徒然日記
2006年10月分

 日記と言うより、自分の行動記録からの抜粋と日々の雑感です。

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先月の日記          来月の日記


10/31(火)晴れ,患者家族面談 救急カンファレンス 外来 法人常務会  医局カンファレンス 外来オーダリング講習会 魁新聞取材 
 2:00起床。ドック総括他。5:20病院着.6:20回診+患者家族面談。8:10救急カンファ。9:00-14:00外来。14:30-16:00法人常務会。17:30-18:20医局カンファレンス。18:45-20:00外来オーダリング講習会。20:00-21:00魁新聞取材、医師不足関連。そのほか諸々。23:10帰宅。23:45就寝。

レコードをまた聴き始めた(4)レコードの音は心地よい 
 レコードとCDの比較談義は今時はまず見れらないが、かつて結構見られたものだ。
 私はレコードの音がCDより優れているとは全然思っていないが、条件良く録音されたレコードの音は私の耳にはちょうど良いレベルで、実に心地良く響く。

 たまたま同じソースを10枚両ほど両者で持っていたのでかつて聴き比べてみた事がある。音の質はあえて言えばCDの方が鮮明かな?という程度の差でそれほどの違いを感じなかったが、ppp-fff間のダイナミックレンジはCDが遙かに勝っているし、レコードはfffの時に若干歪みが感じられる。音域はレコードの方が絶対的に広いと思う。レコードでは大口径のスピーカーがゆらゆらと音にならない振動をしているし、ヴァイオリンの倍音などより豊かなような気がする。

 両者をヘッドフォンで聴き比べてみると差は両者の差は歴然であってレコードでは針先の摩擦にまつわる雑音が常に聞こえ、これが音質に種々の影響を与えていることが、音としても聴き取れる。だからといって劣っているとも言えない。これは機構上やむを得ないものなのだと容認すれば世界は広がっていく。

 ただ、こんな比較はあまり意味がない。両者は音になるまでの機構、プロセスが全くことなるからである。CDは私にとってはブラックボックスでどんなものか分からず論じられないが、レコードでは回転系メカニズム、摩擦、振動、発電機構・・・があり一つ一つのレベルは千差万別である他、外の影響を如実に受けてしまう。レコードや針の摩耗による劣化、静電気,ホコリも無視できない。私が比較に用いたのは今から見れば普及品の上位レベル程度の機器だから、初めから意味が乏しい比較でしかない。

 結論は、ながら仕事のBGMとしての流し聴きの私にとって、レコードの音は実に心地よい、ということであり、一方、CDは廉価な機器でもそれなりの音がすることと、その便利さ、扱いの簡便さが私にとって絶対的な優位点である。その利点は5枚用と、25枚用のオートチェンジャー機器の利用で最大限に発揮されている。ちなみに25枚用のCDプレーヤーの値段は1万5000円で故障もなく10年以上活躍している。レコード用カートリッジのDL-103は、1.6倍の値段で寿命は一応300時間となっている。この差は大きいが、私はやはり、レコードの心地よさを捨て切れない。


10/30(月)快晴 管理会議 外来 療養病棟判定会議 長副会議
0:30起床、ドック判定、総括x1. 退院総括。5:10病院着、6:00回診他、8:00-8:45管理会議、9:00-13:30外来. 16:00-16:35療養病棟判定会議。17:00-20:15長副会議。21:30帰宅。夕食、22:15就寝.

レコードをまた聴き始めた(3)古いカートリッジで十分鳴った 
 一月ほど前だろうか、ちょっとした機会にプリメインアンプを購入してから、家での私の生活は一変した。死蔵してあったレコードを次々に取り出しては時間が許す限り喜々として聴いている。死蔵レコード達の無言のプレッシャーは20数年間私を苛んできたが、ついにそれらから解放される時期が来た。だから、ここのところとても気分が良い。一枚一枚のレコードは当時結構熟慮の上で購入したから、ジャケットを眺めてはその頃のことも思い出す。

 私は20代後半から10数年間余り、オーディオに少しだけ凝ったこと事もあり、その頃買い集めたソフトの大部分、機器の一部が今でも現役として用いられている。古参の代表は1965年製のローラセレッションのスピーカー、1970年製のトリオのFMチューナーである。その頃CDは発売され始めてはいたがまだ一般的ではなく、当時最も良い音質を楽しむための音楽ソースはレコードであった。だから、この部分にはコストもかなりかけた。レコードプレーヤーも当時の標準以上の性能の品を2台並べて用いた。当時のプリアンプには当然フォノ端子は付いていたがそれには飽きたらず、別に専用のフォノアンプを用いていた。

 レコード針、即ちカートリッジは最終的にはMM型はグレースF-8Lシリーズに、MC型はDENON DL-103に落ち着き、レコード保護のために約300時間毎に前者は交換針を、後者は本体を買い換えて聴いていた。先日、ラックの引き出しを整理したらグレースの交換針が7本、DL-103本体が8ヶ出てきた。随分聴いたものである。前者は30年ほど、後者も20年も前の製品である。先の休日にこれらを全部試聴してみたところ音としては劣化を聴き取れなかった。一般的に微妙に振動する針を支えるダンパー部分はゴムとかで出来ているとされ、この部分が劣化して音が濁るとされている。20-30年も前のだから当然駄目になっているだろうと諦めていただけに、試聴の結果には驚いた。大事に取っていて良かった、と思う。

 今は、DL-103の方を用いている。もう、レコードを大事にしておく意味は私にはないから、カートリッジも針が音が変わるほど摩耗するまで使い込んでしまおうと思っている。レコード盤が劣化しても良いのだ、劣化するほど聴けたらそれは良いことなのだ、どうせ私と共にこの世からゴミとして消え去る運命にあるのだから、と妙な一体感すら生まれてしまった。


10/29(日)雨→曇→晴れ  病棟拘束 FF tennis     
2:00起床、ドック判定総括x1. 退院総括、紹介状処理。徒然など。この間、レコード10数枚、モーツアルトのオペラ2曲ほか聴けた。12:00梅林園へ。コートの水排除に1時間弱。13:00-16:20FF tennis、4-6,6-4,5-7と惜敗。 17:00-19:00病院、回診他。19:30帰宅、夕食、20:00就寝。

ウイーン国立歌劇場第一夜、シノポリ指揮 ヴェルディ「マクベス」
 ウイーン国立歌劇場での観劇は私にとって夢にまで見た機会である。高校生の頃から興味を抱いてきたが、ついにその時が来た。当日は早く夜になるのを心待ちにしつつ、歌劇場を外から眺め、午前、午後とリンクやその周辺にある庭園、美術館で時間をゆっくり過ごし、夕方に大きな期待で歌劇場に出かけた。

 今回のオペラツアーのウイーン国立歌劇場での初日はジュゼッペ・シノポリ指揮のヴェルディの名作「マクベス」であった。

 シノポリは精神科医で、作曲家、指揮者でもある。彼は何度も来日しており、「音楽の友」誌の対談の中で「私は精神分析学を学んでいた。だから作曲家の複雑な心理をも表現したいのだ」と述べていた。その面では私にとっても興味深い指揮者であった。マーラーの交響曲第2番「復活」は私の大好きな曲の一つで数種類の録音を所持しているが、最も取り出す機会が高いのは彼のCDである。ただし、彼の言う、作曲家の複雑な心理がそのように表現されているのかは、仕事をしながら聴く範囲では見つけられなかった。

 それだけオペラなら何かがあるハズだとの期待感も大きかった。特にこの作品は登場人物の疑惑、探り合い、憎しみ合いなどの心情の変化などが豊に表現されるはずの作品である。その意味で待ちに待った開始である。
 シノポリの振ったマクベス、私には最高の出来のような気がした。そんな気分で約2時間半集中した。音楽の構成は堅固で迫力十分、オケの質感等々、感じた印象はいろいろあるが、細かいことは別にしても、オペラは作品、会場、聴衆、演奏家、演出家、衣装、舞台だけでなく、その国、地方の歴史、文化が織りなしている総合芸術なのだ、ということを実際に実感として味わうことができた。東京で聴いた引っ越し公演に満足しつつも、何かが足りない、こんなハズはないと感じていた疑問はハンブルグ、ミュンヘン、ウイーンのオペラハウスで消失した。
 私は通常はレコード、CD、LD等でしかオペラを楽しむことは出来ない。それでも随分恵まれている、と自覚できたことも、ホンの一部ではあるが本場の歌劇場をを訪れたことの収穫の一つである。

 後日、シノポリ指揮「マクベス」のCDを購入した。オケはベルリン・ドイツ歌劇場管弦楽団であるが、聴く度毎にあの夜の情景が浮かんでくる。また、シノポリは数年前にドレスデン国立歌劇場で練習中に心臓発作で急逝した。健康管理までは心が及ばなかったのであろうか。


10/28(土)曇り  病棟拘束 成人病登録医の会(欠
2:30起床、ドック判定総括x1. 再検査結果報告.医師会関連文章校正。5:20病院。6:00回診。8:45救急外来検討会。患者関連書類処理、その他。16:00成人病登録医の会は欠、淡々と業務。20:00帰宅。20:30夕食、21:00就寝。

地域がん連携拠点病院(6) 秋田県は責務を放棄した
 今朝の秋田の代表的地方紙は第一面の扱いで報道したが、その記述は県の発表そのもので平坦な記述であった。この件は私の記述のみでは不正確なこともあろうから、以下に新聞記事の一部を引用させていただく。



「県内4病院を「がん診療拠点」に再推薦 秋大付属など」

 厚生労働省の「がん診療連携拠点病院」の指定に向け、県は27日、都道府県の中核となる拠点病院として秋田大医学部付属病院を、2次医療圏を単位とする地域拠点病院として由利組合、仙北組合、平鹿の各総合病院をそれぞれ推薦することを決めた。
 県は今年4月、秋大病院を含む13病院を国に推薦したが、指定の適否を審議する7月の検討会では、栃木、兵庫両県とともにすべての病院の指定が見送られた。厚労省は今月末を期限に2次推薦を受け付けており、県は31日付で4病院を再推薦する。(中略)
 再推薦の申請のあった秋田市の4病院については「指定要件は満たしているが,何れも総合病院で病院相互の機能上の役割分担が明確でない。客観的指標からも一つに絞り込むのは困難」として全ての推薦を見送った。(中略)
 7月の検討会では、都道府県拠点病院の推薦件数18に対し、指定を受けたのは16。地域拠点病院は101の推薦に対し、31病院が指定を受けた。がん拠点病院が1カ所もないのは本県と兵庫県だけ。

(秋田魁新聞2006/10/28)



 秋田市の4つの機関病院が指定要件満たしているのであれば、当然推薦すべきであった。県医師会も、申請した秋田市内の各病院の院長も今回は秋田市内から4病院全てを推薦すべきではないが、少なくとも1病院は推薦欲しい、その際、県の決定は尊重する、との意向を早くから提示し、調整を図ってきた。
 しかしながら、県では4病院のがん治療への取り組み状況に殆ど差がなく絞込めなかったこと、病院相互の機能上の役割分担が明確でない、という二つの理由を挙げて推薦せず、との決定をした。
 これは県が与えられた責務を遂行しなかった、ことと同義である。

 秋田市内の4病院のガン診療への取り組み状況がことごとく同じだと言うことはあり得ないことである。県の担当部署、担当者が正当に評価にする能力を欠いているか、評価自体を放棄した結果、と言わざるを得ない。今回、ホントに差がなかったのであれば、前回の国の審査で要件を満たしていると評価されながら県の無策のために認定を受けられなかった2病院の中から選択しても良かった、と思う。これも対外的に通用する立派な理由である。
 病院相互の機能上の役割分担が明確でない、と言うことは今の日本の病院の有り様から言えば当然のことであって、本来は県の医療計画に盛り込み、県が各医療機関に提示すべき問題である。そのようなことを県がやってきたとでも言うのだろうか。特に1つの病院を推薦するのであれば病院相互の機能上の役割分担は問題外のはずであり、少なくとも、推薦をしない理由にすべき問題ではない。

 日本の医療が、秋田県の医療が、この様に全く医療に関連しない方々、適正な判断力を備えていない方々によって、自分たちの価値判断の範囲で決められている。ここに住民の姿はない。医療を担っている我々医療人が行政に翻弄される現実を前回も、今回も目の当たりにした。国民、県民の健康を守るために日夜心身をすり減らしている医療人っていったい何なのだろうか?単なるコマの一つか?歯車か? 空恐ろしい感じがする。


10/27(金)晴 入院患者家族面談 ドック結果説明・診察 上小阿仁村村長来訪 法人理事会   豊島秋大教授就任祝賀会    
2:30起床、ドック判定総括x1.紹介状、総括。5:10病院着、6:10回診ほか。7:10患者家族面談。病棟書類処理業務。11:10上小阿仁村村長来訪。病棟書類処理業務。16:00医務薬事課よりがん連携拠点病院の推薦について連絡。17:30法人理事会、中座。18:30-21:00豊島秋大教授就任祝賀会Castles。21:30帰宅。22:00就寝 。

地域がん連携拠点病院(5)  秋田県の無策に翻弄された市内4病院
 がん連携拠点病院の秋田県からの推薦医療機関について、本日午後に県医師会長から秋田県の最終意向について連絡があった。秋田県では県がん診療連携拠点病院としては秋田大学付属病院を推薦、地域がん診療連携拠点病院として秋田市の医療機関は推薦せず、県南の3つの二次医療圏から基幹病院を各1病院推薦することとなった、との内容であった。
 秋田市の4市中病院はいずれも指定要件を満たしているが、ほぼ横並び状態で、県では絞込みが出来なかったことから推薦なしと言うことにし、また、他の医療圏の医療機関は指定要件を満たしていないため推薦しない、ということであった。

  夕方には県医務薬事課長より電話があった。内容的には上記と同じで、最終決定したことと、まもなく記者会見を行うという連絡であった。最終決定を関連している病院の長に通告後に直ちに記者会見をするあたりに、担当者の苦悩と策略の双方を感じ取れる。最終決定後発表まで時間を置くと各方面から激しい横やりが入ってくることを恐れたためであろう。それだけ、県の担当部署では苦渋の選択をしたと言うことになろうが、この選択は実際に地域医療を担当している我々からみて到底納得できない。

 秋田県医師会および秋田市内4病院院長は、秋田県との意見交換の度に、秋田市の医療圏から最小限1病院は推薦すべき、と表明し続けてきたし、その調整もしてきた。また、昨日夕方には県医師会長が県庁を訪れ、この件を強く申しこんだ。しかし、県の決定を変える迄には至らず、本日の上記の決定と発表になったのものである。

 私は今回の県の決定は納得できない。
 前回は私どもの病院は他の1病院と共に指定要件を満たしていると判定されながら、県の申請の拙さによって指定の機会を得られなかった。今回は候補を絞りきれなかった、という信じ難い理由のもとに推薦の機会を失することとなった。休日も返上、プライベートな時間も削って準備にあたったスタッフには申し訳ない結果となった。

 市内4病院は県の無策に翻弄され続けたが、私は県医師会の立場と、指定要件を満たしている秋田市内の病院長の一人として、今後の対応についていろいろ考えなければならないと思っている。


10/26(木)晴 外来 市保健所立ち入り検査 秋田産業保健推進センター運営協議会+情報交換会
2:00起床、ドック総括、紹介状下書き他、5:10病院着。6:30回診など。9:00-13:00外来、13:50-15:00秋田市保健所立ち入り検査、中座。16:00-19:10秋田産業保険推進センター第一回運営協議会Castles。19:30-21:00書類処理、21:30帰宅、22:00就寝。

わか杉国体のキャラクター「スギッチ」が付いた真っ赤なネクタイ 
 第62回国民体育大会は2007年に秋田県で開催される。秋田杉にちなんで「わか杉国体」と称されている。冬季大会が来年2月10日から、夏季大会が9月29日からで、徐々に雰囲気が高まり始めている。県医師会の会議では自治体からの救護班の要請に関連した議題が時折取り上げられるが、何れの郡市医師会もマンパワーが不足し対応に苦慮している。

 秋田県では昭和36年に第16回国体が開催された。当時私は高校一年生で殆ど記憶がないが、盛大な壮行会で教師を含む数人の選手を送り出したことをかすかに覚えている。その大会は「まごころ国体」と称したと記録にあるが、乏しい宿泊施設の代替として民宿も動員されたために、「民泊国体」とも呼ばれた、と言う。当時ならそうなんだろうな、と思う。何か暖かい雰囲気が感じられる。

「わか杉国体」のマスコットキャラクターとして秋田杉をイメージした緑色の「スギッチ」が採用され、これをあしらった携帯電話のストラップなど数10種類もの品々が販売されているようである。
 一月ほど前、家内がスギッチマークの入った真っ赤なネクタイを購入してきた。同窓会の場で県の担当者から購入したとのこと。私はつい数ヶ月前まで黒に近い、無地のグレー以外のは用いてこなかったから、真っ赤なネクタイなどは嫌である。ハタと迷ったが、月に数回程度ある県関連の会議にはわざとこれを締めて出かける事にした。まだこのマークの入ったネクタイを締めている県職員に出会ったことがないから、デモのためにもちょうど良かろう。

 先日締めていったら早速口の悪い同僚から「似合わん!!  おかしい」と言われた。私自身もそう思う。ちょっとストレスであるが、少しでも目立つ方が、「わか杉国体」の雰囲気作りに寄与するハズだ、と割り切ることにしている。


10/25(水)晴 入院患者家族面談 外来 県医師会理事会+がん連携拠点病院関連市内4病院協議会
 
2:00起床。ドック判定総括、患者関連書類処理他。5:20病院着、6:10回診、処置種々他。7:00家族面談。9:00-14:00外来。15:00-16:00療養病棟師長主任と面談。16:00-18:30県医師会理事会。18:30-19:30市内4病院がん連携拠点病院問題で打ち合わせ。病院に戻り業務。21:20帰宅、22:00就寝。

日本医療評価機構認定証交付決定(3)病院は良くなった しかし業務は増えた
 日本医療評価機構の在り様のもう一つの疑問は、坪井元日本医師会会長が理事長に就任したことである。私は個人的には「坪井栄孝」氏の署名入りの書類は見る度に不快となる。医療評価機構が第三者的評価の立場を保持していくには、少なくとも厚労省、日本医師会、病院協会等の関係者が責任者になってはならない。 

 だから、日本医療評価機構は第一に「日本の医療制度、政策」を、第二に「日本医療評価機構そのもの」を評価すべきである。医療評価はその上に立って行って欲しい。

 問題も無いわけではないが、医療機関として第三者の評価を受ける事を否定する理由は一つもない。当院は審査を受けてとても良かった、と思う。受審準備段階でソフト面、ハード面で少しずつ改善されていったが、病院が徐々に良くなっていくのが実感できた。これが受審に向けて全職員が一丸となって準備を進めることが出来た理由である。

 プライバシー保護の面の欠陥は当院の大きな問題点の一つであった。誰しもそう思っていても半ば諦め半分でこれまで具体的改善策は採られてこなかった。外来は受審前に急遽カーテンのしきりからパーテーションに変更し、診療環境は大幅に改善されたが、これとて着工直前までは否定的意見の方が多かった。しかし、結果的には診療環境は大幅に改善し、もう前の環境に戻ることなど到底考えられない。このように受審を機会に大小様々面まで随分改善され、患者からも受審後病院がとても良くなったとの意見も聞かれた。特に外来患者の評価はとても高いものがあった。

 受審関連で特筆すべきは超過勤務時間の増加である。多忙な業務が終わってから受審準備を進めるなど、この段階ではやむを得ないと考えられたが受審後にも看護師を中心にスタッフの超過勤務は殆ど減少しなかった。これは受審を機会に各職種共に業務量が増大した事に依っている。
 受審後に多くの病院で同様の現象が生じているとのことで、新たな悩みの種になっているようである。よりあるべき医療への改善の結果なのでやむを得ないと考えざるを得ないが、先に述べたように一定の労働力、診療報酬の中での改善努力は就労環境をより厳しいものにしてしまう。これは問題である。

 いま、医師不足看護師不足が叫ばれているが、私的時間まで費やして業務を行わなければならない現状を看過していてはならないと。こんな状況では医療の安全性は確保できないし、有能なスタッフも参入してこない。私見ではあるが、病院の機能を多方面から評価して、そのレベルに応じた診療報酬体系を考慮しても良いのではないかと思う。超過勤務に関してはこれに加えて在院日数短縮、IT化の影響も大きい。

ともあれ、全職員の協力に改めて感謝し、認定決定を素直に喜びたい。


10/24(火)晴れ 患者家族面談 外来 法人常務会 秋田県個人情報保護審査会+情報交換会
2:00起床,ドック判定総括、患者関連書類処理他。5:20Taxi病院着、6:20回診、患者家族と面談、書類処理。9:00-14:15外来.本日から受診予約、検査予約等を新システムで開始となっていた。14:30-16:10法人常務会.17:00-21:00秋田県個人情報保護審査会+情報交換会。医局カンファレンス(欠)。21:20帰宅。21:45就寝。

日本医療評価機構認定証交付決定(2) 機構に疑問も注文もある
 昨日、日本医療評価機構から認定書交付の知らせが届いた。朗報である。
 私は、実は日本医療評価機構の在り様についてはかねてから疑問を抱いてきた。これは受審前後も、認定を受けた今でも些か変わっていない。

 日本医療評価機構はます第一に、「日本の医療行政そのものを評価」すべき、である。日本の医療は効率が良く、安い経費で大きな効果をあげてきたと国際的にも高くされている。裏を返せば「医療関係者の多大な犠牲の上に成り立っている」ということで、病院の勤務医、看護師等の労務環境、報酬は劣悪である。この点は今後は関係者は臆することなく声を大にして語らなければならないことである。

 機構は病院医療はかくあるべし、というノウハウを十分に蓄積していると考えられる。逆に我が国の病院医療の問題点、医療行政の問題点も十二分に把握しているはずだ。日本の医療を一層良くするためには、末端の医療機関の評価や助言するだけでは片手落ちであり、日本の医療の持つ根本的問題点を政府や厚労省に提言していくべきである。

 医療は高度化、多様化し、国民の医療に対する関心や要求が高まり、医療は量から質へ転換した。良質の医療の提供には、医療機関の自助努力のみならず、第三者的評価を受けるのがより望ましい事は論を待たない。そのための代表的機構の一つが日本医療評価機構である。しかし、現状の医療行政、極めて低く抑制されている診療報酬を増額することなくの医療機関によりよい医療を求めるということは、ある面から言えば医療機関に対するさらなる締め付けと同義でもある。如何に患者のためとはいえ、医療関係者にとっては労働環境が一層複雑化、悪化するという厳しい現実に向かう。

 当院は地域に先進的、かつ、良質の医療を提供してきたと自己評価してきたが、今となってみればかなり自己満足的であった。プライバシーの保護等の分野に関しては決定的とも思えるような構造的欠陥もあったし、職員の自覚も同じ程度に乏しかった。機構の評価表、評価項目を見たときに当院が改善すべき点は途方もなく多く、受審に至るまでの過程は艱難が予想された。だからこそ、当院は審査を受け入れるべきであったし、受けてとても良かった、と思う。受審に向けての決断、準備作業にはもう迷っている余裕などはなかった。
 振り返って徒然日記などを見直すと、年余にわたっての週末、休日、また年末年始休暇には受審準備作業を進めていた事が再確認できる。私にとっても大きな負荷になっていた、と言うことである。その準備資料を昨日100%処分し、今は何も残っていない。実に爽快である。
 ともあれ、今日も素直に認定を喜びたいし、全職員の協力に改めて感謝したい。


10/23(月)曇り 日本医療評価機構認定  管理会議 院内巡視 療養病棟判定会議  長副会議
1:30起床、ドック判定総括x1、退院総括、他処理。入浴と猫のお相手等若干、5:30病院。6:20回診他業務.8:00管理会議.10:00-11:00リスクマネージャーと巡視、12:30日本医療評価機構から認定証交付の知らせ。16:00-16:40療養病棟判定会議、17:00-20:10長副会議。懸案事項多数。21:30帰宅、夕食、22:00就寝。

日本医療評価機構認定証交付決定(1)  早速、段ボール2箱分の資料を廃棄
 本日、日本医療評価機構から認定書交付の知らせが届いた。一抹の不安がなかったのかと言えばウソになるが、私は受審準備委員会委員長として、やっと来たかと言う感じ
であった。

 これで私は受審の責任者としての立場から解放される。5年後の再審査の時期には私は在職していないし、今回の準備資料はもはや役立つまい。A4版 60cmの段ボール2箱分にもなっていた受審準備用の書籍、資料は今日早速処分した。実に気分爽快である。

 当院が日本医療評価機構の審査を受けたのは昨年3月である。受審準備委員会委員長として準備状態が遅々としてやきもきした時期もあったが、準備期間が長かったこともあり無理もないことと、何れは一気に進むだろうと、待ちの姿勢もとった。新年を迎え、職員から次々と受審に対する不安の声が上がり始め、「委員長なんかに頼っていては受審できないわよ、何とかしましょう・・」と、最終的には各職場、全職員一丸となって圧倒的な追い込みのパワーが発揮されて急速に準備が整った。この熱気は今顧みても異様な、信じがたい、と言いたくなるような、不思議なパワーであった。これこそ当院が持つ、本当の意味の底力なのかもしれない。私は当院に赴任直後同じような熱気を学術集談会の場で感じたことを思い出す。

 6月の発表では「麻酔記録に医師の関与が乏しい」と言う一項目のために保留となった。500床規模の、臨床研修指定病院が一発認定になった例は極めて希と言う現実があったのでやむを得ないと受け入れたが、私は、僅か一項目、この内容での保留の判断はそれだけ評価が高かったから、と思っている。

 その後、この指摘された部分の改善を進めてきたが、結果として受審後1年半の遅れで認定と言うことになった。麻酔記録の改訂と実績の積み重ねが必要であったが、折しも指導的役割を果たしていた麻酔科科長の退職、麻酔科医のマンパワー不足の時期と重なった。麻酔科の厳しい日常業務の隙間を利用して、統括科長の下で、再提出期限をにらみながら準備を進め、結果的に9月上旬に書類提出、本日の認定となったものである。一部に、「対応が遅い、どうなっているのか?」、と訝る声、非難とも取れる声も聞こえたが、関係者は決して手抜きをしていたのではなく、状況に合わせて慎重に事を進めていた、と言うことである。

 ともあれ、素直に認定を喜びたいし、全職員の協力に改めて感謝したい。


10/22(日)快晴 病棟拘束  FF tennis  
  
2:00起床、ドック判定総括x1、総括その他書類処理。自宅の雑誌、文献整理、古いレコードを数枚聴く。13:00-16:45FF tennis。6-3、1-6、5-7、6-3と完敗。17:00-19:30病院、回診他。20:00帰宅、夕食。21:30就眠。

ウイーンの街 ウイーン国立歌劇場(1)
 バスに身を任せて長時間の移動で、夕方「音楽の都」ウイーンに到着した。

 中学生の頃から音楽に興味を持ち、文献やレコード等を通じて夢を膨らませ、是非、一度は行ってみたいと思っていた街である。1955年のウイーン国立歌劇場引っ越し公演の東京公演ではハインリッヒ・ホルライザーの指揮で「フィガロの結婚」を聴き大きな感銘を受けた。が、疑問もあった。オーケストラの音など予想していたのとは異なり、期待していたウイーンらしさはハッキリしなかった。舞台もレーザーディスク等で見るほどのスケールはなく、かなり満足はしたが十分ではなかった。これは会場の東京文化会館ホールが関係しているのではないか??と言う疑問が湧いてきた。恐らく、音響的にも定評があり、舞台は奥行きが50mもあるとされるウイーン国立歌劇場では更に完成度の高い演奏、舞台が見られるのではないかという希望にも繋がった。

 今回のオペラツアーではハンブルグ、ミュンヘン、ウイーンの歌劇場での観劇が組まれてあったが、やはり私にとっての最大の目玉、期待はウイーン国立歌劇場での公演である。今回はオペラは3曲のほかバレーを一晩予約してある。

 宿泊は街の散策にも、地下鉄に乗るにも便利なインターコンチネンタルホテル。外見は結構近代的な様子であったが、入り口から中に一歩足を踏み入れると、どちらかというと古風な出で立ちの雰囲気である。

 ウイーン到着の夜は長旅と言うこともあって夕食後直ぐに解散と言うことになった。
 ウイーンでは5泊とゆったりしたスケジュールだったので、昼は美術館、博物館、名所巡り三味で、4夜は国立歌劇場で過ごし至福の数日を過ごした。

   歌劇場第一夜はジュゼッペ・シノーポリ指揮によるヴェルディの「マクベス」であった。


10/21(土)晴れ 病棟拘束 患者家族面談 人間ドック結果説明 No17秋田県病院大会+情報交換会
2:30起床。ドック判定総括、退院総括他.5:20Taxi病院着、6:30回診、7:00-7:30入院患者家族面談、病棟業務。9:00ドック結果説明。14:30-17:20第17回秋田県病院大会、総合保健センター。17:40情報交換会。19:20中座帰宅。20:30就寝。

医師不足(2)対策の根幹は絶対的医師不足の認識と養成数増加
 本年7月19日、厚生労働省の「医師の需給に関する検討会」は、「今は不足していても、医師は毎年3500人から4000人増えるので、2035年には働く医師数は32万4千人となり、人ロ10万人当たりでは285人に達し、国全体では必要な医師数は供給される」との最終報告書をまとめた。上記の内容から、人口10万人あたり190人の現在の医師数は不足している事を認めたととれるが、医師不足の理由を「特定の地域・診療科での医師偏在による」、と説明しているだけで、医師がどこの地域で、あるいは診療科毎にどれほど不足しているのか、という具体的データは示されてはいない。地方で深刻な問題になっている医師不足の実態を何ら勘案せず、単なる全国版の数あわせの報告案になっている。

 2035年までの20年間もの長い間、国は医師不足の中で国民の医療をどうやって守ろうというのか。検討会は当面の医師不足に対し、医師配置を調整しすることで対応するよう提言している。しかし、医師数が絶対的不足である東北地方などでは配置調整できる余裕など無いのが実情である。秋田県の例を引き合いに出せば、県立病院間で、厚生連間で、法人間でせいぜい1-2名程度の応援くらいである。地域の協議会等を立ち上げて配置調整しようとしても、大学が従来のプール機能を失った以上、県とかが一定数の医師をプールでもしていない限り不可能だろう。

 要するに、医師不足は、都道府県単位で解決できる問題ではない。
 だから、国はまず医師数は絶対的に不足であると認識すべきである。国の政策として医師養成数を増やし、かつ、医師配置を調整しなければ何ともならない。
 また、果たして20年後人口あたり285人と設定した数値は、OECD加盟国の現在の医師数平均よりも少ない。この数値がどのような根拠に基づいてはじき出しているのか、不明である。世界的にも例のない速さで高齢化が進行している日本で、また今後も一層高度に、複雑化する医療の中で、果たして「285人」は妥当なのだろうか。私は足りないと思う。


10/20(金)雷雨→晴れ 患者家族面談   21世紀の医療を守る会打合会     法人永年勤続者表彰式・懇談会    研修医・指導医懇談会
1:30起床、ドック判定・総括x1、徒然他相変わらず。5:10病院へ。介護保険主治医意見書、その他。6:20回診その他病棟業務。9:00ドック診断x5。以降は書類等、意見書、紹介状、総括等処理。13:00-14:20「21世紀の医療を守る会」打合会。17:30法人永年勤続者表彰式・懇談会。乾杯の発声を機に短挨拶。19:30中座し研修医・指導医懇談会に合流、22:00まで。22:30港交通呼び帰宅、23:00就寝。

早朝に突然激しい雷雨 ブルックナー交響曲No9と不思議にマッチ
 今朝は2:00頃から時折激しい雨が短時間、何度か集中的に降った。幸い、出勤時には晴れて雲間に月が見える状況であった。降雨のあとは空気が澄んでいるためなのか、いつもよりは月は高く、青く、清らかで美しい。秋から冬にかけての月の色はやや寒色系でひんやりとした早朝の空気とよくマッチする。

 朝はラジオ深夜便の「心の時代」の録音を流しつつ業務を進めるが、時にはCDやMDで音楽を聴く。早朝はバロック音楽が良いという愛好者は多いようだ。確かにそう思うこともあるが、私にとっては概して神経質すぎ、うるさすぎるからあまり好まない。その点、ブルックナーの音楽は意外と早朝にマッチする。全曲に共通している「ブルックナーの開始」と言われる弦のpppで奏でられるトレモロは壮大な自然の、山岳地帯の夜明けの情景である。朝陽と共に深い霧が徐々に消えていき山肌が現れてくる様だ。ゆったりと奏でられる旋律、厚い和音は自然の山並の壮大さなのだ、彼はそれを表現し続けた、と独り私は思う。

 今朝はたまたまブルックナー交響曲No9をかけていた。ギュンターヴァント指揮ベルリンフィルの1998年ライブ録音である。誰も周辺にいないことを良いことにサブウーファーも動員し低域をやや強調して音量もやや高めとしていた。一楽章の中間頃から、なんかいつもより音が厚く感じられる不思議な雰囲気になってきた。窓には時折閃光が走る。外を見ると、いつの間にか空は再び暗黒暗黒となり、時折閃光と雷鳴がとどろいている。激しい、大粒の雨が屋根や建物、地面にたたきつけられ、激しく音を立てている。こんな雷雨は15分ほど続いた。

 この間ずっと雷雨とブルックナーのミックスした音に身を任せていたが、思いの外マッチして良い気分、この滅多にない組み合わせのお陰で私の彼の作品から感じ取れる壮大な自然のイメージは、一層膨らむことになった。


10/19(木)晴れ 外来  総合内科病棟診療部会  県医務薬事課と市内4病院長会議(ガン連携拠点病院関連)
1:30起床。ドック判定・総括x1、徒然他。5:00病院、6:20回診ほか病棟業務。9:00-14:00外来。14:00-14:45総合内科病棟診療部会に出席。18:30-19:45秋田県医務薬事課秋田市内4病院院長の懇談会、県ガン連携拠点病院関連、パークホテル。医療機関の推薦はいよいよ大詰め。県は苦しい選択の最中にあるようだ。病院、21:20帰宅、夕食、21:50就寝。

医師不足(1)-多方面からの対策を、直ちに
 わが国の医師数は少ない。現実に医療を担当している病院医師の立場でも、医師会の役員としての立場から見ても、医師不足問題は深刻で、深く身にしみている。ここで言う医師不足とは、総数としての医師の不足云々も勿論あるが、現実に大問題となっている病院勤務医の不足を主に示している。簡単には、医師不足=勤務医不足と言っていい。勿論、診療所も不足している地域もある事も認識した上での論点の整理である。
 秋田の県南県北の病院医療は現実に勤務医不足のために崩壊しつつある。

 そんな中、数ヶ月ほど前であるが、厚生労働省の「医師の需給に関する検討会」が報告書をまとめた。「医師は毎年3500人から4000人増えている。従って、今は不足していても、長期的にみれば必要な医師数は確保される」と言う趣旨の内容であった。

 私はこれを見てあきれ果てた。「またか!!」である。厚労省のこの種の委員会は「先に結論ありき」であって、その結論に近い考え方の著名人を集めて検討を進めていくのであるが、今回の結論も旧厚生省、厚労省の考え方と同じである。医療の現場を分かっていない人達が、都会の論理を中心にまとめた結論である。

 日本の医師数は諸外国と比較しても少ないのは明らかである。いちいち論じなければならないのも面倒くさい程である。
 国際比較では人口10万人あたりの医師数が用いられるが、OECDのデータ(2000年)によると、わが国は190人とOECD平均(280人)を大きく下回っている。人口比の医師数が果たして何人が適正かは、医療制度、医療レベル、人口構成等が国により異なるため明確なラインが引き難い事は確かであるが、それであっても280人と190人の比較では種々の条件を加味したとしても少ないことは明らかである。 

 わが国の医師養成、供給に関する施策の基となっているのは、厚生省の1994年の「医師需給の見直し等に関する検討会」報告書である。本報告書では欧米諸国では人口10万あたりの医師数が200人を超える時点で医師過剰に対する取組みがなされていることを参考にし、2017年頃から供給医師数が必要医師数を上回るという推計を基に医師供給の抑制が図られたという経緯がある。
 2005年2月から厚生労働省では新たに「医師の需給に関する検討会」が発足したが、さきの報告書はこの検討会のものである。
 大体、医師は驚くほど広範な領域を分担しながら医療・福祉その他の分野を支えている。だから、頭数だけで論じようとすること自体が現実的ではない。


10/18(水)快晴  アキレス切断3周年 外来 療養病棟お楽しみ会     県感染症対策分科会新興感染症部会 損保ジャパンとの懇談会 
 3:30起床。寝不足状態。紹介状。5:10病院着、6:10回診、9:00-13:10外来+ドック診察。13:30-14:30療養病棟お楽しみ会。練習不足で汗と恥をかいた。15:00-17:10県健康作り審議会感染症対策分科会新興感染症部会。部会長を務める。18:00-20:20県医師会と損保ジャパンとの懇談会、志田屋。20:45帰宅。21:30就寝。

レコードを聴き始めた(2)死蔵のレコードがプレッシャーに 
 私は大学卒業近くになってパイオニア製の卓上ステレオ装置を購入したが、嬉しいことに標準的以上と思われるレコードプレーヤーがセットになっていた。しかし、レコード購入までは手が回らず、中学生の頃からコツコツと集めていた20数枚のレコードを繰り返し聴いていた。

 昭和46年に卒業し直ちに岩手県の宮古病院に勤務したが、給料をいただくようになってまず始めたことはレコードを購入であった。月に平均10枚程度はコンスタントに買っていたように思う。それが、CDの時代になり始めた移行期まで10数年続いたから1000枚は優に超えている。この私に大きな喜びをもたらしてくれた大量のレコードを所持していること自体、今では私にとって大きな負荷になっている。集めていた当時も時間が無く十分に聴いたとは言えないのが大部で、未だ一度も聴いていないのも数10枚はあると思う。
 私の心の中には、聴かねばならぬ、早く聴き始めねばならぬ、もう時間もないのだ・・・という強迫観念のような妙な感覚が芽生えたのはCD化が始まって間もなくであったが、特にここ数年は人生の残り時間を意識することもあって、急速に大きくなってきていた。

 私のメインのオーディオ装置は、勿論レコードも十分いい音で楽しめるようになっているが、家族が減り、生活は殆ど居間中心になった。自室でじっくりとレコードやCDを楽しむ機会はほとんど無くなった。装置のスイッチを入れるのはせいぜい年に2-3回、時間にして1-2時間だろうか。だから、レコードはほぼ死蔵状態にある。

 居間にはサブ的オーディオ装置を2セット置いてあるが、どちらかというと聴ければ良いという気軽なセットである。時代柄レコード再生の機構はついていない。そのうちの1セットは劣化して最近は殆ど使っていなかった。

 先日ちょっとした切っ掛けでアンプを購入した背景は上記の如くの強迫観念があったのだろう。何ら迷うことはなかったし、アンプの質は並以上であれば良いという感覚であった。それが、期待した以上の音で鳴ってくれる。
 それ以降、毎晩レコードをかけながら眠る。とても片面全部は聴き続けられないが、オートマチックのプレーヤーを用いているから途中で寝込んでも安心である。


10/17(火)晴 外来 法人常務会 医局カンファ 患者家族面談 患者死去
2:00起床、寝不足。ドック判定総括x1、紹介状、徒然など。5:10病院、6:30回診、定期処方発行。9:00-14:20外来、超混雑。14:30-15:45法人常務会。17:30-18:30医局プライマリーセミナー「急性腹症の臨床」「小児外科領域の救急疾患」19:00患者ご家族と面談。20:00帰宅、20:30-21:30明日の病棟お楽しみ会リハーサル。21:45就寝。23:00患者重症で再度出勤、死亡された。2:30帰宅、就眠。

万年筆用のインク多めに購入(2)眠っていたパイロット万年筆を動員した
 家内は先日、消化器病関連学会で札幌の出張から帰宅したが、私の机上に札幌のデパートの紙袋が置いてあった。菓子でも買ってきたのかと見たところが、何と、パイロット万年筆用のスペアインク7箱(84本)と30ml入りのボトルが2瓶入っていて仰天した。私が頼んだのは12本入りの1箱で、少なくとも10倍以上の量である。

 家内は時に予想外の行動を取ることがあり、呆れる事も少なくない。そう言えば家内が万年筆を使っているのを見たことがないから、分からなかったのかも知れない。それにしても理解の域を超えている。

 自宅の万年筆だけでは、私の一生かけても使い切るのは無理なので、翌日からパイロット以外の万年筆を全部しまい込み、眠っていた4本のパイロット万年筆を出して使い始めた。そのうち3本にはコンバーターをつけていたのでそれを外し、全部をカートリッジ式に戻した。

 外来専用にした一本の万年筆のカートリッジは、今週、月曜日からの3日間の外来診療で一本ほぼ空になった。結構早く減るものである。この分で、大体週に1本程度消費するとすればカートリッジは約2年で消費できる計算である。だとすれば、無駄にせずに何とかなるか、と少しながら安堵した。

 ちょっとした物品が手に入ることによって生活が変わることは多々ある。先日たまたまミニアンプが手に入ったが、それ以降、20年以上も死蔵されていたレコードが陽の目を見ることになり、毎日短時間ながらいい雰囲気で鳴っているのも一例である。

 これからは、手元にある大量のインクを全部使い切る事を念頭に、雑文とかの文章もまめに書こう、手抜きしている入院カルテも真面目に書こう、と思っている。これは悪くない変化である。そうは言っても、机上のインクは私にとってそう大きくはないが、ある種のプレッシャーとなっている。使ってくださる方がおられれば、家内には内緒で一部差し上げようか、とも思っている。


10/16(月)快晴 管理会議 外来 療養病棟判定会議 長副会議   
0:00起床。ドック判定・総括x1。紹介状。早朝はかなり寒くなった。短パン通勤は一昨日で終了
とした。5:00病院。6:30回診、病棟業務、8:00管理会議。9:00-14;00外来、混雑。15:00Alve内の市民課にて印鑑証明再登録。窓口の対応は親切であった。16:00-16:50療養病棟判定会議。17:00-21:20長副会議。22:00帰宅。夕食、22:30就寝。終日眠かった。

万年筆用のインク多めに購入(1)  果たして使い切れるか?
 私は万年筆派である。小学校高学年の頃、父親から貰った古いモンブランだったかの万年筆が気に入ったのが最初であった。インクが盛り上がるほど豊に出る太字のペン先を好む。

 家と病院の机の中には新旧、新と言っても5年以上も前の製品であるが、10数本の万年筆がある。国産ではパイロット、セイラー、プラチナ、丸善、輸入品ではモンブラン、ラミー、パーカー、クロス、シェーファー、ウオーターマンで、このうち自分で購入したのは30年程前の国産の2本だけで、あとは全て個人や団体からの頂き物である。うち、モンブラン以外の5本の輸入品は全てNHK秋田放送の番組出演の記念品である。

 スペアインク式は不経済だから嫌いで、出来るだけコンバーターを取り付けて吸引式にして使っている。モンブランのスペアインクは一両日で空になることもあった。最近は大部分の文章をパソコンで書くために万年筆の出番は減っている。今でも頻回に用いるのは外来・入院のカルテ、次いで書類記載、ハガキの順で、週3-4回担当している外来ではインクの消費量も多い。外来ではパイロットの350mlの業務用インクを購入して用いているが、一本が10年ほど持つ。現在2本目であるが、空になりつつある。随分使ったものである。

 自宅用の万年筆は丸善製でパイロットのカートリッジを用いる。15年ほども前だろうか、頂いたときに付いてきた10本のカートリッジの10本目を先日やっと取り付けた。自宅でのインクの消費量はこのようにごく僅かである。

 自宅用のスペアを補充しなければならないが、文具屋をよく利用する家内に気軽に頼んだのが間違いの元であった。


10/15(日)快晴 病棟拘束 FF tennis  秋大老年科教授就任祝賀会
2:30起床、まだ若干よっている感じ。ドック判定・総括x1、紹介状返事2通等、8:00-11:00病院、重症患者回診。帰宅、半年ぶり?楽器練習。13:00-16:00FF tennis。5-7,6-4,4-6。内容的には惜敗、残念。17:00-19:00秋大老年科山田教授就任祝賀会、Castlesにて。終了間際に中座、19:20帰宅、20:00就眠。

リンツを通過 ブルックナーに想いを馳せる
 バスはザルツブルグから高地をしばらく走った。緩やかな丘陵地帯が延々と続く。牧草なのだろうか、緑一面、絨毯の如くでとても美しかった。やがてバスはリンツを通過した。
 リンツはウイーンの西方約160Kmに位置する州都で、中世には商業都市、河港として発達し、18世紀後半からは美術、音楽、絵画の諸学校や劇場、図書館等を有する文化の中心地になった、とのことである。

 リンツと言えばモーツアルトの交響曲No36の名称にもなっていて親しみやすいが、私にとってはブルックナーとの関係で親しみを覚えている街である。 
 私はブルックナーの音楽がとても好きだ。ブルックナーがオルガン奏者として生涯奉職し、没後はその床下に埋葬されたとされる、何とかという協会も遠景ながら見ることが出来、感無量であった。

 アントン・ブルックナー1824年生れ。教師であったらしいが、30歳を過ぎてから音楽家として立つ決心を固めた。たゆまぬ努力によって不器用さと鈍さを克服しながら勉強を続け、リンツの大聖堂オルガン奏者に任ぜられた、と言う。1868年にはウィーンの音楽院で教授となったがウイーンでは彼は風変わりな田舎者、音楽の面では外様扱いであった。既に、三つのミサ曲、交響曲第一番も完成していたが、ほとんど認められることもないばかりか、新聞では酷評され物笑いの種にまでなったともされ、精神的にも大きな打撃を受けたらしい。その様な逆境の中、失意の中でもめげずに次々と交響曲を作曲していったところがスゴイ。

 ブルックナーが9曲にもわたって巨大な交響曲を執拗に追い求めた気迫、精神力には彼に関する文献や伝記を読めば読むほど驚かされる。「ブルックナーは9回も改訂版を作曲し続けた」等という冗談も聞かれるほど9曲は共通の響きを伴って壮大に奏でられる。ベートーヴェンの9曲の交響曲とは在りようがぜんぜん異なる。彼の曲には音楽的には数々の欠点が挙げられると言うが、彼のまじめさ、敬虐なカトリックの世界観に根ざす深い精神性、それにオーストリアの自然が、音楽を崇高で独創的なものとしている。彼は恐らく、生涯を通じて「何か」を表現したかったのであろう、と思う。果たして表現できたのであろうか。

 一方では、彼は対社会的にはとても小心で目立つことは好まず、自己主張も殆どしなかった、とのことである。自作の曲を演奏するために懇願されて指揮台に立たせられた彼が、何時までも開始の棒を振り下ろさないのでコンサートマスターがどうしたのかと問うたら、「どうぞ、どうぞ、みなさんで勝手に始めて下さい。私は何とか合わせますから・・」といったエピソードは数々あるが、私は共感を覚える。
 私はブルックナーの人となりがとても好きだし、彼に自分を重ね合わせて見ることもある。特に気の小ささ、世渡りの不器用さ、ヒトの意見に惑わされて悩む彼の苦悩、逡巡し続ける彼の性格、姿には、多くの共通点を感じるし、とても親しみを覚えてしまう。

 しかし、このことを誰に話してもぜんぜん信じてくれないどころか、むしろ呆れられる。


10/14(土)快晴、 ドック結果説明 秋大第三内科同窓会 新潟学士会秋田県支部総会
2:00起床。ドック、各種作文他。5:10病院着、6:30回診他、病棟関連事務処理。9:00ドック結果説明。15:00頃若干午睡。市医師会主催佐藤初音
氏の講演会は欠席。17:00-19:20秋大第三内科同窓会に初参加、中座。19:30-21:15新潟大学学士会秋田県支部総会+情報交換会に出席。21:40帰宅、22:20就眠。

DPC、7:1看護、-3.16%などに 厚労省のもくろみが見える(2) 
 一昨日、10/12(木)DPC(Diagnosis Procedure Combination )の院内学習会が催された。DPCに対して漫然と抱いていた疑問もかなり解消できた。

 DPCは今のところ、わが国の急性期医療を担っている360病院、18万床に適応されているに過ぎないが、実際にはほぼ全ての急性期医療を担う病院で導入を真剣に検討していると思われる。私どもの病院もしかり、それに漏れない。何故これだけDPC化が注目され、求めているのか?それは急性期病院にとって経営上で大きなメリットがあるから、である。

 もともと病院は診療所以上に強く医療政策の影響を受けてきた。国民医療費の大部分が病院医療の中で消費されていることから、政府や財務省の経済的抑制の際のターゲット、調節弁となってきた。この度、マイナス3.16%という、前代未聞の医療費の引き下げが強行され、どこの病院も経営上四苦八苦している。500床規模の病院で1-2億円の減収は通常のこと、ある病院では4億円にも達する所も出そうだという。これではやっていけない。

 そのマイナスを凌ぐ方法として今できることは、まず第一に7:1看護体制を敷くことであり、これで患者一人あたりの入院基本料は看護師増員の人件費を上回る様になっている。第二にはDPCの導入であり、既に導入した病院は5-6%の収入増になっている。

 7:1看護、DPC共に数%もの増収を産むと言うことはマイナス316%も診療報酬を下げ、国全体の医療費を削減しようとする方向性と相容れない。増収になる医療機関があると言うことは、一方では、その煽りを受ける医療機関が存在すると言うことである。7:1看護、DPC共に大都会型の高度の先進的医療機関に導入がし易い仕組みになっている。だから、その煽りは中小病院、地方の総合病院にまで及ぶ。さらに、療養病棟を持ち慢性期を担う病院では患者の病状区分別の大幅な収入減、介護保険給付の療養病床の廃止が追い打ちをかける。

 ここまで揃えば政府、厚労省のもくろみは医療機関の差別化、自由競争化による慢性期病院、中小病院つぶし以外の何者でもない、と理解できる。これは到底看過することは出来ない。
 そう考えつつも、その導入を真剣に検討しなければならないと言う立場でもあり、私はディレンマの狭間にいる。


10/13(金)晴れ 入院患者対応 ドック診察 患者死去 法人理事会
2:30起床、家内不在でドック他若干の業務、入浴のみ。4:00出勤。紹介状2部。6:10回診、紹介状+主治医意見書、その他。11:00病棟患者対応。13:30ドック面談診察。14:00患者死亡。17:30-19:30法人理事会、21:20帰宅、家内も帰宅、22:00就眠。

DPC学習会  DPCにも厚労省のもくろみが見えてくる(1) 
 昨日、10/12(木)夕方からDPC(Diagnosis Procedure Combination )の院内ピックアップメンバーに対する学習会が催された。講師は三菱ウエルファーマKK中村 寛氏である。スケジュール上、2時間分の講演内容を1.5時間に縮めていただいたが、分かりやすく講演されたあたり大したものである。感心した。

 わが国の医療はいわゆる出来高払いというシステムで行われてきた。検査や治療に見合った診療報酬が医療機関に支払われる仕組みであるが、これでは医療費は医療内容によって異なってくるから、医療経済の動向が読めないこととなる。そのため、国は、近年、「慢性期医療を中心に包括医療」を導入してきて来た。この包括医療というのはどんな医療行為が行われても一定の診療報酬しか認められない仕組みである。だから、医療機関や医師は、如何に効率的に、最小限の医療を行い診療報酬を手元に残すか、が問題となる。

 これに対して、DPCというのは「急性期医療の中での包括医療」と言っていい仕組みである。ただこの場合、慢性期の包括医療と種々の点でコンセプトが異なっている。急性期医療のもとでは標準化された適正な医療を積極的に行う事に制限はないが、その場合、診療報酬を請求する際に診断名によって異なった診療報酬が支払われる、というものである。だから、医療機関側にはより高い診療報酬を求めるため戦略的判断が求められることになる。

 簡単に言ってみれば、「慢性期医療を中心に包括医療」は消極的包括医療に、「急性期医療の中での包括医療、即ちDPC」は積極的包括医療と言うことが出来るように思う。

 今、わが国の一般病床は約90万床あり、そのうちDPCは360病院、18万床に適応されている。都市部を中心に約20%の病床が適応になっている。地域的問題もあり、秋田県では現状では秋大病院だけであるが、数病院が準備に入っている段階である。

 何故これだけの病院、病床がDPC化されたのか?それには急性期病院にとって経営上で大きなメリットがあるから、である。


10/12(木)快晴  患者家族面談  外来 病棟学習会(白血病)  DPC学習会 日ハムリーグ優勝
2:00起床、ドック判定x1。紹介状・総括等、徒然。5:10病院着、6:30回診他病棟業務。7:00患者家族と面談、9:00-13:25外来。13:30-14:30白血病学習会3B病棟。18:00-20:00DPC学習会、21:00帰宅、ラジオが日ハムの優勝を報じていた。夕食。21:40就眠.

洗剤談義:ボディーソープ フェースソープ、シャンプー、リンス、シャンリンス、ヘアコンディッショナー・・されど石鹸が一番
 最近、ホテルを利用する機会も多い。洗面所のカウンターにはボディーソープ、シャンプー、リンス、シャンリンス、ヘアコンディッショナー等の横文字の容器が並んでいる。高級化粧品紛いの容器に一人分ずつ小分けになっている贅沢なタイプ、大きな容器でつぎ足しタイプの合理的なタイプ等いろいろである。見た目も綺麗で清潔感があり、液も綺麗でとても雰囲気は良いが、最近固形石鹸を置かなくなってガッカリである。

 私は今日に至るまで入浴、洗面、手洗い時等の洗剤は固形石鹸一辺倒で、上記の如くの製品は殆ど使ったことがない。知識も関心もない。時代柄なのだろう、私以外は自分の好みでオリジナルセットを持っているから、子供6人を含む8-9人が一緒に暮らしていた時はわが家の浴室の棚はさながら洗剤置き場であった。この点は男の子も全く変わりがないが、この辺の感覚は未だに理解できない。今は夫婦二人暮らしで時に子供達が顔を出す程度なので今はグッと少なくなっている。

 やはり洗剤は石鹸が最高だ。100%汚れが落ちる満足感がある。石鹸が無ければやむなく横文字、カタカナの製品を使うが、使用感に満足できず無性に寂しい。私は何でも石鹸なんだ、と言うと「信じられない」と小馬鹿にされる。「髪を石鹸で洗うと良くない」とも言われるが60年も洗っていて何も生じていないから嘘だろう。

 ホテルの石鹸はマッチ箱程度と小さい。それでも目に見えるほどは減らない。このまま置いておくと捨てられるだろうから私はトイレットペーパーにくるんで持ち帰り、家で数ヶまとめてネットに入れて最後まで使い切る。

 病院では感染防御の立場から固形石けんは姿を消してプッシュ式の液体洗剤に変わった。濃厚な液体が出てくるタイプ、泡状のタイプ、とこれもいろいろ置いてある。液状のは時に思いがけない方向に飛び衣服を濡らすので使用時コツがいる。ノズルの先端の洗剤が乾くからである。泡状のは変な方向には飛ばないが、何か非効率な、贅沢なイメージで気持ちの上でちょっと引っかかりがある。
 石鹸一つをとっみてもつくづく私はケチなんだ、と自覚するが、一方ではこういう自分に満足もしている。


10/11(水)曇り 外来  ABS取材・収録  感染症評価会議(欠) 産業保健センター運営協議会関連打ち合わせ  医師会常任理事会   家内札幌出張(DDW)
2:50起床。さすがに眠い。ドック判定総括x2処理、起床が遅いと時間乏しく慌ただしい。5:10病院着.6:30回診他病棟業務、9:00-14:00外来。連休のあおりで超混雑。14:00からの感染症評価会議は欠席。15:00秋田放送(ABS)取材と収録。今夕放映とのこと。16:30県医師会館へ。17:00-17:30産業保健センター運営協議会関連の打ち合わせ。17:30-19:00県医師会常任理事会、病院に戻り業務。21:00帰宅、21:30就寝。昨年家内が入院した日であるが、今年は学会で札幌へでかけた。元気が何よりの宝である。

Prius談義(6)  7月中旬-9月は860Km 20.5Km/L  新潟でもPrius談義
 Priusの燃料消費はカタログ上では30Km/L程、実走行でも20Km/Lだろうと言われていた。私の購入時期は秋で、200Km走行の時点では、ガソリン消費量は12-14Km/Lであった。夏にかけての4-7月は800Km/43L =18.6Km/L、7月中旬-9月間は860Km 20.5Km/Lであった。約1年使用したことになるから大体の平均的値が出たような気がする。

 購入直後は省エネ・低燃費を売り物にしている車と比較して大差ないのでは?という印象を持ったが、約20Km/Lの走行であると言うことはガソリンの消費量に関してはやはり特筆すべき価値がある、と思う。

 随分売れているという。確かに町中でも見る機会が増えてきている。

 先日の新潟でのこと、同級会の会場から二次会の会場に移動するために二人の友人と共にタクシーに同乗したが、二人共Priusを使用していて、その偶然さにも驚いた。そのうちで長岡市で医院を営む友人が所有する一台は、納車されて2時間後に中越大地震に遭遇し、ガレージの中で中破したという気の毒な車である。今は元気に走っているという。

 最近、ガソリンが高騰しており、軽自動車やハイブリッド車は需要が高くなっている、と言うが、やはり割高感がある。最近の統計ではPriusの販売台数は前月のデータを下回ったという結果が出ていた。ホンダのシビック等も売れ行きが伸び始めた影響か?とも言われているがもっと長期的に見なければ真の意味は分からない。今後はもっと電池も改良されるだろうし、メカも簡素になり、安くなっていくだろう。燃料電池車の実用化はまだまだ先のことで、メーカー各社共にその間のつなぎとしてハイブリッドや電気自動車の開発を進めているようで、ここ2年以内に三菱、富士重工も市販開始する、という。
 省エネの意味では歓迎だが、希金属による新しい環境問題などが生じなければいいが、と思っている。


10/10(火)快晴  管理会議 外来 常務会 療養病棟判定会議 医局カンファレンス  長副会議
 2:00起床,ドック判定総括x1. そのほか書類処理、徒然、5:20病院着.6:30回診他、定期処方箋発行。8:00管理会議。9:00-13:50外来、15:30-16:30法人常務会,16:30療養病棟判定会議に合流。17:30-18:30医局カンファ「婦人科領域の救急疾患」。18:30-21:40長副会議。研修担当部長と懇談。22:45帰宅、23;00就寝。時間的空間の無かった一日であった。

私用の新潟も悪天候による交通の混乱で大変であった(2)
 10/8は秋田は早朝から雨天であったがそれほどの風はない。午後からは雨も止み青空が広がった。

 この日は新潟大学46年卒の同級会で、家内と帰省中の長女と共に新潟に向かった。12:48発上りの特急「いなほ」は新潟からの「いなほ」がそのまま折り返し運転となるが、到着が約30分遅れる予定との放送が入った。
 書店で新書や文庫を数冊買い込み、到着予定時刻少し前にホームで待ったが、何と、先に寝台特急「あけぼの」が入ってきた。「あけぼの」はかつて私も頻回に利用していたが、確か秋田は早朝7:00頃着のハズである。6時間半遅れでの到着という。数10名の乗客が降りて来たが、疲れ切った表情で気の毒に思えた。「何故なんだ?
<FONT FACE="ヒラゥ粒僖鎌・ホ鳫ユ晦徐ぢ事故でもあったのかね」、この時点では先のことなど思いもつかなかった。

 予告より更に10分ほど遅れて「いなほ」が到着、車内清掃等などあって約1時間遅れて発車した。1時間程度の遅れなら会の開始時間には十分間に合うと安堵していたが、山形に入ってまもなく「風のため徐行します」との放送と共に時速30-40Km程度ののろのろ運転となった。その後、2時間ほど経ってトンネル内で停止し、「強風のために一時運転を休止します。再開のめどは今のところありません」とのこと。結局、ここで1時間ほど停車し、運転再開、のろのろと山形を抜けた。新潟に入ってからはスムーズで、20:15に約3時間半の遅れで到着した。特急券払い戻しは失念した。

 荷物をホテルに置き、会場に向かったが当然宴はもう二次会場に移動する下準備が始まっていた。懐かしい顔を確かめ、数人と言葉を交わしただけで、私にとって今年の同級会は僅か10分間で効率よく終了した。翌日の帰路は数分程度遅れて秋田に着いた。

 この週末は交通機関の乱れでスケジュールは大幅に狂ったが、不思議なことに私自身の気持ちは平静で、焦りもせず、天候不純を恨むこともなく、与えられた状況に100%身を任せた状態で過ごした。むしろ得られた予想外の、非日常的な時間を目や耳でいろいろ楽しめたので、私にとっては良い週末であった、とまとめることが出来る。


10/9(月)体育の日 新潟・秋田とも晴れ  午後から病棟拘束 
2:30ホテルイタリア軒にて起床、持参の古い「Mac fan」10数冊、「音楽の友」を数冊資料用の部分を残し廃棄、荷物が半減。入浴+微睡など、9:45ホテル発、昼食は家内の所望にて名物?「とんかつ太郎」。長女は新幹線で横浜に、12:34特急「いなほ」にて帰秋、16:30病院、回診他業務処理、19:00帰宅、夕食、20;30就寝。

週末の東京出張、私用の新潟は悪天候による交通の混乱で大変であった(1)
● 秋田空港で:10/6は東京出張。雨の中14:55発ANAに急ぐ。秋田空港は第1-3駐車場が満車で入れず、やむなくほぼ野原に等しいより離れた臨時駐車場に入れた。空港ビルまでの距離も長く、風雨で傘も役立たずびしょ濡れとなる。本当に駐車場までタクシーを呼びたかった。便数が増えているのだから駐車場の増設も必要である。

● 14:55発ANAで:機種は676-300黄色く塗られたポケモンジェット。満席というのに最後尾の私の横の席だけ空席、ラッキーと喜ぶ。大体、旅客機は隣の人と距離が近すぎてストレスだよ。が、離陸から着陸までの揺れは大変なもので、羽田上空も天候不順で着陸待ちの機で混雑中とのこと。待機も含めて約80分、休み無く強く揺れ続けた。機体はミシミシ、キシキシと音を立てる。キャビンは加圧されているのに、こんな状態を含めて何万時間も耐久性があるなんて、実に丈夫なものだ、と感心する。大きな揺れの中であったが着陸はソフトであった。機が停止したときはホッとした。恐怖感はなかったが緊張した。

● 京急線にて:何処かの路線で強風による架線事故があったらしくその影響で急行、快速の通過待ちの時間が頻回に発生、新橋までの所要時間が約2倍となった。

● 地下鉄を降りて:九段下駅からホテルグランドパレスまでの約50m迄の間、風雨が強く再度びしょ濡れ。結局、予定された時間より2時間ほど遅れて到着。会議にも15分ほど遅れたが、新幹線も乱れたらしくまだ開会されておらず、結果的に間に合った。

● 帰路のJAL:10/7の東京は風が若干あったものの昨日とは一変して快晴。情報によると羽田-青森路線は18:00過ぎまで強風のため運休、秋田便は不明とのこと。16:00で代議員会を中座し浜松町に。幸い通常通りの運行という。座席は満席で3人がけの中央席しか空いておらずガックリ。それでも少しの可能性はあるから、あえて最後に搭乗、有り難いことに最後尾に4席も空いていた。客室乗務員の許可を得てそこに一人移動。発熱はあったものの快適に帰秋した。

●秋田空港にて:秋田は未だ風雨状態であった。発熱の中で駐車場までの距離が実に長く感じられ、再再度びしょ濡れとなる。マア、予定通り帰れたことで良かったとしよう。


10/8(日)風雨雨 FF tennis中止 新潟大46同級会に10分間だけ参加   
 2;00起床.原稿書き若干。未だ発熱状態で、4:00-7:00再度就眠。これでかなり改善、函館の吉田さん一家来訪、歓談。10:00-12:30病院。回診等、不在前の業務。12:30帰省中の長女と共に秋田駅に。「いなほ」約1時間遅れで出発。途中徐行、停止あり、結局3時間半遅れで新潟着。「名機YS-11」「医療の経済学」を十分読めた。新潟大46同級会に何とか間に合い、最後の10分間だけ出席。50名ほど出席、みんな元気で盛会。35年振りの懐かしい顔もチラホラ。二次会はやや体調不良で家内を残して早々に失礼。ホテルイタリア軒に。21:00頃就眠。

 モーツアルト生誕の街「ザルツブルグ」 残念、昼食だけ!!後日また来るぞ
 ミュンヘンを早朝に発ったように記憶する。バスはまだ雪を残す高地をひたすら走り、午後にザルツブルグに立ち寄った。

 ザルツブルグはオーストリア中北部,ドイツとの国境近くにある都市で、昔から塩(ザルツ)の産地として栄えた。モーツァルト生誕の地で、毎年催されるザルツブルク音楽祭は、この町の観光面ではクライマックスとなる。また、バロック様式やルネサンス様式の華麗な建築物が多く保存され、"北のローマ"とも呼ばれる美しい町である。現在も主要産業の一つが楽器製作とのことで、いかにも音楽と密接な街らしい。
 音楽祭の期間は、7月下旬から8月下旬で私どもはオフシーズンであったために名所を若干めぐったあと昼食を摂っただけであった。

 殆ど滞在時間がとれず、外観を見る程度だったので殆ど忘れてしまったが、記憶に残っているのは、大司教の住まいであった宮殿「レジデンツ」、街のシンボル的存在でガイドブックには必ず写真入りで紹介されている「ホーエンザルツブルグ城」,「モーツアルトの生家」ぐらいである。

 この街を通過しながら、別な機会を得てゆっくり訪れようと決心した。次の機会と言えばこれから雇っていただくことになった中通病院を退職するとき、恐らく3-4年先か、と思っていた。その時は是非ともザルツブルク音楽祭の時期にしようと決心した。実際の所、中通病院でそのまま働き続けることになったために機会を失したが、その思いはずっと持ち続けていて、還暦を迎えんとした2年前には真剣に退職とザルツブルク再訪問を考えた時期もある。この思いも実現できないまま現在に至っている。しかし、私はまだ希望は失っていない。


10/7(土)東京快晴・秋田雨 日医No 115回臨時代議員会 発熱
3:00浅草Viewにて起床、本読み、白血病講義メモ作成、そのほか。7:00葉っぱとコーヒーで朝食。8:30ホテル発日医師会館へ。9:30-16:00日医臨時代議員会、内容的には昨年よりも締まりある印象だが、執行部の答弁は一般に長い。午後から熱感、微熱あり、15:00個人質問、16:00中座し空港へ。17:55JAL
,MD-90。20:10帰宅、夕食など、体温38.5℃であった。こういうときはひたすら寝るに限る。21:00就寝。

日医代議員会(2):個人質問最終稿
 本日の日医代議員会で私は看護師問題について個人質問に立ったが、同様の質問が5編あり、順番も5番目であった。私の予定稿の内容は既に殆ど他の質問者も取り上げていたので重複しないように、登壇の直前に書き換えて印象と要望事項に限定して質問した。

 
私は6年間日医の医療関係者等対策委員会の委員として、主として看護師の需給について検討してきた。その立場もふまえて質問いたします。

 今回の看護師の配置基準の改訂、新設を見て以下の2点について驚きました。
●看護師不足の中で考えがたい施策である。
● 日医には委員会活動を中心に十分なデータとノウハウがあるのに会員が十分に知れるような対応が認められない。
● 更に本日午前の副会長の答弁内容は全て予想の範囲でであった。このことは誰が考えても対策は限定されておりやむを得ないと考えるが、具体的なアクションプランが示されなかったのは残念であった。調査の上で対応する、とのことであるが、調査するまでもなく看護師不足は明らかである。一刻も早い対応をお願いしたい。


 私は以下の点について厚労大臣に公開質問状を提出してはいかがと考える。
●厚労省は看護師不足を認めていながら更に需要を増す施策をとった真の目的は何か?
● 日医の評価では、厚労省の看護師需給計画は潜在看護師の復帰を過剰に見積もっている。厚労相の評価より数万人レベルで不足していることは明らかである。新体制、特に、7:1看護導入後の看護師の受給を明らかにせよ。
● 地域医療の崩壊を防ぐには看護師の増加が必要であるが、潜在看護師の再教育を含め、養成計画を示せ。
● 現実問題として7:1看護基準は緩和する必要がある。8:1、9:1看護導入、あるいは病棟単位の導入にするのも一方法であろう。

 上記に対して納得出来る解答でなければ。厚労省のもくろみは競争原理による病院淘汰であると断じ、国民に説明し、国民運動に結びつけるしかないと考える。看護師問題について具体的アクションプランを示されたい。


10/6(金)秋田・東京とも風雨  患者家族面談 東北医連打ち合わせ会議 都内交通機関大幅乱れ
 
2:00起床、ドック判定総括x1.徒然。5:10病院着、6:30家族面談。回診他、病棟業務。9:00ドック診察x1他。13:30病院発.14:55ANA東京へ。767-300で黄色のポケモンジェット。台風の影響でずっと大揺れ。15分ほど上空待機で着陸。架線事故とかで京急線も乱れ。1時間以上も遅れて18:40グランドパレス着。傘あるも風でビショぬれ。東北医連打合会。21:00浅草ビュー着、21:30就寝。

日医代議員会:個人質問予定稿
 明日の第113回日医代議員会で私は看護師問題について個人質問に立つ。わが国の看護師は元々数万人レベルで不足している状況であるが、今回さらに需要が増大する配置基準の変更が提起された。この件については早急に緩和措置をしないと地方の医療は崩壊する。早めのアクションを求めて以下の如く質問を用意した。


 今年4月の診療報酬の改定において,看護配置15:1(旧3:1相当)の入院基本料が般病棟の最低基準となり,多くの病院で看護師の補充が必要になった.また,急性期医療を担う大病院や特定機能病院には,看護配置7:1(旧1.4:1相当)入院基本料が新設された。加えて,看護師の夜勤の評価が入院基本料の算定要件とされた。

 
もともと日本の医療機関では看護師の配置数は欧米先進諸外国の医療機関より遙かに少なく、我が国の看護師の労務条件は厳しい。医療機関における看護師配置が増員されるとすれば看護師自体、患者、医師にとっても喜ばしいことである。しかし、看護師数が充足していれば歓迎すべきであるが、まだ我が国では看護師数が数万人のレベルで不足している。この看護婦配置の新基準と夜勤評価の導入は看護師不足に拍車をかけ、看護師確保の熾烈な競争が生じるのは明らかである。現に、東京大学は平成19年度に300人もの採用を見込んでおり秋田の養成所にまで勧誘に来ている。地元では勤務医不足と共に新卒看護師、若い看護師の不足が危惧され、中小病院、私的医療機関の機能の維持が困難になっていくことが予想されている。

 
このように看護師不足のなかでの配置基準の導入、看護師の夜勤の評価の導入は、医療環境の改善ではなく、競争原理による病床減らしに主たる目的があると考えざるを得ない。

 
この点についての日本医師会の考え方と、今後の対応についてお聞きしたい。


10/5(木)快晴 外来 中通高等看護学院戴帽式 医師面談 がん連携拠点病院ヒアリング
2:00起床。ドック判定総括x1。戴帽式祝辞文に呻吟。徒然。5:15Taxi病院着、6:20回診他病棟関連業務。9:00-13:50外来。途中10:00-11:45中座して中通高等看護学院戴帽式に出席。再度外来。15:00新任医師と面談。病棟重症患者対応他。20:45帰宅.夕食、21:30就寝。明日から日医代議員会で東京出張。

中通高等看護学院戴帽式来賓祝辞
 本日、晴れてナースキャップを受けられましたみなさん、おめでとうございます。
 私は、みなさん方がこれから臨床実習を受けられる、中通総合病院の院長の福田です。今日は一言お祝いを述べさせていただきます。

 私は本日、戴帽式なるものに初めて出席させていただきました。みなさん方も感動されたでしょうが、私も本当に感動しました。式の進行を見ながら、改めて暗闇とロウソクの光の意味を考えてみました。この暗闇は、病に悩む患者の不安な心を、一筋のロウソクの光はそこを訪れる「看護師の心」をあらわしているもの、と私は解釈しました。

 昨日、病院の若い看護師さん数人に声を掛けて聴いたところ、戴帽式の時の感激は忘れられません・・・とみんなが話しておりました。今日はみなさん方にとって、末永く心の拠り所となる、記念すべき日になることでしょう。
 アメリカの医師は大学卒業の際に、ヒポクラテスの誓いを読み上げると聴いておりますが、私ども日本の医師にとっては、残念ながらこのような厳かな儀式はありません。私にとって、今日の戴帽式に相当する日は何であったのか、と思い出してみると、基礎勉強の後に迎えた解剖実習の初日、献体された尊い方の身体にメスをあて、皮膚に切開を入れた、あの瞬間なのかな・・とおもいます。私はあの瞬間を決して忘れることはないと思います。

 人は生まれた以上、時に病に罹患することも避けられません。やがては老いて数々の障害を抱え、いずれは死を迎えます。その時、人は不安に苛まれ、とても心細くなって、助けを求めます。
 このような人達に優しく声を掛け、手をさしのべることは如何に大切なことか、言うまでもありません。私は医師として、このような、病める方々のお世話をする、そう言う職業を選んだことに誇りを感じています。同じ医療人として看護の分野で勉強を続けている、若いみなさんの表情を見て私はとても嬉しく感じます。

 今日の感激を忘れずに、心を糧にして、今後一層勉強され、将来は良き「看護技術」と「看護の心」を備えた看護師として社会に貢献されることを願っております。

 最後になりますが、私から一つお願いがあります。
 今、全国的に医師も看護師も不足しています。その中で、みなさん方には、秋田の県民の方々の健康は秋田県民である自分たちが守っていくのだという気概を持っていただきたいと思います。
 このような美しく、豊かな自然、優しく素朴な人間性、そんな秋田を支えている、支えてきた秋田県民の健康を私どもと共に一緒に守っていっていただきたい、と願っておりますし、期待もしております。

 以上、お願いと期待の言葉を添えて、お祝いの言葉と致します。


10/4(水)快晴 外来 ドック診察 郡市医師会長協議会+情報交換会
1:30起床。ドック判定総括x1、他。医事法制等の勉強若干。5:10病院着.6:20回診等病棟関連業務。9:00-14:00外来、17:00郡市医師会長協議会+情報交換会(メトロポリタンホテル)。20:10帰宅、21:00就寝。

レコードをまた聴き始めた(1) 
 つい一月前にオーディオに関連したちょっとした話題が急成長して、30分もたたないうちに隣の若者からオンキョウ製のプリメインアンプを買い取ることになった。
 私自身、残り少ない人生、何とかして買い集めたレコードをもう一度聴きなおしたい、レコードを聴く装置を身近に組み立てたい、と思っていたから、ちょうど良かった。私は装置の質にはそんなにこだわらない。アンプが余っていると言うことだけで購入を決定した。私は、違いの分からない、オーディオ、音楽愛好家だと自認しているから装置の選択など気楽なものである。

 居間では、かつては長女が用いていたケンウッド製のコンポのセンター部分に英国製のローラ・セレッション製のディットン25なる、1965年製のオールド・ボロスピーカーをしばらくメイン装置として用いていた。高音部の不足はヤマハのミニコンポのスピーカーを追加することでカバーしていた。センター部分は20年近く前の製品で、数年前からスイッチ類、ボリュームが劣化して最近は殆ど使っていなかった。代わりにケンウッド製のミニコンポにMDプレーヤー、スーパーウーファーをつけ食卓周辺で鳴らしていた。

 新しく鎮座したアンプには時代柄なのだろう、フォノ端子はついていない。書斎のメイン装置からラックス製のフォノアンプを外してつなぎ、レコードを聴けるようにした。カートリッジはデンオンDL-103である。

 いつこんな時に最初にかけるのはモーツアルトの弦楽五重奏曲K515である。グリュミオー五重奏団の録音で私の最も気に入っている盤。いい音でなり始めた。やはりレコードは良い。何故か、ホッとするものがある。大型のスピーカーから出てくる音は余裕があってとても良い。

 以後、毎晩、帰宅して寝るまでの30分と早朝2時前後からと古いレコードを引っ張り出してはかけている。今、4:30am、フォーレのレクイエムが静かに鳴っている。オルガンの低域とボーイソプラノの響きが心地よい。時に混じるスクラッチノイズなど殆ど気にならない。至福の時間である。


10/3(火)晴れ  外来  法人常務会  医局会   
2
:30起床。ドック判定総括x1、他いつもと同じパターン。5:15病院着.6:15回診、定期処方箋発行等。病棟業務。9:00-14:00外来+ドック説明x1。14:30-16:30法人常務会.17:30-19:00医局会議。21:00帰宅。21:30就寝。

過ぎ去る夏を惜しみ、夏の習慣にしがみつく(3) アルコール味のかき氷が美味い 
 私は四季の中では圧倒的に夏が好きだ。夏を惜しみ、今年も夏をもっと味わいたくて、夏の習慣を続けている。

 私はかき氷が好きである。幼少のころは夏になると近所の雑貨屋もかき氷を扱うようになる。赤、緑、黄色等の色とりどりの鮮やかなあの色は果たして大丈夫だったのか?サッカリンの味がしたあのかき氷はとても美味しかった。あの薄青い高坏調の器にも味があった、と思う。

 医院をやっていた我が家では炎天の日には時折かき氷の出前を取ってくれた。私や従業員は通常はイチゴ味だったが、祖父母は何もかけない氷だけのをとって、自家製の味を付けていたようだ。

 小学校高学年の頃からは大工道具のカンナを細工して自分で自家製のかき氷を作った。逆さにセットしたかんなの上を氷のブロックを滑らせて削るので結構大変であったが、それだけみんなが喜んでくれた時は嬉しかったものである。勿論、カンナは煮沸消毒した。今も私の大工道具箱にこのカンナが鎮座している。刃は錆び付いているが、見る度毎に当時の思い出がよみがえる。

 晩夏のある日、家内が日本酒シャーベットを買ってきた。秋田の地酒のうちの何銘柄かの香り、雰囲気を楽しめるもので、なかなかの味わいである。これを2-3ヶ味わっている最中に、この味はかき氷でも再現できるのではないか??と考えついた。即実行である。

 今は家庭用のかき氷器がある。シロップを若干敷いた器にかき氷をつくり、日本酒をたっぷり注ぐ。甘みと日本酒の味と香り、氷がミックスして何とも言えない味わいである。残り少なくなったらコンデンスミルクを混ぜる。これもまた良い。酒とミルクがこんなに合うなんて驚きである。本当の酒好きには到底出来ない発想であろう。先週から赤ワインにしてみた。ワイン等には嫌がられそうだが、これも何とも言われず良い。

 もう一月以上も続けている私の夕食時のデザートである。ビールでは駄目か、ウイスキー、ブランデーではどうなのか??興味は尽きない。だから、私の夏はまだまだ続きそうである。
 アルコール類をさほど飲めず、酒類に関心のない私だから出来る遊びの一つなのだろうが、ただ、当たり前のことであるが、味わっている最中から酔ってしまう。これが最大の欠点である。


10/2(月)雨  管理会議  外来  療養病棟判定会議  長副会議 
1:30起床。ドック判定総括x1、総括、紹介状、その他。5:10病院着。8:00-8:45管理会議。9:00-14:00外来。16:00-16:30療養病棟判定会議、17:00-19:20長副会議。新副院長参加。7:1看護についての検討会,他の懸案事項も多数。20:40帰宅、夕食、21:30就寝。

西島参議院議員に質問(4)大病院の勧誘攻勢で地方の看護師不足は深刻 
 9月23日の県医師会設立記念医学大会の記念講演で参議院議員の西島氏が講演された。私は3点について質問した。以下はその3点目の要旨である。

 Q3:今年4月の診療報酬の改定で,看護配置15:1(旧3:1相当)の入院基本料が一般病棟の最低基準となり,多くの病院で看護師の補充が必要になった.
 更に,看護配置7:1(旧1.4:1相当)も新設され、入院基本料は増額された。加えて,看護師の夜勤の評価が入院基本料の算定要件とされた。
 もともと日本の医療機関では看護師の配置数は欧米先進諸外国の医療機関より遙かに少なく、我が国の看護師の労務条件は厳しい。医療機関における看護師配置数が増員されるとすれば看護師にとっても、患者、医師にとっても喜ばしいことである。

 しかし、看護師数が充足していれば歓迎すべきであるが、我が国では看護師が数万人のレベルで不足している。この看護師配置の新基準と夜勤評価の導入は看護師不足に拍車をかける事となり、看護師確保の熾烈な競争が生じている。特に、この看護配置7:1(旧1.4:1相当)の入院基本料の増額はマイナス3.16%の診療報酬の減額の中では大きな意義がある。そのために大病院は競ってこの看護配置の導入を計画している。現に、東京大学は平成19年度に300人もの採用を見込んでおり秋田の養成所にまで勧誘に来ている。

 地元では勤務医不足と共に新卒看護師、若い看護師の不足が危惧され、地域医療の維持が一層困難になっていくことが予想されている。
 このような看護師不足のなかでの配置基準の導入は、医療環境の改善ではなく、マンパワー確保の競争原理による病床減らしの方に主たる目的があると考えざるを得ない。
 この点についてのお考えと、今後の対応についてお聞きしたい。

 A3:西島参議院議員の説明は上記の内容に即したものであった。今後推し進めようとしている具体的考えは提示されなかった。

<追記・私見>看護師問題の解決のために

● 厚労省は潜在看護師の復帰を過剰に評価して需給バランスを良いように調整している。現実的な看護師需給の再調査をすべき。

●潜在看護師が復帰するためには再教育、再訓練の機会を与える必要がある。これを欠くと潜在看護師は居ないに等しい。厚労省は潜在看護師の復帰に期待するなら再教育の場を作るべきである。

● 看護師不足は明らかであり、この中で更に需要をます施策は 地域医療を荒廃させる。国が看護師の養成数を増やす方策を考えるべき。

● 看護配置7:1を一気に実現するのは問題が大きい。9:1、8:1も新設すべきである。

●看護配置7:1を一気に実現するのは問題が大きい。病院単位でなく、病棟単位にするのも一方法である。

●これらの対策をしないとすれば、厚労省のもくろみは病院淘汰に主眼が置いている、と判断せざるを得ない。


10/1(日)曇り→快晴 病棟拘束 FF tennis
 
2:00起床、ドック判定総括x1、紹介状仕上げ、新聞チェック、ほか。9:30梅林園へ。10:00-12:45FF tennis。6-2、1-6,6-2と久々優勢。ガット張り替え、グリップ張り替えの効果か。14:30病院へ。退院総括、訓練申込書、主治医意見書など。19:30帰宅、夕食、22:30就寝。

歴史と音楽、ビールの街 ミュンヘン(3)歌劇「魔弾の射手」
 ミュンヘン国立歌劇場、二日目のオペラ観劇はウエーバー「魔弾の射手」であった。座席は一階の中央にまえから5列目ほどの、ほぼ特等席に近いところであった。舞台全景を正面に見ることが出来たが、演奏者は指揮者の頭だけであった。

 魔弾の射手は、ドイツロマン派オペラの確立に決定的な役割を果たした不朽の名作で、私はこの作品がとても好きである。人の不安、喜び、猜疑心などの心理描写が見事なオーケストレーションで音として表現されている上に、舞台があってそれに相応しい演出、演技があれば最高となる。物語自体は単純明快、御前射撃大会で若い狩人マックスは優勝すれば恋仲のアガーテと結婚できることになっているが、自信がないために、悪魔に魂を売って魔弾を手に入れようとする・・というもの。

 特に、森の深い谷間のシーンでは妖しげな死霊、妖怪が飛び交い、不気味な叫び声をあげ、馬の嘶きが不気味に響く中を、マックスが魔弾を1つずつ鋳造する声が谷間にこだまする。嵐が次第に強くなっていくところなど、オペラでなければ到底味わえない情景である。
 聴いていて観ていてどんどんと引き込まれていった。見事な演奏で、登場する大勢の合唱団も一人一人が演技をしている。終わった後もしばし呆然とし、はるばる本場の味を味わうためにヨーロッパまで出かけてきた価値は十二分にあった、感じ入った。

 
当夜の指揮者や舞台上の出演者達については私が知っている名前は一人もいなかった。しかし、これこそ本場の層の厚さであり、演出者、演奏家、ホール、観客一体となっての総合芸術だと感じ取れた。有名歌劇場の東京公演とは全然異なる印象を受けた。

 翌日、早朝にバスでリンツ、ザルツブルグを経由してウイーンに向かった。次は、いよいよお目当てのウイーン国立歌劇場である。


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   年を通じてワンパターンで淡々とした毎日です。AM2:00-5:00にメールチェック・返事送付、人間ドック(HDD)判定・報告書作成、新聞切り抜き、病院・医師会業務など。
  月〜土曜は6:00頃出勤、HDD報告書印刷、外来書類処理など。病棟回診、HDD受診者とミーティングと診察。8:45-14:00外来とHDD受診者に結果説明。昼食は摂りません。午後は病院業務・医師会業務、各種委員会等に出席など。20:00頃帰宅。
  日曜・祭日もほぼ同様ですが、病院には午後出かけます。時間的に余裕無いのが悩みです。


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