徒然日記
2006年11月分

 日記と言うより、自分の行動記録からの抜粋と日々の雑感です。

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先月の日記          来月の日記



11/30(木)秋田雨 東京快晴  日医病院委員会
1:30起床.ドック総括x1、退院時総括。徒然他。5:15i病院着、6:30回診、7:55救急カンファ。10:00病院発、11:10ANA  767-300。30%程度、ガラガラで特に後方は数人だけで実に快適であったが、気流が悪く小刻みな揺れ終止あり、時に身体が浮き上がるような大きな揺れも何度かあった。ホント、飛行機は丈夫なものだと思った。13:30-16:00日医病院委員会。18:00JAL MD-90満席、揺れは若干。19:10秋田着.20:00帰宅、夕食、22:15就寝。

医療安全に関するワークショップ(2) 「娘は病院に殺された」のです 
 平成18年度東北ブロック医療安全に関するワークショップ、会場は仙台市情報・産業プラザ(アエル)の5階多目的ホール。

 昼食時2階の喫茶室でコーヒー一杯味わう。これが何と1050円!!であった。流石に調度や器、従業員の対応など洗練されてはいた。ついに仙台もこうなったのか、と驚く。その雰囲気の中、確かに美味かった。カップは王朝風、細部まで見事な文様と鳥の姿が描かれ、実に手の込んだ作りで輸入品かと思ったがNoritake製であった。

 午後に行われた講演3は「医療事故被害者・家族の訴え」菅俣接骨院院長菅俣弘道氏夫妻が登場した。東海大学付属病院で内服薬を点滴ルートに誤注入され1歳半になる娘を失った方である。最初は夫人が母としての思いを淡々と,しかも明るい表情で述べたあと、「天国の特別な子ども」というEdna Massimillaの詩を紹介して壇を下りた。続いて菅俣氏が父親としてと、医療事故被害者の会の副会長としての立場から講演した。

 この医療事故の概要は読売新聞記者による、「大学病院にメス?医療事故報道の現場から」(講談社)に紹介されている。菅俣氏は事故の周辺のことを自分の言葉で語るといまでも感情的になるから、と前置きしこの本の一節を読み上げた。その後、「医療事故被害者や家族の願い」として、被害者の意見の集約を述べた後、「医療関係者は医療事故で亡くなった、という感覚でしょう。 けれど、家族にとっては、病院に殺された、のです。 この大きな違いを医療関係者に知っていただきたい」と結んだ。

 医療事故、医療トラブルに対して病院の管理者の立場で、また医師会の担当者の一人として頻回に対応している私にとっても、十二分に衝撃的な言葉であり、襟を正し、姿勢を正して拝聴した。


11/29(水)秋田雨 仙台快晴   医療安全に関するワークショップ
1:30起床、ドック総括x1他、2:30出張準備にて病院へ、3:30病棟関連業務処理。6:02こまちで仙台に。9:00-17:00東北厚生局主催、平成18年度東北ブロック医療安全に関するワークショップ、場所は仙台市情報・産業プラザ。宮古病院の同期T医師も出席しており挨拶+α。17:38こまち、19:58秋田着、帰宅。夕食、21:00就寝。明日は東京出張予定。

医療安全に関するワークショップ(1) そろそろ次のレベルに脱皮を 
 本日は東北厚生局主催の平成18年度東北ブロック医療安全に関するワークショップで、出席対象は院長または医療安全管理者となっている。外来を変更することは代診の医師にも患者にも申し訳なく心残りはあったが、重要な業務と割り切り出席した。移動時間含め6:00-20:00迄病院を空けるのは業務上むしろストレスであるが、やむを得ない。

 会場は仙台市情報・産業プラザ(アエル)の5階多目的ホール。

 プログラムは講演1「医療安全管理対策の現状と今後の展望」東北大学大学教授上原鳴夫氏、講演2「企業における安全管理について」鹿島建設(株)東北支店安全環境部高橋俊之氏、講演3「医療事故被害者・家族の訴え」菅俣接骨院院長菅俣弘道氏夫妻。

 パネルティスカッションは「病床規模別医療安全の取り組み事例と討論」で、特定機能病院から東北大学病院、500床以上から太田綜合病院附属太田西ノ内病院、200-500床から山形済生病院、200床未満から永仁会病院、藤沢町国民健康保険藤沢町民病院から発表があった。

 なかなか良い会ではあったが、感想としては、各医療機関の取り組み状況の報告会レベルの集会は、勿論否定するものではないが、もう不要なのではないかと思う。それに、病院の問題を論じるには、病院としての機能や規模、地域における位置づけ等が一つづつ異なるからむしろ同規模病院毎に会合がある方が良い。また、抱えている問題点はほぼ明らかなのだから、その点を今後どうするのかという視点での討論が欲しい。

 医療外企業の安全管理についての報告は傾聴の価値はある。かつて聴いた日航、全日空の安全管理対策の実態報告は圧巻であったが、今回は建設業の大手の鹿島建設の安全管理担当者からの報告も厳しい内容であった。高層ビル建設あり、ダム工事あり、トンネル工事等の危険きわまりない労働環境の中での安全管理の困難さとその対策が示された。

 医療界の安全管理も随分改善されてきたが、到達すべきレベルはまだまだ遠くにある。その改善の困難さは身にしみている。大変である。しかし、恐らく医療外の企業から医療界の安全管理体制、対応を見た場合、疑問符だらけの評価になるのではないか、それだけ医療界の対応は遅れている、と思いつつ聴いていた。


11/28 (火)雨 外来 法人常務会   医局MC(欠) 秋田市医師会と4病院長との懇談会
2:10起床、ドック判定総括x1他、紹介状、入院総括。5:10病院着。定期処方箋発行他。7:55救急カンファレンス。8:30-14:10外来.14:30-16:00法人常務会、17:30医局カンファは欠席。18:30-21:10秋田市医師会と4病院長との懇談会(View)。21:30帰宅、22:15就寝。明日は終日仙台。

私の行動のルーツを考える(2) 私はウジウジ型でとても臆病だ
 Brian Gilmartin が言う「The Shy-Man Syndrome」とは、要するに、はずがしがり屋、引っ込み思案、さらには人間関係において恐怖感が先行する不安神経症的状況を示していると言っていい。

 これは、当然のことながら人付き合いの場面でその特徴が大きく現れる。その特徴とされる事象は沢山あるようであるが、私に照らし合わせてザッと挙げてみると、「他人に対して警戒心や不安、不信感が強く、付き合いそのものが居心地が悪く緊張する」、「会話の途切れの気まずさを強く認識し、自ら必死に取り繕う」、「同じ人物と長い時間居られない」、「いさかいや摩擦を極度に恐れ、自ら譲歩してその場を取り繕う」、「嫌と言えない、嫌と言われるのが怖い」、「自分の意見は一応述べるが、主張はしない、決断力はない」、「人に何かを指摘されると極端に落ち込み、なかなか復帰できない、深く人を恨む」、「閉じこもれるからがなければ耐えられない」・・・と枚挙にいとまはない。

 このように列挙していくと何か自虐的になるが、一方では、挙げながら自ら糧にしてきた事象、踏み台にして乗り切ってきた多くの体験が思い出され、とても楽しい作業でもある。時間があればもっといろいろな視点から検討したいものだ、と思う。

 母も似た性格であった。私はそれをしっかりと引き継いで来ている。更に幼少期の環境が私を育成してくれたのだと思う。母は最期まで乗り切れず、失意の中でこの世を去った。私は母の人生をも参考に自分の性格、弱点を自ら認識できたことが良かったと思う。そして、如何に乗り切るかをいまも模索し続けている。


11/27(月)雨  管理会議  外来  療養病棟判定会議  長副会議
2:30起床、ドック判定総括x1、退院総括、徒然他。5:10病院。6:30朝回診。7:45-8:35管理会議、8:45-14:00外来+ドック説明。14:00医師面談。16:00療養病棟判定会議、対象者なし。17:00-19:25長副会議、久々早く終了。20:50帰宅、夕食、21:40就寝。

私の行動のルーツを考える(1) 私は「Shy-Man Syndrome」なのだ
 先日11/22の仙台出張は我が国のエイズの現状、治療の進歩等について最近の知見を得ることが出来て満足出来た。が、それ以上に往復のJRの中での本読みと、MDに録音した「さだまさし」の作品に集中出来、楽しめた。

 出発間際、いつもの如く遅れそうになった。捨てる予定にしていた古い日本医事新報も数冊バッグに入れた。その中のメディカルエッセイ欄にBrian Gilmartin の著書「The Shy-Man Syndrome」を引用しながら子供の心的成長過程に及ぼす家庭環境の意義を論じた興味深い文章があった。

 私は子供の成長過程に与える環境因子について、常日頃から興味を抱いている。このジャンルの文章に出会うとつい引きつけられてしまう。私は新生児を可愛さだけから「赤ちゃん」と呼んではならないと思っている。本当は「白ちゃん」と言うべき存在なのだよ、と機会ある毎に若い親たちに説明している。もっとも、泣いたときに赤くならず白くなるようでは心肺系の疾患を考えさせるから良い印象ではない。が、知的にも感情的にも殆ど何も描かれていない、泣くことと乳を吸う能力程度しかない未熟、で白無垢の状態で生まれる生物は人間を除いて居ない。この白無垢状態の心というキャンバスに一筆一筆人間として必要な感性、習慣等を描いていくのが親であり、親族であり、社会であり、自然であり、文化なのだ、と思う。だから育てる過程で、親も周囲ももっと子供達に対して責任を果たして欲しい、と強調したい。

 Brian Gilmartinは米国の社会学の教授で10数年に渡っていわゆる「恥ずかしがり屋」についての研究を積み重ねてきた学者で、その結果を「The Shy-Man Syndrome」と言う著作を著している。この著書、直接読んだわけではないが著者の論旨に対して私の心がピッピと鋭く反応した。

 私は幼少の頃から常に「居心地の悪さ」を感じながら過ごして来た。私が過ごしてきた60年の道は、消し去りたい部分や否定したい部分は一つも無いが、「個を欠いた、迎合・協調の積み重ね」の人生だった、と総括している。「The Shy-Man Syndrome」と言う概念を持ち込むと、私のとってきた、なさけない「迎合・協調の積み重ね」の人生のルーツ、行動の背景が理解可能であるような印象を受けた。

 これを拠り所として、自分の行動の背景をちょっと考え直してみるか、と思った次第である。面白い作業になりそうである。


11/26(日)曇り 病棟拘束  県医師連盟執行委員会 武見厚労副大臣時局講演会 The Yamamoto Band初練習 
 2:30ドック総括x1。医療法、DPC等関連の資料検討。ドック判定、紹介状返事など。午前に無縁坂の練習を若干。14:00県医師会に、医師連盟執行委員会。15:00武見厚労副大臣時局講演会「医療制度改革の光と陰」、病院にて業務、19:00-20:30 The Yamamoto Band初練習(Alve音楽交流室)。21:00帰宅、夕食,21:30就寝。長女離秋。昨年、左下肢激痛にて終日臥床した日である。

自伝 秋田大学時代
子供が出来るくらいだから、まだまだ大丈夫だよ・・とS教授
 秋田大学第三内科の初代教授は物静かな方であったが、仕事の面ではかなり精力的に進める方であった。そのため私も厚生省難病対策研究班の仕事や学会のシンポジストなどの機会をいろいろ与えていただき良い経験が出来た。

 昭和53年頃、第三内科は発足後やっと軌道に乗り始めたばかりで新卒の医局員も迎え充実しつつある大事な時期でもあり、診療や研究、学生指導やスタッフの指導など多忙で医局員はほぼ常に全開状態で仕事をしなければならなかった。私は、朝は大体7:00頃出勤、19:00頃に家内を病院に迎えに行き、家内の叔母宅に子供を迎えに行き、叔母が用意しておいた夕食を摂り、入浴させ、寝かせつけてから21:00頃に再度医局に戻り、1:00頃まで業務をこなしていた状態で、常に寝不足状態で、殆ど時間的に余裕はなかった。

 この頃、教授は臨床血液学会のシンポジウムのシンポジストを引き受けてこられ、私が担当することになったために更に更に大変になった。時間的に一層窮屈になったことと学会のシンポジストとしてのプレッシャーで心身共に疲弊し、時には体調も崩れることもあった。

 家内と教授が何かの会で同席する事があり、家内が教授に挨拶をした際に私の健康のことを心配している、と述べたらしい。その時、教授は家内のふくれた腹部をちらっと見てニコッと笑い、「大学で彼は元気にしてます。3人目も出来るようならまだまだ大丈夫ですよ。心配要りません、もっと仕事をして貰います・・・」と言われたとのことで、妙に力づけられてしまった、とガックリ来ていた。なかなか旨いことを言われたものだと感心したが、仕事上のストレスとそちらは別物である。
 その後、私も若干時間のやりくりをして早めに帰るようには心がけたが、ホントに当時から現在に至るまで結構時間的にはきつい生活をし続けてきたものだと思う。
 その時に家内の腹にいたのが次男で、いま私と同じ病院で外科医として働いている。光陰矢のごとし、である。


11/25(土)快晴 病棟拘束 第13回Medical Management研究会(六本木ヒルズ) 
2:30起床、ドック判定総括x1、紹介状返事、徒然他。5:30病院。6:30回診。出張申し送り、他。10:00病院発、11:10ANA 767-300 90%ほど。13:10六本木ヒルズ着。14:00から第13回Medical Management研究会「医療制度改革と21世紀の地域医療連携」。18:20中座し空港に。19:55ANA  767-300 満席。21:50i帰宅、夕食、22:30就寝。

「無縁坂」(2) さだまさしに感心した
 さだまさしは1952年長崎市に生まれだから、今55歳くらいである。3歳からヴァイオリンを始め、13歳の時にヴァイオリンの修業のため上京、都内の中学校に入学している。この道のプロになることを目指せるだけのレベルであったのかもしれない。そういえばコンサートでヴァイオリンを弾いていた場面を見た事があるような気がする。

 で、その間に何があったのか分からないが、20歳の時にデュオの「グレープ」を結成し、翌年「精霊流し」が大ヒットした。1976年にさだまさしが病気になったため、グレープを解散しとのことであるが、その年のうちにソロ活動開始し、1979年に「関白宣言」が大ヒットしている。山本直純氏も彼を高く評価していたらしく、私が購入したCDに収録されている「親父の一番長い日」のバックは山本直純指揮、新日本フィルハーモニー交響楽団である。また、「北の国から」はワルシャワフィルハーモニー交響楽団の演奏曲目にもなったことがあるらしい。

 彼はかなりのマルチ人間らしく自ら監督、主演した映画を作ったり、諏訪市「原田泰治美術館」名誉館長に就任したりしている。また、長編書き下ろし小説もあって現在三作を発表しているとのことである。児童書も何冊か書いている。
 演奏活動も定期的に開いているらしく、2005には日本武道館に於いて、「さだまさしソロ通算3333回記念コンサート」を開催したという。コンサート活動を約10年間、連日続けたたような驚くべき回数である。

「無縁坂」はグレープ時代のさだまさしが1975に作詞作曲し、TVドラマ『ひまわりの詩』の主題歌として使われた曲とのことである。
 私は今回初めて聴いたが、必ずしも幸せでなかったであろう若いときの母、ため息ばかりついていた母の人生を子供の目と記憶で語り、年をとって小さくなった今の母をしんみりと語る曲である。息子と母の間の強い絆を感じ取れる名曲である。

 秋田で母による子殺しが2件続いたが、これを聴きながら母子の幸せとは一体何なのだろう、とふと考えてしまう。


11/24(金)曇り、ドック結果説明+診察 QP KK社員来訪 法人理事会 県医師会感染症等危機管理対策委員会  
1:30起床、ドック判定総括x1。退院総括予稿x1。5:20病院着、6:20回診。7:55救急カンファ。9:00ドック結果説明。11:00入院患者対応。13:00ドック診察、14:00 QP KK社員と面談、14:30秋田銀行員来来訪、17:30法人理事会、中座して18:30-19:45県医師会感染症等危機管理委員会に。病院にて業務若干、21:30帰宅、22:00就寝。

「無縁坂」(1) さだまさし、を初めて、じっくり、聴いて感心したさだまさし ベストデビュー30周年記念リマスター盤
 秋大の心臓血管外科の忘年会では、ひょんな切っ掛けから教授をまじえて出席した有志が芸を披露する妙なミニコンサートをやることになっている。昨年は10名ほどでバンドを組み「神田川」「哀しい色やね」「夢のカリフォルニア」など演奏?した。  

 昨年はいま頃は夜に数回練習を重ねていたが、今年はまだ一度も集まっていない。どうなる事やらかなり心配な状況で些か落ち着かない。
 今年、私に割り当てられたのは「無縁坂」と言う曲である。この曲は何?、誰の曲? 私は全く知らない曲名である。楽譜とCD-Rが送られてきて、さだまさしの曲と判明したが、彼の曲は「関白宣言」なるものを何度か聴いたことがある程度で全然不案内である。楽譜を見ても曲想が湧かない。頼みのCD-Rは私の装置ではすべて再生出来なかったために急遽「さだまさしベスト」なるCDを購入した。そう言えば去年は「神田川」のCDを購入したが、ここ2年間ほどはこの2枚のCDしか買っていないことになる。

 「北の国から-蛍のテーマ」「案山子」「関白宣言と失脚」「秋桜」「精霊流し」「無縁坂」「親父の一番長い日」「防人の詩」「風に立つライオン」が収録されている。MDに録音して、一昨日の仙台出張時に往復のこまちの中で5時間ほど流し続けた。全然飽きない。それどころか聴く度に彼の歌詞の魅力、旋律の魅力、歌唱力が分かってきた。

 最近のCDのケースは薄く薄くなりつつあるが、このCDは2枚組と思わせるほど厚い。全曲の歌詞カードと短いエッセイが添えてある。歌詞カードを見てまず驚いたのは、彼の日本語がじつに豊で、見事だと言うことである。それに、物語性も良い。

 「無縁坂」、このアルバムの中ではひっそりと目立たない。最初はそれほど感じなかったが、じっくり聴き込むと歌詞も良いし、なかなかの名曲である。私はこの曲を下手な技術でどうすればいいのか、どうできるのか? だんだんプレッシャーを感じてきた。

http://www.amazon.co.jp/gp/product/B00007KKVT/503-5247502-6996725


11/23(水)勤労感謝の日 曇り 病棟拘束  冬支度多少  家族面談  
1:00起床、ドック判定・総括、紹介状等.総括、退院関連書類処理など多数処理。10:00ハーレーを車庫の奥に収納、降雪に備えて除雪機整備を若干。13:30病院着、14:00-15:00家族面談。総括など、19:00帰宅、夕食、20:30就寝。

地域がん連携拠点病院(7)二次募集、兵庫と秋田の動向
 今年8月に指定が行われた「がん診療連携拠点病院」の第一次募集で 25府県から119病院の推薦があった。新規に指定を受けたのは、半数以下の44病院で、秋田と兵庫が推薦した複数の病院はすぺて却下され、結果的に拠点病院が1カ所もないのは両県だけとなった。

 10月末提出の二次募集に両県はどの様な推薦で望むか注目されていたが、先日の発表によると秋田県は4病院を推薦、兵庫県は10病院を推薦した、とのことである。

 兵庫県は一次募集で40施設を推薦したが全て却下された。二次募集では兵庫県健康生活部健康局疾病対策課では、指定要件を満たす10病院に厳選した、とのことである。
 秋田県は一次募集で、都道府県拠点病院1施設と地域拠点病院12施設を推薦したがすべて不承認であった。一次募集では厚労省から「緩和ケアチームがない」「院内がん登録を行っていない」などの指摘を受けたが、実際には12施設のうち、秋田市内の2病院は要件を満たしていると判定されていた。しかし、厚労省の検討会委員からは「秋田県ははっきりとした考え方なしでこれだけのものを出している」と、「県はろくに審査も行わず推薦した」、との厳しい指摘まで受け、結果的にすべてを却下した。病院のレベルが問われたのではなく、秋田県の姿勢が問われ、2病院はその煽りをくらった形となったわけである。

 秋田大病院では、その判定を受けてから、急遽、緩和ケアチームを10月に結成し、11月には腫瘍センターを設置した。院内がん登録を行うための電子カルテシステムも来年3月稼働へ向けて準備を始めた。これを受け、秋田県では二次募集では、秋田大学病院と地域3病院を再推薦したが、秋田市内の病院は前回要件を満たしていると判断された2病院を含めて1病院も推薦しなかった。秋田県医務薬事課は、「1次募集では、指定要件が将来整備されれぱ良いという認識で推薦したが、今回は指定要件を慎重に確認して推薦した」と取材に対して話したと言う。

 これは事実に反した談話である。
 秋田市内の4病院については、「指定要件の審査で差を認めることが出来なかったので、すべて推薦から外した」が正しい。
 到底理解不能な理由と言わざるを得ない。


11/22(水)雨 外来 東北ブロック・エイズ拠点病院等連絡会議(仙台)
2:00起床。ドック総括x1、紹介状返事2部、その他。5:10病院、6:20回診他病棟業務。7:55救急カンファ。8:30-10
:20外来。10:56こまち、14:15-16:30仙台医療センターにて東北ブロック・エイズ拠点病院等連絡会議。駅にて新書6冊購入。17:38こまち、20:20帰宅、夕食。21:20就寝。仙台往復はさだまさし」のCDと新書を堪能。復路は満席で若干不快。

個人情報保護(2)各医師は個人情報の管理はどうしている?
 当院では個人情報保護の観点から医局各室に施錠することになった。結局、パソコンやリムーバブルメディアだけの問題でなく、カルテや書類もあるからで、それらをそっくりと守ろうというものである。これで対外的には一応の体裁は整った。管理する側にとってもまず一安心である。私も帰宅時に施錠するが、何となく安心感があって良い気分である。

 果たして施錠の効果はどうだろうか。これは検証しようがないが、部外者対策としては一定の効果は期待出来るだろう。それ以上に、個人情報保護に対する職員の意識高揚に結びつくと期待している。所々に林立している風力発電機は投資額に見合うほどの発電量はなかなか得られないと言うが、環境保全やエネルギー消費に対して警告の効果が大きいというのに似ている。

 ところで、各医師は個人情報の管理はどうしているのだろうか?

 私の場合には、病院の自室には新旧のパソコンが7台あり、今でも全てそれなりの機能を果たしてくれているが、繁用は4台である。すべて骨董品に近いから盗難に遭うことなど考えていないが、それでも全機種にシステムソフト的にロックをかけてあるから、起動ディスクを初期化しなければ利用できないはずである。また、個人情報は全て100MBから1GサイズのIomega社のZipとJazのディスクに保存してパソコン内には殆ど置いていない。Iomegaディスクでは一枚ごとに強固にロックする機能があるので私は10年以上も前から利用している。パスワードがなければ初期化しかない。とても便利で重宝しているが、100枚近くになって場所も占拠するようになったし、内容を探し出すの面倒になってきたのでロックできる製品があるのならCD-RとかDVD-Rにしたい、と思っている。

 日本医師会の個人情報保護担当部門ではここ数年間の個人情報漏洩事件の件数をまとめた。具体的件数は忘れたが小冊子になるほど多数であった。少なくとも私どもの病院からはそのようなことが生じないことを願っている。

 システム的に如何に厳重にしようとも、部外者をチェックしようとも、作業員が関与した航空機の爆破や、秋田の幼児殺害事件などの、身内が関与する事件は防ぐ事は困難である。これは医療機関にとっても同様である。結局、個人情報を扱う各人の意識と職員のモラルが最後の砦、最良の鍵と言うことになる。その面での啓蒙は続けなければならない。


11/21(火)晴れ 患者家族面談 外来 法人常務会  県医療審議会法人部会 医局公開MC
 
2:00起床。ドック判定総括x1。紹介状、徒然。その他。5:10病院着。6:15回診他。7:00入院家族と面談。7:55救急カンファ。8:30-14:10外来、混雑。最大限急いでも約6時間は長い。14:30-16:00法人常務会、16:50-17:45県医療審議会法人部会、18:30-20:10医局公開MC。心臓同期療法と経鼻内視鏡。21:30帰宅、22:00就寝。種々の会合で時間に追われた一日。

個人情報保護(1)医局の各室を施錠化
 個人情報保護法が整備されたこともあって、一昨年頃より個人情報保護に関しての対応が各所で行われている。少し神経質すぎるのでは??と思われる事象がないわけではないが、より好ましい方向なのだと思う。

 医療機関や医師は個人情報を多量に扱っているし、医療法でも規定があるから本来もっとこの面について厳しくて良かったはずであるが、今から見れば随分ルーズであった、と言わざるを得ない。
 当院でも長い間、正面玄関は24時間施錠されず出入りが自由であったが、患者と従業員の安全の確保のために10年ほど前から22:00-5:00までは施錠とした。勿論、職員とか救急患者とかが来院した際には当直者が確認の上で施錠を解く様にできている。これは個人情報の保護という観点から見ても大変なことだった、と思う。医局、ナースセンターを始めカルテ、書類を中心に個人情報が大量に保管されており、共に無人になる時間帯は結構あるからである。

 近年はそれに加えて、多くの医師は業務をパソコンで処理する。それにも情報が沢山入っている。デスクトップでも大差はないが、最近はポータブルパソコンが多くなってきているので一層危険になっている。現に数年前ある医局のパソコンが盗難にあったこともある。更に、リムーバブルメディアが繁用され、データの移動も簡単になって問題を複雑化している。ある医師のフラッシュメモリーが机上から一時持ち去られた事もある。

 私は全パソコンにはパスワードを設定することと、リムーバブルメディアには個人を特定できる個人情報は絶対に入れないよう指導してきたが、信用するだけで具体的にフォローは出来ていなかった。

 種々検討の上、最終的に医局の各室をロックすることとした。これで、一応カルテ、書類,パソコンの安全は計られることとなった。
 私は部屋が施錠できる様になってから、とても良い気分である。


11/20(月)雨  管理会議  院内巡視  老健施設長他来訪 療養病棟判定会議 長副会議    
 
1:30起床。不整脈は軽減した。ドック判定総括x1、紹介状返事等処理。徒然。5:15病院着、6:30回診。7:45-8:30管理会議、10:00-10:50安全管理者と面談。14:00新設の老健施設の施設長他来訪、面談す。16:00療養病棟判定会議。17:00-21:10長副会議。21:50帰宅、夕食、22:30就寝。

新型インフルエンザ問題(2)危機は迫りつつあるが・・・
「新型インフルエンザ」と言うべき新しいウイルスの感染者は世界でまだ一例も発生していない。しかし、その起源となりうる「高病原性鳥インフルエンザ」の発生動態、ウイルス学的研究の知見を見る限り、事態は昨年よりも一層深刻になってきている。

 第一に、従来から鳥インフルエンザウイルス(H5N1)は人には直接は感染しないと考えられていたが、1997年に香港で鳥から18人が感染し、6人が死亡したというニュースは従来の疫学、ウイルス学の常識を覆す大事件であった。その後も各地で類似の症例が続いている。加えて特異例であろうが、ヒトからヒトへの感染例も少数ながら見られている。

 第二に、ウイルスの分析、ヒトのウイルスレセプターの研究からも厳しい現状が判明した。
● 今年のトルコの感染例のH5N1の遺伝子はヒトインフルエンザウイルスに近い変異が起きており、H5N1ウイルスのHAがヒト型のレセプターを認識する機能を備えていた。
● H5N1は42℃で増殖するが、37℃でも増殖できるようになっていた。

  WHOは上記の点を重視し、危機感を募らせている。日本政府がフェーズ3Aの現段階でH5N1を指定感染症や検疫感染症に指定したのは、トルコのウイルスの変異に危機感を持ったWHOの勧告を受け入れたからである。

 ●更に、最近、ヒトの肺胞など下気道の細胞は鳥型のα(213)結合のレセプターを有していることが判明した。肺炎では飛沫感染は起こしにくい。しかし、ウイルスが強毒型のままヒト型インフルエンザウイルスに変異すれば、下気道だけでなく上気道でも増殖し、飛沫感染を起こしやすくなり、大きな脅威となり得る。

 政府の「新型インフルエンザ対策行動計画」によると、パンデミックが起きれば国内で最大2500万人が医療機関を受診し、200万人が入院、64万人が死亡すると試算している。

 秋田にこの試算を当てはめると、感染者数は流行が始まり終息するまでの数ヶ月間で約30万人が罹患し、その殆どが医療機関を受診するだろう。うち、入院適応患者が2万人、死亡者は1300人と推計される。
 実際、これほどのパンデミック状態ならば、患者に対応する能力は県内医療機関にはない。交通機関は止まるだろうし、食料を初めとするライフラインの確保も困難になる事態も予想される。なのに、国、県の対応は静かで、遅々としている。実に平和な日々であるが、危機への対応の準備は急いで進めなければならない。


11/19(日)快晴  病棟拘束  FF tennis(今期最終回)
2:00起床、ドック判定総括x1、新型インフルエンザ対策検討。業務淡々と処理、10:00楽器久々2時間ほど練習。13:00-16:30 FF tennis、来週は予定が入ったため、本日が今期最終回。6-4,3-6,6-3で何とか優勢で終了。
結局、今期は6勝14敗4分けで終了。17:00-19:00病院にて業務。19:30帰宅、夕食、
20:30就寝。夕方からずっと不整脈で不快であった。


ウイーン国立歌劇場(4)最終夜 R. シュトラウス「エレクトラ」
 ウイーン国立歌劇場第4夜はわれわれの観劇ツアーにとって最終日。演目はR. シュトラウスが作曲した「エレクトラ」であった。R. シュトラウスは、1864年ミュンヘン生の作曲家で生前は指揮者としても活躍した。
 歌劇「エレクトラ」は劇作家で詩人のホフマンスタールの戯曲「エレクトラ」によっているが、この「エレクトラ」をきっかけに、両人の交友関係が親密となり、ホフマンスタールは、後に「ばらの騎士」、「ナクソス島のアリアドネ」、「影なき女」、「エジプトのヘレナ」、それに「アラベラ」などの台本を、シュトラウスに提供している。これらはすべて近年の名作として各地の歌劇場において上演され続けている。

 1980年のウイーン国立歌劇場の日本公演はK.ベーム、H.シュタイン、T.グシュルバウアーの指揮の下に「フィガロ」「ナクソス島のアリアドネ」等が上演され、私はこの時にはB.クロブチャールの指揮の下に「サロメ」を聴き、えらく感心したが、この時も「エレクトラ」も上演曲目の一つであった。

 R. シュトラウスは私の好きな作曲家の一人で、本場で聴けるだけで十分なので「エレクトラ」については殆ど準備もしていなかった。歌劇場管弦楽団の絢爛たる音色と豪華な舞台を十分堪能でき、十分満足した。今ならまた別な楽しみ方が出来るだろう。

 ウイーンには5夜滞在しそのうち4夜を国立歌劇場でオペラとバレエを楽しめたのであるが、このようにウイーンに短期間の滞在ならば毎晩国立歌劇場に出かけても全く別の作品を楽しむことができるような仕組みになっている、が実に驚きである。一講演の舞台の装置・演出は大変なものだと思うが、次の夜には100%新しい舞台に置き換わっている。これはウイーンが観光に力を入れているからだという。確かに、1980年の引っ越し公演の場合にはNHKホール、東京文化会館、神奈川県民ホールの3ヶ所を用い、同じ演目が複数日連続していた。舞台の模様替えが効率的に出来なかったための策だったのであろう。

 翌日の午前、ウイーン→ロンドン→アンカレッジ→成田のコースで帰国した。夕方上野に着いたが、22:00発の寝台特急「あけぼの」迄の時間待ちを東京文化会館の小ホールで若手のヴァイオリンリサイタルを聴いて過ごしたが、時差ボケのために殆ど寝て過ごした。お名前すら記憶に残っていないが、演奏家には申し訳ないことをした。


11/18(土)晴れ 病棟拘束 散髪 
2:00起床、ドック判定総括x1。紹介状2部.5:15Taxi病院着。6:10回診他、書類処理。8:30救急カンファ。14:00-15:00散髪、主治医意見書他夕方まで机上の書類処理。19:30帰宅、夕食、20:30就寝。

新型インフルエンザ問題(1)マスコミは取り上げていないが・・・
 インフルエンザを論じる際に3種を区別して考える必要がある。「ヒト」、「鳥」、それに「新型」である。
 今、医療機関でワクチンとかを接種し予防しているのは通常の「ヒトインフルエンザ」への対策である。鶏が全世界で何100万羽も殺処分されて埋められているのは「高病原性鳥インフルエンザ」対策で、「鳥インフルエンザ」は一般的には人には感染しないが、感染した恐れのある鶏を放置しておくとウイルスが増殖する過程で変異して、ヒトへの感染性を獲得し「新型インフルエンザ」が発生する可能性が高くなる。
 この「新型インフルエンザ」は一度発生すると、ヒトは免疫力を持っていないから瞬く間に全世界的に蔓延し、数100万人から数千万人のレベルで死亡者がでる可能性がある。

 昨年の今頃、マスコミはこぞって「新型インフルエンザ」について報道していたが、今年はぱたっと途絶えている。あれほど来るぞ、来るぞと言っていたがなかなか発生しないため、ニュース性が乏しくて、報道の意欲が減退したのであろう。

 確かに、まだ「新型インフルエンザ」は発生していない。しかし、その元となっている「高病原性鳥インフルエンザ」の発生動態を見る限り、事態は昨年よりも一層深刻になってきている。「高病原性鳥インフルエンザ」は一般的には人に感染しないが、濃厚に病鶏と接触すると感染する。それが、年々感染者数が増えてきており、ヒトにより感染しやすいように変異したウイルスも検出されているからである。

 WHOに報告されたヒトへの「高病原性鳥インフルエンザ」はA(H5N1)タイプでその感染確定症例数の推移を見ると、2003年が4人、04年46名、05年が97名、06年は11月現在で111名である。この間、総数258名で153名が死亡している。感染者もかつては東南アジア中心であったのが、アゼルバイジャン、ジプチ、エジプト、トルコ、イラクと広がっている。

 政府は昨年12月、「新型インフルエンザ対策行動計画」をまとめた。これには流行のWHOフェーズ分類に応じて、ウイルスの封じ込めや医療体制の確保などについて総合的な対策が規定されている。さらに今年6月、インフルエンザ(H5Nl)を指定感染症と検疫感染症に指定した。これにより、患者に対して行政的な措置を強化する体制は確保された。
 政府の強い危機感の表れと言う評価もあるようであるが、私はWHOの勧告への追従でしかないように思える。本来ならば国が各論的指針を作るべきであるがなかなか提示されてこない。

 私は県医師会の感染症等危機管理対策の担当でもあることから、安穏としてはいられない。県内における「新型インフルエンザ」の流行を想定して、委員会や郡市医師会の担当者、秋田県の担当部署と協力して治療対策の大まかな指針を作らなければならない。


11/17(金)晴れ ドック診察 オーダリングとDPCに関する説明会
 
2:00起床、ドック総括x1.総括、紹介状、徒然。5:15病院着。6:20回診他、7:55救急カンファ。入院患者対応。13:30ドック診察、17:30-18:30オーダリングとDPCに関する説明会。21:00帰宅、夕食、21:30就寝。

看護師不足(4) 「7:1」看護届け出が倍増、地域格差が明確 日看協の見解に不満
 日本看護協会(日看協)は11月15日、一般病棟7:1看護の届け出数を調査結果を発表した。10月1日現在、全国で549施設であったという。5月1日時点の厚労省の調査では291施設だったのでこの半年でほぼ倍増である。

 地域別の施設数を見ると、東京53施設、埼玉30施設、神奈川23施設、千葉22施設で、大阪が30施設、兵庫24施設だった。一方、1施設のみの届け出は三重、滋賀、奈良、鳥取、山口の5県。2施設は岩手、秋田、富山、福井、山梨、島根の6県で、地域格差が明らかとなった。特定機能病院の届け出は16施設で、そのうち15施設が私立大付属病院だった。

 これは、各地域の医療機関の活力の反映と見ることができる。地方の医療機関は、いわゆる医療圏と言われる一定地域内の住民の医療を担当しているのに対して、都会の場合には人口密度が高い他に、交通の便によって事実上の医療圏は極端に広いから当然でもある。勿論、その分、医療機関同志の競争も熾烈である。

 日看協広報部によると、久常会長は10日の理事会で「看護師争奪戦などと騒がれているが、この厚い配置が質の高い看護サービスにつながり、患者さんの安全・安心を支える大きな力になると確信している」と見解を述べた、と言う。これに対し、日医の中川常任理事は日看協の見解に遺憾の意を表し、看護師の争奪戦で医療が荒廃する事を危惧している、と日医の見解を述べた。日医の今回の反応は早かった。前回の代議員会で私の個人質問の他、数題が看護師需給に関するもので、日医の対応が生ぬるいのではないか、と述べたことが一つのプレッシャーになっているためであろう。

 それにしても日看協の視点は、准看護師の問題にせよ、今回の看護体制の件にせよ、日本の地域医療の維持のために看護師が担うべき責務に関して自覚が乏しい様に思えてならない。日看協の意見はかつてあったように、日医と対峙することが目的ではない、と思いたいが、日看協のコメントに対し私はいつも疑問を感じている。


11/16(木)晴 外来 秋田市医師会班協議会
 2:30起床。ドック判定総括x1。徒然ほか.5:15出勤、6:20回診他。7:55救急カンファ、8:35-14:30外来.混雑。総括他作成。21世紀の医療を守る会の下準備,
ほぼ一段落。18:30-21:00秋田市医師会班協議会。21:20帰宅、22:30就寝。

 国会議事録作成もコンピューター化し、速記者が消えていく  
 国会中継をTVで見ると速記者が数人議長の近くの席でペンを走らせている。衆議院規則には「議事は、速記法によってこれを速記する。」と定められており、明治23年(1890年)に帝国議会が開設されて以来、110年余にわたって、すべて国会速記者によって公正な会議録が作成されて来た。

 秋田県医師会でも代議員会等の重要な会の際には2名の速記者により記事録が作成される。速記者の仕事ぶりを近くで見ることはこの機会以外ないが、一人が大体15分くらいずつ担当し、原稿用紙等にミミズの如くの得体の知れない記号を大きく殴り書きしている。

  国会速記者を90年間育成してきた衆参両院の速記者養成所が、この12月に閉鎖される。この養成所は、衆議院の議事速記者を養成するために大正7年に創設され、以後、80年余にわたり速記者の養成してきた。ちなみに、養成所は本科2年、研修科は半年で、授業料不要、必要な学用品は支給、本科卒業時に成績優秀な者を衆議院事務局職員として臨時に任用される、という、比較的恵まれた環境らしい。

 TVのアナウンサーの話す速度は1分間あたり320字程度であるが、速記者は、1分で360字を書き取れないとプロとしては通用しない、とのこと。5時間程度の委員会の記録は膨大な量になるが、速報版の記録集は翌日には出来上がるというから、速記者の技能がいかに優れているか解る。

 しかし、行政改革や国会改革でも人員削減が求められ、録音及びコンピューターの機能の飛躍的向上もあって、衆院は2009年に、参院も2008年に速記を止め、速報版なら数時間で出来上がるレベルの音声認識システムに移行するという。これは、録音した音声をゆっくり再生し、パソコンに直接入力していくシステムなのだという。
 ITの技術の発達によって、速記という特異的名入芸が消えていく。


11/15(水)曇り 外来 ドック診察 拡大管理会議 秋田メディカルサービス医療安全講演会(欠)       
2:00起床,朝はめっきり寒くなった。昨日で半袖Yシャツのみの通勤は止め、ウインドブレーカー着用した。ドック判定総括x1.病棟から電話、3:10病院着。3:48死亡され、剖検させていただくことに。そのまま居残り業務に。6:20回診他病棟業務、7:55救急カンファ、8:45-14:20外来+ドック診察。18:00-19:30拡大管理会議、下半期の病院運営について。再度回診他。20:30北海道に津波警報。21:30帰宅、夕食、22;10就寝。

何も分からなかった津波警報放送   迷惑な現場への電話インタビュー
 昨夜、20:30NHKのラジオAM放送を流しながら机上の整理をしていたところニュースが途中でぷつんと切れ、電子音が数秒、その後20秒ほどの無音状態。何か巨大な事件でも起こったのか?と思いつつ手を休めて再開を待った。突然「北海道の太平洋沿岸とオホーツク海沿岸に津波警報が出ました。沿岸、河口付近の方々は高台等に避難・・」と放送し始めた。秋田には直接関係なさそうなのでそのまま業務を続けながら聞いていたが、その後の約10分間、これだけの内容を殆ど間隔を置かずひたすら繰り返しているだけであった。何故、突然の津波警報なのか?どこかで地震が生じたのか?など、しばらく全く分からなかった。

 20:45分頃からやっと状況が放送され始めた。それによると20:15頃、北方四島の択捉島の東北東約400Km、根室市の北東約750Kmで、深さ約30Kmを震源とする、マグニチュード8.1の地震があったとのことである。普段からこの付近は大規模な地震の好発地域であるが、多くは6.0-7.0程度で、今回のはなかなか大きなスケールの地震である。 
 津波警報にはせめて、「北方四島付近で大規模地震が発生し、北海道の太平洋沿岸とオホーツク海沿岸に津波警報が・・・」くらいはあって欲しい。そうでなければ不要な不安を煽ることになる。   

 稚内市周辺の地域で避難指示、避難勧告が出て、根室市などでは、市の職員を緊急招集し対策にあたっていたとのことである。HNKは現場の臨場感をリアルタイムに伝えようとしているのであろう、稚内市の防災担当者に電話インタビューをし始めた。電話に出た担当者は明らかに迷惑そうに対応している。現場ではなまっちょろい話などに付き合っている暇はないのだ。アナウンサーは「付近に何か変わったことは? 海面に何か変化がありますか??」等と尋ねている。こんな真っ暗闇に海の様子など見えるはずないじゃないか。バカな事聞くな・・と思いつつ聞いていた。まばゆい人口光で24時間明るいNHKスタジオと現場との間では全く感覚がずれている。マスコミの感覚、発想なんてこんなものさ、と思ってしまう。結局、実のあることは何も伝えられなかった。迷惑インタビューは慎むべきである。

 十勝港で30cm、小笠原諸島の父島で50cmの津波が観測されたが、警報は23:30注意報に切り替えられ、今朝1:30には全面解除された。被害がなくて何よりであった。


11/14(火)曇り 外来 法人常務会 秋田県医療関係団体協議会打ち合わせ 医局カンファレンス(欠)他
2:30起床,ドック判定総括x1.書類処理他、5:15病院着.6:20回診、定期処方他、7:55救急カンファ、8:45-14:15外来、超混雑。14:30-16:00法人常務会、16:30-17:15医療相談、17:30-18:50県医療関係団体協議会打ち合わせで薬剤師会に。19:00意見交換。20:00重症患者回診、対応。21:20帰宅。22;00就寝. 

病気腎移植(3)「病腎移植への日医の基本的考え方」に不満
 日本医師会の木下常任理事は、11月8日に記者会見を行い、宇和島徳洲会病院等における腎移植問題に対する日医の基本的な考え方を明らかにした。「疾患により摘出した腎臓の移植、非親族間の移植などが事実であるとすれば、きわめて遺憾で、医師として厳に慎むべきであった。死体腎であれ、生体腎移植であれ、法律、各種学会のガイドラインに基づいて行われるべき(一部改変)」と、日医の基本的なスタンスを説明し、今回の事件によって、医療に対する国民の不信感が増幅することに危機感を示した。
 私は上記のコメントはあまりにも優等生的、常識的すぎると思う。腎移植を待つ患者達は恐らく落胆するだろう。腎機能が廃絶した方々の人生の僅かに残る選択肢を健康人が、医師達が規制しているようなものである。

 私は病腎移植をすべて是認するわけではない。ただ、病腎をすべて一括りにして移植に不適と言って良いのだろうか、とは思う。瀬戸内グループと言われる方々は、現行法的には問われることはないだろう。ただ、常識的でない治療法を敢えて選択せざるを得なかったら、それなりの治療意義をしっかり持っているのであれば、倫理委員会で意義を主張し、患者への説明や同意書等は通常にもましてきちんと整備すべきだったし、貴重な積み重ねを論文とかにして公開すべきであったし、病腎移植に関して問題提起すべきであった。新聞のニュース等から得られる情報では、一部に彼らを賞賛する様な意見も掲載されているが、手続きの面で杜撰な点が多すぎ、この治療法の考え方全体が密室的で、杜撰に見えてくる。このことを私はとても残念に思う。だから、彼らの行為を是とは出来ない。

 死体腎移植はわが国ではなかなか普及しない。特に、角膜も腎も脳死状態でなければ提供できないと誤解され、脳死が話題になってから両者の提供が減少した。それがこの病腎移植の背景である。病腎移植を否定するのであれば、関係者は死体腎移植の意義、価値を強調し、国民に協力要請をすべきである。
 腎不全の関係者は死体腎移植普及についてそれなりに動いてはいるのだろうが、見えてこない。骨髄バンクの広告は随所で目にとまる。腎、角膜提供普及の広告は共に見ることは殆どない。


11/13(月)曇り 管理会議   外来 長副会議      
 
1:30起床、ドック判定総括x1、徒然、その他。5:20病院着。6:15回診他。書類書き、7:45管理会議。8:45-14:30外来、混雑。16:00療養入棟判定会議は対象患者無し。17:00-21:20長副会議、懸案事項多数。22:00帰宅、夕食、22;40就寝。

携帯電話 定額7000円で103万円分のダウンロード!!! どうなっているのか?
 最近、携帯電話の番号ポータビリティなるものが大きな話題になっている。携帯電話の購入や買い換えが如何に頻繁なのか、を示しているのだろう。
 私は携帯を珍しがられた頃から所持してきたがいつもスイッチは切っている。ポケベルが鳴ったときに自分からかけるだけで、週にせいぜい数回しか用いない。充電は月に一度ほど、自分の携帯の番号も知らない。メールの返信も出来ない、写真はどうやって撮るのだ??こんなレベルである。だから買い換えるときに番号が変わっても何ら不便はない。

 携帯の請求額は初めの頃は1万8000円ほどであったが普及と共に値下がりした。ここ3年ほどは毎月2600円の基本料金を超えたことはない。今回届いた請求書のデザインが変わっていた。いつの間にかボーダフォンからソフトバンクになっていた。そういえば、10日ほど前にはソフトバンクの番号ポータビリティ移行に関連して買い換え客が殺到し大混乱があったらしい。
 パソコンソフト、携帯、ゲーム機などの新発売等の時に何でこんなに一気に集中するのか、何で初日に購入しなければならんのか?これも理解できない。兎に角、この世界は疑問符だらけである。

 一月ほど前にわが家を訪れた高校生の携帯の話には更に輪をかけて驚いた。その母親の弁では「この子の携帯は定額制で月7000円ほどだけど、ある月の実質利用金額は103万円にも達していた・・」というものである。それもケロッとした表情で述べた。私は当初何を言っているのか、全く理解できなかったが、要するに通常の通話の他に、音楽とかのダウンロードを頻繁にしているためらしい。

 それにしても信じがたいことである。100万円超になるほど携帯を利用していると言うことは、殆ど24時間繋ぎっぱなしではないのか?高校生の生活と両立するのか?それだけの量のダウンロードを受けるだけ携帯の記憶容量は大きいのか?あるいはパソコンに転送するのか?これでは金銭感覚が駄目にならんのか?家族間の対話、団欒などは?しかも、携帯料金は親が支払っているのか?これが今の高校生の風潮か?・・などと疑問だけが次々と湧いて来た。

 その後も何一つ理解できたことはないが、感じ続け、心配し続けていることは、価値のあるものにはそれなりの対価を自分で支払う、払えなければ我慢する、という当たり前の感覚が、こんな変なシステムが通用することによって国民的レベルで麻痺していくのではないか、という心配である。特に、情報関連の業界は何だか分からない世界である。


11/12(日)雨+みぞれ 病棟拘束 FF tennis中止 国際交流大会(Alve)  
2:45起床.ドック判定総括x1。退院総括、21世紀の医療を守る会関連作文他。楽器練習少々。10:00国際交流大会(Alve)に参加の家内送って
から病院へ。回診他患者関連書類処理ほか業務、一時午睡。重症患者再度回診し18:30帰宅。夕食、20:45就寝。

ウイーン国立歌劇場(3)バレー「エフゲニー・オネーギン」
 ウイーン国立歌劇場第三夜はチャイコフスキー作曲のバレー「エフゲニオネーギン」であった。チケットを予約する際に他の、例えばフォルクスオーパー劇場等のオペラを聴くコースもあったが、それまで国際的なバレー団の公演を直接見たことがなかったためにあえてバレーを観ることとした。

 内容的にはチャイコフスキー作曲の歌劇「エフゲニオネーギン」は曲としてはレコード等で親しんでいたから、国立歌劇場管弦楽団の音色を十分に味わうことが出来た。バレーそのものは私にとっては目的ではなかったが、オペラの内容にぼぼそった演出であることはまず当然としても、声や言葉を一切用いずに踊りとボディアクションだけで物語りそのものや登場人物の心理描写を表現するあたり大変な技術だ、と感心した。
 私はオペラの鑑賞はレコード中心であって。その際もあらすじとか台詞などを追いつつ聴いたことは殆どない。殆ど音だけの世界であった。だから、あらすじもろくに知らない私にとってはバレーであっても、オペラであってもハッキリ言って大差ない。曲として知っているだけで、曲として楽しむだけである。当夜もウイーン国立歌劇場管弦楽団のホームグラウンドでの演奏を十二分に堪能できた。バレー団の名称、指揮者名などは全く失念した。コンサートマスターはR・キュッヒル氏であったことは覚えている。

 ウイーン国立歌劇場の舞台は奥行きが約50mもあるのだそうだ。だから、演出や団員の配置等には余裕があって持てる力が十分に発揮できている印象であった。バレー団や歌劇場の来日公演の際には舞台が狭いせいか、何か舞台のセッティングが不十分ではないか?と感じたほかに、出演者の動きも狭められてぎこちないような場面もあるとの印象を持っていた。さすが専用のオペラハウスの規模は大きく違うものだと認識した。


11/11(土)曇 病棟拘束 ドック結果説明x3
2:00起床、ドック判定総括x1、総括・紹介状x1。5:20病院着、事務的処理、6:30回診他、9:00ドック結果説明x3。病棟患者不調。日報めいわ原稿送付、医師会校正送付。机上のカルテの山、書類の山崩しにかかる。19:30まで淡々と処理。19:50帰宅、夕食、20:40就寝

昨夜、中国でペット飼育規制から暴動  民主化も近い? 
 今朝4:00amNHKのラジオが中国でペット規制に対して住民が怒って暴動にまで発展したと報じていた。私はこのニュースを聞いて中国の大衆は変わりつつあるのではないかと一瞬感じてしまった。

 狂犬病はウイルスによって生じる致死率100%の恐ろしい感染症である。WHOによると、全世界で特にアジア、アフリカを中心に毎年3万5,000〜5万人が狂犬病によって死亡している。
 日本では狂犬病は1957 年以降発生していないから殆ど耳にすることがない。日本で狂犬病が絶滅した要因はワクチン接種の普及、検疫制度、島国が3要因だ、とされている。世界のなかで狂犬病が根絶された地域はオーストラリア、イギリス、台湾、ハワイ等と島国・地域に限られていた。野犬はいくら何でも海を泳いでは日本に移って来ないからである。

 中国では狂犬病によって昨年は2,500人が死亡しており、感染症としては結核に次いで高い。今年1-9月の間に北京市内で犬にかまれたという報告は10万人にも達し、その内9人が狂犬病と診断された。経済成長に伴いペットを飼育する入が増えたものの、まだ予防接種を怠っている飼い主が多いからである。
 2年後は北京オリンピックが開催される。中国を訪れる外国人は多くなるが、大丈夫だろうか、と言う心配は各国からも挙がっており、政府も無視できずに、ペット規制をいろいろ打ち出している。例えば、長春市では午前7時から午後7時までの時間帯はペットを連れての外出が禁止される事態にまでなっている。
 最近、新たに犬の飼育は一匹以内にするとかの規制案が発効したと言うが、これに対し昨夜、怒った住民が団体で抗議行動を起こし、それが暴動に発展し警察官ともみ合いになったという。

 詳細な状況は報じられなかったが、私はこのニュースを聞いた時に中国の住民は変わりつつあるというイメージを受けた。民主化に向けての住民の不満とかが確実にエネルギーを蓄積してきているのではないだろうか。中国の体制維持は徐々に難しい局面を迎えつつあるように思える。


11/10(金)曇り  秋田市立南中学校合唱団「小さな秋のコンサート」   法人理事会
2:00起床。ドック判定総括x1。紹介状返事、徒然。5:10病院着、6:20回診他.机上処理、7:55救急カンファレンス。11:00療養病棟患者対応。13:30ドック診察。15:00患者家族面談、16:00-17:00秋田市立南中学校合唱団「小さな秋のコンサート」、外来二階ロビーにて。今年は従来よりも一段とレベルが高かった。17:30-19:15法人理事会。21:45帰宅、22:15就寝.

病気腎移植(2)病腎移植は外国では頻繁に行われている
 大事な腎臓であっても病腎となれば時に本人の生命を脅かす存在になりうる。そのために頻度は極めて少ないが腎摘出を要することもある。良性の病気であるネフローゼ症候群、特発性腎出血などの場合でもないわけではない。この場合、主治医は決して安易に摘出など考えるものではない.最後の、最後の一手段だ、と言うことである。
 だから、今回、腎摘出の理由とされた尿管狭窄、腎癌、動脈瘤、良性腫瘍、ネフローゼ症候群については、移植目的で安易に摘出されたのではなかったか、このことは十分に検証されなければならない。もし、移植目的で適応を変えていたとしたら大問題である。

 私が30年ほど前、末期慢性腎不全患者を受け持ったことがあるが、当時透析療法は盛岡市で受けなければならなかった。需要に供給が追いていない時代であり八方手を尽くしてもその患者は透析を受けることが出来なかった。彼は「子供達が成長する姿を見たい。経費は全て負担するから病院に透析施設を作って欲しい」とまで申し出た。果たせず死亡されたが、その時、病室で交わした言葉は今でも私の記憶に鮮明である。現在、透析療法は普及している。患者は透析を続けながら社会生活を、一見、ほぼ通常に続ける事も出来ている。しかし、透析にまつわる苦痛、苦悩は健常人には計り知れないものがあるようだ。私など、透析患者の気持ちは聞いてあげられても共感することは到底出来ない。宮古で受け持った彼なら、透析療法中であったとしても、病気から解放された自由な生活を得るために、いまなら強く腎を求めるだろう、と思う。

 患者から摘出された腎は例え病腎であろうと、腎機能が廃絶した透析患者にとっては垂涎の存在である。しかも、病腎移植は外国では頻繁に行われている治療法で、有用性は否定出来ないと評価されているとのことである。しかし、わが国では一般的な考え方ではない。その道の専門家は病腎移植をどう評価しているのだろうか。ハナから対象外として検討もしていないのではないか。

 だとすれば、病腎移植を強くは責められまい。


11/9(木)晴れ 外来 療養病棟看護体制変更に関する説明会 
2:20起床。やや寝不足状態。紹介状1通、徒然。5:10病院着、6:20回診他。7:55救急カンファ。8:30-13:50外来、超混雑。14:00-15:00療養病棟説明会。15:00-15:45再度外来。業務。21:00帰宅.夕食、21:30就寝.

病腎移植問題(1)難問にまた一石を投じられた
 親族以外にお金を支払って腎臓の提供を受けた腎移植があったことが判明した愛媛県の病院で、その後の調査で病気のために摘出した腎臓を他人に移植する手術も行われていたことが判明しマスコミをにぎわしている。

 生きている人から臓器の提供を受ける生体腎移植には、常に倫理的な問題がつきまとう。家族を何とか助けたいと二つある腎臓の一つを提供したいという意思は貴重ではあるが、結果的には生体腎移植は健康な身体にメスを入れるという本来の医療にはあり得ない過程を必要とする。また、臓器を高額で売りたいと希望する者や仲介者が関与してくる可能性がある。

 だから、日本腎移植学会では倫理指針として、提供者を原則として6親等親以内の血族と3等親以内の姻族に限定している。親族に該当しない場合にはその医療機関の倫理委員会にて検討することと、日本移植学会に意見を求めること、提供は本人の自発的意思によるべきであり、報酬を目的とするものであってはならない、と規定されている。

 上記の腎移植学会の倫理規定はお金を支払って腎臓の提供を受けた腎移植が不適切であったことを説明しうるが、今回明らかになった11件の病腎移植手術にそのまま適応することは出来ない。病腎を移植に用いるという発想は今までの医療に無く、コメントを求められた専門家は、医学的に疑問が大きい手術だと指摘している。

 その論点は、他の人の体内で働く事の出来る腎臓なら、そもそも取り出す必要はないはず。だから病腎提供者は、不要な腎摘を受けたことになるし、提供を受けた患者も移植後に腎疾患が再発するかもしれないという、不安の中で生活することになる、というものである。確かにそうだろう、しかし、これは健康人にのみに通用する論旨だ、と私は思う。


11/8(水)雨 外来オーダリング開始初日 臨床研修病院東北厚生局調査 外来+ドック診察 県医師会常任理事会+「21世紀の医療を語る会」実行委員会打ち合わせ
2:30起床、ドック総括他いつもの如く。5:10病院着、外来受付変更初日で既に何人かの職員が対応している。6:00回診他、7:55救急カンファレンス。8:30-14:00外来。オーダリングに戸惑いつつも何とかこなす。9:30東北厚生局員に挨拶。15:30医師面談、16:10東北厚生局の講評、好評。17:00県医師会。17:30-19:00常任理事会、19:00-19:45「21世紀の医療を語る会」実行委員会打ち合わせ。病院、21:30帰宅。22:00就寝.

いじめ自殺防止に、子どもの訴えを引き出す工夫を
 いじめが引き金になって子どもの命が失われる悲惨なニュースが続いている。
 最近報じられた福岡県の中学2年の男子生徒の場合のいじめは担任教師が主導したという信じられない状況下で生じている。教師にとって冗談であっても、生徒はどんなに傷ついたか、想像にあまりある。

 私は高二の時の面接で、国立の医学部を受けたいと高校の担任に告げたら、担任は「ならば東大医学部以外無いね」と最大級のイヤミで返してきただけでなく、書類に大きな字で「東大医学部志望」と記載した。これも一種のイジメであった。その日のことは担任の人を小馬鹿にしたような表情も含め、今でも鮮明に思い出す。担任のその目はその後も、授業の時も変わることはなかった。勿論、私は傷付いたが、結果的にはむしろ励みの方に有利に作用した。この言葉、あの嫌らしい目の表情がなければ今の私は無かったかもしれない。

 事件の時にマスコミの前に出てくる校長、教育委員会等の面々であるが、殆ど爺さんばっかりである。この人達は打ち合わせの通りなのか、硬い表情で同じ事を繰り返すのみで、体面、保身のことしか考えていない様である。何処かの国の高官と似ている。彼らは学校のハード面の管理、職員室内の管理のことしか眼中にないのではないか?本当に子供達のことを考えているのだろうか。分かっているのだろうか、と思う。このような頑なな面々に囲まれている子供達が、自殺しようとまで思い詰めていたとしても、実際に何を言えるのだろうか。

 私は、校長が子供の悩みを直接受け取る目安箱のようなものを設置するのも一案だと思う。イジメを受けた本人、見ていても何も言えなかった友人達の声が集まるのではないだろうか。

 原本は保存を義務づけ、直筆文は非公開としてプライバシーを守る配慮も必要である。何らかの工夫で子供達の声が直接届く工夫、子供達の声を吸い上げる工夫がなければ、教室内の問題点など上層部には届かないし、悲惨なイジメ自殺は無くならない。


11/7(火)風雨嵐 外来 法人常務会  インフルエンザワクチン安定供給協議会 県健康づくり審議会感染症対策分科会 
2:00起床,ドック判定x1、 紹介状返事x1。5:10病院着.6:10回診他。9:00-13:30外来、14:30-15:30法人常務会。16:30-17:30インフルエンザワクチン安定供給協議会、18:00-20:10県健康づくり審議会感染症対策分科会。本日、療養病棟入院5名あったとのことで
再度回診。22:00帰宅、夕食。22:30就寝。

「患者さんか、患者様か」談義 ここまで来た敬語氾濫に鼓膜が飛び出す
 
最近病院でも、医療関係の講演会、マスコミの健康番組などでも患者のことを語るときには「患者様」が絶対的優位になっている。そんな風潮であるが、私は一般的に患者のことを語るときには未だに「患者さん」である。今後も変える気はない。ただし、特定の患者さんに関する文書、例えば投書に対する返事等では「患者様」を用いることもある。

 過日、TVの健康番組である大学の小児科教授が新生児や年端もいかない幼児期の患者を呼ぶ際に「患者様」「患者様」と連発していて鳥肌が立つほど不快で、聞き苦しかった。「この赤ちゃん」「このお子さん」程度で良いのではないだろうか。その教授のサービス満点の笑顔を見ていてなんか本質から離れているような気がして、大学教授もここまで来ているのか、という感じであった。

 一昨日のある深夜のラジオ番組は獣医とペットショップの店員の登場であった。ペット達が運動不足と過食で体重過多となり生活習慣病に罹っていることを話していたが、犬を人間に置き換えても100%通用する内容であった。生活習慣病を語るには最早ペットもヒトも区別は要らないようである。「メタボリックシンドローム」は私の嫌な言葉であるが、ペットの病気の診断名に「メタボリックシンドローム」もそろそろ登場してくる様な気がしてならない。

 ただ、このとき私が驚いたのは、病気になった犬やネコたちをその獣医は何と「患者様」と呼んでいた。そのほかに、低カロリーペットフードを勧める場面ではショップの店員が登場し「・・・をお飼いになっている方々には是非このタイプの食品を選んで戴きたいですし、少しずつ慣らしていただけば嫌がらずに召し上がっていただける様になります・・」等といっていた。目が飛び出しそうな体験、と言うのもあるがこのときは鼓膜が飛び出しそうな気がした。

 これらの異常な敬語の使用はペットに対してのものでなく、飼い主に対しての表現であろうが、年間一億人以上の子供達が餓死している食糧難の現状を考えると、豊かな食事でわが国のペットがデブる状況は実に嘆かわしい。
 私はネコ、犬を好み何匹か飼っているが、分相応の扱いしかしていない。


11/6(月)雨 管理会議 院内巡回 療養入棟判定会議 長副会議  
2:30起床、まだ若干不調。ドック判定総括x1、他.5:15病院着。事務処理,6:30回診.8:00-8:45管理会議.10:00-11:30安全管理者と院内巡視、16:00-16:45療養病棟判定会議。17:00-19:20長副会議,珍しく早く終了。20:50帰宅、夕食、21:30就寝。昨年はこの日まで短パン姿
通勤していたが、今年は2週間ほど前に止めている。若干寒いのか?

病院前のタクシーの客待ち 運転手さんは外で客を迎えるようになった
 病院のタクシー乗り場は「Kタクシー」専用である。何時の頃から始まったか不明であるが、最近、運転手さんが車の後部に手持ちぶさたに立っていることが多い。全部ではないが、日中はかなりの方々が立って客を待っている。これは、確認したわけでなく私の勝手な想像だが、利用客に対するサービス向上の一つなのだろう。しかし、まだ不慣れなのか、何か身に付いていない、ぎこちない感じである。

  最近では、東京とかの都会地では、タクシーの運転手さん方はきっちりと制服を着込み、制帽をかぶっている。さらに、路上のタクシー乗り場、駅などの乗り場の場合は別であるが、ホテル等ではドア付近に立って客を待ち、荷物をトランクに入れてくれ、乗降の際には自らの手でドアを開閉してくれる。秋田でもそれに近くなってきたと言うことだろうか。ならば悪いことではない。ただ、私はキャリア付きのトランクを持ってタクシーに移動することは結構頻回にあるが、秋田ではまだ一度も運転手さんにトランクに入れて貰った事はない。

 県内のタクシー業界は過当競争で厳しい経営を迫られている。昨年は4社が倒産あるいは合併で消滅している。業界のある労組の資料によると、運転手さん方の一昨年の平均年収は約217万円と東北で最低、全国でも4番目に安いことが、厚生労働省の「賃金構造基本統計調査」で明らかになっている。平成7年に比べて113万円も減少し、県内の他の産業の平均年収より約200万円も下回った、とのことである。稼働車両の増加、続く景気低迷に加え、全国一多い代行業者の存在が利用者の低迷の要因とみられる。国土交通省秋田運輸支局によると、県内の認定代行業者数は、昨年3月末現在341社で全国平均112社の3倍もある、と言う。

 このような厳しい状況の中、サービスを改善して少しでも多く利用して欲しいという、これらの試みが実を結び、運転手さん方の就労状況が少しでも改善して欲しい、とKタクシーの前を通る度に思う。ただこれからは寒くなる。どうするのか、心配でもある。

 そう言う私は、実は、急がないときには馴染みの「M交通」を呼ぶ。「Kタクシー」の前から乗るのは何となく済まないような気がするが、昔からの馴染みでツケが利くし、運転手さん方のマナーが一段階優れていて安心して身を任せられる、からである。


11/6(日)晴れ  病棟拘束  患者死亡  FF tennis中止  
2:30起床.ドック判定総括x1. HP関連作文、メール返事など多数処理。5:10病院着。8:45救急カンファレンス。以降ずっと病院。11:30ころ肺炎の高齢患者死去。家内不在でFF tennisなし。午後から若干体調不良、発熱と違和感あり。また風邪か? 20:40家内を駅に迎え、9:40帰宅、夕食若干、22:00就寝。

ウイーン国立歌劇場(2)プライ主演のニュルンベルクのマイスタージンガー
 ドイツのバリトン歌手であるヘルマン・プライはちょうど私がオーディオやレコードにかなりエネルギーとお金を費やしていた頃、F・ディースカウと並ぶ代表的リート歌手であった。常にライバルとしてF・ディースカウと比べられる不運はあったが、細めの美声で歌われる温かな歌曲などは、あまりにも完成度が高かったF=ディースカウとはまた別の魅力があり、世界中に多くのファンを持っていた。

 私自身はF・ディースカウの録音よりもプライの録音の方を多く買い求めて聴いていた。

 レコードジャケットによると、プライは1929年ベルリンに生まれ、52年ニュルンベルクでのマイスター声楽コンクール第1位となり、この年にはオペラ・デビュー、57年ウィーン国立歌劇場に「セビリアの理髪師」でデビューし、名声を確立、その後、世界中の歌劇場で歌った。81年にはバイロイト音楽祭で「ニュルンベルクのマイスタージンガー」のベックメッサー役で絶賛されたとのことである。親日家として知られ数多く来日した。2年ほど前に他界した。

 ウイーン国立歌劇場のオペラ第2夜はプライの主演による「ニュルンベルクのマイスタージンガー」であった。世界でも有数の歌手の声を直接聴けると言うことでこれも楽しみの一夜であった。オペラ自体はヴァルターと言う地方の貴族が恋人エヴァと結婚するために、歌合戦に勝つべく靴屋で歌名人のハンス・ザックスの提言を受け見事優勝する、という他愛のない筋書きである。指揮者とか他の歌手達の名前はすっかり失念した。ワーグナーの舞台はヴェルディのそれと比較すれば動きが少ない。音楽としてのスケールは大きいが、視覚的にそれほど目を惹くものではない。
 この曲は途中の2回の休憩を挟むと優に5時間を要した。長丁場となるので開始は16:30頃であった。舞台を観ていても大部分が靴屋の店先の場面でさっぱり楽しくないから、プライ他の歌手の美声とウイーン国立歌劇場管弦楽団の奏でる音に身を任せて、1/3程はウトウトして過ごした。もう少し集中して聴いておけば良かった、と今思っている。


11/4(土)快晴 夕方雨  患者死亡  病棟拘束  患者家族面談 
 
 2:00起床、直ぐに病院より電話、患者不調とのことで急遽出勤、死亡された。4:30見送り。ドック判定総括x1、退院総括、紹介状作成.徒然など。8:45救急カンファレンス。ずっと業務処理、11:50入院患者家族面談。その後も数名不調の患者あり対応。20:00帰宅。夕食、21:00就寝。本日は家内不在を良いことに18時間ほど病院で過ごした。未決の書類、かなり消化した。

HP5年目を迎えて 何故続いている?(3)小文、随想は心の散歩道なのだ
 話題の大小を問わず、考えていることはそれを文章化することによって、初めておぼろげなイメージのレベルからより明快なものになって行く。ブルックナーの交響曲の開始部分ようなものである。何か先に話さなければならない予定がある場合にはその予習として、話し終わったが言葉足らず不満足だった場合など、その補充の場所として、私は書くことを通じて考え直している。このプロセスを通じて一つの整理を付けられるし、一区切りにもなる。

 月を見ても、景色を見ても、本を読んでも、誰かと対話していてもいろいろなことを考える切っ掛けとなる。いろんな方面に興味が湧いて来るから日常生活が面白い。メモしておき、折を見ては取り上げる。ホントは取り上げたい項目がありすぎて一日一項目だけでは絶対的に不足である。特に最近は連作調が多いから、つい時機を失してしまう。北朝鮮の核実験、安部首相の医療福祉政策についても、ハイトーンの早口についても、「美しい国」についても感じるところがあるが、機会が見つからない。マア、これらは社会全体の問題であって私の守備範囲からはやや逸れているから良いか、と諦めている。

 この筋のある研究家の意見であるが、一般的に日本人は随筆とか日記文学を好む民族と言われている。欧米とかでは見られない現象だという。全くの普通の人が書いて楽しんでいる。新聞の投稿欄にも一般読者の随筆が投稿されているが、これも諸外国には少ないのだそうだ。

 随筆は文筆家のものも良いが、それ以外の様々な方々の随想が更に面白い。文章を書くことを業としていない各界の方々が書く随筆、特に芸術家のもの、科学者の随想に心を打たれることが少なくない。

 目を医療界に向けてみても、医師は随分小文を書いている。日本医事新報、日本医師会雑誌にもその特集があるし、秋田県医師会の機関誌である秋田医報にも会員からの投稿が見られる。更に、県内の郡市医師会の刊行物にも会員の随筆が掲載され、興味が尽きない。自分も似たようなことをしているからか、医療関係の方々の随筆、随想にも自然と興味が湧くし、目を惹かれる。

 何でこんな人は文章を書くのだろうか。私は随筆、小文等は各人にとって心の散歩道なのだ、と思う。厳しくストレスの多い方々であればあるほど書きたくなるのではなかろうか。私など小人で他の方々とは比較にはならないが、私個人にとってこの徒然日記はそんな位置づけになっている。だから、そんなに肩を張らなくとも良いし、無理しなくても良い。楽しみの方が大きいから、毎日続いているのだろう。


11/3(金)文化の日 晴れ 患者死亡  病棟拘束  
2:30起床,ドック判定総括、関連書類他。7:00患者不調で病院、死去。8:30家内駅に送る。8:45救急カンファ。9:50患者見送り。回診、他院内業務。19:30帰宅、夕食、20:30就寝。終日殆ど院内で机上処理、かなり消化した。

 がん診療拠点病院(7)秋田県は県民も議会もあざむいた
 秋田の広報誌の一つに「あきた県議会だより」というのがある。年4回発行で全戸配布の広報誌で、発行は秋田県議会である。今回のNo117号「9月定例会」に2ヶ所にわたって「がん診療拠点病院」関連記事が掲載されている。しかし、驚くほど不正確で、これを読んだ県民は事実と全く異なる記事で100%あざむかれ、秋田のガン診療の実情を誤解する。秋田市内の4病院、県内の医療関係者は完全にコケにされた。改めて驚きを禁じ得ない。

 誤解なきように、全文を掲載する。
●2p≪一般質問から 渋谷正敏議員「がん拠点病院整備への姿勢は」≫
(問)  県内の13病院をがん拠点病院として国に推薦しながら、全部が指定を見送られた。推薦した病院は、緩和ケアチームがない、院内がん登録を行っていないなど最低の条件さえもクリアしていない。がん対策について、どのような考えでこれから臨むのか。

(答)厚生労働省との事前協議や他県の情報収集などで、県として取組に不十分な点があったものと率直に反省している。10月末には、2回目の推薦の機会があるので、国の検討会で明示された要件をすべて充足した病院を、改めて推薦する。

 6p≪常任委員会審査から---福祉環境≫
●(Q)地域がん診療連携拠点病院の指定のための厚生労働省への推薦について、先だって県民ががっかりするようなことがあった。地域バランスは考慮する必要はあるが、まずは確実なところを推薦する必要があるのではないか。

(A)地域がん診療連携拠点病院については二次医療圏ごとに一つは整備したいと考えているが、推薦にあたっては指定要件をクリアし、準備が整った病院だけを推薦する。また、今年度中に指定要件が整備された病院については、要件が整備された時点から県単独で助成を行うこととしている。

 この記事を並べて読むと大変な誤解を生む。

 まず第一に、渋谷議員の質問であるが「県内の13病院は要件の最低条件さえもクリアしていない」と述べているがまったくの誤解である。秋田市内の2病院は厚労省の審査で要件を満たしていると判定されている。このような質問を本当にされたとすれば明らかに準備不足である。
 第二に、県の健康福祉部担当者は「10月末には、2回目の推薦の機会があるので、国の検討会で明示された要件をすべて充足した病院を、改めて推薦する。」「推薦にあたっては指定要件をクリアし、準備が整った病院だけを推薦する。」と二度にわたって答弁しているが、結果的に虚偽の答弁となった。

 これを並べて読むと「秋田県の医療機関はガン診療連携拠点の指定要件に合致する最低レベルの要件すら備えていなかった。県は次回には指定要件を満たした医療機関のみを推薦する予定であったが、秋田市内にはそれに合致する機能を備えた病院はなかった」・・・と言うことになる。
 文責は県議会であろうが、県健康福祉部は最終的に議会での答弁と異なった判断を下したわけだから、議会向き、県民向き、県医師会向きに詳細な説明を行うべきである。また、この広報誌の記載に誤りがあるなら訂正記事を掲載すべきである。


11/ 2(木)患者家族面談 外来 県医師会記者会見  外来オーダリング   リハーサル     
 
2:00起床。ドック総括。紹介状、徒然。5:10病院着、6:20回診他、7:00患者家族面談。9:00-14:00外来。16:30-17:50県医師会記者会見。18:00-20:00外来オーダリングリハーサルに合流。なかなか難しい。初日は大混乱を来すかも。21:30帰宅、夕食、22:10就寝。

HP5年目を迎えて 何故続いている?(2)根暗で、無口で、話し下手だから
 私は本来、根暗で、無口で、話し下手で、気難しい小心者である、と言っても殆ど信じてもらえない。何とかそれらをカバーする技術、習慣を身につけたから、感じとられないのかも知れない。

 幼少の頃、厳格な祖父母を中心とした高齢の家族の中で、たった一人年端のいかない子供であった私は、いつもお利口さんであることを求められていた。だから、いつも大人達に迎合するように、顔色を読み取り、機嫌を伺い、それに合わせた演技をしながら、自己を抑制しつつ成長したように思う。成長過程で通過すべき反抗期すら押さえつけられた。小学校低学年の頃から高校卒業間近まで10年以上、食事と若干の団らんの時間以外は離れの住居でネコと二人で暮らしていたのは今から見ても異常だったと思うが、自分としての逃げ場が欲しかったからだったと思う。13年間の間、私にとって初代のネコは良き話し相手であった。

 そんな中、私は人と話をすることよりもノートに向かう方が自然と得意になっていった。日常のメモの他に書き留めていたいろいろな文章は家を売り払った際に全部消却したが、実に惜しいことをした。

 だから、今でも話すことはより文章化する方が、時間はかかるが私は好きである。立場上、いろいろな場面で会話の機会、話す機会は多々あるが、実際の所考えていることの半分程度しか表現できない。どうしても短く、早く終わろうという意識が先行して焦ってしまう。結果的に、話し足りなかった部分はどこかで補充しないと気が済まないが、その不足部分を加えた内容の記録の場としてこの徒然日記が役立っている。

 病院の中でも私はこの習慣の延長上にある。出来るだけ自分を抑制し、患者やスタッフ達にサービス精神を発揮している。そのストレスからの逃げ場は暗くした自室であり、外来などでも少しでも時間が空けば戻ってきて気持ちと疲れた顔の表情筋を休めている。こういう空間と時間が無ければ私は耐えられない。
 この私の性格も、徒然日記が続いている所以の一つである。


11/1(水) 雨・晴れ  患者家族面談2件 対策会議 外来 医療行政懇談会+情報交換会         
2:30起床。ドック総括x1、紹介状・退院総括他。5:15病院。6:00回診等病棟業務。7:00患者家族面談。9:00-14:00外来、混雑。11:30外来途中で患者家族面談。15:30-17:40医療行政懇談会+情報交換会、19:15中座し病院に。21:15帰宅、22:00就寝。

HP5年目を迎えて 何故続いている?(1)アリバイ記録
 当ホームページは、本日で開設5周年を迎えた。連日の更新、良く続いたものだと思う。引っ込み思案で、ひっそりと生きていたい、と願っていた私が自分のコーナーをネット上に持つことなど、それまでは全く思ってもいなかったが、5年前に強力に勧められ、おだてられ、半ばだまされ、半信半疑で始めた試みであった。最初の頃は勧めてくれた方への義理もあって何とか続けていたが、意外にも、ストレス解消に大きく役立つようになっている。

 私は生活記録を中学の頃から折りにつけノートとかに簡単にメモしていたから、もともとこんな事が性に合っているのであろう。それらは生家を手放したときに全部処分した。今から見れば惜しいことをしたものである。真面目につけ始めたのは昭和50年前半からで、切っ掛けは秋田県警の職務質問であった。向浜公園で、私服の刑事に過去10日間何していたのかと詰問され、心的動揺もあって全く答えられず、連行されそうな恐怖感を覚えたことであった。それ以降、毎日何時頃何をしていたのかを記録し始めた。その時は手書きであったが、何時頃からかエプソン社製ワープロで記載するようになった。フロッピー数10枚に蓄積していたが、同社がワープロ業界から突然撤退したことで私にとって再起不能のデータとなってしまった。一部はプリントし,製本して取っている。

 幸い、その後職務質問は受けていないから対外的なアリバイ説明のためには役立っていないが、今はこの記録は自分の足跡の確認、蓄積の確認のために役立っている。過ぎ去った過去を懐かしむ趣味などそれほど無いが、矢の如く過ぎ去る時間を自分が一体何をしながら過ごしたのか、記録をつけてなければ平々凡々とした日々など記憶にも残っていない。だから、過ぎ去った時間は無と化してしまう。死んだときに全て無に帰すことは当然であるが、生きている自分の過去が無に等しいとしたらあまりにも空しいのではないか、と思う。

 この一年、本当に一瞬の間に過ぎてしまった。


この年、本当に夏があったのか、記憶の中には大したことは残っていない。先日、一年分の記録をザッと見直してみて毎日毎日しっかりと夏を味わいつつ過ごしたことを再確認した。

 こんな大事な効用も連日の記録にはあるようだ。


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   年を通じてワンパターンで淡々とした毎日です。AM2:00-5:00にメールチェック・返事送付、人間ドック(HDD)判定・報告書作成、新聞切り抜き、病院・医師会業務など。
  月〜土曜は6:00頃出勤、HDD報告書印刷、外来書類処理など。病棟回診、HDD受診者とミーティングと診察。8:45-14:00外来とHDD受診者に結果説明。昼食は摂りません。午後は病院業務・医師会業務、各種委員会等に出席など。20:00頃帰宅。
  日曜・祭日もほぼ同様ですが、病院には午後出かけます。時間的に余裕無いのが悩みです。


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