徒然日記

 日記と言うより、自分の行動記録と日々の雑感です。

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9/15(木)晴れ 健康クリニックデータ判定 飯川病院終日勤務+当直
1:45起床。本読み、文献若干,本読みなど。院長大学病院受診のため飯川病院終日勤務+当直。8:30家内に同乗、飯川病院着、新聞チェックと入力。外来患者あり、2日前のハチ刺されと。12:00検食、14;00-14:45健康クリニックデータ整理14人分、15:00院長帰院、入院患者対応、文、新聞チェックほか。微睡、読書進める。18:00検食、20:45就寝。歩数計Σ5737歩。

音楽談議2022(6) チェリビダケ指揮ブルックナー交響曲(4) チェリビダケについて(2)

 チェリビダケが初めてベルリン・フィルの指揮台に立ったのは1945年8月。翌年2月には首席指揮者に任命されたことから見てよほど高く評価されていたのであろう。

 彼の鋭敏な耳は首席指揮者のフルトヴェングラーが満足していたベルリン・フィルに満足できなかった。氏はそのことを言いふらしたため、楽団の不満を買い、カラヤンと首席の座を争った際に破れたのも仕方がないことだった。口の悪さが災いした。

 出世街道から外れた氏は、オーケストラに異常なまでに長いリハーサルを要求、鋭敏な耳によって緻密なアンサンブルを築き上げることに執念を燃やした。 テンポは驚くほど遅くなり、表現は雄大になり、きわめて主観的な指揮ぶりになった。

 一方、彼はレコードを嫌悪した。
 レコードは演奏されたホールとは似ても似つかぬ部屋で、軽く聴かれることに我慢ならなかったらしい。氏にとって、「自分の真価は実演でしか耳にできないのだ」という信念。このことが、独特の演奏スタイルと相まって、氏を幻の(?)巨匠につくり変えた。

 人間、そんなに鮮やかに変身し得るものではないが、氏はカラヤンに敗れたことによって、本当の自分を発見した。 しかも、主観的ロマンティシズムという点では見事に昇華させた。
 金管の強さや色が千変万化する手練手管の面白さ、うねりの如く厚みのある表現は、並みの練習量ではとうてい実現不可能であろう。ミュンヘンフィルは氏の表現に共感したのであろう、長い時間をかけて氏と共に作り出す音楽は独特の境地に達した。氏が残したブルックナーの交響曲の録音は教会の大伽藍に鳴りひびくような壮麗な名演となっている。
 とりわけサントリーホールで収録された第7番、第8番は素晴らしい、と思う。

 (私が愛聴している第7番、第8番、第9番のCD 9番には練習風景、氏の謝辞も収録されている)

 氏の録音を聴いていると、氏の主張に矛盾がある様に見える。
 氏はスウェーデン放送交響楽団、シュトゥットガルト放送交響楽団を母体にして活動を展開した。放送交響楽団は通常の演奏会のほかに放送用の録音も必要となる。そのために就任を嫌う指揮者も少なくない、という。指揮者はオーケストラがなければ無力である。氏はこれを引き受け、放送された楽曲がラジオ等で聴かれることには立場上理解を示していた、と考えられる。

 しかし、何度も聴かれるレコードには距離を置いた。そうは言えども双方の放送交響楽団、ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団には膨大な録音が残されていた。

 さらに来日時の演奏会は録音のほかに映像まで収録している。多分、氏は録音技術の発展を目の当たりにし、自己の年齢も相待って考え方が若干変わった、と推定される。また、ご遺族の方が録音の正規の発売に理解を示し始めているともいう。

 私は氏の遺産の一部をじっくり味わっている。実に幸運である。

9/14(水)快晴 散髪 飯川病院 COVID-19ワクチン接種担当
1:30起床、文献若干,本読み。書籍データ整理。8:00畑仕舞い開始。10:30 3Qにて散髪、なぜか今までのうちで一番混雑。時間のある若者が多いのだろうか。土崎の古書店経由してバスで帰宅、購入なし。11:52バス飯川病院に。文献読み、新聞チェックほか。14:00-15:50 COVID-19ワクチン接種18名、散水。頭痛、後頭神経痛由来。19:15通町書店経由帰宅、夕食、20:45就寝。歩数計Σ9259歩。

音楽談議2022(5) チェリビダケ指揮ブルックナー交響曲(3) チェリビダケについて(1)

 チェリビダケ指揮のブルックナーを4月以降集中的に聴いている。
 きっかけは何もない。たまたまゆったりとしたブルックナーの交響曲を聴いてみたかったからである。氏の指揮した演奏を聴いていると他の指揮者の演奏も聴きたくなる。もちろん歌謡曲も聞く。だから私の耳は超多忙である。

 私は1970年から2000年にかけて集中的にクラシック音楽を聴いていた。音源は主としてレコード、FMエアチェックしたテープ、一部はCDであった。同時に音楽、演奏家に関する文献も収集し、耳と目から音楽を楽しんでいた。これらの音源・資料のほとんどは2010年以降終活の一環として廃棄した。

 チェリビダケに関する情報は元々あまり豊かではない。名指揮者の紹介本などにも取り上げられることは少なかった。氏が干されていたからであろう。ただ、CDなどはむしろ入手しやすくなっているようである。

 4月に交響曲第8番から聴き始めた。
音楽談議2022(4) チェリビダケ指揮ブルックナー交響曲第8番(1) 遅いテンポに酔える日々
 その後に第7、第9、第6、第4、第5、第3番と入手できた。各曲が60-90分もかかるので大変である。ここまで来れば中途半端は落ち着きがない。現在、第0、第1、第2番の音源を探しているところである。

 氏についてもさらに知りたくなった。
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 氏は1912年ルーマニアで生まれ、1996年84歳で没した指揮者、作曲家。
 ピアノと作曲を学んだ後、 24歳頃にベルリンへ移り、ベルリン音大、 ベルリン大で音楽、哲学、 数学、心理学などを学んだ。 1945年ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団を指揮してデビュー、同年から1954年にかけて活動禁止措置を受けていた首席指揮者フルトヴェングラーが復帰するまで集中的に指揮した。 その回数は公式記録によれば、414回にも及んだ。 戦争直後の混乱期を支えた指揮者だった。

 1954年カラヤンが首席指揮者に決定したのに伴い、氏はベルリンを去る。その後、ヨーロッパの中堅クラスのオーケストラやブエノスアイレス、リオデジャネイロほかで活躍した。

 1962年、スウェーデン放送交響楽団の首席指揮者に就任、60年代はここを拠点に北欧各地のオーケストラを指揮している。
 1971年頃から、シュトゥットガルト放送交響楽団に首席客演指揮者として招聘され多数の公演を指揮した。
 1974年、フランス国立管弦楽団の首席指揮者に就任するが、 オーケストラの機構や音楽上の意見の相違を巡って意見が合わずシーズン中に辞任している。
 1979年、 ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者、次いで音楽総監督に就任、この楽団をヨーロッパ有数のアンサンブルに仕上げ、ヨーロッパ各国で多大な支持を獲得した。 殊にブルックナーの演奏は毎回多くの話題を集めた。

 来日は9回果たしている。
 ?1977年10月初来日、読売日本交響楽団を指揮した。 ラベル/マメール・ロワ、 バルトーク/オーケストラのための協奏曲、ベルク/ヴァイオリン協奏曲 (ソロ:ロゴフ)、ブラームス/交響曲第1番で絶賛を博した。
 ?1978年3月も同響を指揮、モーツアルト/ジュピター、ワーグナー/トリスタンとイゾルデより前奏曲と愛の死、 レスピーギ/ ローマの松ほかを指揮した。
 ?1980年4月にはロンドン交響楽団の来日公演にも同行、ブラームス/交響曲第1番 、ムソルグスキー・ラヴェル/ 展覧会の絵ほかを指揮した。
 ?1986年以降 ミュンヘン・フィルと6回来日、ブルックナーの交響曲を頻回に取り上げ評判を呼んだ。
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 私はミュンヘン・フィルとの来日の際、2回エントリーを試みたがチケットを入手できなかった。返す返す残念であった。


9/13(火)晴 中通病院外来、飯川病院ボランティア
 1:30起床。医学論文チェック他データ整理。書籍自炊データ整理、5:00ゴミ出し。6:40バス飯川病院、8:45-12:45中通病院外来混雑なし。14:00-19:00飯川病院、微睡。データ整理多数。読書、散水。19:15ドンキホーテ古書店経由帰宅、弁当で夕食、29:00就寝。歩数計Σ8992歩。

こころと体2022(71) ことばについて(4) 追記:私の乳児の観察は頓挫した

 2013年3月27日長女が里帰り出産した。

 大学卒業してから現役を退くまでの間は実に多忙であった。この間、三人の子供を育てたが、家内の親戚のおばさんと同居して家事や子育ての大部分を担ってもらった。子供たちはおばさんの娘二人、隣に住む家内の姉の息子三人の子供たちに囲まれてすくすくと成長した。そのために成長段階の詳細を観察できなかった。全体的印象は残っているが詳細のほとんど忘れている。
 子供たちの成長に深く関与できなかったことはわれわれ夫婦の心の傷になっている。

 私は小一から高校卒業までの13年間一匹のネコとピッタリと寄り添って暮らしてきた。この間、ネコの成長、行動の発達は素晴らしかったし、全く誰にも教わらなかっただろうが出産、子育てを上手にこなしていた。私はネコの成長についてはいつも驚きの連続であり、その姿から多くを学んだ。

 それが赤ちゃんの成長を観察しようと思いたったきっかけでもある。
 長女の出産は私が現役を退いた後で、時間的に若干の余裕ができていた。時にはミルクを飲ませ、おむつを代え、時にはお風呂に入れながら、赤ちゃんは何という不思議な生き物だろうと感心した。

 私は育児書は読まなかったが、赤ちゃんの知能や言葉の発達関連の本を数冊買い込み観察した。その時の印象を綴ってみたのが本稿である。

 出産育児は女性にとって人生における大変な負荷になる。最近の世論調査では子供は欲しくない、と答える若い女性の意見を見ることがある。手間のかかる赤ちゃんの世話を、もし無しで済ませられるならば、それに越したことはないと考える発想は、われわれ人間に、まったく別の認識世界への目を見開かせてくれる絶好の機会の目をつんでしまうことになる。

 社会に出て働く女性にとって、子どもを持つことは、確かにとてつもないハンディに違いない。身体を疲労させ、時間を拘束する。けれども子育てには、人間としての眼を成長させてくれる潜在的可能性が付与されている。
 私が、私からみて他人である家内のおばさんを家庭に入れることには心理的に大きな抵抗があったが、私自身の仕事、家内の仕事、それに子供たちの育つ環境を重視して妥協した。結果的にはおばさんの生活を含む4項目から見ればとても良かったと思っている。彼女の援助がなければ私の人生のコースは大きく異なったことだろう。ちなみに、そのおばさんは80歳を超え足腰がよわってきたが、今も賄い中心に働いてもらっている。

 最近のジェンダー関連の世相に対して全てを是とすることはできない。
 女性は社会のなかで単に「男性並み」になるのではなく、自らの性の特性を活かして活躍すべきなのではないだろうか。
 赤ちゃんに対して深い関心を持って出産、子育てに臨んだこと、赤ちゃんとのスキンシップの経験が、人間の理解そのほか全方向において大切なのではと、最近感じている。

 私の赤ちゃん観察は4ヶ月ほどで終わることになった。7月上旬娘一家は空路横浜に戻っていった。

 里帰り出産としてやや長めに秋田で過ごしたことになった。
 その理由は長女の出産前日に家内の大腸癌の肺転移が判明し、2013年4月26日第4回目手術として肺切除となった。なるべく長く長女と孫と過ごさせたいと考えたからであった。その時に感じた不安は杞憂となり、家内は今も元気に働いている。私にとっては最高の状況である。

9/12(月) 快晴 健康クリニックドック 飯川病院 
 1:00起床、文献チェック。データ整理、6:40バス飯川病院。新聞チェック、9:00-11:30健康クリニックドック14人+結果判定14人分。11:45飯川病院、微睡ほか、14:00-18:50勤務、15:00入院患者対応、読書他、19:15帰宅、夕食、20:30就寝。歩数5685歩。

こころと体2022(70) ことばについて(3) 大切な口元 幼児へのマスク社会の影響

 COVID-19感染症が流行して以来、私たちはマスク装着が常態化し、公共の場で素顔を見せないのが当たり前になってしまった。

 子供の発達、言語能力獲得のためには顔の表情、とりわけ唇の動きが重要である。赤ちゃんは母親の唇の動きを注視し、そこから状況を判断する。育児中に母親が家でマスクをしているとは考え難いが、研究者は最近の幼児たちは表情が乏しくなり、言語の発達が遅延してる傾向がありそうだと指摘している(明和政子 ラジオ深夜便 2022/07/09)。

 幼児は徐々に情報を得る部位を唇から顔全体に、さらに全身に広げていく。

 このマスク装着社会のあり方を、「匿顔」と呼ぶ研究者もいる。
 「匿名」はもともとネット社会で指摘された言葉だが、COVID-19禍で「匿顔」まで広がってしまった。
 もともと人間にとって「顔」は、コミュニケーション上極めて大きな役割を果たしている。それゆえ表情が見えない相手との意思疎通には、不安が伴う。
 文章だけのやりとりのメールよりは、音声のやり取りする電話が良いし、TV電話などの利用がテレワークの中でも有用である。コミュニケーションは、通常単に言葉のみではなく、表情や身ぶりなどのボディランゲージも含めた総合的なものだからである。

 日本人の私たちにとっては、冬のインフルエンザ流行期や春の花粉症時期などに多数の人がマスクをするのは季節の風物詩だが、諸外国、とりわけ欧米社会では理解されないらしい。

 欧米社会ではマスク装着への抵抗感は大きく、マスクは病気の予防ではなく、病人であることを宣伝している様なもの、なのだそうだ。 感染者数が減少している時期もおとなしくマスクを着けている日本人とは対照的である。鳥取砂丘を一人で歩いている旅行者がマスクをつけている写真を見て私は驚いた。

(2017年10月3日秋田魁新聞より借用。この頃はCOVID-19もなくインフルエンザも流行していなかったが、高校生はマスク着用が当たり前)

 なぜ、欧米社会ではマスクが嫌われるのか??
 要因の一つとして、言葉が違うからと言われている。話す時によりクリアである必要があるが、発音する口元を見ることで理解度が増すらしい。一方、日本人がそれほどマスクを厭わないのは、日本語の母音が多い特性から大人同士のコミュニケーションでは口元を重視しない文化気質があるためと思われる。

 日本人にとってコミュニケーション上で相手の真意やその場の「空気」を読み取るのは、「口元」よりは「目」である。
10月 県内の中学・高校は夏服から冬服へ衣替え


9/11(日)快晴 終日庭仕事 庭木にアメシロ確認 免許証返納2年経過
1:15起床、本読み。午前は草刈り22回目、午前午後とも南側に集中。庭木にアメシロ確認、庭師に駆除依頼。トマトキウリは終了。12:00NHKニュース、のど自慢後微睡、17:00書斎で音楽関連録画視聴。本読み。19:00夕食、20:00就寝。歩数計Σ9401歩。草刈りの割には意外と伸びない。

こころと体2022(69) ことばについて(2) 赤ちゃんはどう言葉を習得するのか

 赤ちゃんは、生後二ヵ月を過ぎたころから、「アー」とか「クー」とか、意味は不明であるものの穏やかで柔らかな声をあげて、身のまわりの大人とコミュニケーションをはかろうとする。
 満一歳を迎えたころから、大人が意味を理解しうることばを発しはじめる。勿論、その後直ちに子どもがことばのみを発するようになるわけではない。先の原始的な声も併用される。

 その後、脳の成長とともに、子どもはことばに依存するコミュニケーションの範囲を急速に広めていく。

 この変化は、どのように進行していくのだろうか。とりわけ、子どもがはじめてことばを話しはじめるまでの一年間に、何が起こっているのだろうか。

 動物はふつう、種に固有の伝達体系を体得していく。
 例えば、赤ちゃんのそばにイヌやネコがいつも寄り添っていてもイヌやネコの鳴き声を真似しない。
 ヒトは言語を恣意的に選択して習得するわけではないだろうが、ヒトには言語獲得のために設定された、成長に伴って機能するプログラム、聴覚、視覚、触覚を介した能力取得が遺伝的に組み込まれていることは、疑いない。

 即断はできないが、 ヒトの赤ちゃんは、胎児の時期にすでに母親の声を覚えるトレーニングを積んでいるらしい。その学習は赤ちゃんがこの世に生を受けたのちから発揮される (正高信男:0歳児が言葉を獲得するとき 中公新書)。

 赤ちゃんが声を発する時にはコニュニケーションを求めている時である。だから発語した機会を逃してはならない。声をかけ、見つめ合い、マッサージをする、柔らかに揺らすなどで反応してあげるべき。

 積極的に声を出すようになった赤ちゃんは、一日の大半をミルクを飲んだり眠ったりして過ごす。赤ちゃんの聴覚は早くから機能していることは、外界の音で睡眠から容易に覚醒することから理解は可能である。

 赤ちゃんは母乳を飲みながらじっと母親を見る表情はとてもかわいい。生後半年頃から赤ちゃんの視線は母親のくちびるに注目する様になる。視覚が発達し始めたからである。母親の唇の動きはこの時期重要である。

 赤ちゃんは自分のくちびるでもコミュニケーションしている。乳首をくわえることは、母と子の基本的なきずなを築くスタートなのだといえる。
 母乳を飲む行為は数10秒ごとに短時間の休息をとるが、その時は何かを求めているような良い表情をする。お乳を飲む動作に変化をつけることで、新生児は母親に自己表現の何かを伝えようとしているのだろう。この機会を有効に活かしたい。

 母親の声かけは赤ちゃんの心と言葉の発達の鍵を握っている、と言えよう。
 母子関係で重要な時期と言える。


9/10(土)快晴 千秋花火大会 飯川病院日直 
1:30起床。蓄積資料整理。概ねいつもの如し。8:20回診に行く家内に同乗、久保田新橋、千秋公園経由で飯川病院。双方のコイとも食欲旺盛。9:00-19:00日直業務。入院患者は安定。12:00検食、微睡、読書、データ整理など。16:30千秋花火、散水しながら若干見る。一昨年、昨年は中止になっていた。19:30帰宅、夕食、20:30就寝、歩数計Σ5017歩。

こころと体2022(68) ことばについて(1) はじめに 言葉の起源は求愛の歌??
 私どもは日常的に言葉を駆使して生活している。会話、読書、手紙、メールなどなど、ビジネスの場面でも私的なコミュニケーションの場面でも言葉から離れることはほとんどできない。

 しかし、言葉が及ぼす影響はとても広い。心に安息をもたらす言葉もあれば、人を傷つけ、心に障害を与え、時には人を死に追いやるほどの影響力があることもある。

 私は、できればこの言葉の力をよい形で使い、人間関係をうまくこなしたいと願っている。これは誰でも同じだろう。特にビジネスの場では一層重要だろう。しかしながら、言葉について十分考察してきたとは言えない。日常的に「???」と思いながら、私もそう深くは考えてこなかった。

 言葉は発する側とそれを受け取る側の双方の立場の関係から意味が全く異なることすらある。一見心地よいはずの甘い「愛語」と言われるような言葉ですら、使い方によっては相手を深く傷つけたり、自分の印象を悪くしたりすることもある。

 言葉を有効に用いるには私どもは何を心がけ、どこに気をつければよいのだろう。あまりにも日常的に用いているだけに意外と難しい問題である。

 私の言葉に対する姿勢は「言葉はいかに慎重に選んでも、不十分にしか自分を表現できない」、ということである。要するに言葉には「自ずから限界がある」、と考えている。だから会話が怖い。つい逡巡してしまう。
 特に、文書で伝えるときの限界は大きい。拙い文章力をカバーするのが対面での会話であるが、それとて難しい。

 もう一度基本に戻って、「言葉って何? 私は、私どもは日々、どんな言葉をどうやって使っているだろう」と考えてみるのは、悪いことではないはずだ。

 ところで言葉はどういう歴史を辿ったのか??
 今使っているような言葉が突然出現したわけではない。詳細はわからないが、鳥と同じように求愛の時の歌が起源であると考えられている。歌をうたって求愛する動物はいろいろいる。人間の祖先もおそらくはそんな動物だった、と考えられる。
 人間はいろんな事情があって脳が大きくなり、徐々に知能が発達した。置かれている状況に応じて、空腹の表現などいろいろな歌をうたえるようになった。
 そして、いろいろな歌といろいろな状況を結びつけて意思を伝達できるようになった、と考えられる。
 更に、人間の素晴らしさは得られた能力を蓄積し、かつ、他人からも学習し、それを個人のものとして止めるのではなく、次の世代に伝達できたことである。長い間かかったであろうが、意志の伝達方法として、言葉として確立していったのだろう。各文化圏に毎に特有の言語が発達した、と考えたい。

 人間社会の中で音楽は古くから芸術の一分野として確立した。
 私はなんで音楽を好むのかわからなかったが、言葉の起源まで遡ってみると納得できるような気がする。

9/9(金)快晴 大曲中通外来 飯川病院ボランティア 
 2:00起床、新聞・文献他、本読み。書籍自炊化。5:10可燃ゴミ3袋提出。ナスの収穫、7:35Taxi秋田駅東口、8:11こまち、往路徒歩。9:15大曲中通病院、書店訪問、15:30長崎屋経由。古書店で取り寄せ分10冊購入、タクシー飯川病院、ボランティア。19:15帰宅、夕食、20:30就寝。歩数計11086歩。

安倍元首相狙撃され死去(11) 国葬(5) 全て後付けの理由説明(2)


 各種世論調査で反対意見が賛成意見を上回る傾向が表れ、いまや国葬実施の賛否は国民を二分している。
 岸田首相は国民の考え方を読み見誤った。

 各種調査による反対意見は、最近では半数を超えている。以下が主な理由とされている。

○実施の法的根拠の曖昧さ、
○費用の国費負担、
○弔意強制の懸念など,

 首相は行政権の範囲内で国葬を実施できると主張。法的根拠として内閣府設置法などを挙げた。しかし、国葬であれば国会に諮って野党の意向も問うべき。法的に可能であるかは私はわからないが、こんな決め方なら自民党葬のレベルまでである。

 国葬の会場設営費など約2.5億円に予備費を充てたのは疑問であった。できるだけ安く発表したかっただけで、本来の形と言えない。その後、総額試算として16億円ほどを挙げたが、これとて根拠が乏しい。教団に倒れた元首相の国葬の外国要人の警備内容はどう変わったのか?問われることになろう。私は、一つ一つの根拠はないが、総額30億円に達するのではないか?
 やると決めたらケチることなく費用を捻出すべき。ケチるならやるべきではない。事後の報告が楽しみである。

 国葬で弔意が強いられる懸念が論じられている。弔意については「強制しない」とした。これもおかしい。国葬であれば国民に対し、政府機関に対し、弔意表明を求めるべきである。弔意表明の方法は国民一人一人に任せるべきとしても、である。

 この方針から見ても、全て後付けの理由で国葬の体裁を何とかして整えようとしているのが見え見えである。弱腰政府主催の国民から遊離した名前だけの国葬であることが明白である。
 不可能であろうが自民党葬への変更が望ましい。

 国葬に関する閉会中審査では野党の追及も弱腰であった。同じ言葉の繰り返しの首相答弁からは「なぜ国葬なのか」という疑問への答えは見えず、説得力を欠いていたが、これに対する野党側の切り込みも弱かった。

 「なぜ国葬でなければならないのか」について私はいまだに分からない。



9/8(木)晴れ 午後飯川病院 
1:00起床。文献検索、微睡など、書籍自炊準備多数、座学。11:50バス飯川病院。14:00勤務、入院患者対応。19:30帰宅、夕食、20:50就寝。歩数Σ6165歩。

安倍元首相狙撃され死去(10) 国葬(4) 全て後付けの理由説明
 岸田首相はすぐに国葬を決めたが、決断が早すぎた。
 おそらく、偉大な政治家の不慮の死を悼む気持ちが発想のスタートであっただろう。この点は評価したいが、勇み足と言わざるを得ない。

 9月7日午後、今月27日に実施の安倍元首相の国葬に関する閉会中審査が国会で行われ、岸田首相が決定の経緯や意義を国会の場で初めて説明した。時間的には十分とは言えなかった。NHKラジオで中継があり、私はそれを聞いた。

 首相はこれまでと同じ説明を繰り返しただけ。国民が抱く疑問解消に役立ったとは言い難い。

 岸田首相は安倍氏が亡くなって6日後の7月14日に国葬の実施を表明。その理由について、以下の4点を挙げていた。
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○「在任期間の長さ」、
○「震災復興、経済再生などの功績」、
○「選挙中の蛮行による死去」、
○「国際的な評価」
 
 私は安倍元総理が長期間重責を担い身体的ストレスに耐えたことは評価するが、それ以上の実効が得られたから続けられた。全て本人の希望と氏が抱える権力機構に依った。
 総理としての業績は評価すべき点は多いがネガティブな点もあった。長期政権であればこそ、の腰の座った政策が進められていたとは思い難い。

 民主主義の根幹である「選挙運動中の蛮行による死去」に関しては、それ以前に、問題のある団体との異様と思える結びつきで民主主義の根幹を汚し続けてきたことこそが問われるべき。選挙演説中の襲撃で倒れたのはその結果で、警備の問題もあった。教会と自民党との関係は濃厚である。党の姿勢として関係を絶たねば、汚れた党としていつまでも尾を引く。

 「国際的な評価」に関しては、各国の首長との直接対話の実績は結果として何をもたらしたかは評価し難いが、外交重視は大きな実績の一つであろう。1700件以上の弔意メッセージ、260もの国・地域からの葬儀参列の申し出があったとされるがこれは国葬の判断には関係がない。
 国葬の判断に大事なのは主権者である国民がどう考えるかが大事。

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 上記の理由が私が国葬に賛同できない理由である。


9/7(水)晴れ ダリア風被害修復  飯川病院 COVID-19ワクチン担当
1:20起床。主として座学、途中微睡。午前ダリア風被害修復、11:50バス飯川病院。文献検索、画像データ整理、14:00-15:30 COVID-19ワクチン担当。対象者30名と多い。本読み他。新聞チェック入力ほか。19:30帰宅夕食、20:30就寝。歩数計Σ8843歩。

安倍元首相狙撃され死去(9) 国葬(3)
 この偉大な政治家の狙撃による不慮の死は悼んでも悼み切れないが、政治家としての死の意味づけは難しく、統一教会との濃密な関連がわかるにつれ「???」状態になってしまった。

 岸田首相はすぐに国葬を決めたが、決断が早すぎた気がする。
 内閣府設置法を根拠として、閣議決定により9月27日に日本武道館で国葬が営まれることとなった。国葬は戦後二人目である。葬儀委員長は現総理が、副委員長は松野内閣官房長官が務める。

 おそらく偉大な政治家の不慮の死を悼む気持ちのからの発想であっただろう。加えて、自身の政治姿勢の評価にも間接的に、寄与するだろうと思ったのであろう。
 国会での審議も経ずにあれよあれよと決まってしまった。
 こんな短時間に決められるものなのだろうか??

 日本人は不慮の死などに対しては大きく同情する傾向がある。大平総理の病死、小渕総理の病死の後の選挙は弔い選挙の様相を示し自民にとって順風となったことが首相の頭をよぎったのであろう。
 しかし、首相は国民の考えを読み間違った。国葬の決定直後から国葬がこれほど問題化し、自身の支持率にも影響するなどとまでは考えが及ばなかったであろう。

 安倍氏は長期政権を担ったが、任期の後半には権力行使が顕著となった。

 安倍氏は既に我が国における最高の従一位(じゅいちい)を与えられている。戦後4人目である。私はそれと自民党葬レベルでいいと思った。国葬として意味づけることによって、絶対に許し難い凶行とその背景をも共に神格化してしまう。

 集票によって立場が大きく変わる政治家に「品行方正」を期待してはならない。私は民主主義下の政治とはそんなものだと思っているし、政治家とはそんなものだと思っている。

  実社会は「品行方正」だけで成り立たっていない。
 東京五輪の疑惑など目を背けたくなるが、背けてはならない。
 政治家にとって、タテマエは表の顔、裏にホンネを隠している。それが立派な政治家の条件なのだ。だから、政治家は清濁の複数の顔をもち、TPOで使い分ける。政治家に「本心」の吐露を期待してはならない。

 私のこの考えが間違っているならば関係者の方々には謝りたいと思う。
 それでも私は政治に期待している。他の方法がないからである。だから、政治は参加と監視が必要である。

 国葬は、安倍氏がおこなってきた政治への批判を封じ、自由な言論を損なうほどの影響力がある。安倍氏の死を政治的に拡張的に捉えてはならない。政策や疑惑について検証する機会も失われよう。

9/6(火)雲ひとつない快晴 昼頃から強風  中通病院外来 飯川病院ボランティア 
1:30飯川病院起床、医学文献・新聞読みほか。徒然記載。当直で朝の可燃ゴミ廃棄提出できず。8:45-12:00外来。患者多くはなかったが疲弊。12:10飯川病院。昼頃から急に強風に、ダリア心配なるも手遅れか。検食、微睡。入院患者対応なし、微睡、新聞スクラップ入力、19:10帰宅・夕食、20:30就寝。歩数計Σ6579歩。書籍電子化。

季節の話題2022(25) 台風11号で我が家のダリアに被害が出た
 ノロノロと移動し、南シナ海で大型化した台風11号は韓国に上陸、その後速度を上げて日本海の中央部を北上した。
 台風は日本には直接上陸はしなかったが、接近に伴って、九州や西日本の一部の地域では強風による被害、交通機関にも影響が出た。
 携帯電話がつながらない、物流にも影響し遅延、福岡で街路樹が折れて道路ふさぎ、空の便は九州を発着する便など124便欠航、九州で計約3万5600戸が停電などが生じた、と伝えられている。

 秋田県に6日昼過ぎに最接近し、昼頃から夕方にかけて強風をもたらした。
 秋田地方気象台によると、6日の各地の最大瞬間風速は、秋田市22.2m。人的被害の報告はないようであるが、建物被害は、県と秋田市消防本部によると建物被害は秋田市で13件、横手市で2件。強風で屋根が剥離したり看板が落下したりする被害があった。
 台風11号は、6日午後9時に北海道沖で温帯低気圧に変わった。
 
 6日午前、外来終了頃から秋田市内は、急に風が強まった。
 我が家のダリアが危ないと思って焦った。支柱追加と紐で簀巻きにすべきであったが、業務上帰宅出来なかった。19:15帰宅、その時点で風はかなり治まっていたが、ダリア5-6本は折れ曲がり、いくつかの茎は既に折れていた。それでも病院で予想していたよりは被害は軽いようだった。

 ダリア以外に被害はなく、修復は明朝とした。

 九州、山陰地方の被害、県内の果物農家などの被害を考えると、私のダリアの被害など取るに足らない程度ではあったが、心配の気持ちは共有出来たと思う。

 今回の台風11号は南シナ海で発生しゆっくり移動しながら発達した。予測されたコースでは日本海を北上するとされていたし、速度から見て秋田に影響するのは7日以降と読んでいた。私のスケジュールは3日が日直、4日が日当直、5日が当直と続き、当直明けの6日は業務で帰宅できなかった。読みも甘かった。
 運も悪かった。COVID-19関連で大学からの当直医が来院できず、5日は急遽私が代行した。
 
 日本海に抜けてからは速度を急速に増し、風もあれよあれよと言ううちに高まり、私の予測は外れてしまった。

 多少の被害は出たが、病院で予想していたよりは軽く済んだ。

(折れたダリア)

 それにしてもダリアは弱い。何しろ二ケ月ほどで私の背丈に近くまで伸びるのだから茎は太いわりには中空で脆い。美しいが、自立出来ないほど大型の花を付ける。改良に改良が重ねられ、自然には無い不自然な花になってしまった。栽培するときには手がかかる。

9/5(月)快晴 健康クリニックドック 午後飯川病院 夜は飯川病院当直
 2:00飯川病院起床。新聞・文献入力、データ整理。9:00-11:00健康クリニックドック14人+結果判定12人分。11:15飯川病院、検食後微睡ほか、新聞入力、14:00-18:50勤務、入院患者対応。許可得て外出、千秋公園ハトとコイに給餌。バス長崎屋へ、古書店10冊ほど購入。バスにて帰院。17:00当直業務に、18:00検食、20:30就寝。歩数8098歩。書籍自炊など。先週から飯川病院ではCOVID-19のクラスターが発生、患者二人、職員数人罹患。そのため大学からの派遣生きたらず、急遽当直に。

季節の話題2022(24) 温暖化と異常気象 関連がやっとはっきりしてきた
 ○2018年9月4日の台風21号の威力はすさまじかった。 関西空港を冠水させ、大阪の街を破壊して日本海へ抜けた。
 ○同年7月初旬には西日本豪雨が起きた。 西日本各地の短期の雨量記録をことごとく塗り替えた。広島での土砂崩れや岡山県倉敷市の真備町での浸水などによる死者・行方不明者は約230人。
 ○同年は夏を通じて全国で猛暑日が続いた。
 ○同年7月23日に埼玉県熊谷市で観測された41.1度が日本最高の記録である。
 ○2018年はまさに、猛烈な台風襲来、豪雨被害、長期間の熱波・・・、「トリプル異常気象」の夏だった。

 日本はいつの間にか「何10年に一度」の極端なことが、たやすく起きる国になった。こうなると、気象災害への従来の考えを変える必要が出てくる。

 熱波は死を招く。最近、TVの天気予報は「命に関わる暑さ」、「エアコンの積極利用を」と繰り返す。

 産業革命以降、世界の平均気温は1度上昇している。 「普通の異常気象」 が 「記録的な異常気象」になっている。 頻度も上がる。100年に一度の大雨の確率が、温暖化が進む中で50年に一度、30年に一度と高まっていく。
 2020年のロシア・シベリアを襲った熱波や2021年の日本の猛暑・・・など、異常気象が起きる度に研究者は説明に困っていた。

 ここまで来れば、誰でも「猛暑や豪雨は地球温暖化のせい」、「地球が温暖化しているから、異常気象が増えている」、「異常気象と温暖化には因果関係がある」、などと思う。しかし、気象専門家は「それぞれの異常気象の原因が温暖化だとは言い切れない」と最近まで温暖化と異常気象の関連について歯切れが悪かった。科学的根拠がなかったからである。

 しかし、歯切れが悪いと非難するのは見当違いだ。 猛暑や豪雨など個々の異常気象と温暖化の関係は、「わからない・・・」、と返答するしかなかった。本当にわからなかったのだ。

 ところが最近、異常気象と温暖化の関係をコンピューターで読み解く手法が実を結びつつある。新手法は「イベント・アトリビューション法」と呼ぶ。
 自然は気まぐれだ。気温ひとつとっても、温暖化か否か判断できないほど、データがばらついている。 ばらつきを膨大な回数の計算で封じ込めるのが新手法だ。計算を繰り返し、気温のゆらぎが山のような曲線のグラフに落ち着けば、一定の傾向が見えてくる。

 コンピューターで「温暖化がある地球」と「温暖化がない架空の地球」双方を再現した。その結果、温暖化と異常気象間に有意の関連性を示す結果が出た。我が国の気象研究者が学会に報告、以後、世界の研究者も一斉に声を上げ始めた。

 「温暖化ガス」は「増えなかった」とし、「海水温の上昇」は「無かったこと」にするなど、温暖化とおぼしき要因を引き去った地球の振る舞いを計算する。 「クールな地球」のグラフが「どれだけゆがんだか」をみて、個々の異常気象のリスクを温暖化がどれだけ押し上げたのかを推し量った。やっとはっきりしてきた。

 この新手法で新事実が明らかになった。

 しかしながら、自然は複雑である。観測データとの照合や計算結果の検証は今後も続けなければならない。


9/4(日)曇りのち晴れ 飯川病院日当直 外来レセプトチェック
 1:00起床、本読み、録音データ整理ほかいつもの如し。読書進める。8:30回診に行く家内に同乗飯川病院、千秋公園コイとハトに餌。8:45飯川病院午前日当直に。入院患者は落ち着いている。12:00検食、実にあっさり。データ整理、読書三昧、微睡も。新聞データ化多数。15:00外来レセプトチェック。18:00検食。20:00就寝。歩数計3404歩。運動不足が辛い。

季節の話題2022(23)  「源氏物語」に見る紫式部の気象への関心度の高さ
「いづれの御時にか、女御、更衣あまた候ひ給ひける中に、いとやむごとなききはにはあらぬが、すぐれて時めき給ふありけり」。

 これは「源氏物語」の冒頭。
 私がはじめて「源氏物語」を知ったのは、中学二年生の頃であった。子供文学全集にさっと触れられていた。そのあと高校の「古典」の時間に、断片的な授業を受けた。はっきりいって、「源氏物語」の印象は薄かった。鴨長明の「方丈記」などの方が生活感があってよかった。

 その理由は、その当時、男と女の永遠に変らぬ愛と哀しみなどは全くわからなかったのも一因。学校で教わる 「源氏物語」は一部で話の筋もよくわからぬまま終った。いかに名作といえども、一部分だけ途切れ途切れに読まされるのでは、興味が削がれるのはやむをえない。
 さらにいえば、光源氏を中心にした雅びな恋の話など、腕白ざかりの中学や高校生には女々し過ぎた。

 「源氏物語」にまともに興味を感じたのは30代以降だったような気がする。与謝野晶子の現代語訳であったが面白いとは言えなかった。

 ところで、作者の紫式部が、 さまざまな気象現象を物語の中で効果的に使っていることを指摘している方がいる。
 石井和子著「平安の気象予報士・紫式部」講談社α文庫2008年、を読むと、「源氏物語」のなか種々の場面で気象現象が有効に使われていると言う。 著者は、フリーのアナウンサーで気象予報士の資格を持っている方である。

 時雨、雪、 あらし……。場面ごとの天気は、情景とともに、光源氏や源氏を取り巻く女性たちの複雑なこころのなかを映し出し、また源氏の転機にはダイナミックな気象現象が用意され、物語が展開してゆく。読むほどに紫式部の鋭い「気象観察のセンス」に感心させられる。

 日本には、明治の気象観測開始以前の気温変動を表わす直接の資料がない。 平安時代の気象となると、断片的な資料を何とか寄せ集めて推理する以外に方法がない、らしい。

  紫式部が物語の中に描いた気象現象はどれをとっても正確で無駄がなく、気象予報士の立場で見るとその時々の天気図まで彷彿とさせる、と言う。

 「源氏物語」の中から推定できる気象現象を著者はいくつか挙げている。
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○光源氏を囲んで五月雨どきのいわゆる「雨夜の品定め」は、梅雨明け前夜であった。
○源氏と朧月夜の君との不倫発覚のカギを握ったのは、梅雨末期・明け方の大雷雨であった。
○「野分の帖」に出てくる台風は、 大木の枝が折れたり、家々の瓦が飛んだりする描写から、京都は少なくとも風速25m以上の暴風域に入っていたと考えられる。
○朧月夜の君との不倫発覚事件のもととなった夜明けの大雨については、最近「大雨は夜半に起こりやすい」という研究が学会で発表されたが、紫式部はすでにそのことを知っていたのではないか。
○源氏は朧月夜の君との事件がもとで須磨に退去するが、ここで大雨や雷による悪天が12日間も続く嵐に遭遇した。今で言う「寒冷渦」と言われる現象に近い。
 気象学ではまだ新しい「寒冷渦」であるが、紫式部が千年も前に物語の中に取り入れていることに驚くしかない。
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 紫式部には「平安の気象予報士」の称号を与えていいのではないか、と思われる。


9/3(土)晴れ時々降雨 飯川病院午前日直 
1:40起床。いつもと同じ。小説、録音データ整理。朝方ネコと共に微睡。8:30回診に行く家内に同乗飯川病院、8:45-12:30飯川病院午前日直。その後も帰らず院内で過ごす。読書三昧。微睡三昧。18:45帰宅、夕食。20:30就寝。歩数計4468歩。

季節の話題2022(22)  線状降水帯(2) 島国日本では予測困難

 2021年7月、熊本県南部に東西約280Kmにわたって積乱雲が次から次へと発生し、2時間で約500mmという激しい豪雨をもたらした。積乱雲が連なった線状降水帯は、約13時間にわたって上空に停滞。球磨川が氾濫し、特別養護老人ホームの入所者ら60人以上が犠牲になった。

 この線状降水帯は近年で最大規模だった。
 気象衛星ひまわり8号からも、発達した積乱雲がくっきりと撮影された。

 だが、気象庁は半日前の予報でも線状降水帯発生の危険性を広く伝えることができなかった。

 気象研究者は、線状降水帯発生を事前に予測することは「極めて難しい」と言う。 なぜか。

 (1)線状降水帯は、古くて新しい気象現象。 以前から集中豪雨をもたらすことが知られていたが、レーダーが発達して雨粒の動きも捉えられるようになるまでは、発生をリアルタイムに把握することも難しかった。
 線状降水帯は数10-数100Kmにわたるとはいえ、一つひとつの積乱雲は大きさが10-20Kmしかなく、直径1.000Kmにもなる台風と比べると気象現象としての規模は極めて小さい。 寿命も数時間と短い。
 今のところ、日本では動きも把握しにくい。にもかかわらず、時に台風以上の雨をもたらす。

 (2)予測が難しい理由のもう一つが、予測に欠かせない水蒸気量のデータが得られない点。線状降水帯をつくる積乱雲は、空気中の水蒸気量が多いほど発達しやすいと考えられている。しかし、海に囲まれた日本では、 積乱雲発生の数時間前の大気はほとんどが海の上にある。水蒸気量を計測できる観測点は離島に若干あるくらいで手薄。気象衛星では低空の水蒸気量は精密に計測できず、別のデータから推定するためどうしても精度が低くなる。

 (3)スーパーコンピューターによる予測も難しい。日本が誇るスーパーコンピューターの一つ「京」や「富岳」をもってしても詳細な予想を弾き出すのに2時間もかかる、という。だから、予測計算中に降水被害が発生してしまう。現在、事前データの計算法を変えてより短時間で結果が出るよう計算法を変えているという。費用も莫大である。ちなみに「京」全体を1時間使用すると約120万円、「京」全体をまる1日使用2800万円だという。

 気象研究者は、線状降水帯の発生予想を1時間でも短縮できれば、命を守る時間を確保できる、と研究に勤しんでいる、と言う。

 われわれ一般人としては日常からハザードマップなどを頭に入れておき、命を守る行動に結びつけることが肝要なようだ。

9/2(金)曇りのち快晴 大曲中通外来 飯川病院ボランティア 
 1:30起床、文献他、本読み。徒然。7:35Taxi秋田駅に、8:11こまち、大曲市内往復測定痛Taxi、9:10大曲中通病院。書店訪問、15:00千秋公園でハトコイに餌。飯川病院ボランティア。新聞チェック。微睡。19:30帰宅、夕食、20:30就寝。歩数計8338歩。

季節の話題2022(21) へちま 大型台風接近中 線状降水帯(1) 
 窓際に植えられた糸瓜(へちま)はグリーンカーテンとして日除けにもなる植物である。丈夫な繊維が多く垢すりやたわしにもなる。また、へちま水は化粧水としても珍重されていた。

 糸瓜を読んだ俳句:吾が生はへちまのつるの行き処 柳原極堂

 (自分の人生はへちまのつるのように細く長く、行く処まで伸びたよな!! 極堂は青年期を正岡子規とともに過ごし、晩年には子規研究と顕彰に取り組んだ。上記の句は極堂の辞世の句)。

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 9月になった。台風が来る季節となった。現在、南シナ海で台風11号が発生し、大型化しながら我が国へ接近しつつある。ちょっと心配である。

 最近、気象のニュースで大雨に関する情報として「線状降水帯」の発生という言葉をよく聞く。
 線状降水帯は、18年7月の西日本豪雨や20年7月の熊本県の豪雨で次々に発生して一気に知られるようになった。積乱雲が風に流されたり、複数の積乱雲が横並びに並んだりした結果、同じ場所に大雨が長時間降り続く気象現象。

 最近は毎年起きている。最近だけの現象ではなく線状降水帯を衛星やレーダーで観察できるようになったからである。7月の梅雨期に多いが、茨城県で鬼怒川があふれた2015年9月の豪雨など、梅雨以外にも各地で起きている。

 夏空に大きく目立つ、もくもくと大きい入道雲は積乱雲とも呼ばれ、大雨のもとになる水蒸気が集まってできている。積乱雲は一つでも激しい土砂降りになるが、風向きなどによっては何個も発生し、 風に流されて同じ場所を次々と通ることがある。これが線状降水帯である。何時間も大雨が降り続き、川があふれたり土砂崩れが起きたりする。

 線状降水帯はなぜ最近頻回に使われるようになったのか?
 昔から集中豪雨の降る地域が帯のように線上に延びていることは知られていた。近年、雨粒の動きをレーダーでとらえられるようになり、線状降水帯の発生が、その最中や直後に分かるようになった。2022年6月からは、気象庁が「顕著な大雨に関する情報」として線状降水帯が発生した場合に発表するようになった。

 線状降水帯は、レーダーにて観察はできるが、風向きなどが少し変われば発生する場所や時間は変わるから、今の気象科学のレベルではまだ予測は難しい。

 予測発表が出たらすぐに避難する必要があるが、発表時点では既に大雨が長く降っていることが多く、予めハザードマップなどで避難について情報や周囲の状況を確かめ、命を守る行動をとることが必要。

 最近は気象が目まぐるしく、かつ激しく変化する。激甚化である。やはり温暖化が関連しているのであろう。
9/1(木)終日降雨 飯川病院午後勤務 
1:00起床,医学文献他読書、徒然。午前座学中心。11:50バス、飯川病院に。微睡など、14:00飯川病院午後勤務、入院・外来患者対応なし。座学読書三昧、19:15帰宅、夕食、20;30就寝。歩数計6005歩。

こころと体2022(67) 自己肯定感(10) 演歌歌手「氷川きよし」に見る自己肯定感
 私は歌謡曲が好き。氷川きよし(敬称略)の歌も好きでよく聴く。
 初期の作品よりも、2012年の「櫻」、2020年の「母」の熱唱が特に素晴らしい。また、2019年12月31日ラジオ深夜便の特集「母を語る」に出演した時、彼の子供時代のこと、一人っ子で母とべったりの甘えん坊だったことなど話された。母について話している間に感極まって涙声になったことで、私にとって印象深く忘れられないインタビューであった。
 また、幼少の時は自信を持てない引っ込み思案の子供で、人とのコミュニケーションなどは不得意であったらしい。一部は私の幼少期の姿ともよく似ており、それ以降、私は氷川きよしに親しみを感じ、注目してきた。

 紆余曲折を経たが、2000年に演歌歌手としてデビュー、デビュー曲がいきなり100万枚のセールスを記録し、男性演歌歌手として揺るぎない地位を築いた。当時、演歌は全体に下火となっていた時期でありながら、中高老年の女性から絶大な人気を得ていた。家族構造も変化し、女性達は寂しさを感じていたのだろう。男っぽい姿形の中に息子や孫達を重ね合わせ、好まれたのであろう。
 それとは別に彼の歌はじっくり聞くと声もよし、歌唱力もあり、なかなかいい。

 彼はデビュー20年を迎えた際、メディアの取材に以下のように答えている。
 「デビュー20年で歌手として成人を迎えたような気がします。今までは本当の自分を出さないようにしてきましたが、これからは・・・」と、含みを持たせるコメントで答えた。もともとその傾向は垣間見られていたようであるが、これ以降、氷川きよしはジェンダーレス(?)であることが決定的になったことでメディアで新たな話題を呼んだ。

 要するに、20年間本来の自分を隠して「男 氷川きよし」を演じてきていたのだ、という。「男らしさ強いられ、自殺も考えたこともある・・」とも述べている(デイリー新潮)。

 今後は、抑圧してきた自分を開放して、ありのままの姿で仕事を続けていく、演歌歌手としての路線変更ではなく、本来の自分の姿で仕事を続けていく、という宣言であった。
 彼のジェンダーがどんなタイプに当てはまるのかは私にはわからないが、彼ほどの人気歌手が自分の性までを曝け出したということは特筆すべきことである。

 何でこのブログ、「こころと体」の項目で演歌歌手「氷川きよし」の姿を引き合いに出したかというと、彼の中の自己肯定感に大きな揺らぎを感じ取っていたからである。
 ここからは推論であるが、人気絶頂ながら彼の外向きの自己肯定感は「自分を偽っていた」ことから、決して満足できるものではなかった、と考えられる。とても辛かったのであろう。

 これからは生き方を変える、という。今後は納得できる仕事を通じて内向きの自己肯定感も増していくだろう。 

8/31(水)早朝から降雨終日 午後飯川病院  
1:20起床、文献検討、データ整理。書斎隣の作業室整理、不要物廃棄。降雨の合間をぬって12:12バス飯川病院、微睡。14:00-15:30勤務。COVID-19ワクチン接種は中止となる。病棟患者対応なし。読書と書籍データ化進める。新聞入力。微睡若干、座学、散水。19:30帰宅、夕食、21:00就寝。歩数計7603歩。

こころと体2022(66) 自己肯定感(9) 外向き自己肯定感と内向き自己肯定感(2)
 私の自己肯定感はひどく低い。だから、「必死に周囲に合わせて」生きて来た。単語として並べてみると「イエスマン」、「八方美人」などなどの人間像に合致する。この言葉は本来大嫌いな言葉なのだが、人嫌いの私自身の処世術の一つ、として身につけた。

 私は真面目に生きてきた。 必死に努力してきた。 結果として、社会的に見れば「日の当たるコース」を歩んできた、と評価すべきだろう。その立場だったから経験できたことも多いし学んだことも多い。それなのに人生の満足感はとても低い。
 喜寿を迎えるまで生きた現時点で振り返ってみて、「三人の子を育てたこと以外に意味のある足跡は何もない・・・」、と思っている。私は自己を誇るものは何もない。そう考えるのは私の自己肯定感が低いから、と思う。

 一方では、私は個人的には自己満足のレベルでしかないが、ほぼ満足できる良き人生を歩んできた。

 (1)だから、私の場合の自己肯定感は、外的なものと内的なものに分けて考えれば良いと思う。

 (2)私が言う「外向き自己肯定感」は社会的な肯定感、「内むき自己肯定感」は全く自分一人の個人的な問題である。

 (3)「外向き自己肯定感」は、友人関係の付き合いと、医療や病院管理、医師会などの仕事上での問題に分ければいい。
 前者に関しては人との付き合いを中心に考えると、本当に自分をあまり主張することなく、人を傷つけることなくソフトに生きてきた。だから私には「知人はいるが友人はいない」。多分、他人から見て「毒にも足しにもならない、影の薄い、人がいい、都合のいい」人間だったのであろう。

 「日の当たるコース」については、大きな誤りを経ずに過ごし得たが、自分で評価すべき実績は残さなかった。今更ながら、その地位を占めていたことを恥ずかしく、罪深いことと考えている。だから、それを恥じて今は「準引きこもり状態」で過ごしている。私はよき社会人では必ずしも無かった。

 (4)一方、「内ち向き自己肯定感」は全くパーソナルな問題である。この部分に関しては確個たる自己肯定感があった、と考えている。「内ち向き自己肯定感」の面から考えれば、「継続は力なり」の格言に沿って生き、いい人生であった。スケールは小さいがやりたいことは大抵やってみた。この徒然日記、福田の雑記帳はその一例である。乏しい「外向き自己肯定感」を十分補完して生きる力をもらった、と考えている。

 要するに、自分の世界の範囲だけでは自己を心置きなく発揮できていたし、そのことが拠り所となって楽しく生きられた、と思う。今も「準引きこもり状態」に自分を置きながら、この内向き自己肯定感を満足させながらチマチマと生きている。

8/30(火)早朝降雨 曇りのち快晴、時に降雨 外来 飯川病院ボランティア 
1:30 起床、医学文献・新聞ほか。5:15可燃ゴミ提出、バス予定なるも間に合わず。家内に同乗、8:00飯川病院着、COVID-19抗原検査陰性。新聞切り抜き。8:45-12:30外来、13;00飯川病院、微睡、14:00-19:10ボランティア。座学中心。19:30帰宅、夕食、20:30就寝。歩数7347歩。書籍自炊化数冊。
こころと体2022(65) 自己肯定感(8) 思春期の自立を支える自己肯定感
 生後間も無くの赤ちゃんは、親から引き継いだ個々の性格の素地は備わっているが、画材で言えば白いキャンバスの様なもの。毎日のコミュニケーションを通じて徐々に色が塗られていく。その頃に塗られた色が将来の基礎になる。赤ちゃんは脳や心の発達進化から言えば「白ちゃん」と呼んでいい。
 脳機能の発達進化は、従来から言われていたよりもずっと長い時間が必要で、人間の場合約25年かかる、という。【人の発達の謎を解く(明和 政子京都大学教授 ):ちくま新書】。

 自己肯定感は乳幼児期に求めた甘えをしっかりと受けとめられ、この世界が温かく安心できる世界であるという信頼感を獲得していく過程とも言いうる。それを育てるために、「共感的な他者」の存在が大事である。それが親であり、家族である。子供は共感してくれる他者との交わりの中で、「自分を受容し、 自分を信頼する心」を育ていく。この心に住みついた 「共感的な他者」を真似ながら、子どもは「自分がこれで大丈夫なのだ」という心を育ててゆく。

(優しい家族像を描く「にしださちこ氏」の作品 日経の2022.8月クイズ欄より借用 とても暖かい家庭像で私の文脈に合っている)

 思春期に至り、自分の頭と心で立ちあがり、「自分が感じたこと」 「真実心を動かされたこと」などの体験を自分のものとして行く過程が必要である。それを内面から支えるのは「自分がこのように感じ、このように感動する自分であってよいのだ」という自分自身への信頼、すなわち「自分が自分であって大丈夫なのだ」という「自己肯定感」である。

 ところが、共感してもらえず、それを受け容れてもらえない子どもは「自己肯定感」を育むことができない。 親や家族から思ったことを否定され続けられれば、自分が素直に感じたことを、いけないことであるかのように感じ、罪悪感のような感覚をもちはじめる。
 そのうち、親と同じに感じないといけないような気がしてくる。
 それがさらに進行すれば、親が好きだと感じそうなことを先取りするようになる。そうすると親は満足して「そうだね」と肯定してくれる。親の顔を窺いながらビクビクと落ち着かなく生きる子供が出来上がる。
 
 そして、いつの間にか、親の感情と自分の感情とすりかわってしまう。こうして、自分自身の感情を見失っていく。 
 親の感じ方、価値感 (観)を押しつけ、子どもに共感できない親は、こうして子どもの感情を奪っていく。

 こんな状況は、躾や教育なのだと置き換えられることがあり、こんな環境の中では芽生えてきた自己肯定感は摘み取られてしまう。

 私の環境はこれに近かった。
 私を救ってくれたのは、本の中の言葉であり、ネコの存在であった。

8/29(月)晴 健康クリニックドック 飯川病院
1:00飯川病院で起床。新聞・文献チェック。データ整理、医学文献・新聞ほか。7:00検食、COVID-19抗原検査陰性。9:00-11:00健康クリニックドック12人+結果判定14人。ドック受診者とは距離あけて対応。11:45飯川病院、微睡ほか、14:00-18:50勤務。新聞チェック、読書他、患者対応はガウン着用で。15:30許可得て歩行訓練、千秋公園コイ給餌、バス長崎や古書店にて7冊購入、19:15帰宅、夕食、20:30就寝。歩数9051歩。

こころと体2022(64) 自己肯定感(7) 幼少・少年期(少女も含む) 自己肯定感に大事な時期
 職業柄、とはいえ私は小児科医ではないから滅多にないが、心に傷を負った子どもたちに接する機会がある。子供のこの様な病的(?)状態こそが、子供を取り巻く社会や環境、その過程が抱える問題の表れであろう。いわば、自我が乏しい時期の子どもが社会や環境の犠牲になっている。 
 
 子供は、時代とか社会とか周囲の環境に影響されながら育つ。
 私自身が、自分の育った家庭と過程、成人してからの子育ての経験、孫たちを観察することを通じて観察したその親達、について以下の如く感じ取っている。
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 少年たちにとって一番大切なのは「自由な空間と時間の保障」、である。
 年少の子供たちにとっては「遊び」の保障であり、年長の子供たちにとっては「自我の成長に合わせた個性の尊重」が大切なのではないか。 
 そして、それらを見守る親の心には「ゆとり」が必要である。 

――――――――――――――――――――――――
 
 世をあげての「教育」「教育」と叫ばれている今日、私の感覚など時代錯誤的、寝呆けたこと言っている、と自分でも思う。が、「遊び」 や母の「やさしさ」、家族たちの「やさしさ」を味わうことができなかった子どもが将来どんな大人になっていくか、考えただけでもゾッとする。大人になってから、その分だけの、いやそれに数倍する代償を払わされることが多いのではないだろうか。

 私は世を震撼させた大事件に関するの詳細な記述本が出ると積極的に集めて読んでいる。メディアの報告だけでは何もわからない。それらを読むと、今更ながら、少年には真の「自由」を保障する時間と空間、それに少年らを受け入れる親のやさしさとゆとりが大切だと、つくづく思う。

 参考となる文献は50冊以上手許にあるが、その一部を例として示した。
  ○一橋文哉  尼崎連続殺人事件の真実 
  ○一橋文弥  オウム帝国
  ○永田洋子  16の墓標(連合赤軍/あさま山荘事件)
  ○森 達也  相模原に現れた世界の憂鬱な断面(障害者施設19人殺害事件)
  ○佐木隆三  深川通り魔殺人事件
  ○杉山 春  虐待 大阪二児置き去り事件
  ○中島岳志  秋葉原事件(通魔事件)
  ○共同通信取材班 大津中2いじめ自殺
  ・・・・

 これらの文献中には「残念な少年期」を過ごした若者達の実例が示されている。だからと言って犯した罪が軽減されるべきものではないが、犯人の心理的背景の一部は理解することができる。

 私はもう何ができるわけではないが、子育ては「子供達の自己肯定感形成に大事な時期である」ことを機会があれば示したい、とは思う。

8/28(日)快晴 飯川病院日当直 
 1:00起床、歴史本、医学論文読み。ネコと微睡、8;30回診に行く家内に同乗、飯川病院に。日直業務に就く。大学病院COVID-19関連で派遣医師来院できず。急遽代行となる。院内の患者は平穏、読書、新聞データ化。蓄積データ整理。微睡と読書三昧。12:00、18:00検食、20:30就寝。歩数4146歩。

こころと体2022(63) 自己肯定感(6) 私の自己肯定感はなぜ低い? 優秀な兄と従兄弟
 自己肯定感について再度考察を進める。
?今までの自己肯定感の記述
(1)こころと体 自己肯定感(1) 私は自己肯定感が身に付かなかった
(2)こころと体 自己肯定感(2) 対人関係で漫然とした不安感・恐怖感
(3)こころと体 自己肯定感(3) 私は一見優しいイエスマン 
(4)こころと体 自己肯定感(4) イエスマンは不満を抱えているが、私は・・・ 
(5)こころと体 自己肯定感(5) 外向き自己肯定感と内向き自己肯定感

 私は自己肯定感がとても低い。言い換えれば劣等感の塊とも言える。私は何でこんなに自己肯定感が低く育ったのだろうか。この歳になって今更どうしようもないが、自分の足跡として振り返ることは重要であろう。

 自己肯定感は小児期に形成される。
 小児期は人間形成の中でとても重要な時期である。

?私が育った家庭環境は以下の特徴があった。
 問題を感じるが、時代の問題、社会の問題の反映であり、さらに家庭の個別性があり、誰が悪いわけでもない。私の環境がそうだったということ。
 文章化するとニュアンスがボケるが、私はこの環境を全てネガティブに捉えているわけではない。

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○厳格な祖父が我が家の空気を全て支配していた。躾も厳しかった。私は常に恐怖を感じ、萎縮していた。抜き身の刀を持って追いかけられた時には死の恐怖を味わった。小学5年祖父から解放された。
○父母の影は薄かった。母は多忙で甘える雰囲気ではなかった。父から時折投げられる嫌味がこもった言葉では傷ついた。
○母よりも住み込みのお手伝いさんの手によって育てられた。
○私は二人兄弟で、11歳上の兄はとても優秀で、長男として大切にされていた。全てにおいて比較の対象であり、私は常に劣勢の立場であった。兄と同じ中高一貫校に進んだが、耐え難くて2年で中退した。2015年死去し、私は長い呪縛から解放された。実兄死去に際して(3) 兄と比較され常に挫折・悲哀を味わって成長(1)https://blog.goo.ne.jp/mfukuda514/d/20150117
○同年齢の従兄弟が盛岡にいて、常に比較され続けた。私は田舎者で常に劣勢の立場であった。高校は将来の進路が同じだったから3年間同じクラスで学んだが、辛かった。彼は東北大医学部に、私は新潟大に進みこの時点で私は解放された。
○書籍は豊かに与えられた。書籍から生きるべき道を学んだ。
○1匹のネコと出会い、小一から高卒まで13年間共に過ごした。彼女は私の全てを受け入れてくれ、心からリラックスできた。大きな存在であった。
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 この環境は心理的には厳しかったが、これを私はポジティブなエネルギーに変換することに成功し生きる力を得た。しかし、自己肯定感の確立にまでは至らなかった。

8/27(土)曇り夕方から降雨 飯川病院午前日直 大曲花火競技会 新ドラレコ装着
 1:20起床、新聞・文献他、本読み、各種データ整理。8:35回診に行く家内に同乗、飯川病院へ。9:00午前日直に就く。新聞チェック、読書、データ整理三昧。結局午後も飯川病院で過ごす。19:00帰宅、夕食、20:30就寝。書籍データ化。歩数計4614歩。10:00千秋ホンダにてドライブレコーダー交換。昨年居間のメインのiMac27(2015)急に不調に、種々対応するも昇天。

徒歩通勤2022(2)  歩行は高齢者にとって最も基礎的運動だが
 今、私は伊能忠敬の足跡を辿りつつ、2回目の日本一周に挑戦している。 一昨日、北海道を終了し秋田に渡った。
 2回目の日本一周スタート日は2020年4月15日だから、北海道終了まで861日かかった。
 

(ズルして2015年の第一回目の秋田終了時の状況を示した)
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 2022年8月25日現在の歩数計のデータ(積算開始後9.4年間)
   全歩数 3.120万歩 / 3433日=9.359歩/day
           距離累計 24.966Km / 3433日=7.27Km/day
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 徒歩通勤を始めた頃にはファイト満々であった。一日25.000歩に達したこともある。この頃に比較すると歩行のモチベーションが低下している。ただ、積算開始後9.4年間のデータを各年ごとに見てもモチベーションの低下は数値上からははっきりしない。そのデータを見てまたちょっと元気が出てきた。
 秋田の海岸線は266Kmと北海道の一割程度である。短期間に通過できるだろう。

?ここで、高齢者にとって歩行の意義を考えてみる。
 野生の、原野に住む四つ足動物は生まれてから30-60分で立ち上がり自分で哺乳を始める。これが上手くいかないと死に至る厳しい現実がある。

 ヒトの場合は生後は寝返りもできない。手足をバタバタさせているが筋力はほとんどない。狭い子宮の中で制限されていた四肢の自由運動を味わっているのだろう。個人差が大きいが、赤ちゃんが寝返りするのに4-6ヶ月ほどもかかる。ハイハイは8-10ヶ月、立つのは10ヶ月、歩行開始もそのことからやっとである。
 ヒトの場合、これほど時間がかかる理由は立位歩行の準備のためである。立位歩行のためには全身の筋力、特に骨盤周辺、下肢の筋力が強くなくてはならない。それに必須なのはバランス感覚である。

 ヒトの場合、異常に生存期間が長い。筋力が最も充実するのは30歳代でそれ以降は徐々に退行し10年間で5%ほどずつ減少し、成長の逆コースを辿って立位歩行→つかまり歩行→立位歩行不可でハイハイ移動期→寝たきり状態になる。

 歩行関連筋肉の退行は避けられない。100寿者では寝たきりは男性で 20.0%, 女性で 33.9%であり,全体として約8割の百寿者が日常生活に何らかの介護を必要とした(東京都健康長寿 医療センター)。

 その意味で高齢者が自分で可能な範囲で日常から歩くことの意義はとても大きい。しかし安易にサプリメントに頼っている方が多い。

 私もその視点で日常の行動を考えていて、可能な範囲で努力している。

8/26(金)午前降雨午後快晴 大曲中通病院 飯川病院ボランティア プリウス車検
 1:20起床、文献他、本読み。5:10可燃ゴミ提出。7:35Taxi、8:11こまち、9:00大曲中通病院外来、往復Taxi、市内書店訪問、15:10広表古書店4冊購入、今月で閉店となる「いきなりステーキ」で遅めの昼食、略満足。閉店は残念。飯川病院ボランティア。院内でCOVID-19感染広がる、要注意。新聞記事チェック、微睡、19:30帰宅、軽夕食、20:30就寝。歩数計8528歩。

徒歩通勤2022(1)  2周目北海道終了秋田に到着
 自転車通勤をやめ、片道7Kmを徒歩で通勤することとしたのは2013年4月。
 その際に購入したのが歩数計「新・平成の伊能忠敬」である。
 伊能忠敬の足跡を、ゲーム感覚で日本一周約18.000Kmを地図を作りながら進んでいくという優れものであった。
 この歩数計開始してから9年半近く、失くする事もなくいまだにこれで毎日の歩数を計測し続けている。am2:00にその日のデータが締め切られるので毎日確認する。密かな楽しみの一つである。

(8月25日 画面上に祝・秋田到着の表示が出た)

 第1回目の日本一周達成は2013年4月7日に東京を起点に北上開始した。
 2020年1月17日、6.8年かかって日本一周を達成した。
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 第1回目日本一周達成時の最終的積算データ(2020年1月)

所要日数2.290日目、6.8年。
総歩数Σ2.171万歩 (平均9.480歩/日)。
歩行距離Σ17.372Km(平均7.59Km/日)。
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 この間、一日8Km/dayを目標にした。

 しかしながら、2019年あたりから1時間余の徒歩は体調不良が生じうるため、全コース徒歩をやめ往路をバス通勤にし、天候や業務の都合ではボロ・レガシーを用いたので歩行距離は一層低下した。

 2020年9月運転免許を返上、ボロ・レガシーも売却した。それ以降再び若干歩数が伸びている。
 最近では自宅や病院周辺をこまめに歩いて、また、仕事に余裕がある際には院長の許可を得て歩行訓練と称して外出し、30-60分歩いて歩数を稼いでいる。

8/25(木)快晴 午後飯川病院 職員検診
1:40起床。データ検討。録音データ整理。午前ダリアは枝の処理と肥料追加。散水など、草刈り21回目南側のダリア周辺、11:50バス飯川病院。13:00-18:45勤務、入院患者対応。15:45職員検診。18:00丁酉会役員会でキタスカに行く家内に同乗、帰宅、19:00夕食、21:00就寝。歩数計11311歩。

季節の話題2022(20)  家庭菜園・園芸(13) 小モモ リンゴ
 我が家には栗の木、柿の木、モモが各1本、リンゴの木が2本ある。
 各々の花にも風情があるが、果樹には花を愛でるだけでなく結実も楽しみである。

 今年は我が家の庭の小モモが200-300ケほど結実した。あまりタワワになり過ぎて枝折れするほどであった。実もとても小さい。その理由は春先にあまり真面目に剪定作業をしなかったこと、実を減らすための摘花、摘果をしなかったこと、農薬など一切散布せずに自然に任せたのが原因であろう。木々が一生懸命に開花し、結実していくその過程が美しいだけに、私は手を加えることをしない。

 果実の熟成と共に樹の周辺には甘いモモの匂いが漂った。
 実は香りがよく美味であったが、多くの実にはすでに虫がついていて食べられたのはほんの一部だけであった。これほどの良い香りを周囲に発散していては、虫が寄ってくるのは当然である。


 福島や岡山はモモの産地として有名である。見事な無傷の形の良いモモが店先に並んでいる。私の興味はモモの味はさておき、これらのモモがどのような環境、どのように栽培がされているのか??ということである。農薬??機会があれば見学に行きたいほどである。


 2本のリンゴの木には100ヶほどが結実している。同様に自然に任せている。私は青


リンゴが好きである。熟成の過程でこれから虫もつくだろう。その前に、と毎日2ヶほど採って食べている。市場にある青リンゴは立派であるが、実は軟化し始めていてがっかりすることが少なくない。我が家の採りたては美味である。虫との競争になるがもうしばらく楽しめそうである。

8/24(水)快晴 午後飯川病院 COVID-19ワクチン担当
1:20起床、文献検討、データ整理。9:00ダリア世話若干、10:50バス、二丁目橋下車、木内前から長崎屋に。古書店にて8冊購入、12:30バスにて飯川病院へ。微睡。14:00-15:30 COVID-19ワクチン接種担当、病棟患者対応。読書と書籍データ化進める。新聞入力。微睡若干、座学、散水。19:30帰宅、夕食、21:00就寝。歩数計7603歩。

季節の話題2022(19)  家庭菜園・園芸(12) ダリア(3) 
 「ほんまに、なんで桜は(花は)こんなに一生懸命咲くのやろか・・・」。
 緋毛の床に両手をつき、槙子がつくづく呆れたという声をあげるのに、里子は甘酒を飲みかけた手を止めて、「一生懸命って、なんえ?」「そやかて、なにもこんな精一杯、火がついたように咲くこともないやろ」
 「あほらし、花はなにも、一生懸命咲きたくて咲いてるのとは違う。花が花を開くのは、花に備わった宿命やないの?」
 「へえ、宿命? 可哀相な宿命や」「可哀相?」「そうやんか。見ず知らずの人にまで、こんな美しいの、全部さらけ出して、うちはそんなのはご免や」・・・・
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 これは渡辺淳一著の小説「化粧」の出だしの台詞(一部改変)である。

 私が花を、ダリアを自分で育てる様になってから10余年、ずっと心に思い、時に花に話しかけながら育てているが、この小説は私がずっと抱いている疑問のせりふから始まる。いまだに解けない謎であるが、氏の言葉で的確に表現されている。

 ダリアは酷暑の季節が苦手であり、8月中旬過ぎから旬を迎える。
 今年の7-8月、最もダリアにとって大切な成長期、とても暑かった。ダリアもそうだであったが世話する私の方ものびてしまった。でも、空を見て雨が期待できない日には散水給水は欠かせない。まず欠かさず給水をした。

 8月下旬になって急にイキイキとなって咲いた花々が自己主張している。

8/23(火)午前から降雨終日  中通病院外来 飯川病院ボランティア 
1:30起床、文献検討。5:00可燃ゴミ集積所に。6:40バス飯川病院、8:45-13:00中通外来、中等度混雑内容的に疲弊。13:25飯川病院。微睡、入院患者対応なし。新聞文献チェック入力、19:30帰宅、夕食、20:30就寝。歩数計8672歩。

美術館探報2022(2) 冨田伊織:透明標本展
 (1)透明標本作家 冨田伊織氏の標本展が秋田県立博物館で開催されている。


 冨田伊織氏は1983年生まれ。北里大学水産学部水産生物科学科卒業、在学中に研究用の透明骨格標本に魅せられ独自に制作を開始。岩手県で漁師見習いをしながら透明標本制作を続けた。
 2008年5月、新世界『透明標本』として活動開始。その独特の世界観で一躍脚光を集め、透明標本作家として現在に至る。
 透明標本は実際の標本とはかけ離れた存在で、生物でありながら目に写る造形は、まるで微細な筆によって描かれたかのような美しさを持つ。
 「肉質を酵素により分解し、透明にし、硬骨を赤紫、軟骨を青色に染色をする」という骨格研究の手法をベースとし、「いのち」をより身近に感じる造形作品としている。
元々の学術標本として、サイエンスの入り口標本として、芸術やアート作品として、今までにない新しい世界が投影されている。

 「透明標本」とは、魚などの生物の骨だけに色をつけて、筋肉などそれ以外の部分は透明にし、瓶などに入れたもの。「透明標本」は小さな生物の骨格観察をするために作られるもの。

 作成方法は、・・・
1 ホルマリンにつけて固定する。「固定」は防腐処理にあたる。
2 ピンセットなどを用いて生物の皮や内臓を取り除く。筋肉は骨の支持体として残す。
3 染色液などで染色する。硬骨が赤色、軟骨が青色に染まる。
4 他の薬品に浸し生物の筋肉の色素を抜く。
5 グリセリンを浸透させ、標本瓶にセットする

 見た印象
 赤と青系統に染色された小動物の骨格の標本で、美しい造形美を見ることができた。通常知ることのできない繊細な骨と骨、骨と軟骨の連結とかがよくわかって興味深かった。ただ、これほど数多くの標本が一堂に会すと興味を通り越してグロテスクなイメージになってしまう。ある限られた生き物の詳細な姿を多方面から解析して提示する目的の一つとしてならその価値は大きいと思う。

 その感覚は私の職業上の感覚かもしれない。私どもはモノクロの世界であるが日常的にレントゲン写真で類似の構造を観察している。また解剖関係の研究所などには人間の全身の骨格復元標本を見ることができる。また、文献的ではあるが、小動物のレントゲン像を見ることも不可能ではない。

 やはり動物は、魚類は動物園とか水族館で自然の姿を観察しながら、内部の構造に思いを馳せるのがベストである。

 人間の姿、特に女性の姿はどんな年代の方であってもそれなりの美を見出すことができる。若い女性の姿だけが美しいわけではないと思う。高齢者のシワ、体の線の弛みにも、美しさを感じることがある。
 でも、レントゲン写真は虚しい。裸体はどうか?それもTPOによる。いつも良いとは限らない。それが、衣服を着けることによって個性的になり美しさが醸し出される。服飾デザイナーの技能は素晴らしい。上手に着こなす技術も必要である。そういえば森英恵氏がお亡くなりになった。
 透明標本展を見てのもう一つの感想である。衣服の意義は大きい。馬子にも衣装とは(2)そもそも人は何で衣服をまとうのか
 
 (2)秋田県内の代表的美術館の本年の予定
 秋田市立千秋美術館は、令和4年6月から約2年間大規模改修工事にて休館中。
 以下は県立美術館の開催予定、ちょっと寂しい。
 ●藤田嗣治 パリへの郷愁展
 ●藤田嗣治 子どもへのまなざし展
 ●岸田劉生の軌跡

8/22(月)晴れ34℃ 健康クリニックドック 飯川病院 透明標本展
 1:00起床。文献、新聞チェック。データの電子化。6:40バス飯川病院。新聞チェック、9:00-11:45健康クリニック、ドック診察12名。先週分の結果判定13名分。12:00飯川病院へ、微睡。 14:00-19:15勤務。入院患者対応、許可もらって透明展、散水、渡辺淳一関連文献入手、自炊。19:10帰宅、夕食。20:00就寝。歩行Σ7842歩。

美術館探報2022(1) 木村伊兵衛 嶋田 忠 川瀬 巴水 松本明鏡展
 かつては秋田県内の美術館を、といっても秋田市にある県立美術館、秋田市立千秋美術館、横手市にある県立近代美術館が中心である。前二者では年間パスポートを購入して頻回に観にいったが、COVID-19の蔓延で企画も縮小気味であり、訪れる機会も少なくなった。今年は年間パスポートを購入しておらず、その都度入館料を払っている。県立近代美術館には今年はまだ行っていない。

(1)木村伊兵衛写真展(県立美術館) 木村伊兵衛回顧展
 昭和を代表する写真家・木村伊兵衛(1901~74年)の作品を集めた「生誕120年 木
村伊兵衛回顧展」。木村氏は昭和初期から、東京・下町を中心に、街角の人々を写真に収め続け、50歳のころからは秋田の農村で撮影を重ねた。旧大曲市、現大仙市で撮影した「秋田おばこ」(33年)は近年、本県のPRポスターに使われた。
 本展では、木村が残した133点を撮影地や時代、テーマなどで区分。庶民の日常を記録した「昭和の列島風景」や、「秋田の民俗」などの六つの章があった。古い写真の展示会であり歴史の記録には良いが文献や写真集で確認できるからわざわざ出かけてみる値はそれほど大きくない、と感じた。

(確かに美しい しかしこれは農作業の姿ではなかろう)

(2)嶋田 忠 野生の瞬間展(千秋美術館) 
 嶋田忠氏 (1949- )は、カワセミ類を中心に、 鳥獣の写真家として知られている。神々しいまでの生命力をもつカワセミやアカショウビンを力強く捉えた作品から、「自然から学ぶ」意識と感性に裏打ちされた目で捉えた繊細な作品までその多彩な表現は高く評価されている。
 本展では、鳥ごとの魅力が凝縮された一瞬を切り取り、野鳥の魅力を多くの人に伝え続けている嶋田作品の数々を見ることができた。
 家内は野鳥の会会員である。その機関紙を通じ私も鳥の生態に興味が高まった。それを受けての観覧で、今回の展示には略満足した。



(3)川瀬 巴水展(県立美術館) 
 川瀬 巴水(カワセハスイ1883年- 1957年)は、浮世絵師、版画家。新しい浮世絵版画である新版画を確立した人物として知られる。近代風景版画の第一人者で、日本各地を旅行し旅先で写生した絵を原画とした版画作品を数多く発表、「昭和の広重」などと呼ばれる。
 欧米で広く知られ、葛飾北斎・歌川広重等と並び称される。私は今回まで氏を知らなかったが、今回の展示の作品は見事なもので満足した。


(4)松本明鏡展(秋田西武百貨店) 
 松本明鏡氏(1945-)は平成の大仏師と呼ばれる。氏の展示会は11年前にも企画されその時も鑑賞した。その時会場で氏が語った「資材をじっと見ているとその中に鎮座されている仏様が見えてきます。私はそのお姿をノミで具現化しているだけです・・・」との言葉が忘れられない。深い信仰心を背景にしているのだろう。
 私はパソコン上の原稿用紙をじっと眺めていても全く何も浮かんでこない。
 今回も250点ほどの作品を見ることができ、満足できた。

8/21(日)曇りのち快晴 
0:30起床、食欲若干戻る。家内用意したショートケーキ食べられた。臥床。7:00検食半分ほど、座学に。11:17バスに遅れ千秋公園からタクシー帰宅、NHKニュース、のど自慢、新聞チェックといつものパターンに近くなる。ダリア世話若干、16:00-19:00音楽関連録画視聴。19:00夕食通常通り、20:00就寝。歩行Σ6951歩。

COVID-19(2022)オミクロン株(19)  ワクチン(4) 副反応 私の場合きつかった
 私は一応医療従事者なのでワクチンは優先的に接種する機会が与えられている。ある程度の副反応は容認せざる問えない立場にある。
 今まで4回接種した。回を重ねるごとに副反応がひどくなり、3、4回目は注射部位の局所痛と食欲不振、強度の倦怠感などできつかった。
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●1回目 2021年3月23日(水) ファイザー
   注射部位疼痛軽度、翌日まで
●2回目 2021年4月13日(水) ファイザー
   注射部位疼痛軽度、翌々日まで 頸部筋肉痛軽度、翌々日まで
●3回目 2022年2月9日(水) ファイザー  
   注射部位疼痛中等度、翌々日まで 頸部筋肉痛中等度、翌々日まで 
   強度全身倦怠感、翌日まで。食欲不振にて夕食摂らず帰宅後すぐに臥床。
   翌朝は改善。
●4回目 2022年8月19日(金) モデルナ  
   注射部位疼痛にて腕挙上難 頸部筋肉痛、持続3日間 
   食欲不振強度にて当日夜摂取できず。強度全身倦怠感にて帰宅後そのまま臥床。
   2日目は飯川病院日当直であったがなんとか出勤。
   幸い患者は落ち着いており、終日臥床して過ごす。
   この間、水分のみで食事一切摂らず。トイレ歩行も難。 
   翌々朝は改善。
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 私の場合の副反応は発熱とか頭痛はないものの全身倦怠感が回を重ねるごとにひどくなっている。
 3回目は全身倦怠感が強度であったが一晩で解消した。
 4回目は全身倦怠感が前回と同様、強度で持続時間も長かった。接種が金曜日でよかった。翌日は飯川病院の日当直であったが、ほとんど臥床して過ごした。通常勤務ならかなり辛かっただろうと思う。

 COVID-19ワクチン接種は今後もしばらく続くだろう。私は外来診療を通じて患者に接する機会があるし、基礎疾患を有する高齢者にも相当する。だから接種せざるを得ない。
 次回の接種は何時になるかわからないが、5回目には何が起こるか楽しみである。

8/20(土)曇り時折降雨 飯川病院日当直 終日体調不良COVID-19のため
 1:15起床、体調不良COVID-19のため、全身倦怠感強度文献他、本読み。8:30回診に行く家内に送られ旭川のコイに給餌後飯川病院。そのまま日直につくも体調不良でダウン、終日微睡、12:00、18:00検食摂取せず水分のみ。ずっと臥床、就寝。歩数計2560歩。
COVID-19(2022)オミクロン株(18)  ワクチン(3) 安全性 / 副作用/ 後遺症
 (1)ワクチンの副反応疑いーーー死亡例1780人
 医療機関や製造販売業者からCOVID-19ワクチン接種後の死亡疑い例として報告は、1780人(7月10日時点)。

 「ワクチンを接種後に死亡した」は「ワクチンが原因で死亡」ということではない。接種後に死亡例が出た時は、ワクチン接種との因果関係を調査することが大切。
 日本において、現時点でワクチン接種との因果関係があると判断された死亡例はない。また、超過死亡(ある時点において全ての死因を含む死亡者数)も、ワクチン接種が原因で死亡が発生したという科学的根拠は確認されていない。

 今回、私は詳細なデータを得ることはできなかったが、1800人近くも死亡しているのだから一定の傾向は出なかったのだろうか??
 「ワクチンが原因で死亡」という判断が一例もなかったこと自体、私は信じ難い。   
 1800人の内訳はどうなっている?? 医療関係者が知れるようなデータがどこかに発表されているのだろうか??
 「ワクチンが原因で死亡」の判断できなかったとしても死亡を早めたと思われる例は?? 病状への悪化因子となった例は? 接種が危険な年齢層は? 基礎疾患は? 消耗状態は?・・・などなどの貴重なデータは導き出せなかったのだろうか。

 厚労省はワクチン接種を勧奨するために不都合なデータを隠蔽しているのではないか?現時点で疑問は解けない。

 上記とは別に、7月25日、厚労省の疾病・障害認定審査会(感染症・予防接種審査分科会)は、急性心筋梗塞を発症した90代の女性の「死亡一時金と葬祭料」の請求を認めた。この制度は、厳密な医学的な因果関係を必要とせず、否定できない場合など幅広く認定の対象としている。

 (2)副反応疑い報告事例
 重篤な副反応疑い(7月10日時点) の報告は、医療機関からは7585件、製造販売業者からは2万3436件。一 部に重篤ではないケースも含まれる。

 ●ギラン・バレー症候群
 ギラン・バレー症候群は、末梢神経に麻痺が生じる疾患である。製造販売業者から副反応疑いとして5月15日までに211件報告。統計学的にはワクチンを打っていない人との差が認められないが、専門家が「ワクチンとの因果関係が否定できない」とした事例が15件あった。
 厚労省は、6月10日、「重要な基本的注意」として、同症候群を疑わせる症状が現れた場合はただちに医師に相談するよう説明を要する旨をファイザーとモデルナのワクチンの添付文書に記した。 
 
 ●心膜炎/心膜炎
 製造販売業者からの心筋炎と心膜炎の疑い報告は、それぞ れ801件と273件で若い男性が多いのが特徴。7月10日時点で、専門家によって123件が心筋炎、53件が心膜炎であったと評価されている。
 厚労省は、ワクチン接種 のメリットの方が上回るとしているが、ファイザーとモデルナのワクチンの添付文書に「重大な副反応」と明記し注意を呼び掛けた。 

 国は被害を訴える声に向き合い、因果関係について実態調査に取り組む責任があるのではないか?

8/19(金)快晴 大曲中通病院 飯川病院ボランティア COVID-19ワク4回目接種
 1:00起床、家内不在、夜半に帰って再度出勤したのか。映像データ処理。文献他、本読み。5:10可燃ゴミ提出。6:00家内帰宅、7:30Taxi駅東、8:11こまち、9:00大曲中通病院、駅病院間往復Taxi、暑さのため。書店訪問、15:00中通病院でCOVID-19ワク4回目接種、飯川病院ボランティア。19:30、夕食多少の不快感あるも完食、20:30就寝。歩数計9928歩。

COVID-19(2022)オミクロン株(17)  ワクチン(2) 安全性 / 副作用
(1)インフルエンザワクチンの場合
 最近まで、多くの高齢者が受けたワクチンは新型インフルエンザワクチンであろう。これは鶏卵を利用した製品であること、皮下への投与であること、COVID-19は化学的合成によって製造されるワクチンで筋肉内投与であるなどの違いがあって単純には比較できないが、秋口になると毎年話題になる、国民に全般的によく知られているワクチンである。

 ワクチンは接種時、あるいはその後の副反応がある。古いデータであるが、2009年の新型インフルエンザに対する不活化ワクチン(1回接種のみ)の副反応の調査研究がある。それによると、発熱3.1%、倦怠感19.0%、頭痛14.1%と記載がある。
 調査方法、母集団などのデータが不明なので詳細は論じられないが、新型インフルエンザ不活化ワクチンは広範に接種されていることから、COVID-19ワクチンとざっと比較するには良い対照材料となる。

(2)COVID-19ワクチンの場合
 COVID-19ワクチンはわが国では2021年2月に接種が開始されている。接種後の副反応について、国内の解析結果を厚労省が発表している。

 ●初回接種(1,2回目)および3回目接種後の副反応について、国内の解析結果を厚労省が発表している。(新型コロナワクチンの副反応について|厚生労働省 (mhlw.go.jp)参照)

 ●当初の集計では全身倦怠感、頭痛、発熱等の全身症状は、1回目接種後は稀、2回目接種、3回目追加接種後は高頻度に認められる、という。

 厚労省のより新しいデータによると、
 ●発熱、倦怠感、頭痛などの全身反応は、高齢者の方が若年者より頻度が少ないと報告。例えば、2回目接種後の37.5℃以上の発熱は、20歳代約50%、50歳代約30%、70歳代約10%であった。

 ●2回目接種後の全身倦怠感は、20歳代約80%に、70歳代約30%に認められている。

 ●接種部位の疼痛は1回目、2回目とも約90%に、接種部位の発赤や腫脹は、1回目、2回目ともに約10%に認められている。

 ●発熱、悪寒、倦怠感、頭痛などは2回目接種後の方が、そして若年者の方が、それぞれ発生頻度が高いと報告されている。

 ●副反応は接種の翌日に最も頻度が多く、1回目接種においては、接種部位の疼痛約65%、倦怠感、頭痛、筋肉痛約20%に、悪寒や発熱約7%と報告されている。

 ●2回目接種においては、接種部位の疼痛は約65%に、倦怠感、頭痛、筋肉痛が約40%に、悪寒や発熱が約20%となっている。65歳以上と65歳未満を比べると、65歳以上の方がいずれの副反応の発生頻度も低かった。

(3)インフルエンザワクチンとCOVID-19ワクチンの関する粗な比較
 両者は基本的に性質が異なる製品なので直接比較はできない。ただ、接種後の副反応に限定してみれば粗いレベルの比較は可能である。
 両者の比較を見ると数字上でもCOVID-19ワクチンの副反応の出現頻度が多いことが示されている。接種時の担当医として希望者に状況を確かめてから判断するが総じてCOVID-19接種時の副反応はインフルエンザに比して発症頻度、症状の強さも著しいと実感する。

8/18(木)夜半から終日降雨 飯川病院勤務
1:20起床。文献処理、読書。8:30家内に同乗して飯川病院で過ごす。午後勤務となる。入院患者対応、座学終日、家内救急患者対応で帰れず。19:30急遽タクシー帰宅、クレジットで支払い。20:00夕食、21:30就寝。歩数計4520歩。

COVID-19(2022)オミクロン株(16)  ワクチン(1) ワクチンがあるから現状がある
 私はワクチン実施時期が来ると接種担当係の一翼を担っている。

 最近、ワクチンに対する信頼度が低下し、いつまでやるの? 効果は本当にあるの?? などの疑問の声が聞かれることが多くなってきた。確かに接種者の感染が報じられることも多く、接種の手続きが煩雑なことも関連しているが、医療関係者としてはワクチンがあっての現状であることを認識させなければならない。

 ●COVID-19ワクチンの意義
 COVID-19ワクチンは、予防接種法で12歳未満の小児を除いた全国民に努力義務が課されている。個人の感染予防だけでなく、周囲に感染を広げないためにも接種が望まれる。ただ、最終的には個人の判断が優先される。また、接種していなことで何らかの差別を受けることがないよう配慮が必要。

  なお、ワクチンによって安全が保証されるわけではない。接種者の一部は発症するし、発症しなくても無症状病原体保有者として身近な人に広げる可能性もある。重症化が予防効果、感染後の後遺症の発症予防効果は認められる。
 だから、COVID-19はワクチン接種の有無に関わらず、マスク、換気、3密回避、手洗い等の基本的な感染対策は今後も必要。

 ●ワクチンの意義 
 ワクチンはこれまで多くの疾病の流行防止と死亡者の大幅な減少をもたらし、現在もたくさんの感染症の流行を抑制している。もし、ワクチンがなければ、特に小児、青年、高齢者の疾病構造は今と全く異なり、平均寿命は大幅に低下すると思われる。
 ワクチンが普及した現在だからこそ、逆にワクチンの意義が過小評価される傾向がある。

 COVID-19の感染拡大防止に、ワクチンの開発と普及が重要であることは論を待たない。

 ●ワクチンは治療薬ではなくあくまでも予防のために用いられる。
 健常人や基礎疾患のある人に接種することから、安全性が必要。ワクチン導入の緊急性だけが優先され、安全性の確認がおろそかになってはならない。

 わが国の予防接種に関する基本的な計画では、以下の如く定められている。
 (1)ワクチンで予防できる疾患はワクチンで予防する。
 (2)施策の推進にあたって科学的根拠にもとづき評価する。

 ●COVID-19ワクチンの推移
 COVID-19ワクチンはわが国では2021年2月に始まり、2022年6月時点で2回接種完了者は全人口の80.7%を占め、先進国の中でも比較的高い接種率を達成している。 COVID-19感染防止に大きく貢献している。

 しかし、2回接種しても数か月たつと発症予防効果が減衰するため、2021年12月から医療従事者に3回目接種が開始された。
 2022年1月には免疫回避力の強いオミクロン株が流行する中、同年2月から18歳以上、3月から12歳以上にも3回目接種が奨められている。
 6月末時点で3回目接種率は全年齢で61.8%、高齢者では 89.8%。12~19歳では 29.7%、20代44.9%、30代48.6%と若い世代の3回目接種はまだ十分ではない。

 2022 年3月からは5~11歳への接種も始まったが2回接種は6月末時点で 15.7%と低い。
 また6月からは60歳以上の高齢者とハイリスク者に4回目接種も開始された。

 8/17(水)快晴暑い 午後飯川病院 COVID-19ワク担当
1:30起床。文献・読書。収穫、昨年早朝トイレが詰まった。解決せず。午前、ダリアが結構風雨の影響で枝折れがあった。まとめた。11:50バスにて飯川病院へ。検食、微睡、新聞チェック、書類等処理。14:00-15:30COVID-19ワク担当、コブシ連絡後入力終了したiMac21(2015)リバビリ病院に、明日大曲に。19:00帰宅、夕食、20:30就寝。歩数計6790歩。

77回目の終戦記念日(3) こんな質問が来た(2)
(2)戦争終結について
 なぜ日本人はあれだけ悲惨な状況でも敗戦を決断出来なかったのか?
 陸海軍間の意思疎通がうまく行っていなかった。それと時の政府が互いにすくみあった状態であった。
 発言力で言えば、開戦時は陸軍>海軍>政府。終戦間際では海軍>陸軍>政府。その中では政府が全体を俯瞰して最もまともな考えであったが、軍と政府では発言力に差がありすぎ、政府の意見が取り上げられなかった。
 でも、戦争終結に向け最後に力を発揮したのは政治家であった。
 天皇は御前会議で決断したとされるが、天皇には政治的決断を下す公的資格はなかった。

(3)なぜあんなに投降にこだわり続けたのか、
 1941年に、当時の東條陸軍大臣が、軍人に軍規を徹底させるために示達した『戦陣訓』に「生きて虜囚の辱めを受けず」という一節がある。これにより、日本軍の間で捕虜になることを拒否する思想が広まった。東條の言葉が後まで影響し、軍規に近くなった。
 元々日本軍、特に陸軍は人命尊重の意識に乏しい集団で、陸軍兵士の8割ほどは補給が乏しく、戦闘に参加出来ない状況で疾病、栄養障害で死んだとされる。そういう姿勢だから、敵の捕虜を虐待した記録にも事欠かない。

 軍の上層部は安全なところで空虚な戦略討論を繰り返していただけ。戦略的に見れば山本五十六を含めて傑出した人材に乏しかった。山本五十六は展望のひらけない戦局に責任を感じて自決したのではないかと思っている。
 さらに、「生きて虜囚の辱めを受けず」は民間人の集団自決の一因となったといわれる。

(4)なぜ悲惨な原爆を経験していながら世界に発信出来ないのか。
 当初は無差別殺戮の原爆投下、容共空襲はGHQに完全に抑えられ東京裁判では一切取り上げられなかった。
 日本がサンフランシスコ条約を経て独立した頃にはあまりにも急速に経済が発展したために米国様様で糾弾できなかったこと。
 広島・長崎でソ連の日本進出を抑制し得た事実があること。広島長崎がなければ日本は北海道を失っていた可能性があった。
 その後の世界は冷戦状態が世界を覆っており、核武装の積極的意義が高まっていった。その中では被爆国の意見は主流になり難かった。

 その後、核の意識が変化し、発展途上国の発言力も高まり、非核の意義が叫ばれるようになったが、既に日本はアメリカの核の傘に入っていたことから、政府は二枚舌的発言になることを恐れたこと。
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 「簡単ですが、私は上記のごとくに考えています」と返信した。


8/16(火) 降雨強風 中通病院外来 飯川病院ボランティア iMac21(2015)届く
1:30起床,論文読み、データ処理・整理他、5:30可燃ゴミ提出、6:40バスの予定であったが盆体制のために7:20となっていて諦め、出勤する家内に同乗、飯川病院、8:45-12:45中通病院外来、13:00飯川病院、COVID-19陽性職員複数発生。微睡、読書、文献読みほか。大曲用 iMac21(2015)届く、条件設定。19:30帰宅、夕食、20:30就寝。歩数計8508歩。
77回目の終戦記念日(2) こんな質問が来た(1)
 太平洋戦争について以下の如くの質問がメールで届いた。
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 『8月15日は一応終戦の日という事で、YouTubeで大人の教養「第二次世界大戦」を3時間見ました。後に残った感想は、(1)なぜ日本は勝ち目の殆どない戦争に突入したのか、(2)なぜあれだけ悲惨な状況でも敗戦を決断出来なかったのか、(3)なぜあんなに投降にこだわり続けたのか、(4)なぜあれだけの悲惨な原爆を経験していながら世界に発信出来ないのか。
 さまざまな事象における日本人気質に疑問が残りました。・・・・・・・
――――――――――――――――――――――――――-

 これらについて意見をうかがいたい、という内容であった。
 私が答えるのは荷が思いが、私が理解している範囲で、簡単に以下の内容で返事を送った。その後連絡なく返信に満足されたのか不明である。

(1)開戦回避について

 開戦当時の日本の国力が米国にはるかに及ばないことは、戦争指導者たちもよく認識していた。国内総生産(GDP)の実質的な差は12倍程度とされていた。しかも、日本が必要とする石油や鉄といった戦略物資のほとんどを米国からの輸入に依存していた。
 当時の、力を背景にした国土拡張策、中国への進出に対して米国の我が国に対する締め付け厳しさを増し、日本は窮地に陥りつつあった。政府は官僚、軍人、民間有識者らを集めて「総力戦研究所」を設け検討した。その結果、「敗北は避けられない。戦争は不可能」との結論に達し、近衛首相や東条陸相にも報告された。
 
 にもかかわらず、戦争回避との判断に至らなかった。
 識者の一部は強力に開戦を主張した。それもあって、必敗を知りつつ、開戦させたのは、ひとえに日本軍のメンツゆえであったと思われる。陸軍・海軍が姿を消したいま、そのメンツを大和魂だったと呼ぶのは、あまりにもむなしい。

 組織の体裁を優先し、現実から目を背ける日本人のこうした体質は、いまの社会のゆがみにも相通じるものがある。COVID-19対策、東京五輪の強行を見てもそう感じる。

 太平洋戦争・大東亜戦争突入の責任は陸海軍だけにあるのではない。世論が後押しした。開戦前年、月刊誌「文芸春秋」が読者アンケートで、米国との外交交渉について聞いたところ、「強硬に出る」が431票で6割を占めた。

 大衆は集団の威を借りて強硬論を後押しする傾向がある。慎重論は次第に力を失っていった。ドイツでも国民の熱狂的指示でヒトラー政権が誕生し、悲劇が始まった。

 東条首相ら指導者に、開戦回避のプラン、開戦後の講和プランが全くなかったわけではない。世論の過熱が政治決断を難しくした。

 軍部とともに大衆を戦争へと導く一翼を担ったのが、当時の新聞。開戦を煽れば煽るほど発行部数が増えた。言論人の多くが戦争支持に回った。

 ネットの発達などで、ポピュリズムが勢いづきやすい時代を迎えている。だからこそ、メディアは一歩引いて冷静な視点、客観的状況分析、感情に流されない情報を提供する役割を担って欲しい。

8/15(月) 曇り午後から降雨 健康クリニック 飯川病院日直 ポツダム宣言受諾日
 2:00起床。文献・新聞、医学論文チェック、録音データ整理。8:00回診に行く家内に同乗、旭川の、千秋公園のコイに給餌。9:00-11:20健康クリニックドック12名、結果判定14名。11:30飯川病院。12:00検食読書、微睡、新聞切り抜きなど。13:00飯川病院盆休みのために午後日直。14:00旧知の同僚来院歓談。降雨の中19:20迎えあり帰宅当。18:00検食、19:30就寝。歩数計5423歩。

77回目の終戦記念日(1)
 太平洋戦争終結から本日で77年。今年は開戦から81年に当たる。国内外の多くの犠牲者に哀悼の意を表し、平和の尊さを再確認し、反戦への誓いについて考えたい。

 戦前・戦中生まれは全人口の7人に1人になった。戦争を経験した旧軍人は1万人を割り込んでいる。私もギリギリ戦中派に属す。だから戦争について学ばなければならないと思う。

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 (1)私は太平洋戦争に関しては以下のように感じている。
 ■日本は1931年、中国東北部で軍事行動を起こし翌年には満州国建国を宣言し、日本の傀儡とした。力による現状変更を試みた。国際連盟が満州での中国の主権を認めると、連盟を脱退。その後、日中戦争、太平洋戦争と突き進んだ。
 ■8月15日はポツダム宣言受諾の日。正しい終戦日は降伏文書の調印式が行われた9月2日。
 ■日本は実質的には敗戦した。しかし、戦争は外交手段の一つで勝ち負けはない。あるのは降伏したという事実、残ったのは悲惨さだけであった。
 ■二度と戦争という過ちを繰り返さない、と平和の誓いを新たにした。素晴らしいことだが、それでも武力衝突は起こりうる。
 ■日本は過ちを犯した?複雑な国際関係の中で追い込まれ、止むに止まれず開戦に至った、と考える。開戦回避の方法はあったが生かせなかったことが悔やまれる。
 ■アジアの国々の人々も巻き込んで多大な犠牲を強いたが、列強の圧政からアジア諸国を救ったのも事実。
 ■最終的には米国の無差別爆弾や原爆の投下という国際法に反する非人道的行為を受けた。しかし、国際的にも国内でもまともに評価されていない。戦後政府の姿勢は良くなかった。

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 (2)最近の国際情勢について
 ロシアによるウクライナ侵攻が長期化し、終結の見通しが立たない。ロシアはNATO加盟を目指すウクライナの動きを阻止しようと軍事侵攻を開始。独立国への明白な侵略行為で容認できない。
 中国は台湾周辺を含む東・南シナ海、沖縄県・尖閣諸島周辺で、不穏な動き起こしている。台湾問題は日本を含む先進G7が「一つの中国」の原則を認めている。先のペロシ米下院議長の訪台に対抗した大規模軍事演習では、日本の排他的経済水域(EEZ)に弾道ミサイルが数発着弾した。台湾有事が日本の安全保障に深刻な影響を及ぼす懸念がある。
 時間はかかるだろうが血を流さずに解決してほしい。武力による解決は歴史上のしこりを残す。そういう意味では国際的監視は必要だ。台湾問題は難しい。
 
  北朝鮮の動向にも警戒が必要だ。
 日本の安全保障環境がかつてないほど緊迫の度を高めている。直面する危機の打開のため、地道に外交努力を続けることが日本には求められる。

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 (3)日本国憲法は戦争放棄を掲げている
 平和外交こそ日本の取るべき道であると再確認することは当然であるが、それが限界を迎えそうになったらどうするかも考えておくべきである。
 政府、自民党は防衛費を大幅増額し、防衛力を強化することを目指している。「敵基地反撃能力」の保有検討も進める。有事の際、国民の命を守る手段は必要と思う。
 日米同盟は抑止力になっているだろうが、どれだけ我が国が守られるのか、実際にはどうなるのか、よくわからない。

8/14(日)晴  
 1:45起床、文献チェック。本読み、録音データ整理他。8:30外仕事、草刈り20回目、家周辺北側、畑。北側ダリア周辺。野菜収穫。腐食した金属の回収廃棄準備。11:00暑くて終了、読書、微睡。NHK昼のニュース、のど自慢。微睡読書三昧。16:00書斎にて。録画、マーラーNo2、モーツアルトNo29、N響パガニーニVn協No1、チャイコNo5、Beeth No3など楽しむ。19:00夕食。20:30就寝。歩行Σ7369歩。

音楽談義2022(9)歌謡曲が好き(9) 歌謡曲、演歌の衰退で私は寂しい
 歌謡曲、演歌業界には「大阪頼み」があるそうだ。大阪を題材にしたご当地ソングは売れるという。

 確かに大阪を舞台にした演歌は多い。 「宗右衛門町」、「法善寺横丁」など魅力的な地名や地域にも事欠かない。題名に「道頓堀」がついた歌だけで200はあるそうだ。ぴんからトリオの「女のみち」は1972年の発売で300万枚超えのメガヒットとなった。将棋棋士・坂田三吉をうたった「王将」は高度成長期、急発展する首都・東京を追う大阪の応援歌でもあった。「東京ラプソディ」に対して「大阪ラプソディ」が作られヒットした。

 演歌は庶民の心のよりどころであり、慰めであり、共感の歌であった。
 朝鮮戦争による特需による経済復興、1972年(昭和27)に発効したサンフランシスコ平和条約で主権を取り戻したが、その後の日本の復興と成長はめざましかった。 昭和30年代~40年代のほぼ全期間を通じて、日本経済は右肩上がりの高度成長をつづけ、一気に繁栄のきわみに達した。

 庶民の楽しみの中心であったラジオはステレオ装置となり居間や座敷に鎮座し、家族みんなで楽しんだ。

 ところが、日本が輝ける時代への入り口に立ったこの時期、歌謡曲は総じて清新さと活力に欠けるようになった。専属制の作曲家、作詞家、アレンジャーによって生み出されてきた歌謡曲の世界に、停滞と衰退の兆候が見えはじめた。型にはまった詩と曲、ヒット曲のスタイルを踏襲することで満足する歌づくり、 そんなふうにして量産される歌。 そこに新しさなど生まれるはずもない。

 ところが1980年代になると、「泥臭い」、「グジュグジュ・メソメソ」調の歌謡曲を嫌う若者たちが台頭し、能ある若者は自分で作曲し自分で歌うシンガーソングライターとして、いわゆる「メッセジソング」を発表し世に問うようになった。
 「君は一人じゃない」とか、「元気をあげる」とか、「勇気を出せよとか」、「オンリーワンだよ」、という湿りけのないカラッとした前向き志向の歌である。演歌と異なり、そこに偽善が見え見えであるが、だから良いのであろう。

 私としてはとても寂しい時代となった。「グジュグジュ・メソメソ」調の歌謡曲を好む私は口ずさむ曲がなくなった。曲が複雑化し煩くなった。かつて大晦日の「紅白歌合戦」は私にとっても大きなイベントで小学校の頃から殆ど欠かさず見ていた。TVの時代になり、大勢の少年少女が舞台を埋める人海戦術、過剰演出、面白くもない歌の数々、放送時間の拡大・・・、ついに2005年頃に耐え難くなり、私は紅白と完全に決別した。これはしかし、発想の転換が出来ない私側に原因があるのだろう。

 音曲の楽しみ方の変化も大きい。ウオークマン、iPodを利用してヘッドフォンで一人一人が個別に楽しむ時代になった。

 それでも、私は未練断ち切れず最新の歌謡曲にも準積極的ながらアプローチし、何かいい曲はないか??と毎日井戸を掘りつづけている。

8/13(土)曇り小雨のち午後晴れ 飯川病院は盆休み一日目 北秋に降雨被害
 2:30起床、文献チェック等、本読み等。午前は座学、午前は自炊ほかのデータ整理。午後微睡、15:30草刈り19回目、家周辺北側、畑。結構暑い。17:00書斎で音楽録画楽しむ、バーンスタイン、マーラーNo2復活。19:00夕食、20:30就寝。歩数計7735歩。

音楽談義2022(9)歌謡曲が好き(9) 歌謡曲の主旋律を生かす前奏、伴奏が素晴らしい
 歌謡曲とは、「歌詩・曲・歌い手」の三つをセットとし、ヒットをねらって売り出される商業的歌曲のこと。そのうちの主役は何と言っても歌い手、すなわち歌手であるが、重要度から言えば歌詩・曲を含めて優劣は決められない。
 
 ただ歌手の場合は、最終的表現者として個性と歌唱力等がその音曲そのものの価値を決める別格の立場にある。歌謡曲、演歌の場合は歌手と音曲は切っても切れない二卵性双生児の関係にある。

 余談であるが、著明な歌手のヒット曲をカバーして若手が歌うと違和感が拭えない。モノマネに徹すれば良いのであるがプロはそれができない。だから個性を発揮しようとする。そうすると歌のイメージが激変する。多くはオリジナルを超えることはできない。それだけ歌手とか曲は一体の関係にある。

 その点ヒットしなかった曲、忘れ去られた曲がカバーされることによってその音曲に新しい命を吹き込まれる場合がある。その良い例が1922年(大正11年)の二村定一が歌った流行歌「君恋し」。1961年(昭和36年)フランク永井のカバーにて命を吹き込まれレコード大賞まで受けている。二村定一が歌った流行歌「君恋し」はほとんど忘れ去られていたからこの現象が起きた。

 しかし、私が歌手と同様に注目するのは編曲者(アレンジャー)の存在である。日本のポピュラー音楽におけるアレンジとは、作曲家の旋律に前奏や伴奏をつけ楽曲を豊かにする作業を指す。主旋律は住宅で言えば骨格であり、アレンジャーの仕事は外装、造園にあたる。

 日本のポピュラー音楽におけるとても重要で固有の職業であるが、アレンジャーの名前がCDなどのライナーノートなどを含め外に出る事は滅多になく、影の脇役、立役者ともいえる。

 歌曲は編曲によって多種多様に変化する。編曲によって完成度が高まると言っていい。アレンジャーは音楽そのものの作曲技法、シンセサイザー等の高度な知識、録音機器等の知識も必要なため、音楽理論にとどまらず音楽制作全般に関する知識と技術を要求され、経験を重ねた演奏家や作曲家が担当している。楽曲によってはストリングス、ブラス、コーラスを専門的に担当するアレンジャーもいる。また、クラシック畑のアレンジャーもいる。導入部がブルックナーの交響曲を思わせる作品もある。松島アキラの歌う湖愁にそれを思う。

 アレンジャーは作曲家、レコード会社、音楽出版社、芸能プロダクション等の依頼、指示を受けて編曲をする。勿論、自分でアレンジまでする作曲家もいる。冨田勲氏がそうであった。

8/12 (金)降雨 大曲中通病院 飯川病院ボランティア 秋田県北部に降雨被害
 1:45起床,文献・新聞チェックその他。5:30項羽の合間を縫って一般ゴミ提出、7:35Taxi駅東。8:11こまち。大曲市内は雨と足低痛のために往復Taxi。8:55大曲中通病院外来。帰路の新幹線は乗客少ない、長崎屋古書店訪問、7冊ほど購入、16:00飯川病院ボランティア。新聞チェック、電子化。19:30帰宅夕食、20:30就寝。歩数7705歩。
音楽談義2022(8)歌謡曲が好き(8) 歌謡曲の歌詞は感傷に満ちている
 歌謡曲とは、「歌詩・曲・歌い手」の三つをセットとし、ヒットをねらって売り出される商業的歌曲のことである。当初は流行歌と言われていたが、昭和7年にNHKによって歌謡曲と命名された。その後、数々の作品が歌われてきた。

 演歌は1960年代半ばに歌謡曲から大衆芸能として人気となったジャンルで、日本人独特の感覚や情念に基づく娯楽的な曲である。当初は「艶歌や「怨歌」の字も当てられていたが、1970年代初頭「演歌」が定着した。

 男女間の悲しい情愛を歌ったものが主たるテーマであるが、他に母物・家族、人生、股旅物・任侠・望郷物などがある。いずれも私の心の中に染みてくる。

 私は人生経験は決して豊かとはいえない。だから、仮想体験として小説や演歌を楽しんできた。
 かなえられぬ恋に身を焼いたり、失恋を悔やんだり、 大抵は悲恋のドラマが歌われている。中には、男や女の深い心情を歌い上げるしっとり物もあるが、中身は単なる強がりだったりする。
  ご当地ソングといわれる曲も良い。各地の風景や盛り場などを背景に作られた歌謡曲からは見知らぬ地方の魅力を知れるが、男女の切ないドラマが織り込まれている。

 私は人前で歌う、歌われるのは共に好きではないからカラオケは行く事はないがNHK「のど自慢」で歌われる歌謡曲を視聴するのは私にとって至福のひときである。 
 歌謡曲は、歌い手も聴き手もそんな「あり」もしないドラマを想像力をかき立てて想起し、その感傷を自分の心にのせて楽しむのである。
 歌謡曲にある、人妻との恋に人知れずもだえ悩む仮想恋愛は、この歳になっても私を元気づける。

 進歩的文化人の間で日本的な流行歌や演歌は「下品だ」、「くだらん」と否定され続けていた。立場はちょっと弱いが、「不況になれば演歌が流行る」という単純な図式もある。これが大衆文化であり、大衆の心情でもある。

 演歌は、「差別され、踏みつけられている人間が、その重さを歯を食いしばって全身ではねのけようとする唸り声」である(五木寛之)、と言っている。五木が艶歌の定義として設けた「暗さ」や「感傷性」は、従来の歌謡曲のジャンル分けのどれとも異なる新しい枠組みであった。私もそう思う。

 小説の場合は読了するのに何日もかかるが、歌謡曲はそれを3分間で完結させる。見事な芸術である。
 私はここ3ヶ月ほど、クラシックの分野では特にブルックナーの交響曲3番から9番を集中して聴いている。いずれも60-90分を要する素晴らしい大作であるが、歌謡曲を決してこれに劣らない。両者を味わえる感性が備わっている私は幸せ者である。

8/11 (木)夜半から午前降雨、午後晴時折降雨暑い 
23:00飯川病院で起床,夜半から午前降雨激しい。秋田県濁部では被害も出ているらしい。徒然ほかこなす。早朝涼風ありむしろ寒い。立秋も過ぎたが私は秋の訪れが怖い。12:00回診に来た家内に同乗、帰宅。畑で収穫作業のみ。微睡、16:00書斎にて音楽関連録画確認。バーンスタイン、ベームの復刻画像。テーレマンVPOのブルックナーNo4。Mac mini(2014)にソフト入れ替え。19:30夕食、20:45就寝。歩行Σ4974歩。

大谷快挙(2) 大谷にとっては通過点に過ぎない
 大谷の10勝目を挙げ、シーズン「2桁勝利、2桁本塁打」は1918年のベーブ・ルース以来104年ぶりの快挙だという。

 しかし、実際には近代野球はルースの時代とは比較にならないほど変化している。ルースの記録は古過ぎて「ダブル2桁」を比較する意義を見いだし難い。

 その理由は以下。
―――――――――――――――――――――――――――――
(1)2桁本塁打の価値
 104年前と違い過ぎる。2018年のルースは11本で本塁打王となった。2桁本塁打を打った選手はわずか2人だけだった。
 だが今シーズンの大リーグは2桁本塁打は100人が達成している。 
 この差は何なんだろう。
 バットかボールか、はたまた選手の打撃技術の進化か?肉体の鍛え方の差なのだろうか。確かに写真を見るとルースの体型はそれほどの機能美はない。

(2)2桁勝利への評価
 大谷は初の10勝によって投打の「2桁」を達成したが、現在の大リーグは投手の個人記録としての「勝利」への評価は低い。先発投手以外の因子で勝敗が決まることが多いからである。
 先発としていかに責任を果たしたか、イニングあたりに出した走者数、被本塁打数などが評価を決める。
―――――――――――――――――――――――――――――

 先発投手の勝利数は、いろいろな因子が反映した結果であり、勝利数単独の数値は評価されにくい。一昔前は完投することが評価されたが、現代では投球数約100球で降板するのが通常となった。
 先発として素晴らしい投球で勝利投手としての権利を得て退いたとしても、打線が低迷したり、後続の投手陣が撃たれて逆転を許すと勝ち投手にはなれない。大谷の場合はこれで失った場合が何度かあった。

 ただ、大谷の2桁勝利は、チーム打率が低迷し、弱体リリーフ陣を背景に得た記録だけに、特別である。
 大谷は先発投手として勝利を呼び込むダントツのパフォーマンス、打者としての抜群の能力が評価を得ている。だから、「2桁勝利、2桁本塁打」は特別価値があるのだ。

 要するに、「野球の神様」として今でも崇められているルースと比較して大騒ぎされているが、比較にそれほどの意味がなく、ルースと優劣を論じることはできない。
 あえて比較すれば・・・、結論は自ずから明らかであろう。

 大谷が別のチームなら・・・、二刀流の機会が潰されるかもしれない。二刀流であることは選手たちの機会を奪うことにもつながるから、納得と理解のあるチームでなければ力を発揮できない。シーズン途中での移籍しなくてよかったと思う。

8/10(水)降雨続く午後快晴 午後飯川病院+当直 COVID-19ワクチン接種担当
1:30起床,画像データ整理、文献・新聞ほかこなす。9:20ダリアの世話、10:30受診の石井さんを迎えに行く車に同乗飯川病院、12:30:飯川病院ボランティア。14:00勤務、COVID-19ワクチン接種担当、微睡。17:00当直に就く。18:30検食、20:30就寝。歩行Σ5763歩。大谷ベーブルースの記録に並ぶ。

大谷快挙(1) 最高の一日
 私は野球にはちょっぴりだけ興味がある。最近の関心は大リーグが中心である。

 高校野球、2018夏の甲子園を席巻した金足農業高校が準優勝した時にも驚いた。決勝は見れなかったが、準決勝の2点スクイズでさよなら勝ちの試合の終盤を見ていて感激した。金農は秋田市の北にある県立の高校で全員が近隣の子供たち。私が診ている患者の親戚の子が2名いて、彼らは興奮し通し診療にならなかった。地域全体が盛り上がっていた。

 それ以前の関心は、昭和43年夏の盛岡一高の活躍、昭和44年夏の三沢高校の準優勝くらいであった。

 それ以前も以後も新聞で結果を見る程度の関心であるが、年2回の甲子園の優勝校は目まぐるしく変わり記憶にも残り難い。
 国内のプロ野球はチーム名はわかるがセパの区別もわからず、まして監督や選手名など一切わからない。

 大リーグに関心があるといえども選手個人の活躍に関してのみ。それも、野茂、イチロー、松井・・・程度、ほかはほとんど知らなかった。

 最近は、大谷、菊池雄星、ダルビッシュ。
 何しろ大谷 菊池雄星は岩手が生んだヒーローである。自然と関心が湧く。盛岡の程近く花巻東高校出身である。ダルは仙台育英高校出身と東北関連。新聞のスポーツ欄の下段にある大リーグ日本人選手の活躍は心待ちして読む。その中では大谷の活躍は目が離せない。

 7月23日は土曜日で休日。1918年のベーブ・ルース以来の「2桁勝利&2桁本塁打」記録がかかっている試合。歴史的瞬間を観れるのではないかと9:00-11;30大リーグの実況中継の試合を初めてそっくり見た。
 対ブレーブス、6回まで1安打とほぼ完璧な投球だった。ほとんど記録を手中に収めたかに思われたが、打線の援護がなく7回に崩れ負け投手となった。その後、7月29日のレンジャーズ戦、8月4日のアスレチックス戦と3連敗し記録達成はならなかった。

 で、迎えた本日、打線の援護と自らの25号アーチでチームは5得点、ついに勝利した。さらに5奪三振で、日米通算1000奪三振を達成した。 
 彼の偉業は日米だけでなく国際的なニュースとなったらしい。岩手日報は号外を発行した。

 大谷は試合後「しっかり投げていればいつかは達成できる、と考えていた」と喜びを語った。彼は偉大な記録を次々と打ち立てたがその度のインタビューの言葉は、あまりにも謙虚で淡々していた。日本人らしい、東北人らしい、謙虚さと思った。

 今日は大谷のニュースでいっぱい。私にとってもとても気分の良い最良の日だった。

8/9(火)早朝曇り午後篠突く雨 長崎原爆投下77年 中通病院外来 飯川病院ボランティア
2:00起床,文献・新聞ほかこなす。5:30家庭ゴミ集積所。花壇の対応散水、立秋も過ぎ、早朝涼風あり快適・・というより私は秋の息吹に恐怖感を覚える。6:40バス飯川病院。8:45-13:00中通病院内科外来。13:20飯川病院、疲弊する。14:00微睡1時間、読書ほか、19:20帰宅夕食。20:30就寝、歩数9351歩。恒例の墓参り、鎮魂・家族親睦小旅行今年もなし。

被爆投下77年目の夏(4)   核廃絶に希望の一歩も刻まれた年
 広島は8月6日、長崎は8月9日、被曝77年を迎えた。
 2045年末までの推計死者は広島約14万人、長崎約7.4万人。
 長崎の記念式典は本日しめやかに行われた。両市の式典に非人道的な無差別殺戮を行ったアメリカに対する非難の雰囲気は見られず、慰霊の式典を淡々と重ねているだけのように私には見える。日本人はもっと怒るべきである。これでは死者の霊は浮かばれまい。

 生存する被爆者の高齢化が進み、被爆の悲惨さや実態を肉声で伝えられる時間は限られる。
 
 核兵器の保有や使用を禁止する核兵器禁止条約が1月に発効してから最初の原爆の日。米国の「核の傘」に頼っている事情はあろうが、唯一の戦争被爆国である日本が条約を批准しないのはどうなのだろうか。この辺の政府の見解も明らかにされているとは言えない。

 1954年4月1日に広島平和記念公園が完成した。日本の文化はなんでも問題点を曖昧にしたまま収めてしまう。なんで国際法に違反する無差別大量殺戮兵器が使用された公園に「平和記念」と名がつくのか?もっと直接アメリカの暴挙を糾弾する名称をつけるべきだった。たとえば「原爆による無差別殺戮を忘れないための公園」などが良い。「Remember Pearl Harbor」は日本を非難する言葉として使われる。トランプも用いた。ならば「広島・長崎を忘れるな」と言いたい。

 1945年(昭和20)東京裁判(極東国際軍事裁判)で日本の戦争指導者を裁いたが、戦勝国が敗戦国を捌くといった国際法的に違法な裁判であった。この時も無差別殺戮、原爆投下は審議の対象から外された。

 原爆投下、終戦間際の東京空襲などの無差別殺戮はアメリカにとっては戦争戦術上はもはや不要であったが、巨大な開発費をかけたために兵器として残しておけなかったという国内事情と対ソ戦略で使わざるを得なかった。すなわち兵器として残しておけなかったのだ。
 日本は兵器のゴミ処理場と化した。広島、長崎の被曝犠牲者は実にお気の毒である。終戦工作をいたずらに引き伸ばした軍部にも責任がある。

 1952年(昭和27)4月28日はサンフランシスコ講和条約が発効し、日本の主権が回復したが、その前もそれ以降も、無差別殺戮、原爆投下に関して米国の非人道性、違法性を国際社会に訴え続けなかった。北方領土、兵士のシベリア抑留も同様。この点については日本の責任は大きい。これを死者にどう説明するのか。

 核廃絶運動が実効性を持たないという背景には、平和や秩序を守るルールや枠組みが作り難いという現実がある。その主たる原因は、大国の拒否権専横でなにも前に進まない国連安全保障理事会にある。

 一方、今年は核廃絶に関して希望の一歩も歴史に刻まれた。核兵器禁止条約の締約国会議がウィーンで初めて開かれた。核禁条約が規範の新しい支柱になる一方、冷戦以降のルールを支えてきたのが核不拡散条約。この二つは核廃絶をめざす両輪である。
 だが核禁条約の初会合に、日本政府の姿はなかった。今月は核不拡散条約の再検討会議がニューヨークで開かれている。こちらには岸田首相が日本の首相として初めて出席し、演説した。「被爆の実相の正確な認識を世界に広げる」と約束したのは前向きな一歩である。「核は過ち」というメッセージを国際社会に力強く語りつづけるべきだ。

 核禁条約の会議には日本から多くの若者が参加した。国家間の壁を飛び越え、世界に共感と連帯を広げる規範の造りの新たな担い手たちとして期待したい。

8/8(月)早朝曇りのち晴れ、暑い 健康クリニックドック 飯川病院 
 1:00起床。文献チェック他。エッセイ読み、データ整理。6:40バス飯川病院、9:00-11:30健康クリニック。12人、結果判定14名、11:45飯川病院に。読書、データ整理。微睡。14:00-19:30勤務。本読。撒水。許可得て外出、千秋公園コイに給餌。バス長崎や、古書店店舗受け取りと別に4冊購入。19:10店舗に迎えてもらい帰宅、夕食、21:00就寝。歩数計積算9530歩。

被爆投下77年目の夏(3)   国際法は国連機能不全でほぼ形骸化 
 国際法は存在する。しかしながら、とても脆弱である。とても法と言えるものではない。
 各独立国では国内法は充実してきている。
 日本の国内法と国際法を比較してみれば以下のような差異があり、国際法の問題が浮き彫りになる。
―――――――――――――――――――――――――――――――
 ●立法機関がない
 国際社会には各国の議会に相当するような立法機関がない。そのため、すべての国家を拘束する強い法になりえず、理念的慣習的の形態でしか存在し得ない。

 ●裁判機関ががない
 国際社会には裁判機関がない。現在では国際連合の主要な司法機関として国際司法裁判所が設けられている。今回のロシアの戦争犯罪を論じる際にも時折話題になっている。しかし、当事国間の合意がなければ裁判できないことになっている。その結果、国際法に違反を持つような紛争でも、裁判所の判断に服するとは限らない。果てしない水掛け論が繰り返されたり、結論まで至らずに審議が終了する可能性もある。

 ●法の執行機関がない
 国際社会には法の執行機関がない。国家の場合には、警察などがあって犯罪を防止し秩序を維持するから裁判所の判決も実効的に執行できる。国際社会には、統一的な権力的機関は存在せず、国際法違反を実効的に監視・執行する制度がない。
 侵略戦争に対して国連が防止措置や強制措置をとる制度はあるが、その実効性は保証がない。
―――――――――――――――――――――――――――――――

 国際法には、このような脆弱性がある。だから、法にそぐわないレベルの機能しかないとの見方がある。
 一方、国際社会に国際法という社会規範が存在することも事実。しかし、基本的原理の確認であり実効性は乏しい。

 19世紀以降、国際的の商品取引、資本輸出が増大し、交通・通信手段も発達するにつれて、国際法の必要性は増している。通商航海条約をはじめ、領事関係、犯罪人引渡し、郵便、電信、鉄道、著作権、工業所有権などを規制する無数の条約が締結され、国際法の内容を豊富にしてきた。これらの中では国際法は一部機能している、と言えるようである。

 国家間の対立関係に関しては、第一次世界大戦以前は、戦争そのものを実行する国家の行為については、まったく放任し、法的規制の対象としなかった。いわば戦争は、国家の大義を認めさせる最後の手段とされてきた。しかし、第一次世界大戦後は、このような戦争の地位を否定し、侵略戦争すなわち攻撃戦争を違法化する一般的な条約が結ばれてきた。国際連盟規約、不戦条約、国際連合憲章はその代表的な例である。

 今日では侵略戦争の違法性は、世界のすべての国によって法的に確信されている・・・と、今年の2月までは思われていた。
 しかしながら、これらの約束はかつてのソ連の時代、それと本年ロシアによって見事に破られた。
 ソ連は日ソ中立条約があるにもかかわらず1945年(昭和20年)8月8日に対日宣戦布告を行い漁夫の利を得た。これにも日本は戦後沈黙し、犯罪性を問うことなく有耶無耶にした。

 今回のロシアのウクライナ侵攻は国連の常任理事国であり、核保有国であるロシアが、他国の領土の一体性や政治的独立を脅す武力の行使を禁じた国連憲章や国際法を無視し、大規模な武力行使によって現状変更を試た。ロシアは核兵器など大量破壊兵器の使用もちらつかせている。さらに、ロシア軍は民間人を標的とする非人道的な攻撃をあからさまに行っている。

 ロシアは批判を受けているだけで、どこからも軍事的実効的抑制を受けていない。プーチン批判は何ら実効を果たしていない。

 国際法はこの程度の力しかない。
 日本の大学にも国際法専門学者が大勢いるが、ほとんど沈黙している。何故なのか?

8/7(日)曇り降雨午前から晴れ 秋が始まる日立秋 
 1:30起床。読書、徒然、音楽関連データ整理。特に歌謡曲に集中。徒然など。ダリア写真撮影散水後、診断書記載の家内に同乗飯川病院、散水、データ入力ほか。Book Offのソフト不調、入れ替えなど。改善なし。千秋公演コイに餌。15:00バス帰宅予定も時間見間違った。Taxi千秋公園前から天徳寺まで。DIY店にて草刈り用ブレード購入。微睡以上の熟睡18:30まで。19:00夕食、のど自慢宮古市見る。20:30就寝。歩数計8214歩。
被爆投下77年目の夏(2)   揺らぐ「核のタブー」、そのルーツは東京裁判に立ち戻る 
 広島、長崎の惨禍を経て、戦後世界が堅持してきた得体の知れない規範がある。
 「核兵器を使うことは本質的な過ち」とする、モラルによる不文律である。越えてはならぬ一線として共有されてきた。しかし、この規範が今大きく揺らいでいる。そんな評価が今なされている。

 ただ考えてみるとそんな規範、誰がどんな根拠を持って作ったのか??国連が関与しているのだろうとは思うが、実効性はあるのか??私は不勉強にして知らない。
 「なんとなく形作られてきた??」、規範どころかイメージ的レベルの規範でしかなかったか。私はそう思う。核兵器を用いてはならないと明確に示した条文はあるのだろうか。多分ないだろう。国連では中露の反対にあい条文化できないだろう。

 それでも、今までは、このイメージ的規範が世界を覆っていた。そんなレベルだったから、核には抑止力ががあるもの、との漫然とした期待されていた。その規範を真っ向から否定したのはプーチンであった。

 私は、今問題になっているロシアのウクライナ侵攻、非戦闘員の殺戮、核兵器使用の脅しは、東京裁判を有耶無耶にして処理した日本の態度にも辿り着くと思う。

 東京裁判(極東国際軍事裁判)は、1946年(昭和21年)5月3日から1948年(昭和23年)11月12日にかけて行われた。戦勝国が敗戦国を一方的に裁くという報復的なあり得ない裁判であった。A級「平和に対する罪」で25名が有罪判決を受け、うち7名が死刑となった。
 おかしなことに、日本国政府及び国会は1952年(昭和27年)に発効した日本国との平和条約によりこの判決を受諾し、異議を申し立てる立場にないという見解を示した。
 独立のための政治判断だったと思うが、ここで歴史的過ちの中に日本が大きく加担した、と私は思う。

 裁判では原子爆弾の使用や民間人を標的とした無差別爆撃の実施など連合国軍の行為は一切取り上げられず、証人の全てに偽証罪も問われず、罪刑法定主義や法の不遡及もなかった。

 こうした欠陥の多さから、東京裁判とは「裁判の名にふさわしくなく、単なる一方的な復讐の儀式であり、全否定すべきだ」との意見も少なくなく、国際法の専門家の間では本裁判に対しては否定的な見方をする者も多い。

 サンフランシスコ平和条約は、1951年9月8日調印、1952年4月28日発効したが、これにより連合国による占領は終わり、日本国は主権を回復した。
 日本は、東京裁判の判決を受け入れたが、そこに政治的判断が行われた。

 しかしながら、連合国側は原子爆弾の使用や民間人を標的とした無差別爆撃の実施など最悪の国際法違反を繰り返した。
 だから、日本は裁判とは別に連合国軍の行為の問題点を明らかにすべき立場は残しておくべきだった。

 岸田首相首相や閣僚はEUやバイデンと同調していることを背景に外交を盛んに進めている。その際、各国に対し「ロシアのウクライナ侵攻は明らかに国際法違反であり・・・」と述べているが説得力を欠く。

 確かに、東京裁判の時代は国際法はまだ十分なものではなかった。
 今はどうなのか?今でも実効力を伴わない骨抜き法でないのか?それを前面に出して主張して何になる?

8/6(土)快晴暑い   広島原爆投下77年 竿灯最終日
 2:00起床,読書、入浴、専門書など座学、8;00広島原爆投下77年平和記念式典みる。9:00甲子園開会式一部みる。10:00外仕事、ダリア周辺の草刈り18回目、散水、ダリアの世話など。暑さにて継続は無理休息。午後微睡後畑収穫など。散水他、読書など。17:00書斎にて音楽関連録画視聴。ザクラダファミリアでのウイーンフィル、ブルックナーNo4ほか堪能。新作楽曲も良かった。19:00夕食、20:30就寝。10545歩、意外に動いたものだ。
被爆投下77年目の夏(1)   核兵器への考え方が変わってきた 
 被爆投下77年目の今回はこの日を前回と様相が異なった状況で迎えた。
 私はここ数年広島/長崎の平和記念式典中継をラジオで聴いている。業務で聞けない時には録音する。従来まではややマンネリ化した式典と考えていたが、今年は新しい気持ちで聴いた。

 広島平和公園にある記念碑(原爆死没者慰霊碑)は昭和27年(1952)8月6日設立された。中央には原爆死没者名簿を納めた石棺が置かれており、石棺の正面には、「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」と主語のない言葉が刻まれている。誰の過ちなのか??まさか被爆者が主語ではなかろう。日本の軍部か??投下したアメリカなのか??アメリカなら、トルーマンなら納得できるが、はっきりしない不思議な碑である。

 それとは別に、核兵器のあまりの破壊力に現実の兵器としては使用し難いことから、全世界の多くの人たちが「過ちは繰り返すことはないだろう」、と漫然とした期待感を持ってきたが、ロシアが、プーチンが核の使用も辞さないと脅しに使い、今年2月に現実にウクライナを侵略している。

 核兵器使用の現実味が深まって迎えた被爆77年の夏である。
 「核兵器の危険が冷戦最盛期のレベルに高まっている」。平和記念式典に来日した国連の事務総長はそう警告する。

 たとえ核兵器を使用しないにしても独立国に対し力で侵略することは許し難いことである。ただ許し難い、というのはあくまでも理念だけのレベルであることが今回のウクライナ侵攻によって示された。国際法違反と騒いでも、誰もプーチンを、ロシアを捌けない。国連ですら捌けない。

 主義主張は異なっても、たとえロシアと友好関係にあって政治経済的に利害関係があるとしても、一国の主権を力で犯すロシアの暴挙に対して明確に反対しない国々があるのは驚きである。そのような国はロシアの行為をを容認するだけでなく、期が熟せば自らもそのような方法をとる可能性を示しているようなものだ。こんな国は信用できない。

 77年前に刻まれた広島・長崎の教訓を忘れられたわけではなかろう。ロシアの暴挙後に各非保有国で核保持の論議を始めている国もある。
 核の唯一の被爆国である日本でさえ米国の核兵器を共に使う「核共有」が一部で語られている。
 核軍縮の国際合意に背くばかりか、核リスクをむしろ高めかねない、懸念すべき状況である。

 8/5(金) 晴れ暑い 大曲中通病院 飯川病院ボランティア 竿灯三日目
 1:05起床,文献・新聞チェックその他。5:30一般ゴミまとめだけ、7:40Taxi駅東。8:11こまち。大曲市内は暑さ足低痛のために往復Taxi。8:55大曲中通病院外来、混雑なし。帰路の新幹線は乗客混雑、書店訪問、15:20飯川病院ボランティア。散水など。新聞チェック、電子化。19:30帰宅、車はスムーズに、夕食、20:30就寝。歩数7910歩。

音楽談義2022(7)歌謡曲が好き(7) 繁栄の時代の歌謡曲界 ひばりvs千代子
 日本が戦後の窮乏、混乱期から本格的な復興期に入ったのは、昭和20年代中盤である。その大きなきっかけは、昭和25年(1950)に勃発した朝鮮戦争である。戦争特需で日本経済は息を吹き返した。

 その後の日本の復興と成長はめざましかった。経済白書が「もはや戦後ではない」と宣言した昭和31年前後から、 昭和30年代~40年代のほぼ全期間を通じて、日本経済は右肩上がりの高度成長をつづけ、一気に繁栄のきわみに達した。

 この時期の歌謡界を考えるときに、不世出と思われる美空ひばりの存在を挙げなくてはならない。
 美空ひばりは昭和12年(1937) 横浜生まれ。8歳で初舞台、12歳で「河童ブギウギ」でレコード・デビュー。次作「悲しき口笛」では素晴らしい歌を聞かせる。その後、「東京キッド」、「リンゴ追分」、「お祭りマンボ」、 「港町十三番地」などのヒットで、昭和三十年代には押しも押されもせぬ歌謡界の大スターになった。

 私は鉱石ラジオで、次いでトランジスタラジオでひばりの歌はよく聴いていて好きであったが、TV時代となってから評価が一変した。あまりにも堂々とした仕草、周囲を睥睨する不遜そうな表情は、若く気の小さな私には理解をこえていた。その後、ひばりには少し距離を置いたが、ちょっと遅れてきた島倉千代子の方が身近な温かさが感じられた。

 ひばりの楽曲はその後も広く聴いてきたが、私も中年になってひばりしか出せない世界に納得できるようになった。「柔」、「悲しい酒」、 「川の流れのように」等の抒情豊かな表現を心から味わった。ひばりはどの曲もこれ以上の表現はないと思わせる完璧な歌唱で、誰よりもうまく歌いこなした。
 ひばりは昭和が終する前後に亡くなったが「昭和の大スター」の名に値する名歌手であった。歌謡曲の世界を語るときにひばりの存在を抜きには語れない。

 歌謡曲は、「歌詩・曲・歌い手」の三つを一セットとし、ヒットをねらって売り出される商業的歌曲のこと。
 だから歌謡曲の世界では歌手の持つ個性が重要である。だから、各作品ごとに特徴と価値がある。優劣を評価しあってもしょうがない。ひばりと千代子は共に素晴らしかった、と思う。

 一方、他の歌手によって歌われた、私の好きな曲はたくさんある。私は歌謡曲が好きである。

8/4(木)晴れ暑い 午前レセプト処理 午後飯川病院 竿灯二日目
1:00飯川病院で起床、新聞データ化と整理。画像データ処理。午前は昨夜忘れたレセプト処理、このまま暑くて病院で座学。15:00入院患者対応、読書。家内は弥高会館での講演会に出席。18:00千秋公園コイに給餌、18:32バス帰宅、19:00帰宅、夕食、20:30就寝。歩数計積算6090歩。

音楽談義2022(6)歌謡曲が好き(6) 戦後の窮乏時代を支えた歌謡曲
 1945年(昭和20)、東京大空襲、沖縄戦、2発の原爆という国際法違反の無差別殺戮などの悲劇的出来事を経て、8月15日に日本はポツダム宣言を受諾し戦闘を停止した。この日が終戦ということになっているがそれは正しくない。
 8月28日、米軍の第一次進駐部隊が神奈川県の厚木飛行場に着陸し、2日後には占領地である日本の最高権力者となったD・マッカーサーが厚木飛行場に降り立った。

 9月2日に米戦艦ミズーリ号の甲板で降伏文書の調印式が行われ、マッカーサーが終戦を宣言した。降伏文書が調印され、足かけ5年にわたる太平洋戦争は公式に終了した。だから、この日が終戦日ということになる。

 並木路子が歌った「リンゴのうた」は日本の戦後のヒット曲第1号となった。可憐な少女の思いを赤いリンゴに託して歌う歌詞が、終戦後の焼け跡の風景や戦時の重圧からの解放感とうまく合っていたのと、敗戦の暗い世相に打ちひしがれた人々に明るくさわやかな歌声がしみわたり、空前の大ヒットとなった。

 私は昭和27年頃鉱石ラジオを作ってもらい、以降ラジオの虫となった。その中で最も楽しめたのは落語と歌謡曲であった。
 当時、ヒットした歌謡曲の寿命は今より遥かに長かった。「リンゴのうた」は終戦間も無く発表になったが、その頃も頻回に放送されていた。

 私は2008年以来、NHKで放送された歌謡曲は録音し、ライブラリーとして蓄積してある。多分、1.5000曲は溜め込んでいると思う。

 その中から、昭和20年代にヒットした曲、私の記憶にある曲を抜き出し分類してみると以下の如くである。
――――――――――――――――――――――――――――
(1)昭和20年代 焼け跡・復興の街に頻回に流れた歌
●リンゴの歌 ●長崎の鐘 ●長崎のザボン売り ●帰り船 ●君待てども ●東京花売り娘 ●東京ブギブギ●星の流れに ●異国の丘 ●モンテンルパの夜はふけて ●東京キッド ●東京シュウシャインボーイ ●テネシーワルツ ●お富さん ●東京の屋根の下・・・・・

(2)昭和20年代 男性歌手のヒット作
●夢淡き東京 ●憧れのハワイ航路 ●上海帰りのリル ●ハバロスフク小唄 ●ダンスパーティの夜 ●伊豆の佐太郎 ●町のサンドイッチマン ●若者よ恋をしろ

(3)昭和20年代 女性歌手のヒット作
●愛のスイング ●港の見える公園 ●かりそめの恋 ●東京の門 ●赤い靴のタンゴ ●連絡船の歌 ●ドミノ ●愛のスイング  ●三味線ブギウギ ●お祭りマンボ ●君忘れじのブルース ●情熱のルンバ ●星屑のタンゴ ●静かな夜のビギン ●水色のワルツ ●東京ワルツ

(4)昭和20年代 デュエット作
●しらとりの歌 ●トンコ節 ●黒いパイプ ●誰か夢なり ●サムサンデイモーニング ●夢で逢いましょう ●火の鳥 ●頬寄せて ●モダン金色夜叉 ●さいざんすマンボ ●花の命は ●貴方と共に

(5)昭和20年代モダン歌謡集
●愛のスイング ●待ちましょう ●巴里の夜 ●銀座カンカン娘 ●ユトリロのうた ●午前2時のブルース ●東京の門 ●夜の囁き ●陽気なバイヨン娘 ●そよかぜのビギン
――――――――――――――――――――――――――――
 昭和20年代といえば私は小学校3年であった。もちろん、童謡や唱歌にも親しんでいたが、よくまあこんな大人の曲を聴いていたものだ、と思う。

8/3(水)午前降雨午後晴れ 午後飯川病院+当直 COVID-19予防注射担当外来 竿灯初日
1:30起床,昨晩よりは寝苦しからず。読書、録音のデータ整理中心。読書データ整理、10:50バス、2丁目橋で降車、川反入り口前から長崎屋バスターミナルへ、古書店2冊購入。バス12:45飯川病院、14:00-15:30 COVID-19ワクチン接種担当、外来入院患者対応。17:00当直業務、18:00検食。20:30就眠。歩数計積算8457歩。
音楽談義2022(5)歌謡曲が好き(5) 戦時下の芸術家、その作品を批判出来ない
 日本人は軍歌を介して文化的に、感情的に洗脳された。それほど音楽の持つ力は大きい。歌は直接聞き手の情緒に訴えるのでその影響力は計り知れない。戦時音楽には影響力があったが、罪があるとまでは言えない。

 軍歌の多くは名曲である。
 名曲だから名曲なのか、聴くものの心を深く打つ厳しい時代だったから、国民の心の深くまで浸透したから名曲になったのか、私は判断できない。当時の若者は人は勇躍、戦地へと赴いたが、その際、身近に勇壮な音楽があった。

 軍歌は人を煽り、洗脳する効果があった。軍歌は、いい歌であればあるほど、名曲であればあるほど影響力は大きい。

 戦後、音楽界で「戦犯論争」が起こった、とされるが関係者が処罰されたりすることはなかった。

 同じことは絵画の世界でもあった。
 画界の中で「戦争協力者」として突出して非難を浴びたのは藤田嗣治画伯である。氏は「秋田の行事」で秋田県民には広く親しまれている画家であり、私も好きな画家の一人である。
 氏は太平洋戦争に突入した時点で陸軍美術協会理事長に就任し、軍部の依頼で戦争画の製作を手掛けた。戦地を訪問し『ノモンハン事件』や『アッツ島玉砕』などの作品を描いた。戦場の残酷さ、凄惨、混乱を細部まで濃密に描き出しており、数多い戦争画の中でも傑出していると思う。
 戦後、氏は画界で「戦争協力者」批判された。最も強く批判したのは同業者たちであった。彼はその状況に嫌気が差し、日本を去った。

 著名な作品を残した音楽家、画家が戦後批判にさられたのはその時代を顧みるにあたって通るべき道の一つである。しかし、彼ら芸術家はその時代に住み、優れた才能、技術を国家に提供し、そこで最良と思われる作品を作り上げた。これは芸術家としてあるべき最良の姿で自然の姿である。戦闘の現場にいて戦った戦闘員と立場に大きな差はない。
 結果的に聴くもの、歌うもの、鑑賞するものに大きな感銘を与え、戦意を高揚したとしても振り返って罪に問うべきものではない。

 異なった時代、異なった年代の者が戦時下での判断を軽々に批判してはならない。批判するなら自らをその時代に同化できるほど、その時代を十分に学び、掘り下げた後でなくてはならない。私はそう思う。

 ただ、日本を戦争に導いた軍部、政治家、識者達の責任はもとより、世界の同様の立場にあった人々の足跡は検証し尽くさねばならない。

8/2(火)曇り時折降雨 28℃ 外来 飯川病院ボランティア  
2:00起床,寝苦しい、汗びっしょり、腓返りあり。いつもの如く。5:00可燃ゴミ廃棄。散水。6:40バス飯川病院、若干濡れる。8:45-12:00外来、予約患者10名程度と少ない。12:15飯川病院、19:00までボランティア。19:15帰宅、夕食。20:30就眠。歩数計11012歩。竿灯明日から。

音楽談義2022(4)歌謡曲が好き(4) 歌には洗脳作用もある
 明治維新は見事な無血革命であった。その背景には列強からの脅威があった。
 そのため明治政府の政策は最初から富国強兵にあった。あらゆることがこの方針のもとに進められた。
 結果として日清、日露戦争では、・・・本当は綱渡りではあったが、目覚ましい成果を挙げ、国際的にも日本の存在が認められることとなった。実際にはこれ以降、日本の行き方に暗雲が覆う様になる。

 迎えた昭和中期は戦争の時代である。
 満州事変は、中国軍が相手とはいえ、実質的には張学良の中国東北軍との限定戦争で、短期間で満州全土を制圧した。 しかし、日中戦争 (昭和12年7月) は中国国民党に加えて、精強な中国共産党軍も相手にしなければならない。

 そんな事態に、国民の戦意高揚が必要と見てとった政府は、開戦1月後の8月に、「歌の統制」に乗り出し、退廃的な歌を事実上禁止した。翌9月には、政府の肝いりで 「威厳と力のある国民歌」を公募した。 入選歌が 「愛国行進曲」(昭和12年12月)で、レコードは100万枚売れた、と言う。 当時それほど蓄音機が普及していたのか??信じ難いことである。

 一方、日中戦争開始早々の昭和12年9月に出たのが、「勝ってくるぞと勇ましく 誓って国を出たからは・・・」の「露営の歌」で、この曲は日中・太平洋戦争期を通じて最も歌われたという。 他に「出征兵士を送る歌」、「暁に祈る」もある。

 他の国にも軍歌はあるが、それは兵士が歌うものであった。
 しかし、日本の軍歌は、戦闘をうたって士気を高めるだけのものではない。むしろ、天皇のために挙国一致で戦っているということを強調した国民歌の様相である。 「御稜威」、「皇国」などの表現から、天皇が確固たる中心となっていることがわかる。
 当時の日本人にとって、天皇はすべての価値の源泉であり、日本人としての美意識であり、心の拠り所だった。

 天皇のために進んで死地に赴くことをうたい、靖国神社で会おうという形が軍歌の一つのパターンとして美しく完結する。明治以来の天皇制国家日本がつくり出した美意識であった。

 おりしも、昭和15年(1940)は、神武天皇即位から2600年目にあたるとされ、さまざまな奉祝式典が開催された。音楽界でも、新作の楽曲を発表する奉祝芸能祭や、ドイツのR・シュトラウスら一流作曲家に委嘱した曲の演奏会などが開催された。 その天皇と国家のあり方を象徴する歌が 「紀元二千六百年」であった。

 歴代の為政者は日本を強大にしてゆくために、天皇を崇め、軍国主義を進めることが最もふさわしい、と判断してきた。

 日本人は軍歌を介して文化的に、洗脳されてしまった。それほど音楽の持つ力は大きい、と認めざるを得ない。

8/1(月)朝に小雨のち快晴32℃ 健康クリニックドック 飯川病院 
 1:30起床,書斎暑くて汗びっしょり。文献チェック他。エッセイ読み、6:40バス飯川病院、9:00-11:30健康クリニック。12人、結果判定14名、11:45飯川病院に。読書、データ整理。微睡。14:00-19:30勤務。本読。撒水。19:45帰宅、夕食、21:00就寝。歩数計積算8290歩。

音楽談義2022(3)歌謡曲が好き(3) 初の歌謡曲は「カチューシャの唄」
 歌謡曲とは、「歌詩・曲・歌い手」の三つを一セットとし、ヒットをねらって売り出される商業的歌曲のこと、と定義される。当初は流行歌と言われていたが昭和7年にNHKによって歌謡曲と命名されたという。
 その第一号は1914年(大正3年)松井須磨子が歌った「カチューシャの唄」とされている。詩は島村抱月・相馬御風、作曲は中山晋平。

 この歌が生まれる前、1897年(明治30年)頃、滝廉太郎は「花」、 「箱根八里」 、「荒城の月」などの素晴らしい歌曲を発表した。愛唱歌というべきほど親しみやすい作品であるが、これらはもちろん「歌謡曲」とは言えない。歌う人を限定していないからである。

  「カチューシャの唄」は公演を見た人からの口コミに端を発し、次いで新聞各紙が各地での「流行」を伝え、レコードが発売され、当時としては大ヒット、松井は大スターのはしりでもあった。

 昭和初期は自由を求める革新思想の時代にはいるが、庶民の楽しみは「浅草オペラ」の流行に象徴される「エロ・グロ・ナンセンス」隆盛の時代を迎える。当時、風俗店は全国で3万店もあったとされる。爆発的隆盛であった。

 しかし、南京事件勃発、5.15事件もあって政局は不安定となって当局の取り締まりが厳しくなった。
 この時代、私は生まれていないが、「出船の港」、「波浮の港」、「東京行進曲」、「東京音頭」、「影を慕いて」、「酒は涙か溜息か」 、「丘を越えて」、「二人は若い」、「東京ラプソディー」などがあり、SPレコードの復刻版、再録音盤で楽しむことが出来る。ラジオ深夜便でも時折取り上げられる。

 昭和の中期は戦争の時代である。
 ここでは何でもあり、多彩であった歌謡曲は発売禁止などとなり、軍歌調の歌で占められるようになる。国民精神を高揚させる目的があった。「国境の町」、「人生の並木道」、「九段の母」、「満洲行進曲、「肉弾三勇士の歌」などであるが、私は軍歌は勇壮すぎて好きになれないので自分で口ずさむことはない。

 例外的に、私が身近に感じるのは行進曲「軍艦」、いわゆる「軍艦マーチ」である。明治の終わり頃に作られていたが、戦前盛んに演奏され、1941年(昭和16年)12月8日の日米開戦時にも繰り返しラジオから流された。海軍省の制定行進曲であった。
 私が卒業した岩手県立盛岡第一高等学校の校歌は、行進曲「軍艦」の旋律に別の歌詞をつけたものである。1968年(昭和43年)の第50回全国高校野球選手権大会では甲子園球場で校歌が流れたが、一瞬球場がフリーズしたが如くに静まり返った。半信半疑、何かの間違い??と全国の誰しも思ったに違いない。その時私は23歳、その時の様子は新潟大学の学生寮のTVで見たが、その後は残念ながら勝利校の校歌として流される機会はまだない。
 この項を記載するにあたって盛岡一高の応援風景をYouTubeで見た。バンカラスタイルの応援団はかつてとは変わっていない。ちょっと涙腺が緩んだ。

7/31(日) 快晴暑い 31℃
 2:00起床。いつものごとく。エッセイ読み。朝の涼しい時間に散水とダリア世話若干。9:00以降は座学。12:15のど自慢、微睡、そのまま読書、作文、17:00庭掃除、小枝など片付け。19:00夕食、20:45就寝。歩数計積算5655歩。
音楽談義2022(2)歌謡曲が好き(2) 時代をうつす曲
 私が歌謡曲を再認識し集中的に聴き始めた背景の一つは、近代日本の歴史を再勉強していることにも関連している。

 昭和の政治、経済、社会等の歴史から学んでいると芸術面ではどうだったのかと言う興味もわく。文学、絵画、演劇、映画等、どの分野も政治、社会、国際情勢等の影響を大きく受けている。これらの分野の変遷を近代日本が辿った足跡に重ねて見る事で一層興味がわく。

 その中でも、歌謡曲は特に世相を濃厚に反映している。
 戦前は、まず、口コミで広がり、新聞に取り上げられることでさらに流行、更に、レコードと楽譜も発売され大ヒットとなっていった。 この当時は新聞の果たした役割は大きい。

 昭和の時代を概観すると、以下のように分けられる
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●大正から昭和にかけては、大正デモクラシーの時代
●昭和初期は自由を求める革新思想の時代、
●中期は戦争の時代、
●戦後の窮乏時代
●復興繁栄の時代
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 昭和初期から歌謡曲と呼ばれることとなった流行歌は戦後ラジオの普及と共に日本の津々浦々で聴かれるようになり、次々と国民的ヒット曲が生まれるようになる。

 歌謡曲は昭和時代と並走し、戦後の窮乏時代を支え、その後の復興繁栄の時代の喜びを享受するなど、時代を濃厚に映してきた。この時代、TV、ステレオ装置の普及が音楽文化の育成に、歌謡曲の発展に大きな役割を果たしてきた。
 
 歌謡曲は日本人の心を表現している。だから、そのまま末永く続くかに思えていたが、昭和から平成に移る頃から若者を中心としたライフスタイルの変化と共に歌謡曲は急速に衰退していった。従来は家族がみんなで楽しむ娯楽から、個人個人がそれぞれ別の部屋で個別の娯楽に変化したことは大きい。

 歌謡曲の領域はジャンルが分散化し、楽曲も分散化していった。この流れの中で、ニューミュージックが台頭し、シンガーソングライターが多数誕生した。結果的に古き良き時代の歌謡曲作家、歌手達、特に日本的歌謡の、いわゆる演歌と言われる分野は大きく衰退した。

 この変遷にソニーのウオークマンが果たした役割は大きい。その後、大量の曲を持ち運ぶことができるアップルの音楽再生装置、iPodシリーズは若者達を中心に普及した。私も飛びつき、頻用した。


7/30(土) 快晴暑い 飯川病院午前日直
 2:00起床。いつものごとく。朝の涼しい時間に散水とダリア世話若干。8;30回診のかないに同乗飯川病院に。9:00-12:30日直業務、午後は帰らず、そのまま読書、作文、医学文献読み、微睡、19:00帰宅、夕食、20:45就寝。歩数計積算5655歩。

音楽談義2022(1)歌謡曲が好き(1) 録音歌謡曲をデータベース化
 私は音楽が好きである。いわゆるクラシックと言われる分野が中心であるが、民謡、浪曲、ポップス等を含め広く、あまりジャンルを問わない。ただ、ジャズはちょっと遠い。

 この2−3年はクラシック分野で特に頻度が高いのはブルックナー、マーラーの曲が中心。近代の作品はあまり聞かなくなった。ブルックナーの交響曲は、特にチェリビダケ指揮ミュンヘンフィルの演奏に集中して聴いている。私にとってブルックナーの曲は総じて宗教音楽に近く、聴く度に敬虔な気持ちになる。

 私はもともと歌謡曲が大好きである。特に昭和時代の歌謡曲が好き。
 昭和の歌謡曲は好んで聴いてはきたが、2013-15年は特別集中的に聴いた。その理由は、録りためた録音のデータベース化、インデックス作りをしたからである。

 私は2008年からFM放送のラジオ深夜便の午前1時、午前3時、午前4時から各1時間、計3時間分を連日ハードディスクに録音している。これらの録音は適宜iPod等に落として通勤途上などで聴いてきた。

 歌謡曲は2013年時点で5.000曲ほど蓄積したので全曲をデータ化した。データ化しないと曲を探し出すことは不可能だから100%無為な録音になってしまう。だから私にとって大変だったけれどもインデックス作りは楽しい作業となった。検索をかけると一発で探し出すことが出来る。これは宝である。その後も蓄積は継続しているので今の時点では約15000曲に達している。

 午前1時、午前4時からは各界の著名人(?) が登場し貴重なお話が聞けるが、これも全てインデックスを作成、いつでも呼び出せる様にしてある。加えて連日の新聞スクラップ、電子化した蔵書もいつでも呼び出せる状況にある。

 私の人生は各種のデータの収集とそれらのデータベース化に充てられている。これらは、ほぼ連日何らかの形で役立っているから無駄ではなく、楽しい作業である。

 この2年ほど再び歌謡曲を聴き始めた。
 その理由はインターネットラジオの普及であった。インターネットラジオはほとんど雑音がなく音質は極めて良好、FM放送の音質を十分凌いでいる。しかも、NHKの場合、1週間ほど「聞き逃しサービス」を利用できるので私にとって都合がいい。今はこちらの録音蓄積も始めておりデータベース化している。

 歌謡曲は昭和7年にNHKによって命名されたという。それまでは「流行歌」と呼ばれていたが、流行という言葉をNHKが嫌ったからだとされている。「流行歌」とは「歌詞・曲・歌い手」をセットとしてヒットを狙って売り出される商業的歌曲のこと(なかにし礼)であるが、それが昭和初期から歌謡曲と呼ばれることとなった。

 私は戦後時代に育ったが、「流行歌」は昭和の時代・世相を濃厚に反映している。

7/29(金)晴れ暑い 大曲中通病院 飯川病院ボランティア
 1:00起床。いつものごとく。4:30可燃ゴミ提出、収穫、散水ほか。7:30Taxiハードディスク取って飯川病院で経由駅西口に。8:11こまち、9:10大曲中通病院外来、往複足低痛、と暑さでTaxi、書店訪問、15:30飯川病院ボランティア、保健所の監査終了したばかり。19:30帰宅、夕食、20:45就寝。歩数計積算3800歩。

老医のつぶやき2022(2)   老医の技術「偽・和顔愛語」、「偽・親切」、「偽・傾聴」
 色紙や掛軸などでよく「和顔愛語」の四文字を見かける。これは仏典「無量寿経」の経典に出てくる言葉で、意味は漢字そのものである。 
 これは人に接する際の礼儀の問題で、特に医療関係者にとっても大切なことだとされている。確かに,不安に駆られて訪れてくる患者が,医師から怒ったような表情できつい言葉を投げかけられれば心を閉ざしてしまうだろう。これは当然であってこんなダメ医師は淘汰されていけばいい。
 しかし、医療関係者に特別に「親切な対応」を求めること自体がおかしい。この不機嫌な社会の中で,マンパワー不足で呻吟している医療関係者だけに「親切な対応」は求められないが「親切そうな対応」は技術として身につけることが出来る。患者対応で苦情が出る様な医師はANA、JALとかで訓練すればいい。

 最近は病院の外来カルテも電子化され、情報の入力や検査値と画像のテェックのため、医師はパリコンの画面に向かったまま患者と会話をする頓向がある。やはり、目と目を合わせ相手の表情を汲み収りながら対話することが大切であろう。マスクを着用していても表情を読み取ることができる。
 医師も悩んでいる。患者観察や対話、入力作業と和顔愛語が両立できる環境、自転車操業をしなくとも成り立つ医療環境が必要である。

 私は外来診療で多くの患者に接するが,もうそれほどの意義を感じてやっているわけではない。私が担当する外来に定期通院してくる患者は大部分高齢者で、長い方では40年超にも渡って経過観察してきた縁で繋がっている方々で「老・老」外来である。他の医師の外来に移る様勧めているが、私の「偽・和顔愛語」、「偽・親切」、「偽・傾聴」が心地よいらしく未だに残っている。嬉ししいことに、悲しいことに患者達は私を誤解している。

 私は今年77歳となり、週に2回だけ外来に出ている。人間ドックの仕事が1回ある。午後は療養病院で勤務3日、ボランティア3日勤めている。午後の業務内容は軽い。
 老医としていつまで続けられるか、私にも全くわからない。診ている患者が自然消滅して今の半数くらいになれば外来を閉じることになろうがなかなか減らない。それよりも私の方が先かもしれない。どちらが先か、全て運である。

 今もしみじみ感ずる事は、主治医の一言一句が如何に患者に強い影響を与え、且つそれが病状に関連して来るかを良く考えて発言して欲しいという事である。

7/28(木)快晴30℃予想 午後飯川病院勤務 
 1:30起床、新聞・書籍データ化準備、整理などいつもと同じ。8:00ダリアに散水。10:30バス、駅まで、長崎やターミナル、古書店、10冊購入再発防止まで。11:50バス飯川病院、微睡読書ほか、14:00勤務、患者対応なし。読書、散水ほか。19:30帰宅夕食、20:30就寝、歩数計積算8381歩。

老医のつぶやき2022(1)   高齢者は総じて甘ったれ
 私は、内科医師の仕事の8割は患者の話を聞くこと、と思う。特に老医にとってはそうである。そこに自身の存在意義があると思っている。

 医師だからと言って患者のすべての病態を治せるわけではないし、合併症の発生などあり、治療には副作用も生じ得るからいつも完ぺきな治療ができるわけでもない。そういう医学上の限界を患者も医師双方が納得していないと、患者は真の意味で共感しないし、医療の良さを享受できない。

 生活習慣病の多くの高齢者はそれによる症状はほとんどない。加齢に関わる症状がほとんど。慢性疾患、とりわけ悪性疾患、難病をもつ患者は、治療中も増悪や再発の不安を抱えている。定期検査の時に医師の「大丈夫」という声、医師の和顔に触れて「また元気に頑張れます」と言って診察室を出る。いかに信頼関係を築けるかが重要である。

 医療の中で重要なのは始めから分かり合える筈のない患者・医師関係の調整でなく、患者・疾病関係にある、と思う。少なくとも他人のことなど分かるわけはないという前提に立つ私はそう思う。
 どうして高齢者はグジュグジュと愚痴を言うのだ!!!私は共感どころか呆れている。あなたの80年の人生は何のためにあったのか??逆に私から問うことが頻回である。

 医師は患者と疾患との間に立って、患者の闘病意欲を高め、良き方向になるよう治療し,良き生活が出来るよう手を貸していく立場である。医師が治せる病気,機会は,特に私が担当する高齢者の内科領域ではそう多くはない。

 患者が心配すべき対象はあくまでも自分の加齢、病気に対してであり、自身の人生、究極的には死そのものである。なのに、「治してくれない」,「治らない,効かない・・」、「親切でない・・」が一例である。「治らない・・」のは医疾病そのもののため、逆に,治癒するのは大部分が急性疾患で自然治癒である。

 「親切でない・・」の発言の背景は医療と医師に対する誤解と、弱者の甘ったれの精神である。私は聞きたくもないが、職業上和顔を作り、愛語を吐く。これが結構辛い。

7/27(水)晴れ 午後飯川病院 
1:20起床、文献新聞整理。徒然ほか。読書、8:30ダリアの世話、畑収穫。10:30古書土崎店10冊購入、12:12バス飯川病院、14:00入院外来患者なし、散水、微睡。17:00千秋公園の鯉に給餌、大量に。19:30帰宅夕食。20:30就寝。歩数計6067歩。

COVID-19(2022)オミクロン株(15)  コミュニケーションが変わるが触れることの意義は重要
 人同士の接触の機会が乏しくなりつつあるCOVID-19、親子のスキンシップに与える影響も心配されている。親子間では顔の表情は重要な情報伝達であるが、これがマスクの着用で障害になっていないか、マスクで言葉も通じがたくなり、親子間のいじめや虐待の原因にならないだろうか。学校での教師や友達間との関係構築ではではどうなのか、危惧される。

 テレワークなどの発達で、人間関係が単なる情報伝達になりかねない。 
 オンラインを用いたコミュニケーションでは身体が発するリアルな情報が伝わり難い。推敲した文書のやりとりで情報は伝わるが、こうした方法では貧困な人間関係しか生まない。双方向の関係で大切ににされた個々人のイメージ、性格などを理解した上での共生の場はなくなり、実生活では偶然生まれる親近感を醸し出す機会までもが失わかねない。

 上記は否定できない事実だろう。だが、悲観論にだけ支配さてもいけない。
 勿論、生身の人間同士の直接の接触は、五感を駆使されれば人間関係構築に不可欠かつ重要だが、生身の関係至上主義にも怖いものがある。
 新時代を迎えて他者との出会い方は多様でいい。危機の時こそ新しい可能性にも目を向けなければならない。

 空気や場所を物理的に共有せずとも、相手の現在に出会うことの重要性に気づくことが大切でないか。その一つ、例えばライン、フェースブック等の音声や画像を通じたコミュニケーションは積極的に利用すべきであろう。現に、日本に技術研修に来ている実習生が無料のアプリを介して自国にいる家族たちと双方向のコミュニケーションを維持している例もあるという。ただ、私は家族以外の顔などは画面上ではみたくもない。

 COVID-19を克服した後、人々の振るまいや生活がどれほど元通りになるかは分からない。私は新しい生活様式としてマスク着用、人間同士の距離確保などについては、先に引用した社会学者の「不快や不安を感じる範囲の推移は文明化の過程」とした、R・エリアスの言葉が正しいならば、人間の近接が知らず知らずにもたらしていた生理的嫌悪感に気づいたことで、私たちの価値観や行動様式大きく変わり、元には戻らない、と思う。

 五感のなかでも手や肌による接触の価値、特に「ふれる」が生む価値を信頼を得る方法として後世に受け継ぎながらも、疫病下の多様な人間関係の育み方に改めて考えなければならない。

 話題の主眼からいささか離れるが、患者の死に関して私は触れることの重要さに関する貴重な経験をした。

 (1)心臓の拍動が停止し、心電図の波形が平坦化したのを確かめて「ご臨終です」と周辺の家族に伝えたところ、数人の家族が患者の手を握り、頬ずりし、身体にしがみついた。その時点で心電図の波形が再開した。拍動は再開しなかったが、10数分ほど死亡時間を遅らせざるを得なかった。

 (2)飼いネコの一匹が顔面に発生した悪性腫瘍で衰弱し死を迎えたが、生を終える最終段階での苦しげな表情は、私どもが体に触れ、身体をソフトにマッサージすることによって明らかに静まリ安息に死を迎えた。

 この二つのケースは触れる、ということの重要性が示されている、と思う。 

7/26(火)快晴暑い 中通病院外来 飯川病院ボランティア
1:45起床,文献整理。本読み。雑誌データ化。5:00可燃ごみ提出。6:47バス飯川病院。8:45-12:50外来。13:15飯川病院、14:00-19:45勤務、終了後微睡。軽食とる。家内Web学習会、20:30帰宅、21:00就寝。歩数9567歩。

COVID-19(2022)オミクロン株(14)  新しい生活様式がもたらすこと
 人類は今COVID-19の蔓延で「ともに集まる」 共生の場を失っている。 

 「他人は命を脅かすリスク」という認識は感染症の世界ではほぼわかっていたことではあるが、COVID-19はこれを万人に知らしめ、新しい生活様式を生み出した。 外出自粛を前提に、3密の回避、マスクの着用やパーテーションの設置など社会的距離の確保、換気が活動の条件になった。 

 社会的動物としてのヒトの在り方の根幹に関わる、従来当たり前だと思っていた行動、が大幅に制限された。

 社会全体が他人との距離の取り方に神経質になっている。各人は各々独自の距離感覚を持っていることがわかるが、この違いがこれまで以上に大きなストレスを生む要因になっている。
 不快に思う他人との距離感は動物として人に持つ「縄張り意識」に関連があると考えられている。個人差はあるものの、人は心理的空間「パーソナルスペース」を持ち、他人に近寄られると不快に感じる。生理反応として動悸や発汗などの自律神経反応が現れる。

 米の人類学者E・ホールは人間同士の適正な距離を以下の様に分類している。
1.恋人や家族同士の「密接距離」(0〜45cm)
2.友達同士の間にある「個体距離」(45〜120cm)
3.同僚や仕事仲間などの間にある「社会距離」(120〜350cm)
4.講演会などで聞き手・話し手の間に発生する「公衆距離」(350cm〜)

 それにしても、豊かになればなるほど、他者との距離を遠くに取りたがる個人主義が際立ってくる。社会学者のR・エリアスは「不快や不安を感じる範囲」の推移は文明化の過程だという。コロナ禍で求められている新しい生活様式は、外力で求められた文明化の一端とも考えられないことはない。

 人間同士の信頼を生むためには、相手を思いやった五感による感覚、とりわけ「ふれる」行為だった。しかし、私はこれの全てが嫌いである。特に触られること、それが偶発的なものであっても許し難い。また他人が発する身体的なノイズ、例えば咳やたん、身体的な震えや落ち着きのなさは身の毛がよだつ。他人同士の会話すらも嫌いである。
 ただ、職業上の場合には、当然のことながら耐えられる。

7/ 25(月) 早朝降雨のち快晴     健康クリニックドック  飯川病院
1:20起床。早朝降雨 文献処理他録音データ整理。6:40バス飯川病院、9:00~11:30健康クリニックドック14名、結果説明先週終了。11:45飯川病院、本読み微睡、14:00~19:00飯川病院勤務、家内Web学習会、20:30帰宅、夕食、21:30就寝。歩数6766歩。
COVID-19(2022)オミクロン株(13)  蔓延脅威的!!! されど僭越ながら私にはメリットも
 私は他人との距離をすごく重視する。
 側に人がいると緊張するし、不快になる。知人の場合はもっと嫌だ。多分多かれ少なかれ誰でもそう言う傾向はあるのだろうが、私は特に敏感だと思う。
 飛行機、新幹線は特に嫌だ。数人乗車のタクシーなど知人同志であるだけに耐え難い。

 飛行機の座席のレイアウトは非人間的と思う。詰め込みすぎ。その点は新幹線はまだ良いが、それでも狭く、近い。だから、横の席が空いているだけで嬉々としてしまうし、移れる場所があると勝手に移動する。ちなみに、毎週の大曲中通病院への移動はこまちで、片道40分程度なのに、こんなことを書きたくなるほど嫌だ。もうほとんど行かなくなったが、コンサートも苦痛の方が大きくなった。

 会議だってそうだ。物理的な余裕がなければ良いアイデアなんて出ないのだ。
 先日、情報収集関連会社の方と面談したが、広いスペースがあるのに近くに陣取られて閉口した。圧迫感があって冗談も言えなかった。

 人と人との距離は適正な距離というのがある。
 握手の距離、挨拶の距離を考えてみても面白い。開きすぎた距離での握手、近すぎる距離での挨拶はハタから見ていて陳腐である。その意味では日本の挨拶は、適当な距離があってとても良いものだと思う。

 私は人との距離を過剰なほど気にする。人は一人では生きられない、人の間で暮らすから人間なのだ、と言うことは理解している。でも、人間関係にはほどほどの距離が必要と思われる。

 私の場合、自分からは距離もかなり長く確保する方だが、何故か他人が近くに来ると居たたまれなくなる。過緊張状態になるからだろう。
 だから、人が混雑する、密集する場所は苦手である。しかも移動の自由を奪われるときは一入である。ちょっとした拷問となる。

 そんな私であるが、COVID-19禍はこんな環境を一変させた。

7/24(日)  早朝降雨のち快晴 草刈り 
1:30起床、書類、読書、徒然などいつもの如く。午前座学中心、のど自慢見ながら新聞チェック、微睡。14:30草が乾き草刈り17回目、畑中心。収穫キウリ、ナス、トマト、ミニトマト。ミニトマトは植えたつもりはなかったのだが、成長してみたら3株。14:00家内の文章を仙台ゾンタに送るのに手間取った。ファックスも含め送付一段落。黄色のが咲いた。読書、19:00夕食、20:00就寝。歩数8971歩。

安倍元首相狙撃され死去(8) 政治家の顕彰、ノーベル平和賞に重ねてみれば
 安倍元首相の政治家としての評価はじっくりと検証しなければならないが、政治家とノーベル平和賞の関係に重ねて考えてみたい。勿論、安倍元首相がノーベル平和賞に相応しいという意味ではない。

 10月を迎えるとノーベル賞の発表が始まる。
 ノーベル賞は平和賞の存在抜きに語れまい。とりわけ人道、抵抗、不屈といった努力を体現している人物に贈られるとき、輝きは一層増す。 2014年の17歳のマララ氏、2017年核兵器廃絶国際キャンペーン、2020年国連政界食糧計画などの受賞は大きな意味がある。
 その様な運動をされている人たちは、無視、迫害などとも戦わなければならないが、ノーベル平和賞の栄誉はそうした人々の声の浸透力を倍加する。理不尽に抗う人には、世界の良心を味方につける効果ももたらす。

 古今東西、迫害に耐えてたかった時が一番輝いていた人がいる。民衆とともにあった英雄も一度権力を得れば汚れがちだ。政治の世界とはそんなものである。

 具体的にノーベル平和賞を受賞した政治家に思いを馳せれば、
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(1)ミャンマーのスーチー氏 (1991年受賞)
 長い軟禁のあいだ、 氏にはその身を案じ国情を憂える国際社会のまなざしが絶えることなく注がれてきた。その氏に向けられる世界の眼差しが、いまや失望と非難に染まっている。イスラム系の少数民族ロヒンギャ迫害のことだ。新たな政権の指導者となって2年半、氏のかつての非暴力に根ざしたイメージの清らかさゆえに、現状への落差は一層大きい。
 ロヒンギャ難民は今も劣悪な環境に置かれている。国連は広範な迫害「人道に対する罪」にあたるとする報告を公表し氏を「国家指導者の立場を、迫害を止めるために行使しなかった」と非難している。

(2)エチオピアのアビー・アハメド・アリ首相(2019年受賞)
 隣国エリトリアとの国境紛争で和平合意したことが評価されたが、わずか1年後、今度はエチオピア国内で軍事衝突が始まった。多数の死傷者や難民が出ており、少数民族勢力への掃討作戦を命じたアビー首相は非難を免れまい。

(3)米のバラク・オバマ氏 (2009年受賞)
 「核なき世界」の演説は感動的だったが、大統領就任間も無くの受賞でいわばまだ描かれてもいない絵を予約買いするようなものだった。この程度のことは私も何度もブログに書いている、というのが私の印象でもあった。複雑な国情があるにせよ、演説の内容はほとんど実行されなかった。
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 例として挙げた3人にかぎらず、その後に色あせた平和賞は少なくない。発表とともに受賞者がそれにふさわしいかどうか、世界中で賛否の応酬が起きることも珍しくはない。生身の現実と向き合う平和賞は、他のノーベル賞とは異質である。

 希望と勇気だけでなく、平和賞は失望と無力感ももたらしてきた。それでもや
はり、理不尽の絶えない世界に光をもたらす灯火として、存在は大きい。
 だが、120年近く続いてきたノーベル平和賞受賞者の顔ぶれをみると、その時々の国際政治の理想と現実が凝縮している。 選出する側の思い込みもあり、授与後の受賞者の行動を保証するものでもない。

 スーチー氏やアリ首相、本稿では言及しなかったが佐藤栄作元首相、のように後年に功績に傷がついた例はある。
 現職政治家への授与については疑問を感じる。

 同じ様に、政治家の評価は早々に下すべきではないだろう。安倍元首相の業績はまだ結論を出すべき状況ではない。
 私は国葬に疑問を感じている。

7/23(土) 早朝降雨のち曇り 午後園芸中心 
1:30起床、新聞や文献読み、いつものごとく。9:00-11;30大谷の1918年のベーブ・ルース以来の「2桁勝利&2桁本塁打」記録がかかっている試合、初めて見た。日本投手新記録となる5試合連続2桁奪三振とし、6回まで1安打とほぼ完璧だったが、打線の援護がなく7回に崩れ残念な結果になった。昼食後微睡14:30、草が乾くのを待って草刈り16回目、庭の東側とダリアの周囲。黄色のが咲いた。収穫、キウリ、ナス収穫、入浴など。16:30書斎にて音楽関連録画見る。19:00夕食、読書。20:30就眠。徒歩7402歩。

安倍元首相狙撃され死去(7) 業績は偉大だが国葬は疑問(2)
 集票によって立場が大きく変わる政治家に「品行方正」を期待してはならない。 実社会は「品行方正」だけで成り立たっていない。政治家が、あるべき姿、正しいことを語るのは推薦政党あるいは支持政党の理念を語り、いい顔するときだけ。
 隠された本心を語る政治家は、おそらくは居ない。
 投票は真面目にするが、政治面での経験のない私にはそう思える。 いたとしたら、その政治家は人生の選択を間違えたのであり、有権者の信頼を失い、早晩政界から露と消えるにちがいない。

 政治家にとって、タテマエは表の顔、裏に本心を隠している。それが立派な政治家なの条件なのだ。だから、政治家には清濁の複数の顔をもち、TPOで使い分ける。政治家は「嘘と詭弁」を駆使する。政治家に「本心」の吐露を期待してはならない。 
 現に、統一教会との関連を取り沙汰された現役の政治家は多数確認されている。今後調査をすればその関連がもっと明らかになっていくだろう。
 
 銃撃を受け死亡した安倍氏は、内閣府設置法を法的根拠として、閣議決定により9月27日に日本武道館で国葬が営まれることとなった。戦後二人目である。葬儀委員長は現総理が、副委員長は松野内閣官房長官が務める。 
 近年では、有力政治家の葬儀は、所属政党、所属議院、遺族の組み合わせによる合同葬行うことが多く、私はこのレベルでいいと思ったが、国会での審議も経ずにあれよあれよと国葬が決まってしまった。

 国葬は、安倍氏がおこなってきた政治への批判を封じ、自由な言論を損なうほどの力がある。安倍氏の政策や疑惑について検証する機会も失われよう。

 この偉大な政治家の驚くべき不慮の死は悼んでも悼み着れないが、政治家としての死の意味づけは難しく、「???」状態になってしまった。だからこそ、その代償としての「国葬」の強行なのであろう。死者を悼む姿勢は岸田総理の政治姿勢にも間接的に、いささかは寄与するだろうが、安倍氏の死を安易に国葬として意味づけることによって、絶対に許し難い凶行をも共に神格化してしまう。

 私は国葬にせず丁重に弔い、犯人を法に則り厳正に裁き、政治とカルト、不明集団との関係を清算するべきと思う。安倍元総理は非行の死を遂げられたが、その死はあくまでも死である。
 安倍氏の業績はじっくりと検証すべきであるが、その死を政治的に拡張的に捉えてなはならない。

7/22(金) 曇り小雨 大曲中通病院 飯川病院ボランティア 今年も墓参り中止する
1:10飯川病院起床,文献・新聞チェックその他。7:45徒歩駅に。8:11こまち、8:50大曲中通病院外来。降雨と足低痛にてTaxi 。書店訪問後、15:30飯川病院ボランティア。微睡、読書、新聞チェッ ク。散水。19:30帰宅・夕食。21:00就寝。Σ8205。夜半長女からメールあり、COVID-19BA・5株が連日倍々と急増している状況で帰省は困難だろうと。墓参りに関して中止を決定し関係者に通知。

安倍元首相狙撃され死去(6) 業績は偉大だが国葬は疑問(1)
 元首相が街頭演説中に射殺されるというおぞましい事件が生じた。
 しかし、政治信条上のテロではなく、カルトによって家庭を破壊された男が、私的な恨みから、関係者だと指摘されてきた元首相を狙った蛮行のようだ。
 カルトは非科学的主張をしている集団や組織を指す際に用いられる呼称である。強制又は詐欺的な入会勧誘、多額の寄付金強要による経済的搾取や性搾取を含む人権侵害など様々な反社会的活動のため、世界各国で社会問題になっている。今回のカルトは旧統一教会と言われた集団で、犯人の母親が1億円もの寄付をし、結果的に家庭崩壊に至っている。昔からその存在は知っていたが、よくわからない集団であった。

 参院選中だったこともあり、事件後「民主主義への挑戦」などと評する言説が飛び交った。しかし、今回の事件をそのように評するのは適さない、と思う。
 
 事件の詳細が明らかになるにつれて分かったのは、政治的背景の義憤でも、転覆でも、挑戦でもなく、カルトによる家庭崩壊に関わる私的と言ってもいい恨みだった。その結果、この偉大な政治家の驚くべき死は、意味づけを欠き、「???」状態になってしまった。

 ただ、最近、メディアは旧統一教会と政治家の関係を明らかにしている。
 10数人の有名な議員が関係者と面会したり、会合で挨拶している様である。安倍元首相も教会にヴィデオメッセージを送っている。犯人はこのことから安倍元首相の関与を疑い、情報不足もあって盲信したらしい。

 国会議員と諸種の団体が接点を持つことについては、持ちつ持たれつの 「相互間のメリット」があると思われる。政治ってそんなものである。
 議員が集票できなければ地位を失い自身を発揮できなくなる。そのために比較的安易に各種団体と接点を持つことになる。だた、これまで何度も社会問題化してきた統一教会が、これほど政治の中に浸透してきていたということは、私は今回の事件を機会にに初めて知った。集団側にとっても政治家とのコンタクトは魅力があることなのだろう。政治活動への支援と引き換えに政治的な力で守ってもらいたい意図が見え見えである。

 しかしながら、数々の問題が明らかになっていた旧統一教会との関連は一定の距離を置くべきだった。その様な指導が各党の選挙対策の中でなされていなかったのが実に不思議なこととして私には映ってくる。

7/21(木) 快晴 散髪 午後飯川病院+当直
1:00飯川病院で起床、新聞・文献・本読みなどいつもの如く。7:00検食、8:00庭畑軽作業。10:00散髪3Q理髪へ、飯島に向かうも土崎港まつりの交通規制で不可、11:00途中で軽食、11:50バスにて飯川病院、14:00-17:00勤務、入院患者対応、新聞入力、自炊4冊。17:00当直に就く。18:00検食、読書中心、本日届いたあさま山荘関連書籍自炊と読破。20:00就寝。歩数計7163歩。

COVID-19(2022)オミクロン株(12)  BA.5(2) 懸案事項を抱えたまま第7波に
 BA.5変異株の増加は見過ごすことができない危険な状況である。
 現在の流行は10-30代の若者が中心。BA.5は感染力が強い半面、重症化しにくいようだ。

 BA.5変異株は、過去の感染やワクチン接種によって免疫を持っていても感染することがあるとのこと。何でだ?? ただ、ワクチンによって重症化はかなり防げるとみられている。これは大事。

 危機的重大事態である。日々の感染者数に一喜一憂せず、3年間の経験を活かして個々人が冷静に対処すべき。

 検査体制の不足は慢性的に解決していない。発熱外来がパンク状態にある地域ではすべての患者を医療機関で対応するのは困難。抗原検査キットを無料配布し、陽性ならばかかりつけ医を通じて保健所に登録し、重症化した際の病院収容を含めてシステム化が必要で、治療が可能な医療機関の病床確保をすべきである。

 行動制限しないならば、第一に力を入れるべきはワクチン接種。
 3回目を終えた人は40歳代以下では30〜50%台にとどまる。接種率がこんな低い状態で自由行動を認めるのは危険であるが経済活動も大事。だから、政府はワクチンについての接種勧奨を強く宣伝すべきである。ワクチンの感染予防効果や重症化防止作用、感染後後遺症の予防のためにも必要であり、行動の自由度はワクチン済みであればこそ、といった意義を丁寧に説明する必要がある。

 国は14日、60歳以上としていた4回目の接種を、医療従事者や高齢者施設の職員計800万人を新たに加えると表明した。当然の判断。

 COVID-19は今後どのようなコースを辿るのか全くわかっていない。より弱毒化して終焉を迎えてほしいのは山々だが、逆の変異が生じる可能性も否定できない。だからこそワクチン接種を第一の目標とすべきである。ワクチン接種は今後の予測できない変異株の発生を乗り切るにも必須である。

 秋田県でも1日の感染者数が830人に達し、これまで最多だった3カ月前の445人を大幅に上回った。病床使用率が2割を超たが、県は近く感染警戒レベルを引き上げ、注意喚起を強める方針だ。

 夏休みが始まった。観光や行楽、帰省のシーズンを迎え、人同士の接触機会が増える。本県では竿燈まつりをはじめ、夏祭りやイベントが3年ぶりの開催に向け準備が進められている。
 しかし、自身を守る為に個人的に行動制限は必要である。
 我が家の墓参り小旅行は今年も中止とした。

7/20(水)     快晴 土崎港まつり 午後飯川病院+当直 
1:20起床、新聞・文献・本読みなどいつもの如く。9:00-11:00外の軽作業、ダリア世話、モモの枝の支柱たて。実があまりにもなりすぎ、枝が負けている。11:50バス飯川病院、14:00-19:00勤務、新聞入力、自炊4冊。19:30帰宅、夕食。20:45就寝。歩数計7163歩。

COVID-19(2022)オミクロン株(11)  BA.5(1) 従来見られなかった強い感染力
 COVID-19の新規感染者数が急増している。
 ロシア・ウクライナ間の戦闘状況のニュースと並ぶ状態になって来ている。共に無視できない重要な課題である。

 6月末日頃はCOVID-19BA.2感染は下火になりつつあったがなお持続している、という程度であったが、7月上旬から急増加、7日には全国で4.8万人に、16日には11万人、20日には約20万人に達した。「第7波」である。

 オミクロン型の派生型「BA.5」の割合が増えており、8月には大多数を占めそう。感染力は現在主流の「BA.2」の約1.3倍と高い。私の印象ではもっともっと高いと思う。

 今のところ従来株に比較しても感染者は若年者が多く、しかも軽症で病床には余裕がある。しかしながら、家庭や高齢者施設での高齢者の感染も増えており、高齢者の場合は関連死が生じるために決して安心できない。これ以上の感染者が出ると保健所機能が麻痺し、病院機能も影響受ける。

 これほど一気に急増している今、感染源は特定できない。したがって、まん延防止等重点措置、行動制限等の対策が有効とは考えられない。効果が乏しい以上、社会・経済活動への打撃を考えるとデメリットの方が大きい。

 ただ手をこまねいていてはダメだ。行動制限が求められないからこそ、感染対策は一層重要である。

 (1)個人が行うべきは、今まで3年間に蓄積した知識と経験を背景に国民一人一人が感染しない、感染させない基本的行動をとることである。
 ●必要な場所ではマスクが必要。されどマスクの感染予防効果は完璧ではないことを認識を。●体調が悪い時は集団行動などを避ける。●大騒ぎはしない。●換気に勤める。●家族外、他人数での食事はできるだけ黙食、などなど。

 (2)国や自治体が行うべきこととして以下があるが、現状ではちょっと遅れ加減である。改善を求めたい。
 ●ワクチン接種の勧奨
 ●治療薬の準備
 ●検査を受けやすくする 個人でも判断できるようにする
 ●患者の受け入れ態勢の準備と在宅療法者の経過観察の態勢準備。
 ●政府、自治体、医療機関の緊密な連携構築。
 ●などなど

7/19(火) 早朝降雨 外来  飯川病院 土崎港まつり
1:20起床、文献読みなど。5:30可燃ゴミ収集所に、8:00クリーニング店経由Yシャツ回収後中通病院。8:45-12:30中通病院外来。数以上に疲弊した。12:50飯川病院、微睡。14:00-19:15勤務。19:30帰宅、夕食、 20:30就眠。昨年プリウス全塗装したが、1年も持たず数週間前に左後方ドアを凹ませた。歩数計7163歩。

こころと体2022(62) 自己肯定感(5) 外向き自己肯定感と内向き自己肯定感
 自己肯定感について考えてみると、確かに私の自己肯定感はひどく低い、と言わざるを得ない。だから、「必死に周囲に合わせて生きて来た」と総括できる。単語として並べてみると「イエスマン」、「八方美人」などなどに合致する。それは私が田舎者として身につけた人付き合いの処世術の一つ、であった。

 私は真面目に生きてきた。 必死に努力してきた。 結果として日の当たるコースを歩んできた。それなのに喜寿を迎えるまで生きた現時点で振り返ってみて、「良いことはあまり無かった」、「三人の子を育てたこと以外意味のある足跡は何もない」、「ただただ辛いだけだった・・・」と思っている。そう考えるのはどこに原因があるのだろうか? いったい「誰のために」 努力してきたのか?

 私は、周囲に対して怯えながら、自分自身で問題をつくってきたことに最近まで気がついていなかった。

 一方では、私は個人的には地に着いたほぼ満足できる良き人生を歩んできた。

 だから、自己肯定感は、外的なものと内的なものに分けて考えれば良いと思う。

 「外向き自己肯定感」は社会的な付き合いの中での問題、「内むき自己肯定感」は全く自分一人の個人的な問題である。

 ●「外向き自己肯定感」はさらに二分して知人、友人関係の付き合いと、医療や病院管理、医師会などの仕事上での問題に分ければいい。
 前者に関しては知人との付き合いを中心に考えると、本当に自分をあまり主張することなく、人を傷つけることなくソフトに生きてきた。
 後者に関しては、岸田首相の如くに「聞き上手」に徹しながら譲れない事項については自分の主張を貫いてきた。とはいえど、難しい判断では情報過多でしばし混迷状態、優柔不断状態を経過した。苦しかったが、何とか大きな誤りを経ずに過ごし得た、と総括したい。私は優れた社会人では必ずしも無かった。

 ●「内ち向き自己肯定感」は全くパーソナルな問題である。この部分に関しては確個たる肯定感が備わった、と考えている。そのために乏しい「外向き自己肯定感」のなかで自分を保ち得た、と考えている。

 要するに自分の世界だけでは自己を心置きなく発揮できていたし、そのことが拠り所となって楽しく生きられた、と思う。今は準引きこもり状態に自分を置きながらこの内向き自己肯定感の中でチマチマと生きている。

7/18(月) 海の日 快晴午後曇り小雨 飯川病院日直
1:30起床。文献処理。データチェックと改変。8:40回診に行く家内に同乗飯川病院、9:00-19:00日直。入院患者は落ち着いている。新聞チェックと入力。12:00検食、微睡、座学、自炊3冊、散水、19:20帰宅・夕食、20:30就眠。Σ4682歩。

こころと体2022(61) 自己肯定感(4) イエスマンは不満を抱えているが、私は・・・ 
 私は一見「優しいイエスマン」だと思う。
 強度の同調性を発揮するイエスマンの中には自己喪失に陥る人もいるらしい。このような人は人間関係が一見良さそうに見えるが、自分を抑制してばかりいて日々不満は積もるばかりなのであろう。

 不満が積もれば当然、周辺の人間や個人に敵意も出てくるし、周囲の人が自分に敵意を持っていると錯覚しはじめる。 それはさまざまな誤解を生む。孤立することもあろう。

 このような背景を持って様々な事件が起きることがある。
 その場合、新聞報道では近所の人や知人などの話として「朗らかで、明るい、明朗な人」などと言う。 そして 「あの明るい人がなぜ?」という例の問いが並ぶ。私はそれらの意見は、かつては当該者に対する同情とリップサービスかな?と思っていたのであるが、この項を考えていて実際はそうではない、と考えを改めた。

 要するに、その事件の当該の人が、「必死に周囲に合わせていた」ことに周囲の人は気がついていない、ということ。当該者は本当に周囲の人たちにいい顔をしていたのだろう。自己肯定感が未発達の当該者にとって周囲の世界が脅威・恐怖に満ちているからである。

 また、「あの人は陽気だか陰気だかわからない」などと述べられることもある。 その状況は「相手に嫌われないため陽気な姿を見せる」からであり、陰気なのは「垣間見せる本来の姿」なのであろう。そんなのでは矛盾で自分がバラバラになってしまう。

 人生が確実に行き詰まる生き方が二つある。
 一つは、他人に嫌われないようにすることである。相手に嫌われないようにするには、常にみんなの気持ちを害さないように気を配ることである。しかし、言いたいことも言わないようなそれらの努力はそのまま心の中に傷として残る。

 その結果、日々不満は積もるばかりである。不満が積もれば当然、敵意も出てくるし、周囲が自分に敵意を持っていると錯覚しはじめる。 その結果孤立する。それはさまざまな誤解を生むし、何らかの事件の背景にもなりうる。

 もう一つの行き詰まりは、ウソを重ねること。「ウソにウソを重ねなければ辻褄が合わなくなり、壁に突き当たるし、いずれは破綻のコースを辿る」ということ。

 私は自己肯定感が乏しく「優しいイエスマン」である。しかし、それによってストレスは感じていない。「優しいイエスマン」であることが後々まで影響するような継続的な人間関係がないからである。むしろ「優しいイエスマン」であることでその場を切り抜けており、ストレスになっていない。
 他人がこんな私をどう評価しているかは分からない。

7/17(日) 快晴  
2:00起床。読書、データ整理他。自炊、10:30回診に来た家内に同乗、帰宅、新聞切り抜き。12:00ニュース、のど自慢。読書微睡、15:30草刈り15回目、ダリア周辺中心に。小石など整理、散水。17:30久々書斎整理、録画で95歳の指揮者ブロムシュテット関連ドキュメンタリー鑑賞。19:00夕食、20:30就寝。Σ10202歩。自炊進める。白鵬全勝優勝、照ノ富士横綱昇進確実。ともに偉業。一年の経過が長い。

こころと体2022(60) 自己肯定感(3) 私は一見優しいイエスマン 
 私は軽微ながら対人恐怖があるが、それほど強いものではない。「無視されるのでは?」、「嫌われるのでは?」との漫然とした、弱い恐怖感、心配である。恐怖ではなく不安程度だったかもしれない。「無視された」、「嫌われた」ことも少なくなかったが、だからと言ってそれによってショックを受けることもなく、特別に何かを感じることはなかった。それは私は他人に対して大した期待もしていないからである。
 対人恐怖を乗り切るために、他人と対峙する時のために私が身につけた技法は、相手を拒まず、相手の言葉をじっくり聞き、許容出来難い内容でも一旦受け入れるような形をとるのが私の人付き合いの基本的な姿勢であった。だから、私はいわゆる「イエスマン」、「八方美人」的対応をしてきたことになる。しかし、白黒がはっきりさせることができる会話を除き、私は会話を通じて心から共感できることは稀である。共感できないことにはやんわりと自分の考えを述べるが、主張したり説得はしない。
 多くの方は好きこのんで嫌われることをしない。 だれだって積極的に嫌われるようなことはしないだろう。嫌われることを恐れている人もいるだろうが、私はそれほど恐れていない。濃密な人間関係をはじめから期待していないし、求めていないからである。

 私は、嫌われるのが嫌だから一見安易に見えるほど相手に合わせてしまう。 あっちでもこっちでも相手に合わせる。その場の雰囲気にすぐに合わせてしまう。しかし、その動機は、他人の好意を得ることにあるのではなく、その場の当面の関係をつつがなく終わらせることである。


 中には周囲への極端な同調性から自己喪失に陥る人もいるらしい。日々不満は積もるばかりである。不満が積もれば当然、敵意も出てくる。つまり周囲の人が自分に敵意を持っていると錯覚しはじめる。 それはさまざまな誤解を生む。

7/16(土) 快晴暑い 飯川病院日当直
1:30起床。読書、データ整理他。7:00散水、昨年草刈機故障、新しいのを注文。寿命は1年だった。8:30家内に送られ飯川病院に。新聞入力午前いっぱいかかった。最近作業が鈍い。歩数計回収、読書中心、自炊3冊など。12:00、19:00検食、21:30就寝。Σ968歩これは特別。

こころと体2022(59) 自己肯定感(2) 対人関係で漫然とした不安感・恐怖感
 私は、「常に人の顔色を伺がっている腺病質な子供」として成長した。
 この気質は中高校、6年間の大学の寮生活、集団生活を通じて、多くの会話を通じて、徐々に、一見改善したように見えたが、実質的改善ではなく他人との会話ががより自然の形でできるように訓練されたに過ぎなかった。

 私の対人恐怖はそれほど強いものではなく、「無視されるのでは?」、「嫌われるのでは?」との漫然とした、弱い恐怖感である。恐怖ではなく不安程度だったかもしれない。「無視された」、「嫌われた」と感じたことは少なくなかったが、だからと言ってショックを受けることもなく、特別に何かを感じることはなかった。
 それは何故か、と考えると、他人に対し「漫然とした恐怖感はあるが、もともと他の人に殆ど関心を持たないため・・・」、「他人に大きく期待していない・・・」から、だったと思う。無視されるのは嫌だが、さりとて他人には関心がない、から実害もないと言う矛盾している感覚である。

 結果的に、私の人間関係は「来るものは拒まず、去る者は追わず・・」という形をとっている。初めから拒否する対象者は殆どおらず、私の人間関係は濃厚ではなくサラリとした薄い関係で終始している。だから、去られても困らない関係だからである。

 私には「知人はいるが、友達はいない」とまとめられよう。ましてや親友と感じたような人はいない。一般的にいう「友達関係」とは、「親友関係」とは私には理解し難い関係であるが、私に友人がいなかったのは、他人に対する恐怖感があるために胸襟を開くような会話ができないから、心の交流がなかったため?・・と考えている。

 他人に対する恐怖感を最も強く感じるのはエレベーターに鉢合わせた相手に対してである。必ずしも男性にだけではない。今まで何も悪き経験はないが、そのような状況ではさっと恐怖感が走り、緊張する。誰でも大なり小なりそのような感覚はあると思われるが、私にとってはとても大きい。私がどれだけ異常なのか、よその方と比較対象できないのが残念である。

7/15(金) 降雨午後はれ  大曲中通病院外来  飯川病院ボランティア
2:00飯川病院で起床。文献など読む、録音データ整理。7:50家内に送られi駅に、8:11こまち、9:00大曲中通病院外来。降雨と足低痛にてTaxi 。書店訪問後、15:30飯川病院ボランティア。微睡、読書、新聞チェッ ク。散水。19:30帰宅・夕食。21:00就寝。Σ6567、歩数計忘れた。
こころと体2022(58) 自己肯定感(1) 私は自己肯定感が身に付かなかった
 自己肯定感とは、「ありのままの自分を肯定する」こと。 自尊心とほぼ同義と考えられる。他者と比較することなく、自分自身を認め尊重することであり、生きることや物事を前に進めるための原動力となる、大事な自信というべき感覚である。

 私は、幼少の時から、若い時から、この自己肯定感が乏しく何事につけても消極的な人間だと考えていた。そのために苦悩を重ねたが、どうにか3人の子育ても無事終了し、一定の職務は果たした。

 齢を重ねて喜寿を迎えたので、この視点からもう一度自分を再評価したい、と考えた。

 自己肯定感という考え方は1994年に高垣忠一郎によって提唱された。年月が経ち、便利な言葉として多様な解釈がなされるようになった。
 特に教育現場においてが注目されるようになった。
 教育再生実行会議による第10次提言では、「自己肯定感を高め、自らの手で未来を切り拓く子供を育む教育の実現に向けた、学校、家庭、地域の教育力の向上」が、教育目標の一つに掲げられている。

 日本の子どもの自己評価が米中韓の子どもの自己評価に比べて有意に低いことが日本青少年研究所の調査報告などで指摘された。
 日本人の自己肯定感は子どもにとどまらず、若者をはじめ成人でも低いことが明らかになっている。
―――――――――――――――――――――――――――――――――

 私は幼少期から学校の成績などとは別にこの自己肯定感がとても低かった。
 虚弱であったが、子供として周囲の評価は決して低くなく、期待もされていた。しかし、「無気力」、「消極的」、「劣等感」、「漫然とした不安感・恐怖感」・・・などに苛まれていた、と言えよう。

 原因として、家族の中で年齢的に最も近いのが35歳離れた母親であったこと、謹厳な祖父のもと発言力の乏しい両親を見て育った事・・などなどもその因子として挙げられよう。結果として「常に人の顔色を伺がっている腺病質な子供」として成長した。

 救いは、小学1年の時に出会い高校卒業まで共に暮らした1匹の猫であった。これが私にとって初代のネコであった。このネコと過ごしている時間は自分は自分らしく過ごし得た。今も複数匹のネコと同居しているが、彼らの姿を通じて初代のネコの面影を追っている、と言える。

 私は65歳の時に現役を退職したが、ずっと人間関係の構築では緊張を強いられていた。その面での大きなトラブルはなかったが、常に苦しんでいた。だから、退職を機会に社会的活動からは一切手をひき、準引きこもり状態として過ごしている。診療時の会話、家庭での会話以外は人と言葉を交わす機会はほとんどない。

 自己肯定感の乏しい自分にとってやっと安息が得られた、という感じである。

7/14(木)    快晴 暑い!!  午後飯川病院+当直 健康クリニック
1:30起床。新聞・文献等。データ作成、自炊データ整理。7:00-10:00暑くなる前に外仕事開始。庭見回り、草刈り14回目。東側ダリア付近。散水、収穫、可燃ごみまとめだけ。11:50バス通り街珈琲店経由飯川病院に、読書、微睡など。14:00-19:15勤務。14:30健康クリニック、入院患者対応。17:00当直に、18;00検食。読書、21:00就寝。歩数計12895歩。書籍データ化4冊。

季節の話題2022(18)  家庭菜園・園芸(11) ダリア(2)  開花シーズンの始まり
  ダリア栽培について今年はなかなか意欲が湧かなかった。マンネリか、私の老化による意欲低下か??

 一昨年からは仮植えを行う2段階的手法を導入した。
 5月1日、昨年より3週遅れで花壇の一画に条件のいい球根を10数ケ選び、腐葉土を中心とした柔らかな土に仮植えした。
 徐々に発芽し始め、5月15日過ぎには全株から発芽した。その成長を見極めつつ6月中旬にまでかかって球根を分割し、ダリアを住宅の前スペースの2辺に地植えし、鉢植え4ヶで合計31株植えた。

 7月4日そのうちの一株だけ狂い咲きした。大輪である。一般的に大輪花は成長が遅いのだが、・・・。


 7月13日中輪、小輪各一本が開花した。続いて数本の蕾が膨らみつつある。



 今年はやや遅れたがなんとかここまで来た。
 我が家のダリアの開花シーズンの始まりである。

7/13(水) 早朝降雨曇り、午後快晴  午後飯川病院 
1:00起床。データ整理などいつもと同じ。午前は天候良くなく庭に出て小作業のみ。読書中心。12:12バス飯川病院、微睡後、14:00入院患者対応。新聞書籍データ化、自炊3冊。 19:10帰宅・夕食、20:50就眠。歩数計5431歩。

季節の話題節の話題2022(17) 家庭菜園・園芸(10) キウリ、ナス、トマト、薬味ネギ
 私の野菜つくりの成果は食卓に新鮮な野菜が一時期上る程度である。

 6月21日キウリの初収穫があった。以降本日まで毎朝4-5本収穫できている。毎日朝夕の食卓に酢の物として食べる。これが一番私の好みにあっている。もちろん野菜サラダ、そのほかにも利用される。とにかくキウリは新鮮さが命。朝採りキウリをその日のうちに食べるのがベスト。
 今年はズングリのラリーノという品種を初めて栽培してみた。ラリーノは比較的新しいキュウリで、マーケットにはまだほとんど並んでいない。まだキウリとして認知されてはいない様である。細長いキウリに比して茎丈が低く、実はやや早く成長する。キウリは一気に成長して実をつけるから時間差栽培が必要になるが、期せずしてその目的にも叶った。多分お盆頃まで楽しめるだろう。

 ナスは7月2日に初収穫があった。ナスは成長が遅く数日に5-6本というところか。漬物に、ナス焼き、ひき肉との炒め物、味噌汁などに適宜活躍中である。ナスは9月初旬まで採れるだろう
(ある朝の収穫品 キウリはラリーノ中心。ちょっと過熟させてしまった)

 トマトは7月12日に初収穫。なかなかいいのがとれた。まだ数は少ない。これからが楽しみ。

(初採りトマト キウリは通常のタイプ)

 薬味ネギは今年初栽培、やっと食卓に。
 枝豆は植えた後に手抜きしてしまい、雑草に負けて芽が出ず、100%失敗、反省した。

 自家菜園はコスト面では割りに合わない。キウリ、ナス、トマト、ネギなどはスーパーで買うほうがはるかに安い。栽培前の土作りも大変、苗の購入時用も決して安くはない。栽培後も散水、草取りなど気が抜けない。

 しかしながら、採りたての野菜が食卓に上るのは最高の喜びである。完全有機栽培、無農薬栽培だから安心して食べられる。疑ってかかるわけではないが、売られている食品は安全だろうが、ホントかな?

 自然の恵みは素晴らしい。その感謝の気持ちは畑園芸関連の作業を通じて一層深く感じられる。これがいちばんの収穫かな?

 それに、私の場合は完全無農薬だから植物とともに昆虫も育てることになる。これも楽しみの一つである。

7/12(火)    快晴暑い 中通病院外来  飯川病院ボランティア
1:00起床、データ整理、本読みなど。5:30可燃ゴミ廃棄1ケ。6:40バス飯川病院、新聞切り抜きデータ化、8:45-13:00中通病院外来、患者中等度、されど疲弊。13:15飯川病院、微睡。ボランティア、散水など。19:30帰宅、夕食、21:00就眠。歩数計9335歩。自炊数冊。

安倍元首相狙撃され死去(5) 個人的恨みで非業の死を遂げた 世界的損失である
 安倍元首相が、参院選の街頭演説中に銃撃され亡くなられた。
 私は安倍政権の政策の一部、長期政権を背景にした驕りの姿勢を批判していたが、安倍氏が暴力の犠牲となる所以は全くない。
 元首相が狙撃された事件は衝撃であった。

 政界・財界の要人に危害を加える事件は、歴史上後を絶たない。今回の狙撃事件をテロ行為の立場で論じているメディアもある。民主主義への挑戦、言論封鎖などと大きく捉えていたメディアもある。

 政治的目的をもつという意味でテロは単なる暴力行為と明らかに異なる。それらの目的には、政権の奪取や政権の攪乱・破壊、政治的・外交的優位の確立、報復、活動資金の獲得、自己宣伝などさまざまなものがある。これらテロリズムを行うテロリストは個人から集団、あるいは政府や国家などが含まれる。

 しかし、今回の事件は本当にテロと表現すべきなのだろうか。
 テロは、ある政治的目的を達成するために、暗殺等の過酷な手段で、敵対する当事者、さらには無関係な一般市民や建造物などを攻撃し、攻撃の物理的な成果と、そこで生ずる社会的不安を通して、譲歩や抑圧などを図るもので、時に犯行声明などが発せられる。

 今回の事件の詳細が徐々に明らかになってきている。 要人への攻撃をテロリズムと断ずるには、その事件の分析と定義が求められる。

 暴力行為は勿論のこと、テロリズムに対して、きっぱりと対応する姿勢が必要である。言論、思想の自由の重要性はもちろんであるが、「思想には思想をもってあらそう原則」とともに「思想抹殺的行為の徹底的排除」が必要である。

 私は今回の事件は個人的な恨みを背景にした個人的な暴力行為だ、と思う。
 そうはいっても、その標的が国内外で数々の業績を上げ、いまだに重要な影響力のある要人だっただけにその影響は小さくはない。

 安倍元首相は非業の死を遂げた。銃規制が強く入手困難なために自作の銃を用いた蛮行であるが、不幸中の幸いとして周辺の一般人に被害が及ばなかったことは大きい。

 犯人は41歳で、定職に就いていなかった。彼は若き日から実母の宗教活動で貧困家庭不和を経験してきたようだ。だからと言って絶対に許されるものではない。暴力によって何も変えることが出来ないことを示すことが、暴力の連鎖を抑止する最大の行為となる。

 安倍氏が、長期政権を築き、自民党の最大派閥を率いる有力者であったことからその死は国際的にも衝撃を与えているが、日々、暴力にさらされている人々が周囲にいることにも思いを馳せなければならない。
 その暴力とは殺人や傷害、家庭内暴力や虐待、陰惨ないじめだけではなく、差別、 SNSによる集団リンチ的な誹謗中傷も含まれる 。

 経済的格差の放置も、当事者には「社会的暴力」となる。特に我が国では一度道を外れた場合、なかなか再出発が難しいとされる。それらの不条理が無差別殺人の背景になっていることは過去の事件の際に指摘されてきた。 

 社会の片隅で種々の暴力にさらされている人々にも目を向ける必要がある。
7/11(月) 快晴32℃  健康クリニックドック 飯川病院
1:45起床、寝不足ではないがファイト欠如。各種データ、特に自炊関係整理。そのほかはいつもの如く。微睡若干。6:40バスにて飯川病院。9:00-12:00健康クリニックドック、受審者13名、結果判定15名。実習生4名。12;15飯川病院、12;50検食、微睡。14:00勤務、患者対応。データ整理、自炊5冊。読書、19:30帰宅、夕食、20:30就寝。歩数計7415歩。

安倍元首相狙撃され死去(4) 元首相を欠いた政治的影響  岸田首相はどう乗り切るか
参院選を首相は大勝で乗り切った。予想通りであった。
 安倍元首相の銃撃による死去は投票率と自民党票に一定の影響はあっただろう。安倍氏は党内最大派閥を率いて政策面で岸田政権にも影響力を誇示してきた。首相にとっては目の上のたんこぶだっただろうが、大きな拠り所でもあった。
 その要の人物を失ない、党内権力バランスが大きく揺らげば、政権運営は試練を迎える。

 首相は、安倍氏不在が政局に与える影響について、「さまざまな影響がある」と答えて、「戦後最大級の難局」、「有事の政権運営」と表現した。その上で党内の「結束」に繰り返し言及した。

 岸田派は安倍派>茂木派>麻生派につぐ第4派閥。100人近い人数を擁する安倍派の支えがあり政権を得てきた。安倍氏の存在を常に気にかけてきた。 

 内政では物価高対策、改憲への姿勢、外交では歴史問題が絡む中国、韓国への対応、対露対応など枚挙にいとまがない。外交で安倍氏の存在は大きかった。対応次第で首相批判が噴出しかねない。
 首相は会見で改憲推進の姿勢を打ち出した。改憲案の国会発議に取り組む、と明言した。ただ、私は岸田首相は改憲への意欲はそれほど高くはない、と見ている。安倍氏への配慮と取れる発言に聞こえている。

 政権は今後、防衛力整備や防衛費の在り方を議論する。6月に閣議決定した経済財政運営の指針「骨太方針」の策定過程で、安倍氏は防衛費増額、国内総生産(GDP)比2%という目標や「5年以内に」という時期を盛り込ませた。

 首相にとって安倍氏の存在は時にプレッシャーにもなっただろうが、政策が安倍氏の賛同を得れば党内は収まった。党内保守派の要求が強い防衛費を巡る調整が今後の焦点となる。

 注目されるのが、円安、物価高の背景になっている「異次元の金融緩和」の行方。 日銀・黒田総裁は来年4月に任期満了を迎えるが人材選定をどうするか。
 もう一つ、参院選で公明党の改選議席減だ。自公関係は首相の懸念材料となるだろう。

 問われるのは岸田首相の政治観、日本を将来的にどうして行きたいのかのビジョンであるが、まだ見えてこない。願わくは、糸の切れた凧の如く政策が迷走しないことを望みたい。

7/10(日) 快晴31℃予想 参議院投票日 
1:30起床、文献検討等など,いつもの如く淡々と。蓄積データの整理中心。午前園芸関連、畑、トマトナス支柱に固定、収穫。昼NHKニュース、のど自慢。13:30家人とともに参議院投票、ゾンタに行く家内に同乗、断り切れず今回は会長になったそうだ。新聞データ化、書店訪問、資料作成手伝う。微睡作業若干読書、17:00書店。19:00帰宅、夕食、20:30就寝。歩数計7788歩。

安倍元首相狙撃され死去(3) 業績「一億総活躍プラン」は今後の社会の問題点を網羅
 安倍元首相は任期が長くなるにつれ国会や国民を軽視するようになったと思う。国会答弁は徐々に紋切り型、早口、強弁、質問趣旨無視・・・・など、国会論戦を聞いていて不快になったことも、もう少しなんとかならないだろうか?などと感じたことも少なくなかった。

 しかし、そんなこととは別に、氏の偉大な業績は認めざるを得ない。
 特に、外交面での成果は国際的に評価が高い。国際的に要人から惜しむ声があがったのは当然でもある。しかし、プーチン氏に対し何らかのアクションしたかは分からないし、氏の死去に際しプーチン氏から何らかの表明があったのか、私は情報を得ていない。

 国内政策も次々と提起された。

 中でも「一億総活躍プラン」(2016)は日本の今後の社会のあり方を示していた。
 若者も高齢者も、女性も男性も、障害や難病のある人も、一度失敗を経験した人も、みんなが包摂され活躍できる社会の構築をうたっていた。
 強い経済の実現に向けた取組を通じて得られる成長の果実によって、子育て支援や社会保障の基盤を強化し、それが更に経済を強くするという「成長と分配の好循環」を生み出していく新たな経済社会システムの構築を目標とした。
 これは、岸田内閣の「新しい資本主義」にも通じるものがある。

 「1億総活躍社会」に掲げた目標をまとめてみた。今から見ても優れた内容であった。

 それだけ到達目標は高すぎ、実効性は乏しく成果を挙げた、とは言えなかった。
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■1 働き方改革  
   同一労働・同一賃金の実現  
   長時間労働の是正
■2 子育ての環境整備 
   保育士の処遇改善 確保・育成
   放課後児童クラブの整備:
■3 介護の環境整備
   介護の受け皿整備:2020年代初頭までに約50万人分を整備。 
   介護人材の処遇改善:月額平均1万円相当を改善。 
   多様な介護人材の確保・育成:
■4 すべての子どもが希望する教育が受けられる環境の整備  
   学びの機会の提供
   奨学金制度の拡充 
■5 「希望出生率1.8」に向けた取組  
   女性活躍、若者・子育て世帯への支援:子育て世代包括支援センターの平成32年度末までの全国展開。
   不妊専門相談センター:平成31年度までに全都道府県・指定都市・中核市に配置 して相談機能強化。
■6 三世代同居・近居:大家族で、世代間で支え合うライフスタイルを選択肢として広げるための環境づくりを推進。 
■7 子供・若者等の活躍支援:困難を有する子供・若者等に対して、地域若者サポートステーション等の関係機関が連携して伴走型の支援を実施。
■8 「介護離職ゼロ」に向けたその他の取組
   健康寿命の延伸、 障害者、難病患者、がん患者等の活躍支援
   地域共生社会の実現
■9 「戦後最大の名目GDP600兆円」に向けた取組(省略)
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 あまりにも総花的であるがこれらが達成されたら日本の社会はほぼ理想な状態になり得た。今回の参議院選でも各党の政策の中に取り上げられていた。

 実際に到達し得た目標は少ないが、今の社会の問題点を列挙しただけでも価値があると思う。

7/9(土) 超快晴33℃暑い 飯川病院午前日直
1:00起床、読書、文献チェック他いつもの如し。8:30回診に行く家内に同乗飯川病院に。9:00-12;30午前日直。勤務明け後も部屋で仕事、微睡読書、19:30帰宅、夕食。20;30就眠。歩数計4248歩。

安倍元首相狙撃され死去(2) 安倍元首相年表
安倍元首相の足跡。
 長期間にわたるために忘れかかったのもあったが、列挙するとその足跡の大きさをあらためて確認できる。
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■1993年初当選、 2006年首相に就任 第1次安倍内閣は2007年8月まで。
■2012年12月 第2次安倍内閣が発足 目玉は「アベノミクス」 
■2013年3月 日銀総裁に黒田氏 
■2013年9月 2020年の東京五輪開催を決定 
■2013年12月 首相が靖国神社を初参拝
■2014年4月 消費税率8%に 
■2014年5月 日朝がストックホルム合意。北朝鮮は拉致被害者の再調査を約束 
■2014年7月 集団的自衛権の行使を認める憲法解釈を 閣議決定 
■2014年11月 第2次政権以降、首相が初めて中国の習近平国家主席と会談 
■2014年12月 衆院選で与党が勝利、第3次安倍内閣発足 
■2015年8月 戦後70年の首相談話を閣議決定 
■2015年9月 安全保障関連法が成立 
■2015年12月 慰安婦問題で日韓合意 
■2016年5月 主要国首脳会議(伊勢志摩サミット)を 開催 
■2016年5月 オバマ米大統領が広島訪問 
■2016年6月 消費増税を再び延期 10%への消費税率引き上げの2年半延期を表明。 
■2016年7月 参院選で与党が勝利 
■2016年12月 首相が米ハワイの真珠湾訪問 
■2017年5月 首相が2020年に新憲法を施行する意向表 明 
■2017年10月 衆院選で与党が勝利 
■2018年6月 森友問題で財務省が文書改ざんの調査報告書 
■2018年9月 党総裁選で首相が石破元幹事長に勝って連続3選 
■2018年10月 首相が約7年ぶり中国公式訪問 
■2018年11月 日ロ首脳会談。日ソ共同宣言を基礎に平 和条約交渉へ 
■2019年5月 皇太子さまが新天皇に即位。「令和」に 改元 
■2019年6月 20カ国・地域(G20)首脳会議を大阪で 開催 
■2019年7月 参院選で与党が勝利 
■2019年10月 消費税率10%に、軽減税率導入 
■2019年10月 菅原経済産業相、河井法相が相次ぎ辞任 
■2019年11月 通算在任日数が桂太郎を抜いて歴代最長 に 
■2020年4月 新型コロナウイルスの感染拡大で緊急事態宣言 
■2020年8月 体調不良で慶応病院で検査 
■2020年8月 連続在任日数が佐藤栄作元首相のもつ最長記録を超えトップに 
■2020年8月 辞意を表明 
■2020年9月 安倍内閣総辞職 
■2022年7月8日 狙撃され死去
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(日経の記事を参照。一部自分の新聞・文献スクラップデータで改変、資料としてまとめた)
コメント 

7/8(金) 晴暑い 安倍元総理狙撃  大曲中通病院外来 飯川病院ボランティア  
1:30起床。文献読みなど。新聞雑誌スクラップ作成。5:00可燃ごみ集配所に。7:35Taxi駅に。8:11こまち、9:00大曲外来。往復は足低痛のためTaxi。11:30安倍元総理狙撃、詳細不明なるも心肺停止らしい。書店訪問、15:30飯川病院ボランティア、微睡、散水、新聞チェックと入力など。17:00安倍元総理死去。19:30帰宅、夕食、就寝。歩数計8002歩。

安倍元首相狙撃され死去(1) ご冥福をお祈りします
 7月8日、11:30頃大曲の診療応援の最中にメールの着信音が鳴った。メールは無視できる内容であったが、その際「yahooニュース」の画面が開かれており、そこに「安倍元首相奈良で狙撃され心肺停止!!!」の項目が飛び込んできた。

 全く信じられない事態で、その後、時折ニュースをチェックしたがしばらく詳細は不明であった。最初の報で既に心肺停止とあったことから心配していたが、17時頃に死亡されたと報じられた。

 恐らく、狙撃犯以外の誰一人として予想も出来なかったであろう卑劣な蛮行である。主義主張が違えど、暴力で封殺することは絶対に許されない。
 狙撃犯はすぐに逮捕されたが、41歳無職の男、単独犯で、動機は政治信条からではなく個人的な恨みであること仄めかす供述をしている、という。

 世界でも非常に銃規制が厳しい国で、警察による要人の警備も厳重でとても安全だとされてきた現代の日本で、考えられないような事件である。
 つい2年前まで日本の首相として、憲政史上最長の在任記録を持ち、現職の衆院議員であり、自民党最大派閥の長としても、国内だけでなく世界にも貢献してきた安倍元首相の死去は惜しんでも惜しみきれない。

 今は、静かにご冥福をお祈りするしかないが、氏の政治上の業績を振り返ってみたい。

7/7(木)  快晴暑い11:50 七夕  飯川病院
1:30起床。文献,録音データなど処理。読書、5:00ネコ対応など。8:00鉢植えボタン地植えに。バス11:50飯川病院、14;00勤務、入院患者、外来患者対応。散水、19:30帰宅、夕食、20:30就寝。Σ7056歩。書籍自炊4冊。

参議院選2022(14) 選挙の視点論点(10)  子育て問題
 日本の出生数が過去最少の約81万人に落ち込み、婚姻件数も急減している。

 今後も出生数が改善する見通しは立たない。従って人口は予測の通り7.000万人程度まで落ち込むことはやむを得ないだろう。
 だから、効果が乏しい人口問題をいつまでも繰り返すだけでなく、右肩下がりの国力の中で日本をどう運営していくのかの議論に切り替えなければならない。

 しかしながら、参議院選挙において人口問題の話題や提起は少なかっただけでなく将来的な日本のあるべき姿に対する提起はほとんどなかった。

 人口減は有効な対策は極めて限定的でほとんど有効な方法はないが、若い世代の出産・子育てへの希望を後押しする政策は重要である。各党はもっと危機意識を持ち、具体的な道筋を語ってほしい。

 公約で多くの党が強調するのは経済面の支援。アイデアでなく常に金のバラマキであるのが残念。
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●自民党は「大胆な児童手当や育児給付の拡充」を掲げる。「将来的には予算の倍増を目指す」
●立憲民主党は児童手当の所得制限の撤廃と高校卒業年次までの延長・増額をうたった。「国内総生産比3%台」
●日本維新の会その他は「実質的な出産費用の無償化と教育の完全無償化」など、出産、教育費の負担軽減。
―――――――――――――――――――――――――――――――-

 子ども政策の財源については高齢者福祉に比較して踏み込みが足りない。視点が分散しすぎていることも一因。ここ10年ほど児童手当制度をめぐる見直しが相次いだのも、財源不足が大きな要因。

 仕事と子育てを両立しやすくすることも重要だ。多くの党が男性の育児休業の促進をあげ、非正規社員でも育休を利用しやすくするなどの主張も目立つ。公明党は「短時間勤務制度」の延長を検討するとした。

 子育ての期間は長い。働き方改革と支援策とが整わなければ効果は上がらない。先進国のなかで著しく女性に偏っている家事・育児負担の是正も欠かせない。
 少子化の最大の要因は未婚化だ。
 加えて、結婚している夫婦が2人目、3人目を持てない理由の第一が教育費である。非正規の増加などで経済基盤が安定せず、希望がかなわない人が多い。就労支援や非正規の処遇改善などを少子化対策として正面から位置付ける必要がある。

 少子化と子育てのしにくさは、長年の高齢者の社会保障対策に主眼を置いてきた政策の不十分さの反映でもある。国の社会保障のあり方を声高に批判してもいいと思う。
 若い世代は自分達の生活環境を整えるために、各党や候補者の主張をしっかり吟味し、投票してほしい。

7/6(水) 晴れ32℃ 飯川病院 
1:00起床。文献チェック、読書歴史関連書籍、あさま山荘事件関連本他。8:30外仕事若干、畑周辺草刈り13回目。東側に除草剤まく。 10:30受診の石井さん迎えの車に同乗、久保田新橋、千秋公園のコイに給餌。11:00飯川病院。昼微睡。14:00勤務。入院患者対応。読書他、散水。19:30帰宅、夕食、20:25就眠。歩数計6240歩。

参議院選2022(13) 選挙の視点論点(9)  社会保障
 少子高齢化が加速していく中で年金、医療、介護をどうやって維持していくのか。社会保障制度に対する国民の不安は根強いのに、参院選での論戦は低調だ。

 各党共、有権者を納得させるような施策がないのが原因である。かつて高齢化率がやや低い時は高齢者に向けて甘い政策を提示でき、票を集めた。それがシルバーデモクラシーである。
 しかし、もう甘い話はできない。

 今回の選挙での当選者は任期中に2025年を迎える。2025年は「団塊の世代」の全員が75歳以上の後期高齢者となり、医療・介護費用が増大していく。一方、高齢者を支える20〜64歳の人口は2025年から40年にかけて1.000万人以上も減少する。現役世代が高齢者を支える、現在の仕組みの社会保障が限界を迎えるのは明らかだ。

 2025年をどう迎え、40年にどう備えるか。これは今後6年の任期を与えられる参院議員にとって最重要課題のはずだ。
 ところが、今回の参議院選で示された各党の公約は、給付の充実策が前面に出るだけで、制度の持続性を高める改革案はない。

与野党の社会保障に対する公約
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●自民党の公約は「世代間の公平性や制度の持続性の観点から負担のあり方を検討する」と、まだ何も決まっていないらしく、何を言っているのかわからない。
●立憲民主党や国民民主党は最低保障機能を強化した年金制度の検討を掲げている。だが財源や給付水準など具体像は示していない。
●日本維新の会などが掲げる、減税と現金給付を組み合わせる給付付き税額控除も同様だ。
●社会保障の安定財源を確保するために、消費税率引き上げも議論しなければならない。特に物価高対策として消費税率の引き下げを訴える野党は、社会保障の財源をどうするのかきちんと説明してほしい。
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 年金は将来の給付水準が著しく下がるのを防ぐために2004年に制度改革をおこなったが機能していない。この時の主な改正点は、
 (1)13.58%の厚生年金保険料を04年10月から毎年0.354%ずつ引き上げ、2017年に18.30%(労使折半)になったところで固定。
 (2)年金給付は負担の範囲内でバランスがとれるようにし、マクロ経済スライドにより、2023年度に50.2%まで抑制する、としたもの。

 2022年度の基礎年金額は月額6万4.816円だが、年金財政の悪化が反映され、2046年以降は2019年時点の額に換算すると約4.7万円まで目減りする。これで生きていけるのだろうか。

 各党は厚生年金の適用範囲を拡大して、パートタイム労働者らが報酬比例年金を得られるようにする方針を掲げているが、働いている高齢者が今から積み立てても雀の涙程度だろう。さらに、自営業者らは対象外なので低年金問題の決め手にはならない。

 繰り返すが、要するに、各党共、有権者を納得させるような施策がないのだ。

 いつも同じことを書くが、この問題は半世紀も前から予想がついたこと。人口問題と同じで問題的されながら最近まで放置してきたためにもう不可逆的状態に至った。今後の社会保障を賄うには消費税を20%以上にしなければならない。多分国民生活は成り立たなくなるだろうが、計算上はそうなる。

7/5(火) 雨のち雲  外来  飯川病院 
1:00起床,新聞、文献読み、自炊2冊、その他いつものごとく。5:00可燃ゴミ提出。徒歩6:40バス飯川病院。8:45-12:40中通外来。飯川病院へ、14:00-19:15勤務、終了後微睡、19:30帰宅夕食、20:15就眠。Σ9151歩。

参議院選2022(12) 選挙の視点論点(9)  エネルギー問題
 ロシアによるウクライナ侵攻などの影響で国際的に原油やLPGの流通に変化が生じ、燃料価格や電気代が高騰し、家計を直撃している。

 2018年の日本のエネルギー自給率は11.8%(2010年20.3%)で、他のOECD諸国と比べると低水準。化石燃料は輸入に頼り、依存度は85.5%。LNG輸入はロシアからは全体の8%と少ないが、エネルギーの流通は世界的に大きく変わっていく。
 エネルギーは、食料と並び戦略物質となった。

 エネルギー資源が乏しい日本の苦しい現実と化石燃料への依存体質が改めて浮き彫りになった。第一次、二次オイルショックの時代から見て、中東への依存から切り替えつつあると言えども化石燃料は輸入に頼らないざるを得ない。

 ガソリン価格高騰は国民の生活、流通業界、農漁業、林業にまで影響が大きいから、政府は石油元売りへの補助金を通じて燃油の価格を抑制している。当初3月末までの時限措置だったが延長を繰り返し、終了のタイミングは見極めが難しくなっている。

 気候変動が深刻化する中、脱炭素の取り組みは欠かせない。エネルギーの安定供給と脱炭素をどう両立させるのか。エネルギー政策のありようが問われている。

 福島県にある一部の老朽火力発電所が地震の影響で操業を中止したこともあって電力需給も厳しい。猛暑の折、政府が東京電力管内に電力需給逼迫注意報を出す事態となった。節電や省エネで夏場を乗り切る構えだが、一層需要が高まる冬に向けた備えも必要となる。

 エネルギーの供給と価格の安定をどう図るかは喫緊の課題。各党、各候補は論戦を通じ選択肢を示さなくてはならない。
 中でも、原発に対する姿勢が争点の一つとなっている。
 各党の公約は再稼働推進か反対かに大別される。

 自民党など推進する側は、エネルギー逼迫を想定して「原子力の最大限の活用を図る」などと明示。CO2抑制の効果も訴える。

 一方、稼働で生じる核のごみの問題は解決されておらず、東京電力福島第1原発ではいまだ事故処理が続く。ロシアのウクライナ侵攻では原発が武力攻撃を受けたこともあり安全性への不安は根強い。

 再生可能エネルギー導入の意義は大きい。ただ、太陽光発電は快晴の日の昼は出力制限が必要だ、という。それほど普及したのか、と驚くばかりである。だが、風力や地熱発電などの施設整備などに時間とコストがかかる。しかも、国の危機感が乏しかったためにこの方面での産業は育たなかった。太陽光、風力の場合は殆ど中国産で賄われている。
 再生エネルギーの場合は発電量の変動に対応するための蓄電設備、補完電力の確保の課題も残る。

 政府は2050年の脱炭素社会実現を掲げる。再エネの比率を高めることは脱炭素化を進めるだけでなく、エネルギー自給率を高める安全保障の側面を併せ持つ。新たな産業振興や雇用創出につながる可能性も秘めている。この面での遅れが悔やまれる。

 ウクライナ関連でエネルギー流通がどのような形で落ち着くのか見通せない。
 私は原発には反対の立場であるが、現状では「最少限に原発を利用しながら」新エネルギー時代を迎える準備を進めること、と思う。そのためには道筋を明らかにしなければならない。

7/4(月) 曇り午後快晴 健康クリニックドック  飯川病院 KDDI復旧
1:00起床、医学文献等など中心に読書、録音データ整理。 KDDI POVO回線電話3:00に回復したようだ。家内のは遅れて15:00頃回復。6:40バス飯川病院。9:00-11:50健康クリニック、ドック15名、レントゲン読み結果判定15名。ちょっと過剰気味。12:10飯川病院。14:00-19:00業務。17:30散水など。自炊5冊。19:30帰宅夕食、20:30就眠。Σ7800歩。
参議院選2022(11) 選挙の視点論点(8)  経済:日本の借金財政
 私は日本の経済の仕組みがよくわからない。また日本の政治家の経済の考え方がよくわからない。

 国の経済は税収によって賄われるべきものと理解するが、景気低迷の近年、毎年の国家予算の半分程度しか税収がない。不足分は国債を発行して賄っている。

 景気対策として国債発行は多額である。国債に頼ることは他の多くの国のにも共通することであるが、諸外国の場合は自国で十分購入力がないため国外から購入してもらっている。要するに外国から借金している。
 一方、我が国の場合は国債は日銀や国内の金融関連の企業が購入していて諸外国からの購入には大きくは頼っていない。

(国債の保有率 民間の比率が減少しているのも気になる)

 しかしながら借金財政は膨張し、国の借金は6年連続で最大を更新して2022年3月末時点1.241兆円と過去最大を更新した。 COVID-19対策等の財政出動などで、21年3月末から24兆8.441億円増加した。

 私が知っている国債に関する話題として、ギリシャの経済破綻がある。ギリシャは2009年10月頃から経済破綻を迎えつつあったが、これに拍車をかけたのがギリシャの国債を購入していた諸外国が償還を求めた頃であった。これで一気にギリシャの経済が破綻した。

 政治家は、与野党ともに、国の借金を際限なく膨らますことをどう考えているのだろうか。歳出拡大や減税ばかりを強調し、財源確保を語らない論戦に、私は不安が拭えない。

 与野党の歳出増につながる政策
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●物価高対策、●消費税減額または廃止、●子育て、●脱炭素、●防衛予算の大幅増額、●「生活安全保障として児童手当拡充、●学校給食の無償化など、●・・・・・
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 参院選で、物価高への対策が喫緊の課題であるのは間違いない。だが、原資に余裕がないから適所に配布するなら納得できるが、各党の訴えは、バラマキ合戦の様相を呈している。集票のためだろう。万人へのバラマキなど支持できない。

 一方、立憲民主党や日本維新の会などの野党各党は軒並み、消費税の減税・廃止を公約に掲げる。しかし、一律に減税する合理性は乏しい。
 昨年来、税収がちょっと増え65兆円、その主役は消費税で消費税が22兆円。やっと軌道に乗りつつある消費税、国の財政を大きく支えている。消費税は社会保障費をまかなう基幹税だ。巨額の税収が失われれば、社会保障の持続可能性への懸念が強まる。

 かつては財政再建が大きな争点になった。COVID-19禍で政府の巨額の借金がさらに積み上がったにもかかわらず、どの主要政党も財政を立て直す道筋を論じない。異常だろう。この面での政治家は無能?でないかとも思う。

 政治家の発想は半世紀も放置してきた人口問題と全く同じ。どの政権も責任を取らない。無責任政策である。

 私の、国の経済に対する考え、不安が大きく間違っていることを望む。

7/3(日) 雲ひとつない快晴 暑い 夕方畑と散水  KDDI電話不通
2:30飯川病院にて起床、画像データ整理他。7:00検食、花壇に散水。新聞データ化、自炊数冊。11:30回診に来た家内に同乗帰宅。のど自慢楽しむ、読書、微睡、データ整理。16:00-18:00庭畑作業。キウリの棚追加。19:00夕食。20:55就眠。歩数計5490歩。

参議院選2022(10) 選挙の視点論点(7)  物価高
 私は日常生活上で買い物はほとんどしない。生活用品、食品等は家内や賄いの石井さんの担当分野である。
 私が購入するのは書籍中心。しかし物価高騰は実感できる。私が好むのは文庫本、新書であるが新刊書は千円前後になった。ソフトカバーは2000−2500円前後となる。

 ラジオニュースでは値上げのニュースが頻繁である。食品値上げはもう一万品目にも達しているともいう。通勤のたびにガソリンの値上がりがわかる。
 食品や日々の暮らしに欠かせない物品は節約が容易ではない。

 これらの値上がりは昨年から始まっている。値上げの理由は多岐に渡る。そこにロシアのウクライナ侵攻による流通障害と、世界的インフレ抑制のための主要国の金利の上昇の煽りを食らって24年ぶりの急激な円安が追い打ちをかけた。

 生鮮食品を除く4月の全国の消費者物価指数は前年同月比2.1%上昇。実質賃金が上がらない中、年金支給額が減る中での物価高であり家計への負担は深刻だ。EU諸国では8%らしい。

 政府は4月に物価高騰への緊急対策をまとめているが、よくわからない施策で物価高の長期化が避けられない中、不安を解消できる対策とは言い難い。
 野党は「対策が不十分」と訴え、物価高を積極的に争点化している。

 立憲民主党を含む野党はいずれも消費税の減税や廃止を主張。確かに10%の消費税上乗せは消費者には厳しい。ただ年金など社会保障の財源となる消費税を減じる影響は大きい。減税しても社会保障費は減ることはないから財源を国債に頼らざるを得ない。消費税減税は手っ取り早い政策なのだろうが、現実的にはどうなのだろうか。私にはわかり難い。他の方法はないのだろうか。

 物価高と言っても誰も得をしていない。

 ならば、少々の物価上昇に家計が動じないように賃金を上げればいい。これも各党が公約に盛り込む。野党には最低賃金「時給1500円」目標も目立つ。大企業は多額の内部留保を持っているだろうが、零細企業は存続するだけで精一杯、賃上げは困難だろう。これもよくわからない方針である。

 首相が当初掲げた「所得倍増」は「資産所得倍増」に変容している。所得を上げる方法が乏しいから持ち金を投資の形で有効活用させようということ。これも万人ができるというものではない。

 国民の家計への負担軽減策として広くばらまけばいい解決するというものではない。国民はこんな時には消費生活のコントロールで賢しく対応する。それでも生活困難な方々に支援することに尽きるだろうが、どう判断するのか。

 物価高対策が参院選の最大の争点といわれるのは当然のことだ。参院選で議論を戦わせてもらいたいが話題は消費税に偏っていて参考になり難い。
 私に、悔しいが名案はない。

7/2(土)  曇りのち快晴 飯川病院日当直 外来レセプト点検 KDDI電話不通
1:00起床、文献チェック他いつもの如し。録音データ大量整理。8:30出勤する家内に同乗、飯川病院に。9:00日当直に就く。新聞データ化。12:00検食、読書中心。微睡、13:00-14:00外来レセプト点検、外来患者数減少しかかっている。18:00検食。読書に集中。22;30就眠。歩数計5226歩。
参議院選2022(9) 選挙の視点論点(6)  食料危機(2) 漁業

 日本は国土こそ狭いが世界で6番目の海洋国である。
 しかし、漁業の状況は厳しい。近年漁獲量は減少している。漁獲量は1980年頃は1300万トン、2017年は430万トン。にもかかわらず食卓に魚介類が並ぶのは、約半分を輸入に頼っているから。

 食用魚介類の自給率は2017年は55%。日本の水産物の輸入金額は約1.8兆円で、アメリカの約2兆円に次いで世界第2位。世界の水産物の漁獲量は過去50年で2倍以上に増加、資源は枯渇状態にあるとされる。

 その結果、養殖による生産量が一気に増えたが、高級魚1Kgを得るのにその5-7倍の餌が必要と問題も多い 。これは畜産も同じ。先進国では肉食が旺盛であるが肉用牛の体重1kg増やすのに約10〜11kgの飼料を必要とするなど非効率でもある。
 高級な食材を求め続けるならば世界の食糧難は解決しない。

 イカなどの魚介類が深刻な不漁に陥っている。背景にあるのが、世界的な乱獲。 気候変動に伴う海水温の上昇も重なり、海洋水産物の3割超が将来、海から姿を消す可能性があるとの調査もある。
 日本が食文化を守るためにも「水産資源を保護する国際的なルール作りが必要」と専門家は説く。

 漁業・養殖業生産統計によると、獲がれた海洋水産物の総漁獲量(養殖除く)はピークだった1984年の3分の1以下に落ち込んだ。統計を確認できる5年以降で最少だ。

 要因は海水温の変動や繁殖周期など様々だが、特に懸念されるのが乱獲だ。近年は中国などの大型漁船が日本近海で操業するケースが目立ち、資源減少の一因となっている。スルメイカの場合は中国漁船による乱獲が懸念されている。 2019年は日本海に出漁した中国漁船が約15万dを漁獲したとみられる。スルメイカの国内漁獲量の3.7倍に相当する。

 国連食糧農業機関(FAO) によると、世界の海で持続可能な水準にある漁業資源は1990年に80%だったが、2017年は68%に低下。 残る34%は将来、乱獲のために海から姿を消す恐れがあるという。

 2021年のロシアからの水産物輸入額は一全体の1割弱に当たる約1380億円。ロシア産水産物の流通が滞れば、さらなる値上がりも懸念される。

 多くの魚種については、各国・地域の間で漁獲量を把握し、共有する仕組みは整のっていない。
 「漁業は国際的に利害が対立しがちで、日本もルール作りには後ろ向きだ」と指摘。「このまま価格が上がり続ければ、日本の食文化への影響は避けられない。

 今回の参議院選挙において漁業問題を正面から取り上げた候補者はいない。今のところなんとか食卓に乗っているからであろうが、漁業資源を守るためにも、目先の状況にとらわれず取り上げ、国を動かしてほしい。

7/1(金) 霧雨  大曲中通病院外来 飯川病院ボランティア  
2:00起床。文献読みなど。5:30可燃ゴミまとめと提出。7:35Taxi秋田駅東に。8:11こまち、大曲市内往復徒歩不可、9:00大曲外来。書店訪問など、15:30飯川病院ボランティア。新聞チェック、読書、微睡など。19:30通りまち書店経由で帰宅、夕食、21:00就寝。歩数計8345歩。
参議院選2022(8) 選挙の視点論点(5)  食料危機(1) 農業
 国際的に食料は逼迫しているのに我が国はカロリーを指標とした2020年度の食料自給率が37%と過去最低。統計を始めた1965年度の73%から半減した。政府は2030年度の目標を45%に据えるが、下落傾向に歯止めはかかっていない。ただし、この数値にはカラクリがある。

 食品は輸入に頼り続けてきた。コメ以外は軒並みに輸入品で賄われている。
 世界的に見て食品生産量は温暖化、砂漠化とかで頭打ち状態にあり、発展途上国の生活向上に伴い自国の食品需要量は増加しつつあり、供給量は減少しつつある。
 現在、食品は兵器と同じく戦略物質化している。特にロシアのウクライナ侵攻によって世界の食糧供給の様相は大きく変わりつつある。今までは我が国は豊かな資金力を背景に食品を獲得できてきたが、今後は厳しくなるだろう。

 食料受給率の向上が必須と考えるが、その意味と国の食糧自給の方針がわからない。
 カロリーを指標とした食料自給率が37%であることはとてもわかりやすい指標であり、この数値の低さは国民にある種の危機感をもたらす。逆に、食糧輸入が比較的良好であることを示している。

 すなわち、食料自給率の値は国民の食生活の実態、困難さをを示しているわけではない。例えば、食品の輸入量が激減すれば流通量は減少するだろうが自給率は上昇する。輸入量がゼロとなれば自給率は100%になる。カロリーを指標とした自給率は食糧危機を示すものではない。

 国際的にはカロリーを指標とした自給率はほとんど通用し無い統計数値という(参考飼料:浅川芳裕著『日本は世界5位の農業大国』)。

 日本は国土こそ狭いが降水量も多く、世界に名だたる肥沃な土地を持つ。四季がはっきりしていて多くの農産物に対応できる。だが、少子高齢化によって休耕田が目立ち、農作放棄地も増えている。

 不測の事態が起きても食料を安定的に提供することは国の責務。各党、各候補は選挙戦を通じて食料安全保障の強化に向けた道筋を示して欲しい。しかしながらその論議は一般に低調である。

 農水省によると、農業を主な仕事とする「基幹的農業従事者」は2020年に136万人。10年間で70万人近く減り、現在は65歳以上が7割を占める。一方、2021年の農地面積は435万ヘクタールと10年比で5%減った。ジリ貧状態である。

 今後の農業は規模拡大による効率化、ITを活用したスマート農業推進が不可欠だ。
 食料安保を考える上では生産性向上と農地保全を両立することが重要だ。いかにバランスを取り、全体の生産量を増やすか。各陣営の主張を見極めたい。

 2021年の農産物輸入額7兆388億円のうち、6割は米国や中国など6カ国が占める。国内生産量を高めると同時に、相手国との関係強化と、リスク回避を図る輸入先の多角化を進める必要がある。

 ロシアによるウクライナ侵攻や円安の影響を受けた肥料価格、燃料費などの高騰も農業経営を直撃している。営農維持に向けた支援が急がれる。

6/30(木) 曇り降雨 午後飯川病院 
2:20飯川病院起床。新聞入力、文献などを読む、自炊数冊。7:00検食。8:30業務内が天候も悪くそのまま飯川病院で座学。14:00から勤務、入院患者対応。新聞雑誌スクラップ、文献チェック。19:30帰宅夕食、 20:30就眠。歩数計3230歩。病院の自室に籠ったきり、足低痛、足底筋膜炎か??もあり歩行できなかった。

参議院選2022(7) 選挙の視点論点(4)   人口問題(2) 
 欧州の主要国よりも婚外子が極端に少ない日本は、結婚件数がそのまま出生数の指標になる。COVID-19の影響は特に若い世代の結婚件数に表れた。物理的な出会いの減少がある。在宅勤務やオンライン授業が定着するなら対面の機会は奪われる。
  2021年は約51万4200組。これは100万組を超えていた1970年代前半の半数に満たない。

  だから、今年の出生数は80万人割れになるだろう。
 日本が出生数増加を実現させるには、経済の復調と、家族形成への若い世代の意欲回復が鍵を握る。家族規範の希薄化が著しい日本では、家族はもつべきもの、家制度は存続させるものと考える家族規範が弱い。日本の若者は結婚・出産に前向きになるだろうか??

 この半世紀に晩婚化・未婚化のが進んだが、遠因には経済の停滞があった。
 さらに大きな要因は、女性の多くが稼ぐ力をつけ、夫に頼る必要性が薄れたこと。「生きるための結婚」に頼る女性の減少である。2020年国勢調査では、50歳までに一度も結婚しない人の合は男性26%、女性15%。
 こうしてみると、結婚しやすい環境の再構築とともに、法律婚に至らない男女も気兼ねせず子供を産める新たな規範が大切になって来る。結婚は望まないが子供は欲しいと考える女性は少なくないが、女性が一人で子育てする環境は実に厳しい。

 人口戦略は50年、100年の計である。しかしながら、もう時間的にそんな余裕はない。

 静かなる有事の人口問題にどう立ち向かうのか。与野党の指導者には、ぜひ考えてほしい。


 日本の政治家の発言はほとんどない。参考に外国人の発言3件。
―――――――――――――――――――――――――-
●李鵬発言(1994年)
 中国の李鵬首相が、 「いまの日本の繁栄は一時的なもの。20年もしたら国として存在していないのではないか。 中国か韓国、あるいは朝鮮の属国にでもなっているかもしれません」 という発言。

●ジム・ロジャーズ発言(2020年)
「1968年に世界第2位の経済大国となった日本は直面している重大な問題に対して、目を背けすぎだ。日本の人口は減り続け20~30年後には大変な状況になる」、 「日本はすぐに消滅することはないが、 外資に買われまくるといったかたちで、実質的に国家が維持できなくなる可能性もある」、「ゆっくり構えている間に日本は沈没してしまうだろう」。

●イーロン・マスク氏(2021年)
 「あたり前のことをいうようだが、出生率が死亡率を上回るような変化がないかぎり日本はいずれ存在しなくなるだろう。これは世界にとって大きな損失となろう」。

6/29(水)   快晴 梅雨明け 畑草取り草刈り12回目  午後飯川病院  飯川病院当直
1:30起床。文献・新聞チェックなど。午前9:00畑草取り草刈り12回目、キウリ収穫など。11:50バス通りまち、コーヒー購入、足低痛にて歩行難、再度バス飯川病院。新聞データ化など。14:00勤務。微睡、新聞チェック、入院患者対応、17:00当直、18:00検食、21:20就眠。歩数計8245歩。

参議院選2022(6) 選挙の視点論点(3)   人口問題(1) 
 私は人口問題に相当に危惧を感じ取っている。このままでは日本は衰退し国家としては機能障害に陥り、消滅する。

 参議院選の視点論点として第一に取り上げて欲しい項目は人口減問題である。
 しかし、参議院選では人口問題として取り上げた候補者、政党は多いが、その論旨は人口問題ではなく、子育て環境に関してであり、人口減に対してはまじめに取り上げられていない。
 今回も人口問題先送りになってしまう。人口問題はもう不可逆状態に入ってしまった。

 日本の将来を考えるにあたって人口減の影響を受けない分野はない。なのに各界共に人口減問題を真摯に取り上げていない。

 50年も前から予測されていたことだが、政治家はずっと無視し続けてきた。過去の政治家然り、現在の政治家然りである。
 
 人口減の影響を受けない国民生活など全くない。
 各所に歪みが明らかになった今になって慌てている。子育て支援では出生数は増えない。

 これほど重大なことなのにもかかわらず、歴代の政治家は責任を感じているようには見えない。日本はもう古き良き時代には戻れない。いたずらに夢を求めるより、人口減による新常態の設定と確立を進めるべきである。 

 人口減少は成長を阻み、税収を衰えさせる。 例え財力があってぴかぴかの、高機能の車を購入したといえ国は道路を維持しすることもできなくなる。貧しい過疎地では、すでにそれが現実になりつつある。

 2021年の人口動態統計によると、外国人を含む出生数は戦後最少の約84万2900人。死亡数は最多の145万2300人。1年間の減少数はおよそ61万人。これは、鳥取県の人口55万人をゆうに上回る。例えれば今年は島根県 ( 67万人)が、来年は高知県(69万人)が消失してしまう。

 日本中がコロナ禍という有事に目を奪われている間に、人口減少は勢いを増した。人口減というコロナ禍以上に重要な有事への覚悟と備えを新たにするときだ。

 国を挙げて出生数を反転増加に導く長期計画を定め、粘り強く対策を繰り出す必要がある。もとより出産適齢の女性が急減しており、道は平たんではない。それに時間がない。

 出生動向基本調査(2021年)は、夫婦の平均的な理想子供数と予定子供数がともに2人を上回っていることを示している。対策が的を射れば反転の可能性は残されているとみてよかろう。一部の有識者はそんなことを言う。
 しかしながら、である。

6/28(火) 降雨午後晴れ  中通病院外来 飯川病院ボランティア
1:00 起床。文献など読む。蓄積データ整理。5:00可燃ゴミ出し。資源ゴミも、畑収穫。6:40バス飯川病院。8:45-12:45中通病院外来。患者数の割に疲弊。13:00飯川病院、微睡、15:00ボランティア。19:30帰宅、夕食、20:45就寝。歩数計9786歩。

参議院選2022(5) 選挙の視点論点(2)   若者の投票率に注目 
 『行列の行きつくはては餓鬼地獄』萩原朔太郎
 大正・昭和を代表する最大の詩人の一人、朔太郎は悲観論者の私が抱えもっている暗闇、不安感を鋭く歌っている。朔太郎も何かからの脅迫におびえていたのだろうか。

 今回のロシアの暴挙は、我が国に間接的に、長期的にかなり重大な影響がもたらすと考える。我々高齢者は間も無く消える。若年齢層の方々は自分たちのためにも子供たちのためにも、この現状、窮状に手をこまねいていてはダメだ。
 本来なら国家の維持に重要な懸案事項を甘い考えで放置してきた結果であるから高齢者たちの責任でもある。これからはもっと厳しい時代が来るが、自分たちで政治を動かし、舵をとってほしい。

 世界的に共同して対策すべきコロナ禍を前に、国際政治の主流がより協調的になるかと見えたが、米口、米中関係をはじめ力の対決が頭をもたげる。 この時代にあってプーチンの行動は狂気としか言えない。ロシアは今後長く、1世紀以上にもわたって国際的信用を失うだろう。ロシア国民も気の毒、と思う。

 岸田首相は「聞く耳」を唱え、立憲民主党の泉代表も「提案型」を提起するが、それなら今日のウクライナ危機、それに伴って生じる苦難は、まさに、立案と警告を出し合って与野党が対応策を練り上げるべき事態である。しかしながら、今回の参議院選の様相を見るとみんなバラバラで危機感の切迫性が感じられない。

 物価高騰、エネルギー危機、食糧危機にすらも何とかなるだろうと言う甘さが漂っている。私の目から見てそう思う。

 高い支持率を誇る岸田政権を擁する与党陣営に対して、バラバラ感のある野党陣営。「盛り上がらない、退屈な選挙だ」といった声もある。でも、私は今回の選挙を歴史的に非常に重要な、 これからの時代の政治のあり方を占う選挙と思う。

 かつて自民党は人口問題に「何も対策せず、国家消滅の道」を選んだ。結果として毎年島根県の人口が消えている。国の機能の維持は徐々に厳しくなっていく。
 この選挙では若者たちが「自分たちの将来を諦めるのか否か、主導的立場を取ろうとするのかどうか」が問われる。

 ウクライナ侵攻に端を発氏し、国際環境、物価高など、 内外情勢は激しく動いている。
 「未曽有の事態に対応すること」が国の指導者に求められる。 それに加え、 この国は約150年前から、常に海外にモデルとなる模範国を求め、それを目標にしてきたが、近代になってモデルを失った。いま、二重の意味で海図なき航海を強いられる状況を迎えている。

 「のんびり構えている」時期ではないのだ。にもかかわらず参議院選では与野党の問題提起がおとなしすぎるし、国民の反応も鈍い気がする。

6/27(月) 降雨 健康クリニックドック  飯川病院
1:20起床。文献処理。データ整理中心。6:40バス飯川病院へ、9:00-11:45健康クリニックドック診察15名、結果判定14人。12:99飯川病院に移動、微睡、14:00-18:45勤務、15:00入院患者対応、快適。19:30帰宅。20:00夕食、21:00就眠。Σ8327歩。
参議院選2022(4) 選挙の視点論点(1)   若者の投票率 これからの時代を担うために
 私は選挙権を得てからは今に至るまでほとんど全ての選挙に投票をしてきた。忘却して欠いたこともあるがせいぜい数回である。
 投票をしないことは政治に参加しないこと。政治に参加しないことは糸の切れた凧の様に、全て人任せにして生きるということ。そんなことは自分としてはとても耐え難い。

 私は子供の時から選挙には関心があった、というか関心を持たざるを得ない環境で育った。私の本家はかつては貴族院議員、衆議院議員を出していた。代替わりした後は県会議員、町長を務め、自民党岩手県連の重要なポストを占めていた。だから選挙のたびに一族で分担して手伝ったものである。小中学生であった私にも使い走り等の雑用が回ってきて選挙運動の雰囲気を味わった。母の葬儀の際の弔電では第一番目に「内閣総理大臣鈴木善幸」より、が読み上げられ驚いた。それにしても選挙のたび毎に一族郎党が巻き込まれる大変さを味わったが、間接的に選挙の重要性についても学ぶことができた。

 直近の参院選は2019年で、その時の投票率は48.8%で、年代別にみれば若年者の投票率は低い。
 図に近々の国政選挙の秋田県の投票率を示した。
が、青年壮年熟年者の投票率はとても低い。これは秋田だけの現象ではなく、ほぼ全国に共通、国際的にも同様の傾向がある。

 確かに、国の代表者を直接選ぶ大統領制と異なり、日本の議会制民主主義の政治形態は自分の一票がどのように政治に反映されているのか分かり難い仕組みであるが、それでも投票の意義は確実にある。政党による差、所属派閥による差、当選回数による差などなどで自分が投票した議員の活躍の姿はほとんど見えないのも寂しい限りである。これは実感である。

 高齢者の投票率はなぜ高くなるのか??つらつら考えると守りの傾向が見られる・・・・・
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 ●時間的に余裕がある。
 ●加齢と共に社会の中における自分との関係性、重要性を自覚。
 ●社会の恩恵を感じ、感謝の念が出る。
 ●高齢者特有の人生の時間的余裕の乏しさ、やり直しができない不自由さと、漫然とした不安。
 ●経済的困窮への不安。

若年齢層の投票率はなぜ低いのか??つらつら考えると
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 ●時間的に余裕が乏しい。
 ●自分と社会の中における関係性、重要性を自覚できていない。
 ●現在の若者達の生活環境の厳しさは、我が国の政治経済の流れの中で、主権在民の中で形成されてきたことに関する自覚が乏しい。
 ●生き方が受身的である。

 今回のロシアの暴挙は、我が国に間接的に、長期的にもっともっと重大な影響がもたらされると考える。我々高齢者は間も無く消える。若年齢層の方々は手をこまねいていてはダメだ。もっと厳しい時代が来るが、自分たちで舵をとってほしい。

6/26(日)曇り暑い夕方から降雨 飯川病院日直 
1:00起床。 本読み、文献読み、データ整理。8:30家内に同乗飯川病院。9:00-19:00日直。事務処理、データ整理。自炊数冊。12:00検食、NHKニュース、のど自慢聴く。13:00微睡。16:30-18:00許可得て歩行に。千秋公園のハトコイに給餌、有楽町までバス以降徒歩ドンキまで。古書店 5冊購入、バスで戻る、降雨ギリギリ濡れず。19:30帰宅、夕食。20;30就眠。歩数計 Σ8690歩。

参議院選2022(3)  秋田選挙区の顔ぶれ
 秋田選挙区では6人が立候補した。女性二人が立候補したのは初めてで、6人乱戦は1998年以来24年ぶり。
●石井浩郎  57  自現 A党副幹事長
●藤本友里  43  共新 党県常任委員
●本田幸久  40  N新 介護福祉士(埼玉県在住)
●伊東万美子 51  諸新 参政党員(神奈川県在住)
●佐々百合子 46  無新 福祉NPO代表
●村岡敏英  61  無新 ?衆院議員

 今回の候補者の中に全く初耳の方が3名おられたが、そのうちの本田氏は埼玉県、伊東氏は神奈川県に在住し、本県には地盤がない。 NHK党、参政党はいずれも全国で候補者を擁立。各選挙区での訴えを通じ、比例票の掘り起こしを狙うとみられる。本田氏と伊東氏も本県で選挙運動し、所属政党、団体の主張の浸透を図る、という。

 NHK党、参政党共によくわからない政党である。
 NHK党は比例区に9人立候補している。NHKの今朝の「日曜討論会」で聞いたがNHK党党首は司会者から投げ掛けられた質問と全く関係ない趣旨の論旨の主張をとうとうと述べ、発現中止を求められていた。私は呆れてしまった。この様な党首のもとに参集する方々はどんなヒトなのか??とも思った。

 参政党もよく理解できなかった。参政党とは、「既存の政党政治では、かけがえのない日本がダメになってしまう」という危機感を持った有志が集まり、ゼロからつくった政治団体とのこと。同党は現在5名の地方議員を擁す。参院選では40名が立候補。結党は二年前とのこと。

 参院ができて75年。 3年ごとの選挙は今回で26回目。「良識の府」 「再考の府」と呼ばれ、 衆院とは違う役割が望まれてきたが、参院のあり方をめぐる議論は今も尽きない。 参議院とは何か??憲法が敗戦後にできたときからの懸案。日本を占領したGHQの案は、貴族院をなくした上で一院制にするつもりだったが、日本側が押し返して衆参の二院制とした、という。

 秋田選挙区は、3年前にあった野党共闘の機運は一変し、 与野党対決の構図は実現しないまま選挙戦を迎えた。

 有権者の適切な判断と投票行動が求められる選挙である。
 直近の参院選は2019年であったが、投票率は48.8%であった。国政に参加しない、ということは糸の切れた凧の様な、全て人任せにして生きるということ。自分としては耐え難いのだが・・・。

6/25(土)曇り 飯川病院午前日直
2:00起床、各種データチェック、徒然。4:30キウリ収穫。8:30家内に同乗飯川病院。9:00-12:30午前日直。事務処理、データ整理。自炊数冊。16:00帰宅畑仕事。キウリ、トマトのつる処理。19;00夕食、20;40就眠。歩数計Σ8974歩。

参議院選2022(2)  22日参院選公示 いつにも増して日本の針路決める重要な選挙
 参院選は6月22日公示された。当開票日は7月11日。

 岸田内閣発足直後の昨秋の衆院選ではそこそこの成果を上げたが、国民の信任を得たとは言えなかった。今回の参院選挙が事実上の岸田政権の評価を問う選挙となる。政権選択選挙ではないが、今後数年にわたる日本の政治の土台と針路を左右する重い選択になる。

 首相就任から約8カ月。2週まえまでの国会で首相は参院選を意識し、野党と激しい対決が想定される法案の提出を避け「安全運転」を行った。政府提出法案を100%成立させるなど、初めて臨んだ通常国会は終始与党ペースで進み、内閣支持率も高い水準を維持している。 

 ■首相への評価を厳しく
 「丁寧で寛容な政治」、「聞く力」を前面にした政治姿勢が持ち味だ。それは重要だが今後の日本をどうして行こうとしているか長期的ビジョンが見えない。

 ■COVID-19第6波を、緊急事態宣言を出さずにひとまず乗り、新規感染者数の減少傾向が続き、感染対策と社会活動の両立の試みが始まった。

 ■ロシアによるウクライナ侵攻に伴い、世界的にエネルギーや食料の価格が上昇。物価高対策は喫緊の課題。

 ■プーチンの侵略に対しては、米欧諸国と結束して厳しい対ロ制裁でいく。

 ■物価高対策は、ガソリン価格抑制のための補助金を除けば政策は乏しい。公示直前に物価高を巡る対策本部の初会合を開き、電気代の負担軽減のため節電した消費者にポイントを付与するなどの対策を表明した。

 ■野党は消費税の時限的引き下げや廃止などの政策を訴える。国民生活をいかに守るかは政治の最大の課題。与野党が実現性のある具体策を提示することが求められる。

 ■骨太方針は経済政策で首相の独自色が薄れたが、防衛力の抜本強化を「5年以内」に行うと明記。防衛費を大幅増額することも掲げた。

 ■改憲論議と安保政策の関わりは深い。自民党は9条への自衛隊明記や緊急事態条項新設など4項目の改憲案を掲げ、首相は実現に意欲を見せる。

 ■ウクライナ危機で、安全保障に対する不安が広がっている。安全保障問題は防衛力だけでなく外交、経済政策など幅広い視野に立って冷静に議論するべき。

 ■「新しい資本主義」については、今月になってようやく実行計画を閣議決定したが、過去の焼き直しに終わった。

 ■COVID-19対策では、内閣感染症危機管理庁の創設を打ち出した。これまでの対応の徹底検証という約束は果たされていない。

 ■物価高・安保が論点。国民生活を守るのは政治の役割であり、喫緊の最重要課題と位置づけ。一方、立憲民主、維新、共産、国民民主など、野党各党は消費減税を、国民民主は一律10万円の「インフレ手当」も掲げる。

 ■ロシアのウクライナ侵略を受け、日本の安全保障に対する国民の不安や関心が高まっていることは間違いない。外交・防衛をめぐる論戦は、これまで以上に重みを増した。

6/24(金)降雨 大曲外来 飯川病院ボランティア 
1:00起床、文献検索、新聞チェック,本読み他.5:00可燃ごみ、資源ごみ提出。7:30Taxi駅東口へ。8:11こまち、9:10大曲外来。雨で徒歩不可。書店訪問。飯川病院ボランティア、疲労あり微睡。19:25通町経由にて帰宅、夕食、21:00就眠。歩数計Σ7833歩。

参議院選2022(1)  通常国会では浅い議論に終止、岸田首相の思う壺だった
 
  第208回国会は2022年(令和4年)1月17日に召集された通常国会で、会期は6月15日までの150日間。総じて印象の乏しい国会であった。
 
 政府は15日の臨時閣議で、参院選の日程を「6月22日公示、7月10日投開票」と決めた。公示日が「沖縄慰霊の日」と重ならないよう前日に設定したため、選挙期間は通常よりも1日長い18日間となった。

 各党は通常国会の終了を受け、事実上の選挙戦に入った。今回の参院選の改選定数は2016年と比べて3議席増え124議席。これに神奈川選挙区の欠員1の選挙を合わせた125議席。
 岸田首相にとって初めての審判となる重要な選挙である。つい先日までの支持率はロシアのウクライナ侵攻に対する迅速な対応して・・これはバイデン大統領への追従で独自の政策ではないが・・、高いままを維持してきた。総理は国会答弁で一見真摯に対応しているように見せながら、首相は肝心かなめの疑問には答えず、お定まりの説明に終始しのらりくらりと答弁し論戦を避けた。いいイメージのまま参議院選を迎えたいという作為的というイメージが払拭できない。
 平時からも我が国は危機管理能力が低い。内憂外患を抱えたまま具体的には手をつけることなく国を運営してきたが、そのつけがロシアのウクライナ侵攻を機会に一気に明るみに出てきた。
 論ずべき懸案事項が山積みになったにも関わらず野党の「問う力」、「問題指摘能力」、「対案提示能力」も物足りなかった。このままでは、参院選は岸田首相総理の思う壺になる。
 議論が深まらなかったテーマの典型が安全保障・防衛政策である。ロシアのウクライナ侵略や厳しさを増す東アジアの安保環境を受けた、国民の不安や関心に答えるには程遠かった。とりわけ、直前に行われた日米首脳会談についての、首相の説明回避が目立った。
 焦点のひとつが、首相が初めて表明した防衛費の「相当な増額」の説明だった。首相は何をどこまで考えての表明だったのか提示することはなかった。参院選の争点にならないよう口をつぐんでいる。不誠実だ。
 物価高騰、食糧危機への対策模様わからなかった。
 結論として、岸田首相は国会を無難に乗り越え、高支持率を維持したまま参議院選を迎えることができた。守りの首相、先送りの首相の性格がよくでた。
 野党はチャンスを得たが、さりとてどの党を支持するかそれも明確にでき難い。
 変な選挙になってしまった。

6/23(木)快晴 午前けやき伐採 午後飯川病院勤務 
 1:00起床、文献チェックほか、資料整理。本読み。8:30-12:00藤島造園、スタッフ二人、けやき一本伐採、まき用に裁断。居間の東側に暗幕つるす。庭掃除、マサカリ用作業台作成、12:10バス飯川病院に。14:00勤務、入院患者対応、微睡読書など。17;30千秋公園コイに給仕、バス長崎や、古書店6冊購入、19:00迎えあり帰宅、夕食、21:30就寝。歩数Σ12554歩。

季節の話題2022(16)  家庭菜園・園芸(9) 終活の一環として樹齢40年のケヤキを伐採   
 私どもが現在地に家を建てたのは43年前の1979年である。その時に更地であった庭に桜やケヤキの苗を購入し、庭の辺縁部に植樹した。後者は3本植えたが、直径50cmの立派な樹木に成長した。2016年に枝が電線に絡みつく様になったためにそのうちの一本を切り倒した。

 今回は隣家に向かって枝が伸び迷惑になるとのことでもう一本伐採することとして、本日午前に庭師2名の作業によって根本から切り倒された。庭師たちはクレーン車にて高所に登り、高い部分の枝葉から順次落とし、太い幹は2mほどにカットしクレーンで吊り下げ静かに地上に下ろした。

 その後は30-50cmの丸太状にカットした。幹の一本は私の作業台にした。
 
 丸太状にカットした幹は庭に並べてみると小型の椅子になる。やはり自然の素材のはしっくりした落ち着きがある。これらはいずれ薪ストーブを愛好者である同僚の医師に引き取られて行く予定となっている。小さくカットしたとはいえかなりの重量があることから運搬に関してはちょっと心配でもある。

(椅子がたくさんできた。欠点は重くて動かし難いことである)

 細い枝葉は有料で引き取ってくれる業者があると言う。そこに持ち込んでもらった。そこでは木質ペレットを作るのだそうだ。材料としての枝葉をひきとる際にも有料で引取り、加工して出来た製品も販売することでダブルに収益を上げられる仕組みになっている様だ。とても合理的だ、と思う。

 それにしてもこの様な太い樹木は重さは何トンあるのだろうか。これらが深く地面に張った根によって支えられ、自重に耐えているなど驚くばかりである。

 また、市中の住宅地に植える庭木としてカエデやケヤキなどは大木になるために適していない、ということが今更ながら分かった。さらに隣家の境界近くに植えるのは正しくない。
 植えた自分が責任を持って処分しなければならない。樹木に対する愛着も異なるし、伐採の経費もバカにならないことから次世代に置いて行くわけにはいかない。だから、樹木の伐採も私にとっては終活の一環である。

 今回の作業を見ていて業者が用いるチェーンソー、発生したおが屑、枝葉を吹き飛ばすブローワーにはいたく興味をもった。共にエンジン式なので私の手に余るが電動式の小型のが市販されているので欲しくなった。

 今回、庭の隅にある私の作業台をリニューアルした。2016年から用いていた作業台はすっかり劣化していたので嬉しい。

(作業台は庭や畑のメインテナンスには必須で、斧やナタを用いて枝葉などを裁断する)。

 もう一本のカエデは隣家の了承を得て残した。

(残したカエデ。上に伸びないよう2016年に主幹を途中でカットしたが脇からの枝が繁茂している。久々のモノクロ写真)

6/22(水)晴 損保ジャパンスタッフ来訪 午後飯川病院
 1:40飯川病院で起床、文献チェック,読書。9:00損保ジャパンスタッフ訪問、歓談。庭仕事若干、11:50バス飯川病院、新聞データ化、専門誌読み、14:00勤務。入院患者対応。19:15帰宅・夕食、21:30就寝。歩数Σ6899歩。

季節の話題2022(15)  家庭菜園・園芸(8) 農薬や肥料への漫然とした不安  
 現代の生活の中では私どもは住居にしろ、交通系にしろ、職場でも、ほぼあらゆる場面で巨大な建造物やシステムの中に身を委ねざるを得ない。

 私は巨大な建造物、高速の移動手段などを用いる度毎に、技術・科学・文明の進化の素晴らしさを享受する一方で、いつも底知れない恐怖感を感じている。実際にはそれらを避けて暮らせないだけに、私にとっては感知できないブラックボックスで、すべて他人様任せにするしかない。

 私の感覚ではリニアは不要、新幹線の更なる高速化は不要と思う。今春の地震では東北新幹線が脱線し私も影響を受けた。東北新幹線は現在320Kmで運行しているが更なる高速化も計画しているという。盛岡東京間を10分短縮する意義はどこにあるのか? それより安全性をもっと高めてほしい。

 自分が関与できるレベルは、住宅ならほったて小屋、交通手段ならせいぜい自転車程度でしかない。これ以上になると知らない部分が多くなって他人任せの部分が増えてくる。そうなれば自分の責任で安全を確保できない。
 だから、私は恐怖と不安感から逃れ得ない世界に暮らしている。

 原発の安全神話は、福島第一原発事故で脆くも崩壊した。

 もうひとつの安全神話がある。知らないうちに安全キャンペーンに騙されて、私たちの未来を危うくしている問題がある。 

 一般にはあまり知られていない農薬、肥料、土壌改善剤などの安全性であるが、とりわけ「ネオニコチノイド系農薬」は昆虫やヒトに対する害の大きさからみて無視できないと思う。

 「ネオニコチノイド系農薬」は、目にみえず、臭いもない。福島の土壌に残る放射性物質のようなもの。だから、どれだけこの毒物が日本の野山を覆い農作物を汚染していても、誰にも気づかれない。
 2011年以降、広範に普及して米や野菜などの食品、住宅建材や家庭菜園など、私たちの生活のすみずみまで浸透している。 

 近年、ミツバチやトンボなどの昆虫や、スズメや野鳥たちが、刻一刻、音もなく姿を消しつつある。
 
 こうした環境の変化がある中で、「ネオニコチノイド系農薬」に関して数多くの科学的知見も見られる。

 そんな中、「弱毒性で、 害虫は殺すがヒトには安全」、農薬メーカーの宣伝や、農水省の役人によって作られた「安全神話」 がまかり通り、この毒物の流通を推し進めている。国民の無知と無関心によって、この農薬の大量使用の現実が放置されつづけている。

 農薬、肥料、土壌改善剤は世界の食糧不足を改善していることは明らかである。しかし、特に農薬は今までにも脚光を集めた製品が広範に使用された後に判明した毒性のために次々姿を消した。有機塩素系のDDTやBHC、ついでパラチオンなどの有機リン系の農薬である。

 その後に登場してきたのが「ネオニコチノイド系農薬」である。

 私どもの食品にどれだけ残留しているのか、長期毒性についてのデータも積み上がっている。それと共にミツバチの減少をはじめとする生態系への影響を通じて食物生産量の低下も危惧されている。

 1962年レイチェル・カーソンが「沈黙の春」で危険性を警告したがその恐怖か今でも続いている。

6/21(火) 曇り 中通病院外来 飯川病院ボランティア 
 1:30起床。データ整理.書類処理、4:30可燃ゴミ提出、畑とダリア見回り。6:40バス飯川病院、8:45-13:00中通病院外来。患者数の割に疲弊した。13:15飯川病院へ、14:00-19:00ボランティア、微睡、新聞データ化、自炊数冊など。19:30帰宅、夕食、20;30就眠。歩数計9383歩。

季節の話題2022(14)  家庭菜園・園芸(7) キウリが採れ始めた   
  園芸、野菜作りをやっている。
 採りたての野菜が食卓に上るのは最高の喜びである・・・・と誰でもそういう。しかし、実はそうでない。

 今日の段階では、トマトやナスはまだ収穫期ではなくキウリだけの問題なのだが、一気に取れすぎて困っている。毎日食卓に登るのだが、家族たちはそれほど好むわけではない。大部分私が食べることになる。生食、漬物、あん掛け、味噌汁などであるが到底食べきれない。病院の給食にも提供し、看護師さんたちにも提供する。それでも捌ききれない。

 これは今朝採れたキウリ。サイズよし、姿よし 味もよかった。

(通常のキウリのほかに見慣れないズングリムックリのキウリが見える)

 このズングリのキウリは比較的新品種のラリーノという種類で、今年初めて栽培してみた。
 ラリーノは2008年に発売された比較的新しいキュウリで、マーケットにはまだほとんど並んでいない。まだキウリとしての市民権を得てはいない様である。

 ラリーノのその特徴は以下のごとくである。
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●果長9〜10cm、直径2.5cmのミニサイズ。
●果皮にはイボは無く、色調は濃緑で艶がある。
●食味はみずみずしく歯切れが良く、青臭みは少なく、ほんのりと甘みがある。
●サラダのほか、サイズ、形からみてサンドイッチに向いている。
●着果は旺盛で、果実の揃いが良く、曲がりや奇形がほとんど出ない。
●春から初夏にかけて次々と収穫できる。
●畑だけでなく、プランターでの栽培にも適している。
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 初収穫した通常株のキウリ、・・・苗の購入時に名前を記録しておくのを忘れたため銘柄は知らない、・・・はサイズよし、姿よしであたかもスーパーに並んでいる規格品のごとくであった。

 早速、ラリーノも生で食べたが、果肉は色白、豊かな厚みがあり、一方タネは従来のものに比し明らかに少なかった。これらはキウリの改良の結果なのであろう。

 私の栽培は完全有機栽培、無農薬栽培だから安心して食べられる。
 キウリ、トマトなどは自分が育てた子供のようなもの。指導書にあるように枝落としや剪定はしない。全ての枝をそのまま切らずに育てる。剪定しないことで果実が劣化すると言われるが、本日収穫分を見てもそんな様子はない。

 これから約1ヶ月、いろいろな料理に活躍するが、薄くスライスしたキウリの酢の物を朝・夕食時に食べるが、これがまた絶品である。

(通常のキウリ、ラリーノの姿。旺盛に成長し、支柱を求めて地を貼っている。早急に対応しなければ・・・)

6/20(月)快晴 健康クリニック 飯川病院
 2:00起床、文献チェック。読書中心。6:40バス病院へ。9:00-11;20健康クリニックドック14名+結果判定13名。11:30飯川病院へ。微睡読書、14:00勤務。入院患者対応なし。15:30-17:15許可得て歩行兼ねて千秋公園ハトとコイに給餌、バスで長崎や、古書店6冊購入、徒歩にて病院、散水ほか。19:30帰宅夕食、21:30就眠。歩数計10947歩。

季節の話題2022(13)  家庭菜園・園芸(6) バラ(2)   栽培の入門的マニュアル
 私の園芸の中でバラの世話の比率が高まっている。
 入門者用の栽培マニュアルを作ってみた。

*バラは「花の女王」として君臨し、他を寄せつけない気品を持つ。弱さや個性を理解し、上手に咲かせたい。

*春は次々と花が咲く為に、華やかさに溢れている。 秋は、春と違って勢いよく咲くことはなく、花が小ぶりの為、華やかというより気品に溢れる。

*香りが高いのが特徴。 春と秋の咲き方の違いを理解すれば、季節毎の姿を楽しめる。
 ここで拙い一句『美しきバラにはかほりもトゲもある』

(バラのトゲで、世話する度に血を流す)

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(1)「バラの特性」 を理解

@バラの原産地は、北緯39度~42度の「英・仏・独」 と 「中国北部」 で、寒さに強い。
  北緯40度の秋田は、バラの生育環境としては最高。

A バラが求めるのは、 「朝陽の豊かな紫外線」 、「水」 、「肥料」、 「通気性」、 「人間の手助け」。

B バラは「寒さ」に強く、 「零下5℃」まで大丈夫。

Cバラは「暑さ」に弱く、 「気温25℃以上」 は大敵。 香りは虫が寄ってくる原因にもなる。

(2)「バラ特有の病気」に注意

@ 【黒点病】
 地表にいる 「カビ菌」で、 「土砂降り状態の雨」 や 「パシャパシャと注水すること」で、地面から跳ね返った水滴がバラの葉の裏側に付着することが原因の一つ。

●対応策 地面に近い葉を取る。鉢植えにして降雨時は軒下に鉢を移し、雨に当たるのを避ける。
●カビ菌は2週間程潜伏することもあるので、 予防薬として噴霧器で「ダコニール」 を散布。

A 【うどんこ病】
 近隣の桜などの樹木、花などには常時、うどんこ「カビ菌」が潜んでいる。 風で付着する。

●対応策 厄介な「カビ菌」。 いつ付着・発生するか不明。 事前に 「ダコニール」か「トップジンM」を散布する。 

(3)ワンポイントメモ
●「バラを育てるのは難しい」と諦めず、 バラの特性や癖を理解するのが先決。
●バラの 「強い部分」と「弱い部分」をよく知る。
●栽培や手入れの指導書は、 関東・関西地区の生育環境を土台として書かれている。 気温の差によって栽培法は変化する。
●学者が書いた本よりも、 実地に育てている愛好者が書いた本が良い。これは医療医学にも当てはまる。
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 本音はやりたくないのであるが、家内が植えた株があるから勉強せざるを得ない。
 剪定なども重要とされているがそれについては今後勉強する。

 6/19(日)曇りのち降雨 庭掃除 草刈り11回目   日直医業務代行。
 1:00起床、いつもの如く、新聞、文献など。蓄積データ大幅に整理。5:00-6:30草刈り11回目、南側一気に、これで2週目終了。9:00庭掃除、小枝整理、畑は収穫作業。畑の草刈りが必要。降雨あり、11:30ゾンタに出かける家内に同乗、飯川病院に、データ整理と休息に。14:30日直医頚髄損傷の緊急手術が入ったとのことで20:30まで業務代行。16:00新聞チェック入力。21:00Taxii帰宅、夕食、21:30就眠。歩数計10882歩。 

季節の話題2022(12)  家庭菜園・園芸(5) バラ(1)    世話は嫌だが・・・
 『美しき花もその名を知らずして文にも書き難きはいと悔し』正岡子規 (墨汁一滴)

 私はバラが嫌いである。バラについての知識も今の所ほとんどない。
 しかし、バラの花の美しさはわかる。感動する。
 美しいバラの花を見ても、その花の名前を知らないと殆ど文章化もできない。文章化しても言葉だけではその様子をうまく伝えられない。「すごくきれいなバラの花を見つけた!!!!    赤くて花びらの先が少しだけギザギザ・・・・」、感じたその感動を誰かに伝えたいと思っても、目で見たものを言葉にして感動を伝えることはとても難しい。せめてその花の名前さえわかっていれば・・・・と思う。

 名前は共通の知識を持つ者同士がイメージを瞬時に共有することを可能にする重要な記号である。名前は知識の、情報の入り口でもある。
 上記の句の中で子規はそのことを強調している。
 今の時代なら、写真を撮ってメールで送れば、即座に感動を共有できる。そうはいっても花の美しさだけでは不満足である。共通の知識があれば伝わるものがさらに広くなる。

 バラ愛好家は世にたくさんいる。そのような方々は、バラを愛するがためにバラを見てトゲは見ないのではないだろうか、とまで思ってしまう。悲観的な私は、トゲばかりじっと見てしまい、美しいバラの花の存在を忘れてしまう。
 愛好者はトゲがあって、その何が問題なのか・・とまで言う。バラの美しさをたたえる人は、バラにトゲがあることをまったく気にしない様である。私にとってはどんなに花が美しくてもトゲがあっては困る。

 我が家では家内がバラが好きである。我が家の庭にもつるバラが5本ほど植えているが、自分では時間がないためが殆ど世話はせず、バラの画集を眺め、バラ園を訪問し、愛好者のガーデンを訪れる。
 私はダリアやボタンを好む。バラはトゲがあるから嫌でできるだけ触りたくないのだが、我が家のバラの世話は徐々に私がやるようになった。その度に数カ所から血を流すのが常である。

 私はバラに関して蘊蓄もない。今のところできるのは画像の提示だけである。


(左上は「夢」そのほかは名前は知らない。ツルバラはなんとか形を整えた、と言うレベル)


6/18(土)曇りのち晴れ 暑い 外仕事中心
1:20起床、新聞、文献など。4:00畑と庭の見回り。ダリア順調に生着の様子。8:30−11:00草刈り10回目。主に南側、西側一部。暑さで外仕事まとめてはできず。午後微睡、14:00切断した灌木の残った幹切除、庭ガレージ落ち葉など掃除。17:00新聞チェック。片付けなど。19:00夕食。歩数計10547歩。
季節の話題2022(11)  家庭菜園・園芸(4) 庭ごみ、枝葉などをビニール袋に入れる工夫
 我が家では大小の樹木がある。
 2016年、大木となった樹木を数本伐採したが、ケヤキの木がまだ2本残っている。隣家にも迷惑になっているようなので今週中にそのうちの一本を討伐する予定である。

 その他にも、数多くの樹木がありこれらのメインテナンスで生じる小枝、葉っぱの量も多い。枯れ葉は風で飛ばされてガレージの中にツモってくる。放っておいても実害はないのだが、庭の管理者を自認している私は心穏やかではない。快晴の休日などつい落ち葉、切断した枝葉の処理に誘われてしまう。

 風の少ない日を見計らって、大型の箒で掃き集めるのであるが、アクセス道路まで含めるとちょっとばかり広いので4ケ所ほどに小山を作る。ここまではなんとかなるのであるがその後の袋詰めの作業は一人で行うのは結構大変である。

 秋田市の場合、小枝や落ち葉は指定の袋に詰めて出せば資源ゴミとして回収してくれる。かつては庭の隅に積み上げて自家製の腐葉土を作っていたのであるが、樹木が増えてスペースが乏しくなったので、不本意ながら数年前からゴミとして出している。

 指定の袋のサイズはいろいろあるが、私は最も大きな90Lを用いる。
 この袋にゴミを詰める作業を一人でやろうとすれば大変である。特に風があるとヒラヒラとなびき一定しない。かつては袋の端を車のミラーに吊したり色々工夫をしたが、袋の口がすぐに閉まってしまい、難渋していた。

 2018年、簡単でかつ有効な方法を思いついた。
 それは、中等度のサイズの段ボール箱の底を抜き袋の中にセットするという方法である。これで袋の開口部が大きく確保でき便利になった。
 しかしながら、所詮段ボールである。水濡れには弱く、すぐに劣化する。

 代替品を探していたが、今年は長く使用し劣化し始めたコンポストを一つこれに流用することとした。
 これは結果的にいいアイデアで、90Lのビニール袋をこれに被せることによってしっかりした、大きな投入口が確保できた。

(10数年肥料作りに有用であったコンポスト。紫外線のためか劣化しつつあった)

 袋に落ち葉などがたまってきたらンポストを少しずつ持ち上げると落ち葉は袋の底に移動し、新たなスペースが生まれてくる。この作業を数回繰り返すと90Lの袋がいっぱいになる。最後にコンポストを抜き取り袋を縛れば良い。

(うまく詰め上がった袋)

 このアイデアで、従来から大変であった袋詰めの作業の苦労は大幅に軽減した。ほぼ解決したと言っていい。

 何でも自分で工夫して、密かに成果を楽しんでいる自己満足男の私としては、今年のミニ工夫の代表格の一つである、と満足している。

6/17(金)曇り小雨 大曲中通病院外来 飯川病院ボランティア
1:00飯川病院起床、文献・新聞チェック入力。何時ものごとく。7:45徒歩駅西口に、8:11こまち。先頭車両は3人。9:15大曲外来,往路徒歩。秋田駅飯川病院Taxi。ボランティア。微睡後新聞チェックと電子化。医局扇風機出す、19:30帰宅、夕食、21:00就眠。歩数計9216歩。

季節の話題2022(10)  家庭菜園・園芸(3) 除草剤(2) 
 最近は体力気力の減退で特に草刈りが辛くなった。
 で、今年はついに除草剤に手を出した。数年前までは「絶対に使わないぞ」と思っていたのに、である。

 除草剤の研究開発は進んでいる。
 以下は除草剤について文献を読んで得られた知見で箇条書きにまとめた。
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(A)除草剤の分類
    (1)非選択的除草ーー剤接触した全ての植物を枯らす。
    (2)選択的除草剤ーー対象とする植物種のみを枯らす。

(B)植物を枯らす仕組みは、3つに分けられる
    (1)光合成を阻害するもの、
    (2)植物ホルモンを撹乱させるもの、
    (3)植物固有のアミノ酸生合成を阻害するもの。

(C)除草剤の分類は
    (1)農耕地に使える農薬
 農耕地の他、宅地、運動場、駐車場、道路、線路、墓地など農耕地ではないところにも使用可能。

    (2)非農耕地専用除草剤
 農耕地に使用すると「農薬取締法」違反となり、罰則の対象となる。違反は3年以下の懲役もしくは100万円以下の罰金。

(D)除草の機序
    (1)接触型
 茎葉処理剤は、散布された除草剤に接触した部分の植物組織だけを除去する。散布により最も速く作用する除草剤であるが、根が枯れないため、根茎から生長する多年生植物には効力が低い。

    (2)吸収移行型
 吸収移行型除草剤は、茎葉に適用し植物体全体に浸透移行する。根まで枯れるので、接触型除草剤より多くの植物を除去するが、枯殺まで時間がかかる。

    (3)土壌処理型
土壌処理剤は、土壌に適用し根から吸収されて作用し、あるいは雑草の発芽成長を妨げる。枯殺まで時間がかかる。
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 現在一般に販売されている除草剤は種類が多く。不適切な取扱いを行うと除草効果が発揮できない。
 また、安全面からも注意が要る。不用意に扱うと体調不良を起こす。十分に体を保護できる衣服、ゴム手袋を用いて除草を行うべきである。

 私が今回購入したのは吸収移行型の製品であった。
 植物の代謝を阻害するので草刈り後に撒いては効果が乏しくなるのだそうだ。知らなかった。草刈り後に散布した。しかし、茎と葉っぱの一部が残っているから除草の効果は十分で徐々に枯れ始めた。
 次回、もし用いるとすれば100倍希釈よりもっと薄くてもいいのではないか、と思った。

(我が家で処理すべきとされている自宅裏の農道の一部。10日前に除草剤を散布。手前部分は散布せず。左側はは畑の一部。除草剤の効果は明らかだが、それだけ今となっては気後れしている)


6/16(木)朝小雨のち曇り 終日飯川病院+当直 
1:00起床。録音他各種データ整理。4:30外周り、ダリアに順調、特に問題なし。8:30家内に同乗、9:00飯川病院勤務、院長大学病院受診のため。午前外来。午後入院患者対応なし、検食、微睡など。15:30歩行訓練、千秋公園ハトコイに給餌。バス長崎や、古書店5冊購入、17:00当直業務に。検食、入浴、21:00就寝。歩数計14310歩。
季節の話題2022(9)  家庭菜園・園芸(2) 除草剤(1)  禁断の「除草剤」に手を染めた
 私は園芸や畑仕事をそれほど好んでいるわけではない。座学が好きで時間があれば終日、尻に褥瘡が出来そうなほどでも飽くことはない。

 畑も花の栽培も家内の指示で嫌々始めたのが正直なところ。しかし、元々子供の頃から田舎で曲がりなりに経験し色々経験も知識もあったこと、それに工夫と経験が重なるにつれいつぞや私の仕事になってしまった。

 最近は体力気力の減退でちょっと作業が辛くなってきている。特に草刈りが辛い。
 で、今年はついに除草剤に手を出してしまった。数年前までは「絶対に使わないぞ」と思っていたのに、である。
 
 散布する場所は我が家の脇にある農道でわずか10X2m程度の小道である。今は人が通るわけではなく、道路としての機能は全くない。よくわからないが、住民の方の説明ではこの部分の除草は我が家に課せられているのだそうだ。私は電動草刈機で毎年数回この部分の除草も担ってきた。

 加齢のためだろう、なんとか草刈り作業を軽減できないかを考えてきたが、ついに今年除草剤に手を出してしまった。約一月前、DIY店でフラフラと除草剤のボトルに手を出してしまった。

(DIY店では色々なサイズのボトルがあった。これは最も小さいもの。100倍に薄めて散布する)

 購入したものの使用することにはまだ迷っていた。農薬や除草剤が人や動物、環境にに与える影響については概略は知っていたが、まずは除草剤について文献的に勉強した。今まで知識が乏しかった分野であったが、色々なことを知った。私にとって新しい知見である。

 今の除草剤は結構研究されていて人体や動物、環境への影響は少ないとされているが、いまだに半信半疑である。

 私は殺虫剤、農薬、化学肥料、除草剤などにネガティブな考えを持っていた。私の小規模な畑、園芸には農薬、殺虫剤などは一切用いていない。そのためにキウリなどは時折病害虫に襲われ枯れていく。
 肥料にも化学肥料は用いず、コンポストで作った自作の有機肥料、または市販の鶏糞牛糞のみしか用いていない。

 その考えのルーツは環境汚染、土壌汚染、ハチなどの小動物への影響を考えてのことである。小規模だから我慢できることである。


本除草剤の説明文から
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グリホサート水41%、500ml 150坪用
植物の葉や茎から吸収され根まで枯らす。根からは吸収されない。
除草効果は約1週間後から徐々に発現。土に残らず、土壌微生物により、天然物質に分解される。
非農耕地用。雑草を刈った後に、薬剤を散布しても効果を発揮しない。


6/15(水)風つよし小雨 午後飯川病院 
1:00起床。自炊など各種データ整理。4:30外周り特に風害なし。8;00ダリア本植え一気に終了。今年は18株。散水など、特に問題なし。生着するだろう。11:50バス飯川病院、歩行なし。新聞入力、微睡など。14:00勤務。師長と面談、19:30帰宅。夕食、21:00就寝。歩数計10205歩

季節の話題2022(8) 家庭菜園・園芸(1) ダリア
 ダリア栽培について今年はなかなか意欲が湧かない。マンネリか、私の老化か??
 本日までかかってダリアを昨年より減らし住宅の前スペース4辺のうち2辺に減らし、鉢植え4ヶで合計31株植えた。全体的に作業は遅れ気味である。

 ダリア栽培は今年まで10余シーズン経験しているが、今年は初めて関連図書で文献的考察を加えた。
 それによるとダリアの本シーズンは9月以降だから仮植えの時期は4-5月にこだわることはないらしい。梅雨明けしてから植えてもいいらしいし、長く発芽した株は数cm残してカットして植えればいい、とのこと。すでに成長した株は大胆に切り戻しをすればいいらしい。また真夏は遮光し、水やりと追肥は控えるとのこと、これは私の発想にはなかったこと。

 球根の保存は難しい。まだ試行錯誤的である。得られた結論はひどい状態でないなら積極的に仮植えしてしまえ、と言うこと。昨秋掘り起こした球根はダンボールに入れ今年は2Fの一室で越冬させた。4月14日昨年よりひと月遅れで状態を確認したが、一部は過乾燥状態、一部はすでに発芽するなどいろいろであった。

 一昨年からは仮植え手法を導入した。今年もこの手法をとることとし、5月1日、昨年より3週遅れで花壇の一角に条件のいい球根を10数ケ選び、腐葉土を中心とした柔らかな土に仮植えした。この際、分類していた紙のメモ散逸した。だから咲いてみないと内容はわからない。もし来年もやることがあったら木片とかにメモ札を作ろう。昨年と同じ轍にハマってしまった。反省!!!

 5月15日過ぎには全株から発芽した。5月26日から仮植え球根を掘り出し、球根の状況に応じて分株し、本日までかけて順次本植えにした。

 我が家のダリアのシーズンの始まりである。今年も遅れたがなんとかここまで来た。


(庭の南側のダリヤコーナーの現状 成長の早さは様々)

 各々はいずれも見事な花を咲かせる。土と、日光と水、それに肥料の威力は絶大である。
 ダリアは短期間に急速に成長するから茎は中空で風に弱い。特に大輪の花は自立さえできないのもある。支柱をうまく使う必要がある。
 強風が予想されるときには支柱を追加し、ビニールテープで根元から花の位置までグルグルと簀巻き状態にして枝折れを防ぐ。

 ダリアの世話は休日が中心であるが、休日は飯川病院の日当直に当たることが多い。その日が良い天気だと心穏やかではない。

6/14(火)快晴 中通病院外来 飯川病院ボランティア  
1:10起床,いつもと同じ、4:30可燃ゴミ4袋提出、2往復。6:40バス飯川病院。8:45-13:15中通病院外来。約25名で疲弊、13:30飯川病院へ、14:00-18:45飯川病院ボランティア。入院患者対応なし。ディンブンチェック入力、自炊、家内女医の会、19:20バス帰宅、夕食、21:00就寝、歩数計10814歩。

少子化2022(9) 米起業家マスク氏が日本の少子化にツイッター
 2022年5月8日に、ツイッターへの投稿で日本の出生率低下への危機感を表明し、何も手を打たなければ「日本はいずれ消滅する」、「日本の消滅は世界にとって大きな損失になる」と訴えた。直感が鋭く、物事の本質を見抜く力を備えている人。イーロン・マスク氏のツイートが日経紙に掲載され、日経の編集委員の大林氏がそれに沿った解説記事を掲載した。

 内容的には少子化について、私が言いたいことと同じ方向なので、私の総括代わりに原文のまま引用させていただいた。
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 「あたり前のことをいうようだが、出生率が死亡率を上回るような変化がないかぎり日本はいずれ存在しなくなるだろう。これは世界にとって大きな損失となろう」by Eilon Musk,on 8/May。

 シリコンバレー発でこれを報じた日経電子版の記事は、この週に読まれた記事のランキング首位だった。
 ツイートのきっかけは、1年間に総人口が64万4千人減ったという人口統計のニュースだ。共同通信が英語で配信した。
 1億2500万人あまりが暮らす国について、この統計だけで「存在しなくなる」と述べるのは飛躍があると思うかもしれない。だが死亡が出生より多ければ、日本の消滅が避けられないのは事実である。

 1人の女性が生涯を通じて産む子供数の推計値、合計特殊出生率は新型コロナウイルス禍初年の2020年が1.33だった。出生率が1.3を下回る状態を多くの人口学者は超少子化と呼ぶ。03〜05年の3年間、日本は超少子化だった。将来人口を推計する国立社会保障・人口問題研究所(社人研)はこのころ、衝撃的な見通しを出していた。

 04年の出生率1.29が将来にわたって不変、かつ海外との人の移動がない、などと仮定した場合、日本の総人口はおよそ200年後に1千万人を切る。そして2340年に100万人を、2490年に10万人を割り、3300年には列島が無人になる。

 日本消滅の可能性は当時、内閣府の有識者会議でも取り上げられた。小泉純一郎首相は少子化対策に傾注した。端午の節句を控えた05年4月、官邸前庭で泳ぐこいのぼりを見上げた首相は、子ゴイが1尾しかいないのに気づき「1人はまずい。3人は産んでもらわないと」とつぶやいた。官邸職員は慌てて子ゴイを増やしていた。

 出生率はその後、回復に転じ12〜18年は1.4台を保った。だがここにきて再び低下基調が鮮明になっている。コロナ禍が若者から出会いの機会を奪い、婚姻数・妊娠数・出生数が軒並み減ったのは周知の事実だ。コロナが人口動態におよぼす不確定要因の分析・解釈に時間を要し、政府は今春に出すはずだった新しい将来推計の公表を1年先送りしている。

 じつは、出生減にはコロナ前から弾みがついている。15年までの年間減少率は平均1.1%で推移していたが、16年以降3.5%に急伸した。この主因について日本総合研究所の藤波匠・上席主任研究員は「若い世代の出生意欲の減退」を挙げる。

 それ以前の少子化の背景には、産みたいけれども子育て環境が十分に整っていないなどの理由で出産をためらう若い夫婦の存在があった。だが10年代半ばを境に、産みたいという意欲そのものが下がりはじめた。これは、待機児童を減らそうと保育園を増やしたり、父親にも育児休業の取得を奨励したりする、従来の少子化対策の効きが鈍ってきたことを意味しよう。

 対策のバージョンアップが必要だ。出産意欲減退の背景には、さまざまな要因がからんでいるとみられるが、はっきりしているのは若い世代の就労・収入環境の悪化だ。現在40代後半の大卒男性の平均実質年収は、10年上の世代が40代後半だったときよりも約150万円少ない。さらに世代が若返れば実質年収はもっと低くなる傾向がある。

 これを映してか、男が結婚相手の条件として考慮・重視する項目のうち「経済力」をあげた割合は、1992年の27%から15年に42%へ上昇した(社人研調査)。藤波氏は「男女問わず若者が結婚をイメージしにくくなり、子供をもつことへの一種の諦めが広がっているのでは」とみる。

 戦後のドイツはナチスの国家主義と人種差別への嫌悪から、国による出産奨励をタブー視する空気が強かった。その点では、戦前戦中に「産めよ殖やせよ」と出産報国を国民に迫った反省が先に立つ日本と状況が似ていた。だが02年以降に家族政策相に就いた2人の女性政治家がタブーを打破した。シュミット氏(在02〜05年)とフォンデアライエン氏(同05〜13年)。フォンデアライエン氏は言わずと知れた現欧州委員長である。
 「家族に多くの子供を、社会に多くの家族を」と呼びかけたシュミット氏は、ワークライフバランスの実現に腐心した。フォンデアライエン氏は育児休業の使い勝手を高め、保育所の大増設を敢行した。11年に1.36だったドイツの出生率は、16年に1.6へ急伸した。

 日本は戦後の1947〜49年の第1次ベビーブーム期、毎年270万人程度が生を受けた。団塊の世代だ。ベビーブームに陰りが出たきっかけの一つが、49年に議員立法で改正された優生保護法(今の母体保護法)によって経済的な理由による人工妊娠中絶が合法化されたことだった。

 産むのはやめようという個人の価値観を無理に変えさせるのは乱暴だ。しかし若い世代の困窮が命の誕生に対する諦めを誘っているなら、それを取り除くのが政治の責任である。マスク氏のツイートを日本の指導層のどれだけが真っ向から受け止めたか。

 出生減に歯止めをかけ、反転させるには、真に効く対策を練り直し、計画的に実行する長期思考が不可欠だ。まずは若者を取り巻く経済環境を好転させることである。
                 (日本経済新聞 2022.5.30)


6/13(月)晴れ 健康クリック 飯川病院 
2:30起床、いつもの如し。データ整理、一部廃棄。6:40バス飯川病院。9:00-11:30健康クリドック13名+結果判定12名。11:45飯川病院へ、微睡、14:00勤務、医療事務新人の紹介あり。入院患者対応。15:30千秋公園ハトとコイに給餌、バス砂山までブックオフ 7冊購入、17:30散水。19:30帰宅、夕食。20:30就寝。10196歩。

少子化2022(8) 移民受け入れ or 7000万人時代を迎える準備を
 私は、人口減下では秋田市の現在の大病院はいずれも将来的に病床過剰になる、という視点で早くから人口減に対して注目していた。
 出生率の低下原因に関して20項目程度の要因は挙げられる。
 その内の代表的要因は、現代の若い男女にとっては子供がいなくともそれほど困らない、ということ。子供を持ち、子育てに楽しみを感じている夫婦にとってすらも、子供は1~2人で十分であり、もう一人欲しくても子育ての人的負担と経費、特に教育費の負担が大きくなりすぎて無理、と言う。

■妊婦や子連れに対して世間の目は一般的に冷たい。何でだ??
■社会が人口減問題に目覚めていない。何でだ??
■妊娠・子育て期間中の母親はひたすら忍従を強いられる。何でだ??
■子供ができるまでは共同作業であろうが、子育てに夫の協力も得られ難い。何でだ??
■社会もそれをサポートしてくれない。これでは女性は大変である。何でだ??
■子育てという困難を女性のほぼ全てが自覚しているはずなのに、喉元過ぎれば・・・と関心を持たないし、発言もしない。何でだ??
■現在の子育ては、苦労や負担の一方通行であり、子供からの見返りはほとんどない。
■特に教育費負担が大きい。一子あたり2000万とも言われる。

 この、子供がいなくともそれほど困らないという考え方、子育ての負担を負いきれないと考えに対してどのように対処していくのか、また、「結婚、出産に関する国民の希望が実現すると、出生率は1.8程度に改善すると試算した」というが、これこそが至難事項である。どう対応するのか。

 私は、日本の人口危機をあらゆる策を総動員したとしても日本の人口数を維持する事はもうできない。
 出生率の目標値をあげたとしても「産む産まないを決めるのは個々人に任されるべきであって政府が口を出すべき問題ではない」、という考え方は、第二次世界大戦前までの日本ならいざ知らず、近年では定着した考え方である。だから、こんな数値をあげても影響を受ける人はいない。

 例え、ドラスティックな環境整備、経済的支援をして、妊婦、出産前後の女性を保護し、子育てを支援し、教育費を補助したとしても、微々たる効果しか期待できない。
 だから、人口問題は解決しない。解決策はただ一つ、子宮の輸入、すなわち移民受け入れである。
 だから、移民受け入れをしないならば、7000万人時代に見合う社会を構築するよう発想の転換を考えたほうがいい。これについても政府には具体策はないようだ。手をこまねいていれば日本は消滅する。

6/12(日)晴れ 家内認知症学会 病院でデータ整理 千秋美術館 
 1:10起床、新聞チェック。この作業はネコのプチに邪魔され、微睡を含め5:00近くまでかかった。8:00庭、畑のケア、散水。鉢植え整理、草刈10回目。庭の樹木の枝払い。ねぎ苗植える。11:30暑いので作業終了。認知症学会ランチョンセミナー出席の家内同乗飯川病院に。データチェック、録音。微睡。千秋美術館写真展「野鳥の一瞬」観覧、画集2冊購入。千秋公園コイハトにオヤツ。ナカイチでコーヒー。ブックオフ広面店4冊購入。19:00夕食。20:30就寝、歩数計9010歩。

少子化2022(7) 第二次ベビーブーム直後から危機の予想があったのに
 約60年前の、第二次ベビーブーム直後から日本の人口問題に危機の指摘があった。 しかし、政治家、産業界、教育界の誰しもが軽くコメントする程度でアクションを起こさなかった。ここまで放置しといて、今更慌てても、少子化、出生率の減少、人口減はどうにもならない、と思う。

 国の機能を維持するために最も重要な項目なのに、各界があまねく影響を受ける重要な事項なのに、半世紀もの間特に対策を取らずに現在まで静観してきた。その結果、合計特殊出生率は2021年に1.30となった。出生数は81万1.604人と過去最少を記録した。

 人口増を図ることは文明文化の発達と時代の流れと自然の摂理に逆行することになるために簡単ではない。どんな政策を行っても理想的に改善するとは言えないが、我が国の場合は「半世紀もの間無策のまま静観してきて、既に不可逆的事態に突入」した。これは自民党をはじめ政治家が負うべき責任である。

 10年ほど前、人口問題で著名な実績のある米国の某学者が「話し合うだけで何も対策しない日本。日本は自然消滅の道を選択した。世界の人口問題関連識者は日本の将来を興味深く、かつ心配してみている・・・」と論評したことがある。

 国にとって少子化は社会の全ての分野に影響を与える。
 政府、自治体、経済界が今更ながら騒いでいるが、もう遅い。
 今回の参議院選でも出生率の低下や出生数の減少を、このまま放置することはできない・・・、と各党が主張している。政治家たちは完全にずれている。

 人口増政策は、安倍政権が2014年人口減対策の考え方をまとめた文書に、出生率1.8を「目指すべき水準」と記した。これに対し「出産の押しつけだ」等とメディアは騒ぎ、政権の方でも「数値目標ではない」と躍起になって説明していた。「出産の押しつけだ」などと騒ぐ方がおかしい。出生率1.8など掲げてもそのために子供を産もうという女性がいるのだろうか。まさか!! と思う。実際には2.2以上が必要である。

 国力の維持は人口数の維持が基本である。ところが当時政治家、産業界、教育界の誰しもが注目しなかった。ここまで放置しといて、今更慌ててもね、と思う。

 まず、なんで7000万人程度ではダメなのか。そうなると日本はどうなるのか?
 50年後は国としての機能が維持困難となり、100年後には国家として機能不全に陥ることになりかねない。食糧生産、エネルギー確保、社会保障、教育、防衛など枚挙にいとまが無い。

 私はかねてから人口問題に関心があったから凡そのことは理解しているつもりであるが、厳しい現実が待っている。

6/11(土)晴れ 家内認知症学会 終日園芸関連
1:10起床、自炊データ整理、随想読み、徒然など。映像データ整理。8:00外仕事、可燃ごみまとめ、草刈り9回目。キウリ初収穫一本、枝のガイド、トマト支柱に固定、散水。ダリア本上準備のための穴掘り。午後は微睡から、樹木の脇芽を切除、西側の灌木排除。バラに支柱追加。17:30バスにて駅、18:02長崎屋、ブックオフにて7冊購入、クーポン活かす。19:00家内の迎えあり帰宅。読書、データ整理若干。19:30夕食、21:00就寝。歩数計11659歩。昨年頂きダリア本植えでダリア全て終了。

少子化2022(6) パラサイトシングル(PS) なかなか抜け出せない環境
 「PS」と言ってもそれぞれのケースに事情があるはず。
 自由気ままに自分の生活を謳歌している者、自営業を営んでいる親と同居し家事を手伝う者、また、介護や心的援助、世話を前提に同居している者、労働力を家族に提供している者もいる。親への実質的貢献を果たしている者もいる。

 一方では、親の方も年を経るに沿って心理的に「PS」者に依存していく。また、「PS」者の同胞にとっても便利な存在でもある。

 青年層の自立困難は国際的に見てもどこの社会にも見られる。そしては各社会ごとに特徴ある対応がなされている。
 日本では,国や社会が支えると言うより「若い世代を親の世代が援助する社会システム」を採用していると見ることができる。

 余談だが、これが背景にあるから、日本特有の特殊詐欺の被害が痕をたたない。
 特殊詐欺の被害が、2020年「8年連続で300億円超」と報じられていた。秋田では1億円の被害者も出た。被害者の多くは高齢者で息子や孫を騙って電話が来たりするとそれだけでパニックになる。特殊詐欺と言うより特殊家族依存状態、と言うべき関係が背景にある。

 「PS」の増加に伴う緒問題は,その社会システムの機能失調として捉えて,それに社会全体で取り組む必要がある。

 私は「PS」は若者の未婚化、晩婚化の原因になっていると感じている。診療を通じて「PS」者の増加を実感できる。

 独身のまま親と同居している男女が、居心地の良い家を離れたくないがために婚期を遅らせている??

 親と持ちつ持たれつの生活を享受している「PS」者にとって、結婚して独立し子供を作るということの意義は、人生にとって意味あることとわかっていても、親の元を離れることが厳しい生活環境に踏み出すことにもなり得る。

 「PS」者の増加は、若者が未婚化、晩婚化した結果生じた現象であるが、「PS」者は結婚し難いという事実もある。要するには、未婚化の結果であると同時に原因である。

 親の家から出る理由は、大きく分けて、進学、就職、結婚、その他となる。 「その他」の理由で家を出る割合は5%程度と極めて少ない。

 未婚であるということが、「PS」の前提だから、未婚率が高まれば、「PS」は増大する。未婚率の上昇と「PS」者増は相互に連関関係にある。

 「結婚」は、今までの生活を捨て、新しい生活に入るという激変をもたらすイベントである。 経済的的問題だけではなく、人間関係や自己実現機会など、 結婚に伴って、さまざまな生活の要素が変動する。結婚後の生活がより満足のいくものなら、結婚に踏み切る可能性が高いだろうし、逆だったら、結婚をためらうだろう。

 「PS」者の生活満足度は高いとされている。だから、結婚は「PS」者にとって苦悩のスタートともなり得る。よほど恵まれた相手、「星の王子様、お姫様」に出会えれば別であろうが、「PS」生活に区切りをつけるのは恐らく困難であろう。
 「親のことが心配・・で・・」といえば理屈が通るからである。

6/10(金)快晴 大曲外来 飯川病院ボランティア
1:30飯川病院起床,新聞文献、徒然など。7:45徒歩駅に、8:11こまち。9:10大曲往路徒歩中通病院外来。書店訪問。15:30飯川病院ボランティア。微睡、新聞チェック入力、自炊、散水、録音。19:00帰宅夕食、20:30就寝。Σ9785歩。

少子化2022(5) あまり目立たないがパラサイトシングルの影響
 「パラサイト・シングル(PS)」と言う言葉がある。一時流行語にもなった。「親に寄生して生活している未婚者」を示すが「寄生」などとあまり侮蔑的に定義すると若者に対する非難になる。「親と同居して生活し続けている未婚者」とソフトに考える方がいい。

 そんな男女は今や約1.000万人に達していると言う。これだけの若者が「都合のいい甘え」で親と同居しているはずがない。
 「PS」の背景は若者個人の考え方というよりは時代と文化、さらには家族構成、社会構造の変化、比較的リッチな親世代と厳しい若者の就労、等に伴うさまざまな理由があるだろう。
 「PS」が、もたらす社会的影響は決して小さくない。もっと大きな社会問題として捉えていいのだが、それなりにバランスが取れた状態だから社会の関心度は低い。

 「PS」について、若者に主眼を移す社会保障、就労状態改革などを通じて、親への依存状態から個人が自立する制度を整える必要など、対策は多角的に論じる必要がある。

 日本は近年、格差がいよいよ深刻になり、若者が自立したくても出来難い社会になった。 もはや未婚のまま親元を離れられない大勢の人のことを「PS」などとは呼び難い。 しかし、本稿では分かり易いために「PS」と呼ぶことにする。

 彼らの存在は、もはや一家庭の、個人の問題ではないという事実を痛感させられる。ややもすれば「自立」という言葉が、「自己責任」と変換されてしまう可能性もある。

 この辺のことを広く論じるのは私にとっては荷が重いが、「PS」が少子化の一つの原因になっている、と言う視点で考えることはできるような気がする。

 「PS」は親との同居で、食住に不自由せず、自分の収入は自分で使えるという比較的自由な生活を送るが、一旦「PS」生活が始まると、「この快適さ、生活水準が落とすのが嫌・・・」という理由で親に寄生し続け、なかなか抜け出せなくなるのが実情である。彼らも親も、いつまでもこんな状態がいいとは思ってないが、そのうち親の方も子供の「PS」生活に慣れ、許容し、依存してくる。
 30歳を過ぎても親元に同居して、生活を維持あるいは謳歌する気ままな独身男女の「PS」。未婚化・少子化現象、自立した一人暮らしではとてもやっていけない低収入の若者がいる、という発想から始めなければならない。
 決して甘えの心理から「PS」状態にあるのではないことを、社会が認識しなければならない。

6/10(木)快晴 グリフィス命日 午後飯川病院+当直 
1:30起床,文献整理。いつもの如し。8:00園芸と畑外仕事、畑は根の固定、キウリつるガイド。10:50バスほどの八丁、徒歩保戸野新橋鯉に給仕、千秋公園鳩と鯉にも。飯川病院、微睡。14:00勤務、入院患者対応。17:00当直業務、18:00検食、21:30就寝。Σ9419歩

少子化2022(4) 婚姻件数がピーク時の半分以下 出生率1.30は当然
 直近の婚姻件数がピーク時の半分以下と日本では結婚自体が減っている。

 人間ドック、日常診療を介しての未婚の若い男女の増加が、外来診療を通じては未婚の娘、息子を抱えて悩んでいる中高老年患者が増加しており、結婚しない若者達の増加を実感する。

 厚労省が公表した人口動態統計(概数)によると、2021年の婚姻件数は戦後最少の約50万件だった。婚姻件数が戦後最少を更新するなど、若者の「結婚離れ」が進んでいる。
 かつては男女とも9割超が1度は経験する人生の節目の大イベントだったし、それに伴い子供の数も多かったが、現在は男性のほぼ4人に1人、女性の6人に1人が「生涯未婚」とされる時代を迎えている。

 婚姻数のピークは1947~49年生まれの団塊世代が25歳前後となった1972年で年約100万件であったが、その時の半分以下の水準。
 少子化による若年層の減少だけでは説明できない現象で、急減している。

 これじゃ、一人の女性が生む特殊出生率が下がっていくのは当然である。さらに、もう子供を産める女性の数が減ってしまった今、出生数の向上など望み得ない。ここが問題なのだ。

 日本人の結婚に対する価値観は、この40年間で大きく変化した。
  国立社会保障・人口問題研究所によると、50歳までに一度も結婚しない人の割合を表した「生涯未婚率」は、1980年に男性が2.6%、女性が4.5%。それが2020年には男性が25.7%、女性が16.4%にまで上昇した。

 仕事でのキャリアアップなど、結婚よりも、自分の時間を大事にしたいといった価値観が広まっている。さらに、かつては地域や職場の世話好きな人が縁談を持ってきたが、今や「おせっかい」扱いでハナから相手にされない。

 一方、海外の先進国の若者との比較では、数値上では我が国の若者は結婚への意識は高い。  
 OECD加盟の7か国を対象とした5年ごとの意識調査は以下の如く。
―――――――――――――――――――――――――――――――――
2018年度の調査結果
■「結婚する方がよい」は、
米国(52.7%) > 日本(50.9%) > 英国(47.4%) > 韓国(46.1%) > 独(45.9%) > 仏(41.5%)。
■「結婚しない方がよい」は
日本(35.4%)で、7か国中最も低かった。
―――――――――――――――――――――――――――――――――

 上記から見て、日本人の結婚への関心は依然として高いともいえる。

 それなのに直近の婚姻件数が急減していると言うことは若者達の生活環境が変化し、結婚できない状況があるものと思われる。非正規就業、低賃金などである。

 直近の婚姻数減少は上記の状況にCOVID-19の感染拡大も追い打ちをかけた。外出や会食の自粛で、結婚につながる出会いや、交際の機会が失われた影響も否定できない。

6/8(水)快晴 草刈6回目 午後飯川病院 
1:15起床,文献読み、データ整理中心、いつもの如く。8:00草刈り6回目、その後農道部分に初めて除草剤まく。結果やいかに。10:50バス通町、ブックオフドンキ店5冊購入。疲れて12:22バス飯川病院、乗車時ほかの高齢者転倒、助けおこすも大禍なし。14:00勤務。微睡、新聞チェック、録音。19:30帰宅、夕食、21:00就寝。Σ12855歩。

少子化2022(3) 全国と秋田県の現状 
 (1)全国
 厚労省の人口動態統計で2021年出生数は8万1604人で、統計開始以来最少となった。 前年から2万9231人減少。 80万人の大台割れが目前に迫った。

 推定では、出生数が8万人台前半まで減るのは2027年としていた。50年ほど早く少子化が進行しており、社会保障の担い手不足などの対策が急務だ。
女性1人が生涯に産む子どもの合計特殊出生率」は1.30(前年比0.13減)で6年連続減。 婚姻件数は50万1.116組(同2万4.391組減)で、戦後最少となった。

 死亡者数は戦後最多の143万9.809人。 出生から死亡いた人口の自然減少は62万8.205人と過去最大に上った。

 産んだ母親の年齢は30~35歳が2万2.435人で最多。前年比では40-44歳が4万8.516人 増え晩産化がうかがえる。 第一子出生時の平均年齢は30.9歳だった。
 都道府県ごとの合計特殊出生率は沖縄1.80>、鹿児島1.66、>宮崎1.6>・・・>東京1.16>、宮城1.15、>北海道1.20の順。

 (2)厳しい秋田県
 厚労省によると、2021年に県内の出生数は4.335人(昨年比?164人)だった。15年連続の減少で過去最少を更新。全国で3番目に少なかった。女性1人が生涯に産む子どもの推定人数を示す合計特殊出生率は1.2で全国40番目。

 死亡数は前年より640人多い16.019人(昨年比+640人)。 出生数から死亡数を引いた人口の自然減は11.684人で、人口1.000人当たりの自然増減率は-12.4と全国で最も減少率が高かった。

 死亡数のうち、がんによる死亡者は人口10万人当たり439.5人で2年連続の全国ワーストとなった。脳血管疾患による死亡率も全国で最も高い167.4だった。

 自殺者は前年より5人多い177人、人口10万人当たりの自殺率は前年比0.8増
の18.8で全国7番目だった。200を下回ったのは、4年ぶりとなった70年に続き2年
連続。県が自殺対策計画の最終年度(2022年) 目標に掲げる「自殺者180人以下、自殺率1.93以下を下回った。全国平均(16.5) より高かった。

 婚姻数は2.618組(昨年比-170組)。 離婚数は1.043組(昨年比-170組)。婚姻率、離婚率も全国で最低だった。

 本県の統計結果を受け、佐竹知事は「短期間で出数婚姻数の減少に歯止めた
かけることは難しい状況。 若年女性の県内定着、同帰の促進に一層取り組む。若い世代の出会いや結婚に対する前向きな意識の醸成を図るほか、引き続き出会い、結婚から妊娠、出産、子育てと切れ目のない支援による少子化対策を進めていく」とのコメントを発表した。

 少子化が秋田県内スポーツに大きな影響を及ぼしている。合同チームの結成や大会の開催形式の変更など、環境が大きく変化。指導者や保護者らは子どもたちが好きなスポーツに打ち込めるようにと知恵を絞っている。
 部員や団員の減少により、中学校の部活動やスポーツ少年団で、従来の枠組みでの活動が難しくなっている。 少子化に直面する運動部活動などについて、国や行政、統括団体はどのように対応しようとしているのか、見えない。

6/7(火)降雨のち晴れ 中通病院外来 眼科受診 飯川病院ボランティア 
1:15起床,新聞・文献チェック、他。5:00可燃ゴミ降雨のため廃棄せず、まとめのみ。6:40バス飯川病院へ、8:45-13:30中通外来+眼科受診3年ぶり。緑内障白内障共に中等どの進行が見られ、前者は点眼薬追加。後者は手術適応なるも経過観察となる。13:15飯川病院へ、18:00頃まで散瞳の影響で目が役立たず。18:00データ整理・新聞チェック開始。自炊など。20:00帰宅、夕食、21:00就寝。Σ8680歩。

少子化2022(2) 21年の出生率1.30は当然の結果 少子化対策空振りも当然(2) 
(8)「男性は仕事、女性は家事育児」という古くからの性別役割分業、親が負担を背負いがちな子育て環境が絡み合った社会構造がある。日本の女性が家事・育児に割く時間は男性の5.5倍。しかし、両性に責任あり。その歴史は長く簡単には改善しない。

(9)コロナ禍で在宅勤務が普及した。男性も家事育児に参画しやすくなったはずだが、内閣府の21年の調査では、家事・育児の時間が増えた割合は女性が44%で、男性の38%を上回った。この傾向は数10年は解消しないだろう。

(10)子育て支援にかかる国の家族関係支出は2019年国内総生産(GDP)比で1.73%にとどまり、出生率が高いスウェーデン(3.4%)やフランス(2.88%)に遠く及ばない。十分な予算が割かれないまま子育ての社会化が進まず、家庭で女性が負担を背負う構図が浮き彫りになっている。

(11)女性の育児負担はキャリア形成、昇進遅延につながり、女性の低賃金の要因となる。正規、非正規と同じ雇用環境にあっても男女で賃金格差があり、課長級、部長級など同じ役職でも格差は目立つ。

(12)希望と現実の数字との乖離は大きい。人口動態統計で世代別の出生率をみると、20代後半女性は結婚や出産の希望をかなえられず出生率は0.53で、30代になっても子どもを持たなければ、少子化はさらに加速する。

(13)キャリア形成、出産前に女性が置かれた不利な環境の改善を急ぐ必要がある。女性活躍推進法に関するこの夏の省令改正で、大企業は賃金格差の情報開示が求められる。企業は働き方改革はもちろん、出産前後など早めにキャリアを積んでもらうよう取り組む必要がある。

(14)米国やフィンランドではコロナ禍でも21年の出生率が前年から上昇した。若い世代の「子育てしても大丈夫」という安心感の表れ。出生率が0.84と深刻な状況に陥っている韓国も「子育てにお金がかかり過ぎる」状況を重く見て、2022年から0〜1歳児の親に月約3万円の手当を支給し、2025年までに約5万円に拡大する。
 我が国では中学校卒業までの児童を養育している場合、基本的な条件では、児童1人あたり月額で10,000円(3歳未満は15,000円)が支給される。
 就学児をもつ親に児童手当として韓国と同程度の手当てをしなければ出生率の解消には向かわない。

(15)出生率が1.30を割り込む状態は深刻な「超少子化」とされる。このまま続くとすると、日本は100年後には国家としての機能が大きく障害されると考えられるが、政治家も学者もメディアも国民も危機感は乏しい。
 2966年10月5日に日本人の子どもの数は1人となる。

(16)日本にも「社会が結婚から子育てまで伴走する」という強いメッセージと、それを裏打ちする政策が欠かせない。女性の自立を支え、若い世代が安心して子育てできる社会につくりかえなければ、出生率の改善は永遠に望めない。

 コメント:それでも出生率の大幅な改善は望めない。人口減のスピードが若干遅くするだけ。
 私は悲観論者である。究極的に見て、少子化の改善がなければ今問題になって努力している温暖化対策、SDGs等のあらゆる努力が水疱に帰すだろう。私はもう良いが、次世代、次々世代の若者達が気の毒である。

6/6(月)曇り、強風、午後から降雨 健康クリニック 飯川病院
1:30飯川病院で起床,いつものごとし。録音データ整理ほか。読書ほか。7:00検食。9:00-11:30健康クリニック、ドック13名。結界判定12名。新年度2ヶ月経って通常の数に戻ってきた。11:45飯川病院、微睡、14:00-19:00勤務。入院患者対応。当直医来院を待ち19:10帰宅、夕食、21:15就眠。Σ5345歩。

少子化2022(1) 21年の出生率1.30は当然の結果 少子化対策空振りも当然(1) 
 厚労省が6月3日発表した2021年の人口動態統計によると、1人の女性が生涯に産む子どもの数を示す合計特殊出生率は1.30と6年連続で低下した。

 毎年この数値が発表されるごとに少子化、出生率などについての議論がメディアを賑わすが、もう我が国の少子化は改善することはないのに、政治家もメディアも国もまだなんとかなるとでも思っているのだろうか。唯一の改善策は、極言すれば「子宮の輸入、すなわち移民受け入れ」しかない。

 政治家はやむを得ないとしても、日本を代表するメディアがこの調子で論評しているのはもう罪悪に等しい、と私は思う。

 日本の女性に出生率向上が期待できない背景についてダイバーシティエディター 天野由輝子氏の記述を参照し、それに私の意見を付け加え以下のようにまとめた。
―――――――――――――――――――――――――――――――――
(1)出生率向上は大事である。現在は1.30であるが、人口減少をくい止めるためには2.20以上の出生率が必要。出生率が下がる大きな要因として、子どもを持ちたいという若者の意欲の減退がある。

(2)少子化に歯止めをかけるには、「女性の賃金水準が低く、家庭のなかで家事・育児の負担を背負う状況を解消する」ことも欠かせないが、こんな対策では出生率の大幅な改善は期待できない。

(3)「結婚する自分がイメージできない」、今の若い女性達はいう。婚姻率は低下し続けている。未婚化は少子化と結びつく。同統計によると、人口1000人に対する婚姻率は19年に4.8だったが、20年に4.3、21年は4.1まで落ち込んだ。

(4)既婚者でも「子どもを持ちたい」、「育てたい」という意欲も低下。出生動向基本調査によると、ここ30年間で夫婦が持つ予定の子どもの数は減り続けており、15年は2.01人と過去最低だった。

(5)「結婚せず仕事を続ける」と答える未婚女性は増加している。「結婚しても子どもを持たずに仕事を続ける」とあわせると25%を占める。「未婚女性の1/4が『出産する人生を想像できない』と考えている。これじゃ少子化は当然。

(6)国は2010年、若い世代の結婚や出産への希望がかなった場合に実現する「希望出生率」を1.8とはじいているがその数字自体が甘すぎる。どんな統計に基づいているのか??

(7)経済的な要因。2015年の出生動向基本調査では、妻が30〜34歳の夫婦が理想の子ども数を持たない理由として8割が「子育て、教育にお金がかかりすぎる」と答えた。実際、若い世代ほど年収水準が低い。一人の子供が大学を卒業するまでに約2.000万円とする試算もある。

(続く)


6/5(日)曇り寒い 飯川病院日当直 レセプト点検
 1:00起床、通常の作業、読書ほか。自炊データ整理。8:30家内に同乗、飯川病院に。9:00日当直に就く。午前は新聞チェックと3日間のスクラップ入力。微睡、午後は散水、外来分レセプト点検、チェリビダケ指揮ブルックナーNo9のデータ化、画像、録音データチェック、整理。12:00、18:00検食、22:00就寝、歩数Σ4463歩

退職12年目 退職時の感想(5) 仕事がある、外に居場所がある意義

 退職して11年経った。
 退職後は「準引きこもり状態」になりたい、と言いながら、いったん組織の外に出たら、「社会」からも必要とされず干されてしまう。そんな恐怖感が常にあった。幸いに退職後も継続的に働く場が与えられた。

 いろいろな理由で多くの人達が退職していくのに接してきた。当たり前のことだが、病院から去っていく方々の様子はさまざまだった。ちよっと真似をしてみたいと思う様な、後を濁さない爽やかな「引き際」もあったが、そう多くはなかった。やはり何事においても 、死も含めて「引き際の美学」は感銘を与える。

 私は「職を辞めたら後を振り返るな。 職場のためにも自分自身のためにも」と言うある方のエッセイを読み、納得した。だから、現役の時と同じ職場にいるのであるが、特に発言もせず病院の発展をじっと見守っている。

 人は生きていくのに社会の中で自分の「居場所」が必要で、そこを起点に社会との接点を持つのがいい。「居場所」と言うと一般的には心身を休める家庭というのがイメージされる。家庭は心を休めるにはいいが、それだけでは非生産的で不足である。心身を整えて仕事場に出ていくことが活力維持としても、刺激としても私にとって重要である。

 COVID-19拡大を受けて急激に広がったテレワーク。 これがストレスの元になっているとも聞く。ストレスや不快感を頻回に感じたとアンケートに答えた人が70%にのぼっている。「ルールやノウハウ」がないままにテレワークが始まったことで行き違いが起きているのだろう。家庭の構造がテレワークにふさわしいとは言えず、公私の区別が曖昧になるのも一因になっている。

 私どもの業務は診療は患者との対面が基本であり、書類などは門外不出で、テレワークに向かないから仕事がある日には出勤することになる。これが社会から受け取る情報のためにも大いに役立っている。

 退職するまで医師として過した45年はやはり長い半生であり、心のゆとりが無いままに業務に追われた年月であった。退職したら自由の身になり、あれもしたい、これもしたいと楽しみにしていたが、いざその時が来ると、急に生活を変えることは、心に穴をあけるのに近いと納得した。実際、私の場合は現役の時と同じ仕事内容で年毎に軽減していったから移行はスムーズであった。

 クリアに変わったのは給与面であったが、これは業務内容から見て当然である。社会とつながる充実感を得ながら続ける仕事としては十分である。それよりも、頭と体を動かすことで得られる、実感を大切にしたい。

 今年も仕事を与えられ、畑や園芸が出来ることを感謝しながら過ごさなければ、と思う。


6/4(土)曇り時どき降雨、午後快晴 園芸草刈りなど
1:00起床。文献チェック、録音データ整理、蓄積データ整理、その他いつもの如し。8:00草刈り5回目、畑、庭の東側、ガレージ他掃除、枝豆直植え。キウリの支柱補強都枝の固定。ダリア仮植えで発芽し始める。微睡、新聞チェック、読書、書斎整理、音楽関連録画確認視聴。19:00夕食、20:30就寝。11530歩。敷地内ウロウロだけでこれほどの歩数。

退職12年目 退職時の感想(4) 仕事がある、ということの意義

 退職12年目を迎えて、改めて働く、ということについて考えてみた。

 結論は、私は温室の中で過ごしてきた。恵まれていた、と言えよう。それなりに努力し、真摯に業務をこなしてきたが、振り返ってみれば私は世の荒波に揉まれた経験が少ないと言う点で私の劣等感の一つになっている。
 それを一番強く感じたのは田舎の中学の同級会であった。みんな別々の世界で、強くたくましく生きて来たという自信が各人の表情から読み取れた。一方、新潟大学医学部の同級会ではそんな感覚には至ることはなかった。

 もし私が若い頃に、「働くことに、仕事に意義を見出せない、いや、まったく魅力を感じない」、という現在の一部の若者達と同じ考えを持っていたら、どんな人生を描いたか、全く自信がない。生きるためには努力はしたであろうが、自分の軟弱な性格から見て何度も壁に突き当たっていた可能性は否定できない。
 
 就職したり、働く意欲がない若者が増えているようだ。
 何でだろうか。もちろん、それは、ごく一部の若者だろうし、多くは、仕事に意欲を持ち、 日本社会を変えたいという大志を抱いているだろう。 いや、それ以上に社会の仕組みが変わって若者の置かれている現状は私が若い頃とは全然違う。厳しさを増しており、若者は先が見え難いプレッシャーの中で喘いでいるのだろう。だから、一方的に批評はできない。

 各人の生き方はその人の自由だし、「働きたくない」というのも、その人の自由だ。そうは言っても、現実には生きていかなければならない。そのためには収入が必要。収入がなければ生きる上の「糧」と「自由」はどうやって手に入れるのだろう?

 人は社会の中で自分の「居場所」が必要で、そこを起点に社会と関係を持たなければならないが、これについてはどう考えているのだろうか? 

 小中高、大学、そのほかの学業を通じて、私たちは自動的に「居場所」を与えられてきた。 学業は大変だけど、入り口のところさえパスすれば、あとは、受け身でいても、ずっと、自分の椅子が与えられる。

 2020年度の大学進学率は過去最高の54.4%になった。これに短期大学、専門学校、高等専門学校を合わせた高等教育を受けているのは83.5%。女性の大学進学率増加が目立ち、全体を押し上げている。少なくとも20歳近くまで、あるいはそれ以上の年齢まで大部分の若者は「学生」として保護されている。

 卒業したら、 次の居場所は、自分でアクションをおこさなければ得られない。仕事に就くことは自分の次なる「居場所」の設定なのだと私は思う。

 社会と自分とを結ぶ「居場所」がないということが、 どんなに恐ろしいことか。
 一言で言って、「居場所」がなければそこに生きる「自由」も得られない。

 私自身、この歳になるまで「居場所」を失くしたことはなかったが、常に潜在的に不安と恐怖感を持っていた。その不安感が私を助けていた。保身のための消極的な生き方でなかったのか?

 自分で言うのも何だが、嫌な性格と思う。

6/3(金)終日降雨 大曲中通病院 飯川病院ボランティア  
1:00起床,文献本読み。5:15可燃ゴミ提出。7:35Taxi駅東に。9:10大曲中通病院外来、病院・駅間は往復Taxi。午後の駅は混雑。15;30飯川病院ボランティア。微睡、新聞チェック。家内は勉強会、18:32バス帰宅、夕食は家内を待って20:20、21:00就寝。歩数計9609歩。

退職12年目 退職時の感想(3) マイナンバーカード申請に手こずる
 退職時に各種の手続きに難航した。その近辺の事務処理を思い出すのも辛いが、最近手こずっていつのがマイナンバーカードの申請である。

 3月30日に私、家内、賄いの石井さんに対して「マイナンバーカード交付申請のご案内」という封書が届いた。今まではあまり必要性を感じていなかったが政府も普及を図っているようだし、健康保険証としても、そのほかの手続きに使用できるということであった。言われてみれば三人ともいつ人生の終焉を迎えるかもしれず火葬などの際にも求められる可能性があるので今回申請しようと考えた。

 私は多くの手続きを無視する方であるが、今回はちょっと前向きの捉えてみた。
 私が三人分の手続の大部分を代行したのであるが、2回受理できないと返送されて、6月上旬の時点でうまくいっていない。現在3回目に挑戦しているところである。

 今回の申請は、令和3年10月31日時点でマイナンバーカードを持っていない75歳以上の方に、QRコード付き交付申請書がお送られたものである。

 申請方法として以下の二方法が提示された。
(1)マイナンバーカードの申請には、スマートフォンやタブレットによるオンライン申請が便利です。 顔写真データをご準備のうえ、同封の交付申請書にあるオンライン申請用QRコードを読み取ってください。
(2)郵便によりマイナンバーカードを申請する場合には、ミシン目で交付申請書を切り離し、事項をご記入のうえ、同封の返信用封筒をお使いください。

 まず(1)を試みたがうまくアクセスできず、数日間何度か試みて諦めた。私は概してオンラインの手続に難渋する方で、どちらかといえば嫌。早々に諦めた。
 ついで(2)の方法を試みた。記載すべき内容は簡単でありこれには間違いはないと思われるが、顔写真に関して、●正面を向いていない、●背景が真っ白でない、●顔以外のスペースが狭すぎる、●やや暗すぎる・・・・などとのクレームがつけられて返送されてきた。
 
 私の目ではそれほど悪くはないと思われるが、判定する立場では受け入れられないだろうと納得し、撮影し直して添付したが今日の時点で私の分だけ受理不可として戻ってきた。家内と石井さんの分は受理されたのだろうか??それもまだわからない。

 感想として、判定が厳しすぎるのではないだろうか、と思った。ちょっとやる気がなくなった。こんなに厳しければ申請の時点で頓挫し諦める申請者も少なくないと思われた。
 
 試しに、診療を手伝ってもらっている中年女性のカードを見せてもらった。彼女は市役所の申請コーナーで手続し、写真も撮ってくれたという。それを見ても私が添付した写真は決して規格から外れていない、と思った。

 私の感想はあくまでも感想であってクレームのつもりはない。各種の申請手続きが不得意な者の愚痴のレベルであるが次回の足がかりのために一言述べた。



6/2(木)降雨 午後飯川病院 
 1:30飯川病院起床,午前フリー、新聞チェックほかデータ整理。いつものごとく。7:00検食。読書。11:30徒歩ブックオフ広面店、3冊購入、いきなりステーキに初めて入り昼食、14:00飯川病院勤務、入院患者処置。録音データ整理、など。19:00帰宅、夕食、20:30就寝。歩数計10099歩。

退職12年目 退職時の感想(2) 退職には難しい手続きが待っていた・・・
 退職する手続きは難しかった。11年前の苦労を思い出した。
 私は社会常識に疎かった。給与明細書にはいろいろ書いてあるが、深くは見たことも考えたこともなかった。全て無関心、信用していた。

 退職は簡単だ、と思っていた。私物を片づけ、たんに職場に行かなくなればいい、その後のことは人事課がやってくれる。 そう思っていたが、甘かった。実に甘かった。

 人事課で退職関連の説明してくれる、という。 説明が必要なほど複雑なことなのかと訝りながら説明を聞いた。

 まず、退職後の健康管理の説明を受ける。退職後の私の身体を心配してくれているのだ。日本は素晴らしいね。でも、健康のことは運にまかせるしかないと心に決める。

 婚活、就活、終活の仕方、遺書の書き方、寺や墓の選び方、死亡届の出し方、相続についての説明はなかった。

 引き続き、退職金、年金、健康保険の説明があった。社保?国保?選べという。なんで??というレベルで聞いていた。

 説明を聞いて、社会の経済的仕組みの複雑さが分かる。退職金にしても算出方法が複雑な上に、算出の基礎になっている項目の意味と金額が分からない。いくら複誰でも、 中学生でも理解できるレベルでなくてはならないはずだ。私にも三割は理解できるはずだ、と思ったが実際にはわからなかった。言葉の意味も、説明に使われる単語も分からず諦めた。 計算する人を信用するしかない 。

 年金はさらに難解だった。 いくらもらえるのか、皆目分からない。 年金には色々な種類があるが、もし複雑に転職を繰り返していたら、年金をあきらめるしかないところだった。 受給手続きの仕方も分からない。もしかしたら、わざと難しくして支給を減らそうとしているいるのかと勘繰ってしまった。退職後一定程度の収入があると支給が停止されることなど、退職後何年も知らなかった。慌てて年金機構に相談したが、停止が戻ることはなかった。

 年金や保険の手続き代行ビジネスがあればそこに頼みたいほど。 ただ、代行業者に依頼するにも複雑な手続きが必要になり、その手続きを代行してくれる人を探すことになってしまう。 それほど複雑である。

 健康保険も複雑だ。 退職者医療制度とか任意継続組合員制度とか、難解な制度が何通りかある。こういう難解な制度で世の中がよく動いているものだと思う。

 説明を聞いて、分かり難いということだけはよく分かったが、それで終わりではなかった。 退職の手続きが必要だ。 何をするにも書類は必要だが、退職も例外ではない。相続にも、入学にも、生まれたり死んだりするにも、墓に入るにも書類がいるのだ。

 書類を10枚以上提出した。苦労して記入した。数日後、記載漏れと書類不添付を指摘され、再提出ということになった。
 退職までに手続きをすませられるかどうか不安になったが、なんとか間に合った。

 勤務中に居眠りするのに書類がいらないのがとてもいい。眠気が飛んでしまう。

6/1(水)快晴 散髪 ブックオフ土崎店 午後飯川病院+当直
1:00起床,データ整理。午前畑庭見回り、ほぼ順調。家人に送られ10:00散髪3Q理髪、ブックオフ土崎店、8冊購入、12:30バス飯川病院。入院外来患者対応、本読み、自炊データ整理。17:00当直業務、18:00検食、20:30就寝。歩数Σ4679歩。

退職12年目 この11年の感想(1) 振り返ればパラダイス期間を過ごしている
 2011年5月末日社会医療法人明和会を退職した。
「急性期の病院に年寄り医師は不要」、「私の社会的使命は終わっている」、「社会の老害、男性社会害の一人」、「もう私は医師として有用な役割を果たしていない、必要ともされていない」・・・などと発言してきた私は、現在も嘱託医師として働かせていただいている。

 ちょっと言っていたこととやっていることと矛盾しているので内心忸怩たるものがある。ただ、秋田県は相変わらず医師不足、加えて法人も医師不足である。かつて共に働いた内科医師も次々と定年で退職したが、その中の6名が嘱託医師として働いている。
 明和会からいつ労働契約解除されても良い状態である。
 
 飯川病院の方は病身の院長が在任している間だけは補助したいが、これも病院側の意向次第で明日のことはわからない。飯川病院では作業員としては有用の評価らしい。

 診療以外に患者、スタッフと言葉を交わすこともなく、ほぼ引きこもり状態であるが、私としては自由時間が豊かな、とても有意義な、日々を過ごさせてもらっている。人生の最終コースに入った身にしてみれば、この様な環境が与えられていることは法外の喜びで、感謝以外の何者でもない。

 私は最近、加齢や体調不良もあって体力も低下し意欲が乏しくなった。週に何回か歩行する時間をいただいている。
 こんな私であるが、私は学資負担はほとんどなく税金で医師になったから、社会に恩義がある。だから求められるうちは働くつもりである。
 
 近況。
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 ■ホームページ:更新が負担になった。まだ更新を欠かした日はないが今後、更新できない日が増えていくだろう。
 ■徒歩通勤:体調不良もあって全コース歩行は月に数回しか出来ない。その分、日々こまめに歩いている。目標は1万歩。伊能忠敬の足跡を辿っての日本一周は、2周目で間もなく北海道が終了する。焦らずゆっくり歩きたい。
 ■通勤の交通手段:運転免許を返上したので往路はam6:40バス。復路は家内に同乗。
 ■岩手県への復興資金:収入減で減額したが続けている。
 ■日々のルーチンワーク:録音、録画、新聞スクラップ、文献スクラップ、学術文献スクラップ、書籍の自炊などなど。長年の蓄積あるからやめられない。
 ■読書欲が亢進。
 ■園芸:野菜、花壇づくり。負担になりつつある。
 ■体調不良:ちょっと無理すると動悸息切れがある。職員健診で再検査項目が数項目あったが、再検査では幸い許容できるレベルだった。筋力は相当落ちてきた。
 ■視力低下;iPad、パソコンの画面を舐めるように見ている。
 ■体重コントロール:難渋。ブタ!!みたいだ、と言われても腹も立たない。ブタに悪いとは思う。
 ■終活:嫌になったが、コツコツと進めている。
 ■緊張感の少ない生活:惰眠をむさぼる、ネコと遊ぶ時間などが増えた。
 ■などなど・・・・。

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 まあ、いろいろある。
 今は最小限の業務しかできないが、求められる責任の範囲で果たしていければいい、と思っている。 

5/31(火)曇り午前から降雨 外来 飯川病院ボランティア
1:30起床。いつもの如く。徒然など。5:00可燃ゴミ提出。6:40バス飯川病院。8:40-13:15中通病院外来。13:30飯川病院、ボランティア、微睡、読書、新聞、文献読み、19:00通町書店経由帰宅・夕食。20:30就寝。歩数計8697歩。
国会の質疑を聞いて(2)   国会にふさわしくない質疑も
 岸田首相がかなめの疑問には答えず、お定まりの説明に終始するだけでは、とても議論は深まらない。野党の「問う力」も物足りなかった。

 ロシアのウクライナ侵攻に対する岸田首相の対露経済政策のは確かに早かった。
しかし、これはEUや米国に追従しているからであって日本独自の部分は少ない。

 今回、野党と対立する恐れのある「出入国管理法改正案」の提出を見送ったが、まだ2週間も会期が残っているのに、死者まで出ている入管行政の議論をしないのは何故だろうか。そんなに立法のスケジュールが密なのか??
 首相は「スピード感を持って・・」ともいうが、そのイメージはない。「後回し」感が勝る。

 国会に相応しくない質疑もある。
 「首相にとってしあわせとはなんでしょうか??」、「先ほど答弁されたことに関して首相の決意を述べてほしい」、「・・・」など、国会の場で語る必要もない応酬が見られる。それに対して首相は「私にとってのしあわせとは・・・」と淡々と述べていた。私なら「そのような質問には、あるいはご要望は、国会の場ではお答えできません。もっと大事な議論を!!!・・・・」と答えるだろう。

 総額2.7兆円の補正予算の1.5兆円は、支出時に国会の議決を必要としない予備費である。衆参2日ずつの予算委員会で型通りの審議に終わりそう。

 ロシアのウクライナ侵略や厳しさを増す東アジアの安保環境を受けた安全保障・防衛政策には説明回避が目立った。
 諸物価高騰では補助金を考える、というが財源についてもなんら語らなかった。

 審議の充実には、野党第1党である立憲民主党の責任も重い。現政権の政策に対する厳しい吟味をおろそかにせず、論点を明確にすることが求められる。

 国会の会期は残り2週間。党首討論も行うべきだ。

5/30(月)快晴 健康クリニックドック 飯川病院 
1:00起床。本読み、文献チェック。データ整理。6:40バス飯川病院、9:00-11:00健康クリニックドック11名+結果判定10名。11:415飯川病院、微睡、読書など。14:00-18:00飯川病院勤務、入院患者対応。18:00徒歩でドホーテブックオフ 7冊購入、家内に拾ってもらい17:10帰宅・夕食、21:30就眠。Σ9722歩。

国会の質疑を聞いて(1)   岸田首相は「受け止め」、「後回し」が得意の方
 私は国会の質疑応答を聞くのが好きである。NHK-AM第一放送、いつの間にかR1と称するようになった、を常時蚊の鳴くほどの音量で鳴らしているので適宜音量を上げて聞く。

 第208回国会は、2022年1月17日からの通常国会である。会期は6月15日までの150日間の予定。
 夏の第26回参議院議員通常選挙を控えて、COVID-19対策やロシアのウクライナ侵攻、物価高対策の成否が問われる重要な国会となる。だから面白い。
 物価高騰の「緊急対策」に使う予備費の積み増しなどを盛り込んだ今年度補正予算案が討議されている。間も無く衆院本会議で可決する予定となっている。

 「防衛費増額」,「子ども政策予算の倍増」と予算拡充を強調する岸田首相は、肝心の財源を語らない。首相は日米首脳会談で、バイデン米大統領を前に、防衛力の抜本的な強化に向けた「防衛費の相当な増額」を表明した。それについては、「防衛力強化の内容と金額、財源の3点セットでしっかり議論を行っていく」とし、質疑の中では具体的には語らず、今後の課題と位置づけた。また国債頼みになるだろう。

 時に質疑が噛み合わず空回りしたりすることもある。聞いていてイライラする。激しい応酬になることもある。昨日の共産党小池氏の防衛問題に対する質問は熱気を帯び、首相を激しく攻めたてていた。その際も岸田首相は檄することも無く、早口にもならず淡々と答弁していた。
 少なくとも安倍元首相、菅首相の答弁とは一線を画する落ち着きである。同じような質問が各党から繰り返されるのは聞いてて不快だが、それに一つ一つ答えていく総理の心中はいかほど苛立っているのか、と思う。意外と、お顔は能面に近い無表情であるから、あまり感じていない??と思うこともある。

 岸田首相は自ら「聞き上手」であるとしているが、決して「説明上手ではない」ように感じる。冷静で理路整然としているような印象であるが、パターン化し、一定の論旨から外れることは少ない。要するに、核心にせまるような答弁はしていない。のらりくらりが多い。だから、揚げ足を取られることも少ない。

 岸田首相が答弁で「認識しております」、「謙虚に受け止めます」 「引き続き考えていきたい」という言葉を頻用する。 質問内容を受け止めているだけで本心を明かさない。
 7月の参院選まで無難に乗り切れば、今の野党相手なら勝てる、という戦略がにじみ出ている。

5/29(日)晴れ 飯川病院日直 畑に支柱
1:30飯川病院で起床、本読み、文献チェック。10:30回診に来た家内に同乗帰宅。11:00畑に支柱立て。のど自慢後微睡、14:00支柱に茎枝を固定、一安心。16:30録画チェック、視聴。18:30散水。19:00夕食、20:00就寝。Σ8400歩。

COVID-19(2022)オミクロン株(10)  東北絆祭 ブルーインパルスを窓から見た。
 東日本大震災からの復興を願い、 東北6県を代表する夏祭りが集う「東北絆まつり」が5月28日、秋田市八橋運動公園で2日間の日程で開幕した。 2016年まで東北各県で開かれた「東北六魂祭」の後継行事。COVID-19の感染で開催が途絶えていたが、COVID-19対策の緩和もあって今年は久々開催となった。

 新型コロナウイルス感染予防策の一環でパレードの観覧は事前申込制とした。会場入り口では検温が行われ、手ゆびの消毒も促した。2日のまつり全体の来場者は主催者発表で4万万5千人。ちなみに2015年の東北六魂祭りは秋田開催で山王大通りがパレード会場となったが25万人の来場者があった。

 ソユースタジアムでは2万人の定員に対して一日八千人に抑えられた。28日昼にはブルーインパルスの飛行もあった。夕方に始まったパレードには約900人が出演し、秋田竿燈まつりをはじめ6県の祭り華々しく共演した。

 「東北絆まつり」は東北6県の実行委員会の主催。

 私は飯川病院の日当直が当たっていた。
 会場に行く気は起きなかったが、もしかしたらブルーインパルスを見れるかもと期待していた。
 私は関心があって書籍(武田頼政著:ブルーインパルス 文春文庫)や画像としては何度か見たことがあるが実際にはまだ見たことはない。6機編成で3回ほど窓から短時間垣間見ることができた。編隊飛行は実に力強く迫力があった。

 ブルーインパルスは航空自衛隊の曲技チームである。1964年、東京オリンピックの開会式で、青空に「五輪マーク」を描く妙技で、その存在感を強烈にアピールした。超音速練習機T?2を使った2代目ブルインパルスが発足した1982年、浜松基地航空祭で7万人の観衆の前で演技中の1機が墜落しパイロットが死亡するという惨事があった。
 空軍の曲技飛行は、一国の軍事的抑止力や国力(経済力や技術力)を跨示することにある。他方で、現実の空中戦闘では行わない密集隊形などを演じる「命がけ」の世界でもある。

 私は飛行機自体は乗りたくはないが、現実には乗らざるを得ないかった。200回ほどは利用しただろうか。それだけに飛行機についての興味は尽きず、今でも勉強を続けている。

 窓から垣間見たブルーインパルスの勇姿は素晴らしかった。

 ちなみに、自宅で見た家内はスクランブル機と誤解し、〇〇国が攻めて来たのでは??と恐ろしさを感じた、という。早とちりも甚だしい。

5/28(土) 曇り 飯川病院日当直 東北絆祭のブルーインパルスを見た
1:10起床、文献検索整理など何時ものごとし。8:30家内に送られ飯川病院に。9:00日当直業務に就く。入院患者は落ち着いている。新聞チェック、自炊3冊。読書、微睡など。12:00、18:00検食、13:40-14:00東北絆祭のブルーインパルスを窓から見た。6機編成で3回ほど横切った。読書三昧、20:30就寝。歩数Σ3346、部屋に篭ったきりで運動不足。
COVID-19(2022)オミクロン株(9)  成人はME/CFSに、学童・若者はうつ病になることも
■ME/CFS
 後遺症が残った方のうち、専門病院で筋痛性脳脊髄炎/慢性疲労症候群(ME/CFS) と診断されたケースもある。 
 ME/CFSは、重症急性呼吸器候群(SARS)などのウイルス感染後に集団発生した過去がある。 運動すると悪化する特徴がある。
 ME/CFSでは場合、感染後に強い体の痛みや激しい倦怠感が続きほぼ寝たきりになったり、職場復帰が困難だったり休職を余儀なくされる場合もあるらしい。
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 ■うつ症状
 小学校高学年から中学生の1~2割にCOVID-19感染症が改善した後でうつ症状が見られたことが5月5日、国立医療研究センターの調査で分かった。

 調査は2021年12月、無作為抽出の郵送と、任意のインターネットで実施。小学5年生から中学3年生の子どもとその保護者計約5.400人から回答を得た。
 その結果、郵送では小学5~6年生の9%、中学生の18%に中等度以上のうつ症状が見られた。インターネットでは小学生の18%、中学生の22%と高かかった。

 また、自分にうつ症状が出ても「誰にも相談せず自分で様子を見た」と答えたのは、小学5~6年生で25%中学生で58%と、学年が上がると抱え込む傾向があった。

 保護者への郵送調査では、自分の子どもにうつ症状が出た場合「病院は受診させず様子を見る」が20%だった。
 同センターの森崎研究部長は「コロナの長期化でストレスが高い状態が続き、保護者も余裕がない可能性がある」と指摘。 いらいらしている、朝起きられないなどサインに気付いたら「まずは子どもの話を聞くことが大切。必要と感じたら、保護者はためらわず相談や受診をさせてほしい」と話している。
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 2020年3月ごろから、オンライン診療も含めて3.800人以上の患者を診察してきた東京のヒラハタクリニックの平畑医師によると、患者が訴えるだるさ、倦怠感はひどく、歩けなくなり、トイレに行くのがやっとという人が大勢いるとのこと。
 それまで元気だった人が突然動けなくなり、いつ治るかが分からない。想像を絶する苦痛の様子。複数の患者の自死を経験した、という。

 国立国際医療研究センターの調査で、感染した患者の25%が、半年後も後遺症があったとのデータもある。

 感染後のうつ状態を含め、COVID-19後遺症は広範な症状であり発症メカニズムはまだわかっていない。しかしながら、所定のワクチン接種を受けた人の後遺症の発症は半減するという研究もあることは疫学上重要な知見である。

5/27(金) 雨午後快晴 大曲中通病院 飯川病院ボランティア   
1:00起床。早朝から降雨、こういうのを恵みの雨。大地を潤し植物を育てるから恵雨というらしい。文献、自炊データ整理、読む。5:00ゴミ出しは降雨のために出さず、準備のみ、7:30Taxi、8:11こまち。大曲駅病院降雨のためにTaxi。9:00大曲外来。書店訪問 15:30飯川病院、疲弊微睡、19:30帰宅、夕食、21:00就眠、Σ6224歩数。

COVID-19(2022)オミクロン株(8)  病態不明、厄介な後遺症
 私は第一線の医療には参加していないためにCOVID-19感染者を診療することはないが、先日、その後遺症も考慮しなければならない患者??が受診した。結果的にはうつ状態と判断したが、罹患前からある症状なのでCOVID-19関連性は否定的であった。

 COVID-19後遺症は、感染が回復した後も色々な症状が数カ月以上続き、他に明らかな原因のない状態全般を指す。

 症状のうちには、感染の早期から続くものや、途中から生じるものがある。 だるさや筋肉痛などの全身症状や、せき、息切れといった呼吸器症状のほか、記憶、味覚、嗅覚の異常などがある。 うつ状態に陥り、倦怠感等で社会復帰できず日常生活に影響する例も出ている。

 厚労省研究班の研究班は、COVID-19症で入院した人のうち約10%は、退院から1年たった時点でも後遺症を抱えている、との調査結果をまとめた。
 COVID-19感染症が中等症以上だった約700人を分析した結果から明らかになった。最も多い症状は筋力低下で、分析対象者全体の7%ほどだった。京都市で開催中の日本呼吸器学会で4月23日発表した。

 その中で、研究班の代表の横山高知大教授は、「時間と共に症状を訴える人の割合が減っているものの一部の方々には後遺症が長期間残っている。後遺症には確立した治療はなく、感染しないことが重要」と指摘した。 後遺症のことも配慮し、感染対策の徹底とワクチン接種を呼びかけている。

 研究は2020年9月~21年7月に中等症以上のCOVID-19感染で入院した人を対象に、その後の状況を調べた。経過を把握できた693人のうち、退院の1年後も医療機関を受診し、後遺症の可能性と確認された人が9.8%いた。

 主な症状別は以下のごとく。複数の症状を訴える人も見られた。

―――――――――――――――――――――――――――――-
●筋力低下         7.4%
●呼吸困難                   4.4%
●関節痛                       4.0%
●だるさ                       3.5%
●思考力・集中力低下 3.5%
●嗅覚異常                   1.6%
●味覚異常                   1.0%
●CT検査データがある人のうち、1年後に肺にも影 5.1%

※厚生労働省研究班

5/26(木)快晴 当直明け午前フリー  午後飯川病院 畑のために早退
 1:00飯川病院起床。いつもの如く文献、新聞など。画像データ整理、廃棄、微睡も。午前は病院で業務、12:00-14:00院長会議、留守役。14:00入院患者処置、その後年休扱いにしてバスで帰宅、陽が翳るのを待ってネギ、里芋を植えた。雨がしばらく降らないので土がひどく乾燥、固くて難渋する。18:30なんとか終了。19:00夕食、20:30就眠、9493歩。

COVID-19(2022)オミクロン株(7)  マスク着用基準(2) 一人で屋外での感染はゼロなのに
 マスクに関して、着用ルールを示してほしいという意見があり、着用が求められる場面を政府が個別に例示した。

 我が国では、なんでもかんでも指針、マニュアルである。マニュアルは思考停止の道具である。
 マスクの装着の国の指針?? まあ「親方日の丸」的、「長い物には巻かれろ」的思考、借り物の知識で正義を叫ぶ「同調圧力」的思考を好む人が多い日本人の特質・・・を考えると、マスク装着に指針、マニュアルを求める気持ちはわからないわけではない。

 2年ほど前の写真で、鳥取砂丘を一人で旅行していた観光客がしっかりマスクをつけていたのを見てがっくりきたことがある。これぞ日本人の特質を象徴している、と思った。現在でも屋外で一人でいる時もほぼ100%の人がつけている。

  オミクロン株は重症化しにくく、ワクチンを3回接種した人も増えたし、熱中症の頻度も増える。このことから「外で一人でいる時にも必要なのか」という声や、顔を隠す社会が子どもの発達に悪影響があるのではないか、と心配する声もあった。

 本当はマスクの機能を知って自分で考えればいいのだが、国民の声に弱い岸田首相内閣はマスクを外せる場面を具体的に示そうと判断した。

 基準としては「屋外か屋内か」、「人と2m以上離れているか」、「会話はあるか」、という要素の組み合わせで8パターンに分けた指針を公表した。

  要するに、屋外では、近くで会話する場合を除けば装着は不要。 例として、散歩やど、ランニング、徒歩や自転車での移動など。例えば電車の中では、引き続きつけるようにとしている。

 屋内でも3蜜でない図書館や美術館などでは、会話しない状態での読書、鑑賞時には外せる。

 しかし、この指針を見る限りマスクを外す人が増え、感染が再び広がってしまうことは避けたいという政府の弱腰の本音が見えるようだ。

 商業・娯楽施設といった屋内での一律着用も不要だろう。映画館やクラシックコンサートなど、もともと「会話のない」静かな空間なら、徹底した換気を条件に外して構わないのではないか。咳エチケットとしての配慮は当然必要。

 公共交通機関の利用でも、飛行機や新幹線では乗り降りする際を除き、マスクの有無で感染リスクに大きな差はないだろう。この辺はしっかりとした疫学調査があるのではないか。

 マスク着用は2020年春に「新しい生活様式」として手洗いや「3密」対策と併せ感染予防の要になった。なんでマスクが感染防御に効果があるのか、などについては若干の基礎的、科学的知見があったが、2年が経過したいま、最新の疫学的知見から見直すべきであろう。

 私は、換気が悪い閉鎖空間の、3蜜状態では会話の有無にかかわらず着用すべき、と思う。会話のない広い空間では不要。ただ、ひたすら正論を吐く社会の「同調圧力」が働くような環境ならトラブル回避のために着用するのが良かろう。対応が面倒だから。

 6月以降、外国からの訪問客が本格的に入ってくる。ルールが具体的でないと、観光地などでトラブルを招くだろう。

 医療機関や老人保健施設等では施設の方針を明確にしておくべき。

 COVID-19問題とは別に、人の鼻や口からはいかに無数の粘液粒が飛び出しているかを認識することが先決である。会話しながらの調理など、私には辛いシーンである。

5/25(水)快晴 午後飯川病院勤務   COVID-19ワク接種担当   飯川病院当直
 1:30起床。早朝は新聞・文献読みと座作業中心に。8:00畑花壇に散水、ダリアの仮植え10株ほど。DIY店煮てネギ、里芋、枝豆を購入、明日植える予定。11:00家人に送られ飯川病院、院長ゾンタの昼食会で外出。留守役。14:00-15:00 COVID-19ワクチン接種担当、外来入院患者対応、美術系読書中心。17:00当直勤務、18:00検食、20:30就眠、Σ6251歩。

COVID-19(2022)オミクロン株(6)  マスク着用基準(1) 私は基本的につけない
 COVID-19対策の行動制限が解かれて2カ月になる。
 感染は急拡大することなく落ち着いている。そうは言え世界の感染者は5億人を超え、死者は620万に達した。国内の感染者数は5月13日現在840万、死者の累計は3万人に達している。

 オミクロン株は弱毒化の傾向にある。
 厚労省は5月13日、茨城、石川、広島のデータに基づき、第6波の重症化率を公表した。 それによると、60代以下は1%未満、70代は2%、30代は4%超 、30代以上は6%超。 デルタ株が主流の昨年7~10月時の状況より大きく下がっていた。

 重症化リスクが低く、不顕性感染も多く見られるオミクロン株では、感染者数に焦点を当てた対策は実態を必ずしも反映しない。重症者中心の疫学調査に転換すべき、と考えられるが、この3年間の疫学的蓄積は重要であり、今視点を変えてしまうことには抵抗もあるだろう。

 最近、高齢者の3回目のワクチン接種率も8割を超えた。仮に感染者数が増えても重症者は少ないという傾向は強くなっている。
 我が国ではPCR陽性と判断された時に感染者と判断して毎日蓄積しているが、陽性者はなんらかの症状があったり、クラスターの濃厚接触者として検査を受けているのであって、無症状の感染者はこの数倍は居るのではなかろうか。従って、大幅な行動制限による感染防止対策は意義が乏しくなる。

 WHOは立場上慎重な判断をしている。新たな変異株が出現した場合など世界の公衆衛生リスクは依然として非常に高いとしている。

 欧米先進国国では日常的にマスク文化はない。
 マスク着用はCOVID-19対策として法的に強制されていたが、最近はほとんどの国で解除された。
 国内でもそろそろマスクを外せないかとの声もあり、国民の関心は高い。 

 マスクの着用云々の前に再確認しなければならないのは、人間の行動に関連して生じる鼻や口から排出される粘液粒の飛散状況である。
 特にCOVID-19、インフルエンザ感染などでは重要な意味がある。

 人は静かに呼吸をしている限りは鼻や口からの粘液粒の排出はほとんどないと考えられている。しかしながら咳嗽、くしゃみ、会話、摂食中などには粘液粒の排出が大幅に増えることがわかっている。特にクシャになどでは数mも飛散する。

 マスクはそのような時に粘液粒を飛散させないような機能がある。しかしながら、その機能は完全なものでなく、不織布で粘液粒の捕獲もするが、空気の流れを変えて遠くに粘液粒を飛ばさない効果の方が大きい。

 一方、マスクは病原体の吸引抑制効果はそれほど期待できない。顔面とマスクの隙間から空気が出入りしているからである。
 このマスクの低機能を考えればマスク着用の条件などは自ずから決まってくる。

 私は、他人の目を意識して着用するが、一人の場合は通常はマスクをつけない。

5/24(火)快晴 中通病院外来 飯川病院ボランティア
1:30起床、畑、花壇ダリアに散水。5:00可燃ゴミ提出。6:40バス飯川病院着。8:45-13:00中通外来、疲弊。14:00-18:30飯川病院ボランティア。微睡、入院患者対応なし。文献読み、読書など、散水。家内はWeb学習会、19:50帰宅、夕食、21:00就眠、歩行計Σ9126歩。

新年度(2022)スタート(2) 5月の日当直から これでも時間外労働で寄与している 
 私は医師として最小限と思われる勉強は続けていて、医療の時代の流れにヨロヨロ・ヨタヨタと付いていっていると思ってはいるものの、救急患者などへの対応力は100%失ってしまったといえる。こんな私が医療の前面に出ることは社会にとって迷惑どころか犯罪行為である。

 今担当している通常業務は、■月曜午前:人間ドックの診察と結果判定、■火曜午前:中通総合病院外来、■月曜午前午後:大曲中通病院の外来、■月曜水曜木曜午後:飯川病院の診療、がメインである。
 外来では長く経過を見ているおなじみの患者が中心で新患は殆ど診ない。

 飯川病院は入院患者30-40人ほどの療養型病院で、勤務日以外もボランティアとして院長の診療の補助をしている。花の世話などが中心で、医師としての働きはあまり期待されていない。

 飯川病院の時間外勤務、即ち日当直業務においてはそれなりに寄与しているのではないかと考えている。
 下記の表は大型連休があったためにやや特殊だが今月の私の担当表で当直8回、日直7回であった。他の月はこれより若干少ない。日当直医の業務は入院患者の緊急時の対応が主である。拘束感はあるが今の私には適している、と言えよう。


(飯川病院の時間外勤務の担当表2022年5月 私の担当以外は秋田大学、赤十字病院、中通総合病院の医師が担当)

 医師不足の秋田県、法人等にとってこの程度の業務量ながら、医師免許を有しているものとしてまず相応しい寄与度だと自認している。特に子育て中の若い医師たちに余力を与えていると思われる。

 最も多忙であった時期に比較すれば1割程度の業務量であり、高齢医師の晩年の姿としては恵まれた業務環境にあると言えよう。

5/23(月)くもり快晴 健康クリニック 飯川病院 
1:20起床。歩数計電池交換、データ整理、読書etc。6:40バス飯川病院、9:00-11:00健康クリニックドック9名、レ線判定6名。11:15飯川病院、検食。14:00-18:30飯川病院勤務。入院患者対応、微睡。15:30-17:30許可得て歩行に、千秋公園、久保田新橋、ひらのや書店。家内はゾンタ、19:00バス帰宅、夕食、20:30就眠。歩行Σ15053歩。

こころと体2022(57) いじめ(25)   厳しい学校、教師の立場(4)   実は私も辛かった 
 前出の書籍「松田茂利著:学校の先生は休めない 光陽出版2011」の購入のきっかけは、当時私も多忙を極めていたから厳しくなってきているという噂のある教育界の労働実態を知りたい、と思ったからである。

 本書の内容には共感できたが、自分の置かれている立場に比較して「まだ大した事ないじゃないか・・・」、と感じたものである。

 ただ、この書籍を機会に私は学校教育に興味を持ち、結果的に「いじめ」にも関心を持つ様になって今に繋がっている。貴重な文献となっている。

―――――――――――――――――――――――――――
 ■なりたて医師の頃、岩手県宮古市の県立病院に2年間勤務したが、医師不足のためにほぼ病院で寝泊まりし、洗濯などのため宿舎に帰るのは週1-2回程であった。勤務時間などはほとんど意識の外にあった。

 ■その後13年秋田大学内科に勤務したが、当初は固定した給与もなく日雇扱い。週末には地方の病院の当直などで生活を維持した。結構忙しく、19:00頃に一旦帰宅し、子供を寝かせつけてから再度出勤し、22:00-2:00頃まで病院で過ごした、という生活パターンであったが、流石に無理で住み込みのお手伝いさんを得てその後は業務に集中できた。
 数年後助手になって給与なるものをいただいた。
 当時の大学は無給医局員(?)の労働力で成り立っていたし、地方の病院のいくつかは大学からのバイト医師で維持されていた。当時の大学医学部は、権威を背景に向学心にもえた若い医師の労働力を搾取する、ブラック企業そのものの体質であった。

 ■中通総合病院では徐々に業務が増え、管理者になった頃は、院内の会議等、入院患者40名ほど、外来診療週5回ほどを担当し、週2回の人間ドックを担当していた。さらに県医師会の常任理事、副会長を務め、日本医師会の委員会のメンバーでもあった。また、県の各種の委員会の委員あるいは委員長を務め、感染症の分野ではTV出演も頻回、講演も頻回であった。また、会議等の東京出張が月に3−5回あり、原稿の締め切りにも追われた・・・。

 この時期には、通常の勤務時間では到底対応困難で、am1:00-2:00頃起床し持ち帰りの業務をこなし、5:30頃出勤、21:00帰宅を目標にしていた。休日は半日以上は病院で業務の処理を行い、年間を通じて完全に休めたのは数日程度だったと思う。
 この頃の息抜きは医師会関連の東京出張、学会出張であった。この時は新幹線車内、空港、ホテルで残務をこなしたが、病院を離れられることが最大の息抜きになった。
―――――――――――――――――――――――――――

 私のこの激務は私の融通のなさの蓄積結果である。他の医師と仕事を分担し合うのを嫌い単独行動を好んだので徐々に業務が増える一方であった。
 私の性格が招いた、自己責任的と言えるが、もうその当時の状況に戻るのはもちろん不可能だが、思い出しても辛さが再現される。

 私は、教員が置かれている実情について詳しくはないが、門外漢の一人としてその厳しい実情に対して共感できる部分がある

5/22(日)曇り時々晴れ 飯川病院日直 
 1:00起床、データ整理。徒然、昨日に引き続き9:00日直業務に就く。読書中心。微睡。15:00-16:30院長来院、許可得て外出散歩、広面ブックオフ 10冊購入。新聞チェック入力、19:30帰宅。夕食、21:00就寝。Σ8520歩。

こころと体2022(56) いじめ(24)   厳しい学校、教師の立場(3)   教育界の自浄能は??
 教師の就業環境が厳しいことは最近になって知られたわけではない。私が教師の苦境を知ったのは、書籍「松田茂利著:学校の先生は休めない 光陽出版2011」によってである。出版直後に購入したもので、当時私も多忙を極めていたから内容的には共感できた。
 この書籍を機会に私は学校教育に興味を持ち、結果的に「いじめ」にも関心を持つ様になった。

 この書籍の内容を目次から小項目で紹介する。
―――――――――――――――――――――――――――――――――
第一章 学校の先生は休めない・・
 ●教師は一日何をしているか ●朝から目が回る ●昼休みもない ●放課後が消えつつある ●先生は一日も休めない ●授業の合間に何をしているのか ●いまだに学校は手書きの世界 ●掃除は、子どもや教師の仕事? ●食育給食の指導まで ●教師の一年間の仕事は超過密スケジュール ●対外行事が多過ぎないか?  ●夏休み・冬休みも指導がある●「職員作業」という雑役、出張もたびたびある ●飼育実習の生き物はほっとけない ●「年間指導計画」作成。●集金作業も・・・

第二章 子供たちも忙しい
 ●参考になるが省略・・・
第三章 今の学校はどんなとこ?
 ●全国一斉学力テスト ●取り組むほど真の教育から離れる ●個人情報保護法が壁に ●世論と教育 ●・・・・・

第四章 これからの提言
 ●人の繋がりの希薄化 ●教諭のストレスの構造 ●・・・・・
―――――――――――――――――――――――――――――――――

 項目のみを抽出しただけでも目を引く。
 しかも、その内容が今の教師の置かれている立場とほぼ共通、またはむしろ悪化している様に思われる。

 要するに、10数年前に出版されたの書籍の内容と比較しても厳しい状況はほとんど改善していない。現場で働く教師、学校の管理者、教育委員会、文科省などはこの厳しい現状に無策のまま現在を迎えている。
 その結果が教育界の現状である。
 
 教師の就業環境が厳しいことは最近になって知られたわけではない。私が教師の苦境を知ったのは、書籍「松田茂利著:学校の先生は休めない 光陽出版2011」によってである。出版直後に購入したもので、当時私も多忙を極めていたから内容的には共感できた。
 この書籍を機会に私は学校教育に興味を持ち、結果的に「いじめ」にも関心を持つ様になった。

 この書籍の内容を目次から小項目で紹介する。
―――――――――――――――――――――――――――――――――
第一章 学校の先生は休めない・・
 ●教師は一日何をしているか ●朝から目が回る ●昼休みもない ●放課後が消えつつある ●先生は一日も休めない ●授業の合間に何をしているのか ●いまだに学校は手書きの世界 ●掃除は、子どもや教師の仕事? ●食育給食の指導まで ●教師の一年間の仕事は超過密スケジュール ●対外行事が多過ぎないか?  ●夏休み・冬休みも指導がある●「職員作業」という雑役、出張もたびたびある ●飼育実習の生き物はほっとけない ●「年間指導計画」作成。●集金作業も・・・

第二章 子供たちも忙しい
 ●参考になるが省略・・・
第三章 今の学校はどんなとこ?
 ●全国一斉学力テスト ●取り組むほど真の教育から離れる ●個人情報保護法が壁に ●世論と教育 ●・・・・・

第四章 これからの提言
 ●人の繋がりの希薄化 ●教諭のストレスの構造 ●・・・・・
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 項目のみを抽出しただけでも目を引く。
 しかも、その内容が今の教師の置かれている立場とほぼ共通、またはむしろ悪化している様に思われる。

 要するに、10数年前に出版されたの書籍の内容と比較しても厳しい状況はほとんど改善していない。現場で働く教師、学校の管理者、教育委員会、文科省などはこの厳しい現状に無策のまま現在を迎えている。
 その結果が教育界の現状である。

 最近は、学校の労働環境はブラック企業あるいはそれ以下の悪条件であるという評価がほぼ定着している。その結果とし、教員志望者、臨時職員の希望者が減少し、昨年の集計で全国の公立小中学校、特別支援学校で計2.600人の教員が不足していることがわかった。

 教員不足の理由として、団塊世代教員の大量の退職による若返り、それに伴う産休育休取得者の増加、精神疾患による休職者が年間の5.000人ほどと増加していること、さらに、教員志望者の減少がある。2020年度の小学校採用試験の競争率は過去最低の2.6倍であった。

 現場の問題点がこれほどで厳しく、かつ長期間に及んでいながら学校の管理者、教育委員会などはなんら問題改善提起してこなかったのではないか、と思ってしまう。門外漢の私の目から見て、そう思うが、内部にいる関係者にとっては別の考え方があるとは思う。

 多分、学校の管理者たちは、より若い時には教育環境の問題点や不満を感じていたと思われるが、管理者になって発言力が増すとその解決に尽力するのではなく、不満の抑制に向うのはなぜだろうか、と思う。
 これが人間までを変えてしまう組織の怖さである。

5/21(土)曇り晴れ 飯川病院日当直 
 1:30起床、データ整理。徒然、など。庭畑に散水。8:30家内に飯川病院へ。9:00から明日の夕方までの長丁場の日当直に就く。新聞チェック、入力、微睡。この間になぜか腰痛出現。安静保持、読書三昧、データ整理。12:00検食、その後座学、新聞入力、データ整理、読書。18:00検食、21:00就寝。Σ4450歩。昨年ダリアを本植え。キウリ・ナス・トマト苗購入。今年遅れているわけではない。

こころと体2022(55) いじめ(23)   厳しい学校、教師の立場(2)
 教育現場の生の声に耳を傾けて、学校・教育現場を、「いじめ」問題の解決が可能な状態にすることが大事ではないだろうか。学校・教育現場の問題点をこのままにしたままいくら学校・教育委員会を叩いても、子どもの命と尊厳を守ることはできない。

 ただ、学校は閉鎖的であり、私どもが直接教師が、学校が置かれている実態を知る事は出来ない。

 先日、名古屋大学大学院教授で教育社会学者内田了教授らが行ったオンラインによる教育現場の実態調査が報告された。これも参考になる。

 その内容の一部を以下に示す(順不同)
―――――――――――――――――――――――――――――――
■教師の約1000人が解答を寄せた。
■連日10時間ほど勤務しているが、その間、半数の教師が休憩時間が全くない。 
■時間管理の考え方がなく、辛い。
■持ち帰り仕事は平日平均1時間。 
■月80時間以上の時間外業務が65%と異常事態。
■土日出勤は当たり前だがそれは申告しない。部活のみならず、日常できなかった残務をこなしている。
■学校管理者から時間外勤務時間の修正を求められる。 
■教員の長時間労働がもたらしている現象として子供への影響が深刻である。いじめの対応ができているか自信がない。子供たちの表情読めない。授業の準備ができていない。
■国の給特法(※参考)が問題で、残業という概念がない。時間感覚が失われている。
■ほぼ全員が教員の仕事自体には魅力を感じているが、回答者の6割が辞めたいと思っている。
■教師は子供のために頑張って当然という教育者へ期待する古くからの文化が根強い。昔はゆとりがあって可能と思われたが、今の厳しい教育環境とあっていない 
■などなど・・・・
―――――――――――――――――――――――――――――――
 
※参考:給特法 第三条 教育職員の教職調整額の支給等(1960年)
教育職員(校長、副校長及び教頭を除く。以下この条において同じ)には、その者の給料月額の4/100分に相当する額を基準として、条例で定めるところにより、教職調整額を支給しなければならない。
第三条の二 教育職員については、時間外勤務手当及び休日勤務手当は、支給しない。


 この調査の結果から知れることは教師は授業と日常業務で手いっぱいで時間的にも心理的にも余裕がない、という事実である。

 従って、整えるべきだと思う点は、大きく二点。

第一は、学校の働き方改革。
 学校が「ブラック職場」であることは、報道されているが、教師はとても忙しい。授業と日常業務で手いっぱい。だから、「いじめ」問題に取り組む時間が確保できていない。
 給特法によって、残業代も支払われない。このことが、管理職の勤務管理の甘さを生んでいる。
 こうした多忙な状況で「いじめ」問題が発生すると、状況の確認、報告、保護者への対応など膨大な業務が負荷される。教師たちに気持ちがあってもやりきれず、対応が遅れたり、場合によってはいじめを認めたがらないといったことにつながっていく。

第二はいじめ問題に対応する専門スキルを持った人材を配置するなどの対策。

5/20(金)晴れ 大曲外来 飯川病院ボランティア 
1:45起床.書類、文献チェック。徒然。5:00可燃ごみだし。7:40Taxi駅東に。8:12こまち、大曲駅徒病院復路Taxi。9:10大曲中通病院外来。復路の新幹線7割方と久々混雑。書店訪問、15:30-19:00飯川病院ボランティア。19:30帰宅夕食、21:00就寝。歩行Σ7961歩。

こころと体2022(54) いじめ(22)   厳しい学校、教師の立場(1)
 「いじめ」が明らかになった場合、新聞紙上などでは学校側が悪い、という論調の記事が並ぶ。たしかに、マスコミ報道を見る限り、「いじめ」の存在自体を認めたがらず、仮に認めたとしても法にのっとった的確な対応をしない学校・教育委員会が多いように感じる。

 私もそういう印象を持つが、実態はどうなのかと思う。

 「いじめ」に関して前回と前々回記述したが、文科省の立派な指針があるにもかかわらず、また、平成25年「いじめ防止対策推進法」が施行されたにもかかわらず、「いじめ」の件数は減少していない。

 文科省の集計によると令和2年度の「いじめ」認知件数は約52万件、 1000人当たりの発生件数は約40件。
 内容としては、悪口や仲間はずれが8割近くを占めており、けがを負わせるといった暴力や金品を奪うような「いじめ」は、比率としては少ない。
 令和2年の小中高生の自殺件数は、415件で、調査開始以来、最悪の結果をなっている。 全例が「いじめ」関連自死かは不明であるが、深刻な状況である。

 「いじめ」が起きたとき、「学校や教育委員会の対応が悪いのはなぜなのか」、「なぜ学校が問題を解決できないのか」について原因を考える必要がある。また、学校側に対応ができない原因があるならばできるように体制を整えるのが必要である。 

 これを考えるときに以下の調査結果が参考になる。
 特定非営利活動法人代表である森田志歩氏のアンケート調査の抜粋を示す。
―――――――――――――――――――――――――――――――――-
■2021年11月、全国の100の教育委員会、150の学校にアンケート調査した。
■教育委員会71%、学校73%から回答が得られた。
■「いじめ相談があった際の対応」
  子どもに寄り添い対応したい 61%。
■「いじめ問題への対応が遅れる原因は何か?」
 「保護者との話し合いが難航し、関係がこじれる」43%、
 「日常の業務が多忙で時間が取れない」30%。
 「保護者の訴えと学校報告、状況が異なるので、確認などに時間がかかる」
 「通知やガイドラインの種類や量が多すぎる」など。
■「学校・教育委員会は、いじめや重大事態だと認めてくれない理由?」
 「該当児童の主張が異なる」60%。
 「学校・教育委員会に捜査の権限がないので、状況の把握には限界がある」 
 「認めた場合業務が増える」
 「中立の立場の第三者機関は必要」87%

―――――――――――――――――――――――――――――――――-

 この様な調査は意外と少ない。
 このアンケには「いじめ」に関して重要な学校現場の問題が提示されている。
 この状況ではいくら学校・教育委員会を叩いても、「いじめ」から子どもの命を守ることはできない。

5/19(木)曇り 院長受診あり終日飯川病院勤務 
1:40起床.文献等資料チェックなど何時もと同じ。8:30家内に同乗、飯川病院、院長受診で終日勤務。微睡、読書など、14:00院長帰院、15:00許可得て外出、千秋公園、旭川の鯉に給餌予定なるも現れず。代わりに鳩に若干。バス長崎屋GOで5冊購入、復路は徒歩飯川病院。19:15帰宅、夕食。20:30就寝。歩行計Σ8856歩。
こころと体2022(53) いじめ(21)    立派な文科省の指針(2) 実践できないのは学校側の事情か
 文科省の指針(1)に以下の文章が続くが、やや長いので抄述した。

いじめに関する取組のポイント
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 ■いじめは、その件数以上に、いかに迅速に対応し、その悪化を防止し、真の解決に結びつけることができたかが重要。
 ■各学校及び教育委員会は、相互の連絡・報告を密にしつつ、いじめの発生等についてきめ細かな状況把握を行い、適切な対応に努める。
 ■校長のリーダーシップの下に、教職員の役割分担や責任の明確化を図るとともに、密接な情報交換により共通認識を図り、全教職員が一致協力して指導に取り組む実効性ある体制を確立する。 
 ■校長、教頭、生徒指導主事等は、いじめの訴え等に基づき、学級担任等へ対応を指示したり、情報を伝達する。情報があった場合には、その対応状況等について、逐次報告を受けるなど、その解決に至るまで適切にフォローする。 
 ■いじめの訴え等を学級担任が一人で抱え込むようなことはあってはならず、校長に適切な報告等がなされるようにする。 
 ■実践的な内容を持った校内研修を積極的に実施する。 
 ■いじめを大人に伝えることは正しい行為であるという認識を、児童生徒に持たせる。
 ■いじめを告げたことによっていじめられると考えている児童生徒を徹底して守り通す。
 ■いじめられる児童生徒を守るための方法の一つとして、就学すべき学校の指定の変更や区域外就学を認める措置を講じることについて、時機を逸することのないよう留意すること。 
 ■学級活動や児童会活動などの場を活用して、生徒自身がいじめの問題の解決に向けてどう関わったらよいかを考え、主体的に取り組むことは大きな意義がある。 
 ■いじめを行った児童生徒に対しては、心理的な孤立感・疎外感を与えることがないようになど、一定の教育的配慮の下に、いじめの非人間性やいじめが他者の人権を侵す行為であることに気付かせ、他人の痛みを理解できるようにする指導を根気強く継続して行う。
 ■いじめを行う児童生徒に対しては、一定期間、校内においてほかの児童生徒と異なる場所で特別の指導計画を立てて指導することが有効な場合もある。一定の限度を超える場合には、いじめる児童生徒に対し出席停止の措置を講じたり、警察等適切な関係機関の協力を求め、厳し い対応策をとることも必要である。特に、暴行や恐喝など犯罪行為に当たるようないじめを行う児童生徒については、警察との連携が積極的に図られてよい。 
 ■上記の措置を講ずることについて、教育委員会や保護者との間に、日頃から十分な共通理解を持っておくことが大切である。

 ■以下にも同様の記載が続く・・・・(省略)。 
--------------------------------------------------------------------
 立派な指針と思うが実際にいじめの発生件数、重大事例の報告数を見る限り効果をあげていない様な気がする。

 教育界にはこの指針が実行できないなんらかの事情があるのではないだろうか。
 特に教師の多忙が問題ではないだろうか。

5/18(水)曇り晴れ ダリア一部植える 午後飯川病院勤務 COVID-19ワクチン接種担当
 1:45起床。文献・本読み他、いつもの如し。午前はダリア5株ほど本植。11:50バス飯川病院。14:00勤務、COVID-19ワクチン接種担当。入院患者対応。新聞チェック、そのほかデータ整理。読書。18:00テイクアウト夕食、18:30-20:15家内はWEB学習会、20:45帰宅、21:30就寝。歩行Σ9926歩。

こころと体2022(52) いじめ(20) 立派な文科省の指針(1) されどいじめは減らず

 文科省は学校におけるいじめ問題に関する基本的認識と取組を以下の指針にまとめている。とても立派な文章であるが、この指針後もいじめは減少していない。重大事例も減少していない。
 教育界は勉強不足でないか??

 以下に指針を示した(行政文章風で堅いので表現を一部変更した)
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基本的認識
 いじめについては、「どの子どもにも、どの学校においても起こり得る」ものと十分認識し、以下の点を踏まえ、適切に対応する必要がある。

1.「弱いものをいじめることは人間として絶対に許されない」との強い認識を持つ。 
   どのような社会にあっても、いじめは許されない、いじめる側が悪いという明快な一事を毅然とした態度で行きわたらせる必要がある。いじめは子どもの成長にとって必要な場合もあるという考えは認められない。また、いじめをはやし立てたり、傍観したりする行為もいじめる行為と同様に許されない。

2.いじめられている子どもの立場に立った親身の指導を行う。 
 子どもの悩みを親身になって受け止め、子どもの発する危険信号をあらゆる機会を捉えて鋭敏に感知するよう努める。自分のクラスや学校に深刻ないじめ事件が発生し得るという危機意識を持つ。 なお、いじめの件数が少ないことのみをもって問題なしとすることは早計である。 

3.いじめは家庭教育の在り方に大きな関わりを有している。
   いじめの問題の解決のために家庭が極めて重要な役割を担う。いじめの問題の基本的な考え方は、まず家庭が責任を持って徹底する必要がある。家庭の深い愛情や精神的な支え、信頼に基づく厳しさ、親子の会話や触れ合いの確保が重要である。

4.いじめの問題は、教師の児童生徒観や指導の在り方が問われる問題である。 
 個性や差異を尊重する態度やその基礎となる価値観を育てる指導を推進する。道徳教育、心の教育を通してかけがえのない生命、生きることの素晴らしさや喜びなどについて指導することが必要。 

5.家庭・学校・地域社会など全ての関係者がそれぞれの役割を果たし、一体となって真剣に取り組むことが必要である。 
 いじめの解決に向けて関係者の全てがそれぞれの立場からその責務を果たす必要がある。地域を挙げた取組も急務である。 

   (1996年7月 児童生徒の問題行動等に関する調査研究会議(報告))」より 
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 以下により具体的な指針が続くが、やや長いので(2)に抄述した。

5/17(火)晴れ 中通病院外来 飯川病院ボランティア
2:45起床、文献チェック、読書。5:00可燃ゴミ提出。6:40バス飯川病院。新聞チェックと入力。8:40-13:00中通病院外来、疲弊。14:00-18:30飯川病院ボランティア。微睡。読書、19:30帰宅、夕食、20:30就眠。歩数計8287歩。

77回目の感謝の日(4) 寿命・生命力について
 私は新生児期、幼少期に何度か「いのち」の危機があったらしい。医師の家庭に生まれてなければ生きられなかった、と良く言われた。その医師である祖父も匙を投げ、恐山のイタコに相談したこともあった、という。
 
 それほど虚弱であった私が何故かここまで生きてきた。
 確かに、幼少時虚弱であった人が長生きした例は必ずしも少なくない。貝原益軒などはその代表で84歳でその生涯を閉じたが、彼のエネルギッシュな老後は、人生100年時代の今だからこそ見習うべきところが多い。辞世の句は「越し方は一夜ばかりの心地して 八十あまりの夢をみしかな」である。

 最近、私は「短命で終わるような特別な遺伝疾患を有していない個々人は、130-140歳ほど生きられる生命力を携えて生まれてくる」、と考えている。これは私のオリジナルではなく、これに類似した内容の記述が何かのエッセイにあって、当初は必ずしも注目していなかった。虚弱であった私が何故ここまで生きてきたのかと考えるとき、なるほどと思える様になってきた。

 人としての寿命に大きな影響があるのは、生まれた時代、どこで生まれたか、戦争などである。日本の現在の平均寿命は男82歳、女88歳である。一方、アフリカのシエラレオネは男55歳、女57歳である。栄養、衛生、医療、内戦などが関与している。

 我が国は国民が「いのち」の危険にさらされる可能性がとっても低い安全な国で世界的に見て長寿国である。それだけ特に高齢者の健康不安が強く、その不安に乗じた健康法などがメディアを占拠している。その内容といえばなんら苦労せずに目的を得ようとする甘い誘いだけである。

 一般的に健康法というのは沢山あるが、私から見て有効と思われる健康法にはまだ出会ったことはない。逆に、不健康法と言えるのは無数にある。
 ■体にいい食べ物などはない。偏食せず地産地消の食材を摂るのが一番。
 ■体にいいサプリメントなどは一つもない。
 
 ■タバコ:不健康を求めるなら吸うべし。
 ■過食・肥満・運動不足:不健康を求めるなら身体を重くすべし。
 ■心身へのストレス、睡眠不足:確実に不健康になる。
   
 健康法というのは、自分の寿命を延ばそうという考え方で種々の方法が考えられているが、個々の方法が寿命を延ばしているかは判断のしようがない。ただ一つ栄養摂取過剰が生物の寿命に関連しているとの動物実験があるだけ。しかしながら、飽食社会の日本人の寿命が世界一であることはこの研究の総合的価値を減じている。

 一方、人の寿命は疫学的に見て130−140歳ほどに設定されていると推定できる。貴重な時間であるが、その時間を誕生後の生活の歪が細胞を傷をつけ老化を進める、という考え方の方が私には身近である。

 持って生まれた時間的財産を傷つけない生き方の実践が結果的に個人の寿命を伸ばすと考えられるが、そのことだけを意識せずにやりたいことを追求する、その方が結果的にいい人生になるのではないだろうか。
 

5/16(月)快晴 健康クリニック 飯川病院 
 1:20飯川病院起床、各種データ整理。徒然、読書。9:00-10;45健康クリニックドック7名+レ線判定は先週済でなし。11:00飯川病院に、早いので散歩に、ブックオフ広面店往復。14:00-20:30勤務、入院患者対応、読書。家内はZoomで学習。20:45帰宅。夕食、21:30就眠。歩行Σ9591歩。

77回目の感謝の日(3) 寿命について:人としては??細胞レベルでは??国レベルでは??
 喜寿の祝賀会の招待、敬老会、後期高齢者医療制度に移行などが続くと否が応でも高齢者になってしまう。確かにもう77年も生きてしまった。新生児期、幼少期に何度か命の危機があったらしい。それほど虚弱であった私が何故かここまで生きてきた。
 私は、ヒトは短命に終わらざるを得ない遺伝疾患を有していない個々人は、130歳ほどの生命力を携えて生まれてくるのだ、と考えている。

 この機会に細胞の、ヒトの寿命、日本の国としての組織の寿命について若干考えてみた。

 記録にある長寿者は、最高は122歳で死去したフランスのカルマンさん、現在の世界最高齢者は日本の田中さんで118歳である。この数十年で100歳を超える人の数は増加し全世界で50万人近くにもなるという。

 人間は何歳まで生きられるのだろうか。
 専門家の間には、細胞の劣化と疾患のため、人間の寿命には限界がある、とする。しかも集団にも寿命があるとする。
 人口減の中、日本はどこまで国を維持できるのか。
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(1)ヒトの胎児から分離した細胞は試験管の中で数ケ月はは活発に増殖するが、その後は増殖しなくなり、10ケ月目には例外なく死滅するという。要するにヒトの個体に寿命があるように細胞自体にも寿命があることが示唆されている。
(2)ヒト個体としてとしては130歳??
(3)ヒトの集団にも寿命がある。2004年の平均寿命、出生率がそのままだと仮定すると図の様なコースが推定される。驚くべき結果である。
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 (人口問題研究所の人口推計 これを背景に増田著「地方消滅」がまとめられた)

 このコースを辿れば、わが国の将来はどうなるのであろうか。 図に見るように、2004年の1億2779万人をピークとして、人口は急激に減少に向かう。3200年には、たった1人になり、3300年には統計上では誰もいなくなってしまう。

 日本が国として維持していけるのは、せいぜい、あと100年、ほどであろう。現に、もう方々で人口減による社会的歪みが顕になって来ている。なのに誰も焦っている様うには見えない。
 いずれは、日本はどこかの国から人的、物的援助なくして、国としては存在しえない。

 実際この様なコースを辿るかは定かではない。この統計には反論も少なくない。
 日本の為政者たち、社会を担う若者たちが途中で発想を変えれば多少の修飾はあるだろうが、大きな視点で見れば間違いはなかろう。私はそう思う。

 行き着く先はまだわからないが、あと100年ほどで国家としての崩壊が始まる。もう各所で始まっている。

5/15(日)快晴 飯川病院日当直
1:40起床、早朝は本読み、文献チェック。8:40家内に同乗飯川病院に。9:00-9:00日直業務に就く。新聞チェック、読書、自炊データ整理進めた。12:00、18:00検食、微睡挟み読書三昧、蓄積データ整理。21:00就眠。Σ5130歩。

77回目の感謝の日(2) 喜寿とは?? 子供の成長儀式の方が大きな価値あり
 今年、正月早々に、秋田市医師会から喜寿の祝賀会の招待が届いた。準引きこもりの私は当然欠席とした。
 振り返ってみれば、2020年9月には敬老会の祝い品が届いた。2021年には後期高齢者医療制度に移行するとの知らせが届いた。
 これだけ「お前は年寄りだ!!」という宣告が続けば否が応でも高齢者であることを自覚せざるを得ない。

 さて、歳祝いとは何か? と改めて考えてみる。
 42歳「大厄」、60歳「還暦」、70歳「古希」、77歳「喜寿」、80歳「傘寿」、88歳「米寿」、90歳「卒寿」、99歳「白寿」、100歳「百寿」、108歳「茶寿」、111歳「皇寿」などがある。

 平均寿命が30歳程度であったであろう古い時代に、ここまでの節目の祝いが作られたということは、エリート級の長命者は少数ながら居た、ということだろう。確かに、古くから長老、古老と言われる人々がいて、ボケることもなくそれなりに社会に役立っていたようである。

 一般的に歳祝いとされるが、42歳の「大厄」の頃は家族が目にする身近な死であった。これでも平均寿命よりは長く「死なないで、もうちょっと頑張れ」のイメージがある。それ以降の歳祝いは「良く生きたな!!! もういいんじゃない??」であろう。だから60歳「還暦」までは18年も間隔がある。この間に死ぬべき人は死んだだろうから、その間の危機を乗り越えたという事で祝ったのではなかろうか。

 高齢者の節目などはそれほど重要だとは思っていない。
 医療がしっかりしていなかった古き時代は、母子ともに出産のハードルを乗り越えるだけでも大変で、無事生まれても新生児や幼児は天然痘や消化不良でばたばたと死んでいった。天然痘の死亡率は20-50%と、当時、麻疹と並び子どもや若者の命を奪う2大感染症であった。奈良の大仏建立のきっかけの一つがこの天然痘流行である。

 そのため、天然痘を無事に乗り越えたときに、はじめて誕生を祝い、名前をつけた地方もあった。また、麻疹を乗り越えて初めて一人前、と評価する風習もあった。

 天然痘、麻疹を乗り切ったとしても一人前に成長するまでに、命を脅かす様々な感染症が多数あった。現代医療の発達した中で生きる我々とは次元が違がっていた。だから、子どもの成長にあわせた祝い事が重い意味をもったのである。みんなわかって神社にお参りしているのかな??

 代表的通過儀式を拾ってみると以下のようなものが挙げられる。

# 帯祝い。妊娠5か月目の戌の日に、腹帯を巻く。
# お七夜。誕生7日目の祝い。
# お宮参り。男児は生後31、32日目、女児は32、33日目。
# お食い初め。生後100日目。
# 初誕生祝い。満1歳の祝い。
# 初節供の祝い。女児は3月3日、男児は5月5日。
# 「七・五・ 三」の祝い。三歳は乳児から幼児への成長の祝い、五歳は男児から子どもへの成長 (袴着)の祝い。七歳は女児から子どもへの成長(帯解き)の祝い。
# 「十の峠」の祝い。
# 「十三詣り」の祝い。
# 「成人式」の祝い。

 医療が発達していなかった当時、いつ急にいのちが奪われるかわからない時代、親・親族たちは常に不安を抱えて子育てしていたと考えられる。
 これらの通過儀礼の一つ一つが神への感謝と、その後の子どもの健やかな成長の祈願という、大きな意味を持っていた。

 高齢者の節目なんて・・と言えるだけ現代人は長寿に恵まれ過ぎている。
 馬齢を重ねる事がどれほと目出度いか、私には分からない。
5/14(土)降雨 飯川病院午前日直 77回目感謝の日
1:45起床。文献等データ処理、本読みなど。自炊数冊、8:30家内に同乗飯川病院、午前日直業務。微睡若干、新聞チェック入力。自炊などほとんど時間取られる。降雨なので午後も病院で休息兼ねて過ごす。18:00ブックオフドンキ店6冊ほど購入帰宅、クーポン無駄にしないで済んだ。保戸野の寿司店経由帰宅、19:00私の誕生日祝って小宴夕食、20:45就寝。歩行Σ4357歩。

77回目の感謝の日(1) 行けるとこまで、自然体で生きてみるか
 本日77回目の誕生日。
 現役で働いている時は自分の誕生日などはほとんど意識することなどなかった。65歳で現役を退いて、以後は細々と嘱託医師として働いている。当初は自転車のクロスバイクを楽しむなどの余裕があったが、70歳を過ぎた頃から体力が落ち始め、気力も減退しつつある。
 私にとってはこの歳まで生きながらえることなど想定外であったが、生きられたことは嬉しいことである。さらに嬉しいのはこの先2-3日は当面生きられそうなことである。
 今後の生き方は昨年と同じだが、ここまで来たのだからもう少し真面目に生きて、年齢に伴う変化を楽しんでみようかとも思い始めた。

 毎年のことだけれど、以下のような姿勢で生きている。
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(1) 私の社会的使命は終わった。法人にとっても些細な価値しかない。仕事は最小限、補助的診療にのみに限定する。
(2) 家族間ではちょっぴり存在意義はあるだろう。自由に、ホンネで生きよう。
(3) 残り時間が不明。今さら焦ってもしょうがない。意の赴くまま、気ままに生きよう。
(4) 自然、人生に一層深く味わいを感じる様になった。五感を生かして生きる。
(5) 長時間の歩行は心機能の低下(?)、腰痛などで出来なくなったが、こまめに歩いて移動機能、下半身機能を維持したい。
(6) 診療で得られた報酬の約10-20%を岩手の復興資金に送っている。
(7) 終活を一層進める。
(8) 過去に自省すべき言動が数多くあった。それらを恥じて準引きこもりを続ける。
(9) 何もしない、一見無為な時間が大切に思えてきた。微睡を楽しむ。
(10) より中性的になったから、ジェンダーなどについて改めて考察したい。 
(11) 心身の衰えを感じるが、それを得難い経験と考える。
(12) より寛容になった。人の気持ちがわかってきた。物事をじっくりと味わうことができる様になった。多様な考え方を受け入れたい。さりとて人の言葉に左右されたくはない。
(13) 同年代者の訃報を見れば安堵する。若い方々の訃報に接するのは寂しい。
(14) 自然の大事さを認識。自分自身が自然の一員と思える様になりたい。
(15) いい詩には無限の広がりがある。私も美しい日本語を書きたいものだ。
(16) 1日一話の随想はできれば継続したい。
(17) COVID-19の今後、国際社会の動きが気になる。
(18) 肥満傾向にあり、生活習慣を若干見直したい。
(19) 視力が低下傾向であるが、広いジャンルの書籍を読みたい。
―――――――――――――――――――――――――――――――――-
 矛盾し、スッキリしない部分もあるが、家族も総じて元気であるし、まずは良い77歳のスタート日になったと思っている

5/13(金)曇り午後若干降雨あり 大曲中通病院外来 飯川病院ボランティア 
1:50起床。新聞・文献・雑誌読みと自炊他。5:00可燃ゴミ提出。7:30Tax、飯川経由駅に,こまち。往復ともガラガラ。往路徒歩、9:10大曲中通病院外来、15:30飯川病院ボランティア。散水他、微睡、読書、新聞データ化、19:20帰宅、夕食、20:30就眠。歩行Σ8775歩。

こころと体2022(51) いじめ(19) 組織と隠蔽(2)
 「いじめ」関連自死事件になると世間の関心を呼び、校長、教育委員会長などは全校集会で説明せざるを得ないし、マスコミの質問攻めもあり、記者会見を開かざるを得なくなる。
 この過程で種々の発言が見られる。この場合、初期の会見の場合は、上から目線の、被害者のことよりも加害者の擁護、学校組織の擁護優先を考えてのことだろう、信じられない発言が飛び出すことがある。
 その代表的なのは、某中学校校長が述べた「世間の論理と教育者の考え方は違いますから・・・」という信じ難い発言である。この発言がその校長個人の問題から来たものであれば学校管理者として欠陥人間であろう。それと社会人としての常識知らず、勉強不足である。
 
 組織は人間を変える危険な場、魔界でもある。
 医療人もそうであるが各界に長く存在していると、特により専門的集団の場合自然とその組織人としての雰囲気が身につく場合がある。

 大企業、一流企業の不正が次々と明らかにされている。企業不正の裾野はどこまで広がり、いつまで時を遡るのか。
 ちょっと時を遡れば、日産、神戸製鋼所、スバル、東芝、三菱、VW、スズキ、タカタ、化血研、旭化成杭打ち問題が、最近では日野自動車、三菱重工の原発部品の規格改ざん、日大理事長の不正などなどが明らかになっている。今回の知床観光船事故も同様である。

 これらの一部は30年以上前から不正が行われていて、組織ぐるみで隠蔽していた例もある。

 閉鎖的組織は人間を変える危険な場、魔界でもある。その組織を維持するためにそこにだけ有用する常識、それは一般社会では非常識なこともあるのだが、管理者はかなりの強い意志でそれらに対峙しなければならない。
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 ■ 情報が得られる時代である。別企業の不正などから学ぶ機会もあったはずである。それでも不正と隠蔽が絶えない。企業人は何かが狂っている、としか言いようがない。
 ■ 企業の要職にある方も、私人としては道徳心もあり、倫理観もあり、よき父、よき夫のはずである。それが、企業の中では変身してしまう。企業の持続エネルギーはそれほど凄い。人を変えてしまう。
 ■ わが国には企業を罰する風土が乏しい。電通の過労自殺関連違反でも罰金50万円のみ。責任体系は明らかにされない。
 ■ 企業人には、「不正に関わっても直接自分が利益を得るわけではない」から罪は問われないだろう、と考える。だから、後ろめたさは乏しくなる。
 ■「上司や同僚もやっていた、だから・・・」、と不正を看過する。「看過して何も言わない」、は個人の道徳心の域値を下げる原因となる。
 ■ ちょっとした誘惑が不正ヘの抵抗を鈍くさせ、組織内では徐々に不正は成長していく。
 ■ 人間は弱い。最初は「これぐらいなら」という思いだったとしても、その小さな弱さの積み重ねが、大きな会社を危うくするようになる。
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 利潤を追求する一般企業は組織を存続させるのが第一の命題であって教育界とは自ずから異なっているが、上記の組織の問題点の一部は両者に共通している様に思える。
 教育界の場合は、専門家としてのプライド、面子の維持、同業者の擁護が背景にあると思われる。

5/12(木)快晴  午後飯川病院 健康クリニックドック判定 
1:50起床。いつもの如く本読み、データ整理中心。8:30-10:00草刈り4回目、南側3/4終了。読書三昧。10:50バス駅まで、11:20追分線にてブックオフ土崎店、8冊購入、13:30飯川病院、14:00-15:00勤務、クリニックにて結果判定、入院患者対応など。微睡、新聞チェック、入力、読書。家内ネット講演、19:45帰宅、夕食、21:00就眠。歩行Σ12830歩、草刈中心に。

こころと体2022(50) いじめ(18) いじめ統計は当てにならない 日本の統計の弱さ
 「いじめ」に関する文科省の統計は当てにならない、と思う。統計に重要なことは、より正確なデータの収集であること論を待たないが、そこの設定が非論理的で、統計処理ができないレベルである。
 近年、「いじめ」の発生数は年々増加傾向にあるが、それとてどれだけ信憑性があるのか、なぜ報告数が顕著に増えたのかもイメージは膨らむが正確に評価できない状態にある。文科省がこの様な調査を指示したときに問題点を指摘されなかったのだろうか。

 日本の統計データは、政治家、官僚によって軽視されていて政策が非科学的になる傾向がある。
 私が最も残念に思っている統計軽視は、我が国の少子高齢化、人口減少の対策に表れている。半世紀も前に厳しい将来が予想されていたのに、政治家の誰もが真面目に取り上げないで、その影響が顕著になった今に至ってから人口減、人口減と騒いでいることである。
 この背景は、我が国の政治家、官僚が統計の重要さを理解する視点を欠いているからである。

 最近の霞ヶ関の統計軽視の問題点として、
(1)2018年に厚労省の毎月の勤労統計の不正と組織ぐるみの隠蔽工作、
(2)2021年には国交省の不正と隠蔽工作が明らかになった。後者では隠した結果、事態は悪化し当時の国交省幹部ら計10人が処分された。
(3)文科省の「いじめ」問題の統計。この場合は不正とか隠蔽ではないが統計の原則を無視した発想と思う。

 視点を変えて、我が国の政策に統計が何故軽視されて来たかの実情を考えてみたい。

■霞が関で統計軽視が起きる原因。
 従来から政策決定過程や制度改革で統計データが重視されていないこと。政府はEBM (証拠に基づく政策立案)を重視すると言うが、かけ声だけのようでCOVID-19対策は非科学的であった。
 背景の一つには官僚の人員不足もあるが、それも統計軽視の表れといえよう。

■統計軽視:官僚はなぜ???
 政策や制度は統計データなどに基づき再検討される必要があるが、官僚はその手法が苦手なようである。政策や制度は本来不完全な状態でスタートする。だから、途中で経過を実測しながら見直すべきであるが、この様な手法は、過去の政策の批判にもつながりうるので我が国の政界では馴染まないらしい。

■統計軽視:政治家はなぜ???
 政治家にとっては、次の選挙で勝つことが最優先。だから、政策は概めて短期志向。数10年後に迎えるであろう危機に関しては統計的に明確に示されていても興味を示さない。だから、「三本の矢」や「地方創生」、「全世代型社会保障」のような目玉政策を次々と打ち出す。こうした政策の評価や分析に統計的視点が欠かせないが実際にはほとんど行われていないようだ。課題の解決にどれだけ寄与したかわからないため、目玉政策は「やっている感」を出すだけになっている。

■政官は劣化しているのか???
 官僚の役割は政策を検討することであるが、それには専門性が重要。しかし、部長級を含めほとんどの官僚が、政治家や業界の根回しに奔走している。社会は複雑化しているので、より高い專門性が必要であるが、エコノミストやITの専門家は不足している。

 今回は横道にそれたが「いじめ」統計を考えるにあたって、日本の政官の統計の扱い軽視についての問題点をまとめた。

5/11(水) 快晴 午後飯川病院 COVID-19ワクチン接種担当
 1:10起床。文献チェックほかいつものごとし。8:30-9:45草刈り3回目、南側約半分。樹木若干枝おとし。10:50バス駅まで、裏道通ってブックオフ広面店、途中疲労してスターバックスで休む。12:45飯川病院に。微睡。14:00COVID-19ワクチン接種担当、入院患者対応ほか。19:30帰宅夕食、21:00就眠。Σ14225歩、疲れた。作業服半袖に、黒のサマーセーターに衣替え。

こころと体2022(49) いじめ(17) 組織と隠蔽(1)
 「いじめ」に関して私はいろいろ情報を収集している。
 しかし、私の情報源はほとんど新聞記事、関連単行本から得ている。私は自ら動いて情報を直接集めているわけではない。だから、私の知識や考え方には自ずからバイアスがかかっている、と自認している。こういう問題点を自認していることはいいことだ、と考える。

 新聞記事、関連単行本からの情報では確かに、学校管理者、教師、教育委員会組織には隠蔽体質があることを認めざるを得ないと思っている。
 大阪の高校体罰自殺事件でも、大津市の中学生「いじめ」自殺事件にしても、学校組織の中枢にいる教師、教育委員会は組織の体面を維持することに腐心し、隠蔽を図っているように見える。その後のいじめ事件が多く報告されてきている。最近の旭川での自死事件でも組織的な隠蔽工作が指摘されてる。

 そうとは思っているが、新聞記事、関連単行本では「いじめ」という言葉に強度に敏感である。加えての組織的な隠蔽に対しても同様である。両者とも「いじめ」+「隠蔽」に中心的に視点を置いて編集されている。先に「結論ありき」の論調で「いじめ」を取り上げていると感じるからである。メディアは「いじめ」の社会的問題点を強調する姿勢が見られるが、方向性として過剰でないか??その行き方には問題を感じざるを得ない。

 2020年の全国の小中高校と特別支援学校で認知されたいじめの件数が61万件と5年連続で過雲最多を更新した。深刻な被害が生じる「重大事態」は2割も増え723件となったが、文科省は学校の積極的な把握が進んだ結果と評価。一方、専門家は被害者の訴えから顔を背ける学校もあるとして「氷山の一角」と警鐘を鳴らす。

 この数値を見る限り「いじめ」は隠蔽されているとは思えないが、「いじめ」自殺事件などの個々の例をみると相変わらず隠蔽の影が見え隠れする。

 「いじめ」はなぜ隠されるのか??
 
 ■文科省に発生調査報告が求められているがこの報告内容自体が問題である。
 これは内容的に一定の定義がない不確実な情報収集であって統計的に結論を出せるような内容ではない。都道府県毎の「いじめ」発生報告数には30倍以上の格差がある。
 
 ■学校からのデータと子供たちの実感との間に乖離が大きい。 
 H17年に学校から報告された「いじめ」の発生件数は全国平均で1000人あたり1.5人(0.15%)。一方、小中学生に直接アンケートを取ると30-50%が「いじめ」にあったと答える、とされる。この乖離の背景がなんなのか。
 直接比較は困難だが、こんなに乖離が大きいデータとは何なのか。

 ■学校からの報告には恣意がある。
 学校で「いじめ」が起きた時、それを報告するか否かは事実上学校の自由裁量になっている。建前上は「いじめ」が定義されていてこれに該当する限り報告義務があるが、その判断権が学校にあり、判断の適否をチェックするシステムがない。それゆえ、常識的に見れば「いじめ」が起こっている場合でも、定義を厳格に解釈して「報告するような事象ではない」という隠蔽が、日常的に行われる。

 要するに文科省は発表する統計は信憑性が乏しい。
5/10(火)晴れ 中通病院外来 飯川病院ボランティア
1:30起床。文献他PDF化、徒然、5:00可燃ゴミ出し。6:40バス飯川病院,8:45-13:00中通総合病院外来、混雑中等度しかし疲弊。14:00ー19:00飯川病院勤務、微睡、読書、データ整理。19:30帰宅。夕食、21:15就眠。Σ8259歩。

こころと体2022(48) いじめ(16) 社会の規範を教えるべき
 「いじめ」は、遊び感覚で行われ、関係者は強烈な快感を伴う。それは学校で起こりやすい。学校は生徒達の個性や才能を無視した集団生活の強制される特殊な場である。
 
 小学校から中学生になり、自分でも大人への一歩前進を意識し、親も、社会も子供たちに一層成長を期待する時期である。今までは濃密であった(?)親の庇護から徐々に離れようとしていく。
 親との会話は乏しくなり、次第に友人との交流を求めていく。それだけでなく、親や大人の世界に批判的な姿勢を向け、反抗的になり、「うざい」と言った捨て台詞を繰る様になる。

 この様な成長過程と一定期間無理やり学校という特殊な、不自由な環境に押し込められるとを経て、学校では学校別の、あるいはクラス別に「特異な空気」がクラス毎に形成されていく。各クラスではそこでしか通用しない仲間内の「規範」が自然と生じてくる。また、多感で個性豊かな40-50人の生徒が一枚板であるはずもなく、そこには小グループが形成されていく。この際問題なのはいわゆる悪ガキグループが自然と作られる事である。

 「いじめ」は個人単位で行われることはほとんどなく、悪ガキグループによって行われる。このグループが狙いを定めた生徒を脅かし、痛めつける。このグループは自分たちがやったことを誇るなどの戦略的なふるまいをする。

 一方、今「いじめ」の対象になっていなくとも、いつ何どき自分が足をすくわれるかもしれない環境の中で安全を確保する身のこなしかたは、通常の大人以上に「大人」である。そこには「いじめ」を見ていても黙認するという方法をとるのが一番であろう。

 この時期は親の影響も希薄になる。だから、社会的常識を教えてもらう機会は大きく減少する。この時期には一般社会のルールを学ぶ機会は大きく減少する。学校がカリキュラムの一環として教えればいいのであるが、そんな機会は得られているのだろうか。私にはわからない。

 言ってみればこの時期の子供たちは、知識と常識を、さらに良識も希薄な時期である。だから、クラス別に「特異な空気」が蔓り、メンバーはその中に組み込まれていく。このような仲間内の「規範」に背を向けることはおそらくは子供たちにとって危険なことなのであろう。

 「いじめ」は新聞等のメディアにぎわすような異常性の強い犯罪に近似していると思われがちだが、そうではない。100%異なっている。

 もう少し成長して大人になれば、快楽の部分はもっともらしく理由づけされて、コントロールされ、表面に表れなくなるかもしれないが、中学生の頃はそのような配慮はできない。だから、いったん「いじめ」が始まり、そこで適切な対処が施されないと、それ以降は両者が顔を合わせている限り、ずっと続いてしまい、内容的にエスカレートしやすい。

 ここで重要なのは、暴力的行為、金銭奪取等は明らかな犯罪行為であることを教えなければならない、ということ。

5/9(月)快晴 健康クリニック 飯川病院
1:30起床、データ整理、画像データ、音楽データなど整理。6:40バス飯川病院、新聞チェック、自炊3冊ほか。9:00-10:10健康クリニック、6名だけ。10:30-11:50許可を得て歩行に、ドンキにて古書6冊購入。12:00ボランティア等、微睡。14:00勤務。入院患者対応。文献チェック、読書。データ整理など、19:30帰宅夕食、20:30就寝、Σ10975歩。

こころと体2022(47) いじめ(15) 学校は不自然な環境

 「いじめ」には強烈な快感が伴う。
 そんな「いじめ」はなぜ学校の中で生じるのか。

 現行の義務教育の学校制度のもとでは、生徒達は年齢と、地域割りの中で強制的に集団生活を強いられる。

 小学校高学年、中学、高校は多感な時期の少年少女達が、個々人の性格や能力と関係なく集められ、一日数時間集団生活が営まれることになる。

 多感な時期の子供達は親の庇護から独立し、世界が広がっていく重要な時期である。
 学校が市民社会の常識や秩序、人間としての生き方をも学ぶ場であれば問題は少ないのであるが、そこにはほぼ閉鎖的な、独特の「学校的」環境と秩序が存在している。

 これを広く具体的にピックアップすることは、私にとって時間的にも、能力知識から困難であるが、「学校的」秩序は、生徒達、校長等の学校の管理者、教師、教育委員会があまねく影響を受けている、という事だけに留めたい。

 ただ、そこは「いじめ」事件が生じた際に世の識者らが評論するように、無秩序でもなく、人間関係が希薄でもなく、人間が「幼児化」したわけでもない。

 ただ、「学校的」な秩序が存在し、そのなかで生徒も教員も「学校的」な現実感覚の中で生きている、という事。

 本来ならば、個々の少年たちの特質に合った自由な環境で、社会に巣立つ準備ができればいいのであるが、無理やり捕獲されて園に収容される動物のようなものである。個性的な動物達が共に生きていくには雑多に押し込められては生きていくことは出来ない。それなりの独立した環境が用意され、ヒトによって世話されなければならない。その状態でやっと生きていくことができる。

 この動物園よりも劣るような、十把一絡げの環境が少年たちに提供される「学校」が、問題である。

 「いじめ」の事例は、自由に逃れることができない環境と、そのなかで蔓延っている一般社会と異なる「学校的」な秩序の存在をくっきりと描き出す。

 無理やりに押し込められた閉塞環境内で、生徒たちは「濃密」に付和雷同して生きなければならない。そのため、学校、クラスではではそこでしか通用しない仲間内の「規範」が自然と生じてくる。
 さらに、数人単位の仲間という集団が形成されていく。
5/9(日) 快晴 草刈り2回目
1:20飯川病院で起床。本読み、文献読みほか。午前は病院でゆっくり過ごす、11:45バス帰宅。のど自慢楽しむ、微睡、14:00-16:00草刈り2回目、北側農道、畑一部ほか。ボタン咲く、バラの世話。16:00書整理、音楽関係録画チェック、ウイーン風景、ハプスプルグ家と音楽。N響定期ブルックナーNo4など。19:00夕食、20;30就寝。Σ9655歩。22:00家内函館から帰秋。

こころと体2022(46) いじめ(14) イジメの本態は遊び だから根は深い
 イジメについての考察を続ける。
 イジメの本態は遊びで快感を伴う。人の重要な感情の一つだから、根は深く対策は困難。

 ■大阪府寝屋川市の路上にロープを張り、ミニバイクで通行中の77歳女性を転倒、負傷させたとして私立高校2年の少年を殺人未遂で逮捕した。少年はこう供述した。「転んだ人をみて楽しもうと思っていた。ニュースになるほど大事になるとは思いませんでした」。実際、現場近くで女性が転倒する様子を友人と笑いながら眺めていた、という。

 路上にロープや針金などを張る危険で卑劣な行為は後を絶たない。犯罪関係の識者は「顔を見られたり反撃されたりする恐れが少なく、直接暴行を加えるのに比べて罪悪感を抱きにくく、心理的ハードルの低い犯行形態」と話している。「悪ふざけでした」では済まされない。昭和59年に東京都葛飾区の道路に張られたロープで転倒したオートバイの17歳男子高校生が死亡している。
 私もバイク乗りだった。他人事ではない。

 ■横浜で中学生5人を含む少年グループが次々と浮浪者を襲い、13人に重軽傷を負わせ、3人をなぶり殺しにする事件が起きた。1982年(昭和57年)12月から翌1983年にかけ、神奈川県横浜市内でホームレスが次々に襲われた。10人ほどの中高生ら少年が深夜、横浜の山下公園や横浜スタジアムにたむろしているホームレスを次々に襲撃。

 少年たちがホームレスを襲ったのは、全て「遊び」のためであった。少年たちはゲームに飽きると、夜の山下公園や横浜スタジアムに移動し、ホームレスの頭を蹴り上げたり、腹を踏みつけるなどしていたという。その後の調べで、「遊び」としての浮浪者襲撃は8年前から子どもたちの世界では「常識」になっていた、という。加害者の一人は「遊んだだけ」と強く、はっきり言った、という。

 ■某中学女子生徒はイジメ関連の事情聴取で、以下のことを述べた。クラスで「仮死ごっこ」という遊びが流行ったんです。どちらかが気絶するまで闘わせる遊びなんですが、私はひょっとしたら死んでしまうんじゃない? やめなさいよ、と止めました。そしたら男子が「死んじゃったら、それはそれで面白いじゃん?」というんです。バカバカしくなって止めるのをやめました。

 ひとりの教員が「ほんとに死んじゃったら遊んでいたみんなはどう思うんだ?」と問うた。これに対し、別の生徒が「あっ、死んじゃった、それだけです」。「みんな、殺すつもりはないんです。たまたま死んじゃったら事件になったんです(内藤朝雄 イジメの構造より引用)。

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 上記の例には、命に対する感覚が麻痺した、あるいは十分に教えられていない少年期の子供達の心理状況が伺われる。人間関係の希薄化の中で生老病死に対する体験、感覚が育ってないのだろう。

 なぜイジメやDV、虐待がクセになるのか・・・。そこには嗜虐による快感が伴うからである。だから、容易には止められない。人間同士が、相手をいたぶることで快感という果実をもつ。だから、嗜癖性を持ち、容易にエスカレートしていく。

 考え抜いた憎しみの感覚でなく、軽い「遊び感覚」であることがイジメの本質であり、対策の困難さを表している。
5/7(土)快晴 飯川病院日当直
1:30起床。文献読みと新聞電子化、録音データ整理、徒然。昨年台所の水道蛇口故障したが修理。6:00-7:30畑にDIYで購入した苗を植え付け。8:30バス飯川病院、9:00日当直に就く。微睡。新聞データ化、読書、微睡その他。12:00家内も会員であるゾンタクラブの業務で函館に。ハイビスカスさらに2本玄関に出す。散水他。昼検食、午後読書、データ整理微睡など。17:55検食、20:30就眠。5787歩、運動不足。

わが家のGW(2022) いつもの如く淡々と過ごした
 今年のいわゆるGWは祝日と週休二日制で長かった。2日間の勤務日があったが気持ちの上では4月29日(金)-5月8日(日)の11日間であった。

 私はこの間、この間5月2日、5月6日は通常の勤務日で、5月3日(火)は飯川病院の日直、5月3日(水)は日当直、5月7日(土)は日当直が当たったので自宅では過ごせたのは半分程度であった。

 毎年連休終了時には、天候、1日の過ごし方、歩数、考えたことなど記録している。まだ最終日ではないが、今年も踏襲した。
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■4/29(金)昭和の日 晴れ午後から降雨 連休初日
1:30起床、文献検索、5:30可燃ゴミまとめのみ提出なし。9:00古いコンポスト改造、園芸の廃棄物の処理に有用に改造した。早速枝の処理すすめた。14:00降雨、微睡、新聞チェック。歩数計11039歩。

こころと体2022(43) いじめ(11) 大津事件に賠償命令 学校・教育委員会・加害者と保護者の責任
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■4/30(土)快晴 連休二日目 草刈1回目
1:30起床、文献検索。読書。8:30草刈1回目、東側だけ。バラのケア、庭掃除、枝処理など。12;00家内に同乗、飯川病院、新聞チェック、入力、自炊3冊・データ処理、微睡、ハイビスカス外に移動。読書三昧、音楽鑑賞、微睡など。歩行計9888歩。

こころと体2022(44) いじめ(12) 校?や教育委員会の責任が分かる2冊
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■ 5/1(日)降雨 GW3日目 ほとんど座学と読書、微睡
1:40飯川病院起床、画像・文献新聞チェック。録音データ整理など。のど自慢楽しむ、微睡。ダリア若干新芽が出始めた。ボタンは開花直前。読書、新聞データ化。歩行計5238歩。

季節の話題2022(6) 秋田にも春がきた 庭先の花たちが萌えている
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■ 5/2(月)降雨午後から快晴 健康クリニックドック 午後飯川病院勤務
0:30起床,文献チェック、随想読みほか。6;40バス飯川病院、9:00-11:00健康クリニックドック6名だけ+結果判定11名。飯川病院へ移動、それ以降は座学、文献読み、読書など。新聞チェックなど。書籍自炊。14:00-19:00勤務、入院患者対応、許可得て15:30から1時間歩行に。歩行計12199歩。

季節の話題2022(7) 秋田に夏がきた 花たちが萌えている

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■ 5/3(火) 憲法記念日 晴れ一時雨など不安定 GW4日目 飯川病院日直
 1:40起床,文献チェック、随想読み、読書ほか。5:00可燃ごみ+庭木裁断材提出2往復。7:30家内に同乗飯川病院へ。8:00飯川病院日直。座学など、新聞チェック。午睡後読書、散水、17:30迎えあり帰宅、読書。歩行計6572歩。

憲法記念日に思う(2022)(1) 日本は軍隊を持つ国
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■ 5/4(水)みどりの日 快晴 GW5日目 飯川病院日当直 
1:30起床。データ入力処理、随想読み、新聞処理。徒然。8:30家内に同乗飯川病院、9:00日当直に就く。外来レセプト検討、新聞チェック、文献読み中心。微睡、12:00検食。入院患者平穏。文献読み中心。 歩行計4886歩。

憲法記念日に思う(2022)(2) 平和憲法でも有事には対応できる

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■ 5/5(木)子供の日 快晴 GW6日目
 0:50飯川病院起床。随想読み、新聞処理。徒然など。9:00-10:30徒歩にて帰宅、暑さもあって疲弊。休養読書、14:00DIY、胡瓜、ナス、トマト等の苗購入、網戸代わりのアクリル板購入。歩数11976歩。

子供の日2022(1) 秋田県の子どもの割合、9.5%、11年連続全国最低
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■ 5/6(金)曇りのち晴 大曲中通病院 飯川病院勤ボランティア
1:00起床。文献検討、徒然。新聞チェック。5:00家庭ゴミまとめ提出。7:40Taxi駅に。8:11こまち14号、GWというのに先頭車2名のみ。9:10大曲中通病院外来、大曲往路徒歩、秋田駅病院間Taxi。15:30飯川病院ボランティア。入院患者処置あり。Σ8840歩。

子供の日2022(2) 高齢者には席を譲り、高齢者は社会保障の一部を子供に
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■ 5/7(土)快晴 飯川病院日当直  GW7日目
1:30起床。文献読みと新聞電子化、録音データ整理。6:00-7:30畑にDIYで購入した苗を植え付け。8:30バス飯川病院、9:00日当直に就く。微睡。新聞データ化、読書、微睡その他。12:00家内函館に。ハイビスカスさらに2本玄関に出す。散水他。昼検食、午後読書、データ整理微睡など。5787歩、運動不足。

わが家のGW(2022) いつもの如く淡々と過ごした
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■5/8(日)快晴 GW8日目 草刈り2回目
1:20飯川病院で起床。本読み、文献読みほか。午前は病院でゆっくり過ごす、11:45帰宅。のど自慢楽しむ、微睡、草刈り2回目、北側農道、畑一部ほか。ボタン咲く、バラの世話。16:00書斎整理、音楽関係録画チェック。Σ9655歩。22:00家内函館から帰秋。
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 今年もGWは飯川病院の日当直で時間が取られ、本も7冊ほど読めた。この間検討すべきと決めていた事項、自分の死亡時の具体的手続きの改訂版をまとめ、家内や子供たちに残そうとしたが、できなかった。

 何と言っても、今年のGWはCOVID-19の世界的流行3年目であるが今回は全ての制限が解除された状態で迎えた。

 今年もいつも郷里で過ごす長女一家が来秋できなかった。
 私は緊急事態宣言が出たからといってもともと3蜜状態が嫌いなのでほとんど影響は受けない。

 私にとって、今年も内容的にはゴールデンじゃなくシルバーウイークレベルだった。
5/6(金)曇りのち晴 大曲中通病院 飯川病院勤ボランティア
1:00起床。文献検討、徒然。新聞チェック。5:00家庭ゴミまとめ提出。7:40Taxi駅に。8:11こまち14号、GWというのに先頭車2名のみ。9:10大曲中通病院外来、大曲往路徒歩、秋田駅病院間Taxi。15:30飯川病院ボランティア。入院患者処置あり。微睡、19:30帰宅夕食、21:00就眠。Σ8840歩。

子供の日2022(2) 高齢者には席を譲り、高齢者は社会保障の一部を子供に
 子どもの数がまた減った。
 総務省の推計では、全国では、15歳未満の子どもの数は前年より25万人少ない1.465万人だった。減少は41年連続で、ピーク時の1954年から半減した。この傾向は子供を産める女性が減少してしまったから将来的にも改善することはない。

 子どもの数は減少しているからその分育つ環境は改善しているかというと全く違う。
 虐待や貧困、いじめなど、子どもをめぐる状況は一層厳しくなった。しかし、子供に関しては整理すべき課題はあまりにも多い。学校、勉強、友人、遊びなど、などである。
 子どもがのびのびと成長できる環境を整えることは、少子化の最中にある国家の最優先の課題の一つだと思う。
 政府は子ども政策の司令塔となる「こども家庭庁」を2023年4月に設置する方針だ。厚労省や内閣府などに分かれていた関連の部署を統合し、少子化対策も担う。

 関連の部署とは、就学前の子どもの例を挙げればイカの如くである。
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 ■「保育園が厚労省」
 ■「幼稚園が文科省」
 ■「認定こども園」が内閣府
 ■ その他にも、法務省や警察庁などに及ぶ問題などあり
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改革すべき点の一つである。

 与党も「こども基本法案」を提出し、国会審議が進んでいるが、私は何を今更、の感は否めないが、無いよりは遥かにいい。いい組織であればなおさらである。

 子どもは未来の担い手であり、日本が安定して成長していく基盤となる。子どもの権利を守り、政策を充実する必要性は高い。
 先にも述べたように子供が育つ環境は一層悪化している。年間の自死者数も500名近い。国立成育医療研究センターが昨年12月に実施した調査によると、小学校5〜6年生の9%、中学生の13%に、中等度以上のうつ症状がみられた。大人自身がゆとりを持って接すれば、子供のストレスを軽くすることも期待できよう。しかし、大人の社会環境も厳しい。
 ここをなんとかしなければなるまい。

 「こども家庭庁」でなにが変わるのか、何を変えようとしているのか、新聞報道を見る限りまだ見通せない。これは「デジタル庁」とて同じ。

 日本のGDPに占める家族関係の支出は1%台で、3%超の英国やスウェーデンより低い。さりとて原資には限りがある。「全世代型社会保障」など耳あたりはいいが、全分野に等しく予算をばら撒くことはできない。
 岸田首相は国会で「将来的に倍増を目指したい」と述べたが、具体的な中身は示していない。調整はうまいが、具体策を持たないのが首相の特徴とも言えるが、これではダメだ。

 高齢者向けの社会保障を効率化しながら、部分的には高齢者に我慢を要請しながら、いかに子どもに財源を振り向けられるかが重要になる。

 日本は先進国のなかで、育児・家事の負担が女性に著しく偏っている。これも少子化や育児不安の大きな要因になっている。長時間労働を是正し、男性の育児を後押しする必要がある。若い夫婦が共に働きながら子育てできる環境整備は重要。企業の役割も小さくない。

 憲法には国民の義務として「労働」を挙げているが、言い換えれば国民の働く環境を整備するのは国家の義務である。非正規雇用が当たり前になりつつある労働環境はこのままでいいのだろうか?
5/5(木)子供の日 快晴 
 0:50飯川病院起床。随想読み、新聞処理。徒然など。9:00-10:30徒歩にて帰宅、暑さもあって疲弊。休養読書、14:00DIY、胡瓜、ナス、トマト等の苗購入、網戸代わりのアクリル板購入。19:00夕食、20;30就眠。歩数11976歩。

子供の日2022(1) 秋田県の子どもの割合、9.5%、11年連続全国最低
 総務省の都道府県別人口推計(2021年10月1日時点)によると、秋田県の総人口に占める14歳以下の子どもの割合は9.5%、11年連続全国最低となった。県人口94万5千人のうち、子どもの数は9万人だけ。

 子どもは前年同期から3千人減り、10年前の2011年との比較では3万1千人減少した。子どもの割合が10%を下回っているのは全国で本県のみ。ちなみに沖縄県は17.9%。

 私は人口減少問題は無策のまま半世紀も放置してきたから、すでに完全に不可逆レベルに達した、と考えている。今更どんな手を打とうと人口減少は止まる事はない。

 国立社会保障・人口問題研究所は、2045年時点の県人口を60万2千人と推計。このうち子どもは4万4千人で、割合は7.4%まで低下するとしている。
 県内の子どもの数は1950年の約50万人がピーク。当時は人口に占める割合が40%であった。その後、高度経済成長期以降に多くの若者が県外に流出。93年には子どもの出生数が死亡者数を下回る「自然減」状態となった。

 子供の減少は社会・経済・地域の生活などすべてについて大きな影響を持つ。すでにその影響が各所に顕になってきている。その影響を受けない分野はない!!!!

 その割には国民の関心を呼んでいない。
 政治家は選挙で集票できない話題だから取り上げなかったし、マスコミも取り上げてくれなかった。一番確率なデータを把握している人口問題の専門家は半世紀も前から現状の姿を予測していたが、声が小さかった。科学的データを無視し続けた政治家もマスコミも、今や人口減の影響をモロに受けている。

 秋田県の子供の将来を語る際「出生率」とかではなく、子供の育成環境を改善する方法を考えなければならない。

 少子化とともに「子供たちが育つ環境は豊かになってきたか?」という点で見ると、今を生きる子供たちは従来にない困難を抱えた環境にある。

 幼児期、成長期に良好な育成環境が与えられること、教育環境を提供することは子供達の可能性を広げる。子供が豊かに育つ環境を如何に提供できるか、財政を確保して社会全体で子育て支援の方法を共有したいものである。

 これは、全世代の国民の大部分が納得できる政策であることは論を待たない。子供は国の宝である。数でダメなら質で高めよう。

 その中で「こども庁創設」は唐突感が否めなかったが、価値ある政策と思う。
 従来、わが国の社会保障などは若者に薄く高齢者に厚く采配されてきた。選挙の投票者が高齢者中心であったから、どうしても高齢者に甘く傾く。逆に、そのことが若者の政治離れに結びついた。

 ところが、少子高齢化がここまで進み、わが国の将来に懸念が出てきて、やっと高齢者から子育て世代へ社会補償の傾向を変ることが求められてきた。私は、今更ながら観はあるが、子供は宝である。高齢者の何倍も大切にしてほしい、と願っている。

 今、こどもたちが育つ環境を考えたときに、こどもたち自身にも、育てる世代にも、社会構造そのものにも、問題は多々ある。あまりの多さにに目が眩むほどである。
子供の日2021(3) こどもをめぐる諸問題を羅列してみた

5/4(水)みどりの日 快晴 GW5日目 飯川病院日当直 
1:30起床。データ入力処理、随想読み、新聞処理。徒然。8:30家内に同乗飯川病院、9:00日当直に就く。新聞チェック、文献読み中心。微睡、12:00検食。入院患者平穏。文献読み中心。18:00検食、21:00就寝。 歩行計4886歩。

憲法記念日に思う(2022)(2) 平和憲法でも有事には対応できる
 戦争は非常事態ではあるが、国際的に認められた正式な外交手段の一つである。とはいえ、今回のロシアによるウクライナ侵攻は従来にない新しい形の戦争というべきであろう。

 どんな事態を迎えても、あくまで平和主義を貫くべきだ、という意見がある。特に護憲派の人たちはそのように言う。国際世論に訴えながら「やめて、攻めてこないで・・」と叫び「座して死を待て」、ということだろう。個人の感情としては分からないわけではないが国民の命を守るべき政治家がそう考えていれば、そんな人には国を任せられない。

 戦後、米軍が作った憲法は良くできているが9条の理念、文面に無理があった、と思う。軍国主義の否定と米国由来の自由と民主主義の考え方で日本人のアイデンティティが混乱をきたした時期に押し付けられた憲法としては価値ある考え方であっただろう。
 文面上無理があったから、日本特有の(?)解釈問題が顔を出す。有事にはどうするか。
 ロシアのウクライナ軍事侵攻を受け、日本国憲法の「平和主義」をめぐる議論
が活発になってきている。日本の安全保障を心配する声も出ている。

 憲法9条は原則として武力行使を禁じている。 しかし、「急迫不正の侵害があ
った場合の防衛はできる」と政府は解釈している。
 政府は、1956年の鳩山一郎首相の答弁から、
 ■「急迫不正の侵害」
 ■「他に手段がない」
 ■「必要最小限」
の要件を満たせば、日本の領域外での武力行使も違憲にならないとの立場をとってきた。

 新憲法発令後間も無く憲法改正の息吹は始まっていて「憲法の自主的改正」を自民党の党是としてきたが、いまだにどの内閣も成し遂げていない。国民的論議を喚起したこともない。

 憲法改正に向け国民の意識はクールである。
 ずっと現憲法でやってきて「それほど大きな問題が生じていないのに改憲改憲という意義が国民には一切伝わってきていない」、「自民党の思惑と国民の思惑は全く一致していない」。
 自民党内でも憲法に自衛隊明記など考え方が多様にあり一枚板ではない。

 私も憲法改正は必要であるが、急ぐ必要はない、と思っている。

5/3(火) 憲法記念日 晴れ一時雨など不安定 GW3日目 飯川病院日直
 1:40起床,文献チェック、随想読み、読書ほか。5:00可燃ごみ+庭木祭壇材提出2往復。秋田市契約の処理業者さん、連休中だと言うのにご苦労様。7:30家内に同乗飯川病院へ。8:00飯川病院日直。座学など、新聞チェック。12:00昼の検食。午睡後読書、散水、17:30迎えあり帰宅、読書・19:00夕食、21;00就眠。歩行計6572歩。

憲法記念日に思う(2022)(1) 日本は軍隊を持つ国
 我が国の憲法は制定後76年であるが、世界的にも平和憲法して評価が高い。不戦の誓いを成文化した条文を持つからだ、と多くは考えているのだが、平和主義憲法を持つのは日本だけではなく、8割以上の国が平和条項をもっている。

 この76年間、日本国憲法は一度も改憲されていない。しかし、毎年5月の憲法記念日の時期になると俄に改憲論を中心に憲法論議が盛んになる。今年は岸田首相に変わったこと、新型コロナ禍のために論議は低調である。ほとんど話題になっていない。

 憲法9条で戦争放棄が以下の文章で謳われている。
―――――――――――――――――――――――――――――――――-
 憲法9条、
1項:日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2項:前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
―――――――――――――――――――――――――――――――――-

 実に立派な条項だ。
 しかしながら、戦後平和が守られてきたのはこの平和憲法のためではない。
 世界情勢、日本の情勢、日米安保条約しかり、米国との同盟関係、外交努力など、がそうさせてきた。しかしながら、本年2月26日以降事情は一変した。
 平和は「平和!!!、平和!!!」と唱えるだけでは達成できない。

 わが国も情勢に対応しながら、自衛隊の解釈を捻じ曲げながら、防衛機能拡張を進めてきた。我が国の戦闘能力は世界的に見て10番以内らしい。
 これは憲法9条2項から見てどうなのか?日本の軍事力は軍隊でないのか?

(参考資料) 世界の軍事費上位10カ国
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01 米国     8010億ドル
02 中国     2930億ドル(推定値)
03 インド    766億ドル
04 英国     684億ドル
05 ロシア    659億ドル
06 フランス   566億ドル
07 ドイツ    560億ドル
08 サウジ   556億ドル(推定値)
09 日本     541億ドル
10 韓国 502億ドル
( SIPRI調べ)

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 憲法に関する各新聞社やメディアの世論調査によると、改憲については「不要」>「要」である。特に9条の改正「反対」は7割に近い数字となっている。
 
 安倍元首相は9条に関して自衛隊を合憲化し軍隊としたいという意向であった。
 私もこれについては正しい判断だと思う。

 今の自衛隊は何なのか??曖昧にしたまま、黙している日本人の曖昧文化はここに極だっている。軍隊を持たない我が国は「同盟の美名の元で米国の属国」に甘んじている。自衛隊は災害救助隊ではないのだ。

 改憲反対論者は、9条の改正は日本の平和主義を放棄することにつながりかねず、再び戦争に巻き込まれるリスクを増大させる、と主張するが9条の改正は、即、日本の平和主義を放棄することには直結しない。

 私はそう思っている。

5/2(月)降雨午後から快晴 健康クリニックドック 午後飯川病院勤務
0:30起床,文献チェック、随想読みほか。6;40バス飯川病院、9:00-11:00健康クリニックドック6名だけ+結果判定11名。飯川病院へ移動、それ以降は座学、文献読み、読書など。新聞チェックなど。書籍自炊。14:00-19:00勤務、入院患者対応、許可得て15:30から1時間歩行に、古書広表展4冊購入、19:30帰宅、夕食、21;15就眠。歩行計12199歩。

季節の話題2022(7) 秋田に夏がきた 花たちが萌えている
 4月24日には私の生活環境の桜がほとんど散ったことで、私に夏が来た。
 花燃ゆる季節になった。わが家の木々、草花は「椿」を嚆矢として、先週になってから「桜」、「梅」、「もも」、「こぶし」、「水仙」、「ムスカリ」などの花が満開となり、一気に華やかになった。
 それ以外にも以下がとても美しい。

(通勤路の芝桜)

(通勤路脇のライラック)

(飯川病院脇の川端公園の八重桜が見事)

(飯川病院で育てているハイビスカス 口紅のイメージ)

(飯川病院で育てているクンシラン アマリリスより清楚)
 
(飯川病院で育てているアマリリス カルメンの口紅のイメージ)

5/1(日)降雨 GW3日目 ほとんど座学と読書、微睡
1:40飯川病院起床、画像・文献新聞チェック。録音データ整理など。のど自慢楽しむ、微睡。昨年ダリア球根仮植え、今年は2週以上前にすみ。若干新芽が出始めた。ボタンは開花直前。読書、新聞データ化。19:00夕食。20:30早々に就寝。歩行計5238歩。

季節の話題2022(6) 秋田にも春がきた 庭先の花たちが萌えている

 私は除雪を意識して季節を分類している。
 2月18日に今季最後の、14回目の除雪であった。
 2月19日私にとって春が訪れた。今年の除雪は例年より頻回であって辛さを感じたが、やっと除雪から解放された。
 3月を迎えても気温は低くなかなか雪が解けない。庭や畑にはまだ雪が残っていた。こんなことは珍しい、
 3月半ば過ぎに庭や畑の雪も消失したので徐々に外仕事を始めた。

 4月12日秋田市で桜の開花宣言があったが4月15日には各所の桜が一気に満開となった。私の通勤路脇の桜もほぼ満開、通るたびに季節感を味わっている。
 「なんで花は美しく咲くのだろうか?誰のために!!!」は私はずっと考えているがいまだに考えがまとまっていない。一歩踏み出すと「なんで桜はこんな一生懸命咲くのだろうか??」。私はつくづく呆れている。なにもこんな精一杯、樹々全体で一斉に、火がついたように咲くこともないだろう。

 ほとんど一つのクローンからなるソメイヨシノとに備わった宿命といえども、見ず知らずの人類まで、こんな美しい姿をさらけ出すのは何故なのか。桜は一生懸命頑張り過ぎて可哀想に思う。落ちこぼれの樹々があってもいいじゃないか。花だけが先行して咲くので見ていて疲れる。あんまり桜がきれいだから、ちょっとけなしてみたくもなる。

 4月16日(土)に回診を終えた家内の希望もあって10年ぶりに千秋公園で花見をした。最近の共通の標語は「来年は一緒に見れるかわからん・・・」である。ここ2年はCOVID-19のために観桜会は開催されていなかったが、人出も、屋台も結構出て雰囲気だけは楽しめた。千秋公園の桜は古い木が多いためか寂しい様子である。

 にもかかわらず、私にとってとても印象が良かったのは、普段はお年寄りしか見ることのない環境で過ごしているのだが、その日の千秋公園ではどこから湧いてきたのか、と思うほどの大勢の若者で活気があったことである。高齢者の数はむしろ少なかった。

 千秋公園の桜は古い木が多いためか各樹々の花はやや寂しい様子である。旺盛に咲く樹々では一本あたり十万個もの花をつけるとされるがここの桜はその6-7割程度かな、と思う。そのため、市では桜のオーナーを募集している。慈善団体の秋田ゾンタクラブは、家内も会員であるが、1-2本寄贈している。

(秋田ゾンタクラブの寄贈桜とプレート)

 4月24日には私の生活環境の桜がほとんど散り、私に夏が来た。しかし、時にはまだ寒い。徐々に園芸、畑、の作業を開始した。
 花燃ゆる季節になった。わが家の木々、草花は、「椿」を嚆矢として、先週になってから「桜」、「梅」、「もも」、「こぶし」、「水仙」、「ムスカリ」などの花が満開となり、一気に華やかになった。
 いい季節になったが、花々たち以上に萌え上がる「名も無い草たち」との対話が始まる。4月23日、今季初の草刈りをした。

4/30(土)快晴 連休二日目 草刈1回目
1:30起床、文献検索。読書。8:30草刈1回目、東側だけ。バラのケア、庭掃除、枝処理など。12;00家内に同乗、飯川病院、新聞チェック、入力、自炊3冊・データ処理、微睡、ハイビスカス外に移動。読書三昧、音楽鑑賞、微睡など。19:00帰宅、夕食。20:30就寝。歩行計9888歩。
こころと体2022(44) いじめ(12) 校?や教育委員会の責任が分かる2冊
 大津市の「いじめ関連自死」事件に関して断片的な新聞記事からだけでは情報が不足する。この事件に関しては関連著作が数冊出版されているが、以下の2冊から私は情報と知識を得た。これらから、事件の概要、「いじめ」の詳細、学校・教育委員会、加害者と保護者の責任などの詳細を知った。

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(1)共同通信大阪社会部 「大津中2いじめ自殺 学校は何故目を背けたのか」PHP新書   2013
 大津中の「いじめ」事件について、突っ込んだ取材結果が示されている。被害者や加害者、教育現場の実像に迫る努力をしている。
 報道しにくい事件を被害者・加害者の両立場に偏ることなく、調査で得られれた重要な情報を冷静に分析し真実を捉えようとした。絶対先生とかも気づいていたと思う。大人のエゴのせいでみんな傷ついた。隠さず話してほしい(全校生徒アンケート)。子供達の声も吸い上げている。
 「自殺の練習をさせられていた」生徒たちの小さな証言から事件は発覚した。ただ、加害者側への取材は難しかったのだろう。やむを得まい。
 学校と教育委員会の対応も問題で社会問題となった。
 教員は教科以外に道徳、生徒指導、部活動指導などで業務過重である。
 学校は世間の常識が通用しない世界である。今後は、開かれた学校として保護者との密接な連携や、多様な識者の参加を得て、少しでも子供の声をすくい取り、最悪の事態を未然に防いでいくしかない。
 学校、教師が置かれている状況をふまえると、「いじめ」は対症療法でどうにかなるような問題ではない。

(1)越直美著 「教室のいじめとたたかう 大津いじめ事件・女性市長の改革」ワニブックス新書   2014
 市長就任前に起きた「いじめ」事件に急遽対峙しなければならなかった36歳の女性市長が自身のいじめ体験、弁護士としての経験を背景に、高機能の第三者調査委員会を設置し、その結果を受けて教育委員会と学校に面と向かった記録である。
 市長は遺族の気持ちを重視した。我が子を「いじめ」で亡くした当事者が、訴訟の被告となる自治体のトップに大きな信頼を寄せていることからも、市長の姿勢が本物であることを見抜き、結果的に和解に至った。
 調査委員会が「いじめ」に対して全国でも初めてといえるような詳細な状況を明らかした。改めて大津市の対応が如何に画期的だったかがわかる。
 この本は第3者委員会報告書の要約がメインだが、教育関係者であってもなかなか読み切れない分厚い報告書を、一般の我々にもわかり易く説明している。
 加えて、権限と責任の所在があいまいな教育委員会制度そのものの問題点をも明らかにしている。また、大津市が再発防止のために設置制定した様々なサポート組織や制度・運用を紹介しており、実際多くの自治体から大津モデルの相談を受けているとの事である。
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 しかし、大津「いじめ」事件の後も現在に至るまで全国で「いじめ」の報道が後を絶たない。昨今問題になっているSNS「いじめ」を含めると、相当根が深い問題であることが認識できる。
 文科省が2020年10月に公表したいじめの認知件数は、18年度が小学校2万4545件、中学校 11万6524件で、いずれも過去最多を更新。8年に「いじめ防止対策推進法」が施行され、学校現場に早期発見や報告が強く求められていることが増加の要因にもなっているという。

4/29(金)昭和の日   晴れ午後から降雨 連休初日
1:30起床、文献検索、5:30可燃ゴミまとめのみ提出なし。9:00古いコンポスト改造、演芸の廃棄物の処理に有用にした。これで能率改善。早速枝の処理すすめた。14:00降雨、微睡、新聞チェック。19:00帰宅、夕食、21:00就眠。歩数計11039歩。
こころと体2022(43) いじめ(11) 大津事件に賠償命令 学校・教育委員会・加害者と保護者の責任
 「いじめ関連自死」事件を追っていると学校自体の問題に加えて「教育委員会」の判断がネガティブな判断をして事実解明の足を引っ張っていることが多い様な気がする。正当にその任務を果たしている「教育委員会」もあると思われるが、私が集めたケースの中にはその様な例は見られない。

 「教育委員会」は門外漢には何しているところかわからない組織であるが、大津市の「いじめ関連自死」訴訟を通じて「教育委員会」の責務が問われた。

 「いじめ」を苦に2011年10月、当時中学2年の男子が大津市の自宅マンション14階からから飛び降り自殺した。「市教育委員会」は当初、いじめと自殺の関係を不明としていたが、市が設置した外部の第三者委員会が13年1月、因果関係を認めた。 
 遺族が市などに損害賠償を求めた訴訟で、15年遺族側と市との和解が大津地裁で成立した。自殺を防げなかったことや、「学校」と「教育委員会」の対応に問題があったことを謝罪した。

 和解では元同級生から殴られたり、持ち物を隠されたりした計19件のいじめを認定。「学校」が男子生徒へのいじめ行為を認識し、自殺を予見できたのに適切な対応をしなかったこと、「市教育委員会」が学校の調査打ち切りを追認した責任について、市が謝罪した。
 安全配慮を怠った市は賠償責任を負うとして、賠償額を4100万円と算定。支払い済みの死亡見舞金2800万円を除き、1300万円を和解金とした。

 この和解とは別に、遺族が元同級生3人と保護者に損害賠償を求めた訴訟で、大津地裁は2019年2月、元同級生2人に約3700万円の賠償を命じる判決を言い渡した。裁判長は「いじめが自殺の原因で、予見可能性はあった」と 述べた。もう一人の同級生について判決は、「一体となって関与していたとまではいえない」として、賠償を命じなかった。 

 「いじめ」で人を死に追いやったり傷つけたりすれば、子どもでも厳しく責任を問われうる。社会にそのことを認識させる画期的と言える判決である。再発防止に生かしたいものである。

 この事件では、「いじめ」のむごさに加え、「学校」や「教育委員会」の対応の鈍さや保身に走った振る舞いが指摘され、「いじめ防止法」の制定につながった。

 「いじめ防止法」は二つの柱を掲げる。
 教職員らの情報共有を徹底し、「学校」が組織として対処する。自殺や長期の不登校などの「重大事態」が起きたら、すみやかに調査に着手し、事実関係を解明する、というもの。

 だが、実践はなお遠い。
 公表されている各地の「いじめ関連自死」調査報告書を見ると、判で押したように「情報共有の欠如」が指摘され、真相究明に後ろ向きな「学校」や「教育委員会」の姿勢がしばしば批判の対象になっている。

 教員の多忙の解消が社会の課題になるなか、さらに業務を増やすのかとの声もある。だが、「学校」側の「いじめ」に対する認識の甘さ、危機感の薄さは驚くばかりである。先生たちは重く受け止めてほしい。

 教育関係者は何を考えているのか??これほど「いじめ」が問題になって多数報道されているのに、自分達は関係ない、とでも思っているのだろうか??

4/28(木)快晴やや寒い  飯川病院 ハイビスカス外に
1:45起床。文献等若干処理。画像収集処理。読書三昧。午前は木蓮の花びら中心に庭掃除、剪定した小枝の裁断、3年目のコンポスト掘り返し。11:50郵便局経由、レターパック購入、飯川病院。ボランティア、微睡、新聞チェックと電子化、自炊2冊、14;00-19:00勤務、入院患者対応。途中で郵便を出し、患者用チョコレート購入など。ハイビスカス訓練室から外に出す。散水。19:00帰宅、夕食。21:00就寝、歩行10.222歩。
こころと体2022(43) いじめ(11) 教育委員会は何するところ??
 「いじめ」のニュースなどでは「教育委員会」での判断が問われることが多い様に思われるが、教育委員会は何しているところかわからない組織である。

 しかし、学校教育の中では大きな権限があるから学校教育を語るさいに決して無視できない。

 そのために「いじめ」の際に学校と同じ立場で、あるいはそれ以上に話題になる。
 私は「いじめ関連自死事件」についてのニュースを追っているが、大津市、神戸市、横浜市、仙台、青森、茨城、取手、岩手矢巾町、そのほかの例でも教育委員会はネガティブな意味での判断をして事実解明の足を引っ張っている。大津市のいじめ問題でも、他のいずれのケースでも「教育委員は何をしてたのか」と疑問の声がある。
 これは何故だろうか?

 教育委員会は学校その他の教育機関を管理し、学校の組織編制、教育課程、教科書その他の教材の取扱、及び教育職員の身分取扱に関する事務を行い、社会教育その他、教育、学術及び文化に関する事務を管理する。
 教育委員会は都道府県と市区町村に置かれていて、全国で1600以上もの委員会があり、地域の教育行政の方針を決めている。委員は原則5人で、教員人事や学校の教育の方針を決め、 使う教科書の選定、地域の文化財の保存など幅広い。 教育長は首長に任命される。教育委員が話し合いで方針を決め、それに従って自治体職員らの事務局が実務を行う。

 委員がどんな人がなるのかは特に決まりはない。教育学者や教員経験者のほか、地域団体の長といった「地域の名士」やPTA役員経験者も多い。事務局トップの教育長も入るが、教育行政に関する「人」が加わって方針を決める点が特徴となっている。

 決定内容は重要な項目が多いが、素人も参加することがある教育委員会に大事なことが決められるのか否かに関しては以前から問題として指摘されている。委員は非常勤で、定例会は月1~2回。だから会議では、玄人である事務局の方針を追認するケースが大半らしい。「形骸化している」と批判される所以になっている。実際に「いじめ関連自死事件」を追っているとそう思わざるを得ない事例にぶち当たる。

 教育委員会が作られた背景は、過去に無謀な戦争に突き進んだ政治に、教育も引きずられてしまったという戦前の反省からである。政治から距離を置き、首長が直接舵を取らないようにする。教育は住民に身近な問題だから、一般人も加わって幅広い意見を反映させようとしてる。そういう理念が十分生かされているかは門外漢にはなかなかわからない。

 それでも、最近は「教育の責任の所在があいまい」と見直しも提起されている。 

4/27(水)曇りのち快晴  JR上飯島まで 午後飯川病院勤務
1:20起床、文献チェック他。データ関連処理進む。6:00ペットボトル廃棄。9:48泉外旭川駅から上飯島まで初乗り。古書店、7冊購入。歩行は疲れた。帰路はバス、11:50飯川病院。ボランティア、微睡、14:00勤務、入院患者対応なし、読書。19:00帰宅夕食、20:30就寝。歩行計8499歩。意外と伸びなかった。

こころと身体2022(42)   いじめ(10)  義務教育とは、学校とは
 「いじめ」が成立するためには、被害者が簡単に逃れられない環境が関係している。我が国では義務教育は学校での教育を基本にしており、これが閉鎖的環境を作っている。学校は自由が乏しく子供たちの行動を大きく規制しているが「義務」ではない。この辺が誤解の元になっている。

 憲法には国民の様々な権利が規定されているが、国民の義務として規定されているのは、『教育の義務』『勤労の義務』『納税の義務』だけである。

 「教育の義務」は憲法26条に規定されている。
1項 すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。
2項 すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。義務教育は、これを無償とする。

 無償とは「授業料の無償」を意味する。
 義務教育は9年間。義務教育は子供たちの「権利」ではあるが「義務」ではないとしている。義務は市町村と保護者に課せられている。

 私立中学は、学校法人として教育理念を掲げている学校。全国における中学生のうち、7%が私立中学で学んでいる。義務教育であるが、授業料は有償である。

 制度としては、教育義務型と就学義務型がある。日本は後者で、学校へ就学しそこでの教育によってのみ義務教育が行なわれる。
 学校教育法の第38条、49条で市町村は、その区域内にある学齢児童を就学させるに必要な小中学校を設置しなければならない。

 そのため、保護者は、学齢期の子供を地域の小中学校などに通学するように取り計らう義務がある。

 これは6歳から15歳までの9年間を義務教育期間とし、完全な年齢主義で運用するようにしたものである。
 保護者が子供が学校に就学できるよう充分な便宜を図ったにもかかわらず、子供自身が登校しない、あるいは出来ない10万人超の不登校者問題が生じている。最近では民間教育施設への通所も出席に算入できるようになり、さらに中学校卒業程度認定試験(中検)と大学入学資格検定(大検)を経れば大学に進学できるようにしたなど、就学義務制は緩和されており、就学に代わる家庭教育も可能になりつつある。

 しかし、国際学校、外国人学校、民族学校などをはじめとする無認可校に子女を通わせる保護者は義務教育不履行と教育委員会から通告を受ける場合がある。

 ここで教育委員会とは何かという疑問だ生じてくる。

4/26(火)快晴午後降雨 中通病院外来 飯川病院ボランティア  
1:30起床。本読み、データ整理他いつもと同じ。5:00可燃ゴミ提出。6:40バスにて飯川病院。8:35-13:15中通病院内科外来、患者数も多かったが内容的に疲弊。14:00-19:00飯川病院ボランティア、この間微睡、読書その他。帰宅間際に患者不調に、院長対応、20:00帰宅、夕食。21:00就寝。Σ8150歩。

こころと身体2022(41)   いじめ(9)  時代の変化と少年の心の変化
 かつて、子供の立場で大人を批判した自分であったのに、親になっていつしか立場が逆転していた。子どもの反抗や指摘に、一方的に大人の立場を押しつけている自分に気づき愕然としたことが何度かある。

 時には声を荒げたこともあった。でも、それにもかかわらず、三人の子どもはつまずくこともなく育ってくれた。数知れぬ私の失敗にもかかわらず、である。

 さて、「少年期」は子どもが親の庇護から離れ「生き方を分ち合うような仲間を広く求めるようになる時期」であり、これはいわば自己中心的ながら「社会化の時期、または最初の社会的人格の成立の時期」、とも言える。

 つまり、それ以前は両親の像を通してのみ社会を見ていた子どもが、同年輩の遊び仲間を通じて直接的に社会と接触するようになる重要な時期となる。どのようにして社会的に適合するか、またどのようにして他人とうまくやっていくか、を学ぶ時期である。

 同じく「少年期」といっても、時代を通じて不変なものもあるし、時代の変化と関わりながら、たとえば戦前と戦後ではその様相が多きく変わってしまった。同じ戦後でも、さらに細かくみれば、各年代ごとに微妙な変化がある。

 かっては近所の子達はたいてい仲よしであった。お互いの家には開放的な縁側があり、その家の家族も含め勝手知ったるわれらが領分であった。ところが、今は、各家々は一つ一つが独立して一枚のドアで仕切られている。

 家へ帰れば、TVという受身一方の情報が流され、その間にもあれこれと制約を加えられて、少年たちが自主的に生きる空間と時間の「自由」を選択することなど、どだい困難な状況になっている。
 これは、核家族化や住宅事情の変化に伴う団地化などとも深く関わりあっており、私どもの少年期の環境を「自由・開放系」とするなら、現代のそれは「不自由・閉鎖系」と言わざるえない。

 こうしたなかで、家族内の不和とか経済的困難とかの何らかの不安をもたらす要因が生じれば、少年たちの心にダイレクトにその影響があらわれてくる。

 少年少女たちの大部分は、自身たちが招いた問題というよりは、周囲の環境に影響されたもので、いわば自我が弱い立場の子どもが一番最初に犠牲となる。

 少年たちにとって一番大切なのは、彼らの自由な空間と時間の保障である。年少者にとっては「遊び」の保障であり、年長者にとっては「自主性」の保障が大切である。そして、それらをやさしく見守る親や教師の心の「ゆとり」が必要である。

 子ども時代に祖母や母のやさしさを経験せず、少年時代に遊びを通じて少年らしさを発揮することのできず、大人になったとき、その分だけの、いやそれに数倍する代償を払わされることにもなり得る。
 少年期の時の経験は、あらゆる面でその後の人生に影響を与えるのだ、と思う。
 「いじめ」への対応も同様である。

4/25(月)快晴 健康クリニックドック 飯川病院 
1:30起床。新聞・文献,いつものごとく。6:40バス飯川病院、9:00-11:00。ドック11名、結果レ線判定10名。11:20飯川病院、一時微睡、読書、14:00-18:40勤務。入院患者対応、16;30-18:00歩行、ドンキ、古書6冊購入。家内はWeb学習、20:45帰宅、夕食、21:30就寝。歩行計9825歩。飯川?ドンキは4000歩のみ。
こころと身体2022(40)   いじめ(8)  回想、私の少年期の頃(2)
 私の小学生時代は素直だった、と思う。基本的に親が決めてくれたことを良かれと思いありがたく受け入れてきた。小学校の頃の気持ちはそんなものである。

 私は中学は家族の勧めで郷里の中学校でなく盛岡市にある中高一貫校に進んだ。そこは10年以上前に兄が学び志望の大学に進学できた学校で我が家では評価が高かった。私は進学してまもなく英語教師に平手打ちを喰らうなどのショックもあり、この学校のどうしようもない旧態依然とした体質に嫌気を感じ、同じ考えの仲間と共に2年終了時に退学し、郷里の中学に移った。中学校時代(1958〜61)

 この時、大人たちには中学生の自分の気持ちが伝わらない、特に教師達にはほとんど伝わらない、ということを実感した。大人たちは子供の気持ちを忘れている、理解しようともしない、と。

 このことは、自分が子どもを育てる年代になって改めてよくわかった。気がつくと自分自身もそうなってしまっていた。

 幼児はどんな環境にあってもひねくれたり、グレたりしない。 その一因として、幼児は言葉を持たないから客観視できないからではないだろうか。 しゃべりはするが、ボキャブラリーは貧しいし、筋道の通った理論はとても無理である。
  親に、わけもわからぬ原因で叱られても、幼児の頭には「・・・・。????」
と戸惑いと憤りの感情が、不定型のイメージで脳裏に宿るくらいであろう。そして、やがてそれは直ちに忘れ去られる。幼児期に虐待を受けても子供たちは両親を忌避することはないのは何故なのか、私は疑問に思っていたが、その原因の一つがわかった様な気がしている。

 中学生になると、自分達はもう幼稚な小学生ではない、との自覚を持つ。そのことが心理的発達を大いに刺激するのであるが、所詮、社会性のある判断などできない。だから、事あるごとに、教師や親に注意されるたびに、普段観察している結果から打ち立てた概念、すなわち「自分のことは棚にあげて・・・口うるさい!!!!!!    なによ、偉そうに。 大人なんて影では人の顔見てインチキばかりしてるじゃないかよ。それなら、グレてやる・・・」、「わからずや!  もう知らない!  どうせわかってくれないんだから・・・」と考える様になる。 

 上から目線の大人たちへの不満の蓄積がやがて親や教師たちと距離を置き、話のわかる同年代の仲間達と集う様になる。
 子供たちが非行に走ったり「いじめ」に向かうのはこの年頃からである。 

 人間の不幸は言葉を持って、イメージを固定化してしまうことに始まっているのかもしれない。

4/24(日)快晴 半袖ワイシャツ購入
 1:30飯川病院で起床、文献検索整理,散水など。9:00-10:30徒歩帰宅、千秋公園、秋田工業、奥羽本線わき歩行者道路経由。コナカで半袖ワイシャツ2枚購入、290円ラーメン店、スーパーなど。午後は午前はLEDランプかさ作り、新聞チェックとのど自慢。外仕事せず、午後は、微睡。17:00以降は書斎で整理と音楽関連録画チェック。19:00夕食、21:00就寝。歩行計15697歩。秋田の桜ちる。
こころと身体2022(39)   いじめ(7)  回想、私の少年期の頃(1)
「いじめ 」問題を論じるには少年期の心について考えなければならない。しかし、私は今の若者たちに接する機会は皆無に等しい。だから自分の経験を回想し、それに文献的に学んだことを若干加えることしかできない。

 誰でも少年期を経過する。育った時代を背景に皆それぞれに楽しい or つらい少年時代の想い出があるだろう。

 私の少年期は田舎で過ごし、ある意味でとても幸せであった。自然に囲まれて、ゆったりと過ごした田舎での生活は、時々ふと、鮮やかな記憶として浮んでくる。
 ●家が火災で消失したこと、●一匹のネコとの出会い、●自転車の三角乗り、●ボールが見えなくなるまで遊んだ草野球などなど。●太鼓や笛の音が響く祭りの日は自転車で隣町の神社まで遠征したこと、●北上川の支流の乙部川での釣りやヤスでの魚取り、置き針など猟法、次から次へと想い出す。到底上げきれない。●初恋?もあった。

 田舎では田植え、稲刈り等の多忙期には小中学校は休みになり、その間、農作業は「結い」と呼ばれる地域社会内の労力交換のシステムがあり、我が家は開業医で農家ではなかったが、私はこの期間毎日のように農家の手伝いに勤しんだ。夜はささやかな打ち上げ会にも呼ばれ、大人の住民たちとも交わった。
 今は機械化ですっかり廃れたが、当時の村民は「結い」を通じて緩やかに結ばれており、子供たちはみんな仲が良く、助け合ってもいた。私が園芸とか畑づくりに精を出せる技術的背景はこのような素地をもとに培われた。

 当時、日本は全体に貧しかったが、特に岩手県は気候も厳しく冷害も多く日本のチベットなどと言われていた。これは決して屈辱的なことではなく、若いものはそのような評価の中で上昇志向が大きかったのではなかろうか。私は小学校に上がる前から、将来は医者になって地域に貢献するのだ、と固く思っていた。

 今回、「いじめ 」問題を考えるにあたって改めてこの少年期のことを回想してみた。ある意味では私にとってもいい経験であった。

 いつまでも少年の心を持ち続けているヒトもいるが、大人になるにつれ大抵はいつのまにか、どこか遠くに置き忘れ、いつしか大人の視点のみから世の中を見ており、しかもその問題点に気づいていない。特に教育界の方々にそのような方々が多いのではないだろうか。

 このことは現代の「いじめ 」問題を考えるにあたって根本的意味があるように思える。当時の子供たちはガキ大将を中心に一定のルールがあり、諍いは日常茶飯事であったが、そこには自由があり、小さな自治があり、陰鬱な「いじめ 」など存在しなかった。

4/23(土)快晴 飯川病院日当直 北海道で観光船事故
1:30起床、文献検索。読書。8:30家内に同乗、飯川病院、日当直に就く。午前は新聞チェックと電子化。自炊3冊。12:00検食、午後は読書三昧、音楽鑑賞、微睡など。18:00検食、データ整理。20:30就寝。歩行計3430歩、ほとんど室内で過ごす。 昨年草刈り一回目。北海道で観光船事故。この海水温で海に投げ出されたら10分ほどで意識を失う。恐らく全員助からないだろう。

こころと身体2022(38)   いじめ(6)  学校のいじめはやはり特殊
 「いじめ」が成立するためには、(1)加害者の嗜虐意欲、(2)加害者による攻撃行動、(3)被害者の苦しみ、の三要素に加えて、(4)被害者が簡単に逃れられない環境、が必要である。

 「いじめ」は何も特別な現象ではない。人間集団が存在するところでは普遍的な現象として発生する。「いじめ」は、学校の生徒たちだけの問題ではない。昔から今まで、ありとあらゆる社会て、ヒトはこのはらわたがねじれるような現象に苦しんできた。

 基本的には「いじめ」は特別な現象でもなく、普遍的現象であることをまず認め、重大な結果を招かないように教育、指導、対策を講じなくてはなければならない。
 
 逃げることができない、出口なしの集団の世界は、恐怖である。
 そこには差別、序列関係や仲間意識も生じ、誰かが誰かの運命を容易に左右し、暗転させることができる。立場の弱い者は、「何をされるか」と過剰に警戒し、硬直し、つねに相手の顔色をうかがっていなければならない。

 「いじめ」のうち、学校の「いじめ」は成長期の多感な少年少女期に生じ、かつ学校社会という半閉鎖社会で、教育者という特別な資質や考え方を持つ指導者に囲まれ、教師自身もバッチリ管理され自由度が少なくなっているし、さらに自由度の少ない校長、副校長らに囲まれている。学校の背景にはさらに問題のある教育委員会が存在し、文科省も十分な指導性を発揮できない。

 日本の義務教育の中で学校の占める位置はとても大きい。「いじめ」の被害者が簡単に逃れられない構造になっている。

 こんな環境の中で「いじめ」が頻発している。だから、学校の「いじめ」にはやはり特別な位置を与えなければならない。

 学校社会の特別さ、とは何だろうか。その特別な環境について考え、「なぜいじめが起こるのか」について考察したい。

4/22(金)降雨 大曲診療応援 飯川病院ボランティア  
1:30起床、起床時から降雨。文献検索、録音データ処理その他,5:30可燃ゴミ提出。7:40Taxi駅東に。8:11こまち、8:50大曲中通病院外来結構多忙。帰路こまち10人ほど、若干増加傾向。15;20飯川病院、ボランティアほか。19:20帰宅夕食、21:00就眠。歩数計7880歩。

こころと身体2022(37)   いじめ(5)  現代のネコにも「いじめ」あり(2) 難しい多頭室内飼い
(2)室内多頭飼いネコの「いじめ」行動
 2014年の厳冬を外で乗り切った野良ネコ1匹を家に入れ「プチ」と名づけた。
 その後間も無く、我が家の庭で同じ雌ネコが5匹の子供を産んだ。「プチ」の例があるから母子を無碍に出来ない。やむなく家に入れた。我が家の周辺はネコ嫌いが多いからネコ親子にとって必ずしも安全な環境とは言えない。だから、緊急的、一時的に収容したつもりであったが、結果的に我が家で飼うことになった。

 その後、いろいろあって数は増減したがが、現在6匹と同居している。
 横浜で拾われた「ゆう」はすっかり老ネコになった。母「チー」、娘の「プチ」と「雪音」、息子の「鉄」と「シマジ」である。原則的に外に出さず家の中だけで過ごさせている。

 子供たちは比較的仲良く暮らしていたが、2歳過ぎた頃「シマジ」が脱走し2ヶ月ほどガレージの2Fで暮らした。なんとか「シマジ」を確保したが、その後から「シマジ」vs「鉄」、「シマジ」vs「雪音」で「いじめ」行動が見られるようになった。

(昔はこんなに仲良かったのに・・・)

(男ぶりのシマジ 今はいじめにあっている・・・)

(精悍な若武者の鉄 果敢にシマジと戦うも時に劣勢・・・)

(我が家の美ネコの雪音 パンを投げると見事にキャッチ かわいい顔してシマジを威嚇する)

 この「いじめ」を観察しているといろんなことがわかってくる。
 これらの一部は人間社会の「いじめ」と共通しているようにも見える。
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 ■室内飼いで自由を奪った状態の多頭飼いは、本来単独生活を好むネコにとってかなり問題があるようである。
 ■ネコを住宅に閉じ込め多頭飼すると縄張り争いから「いじめ」とケンカが生じ易い。
 ■兄弟であったことを忘れたのであろう。
 ■「鉄」と「雪音」は「シマジ」を監視しており、共通の空間には入るのを許さない。
 ■日に何度か激しいバトルを繰り返し床が毛だらけになる。時に血を流すこともあるようだが、今のところは大きな怪我は負っていない。しかし、この先が心配である。
 ■ネコの「いじめ」はとにかく執拗。物陰にひそんで急襲する、隙を狙ってパンチするなど。
 ■相手が委縮すればするほど、しつこく「いじめ」る。
 ■「いじめ」がなくならないのは、意味のない娯楽的行動なのか??
 ■ケンカが始まると、関与しないネコも集まって傍観する。
 ■メスの「雪音」が仕掛けるケンカは気まぐれで、気分しだい。大きなバトルにはならないがしつこい。
 ■オスの「鉄」が仕掛けるケンカは正々堂々としたもので、短時間のうちに激しいバトルに進展する。しかし勝負がつかない。

――――――――――――――――――――――――――――――-

 ネコ科の動物の中で集団生活するのはライオンだけと言われている。なぜ群れるのか、研究者たちの観察によって、その社会的システム、上下関係、狩の時の分業なども少しずつ明らかにされている。
 しかしながら、ネコの集団には社会システムと呼べるものは見いだされていない。だからこのような行動が生じるのだろう。

4/21(木)快晴 院長受診 終日飯川病院 
2:30起床、何か寝過ごした。いつもと変わらず読書、データ整理など。8:30家内に同乗飯川病院、院長受診のために。8:50-19:00勤務。外来・入院患者対応なし、散水。15:00途中歩行。古書店に、10冊ほど買い取り、5冊購入。19:30帰宅・夕食、20:30就寝。Σ10400歩。

こころと身体2022(35)   いじめ(4)  現代のネコにも「いじめ」あり(1)
 「いじめ」は自由に動ける野生動物の中では起こりようもない。
 しかし、私は我が家の初代のネコで「いじめ」を経験し、今は多頭飼いのために生じた新しいタイプの「いじめ」悩んでいる。

(1)初代のネコの「いじめ」行動
 60年も前の話。
 小一から高校卒業まで13年間、私は1匹の雌ネコと過ごした。家族たちはあまりネコが好きでないから、私とネコは小5頃からかつて診療所として用いていた住宅で一緒に暮らしていた。母家には食事時などに短時間もどるだけで大部分その住宅で過ごしていた。
 私が高2のころ近くの県立農業高校乙部分校に転勤してくる教師夫婦にその住宅を一時的に提供することになり、私とネコは母家の応接間に居を移した。

 不幸なことに、夫妻は一匹の若いネコを同伴して引っ越してきた。その頃は我が家のネコは10歳に達しており、体力的には衰え始めていた。引っ越して10日間ほどは夫妻はネコを新しい環境に慣らすために戸を締め切っていた。その間、我が家のネコはその住宅の周囲を何度も徘徊して隙間から匂いを嗅いだり、隣の家屋の屋根に登り様子を観察していた。

 10日ほどのちに、慣れたとの判断で縁側を開けたらしい。我が家のネコはその機を逃さず住宅に突入、夫妻のネコと大バトルを演じたとのこと。ちょっとオーバーに言えば2匹とも障子や襖を駆け上がり天井から落ちてくる様な状態だったらしい。何とか2匹を引き離していたが毎日の如くにそれが繰り返された、という。

 約1週間後、突然その争いは終息を迎えた。夫妻のネコが大怪我を負ったとのこと。その後我が家のネコは2度とその家に近づくこともなかった。
 私は飼い主として怪我を負わせたことを謝りに行ったが、ネコ同士のことと許してもらえた。夫妻のネコは片目を失い背中に3cmほどの裂創を負っていた。

 約2週間ほどのち、片目を失ったネコは傷も癒え時折外で見ることがあったが、我が家のネコはもう関心を示す事もなく、そばにも一切近づかなかった。

 日常、我が家のネコは体力も衰えていたが、このバトルの時だけは若いネコに劣ることなく追いかけ回した。

 夫妻は約2年後、任期を終えネコと共に三陸の方に転居した。

 ネコは飼い主より家につく、と言われる。
 ネコは単独行動をするため「なわばり」を重視する。そのため、「なわばり」内に入ってくるネコに対しては威嚇し、ケンカをしかけ排除しようとする。私のネコは何年間もその家に住んでいたから「なわばり」意識が強かったのだろう。

 夫妻のネコは夫妻によく慣れていておとなしく、野生の習性など殆ど感じられなかった。そのため身の危険を感じながらも家から逃走しなかったのか?  もし、うまく屋外に逃れていたら両者の争いは別の展開しており、眼球を失ったり傷を負うこともなかった、と考えられる。

 その後、両者は二度と争うことはなかったが、我が家のネコにとって「いじめ」の目的を十分達したから「なわばり」の中に居ることを許したのであろう。

4/20(水)快晴、午後飯川病院 COVID-19ワクチン接種担当 家内Web学習
 1:30起床、文献データ処理,いつものごとく。iMac2機廃棄準備、庭の樹木剪定切断その他、10:50バス通り待ち、山王、ドンキ、古本7冊購入、徒歩飯川病院、14:00COVID-19ワクチン接種担当。読書、微睡。画像データ処理。18:30-19:45家内Web学習、テイクアウトで軽食。20:00帰宅、夕食、就寝。Σ12.998歩数。

こころと身体2022(35)   いじめ(4)  「いじめ」の社会的土壌=逃れられない共同体
 「いじめ」が成立するためには、前回記述した様に(1)加害者の嗜虐意欲、(2)加害者による現実の攻撃行動、(3)被害者の苦しみ、の三要素が必要である。
 さらに環境因子を加えるならば、「いじめ」は被害者が簡単に逃れられない環境下でのみ生じると言って良い。ここに「いじめ」問題の解決策の一つがある。

 私はネコと暮らしていてそのことを実感している。

 「いじめ」を形成する社会的土壌とは何か??
 野生の動物は不快と認識するものには近づこうとしないし、危険を感じれば離れていく。このいたって単純な行動原理は、人類を除くあらゆる動物の野生生活に貫徹している。だから、「いじめ」などの不快な社会的経験など野生動物の中では起こりようもない。
 では、どうして人類だけに起きるようになったのか?
 それはわれわれの祖先が農耕生活を始めて共同体を形成した時、社会的排斥=「いじめ」が誕生した時でもある。
 しかし、共同体からの排斥が、共同体外部によって吸収可能であるうちは、まだよかった。ところが排斥がされていても受け皿がない状況になると、「いじめ」がエスカレートし、「いじめ」関連自死や「ひきこもり」へと発展するのだと考えられる。

 「いじめ」や「ひきこもり」が日本において社会問題としての市民権を得てから、かなりの年月が経過した。両者ともすっかり特殊化してしまった人類の社会の在り方に対する一つの適応形態にほかならない。その点ではコロナウイルス蔓延と共通するところがある。

 しかし、問題の本質への理解は、意外なほど深まっていないように思えてならない。
 「いじめ」が最初に話題となったのは1986年のこと。東京都の当時中学2年の男子生徒が自殺し遺書から、同級生のいじめが原因だとわかり大騒ぎとなった。

 「いじめ」は攻撃を受けているにもかかわらず、被害者がそこになおとどまるゆえに成立する。

 本来「いじめ」は動物界には無いと考えられてきたが、ネコでも野生でなくなると、人間並みに「いじめ」もどきの行動をするようになることを体感した。要は危険や脅威を感じてもその場から立ち去らない、あるいは立ち去れない環境を飼い主が作ったからである。

 人間が地球上に出現した当面の間は、「いじめ」など存在しなかった。それがある段階から、仲間を「いじめ」だす。それはまさに狩猟生活することをやめた時だったのではないかと、考えられる。それは定住化、農耕生活化であった。

 要するに、われわれの祖先が「不快には近づかず、危険からは逃げる」という動物的な行動原理を捨てたから、ということになる。

4/19(火)晴 中通病院外来 循環器科受診 飯川病院 
 1:40起床。新聞・文献・録音データ処理,いつものごとく。可燃ごみ提出。8:30中通病院、8:40-13:00外来、本日は予約患者22名、疲弊した。循環器科受診、経過観察で可と。13:30飯川病院、ボランティア、一時微睡、新聞チェックなど。19:20帰宅夕食、20:00就眠。歩数Σ9273歩。

こころと身体2022(34)   いじめ(3)  いじめとは?? いじめの定義
 「いじめ」が成立するためには、(1)加害者の嗜虐意欲、(2)加害者による現実の攻撃行動、(3)被害者の苦しみ、の三要素が必要である。

 「いじめ」は若い人たちに特有のものではない。老若男女あらゆる集団で「いじめ」は発生し、蔓延する。親が子どもを虐待するのも「いじめ」である。特にその人間関係、人間集団から逃れられない環境下においては頻発する。

 被害者の意識を基準にした定義が散見されるが、被害者が「苦痛」と感じさえすれば「いじめ」とすれば、何でも「いじめ」になりうる。暴力行為によって苦痛を与えるだけでは「いじめ」ではない。

 いったい何から何までが「いじめ」なのだろうか。

 「いじめ」における攻撃では、被害者が苦しむことがはじめから目的とされて、被害者の苦しみが具現化され、その手応えを加害者側が遊び感覚、楽しみとして享受する。この嗜虐的意欲が、「いじめ」のコアである。

 「いじめ」の多くは、特定の一人によるものではなく、周囲に賛同者がいるなど何らかの社会構造に埋め込まれた、複数の「みんな」の勢い、あるいは「自分たちなり」の特殊な秩序を背景にしているのが特徴的姿である。

 だから、ほぼ閉鎖的な学校は「いじめ」の温床になりうる。
 学校で「いじめ」が発生する根本的な要因は、雑多な人間が集められたクラス内において過度に人間関係の親密さを強要するシステムそのものにあるから、学校、特に中学は「いじめ」の温床になりやすい。
 特に中学は一般社会のルールや常識も知らず、にもかかわらず中学生としての自覚を要求されるな微妙な位置にいる。
 学校関係者、教育関係者はこのことをよく認識してほしい。

 私は3人の子どもがいる。今とは、時代も異なっているが、わが家で「いじめ」が深刻な話題になったことはなかった。しかし、個々に聞くと多少はあったようであるが、幸いにそれほど深刻ではなかったようだ。
 今は孫たちが若干心配である。「いじめ」問題は私にとっても看過出来ない問題である。

4/18(月)快晴 健康クリニックドック 飯川病院 
 1:30起床。新聞・文献・録音データ処理,いつものごとく。6:40バス飯川病院、9:00-11:15健康クリニックドック10名と少ない、結果レ線判定8名。飯川病院、一時微睡、14:00勤務。入院患者対応、その後歩行古書店8冊購入。内科学会講演視聴数件。19:00帰宅夕食、20:00就眠。歩数Σ11490歩。

こころと身体2022(33)   いじめ(2)  被害者の心の叫びを聞け
 北海道旭川市で「いじめ」を受けていた被害者がツイッターに匿名で「私はいじめを受けていました」などと書き残していたことが1月、関係者への取材で分かった。遺族が本人の投稿と確認した。本人が詳細に残していた「いじめ」被害の経緯、当時の心情や悩みが明らかになるのは初めて。
 これは状況を判断するのに重要な示唆を与える。

 私はこのネット時代の申し子たちが「いじめ」被害についてなぜ記録を残さないのか不思議に思っていた。
 被害者本人がツイッターに書き残した内容
―――――――――――――――――――――――――――――――――-
●私は前の学校でいじめを受けていました。
●先輩たちと仲良くしようと頑張りました。でもどこからか変わっていくのに気が
付きませんでした。
●いつの間にかコンビニに行くときは私が全部払う。
●1人になりたくなかった。でも先輩たちといることによって私は誇りも失うこと
になります。
●居場所のない私はよくネットに籠るようになりました。
●いじめを受けてから1年たちそうなのに私は何もできません。
●何もかもが怖くて怖くてたまりません私は存在価値を見いだせなくなってきました。
―――――――――――――――――――――――――――――――-

 これは、親から受けた虐待で亡くなった5歳児の残した「反省文」と同じく、読むものに深い悲しみを抱かせる。それは以下の文章からなる。
●「パパとママにいわれなくてもしっかりとじふんからもっともっときょうよりかあしたはできるようにするから もうおねがい ゆるしてくださいおねがいしますほんとうにおなじことはしません ゆるして」

●「きのうぜんぜんできなかったこと これまでまいにちやっていたことをなおす これまでどんだけあほみたいにあそんだか あそぶってあほみたいだから もうぜったいやらないからね ぜったいやくそくします」(原文のまま)

 被害の女児は上記のいわゆる「反省文」を残していた。女児は毎朝4時ごろに起床し、父親から平仮名を書く練習をさせられていた。

 「いじめ」問題を考えていくと加害者側の子供達の行動に理解しがたい状況に突き当たる。また、学校は教育の場として専門家集団のみが担っていて、閉鎖的な、一般人には近づきがたい存在となっている。ひとたび「いじめ」事件等が生じると、いままでのケースではその閉鎖的組織の壁を打ち破るのは一般的には至難の業のようである。

 過去の「いじめ」問題の報道を通じて私は以下の疑問を持っていた。以下は2012年11月27日に記載した内容であるが現在と何ら変わっていないように思われる。

■なぜ、学校側・教育委員会は事実をこれほど隠すのか?
■学校は危機管理の面で組織的機能を果たしていないのではないか? 
■学校と教育委員会間の関係は過度に緊張関係、上下関係にあるのでは?
■教職員、教育委員会に人間をあつかっていると言う感覚が乏しくないか?
■何故被害者は誰にも相談なく死を選ぶのか? 
■なぜ子供達は同級生や学校のいじめを見て、見ぬふりするのか?  
■加害者側は遊び感覚、楽しんでいる様子で、多くの場合「いじめ」の感覚なし。
■一部に名誉毀損、強要、恐喝、暴行などを伴うことがある。これはほぼ犯罪行為であるが、被害者はそれでも隠し通そうとするのは何故か。
■ほぼ犯罪行為と言って良い「いじめ」もあるが、この場合には学校組織だけでの対応は困難だろう。 
■被害者は尊厳がずたずてにされる。大人になっても深いトラウマとして残っている様である。
■一定以上の身体的障害を伴った場合は警察に届けるべきと思う。

以上。

4/17(日)快晴 飯川病院日直 
1:40起床。新聞・文献・録音データ処理,いつものごとく。8:50家内同乗飯川病院、9:00-19:00飯川病院日直。2時間当直医の代行。新聞チェック、データ化、読書、微睡、花壇に散水など。自炊5冊。19:30帰宅、夕食、21:00就眠。歩数Σ4635歩。

こころと身体2022(32)   いじめ(1)  学校、教育委員会の無責任対応が繰り返されているのは何故か
 私は新聞上で報道される「いじめ」問題はほとんど漏らすことなく収集しているつもりである。このブログ開始から20年以上フォローしているが、「いじめ」対策はさっぱり進展しているようには見えない。
  それは、人間社会に内在する回避できない事象であるとの認識が乏しく、関連する今人の問題と問題と捉える風潮がまかり通っているからであり、人間関係をコントロールすべき立場にいる管理者が自覚と能力が乏しいからである。せめて管理者が能力がないことを自覚してくれればいいのだが。

 この30年間に報じられた各ケースは、学校だけではなく、私的企業、公務員、政治機構、アカデミックな環境の中でも生じており、いずれも深刻な問題を孕んでいる。全て陰惨であり、被害者のことを考えると心が暗くなる。
 「いじめ」の結果、被害者が自死に至る場合があるが、「いじめ関連強制的自死」と捉え、因果関係、人間的関連について明快に犯罪事件として扱うべきである。

 大津市の事件はセンセーショナルであった。2011年に滋賀県大津市内の中学校の当時2年生の男子生徒がいじめを苦に自殺した。事件前後の学校と教育委員会の隠蔽体質 が発覚、問題視された。翌年には「いじめ防止対策推進法」が可決された。
 以来10年経過した。その間も多くの「いじめ」関連の自死が報告されてきた。

 最近、北海道旭川市の中学生の例はその代表的なものである。

 北海道旭川市で昨年3月、凍死した状態で見つかった中学2年の女子が陰鬱な「いじめ」を受けていた問題で、家族から「いじめ」としての申告があったのに当初は学校も教育委員会も十分対応してこなかった。
 自死が明らかになりマスコミが取り上げてから重大事項として認められ、第三者委員会もつくられた。事実関係を調べている委員会が本年4月5日、記者会見し、性的な意味での身体接触や性的動画の送信要求など6項目を「いじめ」と認定したと発表した。

 第三者委員会委員長は「被害者が苦痛を感じていたのは間違いない」=「いじめ」があったと認定し、中学や他校の先輩などによる性的な身体接触や菓子代などの要求、性的動画の送信要求、性的画像を周囲に見せたことも「いじめと同様」と判断した。
 第三者委は「いじめ」と死亡の因果関係などの調査を続け、8月末をめどに最終報告をまとめる意向も示した。

 記者会見に同席した市の教育長はこれまでの対応について「深くおわび申し上げる」と謝罪。市長も記者会見し、「人間の尊厳を大きく傷つける内容だ」と陳謝した。

 私はこのケースには、学校や教育委員会の対応には大津市の事件の時と変わりがない大きな問題が内在していると思う。
 その背景は、学校、教育委員会の意思決定に内部の関係者だけで協議し、特に高齢者が多数占めていること、さらに人間の心理についての勉強不足が問題、と思う。
 これは上記の組織のみでなく児童相談所、入国管理局など人権を扱う組織に共通の問題点である。

4/16(土)降雨のち快晴  千秋公園花見
2:00起床。ネコの歓迎で再微睡、文献・録音データ処理。資源ごみまとめ。午前読書中心。午後家内に同乗飯川病院、微睡、15:00-17:00市民市場経由千秋公園に花見。17:30帰宅、蓄積データ整理など。19:00夕食、21:30就眠。歩数計8268歩。
漫画と本と映画 葛飾北斎の娘、葛飾応為(お栄)関連3作品(2)
 最近以下の3作品を通じて北斎の娘・葛飾応為に親しみを持った。
(1)朝井まかて著 「眩(クララ) 」  新潮文庫 2018
 朝井まかて氏(1959年- )は、日本の女性小説家。氏の作品には時代小説、それも人物を対象にした作品が多いようだ。これもそれの一冊。
 北斎の娘・葛飾応為(お栄)には以前から興味があった。本作は、幼少の頃から絵筆を好み、父北斎の薫陶を受け、北斎の娘であることの苦悩も描かれている。江戸時代の中にあって女流絵師の立場は困難の連続であったと思われるが、何分にも残された史料が少ないなかで応為の半生が小説と言う形でよくまとめられている。北斎を凌ぐ程の才能があり、女流画家というハンデを乗り越えて名画を描いた半生が生き生きと描かれ、私をわくわくさせた。文体は難しい言葉が多く難解であったが、史料がすくないなか、見事な構成である。この作品を通じて。応為がより身近になった。

(文庫本の表紙から借用 応為の技法である光の中に浮かぶ被写体を見てとれる)

(2)松坂著 「北斎のむすめ」(1) -(3)巻 コミック 2017
 4コマ漫画で応為の破天荒な人物像が描かれる。江戸時代の民衆の暮らしぶりにも興味がわく。好奇心と行動力があって、男勝りで、部屋の片づけや家事ができない、ただただ絵筆を握るのが好きな、サバサバした性格の人物として描かれる。広重、国芳、栄泉といったクセのある絵師たちに負けじと、日夜絵のことばかり考えている。読みやすいコメディである。
 私が感心したのは松坂が描く応為の表情である。美しく描かれ、絵としても魅力的。パラパラと流し見してもホッとする。

(「北斎のむすめ」一巻の表紙から借用)

(3) ドラマ『眩』(くらら) ブルーレイ
 NHKが2017年に朝井まかて氏の著作を単発のスペシャルドラマ化した。出演は宮アあおい、松田龍平他。ブルーレイを知人から借用。
 応為は専門家の間では並外れた独創的な天才絵師として高く評価されている女性であるが、その才能よりも父親・北斎と応為の人間関係に焦点を当てた作品であった。応為の卓越した技能や作品等にはほとんど焦点が当たらず、作品そのものはほとんど見ることが出来ない。応為の苦悩に関してはよく描かれている印象。
 応為は北斎が死去するまで、「親父殿」としてあがめ、その助手であることに満足していた人のようである。応為は父の「影」として北斎の絵を手伝う。「父北斎は光、自分はその影でいい」、そう考えて応為は絵を描き続ける。当時の女流絵師の立場はこんなものだったのだろう。
 一方、どんなに優れた絵を描いても決して満足せず、向上心の旺盛な人であった。
 60歳を過ぎた応為は、「影が万事を形づけ、光がそれを浮かび上がらせる。この世は光と影でできている」、その境地に達し、女性絵師でなければ描けない独自の世界を切り開いた。

 ただ、私は映像作品を真剣に見続けることが出来ない。この作品は70分ほどの作品であるが、まだるっこしくて耐え難かったが、私は耐えた。魅力も感じたからであろう。

( ブルーレイの写真から借用)

4/15(金) 曇り小雨 大曲中通病院外来 飯川病院ボランティア 
 1:40起床、読書、データ整理。5:30可燃ごみ集積所に。7:35Taxi秋田駅。8:11こまち、乗客は増えているといえど先頭車両には2人だけ。8:55大曲中通病院外来。雨で駅病院往復徒歩できず。帰路の新幹線は間引き運転で臨時運行で。影響あり。16:08秋田駅着、飯川病院ボランティア。新聞入力ほか自炊2冊。19:20帰宅、夕食、21:00就寝。5903歩。

漫画と本と映画 葛飾北斎の娘、葛飾応為(お栄)関連3作品(1) 北斎父娘の姿
 私は嬉しいことに音楽他の芸術にも広く興味と感受性があり絵画鑑賞も好む。特に西洋画とりわけ宗教画を好むが日本人の作品にも関心と興味がある。
 その中で浮世絵の世界における葛飾北斎らの作品は最も身近な存在である。

 江戸後期の画家・葛飾北斎(1760〜1849)は当時としては長寿で、浮世絵師として70年活躍した。北斉の画は江戸庶民に愛されただけではなく、ゴッホやモネ、セザンヌ、ドビュッシーにも影響を与えた。
 北斎は森羅万象を描き、生涯に3万点を超える作品を発表した。その気概は衰えを知らなかった。
 臨終の有名なエピソードとして次の発言が残っている。
 北斎は卒寿の90歳にて臨終を迎えた。臨死にあたり「天、我をして十年の命を長らわしめば・・・、天、我をして五年の命を保たしめば真正の画工となるを得べし・・・」、と言ったという。

 北斎は93回転居した。彼自身と出戻り娘の葛飾応為(お栄)が、絵を描くことに集中し、部屋が荒れたり汚れたりするたびに引っ越していた、と言う。あらゆるものを美しく描き尽くそうとした北斎と娘、共に身の周りには気が回らなかったようだ。そう言う欠陥を持っているからこそ深い技能を成し得たのだろう。

 北斎には2人の息子と3人の娘がいた。三女お栄は、北斎の弟子、助手として生涯共に暮らした、とされる。お栄は父の背中を追い、絵の道を志す。夫の作品を嘲笑ったことで離縁され、病に倒れた父の看病をしながら、己の才に歯がゆさを覚えながらも努力を続け、自分だけの光と影を見出していく。北斎は「美人画にかけては応為には敵わない」と語ったと伝えられている。

 葛飾応為(お栄)の作品は暗い背景の中に光をうまく生かして人物を浮かび上がらせる技法を持っていることから、後に「江戸のレンブラント」とまで言われたらしい。しかし、現存する作品は十数点と非常に少ないし、応為に関する資料もとても少ない。

 その中で、私にとって以下の3点は葛飾応為(お栄)を理解するのに役立っている。

4/14(木)曇り 午後飯川病院 
 1:20起床、文献読みなど数件。ダリア発芽状況など確認。10:50バス、通町から徒歩山王経由ドンキ。古書店5冊購入。徒歩病院へ。午後は飯川病院勤務。入院患者対応なし。座学、新聞チェック。音楽録画。19:30帰宅、夕食、21:00就寝。通勤路の桜は満開。歩行計11050歩。

音楽談議2022(5) チェリビダケ指揮ブルックナー第8番(2) 
 ブルックナーの交響曲は時折テンポが急に切り変わるが、チェリビダケ、ミュンヘンフィルの演奏はすべてのフレーズをスムーズに繋いでいく。
 ヘッドフォンで再現される遅いテンポ、繊細な音に耳を傾けていると時間という概念が消え、全てが一体化して鳴り響く。ブルックナーの音楽は壮大な建造物に例えられることが多いが、チェリビダケの手になると演奏は雄大な自然そのものに化けてしまう。

 このライヴが行われて2年後にチェリビダッケは世を去った。

 おそらく老いが進むにつれ彼自身の体内時計のテンポが一層遅く刻まれる様になったのであろう。それに伴ってさらに演奏テンポが遅くなったと思われる。

 高齢指揮者の晩年の演奏は一般的に遅くなる傾向があり、それが古潭の境地などと評され珍重されるが、コンサート会場で直接聴いている場合、演奏の録画を観る範囲ではそれなりにその演奏に入っていける。しかし、レコード、CDなどで音だけを聴くと緊張感のない、だるく、遅いだけの演奏になっていることがある。だから、概して高齢指揮者の演奏は私は好まなかった。

 チェリビダケ、ミュンヘンフィルの演奏はテンポが遅いが、緊張感を失うことはない。長年一緒に演奏してきたからなせる技と境地であろう。
 チェリビダケの練習は異常に厳しいとされる。そのために楽団から嫌われ関係が長く続かないという経緯は有名である。読売日本交響楽団の招きで対日した際には通常1−2分しかかからない音合わせに30分もかけたという逸話も残っている。ミュンヘンフィルは彼の資質に共鳴し総監督として迎え、長い付き合いがあったからこそなし得た演奏というべきだろう。

 超スローテンポで全曲を貫徹、これはチェリビダッケ晩年の表現であるが、私はこの曲以外の録音はそれほど好んでいるわけではない。尤もこの曲ほど聴き込んだのはないからそう結論づけるのは早計なのかもしれない。

 何で私がチェリビダケ、ミュンヘンフィルのブルックナー交響曲第8番を異常に好むのか??それは、私自身がこの曲が「この世とあの世の接点、端境域にある」ように感じてこの曲を特別に好んでいること、多くの演奏を耳にしていることによっているから、と思われる。加えて、私の体内時計が刻むリズムが老化によって遅くなってきているから、だと思われる。

 最近、私は会話にしても歩行にしても全体にスローテンポになっていることを自覚する。また。何かに取り掛かるにしてもその前に若干の時間が必要になった。さらに、やるべきことを後回しにする傾向も出てきている。

 このような変化を背景に今回チェリビダケ、ミュンヘンフィルのブルックナー交響曲第8番のCDを購入した。今まで所持してきたアナログ録音が劣化して聴き難くなってきたからでもあるが、さらに彼らの演奏に浸ってみたいと考えたからでもある。


4/13(水) 曇り 午前病院ボランティア 午後飯川病院勤務 COVID-19ワクチン担当
 1:00起床、新聞・文献読み、徒然。自炊本読み。画像データ処理。午前病院ボランティア 午後飯川病院勤務 14:00-16:00 COVID-19ワクチン担当。
14:00飯川病院、入院患者対応。新聞データ化、自炊3冊。19:00帰宅夕食、20:30就眠。歩数計4540歩。昨年、リハビリ病院を通じてデロンギヒーター2ケ、古いガス台、犬のケージ廃棄した。今年はiMac27x2対象としたい。

音楽談議2022(4) チェリビダケ指揮ブルックナー第8番(1) 遅いテンポに酔える日々
 今回、約10年ぶりに音楽CDを購入した。今回購入したのは、廣津留すみれ氏が演奏するメンデルスゾーンのバイオリン協奏曲とチェリビダケ指揮のブルックナー交響曲第8番の東京公演版である。前者の印象は前述した。

 私は独墺系のロマン派の音楽を好んで聴く。その中で私の好みはマーラー、ブルックナーが中心である。両者の作品の演奏データは優に50種を数える。ブルックナーが6割、マーラーが4割というところ。

 ブルックナーの交響曲は0番から10曲あるが、私の好みは8番>9番>7番>5番>6番>・・・と続く。8番の演奏データは15種類。愛聴するデータは、カラヤン>ギュンター・バント>チェリビダケ>インバル>朝比奈隆>ジュリーニ>ヨッフム>シャイー>バレンボイム>・・・・と続くが、最近はチェリビダケを聴く機会が増えてきている。

 チェリビダケは1912年ルーマニア生まれ。1996年没。1945年のドイツ敗戦直後、戦後、一時ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団(BPO)の首席指揮者に就任した。
 フルトヴェングラーの死後、BPOは後継者としてカラヤンを選出する。チェリビダケはその後各地で演奏を行い、1970年にシュトゥットガルト放送交響楽団、1979年からミュンヘン・フィルハーモニーの総監督を務めた。 日本には読売交響楽団の招きで2回客演で来日した他、ミュンヘン・フィルと複数回来日している。

 チェリビダケは、「音楽は空間および時間と一体として存在するもので、それらを切り離すことは不可能、つまり、音楽はホールで、一回きり。録音などは、一切ダメ」という考えを表明している。そういう一方で、イタリア、スエーデンなど、各地の放送交響楽団の役職を兼ねるなど、ちょっと矛盾している。それがむしろ嬉しい。

 そんなユニークな考えをもつチェリビダケの演奏は、逆に聴きたくなる。彼の録音は非正規という形で次々にリリースされた。だからCDカタログ上では多数認められる。中には客席の足元に置いた録音機で??と思われる海賊版もあった。

 チェリビダケのブルックナー交響曲第8番は、種々の録音が繰り返しリリースされた。その中でリスボンでのライブ盤はベストセラーであったが、先般、遺族の許可を経て、初めて正規のCDとして「復活」を遂げた。第8番はおおよそ80分ほどかかる大作だが、チェリビダケの手になるとの105分を要する。

 水久に終わらないのでは、と感じられる遅いテンポで奏られる。だから、聴くときはそれなりの準備が必要である。ながら聴きには向かない。
 それぞれのパートに明確な輪郭を与えつつ、透明感をもって音が重ねられる。強奏部分でも、音量が上がるというより、音圧が厚さを増しながらみるみる広がっていくような感じである。

 ブルックナーの作品が、チェリビダケとミュンヘンフィルによって生まれ変わった。豊かな音に囲まれながら過ごす時間は、私にとって至福のひとときの一つである。


 4/12(火)晴れ 外来 飯川病院ボランティア 飯川病院当直 秋田桜開花宣言
1:20床、新聞・文献読み、徒然といつもと同じ。6:00可燃ゴミ提出。6:40バス飯川病院へ。8:45-12:15外来。診療の合間を縫って私自身の胸部レ線、心電図、採血をチェック。2月の職員検診で心電図に異常が加わり、慢性腎不全に近いデータが得られたための再検。14:00-18:30飯川病院ボランティア。微睡読書、新聞データ化、自炊4冊ほど。17:00当直業務に就く。18:00検食、20:00就眠。Σ7936歩。

音楽談議2022(3) オーケストラの伝統にこだわらない配置で新しい響き デアリング東京オーケストラ
 廣津留すみれ氏が独奏した「メンデルスゾーンのバイオリン協奏曲」のバックを務めたデアリング東京オーケストラは2013年に西脇義訓氏らにより設立された。従来のオーケストラの常識にとらわれることなく「空間力」を生み出すことを基本理念に、新たな響きの創造を目指している。
「デア・リング」の名称は、先進性、独創性、開拓者精神で世界を席巻したワーグナーの代表作「ニーベルングの指環 Der Ring des Nibelungen 」からとったもので「リング」は「輪」や「和」にも通じることからこのオーケストラの基本理念を示す、という。

 全員前向き配置、曲によっては一部の演奏家は後ろ向き、立って演奏するなど従来のオーケストラにはない試みをおこなっている。オーケストラは通常、指揮者を中心に演奏者が半円形に並び、指揮棒に合わせて音を奏でる。これが最良の方法だと考えられている。
 演奏者は指揮者を見るだけでなく、コンサートマスターの指示も視界にとらえ、さらにはパートのトップと隣の奏者の音や動きにも合わせ演奏しなければならない。
 だがこうした縛りから解放されれば、もっと自発的に生き生きとした演奏ができるのではないか。演奏会毎に新たなフォーメーションを試み、知見を蓄えていった。

 オーケストラは室内楽の拡大したものとよくいわれる。小編成で演奏するときのようにほかのパートをよく聴けば、室内楽の感覚でオーケストラでも演奏できる。 ホールを楽器として響かせる「空間力」を高めていったことで、新しい色彩や、香りが生まれてきたと感じている(西脇氏)。

 オーケストラのメンバーは、東京芸大、桐朋音大等を卒業した若手のプロの演奏家により構成されている。この若さで伝統にこだわらない新しい試みに協力しているという。オーケストラは当初録音に特化して2013年にスタートしたが、公演を望む声が多くあり、2018年にデビュー・コンンサートを行った。同年の毎日新聞で、「演奏会の響きは、柔らかさ、色彩、音楽的な豊かさにおいて、驚異的な革命であった」と評された。

  設立者の西脇義訓氏は今回初めて知った方。基本は録音関係のプロらしいが、指揮者としても研鑽を積んでいる、とのこと。1948年名古屋市生まれ。木琴、チェロを習い慶応義塾ワグネルソサィエティ・オーケストラにチェロで在籍。
 1971年、日本フォノグラム(株)に入社。録音プロデューサーとしてサイトウ・キネン・オーケストラ、水戸室内管弦楽団などの録音・CD制作に携わる。
 指揮はスイスの名指揮者Mコルボの薫陶を受けたという。

 すでに10枚ほどの録音をリリースしているが、廣津留すみれ氏とその恩師のジョセフ・リン氏を独奏に迎えた2つの録音以外は全て氏の指揮によっている。
(廣津留すみれ氏のCDのライナーノートから借用)


4/11(月)快晴 健康クリニック 飯川病院 
1:20起床、新聞・文献読み、自炊など。いつもと同じ。6:40バス飯川病院着、9:00-10:30健康クリニック。新年度で少ない。受審者8名、結果判定8名。10:45飯川病院、検食後微睡。14:00-17:00飯川病院勤務。入院外来対応なし。花壇にパンジー追加で植える。19:30帰宅夕食、20:30就眠。Σ8272歩。

音楽談議2022(2) 廣津留すみれ:メンデルスゾーンのバイオリン協奏曲、シャコンヌ
 廣津留すみれ氏が演奏した「メンデルスゾーンのバイオリン協奏曲」のCDを購入した。バッハの「シャコンヌ」との組み合わせ。録音は2021年9月だからつい先日。

 私は同曲が欲しかったわけではない。私の愛聴曲であり、10種以上の録音データを所持している。ホンの一部、自分でも譜面をなぞったこともあった。
 何で今回購入したのか??ソリストとオーケストラに興味があったからである。

 氏は2021年4月10日放送の「題名のない音楽会(テレビ朝日)」に出演し好演したのを観て私は興味を感じ、記憶の隅にちょっとだけ残してあった。それが音楽雑誌か何かでCDを出した、とあったので早速購入した。

 (1)まず氏のキャリアに興味を持った。
 ソリストの廣津留すみれ氏は大分県生まれ、幼少時からバイオリンを習い、母親から英語の教育を受け、公立高校在学中にイタリアで開催された国際音楽コンクールで優勝。2012年9月ハーバード大学に現役入学、学士課程を優秀な成績で卒業、次いでヴァイオリンを極めようと、ジュリアード音楽院の大学院に進学した。
 卒業後ニューヨーク市でエンターテインメントを担う音楽コンサルティング会社「Smilee Entertainment」社を立ち上げ、そのまま同市に在住し、ヨーヨー・マとの共演に加え、ゲーム音楽の作曲やプロデュースを行った。事業の才能もありそう。

 2020年に、コロナ禍により帰国。著述や講演に加え、TV番組への出演、成蹊大学および「秋田の国際教養大学」の講師に就任している。
 氏の歩んできた過程、なし得た結果など私はひたすら驚くしかない。

 (2)氏は秋田の「国際教養大学」の特任講師に就任
 国際教養大学特任助教授の渡辺玲子氏は秋田で時にコンサートを行うが、廣津留氏にもその活動を期待したい。

 (3)廣津留という姓
 詳細は不明であるが大分でも氏の周辺にしかおらない稀中の稀な姓らしい。私も一発で覚えた。そのような希少な一族の中からこのような才能豊かな方が出てくるなんて、これも驚きである。

 (4)演奏
 私には名盤、名演奏という考え方はない。演奏を批判することも好かないし、出来ない。提供された音楽にひたすら同化し楽しむだけ。
 これはライブ録音であった。しかも指揮者なしの指揮振りで行われたとのこと。演奏そのものは流麗で素晴らしい、と思った。バッハのシャコンヌは心に深く染みた。聴いていて心地良い。聴いている時間、しみじみと幸福感を味わった。

 ライナーノートによるとこの演奏会はジュリアード時代の恩師ジョセフ・リン氏が出演する予定で廣津留氏も再会を楽しみにしていたが、リン氏がコロナで来日できなくなった。廣津留氏に代演のオファーが来たのは演奏会の1ヶ月ほど前、しかも録音収録付き。曲目をメンデルスゾーンに変更してもらうことを条件に快諾した、という。
 それでこの結果、これも大したものである。

 (5)ジャケットの写真
 実に可愛いいし、優しい表情に写っていると思う。
(廣津留すみれ氏のCDのライナーノートから借用)


4/10(日)快晴気温上昇 倦怠感にて外仕事なし
 0:15起床、本読み、文献・録音・画像整理。微睡など。7:30入院患者死去。9:00-10:10歩行にて帰宅、疲弊し天徳寺まで迎え依頼。新聞チェック、のど自慢後座学中心。微睡若干、16:00書斎で音楽録画見る。19:00夕食、、20:30就眠。Σ11400歩。

音楽談議2022(1) 10年りにCDを購入した
 今回、約10年ぶりに音楽CDを購入した。前回購入は2013年の「いきものがかりのバラー丼」であった。
 今回購入したのは、廣津留すみれ氏が演奏するメンデルスゾーンのバイオリン協奏曲とチェリビダケ指揮のブルックナー交響曲第8番の東京公演版である。

 CDは1982年に発売された。しかし2000年代以降はインターネットによる音楽配信などが増加し、2010年以降は配信データのハイレゾ化による高音質化があって、音楽ソース媒体としてのCDの売上は減少してきている。
 CDの年間販売数は、1998年の3.2億万枚をピークに漸減し続け、2018年には1.37億万枚と、20年間で半分以下まで減少している。インターネットを通じた音楽配信は2009年に900億円に成長してきたが、こちらも予想に反して普及はそれほど伸びていない。

 CD販売減少の背景には、音楽を聴く機会が減っていることがあるらしい。若い人たちは趣味や遊びも多彩になって、音楽を聴く機会が減ったのであろう。
 私の場合はここ20年は聞くことから読むことに興味の主体が移った。
 
 さらに、CDを買わなくとも音楽を入手する手段がふえてきたことがあると思われる。
 ■低価格なレンタルの普及
 ■音楽データとしてパソコンに入れられる
 ■無料で聴ける配信型の音楽ソースの普及
 ■ダウンロード販売の増加
 ■などなど・・・

 私もかつてはCD販売増加に貢献してきた。私はレコード派であり、CDは補助的立場であったがそれでも優に500枚以上は購入していた。しかし、2010年以降は興味が薄れ、CD販売減少に貢献してきた。
 この22年間で購入したのは「いきものがかり」の1枚、それと今回購入した3枚だけである。しかもその間、ほぼ全CDをパソコンでMP3化し本体は廃棄した。レコードも全て廃棄した。

 レコードは再度注目され販売量も増えつつあると言うが私は興味がない。CDはレコード以上に悲しい運命を辿りそうである。デジタル音源だから容易にデータ化することが出来るが、この先進性がCD販売減少の背景の一つになっていると思う。

 音源としてのCDの価値は決して減じていない。通常のCDより音質が良いSACDと言う規格品もある。
 
 私もはアップルの音楽配信サービス会員になっているが、そのシステムがよくわからず聴きたい曲を探し出せない。だからほんの少ししか利用していない。
 それで今回購入に至ったもの。


4/9(土)快晴 飯川病院日当直 
1:50起床。読書、データ整理中心。8:30家内に送られ飯川病院、日当直に就く。新聞チェック、月刊誌など自炊数冊分入力。酸素飽和度低下した入院患者対応。12:00検食、午後院長出勤あり、院長に送られ広面古書店に、数冊購入、帰路は徒歩、わらび餅購入。それ以降は座学に集中。18:00検食、20:00就眠。歩数計6308歩と意外と伸びない。

こころと身体2022(31) GG(4)  子供の日に「少年少女の主張」を
 少年たちの様子を観察するのは楽しい。ただ、私にとってそうある機会ではない。
 私の偏見?なのだろうか、今の少年(少女も含む)たちは一般的に落ち着きが乏しく、心に余裕がないように見える。その大部分は少年たち自身の問題というよりは、周囲の環境に影響されたもので、いわば自我の発達が未熟な立場の子どもが、一番最初に時代の変化の洗礼を受けていからだろう。

 私が感じるに、今の子供たちは両親にとって贅沢なおもちゃ的存在、ペット的存在なのではと感じられる。育児には細心の注意が必要であり、とても費用がかかる。だからか、一般的に過干渉に見える。

 少年たちにとって、必要なものは何だろうか。
 特に年少の少年たちにとっては「遊び」の保障であり、年長の少年たちにとっては「自由」の保障、将来への「迷い」なのではないだろうか。そして、それらをやさしく見守る親や教師の心の「ゆとり」が大事、と思う。
 「遊び」を介した人間関係の構築や確執、両親の「やさしさ」を経験しなかった子どもが将来どんな大人になっていくか、心配である。

 一方、中学生や高校生になると自分の置かれた環境に対する評価もできるようになる。自立していく過程で、彼らは大人に向かって言いたいことが多数あるのではないだろうか。

 ■親にあらゆることをコントロールされ押し付けられるのは嫌だ。
 ■親の顔色を伺って生きるのは嫌だ。
 ■親から自立して別の家に住みたい。
 ■異性と付き合いたい。
 ■クラブ活動で青春を燃やしたい。
 ■友達同士でカラオケなどしたいが、親が許さない。
 ■将来への希望が見えない。自分は生きていても意味がない。
 ■・・・・・・
 まだまだあるのだろうが、私にはよくわからない。

 つまり、いつも親のいう事に従って生き、親が決めたコースに乗って正しく、まっすぐ生きる。自分は素直な子のふりをし、人前では作り笑顔をし続ける。
 だけど、そんなんじゃ、青春とは言えないのでは?

 青春とは、人の顔色を伺うものではない。将来やりたい事を求めて悩み、挫折し続ける時期でもある。

 私ども大人は子供たちの声を聞く機会をもっと持つべきでないだろうか。

 私はいつもNHK第一放送を、最近ではR1放送というらしいが、いつも微かに流し続けている。TVほどではないがラジオでもバラエティ番組というべき内容の時間が多い。勿体ないことである。NHKには世代のギャップを埋めるような特集も折々に組んでほしい、と思う。


4/8(金) 終日曇り寒波 大曲中通病院 飯川病院ボランティア
 1:45起床。読書、データ整理中心。6:00可燃ゴミ、7:35Taxi駅に、8:11こまち、本日から新幹線可能に、9:10大曲中通病院外来、往路徒歩、復路タクシー。秋田は徒歩。15:30-19:00飯川病院ボランティア。昨年iMac2019届く。19:00帰宅、21:00就眠。歩数計9720歩。日本内科学会MM分登録終了。 昨年Suica使用開始。

こころと身体2022(30) GG(3) 懐かしい少年時代の自由と余裕(1)
 「ジェネレーションギャップ(generation gap)=以下GG」は「世代間に生ずる、知識・関心・考え方などの違い」という意味で、「世代間格差」あるいは「世代間断絶」と訳される。

 私は現役を退いてからは働いている年代の方々、青年期の方々とはほとんど声を交わすことがなくなった。老年期を迎えてそのことに満足と一抹の寂寥感、それと若い方々の考えがわからないという不安を感じている。若い方に融通性とか包容力を感じることができず、何か怖い。

 私は3人の子供を育てた。業務が多忙だったこともあり、できるだけ頑張ったつもりではいたが、子供たちと十分コミュニケーションを取ったとは思っていない。子育てをやり直したい、と考えたこともある。にもかかわらず子供たちはそれなりに成長してくれた。その点では感謝している。

 現役を退いてからは時間的に余裕ができた。
 その頃から何人かの孫が誕生した。これを機会に「0歳から、子供はどう精神的に、知能的にどう発達するのか、どのように言葉を学んでいくのか??、などに興味を持ち、文献を集め、勉強する準備を始めた。しかし、残念ながらこの試みは身を結ばなかった。その理由は、時にしか会うことがない、いわゆる外孫であったことで、十分な観察ができなかったからである。

 私にとって幼児期や少年期は、懐かしく感傷的に心によみがえる。敗戦後の復興期に、少年時代を過すことのできた私はある意味でとても幸せであった。その記憶は時々ふと、鮮やかなイメージとして浮んでくる。

 遠くで太鼓や笛の音が聞こえ、心が浮き立った隣町の神社の祭り、ボールが見えなくなるまで毎日遊んだ草野球など、次から次へと想い出すことがでる。かつては、学校がひけてもずいぶん長いこと校庭で遊んでいたし、道路ですら立派な遊び場だったし、近くの川では泳げた。日の暮れるまで外で遊んで時々叱られた。恵まれた自然と、友人と時間的余裕と自由があった。

 ところが今は、学校の校庭は放課後はクラブなど一定のもの以外は使用できず、早く校内から去ることが求められ、道路は危なくて遊ぶどころではない。各家々はみんな一つ一つが閉鎖的に孤立して、上品で、内に夫婦の不和とか経済的困難とかいった問題があっても知ることができない。何らかのそんな要因が生じれば、少年たちの心はその影響をモロに受けるだろう。

 私はこの歳になって童謡を聴き、絵本も購入して読んでいる。かなり少年の心を持ち続けている方だと思っているが、時折世の中を老人の視点から固定的に見ていることに気づき愕然とすることがある。
 これじゃダメだ、とも思う。


4/07(木)晴れ  飯川病院 
1:15起床。新聞・文献チェック他座学中心。午前は枯れ枝処理10:50バス、通町山王ドンキ店、3冊購入、飯川病院。14:00-19:00勤務。入院患者対応。19;30帰宅夕食、21:00就眠。歩数計11950歩。

こころと身体2022(29) GG(2)成人の日に「青年の主張」、敬老の日に「老人の主張」を
 かつてNHKの番組の一つに「青年の主張」というのがあった。
 たしか毎年の成人の日の当日だったか翌日だったかにラジオ番組で放送されたと思う。「NHK青年の主張全国コンクール」はNHKが1956年から毎年成人の日に開催し、以降毎年放送された。ラジオでは第1回から毎年中継していたが、テレビでの中継は1959年からである。
 1990年から表題を『NHK青春メッセージ』として装いを一新。それまで設けていた主張テーマを廃して自由にアピールを発表する事が出来るようになった他、年齢制限も緩和され、当該年度に満15〜25歳になる青少年に広く門戸を開放した。2003年に終了した。

 私は子供の頃からこの番組が好きだった。青年たちの夢が力強く語られ、それを聴きながら自分の将来についても考えたものであった。

 思えば、あのころは世の中全体が若者社会だった。
 若者たちの気力で溢れていた。老人も引きづられて元気だった。
 政治も産業もマスコミも文化もコマーシャリズムも、ターゲットは若者だった。
若者が日本の文化を動かしていたといっても過言ではない時代だった。
 だから人々は若者の発言に注意深く耳を傾け、これからの世の中の移り変わりを、その主張の中に見ようとしていた。

 あれから何年たったであろうか。
 ふと気がつくと世の中はいつのまにか老人社会ということになった。
 日本は少子高齢化社会となり街に高齢者が溢れている。我が国の65歳以上の高齢化率は、1950年が4.9%であったが、以降一貫して上昇が続いており、1985年に10%、2005年に20%を超え、2018年は28.1%となった。
 これから先、この比率は恐ろしいまでに増えていく。さらに、人口自体が減少し始めている。

 民主主義社会では選挙の意義は大きい。多数を占める老人が世の中を動かす時代になってきた。政治家は身の安全を図るために老人に甘い政策を掲げたそれがシルバーデモクラシーである。これは決していいことではない。
 その結果、老人たちは世の中に甘え、若者たちは夢を失ってしまった。

 いま老人たちは何を考え、何をしようとしているのか。その主張に耳を傾けなければならない。要するに老人を甘やかすと日本は活力を失っていく。

 それにしても老若世代間の対話が少ない。互いに何を考えているのかよくわかっていないのではないか、と思う

 私は「ジェネレーションギャップ(generation gap)=以下GGと略す」の中でつくられてきた溝を埋めるために「老人の主張」を敬老の日に復活させてほしい。最近の社会の考え方は「敬老」から「軽老」の日に向かっているようにもみえ、「嫌老」「棄老」の言葉すら見つけることができる。これは他の世代が高齢者についてよく知らないから生じている現象である。

 同じことは青少年にも言える。成人の日付近に『NHK青春メッセージ』を復活させ こどもの日付近には「少年の主張」を組んでほしい。


4/6(水)曇り晴れ 飯川病院 COVID-19ワクチン接種担当 
1:30起床。文献検索、徒然ほか。ラジオの電源修理するも主電源が切れなくなって失敗再挑戦することに。10:50バス、通町から山王経由ドンキホーテへ歩行、古書3冊購入、バスで飯川病院に。12:30ボランティア。新聞チェック、14:00勤務、COVID-19ワクチン接種担当、入院患者対応。データ整理、本読みほか。昨年家内用にiPad mini5落札するも結局私が使用している。19:30帰宅。夕食、21:00就眠。歩数9114歩。

こころと身体2022(28) ジェネレーションギャップ「世代間格差」について(1)
 「ジェネレーションギャップ(generation gap)=以下GGと略す」は「世代間に生ずる、知識・関心・考え方などの違い」という意味で、「世代間格差」あるいは「世代間断絶」と訳される。あくまでも「差異や、認識の違い」があることを指す言葉で、その善し悪しを示す言葉ではない。
 GGは、職場や家庭だけでなく日常生活のあらゆる場面で発生する。何気ない会話の中でも、異世代に通じない!という言葉や考え方は意外と多い。

 我が国には和暦がある。和暦には西暦にはない一定の年代区切りを示す優れた機能がある。今の日本人は、大部分が昭和世代と平成世代に属すが、その間でGGが起こりやすい、と考えれば理解しやすい。さらに、令和に突入した。令和世代はまだ子供しかいないが、近い将来には、3世代にわたる新GG時代が生じてくる。

 人は育ってきた時代の考え方を身につけながら成長し、活動し、やがて老いていく。この間、如何に「人間」について、「人生」について勉強しようと、頭では理解していながら、深層にある考え方はなかなか変わることがない。

 私はそういう意味では「人間」について、「人生」について勉強している方だと自認している。時代別の社会の考え方の変遷についてもわかっている方だと思うが、私は「昭和の古い人間」というカテゴリーから抜けきれない。私は考え方の深層に「昭和」を引きずって生きている。

 私は、世代間の格差がなくなることは絶対にあり得ないことだ、だからGGはあって当然のもの、と考えている。GGの解消は、極言すれば古い人間に引退してもらうか、消滅してもらうしかないが、そんなことは望みようがない。

 世代間に見られるGGは、世代間の対話の減少、世代間の交流減少が原因しているように思われる。若者は若者の社会で生き、高齢者も高齢者だけの社会で生きていて、その間のコミュニケーションが大きく欠けているような気がする。

 日本は少子高齢化、人口減のためにGGが拡大していくであろう。これは互いに不幸なことである。
 だから、GGを埋める手立てを考えなければならないと思う。


4/5(火)快晴 中通病院外来 飯川病院ボランティア
1:10起床、新聞・文献・本読み他、蓄積データ整理、徒然。5:30可燃ゴミ提出。6:40バス飯川病院。8:45-14:00外来。混雑なし、されど書類等あり疲弊。14:15飯川病院、微睡など。ボランティア。やはり火曜日は疲弊する。19:30帰宅、夕食、21:00就眠。歩行計7026歩。現在の歩数計、使用開始後8.9年、3.287日で3.000万歩、2.4000Kmに達した。

こころと身体2022(27) 歩数計積算データを眺める 運動不足解消に生かす

 2013年4月に私はクロスバイクによる通勤を諦め、徒歩通勤を開始した。条件によってはバスも利用している。
 その時に購入したのが歩数計「新・平成の伊能忠敬」である。伊能忠敬が日本地図を作るために海岸沿いに歩いた足跡を、日本一周約18.000Kmをゲーム感覚で地図を作りながら進んでいくというもの。

 現在、日本二周目の途上にあって東京から北上、北海道は後1.000Kmを残すだけとなっている。
 
 歩数計、「新・平成の伊能忠敬」は2022年4月時点で以下のデータを示した。
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 ■使用開始後、3.287日目(8.9年)
 ■Σ歩数3.000万歩(平均9.128歩/日)
 ■歩行距離2.4000Km(平均7.3Km/日)
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 2020年4月14日、沖縄を含む日本一周を達成した。
 その時のデータは、■2.565日(7.03年)目、■総歩数Σ2.411万歩 (平均9.399歩/日)、■歩行距離Σ19.292Km(平均7.52Km/日)であった。

 この歩数計は到達目標がとても遠い。時間もかかる。実際、購入した方々の何%ほどが達成するのか??と思う。購入者の1割にも満たないのではないか??
 私は当時この歩数計を気に入り5ヶ購入し、家内や子供たちに配った。しかし、1年経った頃聞いてみたら利用し続けていたのは私だけだった。

 まあ、そんなものだろうと思ったが、私が9年近くも使い続けてきた背景を考えてみた。
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 ■ 「継続は力なり・・」という意識、持論があった。
 ■ 最大の理由は死ななかった、あるいは大きく健康を害さなかった。
 ■ 紛失せず、決定的な故障なし。
 ■この8年間、毎日 2:00amに歩行数を確認しブログに記録し続けた。
 ■ 歩数からその日の運動量を推定、翌日の生活に役立てた・・・などなど。
――――――――――――――――――――――――――-

 連日の歩数は、日当直の日は病院の部屋にこもるから3.000歩程度、雨天などは通勤はバスを利用、座学中心で座りっぱなしなので6-7.000歩、雪が消えた3月以降は外仕事と歩行で10.000-15.000歩程度となっている。

 いつまで積算できるのか、楽しみである。


4/4(月)晴れ 健康クリニックドック 飯川病院 
 1:00起床。いつものごとく。6:48バス飯川病院着.9:00-11:00健康クリニックドック10名。結果判定なし、飯川病院に移動。歩行ドンキホーテ往復、本3冊購入。微睡、本読みなど。14:00-18:45飯川病院勤務、入院患者対応、花壇に花植え付け、今季初散水。19:30帰宅・夕食、21:00就眠。歩行計12250歩。

JR東日本「泉外旭川駅」オープンから一年 乗客数は予想の1/2程度とまずまず
 JR秋田奥羽線の新駅「泉外旭川駅」は、2021年3月13日に開業し、1周年を迎えた。
 泉外旭川駅は県内で20年ぶりに開業した駅で無人駅。隣の秋田駅、土崎駅までの所要時間はそれぞれ4分程度。1日に奥羽、男鹿線計76本が停車する。

 秋田-土崎間7.1Kmは東北6県の県庁所在地の中で、中心駅との駅間距離が最も長く、沿線側の住民や施設にとって鉄道利用ができない地域となっていた。
 新駅は泉、外旭川地区とも住宅地のど真ん中に位置する。その意味ではいい場所を選んだ、と思う。

 秋田市は鉄道とバスの連携強化を図る方針で泉外旭川駅は泉側と外旭川側にそれぞれバス停を設置した。
 市は21年度から5カ年計画の「公共交通政策ビジョン」を策定中。路線バスの運行頻度を適正化し、タクシーも含めた公共交通網の整備を行い、利用者数アップの仕組みを検討している。

 高齢化の一層の進展を見据え、車依存からの脱却を図る意味でも新駅は周辺住民の悲願だつた。 
 市の試算、その根拠になった調査、データなど私にはわからないが、1日当たりの乗客数は2.118人と試算。開業から50年間の経済効果が48.3億円。総事業費は20.5億円。地元要望設置駅のため事業費は全額市の負担となった。

 2月に市が行った調査によると、利用者は平日が平均1.124人、休日が510人と当初の想定を大きく下回っている。秋田の地方紙である魁新聞は利用者が当初見込みの1/2以下という現状を厳しく論じている。しかし、そうだろうか?

 市は、長年にわたって日常の移動に車やバスを使ってきた地域住民が列車を利用するようになるには一定の時間がかかると説明している。さらに、COVID-19の影響で、イベントや会食の機会が減ったことなども伸び悩みに影響したとしている。

 私は、乗降者数が当初予想の半数ほどに止まっている現実はほぼ妥当、と評価している。今まで鉄道がない状況でも、それなりの方法で移動していた住民が駅ができたからといって直ちに列車に切り替えられるものではない。私も移動の手段が増えたことを喜んでいるが、まだ一度も利用していない。

 それと、足腰が弱った高齢者にとっては、例えば自宅から駅までの数100mの移動、駅構内の移動も結構辛いという現実もある。現に、通勤時間帯と休日に利用状況を見学に行って見たが、高齢者はほとんどいなかった。一方、通勤時間帯は別とすれば、路線バスの乗客はほとんどが高齢者である。

 まちづくり構想に新駅をどう関連づけていくかは大事である。
 市はこれまでバス利便性を高めるために一回乗車あたり100円の高齢者パスも発行し喜ばれてきた。その成果も出ている。
 住民は利便性の向上を評価している。駅開設の結果を数字の上だけで評価してはいけない。普及には時間がかかるのだ。


4/3(日)快晴 故三浦亮元教授お別れ会
 1:45起床飯川病院で起床。データ整理 9:00-10:00歩行帰宅、秋田工業高校まで迎え依頼。コナカ、ハッピーにてスラックス、ポットの花、肥料、除草剤購入。NHKのど自慢楽しむ。13:00-14:00微睡。以降外仕事、主としてバラ対策。故三浦亮元教授お別れ会は欠席。書斎にこもり整頓と音楽関係録画視聴、19:00家内帰宅夕食。21:00就寝。歩行計13255歩。

こころと身体2022(26) 私は何者か?(4) 列車を乗り越したが、最高に運がよかった
 3月16日(水)深夜に起きた地震により東北新幹線は不通となった。秋田新幹線はその影響で運行本数を減らして秋田・盛岡で運行となった。私は週一回金曜日に大曲出張で往復秋田新幹線を利用しているが、運が悪いことに私が利用する便は往復とも間引かれてしまった。
 そのために3月18日(金)以降、奥羽本線の普通列車を利用している。出発時間は新幹線とほぼ同じ、乗車時間は10数分ほど長い60分ほどである。
 4月1日(金)朝、途中までiPadで読書していたが大曲駅近くで睡魔に襲われ眠ったらしい。車内放送で「次は後3年駅・・・」と言っており驚いた。乗り越しである。大曲を過ぎていた。とりあえず次の「後3年駅」で降り対策を考えることにした。
 しかし、奥羽分線は上り下りとも1-2時間に1本ほどしかないから列車で戻るには無理があるだろう、タクシーで大曲に戻るしかないが、田舎の駅でありタクシーも横手市から呼ぶことになるだろうから時間がかかるだろう、と考えていた。
 結局、今日は診療応援にはならないかもと半ば諦めているうちに「後3年駅」に着き降車した。なんと!!! 向かい側のホームに向かって逆方向の普通列車が静かに近づいてくるではないか!!!
 ・・・・・と言うことで、大曲中通病院には予定時間から40分ほど遅れただけで到着し業務に大きな傷を負わせないで済んだ。大曲に戻るチケット代金は無料であった。
 今回の乗り越しは、逆方向の列車と同じ時間に停車するという偶然の機会に助けられた。まるで松本清張の列車トリックを用いた作品「点と線」の如くだ、と思いながら病院に向かった。

 これまで私の乗り越しは何度かある。何も睡魔に負けた。
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能代の病院の診療応援の際、睡魔に襲われ急行列車で乗り越し、二ツ井駅で降車した。この時は約2時間遅れて病院に着いた。外来診療には間に合わず、病棟回診だけで済ませた。
仙台の会議に向かった際、睡魔に襲われ新幹線で乗り越し、大宮駅で降車した。急いで戻ろうとしたが、下りの東北・秋田新幹線は満席での席が取れず仙台に戻ったのが4時間後。当然会議には間に合わず、そのまま秋田まで帰った。
その他若干
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■宮城・福島県沖の地震について
 3月16日23時34分頃、宮城県や福島県で震度6強を観測する地震があった。同36分頃にも、震度6強が観測された。気象庁によると地震の震源は福島県沖、震源の深さは約60キロ、M=7.3と推定され、最大1mほどの津波注意報を発表した。
 震度5強は岩手県、山形県。
 震度5弱は、青森、岩手、秋田、山形、福島、茨城、栃木、新潟各県で観測された。
 震度4は東京都内でも観測されている。

 東北新幹線では営業運行中の車両が白石蔵王駅近くで脱線、東北自動車道で路面に亀裂が入るなど大きな被害が発生。大規模停電や断水も相次いだ。
 新幹線は17両のうち16両が脱線しており、さらに線路や高架橋に1000箇所ほどの損傷が見られ、復旧は4月中旬の予定という。

 上記の事故で東北新幹線は不通となり、秋田新幹線は運行本数を減らし盛岡・秋田間の運行となった。

 東北新幹線事故は人身事故にならなかったのは幸運であった。

 私は自分が何ともできない巨大システムに身を委ねるのを恐ろしいと思っている不安症である。例えば、東京都庁、航空機、新幹線、地下鉄、青函トンネルなど。現実には利用しないで過ごせないから利用はするがその度に内心穏やかではない。困った性格である。


4/2(土)快晴 飯川病院午後日直・当直 外来レセプト点検  
1:30起床。本読み、データ整理、飯川病院日直、8:30回診に行くと言う家内に同乗、飯川病院、日直・当直に就く。土曜日当直は1本日から終日となる。微睡、新聞チェック、12:00検食、読書、14:00-15:30外来レセプト点検、以降は読書三昧。18:00検食、20:30就眠。歩行計3448歩。

こころと身体2022(25) 私は何者か?(4) 電子化データに集中する変人か??
 私は自分に課した日課、作業を机に向かってコツコツ進めるのが好きである。

 早朝1:00-2:00から1日がスタート、19:00の夕食までの間、診療、読書、園芸とかの外の仕事以外はほとんどパソコンに向かってデータ入力と分類に割いている。そう言っても、体力不足で午後に1時間ほどの微睡を取り、さらに天候時間を見ては歩行訓練と称して散歩に出、外の作業をこなす。

 現在、収集しているデータ、作業は主に以下のごとく。
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(1)連日の作業 蓄積、処理
 ■ 新聞、学術、専門誌等などの有用記事の切り抜きと電子化。
 ■ 上記の分類作業。 
 ■ 日常生活の記録。
 ■ 運動量のチェックのために歩数確認。
 ■ 福田の雑記帳記述とブログにアップ。
 ■ NHKラジオ深夜便録音連日3時間分と聴取。
 ■ NHKラジオ聴き逃しサービスから「歌謡曲」、「宗教の時間」、「浪曲、落語、各種古典演芸その他」の聴取と録音。
 ■ 上記作業のデータ確認と分類。データはiPadで読み、ヘッドフォンで聴く。

(2)週数回程度
 ■ 雑誌、書籍の購入、裁断と電子化(自炊)作業
 ■ 音楽関係の放送を録画蓄積、その視聴と分類。
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 私は幼少の頃からガラクタ収集癖をがあった。ガレージの2Fは所狭しとなっていたが、終活のために大量処分ガラガラ状態にまでなった。今は書籍、文章類、音楽関係の電子化データの蓄積と処理とその利用に集中している。

 電子化データは脳機能の低下のためである。私は記憶として残すのを諦めた。文章や画像、録画データ等の情報を電子化しハードディスクに収める。だから基本的に忘却はない。

 (1)はデータとして毎日50項目くらいずつ増えていく。新聞は3紙に目を通し、専門誌は今は3冊くらい。書籍購入は週5冊程度か。

 重要な記事、興味ある記事を裁断し、スキャナーで電子化する。処理後の新聞書籍はすべて資源ごみとして再利用のコースに乗せて廃棄する。
 情報収拾、それらの確認作業には時間がかかる。辛い作業であるが、私の知識欲も満足させてくれるから、大きな喜びにつながっている。

 私が生きている世界はとても狭い。世間知らずである。
 一方、興味を持っている世界は広い、だから、連日の新聞をチェックする作業は知らなかった世界を、知らなかった人物を知るのに有用で、とても楽しい時間である。

 時には「私の人生はなんなんだ!!! もっと有意義は時間の過ごし方があるのではないか・・?」と時に思う、が思い当たらない。

 何かを選択することは何かを失うことでもある。
 毎日を平穏に、時には疑問を抱きながらも、ほぼ満足しながら過ごしている私にとっては、今更何か新しいことに踏み出すというよりは、淡々と継続しながら過ごすこと、と納得するしかない。

 私が存在したことは、家族以外にとってはもう価値はなかろう。引きこもりの成果である。
 私が蓄積した情報やデータ、作ったデータは、私以外には不要だろう。その機会を迎えたら自分で消去し、スッキリ旅立ちたい。骨も残す必要も感じないが、家族たちはどう判断してくれるか。それが心残りになるのかも。


4/1(金)快晴 大曲中通病院 飯川病院ボランティア 
 1:30起床、データ整理、文献読みなどいつものごとく。徒然、5:30可燃ごみ提出、7:35Taxi駅に、8:06奥羽線、乗り越し、運良く帰りの汽車に乗れた。9:50大曲中通病院、徒歩不可。15:30飯川病院ボランティア。19:15帰宅、夕食。20:30就眠。歩行Σ6738歩。

新年度(2022)スタート  今年度就労予定とコメント 
 本日は新年度スタート日。
 本日から私の就業契約も改訂になった。昨年度とほとんど同じ。
 今年は明和会からは継続の声がかからないかも、と思っていたが、新院長より健康である限り嘱託医師として複数年お願いする、との伝言があった。また、飯川病院の応援医、ボランティア医としても働くことになった。有難いことだが、健康上の懸案がありいつまで続くかは不明。

 以下が今年度予定されている勤務スケジュールである。全体的に業務上軽減されているが、終日フリー日は無くなった。飯川病院の土曜日午前外来が大学の都合にて終了になったため土曜午前も当直医の領域になった。そのために私がかなり担当することになるだろう。
 
今年度の就労予定
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午前 午後
 月曜 健康クリニックドック診察、結果説明       飯川病院勤務。
 火曜 中通総合病院外来。               飯川病院ボランティア。
 水曜 (飯川病院ボランティア)             飯川病院勤務
 木曜 (飯川病院ボランティア)             飯川病院勤務。
 金曜 大曲中通病院                  大曲中通病院

土・日曜日・祭日            月2-4回飯川病院日直または当直
 平日                 月1-3回飯川病院当直
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 上記の勤務時間以外は、適宜読書などで過ごしている。
 飯川病院ボランティアの時間帯には木々や花のケア、散水なども含まれる。

 せっかく時間に余裕ができたのに、最近は体力・気力の低下が著しい。
 自覚的には心肺機能、四肢体幹機能の低下も自覚する。

 日々、時間を無為に過ごすことはまだないが、複数回微睡をとることが多くなった。寝過ぎ??
 その日充実感に乏しかったとしてももう気にしないようにしている。
 「無の境地」に至る過程??  イヤイヤ、「ボケ老人の境地」への進行過程と思う。まあ、どちらでもいい。自然に任せる。

 こう考えてから心身ともにとても楽になった。惰眠も楽しんでいる。
 余生である。余生とはいつ途切れてもいい状態。旅立つ準備は必要。「明日も、明後日も生きる・・・」、と考えるから窮屈となる。
 
 新年度初日、こんな私にとっても新しい気分でのスタートになるから節目というものはいいものだ。


 3/31(木) 曇り晴れ 飯川病院 
1:30起床。文献検索、徒然ほか。データ整理。午前はボタンダリア椿などの観察。隣家への土の流れをためる為にブロック敷く。ダリア球根仮植えのための場所の準備開始。二人分のマイナンバーカード発行手続き。10:50バス、通町から徒歩、半田葬儀店経由で病院まで歩く、疲れた。12:00飯川病院に。14:00勤務、19:30帰宅。夕食、21:00就眠。歩数計12270歩。昨年iPad mini5落札。

こころと身体2022(24) 私は何者か?(3) この雑記帳は何者か?(2) 
(4) 事実のみを記述する
 私はエッセイというものは、事実を書かなくてはいけないと思っている。そういう決まりがあるのかどうか知らないし、それを破っても罰せられるわけではないと思うが、私はそういう原則を立てている。


 なぜ事実を書かなくてはいけないと思うのか、自分でもはっきりしないが、たぶん私が真理を追究する医療分野の、かつては研究者の一員だったからかもしれない。

 気が小さいものだから、子供の頃から日常的に嘘をついて辻褄を合わせるのはしょっちゅうであった。嘘が分かった時には祖父から激しく叱責された。幼少の折、抜き身の日本刀を片手に追い回され、本当に死の恐怖も味わった。だから時代劇は大嫌いである。また、ある時は昼でも真っ暗な食糧庫に丸一日閉じ込められたことがあったが、この時は腹いせにどうにでもなれの心境で米櫃の米を全部床に撒きちらした。呆れられたのか、二次叱責はなかった。

 気が小さいものだから、今でも生活上ではちょっとした嘘をつく傾向は残っている。ただ、文章上では嘘がつけない体質になっている。

 とにかく、変化のない生活、文章力不足に加えて、嘘をつかないという自己規制をもっているために、わたしはブログを書くときに常に苦境に立たされている。書く材料が乏しい上に、一のものを十に引き延ばす文章力、ノンフィクション的
創作力もない。私は映画やTVでもドラマはまず見ない。まだるっこしくて見ておれない。1時間番組を私に削らせたら多くの作品は10分程度に短縮されるだろう。
 
 フィクションを入れてもいいのなら、たとえば飼いネコが誘拐され、身代金を100万円払って取り戻した、とか、ノーベル賞授与の打診があったが明らかに人違いと分かったので葛藤はあったが辞退したと言う話とか、話題は永遠に尽きないだろう。この分野でほぼ自由に話題を発展させられる小説家を羨むばかりである。

(5) 味つけが難しい
 日々の出来事一部を淡々と記述する小学低学年頃の絵日記の様な記述だけではブログには不十分である。なぜなら、私の平凡な毎日に興味をもつ人は、家族も含めてだれもいない。そこで必要になるのがちょっとした味つけである。これが大袈裟になると嘘が入ってくるから難しい。
 だから、私のブログは、最も読んでほしいと思う家内からはほとんど無視されている。

 私のブログの表題を「今日の医療のあり方」とつけた以上責任がある。文章の端々に医学的的感想をちりばめたいのだが、医師といえどもこれも難しい。現代医療に通用する様な感想など、もはや書けない。

 この雑記帳は何者か?は、以上のように幾多の困難を乗り越えながら連日綴られている。名文でもなく、洞察もなく、魅力も乏しく、役にも立たないかもしれない。
 「自分のために書いている」、「継続は力なり」が、私の最後の逃げ口上である。

 今の時代、努力よりも結果で評価される。努力が評価される社会を実現することができるかどうか、は地道な、目立たない、この様な記述が支えている。


3/30(水) 曇り晴れ 飯川病院 COVID-19ワクチン担当
1:30起床。文献検索、徒然ほか。午前はボタンダリア椿などの観察。隣家への土の流れをためる為にブロック敷く。ダリア球根仮植えのための場所の準備開始。二人分のマイナンバーカード発行手続き。10:50バス、通町から徒歩、半田葬儀店経由で病院まで歩く、疲れた。12:00飯川病院に。14:00勤務、19:30帰宅。夕食、21:00就眠。歩数計12270歩。昨年iPad mini5落札。

こころと身体2022(23) 私は何者か?(2) この雑記帳は何者か? 乏しい文章力

(2)恵まれている生活環境
 多くの役職をこなしていた時と異なり、今は職場でも家庭でも人間関係を維持するのにストレスはほとんどない。その理由は、法人の職場では3ヶ所で診療しているが20名ほどの限定された少数のスタッフに囲まれているだけ。飯川病院では日常の業務上ではあまり当てにされていない軽い業務による。休日の当直要員、ピロティの花壇の作業員としては重宝されている、と思う。
 現役引退後にこんな恵まれた環境を提供されるとは思ってもいなかった。飯川病院の院長は家内であり、医師としての私の評価は低いからあまり仕事を与えてくれない。だから楽。

 私の私的な生活環境は4人の共同生活と言っていい。穏やかな環境である。ただ、対話は少ない。4人揃うのは夕食時の1時間ほどだけ。3人はTVを見ながら盛り上がっているが私はネコの歓迎を受ける。ネコとの会話の方が多いかも。
 私は生活時間をずらして誰もいない深夜早朝を中心に活動する。自室もあるが週末だけ籠る。居間で食卓脇のパソコンの前で過ごす。

(3) 文章力が乏しいが、パソコンの漢字変換機能で助けられている
 駄文はパソコンで書いている。と言うと、キーボードを叩き続けているというイメージかもしれないが、私の入力の速度は遅く、ブラインドタッチは不確実で誤入力の修正に時間が取られる。だから、キーボードに向かっていても実際にはほとんどが混迷と修正の時間だ。

 これだけ長時間無駄な労力を使っているのだが、自分で楽しい人生だと言えるのが不思議である。私はもともと自分の考えを文章にするのが好きだからであろう。

 私には文章力がない。文章力がないから、才能のある人が書いているような何気ない文章を書くにも、大きい労力が必要である。尤も、その方々も実際には呻吟しているのかもしれないが・・・。

 日本語は難しい。読みやすいが、書きにくい。その原因は漢字にある。かつて自筆で書いていた時代、長文の論文が完成間近で推敲中に加筆したくなり、最初から書き直すこともしばしであった。これは時間的に見て辛い作業であった。

 1980年末に日本語ワープロを購入した。ひらがなを打つと漢字に変換してくれる、途中に文字を追加できる、まとまった段落をそっくり他の場所に移せる、きれいな字で印刷できる、データとして保存できる・・・、今からみれば機能的にチャチなものであったが、私の文章作成環境はこれ以降一変した。

 自作の文章は電子的に保存している。現在、膨大な量の文章が蓄積されている。新しく文章を書く際には、それらから類似した内容の文章を検索で呼び出して、参照したり、上書きしたりしている。

 1993年、パソコンに乗り換え今に至っている。
 キーボードを介して文章を作って30年以上になる。私はあまり疑問を持たずにその機能を思いっきり享受してきた。

 しかし、最近になって、私はキーボードとパソコンの力を借りて「文章を作っている」のであって、「文章を書いていると言えないのではないか??」という疑問と違和感を持つようになってきた。すなわち、「自分の文章でありながら、自分の文章でない様な、妙な不安感」である。
 その原因の一つはあまりにも便利になった漢字変換機能に拠っているような気がする。

 変換前の文章は自身で考え入力するにしても、変換キーを押した瞬間に期待した漢字に変換されるほか、内蔵の辞典・事典が自動的に語彙までも提示される。

 私が筆記用具で文章を書けば漢字の少ないもっと貧相な文章になるだろう。だから、マックでの文章は「書いた文章」とはかけ離れた、パソコンの力を借りて「作った文章」である。
 だから恥ずかしいのだが今更元には戻せない。


3/29(火)曇り 中通病院内科外来 飯川病院
1:30起床。新聞チェック、本読み、徒然他。5:00可燃ゴミ提出。6:40バス飯川病院。8:40-13:00中通病院内科外来、比較的余裕。13:30飯川病院勤務。微睡、データ入力、読書、Web学習会。19:45帰宅、夕食。21:00就寝。Σ7585歩。2月の検診結果が戻ってきたが、クレアチニンやや高値、潜血陽性、心電図異常などあり検討用す。

こころと身体2022(22) 私は何者か?(1) この雑記帳は何ものか?
 最近、「こころと身体」なんて表題をつけたものだから次第にプレッシャーになってきている。ちょっと閑話休題的に自分というものを見直してみたい。そんな気になった。
 本稿は自分自身のために書いているエッセイである。自身のためと言いながら、ネット上に載せてあるので、読まれることも意識している、というのが本音である。私はアクセス数の見方もわからないのでどれだけの方に読まれているのか実態はよくわからない。読まれていないブログの代表の一つだろうし、それでも20年続けてきた馬鹿な人間の一人だろう。

 実際の内容は、日々の出来事をつづった「徒然日記」の部分と、1000字ほどのエッセイ「福田の雑記帳」で構成されている。
 日々の出来事をつづるのは簡単に見えるのだが、私の場合、人一倍あるいは人の数倍(??)苦労を要する部分である。

 その理由を以下に述べてみる。もし、本稿が目に触れることがあったら、私の苦境の一部を理解していただければ幸いである。

(1) 生活に変化がない
 私は机に向かって座学するのが好き。雨の休日などでは、長時間座り続けて尻に褥瘡ができるのではないかと心配する。パソコンに向かって駄文を綴り、iPadで本を読むことが基本である。そうそう、飼いネコに世話してもらう時間も必要である。他には、外仕事の大部分を担っているし、春から秋にかけては家内から強制されて嫌々始めた園芸や畑仕事もすっかり私の仕事になってしまった。

 医師としての仕事は病院と家の往復で、仕事内容は軽くなったし、変化に乏しい。
 だから、私の生活は記述すべき様な「出来事」と呼べるようなものはめったに起こらない。
 私は、時間があっても旅行するわけでもなく、空腹でも外食するわけでもなく、人に会うわけでもなく、家で食べるものだって注文を出さず用意されたものと淡々と味わって食べるだけ。

 変化があっても、せいぜい滑って転んだとか、程度で書きとめるほどの出来事が起こらないからだ。勿論、大金を拾ったこともない。

 これまで根気がないのに、書きとめるほどの出来事が起こらなかったのに「徒然日記」部分を続けてこれたのは記憶力の減退が著しいためで、脳に頼らずパソコンの記憶装置に依頼しているからである。

 もちろんエッセイのネタになるようなこと身近に起る訳でないから、私にとって「福田の雑記帳」部分を続けるには不利である。だから毎回、一番苦労するのは、何を書くかを考える部分だ。何を書くかが決まれば、九割方は目標に近づいたようなものだ。その後、乏しい文才のもとで、切り立った崖を登るような苦労をしてやっと出来上がる。

 止めたい願望はないわではないが、やめるのは自分を失うようで怖い。


3/28(月)晴れ 飯川病院
 1:30飯川病院起床。本読み、徒然他。9:00健康クリニック、11:40飯川病院。データ入力微睡。14:00勤務、入院患者対応。19:30帰宅、夕食、21:00就寝。Σ5200歩。

季節の話題2022(5) 秋田にも春がきた
 昨年12月下旬、突然のドカ雪から私の冬が始まった。12月26日今季の初除雪を行ったのでこの日が私にとって冬の始まりであった。

 今季の園芸、畑などの作業は遅れ加減であった。
 ボタン鉢の越冬準備やダリアの球根堀りは何とか積雪前に間に合わせたが、最後まで残してあったネギは採取する前に雪に埋まってしまった。

 今期の最後の除雪は2月18日14回目で終了となった。したがって2月中旬が私にとっては春の訪れになった。そうは言っても2月中は積雪の名残で交通など、歩行などは結構苦労した。

 3月を迎えても気温は低くなかなか雪が解けない。庭や畑にはまだ雪が残っていた。こんなことは珍しい、
 3月半ば過ぎに庭や畑の雪も消失したので徐々に外仕事を始めた。
 最初の仕事はネギのを掘り起こから始めた。そのつもりはなかったが、12月に掘り起こす前にドカ雪が振りそのまま根雪になったため、今年のネギは雪中保存ネギになってしまった。かなり変質しているものと思っていたが、雪の重みで変形はしていたが結構まともに保存されていた。
 早速その晩、鍋料理でネギを味わった。予想通り秋のネギよりは甘みを強く感じた。今は農家の方々も野菜の雪中保存を試み、それが市場にも出回ることもある。結構評判がいい様である。

 越冬する植物は厳しい低温に耐えるために自らの体に糖分を増やして凍結から身を守る。自然へのすごい適応能力だと感心する。人間も血糖を上げている方が全人口の1/6にあたる2000万人もいるという。ただ、これは寒冷対策ではない。糖尿病の方はむしろ寒がりである。

 庭を見回ると植物たちが春を迎える準備を着々としている。それが見えるから嬉しい。
 椿はもう花をつけている。モクレン、ボタンの花芽は徐々に大きくなっている。冷暗所に保存してあったダリアの球根にも発芽が見られる。



 咲いた花を見るのも嬉しいが、春を迎える植物たちが寒さに耐え、春を迎えたる変化を見るのも嬉しいことである。
 今春はどんな春になる?? 楽しみである。


3/27(日)晴れ、 飯川病院日当直
 1:30起床。新聞チェック、本読み、他。8:30Taxi飯川病院へ、家内が睡魔で送れないため。午前はデータ整理、入れ替え。電子化。新聞チェック、微睡、読書。12:00、18:00検食。20:30就寝。Σ5578歩。平穏運動不足の1日。

ウクライナ情勢(10) プーチン氏を裁くことができるICCと言う機構がある
 ロシアによるウクライナへの侵路は、民間人や軍事目標以外の病院、学校、原発などを攻撃しており、戦争犯罪に当たる可能性が高い。更に、プーチン大統領が軍の行為を知りながら防止措置をとらなかったと認定されれば、戦争犯罪人として罪に問われる可能性があると国際法の専門家は指摘する。

 1990年代に旧ユーゴスラビアで起きた戦争犯罪や集団殺害では国連安全保障理事会が国際刑事法廷を設け、関係者を処罰した。

 しかし、ロシアは国連安全保障理事会の理事国で拒否権があり、ウクライナをめぐって国際刑事法廷を設けるのは事実上不可能である。


■ロシアの国際法違反が疑われる行為は以下のごとく。
(浅田正彦・同志社大教授(国際法) )

―――――――――――――――――――――――――――――
@ウクライナへの侵攻
自衛権行使の場合などを除き、武力行使を禁じた国連憲章に違反

A非戦闘員への攻撃
武力紛争での文民保護などを定めたジュネーブ諸条約の追加議定書に違反

B学校への攻撃
軍事目的に使われている証拠がない限り、攻撃してはならないとした追加議定
書に違反

C病院への攻撃
「攻撃の対象としてはならない」と明記した追加議定書に違反

D核施設への攻撃
攻撃が住民に重大な損失をもたらすなどの場合は追加議定書に違反

E命中精度の低い無誘導爆弾などの使用
非戦闘員が巻き添えになる危険があり、使用の仕方によっては追加議定書が禁じ
る無差別攻撃とみなされる可能性

F制圧地域の市長を拘束
占領下などの場合に人質を取る行為を禁じたジュネーブ諸条約の第4条約や追加議定書に違反
――――――――――――――――――――――――――――-

 これほどの愚行が指摘されているが、ならば、誰が、何が、プーチンを、ロシアを裁断できるのか??
 そこで登場するのがオランダ・ハーグにある国際刑事裁判所(ICC) である。

 ICCは2002年に発効したICCローマ規程によって設立され、締約国数は120以上にのぼる。ICCにはロシアもウクライナも加わっていないが、いずれも締約国でない場合でも、事件の発生地の国か、容疑者の国籍がある国のどちらかがICCの管轄権を認める宣言をすれば事件を扱える規定になっていて、個人の戦争犯罪などを検察官が訴追し、審理を経て処罰する。

 ウクライナは南部のクリミア半島を一方的にロシアに併合された後の2015年、人道犯罪と戦争犯罪についてICCの管轄権を受け入れると宣言をしている。ウクライナが受け入れる宣言をしているので、ICCが取り扱えることになる。

 ICCの検察官は3月2日、戦争犯罪などの容疑で捜査を始めたと発表した。
 (本稿は3月24日付朝日新聞の記述を参考にした)

 国連の安保理の機能が大国の拒否権で機能しないのであれば、是非ICCの機構で裁断してほしいものである。


3/26(土)午前曇り午後降雨、やや寒い
 1:50起床。新聞、自炊文献関連整理他。午前午後とも座学。データ整理、紙系廃棄物質まとめ。微睡などで過ごす。19:00夕食。ネコたちと交流、20:30就寝。徒歩Σ5578歩。

ウクライナ情勢(10) 嘘で固められて始まった侵攻
 ロシアがウクライナに侵攻してから3/26で一月。プーチン政権は侵攻を正当化する主張を繰り返すが、多くはその根幹が揺らぎ、明らかな偽情報をも含む。その主張を検証すると、プーチン体制存続のため偽情報の発信を続けざるを得ない事情が浮かぶ。

 新聞紙上からロシアの主張とそれに対する反論を集めてみた。
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●「数万人の人々に対して行われたジェノサイドを止めなければならない」。
 プーチン大統領は、2月2日、軍事力行使の一理由をこう説明した。
 ロシアは、ウクライナ軍と親口シア派武装勢力戦闘していた東部ドンバスでロシア系住民が大勢虐殺されていると主張。
 しかし、現地で停戦を監視する欧州安保協力機構(OSCE)はそのような事実があったとは一度も認定していない。

●ロシア系住民を保護するための軍事作戦である。
 ウクライナがロシア語を話す住民を迫害した事実や国際機関の指摘ない。

●プーチン氏は、ウクライナが「核兵器の保有を求めている」と主張、核の脅威に対処する必要があると侵攻の正当化も試みた。
 ウクライナは旧ソ連崩壊後、大量の核弾頭が残されていたウクライナは、ロシアや米、英による安全保障の約束と引き換えに核を放棄する「ブダペスト覚書」を交わした。さらに、原子力機関 (IAEA)は「ウクライナの核不拡散義務の順守を疑わせるような情報は一何もないと否定した。

●ロシアは軍事施設しか攻撃していない。
 住宅や幼稚園に砲撃、子どもを含む民間人の死傷者多数。

●ロシアはウクライナに侵攻する意図はないと発表したが、直後に複数の都市を攻撃。

●ラブロフ外相は3月10日、「他国を攻撃するつもりはない。ウクライナも攻撃していない」と言い切った。前日にはウクライナ南東部マリウポリの産科小児科病院が爆撃を受けた。ラブロフ氏は「病院から妊婦や看護師らは迫い出され、軍の拠点になっていた」と強弁した。
 妊婦や子どもの死が確認されている。

●国連安全保障理事会緊急会合では、国連大使が「ウクライナには少なくとも30の研究所があり、米国の支援で同国が生物兵器を開発していると主張した。
 ウクライナに米国が支援する公衆衛生に関する研究所があるが、国連軍縮担当事務次長は「国連はいかなる生物兵器の計画も把握していない、と一刀両断した。

●ウクライナ軍が東部住民の攻撃を計画。
 ウクライナ軍は防衛目的で展開、東部の親ロシア派が「攻撃が迫っている」と避難を呼びかけた動画は発表2日前に作成。

●欧米が紛争をけしかけている。
 欧米各国は外交解決を訴え続けてきたが、侵攻後は武器供与に方針転換した。

●NATOが東に拡大しないとの口約束を破り、ロシアの脅威になった。
 そのような事実はない。
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 このような事実にない虚偽をあげ、無理やり侵攻した以上、これらをロシア側が認めなければ停戦などはあり得ない。

 イラクが大量破壊兵器を有しているとしてイラク侵攻を行った米国は虚偽をなかなか認めなかった。ロシアの主張は荒唐無稽に見えるだけに虚偽を認めるとは思い難い。かえって難しい。


3/25(金)曇り快晴 大曲中通病院外来 飯川病院ボランティア
 1:50起床。文献関連整理他、5:30可燃ゴミ提出。7:35Taxi駅。8;07奥羽線普通列車。帰りも同様。8:25大曲中通病院外来。15:30飯川病院ボランティア。新聞チェックほか。19:30帰宅。夕食、21:00就寝。徒歩Σ5815歩。

ウクライナ情勢(9) 国際機関の機能(1) 国連安保理理事会の現状、問題点
 ロシアによるウクライナへの侵路は、平和を保つための国際社会の機能が麻痺している現実を突きつけた。
 プーチンを非難する言葉は各所から聞かれる。彼は戦争犯罪人だ、とする意見もある。これらの声は価値があるが、どんな人が発したとしても、彼には考えを変えるだけのプレッシャーにはならないだろう。
 誰が、何が、彼を裁断できるのか??現在の国際機構の中にその力を持つものはない。
 本来なら国際機関がもっと力を持てばいいのだが、国際社会の監視機能、特に国連の安全保障理事会はひどい状態にある。
 安保理事会は「平和の番人」で、その為に一定の権限も与えられている。平和を脅かす国には制裁を決定し、国連メンバーはそれに従う義務がある。
 ロシアの侵攻で、安保理は2月9日に急遽会合を開いた。だが、制裁はおろか、非難決議すらも採択できなかった。それが実情である。

 国連の機能はスタート時点から異常であった。
 常任理事国の米英仏中口は決議への拒否権を持った。だから、大抵の議案は中国・ロシアの拒否権によって成立できないのが実情である。
 この体制は先の大戦直後の1945年10月、戦勝国の米英ソ(ロ)が主導し、中国とフランスも加えて立ち上げた機構。当時は、これら5カ国が世界秩序を支えることを想定していたが、その期待、前提は崩れた。

 仮に、プーチンと同様、中国が台湾に侵攻したとしても、中国の拒否権により、安保理は全く身動きできない恐れが強い。
 北朝鮮は2022年だけで10回以上、ミサイルを発射した。弾道ミサイルの発射は、国連決議への違反だ。だが、北朝鮮をかばう中口の抵抗により、安保理はこの2年、非難決議も採択できていない。国連決議違反だ、と騒ぐしかない。なんら北の蛮行を止める力にはなっていない。
 この状態は安保理体制が、最初から機能不全状態であったことを示している。
 では、どうすればいいのか。

(1)王道は理事会の改革。
 安保理の拒否権付与をやめるか、一定の制限をつけることである。それには国連憲章を変えることが必要であるが、それには総会で参加国の2/3の賛同と全常任理事国の賛成が必要である。要するに極めて困難、というか不可能に近い。

(2)常任理事国を増やす。
 理事会の中で拒否権を持たない国を増やし、拒否権の発動をし難くする方法。しかし、これにも憲章の変更が必要である。国連総会の場では常任理事国を増やす議論もあるという。2005年には日本がこの件についての提案国になった。
 ロシアの蛮行をもってしても国連安保理理事会の改革ができないとすれば、安保理が変わる機会は永遠に来ないだろう。

(3番外)国連機構以外の組織の活躍に期待
 今回のロシアの蛮行に関してはG7が積極的に動いている。今回の経済制裁はG7を中心に実施している。このようにG7が国連と並走して国連機能を補助的に高めればいい。そうは言ってもG7は決定的な力を持たない任意団体である。今回のウクライナ問題では結束も強かったが・・・。

3/24(木)快晴、 午後飯川病院 
 1:40起床。文献関連整理他。午前はフリー。コンポストの周辺地固め。その際ネコ砂の固着力を利用。11:00飯島古書店に。10冊ほど。12;30バス飯川病院、14:00-19:00勤務、入院患者対応。19:30帰宅、21:00就寝。徒歩Σ6750歩。

ウクライナ情勢(8) 侵攻の理由が分からないから落とし所がわからない
 COVID-19禍につづき、今度はロシアのウクライナ侵攻が勃発し、世界は武力衝突を伴う深刻な分断をも抱え込んだ。これに米中対立を加えるならば、世界の分断はさらに深くなる。 
 

 COVID-19禍は人間の過剰な過密状態、経済活動などに起因すると理解できた。米中対立も理解可能である。
 しかし、ウクライナ問題は何と考えても理解できない。プーチンの考えの背景が読めない。

 どちらにせよ新しい亀裂が誕生し、冷戦後約30年続いた平穏だった時代ははっきりと終わりを告げた。冷戦後の世界は、グローバル市場経済が主な目的であった。その意味で、政治や軍事はあくまでも前面に立つことは少なかった。

 その間、政治は静かに強権化する道具に変質する例が立つようになった。
 プーチン大統領のロシアはその一例である。そこでは富の極端な集中と腐敗の蔓延であった。

 最近、政治趨勢としてのポピュリズムは、西欧では反欧州連合に、米国では自国第一主という形で現れた。多くのポピュリストにとって、プーチン氏はその卓越した能力の故に象徴的存在であった。力を蓄えたプーチンは先進的民主政治が動揺しているのをまるで狙い澄ましたように、ウクライナに襲いかかった。

 プーチン氏によるウクライナ侵攻の理由がわからないから出口も見えない。特に、さらなる軍事的エスカレーションと核の問題の行方は不透明であるが、幾つかの点ははっきりしている。

●NATOとロシアとは直接戦闘状態ではないが、戦争状態に入りつつある??
●今度の侵攻には史上で最も厳しい経済制裁は既に発動された。
●殺傷能力の高い武器もウクライナに相次いで供与されている。
●中国の出方は今後の鍵を握る。
●ウクライナ侵攻の目的は、プーチン氏の「力による支配」の拡大以外の何物でもない。イデオロギー的視点に欠ける。
●厳しい経済制裁によって経済システムが変調し、ロシアの将来を自ら閉ざす選択になる可能性が高い。
●ウクライナ侵攻は未曽有の難民を生み出した。彼らに対し各国がそれなりの安在の地を提供できるのかが喫緊の課題である。
●経済制裁の結果が経済に跳ね返り、その後始末に奔走せざるを得ないことになるかもしれない。
●エネルギーの動向は世界的に潤沢では無いから要注意である。

3/23(水)快晴 飯川病院勤務  
 1:30起床。新聞、文献チェック、本読み中心に過ごす。読書、データ整理、午前コンポストを新たな場所に設置、使用開始。コンポスト5ヶのうち大型のを柿の木の下に移動した。石井さんの体力を考慮して。午後は微睡の後新聞チェック、書斎にて録音データ確認と整理。10:50バス途中まで、ひらのや書店経由、徒歩ドンキホーテ。6冊購入、バスで飯川病院、14:00勤務。読書。19;00帰宅夕食。20:30就寝。徒歩9140歩。

ウクライナ情勢(7) つい一月前までプーチンは脅しだけと思っていた
 つい先日まで、戦争を予見する人はほとんどいなかったのではないだろうか。
 この情報が飛び交う時代、戦争など起きない、それほど切迫した国際紛争など無いと、誰もが考えていた。

 新聞報道によると国境付近のウクライナ国民すらそう思って平穏な生活を送っていたという。村人の多くにとっても、自らの暮らしと戦争とは、結びついていないようだったと言う。
 当然である、戦争を起こすのはロシアであってウクライナではない。
 ウクライナ国民はウクライナ人としての誇りを持つ一方で、ロシア語を母語として話し、ロシアに親近感も抱いているように見えた。しかし、2014年にロシアがクリミア半島を占領し、両国関係が冷えていた。

 今のロシアは独裁国家に近い。ロシアのプーチン政権は今回、批判も制裁もお構いなしだ。
 今回のプーチンの行動は私にとって驚異的と言わねばならないほど驚異的であった。

 昨日と同じ明日が訪れることが当たり前と思って一日を生きる、それが名もなく、権力もなく、豊かでもない一般の、罪もない人々の気持ちである。これに、共感する思いが至らないようでは、戦争の拡大を阻止できない。踏みにじられた人々の思いを拾い上げ、伝えていく。私たちは、そのような気持ちを忘れないでサポートしていきたい。
 
 対ロシアの経済政策は全世界的に影響を及ぼす。その一翼を担っている我が国が受ける打撃は決して小さくない。対ロシア、対中国関係は一層悪くなるだろうが、我が国の国民はその覚悟が必要だ。しかし、それについて岸田首相の説明がないのが残念である。政府の決断はその度ごとに国民生活に影響する。決して国会内だけの議論だけでは済まないのだ。
 我が国は次の新状態に向けての準備、危機管理を怠ってはならない。

(資料)
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●ウクライナ問題理解のための資料 (ミリタリーバランス2022年版より)

    ロシア       ウクライナ
――――――――――――――――――――――――――――――――――-
兵力       290万人      109万6600人

現役兵       90万人      19万6600人
予備役       200万       90万人

攻撃機      1511機    98機
攻撃ヘリ      544機       34機
戦車       1万2420両     2596両
装甲車両      3万122両     1万2303両
――――――――――――――――――――――――――――――――――-

 ロシア軍とウクライナ軍間の能力差は比較にならないほど大きい。

 しかし、ウクライナは正規軍に加えて、「領土防衛軍」が組織化と訓練を急ピッチで進めてきた。ウクライナ人の士気は高く、ロシア軍の侵攻に激しく抵抗するだろうから、双方の人命の損失は壊滅的になりかねない。双方の国民にとって、戦う戦闘員は勿論のこと、家族たちにとって大きな不幸、損失である。

3/22(火)快晴 中通病院外来 飯川病院ボランティア 
1:00飯川病院で起床。文献チェックなど。徒然、蓄積データ整理。8:40-12:10外来、比較的暇に。飯川病院に移動、ボランティア。微睡、19:00プリ帰宅+夕食。20:45就寝。徒歩Σ7399歩、昨年COVID-19ワクチン接種、注射部位筋痛あり。

我が国の危機管理の問題点2022(3)   国家の危機管理 (3) 災害・防衛
 国の危機管理は多岐にわたる。これを政治家達が継続的に対応していくのは無理である。その例が半世紀放置した人口問題である。

■自然災害
 地震、温暖化、異常気象など懸案は並ぶ。
 今回、宮城県沖地震では東北新幹線が被害を受けた。通常は320Km/時での運行であるが、幸い次の駅への停車に向けて減速中だった。大事にいたらなかったが、その一歩手前だったのではないだろうか。運が良かったとしか言いようがない。高速のまま不規則に脱線したら脱線防止装置など役に立たず大惨事になる。私はこれ以上の高速化は不要と思う。秋田から東京まで10分早く着かなくてもいい。むしろ安全性の向上が必要と思う。
 リニアも不要と思う。安全対策は大丈夫なのだろうか。通常は500Km/時走行でトンネルは86 % (246.6 km)も占める。脱線はないだろうが制御不能な状態になりトンネルの壁に激しく衝突するだろう。救護はできるのか??私は開通しても乗りたくない。青函トンネルも不安だった。

■防衛
 北がミサイルを発射したか否かで数時間かけて解析しているが、こんな状態で防衛などできるのか?我が国へはミサイルが10数分で届くが、こんなモタモタ判断でどうなる??ホントは遥かに高度な情報を迅速に得ているのだが、戦略上あえてモタモタしている様に見せている??・・・。
 敵基地攻撃能力、核の共有など、安易に是とは言えないがじっくり検討してほしい。

 対中国で日本の防衛力を比較してみる。一言でいえば「弱い」である。中国軍の戦闘機数は日本の3.7倍、戦闘艦艇1.5倍にのぼる。中国軍の軍事力は米インド平洋軍の5~5.6倍に達し、ミサイル戦力でも大きく差広げている。米国のインド太平洋軍と自衛隊合わせても敵わない。

 では、日本はどのような安保戦略を取るべきか。対話による外交、国際協調だろう。
 北朝鮮への対応と共に、日本が重点を置くべきなのは、台湾海峡の安定だ。米中がぶつかれば大戦争になる可能性が高い。在日米軍などが標的になるほか、中国が作戦上、日本の南西諸島の一部を占拠しようとするとも考えられる。

■国際 
 自国主義の横行が予測され、国際協調の流れは停滞すると思われたが、ウクライナへのロシア侵攻でその重要性が再確認されたのではないか。強大な国が屁理屈を並べて国家の主権を脅かす可能性の一つが今回具体化した。狂った指導者を正す道は唯一それだけである。
 なんであれ自国を自分達で守らなければならないことが示された。我が国が標的になった場合、同盟があるからと言えども米国は安易には立ち上がらないはずである。世界大戦になりうるからである。ならばどうする??
  
■社会
 これからの国の危機管理対策として社会不安対策が必要となる。
 不安 パニック状態 拘禁ノイローゼ 詐欺横行 うつ病など増加、自死、SNSデマ横行、差別の横行など。どう対応するのか?
-----------------------------------------------------------------------------------
などなど。

 検討すべき点はまだまだあるが私の立場では及びもつかない、記載しきれない、・・・・。その道のプロに、政治家に委ねるしかない。

3/21(月)春分の日休日 飯川病院日当直
1:30起床、新聞・文献・徒然ほか何時もの如く。8:40回診に行く家内に同乗飯川病院、9:00から日当直業務につく。新聞入力3日分で大量、読書など。12:00検食。微睡本読みなど。18:00検食、20:00就眠。徒歩Σ2528歩。運動不足。

我が国の危機管理の問題点2022(3)   国家の危機管理 (2) 社会保障・医療
 少子高齢化、人口減によって国民生活のあらゆる分野が影響を受ける。影響を受けない分野など探すのが困難である。にもかかわらず、国は最近まで静観してきた。

■社会保障、医療
 医療・介護を含む社会保障は原資としての資金、それを担う人材が必要な部分である。したがって、少子高齢化、人口減によってモロに影響を受ける。
 年金制度は支給額の抑制を図るために暮らしに影響する物価だけでなく、現役の賃金変動も考慮して毎年度改定される。今年も昨年に続き減額となる。指標となる18~20年度の賃金変動率がマイナス0.4%だった。国民年金が256円減額となる。
 
 ●年金
 年金は、かつては100年安定などと言われてきたが、それは理解できない考え方であった。現に、避けられない人口減少、少子高齢化の中で経済や財政と整合性のとれるよう給付額を抑制する「マクロ経済スライド」導入などが行われている。格差・貧困が拡大し社会の分断が進むなか、社会保障に求められる機能・役割はむしろ拡大している。社会保障の再構築が必要だ。だが、これが日本経済の低迷による資金難のため難しい。さて、将来的に何とするのか。国には複案があるのか??それすらわからない。

 ●医療・介護など
 日本の医療は国民皆保険のもと世界一という評価であったが、COVID-19禍を通じてその脆さが露呈した。
 日本の医療体制は医療危機に対してどうしてこうも脆弱だったのか。COVID-19ウイルスの流行が日本で始まってから2年余になる。自粛的な活動を続け、感染防止に協力してきた多くの国民が医療の現場の厳しい状況で緊急事態宣言が延長されたりする状況に疑問に思っていたのではないだろうか。

 欧米がCOVID-19患者に何とか対応しているのに、人口当たり病床数が先進国最多とされる日本の医療はすぐ病床が逼迫してしまう。実際には病床があっても医師・看護師等のスタッフが足りないから有効に利用できない。保健所も減らされている。日本の医療の将来的な危機管理、ビジョンはどこの部署が、誰が、どの様に考えているのか、医療関係者の私にとってもよくわからない。

 日本の病院や診療所の8割は民間経営で賄われてきた。国は国民の健康に責任を負ってこなかった。民間に丸投げ状態で互いに競争させながら安上がりに運営してきた。
 民間の医療機関の経済基盤は極めてひ弱である。またスタッフは人数も余裕がなく、給与も身分保証も弱い。だから、平時の医療は何とか対応できているが、感染症などへの緊急対応は困難である。対応したくともできないのが現状である。

 私は、公的医療機関として国や県の補助を受けている医療機関は医療上の緊急事態にはより積極的に応じるべき、と考える。また私的医療機関には緊急対応による損失補填を考えるべきである。それによって医療の裾野は人がっていく。

 国民の健康を守る危機管理として、薬やワクチンの確保でも我が国の対応力は極めて脆弱であることがわかった。なぜ、我が国のワクチンがないのか、治療薬の開発も遅れをとっているのか。国がこの面の研究に目を向けないから、である。国は見る目がなかった。企業としての製薬会社は、単独では先の見えない分野には大きな投資はできないのが現状である。

3/20(日) 小雨 外仕事若干 
2:00起床。何となくファイトにかける。3:00頃から日常の作業に。文献・録音データその他の整理で過ごす。午前はデータ中心座学、NHKのど自慢楽しむ。新聞チェック、本読みなど。ダリアガレージに並べる。コンポスト1個解放、移動準備。19:00記念日夕食、20:30就眠。Σ3779歩、ガレージ周辺ウロウロだけまでの往復だけ、運動不足。

我が国の危機管理の問題点2022(2)   国家の危機管理 (1)
 新型コロナ感染はまだまだ長期化すると予想される。ロシアのウクライナ侵攻は早く終わってほしいが、落とし所が見えず、意地を張るプーチンが相手ではそう上手く行くかわからない。
 COVID-19もロシア侵攻も我が国の脆い状態を明らかにした。
 私は悲観論者であるが、日本の危機管理を見れば以下の項目に相当に危惧を感じ取っている。
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■人口問題
 私は第一に上げたい項目である。50年も前から予測されていたことだが、目先のことしかわからず、先を読めない政治家はずっと無視し続けてきた。人口減の影響を受けない国民生活など全くない。各所に歪みが明らかになった今になって子育て支援などと慌てている。子育て支援では出生数は増えない。もう不可逆的状態に入った。これほど重大なことなのにもかかわらず、歴代の政治家は責任を感じているようには見えない。日本はもう古き良き時代には戻れない。悪戯に夢を求めるより、人口減による新常態の設定と確立を進めるべきである。 

■食料危機
 国際的に食料は逼迫しているのに我が国は食料自給率が37%と、食品は輸入に頼り続けている。米以外は軒並みに輸入品で賄われている。世界的に見て食品生産量は温暖化、砂漠化とかで頭打ち状態にあり、発展途上国の生活向上に伴い食品需要量は増加しつつある。現在、食品は戦略物質化している。今までは豊かな資金力を背景に食品を獲得できてきたが、今後は厳しくなるだろう。食料受給率の向上が必須と考えるが、国の方針がわからない。

 日本は国土こそ狭いが降水量も多く、世界に名だたる肥沃な土地を持つ。四季がはっきりしていて多くの農産物に対応できる。こんな特徴を無駄にする手はない。だが、少子高齢化によって休耕田が目立ち、農作放棄地も増えている。

 日本は国土こそ狭いが世界で6番目の海洋国である。しかし近年漁獲量は減少している。漁獲量は1980年頃は1300万トン、2017年は430万トン。にもかかわらず食卓に魚介類が並ぶのは、国内で消費されている約半分を輸入に頼っているから。食用魚介類の自給率は2017年は55%。日本の水産物の輸入金額は約1.8兆円で、アメリカの約2兆円に次いで世界第2位(2018年)。世界の水産物の漁獲量は過去50年で2倍以上に増加、資源は枯渇状態にあるとされる。その結果、養殖による生産量が一気に増えたが、高級魚1Kgを得るのにその5-7倍の餌が必要と問題も多い 。

■経済 
 我が国の経済は税収が予算の半分程度で毎年赤字国債発行によって賄われている。国際は借金である。国債の発行残高は約1000兆円、地方政府の地方債は約200兆円。2020年度もCOVID-19対策により約100兆円の借入を増やすなど、年々増加している。    
 地方経済低迷・活力低下によって国の税収が激減しているから止むを得ない点はあるが、危険な状態だ、と思う。政治家は経済感覚に乏しいと思う。

 国際経済もユーロ圏、イタリア、ギリシャ、イランも危ない。新興国の経済破綻、没落、インフレ加速など危険因子は目の前にある。日本の国債は大部分が国内で有しているという特徴があり、外国資本の関与は少ないが、それでも脆い状態である事に変わりはない。

■エネルギー問題
 我が国はエネルギー資源が乏しい。2018年の日本の自給率は11.8%(2010年20.3%)で、ほかのOECD諸国と比べると低水準。エネルギーとして使われる石油・石炭・LNGなどの化石燃料は輸入に頼り、依存度は85.5%。LNG輸入はロシアからは全体の8%と少ないが、ロシアのウクライナ侵攻でエネルギーの流通は世界的に影響を受け、大きく変わっていく可能性がある。
 エネルギーは今や戦略物質となった。
 再生可能エネルギーは徐々に伸びつつあり、その傾向は将来的に変わらないが、インフラのほとんどが輸入品。国の危機感が乏しかったためにこの方面での産業は育たなかった。殆ど中国産で賄われている。
 地球温暖化のために再生可能エネルギーの比率が伸びていくが、その発電コストは化石燃料より遥かに高いことから、市民生活に大きな影響を持つ様になるだろう。

3/19(土)曇り晴 
1:30起床、新聞・文献・徒然ほか。録音データ整理。午前は町内会の廃棄所の掃除、ボタンなど鉢をガレージから運び出した。蕾が立派。午後は新聞チェック、雪中保存したネギを採取、今晩の料理に供する。外の水道使用開始。微睡のち19:00夕食、記念日関連の寿司、20:30就眠。徒歩Σ8301歩。我ら夫婦の49回目の記念日。

我が国の危機管理の問題点2022(2)   国家の危機管理 = 国民を守る意思と能力
 原発事故の危機を通じて決定的に欠けていたのが、全体を見渡し、全体を把無し、金体を動かす指導力と体制だった。
 もう一つ、いざというときに命をかけて任務につく有事対応部隊を日本は持っていなかった。原子力規制官庁や政府にはその発想さえもなかった。

 そうした危機管理や処理能力の弱さが、米国との協調をも揺るがした。事故発生から3日後の夜、枝野官房長官とジョン・ルース駐日米大使との間で原発事故の専門家である米NRCの職員を官邸に常駐させるか否かをめぐって激しい衝突が起こった。日本側は大した危機管理能力もないのにこの申し出を断った。この時、在日米軍の安全性を軽視したことになり、原発事故は日米同盟危機をも包含していた。


 原発事故のように致死性のリスクが高い危機が多発する恐れが強まっている。北朝鮮のミサイル問題も同様である。

 施設や設備の巨大化、能力の先鋭化に伴って応用される技術も巨大化する。
 リスクを相殺すべくデザインや組織を複雑にするとそれが新たなリスクを生む。組織を分散させるとリスクの相互連鎖をもたらす。グローバル化がそれを世界同時的に拡大、拡散させる。

 3.11の後、日本の危機管理に対する提言が数多く見られたが、その多くはデザインと制度、手続きの手直しに終始し、プロの背成やリーダーシップの質の向上は脇にやられがちである。私は3.11の後、原発関連のニュースを追っかけているが、危機管理の実態が大きく進展したようには思えない。


 原発事故は致死的重大事故においてもっともなのは、人間的要素、とりわけリーダーシップのであることを教えてくれた。リーダーシップは危機克服に必要な最大の公共財と見なさなければならない。

 国家危機管理が不十分ということは国民を守る意思と能力が不十分であるということにほかならない。

 危機管理を外交・安保と並ぶ、上位の政策概念として位置づけるべきである。

 今回のロシアのウクライナ侵攻は、我が国が後回しにしてきた未解決なリスクにも影響を与えている。これを機会に国民を守るために危機管理機能を高める必要がある。

3/18(金)49年周年 曇り 大曲中通病院外来 飯川病院ボランティア 
1:00起床。文献・新聞読み、データ整理などいつもの如く。6:00ゴミ出し。7:35Taxi。8:12こまちは地震の影響で運休、ほぼ同時刻に出る在来線で大曲に。9:30外来、同じく在来線で帰秋、15:45飯川病院ボランティア、微睡など、新聞入力。19:30帰宅、夕食。21:00就寝。徒歩Σ7608歩。昨夕、一昨日と同時刻23:25に岩手県沖で地震。田野畑、野田村など震度5強、なんつうこっちゃ。

我が国の危機管理の問題点2022(1)   人材は重要な公共財なのだ
 我が国の危機管理は問題があるのではないか? 私はずっとそう思ってきた。
 残念なことに、国際的に日本は危機管理能力が弱い国とみなされている。震災後のダボス会議の「国別危機復元力評価報告書」では、ドイツ、スイス、イギリスが最上位に位置し、日本は下位に甘んじている。

 日本が振るわないのはリーダーシップが低く評価されているためである。
 確かに危機管理には政治的判断が必要であることから、その中心は官邸なのかもしれないが、政治家だけではダメ。豊かな専門知識を持つ人材が一定の権限を持って長期にわたって寄り添う必要がある。
 危機管理と言っても大規模な事故などだけではない。人口問題、食糧問題、エネルギーなど多岐にわたる。

 東京電力福島第一原発の事故は、国家としていかに備えがなかったかを全世界に知らせてしまった。

 地震、津波、原発事故の複合災害となったことが危機対応を難しくしたことは確かである。
 そんな厳しい中で、政府も自治体も企業も住民も、現場では多くの人々が危機に取り組んだ。その役を主として担ったのは東電福島第一の当直長、当直、運転員らで作られたチームであり、駆けつけた自衛隊だった。彼らが事故との戦いにおける「最後の砦」だった。
 彼らの働きによって東京圏を含む半径500Kmの汚染が回避された。このことはどれだけ大きく評価しても仕切れないほどの価値がある。

 国家としての危機管理はもたついた。東京電力と政府、各省庁間、そして中央政府と地方政府の対応はバラバラだった。

 危機管理の初動で大切なことは、危機の性格、深さ、影響の大きさを科学的に見極めることである。

 この点で、米政府の反応は鋭敏だった。3号機建屋の水素爆発後、日本政府がもたついている間に、米政府は「このままでは日本は核汚染荒廃地になる」との危機感を一気に強め、複数のチャンネルを通じて、次のようなメッセージを日本政府に伝えた。

■日本政府のどこが指揮を執っているのか分からない
■政府一丸となって取り組むことが必要だ
■東電が原発事故の対処ができないのであれば日本政府がやるべきだ
■自衛隊が命をかけるしかない

 これらのメッセージは、日本の危機管理の弱点を説く突いていた。
 経済産業省、原子力安全・保安務局が果たすことになっていた中央と現地の両方の対策が機能しなかったからである。

 現場で事業者とともに対応にあたるべき保安検査官が早々に避難してしまったため、政府は肝心な情報を得ることができなかった。検査官の避難は保安院が承認しており、彼らだけの責任を問うべきではないが、危機時の規制官庁のあり方を鋭くつくこととなった。

 保安院、文科学者、原子力安全委員会は時に面倒なことを他に押し付けあう争いを繰り広げた。
 プールへの放水も、警察、自衛隊、消防の間で押し付けあった。彼らには原発事故に対する対応法など全くわからなかったから止むを得ないところもある。

3/17(木)曇りのち快晴 午後飯川病院 健康クリニックドック判定
 午後11時34分頃、地震の揺れと騒音で起床、ラジオで確認、宮城県や福島県で震度6強。同36分頃にも両県で震度6強が観測。震源は福島県沖、深さは約60キロ。予想される津波は最大1m。広範に停電しているという。 東北新幹線で脱線あり。この程度で済んだのは素晴らしい。明日は大曲どうなるか??新聞文献、読書。夜が開けるとともに被害状況明らかに。死者は3名。10:30受診の石井さんに同乗飯川病院、ボランティア。健康クリニックドック判定、14:00-19:00勤務、入院患者対応。19:15帰宅夕食、20:30就眠。徒歩Σ7350歩。

東日本大震災・原発事故2022(7) 11年 原発事故(5) 現状の諸問題(4)
 私は、帰還に夢を持たせ少数の方の帰還に期待するよりも、この10年間の生活を支えた避難先での生活再建が充実するよう避難されている方々に支援する方が理にかなっていると思う。
 帰還できない方々には一層苦渋を強いることにもなりうるが、たとえ帰還したとしても人口は大幅に減少し、コミュニティは戻らず、社会福祉などのインフラ再構築はできないだろう。

 原発被災地域に関しては10年も経ってこんな状態だから、従来の「帰還待ちの方針」でなく、発想の転換が必要な時期に至ったと考える。

 通用しない意見だろうと思うが、私は以下のように考える。
―――――――――――――――――――――――――――――――――
 ■ 現在帰還困難区域と言われる原発被災地域を全て国が買い上げ国有地化する。
 ■ 未帰還者には現在の避難地区あるいは新たな場所で生活できるよう一層援助する。

 ■ 国有地化した地域に原発汚染物質、放射線廃棄物、廃炉で生じた核のゴミなどを集約し処理する。福島以外に汚染を拡散するのは考えもの。

 ■ 日本全体が少子高齢化する中、地域の事情はもっと厳しい。将来的に街が成り立つか、コミュニティが形成されるか、私は先行きは厳しいと思う。
―――――――――――――――――――――――――――――――――


 福島県の集計では3万人超が避難を続ける。戻りたいと願う人。帰還をあきらめ、新たな地で暮らす人。共通するのは故郷への思いだろう。


 私も故郷に対する思い入れは強い方だと思う。そんな私がこんな意見を出すことは辛い。

 長く続く廃炉、大震災の余震とされる地震への備えなど課題は多い。
 政府の避難指示が出された福島県内11市町村の北西端にある飯舘村。4年前に大部分で指示は解除されたが、いま村で暮らすのは、事故前の6500人の4分の1に満たない。しかも、多くは長く村に住んできたお年寄り。若い方々はとっくに故郷を見限って他の地区で生計を営む。


 計画された除染は3年前に完了し、生活の場の放射線量は落ち着いているのに。

 ■新たな産業
 政府は、ロボットや水素エネルギーなどで新たな産業を興すことを狙う「福島イノベーション・コースト構想」で明るい未来を披露する。
 地域の再生に目標は大切だが、現状とかけ離れた夢をふりまいても、そこに至る道筋は描けない。今の福島に目を凝らし、地に足の着いた将来像を語ることが、復興への第一歩のはずだ。福島県の産業は県全体では、電子部品や医療機器に牽引されて製造業の出荷額が原発事故前を上回った。

 しかしながら、農林漁業の一次産業は苦境が続く。風評が原因だが、さらに汚染水処理の問題が加わる。

 ■汚染土壌や廃棄物
 福島第一原発がある双葉、大熊両町で中間貯蔵中の汚染土壌や廃棄物をどこで最終処理するのか。
 そもそも通常の廃炉とは方法も困難さも全く違うメルトダウンを起こした原発の廃炉が復興の大前提のはずだが、それがどんな状態を指し、いくらかかるのかもあいまいなままだ。政府は賠償と合わせ22兆円と見積もるが、35兆〜80兆円と試算する研究機関もある。

 これらの汚染土は法律で、30年後に県外へ運び出すことなっている。これを決めるにあたって県外候補地の意見などは聞いていない。だから、この方針を知っている国民は少ない。
私はそんな根拠不明で作った約束が果たされることはあり得ない、と思う。

 受け入れのことを何ら調査や議論することなく取りめた国の方針は超無責任である。かつて「原子力船むつ」の母港を巡ってトラブルが生じたことをもう誰もわかっていないのではないか。

3/16(水)曇り晴れ 午後飯川病院勤務 夜間地震M7.3
2:00飯川病院起床、そのまま病院でボランティア。文献整理関連ほか。午前は座学。新聞チェック、自炊、読書。入院患者対応。午後飯川病院勤務、微睡、データ整理、文献読み、読書など。19:30帰宅、夕食、21:00就眠。Σ4727歩。午後11時34分頃、宮城県や福島県で震度6強。同36分頃にも両県で震度6強が観測。震源福島県沖、深さは約60キロ。予想される津波は最大1m。 
東日本大震災・原発事故2022(6) 11年 原発事故(4) 現状の諸問題(3)
 ■住民帰還計画の問題点(1)
 福島県内には避難指示が続く帰還困難区域が340平方キロある。
 一部地域でも帰還できるよう除染やインフラ整備を優先してきた特定復興再生拠点で今春、避難指示の解除が始まる。特定拠点の面積は帰還困難区域の8%に過ぎない。
 福島第一原発があり、県内で唯一、全町避難が続く双葉町も、早ければ6月にも初めて住民の帰還が実現する。

 特定復興再生拠点にある町内に先月までに、帰還に向けた準備宿泊を希望したのは約20世帯。他に帰還準備をする家は見当たらなかった。残る区域も、政府は、希望する住民が2020年代に帰還できるよう除染を進め、将来は帰還困難区域の全てで避難指示を解除すると繰り返す。しかし、具体的な進め方は示されておらず、実現が見通せない状況に変わりはない。

 少数の住民が帰還したとしても生活できない。しかも、年々過疎化する。生活上に必要なインフラ、病院、商業施設などの整備はどうするのか。
 住民にも、自治体にもそ整備する力はない。国が面倒見るの??

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 私は住民帰還について考え直すべきだ、と思う。

 原発事故に伴う避難対象地域は事故直後に比べ、面積では1/3に減つた。
 放射線量が高く、人が住めない帰還困難区域、立ち入りが禁止区域が双葉町、大熊町など7市町村に残つている。これらの地域では早期の帰還を目指して除染が進められているが、野山や湿地帯などの除染は極めて困難で、費用も莫大にかかる。
 除染を進めたとしても汚染された里山が近くに残る地域に住民がどの程度戻るだろうか?? 多分期待出来ないだろう。

 帰還希望者が戻れるように、行政や商店街などをコンパクトに集約しながら生活基盤の再建を急ぐべき、との意見もある。
 私の感想を無責任に言えば、こんなアイデアで再建しても生活基盤の再建、産業の再建は無理だと思う。

 被災後10年以上になる現在、住民の帰還希望者は年々減少している。10年も待たせた帰還計画自体に問題があった。
 被災当初、全体像がわからないうちに住民に過剰に配慮した方針を作ったからである。避難までさせた責任が国策にあるのだから止むを得なかった部分はあったが・・・・。

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 ■ 福島第一原発がある双葉町は今も全町避難が続く。調査に対して6割超の世帯が「戻らない」と答えた。

 ■ 2年前の春から住民の帰還が始まった大熊町。1万人以上が住民登録をしているが、実際の居住者は約730人で、東電関係者以外は100人ほどだと町はみる。大熊でも「戻らない」と考える世帯が6割にのぼる。

 ■ 原発に近い富岡町、浪江町では住民の帰還率は1割に届かない
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 双葉町には政府が管理して汚染土を保管する中間貯蔵施設が広がる。双葉・大熊両町の林や田畑が汚染土の受け入れをしてきた。
 双葉町、他の町や村に汚染土などを詰め込んだ保管袋が積み上がる。
これの行き先も決まっていない。
 こんな環境の中、帰還希望者が増えるとは思えない。

3/15(火)雨風 中通病院外来 飯川病院ボランティア +当直
1:00起床、いつもの如し。5:50可燃ゴミ提出、6:40バス飯川病院に、まだ寒い。8:45-13:00中通総合病院外来。13:15飯川病院ボランティア。17:00当直業務。18:00検食、21:00就眠。7388歩。

東日本大震災・原発事故2022(5) 11年 原発事故(3) 現状の諸問題(2) ■廃炉作業
 廃炉作業について政府と東電は、2041-51年完了を目標とする。だが溶融核燃料の取り出しなど難しい課題が山積。この目標は科学的、論理的でないし、廃炉後の原発の姿も明示されていない。
 一方、日本原子力学会は異なる見解を示す。全施設を撤去し、汚染土壌搬出などにより全敷地が再利用できるようになるまで、最短でも100年以上という。立地自治体も「廃炉とは原状復帰」と捉え、更地にするよう求めている。「原状復帰」でなく「旧状復帰」でないのか?? なぜ、これほど年数に開きがある?? 廃炉の方法等のすり合わせが行われていないからだ、と思う。政府と東電が福島の復興を真剣に考えているというのであれば、真摯に向き合い、地元をはじめ、国民が納得できるように説明すべき。

 1月末、原子炉から溶け落ちた燃料デブリを取り出すロボットアームが英国から福島に到着し、2号機で使用試験が始まった。1-3号機には880トンの燃料デブリがあるとみられるが、分布状況も形状もまだつかめていない。

 原発の廃炉は遅々ではあるが進んでいる。
 一方、廃炉作業で出てくる放射性廃棄物や溶け落ちた核燃料の処分方法の検討も、保管場所の検討も進んでいない。
 福島第一原発の廃炉作業は今の技術だけではできない。新しい設備や道具も開発しなければならない。こんな状態だから、いつ終わるか全く見えない。
 廃炉完了の時期は全く不明と言っていい。

 ■他の原発再稼働
 原発再稼働手続きが全国で進められている。これまで10基が再稼働済み。
 震災後に導入された新規制基準は運転期間を「原則40年」とし、延長は例外的処置とした。それを形骸化させるような再稼働も予定されている。
? 原発の稼働に際して前提となるのは政府と電力会社、自治体が巨大地震や津波による過酷事故のリスクを改めて認識すること。その上で住民避難計画の策定を含め、万全の対策を講じることが不可欠。
 ロシアのウクライナ侵攻によってエネルギー不足が予想され、再稼働を求める意見もあるが、安易であってはならない。他の対策はないのか?十分に検討してほしい。

 ■福島の復興の歩みは遅々
 福島の復興は岩手、宮城に比しても特に遅い。特に産業面では遅い。
 沿岸漁業の昨年の水揚げ量は震災前の2割にとどまる。放射線による風評被害があるため。さらに来春以降、「処理水」の海洋放出が加わる。
 政府や東京電力は、放出で風評被害が生じたら、適切に賠償すると説明するが内容的には何ら明らかになっていない。漁業関係者は政府の賠償方針に不信を募らせる。


3/14(月)曇り 健康クリニックドック 飯川病院 
1:00起床、いつもと同じパターン。寒い、データ整理、6:40バス飯川病院に。9:00-12:00健康クリニックドック12名+レ線チェック結果判定13名。申告作成会場に書面提出、飯川病院へ、微睡、14:00-19:00勤務、外来患者対応。19:30帰宅、夕食、 21:00就眠。Σ7280歩。

東日本大震災・原発事故2022(4) 11年 原発事故(2) 現状の諸問題(1) 
東日本大震災で、東京電力福島第1原発が過酷事故を起こして11年。福島県内外ではいまだ3万人超が避難生活を強いられている。原発事故がいかに甚大な被害をもたらすか。その現実を直視しなければならない。
 しかしながら福島に対する国民の意識、政府の意識には問題が山積みである。全て先延ばしの論理で処理されて来たからである。先延ばしは日本政府の常套手段である。問題が顕著になってから慌てて決定する。その最たるものは人口減問題、50年も放置し、不可逆的状態になった今各所で大騒ぎしている。
 先を読めない政治家集団、こんな事でいいのだろうか。

 原発に関して、代表的項目について私が学んだこと、感じていること、考えていることを記しておきたい。

 ■原発の安全性の意識
 事故は人々に大きな衝撃を与え、安全性に疑問を抱かせた。世論調査でも「脱原発」を求める声は7割近くに達した。 原発にはこうした根強い不信感があるが、政府や東電の対策はそれを払拭するものとは言い難い。

 ロシアのウクライナ侵攻に伴う原油高騰への対策としては最近、緊急的に再稼働を求める声が自民党内で浮上している。しかし多くの人が依然、苦渋を伴う避難生活を強いられている現実を見れば、再稼働を急ぐのは疑問である。
 ロシアのウクライナ侵攻で原発が攻撃対象となった。誰しもが「考え難い!!!!」、と評論するが、戦術上そこに原発があれば攻撃対象になることは十分考えられる。そこまで理性のある為政者だけでは無いのだ。プーチンはその一人の例。だから、国の安全のためには原発の存在から考えなおさなければならない。

 ■処理水 敷地内では放射性物質を含む汚染水が大量発生し専用設備で処理水としてタンクに保管している。満杯になる来年春ごろを目標に東電は海に放出する計画だ。
 そんなことは少なくとも7-8年前からわかっていたこと。その処理方法の決定を昨年までろくに検討もせずに延ばし延ばしにして、これ以上は待てないと菅首相前総理が急遽決断した。 地元漁業者は一貫して反対を表明してきたが地元の理解をえる機会も作ってこなかったのが実情だ。世論調査では放出への賛否が拮抗し、「分からない」は3割を超えた。
 これらの世論調査結果を見れば、来春の放出目標が民意に沿っているかは疑わしい。専門家が提案する陸上保管へ方針転換し、国民の合意形成にもっと力を注ぐべきではないのか。
 政府は、科学的には安全であることを地元に丁寧に説明して判断した、と強調する。地元ではそのように理解していない。しかも、福島だけでなく、宮城、茨城各県の漁連も反対を表明した。
 政府や東京電力は、放出で風評被害が生じたら、適切に賠償すると説明する。しかし先日、原発事故で避難した住民らが起こした訴訟で、政府の中間指針による賠償では不十分とする判決が最高裁で確定し、被災者は政府の賠償方針に不信を募らせる。

 処理水の放出は30年ほどかかるとみられる。その間、環境や取れた水産物に悪影響が出ていないか監視する体制を、政府や東電は築く必要がある。しかし、今のところその方法が確立してとは言えない。積極的に情報も公開して地元の理解を得なければ、事態は進まない。


3/13(日)降雨終日寒い 昨年泉外旭川駅開業 
1:30起床、申告最終チェック、蓄積データの整理と確認、本読み、文献読み。午前座学。
ダリアの球根を箱から出し日に当てた。カビの匂いがする。一見いい状態に保存されている。微睡、読書、蓄積データの整理とバックアップ。12:00ニュース、のど自慢楽しむ。午後は書斎の整理と掃除。音楽関係の録画確認、数編楽しむ。本読み。19:00夕食。21:00就寝、Σ5988歩。

東日本大震災・原発事故2022(3) 11年 原発事故(1)
 
2011年3月11日、14:46の地震発生から50分後、第一原発は津波によって全電源を喪失した。 12日の15:36、1号機で水素爆発が生じ、それまでの我が国の「原発の安全神話」が完全に崩れた瞬間であった。
 だが、肝心の国は知識不足からその情報を発信できなかった。
 原子炉の冷却ができなくなると何が起こるのかすら知らされていない自治体、住民は何も知らされないまま、住民の避難は半径3Km、10Km、20Kmと避難区域はどんどん広がった。
 原発事故が生じた際に部内、部外者、住民や自治体に何が生じうるか、何も示されていなかったのは驚きである。
 日本の原発政策は「原発の安全神話」のもとに作られてきたから、事故の際の対応などまとまっておらず、司令塔になるべき部署もなく、専門家もいなかった。

 一時は原発放棄案まで出たが、そうなれば半径500Km、すなわち東京を含む関東東北の領域が汚染され、避難区域になる事にもなりえた。そんな事態は現実には考え難いが、日本としての機能維持は困難になったであろう。
 その厳しい状態はぎりぎり回避されたが、そこまで追い込まれていた実情を日本人なら知っておくべきである。
 原発事故直後、脱原発の機運、節電の機運が一気に高まったが、10年以上経過した今、ともにその機運はしぼんでいる。東京電力の関連ニュースを集めていると今でも綱渡り状態であることがわかる。
 人は物事を都合よく考え、不都合なことは忘れ去る傾向がある。

 原発はどんなに安全を求めても事故を防ぐことができない。
 例えば、考えたくないことであるが、某国の通常ミサイルが日本の原発を数箇所攻撃すれば、我が国は放射能汚染のためにほとんど居住できなくなる。原発のエネルギーはそれほど大きいものである。原水爆を直接用いずともそれと同じ状態をきたしうる。私は昨年そのように記述した。東日本大震災・原発事故10年(3) 原発事故(1)
 いかに安全を高めても人間の英知を超えているような予想外の事象が生じうる。それが現在ウクライナで生じている。ロシアはウクライナ国内の数け所の原発を攻撃し、一部では冷却用の電源が喪失し隣国から供給を受ける事態にまでなった。

 ■住民の帰還
 特に深刻な状態なのは、東京電力福島第1原発に近い福島県沿岸部の7市町村にまたがる計約337平方キロの区域でいまだに避難指示が続く。 今春、一部で指示が解除される予定で、唯一全町避難が続く双葉町でも1月下旬、帰還に向け準備宿泊が始まった。だが宿泊したのは1カ月で延べ20人にとどまる。避難先での生活が長くなる中、住民の帰還は期待でき難い。
 もともと過疎化が問題になっていた。この地に新たな職場を作り、医療・福祉・教育などの充実、住居、商業施設の確保、コミュニティー再建など・・・・、復興はほぼ実現困難と思われる。

 ■水産物の風評被害
 政府は昨年4月、第1原発で発生する汚染水を処理した水を薄めて海洋放出すると発表。来年春ごろの開始を目指すが、地元漁業者の反発が根強い。再検討を求めたい。

 ■廃炉
 国と東電は事故の30-40年後に第1原発の廃炉を終えるとする。だが、溶融核燃料(デブリ)の全量取り出しや建屋解体が可能かどうかは今のところ不透明。 ■復興庁
 復興庁は2031年3月が設置期限。復興庁は複数の省庁にまたがっていた政府の窓口を一元化した。これまでの復興事業の反省を生かし、庁の機能を再検討し、組織拡充を進めるべきだ。

 福島はまだ復興を果たしてる、とは言えない。 


3/12(土) 快晴温暖 急遽飯川病院午前外来 申告終了  
1:10起床、文献検討、徒然など、9:00急遽飯川病院午前外来担当、本日の外来医師COVID-19濃厚接触者で出勤できず。バスでは間に合わずTaxi出勤。午後は二人分の申告作業、夕方終了、19:00Taxi帰宅、夕食。20:30就寝。Σ5296歩。

東日本大震災・原発事故2022(2) 11年 またこの日がやってきた(2)

(3)私にとっての東日本大震災 収入の20%を寄付
 岩手、宮城、福島の東日本大震災の災害状況は凄まじかった。さらに福島では原発事故による被害がこれに輪をかけた。
 ■本年2月、3月時点での3県合計の人的被害状況
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       死者  行方不明者   震災関連死   県外避難者
―――――――――――――――――――――――――――――
岩手県    4675    1110     470       741
宮城県    9544    1213     929     3396
福島県    1614   196     2332     26692
―――――――――――――――――――――――――――――
合計     15833    2519    3731     30829
―――――――――――――――――――――――――――――
 我が家は400リットルの灯油のタンク置き場のコンクリ−ト床面に大きく亀裂が入りタンクが若干傾いたことくらいの被害しかなかった。

 震災直後から全国から、多くの国々から支援が行われた。
 私は岩手県出身で、大学4年次に学費が不足する可能性があったために岩手県医療局から奨学金の支給を受け卒業できた。その縁もあって医師としての最初の2年間三陸にある県立宮古病院で勤務した。その間三陸にある名所等を訪れ見事な風光明媚な自然を味わったが、その地はいずれも甚大な被害を被った。そんなこともあって私も心に大きな傷を受けた。

 そのような私が被災地に対して何ができるかを考えていたが、体力を考えれば現地へ出かけてのバランティアなどできない。今まで通り勤務医として働き寄付をすることがベストと考えた。身分が嘱託医に変わったために報酬は半減したが、そのうちの20%を岩手県の復興資金として送ることとした。
 この10年間、毎月岩手県復興局に送り続けている。

  本年2月の第31回岩手県東日本大震災津波復興委員会の報告によると、令和3年度の復興推進プランの進捗状況について示され、全213の計画指標のうち、進捗率が80%以上が94.4%にあたる201指標で、おおむね計画は順調に進んでいることが報告された。しかし、地域経済の回復度は50.9%となっていた。
■人的被害  死者:5,145人(余震、震災関連死を含む) 行方不明者:1,110人
■建物被害(住家のみ、全半壊) 26,079棟
■義援金受付状況 188億1,206万円(98,481件)
■寄附金受付状況 203億2,731万円(14,143件)
■いわての学び希望基金受付状況 104億4,824万円(26,355件)

 上記の如く、この10年の間に数値上では復興はかなり順調のように思える。微々たるレベルであろうが、私もその一翼を担ってきた事に喜びを感じている。
 
 嘱託医報酬と年金の約20%を寄付し続けるのは決して楽なことではない。苦痛と思うことも、そろそろ止めようか、と思うこともないわけではないが、今後も続けていく積もりである。
 私にとって東日本大震災は風化することが無い、重大な災害のままである。


3/11(金)曇り 東日本大震災11年目 大曲外来 飯川病院ボランティア 
1:45起床、文献・新聞読み、データ整理など。5:30可燃ゴミ提出、7:35Taxi駅に、8:11こまち、8:45大曲中通病院外来、Taxiで移動。秋田市内は徒歩。15:30-19:00飯川病院ボランティア。新聞点検など、19:15帰宅、夕食、20:30就寝。Σ7344歩。アンダーウエア一枚脱ぐ、防寒靴からウオーキングシューズに。

東日本大震災・原発事故2022(1) 11年 またこの日がやってきた(1)
 東日本大震災・原発事故から11年が経った。
 人は歳とともに時間の経過が早く感じるようになる。もうあれから11年!!! 感無量なものがある。

 (1)「カレンダージャーナリズム」
 メディアの特集がここ数日一気に増えた。報道記者たちはその日に向けて関連特集を含め、報道の準備に忙しかったであろう。
 「毎年その時期だけは熱心に報道するが、後は忘れてしまう」という皮肉の意味もある。しかし、私は必ずしもこの種の報道を否定しない。マスコミの果たす意義は大きい。

 ■ 毎年節目の時期には思い出すべきものがある、ということ。この動きが記憶の喪失、風化を防いでいく。自分が成長、あるいは老化して行く毎に捉え方も異なるから大きな意味がある。

 ■ 同じテーマの記述が集中するから、その折々の評価、経時的変化などが経時的にまとめられる。資料として活用できる。新聞が毎日発行され、その誌面が広いといえども限界があるし、読者が興味を向けてくれるかわからないから、関連のない時期に取り上げることは非効率的である。

 ■ メディアの役割は速報だけではない。次世代に知恵と経験を伝え得ていくことも重要。被災者が置かれている状況を個人個人のドラマに終わらせず、大きな目で評価し問題提起していく機能ももとめられる。 今年、3月11日は東日本大震災の11年の節目にあたる。一月ほど前から東日本大震災、原発事故関連の報道が目に見えて増えてきた。 カレンダージャーナリズムにも十分な意味がある。

 (2)私にとっての東日本大震災
 東日本大震災から11年が経った。
 その日、秋田の地では震度も5程度と比較的軽く、私の周辺でも、病院でも直接的被害はそれほど大きくはなかった。ただ、3日間ほど停電し、病院管理者であった私は帰宅せず院長室の大型テーブルの上で毛布にくるまって夜を過ごした。その後もしばらく物流は滞り自家発電用の重油の入手、薬品の入手な度で安心できない状態が続いた。結果的に大きな損害を受けることなく経過した。
 それにしても電気の供給は現代生活の中で大きな比重を占めることが実感できた。電気がなければ水も出ない。水も出なければ・・・と芋ずる式に生活が難しくなっていく。
 このライフラインの欠損は人口密集地、都市部、大規模施設で大きくなる傾向がある。被害の減免についての準備が必要となる。

 震災から数ヶ月後、東日本大震災の後遺症も小さくなって、私は雇用規則に準じ退職した。
 嘱託医として引き続き業務の一部を担うこととなった。


3/10(木) 晴れ 午前飯川病院で申告 午後勤務 
2:00起床,新聞入力。文献多数検討など。本読み、など、寒い。午前は深刻準備に、資料足りなくて7割方で終了、微睡など。4:00-19:00飯川病院勤務。昨年、東日本大震災政府主催慰霊祭の様子を聞く。今年が最後だと言う。菅首相の言葉が虚しく響く。言葉にすることで失われるものがある。19:00帰宅、20;30就寝。Σ3280歩。

恩師お二人がご逝去 秋田大学第3内科初代教授柴田昭氏、2代目教授三浦亮氏
 東日本大震災・原発事故から明日で11年が経った。明日からは一定の期間、鎮魂の気持ちにならざるを得ない。

 その前に、最近、私が師とお慕い申し上げていたお二人がお亡くなりになった。両先生のご冥福を心からお祈りし、感謝の気持ちを表したい。
 いずれも85歳以上と私より10歳近く年長であり、人間である以上いずれはこの時を迎えなければならない、と考えているが、お二人とも私にとっとて大切な恩師であり、実際に訃報に触れるのは感慨深いものがある。
 いずれもご高齢で、時はCOVID-19蔓延の最中で、葬儀は家族葬で営まれたとのことであり、私は一人静かに思い出に浸り、感謝の気持ちを新たにした。

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 柴田昭氏は、1975年10月に秋田大学第3内科初代教授に就任され、1977年新潟大学第一内科教授として転任された。氏は血液学、免疫学に造詣が深く、国内外に名を知られた方である。私は再生不良性貧血、慢性骨髄増殖症候群などのテーマについて学ぶ機会を与えられ、新潟大学に転出されてからもシンポジウムの演者として研究成果を発表する機会を与えていただいたなど、本当にお世話になった。
 氏は退官後も時折秋田大学第3内科の同窓会に出席し、会誌に近況などを投稿されていた。常に前向きに生きるその姿には感銘を受けていた。
 氏は昨年9月22日お亡くなりになったとのこと。
 私はしばらく経ってからその訃報を知った。
 秋田大学第3内科の同窓会誌には教授の逝去を悼む関係者の声が掲載されている。

―――――――――――――――――――――――――――――――-
 2代目第三内科教授三浦亮氏は柴田昭氏の後1978年4月教授に就任された。氏も血液学、免疫学に造詣が深かった。私は教授の強い意向に従い不本意ながら博士号を取得した。
 私は白血病の化学療法の限界の打破のために、骨髄移植に向けての、準備、研究、実践についての許可をいただき、一定の目処がついた時点で後輩にその後を委ね、1985年秋田市の中通病院に赴任した。
 教授は1998年2月秋田大学医学部長に就任、2001年2月秋田大学長に就任、2008年3月任期満了し退職された。
 三浦教授も昨年暮れまでお元気で老健施設で働いておられた、という。
 三浦教授も秋田大学第3内科の同窓会に出席し、会誌に近況などを投稿されていた。真摯に生きられるその姿には感銘を受けていた。
 氏は2022年2月27日にご逝去された。
 私は数日経ってからその訃報を知った。葬儀は家族葬で営まれたとのことで、私は一人静かに思い出に浸り、感謝の気持ちを新たにした。
―――――――――――――――――――――――――――――――-
 
 機会があれば、お二人についての思い出と感謝の気持ちをまとめたいと思っている。


3/9(水) 快晴 午後飯川病院勤務+当直 COVID-19ワクチン担当
2:00起床、データ整理、新聞入力、文献多数、データ検討など。10:50バス通り街、徒歩ドンキに、9冊購入 バス飯川病院ボランティア。14:00-19:00勤務。13:30検食、微睡。COVID-19ワクチン担当、17:00当直業務に就く、18:00検食、20:00就寝。Σ9559歩。

こころと身体2022(22) 怒り、恨みの心理(16) 感情コントロール(8) デジタルは怖い(4)
 2004年5月、小学6年生が同級生の頸をカッターナイフで切り死亡させるという、信じがたい事件が生じた。もうあれから20年も経つ。誰もいない教室に呼び出し、後ろ側から斬りつけたらしく、傷の深さは10cmもあったという。計画性と、かなり深い憎しみ感情があったことを推定させる。
書 川名壮志著「佐世保小六同級生殺害事件―謝るならいつでもおいで」 新潮文庫 2018年(1)

 11歳ほどの少女が抱く愛憎とはなんだろうか?私はそんなに根が深いものだとは思っていない。ただし、加害者、被害者共にパソコンを自由に駆使し、ホームページも持っていて、通常からメールを頻繁に交換する仲であったらしいが、このことが深く関連していると思う。

 私は、メールは便利ではあるものの、怪作用の一つとして、憎悪に憎悪を重ねていく、即ち「憎悪育成器」と言っても良いような道具にもなりうると思っている。
 私は、この事件はパソコンゲーム上で不利・不都合になったときに気軽にリセットする感覚とほぼ同じ感覚で、被害者の少女はリセットされた、即ち、消されてしまったのだ、と思う。リセットとは完全消滅させる行為である。だから、そこには手加減なんてあり得ない。100%消滅する結果だけ、即ち、目の前で即死することこそが重要なのだ。だから最大の力をふるったのだろう。陰惨、悲惨な事件であった。

 何でこの様な事件が起こるようになってきたのか。
 合理主義の近代科学文明は人間に備わっているべき感性、情念を奪ってしまった事に起因するだろう。
 本来、子ども達はすべて生まれたときは「この世の王様」として白いキャンバス状態で生まれて来る。子どもは成長過程で、自分に備わった五感全てを用いて周辺からあらゆる情報を吸収し、生きる術を学んでいく。
 その過程で、悲喜こもごも、愛憎、挫折などを体験し、徐々に自分は「王様どころか、実は大勢の中のたった一人の存在」に過ぎない、と言う自覚が育って行く。それには10数年、いや、それ以上かかるものだと思う。時には、一生涯かかる場合もある。この感覚は、しかしながら、人間としての成長と同義でもある。
 そのような、人としての成長の基礎もロクに作られないうちに合理的、ヴァーチャルな、視覚だけの世界に接していくと感性等は育つはずがない。

 「百聞は一見にしかず」的な、聞くよりは見るのが手っ取り早いという合理性でなく、実は「百聞は一見に勝る」という非合理的経験の積み重ねが必要なのだ。
 感性を備えるには時間がかかる。だから、いわゆる、ゆっくり学習「スローラーン」が必要なのだ。
 小学校低学年から英語も教科に入ったし、デジタル教育導入も導入されると報道されていた。
 
 子供達にはボーッとした、考える、感じる時間を与えたいものだ。
 五感の意義を軽視し、合理性に走る今の教育は果たして正しいのだろうか? 私は疑問である。


3/8(火)曇りのち晴れ  中通病院外来 飯川病院ボランティア
1:40起床、文献チェック。5:30可燃ゴミ2袋提出。6:40バス飯川病院、8:40-12:45中通病院外来。若干難渋。13:00飯川病院、昨年本日から火曜日はボランティアに変更、勤務は水曜日に。検食、微睡。新聞入力、自炊。読書。19:30帰宅、夕食。21:30就眠。Σ7278歩。

こころと身体2022(21) 怒り、恨みの心理(15) 感情コントロール(7) デジタルは怖い(3)
 怒り、恨みの心理には現代社会の人間関係の希薄さが関連し、かつ、デジタル機器の発達が関連している、と思う。

 その問題点の一つは文章作成および解読機能である。私は、確証はないのだが、アナログ的機能の処理機構としての脳と、デジタル的処理機能の脳は別機能と思う。この辺のことは不勉強で今資料を集めている段階でなのでなんとも言えないが、アナログ的機能は情動面をも含んでいるのではないか、と思うし、デジタル的処理機能は視覚的判断機能により近いものと思っている。

 私自身の体験として、私はいま書籍、書類、新聞もほぼ全部デジタル化してパソコンやiPadで読んでいるが、デジタル資料を読んでいてもどうしても印象が薄すく感じる。情緒面に訴える内容でもピンと来ない。それでも便利さがその欠陥を凌駕しているものだから、そのことを分かった上で今後も続けていく。

 デジタル機器の怖さは通信の便利さと速さにもあると思っている。
 スマホの普及も相まって新しいSNSが次々と登場している。その利用者を見ると、Twitter(参加者は世界で3.4億人)、Faceブックオフok(25億人)、LINE(2.2億人)、Instagram(10億人)、Youtube(20億人)と驚くばかりである。また、通信機能は年々向上し、通常のデータならほぼ一瞬で世界中のどこでも届く。

 10年以上も前の、私が現役時代のこと。
 患者さん及びその家族から病院へ投書や手紙、メールにていろいろの意見や提言、クレームが寄せられた。私はすべてに目を通し、どんな意見であっても天の声と考え前向きに対処して来た。また、住所や記名のある投書や手紙に対しては可能な範囲で返事を差し上げた。ただ、字があんまりひどいので本文はパソコンで打ち、追伸的に若干の自筆文章を添え、署名した。
 手紙によるものは中高年の方が多い。手紙はクレームも少なくないが、どちらかというと礼状が多い。礼状のなかにもソフトにクレームも含むが、一般的に好意的なものが多い。丁寧に記されているものが多く、見事な筆跡、文体に感心させられ、投稿者の人間的奥ゆかしさも感じられる内容が少なくなかった。

 一方、メールによるものは、圧倒的に若い年代に集中し、内容的には自分や親族などの、時には友人の診察に関するクレームが多く、かつ、徹底的に厳しい内容のものが多い。メールの場合には迅速に返事があって当然と言う立場で書いているから、直ぐに対応しなければ翌日、翌々日には返信を促すメールが来る。その際には更に内容が一層エスカレートし誹謗中傷が含まれていくのが常であった。メール特有の、ここは怨念の自己増殖部分だな、と思われる様な表現が随所にみられ、当時から私はメールの問題点、不快感を感じていた。
 メールの特徴は、私の返信がコピーされ、ひどい場合は一字一句に至るまで批評批判してくることであった。読むたびに気持ちが暗くなっていく。
 メールの特徴のもう一つは返信がとても早く来ることで、手ぐすね引いて待ち構えているのでは、と思うほどで業務に支障を感じることもあった。ボクシングで言えばジャブの応酬のようなものである。

 メールによるクレーマーの文章からは並でない程度の、攻撃性、執着性を感じ取れた。デジタルが変容させたのであろう。

 で、私は緊急性のないものは、数日から1週間ほど返事をしないで暖めておくことにした。意外とこれは有効で、投稿者の方の気持ちが維持できないのか、相手の論調がソフトに変化し、何れやりとりが無くなった。

 デジタルの利便性が裏目に出る例である。


3/7(月)雲晴気温は低い 健康クリニックドック 飯川病院
1:15飯川病院起床、新聞・文献チェック。その他蓄積データ整理。微睡。9:00-11:45健康クリニックドック12名+結果判定14名、12:00飯川病院、微睡、14:00-19:15勤務。入院患者対応。家内分申告開始。読書など。19:45広表経由帰宅・夕食、21:00就寝。Σ5838歩。

こころと身体2022(20) 怒り、恨みの心理(14) 感情コントロール(6) デジタルは怖い(2)
 2017年7月、私は新聞で「保育園落ちた、日本 死ね!!」との見出しで書かれた記事を読んで大きなショックを受けた。私にとっては耐え難い、ヘイトスピーチにも通じる文章が掲載されていたからである。残念な日本語(2) 「保育園落ちた、日本 死ね!!」の行く末は怖い

 この「保育園落ちた、日本 死ね!! 何なんだよ日本。一億総活躍社会じゃねーのかよ。昨日見事に保育園落ちたわ。どうすんだよ、私活躍出来ねーじゃねーか。子供を産んで子育てして・・・・」の文章は、何でこれほど注目されたのか。これは子育て中の母親から発せられたのだろう。
 就業を予定していた母親が子供を保育園に入れられなかったことで生活設定の予定がくるい、困ったのだろう。その時の心情の吐露である。言葉の先鋭化、と捉えたくないが、やはり鋭い。
 これが子育て中の若い母親から発せられたのは驚きである。一時的な怒りの表現ならなんとか許容出来るが、この心情が日常的にあるならば子どもに影響しないか、が心配である。現世代の子育ては核家族の中の、閉鎖的に近い環境で行われるから、親の心情は子供に影響を与えやすい。この感情がいじめに向いたら?? 今の若い人は怖い!!!!
 この投稿者の子育てが、その後、より平穏で順調であることを望む。

 言いたい内容は私にも理解できる。保育園問題の本質は深い、緊急性もある。そのために紙上では大きく取り上げられた。
 この件を野党が国会で取り上げた。結果的に安倍総理は待機児童問題の改善を約束せざるを得なくなった。政治の無策をネット世諭がひっくり返したという意味で画期的な出来事であった。

 近年、言葉の野蛮化、下品化、尖鋭化が進んでいる。
 この文体は、異様なほどの、破壊的パワーを持つ。だから、私は危惧する。正しい内容でもおとなしい表現ではアピールできない、通用し難い、として、このような表現が、当たり前のように蔓延していかないか?さらに注目を惹くために一層エスカレートしていかないか? さらに、注目を惹くために反社会的な行動としてエスカレートしていかないか?・・・などなどである。

 この背景にはデジタル機器が関連している、と私は考える。

 鉛筆や万年筆などを用い、芯やペン先から生まれる個性豊かな筆跡の自筆文章では到底表現困難な内容も、悪態も、パソコンなら、携帯ならサラサラ澱みなくかける。私はディスプレイに打ち出される文章は、それが乱れた心情を表す際には、感情の起伏の増幅装置にもなる、と捉えている。ディスプレイを見ていると次から次とエスカレートする文章が心の中に浮かんでくる。

 それに、若者たちの携帯の文章打ち込みは驚くほど早い。大した文章力である、しかし、その後、見直して文章をじっくり推敲しているようには見えない。
 私の場合は携帯では文章入力はしない。あんな小さな機器を見つめるだけでも心が荒れてくる。小さなフレームの中に没頭(8)いい広告があった
 私は大画面のパソコンの前でキーボードをノラリクラリと打つからとても非能率であるが、それが自分に合っている。

 字を書く作業は鉛筆や万年筆では曲線を引くことが基本になっているから心も動きも滑らかになる。他方、デジタル機器の場合は直線的な指の動きによる打ち込み操作である。私はキーボードを打っているときはどちらかというと挑戦的心理になっているのを感じる。また、最近は漢字変換機能が充実している。自分の能力以上の変換がなされ、自分の文章に酔ってくる。
 この気持ちも文章を荒らしてしまう。


3/6(日)曇り寒波 当直明け+引き続き飯川病院日当直 外来レセプト点検
 1:30飯川病院起床、データチェック。関連文献検討、本読みなどほかいつもの如く。7:00朝検食、座学中心、読書三昧。9:00引き続き飯川病院日当直2日、結局明日の夕方まで継続勤務となる。大学からの当直医COVID-19感染来院できず。9:30-10:30外来レセプト点検。14:00院長来院、新聞チェック、入力、微睡。データ整理。18:00夕検食、21:00就眠。Σ3801歩。

こころと身体2022(19) 怒り、恨みの心理(13) 感情コントロール(5) デジタルは怖い(1)
 「あの一言が忘れられません!!!! 何十年も前のことですが、診察時に、医師が投げつけた不用意な一言、私は絶対に忘れられません。今でも怒りが湧き上がってきます」と、話題にする患者がいる。かと思うと、こちらが何気なく言った一言なのにあとから「先生のあの言葉で生きよう、という気持ちになれました」と教えてくれる人もいる

 言葉は人の一生を破壊することも、人の命を救うこともできる。本当に不思議なものだな、と思う。そして、その言葉を用いて患者に安堵を与えることの出来る医師の仕事は面白いけれど恐ろしくもある、と思う。
 もちろん、医師だけが言葉の威力に触れているわけではない。私たちの毎日は言葉抜きでは始まらないから、知らないうちに私たちは人を傷つけたり、癒されたりしている。言葉の流れに沿って、相手への賛意のつもりで述べた言葉ですら、相手が大きく傷つくこともある。難しいものだ、と思う。

 言葉も怒りの感情もアナログの世界である。しかしながら、世の中はデジタルに向けて進行中である。アナログとデジタルの区別すらわからなくなっている。こんな時代、どこに気をつけ、何を心がければよいのだろう。

 この言葉の威力をよい形で使い、人間関係をうまくこなすためには、アナログとデジタルの違いを意識して、どこに気をつければよいのだろう。

 感情を言語化しておくのはとても良いことである。私は習慣的に実行している。
 しかし、この時にデジタル機器を用いるのは、私にとって怖いことである。あまりにも無機的で、便利過ぎるから勇み足を犯しやすい。

 怒り、恨みの感情などは完全にアナログの世界であり、デジタルやAI機器の介入は相応しくない。しかし、いまは多くの方々がデジタル機器を使っている。そう言う私も例に漏れない。

 文章との違いがあるが、デジタル例の顕著な例として写真の世界を取り上げてみる。
 夏の夕方、温まった地表からの上昇気流によって激しく発達する入道雲、あれは格好の被写体であり、私も時にカメラを向ける。ムラムラと湧きあがる情景は、恨みや憎悪の感情の起伏を表すのにちょうどいいサンプルにもなることも少なくない。

 これを古いフィルムカメラとデジタルカメラで撮影する。
 前者の場合、私はほとんど何もできない。ほとんど被写体そのままの記録である。出来ることといえば、写真店でせいぜい明暗の注文とトリミングを依頼する程度である。それも高価で簡単には頼めない。
 後者の場合、自分でその画像を好きなように加工できる。私は知識も興味も乏しいからやれることは少ないが、背景を変えたり、入道雲の形を変えたり、陰影を付け加えたり、ほぼ自在である。画面から雲を消すこともできる。私は自分で画像を操作しながら出来上がった画像を見て恐ろしさを感じることもある。デジタル写真は必ずしも真実を表していない。操作により如何様にもなるからである。しかもコストがかからない。

 アナログ的感情の記録にデジタル機器を用いる怖さの原点はここにある、と私は思う。


3/5(土)曇り降雨 飯川病院日当直  
1:00起床、新聞・文献・資料検討。朝までは座学中心。11:30家内に同乗、飯川病院に。12:00から明日朝まで日当直。微睡、新聞チェック。12:00昼の、18:00夕の検食、20:30就寝。Σ2763歩。部屋からはほとんど出ず、運動不足。微睡の時間も長かった。

こころと身体2022(18) 怒り、恨みの心理(12) 感情コントロール(4) アナログ・鉛筆・万年筆
 感情を言語化しておくのはとても良いことである。私は習慣的に実行している。

 しかしながら、激しく怒りを感じている最中にパソコンのキーボードに向かって起承転結を明らかにした完成型の作文をするのは危険である。何故なら、パソコンのキーボードは私から見れば憎悪感情の増幅機であり、罵詈雑言が次々と浮かんできて、むしろ怒りが再燃するからである。

 こんな時はアナログ的に、その辺にある紙にメモを残してしばらく置くのがいい。
 その際、筆記用具として鉛筆あるいは万年筆を用いるのがいい。これらは小さいことから親しんできたもので、私にとっては明らかな鎮静作用があるからである。

 私は今でも鉛筆を用いているし削るのが好きである。いつも勉強を始める時には5本ほどの鉛筆を剃刀や小刀で削っていた。鉛筆削機も買ってもらったがこれで削った芯はシャープ過ぎてすぐにダメになる。鉛筆削機は鉛筆メーカーも出している。鉛筆を消費するための道具と気づいた。
 私が削る鉛筆は形もいい。とても綺麗である。芯は過度に尖らせないから折れないし、長時間にわたって多数の文字を書くことができる。
 消費量が少ないから私の文房具入れには小中学校の時購入した、あるいは記念品としていただいた鉛筆がまだ数10本残っている。とても使いきれない。どうしようか、これも小さな悩みの一つ。
 私は鉛筆に鎮静作用を感じ取る。

 万年筆は小学校高学年時に父親からもらって恐る恐る用いていたが、社会に出てからは10本近く用いてきた。美しい模様の入ったペン先から途切れることなく出てくるインクによって描かれる文字には幻想的な雰囲気があり、心を鎮めてくれる。私は字は下手であるが万年筆の字は個性的で好きである。今も4本の万年筆を愛用している。

 筆記用具はそのうちボールペンが主流となった。今も用いてはいるが、筆記用具としてあまりにも利便過ぎて、筆記用具というよりは私は筆記道具として用いている。

 私は怒りを感じた時にアナログ人間に戻る。もともとヒトの感情なんてアナログの世界である。だからなのか、メモ用紙、鉛筆、万年筆には心惹かれるものがあり、心を落ち着かせる作用を感じる。

 感情の言語化は好きである。私の筆力では不十分であるが、集めてあるメモ用紙からそのうちの一部を起承転結を明らかにした完成型の作文にして残す。
 この過程で怒り、恨みの感情はほとんど消え去っているから不思議だし、私を救ってくれた。


3/4(金)快晴温暖 大曲中通病院 飯川病院ボランティア ウクライナ原発攻撃
1:45起床。文献・本読み、徒然他、データ処理。積雪2cm。5:20可燃ゴミまとめのみ提出なし。7:30Taxi駅、8:11こまち。大曲は往復タクシー、8:50大曲中通病院外来。秋田駅から徒歩。15:45飯川病院ボランティア。微睡、読書中心。家内はWeb学習会、20:20帰宅、夕食、21:30就寝。歩数5617歩。

こころと身体2022(17) 怒り、恨みの心理(11) 感情コントロール(3) 挨拶/対話の重要性
 急性の怒りや憤怒の嵐が落ち着いたら次は挨拶と対話である。

 もう15年にもなるが、何故か中通総合病院院長を拝命した。私は当時の病院の雰囲気として明るくカラッとした人間関係がやや乏しい、との印象を持っていた。小さな人間関係に由来する小さなトラブルもよく耳にした。こんな状況では新入職員の定着率も良くない。それで以下の如くの言葉を私のスローガンにすることにした。
 以下が就任時に職員に当てた挨拶文である。
――――――――――――――――――――――――――――――-
院長就任挨拶 キーワードは「挨拶」「笑顔」「ディスカッション」
 この度、中通総合病院院長を拝命しました。
 ことの推移にただ驚くばかり、人生って先に何があるか、本当にわからないものです。ともあれ、与えられた職務に誠意を持って取り組みます。
 中通総合病院は今年、創立50周年の大きな節目を迎えます。この半世紀、中通総合病院を支えてきたすべての方々に、改めて心から感謝の意をお伝えしたいと思います。
 全職員のみなさん、これからも、創業の精神を大事にし、中通総合病院と言う素晴らしい医療の場を通じて、社会に貢献して行きましょう。
 私は医療に従事していると言う幸せを各人が喜びとして心から感じられる、活気のある病院にしていきたいと考えています。
 そのために、「挨拶」「笑顔」「ディスカッション」、この三つをキーワードにして職務を進めます。どれも社会人として当たり前のことなので特に説明は要しませんが、この三つで病院は変わります。勿論、全職員の方々にも実行を呼びかけていきます。                  
 (2005/9/1日報めいわ)
――――――――――――――――――――――――――――――

 今となっては懐かしい文章である。
 「挨拶」「笑顔」「ディスカッション」は、いずれも社会人として当たり前過ぎるのであるが、私は人間関係の危機管理上でも重要と考えている。いや、私自身にもいささか欠けている、と自認していることでもあった。私自身に向けた言葉でもあった。

 人間関係には好むと好まないに関わらずストレスが伴いやすい。
 これらの言葉が持つ意義を身に付けていれば人間間のストレス状態発生も解消にも役割がある。前向きの意味で予防効果があり、一旦生じた人間的ストレスの解消過程、鎮静過程にも価値がある。
 急性の怒りや憤怒の嵐が落ち着いたら、いつまでもそれに拘っているのは無駄なことである。怒りの元になった相手は元々関係が深い間柄と思われる。次に会ったときに通常に挨拶を交わすだけで良い。話ができればさらに良い。この時に交わす挨拶、会話はとても価値が高い。これが上手く行かないと相手を憎む感情が持続する。さらに悪き状況が続いている場合は、相手を憎む感情が持続するどころか増殖に転じてしまう。ここまでくると改善は一層難しくなる。その後「ボタンのつけ違い」と表現される悪きスパイラルに入っていく。

 この場合のコミュニケーションは当該の相手のみではない。笑顔で会話できる人であれば誰でもいい。誰かとかわす会話は必ず心を鎮めてくれる。


3/3(木)桃の節句 降雨小雪 飯川病院  
1:00起床。文献新聞など。午前は一階のトイレの流れが悪くなって対応。幸い改善した。読書など、11:50バス飯川病院。昼の検食はチラシ寿司、美味であった。14:00勤務。入院患者対応。19:15帰宅、夕食、21:00就寝。歩数計7979歩。昨年、スキーウエアなしで出勤と記載があるが信じがたい。

こころと身体2022(16) 怒り、恨みの心理(10) 感情コントロール(2) 30分
 まず、最初の6秒間の激しい怒りによる感情の突風を、水を飲んだり、呼吸を整えることで乗り切ったら、次の段階の解決法は、日常から探しておいた自分に相応しい解決法に頼ること。
 激怒した時にいきなり何かをやろうとしても無理だから、普段からちょっとイラっとしたときやモヤモヤしたときに何をすれば落ち着くのか試して身につけて置くのがいい。自分の気持ちが落ちつくのであれば何でもOK。

 私の場合は、読書と散歩、簡単な運動、その時の気持ちをメモ風に言語化しておく、などに切り替える。それでも鎮まらない時は「ふて寝」をしてしまう。起きた時には振り返るのが馬鹿らしいくらい怒りが鎮まっていることが多い。私にとって「ふて寝」が一番効果的であった。
 感情を言語化しておくのはとても良いことであるが、この点で詳細に記録し始めると罵詈雑言が次々と浮かんできてむしろ怒りが再燃するから不適である。

 イライラと向き合うために「その後の行動」を分類するのがいい。
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(1)「行動」:カッとなって、爆発しそうになった激しい感情を乗り越えたとき、別の行動に移行すること。

(2)「思考」:イライラが起きる背景には、自分とその人との価値観の違いがある。人に過度に頼るとその人を恐れざるを得ないこともある。なぜ怒りがわくのか??それは「○○すべき」という期待感や欲求が自分の方にあり、それが裏切られたときに怒りがおこる。その「○○すべき」は家族とか、親しい、近い関係の人に期待や甘えのために強く出やすいので注意が必要。

(3)「重要度」:怒りの原因は一様ではないが、冷静に考え「自分にとって重要か否か」を判断する。
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 そして、「現実を受け入れる」、「解消に向けて前向きに努力する」、「放置する」、「時間をかけて感情の変化を観察する」・・・などなどの方法を選択する。意外と怒りは感情の起伏の問題だから、放っておくという選択肢が効果的と思う。「解消に向けて前向きに努力する」は時間とか内容をよく考えないと逆効果になることもある。

 学術的には激しい怒りの持続は30分と言われている。さらに怒り続けるには新たな怒りのエネルギーを投入し続けなければ持続できず、一般的には30分も経てば自然に鎮まっていくと言われている。「時間をかけて感情の変化を観察する」のは意外と良い方法かもしれない。

 どんな時に自分が怒りを感じ易くなっているか自分で把握しておくことも必要である。このようなことを知っていると怒っている人を見ても、もしかして疲れている睡眠不足?・・・などと広い気持ちで対応できる。

 この様な方法で状況が改善してきたら次はコミュニケーションである。


3/2(水)快晴温暖 飯川病院 COVID-19ワクチン3回目接種担当
1:15起床。文献など処理。午前中は座学中心、一階のトイレの流れが悪くなって対応。改善せず。データ整理など。10:50バス通りまちまで。書店経由、ドンキホーテまで歩行、古書仕入れ12冊。バスにて飯川病院に。午後勤務、COVID-19ワクチン3回目接種担当。19:30帰宅、夕食、20:50就眠。Σ8672歩。

こころと身体2022(15) 怒り、恨みの心理(9) 感情コントロール(1) 6秒
 私も感じているのだが、日常生活は自分にとってとてもストレスフルで多くのことがイライラや怒りの原因になる。
 例えば、運転中に思いがけず渋滞巻きに込まれてイライラする、職場の同僚の無遠慮な言葉でカッとなる、などなど挙げればキリが無い。
 意外と心にズッシリとくるのが、家族を含めて親しい間柄の同士の会話である。互いに遠慮がないだけに、本来言うべきでないことが不用意に飛び出すことも多いように思われる。いや、それ以上にあまり関心のない話題の時に、うっかり心のこもらない返事をしてしまい顰蹙を買うこともある。この場合、関係改善がなかなかうまくいかないこともある。

 小さないらつきでも、度重なれば心身不調や病気を招きかねない。自分は怒りっぽくないと思っていても、まったくイライラもモヤモヤもないということは考えにくいし、周りに怒りっぽい方がいればその影響も受けてしまう。

 だから、怒りについて必要最小限のこと知っておくことは現代を生きるには必要なことと思われる。

 一つ一つささいなイライラでも、放っておくと自分の精神状態、身体状態に跳ね返ってくることもある。

 性格と病気の関係を調べた研究では「競争的で、攻撃的で、過剰にカッとなりやすい人はそうでない人よりも交感神経が活性化していて、心筋梗器や狭心症などの循環器系の病にかかりやすい」ことが分かっている。いわゆる「瞬間湯沸かし器のような人」と評される人は周囲に何人かいるが、それほどでないマイルドな人でも「イライラしている時の自律神経の活動状況はこんな状態の人に近い状態」とされている。

 だから、怒りやそれに対する衝動をうまくコントロールすることは自分のためにも重要だ。

 心理学的に、急性の怒りの「衝動」が持続するのは6秒間だとされている。この時間をうまくやりすごせるか否かが第一の関門となる。
 最も簡単な方法は呼吸法。「イラッときたら、ゆっくりと深く呼吸する」、これだけで交感神経の緊張がかなり緩くなる。手を軽く組み動きを抑制して時間を稼ぐのもいい。可能であればその場から去るのもいい。
 私の場合は初代のネコの姿を思いうかべるのが一番効果的である。ホッとあんしんする効果がある。

 つまり、反射的に暴言を吐いたり、暴力的行為に走ったり、逆に言うべきことを言えずに後悔するのを防ぐ為の方法であり、その意義はとても大きい。


3/1(火)晴れ曇り春めく 中通病院外来 飯川病院ボランティア 
1:00起床、文献・新聞関連など。6:00可燃ゴミ出し。6:40バス飯川病院、8:45-12:30中通病院外来。複雑で疲弊。院長より三浦第3内科元教授の死去を知り驚く。ご冥福をお祈りします。飯川病院へ移動微睡、14:45-19:15ボランティア、入院患者対応なし、微睡はやや長め。19:30帰宅、夕食、20:20就寝。Σ7928歩。

季節の話題2022(4) 秋田の雪(4) 先週から急に春めいた スパイク、根回り穴など
 今季は秋田地方は寒く、雪も多かった。秋田の積雪は例年より2倍程度と観測されている。

 降雪のピークは2月18日、この日に14回目の除雪を行った。しかし、これ以降は猛烈な寒波をきたし、風雪もあったが、風が強かったためにまとまった降雪とはならなかった。
 さいわい、天皇誕生日を境に天候が落ち着き始め、強風も止み。やや温暖となった。

 2月下旬となり、秋田もやっと広く青空を見れる様になり、空も山々の雰囲気も春めいてきたことが実感できた。
 私も除雪ストレスから解放されそうで、日々快適である。

 以下は今季の感想である。

(1)今季の転倒
 私は転倒しやすい。いつも骨折や頭部外傷を起こすのではないか、と恐怖を覚えている。
 しかし、今季は2回の転倒だけで済みそう。転倒には降雪はもちろん関連しているが、それも降り始めのこと。1回目は12月6日。薄雪に隠れていた工事用のゴムマットで足を取られてちょっと激しく転んだ。この時の膝痛は3ヶ月経過した今でも若干残っている。2回目は滑って足を取られたが、崩れ落ちる様に転んだのでダメージはなかった。
 転倒予防のために12月中旬から防寒シューズにスパイクのアダプターをつけて過ごした。流石に幾分かは歩きにくい。2ヶ月半ぶりに今朝外した。これで歩行がかなり楽になった。
 路地はまだ雪が残っているから、歩行時にはまだ気が抜けない。
 
 (私が付けていたスパイク。これでも危ない場面はあったがかなり助かった)

(2)我が家に積み重なった雪の塊
 ここ1週間で雪の塊は二回りほど小さくなっている。それでもこの量である。我が家の路面はやっとアスファルト面が露出した。
 つい2週間前までは雪を除雪機で飛ばして積み重ねていたのであるが、これからは逆にスコップで少しずつ崩して花壇の土面を出す作業を始めなくてはならない。
 

(3)春の雰囲気、木々の周りの根回り穴(根開け)
 この季節になると樹木等の周りの根回り穴(根開け)が目立つ。春の雰囲気を一層醸し出す。
 
(不思議なことに細い幹の周辺に大きな根回り穴ができている)

 何で根回り穴ができるのだろうか?
 色々な説がある。雪の季節が終わり暖かくなってくると、太陽からの熱エネルギーが白い雪面では反射し、黒っぽい幹では吸収されるので樹木の表面温度が上がりその輻射熱で雪解けが進むという理由が挙げられている。その他、暖かい雨が幹を伝って幹周りの雪を解かす説。幹の陰になって降り積もる雪が幹の周りだけもともと少ない、暖かい風がふいたとき幹周りで風の流れがで き雪解けを進める・・・・などの理由が考えられているようだ。枯れた木の周りにも生じるので樹木自身の熱ではなさそう。
 ただ、この写真に見られるように、比較的細い幹の周囲に大きな根回り穴が見られることもあるから、これらの説が必ずしも正しいとは思えない。現時点では、いくつもの要因が絡み合ってできるのだ、と納得しておくが、私は根回り穴で開いた地面が太陽熱を吸収して温度が高くなるため、と思っている。


 2/28(月)快晴温暖  健康クリニックドック 飯川病院  
1:00起床。新聞・文献チェック。徒然など。曜日間違い可燃ゴミまとめと集積所に運搬。結局再搬入し自宅に、明日廃棄。6:40バス飯川病院、9:00-11:50健康クリニックドック14名、結果判定13名、意外と時間がかかった。12:00飯川病院。微睡、14:00-19:00勤務。入院患者対応。データ入力と整理、19:10帰宅、夕食、20:30就寝。Σ7406歩。

ウクライナ情勢(6) プーチンは核使用の可能性をチラつかせた
 ロシアは2月21日ウクライナの一部を併合、
 2月24日侵攻開始。以降激しくミサイル攻撃を繰り返している。
 2月27日ウクライナ・ロシア間で停戦交渉が始まることとなった。現時点では平行線