徒然日記
2021年6月分

 日記と言うより、自分の行動記録からの抜粋と日々の雑感です。

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6/30(水) 快晴 草刈り16回目 午後飯川病院
1:10起床。文献・新聞チェックなど。午前8:00中にきうり等のつる処理、収穫など。書店訪問、12:30飯川病院。新聞データ化など。14:00-16:00COVID-19注射係。微睡、新聞チェック、19:30帰宅夕食、21:20就眠。歩数計8351歩。

原発事故10年(3) 処理水、海洋廃棄以外にどんな方法があったのか
 私は秋田大学で勉強しているときに、培養細胞の核酸代謝を見るためにトリチウムを使用していた。だからトリチウムには親しみを覚えている。
 その作業は当然、放射線物質を扱える特別な実験室で、一定のマニュアルに沿って行なったが、直接触らないようにシリコンゴムの手袋は用いたが、防護服などは用いなかった。
 放射性物質については規制基準を守り、生活圏への影響を及ぼさない様、処分方法が厳密に決められている。
 使用済みのトリチウムを含む液体はそのまま実験室の排水管に流していた。その排水は特殊な処理をされたのか、よく覚えていない。多分通常の下水につながっていたのではないか、と思われる。実験室レベルではそれでよかったのだ。
 
 福島の原発事故では雨水、地下水等もあって予想外の大量の汚染水が発生した。それが処理水問題になっている。

 処理水の廃棄方法として以下の5つの処分方法が考えられている。
――――――――――――――――――――――――――――――――――-
@ 地層注入
A 海洋放出
B 水蒸気放出
C 水素放出
D 地下埋設
――――――――――――――――――――――――――――――――――-

 これらの選択肢毎にもたらす放射線の影響を、互いに比較する方法はない。5処分法のうち、国際的にも放出実績があるのは海洋放出と水蒸気放出だけである。今までのところこれらの廃棄で環境汚染が生じた、という事実はない様である。

 福島の処理水はAの海洋放出に決まった。

 沿岸投棄か沖合い投棄か、表層投棄か深海投棄かなどはまだ決まっていないが、
放射線の環境への影響は、自然被曝の1ミリシーベルト/年よりも少なくなる、と予測されている。

 これでも、漁業関係者は風評被害を恐れている。その懸念は科学的データがどう出ようと消え去ることはないだろう。
 国は海洋放棄がベストと決めながら、地元への説明を欠いてきた。地元民は今更ながら国の決定に落胆しているが、地元民の方での準備状態、反対運動などどうしていたのか、と思う。

 地層注入と地下埋設方法は特定の地域を選ばなければならないから実現は不可能である。

 余談であるが、福島第一原発を設置した際、将来自然現象にこれほど痛めつけられるなどは誰も予想もしてなかったのではないだろうか。地震、津波、地下水、雨水などなど。それに加えて「風」、すなわち風評被害である。


6/29(火) 曇り  中通病院外来 飯川病院ボランティア
1:00 起床。文献など読む。蓄積データ整理。5:00可燃ゴミ出し。ネコ世話、畑収穫、ダリア、畑に散水。6:47バス飯川病院。8:45-12:00中通病院外来。12:20飯川病院、微睡、14:00-19:00勤務。14:00 COVID-19ワクチン接種。19:30帰宅、夕食、20:45就寝。歩数計9476歩。

原発事故10年(2) 汚染水、処理済み汚染水、処理水とは何か
 福島第一原発では現在120万トンの処理済み汚染水が貯蔵されている。

 汚染水の定義は簡単に分ければ、
――――――――――――――――――――――――――――――-
 ■汚染水 核燃料に触れた冷却水に地下水など混入したもので高濃度の放射線物質を含む。
 ■処理済み汚染水 汚染水を各種除去設備(ALPS)で処理した後に貯蔵タンクに溜められている。放出基準の1万倍以上の放射性物質を含んだ水もある。
 ■処理水 処理済み汚染水を再びALPSで処理し、セシウム、ストロンチウムなどを除去したもので海洋廃棄の対象となる。トリチウムは除去されていない。
――――――――――――――――――――――――――――――-

 処理水にはトリチウムが含まれる。
 トリチウムから出る放射線は弱く紙一枚で遮る事ができる。半減期は12.3年。自然界でも作られている。
 世界の運転中の原発や再処理工場からも廃棄されている。一つの原発あたり年間数兆ないし数10兆ベクレルの範囲とされる。福島のタンク内のトリチウムの総量は900兆ベクレルで、国の放出基準の6万ベクレル/Lの1/40まで海水で薄めて廃棄するとされるから、開始後何10年もかけて投棄することになる。
 したがって、今回海洋廃棄が決まったからといって直ぐに解決する問題ではなく、今も汚染水は1日平均140トン溜まっているからタンクがなくなることはない、とされている。
 
 トリチウムがヒトの生態に及ぼす影響は、国の放出基準の6万ベクレル/Lの水を毎日2L、70年間飲み続けても被爆量は国際基準に達しないという。

 国の処理水処分の基本的方針は以下の通り
――――――――――――――――――――――――――――――-
 ■廃棄は海洋放出とし、2年後に開始する
 ■国の基準以下に薄めて廃棄
 ■トリチウムの年間排出量は22兆べクレル以内とする
 ■少量から始めモニタリングで監視する
――――――――――――――――――――――――――――――-
 ただ、これとて問題は残る。海洋放棄は決まったが、放棄の具体的方法はまだ決まっていない。風評被害対策も同じ。
 環境汚染のモニタリングは時間と費用がかかる。海水のトリチウムの測定はサンプルあたり1ケ月ほどかかり、魚類とかからの測定は3ケ月ほどかかるとされる。またこの技術を持つ企業は国内で数社しかない。
 この10年間、いずれ廃棄が必要であり、方法として海洋廃棄がベストと目されていたのに、周辺の対策もなんら進めてこなかったのは問題である。先送りが決まった時点で一件落着と処理したからであろう。安倍長期政権時代は何をしていたのか。これは菅首相も共同で負うべき責任で、彼が苦労を背追う事になったのは当然でもある。

 モニタリングで問題が生じたら次の手として何か対策を考えているのだろうか。


6/28(月) 快晴 健康クリニックドック  飯川病院
1:00起床。文献処理。新聞電子化。録音データ整理。自炊3冊。4:30庭、畑に散水。キウリ収穫。6:47バス飯川病院へ、9:00-12:30健康クリニックドック診察14名、結果判定15人。12:40飯川病院に移動、微睡、14:00-18:45勤務、15:15入院患者対応、医局扇風機出す、快適。19:30帰宅。20:00夕食、21:00就眠。Σ8641歩。

原発事故10年(1) 処理水問題 10年放置し今になって海洋投棄決定
 原発事故10年経ったが、東電第一原発の敷地には溜まり続ける処理水保管タンクが林立し、今後予定されている廃炉作業の計画にも障害となっている。
 原子炉建屋内にはなおデブリが残る。敷地の96%は防護服なしで行動できるようになったが、いつまでも廃炉を先送りできない。難作業が待ち受ける。

 放射線物質で高度に汚染された水は汚染水と呼ばれる。この汚染水から大半の放射性物質を取り除いた水が処理水であり、これは今も溜まり続けている。この処理水には現在の技術では除けないトリチウムその他が含まれている。

 事故直後の2011年4月、高濃度の汚染水が海に流出しているのが発覚した。地元や海外から猛反発を受けた。
 東電はしっかりと浄化処理して保管するとし、タンクを1000基用意し137万トン貯蔵できるまでにしたが、現在、その9割が満杯状態である。またタンクの一部は老朽化して安全性にも問題が生じている。

 汚染水は地下水が建屋に入る前に組み上げたり、凍土壁等のバリア増設などの対応でこの5年で1/3に減少したが、今なお1日平均140トンたまり続け、2022年には満杯となる。

 単にタンクが満杯になるだけでなく、今後の廃炉作業は広大な面積が必要。そのためにはタンクの撤去が必須で、これ以上処分を先送りできない。背景の一つにさらに秋に予定されている総選挙対策としての側面もある、とされている。

 処理水の処分方法は、2013年から検討を進めてきた。
 ■海洋投棄、■大気中投棄、■地層注入、などの方法がある。その中では海洋投棄が技術的にも可能で、費用も最も安価であることから、政府は2021年4月13日に海洋投棄を行うことを正式に決定した。

 何故原発事故10年間も処理水の処分方針を決定せず放置したのか!!!
 私は疑問に思う。

 一般論として、我が国の政府は懸案事項を先送りにする傾向がある。我が国には早期に手をつけられるべき課題が山積みのまま対策が先送りされてきた。
 この背景には長期の一党独裁の政治形態が挙げられよう。節目がないから、ズルズルと同じ懸案事項を抱え続ける。

 先延ばしにしてきた懸案事項をざっとあげれば以下が挙げられるが、いずれも結果的に我が国にとっては危機的状態になりうるものばかりである。
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 ■少子高齢化等の人口問題、
 ■経済再建、
 ■新興感染症対策、
 ■皇室典範改正、
 ■食料自給率の向上、
 ■原発事故処理を含む長期のエネルギー政策
 ■などなど。
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 処理水の処分方針は海洋廃棄がベスト、としながら何故約10年も最終決定せずずるずると放置し、タンクを増やしてきたのか??
 この間、政府や原子力委員会は何をしていたのか??


6/27(日) 快晴暑い 園芸作業中心 草刈り16回目 
1:00起床。 本読み、文献読み、データ整理。9:00-11:00、16:00-17:30庭畑仕事、草刈り、キウリなど支柱追など、収穫。12:00軽昼食、NHKニュース、のど自慢観る。13:00微睡、14:00居間のパソコン移動範囲拡張、安定した。トイレ網戸修理、玄関風除室網戸修理、再度外仕事。ダリアの世話、周辺の草刈り。18:00以降座学、読書に費やす。19:00夕食。20;30就眠。歩数計 Σ10127歩。

季節の話題2021(16) 家庭菜園・園芸(5) 飯川病院の花々
 私は一応、補助的ながら医療的業務もあるが、飯川病院の午後の勤務、ボランティア日で院長に最も期待されているのは、緊急的対応と花壇のメインテナンスなどの雑用である。いや、雑用というべき仕事などない。雑用係と自称するのはょっと辛い。
 飯川病院は正面玄関が東に向いているために建物に隣接している狭い花壇は日当たりが悪く午前しか陽に当たらない。さらに、建物の庇があるために雨も当たらない、というハンディがある。
 だから、この花壇に植える花の維持には人手が必要である。まあそのために雇われている、と割りきれば私の存在意義もあろうというもの。

 今年は春から、スイセン、パンジー、アマリリス等若干の花があったが、現在はナスタチウム、ハイビスカス、アジサイ程度である。アジサイは柏葉アジサイというらしい。これからはハイビスカスが開花し、アサガオ、キクが台頭してくる。

(ナスタチウム)


(ハイビスカス一輪目)

(ハイビスカス二輪目)

(柏葉アジサイ)

 今年はプランターに植えたダリアを4株自宅から出張させる予定である。


6/26 (土) 快晴 草刈り15回目
1:00起床、各種データチェック、新聞文献PDF化。本読みほか。ネコの世話など。4:30キウリ収穫。8:00畑庭作業、花壇の草刈り15回目、給水、清掃一般。11:45陽射し強く避難、昼食、微睡。13:30居間のパソコン移動範囲増やす。15:00畑仕事。キウリつる処理。19;00夕食、20;40就眠。歩数計Σ8775歩。自炊数冊。

季節の話題2021(15) 家庭菜園・園芸(4) 我が家の紫陽花たち
 まだ6月だというのに全国的に夏日・猛暑だと伝えている。33℃以上の暑さとはいかなるものなのか。秋田に住む私にはちょっと想像がつかない。秋田では気温が30℃を超える日は盛夏の1-2週間ほどで8月中旬の墓参りの頃には朝夕に秋風が立つ。
 私は虫の声が大好きであるが、聞こえると私はちょっとがっかりする。すぐに秋がくるし、その先には厳しい冬が待っている。冬、というより降雪が辛い。加齢とともに除雪が負荷になって来ているからである。
 
 熱暑か厳寒か、と問われれば私は熱暑のほうがいい。熱暑のほうがいい、というからにはエアコンの力は当てにしない。せいぜい団扇と扇子、扇風機でいい。

 この件に関して「徒然草」では、「家の作りやうは、夏をむねとすべし」としている。さらに「冬はいかなる所にも住まる暑き頃わろき住居は堪へがたき事なり」と続く。兼好法師は熱暑を嫌っていたようである。
 人は勝手なものである。寒い時期にはあれほど太陽の復活を待ち望んでいるが、熱暑の季節には太陽の方を見つめて、汗を拭きふき憎たらしげに「こんちくしょう!!!・・・」とつぶやく。

 7月中〜下旬は我が家の紫陽花は満開を迎える。


 古くから日本人や紫陽花を好んだようで万葉集にも2首歌われている。紫陽花は日本固有の花らしい。紫陽花は土地の性質によっても色が変化すると言われる。その件について正岡子規は「アジサイや 昨日の誠 けふの嘘」と歌っている。

 我が家の紫陽花は濃い青紫色、白色、赤系統である。いずれも美しく発色している。

 花の色は人間の目で見れば美しいが、別に人間にサービスするために美しいのではない。
 赤系統の花の色素はアントシアニンが、黄色はカロチンが、白色系はフラボンが含まれ発色している。

 花の色を決める発色物質は美しさのためでなく子孫を紫外線から守るためである。単に色で紫外線を遮っているのではなく、これらの発色物質は強力な抗酸化作用を持ち、紫外線で生じた有害な活性酸素を中和して、めしべの基部にある卵細胞を守っている。日当りが悪いところの花は同じ花でも発色が弱いのは、紫外線が弱いため強力に発色する必要がないからである。

 めしべの基部に卵細胞があるから、花は植物にとってみれば生殖器である。花を好む方々は、私もその一人であるが、人間で言えばヒップの辺りを、見て、嗅いで、触って楽しんでいる様なもので、考えようによっては卑猥な行為である。老齢を迎えて、考え過ぎかな?


6/25(金)快晴 大曲外来 飯川病院ボランティア 
1:00起床、文献検索、新聞チェック,本読み他.5:00可燃ごみ提出せず。7:35Taxi駅東口へ。8:11こまち、9:10大曲外来。駅往秋田市内徒歩。書店訪問。15:10飯川病院ボランティア、微睡。家内は院友会理事会でキタスカに、19:25タクシー帰宅、夕食、21:00就眠。歩数計Σ10355歩。

季節の話題2021(14) 家庭菜園・園芸(3) キウリ初収穫 ダリア初開花
 (1)園芸、野菜作りをやっていると採りたての野菜が食卓に上るのは最高の喜びである。

 昨朝、畑の苗に散水や枝葉の世話したがキウリが10本ほど一気に大きくなっているのに気づいた。その前の朝の見回りの時には中等度のサイズのが数本ぶら下がっており、そろそろ収穫かなと思ったが、突然ちょうどいいサイズのが目に飛び込んできた。
 キウリは条件が良い時には枝葉は一日15-20cmも、キウリの実自体は4-5cmも伸びることもあるとされる。これほどに育っているとは気がつかなかった。
 初収穫したキウリはサイズよし、姿よしであたかもスーパーに並んでいる規格品のごとくであった。早速、生で食べようと包丁を入れたが、果肉は色白、豊かな厚みがあり、一方タネは従来のものに比し明らかに少なかった。これらはキウリ の種類に由来するのかもしれない。購入した時に苗の名前を記録しておくのを忘れた。美味かった。
 
 私の栽培は完全有機栽培、無農薬栽培だから安心して食べられる。
 キウリ、トマトなどは自分が育てた子供のようなもの。とても枝落としや剪定は出来ない。全ての枝をそのまま切らずに育てる。剪定しないことで果実が劣化すると言われるが、本日収穫分を見てもそんな様子はない。
 これから約1ヶ月、いろいろな料理に活躍するが、薄くスライスしたキウリの酢の物を朝・夕食時に食べるが、これがまた絶品である。


(初収穫したキウリはサイズよし、姿よし 味もよかった)

 (2)園芸、花つくりをやっていると初開花を見るのは最高の喜びである。

 今朝、ダリアの一株が開花した。約1週間前につぼみが一本伸びてきて楽しみにしていた。
 最初の開花だからまだそんなに堂々としていない。なんとなく恥ずかしげでひっそりと咲いている。
 毎年春には鶯が誇らしげに鳴き始めるが、きれいな声で鳴くには相当の練習が必要らしく最初は下手らしい。そんなイメージである。
 今年は30株ほど栽培した。最もきれいに咲くのは9月以降である。楽しみである。


(恥ずかしげに咲いた最初の一輪)


6/24(木)快晴 午後飯川病院勤務 
 1:00起床、文献チェックほか、資料整理。本読み。4:30キウリトマト枝まとめと固定、キウリ初収穫9本。9:00-11:00座学と自宅玄関風除室にすだれつるす下準備。穴あけなど。11:47バス飯川病院に。14:00勤務、入院患者対応、微睡読書など。家内は勉強会へ、
タクシー19:00帰宅、夕食、21:30就寝。歩数Σ7595歩。

季節の話題2021(13) わが家のチマキ作り今たけなわ
 チマキは、もち米を長円錐形または三角形に笹の葉で巻いてイグサで縛ったもの。
 もち米を植物の葉で包み、蒸す・ゆでるなどで食べる料理法は平安時代に中国から伝わった、といわれている。
 笹の葉には殺菌・抗菌・防腐作用があるため、保存食としても優れている。それは実感できる。

 我が家では、もち米を笹の葉に包んでゆでる「三角チマキ」を作る。


(出来上がった我が家の三角チマキ 日本各地でいろんな形のチマキが伝わっているようだ)

 緑萌える時期を迎え、クマ笹の葉っぱも一斉に緑化する。この季節になると我が家ではチマキづくりが行われる。
 これは我が家のお手伝いさんの石井さんの技能と仕事である。

 秋田市の中央墓地である天徳寺は小高い丘陵にあり、ここの道路脇に群生しているクマ笹を千枚以上採取してくる。これには石井さんの指導のもと、次男の嫁さん、孫たちが参加した。孫たちもチマキが大好きで嬉々として参加する。

 以下がその過程であるが、私は直接はタッチしないので詳細は語れないが、大体は以下のごとく。
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1) もち米はザルで水切りしておく。
2)笹の葉を三角に折り、もち米約40gを詰め、もう1枚笹の葉をかぶせて三角に包み、紐で縛る。米は水分を含むと膨らむので軽めに縛る。
3)三角に縛ったチマキは、5個1束でまとめる。水に漬けて置く時、ゆでる時、吊るしておくときに便利。
4)出来たちまきは水を張った鍋に入れておく。
5)中火で約1時間煮る
6)チマキを吊るし冷やす。
7)チマキは、きな粉(砂糖・塩少々)とよく合う。とても美味である。
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 孫たちはチマキが大好きで4-5ケまたはそれ以上嬉々として食べる。その様子は見ているだけで楽しい。

 この時期、石井さんは千個以上のチマキを作るようであり、孫たちの家に届けるほか、ご近所、病院のスタッフにも提供しているという。北海道の、埼玉等の知人にも送られる。
 私も好きなのであるが、私に回ってくるのは少なく残念である。

 このチマキづくりは、秋田でも一部の高齢者にしか伝わっていない。
 多分、郷愁を感じさせる食品の一つとして市販品は永く残っていくであろうが、自家製のチマキは絶滅食品の一つに挙げられよう。

 惜しい地方文化の一つ、である。


6/23(水)晴 当直明けフリー 午後飯川病院
 1:00飯川病院で起床、文献チェック,新聞チェック。7:00検食、9:30書店訪問、12:20飯川病院勤務、14:00-16:00 COVID-19ワクチン接種6名。入院患者対応。19:15帰宅・夕食、21:30就寝。歩数Σ6223歩。

?日本の人口(2021)(7) 女性蔑視の典型 現皇后は「男子を産むべき機械」であった
 雅子さまは皇太子から結婚を望まれたがなかなか同意されなかった。最終的には外交官としてのキャリアを皇室のために、日本のために生かしたいと考えられ同意された、とのことである。
 だが、結婚後に皇太子妃として望まれがのは外交官のキャリアなどでなく、男子を産むことだけと言ってよかった。

 雅子さまはなかなか懐妊されなかった。6年後に懐妊されたが不用意なメディアのスクープにてショックを受けられ流産された。この後、一層強いプレッシャーがかかった。
 平成13年1月愛子親王を出産されたが、女児であったことから、続けて第2子、男子を産むことが一層強く望まれた。

 要するに、雅子さまは単に「産む機械」、「男子を産む機械」とみなされていた、と言っていいい。その後、人格否定を含む心ないメディアの攻撃にあい心身に異常をきたされ平成15年(2003)以降公務から距離を置くようになった。適応障害として治療を受けられたが病状は一進一退であった。一時は離婚すべき、秋篠宮を次期天皇に、と言うような暴言までメディアに登場した。その後も紆余曲折はあったが、現上皇様の天皇生前退位の意向表明後は雅子さまが次の皇后になることが確実になるとバッシングはサッと影を潜めた。

 今、皇位継承が問題になっている。
 「男系男子しか認めない」と頑なに主張する者たちがいる。
 皇位を安定的に継承していくには、皇室典範を改正し、女性・女系天皇、女性宮家を認めなくてはならない。

 ただでさえ基本的人権が著しく制限された皇室に嫁いだ女性が、2代にわたって激しい非難にさらされたことは重大である。
 
 皇室の方々は国民から見ると厳しい制約の中で過ごされている。
―――――――――――――――――――――――――――――――-
 ■職業選択の自由なし
 ■移動自由なし
 ■居住移転自由なし 
 ■表現の自由なし
 ■選挙権・被選挙権なし
 ■財産権なし
 ■婚姻の自由なし
 ■出産の自由なし
 ■信教の自由なし
 ■などなど・・・
―――――――――――――――――――――――――――――――-

 皇室典範を改正し、皇室の方々がもっと人間的な生き方ができるよう配慮して差し上げたいものである。

 裄V厚労相が2007年に「女性は産む機械」と表現して、政界だけでなくメディアも国民もこぞって非難したが、実は重要な意味のある内容の言葉であった。言葉上の揚げ足をとって非難するレベルで終わらしたことが、皇太子妃のバッシングにつながったし、日本の人口問題が今まで先送りされてきた背景の一つになった。


6/22(火) 快晴 外来 飯川病院ボランティア 飯川病院当直
 1:30起床。新聞、データ整理.書類処理、4:30可燃ゴミ提出、畑とダリアに散水、ダリアに有機肥料散布。6:47バス飯川病院、8:45-13:00中通病院外来。13:15飯川病院、14:00-19:00ボランティア、患者対応。17:00当直業務に、18:00検食、20;30就眠。歩数計8211歩。

日本の人口(2021)(6) 女性蔑視の言葉:かつて西洋人はなんて言ったか
 2007年1月、安倍内閣の柳澤厚労相は、自民党島根県議の集会で少子化対策に触れ、「女性を産む機械って言ってごめんなさい。その産む役目の人に頑張ってもらうしかないんです・・」どの発言をした。この発言に関連してマスコミが大きく報道し、辞任、罷免と大騒ぎになった。大臣は「失礼な例えであるが・・」と前置きしているが、通じなかったようだ。

 ならば、男性は「産ませる機械として共に頑張ってもらうしかないんです・・」ということ。日本の人口問題には男性にも責任があるからね。

 「女性は子どもを産む機械」に近い見方は過去にはいくらでもあった。
 西欧ではレディファーストなどと女性の立場を尊重する生活習慣がある。しかし、過去に遡れば全く逆で、著名人の発言を見れば、女性は蔑視されていたことを知ることが出来る。

 例を多少あげる
――――――――――――――――――――――――――――-
■J・J・ルソー:女が男と同じ権利を得ても、損するぱかりで、得になることは何もない。
■パウロ:男は神の栄光であるが、女は男の栄光であるにすぎない。女は男の肋骨からできたもの。男は女のために造られたのではないが、女は男のために造られた。人間が霊的存在であるためには、私のように結婚しないでいるのが最もよい。だが肉の思いを自制できないのなら、結婚するのもやむをえない。
■カント:女は知的天分に乏しい。男は愛している時に嫉妬する。女は愛してもいないのに嫉妬する。女は美しくて愛嬬があればそれでたくさん。ギリシャ語を頭一杯に詰め込んでいる女は、口髭でもつけるがよい。
■ミルトン:女は美しい不具である。
■ラ・ロシュフーコー:若くても美しくなく、美しくても若くない女は何の役にもならない。
■ショーペンハウエル:子供の世話をするのに女が向いているのは、女自身が子どもじみて、他愛なく、浅はかだからである。女は精神的に近視である。女は劣った性であり、男性に劣る第二の性である。髪ばかり長くて知能が足りない動物である。ずんぐりして尻の大きい、肩幅も狭ければ足も短い女を美しいなどと呼べるのは、男性が性欲に眩んでいるからで、女の美しさは、すべて性欲に絡んでいる。
■ニーチェ:女は神の第二の失敗作である。
――――――――――――――――――――――――――――-
(横浜市の開化館クリニック石田春夫医師の記述から引用)

 上記に挙げた著名人達は言いたい放題であるが、時代がそれを容認していた。もし、彼らが今の日本の大臣だったら明らかに罷免・問責に発展する。

 私は「今の日本には孕める子宮が足りない。人口問題のためには若い子宮を輸入しなければならない・・・」などと発言している。これはひどい意見とわかっているが、他に名案は湧かない。他にも案があれば知りたいものである。


6/21(月)曇りのち晴 健康クリニック 飯川病院
 1:00起床、新聞・文献チェック。読書中心。6:47バス病院へ。9:00-11;20健康クリニックドック15名+結果判定14名。11:30飯川病院へ。微睡読書、14:00勤務。入院患者対応。19:30帰宅夕食、21:30就眠。歩数計6125歩。

日本の人口(2021)(5) 女性は子供を産む機械(柳澤)?女性は子供を産むヴィーナスさん(福田)

 2007年1月下旬、当時の柳澤厚労相が社会保障の講演の中で「女性は子どもを産む機械」だと発言し、野党のみならず、与党内部からも辞任要求まで出た。当時のメディアはこぞって批判を繰り広げた。
 私は氏の発言の真意をうかがい知ることは出来ないが、不適切きわまりない発言であることは確か、と思った。しかし、氏が言いたかったことは「日本の厳しい少子化問題」であって、そっちを論じずに言葉尻を捕まえて批判するなど、与野党、メディアも幼稚である。

 一方、過去に「女性は子どもを産む機械」並みに扱われてきたことは歴史を勉強すれば分かること。私も講演の中でなんども、「女性の性、人格」が軽く考えられていた悪しき時代があった、と発言してきた。

 人類が食料を蓄め込むことが出来るようになって以降に民族単位の意識の高揚が始まり、冨の継承、血筋の継承が社会の構造維持に欠かせない意義を持ったが、この時に絶対的に必要なのは権力者の子供を産む女で、配偶者の他に側室や妾の存在も大きかった。

 封建社会では、血の継承が絶対的に重要であったが、近代社会においても国力維持のために子供を産むと言うことの重要性は変わっていない。私自身、「産めよ、増やせよ」の国策に添って両親が頑張ってくれたために終戦前になんとか間に合って生を受けた、と思っている。

 柳澤厚労相は当時人口問題を真摯に考えていたと思われるが、古い政治家だから、戦前の発想と共通する表現法をつい使ってしまったのだろう。
 そんな歴史を考えてくると「女性は子どもを産む機械」と言うニュアンスの発言は何ら特別のものではない、というべきである。ただ、それを不適切に「機械」に例えて口にしたのは配慮不足であった。

 女性に対してどの様に考えようと、思おうと、それは自由である。発言も自由である。ただ、立場とTPOをわきまえないといけない。自らを「産む機械」などと考える女性はいないだろうが、大臣を責めた男性連中に大臣を責める資格はあったのだろうか?? ただ、ちょっとお利口さんで口に出さなかっただけではないのか?

 私は女性が好きである。存在自体がどこから見ても素晴らしい。だから、大事に扱っている。もちろん、ピンからキリまであるが、それは多様性ということで納得しよう。

 人間の歴史、医療の歴史を学ぶ中で、女性が生命の危険を顧みず、妊娠・出産・育児で果たしてきた意義を考えれば、私は決して女性を軽んじることは出来ない。
 尊敬に値する、と思っている。「産む機械」なんて言えない。私なら「子どもを産むヴィーナスさん」と言うだろう。

<a href="https://blog.goo.ne.jp/mfukuda514/e/1eb4b657d0fd59624161393d0561c570">妊産婦死亡率(1)安全になった我が国の出産 だが、決して「当たり前のこと」ではない</a>
<a href="https://blog.goo.ne.jp/mfukuda514/d/20150824">医療の時代と死生観(3) 医療の歴史を振り返る(1) 出産を例に考える</a>


 6/20(日)快晴午後一時降雨 畑園芸中心 草刈り14回目
 1:00起床、いつもの如く、新聞、文献など。蓄積データ大幅に整理。8:30園芸畑作業。草刈り14回目、2巡目に。畑の草刈りも。午後、微睡後DIY店訪問、里芋の苗購入。畑に本植え。えだ豆蒔く。16:00新聞チェック。17:00書斎整頓、不用品廃棄。録画でN響次期主席のF・ルイジのベートーヴェンNo7、ブラームスNo4、小沢・ロストロポーヴィチによるドンキホーテ鑑賞。19:20夕食、20:30就眠。歩数計10169歩。 

日本の人口(2021)(4) 現在の人口問題 出生数の著しい減少
 長い経過があったにもかかわらず、有効な手立てをとってこなかったのに、政治家もメディアも今になって少子化少子化と騒いでいる。人口問題は予測可能であり、その弊害が生じてから対策してももう遅い。

 我が国の人口問題、出生数はすでに不可逆的レベルに達した。私はそう思う。

(出生数は往時の1/3程度に減少)

 しかし、だからと言ってこの子育て問題を放置していいというわけではない。
 出生数急減は社会や経済の活力を奪い、社会保障制度の維持を難しくする。それは社会にとって重要問題であるが、そんなことを強調しても出生数は増えない。

 子供を育てたいと思うような社会の構築が必要がある。

 現在の核家族による子育て環境は、新生児が未熟状態で生まれてくる人間の出産、子育てを考えると自然に反している異常習慣である。ましてや一人親家族の子育ては厳しい。
 2020年、出生数は約2万4千人減少し、84万832人と過去最少を記録した。21年は80万人を割るおそれが強まっている。
 
 出生率の低下や出生数の減少を、このまま放置することはできない。政府、自治体、経済界が人口危機を正面から受け止め、あらゆる策を総動員するときだ。今は、そのラストチャンスと言っていい。

少子化の要因をざっとあげると
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 ■少子化の最大の要因は、戦後から始まり始めた高齢化および少子化。
 ■子供を産むことができる年代の人口、特に女性は減少を続けている。
 ■だから、出生率を論じてもダメ。敢えて言えば出生数の減少を論じるべき。
 ■若者達の出会いの機会も減っている。
 ■婚姻率の低下と未婚化・晩婚化。非正規社員を中心に雇用が不安定になり、将来への不安が高まっている。婚姻率は価値観の変化などとともに減少傾向にある。
 ■離婚率の増加、最近は減少。離婚率は2002年には戦後最高値の0.23%。それ以降は離婚率は減少傾向。直近数年間は0.20%を切り、さらに漸減する動きを示しているが、婚姻率がそれ以上低下している。
 ■COVID-19の流行が出生数の低下に拍車をかけた。
 ■などなど。 
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今後の対策をざっとあげると、効果は大きくないだろうが、以下の如く
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 ■最優先すべきは、COVID-19の流行の収束で社会を安定させること。まずは経済を正常化させ企業の中途採用の拡大や非正規の処遇改善などに取り組み、若い世代の生活基盤を支えたい。
 ■男性の子育ても参加も重要。日本の育休制度は世界トップレベルだが、男性の利用は7.48%だけ。”男性産休"改正法が成立した。
 ■東京に若者が集中しているが合計特殊出生率は1.13と全国で最低。少子化対策は重要。
 ■地方によっては女性の就職先が少ない。女性の流出が止まらなければ出生数は増えない。
 ■政府の役割は大きい。効果的な支援には、安定財源が不可欠。
 ■子どもを持ちたい、という若い世代の思いに、官民をあげて応えるべき。社会・地域を挙げて子育てを支えたい。


6/19(土)曇り時々降雨 
1:20起床、新聞、文献など。午前畑と庭の見回り。外仕事まとめてはできず。座学中心。午後微睡、網戸小の張り替え、キット購入にて比較的簡単に綺麗に出来た。16:00書斎にて新聞チェック。録画にてジュリアナ東京、N響定期次期主席指揮者のF・ルイジのインタビューなど。片付けなど。19:00カツ吉のテイクアウト夕食。歩数計5470歩。

日本の人口(2021)(3) 戦後の人口問題 子供は貴重な労働力だったが今は消費者
 
戦前の価値観の否定と民主化。

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??戦後の従来の価値観の否定と民主化。
 第二次世界大戦が終了し、第一次ベビーブームが生じた。日本は窮乏の時代を経て朝鮮戦争特需で急速に経済復興した。
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??第一次ベビーブームによって生まれた多数の若年労働人口は10歳程度でも簡単な労働力となり家庭を支えた。中学卒業後は田舎から都会の工業地帯に大量就職した。日本経済を支え、仕送り等で田舎を潤した。

 この頃は子供が多い家庭ほど親にとって見返りがあった。
 この時代、「親の中に子供がいて、子供の中に親がいた」。良き時代だったかも。

 子供一人あたりの養育期間は15-16年間程度。
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??日本は高度成長期を迎え、国民全体が経済的に余裕が生じ、家庭内の人間関係に変化、より孤立性となる。
 子供は高校進学が当たり前となり、家庭内での労働力としてアテにならなくなったばかりでなく、手伝いもしなくなった。

 子供一人あたりの養育期間は18-19年程度。

??子供達は家庭を持っても親と別居。古き良き家庭が持っていた養育・介護、世代間の生活協力等の機能が崩壊。
 子供から親に対する経済的援助は期待できなくなった。親にとって子育ては無償の労となった。
 この時代、「親の中に子供がいたが、子供の中の親の影は薄くなった」。時代の変遷かも。

??子育ては夫婦単独で、主に母親が担うことになった。
 社会資源が乏しい中、妊娠・出産・子育、教育を含め、女性・母親の負担が増大。成長とともに教育費の負担が増大した。
 大学進学率は高まり、塾や予備校も含め教育費は子育て費用の中心となる。子供は一人又は二人程度。
 教育費の一部にするために母親がパート勤務などに。この時代、「親の中に子供がいたが、子供の中の父の影はどこかに行ってしまった」。
 とにかく、女性の負担が大きかった時代。子供はせいぜい二人が限度。出生率は1.3程度で改善しない。

 子供一人あたりの養育期間は22-24年程度

??長期的には日本は低成長時代を迎える。子育てにも当然影響を与えることになろう。

 時代とともに親世代と子供世代の関係が変化した。親にとっての子育ては生物としての喜びであるが、子供からの見返りはほとんど期待できない。

 だから、どんなに政治家が騒いでも、メディアが騒いでも、出生率は1.3程度で改善しない。


6/18(金)快晴暑い 大曲中通病院外来 飯川病院ボランティア
1:00起床、文献・新聞チェック入力。何時ものごとく、5:00可燃ゴミ廃棄。ダリアに給水、2本ほどツボミが見えた。数日で開花か。7:35Taxi駅東口に、8:11こまち。先頭車両は3人。9:15大曲外来,往徒歩。秋田駅飯川病院徒歩。ボランティア。新聞チェック。19:30帰宅、夕食、21:00就眠。歩数計8090歩。

日本の人口(2021)(2) 政府は具体的対策を取らなかった
 出生率の目標値をあげたとしても「産む産まないを決めるのは個々人に任されるべきであって政府が口を出すべき問題ではない」、という考え方は、第二次世界大戦前までの日本ならいざ知らず、近年では定着した考え方である。だから、こんな数値をあげても影響を受ける人はいない。

 そんなことよりも何で出生率低下が生じたのか、を考えなければ解決しない。いや、考えても解決しない。もう遅い。
 私は、人口問題は文明の発達に伴う自然の流れであり、流れに逆らうことはできない、と思う。

 例え、ドラスティックな環境整備、経済的支援をして、妊婦、出産前後の女性を保護し、子育てを支援し、教育費を補助したとしても、微々たる効果しか期待できない。
 ましてや今の日本はそんなことはできない。だから、人口問題は解決しない、と思う。
 だから、7000万人時代に見合う社会を構築するよう発想の転換を考えたほうがいい。これについても政府には具体策はないようだ。

 少子化の最大の要因は、未婚化・晩婚化。非正規社員を中心に雇用が不安定になり、将来への不安が高まっている。出会いの機会も減っている。こうした状況に、COVID-19の流行が拍車をかけたのは間違いない。

 次の代表的原因は、現代の若い男女にとっては子供がいなくともそれほど困らない、ということ。子供を持つことの意義と子育てに楽しみを感じている夫婦にとってすらも、子供は1~2人で十分であり、もう一人欲しくても子育ての人的負担と経費、特に教育費の負担が大きくなりすぎて無理、と言う。

 何で人は子供を産むのか?何で産まなくなったのか?そこから考えなければならない。
 思いつくまま人口問題の推移を挙げてみる。
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??人類の発生。生物としての繁殖能・種の保存能のもと、新生児高死亡率による多産多死を乗り越え、人類が存続してきた。
??社会化と共に、種族・部族の維持繁栄のため多産傾向強まる。
??農耕文化の発展とともに種族・部族としてマンパワーの必要度高まる。
??蓄財が始まり、貧富差が生じた。直系の血筋を重視する家族、家の概念。
??貧富差の拡大、上層階級は血筋重視、下層階級は子供は労働力として必要となる。
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??安政の不平等条約の屈辱から、明治以降は富国強兵策を掲げ、国家の意図的な出産・育児・教育政策が画策され、人口が急激に増加。
??明治時代には管理体制として「家」制度が再編成・強化され、女性には「家」を守るために男児の出産を半ば強要。
??明治以降の農業生産力の増大、工業化による経済発展と国民の所得水準の向上と生活の安定、公衆衛生水準の向上等で、人口は増加の一途。
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??軍国主義的人的資源の増強によって、女性に男児の出産が奨められた。
??国は、資源が少ないことから将来経済的に一層窮乏していくと考え、国外に食料、エネルギーを求める大東亜共栄圏構想へ。このことで日中戦争・第二次世界大戦に進展していくことになる。


6/17(木)快晴 終日飯川病院 
1:00起床。録音他各種データ整理。4:30外周り、ダリアに散水、特に問題なし。家内に同乗、9:00飯川病院勤務、院長大学病院受診のため。午前外来、午後入院患者対応、検食、微睡、散水など。19:30帰宅。夕食、21:00就寝。歩数計5365歩。

日本の人口(2021)(1) 第一次ベビーブーム直後から危機の指摘があったのに
 約60年前の、第一次ベビーブーム直後から日本の人口問題に危機の指摘があった。しかし、政治家、産業界、教育界の誰しもが注目しなかった。ここまで放置しといて、今更慌てても、少子化、出生率の減少はどうにもならない、と思う。

 日本の少子化が止まらない。合計特殊出生率は2020年に1.34となった。低下は5年連続で、07年以来の低水準である。出生数は約2万4千人減り、84万832人と過去最少を記録した。21年は80万人を割るおそれが強まっている。

 国にとって少子化は社会の全ての分野に影響を与える。
 出生率の低下や出生数の減少を、このまま放置することはできない・・・、と今更ながら政府、自治体、経済界が騒いでいる。もう遅い。

 人口増政策は時代の流れと自然の摂理に逆行する施策であり、安倍政権が2014年人口減対策の考え方をまとめた文書に、出生率1.8を「目指すべき水準」と記した。これに対し「出産の押しつけだ」等とメディアは騒ぎ、政権の方でも「数値目標ではない」と躍起になって説明しているようだ。「出産の押しつけだ」などと騒ぐ方がおかしい。出生率1.8など掲げてもそのために子供を産もうという女性がいるのだろうか。まさか!! と思う。
 何で出生率1.8に設定したのかがよく分からない。おそらく日本の人口はこのままでは50年後に7000万人程度になることが考えられるため、人口1億人を維持するために「当面は出生率を1.8程度を目標にしておく」と唱えたのであろう。

 日本の人口の将来像は第二次ベビーブームが落ち着いてしばらく経った頃から専門家の中では予測され始め、出生率の低下傾向の推移から将来日本が迎えるであろう状況は60年以上も前から予想されていた。国力の維持は人口数の維持が基本である事は確かである。ところが当時政治家、産業界、教育界の誰しもが注目しなかった。ここまで放置しといて、今更慌ててもね、と思う。

 まず、なんで7000万人程度ではダメなのか。そうなると日本はどうなるのか?
 私はかねてから人口問題に関心があったから凡そのことは理解しているつもりであるが、政権の文書の中に出生率1.8と具体的に出すなら、なんで7000万人ではダメで、1億人ならいいのかの考え方を具体的に提示すべきである。

 次に、何で出生率が減少しているのか?その分析結果も提示してほしい。

 私でも出生率の低下原因に関して20項目程度の要因は挙げられる。
 その内の代表的原因は、現代の若い男女にとっては子供がいなくともそれほど困らない、ということ。子供を持つことの意義と子育てに楽しみを感じている夫婦にとってすらも、子供は1~2人で十分であり、もう一人欲しくても子育ての人的負担と経費、特に教育費の負担が大きくなりすぎて無理、と言う。

 それに、日本は出生率が低くて国が維持困難になろうとしているのに、妊婦や子連れに対して世間の目は一般的に冷たい。社会が人口減問題に目覚めていない。妊娠・子育て期間中の母親はひたすら忍従を強いられる。子供ができるまでは共同作業であろうが、子育てに夫の協力も得られ難い。社会もそれをサポートしてくれない。これでは女性は大変である。この困難な時期を乗り越えた女性のほぼ全てが困難を自覚して居るはずなのに、喉元過ぎれば・・・と関心を持たないし、発言もしない。

 この、子供がいなくともそれほど困らないという考え方、子育ての負担を負いきれないと考えに対してどのように対処していくのか、また、「結婚、出産に関する国民の希望が実現すると、出生率は1.8程度に改善すると試算した」というが、これこそが至難事項である。どう対応するのか。

 私は、日本の人口危機をあらゆる策を総動員したとしても日本の人口数を維持する事はもうできない、と思う。


6/15(火)午前曇り午後快晴 中通病院外来 飯川病院  
0:30起床,いつもと同じ、5:30可燃ゴミ、ネコ対応、6:47バス飯川病院。8:45-12:45中通病院外来。13:15飯川病院へ、微睡。14:00-18:45飯川病院勤務。入院患者対応なし。19:30帰宅、夕食、20:30就寝、歩数計8968歩。

季節の話題2021(13) 家庭菜園・園芸(1) ダリア(1)
 今年、ダリアを昨年同様、住宅の前のスペース4辺のうち3辺に、およびに2ヶのプランターに合計34株植えた。

 ダリア栽培は今年まで10余シーズン経験している。
 球根の保存は難しい。まだ試行錯誤的である。昨秋掘り起こした球根はダンボールに入れ凍結を恐れ居間の隅で越冬させた。3月6日状態を確認したが、一部はカビがつき、一部は腐敗、過乾燥状態、一部はすでに発芽するなどいろいろであった。
 昨年は過乾燥状態になっていて発芽するかわからない状態であった。今年はそれを反省し居間の窓際で保存した。居間の暖房のためだろう。ちょっと失敗したか?と今年も反省した。
 
 昨年は過乾燥で半ば諦めていたが、仮植えという新しい手法を導入したところ予想外に発芽した。今年もこの手法をとることとし、4月8日に花壇の一角に条件のいい球根を10数ケ選び、腐葉土を中心とした柔らかな土に仮植えした。
 5月上旬に一部から発芽が見られ、15日過ぎには全株から発芽した。5月26日から仮植え球根を掘り出し、球根の状況に応じて分株し、6月上旬までかけて順次本植えにした。

 本日の段階で32株に分株され全株が発芽した。今年は株ごとの成長状態が様々で。最も早い株にはツボミがついた。


(庭の南側のダリヤコーナーの現状 成長の早さは様々)


(もうツボミがついた どんな花が咲くか楽しみ)

 お盆頃には居間から見るとぐるっとダリアに囲まれたようになるだろう。楽しみである。
 
 ただ、今年の問題点は、越冬直前までは株の名前、花の色を記録し、各々に荷札をつけていたが越冬中に荷札が劣化して判別不能となった。だから、今年は開花してみないと分からない。別に名前などどうでもいいのだが、管理上失敗してしまった。荷札がわりになるプラスチックのカードもあるというので次はそれにする。

 各々はいずれも見事な花を咲かせるが、花を咲かせることはそれほど苦労はない。土と、日光と水、それに肥料の威力は絶大である。
 ダリアは短期間に急速に成長するから茎は中空で風に弱い。特に大輪の花は自立さえできないのもある。支柱をうまく使う必要がある。

 強風が予想されるときには支柱を追加し、ビニールテープで根元から花の位置までグルグルと簀巻き状態にして枝折れを防ぐ。
 ダリアの世話は休日が中心であるが、休日は飯川病院の日当直に当たることが多い。その日が良い天気だと心穏やかではない。

 幸い、全株ほぼ順調に成長している。早い株はもう蕾をつけ始めている。我が家のダリアのシーズンの始まりである。今年もなんとかここまで来た。


6/14(月)晴れ 健康クリック 飯川病院 
0:30起床、いつもの如し。データ整理、一部廃棄。5:00畑に散水。6:47バス飯川病院。9:00-11:30健康クリドック14名+結果判定。11:45飯川病院へ、微睡、14:00から業務、入院患者対応。散水昨年ハイビスカス2鉢外に。19:00帰宅、夕食。20:30就寝。6671歩。

終活2021(6)  私は物欲が少ない方だ、と思っている(2)
(10)面倒くさがり(○):物欲がない人は面倒くさがり屋の性格も持っていて、世間に興味を持つことも、他人に興味を持つことも面倒という。 私の場合は、興味ある部門には労を惜しまないが、それ以外はだめ。人が多いところ、旅行や行楽がその最たるもの。

(11)マイペース(○):全て自分のペースで進める。ただ、そのタイミングはワンからツーテンポくらい遅れてしまう。物品の購入などを提案すると家族から「何を今更・・」と呆れられることも多い。

(12)単独行動を好む(○):現在の医療はチーム医療が求められる。私の場合は仕事の面でも誰かと一緒に進めるのは苦手であった。 よく総合病院の内科で働いていたな、と思う。一方、同僚には迷惑をかけた。

(13)平和主義(○):誰かと争う、競争することは好まない。私の場合はその場を回避するか、自分が我慢する道を選ぶ。我慢することには慣れている。

(14)リアリスト的性格者が多い(○):物欲がない人は、先を見据えてより安全な道を選ぶ、とされる。私の場合は予想できる困難には、あらかじめ準備し対策を考えている。要するに臆病なのだ。

(15)精神面での満足を求める(○):私の場合は物にこだわることをせず、精神面での満足感を求める。自己研鑽といえばかっこいいが、昨日とは違う自分でありたい、と思う。

(16)自分の物欲の多くはすでに達成されている(○):物欲は少ないからほぼ達成している。

(17)物品はコストパフォーマンスを考える(○):例えば、時計など興味がないから100円のでもいい。時間は大事にする。気に入った分野の品にはそれなりのコストを惜しまないが、どうでも良い分野の物品は旧製品、中古品でも十分満足できる。使用中に故障した際などには可能な限り修理して使い続ける。

 どなたの案かはわからないが、某誌に掲載されていた物欲についての記事に私自身の性格や状態を当てはめてみた。それによると私は物欲が少ない方だ、と判断できる。
 根拠は乏しいが、この結果をバネに終活を一層進めたい。


6/13(日)晴れ 畑園芸関連 草刈13回目2巡目終了
1:10起床、徒然など。データ整理。8:00庭、畑のケア、散水。草刈13回目2巡目終了。庭の樹木の枝払い。11:00作業終了。座学に・微睡。13:30DIY店、ねぎ苗、グリ墓用のクレマチスなど、電動のこ替え刃購入、培養土購入。ネコ部屋天井に通路作成、玄関に手すり作成。17:00書斎で新聞チェック、録画でルーブル美術館など、19:00夕食。20:30就寝、歩数計12797歩。

終活2021(5)  私は物欲が少ない方だ、と思っている(1)

 物欲は誰でも持って居るが、その強さや求めるものは人それぞれ、と言われる。

 物欲は、個人の置かれて居る環境、例えば経済力、権力の有無でも変わってくるが、ある本を読んでいたら物欲が少ない人には生活や性格に一定の傾向がある、と述べていた。
 引用文献については記載がないために誰が考えたことなのかわからないが、参考になるためにそれを引用し、それが自分にも当てはまるかをチェックしてみた。

 自分に当てはまるのは(○)、当てはまらないのは(X)とした。

――――――――――――――――――――――――――――――-
(1)貯金ずき(X):私の場合は無駄遣いしないし浪費もしない。利殖など興味がない。働くことが一番。年齢の割に仕事に恵まれているので貯金などに関心もない。現役退職後の10年間、私の金銭関連の全ての管理は家内に奪われており現状についてどうなっているか不明。
 
(2)冒険しない(○):現状維持を好み、敢えて冒険しない。リスクを負うことが嫌い。チャレンジしようとも思わない。
 評価がわかるまでは新しいことを受け入れない。複数の人が安全、と勧めてくれるまで行動を起こさない。物品ならそれまで買わない。

(3)世間に疎い(○):自分の世界の中だけで生きていて、世の中のことをあまり知らない。特に、最近流行っていることに対してまったく興味がない。知りたいとも思わない。私は衣食に関してはノータッチなので、たまにスーパーなどに行くと食品の値段を見てびっくりする。

(4)他人に興味がない(○):興味があるのは自分だけ。「自分は自分、他人は他人」と思っている。私は「自己満足男」と自認している。他人の持ち物を羨むことはない。
 
(5)もの持ちがいい(○):使い慣れているものをいつまでも大切に使い続ける。他では代用が効かない。例えばボールペンなどは芯だけを購入して長年使っている。車は22年も用いた。 服装に関して擦り切れるまで着る。家内にはみっともない、と言われる。面倒なのでいつも作業服を着ている。

(6)一人でいることを好む(○):他人と話が合わない。人と一緒にいても苦痛だけ。だから、友人もいない。

(7)いつも忙しい(○):自分の生活に、趣味にやりたいことが詰まっておりいつも忙しい。いかに少なくするか、思案中。

(8)こだわりが少ない(X):物欲が少ない人はこだわりが少ないという特徴があり、他のもので代用ができるという柔軟性を持っている、という。 私の場合は真逆で持ち物、愛用品に対してのこだわりは強い。

(9)食品にこだわりが少ない(○):この性格は明確という。私の場合は、質的にも拘らず、身近な安価な食品で満足する。 賞味期限・消費期限などにもこだわらない。

(次に続く)


6/12(土)晴れ 当直開け午前フリー、午後飯川病院日直 
1:10起床、随想読み、徒然など。映像データ整理。9:00書店訪問、12:30-19:00飯川病院午後日直、患者は落ち着いている。微睡後外作業の追加。16:30以降は座学。小説読み、視聴する。データ整理。19:30帰宅夕食、21:00就寝。歩数計4846歩。

終活2021(4) 生まれた時には何も持ってこなかったのに・・・・
 私は生まれた時には何も手に握ってこなかったし、その頃は物の所有欲などは一切なかったのに、75年余生きて来た結果、今は物に囲まれた生活をしている。
 なんでこんなことになるんだ?

 いや、それでも私は物欲は少ない方、所持品は少ない方だと思う。
 それでも、何故、こんなに物品を所持してしまったのだろうか?

 まず、人間は成長とともに理性では抑えられない、本能的な欲求を備えていくと考える方が楽である。
 生きるために飲食する、家族や大切な人を守る、恐怖や危険から逃れたいとか・・・。
 人間にはこういう本能的な欲求がいくつもあって、 その中に「人生を楽しみたい」という欲求がある。この欲求自体がなければ、向上心が生まれない。
 人は道具を使って生活を豊かにする。今より良い生活を望むからこそ、現状の状態に不満を抱くようになる。人間の本能に、この欲求「向上心」が組み込まれているということ。

 心理学者A・マズローは「欲求階層論」という考え方を提唱している。これは、人間は、ある欲求が満たされると、より高次の欲求を満たそうとする、という。人間の欲求は、「生理的欲求」、「安全への欲求」、「社会的欲求」、「自我欲求」、「自己実現欲求」の、低次から高次元までの、5つの階層をなしていて、低次元の欲求が満たされれば次のレベルの欲求へと移行する、とした。だから、人間の欲望には限りがない、ということ。

 確かに人それぞれ物欲の強さが違う。それは個々が生まれ持った欲求、後天的に備わった欲求の強さの現れともいえる。 それは人生のステージでも異なり、経済力でも大きく異なり、権力を行使できる状態か否かでも異なる。

 人間は他の生物とは違う。人生を楽しみたい、という欲求自体は、 人類全員が持っている。だから、それを具現していくために物欲が消えることはないだろう。

 物欲を満足させるには、ストレスが蓄積したときに買い物をするというのは、一番手っ取り早くストレスを解消できる方法である。なぜなら、代価さえ払えば欲しかった品がすぐに手に入り、 自分が思ったレベルの結果がすぐ得られるから。 しかしながら、衝動的に欲しい物を入手したとしてもその幸せ感は一般に短時間である。

 私は、どうなのかというと、欲しい物を衝動的に手に入れる事はしない。熟慮してから決断する。


6/11(金)快晴 大曲外来 飯川病院ボランティア+当直
1:00起床,新聞文献、徒然など。5:30可燃ごみ提出。6:00頂きダリア5株本植え、これでダリアの本植えは全て終了。散水。7:35Tax駅に、8:11こまち。9:10大曲中通病院外来。駅病院間往徒歩。書店訪問。15:00飯川病院ボランティア。17:00当直、18:00検食、20:00就寝。Σ7834歩。

終活2021(3) 書斎兼オーディオルームにCDが一枚もなくなった
 2011年の東日本大震災は私の生活への見直しのきっかけとなった。特に津波で破壊された街の様子、瓦礫の映像は衝撃的であった。
 私が特に意識して収集してきたのは書籍と音楽のソース、再生装置であった。それで震災以降は「もういい、もう十分だ!、もう持ち続ける必要はない」,とこれらの物品を中心に整理し始めた。

 オーディオ機器の整理は震災よりはるか前の2000年頃から徐々に開始していた。音質追求に限界と虚しさを感じたからで、超重量級のプリアンプ、メインアンプを廃棄し、最後は2019年のタンノイスピーカーGRF-memoryの処分で一段落した。私が半生かけて追求してきた重厚なサウンド再生と完全に別れを告げた。

 私のオーディオシステムは重量級から片手で持てる程度の超軽量のミニコンポに代替わりした。ちょっと寂しかったがずいぶん身軽になった。音も軽く軽薄になったが、実際にはこれでも音楽を聴くには十分である。真摯に聞きたいときはパソコンまたはスマフォを介してヘッドフォンで楽しむ。

 CDの処分は2017年に終了、レコードの廃棄は2020年に終了した。
 CDは廃棄する前にデジタルデータだけをパソコンでMP3化したので具体的に失ったのは光り輝くディスクのプラスティックの塊だけであった。

 レコードはアナログでありデジタルに変換してデータとして保存してから廃棄する、という方法もあったが、ずいぶん時間がかかる作業であり、レコードの枚数と私の残り少ない余命を考えるとそんな時間はなかったのでビニール系樹脂の塊と捉えて一気に廃棄した。

 最近までかかったが、私の書斎=オーディオルームの簡素化は、書籍もCDもレコードも一切なくなった。これらに関してはかなり目的を達成した、と言える。

 代わりにメインになったのはTV番組の録画装置である。私が使って居るTVチューナーには大容量のハードディスクが内蔵されており、12倍速の通常の録画ではびくともしない。週末などには書斎でこれらを鑑賞する。美術館巡り、各種のコンサートの記録は私にとって有用である。美術品はもちろんであるが、演奏会記録も画像がある方が演奏者の表情がわかるのがいい。これはレコードやCDを凌駕するメリットである。

 物品が少なくなったこの書斎はとても落ちつく。しばらくこの貴重な時間を楽しみたい。


6/10(木)快晴 午前フリー 飯川病院 
1:30起床,文献整理。いつもの如し。8:00外仕事、畑は根の固定、キウリつるガイド。ダリア追加本植え。グリフィス埋葬。頂きダリア5株のうち3株本植え。11:52バス飯川病院、微睡。14:00勤務、入院患者対応。19:15通町書店経由帰宅、夕食、21:30就寝。Σ10548歩。

終活2021(2) 書斎に書籍が一冊もなくなった
 書斎を横切るのも大変になったので、この際、書籍のほとんどを処分することにした。
 その決断の背景には東日本大震災が大きく関係している。この書斎の状態で大地震が生じたら、書斎自体がメチャメチャになるだけでなく、書斎で仕事中に大地震でも起こったら私自身のいのちも危ない、と自覚したからであった。

 そうは言っても私は本を捨てられなかった。
 私が採った方法としては、書籍そのものを所蔵する暮らしから、書籍を電子化しデータを保存する、そういう新しい発想に踏み出した。
 蔵書のデータ化に具体的に着手したのは2011年夏、東日本大震災から数け月後であった。それだけ被災地の瓦礫のインパクトが大きかったからである。

 時期を同じくしてMac用のドキュメントスキャナーが富士通社から発売になり、私は飛びついて購入、現在に至るまで大活躍している。初期型から現在は3代目の機器医を用いている。スキャンは両面可能で一層高速になり、200ページほどの文庫本なら2分ほどで電子化できる。

 大学時代に読んだ書籍、自宅新築時までに購入した書籍の大部分は段ボールに入れてガレージの2Fにまとめてあった。それらも含め、現在に至るまでほぼ連日数冊ずつ作業を進めた。
 私の書籍としては90%ほど電子化しことになる。優に1000冊は超えるだろう。例外的に残してあるのは美術系の画集で、これは電子化に向かない。

 今でも書籍は月に15冊ほど購入する。それらは数日中にデータ化されパソコンとiPadに保存され、書架に並ぶ事は一切ない。
 結果的に本で溢れていた私の書斎から全ての本が消えてしまった。

 さりとて私は電子書籍で購入するのは好まない。今まで電子書籍は10冊程度しか購入していない。ほぼ全て紙の書籍を購入し、自分で裁断して電子化する。この作業は自炊と呼ばれるが、楽しいし、自分でやらなければ著作権法に抵触する。もちろんデータを他人に提供してはならない。

 書籍の電子化で重たい書籍との戦いは終わった。
 データを400g程度のiPad miniにうつせばいつでも読める。書籍の全データは200gほどのハードディスクに収納し、3重にバックアップも取って厳重に管理している。

 私はパソコンなどの電子機器を気軽に操作できるわけではないが、この程度までならなんとかなる。いい時代に生まれた物である。


6/9(水)快晴 午前フリー 草刈12回目 飯川病院 グリフィス死す
1:15起床,文献読み、データ整理中心、いつもの如く。4:30畑見回り。8:00草刈り12回目、昨年ネギ50本植える。11:50バス飯川病院、14:00勤務。入院患者対応、肺炎球菌ワクチン接種。19:30帰宅、夕食、20:15慢性的摂食不良で衰弱していたグリフィス死す。21:00就寝。Σ7458歩。
 
終活2021(1) 所持品整理
 私は幸せなことに自宅に12畳ほどの広さのプライベート空間を持っている。いわゆる書斎という部屋である。
 一時は9人が同居していたが、子育てを終え今は少人数の家庭になった。我が家は8LDKらしいが、2部屋は物置と化している。
 家族と言え、家内とは互いを思いやれる距離を保ちながら別々過ごす場所があるのが理想である。さらに、別々でもいいし一緒でもいいが一緒に費やせる時間も豊かにあれば一層いい。だがその面ではまだ不十分。

 書斎を持っていたから、書籍に囲まれ幸せを感じ、音楽好きであったから音響機器、レコード、CDとかに囲まれ実に幸せであった。
 加えて私の場合、書斎スペースの一角は木工などの作業・工作場を兼ねていて簡単な電動工具などをがそろっている。これまた幸せである。
 それでも実際には自分用の簡易ベットがあり、用いている事務机も大型なので意外とスペースに余裕はない。そうそう、大型の仏壇もある。
 比較的広いと思っていた書斎も歩くスペースにもこと欠くようになった。

 私は特に贅沢品を好むわけではない。生活用品は並なものでいい。ただ、物を捨てられない。特に、知的とされる分野、書籍、音楽ソースなどは収集癖もある。

 1965年(昭和40)年大学に進学してから狂った様に本を読んだ。社会に出てからは生活費を切り詰めてまで書籍の購入、オーディオ関係の機器、音楽ソースの購入に充てた。
 それらの一部は書斎をはじめとする書架に並べてあったが、並べきれないものは箱詰めにしてガレージの2Fに積み上げていた。
 要するに、もう滅多に利用しない物に囲まれて幸せを感じていた。

 私の家はゴミ屋敷に近い!! それを意識したのはやはり加齢である。家内など、「こんな状態ならば100歳まで生きても収集してきたものを味わいきれないでしょう・・」を脅す。その通りである。
 もう一つの切っ掛けは、東日本大震災の被災地の様相であった。生活者の全てが「いのち」を含め一瞬にして瓦礫と化した。その現実は見るに忍び難かった。従来の生き方を見直した。

 我が家が津波に襲われることは日本沈没以外考え難いが、私の脳裏からはあの様相が離れない。
 それで身辺を整理することとした。

 断捨離という流行語があった。その意味は、■1. 断:入ってくる不要な物を断つ、■2. 捨:家にずっとある不要な物を捨てる、 ■3. 離:物への執着から離れる、こと。
 すなわち、物への執着から「離れる」ことにより、「もったいない」という固定観念に凝り固まった心を開放し、身軽で快適な生活と人生を手に入れようとする考え方である。その方向には同調するが、断捨離はヨーガの行法の言葉が由来であり、私にはしっくりこないから使わない。 また、■1. 断:入ってくる不要な物を断つ、は馴染まない。私は今でも月に15冊ほどは書籍を買い込んでいる。


6/8(火)晴れ曇り一時雨 中通病院外来 飯川病院ボランティア 
1:15起床,新聞・文献チェック、他。5:00可燃ゴミ廃棄せず。6:47バス飯川病院へ、8:45-13:00中通外来。中通病院院長交代があった。秋大第三内科から赴任の奥山医師。13:15飯川病院へ、微睡、14:00ボランティア、データ整理・新聞チェック。19:20帰宅、夕食、20:30就寝。Σ7944歩。

本 帚木蓬生:「沙林」 偽りの王国(3) 帚木氏の怒り
 地下鉄サリン事件から25年、今でも多くの方々が視力障害などの後遺症を抱えている。
 日本ばかりか世界をも騒然とさせた地下鉄サリン事件。まるで全容の見えなかった松本サリンと併せて、あの事件は、全てがショッキングな出来事であった。

 地下鉄サリン事件を扱った本としては、村上春樹氏の「アンダーグラウンド」と「アフター・ダーク」が忘れ難い。二冊とも、事件に巻き込まれた多数の人たちのインタビューで構成されていた。
 村上氏が、人間のもたらした闇を人間の立場から、帚木蓬生氏は精神科の医師の立場から化学兵器に於ける毒性と治療という観点から事件が再検証している。
 化学テロという歴史の汚点の解明者として、両氏の作品とも最後には人間の「いのち」に焦点を絞っている。犠牲者たちの上に連ねられた文章の重みがあまりに痛々しく、そして凄まじい。

 平成の時代の日本に於いて、狂った集団によって箱庭的な「偽りの王国」が造られようとした事実を忘れてはならない。

 化学兵器のサリンが世界で初めて用いられたのは1994年6月の松本サリン事件であった。翌年3月東京地下鉄サリン事件、6000人以上が被害を受けた。
 当時メディアは事件を詳細に報じ、裁判でも長期にわたって裁かれた。しかし、全体像は未解決であった。
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 ■結局は金集め。
 ■高学歴者の洗脳。殺人兵器作成と実践
 ■事件は各所で起こったが、警察の捜査に横の連携を欠いていた
  坂本弁護士事件 神奈川県警
  国土法違反 熊本県警 
  松本サリン 長野県警
  公証人殺害 警視庁 
  上九一色村 山梨県警
  教団本部 静岡県
 ■松本サリン事件が適正に勧められていれば、地下鉄サリン事件は防ぎ得た。
 ■オウム関連では29人の死者、6500人超の負傷者が生じた。
 ■192人が起訴され、死刑が13人、無期6人、実刑81人、執行猶予付き懲役87人、罰金3人、無罪は2人のみ。13人が2018年7月に死刑が執行された。
 ■未解決は重松警察庁長官殺害未遂事件、村井秀夫殺害事件。オウム関連事件はまだ解決していなかった。それを政治が力で葬り去った。
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 人は洗脳されやすい。高学歴の専門性などは何も役に立たない。偏狭であればあるほど洗脳され易い。人間にはこの洗脳の問題は付いて回る。教育の名を借りた洗脳もある。

 尊師が与えたホーリーネームは教祖への帰順の証になり、個人は分断される。分断された宗教心は伝播しやすく疫病的になりその教えは正当化される。

 帚木氏は、評価すべきは医療機関の奮闘であったと説く。オウムが起こしたの傷害事件では原因物質もわからず治療法が不明ながらも最大限の知識を導入し、救命に当たった。我が国の優れた医療の実力が示された。


6/7(月)晴れ 健康クリニック 飯川病院
1:00起床,いつものごとし。データ整理ほか。5:00庭畑見廻り。散水。6;47バス飯川病院へ。9:00-11:15健康クリニック、ドック12名。結界判定14名。11:15飯川病院、微睡、14:00-19:00勤務。入院患者対応。当直医来院を待ち19:10帰宅、夕食、21:15就眠。Σ6655歩。

本 帚木蓬生:「沙林」 偽りの王国(2) オウムとは?? 死刑執行が悔やまれる
 帚木蓬生著「沙林 偽りの王国」を読み終えた。読後感想はオウム事件についてやっと出会えた良書の一つ、ということ。この分野の書籍にはかなり目を通した私の感想である。

 主人公を神経内科専門医である九州大学医学部衛生学教授に設定し、その視点でオウム真理教による前代未聞な犯罪を、改めて展望し直したドキュメントである。
 本作はエンターテインメント性を重視する小説という立場からは大きくかけ離れているとのイメージ。オウム真理教に関して知り得た知見をできるだけ記録し、世に残しておこうという執筆の意図が濃厚に感じ取れる。数々の毒ガス、細菌兵器関連に関して、詳細な神経障害について医学者・科学者としての分析を加えた多数のページは、通常の小説の姿を求めた読者には腰が引けるだろう。

 この洪水のように押し寄せた情報を整理できる優れた情報処理能力、全体像を鳥瞰する力、加えて必要なディテールへの踏み込み、科学的知識には舌を巻く。そして、それをわかりやすく読者に伝える能力には圧倒的な力量が必要だが、それには常人離れした能力が必要である。この著者はそれを成し遂げている。

 今回の作品は、あくまで医学者としての眼で全体を俯瞰し、総体的・歴史的にオウム真理教がやったことの全体像を見直す形で、本書を綴っている。他に、当時の新聞報道や、裁判記録などにも触れている。裁判に関しても「教祖出廷」から始まり「証人召還」までの法廷場面において、主人公と弁護人の間でかわされた不毛と思える質問と答弁まで詳述している。
 改めて全貌を多角的に振り返る作家としての技術が読者を駆り立てる。
 この事件は、関わった人の数や時間だけでも相当なボリュームを持つゆえに、相当の集中力と準備時間を窺わせる苦心の作となっている。

 オウムが起こした事件は、多くはメディアを通じて知っているつもりと思い込んでいたが本書をよむとそれも自己満足に過ぎなかった、と思い知らされる。
 
 犯罪を糊塗するためにより大きな犯罪を繰り返す教祖は、巨大なエゴを持ちながら、若者達を駆り集め、王国を作り上げた。
 いずれ崩壊していくことは自明の理であったし、首謀者らには死の結末が待っていることも予測できたが、それでもブレーキをかけることはなかった。

 未解決の国松警察庁長官狙撃事件、幹部の重鎮を口封じのために殺害した事件などを含め、まだまだ解決していなかった。にもかかわらず、内情を知る幹部13人の死刑を急いでしまったことで、事件の一部は闇に葬られた。また、多くの犠牲者、その家族は深い哀しみを残したままとなった。

 だからオウム関連事件はまだ解決していなかったのだ。
 それを政治が力で葬り去った。
 このやり方で多くの疑獄を処理してきたが、我が国の政治の一つの特徴なのかもしれない。桜を見る会、森友加計問題他もいずれはこの様に処理されるのだろう。


6/6(日)快晴 温暖 畑、庭など中心 
 1:00飯川病院にて起床、通常の作業、新聞チェック、読書ほか。録音データ整理、自炊データ整理。家内達は本荘に。9:30秋田駅映画館など、13:00帰宅、微睡、花壇、畑に散水など。ダリア周辺草刈り11回目。16:00書斎で音楽関連の録画整理。新聞チェック、19:00夕食。21:00就眠。歩数Σ4810歩。

本 帚木蓬生:「沙林」 偽りの王国(1) 新潮社 2021年 2310円 やっと出会えた良書

 (500ページ余の大作「沙林」 名称の由来は台湾語だと言う)
 1995年03月20日、オウム真理教が起こした地下鉄サリン事件は日本の犯罪史上得意な意義がある。この事件は、我が国初のテロ事件でもある。
 オウム事件はまだ十分に解明されていないが、関係者13人が死刑になってその解明の道は閉ざされた。
 化学兵器サリンが世界で初めて使用されたのは1994年の松本サリン事件であり、大量殺人を目的として用いられたのは翌年の東京地下鉄であった。教団が置かした梶数の犯罪の全貌を探ろうとした本書の意義は大きい。

 サリンほか化学兵器、生物兵器などについて驚くほど詳述している。
 今までオウム真理教については洗脳や教団の欲望のように人間的面から追求した作品は数多く出版されている。そのうちのかなりの作品を読んできたが、本書は科学・化学的側面を加えての教祖の欲望むき出しの集団の闇が一層明らかにした。この様なアプローチは、精神科医師である作者だからこそ為し得たことと大きく評価したい。

 同様のアプローチをした氏の作品に和歌山カレー毒物事件をノンフィクション的に扱った著作がある。「本:帚木蓬生:悲素 新潮社 2018年」である。1998年(平成10年)7月2に和歌山市園部で発生した毒物混入・無差別大量殺傷事件である。 地区で行われた夏祭りにおいて提供されたカレーライスに毒物が混入された事件であるが、この作品ではヒ素と人間との関わりについて紀元前からの歴史、知見も加えて詳述している。ヒ素の神経障害についての記述も詳しく、作者の特筆的作品になっている。

 本書「沙林」は小説に分類されているが、ちょっと抵抗がある。事実に基づいた記述が多いからである。

 「沙林」は、1994年に生じた松本サリン事件から始まる。
 本書の主人公は九州大学医学部衛生学沢井教授で神経内科医でもある。広範な知識から長野県警への協力を通じて一連の事件に関わる。これは前述の「悲素」と同じ構成になっている。

 「地下鉄サリン」、「松本サリン」、「坂本弁護士殺害」、「VXなどの開発」、「教団の修行内容」から「捜査、逮捕」、「裁判」、そのほかの項目について被害状況から治療内容、酷い被害と被害者の声や証言など、あまりの執拗さに読む方が根を揚げそうになるが、作者の労苦を思えば、同じ医師として耐えて読まなければならぬ、と思った次第。なんとか完読した。

 本書は巻末の参考文献を含めて580ページのボリュームがある。参考文献は内外の出版物、学術的文献を広く集めており、そのリストを見ているだけで読みたいという意欲が生じてくる。
 第一次世界大戦後のドイツの「毒ガス兵器」開発、旧日本軍731部隊の「細菌兵器」開発などの人間の所業までもを暴き出す。未読であった何冊かの出版物を新たに取り寄せた。
 
 作家の真実を伝えたいという本能的意欲とオウム事件に対する、国民として、医師として、科学者として、作家としての怒りが手に取るようにわかる作品に仕上がっている。
 私は今、作者の意欲、意図を知りたくて、またオウム事件を一層深く知りたくて再度読み始めている。


6/5(土)快晴 午前園芸、飯川病院午後日直+当直 レセプト点検
1:00起床。文献新聞チェック、蓄積データ整理、その他いつもの如し。午前は庭仕事中心、草刈り10回目、ダリア、畑中心に。12:20家内に同乗飯川病院、日当直に就く。検食、新聞チェック、読書、外来レセプト点検、18:00検食、読書、20:00就寝。8157歩。孫は笹巻き作りに挑戦、宿泊なし。

政府「孤立・孤独対策」に乗り出す(3) 果たして機能できるか?(2)
 政府が「孤立・孤独対策」に乗り出す。私はその動きを評価するが、果たして機能できるか?危惧している。

 「孤立・孤独」は、多くの人にかかわる問題である。決して個人の問題でなく現代社会がもたらした病理の一つである。自己責任論、雇用形態の変化は大きい。したがって、政治・社会の総力を挙げて対策が求められる。

 特に、昨年初頭からはCOVID-19の流行があって、人びとの暮らしを直撃している。失職者も多く、経済的困窮に陥っている人たちも多い。外出自粛などで社会や地域とのつながりが薄れ、悩みや不安をひとりで抱え込むことも少なくない。
 厚労省によると、2020年に自死した人は約2万1千人で、前年より約900人増えた。自死者の増加は11年ぶり。とくに女性が7025人と前年より15%増え、小中高生も計498人と過去最多を記録した。COVID-19禍による孤立や孤独が影響していると考えられる。

 悩みに寄り添い、必要な支援につなぐ仕組みづくりを急ぐべき。
 相談が来るのを待つだけでなく必要な情報や支援を個別に届ける工夫もいる。地域の見守り活動や、居場所づくりも大事になる。

 行政だけでなく、NPOによる電話相談なども多い。活動実績としては後者が勝るような気がする。

 (3)相談しやすいNPOなどの準私的組織
 私の印象では、実際の成果を上げているのはNPOなどの準私的組織である。ここでは地道な努力が続いている。若い世代向けにSNSを使うところもある。ただ、その活動費は乏しく、活動の実態も、その成果もよく知られていない。こうした取り組みを社会で後押ししたいものである。スタッフたちはほぼ同一の価値観にあり、ほとんどが相談の担当員であることが強みだと思う。

 秋田にはNPO法人「蜘蛛の糸」の活動が有名である。自殺率が最も高いとされる秋田県で2002年から自殺対策に取り組んでいる。長年の活動で形になってきた自殺予防の民学官連携、すなわち秋田県、秋田大学、医師会、NPO法人などの連携のもとに取り組む「秋田モデル」が実績を上げつつある。

 (4)相談し難く、相談者の悩みを排除する傾向にある公的機関
 私の印象では、公的医療機関の福祉関係の相談機能はあまり評価できない印象がある。公的相談機関の問題点は、国などの方針を背景に安易に受け入れないという方針があり、相談の窓口に立つ係員は若手が多い。したがって、担当者は経験も足りず、深刻な相談を受けても裁量が殆どない。多忙さもあるのだろうが、頻回に来る相談者は疎まれ、けんもほろろに扱われる傾向がある。

 最近、生活困窮者の生活保護受給の相談は厳しくなり、相談者は人としての尊厳まで奪われかねない扱われ方にショックを受け、以後の相談を諦めるケースも少なくないという。

 報道で見る例は一部の特殊な例なのだろうが、児童相談所の受け入れ体制、警察のストーカー相談などもなかなか受け入れられないらしい。

(5)高齢者の自活の傾向はいいことだ
 上野千鶴子氏等は「おひとりさま生活・・」、「孤独死」などの著書を通じて高齢者の自活に関して意識改革を求めているが、これはいいことだ、と思う。
 ただ、それに呼応できるような方々は「孤立・孤独」からは無縁に近い環境にある方なのだろうと思う。


 抱えている悩みは人によって様々。失業などの経済問題や将来不安、人間関係、病気、暴力・虐待など、複数にまたがることも多い。
 「孤立・孤独対策」においては縦割り体制をなくし、包括的な支援につなげてほしい。もちろん、それぞれの分野で支援の専門家を育成・確保することは大前提となる。


6/4(金)終日降雨 大曲中通病院 飯川病院ボランティア  
1:00起床,文献本読み、新聞チェックほか。5:15可燃ゴミ提出。7:35Taxi駅東に。渋滞で8:11こまちに飛び乗る、先頭車は二人だけ。9:10-12:05大曲中通病院外来、病院・駅間は往復Taxi。秋田も同様。飯川病院ボランティア。19:15帰宅、夕食、21:00就寝。歩数計6736歩。画集ルーブル 、オルセー届く。

政府「孤立・孤独対策」に乗り出す(2) 果たして機能できるか?(1)

 (1)まず一般論として
 政府が「孤立・孤独対策」に乗り出すことにした。私はその動きを評価するが、果たして機能できるか?残念ながら危惧している。
 壁に当たっている人に手を差し伸べるには、時間的にも心理的にも、金銭的にも余裕が必要である。またその解決には権力、経済的バックアップを必要とすることが多い。

 有名人の自殺報道が出るたびに「話せる人はいなかったのか?」、「他に道はなかったのか?」、世にいう識者たちはそのような常識的な役にも立たないコメントを出す。実際にその識者が相談受けたらどう答える?どう応えるのか?その具体的内容を示してほしい。

 (2)私の場合、何も力がないから限界を迎えやすい
 私は外来診療を通じて、孤立・孤独に悩む方々、経済的困窮、生活上の不自由に関しての広範な相談を受ける。その際にはまず話をじっくり聞く。そのためには時間的余裕が必要である。診療途中ではできないから、診療の最後に回ってもらい面談の時間を作る。多くは対話の中で、自ら今後の道を探せるようになることが多い。
 
 しかしながら、悩みの内容によっては私には限界がある。
 私は若干のアドバイスまではできるが、種々の社会的支援が必要な場合もある。そのような場合には院内のMSW (Medical Social Worker)室に紹介し、専門家の判断に委ねる。彼らの判断で社会的支援の道が開けていくことが多い。

 患者が、家庭の事情で生きずらさを訴えてきても、私の範囲では何もできなかったケースが多い。人を助けるにはこころに余裕、社会資源・社会保障に関する知識も広く身についていなければならない。

 (2)相談者たちの気持ち
 この社会には余裕がない。皆自分のことで一杯なのだ。このスピードのある、能率一辺倒の社会をなんとかしなければならない。
 例を挙げる。2019年台風19号が東京を直撃し各所で避難所が作られたが、台東区では路上生活者の受け入れを拒否した。
 弱い立場の命を切り捨てるのか、と義憤を感じてそのニュースを見たが、それ以上に衝撃的だったのは路上生活者達の反応であった。拒否され、ずぶ濡れ状態の彼らの表情に意外と怒りはなかった。「仕方がない」、「自分たちは社会にとって邪魔もの。避難所は納税者が行く場所・・」などの発言が見られた。
 助けを求めても拒否されるという体験が積み重なり、差別に慣れきっている姿があった。

 助けて思っていても人に言えないのは、相談できないのは、支援者への信頼感がないことに尽きる。大事なのは普段からの両者の関係性や環境である。一人一人の顔が見えること、ここは安心して助けてと言っていいんだと思える関係しかない。
 この様な環境を国が主導して作ってくれるのか?


6/3(木)快晴夜半降雨 午後飯川病院 
 2:00起床,新聞チェックほかデータ整理。いつものごとく。5:00ネコ給餌。畑ほか見回り。ほぼ順調。11:50バス飯川病院着。検食微睡など。読書。14:00-から勤務、入院患者処置。録音データ整理、など。19:00帰宅、夕食、20:30就寝。歩数計11238歩。

政府「孤立孤独対策」につ乗り出す(1) いい政策と思う
 政府は本年2月「孤立・孤独対策」に乗り出した。
 社会的不安に寄り添い、深刻化する社会的な「孤独・孤立の問題」について総合的な対策を国が推進する、というもの。
 そのための企画及び立案を処理するため、内閣官房に「孤独・孤立対策担当室」を設置した。この試みは英国に次いで2番目という。
 当初は6月までに提言をまとめる、ということになっていた。間も無く期限が来る。

 私は、現在準備中の「デジタル庁」、「子ども庁」とともにいい政策だと思う。ただ、「子ども庁」とともに問題は複雑で、従来の縦割りシステムを改善しようとする意欲が無い限り、提言の作成さえもかなり困難を伴うものと思われる。「孤独・孤立対策担当室」にそこまで踏み込んだ提言をする力があるのか、ちょっと疑問に思っている。

 今の社会にはいろいろな問題があり、毎日が凄いスピードで過ぎて行く。そんな中、一つのことでつまづくと出口が見えなくなる。我が国の社会では若い時に人生のルートに乗り損ねた場合、なかなか修復、再出発が困難である。結果的に、一人で悩んでしまいやり直すこともできなくなる。
 そんな場合、実行力、決断力のある組織を作り、そのメンバーがじっくり話を聞き、相談に乗る、そしてつながりを保っていくことが一番大切な事だと言える。

 「孤立・孤独」は個人の問題として捉えられやすいが、必ず社会的要因がそこにある。
 そこには文化、文明、時代の流れに他、「政治」によって生じてきたものもある。特に我が国の政治は、「自己責任」の美名の元に多くを弱者に落しめただけでなく、救い上げすらを困難にしてきた。「孤立・孤独」はこの様な政治の結果である。菅総理が過去の政権の方向と問題点に目覚めた??とは思えないが、この検討過程で、日本の政治の問題点そのものの洗い出しも必要となろう。私はその点に大きな興味を感じている。

 まず実情の洗い出し、社会・行政などの種々の要因の洗い出しが必要になる。その際に、厚労省の国民生活基礎調査の指標として「孤立・孤独」の項目を盛り込むのもいいかもしれない。

 「子ども庁」に関して種々の問題点を書き出した。子供の日2021(3) こどもをめぐる諸問題を羅列してみた
 そこにあげた要因と共通するのも少なくない。
 子供達、若者たちには、頑張っても公正に報われない社会が待ち構えている。

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自殺リスク者
家にも学校にも居場所がない
消えてしまいたい
周囲に助けを求められない 助けて、と言えない社会
誰にも話せない、理解されない孤独
LGBTや性被害
何日も食事もしていない生活困窮者
生活保護をためらう意識
暴力、児童虐待、配偶者からのDVなど
孤独死
無縁社会
孤独な育児
孤独感の末に破壊行為

などなど
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 問題点として、支援が必要な人に支援が届き難い実情がある。困難を抱えると助けを求める力が自体が弱くなり、望まない孤独におちいる人たちが増えていく。
 孤独・孤立で悩んでいる人々はそれまで頑張って来たと思われる。しかし、頑張っても頑張ってもどうしようもない状況に追い込まれる時は必ず誰にでもある。

 そんな時はいろいろな方々とつながって、相談することである。それが新たな知を生み出すことにもなる。


6/2(水)快晴 午後飯川病院 歯科受診
1:00起床,新聞チェックほかデータ整理。午前畑仕事若干、歯科受診他。医家美術展は終了していた。12:30飯川病院。入院外来患者対応、本読み、自炊データ整理。19:15帰宅、夕食、20:30就寝。歩数Σ5335歩。

徒歩通勤2021(2) 2回目の日本一周 青森終了北海道に至る
 2013年4月に自転車通勤をやめ、片道7Kmを徒歩で通勤することとした。その際に購入したのが歩数計「新・平成の伊能忠敬」である。
 伊能忠敬の足跡を、ゲーム感覚で日本一周約18.000Kmを地図を作りながら進んでいくという優れものであった。いまだにこれで毎日の歩数を計測している。

 2013年4月7日に東京を起点に北上開始した。
 2020年1月17日、6.8年かかって日本一周を達成した。
 その時の最終的積算データ。 所要日数2.290日目、6.8年。総歩数Σ2.171万歩 (平均9.480歩/日)。歩行距離Σ17.372Km(平均7.59Km/日)。

 この間の歩行距離を抜き出してみた。徒歩通勤開始の当初、1日25.000歩、20Kmにも達したことがあったが、2017年5月歩行平均7.7Km/日、2019年9月時点 歩行平均7.56Km/日と目標には達しなかった。

 特に、2019年あたり1時間余の連続した徒歩は体調不良が生じうるため、全コース徒歩をやめ往路の通勤をバスにした。そのために、天候や業務の都合で自分でボロ・レガシーを用いている機会が増え歩行距離は一層低下した。

 最近では自宅や病院周辺、病院の階段をこまめに歩いて歩数を稼いでいる。

 第1回目は開始約1年後2014年3月の段階で青森県を終了した。積算計はΣ2932Kmを示していた。

 今は2回目の日本一周に挑戦している。
 2回目のスタート日は2020年4月15日だから青森終了まで398日かかった。第一回目より一月半長くかかっている。それだけ毎日の歩数が落ちてきたことを示している。
 現在の最終的積算データ。 所要日数2.982日目、8.2年。総歩数Σ2.777万歩 (平均9.3歩/日)。歩行距離Σ22.219Km(平均7.5Km/日)。

 本日、2回目の北海道の開始である。北海道一周は2750Kmと長い。多分一年以上かかるだろう。年齢を考えるとちょっと気が遠くなる感じがする。

 それにしてもこの8.2年、歩数計を無くさないで、故障もさせないで毎日計測できたことは自分にとっても驚きである。 


6/1(火)曇り午後快晴 外来 飯川病院
1:30起床。いつもの如く。徒然など。大坂なおみ全仏棄権、鬱病だった?音楽の友自炊
5:00可燃ゴミ提出。6:47バス飯川病院。8:40-12:45中通病院外来、院長交代したらしい。13:00飯川病院、ボランティア、微睡、読書、新聞、文献読み、19:00帰宅・夕食。20:30就寝。歩数計8342歩。文庫本自炊化。

退職11年目 この10年の感想 振り返ってみればパラダイス期間 
 「急性期の病院に年寄り医師は不要」、「私の社会的使命は終わっている」、「社会の老害、男性害の一人」、「もう私は医師として有用な役割を果たしていない、必要ともされていない」・・・などと発言した私は、現在も嘱託医師として働かせていただいているが、明和会からいつ契約解除されても良い状態である。
 
 飯川病院の方は病身の院長が在任している間だけは補助したいが、これも病院側の意向次第で明日のことはわからない。飯川病院では作業員としては有用らしい。

 患者以外と会話を交わすこともなく、ほぼ引きこもり状態であるが、私としてはとても有意義な、自由時間が豊かな日々を過ごさせてもらっている。人生の最終コースに入った身にしてみれば、この様な環境が与えられていることは法外の喜びで、感謝以外の何者でもない。

 私は最近、老化や体調不良もあって意欲が乏しくなった。そうはいえど、私は学資負担はほとんどなく税金で医師になったようなものだから、社会に恩義がある。だから求められるうちは働くつもりである。
 
 近況。
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 ■ホームページ:更新が負担になった。今後、更新しない日が増えていくだろう。
 ■徒歩通勤:体調不良もあって全コース歩行は出来ない。伊能忠敬の足跡を辿っての日本一周は、2周目で間もなく北海道に渡る。焦らずゆっくり歩きたい。
 ■通勤の交通:am6:47のワンコインバスに、復路は家内に同乗。
 ■岩手県への復興資金:収入が減ったので若干減額した。
 ■日々のルーチンワーク:録音、録画、新聞スクラップ、文献スクラップ、学術文献スクラップ、書籍の自炊を減らしている。
 ■園芸:野菜、花壇づくりに興味を感じてきた。
 ■視力低下;パソコンの画面を舐めっている感じ。されど、書籍購入、読書は減らしたくない。
 ■運転免許:返上済み。なかなかいいもんだ。
 ■緊張感の少ない生活にシフト:惰眠をむさぼる、ネコと遊ぶ、などなど。
 ■体重コントロール:難渋している。ブタ!!と言われても腹も立たない。
 ■終活:嫌になった。
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 飯川病院の院長は私の家内で雇われ院長である。
 私は病身の彼女を休ませるために居るようなもの。業務をもっと代行してもいいのだが、「外来に出すと患者が減る、入院を担当させれば患者が死ぬ」と言って出させてくれない。

 まあ、いろいろあるが今年度も、最小限の責務しかできないが、果たしていければいい、と思っている。


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   年を通じてワンパターンで淡々とした毎日です。AM2:00-5:00にメールチェック・返事送付、人間ドック(HDD)判定・報告書作成、新聞切り抜き、病院・医師会業務など。
  月〜土曜は6:00頃出勤、HDD報告書印刷、外来書類処理など。病棟回診、HDD受診者とミーティングと診察。8:45-14:00外来とHDD受診者に結果説明。昼食は摂りません。午後は病院業務・医師会業務、各種委員会等に出席など。20:00頃帰宅。
  日曜・祭日もほぼ同様ですが、病院には午後出かけます。時間的に余裕無いのが悩みです。


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