徒然日記
2017年4月分

 日記と言うより、自分の行動記録からの抜粋と日々の雑感です。

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4/30(日) 快晴 GW2日目 腰痛五日目
 1:00起床。腰痛五日目なるも起居よりも深呼吸、咳などの際まだ辛い。文献整理,新聞チェックなど。午前はネコ室掃除、換毛期なのか毛が多い。掃除機収容ボックス強化取っ手つける。NHKのど自慢後
午後微睡若干、自室にて文献整理,データ整理など。自室にてBR disk:「読響定期:ペトリューシュカ、他」、「昭和は輝いていた:ピン芸人」。持参の人間ドック判定処理。19:00夕食、20:30就寝。 歩行計4804歩のみ。快晴なるも寒い。玄関から一歩も出ず。

時間について2017(6) 徒然草から学ぶ(5) (108段) 寸陰惜しむ人
 徒然草からはいつ読んでも新しい発見がどこかにある。
 今回は108段「時間について」。今の私は反兼好的な考えである。
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(108段)
 寸陰惜しむ人なし。これよく知れるか、愚かなるか。
 愚かにして怠る人のために言はば、一銭軽しといへども、是をかさぬれば、貧しき人を富める人となす。されば、商人の一銭を惜しむ心、切なり。刹那覚えずといへども、これを運びてやまざれば、命を終ふる期、忽ちに至る。
 されば、道人は、遠く日月を惜しむべからず。ただ今の一念、むなしく過ぐる事を惜しむべし。もし人来りて、我が命、明日は必ず失はるべしと告げ知らせたらんに、今日の暮るるあひだ、何事をか頼み、何事をか営まん、我等が生ける今日の日、なんぞその時節にことならん。
 一日のうちに、飲食・便利・睡眠・言語・行歩、やむ事をえずして、多くの時を失ふ。その余りの暇幾ばくならぬうちに、無益の事をなし、無益の事を言ひ、無益の事を思惟して時を移すのみならず、日を消し、月をわたりて、一生を送る、尤も愚かなり。
 (中略)光陰何のためにか惜しむとならば、内に思慮なく、外に世事なくして、止まん人は止み、修せん人は修せよとなり。
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 (私の意訳)
 一瞬の時間を惜しむ人は少ない。物事をわかっているからか、愚かだからなのか。
 愚か者に言うと、一銭は軽いが重ねれば、貧者を富める人にできる。商人が一銭を惜しむ心は、切実なのだ。
 短い時間を軽視していると、命を終える時がたちまち来る。
 仏教の修行をする人は、修行にかける長い時間を惜しむべきでない。ただ、この一瞬はを惜しむべきだ。もし、人が来て、自分の命は明日まで、と告げらせたなら、今日一日が暮れるまでの間、何事をするだろう。我々が生きている今日という一日は、明日死ぬといわれた後の一日と何か違うことがあるだろうか。
 一日のうちに、飲食・排便・睡眠・会話・歩行など、やむを得ないことで多くの時を失う。余りの時間が乏しくなったなら、無益な事をなし、無益な事を言い、無益な事を考えて時を過ごすことは、一日を浪費し、一月を浪費し、一生を浪費する。まったく愚かである。
 ほんの短い間でも、一瞬という短い時間を惜しむ心が無ければ死人と同じ。一瞬を何のために惜しむかといえば、雑念を無くし、俗世間と交わりを断ち、悪を止め、善を行え。
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(語句)
■飲食おんじき:仏語、飲食。■便利:仏語、大便・小便。■風雲の思ひ:立身出世を願う。

(メモ)
 いやはや、お堅い考えである。
 兼好だけではない、道元の正法眼蔵に「この一日の身命は、尊ぶべき身命なり。一日をいたずらにつかふことなかれ・・・」、とある。

 私も昨年までは同じように考えていたが、今の私にとっては「むなしく過ぐる」時間などは一瞬すらも無い。何も考えずに呼吸しているからといって「むなしく呼吸してます」、と言うべきだろうか。呼吸無くして人生そのものが無くなるのだから。


4/29(土)昭和の日 晴れやや寒い  GW初日 腰痛四日目
0:00起床、腰痛は若干軽減か。文献検索、録音データ処理その他。可燃ごみは少なく次週に。北朝鮮ミサイル打ち上げるも失敗。午前はネコタワー修理、2F和室のすだれ、網戸、障子の修理などなど。自室掃除、掃除機収納ボックス補強。午後はクリーニング店に洗濯物、自室にてBR diskで音楽視聴:「N響定期、数回分」、「ベルリン・コンツェルトハウス管弦楽団来日公演 マーラー」。夕方、次男一家来襲。19:30夕食、20:30就寝。歩行計7171歩数。

北朝鮮2017(5) 中国がにぎる鍵 中国はなぜ北朝鮮を擁護するのか
 今回の北朝鮮を巡る米国との過緊張状態は一発触発の危険を孕む。

 しかしながら、米国、トランプといえ、すぐに武力行使はできない。北朝鮮国内に張り巡らした軍事拠点を一斉に攻撃する必要があるが実効性は疑わしい。そうなれば、韓国や我が国にも甚大な被害が及ぶだろう。韓国には28.000人余、我が国には49.000人余の米軍が駐留していて、攻撃の標的になりうる。

 局面打開のカギを握るのは中国である。
 03年1月に北朝鮮が核不振散条約から脱退を宣言し、核問題が持ち上った。3月にブッシュ米政権が、「単独で」でイラクを攻撃したが、それに衝撃を受けた中国が仲介に乗り出し、米中朝の3者協議をへて、8月に6者協議が始まった。

 最近、北朝鮮の勝手な振る舞いに対して、中国は若干発想を変えたとはいえ両国はまだホットな状況にある。今年2月には北朝鮮産の石炭の輸入を全面的に停止するなど、経済制裁にやっと重い腰を上げた。北朝鮮への原油供給を止める動きもある。

 北朝鮮問題は中国が鍵を握るのは明らかである。
 いや、それ以上に北朝鮮をここまでのさばらせた要因の一つが、オバマによるだんまり戦術であり、国連安保理決議の経済政策実践に非協力的であった中国でもあるから、両国ともに大きな責任がある。

 中国が米朝対話を仲介する動きを期待したい。トランプも振り上げた拳を下ろすために、中国の動きに期待している。

 ところで、中国と北朝鮮の関係はどうなっているんだろうか。
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 中国・北朝鮮関係の歴史をさかのぼれぱ、中国は1950〜53年の朝鮮戦争で同じ社会主義国の隣国である北朝鮮が苦境に陥ったため「人民志願軍』を送り、ともに韓国・米軍中心の「国連軍」と戦った。結果は優勢な状態であった。
 両国間は「血で結ぱれた同盟」とされ、61年には「中朝友好協力相互援助条約」を締結した。戦争の際には、直ちに軍事その他の援助をする「自動介入条項」もある。しかし、92年に中国と韓国が国交を樹立したことで、中国が朝鮮半島の紛争に北朝鮮を即座に援護して介入する可能性は低くなった。

 金正恩は11年に権力を継いでから中国をおとづれたことはなく、関係は冷えている。


 中国は地理的に緩衝地帯である北朝鮮を崩壊させることは絶対にない。
 中国は、核実験に際して北朝鮮を強批判する一方、米国や日本、韓国などには冷静に対処し、話し合いで解決せよという立場を繰り返している。
 今回のG20外相会議でも同様の姿勢をとった。
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 北朝鮮は武力介入はないと踏んでミサイルや核実験を繰り返し米国を威嚇し続けている。これは危険である。

 中朝関係が冷え込めば、北朝鮮は、天然ガスなど資源が豊かなロシアとの関係強化に乗り出す。安保理決議の経済制裁の新しい抜け穴となりうる。
 韓国大統領選挙は、文氏が有力とされている。文氏は朝鮮半島の安全保障に関し、韓国が中心になって北朝鮮に直接働きかけるとの意向であるからなんらかの進展が見られるかもしれない。


4/28(金)快晴 大曲診療応援 飯川病院ボランティア 腰痛三日目  
0:00起床、文献検索、録音データ処理その他。5:00可燃ゴミ提出。7:35Taxi飯川病院経由秋田駅。8:10こまち、腰痛のために駅病院徒歩不可、9:00-12:15大曲中通病院外来。13:30-18:55飯川病院ボランティア。BRながら視聴:「携帯の30年」後半、「林修今でしょ講座:人間の脳について」。19:00Taxi寿司店経由帰宅、夕食、21:00就眠。歩数計5124歩、腰痛にて歩けず。

北朝鮮2017(4) 驚くべき北朝鮮軍事力
 韓国と北朝鮮が朝鮮半島の主権を巡り争った戦争が「朝鮮戦争」である。北朝鮮が38度線を越えて侵攻し開戦。中国と北朝鮮の「連合軍」と韓国と「米軍を中心とした国連軍」の戦いは、前者の優位な戦況が続いた。マッカーサーは原爆投下もトルーマン大統領に提言した。返事はマッカーサーの更迭であった。トルーマンは広島・長崎への原爆投下を深く反省していたのだろう。

 結局、3年間に及ぶ朝鮮戦争は、「朝鮮戦争休戦協定」に署名し休戦した。だから、北朝鮮と韓国は未だに戦争状態が続いている。
 北朝鮮が未だにアメリカに敵意を見せているのは、これが原因と思われる。北朝鮮と米国との間には国交もない。

 この間、朝鮮半島情勢を巡っては、軍拡の中国、世界一の米国、力を蓄えた韓国、米国の同盟を背景にした日本が、各々の国の思惑で緊張感を高めている。

 米国のトランプ政権は北朝鮮の身勝手な振る舞いに関して、これ以上容認できないと表明し両国間で緊張が高まっている。どのように解決を図るのか、今のところ見えない。

 北朝鮮は核を放棄する動きは全く見えない。
 米国攻撃を視野に入れて準備していると言うから、いずれ米朝が衝突する可能性は否定できない。北朝鮮は核弾頭の標準化のためにさらなる実験が必要とみられる。
 6度目となる核実験を強行した場合、米国は軍事行動も辞さない構えでいる。

 先日25日に創建85周年を迎えた。当日はミサイル発射はなかった。

 北朝鮮軍の軍備の脅威は何なのか。ブリタニカなどで調べてみた。
 北朝鮮の軍備は決して侮れないレベルにあると思われる。 

 北朝鮮は経済が崩壊した1990年代から、通常兵器の整備増強を事実上断念したようであるが、敵の防御の弱い部分などを狙う作戦の準備に力を注いできた。
 また、一方で大量破壊兵器の開発を通じて、米国や近隣諸国に脅威を与えている。

@核や生物化学兵器などの大量破壊兵器の開発と保持。
Aゲリラ特殊部隊
Bソウルなど韓国各都市を破壊する長距離砲 

 かつては北朝鮮は「犬の遠吠え的」に米国に脅しをかけていたが、最近は米国も具体的危険を察知している。

 要するに、小さなサソリが強力な毒針を要してその存在感を提示しているようなものである。

 北朝鮮の脅威は脱北者の証言、韓国の軍事白書などから以下のように纏められよう。
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 @1 北朝鮮は兵器用プルトニウムを50Kg以上保有?? 近い将来、計50個の核爆弾を保有できる、との指摘もある。
 化学兵器や生物兵器も保有する。

 @2 弾道ミサイル1000発以上保有。
 そのうち、主に韓国を攻撃する短距離のスカッド。約200発は射程1300Kmのノドンで日本と在日米軍を攻撃できる。約40発のムスダンは射程は3000Kmでグアムの米軍を想定する。さらに、米国本土を意識した、核弾頭を載せられる大陸間弾道弾を開発中。

 @3 特殊作戦部隊
 計20万人の部隊とされる。1人で一般兵士5-6人に相当する力があるとされ、7-8人で1戦闘単位を構成する。有事の際、敵国に侵入し、市民生活を混乱に陥れるための訓練を続けている。

 @4 長距離砲を計1000門程度保有。うち、南北軍事境界線沿いに300-500門が配備している。これらは1時間で6-7000発以上をソウルに向けて発射できる。


4/27(木)快晴 外来 飯川病院 腰痛二日目
 0:00起床。腰痛悪化傾向。文献チェックその他いつもの如し。録音画像データ処理。8:00家内に同乗病院。8:45-14:00外来、混雑と腰痛で疲弊、ドックの判定できず。14:15-19:00飯川病院。入院患者対応。他は横になって過ごす。19:30帰宅・夕食、20:30就寝。BR diskながら視聴:なし。Σ5126歩。

腰痛2017 腰痛二日目 外来の看護師は気づくかな??
 昨日起床時からかなりの腰痛が生じている。原因は不明である。異常な姿勢で寝たのだろうか?

 歩行はもとより、会話、深呼吸、欠伸、しゃっくり、くしゃみをしても、蕎麦をすすっても腰にくる。ベットからの起床は極めて困難、そろそろと体をベットのヘリに移動して足を下ろしてからゆっくり立ち上がる。昨日はバスで病院に行ったが、本日は歩行も辛いから家内の出勤のプリウスに同乗した。乗り降りも辛い。

 私の腰痛歴は大学時代にさかのぼる。
 1965年、大学の医進過程の体育で腰の屈伸運動で痛めた時から、時折、年に何回か、不用意な姿勢を長時間とったとき、重いものを持ち上げた時、テニスの時、園芸で中腰になった時などに発症し、一週間ほど続く様になった。50年にもわたる経験だから慣れている。ひたすら耐えるだけである。2015年8月崖から滑落して腰部を強く打った。この時は一月ほど腰痛が続いた。この時もかなり辛かったが薬物などは一切用いない。

 薬物を一切用いない、は嘘である。2005年に一回だけ腰部ヘルニアの疼痛に座薬を用いたことがある。痛みは消え、地獄から天国にワープしたかと思われる様な快感を得た。座薬の効果に驚いた。逆に、薬効の強さに恐ろしさも感じた。その後は一切使っていない。
 私は疼痛に耐えるのが好きな様だ。

 過去の話であるが、2007年、私は膀胱憩室と膀胱頸部硬化症の手術を受けた。ヘソ下から7cmほどの傷がある。手術後、硬膜外麻酔テューブは主治医の配慮で翌日抜去となったが、抜去後強い下腹部痛が襲ってきた。体動時の痛みはそれこそ地獄の痛みであった。看護師達は座薬等の鎮痛剤の使用を勧めてくれたが、私は自身の対疼痛忍耐力を試してみることにした。結局、鎮痛剤を一度も用いないで済んだ。この術後疼痛に耐えたことは私の自信と誇りにもなった。
 この話を時に披露するが、バカな試みと後日笑われた。

 本日の外来はGW前であることもあって予約数が多く、4時間以上かかると推定され、大変さが予想された。
 私は腰痛に耐えている姿を診療介助のスタッフにどこまで隠せるのだろうかを試してみようと考え、可能な限り通常に振る舞ってみた。会話も辛い状態であったが、外来終了時に「私の様子に何か異常を感じなかったか??」と問うてみたところ、「気がつかなかった」とのことであった。平常な姿を演じ切ったことになるが、無理したせいか夕方から夜間にかけての疼痛が一層増した。
 バカな試みと家内に笑われた。私もそう思った。

 自分の腰痛を受け入れ、半分遊びに転化している私は能天気でもあるが、これも一過性の痛みと予想できるからである。もし、ガンに罹患して激しい疼痛が襲ってくる様な状況なら耐え抜く自信はない。


4/26(水) 終日降雨 飯川病院ボランティア 腰痛発症
 1:00起床。新聞・文献・録音データ処理,いつものごとく。早朝から腰痛、原因不明。10:30コメリ一輪車ノンパンクタイヤ、木工用ボンド購入。12:50バス、13:20飯川病院ボランティア。院長ゾンた関連で買い物外出15:00-18:30。微睡。録音画像データ処理。BR diskながら視聴:「林修関連、初耳シリーズ3本」、「携帯30年」。19:00帰宅・夕食。20:30就寝。腰痛悪化。Σ5768Km。

時間について2017(4) 時間の平等性と非平等性 でも、明日は来る  
 自分の体内時計のリズム、テンポが遅くなると、私はこれを生物学的テンポ、と思っているのだが、自然界のテンポは悠久であり不変であるから自分が遅れてしまうことになる。その結果、「おおい、時間よ待ってくれ、なんでそんなに急ぐのだ」ということになる。これが高齢者が例外なく??感じる「年齢とともに時間が早く過ぎる」ルーツである(と思う)。

 歳をとったら時間がゆっくり流れてもよさそうに思うが、実際は逆である。高齢になると早朝覚醒が多くなるのは体内リズムの狂いで説明できるかもしれない。

 年寄りは時間が早く経過するから、待つ事に我慢強くなるはずである。しかし、外来などで待ち時間が長くなると騒ぎ出すのは決まって高齢者である。15分程度の遅れなのに1時間も待ちました、という。
 年寄りの短気は、決して時間の問題だけでは説明できない。瞬時の変化に対応できなくなっているからでもある。高齢のドライバーはブレーキとアクセルを踏みまちがえた、というが、その思いがけない車の動きに驚き自身がフリーズして対応できないために生じていると思う。構造的に見て、若いドライバーでも踏み間違いは起こっているだろうが、瞬時に対応できている。瞬間的な時間感覚を含めて高齢者は余裕が乏しくなっている。「もう少しお待ちください」、と説明しても5分もすれば「まだですか・・」である。

 個々人によって時間感覚は異なっていくとはいえ、時間は誰にとっても平等に経過していく。この点は素晴らしい。人間にとってこの世の中は不平等で不公平に満ちているの
だが、時間だけは誰にとっても平等である。それが万人に気づかれていないだけ。太陽光、月光、空気なども同様である。

  法然上人の「月影の いたらぬ里は なけれども ながむる人の 心にぞすむ」といった名句がある。私は、月の光も時間も誰にでも平等なのだが、そのありがたさに気づくか否かで人生に及ぼす意味が異なってくる、と解釈する。これは重要なことである。時間について関心と興味を持っている私は恵まれている。

 ただ、平等なはずの時間には決定的な不公平も備わっている。それは死をもって時間が途切れる、ということである。

 逆に、時間の一番いいところは、一度に一日ずつでしかないが、生きている限り確実に朝がやってくる、ということ。こんな贅沢な、幸せなことはない。

 数年前までは、「時間は大切だ、浪費している暇などない、有意義に使おう・・・」と書いて前向きの姿勢で小文の締めにするのであるが、今は違う。今は「時間は大切だ、時の流れに身を任せ、ゆったりと使おう・・・」、と閉める。

 私も長い人生を経て、確実に進化している。


4/25(火)快晴 外来 飯川病院 
 0:00起床。新聞・文献・録音データ処理,いつものごとく。5:00可燃ごみ2袋
提出、ネコ給餌、6:30-7:35徒歩飯川病院着、8:45-12:00外来、飯川病院へ、微睡、14:00-19:00勤務。19:30帰宅・夕食、20:30就眠。BR disk視聴なし。12371歩。

時間について2017(3) 加齢とともに時間の推移が速くなる??いんや、自分が鈍くなった証だよ
 秋田市内の桜が満開である。しかも間も無くGWをひかえている。「ちょっと前、年賀状が話題になっていたが、もうあれから5ケ月近くも過ぎたか!!!」である。もっとも、私は数年前から賀状をやめてしまった。

 「このごろ時間が過ぎるのが早い」と嘆くのは、われわれ高齢者の常である。年齢が重なるとともに徐々に時間が過ぎるのが早くなる、と感じる。この法則は「ポール・ジャネの法則」と言われている。

 何故、私たちは年を取れば取るほど、時間の流れを早く感じるのか?

 この法則では「心理的な時間の長さは、これまで生きてきた年数の逆数に比例する」とまとめている。すなわち、同じ1年でも、70歳のいまの私が感じる時間の長さは20歳の頃に感じた時間と比べると、70分の1対20分の1で、3.5倍も短く感じられる、すなわち時間が過ぎるスピードが速い、ということ。ポール・ジャネはフランス出身の哲学者、作家である。私は、そんな数字上の法則性ない、と思っている。
 哲学者はなんでも難しく考えるものだ、と思う。

 ある心理学者は、年齢ともに記憶に残るような新しい体験が少なくなり、日常の繰り返しは手慣れた日常行為の繰り返しになる。そのために脳に書き込まれる情報が減ることで、時間の経過を短く感じるようになる、と言っている。脳に書き込まれる情報とは、新しい体験の記憶である。要するに、この心理学者は高齢者は新しいことにチャレンジしないから時間が過ぎるのが早く感じるのであり、いろんなことに挑戦することが、時の流れを遅くする方法の一つと言っている。私は、そんな理屈は成り立たない、と思っている。時間の経過の早さを最も敏感に自覚する人は活動性の高い人たちである。
 心理学者はなんでも難しく考えるものだ、と思う。

 私はそんな難しいことは考えない。
 単純に、体内時計のリズムが老化とともに狂い始めているため、と思う。体内リズムがどのようにして恒常性を保っているか、私は不勉強にして知らない。なんらかの遺伝子によって制御されているとの考え方があるようだ。

 脳の働きも、身体の動きも歳とともに鈍くなっている。例えば、呼吸数も脈拍数も減少してくる。歩行や行動も若い頃より遅くなっている。私の場合、徒歩通勤は同じコースを年間を通じて一定の速度で歩いているつもりであるが、3年前は60分を擁したコースが、現在は平均6分ほど長くかかっている。これを体力の低下という面で説明する向きもあるが、私はそうではないと思う。体内時計のリズムが、多くの身体的因子を通じて遅い方に狂って来ているため、私の歩行リズム自体が遅くなっているからだと思う。
 
 別な例として、高齢に達した指揮者の演奏は若い時の録音と比較してみれば、まず例外なくテンポがゆっくりになっている。これを多くの愛好家は枯淡の域に達したと一層高く評価していることが多いが、私から見ると単なる老化現象と思う。ちなみに、私は還暦の頃から医師として近代医療に携わるべきでないと思い、専門医領域からも早々に退いたが、還暦を迎えた指揮者が、表現の限界を迎えたから、と言って引退したのを聞いたことがない。高齢指揮者は高音域の聴覚の衰えも著しいはずであるが、自覚していない、だろうね、多分。

 時間について考えるのは楽しい


4/24(月)快晴 健康クリニックドック 飯川病院 
 1:30起床。新聞・文献・録音データ処理,いつものごとく。7:10徒歩飯川病院、
9:00-11:00健康クリニックドック、11:20医局経由で飯川病院、一時微睡、14:00-18:40勤務、花壇に花を植え、散水。19:00車帰宅・夕食、20:20就眠。BR disk視聴:「団塊スタイル:男の料理」。歩数Σ10247歩。

北朝鮮2017(3) そもそも米・北朝鮮関係とはなんなのか
 そもそも米・北朝鮮関係とはなんなのか??なぜ北は米国をこれほど敵視するのか??

 朝鮮半島の歴史に関する本を読んでみてもなかなか理解できない。米・北朝鮮関係は複雑な過程をたどっていることはわかるが、北朝鮮の対米への憎悪は、なんでこれほど強いのか、私はまだ理解できていない。

 私が勉強した範囲ではこれまで米・北朝鮮はホットな関係になったことは一度もない。米・北朝鮮間には現在も正式な国交がなく、米国の領事の職務はスウェーデンが代理をしている。

 第二次世界大戦前の米・北朝鮮間の問題はよく分からない。ほとんど関与していなかったのではないか。

 1945年の第二次世界大戦終結後、連合国は暫定的に朝鮮を38度線で分断した。南は朝鮮米陸軍司令部にって、北側はソビエト連邦の軍事政権が主導していた。
 この時代、北側は米国を日本の帝国主義の後継者と否定的に捉え、公然と非難した。

 1948年8月15日の李承晩大統領による大韓民国建国、同1948年9月9日に金日成首相は朝鮮民主主義人民共和国の建国を宣言した。ソビエト連邦は北朝鮮を承認したが、米国は外交的に現在も承認していない。
 米・北朝鮮の関係は1950年からの朝鮮戦争から変化した。

 1958年から1991年まで、米国は北朝鮮を射程に入れた核兵器を持っていた、という。
 北朝鮮は1985年に核拡散防止条約に非核所有国として加盟し、1990年には南北朝鮮による対話が開始され、1992年両国は朝鮮半島の非核化に関する共同宣言を発表した。

 1993年、米国の衛星写真によって北朝鮮の核開発疑惑が浮上し、金日成は北朝鮮の核拡散防止条約からの脱退を発表した。その後、米・北朝鮮間では核をめぐって合意と破棄の歴史を繰り返している。

 1998年5月、米国は核関連と思われる地下施設を発見した。
 2002年のブッシュ大統領の一般教書演説で北朝鮮を「悪の枢軸」と非難すると、米朝関係の緊張は頂点に達した。北朝鮮はプルトニウム関連の核施設の凍結を解除し、核拡散防止条約から脱退し、核兵器製造目的で使用済み燃料からプルトニウムを抽出する再処理を再開した。
 北朝鮮はこれらの行為は米国の脅威と米国の「敵対政策」に対する抑止力を持つためであると主張した。

 ブッシュ政権は二国間の対話には一貫して反対し続けた。その後作られた米国、南北朝鮮、日本、中国、ロシアによる六者会合で一定の合意が得られ、2007年3月19日、米国は北朝鮮資産の凍結を解除し、ブッシュ政権はこれに応え、テロ支援国家リストから削除した。

 しかしながら、2008年8月下旬、北朝鮮は核施設の稼動を再開、施設の稼動を本格化させ、寧辺原子力施設の復活をアピールしている。

 2009年5月25日、北朝鮮が2006年以来となる核実験を行うと、米朝関係はさらに悪化した。核実験は地下で行われ、そのエネルギーは広島型原爆の威力に比肩されうるものだった。
 米国はその後に行われた短距離ミサイルの実験についても強く非難した。

 オバマ大統領はだんまり戦術をとり、この間北朝鮮の軍事的威力は増大した。トランプ大統領はこれまでの対応は間違いだったとし、軍事的圧迫を加えている。
 これで北朝鮮をめぐる米国との関係は緊張度を増している。

 あくまでも外交で解決すべきだが、トランプ大統領の意図はわからない。我が国は同盟国として米軍基地を多数置いている。一発触発はないと思うが、我が国は安穏としていられない状況に至っている。


4/23(日)晴午後快晴 寒い  
1:45起床。新聞・文献・録音データ処理,いつものごとく。午前は徒然、画像データ処理読書。NHKのど自慢のち微睡。ほとんど仕事せずに文献、読書。BR視聴;「題名のない音楽会:ブリテン」、「らららクラシック:英雄」、「N響定期3回分:スペイン音楽、イタリア音楽など」。20:30家内帰宅、夕食。21:30就眠。歩数Σ3215歩、自宅から一歩も出ず最低に近い歩数となった。

北朝鮮2017(2) 確実なミサイル防衛は困難 発射させないよう努力を
 北朝鮮は2016年内に23発(?)のミサイルをうちあげた。
 一連のミサイル発射については各国が非難声明を出している。聞く耳を持たない相手とは言え、自らが国際的にどんな立場にあるのかを考えるさせる力にはなるだろう。

 4月5日、米中首脳会談の直前に北朝鮮はミサイルを一発発射した。飛行距離は短く日本海に落下したとされる。
 米国を刺激しないよう、射程をわざと短くとった?との見方もある。金正恩がそんな配慮をするとは思えない。技術的に失敗した?私はそういう印象を持つ。現在、米中韓で分析中、と言われるがその結果は明らかになっていない。

 トランプ政権はオバマ時代とは異なり、強い米国を志向している。場合によっては武力行使も否定しないという。北朝鮮として米中首脳会談の前に、ある種のシグナルは送りたい、北朝鮮側は自国に新たな制裁をしないように、ミサイルを撃つことで米中に圧力をかける意図はあったと思われる。 

 北朝鮮のミサイル能力の現状であるが、2016年1月から10月までの間に23発打ち上げている。
 移動車輌から打ち上げる技術、潜水艦から打ち上げる固体燃料のSLBMはあらかじめ予知困難と言われる。最近はかなり正確に着弾させている様である。核弾頭とかVX弾頭装着なども装着可能になったことも推定され、近隣国として脅威が一般論から各論になった。

 北朝鮮は場合によっては在日米軍基地を目標にする、と公言している。現在、ミサイルが日本に向かって来たら、どうなるのか? 大気圏を飛んでくる段階ではイージス艦で迎撃する。高高度から大気圏に再突入して来たときにはパック3で迎撃する。これらの迎撃能力は機密事項で明らかにされていないが、100発100中ではないらしい。

 多数のミサイルが特定の目標に同時に進んでいるときにはこれらのシステムでは迎撃困難である。3月6日はほぼ同時に4発発射し、北朝鮮は技術力を見せつけた。

 米副大統領訪韓直前の4月16日にもミサイル一発発射したが、直後爆発し失敗した。

 困った国である。


4/22(土)曇り 寒い
0:30起床。新聞・文献・録音データ処理。読書中心。早朝から終日軽度腹痛あり。自炊若干。読書、午前はネコ世話、午後は微睡後ネコ室掃除。文献的考察、蓄積データ整理など。19:00夕食、20:30就眠。 BRながら視聴なし、我が家から一歩も出ず、歩数計6651歩。

北朝鮮2017(1) ミサイルと核開発 思う以上に関係は緊迫化している
 北朝鮮は2016年内に23発(?)のミサイルをうちあげた。
 一連のミサイル発射については各国が非難声明を出している。聞く耳を持たない相手とは言え、自らが国際的にどんな立場にあるのか考える糧にはなるだろう。

 国連安保理は、北朝鮮のミサイル発射に対して非難決議、経済制裁強化決議を出しているがその効果はどうだったのだろうか。今回もミサイル発射を実行したあたり、あまり経済制裁は効果は無かったように思う。多分、中国とかシリアとかを通じて抜け穴があるのだろう。

 ただ、米中首脳会談を通じ、アメリカの要請を受けて中国が石炭の禁輸をとったようだ。これからは実質的に効果が現れるかもしれない。北朝鮮の国営メディアは、名指しはしなかったものの中国の方針変換を非難した。比較的良い関係を保って来た中国を北朝鮮が非難するのは異例のことである。

 現在保有しているミサイルは射程は米中西部まで届く可能性があると言うし、わが国が射程に入る中距離弾道ミサイルのノドンも大量に保有していると言う。しかし、これらの攻撃兵器は実際には使用は出来るはずがない。もし、これが攻撃の用途に用いられたとき、あるいはそれなりの緊迫のある状況を作った場合には、もはや対話ではなくなる。国の体制が崩壊する覚悟が必要である。その場合には、わが国も相当の覚悟が必要となる。安穏としてはいられない。政府はミサイル着弾時の注意を国民に呼びかけた。

 4月5日、弾道ミサイル一発打ち上げた。日中首脳会談を意識したもの、と言われている。型式は北極星2型?と思われる。これは、潜水艦発射型SLBMを地上型に改良したもので、燃料は個体、まずガスで打ち上げ、次いで主燃料に点火するコールドランチ型ミサイルと言われる複雑な工程を要するもので、技術の進化を読み取ることができる。
 2月12日のミサイルは約500Km飛行したとされるが、今回のは189Kmまで上昇、飛距離は60Kmであった。

 射程は米国を刺激しないよう、わざと短くとった?との見方もある。


4/21 (金) 快晴 大曲中通病院外来 飯川病院ボランティア 院長学会出張 
 1:00起床、メール返事、新聞・文献自炊。7:35Taxi飯川病院経由秋田駅。8:10こまち、駅病院徒歩、9:10-12:15大曲中通病院外来。13:30-18:55飯川病院ボランティア、14:00こまち院長消化器病学会に。玄関脇に花を植えた。BRながら視聴:「知恵泉:由利公正」、「アナザーストーリーズ:日本国憲法」、19:00Taxi書店経由帰宅、夕食、21:00就眠。歩数計8011Km。

ネコ談義2017(3) 逃走防止 園芸用ラティスの応用
 「ちいさい方」と4匹の子供達「てつ」、「雪音」、「グリフィス」、「しまじ」は超いたずら好き。それに運動能力も半端でない。

 1日一回は居間に入れて運動などさせる。風除室は4面がガラス製なので真夏は熱暑、冬季間はとても寒い。対策はしているがそんな時にも居間に避難させる。

 彼らは風除室の備品の内で破壊できるものは破壊し尽くしたが、居間の中は彼らにとって楽しみグッズばかりだから嬉々として入ってくる。
 網戸は登る、カーテンも登る、棚の上はどこでも上がってしまう。棚の上の物を落とす、コンセントも抜く、などなど・・・。その度ごとに私は対策を考える。

 まず対策が必要であったのが、台所への侵入対策、居間からの逃走防止、玄関から外への逃走防止である。前者についてはまだ自宅内だからなんとかなるが、外に逃走した場合は近所に迷惑をかける。石が飛んでくることがあるからネコにとっても危険である。

(園芸用のラティス)
 ネコの逃亡防止用には園芸用のラティスを応用した。高級感はないが、視認性、通気性がよく、構造的に丈夫、しかも軽量である。これに滑車をつけて引き戸にし、本来のドアと併用している。

 (<img src="http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/68/c0/67c5ea0fdd9d2d5ec119b738cdf65f74.jpg" border="0">)

 都合3ヶ所に装着したが、これは正解であった。ネコどもはこれにも登ったりして遊んでいるが、さすがに開けられない。台所の食品の安全が守られたのは大きい。

(ネコよけイボイボ、Don't cat)
 本来、蚊除け、虫除けのための網戸は構造的に決して丈夫なものでない。風除室には風通しを良くするために8枚の網戸が用いられている。これが2014年の夏、まだ生後3ケ月ほどの子ネコにことごとく破られた。何しろガラス面とことなり爪がかかるから登のは自由で暇さえあれば網戸にへばりついていた。
 翌年の春、業者にお願いして全面張り替えた。その時はネコ対策としてステンレス製の網戸にした。これでかなり丈夫になったが我が家のネコどもは体重も、パワーも格段に大きくなりやはり補強が必要であった。破られた2面は私が張り替えた。ネコたちのおかげで網戸張り替えの技術が身についた。
 補強としてはネコのぶら下がりを防止するためにネコよけイボイボ、Don't catを網戸に貼り付けた。これで網戸の被害はなくなった。最も子ネコたちが好んで張り付いた一面は全面に貼り付けた。

 (<img src="http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/21/36/d224b18f4eb0d2416eee7849e1a62198.jpg" border="0">)
 (私はDon't catが嫌いよ、とソッポを向くプチ)

 (<img src="http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/67/24/4141bceeef76418ecb446cd81bec72bd.jpg" border="0">)
 (全面Don't catの一面。一部貼られた別な面)
 
 このDon't catは上がられて困る棚の上にも敷いてあり、いたずらされて困る物品の安全を守っている。これでネコ被害は大幅に減った。

 私と子ネコたちのバトルはまだまだ続く。


4/20(木)晴れ 外来+ドック判定総括 飯川病院 
 1:10起床、書類PDF化、文献読みなど数件。7:20徒歩飯川病院着。8:45-12:40中通病院外来+ドック判定総括。13:00-18:30飯川病院。19:00帰宅、夕食、20:30就寝。歩行計9628歩。BRながら視聴:「ヒストリア:ヒーローはこんな人だった」、「ありえへん世界」、「サイエンスゼロ:シリーズ原発事故No16」。通勤路の桜は満開近い、千秋公園は未開。

ネコ談義2017(2) 現在2匹+5匹と同居中 毎日てんやわんや
 毎年この時期になるとネコどもとの生活についてまとめてみたくなる。私にとって冬から春にかけてがネコとの関係が変わる時期であるようだ。そのことと潜在的に関連しているような気がする。

 我が家、というか、私のネコ歴は以下である。
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 初代のメスネコ「タロ」と私の感動的な別れは1964年5月だった。
 2匹目のメスネコ「ナンナン」を家に招き入れたのは厳冬の2月で、死去したのは2010年5月。
 3匹目のメスネコ「ユウ」が横浜から搬送されてきたのが2006年3月。
 4匹目のメスネコ「ミーシャ」は春に大きなエピドードを持たない。
 5匹目の1歳のメスネコ「プチ」を見かねて家に招き入れたのは2014年3月。
 母親「ちいさい方と5匹の子供達」をまとめて風除室に保護したのは2014年5月末。この日を機会に我が家は猫屋敷になった。
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 上記のうち「タロ」、「ナンナン」、「ミーシャ」は死んだから、現在我が家では「ユウ」と「プチ」が飼われている。「ユウ」はいまなお元気であるが、時折エサを食べに帰ってくるだけで私どもとホットな交流はない。それ分、「プチ」が私の寵愛を一身に集めている。

 実際には「ちいさい方と4匹の子供達」は「プチ」と分け隔てなく扱っているつもりだが、このネコ一家は我が家にはまだ正式な籍はない。今もなお保護ネコの身分で、住まいは風除室である。なお、「5匹の子供達」のうちの1匹は里子に出された。時に様子を見ることがあるが、とても幸せそうに暮らしている。
 「ちいさい方」は「プチ」の母親でもある。
 4匹の子供達は「てつ」、「雪音」、「グリフィス」、「しまじ」である。我が家のネコどもの画像はインスタグラムに掲載している。
(福田光之のインスタグラム)

 「ユウ」は家の中には居着かない。「プチ」はマル一年ノラ猫として過ごしたが、性格が大人しくほとんど悪戯することもなく、私どもが食べる食品を不用意に出しておいても荒らすこともなく、特にネコ対策は必要がなかった。

 ところが、「ちいさい方と4匹の子供達」は活動性が高く、暴力的でもあって、風除室を破壊されないように、居間を守るために、対ネコ悪戯対策が、それも半端でなく必要であった。
 この2年、私の生活のかなりの時間がネコ対策、ネコ世話のために費やされている。1?2歳のネコどもと知恵比べの日々であるが、いまのところ私の方が優位に立っている。 


4/19(水) 暴風雨 早朝飯川病院ボランティア 強風のためか停電
 1:00起床、新聞・文献読み、徒然。自炊本読み。画像データ処理。午前6:45レガシーで飯川病院に。7:00~10:00当直医の補助ボランティア、コメリ、椅子の車輪、ステンレス板購入。10:30帰宅。12:30強風のためか停電、やることもないのでふて寝。14:30頃電気復帰。ロボット掃除機用バリア作成など。19:00夕食、20:30就眠。歩数計5944歩。

時間について2017(2) 無駄のない人生はつまらない
 どういう過ごし方をしたかということはさておき、72年を振り返ってみれば、誰しもがいうように、飛ぶように過ぎたと感じる。

 小学校の夏休み、?日が永遠に続くように思えた。 小学校の夏休みの宿題は、休みに入ってすぐにやってしまって「やり遂げた、あとは自由!!」という達成感と開放感がやって来る。それで得られた時間は何かを見つけ出してはコツコツと楽しんだ。もちろん苦しみもあった。でも時間的には自由だった。そんな感覚は大学まで続いた。

 社会に出てから一変した。現役時代は実に多忙であった。目の前にやらなけれぱならないことがたくさんあると、順番を付けて処理しなくてはならない。瞬発力はなく、毎日コツコツやるのが好きな私は一つや二つやり遂げても、次が残っているから全然開放感もない。常に追われていた。

 今の労務は現役の時の1/3程度だろうか。きつくはないが、時間の流れは早い。直ぐに週末になってしまう。

 最近は自分の発想を「明日できることを今日はしない!!!」に切り替えた。
 今日でなければできないことなら、仮にそれが重要なことでないにしても、たとえ休息だったとしても、それをしないのは勿体無い。
 明日の日は生きていれば必ずやって来るが、今日という日はもう二度と来ない。何げないことが絶え間なく続く日々の暮らし、今日は予定の半分もできなかった、などと思わずに、また明日があるさ、と楽天的に考えたい。これは私にとって退歩でなく大きな進歩である。

 無駄のない人生のつまらなさを、最近自覚している。
 
 旅行など、最適な方法で最短の距離を辿れば、例えば秋田から大阪までなら、新幹線を利用するのもいい。空路ならもっと早い。余計な時間も使いたくない。前はそうだった。

 私は、一度だけ、あまりの多忙さから逃避するためにわざわざ効率の悪い移動をしたことがある。

 20年以上も前に佐賀市で日本小児血液学会総会が開かれ出席した。
 東京までは空路にしたが、東京以降はあえて寝台特急にした。二日半程度であったが病院を離れる開放感を味わいたかったからである。
 列車は東京駅を16:00ころ発ち、翌朝10:00頃着いた。寝台車なら大丈夫だろうと踏んだが、寝台にセットされる前から腰痛が生じ、腰痛持ちの私には辛い旅であった。ただ、この間の開放感は最高であった。
 復路はその日の最終便で佐賀空港を発ち羽田に戻り、あけぼので帰秋し、現実の日常に戻った。逃避行した分、一層忙しくなった。効率だけを考えるなら現在は佐賀・秋田間は日帰りも不可能ではないほど便利になった。

 無駄なことをする、苦労自体を楽しむ、それによって思いがけない出来事に遭遇することもある。
 私は、けっこう無駄が好きなのだ、ということに気づいた。働いているときには効率を求めても、休みとなれば無駄なことばかりしている。

 無駄を積極的に取り入れる。私の残りの人生が一層楽しくなるだろう。何か新しい発見があるかもしれない。


4/18(火)強風降雨午後曇り 外来 飯川病院
1:00起床、新聞・文献読み、徒然といつもと同じ。5:00可燃ゴミ集積所に。7:45家内の車に同乗、飯川病院。8:45-14:00外来。人数の割に時間がかかった。疲弊。14:20
-19:30飯川病院。17:00車帰宅、夕食、20:00就眠。Σ6802歩。BRながら視聴:「ドキュメンタリー:堀プロ 山口百恵ほか」。「フランケンシュタイン:ナチスの科学者 オトマール・フォン・フェアシュアー」。

時間について2017(1) 私の時間感覚の変化 加齢現象か、熟成か 
 私は、かつては、たとえば、朝寝坊したり、惰眠を貪ったり、何もしないで無為に時を過ごすことを、時間のむだ遣いと考えていた。わずかな時間も惜しんで何かに打ちこむ、それが有意義な時間の使い方であり、時間の浪費は人生の無駄遣いに他ならない、と考えてきた。

  しかし、最近、時間に対する感覚は違ってきた。今になって考えると、時間そのものに縛られない、もっとゆったりとした、大らかな視点で時間を捉えるのもいいように思えてきた。
 自分の過去と、他人のそれと、今の考え方とを比較しようがないが、一見無為に見える時間は、決して無為に過ごしているわけでない、むしろ貴重な時間の使い方といえると思える様になって来た。

 「忙しい」とは心を亡くすことだ、とよく言われる。私もそうであったが、私はとにかく何かをしていないと気が済まないかった。ゆっくりものを考える時間も無く、常に何かに追われていた。

 通勤バスに乗ると、座っている人、立っている人も、若い人たちは、大概スマホをしきりに操作をしている。 ‘
 スマホで何をやっているのかはわからない。ただ、ものにつかれたように「しきりに」何かをやっているのだが、その姿はスマホに、アプリに必死に合わせているように見える。必死であるが、その姿は誰かの、何かのペースに合わせて、時間に穴が開くことを恐れているように見えるから、受動的である。
 現代人のふるまいは何とか気ぜわしい。あの二宮金次郎が現代にワープして、二宮金次郎病を現代人に蔓延させた?様に感じる。
 
 私にとってはスマホは携帯電話と大差なくほとんど使うことがないから、よその方々を批評する資格はない。

 かつてのバスの乗客は、多くは目を瞑って時間に身を任せていたか、一部は新聞か文庫本などを読んでいた。現在はそれかスマホに代わっただけなのだか、内容的には全く異なる。新聞も文庫本も自分が主役であって自分でコントロールしている姿だから、能動的に見えた。

 バスの乗客のうち外の景色をている人はほとんどいない。毎日見慣れた景色だからこそ、日々の自然の営みのわずかな変化が見えて面白いと思うのだが。

 人間には、濃密でない時間がたまにはあってもいい。私はそう思う。現実逃避癖になった訳ではない。ただ、とりたてて目的のない時間に、すがすがしい心の解放がある。ほっとする感覚か殊の外いい。

 旅の達人で、超ネコ好きの内田百聞の文章を読むと、百間にとっての旅とは、時間の豊かな浪費だったのだろう、と感じられる様になった。
 たまにはそんなぜいたくもいい。

 日本はいまちょうど草花の萌え出る春を迎えている。その草花を愛で、楽しむことは、命の不思議や無常を感じることにも通じる。それはまた、いまの時間を精いっぱい生きることの大事さを知る機会でもある。

 私の時間感覚の変化、これは熟成なのか、加齢による退行現象なのか、考えて見たい。


4/17(月)雲ひとつない快晴 健康クリニック 飯川病院 奥羽本線脇桜開花
1:00起床、新聞・文献読み、自炊など。いつもと同じ。7:20徒歩飯川病院着、奥羽本線脇桜開花。9:00-11:00健康クリニック。11:30飯川病院、検食後微睡。14:00-19:00飯川病院勤務。入院外来対応。19:00帰宅、夕食、20:00就眠。Σ11402歩。BRながら視聴:「コズミックフロント:膨張する天体」、「プロファイラー:モハメド・アリ」、「英雄たちの選択:キリシタン弾圧」。

速報 桜開花2017 奥羽本線脇の歩行者道路の桜開花
 私の通勤路コースの前半分は奥羽本線に沿っての歩行者道路であるが、ここには比較的若い桜の並木がある。
 見ると中でも若い桜の枝、日当たりのいい枝にはチラチラと桜が開花していた。私にとっての今年の初観察日となった。昨年は4月10日、一昨年は4月8日であった。
 4月に入ってから寒い日が続き開花が遅れたのだと思われる。


(まだ蕾だけのが多い中、特に開花が進んでいた樹。薄いピンクが見事な青空に映えた。後方の建物はリンデンバウムいづみ)

 千秋公園他の桜の名所、並木も通過してきたが、これらはまだで蕾は固い。

 仁賀保の公園、本荘の公園は県内でも有数の桜の名所であるが、3日ほど前の地方紙に「桜開花始まる」との見出しの記事があった。

 ついに、桜の季節が訪れた。
 いい季節になった。


4/16(日)曇り/風 昨日より暖かい 町内会通常総会
 1:00起床、本読み、文献・録音・画像整理。微睡など。6:00朝食その他ネコ世話など。隣の畑耕運機エンジン音鳴り響く。私のやる気まだ今れてこない、主に本読みとデータ整理に集中。12:00NHKニュース、のど自慢視聴。微睡、14:00町内会総会出席。ゴミ集約、処理準備。夕方からBR視聴:「題名のない音楽会:司会者代わり新装,3回観る」。18:00飯川病院、データ複製。19:15家内帰秋、19:30夕食、21:00就眠。Σ5750歩。


題名のない音楽会が変わった(2) 番組雑感 司会者雑感
 私にとって「題名のない音楽会」は最近5−6年は毎回録画し、後日まとめて見ている。かつては音楽専用S-VHFのビデオも用いて演奏会の放送を録っていたが、アナログの限界なのか決して満足のいく画質、音質は得られなかった。

 しばらく音楽番組からは距離を置いていたが、録画媒体がアナログのテープからデジタルに変わり、DVD、Blu-rayに、さらにハードディスクに変わった。これで画質、音質ともに格段に進歩したことで、最近は、音楽は蓄積された放送のライブ録音を中心に楽しんでいる。
 かつての主たるソースであったアナログレコードはこの数年間で私の鑑賞ソースからはほぼ駆逐された。まだ1000枚以上あるが、廃棄処分しつつある。もし利用していただける方がおられるなら差し上げたい。

 題名のない音楽会は以来私が大切にしている番組である。
 ギネスに載るような長寿命番組であるが、私が見始めたのは司会が佐渡裕氏になってからである。現役を退いた後で時間的に若干の余裕が生まれたのでオーディオ機器を入れ替え、ミニミニシアター風にして以降である。

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 指揮者佐渡裕氏はこの番組の司会を含めて多方面にご活躍で、自らが音楽監督をつとめる兵庫芸術文化センター管弦楽団を中心に演奏を聴かせた。この番組を通じて指揮者とは何か、氏の人となり等を知ることができた。
 氏の演奏はかつては体がデカイから大雑把のような印象を受けていたが結構繊細であることがわかった。番組を作るにあたって師であるバーンスタインのTV番組「青少年のための・・・」を参考にしているとのことで、コミカルな構成も含めて多彩であった。
 この間の、ベルリンフィルへの客演も含めて演奏や手腕が認められてウイーンのキューンストラー管弦楽団から音楽監督就任の要請があり、2014年秋から就任している。一層の国際的活躍が期待したい。

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 佐渡氏に継いで司会者になったのはヴァイオリニストの五嶋龍氏であった。この人選には驚いた。そんなはずはない!!! 最初聞いた時の印象である。五嶋氏は最年少(27歳)での司会者就任となった。国際的に注目され、今後の一層の活躍が期待され、時間的にも余裕があると思えなかった氏が就任したのは何故なのか??
 なんらかの身体的問題点が発生したのか?とさえ思った。しかしそんな危惧は当たらなかった。氏の司会になってから弦楽器関連の特集が増え、私を喜ばせた。ただ、司会者としては笑顔は振りまいたが、雰囲気は堅く、私は緊張しながら見ていた。
 五嶋氏はニューヨークの自宅から収録の度に来日した、という。到底長続きしそうもない無理なスケジュールで続けていたが、2017年3月26日の放送回をもって五嶋は番組を降板した。恐らくは移動に関連した時間的問題のみならず、費用の面でもスポンサーが苦しくなった事情もあったのではないか、と思った。
 私は五嶋氏の降板を、番組のために、氏の今後のキャリアのために、世界の音楽界のために喜んだ。

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 この4月からの新司会は石丸幹二氏である。
 私は見たことも聞いたこともない方で、東京藝術大学卒業、俳優、歌手。TVドラマなどですごい有名な方らしい。昨日、氏が担当した題名のない音楽会を3回分視聴したが、実にイケメン、爽やかな印象を持つ方である。司会の雰囲気はガラッと変わって緊張感なく、とても自然。自身も時に歌ったが、実力十分なタレントと感心した。
 番組の今後の発展を期待させる様な能力を持った方である、と好感を抱いた。


4/15(土)午前降雨午後晴れ間も、寒い 
 1:30起床。新聞スクラップ電子化、ハードディスク同期とデータ整理等。午前はネコ世話、本読み中心。午後は資源ごみの整理、ネコ室清掃など、画像データ整理。19:10夕食、20:30就眠。歩行Σ5497歩。

題名のない音楽会が変わった(1) 毎回楽しみにしている長寿番組 
 新年度になると色々なことが新しくなる、もしくは改変する。TV、ラジオ番組も例外でない。放送時間が変更になったり、出演者が変更になる。

 私が自宅にいるときに楽しんでいるTV番組のほとんどはクラッシック音楽で、全て録画で視聴している。

 そのうちの代表的二つの番組が4月以降リニューアルした。
 「題名のない音楽会」と「らららクラシック」である。

 「題名のない音楽会」は1964年8月から放送されている。クラシック音楽を中心に音楽の楽しみ方を解説する番組で、主に公開録画で収録され、応募により観覧が可能。スポンサーは一貫して、出光興産。出光興産は「会社がつぶれるまで提供を継続する」方針だという。心強い姿勢である。
 
 TBSとの専属契約を切られて苦境に陥った東京交響楽団の活動の場を与える意味で、『ゴールデン・ポップス・コンサート・題名のない音楽会』として始まった。同楽団は現在まで340回以上出演しており、最多出演である。発足当初の司会は黛敏郎。
 司会者の変更の度ごとに番組のコンセプトが変更になった。

歴代の司会者は以下のごとく
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1964.8-1966.3 黛敏郎
1997.5-1997.9 永六輔
1997.10-1999.3 武田鉄矢
1999.4-2000.3 加羽沢美濃
2000.4-2002.3 羽田健太郎
2002.4-2010.3 佐渡裕
2015.10-2017.3 五嶋龍
2017.4---石丸幹二
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 1997年約33年に渡って司会を担当した黛が急逝後、一時永六輔が代理、その後、武田鉄矢、加羽沢美濃、羽田健太郎担当した。しかし2007年6月羽田が死去。次いで指揮者で出光音楽賞受賞者の佐渡裕が司会を務めた。
 佐渡が担当した以降はコミカルな企画も定期的に行われた。

 2009年に放送開始45周年を迎えるのを機に、2月に「世界一長寿のクラシック音楽番組」としてギネス世界記録に記録認定を申請、世界記録の認定を受けた。
 佐渡が2015年9月ウイーントーンキュンストラー管弦楽団の音楽監督を務めることとなり、毎週番組を作っていくことが物理的に不可能になったとのことで降板した。

 2015年10月4日放送分から、ヴァイオリニストの五嶋龍が司会を務めた。五嶋は最年少(27歳)での就任となった。五嶋はニューヨークの自宅から収録の度に来日するという、到底長続きしそうもない無理なスケジュールで司会を続けていたが、2017年3月26日の放送回をもって五嶋は番組を降板した。

 4月2日放送分から、ミュージカル俳優の石丸幹二に司会が引き継がれた。

 私にとって「題名のない音楽会」は新潟大学時代に寮のTVにて時折見たことがある。
 秋田に来てからは見る機会はなかった。永六輔、武田鉄矢、加羽沢美濃、羽田健太郎が司会の頃は一切見ていない。その頃秋田で放送されていたのかも分からない。

 佐渡裕の司会になってからの最近5?6年分は毎回録画し、後日まとめて見ている。この背景には録画がテープからデジタル機器の進歩でDVD、Blu-rayに変わり、画質、音質ともに格段に進歩したこと、私が現役を退いて時間的に余裕が生まれて来たことが大きい。
 


4/14(金)曇り晴れ 大曲中通病院外来 飯川病院勤務 
0:20起床。読書中心。5:00可燃ごみまとめ、提出せず。不明の腹痛あり夕方まで。7:30Taxi駅に、8:10こまち、徒歩病院、9:00-12:00外来。13:00飯川病院着、院長不在で勤務扱い。外来病棟対応。ハードディスク同期とデータ整理等。BRながら視聴:「美の壷:和包丁」,「総和は輝いていた:キングとビクター」、「ガイア:炊飯器、コーヒーメーカー」。19:00taxi帰宅、夕食、20:30就眠。歩数計8570歩。昨年21時前後に熊本県で大地震発生した。

米ユナイテッド航空で職員を乗せるため乗客を引きずり降ろした
 シカゴで現地9日夜、ケンタッキーに向かう便が満席となり、座席を譲ってくれる人を探したが、協力者が見つからなかった。このため一方的に乗客4人を指名、最後まで拒否した男性が強引に連れ出された。降ろされた客は中国人の医師とのことで中国でも問題視されている。
 満席だった上に、さらに移動する乗務員を乗せる必要が生じたことが騒動の発端となった、とのこと。

 航空会社は、空席のままの運行を避けるため、席数を超える予約を受けるが、これは制度として保証されている。鉄道やバスと異なり立ち席が許されず、空席が損失に直結するからである。
 国交省によると、2015年度の日本の航空各社の過剰予約数は計11.559席で、大半は会社のキャンセル依頼に応じる客によって解決された。解決できずに搭乗できなかった客は1.858人だったという。

 古い経験だが私も予約したJAL便に搭乗できなかった経験がある(徒然日記2003年3月12日に記載 一部略)。 
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 10:00発羽田行きのJALに搭乗するため9:30頃空港に到着、自動チェックイン機はエラーが出て不可となりカウンターに並ぶ。担当者はキーボードを一生懸命たたいているがさっぱり進まない。何かあわてた様子が読みとれた。
 結論は「満席となり座席ありません」という。私を含めてカウンターに並んだ7-8人搭乗できなかった。原因は座席のオーバーセールス。カウンターの女性は「今日は特別で・・,たまたま,予約されたほぼ全員がおいでになって・・・」などと必死に説明していた。
 私は13:30からの会議なので若干の遅れで済むのですんなりと11:25ANAに切り替え、担当者から喜ばれた。搭乗便の変更証明書を発行してもらったが、証明書には「JAL552便オーバーセールスにより搭乗便の変更にご協力いただきました」とあった.別に「ご協力」した積もりはないが結果的にはそうなったのだからやむない。
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 座席数以上にチケットを販売するオーバーセールスは公的に認められているから決して珍しいことではない。300-500人乗りの大型機の場合,全席売れても実際には相当数のキャンセルが出る。それを見越しての販売と言うことになるが,その目的は一人でも多くの乗客を獲得して搭乗率を維持し収入を上げることにある。

 予約販売したということは乗客と航空会社間で一種の契約が成立した事であるが,搭乗を確約したことにならない。ただし、予約時に座席指定がある場合は別扱いとのこと。
 国内の航空会社からは「いったん搭乗した客を無理やり降すことはあり得ない。乗客の同意を得て譲ってもらう様協力を求め続ける」と驚きの声が上がっている。
 協力者には現金やマイルで対応するが、これはフレックストラベラー制度と呼ぼれ、国内では2001年に導入された。私の場合は現金もマイルももらっていない。

 チケットを持っていても搭乗手続きが済むまで確約とならないことは心しておくべきである。


4/13(木)やや寒い、一時降雪も 午後晴れ 外来 飯川病院 
0:45起床。新聞・文献チェック他。7:30徒歩飯川病院着,8:45-13:00外来+ドック総括12名分。14:00-18:30飯川病院、院長は内科学会総会で東京に発つ。入院患者対応。19:00帰宅、夕食、20:30就眠。BRながら視聴:「池上氏と元侍従長対話:天皇退位問題」。歩数計11868歩。千秋公園の喫茶店土日以外は9:00からとなっていた。

労働改革問題(2) 勤務医医師の労働の実態の一例
 我が国の労働者は時間的に、業務内容面で過重状態にある。政府はその対策案をまとめた。しかし、医師の労働時間規制は医療崩壊、医療の質の低下を招くとして今回の規制対象から除いたが、2019年3月末までに今後の方針結論を出すというが、どんな方針が出てくるのか、楽しみである。

 勤務医医師の勤務実態の調査結果の一例
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 独立行政法人「労働政策研究・研修機構」は、病院で働く医師の4割が過労死ラインとされる月80時間以上残業しているとの調査結果をまとめた。調査はインターネットを通じて全国の勤務医1万1145人を対象に行った。有効回答は3467人。

 調査によると、主な勤務先以外での労働を含めた1週間の労働時間は、平均53.2時間。60時間以上が全体の40%を占め、80時間以上も10%いた。
 週60時間の勤務は、労働基準法の法定労働時間(週40時間)を上回り、時間外労働は過労死ラインとされる月80時間になる計算だ。
 宿直については、宿直の日の睡眠時間は47.4%が4時間未満だった。86.2%が宿直翌日も休まずに通常通り勤務していた。

 勤務医の60.3%が疲労感を、睡眠不足を45.5%を感じていた。このうち、ヒヤリ・ハットを経験した人はそれぞれ83.9%、85.0%に達し、疲労感などを感じていない医師より25%ほど高い結果となった。
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 上記は医師の勤務実態の調査の一例であるが、他の調査も似たような結果である。
 にもかかわらず、大多数の医師は今回の労働改革問題には期待を持たなかったと思う。関心を持ってもその実現性は極めて低いと、半ば諦めムードだからである。

 一方、少なくとも病院経営の側にいる医師は、ひとまず安堵したに違いない。
 当初、政府内では規制の対象を全業種とする方向で議論が進んでいたが、医師にも他と同じ一律の上限が設けられれば、医療が崩壊するのは明らかということに今更ながら気づいたから、と思われる。

 医療現場では救急などの対応をしなければならないが、そこに時間外労働の上限が設けられれば人員増か必要となる。救急や当直担当医のスケジュール表も組めなくなる。これを医師増で解決しようとすれば大病院の場合、億単位の人件費増も想定され、経営が立ち行かなくなる。
 地域によっては、勤務医の確保自体が容易ではない。医師が増えないまま各医師の勤務時間を制限すれば医療レベルの確保が困難になる。

 さらに、医師には原則として診療を拒めない「応召義務」が課せられており、残業の上限規制によりそれが果たせなくなる懸念がある。
 医療は医師の犠牲の上に成り立っている。

 医師の残業規制は、今回は猶予されたにすぎない。いずれ俎上に上がる。今後の具体的な規制のあり方については、厚労省内に設けられる検討会で議論される。
 どんな案が出るのか今から楽しみである。


4/12(水)曇り晴れ雨、強風と一定せず 飯川病院ボランティア
1:30起床。文献検索、徒然ほか。8:20車に同乗、飯川病院に。院長外出ありボランティア。入院患者対応、15:00通町でコーヒー購入、徒歩帰宅も雨にて工業高宇高前からタクシー、16:00帰宅。新聞チェック、本読みなどゆっくり過ごす。19:00NHKニュース浅田真央引退会見、嫌な予感そのもの8分間放映。19:30夕食、20:45就眠。RD視聴:「そこまで言って委員会」。歩数計9487歩。

NHK19:00ニュース 浅田真央さんの引退会見の詳報は異常
 今朝、早朝のNHKラジオの朝一番を聞いていたら、本日4月12日、11:00から浅田真央さんの引退記者会見が予定されていて、その様子をNHKで中継するので番組構成が変わりますとの予告であった。へー、大したもんだね!! でもなんか違うんでないか??その時は嫌な気持ちを持ったが、そのまま聞き流していた。

 夕食時のNHK-TV19:00のニュースは私が生で見る数少ない番組の一つで、これだけは見逃したくない、と思っている。本日の一日の動きを知るためである。特に最近はシリア情勢、米露の確執、北朝鮮問題と目を離せない重大な時期である。

 本日、4月12日のトップニュースは何と!! 浅田さんの引退会見の様子であった。しかも詳細に。

 浅田さんの業績はすごいと思う。だから、浅田さんの引退会見自体には問題を感じたわけではない。ただ、私は引退を惜しんでいない。これが自然の流れというものだ。また、放送には「国民的ヒロインである浅田さん・・・」と言った表現も使われたがどなたかの個人的感覚でないだろうか。

 私が不快に思ったのはNHKの報道姿勢である。
 ニュースの構成が殆どドキュメンタリー風に編集され、低次元??のNHK的主張が濃厚に表現されていた。浅田さんのコメント、様子、表情などが長時間にわたって流され、彼女の引退を日本人全体が惜しんでいるかのごとくの扱いである。あるいはそう感じなければおかしい、と思わせるような、しつこく、お涙頂戴調、浪花節調の低次元の編集である。
 正確な時間はわからないが、ざっと見て8分間であった。

 NHKニュースのありようはおかしいと思う。
 メディアは先ず、事実だけを淡々と伝えるべきであり、安易に自分たちの考え方、とらえ方をニュース等には入れるべきではない。特にTVは影響力が大きいので一考すべきだ。
主張したい点があるなら別番組、別項目でじっくりと展開すればいいのだ。

 かつても同様のことがあった。
 サザンオールスターズの桑田佳祐氏(54当時)が初期食道がんだと言う、全くの個人的内容を21時のNHK-TVニュース数分に渡って取り上げた。それだけ人気のある方なのかもしれないが、あくまでも個人の問題で私には理解の出来ない破格の、というか間違った扱いであった。

 人気グループSMAPの解散問題、サッカーワールドカップでカメルーンに勝利したときのニュースの扱いも理解の枠を超えていた。長野県軽井沢付近でスキーツアーバスが崖下に落下し14名が亡くなった時のニュースにもドキュメンタリー調の脚色が強すぎた。担当したディレクターの好みなのだろう。


 今回NHK会長が代わった。3月の国会でNHKのありよう、視聴料の徴収問題が取り上げられた。国会中継が深夜だったのでラジオ第一放送でずっと聞いていたが、このような報道姿勢については話題にもならなかった。
 放送倫理・番組向上機(BPO)で取り上げて欲しいものである。

 私はニュース番組では事実を淡々と報道して欲しいと思う。局やディレクターの思いや意向などは別な番組でゆっくり流せばいい。もっと深く報道すべき内容はいくらでもあるはずだ。


4/11(火)曇り・強風 外来 飯川病院 
1:20起床、新聞・文献・本読み他、蓄積データ整理、徒然。5:00可燃ゴミ提出。6:30−7:30徒歩飯川病院。風で歩行難。8:45-12:00外来。12:15飯川病院、微睡など。14:00-18:45勤務、夕食、文献処理等、20:30就眠。歩行計12207歩。BR視聴:「そこまで委員会:性善説性悪説をめぐって」。

労働改革問題(1) 医師は過酷な労働だが、医師は検討から除外 
 我が国の労働者は時間的に、業務内容面で過重状態にある。これを背景として諸外国にはないとされる過労死問題が頻発するようになった。電通KKの入社間もない女子職員の過労死は大きな社会問題となった。

 政府が働き方改革を検討してきたが、この度実行計画をまとめた。国会を通し2019年から施行される見通しになった。

 最大の焦点の残業規制。
 決まった内容は労働者にとってなお過酷なレベルである。
 特例で認められる繁忙期の上限は単月100時間未満で、月平均80時間以内とした。上限を超えた場合、罰則が科される。残業時間に罰則付きの規制が設けられるのは初めて。この辺は見るべき改革点である。
 
 改革のもう一つは「同一労働同一賃金」。
 欧州では正規雇用と非正規の格差は10対8だが、日本は10対6とされている。この格差是正を求める意義は大きい。ただ、実行計画は労使の話し合いに委ねるから、試行錯誤を重ねながら時間をかけて改善が図られていくことになろう。

 働き方のありようは社会全体に影響を及ぼす。
 婚姻率、出生率、家族構成、人口問題、地方再生、社会の女性の進出など、不安定な雇用や低所得、長時間労働によって影響を受ける分野である。さらに、医療、介護、育児などの課題にも長時間労働の問題が絡む。

 このような重大性を見るにつけ、働き方改革は社会の当然の要求である。

 ただし実行計画は、大きな抜け穴があった。ザル法でないか、と思う。
 人手不足が深刻な運送業や建設業への規制の適用は、改正労働基準法の施行後5年間、すなわち今後7年間猶予されることになった。要するに、影響の少ない分野から手をつけたと言うこと。
 
 医師に関しても、改正労働基準法の施行5年をめどに規制の対象とするが、具体的な現制内容は今後検討して2019年3月末までに結論を得る、とした。つまり医師については、残業時間に「上限なし」の状態が今後も約7年、続くことになる。

 これには医師の業務は通常の勤務時間内にこなせないほど多い。だから、医師の労働時間を減らすには医師の大幅な増員が必要である。そんなことはわかっているから今回の法改正に期待した医師はほとんどいなかっただろう。
 政府は医師に関しては、2019年3月末までに結論を出すというが、医師の増員、偏在解消の他にどんな方針が出てくるのか、楽しみである。


4/10(月)超快晴 我が家火災記念日 健康クリニックドック 飯川病院 
 0:30起床。いつものごとく。7:20徒歩飯川病院着.9:00-11:00健康クリニックドック業務12名とペース戻る。11:30飯川病院に。微睡など、14:00-20:15飯川病院。当直医来院せず、一部代行。20:30タクシー帰宅・夕食、21:30就眠。BRながら視聴:「受けたい授業:スマフォサイバー攻撃」、「100分で名著:ガンジー、獄中からの手紙(1)-(4)」、「BS1sp:美術家たちの太平洋戦争」、「マンガで強くなった相撲」、「ぶらぶら美術館:静嘉堂文庫美術館 日本刀」。歩行計10225歩。

展覧会:動きだす絵 私の目にはグロテスク以外の何物でもなかった
 秋田市にあるAlveにて、AR技術を利用して作品を鑑賞する美術展「動きだす美術館」が開催され、4/9(日)が最終日ということであったので4/6(金)大曲出張の帰路立ち寄った。
 会場が市や県立美術館ではなくAlve多目的ホールであったことを訝ったが、動きだす絵って何だろうか思いつつ、予備知識もなく見に行った。主催:AKT秋田テレビ。
 
 会場内に展示された作品をAR(各超現実)アプリのiPod touchを作品にかざし、画面越しに作品を見るものであった。作品は「モナリザ」、「青いターバンの少女」、北斎の浮世絵「富嶽三十六景:神奈川沖浪裏」などの作品から児童小説「不思議の国のアリス」の挿絵、風景や花の写真と様々であったが、iPod touchをかざすとそれぞれ異なった変化が現れた。

 会場内には小学生くらいの子供から高齢者まで来場しており、予想外の変化に喜んでいた。通常の美術展とは異なった雰囲気であった。カメラ撮影OKであったが撮影する気にもならなかった。今となってはちょっと残念であった。

 変化する絵とは、自分で撮った写真にモザイク等をつけるソフトがあるが、それに似た状況がゆっくり変化するのが見られるということ。「モナリザ」ではバラバラと剥がれ落ち、ダ・ヴィンチの自画像が出てきた。「青いターバンの少女」は横を向く、「富獄百景」は波間からゴジラ?が現れた。「花」の場合は蕾から開花までの変化が見られた。

 新しい試みともいえるだろう。残念ながら、名画に関していえば私にはグロテスクとしか映らなかった。「不思議の国のアリス」の動く挿絵、屋久島の四季折々の風景などには新しい可能性も感じたが、それらはさわり程度に見ただけで、早々に会場を後にした。


4/9(日)快晴 寒い 県知事秋田市長選挙投票日
 1:00起床。本読み、文献・録音データ整理中心に。12:15NHKのど自慢楽しむ。13:00県知事秋田市長選挙投票に。ロボット掃除機用扇風機ハカマ作成、園芸用給水修理・調整。19:00夕食。20:45就寝。歩行計7332歩。DVD視聴なし。県知事秋田市長ともに現職当選。

米国がシリアを攻撃した(3) シリアと米、シリアと露の関係は深い
 トランプ大統領のシリア攻撃に対し、ロシアは激しく非難している。
 結局、シリアをめぐっても米露の戦いであり、その場がシリアということである。

 シリアをめぐっては米露は複雑に交錯している。米国にとっては対イスラエル問題、露にとっては軍事港の維持のために、どちらも重要拠点であり、長い歴史があり、簡単には理解できない。


シリアと米
 シリアとイスラエルは長年敵対関係にある。そのイスラエルとアメリカはほぼ同体と言っていい関係である。このことに注目するだけでも、米国の対シリアの考え方がわかると言うものである。
 2011年頃からシリアでは、アラブの春で民主化がうたわれ紛争が始まった。米国は独裁政権のシリア政府を潰すのに絶好の機会と、民主化を目的として反政府側を支援した。
 米国が応援した反政府勢力はISとも繋がっており、米国の武器はISに渡っているといわれ、ことを複雑化している。現在は反政府側は壊滅状態といわれている。

 米国はシリア政府は「世界で一番のテロ支援国家」だと断定している。

 アサド政権は、テロ組織に寛容なだけでなく、市民の人権も尊重していない。それを大儀に、日本を含めた西側諸国やトルコはシリアの反政府を支援している。


シリアと露
 露はシリア政府軍を支援している。
 露はシリアの軍港を借用していて、露の軍事戦略上重要は位置付けにある。
 露とシリアはソ連時代から密接な関係を維持し、現在もシリアは露にとって重要な友好国で、その戦略的意義も極めて高い。
 露は唯一の自国の軍事基地をシリアのタルトス港に維持している。また、それを背景に、戦車、航空機、対空防衛システム、そして最新鋭の弾道ミサイル等の兵器・武器をシリアに供与している。

 露と中国はシリアにおける欧米の武力介入に激しく反発をしている。

 このように、露が対シリア問題で強硬姿勢を維持しているのは、内政的配慮と、中東における拠点の維持と国際的な威信確保のため、といえる。
 とにかく、露としては国際的な軍事介入を阻止し、親露的シリアの政権が継続ないし誕生することを目指しているのだろう。

 米露のシリア問題を巡る応戦は若干軟化の兆しを見せていたが、トランプ大統領の決断以降また激しさを増している。


 ただ、私の印象では、日本を含めた西側諸国やトルコの支持は当然として、中露の反発は思ったより弱い。露政府への事前の通告や、習近平トランプ階段の最中であったことが関連しているのだろうと思う。
 トランプ氏は対北朝鮮に対しても予想できない行動に出る可能性がある。


4/8(土)晴れ CNA配線ほか工事 
0:30起床。本読み、微睡、音楽、落語など楽しむ。データ整理。5:00ネコ世話、給餌、など。午前はロボット掃除機の習熟運転、細々な家事など。13:00-15;15CNA配線ほか工事。16:00家内に同乗、飯川病院に、19:00まで日当直医業務代行。院内は平穏。花壇の掘り起こし。17:30診療所医師訪問あり。BR視聴:なし。19:20帰宅・夕食、20:30就眠。歩行計6417歩。

米国がシリアを攻撃した(2) 民主化の動きがシリア混迷に
 私はシリアについて不勉強で知識はほとんどなかったが、先月末「秋田ゾンタクラブ」で「生まれた土地で生きるー秋田の過疎地帯とシリアの人々の物語」を聞いたことが刺激となって少しずつシリアについての情報を得ていた。
 そんな最中でのシリア攻撃である。

 独裁者として悪名高いアサド現大統領は現在3期目であるが、2000年の大統領就任当初には、民主化も含む政治改革を訴えて、腐敗官僚の一掃、政治犯釈放、欧米との関係改善などを行っていた。
 2003年にフセイン政権が崩壊以後、自国の崩壊を防ぐために、反米主義を唱え、体制の引き締め政策に転換、デモ集会の禁止、民主活動家の逮捕・禁固刑判決、言論統制の強化、移動の自由制限など、民主化とは逆行する道を歩んでいる。

 私は、シリアの混乱を2011.9.11米国の同時多発テロを始まりとして理解している。
 同時多発テロ→ ブッシュの掃討作戦 → イラク戦争 → イラク崩壊 → 米国の疲弊 →アラブの春 → 2010年シリア内戦 → イスラム国台頭で一層混乱 → シリア難民 →EUの混乱・・・・の流れである。

 2010年シリアでは宗教的内戦が本格化したが、その前から経済活動は中東の中でも低い。内戦により経済は深刻な影響を受けており、国内の労働人口500万人のうち約半数が失業状態にあり、国民の3/4が貧困状態に陥っていると考えられている。これが難民化している理由の一つになっている。

? 現政権は2代目のアサド大統領が中心で3期目。大統領は国民の2割りほどの少数のイスラム教アラウィ派である。この2割の人たちは様々な優遇措置を受けるが、国民の大多数は不平等に対し不満を抱えてきた。?
 2010年アラブの春を契機として宗教的混乱に、ついで内戦へと発展した。

 シリア内戦は、イスラム国が勢力を拡大する原因となっただけでなく、現在のヨーロッパでの難民、移民政策に大きな影響を与えることになった。

 2010年にチュニジアで起きた「ジャスミン革命」はアラブ世界に大きく影響し、民主化を求めるデモが行われるようになった。親子二代で40年近くも政権を握っていたアサド大統領は典型的な独裁者となった。政治は腐敗しきっており、シリアでもこの動きが見られるようになっり、血みどろのシリア内戦が始まった。

 さらに、イスラム国がシリアに潜り込んで来て内戦はさらに複雑化した。


4/7(金)雨 大曲中通病院外来 飯川病院ボランティア 米シリア攻撃
 0:30起床、新聞、文献などいつものごとく。徒然、5:00可燃ごみ提出、7:30Taxi駅に、8:10こまち、徒歩病院、9:10-12:10大曲中通病院、13:30Alve多目的ホール、「動き出す名画展」面白いが不満足。14:00飯川病院ボランティア。BR視聴:「アメトーク:大谷翔平」、コンピューターJAVA関係トラブル解消。OCR機能回復。19:30Taxi帰宅、夕食。21:30就眠。歩行Σ8373Km。

米国がシリアを攻撃した(1)  化学兵器使用と断定
 本日、大曲中通病院の診療応援があり、やや早めに終了したので帰路秋田のAlve2F多目的ホールの「動き出す絵」の展覧会に立ち寄り帰院したが、ラジオで、午前10時過ぎに米軍がミサイルでシリア攻撃を行ったことを知った。

 突然のことでとにかく驚いた。サリンと思われる化学兵器の使用が疑われることへの対応という。 

 米政府は2014年以来、シリア領内のイスラム聖戦主義勢力に対して空爆を実施してきたが、シリア政府軍を標的にしたのは今回が初めて。トランプ大統領は化学兵器の使用でシリア政府を非難し、警告していた。攻撃後の声明で「米国が正義のために闘い続ける限り、最後には平和と調和が勝つと信じている」と強調した。
 トランプが掲げる強い米国への復帰の具現と思われる。決して口先だけではなかった。

 化学兵器をめぐる事実関係はアサド政権が4年前にサリンを使った疑惑が発覚し、ロシアの説得で化学兵器の廃棄を表明した。だが、国連はその後もアサド政権軍によるサリン使用を確認している。
 この様な状況から化学兵器使用の疑いは濃厚である。私どもが知り得ている以上の確証をトランプ側が持っているのだろう。化学兵器については、国連を主体に早急に調査を始めるべきだ。

 内戦から6年、和平交渉に若干の糸口が見え始めていたが、今回の米国の行動で先行きが懸念される。ただ、その後のニュースによると継続的攻撃はなさそうである。恐らくは警告的な意味の攻撃だったと思われる。
 警告的とすれば、北朝鮮への間接的影響も視野に入れているのだろうと思う。それに国内向けにも「強い米国への復帰」、難民に悩み、国のありようが問われているEU諸国へ強い姿勢を示したのだろうと思う。

 安倍首相は、同盟国や世界の安全に対する大統領の「強いコミットメントを高く評価する」と、作戦の支持を述べた。
 トランプ氏と緊密な関係をあまりにも早く構築したと首相の立場からは支持以外の表明はありえないだろうが、米国の姿勢に全て追従していくだけではダメだ、と思う。必要な提言も必要であろう。

 今回のシリア攻撃は、9.11同時多発テロに引き続くブッシュ元大統領の対イラク攻撃の決断、小泉元首相のいち早い支持声明、大量破壊兵器の有無問題など、あまりにも似通っていることにも驚くばかりである。


4/6(木)曇り夕方降雨 外来 飯川病院 パナソニック・ロボ掃除機入手
 1:00起床、文献チェック、徒然他いつものごとし。紙中心の資源ごみ大量廃棄。徒歩出勤。8:45-12:45外来。13:00飯川病院、微睡ほか、14:00-18:45勤務、雨にてTaxi19:10帰宅、夕食、20:30就寝。BRながら視聴:「日本視察団:中小企業特異技術」、「林修関連2本」、Σ11650歩。

身近にあった食品2017(3) しょっつる味ポテトチップスを秋田の観光振興策の一つに
 数日前、新聞のデータを整理していたら、本年1月にカルビーのポテトチップスに、期間限定で「しょっつる鍋味」が売られていたことを知った。
 この銘柄品は、秋田県男鹿市の「諸井醸造」がしょっつるの味を広めたいという目的から、カルビーに協力を呼び掛け、商品化が実現した、という。

 ポテトチップスは気楽なスナック菓子で販売量も多い。かつ、時折販売される、今回の様な「しょっつる鍋味」などのご当地製品はレア物として研究(?)しているマニアも少なくないと聞く。この製品も、魚・野菜の旨みとコクを堪能することができるということで人気は高かった、という。東北地方のイオングループ、マックスバリュー、サンデーのみでの販売で、かつ、期間・数量限定販売だったために、入手は困難だった、とのこと。

 私はすでにポテトチップスを広く味わってみる意欲は薄れてしまった。この製品に関しては改めて興味が湧いたが、気づくのが遅かったために入手できなかった。

 秋田の「ハタハタしょっつる」はハタハタと塩だけで熟成させ、魚本来の味を生かした魚醤で、薄めの醤油をベースに、なかなか味わい深い。この味を生かした「しょっつる鍋」は秋田の代表的な郷土料理の一つで、石川の「いしる」や香川の「いかなご醤油」と合わせて、日本三大魚醤と言われている。

 ただ、秋田の「しょっつる汁」、「しょっつる鍋」の存在は私の目から見て知名度は今ひとつで、全国的にはほとんど知られていないのではないか。私が今回しょっつる味ポテトチップスに注目したのはこの製品を利用して秋田の宣伝をしてはどうだろうかと思ったからである。

 あきたの「こまち」はコメの銘柄として、新幹線の名として、美人の産地として津々浦々まで知られているだろうが、そのほかのことはあまり知られていないのではないか。
 このしょっつる鍋味ポテトチップスを通じて秋田の宣伝をしてはいかがだろうかということである。

 県の観光課が主体的に動くことはできないだろうが、観光関係のNPOとかを通じてカルビー本舗、「諸井醸造」に働きかけて通年の製品として全国で販売してもらえばいいのではないか、と思った。


4/5(水)快晴 午後飯川病院ボランティア 
 0:15起床,文献検索と本読みetc.午前は家の中の整理など、明朝のために資源ごみの整理、車へ積み込み。午後は飯川病院ボランティア、車で出勤、薬局経由、明徳館で電子機器廃棄。13:30病院着、ボランティア。19:15帰宅、夕食、21:00就眠。 パソコン一台不調、OCRソフト動かず、対応。余裕なく、BR視聴なし。9868歩、11241Km。


森友学園(6) 問題の本質を突くべき 国の文書管理に問題
 森友学園関連の国有地の取引については調査が必要である。

 交渉記録は財務省では保管していない、と言う。法には公文書の管理規則で保存年限の期限が定まっている。国有財産の処分の決済文書は30年保存である。決済文書はあるだろうが、それだけでは交渉の過程や決済に至った過程がわからない。

 交渉記録の保存は管理者が定めることになっている。その責任者は課長クラスというが、この様な件は議案終了時に廃棄することになっていて森友学園のケースでも同様に扱ったと説明されている。ただ、今回の交渉はあまりにも異例の点が多い。
@ 甚だしい値引きがあり、
@ 買い戻し特約があり、
@ 通常認めない分割払いが認められている、
@ 価格の評価は専門業者が行うが、今回は国の機関が直接関与、
@ しかも売買が官報に公表されていない。
@ ・・・・

 こんなおかしな売買がなされていたが、決済後に直ちに関係書類が廃棄されるものなのか??あるいは、だからこそ法に触れない範囲で早急に廃棄したのか、との疑念が湧いてくることになる。

 だから、首相の口利きがあった可能性がある、との野党の追及に対しても疑念を晴らせない状況となっている。

 今回の件を教訓として、国の関連文書は長期に保存する様に法を改定すべきである。決済後の書類を残していても文書を電子化すれば保存スペースの問題は問題にならないはずである。
 同様に大阪市との交渉過程も保存されていないという。どうなっているのか、と思う。

 PKOの活動記録に関しては、廃棄したはずもののが残されていた。廃棄自体おかしいと思うが、我が国の文書管理はどうなっているのか、と思う。


4/4(火)快晴 外来 飯川病院 
1:00起床、文献、新聞チェック。3月分の録音データ整理。5:10可燃ゴミ提出。7:35徒歩飯川病院、8:45-12:50外来、14:00-18:45飯川病院、秋銀、新スタッフに。19:10帰宅、夕食、20:30就眠。BRながら視聴:「日本人の3割しか・・」。Σ12617歩。

森友学園(5) 問題の本質を突くべき 大型値引きの根拠は?
 大阪市の学校法人「森友学園」の国有地売却問題を巡る与野党のせめぎ合いがまだ続いているが、若干下火になってきている。とてもいいことだと思う。
 本質を忘れた政治論争になってきていると思う。与野党間にもっと重要な政治的案件はないのだろうか。

 野党は「安倍?強」を崩すきっかけに森友問題は格好の材料として捉えているようである。
 鴨池氏の証人喚問は一定の成果はあったと言う評価らしいが、追及する側の力不足、準備不足もあって大きな成果は上げられなかった。

 野党はさらに首相夫人の証人喚問を要求し続けているがやっても無駄だろう。水掛け論に終わる。何も確証は無いのだが、例え首相夫人から100万円の寄付があったとしてもそれがなんだ、と言うのか。なんら違法でもない。
 今から考えれば問題のようにも見えるが、リアルタイムに考えれば、当時は悪いこととの認識はなかったはずだ。

 民進党は首相夫人の喚問を繰り返し求め、政権の隠蔽体質を浮き彫りにしたい思惑があるようだが、なんら確証のないことを論じていてもダメである。
 政権測は寵池氏を偽証罪で告発をちらつかせ、かつ、個人の資質を問題にすることで、沈静化を図ろうとしている。

 この問題は本質からずれた方向のみで論じられ、釈然としない。国会のレベルを低下させるだけ。専門委員会とかちょっと話題になっていたが、司法に託してもいいと思う。

 「森友学園」問題の本質は、鑑定価格からかなり安価に譲渡されたことにある。

 異常な値引きであるが、値引きの理由になっているゴミが本当にあるのか?未だに具体的調査もなされておらず実態は不明である。ゴミの存在を誰が判断したのか??その量は??廃棄処分に価格費用を8億円ほどに評価したのは誰か??
 まずこの点をはっきりさせてからでなければ先に進まない。

 その上で、首相や夫人が影響力行使したのかが問題になるだろう。ただ、客観的証拠がなければ水掛け論に終始してしまう。

 森友学園関連の国有地の取引については調査が必要である。


4/3(月)快晴 健康クリニックドック休診 飯川病院
0:20起床、文献、新聞チェック他。健康クリニックは年度始めで休診。鉢植えボタンを大きな鉢に移植、散水ほか。12:50バス、13:30飯川病院、微睡など。14:00-19:10勤務。17:00-18:45外来レセプトチェック。19:30帰宅、夕食、21:30就眠。 BR視聴:「世界は今」。Σ8352Km。

ネットはどこに向かうのか(2) 本人が知らない間にデータ拡散
 インターネットの将来はどうなるのだろうか。
 問題があってももう後戻り出来ない。ここまでくれば利用法方法を通じての有用性、利便性の拡充しかないのでは??要するに、利用する我々が良識が求められるということである。

 私は、自分の調べ物の結果や、感じたことなどを備忘録として徒然日記、およびブログに掲載している。その他に、生活を共にしているネコどもの写真をインスタグラムとしてアップしている。その意味では私もインターネットを活用している方だろうと思う。本当にいい時代に生きている、と思っている。

 私のブログの目的は、
 第一は、もう役に立たないだろうが、日々のアリバイの記録であった。私は今まで警察の職質を3回受けたが、3回目の追求は厳しかった。10日前に何していたのかを問われ返答に困った。その頃生活記録はつけていなかったがその必要を感じた。

 第二は、3人の子供達へのメッセージである。両親は自らのことを殆ど語らず死去した。最も身近な人間である両親の人生歴を知りたかった。当時の親子関係はそんなものだろうが、私にとっては残念で惜しい。この反省に立って記録している。子供達にとって何かと役に立つはずである。

 第三は、日々の考えのまとめである。だから大した内容はない。書くことでおぼろげな考えが形になる。これは楽しい。

 私は、単純な考えであるが、医師は自分に関する資料を適宜公開しておべきだろうと考えてきた。

 ところが、つい先日のことであるが、過去に投稿した文章を引用する必要があって、自分の名前をヤフー検索に入れてみた、その結果、数10の記事が出てきた。その多くは私自身が記述し、自分で掲載したもの、各所に投稿したものであるが、一部は私の文章を引用した文章も出てきた。そのほかにも、私の文章が勝手に掲載されていた。

 そこまではなんとか想定内のことであったが、さらに驚いたことは「福田光之の画像」の項目があり、私自身の講演の際の写真を始め、ネコや犬などの写真が多数掲示されていた。私は現役を退いてからは自身の顔写真を掲載してこなかったのでびっくりした。

 ざっとみた範囲では文章も写真も悪意のある引用やコメントはなかった。だいたい自身も自分で掲載した文などは、他に引用されても文句は言えないと考えているが、できれば連絡が欲しい。

 私が言いたいのは電子データは次々とコピーされて拡散していく危険性があるということ。これはネット社会の欠点とも利点ともなりうることで、利用者は常に心しておかなければならない、と想う。


4/2(日)快晴・風は冷たい 
 0:00ちょっと早めに起床。新聞チェック、本読み、録音データ整理他。午前は新椅子組み立て、入れ替え。ネコ室掃除、鉢植え移動、散水。NHKのど自慢東広島市。微睡、粗大ゴミ運搬準備。BR視聴:「らららクラシック:数回分、ショパンP協奏曲、熱情、楽器ファゴットなど」。次男一家タイヤ交換来襲。19:30夕食。21:30就寝。我が家から一歩も出ず、Σ9323歩。

ネットはどこに向かうのか(1) 利便性の裏にあるマイナス面 その第一は匿名性
 インターネットの将来はどうなるのだろうか。
 
 当初、多くの人が自由に参加し、よりよい知の場が生まれるだろう、とその有用性が期待されてきた。
 ところが、悪口や憎悪に満ちた書き込み、心無い情報のアップやそれらに対する非難が殺到する、いわゆる炎上と呼ばれる事象が止まらないし、偽のニュースを広めるという場にもなって、評判は良くない。

 私が用いているレベルではそれほど問題はない。始めからネット情報の信頼度という点ではちょっぴり距離を置いているからで、その立場で利用すればネット情報は便利である。私は情報収集は今でも新聞、書籍が中心である。

 ネットの今後について、その有用性を否定することはもはや出来ないが、識者は悲観的な意見も述べている。
 理由として匿名性を挙げる人は多い。私もそう思う。

 ネットの初期、利用者は一部の研究者らに限られ、匿名での投稿は少なかった、と思う。比較的「顔が見える」世界だった。だが、誰もが使えるようになった今は、監視のない、いわば「やり放題」の世界になってしまった。

 これはネットの世界だけでない。
 一般社会でも個人情報保護を理由に名前でなく受付番号で呼ばれるようになった。私はこれに違和感を覚える。この様な機関がこの様な形で匿名化を是として進める様な方法をとると言うことは、わが国が不気味な匿名化社会になって行くことを助長する,と思う。人間関係が希薄になっていく。それどころか疑心暗鬼の漂う世界になっていく。
 匿名化、匿名でかまわないという風潮は恐ろしい結果をもたらして行く。既にその傾向はある。

 現在、悪意に柵ちたコメントを排除する試みもあるが、行きすぎると表現の自由を損なう可能性があり、本来、インターネットに期待される有用性まで削ぎ落とす。
 
 私はネットの有用性は否定しない。私もブログを利用している。
 私たちはどこに向かうのか、向かうべきなのか。私も無関心ではいられないしちょっぴり責任もある。ネットはどこに向かうのか、考えてみたい。


4/1(土)快晴 就業契約更新日
 1:00起床。新聞、文献関連整理他、午前は洗濯、ガラス拭き、ネコ室掃除、棚修理。など、午後は微睡、プリウスタイヤ交換。冬季間防寒のために室内に避難させたプランターなど外に並べた。散水用ホース準備。元蔵ネギ全部抜いた。BR視聴:「らららクラシック:数回分、ワーグナー、ブラームス、楽器ビオラ」。19:00夕食。20:30就寝。徒歩Σ9552歩。

新年度スタート 今年度(2017)の就労予定と発想の転換  
 本日は私の新年度スタート日。
 病院も県内の各企業も若手新入職員を迎える。私はこの時期がとても好きである。しかし、もう職場でもフレッシュマン達とふれあう機会は一切ない。

 本日から私の就業契約も改訂になった。
 今年は明和会、中通総合病院からは声がかからないかもしれない、と覚悟していたが、相変わらず医師体制が厳しいらしく、本年度も明和会の嘱託医師として、飯川病院の応援医、ボランティア医として働くことになった。
 
 以下がスケジュールである。あくまでも予定。
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 月曜 午前は健康クリニックドック診察、結果説明。午後は飯川病院勤務。
 火曜 午前は中通総合病院外来。午後は飯川病院勤務。
 水曜 勤務なし(飯川病院ボランティア)。
 木曜 午前は中通総合病院外来+ドック判定。午後は飯川病院勤務。
 金曜 午前・午後は大曲中通病院勤務。(帰秋後は飯川病院ボランティア)。
 土・日曜日 月1-3回飯川病院日直または当直。
――――――――――――――――――――――――

 私は、ついちょっと前までもっと余暇を得て、広く勉強する時間、考える時間が欲しい、と考えて来た。昨年1月から水曜日がフリーとなり、時間的には一部希望がかないいろんなことが出来るようになった。

 しかしながら、最近は体力・気力の低下を自覚している。
 だから昨年暮れに発想を転換して「あるがままに過ごす」こととした。上記の勤務予定以外は、だから無計画的に過ごしている。その日の過ごし方がどうであっても「まあ、良いか。今日は寝ちまえ、明日という日も多分ある。明日のことは目が覚めてから考えよう・・・」。こんな感じである。「無の境地」に至る過程にある、やっとその境地になったと思っているが、「ボケ老人の境地」への過程なのか、とも思う。まあ、どちらでもいい。自然に任せる。

 こう考えるようになってから心身ともにとても楽になった。
 惰眠の楽しみも知った。
 飼い猫のプチがスキンシップを求めてきたときは、彼女が「もういい、十分・・、離して」というまで擦る。「老人とネコ」の落ち着いた関係を楽しんでいる。

 新年度初日、こんな私にとっても新しい気分でのスタートになる。
 いい季節である。


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   年を通じてワンパターンで淡々とした毎日です。AM2:00-5:00にメールチェック・返事送付、人間ドック(HDD)判定・報告書作成、新聞切り抜き、病院・医師会業務など。
  月〜土曜は6:00頃出勤、HDD報告書印刷、外来書類処理など。病棟回診、HDD受診者とミーティングと診察。8:45-14:00外来とHDD受診者に結果説明。昼食は摂りません。午後は病院業務・医師会業務、各種委員会等に出席など。20:00頃帰宅。
  日曜・祭日もほぼ同様ですが、病院には午後出かけます。時間的に余裕無いのが悩みです。


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