で、とても単行本など到底手が出なかった。「文庫本・新書」ファンであり、かつ古本屋を利用していた。

 出版社にしてみれば利益の少ない文庫本は紙にも装丁にも費用をかけられないのであろう。

 若い頃に無目的に買った本が、今になって人生を振り返る貴重な資料になっている。購入時、「読まないかもしれない、無駄な買い物かな?」と思った本でも、長い目で見れば、読み手の人生の視点が変わるから、結構役立つこともあるのだ、と実感する毎日である。


 12/4(水)曇り降雪少々寒波 飯川病院ボランティア
 0:30起床。医療文献PDF化、書類整理淡々と処理。文献・新聞読み。11:50バスにて飯川へ、ボランティア、微睡、外来入院対応。19:00帰宅、20:50就眠。歩数計Σ9495歩。本日から防寒靴にした。バス待ちは冷える。

中曽根元首相死去 現実を直視した先進的政治家であった
 田中首相の失脚を受け総理に就任した中曽根氏は「戦後政治の総決算」を掲げ、数々の業績を残した。
 先日、11月29日に101歳で亡くなった。民意に敏感な政治スタイル、長期的展望に立つ政治姿勢は、その後の歴代内閣に大きな影響を与えた。
 レーガン大統領との間のロン・ヤス関係構築、「不沈空母」発言などで物議を醸したが、後々の「劇場型政治」の走りといえるかもしれない。


 中曽根氏の原体験は戦争の悲惨さである。国家指導者達はだらしなかったし、民衆は戦前の官憲の圧力に懲りていた。
 
 戦後2回目の衆院選で27歳で国政に登場した中曽根氏は、タカ派的な言動で早くから注目を集めた。利害調整型の議員が多い自民党では異彩を放った。
 自民党戦国時代といわれた派閥抗争はなやかな時代、大きな派閥も持たなかった彼は、民衆に定着した姿勢を貫き、風見鶏とあだ名された世渡りのうまさを発揮し、田中角栄に支えられついに首相となる。
 1982-87年首相を務めたが、常に国家再建の姿勢を明快にしていた。 

 氏の政治のもうひとつの特徴は米大統領との蜜月、米軍事戦略との協力、外交・安保の重視であった。米国の国力が傾き、日米安保に安住するだけでは国を守れない、といまの日本が直面しつつある課題にいち早く気づき、防衛費の国民総生産(GNP)比1%枠を撤廃するなど、防衛力の整備を進めた。これは方向性として先を見据えた画期的政策であった。
 労使関係が破綻してスト続きだった国鉄の再建といった国民生活に身近な課題も成し遂げた。
 
 悲願だった靖国神社への公式参拝を強行したが、近隣諸国とのあつれきを考慮して翌年以降やめたのも、現実を直視した中曽根政治を象徴するエピソードといってよい。氏の政治の中で評価が大きく分かれている点である。国益の重視のために、英霊を想うという個人の思惑を捨てたのだろう。

 2003年(平成15年)、小泉首相から定年制導入のために引退を要請され、当初は反対するも最終的には政界から引退した。56年7力月の議員生活、うち5年首相を務めた 。2018年(平成30年)首相経験者として2人目となる満100歳を迎えていた。

 氏は若い時からの歌人でもあった。
 「暮れてなほ 命の限り 蝉時雨」。中曽根氏のこの旬は彼の人生そのものを詠っている。 
  
 私は知らなかったのであるが、晩年、回顧録を次々と執筆した、と言う。後世の歴史家に役立つ手掛かりを残したことは評価すべきである。
 敗戦間近に軍幹部は保身のために戦争関連の資料の大部分を焼却したが、これは日本の将来に対する重大な冒涜であり、犯罪行為である。 

 最近、「桜を観る会」の資料が廃棄された、というが、なんか共通する行いのような気がしてならない。隠蔽工作は、日本の、組織の、為政者の特技なのか?


12/3(火)曇り小雪 外来・新コンピューターシステム稼動 飯川病院 
 0:45起床、文献・新聞などPDF化。録音データ整理。6:00可燃ごみ集積所に。6:50バスで飯川病院。8:45-13:30中通病院外来。13:45飯川病院、微睡、14:00飯川病院勤務。入院患者対応。再び微睡。19:10帰宅、夕食。20:30就寝。歩数計Σ7820歩。

何もしない人が一番クレームをつける 被災地のボランティア募集について
 朝日新聞2019.11.13に以下の記事が掲載された(一部改変)

 この秋、3つの台風が猛威を振るった千葉県。長柄町の山あいでは濁流が押しよせ、床の上まで浸水した。今も泥まみれの家財道具が庭に積み上げられたまま。
 家財道具の運び出しや泥かきなど、各地でボランティア活動も続いている。
 熊本県から駆けつけ、二週間以上泥かきを続けているというB氏(66)は「必死に作業しているのに終わらない。もっと人数がいれば・・」と疲れた表情を見せた。
    
 千曲川沿いの長野市近郊のリンゴ畑では、分厚い泥が堆積し、すでに固まり始めている。取り除くには、散乱したリンゴの枝や流されてきた屋根などのごみを撤去しなければいけない。ここではボランティア約15人がリンゴ畑で汗を流していた。畑を所有する農家の女性(87)は「本当にいろんな人に助けてもらった」。ただ、本格的な冬を控え、なくならない泥に焦りを隠さない。「本当は、まだまだ力をお借りしたい」、と肩を落とした。

 全国社会福祉協議会によるとこの1カ月で延べ約13万400人のボランティアが被災地で活動した。宮城県丸森町や福島県いわき市、長野市などでは、今も人手が必要な状況が続いている。
?????????????????????????

 被災した現場の深刻な状況がよくわかる。
 このようなニュースがTVや新聞で報じられると、「被災地が深刻なボランティア不足に悩んでいるそうだ。だからと言って、ボランティアは自主的参加なはずだから、もっと来て欲しいというのはおかしい・・・」といった場違いの意見が投書欄などに掲載された。ネットでも行き交っているらしい。

 そもそも、国は有事の際に国民を守る義務がある。だから、ボランティアの不足が問題なのではなく、国や地方公共団体に労働力不足の責任がある、という趣旨の意見である。

 こんな意見に真面目に反論する気は無いが、自分で手を出さずに全てに「親方日の丸」に、すなわち国や自治体に頼ろうとする、最も嫌な意見の一つである。

 本来ならば住民同士が共助互助の気持ちで助け合うべきであるが、それでも人手は足りない。広域災害の時は難を免れた地域からの労働力に期待せざるを得ない。こんなことは自明の理である。また、国自治体の動きには一定の時間が必要であるが、被災地の住民には生活があり、被災直後から生活を立て直さなければならない。この時に最も力になるのは篤志家によるボランティア活動である。

 ボランティアが余るほど来るということは期待出来難い。
 ボランティア活動をしている人、被災した人たちがもっと人手が欲しい、と深刻に思っているはずである。この気持ちに偽りはないだろう。

 ボランティアを募る事自体には何の問題もない。それに対していろんな意見を発することはいいことだと思うが、非難誹謗の意見は「何もしない第三者」から発っせられることが多い。活動に手を染めた人は意見を述べるにしてももっと慎重、建設的意見になると思われる。

 そういう私は、まだ勤務があるし、高齢で作業に参加することはできない。だから、中央共同募金会を通じて台風19号被災地に義援金を送金する事しか出来ない。私の小さなボランティア活動である。


12/2(月)終日雨 健康クリニックドック 飯川病院
0:00起床、本読み。文献・新聞などPDF化。7:10バス飯川病院着。9:00-11:00健康クリニックドック。11:30飯川病院へ、微睡など。14:00-18:45勤務、入院患者、外来患者対応。15:30明日からの新コンピューターシステム稼動に備え中通病院に勉強に行く。19:30帰宅夕食、21:15就寝。歩数計Σ7420歩。ラジオ深夜便録音数篇聞く。

師走2019 (2)もう師走、毎日をもっとゆったりと過ごしたいものだ

 せき立てられるような、落ち着きのないこの師走、私はあまり好まない。この時期は節目として一年を振り返る時期でもある。

 人聞は、特に私は、自分中心主義であるから心の中に絶えず「歪み」、「毒」、「葛藤」が形成される。私どもは、いや、私は罪作りである。生きるために他の命を殺めることから逃れられられないし、生きるためにウソを重ねて社会に適合、他人に迎合せざるを得なかったから、心の中に常に他人に対しての「毒の感情」を発生させてきた。
 
 人には五欲があると言う。
 【食欲】、【財欲】、【色欲】、【名誉欲 】、【睡眠欲】。朝起きてから夜寝るまで、私もこの五欲に追い立てられている。私はどちらかと言うと根暗で無気力人間であったから「他人を蹴落としても自分が・・・」と言う発想は乏しいが、それでもやっぱり五欲から逃れられず、様々な悪行を重ねてきた、と思う。
 私も年齢を重ねて自らの業の深さに思い至り、自らの過去を反省し、「終わった人」と、自身を否定している。これ以上罪を重ねない様に社会、他人との間に距離を置いている。

 もう私には大きな目標はない。例外は、家内には一生付き合ってもらったとの感謝を込めて、良き人生を纏うしてもらいたい、と思っている。そのために、「寛容」・「忍耐」・「奉仕」に徹して支えたい。
 彼女は「つまらない人と一緒になったものだ・・」と時折言う。その通りかもしれないがいまさら何ともできない。また、ボランティアとして彼女の仕事を手伝っているが、評価は低い。「外来には出したくない、患者が減るから。病棟は任せられない、患者が死ぬから・・・」と手厳しい。花壇の世話は略合格か?滅多に運転もさせてもらえない。危ないから・・と全てに関して好き勝手な評価をぶつけてくる。その時の表情がとてもいい。私の「寛容」・「忍耐」・「奉仕」の気持ちが発揮されていることの証の一瞬である。もちろん私にもプライドが若干残っている。私は彼女が言うほどひどい、役立たずの人間ではない、と思っている。それが私を支えているが口には出さない。長年連れ添った間といえ、まだ駆け引きは必要である。

 人が暮らしていくうえで、モラルや常識の範囲がある。法律より広い。しかし、今、さまざまな場面で、人間社会の澗滑油というべきその守備範囲が狭まっているように思われてならない。言葉や態度に載せて外に逃がさねば生きていけない厄介な存在の人もいる。最近の日本はその様な自己中心の考え方が増えてきた様に思う。私の自己中心とはちょっと異なっている。

 不寛容の時代である


12/1(日)快晴午後曇り プリウスタイヤ交換  
3:00飯川病院起床、本読み、文献チェック、スクラップ化。7:00検食、9:15レガシーにて帰宅。入浴、スクラップ電子化、データ整理。12:00NHKニュース、のど自慢楽しむ。13:00-15:30プリタイヤ交換、物置整理、廃棄物多数。微睡。書斎整理、ストーブ超整初点火。BR美術館関連。19:00夕食、21:00就寝。歩数計Σ9055歩。

師走2019 (1)もう師走、毎日をもっとゆったりと過ごしたいものだ
 ついに師走となった。この月は多くの家で僧侶を家々に迎えて読経などの仏事を行ったため、師が東西に走り回るから師走と言った。年の暮れの往来の慌ただしさを絡めて、陽暦12月の異称として親しまれている。

 新年を迎えてからの時間、過ぎるのが早い。もう11ケ月も経過した。それだけ私自身が鈍くなって時間感覚がスローペースになっているからである。全部の動作が遅くなっている。これだとポール・ジャネの法則などの難しい論理を持って来なくとも時間の過ぎるのが早くなっていることは簡単に説明できる。

 「忙しい」の「忙」は「心を亡くすこと」と言われる。昔の人はよくぞ言ったものだ。よくぞふさわしい文字を創り上げたものだ。
 ここ数年、多忙から解放され、かなり自分を取り戻している。そうなると新しく見えてくる分野が広くなる。

 私は師走があまり好きでない。何かと慌ただしいからである。私は淡々と、かつ静かに過ごしたい。
 師走になると世の中が喧騒になってくる。
 通勤路にはイルミネーション、商店街がクリスマスセール、お歳暮セールと、目や耳にうるさい。お歳暮は今なら10%引きなどと世の中を煽っている。半ば親切、半ば脅迫である。私は中元や歳暮など、意味の無い物品のやり取りは嫌いである。嬉しさよりも心に傷つく。
 
 新聞ひらけば折り込み広告がうるさい。ラジオ、TVも同様、商店街も「ジングルベル」。これからますます市井が煩くなっていく。音楽雑誌をひらけば「第九」、「第九」の広告である。
 世の中が見えない力で踊らされている。
 近年加わったのがおせち料理の広告で、9月頃から始まっている。3け月あとのセールスなのに、示した通りのものが作れるのか?、と思いきや、この頃から作り始め、冷凍状態で注文を待つのだ、という。今の冷凍はコンピューター制御で一定の温度のプロセスで冷凍されるため、食品の旨みが失われないのだ、という。私も骨髄移植の分野でこの方法で細胞を生かしたまま冷凍する技術を応用していた。今は産業分野で冷凍技術は素晴らしく発展している。

 駅前、街中のイルミネーション、評判は良いようであるが私は嫌だ。冬の夜はモノクロ写真の雰囲気が似合うのにカラーの世界である。
 忘年会、今年は一回だけ飯川病院の会に出席する。付き合いとしてでなく、業務の一環として出席する。私にはアルコールも不要、忘年すべきことなどない。記憶力が乏しくなった昨今、忘年会しなくとも自然に忘れていく。

 人間には、濃密でない時間があってもいい。これからは時間を大切にすることは勿論であるが、お金で買えない、静かで豊かな時間の中に身を置くことが最高の贅沢になる。

 いつも似たような結論になるが、今年も元気で師走を迎えられての感想である。良かった良かった。


11/30(土) 降雨小雪曇り不安定 飯川病院日直当直 レセプトチェック
 1:00起床、新聞文献チェック、PDF化。12:15飯川病院に日直当直、検食。
13:30-14:30末日聖徒宣教師二人来訪歓談。16:00-17:30外来レセプト点検。18:00検食、各種データ複製処理、読書、自炊など。20:16患者死亡、21:30就眠。Σ8959歩。

宗教2019(5)ローマ教皇の来日(4) 来日は何だったのか 不遜ながら感想を
 11月23日から26日の日程で、教皇が38年ぶりに来日し、過密なスケジュールをこなし離日された。
 信者の数は世界では12億人を数える。日本では約44万人にとどまるが、宗派にかかわりのない人々を巻き込んで熱烈な歓迎を各所で受けた。
 天皇、首相他の要人とも会われた。

 歴代の法王の発言は世界に大きな影響を与えてきた。キューバ危機の回避にヨハネ23世が、冷戦時代の終焉にヨハネパウロ2世の働きが大きかったことは国際政治の世界ではよく知られている。現教皇フランシスコはさらなる影響力を世界に及ぼしている、との評価もある。
 しかし、本当だろうか?たまたまこれらの問題が解決の兆しにあったからでないか?私はそう思う。
 法王は2017年にトランプ米大統領、2019年はプーチン大統領の訪問を受けるなど、世界の指導者とも交流を持つ。彼ら要人にとって教皇との面会は人道上の免罪符になる?のではないか。その上での冷戦の再来である。

 フランシスコ教皇の言葉は立派である。
 なぜ立派なのか?
 私は具体的には知り得ないが、個人としても魅力的なお人柄だ、と言われているし、敬虔な修行者であると言う。教皇が首長であるバチカン市国はローマ市内にある微小な国に過ぎず、軍隊もなく、経済力も小さく、他国々から見たら何もないに等しい。
 教皇には宗教を通じた人間のあり方の信念がある。この、信念がありながら何もないことが逆に説得力を持つ。

 しかしながら、私は宗教は政治・経済に及ぼす影響力はほとんど無だと思っている。宗教によって平和が維持されたことはない。宗教の歴史は戦いにまみれている。

 法王は、私たちが見失ったもの、見過ごしているものを取り戻し、再発見しなくてはならないと警鐘を鳴らす。経済、政治、あるいは「いのち」の認識を新たにしなくてはならないと訴え続けている。お言葉は美しい。

 今回の来日中、法王は被爆地である長崎と広島を訪れた。戦争は「いのち」を奪う。彼は戦争が、核がこの世から無くなるために動いている。ならば、なんで今ころの来日なのだろうか。

 彼は死刑に対しても、一貫して批判してきた。刑罰として「いのち」を奪うということは、人間に与えられた能力を超えている、と強く戒める。

 これまでの人間社会は強者、弱者を生んできた。法王は、こうした世界のありようを再構築しようと呼びかける。新しい世界を作る英知は「弱き者たちの知性」にある、と説く。それが法王の動かない信念らしい。

 死刑にも弱肉強食の社会構造にも、私はこれでいいとは思っていない。おそらく大多数の人たちも同じだろう。だから、教皇が発する言葉に感じ入るのだ。

 法王が、世界の人々に送った公的書簡には次のような一節がある。
 「私たちはこの世界を無償で与えられ、他者と分かち合うべき、神からの贈り物であることに気づきます。この世界は与えられたものであるゆえに、効率性と生産性をただただ個人の利益のために、単なる功利的視点で現実を眺めることは、もはや私たちにはできません」。
 この世界は、力のある者たちによって独占されるために存在しているのではなく、人々によって分かち合われるために存在している、と言う。法王が考えている「世界」とは、同時代の人々にとっての世界であるだけでない。過去から受け継いだ世界であり、未来に受け継いでいかなくてはなうない世界なのだ、と言う。

 教皇のメッセージを行動につなげて行くことが重要だ。新聞の論調も識者の論調もみんなそう言っている。軽い、軽すぎる。
 
 しかし、教皇が離日した今、誰の心の中にお言葉が残り、誰の行動が変わったのだろうか?人間は知があるから、地球にとって進行性に恐ろしさが増す、怖い存在なのだ。


11/29(金)曇り降雪寒い 大曲中通病院外来 飯川病院ボランティア
1:00起床、本読み、医学文献チェック。5:30家庭ゴミ集積所に。7:35Taxi。8:11こまち。9:15ー12:15大曲外来。病院間は往路徒歩。帰路はTaxi、秋田駅チケット売り場でキエフバレー購入。14:00飯川病院ボランティア。19:00帰宅、夕食、21:20就眠。Σ9015歩。

本:上前純一郎著 狂気ピアノ殺人事件(3) 参考になる記述
 本書には事件前後の犯人の心理変化、裁判過程で明らかになった社会としての騒音対策などの事柄が記載されているて参考になる。それらのいくつかをあげてみた。
?????????????????????????-
 ■作曲家団伊玖磨氏の意見
 事件から2力月ほどたった10月25日号のアサヒグラフに作曲家の團伊玖磨氏は日本
の住宅環境の中にピアノを持ち込む愚をこう述べている。 
 「ピアノという楽器は他の楽器に較べて一段と巨大な楽器である。本来この楽器は天井の高い石造建築の30畳平均のサロンの中で演奏されるために発達して米た。その楽器を日本の佳宅、わけても団地のように隣室や階上や階下に別の家族が住んでいるような小部屋に持ち込んで弾くという事は根本的に誤りなのである。例えるなら銭湯の浴場でプロ野球を興行しようとする程の無茶で無理な事なのである・・・。」

 ■騒音被害者の会のアンケート結果と配布パンフレットの記載
 騒音被害者の会は事件後、渋谷駅前で「第二第三のピアノ殺人事件を起こさないようにするには・・ 」のアンケート調査を行なった。71通の答えのうち、法による規制49、話し合いによる解決は14であった。

 またアンケート用紙にはつぎのような呼びかけが印刷されていた。 
?? 生活の発達しているフランスでは、夜中に水洗トイレの水を流すと軽犯罪法に触れるといいます。
?? 西ドイツでは、絨毯を叩く日は金曜日と決め、お互いにルールを守っています。
?? カナダでは、訓練した犬でなければ飼うことはできない規則になっています。
?? アメリカでは、他人の家の前で自動車のエンジンをかけたままにすると、パトカーが飛んできて重い罰金をとる仕組みになっています。
?? ニューヨーク市の騒音条例は厳しく、街頭放送、車内のラジオの音、アイスクリーム売りの鐘の音まで規制しています。とくに市条例で日をひくのは、市民が騒晋の苦情を申し出ると奨励金が出るということです。
?? 日本では反対に、苦情をいう人は「少しくらいの音を気にするようでは社会生活をする資格がない」とお説教されます。諸文明国とは雲泥の差です。
?? ソ連では、低い音や単調な音を連続的、または継続的に聞かせて、音を拷問の道具にしたと聞きました。
?? ナチスは独房に入れた囚人に雨だれの音を聞かせ、拷問を行なったと聞きました。

 ■この事件の前、1973年10月、埼玉県朝霞市のアパートで、ステレオの音がうるさいと注意された若い会社員が、逆ギレし苦情を申入れた隣室の夫婦を果物ナイフでめった剌しにして重傷を負わせた。ピアノ殺人事件の犯人はこの事件を知っていたがために強く苦情を言えず忍耐を選んだ。結果として耐え難く憎悪を募らせた。

 ■ などなど・・・・・・。
?????????????????????????-
 
 騒音に敏感な人は騒音とともに発汗や頭痛、動悸などの自律神経症状をきたしやすく、音による恐怖感から不眠症や神経症、時にはうつ状態にも陥りやすい。騒音の発生源が近所であり、自分と変わらない環境の人たちが多いだけ、時には強い憎悪の気持ちを抱く。

 多くの被害者は苦情を言っても通用しないために、諦めて自ら別環境を求めて転居などする場合が多い。

 私も騒音ノイローゼの一人であり、この事件が生じた際には強い衝撃を受けた。今読み返しても同様である。
 私も騒音から逃れる努力はしてきた。今の住宅環境は静寂であることは満足している。また、市井の騒音にはノイズキャンセリングヘッドフォンが大いに役に立って私の悩みを救っている。


11/28(木)曇 飯川病院 
0:30起床、本読み、徒然他。医学文献自炊、整理、廃棄。徒歩で飯川病院着。8:45-13:00外来+ドック判定13名。微睡、14:00-19:50飯川病院、入院患者対応。20:15レガシー帰宅、夕食、21:30就寝、歩行計8239歩。ラジオ深夜便聞き直し数篇。

本:上前純一郎著 狂気ピアノ殺人事件(2) 私と犯人はとても似ている
 本書の初発本は1972年文芸春秋社から出版されている。

 本の題名が「狂気・・」とあるが、私は決して「狂気の沙汰」とは思わない。市井に音が溢れ過ぎている。そちら側の方が狂気なのだと思いたい。
 雑音・騒音は公害である。しかも、音公害は最も賛同者を得難い。音の感受性に個人差が大きいからである。特に騒音源となっている人は感受性がもともと欠如しているからほとんど通用しない。あたかもクレームをつける側に非があるように扱われる。

 私の場合、程度環境整備できるようになってからの50年ほどは騒音との戦い・忍耐であった。
 思い出すまま記述すると、以下のごとくである。

--------------------------------------------------------------------------------------------------
 ■ 私は自身が出した音以外は全て騒音である。たとえ美しい音楽であっても変わりない。他人から聞かされるのは辛い。
 ■ 秋田に来てから3度転居した。2回はいずれも道路に面している住宅で、車、特に大型車のディーゼルエンジン音、走行音、タイヤ音などはストレスで転居の原因因子であった。
 ■ 最初の住宅の隣にM電気店の店舗がオープンしたが、営業時間中ずっと店の前のスピーカーから音楽が流れていた。商業地だから鳴らすことは責められない、のだそうだ。これは決定的であった。
 ■ 3度目が今の住宅である。メインの道路からは奥まっており、細い道を50m入った突き当たりである。したがって、交通騒音は皆無である。隣家の音もない。しかしながら冬季には除雪の悩みが大きい。しかし騒音よりはいい。
 ■ 我が家に一定時間停車する車、宅配などにはエンジン停止をお願いしている。
 ■ かつては犬害もあったが死んだらしい。
 ■ 我が家では窓を開けるが、秋田市中心部にある病院の私の居室の窓は一人でいる時は開けることはない。市井の音がどうしても飛び込んでくる。かつては音に無神経な方々と同室になっていたが、その方々の診療スケジュールをチェックし、同じ時間を同室で過ごさないようにしていた。
 ■ 我が家では私がいる場合は、洗濯機、掃除機、換気扇の使用は禁止している。
 ■ エアコンは今年購入したがちょっとうるさい。それが嫌で私はまだスイッチを入れていない。
 ■ TV等の音は最弱にしてもらう。家族が楽しむ場合、私はヘッドフォンを用いる。
 ■ 車は静粛性を重視してマツダのロータリーエンジン車を選んだ。ガソリン播き散らし車であったが、選択は正解であった。
 ■ 最近は静粛性を重視してプリウスにしているが、めったに乗らない。
 ■ 我が家の暖房は燃料は灯油であるが、静粛性を重視して煙突式、自然排気式でモーター音は聞こえない。FFはうるさい。
 ■ 台所の換気扇、浴室の換気扇を私は使わない。
 ■ 就寝、起床などは家族とはずらしている。0:00-2:00の間に起き、静かな朝を過ごす。
 ■ 騒音の多いところ、市井、タクシー、バス、新幹線などでは騒音消去効果が大きいソニーのノイズキャンセリングへッドフォンを着用する。ノイズキャンセリングへッドフォンは6台目。

--------------------------------------------------------------------------------------------------
 一般的に40-45ホンで睡眠障害などが出ることもあるとされているが、音に過敏な人と比較はできない。

 私はこんな自分を困ったものだと思う。しかし体が自然と反応し不快になるからやむを得ない。


11/27(水)曇り 飯川病院ボランティア インフルエンザワクチン接種
0:30起床、新いiMac27の環境設定。本読み、徒然他。医学文献自炊、整理、廃棄。家の外回りチェック、12:00バス飯川病院着。微睡、飯川病院ボランティア、入院患者対応。19:15レガシー帰宅、夕食、21:30就寝、ラジオ深夜便聞き直し数篇。
インフルエンザワクチン、接種後体調不良に、喘息、倦怠感。2時間くらいで改善、19:00帰宅、夕食、20:30就眠。歩行計7680歩。

本 上前純一郎著 狂気ピアノ殺人事件(1) 文春文庫1982年 文芸春秋社
 私は今、終活の一環として古い蔵書を引っ張りだして電子化するとともに、興味のあったものから順次読み返している。
 30-50年前に読んだ本が大部分であるが、それらを改めて読むと当時と違った一面から味わい直すことができる。
 もう一つの目的は、世に大きな影響を与えた重大事件などについて詳細を知りたいと思い、求めて読み返している。重大事件といっても新聞などを通じて概要は知れるが表面的なものでしかない。だから、フィクション、ノンフィクションなどの作品があればそれを通じて事件とその背景を見つめ直そうという目標があるからである。

 本書も自炊の順番となり、電子化するとともに37年ぶりに改めて読み直した。

 当事件は騒音に極めて敏感な、無職の中年男性が階下の住人3名を刺殺した事件である。当時はそれなりに社会に衝撃を与えたが、生活環境の静けさを求める動きに対して大きな影響は残さなかった。
 私はこの事件の犯人に酷似し、騒音にとても敏感である。そんな自分から見てこの事件は極めて衝撃的であった。当時、数回は通読した。

 事件は1974年8月神奈川県平塚市の団地で発生した。
 被害者は33歳女性、8歳長女、4歳次女で、いずれも刺殺体で発見された。夫は出勤していて難を免れた。
 犯人は46歳。事件の3日目自首、ピアノの音が煩かったから殺した、と供述した。

 犯人は騒音に対して神経質なことから住居を何度も転々としていた。今回の犯行前には騒音から逃れるために真剣に自殺も考えたが、自殺しても何も状況は変わらないだろうと考えを変え、犯行に及んだ、という。

 被害者のうち、4歳次女は滑りのよいアルミサッシの窓枠を遊び道具の一つとして大きな音で頻繁に開閉して被害者の神経を逆撫でした。さらに8歳長女は早朝から夜まで時間に関わらず頻回にかつ長時間にわたってピアノを練習した。
 犯人は数回母親に対して苦情を言つてきたが、その度に聞き入れることなく、逆に無職であること、経済的に余裕のなさそうなことをバカにするような態度を取られた。

 犯人は階下の騒音に耐え難く、早朝から公園とか図書館に避難して時間を過ごした。そのうち階下の家族が立てる騒音は自分に対する嫌がらせだ、と思いこむようになり、機を見て3人を刺殺した。

 犯人は逮捕後も裁判中も反省の態度を見せず、今後も騒音に悩むくらいなら死んだほうがマシ、と自ら死刑を望んだ。
 1975年横浜地裁は残虐な殺害であったと死刑を言い渡した。騒音に悩む支援団体や弁護士の控訴の勧めも受けれず、1977年死刑が確定した。

 犯人は刑務所の中でも隣の独房のトイレを流す音などにも敏感に反応しトラブルを頻回に起こした。彼は早期の死刑執行を望んだが、今に至るまで執行されていない。現在収監中の死刑囚の中では2番目の長期収監者となっている。

 騒音を嫌う私から見ると、犯人は死刑執行されるよりも遥かに厳しい生活環境での生きることを強いられているように思われてならない。犯人の現在の気持ちなど知りようもないが、煩い環境の中で生き続けることがさぞや辛いだろうと同情する。


11/26(火)曇り  外来 飯川病院  
 0:30起床、献新聞チェックPDF化など。文献整理など。iMac27インチ入れ替え。Time Machineよりデータ転送、5:20可燃ゴミ提出。レガシーのエンジンかからず、7:10バスで飯川病院着、バスは混雑、8:45-13:00中通病院外来。あまり混雑せず。14:00飯川病院、入院患者対応。その後自炊、読書、微睡など、20:00講演会出席の家内待ち帰宅、夕食、21:30就寝。歩行計Σ9544歩。

宗教2019(4) ローマ教皇(3) 全ての予定を終え本日離日された
 ローマ教皇は本日、全ての予定を終えられローマに向けて離日された。
 その動きはNHKニュースでも逐一報じられた。どこに行かれても大歓迎を受けられた。

 ローマ教皇は国際協調に力を注いだ、と言われているが、私はいささかクールにみている。
 ローマ教皇の教えの基本は「貧困」、「平和」、「核」にある様だ。 

 近年、核軍縮への取り組みは後退している。自国第一主義が優先されている。

 ■ 米ロの中距離核戦力(INF)全廃条約は8月に失効。
 ■ 両国間の新戦略兵器削減条約(新START)も2021年に期限を迎えるが、存続が危ぶまれる。
 ■ 2021年に期限を迎える核不拡散条約(NPT)の再検討会議が開かれるが、核保有国と非保有国の溝は深まる一方である。

 核に関しての最近の動きは不穏であるが、教皇はどう感じられているのか?直接の言及はなかったように思う。
 核軍縮を目指す教皇は若い時から訪日の希望を持っていた。やはり被爆地に対しての思い入れはあったのだろう。今回実現したのは、長崎・天草の潜伏キリシタンが世界文化遺産に登録されたことも関連があるかもしれない。
 被爆地からのメッセージの発信が予定されている。カトリック信者が多数犠牲になった長崎の地に立ってのメッセージは強い力を生む(?)だろう。長崎でのミサは信者も多く大規模なになると予想されている。

 ローマ教皇の発言を新聞紙上で追ってみた。
 教皇の思いにどう応えるか。唯一の戦争被爆国である日本の責任と役割は大きい。

????????????????????????????-
 ■ 平和の実現にはすべての人の参加が必要。
 ■ 核兵器の脅威に対し一致団結を。
 ■ 13億人の信者を抱えるローマ・カトリック教会のトップ、フランシスコ教皇が長崎と広島を訪れ、核兵器廃絶を訴えた。核の国際的な枠組みが危機にある中、被爆地から発せられた呼びかけをしっかりと受け止めたい。
 ■ 長崎の爆心地に立って「核兵器が人道的にも環境にも悲劇的な結末をもたらすことを証言している町だ。
 ■ この場所はわたしたちを無関心でいることを許さない。
 ■ 広島でのスピーチで「戦争のために原子力を使用することは犯罪」、「核戦争の脅威で威嚇しながら、どうして平和を提案できようか」、と述べた。この根源的な指摘を無駄にしてはならない。
 ■ わたしたちの世界は、手に負えない分裂の中にある。相互不信の流れを壊さなければならない。
 ■ 世界の指導者に向かって「核兵器は安全保障への脅威から私たちを守ってくれるものではない」と説いた。
????????????????????????????-
 教皇の言葉は今後さらに明らかになっていくだろう。なぜ教皇の言葉は重いのか?

 安倍政権は、日本が米国の「核の傘」に守られていることを理由に核禁条約に背を向け続け、核保有国と非保有国の橋渡し役を掲げるが、成果は見えない。

 ローマ教皇はこういう日本の姿勢を暗に批判して、離日した。


11/25(月)快晴 健康クリニック 飯川病院 
 1:30起床、文献・新聞など。いつものごとく。6:47バス飯川病院。9:00-11:30健康クリニックドック13名+結果判定+レントゲン判定14名。11:45飯川病院、本読み、微睡など、14:00-19:00勤務。入院患者処置。インフルエンザワクチン8名。19:30帰宅。21:15就寝。歩行計Σ9942歩。徒歩通勤神奈川到着。最後の東京まで341kmで伊能忠敬の足跡を辿る日本一周が完成する。

宗教2019(3) 私の宗教観に示唆を与えた言葉
 最近、私は少しだけ英語を復習している。その過程で、先日以下の詩を知った。
 NY大学付属病院リハビリテーションセンターの壁に誰かが書いたものらしい。ネットで知られて有名になった、という。2012年頃にも引用したことがあるが、今一度見直し再び感銘を受けた。再掲する。それだけの値がある。

-------------------------------------------------------------------------------------------

「A creed for those who have suffered (author unknown)」

I asked God for strength, that I might achieve?  I was made weak, that I might learn humbly to obey.
I asked for health, that I might do greater things ?  I was given infirmity, that I might do better things.
I asked for riches, that I might be happy ?  I was given poverty, that I might be wise.
?I asked for power, that I might have the praise of men ?  I was given weakness, that I might feel the need of God?I asked for all things, that I might enjoy life ?  I was given life, I might enjoy all things.?
I got nothing that I asked for but everything I had hoped for Almost despite myself, my unspoken prayers were answered.
  I am among all men, most richly blessed!  

-------------------------------------------------------------------------------------------

添付されていた和訳   
 ■ 苦しみを超えて 大きなことを成し遂げるために力を与えてほしいと神に求めたのに、謙遜を学ぶようにと弱い者にされた。
 ■ より偉大なことができるように健康を求めたのに、よりよいことができるようにと病気を戴いた。
 ■ 幸せになろうとして富を求めたのに、賢明であるようにと貧しさを授かった。
 ■ 世の人々の賞賛を得ようとして成功を求めたのに、神を求め続けるようにと弱さを授かった。
 ■ 人生を享楽しようとあらゆるものを求めたのに、あらゆることを喜べるようにといのちを授かった。
 ■ 求めたものは一つとして与えられなかったが、 願いはすべて聞き届けられた。
 ■ 神の意に添わぬものであるにもかかわらず、こころの中の、言い表せない祈りはすべて叶えられた。
 ■ 私はあらゆる人の中で最も豊かに祝福されたのだ。

-------------------------------------------------------------------------------------------
 すごく心に響く名文だと思う。と同時に宗教の本質をついてるのではないかとも思う。
 しかしながら、これは聖書の言葉ではない。無名の兵士の作と言われている。

 聖書にはこの様な言葉が満ちあふれているらしい。米国を始めとしてキリスト教社会の子供達は聖書を通じてこの様な言葉に接しながら成長しているとすれば、最高の道徳教育がなされていると言って良い。
 しかしながら、米国は常に強さを、豊かさを求めている。オバマ、トランプ時代に方向性は変わったが、米国は世界の軍事費の半分近くを占めている。自由と平和と富を得るために用意されている。
 
 ユダヤ教・イスラム教などの教義も好戦的な内容ではないと思うのだが、宗教と戦争、殺戮など、現実との差はどこから来るのだろうか。
 宗教的土壌は人間社会に何かに役立っているのだろうか。私にとって追及していきたい分野である。

 現時点での感想を一言で言えば宗教とは集団催眠状態ではないか、である。


11/24(日)快晴温暖 舩杉一家離秋 ハイビスカス剪定他
 0:20起床、新聞チェック、医学論文読み,整理、PDF化。新聞スクラップ、10:30庭の落ち葉掃除、。微酔若干。NHKのど自慢途中まで観る、舩杉一家離秋。駅まで送り飯川病院、ハイビスカス剪定、殺虫剤、追肥後リハビリ室に収容掃除再度、19:00帰宅、夕食、21:30就寝。歩数計7552歩。昨年プリウスタイヤ交換と除雪機2台整備。

宗教2019(2) ローマ教皇(2) 混迷の世界、宗教に何ができるのか
 私は宗教に関心があるが詳しくはない。
 今回の教皇の来日のフィーバーぶりには驚いている。ありえないことであるが、あたかもキリストが訪日した様な雰囲気である。

 フランシスコ教皇は82歳、2013年に就任、266代目。歴代初の中南米アルゼンチン出身者、大学では化学を専攻した、と言う異色の経歴を持つ。「コンクラーベ」と呼ぱれる枢機卿間の選挙を通じて選出される。2013年当時の私の新聞切り抜きを見ると、決まるまで延々と選挙を繰り返し、本当に「根くらべ」と言えるような仕組みらしい。

 教皇はキリスト教の三大宗派のひとつカトリックの最高指導者で世界人口の2割弱に当たる13億人の信者を束ねる立場にある。教皇は信仰に関する広範な決定権や高位聖職者の任命権を時つ。

 カトリックの総本山バチカンはイタリアの首都ローマにある独立国で、1929年に独立国家となった。宗教機関と国家という側面を併せ持つ。面積は世界最小で東京ディズニーランドより小さい。その狭い領土の中にサン・ピエトロ大聖堂、バチカン宮殿、バチカン美術館、サン・ピエトロ広場などがある。バチカン市国は、一切の軍事力は保持していない。
 バチカンは国家というにはあまりに特殊な存在であり、利益追求の産業活動は行っていないため、歳入は「聖ペトロの献金」 として知られる世界中のカトリック信徒からの募金、切手の販売、バチカン美術館の入場料収入、出版物の販売、観光などに依る。
 バチカンは1984年に世界遺産に登録された。バチカンの人口は1000人足らず。これで国の機能を維持できるのか、と言うと、国外からの、すなわちローマ市内に在住者が勤務として通ってくると言う。

 バチカンは約180の国々と外交関係を持つが中国やアラブなどとは国交がない。 

 フランシスコ教皇は公邸への入居を断るなど質素な幕らしぷりを好む。気候変勣対策を各国に求めるなどリベラルな考えの持ち主として知られる。
 ローマ教皇の教えの基本は「貧困」、「平和」、「核」にある様だ。 

 今回の来日の目的は何か?  ローマ教皇の来日は1981年以来、38年ぶり2度目。
 前回来日したヨハネ・パウロ2世が平和外交を展開して東西冷戦の終結に影響を与えるなど、教会は核廃絶を含む平和への取り組みを重ねてきた。フランシスコ教皇も米国とキューバの国交回復で仲介役を務める一方、自らが国家元首であるバチカンは、核兵器の製造や実験、使用を禁じる核兵器禁止条約が2年前に国連で採択された後、いち早く条約に署名・批准した。

 上記の様な業績が語られているが、私は実行面での業績については懐疑的である。

 宗教に何ができるのか??私は常に疑問である。


11/23(土)勤労感謝の日 曇寒い 飯川病院午前日直 舩杉一家七五三来秋
1:00起床。いつもの如く資料整理中心。読書。9:30園芸用小者持ちレガシー出勤、12:30まで午前は飯川病院日直代行となる。予定のハイビスカス剪定出来ず。13:30某診療所医師来訪歓談、ロマンの実現に向け離秋して再出発するという。17:00帰宅、我が家、舩杉家族は次男宅で家族会、私だけ留守番。19:00夕食、21:30就寝。歩数計5376歩。

宗教2019(1) ローマ教皇(1) 38年ぶり来日、82歳、驚異的強行(教皇?)スケジュールに驚く
 私は宗教に関心があるが、腰を入れて学んでいるわけでないのでい詳しくはない。日本の宗教についても複雑でわからない。ましてや世界の3大宗教、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の関係などは単発的にはわかるが詳しいことはよくわからない。
 そんな私であるが、今回の(フランシスコ教皇)の来日のフィーバーぶりには驚いている。

 ローマ法王(フランシスコ教皇)は11月23日(土)本日夕方タイから羽田空港に到着 、11月26日に離日の予定となっている。この4日間に訪れる地域は、東京→長崎→広島→東京と、各地で早朝からスケジュールをこなすことになっている。
 そのスケジュールの過密さには驚く。

 ■ローマ法王11月23日(土)
 バンコクから東京へ 。夕方羽田空港到着、 空港で歓迎式、 司教との集い 、教皇の講話。

 ■ローマ法王11月24日(日)
 午前7時長崎へ。長崎空港到着、核兵器に関するメッセージ、日本二十六聖人殉教者への表敬教皇のあいさつ「お告げの祈り」。長崎県営野球場でのミサ、教皇の説教 。
 午後4時35分 広島へ。広島空港から広島平和記念公園へ。 平和のための集い。教皇のメッセージ 。同20時25分東京へ 同22時10分羽田空港到着 。

 ■ローマ法王11月25日(月)
 東日本大震災被災者との集い、教皇の講話、皇居で天皇との会見。
 東京カテドラル聖マリア大聖堂で青年との集い、教皇の講話。
 ローマ教皇庁大使館教皇随行団と共に昼食。 東京ドームでミサ。教皇の説教。
首相との会談(官邸) 、要人および外交団らとの集い(官邸) 、教皇の講話。

 ■ローマ法王11月26日(火)
 イエズス会員とのミサ(上智大学クルトゥルハイム・チ ャペル)、イエズス会員と共に朝食(イエズス会SJハウス)。
 病気・高齢の司祭を訪問(同) 上智大学訪問(同大) 教皇の講話。別れの式(羽田空港)。
 午前11時35分 ローマフィウミチーノ空港へ向けて離日

 日本での正式名は来日を機に法王から教皇に変わるという。外務省によると、昭和17年にバチカンと外交関係を樹立して以来、「法王」を用いてきたが、カトリック関係者など一般的には「教皇」が広く使われているため、変更を決めた、と言う。
 教皇は現在82歳、この過密なスケジュールには驚かされる。自らの発案なのか?迎える支持者の発案なのか?
  強硬!! 強硬!! 教皇は大丈夫なのだろうか。


11/22(金)快晴 大曲中通病院 飯川病院
1:00起床、新聞文献チェックPDF化、徒然他。6:00可燃ゴミ出し。7:30飯川病院経由秋田駅、9:15-12:00大曲中通病院外来。往復徒歩。13:30飯川病院着、14:00-18:45ボランティア。19:10講演会に出る家内をメトロポリタンに送り通町書店経由レガシーにて帰宅、夕食。21:30就寝。 歩数計Σ101970歩。

人生100年時代(32)  寿命と人としての成熟の速さ
 私は戦後の日本文化を知るために乙津安次郎監督の作品のDVDを何種類か持っている。当時の寿命を意識して古い日本映画を見てみると、寿命と人としての熟成がどういう関係にあつたかよく示唆してくれる。乙津作品には高齢の名優がたくさん登場するが、演じている年寄りとしての役柄は50歳代のが多い。当時の平均余命はこんなものだった。

 「私はもうすつかりお婆ちやんで、肩も凝るし、めまいもするし・・・」と心弱く嘆いている母が43歳だったりする。こんな場面はしょっちゅう出てくる。今の43歳の女性なら娘のように気軽に振る舞う。それどころか独立心も少なくチャッカリ親に寄生するパラサイト娘によく出会う。

 戦後まもなくの間は人生50年の文化であり、社会全体が人生50年のプログラムの中でそれ「らしさ」が形づくられ、社会も、各人も「らしさ」への適合に努めていたようである。そのことによってある種のバランスと落着きが保たれたのであろう。

 戦前・戦中の20歳前後の若者の成熟度は実に高かったと思う。生きられる時間に限りある時代に生きて、彼らは今からみると実に早熟であった。それらは「きけわだつみのこえ」を読むと驚かされる。彼らは先の短い人生を意識して緊張度も高く暮らしていた。文章の成熟度、筆跡の素晴らしさ、人生観などなど驚いてしまう。
 
 しかし、今人生は100年時代である。幸せなことに、個々人の時間はたっぷりある。 
 かつての短寿命の文化のイメージに拘泥していることが不自然なのであるが、長さの中身が問題である。残り時間がまだまだあるとしても、加齢に伴い、残り時間は実際には薄っぺらになっていかざるをえない。
 「健康寿命が大事」、と今盛んにキャンペーンを張っている。中身は「健康余命」のことである。それも大事なのだが「健康知能が大事」と考える姿勢は少ない。
 現代人は生きながらえる余命時間があるだけに、知能面の衰えを意識しての密度の高い精神活動、研鑽を続けている人は少ないように思えてならない。

 一度しかない人生、先が身近いとしても、楽しく研鑽し続けたいものである。


11/21(木)曇り寒波若干緩む 飯川病院 社会福祉関連で巡回
 1:00起床、文献処理、徒然。午前は座学、10:00町内虚弱高齢者巡回。読書、自炊数冊、各種作業。文献他諸々。12:30バス飯川病院着。14:00-18:50飯川病院。入院外来対応、病棟インフルワクチン7名接種。19:30帰宅、夕食、21:00就寝。歩数計9870歩。

人生100年時代(31)  高齢者の実年齢と見てくれの差
 私は74.5歳になった。総合病院の外来診療と老人病院のボランティアを続けているが、時々、患者から「お若いですね」、といわれる。こう度々言われるとついその気になって、若く見えるのかな?本当かな??と思ってしまう。 

 私の風情は全然若く無い。ざっといえば、頭髪は真っ白で髪の量は豊かだが散髪は2-3ケ月に一度だからもじゃもじゃ、顔ヒゲはここ5年はカミソリも当てたことなく無精髭をのばしっぱなし。どこまで伸びるか楽しんでいる。背中も曲がり、歩行も動作もゆっくり緩慢になってきた。服装は気楽に作業服を用いている。この服が若く見せているのかもしれない。

 私自身はそんなに若く見えるはずないじゃないか。むしろ、山から降りてきた仙人のごとくに年老いてかつ不潔に見えるのではないだろうかとさえ思っている。
 「若く見える」と言われるのはお世辞なのかわからないが、悪い気はしない。そうだとすれば、現在の環境の性かもしれない。現役の間は、「・・らしさ」を要求され、それに合わせていたが、今は解放されのびのびしているから若くみえるのだろうか。 
 他に要素を探るなら、常に「未完の感覚」があって少しながら自己研鑽に努めていることがそうさせるのだろうか。だったらうれしい。

 ところで 私は自分の若さを誇つているわけではない。今の高齢者は先人の方々に比較して誰でも格段に若い。
 近年は年齢不詳の人が多い。62歳とか75歳とかカルテに情報かあるからわかるが、10歳、20歳もの違いは外見からは判断できなくなっている。

 女性の場合はさらに分からない。高価な化粧品、アンチエイジングのサプリなど飛ぶように売れているらしい。
 女性の若さを見るにつけ、女性の努力は大したものだと認めざるを得ないが、意外と効果をあげていないのでは?と感じている。いまの生活環境自体が、男女ともにアンチエイジング効果を及ぼしている、としか思えない。勿論、その努力を男の立場から否定はできない。

 周辺の70代の男たちを見ると若々しく、中には青年のような顔をしている方もいる。話すこともやることも若い。枯れるどころか、まだまだ身を持ち崩す危険さえ秘めているようである。 
 私は自分を「終わった人」とみなして静かに自由を味わっている。本心は「イロ爺い」と呼ばれて見たいのだが今は空想の世界だけ。

 自分の父の姿を思い出すと、父は55歳定年で定年退職したが、その時父はもう老人であった。私は父が44歳の時に生まれたが、東條英機、指揮者のアンセルメに似た雰囲気もあり、ずいぶん年老いた親だ、と思っていた。 
 幼い子供の目を通して見るから大人に見え、老人に見えたのだ、という考え方もあるが、やはり、そればかりではなくかつての55歳は見てくれも老けていたのだがそれなりに成熟していたのだ、と思う。 


11/20(水)小雨小雪寒い 飯川病院ボランティア マック不調決定的
0:50起床、新聞・文献読みとPDF化、他諸々。ネコの世話、給餌、トイレ掃除など。
9:00Apple staffと電話相談、判断としては修理不能な状況と判断。11:50バスにて飯川病院へ。ボランティア。外来患者対応。ラジオ深夜便聴き直し。19:00薬局経由帰宅。19:30夕食、20:45就寝。歩数計9874歩。

日本の食文化の崩壊(17)賞賛 マイクロレボライス
 我が国は多災害時代に突入した。かつては地震とか津波、大火がその主役であったが、最近は天候不順による夏の強烈な暑さ、大型台風の襲来、集中豪雨と洪水が繰り返されている。
 次は我が身にいつ災害が降りかかるかわからない。

 その際には生活用品、飲料水、食品などの備蓄も必要となる。特にその中でも飲料水、食品の備蓄は重要である。

 私は日常的に食事に対してほとんど興味は無い。もちろん、今は食事を作ってくれる人がいるからだが、もし間違って一人暮らしになれば重大関心事項となる。私はなんとか自活はできると思う。

 生きるためにはどういう状態になろうとも食事摂取は欠かせない。だから、災害に備えて飲料水、食品は備蓄しておかなければならない。そういう意味で関心はある。
 春には保存食としてラミネートテューブ入りの「飲むおにぎり」を発見、我が家の備蓄品に加えた。手軽に栄養補給ができ、簡単に食べられる。カロリーは200kcal摂取できる。1年程度の常温保存が可能というもの。

 今回はマイクロレボライスを発見した。
 
 
 (25分間ボイル後の開封前の製品。内部の水分の傍聴で容器が膨らんでいる)

 「マイクロレボライス」とは、これまでの製法では難しいとされた食感すなわち、「粒感・艶感・もっちり感」を実現したとされるパック食である。特殊製法により保存料などは使用していないという。約2年間の長期保存を実現している。広島県の永岡商事KKの製造、内容は300g。

 自衛隊へも納入している。調理は9分間熱湯でボイルするだけと簡単であるが、そのためにバッチリ密閉されており、私の力でもなかなか上手に開けられない。はさみでまわりを切って開けた。ただ、非常時に25分間ボイルするのは簡単ではなかろう。

 私は試食したのは「とり飯炭火風」であるが「炊き込みご飯」、「とり飯炭火風」、「北海飯」、「ちらし寿司」、「カレーピラフ」、「栗ごはん」の6種類あるという。我が家には「カレーピラフ」があった。6種セットで2,520円と、そう高くはない。

 開封すると鶏肉、黒コショウの香りがいい。米には味が十分しみこんでいる。ベトベトでもなくパラパラでもなく、食感は良好、十分に美味しかった。
 日常的には、家族が留守とかの時には有用とおもう。我が家でも数セット備蓄しておきたい。


11/19(火)曇り終日小雨寒い 外来 飯川病院 
 0:30起床。新聞・文献読みとPDF化、本読み、自炊他諸々。5:30可燃ゴミ出し。7:00レガシー飯川病院着、バッテリー心配、交換要す。8:45ー13:00中通病院外来。14:00-18:15飯川病院勤務。入院外来患者対応。19:30帰宅、夕食、21:00就寝。歩数計6424歩。昨年日産ゴーン会長逮捕。

首相主催の桜を観る会(2) 突然中止の怪 裏に何かが?
 国の予算を使って首相が毎年4月に開く「桜を見る会」の是非が国会審議の焦点に浮上した。野党は安倍政樹下で右肩上がりとなっている支出や運用のあり方を問題視。野党は12日に調査委員会を発足させ追及を強める。政府の説明責任が問われる 

 「桜を見る会」は発足は1952年吉田茂総理の時から。東日本大震災後の2011年などを除き、毎年春に首相が催してきた。政権が変わった旧民主党政権の鳩山内閣でも10.000人規模で行われた。国の事業の見直し、徹底して無駄を配するとして来た民主党としては、なんでこの会を槍玉に挙げなかったのか?結局同じ穴のムジナか?? 
 日本共産党は異分子として招待されていなかったのだろうか??
    
 出席者は2014年以降、毎年500人規模で増加、首相の地元後援会関係者も含め政治家の支援者らが多数出席した、と国会で指摘されている。 
 8日の参院予算委員会で共産党の田村氏が首相らに疑問をただした。 
 その際、首相は出席者について自分は関与していないし、「個人情報であるため回答を控える」とした。内閣府の担当者は関係資料終了後 遅滞なく廃棄した、という。
 国の行事への出席は個人情報か??私は「個人情報保護法」を「個人情報隠蔽法」と呼んでいる。

 「桜を見る会」について政府は13日突然、来年度の開催を中止することを決めた。招待者の選定基準などをめぐる批判が高まり今後取り組む全面見直しに時間がかかるため、と説明した。
 また、招待者の取りまとめの際、首相を含む官邸幹部や与党に推薦を依頼していたことも認めた。ここでも虚偽・隠蔽があった。中止に関して菅氏は詳細の説明には応じなかった。

 政府はこれまで各省庁からの意見などを踏まえて内閣官房と内閣府で最終的に招待者を取りまとめている。官邸内では首相のほか副総理、官房長官、官房副長官に依頼していた。菅氏はそれが自然なこと、とずつと思こていたと釈明した。

 また、「桜を見る会」をめぐつては首相の事務所名でこの会を日程に含んだ観光案内の文書が地元有権者に届いていた、という。

 私の印象では「桜を見る会」は与党、安倍政権による私物化行事というべきなのだろう。国のために寄与しているとは思えない。これだけに人数なら慰労親睦の意味もない。18.000人が全国から馳せ参じてくる交通費、宿泊費、装い費などでは、景気を高める作用はあっただろう。

 それほどの意義があるなら、来年から自分たちの金でやればいい。


11/18(月) 終日雨寒い 健康クリニックドック 飯川病院 
 1:45起床。文献・新聞等処理、蓄積データ処理。徒然。7:10バス飯川病院着、新聞チェック、9:00-11:50健康クリニックドック13名+結果説明3名+結果判定。
12:00飯川病院。新聞、医学論文チェック。14:00-18:20勤務。入院・外来患者対応若干。自炊数冊、19:15帰宅、19:00夕食。 21:15就寝。歩数計6234歩。バス待ちの風除け、寒気を防ぐために上下ヒートテック着用。風除室のシマジのためにもヒーター考慮しなければ。

首相主催の桜を観る会(1) 18.000人集めて何を観る?? 互いの鼻か??
 毎春、東京・新宿御苑で行われる首相主催の「桜を見る会」が大規模化していることが明らかになった。

 私はこんな会があることなど一切知らなかったが、1952年に当時の吉田首相が始めたこの会は東日本大震災の後一時中止になったものの現在まで続いてきた、と言う。こんな馬鹿な会が開かれていたなんて呆れる。

 会の「開催要領」には各界で「功績・功労」のあった人たちを慰労し親睦を深めるのが目的とある。開催要領は、招待の対象を皇族や各国大使、国会議員、都道府県知事らのほか、「その他各界の代表者等」と定める。
 出席者は計約10.000人と明記されているが、今年の参加者は約18.200人。予算は毎年一律の約1.767万円で公費で賄われる。実際の支出は今年は5.519万円となった。ほとんどどんぶり勘定だ。

 新宿御苑がいかに広いとはいえ、桜が多いとはいえ18.200人で何を観る??桜の花でなく互いの鼻を観る会では無いのか。慰労し親睦を図る??招待者はどこに誰がいるのかもわからず無為に時間を過ごすだけで無いのか??

 私はこれを知った時、1958年(慶長3)に秀吉が開いた醍醐の花見を彷彿とさせる、と思った。約1300人規模であったが、秀吉一世一代の催し物として知られる。秀吉はこの約5か月後に没した。

 首相の後援会関係者が大勢招待され、公的な行事を私物化しているのでは??と噛みついたのは共産党。
 都内のホテルで開かれた前夜祭に850人が出席、首相は2013年以降出席している。首相の「後援会活動そのものではないか」と追及した。

 各界で「功績・功労」のあった人たちを慰労し親睦を深めるのが目的とされる。開催要領は、招待の対象を皇族や各国大使、国会議員、都道府県知事らのほか、「その他各界の代表者等」と定める。

 内閣府の担当者は、招待者名簿などの資料は会の終了後、「廃棄」したと述べた。税金の使途のための資料として、翌年の準備のために保管しておくのが当然であり、不自然さが残る。


11/17(日)曇りのち晴れ  
0:30飯川病院で起床.医学論文読み,蓄積データー整理。自炊数冊。読書。微睡など思うがまま。9:00研修会に出かける家内を送り帰宅。午前は座学、データ整理他。自炊ほか。正午NHK TVニュース、のど自慢楽しみ、午後はガレージ内の整頓掃除ほか。16:00飯川病院に。当直医の業務一部代行。散水。19:15帰宅、夕食、21:00就寝。歩数計Σ7199歩、日直はほとんど室内だけ。

医師へのアンケート:「生まれ変わつたら就きたい職業は?」生まれて来たくない
 「FUJIFILUM MEDICAL A to Z」という広報雑誌がある。
 その2019年 No27号は「内視鏡画像強調LCI最前線」で、この小冊子をで内視鏡の現状と最前線の事情を学ぶ事が出来た。

 その巻末に「読者の広場」というコーナーがあり、「生まれ変わつたら就きたい職業」というアンケート調査の結果が記載されていた。

 質問は「あなたが生まれ変わつたら就きたい職業を教えてください」、というもの。
 その結果の説明文、全文は、以下のごとくであった。
――――――――――――――――――――――――――――-
 医療に携わる皆さまが「生まれ変わつたら就きたい職業」。

 

 「その他」の回答の中には、動画クリエ一ターやスピリテュアリスト、漁師、宮大工、駄菓子屋といったバラエティに富む職業か集まりましたが、1位は「医療関係」で1/4以上の方が今と同様に医療の仕事を選ぶと回答されました。
 その理由には「手に職をつけられそうだから」が約30%を占めたほか、「自分の経験やスキルが活かせそうだから」、「好きなことを仕事にしてみたいから」という回答が続き、皆さまにとつて医療の仕事か魅力的な職業であることがよく伝わつてきました。
 以下ランキングは「クリエーター・アーティスト」、「調理師(シェフ・菓子職人)」、「スポーツ選手」、「学者・研究者」、「エンジニア・プログラマー」と続きますが、そのすべてで選択理由のトップが「好きなことを仕事にしてみたいから」だったことから、図らずも読者の皆さまの好きなことをもうかがい知れるアンケー卜結果となりました。
――――――――――――――――――――――――――――-
 この小文をそう真面目に捉えることはないのだが、アンケート調査の基本の記載がない。せめて調査の母集団、回答者数、男女比などあったほうがいい。だいたいどういう人が答えているのかこれではわからない。

 生まれかわり、輪廻転生について
 私は死んだら無になる、と思っているから死ぬのが楽しみでもある。このアンケートは輪廻転生を前提している。私はまた生まれてくることなど考えるだけでも嫌である。

 輪廻とはそんなにヤワな事ではない。輪廻は釈迦の言う「六道に生まれ変わること」で、地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天上の6つの迷場である。人間も迷いの一つにしていて生きずらいから、全くその通りだと思うが、上記のアンケートのごとく必ずしも人間に生まれるとは限らない厳しい世界が待っている。

 人間に生まれるには、五戒という基本的な戒律を守り続けなければならない。「五戒」とは、不殺生、不偸盗、不邪淫、不妄語、不飲酒の5つ。釈迦は『涅槃経』に「人に生まるるものは、爪の上の土のごとし。三途に堕つるものは、十方の土のごとし」と言って人間に生まれ変わることは実に大変なことである、と説いている。苦しみ迷いの人生の旅をまだまだ続けていくと考えるとつくづく嫌になる。

 私は自己採点では五戒の大部分合格点なので、たぶん人間に生まれ変われると思うが、はっきり行って私は無宗教的考え方を持っており、生まれ変わってくることなど、私の方からお断りである。


11/16(土)曇り やや寒い 飯川病院日当直 孫二人お泊まり 
1:45起床。新聞・文献PDF化。読書、画像、録音資料整理。いつもと同じ。10:00次男孫連れてタイヤ交換に来訪、二人の孫はそのままお泊まりだと言う。12:02バス飯川病院、12:30日当直業務に。文献・本の自炊。新聞チェックたのしむ。読書微睡三昧。ほとんど部屋に籠りきり。昼、夜検食。20:00就寝。歩数計Σ9702歩、ほとんど室内で過ごす。

映画 愛の流刑地 原作:渡辺淳一 監督:鶴橋康夫
 2週ほど前に、アマゾンのプライム会員の特典で、iPadにて自宅で、映画「愛の流刑地」を観た。主演は豊川悦司、寺島しのぶ。共に私の知らなかった俳優。他に検事役の長谷川京子も初めて知ったがなかなかの美形であった。

 愛の流刑地は渡辺淳一氏の、私は傑作だと思う小説の中の一つである。
 原作の小説に関しては男女の性の機微を描いた上巻よりは逮捕、警察、検察、裁判の過程を描いた下巻が良かった。

 本 渡辺淳一著 「愛の流刑地」特に下巻 幻冬社文庫 2004年
 渡辺淳一著 『愛の流刑地』とくに下巻 幻冬社文庫 2004年(2)

 映画は2時間程度の、時間的制約がある中で画像を伴うだけに小説を読むのとはストーリーも大きく異ならざるを得ない。どちらかというと無限の自由な想像ができる小説の方が、誰かのイメージを無理やり画像化した狭い解釈の世界よりは私は好きだ。ただ、この映画の映像でも見るべき部分は多々あって楽しめた。

 主人公は女の首を絞め、結果的に殺害したが、死体と8時間ほども過ごし、紫斑が出始めてから初めて警察に連絡する。その間の心理描写は見るべきものがあったが、肝心の女の死体がいつまでも綺麗であることに私は違和を覚えた。死後、死体は時間とともに変化して醜くなっていく。せっかく画像があるのだからその辺のリアルさが欲しい。これは猟奇的な意見だろうか。
 映画やTVドラマの中の死体は美しすぎる。そのことが死の扱いを軽いものにしている。

 例えば、昭和初期に不倫の末に愛人とともに44歳の生涯を終えた某作家の首攣り死体は、梅雨期に1ヶ月間も発見されなかったため、二本の蛆虫柱と化しており、天井から床まで滝のように蛆虫が湧き、別荘の屋外まで溢れかえっていたとされる。死体は腐乱のため検視でも個人を特定できず、二人の遺書によって判断された、という。

 人も動物も、生きているうちが血も通っているが、死とともに変化していく。これが現実なのだ。

 逮捕後の主人公は、拘留され取り調べを受けるが、そこには二人の間に交わされた情緒的交流など入りこむ余地がない。全て検察側の言葉で、弁護士側の言葉で置き換えられて行く。そんな中で苦しむ主人公の姿には見るべきものがあった。彼は「愛は法廷では裁けない。この裁判は何もかも違う!」と激昂する。最後の陳述として、彼は「彼女は私を、誰にも渡したくないと思い殺させた。私は選ばれた殺人者です」と語る。刑は懲役8年。彼は与えられた刑を受け入れようと決心した・・・・。

 私は法廷内の場面が好きだ。東京裁判然り、大岡昇平作の「長い旅」然りである。そのリストにこの作品も加えたい。


11/ 15(金)曇り降雨強風 大曲中通病院外来 飯川病院ボランティア
 0:00起床.新聞、文献PDF化、読書。自炊数冊、データ整理。何時もの如く。5:30可燃ゴミ、まとめたが袋に余裕、提出せず。7:30Taxi駅に、8:11こまち、9:10-12:10大曲中通病院外来。往路徒歩。帰路Taxi、風強いがこまち通常、13:30-19:00飯川病院ボランティア。入院患者対応。19:00プリウス帰宅、夕食。21:00就寝。歩数計Σ9702歩。

家庭菜園・園芸2019(11) 土・土壌(3) ミミズの貢献
 「土」は5gほどの中に細菌が50億ケ、カビやキノコなどの菌類もいて、5gほどの土の中に何と10Kmもの菌糸を張り巡らしているという。これらは微細であり肉眼で見ることができない。土にはそれだけではなく小さな生物も活躍している。その代表はミミズである。しかしながら、園芸をやっていてもその姿を見ることは少なくなった。幼少期には釣りの餌として身近だったのに。

 
 (私が育てているミミズたち。コンポストの熟成に寄与。のちに畑で活躍させる予定。裸で恥ずかしそうなのであえて小さな画像にした)

 植物の死骸である腐植土と岩石の風化によってできた粘土が混ざることによつて土壌ができる。この時に活躍しているのはミミズやアリ、ダンゴムシ等の小動物。
 ミミズの腸内の粘膜にはヒアルロン酸、コンドロイチン等のネバネバ因子、ムコ多糖類が含まれるために糞は粉末状の土を立体構造に変える。したがって、ミミズによって土壌は通気性、保水性、排水性のよい土となる。さらにこの構造が無数の微生物の含む土壌となる。肥沃な土は一般に見た目が黒く、フワフワ感がある。

 肥沃な土地という意味には、現在では肥料面での肥沃な土で作物の収穫量が期待できるという意味と、土壌微生物の種類と量が豊富と言う意味もある。古くは後者の意味が大きかったが、時代は変わってしまった。

 ミミズの働きをまとめてみた。
-----------------------------------------------------------------------
 ■ 土の通気性の改善;微生物が活発化し、有機物の分解が速くなる。結果として土の中の栄養分が多くなる。また、大雨後などは多すぎる水を地下へ運ぶ通路にもなる。
 ■ 有機物の分解;ミミズは1日に自分の体重と同じくらいの土を食べる。有機物と土を混ぜ、糞として地上に出す
 ■ ミミズの糞は多くの有機物を含んだ土の小さなボールで、団粒土といわれる。団粒構造は微生物を助ける。
 ■ 生物性の改善;ミミズの糞から有機物の約7割が無機態窒素として残り、他の土壌生物や微生物による有機物の分解を早める効果も大きい。体表から分泌される粘液蛋白がトンネル壁に残り、微生物のエサにもなる。ミミズの糞土は土壌微生物が多量に含まれている。
 ■ ミミズは畑等では滅多にみないが、その減少原因としては
   1.??ミミズに対する機械的損傷、耕運機など。
   2.??土壌の乾燥
   3.??堆肥とかの使用が少なくなり、土壌中有機物の減少
   4.??多量の無機肥料による死滅。有機肥料はミミズに良い影響を持つ。
 ■ ミミズはどのくらい必要か
 一説には1mx1m、厚さ20cm程度の土に100匹で働きは期待できるが、30-40匹なら期待できないらしい。理想は500-1000匹。1000匹以上いれば耕運機などは不要?と言われている。


11/14(木) 終日雨 午後

 0:30起床、新聞、文献PDF化など。10:10レガシー飯川病院着。ボランティア、14:00勤務。入院外来患者対応+インフワク。微睡、自炊数冊。19:00帰宅、夕食、21:10就寝。歩数計Σ8791歩。秋田午後初雪、例年並みだが昨年より8日早い、とのこと。

家庭菜園・園芸2019(10) 土・土壌(2) コンポストで土、堆肥を作る
 人口が地球の収容能力を超えた時、近くの惑星に入植する計画が真面目に考えられている。いわゆる「惑星地球化計画」である。ところが植物を養うことができる土は地球にしか存在しない。100億人の養えるのは地球しかない。現状では「惑星地球化計画」は超SF的、夢また夢ということになる。

 ならば、今ある地球を大事に使うしかない。
 一般的に土・土壌と呼ばれるものは岩が風化などで細かくなった支持体と、微生物によって分解された動植物の死骸の混合物を指す。

 今知られている地球以外の星には岩石はあるが動植物の存在が確認されていない。だから、土壌はない。地球は表面を「水」と「土」が覆っている。地球は長い歴史を経て動植物の死骸とそれらの分解産物が覆っている。

 「土」の威力を見てみればすごい。
 スプーン一杯5gほどの土の中に細菌が50億ケも住んでいる。カビやキノコなどの菌類も居て、5gほどの土の中に何と10Kmもの長さの菌糸を張り巡らしているという。
 土について調べれば調べるほど、知れば知るほど驚異的、不思議な存在である。土・土壌に興味を覚える私は恵まれている。

 こんな大事な土壌、私も土・土壌作りに寄与しなくては、と思う。
 大事な土の産物である植物を枯れたからといって、食べ残したからといって可燃ゴミに出し、焼却場でエネルギーを加えて焼却するのは不自然、無駄。地球温暖化にも結びつく。

 私は10年ほど前からコンポストを用いて堆肥作りをしている。堆肥として役立つ他に、コンポストを観察することで土壌の成り立ちを観察することができる。

 コンポストは「生ゴミや落ち葉、枯れ枝などを集めて微生物や菌の力で分解発酵させ、土にすること」である。
 コンポストによる土の作り方は簡単。容器であるコンポスターを購入、庭に穴を掘ってその上に被せ、毎日出る生ゴミを投入するだけである。


 (現在使用しているコンポスター。一つ一年使用し、2-3年かけて熟成させる)

 コツとしては
  ■ コンポスターは日当たり、水はけのよい場所を選んで設置する。
  ■ 生ゴミなどの原料はできれば「細かくし、水切りして」投入する。
  ■ 一応入れては良いもの、ダメなものあるが、私は何でも入れる。
  ■ 時々、微生物の補充のために土も投入する。市販の発酵促進剤でも良い。
  ■ 中身をかき混ぜ空気を含ませ、微生物を活性化する。
  ■ 満タンになったら数ケ月放置。私は1年以上放置。
  ■ コンポスターを取り外して、土を被せてさらに数ケ月放置。
  ■ 適宜掘り出し肥料にする。

 コンポスト作りに慣れると、園芸用の土を手作りできるだけではなく、生ゴミを分別して捨てる手間が省け、ゴミの分類が簡単になる。
 生ゴミの焼却には多大なエネルギーを消費する。だから、地球の環境保全にも有用である。

 全ての方々がコンポスト作りができる環境にはないだろう。しかし、可能であればやって見てほしい。メリットは実に大きい。


11/13 (水) 晴れ午後降雨 飯川病院ボランティア
1:00起床、文献チェック。徒然他。データ整理など。午前は今中心に整理。10:00レガシー飯川病院、院長受診のためにボランティア。外来対応。19:15帰宅、夕食、21:30就寝。歩数計5171歩。

家庭菜園・園芸2019(10) 土・土壌(1)

 今期、上空に寒気が迫っているようで結構寒い。北海道、北東北等では大雪予報も出ている。秋田でも間も無く初雪が降るだろう。

 畑と庭にはネギとダリアが残っているだけで今年の園芸作業はほとんど終えた。前者は雪に埋まる頃から食する予定、後者はまもなく茎、花枝を切断し、球根の育ちを待って積雪前に掘り出す予定である。

 今年は全国的には災害が頻発して大変な年であったが、私はあらかじめ風雨に備えたし、幸い台風の直撃は受けなかったため被害は少なくてすんだ。
 作業を終えた今、天候、太陽、水、土への感謝の気持ちでいっぱいである。自然は牙を向けば恐ろしくもあるが、その恵みも大きい。

 私は大したものを栽培しているわけではない。
 作業始めの春には、畑、庭に元肥として、購入した鶏糞、牛糞、自作の堆肥を撒いた後にタネを、あるいは苗を植えるだけで、その後はこまめに支柱を立てたり世話はするが、基本的には、天候、太陽光、水、土の力に頼るだけである。
 農薬も殺虫剤も肥料も用いない。嘘のない有機栽培・無農薬栽培である。有機栽培・無農薬栽培と一般に言われているものでも無機肥料、農薬等が少量用いられているのもある。

 園芸や畑作りをしてみると土の威力、神秘的と言っていい能力・底力に感嘆する。

 地球上の75億人もの生命を支えるのに重要な働きをしている土・土壌であるが、「土」への認識はまだまだ低い。光や水の大切さに比較して土・土壌は関心も持たれず極めて地味な存在である。

 都市圏に住む人たちにとって、「土」と言えば植物を育て、いのちを育てる土壌としての認識よりも、地面、地所、一坪いくらの宅地と言うイメージの方が一般的であろう。

 日常のニュースでは、人口爆発、食料危機、環境破壊、温暖化、砂漠化、土壌汚染、水不足・・・など目を背けたくもなるような心配すべき項目が並ぶ日々である。

 70億人を突破した世界の人口は21世紀中には100億人に達するという。人間一人の命を支えるのに、土地は広さだけでなく肥ようである必要があるが、最小限14x14m必要とされる。それを勘案すると地球の耕地はずいぷんと挟い。そんな中、農産物も食料としてだけではなく、家畜飼料や工業製品の原料に回されたり、バイオ燃料としての消費も増えている。これで人間の社会が将来的に成り立っていくのか?いささか不安になる。

 人間はあらゆるいのちの源である「土」をもっと大切にしていかなければならないのでは?

 食材の全てを購入している方々が大部分であろうが、家庭菜園をやってみると、上記の項目はもちろんのこと、生命の維持に関していろいろと考えさせられる。小規模でも園芸をやってみてよかったとしみじみ思う。


11/12(火)早朝降雨のち快晴 外来 飯川病院
1:05起床。文献・新聞等処理、徒然。自炊本読み。5:30可燃ゴミ提出。もう真っ暗闇の中の作業。6:47バス飯川病院着。8:45-12:55中通外来。今までよりは若干楽。13:15飯川病院、微睡など。14:00-18:30飯川病院。新聞、医学論文チェック、自炊数冊。Safari不調についてAppleに相談、今度の提言やいかに。19:10帰宅、夕食、 20:45就寝。歩数計8801歩。Safari不調についてAppleに相談、解決せず

車のスピード抑制策 大曲の試みはその日のうちに頓挫したらしい
 約一月前に大曲中通り病院近くの道路の車道部分に突然6本のゴム製ポールが出現した。その前から道路のカラー化が進んでおり、一部の舗装がカーブを描くように塗られていた。面白い企画だと思っていたが、これが車の速度を落とすための企画の一環であるとは気づかなかった。

 その部分に、ある日ポールが立てられていた。20mほどの間隔で2ヶ所3本ずつ。これは、路上に障害物を置いてカーブさせ、車の速度を落とさせるための試みとわかった。しかしながら、こんな見え難い構造だと殆どの車はポールに気づかずに衝突するのではないかと心配した。

 

 次の週に同じ場所を通った時にはすでにポールは撤去されていた。ポールのそばで商店の前を掃除していたおばあさんから聞いたところ、次々に車がぶつかりその日のうちに撤去されたのだ、という。

 かなり前からポールの存在が予告されていれば別であるが、突然のポール出現では気付かれないだろう。
 ドライバーは路上の歩行者や自転車には細心の注意を払うが、こんな細いポールがあるとは思ってもいない。例え地元の住民には広報とかで知らされていたとしてもである。ましてやよそ者にとっては予想だにできない。

 だいたい、こんなポールでは夕方や夜間などはどうなるのか?道路が雪に覆われる降雪期にはどうするのかなどと考えたが、それ以前に企画そのものが問題となったようだ。
 ゴム製とはいえ衝突すれが車を傷つける。この計画自体は不自然であった。無理があった。車修理の保証などはどうなっているんだろうか。

--------------------------------------------------------------
 同じような話題をもう一つ。
 日本海東北自動車道は従来道路中央部を仕切る頑丈な柵がなかった。コムのポールだけで危険極まりない構造であった。そのために対向車線への飛び出し事故、正面衝突による死亡事故も生じていた。 

 岩城インター付近にワイヤ式防護柵が設置された8月以降、対向車線への飛び出しなどによる死亡事故はないが、柵への衝突事故による通行止めが増えた。10月に9回。5年間の同時期の平均は2回と平均を大幅に上回った。

 防護柵への接触事故は8-10月で21件発生、昨年同期13件で、うち9件で通行止めが生じた。 
 防護柵は設置以降、ひとたび接触すると車両が大きく破損したり動けなくなる。防護柵の修復も必要となる。

 防護柵の効果は明らかで、高速道では当たり前の装置であるが、従来なかった装置などを設置する際には、十分前宣伝しておかないと、むしろ小事故がの原因になる。


11/11(月)快晴 健康クリニックドック 飯川病院 
 1:00起床。文献・新聞等処理。蓄積データ処理。徒然記載。9:00-11:00健康クリニックドック15名+結果説明1名。秋銀に立ち寄り11:30飯川病院。新聞、医学論文チェック。微酔。Safari不調についてAppleに相談、解決せず。14:00-18:45勤務。19:00帰宅、夕食。 21:00就寝。歩数計4020歩。

第11回ルミエール落語会 古今亭菊之丞独演会。「死神」に感嘆
近年落語ブームと言う。秋田でも定期的に落語を楽しむ会が各地で定期的に開かれている。
 秋田の映画館「ルミエール」でも落語会が行われている。
 今回は11回目で、私は3回鑑賞している。三遊亭兼好、柳家さん喬、三遊亭歌武蔵、二代目立花家橘之助・・・氏らの芸を楽しんだ。

 11回目の今回は古今亭菊之丞氏の独演会が行われた。
 

 演目は、■「替わり目」■「片棒」■「死神」、であったが、「死神」には感嘆した。
 古今亭菊之丞は1972年生まれだから40代後半のベテラン噺家。現代的な爽やかな風貌している。

■「替わり目」
 酔っ払った亭主が女房などに勝手気ままな要求をする話。亭主はうどん屋にも迷惑かけた。うどん屋は女房に呼ばれたが、うどん屋は動かない。「いま行ったら銚子の代り目時分だから」・・とオチになる。比較的よく聞く演目。

??■「片棒」
 江戸に筋金入りのケチいて、御年70になったある日、3人の子供を呼んで自分が死んだらどう言う葬式を出してくれるかを問うた。その返事で跡取りにしようと言う魂胆。

 長男は派手にやります。お通夜は二晩、3日目仮葬儀、おって本葬儀に。本願寺を借り、お坊さんも22-23人ぐらいは必要です・・・。「聞いちゃおれん、あっちへ行け!!!」。

 次男は破天荒な、歴史に残る弔いをやりたい。紅白の幕、芸者、山車あとからお神輿が出ます・・・。「聞いちゃおれん、あっちへ行け!!!」。

 三男は葬式は、形式的なものに過ぎないから簡素にやりたい。棺桶は菜漬の樽を使う。担ぎ手を頼みますと、日当を払わなければならない。片方はわたしが担ぎます。問題はもう片方なんですが・・。「なあに心配するな、片棒はおれが担ぐ。跡取りはお前に決めた!!!」。
 これも有名な一話。

■「死神」
 借金まみれの男が首を吊ろうとしたところ死神が現れた。死神は偽医者になれば金儲けができる、と教えた。
 病人には死神がついており枕元にいれば助かることはない。足元にいれば呪文で死神を追い払うことで病気は治る。
 男はさっそく偽医者としての活動を始めた。やってくる多くの患者は死神が枕元にいるから男は病を治せません。ある豪商が病になったが同じように枕元に死神がいた。豪商は治せば3.000両出す、と言う。男は死神の隙を見て布団を180度回してしまった。豪商は全快したが、死神を怒らせ、それが元で男は死んでしまう・・・と言うもの。

 男と死神のやり取りの中、瞬時に声色を変える技術には感嘆した。


11/10(日)快晴 飯川病院日当直
1:30起床、新聞、文献チェック。医学雑誌のPDF化。8:42バス飯川病院、9:00日当直に従事。新聞入力、微睡。新聞データ整理、録音データ整理など。自炊ほか新聞入力。19:00夕食、21:00就寝。歩数計3776歩数、殆ど机に向かっていたので最低レベルとなった。

日本の林業(3) 緑のオーナー制度はどうなった?
 私は1985年に大学を辞して秋田市内の総合病院に就職した。
 この病院の脇2?300m程度の所に東北森林管理局のビルがあり、その前を毎日通勤した。施設の2階の窓の高さに大きな横断幕が掲げられており、多分、数年間はあったと考えられる。
 国有林に50万円出資で・・・と言うものであった。

 当時、国産材は輸入材におされて注目されなくなりつつあったから、林野庁が苦境脱出のための企画と考えていた。私は自然環境、海や森林には関心があるが自ら参加する気は無かった。

「緑のオーナー制度」とは
 一般の人から森林に出資してもらい、成長した木材を販売して収益を分けあう林野庁の制度で、1984年(昭和59)に林野庁が始めた。
 当時の宣伝文句は「資産作りに最適」、「安全確実」、「夢とロマンの制度」などが並んでいた。1995年(平成5)まで「元本を保証しない」との記載はなかった。

 国の企画であったことで投資として信用され、募集を中止した1999年(平成11)までに、8万6千人から500億円という巨額の資金を集めた。
 結果的に、国内の木材価格はスギは半額以下、ヒノキは3分の1近くに低迷したことで、全国で元本割れが相次ぎ、出資額の半分程度しか還元されなかった。13万円しか戻って来なかった出資者もいると言う。国内各所で訴訟が生じ、2016年(平成28)国の責任を認める判決が最高裁で確定した。

 ただ、この制度は経済的施策としては破綻したが、この制度によって2.4万ヘクタールの山林が整備されてきた事実は重要であった、と評価されている。出資者の中には自然に理解があって参加した方々も少なく無かったがこの好意すらも反故になった。

 森を守るには金がかかる。それをうまく進めなければ海が死ぬ。森の管理は税金だけではまかないきれない。森に対して関心が乏しいであろう都市部の人たちの参加も必要になってくる。この「緑のオーナー制度」とは別な仕組みで国民参加の森作りを呼びかける必要があろう。

 今年度から施行されることになった新しい「森林経営管理制度」では、市町村が所有者から山林を預かり管理権を持ち間伐などを担う。
 新制度の財源になるのが、2024年度から年1人1000円を負担する森林環境税。
 新制度は伐採期を迎えた国産材の活用を促すねらいもあり、都市部では公共施設に国産材を使うことなどが想定される。

 木のぬくもりが増えることは好ましい。地球環境のためにも、温暖化防止のためにも森林の保護は必須である。


11/9(土)曇り ルミエール落語会 Safari不調に
1:00起床、新聞チェック、徒然他いつもの如し。PDFデータ整理。午前は庭の整備、鉢植えの青年沖など室内に移動、伐採した枝葉資源ゴミか。午後はコンポスト関連。16:00映画渡辺淳一作「愛の流刑地」iPadで鑑賞。微睡、データ整理、17:22バスルミエールに、古今亭菊之丞独演会。特に「死神」に感嘆した。20:45トピコにて夕食、21:30飯川待機中の家内の迎えで帰宅。歩数計Σ9954歩。

日本の林業(2) 厳しい現実は続く
 衰退の一途をたどつてきた日本の林業がやっと見直されつつある。
 木材輸出国の資源囲い込みや、新興国の木材需要の高まりで外材調達の先行きが不透明になつてきて国産材の需要が相対的に増している。

 国産材の利用拡大に向けた企業や国の取り組みも活発化している。 
 
 北米産材木価格が新興国の輸入増などで高騰、燃料費高騰で運送コストも膨らんでおり、国産材の利用促進は不可欠と判断した。
 国産材を使った商品を製品に加えることで北米の仕入れ先への価格交渉力を高めるという狙いもある。 

 これまで売り物にならなかった間伐材や曲がった木を板状に加工する技術も向上し、直径10cmの間伐材なら30本9.900円ぐらいで売れるようになったという。

 工場で生産した板は北米産材をはり合わせて強度を高め、集成材に加工して梁などに使う。生産に手間がかかり収益性が低いのが難点だがコスト削減を狙う。

 国産材の利用拡大に向けた拠点づくりは全国各地に広がっている。
 その例として、秋田県男鹿市では地元の合板企業が加工設備を増強した。
 
 世界各国で資源囲い込みの動きがある。
 日本が輸入する外材の約4割を占めていたロシアは2007年木材の輸出関税の大幅アップを打ち出した。自国の木材加工産業を発展させる狙いと見られ、従来6.5%だった税率は2007年7月に20%に、2009年には80%に上がった。結果として2008年前半の木材輸入は、前年同期比で約60%減になった。
 
 国も国産材の利用拡大を後押ししている。
 政府の旗振りで1950年代から全国の森林所有肴が植林したスギやヒノキが伐採期を迎え始めているからである。 
 農林水産省は林業再生策を始めた。事業を集約して伐採などを効率化しコストをを低減、住宅メーカーなどの要求に応じた製品を安定供給できる仕組み作りを目指す。

 林業従事者は2005年の国勢調査によると約46.000人と30年前の約4分の1、しかも高齢者率が上がってきている。手入れを放棄する森林所有者が増え、山の荒廃が各地で深刻化している。
       
 外材に市場を奪われた国産材価格は長期低迷が続いている。ピークであった1980年の約3分の1。需要に応えられる体制を整え、価格を底上げしないと森林整備や植林など森林所有者の投資意欲が薄れてしまう。

 新聞紙上などでは漁業や林業の記事はとても少ない。人手不足も深刻である。実態が知らされていない間に事態は深刻さを深めている。


11/8(金)早朝降雨のち快晴夕方降雨 大曲中通病院外来 飯川病院ボランティア
0:10起床、データ整理。新聞処理。5:00可燃ゴミ提出。7:35Taxi駅、こまち。8:50-12:00大曲中通病院外来。往路は降雨で徒歩不可、復路のみ。13:30飯川病院着、14:00-18:45ボランティア。14:30秋銀スタッフ来訪、15:00第一生命スタッフ来訪、外貨応用の保険の説明を受ける。19:10通町書店経由帰宅、夕食。21:30就寝。 歩数計Σ10970歩。

日本の林業(1) やっと再生機運が出てきたようだ
 本年秋に連続して15、19、21号の3つの台風が上陸した。
 山林や林業施設の被害額はまだ明らかになっていないが、災害関連のニュースの中では千葉県の停電の復興が倒木等に阻まれて長期化したなど、森林、林業関連の問題も明らかになってきた。台風の災害は決して水害や風害だけではない。
 2018年の西日本豪雨や北海道地震などの災害による山林や林業施設の被害額が約2.068億円で、東日本大震災のあつた2011年の3.049億円に次ぐ規模だった。

 上記の状況を受けて、政府は治山対策を進めるとした。 
 政府は本年6月、2018年度版の森林白書を閣議決定した。
 木材自給率はかつて100%近くあつたが1960年代で輸入自由化をして安い外国産材に頼ったために、2002年には18.8%まで下落した。2017年の木材自給率は7年連続で上昇し36.2%となり、32年ぶりの高水準を回復、住宅の壁や床に合板として国産材の利用が広がつていることなどが追い風となった。その後は合板の生産技術向上、木質バイオマス発電の燃料材として利用が拡大したことやアジアの森林違法伐採対策の徹底などで輸入が減少したことも自給率向上の要因となった。 
 今後はTPPや日本と欧州連合の経済連携協定の影響も懸念されるが、国産材のさらなる需要喚起や林業の経営体質強化を図るべきだとの判断である。

 日本の森林面積は国土の約3分の2で森林率はフィンランドに次ぐ世界2位。
 1950年代までは国内で消費される木材の殆どは国産材だった。しかし、戦後復興期に大量伐採したため供給が間に合わなくなり、1960年以降後輸入を自由化し木造住宅の主役は外材となり、木材自給率は1997年に20%を割った。2005年以降は国産材回帰の動きで微増が続いてきた。木材輸出国の資源囲い込みや、新興国の木材需要の高まりで外材調達の先行きが不透明になつてきたことが背景にある。

 衰退の一途をたどつてきた日本の林業が近年になって見直され始め、国産材の利用拡大に向けた企業や国の取り組みも活発化している。

 我が国の林業の再生実現するのか、いまが正念場にあるようだ。

 森林に関する情報は食品とかと異なり、なかなか国民の関心ごとにならないようであるが、国をあげて森林維持に力を加えなければ森が死んでしまう。森が死ねば海が死ぬ。
 とても無関心ではいられない。


11/7(木)早朝降雨のち晴れ 飯川病院午前ボランティア+午後勤務 
1:00起床、文献・新聞チェックなど。新聞・文献入力、自炊数冊。読書など。11:00バス飯川病院着、ボランティア。14:00勤務、外来+入院患者対応。微睡、14:00-18:55勤務。19:10帰宅、19:30夕食、21:45就寝。歩数計Σ9789歩。

本 「君の膵臓が食べたい」住野よる著 双葉出版 2016
 私はいま読書欲に囚われている。青春ものを含めていろんなジャンルを読んでいる。

 昨年から村山由佳氏の青春小説「おいしいコーヒーの淹れ方」全18巻を通読したが、その主人公「花沢かれん」がとても素敵に描かれている。私は女優浜辺美波さんをイメージしたので彼女が主演する映画「君の膵臓が食べたい」を観た。映画には満足した。

 上記の映画を補足するために、原作を読むべし、と住野よる著「君の膵臓が食べたい」を入手した。

<img src="https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/74/bd/f897d6e002c3722d205c960c4dec7318.jpg" border="0">

 この物語の舞台は単純である。友人もなく孤独、閉じこもりがちな高校生Aは、同じクラスの人気者Bが綴っていた日記を拾った。Bは余命1年ほどであることが綴られていた。2人は友人として付き合う。天真爛漫に振る舞うBに振り回される主人公A。

 二人の間で交わされる会話は、死を念頭に置いたものにならざるを得ないが、社会的責任の乏しい世代だけにあまり深刻でなく、軽い。純情な青春の匂いに圧倒される。
 
 死が2人を別つ日は必ず来る。Bがあまりに明るいがゆえ、テンポの良い2人の会話は切ない。

 Bの死後、AはBの自宅を訪れ焼香する。その時に母との会話で構成される最終的場面の存在感は大きい。

 この作品では「医療のこと」、「死に至る過程のシーン」は殆どない。主人公Bの死生観も各所に語られるが深刻さはない。このことが本書を軽いものにしている。
 青壮年者の死、時には高齢者の死は、生きてきた時間が長く、それに伴い負っている責任も大きくなっていくために、より重いものになる。

??????????????????????????????
 私は自分が経験した患者たちのことを思い出しつつ読み進んだ。

 若者が罹患する死に至る病は白血病をはじめとして血液疾患が多い。私も未成年の患者を30名ほど治療した。そのうち2名は50年近く、今も元気で過ごしている。他の方は残念ながら死亡された。
 若い患者が死を迎えるにあたって家族の悲嘆は限りなく大きい。患者は家族へ感謝しつつ死を迎えたが、静かに死を受け入れ旅立って行った、全体的に悲壮感は乏しかった、というのが私の印象である。

 生と死は、表裏一体である。人間いつ死ぬかわからない。重々理解しているつもりでも、日々を過ごすなかで、どうも忘れてしまう。老人だってそうだ。特に、青春時代はそうだろう。
 そんな日常の大切さを思い出されてくれるのは、小説の力といえるだろう。

 この作品はその意味を含め、私には有用であった。


11/6(水)快晴 午前居間の備品 ガレージ整理 飯川病院ボランティア
0:30起床。新聞・文献・医学論文PDF化・録音データ編集他。午前居間の備品整理、ストーブの上部に書籍など置けなくなったため。12:12バス、キャリアバッグ持ち、ルミエール、落語会チケット購入、飯川ボランティア、外来患者対応。微睡、新聞データ化。19:00プリ、薬局経由帰宅、夕食、21:00就寝。歩数計Σ8675歩。

映画「君の膵臓が食べたい」原作住野よる 監督月川翔、主演は浜辺美波と北村匠海。2017 東宝

 3ケ月ほど前にアマゾンのプライム会員の特典で、iPadにて自宅で映画「君の膵臓が食べたい」を鑑賞した。
 この作品は新聞を介して知っていたが、「何じゃこの奇怪な題名の映画は・・・」と思った程度で特別に興味を持っていたわけではなかった。その後、この映画の主演女優が浜辺美波さん(?)であることを知り、どんな表情の女優かと興味を感じたから観てみた。

 彼女を注目したのは、たまたまグラビア誌、NHKの英語番組を見てなかなかいい表情の人だ、と思った。まだ20歳にも満たない新人女優らしい。
 昨年から村山由佳氏の青春小説「おいしいコーヒーの淹れ方」全18巻を通読したが、その主人公「花村かれん」がとても素敵に描かれていた。小説の世界だからどんな女性をイメージするかは読む者の自由であるが、浜辺美波さんを見て、彼女のような表情の娘かな??、と思ったからである。

 そんなこともあって、彼女の演技や表情を見るために観た。
 結論として映画には満足した。私は彼女に魅了された。

 映画のあらすじは単純である。原作にはないが、現在と13年後の2つの舞台設定で進められる。監督の技量であろう。

 この物語の舞台は、今よりももっと医療技術が発達した未来であろう。友人もなく孤独、閉じこもりがちな高校生Aは、ある日、病院の待合室で「共病文庫」というタイトルの文庫本を拾う。それは同じクラスの人気者Bが綴っていた日記で、彼女は膵臓の病気で余命いくばくもないことが綴られていた。今まで全く接点のなかった2人は友人として付き合う。とても死が近いとは思えないほど、天真爛漫に振る舞うBに振り回される主人公A。

 閉鎖的で孤立癖のある男の子と開放的だが未来を奪われた女の子が、秘密を共有することで、Aは次第に変わっていく。一方、Bは着実に病に蝕まれていく。高校生が膵臓がんに罹ることは稀であるが、交わされる死生観を含む会話は、社会的責任の乏しい世代だけにあまり深刻でなく、軽い。純情な青春の匂いに圧倒される内容である。
 
 死が2人を別つ日は必ず来る。Bがあまりに明るいがゆえ、テンポの良い2人の会話は切ない。死を意識しながら交わす言葉は高校生だから現実味に乏しい。死を意識しないで「普通に生きられる」世代は実にかけがえのない大切な日々なのだ。

 Bの死に際して、Aは通夜や葬儀にも出席しなかった。数日後、AはBの自宅を訪れ焼香する。その時に母との会話で構成される最終的場面の存在感は大きい。

 医学的リアリティが皆無と言っていい。Bの食欲は旺盛で苦痛も乏しい。すい臓がんではなく、死に至る架空の病気なら何でも成り立つ内容である。原作、この映画共に題名は奇抜であるが、「ある病気を患ったら、動物のその臓器を食べることによって病気が治る」という言い伝えによる。そのための膵臓の病気という設定なのだろう。

 この映画は現代若者に題材をとった架空の物語にすぎない。主演の浜辺美波さんを知るためにとてもよかった。それで充分に楽しめた。


11/5(火)快晴 外来 飯川病院 
1:00起床。文献、新聞・徒然。5:30家庭ゴミまとめ提出。7:25徒歩病院。8:45-13:45外来+人間ドック判定14名分。14:00-20:15飯川病院勤務、入院患者対応。当直医遅れを代行。20:30帰宅、夕食、22:00就寝。歩数計Σ10.422歩。

?人生100年時代(31) 終活2019(6) 狂ったように(?)本を読みたくなった
人生100年時代というが、私はもう時間が乏しくなってきている、と実感している。私が実際にいつ果てるかはわからないが、私はそう感じている。先のことは誰にも、私にもわからない。

 よしんば、もし生きながらえたとしても、身体機能、知的機能は必ず劣化していく。現実的に、近眼・老眼・白内障・緑内障で視力障害が著しい。

 だから、「可能性が一番豊かなのは今日なのだ」、と考え、生活の時間配分、終活作業にも一層力を注いでいる。

 終活として、昨年春から秋まで半年間かけて手持ちのCDを全て電子化した。それらの音楽はデータとしてiPhone8に入れ、Bluetoothを介してヘッドフォンに送られてくる。それらは連日休むことなく有効利用している。私のiPhone8はスマートフォンとしてではなくほぼ音楽プレーヤーとして機能している。

 CDの電子化終了後は書籍の電子化、すなわち自炊に集中している。
 自炊作業にも火がついたが、読書欲にも火がついた。最近は自炊、読書のための時間確保に四苦八苦している。

 自炊の範囲が今秋から急に広がった。書架にある本のめぼしいものの多くはすでに電子化したが、大学時代を中心に読んだ本などは書架に並べずダンボール数箱に詰めて空き部屋においていた。それらに手をつけ始めたからである。
 1970-2000年頃に購入した書籍で、大部分は存在すらも忘れていた。それらを並べてみるとこのことに何を考えていたのか思いだされ懐かしい。

 作家など到底あげられないが、石坂洋次郎、源氏鶏太など青春小説、小林多喜二、石川達三、松本清張、吉村昭などの社会派小説、推理小説、宗教書、哲学書、音楽関係の書籍などが出たきた。生老病死に関する本
 自炊の対象になる本をダンボールの奥から取り出す。この過程で、所持していることさえ忘れていた本や、懐かしい本、紛失したと思い込んでいた本も出てきて、驚いたり、喜んだりして悲喜交々懐かしんでいる。
 思い出のある本はつい再読してみたくなる。自炊データはiPadに入れていつでも呼び出して読むことができる。じっくり読み返すのもあるが、気に入っていた箇所を虫食い的に拾い読みしている。

 また、古い書籍がたくさんあるのに、今だに書籍を購入し続けるものだから、時間確保に困っていた。購入した日にすぐ裁断しその日のうちからiPadで読む。
 最近の青春小説は面白い。ジェンダー関連の知識を得るために女流作家の書く評論、随想はお面白い。
 時代に合わせて、経済関連書など新しい分野にも手を伸ばしている。

 読むジャンルは、手当たり次第、思いついたものから読み始める。持ち時間が少なくなっていくのが惜しい。


11/4(月)晴れ 振替休日 
1:20飯川病院で起床。文献・新聞等処理、徒然など。いつもと同じ。9:20プリウス帰宅。データ整理、自炊ほか。13:00プリウス修理、ガレージ掃除、17:00飯川病院、書類記述、18:45カレンダー旅行の家内帰宅。19:15帰宅、夕食。21:00就寝。歩数計Σ7711歩。

ヘッドフォンずれ防止の螺旋状の紐で質問受けた
 私はヘッドフォンで聴く音楽を好む。利点も大きい。
 
 私は寝るとき、入浴、食事中などを除きほとんど四六時中ノイズキャンセルヘッドフォン、最近はもっぱらSonyのWH-1000XM2をつけている。必ずしも何かを聞いているわけではなく、会話や生活ノイズを低減する目的のこともある。外出時は欠かすことはない。車のロードノイズ、市井の喧騒が軽減する。

 私にとってヘッドフォンの利点は大きいが、欠点は、コードがあることと、動き回ると頭からずり落ちる事であった。

 前者はいろいろ変遷したが、Bluetooth利用でほぼ解決した。
 後者のずり落ち防止は、これも変遷したが、今は文具店などで売っている伸縮するプラスチック製のらせん状の紐(?)を取り付けた。こんなちょっとした工夫でずり落ちて困る事はほぼ皆無となった。下を向いても、小走り程度でも落ちない。
 
 (落下防止用のストラップをつけたSonyのWH-1000XM2 後方にはBOSEのノイズキャンセリングヘッドフォンが見える)

 一昨日、秋田駅の隣の複合施設に用事があって駅構内を歩いていた時に、後ろから30代と思われる女性が小走りで近づき、私は声をかけられた。時折、歩行中に声をかけられることはあるが大抵は外来の患者である。その方は全く見覚えがなかった
 「そのヘッドフォンの後ろの紐は何のためですか??」という。曰く、「自分は全く売れていないがシンガーソングライターで、ヘッドフォンを多用しているが、髪型によっては頻繁にずれ落ちて困っている・・・」、という。

 私のずり落ち防止の工夫について具体的に教えてあげた。とても喜んで「早速やって見ます・・」とのこと。
 
 私のこんな工夫が注目されたのは初めてで、とても嬉しかった。
 実際、なぜ市販のヘッドフォンにずれ防止機能がついていないのか愛好家としては不思議でしょうがない。


11/3(日)文化の日 小雨、曇り快晴 飯川病院日当直 レセプトチェック 
1:30起床、新聞・文献チェック,他。画像整理多数。家内はカレンダー旅行で本日は熱海らしい。ラグビーWCでホテル取れず、と。7:30レガシー飯川病院。9:00日当直に就く、新聞チェック、外来レセプト点検、12:00検食、微睡、自炊数冊。
18:00夜の検食。データ整理、本読み、20:30就寝。歩数計Σ7119歩。

日本の食文化の崩壊2019(16) 秋田の漁業、衰退著しく厳しい現実
 第39回「全国豊かな海づくり大会」が9月7-8日、秋田市を会場に開かれた。本県での開催は初めて。天皇皇后両陛下が来県した。

 「海づくり大会」は水産資源の保護や海の環境保全、漁業振興などを図る狙いがあり、1981年以降毎年開催されている。
 秋田大会には本県の漁業関係者ら約600人、全国から約1400人参加した。テーマは「海づくり つながる未来 豊かな地域」。

 式典では、約150種類が水揚げされる本県の魚介類の豊富さや、伝統的な食文化などを紹介し、県内漁業者が海の資源を守り、漁業の発展に取り組む決意を表明した。

 しかしながら、秋田の漁業が置かれている厳しい状況は県民に共有されていないし、県行政の中における位置ずけも、振興策も不明瞭である。大会に関しても新天皇夫妻の来県のみが話題になった。

 本県沖は豊かな漁場に恵まれているが、漁業は厳しい現実に直面している。
 
 具体的には以下のごとくである。
------------------------------------------------------------------------------
 ■ 県内漁業就業者は、1960年代の4000人から2018年には700人台まで落ち込んだ。

 ■ 就業者数の減少は、高齢化による。県内漁業就業者は年代別では60歳以上で7割超、70歳以上も4割以上。

 ■ 漁業を個人で営む590人中、後継者がいないのは546人、9割に上った。

 ■ 漁獲量は、1975年の3.3万トン台から2018年は6200トンに。39都道府県では下から3番目。

 ■ 漁業は天候に左右される上、資材の高騰などで苦しい経営を迫られている。

 ■ 本県の海岸線の延長は260Km余り。県北部と男鹿半島および県南の一部は漁業に適した岩場だが、他の大部分は平坦な砂浜で漁業の条件としては良くない。 

 ■ 約150種の魚介類が取れる一方で盛漁期が比較的短く、漁獲量は少ない。平成に入ってからは減少が続き、2017年度の漁業算出額は30億円で全国でも下位。ハタハタの低迷が顕著。特に男鹿の落ち込みが目立つ。 

 ■ 本県の漁獲は少量多品種のため大規模市場では取り扱いにくい面がある。
------------------------------------------------------------------------------

 私は秋田県の漁業に対しては大幅なテコ入れが必要と考える。このままでは絶滅してしまう。にもかかわらず、秋田県の漁業振興策が見えない。

 
収入アップに関しては、現場では各種の試みが行われている。
 付加価値の高い魚の出荷を目指し、鮮度と品質を維持するための「血抜き、神経抜き」技術の導入、トラフグを「北限の秋田ふぐ」として、男鹿市産の「本ズワイガニ」のブランド化しての売り込み。「ワカメやギバサ」の生産増などなど。

 行政は意欲的な漁業者を支援すると同時に、産地化が可能な魚介類の養殖、放流を通じて資源拡大を図るなど、漁業振興に一層力を注ぐべきだ。

 また、県民は秋田県の漁業の現状を直視し、秋田産の海産物を積極的に消費し、県内の漁業者を支えてほしい、と思う。


11/2(土)快晴 家内カレンダー購入旅行 
 1:00起床、何時もと同じ.データ整理、読書中心。7:30家内駅に送り飯川病院、
文献・新聞読み。11:30古書店経由帰宅、数冊購入。患者死亡の報あり、そのまま再度病院へ。往復Taxi、16:00帰宅、微睡、その後はデータ整理、自炊数冊。19:00夕食、20:30就寝。歩数計Σ6841歩。

当HP「これからの医療の在り方?徒然日記」19年目迎えた(2) 
(3)記録に頼らねば記憶が保持できないから連日電子的に蓄積している
 私は記憶蓄積や保持が困難になった。記録をつけていないと全て忘れる。忘れてしまえば、自分は呼吸して食っていただけで無為に生きたことになる。
 物事について、思うだけ、考えるだけでは霧のごとくすぐ消える。だからメモを作り、その中の一部を文章化しておく。情けないが、忘却防止のためである。
 私の記録はハードディスクに電子データとして蓄積している。その代わり頭は空っぽ。
 検索にて何月何日、何時頃に私が何をしていたか、何を考えていたかを知ることが出来る。
 このHPは、徒然日記は、私が生きて来た証しになっている。

(4)自分だけで毎日の小さな積み重ねを楽しんでいる
 今は嘱託医として細々と外来診療を続けている。今年8月からは木曜午前の外来診療も無くなった。これで読書などに使える時間が増えた。
 他の時間は100%引きこもっている。別に鬱ではないが、人と会うのが怖い、ヒト付き合いが辛い、嫌になった。ヒトと会話すると不快な後味が必ず残る。それが嫌。最近始まった事ではない、ずっと耐えてきただけ。
 生者との付き合いは文章、書面上なら耐えられる。私は、生者より死者が好き。私を害さないから、改めて親しみを感じる友(?)となる。

 孫を含む家族達の動向を楽しみ、自然現象の移ろいを味わう。興味の対象は歴史、文化、政治・経済・・、と今でもまだ広がっていく。先人達の足跡は偉大である。それらを感心しつつ書籍を介して味わう日々である。

(5)自分の弱気に抗する毎日
 私は人と競争・抗争は好まない。だから、口頭では自己主張もしない。他人と会話することもなくなった。私の競争・対話の相手は私自身、抗する対象は私自身の弱気である。
 気力も低下しつつある。徒歩通勤は片道60~70分であるが今年は体調に自信なく休止している。往路はバス通勤が中心になった。

 最近はなんでも安易な方向に流れそう。それに抗するのが大変になってきた。もちろん、背景には老化による身体上の問題点、例えば下肢の衰え、バランス感覚の減弱なども意識する。しかしなかなか対応できない。
 このHPの更新は私の気力、体力のバロメーターである。

(6)ちょっとしたことをちょっと学び、毎日一つ形にする楽しみ、苦しみ。 
 普段考えている事を文章化していく作業は苦しいが楽しい。私に長文は無理。だから、小文にまとめる。
 何故連日か? 継続は力である。一日一話と自分に負荷をかけている。一旦不定期にするとなし崩し的に頓挫するだろう。キーボードはまだ打てる。気力さえ続けばまだしばらく続けられそう。

(7)生活記録、小文は自史資料としても貴重
 私は日々の記録を蓄積するのが好きだ。文章、画像、音楽など、覚えきれないから最近はほぼ全てを電子的に蓄積している。
 何か調べたいことがあると、まず自分の小文に検索をかける。5000項目以上もあるから大抵これで間に合う。それから新聞のスクラップを探す。2008年から1日20−40枚分作って蓄積しているから実に有用。次はブリタニカ。
 ネットでの検索は滅多にしない。

(8)私の文章は、私の文章とは言い難い
 私はペンを握れば僅か数行のハガキでも悪戦苦闘する。だから、普段はパソコンで文章を作る。それでも呻吟する。
 かつては辞書を引くのが好きだった。今は辞書は滅多に利用しない。

 電気とパソコンと、他人の技術の蓄積を利用して作っているだけ。とても自分の文章とは言えない。この点は残念だと思う。
 
(9)本日の段階での結論
 継続は力、今後もしばらく続けていく。


11/1(金)昨夜から雨  大曲中通病院外来 飯川病院ボランティア
1:00起床。文献、新聞チェック、徒然。6;00フィットにて可燃ごみ廃棄。庭掃除のゴミなど。7:35Taxi駅東に。8:11こまち。駅病院間往復とも歩行なし、9:00~12:15外来、秋田は徒歩、14:00飯川病院ボランティア。19:30Taxi帰宅、夕食、21:30就寝。歩数計Σ6831歩。

当HP「これからの医療の在り方?徒然日記」19年目迎えた(1) 
当ホームページ「これからの医療の在り方----徒然日記」は、2001年11月1日に開設したので本日満18年を迎えた。本日は19年目のスタート日となる。
 抜粋版「雑記帳Blog」は満15年目、「インスタグラム」は2.5年程である。

 19年目のスタート日の雑感。毎年似たような感想になるのはやむを得ない。
 変化に乏しい日々の積み重ねだから当然でもある。

(1)なぜ駄文を綴り続けているか? 
 「継続は力」、この言葉が好きだから。この1年間で更新できなかったのは5月30日の一回だけ。まずまずとその達成を一人で悦に入っている。
 私は意を決して始めた事はなかな止めない。

 続けている例を挙げれば、
----------------------------------------------------------------------------------------
 ■ 生活記録は50年以上、うち18年間分がこの徒然として記述している。
 ■ 1:00amに起き出す早寝早起き習慣は約30年超。
 ■ 新聞・文献スクラップ蓄積は20年超。
 ■ ラジオ深夜便連日3時間録音蓄積は10年超。
 ■ 岩手へ復興資金寄付は8年。
 ■ 映画・録画の視聴7年。
 ■ 終活、特に書籍の電子化と廃棄は8年。
 ■ 準引きこもり状態は8年。
 ■ 徒歩通勤は今年健康上の支障があってやめたが5.5年続いた。その後もできるだけ歩くように心がけ、本日の段階で歩数計による集計では、Σ2.280万歩、距離蓄積Σ18.245Kmに達した。伊能忠敬の足跡を追っているが、間も無く達成の予定。
 ■ 無精ヒゲ8年。
 ■・・・などなど。
----------------------------------------------------------------------------------------

 他人に全く影響を与えることのない一人だけの世界を楽しみ、自己満足にどっぷり浸っている。

 ただ、最近「雑記帳Blog」の連日更新はちょっとあやしくなってきている。
 加齢による意欲減退もある。春から秋にかけては園芸・畑作業に時間を要すこと、終活を兼ねた書籍や文献の自炊作業によって再燃した読書欲に火がつき時間が足りなくなったことなどが挙げられよう。

 のんびり生きたいといつも思うのであるが、自分に付加しているしている生活習慣をこなすのに1日24時間では不足である。

(2)「これからの医療の在り方」のタイトルが重荷に・・・
 最近、医学関係分野の勉強は徐々に乏しくなった。もちろん最小限は維持しているが。
 現在、社会や経済など医療外の分野を学び直している。記述する話題も医療分野以外の話題が大部分を占めるようになって「これからの医療の・・」のタイトル名が重荷になった。されど、いつまで続けられるかわからない。今更名称を変えてもしょうがないからこのままにする。





徒然日記バックナンバー


ご意見・ご感想をお待ちしています

これからの医療のあり方Send Mail






更新履歴  著者紹介