徒然日記
2010年4月分

 日記と言うより、自分の行動記録からの抜粋と日々の雑感です。

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4/30(金)曇り・雨・晴れ 医師面談 外来若干 羽後町健康推進委員研修会講演 内科病棟歓迎会
1:50起床、新聞・文献チェック、講演準備。6:40徒歩病院着、7:30回診、患者関連書類。9:45外来若干。12:01こまちで大曲→羽後町に、14:00-16:25羽後町健康推進委員研修会講演。演題は「若くなるには、美しくなるには」。16:31こまちで秋田→病院。 19:00-21:35内科病棟歓迎会。22:00Taxi帰宅、22:15泥酔就眠。

羽後町健康推進委員研修会講演「若くなるには、美しくなるには」 土産に「若がえりまんじゅう」戴く
 本日は県南の羽後町で講演した。先に私の講演をお聞きになった役場のスタッフの方が私を推薦して下さったとのこと。聴衆は町の健康推進委員の方々で研修会があるのだという。演題はその方々の希望で「若くなるには、美しくなるには」、と言うことで、「また抗加齢?しかも50代以降の女性の方々?」とちょっと驚いた。担当者は演題は何でも結構です、と言って下さったが、昨年秋に秋田のライオンズクラブで「アンチエイジング」について講演したことがあったのでそれを発展させれば何とかなりそうなのでお引き受けしたものである。

 私は「抗加齢」よりも「年の功を楽しむ」方の立場をとるが、心身共により若々しく体調が良い状態で過ごせるとすればいろいろな可能性がもたらされるから喜ばしいことである。
 講演では,皆様のお年では「若くなるには、美しくなるには」と言う決定的な方法はないが、対策方法のある老化と防げない老化があることについて述べ、特に筋力低下は努力によって予防できること、それが身体、心理、認知症発症など全てにわたって関連するからとても重要であることを述べた。

 帰りに何らかの冊子、お菓子らしい箱を戴いた。帰宅してから開封したら西馬音内盆踊りの公式ガイドブック2冊と何と「若がえりまんじゅう」という名の菓子であった。調べて見ると羽後町には、「としとらんど」と言う名の温泉もあり、かつては「若返り」という地酒もあったという。と言うことは地域を挙げて若返りが一つの文化となっているらしいことが分かった。
 だとすれば,私の講演は些か地域の方々には異質に聞こえたのかもしれない。それで数あるお菓子の中からあえて「若がえりまんじゅう」を選んだのかもしれない。科学的根拠はないがひとつ食べると3日若返る、と言うことでその謙虚さも良い。目を引くし話題性もある,そして味もなかなかで、商品はネットの和菓子ランキングで上位にくいこんでいるらしい。

 こんなおいしい銘菓、若返り志向の地域性や文化があるところとはじめから知っていたら若干話の内容を変えるべきであった。
 また、西馬音内盆踊りの公式ガイドブックも立派で、読んでいて引き込まれた。いつか訪れてみたいと思った。


4/29(木)昭和の日 曇り・風雨 病棟拘束 
2:00起床、ドック総括x2、新聞チェック。事務数件処理。6:00病院に。8:30救急カンファ。10:00帰宅。以降は文献読み,講演準備。19:30そば屋にて夕食、20:45就寝。

医師の過重労働に支えられた病院収入増 メディカルクラークの導入をもっと
 毎年6月、日本病院会と全国公私病院連盟で病院運営実態調査が行われている。先に平成21年度の調査結果がまとまり、本年3月10日の日本病院会ニュースにデータが提示された。

 集計に回答したのは1162病院で自治体病院584、公的病院255、私的病院323でほぼ平年と同じであった。病院別の内訳では一般病院1.110、精神病院51など。

 今回の調査では病院の収入が支出よりも若干伸びて、結果として収支の悪化に一定程度の歯止めがかかったことが示された。医師一人あたりの診療収入は入院が一日23.2万円、外来は10.9万円で微増であったが、患者一人当たりでは入院が3%減、外来は横ばいであった。100床当たりの医師数は8%減の 13.2人となった。医師減によって医師一人当たりの受け持ち患者数は入院が6.3人→6.7人と増加し、外来は10.0人→10.7人と増加している。

 1998年以来、国の低医療費政策によって診療報酬がマイナス改訂が続いてきたが今年度は0.19%と超微々たるものながらプラス改訂になった。この間 10年以上も病院の収入は減少し続けており、このことが病院医療の崩壊を招いてきた。今回やっと病院収益の悪化の傾向が止まった事が示された。7:1看護の導入、DPC導入等の効果が現れたのかもしれない。
 一方、数値上は病院医師の数が減少し、患者が増えていることから医師への一層の過重化が進んだとも取れるデータである。日常の診療をする中で実感としてもその様に感じられるから、このデータの意味するところは正しいだあろう。まだまだこの様な状況が続いていく。

 今、医師養成数を増やしつつあるが急速には増えない。医師の診療外業務を代行するメディカルクラークを多数導入することで医師数増と同じ効果が得られる事から、病院医療崩壊回避に向けての緊急的課題である。国の一層の配慮が望まれる。

 しかし、この政治的混迷状態である。内閣支持率20数%と危機的状況で先が読めない。展望を感じられなければ勤務医は意欲を失い病院から去ることになる。


4/28(水)晴れ 患者家族面談2件 外来 新病院建設計画策定委員会
1:30起床、新聞・文献読み他徒然。6:10出勤。6:30回診他。8:45-14:10患者家族面談と外来。15:30-17:00新病院建設計画策定委員会。21:00帰宅、夕食、21:50就眠。

ノースアジア大学公開講演会(1)安保新潟大学教授の講演 些か問題と思う
 ノースアジア大学は、秋田市にある私立大学で、もとの秋田経済大学、秋田経済法科大学である。2007年に現在のノースアジア大学に改称し現在に至っている。ここの経法大付属高校は秋田県でも有数の野球の名門であり甲子園出場を介して全国的にも知られている。

 私はこの大学についてよく知らなかった。産業医が当院の医師であることから新学期の学生の健康診断に3-4回訪れたことがあっただけである。2月末の新聞にノースアジア大学公開講座について広告が載っていた。3月12日(土)で、講師は新潟大学大学院安保徹教授で免疫学の分野で世界的に知られている方である。

 聴衆は400人ほどでホール一杯,熱気に包まれていた。演題は「健康で生きるための条件」。教授は1947年青森県出身、東北大学を卒業、米国アラバマ大学に留学、1990年に胸腺外分化T細胞を発見した方である。教授はかねてから免疫学の知見を人の生活、健康に結びつけて解説されている方で、その面についての著作も出している。

 教授は土地なまりの言葉で淡々と,時にはユーモアを交えて講演された。
 講演の要旨は、現代人が抱えるストレスフルな生活が交感神経を緊張させ,そのことが数々の疾患の誘因・原因になっていると言うことで、その背景として■ 長時間労働■心の悩み■怒り■冷房■目の疲れ■多数の服薬・・などを挙げた。交感神経の長く続く過緊張状態は白血球や体液の異状を招来し、かつ、体温を下げ、そのことがNK細胞活性を介して免疫力を低下させるからであると言う。さりとてあまりにも安楽で栄養過剰摂取の状況も良くないから中庸な生活を送ることがベストと強調された。そしてひとたび病気になった際には医療を受けることも重要であるが,同時に今までの生活を見直して改善できるところは改善して欲しいと主張された。

 医師の立場で聴いても健康をまもるために基本的な生活環境を調整すべしと言う視点はとても貴重だと思う。
 しかし、そのことに傾斜しすぎている、と感じられた。教授は「医療が病気をつくる」という著書を上梓しているから現代医療に関して疑問を感じておられるのはよく分かるが、例えば、「がんの治療を受けている方は即刻、今受けている治療をやめてください。そうして副交感神経を刺激する生き方をすれば、1〜2年もしないうちにがんは治ります。発がんの本当のメカニズムを捉えていないのですから、実はいまだに治療法は確立していないといっていい」などと言うのは、教授が有名人なだけにおおいに問題である。

 免疫学の基礎を背景にした論理であることから一部は正しいのであろうが、それからだけで人の生老病死の現象を説明するには無理がある。教授の主張がどのような臨床的知見を背景に組み立てられているのかを問うてみたいと思った。


4/27(火)晴れ 患者家族面談、外来 常務会 防火防災管理委員会 医局カンファ
2:30起床、新聞・文献読み他徒然。5:10病院から電話、患者不調でTaxi出勤。6:04患者死去。回診他。8:45-14:10外来。 14:45-16:10 常務会、16:30-17:15防火防災管理委員会、17:30-18:40医局カンファ(t-PAの使い方)。21:00Taxi帰宅、21:30就眠。秋田市桜ほぼ満開

秋田青少年オーケストラ第33回定期演奏会 
 4月25日(日)は秋田青少年オーケストラ第33回定期演奏会があった。私は地元の団体の演奏は出来るだけ聴くようにしている。この青少年オケの定期演奏会は8割り方は聴いているはずである。午後、病院まで歩いていくつもりでいたので途中アトリオンホールに寄ってみた。家から急ぎ足で50分かかった。

 秋田青少年オーケストラは1974年に3人の団員から始まったとのことで,今年で創立36年になる。団員OB、OGから多くの音楽家が育ち、プロの演奏家も輩出している。平成9年に常設の練習場として「青少年音楽の家」が完成した。団員の「父母の会」が多くの場面で子どもたちを支え、毎年4月に定期演奏会を開いているほか、秋田市立病院、ウェルビユーいずみなどで地域活動にも参加している,とのことである。

 指揮はいつもの羽川武氏に代わり、息子さんの羽川真介氏。コンサートミストレス?として私の知人の娘さんが席についていた。
 演奏曲は■C.シュターミッツ作曲:クワルテウト・コンチェルタンテ■H.パーセル作曲:劇音楽「真夏の夜の夢」より、■A・ヴィヴァ,レディ作曲:コンチェルト・■ハイドン作曲:交響曲第83番卜短調「めんどり」。
 休憩後は団員による「楽しい音楽講座」があっておもちゃの交響曲を題材に楽しいひとときがあった。

 指揮の羽川真介氏は、このオケ出身のチェリスト。東京藝術大学、同大学院修了、現在東京藝術大学弦楽科、管弦楽部非常勤講師。東京フィル、東京交響楽団などに客演首席奏者として招かれている,とのことである。
 演奏メンバーとして,管や低音弦を中心に多数賛助出演していたこともあってなかなか良い内容であった。随分良い楽団になったものだ,と思う。十分に楽しめた。
 ただ、私は病院でやりたい業務があったので「めんどり」第一楽章が終了した時点で退席した。

 配布されたパンフを見ると、今回「秋田青少年オーケストラを育てる会」が発足した、とある。県の方針が変わり補助金が減額されたり,諸経費が高騰したりして運営が困難になりつつあるというので「育てる会」として経済的支援をするのだという。
 確かに運営は大変だろうと思う。「青少年音楽の家」を建てる際の募金に若干協力したが、これを機会に私も「育てる会」に参加しようと思った。


4/26(月)快晴 管理会議 外来 療養病棟判定会議 長副会議
2:30起床、何となく不調、気力沸かず。新聞・文献読みなど。6:30病院着、6:50回診等病棟業務。7:45-8:20管理会議,8:45-14:40外来+ドック結果説明、超混雑で疲弊。16:00-16:20療養病棟判定会議。17:00-19:00長副会議。重症患者対応。21:00帰宅、夕食、21:30就眠。

わが国は少資源国ではない(3)火葬場にも鉱山がある
 現代人は歯とか関節の病気等の治療で結構体内に貴金属を埋めているらしい。また、家族の一員が亡くなった際には普段の愛用していた品々とかを副葬品としてそっと棺に忍ばせる。歴史的には権力者の埋葬時にはかなり価値のある金品が一緒に埋葬されるのが常であった。高貴な方々の墓は厳重に守られていたが盗掘が繰り返されたと記載されている。その名残でもあろう。

 最近では死生観、霊、死後の世界観も変わった。かつ殆どの遺体が火葬されるからそれほど価値ある物品は副葬品としない。焼けても良い、と割り切り、眼鏡とか万年筆とか、ブローチとか故人が身近な用いた品で、その中でも遺品として残さなくても良い物が入れられるらしい。
 多くのご家族は形ある骨は丁寧に拾うが、焼けて変形した副葬品とかは拾わない。また粉状になった骨についても同様である。

 以下は朝日新聞21年1月の記事の資料を参考にした。
 日本環境齋苑協会の調べによると2007年度に発生した遺灰は全国では1.850トンで、斎場で残った遺灰の多くは民間業者に委託して処分されている。都が関連している業者の場合、遺灰は貴金属、貨幣、残灰に分別し、貴金属部分からは金700g、パラジウム500g、銀1.900g回収し320万円、硬化は9万円回収し、都の収入に組み入れた、と言う。同様に名古屋市では1.019万円、福岡市340万円、新潟市720万円だったという。遺灰の所有権は、骨を拾う前は遺族のもの、残灰は自治体のものという1939年の判決があり問題はない様である。しかし、各自治体でいろいろな考えがあり換金していないところも多い。

 秋田市ではどうだろうか?それに対して私は知識がない。私は個人的には自治体が回収し有効に用いるのは良いことだと考える。全国的には有効利用されずに埋められたりしている遺灰は少なくない。
 都市鉱山、都市油田、火葬場鉱山・・実に勿体ない、とケチな私は何時も思っている。


4/25(日)快晴 病棟拘束 第33回秋田青少年オケ定期演奏会 桜開花
2:30起床、家内帰宅していた。ドック総括x1、新聞チェックほか。文献整理。13:30徒歩にてアトリオン。桜が開花し始めた。小さく若い木ほど早い傾向。14:00-16:00第33回秋田青少年オケ定期演奏会。中座、病院へ。回診他業務。19:00帰宅、外食、20:40就眠。

政権後退(6)舛添新党 自民は崩壊状態に
 政権後退と言うタイトルは民主党について話題を展開するために使用しているのだが、何と、自民についても当てはまる様相で自民党はメルトダウン状況である。
 舛添前厚労相が遂に離党し「新党改革」を作った。
 自民幹部は予想の範囲であり、異分子が居なくなっただけ頑張れる、問題は少ない・・と強気の発言を繰り返しているが果たしてそうであろうか。より純粋な分子のみ残った組織の運営は楽かもしれないが脆弱である。多様な意見を持つ方の集合体が本当は一番良い。

 まず舛添氏の離党に関して疑問が解けないのは、氏は参議院比例代表区の選出議員である、ということ。従って,個人の集票と言うより自民党の票で議員に当選している。この議席を個人で自由にして離党して良いものか?と言うことである。党からの除名であれば分かるのだが、この辺の取り決めはないのだろうか。何かに書いてあったが議員を辞めてから動くべきでないのか?とも思う。ただ、今までの動きを見ていると特に規約等に違反した行為にはならない様である。

 『新党改革』と言う名称での旗揚げであるが、舛添氏に同調したのは今年夏に改選期を迎える参議院議員達である。この方達は厳しい選挙結果が予想されており、舛添氏の人気にあやかって生き残りを図ろうという狙いは明らかだし、舛添氏にとっても最小限の5人の同調者を集めるのは困難で、この方々と利害が一致してのドッキング、と見なされている。
 舛添氏は同調した参議院議員が作っていた『改革クラブ』に入党し、自らが党首になって『新党改革』と言う名称変更での旗揚げであるが、このプロセスも変だ。果たして政策上で理念の一致はあるのだろうか?疑問である。彼は打倒小澤を叫んでいるし首相を目指すと言っているが、単に票を分散させるだけに過ぎないのではないだろうか。

 自民党は巨人コーチの堀内元投手を擁立する事にしたという。自民党秋田県連は石井浩郎元投手を擁立する。私は本人達を知らないから何とも言えないが、人気投票、知名度投票になりそう。プロの政治家は、人材はそんなに枯渇しているのだろうか。
 舛添氏の行動には各種世論調査で「首相にふさわしい人」のトップにあがっている、という自負と言うよりおごり?を私は感じ取る。私は「首相にふさわしい人」と言う評価はとらない。

 私はマスコミの過剰な世論調査結果が、逆に世論形成の役目を果たしていると思うし、結果として底の浅い人気投票的政治世相を作ってきていると思う。安倍、福田、麻生氏も首相就任前の人気はとても高かった。


4/24(土)晴天 病棟拘束 ノースアジア大学「柴田翔」講演会
3:00院長室で起床。椅子で過ごして腰痛あり。ドック総括x1, 徒然等。6:30回診その他病棟業務。8:30救急カンファ。以降患者関連書類の整理。医局文献整理、廃棄。14:00-17:10ノースアジア大学で「柴田翔講演会」、自転車での往復は寒かった。19:30帰宅、夕食、20:30就眠。家内帰宅予定。

わが国は少資源国ではない(2)巨大な都市油田もある
 家電,自動車等に含まれている貴金属の価値を再認識して有効に再生すれば,その潜在量は巨大な鉱山と等しくなると言うことから「都市鉱山」と称するとすれば,同じように「都市油田」というべき資源もある。

 都会のガソリンスタンド、各家庭で蓄えられている油類は相当な量になる。ただ、それらは日常生活の中で日々確実に消費されていく。だから、備蓄と入ってもそれほどの量ではない。ところが、備蓄されたまま殆ど有効に用いられることが無く、蓄積量が徐々に増え,使うとすれば無駄に浪費、いや、この場合は空費と言う方が相応しい,され、かつ最終的には貴重な化石燃料を用いて処理される油田がある。いや、この場合はむしろ脂田と言う方が相応しい。

 要するに余分に蓄えられた皮下脂肪のことである。飽食とモータリゼーションが備蓄の要因で、共に輸入された原料の過剰な消費によって作られていく。一部の過剰な蓄積脂は意識的に消費されるのだが、殆ど有効に用いられることはない。散歩、自転車こぎ、アスレチッククラブなどかなり無理し、苦労して消費しているのだがなかなか減らない。これらの努力は空費されて地球温暖化に寄与している。これらの努力が無にならぬよう、たとえば靴底にセットした小型発電機等で運動エネルギーとして回収し蓄電して有効に活用できないのだろうか。

 犬の散歩は犬のペースにあわせるのであまり運動にならない。丈夫になるのは犬の方である。飽食をやめれば世界の食糧事情に寄与するのだが、多くは楽をして目的を果たしたいから脂肪を消費するとされるサプリにさらにお金をかける。そのうちに脂の重さで膝が故障するから脂は消費されず蓄積の一方となる。ここでコンドロイチン、ヒアルロン酸等が登場する。糖尿病、高血圧などなどで医療費もかかる。

 そして,・・・「都市油田」の巨大なエネルギーはついに有効に使われることなく、貴重な化石燃料を用いて処理される。

 実にもったいない話である。


4/23(金)曇り雨 法人理事会 仙台フィル演奏会
2:20起床。5:15病院着。6:30回診、病棟業務。11:00入院患者対応、患者関連書類処理、総括4部。患者喀血不調、対応。 17:30-18:20法人理事会。18:50-20:50仙台フィル演奏会。病棟から呼び出し、中座。重症患者対応。院長室で座位にて23:30就眠。家内不在。

仙台フィル演奏会『名曲コレクション in Akita』 十分楽しめた

 本日は院内外の業務は法人理事会のみ。溜まった書類、退院総括など処理するのに絶好の日であった。朝から夕方にかけてかなり処理、と言っても総括は4部がせいぜいで、それでも机上から若干カルテ等が少なくなった。疲れた。
 スケジュール表を見たところ夜、仙台フィルの演奏会とある。聴ける可能性は少ないが一応表に入力していたものである。理事会終了後、急ぎ重症患者を見舞い県民会館に。当日券はあと5-6枚ほどと座席表から見るとほぼ満席。実際には1階後部に若干の余裕のみと結構満席。高校生が多かったが、恐らくブラバンのメンバー?と思った。

 曲はグリンカ『ルスランとリュドミラ』序曲、ショパンP協奏曲第一番、ムソルグスキー/ラベル組曲「展覧会の絵」、指揮山下一史氏、独奏は三浦友理枝氏。アンコールは聴けなかったが、ショパンの『レ・シルフィード』からだったらしい。
 『ルスランとリュドミラ』序曲はプレストで奏される弦楽器の導入部が聴きものであるが見事であった。ショパンP協奏曲は特に第二楽章が素晴らしかった。「展覧会の絵」は絢爛豪華な音の乱舞。この三曲ともこんなに素晴らしい曲だったのか・・と自分にとって新発見がいろいろあった。

 指揮の山下一史氏はカラヤンの元で研鑽中にカラヤン急病で開演直前に代演を告げられタキシードを取りに行く時間もなくジーンズ姿でベルリンフィルを振って『第九』を見事に演奏、評判になった方である。
 独奏の三浦氏を今回名前も初めて知ったがショパン関連で実績があり国内外で実績を上げている方である。
 仙台フィルはもと宮城フィルの名称であった。一般的に名称が変わるときはより広域の呼び名に変わるが、逆である。会長は奥村仙台市長が就任しているから財政援助とかの問題もあるのだろうか。仙台で3度ほど聴いた事がある。

 ショパン演奏中に病院から連絡あり休憩中に電話指示し、「展覧会の絵」終了を待ち病棟に急いだ。結局、帰宅できず椅子に座したまま朝まで過ごすことになった。
 腰痛を感じながら昨晩の演奏会の余韻を楽しんでいる。


4/22(木)曇り 外来 ドック説明x2 県新興感染症部会
2:00起床。ドック等業務ほか,徒然。6:10自転車病院着,6:30回診。8:45-14:30外来+ドック結果説明2名。 19:00-18:50県新興感染症部会。21:10帰宅、夕食、21:50就眠。家内旅行で不在。

わが国は少資源国ではない(1)巨大な都市鉱山がある
 2年ほど前、ある雑誌のコラムで「都市鉱山」と言う言葉を知った。
 廃棄された電子機器、自動車、家電などの廃棄物の中の金属は資源としてリサイクルすれば巨大な量となり、天然の「鉱山」に匹敵する資源が存在する。

特に日本では、特に都市には、人口が多いと言うことも背景に世界一の量の金属資源が埋蔵されている事になる。例えば、インジウム1.700t、銀6万 t、金6.800t、鉛560万t、鉄12億t、アルミ6.000万t、銅3.800万tという。金は世界の鉱山に眠る量の2割弱、銀は2割強に達するらしい。だから、日本は資源大国と言うことになる。

 これらの貴金属は既に分離されて純粋に近い形で用いられているから、そのリサイクルは鉱山から掘り出すよりも簡単で、そのためにエネルギーなどを費やしても意義があるように思えるが、実際はそう簡単ではないらしい。他のいろいろな物質と混じり合っているからで、むしろ、通常の鉱山から掘り出す方が分離精製し易いらしい。

 テレピやエアコン、洗濯機、冷蔵虞の大型家電は法律でリサイクルされる様になっているが、それ以外は一般廃棄物として焼却あるいは埋め立て処理されている。実に勿体ないし、土壌汚染にも繋がることになる。わが国には廃家電の資源再利用のためのきちんとした回収システムがなく、スクラップの一部は国内で処理できずにアジア諸国に流れている。要するに貴重な資源が国外に流出していると言うことで、実に勿体ない事である。

 秋田県県北では鉱山で培った高度の技術があると言うことで、県は資源リサイクルを次世代産業と位置づけている。日本全国から小型家電品、電子器機が回収されてくれば十分成り立つと考えられているが、今のところまだ目途は立っていない。秋田がこの分野の中心になる事は決して夢ではないが、まだハードルは高い様である。


4/21(水)曇り 外来 ドック診察 患者家族面談
2:00起床。眠い。文献検索、徒然ほか。6:40徒歩病院着,7:30回診、病棟業務、8:45-14:00外来+ドック診察。15:00患者・家族面談2件。20:50自転車帰宅、夕食、21:30就眠。家内旅行中で不在。

デパート苦戦?活路はないのだろうか
 かつてデパートと言えば各地域の商業活動の中心として一世を風靡していた、と思う。

 デパートで買い物すると言うことは住民にとって一種の夢の実現であり、客に芽生えてきた贅沢嗜好を満足させた。大都市圏は別として,各県とかでは県庁所在地に1-3店があって店舗の規模、見てくれもより豪華で高級なムードをかもし出していた。住民は何かの用事で県都に出かけた際にはそこのデパートで買い物をしたり、家族で食事をするのを楽しみにし、それなりに満足していた様に思う。かつてのデパートには夢があった様な気がしてならない。

 私は人が集まるところを好まないためにデパートについてそれほど語る事は出来ない。
 高卒まで過ごした岩手では盛岡市の川徳デパートがそんな位置づけであった。我が家はずっと「川徳友の会」とかの会員制のメンバーだったので出かける機会は比較的多かった、と思う。幼少の頃は川徳のレストランは別世界であった。私も祖母にくっついてよく出かけたものである。川徳は今でも何とか頑張っている様だ。 

 新潟には6年住んだ。小林デパート、大和デパートがあったが貧乏学生には遠い存在でホンの数回入っただけで何も購入しなかったと思う。最近の新潟大学学生新聞に依ると両者とも店を閉めた?らしい。

 秋田には1973年に引っ越ししてきたが、当時は老舗の木内デパートが中心で,そのステータスはダントツであった。盆暮れそのほかの贈答品等は内容はともかく木内デパートの包装紙による付加価値がとても大きかった様に思う。今は昔の面影がなく静かで活気が感じ取れない。こう言う私もこの20年以上も利用したことはない。良く維持できているものだと心配さえしている。

 秋田でも中心部にある大型店舗が次々と姿を消した。県都中央から大型小売店・百貨店が消えていくのは、とても寂しい。木内には何とか頑張って欲しいものである。私も発想を変えて利用しなければ・・と思う。

 デパートの零落は地方だけでなく、都内でも同じである。三越池袋店や、そごう心斎橋本店が昨年姿を消した。朝日新聞によるとこの10年で店舗数は310店から270店に減った、と言う。業界全体の売上高は9兆円から6.6兆円に3割近くも減少している。消費者の購買スタイルが完全に変化し、ささやかな夢を買う時代ではない。価格に見合った商品をより低価格で購入することの満足感の方が大きくなり、衣料専門店や大規模家電量販店、ネット販売が台頭してきた。デパートはこの変化を読めなかった、と言うことだろう。

 この様な中、デパートに残された戦略は何だろうか。高級品を扱うか、廉価商品を扱うかの二極化しかなかろうとされているが、デパートが値段で勝負するのはよほどスリム化しなければ不可能である。実際、市井には若者達が消えてしまっている。値段だけでない魅力がなければ客としては戻ってこないだろう。高級品に特化するとすればよほど規模を縮小しなければやっていけないだろう。どちらもデパートらしさを捨てることになる。

 どうすればいいのだろうか?私には皆目分からない。今後デパートはどう変容し、生き残っていくのだろうか。


4/20(火)晴れ 外来 親戚葬儀 常務会 新築委員会打ち合わせ 医局歓迎会
2:00起床、新聞・文献読み他徒然。6:10病院。6:30回診他。 8:45-11:20外来、中座。12:00-14:00葬儀出席。14:45-16:10常務会+新築委員会打ち合わせ、18:30-20:00医局歓迎会、中座して20:20帰宅、21:00就眠。

約20年使用、レガシー・セダン廃車に
 家内中心に約20年使用したスバル・レガシー2000GTが昨年暮れ前触れもなくオーバーヒートした。恐らく冷却水ポンプ関連のベルト切れかラジエターの水漏れなのだろう。また故障か、と言うことで一冬庭先に放置していたが、今回は修理せずに廃車にすることとし、先日ディーラーに持ち込んだ。最後は15分ほどの走行であったが実に調子よく走り、若干未練が残った。
 約20年乗ってきた。積算計は100.800Km、修理でまだまだ使えそうだったが修理費用は年々嵩んできたのでやむを得ない。デザインもウエッジ型でなかなか良かったと思う。

 この車は平成2年型で、10年ほど使用した後輪駆動のマツダのルーチェ・ロータリーセダンがスパイクタイヤ禁止のもとではスリップして危ないと判断して買い換えたものである。
 私にとって車は単なる道具以上のものでなく、雨風が防げて安全に走り止まれば良い。装備品なんてAMラジオがあればいい。勿論4WDが良い。中古で十分である。その感覚でレガシーの中程度のクラスを選択し、後は家内に任せたが、何時もの如く私のプランは完全に無視され、納車された車は高機能のフル装備車、内装はオプションで総革張り、結果的に1.7倍もの価格に跳ね上がって驚いた。高圧縮エンジン、ツインターボ、ハイオク仕様で操作に敏感に反応し、加速力もすごかった。燃費は5Km/L程度。確かに、運転するとムラムラと飛ばしたくなる様な刺激的な車であった。

 総革張りは見てくれは良いが、それ以外のメリットはない。尻や背が滑る。夏は火傷するほど熱くなっていて直ぐには座れない、極寒期は超冷たい。化粧品など付着すると落ち難いなどなどデメリットだらけであった。50万もかけて勿体ない。シートはクロス張りで十分である。

 4年間ほど札幌で次男が用いた。ぶつけた経験などはないが10年目ほどからエンジンのバランスの問題かアイドリング時に車体が微妙に揺れる様になり音も大きくなった。スバル独自の水平対向エンジンだから特に目立ったのかもしれない。高性能エンジン、複雑なメカの車は長期0使用には向かないと思っていたが、その通りで私どもの様に10数年乗る場合には、やはり並のレベルのが良いようだ。
 殆ど雨ざらしで用いたが、底部を含めて錆が全然浮いてこない。この点は特筆ものであった。

 マツダのルーチェ・レガート・ロータリーセダンもこのレガシーもとても気に入った良い車であった。この両者で30年過ごしたことになる。もうこんな贅沢な車を購入する機会はないだろうと思う。


4/19(月)曇り・雨 管理会議 安全管理者・事務長と打ち合わせ 秋田市斎場へ 療養病棟判定会議  長副会議 
1:00起床。ドック総括等。4:10病棟から連絡、出勤.患者死亡。そのまま業務。6:30回診等病棟業務。7:45-8:15管理会議。 10:00-11:00安全管理者・事務長と打ち合わせ。14:00-15:00秋田市斎場でお見送り。16:15-16:40療養病棟判定会議に合流。 17:00-19:15長副会議。21:00帰宅、夕食、21:40就眠。

久々、秋田市斎場に行く 老朽化で限界 新斎場建設中
 4月17日、高齢の親戚のお一人、H氏がお亡くなりになった。二日間であったが私が主治医として治療に当たったが、苦しまれることなく静かに旅立たれた。ご家族の思いは分からないが、私どもがお世話できたことも含め、良い最後であったと思う。

 H氏は家内の縁の方で、私が秋田で暮らす上で、また、子育ての段階で随分お世話になった。いろいろな想い出があり枚挙に暇が無い。節目節目のお年玉、各種のお祝い等も子供達にとっても忘れられない想い出になっているだろうし、目立たないが実直謹厳な生きる姿勢から学んだことも多々あるだろう。
 私の両親が死去した際には喪主である私は疲れ果てて早々に側らで寝込んだが、H氏は線香、灯明を消さぬ様、枕元で徹夜でついて下さった。時折目覚めてその姿をそっと見て大変申し訳なく思ったが、このことは到底私の記憶から去ることはない。若いときに銃剣道で鍛えたと聞いていたが、強靱な気力と体力をお持ちであった。
 あれから約30年、やはり歳には勝てなかった。本当にいろいろお世話になった。心からご冥福をお祈りいたします。

 本日14:00斎場でお見送りした。
 秋田市の斎場は私の住居の近くであるが、実際に訪れるのは中谷中通リハビリテーション病院名誉院長をお送りして以来だから、約5年ぶりである。斎場自体はそう変わっていないが、側に新しい斎場が建設中であった。

 秋田市斎場の2008年度の火葬件数は3.043件で一日あたり8.1件という。実際には火葬炉は6基あり、一日3回稼働するから18件可能だが、老朽化した炉を温存するために連続稼働を避け一日11件に制限しているのだという。そのため実際にはほぼフル稼働状態という。今建設中の新斎場では炉の数を倍にし、高齢化を背景にして増える需要に対し、年間4.600件の対応が可能になり、性能もアップするのだと言う(この部分は魁新聞記事を参考にした)。性能アップとはどういう事か分からないが、私も多分ここのお世話になるだろうから関心がないわけではない。焼かれ加減に何か違いがあるのかな?

 私は業務に戻るために中座し自宅まで歩いた。
 その途中に綺麗な花が咲いていたのでつい写真に撮った。私は桜と思ったが、枝振り、花弁の形から梅らしいと言う意見もあって困惑しているが、どちらにせよ斎場からの帰路という心理状況もあったのだろう、実に美しかった。


4/18(日)雨・曇り・晴 寒波やや緩む 病棟拘束 親戚納棺
0:30起床。新聞・文献チェック。徒然。7:30病院、事務処理若干。9:30黒ネクタイ他資料持ち帰宅。以降自宅で業務。Priusタイヤ交換。16:00昨日死去された親戚、納棺、18:00:帰宅、夕食、20:00就寝。昨年バイク初乗り日だったが今年は寒さで無理。

アイスランドの火山噴火の影響 当院にも
 14日に起きたアイスランドの火山噴火は人的被害の報告は無いが、大量の火山灰の影響で、ヨーロッパの航空事情は大変な状況に陥っている。

 17日は欧州で1日に運航している旅客機の2/3にあたる1万7千便ほどが欠航、旅客や航空会社の混乱ぶりは、9.11の米同時テロ時以上と言う。欧州諸国の航空当局は主要な空港を閉鎖し、飛行停止措置を続けている。火山灰の飛散は今後も数日は続くとみられ、航空網復旧の見通しはまだ立っていない。20 日の朝まで閉鎖が続く見通しだという。

 この影響は全世界の空にも影響を与え、政治や経済、物資の輸送に直接・間接的に影響が出ている。ポーランド大統領の葬儀には各国首脳の大部分が欠席を表明した。
 関空や成田でも本日まで欧州方面行きの欠航が相次いでいる。帰国できない旅行者が2千人ほど、そのうち数百人が空港内で運行再会を待っているとのこと。足止めされた外国人乗客らの間で航空各社の対応にばらつきが生じているために不満が高じており,航空会社は今朝あたりから食事券や寝袋の提供を始めている。

 この航空事情は当院にも影響を及ぼしている。放射線同位元素を用いた検査の薬品の流通が止まったため検査が出来なくなっている。

 日常は意識されていないがこの様なことを切っ掛けに提供されるデータを見ると驚く事ばかりである。
 まずは一日に飛び交っている航空機の数で、欧州で1日に運航している旅客機は2万5千便もあるらしい。大量の人間の往来があり、大量の燃料が消費され、排気ガスが空に撒かれている事に驚く。
 
 地球というまだ天体に住まわせて戴いている私ども人間はあくまでも脇役に過ぎない。そのことをつい忘れてしまう。
 若い地球だからこの様な巨大な自然活動、自然災害と呼ぶのはエゴである、が生じる。その時初めて、実はこの生活環境の主役は地球であることを思い知らされる。
 それにしても最近、大規模な地震、火山活動などが頻発している。


4/17(土)曇り・降雪  病棟拘束 
2:30起床。ドック判定総括、文献検討。7;00病院着、7:30回診、8:30救急カンファ。退院総括ほか。書類・文献破棄。18:15帰宅。夕食、20:00就眠。昨年は千秋公園で花見した日。

妊産婦死亡率(2)古い時代の出産の記録
 産婦人科医にとっても、突然の大量出血は産婦の生命に関わり、肝を冷やすことはままあることだという。対応の仕方によっては産婦人科医としての生命すらつぶされてしまう。

 歴史中の人物で、お産で命を落とした例は枚挙に暇がない。多方面から研究され文献が出版されている。宮廷貴族社会の生活史の記録でもある『栄花物語』は平安時代後期の古典で女性の手になる物語風史書で,全40巻、1092年までの2 世紀にわたる時代についての記述があるとされている。
 この中に、村上天皇中宮安子から白川天皇女御道子まで47名の妊娠・出産が記述されていて、中宮安子を筆頭に後朱雀中宮まで11名が妊娠・出産に伴い死亡している。死亡率は実に23.4%にもなるという(佐藤千春 お産の民俗 日本図書刊行会 1996)。

 私はそれほど文献を集めて読んだわけではないが、手に入れた最も古い時代を記述した文献がこれであった。この当時の医療はどのようなものであったかは想像も出来ない。身分の高い高貴とされる方々の環境だから記述として残っており状況を類推できるが、一般庶民の出産は一層危険であったと思われる。

 これから間接的に知ることが出来るのは人間の妊娠出産が基本的にいかに危険なものなのか,ということである。妊娠中の各種の合併症、出産困難、出血だけでなく,出産後の感染症に対しても当時はなすすべは無かったはずである。
 当時、若い人たちの死もそれほど珍しくはなかったと思われるが,妊娠出産に関連した産婦は成仏できずにこの世をさ迷うと言った民話や言い伝えもある。特に出血死した産婦の死は悲惨だったと思われ、亡霊として下半身血まみれの状態で現れ、「私の赤子を抱いて欲しい・・」と赤子を差し出すと言う様な民話は各地に伝わっている。そして、成仏し得なかったそれら亡霊は次の妊産婦にとりつき妊娠出産の邪魔をする、とされ死亡した妊産婦については特別丁寧に弔ったとのことである。

 今、世界的に貧富や文化の差は著しい。貧困国、途上国の状況は、特別な閉鎖環境にある部族とかを除けばわが国の平安時代の出産と同じレベルではないと思うが、衛生思想、医療の参加によってさらに著しく改善させられる分野である。国連の努力の成果を期待したい。

 それと共に、わが国が到達している妊産婦の低死亡率は妊産婦にとっても医療関係者にとっても喜ばしいことである。だれでも安心して妊娠出産に臨めるが、これを決して当たり前と考えてはならない。


4/16(金)晴・寒波 ドック・入院患者対応 GSK社員来訪 県健康推進課員来訪 
2:30起床、ドック総括検討など。徒然、7:00病院着。7:15回診、病棟業務。退院患者総括、生命保険関連書類処理数件。11:00入院患者対応、13:40人間ドック診察、14:20 GSK社員来訪面談、16:00県健康推進課スタッフ来訪、新型インフル打ち合わせ。21:00帰宅、夕食、21:45就眠。

妊産婦死亡率(1)安全になった我が国の出産 だが、決して「当たり前のこと」ではない

 わが国の妊産婦死亡率は戦後に劇的に改善した。この50年で1/30に激減し出生10万人あたり6人程度となっている。先進国中で上位レベルにあり、人口あたりの医師数および医療費が先進国中最低ランクであることを考えると、奇跡的な医療を実現していると評価されるべきである。

 要するに日本では医療従事者の献身的、犠牲的な対応がなされている結果である。しかしながら、このような素晴らしい医療水準は、国内では「当たり前のこと」として、正当に評価されていない。「当たり前」と考えるから感謝の気持ちも乏しい。二本足で歩く人間にとって出産は本来大変危険なものである。にもかかわらず医療側に何らかの不手際、事故などがあると患者、家族、親戚も、マスコミまで加わって医療側を非難する。産科医が日常負っているストレスは大変なものがあり、耐えられずに出産医療の現場を次々と去っていく。『私たちは絶滅品種なのです・・』これは元当院の医師が講演で述べた言葉である、が私の耳から離れない。

 国連は2,000年に、2015年を期限に極度の貧困を半減するなど国際機関が達成すべき8指標を定めた。その第5目標には「妊産婦の健康条件の改善」を掲げ、妊産婦の死亡を1990年水準の4分の3までの引き下げをうたっている。
 国連のパン事務総長はつい先日の4月14日、妊産婦死亡削減などの第5目標の達成のため対策の強化を訴えた。パン事務総長は、「予防可能な妊産婦の死亡があまりにも多く、到底受容できない」と言明したという。

 英医学雑誌『ランセット』の報告でも、世界全体の妊産婦死亡率は1980年は出生10万人あたり422人、1990年320人、2008年には251人まで低下した。それでもまだ日本の40倍である。米国では1980年は出生10万人当たり12人、2008年は17人とむしろ増加し、英国の倍、わが国やオーストラリアの3倍程度である。いかにわが国の医療水準が高いか分かるデータである。

 妊産婦死亡の50%はインド、ナイジェリア、パキスタン、エチオピア、コンゴの5カ国に集中している。世界の妊産婦死亡は1980年が52万6.300 人であったが,この28年間で35%も減少した。しかし、それでもなお34万2.900人が死亡していると推定されている。国連が対応強化を呼びかけるのも当然であろう。

 妊娠・出産は病気ではないとの考え方も聞かれるがそんなことはない。あらゆる生物の中で人間の出産が最もリスクが大きく、医療技術が広く求められる。今は安全な出産がほぼ「当たり前」ととらえられているが、医療が未発達な時代、若い女性達は出産という大事業に果敢に迎えあってきた。本当に驚きであり、改めて敬意を表したい。





4/15(木)晴 寒い 外来 秋田産業保健推進センタースタッフ来訪 韓国KBS取材 
2:30起床、ドック、文献チェック、徒然他。6:05病院着。昨年は通勤路脇の桜がほころび始めた日。6:25回診、病棟関連書類、 8:45-13:30外来。15:00産業保健推進センタースタッフ来訪、産業保健相談員委嘱。14:00新入院患者対応、家族面談。 15:30-16:30人間ドック関係で韓国KBS取材。20:40帰宅、夕食、21:30就眠。

桜(13) 日本人の桜観(1) 大衆的桜文化は近年作られたものなのだ
 毎年、私はこの季節になると毎早朝の通勤時に、時には車を降りて道路脇の桜を観察している。昨年は4月15日に天徳寺付近の路傍の桜がほころび始めた日であったが、今年はまだつぼみが若干膨らみ始めただけである。今年の天候は不順であり、特にここ一週間ほどはとても寒い。

 さきがけ新聞によると、県内では比較的温暖な気候の本荘市にある本荘公園では14日から25日まで「さくらまつり」が開幕した。園内の1.200本の染井吉野はつぼみが膨らみピンク色となったという。関係者は15-6日頃から咲き始め20日前後が見頃とコメントしていた。掲載された写真のつぼみは確かにほぼ開花しかかっていて秋田のつぼみとは違っている。

 「さくらまつり」は全国何所でも10日間前後である。染井吉野はこの短期間の間に一斉に咲いて一斉に散る。それは染井吉野がすべての木が同一の遺伝子を持った同一の木と言うことに由来している。この一斉に、と言うことが日本人の心情にあっていて、感動を与えている所以であろう。

 一方,米国ワシントンのポトマック河には東京都が贈った3.000本の桜があって有名であるが、これは染井吉野だから一斉に咲き,散ることになる。桜に関してはワシントン大統領の幼少の頃の逸話が有名であるが、米国人の心に桜観が育まれた等の話は聞いたことがない。桜の美しさを愛でても、一斉にという非個性的な咲き方には個を尊ぶ国民にとってはどううつるのだろうか。一方、ニューヨークのブルクリン植物園には約40種の桜が約200本植えられている。ここでは多様な品種がそれぞれ違った時期に咲くから4月上旬から約一ヶ月間桜を楽しむことが出来るとのことである。日本でも所場所は忘れたが、多種の桜が植えられており、約2ヶ月に渡って観桜が出来る名所があるとされている。一気に咲くのも良いが、長く桜を楽しめる場所も良いのではないだろうか。

 日本人は古来から桜を愛でる習慣はあって、風流を好む方々の和歌や短歌に多く詠まれている。
 しかし、一般大衆が桜を楽しめる様になったのは染井吉野が広く普及する明治・大正以降であった。特に戦後の都市公園法が切っ掛けとなって、城跡に多くの桜が一気に植樹された。それらが豊かに花を咲かせる様になって観桜会とかさくらまつりとして一気に盛り上がったもので、意外に新しい習慣で、大衆的発想が基になっている。

 要するに、わびさび、風流の世界での作品は多いのだが、その時代には今の様な見事な桜はなく、野山にある自生の山桜である。この辺のことを知って、私は桜を詠った作品の意味を一層深く感じ取れる様な気がしてきた。


4/14(水)雨・曇り・寒波  外来 県感染症評価会議 院内倫理委員会
2:10起床。新聞・文献検討、徒然。5:50病院着、事務処理、6:30回診等。8:45-13:30外来。14:00-15:00秋田県感染症評価会議。退院総括。17:30-19:10院内倫理委員会。20:55帰宅、夕食、21:30就寝。

イズキャンセリングヘッドフォン(3)QuietComfort15 vs MDR-NC500D 
 私はスピーカーよりヘッドフォン派である。環境にあまり左右されず繊細な音を聴き取ることが出来る。とか言ってそう高級品にこだわってはいない。愛用しているのは30年以上も前の製品であるYAMAHA-HP1で、当時2ヶ購入、今でも自宅と病院で使っており、その音にはほぼ満足している。

 その後もヘッドフォンを購入したが、すべてノイズキャンセリング機能が付いたものにしている。ソニー製のMDR-NC50、BOSE QuietComfort (QC)2、それにソニーのMDR-NC500Dを購入した。何れもより新しい製品ほど遮音性能が高くなっており、MDR-NC50は次男が、 QuietComfort2は長男が使っている。私はMDR-NC500Dを殆ど身から離さずに用いている。MDR-NC50はNC60として、MDR- NC500Dは600Dとなっている。若干改良されているが買い換えるほどの差ではない。それでももっと良い製品が発売されないか、と関連ニュースには関心を払っている。
 もしあれば、ノイズキャンセリング機能が付いた部屋が欲しい。

 先日、当院の看護師が私のMDR-NC500Dを試してみて自分のBOSE の方が機能が優っている様だ、とそっと教えてくれた。BOSE 社がQC 2よりも格段に機能を高めた製品を発売し、その機能の高さから一気にQC 15と型番をアップさせて発売したとのことで嫌音権主張中の私は大いに興味を感じていた。

 BOSE QC seriesは今3機種あるが、店頭に置いていない為になかなか試聴出来ない。QC 3も同僚が持っているから試聴できたがQC 2以上のメリットは感じられなかった。こんな良い機会はないので、私は早速彼女から2日間ほどQC 15を借用していろいろな場面で試聴してみた。

 結論はノイズキャンセリング機能はQC 15>NC500Dであった。ただし、後者には騒音の状況に応じて自動的に設定変更が3段階になされる機能があり、これを作動させた後はほぼ同じか、と言うところであった。ノイズキャンセリング以外の機能では外部入力でのヘッドフォン機能は、音質は大差なし。重量はQCが軽い。デザインはQCは明るすぎるのでNC500D。私は銀色の印字部分等にはシールを貼って黒くして用いている。丈夫さという点では短期間の比較なので分からないが、QC2はプラスチック部分が割れやすく修理に2回出したが飽きたらず、自分で補強して用いていた。この部分が殆ど改良されていないからNC500Dをとる。こちらは2年ほどの連日使用で一度も壊れていない。装着感は重さも関係するがQC 15をとる。

 私にとって両者間の決定的差は意外なところで大きく出た。歩行時、および、自転車時の風きり音の差である。決定的にQC 15の風切り音が大きい。優れたノイズキャンセリング機能で街の喧噪を減弱しているからこそ耳元で発生する風切り音がはむしろ目立つ。これを減少させるには頭を45度斜めにして風が当たる方向を変えればいいのだが実用的には辛い。

 私が用いる環境下、これは交通法的にも問題で、作る側では想定外だろうが、この点でNDR-NC500Dが大きく優位で現状で、現時点ではQC 15の購入は考えていない。
 通常の使用下においてはQC 15は軽さも含めてQC 2と比較にならないほど高機能の優れた製品だと思う。


4/13(火)曇り 雨 外来 常務会 医局カンファレンス
2:15起床,ドック判定総括x1、文献検索etc.5:15病院、 6:35回診他。8:00救急カンファ。8:45-13:40外来、14:45-16:00常務会。17:30-18:20医局会『研修医学会発表シリーズ』。21:00帰宅、21:30就眠。

桜(12) 染井吉野は全部クローン桜なのだそうだ
 暇と言うわけではないが学会出張中の夜は開放感もあって何時もよりゆったりと本を読んだり文献検索等が出来る。ここ数日、たまたま桜についていろいろ調べてみた。不勉強とはいえ知らないことばかりで驚いてしまった。

 桜の種類は300種ほどもあるというが、私たちが愛でている桜の約80%が染井吉野と言う品種と言う。全国くまなく植えられているから古来からあるのかと思いきやその歴史は意外と短い。江戸末期に異なる桜の木から交配によって新種として誕生し、成長の早さ、花の見事さ、比較的安価であった等から明治時代に一気に栽培されたとのことである。それが今盛んに花を咲かせていると言うことである。

 しかも、驚くことに、これ程の本数があるにもかかわらず、種から育てられた木々は全く存在せず、すべてが接ぎ木や挿し木という方法で増やされたものだ、という。と言うことは、要するに染井吉野は誕生後全く他の品種と交配されたことが無く、すべてが同一の性格、更に言えば同一の遺伝子を持った木と言うことになる。
 遺伝学的にすべて同一の個体だから同一の環境の中では一斉に咲き始め、一斉に散ることになる。これが日本独特の桜に関する風情、心情を育成した様である。「短くも、美しく萌え」「散り際のいさぎよさ」、と言ったイメージもある。こんなところが日本人の自然観というか独特の考え方や感情とも結びついている。
 一方、桜と戦争の悪しきイメージを持ち続けている方々も居られる。確かに戦争に関連した恩賜品とかには菊と共に桜も用いられたとのことであり、靖国神社と桜の関係も決して薄くない。今でも東京の開花宣言は靖国神社境内の桜が用いられている。

 桜は、長く寒く暗かった冬の季節から緑萌える若木の季節、エネルギー溢れる季節への転換時期に数日から一週間の短い間に一斉に咲ほころび散ることから人々の心理を鼓舞するものがある。私自身の季節感の切り替えは通勤途上で観る桜である。しかし、何で観桜には酒があり宴会、それもどんちゃん騒ぎの宴会が付きものなのか、私には理解できない。私は桜の下で酒を口にした経験はない。


4/12(月)雨後晴  管理会議 外来 療養病棟判定会議  長副会議
2:20起床、文献、新聞チェック他。5:15病院着、6:15回診、病棟業務、7:45-8:25管理会議、8:45-14:10外来、 16:00-16:35療養判定会議。17:00-19:20長副会議。20:50帰宅。夕食、21:25就眠。

政権後退(5)高齢者のミニ政党「たちあがれ日本」 「たちあがる?」
 自民党を離党した与謝野元財務相が無所属の平沼元経済産業相ら5人と連携し新党を旗揚げした。これに石原都知事が微妙な立場で協力しているようだ。ネーミングは作家でもある石原都知事の発案らしい。

 与謝野氏は現自民党執行部を激しく批判する文献を出版したことからいずれは離党しなければならない立場にあったような気がする。その前に内に向かって十二分に主張したのだろうか。新党結成にあたり最低5人以上の議員の参加が必要であるが5人目はなかなか同調者が出ず、名義貸しの懇願までしたらしい。何とも苦しい船出である。結果的に平沼氏に近い中川参議院が自民党から離党して参加、やっと成立した。5人は67-72歳と高齢集団である。

 5人とも主義主張が異なっているとの評価が一般的である。特に与謝野、平沼氏は郵政を巡って党内では対立する立場にあった、平沼氏はそのために無所属を貫いている武士である。私は平沼氏にはそういうイメージを持っている。それが、今回一致できたのは何とかして打倒民主のために最後の力を発揮したいとの一点では一致したと言うことだろう。政党と言うには熱意だけではダメで政策が問われるが、政策について私はまだ理解できていない。

 今回の政権交代は「不満の自民、不安の民主」と言う何ともひ弱な関係の中で、無党派層の支持を得てなしえたが、半年経過して「期待はずれの民主、崩壊した自民」というもっとひどい方向に変わってきた。世論調査ではまだ大多数の無党派層は民主にかすかな期待を抱いているが、5月末になると何となるか分からない。その時点で国民があきれ果てて政治に背を向けることが最も危惧される。

 そういった意味では、古い体制に我慢できない若手が結束して自民を飛び出すのなら分かるが、古い自民を作ってきた年寄り、重鎮達が飛び出すのは驚きである。どの程度の影響力を示せるのかは不透明だが、彼らの離党、新党結成は結果的に古巣の自民党にとって相当の痛手といえよう。年寄りだから出来ること、と言えばそれまでだが、この新党は政界に漂う閉塞感を打開できないばかりか逆効果ともなる。私はそちらの方を心配している。
 政治は与党・野党共にしっかりしていなければならないのに、共に駄目な方向に向いているのは危険でもある。石原都知事の協力も気になる。保身か、次期都知事選への基礎作りか分からない。

 私はこの年寄り集団、実際には私もこの年齢にこよなく近いのだが、に対し「たちあがれ日本」の命名を知って実は一層悲壮感を感じてしまった。若手集団ならエネルギーが感じられて素晴らしいが、高齢者が集まって「たちあがれ!!」と叫んでも何かピンと来ない。「たちあがれ!!」、と誰に向かって呼びかけるのだろうか。
 この面でも心配している。


4/11(日)東京薄曇り・秋田快晴 日本内科学会総会最終日 
2:30起床。三井ガーデンH銀座プレミアにて起床。新聞チェック、本読み他。7:15葉っぱとコーヒー朝食。9:10-16:00東京国際フォーラムで終日学会演題聴講。18:30羽田空港で買い物他で横浜に向かった家内・長女と合流。夕食。20:00ANA、767-300満席で、機は苦しげに離陸した。22:00帰宅、22:45就眠。

桜(11) 花は素晴らしいが、季節感はマスコミが作る寂しい時代だ
 本日まで学会のために東京に来ている。
 東京は桜が満開をちょっと過ぎた状態にあるらしく、何となくくすんだピンク色である。ハラハラと散り始めた花びらが空に舞い、地上では風に舞って回っている。学会場への移動で乗ったタクシーのドライバーによるとやや盛りが過ぎたとは言え上野公園や新宿御苑など、昨日はすごい人出であったと言うことで、今日の日曜日が最後でしょう、と言っていた。花かハナか、果てまた団子か酒か・・という雰囲気である。

 秋田にいるとまだ若干つぼみが膨らんだかな?と言うところで、桜の木を見ているだけでは全く開花の雰囲気はない。
 しかしながら、最近は新聞を見てもTVを観ても各種印刷物を観ても桜、さくら、サクラ・・のオンパレードである、何れも見事な写真が添えられていて見事である。だから、もう心は開花、満開の気分である。

 私は今回、東京に出てきて今年初めて満開に近い桜を観たが、その感激の気持ちは今ひとつである。既に南の地方では咲いていて当たり前と報じられていたからであり、見事な満開の図を否が応でも見せつけられていたからである。

 今は自分の五感で季節を感じると言うよりはマスコミを通じてその雰囲気が届けられる。
 これは便利である一方、実に寂しい事である。
 春の訪れと共に毎日毎日つぼみのふくらみを待ちながら観察していた子供の頃の感激の方が今より遙かに新鮮だったと思う。4


4/10(土)東京やや曇り 日本内科学会総会二日目 乙部火災記念日 
2:30起床。持参の新聞チェック、本読み他。7:15葉っぱとコーヒー朝食。9:00-17:00東京国際フォーラムで終日聴疲れたが極めてリッチな気分。18:00前にホテルに、持参のドック他本読みなど。長女も合流。19:30銀座『長峰』にて長女誕生日祝いの夕食。21:00就眠。昭和 27年わが家消失日。ポーランド大統領搭乗のツポレフ機着陸直前墜落。

No107日本内科学会総会二日目  学会で向上心が盛り上がるのだが
 日本内科学会総会では座しているだけで最近の内科学の最新の講演を3日間で30編以上聴くことが出来る。各講演は20-30分程度にまとめられ、とても分かりやすい。聴きながら感心するだけでなく、いかに自分がものを知らないのか、遅れているのか、を自覚してグッと向学心・向上心が盛り上がってくる。

 さらに自分が受け持っている患者の病態について理解することも、納得出来たり、新しい治療に関して示唆を受けることも少なくない。これが私がこの学会にほぼ皆勤している理由である。認定医の更新は自然についてくる。一方、当院は日本血液学会認定研修施設となっているが,これの維持・更新のためには今のところ私の認定医、指導医資格が必要である。だから、こちらの学会は資格更新の目的の方が大きく更新点数を計算しながら出席予定を立てている。

 内科学会総会で受ける刺激は大きい。あれについても、これについてももっと勉強してみたいと夢が膨らむ。その日の演題終了後,もう遅くなって詳細に選ぶ時間はないのだが、書籍等の特設会場に急ぎ関連図書を買い込む。大型の書籍は荷物になるので宅急便で送る。小型の本はホテルでごろ寝しながら読む、これも楽しい。これも,学会出張で職場を離れたと言うことで生じた開放感、ゆったりした時間が在ればこそである。こんな時間がもっと続けばいい,と思う。
 ところが残念なことであるが、こんな気持ちは長くは続かない。学会も終了日になるともう気持ちは明日からの日常診療、業務のことに思いをはせることになる。いろいろな検案事項が頭をよぎりふと現実に戻る。長い勤務医の間に身についたあまり楽しくない習癖である。

 で、実際に通常の業務に戻るともう診療そのほかに追われる。学会で盛り上がった向上心は情けないことに数日で萎えてしまう。買い込んだ本は開かれることもなく、書棚に並ぶ。私が購入した専門誌はかなりの部分学会場で購入したものであるがその背景はこんな気持ちが繰り返しされた結果である。


4/9(金)秋田・東京快晴 日本内科学会総会初日 法人理事会(欠)
2:20起床。3:10病院着。出張に備えて患者対応他病棟業務、書類処理。6:30病院発、直前患者不調に。7;35ANA 767-300、前席は満席状態も後部座席15%ほど。実に快適。機も軽快に離陸した。9:30-17:00東京国際フォーラム、最前列中央席を陣取り聴講。18:00家内と合流、三井ガーデンH銀座プレミアに。本読みなど。19:30夕食。21:30就眠。

No107日本内科学会総会(東京フォーラム)初日 
 本日、日本内科学会総会で東京にいる。
 認定医更新目的もあるが、ほぼ皆勤しているので更新点数は問題ない。最近の内科学の進歩を3日間で30編以上の講演を聴くことが出来るからであり、 1973年以降万難を排して出席している。

 出張前日から準備が大変である。幸いこの学会は週末なので外来代診は不要であるが、ドック診察、入院患者関連の申し送り、問題患者のカルテ記載、期限付きの未記入書類等の準備が大変である。今朝も朝3時から業務を処理し、6時半に何とか間に合わせた。その直前患者の検査値のファックスが届き、電話で対応指示、後ろ髪引かれる思いで空港に向かった。

 秋田発7:30ANAは前方は8割ほどであったが後ろ半分は2割ほどでガラガラ、通路を挟む4列の中央座席は私一人だけで超快適であった。何で皆さん前席の座席、窓際席を好むのか分からない。機は乗客が少ないからか、あるいは気象条件も良かった為か、実に軽々と、本当に軽々と離陸した。搭乗者半数とすれば約100人分少ないわけで、体重平均55Kgとすれば5.5tも軽いし、所持品も少ないことになる。搭載燃料を減じるか分からないが、機の最大離陸重量から見れば軽く、当然なのかもしれない。

 揺れも少なく快適であった。ANAは今月から無料の機内サービスを止めたとのこと。時代の流れなのかもしれない。有料メニューはジュースなど500円前後と結構高い。客室乗務員もこれでかなり楽になっただろう。
 東京上空では結構揺れたが、地上に見える工場からの白煙が真っ直ぐ上がっているのに何でこんなに揺れるのか、不思議であった。雲一つ無い快晴で地上は無風状態でも上空は結構風があり、気流の乱れがあるものだ、と思った。

 学会場には9時少し過ぎに着き、シンポジウムの1演題のみ聴き損ねただけであった。便利な時代なったものである。最前列中央の席を陣取り、16:30終了まで、プレリミナリーセッション、通常総会を含めて全部聴講した。

 日本内科学会総会はかつては担当する会頭の地域で開催されていた。だから、出席の為の移動が大変であった。何時からか会頭が誰であっても東京フォーラムに固定されて開催されている。昨年の学会会頭は東北大学教授、今回は島根大学教授である。来年もここらしい。これは参加するものにとって機能的でとても良いと思う。
 会場の東京国際フォーラムのメインホールは広くて実に立派、座席のクッションもほどよく、8時間座り続けていてもそれ程苦痛ではないが、流石に尻と首、腰が痛い。
 全部聴くと何とも言えないいい気分となる。後は、ホテルが静かであれば言うことない。


4/8(木)快晴 外来 ドック結果説明 研修医導入研修 出張準備
2:30起床、ドック総括他。5:15病院。6:20回診。8:45-13:30外来+ドック結果説明。15:00研修医に導入研修として『病院の沿革、医師』の心得。患者申し送りなど出張準備。3日間出張するが患者が不調で気になる。21:00帰宅、夕食、21:40就眠。

アンチ・アンチエイジング(4)健康人は実は病人である
 昨年9月秋田矢留ライオンズクラブの設立40周年の記念式典で、私に基調講演の依頼があった。主催者からの演題希望は「アンチエイジング」で、驚いた。 ロータリークラブ会員は社会的にもそれなりに活躍なさっておられる方々で、いつまでも若さを保って社会奉仕をしたい、とお考えらしく実に結構なことであるが、私はアンチ・アンチエイジングの立場、即ち「ウイズエイジング」が良いと言う立場なのでかえって面白いだろうと思い、あえてお引き受けした。講演は結構評判が良かったらしく、その場で本年5月と9月の記念講演も依頼されてしまった。

 今度は、羽後町から講演の依頼が来た。今月末日である。演題は出来れば「より若く、美しく過ごすには・・」と言うことで、またアンチエイジング関連である。昨年の講演とは全く関連ないらしい。聴衆は町内のご婦人方が中心とのことである。こんな演題で私が講師の候補に挙がるのか分からないが、それを追求してもしょうがない。本来なら「より若く、美しく・・」の演題は私に頼むより化粧品会社の宣伝部にでも依頼すべき内容である。多分各社ではそのための講師は養成しているはずであるしかし、それでは地域のアンチエイジングの考え方を助長し、住民の出費が増える事になるだろうから、今回もこの演題のまま引き受けることにした。

 それにしても最近とみにアンチエイジングに関心が高まっている。何でそんなに老いることを嫌い拒絶するのか、私は理解できない。加齢、老いは絶対に避けることが出来ない。にもかかわらずそのマイナス面をことさら強調し、国を挙げて「老いない、老いさせない社会」を作っていく方向にある。その背景には、老いを忌避し、老いて不健康な高齢者は社会にとってマイナスの存在として抹殺していく考え方があるように思えてならない。同様の考えは今回の「若く、美しく」ありたいと言うことは「若くない、美しくない」存在は何なのか?と言うことに結びつく。

 いわゆる健康人が当たり前に抱く感覚は『健康でない方』への差別感でないのかと思う。歳をとりたくない、老けたくない、障害ある身体になりたくない・・・と言った健康人の願望は誰しも抱く当たり前の感覚であるが、そうでない方々を色眼鏡で見ていることの表れであり、恐ろしい考え方である。

 私が委員長を務めていた秋田県障害者施策推進協議会は先月17日に開催された。多分この日が委員長を務める最後の会と思うが、開会にあたっての短い挨拶の中で「障害ある方の立場から見れば、いわゆる健康人は人間的な感受性を失っている、あるいは備えていない障害者である」と述べた。県職員の方々は「??」と言う様な表情をしていたが、真意は伝わったかな?


4/7(水)雨のち曇り 外来 中通高等看護学院入学式 秋田市内科医の会
2:30起床、ドック総括、導入研修用資料作成。7:10病院着、7:25回診他、8:40-13:00外来。13:30-14:30中通高等看護学院入学式。在校生代表の迎える言葉、入学生代表の誓いの言葉、内容が立派で驚く。21:30帰宅、ネコ以外誰もおらず22:00就眠。

政権後退(4)混迷自民?原発事故時のメルトダウン様の様相
 鳩山邦夫元総務相に続き与謝野氏も離党、夏の参院選前の新党結成を目指して離党届を出した。舛添前厚労相は離党の話はない様であるが谷垣総裁を含めての執行部の刷新を求めて発言を繰り返している。

 政権交代から半年、鳩山政権は支持率が低迷して危険域に入っている。自民党にとっては再浮上の最高のチャンスが訪れた事になるはずであるが、自民党の支持率は一向に回復しないばかりか自民党は日に日に大変な状況に陥っていく。要職を歴任した老練なメンバーが次々と離党していく。本来、年長者は古い自民党的体質を身に纏った保守的連中であろう。何でそのような人たちがこぞって現体制を批判し、刷新を要求し、かつ出て行くのか。尤も、激しく現執行部を責め立てている若い連中は出て行ったらただの人だから出てはいけないと言う事情はある。

 現執行部へ如何に提言しても頑なな谷垣総裁への不満やあせりは十分理解できる。その過程を見ていると、最も古い体質は現谷垣執行部と言うことになる。その頑なさが老練者達を動かしている。

 今回の政権交代は『自民に不満、民主は不安』という相対的レベルの比較選挙であったと思う。それほど国民は絶対的価値を民主に認めたものではなかったはずだ。自民よりはマシだろう、のレベルであったはずだ。それが、『民主は不安』は現実のものになりつつある。ところが、『自民に不満』の方がより著しい悪化を示し始めている。自民がバラバラに溶け始めている。あたかも原発事故の際に制御が効かなくなって暴走を始めた原子炉の炉自体が溶け始める、メルトダウンと言う最も恐ろしい様相を呈している。だから、新聞等の世論調査では、鳩山首相や政権に失望しつつも、政権交代の実現を肯定的に評価し、参議院選挙ではやはり民主党に投票すると言う人が今も7割近い。前回よりは相対から絶対的レベルへの自民離れが生じうる。

 自民は今、右往左往してる場合か。なすべきことははっきりしている。世論調査では、いまの自民党が野党としての役割を十分果たしていないとの回答が約8割に達した。だから、何より大切なのは、野党としての政策の組み立て直しである。その上で実力を付け国民から再評価を得る手しかないのでは無かろうか。
民主に失望、自民に見切り、と言う構造で国民が政治に対する期待、関心を失ったとき、日本自体がメルトダウンしてしまう。その事態だけは何としても避けなければならない。


4/6(火)曇りのち雨 外来 常務会 新築委員会打ち合わせ 医局会
2:30起床,ドック関連業務、文献チェックなど。6:25自転車病院着。6:55回診+病棟業務。8:40-13:30外来、 14:45-16:00常務会、17:30-18:45医局会。21:15帰宅、21:45就寝。

鯉とスズメ、カラス(2)見事なカラスの特技
 鯉に餌を撒くときにカラスも2-3羽来る。カラスにも分け与えるがその仕草は不遜でもっとよこせ、の雰囲気である。私を明智光秀とでも思っている様な目つきである。引用した名前の明智光秀とは例の歴史人物であるが、「あー、ケチ!! 三つ??ひでー・・!!」とのことで、20年も前に子供達から聞いて大笑いしたギャクで、たまたま思い出した。

 数羽寄って来るカラスのうちの一羽は見事な技術を持っていて、橋の欄干にとまって川面を眺め、鯉に取られずに下流に流れる大きめの餌を見つけるとサッと飛び立ち、一旦川下まで行って方向転換、水面ギリギリの低空飛翔で頭部を強く曲げて餌をとる。この間羽は水面につくことはない。
 今まで10回ほどこの様な餌取りを見た。識別できないがすべて同じカラスによる様な気がする。
 水面にある餌を飛びながらとると言うカラスの行動は昨秋この場で初めて見ただけでこれがカラスの一般的技能なのか特定のカラスだけなのか、判断はつかない。カラスとの付き合いも疎遠で親しく観察できる相手もいないから分からない。 
 カラスに関する書籍は今まで数冊読んだ。中では唐沢孝一著『カラスはどれほど賢いか-都市鳥の適応戦略』中公新書877(1988年)が参考になる良い著書と思うがこの様な捕食活動については触れていない。これからもっと観察してみようと思う。

 今朝は鯉とスズメ、カラスの他にカルガモと思われる鳥も寄ってきた。鯉よりも素早く捕食する。だんだん競争が激しくなる。用意する餌の質、サイズや乾燥度など私が考えなければならない項目もいろいろ出てきた。
 ともかく、早朝のこの小さなふれあいが楽しみである。


4/5(月)晴れのち曇り 管理会議 患者対応 療養病棟判定会議 長副会議
1:00起床、ドック関連処理4件、7:00自転車病院着。7:45-8:30管理会議、11:00患者対応、患者家族面談。書類処理。 16:00-16:40療養判定会議。17:00-19:00長副会議。20:50帰宅、夕食、22:45就眠。

鯉とスズメ、カラス(1)通勤途上の楽しみささやかな楽しみ
 朝5:30、白々と明けてくるとスズメの鳴き声が聞こえてくる。庭の木々にスズメが何羽か来ている。ただ、最近ずっと少なくなったと思う。
 子どものころから、スズメは最も身近な小鳥であった。私にとっては鳩に次いで親しみを感じる鳥である。田舎の早朝は雀の鳴き声がうるさくて寝ていられないほどのこともあった。5月ともなるとわが家の屋根瓦の隙間にスズメが巣を沢山作り5月末頃になると方々から餌を求める小雀の声が実にうるさかった。スズメは孵化したあと約2週間後には巣立ち、数日は巣の近くで過ごし親から餌をもらう。更に1週間もすると、親鳥のあとを追いながら、餌をもらったり餌を採ったりする。5月末にはまだ嘴に黄色味が残る若鳥が親鳥のあとを追いかける幼鳥を見ることが出来た。
 なのに、今は求めて聴かなければスズメの声が聞こえない。

 徐々に天候も良くなってきた。まだ寒いが、冬期間止めていた徒歩、自転車通勤を3月下旬から再び始めた。車での移動と異なりいろいろな楽しみが伴っている。その一つが旭川の鯉たちに餌を妬くことである。ただ、まだ水温が引くためか昨秋の頃のほどは集まらない。それでも今朝は10数匹程度姿を見せた。撒いた餌への食いつきはまだ良くない。余った餌が遠くまで流れていく。これから日に日に活動性も増し、数も多くなって行くだろうから楽しみでもある。

 秋田北高近くの橋、名前は何というのか忘れたが、その中央付近から餌をやるのだが、最近はスズメもかなり集まってくる様になった。今朝は10数羽でそのうち数羽は2mほどまで近づき、あまり私を恐れている様ではない。常連かな?パンくずの小さなのを与えても驚くわけでもなく喜び勇んでついばみ始める。大きめのパンくずを得たスズメはその場で食べずに欄干の下に運んでついばんでいる。その仕草がとても可愛い。

 カラスも2-3羽来る。近くまできたのには餌を投げてやるが、仕草は不遜である。あからさまにもっとよこせ、の雰囲気である。私を明智光秀とでも思っている様な目つきである。
 ともかく、5分ほどかな?早朝橋の上で展開されるこの小さなふれあいがとても楽しい。


4/4(日)快晴 病棟拘束 レガシーセダン廃車に 書庫導入書籍整理
2:30起床、ドック判定総括、徒然、新聞チェック。6:30病院、8:30救急カンファ。10:30帰宅、13:00レガシーセダン,19年使用ついに廃車に。隣から書庫貰い書籍大量に整理。ドックなど処理。17:00-19:00病院、20:00夕食、21:00就眠。

日医会長に原中勝征氏が当選(2) 今後の活動に期待
 日医会長となった原中氏は日医病院委員会を通じてよく知っている。日医会長としても相応しい人材の一人だと思う。しかし、今回の日医会長候補としては民主党とのパイプを強力に前面に押し出したことから私は支持できないとの立場でいた。もともと日医も、その政治団体である日本医師連盟がずっと自民党を支持して来たことにも是とは思っていなかった。

 医師会は学術団体であるから、会の活動あるいは在り方に政治を持ち込むことには賛同できない。政治的運動はその団体として医師連盟があるからそちらでやればいい。今まで日医会長が連盟の会長を兼ねてきたからその辺のところが模糊としてきた。本来ならば日医会長選挙とは別に医師連盟会長選が行われ、互いに独立した形で活動するのが最も良い形と言うことになろう。さいわい、今回の会長選挙に立候補した各候補は日医と医師連盟との分離を掲げていたから今後はその動きになっていくと思われる。

 原中氏が当選した背景を、政権与党に近づき政権交代後に診療報酬を議論する中央社会保険医療協議会から日医幹部が外されるなどの扱いを受けたことに対する不満ととり、その復活とかを期待しての結果と言うのであれば必ずしも良いこととは言えない。だから、選挙結果をきいたときに予想していた通りとは言え、私はちょっと落胆した。

 私は原中氏の今後について注目している。氏は会長就任後の挨拶でも民主党との関係修復、強い医師会の復活を掲げた。これについての考えが何に立脚しているのか、現時点では私は分からないが、前向きに解釈したい。

 太いパイプを利用して与党に取り入り、既得権を主張したり日医の立場を強くするのでなく、ともすれば軽視されやすい医療福祉の分野の真の在るべき姿を政策に反映するために強く主張するという立場で利用し、働いて欲しい。
 医師不足は深刻で医療機関の経営も苦しい。地域医療を立て直すには、資金も人も必要である。しかし、国の厳しい財政事情はとても厳しい。今年度の予算は何とか成立したが、来年度の予算作成は財政難の中困難を極めるだろう。場合によっては再度医療福祉分野の予算が削られる可能性も高い。だから、しっかりした論理で政府に提言して欲しい。

 会長候補の主張のうちで私が最も納得できたのは次点となった森候補の主張であった。ただ、選挙に出遅れたことと知名度が低いこと、堅実であまり目立たない方であることから確かに今期の当選は難しかったと思う。原中会長の動きを見ながら地道な活動を続けて行って欲しい。


4/3(土)晴れ 患者家族面談・患者対応 緩和医療研究会(欠)
2:30起床、ドック判定関連。新聞・文献・徒然ほか。7:00病院着、7:20回診。8:30救急カンファ。10:30患者宅訪問対応。 13:30-14:20病棟患者・家族対応。18:45自転車帰宅、夕食、20:30就眠。

日医会長に原中勝征氏が当選(1) 政権交代の影響が日医を変えた
 日医会長の任期満了に伴う選挙が4月1日午前日医会館で行われ、原中勝征茨城県医師会長が当選した。私は何度も日本医師会代議員として会長選挙に参加してきたが、今回は病院で外来の合間にネットの速報を見た。予想が現実になった。

 原中新会長は民主党とのパイプを強調し131票を得た。政治的に影響されないしっかりした日医の構築を訴えた森京都府医師会長は118票で次点、親自民党との立場を見直し、より中立的立場を主張した現職の唐澤会長が107票であった。

 医療は人の健康や生命を扱う崇高な職業である、というのは簡単だが、医師数も、医師の研修も、医療機関の設置・規模、診療報酬も全て国の統制を強く受けている。だから、医療の現場は政治や経済の影響をもろに受けている。1980年代から国は低医療費政策を続けており医師の養成数も減少させてきた。だから、医療現場を預かる医師をはじめとする医療福祉の関係者は苦難を強いられて青息吐息でやってきた。その結果もたらされたのが医療崩壊という厳しい現状である。

 今回の政権交代は日医にまで大きく影響し、今回の選挙は各候補の政党との距離が争点となった。従来、日医は自民党の支持団体として選挙に協力し、医系候補も擁立し医療環境の改善、診療報酬の引き上げなどを求めてきたが、政権交代後に日医の政治団体である日本医師連盟が自民党支持を撤回し、方向を転換した。

 会長選挙は結果的に、民主党との関係を前面に押し出し強調した原中氏 vs 森、唐澤という構造になり、森、唐澤両陣営が票を分け合ったことが原中氏を会長に導いたことになる。
 原中氏は母校の日大医学部外科教室で腫瘍免疫のTNFの研究をされた方である。2004年から茨城県医師会長で日医の病院委員会副委員長を2期努められ、その後なぜか私が副委員長となった。従って氏とは6年間病院問題で討論したことになる。聞く耳を持ち、論理明快な話をされる方である。


4/2(金)みぞれ・雨  ドック診察 県、消防関係等新任挨拶来訪
2:30起床、ドック判定総括x1。文献検索、メール対応ほか。7:00病院着、みぞれ混じりの雨。7:15回診。対外的予定無し。総括紹介状など数件処理。県、消防関係等新任挨拶来訪あり。有り難いがわざわざお出でにならなくとも、と思う。20:50帰宅、夕食、21:30就眠。

定年退職者の満足・安堵の笑顔 vs フレッシュマン・レディ達の若い笑顔(2)
 昨日は国内の多くで入社式があった。共同通信社のデータでは全国では76万人が新社会人となったとのこと。一方、厚労省の調査では大学生の就職内定率は80.0%と過去最低だったという。

 TVニュースでトヨタ、日本航空の入社式が放映されていた。まだ、内定にも至っていない求職者達はどんな気持ちでこの様子を見ていたのだろうか。両者の社長共挨拶の中で「会社が厳しくなっている今、当社に入職してくれたことに感謝する。自分が会社を建て直すのだという気概を持って欲しい」と言うような内容の挨拶をしていた。トヨタ社長の挨拶はあまりにも敬語の多用で、新人達を大切に扱うと言うより過剰におもねた雰囲気で聞き難かった。

 魁け新聞によると、県内企業では秋田銀行が85人、北都銀行が52人、厚生連が168人が入社したとのこと。このうち秋田銀行は従業員数1500余人と当法人と似た規模である。
 当法人は職員数1400余名であるが、今年は70余名のフレッシュマン・レディを受け入れた。昨日1日が入社式であった。何れも若葉に例えるのが相応しい様な新鮮で明るい笑顔が印象的であった。

 続いての中通総合病院の配属任命式が行われた。当院は新卒医師10名を含む65名の新人が配属になった。他に既卒医師は7名。式では、突然挨拶を求められた。
 その中で、■「挨拶」「笑顔」「ディスカッション」が基本。これで多くの懸案は乗り越えられます。■個々人の個性は大切に。しかし、職場では社会人としての常識、礼儀をわきまえていることが必要。例えば言葉遣い、遅刻など。■50余年にわたって先輩達が培ってきた信頼感の延長線上で仕事をしているという自覚と謙虚さが必要。■一歩一歩、技能を身につけ延びて欲しい。決して同じ間違いは繰り返さない。■当院で働きながら、社会貢献して欲しい・・等と述べた。

 明日からこの新人達の笑顔と会うのが楽しみである。それと、どう成長しているのか、その過程を見るのも楽しみである。


4/1(水)雨 外来 法人入社式 配属任命式 日医医師会長選挙
2:30起床、ドック総括、文献。6:50小雨の中自転車若干濡れて病院着、7:15回診他。8:40-14:10外来。日医医師会長に原中氏当選。14:30法人入社式、15:45配属任命式。退院患者総括。20:45帰宅、夕食。21:30就眠。

定年退職者の満足・安堵の笑顔 vs フレッシュマン・レディ達の若い笑顔(1)
 本日は年度の始まり。3月下旬からは官公庁、一般企業,私どもの法人内,病院でも定年退職に関連した激励会・送別会などが行われた。私は徒歩や自転車で帰宅する際に、時に川反の近くを通るが、25日、26日の夜の川反は何時もになく賑わっていて驚いた。

 地方紙である魁け新聞には連日のように県庁、市役所、県警,学校関係などの人事異動が掲載されるが、各々が紙面2-3面を要するほどの大人数の肩書きと氏名である。異動者だけでこれだけだからいかに多数の人々が勤務しているものと思う一方、誰がこんな記事を読むのだろうかといぶかってしまう。顔写真もない,経歴もない名前だけの羅列が一般の購読者にどれだけ価値があるのだろうか。本人周辺の関係者だけでないのだろうか。

 これは本来新聞の仕事だろうか?ニュースとしての人事異動であれば意志決定の要職にあるトップの異動だけ写真入りで記載すればいい。官公庁がこれほど詳細に人事異動を県民市民に知らせる必要があるのなら、官公庁が独自にホームページ、印刷物等で公表すれば良い。もし、新聞社で取り上げるのなら別刷りとして有料で販売すればいい。

 それはさておき、私も法人、病院の外来、病棟で定年を迎えた方々の感謝状授与式や激励会に何度か出席した。その際、思うことは定年退職者と言ってもまだ 60歳、若々しくてお元気、とても社会的に「もう年だから引退・・」の時期にある方々に見えない,と言うこと。定年退職制度は昔からの制度で、時代と共に何度か年齢は見直されてきたが,何と厳しい制度だろうか,と思ってしまう。
 途中からの入職者もいるので不定だが,今回の対象者は30-40年も勤務された方々である。私どもの法人内の各職場を通じて自身の生活を支え、かつ社会貢献をされてきた。長い年月の間にはいろいろなことがあったのだろう。だからこそだと思うが、送られる方々の笑顔が総じて素晴らしかった。大きな目標を成し遂げた、やり切ったという満足感と安堵感、それに退職後の新生活への希望が作っている笑顔だろうと思う。正直言ってこんな素晴らしい表情を持っておられた方だったのか、と毎年驚かされる。

 法人で退職時期を迎えた16名中12名の方が継続雇用という形で仕事を続けられる,と言う。有り難いことである。
 医療は各スタッフの技量によって支えられており、一人一人が代替できない能力を持っている。継続勤務の方々も、別な道を選ばれた方も、今日からは肩書きとしがらみを捨てて新しい気持ちで働いて欲しいと思うし、新しい発想で一日一日を有意義に送ってほしいと思う。
 これは、定年を迎えられた方々を羨んでいる私自身の願望でもある。


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   年を通じてワンパターンで淡々とした毎日です。AM2:00-5:00にメールチェック・返事送付、人間ドック(HDD)判定・報告書作成、新聞切り抜き、病院・医師会業務など。
  月〜土曜は6:00頃出勤、HDD報告書印刷、外来書類処理など。病棟回診、HDD受診者とミーティングと診察。8:45-14:00外来とHDD受診者に結果説明。昼食は摂りません。午後は病院業務・医師会業務、各種委員会等に出席など。20:00頃帰宅。
  日曜・祭日もほぼ同様ですが、病院には午後出かけます。時間的に余裕無いのが悩みです。


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