徒然日記
2021年5月分

 日記と言うより、自分の行動記録からの抜粋と日々の雑感です。

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5/31(月)曇りのち晴れ 健康クリニックドック 飯川病院 
1:00起床。本読み、文献チェック。データ整理。自炊5冊。6:47バス飯川病院、9:00-11:30健康クリニックドック14名+結果判定14名。11:45飯川病院、
微睡、読書など。14:00-18:00飯川病院勤務、入院患者対応。20:00院長COVID-19関連の講習会。20:00帰宅・夕食、21:30就眠。Σ6192歩。

COVID-19(2021)(26) 米ファイザー社は菅首相からの電話もCEOに取りつがなかった 
 菅首相がCOVID-19対応の切り札と位置付けるワクチン確保は他国に比較して大幅に遅れていた。出遅れに焦った菅首相は従来の厚労省ルートではなく、当時の杉山駐米大使を動かし直接米ファイザー社本社に働きかけることにした。

 以下がその交渉の概要である。
 世界的危機の中で我が国が特別扱いを求めることは出来ないだろうが、国家の首長も一製薬会社からも結構軽く扱われていた。これは私が抱いた否めない印象である。
――――――――――――――――――――――――――――――― 
 (1)杉山駐米大使は「日本国総理からの連絡である」として同社に連絡を試みたが「同じようなリクエストは各国からきている」と全く相手にされなかった。

 (2)壁にあたった杉山氏はトランプ政権の厚生長官であったA・アザール氏に仲介を依頼した。同氏は「あなたが電話してもファイザー社のCEOは電話にも出ないだろう。こちらでできるだけのことをやってみる」ということになった。

 (3)A・アザール氏の申し出にファイザー社のCEOから「18:00から5分間のみ」電話可能との返事を得た、という。
 
 (4)この時間に杉山氏が電話し、日本政府の窮状を訴えたところCEOは担当役員へ善処するよう指示する、との約束をした。

 (5)この時の交渉によって、結果的に4月になっていた供給開始が2月に前倒しされたが、逆に十分な供給量確保の時期は6月から12月に後退した。

 (6)その後は河野担当大臣が先頭に立ち、総理もファイザー社のCEOと直接交渉することで「9月までに全ての対象者に確実に供給できる目処がたった」と会見で述べた。首相が就任当時に述べた計画より3ケ月遅れで確保できたことになる。

――――――――――――――――――――――――――――――― 

 米ファイザー社の規模はどのようなものであるかは私は知らない。また、今は全世界的にCOVID-19ワクチンを求めているという特殊な時期に当たるということもあろうが、ファイザー社の対応には驚く。首相からの申し出に対し「同じようなリクエストは各国からきている」と全く相手にされなかった、というのは厳しい。
 米国のビジネス界の平均的な対応なのだろうか?

 この件に関してこのエピソードだけで全てを理解できるわけではない。ここに至るまでのワクチン確保の過程も大事だろう。しかし、それについて知ることは出来ない。

 五輪問題を含め国家としての尊厳は軽視されている、と思う。


5/30(日)曇り降雨 飯川病院日直 
1:30起床、本読み、文献チェック。8:42バス飯川病院、9:00日直業務に。新聞チェック、微睡。12:00検食、読書三昧。散水。18:00帰宅、新聞電子化。19:00夕食、21:00就寝。Σ5638歩。

東京五輪・パラリンピック2021(13) 国家としての尊厳はIOCより下位 そんなバカな!!!
 東京五輪・パラリンピック開催については国内外で中止論がやっと台頭してきた。しかし、菅首相、JOCなどは耳をかさず開催一辺倒の意向である。

 その理由は、IOCと日本側が結んだ開催都市契約には大会中止の権利や手続きが定められているが、圧倒的にIOC側が有利で極めて不平等な内容だからである。

 すなわち、「日本側に中止の権限はなく、中止決定の権限はIOCだけにしかない!!!!」。それならばいくら国民が菅首相、JOCに意見を述べても無駄である。だから、菅首相はIOCが中止の決定するまでは、実体のない非科学的な精神論で大会を乗り切る・・と言った時間稼ぎの方針が答弁されるのだ。開催意向に関して総理の答弁はこの一月以上にわたって全く進展がない。

 契約によると、日本側が中止を要請することは不可能ではないが、その場合、多額の賠償金が発生する仕組みになっている。

 開催都市契約は2013年に結ばれた、17年に公開された。その契約内容は歪な構造が多数示されていた。
 参加者の安全が保証できない時だけに中止可能となっているが、その際には日本はいかなる損失に対する保証も放棄することになっている。逆にIOCは日本に損害賠償を求めてくる可能性が高い。

 こんな不平等の契約がまかり通っていたのは、開催地決定にIOCに大きな決定権があり、東京は「お情けで」開催させていただくという姿勢でやっと選んでもらったからである。喜び勇んだ状態でIOCとの間で開催都市契約を結んでしまったということだろう。こんな不平等契約を呑んだ当時の責任者は誰なのか?どう責任を取るというのか??

 IOCの2014-16年の収入の6200億円、このうち放映権料は78%を占めている。2032年までの放映権はIOCとNBCとの間で7800億円で契約しているという。中止の場合IOCにはこの契約料が入ってこなくなる。これはIOCにとっても大問題となる。
 
 日本が中止要請した場合は日本側が損害賠償の義務も負うかもしれない。一方、今回IOCが日本側に多大な補償を求めると、次回、次次回の開催地は二の足を踏むだろう。そういう弱みはIOC側にもある。

 今回のCOVID-19蔓延は開催が決まった当時は予想もできなかった。しかしながら、COVID-19蔓延で都内で緊急事態宣言がなされた状態など、今回の場合は不可抗力で中止と言えるだろう。この様な場合には免責事項をはっきりさせておかなければならなかった。

 IOCとの開催都市契約に関しては私は以下のごとくに考える。
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 ■開催主体国である日本政府にも中止の権限がないということは、国家としての尊厳はIOCより下位であることを示す。こんなバカなことはない。
 ■ 2013年に結ばれたこの契約は、国内でどんな討論を経て結ばれたのか明らかにしてほしい。また、その契約者は誰なのか。
 ■五輪の理念はいろいろある。歴史も長いが、たかがスポーツの事務局に過ぎないIOCをここまで肥大化させ、権力を持たせたことをすべての関係者は反省すべきである。
 ■一度解体し、原点に戻してはどうか。


5/29(土)曇りのち降雨 園芸畑ダリヤなど
1:10起床、文献検索整理など何時ものごとし。午前畑に支柱立て。ダリヤ分割本植え。電動ノコで切断、分割する。微睡若干。午後は降雨あり座学に。新聞チェック、書斎にて音楽関連の録画見る「N響を指揮したマエストロたち」など。19:00夕食、20:30就寝。歩数Σ10180。

絵画を楽しむ(5) 初めて見たミレー作「ついばみ」に感じ入った
 文藝春秋には毎号「中野京子の名画が語る西洋史」と題し西洋絵画が紹介されている。
中野京子氏は、作家、ドイツ文学者、西洋文化史家、翻訳家で、著書多数。新聞や雑誌に連載を持ち、TVの美術番組にも出演している。

 文藝春秋2021年6月号にはミレー作「ついばみ」が紹介されていた。
 私はミレーの作品は好きであるが、そんなに幅広く作品を見たわけではない。この「ついばみ」は先日初めて見て衝撃を受けた。そして、この絵が表紙に使われている中野京子著「そして全ては迷宮に」、文藝文庫、2021年3月出版、を購入した。
 

 ジャン=フランソワ・ミレー(1814年-75年)はフランスの画家。パリから約60kmのところにある、フォンテーヌブローの森の一画に定住し、風景や農民の風俗を描いた。しかし、なかなか評価されなかったが、1850年に「種をまく人』、「藁を束ねる人』につづき「麻をほぐす人』、「刈り入れ人たちの休息』57年に代表作「落穂拾い」を出品した。しかし、「落穂拾い」は現実離れしていると批評家たちから酷評された。

 私は2000年、ルーブル、オルセー美術館を見学する機会を得た。オルセー美術館は駅舎を改造して作られたもので、絢爛豪華な前者よりはしっとりと落ち着いた印象の後者にホットする様な共感を覚えた。?オルセー美術館にはミレーのコーナーがあり多数の作品を見ることができた。

 この「ついばみ」は2014年山梨でミレー展が開催されたときに中野氏が山梨日々新聞に寄稿している。
 「この作品はミレー自身の意図の通り、誰しもが巣のヒナ鳥を連想するに違いない。右端の少女がとりわけ愛らしい。隣の妹がちゃんとこぼさずに食べられるか心配で、その口元に集中しながら自分まで少し口を開けている。小首を傾げ手を握ってやるお姉ちゃんぶりの微笑ましいこと(前後略、一部改変)」。中野京子著:そして全ては迷宮に、より引用。

 この右端の少女は真ん中の少女の手を取り、肩に手を添えて「もっと前屈みに」、「お口を大きく開けて・・」そう言った言葉すら聞こえてくる様な微笑ましい情景が手に取る様にわかる。ミレーが描いた作品の少女像はどの作品も可愛らしい。

 ミレーの作品の女性像は総じて体格がいい。農家の主婦としての体格なのだろう、存在感が大きい。この絵では座っている小さな椅子が前のほうに片向けられているのが落ち着いた構図の中でも動きがあってとてもいい。

 私は絵画が好き、と言ってもまだまだ初心者である。だから、時折この絵の様な新鮮な驚きを体験する。それがまた楽しい体験となる。
 ミレーの作品の女性像は総じて体格がいい。農家の主婦としての体格なのだろう、存在感が大きい。この絵では座っている小さな椅子が前のほうに片向けられているのが落ち着いた構図の中でも動きがあってとてもいい。

 私は絵画が好き、と言ってもまだまだ初心者である。だから、時折この絵の様な新鮮な驚きを体験する。それがまた楽しい体験となる。


5/28(金) 曇り小雨午後快晴 大曲中通病院 飯川病院ボランティア   
1:00起床。文献、新聞など読む。5:00ゴミ出し、7:40Taxi、8:11こまち。大曲駅病院往徒歩。9:00-12:15大曲外来。書店訪問 飯川病院、15:30外来患者来院し対応、19:30広面経由帰宅、夕食、21:00就眠、Σ9485歩数。

絵画を楽しむ(4) 本 深井晃子著:ファッションから名画を読む PHP新書 2009年
 私は服装について関心も知識も乏しい。ただ、人間の歴史、文明の発達などと衣服は濃厚に関連しており無視できない文化の一つとしての関心はある。
馬子にも衣装とは(1)最近、ファッションに興味を感じている
馬子にも衣装とは(2)そもそも人は何で衣服をまとうのか

 絵画を味わう場合、特に近・近代の作品においては服飾は時代の政治、経済、権力財力の過剰な集中、庶民からの搾取問題を無視できない。
 そういった意味で興味がある。

 上記書籍は絵画における服装の描写から歴史・文化の推移を論じており、いろいろ勉強になった。

 筆者は、パリの大学院で美術史を学び、京都国立博物館等でファッション関係の企画展示の企画に携わったキュレーターの方。京都服食文化財団の理事。

 画家が描いた美しいファッション、画家の情熱にモデルの誇り、絹の光沢にビロードの艶、贅をこらした装飾、流行のシルエット、鮮やかな色彩、衣擦れの音さえ聞こえてきそうな布の質感すらも表現されており、時代の輝きと、そこに生きた人々の息づかいを感じ取れる。

 有名な絵画も、「装い」に目を向けて改めて見直せばれば、隠された魅力が見えてくる。

 フェルメール、ダ・ヴィンチ、ルノワールetc. 画家たちの筆がとらえた折々の服装は、時代を超えて、衣服は多くを語っている。

 ヌード画は別であるが、いやこれですら脱ぎ捨てた衣服などは重要な鑑賞対象になる。人物画を好む人にとってとてもよい指南書になっている。

 ファッションの絵画史はそのままファッションの歴史でもある。時代とともにどう変わったのか、なぜ変わる必要があったのか。

 昨今、美術史や絵画を解説した本は多いが、ファッションから名画を分析するというのはとても珍しいように思う。

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 当初私は美術館には赴き、掲げられている肖像画の表情には注目することはあっても、ファッションについては知識がないこともあり関心を持って見ていなかった。私が絵画を見る視点は大きく変わった。

 なお、文中に引用された絵画は数多いが、新書版ということもあって小さく、じっくり見るには耐え難い。同じ絵画を別の大型の画集を参照しながら読むと一層楽しめる。


5/27(木)曇り午後降雨 午後飯川病院 
 1:00起床。いつもの如く文献、新聞など。画像データ整理、廃棄。8:00-10:45庭仕事と畑、草刈り8回目、ダリア用の本植え。11:50バス飯川病院着。微睡、14:00-17:50飯川病院、入院患者対応、19:10帰宅、夕食、21:00就眠、11715歩。

絵画を楽しむ(3) 画集や複製品で楽しむ TV番組も価値が高い
 私はどんな絵画を好むのか?
 有名な作者の有名な作品については知識が先に立っているから純粋には味わえない。
 しかしながら、例えば秋田県展などの場合、作品・作者についても何も知らないから、パッとみて「その絵が美しいか否か」が第一の選択基準になる。その時点では「誰が書いたものか」などは関係がない。深く感じ入った場合にはそれから調べればいい。

 作品を「味わう」には、やはり美術館やギャラリーで直接見るのが一番・・、これは正論。しかし、いかに本物の作品を直かに見たとしてもすぐに忘れてしまう。特に私は即忘れてしまう。見たことがあるということは記憶に残っているが具体的作品のことなどすぐ忘れてしまう。

 だから、私にとって画集や複製品を買うという選択肢も重要である。自分の手元でいつでも楽しめるから展覧会よりは価値が高い。
 画集や複製品は、書店で購入することはなくて、私の場合には美術館の会場に併設されている売店で購入する。来館の記念にもなるからである。

 画集や複製品は結局は偽物でないのか、と言われるが、それでもいいじゃないか、と割り切る。真贋に対する知識も私にはないから関係ない。

 絵画は直感で「美しい」とか「いいな」と自分の感覚で楽しむことが重要。
 絵画を見るのに知識はそれほど必要はない。しかしながら、写真がなかった時代の中世から近・近代の絵画には時代の流れとか、依頼者の意向などが濃厚に込められており歴史の勉強になる。この場合は、知識が作品の理解を助けるのも事実、私の場合はガイドブックを参照しながら見る。

 絵画の理解には、放送もすごく役に立つ。
 最近画質がとても良くなって満足度が高いし、到底見ることが出来ない世界の美術品を見ることができる。
 私がときに参考にするのは以下の二つが代表。
―――――――――――――――――――――――――――――
 ■ NHK教育TV毎週日曜朝9時(再放送は日曜20時)に放映されるNHK・Eテレの美術番組「日曜美術館」。
 1976年に放送が始まった同番組は、数あるテレビの美術番組でも最長の歴史を持ち、美術界への影響も大効いらしい。「日曜美術館」は毎週異なる特集を組むスタイルを貫いており、個人のアーティストを取り上げることもあれば美術界の動向や美術館を取り上げることもある。
 ■火曜BS日テレ 20:00ブラブラ美術館
 ブラブラ歩きながらの解説だからまだるっこしいのが玉に瑕。


5/26(水)早朝降雨快晴 午後飯川病院勤務
 1:30起床。早朝は新聞・文献読みとデータ化etc座作業中心に。午前ダリアの植え替え6株ほど、もう一息だが疲弊する。11:47バス飯川病院、休息微睡、14:00勤務、外来入院患者対応、美術系読書中心。19:15帰宅、夕食、20:30就眠、Σ9510歩。

絵画を楽しむ(2) 「美術館に行って本物を見る」は必ずしもベストではない
 絵画鑑賞のベストな方法は誰でも、恐らくは美術館等で本物を見ること、と答えるであろう。それは正論でその通りだと思う。

 しかし、内外でずいぶん多数の絵画等を見てきたが、私にとっては必ずしもベストといえないことがわかった。第一、見た多くの作品は「これは、本物を〇〇美術館で見たことがある」という事実、その時の感動の記憶、記録は残っているものの、大部分はもう忘れてしまっている。

 そうは言っても、できれば足を運んで実物を見るべき、と私は思う。見たという経験はその後の作品鑑賞に良き影響を及ぼすからである。

 理由は以下の様に考える。
―――――――――――――――――――――――――――――――――
?@作品を近くで見る? 美術館では作品を近くで見られるのが最大の利点。作品によってはガラスケースの中での少し離れている場合もある。ただ、ルーブルでのモナリザは人混みのために数mまでしか近ずけなかった。
 近くでみるということは作品の細かなところまで見れるということ。作品の質感、素材感や微細な表現もわかる。特に光線によっては筆圧とか髪の毛一本に対しての繊細な作者の技術がわかることも少なくない。この経験は秋田県立美術館での企画展「ホキ美術館展」で精密写実画を見て実感した。
 秋田県立近代美術館「ホキ美術館展」(1) 写実絵画の現物に初めて触れ感動した

A絵のサイズがわかる
 「大きさ」については画集などに「〇〇x〇〇cm」などと書いてあるが、画集ではそのサイズに応じた表現として再現されているわけではない。実際のサイズは、大きな作品だと実際に見るのとでは迫力が違う。小さな作品だと作者が作品に向かっている時の雰囲気を感じさせる。実際に作品の前に立ち、対峙することでその作品の意味が感じられる。
 秋田県立博物館で開催された「リ・クリエイト(再創造)作品」によるオランダ2大巨匠展は全てが再創造品であったがサイズなどは実物と同じでそのことを実感させてくれた。
 展覧会2017(2):県立美術館 オランダ2大巨匠展(1)


B額装などの付属品の素晴らしさも感じ取れる。
 多くの画集では額装がない状態で掲載されているが、展覧会では額装を描く作品は稀である。見事な作りの額縁は絵の印象を2倍にも3倍にも引き立てる。

C展示の仕方、会場の雰囲気も絵に影響する。
 会場が狭かったり、展示の仕方によって絵は影響を受ける。これを如実に感じたのは秋田県立近代美術館での葛飾北斎展であった。140景に及ぶ作品が所狭しと展示された。作品展示の密度、数に圧倒され鑑賞の後半はすっかり疲れ果てた。
展覧会2018(2):県立美術館「北斎の富士冨嶽三十六景と富嶽百景」 


5/25(火)早朝小雨終日曇天 外来 飯川病院 
0:30起床、花壇ダリアに見回り。5:00可燃ゴミ提出。6:47バス飯川病院着。8:45-13:40中通外来、疲弊。14:00-18:30飯川病院勤務。微睡、入院患者対応なし。文献読み、読書など、散水。19:00帰宅、夕食、20:30就眠、歩行計Σ9769歩。

?絵画を楽しむ(1) 私は美しいものが好き。
 私は「美しい」ものが好きである。
 音楽、絵画、彫刻、人物、自然、花、動物、小動物、女性・・・などなど、美しいと感じる全てを列挙する事は到底不可能。
 私は「美しい」と感じる感性が備わったことを嬉しく思う。「美しい」の感動は私の視野を広げてくれる。

 なぜわれわれは、視覚、聴覚で得られる情報に「美しい」と感じるのだろうか?
 どうして私は、主観的、個別的に多くのものに「美しい」と感じるのだろうか?

 最近、「なぜ花は美しいのか」についてずっと考えているのであるがまだ解決できていない。花に群がる昆虫たちは花を美しいと感じているのだろうか・・?彼らが美しいと感じていないとすれば何のために?誰のために美しく咲くのだろうか。人間のタメに??まさか、と思う。

 私の場合、「美しい」の感覚は「先天的に備わった感覚ではなく、幼少期に親から受けた影響、野山を駆け回った遊び、動物の飼育経験などをもとに個別に次々と『美しい』を発見し、感じ取る能力が育ったから」、と思う。

 「美しさ」と「美しい」は異なる。前者は教育による「美に関する知識の獲得」で、より客観的、より普遍的な感覚である。一方、「美しい」と感じる心は個別的で教育の結果ではない。
 「美しさ」と「美しい」は互いに近いが、前者はあくまでもより客観的で、後者は主観の個人的感覚である。

 私は、「美しい」の感覚は、各人がそれぞれに生涯を通じて創り上げるものだ、と考えている。自分が「美しい」と感じたことそのものが、「美しさ」の感覚の原点になっている。

 私は絵画が好きである。
 絵画の鑑賞は何と言っても美術館である。
 秋田にいると「美術館に行く」という絵画の鑑賞方法は「美術館」そのものが少ないからかなり限界がある。秋田にも私が知らない画廊などもあるのだろうが、主に「秋田市立美術館」、「秋田県立美術館」」、「秋田県立近代美術館」であり、そのほかにアトリオン特設会場で開催されるギャラリー程度と狭い。これらでは年に数回企画展が開催されるが万難を排してほど訪れてる。「秋田市立美術館」は年間のパスポートを購入しているために気軽に何度も訪れる。

 もう機会はほとんどなくなったが、現役時代の学会出張時には国内各地の美術館を訪問した。多分、100箇所ほどの美術館を訪問した、と思われる。その中では倉敷市の「大原美術館」が印象深い。

 1985年秋田大学退職時はオペラのツアーに、2000年欧米医療視察団としてヨーロッパを訪問したが、訪問した各地、ハンブルグ、ウイーン、ポーランドなどで美術館も積極的に訪寝歩いた。その中では何と言ってもルーブル、オルセー美術館のスケール、展示作品には圧倒された。


5/24(月)くもり降雨 健康クリニック 飯川病院 
1:10起床。ディスクバックアップetc。6:47バス飯川病院、9:00-11:30健康クリニックドック13名、レ線判定10名。11:45飯川病院、検食、微睡など。14:00-18:30飯川病院勤務。入院患者対応、19:00帰宅、夕食、20:30就眠。歩行Σ6671歩。

?COVID-19(2021)(25) 政府の方針はなぜ浸透しないのか??(4)田舎 vs 都会
 秋田のような田舎に住んでいるとCOVID-19蔓延地区で、緊急事態宣言が出ているのになぜ人出が減らないのか、理解に苦しむとことはある。

米国グーグルが集計した位置情報の集計によると公共交通機関を用いた人の移動は第1回目の東京は7割近く減少したが、2-3回目は5割以下にとどまっている。
 緊急事態宣言慣れも一因とは考える。

 特に若者はじっとしているのが不得意で常に刺激を求める傾向がある。都会には若者が喜ぶ施設などが溢れている。

 都会には田舎人が理解できない事情もあるようだ。
 背景は、人口密度と窮屈さ、生活のスピード感でないだろうか。

 私など、学会などで東京に3-4泊することが年に何度かあった。夜は文化会館、鈴本、サントリーホールなどで音楽、落語等で時間を過ごしたが、それでも居た堪れなくなり早く秋田に帰って落ち着きたい・・・と思った。
 私は根っからの田舎者である。だから都会に住む方々の気持ちは理解できていない。

 秋田は空が広い。
 わざわざ遠くに出かけなくともすぐそばに自然がある。これだけでも田舎はいい。

 COVID-19蔓延地域ではなぜ人出が減らないのか?
 私は以下の要因があるだろうと思う。だから一概に責められない。
――――――――――――――――――――――――――――――――
 ■ 緊急事態宣言慣れも一因とは考える。
 ■ 蔓延地域では旺盛な経済活動が続くから、テレワークできない職種では出勤が必要。
 ■ 若者達が満足するような施設などがあり、集うし群れる、交流する。
 ■ 住宅事情が異なる。多くは狭い、コンクリートの高層住宅が多い。そこには庭もない。
 ■ 一見便利そうに見える住宅構造であるが、住人はCOVID-19下の外出制限を遵守するのは厳しいだろう。拘禁ストレス様になるだろう。
 ■ 長期に及ぶ在宅ワークも困難。子育て中であれば一層困難。
 ■ 子供達は家の中でじっとしてくれない。
 ■ 子供達はゲームに依存しやすくなり家族間のトラブルが増える。
 ■「亭主は元気で留守がいい」と言われるが、いつも顔を合わせていると家族関係も変化していく。
 ■ 家族間の人間関係も破綻しやすくなる。子供、家族へのDVの増加が見られる。
 ■ せっせと子作りに励んでくれればいいのだが、出生数は減少傾向にある。
 ■ などなど
――――――――――――――――――――――――――――――――

 都会の若者たちは住居の中にじっと止まっていない。意外と選択肢は少ないのではないか。


5/23(日)終日降雨夕方晴れ 
 1:00起床、データ整理。徒然、6:30バス飯川病院、7:00日当直業務に就く。11:00家内は3姉妹で本荘方面に買い物? 11:30飯川病院、データ整理など。16:00帰宅。読書中心。微睡。19:00夕食、21:00就寝。Σ7020歩。

COVID-19(2021)(22) 政府の方針はなぜ浸透しないのか??(3)若者はなぜ外出する?
 菅首相は2月2日緊急事態宣言を3月7日まで延長すると決め記者会見した。従来の強気が目立った姿勢から一転し「国民と共に悩みながらあらゆる方策を尽くす」と言う姿勢を示した。
 この想いが本物なら具体策で示してほしい。独善に陥ることなく国民の声に耳を傾ける必要がある。何を言っているのかわからない精神論では困難は克服できない。科学と証拠に基づき判断をすべきである。
 ウイルスは人の動きで伝播していく。人の動きが抑制されるならば必ず感染は下火になる。しかし、緊急事態宣言を発しても市井の人出は少なくならない。菅首相の言葉が浸透しない所以である。

 このことはCOVID-19下における五輪の開催の方針表明にも言える。五輪への夢、幻想は消失した。多くの国民が生活できなくなり、命の危険も感じるなか多額の資金をかけ社会に負担を強いる五輪の実態に国民は気づいている。
 「五輪はIOCのために??」「COVID-19克服の証としての五輪」の言葉はどこに行った?「緊急事態宣言下でも強行するの??」。
 どのような状態が確保できたら開催し、それが纏うできないなら中止するのか?何も示されていない。

 こんな状態では日常的困難さを抱えている国民、特に関係者には政府の方針は浸透するはずもない。
 五輪を強行するなら、我々がこんなに我慢する必要はない、それも本音である。

 東京都の街中アンケートで若者たちが外出している理由は
 ■マスクをしているから大丈夫だ、
 ■他の人も外出しているから、
 ■若いと感染し難いし、感染しても軽症で済む、
との答えが目立った。

 本当に「マスクをしているから大丈夫だ・・・」と考えているなら危険だ。改めてマスク着用の目的、意義、限界について教育すべきである。厚労省の職員がマスクなしで深夜まで宴会したなど、呆れるばかりである。

 「他の人も外出しているから・・」と言うのは意外と本音かもしれない。日本人は農耕民族らしく多く人たちと共に行動する傾向が強い。迷っている日本人を説得するのに有用な言葉は「皆さんがそうなさってますよ・・・」だと言うし、「赤信号みんなで渡れば怖くない・・・」と言う言葉もある。

 蔓延地域の住民たちには、「外出せざるを得ない事情」もある様に思う。これにも配慮すべきだろう。


5/22(土)曇り 園芸中心、ダリア本植え・キウリ・ナス・トマト畑に 
 1:10起床、新聞入力、データ整理。徒然、など。仮植えダリアを本植え。10:00DIY店でキウリ・ナス・トマト苗購入。午後微睡後に畑に植える。支柱たてまで終了。16:00座学、新聞入力、データ整理、読書。19:00帰宅、夕食、21:00就寝。Σ9603歩。

?COVID-19(2021)(22) 政府の方針はなぜ浸透しないのか??(2)マスク効果を過信
 厚労省職員23人が3月24日に銀座で深夜まで送別会を開き、のちに複数の感染者が出た。参加者はマスクを外したままだったと言う。通常の会話では口から1分間で9.000個程度の飛沫が出ると言から、会話だけでも2-3分で咳一回分の飛沫が飛ぶ事になる。カラオケなど、歌の場合は1分で咳一回分の飛沫が飛ぶ。直径0.01mm程度の大きな飛沫はすぐに落下するが、0.005mmの微細な飛沫は10分間ほど空気中を漂うと言う。これらは呼吸によって気管支の奥まで到達する。換気は重要であるが、正しいマスクの着用は感染予防効果がある。

 東京都は4月末に渋谷・原宿・新宿付近で、二人以上のグループで外出している30代までの若者約500人に対して「不要不急の外出を避けるように言われている中で外出した理由」をアンケートで尋ねた。

 得られた回答は以下のごとく。
―――――――――――――――――――――――――――――――――
 外出している理由は
 ■マスクをしているから大丈夫だ、160人
 ■他の人も外出しているから、73人
 ■若いと感染し難いし、感染しても軽症で済む、12人
 ■そのほか、「もともと計画していた」、「友人と約束があった」などなど、が235人であった

 外出を控えるよう訴える呼びかけかたについては
 ■「不要不急の外出はダメです」193人
 ■「あと少しだけ我慢を」161人
 ■「その他」125人
 ■「絶対外出するなと言って欲しい」といのもあった。
―――――――――――――――――――――――――――――――――

上記は「朝日新聞」に掲載された小さな記事からの引用で母集団とかに関しては説明が乏しく詳細を読み取るには資料不足であるが、「マスクへの過信」、「若者は感染しても重症化し難い」との誤った認識が背景にあるように思われる。外出を控えるよう訴える呼びかけかたについては「もっと強く求めれば外出を控えるかも・・・」という無責任な回答が多い。

 私はマスクのCOVID-19感染予防効果は「正しい装着で感染予防効果は比較的大きいが、絶対ではない」、「不十分な装着ではやらないよりはマシ程度で予防効果は弱いか無い」と考えている。やはり、「マスクなしでは危険」と言うべきだろう。

 今までわかっている感染予防対策は、何と言っても「ワクチン」であるが、基本は「人混みを避ける」、「大声を出さない」、「長時間会話しない」、「マスク着用」、「手洗い」、である。加えて重要なのは「換気」。「うがい」の予防効果に関しては科学的有効性は明らかになっていない。

 マスクは洗って使えるものなど多彩な製品が市販されるようになった。通常手に入れられる市販のマスクはウイルスの捕獲率は表示されているよりも低いとのデータもある。
 医療機関で用いられているサージカルマスクは薄い紙3層からなっているが、最近のスパコンなどを用いた研究では微粒子捕獲率は結構高い。ただ、これとて顔との隙間から空気が出入りするので予防効果は完全ではない。

 マスク着用は一般的には感染防止でなく感染を広げないようにするためである。
 咳、くしゃみをする方々のエチケット、それがマスクの基本である。

 「マスクをしているから大丈夫だ」、と軽く考えて装着している人たちはきちんと装着していない可能性が高く、「鼻と口をマスクで覆っているだけの、見てくれだけの装着者」が多く、感染予防効果は乏しい。


5/21(金)終日降雨 大曲外来 飯川病院ボランティア 
0:45起床.書類、文献・新聞チェック。徒然。5:00可燃ごみ激しい降雨のために提出準備のみ。自炊数冊。7:30Taxi駅東に。渋滞あり、8:12こまち、大曲駅徒病院復路Taxi。9:00大曲中通病院外来。書店訪問、15:30-19:00飯川病院ボランティア。19:30帰宅夕食、21:00就寝。歩行Σ7161歩。

COVID-19(2021)(22) 政府の方針はなぜ浸透しないのか??

 COVID-19は緊急事態宣言下でも感染が拡大し、宣言地域の拡大、期間延長が余儀なくされている。ウイルスは必ず人の動きに伴って感染し、増殖する。ウイルスは航空機、船舶、新幹線等で世界中を移動する。
 要するに、緊急事態宣言かでもこれだけ感染が生じていることは、予防策の意義が社会に十分浸透したとは言い難いし、国民の行動の変容が生じていないからである。

 政府の動きは活発である。逆に統制を書いているように見える。ワクチンの話題も頻繁である。毎日毎日報道呆れるほど小出しに報道されている。
 一方、感染者数は減少していない、加えて感染力が増強したと思われる変異株が社会を覆い始めている。

 なぜ国の方針は国民に届きにくいのか

 その要因のいくつかを思いつくまま挙げてみる。
―――――――――――――――――――――――――――――――――-
 ■ COVID-19は問題化してから1.5年経過した。この間、感染対策に政府と国民との思惑にすれ違いが生じ、徐々に広がってきた。

 ■政府の方針が不十分、かつ不合理に見えるのもある
 ■緊急事態宣言は1回目は経済を止めるという方針、それ以降は経済の維持をしならや、と方針が変更された。
 ■緊急事態宣言は期間限定のイメージが強すぎる。翌日から元に戻る。メディアも悪い。

 ■メディアの情報は過剰状態にある。19:00のNHKTVニュースはほぼ連日COVID-19関連で始まる。新聞紙上でも同様。私は新聞記事のスクラップを作っているが連日10-20枚はCOVID-19関連で、それも似たような内容である。もはやCOVID-19は当たり前の日常になっている。ニュースにも新鮮味を感じない。メディアは報道方法に工夫を要する。一定の期限を定めて総括する必要がある。
 ■メディアの情報は国民に、特に高齢者に恐怖感を植え付けているが、逆に若者には軽視され、行動抑制に結びついていない。

 ■五輪開催を強行に進めること自体が矛盾の最たるもの。
 ■国民全体で一丸となって乗り切るべき事態なのに、政府は東京五輪の開催について強硬である。最近、開催反対の意見も取り上げられるようになってきたが、ほとんど対話になっていない。無視されている。
 ■こんな事態での五輪開催は何のためか??具体的に行動の抑制が求められる国民は疑問が募る。

 ■緊急事態宣言の中、議員の一部や厚労省の職員が会食やカラオケに興じてクラスターを生じさせている。官僚達が違反行為してているならば・・・。これでは伝わらない。

 ■外出時はマスクをしてと強調しているが、マスクさえすれば外出など許される、と若者たちは免罪符のように都合よく考え、マスク着用が行動の免罪符になっている。マスクの機能と限界を示すべき。

 ■ワクチン行政に関してもモタモタしているように見える。

 ■変異株の危険性とその感染予防策が浸透していないし、国民の行動にも反映されていない。
 ■医療機関の逼迫はこそが最大の問題点の一つなのに蔓延地域では自分のことと思われていない。
 ■ などなどまだまだあるが・・・。


5/20(木)午前曇り午後快晴 3Q散髪+コメダ珈琲店 午後飯川病院 
1:00起床.文献等資料チェックなど何時もと同じ、自炊数冊。9:00-9:20 3Qカットで散髪、のちコメダ珈琲店でコーヒーと軽食。ちょっと過食傾向。読書など、11:52バス飯川病院、14:00勤務、入院患者対応。19:00帰宅、夕食。21:00就寝。歩行計Σ6630歩。

運転免許証返納への道(5) レガシー廃車

 私が運転免許証返納して使用頻度が大幅に減ったスバルレガシーツーリングワゴンが2021年5月19日弘前市の解体業社に引き取られていった。

 この車は初年度登録1998年7月(平成10)で22年使用した。ずいぶん長く用いていた。

 横浜在住の長女の婿殿が購入した車であるが、あまり使わないということで2005年に我が家で使ってきた。当初は次男が使い、ついで家内が使ってきた。ここ5年ばかりはプリウスを家内専用とし、レガシーは私が用いてきた。

 さすがにいろいろ問題は生じているが、決定的不調でないから、ごまかしごまかし使っていきた。
 ■ 2014年からエンジン不調の警告灯が頻回に点灯している。これはダメか?と思ったが機能には問題ない。センサーの異常か??
 ■ 暖気・エアコンの温度調整ができなくなった。
 ■ 運転席の背もたれ角度調整できなくなった。
 ■ バックドアの内装が脱落。再装着不状態。
 ■ エンジンルーム下部のカバー脱落。再装着不能。
 ■ フロントバンパーが錆と変形で脱落。自分で再装着。
 ■ バッテリーはなんと18年も持った。
 ■ 外装に大きな変形はないが小さな傷は数え切れない。

 外装を含めちょっとした故障なら自分で治した。修理すればするほど愛着が湧いた。次第に自分の車になって来た。

 私はスバルの四輪駆動車を好み5台乗り継いできた。車は四輪駆動が基本なのだ、と考えていたからで、これを開発した富士重工業に敬意を表し、1980年頃から、スバルセダン1300、スバルレオーネ、レガシーツーリングワゴン、レガシーセダン、それに今度廃車にしたレガシーツーリングワゴンと乗り継いできた。スバル車との歴史は50年余で途切れることとなった。

 私の運転免許返納は昨年9月であったが、まだ車検が1年残っていたことからゆっくり構えていた。しかし、昨冬は天候不順で寒気が強く降雪量も多かった。こんな時はやはり四輪駆動車の出番である。12月から3月までは家内が前輪駆動のプリウスに代えて通勤に使い重宝した。廃車を急がなくて良かった、と思った。


(傷は少なくないが全体にしっかりしているレガシーツーリングワゴン 長い間ご苦労様)

(昨年全塗装し綺麗になった17年目のプリウス こちらも高年式車になった)

 消雪を待って廃車手続きに入ったが、所有者の名義変更をしていなかったために難渋した。あまり面倒なので専用の業者に依頼し手続きを代行してもらった。
 なお、22年目の高年式車であるが、車検が1年残っており、自走もできる状態であったことから15.000円の値段で引き取られた。


5/19(水)曇り・降雨 レガシー廃車引き取り 草刈り7回目 午後飯川病院勤務
 0:45起床。文献・本読み他、いつもの如し。午前は中等度の倦怠感があったが、レガシーを解体業社が回収に来るというので待機状態。その間に草刈り7回目。ダリア本植え4本追加。13:00弘前の業社来訪引き取られた。13:10バス飯川病院、入院患者対応。微睡後に体調改善、睡眠不足が原因だったか。新聞チェック、そのほかデータ整理。19:25帰宅夕食、新聞入力、8:30就寝。歩行Σ14016歩。

運転免許証返納への道(4) 便利さで失っていた感覚を楽しむ
 運転免許返納に関して私は爽やかな気持ちで前向きに返上したが、不便であることは否定しない。でも、私はなんとか暮らしている。

 自分で運転しなくとも家族が免許を持っているからやむを得ない時には車を出してもらう。今の所は重い荷物が予想される時、暴風雪の時などに限られるが、後者に関してはまだ依頼したことはない。
 家族の都合がつかない時には気軽にタクシーを利用しよう、と考えていた。秋田県では免許返納時に希望者に交付される運転免許経歴証を提示すれば10%割引になる。これも一度も利用していない。

 私の家からバス停留所までは歩いて7-8分、一時間に2?3本、渋滞時間を避ければ15分で秋田駅まで着くからが利便性は悪くはない。 
 JR奥羽本線は近隣の泉外旭川駅まで歩行15分、一時間に2?3本、秋田駅まで4分で着く。
 自転車という手もある。
 足もある。大きな傘、便利な雨具を購入して悪天候に備えた。

 上記のごとく私は恵まれている。
 しかし、田舎の高齢者にとっては車は生活の足であり、生活が成り立たないこともありうる。私は高齢者用に、車種限定、走行地域限定、高速道路不可などの条件をつけた限定免許証も一つの方法かな、と考えている。

 かなり不便になるだろう、と覚悟していたが実際にはそうではなかった。いや、それ以上にメリットが大きかった。
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 ■事故に遭遇する危険性から解放されたこと、これは大きい。
 ■高速移動で失われていた情報が目に入ってくるようになった。新幹線や航空機は論外であるが、車レベルの速度での移動の場合、特に運転者は視野が、心が狭くなっている。
 ■自然現象との対話が増えた。季節の移ろい、天候の移ろいなど。気温、風雪など。
 ■などなど。
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 これら自然現象との対話は自動車を持たなかった時には体で直に感じていたことである。
 免許返上後は毎日がこれらとの対話である。自然により近く、同化しているような満足感がある。

 今年の冬は寒く、暴風雪の日も少なくなかった。こんな日はバスも遅れてくるから停留所で風雪に曝されて待つ時間も長くなる。確かに老体には辛いが、こんなことは子供の時は当たり前であった。当時と比較すれば道路事情もよく、防寒具も改良されている。
 何回かは暴風雪の中、待っている間に雪像になるのではないかと思うようなことがあった。それでも辛いだけではなく、昔の感覚が蘇って懐かしい気持ちでが湧いてきた。

 私は車という便利な生活を得て、代わりに五感による感性を失っていた、と実感した。


5/18(火)終日曇り降雨 中通病院外来 飯川病院ボランティア
1:45起床、まだ降雨続く。文献チェック、新聞スクラップ電子化、自炊。5:00可燃ゴミ提出。6:47バス飯川病院着。8:40-13:30中通病院外来、疲弊。14:00-18:30飯川病院ボランティア。院長COVID-19ワクチン2回目で保健所に。18:30バス帰宅、19:00帰宅・夕食、21:30就眠。歩数計10890歩。

運転免許証返納への道(3) 決断は視力の減弱による
 2020年9月13日(日)、県交通運転免許センターで運転免許証を返納してきた。
 56年間の運転に終止符を打った。

 免許証返納の背景としては、
???????????????????????????-
 ■視力の低下
 ■バランス感覚の低下で運転技術が落ちている
 ■集中力の減弱で注意力が散漫になった
 ■疲れやすくなり、思考力も減弱
 ■運転開始とともに睡魔が襲ってくる
 ■自身にも漠然とした事故の恐れも感じた
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 運転免許更新時適性検査では、認知症検査等はクリア出来たのであるが、視力が限度の0.8 に今一歩不足していた。眼科的対応やメガネの調整でクリアできる自信はあったが、無理やり更新しても「危険運転候補者(?)資格の更新にもなるじゃないか」、と考え思い切って免許返納を前倒しした。

 年齢も年齢だし、返納はやむないだろう、とも納得。
 しかしながら、車は寒さや風雨の時には重宝であった。返納当初は足をもがれたような寂しさを感じたが、それはせいぜい1週間くらいなものでむしろ清々しさ、気楽さ、開放感を感じた。事故を起こす不安とは無縁の立場になった、との間隔は大きい。

 通勤にはバスがある。
 そうそう、今年3月からそれほど遠くないところに奥羽線泉外旭川駅が開業した。渋滞でいつ着くかわからないような道路事情の場合は鉄道を用いれば4分で秋田駅に着く。
 それに、自転車という手もある。

 数年前から、同乗した家族から私の運転のことをいろいろ注意されていた。自覚は無かったが気にはなっていた。多分指摘は正しかったのだろう。
 実は、私は家族の誰よりも安全運転励行者であった、・・と思う。そう感じていること自体が傲慢であり問題があるのかもしれないが、免許証を返納した今だからこそ自信を持って言える。ただ、返上した今となっては家族の運転に助けてもらわなければならない機会はある。

 今週末も家内を誘ってDIY店に行って腐葉土、肥料、野菜の苗など購入するが、こんな時はやはり車である。でも自分で運転していく必要はないのだ。


5/17(月)終日降雨風つよし 健康クリニック 飯川病院 
 1:20飯川病院起床、各種データ整理。徒然。9:00健康クリニックドック12名+レ線判定10名。11:00飯川病院に、新聞・画像処理。検食後微睡。14:00-15:30勤務、入院患者対応、読書。当直明けで院長行為にて帰宅。16:30帰宅。今のメインのストーブの仕舞い作業。19:00夕食、21:30就眠。歩行Σ9230歩。

運転免許証返納への道(2) 渋滞は嫌 その回避方法
 私のような渋滞嫌い人間からすると、せっかく時間がある休日などに、行楽などで観光地などに車で出かける気持ちはトント理解できない。運転が好きで渋滞など苦にならないという方々の気持ちも理解できない。そんな方は渋滞の真っ只中にいても明るく楽しくハンドルを握っているのだろうか。

 私が主に用いている車が年代物が多い。走行距離は年間3.000-5.000Km程度と少ない。明後日廃車にするレガシーは22年間で90.000Km。これは家族で使い回した結果で、私だけなら半分程度か。

 渋滞は耐えがたい。回避のための私の工夫は以下のごとく。生活時間すら変えている。
――――――――――――――――――――――――――――――――
(1)生活時間帯をずらしラッシュに会わないようにする
 現役の後半は多忙で、出勤時間はam5:30前後であった。起床時間がam1:00前後であったから早朝出勤は苦にならなかった。この時間帯だと職場まで片道10分前後であった。ラッシュ時は30-40分ほどかかった。帰宅時間は20:00前後で渋滞はほとんどなかった。
 今はバスであるが、混雑とラッシュを避けるためにam6:00台の便を選ぶ。

(2)渋滞が予想されるところには出かけない
 私は渋滞が嫌で、かつ出不精なので必要がなければ自宅から一歩も出ないことが多い。外に出かけなくともやることはたくさんある。だから、私はCOVID-19で外出制限勧告があっても何ら困っていない。読書三昧、音楽三昧、農作業もある。飽きたらネコと戯れる。私にはこれで十分。閉塞感皆無。

(3)誰かに運転を依頼する
 家族以外と同乗する事なんてほぼ皆無。家族と一緒の場合は運転を任せる。家族たちは私の運転は危なくて嫌だ!!というがそれをずる賢く利用させてもらう。実は家族の運転を信用していないのだが、口には出さない。
 
(4)他の方法があれば車を使わない
 (A)家族旅行などの場合
 COVID-19の前には、毎年盆には家族みんなで盛岡郊外の墓参りを兼ねた小旅行をしてきた。総勢12人もの移動であったから車の座席はやりくりが大変である。窮屈な思いをしての移動は嫌。そんな時は私だけ新幹線で移動、現地で拾ってもらうかタクシーなどで移動した。

 (B)毎週の大曲出張
 もう30年近くになるが、週一度、約60Km の距離にある大曲中通病院の診療応援に行っている。もう1000回以上になるだろうが自家用車で行ったことは10回にも満たない。秋田の中通病院から毎週10人ほどの医師が診療応援しているが、その多くは高速道路を用いて自家用車で通っているらしい。ご苦労様。
 新幹線で40分ほど、この間ハンドルを握っている自分の姿は予想するだけで嫌。新幹線だと寝る、読む、聴くなど有効に時間を過ごせる。
――――――――――――――――――――――――――――――――

 こんなわがままが許されている私は恵まれている、と思う。


5/16(日)曇りのち降雨 飯川病院日直→日当直に
1:40起床、早朝は本読み、文献チェック。自炊数冊。6:00ダリア部分に支柱たて。7:40バードウオッチング会出席の家内に同乗飯川病院に。9:00-19:00日直業務。患者は安定。新聞チェック、読書、自炊データ整理進めた。午後、大学にCOVID-19?当直医来院できず急遽当直もする。18;00検食、21:00就眠。Σ4933歩。

運転免許証返納への道(1) 車は便利だが、並ぶ道具
 私は普通運転免許を21歳の1966年(昭和41)4月に、自動2輪免許も同年8月に取得した。ともに自動車学校に数回通って最小限のコツを教えてもらい、県の運転免許試験場に受けに行き一発で合格した。当時としても珍しい、と評価された。これには背景がある。決して褒められたことではないが、小学校時から父親のバイクで山道を遊んでいたが功を奏した結果だろう。

 免許を取ったとはいえ、当初は車がなく運転の機会は多くなかったが、就職して間も無く、1971年(昭和46)車を購入した。
 車を得ていつでもどこにでも出かけられる自由は大きかったが、私はあまり運転には向いていないことに気づいた。得られる自由度は大きかったが、渋滞で時間が費やされ、疲弊するというマイナス面も大きかったから、である。

 2020年 (令和1)、私は運転免許証を返納した。54年の運転歴であった。この間警察が関与する事故は自分からは起こしていない。1972年(昭和47)に不注意で若者の車と衝突し車を買い替えた。また、女性の運転する車に2度ぶつけられた。
今夕、路上で接触事故に遭う(1) 3回目の経験となった
今夕、路上で接触事故に遭う(2) 私の車の車検切れが発覚

 違反摘発は1974年(昭和49)、24Kmオーバーで15.000円、一時停車違反で3.000円が実績である。 運転免許返上したので、事故にしろ違反にしろこの程度で済んだのはラッキーだと思っている。車の車検切れに関しては違反を問われなかった。私の誠意が通じたのだろう。
 
 私は車の渋滞はとても嫌だが、決して短気でもせっかちな性格でもないと思う。
 ただ、交通渋滞に関してだけは特別に耐え難い、許しがたい、時間が無駄、という感覚が強くある。

 医師である以上、緊急的な出勤などは日常茶飯事で、車を用いることは止むを得なかったが、渋滞が予想される時間帯には可能であれば運転を避けていた。

 秋田でも、早朝などでは10分ほどで行ける距離でも渋滞に引っかかると30分、冬季間などでは時に1時間もかかる。私は我慢できなかった。秋田で渋滞で悩んでいると言っても誰もまともに聞いてくれなかった。

 運転していると赤信号に引っかかるのは当然であるが、青に変わっても通過できず2回目の赤信号に引っかかる状態は、私にとっては渋滞の定義に、3回ならば大渋滞の定義に当てはまる。

 ただし、運転を誰かに委ねているときはこの感覚はない。


5/15(土)快晴 飯川病院午前外来
1:00起床。新聞、文献PDF化他、録音データ処理、本読みなど。自炊数冊、8:30家内に同乗飯川病院、午前は男鹿市民病院COVID-19クラスターで外来担当医自宅待機となり急遽午前外来担当に。午後は病院で休息ほか、16:00帰宅、ダリア本植え作業、一部、 DIY店にて腐葉土4袋購入、19:00夕食、20:45就寝。歩行Σ11848歩。

季節の話題2021(12) 庭先の花萌ゆ(2)
 4月23日、秋田の桜が散った。私に夏が来た。今年の春は短かった。
 結構まだ寒暖の差が大きく肌寒い日も多い。
 夏、花の季節である。庭先の花たちが萌えている。

 今年は巷ではCOVID-19の世界的蔓延を迎え、緊急事態宣言も出て社会は混乱している。
 人間社会がいかに混乱しようと自然は偉大である。我が家の庭の花達はいつもと変わりなく開花し一気に華やかになった。

 花個々への私の知識は乏しい。名称もろくに知らない。名前など知らなくとも花を愛でることができる。木々、草花の美しさをじっくり味わえる幸せを感じている。
 なんで花はキレイに咲くのか?誰のために??私の疑問はまだ解けていない。

 私にとって夏が始まった。これから木々草木は緑に萌え、種々の花々が次々と開花する。
 いい季節になった。


5/14(金)76回目感謝の日 快晴 大曲中通病院外来 飯川病院ボランティア 
1:00起床。新聞・文献・雑誌読みと自炊他。5:00可燃ゴミまとめだけで提出せず。7:40Tax駅に,こまち。往復ともガラガラ。病院到着直後地震あり震度3か??下りのこまちは地震の影響で遅延20分。9:00大曲中通病院外来、15:30飯川病院ボランティア。19:20帰宅、夕食、21:15就眠。歩行Σ8212歩。

76回目の感謝の日 まだ生きています もう少し生きてみるかと意欲が湧いてきた
 本日76回目の誕生日。
 私が本当に消え去る日までの生き方は昨年と同じだが、ここまで来たのだからもう少し真面目に生きてみようかとも思い始めた。

 毎年のことだけれど、以下のように生きていく。
―――――――――――――――――――――――――――――――――-
(1) 私の社会的使命は終わっている。仕事は最小限、補助的診療にのみに限定、今までよりもさらに少なくする。
(2) 自由に、ホンネで生きる。やりたくないことは受けない。
(3) 時間がない。だから、意の赴くまま、気ままに生きる。
(4) 五感を生かして生きる。自然、人生に一層深く味わいを感じる様になった。
(5) 長時間の歩行は心臓機能の低下(?)、腰痛などで出来なくなったが、こまめに歩いて移動機能、下半身機能を維持したい。伊能忠敬の足跡を辿る日本一周は今2周目、間も無く北海道に至る。一時やめていた飯川病院5Fまでの階段昇降を再開した。
(6) 診療で得られた報酬の約10-20%を岩手の復興資金に送る。収入減とともに徐々に少額になりつつある。
(7) 終活を一層進める。
(8) 私には自省すべき言動が数多くあった。それらを恥じて隠遁生活続ける。
(9) 何もしない、一見無為な時間が大切に思えてきた。
(10) より中性的になった立場から、女性の立場について、ジェンダーなどについて考察したい。 
(11) 年とともに心身の衰えを感じるが、それを得難い経験と考える。
(12) より寛容になってきた。人の気持ちがわかってくる。物事をじっくりと味わうことができる。多様な考え方を受け入れていく。さりとて人の言葉に左右されたくはない。これは矛盾点。
(13) 同年代者の訃報を見れば安堵する。若い方々の訃報に接するのは寂しい。
(14) 自然の大事さを認識。自分自身が自然の一員と思える様になりたい。
(15) いい詩には言葉以上の、無限の広がりがある。私も美しい日本語を書きたいものだ。
(16) 1日一話の随想はできるなら継続したい。
(17) COVID-19の動向、社会の動きが気になる。
(18) 肥満傾向にあり、生活習慣を若干見直したい。
(19) 視力が低下傾向であるが、広いジャンルの書籍を読みたい。
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 矛盾し、スッキリしない部分もあるが、家族も総じて元気であるし、まずは良い76歳のスタート日になったと思っている。


5/13(木)快晴 午前フリー 午後飯川病院
0:50飯川病院で起床。いつもの如く本読み、データ整理中心。7:00検食。8:30勤務明けとなるがバスの便から見て非効率なのでそのまま飯川病院にて過ごす。読書三昧。男鹿市民病院で看護師感染で今週土曜急遽外来となる。14:00勤務、散水など。19:20帰宅夕食、21:00就眠。歩行Σ4123歩。

?落語家で医師の立川らく朝氏が死去された
 立川らく朝氏は内科医師で落語家。
 2008年7月15日夕方、私は秋田ビューホテルで氏の落語を楽しんだ。その後はラジオの落語番組で何度か接したが、一度直接拝見した方には親しみを覚え、今後の活躍を期待していた。

 この落語会は、秋田県病院協会と賛助会員との定例の懇談会の企画として行われた。とても良い企画だったと思う。
 聴衆が大部分医療関係者と言うことでなかなかやりにくかったのではないだろうか。イントロとして世間や世相の話、厳しい医療情勢などを中心に話題を展開された。これも素晴らしい出来ではあったものの、何か一つ乗り切れないものがあったような気がした。後半は名作『番町皿屋敷』で、皿を手からすべらして割ってしまい殿に咎められ、井戸に身を投げたお菊が美形の幽霊となって現れ、皿を「いちまーい、二まーい・・・」と数える、あれである。

 「らく朝」氏はこの話に運動不足、ストレス、過食による肥満等の生活習慣病の話題を織り交ぜ、現代調の「健康落語」に作り上げていたが、動きも少なく静かだった前半とは一変、全身を使っての大熱演で、演技力、迫力も充分で感心して聞き入った。落語は大変な全身運動であることがよく分かったし、これだけの域に達するには、あるいはこれ以上を求めるなら、最早医業とは到底両立し得ないだろうとも思われた。

 氏は杏林大学卒、慶大内科で生活習慣病、動脈硬化症なとの研究に従事、一方ではエイズ対策企業懇話会を設立してこの方面でも活躍しておられた。1998年、44才で立川志らく門下に客分弟子として入門、2年後正式に入門して研鑽を積み、2004年二つ目、2015年10月、真打に昇進した。
 秋田を訪れた当時、二つ目であった氏は東京表参道福澤クリニックの医師でもあり、ご自身の専門性を生かして、健康教育と落語をミックスした新しいジャンルである「健康落語」を確立しつつあった。

 氏は全ての病の元凶はストレスにあり、そのストレス解消は笑うことに尽きると演目の中でも強調していた。確かに、笑うことが免疫力を高めるとことについては実験的にも確かめられているし、ガンやリューマチの患者の自覚症状も軽減することは日常的にも経験していることでもある。

 ならば、医療関係者はむすっとして患者達にストレスを与えるようではダメだと言うことにもなる。患者は総じて健康不安を抱えている。私は診療を通じ、患者に安心を与え、笑う余裕を与えるが、これが氏が言うように患者を救うことにもなる。

 氏は本年2月頃から病気で療養していたとのことであるが5月2日に死去された。享年67歳であった。

 私なんぞ緊張感の欠如から不健康な生活を送り肥満傾向で悩んでいるがまだ生きている。私以上に多くの方に健康の重要さを啓蒙されていた氏が私よりも若くして亡くなられたのは運命のいたずらとしか思えない。氏のご冥福を祈りたい。


5/12(水) 快晴 午後飯川病院+当直 
 1:10起床。文献チェックほかいつものごとし。午前歯科受診+アルファ。12:12バス、飯川病院に。微睡。入院患者対応。庭に散水、ほか。17:00飯川病院当直、18:00検食、21:00就眠。Σ4904歩。

書評 さだまさし作「解夏」 幻冬舎文庫 2003年
 主人公は失明が必至の病、ベーチェット病に侵され、絶望の怒りと恐怖に向かい合うという「業」を背負っている。恋人と母と友人達の絶対的な愛に支えられ、運命を受け入れ、解放される日々を過ごす。
 物語の内容は映画評「解夏」にも記載した。

 数々の名曲を生み出したのみならず、筆者の文章はとても美しい。淡々としているのに読むものの心を震わせる。

 表題作のほか5編の短編が収められている。いずれの物語も素晴らしい内容である。
 
 (文庫本の表紙)

 余談(1)
 書評ではないが、私は旅行嫌いで、観光にも土地の味覚にもそれほど興味がない。特に九州は馴染みが乏しい。その中でも長崎については関心が大きい方である。

 亡母の話によると幼少の頃に一度何かの用事で長崎を訪れたことがあるらしい。
 その後、内科や血液学会を通じて30年ほど前に2回長崎市を訪れた。学会のことなど記憶は皆無だが、長崎市に関しては、平地が少なく坂道だらけの地形、夜景の素晴らしさ、歴史的な街として長崎出島、グラバー邸などが記憶に残っている。
 長崎チャンポン?はあまり美味とは言えなかった。
 中でも2回訪れた平和公園、原爆資料館は衝撃的で、広島のそれとともに機会があれば何度でも訪れたいところである。

 最初の訪問時には航空機が海面すれすれまで降下して長崎空港に着陸した。長崎空港は大村湾の中央付近、海岸から約2kmに浮かぶ世界初の海上空港として開業したが、その情報を得ていなかったためにこのまま海上に不時着するのかとさえ思った。

 長崎については10年ほど前だったか、吉村昭氏の戦艦「武蔵」建造に関わる著作を読んだことが機会となって、長崎について認識を新たにした。

 余談(2)
 内容的には映画で取り上げた病気とは全く違うが、私も進行性の視力障害の最中にある。視力検査の字や記号は全く見えない。両眼とも0.01以下と判定される。
 私の場合は白内障、緑内障などが原因なので治療しようと思えばできないわけではないが、私はあえて治療せずに放置し、徐々に進む軽度の視力障害の世界を楽しんでいる。焦点がずれていてはっきりは見えないが、だからこそ景色は美しく、夜景は綺麗、かつ女性は美しく見え、ネコは可愛い。見え過ぎるよりは総じていい感じである。


5/11(火)晴れ 外来 飯川病院ボランティア
1:30起床。文献他PDF化、徒然、5:00可燃ゴミ出し。6:47バス飯川病院,8:45-13:20中通総合病院外来、混雑中等度しかし疲弊。14:00ー19:00飯川病院勤務、ボタン白一鉢飯川玄関に。19:00帰宅。夕食、21:15就眠。Σ8233歩。

?映画 さだまさし作「解夏」 監督:磯村一路 東宝 2004年
 今年のGWは飯川病院で日当直として3日間過ごした。時間が長いこともあって読書三昧で過ごし得た。時間があるだけに、久々じっくり見せていただいた。
 その時に読んだうちの一冊が本書さだまさしの「解夏」(幻冬舎文庫)で、余勢をかってアマゾンで見たのがこの映画である。

 表題の「解夏」とは仏教用語で、昆虫などが繁殖期に入る陰暦4月16日から7月15日までの三か月間、無駄に殺生しないよう僧が出歩かず、一か所にこもって修行するが、その最終日のことらしい。さだまさしが用いる用語は難しい。
 
 難病ベーチェット病であと数ヶ月で視力が失われていく若い主人公とそれを支える婚約者、母、友人たち。
 舞台は坂の町長崎。長崎の階段と海と空に美しい風景。この映画で長崎の風景を見、改めて美しい街だと思った。長崎の老人たちは足腰が丈夫なのではないだろうか。

(東宝関連HPより借用)

 主演は、大沢たかお、石田ゆりこ、富司純子、松村達男他。
 富司純子氏は映画「フラガール」で見たばかりであるが、他は私にとっては初めての方。脇を固めた配役は絶妙の動き。印象深かったのは、富司氏の表情。母の強さ優しさ。誰でも持っている当たり前の立場を的確に表現する演技力に感じ入った。偉人・変人・奇人を演ずるのはむしろ楽で普通の人を演じるのが最も難しいとされている。もう一方、松村達男氏はこの映画出演を最後に亡くなられたとされるが、氏の存在感も大きい。

 人物、風景ともに絶妙のカメラワークで示される。バックグランドミュージックもいい。 淡々と、長崎の雰囲気が心地よく入ってくる。

 作品そのものはいわゆる難病の闘病記にあたる。視力が段々と落ちてくる主人公の心の葛藤と、それを支える女性の物語であるが暗くならず静かにストーリーが進み全体的に静寂感を感じる。決してお涙頂戴ではない。

 爽やかな印象を持った名作である。


5/10(月)早朝降雨以降快晴 健康クリニック 飯川病院
1:10起床、データ整理、画像データ、音楽データなど整理。6:47降雨の合間を縫ってバス飯川病院。9:00-11:00健康クリニックドック10名。判定は昨週終了しており早めに終了。11:15飯川病院。入院患者対応。14:00-19:00勤務、入院,患者対応再度。19:20帰宅、夕食、21:00就眠。Σ7975歩。

皇位継承(3) 生前退位 人間天皇ならば老化するのも当然
 平成16年、82歳であった現上皇陛下は天皇として生前退位の意向を示された。近代の皇室にはないことだけに、各界に大きな話題を提供し、憲法論議までた。

 私にとって皇室の話題など、別世界のことであり、特に考えることなどないし、考えることも不遜なことと思っていたが、陛下をお一人のご高齢の方と捉えれば、いろいろな考えが湧いてくる。

 生前退位に対し、天皇について定めた法律「皇室典範」があり、生前退位はできないなどと、宮内庁や政府の関係者は発言しているが、法による制限があるから、と片付けるのは納得し難い。法律があることで関係者は思考停止状態にあったのだ。

 私はこの問題が生じた当時、陛下がご高齢になるのに、生前退位すらも念頭に置ていない皇室規範をそのままにしていたことこそが問題であって、周辺の方々の職務怠慢だと思った。それを盾に、憲法まで出して天皇の希望を受け入れなかったことは、人道的にも問題と思った。

 天皇の地位は終身制となっている。私から見れば他に例のない、例えようのない厳しい地位である。高齢に達したとき、その地位はどうあるべきか、「皇室典範」にあるからと、今まで検討もされてこなかったとすれば驚きである。
 生前退位には法改正が必要とのこと。確かにそうだろうが、これ以上の公務をお願いし続けることは、「高齢になって疲れ果てた名馬に、死ぬまで働け・・」と鞭を当てているに等しいと思った。私は、もういいじゃないか、皇室典範の改正は後付けでもいい。すぐにでも激務から解放してあげるべきだ、と思った。
 今まで生前退位など考えもしなかった関係者の怠慢を指摘したい。状況の把握に問題があるし、前例がないから、となんら準備してなかった、とすれば、問題である。

 幸い、2019(平成31年)4月30日に施行された皇室典範特例法に基づき、憲政史上初めて譲位され、上皇となった。

 たとえ陛下の意向がどうであろうと、お膝元の宮内庁が陛下の年齢を考慮した対策を国に提案できなかったのは職務怠慢だと思う。尤も、侍従長、宮内庁長官、皇室医務主管・・・等の年齢を見ると総じて年寄り。政治家は総じて保守的。これじゃ問題に気がつくはずもない。

 もちろん、陛下をサポートする職務の方が若すぎても問題があるだろうが、高齢の取り巻きは天皇陛下のお気持ちを受け取れていなかったのではないかと思われる。

 生前退位が問題になった当時、人間天皇ならば老化するのも当然、天皇は人間扱いされていない、と思った。

 今度は天皇の性別問題である。人間天皇ならば男女は同権。「父方に天皇の血を引く男系の男子のみが皇位につく」という伝統は現在まではなんとか引き継がれてきたが、この伝統の方に無理があるのだ。もうそんな規定は必要ない。
 
 今、有識者会議が検討しているが、私は天皇は人間であり、性別で資格を論じることは人権問題であり、その視点に立てば結論は自ずと決まる。女性天皇を認めるべきだ、と思う。
 ここで、従来からの伝統を重んじ、「天皇は男性に限る」という判断が出たら、日本はジェンダー問題ではどうしようもない後進国として世界の笑者になるだろう。


5/9(日)降雨午後晴れ 草刈り6回目
1:20飯川病院で起床。本読み、文献読みほか。書店巡り予定は母の日で中止。10:00バス帰宅。孫たち迎えあるも母の頭痛のため14:00近くまで帰らず、疲弊。14:00-16:00草刈り6回目。微睡後新聞チェック収集、入力など。読書。19:00夕食、20;30就寝。Σ10955歩。昨年、キウリトマトを畑に植えた。レガシー廃車やっと着手。

皇位継承(2) 人間天皇ならば性別で規定するのはおかしい
 安定的な皇位の継承のあり方を検討する有識者会議の初会合が3月23日開かれた。

 その会議の論点は、■男系男子の継承、■女性天皇や女系天皇、■女性宮家の創設、■旧宮家の皇籍復帰、■女性皇族の結婚後の公務、が挙げられている。このうちの前二者がメインとなると思われる。

 従来は伝統に基づき、血筋、血統を満足させる男性天皇、とほぼ限定されていたが、敗戦後に「人間宣言」で天皇は「人間」となった。
 しかし、天皇には人権もなく、ひたすら国家に奉仕し、崩御するまで退位は認められないなど、人間扱いされていない。天皇は人間になったのだからその時点から「人間的な扱いを検討」すべきであったが、おざなりのままに残されていた。この間、政治家は怠慢であり、宮内庁も同様であった。このことで皇室問題は、特に皇位継承問題はいまだに古い伝統が主役となっている。そのため2000年になって後継者不足がにわかに前面に出てきた。小泉、野田内閣では検討会を設置したが、悠仁さまの誕生で立ち消えになったが問題は決して解消していなかった。ちょっと先送りの時間ができただけであった。

 有識者会議ではまず、「父方に天皇の血を引く男系の男子のみが皇位につく」という今の制度を保つのか否かが大きな論点になろう。
 現在、皇位継承の資格のある皇族は、55歳の秋篠宮、14歳の悠仁さま、85歳の常陸宮の3人だけ。うち秋篠宮、常陸宮さまはもうお子様を設けられないだろうから、皇位継承は14歳の悠仁さまのもとで将来生まれる男の子のみで継承されることととなる。だから、悠仁さまに期待されるのはただひたすら男の子を生むと言うこと、になる。

 これは非人間的期待である。ましてや、こんな状況の中で「男子を産むことを、しかも複数の男子を生むことを絶対条件」として受け入れ、悠仁さまと結婚される女性はいるのだろうか。私はいないと思う。

 したがって、今までの伝統を維持すれば将来の皇統の維持は「幸運と偶然に支配される極めて危うい状況」になる。私は、多分、維持不能になると思われる。これは「国家の基本に関わる極めて重要な事柄」(菅首相の弁)である。

 私は天皇は人間であり、性別で資格を論じることは人権問題であり、その視点に立てば結論は自ずと決まる。女性天皇を認めるべきだ、と思う。男性に拘らず周辺の環境を変えていけば皇位継承の選択肢はかなり広がってくる。

 各種の世論調査では、国民の多くが女性が天皇につく「女性天皇」や、父方に天皇の血を引かない「女系天皇」を肯定的に受け止めている。
 もう時代は変わっている。

 有識者会議では、人間天皇を時代にあった形にすべき、と思う。


5/8(土)快晴 飯川病院日当直
1:10起床。文献読みと新聞電子化、録音データ整理、徒然。台所の水道蛇口故障したが修理、ほぼ満足の出来。8:00微睡。11:00仕事で出勤の家内に同乗飯川病院に。そのまま日当直に就く。昼検食、午後映画「ホットまま」一部観る。散水など。17:55検食、20:30就眠。5331歩。

わが家のGW(2021) COVID-19下でいつもの如く淡々と、多忙に過ごした
 今年のGWは、暦上は5月1日(土)-5月5日(木)の5日間であった。
 私はこの間、5月1日(土)は飯川病院の日当直、5月4日(火)も日当直、最終日5月5日(水)は日直が当たったから、実質的に家で過ごしたのは5月2日と3日だけ。

 毎年のことなので、今年のGWの天候、1日の過ごし方、歩数、考えたことなど記録しておく。
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■5/1(土)曇り午後から快晴 GW初日 飯川病院日当直   
 1:00起床。9:00今季初の草刈り。12:20家内に同乗、書店経由で飯川病院へ、12:30-翌朝9:00日当直。歩行計Σ6541歩。
?COVID-19(2021)(21) 秋田も急増しつつある 

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■5/2(日)降雨午後快晴寒い GW2日目 
1:00飯川病院起床、画像・文献新聞チェック。録音データ整理。10:00バス帰宅、読書、新聞データ化。19:00夕食。20:30早々に就寝。歩行計5038歩。
?皇位継承(1) 人間と認めるなら皇室に人権を認めよう

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■ 5/3(月)憲法記念日 降雨午後から快晴 GW3日目 草刈り4回目
0:30起床,文献チェック、随想読みほか。iPhone2台、iPad3台iOSアップデート、自炊3冊、午後14:00草刈り4回目。それ以降は座学、文献読み、読書など。新聞チェックなど。書籍自炊。19:00夕食、21;15就眠。歩行計7457歩。
?憲法記念日に思う(2021)(1)

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■ 5/4(火) みどりの日 晴れ GW4日目 飯川病院日当直
 2:00起床,文献チェック、随想読み、読書ほか。8:30家内に同乗飯川病院へ。9:00-翌日9:00飯川病院日当直。座学など、新聞チェック。午睡後読書、さだまさしの小説「解夏」、ついでに映画も鑑賞。18:00夕検食、21;00就眠。歩行計4759歩。
?憲法記念日に思う(2021)(2)

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■5/5(水)子供の日 快晴 GW5日目 飯川病院日直 
0:50飯川病院にて起床。随想読み、新聞処理。徒然。さだまさしの小説「解夏」読む。映画も鑑賞。文献読み中心。9:00-19:00日直。19:00家内の迎えあり帰宅、夕食、21:00就寝。 歩行計4886歩。
?子供の日2021(1) 「こども庁創設案」について いい政策と思う

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 今年もGWは飯川病院の日当直で時間が取られ、草刈りに時間が取られたが、本も5冊ほど読めた。この間検討すべきと決めていた事項、自分の死亡時の具体的手続きをまとめ、家内や子供たちに残そうとしたが、できなかった。

 何と言っても、今年のGWは昨年に引き続きCOVID-19の世界的流行とその影響である。
 3回目の緊急事態宣言が発令されて企業や商店の営業自粛、人の移動の抑制などの指示が出た。

 昨年、今年のGWはいつも郷里で過ごす長女一家が来秋できなかったことである。勿論、その原因はCOVID-19で、40年ばかりを振り返ってみてもほとんどなかったことである。私と家内、次男は病院勤務でありともに厳しい感染防止が求められている。だから蔓延地域からの来客も受けることができない。

 この間、
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■全世界の感染者数は約1.5億人に増加、死者も315万人。
■国内の感染者数は約650.000人、死者10,000人超となった。
 昨年同期の国内の感染者数は約2000人であったことを考えると驚く推移である。しかも、現在は変異株が優位となっており感染防止に気を抜くことはできない。朗報はワクチン摂取が始まったことであるが、まだ供給量が少なく今後の経過は見通せない。
■秋田県の感染者は昨年同期16名。最近は徐々に増加し520名になっている。
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 私は緊急事態宣言が出たからといってもともと3蜜状態が嫌いなのでほとんど影響は受けない。
 私は毎金曜に大曲の中通病院に診療応援に行くのであるが、往復の新幹線はガラガラ、私が利用する先頭車両はせいぜい1-2名である。

 私にとって、内容的にはゴールデンじゃなくシルバーウイークレベルだった。


5/7(金)曇りのち晴 大曲中通病院 飯川病院勤ボランティア
1:00起床。文献検討、徒然。新聞チェック。5:00家庭ゴミまとめ提出。7:40Taxi駅に。8:11こまち14号、先頭車2名のみ。9:10大曲中通病院外来、大曲復路徒歩、秋田駅病院間Taxi。飯川病院ボランティア。19:30帰宅夕食、21:00就眠。Σ9829歩。

子供の日2021(3) こどもをめぐる諸問題を羅列してみた
 私は興味を感じた新聞記事をスクラップし、項目ごとに分類して保存している。しかし、紙媒体ではみるみる量が嵩み書棚を占拠する他、目的の記事を探し出すのも困難で2008年頃からはスキャナーで電子化し項目ごとに分類し保存している。これだと体積も重量も一切増えることはない。それらのデータは検索をかけることによってすぐに目の前の画面に提示される。

 私は小学校6年を頭に孫が5人いる。しかしながら、内孫でないから、今の子供が置かれている現状を十分に分かっているわけではない。
 子供は各家庭にとっても地域にとっても社会的に見てもかけがえのない存在だから子供達の置かれている現在の環境に、高齢になったからと言って無関心では居られない。

 2008年以降を検索すると膨大になりすぎる。
 2020年分と2021年上半期分に「教育 子育て いじめ 差別など」として分類した記事の枚数は1000余枚になる。

 それらから代表的項目を挙げてみた(順不同)。
 これだけでも現代の子供たちが置かれている状況の概要がわかる。
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子供の安全教育
他人を信用できない子供 感じない心を持つこ 
子供たちの裏社会 、裏サイト
育児放棄 ネグレクト
家庭内暴力DV  躾名目の虐待 
家庭内虐待、虐待死
教育虐待、指導死 スクールハラスメント 教師からの嫌がらせ 校長セクハラ
児相 いじめ いじめ死 ネットいじめ 
COVID-19と鬱 
わいせつ教員 
校則がんじがらめ 黒髪強要
生きずらさ
保健室登校 
嫡出否認問題 無国籍児童 
あしなが問題 給食費問題本 奨学金 子供の貧困
オンライン授業 
COVID-19下のストレス
学校崩壊 
脱ゆとり教育 ゆとり教育
不登校 
スマホ子供は悪影響? ゲーム依存 
育児 保育所落選 育児病児保育課題
単独育児 双子三つ子などの出産 単独育児の困難さ 
子供お断り社会 ベビーカーで嫌な思い
子供の事故と安全教育 
発達障害 障害児 ADHD(注意欠如・多動性) ASD(自閉スペクトラム症) DCD(発達性協調運動障害) 吃音チック・トウレット症候群 知的障害
いのちの授業
食物アレルギー
こどもの自殺
SSW倍増(スクールソーシャルワーカー)増員問題 
ストーカー対策 
子供110番 
児童ポルノ問題
子供の性被害 

などなど他にも多数―――――――――――――――――――――――――――――――-

「こども庁」をもし創設するならこれらの項目についても検討してほしいものである。


5/6(木)快晴 午前草刈り5回目 午後飯川病院勤 健クリ結果判定
 0:50起床。随想読み、新聞処理。徒然など。午前草刈り5回目。12:12バス出勤。14:00飯川病院勤務、一時外出、健康クリニックドック判定、大曲出張費受け取り。入院患者対応。19:30帰宅。夕食、20;30就眠。歩数12279歩、草刈りとクリニック往復。

子供の日2021(2) 「こども庁創設案」(2)
 しかし、なぜ今「こども庁」と言う組織の創設なのか。唐突感が否めない。

 従来、わが国の社会保障などは若者に薄く高齢者に厚く采配されてきた。選挙の投票者が高齢者中心であったから、どうしても高齢者に甘く傾く。だからシルバーデモクラシーと言われる。逆に、そのことが若者の政治離れに結びついた。
 ところが、少子高齢化がここまで進み、わが国の将来に懸念が出てきて、やっと高齢者から子育て世代へ社会補償の傾向を変ることが求められてきた。ただし、数の上での少子化対策はもう間に合わない。質の向上でいくしかない。
 私は今更ながら観はあるが、子供は宝である。高齢者の何倍も大切にしてほしい。

 今、こどもたちが育つ環境を考えたときに、こどもたち自身にも、育てる世代にも、社会構造そのものにも、問題は多々ある。あまりの多さにに目が眩むほどである。

 「こども庁」創設に関しては、現状ではイメージ的なアイデアだけで、どんな課題を重視していくのか、具体的に示されていない。中身の整理もしないまま組織の構造や名称だけが独り歩きしかねない。これでは次期衆院選をにらんだ「選挙目当て」と言われても仕方ない。

 かつては、「地方創生」、「1億総活躍社会」などと名を冠した政治スローガンを掲げて選挙の目玉にしたことがあったが、これはわが国の政治の悪しき傾向である。これらがどうなったのか、総括もされないからその後行方不明である。

 政府はこれまでも少子化対策をうたい、保育施設の拡充や現金給付といった施策を打ち出してきたが、なかなか問題解消の決定打にはなっていない。その因は果たして組織が一元化していなかったためなのだろうか。
 確かに、医療、教育、福祉など、子どもに関わるあらゆる分野を一括して担う組織があれば、縦割りの弊害は解消されるだろう。
 従来の施策がなぜ思うような効果を上げられないのか、省庁間の連携にどんな支障があったのか、新組織創設の前に、検証すべきだ、と思う。

 しかし、子供に関しては整理すべき課題はあまりにも多い。学校、勉強、友人、遊びなどなどである。
 
 菅政権は「デジタル庁」創設を打ち出した。「孤独問題解消」を図る対策室や担当大臣を置くなどしてきた。COVID-19対策を見ていても、担当大臣ばかりが増え、かえって複雑化し混乱している

 国民が求めているのは、施策の実効性だ。ならば、新組織ありきではなく、参加党派を募り「こども庁」創設準備室でも作り、子どもを第一に考える視点から議論すべきだ。


5/5(水)子供の日 快晴 GW5日目 飯川病院日直 
0:50飯川病院にて起床。随想読み、新聞処理。徒然。さだまさしの小説「解夏」、映画も鑑賞。7:00検食。文献読み中心。9:00-19:00引き続き日直。12:00昼の検食。入院患者平穏。文献読み中心。19:00家内の迎えあり帰宅、夕食、21:00就寝。 歩行計4886歩。

子供の日2021(1) 「こども庁創設案」について いい政策と思う
 子供をめぐる話題といえばどうしても少子化に関わることが多くなる。子供の減少は社会・経済・地域の生活などすべてについて大きな影響を持つからである。その割には国民の関心を呼んでいない。
 少子化の具体例を挙げれば、総務省の都道府県別人口推計(2019年)によると、秋田県の総人口に占める14歳以下の子どもの割合は9.8%で、2011年から9年連続で全国最低となった。ちなみに沖縄県は17.9%。  

 そのため秋田県の将来を語る際「出生率改善」とか「少子高齢化社会の先行き」に関心が集まるが、私は少子化対策は遅きに失し、改善は困難と思っている。存続のために他の方法を考えなければならない。

 少子化とともに「子供たちが育つ環境は豊かになってきたか?」という点で見ると、今を生きる子供たちは従来にない困難を抱えた環境にある。

 幼児期、成長期に良好な育成環境が与えられること、教育環境を提供することは子供達の可能性を広げる。子供が豊か育つ環境を如何に提供できるか、財政を確保して社会全体で子育て支援の方法を共有したいものである。

 これは、全世代の国民の大部分が納得できる政策であることは論を待たない。子供は国の宝である。数でダメなら質で高めよう。

 菅首相が子どもに関連する政策を一元化して担う「こども庁創設」に、突然意欲を示した。私も興味を持った。
 4月1日、少子化対策に取り組む自民党の若手有志からの提言を受け、何か閃くものがあったのだろう、すぐに自民党に党総裁直属機関の設置を指示した。

 自民党は「こども庁」創設を、次期衆院選の目玉公約に据える方針で党内議論を始めた。選挙の目玉??それが目的ならあまり賛同できないが、菅首相が目指す「縦割り打破」にも沿っているから注目はしたい。

 子ども関連施策の所管は厚労省や文科省など複数の省庁にわたっている。そのことで機能的でない部分は多々あると考えられる。それらがまとまれば、窓口が分かりやすくなったり手続きがスムーズになったりする可能性はある。
 子どもに関する施策は、保育や教育、少子化対策、児童虐待防止など実に多岐にわたる。

 就学前の子どもの例を挙げれば、
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 ■「保育園が厚労省」、
 ■「幼稚園が文科省」、
 ■「認定こども園」が内閣府、
 ■ その他にも、法務省や警察庁などに及ぶ問題など
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 このような状況だから施策の決定に時間がかかるなど、行政の「縦割り」の弊害は長く指摘されてきた。


5/4(火) みどりの日 晴れ GW4日目 飯川病院日当直
 2:00起床,文献チェック、随想読み、読書ほか。5:00可燃ごみ提出、秋田市契約の処理業者さん、連休中だと言うのにご苦労様。8:30家内に同乗飯川病院へ。9:00から明日の夕方まで飯川病院日当直。長丁場。座学など、新聞チェック。12:00昼の検食。午睡後読書、さだまさしの小説「解夏」、ついでに映画も鑑賞。18:00夕検食、21;00就眠。歩行計4759歩。

憲法記念日に思う(2021)(2)
 戦争は非常事態ではあるが、国際的に認められた正式な外交手段の一つである。戦争というが事態が生じても、あくまで平和主義を貫くべきだ、という意見がある。特に護憲派の人たちはそのように言う。国際世論に訴えながら「やめて、攻めてこないで・・」と叫び「座して死を待て」、ということだろう。戦争というが事態が生じても、あくまで平和主義を貫くべきだ、という意見がある。特に護憲派の人たちはそのように言う。国際世論に訴えながら「やめて、攻めてこないで・・」と叫び「座して死を待て」、ということだろう。

 戦後憲法の基本的な理念に無理があった、と思う。軍国主義の否定と米国由来の自由と民主主義の考え方で日本人のアイデンティティが混乱をきたした時期に押し付けられた憲法としては価値ある考え方であっただろう。

 日本国憲法は公布から75年目を迎えた。
 新憲法発令後間も無く憲法改正の息吹は始まっていて「憲法の自主的改正」を自民党の党是としてきたが、いまだにどの内閣も成し遂げていない。国民的論議を喚起したこともない。安倍氏が長期政権、国会議員の数の優位性を背景に意欲を示したのは理解できないことではない。

 ずっと現憲法でやってきて「それほど大きな問題が生じていないのに改憲改憲という意義が国民には一切伝わってきていない」、「自民党の思惑と国民の思惑は全く一致していない」。にも関わらず「任期中、安倍首相が改憲改憲と常に語っていること自体が、国民から浮いた状態」にあったとも言える。

 2017年の憲法記念日に首相は「2020年を新しい憲法が施行される年にしたい」と踏み込み、9条への自衛隊明記に意欲を示した。成し得なかった。

 2018年に自民党は4項目の改正案のたたき台をまとめたが、憲法審査会はろくに開かれず議論は進んでいない。このの4項目とは、■9条改正、■緊急事態条項、■参議院の合区解消、■教育制度、から構成されている。

 安倍氏がめざした2020年の改正憲法に盛り込もうとしている緊急事態とは、@内閣の一存で、国会の審議抜きで、法律と同じ効力を持つ政令を定めることができ、これによって、例えば官庁組織を自由に設立したり、刑罰を定めることもできる。A国会議員の任期を無限に延長することができ、内閣総理大臣も終身在任とすることができる、なども含まれている。かなりの強権を目指している。

 憲法改正に向け国民の意識はクールである。
 自民党内でも憲法に自衛隊明記など考え方が多様にあり一枚板ではない。

 与野党対立に加えそれに、森友・加計・桜の会など、権力の私物化の疑惑などが解決しない中での憲法改正は国民に浸透しない。

 憲法改正は急ぐ必要はない。クリーンな内閣のもとで進めてほしい。
 安倍内閣のもとで論議が進まなかったのは当然でもある。このような中での改正論議はできるはずもなかった。
 憲法改正は「笛吹けども踊らず」、であったがその因は自分にあったことを安倍氏には考えていただきたい。


5/3(月)憲法記念日 降雨午後から快晴 GW3日目 草刈り4回目
0:30起床,文献チェック、随想読みほか。iPhone2台、iPad2台iOSアップデート、iPad1台バックアップ。自炊3冊、午後14:00-16:00草刈り4回目、裏の農道終了。それ以降は座学、文献読み、読書など。新聞チェックなど。書籍自炊。19:00夕食、21;15就眠。歩行計7457歩。草刈りでうろうろ。

憲法記念日に思う(2021)(1)
 我が国の憲法は制定後75年であるが、世界的にも平和憲法して評価が高い。不戦の誓いを成文化した条文を持つからだ、と多くは考えているのだが、平和主義憲法を持つのは日本だけではなく、8割以上の国が平和条項をもっている、とされる。

 この75年間、日本国憲法は一度も改憲されていない。しかし、毎年5月の憲法記念日の時期になると改憲論を中心に憲法論議が盛んになる。今年は安倍首相から菅首相に変わったこと、新型コロナ禍のために論議は低調である。ほとんど話題になっていない。

 憲法9条で戦争放棄が以下の文章で謳われている。
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 憲法9条、
1項:日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2項:前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
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 実に立派な条項だ。
 しかしながら、戦後平和が守られてきたのはこの平和憲法があったためではない。
 世界情勢、日本の情勢、日米安保条約しかり、米国との同盟関係、外交努力など、がそうさせてきた。
 平和は平和、平和と唱えるだけでは達成できない。

 わが国も情勢に対応しながら、自衛隊の解釈を捻じ曲げながら、防衛機能拡張を進めてきた。我が国の戦闘能力は世界的に見て10番以内らしい。
 これは憲法9条2項から見てどうなのか?日本の軍事力は軍隊でないのか?

 憲法に関する各新聞社やメディアの世論調査によると、改憲については「不要」>「要」である。また、ここ数年「不要」とする割合は増加している。
 特に9条の改正「反対」は7割に近い数字となっている。この背景には改憲論者・安倍首相のこだわりへの反発もあっただろう。

 改憲論者・安倍首相は最長政権を打ち立てたが、経過とともにダーティなイメージがつきまとってきた。最終的には支持率も低下した。私は改憲が必要だと思うが、こんな首相のもとでは改憲論議はしたくない。

 安倍首相は9条に関して自衛隊を合憲化し軍隊としたいという意向であった。
 私もこれについては正しい判断だと思う。今の自衛隊は何なのか??曖昧にしたまま、黙している日本人の曖昧文化はここにも極だっている。軍隊を持たない我が国は同盟の美名の元で米国の属国みたいである。自衛隊は災害救助隊ではないのだ。

 先日、菅首相・バイデン間でより深い同盟関係を確認した、と言うが、一層属国化したのではないか??

 改憲反対論者は、9条の改正は日本の平和主義を放棄することにつながりかねず、再び戦争に巻き込まれるリスクを増大させる、と主張する。
 9条の改正は、即、日本の平和主義を放棄することには直結しない。
 私はそう思っている。


5/2(日)降雨午後快晴寒い GW2日目 
1:00飯川病院起床、画像・文献新聞チェック。録音データ整理。7:00検食。!0:00バス帰宅、正午のNHKニュース後ののど自慢公開放送はなし。昨年ダリア球根仮植え、今年は2週以上前にすみ。若干新芽が出始めた。ボタンは開花直前。読書、新聞データ化。19:00夕食。20:30早々に就寝。歩行計5038歩。

位継承(1) 人間と認めるなら皇室に人権を認めよう
 安定的な皇位の継承のあり方を検討する有識者会議の初会合が先日開かれた。
 皇族数が減るなかで、皇室制度をどう維持するか、これは「国家の基本に関わる極めて重要な事柄」(菅首相の弁)であるが、従来は血筋、血統、伝統が前に立ち、敗戦直後出された「人間宣言」において昭和天皇は、天皇と国民との間の「紐帯」が、戦前の「神話と伝説」から「信頼と敬愛」に変わった、と述べられた。昭和天皇の人間宣言によって「神話」性が取り除かれ「人間」となった。

 しかし、GHQは天皇を象徴として地位を認めたので、天皇を特別な方として特別な規範の中に置かれた、と見なす考え方は国民の中に残り、人間宣言後に当然迎えるであろう「人間的な扱いの検討」はおざなりのままに残されていた。このことで皇室問題は、特に皇位継承問題はいまだにうやむやの中に残されている。

 平成28(2016)年7月天皇陛下に生前退位の御意向があることが報じられた。陛下は同年8月8日に、御自身のお気持ちを国民へのビデオメッセージという形で表明された。
 しかしながら、現行法では、「皇位継承は天皇の崩御の場合に限られ、崩御によらずに退位して皇位を後継に譲ることできない・・・」と解されていた。極論の一つとして天皇が生前退位を表明されたこと自体が憲法違反とみなす考えも出てきた。

 「天皇を人間として尊重する」ならば退位については、前向きに考えてしかるべき時がきた、と私は単純に考えたが、そんな簡単なものではなく、歴史学者、識者を中心に肯定的な意見と否定的な意見が交錯した。私は高齢天皇の立場を人間的に捉えたから考えは単純であった。天皇陛下の生前退位(1) ご高齢に配慮し直ちに実質的対応に着手すべき

 退位を可能にするとした場合の法改正の方法については、皇室典範の改正により退位を制度化すべきとする意見、一代限りの退位を特別法で認めるべきとする意見などが出た。
 私は驚いた。生前退位に反対する先鋒者は安倍前首相であったが、私はその挙げた理由に納得できず心から驚いた。
 「天皇は御存在自体が尊いというから存命中は一定のお役目を持つ」、と言う。ある人は、日本は「天照大神の子孫の神々様から始まり、神武天皇の即位で神話が国になったのだから、国民のために祭祀を執り行うのが、天皇の最重要任務である」と生前の退位に反対した。よくわからない論理であった。

 皇室構成員を人間として捉えれば事は簡単に進むのに、と思う。


5/1(土)曇り寒い、午後から降雨 GW初日 飯川病院日当直 レセプトチェック  
 1:00起床。早朝読書、文献処理一部廃棄。9:00-10:30草刈り3回目。読書、12:00家内に同乗飯川病院、午後日直、当直。午睡、読書、外来レセプトチェック。入院患者対応なし、読書三昧、久々渡辺淳一「愛ふたたび」。歩行計Σ8093歩。

COVID-19(2021)(21) 秋田も急増しつつある 

 秋田のCOVID-19感染症は国内の集計では都道府県別にみて少ない方から2-3番目であった。1月下旬から3月下旬頃までは1日ごとの感染者数はほとんど見られなかったが4月以降斬増している。

 現状でも、秋田県は感染者数で言えば都道府県別では少ない方から3番目であり、人口10万人あたりの感染者数でいえば少ない方からの10番目くらいである。


(全国の感染者数の累計)

 COVID-19蔓延地区の感染者の状況は凄まじいものがある。その地の医療関係者が負っているプレッシャーは如何ばかりかと毎日危惧していたが、正直言って対岸の火事的に構えていた。
 先月下旬頃までは私も秋田県は新規感染者数が少ないことに感心して見ていたが、ここ2週間ほどはその数の増加傾向に驚いている。
 そうは言っても多くてもまだ一日20数名に過ぎない。

 
(秋田県の毎日の感染者数の推移 累計では500余名と他の県に比較すれば少ない)

 最近急増してきた原因として、4月上旬の大仙市の農業組織であるJAおばこ、中旬に秋田市の某老健施設でクラスターが発生したことと、4月下旬から秋田市の繁華街での感染者の急増である。
 秋田市と県は、5月1日すなわち本日、20-90歳代の25人が新規に感染したと発表した。この数は従来からの集計では最多となる。

 これで秋田県の累計患者数は500人を超えた。
 秋田県のCOVID-19対応は新しいステージを迎えつつある。


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   年を通じてワンパターンで淡々とした毎日です。AM2:00-5:00にメールチェック・返事送付、人間ドック(HDD)判定・報告書作成、新聞切り抜き、病院・医師会業務など。
  月〜土曜は6:00頃出勤、HDD報告書印刷、外来書類処理など。病棟回診、HDD受診者とミーティングと診察。8:45-14:00外来とHDD受診者に結果説明。昼食は摂りません。午後は病院業務・医師会業務、各種委員会等に出席など。20:00頃帰宅。
  日曜・祭日もほぼ同様ですが、病院には午後出かけます。時間的に余裕無いのが悩みです。


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