徒然日記
2010年5月分

 日記と言うより、自分の行動記録からの抜粋と日々の雑感です。

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5/31(月)晴れ 管理会議 安全管理者と打ち合わせ 療養病棟判定会議 長副会議 
2:00起床、新聞チェック他。5:10病院着。6:15回診他。7:45-8:25管理会議。10:00-10:45安全管理者・事務長と打ち合わせ。16:00-16:30療養病棟判定会議。17:00-18:55長副会議。増設の要あり今回はiMac購入した。21:00帰宅。夕食、 iMac設置と立ちあげに呻吟。23:00就眠。

岩手県宮古病院のニセ女医騒動(1)才能を有効に使っては?
 かつて、私が2年、家内も1年間勤務していた岩手県宮古市の県立宮古病院387床は近年医師不足で大変な状況にあると聞いていて心痛めていた。何しろ私が大学卒業と共に赴任し、右も左も分からない状況から一応内科医の卵らしいところまで育てていただいた病院である。ニュースになる度に今何かしてあげられるわけではないし、私が働いていた頃の古めかしい病院は既に無く、郊外に近代的病院として生まれ変わってしまったし、知人ももはや誰も居ない。
 それでも決して無関心ではいられない懐かしい病院である。

 この宮古病院に循環器内科医として着任予定までこぎ着けた男女2人が、実は無免許だったと言うことが判明し、約一月前に全国的に報じられた。容疑者は大阪在住の44歳女性で、医師でなければ医師と名乗ってはいけないという名称使用の制限に関しての医師法違反容疑で逮捕された。過去に医師との婚姻歴があったとみられる等と報じられているが実際はそうではなく循環器疾患等で頻回に病院に通院している患者であったらしい。病院に勤務した経歴はなかったらしい。容疑者と共に同市に訪れた自称38歳の男性からも任意で取り調べを受けている。

 容疑者は院長とか関係者との会話の中で、「心臓カテーテルが出来る」などと専門用語も交えて会話し、医師と信用させたらしい。女は、約1年半前から「TVのドキュメンタリーで宮古病院の窮状を知り、手助けしたい」という振り込みで病院にアプローチしてきた、と言う。

 医療への関心や知識を持っていたとしても、院長とか関係者に医師と思わせるだけの医学知識を身につけていたと言うことは驚異である。それほどの才があったなら別方向に用いればいいのに、と思ってしまった。
 関係者の方々の心情を思うと、やりきれない思いがする。


5/30(日)快晴 病棟拘束 
1:00起床、本読み、文献チェック、新聞処理、微睡みなど。8:00家内のバザー用品ヨーカドウに届け病院に。9:00回診、総括他、 11:00自転車帰宅。本読み、文献整理廃棄、次回の講演準備若干等、19:00病院。20:30帰宅、夕食、21:00就眠。

魔法瓶様仕様の保温コップ 手で感じる温度とのギャップでヤケドする
 私は家ではお茶を、職場ではコーヒーをかなり飲む。その際、決まった湯飲み茶碗、コーヒーカップだけを用いる。容器の使用感が味にも関連するからである。

 家で用いている茶飲みは20年以上も使っているから、縁が微妙に欠けているが色調、形も良く愛着があって捨てられない。鋭いエッジはヤスリをかけて鈍くする。職場には戸棚にカップが沢山並んでいるが、私は自身で買い求めたカップを持ち込んで用いている。偏屈なこだわりである。

 ところで、魔法瓶様仕様の保温コップなる製品があって今まで何個か戴いた。長時間、暖かさを維持できるという機能には興味があったが、十分な機能とデザインと満足できる使用感を備えたものはなく、使い続けた品はなかった。ところが、数ヶ月前に講演に行ったある団体から記念品として戴いたサーモスと言う会社の真空断熱マグカップ/JCP-280は比較的気に入って家でコーヒーを飲むときに用いている。
 外観はステンレス製で素材の持ち味を生かした直線的デザインで、数時間は温かいコーヒーを楽しむことが出来るからとても便利である。熱湯を入れても外側は殆ど熱くならず、 冷水、氷を入れても結露しないから本などを濡らすこともない。なかなかの優れものである。

 ただ、決定的問題点がある.飲んだときに口をヤケドすることがあることである.通常の茶碗やカップならば手の感覚で熱さが予想できる.だから飲み方も調整できる。しかし、このカップは全く熱くならないからついグッと口に含んでしまう。何かに集中しながら飲むときはつい何度かやってしまう。

 今日も2-3度やってしまった。軽いヤケドの後によく出るアフタが出来ないことを望んでいる。


5/29(土)晴 病棟拘束 管理職会議
2:30起床。ドック総括x1他。6:20病院着。6;30回診他。病棟業務他、14:00-18:00管理職会議+懇親会。19:00家内迎えあり帰宅。酔いと疲れで直ぐ就寝。昨年は秋ノ宮であった。

口蹄疫(4)牛さんのお肉、豚さんのお肉、お魚さん・・・と呼ぼう
 口蹄疫は関係者の努力と犠牲のもとに蔓延を防止する努力がなされているが未だに感染が広がっており、処分される牛や豚も増えている。16万頭ほどが対象となり、連日5千頭ほどが埋められているらしい。また処分対象地域の外の地区でも可及的に食肉化して家畜を一切居なくする方針なのだそうだ。
 何と可哀想な、と思う。人間に食べられる運命のもとに生まれる命であっても、生きている間は喜びもあるはずだ。実に不憫である。

 私どもが生きていくためには必ず食べなければならない。
 食べるということは他の生命体そのもの、あるいはそれらから得られるものを食品として口にすることであり、果物や卵、乳の利用などもあるだろうが、多くの場合、他の生命体の命を奪うことになっている。食品の多くは動物であれ植物であれ、その生命活動を頓挫させることで行われている。植物であれば日常的に「命」を意識することは多くはないが、人手にかかって枯れる前に採取されている。

 動物の場合には命を奪うことになるが、私は自分たちが生きるために家畜等の命を奪うことの意味を意識してきた。多分、小さな時から家畜やペット、虫たちと共に過ごしてきたからかもしれない。また、直接自分で獲ったのではないが、猟銃で得たキジやウサギをさばいたこともある。近くの農家から生きた鶏を譲っていただき、さばいたことも何度か経験している。そんなこともあってか自分たちの都合で動物の命を奪うことに畏怖の念はあった。

 今、実際に牛や豚の日常の姿に触れることはない。今回の口蹄疫の問題で改めて知ったことであるが、旺盛な人間の経済活動の中でいかに多くの生命が人為的に奪われているのか、本当に驚くほどである。今回の口蹄疫問題で牛や豚が「とさつ」「殺処分」と、殆ど物品のごとくに扱われているのを見聞きするのはとても辛いことである。

 私は物流の段階を別にして、販売店とか、家庭では「牛肉」「豚肉」・・等と呼ばず、「牛さんのお肉」「豚さんのお肉」・・等と呼んではどうかと思う。これによって小さなレベルであるが人間の生きる意味を考えさせてくれるのではないか。我が家では今日からそう呼びたいと思う。


5/28(金)雨 入院患者対応 病院機能評価受審委員会 法人理事会
2:30起床。ドック総括他。6:20病院着、退院書類準備。6:30回診他。机上書類処理、16:00-17:00 No2病院機能評価受審委員会。17:30-18:30法人理事会。21:00帰宅、21:40就眠。

政権後退(12)福島党首が消費者・少子化担当相を罷免になっていた
 私は福島党首が前面に出て主張している基地の沖縄県外移設の姿勢は、最後まで妥協しない姿勢を貫き通すパフォーマンスで、最終的には連立を組んでいる立 場から首相の判断に沿うか,あるいは主張を通して自ら大臣を辞任と思っていたが、帰宅後のTVニュースで前者の態度を保持し、大臣を罷免されたことを知っ た。
 罷免されたからといって直ちに連立解消にならないが,これだけの意見の相違があって妥協できなかったのだから、党として連立から離脱しなければ筋が通ら ない。

 福島党首がもしかすれば主張を曲げず最終的には首相と対立するかも、と私が感じたのは、数日前の沖縄訪問で「命がけ」で主張を貫き通す、と述べたという ニュースであった。ここでも「命がけ」と言う言葉が使われたが、遠く東京で語ったのでなく県民の前で、関係者の前で直接語った言葉の意味は遙かに重い。こ こで翻意したら政治家の言葉の軽さを再現することになる。
 今考えるに、党首は数日後に罷免されうることをも覚悟の上で沖縄を訪問し、県民に「命がけで沖縄を守りたい」と約束したのだろう。あるいは先に事実をつ くって後戻りできない状況にしてから閣議に臨んだのだ、と思う。

 本年1月末の首相の施政方針演説は「いのちを守りたい」で始まった。「生まれ来るいのちを守ろう」「働くいのちを守ろう」などなど「いのち」と言う単語 は30回ほども用いられたとされるが、当時の解説や新聞の社説などを見ると、首相の姿勢方針演説がこの様な美しいことばが散りばめられた例はない、と言 う。
 政治の中に「いのち」が語られ、「人間」が語られたことはとても素晴らしい事と評価すべきであろうが、今となってみれば結局は覇権争いの道具として、ま た首相の思いを伝える美辞として使われたに過ぎない、と思わざるを得ない。

 厳しい医療環境の中で休むことなく「命」「いのち」に対峙している私ども医療関係者からみて「命」「いのち」を守るためには私どもの力だけでは到底実現 できない。必ずそこには政治面、経済面からのバックアップが必要である。なのに。今、政治の中で「命」「いのち」と言う言葉が軽々しく語られていることに ついてはとても残念な思いがする。
 福島党首が用いた「命がけ」は首相の「命がけ」より重かった、と評価しなければならないかもしれない。


5/27(木)雨 患者家族面談 外来 秋田県地方独立法人評価委員会 療養病棟診療部会議
 2:10起床。文献チェックほか。6:10徒歩にて病院着、7:00回診他。8:45-13:10外来。本日は少なかった。 13:30-16:00秋田県地方独立法人評価委員会。私には難しい話題。17:00療養病棟診療部会議。20:45帰宅。夕食。21:30就眠。

政権後退(11)とても軽い首相の「命」  
 鳩山首相はいま実に大変な状態なのであろう。ご苦労様である。
 沖縄への首相の謝罪行脚は火に油を注ぐような結果になった。当然である。県民を愚弄しただけで、結果的に前政権の敷いたレールに戻っただけに過ぎなかっ た。更に、沖縄政策をめぐって社民党の福島党首との政策上の確執も明らかになってきた。社民党は普天間基地の県外移設を党是の如くに扱ってきたに等しいか ら、そう簡単に首相の方針に同調はできない。連立が終焉を迎える可能性もちらつかせているが、社民党は連立の中にいるからこそ目立つのであって連立を解消 したら党の存在感もなくなってしまう、と言う一面もあるから微妙な立場である。社民党は今政権を抜ければ「One of them」に埋没し、消滅してしまうかもしれない。私は最後まで妥協しない姿勢を貫き通すと言う党首のパフォーマンスなのだと思うが、もし貫き通したらす ごい、と思う。女性党首は恐いのだ。

 3月の党首討論で首相は、県外移設を「命がけで」実現すると力を込めた。所信表明演説でも「命」という単語を30数回用いて話題になった。「いのちを守 る内閣」の首相が言う「命がけ」はかくも軽かった。

 私は「命」とか「死」とかが例え言葉の上であっても軽々しく扱われるのに不快感を持つ方である。そういう意味でも首相の言葉の軽さには驚いてしまう。

 似たようなことを感じたことがある。10数年前のある夕方、八郎潟で講演するためにJRに乗ったが、途中で激しい暴風雨のために列車が1時間ほど立ち往 生した。私の講演は結果的には間に合わず流れたが、私の席の側では数人の大学生風の若者が声高に話し合っていたが、「死にそうなほど苦しい」「死ンでも良 い」「死にたくなる」・・・と命や死に関する言葉が、この間に100回ほども出たであろうか、次々と出てきて呆れた。話している若者達には深刻さは全くな く、単なる言葉のアクセサリー、口癖に近いものであることは聞いていて分かるのだが、「命」とか「死」とかのことばが軽々しく扱われていて驚いたものであ る。

 この時の印象にそっくりなのが首相の言葉である。若者達と立場が全く違うのであるが、似たような軽さを感じ取った。お陰で、あの嵐の夜の電車内の光景を 鮮明に思い出した。


5/26(火)晴 外来 ドック説明 法人常務会 新築関連拡大医局会議 対策会議
2:10起床。ドック判定総括、文献、6:10Tax病院、6:30回診、8:45-13:50外来、14:45-14:00常務会、対策会議、 17:30-19:15新築関連拡大医局会。長副会議は中止。19:30対策会議その2。21:15帰宅、夕食、22:00就眠。

口蹄疫(2) 最重視の種牛を洋上隔離にしては?
 宮崎県の口蹄疫の感染拡大は止まらない。
 知事は非常事態を宣言し、発生地域内では不要の外出を控えるよう要請した。ウイルスの性質から見て、事の重大性から見て妥当な判断と思う。一方では、 49頭のエリート種牛を例外扱いし殺処分されないよう国に要請したが国はこれを拒否した。両者の立場の違いが如実に表れているが,感染症対応として例外は危険をはらむ処置であり国の判断が正しいだろう、と私も思う。知事の要望は理解できるが、非常事態宣言との間に矛盾を感じる。国も知事の言動を迷惑がっている様だ。

 口蹄疫は家畜の伝染病の中では最も伝染力の強いウイルスによる疾病で、ウイルスは自動車や人の衣服、靴などに付着して広がるとされているほか、感染動物の体液、分泌物、糞便との接触の他、藁などの移動で運ばれ、更に塵により空気感染もするとされている。空気感染では陸上は65km、海上では250km以上移動することもあるとされる。国境を越えて感染が拡がった例もある。しかも、藁等に付いたウイルスは夏4週間、冬9週間感染力を保つという。
 
 これらが全て本当とすれば、対策は極めて困難である。口蹄疫を勉強すれば事の重大性が一層分かってくる。感染防止対策の困難さはヒトのインフルエンザ対策の比ではない。

 5頭のスーパーエリートは20Kmほど離れた場所に隔離されているが、そのうちの1頭が感染のために処分された。私は新聞に報じられた隔離の場所と隔離の施設の構造は不十分に思う。狭いし、天井の壁は途中までで空気の出入りはあるだろう。端の牛が感染していたが隣に伝播しないような構造に見えない。

 本当に厳重に隔離するのであれば、重要な立場にある種牛はそれほど多くないのだから大型船で洋上避難させるのがベストと考える。十分な間隔をとって飼育し、出入りする関係者に十分感染対策を行えばそこは感染からの完全な隔離の場となる。よしんば隔離した家畜から陽性が出てもそこからの感染拡大は考える必要はない。家畜のいない離島とかもあれば候補として良いだろう。ここまで提供できれば、知事の言う如く特例として扱う事も可能と思う。
 
 諸外国では局地的災害等における危機管理の一環として、大型の病院船を有しているところもある。あるいは客船を一時被災者の避難場所として提供するところもある。これはとても良い方法だと思っているが、この発想を口蹄疫の対策に応用してはどうか、と考えた。


5/24(月)雨 管理会議 外来 療養判定会議 法人評議員会 
2:20起床、文献、新聞、ドック他処理。6:20自転車病院着。霧雨が病院近くで本降りになり頭と上半身ビショ濡れ。6:50回診。 7:45-8:30管理会議、8:45-14:10外来、16:00療養判定会議。17:30-20:30法人評議委員会+懇親会。20:50帰宅。 21:20就眠。

マズイ、パスワードが出てこない!! 頭の中まで真っ白に
 最近は個人情報保護重視が叫ばれている。
 過剰な反応の方が気になるところであるが,対応が必要であることは明らかである。病院は最も部外者が侵入し易いところである。そのために、安全管理上からの視点もあるのであるが、玄関、医局各室部屋のドア,更に業務用パソコン、私用パソコンなどにはセキュリティ対策が求められている。
 私物のMac5台には一台ごとに異なるパスワードとFile Vault機能としてのパスワードを入れている。病院がオーダリング化した後は私物には私以外の個人情報は一切入っていないし、安全だろうが、パスワードを覚えているのが大変である。

 当院の出入り口は夜間は正面玄関一カ所に限定され,しかもロックされる。急患とかは玄関脇にあるインターフォンを介して来院目的を告げると開けてもらえる。私は毎朝暗証番号を押して入る。医師室にはカルテ等の個人情報関連の書類が置かれていることから各室のドアにはパスワード式のロックがかけられる.閉めるときは自動ロックになっている。

 約10日前、家内が内視鏡学会で上京して不在の時,一人なら家にいようと病院でも同じだから、と2:30am前に出勤した.このような時間に勤務先に行くのを果たして出勤と表現して良いのか迷うところであるが、便宜上出勤としている。

 自室で、業務用パソコンを立ち上げパスワードを入力したが受け付けない。誤ったパスワードを打ち込んだらしいと気づき再度正しいと思うパスワードを打ち込んだが、全然ダメである。2-3回やってみたがダメで、もう頭の中が真っ白である。もともと白髪で外側は白いが、今回は頭の中まで白くなった。通常勤務時間帯になれば自分のパスワードは調べられし、その時間までパソコンを開けないことは大した問題ではない。頭が真っ白になった理由は、想い出せない自分自身にショックを受けたからである。結果的に10分ほどいろいろ思いつく番号を入力して何とか立ち上げることが出来た。実害はなかったのであるが、その時のことは忘れられない。

 一年ほど前には、5:00am頃、部屋に入るためのパスワードを忘れ、何度か試みているうちに番号すら受け付けなくなった。一種の安全装置で、30分ほど時間をおくとまた機能的に元に戻るらしいが、そんなに部屋の外で待っておられない。この時は守衛さんを呼び開けて貰った。いつぞやは、玄関先でも同じ事があり、インターフォンを通して開けて貰ったこともある。数年前にはJAのキャッシュカードの暗証番号を忘れ、カードを無効にしてしまい再発行して貰ったことがある。

 こんな事まで思い出せば、今回のパスワードの度忘れは今始まったことでない事が分かる。しかし、同じ事でも年と共に受けるショックが大きくなっていくのだと言うことを実感した。


5/23(日)曇り 病棟拘束 
2:30起床、9:45家内を福祉会館に送り病院。回診そのほか。12:00帰宅。12:30長女離秋、その後午睡若干、文献整理などで過ごす。20:00夕食、20:30就眠。

ナンナン(7)最期に老猫の顔面に腫瘍が発生
 20歳と思われる我が家の老猫,愛称ナンナンはここ2年ほど前からいわゆる呆けか,昼夜逆転、奇声をあげて徘徊していたが,特に一年ほど前からめっきりやせこけ、老衰状態に近づきつつあった。
 特にここ一月ほどはあきらかに骨と皮だけ、体力が衰えて歩行もままならない状態。四つ足だから千鳥足とは言わないだろうがフラフラ・ヨタヨタであった。 

 それが、10日ほど前から顔面の様子が変わってきた。右顔面が腫れぼったいと思っていたが見ると右頬に腫瘍らしきものが顔を出している。天は無情である。今更がんを持ってこなくともナンナンの命は間もなく終わりだ、というのに。ただ、幸いなことに痛みはあんまり無いらしい。もう餌は食べなくなったが水はよく飲む。

 5月17日、もう分かっていることだし私は受診させるつもりは無かったが、横浜にいる娘の指示なのだろう、かかりつけの獣医に受診したらしい。診断はがんで、治療の可能性は唯一放射線療法であるが、猫の場合には全身麻酔が必要で、ここまで弱った身体では無理だ、とのこと。全く妥当な判断だと思う。あとせいぜい数日か?と私は予想していた。もう十分である。苦しまずに、痛がらずに静かにその時が来る事のみを願った。

 その後、1週間,ナンナンは相変わらず早朝に何度かフラフラと起き出して水を飲んだ。その後、決まって排尿するのだがトイレまで間に合わないようで時にお漏らしするので、私が後ろをついて歩き、タイミングを見計らって新聞紙で尿を受けた。その後、居間の隅の椅子に戻るのだが,上れず踏み台からも落下するようになった。

 ここしばらく無かったことであるが,21日夕方にはフラフラと玄関口にまわり、外に出ようとしていた。恐らく、死ぬときには飼い主から姿を隠すという猫の習性の一つなのだろう。しかし、そこでついに力尽きて横になった。21日夜半、最も可愛がっていた長女が介護のために帰秋し、数時間側で見守る中、玄関先で静かに息を引き取った。偶然とは言え、なかなか良いタイミングの帰秋、と死去であった。

 白木の木箱に横たえ、まわりを花でうめたらかつての美しい表情が蘇ったかの様に見えた。家族が全員揃うのを待ち、わが家の一角に丁寧に埋めたが、とても良い別れとなった。
 私に今あるのは、小さな命を最後まで世話し尽くしたという満足感である。


5/22(土)快晴 病棟拘束 早朝老猫死す
2:10 起床。ドック関連,徒然。4:13老猫死去。7:40徒歩病院着.回診他、8:30救急カンファ。患者家族面談。夕方まで退院総括、紹介状など。 17:00帰宅、老猫を裏庭に埋葬。19:00夕食、20:30就眠。

老猫死す
 我が家の飼い猫、愛称ナンナン、本名マルスランナ・ランドスト・フクダは今朝、第一飼い主の我が家の長女に見守られながら静かに息を引き取った。我が家に来て約19年、正確な年齢は分からないが、20歳程度であったろうか、美しい表情を持つネコであった。

 晩年は老衰状態になり,身体はやせこけ、認知症的状況になっていた。最期の10日ほどは顔面に悪性腫瘍と思われる腫瘤があらわれ,更に顔貌が変化した。しかし、幸い、疼痛はそれほど無い様子で,それが看取るわれわれ家族にとって幾分か安息となった。

 もっと生きていて欲しいと気持ちと,悪性腫瘍にもなったことだしそろそろ良いじゃないか,と言う気持ちが複雑に錯綜した。

 夕方、私の勤務開けを待って,家族みんな揃ったところで裏庭の梅の木の脇に埋葬した。
 思えば随分長い間共に暮らしたものである。晩年は世話が大変であったが、いろいろ楽しい思い出を残してくれた。われわれは、まずナンナンを忘れることはないだろう。彼女も、恐らく、満足して旅立ったのではないだろうか。


5/21(金)曇り・晴れ 港北診療所外来担当 
2:30起床。ドック判定総括,文献検討、徒然。7:05自転車病院着。回診他。 9:00-12:30港北診療所所長学会出張で代診、20数名か。12:30自宅に寄り休息後13:30病院,患者対応。書類処理、20:45自転車帰宅、21:00就眠。H2Aロケットは成功したらしい。

生活習慣病(2)肥満、コレステロールは実害が乏しいが重視され、喫煙の害は明らかなのに軽視され
 2年前にメタボリック症候群を前面に出した健診が始まった。その目的は生活習慣の改善を図り,国民を健康にさせ、疾病の予防にあてようということでこれはまったく正しい行き方である。糖尿病、高血圧、高脂血症などの高罹患率はもはや個人の問題でないレベルだから国が乗り出すことも正しい。

 ただ、メタボリック症候群の病因論については考えなければならにこともありそうである。確かに私どもが与えられているデータでは腹囲+高血圧+高脂血症+糖尿病の合併では心循環器系の疾病の発症率は該当項目がゼロの人の30倍とされている。

 第一、腹囲の評価はこれで良いのだろうか、ということである。腹囲は着衣のままでも自己申告でも良い。85cmが一つの判断基準であるが、身長、体重は考慮不要、というのでこんな緩い基準で良いのだろうか?はなはだ疑問である。この点に関しては,健康診断の際には身長、体重は必ず測定するのだから、むしろBMI等の客観的数値を利用してはどうなのだろうか,と思う。腹囲を基にした疫学調査がなされるくらいならBMIを拠り所にした調査があってしかるべきであるが、無いのだろうか。

 更に大きな問題が残っている。
 わが国における複数の疫学調査の中で、肥満、高コレステロール血症は働き盛りの日本人男性の全死亡を増やす因子として作用していないことが明らかになっている。メタボ論議の中でこの点はどう評価するのだろうか?メタボ論議は最も根本的なところで何かが抜け落ちている,と思う。

 それ以上に重要なのは、喫煙は高血圧と並んで日本人の最大の死亡原因と評価されているにもかかわらず、メタボ健診ではほとんど無視されていることである。疫学的調査では40-79歳男性死亡の24%が喫煙に関連し、高血圧の11%、高血糖の3%を大きく上回っている事が判明している。日本人中年男性の最大の早死因子であることは間違いない。そのような喫煙を放置してがん問題や健康問題を語って本当に意味があるのだろうか。疑問である。


5/20(木)雨 外来 県健康推進課スタッフ来訪 私的女性医師の会
2:30起床、ドック判定総括x1、文献新聞チェック他。6:20 病院着.6:40回診・関連書類他。8:45-14:00外来+ドック結果説明x2、混雑。15:00県健康推進課スタッフと時期の新型インフルエンザ対策打ち合わせ。18:30千秋公園内のあやめだんごにて家内主催の私的女医の会。21:30帰宅、21:50就眠。夜半にこむら返り。

ソーラセイルの「イカロス」(2) 日本の薄膜製造技術、超薄太陽電池開発力で夢が実現か
 悪天候のために打ち上げ10分前に中止、延期となったH2Aロケットは明朝21日.6:59amに種子島宇宙センターから打ち上げられる。これに金星探査機「あかつき」とソーラセイル実証機「イカロス」が搭載されている。

 光粒子の小さなエネルギーを推進力とするソーラセイル機はその理論は1世紀前にさかのぼるらしい。半世紀前の子供向けの科学雑誌にも紹介されていた。しかし、その間今まで実現していなかった。その理由は軽量な反射板を作ることが出来なかった事による。ところが、わが国のある企業がこの様な技術を有していたことが判明、一気に現実性を帯びることになる。

 今回の実証機「イカロス」が宇宙空間で広げる膜は14m四方ほどのサイズなのだそうだが,その膜の厚さは7.5ミクロンとのことで通常の紙よりも薄い。この厚さで宇宙空間のストレスに耐える丈夫さを維持し、光を反射する鏡面体としての機能を維持すると言うからすごい。
 イメージがなかなかわかないが、ちょうど海原でヨットが風を受けて前に進むが如くで、宇宙空間では抵抗がないから、太陽の光を膜面に受けて常時加速を続けることが出来る。結果として、短時間で高速へ到達させることができる事になる。推進力の方向は帆の太陽に対する角度を変えて制御でき、軌道速度の変更、加減速できる。これらのコントロールに用いられるエネルギーは薄膜太陽電池によるとされ、これも厚さが75ミクロンだと言う。
 
 一般家庭用に売られているソーラーパネルはかなり厚くて重いが,既に最先端では上記の如くの超薄型も開発されている。これを一般用に用いるならば,例えば携帯の全表面に貼り付けることも可能になるなど,私どもの生活の中におけるエネルギー問題も徐々に変わってくる可能性が大きい。

 いずれにせよ明朝のH2Aロケットの打ち上げ成功を望みたい。


5/19(水)曇り・雨 外来 院内感染対策会議 患者面談
2:10起床。ドック判定総括x1,他処理。徒然。6:10Taxi病院着。6:20回診、書類他。8:45-14:00外来、 16:00-17:00院内感染症対策会議。18:30患者家族面談。20:30帰宅、21:30就寝。

ソーラセイルの「イカロス」(1) 太陽発電パネル安売り? No!!夢の宇宙船の実証機なのだ
 18日に種子島宇宙センターから打ち上げ予定になっていたH2Aロケットは悪天候のために打ち上げ10分前に中止、延期となった.落雷の恐れがあったためだという。中止の際には燃料を一旦抜き取るとのこと。従って次の発射には再注入となるが,そのために時間が必要で、次回は21日になる。
 
 このロケットには金星探査機の「あかつき」が搭載されているが、もう一つソーラセイルの実証機「イカロス」も搭載されている。このことで特に私は関心を持って見守っている。

 半世紀も前の事であるが、私が小学生高学年の頃に読んだ宇宙科学の本の中に今から見れば「光粒子の物理的な力」を解説したものがあった.当然詳細は忘れたが、その中で比較的鮮明に覚えているのは、光には熱以外にもかなりのエネルギーがあり,例えば進行中の列車,当時はみんなSLであったが,前照灯を付けるだけで光が進む方向に反作用が出て、推進力が弱まる・・・などと記載があった。

 そしてその光を利用した夢のロケットとして「光推進ロケット」なるものがイラスト入りで描かれていた。大きなかさを持った白熱灯の電気スタンドのようなもので,大型の反射鏡を持ち,中央にある光源に光を灯すことで反射光が推進力になり,高速で進むと言うものであった。想像で描かれた宇宙船は巨大な酸素と水素の燃料タンクを備えた巨大なシステムであった。これでも宇宙空間では省エネ状態で長距離を進めるのだ,と解説されていた。

 当時、何も知らなかったが、「宇宙旅行」と言う言葉は私の夢を育んでくれた。この様な本を目の前に広げながら、満天の星を眺めていたことを思い出す。

 ソーラーセイルは自身のエネルギーでなく、太陽の光を船体に受けて反射させて推進する宇宙船のことで、ソーラーパネルの安売りのことではない。
 光はエネルギーをもつ粒なので、光のビームを鏡で受けて反射させると、この過程で、光子は運動量が2倍となってはね返ることになる。太陽の光を宇宙空間で恒常的に鏡としての帆に受けて反射させることにより、小さいながら連続して推進力が発生し、その力で前進する、という超省エネの宇宙船である。


5/18(火)快晴 外来 法人常務会 県病院協会通常総会+情報交換会 公開カンファレンス(欠)
2:00起床,文献チェック、ドック関連書類ほか.7;05徒歩病院着.ちょっと急いだがやはり1時間かかる。7;30回診。 8:45-13:35外来。14:45-15:45常務会+新築関連打ち合わせ。18:00-20:10県病院協会定時総会+情報交換会。20:30帰宅、21;00就眠。

牛、豚の口蹄疫の状況と対策 昨年の新型フルエンザと重なる
 口蹄疫の感染蔓延が大問題になっている。ちょうど昨年の今頃は新型インフルエンザ対策で騒然とし、多忙な日々であった。米国・メキシコでの感染が発表されたのが4月24日と記憶している。この頃の記録を見直すと私も診療以外の殆どの時間を対策に取り組んでいた。口蹄疫は、まだ,宮崎県の何カ所かの狭い範囲の感染にとどまっているものの、今後広く蔓延していく可能性が否定できない。報じられた国や県、地域の対策を見ると、どうしても昨年の新型フルエンザ蔓延防止対策と重なってしまう。

 本年4月20日に宮崎県で初の口蹄疫が見つかってから約一月経過し、5月に入って豚を中心に感染が急増している。実際には4月9日に疑わしい牛が発見されたが,1週間以上経過観察をしたらしい。初の例というのは常に判断が困難である。問題が大きければ大きいだけ,担当者の判断は慎重を期すこととなる。結果として、大切な時間を失ったことになる。空気感染はないとされているから、人の靴や衣服についてウイルスが広がっているのだろう。

 本日の段階では、131件の感染が見つかっているが、殺処分の対象になった牛や豚が11万頭を超える。かなりの数である。現実にどうなっているのか,予想すら出来ない。昨日、やっと首相を本部長とする対策本部がスタートしたが、遅すぎる観がある。地元や他の政党とかからの強い要望があって立ち上げたとされるが、本部長である総理は「これは危機管理上、大変重要な問題だ。政府を挙げて対処願いたい」と述べたとされるが,些かむなしく響く。
 とにかく、被害拡大阻止に万全を尽くして欲しいものである。農水省では発生後に直ぐ対策本部を設置したらしいが、大臣自身は自ら乗り込むと騒ぎが大きくなると判断したらしい(朝日新聞)。大臣は5月10日になって現地入りした。

 口蹄疫は感染力が強く、蹄を持つ動物の飼育農家にとって最も恐ろしい伝染病の一つである。4月20日に最初に牛の感染が確認され、半径10Km以内の家畜の移動禁止措置がとられたが、感染は蔓延しつつある。家畜の殺処分が決まっても、埋める場所がないという。確かに,鳥インフルエンザの時と異なり体格もいい牛や豚である.その作業の大変さは予想がつく。

 これらのニュースを通じて宮崎県の畜産の状況を知った。特に、優秀な種牛10数頭の精液による人工受精で大部分の子牛が生まれ、各地に出荷され松阪牛や近江牛などとして育てられていることなどは知らなかった。だから、口蹄疫の影響は、子牛の供給を通じて間接的に全国に及ぶおそれもある。
 大量の予防的殺処分が行われている。牛は高額である。畜産農家に対する保証はどうなるのだろうか、傍から見ていてもとても心配である。

 新型インフルエンザ対策でも医療機関、従事者への経済的保障を求めたが、結果として不十分なままで終わってしまった。


5/17(月) 晴れ 管理会議 医療安全関連打ち合わせ 療養病棟判定会議 長副会議
2:00起床。ドック総括、文献検討。徒然、6:00病院着。6:30回診、7:45-8:35管理会議。10:00打ち合わせ。11:00ライオンズクラブ年次大会長挨拶に来訪。書類作成など。病棟対応、16:00療養病棟判定会議17:00-18:40長副会議、21:00帰宅、夕食、 21:30就眠。

生活習慣病(1)このままでは国民皆保険制度は破綻する
 いわゆる生活習慣病の報告を見ると耳に痛い数字が並ぶ。

 肥満は世界的には、男性の24%と女性の27%が肥満とされているが、日本では、BMI30以上の高度肥満の頻度は3%であるが、最近は日本成人だけではなく小児の肥満も全体的に増加している。高学年の小学生は男子10%、女子8-9%が肥満であり、その9割以上が単純性肥満である。
 高血圧患者,脂質異常症の患者は共に4000万人程度、糖尿病患者は2600万人とも言われている。わが国は平均寿命で世界的に誇れる状況にあるが,疾患の有病率から見たら大変な数にのぼる。ここまで生活習慣に起因する病気が高頻度だと、もう個人の問題でなく,わが国の生活、文化自体が病気であり、この国に生活している国民はその犠牲者である,と言わざるを得ない。

 話は変わるが、宗教団体とかの一定の価値観の集団での講演会等ではいざ知らず、一般の講演会ではかなりの数の聴衆が話しを聞きながら微睡む。これはある程度やむを得ない。特に昼食直後などの時間帯では講師も若干覚悟が必要である。
 ただ、10-20数%位までであれば講師の技量とか、聴衆の資質等の個人的問題に関わってくるが,もし30%以上の聴衆が居眠りをしたとすれば、その責は聴衆にあるのではなく主催者の講師選択を含め、いろいろな設定に誤りがあると言うことで責任を求めても良い。少なくとも私はそう捕らえていて、講演の際にはいろいろ準備をして安眠させないような話題展開とする。

 わが国の生活習慣病について私はこれと同じようにとらえている。
 要するに日本に住んでいて常識的、当たり前の生活をしていれば自然と生活習慣病になるようにセットされていると言って良い。だから、これだけの数の患者が発生し、その多くの患者は診断されたら最後まで患者として医療を受けるから国民皆保険の維持は極めて困難となる。

 国民皆保険が制定された昭和30年代にはまだ生活習慣病と言うよりも肺炎や結核などの感染症や事故による受療が主で,しかも経済的理由から十分に医療を受けられなかった。受けても短時間で改善するか死を迎えるかで各患者がそう長期的に医療を受け続けることは無かった。だから、当時世界的にも画期的であった国民皆保険制度は比較的低負担で十分にやって行けたのであるが、生活が豊かになり始めた1960年頃からは疾病構造がすっかり変わって生活習慣病が台頭してきた。
 生活習慣病ではひとたび診断がつくとよほどドラスティックに生活を変えなければ死ぬまで医療を受け続けることになる。最近の患者は恐らく発足当時の数 100倍から数千倍もの医療給付を受けているのではないだろうか。
 わが国の保険制度は発想を変えなければ破綻する,と私は心配している。


5/16(日)晴れ 病棟拘束  ライオンズクラブ国際協会地区年次大会記念講演+晩餐会
1:00起床、文献新聞チェック。講演準備中心。夜が明けるのを待ち途中で鯉・スズメに餌撒きし5:15自転車病院着、6:30回診ほか。 8:30救急カンファ。13:00-14:30ライオンズクラブ国際協会地区年次大会記念講演。19:40帰宅。夕食、20:30就眠。

日曜日正午、NHK-TV『のど自慢』は底抜けに楽しい
 私は概してTVを見ないが,例外がある。日曜日は正午からのNHKのニュースと続く『のど自慢』は好んで見る。
 最近は出来るだけ自宅で老猫,家内と過ごすようにしているので、日祭日は早朝に病院に出て回診や救急カンファレンスに出たあと11:00前には帰宅し, あとはマイペースに過ごす。この頃から正午、NHK-TV『のど自慢』を楽しんでいる。

 NHK『のど自慢』は20組の老若男女がバランス良く、単独で,あるいはグループで登場するので予想外の展開をすることもありなかなか楽しい。じっくり聴かせるよりも見せる方に重きが置かれているのはTV時代柄当然で、大部分がこのタイプである。出演者が偏らないようにじっくり予選が行われるらしい。 80-90歳代の出演者もいる。高齢者はじっくりと聞かせる場合もあって面白いが、まず歌は下手である。とにかく、その日何が飛び出すか分からないのが、この番組のおもしろさである。

 グループ出演者の多くは激しいアクションを加えるが、よくまあ息も切らさず歌えるものだと感心する。この様な方々は鐘二つで滅多に合格しないが、始めからそんなに合格に拘っていないようだ。意外と多いのが福祉施設のお姉さん方、あるいはおばさん方のグループであろう。日常から業務としてもお楽しみ会とかで歌っているだろう,結構板についていてとても楽しげである。

 前奏の間に余裕がある表情の方が概して上手い。歌い出さない内から入賞しそうな気がするが、この予感は当たることが多い。TVカメラ、大観衆を前にして余裕を見せるのは只者でない。たいしたものだ。鐘が鳴った瞬間の表情もいろいろあって楽しい。たいていは大騒ぎするのであるが,中にはクールな表情で「当然の結果よ・・」というような強者もいる。一方、賞にもれた人たちも、みんな底抜けに明るい。それがこの番組の良さである。

 20組の出場者全員の歌が終わると、プロのゲストニ人が歌う。この時は伴奏者は休んでいるからカラオケを使っているのだろう。流石に素人とは月とスッポンである。確かに,何千人いるか分からない歌手達の中の頂点のスターしか声がかからないだろうから当たり前でもある。
 番組の始まりにその土地についての紹介があるがこれも楽しい数分間である。殆ど知らないところだから目の保養となる。とにかく屈託が無くて楽しい番組である。

 何で私がNHK『のど自慢』を好むかというと、小学校低学年の時にラジオ番組でNHK『こどものど自慢』と言うのがあって,私の住む地区で収録したときに私も出演、11番目にして初の合格者となったという体験があるからだろう。その後ずっとラジオで楽しんで来たが,TVになってからラジオの数10倍は楽しめる。
 来月の何時の日か,私が講演で訪れた秋田県羽後町で収録されるらしい。放送日が楽しみである。


5/15(土)快晴 病棟拘束 映画「アンダンテ-稲の旋律」
2:30起床。家内不在で3:00病院着。6:30病棟業務、8:30救急カンファ。業務と講演準備。18:30児童開館へ。 19:00-20:50映画「アンダンテ」観る。21:20自転車帰宅、今日も真まで冷えた。夕食、22:00就寝。昨年は当院発熱外来決定、県新型インフ対策本部設置等慌ただしかった。

映画『アンダンテ 〜稲の旋律〜』を観る 「おくりびと」のイメージと重なった
 「アンダンテ 〜稲の旋律〜」と言う初めて聞く名前の映画の割引券がついたパンフレットが机上に置いてあった。恐らく労組の関係者かな?県児童会館で金曜から日曜にかけて3-4回上映されるという。
 パンフレットを見るとこの映画の主たるテーマは、現代日本のストレス社会が抱える若者の問題、食料自給率問題とのことで興味を抱いた。本日は終日誰と話すこともなくカルテ、パソコンに向かったので疲れた。家内も学会出張で不在だし、帰りしなに寄って観た。

 荒れる主人公の家庭の問題は何所にでもありそうな内容である。困窮な貧農体験を持ち、報われなかった自分の夢を娘に押し付ける母親、家庭を顧みず横暴な意見を吐き、自分の価値観を押しつける父親が登場する。主人公の30歳ほどの娘を中心にそれぞれの生き方の中で心の葛藤が出演者の表情に深く描かれている。父親像では自分の一部分を観ているようなシーンもあり考えさせられた。
 食と農業の問題も取りあげている。日本の食料自給率は39%、安全性に疑問がある安い食品が海外から多く輸入されている現状、食物アレルギーに苦しむ子供たちが如何に多いことか,等も映像とか台詞の中で取りあげている。ただ、問題提起としては弱いと思った。
 美しい田園風景が素晴らしい。秋田の田園地方でも時に見られるが、私が大好きな稲穂が一斉に風になびく状況が高い確度から何度も何度も映され、あたかも大海原のさざ波を見ている如くである。
 最後の場面では主人公が農家の青年達の求めに応じてピアノを弾くのであるが、場面は何と稲穂が豊かな田の真ん中であり、村人達が農道やあぜ道に立って聴くと言う場面である。この設定には無理がある。取って付けたようで、私としては小学校の体育館とか公民館とかであればそのまま入り込めていて良かったと思った。正直なところこのシーンでちょっと白けた。

 全体に流れるイメージは、何だかかつて観た何かの場面に近いな・・と思いながら観ていた。さりとて私が今まで観た映画など10数本に過ぎないからそう候補があるわけでない。最後のピアノの演奏の場面を迎えて、それはちょうど一年前、ゴールデンウイークにDVDで観た「おくりびと」だ、と気づいた。

 両者に共通して描かれる素晴らしい田園地帯の風景、地方の雰囲気などである。「おくりびと」を観て私が懐いた最大の疑問のシーンは主人公が河川敷でチェロを弾く場面であった。私の感想文も「山形の庄内地方の自然、景色、風景、背景に使われた名峰月山が見事にマッチした。ただ、何で河川敷でチェロを弾かねばならないのか、その設定は理解できない」と記述してある。

 どちらにせよ私は映画に関しては本当に初心者である。だから、「アンダンテ」の真の意味づけを本当に感じ取れたか疑問である。どうしても批判的に観てしまう。何しろ、映画を真面目に観たのは今まで10数本しかない。映画館に入った経験は盛岡で2回、新潟でゼロ、秋田では40年暮らしているがアマデウス一回だけ。映画の芸術的価値、存在価値は十分認めている。今後、多くの名作と言われる作品を、出来れば映画館で味わってみたいと楽しみにしている分野である。
 今日の「アンダンテ」はまずまず楽しめた,と言うのが結論である。


5/14(金)雨・寒波 65歳初日 病院機能評価受審委員会 法人理事会 
2:30起床、家内不在で3:10病院着。文献、総括など。6:20回診他、11:00入院患者対応、患者関連書類処理。16:00-17:00 病院機能評価受審委員会。17:30-19:20法人理事会。20:50帰宅、21:30就寝。

「65回目の感謝の日」 方向転換の時期を迎えた
  本日は私にとって65回目の感謝の日である。今日を迎えた事は偶然の組み合わせで実に不思議、もう言うこともない。だから感謝の日としている。
 一昨年はこの日にいろいろ健康問題を意識していた。その後もいろいろ引きずっているがそう調子も悪くなく、今年も恙なくこの日を迎えた。ただ、ここ数年、現状のマイペース生活は心身にかなりの負荷で方向転換が必要である。 

 私が無理して努め続ける必要は有能な方々が揃っている組織にとって「百害あれど一利無し」。そのような考えのもと、3月末で県医師会役員を辞した。まだ一月半であるが、肩の荷はスッと軽くなった。それだけ責任を背負っていたことである。県医師会の活動は出版物を介して知るだけとなったが、私の判断は正しかった。

 それでも、時間的な負荷はそれほど変わっていない。机上の未総括カルテや未処理の書類の量も殆ど変わらない。だから、更に何とかしなければならない。
 法人の医師定年は65歳で今年度末が正式の退職時期で、あと実質10ヶ月。今の立場からして無責任な態度は取れない。私自身の意志を表明すべき時期でもある。還暦を迎えたら方向転換したいという夢を持っていたが果たせず、次の機会は定年と5年間待った。その時期がついに来た。今度こそ、である。
 定年が設定されていると言うことは個人的にどう考えようと、「もう良いよ、ご苦労様・・」と言うこと。これ以上はウロチョロされては迷惑、古くさい経験、石頭は不要、むしろ邪魔、と言うこと。それに照らして自身を見ると正しくその通りである。

 最近、いろいろやりたいことが増えてきている。先日の柴田翔東大名誉教授の講演ではゲーテの生涯、特に晩年の創作活動について紹介し「青春幻想」の蘇りと説朋した。全然違う世界のことだが、共感出来た部分があったので対外的には限界だが、私的にはまだそう捨てたものでない、とも思う。これが微々たる拠り所である。

 一方、私は社会性というか、社交性と言う面では極めて乏しい。その中で常に背伸びしてきた。だから、環境が変わった瞬間から「孤老」になる可能性が大きい。いままで高齢者向きの講演では「孤老」にだけはなってはならないと協調してきた。16日の講演でもこれについても触れる予定である。自分の問題として話しているのでつい力が入る。この「孤老問題」はちょっと気がかりである。


5/13(木)小雨・曇り 外来 医師面談 第2回新築準備委員会
2:30起床。文献等若干処理。5:50内視鏡関連学会出席の家内を駅に送り病院着。6:30回診他病棟関連業務。8:45-14:00外来,超混雑。14:00県総務部スタッフ来訪。14:30医師面談。15:30-17:00第2回新築準備委員会。21:00帰宅.夕食、22:30就寝。

匿名化、顔の見えない社会化はまずい(10)ネット上でも発言、情報発信には責任が伴う
 ネットでは、誰もが自由に意見を発表出来るし、議論もできる。とても良い時代になったものだと思う。実際に発言するとなると大変なことであるが、ネット上では職業、地位、年齢などに関係なく発言可能である。うまく利用すれば素晴らしい意見交換の場となる。

 私は立場上、いろいろこなしてきたが、基本的には人前で話したり、意見を述べるのは苦手な方で、口に出す方よりも活字にする方を好む。
 しかし、誰でも、比較的気軽に発言出来ると言うことは無責任な意見交換の場になりやすい。実際、ネット上には根拠の乏しい記述や中傷があふれている。だから、今の情報化の時代、必要なのは情報収集力でなく情報の選択力・判断力である。ネット上でのトラブルは急増し、全国の警察に寄せられた中傷被害は朝日新聞3月の記事によれば年に約1万件を超えている、とのこと。

 インターネット上の書き込みであっても基本的には発信者は自身を明らかにすべきである。匿名化も可能であることをいいことに無責任な発信をしてはならない。従来、ネット上の個人的な情報は信頼性が低いとされて軽く扱われ、責任も問われなかったが、それは基本的に誤りである。発言に責任が伴うのは口頭であろうと文書であろうとネット上でも同じことである。

 いろいろな事件の報道を見ていると携帯電話の通信履歴もかなり残っており重要な情報を提供しているようだ。実際には私どもは監視カメラ他、電話でも知らないところで監視、記録がされている。ネットの場合でもプロバイダー責任制限法があって、ネット接続事業者に発信者の情報開示を求めることができる。要するに、匿名であっても発信者は特定され得る構造になっている。このことは一般的に知られていないのだろうか。

 「医師専用サイト」の意見交換欄に匿名で意見を述べている医師も少なくない。不満のはけ口になっているようだ。ネット上にカルテを流出させた医師すらいるが、これは明らかに犯罪行為で、このケースでは発信者が特定されている。
 ネット上で医師による人権侵害は少なくないことから、先に日本医師会生命倫理懇談会は「医師はプロフェッションの一員として可能な限り発信を実名で行うことが望ましい」と警告した。それに対しても反論や日医を誹謗する意見が飛び交っている。それも匿名で。


5/12(水)曇り→雨 外来 ドック結果説明 県個人情報保護審査会
2:00起床。ドック総括、文献チェック他。7:00病院着。7:20 病棟回診、関連書類。8:40-14:20外来。15:30-17:20県個人情報保護審査会。20:50帰宅、夕食、21:30就眠。

わが家のゴールデンウイーク2010  老々生活・介護のリハーサル調、静かに過ぎ去った
 国民的行事となっている大移動の時期といえども、私が移動とか人混みとか嫌うのでゴールデンウイーク(GW)期間に特に出かけるなど予定を組むわけではない。それに私にとってこの連休は遅れに遅れた退院総括他の業務を処理するために貴重な時間である。

 一方、今年は家内が退職して迎える2回目のGWでもある。家内は体調も最近少し余裕が出てきたようで、平穏に過ごせそうな感じがした。20歳近くの老猫ナン・ナン,今年まで生きながらえると思っていなかったが、何とか持ちこたえたので、この間なるべく家で過ごし声をかける様につとめた。

 この間は連日何時もよりは遅めの7:00前後に病院に到着するようにし、出来るだけ歩いて出勤し、回診、救急カンファ、書類処理し、10:00過ぎに帰宅、ドックなどの自宅で出来るのは自宅で処理した。

 私の今年のGW中の業務は、連日の病棟拘束と、5月5日(水)日直であった。この間、病棟では2名の方がお亡くなりになった。5日には午前の救急外来を担当した。外来は殆ど席を立てないほどの混雑振りで、いつもの如く開業医に通院なさっている方々の受診が目立った。盆正月、大型連休中は救急病院が結構多忙であるが、何で病院勤務医が地域医療の維持を担わなければならないのか、救急に来られた方々を診療しながら,これも勤務医の社会貢献の一つなのだと思う一方で、医師不足、特に勤務医不足の折、とても割り切れない。
 医師は絶対的に不足していることに加え、分布にも問題が指摘されている。まさしくその通りであるが、更に機能の分担が不徹底だから、勤務医が一層苦しくなる。

 このGW中、私的には自宅の書籍、文献の片付けを行った。最終日にはミニ交通事故にも遭遇した。
 まとまってやれたことと言えば、ショパンのピアノ作品を中心にピアノ曲を沢山聴いた事と,ショパン関連の書籍を読んだこと、もう一つは、リハビリテーション関連の書籍を2冊ほど読み切ったことかな。後者については、私は内科医として免疫能や臓器障害、発がんなどを含め、診断や治療のことを中心に今まで患者を診てきたが、骨・筋肉等の運動器の機能維持が健康維持のために極めて重要な位置にあることを遅まきながら理解した。GW後からまた新しい視点を盛り込んで診療や患者指導が出来る様な気がした。また、16日のライオンズクラブの講演にも役立ちそうである。

 一昨年あたりのGWと比較すれば若干は余裕があって静かに過ごせたか、と思う。ただ、この静けさは夫婦共々年をとったことにも関連するだろう。こんな感じを繰り返しながら老々生活から老々介護のレベルに近づいていくのかな、とおもった。
 老猫ナンナンは惚けてすっかり昼夜逆転して早朝の大切な私の時間を奇声を上げて邪魔しに来る。小さな悩みであるが、昨年に比べると一層やせて骨と皮だけになった。奇声だけは相変わらず力強い。この点はヒトと同じである。老猫と共に過ごしたGWであった。

 今年の連休の評価はとても静かだったが、老々生活の雰囲気だったのでシルバーウイークだったと評価しよう。


5/11(火)曇り・雨 外来-ドック説明 常務会 医局会
2:00起床、文献検討他。新聞チェック。6:20自転車病院着。6:30回診他。 8:40-14:30外来+ドック結果説明2名、混雑。14:45-16:30常務会、17:30-19:00医局会。21:00帰宅。21:30就眠。

匿名化、顔の見えない社会化はまずい(9)名前のない関係が更に進むと覆面に行き着く
 先日,運転免許証の更新のために秋田県運転免許センターに言った。ここでは個人情報保護のために名前を呼ぶのを止めた,と言うことで何回か受付番号で呼ばれた。
 私はとても違和感を持ったし,この様な公的機関がこの様な形で匿名化を是として進める様な方法をとると言うことは、わが国が不気味な匿名化社会になって行くことを助長する,と思う。

 匿名化はとても不安で危険な人間関係を作る。人間関係の中で顔が見える関係というのは基本中の基本だと思うが、顔が見えていてもその方の情報が分からなければ、不特定多数のうちの一人と言うことで、とても脆い関係になる。その関係をパロディ風に描いた文学作品は少なくなく、ヴェルディの歌劇も「仮面舞踏会」である。運転免許センターにたむろしていた方々はまだ更新などの運転免許に関連して一定の目的を持って集まった人たちだからまだ安心できる。

 顔は重要な個性の現れだから顔が出ていれば、その表情を頼りに何らかの方法で個人識別される可能性がある。だからまだ許せるのだが、匿名化が高じてそれすら忌避する様になると、次にとる行動は何かで表情を隠すと言うことになる。その手っ取り早いのはサングラスであり,深々とした帽子であり,更に覆面である。

 イスラム教徒の女性がヴェールを身につける根拠は女性の美しいところを人前で隠すコーランの記述によるとされている.その中でブルカは頭からすっぽりかぶり顔全体を覆い尽くすタイプでアフガニスタンに多い。だからブルカ? そのほか目のところが開いたニカブ、顔だけ出すチャドル、髪だけ覆うヘジャブというのもある。日本で日常見ることは殆ど無いが、ヨーロッパでは教徒も多い。英仏独伊・ベルギーなどでは公共の場で身元を隠す衣装を脱ぐよう求めている。時代は安全性のために宗教的観衆すら変えつつある。

 わが国ではこれと逆の動きである。
 匿名化、匿名でかまわないという風潮は恐ろしい結果をもたらして行く。既にその傾向はある.最近無差別殺傷事件が頻発しているが,その背景に匿名化が関連していると思う.匿名化の中では孤立化、反社会的になり易く、不満の対象は社会に向けられ、そのはけ口の対象者は不特定多数であり、結局誰でも良いい,と言うことになる。


5/10(月)曇り 管理会議 外来 長副会議 
2:00起床。文献チェック。6:10自転車病院、6:20回診他病棟業務。7:45-8:20管理会議.8:45-14:00外来。連休明け、混雑。療養病棟判定会議無し。17:00-19:00長副会議。20:50自転車帰宅,夕食、21:30就寝。

路上で接触事故に遭う(3) 免許証更新も指摘され無事更新 個人名で呼ばれない異様さ
 先週の接触事故は一瞬大事故になる、と覚悟したが、互いの対応が良かったのか,無事回避でき実害は殆ど無かった。お陰で良い経験した、と笑っていられる。

 事故の関係者として警察で事情聴取を受け、その過程で私の車の車検切れ,それも1年ほども、を指摘され、パトカーに乗せられ現場検証にも立ち会った。相手方から美味しいお菓子も戴いた。もう一つ警察官から免許証の期限が迫っていることも告げられた。確かに、一月ほど前に交通安全協会から免許証の期限切れの連絡はあったが,そのハガキも机の奥にしまい込んだまますっかり忘れていたが、それもうまい具合に思い出す切っ掛けとなった。この事故がなければ、もしかすればそのまま失効させた可能性があった。

 交通法規の本によると、車検切れ自動車の運転は6点減点とある。意外と大きい。警察がどのようにこの問題を処理するか分からない。法的な対応がとられてもやむを得ない。ずるい考えであるが、ゴールド免許の利点を維持するためには一日も早く更新しておく方が良いと考えた。更新後5年間はそのまま維持できるはずである。

 で、日曜は混雑するだろうから、外来のない5月7日金曜日,早朝に業務を大体処理し、年休を取って運転免許センターに出かけた。8:30からの受付で、それでも100人余は待っていた。5年ぶりだから手続きはかなり変わっている。今回はICチップを埋め込んだ免許証になると言うことで、自動受付機による受付から始まったがそのあとはほぼ従来通り。淡々と進み9:30から30分間の講習で終了した。ここでも個人情報重視と言うことで,自動受付機では操作中に暗証番号が次の人に見られない様な配慮も受け、最期の免許証交付の際にも名前は呼ばれず受付番号で呼ばれた。ゴールド免許の恩恵で時間が短く済み,11:00には業務に復帰出来た。

 ここは秋田県公安委員会が発行する免許証の交付を受ける公的な場所である。個人情報保護の観点から、名前が一切呼ばれず終始受付番号で呼ばれることに私は違和感を懐いた。こんな所でまで名前を隠す必要は何所にあるのか?理解できない。
 
 不必要に明らかにする必要は全くないが、名前を隠す配慮が公的な機関の中でも過剰に行われることは、異様な考え方が蔓延ることになり危険でもある。


5/9(日)母の日 快晴 病棟拘束 
2:30起床。文献整理,新聞チェックなど。7:00自転車病院。9:20講演資料等を持って帰宅。自宅で講演準備中心に過ごす。母の日である。子ども達を中心に花のセットが数ヶ届けられた。食卓が華やかになった。19:00次男夫婦をさそい外食、21:00帰宅、21:30就寝。

政権後退(10)普天間関連の米軍機墜落事故(2)「630館」
 1959年6月30日正午近く、一機のF100Dジェット戦闘機はエンジン整備後の試験飛行のために米軍嘉手納基地を飛び立った。機は上空で操縦不能となり、パイロットは機首を人家のない丘陵地帯に向けてから脱出した。しかし、その後、機は右旋回し、民家をなぎ倒しながら宮森小校舎を直撃し炎上した。
 安否を気遣う父母たちの前で米軍は現場を封鎖した。米軍施政下という特異な境遇の中,事故に加えてこのことによって関係者の悲嘆と心の痛手はより深いものとなった。

 何故か,この事故も、2004年8月13日に沖縄国際大学に大型輸送ヘリが墜落した事故も沖縄問題を語る際に表に出てくることはない。普天間基地の返還移転問題は日米間問題でもなく,アジア地区の抑止力の問題でなく、住民への安全確保の視点から日米で合意したものである。だから、もっと前面に出しても良い歴史的事実と思うが、出てこない,出さない。これは実に不思議なことである。

 この事故を風化させてはならないということで、宮森小学校校長の平良氏が関係者に記念施設の設置を呼び掛けた。平良氏は事故当時小学2年生で、この事件に巻き込まれた一人である。開館に至までの過程は決して楽なものでなく,固く口を閉ざす遺族を粘り強く説得し続けた,と言う。このときの状況がラジオ深夜便「心の時代」でリアルに語られ,私は感銘を受けた。
 結果的には、50年前の児童のアルバムや作文、絵画など、遺族から300点余の遺品が寄せられ、昨年から小学校の図工室で資料を展示する「630館」として土日に開館している。
 事故の祈念碑「仲よし地蔵」も同小の中庭にあり、亡くなった児童の名が刻まれ、毎年事故が起きた日に慰霊を続けている,と言う。

 沖縄県民は、米軍基地の騒音、米軍兵との関係、事故の恐れに苦しみ、悩まされ続けている。
 市街地の真ん中にあって米軍自らが世界で最も危険な飛行場と認めている米海兵隊普天間飛行場の移設移転問題はどのように決着するか分からない。前政権と米国で合意した辺野古移転は一つの選択肢であっただろうが,それすら鳩山首相がダメにした。首相がどのような目算があったか分からないし,どのように努力したかも見えないが、県外移転を実現すると強調し続けたために県民は大きな期待をもった。移転を容認するために働いた方々は今苦境に立たされているし,住民の反対運動も顕著となった。

 ここまで来れば辺野古の線でまとめると言う政治的決着も困難であろう。県民はまたもや翻弄されてしまった。沖縄の方々の気持ちを推し量ることは到底出来ないが、ここまで事態を悪化させた鳩山首相の今後の動向から目を離すことは出来ない。


5/8(土)曇り 病棟拘束 
2:00起床、文献検索そのほか。6:50自転車病院着。7:30回診他。8:30救急カンファ。机上処理中心。患者関連書類多数処理。来週の講演準備に着手。19:00自転車帰宅、夕食、20:00就寝。

政権後退(9)普天間関連の米軍機墜落事故(1)あまり語られないは何故?
 普天間基地移転問題はいよいよ厳しい状況を迎えつつある。
 民主党は、従来から県外・国外移転を求めると言ってきていたが、選挙マニフェストには普天間基地の県外移設については盛り込んでいない。しかし、鳩山首相は就任当初から県外移転を求めて行く、その期限は5月末、と明言してきた。もうその実現性は殆ど無くなってきた。

 普天間基地は市のど真ん中にありとても危険な基地とされているが、過去に生じた米軍機墜落事故があまり話題として取り上げられていない。何故だろうかと不思議に思ってきた。

 1995年、アメリカ兵による婦女暴行事件を契機に一気に盛り上がった沖縄県民の切実かつ真剣な要求を受けて,当時の橋本総理は翌年4月に「普天間基地の全面返還」を決定した。しかし、その際、返還は県内への基地の移設が条件とされていた。その後、移設先が名護市辺野古沖とされ、名護市民投票では受け入れ反対が多数であったが、次の選挙で基地受け入れ容認の岸本市長が勝利して問題は複雑化した。そのこともあって、日米両政府が普天間基地の全面返還を合意してから14年経つが、辺野古が移設先とされたまま普天間基地は放置されてきた。この間の詳細な動きについては私は残念ながら殆ど知らない。

 全面返還合意から6年後の2004年8月13日に、沖縄国際大学にアメリカ海兵隊の大型輸送ヘリが墜落した。住民に犠牲者は無かったが、この際、基地外で生じた事故にもかかわらず、現場は米軍によって封鎖され、日本の警察は殆ど立ち入りすら出来ない異常な状況であったことが報じられた。
 上記の事故はまだ私の記憶にうっすらと残っているが,最近、過去に多数の死傷者が生じた別の航空機墜落事故があるのを知り、私は衝撃を受け無知を恥じた。

 1959年6月30日、石川市(現うるま市)の宮森小学校に米軍のF100Dジェット機が墜落した。この大惨事で小学生11人と一般住民6人が犠牲になり、210人が負傷した。事故から半世紀経っているが、二度とあってはならない大惨事である。何故かこの事故についてはあまり広く報じられられていない様な気がする.とても重要な事実だと思うが、何故なのだろうか?

 私がこの事故を知ったのは、本年2月5日4:00amにNHK-FMラジオ深夜便「心の時代」を聞いたのが切っ掛けである。番組には当時小学校2年生で事故に遭遇した平良嘉男氏と当時小学校教諭であった新里律子氏が登場し、その事故の悲惨さを生々しく語ってくれた。平良氏は現在この宮森小学校の校長を務められている。


5/7(金)降雨 時間年休で運転免許証更新 中通病院友の会理事会で挨拶 検討委員会
2:00起床、文献検索、その他。5:20病院。6:30回診他。8:00新屋運転免許センターに。更新手続き順調。11:00帰院業務。友の会理事会に出席挨拶。21:15自転車帰宅、21:30就眠。

政権後退(8)鳩山首相は宇宙人か
 首相の表情を見ていると、何に付けても全然深刻さを感じ取れない。言葉だけは良いのだが、言葉に対する責任感が伴っていない。

 彼はやはり、言われる様に宇宙人なのでないだろうか?そう考えるといろいろなことが納得できる。
 一月1.500万円ものお小遣いを母親からもらえる環境に育った方が,やりくりして何とか生活している国民の感情を理解できるはずがない。沖縄県民の苦痛を軽減してあげるのが私の役目、と言う目にも真剣みがない。沖縄の県民の気持ちをどうやって理解していたのだろうか.理解するため何らかの努力したのだろうか。

 この4月私どもの法人は新卒医師10名を含む約70名の新人を受け入れた。その入社式や新人歓迎会では先輩方から,これからは医療人の一人として、患者の立場になって,病に苦しむ人の立場になって・・等と祝辞や期待を込めた言葉が何度も贈られた。私は、他人の気持ちになれる,理解するなどと言うことはそんなに簡単なことではない,と思う。自らが同じ立場に立ったときに始めて少しだけ分かるのかもしれない。親子であろうと,夫婦であっても各々が一人の個人である以上、絶対に分かりあえるものではない、と私は割り切っている。また、一人一人は感受性が違う。「桜」一つをとっても、秋の昆虫の鳴き声をとっても、その感じ方は各人各様で幼少の時からの生活環境,生活体験によって異なってくる。それでも医療人はプロの技術として患者に歩み寄ることは出来る。その技術を一日も早く身に付けて欲しいと思う。

 鳩山首相はプロの政治家としての技術、常識、責任感さえ身につけていないのではないか?政治家が発する言葉は重い.ましてや首相である。最高に重い.このことを理解して話しているのだろうか。本日は、普天間5月末決着の期限設定は選挙対策だった、と述べたという.こんなことを言ってはならないのだ。すらすら話すのを美点ととるのかいろいろ感じ方があっていいが、私はひたすら呆れるのみである。

 院長職とは何だろうか・・,私にとっては言いたいことの,感じていることの2割くらいしか言葉に出来ない苦しいポジションだと思っている。だから、毎日が腹膨れる思いである。実際に,最近ハラが膨れてきている。

 政治の今後も心配、不満である。だからこそ無視は出来ない。


5/6(木)晴 外来 
2:30起床。文献チェック。6:10自転車病院着、6:30回診+病棟業務。8:40-14:00外来。超混雑地獄の外来。患者関連書類処理。20:45帰宅,夕食、21:30就寝。

政権後退(7)政権交代から7ヶ月 鳩山首相は不適格
 マスコミ各社が世論調査をしているが、発足当初7割に及んだ内閣支持率は、2割程度にまで落ち込んだ。自民ではもうどうしようもないと言うことで、大きな期待の元での政権交代であっただけにその後の推移を見て,当初抱いた不安が現実になった、と言うことだろう。いやそれ以上にひどい状態と言うべきだ。

 この支持率低下の責任は100%首相にあると考える。
 ■決断力・実行力欠如。■言葉が軽い。■閣僚をまとめ切れていない、■各種の政策に首相の意志が見えない。■政治とカネ問題を軽視。■普天間問題でさえ・・で,枚挙に暇が無い。カネと政治に関して,検察審査会の意見が出てからも自浄作用の動きが見えず失望が生じてきている。

 支持率の低下、これは,国民の当然の反応である。
 私個人としては3月上旬の段階で首相が自ら引いた5月末という期限に普天間問題を、「前政権と米国との間で合意した方針に沿った形で政治決着させたあと、責任をとって退陣」と予想していた。沖縄県民の負担を減らしたい,と県外移設の可能性を口に出しながらそれまでですら、首相の動きが乏しく、残り3ヶ月をどう頑張っても地元の納得と米国との合意を得られるはずがない。あるとすれば、先の合意の線しかないと思っていた。

 しかし,その後もつい数日前まで首相は自ら動かず,期限が一月に迫った今になって沖縄を訪れているが,もう遅い。この失われた2ヶ月間で地元の結束はむしろ高まり,到底納得は得られない状況を自ら作り出してしまった。もうここまで混迷させた以上、県内に移設する,残すと言う形での収集は困難だろうと思う。県外移設は米国が呑むはずがない。

 私は3月以降の、この2ヶ月間の首相の言動を見ていて、首相に不適格な方だと見切りを付けた。
 もうこれ以上の続投は政治を,国民を混迷化させるだけだから退陣すべきだと考えている。


5/5(火)こどもの日 病棟拘束  日直・午前外来 警察で検証
2:00起床。徒然,新聞、文献検索。6:15病院着、6:50回診,病棟関連書類処理。8:30救急カンファ。8:45-13:30外来、以降文献書籍整理。17:30秋田警察署で聴取と現場検証。問題なく終了したが、この過程でCRX-Delsol車検切れ発覚。署に車置き徒歩にて帰宅。 19:30夕食。20:30就眠。これで私のGWは終了。

今夕、路上で接触事故に遭う(2) 私の車の車検切れが発覚
 昨夕、帰宅途中、市内中央通の交差点で接触事故に遭った。

 本日警察署で検証があった。私にとって初めての体験であった。ちょっとした事故であったが、きちんと事故扱いしなければならないとのことで、4人ほどの警察官が対応してくれた。
 接触事故に関しては私には問題がないはずだから意気揚々と乗り込んだのであるが、私の免許証や車検証がチェック受けている間,担当者が何度も書類を確かめて、何か様子が変であった。車検証、自賠責に関してもっと新しい書類はないか?と言う。要するに、私の車の車検が切れていたことが分かった。私自身は全く気がつかなかったが、有効期限は平成21年6月であった。だから、私は書類上は約1年間車検切れの車に乗っていたことになる。

 実際にはパワーウインドウがうまく作動せず、開けることは出来てもうまく締まらないことが多く、昨年夏以降は修理のためにディーラーに預けっぱなしであった。秋にコンピューター制御のウインドウシステムを外付けし、機能的には解決したのであるが、タイヤ交換もせずにガレージの中で一冬過ごした。今年は昨日始めて路上に出たからから実質的にはそう違反は犯していない。しかし、傍からは 1年間無車検車を運転していた,ととらえられてもやむを得ない状況である。言い訳せず規則に沿った処分を受けなければならない。

 車検切れの車を路上に出せないので検証自体はパトカーで移動し、現場で昨夕の状況を説明し、最後に相手側に何らかの要求をするつもりはあるのか聞かれ,全く無しと答えて私の分は簡単に終了した。私はここで中座したが、相手の方から美味なるお菓子を戴き良い感じで別れた。

 3回の接触事故とも相手に喜ばれたことになり、私はとても良い気分である。入学したばかりの女子大生3人、共に遠方から秋田に来ていた方達でとてもショックで不安だったろう。彼女らにとっても良い経験になっただろうし、秋田に良い印象を懐くことになるかもしれない。
 事故そのものは人的にも車体にもそれほどの損傷無く良い状況で終了したが,相手方はレンタカーであるためにそれなりの出費が求められるだろうし、私の方は無車検車運行の違反を問われることになるだろうが、やむを得ない.この程度で済んだことを互いに喜ぶべきである。私は警察の駐車場に車を預け、徒歩で帰宅した。

 CRX-Delsolは初登録は平成5年であるから17年目と古い車であるが、オートマチックでハードルーフがリヤに収納される構造を持っていてなかなか捨てがたい.家内の希望でもう一度車検を通すことにした。


5/4(火)みどりの日 晴れ・小雨 病棟拘束 帰路、車の接触事故
2:20起床、文献、新聞等種々処理。7:00徒歩病院着、病院業務、退院患者関連書類処理。10:30自転車帰宅。自転車変速機等調整。 15:00小雨再度病院、書類処理、19:20帰宅、中央通り交差点で信号無視の車と接触。私のCRX-Delsorはそれほどのキズ無し。夕食、 20:30就眠。21:00警察から電話。明日検証するという。

今夕、路上で接触事故に遭う(1) 3回目の経験となった
 今夕、帰宅途中、市内中央通の交差点で接触事故に遭った。

 私は青信号で直進したのであるが左側から小型の乗用車が停止せずに進んできたからで、一瞬、助手席後部当たりの側面に直角に衝突、大事故になるか?とも思ったが、咄嗟に最大限加速し、直角の衝突を避けるために若干左側にハンドルを切った。衝突はしたが、相手の車も急停止直前だったのだろう、最小限の接触で殆どキズもない状態で済んだ。衝撃はそれほどでなかったが音はかなりであった。

 相手の乗用車には秋大の女子学生が3人乗っていてレンタカーなのだそうだ。私は被害も大したなかったから連絡先だけ教えて帰宅した。相手側の傷もザッと見る範囲では大した事なさそうであった。互いに自分の車であれば簡単であっただろうが、先方はレンタカーであったことから会社を通じて警察に届けたのだろう、布団に入ってから相手の方と警察から連絡が来て直ぐに検証したいとのことであった。私にとって大事な就眠時間であることで明日夕方に延ばして貰った。日直終了後車を持って警察に行くことになった。互いの無事と損傷が軽微であったことから黙って立ち去ったのは拙かったのかな??

 路上で車通しの接触事故は私はこれで3回目である。

 1回目は昭和47年8月頃でファミリア1300を駄目にした。家内の下腹部が膨らんできて妊娠か腫瘍か??なんてバカな心配をしながら、盛岡日赤で診察を受けた。結果は妊娠で、診察その他まだ時間がかかるというので私は本屋にでも行くかと考え日赤からゆっくりと道路に出たが、何故か左側から来たブルーのスカイラインが止まれずに私のファミリアの左側面に衝突した。よそ見か何かして私の車に気付くのが遅れた様である。衝突の瞬間にはかなり速度は減じていてそれほどの衝撃はなかったがバリバリと音だけは強烈であった。
 相手の車はそれほどのキズではなかったが、ファミリアのキズはひどく修理せず別の車を購入することにしそのまま分かれた。

 2回目は平成に入った頃だろうか、路上には雪が若干積もっていたが、秋田市の通町の交差点でノーマルタイヤの乗用車が止まれず私の右前部に衝突し、ボディを凹ませ、フェンダーミラーを壊した。使い込んだスバルレオーネだったので自分で修理出来そうだったので相手には特に何も要求しなかった。その方はある病気で通院中だったとのことで、通院時に主治医に話したら「いい人にぶつかりましたね」と褒めてくれたとのメモが後に送られて来た菓子折に入っていた。

 で、3回目が昨日である。初めて警察が入ったがどうなる事やら。今から秋田県警に行ってくる。


5/3(月)憲法記念日 晴れ 病棟拘束 
2:30起床,講演準備など。6:00病院着、6:30回診他病棟業務。8:30救急カンファ。10:30帰宅。FMで終日ショパンの日.聴きながら業務,本読み、文献整理。憲法を考える集会は欠席した。家内夕方から休宝寺。19:00近所で外食、20:30就眠。

連休分散化案 奇抜なことを考えるものだが・・・
 ただいまゴールデンウイークの最中である.私も連日病院には出かけているが余裕のある時間を過ごしている。休日は良い。相変わらず業務に押されているが、それでも時間がゆっくり流れていく。

 日本を五つのブロックに分けて連休をずらすという連休分散化案がまじめに検討されているらしい。私は,おもしろい、奇抜なことを考える人もいるものだ、なかなか良いじゃないか、と聞いた当初はそういう感想を懐いていた。厳しい労働条件の中で休みもろくに取れないで働いている労働者に年2回ゆっくり休んで貰おうというアイデアと思った。ならば別に分散させなくても良いじゃないか。

 何とそのルーツは厚労省ではなかった。前原国土交通相が本部長を務める政府の観光立国推進本部であった。そうであれば目的は別なところにある。だから、そう気軽にはとらえられない,と考え直している。この案の目的の第一は内需の拡大、すなわち観光関連の需要・消費を増やすところに目的があることは明らかである。日本の経済は八方ふさがりだか,国民は今のところまだ比較的豊である。全国を5ブロックに分けて休日を分散することで観光地の極端な混雑を減らし、国民のレジャー需要をもっと引き出そうというものである。内需の拡大の面から考えると悪くないアイデアだろうとは思う。

 諸外国にはもう例がある。フランスやドイツでは既に行われているが,この場合、土日を含む5日間程度のちゃちな休暇でない。2週間から30日間の大型の休暇である。これほどの長期休暇だとすれば全国一律では社会生活が頓挫してしまうから分散させるのは当然である。

 私はこんな小手先のことを考えるより、労働者が「もっと休める環境」の保証に手を付けるべきである。労働者は平均年18日程度の有給休暇が与えられるが、実際に休めているのは9日足らずで大部分は消化されていない。取得率が100%近い欧州各国に比べてきわめて低く、働き過ぎで心身をこわす人も絶えない。特に鬱状態、鬱病の発症はわが国では深刻な問題である。日本中の有給休暇を100%消化すると16兆円の経済効果と190万人の雇用が創出できるという、観光地域経済フォーラムの試算もある。

 年2回ほど、まとまった休暇を年2回ほど取れるという生活・労働環境は良いじゃないか,と思う。別に地域ごとに分散させる必要はない。週休二日制はどれだけ社会に根付いているか分からないが、まずこれを徹底させて、次に国民の休日の在り方,振替休日を考え直して年二回の大型連休を確保するは良いのではないか、と思う。


5/2(日)快晴 早朝患者死去 病棟拘束 千秋公園花見
1:45病棟から電話にて起床、病院へ。患者死去、4:30帰宅、再度就寝、5:50起床。本読みそのほか、次の講演準備。15:30徒歩にて病院、18:30家内と千秋公園に花見。公園近くの小さなレストランにて夕食、20:30帰宅、21:10就眠。

桜(14)本日、千秋公園で夜桜を観る 閑散として寂しい花見となった
 今年は本日あたり秋田市内の桜がちょうど満開を迎えた。本日夕方から千秋公園に花見に行った。2006年には4月29日に満開を迎えたから,そのときから見れば4日間ほど、昨年より1週間ほど遅れ、二の丸の桜が満開になったのは30日であった。

 秋田県各地でも桜祭りの期間に満開とならず期間を延期したが、千秋公園の桜まつりは既に29日で終了し、露店はすべて撤収され、イルミネーションもなく、人出もまばら、寂しい花見となり、桜は閑散とした中で風に揺れていた。それでも、数人から十数人ほどの強者団体が宴会していたが、やはり寂しげであった。

 千秋公園の桜は本数もあまり多くなく、枝ごとの花もまばらでちょっと寂しい、というのが私の抱いている印象である。桜関連の書籍によると弘前の桜がまだまばらだった頃、弘前市民は観桜のためにわざわざ千秋公園を訪れたとされているが、ちょっと信じがたい。

 今年の桜は色調も濃く,花の密度も比較的良い咲き方をしている,と思った。

 確かに桜祭りは終わっていた。しかし、桜は今が最も盛りである。時間も19時頃と決して遅くない。寒くもない。なのに、このまばらな人では何だろうか?29日までは花は咲いていなかっただろうが夜帰宅時にそばを通った範囲では結構人手はあった等に思った。本日は連休の最中でもあり,屋台が無くとも本日あたり混み合うのではないかと思ったが、全く逆であった。公園内に多く見積もっても 100人は居なかっただろう。人混みも辛いがこれほど閑散としていても違和感がある。やはり、「花より団子」は当を得た言葉であり、わが国の桜文化を絶妙に表しているのだろう。

 おかげで私は久しぶりに桜をじっくり楽しむことが出来た。


5/1(土)快晴 病棟拘束 患者関連書類処理
3:00起床。昨夜は飲み過ぎた。ドック総括x1他。6:50徒歩病院着、7:20回診、患者関連書類処理.8:30救急カンファ。以降は患者関連書類処理に集中。総括4人分、紹介状など。重症患者対応。19:00外食で夕食、20:30就眠。通勤路の桜散り始めた。

ノースアジア大学公開講演会(2)作家 柴田翔氏講演会「晩年の奇跡 ゲーテの老年期」
 ノースアジア大学は、秋田市にある私立大学で、2007年に秋田経済法科大学から現在のノースアジア大学に改称した。
 私はこの大学についてよく知らなかったが、3月に新聞でたまたま市民向けの公開講座があって新潟大学の阿保教授の講演を聴講した。とても良い講演会で大学の企画に感謝した。

 ところが、4月中旬の地方紙に再び市民向けの公開講座の広告が掲載された。4月24日(土)、今度は柴田翔東大名誉教授である。こんな良い機会が続くとは・・と驚きながら聴講を申し込んだ。 当日の聴衆は200人ほどで中規模の教室一杯であった。

 柴田氏は、小説家、ドイツ文学者で東京都生まれ。現在75歳。東大学大学院独文科を経て、1969年より同大教授。1964年に当時の学生群像を描いた「されどわれらが日々」で第51回芥川賞を受賞。その後は『贈る言葉』『立ち盡す明日』『われら戦友たち』などのほかに、評論『ゲーテ「ファウスト」を読む』『内面世界に映る歴史』や『ファウスト』の翻訳等がある。

 70歳を過ぎてから、大作を画き上げたドイツの作家・詩人であるゲーテの生涯を紹介し、特に晩年の生き方や心情を解説した。柴田氏は、当時としては長命だったゲーテ(1749-1882年)の創作活動の原動力として彼が若いときに抱いていて一時的に解決済みであった「青春幻想」、即ち、「欲することを、何でも今すぐ、全部、手に入れる事が出来ると言う、若者特有の、ある意味では極めて利己的な幻想」の蘇りと説朋した。
 ただし、ゲーテは若い内に実際にはそんなに幻想通りにならないことを悟り、25歳で悲恋物語『若きヴェルテルの悩み』を書いた。主人公のヴェルテルはそれによって自己破壊してしまうが、それを書いたゲーテは素早く脱出してしまった、と説明した。しかしこの幻想は本当に死んだのではなく、老年期になって強烈に蘇ってきたのだ、とした。
 ゲーテは壮年期には創作活動から離れ、ヴァイマル宮廷の大臣を務め、領国の安全や領民の生活改善の為の実務に精勤した。しかし、この間も青春幻想から完全に脱したかに見えたが、「幻想は心の中に生き続けていた」と語った。
 老年期を迎え、16歳年下の妻に死なれて何度も強い鬱状態なに入ったが繰り返し回復、同時に「青春幻想」も蘇り、若いころに書きかけたままだった「ファウスト第一部」を完成させ、旅・酒・恋をたたえる「西東詩集」を書き上げた。更に19歳の乙女ベッティーナに恋をしていて、彼女に送った熱烈な書簡も残っている。

 ゲーテも70歳を過ぎると老いの現実に直面したことに触れ、柴田氏はゲーテの奇蹟を強調。「驚くのは80代にして代表作『ヴィルヘルム・マイスターの遍歴時代』『ファウスト第二部』を完成させたことで、最晩年に宵春幻想が戻り、最後まで仕事をしたゲーテの人生から、「高齢化社会を迎えた今、人生を考えるヒントをもらえる」と、現代におけるゲーテの魅力を語った。

 『若きヴェルテルの悩み』は私も大学の頃に取り組んだが、遂に読破できなかった。黄ばんだ文庫本がまだ書架に並んでいる。柴田氏の講演を聴いてこの本の内容が分かった気がした。何れ、再度挑戦してみたいと考えた。とても良い講演会であった。


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   年を通じてワンパターンで淡々とした毎日です。AM2:00-5:00にメールチェック・返事送付、人間ドック(HDD)判定・報告書作成、新聞切り抜き、病院・医師会業務など。
  月〜土曜は6:00頃出勤、HDD報告書印刷、外来書類処理など。病棟回診、HDD受診者とミーティングと診察。8:45-14:00外来とHDD受診者に結果説明。昼食は摂りません。午後は病院業務・医師会業務、各種委員会等に出席など。20:00頃帰宅。
  日曜・祭日もほぼ同様ですが、病院には午後出かけます。時間的に余裕無いのが悩みです。


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