徒然日記
2005年9月分

 日記と言うより、自分の行動記録からの抜粋と日々の雑感です。

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先月の日記          来月の日記


9/30(金)快晴 秋田組合病院院長来訪
1:30起床、晴天、満月が見事だが放射冷却で冷える。昨年は小さなストーブを引っ張り出し初使用した日だが、今年はそこまではまだ冷えない。ドック判定総括x1、ドック再検査返事x1等.5:10病院着。6:20回診+病棟関連業務.9:00人間ドック説明x2、10:00-13:20基本検診+外来。この間11:00秋田組合病院院長来訪。14:20ドック診察x5。私に胃透視の結果隆起性病変との結果が届く.20:50帰宅。夕食、21:30就寝。

中高校生はの喫煙率減少に携帯電話が寄与??(2)  
 実際に残念なことではあるが、どんなに説得しても効果が乏しい場合、経済的締め付けを持ち込むと覿面に効果が現れる。だから、税収アップと禁煙運動をリンクさせてたばこの値段を引き上げることも取りざたされている。

 最近の中高校生は携帯電話を持つことがほぼ当たり前になってきており、持っていない生徒・学生の方がめずらしいとのことである。ところがこの携帯の代金がバカにならないらしい。5000円-2万円程度はざらという。電話代金をそっくり支払っている親ばかもいるようだが購入の歳に自分の小遣いの中から賄うようにと言う条件を付けて買い与える親が大部分だとのことで、子供達は電話代金の捻出のためにタバコを控えていると言う。
 思いがけないところから禁煙効果が上がっている。
 携帯電話自体の問題点も社会的にみていろいろあるが、理由は何であれ若い人たちの喫煙率の低下は国民的視野での健康維持にも重要な意義があるから良いことだと割り切ろう。

 先日の師長歓迎会での席上、私の前には今年入社したフレッシュで美人の看護師、助手さん達が座っていたが、見事な仕草でタバコをくわえていた。病棟では全くその雰囲気もないが、タバコをくわえた瞬間はフレッシュで美人とは言いたくなくなる。勿論、彼女らは携帯も持っている。経済的に両立出来ている彼女らに禁煙を求めるときはどんな理由が通用するのだろうか?と考えつつ過ごしたが、答えは見つからなかった。


9/29(木)快晴  療養病棟診療部会議 
2:00起床、ドック判定総括x1、紹介状・返事x1等。5:10病院着、6:20回診ほか病棟業務.9:00-14:30外来、久々対外的予定は入っていない。家内より検査結果の報あり。病棟患者対応。17:00-1800療養病棟診療部会議。各種、業務処理。20:50帰宅。21:30就寝。

中高校生はの喫煙率減少に携帯電話が寄与??(1)  
 今朝出がけにラジオがちょっとした良いニュースを流していた。中高生の喫煙率が大幅に減少したというものである。

 厚労省が調査している10万人規模のアンケート調査の結果が話題にされていた。アンケートの前の一ヶ月間に一本でも喫煙したという高校生は2000年度は37%、2004年には22%、中学生男子の場合、7%前後であったのが3%前後と両者共に激減している。 あれほど、特にここ20数年ほど教育現場でも禁煙教育がなされて来たのに、私も5-6回ほど中高校生の前で喫煙の害について講演したことがあるが、殆ど見るべき効果がなかったのに、一体どうしてなのだろうかと訝りつつ聞いていた。

 減少してきた原因として、●公共の場の禁煙化等社会全体が禁煙化の方向に進んできていること、●大人の喫煙率が減少してきた、●学校教育の中に禁煙教育が積極的に取り上げられ、単なるダメダメ的な押しつけだけでない、科学的事実を提示しながらの新しい視点での禁煙教育、受動喫煙の害についての教育がなされていること、●教師自身の学校内での喫煙が減少、がまず挙げられていた。さらに、最後に●携帯電話代金の捻出のため、と言う理由を挙げて居た。

 確かに、旧来の禁煙教育は道徳教育に近く、大人や教師は堂々と喫煙した状態で20歳になるまではだめ、と言う理屈にならない理由を前面に押し出しての教育がなされてきた。これでは効果が上がるはずがない。さらに、この年代の子供達に健康被害について一般論的に述べても効果は殆ど無いのだ。 中高生の喫煙率低下にダイレクトに影響与えたのが携帯電話だと言うから、面白いやら、情けないやら、である。マア、どちらにせよ中高校生の喫煙率が低下していることは良いことだ。


9/28(水)晴れ 医師会打ち合わせ 病棟患者処置 病院倫理委員会
2:00起床。ドック判定総括x1、他。5:20病院着.6:20回診、他。9:00-14:00外来+ドック結果説明x1。14:30病棟患者処置、15:20-16:00県医師会打ち合わせ、18:00-17:20病中通病院倫理委員会。20:55帰宅。21:30就寝。

「発想の転換、転換が必要だよ」(2)組織の場合は人身一新が必要だ
 最近、大企業がおかしい。ソニーしかり、JR西日本、NHKしかりであった。昨年、一昨年のプロ野球のオーナー会議も同様。  これらの場合、トップのものの考え方は完全にずれていた、と思う。

 ソニーの場合、超高級ブランドとしてのクオリア(?)シリーズと言うものを発売しブランドイメージを高めようとした。250万円もするホームシアターシリーズもあったし、18万円もするMDプレーヤーもあった。このMDプレーヤーはアルミのブロックから丹念に型を削り取って形成した、精緻で困難な作業を施した製品であることを一見して感じさせてくれる逸品であったが、メカそのものは一般的流通品と同じである。昔の高級なイメージ、アイデアのソニーブランドの価値の再確立を狙ったものだが、ソニーはプロの録音録画の世界はともかくとして、一般ユーザーにとってはもう既に家電メーカーのエレクトロニクス部門に近いイメージまで零落している。外側を高級化して値段を高めても中身は一般品と大差ないとしたら誰が購入するのだろうか?私は出来の良さに感心はしたが、一切、購入対象にはしない。ところが、これが、時に売れると言うから凄い。ユーザーにもそう言う視点がずれた人が数%はいるから若干は売れるらしい。この若干のユーザーに夢を託すのは現状のソニーでは間違いで危険な賭けだよ。

    JR西日本、NHKの上層部は危機管理がなっていない。事故の際の社長他取り巻きの対応、不肖時の際の対応は陳腐とも言える様なものであった。  NHKの場合、一般聴衆からの総すかんを食らって慌てて対応して形は整えたものの、上層部は今何故大衆がこの様にリアクションするのか、未だに解っていないような表情をしている。

 古い石頭の連中には発想の転換なんて出来ないのだ。人間ってそんなものだと思う。その人の一生を通じて身に付いた考え方は入れ替えは困難である。それ以上に私はほぼ不可能だと思う。特に取り巻きが、環境に変わりがなければ旧態依然の考え方を変えることなんて出来ないのだ。 その意味では新しい時代感覚の下で熟成してきている若い人材の価値は大きい。 私の場合、口では変わらねばと言いながら、根底の考え方はやはり古い方に属すると自覚している。自覚しているだけまだ良いか、と言う感覚で次の世代を待っていると言うところかな。


9/27(火)晴れ 法人常務会本部  山本バンド    2回目練習
2:00起床,ドック判定総括x1、 紹介状返事x1他.5:10病院着.6:30回診+定期処方+病棟業務、その他。9:00-14:00外来+ドック診察+結果説明x1. 14:30常務会。病院MedConfは中止となる.19:10-20:30病院、21:00帰宅。21:30就寝。

「発想の転換、転換が必要だよ」、と言ってる自分が実は石頭なのか(1)
 私は最近いろんなところに挨拶文を書かされている。マア立場上当然のことののだが、自分で書いていて愕然とすることがある。それは、口では、あるいは文章上では「病院も、医師会も、医師も変わって行かなくてはならないのだ」としょっちゅう言っていながら、自分の発想は現状認識的、旧態依然の現状維持的発想のもとに折衷案を出しての調整役に回ってしまうことが多くなってきたナア、と言う自覚である。これはいま始まったことでなく、前からの自分の問題点のひとつだと思っていたが、その傾向が強くなってきた。

 極端な事を言えばヒトには「創造的発想型」と「調整型発想」の二種の方がいるのだと思う。
 この面から自分を見れば総論的には新しい発想取り入れたことを考えていながら、各論的立場では発想をドラスティックに実行できずにウジウジしてきた。どちらかというと私は「調整型発想」優位と反省を込めながら思ってきた。それを自分のバランス感覚ののだ、むしろ良いことなのでないかとも考えて納得してきた。
 ところが、最近、責任が大きくなって行くにつれて徐々に「調整型発想」が優位になっていく傾向を感じてこのジレンマに悩んでいる。どうしてもいろんな事象を考えていく上で、今の状況を出発点とした発想になっていく。結構、発想転換的素養も身につけていた方だと思ってきたが、調整型レベルから解決策を模索していかなければならない立場に至っていること、だんだんにそういう自分を容認しつつあることをちょっと情けないと思いながら、これが私の人生における自然の発想の推移のコースなのだとも思ってしまう。

 現実には、常に原点に立ち返った発想、視点で問題点を根本から解決するアイデアを持っているスタッフもいることで、いま、私はずいぶん助けられている。
 一方では、私自身も世代の違うスタッフからは「ちょっと保守的」という批判を受けることも増えてきた。今のところ何人かが直接言ってくれるので私も考える良い機会になっている。はたして、ヒトは立場が変わったからと言って発想の転換をうまくできるのだろうか?それが出来ないから世代交代、人身一新という変化を必要とするのだろう、最近、しみじみそう思う。


9/26(月)曇り 管理会議 長副会議 
2:00起床。ドック判定総括x1、診断書、メール返事多数.5:10病院着。事務処理,6:20回診.患者重症化。8:00管理会議.9:00-14:10超混雑外来。午後は紹介状、総括。16:00療養病棟判定会議。17:00-19:30長副会議。懸案多数。ハードな一日。何も出来ず処理業務中心。21:00帰宅、21:30就眠。

前輪が横向き!!  斜めなら胴体着陸?いや、それ以上に危険な事態にも
 9/23夜、記念医学大会懇親会で若干酔っていたので、帰宅後に濃い緑茶など楽しんでいたが、たまたま茶の間のTVに着陸態勢に入っている旅客機の陰影が映ってきた。いつものごとく音声は消してあるから何で映っているのか解らなかったが、私は特に着陸時の旅客機の姿に美くしさを感じるからじっと見つめていた。間もなく着陸したのだが、前輪から激しく火を噴いている。早速音声をあげて聴いてみたら故障で前輪が真横を向いた状態での緊急着陸だという。

 機はAirBus320型機、JALでいつも利用するA300型機の後継機。滑走路を火を噴きながらも直進し無事停止した。前輪のシャフトも折れることなく、火も機体に燃え移ることなく大惨事には居たらず素晴らしい着陸だった。タイヤのないシャフトでの滑走、随分丈夫に造られているものだと感心した。映像上はっきりはしないが、後輪のままでしばらく滑走し、前輪の着地を出来るだけ遅らせたのではないかと思た。
 聞くところによると同型機に同じような事故が過去に4回あるという。メカそのものは真横を向く構造にはなっていないと言うから原因究明はさほど困難ではないと思うが、何で解決出来ないのだろうか。今まであまり報道されてこなかったことを見ると人身事故には至っていないらしい。

 これが前輪の向きが真横だったから良かった。もし、斜めで固定されていたとすれば着陸時に滑走路を飛び出すから大惨事は免れない。前輪を格納出来れば前輪無しでの胴体着陸となるが、これも大きな危険を伴う。もし車輪を格納出来なければどうなるか?考えるだけでも恐ろしい。同じことを4回も繰り返すなんて、機体だけでなくそのサポート関係の何処かに問題はないだろうか?

 数ヶ月前に前輪が外れた国内便があった。これはボーイング機だった様に思うが、この時も人身事故には至らなかった。私は今年もあと10回ほど羽田を往復する予定になっている。乗客としては乗るか否かの選択しか出来ない。乗ってしまうとアトは全てに身を委ねるしかない。だからこそ、それだけに航空機の事故、周辺の諸問題などには無関心ではいられないのだ。


9/25(日)台風の影響で午前雨、午後は快晴  FF tennis中止  長女長男離秋  プリメインアンプ1台突然死
2:00起床、ドック判定総括x1、総括、紹介状ほか。Vn若干。10:30病院へ、回診その他書類処理。14:00入院患者家族と面談。医局で使用しているサンスイプリメインアンプ、使用中に突然底部から激しい発光してバチンと突然死した。部屋中に臭気煙立つ。コンセントから電源抜き安全確保、それ以上の進展無し。私はガックリと落ち込む。16:45帰宅、午睡、その間子供たちそれぞれ横浜、埼玉に。18:00業務、夕食、22:30就眠。

自伝 
母と自分を語る 母の最大の失意は心の支えの長男、次男を失ったこと(5)
まず、長男(続き)
 ある事故の対応を巡って、私は母の表情から母は兄を死別したの半ば同じもの、と無理矢理自分を納得させていた、と感じ取った。彼女の挫折からの立ち直りが可能であった背景は自ら親密な親子の存在を否定したことにあったのだ納得した。

 兄は改姓の手続きと共に東京から盛岡に転居した。それからどれだけの期日が経ったのであろうか、詳細は忘れたが、新しい環境にも慣れ、それなりに活動的に過ごしていたらしい。ある日の夕方、多分 土曜日あるいは祝祭日の前日だったように記憶するが、業務上で、コンテナ車を操作中に、と聞いているが自損事故を生じ、救急病院に搬送された。
 22:00頃秋田に電話連絡があった。電話の主は嫂の姉だったと思うが、なかなか話がうまく通じない。解ったことは、夕方に何らかの事故に遭い、兄が救急病院に搬送されたが、時間と共に悪化し、血圧は低下し命が危ないので直ぐに来て欲しいが、もしかすれば到着までに間に合わないかも知れない、ということであった。 

 母は当時、時折我が家を訪れ、孫と共に過ごすのを楽しみにしていた。ちょうどこの時も母は数日の予定で秋田で過ごしていた。私は母にはショックを与えないように、兄が体調が悪いらしいと連絡があった、と軽く説明し、助手席に同乗させて直ぐに盛岡に向かった。この間、約2時間、じっくり時間をかけて知り得た範囲の状況と予想される最悪の事態について説明したが、予想に反して、100%予想に反して、母の反応は極めてクールであった。殆ど表情一つ変えないで私の説明を聞き素直に状況を受け入れた。もしかすれば助からないかもしれないと告げても同様であり、私の知る母からは予想できない反応であった。このときの母が何を考えながら私の話を聞き、どう感じたか、直接問いただすことなどはしなかったが、私は上記のごとくに確信した。

 到着時、兄は死を目前にした状態で横たわっていた。腹部が膨隆している。意識も朦朧としており輸血、点滴は入っていたが血圧は60mmHgほどと厳しい状況。
 短時間の見舞い後、母をタクシーで自宅に帰したが、この指示にも母は不思議なほど素直に従った。

 私は若い、当てにならなさそうな当直医に面会し、死を覚悟で開腹止血手術をして欲しい旨申し出た。そのときの当直医の迷惑そうな表情は忘れられない。彼は状況を理解できていないと判断、責任者と交渉するよう迫った。結果的に部長クラスの外科医、医大からの応援にと共に未明に手術を開始、原因は肝破裂。未検査血を含め8000mlの輸血によって一命を取り留めた。
 翌朝、父と共に病床を見舞った母の表情はとてもさわやかであった。気の小さな父はむしろおろおろしていた。こんな時の男親はさっぱり役にも立たない存在なのだな、良い対照だよと思ったことが思い出される。


9/24(土)晴れ   家内誕生日  Prius試乗  
2:00起床、ドック判定総括x1.総括・紹介状ほか。5:20病院着。6:20回診他病棟業務。9:00ドック結果報告。10:00高齢患者死去。10:30-12:30外来、14:00-16:30TOYOTA Prius試乗、なかなか良い。昨日から各種の書類多数処理出来たが、まだまだ山積み状態。18:30 家内の誕生日で家族5人揃い夕食。20:30帰宅、21:00就眠。

TOYOTA Prius試乗 実に面白い体験
 私の愛車スバルレガシーは14年ほどでそろそろ限界を迎えつつある。まだ走るが、最大の問題点はエンジン、走行音が騒さくなって閉口している。BOSEのヘッドフォン無しで乗るのはとてもストレス。音ノイローゼ自認の私にとって物事を選ぶ際に静かであることはとても重要な優先すべき因子である。
 トヨタのハイブリッドカーは何種類か在るが、その内のプリウスは1500ccと小型なので、停車時は自動的にエンジンが停止するし、短距離ならバッテリーだけででも走るという。私にとってこれほど良いものは無さそうである。大きな車の場合にはこの様な芸当は出来ない構造である。だから、今度は購入するなら是非ハイブリッド車にしようかと考えている。勿論、低燃費・低公害も選択の大きな理由のひとつ。
 かつて、私は静粛性が優れ、夢のエンジンと言われ、実用化の目処が立ったロータリーエンジン搭載車を利用していた。たしかに当時は同クラスのレシプロ車に比較して静粛性、振動が少ない点では別世界の雰囲気であった。タコメーターで確認しなければエンジンがかかっているか解らないほどで凄く重宝した。ただし4Km/Lとタンクに穴が空いてる様な車で、貴重な化石燃料を無駄に使う車で反社会的な車であった。
 今度は静粛性と低燃費・低公害を両立させているハイブリッド車、疑問であったニッケル水素バッテリーの消耗、電池の公害性など、この前説明受けてある程度納得した。選ぶならプリウスしかないから、それにしようかと思っている。
 
 9/24午後、営業の方が試乗車を提供してくれた。2時間ほど借用した。
 面白い機能や装備がついている。オートマのチェンジレバーもPブレーキも、スターターボタンもいままでの車とは異なる。スターターは基本的にエレクトロニクスの起動スイッチと言うこと。後のエンジン動力等のメカは自然とついてくるという感じ。1500ccとは思えない静粛性、能力である。高速ではストレス無く140Kmほどまで達した。
 (管理人注:もちろんスピード違反です(^^ゞ)
 やはり、マイナーモデルチェンジ前でいまは手に入らないのだという。11月からの発売のカタログを貰った。残った悩みは、私が新車の雰囲気が嫌と言うことと、4WDでないこと、私は最低のグレードで良いと思うが家族はどうせなら最上に近いのを、と言う。私がこけたら貰っていくつもりらしい。贅沢な悩みとの間の迷いに移っている。


9/23(金)秋分の日 超快晴 秋田県医学会総会・県医師会設立58周年記念医学大会+懇親会 私も表彰された
2:00起床、ドック判定総括x1、総括、紹介状ほか。9:30病院へ、回診その他書類処理。14:30総合保健センターへ。第73回秋田県医学会総会+秋田県医師会設立58周年記念医学大会+懇親会。例年のごとく総合司会担当。同時に被表彰者でもあった。記念講演はスタチン開発者で由利郡出身の東工大学名誉教授遠藤 章氏「コレステロール低下薬スタチンの開発を振り返って」。例年のごとく出席者少数。特に懇親会は少なめで残念であった。20:30帰宅。21:00就眠。


「挨拶は生活の基本」 秋田さきがけ新聞に素晴らしい投書
 「挨拶」「笑顔」「ディスカッション」、この当たり前の三つの言葉をキーワードとしてあげてから何かを読んでいても似たような表現があると心引かれてしまう。私にも良い影響を与えている。
 先日、新聞夕刊に挨拶に関する素晴らしい投書が掲載されていた。仁賀保町86歳の方からである。「あいさつは人間関係の基本」、と言う見出し。内容的には引用した小学生の作文を含め、恐れ入りました、脱帽です、というレベル。ここに謹んで引用させていただきました。

 「あいさつは人間関係の基本」
 上手なあいさつの要点は、●先手で、●明るく、はっきりした声で、●始めと終わりは相手の目を見る、●明るい笑顔で、●丁寧に心を込めて、です。さらに元気よく美しく出来れば立派です。
 以下はある小学生の作文です。「おはようというと目が覚める。いただきますと言うとお腹がすく。行って来ますは元気が出る。ごめんなさいはホッとする。お休みなさいは良い夢が見られる。あいさつってうれしいな。」なんと素直でさわやかな一文でしょう。小学生でもあいさつの実践の大切さと、その効用が解るから立派ですね。
 年齢や、メンツや立場にかかわらず、良いことは進んで学び、喜んで実践し自他共に幸せになりましょう。●先輩、年長者から率先実行、●あいさつをしない人には自分からする、●間違ったあいさつ言葉遣いにはその場で注意する、●電話のかけ方にも「あいさつの形」を作る、●良い返事もあいさつのひとつと心得る、●あいさつの次の言葉ををプラスする、●ほほ笑みを添えて、が大切です。
 たかがあいさつ、されどあいさつ。あいさつは幸せの山びこで、ほお笑みはお化粧にもまさる心の財産なのです。
                                              (9/22の秋田さきがけ新聞夕刊投書欄)

 ウーン、恐れ入りました。特に引用された作文は、どんな小学生の作品か全く解りませんが、先に私が引用した子育てに関するドロシー・ロー・ホルトの詩に勝とも劣らない素晴らしい出来だと思います。
この様な詩を知っておられる仁賀保町86歳の方、投書の内容を含め、素晴らしい人生の積み重ねをなさって来た方なのでしょう。感嘆、脱帽です。


9/22(木)曇りのち雨 個人情報保護審査会    県健康対策課員来訪 療養病棟師長歓迎会 家内ICU当直    
 2:00起床,ドック判定総括x1、主治医意見書、出張復命書着手.5:10病院着。6:30回診、病棟業務。9:00-13:50外来、15:00-17:10個人情報保護審査会、17:30県健康対策課員来訪、予防接種、HIV迅速検査キットの件。18:30-21:10療養病棟師長歓迎会+α。病棟スタッフから万年筆頂く。21:30帰宅、22:00就寝。


都会の喧噪の中では携帯のバイブにも気付き難くなる 
 17日からの東京出張での経験。18日の会議は正午に終了したので日本血液学会、日本臨床血液学会の合同総会に出席のためにパシフィコ横浜に出かけた。夜は長女宅に次男をのぞき家族が集まる予定だったので長男に車で迎えに来てもらうこととし、夕方「みなとみらいホール」正面口で待ち合わせることとした。クールな会議場よりも音楽ホールの前の方が格好いい場所のように思えたからであるが、これが間違いのもとであった。

 場所とか時間とかの詳細は互いに携帯で連絡を取りながら調整することとした。それにしても大変な車の量である。時間は相当かかるな、と覚悟した。

 携帯は前日の会議からずっとマナーモードにし、背広の内ポケットに入れておいた。いつもならこれで十分呼び出しに対応できるのだが、なかなか連絡が来ない。予定時刻過ぎること30分、やっと電話に出たら長男の怒りの声「何で電話に出ないのだ!! 通り過ぎたじゃないか」と言う。私はやっと来た電話にホッとして出たのに寝耳に水のようなもの。確かに着信歴を見たら10回ほどの着信がある。これじゃ相手も頭に来るのも当たり前。
平謝りで待つこと更に30分。やっと合流出来た。なんと、「みなとみらいホール」一周してくるのに30分もかかるほどの大渋滞。連休だからなのかも知れないが、良くマア、都会の人達は忍耐力があるモンだ、と感心した。

 いつもならマナーモードにしていても気付かないことはまず無い。しかし、それはマナーモードにしなければならない環境の中だから、と言うことがよく解った。喧噪の中だから呼び出し音では聞き逃すだろうと考えたが、バイブレーションすら気づかなくなるほど感覚が鈍くなることを体験した。

秋田なら多分あり得ない経験。便利な道具も使いようだね


9/21(水)晴れ  県医師会理事会+処理委員会  打ち合わせ
2:00起床。ドック判定総括x1。5:10病院着。6;30回診他。病棟関連業務。9:00-14:00外来+ドック説明x2.16:30-19:00県医師会理事会+紛争処理委員会。病院、重症者回診ほか21:00帰宅、夕食、21:30就寝。まかないの石井さん、踏み台代わりのバケツが潰れて転倒、腰痛で機能低下状態となる。

母と自分を語る 母の最大の失意は心の支えの長男、次男を失ったこと(4)まず、長男
 ほぼ全ての蓄財、家屋敷をを失った、と言う母の悲しみはやがてそれなりの生活が出来ることを実感すると共に、時間の経過と共に癒されていくものであったが、生涯にわたって癒されなかった失意、心の傷は、最大の心の支えであった長男、次男を失ったことである。

 別に長男の正明、次男の私が死んだわけではない。両者ともまだ生きている。兄はいささか病身であるがいまでも結構元気で特に問題はないし、私はいまここで睡魔と対話しつつ徒然日記を書いている。
 彼女は最愛の、心のよりどころである長男・次男を病気や事故で失うことをとても恐れていた。その気持ちは私も良く理解できた。
 幼少の時の病弱であった私への看病の表情、川や山に遊びに行き帰りが遅くなったときなど狂ったように探されたこと、私が重病で黄色いお花畑に一歩足を踏み入れようとしたとき呼び止めたのは母の声であったことなど、思い出す。彼女にとって息子は自分の身と同じであったのだ。

 まず母は兄を失った。
 兄は彼の生活環境の変化と将来への準備の都合上、福田姓から嫂の姓であるT姓を名乗り東京から盛岡に転居することになる。端的に言えば嫂の家への養子縁組である。私はそのころ大学3-4年目くらいであったがその相談を受けたときに、いとも簡単に了解をした。姓が変わるといえ兄が自分の納得のいく生き方が出来るのであれば何も問題なし。姓の変更で親子関係や兄弟関係の何者も変わるはずも無し、と単純に割り切れたが、母にとっては長男が養子縁組みにて姓が変わることは、死に別れにも等しい、あるいはそれ以上の打撃であったようだ。やはり、その前後も心を病み鬱状態に陥り、時にはヒステリックな反応さえ示した。もう既成事実としてどうしようもない状況になった後でも、何時までも私に対して「何故、私が兄の養子縁組に賛成したのか・・」と愚痴ったものである。私はこの責めによく耐え、彼女を支えた。半ば狂っていた母には説得・説明は通用しなかった。だだひたすら聞くだけ。ここで出方を誤ると母を失う可能性が頭を過ぎっていたからである。

 しかし、母はこの困難すらも徐々に乗り切っていった。私はこのまま病気になるのではないかと訝るほどであったが、何とか乗り切った。すごいと思った。どうやって乗り切ったのか?それを、私は後に彼女の表情から知ることとなる。


9/20(火)晴れ 管理会議  法人常務会    療養病棟判定会議  長副会議     医局MC:ガン告知についての討論(欠)                
 
2:00起床,ドック判定総括x1ほか.5:10病院着、6:10回診、定期処方発行、机上業務処理、主治医意見書、総括、紹介状、9:00-14:00外来、結構混雑。14:30-16:30法人常務会。17:00-19:10長副会議。医局MC:ガン告知についての討論(欠)、21:00帰宅。夕食、21:30就寝。

秋田市医師会も私的医療機関を差別するのか??(2)公開質問と改訂動議を出すぞ
 この度、院長就任にあたり私あてに秋田市医師会から一時付加金を徴収するとの連絡が来たが、以下の点で納得出来ない。私は市医師会長に説明を求めたい。
●何故医療法人立診療所と病院のみが対象になるのか?
●設立母体が国公立、公的病院の場合の院長を対象から外した理由は何か?
●医師会会員は病院開設者、勤務医、診療所開設者、診療所勤務医等、業務形態上の区別はあるが、同一の資格において公私の別なく平等でないのか?
●賦課徴収の請求は誰に対してなされるのか?当然、会員である個人になされると考えられるが、施設によっては院長就任が一時金徴収に見合うだけの報酬増を伴っているとは限らない。その辺の調査は済んでいるのか。
●この規定は何時、どの様な経緯を経て決められたものか?班会議とかで提起したと言うが、この規定に関与する可能性がある会員は極めて少ない。その方々を対象にそれなりの広報をし、意見を聴取した上で決定したのか?私は一切聞いていない。尤も?問われても数週前までは自分に関係する話題などとは露程にも思わなかっただろう。
●対象になり一時金を支払った院長は居るのか?その方の反応は如何なるものであったか?

本日の段階での私の結論
(1)私は個人的に負担する20万円を惜しんで言っているのではない。
(2)医師会レベルでの私的医療機関軽視の姿勢に納得できないだけ。市医師会の運営費用が不足しているのなら、その旨申し出てくれれば納入する。ただし、私の納付がこの徴収規定に沿ったと言う既定事実で次ぎの会員に適応されることは許し難い。だから、寄付金として届ける。
(3)寄付金として受け取れないなら、そのままユニセフに寄付する。
(4)秋田市医師会に公開質問状として上記の疑問点を提出する。秋田市医師会報に医師会長から説明をいただきたい。
(5)次回の総会にて会費徴収規程改定の動議を提出する積もりである。


9/19(月)敬老の日 東京快晴 ラジオNIKKEI 収録  日血+臨血液学会三日目(欠)
2:00長女宅にて起床,本日の収録原稿に集中。5:00-5:45仮眠、ドック、紹介状追記、原稿準備。11:00東戸塚→JR新橋→地下鉄銀座線溜池山王→ラジオNIKKEI社。13:20→14:00ラジオ収録、一発で終了。東京駅へ。軽食摂り待合室にて午睡と業務処理。新書文庫本買い込む。16:59こまちにて帰秋、21:20帰宅、夕食、22:30就寝。

秋田市医師会執行部のみなさん、あなた方も私的医療機関とそこの勤務医を差別するのですか??(1)私は驚きました
 先日、当院から理事として秋田市医師会の会務を担っている医師が訪室してきた。何か表情が冴えない。何かすまなそうな表情で手に一枚の書類を持っている。また何か当院で不都合なこともあったのか??と訝りながら受け取ったら、「平成17年度秋田市医師会会費等賦課徴収規程」である。フンフン、この点は当院はキチンとしているから問題ないはず。と、思いつつ目を通して驚いた。赤線が引いてある部分である。

 何と!!!   私に対しての「金20万円の一時負担金の徴収」である。寝耳に水とはこんなものであろう。 書類の文面は以下の如くである。

(1)略  (2)略
(3)開設者と異なる院長(勤務医)が変更になった場合は、本院については一時負担金を徴収するが、分院については一時負担金を免除する。

 第8条 医療法人立診療所及び病院に関して次の通りとする。

第9条 一時負担金は、入会または異動後に速やかに納入するものとする。

第10条 この規程により難いときは、理事会に諮って決定する。

 要するに、私的医療機関の勤務医が院長になった場合、100%理解不能なのだが、秋田市医師会に20万円支払えと言うもの。私は医師会在籍5年以上だから20万円だけれど、これが在籍1年未満だったら50万円だと! 
 最近、いろんなことが生じてきて驚くことも少なくなかったが、還暦にもなるとかなり免疫が出来てきて多少のことならばあるがままに、冷静に笑顔で受け止める事が出来るようになったが、これには驚いた。はっきり言って心底驚いた。

 この規程は新しいらしく、前例は無いとのこと。私が初の対象者なのだそうだ。
 驚いた内容は、私に20万円の請求が課せられたことではない。医療法人立の医療機関の勤務医が院長になった場合、すなわち、私的医療機関の勤務医が院長になった場合に、医師会の在籍年度に応じて50万円から段階別に20万円の一時的付加金が課せられるという、その一点だけである。
 県は私的医療機関を軽視して扱っている。これについては秋田医報の巻頭言に書いた。同様の扱いがお膝元の秋田市医師会でもなされているなんて。執行部はこの点を一体何とお考えでしょう?
 何故、日赤、厚生連、市立等の自治体立医療機関、公的医療機関機関の医師は対象にならないのか??これは完全に差別である。秋田市医師会はこれほどまでしてお金を徴収しないとやっいけないのか??


9/18(日)東京超快晴・残暑 全国民医連大規模病院交流会(二日目) 日本血液学会+日本臨床血液学会二日目(パシフィコ横浜)
1:30五反田の東興ホテルの一室にて起床、持参のドック判定総括x1、明日のラジオ収録用の原稿準備に集中。7:00葉っぱとコーヒー中心の朝食、9:00-12:00全国民医連大規模病院交流会(二日目)分散会。終了後横浜に移動、日本血液学会+日本臨床血液学会二日目(パシフィコ横浜)に出席。17:00長男の迎えで東戸塚の長女宅に。大都会の交通事情は地獄だね。19:00漢方の講習会で上京の家内と合流。家族4人で外食、21:00就眠。

「今なぜ結核か」院内感染対策勉強会を聴いて(2) 院長としておわりの挨拶
 みなさん本日は大変ご苦労様です。就任2週間目の成り立て院長ですが、今まで職員の方々に直接挨拶する機会はありませんでしたので、この機会に改めてご挨拶申し上げます。まずは、今後ともよろしくお願い致します。

 さて、本日は結核についての勉強会ですが、貴重なご講演いただいた市立秋田総合病院の呼吸器科本間先生、秋田市保健所からご出席いただいた方々に心から感謝申し上げたいと思います。

 私などもう古い世代の医師ですが、それだけ子供の頃、若い頃共に結核は身近な疾患でした。中学生の頃でしょうか、コッホが結核菌を発見したと言う教科書を見てゴホン・ゴホン、コッホ・コッホと咳をしながら見つけたのか、等と友人達と冗談を言い合っていたものでしたし、村の近所にも同級生の家にも結核患者がおりました。私の母親も肺結核で1年ほど入院しました。医師として最初の赴任先の岩手県立宮古病院では赴任当日に結核病棟の18人を受け持つよう言われて戸惑った記憶があります。そのため結核については独学ですがよく勉強もしました。

 私が好きな絵画、音楽、文学の世界でも結核は大きな影を落としています。音楽で言えば滝廉太郎、23歳で結核死しましたが、失意の中で作曲した「憾み」という曲は何故か私の心を打ちます。私が何か壁に突き当たったときによく取り出して聴いています。結核がアト1世紀でも早く克服されていたら、今の日本はいろいろな意味でもっと異なった歴史を刻んでいたことと思います。

 私どもの病院は救急患者の受け入れがとても多いのですが、患者さんの中には結核等の感染症に罹患して運ばれてくる患者さんも少なくないし、重症な場合あらゆる病棟に入院と言うことになります。勿論その中に結核の患者もいるわけです。初診などでは結核であると言うことは直ぐには解りませんので、判明するまでの間の期間はとても危険なわけです。その意味では職員全員が結核の感染を受ける可能性があります。今日は結核という重要な感染症についての勉強会でしたが、職員の出席が今ひとつ少なかったことは大変残念です。せめて、各職場に資料を持ち帰って各診療部でも話題にしていただきたいと思います。
 それでは本日の勉強会の準備を進めてきた関係者に心から感謝して、おわりの挨拶と致します。


9/17(土)快晴 全国民医連大規模病院交流会(初日)+情報交換会
1:20起床、ドック判定x1、紹介状他。出張準備のため3:30出勤、5:30回診、と言ってもまだ患者は熟睡中。留守中のための病棟業務.8:15病院発、北都銀行前よりリムジン、空港へ。10;05JALは到着便の遅れのあおりで35分ほど遅れて出発。AirBusA-300型、満席。最後尾の座席確保。京急線+JRにて五反田TOCビル、13:30-18:30全国民医連大規模病院交流会。18:40から夕食と情報交換会、途中退席、20:00宿泊の東興ホテルに。20:30就寝.

「今なぜ結核か」院内感染対策勉強会を聴いて(1) 質疑で私から二つの質問
 9月16日、院内感染講習会「今なぜ結核か」が千秋会館で行われ、結核の最近の知見をまとめて聴くことが出来て随分役に立った。
 質疑で私から二つの質問をした。(1)何故20歳前後の青少年が特に結核の感受性が高いのか???現代ならBCGの効果が薄れてきたためと言いうる、と思うがBCGがなかった時代からそうだと思われる。免疫能が十分に高くなる年代なのに不思議である。(2)幼・小児期のBCGには明らかな効果があるのに、効果が薄れる20歳前後になぜ追加BCGが行われないのか不思議である。追加BCGは本当に効果がないのだろうか??
 市立病院の本間医師からはお答えを戴いたが、正確に記述出来るほどメモを取っていなかったのでここには記載しない。納得出来た部分も少なくないが、スッキリと疑問が解けたわけではない。

 診断法も発達、抗生剤による治療も進歩を遂げ、一時感染症に対する興味は医学界全体でも薄れていた。その余波で、特に若手の医師達は感染症を軽視しがちであったが、MRSA、AIDS、SRDS、O-157、Noro virus等の新興・再興感染症の集中的登場と身近での発生を経験して、若干は感染症に対する意義は再確認されきた。

 しかし、結核に関しては近年その重要性がますます大きくなっているが、殆ど興味を示さないのが現状と思う。私どもの年代の医師は数週間に及ぶ咳嗽とが続くと肺結核??と考えるが、若手は肺癌が第一に思い浮かぶという。
 実際には確かに肺癌の方が多いだろうが、診断を誤ったときの肺結核の周辺に与える影響・意義はとてつもなく大きいので、医師は結核に対する最小限の知識と発想が必要である。
 本日の講習会に中堅医師は数名いたが、若手医師の姿が殆ど見えなかったのは残念であった。せっかくの勉強の機会を有効に利用して研修して欲しいものである。


9/16(金)晴れ 院内感染講習会「今なぜ結核か」
2:00起床、ドック判定総括x1。退院総括x1.5:10病院着、6:10回診、事務処理他。9:30-14:30基本検診+外来新患補助+人間ドック診察。15:00入院患者家族と面談2件。17;30-20;10院内感染講習会「今なぜ結核か」千秋会館。結核の最近の知見、随分役に立った。閉会の挨拶担当。途中入院患者急変あり。当直医の援助で乗り切った。20:30-21:30病棟対応.22:00帰宅、夕食、22:15就寝.
(9/17早朝-9/19夜 民医連大規模病院管理者会議+日本血液学会+ラジオNIKKEI収録のため東京横浜方面に出張。ホテルにLANなければ更新難)

最近変わったこと、変えたこと(4) 早朝から豊かな音で音楽が聴ける様になった
 朝5:10頃部屋に着くが第一にやることはパソコン、オーディオのスイッチを入れ、談話室でコーヒーをいれる。次いで医局各室を確認し、無人の場合消灯をして歩く。この朝の消灯はもう10数年以上も続けている習慣。エネルギー浪費を回避する意味もあるが、最近の目的が一つ加わった。自室の近く、特に隣の医局に医師がいるか否かの確認でもある。これは、これから流す音楽の音量に関連するからである。

 部屋が移ってから、朝は医局が無人なら比較的大きめの音量で音楽を聴けるようになった。回診までの約一時間、とても良い時間となった。それまでの副院長室は隣が女医さん方の休憩仮眠室で、ここだけは開けてみることが出来ないから無人か否か分からず、音楽を聴けなかったからである。前にベテランの女性医師を介してクレームが来たことがあり、それ以降は一切やめていた、あるいは蚊の鳴く様な音量でしか聴けなかったからである。

 この変化は私にとってはとても大きな変化である。小音量では日中でも誰にも迷惑にならない状況になったので業務処理中もたいていBGMを流している。
 FMは自分の知らないジャンルの音楽が聴けて良いのだが、まだアンテナ等対応不十分で聴けない。だから音楽のソースはもっぱらMD、CDである。後者は25枚のオートチェンジャーだから滅多に入れ替えをしないで済むため便利である。朝はやはり古典とかロマン派の作品が良いがあまりこだわらない。近代のものまで広く聴く。古典的なものはそれほど音量が必要でないが、近代物は一定以上の音量がないと楽しめないから今までは部屋では殆ど聴けなかった。

 ある程度音量を上げると言っても職場だから限界がある。それでも机の下に設置しているサブウーファーが低域を受け持って豊かに鳴るので全体的にはバランスが保たれ、なかなか良い音である。もっとも音質面ではプリアンプ代わりには20数年前のラジカセをそのまま用いているからハード面ではアンバランス。でも、古いのを大切に用い続けていると言う満足感もあってとても良い。


9/15(木)晴れ 胃透視    ひろば・卯月原稿提出  小児外科症例検討会     
 1:30起床。ドック判定総括x1、紹介状返事等.5:20病院着、6:20回診ほか。7:55職員検診のオプション胃透視。9:00-14:00午前外来.院内広報、連携部門パンフレット用挨拶文2種完成送付.17:00-19:00小児科関連症例検討会.以降机上、病棟業務、懸案の書類等数件処理.21:00帰宅、夕食、21:30就寝。

最近変わったこと、変えたこと(3)  信号もキチンと守るようになりました
 ゴールドなる黄色い免許証を貰っているが、つい一ヶ月ほど前まで私は非優良運転手であった。
 朝の通勤帯、近くに車や歩行者がいないときは信号無視は当たり前、マイペースで走っていた。あまり公言出来ることではないが、大体、交通量が極端に少ない時間帯、誰も居ないところで何で停まっていなければならないのか、人権無視も甚だしい・・・等と勝手な論理でいた。
 直接的には関連がないだろうが、10数年前、息子の高校入学式に出席した際に校長が誰もいない、国旗と校旗とが掲げられていた、無人の壇上に向かって深々と礼をしたのを見て大きなショックと違和感を感じたことがある。県立高校だから壇上にたとえば知事でも居るのであれば理解できる行為なのだが、何のために旗に敬礼しなければならないのか?  旗に何の価値があるのか?  私にとっては信号も同様、誰もいないのに何のため?と言う考え方である。ヒトに、先人に礼を尽くす、権利を大切にする、命を守る、これは当然なことなのだが、対象がヒトでなければ私は基本的に無視、軽視である。

 と言うような勝手な論理で、従来は全て自己責任の範囲で何とかなるだろうと考えて行動してきた。ところが、今はそれが出来なくなった。立場上、道義・倫理観を問われるのは必定、福田個人のレベルでは留まらずに病院に悪しきレッテルを貼ることになる。だから、最近の私はたがをはめられて、行動制限があってだんだん苦しくなってきた。

 ついに一昨日、親しい同僚から通勤の際の格好が良くない。キチンとせよ、と提言があった。ぼろのテニスウエアに短パン、素足にスリッパ、ぼろ車、なんか惨めっぽくてカッコ悪いトサ。このラフさが私は好きでここは最後の砦の部分なんだが、そこまで言われると、ちょっと困ってしまう。


9/14(水)曇・雨 県医師会打合せ 院内感染対策委員会 
 1:30起床、ドック判定・総括x1、紹介状等。5:15病院着、6:15回診ほか。9:00-13:30外来+ドック診察。15: 00県医師会打合せ。16:00-17:10院内感染対策委員会に初出席。20:50帰宅、夕食、21:30就寝。

最近変わったこと、変えたこと(2)    バイクに乗り難くなった    
 初秋のやや冷え始めた早朝5:00頃、交通量の少ない時間帯にバイクでの通勤するのは実に気分が良いものである。手足,頚のあたりやひんやりと冷えて実に爽やかである。これから毎日冷えて来るから爽やかさを味わうことが出来る期間はそう長くはない。本当にバイク乗りには価値ある大切な季節。
 ところが最近、ちょっとバイクに乗れない。
 バイクは、私は 小学校4年から乗っているが、たまたま現在まで一度も事故もないし、怪我もしたこともない。しかし、対・車という関係ではぞっとすることや危機一髪に近いことは矢張り少なくない。公道を走る道具としては最も危険な乗り物である、と自認している。それでも、覚悟の上で乗ってきた。ところが、ここ2週間ばかり殆ど動かしていない。
 院長職になってからは何故か乗る気にならないのだ。副院長までの頃はそれなりの責任体系の中にいるとはいえ、代表者ではない。言ってみればOne of themであった。ところが今は一応対社会的には病院の代表者である。負っている責任が大きく異なる。小さな怪我とかであっても職務に多少の欠損が生じるが、そんな余裕は現実にはない。だから、自分でも危険には近づけない。
 もし、バイクで転けたり衝突で怪我したら単に私が個人的に「バカ」と言われるだけではなく、病院のイメージにも悪しき影響がある可能性がある。いや、それ以上に、今までお二人の院長の交代に接したが、それに要するエネルギーなど大変なものである。バイク事故なんかではちょっと割に合わないし、周辺に迷惑になりすぎる。だから、つい足が退けてしまう。

 そんなことで、最近ちょっと寂しい気分も味わっている。


9/13(火)快晴  法人常務会   医局カンファ:胃粘膜剥離術
2:00起床,ドック判定総括x1.5:10病院着、6:00回診、病棟定期処方。9:00-13:20午前外来.病棟患者対応。14:30-17:00常務会、17:30-18:20医局カンファ:内視鏡的胃粘膜剥離術。消化器科。21:00帰宅、21:30就寝。

最近変わったこと、変えたこと(1)  休むべし、休むべし・・と焦ってしまう
   人間の判断力はいい加減なものだ。「朝令暮改」と言う言葉がある。優柔不断の上司がビシッと方針を決められずウジウジしているような場合に、端で見ているスタッフ等がそんな上司を悪しく評するときに引用されることが多い。マア上司の性格や能力によってはその様なことも少なくはないが、じっくり考えれば必ずしもその上司の気分の問題だけとはいえない。
    現代社会では一晩たってしまうと逆の結論になること等当たり前のことと思わなければならない。判断材料が多く情報が次々と入ってきて、変化してくるような場合、それぞれへの比重の置き方が微妙に変わってくれば、結論が違ってくるのは当然である。今は情報が収集しやすくなっているから新しい情報を元に一晩検討した結果、翌日の結論が違ってくるのは当然のことだ。「君子豹変す」と言った良い意味での言葉もあるではないか。

 最初に入ってきた情報を聞いた際に、自分に都合がいいような思い込みをしてしまうことは慎まなければならない。これは人間である限り100%排除するのはまず無理、無理。特に、立場が上になり大きな責任を担っているような場合ほど、先々のことまで一瞬に思いを馳せてしまうから、思い込みも多くなる。特に疲労が蓄積して心に余裕を失っているときにその傾向は大きくなる。これは医療関係者の場合には危ないことでもある。

 その面では一番情報をクールに受け止められるのは傍観者なのだと思う。傍観者は興味本位なのかも知れないが、情報の受け取り方は冷静であることが多い。だから謙虚に第三者の意見を聞いてみる、これは大事な事なのだ。 神経を使って疲れた後には十分な休養を取らねばならない。意気消沈、やる気喪失しているときだけではなく、休養を取る価値は調子に乗っていてはやる気持ちがある時の方が意味が大きい、と思う。 私は今、次から次に積み重なってくる未処理の仕事への焦りより、「休むべし、休むべし・・」と言う焦り、強迫観念?の方が大きい、そんな恵まれた状況にある。


9/12(月)晴れ 管理会議 療養病棟判定会議 長副会議 
1:30起床。ドック判定・総括x1。メール送付、書類処理数件,5:10病院へ、6:30回診他病棟業務、8:00-8:45管理会議、9:00-13:30外来、15:00病棟業務。16:00療養病棟判定会議。16:30-19:00長副会議、20:50帰宅、21:15就寝。

小選挙区制の怖さ 郵政で闘ったが何でも出来る事態に 医療・福祉はどうなる?
 今回の選挙は予想通り小泉首相の人気投票となった。しかも、小選挙区制度の特徴がもろに発揮出た。自民党の集票は前回の1.3倍程度に過ぎないが議席数は大きく伸ばしている。小選挙区制は、少しでも劣勢に立った者が有無を言わさず切り捨てられる非情な選挙制度である。確かかつて小沢氏達が導入したものでなかったのだろうか。今回はそれで民主党が完全に劣勢に陥った。皮肉なものである。

 小泉首相は郵政反対議員に公認を与えず、刺客まで送り込んだ。この方法に対し国民は驚きを持って迎えたが、この手法の実行はむしろ国の閉塞感を打破するための何かをする男として小泉首相をイメージアップに結びつけた。英国の新聞はカリスマ首相の誕生と論じた。多くの国民は郵政民営化についてなんたるか、詳細は殆ど知らなくとも小泉首相を信任したのだ。
 要するに選挙は国の運命を左右するような重大な局面でない限り、一般大衆にとっては人気投票レベルに過ぎない。地元からどんな候補者が立っていようと投票は中央に向いて行われている。地元の候補なんてどんなに声高らかに主義主張を論じようと数のうちの一人に過ぎないのだ。

 民主党は大敗したが、政権交代を意識すれば政策はどうしても現在の与党の内容に似てくる。野党は野党としての性格を明確に前面に出して押し進めなければならないのだと思う。どんなに代表が絶叫して演説しても政策が似てきていれば、価値は相対的に乏しくなる危険をはらむ。結果がそれを示唆している。

 今回の選挙は郵政に関する信任投票に近い性格であった。結果は自民の大勝。何でも出来る状況に迄議席数を伸ばした。だから、小泉氏の問題点である外交、構造改革も彼のペースで進められ得る状況となった。
 今後の政権運営を見なければ解らないが、少数意見をどう採り上げてくれるのか。それが政治家として彼の本当の能力を示してくれるだろう。だから、しばらく目が離せない。


9/11(日)盛岡・秋田とも快晴  東北医連総会(2日目)
1:30ホテルメトロポリタン盛岡にて起床、持参のドック判定・総括等。本日発表のスライド最終的チェック、2-3枚追加。病院関連作文3偏進める。7:00葉っぱとコーヒー朝食、本読み。10:00-15:30東北医連総会。植松日医会長講演「医療制度改革」はあまりにも総論的、インパクトに欠ける。パネルディスカッション「地域医療」、「各医師会の主張」。後者で15分ほど「会長直接選挙」について報告。新書3冊購入、16:26こまち→17:50秋田、病院へ。20:30帰宅、夕食、21:00就眠。

自伝 秋田大学時代(1973-1985) (30)
 母と自分を語る 母の失意と裏腹に私が得た大きな開放感(3)
 ほぼ全ての蓄えを自分の留守中に失った、と言う母の悲しみはやがて時間と共に一時的に癒えたが、まもなく再び現実のものになる。私から見ての六番目の大きな転機、失意である。足元を見られて二束三文であったが家屋敷に買い手がつき、両親は替わりに盛岡の北はずれに中古の小住宅を購入、転居した。これで経済的には再び若干の余裕は生まれたらしい。

 約1000坪の敷地に200坪を超える規模の住宅はそれぞれ80坪、20坪に縮小した。この変化は母の立場にしてみれば筆舌に尽くせない悲しみがあったものと思われる。一方、父は意外とケロッとしていたのが対照的であった。性格の違いはあったが、現実問題としてもう既に老夫婦二人には広すぎて維持管理は困難になりつつあった。春から秋にかけて庭の草むしりだけでも大変、冬場になれば雪かきだけでも相当な距離となる。そんなことを繰り返しながら残り少ない人生を終えるだろうことが目に見えていた。だから、私にとってこの大好きな、愛着のある家と老いた両親の存在は、自分の先々の道の選択上で大きな負荷にもなっていた。大学卒業後には私は直ちに盛岡近辺の病院への勤務し、さらには郷里での開業すら考えていたほどである。

 転居が決まったときには私も帰省し荷物の整理に加わったが、家財道具の多くを庭の一角で焼却した。随分多くのものを処分した。この時、立ち上がる炎、煙は小学1年生の時に味わった我が家の火災、すべて消失した、あの時の印象の再現であった。長い間我が家で用いられ、いろいろ想い出の詰まった家具、道具類は面白いように燃え尽き、炎と煙、灰になり、私の目の前で消えていった。何故か私はこのモノが消失する瞬間を見届けるのが好きである。
 
 役に立ちそうな物品は母が一生懸命隣近所に配った様である。果たして喜ばれたか否か解らない。
 家で大切にしていた黒に金の縁取りがされた輪島塗の膳セット30人分ほど、これは今考えても見事な作品だったと思うが、盛岡の料亭に引き取られた。江戸中期の作とされる日本刀も売り飛ばした。残った鞘に竹光を自作し、いま私が所持している。

 小住宅にうつって老両親は身体的には随分安定した安息な生活を送れたと思う。その面ではとても良かった。
 しかし、この転機の最大のメリットは実は私自身にあったのだ。家からの、地域からの、両親の健康を、生活を心配する立場からの大きな開放感である。私はこの転居を機に、これで大きな自由を得た。今ある自分のかなりの部分はこの開放感と共に新しく芽生え、形作られたものだ、と言いうる。母の悲しみの因が実は私にとっては喜びの因であったというジレンマは母の生涯を思うとき私を悩ませる因でもある。


9/10(土)秋田・盛岡共に曇天  日本内科学会東北地方会  東北医連総会初日
2:00起床、ドック総括x1他。3:30病院着、出張前の病棟業務。6:45病院発、7:02こまちにて盛岡に。9:00-10;30日本内科学会東北地方会へ。研修医の発表に共同演者として付き合う。10;30盛岡メトロポリタンに部屋確保し、業務と本読み、午睡。18:30東北医連合同懇親会。豪華な会であった。40分ほどで中座、部屋で過ごす。別口に招待されていた20:00からの二次懇親会はメンバーがあまりにもお偉方で10分ほどで退散、本読み若干。21:00就寝.

20数年ぶりで出席  日本内科学会東北地方会
 本日、20数年ぶりで日本内科学会東北地方会に出席した。大学にいる頃は毎回の如くに出席したものであったが、中通総合病院に赴任後は初めての出席である.今回の出席は当院の2年目の研修医の血液分野の症例発表に共同演者として、質問等で必要があれば演者の代わりに答えるのための出席。実際には研修医がそれなりに答えたために出番はなかった。

 第二会場が血液他のセッションであったが出席者は40名足らず、しかも大部分が卒後数年以内ほどの若手であった。年二回開催されるこの内科学会地方会は若手医師の学会デビューの場として、症例の記録の場所としての価値はあるし、内科学会認定の取得のための登録が出来る、比較的手軽な学会である。大学にいたころは私も年に1-2回は主に症例報告の演題を出していた様に記憶する。その後は一切出席していないが、学会認定に関しては年に一回の総会に皆勤なので不足はないからそのために出席する必要はない。

 若手医師の発表を聞いているとかつての自分をみているようで懐かしい思いがした。かつてよりはベテラン医師の出席が少なく、本質に切り込んだ討論が少ない印象を受けたが、今回のみからは何も言うべきではなかろう。ただ、これでは医局のカンファレンスと大差ないレベルだな、と思いつつ1時間半ほど演題を聴いて、まだ完成していない明日の東北医連での自分の発表の図表・原稿を作るために予約のホテルに向かった。


9/9(金)快晴  元秋田大学医学部長告別式  法人理事会他
2:00起床、ドック判定総括x1。紹介状2部。5:20病院着、6:20回診その他病棟業務.9:20ドック診察x4。13:00-14:30元秋田大学医学部長告別式。さわやかな会であった。熟睡した。17:30法人理事会+懇談会。21:50帰宅,22:30就寝.土日は東北医師連総会で盛岡出張予定。

キュリー夫人とパウエル元国務長官  性差別と人種差別 
 盛岡出張の車中でキュリー夫人の伝記を読んだ。
 数年前ポーランドを旅したとき、首都ワルシャワではヒトラーは別格であったが、ショパンとキュリー夫人のこと、その他lコペルニクス等の偉大な文化人のことは、たどたどしい日本語を語るガイドの美人女性から何度も何度も説明を聞き、この3人を始めとする幾人かは私にとってより身近な存在となった。その後、私にとってショパンの作品は日常聴くようになったし、ヒトラーについても随分本を読んだ。その時想い出すのはガイドの日本語である。

 今回はキュリーである。
 彼女は1887年生まれ、パリ大学の文学部、ソルボンヌ大学の数学科を次席で卒業した逸材であったが、郷里に戻り教師になる予定であった。ひょんなことからピエール教授と結婚、優柔不断なピエールは妻の雄弁、夢ために自分の研究を捨てて実験、濃縮作業に協力したという。4トンのピッチブレンドから0.1gのラジウムの抽出に成功したが?れは4年もかけた5000ステップにも上る単純作業の繰り返しで、よほどの真理への確信がなければ出来るものではない。これを特許を取っていればノーベルどころではなかったかも知れないがそんな関心はなかったという。

   ピエールの事故死後ソルボンヌ大学で初の女性教授となるが、その業績の前に立ちはだかったのは性差別であったとのこと、彼女は女性の地位向上のためにも努力を惜しまなかったという。フランスで女性科学者が多いのは彼女の業績とされる。
   66歳で白血病死したが彼女が生涯で浴びた放射能は200シーベルトで通常人の6億倍、東海村の事故では18シーベルトだからその10倍は浴びたと言う。結果としての白血病はほぼ当然の帰結である。今日は今まで知らなかった彼女の一面を知ることが出来た。

 折しも本日のラジオでは米国の元国務長官パウエル氏の記者会見の模様が報じられていた。イラク戦争に対する興味深い話しも報じていたが、彼の人生、今に至るまで厳しい人種差別を受け続けていた、と言う言葉が彼女が受けた性差別と共に印象的であった。


9/8(木)台風一過秋晴   対外・内予定無し  来訪者数名面談
1:30起床、ドック判定総括x1、医師会関連校正等。5:15病院着、主治医意見書等作成。6:30回診+病棟業務、9:00-14:00外来。入院患者家族と面談2件。総括、紹介状。来訪者との面談。20:30帰宅、夕食、21:00就眠.

ハイブリッド談義(2)
 私の徒然が間接的な契機になって、本日TOYOTAの方の営業の方の来訪があった。わざわざ私の疑問の説明に来られたのだという。有り難いことである。

 早速、特にニッケル水素バッテリーの消耗について、電池の公害性など教えて貰った。果たして総合的に見て低公害なのだろうか。
 消耗したバッテリーは再利用すると言うことであるし、初代の量産市販型ハイブリッドカーが世に出たのは1997年であるから8年になるが、電池の交換の事例はタクシーとして使用された車があるくらいなのだそうだ。だから、私の日常の走行程度であれば8-10年ほどは交換無しで走れるのではないか、との見解であった。 それでも、大概私は一端購入するとその車を10数年は使用するから、何れは問題となろう。この場合の交換費用は20万円程度となるらしい。フンフンやっぱりね。そんなら総体的にあまり乗らない私にとってメリットはあるかな??と、ちょっと考えた。

 いや、待てよ、そんな時まで車は頑丈だから大丈夫なのかも知れないが、主役である私が生きているかどうか、そっちの方がワカランではないか。そう考えればバッテリー交換の時期を迎えて悩めると言うことは幸せなことなんだ。そう考えると事は単純、購入するか否かの決断だけだ。

 わざわざ着ていただいたことを感謝しこの場で即決するか、と思ったが、目当てのプリウスは何とマイナーモデルチェンジ前でいまは手に入らないのだという。11月からの発売でカタログもないから注文も出来ないらしい。ちょっとガックリした。数年前、家内がベンツのオープンカーSLKを購入しようとした時、お目当ての色なら大体3年待ちと聞いて諦めたことがあって、その時私は密かに喜んだ時のミニミニ版である。
 いま、プリウスに関しては病棟で一緒に働く看護師さんの知り合いの方、家内を通じての方、本日の方と営業お三方が関与していることになる。まさか三台は必要ないし、あらたな悩みとなった。


9/7(水)台風接近 雨交じり強風  QP食品来訪  東北厚生局:後期研修実態調査来訪  県医師会打合せ+県医常任理事会+対策委員会
2:00起床。夜半から早朝にかけ時折強風。ドック判定総括x1.総括・紹介状等処理、5:10病院着.6:10回診その他。9:00-13:00外来+ドック診察x12.15:00QP食品担当者来訪。15:00-16:00東北厚生局:後期研修実態調査医師会に来訪。病院に戻り患者対応、17:30-20:00県医師会常任理事会+県医対策委員会。病院で業務、21:30帰宅,22:00就寝。

原油不足  今度はハイブリッド車にしようか
 かつて「まさかの70ドル」と言われていたが、原油価格はあれよあれよと言う内に1バレル当たり70ドルを超えてしまった。在庫減少、ハリケーン来襲、製油所火災、サウジの政変、OPECが増産余力低下などなど、なんだか解らない理由が取りざたされている。最近は「まさかの100ドル」等とも言われ始めているようだが、これももしかすれば非現実的ではないかも知れない。

 当然ながら、ガソリンは130円/Lと値上がった。第二次オイルショック時の170円/Lの時状況が想い出させる。しかし、その時代とは経済力が違うから、日常生活のレベルでは値上げの影響はあまり出ていないようだ。しかし、中国、印度、ブラジルその他の開発途上国では最近石油の需要が鰻登りだけに大変だろう。石油の価格は需要と供給だけで決まらない複雑な一面を持っている。巨大な投棄対象となっているからであるが、この辺はよく解らない。

 この頃、私は静粛性が優れ、夢のエンジンと言われ、実用化の目処が立ったロータリーエンジン搭載車を利用していた。このエンジンは改良が進めば世界の主流にもなりうるとまで言われていたが、燃費の悪さから最悪のエンジンの地位まで零落してしまった。いまこのエンジンを搭載している車は世界で一車種のみである。たしかに当時は同クラスのレシプロ車に比較して静粛性、振動が少ない点では別世界の雰囲気であった。タコメーターで確認しなければエンジンがかかっているか解らないほどでもあった。ただし、燃費は4Km/Lと最悪レベルであった。

 石油埋蔵量の評価は不思議な世界である。私が小中学校の頃、世界の石油はアト30年しか無いと教わった。しかし、採掘量は当時と比較できなほど増えてきた。つい最近も供給の方はアト30年とどっかに書いてあった。新油田の開発、採掘効率の改善等で採取が維持されてきたかららしいが、北海油田、中国の大慶油田、メキシコ油田などは本当に減退期にあるようだ。

 いま、私の車は機能的に終焉を迎えつつあり次のを検討しているが、今度はハイブリッド車にしようかと思っている。ただ、25-30Km/Lと燃料消費は少なくても電池のことを考えたときホントに低公害なのか?まだ確信が得られず決めかねている。


9/6(火)曇時々雨→台風14号接近 法人常務会 医師会打ち合わせ(延期) 初期研修制度マッチング判定会議  医局会(就任挨拶) 
2:00起床,ドック判定総括x1. 9:00-14:00書類処理、5:00病院着. 6:30回診、定期処方他、9:00-13:45外来.14:00病棟検査。14:30-15:30法人常務会に初出席。17:00初期研修マッチング判定会議。17:30医局会.院長就任挨拶。21:00帰宅、21;30就寝。

やんちゃでやっかい「黒チビ」 猫じゃらしに便利なレーザーポインター
 6月中旬、横浜で娘に拾われた幸運なネコ「黒チビ」、我が家に来てほぼ3ヶ月、順調に育ってもう3倍ほどのサイズになって家中我が物顔で遊んでいる。何でも遊びの材料にする。

 迷惑なのは私の足にまだ興味を失わずにジャレつくこと。特に夜睡眠中にジャレて、ひっかき、囓る。私にとっては貴重な充電時間なのでやむを得ない。時に蹴飛ばし、上手く足に乗っていそうなときには足で部屋の隅にまで放り投げる。ところが遊んで貰えていると誤解するらしく、性懲りなくまたベットに登ってくる。より一層激しく足趾を責めてくる。こうなるとどうしようもないのでタオルケットに足をくるんででガードする。
 
 私の今までの好みは三毛猫で、丸顔タイプである。黒猫には全く興味も沸かなかったが、こうして飼ってみると真っ黒なのもなかなか良いものだ。ただ表情が乏しい。暗闇では何処にいるかわからず踏んだりしないよう気遣いする。私の椅子の上でよく寝ているから間違って座ったりしたら大変である。

 日本猫は概して頭部が大きいがこの黒チビは頭部が小さく、しかも逆三角形のイメージである。よくエジプトの古美術や壁画に描かれる猫は頭が小さいがあの感じに育ってきた。果たして知能は大丈夫かいや?バカでないか?と思うこともしばしである。まだ甘かじりや甘噛みを覚えてくれないからであるが、まだこんなものかな?とも思う。もう少しの我慢かな?

 このバカさ加減、単純さは猫じゃらし代わりに講演とかのプレゼンテーションで使うレーザーポインターを用いると単純に乗ってくるから面白く便利である。チョロチョロと動かすと面白いようにジャレる。部屋のカーテンを一気に天井まで登っていく。登るのも降りるのもだんだん板に付いてきた。ジャラす方は一切動かないですむから半分仕事しながらでも出来る。あまりうるさいときはこれで外に誘導して締め出す。隣のうちの壁にポインターを当てると数10m先まで一気に駆けていく。 この単純さがとても可愛い。


9/5(月)雨→曇  管理会議  療養病棟判定会議なし  長副会議
2:00起床、ドック判定総括x1、その他。5:00病院に.6:30回診他、8:00管理会議.9:00-14;00外来、混雑。入院2名。書類処理他。16:30-19:10長副会議。懸案多数。20:55帰宅、夕食、21:30就寝。

管理会議、運営会議のメンバーの方々へのご挨拶
 9/1をもって、中通総合病院院長を拝命しました。 ことの推移にただ驚くばかり、人生って先に何があるか、本当にわからないものです。 ともあれ、与えられた職務に誠意を持って取り組みます。

 私は「中通総合病院の宝は人である」と思います。 その視点で、医療に従事していると言う幸せを各人が喜びとして心から感じられる、活気のある働きがいを感じられる病院、にしていきたいと考えています。

 そのためには経営基盤をしっかりさせる必要があります。 そのためには内憂外患を的確に判断し、中通総合病院の理念と基本方針に沿いつつ、新しい時代にも揺るぐことのない医療機関に変えていかなければなりません。
 そのために、当面は、みんなで作り上げた、中通総合病院の将来構想のひとつひとつを実現していきます。  この度の私の就任に関しても、後継者育成対策がいかに重要であるかについて考えさせられました。この面についても重視していきます。
 最後に、いかなる方針を掲げても、職員同士の志気と意思の疎通を欠いては何一つ実現しません。 そのために、「挨拶」「笑顔」「ディスカッション」、この当たり前の三つ言葉をキーワードにして職務を進めます。勿論、全職員の方々にも、特に管理会議、運営会議のメンバーのみなさんにも実行を呼びかけていきます。 ご理解とご協力のほど、お願いいたします。



9/4(日)曇-雨、晴れ、FF Tennis(中止) 
2:00起床.後は何時ものパターン、ドック判定総括x1,新聞チェック,医師会書類処理,作文,校正など種々.来週の東北医連の発表原稿に着手。10:00FF Tennisのために梅林園に向かうも途中で降雨、中止に。帰宅し業務、スライド図表作成、書籍整理など。14:30-19:30病院で業務、20:00帰宅、夕食、Vn、21:00就眠。

自伝 秋田大学時代(1973-1985) (29)
母と自分を語る 母の甲斐と失意とは何だったのか(2)
 母の第三の落胆は私が中学から高校にかけてのころ定年を数年残して父が突然退職したことだろう。これ以降我が家は父の僅かばかりの恩給の他現金収入はなくなり、先代が残してくれた蓄えを切り崩す生活となった。祖父が亡くなり自分たちの代になるやいなや迎えたこの変化はやはり大きなショックだったようだ。

 そんな中、母の生き甲斐と期待は自然と私に転嫁してくる。それをひしひしと感じることが出来た。母が心にいだいている息子像と現実の私自身との間には大きな乖離があり、そのことは私の負荷になっていたが、母の日常の苦労を思うにつけ、私が選択出来たのは良い息子であることを演じ続けることであった。だから、私の成長と医学部入学は母にとって大きな喜びであったに違いないことは容易に想像出来る。

 彼女にとって私が理解している第四の転機、落胆は私が大学に入学してまもなくの頃、母は軽度の肺結核と診断され半年ほど盛岡市立病院に入院したことである。私の目から見て子宮筋腫の手術入院が半月ほどあった他はせいぜい風邪程度で、大きく寝込んだことなど思い当たらない。結構華奢な身体であったが丈夫そうにみえたが、これを機会にやはり自分の健康面での自信を失った様である。実際、この頃から体調の不調を訴えることは徐々に増えていったが、病気の主座は別なところにあり徐々に進行していたためである。

 第五の転機、落胆は肺結核が略治して喜びと共に退院した母を待っていた、我が家がほぼ破産状態に陥ったと言う現実の宣告であった。母の入院期間に、独りとなり自由を得た父が、先物取引に手を伸ばし、大きな欠損金を作ってしまったためである。この時の母の失意は並ではなく、一時的に精神的に不調となり、新潟の寮まで何度も何度も電話がかかってきたものである。盛岡周辺の親戚の方々にも電話でクドクドと・・・いろいろ迷惑をかけたらしい。彼女の言い分は、父を責めるのではなく、自分の病気で家を留守にしたことが結果的にこの様な事態を招いたという自分を責めるものであり、これが彼女のものの考え方の基本であった。要するに何が起こっても自らを責め、自らの首を絞めていくタイプで、これでは考えれば考えるほど生きていくのが苦しくなっていく。


9/3(土)雨後曇 散髪 看護師M.Nさん葬儀  テニス合宿(欠) 
1:30起床、寝不足感。ドック判定総括x 1、その他。5:00病院着、6:30回診その他。8:00頃坐位のまま若干微睡む。9:00ドック結果説明x3。10:30-14:00外来。最後の患者には約90分対応。午後の予定が全て狂う。14:30-15:15散髪、この間ずっと熟睡、迷惑かけたかな?以後静かに業務。19:30帰宅、夕食.20:30就寝。本日の看護師M.Nさん葬儀は業務の関係で欠席にさせていただいた。

5分で済む話を90分もかける苦情関連対応  先方は苦情、私には苦行
 私は県医師会でも、病院でも業務上県民や患者の相談や苦情に対応する機会が多い。

 医師会では電話相談への電話での対応、説明が主だが、時には直接来館していただき面談することもある。
   病院ではいろいろ背景を持つ患者を主任達が目敏く見つけて私に振り分けてくる。ならば、もう少し患者を整理して時間を作ってくれれば良いものを、そちらは手を付けず、むしろ大勢振り分けて診させて、その上に問題ある方を診て欲しい、である。これじゃ私にとっては踏んだり蹴ったりでないかい??
 一応は抵抗する仕草をしてから、マア、これも業務だと最後は笑って引き受ける。主任達も困り果てた結果私に来たのだから、と私は拒否はしないが実際のところ本当に辛いよ、私は。主任達のホッとした表情、笑顔が最後の拠り所であり、救いだ。笑顔は大事だと改めて思う。ブスッとした表情で頼まれたら私は更に何倍も辛くなる。

 3週間ほど前の医師会の件では、こちらは既に病状とかを検討して私どもの結論が出ていることなので5分も説明すれば済むことではあったが、先方に納得いただくのに矢張り90分。この間、先方はある種の感情が高ぶった状況であるからそれを傷つけないように言葉を選んで選んで説明する。大変な作業である。大体は納得いただきお引き取り願ったから、これ以上は先方のアクションは無かろう。まず一件落着という感じ。

 本日の外来の件は院内のシステム、診療内容に関する苦情である。実に約一時間半、自動小銃の如くの患者の言葉に圧倒されながらじっと耐えた。まず話したいことを全部言って戴くのがこんな時の基本。ひたすら聞き役に徹する。同じ話を何周かした後、時間切れだからと私の方から面談の終わりを告げ、苦情の元になっている件について病院の立場、医師の立場、職員の立場を代弁して終わりとした。これでまず先方も納得されただろう。この件も一段落。しかし、午後から夕方にかけての私の業務は時間的にも、能率の面でも大打撃を受けた。
 即決を旨とする私にはこの様な業務は実に辛い。苦行だが、やむを得ない、抜けられない業務の一つである。


9/2(金)曇り→晴れ  秋田県インフルエンザワクチン安定供給対策委員会 療養病棟診療部会   
1:30起床、ドック判定総括x1.紹介状返事など。5:10病院着、6:30回診他、各種処理。9:30-14:30基本検診+外来補助+ドック診察x5名。各種書類処理、主治医意見書x2など.15:00-16:00秋田県インフルエンザワクチン安定供給対策委員会17:00-18:00療養病棟診療部会。20:50帰宅、夕食、21:30就寝。

院長就任二日目   業務と両立出来るの?心配してくれる職員達
 院長就任二日目。今のところ日常の診療のスケジュール等は全く変わりない。いつもと同じ時間配分で回診、事務処理、外来、ドック、県の委員会、医師会業務もこなしている。
 昨日から秋田市の基本健康審査が始まったが、これからの2ヶ月間はドック処理用にやっとこさ確保出来ていた貴重な金曜午前の1.5時間、これすら召し上げられる。この健康審査は余裕のない外来に割り込んでくるから診察自体も大変だし、事後処理まで入れるとかなりの業務量ではっきり言ってストレスである。今年もまたか・・・と思うが、もう笑って処理していくしかない。

 要するに業務は何一つ減らず、容赦なく上積みされていく。これでは駄目だ、つぶれてしまう・・と先が思いやられる。院内外の業務整理が必要。唯一変わったのはリハビリ病院当直が今月は当たっていないことかな。

 患者さん方を始め、メールを含めていろんな方々から祝福の声をかけられた。有り難いものである。素直に受けたいと思う。
 祝福の言葉を出さず口ごもるのは職員達である。何で私が院長に?と訝っている職員もいるだろうし、上手くやれるの?大丈夫か?といろんな意味で心配している職員もいるのだろう。この点は私にもわからないよ。
 私をよく知る職員は直接は口に出さないが、結構私を心配してくれているらしい。それと、外来、ドック、病棟などが今後どうなるのか?そっちの方が関心事らしい。

 今日の療養病棟の診療部会の資料に「福田先生が院長に就任、療養病棟はどうなる?」と印刷してあった。

 マア、今後のことを一番心配しているのは本人である。今後あらゆる方向で業務整理の提案をしていきたいと思っているが、そのための時間をどうやって作ろうか、と今悩んでいるところである。


9/1(木) 快晴、中通総合病院院長拝命  平和学習会  秋田県健康づくり審議会成人病部会
1:30起床。ドック判定総括x1、紹介状返事など.5:10病院着、6:20回診その他、9:00-13:30外来、13:30-14:30平和学習会;土崎空襲(千秋会館)。16:00-17:45秋田県健康づくり審議会成人病部会。以降はひたすら書類処理。20:30帰宅.夕食。21:00就寝.

院長就任挨拶  キーワードは「挨拶」「笑顔」「ディスカッション」
 この度、中通総合病院院長を拝命しました。
 ことの推移にただ驚くばかり、人生って先に何があるか、本当にわからないものです。
   ともあれ、与えられた職務に誠意を持って取り組みます。

 中通総合病院は今年、創立50周年の大きな節目を迎えます。この半世紀、中通総合病院を支えてきたすべての方々に、改めて心から感謝の意をお伝えしたいと思います。

 全職員のみなさん、これからも、創業の精神を大事にし、中通総合病院と言う素晴らしい医療の場を通じて、社会に貢献して行きましょう。

 私は医療に従事していると言う幸せを各人が喜びとして心から感じられる、活気のある病院にしていきたいと考えています。そのために、「挨拶」「笑顔」「ディスカッション」、この三つをキーワードにして職務を進めます。どれも社会人として当たり前のことなので特に説明は要しませんが、この三つで病院は変わります。勿論、全職員の方々にも実行を呼びかけていきます。
                   (2005/9/1日報めいわ)


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   年を通じてワンパターンで淡々とした毎日です。AM2:00-5:00にメールチェック・返事送付、人間ドック(HDD)判定・報告書作成、新聞切り抜き、病院・医師会業務など。
  月〜土曜は6:00頃出勤、HDD報告書印刷、外来書類処理など。病棟回診、HDD受診者とミーティングと診察。8:45-14:00外来とHDD受診者に結果説明。昼食は摂りません。午後は病院業務・医師会業務、各種委員会等に出席など。20:00頃帰宅。
  日曜・祭日もほぼ同様ですが、病院には午後出かけます。時間的に余裕無いのが悩みです。


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