徒然日記
2006年9月分

 日記と言うより、自分の行動記録からの抜粋と日々の雑感です。

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先月の日記          来月の日記


9/30(土)快晴 病棟拘束 散髪 産業医研修会(欠) 
2:00起床、ドック判定総括x2、主治医意見書、紹介状。5:10病院着、6;30回診他。病棟業務。書類処理、12:45-13:40地下で散髪。以降ずっと業務、患者関連書類処理。文献整理。19:30帰宅、夕食、20:30就寝。

過ぎ去る夏を惜しみ、夏の習慣にしがみつく(2)短パンとスイカ
 私は四季の中では圧倒的に夏が好きだ。過ぎ去る夏を惜しみ、今年もいろいろ工夫している。もう明日から10月で秋がどんどん迫ってきた。私は夏らしさをもっと味わいたくて、今も夏の習慣を続けている。

 私は7月になると、外来、病棟、来客などの業務のかねあいを見つつ、原則的にテニスウエアに着替えて涼しい格好で業務をこなしている。私の体温は子供の頃からいつも37℃近く、とやや高めなので放熱も出来てとても快適である。通勤も勿論ずっとこのスタイルで続けている。

 常識的な服装では夏を快適に過ごすには暑くて不十分である。幸い、昨年頃からクールビズの考え方が浸透し、半袖の開衿シャツにノーネクタイでもそれほど違和感がなくなったので大いに助かっている。私は昨年以降、院内では原則的にネクタイはしていない。ネクタイが無いと襟元が何となくだらけた様な,締まりがない感じがすることは否めない。だから、代わりにネームプレートを赤い紐で首から下げている。それでも暑くて、当面の用事がないときには早めに短パンに替えてしまう。これで一層快適になる。9月も下旬になると朝晩は冷えてくる。この短パン姿での通勤は徐々に辛くなってきたが、通常のウエアにしたら、私の夏は終わってしまう。だから、もう少し頑張ってみるつもりである。

 私の夏のもう一つの習慣はスイカである。いかに果物類が豊富に出回ろうと夏の季節を味わうのに最適なのはスイカの右に出るものはない。私がスイカを食べ始めるのは旬の時期ではなく、ずっと遅く晩夏を迎えて市場に品薄になる頃からである。そのころのがとっても美味い。未だに買い求めて食べているが、そろそろ手に入らなくなって寂しくなってきた。スイカの季節が終わると私の夏は終わってしまう。だから、もう少し手を尽くしてさがしてみる。せめてあと1-2ヶほど手に入らないだろうか?


9/29(金)快晴 患者家族面談打ち合わせ ドック説明+診察 県社会福祉審議会身体障害福祉専門部会
2:00起床、ドック判定総括x2、等.5:10病院着。6:20回診+病棟関連業務.8:00患者家族面談事前打ち合わせ。9:00人間ドック説明x1。入院患者対応。14:00ドック診察x5。15:00-16:40県社会福祉審議会身体障害福祉専門部会。回診再度、書類処理他。20:50帰宅。夕食、21:30就寝。

西島参議院議員に質問(3)自助努力を求め、最後は競争原理で病院つぶし
 9月23日の県医師会設立記念医学大会の記念講演で参議院議員の西島氏が講演された。私は3点について質問した。以下はその2点目の要旨である。

 Q2:日本の医療・福祉分野は統制的経済が行われているほぼ唯一の分野である。国民皆保険制度の中で診療報酬は極めて低く抑えられ、医師の技術に対する評価はなく、医療機関はマンパワーの確保にさえ困難な状況にある。しかも、非営利性、公共性を強力に求め、自助努力の中で効率性と安全性という両立不可能な機能の充足が求められている。また、保険診療の中で診療の自由度は極めて狭く、よりよい医療のためには保険診療の対象外の機器等を、医療機関が自腹を切って行わなければならない。また、診療に関連しての消費税の大部分は医療機関側が患者の替わりに国に支払っている状況にある。

 医療機関は今まで目まぐるしく変わる国の方針のあおりを受けながらも必死に政策に協力してきた。そのルーツは国民皆保険をまもり、国民に良い医療を展開するためであり、医療従事者の権利と生活を守るためでもあった。しかし、国は医療福祉の分野を国の経済運営の調節弁として用いてきている。例えば、今、国が進めようとしているDPCは医療の合理性を一層進めるもので、病める患者や医療機関の立場に立ったものではない。しかも、その運用面においては調整係数なるものを国が自由に設定することが出来る仕組みになっている等、まだまだ問題点は多いが、診療報酬をさらに締め付けてDPCへの誘導を諮っている。

 このような統制の中で医療機関は厳しい運営を強いられて来たが、最近は医療機関同志互いに競争し合うような政策誘導が諮られ、熾烈な生存競争を展開せざるを得なくなった。その中で地域医療の底支えをしてきた中小病院、私的医療機関は運営が困難となり閉院の憂き目に遇っているところも少なくない。
 今、全国で勤務医が不足し社会問題になってきているが、これは国の医療政策の歪みが見える形になってきたと言うことである。

 今後の医療政策の中では、このような統制と淘汰を諮るような方向性であって欲しくないが、これについては如何か?

 A2:残念ながら西島氏からは明快な回答は得られなかった。


9/28(木)快晴  患者家族面談2件  外来  内科病棟診療部会議  秋田医療機関連絡委員会メンバー来訪 
2:30起床、やや寝不足感あり。ドック判定総括x1、紹介状x1等。5:10Taxi病院着、6:20回診、7:00入院患者家族面談、病棟業務.9:00-13:50外来、13:50-14:50内科病棟診療部会議。15:00-15:30秋田医療機関連絡委員会メンバー来訪面談。15:40-16:30入院患者、家族面談。以降は各種、業務書類処理。映画「待合室」の最終日で予定していたが業務に集中し失念。20:50帰宅。21:30就寝。

過ぎ去る夏を惜しみ、夏にしがみつく(1)エアコン
 私は四季の中では圧倒的に夏が好きで、特に、炎天下の日差しの中で汗を流しながら過ごすのが好きである。私にとっての夏のイメージは、麦わら帽子、ランニングシャツ、半ズボン、草履姿であり、汗びっしょりの寝苦しい夜も、夏だからこそ当然、決して悪くはない。

 子供達が小さい頃は夏は友人の別荘を借りて数日海辺で過ごすこともあったが、それぞれいなくなってからはその習慣も途絶えてしまった。また、私は年と共に時間に追われる生活になってきて、ゆっくり夏を味わう事もなくなった。これはかえすがえす残念なことである。

 毎年盆の墓参りの時期を迎えるといち早く秋の息吹を感じ取って愕然とし、慌てていろいろ反省してみる。今年の夏は私は一体何をやって過ごしたのだろうか?森にも近づかず、川辺に立つことも、海辺に立ち海水で足をぬらすことも一度もなかった、会議や診察の時間以外は殆どディスプレイに向かっていただけではなかったのか?などなど。今年は特に病院の自室では天井の灯りも点けずスポットライトの中で過ごしたから季節感のなさは一入であった。

 夏らしいことをしたといえば、自室のエアコンのスイッチを一度も入れずに、汗を流しながら仕事をした事かな?
 この習慣は副院長になって一人部屋になってからはずっと続いている。秋田の夏程度では私にはエアコンなんて不要である。換気扇も3年以上一度も回したことがない。換気扇の音は耐え難いから、である。
 自宅のエアコン、もともと殆ど使わないが今年は試運転すらしなかった。だからまともに動くかも分からない。車のエアコンは短時間なので車任せである。

 過ぎ去る夏を惜しみ、夏にしがみつくために今年もいろいろ工夫しているが、秋がどんどん迫ってきた。私は夏らしさをもっと味わいたくて今も焦っている。


9/27(水)雨 外来 県医師会理事会 安田火災と面談 医療連携セミナー+情報交換会
2:00起床。ドック判定総括x1、他。5:10病院着.6:20回診、病棟業務。9:00-14:00外来。14:30病棟患者不調で対応、16:00-16:20県医師会打ち合わせ、16:30-18:00県医師会常任理事会。18:00安田火災と面談。19:00-20:30Castles医療連携セミナー。20;30-22:45情報交換会+α。23:00帰宅。23:15就寝。

西島参議院議員に質問(2)日本の医療は医師らの犠牲の上に成立
 9月23日の県医師会設立記念医学大会の記念講演で参議院議員の西島氏が講演された。私は3点について質問した。以下はその要旨である。

 Q1:日本の医療費は国際的に見てとても安く、国民一人あたりの医療費は第7位、GDP費で見て第19位である。先進国の中では最低の経費でありながら、健康寿命、平均寿命は世界一を達成していることなどから、これまではわが国の医療はとても効率が良いと評されてきた。

 しかし、私は効率がよいのではなく、医師を初めとする医療関係者の低賃金と長時間労働等の犠牲のもとに成り立っている、高くは評価すべきでない状況と考える。その背景としては、長い医局制度の中で「ものを言わない医師」「医師の常識、社会の非常識」と言われるようなバランス感覚を欠いた医師が養成され続けてきたこと、保険診療の中で著しく低く抑制されてきた診療報酬によっていると思う。アメリカに皆保険制度を設けようと視察に来たヒラリー・クリントンは「日本の医療は聖職者以上の自己犠牲を求められて、黙々と働く医師達によって支えられている」という評価、言葉を残し、アメリカでの皆保険制度の実施は到底不可能な夢でしかない、と諦めたという。  

 今、医師不足、勤務医不足が話題になり地域医療が崩壊しかかっているが、崩壊した医局制度から心身共に開放された若い医師達が劣悪な勤務状況に耐えかねて、自由な行動を取り始めたからである。それだけ、今までのわが国の医療は自由に行動も取れなかった医師達が外圧に耐えて維持してきたから成り立ってきた、と言いうる。従って、今後は更に維持困難になっていくと予想される。従って、今、政府とか都道府県がやろうとしている医師対策は姑息的な意味しかないと思う。
 今後の日本の医療制度改革は医療関係者の労働条件とかについてどの様な評価でどの様な方向性をたどると考えられるのか??

 A1 :これに対する西島氏の解答は「本来は医療のあるべき姿が先にあってその実現のために改革していくべきではあるが、経済が破綻した現在、経済主導型の改革にならざるを得ない。国民も、医療関係者も政府も応分に耐えなければならない・・・」とのことであった。総理就任当初の小泉総理の「三方一両損」そのもので、私は大いに不満であった。


9/26(火)晴れ  外来  法人常務会  医局プライマリーセミナー
2:00起床,ドック判定総括x2、 紹介状返事x1、主治医意見書他.5:10病院着.6:30回診+定期処方+病棟業務、その他。9:00-14:00外来. 14:30-17:00常務会,検討課題多数.17:30-18:45医局プライマリーセミナー、循環器疾患。21:00帰宅。21:30就寝。

病院満足度民間ランキング中通総合病院が県内1位!! 読売新聞が紹介   
 読売新聞の9月26日の秋田版に、私たちにとって予想外の明るいニュースが掲載され、驚いた。
 最近の医療に関する新聞報道は、医療事故とか療養病床の廃止や削減等の国の医療費抑制策、秋田県の医療機関ががん治療連携拠点病院の認定を受けられなかった話題など、明るい話題が乏しかった。久々の明るいニュースであった。

 記事の概要は以下の如くである。
 【100床以上の全国614病院について、満足度を調べた民間ランキングで県内の6病院で中通総合病院がトップとなり、全国でも56位と県内で唯一100位入りを果たした。調査は、千葉県浦安市の調査会社「ワード研究所」が2001年から2004年までに計4回、インターネットで実施した。「医師の技能」「薬の説明」「待ち時間」「衛生管理」など22項目を、3-6段階で評価してもらい、総合評価を5点満点で判定した。有効回答は計69850件であった。

 県内では、中通総合病院の3.94点がトップで、全国でも56位であった。

 同社は「満足度の高い病院は、医師が親切でわかりやすい説明を心がけるなど、患者への接し方の評価が高い傾向にある」と分析。全国1位は国立がんセンター中央病院の4.54点。東北圏内では、仙台社会保険病院が4.05点で全国23位、弘前市の健生病院が4.00点で同35位であった。】

 この様な調査結果やランキング記事、ランキング本などは数多くあるが、その大部分は内容的にどうかな?と思うものの方が圧倒的に多い。大体こういう評価のための情報の蒐集の方法は一定の基準がないから調査毎に結果は千差万別となる。少数の方々の意見によってランクが左右されているのもある。また、だれも結果に責任を取るわけでもないから、概していい加減なものである。

 話題がちょっと逸れるが、今春のがん治療に関するNHKの特集番組では数人の出演者の意見がことさら強調され、結果的に秋田県のがん治療のレベルがわが国の最低レベルである、との印象を視聴者に与えてしまったが、これに近い主観的論旨でまとめられた本もある。
 一方、ランキングは結果が全てで単純で分かりやすいという一面もあるから、新聞記事は注目度が高く、本は結構売れているという。この背景は、一般の方々にとって医療機関に関する情報が少ないためである。だから、医療機関は持てる機能に関する情報を積極的に発信していかなければならない。こういう事こそ、真の患者サービスである。

 私はこの様なランキング記事などについては興味もなく、斜に構えて「何だ?これは・・」という程度の見方、批判的な見方しかして来なかった。しかしながら、今回の如く自分達のところが高く評価されている場合には、理屈抜きに、無性に嬉しくなるから、私なぞ実に身勝手なものである。

 ともあれ、アメニティなどの面で大きなハンディキャップを抱えていながら、この様な高い評価が得られたことは全職員が当院の理念と基本方針に基づき日常の業務を行っているたまものである。感謝と共に、素直に喜びたい。


9/25(月)快晴 院内巡視 管理会議 療養病棟判定会議 長副会議 
2:00起床。ドック判定総括x2、身体障害診断書、メール返事他.5:10病院着。事務処理,6:20回診、他。8:00-8:45管理会議.9:00-10:10院内巡視。14:30秋銀来訪。16:00-16:30療養病棟判定会議。17:00-19:30長副会議。21:00帰宅、夕食、21:30就眠。

医療制度改革関連法案について、西島参議院議員に質問(1) 
 9月23日の県医師会設立記念医学大会の記念講演には参議院議員の西島氏をお迎えした。氏は「これからの社会保障」と題し1時間余講演された。医政関連の重要な内容、議員でなければ知り得ない数々の話題を、自らの業績を被せながら歯切れ良く述べた。政治家は常に次の選挙を見越して自分の業績をややオーバーに、力強く広言し続けなければならない、と言うことがよく分かる講演内容であった。

  講演から、今回の医療制度改革関連法案のうち、医療界、社会に大きな影響を持つ療養病棟削減、看護体制の変更などの施策は如何に唐突に発案され、提案され衆議院を通過したか、が理解できた。この法案は、結果的に参議院において21項目の付帯事項が付けられて通過し、成立した。この付帯事項に関わっての西島、武見の医系議員の働きは特筆すべきであろうが、一方ではこんなに付帯事項を必要とする法案は検討不足、法案としての不備であることを示している。今後、その問題点を突いて行かなければならない。

 私が現役の政治家に直接意見を述べる事が出来る機会はそれほどあるものではない。
 西島、武見の医系議員とは医師会関連の会合、選挙運動の場等で挨拶を交わす程度。2-3年ほど前に来秋した坂口厚労大臣とは昼食会でご一緒したことがあるが、もっぱら聞き役に徹し、2-3の意見を述べただけであった。昨年は東京の議事堂近くの新霞ヶ関ビルの日本医師会研修室で金田、二田他の秋田県選出の4人の議員と秋田県の医療事情について説明のための面談したことがあるが、この時は、秋田県からの選出議員といえども秋田県の厳しい医療事情など、殆ど興味外の小問題でしかない、と考えていることが理解出来た。こんな程度である。

 今回の西島議員の来秋はその意味でいい機会であった。講演後、私は以下の3点について質問した。

(1) 日本の医療は効率が良いのではなく、医療関係者の犠牲で成り立ってているが、今後改善される可能性は?

(2) 日本の医療は統制経済の中で運営させながら、最後は競争原理で淘汰を計っている。政府の方針には納得しがたい。
(3)数万人の看護師不足の中で、更に看護師の需要が増す法案は事実上の病院つぶしであり、競争原理の導入ではないか?


9/24(日)快晴  病棟拘束  FF tennis 
2:00起床、ドック判定総括x1、総括、紹介状ほか。病院委員会資料検討。9:30梅林園、10:00-13:30FF tennis、6-8,6-3,4-6とまたも敗退。書類処理ほか。15:30-19:30病院。19:45帰宅、夕食、20:50就眠。今日は家内60回目の誕生日で、昨年、サンスイプリメインアンプ突然死した日でもある。

歴史と音楽、ビールの街 ミュンヘン (2) 歌劇「カルメン」
 ミュンヘン国立歌劇場での初日はビゼー「カルメン」であった。座席はホールの壁面の2階席で右側。舞台全景の他にオーケストラピットの演奏も見ることが出来る比較的良い席であった。第一ヴァイオリン勝者の中に3人ほどの東洋人と思われる演奏家がいた。

 「カルメン」の指揮者は私にとっては聞いたこともない中年の方であったが、入ってきたときの拍手や歓声、観客の様子から地元ではかなり評価の高い方のように思えた。これが本場の味の一つなのだろう。

 私はこの作品はレコードやCDで聴く限りにおいては、勿論、楽しめる部分も少なくないが、全曲を集中的に聴き通すほどまでの魅力を感じていなかった。オペラのストーリーは情熱の女「カルメン」、優柔不断な兵士「ホセ」、清楚な娘「ミカエラ」を中心に繰り広げられる、喧嘩あり、牢獄あり、殺人事件あり、とどちらかと言えば男女のドタバタ劇であるが、実際に歌劇場で実演を見つつ聴くとやはり違うものがある。十分に芸術性豊かだと思った。目は舞台の登場人物に、耳はホール一日に心地よく響くオーケストラの音に釘付けになり、約2時間半、集中して聴くことが出来た。この演奏を聴いた後、家でCDでこの曲を聴く機会はこの20年間の間に僅か2-3回しかないが、記憶に残っている舞台の模様が思い出される。演奏そのもの、聴きながら抱いた演奏の細かい印象等の殆どはもう失われてしまったが、視覚から入った記憶は随分長く残るものである。

 この演奏の後、ガイドは短時間であったが一行を、繁華街のビアホールに連れて行ってくれた。ここは別世界であった。夜も更けたというのに中年の労働者風の方々が大勢、大声で語りながら大きなジョッキでビールを、ソーセージ等を楽しんでいる。良く雑誌等でみるあの光景である。中肉中背で痩せたヒトは殆ど居ない。実に陽気である。日本と違うのはジョッキであり、透明なガラス製のものはなく白を基調とした陶器製で、色とりどりのプリントが施され、金属の蓋が付いているものであった。小さなジョッキを取って呑んでみたが、味は濃厚で、日本の淡泊なビールしか知らない私の口には合わなかった。


9/23(土)秋分の日 快晴  秋田県医学会総会・県医師会設立59周年記念医学大会+懇親会 
2:00起床、ドック判定総括x1.総括・紹介状ほか。5:20病院着。6:20回診他病棟業務。9:00第73回秋田県医学会総会に出席、学術発表聴講、10:15-12:00シンポジウム「世界に語れる秋田県のガン治療」、12:00講師の白木教授を囲み昼食会。12:45特別講演(1)「小児の精神発達を妨げる因子の解析」村田勝敬秋大教授、特別講演(2)「インフルエンザの最近の話題」白木公康富山大学教授を聴講。15:00-15:50県医師会設立59周年記念医学大会、閉会の辞担当。記念講演は西島参議院議員「これからの社会保障」。3点について質問した。17:50懇親会、8年間担当した総合司会から解放した。中座し19:15病院に。21:00Taxi帰宅、21:30就眠

子猫殺し告白のエッセイが波紋呼ぶ。私も100匹ほど処分した(2)
 直木賞作家、坂東氏(48)のエッセイ「子猫殺し」はいろいろ波紋を呼んでいる。私は小学1年から高校卒業までの間に飼いネコが産んだ仔猫を100匹ほど処分した。また、小学校高学年時には鳩を襲ったネコを一匹惨殺した。
 仔猫の処分は、出産から3日目ほどがチャンスであった。この頃になると育児にいそしんでいる母ネコにも若干の余裕が出来、仔猫から短時間は離れるようになる。母ネコが空腹であることを利用して餌で母屋に誘導し、締め切った状態で食事をさせ、その間に予め掘ってあった穴に仔猫を埋めた。この間、僅か数分、これが最良の方法であったと今でも思う。母ネコは数時間の間、狂ったように仔猫を探すが、徐々に私の傍らで過ごすようになるが、1-2週間の間はちょっとした音にも敏感で直ぐに飛び出していった。不憫であった。

 翌日から8ヶの乳房が腫れてくる。痛そうな仕草が見られ、私は頻回にマッサージしてもみほぐしてやった。傍らでドタッと横になり要求することもあった。10日前後で徐々に乳房の張りも改善した。私これを年に2回、淡々と繰り返した。

 母ネコは、仔猫の匂いなどから私が仔猫隠しに何らかの関与していたのを気づいていたはずである。そんな表情でいつも私を凝視した。そんな表情を見る度に私も傷ついたが、やらねばならないことなのだ、と自分を納得させ、母ネコを慰めるしかなかった。当時の私には他の選択肢はなかったが、私はずっとこのネコに負い目を抱いていた。やがて彼女は老いてこの世を去ったが、私の中では生き続け、今でも毎日私と対話している。

 坂東氏(48)は、毎日新聞に寄稿し「私は人が苦手だ。人を前にすると緊張する。人を愛するのが難しい。だから猫を飼っている。(中略)。だから私が猫を飼うのは、まったく自分勝手な傲慢さからだ」と記載している。この辺は強く共感を覚えたが、いろいろ自分の立場を述べている後の下りは不要な気がする。何と説明しても他人には分かってもらえないだろうし、他人の評価などどうでも良いのだ、と思う。


9/22(金)快晴 家族面談 法人理事会
2:00起床、ドック判定総括x2ほか。5:10病院着。回診その他書類処理。本日は対外的予定なく、書類処理に集中。退院総括はことのほか時間がかかるもので2部程だけ。17:30-19:30法人理事会。21:00帰宅。21:30ブルックナーNo8聴きつつ就眠。

子猫殺し告白のエッセイが波紋呼ぶ。私も多数、100匹ほども処分した
 仏領タヒチ在住の直木賞作家、坂東眞砂子氏(48)が日経新聞8月18日夕刊に「子猫殺し」と題するエッセイを掲載、生後まもなくの子猫を崖下に投げていることを明らかにした。今月19日現在、日経には延べ1500件の意見がメールと電話で寄せられているという。この話は今月発行の文藝春秋でも取り上げられていた。更に、最近の新聞によると、タヒチを管轄するポリネシア政府は、氏を動物虐待で裁判所に告発するらしい。

 猫好きの、と言うより、一匹の雌猫に育てられたと自認している私はこの話に無関心ではいられない。 

 近所の家の飼い猫であったあるメスの子猫は、私を気に入ってくれたのであろう、毎日、遊びに来ては一定時間私の傍らで過ごしていたが、やがて終日離れなくなった。近所の家と家族の同意を得て正式に我が家で飼うこととなったが、その時に祖父から提示された条件は、居間より奥の座敷、応接間とかには絶対に入れてはならない、生まれる仔猫の処分も含め、世話は全て自分でやること、であった。

 それから13年間ほど、小学一年から高校卒業までの間、ほぼ一緒に過ごしたが、このネコは死の直前まで身ごもり出産し続けた。最初の出産は私の布団の中で迎えたが、当時の私は妊娠出産のことなど露程の知識もなく、全く気付かないまま子猫を不用意に殺してしまった。その時の母猫の表情は忘れられない。
 その後、年に2回、毎回4-6匹を産んだ。産気づく頃になると私のから離れなくなる。屋敷内なら何処までも付いてくる。頃合いを見て、離れた小屋に藁とかボロ切れを集めて産床を作り、私もその側でどてらを着込んで一緒に過ごした。産まれ始めると子猫の世話でもう親猫は私に付いてこなくなるから、私は自分のところに戻って寝た。2回目以降の毎回の出産は大体この調子であった。

 私にとって、つらいが、回避できなかった子猫の処分は、出産から3日目ほどがチャンスであった。私は12年間にわたって1、2回の例外を除き、毎回それをやり続けてきた。今思いだしても辛い。
 私は坂東氏を責める気持ち皆無であるが、彼女は自分の行為に理屈をつけすぎている。やらねばならないことなのだ、と一言言うだけで良いのだ。


9/21(木)快晴 外来 リハビリ病院との協議 療養診療部会
2:00起床,ドック判定総括x1、主治医意見書、5:10病院着。6:30回診、病棟業務。9:00-14:00外来、16:00-16:50リハビリ病院との協議。17:00-18:00療養病棟師長歓迎会。21:00帰宅、夕食、21:30就寝。

IBEX秋田大阪便が機材のオーバーホールのため2週間減便 
 先日の東京出張の際、ロビーの電光掲示板を見ていてIBEX秋田大阪便が今月後半2週間2便から1便に減便になっていることに気づいた。
 秋田からの便は過去にも函館便、福岡便などが利用率低迷で減便、撤退のコースをたどっている。一瞬、利用率低迷かな??と考えたが期間限定なので不思議な感じがした。

 IBEXエアラインの伊丹・秋田の一日2便は7月から開設された。大阪へ日帰りで往復できる利便性があって結構利用されている、と聞いていた。私も家内も一度ずつ利用したが何れも満席であった。時間表で調べてみると伊丹秋田、伊丹庄内、伊丹成田の往復6便が運休となっている。これから使用機材の定期整備のためなのだ、と気づいた。

 IBEX社は、前は確かフェアリンク社と言う名称だったと思うが、2000年(平成12年)8月から運行し始めた会社で、50席のCRJ100と200型機を各2機ずつ、計4機保有している。ちなみに2機は中古機、2機は新造機である。この4機で国内伊丹を中心に5路線、成田を中心に4路線運行している。
 こんな過密運行では機材の不調の時に、あるいは法に基づく定期整備、特に座席まで外して整備するとされるB(?)整備の時はどうするのか、これで安全確保は出来るのか? 私なりに些か心配していたからであるが、この疑問はこれで解決した。大手の会社なら機材に余裕があるから運休無しに計画的に整備が可能であるが、機材が少ない会社はこの様に運休せざるを得ない事になる。だから経営は決して楽ではない事が読み取れる。1機で運行を開始した2000年当時はどうしていたのか?と思う。

 この運休スケジュールから一機が一日3〜4往復それぞれ伊丹、成田から利用されていることも間接的に分かった。

 CRJ200型機は世界中で既に1,000機以上利用されているカナダ製のベストセラー機で、日本ではJAL系列のJ-AIRが5機、IBEXが4機運行している。安全面でも優れているとされているが、3週間ほど前、アメリカで短い滑走路に侵入し、離陸に失敗して日本人夫婦が犠牲になった事故はこの機種であった。


9/20(水)秋田・東京快晴  日医病院委員会
2:00起床。ドック判定総括x2。5:00病院着。6;00回診他。9:00病院発、10:55ANA.AirBus A320型機で満席。快晴の中終止小刻みの揺れがあった。北海道に抜けた台風13号の影響の残りか?13:30日医会館着。14:00-16:10日本医師会病院委員会。17:55JAL、MD-90型機で満席。19:05秋田着、19:45帰宅、夕食、20:30就寝。

がなり立て、うるさかった空港内、機内放送 BOSEヘッドフォン活躍
 久々の東京出張である。いつもの如く10:00発JALに乗るために空港へ急いだ。チェックイン時、10:55ANAであることに気づく。2週間ほど前に県医師会の担当者から航空券を受け取ったときに時間の説明もあった気がするが、先のことなので軽く聞き流し、完全に失念していた。早く気づけばやりたいこともあったのにと悔やんだがややむなし。運良く1時間の余裕が出来た、と考え持参の本を開く。

 この間、ANAは座席のオーバーセールスをしたのであろう、盛んに「本日満席のために14:30発の便への乗り換えのご協力をお願いします。協力金10000円をお支払いします」との呼びかけを10分毎ほどに繰り返す。カウンターでは搭乗券を持ちながら席が取れない乗客との間でトラブっているのだろう、アナウンス担当者も焦っているようで、トーンが高く、鋭く、かつ早口で、聴く側にしてみれば実に不快であった。大体、キャンセルを見込んでの座席のオーバーセールス自体が問題だし、1時間程度で次の便が出るならまだしも、10000円もらえても4時間も後の便に乗り換える客などいるものか、困ったものだ、と思っていた。
 私も2年ほど前、JALでオーバーセールスの被害にあって搭乗できず、会議に遅刻した事があったが、この時のカウンターでのやりとりを苦々しく思い出した。
 ところが,搭乗10分ほど前に「解決いたしました。ご協力有り難うございます・・・」とホッとしたような声でのアナウンスがあった。協力者が出たらしい。「窮すれば通ず」と言うことか。このときは静かで良い声であった。更に、機種はAirBus A 320で安全装備の説明は乗務員の実演である。この説明の機内アナウンスなどもボリューム過剰であった。

 この間、私は愛用のノイズキャンセラー機能付きのBOSEのヘッドフォン「QuietComfort2」を用いていたのでこの程度の感じ方で済んだが、それでも実にうるさかった。何でこんなにうるさいのだ、音の暴力である。一般に、駅も空港も、機内も、車内もうるさすぎる。掲示板を更に活用し放送は緊急時だけにして欲しいものである。
 BOSEのノイズキャンセリング・ヘッドホンに、新型の「QuietComfort3」が発売される。耳を覆わないオンイヤタイプとのことで値段も47000円と5000円ほど上がっているが「QuietComfort2」より機能が向上していれば私は迷わず購入する。どこかで試聴してみたいものだ。


9/19(火)曇り  管理会議  外来  法人常務会     療養病棟判会議(欠) 医局MC:精神科救急
 
2:00起床,まだ体調不良。ドック判定総括x1ほか.5:10Taxi病院着、6:00回診、定期処方発行、8:00-8:40管理会議、9:00-14:00外来。終了間際になってやっと体調が戻ってきた。体調が不調の時の外来は実に辛い。14:30-16:40法人常務会。16:00からの療養病棟判定会議は欠。長副会議は行わず。医局MC:精神科救急、21:00帰宅、21:30就寝。

風鈴の音をうるさいと感じる子供達  情緒育成には情緒豊かな環境が必要だ 
 先日、たまたまラジオを流していたところ、最近の子供達のかなりの部分が風鈴や鈴リンの音をうるさい、と感じるという調査結果が報じられていた。私は些か驚いた。その一方ではTVのがなり立て、大騒ぎ、コンピューターゲームの刺激音などをあまり不快と感じないのだそうだ。日本は情緒を大切にしてきた国民だと思っていたが、この近代化の中で遂にここまで来たのか・・・という感じである。

 情緒、これは良い言葉である。ここで言いたい情緒というのは喜怒哀楽とかのように、もともと人に内在した生きるためのモチベーションになりうる感情、感覚のことではなく、ちょっとした事象に触れた時に心の中に起こって来るさまざまの微妙な感情,想像の世界・・などの事である。

 勿論、前者の感情も教育や環境の影響は受けるであろうが、基本的にはその人に備わった性格に左右される。これに対して後者の情緒というのは生活を通じて人から教えられ、徐々に身に付いていくもので、何時しか、何かの機会にその価値に気づき、自分で更に求めて磨きをかけて発展させるような微妙な感覚のことである。この感情は、殆ど内在していないとされ、大部分が教育の過程で、あるいは情緒豊かな環境の中で身に付いていくものであろう。この辺の詳細は私にも明快には分からないが、分からなくても良い分野のような気がする。

 真夏の熱暑の中、廊下の隅に吊した風鈴がチリリーンと鳴る。この音が風を予想させ、心に涼しさを感じさせてくれる、このような情感を大切にした生活や習慣、それが日本特有のものなのではないか?と思ってきたが、この感覚は教えられなければ育たない。

 日本庭園の技法の一つに水琴窟と言うのがある。洞窟内で水滴が落ちると微妙な反響音が発生するが、この反響に似た音を庭園内で楽しむために工夫されたもので、手水鉢の下の地中に大きな陶製のカメを埋め込み、手水に用いた水の一部がしたたり落ちた反響音を楽しむものであるが、これなど情感を刺激する最高の傑作の一つではないのだろうか、と思う。

 一昔の如く、場合によっては4代にもわたる広い年齢層の家族が協力して暮らしていた頃、このような情緒的な教育は主として高齢者が担っていた。今はこのような環境で育つ子供達はほんの一握りでしかないことを思うと、風鈴の音をうるさいと感じる子供達が出て来るのもやむを得ないのかも知れないとも思う。
 しかし、実に寂しい限りである。


9/18(月)敬老の日 台風13号の影響か風雨 病棟拘束 終日体調不良
2:00起床,ドック、紹介状追記、代議員会用原稿準備。朝方から微熱、鼻汁、全身倦怠感、違和感あり。いつもの風邪だろう。本日一日、仮眠、業務、仮眠、業務と繰り返しつつ、かつ、奥にしまい込んだレコードを出して楽しみながら自宅で過ごす。病棟は電話連絡で済ました。18:00長女離秋。20:00夕食、20:30就寝。この時点でまだ微熱、身体の節々の疼痛があってまだ不調であった。

気の毒であった仙台の弦楽四重奏団  宴会の席には相応しくない企画
 一昨日は東北医師連合の第60回目の節目に当たる記念すべき会であった。16日18:00から情報交換会、言い換えれば、懇親会が盛大に催され、私も参加した。全部で200人近くもいたであろうか。正面に向かって左の脇には譜面代と椅子が4脚用意されていた。私はてっきり笛とか太鼓とかで座を盛り上げるものと予想した。挨拶や乾杯も終わり出席者が歓談し始め、喧噪になり始めたときに、何と入場してきたのは弦楽四重奏団であり、これは極めて拙い企画だと思った。

 宴会の席とかで、もしこの様な企画をするのであれば、少なくとも始まる前の待機時間に演奏させるべきである。宮城県医師会の執行部は会を格調高く演出しようと考えたのかもしれないが、恐らく執行部の方々の中に格調高く音楽を嗜んでいる方は一人もいないのではないか??と思ってしまった。この様な宴会の席でのアトラクションは大音響で話も出来ないほどの太鼓とか三味線とか、笛とか、場合によってはエレキバンドでなければ駄目なのだ。秋田で言えば「わらび座」合奏団、舞踏団が良い。あえて格調を求めるなら、ピアノを含んだ合奏なら打楽器的要素もあるから若干は良いかもしれない。最も相応しくないのが弦楽四重奏なのだ。

 彼ら、彼女らは喧噪の中で「アイネクライネ」を先頭に数曲演奏した。私は遠くで耳をそばだてて聴いていたが、なかなかの実力であり,うるさい中でもそれなりに楽しめたし感心した。仙台フィルハーモニー交響楽団のメンバーであろうか。数曲演奏し終わって彼らは退場したが、私は早く終わって良かった、と心から安堵した。誰一人として聴いているとは思えない状況で、彼らの演奏家としてのプライドは大きく傷ついたであろう、実に気の毒であった。

 15分ほどして、何と、彼らはまた入場してきて演奏を始めた。第二部である。誰も彼らが出入りしたことすら気づいていない様子である。
 私はこれ以上後ろで聴いているのに耐え難く、彼らの演奏するまん前に一人陣取って第二部の数曲の演奏を聴いた。なかなかの音色である。楽器が良く鳴っている。後に秋田県医師会の次長が傍らに来たから二人で聴いたことになるが、ホントに二人だけでないのか?真面目に聴いたのは、と思った次第である。

 企画した方々の反省を促したいし、医師会の会合と言うことで引き受けたであろう演奏者の4人には悪夢のような演奏環境で受けたショックから早く立ち直って欲しい。
 同好の一人からのお願いである。


9/17(日)仙台・秋田 曇り  第60回東北医連総会(二日目)
2:30仙台プラザホテルにて起床、持参のドック判定総括x1、退院総括x1。あとは本読み。7:00葉っぱとコーヒーの朝食、9:30-12:00総会+武見、西島両参議院議員挨拶+唐澤日医会長講演「日本医師会の現況と課題」。会長代理で昼食会に出席。13:00シンポジウム1「地域医療
?医師の地域偏在」。14:40シンポジウム2「災害時の医療連携」。16:38こまちにて帰秋、回診他。20:30帰宅、21:30就寝。

歴史とビールと音楽の街ミュンヘン ミュンヘン国立歌劇場(1)
 ミュンヘンはドナウ川の支流イザール川沿いに開けたドイツ第3の都市である。町の建設が始まったのは12世紀だというから、歴史の街である。その当時、この地に修道院があったため,「修道僧」を意味するミュンヘンという町の名が生まれた。
 1506年にバイエルン公国の首都となり、基本的には商業都市であったが30年戦争で疲弊し、1634年のペストの流行で人口が2/3に減少した。1806年バイエルン王国の首都となり、その後、19世紀前半のルートヴィッヒ1世の時代に黄金時代を迎えた。この国王の芸術に対する病的ともとれる愛情と情熱が、ミュンヘンを偉大な文化と芸術の都へと成長させたとされる。

 ミュンヘンは19世紀中等頃から教育都市、博覧会、国際会議、観光都市となった。市街は時代の流れを反映して18世紀までに作られた旧市街地、ルートヴィッヒ1世の時代に拡大した地域、それ以降に拡大した地域、大戦後に作られた市街地という風に円形に外側に向かって拡大している。また、世界的に名だたるビールの生産地でもあり、政治的には1920年代にヒトラーの政治的加圧道の舞台になった。また、1970年代初頭のオリンピックではテロ事件が生じたことも知られている。

 到着翌日、観光バスで一日かけて市街を見て回った。街の中央部にいると中世にタイムスリップしたかの如くの印象であるが、外側に広がった近代的市街地はオリンピックスタジアムを始めをする超近代的な都市となっている。

  ミュンヘン国立歌劇場は19世紀に国王によって造られ、ワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」の初演が行われたところである。
 ミュンヘンは音楽好きにとって、ワーグナーを好むものにとって特別の街である。万策尽きたワーグナーは奇跡的に即位直後の18歳のルートイッヒ2世によって救われ、手厚い庇護のもとに「トリスタン」「マイスタージンガー」「ラインの黄金」「ワルキューレ」などの次々と作品を世に出したことで知られている。王は政治的な行き詰まりから次第に精神に異常を来し、芸術と宮殿建設に逃避し、一層ワーグナーに心酔していった。結局、ワーグナーは王からの援助を受けていたが王の希望を裏切り、バイロイトに劇場を建設し「指輪」の初演を行った。世界で最も美しい城と言われるネオロマネスク様式のノイシュバンシュタイン城は王の幻想趣味を形に表したものという。王は最終的にはシュタルンベルク湖に身を投げた。
 ミュンヘン国立歌劇場では2晩オペラを聴くことが出来た。


9/16(土)秋田快晴・仙台雨 病棟拘束 第60回東北医連総会+学術大会(初日)+情報交換会
1:20起床、ドック判定x1、紹介状他。5:00出勤、6:30回診、病棟業務.12:01こまちにて仙台に。14:30-16:00仙台プラザホテルにて第60回東北医連総会の医療保険担当理事連絡協議会に出席。16:20-17:40市民公開講座「地震災害時の人的被害とその予防について」、「地震災害から自分と家族を守るために
?地域医療と地域自主防災の役割」。18:00から情報交換会、途中退席、そのまま同ホテルに宿泊、本読み他、20:30就寝。

書評 江國香織著 「とるにたらないものもの」 集英社文庫 2006年5月とるにたらないものもの
 結論:ホントにタイトルにある如く、「とるにたらない本」であったが、読み終わったら何故かこの作家の他の著作を読みたくなった。

 2006年9月16日は仙台出張であった。新幹線の中で何か読むものないか?と見回したら、家族の誰かが読んだのであろう、書棚に上記のエッセイ集があり、とりあえず鞄に入れた。江國香織と言う方は名前も聞いたことのない作家である。気楽な読み物としてエッセイは嫌いではない。それに思いがけず良い本の場合もある。

 カバーに編集部の紹介文なのだろうか、「とるにたらないけれど、欠かせないもの。気になるもの。愛おしいもの。忘れられないもの--------。輪ゴム、レモンしぼり器、お風呂、子守歌、フレンチトースト、大笑い…etc。そんな有形無形の身のまわりのもの60について、やわらかく、簡潔な言葉でつづられている。行間にひそむ想い、記憶。漂うユーモア。著者の日常と深層がほのみえる、たのしく、味わい深いエッセイ集。」とある。どんな内容なのか、と楽しみに新幹線の中で読み始めた。
 
 が、1,2編目からちょっと落胆した。この紹介文のごとくやわらかく、簡潔な言葉でつづられている。ただ、行間にひそむ想い、ユーモア、著者の日常と深層等については私の感想は100%異なる。全く見えてこないのだ。筆者の心の行間が広すぎて私がの感覚では前後が繋がらない箇所がいくつもあった。だから、楽しくもない、味わい深くもない、独りよがりの心象を綴ったエッセイ集との印象であった。そうはいっても私は途中で投げ出さない。何か、どこかに共感できる部分があるのではないか?と期待しつつ最後まで読み切った。結局、何も見つからなかった。ただ、これが女性の感性なのか特性なのか分からないが、私なら決して取り上げないようなちょっとした物品や事象を取り上げて記述していることには感心した。

 読んでる途中から、この作家に対する興味が沸いてきた。カバーの記載によると、江國香織氏は1963年、東京生で、小説、童話、詩、エッセイ、翻訳など、幅広い分野で活躍しているとのこと。『泳ぐのに、安全でも適切でもありません』で第15回山本周五郎賞、『号泣する準備はできていた』で第130回直木賞を受賞、とある。一切知らなかったがたいしたキャリアである。
 するとこの随筆は何なのだ??と新たに疑問が沸いてきた。別の作品読まずしてこの本を即断してはならないのだろう。早速明日なじみの書店に文庫化した彼女の作品を2,3冊注文するつもりである。 その意味で、価値のあるエッセイ集であった。


9/15(金)晴れ ドック結果説明、ドック診察
2:00起床、ドック判定総括x1。退院総括x1.5:10病院着、6:10回診、事務処理他。9:00人間ドック結果説明。13:30ドック診察。入院患者対応。21:00帰宅、夕食、22:45就寝。長女帰省。

看護師不足に医療制度改革が拍車(3)フィリッピン看護師が来る? 
 今年8月上旬、大館市の秋田看護福祉大に東京大学附属病院の職員が訪れ、福利厚生や教育研修体制などを語り、就職PR活動をしていったとのことである。秋田看護福祉大では、昨年度は求人が年間で280件ほどだったのが、今年は首都圏からの求人を中心に8月上旬の時点で既に300件に達した。このままでは1000件近くにもなりそうと関係者は驚いている。

 首都圏の攻勢を受けて、県内では危機感が高まっている。秋田県病院協会は8月初め、来春卒業予定の県内の看護学生を対象とした合同病院説明会を開催した。今年で5回目だが、従来は病院の情報提供が主だったが、今回は何とか秋田に残ってほしいという意気込みを持って臨んだという。
 病院側も採用試験は筆記をやめ、面接と作文のみにしたり、年齢制限を引き上げたりと工夫をしているところもある。
 どちらにせよ、県内の来年度の看護師不足が心配である。

 更に、もう一つの問題は、県内の、と言うよりも秋田市内の医療機関間での異動も目立つ。秋田市内には設立母体の異なる大規模・中規模病院があるが、われわれの病院から公立、公的病院へ移る若手、熟練の看護師も少なくない。あからさまな引き抜きがあるというわけではなく、正当な募集に応募しての結果の様であるが、すべて秘密裏に進み、退職間際になって事が判明し、不快な思いをすることも少なくない。私どもは看護師の養成にかなりの資金、マンパワーを投入している。尤も、看護師だけの問題でなく医師の場合も、コ・メディカルについても同様である。

  もう一つの話題。9月9日、小泉首相とアロヨ大統領がヘルシンキで会談し、フィリピンの看護師などの受け入れを含む経済連携協定(EPA)に署名した。看護師については●日本の国家資格取得 ●日本語研修実施 ●日本人と同等以上の報酬 ●看護師の受け入れ枠は当初2年間で400人を上限とする・・等の条件になっている。

 わが国の看護師が不足していることは明らかであるが、安易に外国人看護師を受け入れるべきではなく、慎重に対処すべきである。国内の看護職の人材確保をより優先して解決することが重要である。国は従来から看護師養成に消極的であった。方針を変えるべきと思うし、約55万人と推計されている潜在看護職員の復職にまず力を注ぐべきである。


9/14(木)晴れ 外来+ドック結果説明 No2支援チーム会議   
 2:00起床。ドック判定総括x1、紹介状返事等.5:20病院着、6:20回診ほか。9:00-14:00午前外来+ドック結果説明. 17:00-19:00支援チーム第2回打ち合わせ会議。以降机上業務、21:00帰宅、夕食、21:30就寝。

看護師不足に医療制度改革が拍車(2)地方から若い看護師がいなくなる

本年4月の医療制度改革で、政府は看護師を手厚く配置した医療機関の診療報酬を大幅に引き上げた。看護師数を一定以上にした場合に入院基本料という健康保険上の診療報酬が引き上げられ、病院経営が小幅ながら潤う。小幅と言っても3.16%の診療報酬の引き下げによる打撃から経営を守るためには救いの神の様なものである。
 従って、マンパワーや運営状態に比較的余裕がある関東・関西地区にある大学病院などの大規模病院は経営状態の更なる改善を目指して数100人単位で看護師を大募集している。その一例、東大病院は来春採用予定の看護師数を新卒・中途合わせて300人と設定した。例年の約2.5倍増しで、採用試験も仙台市など地方都市でも行う、と言う。養成所卒業見込みの学生、若い看護師達にとっては売り手市場の魅力ある条件になっている。

 この、病床あたりの看護指数を増やすという施策には見るべき点も無いわけではない。

 しかし、我が国では看護師数が大幅に不足し、多くの医療機関、医療現場では看護師確保に難渋している。こんな条件下の中でこのような施策を行えば、都市部に看護師が集中し、結果的に地方の看護師需給のバランスは乱れていく。更に、中小病院、私的医療機関の看護師確保は一層困難になっていく。

 この4月の医療制度改革ではこれと同時に介護型療養病床の廃止が決定されている。これによって療養型医療機関のかなりの部分が閉院とか他の福祉施設への転換を余儀なくされる。これだけでも数10万床の病床削減になる。このことと併せて考えれば政府は医療供給体制を一気に再編成しようとしているように思えてならない。しかも、看護師の奪い合いという競争原理によって弱小病院を淘汰しようとするものである。

 地方では子育てにも税金を多く投入している。さらに、地方の医療を自分達で守るためにかなりの資金と労力を投入して看護師を養成している。しかも、公的養成機関が少ないために医師会も身銭を切って養成して何とか確保している。それを、中央の医療機関が吸い上げていくとすれば、看護師確保は弱肉強食の世界と化すことになる。都会の論理は地方にとっては恐ろしい吸血鬼の如くに感じられ空寒くなる。東大の職員達はこのことを何と考え、秋田まで血を吸いに来るのか??
 
 このままでは何とかバランスを保ってきた地方の医療は、医師不足と看護師不足によって崩壊していく可能性がある。
 この状態を日本医師会は何と考えているのか?見えてこない。10月の代議員会で質問しようかとも考えている。


9/13(水)快晴 外来 県医師会常任理事会 第2回地域ガン連携病院関連会議 院内感染対策委員会(欠) 
2:00起床、ドック判定・総括x1、3:00病棟より電話、患者不調にて出勤。患者は死亡された。そのまま業務に。紹介状等の書類処理。6:15回診ほか。9:00-14:00外来+ドック診察。16: 00県医師会へ。16:30-18:10県医師会常任理事会。18:15-19:40第2回地域ガン連携病院関連会議。病院業務若干、21:00帰宅、21:30就寝。

JALとANA この業務成績の違いは何なのだ?(3)
 JALはここ1-2年、事故にまでは至らないものの小トラブルが続き、安全管理の面で不安の声も上がっていた。各部署毎の自発性もコントロール機能までも欠如したのだろうか。
 更に、半年ほど前だろうか、経営陣の中から社長罷免の声が挙がり、経営陣内の厳しい不協和音も明らかになった。一方、JALでは退職積み立て金の不足が数千億円もあって、既にのっぴきならないほどの債務超過に陥いり、厳しく追い詰められた状態に至っているのではないか?と言う見方もあるようだ。これが真実なら厳しい事態である。

 それを裏付けるような事象も明らかになっている。
 今年、JALは株主総会で一言も触れず、2日後に全発行株の30%にも相当する7億株もの増資の公募をした。このニュースは社会、経済界に驚きを持って迎えられた。私はこの方面全く不案内であるが、これほどの規模の増資は会社の運営上の大きな転換であり、本来なら前もって株主に知らせるべき事なのだそうだ。だとすれば、直前の株主総会で一言も言わなかったというのは、どう考えても不思議である。何故なのか?と思う。
 この増資はもう完全に準備が整った状態にあるので、株主総会で紛糾したり、否決されたら大変な事態になり、執行部の失態になることから、報告無しに強行したと言う見方もある。真実は分からないが、どちらにせよ不自然さは免れ得ない。

 また、4-7月の四半期で赤字が数100億円レベルだから、このままでは今期は1000億円近い赤字になる。この事態をどう立て直すのか、経営陣のお手並み拝見だが、不協和音も未解決、株主総会をやリ過ごした経営体質にはそれほど期待は出来ない。また経営陣交代があるかも知れないが、誰も本気で取リ組まない様な旧態依然としたお役所体質で人事交代が続くような状態では、この先JALは何となるのだろう。
 こんな問題には従来殆ど興味はなかったが、最近若干興味が湧いてきた。JALは日常的に乗っていて身近な存在であるが、安全の確保の面を含めて些か心配である。会社自体の運営、行き方などは対岸の火事の如くに遠い世界のことであるが、決して人ごとではない。そんな気持ちからなのだろう。


9/12(火)快晴 外来 法人常務会 医師面談 医療安全に関する全体学習会+情報交換会
2:00起床,ドック判定総括x1、その他。5:10病院着、6:00回診、定期処方発行。9:00-13:30外来.病棟患者対応。14:30-15:40常務会、16:30医師面談。17:30千秋会館へ、18:00-20:00医療安全全体学習会、水島弁護士講演「医療訴訟のリスクファクターとその対策」。情報交換会(濱のや)。22:20帰宅、23:00就寝。

何でこんなに迷惑メールが多いのだ?? 連日70本も来る
 私はパソコンの前に座る度に、また、仕事が一段落する毎にメールチェックする。ここ10数年来の習慣、日課となっている。メールは実に便利であるが、ここ2-3年は迷惑メールに悩まされている。最初の頃は数も少なかったが徐々に増え続け、最近では一日に70本も来ることがある。

 最初は無知なこともあって「以後送信不要」のチェックを入れて返信していたが、「その返信自体が相手の思惑で、返信した相手には次の手を打ってくる」、と教えられてからは一切、手を付けていない。添付ファイルを開いてみることも一切ない。ただひたすらゴミ箱に捨ててクリアするだけである。

 迷惑メールの多く、恐らく80%以上、はいわゆる「出会い系メール」と言われるものだと思われる。残りは「金儲け関連」のようである。本当にこんなものを真面目にアテにする人がいるのかな??と思う。ただ、新聞の社会面に載っている事件の記事にこのようなサイトへのアクセスが切っ掛けになったとの記載が時折見られるから、数打てばあたるのだろう。

 家内のパソコンには殆どこのようなメールは入ってきていない。私に何でこんなに多いのか??と疑問を持っているが、ホームページ開設しているから、とのことらしい。ならば仕方があるまい。

 対策としてメールソフトの「迷惑メールガード」を最大の感度に設定した。これはなかなか良い。能率良くゴミ箱に捨てられる。しかし、「迷惑メールとして扱わない」とまだ設定していない方からのメールにもマークが入る。だから、重要な連絡メールも知らず知らずに捨てているらしい。問い合わせがあっても、もう既に跡形もなくなっているから確かめようもない。こんな時には平謝りである。だから最近は「迷惑メール」の中に混じっている「迷惑でないメール」を探しだし、「以後は迷惑メールとして扱わない」と設定するのも重要な日課の一つとなっている。便利と裏腹の不便である。


9/11(月)雨のち晴れ 管理会議 院内巡視 ドック結果説明 療養病棟判定会議 長副会議 9.11同時多発テロから5年経過
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:30起床。ドック判定・総括x1。メール送付数件、書類処理,5:10病院へ、6:30回診他病棟業務。8:00-8:45管理会議、9:00-10:30院内巡視、同意書関連のチェック。13:30ドック結果説明x1。病棟業務。16:00療養病棟判定会議x1。17:00-19:15長副会議、20:50帰宅、夕食、21:15就寝。

全館禁煙から敷地内禁煙に(5)禁煙支援チーム発足
 喫煙は単なる嗜好等ではなくニコチン依存症と言う疾病である。個人的自覚や努力による離脱は困難で、70%ほどは医療的な立場からの支援、治療が必要とされている。依存症になるのに大した時間は要らない。高校生に行ったアンケート調査で、友人に勧められて気軽に吸い始めたものの、今では止めたくとも止められない、悩んでいる、との答えがかなりの頻度で認められる。

 喫煙は健康状態を悪化させる。あらゆる疾患の治療に際しても有害である。メリットは一切ない、と言い切れる。喫煙者は数々のメリットを挙げるが、私は傾聴するが、理解できないし、しようとも思わない。ましてや、他人に煙を吸わせる事は社会人として良識を欠く行為である。その意味からも医師は最も強く喫煙を勧めることが出来る立場、勧めなければならない立場にあると言える。医療機関は禁煙を進めるべき施設ということになる。

 当院は2004年4月から全館禁煙として一定の効果を上げてきたが、次のステップに踏み出すための機が熟したと言えよう。2007年1月から一歩進めて敷地内禁煙となる。
 敷地内禁煙と言うことは、単に禁煙の領域を建物から敷地内に広げると言うことではないし、喫煙者を病院のエリアから閉め出す事が目的ではない。これを機会に、当院が禁煙推進医療機関であることを宣言し、従業員、出入りの業者は勿論のこと、外来患者、入院患者に対しても積極的に禁煙を勧めていくと言う、大きな一歩を踏み出すことを意味している。

  ここ数ヶ月、私は早朝5:15ころ、正面玄関脇で喫煙している患者やその家族にこの場で吸わないよう注意をしている。最近、この時間帯にそこで吸っている人を殆ど見かけなくなったが、恐らく他の場所に移っただけだろう。禁煙指導は単に呼びかけでは効果は不十分である。指導には専門的な知識と技術、熱意が必要である。さらに、そのサポートとしての敷地内禁煙である。したがって、敷地内禁煙実施の前に禁煙支援チームを設置して活動を開始する。

  具体的なプロセスは、禁煙支援チームの計画案を待つことになるが、以下の様になるだろう。●当院が禁煙推進医療機関であることを内外に宣言する。●職員に対し、禁煙の更なる啓発と指導を行い、病院敷地、病院周辺での喫煙を禁止する。場合によっては、ペナルティも考慮する。●出入りの業者に対しても職員同様の協力要請、指導を行う。●周辺の駐車場他にも協力を要請する。●外来患者への指導を強化する。●入院誓約書や入院案内にも明記し、入院患者には喫煙習慣の有無を必ず問い、当院が敷地内全面禁煙でありことを十分説明し、入院期間中の禁煙を確約させる。●禁煙が困難または無理との場合には禁煙支援チームが関与することの了承を得る。●敷地内禁煙に協力できないと明言する患者は、ほかの医療機関に紹介する。

 禁煙支援チームの人選も大体固まった。来週の会議の協議を経て発足する事になる。当院の禁煙に対する姿勢が、社会の健康のために役立つことを私は期待している。


9/10(日)曇り→雨  病棟拘束 FF tennis(1ゲームのみ) プリメインアンプ購入
 2:30起床、ドック判定・総括、新聞チェック、本読み。10:00-10:30梅林園FF tennis、1ゲーム1-0の時点で激しい降雨で中止。帰宅後若干睡眠追加。午後,ちょっとした話題から発展しONKYOの小型のアンプA-905FXを購入。今のメイン機種は18年使用したKENWOODのアンプ類が不調でしばらく用いていなかったが、お陰で機能が復活し、楽しみが増えた。20:30帰宅、夕食、21:00就眠。

自伝 秋田大学時代自伝 秋田大学時代 ヨーロッパオペラツアー(3) ハンブルグからフランクフルト乗り換えミュンヘンに
 詳細は忘れてしまったが、ハンブルグ国立歌劇場での二晩のオペラを通じてオペラは地元に根ざした文化であることが十分に感じ取れた。歌劇場自体は市街の中心部に近いところにあり、広場の中に独立していると言うよりは街路の並びにあって、正面玄関などあるか否か分からない様な地味な作りであった。 
 入り口は目立たず、ちょっとした古いビルに入っていく、と言う雰囲気で、歌劇場の全貌は見ることが出来なかった。一度中に入れば、ヨーロッパの歴史を感じさせる作りであった。メインホールは舞台に向かって半円形に並ぶ。横一列の椅子の並びに適宜縦の通路があるのだがこれがとても少ない。私は前列から10列目ほどのやや左よりの中央だから座席にたどり着くまで、あるいは観客が入ってからの移動は大変であったが、不快な顔もせずサッと立ち上がって通してくれたのが印象に残っている。

 歌劇場は残響もやや長めなのかとても良い響きがした。歌劇場付きのオーケストラとこの響きが一体となっての安定した雰囲気が醸し出されているのだろうと思われた。少なくとも東京で聴いた歌劇場引っ越し公演との違いを感じ取った。

 ドイツ人は酒場等で結構はしゃぐのが好きと言われている。そのことはミュンヘンで雰囲気を十分味わったが、歌劇場はこれとは異なる、静かな雰囲気の社交場でもあるようだ。何処の歌劇場もメインホールの脇には相当広い空間が取ってある。オペラの幕間は30分も時間がある。その間、座席は殆どが空になる。多くの観客はメインロビーとかこの広場で、各々軽いアルコール飲料を楽しみながら歓談している。この時間を楽しみに来ているのではないかと思うほどの賑わいであった。広場の壁には絵画と共に歴代音楽監督、著明な客演識者達の写真がならぶ。今から一世代ほど前の、本でしか知ることの出来ない様な著明な指揮者の写真、記念すべき演奏会の舞台情景の写真もならぶ。これを見て歩くだけでも十分の値があったと思った。

 翌朝、フランクフルト空港乗り換えのルフトハンザ航空のエアバス機でミュンヘンに向かった。


9/9(土)快晴 残暑 療養病棟再編説明会  日医広報番組収録終了     情報交換会 家内ICU当直
2:30起床、ドック総括x1他。5:00病院着、6;30回診そのほか。10:30病棟患者対応。15:00秋田県・県医師会療養病棟再編説明会(県医師会館)、17:30日医広報番組収録終了情報交換会(濱のや)。17:50帰宅、20:30。21:00就寝.

看護師不足に医療制度改革が拍車(1)ねじ曲げられる看護師の需給バランス
 本年4月の医療制度改革で、政府は看護師を手厚く配置した医療機関の診療報酬を大幅に引き上げた。そのために、マンパワーや運営状態に余裕のある関東・関西地区にある大学病院などが経営状態の更なる改善を目指して看護師を一気に大募集している。
 もともと日本の医療機関では欧米先進諸外国の医療機関より遙かに少なく、米国の看護師の約半数でしかない。従って我が国の看護師の労務条件は厳しい。従って、医療機関における看護師数が緩和されるとすれば看護師自体、患者、医師にとっても喜ばしいことである。

 しかし、看護指数が充足している状況にある状況であれば施策としては問題がないが、まだ我が国では看護師数が大幅に不足している。その中での施策であり、若い看護師の大幅な偏在の因になるのは確実であり、看過できない。
 厚労省が策定した平成18年以降の5年間の第六次看護職員需給見通しが公表されたが、平成18年には4万1600人の不足と見込んでいる。このように、全国的に依然として看護師の需要は充たされていない。さらに、急速な少子高齢化、高度医療の進展、医療提供体制・介護保険制度の改正等により、看護職員を取り巻く環境は大きく変化し、看護職員の不足は今後も続いていく。厚労省は平成22年には不足数は15000人程度迄改善するとしているが、この予測には根拠がなく、問題がある。昨日、小泉・アロヨ大統領間でフィリッピンから看護師、介護士の導入が決められた。これも看護師不足が解決されず遷延していくからである。

 私は6年間にわたって日本医師会の「医療関係者対策委員会」の委員として、特に看護師の需給について検討を加えて来た。その目から見ると、厚労省のこの需給バランス調査自体に大きな問題があって、実態を反映していないと言わざるを得ない。その代表的理由は、●データと一つとして用いている病院の配置数見込み調査自体、信頼がおけない。●再就業者数を過大に見積もっており、平成22年の看護師の再就業者数を平成18年に比べて約2.5倍に見積っている。一端退職した看護師の再就業者の確保が如何に困難であるか、厚労省は現場の実情を把握せず、有り得もしない数字の調整によって供給のバランスを図ろうとしていることが窺える。 従って、平成18年の看護師数の不足は4万1600人レベルではない。その倍と見積もっても良いとさえ私は考えている。

 とにかく、医療現場では看護師数は不足している。特に地方の医療機関では深刻である。それが今回の医療制度改革で更に悪化していく。


9/8(金)快晴  中通高等看護学院事務長来訪 秋田市救急医療協議会 院内対応チーム会議 法人理事会 米内沢病院副院長講演
 2:00起床、ドック判定総括x1。紹介状他。5:20病院着、6:20回診その他病棟業務.10:20中通高等看護学院事務長来訪、打ち合わせ。14:00-15:30第9回秋田市救急医療協議会、AED普及について。16:30-17:20院内対応チーム会議、17:30-18:20法人理事会。18:30-19:30市立米内沢病院副院長講演。21:50帰宅,22:30就寝.

全館禁煙から敷地内禁煙に(5)医療機関の責務として
 2003年に健康増進法が施行された。この法律は、健康づくりと健康増進を図ることを目的としている。これは、厚労省の「健康日本21」をバックアップする法律と言うことになるが、わが国ではこれまでおろそかにされて来た疾病の一次予防に関係者が目を向ける切っ掛けになると、期待された。

 この法は、喫煙、飲酒、食生活、睡眠、運動などに関し、国民には「健康の増進のための主体的な努力」を、国・地方公共団体、企業等には「その努力に対する支援」を、また各関係者には「連携及び協力」を担うべき責務として求めており、伸び続ける医療費の適正化に役立つものと期待された。
 注目すべきは25条において「受動喫煙の防止」が義務付けたことである。受動喫煙は「室内またはこれに準ずる環境において、他人のタバコの煙を吸わされること」と定義され、学校、病院、飲食店、商店や旅館、タクシーなど多数の人が利用する施設の管理者に防止策を取るよう求めている。
 この、受動喫煙を無くするという姿勢は特記すべき進歩であるが、25条は、罰則の無い努力義務で、いかにも日本的法律と言えよう。しかし、社会には受動喫煙防止策の実行が、喫煙者には「加害者意識をもって自己責任を果す」事が求められた点で価値は高い。後は、如何に実行に移すかだけである。

 しかし、5年目を迎えた「健康日本21」は、実感としてそれほど役に立っているとは考えにくい。肥満者はますます増え、若い女性の喫煙率も増加している。目標設定、行動指針だけでは何ともならない世界、それが生活習慣・生活行動の改善や変容である。これ以上は実行のある方策をとっていくしかない。

 平成18年度、厚労省は生活習慣病対策の推進に58億円を要求した。その夕ーゲットは30-40代の働き盛りの男性と、20代の女性に置いている。この年代の男女は、概して栄養バランスが偏り易く、運動不足で、喫煙率が高い。しかも、健康に対しての過信があり、行動変容に至らせる働きかけは困難である。健診と保健指導を強化し、健康教育を積極的に行うことが重要である事は論を待たないが、実行のある方策を併用していかなければ効果は乏しい。

 喫煙に対して当院は館内禁煙としてそれなりの実行を上げてきたが、次のステップとして2007年1月から敷地内禁煙にし、禁煙指導、禁煙教育を強化し、医療機関としての責務を果たすこととした。


9/7(木)晴 患者家族面談 外来 血液センター所長来訪 
2
:00起床、ドック判定総括x1他。5:15病院着、主治医意見書等作成。6:30回診+病棟業務、7:00入院患者家族面談。9:00-13:20外来。13:30-14:30医局カンファレンス。15:00血液センター所長来訪。以降は入院患者対応、総括、紹介状、書類等整理に集中。20:50帰宅、夕食、21:40就眠.

JALとANA この業務成績の違いは何なんだ?(2)
 航空業界の使命は安全に旅客を運ぶことである。事故には多数の要因があるために単純ではないだろうが、エアラインの総括的評価の指標になるだろう。
 二社の死亡事故歴を比較して見る(資料はブリタニカ百科事典他から)。

 JALは1960年代までは死亡事故ゼロの実績を重ね、世界で一番安全なエアラインとして名声を得ていた。きめ細やかなサービスも相まってJALを指名する欧米人も多かったとされ、発展途上の日本人にとってこの「安全神話」は大きな誇りにもなっていた。小さい頃から飛行機に興味があった私も未だにこのイメージから完全には脱却できていない。
 しかし、1970年代にこの神話が一気に崩れた。72年にはニューデリーとモスクワで墜落事故を起こし、ボンベイでは別空港に誤着陸し機体を大破した。
 77年にはアンカレッジで酩酊状態の外国人機長が離陸時に貨物機を墜落させ乗員の他、多くの牛が事故死した。同年、クアラルンプール空港で手前の小高い丘に墜落した。
 82年に統合失調症の機長がDC-8を逆噴射させ東京湾に墜落させたが、病気の機長を乗務させ続けていた日航の企業管理体質に不安の声が上がった。
 85年御巣鷹山へ満員のジャンボ機が墜落した。

 ANAは、1966年にB727の東京湾墜落事故とYS-11の松山沖墜落事故を引き起こしている。
 1971年には自衛隊の戦闘機に空中で衝突して墜落した雫石事故があるが、それ以来今日まで死亡事故ゼロの実績を誇っている。

 死亡事故にまでは至らない小事故は頻繁にある。航空関連の報道ではJALの方がANAに比較して圧倒的に多い。国土交通省の立ち入り調査、勧告も何度か受け、業務改善命じられている。またJALか!! という感じである。JALは民間企業とはいえ、NTTやJRのようなもので、民営化してもう相当になるが、企業経営体質としてまだ官僚的、親方日の丸的なところが根強く残っているのではないだろうか。また、構造的にも非効率な部分を多くかかえているのではないかと勘ぐってしまう。

 過去に抱いたイメージはなかなか払拭されるものではない。JALは過去の栄光が大きかっただけに落差が大きい。一方、ANAは初めから典型的民間企業でよく頑張っているな、と言うイメージである。


9/6(水)雨 外来 脳研センター長来訪 医師面談 部門別収支学習会 県医対策委員会
 
2:00起床。ドック判定総括x1.総括・紹介状等処理、5:10病院着.6:10回診その他。9:00-13:50外来。15:00県立脳血管研究所センター長来訪、入院患者対応。16:30医師面談来訪。17:00-18:10部門別収支学習会。18:30-19:15県医師会検討委員会。病院で業務。21:30帰宅,22:00就寝。

 JALとANA この営業成績の違いは何なんだ?(1)
 同じ業界でこんなにも著しい差がつくのだろうか?最近不思議なニュースが目に飛び込んでくる。JALとANAの業務成績に関してである。
 日本では建築業界、運輸業界等として業界毎に景気が良い悪いが論じられてきた。造船業界の零落は日本の工業や経済の歴史を語る際に忘れられない事象であった。この場合、業界全体としての浮沈であって、皆同じ運命を辿り、一社だけが抜きんでて良い業績を上げることなどまず無かった様に思う。
 ところが最近は明らかに違う。同じ業界で全く同じようなビジネスをしていても業績に大きな差がつくケースが増えてきた。この差は何なのか、と思う。 

 その顕著な例がJALとANAである。
 この二者は昔から競い合ってきたが、会社としての性格はかなり異なる。今は共に完全な民営会社だが、JALの黎明期は国が大株主で、そのバックアップのもとで超エリート企業として大成長し、いわゆる日本の航空界のフラッグシップと見なされていた。 
 それに対してANAは会社そのものの歴史がJALに追いつけ、追い越せであったと言えるだろう。厳しい規制の中で努力して、空港の発着枠を確保し、便数を増やして業績を伸ばしてきた。この過程で露呈されたのがロッキード事件、ピーナッツ問題、田中角栄逮捕である。ANAはここまでしなければならなかったのだ。是非は別にして、ANAは苦難の歴史を重ねてここまで来たが、最近、両社の明暗がハッキリしてきた。JALが数百億円の赤字なのに対して、ANAは数百億円の黒字を計上している。

 この差はどこから出てきたのか? それは経営力の差ということだろう。燃料費の高騰というマイナス要因は小さくないが、その一部は運賃値上げでカバーされているし、旅客数・便数も増えている。これで儲からないほうが不思議である。ほぼ同じ条件なのだからJALが儲からないのは経営者の責任だし、赤字体質構造がソフト面、ハード面両者にあるのではないかと思わざるを得ない。

 最近、医療界は厳しい。私はもともと経済観念が乏しく、金銭問題に興味もない。どちらかというとドンブリ勘定的性格であるが、こんなニュースが目に飛び込んできて、読み、考えることが増えてきた。感想を述べるほどの知識もないが、JALとANAの業績から何か参考になることはないか?と思って新聞を読んでいる。


9/5(火)晴れ 緊急中央診拡大診療部会 外来 法人常務会(欠) 秋田県健康づくり審議会  医局会  秋田県がん治療推進準備会議
1:10起床,本日は早朝から夜まで予定が密で早めに活動開始。ドック判定総括x1.紹介状。書類処理、5:00病院着.6:30回診、定期処方他、8:00-8:45緊急拡大中央診療部診療部会議、今後の体制について。9:00-13:45外来+ドック結果説明。14:00常務会は欠とし、15:00-17:00秋田県健康づくり審議会(ルポールみずほ)に出席。病院に戻り紹介状作成、17:30医局会に一部出席。18:30-19:50秋田県がん治療推進準備会議(ルポールみずほ)に出席。病院にて業務若干、21:30帰宅、22;00就寝。

全館禁煙から敷地内禁煙に(4)禁煙領域を広げよう たばこの値上げも良い
 日本は先進諸国のなかで最もたばこの消費の多い国である。先進諸国の肺癌死亡数が減少しつつあるのに、わが国では増加している。たばこに関連した医療費の高騰も無視できない。従って、国民の健康を守るために、たばこ対策における医師の立場の重要性を認識し、患者個人に禁煙指導を行うのみでなく、地域、社会、行政、マスメディア等に働きかけていくべきである。

 ちょっと古いが、2000年に日本医師会が報告した医師の喫煙率は、男性が27.1%、女性が6.8%で、一般男女の約半分であったが、先進国に比較すると、驚異的に高い数値である。日本医師会もたばこ対策に取り組んでおり、全国の医師会館の殆どは完全分煙となっている。次は医療機関内を禁煙化することによって医療機関従事者と患者の喫煙率をさらに減らしいく必要がある。医師がまず手本を示さなければ社会に禁煙を叫べない。
 我々は「たばこの害」を絶えず問題にしなければならないし、産業医、学校医の立場も利用してたばこ対策を進めるべきである。

 禁煙運動は随分長い歴史がある。健康教育を通じての自覚の喚起による禁煙指導には限界がある。青少年に対してたばこの害を熱っぽく説明しても健康や生命に関して関心の乏しいこれらの年代には効果が今ひとつである。今後は方法論を変えていくべき時期に来ているだろう。禁煙域の更なる拡大と、次の手は値上げに踏み込むべきである。

 2005年4月に日本医師会館で開催された国民医療推進協議会第2回総会で、活動方針として禁煙活動推進を決定したが、その中で「国民の健康を守る立場から、たばこ価格の大幅な引き上げと併せて、当該税収を国民の健康のための施策の財源に充てるよう」要望した。私はこの方針を聞いて耳を疑った。

 私は喫煙者を減らす意味での値上げには賛同する。
 しかし、医療費高騰の一因となっているとしても、値上げによる増収分を医療費の一部に転嫁しようとすることには反対である。弱いものいじめの発想で、国民皆保険の理念にそぐわない。多数の疾患を持ち医療費がかかる患者の保険料を上げ、生活習慣病の準備状態にある肥満患者の保険料を上げようとする発想に等しいと思うからである。

 こんなケチな発想は止めにしたい。増収分をどうするか? たばこ農家の転業、転作のための補助金にすればいい。


9/4(月)快晴  管理会議 外来 療養病棟判定会議 長副会議
2:00起床、ドック判定総括x1、その他。5:00病院着.6:30回診他、8:00管理会議.9:00-14;00外来、混雑。書類処理他。16:00-16:30療養病棟判定会議。17:00-19:50長副会議、懸案多数。20:55帰宅、夕食、21:30就寝。

全館禁煙から敷地内禁煙に(3)喫煙は火に水と油をかけるようなもの
 患者は疾病そのものに対しては適正な薬物療法等の治療は受けているが、ひとりの人間としてベストな治療を受けている、と言えるのだろうか。
 例えば、狭心症や心筋梗塞の既往があり、血管形成術を行い、大量の薬物療法を行っているのに、喫煙を許容する主治医、高血圧症で血管拡張剤を含む各種の降圧剤を処方する一方、強力な末梢血管収縮作用のあるタバコを許容する医師、これでは、水と油を同時にかけて消火しようとしているのに等しい。医療とは何か、と言う根本から問われかねない重い課題である。

 概して我が国の医師は生活習慣とかの改善に対する指導の重要性に関して関心が薄い。これは医学教育の有り様からも問題になる。木を見て山を見ない、患者そのものよりも疾患を医療の対象にするよう教育しているからである。その病態が、症状が治療によって是正されるとそれで解決、と考える。コレステロール値が少し高いと脂質低下剤を、血圧が高いと降圧剤を、同じように簡単に病名を付けて胃薬、睡眠薬といった具合に直ぐに薬物療法を開始していく。これでは徐々に薬剤数は増えていく。

 本日初診した患者は2ヶ所の病院から何と23種類の投薬を受けていた。私は今日からでも半数程度に減らしたいと考えたが、患者は完全に薬物依存になっており、1剤だけの減薬のアドバイスをしても耳を貸さない。これは患者の性格もあるが、完全に医原性薬物依存症と言わざるを得ない。この患者は私宛の紹介なのでしばらく外来でおつきあいすることになるだろうが、正直気が重い。

 医療は医師と患者との共同作業である。目先の疾患だけに目を奪われず、一人の人間としての治療を行うことが重要である。    
 以下は1989年に私が書いたパネルディスカッションで「医療機関内における禁煙」のまとめの序文である。17年前の文章だが、今書いてもほぼ同じ文章になるだろう、と思う。 
 【喫煙は喫煙者自身の健康を害するのみでなく、受動喫煙によって非喫煙者にも悪影響があることも知られ、最近では一部の人々の地道な運動で公共の場所などでの喫煙制限も徐々に広まりつつある。しかし、タバコは嗜好品として古くから親しまれ、喫煙も社会的に容認されて広く浸透して来たためか、受動喫煙の害がこれほど叫ばれていても喫煙者の行動にはまだ大きな変化としては表れていない。
 医療関係者は喫煙の健康に及ほす影響については良く知っていながら、一般に、禁煙、嫌煙運動に対しては消極的である。喫煙が悪化因子として重要な意義を持つ愚者にさえも禁煙を強くは求めず、そのため患者も安易に考えて喫煙し続けている場合が多い。
 我々は慢性疾患の診療などで、タバコに限らず疾病の悪化因子を排除するという重要な生活指導を軽視してはいないだろうか?反省してみる必要がある。】


 明和会全職員に対して行った喫煙に関するアンケート調査の結果と考察


9/3(日)快晴、病棟拘束 FF Tennis
2:00起床.後はいつものパターン、主治医意見書、紹介状、退院総括など。新聞チェック。9:30-13:30FF Tennis、11-9,4-6と引き分けで時間切れ。午後若干午睡後、居間のオーディオにFMアンテナ装着、受信状態が安定した。簡易室内アンテナとは明らかに異なる。パソコン周辺の配線その他も整理。病棟より何度か連絡、何れも電話の範囲で済んだ。再度業務消化、20:00夕食、20:45就寝。

自伝 秋田大学時代 ヨーロッパオペラツアー(2)ハンブルグ国立歌劇場「ドン・ジョバンニ」
 ハンブルグでの二日目、日中は特に予定はなく自由行動である。アルスター湖周辺には歴史的な建造物が並んでいる。午前中は湖の周辺を散策したが、新しい高層の建造物は殆ど無く、街自体が歴史の重みを感じさせるたたずまいであった。途中で大小の美術館にて絵画その他を鑑賞しながら数時間過ごしたのも心洗われるいい時間であった。美術館等はがらんとし、客と思われる人はパラパラといるだけ。外装・内装共に細やかに装飾が施され、館そのものが芸術品と思えるものであった。

 夜は再び国立歌劇場で、演奏曲はモーツアルト「ドン・ジョバンニ」であった。昨夜と異なり80%ほどの入場者であった。シーズン期には週1回の休演日除きほぼ連日演奏会が行われるが大部分は70-100%の入りなのだそうだ。見渡しても観光客と思われるアジア系の客は少なく、多くが地元あるいは近隣の住民かと思われた。それだけオペラが地域で支えられている状況が窺われた。

 劇場自体の造作などを楽しむために少し早めに入場し、色々見て歩いた後座席に座っていたが、客室係員と思われす初老の男性が2度ほど座席のチケットを確認しに来た。ガイドの説明によると、空席のある場合、安いチケットで入館し、良い席に陣取る客がいるためにそれをチェックし、本来の席に戻すか差額を徴収するのだそうだ。この辺がドイツ的なところか?と感じられた。

 昨夜の「ドン・カルロス」は素晴らしい作品の一つで私の好みの一つであるがだ、時差ぼけのためか集中して聴けなかったのが実に惜しかった。二日目の「ドン・ジョバンニ」は詳細は忘れたが楽しめる演奏であった。
 ハンブルグ国立歌劇場ではあまり著明な歌手とかを招聘せず、歌劇場直属のメンバーが中心となって演奏されるのだという。地方の歌劇場の在り方なのだそうだ。


9/2(土)快晴 病棟拘束 ドック診察x5 結果説明x3 テニス合宿(欠)
 
2:00起床、ドック判定総括x 1、退院総括、その他。5:10病院着、6:30回診その他。8:10ドック診察x5、9:00-9:45ドック結果説明x3。練習だけ参加予定のテニス合宿は重症患者で欠とした。再度回診。総括、紹介状、主治医意見書他処理。20:00帰宅、夕食.20:45就寝。

院長就任2年目初日 夢中で過ぎた一年(2)不安材料のいくつか
 私の身体的問題点はいろいろあるが、業務を頓挫せざるを得ない可能性となる不安材料として、●腰椎ヘルニアによる腰痛症の再発、●不整脈による脳塞栓等の合併症、●解決困難な案件による重圧と時間不足による燃え尽き症候群、●居眠り運転、●そのほか・・・、と言うことであろうが、なんとかこの間、問題にならないで済んだ。

 最も重大だったのは就任2ヶ月後頃に襲った激しい腰痛症であった。この時はあまりの辛さに業務の遂行を危ぶんだ。幸い改善したが、悪化の機序も改善の機序も不明と言うことは何時再発するか分からないと言うことでもある。そのために心の隅で危惧しながらの毎日を過ごしてきたが、今日まで何とか無事経過し、今年4月からはテニスも始めている。翌日は若干痛みが増すような気がする。また、テニスの成績は情けないほどひどい状態であるが、階段昇降と共に唯一の運動の場として大事にしている。

 不整脈は数年来の私の悩みの一つで、ほぼ連日数時間生じるが、過労、睡眠不足、心理的負荷が続くと数日単位で持続する。胸のあたり不快で心理的に活動性が鈍るようであるが、精査もしてないし、階段の昇降もテニスもかまわずやっている。今まで何も生じていないから、今後もそう簡単には急死することも、合併症も起こさずにマア何とかなるだろう、と気軽に考えている。

 時間不足は何ともいえないほどひどい。立場上、余裕を持って楽に過ごそうなんて露ほども思っていないし、忙しいのは別にかまわないし、気力はまだ衰えているとは思っていない。ただ、誰でも記載できるような、ほぼ雑用と言っていいような書類などに追い回されて貴重な時間が消費されているのは実に情けない。特に療養病棟関連では書類が多く、何でこんなに書類が多いのだ、と嘆きつつ処理に追われている毎日である。途中まで処理してくれる私設秘書でも雇いたい、と真剣に思っている。

 若干睡眠時間が不足しているから会議等でつい眠くなる。時に気恥ずかしい思いがする。ただ、眠り運転に関してはただごとではない。通常の通勤は短時間だし問題ないのだが、出張時の空港往復の運転は強烈に睡魔が襲ってくるために毎回恐怖である。腕や腿を抓ったりひねったりして何とか持たせている。リムジンバスは楽だが時間的に無駄だから好まない。次の出張は20日だが無事に往復できるかな?というところである。不幸な事態が生じるなら、せめて何とか自損の範囲で終わって欲しいものだ・・と願っている。

 今朝は2年目の2日目である。無事一年持ったことで安堵し、運の良さに感謝している。次の一年も出来ることなら無事でありますように、と願っている。予想が外れれば関係の方々に多大な迷惑をかけることになるが、その際はご容赦・・と言うところである。


9/1(金)雨→晴れ  院長2年目初日 患者家族面談 院内対策会議 支援チーム会議 秋田市救急隊との学習会+情報交換会  
 2:00起床、ドック判定総括x1.紹介状返事など。5:10病院着、6:30回診他、各種処理。7:00患者家族面談。各種書類処理、主治医意見書など.13:30院内対策会議、秋田銀行員来訪。16:30-17:50支援チーム会議。18:00-21:30秋田市救急隊との学習会+情報交換会、若干遅れて出席、講評担当。20:50帰宅、22:30就寝。

院長就任2年目初日 夢中で過ぎた一年(1)今朝心からホッとした 
 今朝、私は院長就任2年目の朝を迎えた。
 私の身に何かがあって、もし一年も持たない事態になったらどうしようか、と心の隅で危惧しながらの毎日を過ごしてきたが、何とか無事経過し、今朝は2年目のスタート日と言う、私にとっては記念すべき日である。今朝、私は実に爽やかな気持ちで昇る朝日を眺めることが出来た。病院、医師会、その他、家族達も含め、この一年お世話になり、支えてくださった方々には心から感謝したい。

 この間、外来の診療スケジュールは若干変わり、月曜は隔週、金土の新患補助はなくなったが、その分火〜木の予約患者数が増えて週間の患者数は殆ど変わりない。ドックは変わりないが、療養病棟を中心とする入院患者数は寧ろ増えている。医師会関連の業務は副会長就任で、考えることは多くなったが、庶務担当の昨年度に比較すれば物理的にはかなり楽になり、実に助かっている。

 この一年、従来と同じく1:00-2:00頃起床、5:00出勤、6:00-8:00頃回診と病棟業務、外来のある日は9:00-14:00前後まで診療する。その他の時間帯は多くは書類処理に費やし、院内の会議、県の委員会や医師会業務をこなす。勿論、医師としての学習の時間も若干ながら取っている。
 時間的に見れば、4-5時間の睡眠時間、4月から11月間の日曜毎のFF-テニスの4時間、徒然記載の時間の30分乃至1時間程度を除けば、殆どは何らかの業務をこなすためにディスプレイに向かっているか、考えている、と言う日常である。これでもこなしきれず、遅れている仕事、積み重なっている書類類は沢山あり、私にプレッシャーをかけている。各々の締め切り日を確かめながら、何とか遅れないように処理するのに必死の毎日である。
 勿論、そうは言ってもこの中に散発的に本読等の種々の楽しみ、息抜きの時間を混ぜている。だから、何とかやっていられるということだろう。

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   年を通じてワンパターンで淡々とした毎日です。AM2:00-5:00にメールチェック・返事送付、人間ドック(HDD)判定・報告書作成、新聞切り抜き、病院・医師会業務など。
  月〜土曜は6:00頃出勤、HDD報告書印刷、外来書類処理など。病棟回診、HDD受診者とミーティングと診察。8:45-14:00外来とHDD受診者に結果説明。昼食は摂りません。午後は病院業務・医師会業務、各種委員会等に出席など。20:00頃帰宅。
  日曜・祭日もほぼ同様ですが、病院には午後出かけます。時間的に余裕無いのが悩みです。


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