徒然日記
2021年7月分

 日記と言うより、自分の行動記録からの抜粋と日々の雑感です。

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7/31(土) 快晴暑い 
 1:00起床。いつものごとく。時間があると油断して朝の涼しい時間に外仕事を開始する機会を失った。午前は読書、作文、医学文献読みなど。午後は微睡、iPad、iPhoneにOCR関連の便利なソフト導入を検討。16:00収穫、散水ほか。19:00夕食、20:45就寝。歩数計積算9398歩。

本 吉村昭 「海の鼠」 新潮社 1973年  COVID-19対策と重なる地域社会の大混乱
 本作は吉村昭著「魚影の群れ」に収録されている短編の一つ。
 ねずみ騒動は実際に起こった事件である。Wikipediaを参照しながら抄述すると、騒動は1949年-63年頃まで続いた、宇和海の島嶼部及び海岸部で起こったネズミの大量発生に伴う農作物や海産物等への被害、人的被害が生じた。翌1950年には日振島に、1954年には三浦半島、1960年には南宇和郡、北宇和郡津島町まで騒動は拡大した。
  島民にとってこの地は平地が乏しく生活用水も不足するなど厳しい生活環境であったが、ネズミにとっては天敵がおらず、温暖で環境が適し、いわしの煮干や甘藷、麦などの農作物、食料が
潤沢にあることで、他の地区から海を渡り、集団移転し定着したもの。7年後には120万匹に達したと思われた。

 ネズミによる具体的被害は
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(1)甘藷、麦、トウモロコシ、大豆、小豆など。
(2)いわしの煮干などの水産加工物。
(3)家屋や家具の被害。
(4)幼児がかじられるなど人身被害。
(5)島民の安眠妨害など
――――――――――――――――――――――――――――――
 導入した駆除方法
(1)薬剤:黄燐製剤、デスモア、フラトールなど。
(2)器具:パチンコ式捕獲器、弓張式竹罠、鼠捕網
(3)天敵導入による駆除:青大将191匹、イタチ 156頭、猫4392匹導入
(4)ネズミの尾を一本5円で買い上げる等の捕鼠奨励制度
(5)栗のいがを鼠の穴に詰める、清掃など
しかしどの方策も、決定的な解決には結びつかなかった。
――――――――――――――――――――――――――――――
 終息
(1)1963年頃より、不漁によるいわしの煮干製造の廃業、
(2)若者の村外流出による段々畑の耕作放棄など
(3)畑作の減少などで餌が乏しくなり生息環境が劣化し、ネズミの生息数は徐々に減少していった。
――――――――――――――――――――――――――――――

 私はこのネズミ大発生事件をこの作品を読むまで不勉強にして知らなかった。
 折しも、今世界は、日本もCOVID-19の蔓延の最中にある。COVID-19と同様に、降って湧いたようにネズミの大群が島を襲い、定着し、住民の生活を大混乱におとしめた。
 島の住民達は郡や県、国に働きかけると共に、学者の意見を参考に上記のごとくの対策を行った。その多くは導入直後だけはそれなりに効果があったが、ネズミが慣れるのか効果は持続しなかった。
 結局は10年以上もこの被害は持続したが、やがて島の住民達の高齢化、過疎化で住民の経済活動も衰退し、ネズミ達も餌が確保できなくなり、自然と消滅していった。ネズミが生存環境が悪くなった島を放棄した、と考えられた。

 作家吉村昭氏はこのネズミ大量発生により被った島民の被害状況に注目し、島民の生活ぶりや被害状況を生々しくし描出している。氏はかなり抑制的にネズミと人間の関係を描写しているが、ネズミ嫌いの人は到底読めないだろうほどの迫力で描写している。
 多くは引用できないが、
 「海岸の岩石や砂浜が、一斉に動いている!!」
 「上方の斜面は、静止しているのに磯だけがかなり長い距離にわたってゆらいでいる!!」
 「黒々と動くのは岩や砂礫ではなく、おびただしい生き物の群れらしい!! 」
 「それは、重なるようにひしめきながら磯づたいに西から東へと移動している!!」
 「・・・・・・!!」

 ネズミの出現を最初に気づいた漁民の驚きを描いた数行であるが、事の重大さと、その後に起こるだろうネズミとの闘いの困難さを見事に予告している。
 吉村氏は入念な調査を重ね、この稀な騒動をわかりやすくまとめ提示した。
 
 私は座して読ませていただいたが、驚きと感謝の念で一杯である。


7/30(金)晴れ暑い夕方降雨 大曲中通病院 飯川病院ボランティア
 1:00起床。いつものごとく。4:00可燃ゴミ提出、収穫、散水ほか。7:35Taxi駅東口に。8:11こまち。往路徒歩、9:10大曲中通病院外来、帰路時間なく徒歩不可。書店訪問、15:30飯川病院、ボランティア、19:30通町書店経由帰宅、夕食、20:45就寝。歩数計積算9630歩。

ガレージの天井にスズメバチの巣 芸術的な形、色彩
 我が家のガレージの天井にスズメバチの巣が作られていた。恐らくキイロスズメバチと思われる。キイロスズメバチは屋根裏、軒下などいたるところに巣を作る。巣の形は個性があって微妙に違うが、基本的にはどれも球体やとっくりのような形をしている。
 
 スズメバチは、4月くらいから活動をはじめ、5〜6月あたりにとっくりを逆さにしたような巣を作り始め、7月くらいに丸い形状に変化していく。


 9月以降には直径が1mを超えることもある。その巨大なサイズの巣は子供の頃に田舎の物置の天井に作られていたのを見たことがある。

 スズメバチの巣の駆除は、危険度が高く、最悪の場合には死亡事故にもつながってしまう。だから基本的には駆除業者に依頼すべきと言われている。ただ、知識がある人が15cm程度までの小さな巣に対し重装備のガードをした上で慎重におこなうのであれば不可能ではない。

 私はなんでも自分でやってみる方である。サイズも形もちょうどよくて自分で駆除しようと心の準備していたのであるが、家内が病院の事務を通じて駆除業者に連絡したらしく2-3日後にはなくなっていた。一件落着となったが惜しかった、ちょっとがっかりした。
 病院では排気ダクトの中に作られた巣の駆除をしてもらったばかりと言うので、事務も業者も対応は早かった。しかも、病院では3万円ほどであったというが、我が家の場合は2回目の依頼にあたるので通常の半額で1万円だったという。病院とは別口の個人的注文なのに、と思ったがサービスしてくれた、と思うことにした。

 この蜂の巣を見たときに私は観光地にある熱気球を連想した。そっくりだったからである。


7/29(木)快晴夕方雷雨 午後飯川病院勤務 
 1:30起床、新聞・書籍データ化整理などいつもと同じ。自炊4冊。8:00収穫、ダリアの簀巻きを解放。9:30カウンター室の天井のブラインド、プチにやられたのを修理、再発防止まで。座学多少、11:50バス飯川病院、微睡読書ほか、14:00勤務、患者対応なし。読書、散水ほか。19:30帰宅夕食、20:30就寝、歩数計積算8381歩。

東京五輪・パラリンピック2021(25) まさか私が生きて五輪を迎えるとは!!
 石原都知事が2005年夏から運動を始め、2011年6月に招致の意思表明、2016年開催の候補地選考では最下位で落選。私は落選して当然と喜んだのだが、再び立候補し、2013年9月ブエノスアイレスでのIOC総会で20年夏季五輪開催都市を東京と決定し、私は落胆した。

 私は五輪に関心はない。
 1964年の東京五輪は受験期で、仙台で予備校に通っていてそれどころではなかった。画像で見たのは翌年夏、大村崑監督による記録映画を新潟の映画館で初めて見て感激した。この画像はさらに10数年後レーザーディスクで購入、じっくり楽しんだ。「東洋の魔女」の異名をとつた日紡貝塚バレーチーム、「マラソン銅メダリスト」の円谷選手をどうしても思い浮かべる。チェコのチャスラフスカの美技も素晴らしかった。
 
 しかし、それ以降、五輪は徐々に変質、理念から徐々に遠くなり、私は次第に興味を失ってしまった。

 だから、2013年9月、IOC総会で20年夏季五輪開催都市が東京と決定し、私は落胆した。「どうせ私には関係のないこと」と思ったのを思い出す。
 私はそのころの数年間、自分の不注意もあったが、体調を崩し、いろいろ健康上の不調が続いていた。

 「アキレス腱断裂手術」、「膀胱頚部硬化症手術」、「肺がんを疑われて経過観察」、「自転車同士の衝突による外傷」、「腸閉塞発症し腹腔鏡手術」、「脳梗塞発症」、「鼠径ヘルニア悪化と手術」・・・などなどである。その当時、「自分は長くは生きられないだろう・・」と考え終活を強力に進めていた。長く納めた年金も「少しでも回収しなければ損・・・」と考え、受領の手続きもした。

 2013年の徒然日記を見直した。
 今から思えば、そのころ私は若干下向きの姿勢で生きていたのだろう。70歳を迎える前であったが、7年後の2020年の東京五輪を生きて迎えることなど考え難かった。

 外来で70-80歳の高齢者10数名に五輪について聞いたところ、ほとんどが「東京に決まって嬉しい。7年後の五輪を楽しみに、その時までは元気に生きていたい・・」と明るくのたまわったのには驚いたものである。
 その時に答えてくれた高齢者の半数ほどは五輪を迎えることなく亡くなられたが、可能性が低いと諦めていた私が体調も改善し、8年後の今も生きて五輪を迎えているのは幸運だったと喜ぶべきであろう。

 今回の五輪についてはCOVID-19の蔓延の下での開催については政治的に、医学的に興味は尽きないが、競技自体は新聞記事で結果に若干触れるだけである。
 
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 1964年の東京五輪は日本に転機をもたらした。それは明らかである。しかしながらもうその価値は失われている。
 2005年夏、それでも多くの日本人は2回目の東京誘致を支持した。五輪神話は熱病のようにメディアで再演され、呪文として機能する。
 平成の停滞ムードの中で国民は、過去の五輪の再演によって輝かしい時代を招来しようとした。しかしながら、それは幻想であった。
  
 1964年当時の日本は工業化途上の貧しい国だった。その時代だから価値があった。
 沖縄からスタートした聖火リレーは全国を周りナショナリズムの高揚に役立った。当時日米はその関係において転機を迎えていた。1972年沖縄はわが国に返還された。 

 一方、国内では繊維産業には膨大な女子工員がいて多数の強豪チームが誕生したが、背景には労使関係の問題があり、「東洋の魔女」の輝かしい栄光は、不満のガス抜きの作用を果たしてしまった。
 円谷選手は福島の貧しい農家の末つ子、口減らしのために自衛隊に入った。彼は親譲りの律儀な性格を有しており、組織の期待とプレッシャーに耐えかね自死した。


7/28(水)晴れ降雨 飯川病院 COVID-19ワクチン接種担当
0:20飯川病院起床、文献新聞整理。徒然ほか。7:00検食、読書、9:30書店訪問後自宅に。台風8号宮城に上陸秋田を横断し熱帯低気圧に、風少ないが降雨、緊張したが助かった。ダリアの風対策作業若干追加。13:30バス飯川病院、14:00COVID-19ワクチン接種担当、入院外来患者対応、散水、微睡。19:30帰宅夕食。20:30就寝。歩数計6067歩。

東京五輪・パラリンピック2021(24) 傷だらけの五輪(6) 開催後の状況は悲惨
 傷だらけの五輪が開幕した。
 今まで沈黙を保っていたアスリート達は堰を切ったようにはつらつとプレイしている。この面だけとれば開催も是となるが、それに至るまでの非科学的な判断は責められなければなるまい。

 東京のCOVID-19感染者数はいまだにうなぎのぼり。しかも、変異株が隆盛、若者が感染者の大半を占めている。
 対コロナ対策として人類が成し得ていることは3蜜の回避とワクチンだけ。都会の社会的文化、人々の生活は3蜜によってもたらされているのだから、現実には予防は困難である。

 マスク、フェイスシールド、アクリル板・ビニールカーテンの遮蔽の効果は微々たるもの。治療薬はまだまだ有効なものはない。
 唯一の朗報はワクチン。その中で、中国製、ロシア製のワクチンの効果には疑問があるようだ。もともと両国の統計は初めから信頼性が低いから驚きはない。

 ファイザーを代表とする欧米製のワクチンは変雄株にも80数%の効果があるとされる。

 だから今のところ3蜜回避とワクチンしかない。
 ところが、五輪開会後東京は3蜜回避どころか人流はますます増えている・

 現在、都内の新規感染者数は3千人超となった。今後はうなぎのぼりに感染者が増えていく。これは専門家の多くが指摘していることである。関係者は危機感をあらわにする。

 都内の某病院では都の要請で4月にコロナ病床数を8床まで増やしたが、既に半数が埋まった。看護部長からは「これ以上増やせば人繰りは難しい」と報告を受けている、という。入院患者が8人を超えると外科系の医師が応援に入ることに。そうなれば通常診旗の制限につながってしまう。この例でもわかるように、COVID-19入院患者が増えるとあらゆる医療が影響を受けてしまう。第4波の大阪府のように、必要な医療を受けられずで亡くなるケースが相次ぐといった医療崩壊も現実味を帯びる。

 国や体も手をこまねいていたわけではない。労働省は3月、第3波や変異株を考慮して病床確保計画を見直すよう都道府県に要請、全国の保病床数を約3万床から約3万7千床まで増やした。東京でも千以上増の約6400床(7月2日時点)を確保した。しかし人手が足りない。

 五輪前後からの都民の感染急増に対して、IOCバッハ会長、菅首相とも五輪は関係ないとコメントしている。

 政府対策分科会・尾身会長は最も重要な危機に直面していると指摘している。尾身会長はかなり遠慮がちに政府の対応を責めているが、首相には危機感が伝わっていない。

 さて、総裁選挙が話題になりつつある。菅首相は続投の考えだが、その動きについても注目せざるを得ない。ただ、代わる後継者が見えてこない。


7/27(火)快晴暑い 中通病院外来 飯川病院+当直 COVID-19予防注射
1:00起床,文献整理。本読み。雑誌データ化。4:30可燃ごみ提出。台風8号接近に備えダリア花部分固定、収穫。6:47バス飯川病院。8:45-12:50外来。13:15飯川病院、14:00-18:45勤務、COVID-19予防注射、終了後微睡。17:00当直業務、18:00検食、20:00就寝。積算9510歩。

東京五輪・パラリンピック2021(23) 傷だらけの五輪(5) 相次ぐ辞任劇
  傷だらけの五輪が開幕した。

 (3)JOC竹田恒和前会長が贈賄に関与??
 東京大会の招致委員会がシンガポールのコンサル会社に振り込んだ約4億4222万円をめぐって、当時の竹田理事長が贈賄の疑いで捜査対象になった。フランス司法当局が捜査を始めたらしい。不正の疑惑はJOCが設置した外部調査チームは違法性はないと結論付けていた。これも根拠不明。
 竹田氏は疑惑によって追い込まれる形で、任期満了時に退任した。部外者には何がなんだかよくわからない経過である。

 (4)マラソンの札幌移転(2019年)
 マラソンと競歩の会場が札幌に変更された。暑さを問題視したIOCが会場変更計画を発表、小池都知事は「突然の変更に驚きを感じる」と不満を露わにした。7月開催を決めたのはTV放映をめぐるIOCの都合だった。
 その後の協議で、会場変更に伴う費用は東京都に負担させないことや、今後他の競技の会場変更はしないことなどを条件に、小池知事はIOCの決定を容認。「合意なき決定です」と述べた。これも不可解。

 ■新型コロナで1年延期(2019年5月)
 COVID-19感染拡大の影響で、オリパラ史上初延期とされた。安倍・バッハ会談で決定したが決定の根拠不明。この時日本の感染者は二千人台。日本や世界規模の感染拡大から開催を望まない声が相次いだ。カナダのオリンピック・パラリンピック委員会は選手団を派遣しないと発表した。
 その後もCOVID-19は終息せず、全国の感染者は88万人に。2021年5月海外観客の受け入れを断念、9月に首都圏や福島などでの無観客開催が決定。これまでに東京に4回の緊急事態宣言が発令されたが、五輪開催ありきの宣言ではないかと批判が集まっている。

 ■森前会長の女性蔑視発言で辞任(21年2月)
 組織委の森喜朗前会長の女性蔑視発言は、記憶に新しい。
 2021年4月のIOC評議員会で「女性がたくさんいる会議は長くなる」と発言し、批判や辞任を求める声が相次いだ。85人の評議員中女性が3人だけという格差も問題視された。
 森氏は記者会見で発言を謝罪・撤回したが、進退や蔑視発言について追及する記者に対して声を荒げ、さらなる批判を浴び、森氏は会長を辞任した。
 さらに、後任選びでは、引責辞任する森氏の一存で、選手村の川淵三郎村長に会長就任を打診した。氏が組織委を勝手に牛耳っていた体制が問題視された。 後任には橋本聖子氏が就任した。

 ■容姿を侮辱する企画提案で開会式の統括者佐々木宏氏が辞任(2021年3月)
 開会式演出の総合統括だった佐々木宏氏が、お笑いタレント渡辺直美さんの容姿を侮辱するような演出を提案していたことが発覚。氏は組織委を通じて謝罪し、辞意を表明した。

 ■開会式の楽曲担当当小山田圭吾氏「いじめ加害」告白の過去で辞任(21年7月)
 開会式の楽曲担当小山田圭吾氏が小中学校時代に「いじめの加害者だった」と告白する過去の雑誌インタビューが掘り返された。発言への批判が炎上し、氏は辞任を申し出た。問題のインタビューの聞き手だった「ロッキング・オン・ジャパン」編集長も声明で謝罪。自身の取材姿勢や掲載判断について「いじめという問題に対しての倫理観や真摯さに欠ける間違った行為」と振り返った。
 また、同じく小山田氏がいじめに参加していたことを語っていた「クイック・ジャパ ン」を発行する太田出版も謝罪した。

 まだまだあるがこの辺で。


7/ 26(月) 快晴  健康クリニックドック 飯川病院
1:20起床。文献処理他録音データ整理。6:47バス飯川病院、9:00~11:45健康クリニックドック14名+結果判定15名、結果説明1名。12:00飯川病院、本読み微睡、14:00~19:00飯川病院勤務、19:30帰宅、お夕食、21:00就寝。歩数8227歩。

?東京五輪・パラリンピック2021(22) 傷だらけの五輪(4) 2千人で延期、88万人で開催の奇
 東京五輪が開幕した。
 石原慎太郎都知事が2011年6月に招致の意思表明したが根拠不明。スタンドプレイだったのでは?? 9月には招致委員会が発足し、招致活動が始まった。2016年開催の候補地へは最下位で落選。落選して私は当然と喜んだのだが、再び立候補し2020年の開催地に選ばれ、私は落胆した。

 それ以降、ここに至るまで傷だらけの五輪であった。細々したのを挙げればキリがないが、最大の傷はCOVID-19感染蔓延下の強行開催であろう。
 以下が代表的問題点。
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 ■昨年1月から国内でもCOVID-19感染者が増え、安倍・バッハ会談で3月に大会の1年延期を決定した。これも根拠不明。当時、感染者は国内総数で2015人、東京で202人であった。今思えば延期する必要はなかったけれど、悔やんでもダメである。
 ■COVID-19感染蔓延下の強行開催。開会日付近では感染者は国内で88万3000人、東京で17万3000人に達した。これは大きな誤算。
 ■安倍首相(当時)は、福島原発事故状況は「アンダーコントロール」 と発言し、物議を醸した。これも小さいが傷。
 ■組織委員会、森氏を会長にしたことも小さいが傷。東京五輪と震災復興(2) 森元首相をトップに据えたオールドジャパン体制が問題
 ■国立競技場建設案の白紙撤回 東京五輪と震災復興(1) 新国立競技場建設問題
 ■エンブレム盗作疑惑
 ■日本オリンピック委員会会長の贈賄疑惑
 ■森会長の女性蔑視発言 東京五輪・パラリン組織委員会森会長の発言(2) 老害そのもの
 ■容姿を侮辱する開会式の企画案
 ■開会式の楽曲担当「いじめ加害」告白の過去
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 (1)国立競技場の建設計画の白紙撤回。
 約3522億円程度の予算で建て替えられる予定だったが、コンペで選ばれたザハ・ハディド氏のデザイン案は 5222億円以上かかることが判明した。ハディド氏の案を白紙にした上で、3822億円規模のコンパクト案を練り直した。
 だが、資材費や労務費の高騰などから、4742億円にまで膨れ上がった。
 結果論であるが、国立競技場はCOVID-19で観客を迎え入れることができなくなった。

 (2)大会エンブレムのデザイン盗作疑惑。
 組織委が採用した佐野研二郎氏のデザインに対して、ベルギー・リエージュ劇場のロゴと似ていると制作者から指摘があった。 佐野氏は記者会見でも「全くの事実無根」と盗作疑惑を否定した。その後、佐野氏が応募時に提出した原案が「ヤン・チヒョルト展」のロゴと似ていると別の指摘が寄せられ、エンブレム展開案での画像の無断使用も明らかになった。佐野氏から取り下げの提案があり、新たに公募した。 組織委は記者会見で、盗用はなかったという見解を示したが根拠不明。


7/25(日)  快晴32度予想 
0:00飯川病院で起床、書類、読書、徒然などいつもの如く。散水、午前暑くて外仕事無理、書店訪問。11:45帰宅。午後、暑くて外仕事には向かない。微睡、網戸修理など、書斎整理、新聞チェック、データ整理、本読みなど。17:00散水、収穫ほか。19:00夕食、21:00就寝。歩数5588歩。

東京五輪・パラリンピック2021(21) 傷だらけの五輪(3) 根拠なかった1年延期
 緊急事態宣言発令に伴いほとんどの会場は無観客になった。自宅でテレビ観戦し外出の機会を減らすことは、感染を避ける上で有意義だろう。一人一人がいま一度、感染防止策を徹底し、危機を乗り越えたい・・・。
 しかし、今まで1年以上も言い続けられているからもう飽きた、聞きたくない。

 1964年以来、57年ぶり2度目の東京五輪。COVID-19の感染再拡大で、開催都市の東京では4度目の緊急事態宣言が発令中。その中で、史上最多の33競技が10都道県で行われるが、ほとんどの会場が無観客となり、前代未聞の五輪となった。

 昨年3月にCOVID-19は国内で2015人、東京で202人に達し、安倍首相とバッハ会長の間で大会の1年延期しCOVID-19感染対策を徹底する事が決まった。
 新型肺炎(21) 国際協調(3) 東京五輪、私は2年延期がいいと思う

 この間、COVID-19感染者は国内で88万3000人、東京で17万3000人に達した。
 この1年間、COVID-19の世界的大流行下で選手、関係者は開催されるのかと不安を感じ、大会に出場してもいいのかと苦しんできたに違いない。

 だが、開幕た今、主役は選手。練習の成果を思う存分に発揮してほしい。流れてくるニュースはアスリートたちの溌剌とした活躍である。それは救いだが、五輪に関する我が国の判断を全て是、としてはならない。

 懸念されるのは感染対策だ。選手らの行動範囲は制限され、外部との接触を遮断する「バブル方式」を採用しているが、選手村では陽性反応者が続出し、ほころびが出ている。選手村は最大1万8千人が宿泊できる大型施設だ。深刻なクラスターが発生した場合は、大会の打ち切りをも想定しなければならない。

 当初の開催理念は「復興五輪」だった。延期が決まってからは「人類がCOVID-19に打ち勝った証し」と意義を強調したが、結局「世界中が感染に苦しんでいる中での非科学的政治判断のゴリ押し開催」になってしまった。IOCの経済問題、JOCの無能さ、日本政府のメンツが前面に出ただけ。

 菅首相は「安全・安心」と繰り返すが、根拠はない。この状況ではもはや安全も安心もできない。開催することだけが目的になっている。

 招致段階での大会経費は7340億円。昨年12月の段階で延期に伴う追加経費が加わり、1兆6440億円に膨らんだ。道路整備などの大会関連経費を含めると、総コストは3兆円超になるとみられる。

 さまざまなトラブルが続いた。国立競技場の建設計画、エンブレムの白紙撤回、マラソンと競歩の突然の札幌開催決定、大会組織委員会の森喜朗前会長による女性蔑視発言など挙げればきりがない。開幕直前に開閉会式の演出統括役が解任、開会式の楽曲制作担当が辞任という異常事態になった。

 コロナ禍での開催は非科学的な政治的な判断。
 「国民不在」の世界最大のスポーツ大会が始まった。


7/24(土) 快晴暑い 飯川病院午後日直+当直 
1:00起床、新聞や文献読み、いつものごとく。7:00日光と暑さを避けて外仕事に。草刈り24回目、庭の残り部分と畑。今回で何クール目か終了、ちょっと安堵できる。散水、キウリ、茄子収穫、庭掃除など。歳だね、暑くてダウン、入浴など。11:30勤務に出る家内に同乗、当直出勤、12:30から当直業務、検食後新聞チェック、微睡、読書など。散水他、18:00検食、読書。20:00就眠。徒歩9980歩。

東京五輪・パラリンピック2021(21) 傷だらけの五輪(2) 首都圏COVID-19「第5波」
 首都圏の1都3県でCOVID-19はの感染再拡大が続き、「第5波」の様相を呈している。4度目の緊急事態宣言下の東京とまん延防止等重点措置が延長された3県ではともに、その効果が表れていない。このまま新規感染者の増加が続けば、医療提供体制が再び逼迫する。

 この4連休、夏休み、8月のお盆の期間には行楽や帰省で首都圏から各地に移動する人が増えるから、第5波の全国への波及も懸念される。政府と4都県は感染拡大に歯止めをかけるため、対策を一層徹底しなければならない。しかし、政府が何を言っても国民は、都民は協力する意欲はなくなっているだろう。
 五輪開催への特別扱いと国民都民への生活抑制依頼のダブルスタンダードでは協力する気が失せる、と思う。

 新規感染者の増加が著しいのは東京。14日以来、連日のように1000人超えが続き、5月の第4波のピークを上回る。22日には1979人と、2千人に迫った。

 都のモニタリング会議で21日、東京五輪期間中の8月3日時点で新規感染者が直近7日間平均2600人近くになるとの試算が示された。年末年始の第3波をもはるかに超える。今月15日に示した試算では閉会後に2400人程度とされていた。感染拡大のペースが加速していることを意味し、状況は深刻だ。

 東京の入院患者に占める若年・中年層の割合が急増している。これは危険の兆候。従来の対策で重視してきた高齢者層へのワクチン接種が進んだこともあり減少。50代以下が新規感染者の約9割を占め、入院患者も増加している。
 感染者の主体が若年層に移った事はとてつもない危険を表す。さらにウイルスが変異し毒性を増したら人類の存亡自体に影響を持つ。
 医療崩壊を招かないために、入院医療体制の一層の充実が求められる。
 政府は科学的提言を受け入れるべきだ。

 東京では酒類を提供する飲食店に休業などが呼び掛けられている。要請に従わない飲食店もあるため、政府は金融機関などを通じて酒類提供停止を働き掛けることを表明。飲食店に圧力を掛ける行為と反発を招き、撤回する失態を演じた。
 それでなくても飲食店や国民の間には「宣言慣れ」「自粛疲れ」が進んでいる。
 東京五輪の最中、その後に我が国のCOVID-19感染状況は一層悪化することが危惧される。

 東京五輪の開催後はCOVID-19に関する政府の感染防止の呼びかけは消えてしまった。


7/23(金)スポーツの日 五輪開幕 快晴暑い 飯川病院散水出勤
1:10起床,文献・新聞チェックその他。5;00可燃ゴミ集積所に、8:00散水、収穫、草刈り23回目。12:30家内に同乗飯川病院へ散水のため。13:00書店訪問後帰宅。暑くて外仕事できず、微睡などのんびり。読書文献、データ整理など、19:00夕食、20:30就寝。徒歩12200歩。

東京五輪・パラリンピック2021(19) 傷だらけの五輪(1) 猛暑の五輪開幕日 秋田も連日猛暑続き
 秋田も連日猛暑続きである。そうは言っても35°Cは越さないようだ。勤務日の場合は病院内にエアコンが効いているから過ごしやすいが。休日に自宅で過ごすには暑さ対策が必要となる。

 秋田に居住してから48年。夏はせいぜい30℃と、郷里の岩手の片田舎に比較すれば過ごしやすかった。北海道を含めて全国が軒並み33-35℃の時に、29-33℃ほどと気温はワンランク低い。

 我が家の暑さ対策として、
(1)風の利用。ドア、窓を開放し、窓にはヨシズをつるし、さらに窓には遮光シートをつけ、光も遮って午後からの温度上昇を抑えた。
(2)扇風機。大型の、中型の扇風機を動かす。暑い日は4台も並ぶ。
(3)エアコン利用。
(4)冷水、冷菓摂取。保冷剤の利用。

 夏好きの私にとっては秋田の夏はそれほど辛くはない。病院の診察室ではエアコンを切って嫌われているほどである。寝苦しい夜はあってもそれほど深刻ではなかった。
 よく「毎日暑いですな・・・」という挨拶を受けるが私からは言うことはない。「夏だもの当たり前。何か別に言う事はないのか??」、と思う。

 ただ、ここ数年は状況が変わってきた。個人的感覚であるが、秋田も1-2度C高くなっているようである。

 昨夏、ついに家族達が音をあげた。真夏には台所で調理の際耐え難い、という。確かにそうかも・・、台所に立つ機会がほとんどない私には反対する資格はない。賄いのおばあさんは84歳、これ以上無視すると高齢者虐待と言われかねない。2019年6月下旬、やや大きめの15畳タイプのエアコンが居間に設置された。
我が家の猛暑対策2019 居間にエアコン設置

 私がいないときには頻用しているようである。賄いのおばあさんの表情も柔和になってきた。

 エアコン設置2年目であるが、私自身はまだ一度もエアコンのスイッチを入れていない。日中の暑い最中に家にいることが少ないから、でもある。
 私が夏を乗り切るのに、「自宅でエアコンを使わないで乗り切る・・」が新たな目標に加わることになった。

 次の工夫は冷水、冷菓である。
 私は甘党でアイスクリーム、シャーベットなどを好む。いくらでも入るが最近の製品は甘すぎてカロリー過剰となりやすい。豆乳などを利用し80Calに抑えた製品も利用しているが、それでも過剰となりやすい。
 炭酸水を凍らせて解かしながら飲む。氷を適宜口に含む。私の歯は幸いなことに冷たさが滲みない。バリバリと氷を噛み砕くことが出来る。さらに暑い時には保冷剤を凍らせ、タオルに包んで首に巻く。これらの効果は抜群である。

 私の場合、酷暑と戦っているうちは、夏との別れが意識されないから幸せ感がある。あと2週間も経つと早朝などちょっと秋の気配を感じとる。私は途端に寂しくなる。

 こんな中の五輪開幕日、完全に季節選定を間違ったね。


7/22(木) 海の日祭日 快晴
1:00飯川病院で起床、新聞・文献・本読みなどいつもの如く。7:00検食、8:00微睡、10:30早めに来院、一仕事終了した家内同乗帰宅、散水、草刈り22回目、故障した草刈機修理、セカンドマシンとして使用予定。午後、本読み中心に。16:00音楽関連録画視聴、17:30草刈り追加、庭周辺草刈り、19:00夕食、20:50就眠。歩数計5975歩。

電動草刈機故障!!! 五輪連休に集中的に作業予定
 本日から五輪関連で4連休となる。COVID-19蔓延下の五輪開催には私は医師の立場から否定的であったが、ごり押し開催となった。アスリートたちの努力は評価するが、私は五輪そのものには関心も興味もない。
 先週後半まで連休になることなど知らなかった。確かに暦の一部は7/22海の日、7/23スポーツの日で祭日となっていたが、何かの間違いだと勝手に思い込んでいた。

 なんであれ、私にとっては思いがけない休日である。日常業務は楽にしてもらっているが、それでも日常の業務は負荷になっているのだろう、休日が増えるのは嬉しい。

 折しも、電動草刈機が故障したために庭や畑の草刈り作業が遅れている。それを取り返すのにいい機会となる。

 私が日常的に用いている機械、工具といえば、エンジン式の除雪機、電動草刈機、電動カッター、電動ドリルが代表的である。いずれも体力が低下し、非力になり、腰痛に悩む私にとっては重要な位置を占めている。

 2011年退職を機会に家内の趣味の一つである家庭菜園を手伝っている。実際には家内の指示で大部分を私が作業しているのが実情。
 野菜作りは楽しいが、実際には散水、支柱立て、追肥、間引きなどの作業の他、草取りが必要である。

 2時間ほどの草むしり後、腰痛で約一週間難儀したこともあって、2012年に100V400Wの電動式草刈機を購入した。意外と安く1万円程度である。カッター部分は金属製の円盤、プラスチック製のカッター刃が取り付けられるが、足を怪我する可能性があることから、私は安全性を重視してナイロン製の紐状のカッターを用いている。自由人(10)家庭菜園(4) 腰痛防止に電動草刈機導入

 使い勝手がとてもよく、その後は腰痛をきたすこともなく作業できている。もう手放せない。

 いま、3台目を用いている。
 1台目は2012年に購入、昨年まで8年間故障もなく働いてくれた。
 2台目は2020年に購入、これは1年間しか持たなかった。
 3台目は本年7月に購入、まだ数回しか用いていない。

 1台目はモーター自体が劣化したので修理は諦め、部品取りとした。
 2台目は過負荷時のブレーカーが故障し、スイッチがダメになったので回路を直結し、中間スイッチを入れることで修理した。これは3台目が不調になった時の補助機となる。これで一安心。

 問題は、私の技術のせいもあるだろうが、あまり細やかな作業が出来ないことで、大事な薔薇の枝を切ってしまったこともある。それでもこの機器で私の作業の可能性が広がったことは確かである。


7/21(水)快晴暑い 午後飯川病院+当直
1:00起床、新聞・文献・本読みなどいつもの如く。午前フリー、7:30電動草刈り機組み立て、草刈り21回目。10:30書店訪問、12:30飯川病院。検食、微睡、読書、COVID-19ワクチン接種担当。入院患者対応。17:00当直業務、18:00検食、20:50就眠。歩数計8140歩。読書三昧+トロトロ寝に近い一日。私は日当直一回あるが本日から東京五輪関連4連休。

吉村昭著「梅の蕾」文春文庫 2000年(3) 
 吉村昭著「梅の蕾」には私はいろいろな面から接してきた。思い入れのある小説である。

(1)個人的に私は田野畑村の景観を好み、宮古在住中の2年間に数回、秋田に移ってからも家族で2回ほど訪れている。特に鵜の巣断崖、北山崎の景観は忘れられない。

(2)2006年ラジオ深夜便「こころの時代」に「田野畑村に梅が咲くころ」と題して田野畑村長早野仙平氏が出演された。当時、私はその録音を何度も繰り返し聴き、さらに一層田野畑村への思いを深くした。
 田野畑村は、太平洋に面した人口4500人あまりの村。早野氏は25歳で漁業協同組合組合長になり、破産状態の組合を再建。35歳で田野畑村の村長に就任、32年に渡って努められた。かつて「陸の孤島」と言われた田野畑村にも、1972年に国道が開通。陸中海岸国立公園に指定された景観を観光資源として、出稼ぎのない村づくりを進めた。思惟(しいの)大橋は高さ120m、長さ315mの逆ローゼ橋でV字形の深い渓谷を渡る。リアス式の海岸沿いに村が深い谷と森で分断されていて人々が行き来するのに苦労も多かったが、それを解消した意義ある橋であった。

(思惟大橋)
 教育を村政の大きな柱にすえ、村づくりを人づくりから始めた早野氏が2時間近く田野畑村の歩みを語った。
 その中で医師として赴任した将棋面氏とその夫人の人となりについて熱っぼく語った。

(3) 2000年吉村昭氏が小説「梅の蕾」を著書「遠い幻影」の一編として出版。
 私はこの書を出版直後に購入した。氏は田野畑村に思い入れがあり、夫婦で何度も足を運んだ。早野村長とは半世紀にわたるお付き合いがあり、氏の短編集「星への旅」、「見えない橋」の中にも鵜の巣断崖を舞台にした作品が認められる。氏の鵜の巣断崖の景観への思い入れは終生変わらなかったようで私も嬉しい。
 田野畑村も東日本大震災で大きな被害を被った。村は、明治三陸津波(1896年)や昭和三陸津波(1933年)の教訓から、海沿いには堤防が築かれた。それでも、震災では関連死と行方不明を含め41人の犠牲が出た。「三陸海岸大津波」を現した氏が、3.11の震災、大津波のとき、すでに故人になられていたのは残念なことであった。
 妻である津村氏は「三陸の海」でその悔しい想いを引き継いだ。

(4) 2021年5月10日ラジオ深夜便「ラジオ文明館」に「梅の蕾」が取り上げられ、私は田野畑村への思いを改たにし、この小文を記載した。

 私は、作家の吉村氏の作品を好むが、その背景には氏の田野畑村に対する想いに共感するものがあるからだろう。改めて思った。


7/20(火) 快晴暑い 外来  飯川病院 昨年プリウス全塗装
1:00起床、文献読みなど。4:30可燃ゴミ収集所に、畑庭収穫ほか。6:47バス飯川病院。新聞チェック。8:45-13:00中通病院外来。何かと不調な高齢者数名。13:20飯川病院、微睡。14:00-19:15勤務、COVID-19ワクチン接種担当。入院患者対応など。その後微睡、散水など、疲弊した。歩数計10626歩。19:30帰宅、夕食、 21:30就眠。

吉村昭著「梅の蕾」文春文庫 2000年(2) 夫人の葬儀に200人の村民が参列
 本作は吉村昭著「遠い幻影」文春文庫 2000年に収録されている短編の一つ。

 陸の孤島と言われた岩手県のある村は医師不在だった。村長の悩みはの一つは村営診療所の運営で多方面に医師を募集していた。
 それが千葉の癌センターに勤務する堂前医師の目に留まり、村に電話が入る。もし、募集内容が本当であれば考えてみたいとのことだった。堂前は、癌センターで枢要な地位にある医師であった。家族内の調整も済み、村の診療所に夫人と二人の子供と共に赴任してきた。

 診療所での堂前医師の評判は上々で、村人に慕われた。子供は転校先でも、学業成績は優秀だった。一方、夫人は野草を摘むのが趣味で、それは素人の域を越えた専門知識を持つほどであった。気さくな人柄ゆえ、村の女性たちに溶け込み連日のように一緒に山に入った。
 夫人は村での暮らしを楽しみ、それはしばらく続いた。そして定期検査を兼ね実家に帰った折、村人に梅の苗木を贈った。その一つは、村長へ。

 だが、夫人は既に白血病に侵されていた。余命の長くないことを知る堂前は、妻が命を燃やす最良の環境としてこの村を選び、一家で来たのだ。

 そして、2年後のある日、出張で東京にいた村長に、「千葉で療養中の堂前夫人がお亡くなりになった」との訃報が入った。村長は村人代表として夫人の実家のある湘南の町で営まれた葬儀にかけつけた。既に読経が始まり。飾られた夫人の写真はふくよかで、笑みを浮かべていた。

 村長は挨拶と焼香を済ませ、一旦家の前の道に出たが、その時、数台のバスが近づいて来た。
 見ると全て岩手ナンバーで、そこから喪服を着た大勢の人が降りてきた。それは、何と200人を越える見慣れた村人たちであった。よぼよぼのおばあさんまで家族に付き添われて来ていた。夫人の訃報を知った人々がバスを手配し、夜を徹して千葉までやって来たのだ。

 夥しい数の人に葬儀社の人は呆気にとられていた。
 村長は促され祭壇に向い、弔辞を読み始めた。「梅の蕾が・・・」だが、絶句し言葉が続かない。立ち尽くすのみであった。後ろからは大勢の参列者のむせび泣く声が聞こえてきた。

 やがて、寒気も緩み三陸海岸に再び春が訪れようとしていた。
 村長は、再びまた無医村となることを覚悟していたが、再度訪れた堂前医師は、「子供は妻の実家で預かってもらうことになりました」、「単身赴任ですよ。大勢の村の人が遠くから来て下さって、診療所に戻らぬわけにはいかないでしょう」。

 二人の目に、光るものが溢れた。
 「先生。今私の家の庭に、奥様から頂いた梅の花が満開です」。
 堂前は、にこりと微笑んだ。


7/19(月) 快晴 健康クリニックドック  飯川病院 電動草刈機届く
1:00起床。文献処理。新聞チェック。6:47バス飯川病院、9:00-11:30健康クリニックドック診察12名、判定14人。結果説明1人。11:45飯川病院に移動、微睡、14:00-19:00勤務、入院患者対応。散水、ダリア茎固定。秋田信用金庫スタッフ来訪。19:20帰宅・夕食、20:30就眠。Σ8155歩。

吉村昭著「梅の蕾」文春文庫 2000年(1) 陸の孤島田野畑村の村医と夫人の話
 本作は吉村昭著「遠い幻影」文春文庫 2000年に収録されている短編の一つ。
 作家吉村昭氏の作品は『三陸海岸大津波』、『戦艦武蔵』を含め、私が好む作家の一人であり30冊近く読んでいる。

 氏の文学は歴史、戦記、実録、時代短編など多種多彩である。作品のリストを見ると優に100冊に及ぶ。どんな毎日を送っていたのか??驚くばかりである。
 その中に長編小説、短編小説集もあった。吉村氏の随筆や短編現代小説も愛好されている。
 共通して、健康問題、人生の黄昏、定年退職者が感じる老年の孤独がテーマとなっている。

 吉村昭著「梅の蕾」は私が医師になって最初に赴任した岩手県宮古市から北に向かって40Kmと比較的近い下閉伊郡田野畑村が舞台になっている。
 
(中央の宮古市 北に向かって40Kmほどに田野畑村がある)

 ここには風光明媚な鵜の巣断崖、北山崎があり、私も赴任していた2年間の間に何度も訪れたところである。

(高さ約200mの断崖が5層に連なる鵜の巣断崖)


(高さ約200mの大断崖が約8kmに渡り連なる北山崎 日本の海岸風景の中で最も迫力のあるものの一つ)

 ここは古くは陸の孤島と呼ばれていた地域であり、診療所医師の赴任が常に懸案の一つであった。
 そこに思いがけず赴任してくれそうな医師の情報があった。

 ここから吉村昭著「梅の蕾」が始まる。

 この小説は実話を基にしている。
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 医師の将基面誠氏は千葉県がんセンターの産婦人科医師であったが、事情があって田野畑村に赴任した。19年にわたって地域医療に尽くし、村の青年たちとも交流を重ねた。45歳で亡くなった妻春代さんは梅の花が好きで、村人たちとも積極的に交流を重ねた。村内には二人を顕彰する「花笑みの碑」が建立されている。碑には村を愛した夫婦にふさわしい、梅の花が彫られている。

 医療活動とそれを支えた妻の春代氏の半生が後に将基面氏によって綴られいる。
 将棋面誠著:無医村に花は微笑む ごま書房 2006。
 また、これはドラマ化され、2006年1月にフジTVで放送された。
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 村医として田野畑村に19年間をささげた将基面氏。
 氏の活動を支えたものはなんだったのか、それは夫人の力であり、夫人が亡くなった際に村人が示した感謝の気持ちであった。

 吉村昭著「梅の蕾」にはその状況が余すことなく表現されている。


7/18(日) 快晴 飯川病院日直 
1:00起床。読書、データ整理他。自炊、新聞切り抜き、8:42バス飯川病院、9:00日直業務。微睡、新聞切り抜き。検食微睡。散水、19:30帰宅夕食、21:00就寝。Σ6914歩。自炊進める。白鵬全勝優勝、照ノ富士横綱昇進確実。ともに偉業、驚く。

?書 佐藤康弘著 伊藤若冲 生涯と作品 東京美術KK 2006
 私はあと何回目を通すことができるのかと思いながら、最近は集めていた画集に再度目を通している。いつ頃購入したか忘れたが久々若冲の画集を取り出した。随分、長い間ほったらかしにしたもんだ。

 伊藤若冲(1716−1800年)は江戸時代の画家。 

 若冲の絵画が近年富みに注目を浴びているが、そのきっかけは2000年(平成12年)京都国立博物館にて、没後200年を記念し『若冲展』が開催され、爆発的ブーム起こってからである。
 西洋画に関しては国立西洋美術館など立派な美術館が日本にも数多くあるが、日本画専門の美術館となると、私が知る範囲では数える程しかない。
 企画展も印象派絵画展やダビンチ、フェルメールの展示等では行列が出来るが、邦画の場合はひっそりとしている。

 若冲は奇想の画家とされ、従来の日本絵画史の観点から見れば異端に属する画風である。これだけの特異性は世界史的に見てもあまり類をみない画風であり、若冲も自ら「神の前に若冲なし、神の後に若冲なし」と言い、自分は「1000年後に評価されれば良い」と言っていたが、それより750年も早く脚光を浴びたことになる。こんな発言も若冲が言えば許されるだろう。しかしながら、若冲は、狩野派の画法を捨て、濃彩の花鳥画を題材にした宋元画に学んだために、戦前の日本画壇や美術史家から冷たい評価で、多くの作品は海外に渡ってしまったのは残念なことである。

 若冲はじめ北斎や歌麿、狩野派など海外での日本画、日本文化の評価は国内の一般の認知度よりも遥かに高く、当の日本人自身が自分達が素晴らしい文化を持っていたという事を忘れている。この傾向はあらゆる分野で見られる。

 本書は、そんな京の絵師若冲の画業を余す所なく紹介したもの。学生時代から若冲に傾倒、研究してきた佐藤東大教授が監修、解説し、若冲の全体像を見渡せる書籍となっている。若冲の生涯もコンパクトにまとめられており、若冲の初期の作品から晩年の作品まで実にうまく焦点を当てて紹介されている。
 最初の一冊として選んだのは間違いがなかった。

 相国寺に寄進した30幅の「動植綵絵」の極彩色の細画には脅かされる。華麗な色彩を駆使しており、写実的でありながら非現実的なモティーフがまた異端の画家の本領発揮と言える。

 その他、雪中雄鶏図、糸瓜群虫図、鹿苑寺大書院障壁画、樹花鳥獣図屏風、重要文化財の仙人掌群鶏図、菜虫譜、鶏頭蟷螂図など、作品群の素晴らしさにただただ感嘆の声しか出ない。

 若冲の作品は、本当に色鮮やかで、魚や鳥などに対する愛情がこの本を通して感じる事ができる。
 やはり、若冲というと鳥の絵なのだろうが、私はちょっと心がひける。今にも屏風や掛け軸から飛び出してきそうな魚や昆虫の躍動感はなんとも言えない。


(私が好きな藻魚図 魚のマジメな表情がいい)


(私が好きな老松白鳳図 他にも極彩色の作品があるが、単色系のこちらの方が好き 切れ長の目が私を誘惑する)


7/17(土) 快晴暑い 畑園芸作業中心に 草刈り20回目電動草刈機故障
0:30起床。読書、データ整理他。自炊、新聞切り抜き。6:00散水、8:00草刈り開始。間も無く電動草刈機不調に。電子部分をシャンとして直結としたが不調。新しいのを注文。今回は寿命は1年だった。胡瓜収穫、トマト初収穫。昼食後微睡。庭の作業追加、草刈り4周目だろうか。作業用椅子修理、散水、読書。19:00検食、20:30就寝。Σ9685歩。

日本のパワハラ問題、セクハラ問題は緒についたばかり
(1)パワハラ防止法
 日本ではパワハラ防止法が施行されて1年経つが被害は増えている。罰則がないと言う法の甘さなどが解決を阻んでいる。
 20年4月から施行されたパワハラ防止法は以下の3要件からなり企業に対策を義務付けた。まず大企業に適応され、22年からは中小企業にも適応される。
――――――――――-――――――――――-――――――――――-
 ■職場の優越的関係を背景に
 ■業務上の必要な範囲を超え
 ■労働者の就業環境が害される
――――――――――-――――――――――-――――――――――-
 だが、法施行後もパワハラ被害は増えている。
 連合の相談窓口には、20年6月から1年間2818件で43%増加した。厚労省の20年の1年間に労災認定は608件で、18%増。その原因は99%が上司からのパワハラと言う。ただ、上司による業務上の指導との差が不明確にならざるを得ないことが、判断の難しさを示している。

 ポイントは、必要以上に長時間にわたって叱責をしたのか、それによってどんな被害が生じたかが判断の基準になるようだ。この点に細かく条件を決めると業務が成り立たな具なる、との問題点がある。

(2)セクハラ規制の強化
 20年4月から施行されたパワハラ防止法の成立とともにセクハラ規制の強化が法改正で盛り込まれた。

 新たに盛り込まれた規制は以下の要件が含まれる。

――――――――――-――――――――――-――――――――――-

 ■セクハラに関する国事業主、労働者の責務を明確化
 ■事業主に相談した労働者への不利益の扱いの禁止
 ■他社の労働者に対しセクハラを行なった際の協力
 ■紛争調停への職場の同僚の出頭と聴取対象者の拡大
――――――――――-――――――――――-――――――――――-
 職場におけるセクハラ、妊娠・出産・育児休業等に関するハラスメントについては、すでに男女雇用機会均等法、育児・介護休業法により、雇用管理上の措置を講じることが義務付けられているが、今回のパワハラ防止法改正により、上記のとおり、セクハラ防止対策が強化される。

 セクハラに関する「事業主・労働者の債務」、「不利益取り扱い」は、パワハラと同じ。
. ?????? ???????????????????????????????????????????? 自社の労働者が他社の労働者にセクハラを行い、他社が実施する雇用管理上の措置への協力を求められた場合、これに応じるよう努めることとされた。
 なお、セクハラについては、他社の労働者等の社外の者が行為者である場合についても、雇用管理上の措置義務の対象となった。
 自社の労働者が他社の労働者等からセクハラを受けた場合には、必要に応じて他社に事実関係の確認や再発防止への協力を求めることも、雇用管理上の措置に含まれる。

 この「セクハラ等の防止対策の強化」の内容については、事業所の規模を問わず、2020年6月1日 より施行されている。

?????????? パワハラは、セクハラよりはより分かりやすいといえ業務上の指導や叱責との区別がつき難いところが運用上の難しさである。わが国では両者とも歴史が浅く具体的運用面ではまだ未熟である。

 私は、立場上の格差があるところには差別、いじめ、ハラスメントが生じることは人間の特質として止むを得ないことと考えている。何しろこの特質こそが個人としてのアイデンティティの確立に必要なものであり、これがなければ存在できない。さらに性差によっても格差を生じる。ならば、社会的に抑制、被害者の保護しなければならない。社会のさらなる成熟を待たなければならない部分もある。被害者の保護も同様であるが、被害者の自覚も必要であろう。

 音楽界で最近明らかになってきたハラスメントは解決に向けて緒についたばかりである。


7/16(金) 快晴暑い  大曲中通病院外来  飯川病院ボランティア
1:00起床。文献など読む、録音データ整理。5:00可燃ゴミ廃棄、キウリは6本。散水、7:35Taxi駅東に、8:11こまち、9:00大曲中通病院外来。暑さで徒歩せずTaxi 。書店訪問後15:30飯川病院ボランティア。微睡、読書、新聞チェッ ク。散水。19:30帰宅・夕食。21:00就寝。Σ7230歩。書籍自炊進める。

クラッシック音楽会のセクハラ、パワハラ問題
 具体的に名前はあげないが、最近、著名な音楽家、声楽家、指揮者、オペラ指揮者などからの暴言とかセクハラを受けたと言うニュースが見られるようになった。
 クラシック音楽界も蓋を開けてみればパワハラ、セクハラがはびこっていたことが示されている。
 考えてみればはっきりとした格差社会であり、今まで明らかにならなかったことの方が異常である。

 これから音楽家になりたい若手、特に女性はそれを意識して対応しなければならないだろうし、実態はわからない部分があるが、今活躍している女性達のうちの一部であろうがキャリアを積むためにその誘いに乗るしか無かったのかもしれない。こんなことは考えたくもないが、格差あるところにハラスメントが生じるのは人の常でもあった。
 権力を持った者が自分の立場を利用してハラスメントする事は二重の意味で脅しになる。芸術性の差の指摘はやむないとして、誘惑を断る事でキャリアに悪い影響が出るという恐れもありうる。性被害を受けても、将来への不安のためと口止めされている事で被害者は行動できない。

 私は被害者の立場に立つことはできない。常識的であるが、女性はいつでも証拠を用意できるようにしたり、断る勇気が必要だろう。

 2017年11月、ノルウェー最大紙アフテンポステンに、音楽業界での性暴力に改善を求める706人の女性からの連名抗議文が掲載された。 クラシック音楽界の女性歌手295人も、業界で広がるセクハラ被害に対して連名抗議文を公開した。 両業界から合計で30の詳しい被害エピソードが匿名で公開されている。
 プロデューサーに性行為を強要された例では、抵抗すると「お前はこの業界から消えるぞ」 と脅した例もある。ノルウェー音楽家団体は、緊急対策の必要があるとして、セクハラや性被害を体験した会員は団体弁護士に連絡をするように呼び掛けている。
 隣国スウェーデンでは、スポーツ界でのセクハラ被害やなどを2290人の女性が連名で抗議した。


7/15(木) 快晴 暑い!!33度C?? 草刈り19回目  午後飯川病院
1:00起床。新聞・文献等。データ入力、自炊2冊。5:00庭見回り、8:00-11:00草刈り19回目。ダリア付近、畑、農道、敷地北側。11:50バス飯川病院に、読書、微睡など。14:00-19:15勤務。入院患者対応。19:30帰宅、夕食。21:00就寝。歩数計11965歩。書籍データ化。

バイオリンの巨匠ズーカーマン氏が人種差別発言
 世界的なバイオリニストの一人、ピンカス・ズーカーマン氏 (72)が、韓国・中国・日本の音楽家に対して人種差別発言をし、波紋が広がっている。

 インターネットの音楽専門メディア「バイオリニスト・ドットコム」などが13日に報じたところによると、ズーカーマン氏は先月25日、米ジュリアード音楽院の主催によりオンラインで行われたマスタークラスで、韓国と日本を侮辱した、と言う。

 氏は「もう少し歌うように演奏を」とアジア系学生の姉妹に指示し、演奏が気に入らないという様子で、「韓国人は歌わない」、「芸術性が足りない」と言いたかったのだろう。
 「韓国人ではありません」という姉妹に対し、氏は「じゃあ、どこの出身なんだ」と尋ね、日本系のハーフだと答えると「日本人も歌わないのは同じ」と述べた。
 氏はマスタークラスの終了時も「韓国人は歌わない。歌うことは彼らのDNAにはない」と述べた。ジュリアード音楽院は、氏の発言を意識したのか、同氏のマスタークラスの講演をホームページに掲載しなかった。

 氏はイスラエル出身のバイオリンの巨匠。1967年には世界的に有名なレーベントリット国際音楽コンクールで、同じ19歳だった韓国のチョン・キョンファ氏と同時優勝した。現在はニューヨーク・マンハッタン音楽院の所属だが、外部講師としてジュリアード音楽院での講演を担当した。
 批判が沸き起こると、氏は「文化的に鈍感な発言だった。学生たちに個人的に謝罪したい」と声明を発表し、「誤った言葉を使い、多くの人を傷つけた」と電子メールを送ったが、波紋は収まっていない。
 SNSで拡散されているある動画では、ズーカーマン氏は中国人も侮辱している。動画の中で同氏は「中国人のみなさんは決してメトロノームを使わない。ただ速くうるさく演奏するだけ」として「みなさんは速くてうるさければ最高だと思っている。そんなふうに考えないでくれ」と述べた。
 インターネット上では「ボイコット・ズーカーマン」という書き込みがあふれている。

 指導者と指導を受ける者の間には技術的にも、音楽性においてもその差は小さくない。だから若手はこぞって指導を受けるのだ。今回の発言は指導者としての要因を欠くものだ、と私は思っている。指導される側の立場は尊重しなければならない。
 個人的な問題点を指摘するならまだ理解できるが、韓国、日本、中国人をあげたことからはアジア人に対するいわれもない冒涜、人種差別発言とも取れる。

 私も氏が演奏したレコードや、CDなどを通じて音楽を楽しんでいただけに残念なニュースであった。
 氏もついにボケたのかという心配もしている。


7/14(水) 曇り  午後飯川病院 COVID-19ワクチン接種
1:00起床。データ整理などいつもと同じ。久々雨なしの朝。5:00庭に出て小作業。8:50家内に同乗、ダリアのプランター2ケ飯川病院へ。9:30書店訪問など。12:30飯川病院、微睡後、14:00 COVID-19ワクチン接種担当、入院患者対応。 19:30帰宅・夕食、20:50就眠。歩数計6218歩。書籍自炊化すすめる。

季節の話題2021(18) 家庭菜園・園芸(7) キウリ、ナス、トマト、ネギ(2)
 私の野菜つくりの成果は食卓に新鮮な野菜が一時期上る程度である。
 6月26日キウリの初収穫があった。以降本日まで毎朝4-5本収穫できている。毎日朝夕の食卓に酢の物として食べる。これが一番私にあっている。もちろん野菜サラダ、そのほかにも利用される。とにかくキウリは新鮮さが命。朝採りキウリをその日のうちに食べるのがベスト。多分お盆頃まで収穫できるだろう。

 7月4日ナスの初収穫があった。ナスは成長が遅く数日に5-6本というところか。漬物に、ナス焼き、ひき肉との炒め物、味噌汁などに適宜活躍中である。ナスは9月初旬まで採れるだろう。

 自家菜園はコスト面では割りに合わない。キウリ、ナス、トマト、ネギなどはスーパーで買うほうがはるかに安い。

 採りたての野菜が食卓に上るのは最高の喜びである。完全有機栽培、無農薬栽培だから安心して食べられる。

 次の収穫予定はトマト。完熟トマトはおいしい。これに枝豆、里芋と続く。ネギは降雪期が旬である。私の園芸はここまで。

 自然の恵みは素晴らしい。その感謝の気持ちは畑園芸関連の作業を通じて一層深く感じられる。これがいちばんの収穫かな?
 そうそう、私の場合は完全無農薬だから植物とともに昆虫も育てることになる。これも楽しみの一つである。

 余談だが、コストの面から趣味を考えればそんなものでないだろうか。ペイすることはホントに少ない。
 私は釣りも好きで、三陸の宮古市に住んだ2年間はよく釣りを楽しんだ。三陸では陸釣りが主であった。釣果は最もいい時で半日で3-4Kgも釣り上げた。秋田に来てからは10年間ほど船釣りを楽しんだ。釣り船は6時間ほどで1-1.5万円ほど。数人で乗船したが、10cmほどの手のひらサイズのマダイが一枚1万円ほどについたことも稀でなかった。私の釣果は最も良かった日で50cmほどのクロダイ、マダイをペアで釣り上げた時である。負け惜しみではないが、それでも数時間日本海の沖合で陽を浴びながら波に揺られて過ごす時間は至福であった。


7/13(火) 快晴  外来 飯川病院ボランティア
1:00起床、データ整理、本読みなど。4:30家の可燃ゴミ廃棄1ケ。6:47バス飯川病院、新聞切り抜き、8:45-13:00中通病院外来、患者中等度、されど疲弊。13:30飯川病院、微睡。ボランティア、散水など。19:30帰宅、夕食、21:00就眠。歩数計10259歩。自炊数冊。

季節の話題2021(17) 家庭菜園・園芸(6) ダリア(2)
4月8日に花壇の一角に条件のいい球根を10数ケ選び、腐葉土を中心とした柔らかな土に仮植えした。
5月上旬に一部から発芽が見られ、15日過ぎには全株から発芽した。5月26日から仮植え球根を掘り出し、球根の状況に応じて分株し、6月上旬までかけて順次本植えにした。
球根は32株に分株され6月下旬には全株が発芽した。
今年は株ごとの成長状態が様々で、7月上旬には最も早い株にはツボミがついた。

7月中旬に至り、1/3ほどが開花し始めた。

以下は昨日朝の段階の花たちである。
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 見事に咲き始めた。それぞれはそれなりに美しく咲き、私を喜ばせているが、各々の花は最盛期のそれに比べるとやや貧弱である。開花するのに十分条件が整っていないうちに開花を迎えたからであろう。

 それぞれの株の生命力、土と、日光と水、それに肥料の威力は絶大である。私の関与はそれほど大きくはない。

 我が家のダリアのシーズンの始まりである。今年もなんとかここまで来た。ダリアにとって9月が旬である。その頃どうなっているか、楽しみと不安が交錯する。

 なんで花はキレイに咲くのか?誰のために咲く??私の疑問はまだ解けていない。


7/12(月) 終日降雨午後午後豪雨  健康クリニックドック 飯川病院
0:45起床、雨勢増、秋田の一部冠水、名田地下道閉鎖。各種データ、特に自炊関係整理。そのほかはいつもの如く。6:50バスにて飯川病院、雨にてアンダーパス避け別ルート。9:00-12:00健康クリニックドック、受審者14名、結果判定14名。12;15飯川病院、12;50検食、微睡。14:00勤務、患者対応なし。午後からメール関係の設定に費やす、なんとか解決。19:30帰宅、夕食、20:30就寝。歩数計6712歩。

東京五輪・パラリンピック2021(18) 菅首相、西村担当相の本音は・・・・・
 東京五輪が迫り来る中で、COVID-19の感染は止まずかなり厳しい現実を迎えている。
 政府は6月22日にいったん緊急事態宣言を解除したが、五輪の開催を決めるためだった??と私は感じている。宣言解除は適切ではなかった。
 案の定、新規感染確認者はそれをきっかけに増加に転じている。

 7月12日に東京都に4回目の緊急事態宣言が再発出されても、人流はほとんど減っていない。14日には東京都の新規感染確認者が1149人と、5月13日以来の1000人超えとなっ た。変異ウイルス「デルタ株」が急速に広がっていることや、若年層での重症化が進んでいるといった報道にもかかわらず、人々の警戒心は高まらない。

 しかも、今回の緊急事態宣言は五輪を挟んで8月22日までと長期にわたることで、居酒屋などにとっての休業要請はまさに死活に関わる問題。もはや政府の言うことには従えないとばかりに、深夜まで酒類営業を始めるところも出ている。

 そんな中で、西村経済再生担当相が発した、酒の提供自粛に応じない店舗へ2つ のルートで「圧力」をかけようとした。取引金融機関と酒販店に店舗の情報を知らせこれらから自粛「要請」するというもの。 ようするに「店舗への兵糧攻め」である。
 蔓延防止等重点措置を緊急事態宣言に切り替えた以上、「より厳しい措置」が必要と考えた関係者が思いついた「圧力」だった。

 しかしながら、流石に独禁法の濫用に当たるのではないか、あまりにも上から目線だ、といった批判が巻き起こり、西村大臣はすぐさま撤回に追い込まれた。 すでに国税庁の事務連絡は各方面に伝達されていたが、それを撤回したのは7月13日だった。
 あたかも西村大臣の思い付きによるスタンドプレーであったかのような印象を与えているが、実際はそうではなく金融庁や財務省、経済産業省、農林水産省と多岐にわたり事前に調整が行われ、文書が出されていた。調整については首相、副首相ら関係大臣に事務方から説明がされていたらしい。ようするに国を挙げての政策であった、ということ。

 菅首相、西村担当相は「政府の方針になぜ都民や国民が従ってくれないのか??」と感染状況のデータを見ながら「イライラ」していることだろう。そのため力で押さえ込もうとした。

 なぜ、政府の方針が国民に浸透しない、国民が協力しないのか??
 それは政府が信用されていないからである。都民に我慢を強いながら、東京五輪を開催する、と言うダブルスタンダードを敷いてはもう誰も協力しない。さらに今回の強権発動は火に油を注いだ。内閣支持率は急速に低下している。秋の国政選挙は大きなダメージを受けるだろう。

 秋田県は累計の感染者数は1000人にも達していない。全国の都道府県の中で鳥取、島根に次いで少ない方から3番目である。にもかかわらず、夏祭りは秋田竿燈を始めとして、土崎港祭り、花輪ばやし、大曲花火大会は軒並み中止となった。COVID-19蔓延抑制のための決断である。

 東京五輪とはレベルも意義も異なる、と言えばそれまでであるが、地方はCOVID-19蔓延抑制のために苦渋の決断をし、協力しているのだ。


7/11(日) 雨小康状態 夕方から降雨 
1:30起床、文献検討等など,いつもの如く淡々と。蓄積データの整理中心。午前園芸関連、つい日、トマトナス支柱に固定。微睡若干、昼NHKニュース、のど自慢。13:30家人とともにDIY店に、草刈鎌、有機肥料購入。作業若干読書、16:00データ整理中心。17:00書斎にて「日本のオーケストラ」シリーズ鑑賞。午後から雨勢増、秋田の一部に避難勧告。19:00夕食、20:30就寝。歩数計5373歩。

東京五輪・パラリンピック2021(17) 菅首相は本心本音を言えない苦しい立場なのだ
 7月8日、政府は東京都に4度目の緊急事態宣言発令を決めた。直後に菅首相は記者会見に臨み、NHK総合などが生中継を行った。
 菅首相の会見には、今回に限ったことではないが、かなりの方々が不満を感じたようだ。ネットのコメントには非常に厳しい意見が目立つ。
 「緊急事態宣言4回目というのにこんなにも国民の心に響かない会見が出来るもんだ」 、「総理の説明は、全く心に響かない」、「質問にはまともに答えられていない。首相はもっと能力のある人に・・・」などなど。
 菅首相にとっては迅速な国民への説明のつもりだったろうが厳しい評価だったようだ。

 私は常に、NHK第一放送を微かな音量で流し続けている。そのルーツは小学低学年の鉱石ラジオに求められる。
 勿論、全部聴いているわけではない。適宜、国会中継とか、歴代首相の記者会見とかを聞いてきた。菅首相になってからも同様である。

 菅首相は就任当初、学術会議のメンバー問題で最初の壁に突き当たり、野党から厳しく追及されていたが、今に至るまで真相を明らかにしなかった。文書の存在も認めていない。当然である。できないのだ。
 その後の会見でもCOVID-19、五輪についても明快に答えた例の方が少なかった。
 東京五輪や衆議院選挙を目前にする菅首相は、首相としてのリーダーシップを示したいところであろう。

 しかしながら、菅首相が会見するたびに厳しい意見の方が目立つ。
 官房長官時代の菅氏は記者の質問を「全く問題ない」、「批判は当たらない」とクリアカットで、そのスタイルを評価する声もあっただけに、首相就任後180度異なるグズグズ反応には驚かされる。
 やはり首相の立場の会見は勝手が違うのだろう。

 私はかつて病院の管理を担ったことがあるが、この間、会議などでも知りうることの半分も口に出せない、苦しい日々であった。真実を、本音で全部語れたらどんなにスッキリするだろうと毎日思っていた。これは不都合なことを隠蔽するためではない。負っている責任が大きければ大きいほど言葉を選ばなければならない。それが組織に対する責任だ、と思う。

 菅首相の会見の問題点は喋り方でもなければ、喋る内容でもない。私は発言内容を批判しつつも、一方では首相を擁護したいとの気持ちはある。

 そもそも、どんなに優秀な首相であっても、COVID-19禍という未曾有の危機に立ちむかうことは簡単ではない。
 感染対策は、防疫面ではブレーキを踏み、経済面ではアクセルを踏まねばならない。まさに相反する政策が求められる。私はCOVID-19禍の「感染予防と経済のバランス」について考えるとき、いのちの危険と数秒の単位で勝負を争うカーレース、フォーミュラーカーの運転技術のことを思い浮かべる。
 ここではブレーキとアクセルを同時に繰る「ヒール&トウ」の高度の技術が使われる。事前に迫る危険性と展望性を道路の状態、車の調子、他車との関連情報を瞬時に得て微妙にコントロールしなければならない。この際、判断に要する時間がほぼ瞬時である。そうでなければ自分が繰る車はめちゃくちやな動きをしてしまう。全てがうまくいかなくて当然、迅速な判断と修正が次の力になる。

 とにかく、今は忍の一字で、ワクチン接種率の上昇に全力を注ぐしかない。
 菅首相の会見はキレが悪い。言葉足らずである。しかし、饒舌であった前首相の会見に比較すると嘘を感じ取れないだけ好感が持てる。


7/10(土) 昨夜から降雨昼から曇り 九州南部雨被害 ゾンタP演奏会と講演会
1:00起床、読書、新聞・文献チェック他いつもの如し。外仕事不可なのでデータ整理など中心に。雨一時やむ、ダリアの支柱追加、成長方向を固定。数株咲き始めた。13:14バスアトリオンへ、14:00ゾンタP演奏会と講演会、中座、スライド状況悪く講師に気の毒。書店訪問、飯川病院で微睡読書、18:30帰宅、19:00夕食。20;30就眠。歩数計7509歩。

東京五輪・パラリンピック2021(16) 西村経済財政・再生相の発言
 緊急事態宣言を発令し都民に抑制を強いながら、五輪強行というダブルスタンダードの政策では感染の抑制は困難だろう。五輪開催前後に都民の感染者は急増するだろうと思う。
 遠く秋田にいるから首都圏の人たちの心情はわからないが、都民は緊急事態宣言に慣れ過ぎ、疲れ果て、その効果にも疑問を持っている・・・と思われる。五輪やるなら何も我慢することはない、と都民は考えるだろう。

 COVID-19対策を担う西村経済財政・再生相が、酒の提供停止に協力しない飲食店に対して、取引がある金融機関や酒類販売業者などから「圧力」をかけさせようと発言した。氏は、酒の提供をやめない一部の飲食店に向けて方針を徹底させるため、外堀を埋めて行こうとしたもの。
 飲食店の弱み、零細企業が置かれている厳しい状況を理解しないばかりか、そのに弱みにつけこむ方針を示したもの。
 政府のこんなやり方には当然賛同できない。

 すぐに撤回に追い込まれたが、酒類販売業者に向けた、酒の提供を続ける飲食店との取引停止の依頼は取り消していない。例え「依頼」という形をとったとしてもその影響は大きい。

 私は常日頃から、「発言の訂正はいいが撤回させることには反対」と思っている。
 丸川環境相の発言:間違い発言は修正すべきだが、撤回させてはならない
  政治家の発言は撤回させるな 機会を与えて持論を展開させろ

 コロナ禍で苦しい経営が続いている飲食店にとって、金融機関は資金繰りを支え、酒類販売業者は酒類の流通を支えるから、共に命綱と言うべきである。そこからの働きかけは飲食店をさらに窮地に追い込む。
 金融機関や酒類販売業者から反発の声が上がったのは当然である。
 政府はこうした権力を背景にした姿勢を全面的に改めるべきだ。

 COVID-19の特別措置法は、緊急事態宣言などが出された地域で酒を出す飲食店に時短や休業を要請・命令できる。従わない場合は罰則もある。だが取引先を通じて飲食店の経営に介入するような手法は規定されていない。
 COVID-19の長期化で経営が追い詰められ、営業の制限要請に応じない飲食店が増えているのは確かだろう。秋田にいてもその状況は理解できる。ルールを守る飲食店からすれば不公平で、こうした現状を放置していいわけはない。

 政府や自治体は営業制限が感染抑制のために必要だという根拠を示し、飲食店の理解を求める努力がいる。その際、協力してくれる店に対しては最大限の支援が必要である。協力金支給の遅れが指摘されている。迅速かつ公平に給付する態勢をつくるべきだ。

 政府が力に頼るのは信頼がないからである。
 弱い強制力と協力要請を基本とする日本のCOVID-19対応は、行政と国民の間の信頼関係が前提であり、感染拡大防止の効果をあげる重要な条件になる。目的のために手段を選ばない今回のような手法は、その信頼関係を崩す悪手といえる。


7/9(金) 晴夕方から降雨  大曲中通病院外来 飯川病院ボランティア  
0:30起床。文献読みなど。新聞雑誌スクラップ入力。5:00可燃ごみ集配所に。5:30-6;00原因不明の腹痛、朝食とらず、大曲危ぶんだが若干改善、7:35Taxi大事をとって駅西口に。問題なかった。8:11こまち、途中でサンドとライトニング購入。9:00大曲外来。往復は若干体調悪くTaxi。書店訪問、15:30飯川病院ボランティア、微睡、読書、散水など。18:30家内ゾンタ、Taxiにて帰宅、夕食、就寝。歩数計7473歩。

東京五輪・パラリンピック2021(15) 東京への4度目の緊急事態宣言発令 菅首相の空虚な会見
 8日、19:30頃帰宅。NHK-TVは東京への4度目の緊急事態宣言発令に関連して菅首相の会見を放映していた。もう30分近くも続いているという。私も五輪との関連を含め興味があるので夕食を取りながら眺めていたが、記者質問に対してもマトモに答えず、のらりくらり、となかなか終わらない。私は呆れて途中で見るのをやめた。多分20:00近くまでやっていたのではなかろうか。

 首相としての責任をどう考えているのか。強調するのはワクチン接種のことばかり。
 記者の質疑応答、北海道新聞の記者は「いつまでこんな生活がダラダラ続くのか。 国民の疲労や不信感はピークに達している」、「甘い見通し、遅い対応、不十分な中身」を挙げ、首相の政治責任を追及した。ところが、菅首相はマトモに答えず、のらりくらりと「一進一退の状況から脱する決め手となるのがワクチン・・・」とダラダラと話し続けた。

 2021年に入り東京に緊急宣言を発令したのは1月7日、4月25日に続いて3度目。1月の発令から今回の期限の8月22日までの7カ月半、都民が「緊急宣言」も「まん延防止等重点措置」も出ていない状況で暮らしたのは、わずか21日間のみ。

 これだけ長期間、都民に不自由と我慢を強いながら、全く感染を抑え込めていない。昨日までの全国の感染者数は累計81万人だが、2回目の宣言発令の1月7日以降が55万人と68%を占める。

 結果が出ないのは、同じ内容を繰り返しているからだ。
 北海道新聞の記者の「甘い見通し、遅い対応、不十分な中身」は問題点をついている
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 ■GoToトラベルを年末まで引っ張り、
 ■遅きに失した1月の緊急宣言。
 ■短期集中と言いながら、半端な中身でズルズルと長期化。
 ■2月末の関西3府県の前倒し解除で4月に関西は感染爆発。
 ■4月も6月も東京は、リバウンドの兆候が明らかだったのに、解除に踏み切り、2度とも大きな波に見舞われた。
 ■変異株への対応も後手。英国で変異株が大流行していた昨年12月、英国株(α株)が国内に入っている可能性を示していたのに、 変異株への検査をすぐには行わず、水際作戦は失敗した。
 ■4月にインドから渡航の陽性者が前月の8人から80人へと10倍に増えても、インド株(δ株)検査対応は後手に回った。国立感染研の推計によると、今や首都圏では感染の約35%がδ株に置き換わっている。
 ■結局、失敗から何も教訓を得ていない。
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 私は、首相会見のやり方も変えなければならないと思う。
 質問者には回答を聞いた後にもう一度だけコメントする短時間の機会を与えるべき。今のままではのらりくらりと的を得ない回答していてもそれで終わってしまう。こんな質疑応答は時間の無駄である。「総理のお答えには不満です・・・」とでも言わせたらいい。


7/8(木)  快晴   飯川病院
0:30起床。文献,新聞、録音データなど処理。5:00ネコ対応など。ダリア付近中心に草刈り18回目。バス11:50、14:00飯川病院勤務、入院患者、外来患者対応。散水、家内講演会にて提供されたTaxiにて19:30帰宅、夕食、21:00就寝。Σ131963歩。書籍自炊4冊。

東京五輪・パラリンピック2021(14) あと2週間 無観客決定
 東京五輪の開催について中止すべきとの意見もあったが、G7サミットで菅首相が開催を表明したこと、開会まで一月となりもう変更できなくなって、この2週間ほど前からすっかり影を潜めた。
 政府五輪関係者は開催一辺倒の姿勢で最後まで聞く耳も持たなかった。

 本日8日、JOCとIOC、政府などの5者協議で1都3県の首都圏会場が無観客に決まった。首都圏を中心とするCOVIDの感染再拡大を受け、菅首相は渋り続けていた緊急事態宣言の東京都への再発令などを決定。最終的に無観客へと追い込まれた。

 3月に海外観客の受け入れを断念。国内観客数は2週間ほど前に「定員50%以内で最大1万人」としたばかりだった。本日、土壇場で最終的に無観客に決定した。
 菅首相は有観客の開催を政権浮揚策と位置付け、その勢いを背景に衆院解散・総選挙に持ち込むつもりだったらしいがこれは無理な話。
 東京五輪が政治の道具に利用された。すっかり理念からかけ離れてしまった。政権浮揚とは逆作用になるのではないか。

 感染症専門家からは慎重な意見が相次いでいた。政府の対策分科会の尾身茂会長らは当初は「開催の有無を含め検討を・・」としていたが、開催を追認せざるを得なくなって無観客の提言に落ち着いた。
 分科会に決定する権限はないのだから言うべき意見に遠慮はいらない。科学的判断として言うだけは言ってよかったのだ。ちょっと遠慮が過ぎる、と思う。

 COVID-19が世界で猛威を振る困難の中で開催される、今までにない五輪となる。無観客とはいえ、大規模な国際大会であり感染防止対策は難しいだろう。

 大会では、選手ら大会関係者の行動範囲を制限して外部との接触を遮断する「バブル方式」を採用するという。関係者の行動を24時間管理することなどできるのだろうか。関係者が選手村などにウイルスを持ち込めば、ワクチンを打っているとはいえ閉鎖空間で感染が一気に拡大する恐れもある。

 4回目の緊急事態宣言下での大会開催が個々人の感染対策に緩みをもたらす。これは当然である。
 何しろ、国民には忍耐を強いていながらの開催である。4回目の緊急事態は、国民の立場からはダブルスタンダードと見える。こんな状況で五輪をやるなら何も政府の方針に従う必要はない。行動に移すかは別としても、誰しもそう考えるだろう。

 東京五輪を契機に全国、世界に感染が再拡大する状況も発生し得る。そうした事態を引き起こさないため、政府は厳しい安全対策を講じる必要がある。
 五輪開催の政治責任は、かつてないほど重いと言わなければならない。

 ところで、政治家の責任とはなんだろうか。これを機会に改めて考えなければならない事項である。


7/7(水) 曇りのち晴れ 飯川病院 
1:00起床。新聞・文献チェック、歴史関連書籍他。外仕事、キウリの支柱追加、畑周辺草刈り17回目。 12:11バス、飯川病院。昼微睡。14:00-16:30COVID-19ワクチン18名。入院患者対応、読書他、微睡。19:30帰宅、夕食、20:55就眠。歩数計8675歩。通町で書店でコミック2冊ほか購入。

?絵画を楽しむ(10) 本: 中野京子著「12の物語シリーズ」に学ぶ 光文社新書
 私は世界史に疎い。その要因の一つのは私がカタカナ語、数字に弱いからである。

 私たちは3種類の文字、漢字、カタカナ、平仮名を駆使して日本語を読み書きしている。これにアルファベットを加えた4種類の混在はとても心地よい。特に散在する漢字はそれだけをざっと追っていくだけで長文でも大体の文脈をつかむことができ、とても読みやすい。こんな言葉を用いている国は恐らく日本だけではないか?
 日本に生まれてよかったと思う。

 しかしながら、漢字、平仮名、カタカナだけではとても読み難い。カタカナと漢字だけで書かれた森鴎外の「瘋癲老人日記」はとても読み難かった。

 世界史の教科書はカタカナ表記が多い。人名、場所、時代区分など。加えて数字が苦手の私にとっては年号が覚えられない。高校まで世界史は不得意な分野であった。

 世界史に興味を感じ始めたのは絵画や人間そのものに興味を感じ始めた中年以降であった。
 中世の富豪は権力、財力を誇るために城や宮殿を建立したが、節目節目に高名な画家やお抱えの画家に依頼して宗教画、自画像、家族像などをこぞって描かせた。それにはには莫大な経費をかけていた。それが人間の貴重な「文化遺産」として残っている。

 私は絵画を通して世界史を学び直している。世界史が絵画を通してビジュアル化した。私の中で歴史は平面的なモノトーンから立体的なカラーの史実に置き換わった。

 著名な絵画作品はずいぶん味わってきていたが、画像イメージとしてなんとなく味わってきたにすぎない絵画が大部分であった。

 テーマごとに作品群をまとめていただくとより一層親しみが湧き立体化する。
 また、絵画の生まれた背景、描かれている人物像、絵画そのものの技法などについて適正な解説があると一層いい。

 中野京子著「名画で読み解く12の物語」シリーズはこの視点で味わうのにとてもいいシリーズである。
 そのうちの一冊、「ハプスブルグ家12の物語」。
 歴史のいたずらか、スイスの一豪族に偶然ころがりこんだ神聖ローマ帝国皇帝の地位。ルドルフ一世(13世紀)を嚆矢に、約650年にわたり王朝として君臨したハプスブルク家。歴史の荒波に翻弄され、その一族の運命は激しく揺さぶられた。血の争い、一途に愛を貫いた王妃、母に見捨てられた英雄の息子、ギロチンにかけられたM・アントワネット。過酷な運命と立ち向かい、また定めのまま従容と散っていったヒーロー、ヒロインたちを描いた名画は素晴らしい。それを紹介しながら、著者はその波瀾万丈の物語を歴史をつむぐ。

 私は中野京子氏の著作を通して作品の見方を学んだ。「私は絵画を見ても実際には何も見ていなかったのだ・・・」、と自覚した。絵の見方が変わった。

 「名画で読み解く12の物語」シリーズは以下の5冊が出版されて、私は全て読了した。
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 ■ハプスブルグ家12の物語
 ■ブルボン王朝12の物語
 ■ロマノフ家12の物語
 ■イギリス王家12の物語
 ■プロイセン王国12の物語
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 いずれも、名画を味わうにも、歴史を学ぶにも大いに参考になった。


7/6(火) 雨のち雲  外来  飯川病院 COVID-19予防注射18名
1:00起床,新聞、文献読み、自炊2冊、その他いつものごとく。5:00可燃ゴミ提出。徒歩6:47バス飯川病院。8:45-13:40中通外来。13;50飯川病院へ、14:00-16:15COVID-19予防注射18名、昼食時間も取れず、終了後微睡、バス帰宅、19:30夕食、20:15就眠。Σ9151歩。自炊進める。

絵画を楽しむ(9) 絵画と写真(2) 真の写実絵画(仮称)
 写実絵画とは、一見、写真のように見える、細部まで丁寧に描写した油絵のこと。
 写実絵画にはもう一つの行き方がある。区別するために仮に「真の写実絵画」と呼んで置く。

 写真を元にしたスーパー(フォト)リアリズムと「真の写実絵画」は2点で異なる。
 (1)絵の具。「真の写実絵画」は油絵の絵の具だけ使用。スーパーリアリズムはアクリル絵の具を使うことが多い。アクリル絵の具は乾くのが速く、制作日数が少なくて済む。
(2)写真の用い方。スーパーリアリズムは写真をキャンバスに投射し、輪郭などを写していく。一方、「真の写実絵画」は写真を参考にするが、細部まで自分の手で描いていく。

 「真の写実絵画」は物がそこに存在するということを、描くことを通してしっかり確かめようとする。物が存在するということのすべてを二次元の世界に描き切ろうという、一種無謀ともみえる絵画創造のあり方。物がそこに在るということを見える通りに、触れる通りに、聞こえる通りに、匂う通りに、味のする通りに、描ききろうとする試み」である。(野田弘志著『リアリズム絵画入門』より)

 すなわち、「真の写実絵画」は実物、写真を見ながら、自分で咀嚼して、あらためて画面上に対象を生き返らせる。
 2016年8月、秋田県立近代美術館で「ホキ美術館展」が催された。同館は「真の写実絵画」を集めている世界で2館しかない稀有な美術館の一つで、「真の写実絵画」専門の美術館として2010年に千葉県にオープンした。
 展示された日本の「真の写実絵画」の作品はいずれも奇跡の表現とも言うべき技術を駆使したもので、その作品を見て「真の写実絵画」とはこのようなものであったのかと驚き、感じ入った。

 そこには、画集とか印刷物からは絶対に感じ取ることができない、実物だけが持つ繊細な表現が感じ取れた。絵の具による凹凸で見る角度による微妙な光の反射の違いがあり、微妙なニュアンスの表現に重要な意味を持っている。

 
 生島浩「5:55」ホキ美術館所蔵 (会場で購入した絵葉書から借用。モデルの心理状況も分かるようだ。椅子の背もたれのすり減り様がリアル。甲状腺がやや大きい?)


 写真は時間の瞬間を、その時の怒り、悲しみといった感情をそのまま写し取る。しかし、時間の経過が必要な揺れる感情を表現することは不可能に近い。その点、「真の写実絵画」は複雑な感情、相反する意志を人物の表情のなかに描く。
画家自身が対象と向き合い、そこに存在する対象物をそれぞれの視点で受け止め、固有の美観、解釈で表現している。

 写真を自由に撮れる現代にあって、「真の写実絵画」は完成までに数週間から数年はかかるだろう。1枚の絵画に数週間から年余の時間を費やす「真の写実絵画」にどんな意味があるのか、ずっと疑問に思っていたが、存在の意義を確信した。「真の写実絵画」が写真や映像とは違った存在、芸術作品として後世に残るかは、まだ未知数かもしれない。そういった意味では、絵画愛好者が一人でも多く優れた写実絵画を見ることが必要である。

 今回の作品群の中では、私は特に女性を描いた作品に魅力を感じた。いずれも女性の美しさを徹底して描いている。そこには、写真には見られない、作者が意図的に追求したと思われる奥深さが感じられる。長い時間をかけて作品を練り上げたであろう女性たちに、製作者は感情移入までして描いたのではないだろうか。それを感じられるだけに、私もすっかり描かれた女性像に魅了されてしまった。


7/5(月) 終日降雨 健康クリニックドック  飯川病院 
0:00起床、医学文献等など中心に読書、録音データ整理。5:00畑花壇に散水、6:47バス飯川病院。9:00-11:50健康クリニック、ドック13名、レントゲン読み14名。12:10飯川病院。14:00-19:00業務。散水など。19:30帰宅夕食、20:30就眠。自炊3冊。Σ6901歩。

絵画を楽しむ(8) 絵画と写真(1) 写実絵画 フォトリアリズム(ハイパーリアリズム)とは

 歴史的に見れば、ビジュアルで記録し、再現するには絵画しかなかった。19世紀に写真が登場すると絵画の有り様は大きく変わり、対象物をほぼ写実的に描く絵画の使命は徐々に失われ、抽象画も台頭した。
 
 一方、発達した写真時代の中、対象物を写真のごとくに精密に、リアルに伝える写実絵画を一部の画家が描き始め、そして現在日本では写実作家が多く登場してきている。

 写実絵画と写真芸術とは異なる意味があるはずである。
 私は長い間、この差がわからなかった。

■写実絵画フォトリアリズム(ハイパーリアリズム)とは何か
 19世紀はじめに写真技術が発明されてから、写真と絵画はつねに影響を与え合いながら発展を遂げてきた。
 その中で「写真」をもとに絵を描くフォトリアリズムはハイパーリアリズムとも言われた。「リアリズム以上のリアリズム」の意味で、第二次大戦後の美術の傾向のひとつとなった。1960年代から70年代にかけて欧米、特にアメリカを中心に現われた動向で、抽象表現主義の対極的反動として現われた。

 実物とみまがうばかりの完全な再現から、細部のクローズアップによる細密描写や、機械的複製の応用などさまざまな手法があるが、基本的には、写真を利用し、人物、都市のシーンなどを主観をまじえずに克明に描写したり、本物そっくりの人間像を作ったり、物体の質感、光沢を再現しようとしたりする。

 考えようによっては、現代のコピー文化を反映するものともいえるが、その目指す方向は作家によって大きな幅があるようである。対象を写真に撮って、それを見ながら描く手法も似ている。
 基本的にはフォトリアリズムは写真と同じ? 写真とは何が違うのか? 写真が芸術作品と同様の価値を発揮している今、繊細緻密な絵画、にどのような意味があるのか、よくわからなかった。尤も、繊細緻密な写実絵画も画集とか印刷物でしか見る機会がなかったから、その意義、違いはわからなかったのは当然である。

 具体的には期日は思い出さないが、30年ほど前、秋田西武デパートの特設会場でフォトリアリズムの作品の展示会があった。
 そこには写真展と見紛うような作品が20点ほど掲示されていた。じっと見れば作品そのものには絵画としての質感は見られ、写真ではないことは理解できた。
 画商?の一人が、「いかがですか??これなど写真と変わりない作品です・・・」と説明してくれたが、これら作品の存在意義についての説明はなく、私は疑問が解けないまま会場を後にした。その後このジャンルの作品には接していない。
 だから、今だによくわからない。


7/4(日) 曇り午後から小雨 外仕事若干 
0:30飯川病院にて起床、文献検索、画像データ処理、読書、微睡など。7:00検食、9:00花壇に散水、外来レセプト点検残り分終了。11:30Seriaにて庭用支柱購入ご帰宅。NHK弼のニュースは熱海の土砂災害中心、のど自慢を楽しむ。新聞スクラップ後外仕事試みるも降雨で不可。微睡、書斎の整理。読響の録画楽しむ。19:00夕食。20:55就眠。歩数計8801歩。

絵画を楽しむ(7) 映画の場合も実は私はほとんど見ていなかった
 いくら熱心に観たとしても長い映画の一本が持つ情報量を全て味わい尽くすことはできない。情報が不正確であってもストーリーの面白さ、登場人物の魅力などの影に隠れて見逃されていた作品もあった。
 しかし、動画の情報の分析に秀でた技能を持つ方もおられて通常人の何倍もの感受性を発揮してその問題点をつき、優れた解説を展開してくれている。
 私は映画に関しては感受性が乏しく漫然と見ていた。実にもったいないことであった。現代は録画技術も進み、録画での鑑賞が安価に、気軽にできるようになり、若干見方が変わってきた。映画を特定のテーマに絞って情報源としてみれば、見逃していた情報を読み取ることができる。それでも、不十分にしか汲み取れない、と思っている。

 絵画の基本は時間の固定で画像として表現される。映画はより幅広く時間因子を固定する。
 映画と絵画は同一のものではない。
 同様の機能がある写真が登場し、時間を画像として記録するという初期の機能から、改良に改良を重ね、深い芸術性までも表現できるようになるまでそれほど時間を要さなかった。

 歴史的に見れば、写真が世の中に登場するまではビジュアルで物を見せることかできるのは絵画しかなかった。しかも、秀でた絵画を得るには優れた画家を雇い、報酬も高かったから一部の富豪しかできなかったし、富豪は節目節目に競って作品を注文した。だから、このころの絵画は時代と文化を濃厚に反映している。
 この時代の絵画は、ざっと見たときの印象も貴重であるが、時代を読み解く力があれば一層時代や文化、思想も深く鑑賞できる醍醐味がある。

 しかし、19世紀に写真が登場すると大きな変化が生まれた。画家の手法は大きく変わり、対象物を写実的に描く絵画の使命は徐々に失われ、ピカソなどは抽象画の方向に転向した。そこまでできなかった画家は職を失い、写真家に転向した画家も少なくない。戦後日本でもほとんどの作家がその影響を受けた。
 
 モノクロであった写真はやがてカラーヘ進化し、デジタル化やCG画像によって映像はその再現性から、空想のイメージ化まで簡単に作成することができるようになった。

 発達した写真時代の中、絵画の存在価値は当然問われることになる。
 そのような現代にあって失われるかと思われた、対象物をリアルに伝える写実絵画を、一部の画家が描き始め、そして現在日本では写実作家が多く登場してきている。
 写実絵画作家は1枚の絵画に1カ月、3ヵ月、一年という時間を費やし完成する写実絵画は写真芸術とは異なる意味があることではないだろうか。


7/3(土)  飯川病院日当直 外来レセプト点検 熱海地区で豪雨土砂災害発生
1:00起床、新聞・文献チェック他いつもの如し。録音データ大量整理。5:00庭畑に散水、収穫。10:00出勤する家内に同乗、飯川病院に。12:00検食、日当直勤務に就く。読書中心。微睡、16:00-17:30外来レセプト点検、18:00検食。19;30就眠。23:30起床。歩数計4953歩。

絵画を楽しむ(6) 実は私には何も見えていなかったのだ
 私は絵画が好きである。
 絵画の鑑賞は何と言っても美術館、そこで本物の作品に接する事がベストだ、と頑なに思っていたが、最近考えを変えた。

 私にとって美術館で本物の作品に接した事は貴重な経験となっているが、美術館で短時間本物の作品にに接しても「本物を観た」というアリバイ造りに過ぎなかった、と今になって思う。
 秋田では「美術館」そのものが少ない。主に「秋田市立美術館」、「秋田県立美術館」、「秋田県立近代美術館」であり、そのほかにアトリオン特設会場で開催されるギャラリー程度と狭い。これらでは年に数回企画展が開催されるが万難を排して訪れる。「秋田市立美術館」は年間のパスポートを購入しているために気軽に何度も訪れる。

 もう機会はなくなったが、現役時代の学会出張時には国内各地の美術館を訪問した。多分、100箇所ほどの美術館を訪問した。その中では倉敷市の「大原美術館」、その中でもエルグレコ「受胎告知」が特に印象深い。そのほかの貴重な経験は記録にも残していないから大部分忘れてしまった。

 1985年秋田大学退職時はオペラのツアーに、2000年欧米医療視察団としてヨーロッパを訪問したが、訪問した各地、ハンブルグ、ウイーン、ポーランドなどで美術館も積極的に訪れた。優劣はつけられないが、その中では何と言ってもルーブル、オルセー美術館のスケール、展示作品には圧倒された。

 今まで見た作品を見返してみても、ここに描かれているのは何なんだ、絵の主題と関連性があるのか? なんでこの色調で描かれているのか?・・・・と疑問は尽きない。 
 描かれたものをざっと眺めるだけで、何も解決しないまま通り過ぎていた。要するに、私は絵画を前にしても実はなにも見ていななかったのだ、ということを知った。

 最近は美術展に併設する売店で必ず画集や解説書を購入する。これらを絵画以上に時間をかけて読む。それらは「絵画の見方は一つではない」ことを教えてくれる。絵を見る面白さを教えてくれる。
 私が見落としていた細部を、その絵の意味を、紹介してくれる本は、実に爽快、読むたび毎に眼から鱗が落ちる事になる。

 何も考えずに、素直な心で絵を見ればいい、とも言われるが、それは一つの鑑賞法であろう。昔は私もそう考えていたが、今の私には容認し難い考えになった。
 資料を読んでもっと絵の中をちゃんと見よう、と思うからである。


7/2(金) 快晴  大曲中通病院外来 飯川病院ボランティア  
0:30飯川病院で起床。文献読みなど。7:40徒歩秋田駅に。8:11こまち、大曲往路徒歩、9:10大曲外来。復路は暑すぎTaxi、丸子橋欄干の七夕飾りは今年は見られなかった。書店訪問、15:30飯川病院ボランティア。読書、散水、微睡など。19:30行きつけ書店経由で帰宅、夕食、21:00就寝。歩数計9695歩。

原発事故10年(4) 汚染土廃棄
 原発事故で汚染された地域では除染がなされ、大量の除染土が発生した。私は除染ではなく単なる移染作業でないかと思う。東京電力福島第一原発事故後、福島県内の除染で出た汚染土は1400万立方メートル以上になる。
 これらの土を含む放射線物質は2045年には福島県以外に搬出して処分されることになっている。しかし、そのことは福島県内でも、ましてや県外ではよく知られていない。
 
 国はよく問題を先送りにするこんな決め方をする。引き取り場所を決めないで期限だけを決め、その後検討を進めないまま放置、期限が近ずくと慌てて場所探しをする。
 私は汚染度に関しての決め方にも疑問を感じていた。
 かつて放射線漏れを起こした原子力船むつの最終寄港地問題が同様であって、むつは14年間も各港を点々とした、という経緯がある。
原発事故から4年(3) 汚染物質中間貯蔵施設(1) 原子力船むつの二の舞にならないか

 最近、国は放射能濃度が基準値以下の汚染土について、最大で99%再利用可能と試算し、福島県内の公共事業で再利用する計画を進めている。
 県外で最終処分するためにも総量を減らす狙いがあるとするが、地域住民からは「放射線が不安」、「事実上の約束反故、福島を最終処分場にするのか・・・」と反発が出ており、実現は見通せていない。

 福島県内にある中間貯蔵施設には4年前から汚染土の搬入が始まった。2021年度までに東京ドーム11個分に相当する1400万立方メートルが搬入される。

 だが、最終処分場を巡る交渉や議論は始まっていない。
 環境省の某参事官補佐は「最終処分の受け入れは地を決めることは簡単ではない。今は全国的な理解を進めている段階」と話す。汚染土の再利用はその理解を進める手段の一つという位置づけ。

 同省は有識者会議で2016年6月、「全量をそのまま最終処分することは処分場確保の観点から実現性が乏しい」として、再利用で最終処分量を減らし、県外での場所探しにつなげる考えを提示した。

 ■「指定廃棄物」の放射能濃度(8千ベクレル超/Kg)を下回ったり、下げたりした汚染土を再利用
 ■管理者が明確な公共事業などで使う
 ■道路や防潮堤の基礎のように安定した状態が続く使い方を求める
 ■・・・・などの条件を示した。

 また再利用する汚染土の量については、2018年12月の同じ会議で、濃度低減などの技術開発が最も進んだ場合、1400万立方メートルのほぼすべてが再利用でき、最終処分すべき汚染土は全体の約0.2%、3万立方メートルほどに減らせるという試算を明らかにした。

 しかし、むつ問題と同じく思惑通り進むとは限らない。処理水の海洋放出と同様、地元の理解を得る努力をしていない。
 同省は「再利用の対象は県内、県外を問わない」としているが、実証事業と称して実際に再利用計画を提案したのは県内の3自治体のみで、そのうち二本松市など2自治体では住民の反対を受け、難航している。


7/1(木) 晴れ風強し 午後飯川病院 当直
1:20起床。新聞入力、文献などを読む、自炊数冊。8:00外仕事、畑庭に散水など。強風対策としてダリアを添え木に固定。乾燥しておいた樹木の枝葉の裁断処理に着手。12:12バスで飯川病院、ボランティア。14:00から勤務、入院患者対応。新聞雑誌スクラップ、文献チェック。17:00当直業務に移行、18:00検食、 20:30就眠。歩数計7075歩。

新年からもう半年経過 1日が短い 時間なく困難になった日記記述
 本日は7月1日。随分と早いものである。光陰矢の如し。もう新年を迎えてから半年経過した。本当にこんなに経過したんだろうか?
 つい先日まで除雪に悩んでいたのに、いつの間にか桜も散ったなあ、野菜もダリアも植えたっけか・・・などなど。
 なんか日常生活の一つ一つの印象が薄く、希薄になっているようだ。
 幸い、私は毎日生活記録を作っているから、ざっと見直してみて、確実に新年から半年生きていた。

 私の日記は大まかな日常の時間的行動記録になっている。
 これは過去の嫌な経験、「職務質問」に端を発している。1日ごとのアリバイ証明のためである。大して詳しい内容ではないが、これに加えて、仕事上で残している記録、他の私的な記録、Suicaなどのクレジット記録、メモなどを組み合わせればなんとか立体的なアリバイデータに構築できるだろう。もう2度と職質なんて受けないだろうがこんな記述がクセになった。

 私はここ10年以上、世間、人間から離れてのんびり過ごそう、と念じて実行している。最初は嘱託医としての結構仕事を継続していたから一気に切り替えはできなかったが、徐々に勤務時間を減らしてきて今はほぼ満足できるような環境にある。

 だから、大きな話題も、奇跡もなく、逸脱も過剰もない淡々とした生活を送っている。

 1:00am頃起床する。スキャナーで新聞切り抜き記事、文献などを電子化し名称化する。徒然日記記述すると一段落、iPadで読書する。5:00amネコたちが周りに寄って来る、朝の餌タイムである。その後外に出て花壇畑の世話、散水、収穫をする。その後私の朝食タイム、野菜サラダ中心の食事ですます。6:30am出勤する。水木は午前フリーで読書ほか、草刈りとかまとまった仕事をする。出勤日、ボランティア日は先方の業務に従う。帰宅は19:30、夕食後ネコ達と過ごし、21:00就寝である。休日は自由時間となるが頻回に飯川病院の日当直が当る。こんな生活が淡々と続く。

 本人がどう考えていようと結果的には目立たない人生を、平凡な人生を歩んでいる。そのように生きて、いづれ消え去るのだ。それでいい。
 現役を引退後、根が出不精で引きこもり状態の私だから、生活記録は動きのない、似たような日々の繰り返しの記録となる。
 そんなことを綴った日記は読んでて退屈なものになるのはやむを得ないが、自身の存在の確認のために書くのだからそれでいい。

 私の生活記録には1000字くらいのミニエッセイがつく。普段考えていること、読んだ本など、他愛ないことを毎日1項目綴る。
 これが意外と重荷になってきている。
 1日があまりにも短く、サッと過ぎ去るものだから、記述内容に沿った資料を集め、検討し、まとめるのにうろうろしているうちに、もう次を書くべき時間が迫ってくる。
  
 時間が乏しくなった原因として、とにかく本が読みたい、季節柄外仕事が多いことをあげられるが、加えて、何をするにもペースが落ちてきて一つ一つが時間がかかるようになっている事だろう。そのバロメーターの一つ、急いて歩こうという意欲は無くなったこともあるが、歩行スピードは確実に落ちている。

 まあ、いいじゃないか、もう歳だし・・と、気楽な気持ちで行こう


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   年を通じてワンパターンで淡々とした毎日です。AM2:00-5:00にメールチェック・返事送付、人間ドック(HDD)判定・報告書作成、新聞切り抜き、病院・医師会業務など。
  月〜土曜は6:00頃出勤、HDD報告書印刷、外来書類処理など。病棟回診、HDD受診者とミーティングと診察。8:45-14:00外来とHDD受診者に結果説明。昼食は摂りません。午後は病院業務・医師会業務、各種委員会等に出席など。20:00頃帰宅。
  日曜・祭日もほぼ同様ですが、病院には午後出かけます。時間的に余裕無いのが悩みです。


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