徒然日記
2016年9月分

 日記と言うより、自分の行動記録からの抜粋と日々の雑感です。

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9/30(金)晴れ 大曲中通病院外来  飯川病院ボランティア
 0:30起床、いつもの如く。まだ風邪気味。5:00可燃ゴミ提出。7:30Taxi駅に。8:10こまち、徒歩病院、9:00-12:00大曲中通病院外来。駅までTaxi。13:45飯川病院ボランティア。19:10Taxi帰宅、夕食。21:00就寝。

ハドソン川の奇跡(2) 映画版
 9/28 (水)午前フリーの時間を利用して秋田市の映画館「ルミエール」で封切られた映画版「ハドソン川の奇跡」を見た。

 この作品は名監督C・イーストウッド、主演が名優トムハンクスによる実話映画。
 原作はC・サレンバーガー元機長の「機長、究極の決断」。機長はキャリア42年のベテラン。?

 事故は2009年1月15日離陸直後に生じた。鳥がエンジンに飛び込み両方のエンジンが停止、このままでは155人の乗客乗員の命はおろか、70トンの機体がNY市内に落ちるかもしれない緊迫の事態。墜落までのリミットは約4分、機長は独自の判断でハドソン川に不時着を決意。機長の卓越した操縦で機体は大破することなく着水した。
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 事故当時ハドソン川は氷点下6度、水温2度と記録されているなか、機長、USエアウェイス”の乗組員たちは冷静に脱出活動にあたった。?最悪の事故になる、と思われた出来事が、最高の奇跡に変わった。機長は「訓練してきたことをやっただけ。自慢も感動もない」、と淡々と述べた。
?
 特に事故発生から不時着水までの数分間のコックピットの様子は手に汗にぎるシーンの数々、着水後しぶきを上げてハドソン川を進むCGによる再現映像は、実に見応えがあった。

 救助が始まってから4分、フェリーが続々と集まってきた。この救助の様子はNHKドキュメント・アナザーストーリーズ版「ハドソン川の奇跡」に詳しく紹介されている。 

 事故から5日後、オバマ大統領の就任式に機長が招かれ、さらに、機長とそのクルーはオバマ大統領の議会初演説に呼ばれ、アメリカの英雄として紹介された。当時アメリカは新しい「ヒーロー」が求められていた。

 映画では、事故後、機長と副操縦士の二人は操作当局から殺人罪の容疑をかけられ査問を受けることになった。その経過が詳細に描かれる。左エンジンは推力を失っていなかったため、近隣の空港に着陸出来た可能性もあったという。ここがアメリカの不思議な文化である。誰も死んでいないのになんで殺人罪か?せいぜい器物破損事故でないのか?その可能性に頼っていたら9.11の再現となっていた可能性の方が高い。
 その結果が出るまでの機長、副操縦士の苦悩もこの映画では詳細に描かれている。

 C・サレンバーガー機長(59)は、2010年3月3日、42年にわたる現役パイロットとしての乗務を終えた。全米はもとより世界から惜しむ声が多い中での花道となったが、その潔さも注目に値する。


9/29(木)小雨模様 外来 飯川病院
 0:30起床、新聞、医学文献他読む。徒然。7:10バス飯川病院着。8:45-12:45外来。13:20飯川病院。講演資料終了。Blu-ray:「そこまで委員会:領土問題」、「世界の今:」視聴。19:15帰宅、夕食、20:00就眠。歩数計Σ9820Km、9744歩。

ハドソン川の奇跡(1) NHKドキュメント・アナザーストーリーズ版
 2016/9/7放送のNHK BSプレミアム、アナザーストーリーズは、2009年1月15日午後に大都会NYの真上でほぼ満席の旅客機に鳥が当たって両エンジン停止という稀有な事態に陥った航空機事故を取り上げた。
 通常ならば大惨事になっていたケースであるが、飛行機はハドソン川に見事に着水し、乗客乗員155人全員が無事救出された。

 私も当時、航空機事故に関心を持っており、いろいろ調べていたのでこの着水事件は本当に「奇跡」だと思った。高速で運行されるジェット航空機が無事着水した例は殆どないからである。しかも、一人の犠牲者も出していなかった。
 わたしはその後は詳細を知る機会がなかったのでこの放送を心待ちにしていた。
 
 番組は、事故の発生から全員救出までの一部始終を、パイロットと管制官とのやりとりの記録音声や市民などが捉えた映像、乗客や救出に関わった関係者のインタビューでたどっている。

 1月15日午後、NYラガーディア空港発シャーロット行きのUSエアウェイズ1549便は離陸後95秒に両翼のエンジンに鳥が当たって両エンジンが停止した。155人を乗せた66トンの機体は、上空840mから毎秒5mの速さで降下した。空港へ戻ることは不可能で、大惨事になることが頭をよぎったが、機長は惨事を回避する唯一の可能性としてハドソン川への着水を決心した。これは殆ど成功例のない危険な試みだった。通信していた管制官は機長の意図を理解できなかった。
 機は着水に成功、その瞬間の映像は沿岸の倉庫の監視カメラによって捉えられた。

 乗客は一瞬歓喜するが、すぐに次の危機に直面した。機体が沈み始めた。乗客は翼の上に逃れたが、水温は2℃と厳しい状況であった。幸いに機の近くにハドソン川横断のフェリーが何隻かいた。最初のフェリーが到着したのは着水後4分であったが、流れのある川の真ん中で乗客の救出には困難を極めた。しかし、全員が救出された。最後にフェリーに助け上げられたのは機長だった。

 着水成功はまさに奇跡だった。機の最も安全な接水時の角度は11度の機首上げとされていたが、推力もなくほとんどコントロールが効かない機を機長は着水数秒前にこの角度にコントロールし得た。

 この番組では操縦室、客室の様子もインタビューとして紹介されたが、この版での中心はフェリーや民間船舶の迅速な救出作業に置かれている。機長の見事な決断と卓越した操縦技能は重要であったが、その後の迅速な救出作業が功を奏していなければ犠牲者ゼロは成し遂げられなかった。

 機長は世界で最も知られる機長となった。その技能は絶賛されなければならないが、救出に当たったフェリーのクルー、NY警察の救出行動に視点を当てたまとめは大事である。

 このドキュメントの中で近日公開される予定の映画の一部が紹介された。
 秋田では9月26日からTOHOシネマズで公開されることになっており、これにも期待した。


9/28 (水) 降雨 午前フリー 飯川病院ボランティア 映画「ハドソンの奇跡」
 0:30起床,新聞、文献、徒然などゆったり過ごす。不明の腹痛続く。9:30損保会社スタッフ来訪、雨樋評価。11:00バスにて駅。11:30-13:30ルミエールで映画「ハドソンの奇跡」。13:45-18:30飯川病院、外来・入院患者家族対応。Blu-ray:「この差は何?:餃子など」、「林修:江戸時代」、「久米書店:願望失認」、「サイエンスゼロ:記憶」。19:00帰宅・夕食。20:45就寝。歩数計Σ9890Km、12414歩。一昨年は足温電気あんか使用開始。昨年はまだOK。今年は夜間着衣不要状態。

JR運転士が電車から放尿(3) 運転士を処分しないでほしい
 JR佐倉駅で停車中の電車から男性運転士が線路に放尿した。
 朝日、毎日をはじめ主要な新聞が取り上げ、インターネット上では容認、容認できないなどと様々な声が飛び交っている。私はちょっと過剰反応だと想う。

 JR東日本千葉支社は取材に対して「モラルに欠ける行為で指導が必要」、「お客様に不信感や不安を与えてしまい深くおわび」、「信頼回復に向けて取り組むとともに、2度と同じことがないよう社員指導を徹底・・」などとコメントし、「さらに原因などの聞き取りを続け、運転士の処分を決める」とし、「運転士を乗務から外した」、という。

 一連の状況は関係者の過剰反応ではないだろうか。私の感想である。
 TVニュースや新聞報道を何でこんなことを大げさに報道するのだろう、この報道自体が過剰反応でないか、と思う。何かと読者の感情を喚起するような表現を用いる今のメディアの責任はとても大きいと言いたい。一般にメディアが介在するとボヤが大火に等しい表現になってしまう。

 例として、日経新聞電子版の見出し、「モレル、モレルでモラル崩壊」は新聞社の良識を疑いたくなる。自ら体験できない、したこともない立場で、困った状況を迎えた勤勉な(?)労働者を愚弄する表現だと想う。もしこれを書いた記者が元JRの運転士で排尿欲求を他の方法で凌いだ経験がある方だったら私は記者に陳謝せざるを得ないが、その可能性はゼロに等しいだろう。

 ネット社会ではメディアの報道などに、強烈な感情反応を示す、私から見て病的と思える人たちがツイッターで投稿し、次々とリツイートし、あたかもそれが世論であるような様相を呈してくる。一方、企業側ではそれがたとえ理不尽なクレームであっても放置できず対応せざるを得なくなる。

 要するに、小さな事象に「過剰反応」したメディアに「過剰反応」しやすい性格の個人が「過剰反応」し、攻撃対象となった企業等が自らを守るために「過剰に反応」し、正当な反論ができる状況であってもそれをせず、「過剰に陳謝に走る」のが現状である。日本にはクレームがあった時にまず謝ることでバランスを取ろうとする文化が存在する。だから安易に謝り、クレーマーは謝りの言葉が出るまでしつこく追及してくる。この安易に謝ることをどこかでブロックしなければネット炎上という結果になる。

 だから、JR東日本千葉支社の「運転士の処分」の話まで含めた返答は至極常識的である。私はそれが不満である。「これを機に再発防止策を講じたい」だけで良かったのだ。
 次善の方法をとり運行を守ろうとした運転士の「処分」をしないでほしい。キャリアに傷を残し、歴史に名を残してしまう。
 かつて「全身膀胱人間」であった私からの希望である。


9/27 (火) 曇り・夕方から降雨 外来 飯川病院
 1:00起床,新聞、文献、徒然などゆったり過ごす。5:00可燃ごみ提出、7:20徒歩飯川病院。8:45-13:00外来。14:00-18:00飯川病院、Blu-ray視聴:「ガイア;新たなリサイクル」、「団塊スタイル:日本の味覚」、「池上:資本主義と自由」、「池上:ニュース関連」、「受けたい授業:クマ博士」、「バクモン:豪華列車」。19:10帰宅・夕食。20:45就寝。歩数計Σ9802Km、13877歩。

JR運転士が電車から放尿(2) 私はかつて全身膀胱人間であった
 JR佐倉駅で停車中の電車から男性運転士が線路に放尿…に関して私の感想。

 運転士はどうすればよかったのか?
 いろんな可能性のある方法のうちで線路への放尿はベストではなかっただろうが、次善の方法だった、と思う。
 これはそんなに大騒ぎするほどのことなのか?
 この件もそうなのであるが、社会全体に寛容さが無くなってる、と思う。

 対策として、どんなマニュアルを作っても生理現象を抑制することはできない。電車の運転室といえ、時には外に出ることができない準閉鎖空間になりうる。だからこんな時のために携帯トイレを装備しておくのがいいと思う。個人的に携帯してもいいだろう。

 我慢できない尿意ものとでは人は判断力を失い、電車の運転操作などまともには出来ない、と思う。そんな状態に陥るより万難を排して排尿すべきである。だから、間違っていない。

 ちなみに、航空自衛隊の戦闘機、零戦、セスナ機等の小型機にはトイレはない。昨年から販売されたホンダの小型ジェット機は座席数7-8席で、トイレ設備があるのも売りの一つとなっている。
 パイロットは正式な装備オムツを使用し、何とか排尿をコントロールしている。

 ? 私は2007年膀胱頸部硬化症の手術を受けた。
 私が排尿障害を自覚したのは中学生の頃だった。その後、約40年排尿に関しては常に悩んでいたが、徐々に悪化、尿線は細く、排尿に時間がかかり、頻尿にもなった。残尿量も増えたために、自ら限界と判断し泌尿器科医師に相談、手術を受けたものである。
 術後は排尿に関しては夢のような爽快感を得た。それが現在も変わらず順調である。
 そんなことから、私の術前までの生活は常に排尿を意識し、時間調整、排尿場所の確保は毎日の課題であった。さいわい、粗相をした経験はないが、間一髪で凌いだことは何度もあった。そんな時は、頭の中から、指先までも膀胱になったような「全身膀胱人間」的状況であり、血圧は上昇、頻拍にもなり、気はそぞろ、細かな判断力を失った。ポケベル、携帯、スマフォを自分で鳴らし、排尿に行ったことも少なくない。

 こんな私だから、排尿でき難い状況に身を置くことは恐怖を伴ったし、そのような事故が報じられると排尿などどうしたのか、とすごく心配になる。
 ゴンドラの宙吊り事故、エレベーター内での閉じ込め、人質事件などなどの際、被害にあった方々は排尿をどうしたのか??不遜であるが、そのことが私の第一の関心ごととなる。

 JR運転士が電車から放尿した件、私にとっては他人事と思えない。


9/26(月)晴れ 健康クリニックドック 飯川病院
0:30起床、今年は早朝・夜間まだ着衣なしで過ごせる。朝方から不明の上腹部痛、軽減するも午後まで。文献、新聞他。7:20徒歩飯川病院、9:00-11:00健康クリニックドック。11:10飯川病院に、微睡、14:00−19:00勤務。Blu-ray視聴:「そこまで委員会:生前退位ほか」、「世界はいま」観る。19:20帰宅、近隣の焼肉店で夕食、21:00帰宅、21:30就寝。歩数計Σ9791Km、11904歩。

JR運転士が電車から放尿(1) モレル〜でモラル崩壊(日経新聞電子版)
 JR東日本千葉支社の50代の男性運転士が電車乗務中に車外に向けて放尿をしていた。千葉支社はモラルに欠く行為で指導が必要として、運転士を乗務から外した。
 一連の状況は関係者の過剰反応ではないだろうか。私の感想である。

 報道によると、男性運転士は電車を停車させた際、ホームと反対側の運転席のドアを開け、線路に放尿した。駅の敷地外にいた通行人が目撃し通報した。
 運転士は乗務歴20年以上のベテラン。過去にも数回やった、と話している。
 電車は運転室に簡易トイレはなく、千葉支社は用を足す必要があれば、輸送指令室に連絡した上で車内やホームのトイレを使うよう指導している。放尿時は平日の夕方で、車内は通学客で混んでいたとみられ、運転士は車内に入ることを遠慮した可能性もある。
 これ以降、同運転士は業務には戻っていない。今後、支社がさらに原因などの聞き取りを続け、運転士の処分を決めるという。 JR東日本千葉支社は取材に対して「モラルに欠ける行為で指導が必要」、「お客様に不信感や不安を与えてしまい深くおわび」、「信頼回復に向けて取り組むとともに、2度と同じことがないよう社員指導を徹底・・」などとコメントした。

 この放尿騒動についてインターネット上では容認、容認できない行為などと様々な声が見られた。

 この報道内容が正しいとすれば、私の立場からこの新聞報道に対して持った感想は以下の如くである。
▼列車の運転士が乗務中に排尿が我慢できず停車中にドアから放尿したことはそれほど責められるべきなのか。
▼駅の敷地外にいた通行人が目撃し駅に通報、は正しい判断であった。直接ネット上に批判的に投稿しなかったのは評価できる。
▼千葉支社は排尿等の必要があれば、輸送指令室に連絡した上で車内やホームのトイレを使うよう指導している、というが、指導があればすべて解決できるのか。簡易トイレなどの配慮はないのか。
▼運転業務から外したのは??病的頻尿問題なら受診、治療の対象になる。
▼今までも何度かあったとすれば、個人的対策は考えなかったのか?
▼JR東日本千葉支社はのコメント「モラルに欠ける行為で指導が必要・・」と表現したのは??世論を意識した過剰反応ではないか。
▼運転士の処分をするのか?
▼列車運転士の業務中の「スマフォ使用」、「携帯通話」、「居眠り」等の不祥事が明らかになっているが、このケースは不祥事か??
▼JR東日本千葉支社が取材を受けた際にこの事例を明らかにしたのは時代柄やむないだろう。
▼日経新聞電子版の見出し「JR運転士が電車から放尿 モレル〜でモラル崩壊」は興味本位、悪意のある表現だと思われる。
▼・・・・。


9/25(日)快晴 講演会「与謝蕪村と若冲」     
 1;00起床。就寝時若干喘息用症状あったが改善、本読み、新聞など。11:00ケーズデンキで家庭用血圧計購入、11:00-15:00秋田市文化会館、講演会「与謝蕪村と若冲」。大ホールでは日本ラジオ歌謡研究会の催し。16:00徒歩飯川病院。16:00クロスバイクにて帰宅。データ整理中心、Blu-ray視聴なし。19:00夕食、20:00就眠。歩数計Σ9781Km、12554歩。

秋の全国交通安全週間2016 高齢者の事故を防ぐ 
 本年も9月21日(月)-30日(水)は秋の交通安全週間である。秋田市内の交差点にも先週から警察官や交通指導員の姿が増えた。

 今年の運動の基本は以下の如くで、例年大差ない。
 ▼1 高齢者と子どもの交通事故防止
 ▼2 夕暮れ時と夜間の歩行中・自転車乗用中の交通事故防止
 ▼3 座席を含めた全ての座席のシートベルトとチャイルドシートの正しい着用の徹底
 ▼4 飲酒運転の根絶

 どの項目でも運動が功を奏していれば次々と新項目を追加できるのであるが、毎年表現を変えるだけである。交通安全週間の効果はなかなか上がらない。

 ▼2に関して、国土交通雀は、暗くなると車のヘッドライトが自動で点灯するライトの搭載を、2020年以降の新型車から義務づけた。日没前後に高齢歩行者の死亡事故が集中していることからである。
 オートライトは、明るさを感知し、自動で点灯・消灯するもの。JAFによると国内ではすでに約3割の車にオートライトが搭載されているという。新基準では、夜間走行中は自分で消すことはできない。かなり暗くなっても無点灯で走っている車もあるからこの機能はいいと思う。

 国交省によると、14年の交通事故死者は4113人。死亡した半数が歩行者と自転車の人で、歩行者の71%、自転車の64%を65歳以上の高齢者が占めた。高齢者の死亡事故の発生時間は日没前後の時間帯が突出して多い。

 早めのライト点灯はドライバーからの視認だけでなく、歩行者に車の存在を知らせる意味合いが大きい。特に視力が落ちている高齢者には見やすくなり、薄暮時の事故を減らすことが期待される。

 もちろん、高齢ドライバーに取ってもライト点灯は効果は大きい。
 高齢ドライバーは老眼や白内障などで動体視力の劣化が著しい。ということは、高齢ドライバーにとってはライト点灯だけでは不十分ということでもある。私が10年以上使用しているプリウスは自動点灯ライトが装着されているが、私はそれでも夕暮れは緊張する。ましてや雨で路面が濡れている時は尚更である。

 私は高齢者に、▼明るい服装、▼反射板の使用を求めたい。また、車にはフロントにブレーキランプを装着すればいい、と思う。

 高齢者は自分の身体的衰えをなかなか認めたがらないし、卑屈であり、子供以上に自覚が足りない。交通事故防止という面では高齢者を甘やかさず厳しい指導をすべきである。


9/24(土)曇りのち晴れ 家内のBD 
1:00起床、新聞チェック・文献読み。画像データなど整理。いつもと同じ。午前、書斎の書籍廃棄準備。午後はクワなど農具修理後、畑のマルチ?ぎして本年度の仕舞い準備。ガレージ整理。Blu-ray視聴:「マーラー復活:ゲルギエフ、アバド他」。新聞、単行本データ化、19:00夕食。20:10就寝。就寝時若干喘息用喘鳴症状あり。40年ぶりか。歩数計Σ9772Km、7570歩。9月中の途中経過で1万歩/dayは何とか超えている。

医療2016年(16) 病院でおぞましい事件が発生
 また、おぞましい事件が発生した。
 今年2月に川崎市の介護施設で元職員が高所から3名の入所者を落下させ死に至らせた事件が生じ、9月には相模原市の障害者施設で元職員が19人刺殺する事件が生じたばかりである。今度は病院で生じた。

 横浜市の大口病院で9月20日、入院中の高齢患者が死亡し、司法解剖の結果、死因が中毒死で、県警は殺人事件と断定した。現時点で被害者は2名と考えられているがまだ増える可能性がある。
 事件が生じた大口病院は地下1階・地上5階建て、病床数は85床。当時52人の入院患者と6人のスタッフがいた。事件が起こった4階には18人の患者がおり、当直の看護師2人が担当。夜間は警備員が常駐し、関係者以外は21:00以降出入りができないという。

 この事件の詳細はまだ明らかになっていない。報道による不正確な情報をもとに内部の人間なのか否かなど無責任な予測はすべきではないが、今後、病院の危機管理体制が問われていくことになると思われる。
 一般的に医療機関は善意の考え方から成り立っている。だから、悪意を持つ何者かがアプローチして来ることなどは前提になっていない。しかし、外部の侵入者による痴漢行為などが頻発したことから、各医療機関は関係者以外は夜間の出入りを制限している。
 また、最近の病院は患者家族とのコミュニケーションのためにナースセンターはオープンカウンター式になっており、かつてのように施錠できる構造を取っているところは稀になっている、と思われる。
 大口病院では連休前後は点滴資材などは鍵のないところに置かれていたという。ここに問題があったと考えられる。

 私は2004年12月9日の徒然に「誰も居ない早朝のナースセンター ??これで良い??」という一文を記載した。

 最近業務が混んで来ている。最近、朝の回診の開始時間が徐々に早くなって月から土曜日は大体6:00頃から回っている(中略)。早朝の回診は能率がいい。患者も喜ぶ。熟睡中の患者がいれば起こさずそのままにするから楽で、私も喜ぶ。誰も居ないからカルテ、オーダー簿、ファックス器など、奪い合うこともなく自分専用に使える。これも良い。?? ところで、この時間帯、看護師さん方はモーニングケア、採血その他の業務で多忙な時間でナースセンターには殆どいることはない。ヒト嫌いの私にはそれもとても良い条件であるが・・、が、問題はある。この誰も居ない時間帯、ナースセンターの安全性はどう守られているのだろうか??カルテ、薬品、その他、重要な物品、個人の機密に関する資料が沢山置いてある。
 実際にスタッフ以外が無断で入って来ることはまず無いし、施錠庫もある。これに関連した事故はないが、これから先もないとは限らない。? (ナースセンターの)出入り口に光学的、電気的バリアの設置、映像による記録など考慮されてしかるべきでなかろうか。



 平成25年に私が嘱託として勤務する中通総合病院は改築し、新病院で診療している。改築によって病院の安全対策は向上し、ナースセンターも上記の様な状況ではなくなった。薬剤、点滴剤の保管などは別室で行われている。

 しかし、それでも悪意を持っている人がいるとすれば、安全対策は十分と言えない。今回の事件を機会に、おそらく病院の安全対策が多方面から話題になっていくであろう


9/23(金)雨模様 大曲中通病院外来 飯川病院ボランティア
 0:30起床。新聞チェック・文献読み・徒然など。可燃ごみ廃棄準備。7:30Taxi。8:10こまち、9:00大曲中通病院外来、往路徒歩。雨で農作業ができず受診者多く混雑。駅前で軽食。14:30飯川病院ボランティア。今までのすべてのデータ収納しているされどハードディスク不調で落ち込む、されどなんとか復帰。散水など。19:00Taxi帰宅、夕食、20:00就寝。Blu-ray視聴:「ここまで言って委員会:想定外!!!の出来事」。歩数計Σ9766Km、12059歩。

医療2016年(15) 後期高齢者医療保険料 高齢化世界一の秋田県は全国で最低
 いま、後期高齢者医療制度のあり方について個人的に再勉強しているが、その過程で大きな矛盾点・・というか、不思議な点に気づいた。

 それは75歳以上の後期高齢者医療の保険料が全国的に見て秋田が最も低額であることである。
 今年発表された平均寿命は男性80.79歳、女性87.05歳となった。100歳以上の方も今年全国で6万5692人、秋田県は何でも全国の1%程度であるが、100歳以上の方も同じで623人となった。秋田は65歳以上の高齢化率は全国が27.3%と主要国の中で最も高く、国内では秋田県は34.6%と最も効率である。
 要するに秋田県は世界に名だたる高齢県ということになる。
 
 75歳以上の人が加入する後期高齢者医療制度について、厚労省は4月から2年間の保険料の見込み額を4月に公表している。1人あたりの保険料の全国平均は月5659円で、2014〜15年度より27円(0.5%)増える。

 後期高齢者医療の保険料は都道府県単位の広域連合が2年ごとに見直している。全国平均保険料が増えるのは3回連続となる。後期高齢者の1人当たりの医療費が2014〜15年度より年間2万1千円増え、88万6千円/年になることが試算されたことが要因となっての増額である。

 平均保険料が最も高いのは東京の7958円/月。最も低いのは秋田の2963円/月で、格差は約2.7倍になる。これは何なのか?いままであまり意識してこなかったが、この変な数値に突然気づいた。高齢化率は東京は22.5%、秋田県は32.6%である。しかしながら、後期高齢者保険料は東京が最も高く、秋田が最も低い。これはどうしたことだろうか??

 理屈から言えば、東京都は労働若年者が最も多く、高齢者の保険料は定額でいいはずである。
 この辺についてさらに検討してみたい。


9/22(木)秋分の日 快晴夕方から降雨 飯川病院日直
1:00起床。新聞・文献・徒然など。8:50飯川病院着、9:00-17:00飯川病院日直勤務、車帰宅、ネコ給餌ほか、19:00夕食、20:00就眠。 Blu-ray視聴:「あらすじ:走れメロス」、「コズミックフロント:ブラックホール」、「プレミアムカフェ:太宰、人間失格裁判」,。 歩数計Σ11303歩、Σ9757Km。

貴重な前例に学ばないアホ達がいる(2) 大阪市立中の部活顧問体罰と教育委員会
 大阪市立中学校の男性教諭(26)が顧問を務める女子ソフトボール部の生徒全員に指導として暴力を繰り返したとして、大阪市教育委員会は4月27日、顧問をしていたソフトボール部の顧問教諭を停職3カ月、および当時の男性校長(56)を戒告処分したと発表した。

 報道によると、大阪市立中の女子ソフトボール部顧問は体罰を63回繰り返し、一人の生徒には後頭部を縫う怪我も負わせていた。
 教育委員会からの懲戒処分を受けた問題で、吉村市長は4月27日、再発防止のため全市立校の児童、生徒、保護者に対して体罰の実態に関する調査を行う考えを示した。

 教育委員会は停職3ヶ月にしたが、極めて軽い処罰である。指導的体罰と言っているが、立派な傷害事件であって、懲役15年以下または罰金50万円以下に相当すると考えるべきである。警察は関与していない??? どこからも被害届も出されてないのだろうか。本人達は?保護者は?学校はどういうアクションをしていたのか疑問である。

 このような事件を内部だけで処理するという曖昧な扱いが、部活動における暴行・傷害事件、ひいては学校内のいじめ問題が無くならない元凶と考えたい。

 同市では平成24年12月の市立桜宮高での体罰自殺事件は当時の市長が迅速かつ厳しい対応した。しかし、市長が変わった後の今回の動きは全体に甘いという印象を持つ。
 市では市立桜宮高の事件後、再発防止策をまとめたが、今回の暴行事件は平成26年から繰り返されていた、と言う。学校が気づかないはずはない。現市長は「桜宮高事件を受けて体罰や暴力は徹底して許さないとのスタンスで臨んでいたのに、許せないことだ」と述べ「被害にあった生徒と保護者に謝罪したい」とした。

 何故こんなに甘い判断がなされたのか?
 少なくとも保護者は告訴すべきと考えるが、何故なのか理解不能である。何らかの力が働いたのではなかろうか?その辺は合同からは読み取れない。

▼部活顧問の暴力沙汰は枚挙にいとまがないほど前例がある。この教訓は生かされないのか?教育者は過去の事例から何を学んでいるのか?
▼市立桜宮高での体罰自殺事件も同市で生じている。その教訓が生きていない??大阪市立中と教育委員会、当該顧問はアホか??
▼関係者に緘口令とか、上部組織から何らかの圧力がなかったのだろうか?
▼同級生たちは選手の外傷の真相を知らないはずはないと思う。保護者はなんと考えていたのだろうか。
▼処分が異常に甘い。長期間にわたる体罰で怪我も負わせている。れっきとした傷害事件と思われる。教育委委員会、学校、あるいは被害者及びその保護者は今からでも告訴し真相を明らかにすべきだろう。


9/21(水)超快晴・放射冷却で寒い フリー 午後飯川病院ボランティア
0:00起床。文献若干,本読み、新聞読む。放射冷却で寒く長袖に。10:00畑のトマトと茄子を抜去。12:30クロスバイク飯川病院へ。ボランティア、文献読み、新聞チェックほか。19:00帰宅、夕食、20:45就寝。Blu-ray視聴:「Cool Japan:美容」、「未来世紀ジパング:タックスヘイブンの国」、「久米書店:箱根駅伝、ハゲ」、「サイエンスZERO:眠りのミステリー」。歩数計6511歩/day、Σ1218万歩&Σ9747Km/3.7年。

貴重な前例に学ばないアホ達がいる(1) 富山市の議員辞職
 記者会見の時の意味不明の号泣で国際的に名を馳せた野々村元兵庫県議に対し、神戸地裁は虚偽有印公文書作成・同行使による政務活動費913万円をだまし取ったとして、7月に懲役3年執行猶予4年の判決を言い渡した。

 この事件は判決によると、被告は11-13年度に兵庫県内の温泉や東京などに日帰り出張を計344回、はがきや切手代として多額の架空書類を作成、活動費を搾取したもの。
 捜査段階で反省文を提出したが、初公判で「反省文はうそ偽り」と起訴内容について記憶がない、と繰り返した。
 判決は、議員を辞職し、11年の初当選以降に受け取った政務活動費計1834万円を全額返還したことも考慮、反省の態度は見られないが社会的制裁も受けた、とし執行猶予を付けた、という。

 政務活動費の詳細については私は詳細を知らないが、東京都議は毎月60万円が支給されているという。某新聞社の調査では、2013年度の47都道府県議調査で透明性の低い支出が見つかった。今年6月には、宮城県議会議長が自宅の水道代などに、7月には、虚偽の領収書で約565万円を不正受給した元徳島県議が在宅起訴された。
 どこまで詳しい報告を求めるかは各県の議会によってまちまちだ、という。秋田の場合はかなり緩いという。

 私は、個人の資質が第一であるが、それ以上に請求を受け付ける査定機構のルーズな感覚の方が問題だと思う。この世界の金銭感覚は個人・組織双方に狂っているのではないだろうか。
 中にはこの問題が発覚した以降、収支報告書や領収書をインターネットで公開する議会も増えている、というが私はその詳細は掴んでいない。
 
 同じようなことがまた起こった。
 富山市議会で、政務活動費の不正取得が次々と明らかになり、自民、民進系両会派の5議員が辞職した。その手口は領収書をパソコンで偽造したり、数字をつけ加えたりしていたもので、判明分した不正取得額は約2600万円とのこと。

 この問題は辞職で終わらせず、司法の判断を受けるす必要がある。なぜなら彼らは選挙で選ばれた公人だからである。一般人の詐欺事件とは異なる。約695万円の不正取得を認めたある議員は、大半を飲食代に充てていたという。納税者との意識ずれは著しく、驚くばかりである。ちなみに、富山市の議員報酬は70万円とのこと。十分に高額だと思う。

 すべての自治体で、不正を防ぐ制度をつくる必要がある。


9/20(火)快晴やや寒い 中通病院外来 飯川病院 
 0:30起床。新聞・医学論文チェック他。4:45ゴミ出し他、朝からデータ整理に。7:27徒歩飯川病院、患者対応。8:45-13:45中通病院外来+紹介状。14:00-18:45飯川病院。19:00帰宅夕食、20:00就寝。歩数計Σ14952歩、Σ9742Km。Blu-ray視聴:「映像の世紀プレミアム(1)」、「ETV特集:水俣病」、「欲望の資本主義:ルールが変わる時」

敬老の日(2) 敬老・軽老・棄老・無円・無縁社会・無援社会
 高齢化を率でなく質的に見てみる。

 内閣府の調査では高齢者の約1/6人、460万人が独居で、この10年で150万人以上増えている。これが10年後には630万人を超えると推定されている。
 また、単身高齢者の男性の2割、女性の1割近くが頼れる人がいない。すなわち、無縁者である。人間同士のつながりはここまで薄くなった。高齢者は孤独な環境ではうつ状態に陥り易く、引きこもるし、運動不足になり、孤独死する可能性もある。実際、東京23区内では年間約3000人が自宅内で誰にもみとられずに亡くなっている。

 高齢化は防ぎようがないが、無援、無縁社会であっては困る。社会の仕組みを考えていかなければならない。他人事と考えれば、何とかしなければ,と思っている。
 私自身は性格的に見て、もし生きながらえれば「孤老」に陥る有力候補者の一人である。だから、その点の覚悟はできている。生きられるところまで生きたら一人静かに世を去りたいものだ。これは文明国日本の実態なのだ、と自覚している。

 100寿者は昨年より4千人余り増えて推計6万6千人余となった。日本は世界的に見て長寿国になったのはそれなりの理由があるが、良い長寿社会へ成熟したとはとは到底言えない。長寿化の原因は医療技術の進歩、高齢者に手厚い国民皆保険もあるが、世の中の清潔度、栄養状態の改善が一番大きい。
 
 私は健康寿命を延ばすための数々の医療、研究等はとても良いことだと思うが、生きていくのに介助を要する不健康寿命状態にある方への医療のあり方は一考すべきと思っている。不健康状態にもピンからキリまでのグレードがあるが、少なくとも私は「寝たきりを増やして今年も世界一」状況へ医療が加担してはならないと思う。しかし、この点に関しては多様な意見があろう。

 いま日本の高齢者をめぐる現状は、長寿を心から喜べるものとはいえない。
 公的年金だけではとても生活が維持できない。さらに、医療や介護の費用がかさむ。貯蓄も尽きた「無円」者の生活保護を申請が増えている。しかし、調査は厳しい。「棄老」に等しいとの印象を受けた申請者の手記もある。昨年、利根川で一家3人の心中事件があったが、死に切れず殺人罪に問われた娘の陳述の一部を読みその印象を持った。


9/19(月)敬老の日 快晴  
 1:00飯川病院で起床。医学論文・新聞他いつもの如し。7:00検食、花壇に散水。9:30クロスバイク帰宅、ネコ室清掃。Blu-ray視聴:「らららクラシック:新たなピアソラ」、「大阪フィル演奏会:英雄他」、「のど自慢:昨日分」、「世界のプリンセス」。
。15:00庭で散髪、レコード廃棄など。19:00夕食、20:00就寝。歩数計Σ7748歩、Σ9730Km。

敬老の日(1) 高齢化率は秋田県が世界でトップ 
 今日は9月19日(月)で敬老の日で休日であった。土曜から見れば3連休となる。私は17日は飯川病院日直、18日は午後秋田ゾンタクラブの講演、夜は飯川病院当直、19日は当直明けでam9:30過ぎに帰宅した。1日が短く感じられ、慌ただしく忙しい連休であった。

 「敬老の日」が「多年にわたり社会につくしてきた老人を敬愛し、長寿を祝う」ことで国民の祝日となったのは1966年、その年の日本人の平均寿命は、男が68.35歳、女が73.61歳であった。
 今年発表された平均寿命は男性80.79歳、女性87.05歳となった。100歳以上の方も今年全国で6万5692人、秋田県では623人となった。65歳以上の高齢化率は全国集計が27.3%と主要国の中で最も高く、国内では秋田県は34.6%と最も効率である。要するに秋田県は世界に名だたる高齢県ということになる。その割に日頃メディアは話題として取り上げない。世界で一番なんですよ!!!

 敬老の日の精神・趣旨は大事にすべきであるが、今や単なる休日、連休になっているような気がしてならない。私が購読している4紙で社説として「敬老の日」を取り上げたのは1紙のみであった。土日以外の休日を意識しない人はいないと思うが、何の祝日なのか?確かめもしないで連休を楽しんでいる若い方々も多いのではなかろうか。

 かつては敬老の日と言えば地域にとって重要な日であって、各町村や部落単位とかでお祝いの会が盛大に行われたものである。最近は地域単位で何か催しなどなされているのだろうか?よく分からないが、何とも印象が薄い。「敬老」ならぬ「軽老」的イメージになってきている。

 確かに、高齢化率がこれほどになると右を見ても老人、左を見ても老人である。私は高齢者の医療を担当しているが、外来患者の7割が私より高齢である。だから、敬老の精神は持ち合わせているが、それ以上に現実的、具体的な高齢者問題とその対応に心を砕かざるを得ない。

 満足な年金や医療も受けられない、生活もままならない、社会から孤立し、人知れず息を引き取っている高齢者の実態が次々と明らかになっている。

 高齢者の生活を支える医療・公的介護の制度は抜本的に考え直して充実することはこれからの社会の課題である。と言うのは簡単であるが、高齢者問題は社会的費用がかかるものだからネガティヴに捉えざるをえない部分がある。しかし、敬老の精神が伴わない高齢者対策はひたすら厳しいものになっていく。「棄老」にしてはならない。

 高齢者対策を社会の効率性、経済問題だけに置き換えてはならない。勿論これは重要な因子であり、原資には限りがある。別な方法も考えなければならないだろう。家族のありよう、地域のボランティア活動、高齢者施設の充実などの、独自の、自主的な取り組みを大事にして、それを行政が支援する必要がある。


9/18(日)曇り 秋田ゾンタクラブ講演 飯川病院当直 千秋花火
1:00起床、電子データチェック、本読み。本日の講演の最終チェック。8:30当直医の車返しに飯川病院に。クロスバイク帰宅、13:00市役所、14:00-16:20秋田ゾンタクラブ講演、17:00飯川病院、この間クロスバイクで移動、当直業務に就く。本読み、微睡など。18:00検食、20:00就寝。歩数計Σ7564歩、Σ9724Km。

徒歩通勤2016(9) 佐賀県通過 長崎県に入った 
 平成13年3月から徒歩通勤を始めた。歩行実績が積算できる歩数計「新・平成の忠孝」の積算開始が4月7日からだったから、約3年余かかってΣ9717Kmに達し、佐賀県の海岸線175Kmを終了し、9月17日長崎県に入った。
     
 佐賀県に入ったのが8月28日であった。佐賀県の海岸線175Kmを予定通り20日かかった。8.75Km/dayとなる。その前の福岡県の海岸線は461Kmで8.9Km/day、山口通過時は7.9Km/day、島根県は約5.3Km/day、鳥取県は約5.0Km/dayであったから1日の平均時歩行距離はなんとか維持できた。
 歩数にしてみると積算開始から現在まで1218万歩だから9700歩/dayとなる。1万歩/dayの目標値に近くなった。

 私は旅行嫌いで、観光にも土地の味覚にもそれほど興味がない。通過した佐賀県は私にとっては遠い存在である。

 何年に開催されたか忘れたが、20年以上も前に佐賀市で日本小児血液学会総会が開かれ出席した。ちょうど日本血液学会の認定医と指導医の更新時期であったが獲得点数が足りず、急遽学会に出席したものである。これで更新は無事できた。
 この時、とても多忙だったために東京以降は寝台特急にした。本を集中して読みたかったためである。列車は18時間ほどかかったと記憶している。寝台車なら大丈夫だようと踏んだが、寝台にする前の座席は背もたれの角度も悪くて天井も低く座り心地が良くない。寝台にセットされる前から腰痛が生じた。寝台にしてからも14時間ほどで、狭くて硬くて腰痛持ちには辛い旅であった。ただ、この間新書を数冊読めたのが良かった。
 佐賀についての思い出は辛かった腰痛、これ一つである。復路は佐賀空港から羽田経由で秋田に戻った。

 いま通過中の長崎の海岸線は1048Kmである。伊能忠敬が歩いた海岸線の長さとして北海道の2748Kmに次いで2番目に長い。10Km/dayのペースで3.5ケ月かけて歩きたいが、今後は天候不順になるために実際には達成困難のように思う。


9/17(土)快晴 飯川病院日直 
0:30起床、風邪か?倦怠感まだあり。蓄積資料整理。午前は孫運動会なるも欠。家内送りながら病院へ。新聞など。iPod音声整理。12:00-18:00飯川病院日直。もっぱらデータと講演準備。19:30当直医の車借用して帰宅、夕食、 Blu-ray視聴:「西原理恵子:人生はサイテイおやじから教わった」、「フランケンシュタインの誘惑:原爆」。歩数計Σ10.747歩、Σ9.717Km。佐賀県通過、長崎県に入った。

シンゴジラ(2) 国の危機管理、意思決定過程などに興味
 この映画の骨格はシンプルである。実際に見ると、この映画は3.11の東日本大震災そのものをモデル・ヒントにしていることがわかる。そのリアルさが魅力の一つ、と思う。
 私のこじつけの解釈ではあるが、観ながら以下のことも感じた。

 ▼「シンゴジラ」は海底で何らかの放射性物質を摂取し、各エネルギーを利用できる変異を獲得したものと予想された。

 ▼2回目に巨大生物が現れてた時、巨大生物は形態がガラッと変わり、「ゴジラ」に似た形態となる。ゆっくりであるが立位歩行も可能となり、破壊の破壊力は格段に強まった。この成長と思われる変化は、津波によって引き起こされた福島の原発事故を想定させる。巨大生物は周囲に微量な放射能をまき散らしていた。

 ▼政府は自衛隊の持てる能力を動員して「シンゴジラ」を攻撃するが、未避難の住民がいることで攻撃は後手に回る。この間もこの巨大生物は進化を遂げ、ミサイルまで含めた外からの火器はほとんど功をなさない。政府はその後自衛隊を総動員して対策するも「シンゴジラ」を倒すことができない。「シンゴジラ」は強力なレーザー光線などの破壊的エネルギーを投射する。

 ▼急遽集まられた専門家集団は一線を退いた高齢者であり、有用なアイデアを提起できなかった。

 ▼米国政府は米軍基地が襲われる可能性があることから「シンゴジラ」の息の根を止めるために核兵器を使用することを通告してくる。打診でなく通告であった。この「シンゴジラ」対応に於いても国土の汚染等の問題があるものの、米国政府に歯迎えない日本の防衛の苦しい事情が示される。

 ▼対策本部の一人の若い科学者のアイデアで、外からの攻撃が通用しないなら、内部から倒す方法を考えついた。大量の血液凝固薬を経口投与する方法を実行に移す。

 ▼東京駅構内にて暴れていた「シンゴジラ」の足元を国電車両、新幹線車両に仕組んだ大量の火器を衝突させ、転倒した機会に口の中に大量の血液凝固剤、凍結剤を注入し体内内の血液循環を止めることに成功した。これにより米国の核使用通告期限の1日前に核の使用は回避された。

 ▼血液凝固剤、凍結剤の利用は福島原発の廃炉に向けたプロセス、汚染水対策への凍土壁などを想定させた。

 ▼などなど。

 この映画の見所は奇異な生物物体「シンゴジラ」に対する期待感とともに、普段見ることのできない政治の中枢や意思決定の過程、自衛隊の様子などをリアルに見ることができたところも魅力の一つであった。こうした開示は専門分野の閉鎖性を打破しうる可能性もあり興味をそそられたが、一方では真に見せられない部分もあるだろうと思われる。

 自衛隊が民間の映画にこれほど協力することなど考え難かったが、交わされる会話等を通じて「国民を守る自衛隊、最後の砦は自衛隊・・」などの宣伝文句が頻回に出てきた。それなりの目的を持っての協力と考えられた。

 初代の「ゴジラ」は1954年第五福竜丸が「死の灰」を浴びた年である。「シンゴジラ」は東日本大震災・原発事故を背景にしている。両者に共通するのは核、放射能問題である。 
 東宝では今後も「シンゴジラ」シリーズを作成する予定という。
 いま我が国は近隣国の核装備で新しい局面を迎えつつあるが、その中で核問題を娯楽的にどのように取り上げていくのか、楽しみである。


9/16(金)快晴 大曲中通病院外来 飯川病院ボランティア
1:30起床、新聞チェック、本読みなど。風邪か?倦怠感強度。5:00可燃ゴミ集積所に運搬。7:40Taxi。8:10こまち、徒歩、9:10-13:15大曲中通病院外来。14:45飯川病院ボランティア。Blu-ray視聴:「林修関連3本」、「古地図:伊能忠敬」。 新聞読み他、18:30帰宅、19:00夕食、20:00就寝。歩数計Σ9556歩、Σ9.709Km。

シンゴジラ(1) 東日本大震災と原発事故を巨大生物に置き換えた?
 去る9月14日(水)は午前フリーで、飯川病院ボランティア手伝いも午前中に終了したので午後は秋田市郊外にあるイオンモール内の映画館「TOHOシネマズ」に「シンゴジラ」を観に行った。

 私は「ゴジラ」に使われた伊福部昭氏の音楽が好きである。ゴジラ映画観たことがきっかけとなって私は伊福部氏を調べ、広く知った。作品は膨大であるが、中でもヴァイオリンと管絃楽のための協奏風狂詩曲「ヴァイオリン協奏曲第1番」、同「第2番」 、「管弦楽のための日本組曲」、 映画音楽「ゴジラ」、同「ビルマの竪琴」・・はレコード、映画を通じて何度も味わった。
 今回も伊福部氏の音楽が用いられていると聞き、その点でも興味を持った。

 「シンゴジラ」は平成ゴジラシリーズ以降の観客動員数記録を更新した、という。なぜ幅広い観客を夢中にさせるのか。前評判はすごいが事前に情報を仕入れることはできずサラの状態で見ることとなった。
 見た直後の感想はよく出来た政治ドラマだ、と言うことである。「シンゴジラ」の破壊の場、などのアクション部分は半分にも満たず大部分は政府の危機管理対策本部の対応場面が占めている。ここでは客観的情報、データに基づかない安易な予測に基づく「正常バイアス」に頼る老害が目立つ。
 自衛隊の協力が全面的に得られたというが、その機動力能力には関心させられた。

 物語の骨格はシンプルである。巨大生物が街を壊し、人間が阻止する。ただそれだけ、である。
 実際に見ると、この映画は3.11の東日本大震災そのものをモデル・ヒントにしていることがわかる。そのリアルさがある・・・と思う。私のこじつけの解釈ではあるが感じたことを示してみる。

 ▼「シンゴジラ」の登場、初上陸時のエピソードは、東日本大震災の津波の到来を示してる、と思う。この不思議な巨大生物は立ち上がることができない。爬虫類まがいの表情のある巨大生物は這いずり回りながら周囲の建造物を破壊し続け、海に戻った。津波による破壊はいったん収束する。翌日には海は何事もなく平穏を取り戻す、その姿を示している感じであった。1956年版のゴジラとは様相が異なる登場である。

 ▼政府は緊急対策本部を立ち上げたが、総理大臣を含め右往左往するだけ。東日本大震災時の民主党政権の危機管理の脆弱さ、縦割り行政の問題が露わになる。総理は優柔不断で決断できない。その姿そのものも当時の政権の混乱ぶりを表している。


9/15(木)曇り後快晴 外来 飯川病院 中秋の名月
0:30起床。文献検索、新聞チェック、4:30資源ごみ提出。7:20徒歩飯川病院、8:45-14:15中通外来、混雑、疲弊。14:30-18:45飯川病院、19:00帰宅、夕食、20:50就寝。Blu-ray視聴:「NHKsp:キラーストレス(2)」、「久米書店:ゴルフ関係」。歩数計Σ11823歩、Σ9.701Km。

中秋の名月
 陰暦で8月の満月を「中秋の名月」と呼ぶ。今年の中秋の名月は9月15日、すなわち本日である。月の出は16時50分ごろだったそうだ。
 帰宅は19:00、満月は隣家の屋根よりもすでに高くなっていた。

 (隣家の上に見えるう満月。明るいため屋根がシルエット状に見える)

 近隣の森から顔を出す時の満月は大きく黄色で素晴らしいが、本日はそれをみ損ねた。

 私は視力がかなり低下してきている。裸眼では近視と乱視のためか、月が10ケほどに分かれて全体としてぼやっとした円形の集合体に見える。メガネをかければなんとか三つほどの満月が見える。裸眼で見える月の様子もなかなかいいものだ。こんな月を味わっているのは多分私だけだろう。本日の月を正しく味わうために写真に記録した。写真で丸い月がやっと見えた。


(カメラの望遠レンズを通してみた満月)

 月といえば法然上人の和歌で、「月影の 至らぬところはなけれども ながむる人の心にぞすむ」が浮かんでくる。私が好きな歌である。仏の救いの手を月の光にたとえ、「救いの手はすべての人々に伸べられているけれども,それをじっくり見つめる人にこそ,そのごりやくが届いていく」,という意味であろう。意味深である。私は、単純に、「月の光は万人に届くが、求める人の心にのみ深く沁みこんでいく」、でもいいと思う。

 1965年春オペラを観に2週間ヨーロッパを旅行した。バスでサルツブルグに向かって移動中オーストリア中部にあるモントゼー湖畔の町を通過した。映画「サウンド・オブ・ミュージック」のロケに用いられたシュティフト・プファール教会の脇を通過した。モントゼーとは文字どおり「月を見る」をいう意味である。町は全周が小高い山々に囲まれた盆地にあり、月を見るには相応しい地勢と考えられた。その日は残念ながら月は見れなかったが、地名、地勢、教会とともに未だに忘れられない。

 ヨーロッパの夜、大きな月を見る機会があったが、日本とは雰囲気が異なっていた。
 日本では月のイメージは暖かい色調で描かれ、まつわる話も「うさぎ」、「かぐや姫」等優しげな暖かいものが多い。一方、ヨーロッパの月はより明るく、冷たく、青かった。
多分、大気中の湿気が作用しているのだろうと思う。
 これほど青いと恐怖感も湧いてくる。ヨーロッパでは満月の夜といえば「ドラキュラ」、「魔女」等が活躍する、恐怖感を伴うイメージである。R.シュトラウスの歌劇「サロメ」、これも私が好きな作品であるが、この開始のセリフは「この青い満月の夜、今夜は何か恐ろしいことが起こりそうだ!!!」と呟く兵士の会話から開始される。

 月は夜な夜な形を変えていく。どの姿でも私は月が大好きである。私はam1:00頃起床するが、気が向けば何度も月を見に外に出る。昨日今日と早朝はかなり冷えてきた。


9/14(水)午前降雨以後快晴  飯川病院ボランティア シンゴジラ
0:20起床。講演資料作成、略歴まとめ。文献検索、画像データ整理、本読み他。漏水チェック。10:40クロスバイク飯川病院着、ボランティア。13:00東宝シネマに、13:40-13:30シンゴジラ。17:00帰宅、微睡。新聞、医学文献チェック。19:00夕食、20:50就寝。歩数計Σ12.987歩、Σ9.692Km。昨年の今朝からトランクス通勤止め、居間ガスストーブ初点火。今年はまだ。

人工頭脳(AI)の話題(3) まだ出来ない思考の動機づけ、目的判断
 今年3月、囲碁用AIが世界のトップブロに対し4勝1敗の成績をあげた、と報じられ関係者に大きな衝撃を与えた。チェスや将棋でそれぞれに特化したAIが勝利していたが、囲碁では達人に勝てずにいた。
 囲碁ではコンピューターが及ばない局面では、経験や直感がものをいう。そのため、従来は人間の判断力に敵わなかったが、専門家は囲碁用AIに先を読む「経験能力』を加え進化させた。その結果、今回トッププロに勝利した。

 しかし、まだ人間の思考の動機づけ、目的判断は出来ていない。だから、囲碁用AIが世界のトップブロに勝ったことは、AIそのものの能力ではなく、AI開発に関与する人間の勝利である。さらに言えば、AIではなくまだコンピューターのレベルである。

 AIが思考の動機づけ、目的を自ら見つけることは出来ていない。この部分は今のところ、人間の役割である。自省や意思疎通の積み重ねで進化することはない。さまざまな経験を積み、学びながら、自らの価偉観や目的を確立するAIの姿は究極の目標のIつなのだが、この点ではまだ成果というものはないようである。

 AIが普及すれば人間が不要になり失業を招くという考え方がメディアに登場しているが、まだ直結しないようである。

 実際、医療用コンピューターは医療の臨床現場で使われている。今までも患者の症状を入力れば可能性の高い疾患名を列挙してくれるタイプである。これは経験や知識が不足しがちの研修医に対して診断の指標を与えてくれる。高齢の医師にも有用となろう。ただ、これとて臨床医の基礎力が求められる。下腹部の腫瘤と入力してもそれが尿閉による緊満膀胱か他の腫瘤の可能性の判断が先にないと医療用コンピューターは信用ある結果を出しえない。

 本年8月、IBMが開発した医療コンピューターシステム「ワトソン」が東大医科研付属病院に入院中の患者を救った、と報道された。膨大な数の論文、遺伝子情報を学んだワトソンが特殊な白血病と判断し、治療法を変えるよう指示したという。

 最後の診断は医師が下すことには変わりはないが、医療コンピューターを使えぱ多忙な医師を助け、知識不足を補い、ケアレスミスの発生も抑えるはずである。専門医の少ない地域医療を補うことができる。しかし、コンピューターがはじき出した結論の信ぴょう性の判断を含め、最後の診断は医師が下すことには変わりはない。だから、今後の医師は一層の知識と経験が求められるようになる。医療コンピューターの発達は結果的に患者の負担を和らげ、医療費の削減も期待できる、と思う。

 最近のメディアはコンピューターの発達とAIを混同して報じている気がしてならない。コンピューターの発達は著しい。しかし、AIは赤ちゃんの脳ほどにもまだ至っていない。


9/13(火)降雨 外来 飯川病院  
0:30起床、医学文献・新聞ほか。5:15可燃ゴミ提出、7:10バス飯川病院着、8:45-13:20中通病院外来、数・質ともに混雑。微睡、14:00-18:50飯川病院。19:10帰宅・夕食、20:30就寝。Blu-ray視聴なし。歩数計Σ9.228歩、Σ9.681Km。

講演2016(1)「あなたは何歳まで生きたいですか?」 
 去る9月4日(日)、秋田市の川辺総合福祉センター 三世代交流ホールで「あなたは何歳まで生きたいですか?」と題する講演を行った。

 私は現役を辞してからはほとんど講演を引き受けていない。還暦は人生の折り返し点とされるが、生まれ落ちて還暦を迎えるまでの私の人生を総括したが、その結論は「ウソで固めた罪深い人生」となった。有名な作家の言葉に似ているのが残念であるが、同じ轍を踏み続けないよう一刻も早く引退することを決心し、実行した。
 その後は最小限の診療は続けてきたが、ほぼ隠遁生活といっていい状況で、人の集まるところに近づかず、目立たぬようにひっそりと隠れて、息を潜めて生きている。

 講演もその後何回か機会を与えられたが殆どお断りしてきた。
 私の老化現象は早い。頭の回転が鈍ってきているし、緊張状態ではうまく言葉が出てこないこともある。起居時にちょっとバランスを崩すこともある。目も見え難くなっているし、他人の話の聞き取りも困難になりつつある。こんな状態だから話題をまとめるのに難渋するし、壇上で絶句する可能性が否定できない、それが怖いからである。

 最近の講演といえば、昨年10月3日(土)にぎわい交流館AUでの、秋田「生と死を考える会」で、「医療時代と死生観」と題した講演以来である。この会では中通総合病院のスタッフでこの会の世話人をされている方からの申し出で、重い腰を上げた。

 今回は、中通総合病院総師長を通じ申し出があった。世話人は総師長の叔母で、約25年前私の外来に通院したことがある方、という。それでは断れない、とまたまた、重い腰を上げた。
 聞きに来られた方は60-70名ほどだろうか、熱心に聴いていただけた。
 自分では若干言い淀んだ部分もあったが大過なく話し終えた。

 話題は概ね以下の如くとした。
▼あなたは何歳まで生きたい? 自分ではどのように考えているか。
▼人間の寿命について 平均寿命、平均余命、健康寿命。
▼周産期死亡、妊婦死亡、小児期死亡推移。
▼子供の通過儀礼。
▼健康寿命の伸ばし方。
▼介護が必要になる要因。
▼100寿者の現状、100寿を望むなら。
▼認知症、がんは予防できるのか。
▼出来ればガンで逝きましょう。
▼高齢者に望むこと、もろもろ。
▼私が考える人生の定年とは。
▼自然死の素晴らしさ。
▼私の人生とは一体何だったのか?
▼私が望む死の姿。

 講演の趣旨は、生まれた以上、人には死が必ず訪れる。死に際して医療はほとんど無力である。そこに至る前は必要な医療もあろうが、臨死状態では医療は不要、むしろ医療の導入はこの世で地獄を味わう結果になる。
 この辺のことが誤解されている。死ぬべき時は死ぬがよかろう(良寛)、という趣旨で話をまとめた。


9/12(月)晴れ夕方より降雨 健康クリニックドック 飯川病院
 0:45起床。新聞・文献チェック。講演準備若干。途中旭川のコイ、公園のハトに餌、7:30徒歩飯川病院着。新聞チェック他、9:00-11:00健康クリニックドック14人+結果判定4名。11:30飯川病院、微睡、14:00-18:30勤務。入院患者処置、19:00帰宅夕食、20:30就寝。Blu-ray視聴:「世界はいま:北方領土返還交渉問題」、「経済フロントライン:ウガンダの現状」、「コズミックフロント:暗黒物質」観る。歩数計13.740歩、9.674Km。

人工頭脳(AI)の話題(2) スーパーコンピューター
 「2位じゃダメなんでしょうか」、この9月15日に行われる民主党代表選で本命を走っている蓮舫氏を最も有名にした言葉である。神戸市にある理化学研究所計算科学研究機構のスーパーコンピューター京(スパコン京)は2011年世界一の能力であったが、その後1位から4位に後退した。スパコン京の後継機は「1位」を志向しない方針とのことだから蓮舫氏の言葉通りになった。

 スパコンは科学や産業を支える基幹技術のため、各国が開発にしのぎを削る。
 日本のスパコン開発方針を機能を伸ばすことを第一にしない理由の一つに消費電力の問題がある。スパコン京の電気代は1日700万円弱にもなる。単位時間当たり一般家庭の27.000戸分の驚くほどエネルギーを消費する。通常では考え難いほどのエネルギーを要している。

 スパコン京の次期機種は単に全体の計算速度を上げるためでなく、人工知能研究、医療や防災、基礎科学などの九つの重点課題に機能を分担する設定した。

 例えぱ創薬分野では、新薬の候補となる物質が、病気の原因になるたんぱく質とどう結ぴつくかを調べるシミュレーションに使われるが、スパコン京で1年かかった計算が次世代機では5日で済むという。単に時間あたりの消費電力も京の3割程度に抑える。これはエネルギー消費の面、スパコン利用費用の負担の面からも著しい改善となる。理研は1月から富士通と共同で開発している。
 スパコン京の次世代機種は総事業費は1300億円。うち1100億円に国費が投入される。文科省は数兆円とみられる経済波及効果についても試算しており十分ペイすると見ている。

 スパコンとは私どものパソコンより、とてつもなく速い計算が出来るコンピューターのこと。通常のパソコンの10万倍早く計算できる。この速度はナメクジの速さとジェット戦闘機の速さに例えられる差らしい。
 スパコンはコンピューターの頭脳CPUをたくさんつないでいる。パソコンに入っているCPUは通常は一つ。京はさらに機能を上げたCPUを8万個以上をつないで計算している。

 スパコンは気象予報や津波被害、ロケットの進路予測・軌道の計算、自動車などを作る時のシミュレーションなどで活躍している。将来の生活や産業に欠かせない。
 例えば新設計の自動車の安全性・耐久性を調べるのに従来は衝突試験を行ったが、それでも得られるデータには限りがあった。スパコンならば条件を自由に変えて何度も試算できる。

 計算は単に演算の問題としてではなく、理論、実験と共に第三の科学とも呼ばれるようになってきた。今のスパコン京程度の能力ではまだまだ非力で各界からの求めに応じられない、という。まだまだ機能を高める必要があるが、そのために消費電力の問題、設置スペースの問題など解決しなければならない項目は多い。

 私もパソコンを手離すことができない生活を送っている。その機能に不満を感じていないから私の頭のレベルはナメクジの歩み程度、ということでもある。それにしても、現代社会が求める機能は私など予想することもできない遥か遠くのレベルを走っている、と感嘆するばかりである。


9/11(日)曇りのち快晴  
 0:00起床、新聞チェック、本読み、データ整理ほかいつもの如し。歴史本読み。畠整理、杭抜き草刈り。ナスだけ残す。ダリアに杭打ちし茎固定。書斎整理、小物廃棄。午睡とる。Blu-ray視聴:「NHKのど自慢数編」、「題名のない音楽会」、「らららクラシック:ブルックナー編」ほか観る。19:00夕食、20:00就寝。歩数計7782歩、9663Km、休日は伸びない。

人工頭脳(AI)の話題(1) 機能から知能へ?
 最近、人工頭脳に関する話題が喧しい。いずれも興味深い。

 1997年チェスの人間代表がIBMのコンピューターに敗退した。今年3月、将棋や囲碁でもプロが敗れた。後者では1秒間に2億手の速さで過去の差し手を虱潰しに探した結果だという。これだけの速さで過去の差し手から最もふさわしいと考えられる手を探されたのでは人間は到底太刀打ちできないだろう。コンピューターの最も得意な分野がこの検索機能である。
 問題は、どの差し手がその場の状況に最もふさわしいのかの判断であるが、これをコンピューター自身が判断するとなると、これは機能でなく知能となる。これらの勝負の結果はその道に詳しい人々に大きなショックを与えた。

 これから人工知能の世界はどうなるのだろうか?
 これに関して、魁新報に絶妙なコラムが掲載されていた。なかなか示唆に富むので引用させていただく。

 【ある研究機関が、スーパーコンピューター3台に人類の歴史を細大漏らさずデータ入力した。それを基に人類と地球の近未来を予測させる試みをした。
 スパコンの回答は三者三様だった。

 @国家や集団間の自衛を大義名分とする戦争が次々に勃発し、ついには世界全体に及ぶ。
 A某大国か権益拡大を企図し、強引な横車を押して近隣諸国を蚕食し始め、戦争の火種となる。
 B某独裁国家の暴発から世界核戦争に至り、人類及び地球が滅びる。

 研究者たちは驚いた。3台のスパコンのどれも、戦争の拡大を予測していたからだ。しばらくするとスパコンは3台ともプーンプーンと苦しげな音を立て始め、黙り込んでしまった。
 そこで、研究者たちは「敗戦」「日本」「希望」という三つのキーワードを新たに入力した。スパコンは力強く再起勤し、画面に「憲法第9条」という大文字を明るく映し出したそうだ。さらに、「人類の英知を結集した世界的組織が出来上がり、すべての戦争は回避される」との予測が示されたのだという。戦争を知らないおじさんが、暑い真夏の夜に見た夢の話。(エッセイスト飛鳥圭介氏 8月10日魁新報のコラムより)。】

 上記コラムはどこの国家の問題か記載ないが、アジア周辺国の問題であることがわかる。
 同じデータを入力した結果の出力が、どれも戦争の拡大を予測していたことで一致していたことである。単なるコンピュータの機能なら同じ結果が出てくるはずであるが、三者が微妙に異なりながら将来の方向性がほぼ一つであった、というのが面白い。「戦争を知らないおじさんが、暑い真夏の夜に見た夢の話」と締めくくってあるのが残念である。

 この話題は今後の人工知能の方向性が示されていて面白い。


9/10(土)朝方曇り、のち晴天に  北朝鮮5回目の核実験
0:20 起床。いつもと同じ。本日フリー、朝から午前中は本読み、データ整理に集中。午後は日差しが弱るのを待ち畑、ダリアの世話など。畠の草刈。19:00夕食、20:45就眠。Blu-ray視聴:「NHKsp:星野哲郎」、「N響ホットコンサート2016」ほか観る。歩数計11181歩、9657Km。

自身の健康寿命延長のために(2) 二本足歩行維持の重要性
 健康寿命延長は、禁タバコ、禁多量飲酒、体重維持、朝食を摂る、健診・医療を受ける、毎日適度の運動、十分な睡眠・・とされる。認知症予防も100寿目的の健康管理もこれと同じ。

 要するに、長命のため、認知症予防のため、100寿目的のためには、当たり前の日常の健康管理が重要であって、それらに著しい効果のある項目はない。ましてや健康食品、サプリなどは意味がない。

 この中で高齢者にとって最も大切なことは「毎日の適度の運動」を第一に挙げたい。
 内臓の鍛錬は必要かどうか?? 内臓は一般的に十分な余力を持って機能しており、通常の生活では100寿になっても限界を迎えることはない。病気があれば別であるが。

 ところが、筋肉は事情が異なる。生涯にわたって鍛える必要がある。
 人は進化の結果、二本足で立位で行動できる様になり、手を自由に使える様になった。そのために全身のすべての筋肉、特に下半身の筋肉は大きく発達し、骨格、内臓も含めて立位の生活に順応した。標準的な人では、筋肉は体重の47%を占め、そのうちの60%以上が下半身に集中している。

 立位での生活維持には、十分に発達した筋力と全身のバランスが必要である。
 人は生後しばらくは臥位で、四肢を無目的に動かすことしか出来ない。寝返りをうつにも3け月、安定した歩行ができるまでに1年、自在に動けるまでには10年近くも要する。筋力とバランスの発達にはこれだけ長期間かかる。
 筋肉はこれ以降、個々人がどのように鍛えたか、訓練したかによて発達の度合いが決まってくる。

 筋肉は30歳代でピークを迎え、以降徐々に機能低下が始まる。30代以降、5%/10年の割合で筋肉量が減少する。最初は余力があるから誰も気づかないが、訓練を十分に積んだアスリート達が30半ばで後輩に追い抜かれて行くのはこのためである。80代には、最盛期の半分近くまで筋肉量が落ちていく。ここまで落ちれば二本足歩行の維持に危機的状況になる。ましてや日常ほとんど運動しない中年女性にとっては厳しい。

 私は高校生になるまで虚弱、腺病質であった。随分病気もした。
 だから、中高大の時に参加したくとも通用せず部活などやったことはない。大学入学時、53Kg/174cm、筋力は弱く、割り箸のごとくの体型であった。

 私の身体的コンプレックスはかなりのもので、今でも続いている。そんな背景があって現役引退後はできるだけ体を動かすようにしている。それも一人でできるものを選んだ。2011年クロスバイク購入、約1年でΣ5000Km走った。2013年春からは徒歩にし、3年半でΣ9600Km歩いている。半ば脅迫的に動いているのは60歳過ぎた頃から筋力の低下を自覚しているからで、身体を使わなければもっとダメになる、と自覚しているからである。

 私はアンチエイジングを是とするものではない。人は老化するのが当たり前。だからウイズエイジングで過ごしているが、筋力低下に抗している点ではアンチエイジング派の一人である。


9/9(金)雨模様 大曲中通病院外来 飯川病院ボランティア
0:30起床、文献新聞徒然他、5:00可燃ゴミまとめるも廃棄せず。7:30Taxi駅。8:10こまち。9:10-12:10大曲中通病院外来。駅病院間往路徒歩、小雨で濡れる。秋田駅から飯川病院の間に「狐の嫁入り」的降雨あり、ずぶ濡れ。19:00Taxi帰宅、夕食。20:00就眠。歩数計10200歩、9648Km、長崎まで71Km。Blu-ray視聴:「アナザーストーリーズ:美空ひばり、ハドゾンの奇跡」、「そこまで言って委員会:天皇生前退位」ほか観る。

自身の健康寿命延長のために(1) 内臓より足腰
 今は人生80年時代。過去400年間、人生50年以下だった。
 私はいま満71歳である。この歳で老化や自分の老後の健康を論じるのは早すぎるのでは? いや、そうではない。この問題はスタートは1日でも早いほうがいい。
 何しろ、我が国の平均寿命は男性は80.2歳であるが、健康寿命は71.2歳で不健康な期間を9年間過ごしてから死亡する。もう私の寿命は一般論としては健康寿命ギリギリまで来ている。むしろこういう自覚は遅すぎるくらいである。

 それは、私の外傷暦や病歴にも表れている。
 ここに至るまでの間、幼少期の病弱期を中高校生の頃から乗り切り、以降大きな病気をしなくなったが、2003年のアキレス腱切断を機会にいろいろな怪我や病気に罹患、遭遇した。
 列挙するのも気恥ずかしいが、主たるものは、2007年膀胱頸部硬化症手術、2008年肺癌疑い、2011年発作性心房細動、2012年クロスバイクの転倒、腸閉塞手術、脳梗塞、2013緑内障、2015年崖から滑落受傷、それによる腰痛などなどである。その他、右下腹部には何れは手術を要するであろう腹壁ヘルニアがある。

 こんなことを繰り返したが、私の人生は幸運に次ぐ幸運の積み重ねで今までは概ね素晴らしかったと考えている。しかし、今後何時・何処で突然不健康、要医療、要介護状態にならんとは限らない。その要因はすでに私の中に存在し、機会を狙っている。

 個々人でいろいろな考えがあっていい領域であるが、私は単に栄養をとって呼吸して排泄しているだけの状態を人生と思っていない。生活のための支援や介助を受けるレベルにはいろいろな程度があると思うが、私は自力移動、栄養摂取、呼吸、排泄に濃厚な介助が必要な状況になったら自分の人生は終わった、と考えたい。もちろんこの考えは他人に求めない。他人はどんな状態で生きようと自由である。

 現在はのびた寿命に身を任せ、死を待つ日々が長い。私は他人の誰にも求めないが、心中では各人の死生観の確率は大事だと思っている。

 健康寿命の延長は内臓より足腰と考えている。

 私がやっていることは徒歩通勤である。かつては往復も試みたが時間が勿体無いので長続きしなかった。今は自宅と病院間6Kmを歩いている。その時に千秋公園の御隅櫓にまで登る。階段200段程度に相当する。所要時間60分余である。
 土日は通勤がない。飯川病院に日当直がある際には自転車にしているから土日は歩行距離が伸びないが、なるべくこまめに足を使っている。不足を感じた際には膝の屈伸スクワットを50−100回加える。
 可能な限りエレベーターには乗らない。階段は2段登りにしている。
 9月1日から本日まで歩数計を集計してみると1万歩を超えている。まずまずである。


9/8(木)午後から降雨 外来 飯川病院
0:20起床,医学文献、新聞他、7:30徒歩飯川病院着。8:45-13:00中通病院外来。13:15飯川病院、微睡、14:00-18:45勤務、入院患者処置対応。19:30帰宅、夕食、21;00就寝。歩数計13805歩、9640Km。Blu-ray視聴:「映画:レンタネコ」後半、「知恵泉:正岡子規」、「NHKsp:キラーストレス」、「江戸のススメ:歌川国芳」観る。

猫とじいちゃん本 「ねことじいちゃん」 ねこまき著 KAGOKAWA 第1巻2015年8月、第2巻2014年4月 @1100円
 娘から提供受けた漫画全2巻、第2巻は本年4月発売のほやほや。第1巻は8万部出たという。普段マンガを読まないような高年齢層の世代にも受け入れられたらしい。

 妻に先立たれた大吉じいちゃんはネコのタマと二人暮らし。設定は高齢者中心の小さな漁港、大吉じいさんの年齢は76歳。「共に白髪の生えるまで一緒」と亡き妻と約束したというが、じいちゃんはとっくに禿げあがっていたと思われる。じいさんと一匹のネコが繰り広げる毎日の何と言うことない日常話。だから、一話一話がいとおしい、ゆったりとした日々の表現である。そこには無理やり作り上げたような話題は皆無、なのに引き込まれる。

 絵は絶妙な丸みでこの可愛い絵にも癒される。特に、亡き妻との思い出の場面、若い奥さんの表情が何ともチャーミング。ネコの絵も少ない線で、的を得たズバリの表現でネコの心理状態を示しており無駄がない。

 タマのじいちゃんに対する親愛の気持ちが痛いほど伝わってきた。ネコは4?5歳にもなると飼い主とかなり通じて来るようになる。ネコの視線も変わってく。それに対してじいさんは優しく応える。ほのぼのと心が温かくなった。

 私にとってはちょっと切なくなったりする場面も少なくない。
 私は小学校1年から高校卒業まで一匹のネコと離れの一軒家で共に過ごした。小学の頃は私が病弱でスキンシップを自分から求めて大いに癒されてきた。
 中学から高校にかけては逆にネコの体力が衰えてきた。いつも私の勉強机の上で過ごしていたが、机にも私の膝に飛び乗ることもできなくなった。小さなハシゴを作ってやったり、できるだけのことをしてやった。しかし、ネコが私に求める気持ち、スキンシップの求めも変化してきた、と今から考えると思えてならない。晩年はほとんど私から離れることはなくなった。その当時、私は右肩上がりに健康になっていたために老ネコの気持ちに寄り添えたのか、今になって自信が持てない。老ネコは、私が進学のために家を離れた1週後に死出の旅に立った。母親から連絡があり私は涙した。この時期に死出の旅にたったことはとても偶然とは思えなかった。

 この「ねことじいちゃん」を何度か読んだがそのたびに、50年も前に死んだ老ネコのことを想う。いま身近で過ごしている2歳のプチが登場することはない。
 
 青春時代、一匹のネコと共に生きてきて、その一生を観察し、数多くの思い出を持つ私にはたまらない作品である。
 私が今後それほど生きながらえるとは思っていないが、もしそうなったら、今度はプチを相手にかくありたいものである。


9/7(水)曇りのち晴れ フリーで出勤せず外仕事
 0:00起床。文献・新聞。医学論文など。午前は庭の草刈り、立木伐採。かなり明るくなった。午後微睡、データ整理、不調のiPad復元作業。Blu-ray視聴:「NHKのど自慢:高知県」観る。歴史本他。19:00夕食、20:30就寝。歩数10300歩、9629Km。

新型出生前診断と相模原事件(4) 差別感
 相模原事件の容疑者は「ヒトラーの思想が降りてきた」と話しているという。ヒトラーは、施設で暮らす障害児や、精神病院に入院する患者など、最低でも7万人、一説には十数万人を殺害するよう、非公式の命令を出したという。
 
 だがここで考えるべきは、それがヒトラーに代表される特別な過去の異常な狂信者・変質者の感覚なのか?ということである。

 私は必ずしもそうは思っていない。
 誰しも自分を中心にしてしか物を見ることも聴くことも出来ない。考えることも出来ない。すべて自分中心であり、その自己には他者との比較の結果、劣等感と優越感が形成され、そこに羨望と嫉妬、侮蔑の感覚が生じている。この感覚は人生の中で何を経験したか、何を学んだのかによって外面的には修飾されていく。だから、人目もあるし、直接的には口にださなくなるが、深層の感覚は消えることはない。少なくとも私にはそのような感覚があることを否定出来ない。

 もし、私たちの社会が、全て同じ仲間として考える、信頼できる理想的な共同体であったなら、相模原事件は起きないだろう。しかし、現実にはそんな社会はありえない。この社会は、経済的視点を例にとって見ると、少なくとも資本主義社会では羨望と侮蔑のエネルギーによって維持されているように思える。そして弱者からの搾取で富を蓄積し、自分を安泰の中に置く。

 私たちの社会は、多様な姿や価値観を受け入れる社会に向かえるのか、それとも障害のある方々を排除する社会に向かってしまうのか。この問題に関して、無知、無関心、無経験が一番の問題である。今回の事件の容疑者は2年ほど同施設で働いていたという。通常であればを、障害のある方々を理解し広く受け入れる方向に心が向かうと思うのだが、この点は理解しがたい。何か最初から病的な、偏屈した性格等が疑われる。
 自身の優位性を認識することは個々人の自由な感覚であるが、それを生命の価値にまで結び付けることまではいかないし、その考えを自ら実行に移すなど理解し難い。容疑者に何があったのか、分析を進めてほしい。

 同時に、私たちの社会が綺麗事ですまない感情が入り混じっていることも認識すべき、と思う。
 日本では優生保護法が1996年まで続き、この法のもとに多数の堕胎や不妊手術が行われた。この問題を私たちの社会は総括せず、国民の問題としてけじめをつけないまま現在に至っている。これも社会的背景の一つになっていると考えたい。

 私は、「健常者の多くは、障害者を差別・蔑視すると言う心的障害を持つ障害者である」と思っている。勿論、私も同列の一人である。要するに、健常者は特有のフィルターを通して障害者を見ているが、健常者は、知的に、倫理的に、社会的にそのフィルターに蓋をする様求められ、建て前と本音を使い分けて振る舞うが、時として本音が飛び出す。
 
 多くの場合、差別感は成長の過程で家庭で植え付けられる。特に日本はその傾向が強い。子供達が抱く差別感というのは正直で、直線的で、容赦がない。これがいじめのルーツにもなっている。その陰に、大人達が持つ差別感を読みとれる。


9/6(火)晴れ時々曇り 外来 飯川病院 
0:30 起床、医学文献・新聞ほか。5:15可燃ゴミ提出、7:25徒歩飯川病院着、 8:45-13:50中通病院外来、数質ともに混雑。14:00-18:20飯川病院。18:50帰宅、19:00夕食、20:30就寝。Blu-ray視聴:「映画:レンタネコ」中間部観る。歩数14564歩、9621Km。

徒歩通勤2016(8) ヘルスチャレンジに便乗(1) 
 私が勤務する明和会には共済会があり種々のイベントが計画される。その中で私が参加しているのは健康増進のための「ヘルスチャレンジ」である。

 私は身辺のことはできるだけ記録に残して置くようにしている。今まで「ヘルスチャレンジ」についての項目を引っ張り出してみると以下に例示した10項目があった。日々の記録を取っておくと面白い。記録がなければ記憶に残らないことが思い出されてくる。

 今まで5回エントリーしている。エントリーと結果がペアで記録されている。

▼2007年02月28日「ヘルスチャレンジ2007(1)」3Kg/2Mの減量にエントリー
 2007年05月04日「ヘルスチャレンジ2007(2)」達成
▼2009年09月02日「ヘルスチャレンジ2009(1)」歩行60万歩/2Mにエントリー
 2009年12月15日「ヘルスチャレンジ2009(2)」2週間で頓挫 
▼2010年09月01日「ヘルスチャレンジ2010(1)」自転車/2Mで200Kmにエントリー
 2010年11月29日「ヘルスチャレンジ2010(2)」達成
▼2011年09月04日「ヘルスチャレンジ2011(1)」多項目達成を目指す
 2011年10月31日「ヘルスチャレンジ2011(2)」クロスバイク/2Mで200Km達成。 
▼2012年08月22日「ヘルスチャレンジ2012(1)」多項目達成を目指す
 2012年10月16日「ヘルスチャレンジ2012(2)」病気で頓挫した

 2007年には私はなんと175,5cm、66,6Kgであった。古い記録を出して見て改めて感慨に浸っている。 
 2009年には歩行60万歩/2Mにエントリー、頑張りすぎて足底にマメを作ってしまい、疼痛のために歩行困難となり頓挫した。
 2010年には自転車/2Mで200Kmにエントリー、マウンテンバイクまがいの自転車であったが何とか達成した。
 2011年には自転車/2Mで200Kmにエントリー、クロスバイクを用いており、2ヶ月で1.284Kmを走り軽々と達成した。
 2012年には多項目達成を目指してエントリーしたが、クロスバイクで転倒、次いで腸閉塞を発症し頓挫した。このとき続いて脳梗塞も発症した。

 2013年以降は嘱託医の私には連絡がなかった。もしあれば参加していたはずである。今年は医局の机の上に共済会のパンフレットがあった。久々の参加である。
 もう歳だから無理せず歩行60万歩/2Mにエントリーした。
 通勤の往路を原則徒歩にしているが気力の減退か、雨が降りそうだ・・なんて勝手な理由をつけてバスにしたり、自転車にしたりする機会が増え、その度に忸怩たる思いにかられる。
 歩数の目標を1万歩/dayにしてあるが、積算を初めた当初こそ1.5-2.0万歩/dayの日もあったが、3年4ケ月目の先月末の時点で9620歩/dayと目標を切った。最近の弱気をカバーするために「ヘルスチャレンジ」の機会を利用しようというずるい魂胆である。

 9月1日スタートしたが、ちょっと安易な項目を選びすぎた、と反省もしている。多分、歩行60万歩/2Mは達成できるだろう。もっと厳しい項目も課すべきであった。


9/5(月)晴れ 健康クリニックドック 飯川病院
 0:20起床。新聞・文献チェック。データ整理、7:39徒歩飯川病院着。新聞チェック、健康クリニックドック判定他。9:00-11:00健康クリニックドック14人+CTR判定14名。11:30飯川病院、微睡ほか、14:00-18:50勤務、新聞チェック、読書他、19:15夕食、20:30就寝。Blu-ray視聴:「映画:レンタネコ」、歩数計12992歩、Σ9609Km。

新型出生前診断と相模原事件(3) 両者の考え方の背景は同じではないか 
 新型出生前診断と相模原事件には同じ考え方があるのではないか??
 突飛と思えるかもしれないが、普段からマイノリティーに対する差別、老人問題、障害者問題に関心を持っている私にはそのように感じられる。相模原事件は憎むべき個別の凶悪犯罪ではあるが、そればかりと見なすことは出来ない部分もある。

 私たちの社会で知らず知らずのうちに、障害者の存在を否定し排除していく考え方があるのではないか。私など少ないかもしれないが、私の心の奥には、複雑かつ不快な感情として否定することは出来ず、嫌な感情としてまとわりついている。もっとも他の方々の考えは知る由もない。言えるのは、私はそうだということのみである。

 最近は、マイノリティーに対する憎悪に基づく「ヘイトスピーチ」や「ヘイトクライム」が平然と行われるような社会状況がある。社会的に困難な状況にある人たちへの暴言をたしなめるどころか、「よく言った」ともてはやす風潮も見られる。そのような集団的な行為だけでなく、ネットでは困難な状況にある人たちへ罵詈雑言が飛び交っている。

 報道によれば、容疑者は「ヒトラーの思想が降りてきた」と話しているという。これはナチス政権下で行われた「安楽死』政策、いわゆる「T4作戦」のことを指しているのだろう。ヒトラーは、施設で暮らす障害児や、精神病院に入院する患者など、最低でも7万人、一説には十数万人を殺害するよう、非公式の命令を出したという。書類としては残っていない。

 優生思想とは、遺伝学的に「劣等」な者を排除し、「優秀」な子孫を増やすことにより、民族全体としての健康を向上させようとする考え方のことで、この発想の元に強制的な不妊手術が広く実施されたのは、実はヒトラーではなく米国が最初であった。
 1907年にインディアナ州で断種法が可決されたのを皮切りに、1931年までに30州で法案が成立し、精神障害者などに対して1万2千件以上の不妊手術が行われた。
 スウェーデンでも、1934-75年までの間、強制的な不妊手術が行なわれた。

 日本では1940年に「国民優生法」が制定された。法は「悪質な遺伝性疾患の素質を持つ者」に対する不妊手術を促していた。だが戦中戦後は強制的な不妊手術は行われなかったらしい。戦後1948年「優生保護法」が成立、遺伝疾患のほかに「ハンセン病」、さらに「精神病」等も追加された。優生学的理由による中絶も可能となった。この法律は1996年に「母体保護法」に改正されたが、強制的に行われた不妊手術は1万6千件以上にのぼる。

 現代社会においても、優生思想は形を変えて存続しているのではないか?と考えざるをえない。新型生前診断に基づく堕胎、今回の障害者殺戮事件、ヘイトスピーチ、生活保護家庭に対するバッシング、認知症などのほか身体的障害を伴う高齢者をまとめ社会から離そうとする対策など、マイノリティを排除し「社会の負担、個人の負担を減らしたい」という意図に基づくという点で、共通するのではないか。

 障害者支援法、母体保護法、ヘイトスピーチ対策法などが次々と成立している。こんな法によって、障害者を、マイノリティを保護しなければならない現実は、その社会に、自分と異質な人々に対する差別感が根強く残っていることの証でもある。


9/4(日)快晴日差し強烈 川辺講演 国際ダリア園 
 1:00起床、新聞チェック+歴史本、医学論文読み。講演再チェック。12:00川辺交流センター、13:30-15:00講演。60名ほど参加。16:00国際ダリア園、まだ初期の花々、10月が見どころか。肥料はど教わる。広面いとくに立ち寄り18:00帰宅。Blu-ray視聴:「題名のない音楽会」観る。疲弊した。19:00夕食。20:30就寝。歩数8452歩、9593Km。

新出生前診断と相模原事件(2) 相模原事件
 新出生前診断で異常があった場合には「9割が中絶」の方に目が向けられがちだが、約1割の人が産むという選択をしたことはすごいことと受け止めなければならない。その方々の心境など私は到底うかがい知れない。

 いのちをめぐる問いに、当事者以外はとても答えを出すことはできない。だか、共に考えることはできる。苦悩する妊婦や、苦労して障害児を育てる親に寄り添いながら、心身障害児・障害者と、その家族を支える地域づくりをへの参加などである。全国に約4万3千人とされる医療で救われた命。自力では移動も食事も困難な「最も弱き者」だが、その瞳は、命の尊厳を問いかけている。

 しかし、きれいごとを言うのは簡単であるが現実は厳しい。自分の問題としてどう考えればいいのか、私の本音の部分には理性で覆い隠さなければならない嫌な感覚が宿っていることは否定できないからである。

 7月26日未明に相模原市の障害者施設で生じた19名死亡、26名重軽傷を負ったという事件はam3:00頃緊急ニュースとして速報された。私はラジオ深夜便を聴きながら文献等を読んでいた。その時は詳細はわかっていなかったが、多数の障害者が犠牲になったらしい事件で、私は異様な不快感を持った。

 同施設で3年以上も働いた元職員の26歳の容疑者は警察に出頭し逮捕されたが、「障害者なんていなくなればいい」等と語ったという。容疑者は2月には施設周辺にビラを配り、2月13日には首相官邸に行き自分の考えを綴った手紙を手渡そうとしたが警備が厳重で果たせず、2月15日には衆院議長宛てに「私は障害者を抹殺することができる」との文章で始まる手紙を書いていたと報道された。政府関係者からの情報という。

 なぜそんな考えを持ち、犯行にまで至ったのかは現段階では分からない。精神疾患??それも不明であるが、障害者に対する露骨な差別意識、優生思想が背景にあることは間違いない。

 今年4月、障害者差別解消法が施行された。差別解消を進め、障害の有無によって分け隔てられることのない共生社会を実現しようとする法律だが、それが施行された年に優生思想に基づく虐殺事件が起きた。

 法の背景には障害者をへの差別意識の存在である。法の施行と相模原事件、同じ年に起きてしまった。なんとも言いようのない不快な気持ちで見てしまう。
 その意識、自分に無いと言い切れないからである。


9/3(土)快晴 飯川病院日直
0:30起床、本読み、文献チェック。午前はデータ整理、講演準備。11:00屋根塗装関連見積もり。12:30クロスバイク飯川病院日着日直に就く。新聞データ化、微睡。15:00外来レセプトチェック終了。16:30健康クリドックデータ整理続き。18:00帰宅、新聞電子化、19:00夕食。20:00就寝。Blu-ray Disc視聴なし。歩数計9731歩、9592Km。

新出生前診断と相模原事件(1) 出生前診断
 従来、知るのが不可能であったことが、科学の進歩で可能になって来た。
 結果を知ったらどうするか、難しい決断が迫られるようになった。検査を受けるか否かは自由だから自己責任と言えばそれまでだが、そのためには自分でも判断できるほどの正確な知識と決断力が必要である。

 新型出生前診断は、無侵襲的出生前遺伝学的検査とも呼ばれるが、そのような検査の一つである。妊婦の血液中には、微置だが遊離のDNAが流れている。妊娠中は、自分のDNAだけでなく、胎児のDNAもある程度混じっている。妊婦の血漿中にある遊離DNAのから胎児の遺伝子を解析し、胎児の染色体や遺伝子を調べる検査である。確定診断には侵襲的な羊水検査が必要となる。

 日本国内では2013年4月より、日本医学会の認定・登録委員会により認定された施設で検査が始まった。現在は71施設で行われている。対象者は超音波検査などで胎児の染色体異常の可能性が示唆された妊婦や高齢妊婦とされている。指針案の段階では35歳以上の妊婦と年齢が定義されていたが、その後年齢条項は削除された。
 費用は健康保険の適応がなく自費扱いとなり、日本では20万円程度の負担となる。

 一般的に、高齢出産では胎児異常が増えていく。晩婚化、不妊治療の増加を背景に、新出生前診断のニーズが高まっている。受診者が3年間で3万入超に上ることが各地の病院でつくる研究チームの集計で分かった。

 おなかの子の状態を知りたいというのは、多くの夫婦の願いであろう。だが、異常が分かった場合には極めて重い選択に直面する。受診し、染色体異常の疑いで羊水検査に進み、異常が確定したうちの94%、394人が人工妊娠中絶を選択したそうだ。随分中絶例が多いように思われるが、異常があれば中絶と考えて検査を受けているだろうから、高率になるのは理解できる。一方、異常の可能性が高いことが告げられても出産を決意した6%の人たちは、どれだけ悩んだことだろうか。

 検査の偽陽性が10%あるという。こんな中「産むか、否か」の是非を他人が問うのは酷だ、と思う。「産まない選択をした夫婦のことを、誰が責めることができるか」、私は言えない、と思う。
 「産む」という選択をした家族には、多大な自助努力が求められるのが現状である。生まれてくる子供、その両親・家族を継続的に支える社会の仕組みが十分とは言えない。検査する病院に適切なカウンセリング体制があることが実施要件の一つであるが、社会のバックアップ体制はそれを裏付けてはいない。
 実に重い選択が課せられる。


9/2(金)快晴 大曲中通病院外来 ホキ美術館展 飯川病院ボランティア 
1:00起床、新聞・文献他.蓄積データ整理、5:00可燃ゴミ出し。7:40Taxi駅に、8:10こまち、8:45-12:15大曲中通病院外来。往路徒歩。13:00秋田県近代美術館2回目。15:30飯川病院帰院。散水、人間ドックデータチェック半分済み、など。19:00Tax帰宅。夕食、20:45就寝。Blu-ray Disc視聴:「そこまで行って委員会:暴言大賞など」。歩数計11016歩、9585Km。

医療はどれほど役に立っているか?2016(7)不健康状態への医療は?
 高齢者はいずれ死すべき状態にあるから、その健康状態は長いスパンで見れば維持できない状態になり、必ず障害を発症してくる。

 高齢者の死亡率は100%であり、今までに死ななかった人はいない。
 若い世代と異なり、高齢者の生活は状況に応じて質的に差が大きくなる。したがって高齢者の寿命に関しては時間的長さだけを論じても意味がない。
 高齢者ひとりひとりにとってその生活の質が重要であり、意識がない状況の患者の寿命を延ばしても意義はないと私は考える。
 しかし、この面で患者家族、介護関係スタッフ、主治医のコンセンサスは得られていない。

 自立できない不健康状態といってもいろんなレベルがある。個体差も大きい。私の判断でざっと分類してみると、
▼1 軽い援助、見守りをすることで日常生活が可能になる。
▼2 援助をすることで日常生活が可能となる。
▼3 寝たきり状態であるが、援助をすることでベット上で摂食可能、排泄もコントロール可能
▼4 寝たきり状態で意識はあるが、自力摂食不可能で栄養は点滴、経鼻菅、胃瘻で、排泄もオムツ。
▼5 強度の意識障害がある。全介助状態。

 これらの援助は一般的に介護の領域である。介護が自宅なのか、病院なのか、施設なのかの別はあるが、実際には医療も濃厚に関与している。
 要介護状態に至った理由が関連してそれに関する医療が継続していることが一般的である。私の本音を言えば、患者の状況の程度にもよるが医療を徐々に削減していっていい、と思う。徐々に自然の経過に任せていくべき、と思っている。

 不健康状態にある高齢者の方々への医療は、医療本来の意義と、本人の人生観、家族の考え方、医療関係者の考え方が反映されてくる分野である。当然これらの方々の意見は一致することは少ない。
 その際、医師をはじめ医療関係者は積極的な意見を主張しないことが多い。本人や家族の説得が面倒だということもあろう、折角それなりに安定している状態をあえていじることもない、と消極的である。
 結果的に、濃厚な要介護状態にあるにもかかわらず、経口薬が10種類以上も投与されていることも少なくない。このような状況にある方々へこれだけ濃厚な治療を続けてもその効果はそれほど期待できない、と私は考える。

 男性の場合の健康寿命71.19歳、その後、不健康状態期間は9.02年である。
 女性の場合の健康寿命74.21歳、その後、不健康状態期間は12.40年である。

 健康寿命の延長は重要であるが、不健康状態期間の積極的な延長の意義は私は大きくないと考える。
 健康寿命は世界一である。今年の平均寿命は男女ともに世界一を香港他に譲り渡した。健康寿命の延長は大事であるが、不健康状態期間が短縮し、結果的に平均寿命が伸び悩んでも全く問題ないと思われる。記録なんかどうでもいいのだ。個々の患者の生命の、生活の質が重要である。


9/1(木)晴れ 外来 飯川病院
1:10起床。新聞雑誌データか。録音データ整理。5:00資源ゴミ整理、出さず。7:30飯川病院着、8:45-14:00外来。混雑した。ドック関係判定総括は全然できず、飯川病院で進める。14:15-18:20飯川病院勤務。入院患者処置3名。Blu-ray Disc視聴:「そこまで言って委員会:世界の女性政治家」後半,「世界はいま:アフリカの現状」。19:00帰宅、夕食、20:30就寝。歩数計14437歩、9575Km。

医療はどれほど役に立っているか?2016(6)健康寿命とは何か 延長するには
 高齢者の死亡率の改善に医療の関与は大きいのだろうか??

 高齢者はいずれ死すべき状態にあるから、死亡率は100%であり、この率に改善は有りえない。
 若い世代と異なり、高齢者の生活は状況に応じて質的に違いが大きい。時間的長さだけを論じても意味がない、と考える。高齢化社会においてはその生活の質が重要であり、寝たきりに近い状況の患者の寿命を延ばしても価値はないと考える。
 「寝たきりを増やして今年も世界一」と唱われるようでは困る。しかし、この点には意外とコンセンサスはない。

 平均寿命は健康寿命と不健康状態寿命の和で表される。
 健康寿命とは、単に寿命が長いか否かでなく、健康な状態で長生きするして欲しいとの考え方に基づき、世界保健機関(WHO)が2000年に提唱した。
 健康寿命の定義はあまりはっきりしたものではない。介護が必要だったり、日常生活に支障なく、自立して過ごせる期間を示す。この間、医療を受けているか否かは問わない。

 日本の健康寿命は男性が71.11歳、女性が75.56歳で、男女とも健康寿命は1位だった。このうち健康状態が良く、自活して生きている方々は、たとえ投薬を受けていても薬の効果によって健康状態が維持されているのではなく、自分の力で生きておられるのであって、医療の関与は否定はできないがそれほど大きくはない。

 ただ、機能的にギリギリのところを薬物で改善させている方もいて、このような場合には健康寿命を延長していると言えるだろう。しかし、比較的内蔵機能障害の少ない高血圧症、高脂血症などの場合、治療が患者の寿命とかにどのように寄与しているかは明らかではない。一般的に、常識的予測のもとに、あるいは漫然とした不安感で治療をしている方が多い。私は軽い異常の場合には基本的に薬物療法をしない。

 この健康寿命は個々人の努力のもとに延長することができる。
 その項目は、(a)タバコ・飲酒、特にタバコは禁である。 (b)毎日適度の運動 (c)十分な睡眠 (d)体重維持 (e)食事、特に朝食 (f)検診医療を受ける・・・、である。これらは認知症にも繋がる健康維持のための基本的な項目である。楽してサプリメントなどでは達成できない。

 「贅沢・美食・運動不足は残り時間の浪費である」は名言である。



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   年を通じてワンパターンで淡々とした毎日です。AM2:00-5:00にメールチェック・返事送付、人間ドック(HDD)判定・報告書作成、新聞切り抜き、病院・医師会業務など。
  月〜土曜は6:00頃出勤、HDD報告書印刷、外来書類処理など。病棟回診、HDD受診者とミーティングと診察。8:45-14:00外来とHDD受診者に結果説明。昼食は摂りません。午後は病院業務・医師会業務、各種委員会等に出席など。20:00頃帰宅。
  日曜・祭日もほぼ同様ですが、病院には午後出かけます。時間的に余裕無いのが悩みです。


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