徒然日記
2017年5月分

 日記と言うより、自分の行動記録からの抜粋と日々の雑感です。

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先月の日記          来月の日記


5/31(水)晴れ 本日フリー
 0:40起床。新聞・文献読みとデータ化etc。5:00畑にダリヤ植える。今年は腰痛のために遅れてしまい自信なし。他畑園芸作業。掃除洗濯など。ネコ部屋整理掃除。午後は園芸関係、ネコ部屋ラティスほか購入。BR disk視聴なし。19:00夕食、20:30就眠、Σ10265歩。

NHK「らららクラシック」がリニューアル(3) 余談:名番組「名曲探偵アマデウス」
「らららクラシック」は、平成29年4月から内容が変わった。私は「ららら」を通じて好きになった曲も少なくない。新「ららら」のリニューアル後の放送はまだ2−3本しか見ていないが、そのコンセプトをまだ理解できない。

 「ららら」とはちょっと異なるが、かつて、名曲にまつわる物語を通して曲を解説するクラシックミステリー「名曲探偵アマデウス」という番組もあった。番組は2008年4月-2012年3月で44分の番組。出演は筧 利夫、黒川芽以。
 私はその一部であるが録画してあり、時折再視聴している。
 私はとても気に入っていた番組であった。この時も終了が残念であった。

 場面設定は、大都会の片隅の探偵事務所。
 毎回訪れる依頼人の悩みの解決の鍵はクラシック音楽の名曲に隠されており、曲の構成や背景などを紐解いてゆくことで依頼人の悩みにを解決していく。途中に演奏家や音楽学者の解説が入り、名曲の謎を解き明かす。番組の最後には演奏の抜粋が流れ、復習ができるようになっている。
 私は、実に優れた番組だったと思っていた。放送終了が惜しい。

 救いは、この番組の一部は2010年にナツメ社から「CD付き NHKクラシックミステリー 名曲探偵アマデウス 」として出版されていることである。
 
 この書籍で取り上げている曲は以下のごとく。解説者は、千住明氏、野本由紀夫氏である。
――――――――――――――――――――――――――――
1.ラヴェル「ボレロ」
2.ドボルザーク「交響曲第9番(新世界から)」
3.モーツァルト「クラリネット五重奏曲」
4.ベートーベン「交響曲第9番(合唱つき)」
5.バッハ「無伴奏チェロ曲」
6.ショパン「ポロネーズ第6番(英雄)」
7.サラサーテ「ツィゴイネルワイゼン」
8.シューベルト「ピアノ五重奏曲(ます)」
9.チャイコフスキー「ピアノ協奏曲第1番」
10. ドビュッシー「月の光」
11. ホルスト「組曲(惑星)」
12. ショスターコーヴィッチ「交響曲第5番」
―――――――――――――――――――――――――――――-

 本書は、名曲解説、作曲の裏話、作曲にまつわるエピソードなどがイラスト・写真等を豊かに駆使し説明されている。今まで漫然と聴いていた曲の部分の意味づけ、重要性も知り、聞き慣れていた曲も新たな気持ちで鑑賞できるようになった。

 名曲探偵アマデウスの再放送が欲しいところである。一部は私の録画で見ることができるし、この本も参考になる。それだけで満足しなければならないのか?

 それにしても、NHKのクラシック系の音楽番組は寿命が短い。愛好者から見て残念である。


5/30(火)快晴 外来 飯川病院
1:00起床。新聞・文献入力、データ整理etc。5:00可燃ゴミ提出。7:15徒歩飯川病院着、ハト餌忘れ遠回り。8:45-13:30中通外来、13:10飯川病院、微睡、14:00-18:30勤務、入院患者対応、BR disk視聴:「アナザーストーリー:北朝鮮拉致問題」前半、貴重な記録である。19:30広面経由帰宅、夕食、20:30就眠。歩行計Σ13316歩。

NHK「らららクラシック」がリニューアル(2) 教えられた学曲の深さ・構造・展開
 「らららクラシック」は、日曜午後9時のNHK教育の名番組「N響アワー」がリニューアルするのと同時に開始した。
 通常は画像がないレコード音楽を楽しんでいた私は 、NHK-TV「N響アワー」を通じて演奏家の表情を見ながら聴くという楽しみと出会った。だから、「N響アワー」が終わると聞いた時に大いに失望したが、同時に「ららら」が開始された。

 「ららら」は、当初大部分の時間を楽曲解説に充てていたことで批判された。一部しか曲を聴けない音楽番組なんて何になるのだ!!!、である。

 N響の定期演奏会を全て演奏する後番組「クラシック音楽館」は2013年4月7日から放送されている。その時点で「ららら」は消え去るかと予想したのであるが、土曜午後9時30分に移動し、時間を30分に短縮し続行された。

 「ららら」の注目すべき新要素は、作曲家に偏重していた従来の解説を改め、楽曲そのものの解説を実施したことにある。それと、クラシック音楽のあらゆるジャンルの曲を取り上げ、楽譜と楽曲の解説を中心に据えていることである。

 これを可能にしたのは、作曲家・演奏家である加羽沢美濃氏の存在だと思う。おそらく、彼女は楽曲選定や番組構成にも携わっているだろう。楽曲のテーマの旋律がどのように変容して曲中で用いられるかなどが楽譜と彼女のピアノを用いて解説される。この構成力は演奏力もある加羽沢氏だから可能になった。番組の最後に曲の一部が解説のおさらい的に放映されるが、これも良かった。

 私は半世紀以上もクラシック音楽を中心に聞き込んできた。
 若干はヴァイオリンやチェロも楽しんだとはいえ、私は音楽の基礎をほとんど知らず聴くのみだけであった。
 曲の構造を知るために、また一層深く聴くために好きな曲はミニスコアを購入しそれを見ながら音楽を聴いた。スコアなしで漫然と聴いていた時には聞こえない楽器の音が面白いように聞こえてきた。ただ、これが限度であった。

 もっと音楽を知りたいという願望を持っていたが、「ららら」は私にとってうってつけの番組であった。加羽沢氏の曲想の分析・解説はとても分かりやすい。この番組を通じて身近に感じつことができるようになった曲も少なくない。

 「ららら」の録画は手元に100本近くある。時折古い録画も引っ張り出して視聴している。

 平成29年4月から「ららら」の内容が変わった。加羽沢美濃、石田衣良両氏が降板した。後任の司会は高橋克典氏と牛田茉友氏とのこと。私は両人についての情報は全くない。まだ2け月であり、私はまだ数本しか見ていないが、新「ららら」のリニューアルのコンセプトをまだ理解できない。


5/29(月)雲ひとつない快晴  健康クリニック 飯川病院
1:10 起床。新聞チェック他資料整理、ディスクバックアップetc、いつもの如し。5:00畑、庭に散水等。7:15徒歩飯川病院着。9:00-11:30健康クリニック。12:00飯川病院、14:00-18:30。BR disk視聴:「日本視察団:100円ショップ、北陸新幹線」、「バクモン:グーグル」、19:00帰宅、夕食、20:30就眠。歩行Σ9853歩。

NHK「らららクラシック」がリニューアル(1) 毎回楽しみにしていた音楽解説番組 
 新年度になると色々なことが新しくなる、もしくは改変する。TV、ラジオ番組も例外でない。放送時間が変更になったり、出演者が変更になる。

 私が自宅にいるときに楽しんでいるTV番組のほとんどはクラッシック音楽で、全て録画で視聴している。

 そのうちの代表的二つの番組が4月以降リニューアルした。
 「題名のない音楽会」と「らららクラシック」である。

 「題名のない音楽会」は私が大切にして来た番組である。4月2日放送分から、司会が五嶋龍氏からミュージカル俳優の石丸幹二氏に司会が引き継がれた。それに伴い内容もレニューアルした。むしろ番組の雰囲気が良くなり楽しくなった。

 「らららクラシック」は30分の枠で、古今のクラシックの名曲を解説する番組である。
 NHKのクラシック番組の代表的なものは、日曜日8:05からの第一放送の「音楽の泉」がある。1949年から続いている長寿番組で、静かな休日の朝にクラシック音楽が流れる。NHKラジオのクラシック番組は基本的にFM放送であるが、「音楽の泉」は数少ないAM放送の番組である。私は鉱石ラジオの時代からずっと愛聴して来た。

 私が視聴するNHK-TVのクラシック番組は「らららクラシック」と「クラッシック音楽館」である。NHK交響楽団の定期演奏会を中心に、国内外のオーケストラによる注目の演奏会をノーカットで楽しめる大型の音楽番組である。
 
 「らららクラシック」には私から見て魅力が沢山ある。この番組には楽曲の解説が含まれている。これは、一方的に鑑賞するだけの、従来のクラシック番組にはなかった要素である。

 「ららら」では、司会は作曲家であり、演奏家でもある加羽沢美濃氏。おそらく、彼女は司会だけではなく楽曲選定や構成にも深く携わっているだろう。楽曲のテーマの旋律がどのように変容して曲中で用いられるかが楽譜と彼女のピアノを用いて解説される。

 私は中学生以来のクラッシック音楽愛好家であるが、「ららら」の楽曲解説を密かに楽しみにしている。「ららら」の録画は100本以上になった。適宜見直している。
 この番組には、もう一人の聞き役として石田衣良がおり、また毎回異なるゲストが登場する。しかし、この番組は加羽沢美濃なしでは成立し得ない。
?
 そういった空気が世の中に醸成されていたところで、本年4月からは司会が交代することになった。加羽沢美濃氏が降りるらしい。

 聞けば、後任の司会は高橋克典氏とアナウンサーの牛田茉友だという。


5/28(日)晴れ 飯川病院日直 
 0:20起床、データ整理。徒然、など。5:00畑、庭に散水。8:30バス飯川病院に、日直。患者は問題なし、散水他。ハードディスク内のデータ整理中心。19:30買いものの家内の迎えで帰宅、夕食、21:30就寝。Σ7934歩数。BR diskながら視聴:「そこまで言って委員会:天皇退位問題」、「世界の今:韓国選挙状況」、「そこまで言って委員会:北朝鮮問題、韓国事情」、「世界の今:韓国新大統領」、「そこまで言って委員会:証人喚問」、「世界の今:ベネゼラ状況」、「池上:ニュースそうだったのか」。

エンゲル係数の再上昇(3) エンゲル係数上昇は貧困層では重大
 私はエンゲル係数は現代生活においてはあまり当てにならない数字になっていると思う。
 かつて、食事は生活に欠かせないものなので、節約しにくいから、エンゲル係数は生活の困窮度を示す目安とされてきた。中学校で、エンゲル係数が下がっていくことで日本の経済の伸び、庶民の生活の豊かさを測る尺度の一つである・・・」と教わった。
 
 私が高校卒業した1963年(昭和38)ころ、東京オリンピックが開かれたころのエンゲル係数は40%近くであった。その後順調に低下して1990年以降は25%以下と安定していたが、つい3年ほど前から、再度上昇に転じた。

 かつては生活自体が困窮し、食事以外にも余裕がなかった時代、食生活も貧しくこれ以上食費を節約することが生存のために困難な状況にあった。その当時のエンゲル係数は生活程度の指標になり得たと思うが、現代では食生活を始め当時とは様変わりした。特に、労働自体が変わってきて非正規労働者が増え、収入面での減少が著しく相対的にも上昇している。

 現代の生活の中では、食費は生活レベルに応じて選択可能であるが、他の経費がかかりすぎて余裕がなく、生活を一定のレベルを維持するために食費しか削るものがない状況まで追い込まれている方々が少なくない、と思う。

 私は他の方々の状況はほとんど知らない。だから比較して論じられないが、我が家の郵便受けには、光熱費、住居費、各種の税金、健康保険税、介護保険税などなど、自分では調整がほとんどできない固定した経費の請求書や領収書が次々と届く。そのほかにも生命保険の掛け金、自動車任意保険、医療費などがある。

 私は今も働くことができているから生活には若干の余裕がある。しかし、もし完全に離職して年金暮らしになった時のことを考えると、さらに可能性は乏しいが、長生きした時のことを考えるとさすがに心配になる。支出の多くを整理して生活費を節約せざるを得なくなるだろう。
 究極的には食費を節約せざるを得ないのではないか、とさえ思う。

 かつては食費は削ることができない、とされてきたが、現在は食費しか削るところがない、というまで追い込まれる可能性がある。

 最近のエンゲル係数上昇は貧困の予兆なのか???
 より貧しかった時代と違い、生活レベルに余裕が生まれた現在、高齢化や為替変動、食文化の変化など様々な要因でエングル係数が上がって来る。だから、係数が上昇したから貧困になった、と直結はできない。

 一方で、特に生活に困窮している低所得者層にとっては、エンゲル係数は今でも生活の大変さを表す指標の1つとして重要な意味を持つ。


5/27(土)時折降雨・晴れ   
 0:20起床、新聞入力、データ整理。徒然、など。居間書斎掃除整理。洗濯、ダリア株分け、晴れ間を見て畑と園芸、庭木剪定、畑に支柱に固定。早生枝豆ポットに植える。午後、ネコ部屋掃除。自室にてBR disk視聴:「らららクラシック:ラヴェル 亡き王女のためのパヴァーヌ」、「N響定期:諏訪内+ヤルヴィ シベリウスVn協奏曲」観る19:00夕食、20:30就寝。Σ5991歩。

エンゲル係数の再上昇(2) エンゲル係数は本当に貧しさの目安か?
 総務省がまとめた、2人以上の世帯の2016年2月のエンゲル係数は25.6%。2015年以来、25%台が続いている。25%台は1990年前後の水準で以降は20%台前半で推移していたから、また国民の経済状態は悪くなったのか??

 エンゲル係数悪化には食文化の変化も要因となっている。
 今や「エンゲル係数の上昇」=「生活の困窮」とは言い切れない側面もある。

 最近のエンゲル係数の上昇にの要因は、以下のように考えられる。
―――――――――――――――――――――――――――――-
●消費増税、
●給与所得の伸び悩み、
●異常気象による食材価格の値上がり、
●円安による輸入食材価格の値上がり、
●世界的な食料需要の高まりによる食材価格の値上がり、
●共働き世帯の増加、
●便利な調理済み総菜の購入傾向の増加、食材より高価格の調理済み食品は5.3%増で、食費全体の伸びを上回った、
●弁当などの購入増加、
●外食機会の増加、
●高齢者を中心とする低所得者層の増加、
●老老介護など多忙で調理時間がない、
●将来不安から貯蓄に回す節約志向などで消費支出が減、
●ペットボトルで水など購入増加、
●「ほしいものが、なくなった」!!! 日本人は食べることしか楽しみがなくなった???
●美食、贅沢食材の志向などマスコミの煽り。
●・・・・・・
―――――――――――――――――――――――――――――-

 いずれも、家計を取り巻く厳しい環境を背景にしているとはいうものの、「生活にゆとりのない場合、他の生活費は減らせても、食料費だけは減らすことが難しいので、一般的には、エングル係数が大くなる・・・」と言われてきたが、それは必ずしも正しくない様である。

 景気か良かったバプル期は食事よりも洋服やレジャーへの支出、家電・自動車等の高価格品の購入が多くて、エンゲル係数は上昇しなかった。

 最近は、どの家庭でも必要なものが大概揃っているから同じお金を使うなら物品を貿うよりも外食や美味しい食事を楽しみたいと考える人か増えていて、食費の増加に、すなわち、エンゲル係数の増加につながっている。いまや、 TVも新聞も雑誌も食品関係の記事に溢れている。私はグルメ記事、グルメ番組などは他のいのちを奪って自分のいのちを維持しているという生物の本質から離れていると思い、敵意すら抱く。

 本来なら、景気が悪くなってきたときほど思索の機会などが増えるものであるが、そちらの傾向を私は感じ取ることはできない。

 日本人は食べることしか楽しみがなくなった、のではないか? とさえ思ってしまう。


5/26(金)晴暑い 大曲外来 飯川病院ボランティア 
0:45起床.書類、文献・新聞チェック。徒然。5:00可燃ごみ提出。7:30Taxiにて駅に。8:10こまち、徒歩病院。9:10-12:15大曲中通病院外来。千秋美術館「有田焼2回目」購。13:30-18:00飯川病院ボランティア。18:00-20:30看護師歓迎会、21:00Tax帰宅、21:30就寝。歩行Σ9418歩。BR disk視聴なし。

エンゲル係数の再上昇(1) エンゲル係数は豊かさの目安だった

 エンゲル係数、懐かしい言葉である。中学生の時習った記憶があり、なぜか私にとってとても大きなインパクトがあって脳裏に刻まれた。
 1950年代、日本経済の回復によって若干の余裕ができ始めてきたが、日本はまだ貧しく、医師であった祖父が死去してからは蓄えがあったが現金収入は乏しく、収入の半分以上食べるために使っていた。私が社会に出るまで我が家の経済が持ちこたえるか、私は心配していた。こんなこともあってエンゲル係数に関心を持ったのであろう。

 しかし、日本の経済が大幅に発展して生活に余裕が生まれ、食べること以外にも関心が向いてきた。トヨタ自動車は1961年国民車としてパブリカを発売、1966年よりカローラを発売した。まだまだ一般庶民にとっては高嶺の花であったが、国民生活に徐々に余裕が生まれ、夢を語ることが可能になったことを示している。

 私は、医師になったのが1971年、子育てをする様になった1973年以降、食事を始めとして生活上の賄いはほぼ全て家内の親戚の石井さんにお願いし、生活にはほとんどタッチしてこなかった。その中で、知識として、エンゲル係数はつい最近まで順調に右肩下がりに低下していた、と思ってきた。

 総務省がまとめた、2人以上の世帯の2016年2月のエンゲル係数は25.6%と発表があった。2015年5月以来、ずっと25%台が続いている。25%台は1990年前後の水準で、エンゲル係数について関心が蘇り、再度考える様になった。

 私は、社会保障に関心があり、低収入の方々、あるいは年金以外にほとんど収入を持たない高齢者の今後の生活について思いを馳せることが多い。特に平均余命が伸び、経済的に先細りにある高齢者の生活に関心がある。長命は生活困窮をきたしうる。

 時に、スーパーなどに買い物に行った時など、食品や食材の価格がとても高いことに驚き、これで低所得者は本当に生活できるのか??と危惧している。

 エングル係数は、消費支出に占める食料費の割合を示す。とてもわかりやすい指標である。日常生活に不可欠な食事は、趣味やレジャーに使うお金に比べて節約が難しく、なかなか支出を抑えることができない。このため、収入が少ない家庭ほど支出に占める食費の割合が高くなる傾向にあり、エンゲル係数は生活の豊かさの目安とされてきた。

 2016年の1世帯の消費支出は1ヵ月28万2188円で、前年比1.8%減少。このうち食料への支出は7万2934円と前年より1.5%増え、エンゲル係数を押し上げている。昨年は天候不順により野菜の価格が高騰、円安で輸入食品も値上がりした。消費者物価指数の内訳を見ると、食料費は前年比1.7ポイント上昇し、手取り収入が伸び悩む中で家計を圧迫した面もある。

 1世帯の消費支出は1ヵ月28万2188円!!!
 無収入、低収入の方々、低年金での高齢者の方々はどうすればいいのだろうか。食費しか節約できるものはないのが実態であろう。


5/25(木)晴れ 外来 飯川病院 
1:00起床.文献等資料チェック、7:25徒歩飯川病院着、8;40-13:45中通外来、紹介状関連2件処理。クリニックドックは手付かず、週末の日直時に処理予定。14:00飯川病院。その時間からいつもの腹痛。入院患者対応。休息をとる。BR disk視聴なし。18:00バス行き先読み取れず乗り損ね。Taxiで。19:15夕食は軽く摂る、20:30就寝。歩行計Σ13059歩。

視力低下(3) 「スマホ老眼」 若者子供達にも
 最近「スマホ老眼」という言葉が聞かれるようになった。スマホの見過ぎで老眼のような症状が起こる。実態は眼精疲労であるが、習慣になると視力障害の原因となる。
 
 私は中学2年の時から近視でメガネを用いるようになった。やや暗めの教室で黒板の字が見えづらくなって気づいた。私の場合は明らかに本の読みすぎ、勉強のし過ぎであった(笑)。

 時に孫たちが親に連れられて我が家に来るが、挨拶もソコソコにTVの前に陣取ったりタブレットを見たりしている。外遊びするわけでもなく、こんな時代になったのかと呆れる。わざわざジジババのところに来るまでもない?と思う。

 孫たちがTVを見たりタブレットを見たりしている距離は近すぎるよ思うに思う。時折注意するが、すぐに戻る。もう習慣性になっている。
 孫たちの視力がどうなっているのか知らないが、今からこんな状況では将来的に孫たちの目が心配である。孫たちはまだスマホ世代ではないが中学生ともなれば使うようになるだろう。

  総務省の調査で2011年に21%だったスマホ利用率は14年には42%と激増。10代が76%、20代が86%と若年層で著しく高い。
 情報セキュリティー会社デジタルアーツが2013年に調査した結果、スマホや携帯の所持率は男子高校生は80.6%、女子高校生95.1%に達している。
 スマホや携帯の1日の平均使用時間は、中学生は男女とも1.8時間、男子高校生は4.3時間。女子高生は平均で6.4時間で、6時間以上が4割を超え、うち12時間以上との回答も1割を超えた。驚く結果であるが、私の場合、スマホを見る時間はせいぜい2分/day程度である。

 近くの物を見る時、毛様体筋が緊張して目のピント調節する。通常の老眼は加齢でこの筋力が衰える。スマホ老眼は、情報量の多い小さな画面を長時間凝視することで、毛様体筋が疲労し、一時的に老眼のような症状が出る。毛様体節の疲労は一晩寝れぱだいたい回復するが使用時間に関連する。10?20代では視力障害に至ることは希とのことだが、瞬き不足によるドライアイや肩こり、頭痛などの症状が出ることもある。

 だいたい、スマホは情報量の割には画面が小さすぎる。だから嫌いだ。スマホを見ている顔は般若に似ている。言い得て妙ある指摘である。
 目を守るにはスマホを見ない時間を作ることしかない。遠くを見て毛様体筋を休ませる。スマホを使う時は目から離し、画面の明るさを落とすのがいい。

 私は孫達の目が心配である。


5/24(水)快晴曇り夜間降雨 飯川病院ボランティア 
 0:45起床。文献・本読み他、いつもの如し。5:00ペットボトル集積所に。散水。ダリア用に畑土つくり、堆肥埋め込む。洗濯など。10:00自転車、珈琲店、県立美術館経由飯川病院へ,院長受診と社員総会で11:00からボランティア。16:30帰宅。19:00夕食、20:30就眠。 BR diskながら視聴:「そこまで言って委員会;天皇生前退位」喧々諤々、「世界は今」観る。 歩行計Σ9932歩数。

視力低下(2) ロービジョンケア 
 視力低下があって、薬や手術での改善は難しいと言われたとき、残存機能を生かす方法に「ロービジョンケア」がある。私はカタカナ語が嫌いだから本来は日本語でやってほしいのだが、「ビジョン」も「ケア」もほぼ日本語化しているし、それだけで意味がわかる簡単な英語だから目くじらを立てないことにしよう。

 「ロービジョンケア」は国内の普及は遅れているが、昨年から健康保険て受けることが出来るようになった。
 徐々に視力が低下する私にとっては重要な方法になるかもしれず、関心がある。

 視力が減退しても希望はゼロではない。ロービジョンケアとは、原因を問わず、視機能を矯正できず日常生活に支障ある人に対して医療等様々な面から行われる支援を指す。一種のリハビリテーションである。

 「ロービジョンケア」は、以下のものがある。
――――――――――――――――――――――――――――-
・視覚補助具や照明などの活用:眼鏡や拡大鏡、拡大読書器、タブレット端末
・視覚以外の音声機器や触読機器など応用
・ラジオ、パソコンなどの情報入手手段の確保
・点字図書館、生活訓練施設の利用
・特別支援学校への進学、職業訓練施設の利用など
・身体障害者手帳、障害年金など
――――――――――――――――――――――――――――-

 ロービジョンの基準は我が国ではないが、世界保健機関(WHO)は、左右いずれか良い方の矯正視力が0.05以上0.3未満、米国は同0.1超で0.5未醍をローピジョンと定義している。
 
 日本眼科医会が2009年に米国の基準を用いて国内のローピジョン人口を推計したところ、約145万人になった。原因疾患は緑内障、糖尿病性網膜症、白内障など、高齢化と関連するものが多い。

 私はメガネである程度まで矯正できるからローピジョン者の定義には当てはまらない。しかし、ローピジョンの方々は眼科的治療と並行し、早い段階からケアを受けるのが望ましい、とされている。明るくゆがみが少ないルーペなど、見えにくい人の生活を助ける商品は増えている。

 私も私物のパソコンは数機種用いているが、いずれも2画面合わせると27-60インチとディスプレイは大型にしている。タブレットは用いるが、スマホの画面は小さすぎて苦痛でほとんど凝視することはない。


5/23(火)快晴 外来 飯川病院
0:45起床、文献チェック、徒然。本読み他いつもの如く。4:00畑・庭散水、4:40可燃ゴミ提出、7:20徒歩飯川病院着。8:40-13:20外来+紹介状処理、疲弊した。14:00-18:30飯川病院。花壇散水。外科医と鼠径ヘルニア手術について打ち合わせ。19:15プリウス帰宅。夕食、20:30就眠。BR diskながら視聴:「ニッポン視察団:」。歩数計15472歩。

視力低下(1) ボケた視野の世界を私は楽しんでいる 
 私は急速に視力が落ち、物が見えにくくなっている。
 最近の視力は計測上、右が0.2以下、左が0.1以下である。1988年以降蓄積してある健康管理表で見ると、2012年頃から徐々に視力低下を呈してきている。

 私の眼科の診療録の診断名には、緑内障+白内障+近視+老視+乱視+眼底出血と多数の診断名が並んでいる。そのうち具体的に治療を受けているのは左の緑内障で1日一回点眼している。主治医によると、あと5年経つと左目の上半分がかなり低下し日常生活でも問題になる、という。まあ、5年生きられれば視力が低下してても儲けものと思っているのでそれほど焦っていない。最近左の視野の上半分が暗くなってきている。いよいよ来始めたか・・である。白内障についてもいずれ手術、と言われている。

 私の場合は、それでも近視+老視+乱視がベースにあるためにメガネでかなり視力は回復する。運転免許の更新は、だからなんとか通過できた。次は平成32年6月で、この時は問題になるだろうが、私にとっては遠い話であり、あまり現実味がない。

 ここ3年ほどは視力低下はあってもメガネも用いずにボケた視野のまま暮らしている。しかし、私にとってはあまり実害がない。むしろ世界がボヤッとして美しく見える。特に夜景は素晴らしい。細く欠けた三ケ月は私の目には10ケほどに分散して見える。

 私にとってはボヤけた視野の中でもあまり支障がない。
 だいたい、両耳の間にある臓器が機能低下して来たが、この状態ではボヤけた視野でも十分なのであろう。

 本を読んだりパソコンのディスプレイは20cmほどに近づけると支障なく読める。文庫本も特に困らない。だから、業務上でも日常的にもあまり困らない。
 ただ、待合室の患者が区別つき難い。廊下で会うスタッフは雰囲気で判断できるが顔はよく見えない。家ではTVは3mほど離れているのでほとんど見えない・・・などなど、日常生活に支障があるというべきであろうが、今のところ読書や書字が十分できるし、私は見えるものにあまり関心ないためか、ボヤッと見えればほぼ十分でありそれほど困っていない。

 失敗は、時に帰宅の際にバスを利用するが、千秋公園前から乗る際に、夕日の関係では行き先表示が見え難く、乗り損ねたことが4回、別方向に行くバスに乗ったのが2回あった。こんな時もメガネをかけるべきだろう。

 家内は薬剤性かわからないが、かなりの難聴である。日常の会話にも支障がある。一方、白内障の手術してから視力はすこぶるいい。だから、二人の日常の会話は互いにずれる。難聴に関しては私が補助し、私の視力に関しては家内が補助してくれる。

 互いにボケ始めているし、「二人で一人前だね」と失笑しながら納得している今日この頃である。


5/22(月)快晴 健康クリニック 飯川病院 
 1:00起床、新聞チェック他。徒然。5:00畑に散水。7:30徒歩飯川病院着。新聞・画像処理。9:00健康クリニックドック。11:30飯川病院。検食後微睡。14:00-19:00勤務。花壇に散水。19:15帰宅。夕食、20:30就眠。BR disk視聴:「世界一受けたい授業」。歩行Σ12663歩。

懐かしい盛岡弁 「モッス」
 岩手日報の今月上旬の読者投稿欄「ばん茶 せん茶」に懐かしい言葉を見つけた。「モッス」である。
 私ども盛岡育ちにとって日常的に用いていた言葉であったが、18歳で郷里を離れてからこの時まで50年以上、一度も使ったことなく記憶からも薄れていた。86歳盛岡青山在住の方の投稿で見出しを見た途端、ふっと遠い昔が思い浮かんで懐かしさがこみ上げてきた。

 当時、小学校から帰ってくるとたまに母から、あるいは祖母から、時には住み込みのお手伝いのハツさんから10円玉をもらい、駄菓子屋に走ったものである。もちろん毎日ではなく週に1−2回ほどであった。
 小遣いを得る手段はまだあり、私は結構リッチで時に友達に飴玉など分け、喜ばれたたものである。当時は飴玉ひとつ50銭、10円玉をもらえる友人は少なかった。日曜日、当時村の収入役などしていた父が役場の日直に当たっていた時には役場の窓ガラスをたたいてせびることがあった。

 さらに、誰もいない時には「店」に忍び込み、小銭入れから10円玉をくすねた。「店」とは我が家の診療所の会計窓口の小部屋のことである。
 しかし、一度に10円以上貰ったことはないし、くすねたこともなかった。それなりの自制があった。

 10円玉を握ると駄菓子屋に走り、大声で「もっす、もっす・」と叫んで店番を呼んだものだった。
 今は郷里でもほとんと耳にすることのない盛岡弁だが、お店だけでなく友人の家に行った時も、誰もいない時には戸口や縁側で大声で「もっす、もっす・・・」と叫んだ。

 当時、黒玉、ひしあめ、はっか、氷砂糖なの飴が各々広□瓶の中に入っていた。中でも白赤青と色が変わる変わり玉が長持ちして好きだった。はっか飴はなんとなく西洋風の文明の味がした。
 時には割り箸の先につけたタングル飴(水飴)を買って舐めた。

 当時の駄菓子屋の柱には当たり外れのないクジが吊るしてあり、舌で舐めって字が浮いてくるのをワクワクして待ったものである。外れると「スカ」という字が浮かんできた。どういう意味なのか未だにわからない。
 べった(めんこ)やガラス玉もたまに買うこともあった。 

 学校から帰ると戦争ごっこ、チャンバラごっこ、かくれんぼなどで遅くなるまで遊んだ。五寸くざを地面に投げさして陣地どりをするくぎ刺しは私の大得意な遊びであった。

 懐かしい盛岡弁「モッス」の記事を見て、幼少の頃の生活、遊びなどを次々と思い出した。
 久々、ほっこりとした郷愁を味わった。


5/21(日)快晴 暑い 主に外仕事
0:20起床、本読み、文献チェック、新聞処理、微睡など。畑・花壇に散水。午前庭の草刈り、NHKのど自慢、微睡後、午後草刈り、一応一回目は終了。夕方からPDF化したデータ再構築,新聞入力、読書。19:30家内迎え20:00夕食、21:00就眠。BR disk視聴なし。歩行Σ14690歩。

失言閣僚(4) 失言者を責めよう 被災者も強く
 私は人間関係、社会は建前からだけで成り立っているもので、各人が本音を語ったら人間関係も、社会も簡単に崩壊してしまう。実に脆いものだと思う。

 教育、しつけなどは本音を隠す能力を植え付けるものである。しかし、社会の一員としては大事なことである。

 政治家が相手の心情を逆なでするような言葉が発せられた場合、メディアはこぞって取り上げるし、野党側は火がついたように活性化する。
 メディアの場合は例外なく被災者たちの声を取り上げる。その取り上げ方は例外なく番組に都合のいい発言のみを取り上げる。ほぼ全て御涙頂戴式のコメントである。

 私は被災者でないので無責任な意見は控えたいが、実際の被災者の方々は大変な状況にあるのだということを認めつつ、もはやそんなに弱腰ではない、弱腰では生きられない、と思っている。災害当初こそ社会的関心も高く、被災者の方々も混迷の時期には「絆」などの優しい言葉が飛び交った。それなりに意味があったと思うがもはやそんな甘い言葉は通用しない。

 しかし、メディアで描かれる被災者のイメージは弱者そのもので、救済を待っている、優しい言葉を待っている、と言ったイメージで描く。どうもメディアが関与すると状況が変わっていく。

 災害の記憶を防災・減災の目的で使おうとすれば、体験を語る者にも聴く者にも受け入れやすい教訓に加工されがちである。その際、人々が記憶を共有することが目的である以上、悲しみや不安や恐怖からを語るのが楽である。
 しかし、被災者との記憶の共有はそもそも可能なのか。むしろ、そうした共有は期待できないという認識を明快にしていくことこそ、メディアが世論形成のために目指すべきものではないのか。今村復興相の辞任はこの問題を示唆している。担当相だってこんなものだ。議員たちの頭からもう東日本大震災・原発事故問題は消えているのではないか?

 被災された方々は声を大にして、責任ある立場の者の不遜な発言を責めるべきである。


5/20(土)快晴 家内はZONTAエリアミーティング 草刈など。
1:00起床。新聞、文献PDF化他、録音データ処理、本読みなど。畑散水。新聞処理、掃除洗濯その他。腰痛はかなり良くなり続く晴天に誘われて午前・午後ともに草刈りに集中。畑の苗はうまく根付いた感じ。次に植える枝豆の種も用意した。ダリアも植え付けを待っている。19:30夕食、21:00就眠。BR disk視聴なし。歩行Σ17809歩。家を一歩も出ないのにこの歩数!!!

失言閣僚(3) 政治の世界の言葉 「ぼかす」、「ずらす」、「かわす」・・・  
 東日本大震災の被害に関し「まだ東北で良かった」と発言した責任を取って今村復興相が辞任した。
 被災者の心情を逆なでする不適切な発言であった。バカなことを言ったものだと思う。多分本音を語ったのだ、と思う。

 政治の世界の言葉としてよく知られているのは、「ぼかす」、「ずらす」、「かわす」・・・である。どなたの発言であるかわからないが、ポイントをついた言葉だと私は思っている。

 私は診療時間以外はNHK AM第一放送をかそけく流している。音としてはなんとか聞こえているが、内容的には聞こえていない状況にある。大部分は聞き流しているが、ちょっとボリュームを上げ聞き耳をたてるのは国会中継である。実にくだらない論議をしているものだと思う。
 多分国会討論はあらかじめ質問票があってそれに対して閣僚とかが答弁するものだと思う。実に不自然なやりとりが行われる。総理をはじめとする重鎮以外の答弁は書面を読み上げたりで、自由な発想の論争になっていない。

 最も面白いのは安倍総理が答弁に立つ時である。
 安倍首相は手練手管にて、「ぼかす」、「ずらす」、「かわす」を見事に実行している。私が聞いていても、質問に沿っていないおかしな答弁だと思うことは頻回にある。しかし、質問者側が質問論旨を変えてさらに追求する自由はほとんど許されていないらしく、首相にごまかされたまま時間終了となり、曖昧さを残したまま終わってしまう。

 安倍首相の答弁は政治のプロ的で、見事だと思う。
 時折勇み足があって「改憲についての私の意見は読売新聞を参照してほしい・・」などと答えて顰蹙をかったりはする。それでも、決定的な間違いはおかさない。それは、本音を決して語らないからである。
 時に激昂し気色ばみ「森友、加計に関連していたら辞任・・・」と軽口を叩くこともあるが、それでも内容的には矩を超えない。

 政治はその最も顕著な世界だと思うが、社会全体の仕組みは建前からだけで成り立っているものだ、と思う。各人が本音を語ったら人間関係も、社会も簡単に崩壊してしまう。実に脆いものだと思う。

 私は人間関係はそんなものだと思っている。
 だから、今村復興相の発言は驚かなかった。不適切なとことで本音を吐いた、だけ。一方ではよく言ってくれた、とも思った。これで彼の人となりが分かっただけ良かったと思う。バカなことを言ったものだと思う。政治家としては失格である。


5/19(金)快晴 大曲中通病院外来 飯川病院ボランティア 
1:00起床。新聞・文献・雑誌読みと自炊他。5:00可燃ゴミ提出、7:40Taxi駅に、8:10こまち、駅病院は徒歩。9:10-12:10大曲中通病院内科外来、千秋美術館「明治焼き物展」13:30飯川病院ボランティア。18:45Taxi帰宅、17:00夕食、20:15就眠。BR disk視聴:BR diskながら視聴:「日本人の3割しか知らないこと 」、「日本行きたい人応援」。歩行Σ12709歩。本日歩行積算開始後1.500日目、総歩行数1.440万歩、11.557Kmに。

徒歩通勤2017(6) 積算開始1500日目 岩手に強者がいた。
 本日、歩行積算開始してから1.500日目にあたる。総歩行数は1.440万歩、総歩行距離は11.557Kmに達した。1日平均9.600歩、7.7Kmであった。

 開始当初、1日平均12.000歩以上、10.0Kmを目標にしていたが、この4年余の間に勤務形態が変わり、帰宅は19:00前後になったので往復徒歩通勤は困難となってペースが落ちた。現在、往路は原則として徒歩、復路は家内の車に便乗、あるいはバスで帰宅する。当初は夕方の勤務はなく、往復徒歩も可能で1日16.000-2万歩とハイペースであった。

 私は転倒しやすい。積雪期に歩くのは危険であり12月下旬から3月上旬は徒歩通勤の機会が大幅に減る。加えて最近の気力の減退がこれに拍車をかける。
 それを加味して1日平均9.600歩、7.7Kmであったはマアいいか、と妥協の日々である。

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 盛岡市上田の元高校教諭熊谷氏(70)は定年退職後の10年間、毎日ウオーキングを継締し、本年4月で8万Kmに到達した、と岩手日報に紹介されており、氏の計画実行力、気力の維持に感嘆した。 

 氏がウオーキングを始めたのは大船渡工高に着任した40歳のころ。時間かあった休日に、市街地から山間岳まで神社を拝みながら気仙地区をほぼ歩き尽くした。盛岡に転勤後も継続た。55歳の時に患った直腸がんを克服し、「前向きに生きよう、歩こうという意志は誰にも負けない・・・」と、歩くことの幸せをかみしめながら15年間一歩一歩データを積み重ねてきた。
 この10年間は台風の日も大雪の日も欠かさず、歩行距離は一日平均21.8Kmで現在8万Km。1周約4万Kmの地球を、2周分歩いたことになる。
 現在は点字翻訳ボランティアに、詩吟などの趣昧に、と忙しい日々を送りながら、あと2年半くらいで「老後10万Km」の目標を達成したい、とさらなる高みを目指す。
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 私などまだデータを取り始めて4年余と短いが、氏と比較すれば完全に劣勢で、脱帽である。
 私など気力の維持にも困難し、雨が降ると背中のディバッグの中のハードディスク、メモリー、iPad 、iPod等のエレクロトロ二クス類が濡れる恐れがある・・、風が強いと危ない、などと理由をつけてはバスに頼ろうとする傾向が出てきた。

 昨年から無目標、無計画的に生きようと発想を変えたので、おそらく私は氏の足元にも及ばないレベルで頓挫することになるかもしれない。氏の姿勢は大きく評価したいが、私の場合はマイペース維持、それでいいと思っている。


5/18(木)超快晴 外来 飯川病院
0:40起床。いつもの如く本読み、データ整理中心。若干微睡、6:00畑に散水、7:10バスにて飯川病院着、8:45-14:30外来+ドック判定。困難な新患1名、1時間以上もかかった。14:00-19:50飯川病院。18:30バス帰宅、19:00夕食、20:40就眠。BR disk視聴なし。歩行Σ7916歩。

社会保障環境2017年(11) 高齢者定義の見直しと社会保障
 日本老年学会などが本年1月に高齢者を75歳以上とすべき、とする提言を発表した。65-74歳は「心身とも元気な人が多く、高齢者とするのは時代に合わない」として、新たに「准高齢者」と位置づけた。「あくまで、医学的な立場から検討した・・・」とコメントが添えられている。

 この提言に対しては若年層は歓迎の様であるが、高齢者からはあまり評判が良くない。
高齢者達は定義変更提言が将来の社会保障の劣化につながってくる、と不安がっている。

 高齢者の定義は国際的にも一般的に65歳以上とされている。
 1950年代に国連の報告書が65織以上を高齢者としたことなどから、日本でも慣例的に高齢者を65歳以上としてきた。当時は違和感はなかったらしいが、平均余命が長い日本をはじめとする諸国にとっては必ずしもふさわしくないだろう。生物学的にみた年齢は10-20年前に比べて5-10歳は若返っている。
 童謡に、「村の渡しの船頭さん」と言う歌がある。高齢者のこの童謡ができた時代(1941年)頃は60歳で「おじいさん」と呼ばれていた。しかも、特に矍鑠としていたからこの歌が作られたと思う。現代にしてみれば80歳の・・と言う歌詞になるだろう。

 提言の中にある言葉、「元気だから高齢者とするのは時代に合わない・・」とは何を示すのか。記載はないが、高齢者の社会保障は今後薄くなることはあれ、逆は無理だろうから、「元気だから、社会保障など少なくてもいい・・」とのことだろうか。

 これまでにもこうした議論はあった。
 2012年に政府の有識者検討会は「65歳という年齢で高齢者を一律に区切ることは実態にそぐわない」と指摘して「人生90年時代」を前提とした仕組みにすべきだとの報告書をまとめている。自民党の若手グループも見直しを提言しました。元気な高齢者は社会の支え手に回らないと、今後の超高齢化社会を乗り切れない、という考えであった。

 高齢者の定義を75歳以上にした場合、現在の社会保障制度の多くは65歳以上を高齢者としており、例えば介護保険の利用や国民年金の支給は原則65歳からだから、これらの区分に影響を与える可能性がある。
 国民年金の支給開始年齢を65歳よりも上に引き上げる議論は以前からあるが、反対が強く、実現には至っていない。厚生年金の支給開始年齢は60歳から65歳に引き上げている途中であるが、方針決定から実施完了まで25?30年ほどかけ慎重に対応してきた。
    .
 高齢者の定義の提言は出たが、社会への影響が大きいので、すぐに見直されることはな
いだろう。
 高齢者は長い人生を生きて来ているから個体差が大きい。高齢集団は多様である。健康的に問題があったり、経済的に、社会的に弱者であったり様々である。
 定義も無視できないが、このような高齢者を拾いあげる仕組みを考えてほしいし、働ける高齢者には働きやすい環境を用意してほしい。
 健康的で豊かな高齢者への社会保障は薄くし、代わりに個々の落ちこぼれを如何に拾い上げるかを考えるならばいい。

 私はこの高齢者の提言を、社会保障そのほかをめぐる高齢者制度の理念、考え方の変更に生かすのであれば賛成である。


5/17(水) 晴 飯川病院ボランティア 
 0:10起床。文献チェックほか。6:00畑にトマト・キウリ・ナス各5株植え付け。散水。ダリアは発芽していた。掃除洗濯・・といっても亀ちゃん1号に依頼。10:07バス、飯川病院ボランティアに。16:00自転車帰宅、微睡。19:30夕食、21:15就眠。BR diskながら視聴:「知恵泉:ジョン万次郎」、「サイエンスゼロ:太陽フレア」、「ネコの楽園と呼ばれて」観る。Σ8700歩。

社会保障環境2017年(10) 保障抑制以外に改善案はないのか??
 ほとんどリタイヤした身とはいえ、私はまだ医師の一員として働いている。

 今年及び今後の医療・介護環境を見るとなかなか厳しい現実が待ち受けている。
 若者たちは全般に経済的に余裕は乏しいが、意欲があれば働くことができる。経済的格差はないわけではないがそう大きくはない。しかし子育て世代へは、厚い社会保障が必要である。

 これに対して、高齢者の経済的格差は最初から広く多彩である。高齢者に対する社会保障は決して十分とはいえないが、比較的厚い。数を背景とした民主的政治の場においては「シルバーデモクラシー」現象がある。有権者が多数で投票率も高い高齢者の意向が政治に反映される。この改善のためには、若い世代の政治参加が必要である。

 前回の参議院選から、70年振りに選挙権年齢が引き下げられた。私は長期的には大いに意味あることと考えているが、昨年の投票の結果、秋田県知事選、秋田市長選の投票率
はちょっと期待に反していた。

 全日本民医連の調査によると、昨年1年間に経済的理由で病気の治療か手遅れになり死につながった患者が58人であった、と報告されている。これは全日本民医連な加入の医療機関に調査して結果であり、全国的に見ると氷山の一角にすぎないだろうと思われる。

 「医療費か高くて病院にかかれない」、「介護サービスを減らした」、「国保税が払えず無保険になった」・・・などなど、高齢者に限らず地域では健康に問題があっても医療や介護が受けられずに困難を抱える人が増えている。
 現場ではこのような状況が増えているのに、政府は社会保障費のさらなる削減に乗り出している。高齢者医療費をターゲットにしながら、全世代に負担増を強いる。

 具体的には、
@ 入院袷食費の自己負担:1食260円→昨年360円に→来年460円へ。
@ 紹介状なし大病院を受診:初診で5000円以上の定額負担上乗せ。
@ 75歳以上保険料:軽減措置を縮小、廃止などで大幅増。
@ 70歳以上の医療費窓口負担の上限:年収約370万円程度の一般的所得世帯では、月4万4400円→この8月から5万7600円へ。 
@ 介護サービスの利用料:原則2割、一定所得者は3割負担に。

 以下は検討中の施策、
@ 要介護1と2の生活援助は保険給付から外す(検討中)??
@ 75歳以上の窓口負担:1割から2割に、後期高齢者の保険料の値上げ(検討中)??
@ 湿布薬や痛み止めなど薬局で買える薬は保険から外す、入院患者の水・光熱費負担など(検討中)??
@ 年金の支給額減、支給開始年齢も65歳以降に(検討中)??

 この施策の背景は何か。少子高齢化の進行をふまえての対策である。
 今でも国民医療費は国家予算の43%を占めて大変な状況にあるが、2025年の高齢化のピークに向けて状況は一層の悪化をたどる。従って、可及的早期に対策を開始しなければならない。国も手をこまねいているわけではない。その一つがジェネリック医薬品への切り替えである。これの効果は年間1兆円近くになっていると推計される。
 一方で、オプジーボの如くの超高価役薬が保険診療で次々と用いられるようになっている。抗がん剤のオプジーボは人当たりの年間費用が3600万円と試算されていた。国も慌てて対策し2月から薬価が半額になったが、こんな状況下ではいかにジェネリック医薬品に切り替えても医療費抑制効果はほとんどない。オプジーボはそれほど効くのか??私は経験なく具体的にはコメントできない。

 なかなか万人を納得させる名案は出てこないのが社会保障の世界である。


5/16(火)霧雨のち晴れ 外来 飯川病院
0:30起床。文献他PDF化、徒然、5:00可燃ゴミ出し。小雨あるも徒歩にて飯川病院,8:45-12:30外来、13:00飯川病院、14:00ー18:30勤務、入院患者対応、19:15バス帰宅。夕食、20:15就眠。BR ながらdisk視聴:「体感:グレートネイテュア 」、「BSsp:アウシュビッツ、日本人ガイド 」、「NHKsp:又吉第二作への苦悩 」観る。Σ13816歩。

失言閣僚(2) 首相が任命責任を取ると言うことは?
 首相は最近比較的簡単に「任命責任は私にあります」、と言う。私は、失言閣僚の言葉も軽いが、首相の言葉も軽くなった・・、と感じている。

 任命責任とは何か??読んでのごとく「人選をした任命者に課せられた責任」である。

 野党側が大臣の失言を追求し、大臣を辞任に追いやり、首相の任命責任を攻め、首相に「責任があります」と言わせれば、それでいいのか?

 首相の責任を問うことはどう言うことなのか?「責任があります」と言えばそれが責任をとることになるのだろうか?

 基本的に人間は人間であり、何かしらミスをおかすものである。特に、口を開けば失言につながりやすい。
 医療事故対策の場合、人はミスを犯すものとの前提にたち対策を準備する。これでかなり事故予防ができている。

 閣僚の場合、わずか1-3度のミスや失言に対し、野党側は微に入り細に入り追求し、マスコミもそれに乗じて騒ぎ、追求の雰囲気を高めていく。最後は首相に「任命したのは首相だから責任とれ!」と騒ぐ。
 野党側は、国会論戦も十分できないのに閣僚の不祥事になるとすぐに火がつく。野党側は責任あるポストに就いていないから気楽なものである。

 私は、野党の狭了とマスコミの姿勢が安易な首切りに繋がり、業務を停滞させる因になっていると感じる。失言閣僚がやめたからといって問題が解決するわけではない。任命責任者の責任とは本来は担当者の首をすげ替えることではない。失言閣僚を辞めさせることで野党やマスコミ、世間は一時的にスッキリするのかもしれないが、こんなやり方はが長期的には国益に反しているのではないか?

 閣僚の人事においては人事権のある首相は、人選の段階で適任者をチェックし、その後も継続的に監督し、ミスがあるのならそれが大きくなる前にまえに修正する、そこまで求められているが、現実にはそう簡単でないだろう。大臣候補者は資質や技能に関係なく当選回数などから派閥から推薦される。多分、首相は推薦を拒否できないだろうと思う。推薦した派閥の長に問題がある。真に資質ある議員なら順番が来る前に抜擢されている。

 人事権をもつものの責任、すなわち首相の任命責任とは、内閣の機能と信用を回復させられるか否かであるが、それが見えないのだ。すげ替えすれば一件落着に見える。

 優秀な人材だって表舞台に立てば、口をひらけば勇み足が生じる。本音で話せば特に叩かれやすい。しかも、しつこく過剰に叩かれる。

 今村氏の言動は、残念ながら擁護できない。閣僚として働くには資質に問題があった、としか言いようがない。


5/15(月)小雨、曇り 健康クリニックドック 飯川病院 
0:10起床、文献、新聞他処理。7:10降雨のためにバス飯川病院着。9:00-11:00健康クリニックドック。11:15飯川病院。微睡。14:00-19:00勤務、19:40夕食、21:00就眠。BR ながら視聴:「昭和偉人伝:猪俣公章 」、「ガイア:暮らしに潜む危険対策」、「コズミックフロント:木星 」、「昭和は輝いていた:淡谷のり子」観る。Σ7727歩。

失言閣僚(1) 本音を語るバカ 首相の任命責任はなんと軽いことか
 今村復興相が辞任した。
 東日本大震災の被害に関し「まだ東北で良かった」とした発言の責任を取った。

 被災者の心情を逆なでする不適切な発言であった。
 私が不適切というのは、各人思うことは自由だからこそ、その立場にある要人は本音と建前を厳しく使い分けてなくてはならない。復興相の発言は本音だろう。しかし、その言葉が復興相から発せられたことには驚きを禁じ得ない。

 今村氏は4月4日の記者会見で原発事故に伴う自主避難者の帰還について「本人の責任」と述べ、批判を浴びたが、これも本音だあろう。

 氏は4月25日、自民党内で講演し、「社会資本などの毀損もいろんな勘定の仕方があるが、東日本大震災では25兆円という数字もある。これがまだ東北だったから良かったけど、これがもっと首都圏に近かったりすると莫大な、甚大な被害があったと思っている」と発言した。
 私もそう思っている。しかし、東北だったからよかったは言い過ぎである。

 氏は今年1月、「復興はマラソンで言うと30Km地点。一番勝負どころ」と述べ、福島県知事から「まだスタートラインにすら立っていない地域もある」と反発を受けた。今村氏が被災地の実態を把握しているとは思えず、被災者の感覚から懸け離れている。

 これほどの無知と身をわきまえない発言から見て復興相になるべき人物ではなかった??と思う。尤も、何になってもどのポストに就いても似たようなことを繰り返すのではないか。

 2012年に復興庁が発足し、初代から数えて今村氏は5人目である。平野→根本→竹下→高木→今村→吉野氏と続く。在任期間があまりに短く、復興に尽力できたのか疑問である。
 自民党には当選回数などから見て70人ほどの入閣待機組がいるとされるが、これを処理するためのポストに用いられているのではないか?と思う。

 復興庁自体の役割への批判も根強い。私も復興庁、復興担当大臣は何をやっていてどんな実績を上げたか、ほとんど上げることはできない。スキャンダル、不適切発言の際にまた復興相なの??と思うことが多い。

 政治家の最大の武器は言葉である。武器を持たない軽装の、無責任な政治家がなんと多いことか。

 首相は任命責任を認めているが、首相の言葉も異様に軽い。首相の任命責任とはなんなのか?口先だけでいいのだろうか。


5/14(日)曇りのち快晴、夜間雨 72回目の感謝の日 北朝鮮ミサイル発射
1:30起床、腰痛あり、今回は長い。いつもの如し。本読み、文献読みほか。昨年は畑にダリア、初草刈りしたが今年は手付かず。午前は台所の整理整頓。NHKのど自慢楽しむ。午後は日用品、苗などの買い出し。強風にて植え付けできず。BR disk視聴:「昭和偉人伝:船村徹後半 」、「ベルリンコンツェルトハウス管弦楽団;マーラーSyNo5」.19:30夕食、出前で寿司。21:00就眠。9499歩数。

72回目の感謝の日 まだ運良く生き延びています
 今年もなんとか5月14日を迎えられた。72歳になった。私はここまで生きられるとは思っていなかっただけに感慨深い。数人の方から祝いのメールをいただいた。感謝に堪えない。ありがとうございました。

 最近の出来事といえば、2012年秋には自転車による転倒、腸閉塞、脳梗塞を発症した。何れも厳しい状態であったが後遺症なく速やかに回復した。2015年夏、花巻温泉で滝を見に行き2mほどの高さから足を滑らして落下、頭部、腰背部を強打した。この時も大事に至らず、いずれも、千に一つ、万に一つの幸運であった。ただし、これを機会に腰痛は消失することがなくなった。

 一日の無事を願い、不用意な事故に遭わぬよう心がけているが、降雪期には転倒し易くなった。転倒は要注意事項である。
 懸案事項の一つは、右下腹部のヘルニア、手術しないで様子を見ていたが、そろそろ限界を迎えつつある。今年中には対策せざるを得まい。
 もう一つは、この1-2年、月に1度ほど自分でも理解できない腹痛が発来する。医師の立場で観察していても実に不思議な現象と思う。そのうちはっきりしてくるだろう。白か黒か、なんだろうか。

 私は、可能な範囲で社会との関連を絶っている。私には自省すべき言動が数多くあり、それを恥じている。口を開くと同じ過ちを繰り返すからなるべく他所の方との接点を持たない様にしている。社会的に透明人間的存在になりたいと思っている。自分の存在を消したいからである。

 消える日、その日までの生き方は昨年と同じだが、今後以下の如く過ごすつもりである。

(1) 私の社会的使命は終わっている。仕事は最小限の診療に限定する。
(2) 自由に、ホンネで生きる。やりたくないことは受けない。
(3) もう時間がない。だから、堅苦しくなく、意の赴くまま、気ままに生きる。
(4) 移動機能を維持する。
(5) 診療で得られた報酬の20%を岩手の復興資金に送る。
(6) 終活 ・・・、かな。しかし、遅々として進まない。

 矛盾する気持ちでスッキリしないが、まずは72歳のスタートを無事始めることができた。大きな喜び、としたい。


5/13(土)終日降雨 
0:10起床。全体的に軽くなっているが、起床時の腰痛が一番ひどい。文献読みと新聞電子化、録音データ整理、徒然。午前は掃除洗濯手伝い。午後、微睡後読書、主に富島健夫作品。画像データ処理など。BR diskながら視聴:「らららクラシック;ノベンバーステップス」、「N響定期公演:シベリウス交響曲2番」、「船村徹作品集」。19:00夕食、20:30就眠。5429歩、家から一歩も出ず。 

わが家のゴールデンウイーク2017 腰痛とネコ対策 音楽鑑賞
 今年のゴールデンウイーク(GW)は、巷では4月29日(金)-5月7日までの9日間としているようだ。私はこの間出勤二日と日当直一回、日直一回当たっていた。それでも開放感があった。

 今回のGW期間は4月26日の起床時から生じた原因不明の腰痛に耐え、手を抜けないネコ達の世話に明け暮れた。園芸や畑仕事は全く手をつけられなかった。また、歩数が大幅に減少した。

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@ 4/29(土)昭和の日 GW初日 腰痛4日目 晴れ寒い。北朝鮮ミサイル失敗。 
 ネコタワー修理、2F和室のすだれ、網戸、障子の修理など。掃除機収納ボックス補強。クリーニング店往復。自室にてBR diskで音楽視聴:「N響定期、数回分」、「ベルリン・コンツェルトハウス管弦楽団来日公演 マーラー交響曲No5をインバル指揮で」。歩行7171歩

@ 4/30(日)GW2日目 快晴 腰痛五日目 
 腰痛は深呼吸、咳などの際、体動時にまだ辛い。掃除機収容ボックス強化。文献整理,データ整理など。自室にてBR disk:「読響定期:ペトリューシュカ、他」。持参の人間ドック判定処理こなす。歩行計4804歩

@ 5/1(月)GW3日目 快晴 
 健康クリニック休診、荷物運搬用一輪車修理。午後飯川病院勤務、歩行6606歩。

@ 5/2(火) GW4日目 外来 飯川病院 
 飯川病院玄関脇のポーチにナスタチウム植え付け 歩行5900歩。

@ 5/3(水)憲法記念日 GW5日目 快晴 飯川病院日当直
 長女一家来秋。歩行計5534歩

@ 5/4(木)みどりの日 GW6日目 快晴   
 腰痛再増悪傾向、ネコに破られる網戸の代わりにラティス装着。以後2Fで腰痛へ安静保持。歩数8292歩。

@ 5/5(金)こどもの日 GW7日目 快晴 飯川病院日直
 夕方一家11人が揃い、庭先でバーベキュー。私は一杯のビールで溺酔、早々に退散。Σ8941歩。

@ 5/6(土)降雨・午後晴れ GW8日目
 腰痛あり。読書、BR disk視聴:「NHKso第1793回定期公演Aプログラム:マリナー指揮、ベートーヴェンVn協奏曲、ブラームス交響曲No1」久々じっくり鑑賞。歩行計Σ4659歩、降雨、腰痛もあり自宅から一歩も出ず。

@ 5/7(日)快晴 比較的寒い GW9日目 
 F杉一家離秋。BR disk視聴:「N響定期演奏会」数回分視聴しながら本年分のN響定期のインデックス作成。クラシック関連の録画約1000タイトルとなって驚き。ネコ室の網戸修理諦め、居間間にラティス設置。歩行計7613歩、腰痛のため家から一歩も出ず。
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 今年のGWはとびとびに出勤日があったが、やはり開放感は大きかった。気持ちの上では休養になったが、この間の腰痛は結構きつく辛かった。ネコ7匹分の世話は、相手が生き物だけに手が抜けなかった。この間、私の労力を大幅に救ってくれたのがロボット掃除機「亀ちゃん1号」であった。

 この9日間の歩行数は腰痛のためにわずかに60157歩、48Km、5.4Km/dayと明らかに運動不足であった。

 まあ、まあ、家族がこれだけ集まって一緒に過ごす時間を持てたので良いGWであった、と総括すべきだろう。内容的にはシルバーウイークレベルだったけど。


5/12(金)快晴 大曲中通病院外来 飯川病院ボランティア
1:00起床。文献検討、徒然。新聞チェック。5:00家庭ゴミ提出準備のみ。7:40Taxi秋田駅。8:10こまち大曲に。9:10-12:15大曲中通病院外来、混雑。復路Taxi、こまち、千秋美術館年間パスポート購入。13:30-19:00飯川病院ボランティア。19:15帰宅。夕食、20:30就眠。Σ9582歩。BR diskながら視聴:「知恵泉:小栗上野介」。

ふるさと納税2017(4) 総務省は返礼品を3割以下に?? バカな結論だ
 ふるさと納税が返礼品の是非を巡って話題になっている。

 私は、納税者が豪華(?)返礼品に踊らされ、ふるさと納税は本来の趣旨から次第にかけ離れてきている、嘆かわしい制度と思う。
 総務省は、税制などの専門家、地方団体の当事者らから意見を聞いて課題を洗い出し、今春をめどに改善策を取りまとめる方針だ、と言っていた。税の姿をあるべき形に戻すことも独自に決められないのだろうか、と思った。しかも、出てきた結論は返礼品は3割以内が望ましい、という玉虫色の下らない提言であった。

 一方で、総務省は「地方自治体がお互いに競争することも、地域活性化のために良い」との考え方もあるようだが、やはりバカな考えでないか。
 ふるさと納税は今一度原点に立ち返って見直すべき、と思っていたが、今回の提言を見てこんな制度は止めるべきだとに認識を新たにした。

 ふるさと納税は、本来ならよその自治体へ入るべき税収を希望の自治体に振り分ける制度であり、理念としては面白い。しかし、ふるさと納税は返礼品のためにすっかりその姿を変えてしまった。

 自治体が集めた寄付金一は、かなりの部分が返礼一品に消えていく。寄付した人か住む自治体の税収も減る。地方全体で見れば税歳入は確実に減る。それを背景に納税者にはメリットがある。
 もう、ふるさと納税は一日も早くやめるべきだ、と思う。この愚かな仕組みをつくり、国民を扇動してきた国の責任は重い。 

 自治体による返礼品の買い上げで地方か活性化しているという声があるが、それとこれは別問題である。各地の自治体が返礼品に充てる金額を競って引き上げていけば、税の理念が破綻する。変な例えだが、手数料2千円で購入できる不健全なスーパーマーケット化している。
 
 納税は「教育」、「勤労」と共に国民の3大義務として憲法に定められている。国民として果たすべき最重要課題である。かつ崇高な義務である。
 それなのに、国・自治体が半ば国民の義務を「オモチャ扱い」にしているし、納税者も踊らされている、と思っている。
 
 世の中は不公平、不平等で満ちている。
 自治体、国には税を集める義務がある。ふるさと納税を大体的にやっている自治体はそうでない自治体との間で税収に不公平が生じ、結果として住民に不公平を押し付けている。ふるさと納税を受け付けない自治体には節度と慎みがあるものの、損を強いられる。
 納税者の立場で見れば、本来国民として平等に収めるべき税金をダシにして、節税、返礼品を通じて不公平な扱いを享受していることになる。

 ふるさと納税は、08年度にスタートした。総務省によると、寄付総額は08年度は約81億円だったが、15年度は約1.653億円に登った。このうち4割が納税者への返礼品の調達費などに使われている。
 返礼品を高額な品に変えたことによって納税額が著しく増えた自治体もあることから、納税の目的が返礼品にあることは確かである。

 私は、ふるさと納税は止めるべきと思う。もし続けるなら、返礼品はせいぜい1割以内にすべき、と思う。


5/11(木)雨曇り時々 外来 飯川病院
0:50起床。随想読み、新聞処理。徒然など。7:45降雨にて家内出勤に同乗。8:45-13:45外来+ドック判定。連休明けで混雑、疲弊。14:15飯川病院、入院外来患者対応。18:00バス帰宅、夕食、20;00就眠。BR diskながら視聴:「サイエンスゼロ:遺伝子解析でサンゴを」。歩数6225歩。

展覧会2017(3):県立美術館 オランダ2大巨匠展(2)
 フェルメールとレンブラントのオランダの2大巨匠展、この夢の様な展覧会が秋田で開催されている。ただし、全て「リ・クリエイト(再創造)作品」である。

 再創造作品、と言えども決して軽視するべき内容ではなかった。
 大体、せいぜい画集を見る程度でオリジナルの作品を見たこともない私にとっては、もともと区別できないからその価値に大きな差はない。
 光と影の魔術師の異名を持つこの2人の作品を一堂に集めた展示会を企画することはほぼ不可能といっていい。フェルメールの全37作品、レンブラントの選び抜かれた珠玉の30作品を、しかも原寸大のを一気に見ることができたが、そのことの意味は大きい。しかも、オリジナルと大差がない作品に仕上がっているという。

 彼らの作品の画像を最新のデジタルリマスタリング技術によって隅々までデータ化し、美術品がたどる劣化のコースも加味して、当時の色調も再創造した。このことも信じる方が幸せである。

 フェルメール作品の監修は、作品を追い求め研究し、マウリッツハイス美術館から「世界のフェルメール愛好家20人」に選ばれた生物学者の福岡伸一氏。また、レンプラント作品の監修にはレンプラント研究の最高峰「レンブラント・リサーチ・プロジェクト委員長のE・F・デ・ウェテリンク教授だという。この方の名前はレンブラントの画集などで目にすることができる。

 私は利用しなかったが、会場では作品解説の音声ガイドを利用することができる。

 最新デジタル技術を駆使したフェルメール全37点の作品を展示する「フェルメール光の王国展」は、2012年1月から東京・銀座を皮切りに全国34ヵ所、海外1ヵ所で開催され、現在では延べ60万人以上を動員しているという。
 フェルメールのリ・クリエイト作品についてはマウリッツハイス美術館の公認を得ている。

 硬い考えを言えば、美術館とは「本物」を見せる場所である、という認識が強いが、受け手側の多くは、オリジナルと複製画の区別などできない。

 私は「リ・クリエイト(再創造)作品」展覧会は初めから分かっていて、「作品をより理解できる類い稀な場」が秋田で与えられた、なんと恵まれていることか、と考えた。
 優れた技術によって作られた「複製画」と「本物」との間の絶対的な区別が質的にも曖昧化されて行き、たとえ複製であろうと絵画を見る喜びそのものが浮上してくる。そういう時代を迎えている、と私は考えている。

 会期は5月25日までである。もう一回、できれば二回、観に行こうと思っている。


5/10(水)曇り時々雨 フリー 午後飯川病院ボランティア
0:50起床。随想読み、新聞処理。徒然。午前掃除洗濯、クリーニング店。DIY店、シリカ球100W購入。12:50バス、通町まで、書店、珈琲店、薬局に寄り、県立美術館のオランダ2大巨匠展へ。14:00-17:50飯川病院ボランティア。データ整理など。BR diskながら視聴:「コズミックフロント:宇宙に終わりは?」、「ぶらぶら博物館:大政奉還150年」。18:00バス帰宅、 19:10夕食、20:40就寝。 歩行計11701歩。

展覧会2017(2):県立美術館 オランダ2大巨匠展(1)
 秋田県立美術館でオランダ2大巨匠展、すなわちレンブラントとフェルメール展が開催されている。開催期間は5月3日-25日までと意外と短い。

 本日、勤務フリー日であり、午後のボランティアのために病院に向かう途中で寄ってみた。
 フェルメールの全37作品、レンブラントの選び抜かれた珠玉の30作品を一気に見ることができた。この様な企画が秋田で実現したことは素晴らしいことである。
 この様な企画は、世界中の美術館や愛好家の元に散らばっている作品を一堂に集めるとはほとんど不可能である。それがこの様な形で実現したのは、展示された作品は全てオリジナルの作品でなく、全て「リ・クリエイト(再創造)作品」と言われる複製品だからである。

 「リ・クリエイト(再創造)作品」は写真による複製、コピーによる複製とは全く異なるデジタル技法を通じて、オリジナルを精密に再構成したもので、再創造品と呼ばれている。
通常の複製品の場合はオリジナル作品だけが持つ「筆の力」、色彩などの微妙さが失われるが、再創造品では忠実に再現されている。例えば、描かれた髪の毛は筆の運びに沿って立体的であり、一本一本が光を浴びて固有の光沢を持つ。

 私は日本画、西洋画とも多数の画集を持っている。また、展覧会に行った際には鑑賞できた作品を忘れないためにも、画集を求めることにしている。
 秋田にいながらの鑑賞できる展覧会はそれほど多くはないから、日常的にはどうしても画集に頼らざるを得ないが、画集の世界と展覧会は全く別物である。作品のサイズから受ける印象だけでも異なってくる。
 フェルメールの「真珠の耳飾りの少女」は大小の2作品があって、小さい方が「青いターバンの少女」・「ターバンを巻いた少女」とも称されるが、概してフェルメール作品は小さい。一方、レンブラントの作品はサイズ的にも多彩である。中でも「夜警」は展示品の中でも大きく圧倒的な存在感であった。

(会場で購入した画集と入場券)

 ちょっと残念だったのは、展示会場が1Fの県民ホールで展示作品数の割に狭かったこと。入場者が20-30人程度と少なかったが、それでも次の作品の前に進む時に観客を避けて進まなければならなかったことである。それと、サイズの大きな作品を鑑賞するには十分な距離が取って鑑賞できなかったことである。

 そうは言えどもフェルメールとレンブラントというオランダの2大巨匠の多くの作品を鑑賞できたことは私にとっては驚きの体験となった。


5/9(火) 晴れ 外来 飯川病院  
 0:00起床,文献チェック、随想読みほか。5:00可燃ごみ提出、7;30腰痛後初徒歩、飯川病院着。 8:45-13:00外来、連休明けで混雑、疲弊。13:15飯川病院、14:00-19:10帰宅夕食、20;00就眠。BR diskながら視聴:「英雄の選択:条約改正に挑んだ女」、「プロファイラー:柳原白蓮」。歩行計11681歩、久々1万歩越え。

日本語2017(6) 日本語にして!!! 「パノプティコン社会」って何だ?
 最近、新聞等で「パノプティコン社会の恐怖・・・」などという見出しが見られるようになってきた。全く耳慣れない言葉である。内容を見ると「監視社会システム」の概念を示しているようだ。
 
 ならば「パノプティコン社会」などと言わずに「監視社会」で良いじゃないか。その方がずっと意味が通じやすい。
 新聞等のメディアが安易にカタカナ語を用いることには疑問を感じざるを得ない。特に新聞は言葉、活字を通じた情報伝達が使命である。ならば、日本語をもっと大切にしてほしい。

 「パノプティコン」の語源を簡単に示すと、中庭を持ち円形に居室が配列された建築様式の事で、中庭に全室に目が届くような監視等を持つ構造である。イギリスの哲学者ジェレミー・ベンサムが設計した刑務所施設の構想である。この構造によって監視員は少ない人数でいつも囚人を監視できる、というメリットがあった。囚人側にとってはいつも見られているという心理的負荷を感じさせ、服役行動にも影響を与えた、という。

 要するに、この構造の名前を冠した「監視社会」の事である。
 最近、種々の犯罪の捜査において、町に多数設置されている監視カメラを映像が犯人逮捕に役に立っていることが報じられる。デパートや商店の監視カメラ、マンション等の玄関等の監視カメラの数は半端でない。
 この様に、市民を常に監視しているような状況を「パノプティコン社会」と呼ばれる。

 監視カメラは犯罪捜査に役に立っている一方、市民のプライバシーはどこに設置されているかわからない監視カメラで侵害されているとも言える。
 私どもが用いている電子機器を通じても監視されている。パソコンや携帯の通信データは消去されたり、破壊されても実際にはプロバイダーとかのサーバーにデータとして残っている。一般人は閲覧できないが、裁判所の許可のもとでは閲覧可能である。これらの通信記録も「監視社会」の、重要な手段となる。

 最近、違法とされたが警察が被疑者の車に密かに装着するGPS機器による捜査も「監視社会」の考えの典型の一つである。警察側の論理は最高裁で否定された。
 個人のレベルで言えば、子供にGPSがついた携帯を持たせるとか、車につけるドライブレコーダーなど、盗聴器も監視道具の一つである。認知症の徘徊にも役立つケースもある。
 私どもは今いろいろな監視道具を手に入れることができる。そんなことを通じて何かを監視することが可能になってきていて監視することが安易に行われるが、一方では監視される側にもなっていることを強く認識しなければならない。

 いま、国会では共謀罪が論議されている。今後一層社会の監視機構は厚くなっていくことが予想される。


5/9(月)曇りのち晴れ 健康クリニック 飯川病院
0:30起床,文献チェック、随想読みほか。歩行に自信なく6:47バス飯川病院着、9:00-10:45健康クリニック、11名。11:00飯川病院に、午前中に入院患者対応終了。微睡5、14:00-18:45飯川病院勤務。文献チェック三昧。19:00帰宅、夕食、20;15就眠。BR disk視聴:「英雄選択:大村益次郎」、「団塊スタイル最終回:新しい生き方の方々」、「英雄選択:南方熊楠」。歩行計6946歩数。

日本語2017(5) 日本語にして!!! 「ユマニテュード」って何だ?
 日本語が乱れている、とされているが、私は必ずしもそうは思っていない。言葉は生活に密着した生き物であり、生活の変化、時代の変化とともに変わっていく。特に現代はネット等を通じて若者中心に新しい言葉が次々と発信され、広がっていく。中には日本語としてふさわしくないものもある。

 ただ、私が憂慮するのはカタカナ語の頻用である。
 極端な話、将来、カタカナ語の間を日本語の接続詞で繋ぐだけになるような感じを受ける。
 高齢化社会である。高齢者は耳の機能が低下している。さらに、耳と耳との間にある重要な臓器の機能低下もある。日本語で済むなら日本語にしておいて欲しい。

 例として私が今まであげたのは以下の単語である。

@1 「リンデンバウム」って何だ??(2)「ローカルコミュニティーエリア」「エイジフレンドリーシティ」
@2 もっと分かりやすい日本語に(3)「フレイル」ってなんだ?
@3 もっと分かりやすい日本語に(2)「オノマトぺ」ってなんだ?、
@4 もっと分かりやすい日本語に(1)??「サルコペニア」、「ロコモティブシンドローム」 、
@5 「秋田市版ネウボラ」とは何?? 秋田市は横文字好きだね
@6 日本語2017(2) 日本語にして!!! 「コグニサイズ」、「ペアレントメンター」って?

 日本語はとてもタフな言語である。外来語を吸収する力、自国語に取り込んでしまう包容力は、世界のあらゆる言語の中でもトップクラスなのではないか、と思う。でも時に、ちょっと過剰ではないか?とも思う。

 私どもが何とはなしに使っている外来語混じりの日本語、私は安易にカタカナ語を採用して欲しくない、と思う。カタカナにしただけでイメージアップにつながるという考えであろうが、日本語は内容を示唆する名称をつけることができる素晴らしい言語である。

 私が最近読んだ書籍に、認知症ケアの新しい技法として「ユマニチュード」が注目が集めているとの記載があった。私は不勉強にして「ユマニチュード」という単語を知らなかった。

 認知症の患者をケアする時に、目をきちんと見て、優しく触れ、話し掛けることを基本にし、患者の人間性を尊重し、患者が持つ力を正しく評価しながら、よりよいケアを目指す、そんな技術である。心ある介護担当者であれば、さりげなく体得していると思われる技術を体系化し「ユマニチュード」と表現している。

 「ユマニチュード」はフランス人のイヴ・ジネスト氏らが開発し体系化した実践技術で、患者とのコミュニケーションを円滑にさせる効果が絶大だという。「ユマニチュード」という言葉は、植民地で黒人が黒人らしさを取り戻そうとする運動「ネグリチュード」が語源という。それに、「人間の」を意味するフランス語「ユマン」を重ねた造語、だと言う。それはそれとして歴史的な意味もあるだろう。

 「ユマニチュード」の技法はそれなりに価値があると思う。その内容は賞賛したいが「ユマニチュード」と表現するのはどうかと思う。

 その道の方々がふさわしい名称を考えてくれればいいのだが、私が一例としてあげると「ユマニテュード(個性尊重の介護技法)」とでも日本語の副題をつけてくれれば、よりいいと思う。


5/7(日)快晴 比較的寒い GW9日目最終日 
1:00起床、画像・文献新聞チェック。録音データダウンロード、整理。9:00書斎整理、廃棄物まとめ。11:30F杉一家離秋。のど自慢楽しみ微睡、バラ関係で来客あり。掃除、洗濯等補助。BR disk視聴:「N響定期演奏会」数回分視聴しながら本年分のインデックス作成。ネコ室の網戸修理諦め、居間との間にラティス設置。19:30夕食。21:00就眠。歩行計7613歩、腰痛のため家から一歩も出ず。

憲法論議2017(2) 9条
 9条に関して、仮に9条が改正され、軍隊が憲法に容認されれば、再び日本は侵略的国家へと変身しかねない・・のだろうか。短絡すぎる。平和憲法制定時の理念を守ったまま、国民の生命・財産を守り、国を守ることは出来る、と思う。平和を守るために改正しなければならない。

 日本を取り巻く事情というのは、朝鮮半島有事の可能性が現実昧を帯ぴてきたからである。北朝鮮と米国の間に戦闘が勃発すれば、日本も韓国も戦闘状態にはいる。北朝鮮のミサイル射程は米国本土迄というが、まだまだ実用的ではない。だから、在日米軍基地が狙われるだろう。韓国にいる日本人の安全も確保しなければならない。

 戦争という非常事態が生じても、あくまで平和主義を貫くべきだ、という意見がある。特に護憲派の人たちはそのように言う。「座して死を待て」、ということだろう。
 戦後憲法の基本的な理念に無理があった。9条の非武装平和主義は当時としては価値ある考え方であっただろうが、今日、もはや「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して・・(憲法前文)」と構えているわけにはいかなくなった。 

 戦後憲法の平和主義によって日本を永遠に武装解除した米国は、常に軍事大国として世界の戦争に関わってきた。しかも、その米国が東アジアの拠点として日本を利用するために、日本の安全保障まで司どっている。

 戦後憲法の平和主義と米国の傘の下で日本は大した努力もなしに平和的な歴史を重ねてきた。完全に。こうした他力本願の不自然な姿を日本はずっと放置し、かつ享受してきた。もし、仮に同盟国である米国と中国、北朝鮮が戦争状態になった場合、日本はどう行動すべきなのか。日中間で紛争、北朝鮮との間で紛争が生じた際にはどう行動すべきなのか。それさえもほんど論議されていない。国民に問いかけてもいない。米国がすべて問題を処理してくれるとでも思っているのであろうか。米軍が戦わない我が国の代わりに血を流すとは考えられない。

 憲法9条は、まず前半で侵略戦争の放棄を掲げる。後段では戦力の放棄と交戦権の否定をしている。要するに、自衛権を含めたいっさいの交戦をも否定する。今まではそれでよかった。戦後70年日本を取り巻く世界情勢のなかではそんな危機が一度も生じなかっただけである。

 主権国家の自衛権は固有の権利である。日本国憲法は他国からの脅威に対しても、戦ってはならないことになる。何しろ憲法によって制限されているからである。
 これはおかしなことである。


5/6(土)午前降雨・午後晴れ GW8日目 
 0:20起床。まだ腰痛あり。早朝午前とも読書、文献処理一部廃棄、録音データ整理。午後は微睡の後、書斎で録画データの整理、分類。BR disk視聴:「NHKso第1793回定期公演Aプログラム:マリナー指揮、ベートーヴェンVn協奏曲、ブラームス交響曲No1」じっくりと再視聴。マリナーは当時90歳、2016年10月2日死去。享年92歳。我が家の録画データは「NHKso定期」、「読響演奏会」、「らららクラシック」、「題名のない音楽会」だけをピックアプしても優に400回分を超えている。貴重な記録となっている。歩行計Σ4659歩、降雨、腰痛もあり自宅から一歩も出ず。

憲法論議2017(1) 私は改憲が妥当と思う
 我が国の憲法は制定後71年経過しているが、世界的にも平和憲法して評価が高い。

 この間、日本国憲法には一切、改憲の手が触れられていない。
 一方、毎年5月の節目の時期になると改憲論を中心に憲法論議か盛んになる。
 実際、今日ほどこの憲法の存在意義が問われているときはないだろう。現実的に考えると、中国、北朝鮮の軍事行動は我が国に対する軍事的威嚇行為である。こんな状況で現在の平和憲法が制定時の理念を守ったまま、国民の生命・財産を守り、国を守ることができるのだろうか。私は疑問である。

 9条に関していえば、戦後平和が守られてきたのはこの平和憲法があったためではない。世界情勢、日本の情勢、日米安保条約しかり、米国との同盟関係など、がそうさせてきただけである。一方、我が国も9条に関して情勢に対応しながら自衛隊の解釈を捻じ曲げながら、軍拡を進めてきた。

 憲法に関する各新聞社やメディアの世論調査によると、改憲については「不要」>「必要」である。また、ここ数年「不要」とする割合は増加している。
 特に9条の改正「反対」は7割に近い数字となっている調査もある。

 平和の維持は平和、平和と唱えるだけでは達成できない。

 安倍首相は9条に関しても現実的である。この度、3年後の憲法改正をめざすと名言し、9条に自衛隊を合憲化したいと述べた。これは正しい。今の自衛隊は何なのか??黙して容認している日本人の曖昧さはここに極まれり、と言ったところか。

 改憲論者は時代と日本を取り巻く環境の変化に適合するように改正すべき、という。改憲反対論者は、特に9条の改正は日本の平和主義を放棄することにつながりかねず、再び戦争に巻き込まれるリスクを増大させる、と憂慮する。あくまでも平和を志向しながら、同時に、国民の生命・財産を守り、国を守る行動が何で問題なのか? 9条の改正は、即、日本の平和主義を放棄することになるだろうか??
 私はそんなことはない、と思っている。

 日本国軍法の改正論者の主な主張を要約すると、
第一に「自主憲法」願望。
第二に「日本を取り巻く環境の変化への対応」。
第三は「自衛隊と憲法間のギャップの解消」。

 第一に関しては私はどうでもいいことと思う。日本人のプライド? 現に70年も黙って適応して来たではないか。米国のお仕着せ憲法と言われるが、そんなことはない。日本人も関与して作られている。短期間に作ったのに、内容的にも問題はない。
 第二、第三の点に関しては、9条を改正することによってごまかしのない形で可能になる。
 9条と自衛隊の存在は、誰しもが相容れないと認めざるを得ないだろう。日本人特有の「解釈論」だが、国際的には通用しない。

 私は、現状の平和憲法のもとで我が国を作り上げて来た先人に感謝しつつも、改憲すべき時期を迎えている、と思う。
 意見としてはそのように思っているが、高齢でこれから先にのことに責任を持てない。だから、次世代の我が国を担う若い方々の意見の高まりを期待しながら憲法について再勉強していいるところである。
 もし、憲法改正が国民投票になったら、私は1/2票でいい。


5/5(金)晴れ、夕方一時降雨 GW7日目 飯川病院日直 
0:30起床、文献読み。データ整理。5:00可燃ごみ提出。秋田市職員連休中なのにご苦労様。8:15クロスバイク、通町珈琲店経由で飯川病院。9:00日直に就く。院内患者は落ち着いている様子。読書、データ整理、BR disk視聴三昧で過ごす。18:30雨模様と頭痛のため迎えの車でi帰宅。19:00一家11人が揃い、庭先でバーベキューを楽しむ。私はコップ一杯のビールで泥酔、20:00就寝。Σ8941歩。BR diskながら視聴:「日曜美術館:クラーナハ」、「サイエンスゼロ:チェルノブイリとフクシマ」、「アナザーストーリー:浅間山荘事件」。

ネコ談義2017(5) ロボット掃除機導入(2) ロータリーエンジンのローターと同じ形状
 ネコも7匹もいるとネコ室、居間ともにかなり汚れる。掃除するのは結構大変である。
 ロボット掃除機の機能に半信半疑であったが、ネコ抜け毛が負担になって4月にパナソニックの「ルーロ」という製品にした。「ルーロ」という名前を久々に見て懐かしかった。

 使い始めてまだひと月であるが購入して良かったと思っている。
 弱点と思われるのはダストボックスが小さく、ときに掃除途中でも「お腹がいっぱい」と警告を発することである。これは、我が家が特にネコ毛が多い為だと考えられる。ネコ毛がない書斎などでは2-3度やってもまだ余裕がある。

 検討した他の製品は全部円形であった。部屋の隅々まで綺麗にするには円形は不都合だとわかるが、なぜか円形以外の形の製品はない。このパナソニックの製品のみがおむすび型である。さらに二つの角に刷毛がついているから本体よりもコーナーに深く手が伸び、ゴミを掻き出す。極めて合理的な形だと思う。

 このパナソニックロボット掃除機に採用されている三角形は、F・ルーロが考察した、物理的にバランスのとれた形状である。ルーローの三角形はどの方向にも幅が一定なので、正方形の中でどれかの頂点を内接しながら回転する。この特長を発展させたのがマツダが数多くの困難を克服して実用化に成功したロータリーエンジンで、レシプロエンジンのピストンに相当するローターはルーローの三角形の形状である。

 

 今回ロボット掃除機を購入したのであるが、私はこの外見を見て一発で気に入った。機能もよし、これが選択のポイントであった。

 私はかつて、マツダが開発した技術と熱意に惚れてマツダルーチェロータリーセダンに乗っていた。エンジン自体は燃費が悪く改良の余地があるとは思っていたが、エンジンレスポンスは電気モーターのごとくにスムーズ、静か、乗り心地もソフトで気に入っていた。改良が間に合わずに燃費競争に敗れ、2012年にRX-8に搭載されたのを最後に生産終了。マツダにおけるロータリーエンジンの歴史が、一旦途切れている。マツダは研究を止めたのではない。まだ夢は続いている。

 私はロータリーエンジン車に乗っていた時代、興味があって内燃機関について詳しく勉強したことがあり、ロータリーエンジンに魅せられていた。
 それがパナソニックのロボット掃除機としてまた身近になったのがとても嬉しい。


5/4(木)快晴 GW6日目 
0:00飯川病院起床。文献等若干処理。画像収集処理。、BR diskながら視聴:「ガイア:外食産業の新戦略」、「ヒストリア:お城400年の歴史」、「ETV特集:小野田少尉とI日比外交」。9:00クロスバイクで帰宅。資源ごみ提出なるも今回はキャンセル。秋田市職員連休中なのにご苦労様。腰痛再増悪傾向、ネコ世話。新聞スクラップ入力。11:00再度破られた網戸の代わりにラティス購入、家用スリッパも。午後、ラティス装着。以後2Fで安静保持、次男一家来襲。20:00夕食、21:00 2Fで就眠。歩数計8292歩、腰痛にて伸びない、まあいいか。

ネコ談義2017(4) ロボット掃除機導入(1) 愛称「亀ちゃん1号」
 我が家のネコ達7匹が換毛期に入った。ネコ室の床は抜け毛でところどころ白くなるほどである。週末に掃除機片手にネコ室にこもり1-2時間かけて掃除している。

 1日一回、夜の給餌前にはネコを居間に入れて運動、気晴らしなどさせる。週末には1日2−3回居間に入れる。この時、明らかに居間が羽毛、ネコおもちゃの切れ端とかで汚れる。また、半ば外ネコ化している「ユー」は体に落ち葉などをつけたまま入ってくる。そんな時は私も参加して掃除するのであるが、時間的にも労力もなかなか大変であった。
 夜間帯は汚れを見つけた場合には、掃除機ではなく、コロコロで局所的に、私がゴミを追っかけている。コロコロはネコ毛掃除にはとてもいい。しかし、腰にくる。

 ネコ室と居間を掃除するのは結構大変である。
 ロボット掃除機は能力に半信半疑であったが、長女宅ではルンバを使用していて便利、というので我が家でも導入を検討することにした。

 機種の選定はルンバも含めて10機種ほどを対象に、文献、カタログなどから検討し、最終的には販売店で実物をみた。結果的に、価格とおにぎり型のユニークな形、動作音が静かなパナソニックの「ルーロ」という製品にした。同機種の中ではリモコンのある上位機種とした。価格はルンバの半分程度、国産品の他機種よりも安い。
 ひと月前の4月5日届いた。

 私はあまり期待せず利用し始めたが、私が掃除するよりも綺麗になる。連日、居間、玄関、台所、浴室と走らせてみたが、今までの掃除機が不要になる程綺麗に掃除してくれ、驚いた。適宜2Fにも運んでそっちでも活躍している。本体だけでは3Kgと軽いから運びやすい。
 私が最も忌避する音は、思いの外静かで、ラジオ、TV、会話にも邪魔にならず満足している。耳元でほぼ終日ギリギリの音量で鳴らしているラジオの音量を上げる必要もない。

 私や家族は掃除にかける時間が大幅に減少、掃除をしている間に他の仕事が出来るのが最大のメリット。掃除させる前には移動できる家具は別室に移すなどの事前の用意が必要であるが、準備を通じて無駄な物品は床面に置かないようになった。これも効果の一つであった。また、ダンボール箱を切って自作した「侵入防止ガード」を用いて掃除エリアを分ければ、自分の居場所が確保でき、仕事が続けられる。
 使い始めてまだ30日目であるが、朝夕、大活躍である。

その動作の様子は、孵化した子ガメが必死に手足を動かし海に向かって急ぐ様子に似ている。それで我が家では「亀ちゃん1号」と呼んでいる。
 動作の様子はインスタグラムに提示した。

 (居間を掃除する「亀ちゃん1号」。自作の乗り上げガードをつけた扇風機。箱には出番が少なくなった掃除機が収まっている)

 自動モードにすると私がざっと掃除したレベル、念入りモードでは私の掃除以上に綺麗になる。

 家具に当たる衝撃はソフト、階段から転げたり玄関のたたきに落ちることもない。大したものである。


5/3(水)超快晴 憲法記念日 GW5日目 飯川病院日当直 
 11:30起床、文献チェック他。新聞チェックなど。8:15今年始めてクロスバイクで飯川病院に、830日当直業務に就く。午後は微睡取りつつ外来レセプトチェック、3時間ほどかけた。BR diskながら視聴:「100分で名著:宮沢賢治」4回分一気に。「あらすじ名作:徒然草」。18:00検食、19:15F氏一家来秋。20:20就眠。歩行計5534歩。

北朝鮮2017(7) ミサイル5発東京に向かっている!!!  書評:松本清張「神と野獣の日々」(2) 昭和38年 角川文庫 
 自分の命が、わずか1時間ほどしかないと知ったときの人間の反応、ネットが発達した現代ならどうか。ネットはもはや役立たないと思う。メールを含めて電話も回線がパンクして役立たないだろう。

 あくまで仮の話だが、発射から到着まで数分という近隣国から飛んできたらどうなるか?発射情報の確認し警報が発せられる間に着弾してしまう。国民としては何もできない。迎撃ミサイルに頼るしかない。外したら終わりである。残りの希望は目標からずれるか、不発弾である可能性に全てを期待するしかない。

 社会が、日本人の理性が、抑制が、・・・日本人が培ってきた良識、常識があっという間に瓦解する。作品はミサイルが到着予想時間までの間のパニック状況、逃げ惑う国民の姿が、原始的行動をとる日本人の姿が克明に記載する。パニックに陥る人々の姿の描写が凄かった。政府、マスコミ、一般人、受刑者、それぞれの慌てふためく状態が生々しい。中途半端な時間があると、人はどうなるだろうか?

 大震災が何度もあり、その度に節度ある日本人の行動は高く評価されているが、この作品はまだ起こっていない状況の表現である。東日本大震災、原発事故、熊本地震などは起こってからの状況である。ミサイル着弾とは異なる。この違いも面白い。

 米国大統領が日本人に向けて発した空々しい哀悼のメッセージ、この場に及んでも保身を考える日本の政治の中枢の人たちの姿にも呆れる。作中に出てくる人々の醜い行動も、死が迫っていると考えれば頷けるのかも。自分ならどうするか??清張氏はよくまあここまで考えたものだ、と思う。

 これが1974年(昭和38)年に書かれた作品なのが驚きである。ラスト??、光と地獄が示される。ここには記載すべきでない。あり得ない設定でもない。こんなに素晴らしい本を彼は書いていた。

 私は清張氏の作品が好きで随分読んだ。それでも作品の3-4割??りにすぎないかもしれない。想定される出来事すべてに触手を延ばして貪欲に記述する、清張氏の作品の多くはあまりにも詳述するために一見冗長なのだが、その全てを無駄にせず作品の終わりに統合させていく。そんな作者の技能には舌を巻く。

 久々に読んだ清張作品、感銘を受けた。未読の作品をまた読んでみたいと思ったが・・・もはや時間がない。もちろん、私の残り時間は、この作品の設定状況ほど緊迫してはいない。まさか、1時間ではなかろう。今、当直が開けた。これから自転車で帰宅するが、慎重に走ろう。


5/2(火)雲ひとつない快晴終日 GW4日目 外来 飯川病院
0:00起床、文献検討他。新聞チェックなど。6:00可燃ゴミ提出。7:45ドックのフィルム持参し、若干腰痛残るために家内の車で出勤、8:45-13:00中通病院外来、13:30飯川病院、微睡と入院患者対応。19:00帰宅、夕食、20:20就眠。歩行計5900歩。BR diskながら視聴:「そこまで言って委員会:2回分」、「世界はいま」。

北朝鮮2017(6) ミサイル5発東京に向かっている!!!  書評:松本清張「神と野獣の日々」(1) 昭和38年 角川文庫 
 本稿で紹介する松本清張氏の作品「神と野獣の日々」は、氏の唯一といわれているSF小説である。

 1963年(昭和38年)、キューバ危機が勃発し、ケネディとフルシチョフ間の駆け引きで米ソ水爆戦争の危機がギリギリで回避された。その翌年に書かれた作品。清澄氏はこの国際的な緊迫感をなんとか作品に仕上げようとしたのであろう。素晴らしい作品ができあがった。
 
 この作品は新潟大学の寮で読んだ。遠い昔のことであるが、当時、私は清澄をはじめ社会派といわれる作家の作品を貪り読んでいた。

 最近、北朝鮮の金正恩と米国トランプの間でキューバ危機と似た様な切羽詰まった関係が取りざたされ、もし、両国間が戦争状態に陥れば我が国にもミサイルが撃ち込まれる可能性は否定できない状況にある。
 政府は先日、ミサイル攻撃を受けた際に国民がとるべき行動を明らかにした。実際に核弾頭搭載のミサイルが撃ち込まれたらどうしようもない。
 また、ミサイル発射情報が入った際には東京のメトロなどでは10分間運転を止める措置などをとっている。いかに可能性の少ない警報のレベルとはいえ、戦後、このような事態に陥ったことは一度もない。それだけ米国・北朝鮮関係は緊迫しつつある。

 米国・北朝鮮関係を考えているうちに、突然、松本清澄氏のこの「神と野獣の日々」という作品を思い出した。読んでから半世紀近く経ったが私の記憶に残っていたということは、それだけインパクトの強い作品だったといえよう。
 そう長編でないので、連休に入ってから書庫の奥から埃にまみれた本を取り出して懐かしさとともに再読している。

 読み返してみて、再度感嘆した。今再読しても十分に面白い。面白いどころか、もしも、現実にこういう事態が起きたならば我々は、私は具体的にどう行動すべきなのか??考えなくてはなるまい。

 自分の命が、わずか1時間ほどしか残っていないと知った時に、人はどんな選択をし、どう行動するのか。現実に起きる可能性はゼロではない以上、自分だったらどうするのだろうか考えておくのもいい。

 あらすじはそれほどない。
 ある日、我が国の友好国であるZ国から5基の核ミサイルが東京に向けて誤射された。一つ一つは広島の原爆の500倍の威力。誤射された時に作動するミサイルの自爆装置は作動しなかったとのこと。また、わが国の防衛システムでは全弾を迎撃することは不可能とのこと。ミサイル到着まで1時間もない。政府はその情報を公表し、総理周辺は無政府状態を避けるという名目でヘリで退避した。

 死を目前にすると人間ってどんな行動をとるのだろうか?
 清澄氏はその辺のことを、置かれた立場や環境による違い、群衆心理などを勘案し、地下街に逃げ込んだり、暴力的になる国民を、また、悟りを開きじっと死を待つ人間等を詳細に描いてみせる。
 命をかけて、「神と野獣」化する人間の実態を描いている。


5/1(月)快晴 GW3日目 健康クリニック休診 飯川病院 腰痛6日目
0:20起床。徒然、録音データ整理など。健康クリニック休診、午前は自宅で。洗濯風呂掃除、一輪車修理。12:50バス飯川病院、検食、微睡。14:00-17:00勤務、入院患者対応。19:00書店経由にて帰宅、19:30夕食、21:00就寝。BR diskながら視聴:「そこまで、委員会:2回」、歩行数6606歩。

四季2017(7)桜が散った 私にとって好きな夏が訪れた 
 4月17日に通勤路の若い桜に最初の開花を確認してから2週間余、通勤路の桜並木は早々に散ってしまい、遅い千秋公園の御隅櫓付近の桜もほとんど散って、緑の若葉に取って代わらている。

 ソメイヨシノは注目度は高いがちょっと可哀想。満開までは注目され、春の訪れを喜ぶ心まで高揚させてくれるが、マスコミに踊ろされている感じが否めない。

 私は毎日徒歩通勤しているが、開花間近の桜のつぼみを毎日見ている。咲き始めるまでの変化は遅々としているが徐々に膨らんでいく。この時期から桜を愛でている人はほとんどいない。
 この間、TVや新聞はほぼ連日桜関連のニュースで見るものの心を高揚させていく。観光地の紹介など途切れることはない。

 千秋公園の広場では露店が立ち並ぶ。桜祭りの看板は出る・・・で、3月下旬になるとで花見はクライマックスを迎える。
 桜は、今や自身の五感でつぼみから散るまでの移ろいを楽しいむものでなく、マスコミの誘いに乗って季節感を味わっている様だ。昔から「花より団子」と言われていたから、花そのものよりも春を迎えた心の高揚の方が大きいのであろう。

 ソメイヨシノは江戸中期から一般化したとされるが、一斉に咲く、一斉に散る、この点が特に愛でられている。農耕民族である日本人の思考によくあったのであろう。一気に全国に広がった。
 桜ほど日本人から様々な思念やイデオロギーを託された花はない。かつて東大教授で国家主義的な某学者は、「二つの花より一枝の花、一枝よりは一樹、一樹よりは全山の花の集合体が美しい」と述べている。これは日本民族の考え方が、個人よりも団体的活動にあるのをうまく表現している。桜には不要な精神性を託された、忌むべき過去もある。それを考えずして私は桜を見ることはできない。
 新潟大学の合格電報は「サクラサク」の五文字であった。当時はなんで桜なのか考えもしなかった。

 「万葉集」の中に桜を詠んだ歌が四十余首あると言うが、私は一句しか知らない。「山峡(やまがい)に咲ける桜をただ一目 君に見せてば何をか思はむ」には、静かにじっくりと桜を鑑賞する雰囲気が読み取れる。
 この時代、ソメイヨシノはまだなく、山桜が色々な表情を見せてくれていたのであろう。
 私が住む近くには天徳寺、平和公園の丘陵があるが、いまは山桜が楽しめる。山桜は花にも葉の色にも個体差があり、それぞれに楽しめる。ソメイヨシノとは違った趣を感じ取る。

 桜が散った。私にとっての今年の夏到来は本日5月1日からとしよう。
 私の夏、今年も太陽を十分に浴びて過ごしたいものである。


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   年を通じてワンパターンで淡々とした毎日です。AM2:00-5:00にメールチェック・返事送付、人間ドック(HDD)判定・報告書作成、新聞切り抜き、病院・医師会業務など。
  月〜土曜は6:00頃出勤、HDD報告書印刷、外来書類処理など。病棟回診、HDD受診者とミーティングと診察。8:45-14:00外来とHDD受診者に結果説明。昼食は摂りません。午後は病院業務・医師会業務、各種委員会等に出席など。20:00頃帰宅。
  日曜・祭日もほぼ同様ですが、病院には午後出かけます。時間的に余裕無いのが悩みです。


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