徒然日記
2016年3月分

 日記と言うより、自分の行動記録からの抜粋と日々の雑感です。

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先月の日記          来月の日記


3/31(木)夜半まで風雨、朝超快晴 外来 飯川病院
0:15起床、本読み、データ整理中心に過ごす。7:26徒歩飯川病院着、新潟大学同期N氏より患者について連絡あり。8:45-13:45外来+人間ドック判定、混雑他で余裕なし。病室に患者見舞う。14:40-18:50飯川病院。19:10車帰宅。20:30就寝。BR視聴:「ガイア;カリスマ経営者のとの決別」、「団塊スタイル:コシノジュンコ」、「そこまで言って委員会;対韓国問題(前半)」。徒歩Σ8338Km。

藤田嗣治(4) 画集:藤田嗣治 生涯と作品 内呂博之著 東京美術KK 2013年
 東京美術KKは、歴史・美術を中心に専門書を出版してきたが、近年はよりわかりやすい入門書も出版している。その中でもアート・ビギナース・コレクション「もっと知りたい」シリーズは2000円以下で購入できるオールカラーの美術書で、私の本棚にも何冊か並んでいる。

 このシリーズの中に藤田の号がある。
 画家の作品は世界的に著名であればあるほどその作品は世界中の美術館に収蔵されており、いかに興味を持っていてもその多くに接することはできない。それを補ってくれるのが画集である。その点この画集はその目的のために十分な価値を持っている。
 この画集は留学前の婦人像、自画像から始まり、ほぼ年代順に作品が提示される。

 1921年パリ在住の間に藤田の画風が確立していった足跡を見ることができる。乳白色の肌色を持つ女性像が多数生み出されはじめる。1937年秋田の行事を書き上げた後、戦争画に手を染める。

 1949年藤田はフランスに戻り洗礼を受けレオナール・藤田となる。その後は宗教画、子供達の表情、パリの市井を描くが、本画集に収納された作品はいずれも見応えがある。藤田が愛してやまなかったネコたちの描写も素晴らしい。 
 1966年、ノートルダム=ド・ラ・ぺを自らの設計で建立し、人生の集大成となる壁画を完成させた。1968年に81歳で永眠し、この礼拝堂に眠っている。

 明治半ばの東京に生まれた藤田は、27歳で渡仏、翌年勃発した第一次世界大戦にもめげず現地で生活する中で、「乳白色の下地」という独自の技法を確立し、日本人として初めて油彩画の本場パリで自活しうる作家となった。

 太平洋戦争下で描いた「作戦記録画」の問題が大きく影をさし、死後もその不信感が消えることはなかったが、1968年に81歳でこの世を去り、夫人か2009年に亡くなり、手元に残していた藤田の遺品や作品、蔵書、日記や写真類が美術館や大学に収蔵された。これ以降、作品を核とした研究が行われてきた。それによって藤田の名誉が回復していることは喜ばしいことである。

 このシリーズの藤田の巻は、約60年間にわたる藤田の生涯、創作活動を概観できる作品となっている。見応えのある画集となっている。


3/30(水)降雨  飯川病院ボランティア
 1:10起床。新聞、文献チェック、本読み中心に過ごす。雨にて車に同乗飯川病院に。午前は院長の私用、病院社員総会のため午前からボランティア。19:00帰宅、夕食。20:30就寝。徒歩Σ8330Km。BR視聴:「NHKsp:新映像の世紀(5)」、「昭和は輝いていた;昭和47年」「100分で名著:アドラー人生の意味(4)」。

藤田嗣治 秋田県立美術館 展覧会「藤田嗣治の小宇宙」
 秋田県立美術館で1月21日から「藤田嗣治の小宇宙」開催されていた。
 1月から水曜日が原則フリーとなったのでいろいろな模様しものに出席できる。コレが楽しみである。早速この時間を利用して3月16日秋田県立美術館を訪れた。

 展覧会「藤田嗣治の小宇宙」では副題として「私のアトリエにようこそ」の題名がある

 配布パンフレットによると、藤田が日本に構えたアトリエは4室を致える。それに秋田市の平野政吉の土蔵も加えてもいい、とある。
  @1 渡仏前、妻・鴇田とみと暮らした大久保(現東京都新宿区)。
  @2 1933年の帰国後に建てた戸塚(現東京都新宿区。
  @3 戦争画を描くために洋風に改築した下六番町(現東京都千代田区)。 
  @4 戦後、疎開先から戻った江古田(現東京都練馬区小竹町)。
  @5 壁画「秋田の行事」の制作現場、平野家の米蔵(秋田市)。
 戸塚以降、藤田は制作のモチベーションを高めるインテリアを整えていた。画家の小宇宙であるアトリエは、藤田の場合、閉じられたものではなく、常にその窓は「時代」に向けて放たれていた、という。

 この展覧会では、アトリエの室内を描いた作品とそこで制作した作品、あわせて写真や資料を展示し、藤田が日本で営んだアトリエが紹介されている。

 写真資料は土門拳記念館所蔵の作品、模型資料も展示されている。
 絵画の大部分は平野政吉美術財団、秋田県立近代美術館、県立美術館所蔵の作品が中心であったが、聖徳大学所蔵の「優美神」を見ることができた。図鑑では見ていたが、これを直接見ることができたのは大きい収穫であった。私は絵を見る技能も知識もないが、この絵はボッテチェリの名画「春」の影響を濃厚に受けている。
<a href="http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/37/9c/e24a2e5aca4947b81e2d84b76948e88a.jpg"><img src="http://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/37/9c/e24a2e5aca4947b81e2d84b76948e88a_s.jpg" border="0"></a>

 藤田は1886年東京に生まれたが、1937年に秋田の行事を成して秋田とも関係が深い画家である。私はこのようなこともあり邦人画家としては最も興味を感じているうちの一人である。美人画、戦争画をはじめとして、自画像、ネコの作品が私を惹きつける。

 今後も機会を得て藤田嗣治の作品のみならず人となりにも触れてみたい。


3/29(火)快晴、風は寒い 外来 飯川病院
1:10起床,文献チェックなど。5:00可燃ごみ提出、外に置いた車のフロント凍結。5:45ネコの世話、給餌。6:30-7:30徒歩病院へ。8:40-13:30外来、外来は複雑な新患3名あり疲弊。待合室の患者は待ち時間長くフグ顔に。病室に患者見舞う。14:00-18:45飯川病院。19:00帰宅+夕食。20:45就寝。BR視聴:「バクモン:養老孟司」、「ワカコ酒:第7、第8夜」、「知恵泉:小西行長」。徒歩Σ8326Km。

徒歩通勤2016(3) 島根を通過し山口県に 
 平成13年3月から始めた徒歩通勤、実績が積算できる歩数計「平成の忠孝」の積算開始が4月7日から。約3年かかって本日Σ8326Kmに達し、山陰の島根を通過、山口県に到着した。
  
 島根県に入ったのが1月9日、島根の海岸線は422.2Kmと長くはなかった。山口県の海岸線は結構長く762Kmである。東京を発って北上してきたが、いままで通過した18都道府県の中では北海道に続いて2番目に長い。

 私は通勤の帰路は時間の関係で徒歩にはなかなかし難いが、往路は可能な限り徒歩にしている。しかし、最近、歩行距離数がとても少ない。冬の不安定な空模様とも関連したいている。そのために外で過ごすというよりは室内で蓄積したデータの整理をしながら、あるいは本・文献を読んでいる時間が大幅に増えたからである。それに私の気力・意欲の減退も関連している。

 島根県の海岸線422Kmを80日かかった。約5.3Km/dayである。鳥取は約5.0Km/dayで通過したから若干伸びたが、目標値の1/2程度に過ぎなかった。

 島根県は私にとっては遠い存在である。学会で一度訪れた記憶はある。
 私は旅行嫌いで、私が国内各地を訪問したのはほとんどが内科または血液学会総会関連の出張であった。最近の学会は学会長が地方大学の教授でも東京などの大都市で行われる。私には都合がいいのであるが、学会出席の意欲も次第に萎えてきた。その他の地方都市訪問は医師会関連の出張、大学の同窓会のみだった。

 30年ほども前、出雲で血液関連学会が行われ、そのとき訪れたことがあるが、学会の記憶はほとんど無い。当時は神仏、宗教に関する興味はほとんどなかったが、立ち寄った出雲大社のたたずまいは荘厳で素晴らしいものであった。ここに全国から10月に神様が集まって来ると言うのも面白い。

 島根県は海岸線を進む毎に、松江市、出雲市、太田市、江津市、浜田市、益田市と通過する。全二者以外は聞いたこともなかったが、通過するたびに地図で確認、産業、輩出した著名人などについて学ぶことができた。

 いま通過中の山口県の海岸線は762Kmもある。無理せず2け月半かけて通過したい。


3/28(月)快晴 健康クリニック 飯川病院
 1:00起床、新聞・文献・徒然ほか何時もの如く。7:25徒歩にて飯川病院着。9:00-10:30健康クリニック、期末で対象者6名と少ない。10:45飯川病院。14:00-18:40勤務。19:10帰宅、夕食、20:30就眠。徒歩Σ8317Km。BR視聴:「バクモン:地球の秘密」、「世界が驚いた日本:高速道路・消防車」、「孤独のグルメ:台湾編(1)(2)」。

映画:スティーブ・ジョブス(2) 私には期待はずれだったが理解は進んだ
 Apple製品のユーザーは次々とアイデアを実用化したS・ジョブス氏と共にいた。
 彼のアイデアは単に機能面の改良、高度化ではなく、常に斬新かつ素晴らしいデザインの改良を伴っていた。彼はコンピューターだけでなく、iPod、iPad、iPhoneなどを世に出し、ITを通じて全世界の文化に大きな影響を与え,その一部をすっかり変えてしまった。S・ジョブス氏は変革者であった。

 氏の発案による、Mac、iPod、iPad、iPhoneなどのユーザーは手に入れたあと、機器を自分独自の環境を構築する喜びと、使う喜びを与えた。この発想は実に素晴らしい,と思う。
 私自身、Mac、iPod、iPad、iPhoneなどのヘビーユーザーの一人であるが、これらの製品に使われているというイメージやストレスはなく、本当に喜びである。どんな製品でも完成度の高いものにはそれなりの喜びがあるが、自分を燃やしてくれるものはそれほどあるわけではない。強いて言えばヴァイオリンの購入であった。

 Apple社の魅力的な商品は、市場調査とか顧客ニーズを探ることで生またものではない。氏はほとんど全品自分で考えて生み出した、とされる。ユーザーのニーズを開拓するためには、ユーザーの半歩先、一歩先のものを想像する必要がある。顧客ニーズに沿っているレベルでは機能の改善程度しかできない。

 S・ジョブス氏Appleという一企業の経営者ではない。会議で、彼は思ったことをどんどん発言し、会議をリードし、決定の時には周囲の意向を一応聞くが結論は自分の発言そのものだったという。
 彼は独善的だ、独裁者のようだ、という評価がである。彼がとことん考え抜いて、モノ作りやその作り方に一切の妥協を許さなかったとされている。
 最近の日本企業は何らかのヒット商品を出すと、定期的モデルチェンジをして満足しているから、消費者を引きつけられない。S・ジョブス氏の域からから我が国のメーカーが学ぶべき点は多い。氏は、多くの日本人が学ぶべきモノ作りの精神を持っていた。

 氏の極端な行動だけを見ると、エキセントリックで変質者的なところが見え隠れする、とまで言われている。この実に魅力的な天才が、一面では人格的に相当に問題をはらんだ人物だったことは本当であったらしい。せっかちで、いらついていることが多く、他人を批判するときは容赦しない。対立も、孤立も、異端であることも恐れない。いや、そのような環境こそ氏にふさわしいもので、その中でしか生きられなかったのだろう。

 彼を長い間支えてきた妻も「人類を前進させることは大切にしたが、他人の身になって考えるという社会的スキルを持ち合わせていない」と彼を表現する。氏の死後に出版された自伝の中で述べられている。

 最後に、「自分が世界を変えられると本気で信じる人たちこそが、本当に世界を変えている」、氏の言葉である。


3/27(日)快晴 飯川病院日直 
1:20起床、Mac関連本読み、文献・録音データその他の整理で過ごす。8:27徒歩にて飯川病院に。8:45-17:00日直。患者対応一名。賄いの石井さんが階段から落下、救急入院。BR視聴:「歴史列伝:夏目漱石」、「漫勉:さいとうたかお」、「久米書店:リターンズ」、「サイエンスゼロ:重力波」、「オイコノミア:共働き」、19:00夕食、20:30就眠。徒歩Σ8309Km。

映画:スティーブ・ジョブス 2本目の自伝映画 私には期待はずれ
 スティーブ・ジョブス(1955-2011年) は米Apple社の創設者で数々の革新的な商品を世に出し、「世界を変えた男」と称されるが、膵臓癌のために56歳の若さで早世した。

 私は1993年に、Colour Classicを入手して以来、ずっと今までApple製品を愛用してきた。パソコンだけでも30機種ほど用いたと思う。今も家内分のを入れて自宅で3台、職場で3台使用、不調時のバックアップ用に1台現役で働いている。

 自室で本や新聞、文献を読んでいる時間を除くと大部分の時間、ディスプレイに向かって過ごす。マックのパソコンは私の生活そのものと言っても過言でない。しかも、マックと共に過ごす時間はストレスではなく、創造力も掻き立てられるから私にとっては喜びでもある。その他、iPod、iPad、iPhoneなどApple製品に対象を広げて考えて見ると、ほぼ24時間、通勤時間、寝ている時間も含めてそのどれかが稼働している。
 
 製品そのものの興味とは別に、S・ジョブスについてもずっと興味を抱いてきた。自伝も読んだ。彼はIT分野を通じて世界中に新たな文化を創造した。彼はアイデアの人だったし、アイデアを実用化に結びつける、行動力、企画力、説得力、経営力を兼ね備えた希有の人だった、と思う。

 2013年には伝記映画「スティーブ・ジョブス」が完成し、世界各国で上映されたが、私は残念ながら見逃した。
 
 本年、2本目の伝記映画,同名の「スティーブ・ジョブス」がリリースされ、今回それを観た。
 2本目ではあるが、前作を見ていないだけに私にとっては期待が大きくもっと味わい深いはずであった。しかし、私の期待は裏切られた。私は彼の足跡がもっと具体的に映像として具現されることも期待していたが、彼が成し遂げた業績を取り上げたわけでなく、上映時間の大半が共同経営者やCEOとの激しい口論、声高の論争、その間の彼の苦渋に満ちた不機嫌な顔で時間が占められた。

 この映画が描いたのは、彼の卓越した能力である新商品のプレゼンテーションの展開とその裏側であるが、そこに波乱に脚ちた人生の光と影を集中的に描写し、ドラマを表現した。見ていて痛みを感じるような緊張感の中、S・ジョブスは自らの信念を決して曲げず、常時エキセントリック興奮し周囲を振り回す。

 人間性の乏しい、複雑怪奇なカリスマの肖像が示された。見ていて苦しくなる内容で、私は楽しめなかった。ただ、私が知らなかったS・ジョブスの一面に興味は感じた。

 ストレスと発がん、この間にやはり直接的関連があるのだろうか・・とも考えた。


3/26 (土)快晴 気温は低い ガスファンヒーター購入
 23:30起床、新聞・文献・徒然ほか。朝方一時微睡。録音データ整理。11:00東部ガスホームテックからガスファンヒーター届く。旧品は送風ファンから異音。午後自室の整理中心、廃棄物整理。録画:「読響、スクロバチェフスキー:ブルックナー No8」,「らららクラシック:禁じられた遊び」、「NHKのど自慢:広島県、昨週分」。19:00夕食、20:30就眠。電池交換。

小型家電のリサイクル(2) ノートパソコン廃棄3台予定 その前に欲しい方に
 秋田市の小型家電リサイクルは本年1月から回収を始めた。
 私は月に1-2回利用して小型電子機器を順次廃棄している。今まで、ACアダプター10ヶほど、フラットスキャナ-を1機種廃棄した。そろそろ現役から除いているノートパソコン3台を廃棄する予定である。

 なんで廃棄するかというと、最新のMac OSは10.11.3であるが、以下のパソコンはCPUの関係からMac OS10.6以降にアップグレードできない。
 一方、私が頻用しているワープロソフト、表計算ソフト、プレゼンテーションソフト、ハードディスクはMac OS10.10以降でなくては機能しない。だから、私にとっては機能不足になったからである。

 リサイクルコースに載せるのは回収ボックスに入れるだけで簡単であるが、まだ十分使用できるので、その前に欲しい方がいれば差し上げたい。

 以下の3機種を廃棄予定にしている。
 全て感動品で、現行品に比較するとやや速度が遅いが、インターネット、メール、作文など一般的使用には十分使用可能である。この3機種の中では機能は@1>@2>@3の順である。

@1 マックブック  OS 10.5.8   CPU2.4GHz Intel Core duo   
          メモリー2GB ハードディスク150GB

@2 マックブック G4   OS 10.4.11  CPU1.33MHz PowerPcG4
          メモリー 1GB ハードディスク 40GB

@3 マックブック  OS 10.4.1 CPU1800MHz PowerPcG3 
          メモリー640MB ハードディスク30GB


3/25(金)夜間降雪5cm 曇り 寒波 大曲中通病院外来 飯川病院ボランティア
0:00起床、文献・新聞読み、データ整理などいつもの如く。ゴミ整理、出さず。7:30Taxi飯川経由駅に、8:10こまち。8:50-12:15大曲中通病院外来、往復Taxi。13:15-18:30飯川病院ボランティア。19:00帰宅。夕食、20:30就寝。徒歩Σ8300Km。BR視聴:「昭和は輝いていた:洋食」、「100分で名著:アドラー心理学(3)」、「林世界の名著:天と地」、「団塊スタイル:孤食」。

小型家電のリサイクル(1) 都市鉱山の活用のために 
 私は家事分担の中では食事を除く分野を担当している。その中での中心が物品の廃棄を含む清掃整頓である。
 生ゴミはコンポストで堆肥を作る。そのほかのゴミは分別をしっかりして市の収集所に早朝に出す。特に資源ごみは無駄にしないように細かく配慮している。本心では燃えるものは自分で焼却処理したいのであるが、法令があってできない。残念である。

 かつて家電の廃棄の中では電子機器、パソコンなどは廃棄できない状況にあり不便していたが、本年1月8日から秋田市でも小型家電の回収リサイクルするようになった。廃棄対象は、携帯電話、電話機、タブレット、ラジオ、ACアダプター、・・・等で、15x30x30cmのサイズ以下であれば回収の対象となる。だから、廃棄が困難であったポータブルパソコン等の電子機器の廃棄も可能になった。

 廃棄できる場所は市の広報誌によると、各地の市民サービスセンター、地域センター、公民館など21ケ所もあり、私は中央図書館明徳館を利用している。開館中は玄関先の回収ボックスに自由に廃棄できる。この場合、電池は別ルートでリサイクルされるために外す必要がある。

 従来はパソコンの廃棄は専用のコースに乗せねばならなかった。私が使用しているMacは近所に小売店がなく、廃棄のためには仙台とか東京近辺のアップルストアまで送らなければならなかったから、結構面倒で、スキャナー、プリンター、ハードディスク等も含めて10機種ほど廃棄出来ないでいた。

 この小型家電リサイクル制度は2013年4月にスタート。市町村にとって小型家電のリサイクルは努力義務だが、秋田市が本年1月からこの制度に沿って回収を始めたもの。私は月に1-2回利用して廃棄している。

 使用済み小型家電のうち電子機器は「都市鉱山」とも呼ぱれ、有望な資源として注目されている。
 携帯電話を例にとると、金、銀、銅、ネオジム、パラジウム、チタン、バリウム鉛、インジウムーなどの金属が含まれる。日本の都市鉱山の蓄積量は、金は6800トンで、これは世界の埋蔵量の16%に相当する量である。銀も22%、アンチモンは19%、インジウムは16%を占める。
 都市鉱山の金属含有率は天然鉱石よりはるかに高いが、リサイクルは天然鉱石からの抽出よりは技術的に困難。リサイクルといえば新たな環境汚染が問題になるが、秋田県小坂町の小坂製錬が有害物による環境への負荷なしに処理できるノウハウ、設備等も整っており、そこでは金、銀、銅、レアメタルを抽出している。

 少資源国である我が国は、リサイクルに対する意識をもっと高めるべきだと思う。
 秋田市の小型家電のリサイクル制度を有効に利用したいものである。


3/24(木)雨、曇り交互に やや寒い 外来 飯川病院   
1:00起床、新聞文献、雑誌チェックとPDF化。読書。6:30-7:30徒歩飯川病院着。8:45-13:00外来+患者総括。13:10飯川病院。19:00帰宅、夕食、20:30就眠。徒歩Σ8297Km。BR視聴:「サイエンスゼロ:ジャイアントインパクト」、「オイコノミア:教育の経済学」。

指導死・指導関連死(4) 私が受けた進路指導(2) 両親と友人には言えなかった 
 進路指導時の会話,約5分間、私の人生はここで決まった。
 この間に私の心にはとてつもなく大きな目標が形成された。
 「私は国立大医学部を目標に、本日から3年計画で行く。U教諭には彼と同じようにヒトをバカにしたような笑顔で結果を報告する・・・と」。

 私のその後の高校生活はこの担任とのミーティングで一変したと言っていい。? とにかく残りの2年ほどは「医学部進学3年計画」の遂行にひたすら走った。それ以外の想い出はほとんど無い。私の高校生活は長距離の自転車通学、長時間机に向かった記憶と、一匹の老ネコとハトが私を癒してくれたことのみ、と言っていい。それ以外にたいした思い出は残っていない。

 私はこの進学指導を受けた際に、心にはメラメラと怒りの炎が燃え上がった。水を浴びせられるような嫌味のある言葉を受けながら、ファイトが生じたのは指導教諭が東大卒を鼻にかけた嫌味な教師によっていたことと関連している。もし尊敬できる様な教諭からの言葉であったらダメージは大きかったと思われる。今の時点で、この歳になって改めて振り返ってみてそれほど嫌味ではなかった様にも思う。当時は私自身も増長していた、と反省すべきだろう。

 ただ、この指導内容は年老いた両親には告げることができなかった。特に母親が私が医師になることを何よりも深く望んでいたことが手に取るようにわかっていたからである。また、当時から心を割って話せる友人もなく、誰にも話すことなく心に秘めていた。時折弱気になった時にはネコを相手に愚痴った。これでかなり癒された。

 最近のいじめ関連自死の例を見ても両親や友人に相談していない例がほとんどである。しかし、悩みを口に出すこと、あるいは文章化することは、自分の心の整理につながり、解決の糸口になることが期待される。
 
 この辺の子供たちのへの指導、自分のいのちを大切にする生き方の指導も一つの解決策になりうる、と思われる。


3/23(水)曇り晴れ 飯川病院ボランティア 映画;S.ジョブス
1:00起床、文献整理関連ほか。院長所用にて車同乗で9:00-12:30、15:30-18:30飯川病院ボランティア。途中でルミエールで映画;S.ジョブス鑑賞、どなり合う場面が多い作品、乗れず。19:00帰宅、夕食、20:00就眠。Σ8290Km。BR視聴「戦後最強の横綱:大鵬」。

指導死・指導関連死(3) 私が受けた進路指導(1) 
 指導関連で中学3年生が自死した。よくわからない状況で自死しているが、学校側が教育の理念を取り違えていたようである。また、個々のケースには言及できないが、今時分の子供たちはあまりにも打たれ弱い気がする。

 私の場合、時代も指導の内容、レベルも違うが、高校の時には成績・進学に関してがっくりくるようなきつい指導を受けた。今も忘れることはできない深い心の傷になっている。
 その経過を再現してみる。
―――――――――――――――――――――――――――-
 @ 中学まではそれほど努力なしで過ごせた。生活態度、成績などそれなりで、進路指導などは受けたことはなかった。

 @ 高校は盛岡一高に進んだが、秀才共の間に挟まって私など並以下の成績であった。最大限努力してやっとついて行けた状態でちょっと手抜きしていると成績は直滑降した。

 @ 国公立の医学部に進学したいと思っていた。このころの自分に言い聞かせた標語は「頭の不足は時間でカバー」である。それは今でも同じ。

 @ 国語の試験で、ある文章に対する感想文が課せられたが、インスピレーションが湧いてさらさらと書き上げて自信を持って提出した。成績発表の日に真っ赤に添削された匿名の答案が「悪い見本」として廊下に張り出された。この時の期末試験は全校で順番は279番/400名で、担任から厳しい評価を受けた。

? @ 1-2年の担任はU教諭、東大卒の国語教師でであった。東大卒を鼻にかけているような言動がみられ,私は好きになれなかった。
 2年の春の夕方,進路指導の順番が回って来た。しばし世間話した後,私の成績表を前に出し本論に入り、進路希望を尋ねられた。私は「医学部,しかも国立の・・・」と述べたのだが,直ちには理解できなかったらしく,笑顔ともとれない複雑な表情を浮かべた。その後,絶句し,しばし対話が途切れた。

 その後の担任との対話。
U教諭(満面の笑みを浮かべて)「国立の医学部と言っても,具体的にはどの辺の大学を志望しているの?」。

私 「経済的事情があるので,国立なら何処でも・・・」。

U教諭 「フーン,まだ決めていない??フーン,・・・そんなら東大医学部でも受験してみてはどう??どうせ落ちるなら良い思い出になるよ・・」。

私 「・・・」。

U教諭 「君には,無理だね,国立の医学部は」。

私 「・・・・そうですか。いっさい可能性はないですか??」。

U教諭 「・・・,無理だね,国立の医学部は・・・」。とにべもなく答えた。


3/22(火)降雨、外来 飯川病院
0:30起床、いつもの如し。5::50可燃ゴミ提出、小雨あり、6:46バスで飯川病院に。8:45-12:20外来。13:00飯川病院、14:00-18:30勤務。19:10帰宅。夕食、20:30就眠。Σ8284Km。BR視聴:「そこまで言って委員会:保育園ブログ、民進党・・」、「経済フロントライン」、「今世界は、世界は今:パリ多発テロ・北朝鮮ミサイル発射」。

県や市の人事異動を新聞はなぜ報道するのか?? 疑問が解けない(2) 
(前日に続く)
 @ 県や市が正式に発表しないのはおかしい。県や市からデータの提供を受けているだろうから何らかの合意とか費用分担などの契約がある
のだろうか。

 @ 考えようによっては、自治体に税を納め、かつ新聞購読料を払っている納税者、読者の立場から見れば二重払いに相当すると思う。

 @ 新聞は地方紙といえども県民が全て購読しているわけではない。だから、新聞に掲載したからといって県民に広報したことにならない。

 @ 一方、県や市には全戸配布の広報誌がある。だから本来であればこれを使って広報すべきだろう。

 @ 移動の時の名簿より、いつでもスタッフ名を確認できるように県や市はホームページに公開しておくべきであろう。私は公務員は個人名を公開されてしかるべきだと思っている。

 @ 一般人に取ってこれらの名簿は本当に必要なのか??新聞講読者に直接関係の無い自治体の異動まで読ませる必要性はどこにあるのか?

 @ 末端までの大量の人事異動が新聞報道されるべきか? 私は新聞には部課長以上で良いと思う。それ以外は知りたい方が検索すれば知れるよう??ホームページに公開しておけばいい。

 個々の名簿とは別に、もう一つ驚くのは公務員の多さである。異動になっただけでこれほどなのだから、県内にどれだけの公務員がいるのだろう、と疑問に思う。予想もつかない。納税している県民一人あたり何人に相当するのだろうか?税金の何%が人件費に遣われているのだろうか?

 参考までに、手元のデータでは、平成27年4月時点で県職員数は14.833人、人件費は26年で1.422億円となっている。この数値が秋田県にとって適正なものかの判断は私にはできない。

 人事異動の新聞掲載について再考願いたい。


3/21(月)快晴 
 1:30飯川病院で起床、いつもと同じパターン。データ整理。9:00-10:00徒歩帰宅。昼食、微睡。14:00散髪。データ入力整理。19:10夕食、 20:30就眠。録画視聴:「題名のない音楽会:ブルッフVn協」、「NHK sy:サンサーンス交響曲No3」,「シベリウスVn協」。Σ8279Km。??

県や市の人事異動を新聞はなぜ報道するのか?? 疑問が解けない(1) 
 毎年この時期になると秋田県の県警、教職員、県庁の各部署の他、秋田市の職員の人事移動がさみだれ式に発表になり、地方新聞の1-3面ほどを何度も何度も占拠する。これは不思議だし、私はこの背景を知らないから不快に感じている。

 行政機関の人事異動は、人員補充、新採用者の配属、人員整理、機構改革、降格・昇進などを含む適材の配置など多数の因子が絡んでいる、と思われる。
 公務員は許認可の決定権を持っていることが多く、長期間同じポストを占めることは、時に犯罪の温床にもなる。公務員の特権意識が因となっている事件が頻繁である。昨年は男鹿市、仙北市の贈収賄事件があった。

 私は人事異動の名簿など見たくもないが、大変な人数の異動が行われると感心する。これらを過不足無く、間違いもなく配属を決める部署の能力及び業務は大変だろうと思う。ほぼ出来上がった状態で不都合が生じて芋蔓式に変更を余儀なくされることも少なくないと思うが、大変な労力を要するだろう。この点に関しては人事関係の職員の能力に頭が下がる。
 

 私は前から、何で公務員の人事を新聞が報道するのか?と思ってきた。異動対象となりうる職員にとっては落ち着かない時期である。影響は全ての職員にも、家族たちにも及ぶだろう。されど組織で働くなら当然のことである。

 新聞記事にする理由は何だろう??私の疑問と感想を並べてみた。

 @ 税で賄われている公務員の人事は行政がは納税者に報告するのは当然である。その有用性は論を待たない。しかし、本来は県とか市が責任もって納税者に広報すべきである。
 @ 新聞社にとって報道すべき価値があるなら掲載するのは自由だが、県や市が正式に発表しないのはおかしい。県や市と新聞社間に合意とか契約があるのだろうか。
(続く)


3/20(日)曇りのち快晴 飯川病院当直
1:20起床、蓄積データの整理と確認、本読み、文献読み。午前は家の修理など、ネコと遊ぶ。16:45徒歩飯川病院着。17:00当直勤務。院内平穏、18:00検食。録画視聴「らららクラシック:シェーラザード」他。多数の蓄積データ整理処理。21:00就寝、Σ8271Km。

漫画礼讃2016(4) くーねるまるた 既刊8巻 高尾じんぐ作 小学館
 ポルトガルから留学している貧乏女性マルタを主人公にした漫画。
 主人公の正式な名前は、マリア・マルタ・クウネル・グロソとのことであるが、覚えられない。私は当初、定職もなくその日の気分暮らしの女の日常生活だから、マジメに「食う・寝る・丸太 」をもじったかと思った。若い外国娘を主人公とした、ポルトガルと日本の料理のまぜこぜの節約レシピ紹介の異色の漫画と思う。

 マルタは大学に研究論文提出済みでいつでも祖国に帰れる状態にあるが、日本の生活に馴染んでいて帰りそびれた状態で古いアパートに住む。浴室もないような一部屋だけの古いアパート、経済的には厳しい生活が強いられているようで、バイトがない時にはパンの耳をかじっている。4-5人の友人たちと持ちつ持たれつなんとか暮らしていくが、手持ちの食材などで超チープな料理を考案していく。その際に母国ポルトガルの料理のエッセンスや社会や生活の一片が示される。そのレシピは各話題ごとに最後のページに簡単にまとめられる。私はこのような、ちょっと貧しい生活レベルに密着したような食べ物に興味を感じる。

 作者とポルトガルとの関係はよくわからないが、よく彼の地の生活や文化を研究していると思う。

 この作品も家族からの提供で見始めた。家族らの提供の仕方が良かった。第8巻から読むよう紹介められた。何で??と思ったが、私の故郷の盛岡が舞台になっている巻であった。

 私は一見して盛岡駅の様子、開運橋からの眺めの描写、大通り商店街、不来方城跡を始めとして、懐かしい盛岡の市内が単純な線画で写実的に見事に浮かび上がっていることに感心し一発で引き込まれた。
 その後、盛岡の文化の紹介がいろいろ続く。食べ物としてはじゃじゃ麺とチータンタン、ひっつみ料理、山菜の数々、福田パン店の工夫などなど。酒は銘酒「あさ開」が紹介される。文人としては宮沢賢治、啄木などが登場する。

 主人公の顔の表情は目が青いのだろう、だから瞳が黒く塗られていない。瞳はハート型の線で描かれている。外国人らしい表情はそこだけである。漫画や絵画の世界で顔の表情を描くときに瞳は要となる。作者は実に上手く表現している。もっとも笑顔が多いから瞳が見えないシーンが多用されている。それもこの作品の魅力である。

 この巻は特別であったが、ほかの巻はほとんどが都内の某所のぼろアパートの生活が中心に展開される。それでも私が飽きないで全巻読み終えたのは、限りある食材に工夫に工夫を重ねて作る手料理にあると思われる。食材がどんな料理に変身するのか、各話題ごとに最後までわからず、結果としては感心する。その食事を口にした時の表情がまたいい。

 絵は全体に綺麗である。主人公のスタイルもいい。適当にボインである。絵を見てよし、料理見てよし、友人とのやり取り見てよし、・・・なかなか魅力ある作品である。


3/19(土)
 1:10起床、文献検討、徒然など、終日読書、データ整理、ネコ世話など。冬物整頓し衣替え。衣服収納キャビネット修理。録画視聴なし。正午頃微睡。園芸用に外水道開ける。データ整理。19:00夕食。2年前の冷凍とんかつ食べる。問題なし。20:30就寝。Σ8263Km。44回結婚記念日だが、二人揃って生きていることの方を喜びの方を味わった。

漫画礼讃2016(3)「ワカコ酒」既刊6巻 新久千映作 徳間書店
 「ワカコ酒」は、子ども達から薦められて手に取った本。
 主人公が酒飲みの若い女性というとのことで、私は当初興味が湧かず、しばらく放っておいた。

 ある時にパラパラ・・とページをめくってみてなかなか面白そうだと興味を感じた。まず絵に感心した。読み始めたらやめられない。全5巻を数日で読み切り、6巻目を注文して読み切った。

 内容的には「孤独のグルメ」の女性版というところであるが、酒と小料理屋の一品料理が話題の中心である。「孤独のグルメ」同様にTVドラマ化されている。

 主人公は先天性の酒好き体質を持つ26歳のOLの設定。連日の仕事帰りに気に入りそうな店があると一人で暖簾をくぐり、料理を肴に、酒を嗜んでいる。酒と肴の相性が合致した時、思わず感嘆の吐息が漏れ、至福な気分で杯が進む。知らない人から無闇に話しかけられてペースを崩されるのを嫌う。そんな様子が淡々とつづられる。

 飲む酒はビール、日本酒、ワインと種類を問わず、肴に合わせて飲む。
 「孤独の酒飲み女の毎日」、それだけでも十分成り立つのであるが、漫画としての物語性が必要なので、時に会社でのトラブルが話題となり、相客との間で交わされる話題が挿入される。

 この作品には3つの特徴があるように思われ、そこに注目して私は楽しんでいる。

 #1 主人公ワカコの顔の表現:
 高度にデフォルメされている。丸顔に描かれるのは前髪、両目、口だけである。時に汗も用いられる。ほとんどの表情は後2者だけで表現される。
 目は基本的に楕円形で表され、瞳の位置や瞳の表情で幅広い表情に対応している。
 口は三角形の小口、円形の大口など、これで十分な表情が描かれる。歯も描かれない。数多いマンガ本の中でもこれほど単純な描き方は見たことはなかった。私は絵の描き方で漫画作品の好みが決まるが、この単純さの中で広い表情を表現しているこの作品に感心した。私の興味をひきつけた第一の所以である。別の登場者の顔は単純化されているが全てのパーツが描かれているのも面白い。

 #2 小料理屋で出されるつまみ、料理:
 各巻は25編ほどのショートな話題で構成される。話題は料理で決まってくる。第2巻を例に料理の一部を挙げれば、「麻婆豆腐」、「炒り銀杏」、「焼き牡蠣」・・などなど、背伸びしない程度の安い料理が並ぶ。全6巻で150種ほどの小料理、つまみが紹介されている。保守的な食事を好む私にとっては大部分は名前だけは知っているが食べたことのない小料理であるが、この漫画を読んだ後でスーパーで見つけて、初めて私の食卓に並んだのもある。食卓のレパートリーはおかげでどんどん増えそうである。

 #3 酒の話題:
 主人公が飲む酒はビール、日本酒、焼酎、ワイン・・と幅が広い。時に酒の銘柄、グレード、熱燗や冷酒の別等なども出てくるが、酒に関しては私はコメントできない。ただ主人公が1日働いた後で気に入った店を選び、選んだつまみを肴に酒を楽しむ羨ましいハッピーな姿が表現される。
 私も最近、夕食時に少量の日本酒を嗜むようになったが、この漫画の影響も少し受けているようだ。


3/18(金)快晴 大曲中通病院外来 飯川病院ボランティア
 1:00起床、文献・新聞読み、データ整理などいつもの如く。6:00可燃ゴミ整理、次週に持ち越し。7:30Taxi駅に、8:10こまち、徒歩病院、9:10-12:15大曲中通病院外来。13:30-18:40飯川病院へボランティア。19:10Taxi帰宅、夕食、20:30就寝。録画視聴:「土屋太鳳:欧州スイーツ」、「NHKアーカイブ:湯川秀樹メッセージ」、「日本人のルーツを探る」、「久米書店:恋愛しない若者 牛窪氏」。Σ8260Km。

四季2016(5)私にとっての春が訪れた
 ついに、私にとって春が3月3日に訪れた。例年に比較してやや遅い。

 私は四季を以下のように分類している。かんかん照りの夏が大好きで、降雪期には除雪のストレスに苛まれる私にとってこれが合理的な分類である。

■春 除雪が不要になった日から桜が散るまで(約2か月)。
■夏 桜が散った時期からお盆の墓参りの8月13日まで(約3か月)。
■秋 8月14日から降雪時期まで(約4か月)。
■冬 除雪を要した期間。本年は1月13日-3月3日まで。

 私にとっての今季の冬の訪れはなんと1月13日。暦上の冬になってからも小雪は降っていたが、新年を迎えてからもまだ除雪を要さなかったというのは変な気持ちであった。
 今季は雪が少なかった。1月末日の段階で除雪2回、最終日となった3月3日までで6回である。

 今年の積雪状態から見て根雪になるような連続的な降雪はなかったから、早朝の除雪はちょっと開始の閾値を下げた。除雪すべきか否か判断に迷った朝は、どうせ間もなく解けるだろうという見込みで早朝の除雪を何度か省いた。

 ところが、あるご近所の方が家内に、「ご主人は具合でも悪いんですか?今年は除雪が少ないようで・・」と声をかけられた、という。また私自身も別の方から体調を聞かれたこともあった。それだけ早朝の除雪が近隣の方々の意識にのぼっていること、と自覚した。有り難い配慮である。それで全6回のうちで2回ほどは過剰な判断で除雪を行ったもので、実質的にはもっと少なくても良かった。
 私にとっては過ごしやすい、いい冬であった。

 今年の積雪はとにかく少なかった。1月31日の時点で例年と比較したが、2月、3月は気温が低い日が多く中程度の降雪もあった。
<a href="http://blog.goo.ne.jp/mfukuda514/d/20160131">四季2016(2)秋田市の降雪 今年は異様に少ない</a>

 この一週間ほどは春らしい気温と日差しが得られている。

 福岡県で桜が開花したとのニュースがあった。東京の靖国神社の桜はあと数日で開花するらしい。
 3月8日から朝の通勤は原則徒歩にしている。


四季2016(1)遅れに遅れたが、ついに私の冬が来た 0113
四季2016(2)秋田市の降雪 今年は異様に少ない 0131
四季2016(3)雪道・凍結道路での転倒防止 スパイク状の靴底アタッチメントは有用 0217
四季2016(4)滅多に見られない綿帽子 見事な雪景色 0228


3/17(木)晴れ 外来 飯川病院 
0:30起床,文献多数検討など。本読み、録音データ整理など。7:30徒歩飯川病院に。8:45-12:30外来。14:00-18:30飯川病院、19:00帰宅、夕食、20;30就寝。Σ8253Km。録画視聴:「ワカコ酒:女子会、エイヒレ」、「笑点」、「林先生関連・・・」。

「保育園落ちた」とのブログを巡って(2) メールやブログは「憎悪増幅」の手段にもなりうる
 「保育園落ちた日本死ね!!!」で始まる、国の保育所政策に不満をぶつける匿名プログが反響を呼び、その内容は国会でも取り上げられた。
 私は読んでとても不快であったし、首相が真摯に取り上げなかったのは当然だと思う。しかし、時代柄か、このような品位を欠く、匿名のブログも無視できなくなったのか、と残念に思う。

 この件に関しては、民主党の議員、幹事長は早速このブログを材料に保育所問題で首相を追及したが、この問題については野党としての追及が常日頃から不足であった。それを棚に上げての悪ノリ質問であった。

 もう一つ。今頃の若い女性の潜在的な「こわさ」を垣間見た。怒り心頭に達した状態とはいえここまで口汚く罵ることが出来るものか? 子育中の方とのことである。いつもこんな状況ではないだろうが、母親の性格、行動が子供に影響しなればいいが、と思う。プログの主は都内の30代前半の女性で、5歳近い長男、夫との3人暮らしの方だという。共同通信の質問にメールで回答し、「ここまでの騒動になるとは思わなかったが、これかきっかけで待機児童問題が解決に向かえばと期待している・・・」、と述べた、と言う。長男の保育園は引き網き探しているという。投稿内容の品位とは別にして、この方の悩みは真剣だと思う。保育所探しにいい結果がもたらされれば、と思う。

 この方のブログは宛先もない。内容的には不満の吐露である。
 私は日頃からメールやブログ、ツイッターなどは便利ではあるものの、「憎悪増幅器」と言っても良いような副作用を持つ危険なツールだとも思っている。

 かつて、患者及びその家族から病院や私個人にも投書や手紙、メールにていろいろの意見や提言、クレームが寄せられた。今はぐっと少なくなったが、時折来る。
 今回のブログをメールに置き換えて手紙と比較をしてみたい。

 手紙によるもの私信は中高年の方が多い。手紙によるクレームも少なくないが、どちらかというと礼状が多い。丁寧に記されているものが多く、見事な筆跡、文体に感心させられ、出された方の品位までわかるような内容のも少なくない。
 ワープロ・パソコンでの文章をプリントされて送ってくる方もおられるが、一般に手紙に準じる丁寧さを感じ取る。

 一方、メールは、圧倒的に若い年代に集中し、内容的には厳しいクレームが多い。メールの場合には匿名であっても返信できる。相手側も返事が迅速にあるはずとの思いで書いているから、直ぐに対応しなければ2-3日後には追加のメールが来る。その際には更に内容が一層エスカレートしているのが常である。特まあここまで書けるものだ!!と感心したものである。
 私はクレームメールについても、たとえ誤解によるものでも「天の声」と思い真摯に対応してきたが、私の気持ちが落ち着くまで数日待ってから返信した。

 紙や便箋に自筆で記す際には誰でも推敲しながら書く。書きながら、あるいはプリントしてからも全体の内容を確かめる機会がある。このプロセスは重要である。メールは画面を見ながら、浮かんでくる言葉を次々と積み重ね、全体像などを見直すこともなく、直ぐに送るのが常なのだろう。誤字も多い内容からそう感じられる。私の場合、メールに返事を書くが、緊急連絡などを除き最小限1日は下書きのままにしておき、再度見直してから送信する様にしている。ブログの更新も同様である。

 簡単に手紙とメールの違いを論じれば、後者は近代文明の合理主義が人に備わっている感性、情念などを奪ってしまった事に起因するのだろう、と思っている。

 ブログもメールと似たような性格がある様だ。
 ツイッターは140字?こんな字数では何も表現できない。私は見ることも利用したこともない。短文であるほど内容は濃縮されているが、反対意見やクレームの場合の表現は鮮烈・強烈になり、時には人を死においやるほどになる。
 小文であっても内容的に品位と起承転結は備えてほしいものだ。


3/16(水) 夜半降雨のち快晴に 飯川病院ボランティア  明徳館 県立美術館
 0:30起床,文献多数検討など。録音データ整理など。午前台所、ネコ室掃除、ネコ訓練。10:45バス、通町から徒歩、明徳館 県立美術館経由12:30飯川病院ボランティアに。県立美術館は藤田展。19;00帰宅、夕食、20;30就寝。歩行計8245Km。BR視聴:「世界は今」、「経済フロントライン」、「NHKsp:司馬遼太郎思索紀行」。

「保育園落ちた」とのブログを巡って(1) 怒りは十分伝わるが、品位欠く文章
 「保育園落ちた日本死ね!!!」で始まる、国の保育所政策に不満をぶつける匿名プログが反響を呼び、その内容は国会でも取り上げられた。

 首相は当初「匿名なので本当かどうか」と答弁したことなどもあって、5日には国会前で「私が書いた」などのプラカーを手に抗議活動も起こった。7日、国会で再び所感を聞かれた首相が、待機児童解消への努力を強調させられる展開となった。

 以下は岩手日報紙に掲載されたブログの全文である。
 私は読んでとても不快であったし、首相が真摯に取り上げなかったのは当然だと思う。しかし、時代柄か、このような品位を欠く、匿名のブログも無視できなくなったのか、と残念に思う。
 怒りは十分伝わるが、このような品位欠く文章が注目されるようでは困る。紙上から読み取る範囲でこの文章の品位を指摘した意見はない。

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 保育間落ちた日本死ね!!!
 何なんだよ日本。一億総活躊社会じやねーのかよ。昨日見事に保育儒落ちたわ。どうすんだよ私活躍出来ねーじやねーか。子供を産んで子育てして社会に出て働いて税金納めてやるって言ってるのに日本は何が不満なんだ?
 何が少子化だよクソ。子供産んだはいいけど希望通りに保育園に預けるのはほぼ無理だからwって言ってて子供産むやつなんかいねーよ。
 不倫してもいいし賄賂受け取るのもどうでもいいから保育園増やせよ。オリンピックで何百億円無駄に使ってんだよ。エンプレムとかどうでもいいから保育園作れよ。有名なデザイナーに払う金あるなら保育園作れよ。
 どうすんだよ会社やめなくちゃならねーだろ。ふざけんな日本。
 保育園増やせないなら児童手当20万にしろよ。保育園も増やせないし児童手当も数千円しか払えないけど少子化なんとかしたいんだよねーってそんなムシのいい話あるかよボケ。
 国か子供浬ませないでどうすんだよ。金があれば子供産むってやつがゴマンといるんだから取り敢えず金出すか子供にかかる費用全てを無償にしろよ。
 不倫したり賄賂受け取ったりウチワ作ってるやつ見繕って国会議員を半分位クピにすりゃ財源作れるだろ。まじいい加減にしろ日本。
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 子どもを保育園に入れるための「保活」に失敗し、離職の危機にあると境遇を説明、怒りをぶちまけた投稿である。ブログで投稿者が言いたい内容については私も理解できるし、その怒りも理解できる。

 横浜の孫も「保活」の過程でほぼ大丈夫と思っていた保育園がダメだったと判明した際には、仕事の継続を含めて大きな衝撃を受けた。幸い他の園に入れることになり、娘は今も仕事を続けられている。

 ブログは宛先もない。不満の吐露である。
 しかし、内容はネットなどで広まり、2月29日衆院予算委で民主党の議員が紹介。7日の参院予算委で首相は「速いスピードで待機児童の受け皿づくりを進めている」とアピールした。
 ブログ投稿は思いがけない効果を生んだことになる。


3/15(火)快晴のち曇り  外来 飯川病院
1:00起床、新聞・文献チェック。5:20可燃ゴミ提出、7:30徒歩飯川病院、8:40-12:20外来。14:00-18:40飯川病院、気管カニューレ交換、外来など。19:00帰宅、夕食、20:30就眠。Σ8239Km。録画視聴:「そこまで言って委員会」、「今世界は」。19:10帰宅・夕食、20:00就寝。

指導死・指導関連死(2)  教育の目的・理念は何か
 この指導関連死をめぐって絶対に看過できないことは、「この事件に関与した教育関係者は教育者としての理念や資質が欠如?」という疑問である。

 この少年は万引きをしていなかった・・という事が自死後に判明した。だから、この少年はやっていないのにずっと取り違えられたまま進路指導され続けた。指導に重大な過誤があったことは明らかで、学校の責任は逃れ得ない。しかも、その進路指導は5回あり、全て廊下で立ち話であったという。紙上に掲載された両者のやりとりは不自然なほど軽い。

 だから今回の指導関連死に関しては自死した子供の事とは別に考えなければならない。

 # 少年期の子供について、特に子供の頃は大した罪悪感なしに、いたずら感覚で万引きすることもある。それをそのまま許していいのかというわけではないが、教育的見地から注意深くフォローすべきと思う。
 私も万引きしたことが一度だけある。小学4年頃だったが、友人と盛岡のデパートで、飴玉を2ケずつポケットに入れた。発覚もせずに過ぎたが、後悔・自責の念は凄まじく、誰にも言えず、その飴は北上川に捨てた。
 あの時の、夜も眠られないほどの罪悪感は今も鮮明に思い出す。私にとってあの経験は「自分への教育的意味から見て、無いよりは良かった」と思う。

 # 生徒の軽い過ちを学校はネガティブにとらえてはならない。それに対してフォローや必要な教育が必要である。それが教師の務めである。

 # この学校は最近、3年時の過ちだけから1-2年時の出来事にも範囲を広げ、そのような過去がある子供には高校入試の推薦を出さないと決めた、としている。そんなバカな ,と思う。
 第一、法に抵触するような事件ならいざ知らず、素行や生活態度のレベルの問題をずっと持ち越し、推薦の判断に使うなどは信じ難い。教育は生きるためのヒント、指針を与えるものであって、負の因子はないはずである。
 教育的見地からこの決定に異議を唱える教師は誰もいなかったのか?教育委員会はどう判断したのか。何も言わなかったすべてのメンバーは同罪である。私の最大の疑問はこの点である。

 # 情報を握っている教師による進路指導は、やりようによっては指導の名を借りたパワーハラスメントになりうる。教師によるいじめである。生徒指導で、時に子どもが自殺に至るほど心に深い傷を負うことを教育関係者の間で自覚がないのであろうか。

 # こんな事件を経過をみれば、いかに学校が閉鎖的であるのかがわかってくる。一昔前に「医者の常識、社会の非常識」、「医者は在日日本人・・」などと揶揄されていたが、そっくり一部の教育関係者に置き換えることができるのではないか。在日日本人

 # 保護者とタイアップした指導はなかったのか?もっとも、何ら指導しなかったらしいからそんな機会は望み得ないか?

 # 指導内容の上司への報告、チェック体制はどうなっていたのか?

 # 教師の生徒の心理を読み取る能力は??子供の心理など、研修を受けないのか?

 # そもそも素行の情報が進路指導に使われるということ自体、私には信じられない。


3/14(月)快晴温暖 健康クリニックドック 飯川病院 
0:30起床、新聞・文献チェック。その他蓄積データ整理。7:40徒歩飯川病院着。9:00-10:00健康クリニックドック。年度末で対象者少ない、6名のみ。10:45飯川病院、微睡、玄関先の生垣の冬囲い外す。14:00-18:45勤務。BR録画視聴:「池上緊急スペシャル」、「歴史列伝:広岡浅子」、「池上ニュースそうだったのか」。19:10帰宅・夕食、20:00就寝。Σ8230Km。山口まで90Km。

指導死・指導関連死(1) 違和感を覚える嫌な熟語 せめて指導関連死に
 子供たちの自死の新しい概念として、「指導死」なる言葉が出て来た。いじめ関連自死などの資料を見るうちに何処かで「指導死」というのもあると知っていたが、最近そのような事例が生じた。

 死がついた熟語として「指導死」という言葉に私は異和感を覚える。不快な、嫌な言葉である。しっくりしない。何で違和を感じるか、というと死の前に付く指導という言葉が死とは直結しない言葉だからである。

 死がついた熟語を思いつくまま並べて見ると、「餓死」、「異状死」、「過労死」、「孤独(孤立)死」、「事故死」、「虐待死」、「尊厳(安楽)死」・・などが上げられる。この中では私は「尊厳(安楽)死」にも同様に違和感を覚える。
 他の熟語は死と直接・間接的に関連しているから受け入れやすい。

 教育指導で人は死ぬものなのか??
 少なくとも教育現場の指導は生きるためのヒント、指針を与えるものであって、負の因子はないはずである。

 さりとて「指導死」なる言葉に代わる言葉は簡単には見つからない。教師の適正でない指導によって子息を失ったある遺族の方が名付けた言葉だというので尊重したいが、やはりピンとこない。今の時点では、あえて用いるとすれば「指導関連死」・・と言うところだろうか。「関連」と言う言葉を挟むことによって指導の際に何か不適切なことがあったのでは?その後の経過に何か異常事態が発生したのか?などと考える余裕が出る。

 広島県で昨年12月に中3生が自死した。
 教師による誤った指導が自死の原因とされている。自殺した生徒は、学校が万引した生徒を取り違えて資料に記載、その資料に基づいた指導を担任から受け、最終的に志望校への推薦を出せない、と告げられた。その当日、中3生は命を絶った。

 指導と自死は直結したのではなく、多くの因子が中間にあるだろうが、個人を取り違えたまま進路指導し続けたという、重大な過誤があったことは明らかで、学校の責任は逃れ得ない。

 さらに絶対に軽視できないことは、「この事件に関与した学校関係者,教育委員会員、全てが教育者としての資質が欠如している」という重大な事実である。
 私はこの事件に関連したニュースに触れるたびに、ただただ呆れ驚くばかりである。


3/13(日)晴れ・寒い 夕方降雨 飯川病院日直 
 0:30起床、新聞チェック。関連文献検討、本読みなどほかいつもの如く。5:00ネコトイレ掃除と給餌。指先噛まれる。8:00バス、途中から徒歩にて飯川病院に、8:50-17:00日直。録画視聴:「100分で名著:アドラー心理(2)」、「英雄たちの選択:明治憲法への道」、「ガイア:未知の日本で客を呼ぶ」、「林世界の名著:ゴッドファーザー」、「孤独のグルメ2話」。18:30バス帰宅、19:00夕食、20:00就眠。Σ8220Km。

原発事故から5年(2)  今後の日本のエネルギー政策はどう進んでいくのか
# 使用済み高レベル放射性廃棄物
 原発からは使用済み高レベル放射性廃棄物が出る。その処理方法は確立されていない。原発を再稼働すれば核のごみを増やし続ける。最終処分場の立地場所は国主導で候補地を探す方針に変えたが、原発聡明期とは事情が異なる。どこを指定しても住民運動で実現は無理だと思う。原子力船むつの二の舞になる。

# 再稼動中止
 昨年8月以降、九州電力川内原発と関西電力高浜原発の各2基が再稼働した。今月9日大津地裁は高浜の2基について、隣接する滋賀県の県民が申し立てた運転差し止めの仮処分を決定した。
 再稼働へ突き進む政府と電力会社の姿勢に警鐘を鳴らした司法判断である。再生可能エネルギーなどへの切り替えを急ぐべきだ、と思う。

# 強制起訴
 私が不思議だと思っているのは、失政をした政治家、誤審した検察・裁判官、社会を震撼させるような事件を起こした企業のトップ達はなぜ責任を問われないのか、という点である。

 甚大な被害を及ぼしている原発事故について、2月29日に当時の東電役員らが東京地裁に強制起訴されることになった。東電トップの刑事責任を問う初裁判となる。検察審査会が起訴すべきだと議決、検察官役の指定弁護士が検察に代わって起訴するもの。原発事故は判断ミスによる人災との意見があるが、この点を中心に争われる。

# 炉心融解
 事故の直後、東電が認めようとしなかった「炉心溶融」について、社内マニュアルに基準があり、津波から3日後には判定できていたと発表した。そのマニュアルは、不可解なことに今月、初めて発見したと言う。
 「炉心溶融」は原子力事故の中でも最悪の事態である。東電は2カ月以上「炉心損傷のレベル」と説明し、5月末になって「炉心溶融」と認めた。この時の判断基準は何によっていたのだろうか。「事故を小さく見せようとした」との疑念を証明した。5年も経ってからの発見、不自然である。企業体質の問題点を挙げればきりがない。

# 賠償・保証
 事故の損害賠償の支払いの仕組みは4年半前にできた。
 詳細な住民や桔梗に対する保証については複雑でよく理解できない。

 避難者全員に払われる慰謝料をめぐっては、泥沼化している交渉もある。
 13年5月、原発周辺にある浪江町の住民1万2千人か、集団で慰謝料の「増額」を求めた。慰謝料は、避難指示が解除された1年後までは「1人月額10万円」と決められている。
 被害者と東電を和解させる政府の機関は14年3月「月5万円の追加を認める和解案を示したが、東電は「集団に対する一律の増額には応じられない」と、増額を拒み続けている。

 原発事故で避難した商工業者は約8千社。東電は11年3月-15年2月の営業損害として、事故前の営業利益を4年分払った。その後は2年分の利益をまとめて支払い、企業関係の賠償は原則終了することになっている。だが、企業成績が回復していると、赤字でも支払いの対象にならないケースがある。逆に、仕事を再開しないままなら、まるまる賠償をもらえる。原発の賠償が抱える矛盾のひとつである。

 東電は賠償に7兆円が必要と試算している。
 これまで避難している個人に3兆円、企業や団体に2兆8千億円を支払った、という。
 これほどの賠償を、たとえ国が一時立て替える仕組みになってはいるといえども、これだけの額を支払っても会社の破綻や消滅が取りざたされない東電とはどんな企業なのか、今までにどれだけの利潤を上げてきたのか?今後の経営はどうなるのか?
 私には予想すらできない。
 
 原発事故は未だ解決していない。そんな中、わが国の原子力エネルギー政策は再稼働へ舵を切ったが、これに対し司法が高浜原発2基の運転差し止めの仮処分を決定した。混沌とし始めた。今後も目を離せない。


3/12(土)晴天されど寒い 東日本大震災+原発事故5年 
 1:00起床、新聞・文献・資料検討。午前は居間の椅子修理一脚補強修理その他。午後はバラその他の冬囲いを外す。外仕事。ちょっと場所移動したかったが、プリウス全く反応せず、また故障か。今回はダメか?? 15:00ガス配管部品購入、台所のガスの機能改善。書類処理に集中。19:00夕食、20:30就寝。Σ8213Km。BR視聴なし。

原発事故から5年(1)  事故対策、まだ目処すらない状態
 福島原発事故から5年たって原子炉に対する急性期の対策は一応功を奏したようであるが、収束の目処が立たない。その影響は今も深刻である。
 想定外の巨大な自然災害に端を発したとはいえ、実際には人災と言っていい。さらに、事故の際に、風、雨、地下水、池や沼、山や海などの自然現象、地形などがこれほどまでに事故を複雑化するなど、関係者の誰も想定していなかったのだろう。

 政治家、科学者も含めた関係者の誤認、だんまり、国民を騙し続けた安全神話があった。さらに、官邸には事故が起きたとき、どんな問題が発生し、その後どう展開すればいいのかをまともに判断できる人間はいなかった。当時の原子力安全委員会の委員長は原子力工学の専門家であって、事故の対策などほとんど知らなかった。
 事故後の対応も拙く、無用な汚染につながり、炉心融解まで行った。その責任を政府や官僚、東京電力は誰も取っていない。

 事故から5年の現状をまとめてみた。

# 汚染水対策
 汚染水はたまり続け、タンク1000基に約80万トン保管されている。汚染水の処理方法はまだ確立されていない。近々作動し始める凍土壁は本年2月に工事が終了したが、作動が軌道に乗るまで8け月かかるとされる。また、行き場を失った地下水が新たなルートに流れ出す可能性は否定できないなどの問題を抱える。

# 廃炉への道
 廃炉作業は30-40年かかるとされる。原子炉建屋内の状態を調査している段階で、作業としては緒についた程度。遠隔操作機の開発、仮想空間でのシミュレーションが続けられている。

# 除染と汚染物質
 除染作業は、国や市町村が2016年度中の完了を目指している。ただ除染廃棄物を保管する中間貯蔵施設の用地は、約16平方キロのうち1%の0.15平方キロしか取得できていない。県内各地の仮置き場や住宅地に袋詰めで約17万トンが一時保管されている。国は最近1ヶ所に集めて処理する方針を転換して、放射線濃度が基準を下回った汚染物質は各自治体でも処分できるようにした。自治体は戸惑っている。

# 避難者、震災関連死
 東日本大震災と原発事故による避難者は約17万4千人で、福島県民は約9万8千人を占める。避難が長引き体調を崩すなどして亡くなる「震災関連死」は福島県が2016人で、宮城県920人、岩手県458人と比べてはるかに多い。
 大きな原発事故が起これば放射性物質の拡散により、住民は土地に居住出来なくなり長期間帰還できなくなる。

# 再稼動
 福島の事故後、原子力規制委員会が設けられ、原発再稼働の規制基準も厳しくなった。しかし、どんなに基準を厳格にしても事故の発生リスクは残る。リスクが相当低くなったとしても現実的には福島から得られた教訓を凌駕できない。だから、核のゴミ問題も含めて脱原発に進むべきだろう。


3/11(金)雪のち晴 東日本大震災・原発事故5年。大曲中通病院外来 飯川病院ボランティア
1:00起床。文献・本読み、徒然他、データ処理。可燃ゴミまとめ。7:35Taxi駅、8:10こまち、8:55-13:00大曲中通病院外来、やや混雑。13:45飯川病院ボランティア。19:10帰宅、夕食、20:30就寝。BR視聴:「ナノレボリュウション(1)(2)」、「知恵泉:由利公正」、「座プロファイラー:エディットピアフ」。歩数計8211Km。普段、東日本大震災・原発事故関連ニュースをろくに取り上げないNHKをはじめ、メディアはこの日を待ってました、とばかり取り上げる。うるさい。

東日本大震災からまる5年 復興復旧は遅々としている
 本日、東日本大震災はまる5年を迎えた。各地で追悼他の関連行事が行われている。
 普段、東日本大震災・原発事故関連ニュースをろくに取り上げないNHKをはじめとするメディアはこの日を待ってました、とばかり取り上げる。しかも、お涙頂戴的発想の取り上げが多い。見るのも読むのも辛い。毎年同じであるが今年は5年の節目で一層ひどい。
 
 この時期だけに集中して震災が話題になるのは違和感がある。3.11は被災者以外にとっては過去の事象になり、記念日化している。被災者にとっては3.11は重要な節目の日であろうが、日々の生活の方が重要である。

 震災直後から「絆」、「風化」の漢字が頻繁に語られたが、もう殆どない。岩手日報の紙面では決して大震災は風化していない。他のメディアはこの日だけはに「大震災は忘れ去られようとしている、風化している」と、書き立てる。
 
東日本大震災の人的被害(2016年3月11日警察庁の統計)、
 直接死者数は15,894人(前年比 +3)
 行方不明者数 2,561人 (前年比 -23)
 死者数+行方不明者数18455人

東日本大震災と原発事故による震災関連死(2015年12月28日現在)
 福島県2007人
 岩手県455人
 宮城県918人
 (前年比 3県で+186人)

東日本大震災と原発事故による避難者数 約17万人
3県の沿岸部36市町村で人口減少数 15万6182人 (2015年国勢調査)

 直接死者数を見る限り、この1年間で3人増えただけである。遺体が発見された数であろうが、年余に渡る広範囲な捜索がほとんど実を結んでいない。

 現場を見たわけではないが、遅々としているようだが復興が進行していることは確かで、報道から知る範囲でも、住宅の高台移転、災害公営住宅の建設と入居、一部商店街の開業、県立病院の建設、そして防周堤の本格的工事などなどである。復興庁が言う公共事業の進展を額面通りに受け取ると復興はかなり進んだということになるが、被災者たちは歪んだ評価だと言う。

 新しい町でコミュニティの再形成、医療、生活必需品の入手、交通などなど、これから自立していこうとする人たち、特に高齢者にとっては悩み種は尽きない。ソフト面を含めた復興が求められている。

 津波に遭った沿岸部で人口減少が際立つ。宮城女川の人口は37%減少した。住まいや産業の復興が遅れ、生活できないから内陸部へ流出したとみられる。

 私は 「復興」、「復旧」は望めないと思う。被災地の多くはその前から高齢化過疎化が問題になっていた。復興・復旧に代わる新しい発想で、住民の生活圏を作ることも必要であろう。


3/10(木)曇り・快晴 外来+飯川病院 
 0:20起床。文献新聞など。明日は3.11で新聞、ラジヲ、TV共に大震災関連特集が組まれており、見るのも聴くのも辛い。7:20徒歩病院着。机上書類処理。8:45-13:00外来。13:45-18:00飯川病院。19:00帰宅、20:30就寝。BR視聴:「プロファイラー:ミケエランジェロ」、「孤独のグルメ:焼肉」、「笑点:2月14日放送分」。歩数計8206Km。

北朝鮮2016(4)  核兵器 vs 金正恩 核兵器より危険なのは金氏の健康
 北朝鮮の金第一書記が健康問題を抱えているようだ。
 一見して肥満体である。詳細は不明であるが、これだけでも問題を感じる。新聞の写真の範囲からであるが、メディアに登場し始めた頃は小太りの範囲との印象であったが、この数年で著しく体重を増やした。

 本日、3月10日、秋田魁新聞に「正恩氏 核弾頭を軽量化」の見出しで金正恩氏が現地指導をしているという写真とともに掲載された。側には核弾頭のイメージを示しているのか球形の構造物が写っていた。記事には「北朝鮮は核弾頭の軽量化に成功した。核攻撃能力が大きいほど侵略と核戦争を防止する」と語ったと記載があった。

 本当に語ったかはあの国のことだからそのまま信用できないが、きわめて初歩的、ちゃちな論理である。指導者がこんなレベルだとすれば危険である。

 その記事の内容以上に私は金正恩の姿を見て驚いた。
 写真は自由に手が加えられるから信憑性は落ちるが、不都合な方向には修正しないだろうから、これは本物であろう。超・超デブになっている。鼻がほっぺの肉で埋まりそうである。

 就任時に比較して30-40kgは肥っていると考えられる。確かに、かつて杖をついた写真も配信されたことがあって脳梗塞でも??と思ったのであるが、痛風らしい。痛風も生活習慣病として軽視できない。

 核弾頭の小型化は脅しである可能性が高いが、ここまで肥れば核弾頭以上に危険なのは金正恩氏自身の健康上の自爆である。それとともに、もう一つ心配なのは、自己の体重もコントロールできない精神的な弱さである。

 側近の粛清も100名にも及ぶとされ、巨大な権力を持ち、恐怖政治を行っている指導者はおそらく孤独なのであろう。性格的にはヒステリックでないだろうか?危ない環境が揃っている。

 ミサイル、核実験等で日米韓にプレッシャーをかけているが、一番ストレスを感じているのは金正恩氏自身ではなかろうか。自ら作り上げた環境に自らが押しつぶされそうになっていないだろうか。画像として提供される写真・映像には氏は落ち着きなさと作り笑いが目立つ。強靭な精神力があるようには見えない。その結果が肥満として現れてきた。

 私は金正恩氏の健康を心配している。
 健康上の自爆から、近い将来、国を管理できなくなる可能性がある。現政権の基礎が崩壊し、北朝鮮に政権交代が起きるかもしれない。そのことが是と出るか非と出るかはわからない。北朝鮮について、あまり信ずべき情報がない。だから、よく分からないが、大きな変化が突然生じるのは好ましくない。

 ミサイル、核、核弾頭も重要であるが、金正恩氏の健康の方も私は心配している。


3/9(水)晴れ 午後飯川病院ボランティア 
0:30 起床、文献など。6:00ペットボトル集積所に、二袋。午後飯川病院ボランティア。12:30徒歩にて出勤、院長室机下用のキャビネット修理。19:20バスにて帰宅、夕食、20:10就眠。Σ8197Km。BR視聴:「林修名著:坊ちゃん、高嶋」、「久米書店:23区格差」、「サイエンスゼロ:耐塩植物」、「オイコノミア:モテの極意、経済」。

18年目レガシーワゴン(2) 旧バッテリーは18年も働いた
 今回のバッテリー交換はコストを最優先させたために結果的に難渋した。

 ところで、新車購入時から装着されているバッテリーはだいたい寿命は5年程度をされているが、寿命には広くばらつきがあるとされている。
 今回、バッテリーを外して確認したところ平成10年の日付のついたスバル純正用品を示すのシールが貼っていた。車歴18年、私のところに来てから10年以上になるが、自分で交換した記憶はない。業者に依頼した記録もない。業者に交換を依頼することはなく、自分で交換する時には純正レベルの高級品を購入することはない。横浜で使っていた時期に交換した可能性はまずない。
  
 だから、このバッテリーは18年も働いたことになる。勿論、液量チェックや補充など適宜メインテナンスは欠かしたことはなかったが、驚くほどの長寿命である。
 おそらくは十分な容量のバッテリーであること、走行距離が少ないことに関連しているだろう。積算メーターは8万Km程度を示しているが、年間5000Km程度しか走っていないことになる。

 バッテリー交換は通常は簡単である。しかし、今回は交換作業を始めてからいろいろ問題点があることに気づいた。

 以下の如く工夫し、なんとか装着した。

@ バッテリーの受け皿が大き過ぎて、小さいバッテリーの固定が困難であった。
@ 車側のバッテリーターミナルの口径は太い(S)タイプであり、新バッテリーのターミナルは細い(B)タイプであり、電気的に連結できなかった。
@ バッテリーターミナルを(S)から(B)タイプに変換する必要があった。旧バッテリーは外しており車を動かせない。
@ 細い(B)タイプのターミナルにアルミホイルを厚く巻き、(S)タイプのターミナルを被せた。これでエンジン始動でき、カー用品店を3け所回り、(B)タイプターミナルを購入した。アルミホイルを用いたのが自賛できるいいアイデアであった。
@ 車のプラス側の電源コードが短く、通常の方法では(B)タイプに変換できなかった。そのため新バッテリーに(B)タイプのターミナルを装着し、(S)タイプを切断せず2-3cmほどの金属片を間に挟み、固く固定し装着できた。 

 交換してからまだ2週間であるが、新バッテリーは小型ながら力強く機能している。

 通常はバッテリー交換は簡単で30分もかからない。今回は不注意で、ろくに検討せずに規格の異なったバッテリーを購入し、交換を始め結局2時間半もかかった。
 回り道したが、この古い車に一層親しみを感じる機会ともなった。


3/8(火)曇・降雨 外来 飯川病院 
1:00起床、文献・新聞関連など。5:00可燃ゴミ出し。6:30-7:30全コース徒歩にて飯川病院、8:45-12:30中通病院外来。13:00飯川病院、14:00-18:45勤務、19:00帰宅、20:20就寝。Σ8190Km、本日9Km。BR視聴:「そこまで言って委員会:破滅か希望か」、「せかいは今:中国全人代、北朝鮮制裁問題、米大統領選」、「コズミックフロント:天体衝突」、「BSsp:海底への化学兵器投棄」。

18年目レガシーワゴン(1) だましだまし使い続ける面白さ
 主に家内が使っているスバルレガシーワゴンは平成10年7月だから18年目になる。横浜在住の長女が購入した車であるが、あまり使わないということで我が家で使うこととした。
 さすがにいろいろ問題は生じているが、決定的不調でないから、ごまかしごまかし使っている。

 @ 2年ほど前からエンジン不調の警告灯が頻回に点灯している。これはダメか?と思ったが機能には問題ないようである。センサーの異常か??
 @ 暖気・エアコンの温度調整ができなくなった。窓を開けて外気を入れながら室温を調整している。
 @ 運転席の背もたれ角度調整できなくなった。角度は良いところで固定し、前後に動かしながら運転ポジションを調整している。
 @ フロントのバンバーが脱落一歩手前まで落ちかかった。自分で再装着しっかり固定した。多分落ちないだろう。
 @ バックドアの内装が脱落。再装着不状態。
 @ エンジンルーム下部のカバー脱落。再装着不能。
 @ 最近、バッテリーがへたり、冬季のエンジン始動に不安を抱えた。

 家内は機会あれば車を買い替えたいと言っているが、選択眼は私とは異なり、私は聞くのが恐ろしい。家内の気持ちに火がつかないよう、ごまかしごまかしなだめている状況である。私にとってはまだまだ乗れるクルマである。

 私は昭和46年以降、現在まで10数台の車を利用してきたが、ほとんど中古車の乗り継ぎで、動かなくなる直前まで、多くは15年以上使用してきた。外装を含めちょっとした故障なら自分で治す。
 修理すればするほど愛着がわく。次第に中古車の感覚は薄れ自分の車になっていく。

 だから、バッテリーが寿命を迎えるなど、毎回のことである。それらのバッテリー交換は、プリウスだけは出来なかったが、全て自分でやってきた。

 バッテリー交換は簡単である。しかし、ディーラーに依頼すると1-2万円もする。マイコン付きの高級品もあり3-4万円もする。間もなく寿命を迎えるポンコツ車には高級品は無駄である。旧バッテリーと同様のサイズ、あるいはやや小さめの製品を単体で購入、いつも自分で交換している。

 今回は車の寿命が間も無く尽きるだろうということで、あえてふた回りほど小型の製品を2700円で入手した。蓄電容量は少ないが、エアコンも壊れているし、機能的にはこれでも通用するはずである。

 2週間ほど前、天気が良かったので交換に手をつけた。今回は作業に難渋した。


3/7(月)朝小雨模様、午後快晴  健康クリニックドック 飯川病院 
 0:30起床。新聞・文献チェック。7:10バス飯川病院着、9:00-11:00健康クリニックドック、5名と結果判断7名分。11:00飯川病院。14:00-19:00勤務。19:30帰宅、夕食、20:30就寝。Σ8181Km。BR視聴:「池上2016初解説、世界を見に行く、地球温暖化、アマゾン」、「英雄選択:北里柴三郎」、「ガイア:食料争奪戦ベトナムのマグロ他」。申告北税務署に送付、問題なければ終了。

18歳選挙権(2) 投票する権利は与えたが、義務年齢を下げてはならない
 せっかく18歳にまで投票する権利を広げたのだから投票に行く意思を固めることが大切である。全てがここから始まる。

 初回は、本年夏の参議院選挙である。多分、お祭り的に盛り上がり、いい投票率が記録されるかもしれない。しかし、それも初期だけのことになるだろう。選挙年齢を下げることで、若者の政治参加が促され、政治が変わるというのは幻想である。投票に行かない理由を見つけることは簡単で事欠かない。政治なんて私には関係ないこと・・と先輩方に習えばいいだけのこと。

 政治家にとって若者の投票率が低ければ「税金を払う、あるいは将来払うことになる年代者が、義務は果たしてくれるが権利は一切主張しない都合のいい存在」になりうる。少なくとも、若者たちが社会の仕組みに目を背ける程、政治家にとって、高齢者にとって都合がいい存在になる。若者たちは自分達が思っているほどの貴重な存在ではないのだ、という証明になりかねない。

 実際のところ、18歳選挙権問題を一つの契機に、全世代が我が国の選挙の在り方を一度総ざらいすることこそ、最も大事なことかもしれない。

 選挙権年齢を18歳への引き下げるのを機会に、酒やタバコ、少年法など、法における成人年齢などの基準も18歳に、という議論が出ているが、現状では引き下げていい理由はない。だいたい、選挙権の問題も上意下達的であった。今の18歳者たちから、選挙権や成人年齢を引き下げて欲しいという声が出たことなどあったのだろうか。私は聞いたことも、触れたことがない。

 権利と義務とは表裏一体なのだ、とよく言われる。
 選挙権もあるし、これで君たちはもう大人なんだから、社会人の義務についても自立せよというのは、我が国の教育環境、家庭環境などから見て唐突すぎる。それよりも若者たちの将来の自立、就業等のために、一層の投資が必要な状況である。

 若者への一般的教養教育も必要であるが、就労に向けて特化したビジネススクールなどへの再教育支援を手厚くし、社会に送り出す施策が必要であろう。社会保障の対象者はこれからも増え続けるが、納税者を増やすには、しっかりした就労支援しかない。そのことが社会保障を保証し、人口増をもたらす唯一と言っていい方法である。


 若年層への自立教育の対策を怠り、家族にゆだねて来たことのツケが、今の若者達の世相に反映されている。


3/6(日)曇り・降雨  確定申告
1:15起床、新聞・文献チェック、本読み。データ整理。午前は読書中心。10:30-14:00確定申告作業。午睡、洋服タンス修理検討。蓄積録音データの整理、本読みなど。19:00夕食、20:30就眠。時間的には豊かな週末であるはずであったが、二人分の確定申告で時間取られた。Σ8176Km。BR視聴:「らららクラシック:冬の旅、菩提樹」、「名曲探偵:ウエーバー魔弾の射手、チャイコフスキー交響曲No6 悲愴」。

18歳選挙権を考える(1) 現状の政治のまま選挙権を18歳以上にしても意義は少ない
 選挙権を18歳以上にする改正公職選挙法が昨年6月参院本会議で全会一致で可決、成立した。本年夏の参院選から適用され、約240万人が新たに有権者になる。選挙権年齢変更は1945年に25歳から20歳に引き下げられたが、それ以降70年ぶりとなる。

 この年代者の選挙運動も認められる。重大な選挙違反の場合には成人と同様に刑事裁判の対象となる。

 私の印象としては、如何に世界的風潮とはいえ、また、参院本会議で全会一致で可決された法案とはいえ、国民的議論は未熟なまま成立した、上意下達的改革の印象が大きい。

 私は個人的には選挙権を18歳以上にする案を、すべて是とすることはできない。その前に政治が変わらなければならない。あるいは、変わる兆しを示さなければならない。

 選挙権を18歳以上にすることの意義を強調する意見も多い。
 確かに今の政治は高齢者に恩恵が厚く配分される構造が出来上がっている。その背景は現状の選挙において20-40歳代の投票率が低い事によると考えていい。候補者は保身も含めて高齢者に甘い言葉をかけ投票に誘導する。結果として高齢者民主主義と言っていような高齢者中心の政治にシフトする。

 このことは選挙権を18歳以上にすることと直接関係ない。
 18歳以上にしても何ら改善することはない。

 日本の若者たちは政治に失望し背を向けている。この状況を打破する政治が改革の前に先行しなければならない。しかし、まだ全く見えてこない。そんな動きが政治的に見られるだろうか?これがなければ選挙権を18歳以上にする意味はない。

 新聞報道等によると、18、19歳の者達は急に投票権が与えられ、戸惑っているようである。大人達は、長い間、未成年として子ども扱いして政治から遠ざけて来たから当然でもある。狭い、ほぼ閉鎖環境の中で勉強中心の環境から、無理やり政治や社会に目を向けることが求められているから当然の反応である。

 若者世代は、幾多の難問に直面している。実際、若者たちを取り巻く環境は一時に比べ厳しくなっている。その最たるところは意欲の減退であろう。
 我が国は高度成長期を経て、もの・金に溢れた豊かな国となった。低成長期を迎えた今、諸外国に比すればまだまだ豊かなのであるが、高齢者はそれらの蓄積を徐々に失っていく不安におののき、既得権に固執している。一方、若者たちは直ちに生活に困窮することのないパラサイト的現状に甘んじ、将来に対する夢・意欲を失っている。

 日本の政治はこれら双方の年代者が参加した政治に転換しなければ先がない。そういった意味では選挙権を18歳以上にする意義は大きい。
 若い世代が、若い目から見た諸々の難問を積極的に取り上げ、重要な役割を果たすことこそ、期待されるところである。


3/5(土)快晴 確定申告に集中
1:00起床、文献新聞チェック。コンピューター関連の勉強、本読みなど。午前中体調今ひとつ、寝不足の蓄積か?微睡後改善。午後自分の確定申告に集中。資料整理とかで3-4時間要した。ネコ対応の網戸の修理と新調。19:00夕食、20:30就寝。Σ8175Km、RD視聴:「名曲探偵アマデウス;マーラーSy No5」、再視聴「内田百間、藤田嗣治とネコ」。

認知症2016:鉄道事故判決(2) 認知症者の単独事故だったら??
 今回の判決では、家族が賠償責任を負う監督義務者に当たるかどうかを判断するための考え方を明示した。私はこの判決を画期的な、という印象で受け止めた。

 最高裁は、以下の項を考慮したと思われる。
@ 高齢化社会が進む一方。
@ 特別養護老人ホームなどの受け入れ態勢が不十分。
@ 在宅介護による離職や老若介慢、老老介護が問題化している現状。
@ 認知患者の介護者に過大な負担が強いられる現状。
@ 線路内へ立ち入りなどの具体的を予見し、常に徘徊を防止することまで求めるのは酷。
 これら社会的要件を考慮して「介護者の責任を否定した結論」は妥当と思う。

 しかし、この判決は認知症社会に新しい問題を投げかける。要するに、認知症患者の対社会への責任能力の有無に関する評価と家族及び社会側の受容と事故防止への対応である。
 今回の踏切事故は本人が死亡していて、家族が責任を問われたが、ケアに手を抜いている場合には家族は監督責任が問われることになっただろう。そこの線引きは難しい。

 今回の判決を過度に一般化し解釈することも問題となる。

 認知症者による加害行為は決して人ごとでも、非日常的でもない。万引き例は枚挙にいとまがないが、例えば、認知症の人が車を運転し人を死なせたら? 火の不始末で隣家まで類焼したような損害事件などでは、認知症者には責任能力を問えるのか??
 もし、責任能力がないとすれば、誰が責任を負うのか??家族が別居している場合は?・・・などなど。

 わが国の高齢者の余命はまだまだ延長する。要介護の認知症高齢者は、2010年時点で280万人。2025年には570万人にまで増えると推計されている。決して人ごとでない。認知症問題は社会で受け止めるべき喫緊の課題である。

 2014年度に認知症の人が死亡した鉄道事故は22件(国土交通省)。
 国交省は全国の約200の鉄道会社から事故や輸送トラブルの場合の報告を受けている。14年度からは当事者が認知症と把握できた場合、備考欄に記載するよう求めている。14年度に認知症の人が起こした事故・輸送トラブルは28件、うち22件は死亡事故であったた。 
 歩行中に線路に立ち入ったケースが多かった。認知症の人が運転する車が踏切を起こしたケースもあった。認知能の人が関わった事故やトラブルによる運休は少なくとも278本、遅延も402本だった。

 今回の最高裁の判決のケースは詳細まで明らかになったが、上記のケースがどのようなトラブルになったのかは不明である。今回の判決を受けて鉄道会社は予防策を講じなければならないだろう。

下記は徘徊高齢者の鉄道事故死の判決が出た2013年の記述
認知症2013 徘徊高齢者の鉄道事故死の判決について(1)不十分な医療・介護ケア体制が元凶
認知症徘徊高齢者の鉄道事故死の判決について(2)介護保険以前の判断基準を持ち込んだ
認知症徘徊高齢者の鉄道事故死の判決について(3)認知症ケアの後退を誘導する


3/4(金)曇り・晴れ 大曲中通病院外来 飯川病院ボランティア
1:00 起床、新聞、徒然。5:00可燃ゴミ提出。7:30Taxi駅、8:10こまち、徒歩病院、9:10-13:00大曲中通病院外来、混雑。14:24飯川病院ボランティア、外来雛人形仕舞う。19:00Taxi帰宅、夕食、20:00就寝。Σ8167Km。BR視聴:「視察団:小学校、缶詰」、「ワカコ酒:ざる豆腐」、「NHKsp:エボラ戦いの記録」。

認知症2016:鉄道事故判決(1) かつての安楽死事件に近い判決と思う
 認知症の91歳の男性が線路内に立ち入り、電車にはねられて死亡した事故をめぐり、最高裁は3月1日の判決で、妻や長男について、「未成年者や精神障害者を監督する法定の義務を負う者」にも「監督義務者に準ずべき者」にも当たらない。したがって、鉄道会社の損害賠償への責任は無いとした。

 従来のこのような事件に類似した判決を見ていると、裁判所は事件の背景や社会的問題点に深入りせずに、一つの事件として狭い視点から、前例に照らし合わせた判断を示すのみに留めてきた。
 例えば、介護疲れによる心中事件や殺人事件の判決が出るたびに、私は今の日本の介護の問題点にまで踏み込む判決が出て、介護状況が改善する方向性が示されるものと期待していたが、そのような内容に迫るような判決は知る限りにおいてはなかったように思う。ただ、温情ある判決はあった。

 最高裁は1983年の判決で、詳細な理由を示さず、他人に傷害を負わせた精神障害者の両親の賠償責任を否定した判決を出した、こともある。

 認知症や介護とは別であるが、「安楽死の要件」を明快に示した判決がある。裁判所が医療や社会の実情にまで踏み込んだ判断として記憶している。

 脳出血を起こし苦痛にあえぐ50代の父に農薬を飲ませて殺害した青年が尊属殺人の罪に問われた事件について、昭和37年名古屋高裁は安楽死の6要件を示した。山内判決として有名である。青年は懲役1年執行猶予3年の判決を受けた。この要件の幾つかを満たしていたからである。

(1)病者が,現代医学の知識と技術からみて不治の病に冒され,その死が目前に迫っている。
?(2)病者の苦痛が甚だしく,何人もこれを見るに忍びない程度のものである。
?(3)病者の死苦の緩和の目的でなされた。
?(4)病者が意思を表明できる場合には本人の真摯な嘱託,または承諾がある。
?(5)医師の手によることを本則とし,これによれない場合には,医師によりえないと首肯するに足る特別な事情があること。
?(6)その方法が倫理的にも妥当なものとして認容しうるものであること。?

 私は今回の判決に山内判決と類似性を感じてしまう。従来の認知症関係の判決に比較して一歩踏み込んだ判断だと思う。


3/3(木)降雪 外来 ひな祭り 飯川病院 除雪6回目
 1:20起床。新聞他、文献読み、PDF化。5:00資源ゴミ大量に集積所に運ぶ。夜間降雪10cmほど。除雪6回目、湿り気が多い雪で不十分。6:47バスにて飯川病院へ。8:45-14:00中通病院外来。混雑。14:15-18:30飯川病院、19:15帰宅、夕食、20:30就眠。Σ8167Km。BR視聴:「世界のドキュメント:冷却」、「ワカコ酒:あん肝・ポン酢」。

ひな祭り2016  いたずらネコたちのため、ひな飾りは飯川病院外来に
 本日はひな祭りである。
 我が家は毎年2セットの雛を飾っていた。
 
 1973年に長女用に用意したセットはピアノの上に、2007年に家内が自分用に求めたセットは低い位置に置く。後者は十二単を上から鑑賞する様なデザインなのでローチェストの上に飾った。

 ただ、今年は状況が変わった。
 昨年春までは黒ネコのユウ一匹しかいなかったが、春からプチが、夏から5匹の野良の親子が同居始めた。プチは1年前に生まれた姉に当たるネコで、厳しい冬期間を外で生き抜き、その健気な姿に打たれて家ネコとして受け入れた。今年生まれた子ネコ一匹だけ里親が見つかった。

 だから、今年は全部で七匹のネコがいる。そのうちの4匹、テツ、雪音、しま次、グリフィスは超活発、超いたずら好きである。通常は風除室をネコ専用にしているのだが、時折居間にも入れる。だから、居間には貴重品や食品はハダカのままには置けない。
 ネコと暮らすためにいろいろ工夫しているが、ひな人形については諦めた。不用意に飾ったら1日も持たないだろう。

 今年は自宅に飾るのを諦め、飯川病院に飾ることにした。二組の予定であったが実際には時間がなく、1セットだけ、外来にしか飾れなかった。

 飯川病院の昼の検食はひな祭りのためちらし寿司の祝膳、自宅の夕食は海鮮丼で、同様にひな祭りを意識した祝膳であった。今年のひな祭りはちょっと寂しかったが、祝膳は楽しめた。


(飯川病院外来に鎮座したひな飾り)

 ひな人形はひな祭りが終われば速やかにしまわなければ・・・とも言われる。明日は早速仕舞い込む予定である。


3/2(水)曇りのち晴れ 寒気緩む 飯川病院ボランティア 
1:00 起床。文献・新聞チェック。午前フリー、ネコと遊ぶ、ヘッドフォン2台修理、その他。12:20バス飯川病院へ。12:40飯川病院ボランティア、18:45帰宅、19:00夕食、20:30就眠。Σ8159Km。BR視聴:「お前がいなければ生きられない:内田百間」、BR視聴「プレミアムカフェ:猫」、「歩いて脂肪を燃やせ」。

本:「学習まんが 少年少女人物日本の歴史(25冊セット)」小学館 1984 
 退職して一週間後、最初に手をつけたのが日本史の勉強である。
 その手始めの入門書として「学習まんが 少年少女日本の歴史」を購入した。旧石器時代〜現代の日本の歴史をわかりやすい漫画にした本である。

 この本を通じて日本の歴史の流れの概要を知ることができた。何度か通読し、歴史がぐっと身近になった。

 次に資料として購入したのは「学習まんが 少年少女人物日本の歴史(25冊セット)」小学館1984年版であった。歴史の勉強は大きな事象の流れを追ってみるのも大事であるが、その時代時代の人物についても知ることも重要である。



 そのような資料としては伝記が役立つ。
 私が子供のころには多数の伝記が出版されており、それらを手に取りながら将来の自分が進む道を考えていたように思う。その点では今の子供達が人物を学ぶ機会は十分与えられているのだろうか、このような人になりたいと夢を膨らませる機会はあるのだろうか、と思ってしまう。

 「歴史は特定の人物によって作られるのか、歴史が偉大な人物を作るのか」はどちらも正しい、と思う。
 歴史が動いていくには様々な人の働きがある。社会の構成者である、名もない人間の働きこそが最も重要と思われるが、民衆が歴史の中に顔を出し始めたのは近代になってからである。日本の歴史に大きな影響を与えたのは、その時代の表舞台に立てた一部の人間であるが、この本は日本の歴史の移り変わりを25のテーマに分け、時に集団として人物を取り上げ、時に特定の個人を中心に据えより広い視点でまとめている。

 このシリーズは通読にも適しているが、折々ある人物が話題になった時などに取り出して参考にしている。座右に置く日本地図・世界地図のごとく気軽に利用している。
 「学習まんが 少年少女日本の歴史(18冊セット)」集英社版とは違った角度から、いろいろな人間を中心に日本の歴史を知ることができた。

 ただ残念なことは、私が最も学びたいのは、幕末から明治維新、第二次世界大戦前後の時代についてであるが、「龍馬」、「西郷」、「諭吉」まででこのシリーズは終わっていることである。その後の時代については有難いことに膨大な資料が出版されているし、時代の再評価も盛んに行われているのでその様な文献に頼ることとする。

 この二つの歴史学習漫画シリーズは私にはとても有用であった。勿論、私はこれからも漫画化された歴史他の資料も適宜利用していくつもりである。


3/1(火)強風 寒波 降雪2−3cm 中通病院内科外来 飯川病院 外来レセプト
0:00 起床,文献読み、新聞チェック、徒然ほか。6:47バス飯川病院、8:45-13:10中通外来。比較的余裕。13:30飯川病院、14:00-18:15飯川病院。17:00外来レセプトチェック1時間。19:00帰宅、夕食。21:30就眠。BR視聴:「そこまで言って委員会:北朝鮮・中国・韓国問題」、「いま世界は、世界はいま」。

本:「学習まんが 少年少女日本の歴史(18冊セット)」集英社  
 今から5年ほど前の5月末日、私は長く勤務した明和会を退職し待望の嘱託医生活となった。退職して一週間後、前から目をつけていた「学習まんが 日本の歴史(23冊セット)集英社」を購入した。退職の数ケ月前から近隣の古書店の棚の上に鎮座していたのをマークしていたものである。運良く売れないで残っていた。

 私は岩手の片田舎の開業医の孫として生まれたが、父は医師の道をまとうできなかったらしい。孫である私の兄は大学受験直前に診療所が火災にあって消失したのを機会に進路転換に成功した。結局、11歳下の私はとばっちりを受け医師の道に進むことになった。

 私は記憶力も理解力もいいとは言えない。そんな私が医師になるために並の努力では無理と思われた。このことを早めに自覚し、とにかく努力したことが功を奏したのか、なんとか進学できた。医師になった後も学問についていくだけで精一杯、勤務医としてなんとか職務を纏うできたが、結果的に医療以外の分野については甚だしく視野の狭い人間となった。私は一般常識知らず、社会常識知らずで、そのことを常に自覚し、劣等感に苛まれながら生きてきた。

 ダメな分野は枚挙にいとまがないが、政治・経済・社会の分野は大きく欠損していた。そのため、迎えた退職は同時に勉強のためのパラダイスの入り口でもあった。

 最初に手をつけたのが日本史の勉強である。その手始めの入門書として「学習まんが 少年少女日本の歴史」を購入した。旧石器時代〜現代の日本の歴史をわかりやすい漫画にした本である。



 本書は集英社の「日本の歴史シリーズ」の中でも初版が1982年の古い版で、監修が笠原一男氏。現役の同名のシリーズは岡村道雄氏の監修のもと全面改定され、20巻+別冊3冊の全23巻セットとなり、2010年に発売されている。

 旧版と言えこの本を通じて日本の歴史の流れの概要を知ることができた。何度か通読し、歴史がぐっと身近になった。
 歴史の勉強はその時代時代の人物、文化や生活、服装や食事、住居、病気など多岐にわたる文化を総合的に知らなければならない。そのために文字だけの歴史本ではイメージしにくいが、絵やセリフ、背景があることですんなりと理解でき、この国の歴史の流れの概要をつかむことができた。漫画は歴史の勉強にはとても良い教材である。

 その後は、日本史関連の書籍を適宜購入して学んでいるが、歴史は深遠な世界である。政治や社会、経済の情報はメディアを介して次々と入ってくるが、最近やっと理解できるようになった。

 こんなことも私が漫画を礼賛する理由の一つである。


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   年を通じてワンパターンで淡々とした毎日です。AM2:00-5:00にメールチェック・返事送付、人間ドック(HDD)判定・報告書作成、新聞切り抜き、病院・医師会業務など。
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