研修医諸君へ(4)まず病態を考える。病名にこだわると視野が狭くなる
 今の医学教育がなせる技なのか、若手医師は直ぐに診断名にこだわる傾向が感じられる。「何が考えられるの??」と問えば「狭心症とか急性胆嚢炎か・・・」と疾患名で答える。具体的診断名を聞かれている、と感じたのかもしれない。このことまで含めてこれが思考過程の土壌としてあるのであれば研修医レベル、当直医的発想のレベルでは寧ろ危険な考えである。
 患者を診察したときにまず具体的な診断名をインプレッションとして浮かべてしまうと、心理的安心感を伴うためか、他に考えるべき事をないがしろにしてしまう。また、その診断名にとらわれてしまう。それが救急医療の落とし穴になっている。

 私の考えでは、直ちに診断名を挙げることはデジタル的発想、病態の考慮を進めることはアナログ的発想と思う。
 患者は診断名に合わせてわれわれ医療職の立場に合わせて発病してくれるのではない。患者が100人居れば100様の発症の仕方をする病気があり、病態がある。1000人居れば1000様である。それを最終的にはわれわれの都合で、確立された診断名の中に集簇させ、分類していくのだが、それは便宜上、治療目的とかを決めるためで、その目的のための思考過程とすれば納得出来るが、人為的に患者を無理矢理分類するためのものである。分類するということは情報を取捨選択し形を整えていくこと。
 患者を既存の診断名に分類し診断を付けたからと言って患者本人の病態には変わるところは何もないのだ。寧ろ診断名を着けることによって医療提供側の方で患者を色眼鏡で見るようになる。これは良いこともあるが時には危険な結果を招く。だから救急医療の中では確定診断にはこだわる必要はない。病態をより深く理解すればそれで良い。診断はその過程で自然と決まってくる。

 診断名を挙げると言うことは救急診療の中ではそう重要なことではない。乏しい情報の中で何が考えられるのか、どんな状況が患者の中で生じているのか?といろいろな可能性を考える方が良い。

 毎朝の救急カンファレンスは私にとっても役立っている。今日は「どんな病状の患者」が救急来院したのかと思いながら救急室に向かう。「何の患者」が来たのか、とは私はこの時点では考えない。



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