徒然日記
2016年10月分

 日記と言うより、自分の行動記録からの抜粋と日々の雑感です。

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先月の日記          来月の日記


10/31(月) 曇り・降雨 健康クリニックドック 飯川病院 
 0:30起床。録音データ、画像データ整理、iPodに入力など。歴史本を読む。PDF書類整理など集中。7:20徒歩飯川病院、9:00-11:10健康クリニックドック。11:30飯川病院、微睡。14:00-18:30勤務。入院患者処置対応、19:30当直の次男の車借用帰宅、夕食。20:30就寝。歩数計14500歩。Blu-rayながら視聴:「林修関連:初耳そのほか2本」、「日本視察:ウニ、ファミレス」、「落語:蛸芝居」。

徒歩通勤2016(9) ヘルスチャレンジ(2) 目標達成し終了したが・・・
 私が嘱託として勤務する明和会には共済会があり種々のイベントが計画される。春と夏には健康増進のためのキャンペーンが催される。
 その項目は、秋の場合には9-10月の2ケ月間に「ジョギング100Km」、「スリム3Kg作戦」、「エレベーター・エスカレーターを使わない」、「ウオーキング60万歩」、「サイクリング200Km」、「週5日以上、腕立て伏せと腹筋運動、背筋運動を各20回以上」などなど、手がつけやすい身近な項目13項目からなる。

 2007年には私はなんと175,5cm、66,6Kgであった。現在70+アルファKgでなんとか70Kgを切りたいと思っているがなかなか実現できない。ちょっと諦めかけている。
 「ヘルスチャレンジ2007」では「スリム3Kg作戦」、「エレベーター・エスカレーターを使わない」の2項目にエントリーし、双方とも完全達成した。その時は66.9Kgから63.4Kgまで減量した。本当は減量に再挑戦したいがその気力が湧かない。

 今回は無理せず「歩行60万歩」にエントリーした。
 通勤の往路を原則徒歩にしているが気力の減退したのか億劫になってきており、風が強い、雨が降りそうだ、なんとなくダルイ・・なんて勝手な理由をつけてバスにしたり、自転車にする機会が増え、その度に後で忸怩たる思いにかられている。こんな傾向の中、「ヘルスチャレンジ」の機会を利用してやる気を出そうというずるい魂胆であった。

 ヘルスチャレンジは9月1日にスタートし、本日で終了した。
 歩数計、「新・平成の伊能忠敬」に蓄積されたデータは、9-10月61日間の総歩行数が670.382歩で、「ウオーキング60万歩」は低いレベルでクリアした。

 達成はしたものの、実はあまり嬉しくない。本来、ヘルスチャレンジがあってもなくても徒歩通勤を目標にしていたからで、目標達成のために特別努力した・・と言えないからである。やはり、実現困難でも「スリム3Kg作戦」にエントリーすべきであった。


10/30(日)曇り・快晴 飯川病院日直
1:00起床。録音データ整理、iPodに入力。8:00ゾンタ盛岡出張の車で途中まで、以降徒歩飯川病院、8:45-17:40日直、病院は平穏。新聞データ処理。バスにて帰宅、ネコ対応、19:30夕食、20:30就寝。Blu-ray視聴:「知恵泉:岡本太郎」、「チュウボウです:インドカレー滝本美織」、「日本人の3割しか知らないこと」、「林修:初耳」視聴。歩数計12400歩。

四季2016(14) 楓の紅葉、落ち葉の道が美しい
ついに秋たけなわ、となった。私は秋はそう好きな季節ではない。それでも、深夜から早朝までの、誰にも邪魔されない貴重な時間、秋の夜長・朝長の日常は楽しい。
 誰にも邪魔されない時間・・、は今は嘘で、昨年からはネコのプチが時折スキンシップを求めて邪魔しにくる。

 紅葉の季節でもある。

 最近は6:30amに徒歩で病院に向かう。まだ陽が昇らず薄暗い。徐々に明るくなっていくが、途中で見える山々の木々の紅葉が朝日に映え、刻々と様相を変えて実に美しい。

 紅葉は晩秋の風物詩である。そこには西に沈む夕陽が織りなす光とともに無常観すらも漂う。散る葉を惜しみ、人生の黄昏を歌った名歌も多い。京都を中心とした静かで優雅な雅の文化である。奥深い山の紅葉はどこか神秘的で捨てがたいものがある。20年以上も前、学会出張で見た清水寺の紅葉の紅葉はこの世のものと思われないほど素晴らしかった。

 紅葉の風情を大いに、積極的に、明るく楽しむスタイルを確立したのはやはり天下泰平の江戸時代だった。
 江戸中期から後期にかけて絵入りのガイドブックが人気で、神社・仏閣など紅葉の名所が紹介されると大勢の老若男女が押し寄せるようになった。商業が栄え町民文化が華やぐようになると、人々は行楽を楽しむようになった。普通の人が、自ら自然の移ろいを楽しもうとする、当時の人々のバイタリティー、審美眼に感服するばかりである。江戸文化の豊かさが示されている。

 この季節、何も有名な観光地を訪れる必要はない。周辺にある木々にちょっと目を向ければ、素晴らしい自然の営みの一面を感じ取れることができる。
 楓と紅葉の木々は、紅葉と落葉の代表的樹木である。これらの木々は美しく黄変し、その落ちた葉っぱも美しい。



 市街地では、しかしながら、これらの木々は評価は二分する。紅葉は美しいが、積み重なる落ち葉が嫌われる。落ち葉の害をもろに受ける方々の評価は一般的に低い。落ち葉が雨に濡れると滑って危ないこともある。

 私の家の庭にも楓や他の大きな落葉樹が数本あり、この季節になると週末には楓から落ちてくる葉っぱの掃除に忙しい。でも、恨めしい気持ちを持って次々と葉っぱを散らす木々を見上げることはない。
 日本の自然は素晴らしい、と思っているからである。

 秋田市の千秋公園の小道、楓の落ち葉が風情を添える。


10/29(土)曇り TV受信設備点検・調整など 
0:30起床、新聞文献チェック。文献その他整理、廃棄。石油ヒーターキャスター作成。午後、業者にて旧式のFFヒーター4ケ処分、室内がすっきりした。、夕方に居間のストーブ初点火。客間などの掃除。読書、文献読み。19:00夕食、20:30就寝。 Blu-ray視聴なし。歩数計10085Km,8400歩。

高齢者の高速道逆走事故 逆走探知機で激しく警告を
 21日午前4時すぎ、由利本荘市の日沿道の大内ジャンクション付近で、大型トラックと軽乗用車が正面衝突し軽乗用車の70-80代の男女3人が死亡した。軽乗用軍が高速道路からの流出路を逆走して高遠道路に入り、衝突したもの。
 同ジャンクションは日沿道に流出路と進入路が平面で交差している。進入禁止の標識はあるものの、進入して逆走することが可能な構造、という。

 国交省などによると、2011年からの5年間に全国の高速道路で1000件を超える逆走が起きている。逆走した車の運転者の約7割は65歳以上で、死亡に至る事故の割合は、高速道路で起きる事故全体に比べ40倍に上るという。
 県内の高遠道での逆走通報は昨年28件あり、確保された6件の運転手は全員が65歳以上、今年は20日現在で18件あり、確保された6件のうち4運転手が高齢者だった。

 全国の高速道路会社は14年度、逆走が複数回起きた33カ所で、走行方向を示す矢印を路面に表示し、本線への合流部分にポールを並べて誘導する、などの対策を実施し若干の効果を上げているという。

 私は65歳までは頻繁に上京した。その際、市内と空港を高速道を利用して往復した。高速道から一般道への流出路には黄色の点滅があるので迷うことはないが、逆に一般路から高速道へ入る際、ゲートを通過してから高速に誘導する看板が小さく、かつ視認性がよくないので最初のころはどちらが目的とするルートなのか一瞬迷ったものである。
 今はほとんど運転することはなくなったが、高速道路の逆走事故に接するたびに自分の問題のように思ってしまう。誘導表示看板は小さすぎる。

 高齢者は動的視力が落ちているし、瞬時の判断力も低下している。脳機能も落ちていて同時に二つの情報を処理できない。例えば同乗者と雑談しながらだと判断力は大幅に鈍る。だから、高齢者により分かりやすい表示や誘導、警告などを考える必要がある。近い将来、自動運転機能が普及すると逆走は無くなるだろうが、それまでの間は道路の改良に頼らざるを得ない。
 逆走感知器を用いて閃光などの光刺激と音で運転者に向けて激しく警告を発するなどの方法を取れば良い、と思う。

 先日、通学路で子供たちの列に車が突っ込むという痛ましい事故が生じた。運転者は90歳近い高齢者であった。狭い路地などにも速度制限の標識だけでなく、速度超過の車に警告を発する装置が必要である。


10/28(金)曇り 大曲中通病院外来 飯川病院ボランティア 県立近代美術館
12:40起床、新聞文献チェック。文献その他整理、5:00可燃ごみ処理。7:30家人の車で大曲、9:00-12:10外来。13:00-14:40横手、県立美術館橘小夢展。16:30飯川病院ボランティア。19:00西武経由Taxi帰宅、西武経由Taxi夕食、20:30就寝。 歩数計10077Km,15631歩。屋根塗装終了。Blu-ray視聴:「偉人伝:三木たかし」、「コズミック:ケプラー」、「M.フリーマン:時間は存在するか」他視聴。

秋田県立近代美術館2016(6)橘小夢展
 本日、10月28日、大曲中通病院外来の業務終了後、横手に足を伸ばし秋田県立近代美術館を訪れた。同館は8月中旬の「ホキ美術館展」以来である。「ホキ美術館展」はいたく気に入って2回訪れた。

 今回は秋田市ゆかりの画家「橘小夢展」である。秋田私立千秋美術館では同じく秋田ゆかりの画家「寺崎廣業展」が開催されている。秋田の美術界の厚さが示されている。

 橘小夢(1892-1970年)は、秋田市西根小屋町で生まれる。多分、現在の中通小学校の近くでなかろうか??大正から昭和初期に活躍した画家、版画家である。先天性心臓病のため病弱であった、という。旧制中学校卒業後、上京し洋画を、次いで日本画を学んだ。1915年イラストカットが、出版物に掲載された。初期は当時流行していた竹下夢二の影響が強かったが、次第にその影響を出て、背景を綿密に描き込んだ妖美な女性を描いた。岡本綺堂と親交を持ち、『半七捕物帳』や『綺堂脚本十種』の装幀も担当した。

 小夢の挿絵は怪奇ミステリーや伝奇、幽霊譚といった話に起用されることが多い。女性と蛇の取り合わせも少なくない。妖美溢れる小夢の作品は軍から発禁処分を受けたことがある。その後出版された版画は、当局の眼を意識してか小夢にしてはおとなしい。
 持病が悪化し、昭和20年代を最後に出版や芝居関係の仕事から遠のき、小夢は子どもたちへの形見のために筆を取った。その作品は画業の掉尾を飾るにふさわしい屏風絵などで、小夢の家族への思いと芸術に対する執念を感じさせる。

 私は小夢についてその存在を知ったのは、現役を退いて色々興味を広げたここ数年前からである。しかし、幼少の頃から成人向け読み物雑誌の挿絵等を通じて小夢風の画に親しんでいた。その中に小夢の作品があったかはわからないが、挿絵を通じて大人の世界を垣間見て想像を膨らましていた。懐かしい思い出である。

 当初知った小夢の世界は、私にとって雑誌の挿絵という懐かしさを感じる画風であったが、小夢について知る機会が増えるとともに、小夢の世界は挿絵の範疇に止まらずに、純然たる美術の世界とつながっていた。
 小夢の画に共通するのは、「魔」、「いのち」、「妖艶・優美」、「幽霊」、「幻妖・奇」、「狐」、「蛇」などと思う。直接描いていない作品を見てもつい感じてしまう。また、絵がかれた女性の表情はもちろんのこと、まとっている衣装の表現が素晴らしい。

 画集とかで一部は見ていたが、今回の展覧会で作品群を見て表現の幅の広さに感じ入った。また今回の展示には竹下夢二ほか、いろいろ影響を受けたであろう先人の作品も合わせて展示されていた。
 小夢の画はジャンルが多岐にわたるために評価が定まり難いように思う。私は竹下夢二と並べて見ても勝るとも劣らない存在、と思う。


10/27(木)早朝曇り晴れ 外来 飯川病院 
 0:40起床,新聞・文献チェックほか。7:30徒歩飯川病院、8:45-13:45外来、混雑、複雑。14:00-18:30飯川病院。19:10Taxi利用帰宅、バス時間が変更になっていた!!!、夕食、20:00就寝。歩数計Σ13075歩、10064Km。Blu-ray視聴:「よみがえる大和:探査でわかったこと」、「100分で名著:カントと国際連合」視聴。

家庭菜園・園芸2016(6)元蔵ネギ栽培初体験
 2011年から小規模ながら家庭菜園・園芸をやっている。畑はご近所の方から借用している。勤務時間が若干減ったと言え、飯川病院のボランティアまで入れるとまだ終日勤務に近い。更に、土日、祭日が日直に当たることが多いからちょっと時間が足りない。だから週末と早朝にメインテナンスしている。
 それで草ぼうぼうである。週末には草刈りと草むしりに追われる。手も時間も足りないが割り切る。とてもご近所の方々のように草一本もない様な美しい畑にはできない、と割り切る。

 今年は5月3日に私の定番になっているトマト、キウリ、ナス、枝豆を植えたが、今年は試みにネギを植えた。

 ネギは元蔵ネギで、耐寒性強く、収量が良いとされている。
 たまたま訪れたスーパーの外で束になって売っていたが、根は綺麗に洗われ土もついておらず、私は食べるための商品かと思った。食品にしては細くてちゃち、新鮮味も感じない。店員に聞いてみたところ栽培用の苗だという。箸程度と細くて弱々しい苗で根が着くものか半信半疑だったので、後の事を考えずに適当に畑に植えてみた。水は十分かけたが期待に反して、嬉しいことに、8割方生着した。

 私のやり方は自己流である。私の住処の四方の方々は昔は広く農業で生計を立てた方達だと思う。だからその方々が畑に出ている時には自己流が恥ずかしく、さりとて偏屈で助言もされたくないから一緒の時間に作業しないよう工夫している。だから時間配分も大変である。
 肥料を混ぜた土つくりができて、太陽と水があって、大きな間違いさえなければ育つはず、自然の力は大きいのだと思ってきたが、実際はそうは甘くなかった。何も知らずネギは浅く植えたのであるが、食品に向く様な柔らかく白いネギにするには成長に合わせて土盛りをして太陽光を遮らなくてはならない。これが結構大変な作業であった。

 私は、もし来年も栽培する機会があったらマルチ用の黒いビニールを根元に巻いて光を遮るのはどうだろうか??と考えている。

 元蔵ネギは耐寒性の秋冬ネギである。軟白部の締りも非常に良い。冬どりに適するというのでまだ大部分そのままであるが、台所の要求に応じて1-2本ずつ収穫する。思ったより立派に成長していて驚いた。新鮮なネギは香りも良く、甘い。鍋とかラーメンの時に薬味として散らして味わっている。

 今回はたまたま栽培の機会を得たが、もし来年もあるなら今度は本気に、もっと沢山栽培してみたいと思っている。


10/26(水)早朝雨快晴、飯川病院ボランティア
 0:40 起床,文献チェックほかいつものごとし。午前フリー、掃除、灯油ポンプ修理、中央燃料と居間のストーブ清掃に関して対応。微睡など。15:00クロスバイク飯川病院着、ボランティア。検食。19:10帰宅・夕食、20:30就寝。歩数計Σ100120歩、10054Km。Blu-ray視聴:「原爆救護隊と原爆症」、「ありえへん世界:韓国美容整形」、「久米書店:語彙力こそが教養」視聴。

熊本地震の住宅倒壊を見て(3) 「枠組み壁工法」の注目すべきデータ
 本年8月25日、国連大学の自然災害調査チームが日本は自然災害への対処能力は高いが、地震や水害に見舞われる頻度が他の先進国に比べてはるかに高い、とする報告書を発表した。
 調査チームは地震、台風、洪水、干ぱつ、海面上昇の5種類の災害で28項目の指標を分析した。日本は調査した171ケ国のうち17位となった。欧米の先進国の多くは100位以下だった。最もリスクが低かったのは中東のカタールで、災害を受ける機会か少ない上対処能力も高いのが理由だった。
 調査チームのM・ガルシャーゲン博士は、日本は災害に対して非常に高い対処能力を持つが、原発事故のごとく自然災害に伴う被害が人災として連鎖的に拡大しうる可能性があり、人材育成やリスクコミュニケーションの充実か課題だ、としている。

 4月17日に熊本で震度7、M6.5の地震が発生した。次いで、10月21日鳥取県中部の倉吉市付近で震度6弱、M6.5の地震が発生した。震源地は県中部で、鳥取、岡山両県と近畿3府県で計17人が受傷した。
 鳥取県北栄町で住宅2棟が倒壊、計約2700人が学校などに避難した。住宅倒壊が少なかったのは耐震化の効果なのかもしれない。

 熊本地震の場合は、住宅被害は多岐にわたっているために詳細の評価は困難なようである。
 総務省消防庁の5月末のまとめによると、一連の地震による住家被害は、熊本県をはじめとする九州・山口の7県で全壊8,309棟、半壊1万8,724棟、一部損壊7万9,736棟だった。
 被災家屋の倒壊危険性を調べる「応急危険度判定」が熊本県内の被災地で行われ、立ち入りが「危険」と判定された建物が9.994件に達した。ただし、拘束力はない。全壊が明らかな建物は調査対象に想定していない。今回の熊本地震は強烈な揺れが連続して怒ったためと考えられるが、新耐震基準の住宅もかなり倒壊している。

 熊本地震の住宅被害は同じ程度の他の地震、例えば中越地震等と比較して見ると総じて1.5倍多い。こんな中、本年10月「壁式木質系住宅」を販売しているMホームKKは熊本地震の震度5強以上の地区で自社の製品8.700棟を調査したが、土地の隆起や地割れに関連する軽微な被害があったものの、地震の揺れによる倒壊は一棟もなかったと調査結果を発表した。 
 自社の広告誌への情報だから若干値引いて見る必要があろうが、倒壊住宅ゼロは大きなデータだと思う。

 約40年前に、私はひょんなことから当時まだ珍しかった「枠組み壁工法」住宅に決めた。
 地震を含む災害高頻度国に住む以上、更に、地震の予知が全くできない以上、いつ自分が地震の被災者になるかわからない。住宅の耐震化には「枠組み壁工法」住宅を選ぶのも一方法、だと思う。また、この工法による差はもっと知られていいと思う。


10/25(火)曇り夕方降雨 外来 飯川病院 
 0:40 起床,文献チェックほかいつものごとし。5:00可燃ゴミ提出、7:20バスと徒歩飯川病院着。8:45-12:00中通外来。12:30飯川病院、14:00-18:30勤務。入院外来患者対応。18:50車帰宅、夕食、20:30就寝。Blu-ray視聴:「団塊スタイル:衣食住で涼しく」、「昭和は輝いていた:春日+村田」、「M・フリードマン:死から蘇ることはできるか」視聴。昨年居間のストーブを今季初使用。歩数計Σ10203歩、10046Km。

寺崎廣業展ー生誕150年記念 秋田市立千秋美術館
 私は絵画鑑賞は好きである。ただし、実際は鑑賞なんてものではなく、ただなんとなく、美しさ、画家の技能を眺めていただけであった。最近やっと鑑賞しているような気になってきたように思う。

 先日、秋田市立千秋美術館で寺崎廣業展(後半)を見た
 寺崎廣業(1866年-1919年)は秋田市生まれの日本画家。幼児から絵を好み、16歳で小室秀俊に入門した。
 23歳で上京平福穂庵の門をたたいき美人画で名を挙げ、挿絵の仕事をし廣業の総合的画法の基礎を築いたといわれる。
 1898年東京美術学校助教授、1901年に教授。54歳で世を去った。その葬儀に3000人も会葬した、というほどの名声があった、という。

 私はつい数年前まで寺崎廣業の存在、偉業について知らなかったが、知ってからは秋田出身の画家として関心を持っていた。その作品は画集とかで断片的にしか観る機会がなかったが、今回、秋田市立美術館で寺崎廣業展が開催され、多くの作品が一堂に会した。楽しみにしていたが、前半の展示は開催日時を間違えたために見ることができなかった。

 廣業の作品は多岐に及ぶ。私の目で観て感じた魅力を一言で言えば、描かれた絵の質の高さはいうに及ばす、画風が作品の外まで広く及んでいるように思わせることであろう。
 作品は小さなものからいろいろであるが、実際に描かれていない画の外まで観る者の想像力がパノラマ的に展開する。風景画の場合は、あたかも自分が今その現場にいるごとくの錯覚に陥ってしまう。それが人物画、仏画でも同様で、独特の雰囲気がある。

 それが今回、寺崎廣業展を観て最初に感じた驚きである。じっくり観直してもその印象は変わることはなかった。

 会場で購入した、画集「生誕150年記念、寺崎廣業展」は収納された作品の質が高く、人物評、解説なども優れた内容で見ていて飽きない。


10/24(月)曇りのち晴れ 健康クリニックドック 飯川病院
0:30起床、文献新聞他チェック。この時間からだと余裕あり。7:15徒歩飯川病院、9:00-11:00健康クリニックドック14名+結果説明1名。11:30飯川病院。微睡、14:00-19:00勤務、19:00帰宅、夕食。20:45就寝。Blu-ray視聴:「世界が驚くニッポン:保育園・幼稚園」、「プチと子猫」、「ガイア:リハ・アシスト器具」。歩数計Σ12200歩、10038Km。屋根の塗装開始。

天皇陛下の生前退位(4) 陛下のビデオメッセージは第二の玉音放送
 天皇陛下は現在82歳で本年8月になって生前退位の意向をヴィデオメッセージで示された。近代の皇室にはないことだけに、各界に大きな話題を提供した。

 このヴィデオメッセージは第二次世界大戦の敗北と戦闘の中止を国民に向かってラジオ放送を通じて国民に知らさしめた昭和天皇の玉音放送と同じようなイメージである。昭和天皇は終戦後に生じるであろう混乱を少しでも和らげられ流のであれば、と自ら希望されたという。
 今上陛下のヴィデオメッセージは第二の玉音放送と言っていい。

 第一の玉音放送は国民への敗戦宣告であった。この放送が国民の心の整理のために果たした役割は大きかった。
 今回の玉音放送は陛下自らが、生前退位を希望していたに関わらず、全く動かない宮内庁関係者や政府に対して、しびれを切らして国民にお心を直接述べたものである。その中、冒頭で「2年後には、平成30(2018)年を迎えます」と表明されたことから陛下自身が在位を自分で区切ったとの見方が可能である。このヴィデオメッセージは大きな効果があった。国民は改めて陛下のご努力を認識し、政府や関係者も具体的アクションを起こさざるを得なくなった。

 実際には陛下が退位の意向を示されたのは2010年7月22日の夜とされる。
 天皇陛下が話題を示し、意見を述べ合う参与会議の場であった。陛下は、いつものような淡々とした口調で、「80歳までは務めを果たしたいが、その後は譲位をのぞみます」、そんな趣旨を述べられたという。
 出席者は驚き、退位ではなく、皇太子殿下が国事行為を代行する摂政を提案した。だが、陛下は「象徴としての地位と活動は一体であるべき」との考えを繰り返し、きっぱりと摂政を否定したという。天皇周辺の重鎮達、政府関係者が生前退位について全く考えていなかったことが示されて興味深い。

 この会議とは別に「私にはもう、動ける時間があまり残っていない。動けなくなってから準備を始めても遅いのです」。陛下は、宮内庁関係者にこう打ち明けることもあったとされる。
 関係者によると、宮内庁が陛下のこうした思いを政府側に「伝えた」とされるのは5年前とされるが、当時の野田首相は天皇陛下が退位の意向を持っていることは知らなかった」と証言する。情報が共有されていなかったことは驚きである。
 2012年末に民主党から政権を奪還した安倍政権も、ヴィデオメッセージまで天皇陛下の退位についてのアクションはほとんどしていない。

 だから振り返ってみれば、初めてご意向を示されてから約6年の年月が無為に過ぎた。日々、老化による心身の変化と戦いながら生前退位についての動きをお待ちになった陛下のお気持ちはいかばかりか、と思う。ついにしびれを切らされ、あのメッセージとなった。

 生前退位に対し、天皇について定めた法律「皇室典範」があり、生前退位は出来ないなどと、宮内庁や政府の関係者は今でも発言しているが、私は陛下自身が心身の衰えを自覚して、自ら限界を感じ、本心から発せられたお言葉に対し、法による制限があるから、とご意向をそっちのけに形にこだわる関係者の考え方には納得し難い。

 私は特別法で、1日も早く陛下のご意向に沿うべきだ、と考える。


10/23(日)晴れ 冬支度進める 庭の樹木処理   
1:00起床。新聞チェック。資料、種々こなす。朝方微睡、最近早朝に一時休息が必要になってきた。歳か。午前栗拾い兼ねて庭木対応。NHKのど自慢見る。15:00車で飯川病院に、17:00-19:00 当直医代行、自転車乗せて19:30帰宅、夕食、20:30就寝。歩数計Σ14328歩、10028Km。Blu-ray視聴:「林修関連番組」、「世界一受けたい授業:怖い絵など」。

天皇陛下の生前退位(3) 陛下のお身体よりも法整備が重要なのか?
 天皇陛下は現在82歳で本年8月になって生前退位の意向をヴィデオメッセージで示された。近代の皇室にはないことだけに、各界に大きな話題を提供した。

 皇室の話題など、私にとっては遠い、別世界のことであり、生前退位のことなど知識もなかった。しかし、今生陛下をお一人のご高齢の方と捉えると、高齢者医療の一翼を担っている私から言いたいことは少なくはない。

 生前退位に対し、天皇について定めた法律「皇室典範」があり、生前退位は出来ないなどと、宮内庁や政府の関係者は発言しているが、私は陛下自身が心身の衰えを自覚して、限界を感じ、本心から発せられたお言葉だと思う。それを、法による制限があるから、と片付けるのは納得し難い。

 私は、陛下がご高齢になるのに「皇室典範」を金科玉条として生前退位を一切念頭に置ていなかったことこそが問題であって、陛下のお側におられる、周辺の方々、時の政府関係者の職務怠慢だと思う。
 「皇室典範」を盾に、ご高齢に達せられたの天皇の希望を受け入れないことは、人道的にも問題と思う。私は法の整備は後回しでいいから、出来る範囲から実質的な生前退位に向けた動きを開始すべきで、ある時期、2018年か? を区切りに退位して頂いていいと思う。「皇室典範」の整備が間に合わないのであれば、今生天皇にだけ適応する特別法で解決を図ってもいい、と思っている。後継の皇太子殿下もおられるから問題は少ない。

 天皇の公務の多さが先々から指摘されていた。天皇の地位は定年のない終身制となっている。私から見れば他に例のない、自由が一切ない最高に厳しい地位である。

 陛下は現在82歳で、歴代3位の高齢となる。
 不整脈などで今生陛下が体調を崩すことか続き、宮内庁は2009年、公務の一部負担軽減策を発表した。だが、翌10年、陛下は誕生日会見でこれ以上の負担軽減をするつもりはない、と明言した。宮内庁はその後は目立った軽減策を打ち出してはいない。

 たとえ陛下の意向であろうと、お膝元の宮内庁が陛下の年齢を考慮した対策を国に提案できなかったのは職務怠慢だと思う。また、政府関係者も同様に怠慢であった、と思う。 

 過去の政権が皇室制度を巡り、女性・女系天皇や「女性宮家」創設を検討した時期があるが、秋篠宮家に男子が誕生したのを機に検討されなくなった。この時が今上天皇の生前退位にまで及んでよかった、と思われる。

 8月のご意向を発表された時に抱いたのは概ね上記の感想であったが、あれから3ヶ月、多くの意見がメディアで取り上げられている。それらに目を通しているが、水も漏らさないような規範の整備にこだわる政府、識者達の考えには、私は納得できない。


10/ 22(土)曇天晴れ 外回り冬支度
 1:00起床、新聞・文献、徒然、その他、ゆったりと。貴重な週末。午前はダリア関係若干、データ整理。13:00-16:00庭など外回り整理。プランター容器破砕、ゴミ処理整理。Blu-ray:『N響定期講演:マリナー、ハフナー交響曲他」、「読響演奏会:ハチャトーリアン。Fl協奏曲」。サー・N・マリナー氏が10月2日死去されたという。19:50夕食、21:15就寝。歩数計7457歩。

徒歩通勤2016(10) 1万Km達成 3年6ケ月かかった
 平成13年3月から本格的に徒歩通勤を始めた。
 ただ歩いているだけではつまらん、と伊能忠敬が歩いたコースをたどることとした。歩数計「新・平成の伊能忠孝」は歩行実績が積算されてデータに残る優れものである。その積算を13年4月7日から開始した。

 約3年半かかって2016年10月20日に歩行距離が10.000Kmに達した。日本橋を出発し忠敬が歩いたとされる海岸線を北上、北海道を回って南下、本日の段階で九州の長崎県大村湾の西彼杵半島の海岸線を通過中である。

 東京出発から現在までのデータ(目標は10Km/日)。
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    所用日数        1293日 
    総歩数         1252万歩
    歩行距離/日本一周距離  10.000km/19044.18Km
    達成率/日本一周距離    55%
    1日平均歩数       9682歩
    1日平均距離       7.7Km   
   (上記は歩数計「新・平成の伊能忠敬」の積算データによる)。
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 「継続は力なり」は私の好きな言葉である。
 約3年間、右足首に歩数計をつけ、1日も欠かすことなく(?)歩数を蓄積してきた。歩数計をつけてからは、ちょっとした道なら廻り道などして積極的に歩数を稼いできた。

 足首につけ忘れて出勤したのもゼロではないが、気づいた瞬間からガックリきて一歩も歩きたくなくなる。連日の歩数の蓄積は私の心を賦活してくれている。ちょうど法人の健康増進のためのヘルスチャレンジで60万歩/2ケ月にもエントリーしていてそれも励みになっている。今のところは何とか達成できそうである。

 3.5年続けた結果が歩数の1日平均が9.682歩、距離が7.9Kmは計画に略近い。季節的なハンディもあるし、年齢の割にはまずまずだろう、と自己評価している。

 これで日本一周目標距離の55%に到達したことになる。しかし、一周まではまだまだ長い。
 最近、ちょっと疲れやすくなった様な気がする。多少意欲の減退も感じている。だから、後半は同じようなペースで蓄積できるかは分からない。この歩数計があと3年余故障なく動くのだろうか?紛失しないだろうか?さらに、私の状態は歩ける状況にあるのか?・・・などなど懸案材料は尽きない。だからこそ楽しみも大きい。


10/21(金)晴れ曇り 大曲中通病院外来 年金機構相談 飯川病院ボランティア  
 0:30起床、新聞チェック他。歴史関連本読み、5:30ゴミ出し準備。7:00次男車で飯川病院出勤。徒歩駅に。8:10こまち、9:10-12:15大曲中通病院外来。駅病院間往路徒歩。アルべ年金機構訪問。14:30-18:30飯川病院ボランティア。19:00帰宅・夕食、20:00就寝。Blu-ray視聴:「ワイドナショー」、「久米書店:本屋大賞」,「サイエンスゼロ:環境DNA」、「名著・堕落論」、「志らく・演芸図鑑、紙切」。歩数計Σ12709歩、10010Km。

新聞週間(3) 地方紙の存在意義
 全国紙、地方紙、地域紙、業界紙など新聞は規模や取材対象によってさまざまあり、多様な言論活動を行っている。
 地方紙は県単位のエリアで読まれているのが多い。
 全国紙は狭義では読売、朝日、毎日の3紙、さらに、日経、産経を加えて捉えられているようだ。そのほかにも中部新聞、河北新聞のように中部、東北の各県に渡って広く読まれブロック紙と分類されているものがある。
 全国紙は東京から国際、経済、政治等の全国向けのニュースを発信する。一方、社会面、スポーツ面等は地方紙、ブロック紙と同じく地域のニュースも取り入れているが一般的に扱いは小さく、地方在住者にとって満足できるものではない。

 ここで地方紙である。
 その中で、私は、地方紙は読者各自が自らが住むエリアを共通のメディアを通じて知ることを通じて、自己のスタンスを確立出来る有用な存在と考える。その意味で地方新聞の役割が高まっている。同時に、新聞のスタンスも問われている。地方紙の存在意義は何かを常に問い、地域に密着し、最も困難な状況に置かれた人たちととも存在しなければならない。

  近年、大震災、巨大台風、火山噴火など大きな被害をもたらす自然災害か多発している。自然災害は生じた当初こそ注目を浴びるが、時間とともに関心は薄れていく。東日本大震災しかり、熊本・鳥取しかりである。自然災害は将来的にどこにでも生じうる。全国に状況を報じつつけ風化を防ぐには、その地方のマスコミの力が必要である。被災地の今なお苦闘する実態や、未来に向けて歩む姿を継続して報道していくことである。災害報道は明日への教訓を全国に伝達する。
 自然災害を経て励まされているのはむしろ地方紙の方なのかもしれない。地方の強さを、次代に引き継ぐために、被害者と同じ目線の高さで一歩一歩進んで欲しい。 報道に託された役割は重い。
 
 地方紙は決して全国紙のミニ版であってはならない。
 地方で起きた大事件や選挙などのときは一面記事として報じて県民に情報を伝達するのは当然であるが、充実した地方関連記事を通じて、県民としての民意をまとめ上げる資料となる。そこに地方紙の存在意義がある。

 新聞の発行部数減の原因を、インターネットの普及に帰する発言が頻回に聞かれる。確かにそれは正しい分析であろうが、それでも私は、より読者が求めるような報道を続けていくことで地方紙の光は放てると思っている。
 秋田魁新聞には私どもが生きていく地域として、秋田を勉強するための資料の提供を広範な視点で続けて欲しい。秋田は経済的には厳しい状況にあるが、秋田の地は決して捨てたものではない。豊かな文化の歴史があり、芸術の蓄積、優れた県民性もある。
 地域への気づきも本来は個人努力に帰する部分はもちろん大きいが、地方紙の持つ意義の分析とスタンスの確立が問われる部分である。


10/20(木) 曇り時々晴れ寒い 外来 飯川病院
 0:30起床。文献・新聞他。7:30徒歩飯川病院、8:45-13:00中通外来。13:30飯川病院、14:00~19:10勤務、入院患者処置。 新聞・文献スクラップ入力。19:30次男車借用帰宅、夕食、20:30就寝。 Blu-ray視聴:「そこまで言って委員会NP」後半、「世界の今、今世界は」。歩数計Σ15057歩、10000Km。

新聞週間(2) 情報の多様化の時代、新聞の重要さはますます増していく
 10月15日、新聞週間が始まった。報道の使命と責任を見直し、機能と役割を広く再確認する機会でもある。新聞関係者だけでなく読者にとっても、新聞を読まない人たちにとっても考える重要な週間となる。

 どの新聞であっても、事実に基づき報道し、評論することが基本である。
 明治期に始まる日本の近代新聞は、国民を近代国家にふさわしい市民に「教育」することが新聞に国から託された使命だった。「上から目線」が、近代日本の新聞の原形であった。その歴史を引き継ぎ、戦時下で新聞社はおぞましい役割を担ってしまった。言論統制もあったが、正しい情報を国民に伝えなかった。むしろ開戦に世論誘導をしてしまった。
 そのような時代を二度と招かないためにも、新聞側も読者も「知る権利」、「知らせる権利」、「言論の自由」をしっかりと守る必要がある。現在の新聞の活動の前提は「報道の自由」にある。これは、権力と対峙すべき時にしなかった、という苦難の歴史の中で獲得したものである。

 こんな中、全国の1世帯当たりの新聞部数は2008年に初めて減少傾向になり、「新聞の危機」と言われる状況が出現した。
 今やインターネットの発達で、多種多様なメディアが硬軟さまざまな情報を発信し、あるいは論評する。
 そうした時代に新聞はどうあるべきか。単に「普及」を目的とするのではなく、もっと深いところで、新聞の社会的責任を捉え直すことが、新聞週間の意義であろう。

 今の若い人たちにとって、情報収集はパソコン、ネットが中心になっている。自分の興味のあることだけを検索し、ヒットした記事だけを読んでしまう。さしあたり必要な情報ならネットで簡単に得られる。しかし、新聞は紙面にパノラマ性があり、探し出す記事にしか触れない、読まないことはあり得ない。同じ記事でも新聞の情報量は全く異なる。解説記事や、心を高揚させてくれる情報、記事なら、やはり新聞だと思う。

 報道の一翼を担う新聞は、幅広い内容を網羅する。社会で起きた重大な事件や事故を報道すること、政治や経済、国際社会、地域社会の動きを報道する。埋もれていた歴史、隠されている事実を掘り起こすことも使命の一つ。記者の努力によって発掘されたニュースは、社会を突き動かす。

 新聞は「知」という大きな世界につながっている、と思う。たとえ斜め読みでも、それなりに知識が広がる。私は書評も重視している。紹介された本を読んで目が開けたことも多い。小さい鍵穴でもその存在に気がつけば宝になる可能性がある。
 
 テレビは速報性や視覚に訴える力はすごい。だからこそ見てしまえば、分かった気になってしまう。あくまでも受動的であり、次のステップは次の情報の提供を待つことになる。それに比べて活字媒体は完全ではないから、それを補足するために次から次へと自分で能動的に考え、求めていくモチベーションが生じてくる。
 
 私は情報を提供してくれるメディアなしに過ごすことはできない。その中でも新聞の位置は大きい。


10/19(水)秋晴れ 明徳館 寺崎廣業展 飯川病院ボランティア   
0:30起床。読書、録音データ整理と処理、分類など。歴史関連本読み。午前は金属関連廃棄物整理。12:30クロスバイク明徳館、秋田市立美術館で寺崎廣業展、後期。13:30飯川病院着、外来患者対応、朝顔整理。19:10帰宅、夕食、20:15就寝。Blu-ray視聴:「そこまで言って委員会:裁判院制度、脱北他」。歩数計Σ10109歩、9988Km。

新聞週間(1) 新聞はスクラップにしてからじっくり読む
 10月15〜21日は新聞週間である。
 新聞週間は終戦後新聞の普及と教育を目的に1947年に愛媛新聞社が独自に企画し、翌年から新聞協会加盟社による報道の使命と責任を再確認するという趣旨で始まった、とされる。この週間、新聞各社では色々な企画記事が見られ面白い。

 私はメディアの中では最も新聞の情報にを大事にしている。東日本大震災直後から3年間は被災地の地方紙を含め6紙を購読していたこともあり、毎日が新聞情報との戦いであった。復興が軌道になりつつあったので福島、宮城の地方紙をやめたが、更に先月末で1紙やめた。視力減退も理由の一つである。ラジオによる音声情報、映像が占める割合が増えた。

 私は毎朝新聞を読むが全てを当日読むわけではない。当日分1紙、前日のを1紙、更に前々日の1紙と時間差をつけて読む。これで事件とか速報の場合は3日間の推移がわかってとてもいい。

 新聞は当日の中央紙一紙を社会面から順にざっと目を通す。科学面、文芸面、経済面、国際面、政治面と進む。ついで前日の、更に前々日の紙の順に読む。芸能欄スポーツ欄はほとんど見ない。

 実際には興味ある記事に定規を当てて切り取りスクラップにしながら読む。毎日40枚程度の量が切り取られる。ついで、スキャナーを通し記事を電子化する。読み取ったデータは適宜名称をつけ、分類し、ハードディスクに収納する。この作業の間に内容によっては4回記事に触れることになる。

 私の新聞歴は長い。小学生、中学生新聞の頃からである。スクラップ歴も長い。適宜気になる記事は取ってあった。しかし、紙のままではスクラップ帳が膨大な数になったことと、検索ができない不便さがあった。簡便なスキャナーが入手できたのを機会に2000年から電子化した。もう15年以上の蓄積がある。電子化以降は欲しい記事を一瞬に呼び出すことができる。こための労力も連日かなり投入しているが、私の情報源として手放すことができない宝物になっている。

 新聞の利点は情報のスピードという面ではTV、ラジオ、インターネットよりは劣るが、注目すべきはその情報量の豊富さである。新聞には冷静・客観的視点が求められ、記事が正確であることが求められる。その面では各新聞社のポリシーが拠り所となる。

 放送などのメディアと新聞の違うところは幾度も読み返せることにある。つまり幾度も読み返すに足る、正確で豊富な情報が求められる。なんども読み返されるから、記事自体が、新聞社自体が検証されることになる。

 世間には、インターネットの情報があふれている。しかし、その内容は脆弱で、信頼に足らない不誠実な情報が多く、辟易している。だからあまり重視していない。ネット記事は負うべき責任者が不明のことが多い。その意味では新聞社の電子版は参考になる。
 自分の記事はどうなのか?呻吟しながら続けているが、私のは情報提供には相当しないように思う。


10/18(火)超快晴 外来 飯川病院 市内一面霧
 0:30起床、歴史、新聞切り抜きと入力などいつものごとし。5:00可燃ゴミ集積所に廃棄、ネコ世話、6:20歩行出勤、昨夜の雨上がり雲ひとつない超快晴に。高い湿度と放射冷却のために全体に霧がかかった幻想的風景。7:30飯川病院着、8:45-12:00中通病院外来。12:30飯川病院。14:00-18:30勤務、入院患者処置。19:10帰宅、夕食、20:00就寝。Blu-ray視聴:「ヒストリア:クレオパトラ」、「団塊スタイル:腰痛借金」、「池上世界を変えた本:コーラン」。歩数計Σ15048歩、9980Km。

週刊誌の医薬関連記事について(2) 出版界の汚点となる記事連載 
 週刊現代の特集記事を読んでみた限り、もちろんいくつか真っ当な指摘もあるものの、私はかなり問題が多い、と思う。

 薬物の効果はそっちのけに、当然伴う副作用に焦点をあげて、過剰に読者に危機感を煽っている。抗がん剤などでは副作用発生率は結構重篤なものも含め10?20%にも達するが、高血圧症、高脂血症などの治療薬は一般的に1%以下で、かつ軽微な副作用が多い。 

 薬物と副作用の関係は重要な問題で常に問題にしなければならない。副作用に焦点を当てた検討などは学会や専門誌を中心に常に検討されている。医療における治療適応に薬物を応用するために科学的証拠を背景にしていることなどは評価されていない。

 この様な記事は、国民に医療情報を提供するという意味はほとんどなく、読者の不安感を利用してた販売促進目的だけであろう。低迷する出版界の事情はあるだろう。しかし、こんな記事の作り方をし続ければ出版界はますます信頼を失っていくだろう。
 シニア世代にとっては健康や病気は切っても切り離せない問題であるが、その多くは既に主治医があり医療下にある方々である。健康な人たちはこの様な記事に興味を示さない。
 不安を抱える高齢化社会をターゲットにした出版社の思惑は明確である。

 週刊誌の「医療叩き」はなぜ起こるのか??
 最近、各週刊誌等で医療に関する特集が多く見られる。健康問題、医療問題を取り上げれば明らかに販売量が増えるとされる。

 雑誌の医療問題の取り上げからには二つの方向があって健康増進に役立つ方向のもの、もう一つは逆の方向の医療バッシングで、その大半が今受けている治療の危険性を強調した内容である。前者の方は罪が少ないが、効果のしれない健康増進法やサプリメントとかが中心で、これも問題はないわけではない。
 このような記事が多く読まれる背景には、相変わらず世間に「医療不信」が根強く残っている証左とも言える。

 こんな医療記事を見ると我が国の医療レベルが劣っているような書き方であるが、私は日本の医療は国際的に優れていると思っている。
?医療のレベルを測るには様々な指標がある。治療実績に関する国際比較と、社会経済的な指標に分けられる。前者は、一般の人にもわかりやすい。後者の指標は、医療制度が深く関係するので、評価は極めて困難である。
 しかし、そんな困難な資料を用いることなく医療レベルを比較できる機会が訪れた。2009年春から秋にかけて短期間に全世界的に新型インフルエンザH1N1が大流行した。H1N1は短期間に蔓延し、年代を問わず、社会的地位にも関係なく、多くの人々に蔓延した。この感染症に寄って多くの患者が死亡したが、その死亡率をWHOが発表したデータで比較すると我が国の死亡率がダントツに低く人口100万人あたりの死亡率は僅か0.2人であった。英国が2.2人、米国が3.3人、オーストラリア8.6人・・・・。これは我が国の医療が総合的に優れていることの指標となる。


10/17(月)雲のち夕方から雨 健康クリニックドック 飯川病院
2:00飯川病院で起床。いつもの如く持参のデータ整理、読書とか。9:00-11:15健康クリニックドック。14名+結果説明3名。11:30飯川病院へ。文献など。14:00-18:30勤務。入院患者処置対応。19:00夕食、20:00就寝。Blu-ray視聴:「アナザーストーリーズ:東大安田講堂事件」、「英雄選択:熊本築城」、「コズミックフロント:恐竜絶滅・隕石説」。歩数計Σ7700歩。

週刊誌の医薬関連記事について(1) 記述内容に責任を感じていない??
 今年夏頃から外来患者から、「高脂血症薬は服用していいのか?」、「後発品は害がないのか?」、「週刊誌の薬に関する記事を読んで怖くなりました・・」などど質問が出るようになった。
 
 私は直接週刊誌を見て内容を確認してはいない。いつものガセネタだろうと思って無視していた。
 患者に「次回、その週刊誌を持ってきて見せて」というと、「いえ、買ってません。新聞下段の週刊誌の広告をみたのです」・・・こんなやり取りである。私の外来の患者は高齢者が多く、具体的に購入して検討はしていないようである。また、外来の待合室での患者間の情報交換の話題にもなっているらしい。患者の情報はこんなものである。内容には関係なく、「TVで言っていた」、「週刊誌・新聞にあった」、「知人がそう言っていた」・・・ことが価値判断の材料になっている。主治医にその不安を述べる患者はまだいい方で、人知れず呻吟している患者は少なくないだろう。

 この週刊誌の記事に関して日本医師会が8月に以下のごとく見解を発表した(表現を一部改変した)。
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 週刊誌の記事を鵜呑みにせずかかりつけ医に相談を。
 ▼国民に対して
 一部週刊誌が連載の特集記事で、特定の医薬品や手術について否定する内容を掲載していることについて、「医薬品や手術を一部の限られた側面からのみ論じることはかえって国民の不安をあおることになり、適切なアクセスを阻害することになる」と懸念を示した上で、国民には情報をうのみにせずかかりつけ医に相談するよう求める。
? ▼メディアに対して、
? 「患者さんやご家族がメディアやインターネットから得た不確かな情報に触れたりすることで、大きな不安を覚えることを医療者のみならず、医療報道に携わる方々も忘れてはならない」。
?--------------------------------------------------------------------------------------
 なお、日本薬剤師会の公式な見解は出されていないようである。薬の根幹に関わる誤解の蔓延化だというのにどういうことだろうか。

 この週刊誌の情報で懸念されるのが、「週刊誌の情報を国民が信じたゆえの健康被害の発生」であろうが、少なくとも私の周辺の患者たちの中からそのようなケースは一人も出ていないし、私に質問した患者の中に服薬を中止した患者もいない。実害が生じているとの情報もない。?

 最近、ネットで週刊現代の当該記事をシリーズで読んで見た。初発は6月11日号に掲載された「ダマされるな!医者に出されても飲み続けてはいけない薬」の記事である。
 この記事では、各種のARB、プラビックス、ジャヌビアやアクトスなどの糖尿病治療薬、クレストール、アリセプト、ロキソニンなどが「飲み続けてはいけない薬」とあげられていた。大学名誉教授等の、立派な肩書きを持つ、よく知らない方々がコメントを載せて記事の内容をバックアップしていた。
 中には納得できる記述もあるが、私の目から見て大部分は根拠のないガセネタである。週刊現代はこの号は完売したらしい。出版業界は不況の中にあるという。売らんがための特集記事の継続と思われる。こんな内容に惑わされてはいけない、というは簡単であるが、大衆というのはこんなものである。じっくり誤解を解いていくしかない。

 週刊誌はメディアとして、自分たちが書いた記事に対してどんな責任を取るつもりなのか?いや、そんな気はないだろう。組織人とはそんなものである。


10/16(日)秋晴れ 飯川病院当直
 1:00起床。文献チェック他。何時ものごとし。新聞切り抜き他。各種書類電子化、データ整理。のど自慢など見る。午後はダリアのケアなど。16:30徒歩飯川病院に、17:00当直に就く。新聞切り抜き他。18:00検食。20:00就寝。Blu-ray視聴:「あらすじ名作:鴎外・舞姫」、「久米書店:荒木香織」ラグビー関連、「N響定期:P協27番、ブルックナーNo2」。歩数計Σ10764歩、9962Km。

新潟大学46会同級会2016(4) 新米「新之助」
 ▼品種のコメ「新之助」を食べた。
 宴会の始まりと共に幹事のH氏から新しい品種のコメ「新之助」の新米が一人3合配られた。コシヒカリを凌駕しうる新作で、正式発売は来年からとのことであったが新潟では今秋から先行販売されているという。幹事が並んで確保したのだという。
 品種改良の交配マップを見ると「新之助」にはコシヒカリ、秋田こまちの遺伝子が共に含まれているようだ。幹事の説明ではコシヒカリの遺伝子が25%含まれている、という。

 「新之助」は、新潟県農業総合研究所で平成20年から研究・開発してきた新潟の自信作。「新之助」は、コシヒカリより収穫時期がやや遅い晩生種。粒が大きく、収穫がコシヒカリより1週間程度遅いため夏の高温の影響を受けにくいこと、も特徴と言う。開発途中の平成22年には酷暑が襲い、コシヒカリなどの新潟米の品種低下があったが、新之助は品質低下がなく、暑さに強い品種であることが確認されている。

 新潟県ではコシヒカリの作付面積が70%を占めるという。その一方で、1品種に集中することで天候災害が起こった際に被害が増大することや、収穫時期が集中することで生産コストが増大することが課題となっていた。

 我が家では二人分、6合いただいた。翌日から3回ほどたいてみた。
 私は区別を述べるほどお米については知識はないが、通常我が家で食べている秋田こまちよりは大粒のように思われ、炊き上がった姿も張りがあって表面が艶やかなような気がする。食感はもち米様の粘りと弾力があるようだ。炊く度に一部はおにぎりにして食べたが、冷めても硬くなりにくく、おいしさが保たれているように思われた。

 私は初物を追っかけるような趣味はないが、「新之助」に関しては貴重な体験が出来た。幹事に感謝である。
 わずか3合からの体験であるが、「新之助」は多分、新潟県の思惑通り、コメの新種として今後普及していくだろう、と思った。

▼現美新幹線を見た。
 上越新幹線の越後湯沢〜新潟間に4月から運行されている世界最速の芸術鑑賞「GENBI SHINKANSEN(現美新幹線)」を新潟駅で見た。新幹線で移動しながら現代アートを鑑賞するというユニークな発想でできた、ジョイフルトレインという。



 車両は旧秋田新幹線こまちを改造したもので秋田県人には親しみも感じるが、先頭車の前面は濃い藍色に塗られ、殆どの車両は窓のない構造で、その外面は綺麗なアートで満たされている。見事な変身にむしろ異様な感じも受けた。狭い駅舎から出て外を走っている姿はそれなりの見栄えがあるのではないだろうか。


(この車両は窓がある)
 「現美新幹線」は週末などを中心に、臨時列車「とき」として運転し、上越新幹線(越後湯沢〜新潟間)の各駅に停車する。
 自由席として乗車できるというので、時間があれば、と思ったが、本日は車両の外観だけで我慢せざるを得なかった。


10/15(土)曇りのち晴れ データ整理 ブラインド修理 
 0:30起床。ゆったりと週末の解放感味わう。午前は居間の冬支度でサッシ関連の修理、小屋根のブライド修理、ネコ居室掃除。午後は東部ガスの検査。その後なんとなく体調不良で本読み、その他で静かに過ごす。Blu-ray:「R・コルサコフ:シェーラザード」、「ショスタコ:交響曲5番」、「昭和偉人伝:浜口庫之助」、他。19:00夕食、20:30就寝。歩数計Σ10102歩。

新潟大学46会同級会2016(3) 行程2日目(2) 懇親会
 会場のある月岡温泉「清風苑」に私どもが到着した時には講演会が始まった直後であった。

 講演はA氏の「気の医療」、「気功の医療」と言っていいような、私どもみたいに西洋医学を学び実践している立場の者から見ると「雲を、霞をつかむ」ような内容であった。
 気功医療はまだ日本では社会的には認められていない。医療者の間でも認知されているとは言えない。2名の同級生が被験者となって実践も行われた。その効果は少なくとも私の目には有効とは思えなかった。
? A氏によると、気功は、すべての症状・治療に効果ある、とまで言っていた。
 同級の一人が真摯に学び実践している医療に対し軽々に結論を持つわけにはいかない。それを判断する知識にもかける。この領域について、私も文献的検討が必要なようである。

 約30分の講演の後、記念撮影し、懇親会に移った。
 会場となった「清風苑」は月岡温泉老舗旅館である。
 大広間に33名が一堂に会した。並べられて料理は見事であった。
 みんな嬉々として笑顔に溢れ、元気な様子であった。これが同級会のいいところである。尤も、元気でなければ出席しないだろうと思うから、まあ当然でもある。
 ここ1年間の間に物故者はいなかった。

 若干の時間をおいて出席者の近況報告があった。さすがにこの歳になると仕事そのものの話は少なく、孫の話、ゴルフの話、健康の話・・などなどと多彩であった。
 私は秋田での同級会の後に続いた自転車の転倒、腸閉塞手術、脳梗塞発症、崖からの小滑落で危なかったことなどについて述べ、何の後遺症もない今の健康状態がいかに運が良く恵まれたものであるかを話し、次の物故者の有力な候補の一人であろうと述べた。

 宴会の始まりと共に幹事のH氏から新しい品種のコメ「新之助」の新米が一人3合配られた。コシヒカリを凌駕しうる新作で、正式発売は来年からとのことであったが幹事が並んで確保したのだという。

 同級会の前にはゴルフもセットされている。出席者の多くはこれにも参加するのも楽しみにしているようであるが、私はゴルフは出来ない。出席者が一堂に介する懇親会に出てもすぐに酔って早々に中座して寝てしまう。だから、今回も席の周囲の数名と声を交わしただけである。何のために出席しているか分からないようなものである。しかし、それでも年に一回、私ども夫婦の生存報告を兼ねて同級生と挨拶を交わすだけで十分意義はあると思っている。

 二次会も用意されていたが、私は軽く酔い、かつ満腹で早々に部屋に戻り布団に入った。

 翌朝、朝食を摂りながら数名の方々と言葉を交わし、次回の再会を約して8:50新発田発の特急いなほで帰秋した。午後に秋田で家内の高校の同級会が開かれるためである。


10/14(金)快晴夕方曇り一時雨 大曲中通病院外来 飯川病院ボランティア 
 0:30起床、いつものごとし。5:00可燃ゴミ廃棄、7:30Taxi駅に、8:10こまち、9:10-12:00外来、駅病院歩行、帰路はTaxi駅に。農作業一段落か?外来は混雑。13:30-15:20飯川病院ボランティア。19:00Taxi帰宅、20:00就寝。Blu-ray:「段階スタイル:認知症チェックリスト」、「世界を変えた本:種の起源」キリスト教社会では信じない人も。「100分で名著:堕落論」。歩数計Σ10450歩、9945Km。

秋田県「さわやかほほえみあいさつ運動」 半分情けないと思うが、いい運動だ
 毎週金曜日は大曲中通病院の診療応援でいつものごとく駅に行った。改札口の前に高校生の30人ほどが列を作っており、TVカメラも取材している様子。何かの壮行会でもやっているのか?一瞬びびって集団の後方を通ろうとしたが、TVカメラが下を向いたので列の前を通った。
 その瞬間、大きな声で「おはようございます」と大きな声がかかり、小袋が渡された。
 何か分からないまま受け取り、新幹線の中で見たところ「2016さわやかほほえみあいさつ運動」というパンフレットと小さなティッシュパーパー、飴が2ケ入っていた。

 本日は「あいさつ運動」の初日で、参加団体の一つの高校生が改札口に並び、それをTV取材していたということだろう。

 パンフレットには参考になるような、なかなかいい言葉が並んでいた(一部変更した)。
―――――――――――――――――――――――
あいさつって何だろう。
漢字では挨拶と書きます。
「挨」という字は「こころを開く」こと、 
「拶」という字は「こころに近づく」こと、
「あいさつ」とは、自分のこころを開き相手のこころに近づこうとする積極的な行動です。
―――――――――――――――――――――――
広がる秋田の元気の輪
▼家族や学校、職場、地域の人、お客様など私たちは一日のうちにたくさんの人と出会います。
▼あいさつは出会って最初にかわすことば。元気なあいさつをすると、心と心がつながって元気の輪が広がります。
▼秋田県ではみなさんの生活をもっと豊かにするため、そしてみなさんの元気の輪が秋田の外にもつながっていくように「さわやかほほえみあいさつ運動」をすすめています。   ▼元気なあいさつは今すぐ始めることができます。みなさんで一緒に秋田を元気にしていきましょう!
―――――――――――――――――――――――
さわやかほほえみあいさつの3つの心
▲きづかいの心
「ありがとう」、「どうぞ」、「おつかれさま」
お互いに気持ち良く過ごせるように、感謝やねざらいの気持ちを伝えましょう。
▲おもいやりの心
「おはよう」、「よろしくね」、「お元気ですか?」
1つ1つの出会いを大切し、相手をおもう気持ちをこめてあいさつしましょう。
▲おもてなしの心
「ようこそ」、「いらっしゃい」、「ごゆっくり」
来て良かった、また来たいと思ってもらえるような接客をしましょう。
―――――――――――――――――――――――
 この運動の主催は、秋田県企画振興部地域活力創造課、参加団体は(一部しかあげられません)、国学館高等学校、秋田コアビジネスカレッジ、あきたパートナーシップ、秋田県花いっぱい運動の会、秋田銀行、秋田市・・・他である。


10/13(木)晴れ 外来 飯川病院 タイのプミポン国王死去
 0:30起床、歴史、新聞切り抜き入力・整理。録音データ整理などいつものごとし。
7:30徒歩飯川病院着。8:45-13:00中通外来。13:20-18:30飯川病院、入院患者対応。19:00帰宅・夕食、20:00就寝。本日夕にタイのプミポン国王が死去された。Blu-ray:「英雄たちの選択:足利尊氏」、「コズミックフロント:太陽系の奇妙な姿」、「ヒストリア:天空の城」、「昭和は輝いていた:吉田正」。歩数計Σ13359歩、9937Km。一昨年書斎で足温器使用開始、昨年今年は未。

タイのプミポン国王死去 来日時のN響歓迎特別演奏会が思い出される
 タイのプミポン国王が本日夕方88歳で亡くなった。

 プミポン国王は1945年に18歳で即位し、70年間にわたり国民とともに歩んだ。70年代以降、繰り返された政治的緊張の局面で自ら調停に立ち、安定を回復させる役割を果たした。
 タイは政治的に安定したことがない。1973年に起きた学生による民主化要求運動の際は、軍事政権の首相を辞めさせる形で収拾を図った。1992年に軍政が反政府運動を弾圧したときは、首相と運動指導者の双方を呼び、混乱を沈静化させた。などなど、政治的に調整役として手腕を発揮された。
 タイはいま軍政下にあり、国王の政治的影響力には陰りが見られたと言うが、国民から絶大な尊敬を集める国王が亡くなられたのは大きな喪失となるだろう。

 私はプミポン国王の多くを知らないが、芸術へ造詣が深いと言うことは注目していた。
 王はサクソフォンやトランペットを吹き、キーボードをたたき作曲もされた。自ら油絵を描き、写真にも親しむ方と聞いていた。

 国王は1963年国賓としてシリキット王妃と来日した。
 私は当時18歳でクラシック音楽に目覚め積極的に聴き込んでいた。国王の来日の際、歓迎特別演奏会が行われ、TVで中継され、私はそれを聴いた。どんな曲が演奏されたのか思い出さないが、NHK交響楽団が最初に演奏したのは国王の作品「Near Dawn」であった。徐々に立ちこめた霧や靄が日の出と共に消えていく情景を描写した曲で、ちょっとR・シュトラウスの「アルプス交響曲」の導入部に似ていたような気がしたが、私は若い軍服姿の国王の表情と共に魅了された。
 
 こんなことがあって、新聞にプミポン国王の記事が出るたびにフォローしてきた。
 タイの人々が悲嘆に暮れている、と言う。国王がどれほど深く敬愛され、頼られる存在だったかがうかがわれる。


10/12(水)曇り時折降雨 飯川病院ボランティア
 1:30起床、歴史、新聞切り抜き入力・整理。録音データ整理などいつものごとし。途中微睡、12:00フィット同乗出勤、12:30-18:10飯川病院ランティア。Blu-ray:「そこまで言って委員会:韓国、ロシア、フィリッピンは大丈夫か」、「世界のいま」観る。自宅で本日からはフリース着用。早朝書斎にストーヴ点火。歩数計Σ10408歩、9926Km。

新潟大学46会同級会2016(2) 行程2日目(1) 国営越後丘陵公園 月岡駅
 行程2日目は朝食も摂らずに上越新幹線にて長岡に移動、11:15駅のデパートにあるレストランにてタレカツどんぶりで昼食を摂った。新潟の店とは勿論別物であったが略満足した。12:15Taxiにてバラを目当てに国営越後丘陵公園に向かった。

 公園の地は国営事業の長岡近郊のニュータウン開発で大規模に開かれた山であったが、交通が不便であったことなどありほとんど売れなかった。Taxiでも30分近くかかったほどである。そのため土地の一部を国が都市公園として開発し国営公園と認定した。北陸では唯一の国営公園とのこと。
 国営公園とは私は初耳であったが全国では20け所以上あるという。さらに公園には国立公園、国民公園というのもある、という。国定公園と言うのもある。

 国営越後丘陵公園は1998年に開園し以降順次面積を拡大していて莫大な面積を持つ。公園内には「花と緑の館」、「暖の館」、休憩施設、展望台、香りをテーマにした「バラ園」などを持つ。造園公園としては私はこれほど広大な規模の公園は見たことはない。レストランに新潟タレカツの支店があった。しかし、残念なことに最早腹は一杯で余裕がなかった。今回は本場のタレカツには縁がなかった、と諦めた。

 「バラ園」は国営越後丘陵公園の中では20%ほど?を占める。私にはそう見えた。これほど大規模なバラ園は初めてである。
 各種のバラは区域で綺麗に分けられ、その間の通路も広い。それ以上に根元に雑草一つ生えていない。見事なほどの手入れである。国営公園の強みなのだろうか。私にとってはバラそのものに対する興味はほとんどない。名称などはほとんど知らない。大輪の黄色、白色、赤・・が好きである。バラ園の脇にあったコスモス畑が見事であった。

 残念ながら「バラ園」見学中もずっと雨にたたられた。雨に濡れたバラは一層美しい。

 14:30公園発の乗り合いバスにて長岡駅に向かった。
 長岡から信越線にて新津へ、さらに羽越本線にて同級会会場のある月岡温泉郷に向かった。一般的に保養地とか温泉郷は同名の駅があればそこが玄関口になっている。私どももそのように考えて月岡駅に降りたが、期待に反して無人駅で民家もほとんどなし、タクシーもなかった。
 会場である清風苑に電話して迎えに来てもらった。ドライバーの話によると、来訪者は通常は豊栄駅または新発田駅に降りる、と言うことで月岡駅を利用する人は珍しいと言う。確かにパンフのアクセスにはそう案内されていた。


10/11(火)曇りのち雨 外来 飯川病院
 0:30起床、歴史、データ整理などいつものパターンに戻る。5:00可燃ゴミ提出、7:10徒歩飯川病院。8:45-13:15外来、14:00-18:30飯川病院、患者対応。19:00帰宅、夕食、20:00就寝。就寝時若干喘息気味。Blu-ray:「この差は何?日本人の3割しか知らないこと、など」、「落語・漫才」、「旅ネコ・ロマン:#17#18」、「志らくの園芸図鑑」観る。歩数計Σ12069歩。

新潟大学46会同級会2016(1) 行程1日目 タレカツ店には入れなかった
 ここ10年数年、ほぼ皆勤状態の新潟大学46会同級会の出席記録は2003(H15)年から残している。今年は12回目の出席となる。
 実際にはその前からほぼ定期的に開催されていたらしいが、家内だけが出ていた。何回か付き添った娘の話によると、私が一緒に出席しないことで家内がかなり憤慨していると聞いたので折れて出席することにした。消極的な参加であったが、出てみればそれなりに楽しい。

 過去の開催地。
2003年 長岡市
2004年 犬山市 台風22号襲来で中止に
2005年 犬山市
2006年 新潟市 悪天候でJR遅れ10分間だけ参加
2007年 東京
2008年 新潟
2009年 会津若松
2010年 富山
2011年 新潟
2012年 秋田
2013年 (未開催)
2014年 佐渡
2015年 松島
2016年 月岡温泉郷

 最近では健康に問題を抱える我ら夫婦の生存報告を兼ねて積極的に出席している。

 今年の同級会は新潟在住のH氏が中心となり、新発田近郊の月岡温泉で開催され出席した。上記のごとく、原則的に隔年は新潟で、それ以外の時には同窓生の出身地または勤務地で持ち回りで開催している。2012年には秋田で開催した。

 私は旅行嫌いである。現役を退いてからの私の旅行は全てこの46会同級会のみとなった。そのために最近は若干の時間的余裕を作るようにしている。今回は家内の希望で長岡市の郊外にある国営丘陵公園のバラ園を見学することとし、夕食には新潟名物の一つとされるタレカツ店で摂ることとした。

 前日12:58発の特急いなほで新潟に向かった。降雨に遭遇し先の天候が思いやられた。新潟の宿泊は前々日にホテル日航新潟をなんとか確保できた。自分としては初めてネットで確保したのであるが便利なものである。空室としては最後の一室ということであった。このホテルには2003年に、開業間もなくの頃一度宿泊している。当時西日本でいちばんのノッポビルだったという。



 連休であることに加えて、歯科医療系の全国学会が開催されるために新潟市内の宿泊施設の確保は極めて困難になっていたという。この点では運が良かった。

 19:00タクシーで古町通りにあるタレカツ店に向かった。もともと繁盛している店で、数名が店の前で待っていた。タクシーから降りる直前にその人たちが店に入った。同時に店の入り口に紙が貼られた。「本日は完売にて閉店します」、とあった。ガイドブックには20:00まで営業とあったのであえて遅くしたが、期待は裏切られた。この点では運が良くなかった。
 その晩は古町通りのイタリア料理店にて摂った。それなりに満足した。


10/10(月)体育の日 快晴 帰秋 
2:00松風苑にて起床、本読みなど。何度か微睡繰り返す。3:00入浴、一人で快適なるも湯温が42度とぬるめ。最近はどこの温泉地も湯温が低く不満。私の感覚が鈍くなったのか?7:30朝食。8:30新発田駅にTaxi。8:50-12:04特急いなほで帰秋。飯川病院で散水など。13:30キャスルに家内送り帰宅。自宅の整理、文献整理。19:00夕食、20:30就寝。Blu-ray「NKHのど自慢:青森県むつ市」、「題名のない音楽会」、「国立劇場公演;フィガロの結婚」。歩数計Σ5885歩、9908Km。

四季2016(13) つるべ落とし
 明日からテニスウエア上下の半袖半ズボンでの通勤をやめる。
 10月になってから急速に陽が短くなったような気がする。朝は自宅を6時半に出るのであるが、まだ日の出前でやや薄暗い。夕は18時半過ぎに帰宅することが多い。通常は家内の車に同乗して帰るのだが、その都合が合わない時には18時40分秋田駅発のバスでこの間20分ほど徒歩になる。もう真っ暗で安全のために懐中電灯が必要である。

 それに伴い朝夕の気温は急速に寒くなった。
 つい2週間ほど前までは残暑が続いていたが、その後は「秋の太陽は、つるべを落とすかのように早く沈んでしまう」と言う表現そのままである。秋は特に夕暮れが早く感じる、そして、あっという間に冬が来る、という感じである。
 夜は一夜ごとに伸びて冬至に最も長くなる。季語としては「夜長」は秋を、冬には「日短」を用いる。

 秋の夕暮れは、清少納言が「秋は夕暮れ・・」と注目してから人々に特別の存在となった。夏の暮れほど激しくはない、冬のそれほどあっけなくない。私は晴れた日の夕景が好きだ。あかね色に染まる西方の空の美しさには表現すべき言葉が見つからない。声も出ないこともある。それが、毎日毎日異なる情景が繰り返されていく。しかし、その期間は長くは続かない。そのうちに初冬の静まりに向かっていく。

 そんな歌心が湧いてくる中、この時期は例年冬支度を本格的に進める時期でもある。
 書斎に石油ストーブ、足温器を用意。通勤も長袖に、部屋着も長袖となる。夏のウエアは洗濯するたびに少しずつ冬物に替えていく。今年は、本格的冬を迎える前に、居間のストーブをオーバーホールに出し、ガレージを含めた全屋根の塗装を済ませてしまう。
 そろそろネコたちの暖房も考えなければならない。
 そのほか、まだ時間はあるが、庭の落ち葉の掃除、ダリアの球根掘りなどなど。車の冬支度もしなければならないし、除雪機の準備も迫ってきている。

 結構忙しい季節である。こんなことを考えているうちに、また日付が変わってしまった。
 ただですら年齢とともに時間感覚が変わってきて時間が過ぎるのが早くなっている。加えて秋の時間経過は特に早いような気がする。
 「つるべ落とし」は水汲みに「つるべ」を使っていたことを知る世代にとっては、実感のある時間感覚の表現である。大切にしたい言葉の一つでもある。


10/9(日)新潟長岡月岡終日降雨 月岡温泉にて新潟大学46会同級会 
2:30ホテル日航新潟起床、新聞、医学文献、録音データチェックなど。10:00新幹線にて長岡に。11:00駅ビル内レストランにて朝食兼昼食。12:00Taxi国営越後丘陵公園に。雨中バラ園見学、広大な面積、よく手入れされたバラに驚く。14:15バス長岡に、信越線新津駅を経て17:00羽越線月岡駅着、無人駅でタクシーもなし、ホテルに迎え依頼。17:25松風苑着、即「気の医療」関連講演、よく理解できない内容であったが、こんな世界、考え方、医療もあるのか??18:00新潟大学46会同級会。一次会だけ、20:30就寝。歩数計Σ9543歩。

美術講座「若冲vs蕪村 生誕300年記念」講師:河野元昭氏(2) 与謝蕪村
 私は蕪村の絵画については不勉強にして詳細を知らない。今回の講師の話をほぼ鵜呑みにして記述すると以下のごとくである。

 与謝蕪村は若冲と同じ1716年に生を受けた。若冲と蕪村の京都の家は近かったとされるが交流があったことを実証する文献や書簡の類いは残されていない。この2大巨匠が同年に、しかも同じ地域に生まれたことは稀なる偶然と言いうる。

 講師が強調されたのは、琳派の代表的存在であった尾形光琳は同じ1716年に没している。これも偶然の一致だが、伝統的古典の時代か終わり、若冲や蕪村によって主導される浪漫主義の時代がやってきたことを表している。1716年はその転換を象徴する年にほかならない、と強調されていた。

 蕪村は「春の海 ひねもすのたり のたりかな」といった名句がある。絵画と俳諧の両分野において、このような高みに達した天才はほかにいない。

 蕪村絵画の素晴らしさは、日本の懐かしい風景を、浪漫的に描き出したことである。
 さらに、文人画の原型であった中国の風景を、日本人の叙情的感覚をもって再構成し造形化した点である。中国の画家には到達し得ない美的感覚よって、日本独自の山水画に昇華されている。それらに流れる微妙な光の感覚は蕪村独自の美質、微光感覚も、俳諧と軌を同一にするものである。



 蕪村は松尾芭蕉を尊敬し、芭蕉をまねるように、蕪村が10代の終わりに故郷の大阪を出て、江戸と北関東で異邦人として暮らした20年こそ、蕪村芸術の原点だといってもよいであろう。講師の見解であった。

    ◇  ◇
 長丁場の講演会であったが会場は静かながら熱気に包まれた。河野氏の話も流暢で澱みなく、広範かつ深い知識と経験を感じ取れた。前半の与謝蕪村では終了時間に気づかず20分も時間オーバーし慌てて終了した。聞いていた私も時間超過に気づかなかったほどである。
 若冲、蕪村とも多数の作品をスライドで提示した。私は双眼鏡持参で聴講していたが、スライドの解像力が今ひとつであったことは残念であった。


10/8(土)降雨 新潟に出発 あてにしていたタレカツ丼に振られた
 0:30起床。何時もと同様、書類・録音データ整理、新聞、医学論文などチェック。5:30微睡。午前掃除など、11;30飯川病院、12’50特急にて新潟に、17:00着、ホテル日航新潟にチェックイン。19:00とんかつ太郎に向かう、店に到着とともに眼の前で閉店。本日分終了とのこと、時間調整が裏目に出た。古町通りのレストランにて夕食。8:30ホテルに、就寝。歩数計Σ11542歩。

美術講座「若冲vs蕪村 生誕300年記念」講師:河野元昭氏(1) 伊藤若冲
 上記講演会が2016年9月25日秋田市文化会館小ホールで開催された。第一部与謝蕪村、第二部伊藤若冲で講師は河野元昭氏。河野氏は秋田県立近代美術館名誉館長を務めた美術史家。1943年生まれで東大名誉教授、京都美術工芸大学長などの要職にある。
 1時間の休憩を挟んで第一、二部合わせて10:30-15:00までの長丁場であった。

 私は伊藤若冲については関心を持ち、ずっと資料等を集めてきた。与謝蕪村に関しては俳人としては関心があったが、絵画の面では作品のいくつかを知っていたとはいえ不案内であった。

 秋田ゾンタクラブからチケットを入手した。文化会館小ホールは約390席であるが、主に高齢者で7割ほどの入りであった。どうせガラガラだろうとタカをくくっていたが、思いがけなかった。
 講師が秋田近代美術館への訪問の経験の有無を問うたところ、ほとんどの方々が挙手をした。改めて秋田県民の美術への関心の高さを知り驚いた。

 伊藤若冲は江戸絵画だけでなく日本絵画を代表する最高の画家の一人との呼び声も高い。半世紀前、若冲は二流の絵師にすぎなかった。こんな若冲に、注目したのは、1970年に出版された辻惟雄氏の「奇想の系譜」という本であった。
 同書の出版後東京国立博物館で小規模な若冲展が開催されたが、美術史学界の話題にとどまった。若冲の作品に魅了されたのはアメリカのJ・プライス氏であり、多数の作品を収集した。この優れたコレクションを中心に、いくつかの若冲展が開催され、その魅力が美術愛好家の間にも徐々に浸透していった。
 それがブレークしたのは、2000年に京都国立博物館で行われた没後200年記念の若冲展だった。さらに、本年4-5月に東京都美術館で開催された生誕300年記念の特別展は、31日間で44万6千人の観客を集めて話題となった。

 若冲の魅力とは何か。
 私もいくつかの画集を持っているが、そこには誰も発想し得ないような豊なイマジネーションを感じる。画面を隙間なく充填し、そこに示される溢れるような創造エネルギー、意表を突くテクニック、かつ、おおらかなユーモア感覚が画面全体に漂う。濃彩画と水墨画の両方にわたり、絵画芸術としての高いクオリティーに到達している。しかし、これらの特徴は、わび・さびに代表される日本的美意識と一線を画するものだった。ここに伝統を重んじる絵画の世界の中で独自の道を辿った一人の画家が生存中にはほとんど評価されなかった所以があるだろう。若冲は死を迎える前にある由緒ある寺院に作品を寄贈した。自身の作品の散逸をまぬがれ、後世の評価を期待してのことだと考えられる。卓見であった。

 若冲が画の世界で生きようと決心したのは40歳も過ぎてからのことだとされる。平均寿命を過ぎた頃から一大決心して道を極めるというその姿は、徒歩行脚のデータをまとめ上げ日本地図を完成した伊能忠敬にも見ることができるが、江戸時代の賢者の、たゆまぬ努力には頭がさがる。


10/7(金)快晴 大曲外来 飯川病院ボランティア 岩手県医療局スタッフ来訪
0:50起床、新聞その他文献チェック何時ものごとく。5:00可燃ゴミ提出。7:40Taxi駅に。8:10こまち、9:00-12:10大曲中通病院。往路徒歩。13:30飯川病院ボランティア。14:00岩手県医療局スタッフ来訪、医師の情報蒐集関連。15:00第一生命スタッフ来訪。19:15帰宅、夕食、20:30就寝。歩数計Σ11065歩、9886Km。Blu-ray、「ヒストリア:石川啄木」、「世界プリンセス物語」。

岩手県医師支援推進室スタッフ来訪 岩手の医師確保も相変わらず困難な状況らしい
 今日、岩手県医師支援室のスタッフ二人が来訪した。
 3週間ほど前に病院に書簡があり、面談希望とのことであった。岩手県医師支援室は医療局の部署と思っていたが、いただいた名刺からは医療局の文字は消えていた。岩手県の県立病院はここ10年ほど大きな変貌を遂げ、病院数は合併とか縮小で30から20に減少し、一部は診療所化している。岩手県は山岳地域が多くその間に居住区域が点在している。今はモータリゼーションの発達などで一昔前とは事情は異なっているが、この改変には行政の立場と県民の立場に大きな隔たりがあって難航したと思われるが、なんとか成し遂げられた。

 岩手県の医師事情は私のような老医師にまでも面会しなくてはならないほどまだ逼迫しているのか?と驚いた。

 私自身はいつ医師をやめるべきか考えている状況なので、今更応じて差し上げる状況にもない。一線を退いている今、提供できる情報や話題もない、とお断りしたが、それでも是非面談をとのことであった。その熱意に負けて本日午後飯川病院医局にてお会いした。
 
 7年前にも岩手県医療局のスタッフ訪問を受けた。当時は私もまだ現役であったが、来訪の用件は私への県立病院群への就職勧誘であった。当時、定年間際の老医師である私まで勧誘しなければならないほど岩手県の医療事情は逼迫していた、と言うことである。
 若いときならいざ知らず、実現性は殆どないだろうし、実際にはろくに役にも立たないだろうと話したが、先方によると、「定年間際だからこそ可能性は少しはある」、とまでも考えていたらしい。泣かせる話であった。岩手出身者だからということでの勧誘であったが、医師不足の秋田からの勧誘は最初から無理である。

 今回の来訪の目的は流石に私への直接の勧誘ではなかった。
 岩手県の医療事情の説明と秋田の事情の聴き取りであった。岩手県の明るい話題としては、岩手医大の地域枠入学者、全国にいる奨学生が県内に定着する可能性が出てきたことなどが挙げられるという。ただ、来年度からの専門医制度がどのような影響を持つか不明とのことであった。
 私から役立つ話ができたのか、自信はない。


10/6(木)曇りのち晴れ 外来 飯川病院 
 0:30起床。文献・新聞他。5:00資源ゴミ提出。降雨?バス7:10飯川病院、8:45-13:30外来、13:45飯川病院、14:00-18:25勤務。19:10帰宅、19:00夕食、20:00就寝。Blu-ray:「アナザーストーリーズ:9.11同時多発テロ」、「昭和偉人伝:山崎豊子」。歩数計Σ8924歩、9878Km。

ノーベル賞医学生理学部門 大隅名誉教授が受賞 スタチンの遠藤博士は一層遠くに
 今年のノーベル医学生理学賞に東工大大隅名誉教授(71)が授賞した。ほかの研究者が見向きもしなかった細胞内の「液胞」を追究し、生命現象の根源的機能を解き明かした。細胞内のたんぱく質の分解やリサイクルに重要なオートファジーの仕組みの解明に貢献した。氏はその後、電子顕微鏡でオートファジーが起こる過程を目に見える形で記録することに世界で初めて成功した。さらに、人工的に遺伝子変異を起こした酵母を5千種類調べ、オートファジーに必要な遺伝子を次々発見した。これらの遺伝子の多くは哺乳類にもあり、オートファジーは様々な生物に共通する生命現象を司る現象であることを突き止めた。

 私はまだ大隅氏の業績を理解できていないが、新陳代謝過程を考える点で参考になりそうである。

 医学生理学賞は、生命科学の基礎的な研究から、治療や劇薬、検査機器などに実用化された業績まで幅広く送られる。
 この分野における今年の候補者として、大きく期待されていたのは、免疫でがん治す研究を切り開き、全く新しい機序によるがん治療薬「オプジーボ」を開発した本庶京都大名誉授、ほかにも「制御性T細胞」を発見した坂口大阪大特任教授も注目されていた。坂口氏と大隅氏はカナダのガードナー国際賞を受賞し、共に高く評価されていた。

 ノーベル賞の登竜門とされる米ラスカー賞の受賞者は毎年ノーベル賞候補にあげられる。受賞者には、細胞内の異常なたんぱく質の蓄積を検知して修復する小胞体の機能を解明した森京都大教授、コレステロール値を下げる物質「スタチン」を見つけた秋田県出身の遠藤章東京晨工大特別名誉教授がいる。

 スタチンの遠藤博士、今年もノーベル賞の受賞ならなかった。実に残念である。
 私はそれ以降、今日に至る迄ノーベル賞の医学・生理学賞が発表される時期になると遠藤氏が受賞することを期待していた。
 2012年はiPS細胞の京都大学の山中教授が受賞した。これ以降、受賞対象者は細胞生理の動的な研究にシフトしているような気がしてならない。遠藤氏の業績はとてつもなく大きいが、最近の受賞者の研究に比較すれば静的な研究に感じられる。今年も残念なことであった。

 遠藤氏の前に突然ダークホースが現れてきている、と思う。それだけ日本の知能が優れているということである。遠藤氏が今後もご健勝であるよう、願っている。そうであれば可能性は残っている、と思う。


10/5(水)曇り、夕方小雨 飯川病院ボランティア 
 1:00起床。読書、録音データ整理と処理、新聞データ化、データ分類など。歴史関連本読み。11:30バス飯川病院着-18:45飯川病院ボランティア、院長外出のため。19:00車帰宅、夕食、20:00就寝。歩数計Σ12972歩、9867Km。。Blu-ray:「久米書店:世界最強の女帝メルケル」「コズミックフロント:太陽フレア」、「知恵泉:宝塚歌劇団」。歩数計Σ5163歩、9871Km。

秋田市版ネウボラとは何?? 秋田市は横文字好きだね
 秋田市でまたカタカナ語を用いた事業を始めた。「秋田市版ネウボラ」というらしい。10月及び今月の広報誌に載っていた。
 調べて見ると、ネウボラ(neuvola)とは、「相談する場」を指すフィンランド語。フィンランドでは妊娠、出産から就学前までの育児を切れ目なく継続的に支援する。1920年代より民間の活動で開設され、1944年には制度化されて自治体に設置が義務づけられた。
日本の自治体でも、三重県名張市、埼玉県和光市などがネウボラを参考にした子育て支援制度を導入している。

 何だそんなことか。また変な名前を導入してきたものだ。「秋田版妊娠・出産・育児支援事業」ではダメか??秋田市は横文字がおすきらしい。

 「秋田市版ネウボラ」では母子保健コーディネーター(助産師)が中心となり、来所、電話、訪問などにより各種の相談に応じるという。その機能、役割自体は少子化、人間関係の希薄化の中で歓迎すべきことだと思う。「秋田版妊娠・出産・育児支援事業」の名称ではできないのか?機能を示していて良いじゃないか?

市広報によると、以下の記述がある(一部改変)。
◆妊娠届も「秋田市版ネウボラ」ヘ
 「秋田市版ネウボラ」では妊娠の届け出をした際に面接を行い、疑問や質問、困りことがないかを伺うほか、妊娠・出産に向けたさまざまな情報提供やサービス紹介を行います。
◆妊娠のお祝いにプチギフト
 妊娠届を提出し、面接した方には、祝いのプチギフトを差し上げます。

 ここでも「プチギフト」が出てきた。「粗品」ではダメか??内容が予測できて良いじゃないか?

 厚生労働省は妊娠・出産・子育ての切れ目のない支援を行う包括的な窓口を、2015年度中に全国150か所に設置する方針だという。

 秋田市は世界一の高齢県、高齢地域である。エイジフレンドリーシティと謳っている。これも「高齢者に優しい市」で良いと思うが、難しい言葉を用いることは、私も含む高齢者に優しくない。覚えられないのではないか?
 尤も、私は「秋田市版ネウボラ」について考えていて、すっかり覚えてしまったが。


10/4(火)曇り降雨・晴れ 外来 飯川病院
 1:10起床、新聞・文献チェック、電子化、徒然など。5:10家庭ゴミ出し。7:10バス飯川病院着、8:45-13:40中通病院外来、混雑、疲弊。14:00-18:30飯川病院、17:15レセプトチェック終了。19:00帰宅、夕食、20:30就寝。Blu-ray:「モーガン・フリーマン:運命か自由意志か」、「NHKsp:華族150年の旅路」。歩数計Σ12972歩、9867Km。

「こちら葛飾区亀有公園前派出所」終了(2) 40年続いた背景は?
 「こち亀」が40年続いた背景は何か?読者の一人である私も40年間にわたって楽しんできた。前の記述と重複するが私の印象を思いつくまま上げてみた。

▼主人公が人情味たっぷり。悪知恵に長け、一見ダメ人間のようだがそうではない。特に幼少期のエピソードはいたずら心たっぷり、人情味たっぷり。離任する担任の先生を見送るために煙突に登って旗を振った場面は泣かせた。
▼古き良き下町の情景に暖かさを感じた。
▼主人公はギャンブルやゲーム、プラモデルなど、幅広い趣味を持つ型破り・破天荒なキャラクター。私にかけているてんだが、羨ましく思う。
▼常に貧乏との戦いで一攫千金を求める。その発想が万人向け。
▼適当にエッチでもある。
▼警察官という別世界が舞台となっていて警察の組織や内情も語られる。
▼体力・筋力にかけては絶対的自信がある。極限まで頑張る姿に共感。
▼主人公の顔の表情は心の中を反映して実に多彩、見る者を飽きさせない。それでいて絵がうるさくない。
▼後輩のうち二人は超リッチな美男美女、比較できないほどの格差があるのだが、気にしないで対等に扱う。時にはその経済力をちゃっかり利用する。
▼上司は真面目一徹。その他にもダメ同僚、バイク狂いの白バイ乗り、天国の魔法使い、大学教授、ハイテク小学生などの多彩なキャラクターを自在に登場させる。だから、話題性に事欠かない。このことが発想を自由奔放にさせ、話題を次々に変えていくことで長期連載を可能にしていた。
▼多くの話題は失敗の連続である。警察や世の中に与えた損害は計り知れない。されど罪に問われることはない。これが漫画の醍醐味である。
▼40年間にわたって当世風の話題を積極的に取り上げている。IT、携帯電話、GPS、パソコンなどが頻回に登場するが、その記述はわかりやすい。日本の風俗を伝える史料にもなっている。
▼子どもも大人も楽しめる、広い話題を適宜提供し続けてきた、ことにあると思う。子供達に夢を与える情報漫画でもあった。いま何度目かの通読しているが、読むたびに引き込まれる。
▼ドタバタもメロドラマ調のも、人情ものも、時代の先端を行く話もある。作者の感性、知識は非常に幅が広い、と思う。ここが共感を呼ぶのではないか。
▼手抜きの雰囲気は見られない、マンネリにも陥っていない。
▼十分なスタッフを抱えていると推定されるが、40年間も休まずに連載を続けてきた作者の発想力、マンガの技能には驚異的であり、頭がさがる。継続は力なり、を地で行っている。私も見習わねばならない。
▼健康維持にも相当の留意を払ってきたのであろう。
▼私にとって刺激的な漫画であった。「こち亀」の主人公には反発よりも共感を感じた。どんな分野をとりあげても主張には一家言あると感じた。決してあやふやではない。生きる姿勢について教わったことも少なくない。

 作者の秋本治さん、ありがとうございました。これが私の気持ちです。


10/3(月)時折降雨・時に激しい  健康クリニック 飯川病院 
 0:50起床。いつもの如く。7:20徒歩飯川病院着、途中で小雨で濡れる。9:00-11:00健康クリニックドック業務。飯川病院へ。院長外出のため。新聞チェック、歴史本など。14:00-18:30勤務、17:15レセプトチェック。19:00帰宅、夕食、20:00就寝。Blu-ray:「モディリアーニとその恋人」、「体の秘密:ダイエットを科学する」、「コズミックフロント:ダークエネルギー」。「ガイア:日本製再起」、歩数計Σ12381歩、9856Km。

「こちら葛飾区亀有公園前派出所」終了(1) 残念!!!に尽きるが、40年ご苦労様
 9月4日の新聞を見てびっくりした。私の愛読マンガのひとつ、「こち亀」の作者が前日突然「こち亀」の連載終了を発表した、とあった。時代の流れか?と思う一方、とても寂しく思う。

 「週刊少年ジャンプ」で1976年から連載してきた漫画、通称「こち亀」、正式名称「こちら葛飾区亀有公園前派出所」が本年9月17日発売の同誌で約40年間にわたる連載を終了する、というもの。コミックスの第200巻も発売し、これが最終巻となった。

 「こち亀」は、東京の下町の派出所に勤務する人情味たっぷりの警察官両津勘吉を主人公にしたギャグ漫画。主人公はギャンブルやゲーム、プラモデルなど、幅広い趣味を持つ型破り・破天荒なキャラクターで、常に貧乏との戦いで一攫千金を求める。適当にエッチでもある。情にもろい一方、体力・筋力にかけては絶対的自信がある。頭は・・、決して悪くはない。悪知恵にかけては超天才である。主人公の顔の表情は心の中を反映して実に多彩、たるんだ表情から真面目な顔、怒り狂った時の顔、見る者を飽きさせない。

 一方、一緒に働く後輩のうち二人は超リッチな美男美女、比較できないほどの格差があるのだが、主人公は気にしないで対等に扱う。時にはその経済力をちゃっかり利用する。上司は真面目一徹、とても厳しい存在で常に目の上のたんこぶ。その他にもダメ同僚、バイク狂いの白バイ乗り、天国の魔法使い、大学教授などの多彩なキャラクターを自在に登場させる。だから、話題性に事欠かない。私の大好きなマンガのひとつである。

 集英社の談話によると、この40年間一度も休載になったことはなかった、という。コミックスは累計で1億5千万部を売り上げた。「こち亀」はギネス世界記録の「最も発行巻数が多い単一シリーズ本」(200巻)に認定された。喜ばしいことである。作者の耐えなる努力にバンザイである。
 考えてみれば、「こち亀」の掲載誌は週刊誌である。月刊誌とは違う。一つの話題を発想し、育て、マンガという形に完成させるにはあまりにも時間が少ないはずである。しかし手抜きの後は見られない、マンネリにも陥っていない。十分なスタッフを抱えていると推定されるが、40年間も休まずに連載を続けてきた作者の発想力、マンガの技能には驚異的であり、頭がさがる。健康維持にも相当の留意を払ってきたのであろう。

 少年漫画誌は売れ行きで人気を測られる浮き沈みの激しい業界とされる。
 そんな中、なぜ、「こち亀」は40年も続いたのか。子どもも大人も楽しめる、広い話題を適宜提供し続けてきた、ことにあると思う。

 私は一度も週刊誌を購入したことはない。週刊漫画も同様である。我が家の子供達がコミックスを収集していた。私はそれを引っ張り出して適宜楽しんでいたが、3年ほど前に手持ちのコミックス113巻を我が家で電子化した。自室のコンピュータのディスプレイで読むことができ、かつiPad mini にも収録しているからいつでも呼び出して見ることができる。診療の合間に、大曲診療応援の新幹線名護のちょっとした時間を利用して読み続けている。いま100巻目に差し掛かったところである。もう40年近く楽しんできたのであるが、読み返してもその度に楽しめる。古さを感じられない。いやそれ以上に時代の流れを味わい直すことができる。これも楽しみの一つである。


10/2(日)晴れ 冬支度
 0:30起床。まだ鼻水頻回。新聞チェック、電子化。文庫本自炊など、いつものごとし。読書、歴史本など。午前は家中の片付け。NHKのど自慢。午後は畑の最終仕舞い作業。庭の整理、プランター廃棄。夕方からは書斎でBlu-ray:「NHK名曲:森麻季」、「大阪フィル演奏会:エロイカほか」、「アナザーストーリーズ:ハドソンの奇跡」再視、「らららクラ:アルビノーニ?アダージョ」。途中iPhone7Plus予約。19:00夕食、20:00就寝。本日腰にバスタオル、机下ヒーター初使用。昨年書斎の石油ヒーター初点火。歩数計Σ13519歩、9846Km。

実名匿名報道(2) メディア側には高邁な考え方があるようだが期が熟していない
 一般的に犯罪被害者側の取材に対する拒絶反応は極めて強い。被害者の気持ちを察しない過剰取材や興味本位と思われる記述が目立つからである。
 
 今回の事件の匿名公表はこれだけの重大事件では極めて異例のことである。実名が報道されれば、被害者の身内はさらに大きな痛手を受ける。記者たちは亡くなった方の遺族をさがしたが、手掛かりはほとんどなかった、と言う。姿を隠している?? これも、現実である。
 これが障害者への偏見が根強い日本社会の現実である。

 メディア関係者は、国民の知る権利に応えようとしているが、警察権力による妨害は、憲法で保障された報道の自由を侵害するもの、と主張している。メディア側は「報道の自由」、「国民の知る権利」について頻繁に記述するが、「報道の自由」はわかるような気がするが「国民の知る権利」とは一体なんなのだ?と思う。どこかにきちんと記述されているのだろうか?私は不勉強にして知らない。
 
 最近は種々の事件において被害者などのの情報がメディアに頻繁に登場する。
 例えば、今年1月15日スキーツアーの大型バス事故で乗客乗員15人が死亡、4月の熊本地震の犠牲者の方々は50人に達した。被災された方々にはご冥福を祈るしかないが、NHK TVニュースでも、新聞紙上でも個々人について詳報、詳述している。私はその犠牲になった方々についての詳細は知りたくもない。もちろん実名である事の意味も私にはない。時間も、紙面も無駄である。こんなのが「国民の知る権利」に対する対応なのか??

 2005年に閣議決定された「犯罪被害者等基本計画」で、実名を発表するかどうかを警察が個々の事件で判断することになった。日本新聞協会などが、こうした方針を容認できない、とする共同声明を発表しているが、見直しの動きはない。

 ネツト上でプライバシーが暴かれることへの不安から、当事者が名前を伏せてほしいと希望するのも特別なことではなくなってきた。個人のプライバシーを個人の立場で暴くことは犯罪行為ではないのだろうか。この件に関しては何か決まりはないのだろうか??ただ、それがあったとしても効果はどれほど期待できないだろうが、歯止めとなる取り決めがあれば被害者の方から権利を主張できる余地が生まれる。

 メディアの方々は、取材に批判があるのも承知している、と言う。
 しかし、被害者に障害があろうとなかろうと、その人にはその人だけの人生があるはず、こう言う思いを社会で共有したい。そこに取材し報道する目的と理由がある。匿名とすることで、一人の人間・人格として尊重されない社会を容認し、差別意識の固定化あるいは助長につながってしまう。書いて、報道して、被害者の人権を守りたい、と某ジャーナリストが述べていた。実に高邁な考えである。

 この事件の匿名報道をめぐり、意見は二分している。私は、どちらの意見も正しいと思う。ただ言えることは実名報道を当然とするには期が熟していないと思う。時間をかけて実名報道できる環境を整えるべきと考えている。

 日本の障害者に対する取り組みは前進している。今年4月には「障害者差別解消法」が施行された。障害者が社会で活動しやすいようにしようと制定されたのがこの法律であるが、この法自体が障害者の差別が依然として存在していることを逆に示している。


10/1(土)晴れ 風邪気味  
 0:00起床。文献チェック他。何時ものごとし。風邪か、鼻汁・くしゃみ頻。テュッシュ一箱以上。週末の大切な時間、安静と冬支度、書斎の整理、衣類廃棄などで過ごす。Blu-ray:「NHKのど自慢:日南市」、「読響:ユーフォニウム特集」、「ナチス:ヒトラー著書解禁」。19:00夕食、20:00就寝。歩数計Σ6993歩、9835Km。

実名匿名報道(1) 相模原知的障害者施設殺傷事件 犠牲者死亡者名非公表
 相模原市の知的障害者施設で起きた悲惨な殺傷事件では、死亡した19人全員の氏名が公表されなかった。その判断は早かった。私は神奈川県警はいい判断した、と思う。しかし、メディア関係者、識者達は異常事態だとの意見を発信している。
 
 匿名発表はプライバシー保護を求める遺族の意向を反映させた措置という。遺族から匿名を希望する声か上ったが反対意見はなく、神奈川県警はその夜遅く、「S男さん43歳」と性別、年齢で表記した「死亡者名」を公表した。
 この発表の後、報道各社は抗議したが、県警担当者は家族の希望を挙げ「プライバシー保護の必要性が極めて高い」と説明、聞き入れなかった。

 「障害者を特別扱いするのは、容疑者と同じ発想の差別ではないか」との批判も続いている。実名報道を原則とするメディアにも重い課題が突き付けられている。 

 報道で国民の知る権利に応えるため、被害者の発表は原則実名でなければならない、とされている。
 報道機関は被害者への配慮を優先して、実名か匿名かを自律的に判断する。犯罪の事実に迫り、情報の加工などがないかチェックするための取材には被害者名の公表が極めて重要となる。
 実名で報道するかどうかはメディアが判断し、その結果にも責任を持つのが原則、と一般的にされている。殺人事件でも性被害など特別な事情がある場合、被害者名を伏せて報道するケースもある。

 被害者名を実名で発表するか、匿名にするかを警察が判断することは容認できない、と報道各社は県警に操り返し公表を迫ったが対応は変わらず、異常事態(??)はそのまま現在まで続いている。

 県警の判断に異議を唱える意見は少なくない。
 「死後も差別続いている」、日本障害者協議会の声明もある。
 
 匿名は遺族の希望である。遺族は障害者に対する社会の偏見を強く感じているからである。犯人は障害者に対し強い差別感を抱いていた。犯人は別として、一般人は障害者に差別感はないのだろうか。マスコミやメディアはどうなんだろうか。私は「健康人は、障害者を理解できない病人である」、と思っている。綺麗事はなんとでもいえる。

 遺族が障害者に対する社会の偏見を肌で感じている。この事件に際してマスコミやメディアが興味本位に扱わないか??プライバシーに土足で踏み込むようなことをしないか??過剰取材が行われないか??今までのメディアの姿から被害者家族は疑心暗鬼にならざるを得ない。今回遺族が匿名発表を希望したのは、メディア自体が信用されていないからだ、と思わないのだろうか。

 マスコミ、メディア側は、国民には知る権利がある、知りたいという欲求にできるだけ対応するのが務めである、というがそんな良識的姿勢を信じている人はいるのだろうか?

 「身障者を特別扱いすることが差別を助長する」という批判、意見はうまい表現していると思うが、私はこの言葉をそのまま述べた人に返したい。

 匿名報道を批判する人はまず障害者差別をなくするように活動すべきである。


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   年を通じてワンパターンで淡々とした毎日です。AM2:00-5:00にメールチェック・返事送付、人間ドック(HDD)判定・報告書作成、新聞切り抜き、病院・医師会業務など。
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