高校時代(1961〜64)
毎日往復30キロの通学路をを自転車で走破することが現在の健康に繋がる
自信を持って書いた国語の作文が「悪い回答例」として廊下に張られ、自分としても最低点を更新する
化学部に入部、実験の楽しさを知る
受験勉強に専念するため鳩と別れる
東大出身の担任に医学部希望と言ったら東大医学部にせよと言われ頭に来た。予定通り大学受験に失敗し、挫折感と開放感を味わう。視野が広くなった。
浪人時代(1964〜65)
仙台の予備校に通う。親代わりの猫が死の旅立ちしたらしいと連絡があり慟哭。
2週後兄も結婚式のために帰省、窓下に猫の鳴き声、弱り果てた猫と感動の再会30分、細く汚くなった手を握り続けた。水を飲ませようと汲んで戻ったら居らず、永遠の別れとなる。以後30年他の猫に関心示さなかった。
父が定年前に突然仕事を辞め、お先真っ暗になる
父親に捨て台詞を言われてそれ以来捨て台詞を嫌悪する。
大学時代(1965〜71)
六華寮に入る(卒業時まで)
祖母が亡くなる。このころ万巻の書を読破する。
オーケストラに入る。ヴァイオリン、後にヴィオラパートを担当。ハーモニーを乱す
ヴァイオリンを教えてくれた先輩が「燃えるヴァイオリン」事件を起こす
教科書にはさんでいた仕送りを間違って使い込み、1ヶ月間極貧生活をおくる
パチンコで学費や生活費の一部を捻出する。景品を友人に売り、教科書などを購入した
卒業時に病理学ほかいくつかの基礎研究室からお誘いを受けるも臨床に進みたくて辞退する
卒業まで納めた学費2万円ぽっきり。国に感謝 m(__)mペコ
宮古病院時代(1971〜73)
研修中。奨学金を2年分借りていたので赴任。
当時大ブームだったボーリングでスコア236を記録し、喝采を浴びる
このころが一番給料を自由に使えていた。両親に仕送りをして残りはオーディオ、レコードやコンサートで散財する。初めての車を買う
本荘市の寺で仏式にて結婚する。列席者全員カメラを持ってこなかったため披露宴の写真が一枚もない。
長女誕生。一児の父となる
子育てと血液内科学の勉強のため、宮古を去る
秋田大学第一内科時代(1973〜75)
宮古から妻の実家のある秋田市に移る。第一内科に入局。
秋田大学第三内科時代(1975〜85)
新しく三内科が創設されたのでそこに移動する
妻から教わりテニスを始める。(現在進行形)
長男誕生する。母が亡くなる。 次男誕生する。 自宅を建築する。
津軽海峡上空で私だけ死の恐怖を味わい身辺整理を始める。
学生の頃から念願であったチェロを購入する。うれしくて京都のホテルでチェロを抱いて寝る。
練習のし過ぎで腱鞘炎になる。
乗っていた特急電車が脱線し遊佐駅プラットホームに激突する。網棚に頭をぶつける
仲間とアンサンブルを楽しむ。アンサンブルを乱す。
父死ぬ。これも自然の摂理か・・・
秋田大学医学部の講師になるが努力の割に成果あがらず これ以上の税金は使うのは罪だと研究に目処をつけ、大学を去る
論文その他の資料を焼却炉で燃やし、学問からひとまず足を洗う
次の職場に移るまでの間、ヨーロッパに音楽の旅にでる(二週間)ハンブルグ、ミュンヘン、ウィーンで本場のオペラを見て感涙する
中通総合病院時代〜現在(1985〜)
患者さんと直接触れ合う臨床の道に入る。(1985)
外来診療部長になる (87)
ヴァイオリンの名器 「オッドアルディ」と出会う(90年ころ)
窓下の野良猫と目があい、昔の猫の面影に思わず招き入れる。
2匹目の猫となる。
入院総合診療部長になる。(97)連日外来の他に、人間ドックも担当している。超過密スケジュール。
欧州医療事情視察団に加わりポーランド、スイス、オーストリア、フランスなどを訪問する(2000年9月)
明和会理事になる(2001) 私的Website「これからの医療のあり方」を開設(2001年11月)
中通総合病院副院長を拝命する(2002)
健康増進のためのテニス中、アキレス腱断裂する(2003年10月19日)
(その後の経過などくわしくはアキレス腱断裂体験記 を参照してください)
還暦を迎える(2005年5月) 中通総合病院 院長を拝命する(2005年9月1日)
酷い腰痛に悩まされる(2005年10月頃)
秋田県医師会副会長に就任する(2006年4月)
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