2015年5月分
日記と言うより、自分の行動記録からの抜粋と日々の雑感です。
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5/31(日)降雨午前より晴れ 東北六魂際二日目 飯川病院日直
0:20起床、降雨、しかもかなり。東北六魂際への影響が懸念される。データ整理。徒然、など。微睡。8:00バスルート間違い、Taxiにてi飯川病院、日直。入院患者対応と外来レセプトチェック。BR disk視聴:「連合国はいかにドイツを空爆したか」、「完全再現:世界最強の軍隊 日本vs英国」、「知恵泉:白瀬矗」、「20世紀の巨人:W・チャーチル」、「100分名著:荘子」観る。19:30家内横浜から帰宅、夕食、20:30就寝。Σ6478Km。
東北六魂際閉幕 無関心だった私にもちょっとだけ影響
東日本大震災からの復興を願い東北の六つの夏祭りを一同に集結する催し、「東北六魂祭2015秋田」がこの30、31日の二日間開催された。この祭りは2011年より東北6県都で持ち回り開催されてきて今年は第5回目で秋田市に集結したもの。
私は人が大勢集う会だから、その成功は念じつつも個人的には関心がなかった。ただ二日間の交通規制だけはチェックしていた。
本日終了したが、ニュースによる2日間で予想超える26万人の人出があったという。確かに29日午後、大曲中通病院診療応援後に昼の新幹線にて秋田に戻ったが、この祭り目的と思われる若者たちが大勢秋田駅に降り立った。
東北六魂祭で私が受けたの影響は以下の3点であった。
影響(1) 30日、雲一つない快晴で気温も高い。私は待ちに待った畑や園芸の日である。六魂祭に関しては殆ど忘れていた。陽を浴びすぎて疲労がたまり15:00頃から微睡していた。突然戦闘機と思われる爆音が数回、しかも強烈なのが襲ってきた。窓ガラスが共鳴した。私はてっきり、時折新聞などで報道される米軍か自衛隊の低空飛行かと思いながら、私はまどろんだ。
実は、ブルーインパルスの爆音だった。夕食時のTVニュースで知った。そうかブルーインパルスが来ていたのか、そうなら納得ができる。予めわかっていれば外に出て機体の一部でも見れたものを、と悔やんだ。
影響(2) 31日、私は0:20起床したが、就寝するときと異なり激しい降雨状態で東北六魂際への影響が懸念された。私自身は日直勤務でもあり、六魂際に関与はできないが、それでも心配である。何とかならないか? 私は2時間おきほどに外に出て雨脚の強さを確認、西の空の状況を確かめた。6;30頃になって雲の厚さが減じて、その後徐々に青のファクターが増え始め、1時間ほどで小ぶりになった。その後10:00頃になって青空が広がり、快晴になった。よかったよかった。
これほど東北六魂際の成功を祈ったのは、何でだったのだろうか。
影響(3) 31日は日直で出勤しなければならなかったが、8:00頃にはまだ小雨状態であった。私はこんなこともあろうと予めバス時間を確かめ、8:02に近所の停留所を通過することを確かめてあった。実際に八幡田一丁目の停留所で待ったのであるが8:10になってもバスが来なかった。この時になって、この便は秋田市斎場前を通過する方のバスだったのだ、と気づいた。もうバスには間に合わない、さりとて歩いていくには遅くなりすぎたし、雨も止んではいない。止む無く近所のコンビニにタクシーを呼んだ。
六魂際関連の交通規制を十分に把握していたが、最後の詰めが甘かった。タクシーは2500円、私のズボラが社会貢献につながった。
ニュースによると、2日間の人出は26万人、フィナーレではそれぞれが「心はひとつ、さらに前へ」の合言葉を胸に刻み、東北再生への誓いを新たにした、という。良かった良かった。
ひねくれ者の感想は、どうやって参加人数を把握したのか?と言うことと、「各人が合言葉を胸に刻み東北再生への誓いを新たにした」と報じたが、どうやって判断したのか?参加者多数に確かめたのだろうか。
5/30(土)快晴 東北六魂際初日 畑と園芸 ネコ親子の暑さ対策
0:20起床、新聞入力、データ整理。徒然、など。8:30~11:00花壇、畑に散水、トマト、キウリ先日立てた支柱に固定、枝豆とカブまき。ダリアの球根に土掛け。日差し強烈で午後は中止。12:00-16:00ネコ親子の暑さ対策、風除湿の日差し対策でスダレをセット、居間との間に換気ルート作成。これでもぐったり。途中ジェット機の爆音10回ほど。六魂際のアトラクション。16:00以降は書斎の整理。19:00夕食、20:30就寝。Σ6473Km。BR disk視聴:「美空ひばりの足跡」観る、感心す。
四季2015(4)新緑の季節,花咲く季節
清々しい新緑の季節である。
桜が散ると次々と花が咲き、地上、山々の木々は一斉に緑と化す。草萌える季節である。土の包容力、太陽の恵み、植物の旺盛なエネルギーが感じられる。
ここ数年、私も家庭園芸・野菜作りをしている。
私が週三日間午後に勤務し、二日間ボランティアで手伝っている飯川病院の玄関脇の軒下の花壇にも草木を植え、夕方には毎日散水して世話している。土日もどちらかが日当直に当たることが多いのでその時も同様である。
目立たない病院であるからこそ花が欲しい。花があると落ち着いた雰囲気がでる。私の姿は、病院の小間使い,と映るだろう。
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わが家の庭は植物の生育に適していなかったので庭師を入れて約40cmほどの深さまで土を入れ替えた。昨春、そこに「もみの木」、「リンゴ」、「バラ」などを植た。その効果があって今回はうまく根付いた。いい気分で植樹の計画もいろいろ練っている。夏には「藤」、「もも」、「ゆずり葉」なども植えた。
プランターや鉢にはボタン、新しく借りた畑の一画にはダリアを初めてトライしている。後者はまだ生着したか定かでない。
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日中は勤務があるのでウイークデイは早朝に、週末には午前中に作業をする。天候や私の机上作業の進み具合にもよるが、夜が白々と明けてくると自然と心がそっちの方向にむく。
畠には「キウリ」、「トマト」、「ナス」、「枝豆」、「カブ」を植えた。昨日は支柱に枝を固定した。これで強風も心配ない。「ナス」が若干元気がない。狭い範囲での連作のためだろうか?
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園芸、草木、木々は言葉では何も言わないが、姿形で私にいろいろ要求してくる。私が「いのち」を預かっている、と言う点については動物と同じである。
毎朝、彼らの機嫌を伺いに外に出る。土いじりの楽しみの一つである。
5/29(金)晴暑い 大曲外来 飯川病院ボランティア
0:45起床.書類、文献・新聞チェック。徒然。7:40Taxiにて駅に。8:10こまち、駅から徒歩。9:10-12:00大曲中通病院外来。13:30飯川病院、院長は私用で横浜、本日は越後湯沢泊。19:00Tax帰宅、19:10夕食、20:15就寝。歩行Σ6469Km。BR disk視聴:「日本人3割しか知らない事実」、「林先生初耳学:言われたら2Kg太る言葉」、「英国一家:第五の味覚」、「ヒトラー軍艦:自沈の真実」、観る。
星新一著 「ボッコちゃん」新潮文庫 昭和46年
この3週間かけて星新一氏の作品「ボッコちゃん」に触れる機会があって、ほとほと感心しながら読み終わった。新潮文庫の「ボッコちゃん」、初版は昭和46年であるが、入手したのは平成22年の95刷版であった。古い作品集であるが、多分、未だに増刷を繰り返していると考えられる。その値がある作品だと思った。
私は流行作家の本はあまり読むことはない。ほとんど読むことはなかった。「SF小説」に関してはとりわけ遠い世界であった。例外的に読んだのは「日本沈没」位だろうか。
「SF」とはサイエンス・フィクションのことで、科学的 な空想にもとづいたフィクションの総称である。私の好みはどちらかというと評価が定まったノンフィクション作品を、ずっと時を経てから読む。読み終わってから、なんで今までこんな素晴らしい作品を読まなかったのか、と反省するのが常である。
小説ならば人間関係を重視したソフトな作品を好む。「SF小説」には興味深い科学的分野の記載があるが、一般的に人間関係の記述は実にドライである。
私は学生の時に星新一氏の存在と作品を知った。ずいぶん多作な作家で、当時は作品を量産するだけの軽い作家と考えていた。そんな印象が尾を引いていて3週間前までそう思い続けていた。
人は、私を含めて、誤った概念を持ってしまうと何かのきっかけがなければずっと持ち続けるものである。やわらかな考え方を持って従来忌避してきたジャンルにアプローチする融通さが欲しいものである。これは自身に対する戒めである。
興味を引くきっかけとなったのは5月10日某紙の書評で「ボッコちゃん」が紹介されていた。その記事を読んで突然興味がわいた。
星氏は日本SFの草分け的な存在で、その多くは「ショートショート」と呼ばれる短編の作品である。自由な発想で1000以上の小説を書いた様である。本書「ボッコちゃん」には、名作50編が収められている。
ここに掲載されたいくつかの物語は、彼の作品のほんの一部であるが、私の固定観念や常識を軽やかにひっくり返す。そこに魅力を感じた。
私にとっての氏の作品はまだこの「ボッコちゃん」一冊のみであるが、驚いたことにわが家には子供達が求めた文庫版の作品の殆どがあるという。
氏の他の作品にどんな手法が隠されていて、最終の数行の中でどう急な展開が準備されているのか?その行に至るまで、私は結末の予測さえできない。この驚きが、実に痛快である。
「星新一ワールド」は古い世界かもしれないが、私にとっては興味深い新しいジャンルである。一冊でも多く読んでみたい、と思う。
5/28(木)快晴 外来 飯川病院
1:00起床.文献等資料チェック、7:25徒歩飯川病院着、8;40-13:00中通外来。13:15飯川病院。入院患者対応。19:10バス帰宅、夕食、20:00就眠。 伊能歩行計Σ6453Km。BR disk視聴:「NHKsp:生命大躍進(1)」、「ハッブル望遠鏡:惑星状星雲」、「ネコ侍(最終回)」、「昭和演芸史:林家木久扇」観る。19:15バス帰宅、夕食、 20:20就寝。
国際光年によせて(2) 光による演出効果
ヒトの眼は光を反射する物体に姿や色を感じとることになる。目が感じ取れる光の波長域はおよそ400-700ナノmとのことで、この範囲の光を可視光線、これ以外の波長は人は認識出来ない。目にとって明るさ感度が最も高い波長は555ナノmの光で、これはちょうど新緑の木の葉の色に近いという。しかし、照明としては太陽光に近い広い波長を持つ光源が照明として使われるし、好まれる。
私共は可視光線を反射する物体を物体として認識し、反射する光の波長によって色を感じとっている。私共は物体は、すべて固有の色を有しているように思い込んでいるが、物体の固有の色を知ることはできない。通常太陽の光の下で、あるいは照明器具のもとで見て、記憶し、見慣れた色調を固有の色と思い込んでいるに過ぎない。この辺はなかなか発想を変えることが困難である。
要するに、物体は固有の色ではなく、赤色を強く反射する物は赤く見える。青い光を強く反射する物の色は青く見えるだけである。だから、光源をいろいろ変えると世界が別に見える。一方、目の機能が変われれば全く別に見えるらしい。例えば、我々から見て個々の区別つき難いモンシロチョウは、チョウの仲間には複雑な羽紋が見えているという。
光による演出はいろいろな可能性を持っている。それも暗闇の背景のもとで一層映えてくる。その演出効果は人にいろいろな心理効果をもたらす。
秋から冬にかけて、雲一つ無い空に強烈な光を放つ満月があると、昼に見慣れた風景が全く別ものに見える。不気味な不安感すら醸し出す。ヨーロッパの吸血鬼ドラキュラの話し、魔女が出てくる恐怖の話などは殆どが満月の夜に展開される。満月の夜は人に不思議な心理効果を醸し出す。
光源によって食品なども違って見える。ついに生産停止になったが、白熱電球の光は、赤身の刺身や肉、赤ワインの色を引き立たせて食欲を刺激する効果がある。私は白熱電球が持つ柔らかい雰囲気が好きなのだが、省エネのために市場から消えていく。とても残念である。
デパートやスーパーの食品売り場の雰囲気は使用する光源の種類によって大きく違ってくる。それだけに、光源のもつ光色の特性を効果的に活用して、売場にふさわしい雰囲気を効率よく演出する必要がある。それによって売れ行きが変わる、という。
色温度3300(K)以下の光色は、温かみがあり、安らぎを与える光色で喫茶店など落ち着いた雰囲気に適す。より高級品を扱うデパートの食品売り場はこれ用い、色温度3300〜5000(K)の光色は、より活動的な売場、たとえばスーパーなどの照明に適している、とされている。
光の光色、輝度や強さによって人はどう感じとるか、そのデータとしてオランダのクルフトホフ博士の快適曲線が有名である。
5/27(水)小雨 外来 飯川病院ボランティア
0:45起床。文献・本読み他、いつもの如し。7:55小雨でバス利用飯川病院へ,8:45-13:30外来。14:00-18:30飯川病院ボランティア。19:10バス帰宅、夕食、20:00就眠。 伊能歩行計Σ6453Km。BR disk視聴:「NHK sp:沖縄返還」、「クールジャパン:お茶」、「日本新発見:岩手県」。
国際光年によせて(1) 東日本大震災の夜の暗黒
2013年12月の国連総会にて、2015年を「光と光技術の国際年」とすることが宣言された。その推進にはユネスコが関わることになった。
国際年とは国連総会で採択・決議されるもので、特定の事項に対して全世界の団体・個人に呼びかけるための期間のことである。せっかくの機会ながら光についてその存在が当たり前すぎてほとんど注目されていないのではないか。私はとても関心を持っている。
光技術とその応用は医療、エネルギー、情報、通信、一次産業、天文、建築等あらゆる科学技術から、芸術や文化の中核をなすもので、光技術が人類に多大な貢献をしてきたことは疑いのない。光技術の恩恵をなくしては現代人の生活は一切考えがたいほどである。しかし、自然光についても、人工光についてもその存在が当たり前すぎて「光があること」、「光からの恩恵」すら意識されなくなっているのではないだろうか。
その「光の存在が当たり前でなかった」、「最高に貴重なものの一つ」なのだ、と私が自覚できたのはわずか4年前、2011年3月11日の東日本大震災であった。半世紀以上生きて初めての体験であった。あの日のあの時間から秋田市内全域が停電となり、二日間ほど私の周囲の環境には光が消滅した。とは言っても、病院の自家発電による足元灯と一部の灯は確保されていた。懐中電灯の光、自動車の光だけはあったが、それらが途切れた時、本当の暗闇に覆いつくされた。その間、雲が途切れた空には普段見ることのなかった無数の星が輝いていた。また、光がない中での異様な静寂、これも未経験な世界であった。
電気を中心としてガスや水など、生活上のインフラの途絶は重大な結果を生んだ。
その中で明かりがないことはの不便さを再確認した日でもあった。
日常、光は無いと困るが、過剰な光は私にとっては大きなストレス源である。より暗めの環境は私の目にも、心にも安息をもたらす。
そのため、私は自宅でも職場でも一人でいるときは室の明かりは点けないし、光と音を遮るためにカーテンは閉じたまま。だから晴天の日中でも常時暗い。勿論、スポットは点ける。暗さには不思議な清涼感がある。だから好きだ。世の中が何時でも、過剰に明るいこと、寝るとき以外は明るいことが当たり前という現代社会の方が異常、と私は思う。
光にはいろいろな可能性があるが、それは暗闇があればこそ。
光も音と同じように度を過ぎると暴力的である。
人工的な光、照明にはその機機特有の周波数があるから自然光と異なる。だから、照らされる対象物によってはむしろ醜悪さをさらけ出す。満開の桜の白、紅葉の赤も耐え難いときがある。ただ、日中に観ることが出来難い人たちに観桜などの機会を広げる意義は大きい。
照明は何でも明るければいいものではない。場と目的に応じたデザインが必要である。
5/26 (火)快晴 外来 飯川病院
0:45起床、文献チェック、徒然。本読み他いつもの如く。4:40可燃ゴミ提出、7:20徒歩飯川病院着。8:40-14:00外来、混雑し疲弊した。14:10-18:30飯川病院。花壇に散水。19:10バスと徒歩帰宅。夕食、20:30就眠。 Σ6441Km。富山県通過。BR disk視聴:「TVシンポジウム:認知症」、「世界が驚いた日本の技術:焼き魚」。
2015年の医療環境はどうなるか(9) こうなる(2)
我が国の医療費には課題が山積みである。
政府の医療保険制度改革は、医療費の抑制ため多くの見直しが盛り一込まれ、閣議決定された。以下の項目が2015年度から順次着手するが、私は今回の改革案も医療費の膨張抑制には不十分な効果しかないように思う。
国民皆保険制度は貴重な制度で是非存続させてほしいが、国保をはじめとして構造的欠陥があり、時代の推移とともにより厳しくなっていく。医療の拡張路線をこのまま維持していくと崩壊しかねない。
一例、私もどうしたらいいのかわからないが、C型肝炎の治療新薬「ソバルディ」は1錠6万円で94日間連用する。総額546万円であるが、補助により患者負担は1〜2万円という。患者のためには朗報であるが、そう単純に喜んではいられないと思う。
(1)国保改革
18年度から市町村に替わり都道府県が運営する。保険証は市町村名から都道府県名に変わる。国保の規模を大きくすれば負担を分散でき、保険料の急激な上昇を避けられる利点がある。
都道府県が担うのは、全体の財政運営や医家を効率化する計画作成である。その年の医療費の推計を立て、市町村ごとに集めるべき保険料や標準的な保険料率も決める。高い納付率が達成でき、医療費を抑えられれば、都道府県か示した目安より保険料額を下げることもできる。都道府県の取り組みで全体の医療費が下かれぱ、市町村ごとの保険料総額も減る。
市町村は実際の保険料を決める。手続きはこれまで通り市町村で受け付け、健康づくり事業も担う。
(2)健保組合、公務員共済組合は負担増、協会けんぽは負担減
75歳以上の医療費を支えるため、現役世代が払う支援金が変わる。17年度に全面導入されると、給与水準の高い大企業の健康保険組合全体で1500億円、公務員の共済組合では1000億円負担増となる。
給与水準が高くない約500の健保組合は負担が減る。約900の組合は負担が重くなり、保険料アップにつながる。
中小企業の従業員か入る協会けんぽは2400億円負担が減る。ただ政府はその分を公費から減額するため、加入者の保険料には影響しない。
(3)入院時の食費
現在の入院患者の食事自己負担額は1食260円だが、16年度に360円、18年度に460円にする。入院患者と在宅患者を公平にするのが狙い。
住民税非課税の人や難病・小児慢性特定疾患の患者も負担額を据え置く。厚生労働省は引き上げ対象者を約70万人と見込んでいる。
(4)大病院受診
16年度から一定額の負担を求める。負担額は初診時で5000~10000円か? 初診でも救急車で運ばれた場合は不要。患者が直接大病院に行くと負担増となる。まずは身近なかかりつけ医に相談し、大病院での高度な医療が必要と判断されたら、紹介状をもらって受診するという流れか進みそうだ。
(5)特例措置の廃止
現在は低所得者や、会社員や公務員の家族に扶養されていた人の保険料は最大9割を軽減されている。この特例措置2017年度から原則廃止。対象者は75歳以上の約半数に当たる865万人。
(6)患者申し出療養制度
保険診療と保険外の自由診原を併用する「混合診療」の拡大策で、16年度から始める。国内で未承認の医薬品を便いたい場合など新たな治療を受けられる可能性は広がるが、保険外の医療は原則、全額自己負担となる。
5/25(月)快晴 健康クリニック+結果説明1名 飯川病院
1:00起床、新聞チェック他。徒然。7:30徒歩病院着。9:00健康クリニックドック。11:30飯川病院。14:00-19:00勤務。花壇に散水。19:15バス帰宅。夕食、20:30就眠。BR disk視聴:「NHKsp:未解決事件 グリコ森永事件(2)(3)」、「猫侍(9)(10)」、「世界の今:ロシアの本音」、「英国一家:ちゃんこ鍋」。
2015年の医療環境はどうなるか(8) こうなる(1)
国民医療費は13年度2.2%増で39兆3千億円になった。介護費用を含む保健医療費を見ると、国内総生産(GDP)の10.3%となり初めて1割を超えた。先進国の平均(9.3%)や英国(9.3%)を上回り、ドイツやフランスに迫る。
我が国の医療費には課題が山積みである。
(1)医療費増の主因は高齢化。
75歳以上の1人あたり医療費は92万7千円で、74歳以下の4.5倍近くになる。75歳以上の人口は13年で1560万人。10年前の約1.5倍になっている。医療費増が止まらない所以である。団塊の世代の高齢化で25年に2179万人まで増える見込み。医療費の膨張が経済成長を上回るペースで進む公算が大きい。
(2)医療レベル、技術の高度化。
医療費の単価にあたる1日あたりの国民医療費は1万5213円で、前年度比3.1%増えた。抗がん剤などの新薬、新型の医療機器や手術が増え、医療費の膨張につながっている。
(3)医療に無駄がないか??
私は無駄な医療が多くなされていると思う。個々の患者に、病態にふさわしい医療が効率よく提供されているだろうか?私は疑問に思っている。
かつて民主党が政権を取った時に政策の無駄をあぶり出す作業が公開で行われた。一時改革が実行されたかに見えたがほとんどが途中で頓挫し、実益はほとんどなかった。しかし、国民の前で無駄の検討を進めた企画は民主党政権最大の功績であった。蓮舫氏の「スパコンの能力はなんで世界一でなくてはならないのか・・」は迷言で忘れられない。学問、科学界の考え方と政治家の考え方の乖離が面白かった。
不遜な提言だが、医療を対象にこんな企画をやってみてはどうだろうか。医療関係者にも国民にも、患者にとっても得るところは大きいだろう。
われわれ医療関係者もコスト意識を持ち自浄していくことを同時に行いながら医療の発展を追求しなければ、いずれは政治が強力に介入してくる。むかし、「医師の裁量権」というような言葉があったが、もう死語になって医療はすっかり自由度を失ってしまった。私にはそう思える。
このままでは、今後、フリーアクセスの制限、混合診療の導入、高額医療の保険外し策などの、国民皆保険の根幹に関わるも政策も視野に入ってくるだろう。
5/24(日)快晴 当直明け 主に外仕事
0:20起床、本読み、文献チェック、新聞処理、微睡など。BR disk視聴「歴史列伝:新渡戸稲造」、「国際報道2015」。7:00検食、花壇に散水。9:00のバスで天徳寺まで、徒歩帰宅。ただちに畑の苗たちに支柱を立て、給水した。PDF化したデータ再構築,新聞入力。13:00午後は草刈りなど。家内松島から帰宅、19:00夕食、20:00就眠。BR disk視聴:「N響1803 回定期公演:R・シュトラウス ドンファン 英雄の生涯 モーツアルト P協25番」、「らららクラシック:マメールロア 火の鳥」。20:00 歩行Σ6425Km、氷見市付近。
2015年の医療環境はどうなるか(7) 国保の改革案は一長一短
市町村が運営する国民健康保険は、自営業者や失業者など被雇用者でない人たちの命と健康を守るための公的医療保険として1961(昭和39)年に始まり、それによって「国民皆保険」が実現した。
国保の運営は、14年度の予算ベースの推計では、加入者からの保険料収入は給付費の3割に満たない3兆円前後でしかない。はじめから構造的問題点を抱えている。後の7割は税金などで補われているのが実態である。全国の国保の給付費約11兆4千億円のうち、約4兆7千億円を国と地方の税金で、約3兆5千億円を被雇用者保険からの支援金で賄ってる。
小さな単位である市町村が運営している国保は、市町村の財政状況によって加入者が払う保険料額に大きな開きがある。隣町の保険料と大きな差が出る場合もある。その格差は5倍にもなる。さらに、保険料が高すぎるため、全国で360万世帯が保険料を滞納している。
この問題を解消するために、3年後の2018年をメドに国保の運営主体を都道府県に移る予定になっている。
運営主体が市町村から県に移行後も、公費負担や被雇用者保険からの支援の枠塀みは大きくは変わらない。しかし、厚労省は「地域の医療計画を策定し、地域の医療の需給バランスも把握している都道府県が、国保の財政運営に積極的に関わることによって、医療費の適正化や保険料の平準化に向け市長村の取り組みを促す構造になる予定」であり、それによって国保の運営は変わっていく、と強調する。
新制度では、都道府県がまず医療費の見込みを立てて、各市町村の負担額を決める。市町村の努力では対処が難しい要素は都道府県が補正する。
現在、国保の保険料は、「所得割」、「均等割」など市町村ごとの方法で算定されている。県への移管後は、県が標準的な算定方式を作る。その保険料率より、高い徴収率を実現している市町村は「標準保険料率」よりも安い保険料率にすることができるので、加入者の負担減、国保財政の改善が期待できる。しかし、逆もまた然りである。
新制度で国保の財政が直ちに改善するとまではいえないが、保険料の徴収率が全国平均を割り込んでいる市町村などに対して徴収率の向上を促すことになる。
確かに、今回考えられている国保の改革は一長一短があると思う。運用主体が県に移行ことによって大局的見地からより国民の負担が平均化することが期待される。無駄な税金投入は改善するだろう。しかし、平均化の過程で国保税の取り立てがより厳しく行われ、無保険者が増えることになりそうだ。暗闇の部分も広がって行く可能性も含む。どうやってそれをカバーするかが問われる所以である。
5/23(土)快晴 飯川病院午前外来+日当直 家内はZONTA活動で松島に
1:00起床。新聞、文献PDF化他、録音データ処理、本読みなど。8:00松島に出かける家内を駅に送り飯川病院に。午前中は担当医不在で代診。12:30日当直業務に。新聞処理、患者対応。18:00検食、19:00就眠。BR disk視聴:「チュウボー:木村文乃 」、「プレミアムアーカイブ:新幹線、昭和平成編」、「未解決事件:グリコ森永事件 (1)」。ラジオ深夜便より「仏、宗教などピックアップ」。20:00 歩行Σ6418Km。
地方創生2015(7) 空き家問題(5) なぜ流通中古住宅は少ないか 背景に「不動産本位」の考え
私はここ半年ほど、空き家問題、中古住宅問題に関心を寄せてきた。秋田市内でも空き家はかなりあるのに流通のコースに乗っている物件はとても少ない。
日本の住宅供給は、2013年の時点で新築が98万、中古住宅が19万個である。決定的に新築家屋が多い。
諸外国の住宅流通における中古住宅のシェア率は、米(2010年) 89.3%、英(2012年) 88.0%、仏(2013年) 68.4%、日本(2013年) 14.7%、である。
要するに諸外国では不要になった住宅は積極的に手放す。それには買い手も多いからである。日本では不動産は財産と考えているから簡単には手放さないし、買い手も少ない。住宅獲得には新築が当たり前。それにしてもすごい差である。
これほど差があると家屋構造の他に日本特有の事情がある、と考えざるを得ない。何だろうか??つらつら考えてみた。
日本人には特有の「土地本位」、「不動産本位」の考え方がある。実際にはもう「財産」としては通用しなくなっているのだが、いや、それどころかむしろ「負の財産」になりかかっているのだが、まだ表立った問題にはなっていない。相変わらず「不動産本位」の間変え方が根底にある。
戦後からバブル期にかけての社会の動きを見ると、金持ち、財産家と言われる家は一般的に広大な敷地と立派な家屋を持っていた。これは財産の蓄えとして不動産に替えておくと安定した形で維持できた他に、社会の豊かさにリンクして値上がりが期待できたからである。
企業も同様であった。しかし、バブル崩壊後には状況が一変した。その頃倒産した企業の大部分は剰余金をこぞって不動産に投資した。企業の不動産投資は土地ころがしによる利益の獲得である。だから不動産を維持しているだけでは利益を生まない。無理な投資をした企業は資金を回収できず、資金繰りが続かずに倒産の憂き目にあっている。
一般の住宅地は事情は異なる。住宅の取得は転売を目的にしていない。だからバブルの被害は直接受けなかった。そのために「不動産本位」の考え方は根強く残っている。
しかし、地方の活力が衰えていく現在、「不動産本位」の考え方は否定されつつある。住宅地の価格は需要と供給によって決まっていくが、人口が減少していく状況の中では需給関係はともに低下していく、と考えられている。
麗沢大学清水研究室では、2040年の住宅地地価は2010年のそれに比較して45%以下に、厳しい地方では3割以下になるだろう、と予測している(三浦展 著「日本の地価が3分の1になる! 2020年 東京オリンピック後の危機」 光文社新書 2014/9)。
<img src="http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5c/49/c787e221c4c22e0dab86d562fc028774.jpg" border="0">
(住宅地 30年後の価格予想 画像はTV放送から引用)
多分、この予測は正しいだろうと思われる。この研究では秋田は30−35%に低下する地域に挙げられている。
いま35年ローンを組んで住宅を取得すると、価格の約2倍以上支払うことになるが、支払い終了する頃にはその価格が低下する。例えば、3000万円で購入した住宅に支払う費用は約6000万円、それが2040年には1000万円に評価が下がる。支払い終わって「自分たちの人生はなんだったのか??」、と思うこともあろう。
わが国の住宅事情はちょっと特殊であった。その背景には「不動産本位」の考えかたがあった。しかし、今後は通用しなくなるだろう。使わない不動産は価値が下がるから早く手放す、中古物件を廉価に手に入れる、その方法が良いかもしれない。
5/22(金)快晴 大曲中通病院外来 飯川病院ボランティア
1:00起床。新聞・文献・雑誌読みと自炊他。5:00可燃ゴミ提出、7:40Taxi、8:12こまち。9:10-12:30大黒猫のユウー曲中通病院内科外来、駅病院は徒歩。13:30飯川病院ボランティア、生保スタッフ来訪。18:45Taxi帰宅、夕食、20:15就眠。BR disk視聴:「キューバ危機を救った男 」、「建築の戦後70年」、「駅そば名店 」、「フロンティアドクター:便秘 」観る。歩行Σ6406Km。
イヌ・ネコはペットにあらず?(8) マズイ、我が家は8匹でネコ屋敷化しそう
我が家には何か知らないがネコが集まってくる。
一時、ナンナン、ミーシャ、ユーと3匹が揃っていたが、前二者は年老いて死亡した。残った黒猫のユウーは10歳になる。
昨年春、栄養状態の悪い雌のトラネコが庭に迷い込んできた。家人は見兼ねて時折餌などやっていた。一時不明になっていたが、9月頃3匹の子ネコを伴って戻って来た。子ネコは順調に成長した。
親ネコはその後3匹の子ネコを残して初冬に行方不明になった。子ネコが不憫で防寒シェルターを作り、餌を与えた。厳寒を乗り越えた3月、一匹が死に、もう一匹は独立したのか行方が不明となった。残った子ネコは我が家で飼うことにし、プチズリー、通称プチと名付け去勢して家に入れている。ノラの時期が長かったからまだなかなか慣れないし、先輩格のユーはまだプチを受け入れておらず諍いが絶えない。
(プチ近影 表情もなかなかいい)
ところが、4月、行方不明になったプチの母親がまた庭先に現れた。また腹がでかいようだ。「なんで孕んで戻ってくるのよ・・・」。こんなことになるなら前回避妊しておくべきだった、と悔やんだ。私どもには責任がないが、これはマズイことになりそうな予感がした。他所に行って欲しいと兵糧攻めにしたが、立ち去らない。
5月GWが終わらんとしているある早朝、5匹の子ネコが植え込みの周りを走り回っていた。手のひらサイズながら動きも素早い。この時点で母親に餌を与え始めた。餌がなければ親子共倒れになりかねない。
隣家のおばあさんは働き者で畑をマメに作っているが、畑に排泄するネコが嫌いなようで、私はこの面では劣勢にある。苦肉の策として母ネコと子ネコを我が家の風徐室で世話することとした。さいわい子ネコたちはトイレを上手に使うからこの点ではストレスはない。
それ以上に5匹の子ネコの、表情、じゃれ合いを見ていると時間を忘れるほど可愛い。こんな経験は60年ぶりである。
(母ネコ、名前は「小さい方」と側のネコ団子) |
時間をみて家人それぞれが風徐室で時間を過ごしながら子ネコを手なづけようと頑張っている。
何で母ネコがわが家を好むのかわからないが、孕んだ母親が頼りたくなる何かがあるのかもしれない。いのちを慈しむ私の優しい目なのかな?とも思う。そうは言っても、これ以上わが家で子育てされると困る。今回は離乳したら母親を避妊手術し、ついで子ネコを避妊、貰ってくれる方がいれば差し上げたい。問題は、どこまで人に慣れさせることができるか、にかかっている。
いまわが家はネコ8匹になった。
5/21(木)曇り雨 外来 飯川病院
0:40起床。いつもの如く本読み、データ整理中心。5:00資源ごみ大量に提出、7:30降雨のためバスと徒歩病院着、8:45-13:50外来。14:00-18:50飯川病院。19:00帰宅、夕食、20:40就眠。BR disk視聴:「ヒストリア:世界最大の潜水艦イ-400 」2回目、「アナザーストーリー:コロンバイン高校乱射事件 」、「英雄たちの選択:原敬 」、「ガイアの夜明け:ホンダジェット 」観る。歩行Σ6406Km。
2015年の医療環境はどうなるか(6) 受診できない状況は悲惨
「受診しなかった」ことを評価することは問題である。
わが国には受診したくてもできない患者が多数いる。国保の保険料を滞納して無保険状揺になったり、保険証は持っていても医療費の自己負担分を払えなかったりして受診が遅れるケースである。全国民医連の調査では2011年は24都道府県で71人、2012には58人が受診遅れ、重症化で死亡している。
秋田県内でも2011年4人死亡している。いずれも秋田市の住民で、死亡した4人のうち2人が無保険状態であった。保険料の滞納のために「資格証明証」を所持していた。保険証はありながら「受診控え」で死亡したのが2人で、非正規雇用従業員で、借金や家賃滞納などのため治療を受けなかった。高額な治癒費を心配し受診するのをためらったためと分析している。
調査は民医連加盟法人の全国1767施設で実施した。秋田県で調査対象となったのは中通総合病院他の施設である。民医連は、無保険などが原因で死亡した人が多数いる状況について、失業者や非正規労働者が多く、調査の対象を広げればもっと多くの死亡例が明らかになるだろう、としている。
2011年度の71人のうち、保険料滞納は42人。内訳はまったく保険がない「無保険」が25人、「短期保険証」が10人、「資格証明」が7人。職業別では無職26人、非正規10人、自営業3人、ホームレス2人、年金生活者1人。年齢別では60代18人、50代11人、40代7人、70代4人、80代と30代が各1人。
国民の約3割が加入する国保の滞納者問題は深刻である。2014年6月時点の滞納が全国で360万世帯を超え、加入世帯の17%以上にあたる。保険料は市区町村ごとに決められるが、年間所得250万円の4人家族に年45万円もの保険料が求められるケースもある。
我が国の医療は国民皆保険制度があり、かかり易さが強調されているが、その制度の実態はとても厳しい。社会保険の場合は給与から天引きされているために、また、後期高齢者医療制度では年金から天引きされるので保険料滞納はないが、その負担の額は決して小さくない。
国保保険料を完納できない人から保険証取り上げも各地で行われ、そのため必要な医療を受けられず、命を落とす事態があるのは上記のごとくである。
完納できない世帯には、正規の保険証に代わり、「資格証明書」や、有効期限が短い「短期保険証」が発行される。「資格証明書」は約26万4500世帯、「短期保険証」が発行されたのは約114万3300世帯にのぼる。「資格証明書」の場合は、医療機関の窓口で10割全額支払わねばならない。これでは受診は不可能である。
国民医療費の抑制は我が国にとって喫緊の課題である。我が国では他の先進国に比べ受診回数が多いことから、受診を少なくする努力、試みが行われている。しかし、受診が必要な人が受診できない実態は悲惨である。
2015年の医療環境は、医療経済の面から見れば、おそらく一層厳しくなっていくことが予想される。
5/20(水) 曇り 外来 運転免許更新 飯川病院ボランティア
0:10起床。文献チェックほか。7:40徒歩飯川病院着。8:45-12:30外来、ドック総括。13:00バスにて運転免許更新センターに。あらかじめ高齢者講習を受けていたので簡単に更新できた。5年有効のゴールド免許だったが、診断書提出を求められた。15:30飯川病院ボランティア。19:15帰宅。19:30夕食、20:15就眠。BR disk視聴:「ヒストリア:世界最大の潜水艦イ~400 」2回目、「アナザースストーリー:コロンバイン高校乱射事件 」、「昭和は輝いていた:大鵬 」観る。Σ6398Km、新湊市付近通過中。
2015年の医療環境はどうなるか(5) 「受診しなかった」を評価することは問題
わが国の医療費は2012年度39兆2千億円で、年1兆円規模で増え、25年間で倍以上になった。2025年度には60兆円に達する見通しになっている。医療費高騰の理由は高齢化、医療レベルの発達などであるが生活習慣病患者の増加も無視できない。
自治体や健康保険組合の一部で、加入者の健康意識を高め、医療費抑制に結びつけようとする取り組みが始まっている。一定期間、病院にかからなかったり、健康増進のための運動すれば現金や賞品をプレゼントするという試みである。
以下は某紙に紹介された例である。
(1)岡山県総社市では国保の財政を改善しようと、40歳以上が対象の特定健診(メタポ健診)を受け、さらに1年間誰も医者にかからなかった世帯に1万円支給する試みを始めた。2013年度は、全9067所帯(1万5872人)のうち、70世帯が支給対象となった。同市のメタポ健診の2013年度受診率は27.2%、前年度比0.4%上昇、12年度に約6800万円の赤字だった国保会計は、13年度約400万円の黒字になった。市では1万円支給の効果も一因とみる。
(2)千葉市は13年度から、スマートフォン用の歩数計アプリを活用、「健康ポイント」をためる取り組みを試験的に始めた。参加者は1日5千歩で5ポイントもらえる。14年度は6月から半年間、約2千人が参加しウォーキングに取り組んだ。ポイントをためると景品に応募でき、800ポイントで10万円分の旅行券や自転車が抽選で当たる。
(3)大手コンビニのローソンの健保組合は13年度から、本社と連携して年1回の健康診断を受けなかった人の夏のボーナスを15%カット、直属の上司も10%減らす仕組みを導入した。健診結果で勧められた再検査を受けなかったときは、冬季のボーナスの9~8%を減らす。健康診断受診率向上が狙いで、受診率はこれまでの97~98%から2013年度以降は100%になった。
厚労省は医療費を少しでも抑えるためにこうした奨励策を勧奨するため法改正を予定している、と言う。
一般的に何かの行動に対しては、声かけとかだけでは普及し難い。特に地道な努力を要する場合はほとんど効果がない。そこに現金とか商品とかをかませると効果があがる。私は、上記の試みのうち健康増進や健診受診率をあげることには賛同できるが、医療機関を受診しなかったことを評価することには賛成できない。病気を疑いながらも受診をためらう可能性も生じてくる。たった1万円のために、診断治療の機会を失いかねない。
国民医療費の伸びを抑制することは我が国の課題であるが、厚労省の方針は短絡的である。
5/19(火)雨 外来 飯川病院
0:00起床。文献他PDF化、徒然、3:00微睡,5:00可燃ゴミ出し。小雨あり6:47のバスにて飯川病院,8:45-13:00外来、14ー18:30勤務、19:15バス帰宅。夕食、20:15就眠。Σ6386Km。BR disk視聴:「ヒストリア:世界最大の潜水艦イ~400 」、「名著100分:荘子 」、「昭和は輝いていた:ムード歌謡 」観る。Σ6376Km。
ピロリ菌除菌(2) 秋田の胃がん発症率に変化があるかも
日本ではヘリコバクター・ピロリ(HP)未感染者からの胃がんの発症は極めてまれであるが、感染者からの発症は20倍も多いとされ、しかも、除菌治療により胃がんの発症が抑制されることが報告されている。それを背景に、2013年2月に胃がんの予防を視野に入れた感染胃炎に対する除菌治療が保険適用となっている。
しかし、除菌による胃がん発症のリスク低下は世界的には未だ認められていない。
それは日本では胃がん発見の対象は内視鏡による早期胃がんであるが、諸外国では胃がん発症の頻度はもともと低く、早期胃がんのうちに見つけてようとする発想が乏しく、検査の頻度も少ない。医師の技術も不十分で進行癌ので見つかる場合が多い。もともとはHP菌感染が関与していたとしても、進行癌については除菌のメリットは出てこない。
ここ数年でHP感染とそれに対する除菌は一般的になった。
日本では少なくとも3000万人以上が感染していると考えられ、内視鏡検査を受けた50歳以上の方で高頻度に見つかっている。HP菌は経口的に感染する。
育児習慣として家族の箸、口移しも原因の一つに挙げられている。人世代前にはおばあさんが自分の箸で孫に食事を与えることもあったが、今そんなことしたら娘に、嫁にひどく抗議される。こんなことも背景に、若い世代での感染率は年々減少傾向にある。
HP菌は慢性胃炎による胃もたれ、胃痛など、胃・十二指腸潰瘍、また胃がんの原因となる。
保険でHP菌の検査を行うには、上部消化管内視鏡検査で胃炎、胃十二指腸潰瘍と診断された場合、早期胃がんを内視鏡治療された場合で、必ず内視鏡検査が必要である。内視鏡は嫌だがHP菌の検査だけして欲しいという患者がいるが、たとえ自費であっても、意味がない。
HP菌感染と診断された場合には、除菌治療を勧める。
除菌には3種類の薬を7日間服するが、下痢・軟便、味覚異常、皮膚症状などが出ることもある。初回除菌で7~8割除菌される。除菌されたとしても胃がんの発症は低い頻度ながらあり得るので、定期的に内視鏡検査を受けることが望ましい。
秋田はもともと胃がんが多い。食事中の塩分やアルコールの関係もあっただろうが、HP感染も原因になっていた可能性もある。秋田県のHP感染率、除菌率などについて私は不勉強で実態は知らない。しかし、HP除菌の普及によって秋田県民の胃がんの発症率が大幅に変わる可能性がある、と期待している。
5/18(月)快晴 健康クリニックドック 飯川病院
0:10起床、文献、新聞他処理。8:00徒歩病院着。9:00-11:10健康クリニックドック。11:50飯川病院。14:00-19:00勤務、19:00夕食、20:45就眠。BR disk視聴:「昭和90年の肖像:吉田茂の戦争と平和 」、「そこまで言って委員会NP 」、「昭和90年の肖像:田中角栄とその時代 」、観る。Σ6376Km。
ピロリ菌除菌(1) アジア人の無症候性感染者の胃がん発症率を低下させる
私が担当する外来に通院している患者の大部分は年に一度ほど一般的な検査を希望する。その際は上部消化管内視鏡も勧めている。秋田県民は胃がんの罹患率、死亡率は高いということと、定期的検査を行っていれば、胃がん死は殆どないからである。
上部消化管内視鏡検査の後、多くの患者は慢性萎縮性胃炎を指摘され、ヘリコバクター・ピロリ(HP)の検査と除菌療法を勧められてくる。私も除菌を勧めている。
胃がんの発症にはHP感染による慢性的炎症か深く関与しており、未感染者らの発症は極めてまれであり、胃がんリスクがHP感染により大きく異なることも明らかになっている。
最近読んだ論文では、検査でHP感染で陽性以外は健常で症状がない成人に除菌療法がの効果を検討したが、胃がん発症は、除菌療法群の3,294人中51人(1.6%)に対し、対照群では3,203人中76人(2.4%)であった。1人の胃がんの発症を予防するのに必要な治療例数は中国人男性15.1人、日本人男性15.3人、最も多いのは米国人女性245.1人であった。従って、HP除菌は胃がん発症率が高いアジア人男性の無症候性感染者の胃がん発症率を低下させる、と結論付けている。
私も上部消化管内視鏡検査を定期的に受けているが、一年半前に胃炎と小さな胃潰瘍を指摘され、かつHP陽性で、検査医からは除菌療法を勧められていた。しかし、症状はないし、そう簡単に胃がんにはなるまいとタカをくくってHP除菌は受けていなかった。
私は患者に対しては医師であって、標準的治療を勧めるし、自分の領域外の疾患の際には専門医に紹介しているが、自分に対しては医師ではないから治療は極めて消極的である。
例えば今までの間に以下の事項があった。それらのほとんどを無視してきたが、(1)(2)(3)(5)については実害が生じてきた。医者の、と言うより私自身の不養生と言われても反論できない。これらについて、今は専門医に相談して対処している。
(1)膀胱頸部硬化症と自己判断したが、40年ほど専門医にかからず放置。
(2)職員検診で徐々に血圧が高くなっていた。
(3)心房細動を発症したが脳梗塞予防治療をしていなかった。
(4)肺がんを疑われたが、本当ならもう手遅れ、と精査を受けなかった。
(5)職員検診で網膜に異常所見があり精査を勧められたが、放置していた。
(6)今年は診療する立場でありながら、インフルエンザワクチンを受けなかった。
(7)肺炎球菌ワクチンの勧奨も来ているが受けていないし、その気もない。
(8)HP除菌は受けていなかった。
(9)職員検診で肝機能に軽度の異常あるが、放置している。
3日前、大曲中通病院外来の診療応援の際、定期的内視鏡検査を受けた。1年半前とほぼ同様に胃粘膜の強度発赤と小さな潰瘍が見つかった。この間、多分ずっと同じだったのだろう。検査医から除菌を強く勧められ、今回は素直に従い、その日の夜から除菌のための治療を開始した。まだ三日目であるが特に副作用も見られない。
5/17(日)快晴 飯川病院日直
0:30起床、いつもの如し。本読み、文献読みほか。8:02車飯川病院に。日直に就く。患者はほぼ落ち着いているようだ。金曜夜からピロリ除菌中。今のところ問題なし。BR disk視聴:「昭和は輝いていた:ビール 」、「ブッダ最期の言葉 」、バクモン「高速道路」、「日本料理の真髄:だし 」、「ミッドウエー海戦 」、「アルカイダと携帯電話」、「落語:花見の仇討ち」。18:00バス帰宅、畑にダリアを9株植えた。19:00夕食、20:00就眠。
徒歩通勤2015(4) 現在富山の海岸線を歩行中 新潟の思い出
平成13年3月から始めた徒歩通勤、実績が積算できる歩数計「平成の忠孝」の積算開始が4月7日からだから、約2年かかって先日Σ6360Kmに達し、先日富山県に到着した。
北海道海岸線には約1年、秋田は37日、山形は10日で踏破した。新潟は300.1Kmで45日かかった。平均7Km/日で、頑張っている割には意外と歩いていないものだ。師と仰ぐ伊能忠敬は40Km/日ほどだったという。
新潟は私にとっては比較的親しみを持っている県である。6年間を新潟市で学生生活を送った。しかし、貧乏学生だったから年内を遊びに歩いた記憶は殆どない。
盛岡から仙台、磐越西線で新潟に行くのに10時間を要し、乗り物嫌いな私はなんでこんなところに進学したのか,と恨んだものである。しかし、新潟大学医学部は私にとっては高根の花であったから、やむなし。むしろ幸運を喜ぶべきだった。阿賀野川流域の絶景は今でも忘れることはできない。降雪期間の磐越西線は山間部は雪のトンネルの中を走っているようだった。驚いた。
浪人中に仙台で新潟地震に遭遇した。昭和39年6月の昼過ぎのことであった。仙台市は震度5で、私は下宿の2階にいた。大きな横揺れで書棚などが倒れた。中庭の池の水が大きく揺れあふれた。長周期振動だったのだろう。新潟の震度も同様に震度5であったが、被害は格段に大きかった。翌年4月新潟に居を移したが、地震後10ケ月、市内の大きな建造物は傾き、陥没し、当時の被害の大きさが偲ばれた。軟らかい砂地が多かったかららしいが、この地震で液状化現象等の存在を学んだ。
新潟は豪雪地帯と聞いていた。山間部は世界有数の豪雪地帯といわれている。しかし新潟市は暖流の影響で冬の気温が比較的高く、曇天の日が多くてあまり冷え込まない。新潟市の積雪はそれほどでもなかったが、雪は水分が多く傘がないとびしょ濡れになった。
人口に関して明治中期には、約150万から180万人で、東京を凌いで日本一人口の多い道府県であった。平成9年に250万人がピークで、今は若年層の減少が深刻で平成22年には約237万人となった。県では人口対策を最重要課題に掲げている。秋田は本年4月1日現在、ついに103万人を切った。
佐渡にはかつて金山があったが、1989年(平成元年)に閉山された。一度行きたいと思っていたが、まだ果たしていない。弥彦山自然公園は3回行った。神社周辺のたたずまいを含め、良いところであった。柏崎の原発施設も訪れてみたかった。
魚沼産コシヒカリ・醤油だれカツ丼(タレカツ)・へぎそば・笹団子など、頭に浮かぶ名産品である。
新潟は社会に出てからも学会関係で10回以上、医学部46卒同級会でも3−4回ほど訪れるなど、新潟は岩手、秋田に次いで親しみがを持っている県である。
今進行中の富山県は海岸線は100数Kmである。約10日かけて通過する予定である。
それにしても、累積6300Kmは日本一周の36%である。まだまだ遥か彼方にある。
5/16(土)降雨午後晴れ
0:10起床。文献読みと新聞電子化、録音データ整理、徒然。晴耕雨読的に午前はBR disk視聴:「昭和は輝いていた:スパーク三人娘 」、「佐藤栄作 」、「テレサテン・東洋の歌姫没後20周年」。午後は「N饗定期演奏会:シベリウスVn響、ショスタコ交響曲5番ほか」。N饗コンマスの堀氏はこの演奏会で退団。インデックス作り。15:00やっと晴れたので家庭菜園を若干。風除室をネコ7匹の居住区に提供する準備。19:00夕食、20:30就眠。6363Km。
高校の応援歌練習批判の投書二編を読んで(3) ある種の集団心理か
岩手日報に掲載された投書で、おそらく盛岡一高のことだと思うが、応援歌練習が私の頃と殆ど変わりない状況で続いているらしいことを知り驚いた。
私もそうであったが、新入生たちは殆ど例外なくこんな罵声が飛びかうようなひどい応援歌練習など何のためなのか、・・と疑問に思ったはずである。他人の感覚など私は計り知れないが、あの異様な雰囲気の中では多分そう思っただろう、と敢えて予想する。
それなのに、なんで半世紀以上も続いてきたのか? 私は疑問である。応援団が関与する土人踊りが批判受けた1988年に、応援歌練習についても当然一緒に討論され、改善されたのだろう、と勝手に思い込んでいたが、そうではなかったらしい。
時代が変わっているのに何であの応援歌練習が残っているのか??
先の応援歌練習に批判を投げかけた投書にも、後半では「応後歌練習はわが県に残る、そして全国に誇れる伝統である。新入生を学校全体で励まし鍛え、応援歌、校歌を高らかに歌う雰囲気をつくるには、この行事は何とも言えない魔力もある・・・」とも記述している。
あの応援歌練習が残っている理由の背景には、私はこの応援歌練習を通じてある種の集団心理、仲間意識、伝統意識が育つからではないか?と思っている。
どこから集まってきたかも分からない、まだ言葉も交わしたことのない400名ほどの新入生が全員で迎える最初の困難な事態を、集団で無事乗り切った、というある種の充実感が、同胞意識??仲間意識を形成するのに役立ったのではないだろうか、と思う。そのことが、問題を容認していくことになったのでは?
そう私に思わせるたのは、不遜な例になるが、以下の事象ほかの例である。
(1)1970年に赤軍派によって乗っ取られた日本初の航空機ハイジャック事件で解放された乗客の記者会見を聞いた時、常に死の恐怖があったが、乗客間だけでなく、ハイジャック犯に対してすら仲間意識が芽生えた、という意見が交わされた。
(2)日本軍で兵士に対して上官から時には理不尽な暴力行為が行われたが、上官、上からの命令に対して絶対服従する態度と、同期入隊者間の仲間意識が形成された、と回想する元兵士の手記は少なくない。
(3)アウシュビッツ強制収容所から生還し得た方々の手記の一部にも、そのような心情を感じ得た。
応援歌練習には「喉元過ぎれば熱さを忘れる・・」という言葉では語りえない、ある種の集団的心理効果がをもたらしている、と思う。
それでも私は当時の心境を大事にし、問われれば、無用あるいは不適切な行事であり、方法として改善の余地あり、と答えたい。
5/15(金)快晴夕方雷雨 大曲中通病院外来 上部消化管内視鏡検査
1:00起床。文献検討、徒然。新聞チェック。5:50家庭ゴミ。7:40Taxi秋田駅。8:10こまち大曲に。8:50-12:15大曲中通病院外来、混雑。駅迄は往復Taxi、こまち、13:30-19:00飯川病院ボランティア。19:15帰宅。夕食、20:30就眠。Σ6354Km。BR disk視聴:「プライムニュース5/5:大宅壮一の予言とメディア 」、「ベトナム戦争前後編」。
高校の応援歌練習批判の投書二編を読んで(2) 当時の私の感想
私は、三陸の復興状況を知るために、私自身にとっての東日本大震災への思いを風化させないために、岩手日報も定期購読している。
4月8日、28日の投書欄に高校生の応援歌練習に関する投稿が掲載された。私は恐らくは盛岡一高の応援歌練習についての意見だと思い興味を抱いた。
私は盛岡一高を51年前に卒業した。その後は校門をくぐったことはない。
高校生活に応援歌練習も含めてあまりいい思い出はない。
以下は当時の自分が応援歌練習にいだいた感想である。記憶が薄れているので2003年2月に自身のプロフィル「高校時代」の項に記載したものを転載した。
―――――――――――――――――――――
入学式自体は県立高校として先ず当たり前のものであっただろう。来賓の祝辞が長くて疲れた。クラス別のミーティングの終わり頃、バンカラスタイルの応援団が入ってきて校歌や応援歌が書かれたガリ版刷りの紙を渡された。12曲ほど、ほぼ全部4番まであるので膨大な量である。これを明日までに暗記してこいと言う。私はざっと読んだがとても暗記なんて出来るモンでない。校歌ぐらいでやめといたが、これが超難解な歌詞でとても覚えられる代物でなかった。
翌日から昼休みに新入生は体育館に集められ、厳しい応援歌練習が始まった。プリント持参など認められず、新入生数人ごとに2年3年生が脇に立つ。自信を持って歌えるほどには暗記できていないから当然声が小さくなるが、その度に脇の上級生がわめきちらす。彼らの目は異様な光を帯びていたね、病的な・・。
10分歌わせられては10分ほど正座させられ、応援団の説教を聴く。体育館の壁際にも大勢の先輩諸氏が居てわめきちらす。怒号の中の練習、そんな練習が10日間ほど続いた。
今思い出すのも嫌な体験であったが、これが数10年も続いた伝統行事とのことで何を言っても通用しない。こういうときには従順に従うに限る、と割り切るしかない。この応援歌練習には嫌悪感を抱き続け、私は2年3年の時には一度も参加しなかった。それがせめてもの意思表示であった。
最近ある情報筋(!)から応援歌練習が未だに続いているとの噂を聞いた。多分様変わりはしているとは思うが、馬鹿な行事だ。
校歌は今でも歌えないことはないが、些か怪しい。さすがにメロディは絶対に忘れないが、歌詞は極端に難しく意味などおぼろげにしか解らない。下に参考までに校歌を載せたが(省略)、歌詞をそのままで読める方は殆ど居ないだろう。まして、これを含めて12曲も一日で暗記してこいと言う方が異常である。校歌・応援歌練習の時に何回かはプリント持参でも何ら練習効果には変わりはないはずだ。(以下省略)
――――――――――――――――――――-
殆ど関心を寄せていなかったのであるが、応援歌練習が私の頃と殆ど変わりない状況で続いているらしいことを知り、驚いた。
土人踊りが人種差別、と批判された時に、高校生たちが何度も会議を繰り返し猛者踊りとして存続させることを決めた、と聞いた。さすが、盛岡一高・・・と感心したのであるが、私はこの際に応援歌練習についても当然俎上に上り、改善されたのだろうと勝手に思い込んでいた。なんだ、何も変わっていないのか!!! これが今の感想である。
5/14(木)70回目の感謝の日 小雨・午後晴れ 外来 飯川病院
0:30起床、文献読み、新聞チェック他。7:10小雨でバス、徒歩病院着。8:45-13:00外来、疲弊。14:00-18:50飯川病院、処置多数。19:00帰宅、夕食、20:30就眠。Σ6348Km。BR disk視聴:「プライムニュース5/1:ベトナム戦争終結40周年日本人記者が見た真実 」、これも理解し難い。「N響1797回定期講演:武満・ベルクVn協、ドヴォルザークほか」聴く。
70回目の感謝の日
今年もなんとか5月14日を迎えられた。70歳になった。私はここまで生きられるとは思っていなかっただけに感慨深い。
数人の方から祝いのメールがあり花束をいただいた。感謝に堪えない。
70歳は古稀と言われる。70年生きる人は古くから稀、に由来する。古稀は実際は満69歳のこと。だから昨年の今日だった。知らなかった。
2012年秋には自分の不注意から、自転車による転倒、腸閉塞、脳梗塞を発症した。脳梗塞は意識障害、右不全麻痺、失語症を伴ったが、さいわい何れも後遺症なく速やかに回復した。第二の人生と言っていいような、千に一つ、万に一つの幸運、が与えられた。だから毎日を大事にしなければならない。一日の無事を願い、意義ある一日を過ごすよう心がけている。
私はいま、自分が素直に没頭出来る環境を求めている。まだ業務が多くて十分とはいえないがその方向上にある。可能な範囲でさらに求めていく。
そのコンセプトは、例年ほぼ同じだが、
(1) 私の社会的使命は終わっている。仕事は最小限の診療に限定する。
(2) 自由に、ホンネで生きる。やりたくないことは受けない。
(3) 無為に過ごさない。
(4) 移動機能を維持する。
(5) 診療で得られた報酬の20%を岩手の復興資金に送る。
(6) 終活 、かな。
業務は、午前は健康クリニック(月)、中通総合病院外来(火)〜(木)、大曲中通病院外来(金)、午後は飯川病院(月)(火)(木)、大曲中通病院外来(金)が勤務で、水曜がフリーであるが飯川病院でボランティアをしている。土日祝祭日は飯川病院の日当直に当たることが多い。飯川病院の業務はそれほどきつくは無い。
6:30徒歩、天候によってはバスで出勤、19:00帰宅、20:00ころには就寝し、1:00頃にはに起き出すが、早朝の静かな時間は至福の時間である。
少しだけ医学雑誌に目を通し、電子的に蓄積している文書・録音データを整理し、歴史、宗教、美術、文学などの書籍、画像に目を通す。
生きている証として、日々の生活記録を記し、興味ある事項一件を選んで感想を記録している。
週末の、日当直に当たらない日は園芸、自宅の周辺のメインテナンス、不用品の整理廃棄などできるだけ動く様にしている。
とにかく時間が勿体なくて無為には過ごせない。こんなことをやりながらこの一年無事に過ごせれば最高、と思っている。
5/13(水)曇り降雨 外来 眼科視野検査 飯川病院ボランティア
0:50起床。随想読み、新聞処理。徒然。7:10降雨あり、バス病院着。8:45-13:10中通病院外来、多くて疲弊した。ドック処理数名分。13:30-14:30眼科視野検査。欠損領域が進行している。10年で半盲になる?? 14:30飯川病院ボランティア。19:10帰宅。19:30夕食、20:40就寝。 歩行計6343Km。BR disk視聴:「そこまで言って委員会」、「プライムニュース5/11:安保法制与党協議 」、後者は理解し難い。
高校の応援歌練習批判の投書二編を読んで(1)
本日5月13日は私が卒業した盛岡一高の創立記念日である。今年で135周年を迎えた。
この日「創立記念大運動会」が恒例となっている。私の時代には「土人踊り」と称された新入生の裸踊りが行われる。1988年に人種差別ではないかと論争になり、「猛者踊り」と改称され存続していると聞いているが、おそらく、本日も行われた事であろう。
私も練習時に嫌だ嫌だと思っていたが本番で全身黒く塗って「腰みの」を巻くとその気になって真剣に踊ってしまった。これも思い出として残っている。
私は三陸の復興状況を知るために岩手日報も購読している。
4月8日、28日の投書欄に以下の投稿が掲載された。私は恐らくは盛岡一高の応援歌練習についてだと思った。
以下に引用したが、投稿者の意を崩さぬよう配慮し、一部を省略した。
(1)「応援歌練習を問題提起」(盛岡市の50歳の塾講師)
各高校で、希望と夢を抱える新入生痴迎える4月である。ほとんどの高校では4月中旬から「応援歌練習」が始まる。1年生全員が整列させられ、いくつもの応援歌を先輩から厳しく指導される。入学したばかりの1年生には試練である。
私はここで二つの相反する価値観から、恐らく岩手県にしか残っていないこの伝統の在り方を問題提起したい。
第1は、応後歌練習の見直しおよび廃止である。軍事教練的なやリ方でこうした練習を強制するのは、今の時代にどうなのだろう。4月は1年生にとって一番大切な学習のスタートなのだ。賭先輩もこれを乗り越えてきた。そこから得られる達成感も大きい。しかし、校歌、応援歌をみんなで大きな声で歌うのだったら何も「怖い」練習をしなくてもいい。
第2は、応後歌練習はわが県に残る、そして全国に誇れる伝統である。新入生を学校全体で励まし鍛え、応援歌、校歌を高らかに歌う雰囲気をつくるには、この行事は何とも言えない魔力もある。応援歌練習について、活発に本音の議論を、特に現役の高校生に求めたい。
(2)「応援歌練習問題に同感」(奥州市78歳)
60年以上も前のころを正直、懐かしさというよりどちらかと言えば苦々しく思い出す。私の応援歌練習の思い出は恐怖感を伴っている。最上級生に取り囲まれ、どやしを受けたときは暴力団に囲まれたかの様な威圧感を抱き、なぜこのような脅しを受けねぱならないのかと心を痛めた。
そんな練習のある日、上級生が取り囲む中、敢然と挙手をした1年生がいた。最上級生の指導方法の理不尽な点を指摘、改善を提案したH君の勇気と、その訴えに冷静に耳を貸し、提案に素直に従った上級生の資も「さすが」と心に焼き付いている。
無用の脅しや暴言を加えられることは軍事教練に似て関心しない。
(以下にむの氏の当時教師であった石坂洋次郎氏に関する一文が紹介されているが、省略した)。
私は盛岡一高を51年前に卒業した。その後は校門をくぐったことはない。高校生活に応援歌練習も含めてあまりいい思い出はない。
5/12(火) 終日小雨 外来 飯川病院
1:00起床,文献チェック、随想読みほか。7;40徒歩飯川病院着、途中小雨。 8:45-14:10外来、疲弊。14:10飯川病院、19:10帰宅夕食、20;00就眠。歩行計6335Km。BR disk視聴:「プライムニュース4/30:安倍首相、史上初米国両議会演説」、「プライムニュース4/29:統一地方選に見る病理 」。
地方創生2015(5) 空き家問題(4) なぜ流通中古住宅は少ないのか ノスタルジアも?
私はここ半年ほど、次男一家が秋田に戻ってくるということで住宅問題に関心を寄せてきた。秋田市内でも空き家はかなりあるのに流通のコースにのせている物件は少ない。
空き家を有効に活用するには誰かに住んでもらうのが一番である。それには、(1)市場に出し流通のコースに乗せる。(2)貸家として利用する、が考えられる。
(1)について考えてみた。
考える資料として、日本・諸外国の住宅流通の中における中古住宅のシェアを参考にした。
アメリカ(2010年) 89.3%、イギリス(2012年) 88.0%、フランス(2013年) 68.4%、日本は14.7%(2013年)、である。
諸外国との比較の中では、日本の家屋は木造家屋が多いから、耐用年限が短いから・・・、というのも理由の一つではあるだろう。しかし、これほど差があるとなんらかの日本特有の事情を考慮しなければならないだろう。これはなぜだろうか??つらつら考えてみた。
親の住宅を相続した家族が、空き家を流通ルートに載せたくない事情として、
(a)日本人に根強い「不動産本位」の財産観、
(b)親の家、育った住宅・土地への愛着・郷愁、
(c)現地では到底家を建てられないし、退職後は故郷に帰るかも、と特に都会居住者の思い、
(d)流通に乗せられないほど条件が悪い物件・・・などなどが考えられる。
一方、最近住宅取得を考慮あるいは取得した若い世代は、5-6人の病院スタッフから得た情報の範囲であるが、中古物件には殆ど目を向けないようである。結果として郊外の新興住宅地に新築、あるいは分譲住宅を購入している。それでもかなり高額で、若い家族たちにとってはかなりの負担である。何人かは月額10万円程度、35年ローンを組んでいる。やはりここでも「不動産本位」の考え方は底辺にあるようだ。私は新築したスタッフに「おめでとう」と声をかけながらも心の中ではちょっと複雑である。
(b) の住宅・土地への愛着、郷愁観について、私の経験を示す。
我が家は盛岡郊外にあった。田舎だから図体は大きい。1000坪ほどの敷地に250坪ほどの住宅があった。私が大学生の時に我が家の経済は破綻した。われわれ家族が生きていくには家屋敷を手放すしかなかった。
決めた途端に父の同胞4人から激しいクレームが届いた。自分たちにとってはこの土地は大切な心の拠り所であって、ここを失うとみんながバラバラになってしまうという。バカなことするな!!! それは激しいもので、当時若かった私にはプレッシャーであったが、老父母が生きていくためにはそんな実態の伴わない意見は無視するしかなかった。
足元を見られたためなのだろう、家屋敷は二束三文で手放したが、盛岡近郊に50坪ほどの小さな中古の家を購入するだけの金は残った。父母はそこで生涯を閉じた。
私にとって、当時は家に対するノスタルジアなんて関係なかった。生活の再構築が喫緊の課題だったからである。今は年に一回墓参りの際に通過するだけであるが、空き家になっているのだろう、庭は荒れ放題、家も劣化が激しいように見える。
私は田舎の家を手放したことでそれまでのしがらみ、荷物を降ろし、開放感と自由を得た。この年齢になって郷里へのノスタルジアは無いといえば嘘になるが、いまは良かったと思っている。
5/11(月)晴れ 健康クリニック 飯川病院
0:30起床,文献チェック、随想読みほか。5:00畑にキウリ、メロン、ナス、トマト植え付け。花壇に散水。7:30徒歩飯川病院着、散水。9;00健康クリニックへ。11:00以降は病院医局で書類処理。12:00飯川病院に、14:00-18:45飯川病院、19:00帰宅、夕食、20;15就眠。BR disk視聴:「プライムニュース4/28:土地価格1/3時代到来」、「プライムニュース4/29:日米首脳会談を検証 」観る。歩行計6326Km。
地方創生2015(4) 空き家問題(3) 空き家はあれど中古住宅として流通していない
今春からまた徒歩通勤しているが、秋田でも「空き家候補住宅」と言いたい活力の乏しい住宅が目につく。屋根の塗装も剥げ、雨樋等が壊れ、壁に亀裂が入り、庭先には不用品、庭木も荒れ始めている。有名な住宅地、団塊の世代が住宅を建築した市街周辺がとくに厳しい。多分なんらかの事情で住宅のメインテナンスにまで手と心が及ばないのであろう。
明日は我が身の問題でもある。
2013年10月時点の全国の空き家数は825万戸で、住宅総数の13.5%だった。1958年は36万戸で、空き家率は2.0%(総務省)。これが時代の流れでもある。
次男一家が今夏に秋田に戻ってくる予定になっている。これほどの空き家が目立つ昨今、借家か中古住宅が簡単に見つかるだろうとタカをくくっていたのだが、なかなか見つからない。家族5人とボーダーコリー犬3頭なので対象となる物件は限られてくる、という当方側の事情もあった。
それにしても市場に流通している中古住宅はとても少ない、と思う。何故なのであろうか??
秋田で空き家が増加する背景は、高齢化、核家族化、人口減などである。それに、新築住宅の供給過剰である。若者が都会に職を得て居住する一方、秋田に住む老いた親が亡くなれば、空き家になる。
空き家を減らすにはどうすればいいのか?
(1)市場に出し流通のコースに乗せる。
(2)貸家として利用する。
(3)持ち主による解体撤去。
(4)行政が強制撤去する。
(5)住宅供給の抑制・・・などが考えられる。
(5)は安易に抑制できない。住宅建設は若者たちの需要を喚起するから、地域へ及ぼす経済効果も大きいからである。
(3)は解体費用が坪あたり4.0万円かかる。決して安くはない。さらに、更地にすると固定資産税の基準額が最大6倍になる。持ち主が二の足を踏む所以である。
(4)の強制撤去であるが、現実には数々の困難を伴う。それにやっと動きが出てきた。政府は2月、治安や防災上の問題が懸念される空き家の撤去や利用促進に関する基本指針を公表、市区町村には行政代執行による強制撤去も求めている。
(1)と(2)の背景には日本人特有の「土地本位」、「不動産本位」の考え方がある。実際にはもう「財産」としては通用しなくなっているのだが、いや、それどころか「負の財産」になりかかっているのだが、まだ表立った問題にはなっていない。それと、中古物件を忌避する傾向も関与している。
5/10(日)曇り後晴れ 比較的寒い 書斎整理
1:00起床、画像・文献新聞チェック。録音データ整理。9:00書斎整理、廃棄物まとめ。13:00-15:00庭作業。17:00園芸用品、培養土、鶏糞、ボタン購入。ボタンの鉢替え。微睡。BR disk視聴:「ボリショイバレー公演:オーベール作曲マルコスパーダ」、「N響定期第1802回公演「エルガー/Vc協,マーラー/交響曲 第1番 」観る。19:00夕食。20:30就眠。歩行計6326Km。
うどん、ソバの自動販売機(2) 美味しかった自販機のソバ
本年3月6日に放送されたNHKドキュメンタリー番組をみた。番組作成の目的はしばらくわからなかったが、見終わって番組が表現したのは、スープのあたたかさ、美味しさ、人間同士のあたたかさ、なつかしい、昔からの心のより所、・・・だ、と思った。
私はいたくこの自動販売機に興味を持った。食品が中心になっている以上、このうどん、ソバを一度は味わってみたかった。
私が得た情報では同様の自動販売機は角館、男鹿にもある、という。
昨日は大曲中通病院外来診療応援日であった。家人が業務用スーパーで買い物がある、というのでので迎えに来てもらい、角館経由で帰った。角館のドライブインにの脇に自動販売機コーナーがあった。十分な広さを持った、雨風露を防げる建物の中にあった。
自販機はTVで紹介されたのと一見区別ができない。うどんとラーメンが一杯250円であった。お金を入れると直ぐにのうどんが出てきた。ちょっと温めの汁であった。初めから贅沢な気持ちはないがこの温度はちょっといただけない。冷やしておいた麺に熱湯をかけただけの印象であった。麺類のこの温度は全体の印象にかなり影響がある。味は悪くはなかったが、やや不満足な気持ちで食べ終えた。
本日、11:00am秋田市土崎港の例の自動販売機を訪れた。自動販売機には、「TV放映後、中古の機械が見つかり交換しました」と張り紙があった。うどんもソバも200円であった。私はソバを選んだ。お金を入れたところ角館のと大差ない時間で熱々のソバが出てきた。薬味のネギも立派であった。ぶら下がりの瓶から七味を大量にかけていただいた。美味かった。私は満足して食べ終えた。
ソバを熱湯で一度湯がき、その後にスープを満たした、という印象であった。家で食べる即席麺よりはるかに美味しかった。
私が到着したときは誰も客はいなかったが、間も無く自転車に乗った高齢の女性が2人、中学生が3人が訪れた。相変わらず流行っている印象であった。
今は夜遅くまでやって居る食堂もあるし、24時間営業のコンビニでも即席麺等が食べられる。自宅でもインスタント麺が食べられる。土崎港の自販機のそう遠くない場所に、車ならものの1-2分行けばコンビニもある。にもかかわらず、何でこの自販機に客が集まるのか??
第一の理由は熱々の豊富なスープとソバの味が良いこと、第二は200円と安いことである。第三は雨で濡れる、吹きさらしにもなりうる、降雪があれば雪も積もるような、決してきれいとは言えないテーブルと椅子、ここに仲間ときても一人で来ても誰にも遠慮はいらないし、人の目を気にする必要もない。第四にこの貧相なコーナーだからこそ、そこでは自分が中心であり、しかも、食べることを通じて空腹感の一部が満たされる。
<img src="http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/64/2b/21a2e4b605d8a42f44a5cb67c09164dd.jpg" border="0"><img src="http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1d/fe/3e37bce67c66cd68aea9d5dc07a5349a.jpg" border="0">
(当日は結構寒かった。ソバと唐辛子であったまった)
このコーナーには食堂やラーメン屋、コンビニにはない独特の静かな雰囲気がある。ここを頻回に利用するリピーターの人たちは、単に便利さ、安さだけではない何かを感じているのだろう。時の流れで街がかわって行っても、各人にとってはこのコーナーはそこにあるのが当たり前の、いつまでも変化しない、隠れ家的な癒しの場所でもある、ということだろう。
決して貧相ではない。私はこんな雰囲気が好きだ。また行きたい。癖になりそうである。
5/9(土)曇り
0:10起床。読書、文献処理一部廃棄、録音データ整理。11:00土崎港自動販売機のソバ、新国道のうどん屋へ。徒歩帰宅。ボタンの移植、鉢替え。午睡、野菜の苗、タネ購入。自炊データ処理など、電気虫取り器修理。19:00夕食、21:30就寝、Σ6309Km。BR disk視聴:「NHKsoスペクタクルコンサート:組曲 火の鳥」、「テレサテン没後20年」。
うどん、ソバの自動販売機(1) 織りなす人間模様 NHKドキュメンタリー番組から
本年3月6日に放送された秋田発のNHKドキュメンタリー番組を4月中旬に録画でみた。
「秋田 真冬の自販機の前で」でという表題で、秋田市土崎港にある、うどん、ソバの自動販売機を72時間の密着取材を行い、訪れ客たちに短時間インタビュー、この自動販売機をめぐる人間模様を紹介した。厳冬の1月16日12:00から72時間にわたって取材開始、早朝、夜間を問わず、地吹雪の日も、ひっきりなしに客が訪れる。
自動販売機は自販機のコーナーの角に設置された古ぼけた機械である。うどん、ソバとも200円。機械の内部にあるメーターは497.900を示していた。店主によると設置以来の販売回数だ、という。
自動販売機の脇には古い錆び付いた金属のテーブルと同じく金属のベンチのみ。屋根はあるが扉もない、吹きざらしのコーナーで、天井から七味唐辛子の瓶がぶら下がっている。
NHK取材班が何を目的にこの取材を始めたのかわからないが、出来上がった番組が表現したのは、「スープのあたたかさ、美味しさ」であり、「人間同士のあたたかさ」、「なつかしい、昔からの心のより所」・・・といったことだろう。
多分、取材を断った人たちも少なくなかったと思う。番組に登場した人物は様々である。
?保険代理店のスーツ姿の中年男性、「このスープ あったまる・・」。「なに、まだ食べたことがない??取材するなら食べてみなくちゃ。うまいぞ」。
?お揃いのお盆持参の若い()カップル。44歳の女性はかつてはいつも一人で食べていたが、二人で訪れるようになった。いつかそんな日が来たら一緒に食べたいと、ずっと思っていた、と語る。
?中年の男性。運転代行仕事を終わって一人になりたい時、浜風にあたりながら、安くて手軽に食べられて、心もあったまるこの場所が好きだ。
?78歳の男性。13年前に妻を亡くした後から来るようになった。周りの人と少しだけ会話をするのが楽しみ、と語る。
?13歳の子供を連れた40歳の運転手。1杯のうどんを二人ですする。子供の思い出作りのためにも連れ歩いているが、この場所にも時々来る。20歳になったら一緒に酒を呑むのが楽しみ、と満面の笑みがこぼれる。
?53歳洋菓子職人。ガンを宣告された。昔一緒に来た友人たちとの思い出のと共に味わっている。ここに来ると一人ではない、と実感する。
?39歳シングルマザー。モトクロスの同好会数人と打ち合わせの帰りに寄った。いろいろ上手く行かずに寂しかった中学生の頃からいつもここで時間を過ごしていた。時には知らない人がうどんをおごってくれた。
?吹雪の中で、トラック運転手40歳、38歳中古者販売店経営、23歳廃品回収業の方が、運転席でうどんをすする。
?25歳頃の若者、給料日前の夕食に。42歳除雪監視員は仕事上がりに。中年の男性は出勤まえに訪れた。「5分以内に食べられるのが便利で嬉しい」、と語る。
5/8(金)晴れ 大曲中通病院外来 飯川病院ボランティア
0:30起床、文献読み。データ整理。7:40Taxi。8:10こまち、徒歩病院、9:00-12:15大曲中通病院外来。クールビズでテニスに準じた姿で診療。迎えの車で角館経由。自動販売機のうどんにトライ。14:10飯川病院ボランティア、散水ほか。19:00帰宅、夕食、20:30就寝。Σ6302Km。BR disk視聴:「偉人を支えた妻:華岡青洲の妻、自動炊飯器開発者の妻、蔦監督を支えた妻」、「バラ:品種改良の歴史」。
わが家のゴールデンウイーク2015
今年のゴールデンウイーク(GW)は、4月29日(水)が休日であったが、その後二日間通常勤務があったので私にとっては5月2日(土)から5月6日(水)の5日間がGW期間と言えた。昨年は2週にわたって週末とうまくリンクしたので飛び飛びであったがGW期間が11日間と考えたので、今年は短かった。
このGW期間は通常業務日がなかったものの、5月5日と6日と2日間連続して飯川病院の日直にあたった。まるまるフリーは3日間だけであった。
内容的には以下のごとく。
?5/2(土)GW1日目 快晴
横浜から長女一家来訪、孫は2歳になった。
?5/3(日)憲法記念日 GW2日目 快晴
憲法記念日特集のNHK-TV日曜討論会観る。今季初草刈り、散水など。飯川病院へ。ポーチに植えたアジサイに散水。
?5/4(月)みどりの日 GW3日目 快晴・夕方降雨
飯川病院へ、アジサイに散水。息子夫婦、孫3人、犬3頭来秋。草刈り2回目、息子一家が来月から借りる住宅見学。
?5/5(火)こどもの日 GW4日目 快晴 飯川病院日直
飯川病院にマリーゴールド等20株ほど植える。夕食は庭でバーベキュー。
?5/6(水)振り替え休日 GW5日目 快晴 飯川病院日直
飯川病院植え込みの散水、駐車スペースに積もった大量のケヤキの花粉の掃除。長女一家、息子一家離秋。家は火が消えたような感じで静けさが戻った。
今年のGWは2ヶ月-5歳の孫4人、ボーダーコリー犬3頭が来秋した、というより来襲した。加えて大人が12人。食卓や居間は私が落ち着く様な余裕はなかった。その様子は言葉では表現しがたい。私は早々に自室にこもりデータの整理、映画・音楽鑑賞など、さらに草刈を始めとする外仕事などに避難した。それでもせっかく家族が集まっているのに避難とは、とちょっぴり罪悪感があって集中できなかった。
上の孫二人は活発で私のペースでは合せるのが困難、私はすぐに疲弊してしまう。加えて犬3匹、これも活発で頻回にすり寄ってくるので大変であった。私は幸い5−6日は飯川病院の日直が当たったので離れられたが、母親たちは大変そうであった。この5日間、ずっと頑張ってくれた賄いの石井さんは腰痛と疲労で早々に就寝した。
まあ、まあ、これだけ集まって一緒に過ごしたので良いGWであった、と総括すべきだろう。
7〜8月にかけて息子一家が秋田に戻ってくる予定で住む家も決まった。だからこのような大勢が泊まり込む機会は、おそらく今回が最後になると思う。それもまた、嬉しいことだが、ちょっと寂しい。
5/7(木)快晴 外来 飯川病院
0:30起床。文献等若干処理。画像収集処理。7:50千秋公園経由徒歩病院着。花壇に散水、8:45-13:15中通病院外来。13:30-18:45飯川病院。連休中に忘れていたレセプト点検。19:00車帰宅.夕食。20:00就寝。
BR disk視聴:「ニュース英会話:ヒラリー大統領候補」、「歴史列伝:日本初の女医、楠本イネ」、「猫侍(7)(8)」、「歴史列伝:皇女和宮」、「知恵泉:渋沢栄一」。歩行Σ6296Km。
音楽鑑賞2015(3) 音学鑑賞のビジュアル化がもたらす影響
自宅のオーディオは1980年代に一時的にビジュアルの方にも発展した。
1981年レーザーディスク(LD)を導入した。1984年NHKの衛星放送開始を機に、S-VHS機器を導入、オペラ、管弦楽曲を楽しんだ。しかし、両者の音質も画質にも満足できずに2000年ころLD機器と一緒に処分した。
この後、約10年間映像関連の録画を見ることはなかったが、この間にTVはデジタル化し、録画録音もデジタル化しハードディスクに蓄積するようになり、ディスクはDVDに、ブルーレイディスク(BR)にと発展した。画質も音質にも隔世の感があった。ここまで発展すると無視できない。再度、音楽鑑賞にも積極的に利用し始めた。
自宅の書斎、飯川病院医局にDVDの再生装置を導入していたが、先月両者ともにBRシステムにした。これでかなりいい音で視聴できるようになった。今の所、ほぼ満足している。
クラシック系の音楽番組は主にNHKTVが鑑賞のソースである。NHKsoの定期公演は週末に放送され、ほとんど全ての定期公演を観ることができる。曲目を詳しく解説する「らららクラシック」も面白い。そのほかに深夜に世界各地の音楽祭や演奏会が放映される。
歌謡曲も楽しみになった。原則的にNHKTVを録るが民放もの放映も貴重である。
音楽の映像化はオペラの世界、バレーなどではとりわけ貴重である。本当に総合芸術というのに相応しい。CDに記録された高音質の録音も貴重であるが、最も重要な舞台芸術部分を欠いている。ここまでの画像と音質の世界を身近に置いて気軽に鑑賞できるようになったのだから、私の鑑賞はこれからは映像を伴ったソースにシフトしていくことになろう。
管弦楽や協奏曲、独奏曲の分野でも映像は貴重である。演奏家の演奏スタイルを見ることが、音楽の演奏は演奏家の修練の結果の表現である。その演奏スタイルも表現の一つである。
演奏を見ながら聞くことによって、従来聴こえていなかった音まで聴こえて来る。特に管弦楽の場合は微妙な役割を果たしている各パートの内政部までが聴こえて来る。これは観る度に得られる新しい発見でもある。
私の音響装置はスピーカーはタンノイの大型につないでいるが、アンプはミニコンポで、音声出力はTVモニターのイヤフォンジャックから取っている。若干音が歪んでいてCD等では気になることもあるが、映像を見ながら聴くとほとんど気にならなくなる。
そういう効果もあって、最近は自分のAVシステムを有効に使って音楽を楽しんでいる。
いかにAVシステムを用いていようと、音楽鑑賞の基本は演奏会であってAVを越すものではない。秋田で開催される演奏会には万難を排して聴きに行く積りであるが、その機会がとても少なく残念である。
5/6(水)晴れ 振り替え休日 GW4日目 飯川病院日直
0:30起床、文献チェック他。7:50徒歩病院着。8:45-17:00二日連続の日直。10:00長女と孫横浜に。16:00息子一家盛岡に。9:00、16:00花壇の散水、駐車スペースに積もった大量の花粉の掃除。18:00迎えありフィットで帰宅、19:15帰宅。夕食、20:00就眠。BR disk視聴:「科学で料理が美味しくなる」、「メディアと音」、「対ナチス、名戦闘機のパイロットの記録」、「地域革命:病院、バイオマス発電企業」、「NHKsp:牛肉争奪戦」。
漫画、マンガ礼賛(4) 第二次世界大戦に関連の長編マンガ3冊(2) ジパング
私はここ半年ほどかけて、第二次世界大戦に関連した長編をマンガを読んだ。
(1)「夢幻の戦艦大和」、(2)「ジパング」、(3)「沈黙の艦隊」ほかである。
(2)「ジパング」の構成は200X年の6月、日米防衛新GLでの海外派遣によりエクアドルへ向かった海自のイージス艦「みらい」はミッドウェー沖合でミッドウェー海戦直前の1942年6月4日の太平洋上にタイムスリップした。
異常事態の中、みらいは徐々に歴史の流れに巻き込まれて行く……。しかし、史実は確定した事実で、あり「みらい」がいかに頑張ろうとも如何ともしがたいことである。それでも1942年6月4日にタイムスリップした「みらい」は連合艦隊にも認められす、アメリカ海軍の攻撃対象にもなったために、その場で迎えている「みらい」の戦闘は現実的で生死をかけたものであった。この間の緊張ある表現は特筆ものである。
「ジパング」の主たる話題は次のように展開していく。これらの一部は知らなかったことであり、今後勉強しなければならない。
ガダルカナル島に揚陸中の米海兵隊への戦艦大和による艦砲射撃
満州国皇帝・溥儀の暗殺と戒厳令の発動、陸軍兵力の中国から満州国に向けての撤退
A-26によるシンガポールからベルリンへの飛行
ナチスドイツ総統ヒトラー暗殺
ガダルカナル・アッツ・トラック・ニューギニア・ラバウル・マーシャル諸島からの撤退と、パラオ・マリアナ諸島への集中投入
コペンハーゲンにおける原爆開発のための濃縮ウラン235の入手
連合艦隊機動部隊によるセイロン島英軍基地の無力化攻撃
インド人民衆の反英独立運動の扇動
「大和」は米戦艦群の砲撃に晒され、みらいのトマホークミサイルを受けて轟沈。極秘裏に完成した日本軍の原爆の時限装置が発動し海中で爆発
「ジパング」のハード面の詳細な表現も私にとっては新しいもので多くの知見を得た。
「DDH-182 みらい」、ガトー級潜水艦「ガードフィッシュ」、海兵隊の第一海兵師団・空母「ワスプ」・ノースカロライナ級戦艦「ノースカロライナ」、艦載垂直離着陸機「海鳥」SH-60J艦載ヘリ、ティルトウイング方式の垂直離着陸機など。
歴史上の人物も多数登場するが、私にとっては石原莞爾、東条英機、山本五十六、米内光政らの活躍、野望、確執、に興味を抱いた。
第二次世界大戦を記録した書籍は数え切れ無いほどである。私も多数読んだが、文字だけのでは理解するのに困難な部分が少なくないし、メモを残してないと記憶にも残り難い。漫画の世界は、作者の発想力、表現力は文字情報だけの書籍や文献を補うものとしての揺るぎない価値を感じている。今後も積極的に漫画も併読していきたいと思っている。
「ジパング」も参考になった。
5/5(火)こどもの日 快晴 GW3日目 飯川病院日直
o:oo起床、文献検討他。新聞チェック。昨年は畑に30本ばかし苗を植えたが今年は遅れている。7:50徒歩にて飯川院着。8:30日直に就く。12:00検食。17:00院長来院し玄関脇の植え込みにマリーゴールド等10株ほど植える。18:15車で帰宅、舩杉氏一足先に横浜に。19:00庭でバーベキューで夕食、食べ過ぎ飲み過ぎでダウン、20:20就眠。歩行計6279Km。BR disk視聴:「ここまで言って委員会」、「戦後70年:三島由紀夫」、「認知症発症を遅らせる方法」、「エンデバ空港奇襲作戦」、「ベトナム戦争:パリ秘密交渉」。
漫画、マンガ礼賛(3) 第二次世界大戦に関連の長編マンガ3冊(1)
私はここ半年ほどかけて、第二次世界大戦に関連した長編をマンガを読んだ。
(1)「夢幻の戦艦大和」、(2)「ジパング」、(3)「沈黙の艦隊」ほかである。
(1)「夢幻の戦艦大和」は、本そういち氏の作品。講談社の「イブニング」に2006年から11年まで連載。単行本は全14巻。
(2)「ジパング」は、かわぐちかいじ氏の作品.2000年から9年にかけて講談社の「モーニング」に連載された。単行本は全43巻。
(3)「沈黙の艦隊」は、かわぐちかいじ氏の作品.1988年から96年にかけて講談社の「モーニング」に連載された。単行本は全32巻。
この(1)-(3)作品は子供達が入手していた。
私はここ数年来近代日本史を学んでいて、第二次世界大戦を扱ったこれらの作品に深く興味を持った。3年ほど前に読み始めたが、殆ど内容を理解できず、楽しめず途中で放棄した。作品自体は絵も内容的にも素晴らしいのに、第二次世界大戦に関する私の知識が乏しかったために場面場面がつながらず、理解できなかったからである。
当時の私は歴史に関してもアホで、日米開戦に至る背景も細かくは理解してなかった。重要な、ハルノート、宣戦布告問題、真珠湾攻撃、ミッドウエー開戦、戦艦「大和」、「武蔵」、「赤城」、山本五十六、米内光政、宇垣纒などについても単語的に説明はできるものの、体系だった関連性などについては殆ど分かっていなかった。
昨秋から再びこれら3作品に挑戦してみた。今回は十分に楽しむことができた。歴史の勉強の賜物である。これら単行本を全巻スキャナーで読み取り、データ化してiPad miniで読める様にしたことも再挑戦のきっかけとして大きい。ちょっとした時間を利用していつでも読める。
(1)の「夢幻の戦艦大和」の構成は、戦艦大和の沈没地点近くで潜行艇に乗っていて事故にあった高校生クルスは、昭和16年(1941年)進水したばかりの戦艦「大和」の時代と現代をタイムスリップして往復できるようになった。クルスは史実を十分勉強しており、史実では戦争に敗れた大日本帝国を勝利に導くべく、ゲーム感覚で連合艦隊司令部の人間を動かし、歴史を塗り変えようと目論む。
そんなストーリーであるがタイムスリップで現代と往復し、リアルタイムに進行する史実と、すでに結果が分かってい事実を対比させるという発想に驚かされる。結果的には史実に介入し、結果を変えようとするのであるが無論不可能であり、手を加えようとすればするほど事態は悪化していく。
そしてついに、クルスは攻撃される大和の甲板上で「戦争はゲームなんかじゃないのだ」という言葉の意味を思い知る。
主たる登場人物は山本五十六、米内光政、宇垣纒、南雲忠一、山口多聞、R・A・スプルーアンス、・・等である。フィクションだと分かっているが、それぞれに与えられたキャラクター、軍人としての信条、発言、折々の決断の部分は日米海戦を知るのに参考になった。
漫画家の史実の理解度、発想力、心情の表現を含めた人物描写、連合艦隊のハード面の知識・・など、恐れ入るばかりである。参考になった。
5/4(月)みどりの日 快晴・午後より降雨 GW3日目 庭仕事など
0:00起床。徒然、録音データ整理など。9:00車で飯川病院へ、玄関脇のポーチのアジサイに散水のため。10:00息子迎えに駅に。12:00息子一家到着。14:00草刈り2回目、16:00息子一家が住むことになる住宅見学。19:00出前の寿司中心の夕食、20:00就寝。BR disk視聴:「マリインスキー劇場バレー団公演:プロコフェイフ作曲シンデレラ」など堪能。
イヌ・ネコはペットにあらず?(7) 表に出難いペツトたちへの虐待
昨年、栃木、佐賀などでイヌの死体が大量に見つかる事件が相次いだ。宇都宮市の河川敷には約80匹が捨てられており、関係者が逮捕された。埼玉県内でも2013年10月以降、チワワなどが大量に遺棄される事件が相次いだ。
背景は近年のペットブームで大量に生産され、売れ残ったイヌの処置に困ってブリーダーやペットショップが「ペット引き取り」業者なるものに横流しをしているためである。業者は、小型犬で1万円、中型犬で2万円、大型犬で3万円程度で引き取っているらしい。
宇都宮市の事件は愛知県内の繁殖・販売業者からイヌ80匹を引き取り、その多くを死なせたと言う。
別の栃木県の例はスタッフ3人で常時150匹以上の犬を世話していた、という。死ぬ犬は年間30〜40頭ほど、という。この業者は栃木県動物愛護指導センターにも報告しているが、同センターはこの業者のピジネスを特に問題視していない。しかし、動物愛護団体の依頼で現地を確認した獣医師は、「掃除をしている様には見えかった。眼病、皮膚病にかかっているイヌも少なくなかった。適正に飼われているとはとてもいえない状況だった」と指摘している。
3度の改正を経た動物愛護法が2013年9月に施行され、地方自治体の処理場がペットショップや繁殖業者からのイヌの引き取りを拒否できるようになった。この法には、イヌを安易に自治体に持ち込むことを防ぎ、殺処分数を減らす狙いがあった。
しかし、ブリーダー、ペットショップにとっては不要犬の処理方法を失う形となっただけで、業者は不要犬の引き取り先を探すのに苦労している。その結果として「イヌの引き取り業」という別の道を活発化させた。イヌを引き取るだけなら保健所への登録は不要で、何らかのトラブルや事件を起こさなければ行政の監視や指導の手が届き難い。
この実態は把握されていない。今回明らかになった事件や事例は氷山の一角ともみなされている。
大量生産大量消費の経済システムの中では、市場調査をしっかりして生産、販売をコントロールしなければ余剰品、売れ残り品が大量に生じる。工業製品であれば一部はリサイクルが可能とはいえ、問題は小さくはない。
日本の食糧事情も大量輸入、大量消費であるが、約20%が廃棄されている。これは勿体ない。
「ショツプやブリーダーにとって、私どもの存在が絶対に必要でしょう」、ある業者の一人はTVのインタビューで答えていた。
愛犬を愛しみ、「イヌ」、「ペット」と呼ばれるのを嫌い「家族です」と主張する様な飼い主が増えている文化の陰には、おぞましいペットの虐待が行われている実態があることを知らなければならない。
5/3(日)憲法記念日 GW2日目 快晴
1:30起床。文献チェック、本読みなどいつもと同じ。4月分の録音データパソコン上で整理。9:00-11:00NHK日曜討論会、憲法記念日特集で安全保障関連2時間、内容的にはどうどう巡り。11:30飯川病院へ、先日玄関脇のポーチ植えたアジサイに散水のため。14:30帰宅、午睡若干、16:00今季初草刈り、散水など。パソコン関係の学習。18;00検食、19:30就寝。歩行Σ6265Km。BR disk視聴:「のど自慢」本日分、時間差で。
散髪:1000円・10分の理髪チェーン店を初体験
(秋田にも何軒か見られる理髪店の一つ) |
私は床屋が嫌いである。身体を触られるのが耐え難いからである。スタイルには殆ど関心が無い。日常髪に櫛を入れることはまず無い。だから、理髪は通常は2-3ケ月に一度程度としてきた。
床屋も行きつけを決めていた。大抵は職場内にある理髪店を利用してきた。
70年生きたが、世話になった床屋は僅かに10ケ所程度だと思う。
郷里を去るまでは村の床屋、新潟大学時代は学生協の、宮古病院時代は院内の、秋田大学時代は生協、中通総合病院では共済の理髪店を利用した。
退職後は髪もヒゲも伸ばし放題で時々自宅で適宜やってきた。一度だけ腸閉塞の手術前にヒゲが麻酔の支障になるというので院内の理髪店で病室でやってもらった。
私は時間が長いと嫌で「簡単に」と告げているのだがどの店でもあんまり効果はなかった。綺麗に髭をそり上げ、すべすべである。髪をドライヤーで整えてからまたハサミを入れる。ほぼ形式の様だが、必ずこの過程を踏む。最近はこれが理髪師のプロ根性なのだ、と納得し、あきらめた。どんなに綺麗にしても、私の場合は翌日からダメになる。だから、私から見て虚しい作業である。
私のプロ根性など理容師に比較するとグッと劣っている。「先生、簡単に済ませて・・」「楽に逝かせて・・」と本人が希望したら、私なら喜んでそうするのだが。
ここ数年、街中に何軒か「10分理髪、1000円・・」なる看板が気になっていた。散髪だけで剃毛はしないという。私の好みに合う、と思っていたが、昨日トライした。
入店してみると、自動販売機があって1080円。二人の先客が理髪していたが、間髪を入れず理髪台に導かれた。正面に鏡があって、椅子は普通のジム椅子と大差ない構造で実に簡素なものであった。
担当した若い女性が布をかけながら「どのようにしましょうか?」と問うので「2ヶ月分程度短く」と答えたところすぐに作業が始まった。ハサミの進め方は実にスムーズ、本当に約10分で「これでいかがでしょう?」、「OK・・」。その後、掃除機のノズルのようは吸引機で毛を吸い取り、布を外しながら「はい、終わりました。お荷物をお持ちください」、と言い私を出口の方に誘った。「またどうぞ」これだけであった。在店時間に無駄がない。私が発した言葉は僅かに二言、実に楽、体に触られたという感覚も生じなかった。
満足度は、十分であった。会話も不要、本当に10分前後で出ることができた。私の求める理髪の理想に近い。これだと癖になりそうである。
いままで私が経験した理髪のコストは1800円が最も高額であった。息子などは毎月行く理髪は4000円近くで、これが一般的なのだそうだ。私の場合は1000円理髪でちょうど良さそうである。
5/2(土)GW1日目 快晴 舩杉一家来秋
1:00起床。文献整理,新聞チェックなど。午前は資源ゴミ収集と廃棄準備、下水道穴塞ぎカバー修理とセット。書斎のレイアウト変更。13:00-14:00散髪兼ねて買い物に付き合う。玄関網戸ネコ対策。17:00今季初散水、19:00横浜一家来訪、19:30夕食、20:30就寝。
BR disk視聴「マリインスキーバレー団公演、2演目4時間」見事なバレーであった。。。歩行計6259Kmのみ。
漫画、マンガ礼賛(2) 映画以上とも言える、ある意味で総合芸術だと思う
日本のマンガ文化はすごい。
オペラも映画も総合芸術と言われている。確かに、プロ的技術を持つ多くの職種が関係し、壮大な世界を描いている。私は漫画はそれに劣らない総合芸術だと思っている。オペラの場合は原作があって、音楽が作られ、舞台の上では演出家や指揮者がまとめるだろう。映画の場合には素材があって、台本があり、監督が責任を持って構築することになる。
漫画の場合はどうだろうか。原作者がある作品もあるが、ほとんどすべてを漫画家がそれを担う。したがって絵、セリフ、ページのレイアウト、全体の構想まで一気に担っていて、オペラや映画とは異なった世界が描かれる。スケールから言っても一コマ漫画から数10巻に渡るような壮大な連作の世界もある。読者に与える感動も質的に違いはあるが決して小さくはない。
滑稽な絵という意味での「漫画」は、平安時代の絵巻物「鳥獣人物戯画」が日本最古と言われている。江戸時代は葛飾北斎『北斎漫画』は特に有名である。歌川広重、歌川国芳ら浮世絵師達が戯画を描いた。絵に文が添えられた滑稽な読み物は有名な十返舎一九も作っていた。わが国では歴史的に漫画文化が育っていた、と言える。それが、諸外国との違いとなっていたのだろう。
戦前には子供向けの人気漫画が単行本化された歴史があるが、一般の子供達には価格の点で縁遠いものだった。子供達の関心の中心は、もっぱら紙芝居であった。
第二次世界大戦戦後に飛躍的に発達した漫画は、戦前の紙芝居に因る所が大きい。出始めた活字ものの月刊誌は、高価であったため、貸本屋が普及した。
経済的発展をげて漫画が普及すると、「日本子どもを守る会」、「母の会連合会」、「PTA」による「悪書追放運動」が起こり、手塚治虫の「鉄腕アトム」を含む漫画を校庭に集めて「焚書」にする運動が起こった。しかし、漫画は廃れなかった。
むしろ、時代とともに「漫画は子供が読むもの」という既成概念が覆えされ、青年・成人が読むものにシフトし、漫画文化の新時代を築き、漫画界の異才が輩出されることになる。
1980年頃、漫画単行本・雑誌の総販売金額は1836億円、出版物全体の15%を占めるまでに拡大した。この時期漫画産業はまさに絶好調、右肩上がりの成長を続けた。1995年に日本の漫画の売り上げはピークに達した。人気漫画の多くがドラマ化・映画化されるようになり、かつては読み捨てられた漫画も文化と見なされるようになった。
近年はアニメブームとの相乗効果もあり、全世界規模で日本漫画の翻訳・出版が急速に伸びた(歴史部分はブリタニカ年館を参照した)。
漫画の歴史を振り返ってみると懐かしいし、我が家の書庫にも漫画の歴史を概観する際に引用されている近年の作品が結構並んでいる。
私はいま、これらの作品群の内で絵やストーリーなど、自分にフィットする作品を選び集中的に読んでいる。ここ半年ほど、第二次世界大戦に関連した長編を読んだ。「夢幻の戦艦大和」、「ジパング」、「沈黙の艦隊」ほかである。
5/1(金)快晴 大曲中通病院外来
1:00起床、文献検索、録音データ処理その他。7:40Taxi駅に、8:10こまち。9:00-13:10大曲中通病院外来。往復徒歩。アルべにて印鑑証明、14:30-18:30飯川病院ボランティア、プリウス一週間放置でエレクトロニクス系不調に。なんとか自宅までついた。秋田トヨタに電話、6日まで休みと。19:00帰宅・夕食、20:30就寝。歩行計6253Km。BR disk視聴「100分で名著うえた:ブッダ、涅槃」、「プライムニュース4月22日:首相談話について」。
漫画、マンガ礼賛(1) 絵本は喜ぶが、マンガとなると毛嫌いした家内
日本のマンガ文化はすごい。どこの国でもマンガ文化はあるのだろうが、日本のマンガは世界の多くの国々の青少年に大きな影響を与えている。最近の私もマンガの恩恵を受けている。
私は小学校低学年の頃、昭和30年頃、短期間「おもしろブック」と言う子供向けの月刊誌を定期購読していたいたことがあるが、それ以降はマンガから離れもっぱら少年文学と言えるジャンルを楽むようになったので、しばらくマンガに触れる機会はなかった。
次にマンガが身近になったのは、子供たちが好んで読むようになった頃からである。
我が家の子供達はマンガを好んだ。私は子供たちがマンガを読むことにほとんど抵抗はなかったが、家内は教育的見地からだろう、マンガをなぜか激しく毛嫌いしていた。
一方、絵本については別の考えらあるらしく、長女が2歳になった頃に30-40巻もある英語版の絵本を購入してきた。以来40年ほど、ほとんど開かれることなく、書棚を占拠していて、私は処理に困っている。
そういう家内は幼少時にはマンガ少女で、友達の家を渡り歩いてむさぼり読んだ、という。自分が子供時代にずいぶん無茶なことをしたと思っている人は、寛容になるのではなく、自らのことを思い出すから、自分の子供もそうなるのではないか、と心配し厳しいしつけにつながるのだろう。
そのうち諦めたらしいが、今でもその傾向は残っていて、私がマンガを読んでいるとしらじらとした目を向けてくる。
一方、子供の時や若い時代に真面目一方だった人は、これは私のことであるが(笑)、子供のしつけや教育においても、子供を信頼して、子供の自主性を尊重する傾向があるようだ。だから私はあんまり勉強とかに対して口やかましく言ったことはなかった。そのことがいい結果に結びついたか、というと自信はない。
私は今までを振り返ってみても数年前まで、週刊誌、コミック誌、マンガの単行本を自分のために購入したことはない。職場の当直室などあったのをちょっと見る程度であった。退職した時に小学館の「マンガ 日本史」を全巻購入した。
一方、自宅の書庫には子供たちが残したマンガがかなりあり、数年前から私の書籍の整理と一緒に廃棄、または電子化した。その過程で私のマンガ好きにも火が灯った。
いま、我が家の書庫のマンガは1/10ほどに減ったが、電子化されたマンガは1000タイトルほどになり、1TBの外ずけハードディスクに収まり、適宜iPad miniに移してちょっとした時間帯に楽しんでいる。
年を通じてワンパターンで淡々とした毎日です。AM2:00-5:00にメールチェック・返事送付、人間ドック(HDD)判定・報告書作成、新聞切り抜き、病院・医師会業務など。
月〜土曜は6:00頃出勤、HDD報告書印刷、外来書類処理など。病棟回診、HDD受診者とミーティングと診察。8:45-14:00外来とHDD受診者に結果説明。昼食は摂りません。午後は病院業務・医師会業務、各種委員会等に出席など。20:00頃帰宅。 日曜・祭日もほぼ同様ですが、病院には午後出かけます。時間的に余裕無いのが悩みです。 |