徒然日記
2006年8月分

 日記と言うより、自分の行動記録からの抜粋と日々の雑感です。

徒然日記バックナンバーへ戻る       徒然日記へ戻る   トップページへ戻る

先月の日記          来月の日記


8/31(木) 快晴、外来 大学病院院長訪問 テルモ来訪 外来オーダリング実習
1:30起床。ドック判定総括x1、紹介状返事など.5:10病院着、6:20回診その他、9:00-13:30外来、14:00-15:00秋田大学附属病院病院長訪問、がん治療連携拠点病院の件。16:00テルモ社員来訪、面談。以降はひたすら書類処理。回診。20:30帰宅.夕食。21:00就寝.

リスクマネージメント(2)取りわけ救急医療の現場は危険
 医療を必要としている患者に対しては躊躇せずに診療を行わなければならないのは医師、医療機関として当然であるが、時には患者や家族の暴言・暴力行為等により医療スタッフが危険な状況に追いやられる場合がある。だから、速やかに安全を確保出来る良い方法を考える必要がある。

 頻回に来院する慢性患者の場合、担当医師が女性だったり物腰が柔らかかったりすると要求がエスカレートするし、次にはそのような医師の担当日をねらって来院する様になる。その要求を断ると表情も一変し突然暴れ出す事もある。
 痴呆の高齢者が看護師の腕に噛みつきかなり深い傷を負わせた事もあった。私は,約30年も前のことであるが、禁断症状期を迎えた中年の慢性アルコール中毒患者に外来で追いかけ回された。相手は空のビール瓶を振り回して追って来た。この時は逃げながら何か投げつけるものはないかと探したものである。この時は駆けつけた警察官に取り抑えてもらった。

 身の安全に不安を感じた際には現場の担当者の判断で警察に通報して良い。しかし、警察も明らかな暴力行為が無く、単なる威嚇の範囲では説得程度までしか介入出来ないものらしい。

 銀行では、ひとつの店舗に最低4-5ヶ所の110番コールブザーが机の下等に設置されており、それを密かに押すと5分以内に警察官が来てくれる、とのことである。また、消費者金融の営業所にも同様の配置がなされているらしい。
 医療機関では、住民の健康、生命を守るためスタッフが日夜働いている。救急医療の現場は危険と鉢合わせする場でもある。最近は女性の医師も増えてきており、特に夜間はスタッフが手薄になる。直ぐに近隣にいるスタッフを呼ぶことの出来る緊急コールボタンの設置は必須であり、更に、大勢の患者が受診する救急告示病院には110番コールボタンの設置も必要だと思う。機会あれば話題にしてみようと思う。


8/30(水)曇、晴れ 外来
 
2:00起床。ドック判定総括x1、他。5:10病院着.紹介状返事その他事務処理。6:20回診等。9:00-14:00外来、混雑。15:00入院患者面談、主治医意見書x2。退院総括x2。紹介状x2等処理。とにかく書類に追われる毎日
だが、これで良いのだろうか。20:50帰宅。夕食、21:20就寝。

職員を守る、自らを守るためのリスクマネジメント(1)

一般的に医療機関におけるリスクマネジメントと言えば、診療面での事故防止、院内感染対策を主たる目的とした安全対策を示し、現在、各病院とも対策委員会や専従の担当者を置いて積極的に取り組んでいる。
 一方、最近の医療現場では医療スタッフが遭遇するリスクについても真剣に対策を考える必要が出てきている。
 世界一治安が良い国、日本と言われてきたが、昨今は治安の悪化傾向、犯罪の凶悪化といった傾向を認めざるを得ない。最近、秋田でも幼気な小学生二人が犠牲になると言う不可解な殺人事件が生じたばかりである。犯罪行為、傷害行為等の背景が近年様変わりしてきている様に思えてならない。

 医療現場における傷害事件は秋田ではまだそれほど問題にはなっていないが、細かい事象を挙げれば危険性が増加してきている、と思う。東京、大阪では入院中の患者が外部より狙撃された事件や、患者が拳銃を発砲し看護師長が殺されるという事件も生じている。また、歯科医が通勤途上に射殺された事もある。
 これほどの例は例外中の例外と考えたいが、医療スタッフが暴力を振るわれたり、生命の危険を感じるような状況に追いやられたりすることが、とくに救急医療の現場で日常的になりつつある。

 急性アルコール中毒の患者はもちろんのことだが、慢性アルコール中毒患者も身体の不調を訴えて頻回に受診してくる。ドラッグの関与を疑わせる患者、精神的に不安定な患者、性格的に障害を持つと思われる患者、また明らかに暴力団関係者と思われる患者も救急車搬送され、あるいは直接来院する。こんな患者は増えてきている。また、拘束中の容疑者が不調を訴えて警察官と共に受診することもある。何故か、当院を希望するのだそうだ。この様な人達の受診行動にも変容が認められる気がしてならない。

 更に重要かつ恐ろしい事に、最近の傾向として一見善良な社会人と思わせる患者や家族が、待ち時間のことや職員の対応に対して突然「切れて」、騒ぎ立てたり暴れたり、職員の胸ぐらをつかんだりする事も生じてきている。頻度はまだ多くはないがこんな事例も確実に増えてきている。

 私ども医療関係者は職員を守り、自らも守る、そのための方法論も技術も身につけなければならなくなってきた。


8/29(火)雨 患者死去 外来 法人常務会  医局カンファ 
23:30病棟から患者不調の連絡あり起床,Taxi病院へ。患者は死亡され、2:00見送り他、若干業務後に帰宅、就寝。3:00起床、ドック判定総括x1、5:10病院着.6:30回診、定期処方箋その他病棟業務。9:00-13:30外来、14:30-15:45法人常務会。17:30-18:30医局カンファ、症例検討会。20:50帰宅。21:30就寝。

全館禁煙から敷地内禁煙に(2) ちょと過去を振り返ってみると
 喫煙の害はここで枚挙する必要もないほど分かり切ったことである。たばこは全ての年代、男女にとって害があり、早く吸い始めるほど、喫煙期間が長くなるほど健康への害が蓄積する。長期喫煙者の発ガン性が非喫煙者のそれに近くなるのに禁煙実行後5年はかかると言われている。

 さらに、女性の場合は不妊症になる可能性があるほか、妊娠や出産への悪影響も大きい。妊娠中の喫煙は受動喫煙の影響も含めて胎児に異常を引き起こす可能性が高く、無視できない。
 だから、あらゆる機会をとらえて、たばこの害を知らせる、吸いにくい社会にし、安易に手を出す人を減らし、禁煙の輪を広げる、他人が出す煙を吸わずにすむ環境に変えていく、そんな幅広い対策が必要となっている。

 私どもがパネルディスカッション「医療機関内における禁煙」を行ったのは平成元年(1989)であるが、その後の社会における禁煙運動の動きは遅々としつつも確実に進展し、禁煙文化が高まっていった。平成15年、日本医師会が「禁煙椎進に関する日本医師会宣言」を発表し、医師及び医療関係者の禁煙と、医療機関、医師会館の全面禁煙の推進を提唱した。同年には秋田県医師会も分煙に踏み切っている。

 平成15年に健康増進法が施行されて、学疫、病院、官公庁、その他不特定多数の人が集まる場所での受動喫煙を防止する努力目標が定められた。翌平成16年に政府が「たばこ規制に関する世界保険機構枠組み条例」を批准した。この条例は、「現代及び将来の世代を、たばこの煙に曝されることによって起こる健康的、社会的、環境的、経済的被害から守る」事を目的とし、価格、税金の引き上げや受動喫煙からの防護、製品の警告表示の強化、未成年者への販売防止などを定めたものである。これらのことによって、わが国のタバコ対策は大きく進むことになった。

 われわれ医療機関の従事者は、診察室に訪れる患者に良い医療を行うと言う範囲で満足し、留まっていてはならない。われわれはいわゆる楽しみを売るサービス業でなく、健康危機管理業である。国民や県民の健康と生命を守るためには後手に回った対策だけでは不十分である。禁煙教育や禁煙指導のリーダーとして禁煙文化の底上げ、熟成のために努めなければならない、と思う。


8/28(月)曇 管理会議  院内巡視 療養病棟判定会議  長副会議 
23:40病棟より患者不調の連絡あり起床、Taxiにて出勤。患者若干落ち着く。帰宅の機会逃し、寝不足感はあったがそのまま通常の業務に入る。お陰でマーラーの交響曲3-6番を久々聴けた。ドック判定総括x1、紹介状他作成。6:00回診他。8:00-8:45管理会議.9:00-10:30院内巡視。16:00-16:30療養病棟判定会議。17:00-20:20長副会議。懸案多数。再度回診、21:30帰宅
夕食。22:00就眠。寝不足の一日と総括。

全館禁煙から敷地内禁煙に(1) 県民・国民の健康を守るために
 全世界で少女の喫煙が急速に増えている、とWHOが警告している。
 日本も例外ではない。男性の喫煙率は減りつつあるが、若い女性の喫煙率が増える傾向にある。20-30代では今や5人に1人が吸っていると言う。受動喫煙を含め、喫煙の害は身体的のみならず、心にも影響を与えるし、社会的にも多方面に害を及ぼしている。医療費高騰の一翼にもなっている。

 当院では全館禁煙にしてから3年ほどになる。院内の環境はとても良くなった。しかし、医療機関としてこのレベルに留まらず、更に進んだ対応をすべきであるとの意見は根強いし、私自身もその方向には賛同してきた。

 5月31日は世界禁煙デーで、6日まで禁煙週間であった。昨年度、院内で「禁煙問題対策検討委員会」を立ち上げ、今後当院で取るべき対策について検討を委嘱したこともあって、私自身も喫煙についてどの様な方針を出すべきかいろいろ考えてきた。7月、検討委員会から敷地内禁煙に向かうべきである旨の意見が提示されたのを受け、長副会議で検討を加え、昨日朝の管理会議にて2007年1月から敷地内禁煙を実施することを報告した。

 私自身は一切吸わないこともあって、従来から禁煙論者であり、禁煙運動にもマイルドに参加してきた。
 20年ほど前に秋田県民医連学術集談会の実行委員長を引き受けた際には、良い機会が与えられたと思いパネルディスカッションで喫煙問題を取り上げた。この企画に対しては疑義が多く出され、強い抵抗があったが押し切ったことを懐かしく思い出す。こんな企画がかつてあったことなどもう誰も覚えていないだろうと思うし、当時は企画を押しきったと言うことも含め、むしろ反発を買ってしまった、と言う印象であった。やはり、早過ぎたのかもしれない。プライベートには3人の子供達には絶対に吸わせないよう日常から指導したほか、吸った事を私が確認した際には学資その他の援助を一切絶つ旨を宣言して育てた。さいわいにも、子供達との付き合いの中で喫煙に関しては最近に至るまで一度も疑うべき事象はない。

 私にとっても今年の世界禁煙デー、禁煙週間の際の考察は大きな意義があった。

 全館禁煙から敷地内禁煙に踏み込む目的は、健全な次世代を育むためにたばこの害から青少年を守ることである。そのためには禁煙文化の底上げが必要であり、医療機関の責務は大きいと考えるからである。


8/27(日) 快晴   病棟拘束  入院患者家族面談   FF tennis  バーベキュー会
2:00起床、ドック判定総括x1、その他作文多少。5:00バイク出勤、7:00入院患者家族面談。9:00帰宅。9:30-13:20FF tennis。4-64,6-8,3-1と今回も完敗。14:00-15:00午睡、業務など。18:00頃から親戚の子供達を中心に15名ほど集め野外で夕食兼バーベキュー会。私は早々に酔って20:30就眠。

自伝 秋田大学時代 ヨーロッパオペラツアー(1) ハンブルグ国立歌劇場「ドン・カルロス」
 北極・ロシア上空経由の約8時間のフライトで午前にハンブルグ国際空港に到着。直ぐにバスで市内に移動、昼前に宿泊ホテルの近くの繁華街に到着した。ガイドの話では本日は土曜日なのであと1時間ほどで全ての商店が店仕舞いするので両替とか必要な買い物を済ましておくように、と言う事であった。さすがにドイツである。この様な規律とか取り組みは整然となされるらしい。実際には商店街からは不満もで始めているとのことではあるが、国民の自由時間を確保し家庭を大事にすると言うことが主たる目的だとのことである。

 両替とか済ませ宿泊ホテルに向かう。ホテルは当市でも有数の歴史のある「Vier Yahleszeiten」で日本語訳なら「四季」と言うところで湖畔にあった。1700年代の作りで、城の一部であったとかの説明があった。内部は古式豊かな作りで昔の宮廷はこんな作りなのかと中世のヨーロッパにタイムスリップでもしたかの如くの印象であった。

 ハンブルグはブラームスの生まれた街としても知られているが、エルベ河畔にあるヨーロッパでも最大級の港湾都市で貿易が盛んであったという。かつてはヨーロッパに輸入されるコーヒーの大部分ハンブルグ港に水揚げされていたとのことで、コーヒー関連の産業は今でも多いとのことであった。一方、貿易に関連して感染症の上陸場所でもあった、と言う。

 市街地の中心にはエルベ川をせき止めて作ったとされる大小二つのアルスター湖がある。広場も多く、旧市街には高層ビルも殆どなく、歴史を感じさせる美術館などが並び、空がとても広い街との印象であった。
 初日の午後から夕方にかけては市内観光で、夜はハンブルグでのコンサートは国立歌劇場でヴェルディ「ドン・カルロス」であった。ほぼ満席で老若男女とも正装して次々と入ってくるのは東京での引っ越し公演では味わえない独特の雰囲気であった。


8/26(土)快晴   病棟拘束  中通高等看護学院「学院祭 」講演会聴講
1:30起床、最近起床時間が一層早く、寝不足状態。ドック判定総括x1他。仙台出張の家内駅に送り7:00病院着、直ぐに回診他。紹介状、総括など。10:00-11:30中通看護学院「学院祭」講演聴講、と言うより寝不足解消に役だった。後はずっと書類と格闘。医療関係の新聞等チェック、資料作成。19;00帰宅、夕食。本読み若干、20:45就寝 。

中通高等看護学院「学院祭」の講演会
 本日は当法人の高等看護学院の学院祭であった。特別講演として秋大医学部保健学科佐々木久長氏の「いきいき生きるために-心の健康を考える--」が企画されているというので興味を感じて出かけてみた。私は高齢者を対象にこの様な話題で講演や講話の機会が多かったが、学生を対象にどんな内容を語るのだろうか? 
 出かけた切っ掛けはもう一つ、招待状をもらったことも含め、法人の役員、病院長としてこの手の行事・催しには短時間でも参加し、支えねばならないと思うからである。学院祭は今回で27回目だと言うが、私は今回で確か2回目の参加でしかない。従来は出席すべき責任も負っていなかったし、招待状ももらっていなかった、から殆ど知らなかったからである。

以下は感じたこと

● 学院祭自体の看板とかはもっと派手に。大きく。ちょっと寂しい。
● 開始直前に到着したが、その時点では看護学院の学生、関係者しか出席していなかった。卒業生の姿も殆ど見えなかったが、実に寂しい。
● 招待者が出席した際には実行委員会とかから一言「いらっしゃいませ」位はある方が良い。受付でも無表情、無言であった。年季の入った学院のスタッフからは声がかかった。さすがであるが、本日の主役は学生達。指導が今ひとつか。
● 1-3年目程度の卒業生の実社会での体験談の講演も良いのではないか?
● 講演会場のセッティングが良くない。
(1) プロジェクターの画像の調整は不備だし、やはり壁でなくスクリーンに映す配慮が必要。なければ白いシーツとかでも。会場の設定が不備なのは講師にも失礼だよ。
(2) 投影画面の直下にある採光用の窓は塞ぐべきであった。
(3) 音響・音声への配慮も乏しい。音量、音質、スピーカーの配置への配慮が不足。マイクを通しても講師、司会者、発言者の声は小さく聞き取り難かった。通常の授業を通じて講師が淡々と語ることは分かっているのだから取りわけ配慮が必要だった。何か言っているな・・という感じに聞こえた。
(4) 携帯電話の使用は禁止すべき。単に講師に失礼だけではない、常識的マナー。
● 学生達の意思表示が乏しい。せっかく講師が問いかけ、求めているのだから「yes」「no」程度の反応は必要。
● 学生達は私語もなく良く聴き入っていたように見え、感心した。私が受け持った授業の際には随分寝られたものだ。今日は私の方が不覚にも微睡でしまった。講演内容は参考になった。
● 感想を述べた学年代表は3学年とも男子学生であったが・・。

私は勤務の都合上、講演のみで失礼したが、高校生とか関係者の参加はどの位あったのかな?と思う。


8/25(金)晴れ、職員検診   ドック診察  マッチング評価会議   法人理事会          
 
2:30起床、ドック判定総括x1、紹介状・返事x1等.5:20病院着。6:20回診、院内紹介状他。入院患者対応そのほか。13:50ドック診察x5、15:00マッチング評価会議。17:30-19:00法人理事会。21:00帰宅。21:20就眠。

研修医には「中医」になって欲しい(2) 学会や講演会も利用を  
 
2004年に発足した新臨床研修制度は今3年目を迎えている。2年終了した一期生の動向はそろそろまとめられる。私はまだそのデータに接していないが、恐らくは2年の研修を終了した医師の多くが同じ病院でいわゆる後期研修のコースに進んでいると推定される。4年目の来春は、そろそろ若い医師の新しい方向への移動が始まるだろう。大学で更なる臨床研修を積み研究生活を指向するのも良い、更に高レベルの専門研修を求めて病院を替わるのも良い。より一層地域に密着した医療機関に移るのも悪くのも良い。

 学生が初期研修病院を選ぶ手段としてインターネットで目星を付け、病院見学、短期間の実習を経て決めているようだ。初期研修の目的はプライマリーケアの習得にあるからそれでもまず十分であろう。医師としての道を進むのに後期研修の大切さは論を待たないが、研修医達は実際どのようにして進むべき道を選択していくのであろうか。

 研修病院では院内の英知を集めて指導することは当然であるが、研修医の将来の選択のための機会も積極的に与えるべきである。特徴ある医療活動を展開している地域の医師の講演や対話の機会、学会への出席の機会の確保、大学のスタッフによるセミナーなどの企画もいい。一方、研修医も近隣で開催される講演会等も積極的に利用すべきである。秋田市内でも毎週いろいろな講演会が催されている。しかし、研修医と思われる若手医師に出会うことは殆ど無い。実に勿体ないことである。

 若い医師達の将来の道の選択はいろいろある。それぞれベストと思われる道に進んで欲しいものである。ただ、診察室に訪れる患者、自分が受け持っている患者に最善を尽くすのは医師として当然ではあるが、その「小医」のレベルで止まっていて欲しくない。患者、医療関係者の置かれている厳しい状況についても研修期間の中で感じ取ったはずである。その改善に向けて発言する「中医」に是非なって欲しいと思う。


8/24(木)外来 米内沢病院事務長来訪 マッチング 部門別収支学習会 
2:30起床,流石に眠い。ドック判定総括x1他、いつもの如く。5:00出勤。6:00回診そのほか病棟業務。9:00-14:00外来、入院患者不調のファックスが次々と外来に届き、こちらも対応。14:20-15:00市立米内沢病院事務長来訪、講演打ち合わせ。15:00-16:20マッチング最終日、4名。これで19名面接終了。17:00-18:20部門別収支学習会。20:00患者死去、見送りそのほか。22:30帰宅、夕食、23:00就眠。終日余裕なく、寝不足感伴う日であった。

研修医には将来「中医」になって欲しい(1) いろいろな価値観に接する機会を  
 2004年に義務づけられた新臨床研修制度は明治以来一世紀以上も綿々と続いていた我が国の医師の研修に大きな風穴を開けた、評価すべき制度である。
 大学関係者だけはこの制度に対してネガティブにとらえており、医師の地域偏在に拍車をかけたのは、新臨床研修制度だ、と指摘し改善を要求している。が、これはおかしい。この制度前は、新卒者の殆どが大学病院の診療科に所属し、ある程度の研修を受けた後に各地の関連病院に派遣されて実地医療を経験していた。地方の関連病院には、たとえ僻地であろうとウムを言わさずに行かされた。ただ、これによって地域の医師不足が充足されていたことは確かであり果たしてきた役割は大きかった。

 このようにわが国の地域医療は若い医師への抗し難い外圧によって、言い換えれば犠牲の上に成り立っていた。これの問題点に気付かず、長い間旧態依然とした制度に依存してきたし、維持しようとしてきた。今でも大学関係者は大学に、医局に「残ってくれるはず」、「3年たてば戻ってきてくれるはず」と言い続けている。
 新制度以後は研修プログラムや待遇について研修医自らが調べ、研修病院を決定できるようになった。結果的に、大学病院離れが生じ、大学の医師が減少し、医師の呼び戻しという現象が起こり、地域で医師不足が生じている。大学の研修医離れは大学自体の医局制度、研修制度の在り方に問題があったのであって、このことを医師自らが放置し、行政もそれに依存してきた。このこと自体が問題であって新臨床研修制度自体が悪いのではない。

 当院でも約20名の若い医師が臨床研修を行っている。その溌剌とした姿を見ていると若いときの自分の姿が思い出され、何とも言えない感慨も覚える。
 ただ、最近考えることの一つに、当院も含めて各研修病院は若い医師達に多様な価値観を学ぶ機会を与えているのだろうか?と言う事であり、この視点で考えてみると些か疑問に思えてならない。

 研修医達もその研修病院の中での研修の範囲に安易に満足していないだろうか。


8/23(水)晴→雨 外来 県医師会理事会     療養病棟暑気払い+柴田医師歓送会 
1:20起床,ドック判定総括x1、紹介状x1、5:10出勤。6:00回診、病棟業務他。9:00-13:45外来。14:00入院患者対応。16:00県医師会打ち合わせ、16:30-18:30県医師会理事会。19:30-22:10療養病棟暑気払い+柴田医師歓送会。22:30Tax帰宅、22:50就寝。

オールド・ボロ・ハーレー  枯渇したバッテリーのパワーが戻る不思議(2)
 翌朝、5:00am、再度バイクを引き出し、祈るような気持ちで始動したが、予想・期待の通りセルが勢いよく回り、一発で始動した。

 このバイクは15年も乗り続けているが、始動に失敗して殆どバッテリー内にパワーが残っていないほど使い切っているはずなのに、一晩放置すると何事もなかったようにいつもの如く始動する。こんな経験が今までに10数回はある。しかも、力強く一発始動出来るレベルまでの回復である。今回も多分そうだろうと充電器につなぎもせずに一晩放置しておいた。バッテリーのパワーは何故かほぼ完全に戻っていた。

 このパワーはどこから戻ってきたのか?? 実に不思議である。どのように考えればいいのか、私にはまだ理解しきれていない。

 一般に蓄電池は連続使用には弱く、間欠的使用の方が能力を発揮するとされている。また、弱くなった電池でもスイッチを切って若干の休息を与えるとパワーが戻っていることはよく経験する。しかし、この様な場合、パワーが戻ると言ってもたかが知れており間もなく枯渇する。この連続使用の場合には恐らく、電池内で不均一な消費が行われ、休息を与えている間に電池内の残存エネルギーが均一化するためではないかと私は予想している。

 しかし、私のオールド・ボロ・ハーレーの電池の場合にはそのレベルだけでは到底理解が出来ない。殆ど枯渇したはずなのに翌朝にはほぼ通常に近くまでパワーが戻っていることは理解に苦しむ。1430ccのエンジンを始動させるときに如何に巨大な電気的パワーが必要であるかはライトを点灯したままセルを回すとライトがほぼ完全に消えてしまうことからも解る。本当にへたったバッテリーの場合は、翌朝に若干は回復していることはあるが、セルを回転させるほどのパワー迄は戻らない。だから、本当に枯渇しているのとは別の現象であることは明らかである。

 私が今の時点でこの現象に無理矢理持ち込んでいる理屈は、始動時に何らかの理由でバッテリーのエネルギーの一部しか取り出すことが出来ない状態が生じており、十分にエネルギーを供給できずにその範囲のエネルギーだけが早々に枯渇してしまったのではないか??と言うことである。だから、全体的にはまだ十分エネルギーが残っており、一日放置していた間に均質化し、次の始動の際にはうまく機能したのではないかと思う。その元となった原因は、恐らく、イグニッションスイッチを入れてからセルを回す迄の時間とかがたまたま不適で、いつもと異なる何らかの機序でそのようになったのだ、と思う。いや、そうしか思えない。

 これは改善されたとはいえハーレーに残っている電気的弱点の一部なのだろうか? この辺についておわかりの方がおられたらお教え願いたいものである。


8/22(火)快晴 定期処方日 外来  法人常務会 入院患者家族面談 県医療審議会法人部会 医局カンファ:外来再編 医療安全関連会議
 
1:20起床,ドック判定総括x1、紹介状2部ほか、5:10バイク病院着。6:00回診、定期処方発行、9:00-14:00午前外来。14:00-15:30常務会。入院患者対応。16:50-18:10県医療審議会法人部会で県庁に。18:30-19:40医局会に遅れて参加、外来再編関連の討議。19:45-21:10医療安全関連会議。21:30療養病棟回、22:20帰宅、夕食、22:50就眠。

オールド・ボロ・ハーレー   枯渇したバッテリーのパワーが戻る不思議(1)

 昨朝、5:00am、出勤のためにバイクを始動しようとしたがセルが勢いよく回らない。一日前に乗って帰宅したばかりで充電不足は考え難い。バッテリー寿命がまたもや突然来たかと訝りつつ、何とかかかってくれないか、と祈る気持ちで回したセル10回ほど。ついにかからず、セルも空しいスイッチ音をたてるだけで全く回らなくなった。バッテリー上がりである。またか!!と思いつつ、ホンダのCR-X デルソルに乗り換え出勤した。

 ハーレーは昔からオイル漏れが多く、電気系統に難ありと言われていたが、20年ほど前から日本のオートバイの技術を取り入れてから後者はかなり改善されたとされる。私のハーレーは1992年製だから約15年以上も使っている。初期不良は多少あったが、不明のオイル漏れが一度だけでそれ以外のトラブルは幸いにも少なく,メカニック系統の不調は全く生じていない。大概はバッテリーの劣化に関するものであった。外観は錆びてボロボロでドブネズミバイク調になりつつあるが、機械としての調子は良い。

 1430ccのエンジンであるが座席の下にあるバッテリーは1500ccクラスの自動車の1/3位のサイズしかない。始動時の負荷は大変なものであろう、実際に車のバッテリーの寿命よりは遙かに短い。シリンダー一つが700ccもあるから始動の際、力強いセルの回転と十分なスパークが得られないとプラグがすぐにかぶってしまう。だから、弱ったバッテリーではまず始動せず、私の祈る気持ちも空しく空回りし、通じない。最初の頃はバッテリーの劣化・寿命がこんなに早いと思わずにいろいろ検討したが、結局はバッテリーであった。負荷が大きすぎて劣化が激しいのだろうと理解し、今は車検の度ごとに交換している。今のバッテリーは2シーズン目である。

 今までの経験から、多分、明日は恐かかるだろう、いや、かかってくれるだろう、そんな期待を残して昨朝は車で出勤した。理屈に合わないが、充電もしないで放置しているだけなのに翌朝はきちんとかかる、そんな経験が何度かあるからだ。


8/21(月)晴れ  管理会議 外来 マッチング 療養病棟判定会議  長副会議 
1:30起床,ドック判定総括x1、退院総括、紹介状。ハーレーエンジンかからず。ついにバッテリー劣化か??  5:20病院着。6:20回診、8:00管理会議.9:00-13:30外来。15:00マッチングx1、診療部長面談。16:00-16:30療養病棟判定会議(欠)、17:00-20:00長副会議、懸案多数。21:20帰宅、夕食、21:50就寝。

7年目を迎えた当院の高校生一日医師体験 県の医師不足解消に貢献(2)
 7回目の「高校生一日医師体験」が去る8月1日と4日に中通総合病院で行われた。これまで参加した高校生の中から医学部に進学した学生の数は正確には覚えていないが頻度は高い印象であった。もともと医学部を志望している高校生が体験に来るのだから当然ではあるが、この様な企画が高校生の進路決定により前向きに寄与していることは明らかであろう。

 秋田県は今、医師不足状態にある。県内の医師数は2,100人で、人ロ10万人あたり180人で全国平均の200人に比べて少なく、都道府県順位でみると第34位である。秋田大学が発足するころの医師数は140人前後であったことを考えればずいぶん増えているが、医師の大部分は秋田市周辺に偏在しているから、県南・県北は特に医師不足が著しく、湯沢雄勝地区の104人、次いで鷹巣阿仁地区、大曲仙北の約120人である。患者の受領権は決して平等ではない。

 秋田県の医師が絶対的に不足している理由は秋田大学医学部の卒業生の県内定着率が低いためであり、その理由の一つに県内出身者の合格数が少ないことによっている。
 秋田大学では県内出身者のために5人分の地域枠を儲けているが、私は基本的には教育の機会均等権を奪うものでと思っているから支持できない。県の奨学金制度は私的医療機関にとって不公平で、今のままでは同様に支持できない。

 時間はかかるが、唯一確実なのは秋田県内の高校生に、あるいは中学生に医学部進学を志向させ、秋大に進学させることである。そのためには地域の医療機関が果たすべき役割はあると思っている。年に一回程度、各地の医療機関が地元の生徒に見学の機会を与えるとか、学校で医師が講演し、医学や医療の神髄や夢を語るとか、が必要であろう。秋田県の医療は県民が守るのだ、地域で医師を育てるのだ、と言う視点が重要だと思う。それに呼応する若者達は必ずいると思う。そのような意味でも当院の「高校生一日医師体験」は価値があると思う。

 私が医師を志望したのは祖父が医師であったこともあるが、村の高齢者、友達の家族等からの期待や眼差しでもあったような気がする。祖父死去の後、医師がいなくなったために村に公営の診療所が設立され、岩手医大から医師が派遣されてきた。これで私は村に帰らなければならないという暗黙の義務感から解放されたが、それまでは私はいつか村に帰り住民と共に過ごすのだ、と真剣に考えていた。地域の医師不足が話題になる度に、私はこのことを懐かしく思い出す。


8/20(日)薄曇り→快晴 34.4℃ FF tennis アトリオン室内オケ25回定期
2:30起床、ドック判定総括x1、主治医意見書他、文書作成など。9:30-13:10FF tennis2週ぶり。5-7、4-6,6-4と敗退。4勝9敗3分け。アトリオン室内オケ25回定期はキャンセル。14:00-17:00高校野球決勝観つつ紹介状、主治医意見書、文書、その他処理。17:30午睡若干、決勝戦は15回1-1で再試合と。20:00夕食、21:00就眠。

自伝 秋田大学時代 退職前、年休を利用してヨーロッパのオペラの旅に
 大学の退職は昭和60年5月5日付、中通病院赴任は5月6日からと決定した。大学の医局の人事面での都合で若干時期がずれたものの、40歳を迎える前には何としてでもケジメを付けたいと思っていた私の願いは何とか叶うこととなり、ホッとした。

 誰に言われたわけではなく、自分で決めた方向転換であり、秋から春にかけて大学で用いた関連書類、文献、物品のほぼ全てを焼き尽くし、かなり気持ちに整理は出来たが、さらに気持ちの切り替えのために退職前に残っていた年休を利用して日本郵船の企画によるドイツ、オーストリアの2週間のオペラツアーに参加することとした。

 ヨーロッパの歌劇場巡りを思い立ったもう一つの理由は、世界的なオーケストラや有名歌劇場の引っ越し公演を東京で何度も聴いたが、今ひとつ満足しきれないものが残っていた。カラヤン、バーンスタイン、アバド、カルロス・クライバー、マゼール・・と一世代前の巨匠の演奏も聴いた。ここで止まっているのは、次の世代のアーチストの東京公演には病院の都合でそう出かけられず、あまり積極的には足を運んでいないためである。また、東京出張が便利になりすぎて空路帰秋出来るようになったために、演奏会に出かける機会が激減したこともあげられる。

 各々の演奏会、オペラの公演はそれなりに満足すべきものであったが、数100年も歴史を重ねながら続いてきたオペラなど、本当にこの程度のレベルなのだろうか、と言う疑問、わだかまりが聴くたびに心の隅に引っかかったからである。その答えは本場で聴いたときにしかでない。この機会の逃しては二度と得られないかもしれない、と思い立ったからである。

 4月下旬に医局で開いていただいた送別会では身に余る激励の言葉も多くの方々から戴き、本当にありがたかった。
 翌朝、秋田空港をたち、午後成田空港から全日空機で一路ハンブルグに向かった。


8/19(土)快晴 病棟拘束
2:00起床、ドック判定総括x1、主治医意見書、他いつもの如し、5:10病院着.6:30回診その他、総括、紹介状、特定疾患関連書類処理。医局整頓、文献・雑誌一部廃棄。書棚整理ほか。20:00帰宅、夕食、21:00就寝。

7年目を迎えた当院の高校生一日医師体験 県の医師不足解消に貢献(1)
 今年の「高校生一日医師体験」が8月1日と4日に中通総合病院で行われ、県内の5校から12名の高校生が参加した。この「高校生一日医師体験」は、明和会の医療活動をアピールする一方、医師を目指そうと考えている,あるいは準備し始めてしている高校生が、医師の仕事を直接見学し、その一部を模擬体験することで、目指す方向をより明確にしてもらおう、という趣旨と目的で行われている。

 一日体験では各職場を回り、医師だけでなく、さまざまなコ・メディカルの脇でその仕事内容も見学した。また、医師、看護師によるミニ講演、手術見学、心電図検査やギプス巻きの模擬体験、医師との懇談も行われた。
 この一日体験は高校の指導教諭からも、参加者からも評価は高い。今年で七年目を迎えたが、この体験に参加した高校生は高頻度に医学部を志望し、合格後に明和会の奨学生になったり、病院の夜間受付のアルバイトをしたり、臨床実習への参加者もおり、医師確保としての成果が現れている。

  秋田県は現在医師不足、特に勤務医不足の厳しい状況にある。その理由の一つが秋田大学が関東、関西圏の医師養成所になっており、地元出身の入学者が少ないことが挙げられる。関東・関西圏の高校生が地元近隣域で医師になる門戸は秋田の高校生が秋田大学医学部に入学するのに比較して4-5倍はハードルが高いと言われている。更に、新臨床研修制度のもとで秋田大学の求心力が乏しいことも相まって秋大を卒業した医学生の秋田県への定着率は低い。

 これは早急に対策を講じなければならない。このままでは秋田県の地域医療は壊滅していく。


8/18(金)曇りのち雨、所によっては豪雨  入院患者家族面談  ドック診察  医療安全関連会議  マッチング 
2:00am起床、やや眠い。ドック判定総括x1他。いつものごとく。5:10病院着、5:30集中治療室他回診、事務処理他。10:00入院患者家族と面談、 13:15ドック診察x5。14:00医療安全関連会議。15:00新臨床研修制度マッチングx3.20:50帰宅、夕食,21:30就眠。本日九州は台風で暴風雨状況、秋田も前線の関係で県北中心に豪雨。

患者接遇の重要さ(2) 患者接遇の改善で病院は一変するだろう
 講師の浅田氏は医療の位置づけに関しては一切触れずに話題を展開していった。各人がどういう考え方をしていようと、どういう立場の人間であろうと、「接遇には一定の気配りが必要」という事なのだろう。
 氏は始めの方でディズニーランドのサービスについて述べた。そこの従業員は、入場者は「夢を見に、夢を買いに来ている人々」ととらえて接するようにしているそうだ。「夢を見る」ために訪れた客に従業員が一人でも不十分な対応すれば、夢は一気に崩壊してしまう。例え、99人の従業員が素晴らしい対応しても一人が不十分であれば評価は99点ではなく0点なのだ、と言う。入場者のうち70%近くがリピーターだと言うから、ディズニーランドの従業員の接遇がビジターに満足感を与えているのだろう。

「良い印象は蓄積でなく積算なのだ」と言われている。良い印象はかけ算の如く伸びて行くが、途中にゼロが挟まると評価は一気にゼロになってしまう。当院への投書を見ても、「医師から不快な扱いをされた、もう二度とこの病院には来ない」という記載が少なくないが、これに相当する感情であろう。

 浅田氏は「患者さんから信頼される応対」には「笑顔、共感、傾聴」であり、「優しさ、気配りは、思っているだけでは伝わらない。どのような言葉で伝えるかが大切」と述べ、基本である「笑顔」、「丁寧、かつ親しみやすい言葉遣い」に加え、「時間が無くとも5秒の余裕」、「案内は患者に2歩同行」、「お気をつけてといった共感の言葉をかける」ことが肝要と述べた。
 また、人の評価の三要素は「言葉の内容」7%、「態度・表情」55%、「声の調子」38%の割合で、その人に対する印象がわずか数10秒のうちに決まる、その際、話の内容よりも態度や声の調子が、大きな要素を占める」と述べ、相手を見る、うなずく、先入観を排除する、共感的に聞く、ことが必要で、患者の奥にある気持ちを受け止めて聞くことが大切で、これによって患者は自分を気遣ってくれていると感じるのです、と結んだ。
 要するに如何に正しいことを述べても、その話しぶりが悪ければ素直に伝わらない、と言うことである。

 病院の従業員のすべてが講師の浅田氏の如くの接遇を身につけたら病院の雰囲気は一変するだろう、と思いながら聞いていた。出席者を見わたすと大部分は私の目から見て接遇態度が良いと思われる人達であった。接遇に関心があり一層良くしたいという自覚と意欲からの出席であろう。一方、この様な研修会に是非出て欲しいと感じている従業員は殆どいなかった。これが自主的研修の限界でもある。今後は、普段の評価から出席を義務づける研修会にしても良いかもしれない。


8/17(木)晴れ 家族面談 外来 医師送別会(欠)
3日間夏期休暇モードだったが実質的には休めず。本日から通常体制。1:30起床、ドック判定・総括x1、紹介状等.5:10病院着。6:30回診。7:00入院患者家族と面談。9:00-15:00午前外来+検査等。16:00-17:00新入院患者対応。17:30-21:30検査後の患者不調にて集中治療室にて治療の推移を見守った。退職医師の送別会は出席出来ず。療養病棟の患者も不調、対応。22:30帰宅。夕食、23:00就眠.

患者接遇の重要さ(1) 患者接遇も医療人の医療技術の重要な一つ
 患者からの声・投書などを見ると職員の対応に不快感を持った、と言う内容のものが圧倒的に多い。クレームの対象職種としては看護師、医療事務職員、医師と続くが、検査技師、リハビリ関係者に対するものも少なくない。中には、清掃関係、守衛、駐車場管理人など、契約会社の社員の方も対象になっている。要するに院内で働くほぼ全ての職種員がクレームの対象となっている。

 中通総合病院では看護師、医事課職員等は個別に学習会、研修会を催しているが、患者接遇の改善は私どもの病院にとって大きな改善目標であると位置づけ、接遇の全体学習会も計画している。本年度の学習会は去る7月20日13:30から開催され、約160人が参加した。
 講師としては、株式会社SRLで社員やグループ企業の研修を担当している浅田均氏を招聘し、「心を大切にする病院サービス---患者様にはあなたの気遣いが必要です」をテーマに接遇の基本を学んだ。

  会のはじまりには院長挨拶として「最近、医療はサービス業としての変革を求められているが、私は医療がいわゆるサービス業と同類であるとは思っていない。住民の健康危機管理業であり、安全で質の高い医療の提供こそが最大のサービスなのだ、と思っている。しかし、業務の対象が不安や疾病を抱える患者であること、一方で医療機関の職員はプロフェッショナルとして高度の技能や知識、資格を有している事を考えれば、いわゆるサービス業以上のサービス精神を持って患者や家族に接することが必要である。その意味で、私も今日の学習会をとても楽しみにしている・・・」と述べた。

 講師は医療をどのように位置づけて話を展開するのだろうかと考えつつ聴いていた。しかし、浅田氏は医療の位置づけに関しては一切触れずに話題を展開していった。


8/16(水)快晴 ドック診察 マッチング5名 地域ガン診療連携拠点病院関連協議会
1:10起床。ドック判定・総括x1。今日まで夏期休暇モードなので若干ゆっくりする。6:10バイク病院着、7:30回診。13:00ドック診察。15:00新臨床研修マッチング。18:00地域ガン診療連携拠点病院関連協議会(県医師会)。19:50病院、21:00 帰宅、21:20就寝。

後発医薬品(ジェネリック医薬品)について(4)後発品への感想 あれこれ
 高騰する医療費対策の一環として、後発品を普及する動きが最近とみにみられ、患者の関心も急速に高まってきている。患者の立場からは内容が同じならば安いに越したことはない。当然である。メーカーは「後発品にすると薬の値段が半額になる」などと盛んに広告している。しかし、価格面だけをことさら強調した広告は、低医療費政策に悩み続けてきた医師の信頼感をむしろ損なっている、と思う。
 何でも安ければいいと言うわけではない。医療には何故コストがかかるのか、この程度の医療費で、医療政策で国民の健康は守れるのか?その検証の方が重要である。また、高コストを論じるならば決して薬品だけの問題ではない。諸外国の数倍も高いペースメーカーなどの医療材料費を使わざるを得ない現実を厚労省はどう説明するのか。

 後発品の使用が米英独は50%であり、我が国では2002年で12%程度と低い。普及しない理由は、後発品が医師から十分な信頼を得ていないためであって、情報が不備な状況が今後も続けば大幅な増加は期待できないだろう。私自身は療養病棟で後発品をやむなく使用しているが、病院運営からの判断であり、後発品を信頼しているからではない。後発品が先発品と全く同一の製剤であれば有効性や安全性は同等と言えるが、原料、製造方法、添加剤も異なっている場合など、主成分は同じでも異なった医薬品と考えたい。だから、各製品ごとの薬品としての検証と情報公開が必須である。

 日本の医師は諸外国に比して薬物を多用する傾向があるとされるが、背景には薬物への信頼がある。信頼しすぎることで薬害が生じる、と言い換えることも出来る。私自身「薬物の造血器障害」はかつて研究テーマの一つであったために薬物の副作用や薬害については特に敏感で、時間のフィルターを通過していない薬品の使用にはとりわけ消極的である。10年ほど前、ある学会で聞いたナイキサンの後発品が血中濃度ゼロであったという報告は私の耳から未だに離れることはない。

 あと、これは大いに感覚的なものであるが、過去の日本製品は「安かろう、悪かろう」と先進国から評価されていたが、この感覚も無視できない様に思うし、後発品メーカーは先発品が築いたレールにただ乗りしているのではないか?と言う感覚もないわけではない。

最後に、まとめると
●医薬品の使命は有効性、安全性である。ジェネリック医薬品であっても厳しさが求められるべきである。
●先発医薬品と治療学的に同等であることを保証することが義務づけられており、一般的には溶解試験や生物学的同等性試験が行われている。一連の確認試験は各製薬会社で行われているが、これはおかしい。第三者機関に委ねる必要がある。
●ジェネリック医薬品メーカー自らが、原材料の調達から製造、流通、販売に至る過程、低価格の理由、試験の結果を公表する必要がある。


8/15(火)晴れ   常務会  i-Mac起動せず   医局カンファ無し
2:30起床,ドック判定・総括x1、紹介状、6:00-7:00若干微睡む。本日は14:00まで年休予定。10:30病院から電話、患者急変で病棟へ、対応、回診等。病院でメイン機種のi-Mac起動せず、修理に出した。仕事はサブのPawerMacG3に乗り替えて殆ど支障なし。14:30-15:30法人常務会。机上書類処理等。17:30帰宅、夕食、20:30就寝。

後発医薬品(ジェネリック医薬品)について(3)医師にとって後発品とは
 私どもの法人では後発医薬品(ジェネリック医薬品)の採用も、薬事委員会で検討しているが、その考え方の基本は以下の通りである。
●一般病床は出来高払いなので、薬価差益が大きい場合、採用を検討する。
●療養病床は包括払いなので、使用頻度の高い薬品は後発品に変更する。
●外来では院外処方箋を発行している。基本的には先発品を使用するが、処方頻度の高い薬品は暫時採用を検討する。
●患者からの後発品への切り替えの申し出がある場合は対応する。

 上記の如く、私どもの法人の後発品の採用は主に経営上の視点から決定されている。結果的に、2006年7月現在で内服49 品目、外用薬15 品目、注射10 品目が採用され、各部署で使い分けられている。私どもの病院の外来での処方箋発行は700枚/日程度であるが、後発品の希望への対応は現状では月5-6枚程度と少ない。私はまだ未だ申し出を受けたことはなく、「後発品への変更可」とした処方箋を1枚も発行していない。

 医師が後発品に対しどのような印象、考え方をもっているのかは日本医師会の調査結果に表れている。
 日本医師会では後発医薬品の急速な使用促進勧奨のもと、後発品に対する医師と患者間のとらえかたの溝が広がり、医療現場に混乱が生じているとして後発品に関しての調査を開始した。6月12日現在,70件以上の意見が寄せられている。
 それによると、多くの意見は「後発品について、効果や副作用発現に対し疑問がある」としており.一部に「厳選して使用すれば問題ない」との意見があるとのことであった。担当常任理事は「後発品についてのデータが不足しているため,医師は安心して処方できない、と集約できる」と感想を述べ、薬効、安全性、副作用に関するデータベースの早期構築が必要である、と見解を述べているが、私も全く同感である。これが我が国の医師にほぼ共通の意見のように私には思える。


8/14(月)晴れ  管理会議  年休:盛岡へ墓参
2:00起床。ドック総括x1。紹介状、書類2,3処理他。5:00バイク病院着.6:00回診など病棟業務。8:00-8:45管理会議。9:30帰宅。一年ぶり?メイン装置でレコードを楽しむ。12:30秋田道・13号→4号線→盛岡→長岡に。15:30江岸寺着。兄+長男家族+三男も同席。住職殿は元気そう。本堂、墓前の読経戴く。16:30本家に挨拶、17:00花月堂にて歓談。18:00矢巾の叔父宅、90歳、に寄り15分ほど歓談。解散、家内と逆コース、20:30無事到着。21:30就寝。

コンパクトであった今年の墓参   地震でずれた墓石を修復 
 8月14日は私の郷里では墓参りの日である。子供の頃は必ずこの日、早朝に墓参していたものだが、ここ20年ほどは適宜14日から16日の間,時に20日としてきた。

 年に一回のこの墓参は私にとって兄弟、家族が集まるという意味では意義は大きい。叔父宅にちょっと顔を出すのも良い。小学校の教諭であった住職にお会いする楽しみもある。そうは言っても結構プレッシャーにもなっている。本家への挨拶も重い。物理的には長距離運転が重荷である。通常は名所や旧跡などを訪問しストレス分散のするのであるが、今年は長女夫婦はNYだし、次男は業務とのことで、今年はコンパクトに日帰り墓参とした。

 正午過ぎに出発、20:30には帰宅した。正味8時間、墓参60分、本家挨拶15分、叔父宅15分、後は若干のコミュニケーションだけ。年に一度の行事は実質この程度であった。盛岡方面ではいつ地震があったのか分からないが、墓石の上2段が2-3cm横にずれていた。これを男4人で修復を試み、何とか動かせたが実に重いものである。

 運転をいつもは適当に代わりながら行くのであるが、今回は3人で2台に分乗して行ったのでその機会はなく、約300Km運転し続けた。通常は通勤以外には殆ど乗らず、時折の片道25Kmほどの空港往復さえも重荷と感じる運転嫌いの私にとっては年に一回の重労働日である。帰路は実に眠かった。無事に着けて良かった、と安堵し疲れもあって夕食もそこそこにすぐに就寝した。

 先週頃から早朝の風はひんやりと冷たくなり、秋の息吹がもう感じられる。まだまだ残暑は続くだろうが、私の大好きな夏は気持ちの上ではこの墓参りをもって終わる。今年の夏も私にとって夏らしさを殆ど味わうことなく、涼しいまま、短かく終わってしまった


8/13(日)快晴   FF tennisなし
2:00起床、一般的業務いつもの如く、新聞チェックそのほか。来客もあり。12:30バイク病院へ。天徳寺前はお盆の墓参の車で混雑し、交通整理が必要なほど。回診、処方・検査等入力。特定疾患病状報告x8枚。主治医意見書x2部など。書類書籍廃棄若干。19:30帰宅。夕食、20:30就寝。

自伝 秋田大学時代(1973-1985) 医局人事から離れる理由
 中通病院へ一定期間就職することは誰にも相談せず一人で決めたことであった。私的な問題であり別に公表するべき事でもないために自分からは話すことはなかったが、この様な話はどこからか伝わってくる。年末頃からは医局でも知られることとなった。大部分のスタッフからは医局を去るのはまだまだ時期尚早、しかも、何で中通病院なのか?と言うことも含め、随分慰留された。特に当時の助教授からは私の将来のために中通病院より、より相応しい病院選択をすべき、と別の公的病院への赴任を強く勧められた。実に有り難い話であった。今でも感謝している。

 私が医局を辞し、いわゆる医局人事から離れ、医師個人として中通病院に就職すると言う考えのルーツは、私が医師になってから直ぐに赴任した岩手県立宮古病院で働いていた2年間の経験から堅く決めていた考えである。

 宮古病院では中堅どころの医師は東北大学の医局から派遣されてきていたが、病院の運営、特に人事面で大学が少なからぬ影響力を持っていたらしいことを体感できる事象を何度か耳にし、とても疑問に思っていた。

 大学から数ヶ月から1-2年程度派遣されてくる医師はその病院の持つ歴史とか地域の中における特殊性とかを全く理解することなく、与えられた最小限の仕事をこなすだけで、暇をもて余している状態であった。そのしわ寄せは私どもに大幅に降りかかってきた。仕事上の考え方もやり方も大学の方法を無理矢理押しつけてくるし、患者急変時も連絡がつかないなど、彼らは医師の中では完全に異分子的存在であったが、態度は大きく文句も多く、病院側はすごく気を遣い、給与は私どもとは別体系で遙かに高額であった。ときに教授が訪れて来たが、病院を挙げて迎える準備するなど実に大変で、私は学生時代の医局講座制反対の立場で運動したことも含め、大学医局が遠方の病院にまで影響力を持っていることに良い印象を一切持てなかった。また、とっくに医局などの庇護から独立すべき、いい年をした医師が医局人事と称して次々に転勤していく主体性のなさも理解できなかった。
 勿論、中には大学で勉強することの意義や夢、研究中のテーマ等を熱く語ってくれた医師もいたが、少数であった。

 このときの経験、印象から私は大学の医局長のときには、各地の病院に短期赴任する若い医局員には、赴任期間は出来るだけ大学に戻ってこないで、24時間その病院の医師になりきるよう言葉をかけて送り出した。しかし、真意は伝わらなかったようである。私が中通病院に就職するにあたり、まず退職決定、次いで病院探し、と順序だって事を進めた背景は上記のような事情がルーツである。


8/12(土)晴れ  不要書類・文献処分 パソコン関連レイアウト変更
2:00起床。ドック総括x1、紹介状とか若干。5:10病院。6:00回診+病棟業務。その他患者関連書類作成数編。対外的予定無く時間がゆっくり経過する。研修担当部長と面談。午後は背面の棚の不要書類・文献を選別し、一部処分。床の上に重ねた書籍を棚に移動。パソコン関連レイアウト変更。ディスプレイ7つのうち、5つを自分の周辺に配置し、機能性が改善した。2つの旧マックどうするか、処分するか悩む。19:00帰宅、19;40夕食、20:30就眠。

秋田の夏祭り 私にはお囃子の音さえも聞こえてこなかった  
 7/20-7/21は秋田市土崎港曳山まつり、8/3-8/6は竿灯祭りであった。基本的には私は祭りなど人の集まるところが好きでないし、殆ど関心もないが、今年は特に縁遠いものであった。秋田に来た当時2年ほどは土崎町内のど真ん中に住んでいたこともあり、前者は生活上いろいろ影響を受けた。竿灯祭りは交通規制のためにいつもの帰路は通れず若干不便する。

 前者の曳山祭りは秋田市土崎港に伝わる由緒ある祭りで、400年近い歴史があり「県の無形民俗文化財」「国の重要無形民俗文化財」に指定されている。「曳山」は車台の上に戦場場面などを模し、武者人形を飾り付けたものでいろんな意味があるらしくよく話題になるが、私から見るとどちらかというと陳腐である。地域住民、「浜っこ」達にとっては年に一度の大行事で、町内全体が活気に溢れる。家内は土崎出身だからやはり私とは感覚が違う。子供らが小さい頃は家族達は明るいうちから家内の実家に出かけて祭りを楽しんでいた。私も1-2回は出かけたこともあったが、それでもう十分、以後は大学で時間を過ごし、人手が少なくなるのを待って夜半に迎えに行く程度であった。子供達も成長し、義父母も死去してからこの祭りは私にとって更に遠い存在となった。この祭りは別名「カスベ祭り」とも呼ばれる。この曳山祭りには、各家庭で魚の「えい」の乾物を煮込んだものを食べる風習がある。今年、我が家の食卓にも出され、若干味わった。私にとって今年の土崎港曳山まつりはこれだけであった。

  秋田の竿灯祭りはいつもならかなり前から練習光景やお囃子が聞こえてくるが、今年は何故か一度も聞こえてこない。竿灯祭りははやり秋田に来た年に一度だけ観に行ったが「何だ、こんなものか」程度の印象で二度と行く気も沸かない。何かもっと趣向をこらさないと名前が売れている割りにはつまらない祭りで無かろうか。今年は初日、二日目に大阪出張であったことも関係したのかもしれないが、今年の竿灯は私にとってはいつの間にか終わってしまった、という感じである。
 日中は暑いが、2:00-5:00am頃、窓から入ってくる風は結構冷たい。何も夏らしいことを味わうことなく、今年も大好きな夏が去っていく。寂しい季節になってきた。


8/11(金)晴れ、角辻・佐藤医師来訪  ドック診察 医師面談 マッチング 県医師連盟執行委員会 法人理事会
2:00起床、ドック判定総括x1、退院総括、医師会長投稿文検討関。5:20病院着、6:15病棟回診、関連業務。11:00名古屋徳洲会総合病院、角辻ハートセンター長と研修中の佐藤医師来訪面談。13:30ドック診察x5。14:00医師面談。17:00-18:00秋田県医師連盟執行委員会。18;10-19:40法人理事会、遅れて出席。20:50帰宅。21:30就寝。

後発医薬品(ジェネリック医薬品)について(2)私にとって不可解な薬品
 個々の医療内容については医師会で統一意見は出せない。だから、会員一人一人の後発品に対する意見は分からないし、集約もしていない。私は県医師会副会長の肩書きで見解を述べたが内容は私見である。
 演題は【後発医薬品--病院医師の立場から(私見)】とし、要旨は「後発品個々の薬理学的性格は処方医には殆ど分からない。だから、処方に際しては使い慣れた先発品と同等であれと願うだけである。後発品への対応は、処方医が置かれている立場によって様々である」とまとめた。

 私が勤務する法人は数年前まで後発品は殆ど使用していなかったが、療養病床を導入する際に必要に駆られて導入した。病院では48床の療養病床では原則的に後発品を、490床ほどの一般病床と外来では原則的に先発品である。
 私は医師個人としては後発品を信用できていないから、とても消極的である。にもかかわらず療養病棟では後発品を用いなければならないというジレンマに苛まれる。

  不勉強のためかもしれないが、後発品周辺にいろいろ疑問がある。ザッと挙げてみると、
● 医療費軽減のために薬品価格が安ければ日本の医療は本当に良くなるのか?
●一定期間後に後発品に置き換わるとすれば、先発品の価格が発売当初に不当に高く設定されないか?これが医療費を高騰させないか?
●後発品の普及が普遍化すると新薬開発の意欲が減退しないか?
●何故、医師等に対して後発品の情報提供がないのか?有効性・安全性は先発品と本当に同じか?
●供給体制は大丈夫なのか?
●後発品間の薬価に大きな開きがあるのはどうしてか?
● 適応症に差あるのはどうしてか?

  私どもの法人では医薬品の採用は薬事委員会で公正な立場で検討している。後発医薬品の採用時には、先発品との同等性、安全性等を検討して採用している、と言うが、これらの項目を何に基づいて判断しているか私は知らない。そんなに厳正には出来るわけはない、と思う。結果的に、内服49 品目、外用薬15 品目、注射10 品目が採用されており、私は療養病棟ではやむを得ずこれらを処方している。


8/10(木)快晴 外来+ドック結果説明 VN-KK社員来訪面談 チェロとコントラバスのコンサート
1:30起床、ドック判定総括x1、退院総括、自己免疫性疾患経過報告書x3処理、5:00バイク病院着、6:00病棟回診、9:00-14:30外来+人間ドック結果説明。15:00 VN-KK社員来訪、外来診療について面談。入院患者対応2件、回診再度。17:00アトリオンホール、チェロとコントラバスのコンサートへ。20:50帰宅、夕食、21:30就寝。

後発医薬品(ジエネリック医薬品)について(1)盛会で驚いた県薬剤師会・病院薬剤師会合同研修会
 医薬品の特許期間が切れた後に、他の製薬メーカーから有効成分が同じで、効果も同一とされる薬品が発売されている。それが後発医薬品(ジエネリック医薬品)であるが、医療費高騰への対策として、患者の自己負担軽減のために近頃急速に関心が高まっている。

 後発医薬品は承認に際して多額の経費がかかる治験などの検討を改めて行う必要がないことなどから開発コストが抑えられ、薬価が安い。国は医療費抑制の一環として、後発品の処方を推奨し、普及を後押ししている。本年度から処方せんに「後発医薬品への変更可」と記載する欄を設け、若干の診療報酬も付けるなどの策を講じている。その結果、県内の医療機関でも後発品を使用する動きが徐々に広がりつつある。一方で医療関係者の間からは、薬効の同一性、副作用の発現率などが異なる、との声は根強く、使用に慎重な医師は少なくない。
 薬剤師も薬効、品質、流通、在庫確保などの面で不安が払拭されておらず、同様に困惑しているようである。

 この様に国の後押し、患者の希望がある一方で、薬剤師、医師の間でも考え方の相違が浮き彫りになってきており、医療の現場は混乱しつつある。
 2006年7月23日、秋田県薬剤師会、秋田県病院薬剤師会は合同で第33回卒後研修会を開催したが、その企画の一つとしてワークショップ「後発品を考える」が行われた。主催側から県医師会に演者の推薦を求められ、私が担当した。

 会場の秋田県総合保健センターは医療関係の催しが頻回に行われるが、当日は用意した椅子が不足するほど多数の薬剤師が参加した。私はこの会場がこれほどの出席者で埋まったのを初めて体験した。薬剤師の立場でも関心が高いことがうかがわれた。


8/9(水)晴れ 患者死去 外来 県感染症評価委員会 院内感染委員会(欠)   県医務薬事課員と面談 県医師会常任理事会
 0:30病棟よりの電話で起床。出勤。患者死亡。この間、ドック判定総括x1. 総括・紹介状etc処理、4:00患者見送り。そのまま院内で業務。6:30回診、その他。9:00-13:40外来+ドック診察4名.外来はやや余裕か?14:00-15:00県感染症評価委員会(県衛生化学研究所)。16:45県医師会へ、16:55県医務薬事課員と面談「ガン連携拠点病院」問題。17:30-20:00常任理事会。病院に戻り、21:00Taxi帰宅.21:30就眠。

 「地域ガン診療連携拠点病院」(4)新拠点病院構想と旧「地域ガン診療拠点病院」への考え方、対応の違い(2)
「地域ガン診療拠点病院」構想は名実を伴わないが、病院の差別化につながるから、そう簡単には乗れない。しかし、全国的には140もの医療機関が申請し、その殆どが厳正な審査も受けずに認定されている。私どもからみて惨憺たる内容である。
 国は、今年度、従来の拠点病院構想を止めて、新しいコンセプトの「がん診療拠点病院」の整備を打ち出してきた。認定要件も、名称も変えた。認定のための検討委員会も設置している。かなりの改変である。

 新構想によると、「「地域がん診療連携拠点病院」の指定要件は、●各医療機関が専門とする分野において、各学会の診療ガイドラインに準ずる標準的治療や応用治療が出来る●セカンドオピニオンを提示出来る●緩和医療の提供体制を持つ●地域の医療機関への診療支援や連携体制を持つ●専門的なガン医療に携わる医師の配置●ガン医療に精通した薬剤師、看護師、臨床心理士、診療録管理者、放射線技師等の配置●研修体制、情報提供体制、支援センターの整備等と、とても厳しい。

 しかし、これらの要件が満たされた病院なら「名実を伴っている」と言いうる,と私は思う。だから、今回は私どもの病院も積極的に申請した。

  旧構想が「名実を伴わなかった」という判断は私は今でも正しいと思う。広報委員会でどうしても駄目というなら私はその部分の削除にこだわらない。しかし、真意だけは残しておきたい。以下はその一部である。
●厚労省は名前も変え、具体的機能を附加し、補助金も年200万円から大幅に増額した。厚労省自身が名実を伴っていないことを認め、内容を改変したと言うこと。
● ガン拠点病院に指定された場合いろいろな義務が生じる。年間僅か200万円の補助金で何が出来るのか。診療情報管理者一人を雇い入れる資金にもならない。認定後の義務を真面目に遂行するとなると、むしろ職員の労働環境は悪化する。だから、簡単にはエントリーできない。
●私の知る範囲では「先の案」で認定されている137病院の実態は、1/3ないし1/2近くが要件も満たしておらず、内容的に惨憺たる状況である。しかし、病院の差別化には確実に寄与している。
●今回、全国的に多数の医療機関から申請が出たのは「名実を伴っている案」に改善されたためである。
● 先の案が「名実を伴っている案」であれば私どもは恐らくエントリーしたと思う。恐らく、認定されたかもしれない。今回の案は、それなりに魅力がある。
● 名実を伴っていない資格や名称、理由で医療機関が差別化されるとすれば、県民のためにも、医療機関のためにも、決して良いことではない。医師会としても許容すべきではない。
● 「名実を伴っていない」旧案で認定された病院が今回そのまま認定というのは納得できない。今回、全て再審査し直すべきであった。
● ・・・・・。
私が「名実を伴っていない」とばっさり切り捨てた理由はまだあるが、もう出勤時間となった。今回はここまでで留め置くこととする。


8/8(火)快晴 外来 常務会 医局カンファレンス 会食
1:30起床,ドック判定総括x1.書類処理、5:15バイク病院着.6:30回診、定期処方箋発行。9:00-14:10外来.14:30-16:20法人常務会、その途中で患者心肺停止、対応。家族面談。17:30医局カンファレンス、整形外科。19:00-21:00某教授と会食、ル・シャトレ。秋田の医療、社会情勢など話題となる。21:15帰宅。21:30就眠。

「地域ガン診療連携拠点病院」(3)新拠点病院構想と旧「地域ガン診療拠点病院」への考え方、対応の違い
 7月下旬、「地域ガン診療連携拠点病院」をきめる厚生労働省の検討会は秋田県が推薦した13病院全ての指定を見送った。県の計画は全国6番目の広大な面積を有している秋田県の場合、二次医療圏毎に拠点病院が是非とも必要、としたもので13病院を推薦したが、国の方針とは合致しなかった様である。内部資料では秋田市内の2病院は要因を満たしていたが、何故か認定されなかった。
 13病院も推薦したと医師会長から聞いたときには私は耳を疑ったが、やはり、県の段階で十二分に検討しないままに推薦した、と言う姿勢が問われたものである。推薦した13病院、要因を満たしていた2病院、医療関係者、また県民に対する県の責任は大きく、重い。再認定は10月に行われる。この時には最小限3-4病院が指定されるよう、県医師会は県に計画の見直しを求めて行く。

 県医師会では広報委員会がメディアや医師会の広報誌等を通じて県民に要らぬ不安が生じない様広報等もしている。私もその一翼を担って「すこやかさん in Akita」の小文を担当した。
 以下はその一部である。

 ガン死亡率が全国一高いという数値と相俟って「地域ガン診療拠点病院」が秋田では一つも指定されていないことで、秋田県のガン診療は低レベルではないのか?と県民の方々に心配をかける結果になりまたが、この「地域ガン診療拠点病院」は名実を伴っていなかったために、県や医師会では指定を急ぎませんでした。
 決して秋田県のガン診療のレベルが低いためではありません。県内の医療機関のがん治療は、十分に全国レベルに達していると考えています。

 この文章を草稿として提示したところ、県医師会の広報委員会のメンバーより「名実を伴っていなかったため」は意味不明だから削除すべしとの意見が出たという。実際には私はこの部分はとても重要だと思っている。「名実を伴っていないから」県医師会は認定を急がなかったし、私どもの病院も積極的には対応しなかった、からである。

 秋田県にはその時点から確固たる方針があるとは思えず、医療機関の推薦を県医師会に丸投げにしてきた。名実を伴わない内容であるが指定の有無によって医療機関は県民や患者から、あるいは医療関係者からも確実に差別化されることが明らかだけに、医師会で簡単には推薦できるものではない、と言うのが当時の判断であった。しかし、県内各地には異なった事情もあることだから、として推薦を拒否せずに各郡市医師会には打診していた。予想の如く、正式にエントリーを表明した病院はなかった、と私は理解している。


8/7(月)晴れ 管理会議 外来 療養病棟判定会議 長副会議
2:00起床、若干発熱腰痛あり。ドック判定総括x1.退院患者総括、紹介状他,5:10病院着.6:30回診他、8:00-8:45管理会議.9:00-13;00外来。療養病棟判定会議:対象者3名。17:00-20:00長副会議。20:30帰宅、夕食、21:15就眠。午後まで若干体調不良であった。

甲子園、私から見て無駄に見えることもある
 いつの間にか甲子園で高校野球が始まっている。高校野球は夏の風物詩としてすっかり定着しているし、垣間見るTV中継でのキビキビしたプレイは爽やかでとても良い。しかし、私がいつも無駄だと思っていることが三つほどある。

 一つは抽選会である。何故、全部の出場校が大阪に集まってからおもむろに抽選会をするのだろうか??一日4試合しか消化しないのだから一回戦だけでも一週間はかかる。二回から出場するクジを引き当てた高校は10日間ほども待つことになる。全出場校が決まった段階で、例えば各地のNTTやNHKのネットワークを通じて抽選を電子的にやればいいと思う。早めの試合を引き当てた高校は直ちに出発すればいいし、遅い試合を引き当てた場合にはゆっくり出発すればいい。この間、選手は自分の本拠地に残るのだから練習は十分出来るし、健康管理上でも、心理的にも良いのではないかと思う。大阪近辺で試合を待つのは非効率である。

 経費も莫大なものになる。地元の高校が出場する場合、寄付金集めは関係者の悩みの種である。私は秋田出身でないから高校と直接関連はないが何かのつてを通じて募金が来る。今まで金足、秋田、秋田商、経大付校に寄付してきた。後に届く報告書を見ると5千万円以上もの寄付を集めている。秋田高校の場合、一回戦で敗れたために資金があまり、屋内練習場を作ったこともある。どんな手続きがあったか忘れたが、本来の目的でない資金の流用は問題である。ある高校の場合は3回戦程まで残ったために追加の寄付要請まで来たこともある。「タカが野球、されど野球」であるが、ちょっと肥大化しているような気がする。

 第二点は校歌斉唱である。敗者の校歌を流せばいい。高校野球は勝負も大事だが教育の一環としても重要である。だから、判官贔屓である必要がない。準備に準備を重ねて甲子園に臨み、惜しくも敗れた高校の校歌を静かに聴きつつ敗者の気持ちに心をはせる、これは日本人の優しさを熟成する、と言う教育のためにも良い。決勝戦では勝者、敗者双方をたたえて両校の校歌を流せばいい。これで用意した録音は全部利用されて無駄にもならない。

 最後は、果たして全試合を全国放送する必要があるのか??と言う疑問である。地元の高校が出ている場合のみ地元で流す・・で良いと思う。が、これについては言及しないで置く。


8/6(日)快晴 竿灯祭り最終日 FF Tennis
2:00起床、ドック判定総括x1,新書・新聞読み若干。9:30-13:00 FF Tennis 、7-9,6-3と引き分け。今年は5勝8敗2分け。13:30帰宅、若干午睡。15:00-19:30病院。20:00帰宅、夕食、21:00就寝。

自伝 秋田大学時代(1973-1985) 秋口から春にかけて残務整理
 中通病院瀬戸院長との面談にて来春の秋大第三内科の退職後の当面の道は決定した。その時以降、日々の診療や学生教育、若干の研究室での細胞培養などをこなしつつ、徐々に残務整理、身辺整理にかかり始めた。時間がないためにまとめることの出来なかった話題やデータについて論文を数編まとめ上げること、と大学生活の間にため置いた膨大な文献、書籍、自分の実験データなどの資料を処分することである。

 大学における13年あまりの生活は私にとってすごく恵まれたものであり、まだまだやりたいことがあった。自分の限界を見定めて終止符を打つ事にしたものの、まだまだ未練は断ち切れておらず、気持ちを整理する必要があった。そのために秋口から休日には時間を見つけては自宅で資料、書籍等を一つ一つ自分の手で再確認しながら全て焼却処分していった。

 現在ではダイオキシンの発生などのために家庭でのゴミ消却は禁じられているが、幼少の頃から私は火を燃やし、物品を焼却処分することが大好きであった。昭和27年4月10日正午頃、このとき私は小学校に入学したばかりであったが、強風の中、我が家を含む11軒が消失した火災があり、我が家はもらい火で丸焼けとなったが、その時に経験した巨大な炎、全てのものを焼き尽くした強烈な炎と熱、煙は私に大きなインパクトを与えた。私は燃え上がる炎を見ているとすごく良い気分になる。その一方では火の後始末に関しては異常に神経質である。

 小学生の時から大学2年ほど迄、田舎の家を手放す前には家中の廃棄物を集め、裏の畑に深く掘った穴の中で燃やすのが私の仕事であった。

 秋田の自宅でも禁止になるまでは焼却炉で何でも焼いていた。毎年2-3ヶの焼却炉を高熱で駄目にしたし、ご近所にはニオイ、煙,灰などでいろいろと迷惑をかけてしまった。
 退職を決意した年、集めた資料を秋から春までかかって全て焼き尽くした。取っておこうかと逡巡したものもあったがあえて全て焼却した。この作業を数ヶ月続けたが、この作業を通じて心の迷いはほぼ消失した。


8/5(土)快晴 竿灯祭り三日目 プリウス車検 患者家族面談 公立米内沢副院長来訪歓談 来客あり歓談 
5:00起床。ドック判定総括x1他。5:00病院着、6:00-6:45入院患者家族と面談、回診。業務、資料整理。16:00-17:00公立米内沢副院長来訪、歓談。19:00竿灯祭りにて遠回りルートで帰宅、19:30夕食、20:00来客と歓談、21:00就眠。

書評:克彦の青春を返して-医療過誤18年の闘い 
稲垣克己著 中日新聞社(3)
 この本の存在意義は大きい。特にわれわれ医療関係者にとって一読の値がある。医療事故の被害者や家族が書いた類似の本は数多い。が、それらの多くは患者・家族の側の想いが先行した記述となり、状況分析は不十分で、事実と感情とが入り交じり、真の問題点をくみ取ることが出来がたい。そのために、最後まで読み切ることはそれほど無い。稲垣氏の記述からは事故直後から経時的に家族の苦悩、逡巡、訴訟決断までの過程の推移を読み取ることが出来るし、訴訟後に原告側としての苦労も並大抵ではなかった事も綴られている。医療関係者として患者に、あるいは家族に如何様に接すべきか、患者・家族は医療事故の際に医療者側に何を求めているのか、についても教えてくれる。
 
 医療関係者でない方々からわれわれ医療人に対し発せられる、冷静で感情抜きの言葉は、とても重い。
 巻末には判決文全文が掲載されている。これも参考になる。判決文と本文を対比しつつ読むと稲垣氏が如何に情に走ることなく、冷静に事の経過を見つめていたかがよく分かる。

 著者は介護の一方で仕事もまとうされ、この本や講演活動を通じて医療界の問題点を社会に向けて訴え続けられた。それだけでなく自然や歴史とかに実に広範な興味も持っておられるようで、自費出版でエッセイ集も2冊ほど上梓されている。奥さん、娘さんも短歌や絵画に造詣が深いとのことである。

 息子さんの死はさぞや辛かったと思う。これは家族でなければ到底分からない。私は稲垣さんとご家族にかけるに相応しい言葉を持たない。心からご冥福を祈るだけである。
 ご家族はこの悲しみを新たな気持ちで乗り切ろうとされている様に見える。その行動の一つとして私ども医療関係者に著書を送って下さっているのだと思う。
 稲垣氏の講演を拝聴した日医の医療事故防止研修会は偶然かもしれないが、昨年の8月6日からであった。本日、本を贈っていただいたことに対するお礼の書簡を稲垣氏にお送りした。


8/4(金)大阪快晴・秋田曇り  竿灯祭り二日目 日本病院協会:病院長幹部職員セミナー2日目(大阪帝国ホテル)
 2:30大阪東急インにて起床。ドック判定総括x1ほか。6:30葉っぱとコーヒーで朝食。高校総体と重なりレストランは大混雑。彼らの食欲はすごい。8:30ホテル発→9:00-17:00帝国ホテル大阪、日本病院協会セミナー2日目。昨日に引き続く長丁場の講演会、間歇的に耳と記憶を録音機に委ねて意識混濁する。17:05ホテルのシャトルバス→17:45大阪駅からリムジンバス→18:15伊丹空港→19:00IBEX CRJ機→20:20秋田空港着、21:00帰宅、夕食。22:00就寝。

書評:克彦の青春を返して-医療過誤18年の闘い 
稲垣克己著 中日新聞社(2)
 医療事故は1983年、名古屋大学附属病院耳鼻咽喉科で良性のリンパ管腫の再発に対して行った2回目の手術の術後に起きている。巻末に掲載されている判決文によると、手術自体も困難を極め、6時間近くもかかったと言うが、術後も創部から持続的出血が認められ、術後30数時間後に気道閉塞を生じ心肺停止、気道確保に手間取り蘇生後脳症に至ったものである。気道確保後の治療は十二分に行われたが、意識の回復は無く、コミュニケーションも殆ど取れない全介助状態で固定した。裁判の争点は術後管理の杜撰さと患者が呼吸苦を訴えた後の約2時間の対応、救命処置の遅れの3点に集約されている。

 私から見ても、複雑であった手術術後に出血が続いているという、無視すべきでない大事な徴候を軽視し続けた管理の杜撰さ、気道の確保処置の判断と対応の遅れと問われてもやむを得ない状況下で心肺停止状態にまで至っている。

 これを読みながら、もし私がその場にいたら、何かできることがあったのだろうか、と思う。物理的原因で気道の完全閉塞を来している患者に対して挿管による気道確保は到底出来なかったと思うが、専門医を呼び、気管切開の準備までの間、太めの注射針を気道に多数刺入する処置をやっただろうと思う。それでどれだけ改善させられるかは何とも言えない。新たな合併症を起こす可能性もないわけではない。しかし、この処置は、挿管に習熟しているわけでなく、気管切開も数例しかやった事のない内科医の私が、このような緊急事態に遭遇した場合に専門家が到着する迄の間に出来る救命処置の一つ、として位置づけている。


8/3(木)秋田大阪快晴 竿灯祭り初日 日本病院協会:病院長幹部職員セミナー(大阪帝国ホテル)
 1:30起床。ドック判定総括x1ほか。3:10病院着、事務処理・回診他病棟関連業務処理。6:40病院→秋田道→空港。8:00IBEX CRJ-100型機、秋田→9:20伊丹→10:30帝国ホテル大阪。会場で11:00-13:00病院業務、本読みなど。13:00-18:00日本病院協会セミナー初日。19:00東急イン大阪着、外で夕食。20:30就寝。

書評:克彦の青春を返して-医療過誤18年の闘い 
稲垣克己著 中日新聞社(1)
 つい一週間ほど前に私宛に書籍小包が送られてきた。送り主は稲垣克己とある。何処かで聞いたことのある名前であるが直ちには思い出さない。開けてみると「克彦の青春を返して-医療過誤18年の闘い」という本が入っていた。これで著者を思い出した。約2年前の夏、日本医師会では医療事故関連のセミナーを二日間にわたって開催したが、その時に「医療事故:患者の立場から」という講演をされた方である。私はこの時の録音をとってあり数ヶ月前に聞き直したばかりであった。秋田県医師会でも医療事故予防のための冊子を計画中であり私も一部を分担しているが、その資料としていろいろ参考になる。

 稲垣氏の講演は淡々と、時には力を込めて医療過誤の被害者の立場から医療界の問題点,特に閉鎖性、密室性を提起された。事故後3年ほどは訴訟を起こすことなど全く考えていなかったとのことであるが、教授、主治医を始め、関係者に何度説明を求めても納得ある説明が最後まで得られなかったために、事故後5年目に訴訟することを決心した、と言う。結果的に、8年後に完全勝訴したが、息子さんは今なお自宅で介護中であるとのことであった。

 その講演でもこの本の紹介があり、地元の書店を介して注文したが手に入らなかった。出版元が地方新聞社で、初版が2001年とやや時間が経っているためか、と諦めていたものである。

 本は2006年5月に第3冊として増刷されている。送り状には「克彦は22年8ヶ月の闘病ののち、2006年3月13日に44歳の生涯を閉じました。再び同じようなことが起こらないことを願って書いたこの本を全国の主要な病院にお贈りすることにしました」とある。それによると息子さんは今年の春にお亡くなりになったとのことである。
 前から興味を感じていたと言うこともあって、今回の大阪出張の往路、セミナー開始前の時間を用いて集中的に読んだ。


8/2(水)快晴  外来 ドック診察 県知事公室情報公開課員来訪面談 外来患者面談 
1:30起床。ドック判定総括x1、 紹介状返事x1.他。5:20病院着.6:30回診他病棟関連業務。8:45-14:30外来+人間ドック診察x5。16:00-17:00外来患者と面談、まず了解が得られた。重症患者対応、20:40帰宅、夕食、21:30就眠

横浜在住の友人、診察、検査に来秋  かかりつけ医もいるのに
 本日、中学校の同級であった工務店主夫婦がわざわざ秋田の私のところまで健康診断を受けにやってきた。彼はいわゆる生活習慣病とされるいくつかの疾患を持ち、横浜には数年以上もかかっている主治医もきちんといる。彼は性格的にはとても明るく、良くしゃべる方で、周囲を明るくしてくれる。そんなざっくばらんで開放的な彼であるが、ひとたび医師の前に出ると萎縮して言いたいことの半分も言えなくなると言う。私には幼なじみだし、何でも言えるから、と10数年も前から娘さんのこと、自身のこと等、電話でいろいろ相談され、それなりにアドバイスしてきていた。

 彼はここ数ヶ月、何となく体調がすぐれないということで何度か電話で相談されていたが、マア私の印象では取り越し苦労的状況と思われた。ところが本人は真剣である。主治医には言い難いし、と悶々としている様子で、そのうち「夫婦共々診察と検査を受けたいから秋田まで行くよ」ということになった。2-3日前に郷里の岩手の生家に来て盆の墓参りを前倒しで済まして今朝早朝秋田に到着したのだという。

 本日は予約患者も多く、ゆっくり時間をかけることは出来なかったが、若干の面談と診察の範囲ではやはり特別な問題は無い、と思われる状態であった。それだけの範囲からの説明だけでもかなり解決した様子で、夫婦共々一般的検査を受けてほぼ満足、という表情で帰って行った。検査結果は後日まとめて解説を付けて送ることになっている。

 彼の受診行動を見ていると医師と患者の間にはまだまだ埋めきれない溝があるものだと思わざるを得ない。患者は折角医師にかかっていながらその思いを伝えることが出来ないというのは実に不幸なことである。
 医師会でも電話相談を中心に医療相談をしているが、相談者の殆どは主治医を持っており、本来はその主治医に確認すれば直ちに解決できるようなちょっとしたことが聞けず相談をかけてくる。そんな状態である。これは何とかしなければなるまい。医師には医療技術の一つとして患者の思いを聞き出すと言う、接遇技術も身につける必要がある。


8/1(火)曇り→雨  外来  法人常務会  医局会 
1:30起床、ドック判定総括x1、紹介状返事。5:20バイクにて病院着、回診、定期処方発行他。9:00-13:50外来、14:30-16:00法人常務会。17:30-19:10医局会。20:30思いがけない雨でバイクは難、Taxiにて帰宅。夕食若干、21:20就眠。

想定外!!「がん診療連携拠点病院」(2) 県の姿勢が問われたのだ
 厚労省が指定する各都道府県の「がん診療連携拠点病院」として県が推薦していた秋大医学部付属病院など13病院について、同省の検討会は全医療機関の指定を見送った。新聞によるとその理由として「病院間の機能分担が不明確」「全体像が見えない」などが理由とされた、と言う。しかし、これは妙な理由である。私は厚労省に何故この様に判断したのか、情報の公開を求めるべきだと思う。

 寺田知事は7月31日の定例記者会見で、県のがん医療計画を修正し、秋大や県医師会等と相談し、次回の申請期限の10月末に再推薦する考えを示したが、当然である。

  県はこの4月、県の拠点病院として秋大病院を、また県内8地域の12拠点病院を推薦し、秋大病院については指定を確実視していた。しかし、検討会は秋大病院については、抗がん剤治療を集約する「腫瘍センターが未設置で、設置の見通しも不明確」であるとして、その他の12病院は「要件を満たしていない」、とか、「がん患者数が少ない」、などと判断し、指定を認めなかったという。
 確かに13病院の中には申請提出時点では要件を満たしていない病院もあったと推定されるが,各地域の主幹病院として地域住民の健康を守る事への責任上、準備の途上でも申請したのであろう。このようなところが保留になったり認定になったりするのはやむを得ないことである。しかし、秋田、兵庫に関しては別の判断基準があり,後で理由付けしたのだろうと私は推定する。

 私は秋田県の姿勢、これが厚労省から問われたのだと思う。
 県レベルでは何ら資格認定要因の判断をすることなく、申請した病院をそのままそっくり厚労省に提出し、その判断を100%厚労省に委ねたことにある。秋田と共に全く認定されなかった兵庫県は40もの病院を推薦している。他の都道府県の申請状況は分からないが、私はそう思っている。個々の病院については検討はしたであろうが、その結果は重視されなかった、と思う。私は今回の認定病院のレベルに達している、あるいはそれに近い状況にある施設は6病院はあると思う。秋田県のがん治療のレベルはそれほど遅れていると思っていない。

  これから10月の再申請に向けていろいろ動きがあるだろう。県はまず推薦した13病院に対して、事の経過を、どこが不備で何が問題だったのかを明確に説明する必要があり、10月に向けて県がどの様なアクションをするのかを明示する必要がある。更に、県民がいだく本県のがん医療に対する悪しきイメージの払拭のためにどの様に行動するのかも問われよう。

 がん拠点病院の指定を受けると、国からの補助金支給や診療報酬増額などのメリットがある。だから、その要件を満たした病院は全て認定すべきであると私は考えている。勿論、その認定は厳しくあってかまわない。ただし、その認定要件の状況は全て公開される必要がある。


徒然日記バックナンバーへ戻る       徒然日記へ戻る   トップページへ戻る

   年を通じてワンパターンで淡々とした毎日です。AM2:00-5:00にメールチェック・返事送付、人間ドック(HDD)判定・報告書作成、新聞切り抜き、病院・医師会業務など。
  月〜土曜は6:00頃出勤、HDD報告書印刷、外来書類処理など。病棟回診、HDD受診者とミーティングと診察。8:45-14:00外来とHDD受診者に結果説明。昼食は摂りません。午後は病院業務・医師会業務、各種委員会等に出席など。20:00頃帰宅。
  日曜・祭日もほぼ同様ですが、病院には午後出かけます。時間的に余裕無いのが悩みです。


ご意見・ご感想などをお聞かせください

これからの医療の在り方:Send Mail