徒然日記
2015年6月分

 日記と言うより、自分の行動記録からの抜粋と日々の雑感です。

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6/30(火)早朝降雨、午前から快晴 外来 
 1:30 起床。新聞、音声データ整理.書類処理、7:30雨の中バス飯川病院着、 8:45-13:00中通病院外来。14:00-19:00飯川病院。BR disk視聴:「英国一家:道具の楽園かっぱ橋」、「アメトーク:マイナス思考芸人・薄毛芸人 」、「日本すごい:羽田空港・東京駅」視聴。新聞PDF化、19:00帰宅、夕食、20;15就眠。

?新年を迎えてからもう6ヶ月も経ったの?!! 誰にも時間は平等 その宝をどう用いるか
 本日6月末日を迎えた。新年を迎えてからもう6ヶ月も経った。わずか半年といえども無事過ごしえたことをまず喜びたい。

 それにしても「この頃時間が過ぎるのが早い」と思う。徐々に時間が過ぎるのが早くなっている。これは高齢者の常であり、一定の法則性があるようで、この法則は「ポール・ジャネの法則」とよばれている。
 何故、私たちは年を取れば取るほど、時間の流れを早く感じるのか?それは身体的活動が鈍く、緩くなっているからで、物理的に一定に過ぎていく時間に対して感覚的に遅れを感じるから、時間の方が先に行ってしまう。だから時間が経つのが早いのである。

 脳の働きも、身体の動きも鈍くなって行動も思考も時間がかかる。だから、時間は若い頃より、もっとゆっくり流れてもよさそうに思うが、実際は逆である。若い人から見れば年寄りはなんであんなにゆっくりなのだ?と感じているはずである。

 世の中は、人生は、すごく不公平に出来ている。この世に生まれた瞬間からあらゆることが不平等である。ただ、例外は一つだけ、それは時間である。誰もコントロールできず、平等に過ぎ去っていく。

 生まれながらに与えられた不平等は結構根が深く、生きているうちにどうあがいても平等なものに変えることなど、誰もできない。だか、すべての人にも時間だけは同じに与えられ、同じように流れ、生きている限り止まることもない。その時間をどう使うかを決める自由も、すべての人に平等に与えられている。
 ただ平等なはずの時間も不公平なことがある。それは「死」をもって時間が止まってしまうことで、それがいつ来るかわからない。

 加えて時というものは、それぞれの人間によって、それぞれのスピード感があるようだ。せっかちな人ものんびり屋もいる。
 高齢者は時間を有効に使わなければならない。惰眠をむさぼっている暇等ないのだ。高齢になると早朝覚醒が多くなるのは自然の摂理なのかもしれない。

 私の場合は、大学生の時に「フランクリン自伝」を読み、一生の時間には限りがあるから時間を無駄にしてはならない、と教わった。その後ずっと守っている。惰眠を貪らず、早寝早起きを徹底、1時台には起床する。毎日の生活記録を残し、ミニ随想を書いている。また、人と群れないことも時間のためには重要である。

 それでも時間の経過は早い。


6/29(月)小雨午後晴れ 健康クリニック 飯川病院
 1:00起床、新聞・文献チェック。読書中心。7:00バス病院着。9:00-11;00健康クリニックドック。入院総括。12:00飯川病院へ。14;00-18:00業務。BR disk視聴:「ヒストリア:持統天皇の都」、「BS世界のドキュ:R・ティバルディ vs M・カラス」、「春風亭昇太一人会:ちりとてちん」。「バクモン:ハンセン病を知ってますか」視聴。19:30夕食、20:30就眠。歩数計6699Km。

報道機関批判 言論自由問題?? どっちもどっち、何が問題なのか
 25日に自民党若手の勉強会「文化芸術懇話会」での発言が、言論の自由を踏みにじるものだ、と問題になっていて、自民党も若手議員の一斉処分に踏み切った。新聞報道の範囲から得た情報であるが、何名かの知識人たる方たちもこの発言を問題視している。

 私はなぜこんなに問題になっているのかわからない。

 首相に近い自民党若手議員が作家の百田尚樹氏を招いて開いた会合で、百田氏の「沖縄タイムスと琉球新報の二つの新聞はつぶさないといけない」という発言や「沖縄のどこかの島が中国に取られれば目を覚ます」とまで言ったらしい。議員からも「マスコミを懲らしめるには広告料収入をなくせばいい。文化人が経団連に働きかけてほしい」などのやりとりがあったことが明らかになった。

 これに対して、自民党は幹事長が軽率だっとと陳謝、他の上層部も揃って低姿勢である。野党は「言論・表現の自由を踏みにじり、特定の新聞をつぶせなどという暴言は断じて見過ごせない」、と激しく追求していく構えである。

 この「マスコミを懲らしめる」などの発言は、戦争法案に批判的なマスコミ報道の姿勢に対するイラツキの結果と捉えられているようだ。

 新聞の活字で見る範囲では、この程度の発言内容は、表現には多少の問題点はあったとは感じるが、内容的には言っても特に問題になるようなものでない。通常のレベル、しかもチャチな内容の意見、と思う。表現の多少の問題ということは、相手の尊厳を踏みにじるような表現が用いられた、ということである。それがなければ問題にもならない。百田氏の発言だって彼だけの意見ではない。似たような意見は他の方からも聞かれる。しかし、表現は百田調ということが問題ということだろう。百田調は他の場面でも似たような調子である。百田氏の発言は「礼節を欠いた個人的見解」として処理、議員の発言は「無知とおごり、調子に乗った若手の発言のレベル」で無視していいのではないだろうか。次の選挙で落選していただくのも良い。

 発言は「報道の自由」に対する侵害だ、との意見もあるが、このように大袈裟に捉える必要はない。一般的にも、マスコミが介入すると小事件が誇張されて大事件になってしまうし、政治が絡むと与野党の小競り合いで重要な審議がおざなりになっていく。これら発言者を処分などの力で抑制するならば、それこそ「言論の自由の侵害」である。自民は焦って処分してしまった。

 新聞は文章で勝負している。その文章に対して不満があるのであれば、百田氏も若手議員も自分の意見をただ喋るだけでなく「文章にして公開してはどうか」、と思う。その内容の是非を比較して改めて論じればいい。
 もう一つは、関係した人たちを一堂に集めてディベート番組を実況放映してみるのも一方法である。
 同じ土俵で論じてほしい。


6/28(日)降雨→快晴 飯川病院日直
 1:00起床、新聞、文献など。蓄積データ大幅に整理。5:00畠収穫など。8:45バス飯川病院へ。8:45-17:00飯川病院日直、入院患者は平穏。18:00帰宅、BR disk視聴:「知恵泉:淀屋常安」、「BS世界のドキュメンタリー:キング牧師vsマルコムX」、「昭和は輝いていた:小椋佳」。「アナザーストーリー:ビートルズ来日」、「100分で名著:オイデプス王(2)」視聴。19:30夕食、20:30就眠。歩数計6699Km。

年金2015(3) 矛盾を抱える年金
 年金は仕組みが複雑なので多くの矛盾をふくむ。
 皆年金制度であることから、すべての国民はどれかの年金に加入していることになる。

 年金の種類は以下のように分けられる。
―――――――――――――――――――――――――――――-
国民年金1号2000万人ほどーー自営業、フリーター、無職など保険料は15590円/月
国民年金3号1000万人ほどーー専業主婦 保険料負担なし、
厚生年金  3400万人ほどーー会社員 保険料収入の16.1%、
共済年金   450万人ほどーー公務員 保険料収入の15.5%、
―――――――――――――――――――――――――――――-

  年金の納付は全国民が支払いの義務を負っている。
 上記の内、厚生年金と共済年金の場合は給与から天引きという形で納付されるし、国民年金3号の方々は専業主婦の内助の功(?)の評価なのか、納入不要である。

 国民年金は納付の義務があるのだが、最近は不安定な収入のフリーター達は払っていない人が多い。特に、男性のフリーターは納めていない。同じフリーターでも親との同居している場合は、親が払っているケースが多いという。年金をもらっている親が年金の内から子供達の年金を代わりに納付しているという妙な構造もある。

 国民年金保険料の納付率が60%と報じられている。2年間全く納めていないのは320万人ほどだという。実際このことがオーバーに論じられ、年金が破綻するという考えもある。実際には6900万人の加入者のうち320万人で、保険料収入の5%程度でしかない。

 国民年金の不払いに関するあるアンケートとによると、??納入しなければならないのは重々分かっている、??現在の生活が必死なのに50年後の生活のことまでは考えられない、??とても15590円支払えない。??ろくなもの食べてません。年金もらう前に死にますから払いません。??年金もない、家もない、貯金もないといった厳しい状況になったら最終的には生保に駆け込むつもり。生保は年金よりも給付が高く、家賃補助も医療費助成もあるし・・・などなどの記載が続いた。

 国民年金制度は矛盾だらけである。
 (1)農家とか自営業者、フリーターや無職の人たちを対象にしているが、収入はわからないから均一的に納入額が決められている。この年金の発想は65000円程度の基礎年金で生活が維持されるというのではなく、農家とか自営業者が年金支給年齢になっても仕事を続けられる、ということを前提に生活の足しに、にあると思われる。
 平成23年度の支給対象は、自営業は22%、非正規労働者37%、無職39%で、自営業前提とする国民年金の理念は成り立っていない。

(2)保険料負担なしの、1000万人ほど専業主婦の国民年金3号の存在も矛盾を広げている。


6/27(土)終日降雨、時に激しく 雨読
 1:00起床、新聞、文献など。蓄積データ大幅に整理。昨日車に酔ったか、体調若干不良。激しい雨で外仕事不可、雨読に徹する。本読み、文献検索、19:00夕食、20:30就眠。BR disk視聴:「NHK:のど自慢」、「街中のネコ:幸運を呼ぶ?ハチ」、「N響定期公演:シェーラザード2回目」。「ボリショイ・マリインスキーバレー公演:シンデレラ、盗賊の娘2回目」観視超。歩数計6695Km。

年金2015(3) 年金の歴史
 年金問題はわかり難い。
 年金は、少子高齢化、デフレ経済などの影響で困難な局面を迎えてはいるが、社会・経済情勢に応じ微調整を加えながら長期的な存続を図っている。
 年金は将来破綻すると短絡的な意見もあるが、年金破綻は国の破綻に等しい、と言えるほど盤石の仕組みを持っている。頼りにできる仕組みと言える。
 
 まず年金に関わる動きをまとめてみた。

(1)黎明期からピーク期―――――――――――――――――――――――――――
42年 「労働者年金法(現在の厚生年金)」成立ーー厳しい経済下にあった戦中から年金が準備されていたのは驚きである。     
61年 国民「皆年金」制度確立 
65年 「厚生年金」の給付水準引き上げ、「1万円年金」を実現
66年「 厚生年金基金制度」が開始
73年 「福祉元年」 年金支給額に「物価スライド制」を導入。給付を拡充し「5万円年金」にーーしかし、年金の右肩上がりの発想はこの後壁に当たり、これ以降は抑制抑制論議に変わっていった。

(2)支給抑制期―――――――――――――――――――――――――――――
80年 「支給開始年齢引き上げ」を厚生省が提案するが、法案化を断念   
84年 基礎年金の導入を柱とした「国民年金法改正案」を国会提出、翌年成立
86年 同法施行、「基礎年金」や「第3号被保険者」の制度を創設
94年 厚生年金・共済年金の「定額部分の支給開始年齢引き上げ」を決定、01年度から
00年 厚生年金と共済年金の「報酬比例部分の支給間始年齢引き上げ」を13年度から
04年 「マクロ経済スライド」を導入。しかし、デフレ経済のために今年度まで実施はされていない。
   基礎年金国庫負担の2分の1への引き上げを決定
   現役世代の保険料13年かけて増額、19年かけて支給額減に

(3)混迷期―――――――――――――――――――――――――――――
07年 社会保険庁の年金記録問題が発覚 ーーー呆れるほどのズサンさ  
10年 社会保険庁解体を解体、日本年金機構が発足
12年 社会保障と税の一体改革関連法の成立
13年 「特例水準」として過給付状態にあった年金給付を段階的に解消を開始
15年 マクロ経済スライド初実施 
   年金機構のサイバー攻撃で加入者の情報が漏れる

―――――――――――――――――――――――――――――

 年金問題は用語が難しい。以下は調べた単語の一部。

??基礎年金とはーー公的年金加入者全員に共通した給付部分。40年加入の場合では月額66.000円。
??社会保険方式と税方式ーー各人が支払った額に応じた額を受け取る方式と保険料負担を求めず税金だけを財源にする方式。
??第3号被保険者ーー勤務者の専業配偶者が保険料を支払わずに基礎年金を受け取れる仕組み。
??マクロ経済スライドーー年金制度の安定を図るために、現役人口の減少や平均余命の伸びなどの社会情勢に合わせて、年金の給付水準を自動的に調整する仕組み。


6/26(金)快晴 大曲中通病院外来 飯川病院ボランティア
1:00起床、文献・新聞チェック。何時ものごとく、7:30Taxi駅に、8:10こまち。9:15-12:30大曲外来,迎え来るまで角館経由で飯川病院ボランティア。16:00社会福祉協議会スタッフ来訪。講演受諾。散水ほか。19:15帰宅、夕食、 20:30就眠。BR disk視聴:「サイエンスゼロ:生物の透明化」、「ネコ侍:Season(3)(4)」、「BS世界のドキュメンタリー:ジョブス&ゲイツ」。歩数計6691Km。

吉村昭著 「怒星」 中央公論新社 1999年(2) 作者の死生観を知る作品
(6)『寒牡丹』は定年退職を迎えた主人公の妻がその日の夜、「自分も家庭生活からの定年退職させていただきます」と宣言し、退職金の半分を持って翌日家を出た。主人公にはどんな理由があるのか理解できなかったが、受け入れるしかなかった。一人娘の結婚式には約束通り出席した。わずか3ケ月しか経っていないが元妻の額と目尻にシワが刻まれ、艶のない年相応の老けた女に見えた。老夫婦の感情のすれ違い、これは決して他人事ではない。人間関係が希薄になると見てくれの印象も変わるものである。

(7)『光る干潟』の主人公はホテルのヴァイキング料理に強い抵抗感を持っている。彼は自分で好みの食品を選んでとってくるという行為に、戦争後の食糧難の忌まわしい記憶があるからだという。
 私もヴァイキング形式のレストランは好まない。好みで食事内容を選んで来るよりは、一定の決まった定食形式?にセットされた食事を好む。最近のホテルの朝食はほとんどがヴァイキング形式になっていて残念である。私の場合には幼少時、謹厳な祖父から出された食事は好き嫌いにかかわらず全部食べるように躾けられたためだと思う。今でも食事に自分が食べたいものを希望することはなく、用意されたものを粛々と食べる。
 この作品は主人公の家族旅行の様子がメインである。
 ここにも作者の体験した結核の手術治療の場面が出てくる。あのとき死んでいれば今の家族は存在することがなかったのだ、と感慨に耽る。私も、何度か死線を越えたが、幸い生き長らえることができた。生きて何をしたのかと自問すると、結局は、孫を含めた家族をもうけたことだけだな、と感慨に浸る。私がいなくとも家内は別な人生を過ごしえただろうが、子供達や孫たちは存在しなかった。これが私の生きた証である。私がはっきりと言えることはこれだけである。結局、我が家に寄生し、次々と子を孕むネコと大差ない。

(8)「碇星」。碇星は星座のカシオペアを構成する5つの星のこと。会社で葬儀関係の仕事を行っている主人公は定年退職して自適の生活をしている職場の先輩に呼ばれた。先輩は夜に天体を眺めていると死に対する恐怖が薄れてくる、と言う。主たる依頼内容は、「小窓のない棺」を用意してほしい、という内容であった。自分の死に顔を人目にさらすことは耐え難い、との発想であった。
 私もこの発想に同感である。いや一歩進んで病床で死の迎える際には誰にも周辺にいて欲しくないとまで考えている。いよいよ近くなれば駆けつけた家内や子供たちも家に戻って連絡があるまで待機してほしいし、医師も看護師も側には不要である。心電図のアラームだけでいい。
 吉村昭著「怒星」は8編の短編小説で構成されている。主人公はいずれも定年退職を迎え、寂しさ、孤立感、老化と死を迎える準備が主題となっている。
 氏は最後を迎えようとする病床で、点滴の管を引きちぎって死を迎えた、という。これにも共感できる。
 氏の小説は今回初めて読んだが、私に取ってもいいテーマであった。


6/25(木)快晴 外来 飯川病院
1:00起床。音声他各種データ整理。7:20コイ・ハト給餌、徒歩飯川病院着。8:40-13:00外来。14:00-18:45飯川病院。BR disk視聴:「池上sp:知っているようで知らない韓国」、「NHKsp:生命大躍進(2)母性の誕生」、「昭和偉人伝:中内功」、「歴史列伝:松下村塾(2)松蔭と久坂玄瑞」。19:30バス帰宅。夕食、20:30就寝。歩数計6683Km。

吉村昭著 「怒星」 中央公論新社 1999年(1) 多彩な氏の作品群に驚く
 作家吉村昭氏の作品は『三陸海岸大津波』を含め10数冊は読んでいる。
 圧巻は昨年10月に読んだ「戦艦武蔵」。武蔵に感心するとともに作家吉村昭氏の情報収集、構成力に深く興味を抱いた。戦艦武蔵は大和と同型の二号艦であるが、大和の陰に隠れて知名度は今ひとつである。私はあえて武蔵に注目した氏の慧眼に恐れ入った。氏は建造される過程から撃沈されるまでの過程を精緻に描いた。武蔵は戦闘にほとんど参加することなく昭和19年10月沈没する。戦死者は全乗組員2399名中1023名、生存者は1376名。その乗組員の表情や苦悩についての記述は詳細であった。
 今年3月、フィリピン沖で戦艦武蔵が発見されたというニュースを知って私は再度ざっとみ見返した。
 氏の文学は歴史、戦記、実録、時代短編など多種多彩である。作品のリストを見ると優に100冊に及ぶ。どんな毎日を送っていたのか??驚くばかりである。
 その中に長編小説、短編小説集もあった。吉村氏の随筆や短編現代小説も愛好されている。このジャンルは今まで読んだことはなかった。?

 本書「怒星」は晩年の短編集で(1)「飲み友達』、(2)『喫煙コーナー』、(3)『花火』、(4)『受話器』、(5)『牛乳瓶』、(6)『寒牡丹』、(7)『光る干潟』、(8)『碇星』からなる。
 共通して、人生の黄昏、定年退職者が感じる老年の孤独がテーマとなっている。

(1)飲み友達』は会社の上司が定年退職に際して後輩に飲み友達として女性を紹介してから去っていく話。描かれた女性の表情がいい。

(2)『喫煙コーナー』は定年後することもなくショッピングセンターに集まる高齢者数人と、そのうちの一人の変わり者の弟の死をめぐって互いに孤独死に近い状況で死を迎えるだろう、と認めあう。弟の、誰もあてにしないという生活行動に私は共感した。興味深い作品であった。

(3)『花火』は自分の肺結核の手術を担当医出会ったある大学教授の病気見舞いと死去に際しての話が中心。この編では1945年9月に東大分院で肺結核への胸郭成形手術を受け、左胸部の肋骨5本を切除した作者自身の体験が語られる。

(4)『受話器』は友人にいつ電話をかけても本人が出る。友人は離婚していたとわかったが、しばらくしてその友人は再婚した。それでも電話には本人が出る。その友人は間も無く死亡した。その時、再婚後も間も無く離婚していたことを知る。離婚を告げられなかった友人の心理が興味深い。

(5)『牛乳瓶』は満州事変の直後田舎の牛乳屋店主に召集令状が来た。店主は若い妻と生まれたばかりの幼児を残して出征する。やがて戦死の報が届く。当時の出征の様子、残された家族の生活、戦死の報が届いた後の家族の生活が描かれる。


6/24(水)午前曇り、午後快晴 外来 飯川病院ボランティア   
 1:00起床。データ整理、本読み。徒歩、コイ・ハト餌撒き、7:50飯川病院着。不注意で牛乳瓶落とし当直室汚す。8:45-12:30外来+健康クリニックドック総括15名分。13:00-18:45飯川病院ボランティア。BR disk視聴:「いま世界は:MERS、FIFA、中国客船転覆」、「昭和偉人伝:中内功」、「歴史列伝:松下村塾(2)松蔭と久坂玄瑞」「NHKsp:生命大躍進(2)母性の誕生」これは素晴らしい内容であった、19:00帰宅、夕食、20:00就眠。歩数計6673Km。

イヌ・ネコはペットにあらず?(10) 里親募集中
 5月28日(木)の北海道新聞に「子猫、10年間で100匹殺して埋めた」----室蘭の72歳女、愛護法違反容疑で逮捕----との記事が掲載された。
 それによると、
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 室蘭署は27日、動物愛護法違反(虐待)の疑いで北海道室蘭市内の無職の女(72)を逮捕した。逮捕容疑は、飼い猫1匹を4月下旬、自宅の庭で水を張ったバケツに沈め、ふたをして重しを置いて放置し、溺死させた疑い。猫の死骸を埋めているとの情報提供を市から受け、署員が掘り返して4匹分の死骸を見つけた。解剖で1匹の死因が分かり、虐待を裏付けられたため逮捕した。
 同署によると、女は猫を3匹飼っており、「妊娠して子猫が増えるため飼育に困り、10年間で100匹ほど殺して埋めた」と供述しているという。同署はさらに埋められた死骸がないか、調べを進める。
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? 私はこの記事にほぼ等しいことをやってきた。今なら同罪である。

 私は小学校一年から高校卒業までの13年間一匹の雌ネコと共に過ごしたが、このネコは生涯を通じて春秋2回4~5匹の子供を産んだ。その子の多くは成長することはなかった。ネコを飼う条件として生まれた子ネコは育てない約束が祖父との間にあったからである。出産を終えた母ネコを餌で誘い出し、その間に私が子ネコを連れ出した。当時はネコの避妊手術など考えられなかった。
 私にとっては母ネコとの生活を維持するためにこの方法しか取り得なかったが、今でも思い出すたびにこころが痛む。だから我が家の雌ネコは4匹とも避妊手術を済ませている。
 我が家を頼ってきた野良「小さいかた」から生まれた8匹の子ネコはすべて育てているが、もう同じことは繰り返してはならぬと、その母ネコは去勢した。

 ネコは人にとって最も身近な動物である。人間に可愛がられる一方で虐待等の被害に遭いやすい。ネコの虐待の話題には事欠かない。 
 動物愛護保護法第二十条で「犬又はねこの所有者は、これらの動物がみだりに繁殖してこれに適正な飼養を受ける機会を与えることが困難となるようなおそれがあると認める場合には、その繁殖を防止するため、生殖を不能にする手術その他の措置をするように努めなければならない。」と定められている。
 これはペットブームで素人ブリーダーが仔犬や子ネコを次々と産ませて、トラブルや遺棄の問題が頻発したことで、2005年6月に改正された法である。

 ただ、法律には禁止事項条項が多いが、ただ禁止すればいいというわけではない。それを支えるような社会的な仕組みも必要となる。
 飼い猫の場合の避妊費用は個人払いでいいだろうが、野良ネコの去勢の場合は補助金制度があったらいい。全国的にもネコの去勢に補助を出している自治体はあるが少なく、しかも飼い主のいるネコが対象になっている例が多い。好意で迷いネコを世話している方は少なくないだろうが、どちらかというと貧しいく、ネコによって癒されている方が多いような印象である。

 雌ネコの手術は秋田では2.5万円程度と決して安くない。野良の避妊に出費できる方はそれほど多くないと考えられる。
 わが家では生まれてきた新しいいのちを大切にして子ネコたちを世話しているが、全部は世話できない。親ネコの「小さいかた」を含め6匹の里親になって下さるかたを求めている。いずれもトイレのしつけは出来ている。ご希望があれば予防注射、雌の避妊手術は当方で済ませておく。


6/23(火)快晴 外来 飯川病院  
0:30起床,いつもと同じ、5:00可燃ゴミ出し、畠、庭の散水。コイ、ハト餌撒きし、7:30徒歩飯川病院着。8:45-13:30外来。14:00-18:45飯川病院。17:00水撒き。19:00帰宅、夕食、20:15就寝。BR disk視聴:「池上そうだったのか:靖国、国境、領土問題」、「世界のいま:IS、FIFA、MERS」、「いま世界は:中国客船転覆、FIFA、MERS」、歩数計6663Km。

イヌ・ネコはペットにあらず?(9) 我が家はネコ8匹(2)  母ネコ避妊手術

 我が家には10歳の黒猫ユウー、新顔の1歳のシャム系?雑種プチがいるが、この4月、プチの母親、俗称「小さいかた」、が腹をデカくしてまた庭先に現れた。「なんで孕んで戻ってくるのよ・・・」。身重では気の毒と外で餌を与えた。野良だから私どもに責任はないが、こんなことならやはり前回避妊しておくべきだった。

 GWが終わらんとしているある早朝、5匹の子ネコが植え込みの周りを走り回っていた。我が家の周囲には天敵も、人敵もいる。石が飛んでくることもあるので母ネコと子ネコを我が家の風徐室で世話することとした。さいわい子ネコたちはトイレを上手に使う。

 5匹の子ネコたちは母親のおっぱいを吸っては一日中風徐室を走り回っている。それらの、表情、じゃれ合いを見ていると時間を忘れる。夜中に急に静かになることもあるが、そんな時はどうしているか気か気でない。懐中電灯を照らして何度も見る。全員揃ってネコ団子で就寝している。それを見てホッとする。こんな毎日である。
 いくら何でも8匹は飼えない。今は引き取り手を探すために子ネコを手なづけている。最近やっと触れるようにまでなってきた。

 子ネコたちもネコフードも食べるようになり、授乳が一段落段したと判断し、今週22日、母ネコ「小さいかた」の不妊手術を行った。何と驚いたことに、また妊娠していた!!! いつの間に・・・。しかも胎児は9匹もいた。「小さいかた」は四六時中5匹の子供にまとわりつかれてはストレスだろうと考えて短時間外に出して息抜きさせていたが、その間に子作りをしたらしい。呆れた。
 全身麻酔、気管挿管下での手術であったが、夕方私が迎えに行った時にはもう元気になっていた。術後、まだ丸一日しか経っていないがもう子ネコたちと何事もなかったように暮らしている。


 ところで、私は5匹に授乳している「小さいかた」には乳汁分位を促すプロラクチンをいうホルモンが豊かに出ているはずで、このホルモンには、排卵を抑制する働きがあるから、授乳中はそう焦って避妊手術を受ける必要がないと思い、家人にもそう説明していた。?しかし、私のこの知識は人間のものであってネコに関しては通用しないことがわかった。子ネコは一月も経つと離乳ができる状態になることから、出産後早いケースでは1ケ月以内に発情期が来ることもあるらしい。
 「小さいかた」は初回が3匹、今回5匹、胎児が9匹であった。一度の出産では、1〜9匹程度で、通常は3〜5匹とされている。9匹は稀な方であるが、1度に18匹生んだ記録もあるという。いいタイミングであった。

 次は、今回生まれた子ネコの避妊手術である。今度こそそう焦ることはないだろう。
 女性の獣医師は、「3ヵ月過ぎたら子ネコ達のワクチンにいらしてください」、と言っていた。


6/22(月)快晴 健康クリック 飯川病院 ネコの小さい方避妊手術
1:00起床、いつもの如し。徒歩にて旭川のコイ、千秋公園ハトに給餌後7:30飯川病院着。9:00-11:20、健康クリニックドック、14名、結果説明1名。12:00飯川病院へ、新聞等処理、14:00から業務、BR disk視聴:「ネコ侍:Season2(1)(2)」、「世界一受けたい授業:医師アンケート結果、ハラハラ大実験、防災対策」。19:00帰宅、夕食。20:30就寝。

年金2015(2) 宙に浮いた不明の年金記録が計5095万件、この件はどうなったのか
 社会保険庁は年金に関して一般人には考え難いほどのズサンな管理運営をしていたことが発覚した。

 その年金記録問題の経緯を拾ってみる。
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2006年6月 長妻議員(民主)が「宙に浮いた年金記録」問題を指摘
2007年2月 基礎年金番号と結ぴつかない記録が計5095万件あると判明
6月 安倍音三首相(当時)が「最後の1人まで徹底的にチェックし、すべてお
      支払いすると約束」と発言
    7月 金額が訂正された年金支給の時効を撤廃する特例法施行
    12月「ねんきん特別厦」の送付開始
2009年4月「ねんきん定期便」の送付開始
2010年1月 社会保険庁を改組、日本年金機構が発足
    10月 紙台帳とコンピューター記録の突き合わせ作業開始
2011年2月「ねんきんネット」の運用開始
2013年3月「年金記録問題に関する特別委員会」設置
2014年1月 年金記録特別委が報告害
    3月「集中処理期間」終了
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 年金記録問題では、最近までの約7年間にわたって不明の記録計5095万件について検討を進めてきた。しかし、2014年1月に年金記録特別委がまとめた報告書は「完全な実態解明は困難」と、現状を認めた。調査は。中途半端な状態で終わらざるを得ない。しかし、国民の老後の生活の拠り所である年金問題だけに国民の不信は根深く、安倍政権は国民に説明を尽くし、理解を得ることが課題となる。

 2007年以降、約3億件に上るコンピューター記録と約6億件の紙台帳を突合する作業を進めてきた。宙に浮いている記録の主を捜すため、加入者全員に「ねんきん特別便」などを送って確認を求めた。しかし、本人の住所などが不明、通知への回答が戻ってこないなどで、4割に当たる2000万件が解明出来ないでいるという。今後は、申し出があれば調査する方法に切りかえる。

 この問題が発覚した2007年に当時の安倍首相は意気込んで「最後の1人まで徹底的にチェックし、すべて支払うと約束する」と述べた。先が読めない状態で意気込みが先行した発言であったが、現実には約半数が不明のままで終わりそうである。やむを得ないことなのかもしれない。しかし、政治家の発言は気楽なものである。
 再び政権を率いている安倍首相にとって、今回の125万人の年金情報が流出した事件は極めて稚拙な電子データの扱いに起因しており、ダブルパンチとなる。

 年金受給者にとっては「支給年齢の引き上げ」、なんだかよく分からない「マクロ経済スライド制」導入に加えて、情報流出である、受けた不安は小さくない。


6/21(日)快晴 飯川病院日直
1:10起床、随想読み、徒然など。微睡。8:45バスと徒歩飯川病院着、日直業務に。病棟は平穏で読書、データ整理、など十分できた。BR disk視聴:「世界のいま:インドの熱波」、「就職率100%:秋田県立教養大学」、「バクモン:サッカー勝利の方程式」、「知恵泉:三井高利」、「昭和は輝いていた:マジック」、「ヒストリア:即身仏」、「100分で名著:オイディプス王(1)」。18:00バス帰宅、19:00夕食。20:30就寝、歩数計@@6643Km。

年金2015(1) 本年5月125万人の年金情報が流出 あまりにズサン
 GW終了直後の5月8日、九州の年金機構のパソコンがウイルスに感染、不審な通信が検知されたことを嚆矢として今回の年金情報流出事件が始まった。機構は19日に警視庁に届け、28日警視庁が情報流出を機構に連絡、これを受けて機構のすべてのパソコンのネット接続を遮断。6月1日機構が125万人の年金情報が流出したことを発表した。

 不正アクセスがわかった8日以降も添付のついたメールが開けられていた。警察に届けるまでに10日も要した。流出した個人情報の半数に機構の内規にあるパスワードが設定されておらず裸の状態であった。機構内の連携不足なのか機構のすべてのパソコンのネット接続を遮断するまでに20日もかかっている・・・の問題も明らかになってきた。

 日本年金機構は、旧社会保険庁が一般常識では考え難いようなズサンな運営が発覚し2010年に年金機構として再出発した。 なのに電子情報を一般常識では考え難い、稚拙な方法で運用していたためにサイバー事件が生じてしまった。サイバー攻撃を仕掛けてくる方が悪いが、機構のデータの扱いの拙さはそれ以上である。

 重要な個人情報を扱う電子データは外のネットワークから完全に切り離された、閉鎖されたシステム内で運用すべきであるが、日本年金機構ではその閉鎖システムから、情報をネットワークに繋がっている別のシステムのパソコンに抜き出して使っていたという。
 セキュリティー対策のもっとも大切な基本が守られていなかった。さらに、職員が使うパソコンに一もパスワードをかければダウンロードして保管できる様になっていた。
 
 外に繋がっている別サーバーにデータを移すのも、個人のパソコンにデータを保存するのも論外な運用法である。パソコンについてほとんど知らない私にもこの辺のことは理解出来る。私どもが用いている電子カルテシステムは完全閉鎖システムになっている。

 国の関連機関においてこんな稚拙な非常識が生じるとすれば、10月から国民一人ひとりに番号が振り分けられ、国民の税・社会保障などのお金の出入りを共通の番号で把握するマイナンバー制度のありようが心配になる。
 電子データの危機管理能力の低さには驚くばかりだが、会見を開き頭を下げた機構の面々はことの重大さを分かっていないのではないか、との印象を受けた。

 マスコミの不用意な報道によって年金受給者の不安も高まった。それをいいことに詐欺まがいの電話などがかかってきた需給者もあるというが、今の所詐欺にあったなどの実害はないようである。また、15日は事件後初の年金支給日であったが、今のところ問題は生じていないようである。

 今回の事件が生かされるよう望むしかない。


6/20(土)快晴 歯の治療 散髪 園芸・ネコ関連の作業
0:30起床、文献・新聞チェック。データ、本読み。5:00-7:00畠・庭仕事。ダリアの球根の土掛け、肥料、水撒き。玄関までの通路の剪定、植木の下刈りなど。10:30-11:15歯科医院、11:30千円散髪2回目。玄関のよしず巻き上げ関連の作業。17:00以降は、BR disk視聴:「N響定期:ボカリーズ、P協奏曲第2番、組曲シェーラザード」。19:00帰宅、夕食、20:30就寝。歩数計6637Km。

地方創生2015(11) 高齢者の移住(4)  定年退職者を狙え(2)
 首都圏などからの定年を迎えた高齢者の移住促進案は秋田を救う数少ない地域活力創生案である。

 秋田から若者がどんどんと都市圏に出ている。秋田は若者の生活を支える経済活動の場が乏しい。要するに、秋田では暮らせないからである。昨年の県人口移動理由実態調査報告書によると県外への転出者の総数は17.926人で、その6割は仕事関連であった。
 秋田県は企業誘致に力を入れてきたが成果は乏しい。
 国際的に不景気であり、日本の景気は若干持ち直しているといえども、地の利も悪いから今後も企業の誘致は困難であろう。

 ならば、秋田の人口を維持するには、若者を秋田に止めるのは困難であると割り切って考えなければならない。すると次の候補者は、生活をための資金、年金などがあり、経済活動をそれほどしなくても良い、都市部で定年退職者を迎えた元気な高齢者を移住させ、生活してもらう事しかない。

 この方法を重視するのであれば、受け入れ体制をどうするが課題となる。各界で検討してほしい。

 「秋田に移住して老後を暮らしませんか?」そんなパンフレットなどでは移ってくる人はない。
 受け入れのためには、医食住に関する生活環境の整備がなされなければならない。

 さらに、ゴルフなどスポーツを楽しめる施設、知的欲求を満足させる図書館などの整備、さらに、受け入れた地域の中におけるボランティア活動を通じた生きがいづくりにつなげ、高齢者が秋田で主体的に生きる術を用意しなければならない。

 さらに、秋田で提供できるのは農地である。趣味的菜園のレベルでもいいだろう。

 そんな事を通じて元気なうちには秋田の経済活動に参加し、納税してもらう事が重要である。この事が地域の維持にもつなげられる。その上で健康に障害が生じた際には優れた秋田の医療を、介護施設等を提供する。

 県外からの移住者を呼び込んで生活の場を提供するのは、高齢化の「先進地」である本県だからこそ、全国に先んじて取り組みを進め、高齢者が主体的に暮らせる地域づくりを実現させる必要がある。

 そのための方策はあるのではないか?
 「秋田に移住して老後を暮らしませんか?」のキャンペーンを行うなら、誘いの殺し文句は「東京圏にこのまま暮らしてては将来介護も受けられません。高齢者の皆さん、環境の良い秋田に1日も早くどうぞ。美人もいるでよ、温泉もあるでよ・・・」ではどうだろうか。


6/19(金)晴れ 大曲外来 飯川病院ボランティア
1:00起床,新聞文献、徒然など。7:40Taxi駅に、8:10こまち。9:05大曲中通病院外来。駅病院間は徒歩。14:00−18:45飯川病院ボランティア、16:30生保会社スタッフ来訪。19:00Taxi帰宅、夕食、20:00就寝。BR disk視聴:珍しく、なし。静かに机に向かう。Σ6631Km。

地方創生2015(10) 高齢者の移住(3)  定年退職者を狙え
 要介護状態にある高齢者の地方移住が話題になっている。深刻な話である。アイデアとしては面白いが、私は地方にとってネガティブな効果しかないと考える。日本もここまで来たか!!!

 それを考えるならば、第一線を退いた高齢者を移住の狙い撃ちにすべきだろう。その年代の人が秋田に移住して、元気なうちは生活を営み、健康状態に応じたケアやサービスを受けながら、地域で元気に暮らす、そんなアイデアなら是認できる。大歓迎である。

 国も地方創生の一環として、そのような方向も考えているようである。いいことだと思う。

 現在の秋田県が迎えつつある問題点は活力の低下である。その原因の第一は人口減である。ついに130万人を切った。加えて少子高齢化である。これはまだ進行途中でありしばらくは止まらない。

 私はもう年だから、直接の影響を受けることはないと考えられるが、県の行く末は気がかりである。
 秋田県の活力の低下は県内企業にとっても大打撃である。将来的には自らの企業の存続が問われてくる。その影響は「ゆりかごから墓場まで」あらゆるとことに及ぶ。公共機関をも含めてすべての分野にわたる。
 高齢化だから高齢者の医療・介護福祉関連業は安泰だろうと考えることはできない。確かにハードウエアは余裕があるかもしれないが、ソフト面ではマンパワーが不足する。マネーパワーも不足する。だから運営が困難になる。この分野といえども同じ穴の狢である。
 将来的に必ず迎える県の活力の低下。私企業は生き残りが問題になる。公的事業も縮小や集約化が問題になる。

 こんな厳しい状況を迎えつつあるのに、なんで、県民は、県内企業が危機感を持って共同して対策に当たらないのか、座して死を待つのか??と思う。
 なぜ、県力の低下に歯止めに向けて検討を始めないのか不思議である。すべての分野にわたるから諦めムードなのか?
  
 国は創生会議を作り地方を活性化しようと画策している。
 しかし、その創生プランは地方に深く根付いたものでなければ、どんなアイデアでも一過性の効果しかあげられず、バラマキに終わってしまう。かつて1988年から1989年にかけて竹下首相が発案した「ふるさと創生」と称した公共事業は、地方交付税交付団体の市町村一律に1億円を交付 、その使い道について国は関与しないとした。地方自治体が自ら主導する地域づくりをするように竹下内閣が各自治体に自由を与えたのであるが、有効に使われた例は少ない。多くはその地域に不相応な、パイプオルガン付きの音楽ホールなどが作られた。現在も利用されているパイプオルガンは少なく、施設自体が地域の荷物になっている。アイデアが出ず、金塊を購入した自治体もあった。

 首都圏などからの定年を迎える高齢者の移住促進案は秋田を救う数少ない地域活力創生案である。


6/18(木)曇り 外来 飯川病院
1:00起床,文献整理。5;00散水。7:30徒歩飯川病院着。8:45-13:00中通病院外来。ドック判定総括。文献検討。新聞PDF化、16:00損保会社スタッフ来訪。花壇に撒水。BR disk視聴:「大人の新常識(2)」、「日本視察団:東京駅」、「池上彰:Time誌で世界で注目された8人」、「サイエンスゼロ:冥王星」。19:00帰宅、夕食、20:30就寝。

いわゆる「ぼったくり」についての話題(2) 閉店セール・開店セール
(3)新宿歌舞伎町の居酒屋の「ぼったくり」の顛末
 私は自ら率先して外に飲みに出た経験は一度もない。だからこの話題の意義はよく分からないが、社会を知るのに勉強になるから適宜こんな話題もファイリングしてある。

 昨年末、新宿の歌舞伎町にある居酒屋で、飲食代以外の席料などが高額で「ぽったくり」だとレシートの画像も一緒に客がツイッターでつぶやいた。
 客は24歳女性で、友人5人で忘年会を開いた。約2時間後、「42.929円」を請求された。「お通し」、「席料」、「週末料金」、「チャージ料」として3.000円以上加算されていた、という。女性のツイートは3万件以上転載された。店は3日後に閉店した。
 すごい速さで情報が広がるものだ、と驚く。
 国民生活センターに寄せられる外食の高額料金の相談は10年で4倍に増えているという。

 私は明朗会計でなければ嫌だ。飲み屋だけではない。寺院のお布施なども「お気持ちで結構です」などと言われるのは不快だし納得できない。時価、メーカー希望価格も不快。秋田で「お酒は??」と尋ねると「少々・・」と答える患者がいるが、実態は5合以上というのも稀ではない。「ぼったくり」の発想と共通している。

(4)小説「居酒屋ぽったくリ」シリーズが好評
 大衆居酒屋がブームらしい。そのプームを背景に、秋川滝美著の3冊の「居酒屋ぽったくリ」シリーズが好評だという。
 舞台は東京の下町の商店街の一角にある「居酒屋ぽったくリ」。どこの家にもあるような家庭料理でお金を取るなんて「ぼったくり」だ、との店主の言葉が店名の由来となっている。
 私はまだ読んでいないが、「ぼったくり」の発想と店の名前がいい。後で読んでみたい。

(5)閉店セール、開店セールに見る盛況
 近所のコンビニが閉店した。私から見るとそこそこ流行っていたように見えたので閉店したのには驚いた。約半年後に再度開店した。経営者が変わったのかもしれないが同じ名前のコンビニが開店した。開店後数日間はいつもより数倍の客が利用しているように見えた。
 古い話であるが大手スーパーのダイエー秋田店の閉店は2002年8月31日。閉店前の売り尽くしセールは連日盛況で交通渋滞も著しかったと報道された。これだけの客の1〜2割の方々でも日常の買い物の場所として利用してくれれば閉店に至らなかったものを、と思ったものである。

 閉店セール、開店セールに見る盛況はユーザーによる「ぼったくり」かな?と思った。
 もっとも、大都市では閉店しないのにいつまでも閉店セールをしている商店もあると言う。これは消費者の心理を利用した「ぼったくり」である。消費者庁から処分された例はないという。


6/17(水)快晴午後一時雷鳴嵐雨 外来 飯川病院ボランティア 
1:00起床,文献読み、整理中心、いつもの如く。7:30徒歩飯川病院着、8:45-13:00外来、人間ドック総括17名分。14:00-18:20飯川病院ボランティア。14:00、15:00生保関連社のスタッフ来訪。BR disk視聴:「オイコノミア:子供は誰が育てるのか」、「歴史列伝:林芙美子」、「地球ドラマチック:誕生大型旅客機A-380」。19:20帰宅、夕食、20:00就寝。Σ6604Km。 

いわゆる「ぼったくり」についての話題(1) イタリアで、日本の私大で
 最近、法外な値段をふっかけた「ぼったくり」の話題があった。

 (1)行ってみたい国、イタリアでの「ぼったくり」
 私は観光にはあまり興味がないが、ミラノスカラ座、フィレンツェ歌劇場には行ってみたいと考えている。実現しそうはないが、イタリアの話題には関心がある。
 某紙に、日本人カップルが何年か前にローマ市内の有名レストランで昼食をとった際、日本円にして95.714円の代金を請求された記事が掲載された。これについて、駐イタリア大使が、自らのタクシーで「ぼったくり」された体験をあわせて地元紙に投稿して改善を求めた。
 これを機に、イタリアでは「ぼったくり」料金をめぐる議論が続いている。フィレンツェには客の国籍によって料理の値段が違うレストランがあるという。仏、スペインは2割増、英国、カナダが3割増、米国、日本には5割増の料金を晴求するそうだ。決して日本人だけが「ぼったくり」されているわけではない。それが大使の投稿で表面化したということだろう。

 イタリア側の対応は早く、当該のレストランは創業150年の有名店だったが、ローマ市は即座に営業停止処分にした。観光相はそのカップルを再びイタリアに招待すると言う粋な考えを表明した。また、観光業界は「ぼったくり」をしないと誓った店やタクシーを認証する制度の導入を決めた、という。

 イタリアは国内総生産(GDP)の1割を観光が占める。世界文化遺産が43カ所もあるなど観光資源に恵まれ、政府は観光収入の倍増を目指している,観光に頼る国として、イメージダウンは致命傷になる。イタリアの矢継ぎ早の対応も注目されている。

 日本にはこんな事件があるか否かは知らないが、政府は外国人観光客を増やすために観光庁も発足させ力を入れている。我が国が外国人にとって魅力的な国になっているか??なかなか評価は厳しいようである。世界経済フォーラムが世界133カ国を対象に調査している旅行・観光ランキング09年版によると、日本は交通インフラや衛生面などの評価が高い一方で、「外国人から見た親しみやすさ』は131位と最低に近い評価だった。71位のイタリアは「ぼったくり」で評価が低かったのだろうか。

 (2)わが国の私立大学入学金関連のぼったくり
 私立大学が入学辞退者に入学時前納金を返還しないのはかつては当たり前のことだった。平成13年4月に施行された消費者契約法が成立し、大学が入学時前納金で暴利を得ているとの批判が表面化してきた。
 これで大学を取り巻く状況は一変した。

 大学の合格案内には「理由の如何を問わず、納付金は返還しない」と書いてあるのが一般的であった。しかし、入学しなうちになぜ入学金が、さらには授業料や施設利用料を払わなくてはならないのか、疑問を生じるのが当然であったが、社会的な声にはなっていなかった。2002年頃、「ぼったくり入学金・授業料返還弁護団」なるものが結成され、23大学、5専門学校を大阪地裁に提訴した。
 文部省は1975年に「授業などを受けていないのに授業料や施設整備費等を徴収することは国民の理解を得られない」と私大側に通知したが、強制力はなく効果はなかったようである。しかも、省は入学金については返還対象にしていない。
 しかし、少子化で受験生側が優位の市場になったいま、前納金頼みの経営体質を早急に改めなければ、生き残りは難しい。前納金を「ぼったくり」するような大学は市場から締め出されるだろう。

 私の知人は二人の息子の大学進学に際し前納金のうち各々20万円、100万円が戻ってこなかった、と言っていた。


6/16(火)快晴 外来 飯川病院
1:30起床,新聞・文献チェック、他。7:50徒歩飯川病院、8:45-12:45中通外来。書類作成。14:00-18:40飯川病院。BR disk視聴:「パンダの衝撃」、「星新一の世界:代表ミステリー5作」、「マサカメ:和菓子」、「久米書店:唐揚げの全て」観る。データ整理・新聞チェック。19:20帰宅、夕食、20:00就寝。Σ6604Km。

運転免許更新(4) 診断書提出(3) てんかんの場合・脳卒中の場合
 私は今年運転免許の更新をした。
 その際、私は脳梗塞の既往があったために、運転に関して支障がないことを証明する診断書の提出を求められた。

 私は、てんかんに関しては医師の証明が必要なことは理解していたが、脳卒中患者については知らなかったので現場でちょっと抵抗したが、これ以上押し問答をしていれもラチがあかないと思い、後日診断書を送ることで、免許の更新を受けた。診断書は郵送した。

 てんかん有病者に関しては2002年の道路交通法改正により、それまで運転免許取得が出来なかったてんかん有病者は医師の診断書提出を条件に運転免許の取得・更新が認められるようになった。

@過去5年以内に発作が起こったことがなく、医師が「今後、発作が起こるおそれがない」旨の診断を行った場合 、
A発作が過去2年以内に起こったことがなく、医師が「今後、○年程度は発作が起こるおそれがない」旨の診断を行った場合、
B医師が1年間の経過観察の後「発作が意識障害及び運動障害を伴わない単純部分発作に限られ、今後、症状の悪化のおそれがない」旨の診断を行った場合、
C医師が2年間の経過観察の後「発作が睡眠中に限って起こり、今後、症状の悪化のおそれがない」旨の診断を行った場合。

  日本てんかん学会は2012年に、大型免許や2種免許に関しては、一般の運転免許と異なる規定を定めることを求めた提言を行った。以下の2つの場合のみ免許交付を可能とすることを求めた。これに関してはまだ道交法にはない。

@過去に1回のみ非誘発発作があった場合は抗てんかん薬なしで5年の経過観察期聞に発作の再発がない、
A過去に2回以上の非誘発発作があったものでは、抗てんかん薬なしで10年の経過観察期間に発作の再発がない。

 しかし,てんかんに関わらない脳梗塞、脳出血などの患者においては.法的制限や学会などによる提言もない。ただ、道路交通法において脳卒中などの病気に伴い、安全な運転に必要な認知または操作のいずれかの能力を欠く場合は免許証の更新ができないことがある、と記載されている。しかし、実際にどの検査を行い,どの程度の問題であれば運転を行うことを控えるべきであるといった明確な指針はない。職業運転手の運転再開についても明確な判断基準や目安となる検査はない。

 私は運転に支障をきたすような明らかな後遺症をがなかったため、退院翌日から2年以上も車を通常に用いていた。事故もない。しかし、種々の後遺症を持った方は自己判断で運転開始するのは危険である。
 本来ならば運転再開の時点で,まず運転免許センターに行き適性相談を受け、必要に応じて適性検査を受ける必要があったことになる。その際,病状については医師の診断書が必要だったであろう。

 私は、脳梗塞罹患後2年以上経ってから診断書の提出が求められたわけであるが、事故防止の視点では免許更新時に病状をチェックするのは片手落ちである。一歩進めて、私は「一定の病気の罹患後に運転を再開しようとする患者」は、あらかじめ主治医の証明書や診断書を提出して判定を受けてはどうだろうか、と提言したい。


6/15(月)朝小雨のち快晴 健康クリニック 飯川病院
1:20起床,いつものごとし。データ整理ほか。7:30徒歩飯川病院着。9:00-11:00健康クリニック、ドック15名+結果説明?名。11:15飯川病院、14:00-18:45勤務。帰宅。19:10夕食、20:15就眠。BR disk視聴:「世界のドキュメンタリー:アイルトンセナ」、「日本人の活字離れ:ベストセラ−50」、「Cool J:日本人の時間感覚」、「漂流する難民:ロヒンギャ」観る。

東北六魂祭(2) 経済波及効果が約31億円というが、復興のために何の役に立つのか 
 第5回東北六魂祭が5月30、31日に秋田市であった。実行委員会会長の穂積秋田市長は経済波及効果が約31億円だったことを公表した。

 東日本大震災からの復興を願い東北の六つの夏祭りを一同に集結する催しで、2011年より東北6県都で持ち回り開催されてきた。今年は第5回目で秋田市に集結した。

 私は人が大勢集う会だから、その成功は念じつつも個人的には始めから関心がなかったが、ニュースによる2日間で予想超える26万人の人出があり、閉会式ではそれぞれが「心はひとつ、さらに前へ」の合言葉を胸に刻み、東北再生への誓いを新たにし、成功裏に閉幕した、と言う。
 祭りの成功は素直に喜びたい。

 ひねくれ者の感想は、東日本大震災と東北六魂祭の関連について、本当に東日本大震災の復興が念頭にあるエベントなのか?ということである。

 東日本大震災の復興はまだ道半ばであり、にもかかわらず震災の記憶は風化している、と思う。私はそう思っているが、私の判断は狭い範囲からしか得ていない。秋田県内では今なお多くの方々が住み慣れた土地を離れ、秋田県内での生活を余儀なくされている。この方々から意見を聴取してみてはどうだろうか。

 震災を語り継ぎ、東北の絆をより一層深めていけるのであれば、六魂祭の継続はそれなりの意義があるとは思う。しかし、東北六魂祭は回を重ねるごとにスポンサーが減り、今後の開催が危ぶまれている、と言う。スポンサーの確保困難は風化のため、と言う。
 開催地への経済波及効果は毎回かなりあったらしいが、私が調べた範囲では東北六魂祭が東日本大震災の復興になんらかの寄与した、と言う事実は確認できなかった。

 会場に復興資金のための募金箱でも置いて復興資金を募ったりしたのであろうか。


6/14(日)降雨 畠仕事 
 1:00起床、通常の作業、読書ほか。5:00朝の軽食、読書等読書等。トマト・キウリ鶴の整理と剪定作業、収穫一本。ダリアに殺虫剤。玄関先にヨシズ装着など。19:30夕食。20:30就眠。BR disk視聴:「題名のない音楽会」、「NHKのど自慢」、「らららクラシック:ウエストサイド」観る。5687Km。

地方創生2015(9) 高齢者の移住(2) せめて60歳代に、元気なうちに、考えて欲しい
 有識者でつくる「日本創成会議」は、先日、医療・介護の施設や人材に余裕がある秋田市やその周辺など全国41地域に、東京圏から高齢者の移住を促す提言をまとめた。

 またも衝撃的な提案を出してきた。
 私は「日本創成会議」の「ストップ少子化・地方元気戦略」、「高齢者の介護移住」の二つの提言は互いに矛盾している、と思う。少子化をストップどころか平均年齢をあげる。まさか介護老人は子供を産まないだろう。地方の活力は高齢者のお世話のためにマンパワーが取られ、低下する・・・などなど、逆効果である。

 ただし、この矛盾を解消する方法はある。
 それは「高齢者の介護移住」対象になる方々が蓄積した社会的な、公的な資源を本人と共にそっくり受け入れる地方に移すことと、この「介護移住」の方針のもとに高齢者を受け入れた地方には国が手厚い補助を行う、ことである。それならば、容認できる。

 東京圏で要介護になった方々、将来そのようになる団塊の世代の方々はその地域における生活者であって、社会貢献をし、納税もしてきた。その地域が負担すべき医療・介護・福祉の負担の原資もその地域に蓄積されている。それを本人とともにそっくり移せば受け入れた地域で有効に利用される。そうすれば「介護移住」は受け入れ地域にとって経済効果を生むことになる。また、東京圏から介護関連の職種のマンパワーが移ってくることも期待される。

 東京圏は出生率は日本一低い。
 自分で子育てをしないで、地方で大切に愛しまれ、費用をかけて育て、教育した若者たちを受け入れて、働かせて、税金を納めさせて繁栄している。地方の立場からは搾取である。地方が衰退するのも頷ける。
 それが、働かなくなったからといって、介護が必要になるからといって地方に戻すという考え方は、さらに搾取であり、いかがなものだろうか。一方的過ぎないか?

 いかに受け入れ体制があるからといって、移住する高齢者にすれば長年慣れ親しんだ場所から離れて暮らすのは決して簡単ではない。高齢者が秋田まで来て介護を受けるだろうか?

 介護保険の理念は「住み慣れた地域で安心して生活し続けるために」という理念があったはずである。これはどこに行ったのか?

 東京圏からの地方移住はせめて60歳代に、元気なうちに、考えて欲しい。


6/13(土)終日小雨 生と死を考える会  
1:30起床。文献新聞チェック、蓄積データ整理、その他。10:00-12:00にぎわい交流館「生と死を考える会:苦は楽の種」講演会。15:00-18:00来客ありネコ談義。19:30夕食、21:00就寝。BR disk視聴:「世界のドキュメンタリー:カラスとテバルディ」、「NHKのど自慢」、「偉人の最後の言葉:渥美清・手塚治虫」観る。5682Km。

地方創生2015(8) 高齢者の地方移住(1)
 有識者でつくる「日本創成会議」は、先日、医療・介護の施設や人材に余裕がある秋田市やその周辺など全国41地域に、東京圏から高齢者の移住を促す提言をまとめた。

 またも衝撃的な提案である。私は介護を要する高齢者を受け入れることは、地方の活力をむしろ落とすのではないか、と危惧しながら注目している。

 (1)この創生会議が昨年5月に発表した最初の「ストップ少子化・地方元気戦略」レポートは日本全国の自治体に衝撃を与えた。
 若年女性人口(20〜39歳)の減少率が50%を超えるか否かを基準にして、2040年には896自治体か「消滅可能性都市」、523自治体が人口1万人を切る「消滅可能性が高い自治体」になる、として地域を名指しで公表した。

 このレポートは、05~10年の入口勤態がそのまま延長することを前提にしているなど、データをそのまま受け入れることは出来ない内容である。無視はできないが、各自治体の「人口減対策」を評価していないなど問題もあり、それほど信憑性があるとは思われない。
 本当はわかりきっていた内容なのに、ここまで具体的に示されたことで、国や名が挙がった自治体に与えた衝撃は大きかった。この発表を機に一気に危機感が煽られ、政府は昨年「地方創生」政策を立ち上げ、各自治体に本年度中の地方版総合戦略と人ロピジョンの作成を急がせている。

 政府の政策は、地域産業の競争力強化、都市のコンパクト化などをあげているが、本当に過疎化に悩む地域の現状を改善する対策となり得るか疑問である。
 「地方消滅論」、「地方創生」についても、地域の実情をしっかり調査し、対策を研究することが求められている。
 創生会議の提言が示すように、若年女性人口(20〜39歳)の減少をいかに止めることができるかにかかっている。

 (2)二つ目にあたる今回の東京圏から高齢者の「介護移住」を促す提言である。
 埼玉、千葉、東京、神奈川の75歳以上の高齢者が今後10年間で急増し、この地域の中では医療・介護を十分に提供できなくなる。その解決策として、全国41地域に、東京圏から高齢者の移住を促す、と言う提言である。

 名を挙げられた地方の反応は様々である。
 佐竹知事は基本的には「歓迎する」としながら、地方の財政負担が増す可能性への懸念も表明した。
 都市部に住んでいた人が直接、秋田の介護施設に入所すれば、「住所地特例」が適用され、介護費用は東京圏の市区町村が負担する。しかし、秋田に移住し、いったん一般の住宅に暮らした方が秋田の施設に入る場合は特例の適用外となり、介護費用は受け入れた秋田の市町村が負担することになるからである。
 秋田市の穂積志市長は、首都圏で高齢者が増え、対応しきれないから地方に、という考え方には違和感を覚える、と表明した。首都圏から秋田市に高齢者が移住した場合、経済波及効果もある一方で、医療費など自治体の持ち出しも増える。秋田市のマンパワーの確保も課題になる、と指摘した。


6/12(金)午前晴れ夕方降雨 大曲中通病院 飯川病院ボランティア  
0:30起床,文献本読み、新聞チェックほか。5:45可燃ゴミ提出、7:40Taxi駅に。8:10こまち、9:10-13:10大曲中通病院外来、病院・駅間は歩く。14:45-16:00飯川病院ボランティア。生保関係スタッフ来訪。16:00降雨。19:00車夕食、20:00就寝。歩行Σ6578Km。BR disk視聴:「ガイアの夜明け:かまど炊きを超える」、「日本視察団:食の安全」、「大人の新常識」観る。

書評:「アル中病棟」吾妻ひでお  2013年10月 イースト・プレス (1300円)
 私は2008年春、吾妻ひでお氏のマンガ、『失踪日記』にはまった。アルコールのために社会から脱落していく様子を描いた作品。締め切りに追われる生活、厳しいホームレス生活、アル中病棟入院後の生活が表現されている。何度も何度も読み返した。私の逃走願望・逃避願望を満たしてくれているから、と思う。(2008年7月6日 書評:『失踪日記』)

 著者は1950年生まれ。69年にデビュー。『ふたりと5人』、『やけくそ天使』、『不条理日記』ほか、エロティックな美少女ものなど作品がある。私も氏の作品数冊を読んだが才能豊かな作家だと思う。絵が素晴らしい。若い女性がロリコン風に可愛く描かれており、この絵を見ているだけで飽きない。

 先日、失踪日記の続編にあたる『アル中病棟』が出版されたことを知り、早々に購入した。



 第1作には失踪に伴う厳しい生活とアル中病棟の中で体験したエピソードが丹念に描かれていたが、第2作は某病院の「アル中病棟」内の経験、社会復帰に向けての外出や外泊の経験が主となっている。禁断症状に見る変な生物や人々がふいにコマ内に現れたり、幻覚などの異世界観の表現もリアル。しかし、それらが落ち着き社会復帰が間近になるほど、作者は自信を失い、果たしてアルコールなしでやっていけるのかと、むしろ心理的重圧感はきつくなる。そんな心理状態が描かれている。

 私は、医師としてアル中患者の悲惨な生活実態、医療関係者に対する不遜な態度や要求など救急診療を通じて何度も経験し、対応に苦慮した。総合病院だったから手にあまる患者は精神神経科に依頼できたので、その先まで深く関与した経験はない。アル中患者専門病棟の実態、治療のプロセス、そこの患者の実態は知らなかった。
 恥ずかしながら、この漫画を通じて知った部分が少なくない。

 記述された内容は実話とのことであり、紹介されるのは壮絶な話ばかり。悲惨な話のはずなのに、笑える形にデフォルメされ、エンターテインメントに記述されている。
 コマの中の人物像は丁寧に描かれていて、描く人々はかわいらしくユーモラスに表現されている。特に、看護スタッフはいつも優しく笑顔で患者らに接している。

 うつとアル中の影響で、体調も良くなかったであろう時期に、よくこれだけの作品をまとめ得た、と感心する。すごい人だ。最近の作者の体調はどうなのだろうか。


6/11(木)快晴 外来 ドック総括 飯川病院
 0:30起床,新聞チェックほかデータ整理。いつものごとく。7:30徒歩飯川病院着。8:45-13:30中通病院外来、健康クリニックドックデータ判定。13:00- 19:15飯川病院、19:30帰宅、夕食、20:30就寝。 歩数計6569Km。BR disk視聴:「歴史列伝:青木昆陽」、「英雄たちの選択:大久保利通」、「ニュース英会話:オスプレイ横田に」、「ガイアの夜明け:かまど炊きを越えろ」、「巨大空母アイゼンハワー」、「ニュース英会話:オスプレイ横田に」、観る。

嫌音権2015(2) 車のノイズ
 私は自宅にいる時以外は支障のない限りヘッドフォンを頭に乗せている。何も聴かずノイズキャンセル機能だけを利用していることが多い。初老の私がヘッドフォンをかけて歩いている姿は異様らしく視線を感じるが、そんなことなんて気にしていられない。このヘッドフォンで騒音のストレスから大幅に解放された。とにかく世の中は騒さ過ぎる。

 今夏から直射日光を避けるために帽子を被ることにした。そのため、やむなくノイズキャンセラー機能付きヘッドフォンを止めて通常の機能のにしたが、改めて巷の喧騒に連日閉口している。

 私が悩む騒音の際たるものは車から発する音で徒歩通勤だから大変である。走行時のタイヤ音、トラック、バス等のディーゼルエンジン音、自分の車の音も無視できない。トイレのジェットタオル、私の除雪機の音なども考えてみればひどい。次はスピーカーから発せられる音である。駅の放送、新幹線内の放送はもっとボリュームを下げて欲しい。案内が親切すぎる。大曲駅の新幹線が出発する際の民謡は耐え難い、やめて欲しい。TVはがなりたてている。画面があるからもっと静かでいい。

 私は秋田に転居してから最初の住宅は道路の騒音に悩んだ。秋田市土崎港の街のど真ん中で、街のメインストリートに面しており、24時間自動車の騒音に悩むこととなった。週末、特に窓を開放する夏場には耐え難いものがあった。転居した2番目の住宅も私にとっては満足できなかった。最終的には静寂な場所に自宅を建てた。袋小路となっていて条件は良くないが、車が通過することはない。周りの住宅とも距離があり物音も聞こえない。早朝には庭先から野鳥の声が聞こえる。騒音からは解放されたが、アクセスが悪く、冬季間は除雪に悩むことになった。

 車のノイズについては何とかならないかと考え、ほとんどエンジン音が聞こえなかったことでロータリーエンジン車を用いていたこともあった。現有のプリウスもエンジン音は低い方である。

 車の騒音について驚いたことがある。
 40年ほど前のことであるが、山形の学会出張の際にちょっと足を伸ばして朝日連峰?の一角に登ったことがある。素晴らしい景観を得たが、なんか妙な不規則な音が持続的に聞こえていた。数キロ先にかすかに道路が見え、走る車は点のように見えたが、この音はそこからの車の走行音であった。途中に遮るものがないために聞こえてきたものと思われた。ここまで車の音が聞こえるのか!! 現代社会では車の騒音から解放されることはないのか、と落胆した。

 夏の間は騒音に悩みそうである。大曲駅ホームの民謡に関しては先頭車に乗ってホームから早く立ち去ることで解決した。道路の車のノイズだけは、今のところ諦めるしかなさそうである。

 今年も機会があれば嫌音権を主張していきたいが、騒音を気にする方々は驚くほど少なく、支持は得られないだろうと諦めの気分である。


6/10(水)曇りのち快晴 外来 飯川病院ボランティア
1:00起床,新聞チェックほかデータ整理。7:30徒歩飯川病院着、8:45-13:45中通病院外来、やや混雑。14:00-18:30飯川病院ボランティア、バス帰宅。19:10夕食、20:30就寝。歩数Σ6560Km。BR disk視聴:「BS世界のドキュメント:トロイカの功罪」、「世界一受けたい授業:4/18、5/16」、「日本の話術:米朝」観る。

嫌音権2015(1) 通常のヘッドフォンにし、改めて、巷の騒音に悩む
 私は音・光に敏感で、静寂・暗がりを好む。
 音に関して言えば、予期しない大きな音、爆発音をはじめとして、茶碗をテーブルに落とした程度の音にも反応して飛び上がりそうになる。予期できる音、花火などは大丈夫である。自然界の音は基本的には問題ない。雨の音、暴風雨、雷鳴などは、むしろ好んで録音したりして楽しんでいる。
 また、身体から発する、例えばハナをすする音などにも異常に反応し、鳥肌が立つなど不快な気持ちになる。とても一緒のところにはいられない。発生源の人には嫌悪感を通り過ぎてその無神経さに憎悪感すら抱く。

 人工的な音は総じて耐え難くうるさい。

 騒音は私の悩みの一つであったが、2005年5月にノイズキャンセラー付きのBOSEヘッドフォンQuietComfort2の存在を知り、早速購入した。私が求めるほどの静寂が得られるわけではないが、他に方法がない。それ以降、手離せない道具となり、日常生活の中で人の目も気にせず、支障のない範囲で用いてきた。4年間休みなく酷使したBOSEが壊れたので、2008年12月にソニーのノイズキャンセラー付きNDR-NC500Dを購入し、現在に至っている。

 耳全体を覆う密閉型のヘッドフォンは夏は暑くて汗まみれになって大変だったが、冬は防寒効果もあって重宝した。
 
 最近、強い日照りの際には額のあたりに軽い日光皮膚炎の傾向が出てきた。多分服薬との関係もあるだろう。そのために外での作業時には帽子を着用するようにした。すると通常の形のヘッドフォンはヘッドバンドが邪魔になった。さりとてイヤフォンタイプはイヤである。

 それで、夏の間は帽子をかぶるのに支障がないような後頭部で支えるネックバンド式にした。このタイプのノイズキャンセリング機能付きはないので、代わりに低い音量でラジオ深夜便、音楽などを流している。
 
 ノイズキャンセラー付きヘッドフォンを止めてから改めて巷のうるささに連日閉口している。


6/9(火)風強い降雨 外来 飯川病院
0:30起床,いつもの如く。徒然など。5:00可燃ゴミ提出。7:10バス病院着。8:40-12:30外来、13:00飯川病院、14:00-18:30勤務。19:00夕食。新聞、文献読み、20:30就寝。歩数計6550Km。BR disk視聴:「そこまで言って委員会」、「ブッシュ大統領が語る9.11」、「昭和は輝いていた:スパーク三人娘後半」、「プライムニュース:財政再建」観る。

「爆笑お笑い祭り in 能代」(2) 私もひさびさ舞台に登る
 昨日6月7日、能代で「爆笑お笑い祭り in 能代」なる催しものがあったので見に行った。

 開場の能代市文化会館大ホールは1200席程度とのこと。開場はam11:00、開演は11:30。客の入りは大体半分くらいだろうか。著名な出演者を揃えた割には入場者が少なかった。
 もっとも、公演は2部構成で14:00開演の午後の分もあったから、午前の部がガラガラだったのは当然でもある。「朝っぱらからお笑い公演など聞いていられるか・・」、と考えるのが普通だろう。私は往復の時間、午後の予定などを考慮して午前の部にしたが、秋田なら午後の部だろう。

 不思議な現象があった。新しい技術なのだろうか。
 「日本エレキテル連合」公演で途中10分間だけ写真撮影が許された。わざわざ時間を区切って撮影可としたところで、カメラをこっそり向ける客がいれば意味がない。しかし、私のiPhoneで見る限り、その時間帯は通常に像を結んだが、それ以外の時間帯は舞台上の人物は真っ白にしか写らず、写真の用をなさない状態となった。この時も舞台下の客席は通常に写っていた。また、舞台上の人物も私の目には通常に見えていた。
 多分、舞台上には赤外線光源を用いた不正撮影防止装置がセットされていたからではないか、と思った。



(舞台上の被写体は真っ白に、客席は通常に写った)

 「日本エレキテル連合」は客席を周り、客を巻き込んでのギャグを飛ばしたのち、観客から4人を選んで舞台上にあげ、「いいじゃないの・・」、「ダメよダメダメ・・」のミニ演技をやらせることになった。小学生2人は素直に上がったが、そのご指名されたお二人の高齢の方は頑なに固辞し、腕を引っ張られてもどちらも上がろうとしなかった。3番手に私が指名された。私は同様の経験は前にもあったので素直に応じ舞台に上がった。4番手の30代の男性もうじうじしていたが傍の奥さんに押されて何とか上がってきた。かなり照れていた。秋田の男性は引っ込み思案が多いようである。

 私は10数年前に日本人間ドック学会の一般公開特別講演で、女優の由美かおる氏による西野式呼吸法の講演を聞いた。途中で最前列で聞いていた私を指差し、一緒にやりましょう、と誘ってくれた。その時はちょっとビビったが舞台に上がり数分間彼女の指導で呼吸を整える練習をした。いい経験であった。
 だから、私は今回は全くビビらなかった。ちょっとした演技であったが、マア無難にこなし、その記念品として200Wのサイン入りの電球をもらった。能代市文化会館の使用済電球にサインをしたものである。
 これ以降もうこんな機会はないだろう。

 お笑いの会は通常はTVで見るが、TVではアップで演者の表情は見える利点があるが、客席を含めた全体像が見えない。これはTVの弱点でもある。このような機会があれば、今後も公演を直接見たいものである。  


6/8(月)晴れのち曇り 健康クリニックドック 飯川病院
1:30起床。蓄積データの整理。本読み。7:30徒歩、旭川のコイ、千秋公園ハトにも餌まき。7:30飯川病院。9:00-11:00 健康クリニックドック。書類処理等。12:00飯川病院、14:00-18:45勤務。病院花壇に散水他。BR disk視聴:「終戦70年:ホロコースト関連前後編」、「100分で名著:荘子」、「探検バクモン:雑誌編集大人編」、「プライムニュース:財政再建」観る。19:30夕食、20:30就眠。Σ6543Km。

「爆笑お笑い祭り in 能代」(1) ひさびさのお笑い公演
 昨日6月7日、能代で「爆笑お笑い祭り in 能代」なる催しものがあった。私は飯川病院の日当直も当たっていなかったので行ってみることとした。最近メガネをやめたのでバードウオッチング用の双眼鏡を持って行った。これが正解であった。会場の能代文化会館の脇には何度も行ってみたくなる様な、魅力的な私立図書館があった。

 当日の出演者は「日本エレキテル連合」、「ヒロシ」、「ウエストランド」、「響」、「コウメ太夫」。
 私が最も興味を持ったのは「ヒロシ」、次いで「エレキテル」。他は当日初めて知った芸人達である。

 「ヒロシ」については2004年12月の秋田大学心臓血管外科教室の忘年会の席上で若手の医局員が余興で演じて見せたが、これが私に似ている雰囲気でとってとても印象深かった。その後にTVで数回見たが、そのうちに見る機会がなくなった。その数年後、「ヒロシです!!!! ついに絶滅芸人候補のリストからも抹殺されました・・・」と述べた後、本当に見ることはなくなった。それが、能代に来ると言うので楽しみにしていた。
 真っ暗闇の舞台に登場、かつての雰囲気を再現した。
 落ち目の芸人をネタにした多くのギャグを聞かせてくれたが、「ヒロシです!!!! 全盛期には『私は一生あなたのファンで居続けます。頑張ってください』、と書かれたファンレターが月にダンボール3個分も届いたが、最近は3枚しか来ません。あの方達はもう全員お亡くなりになったのでしょうか・・」が笑わせた。
 明るい舞台でも芸を披露してくれたが、そこで見る彼の表情は、はにかみ屋の、世を拗ねている、人と付き合うのが苦手な青年、といった雰囲気を上手に醸していた。彼のは演技でなく彼そのものなのかもしれない。私は自分を見るような感じで見入った。
 これほどの個性的な演技で一大ブームを起こした彼が、今後どう新境地を開拓して変化していくのか、興味がもたれる。このままでは本当に消えていくかも。心配である。
 
 「日本エレキテル連合」は2014年新語・流行語大賞を受賞して知ったが、まさか「ダメよ、ダメダメ」だけで持ち時間を維持するわけではないだろう、それはなんだろうか?そこに興味を感じた。
 実際、言葉だけではないパントマイム調の演技も良かった。デカイ方の、白いストッキング姿の下半身はエロチックではない、美的な魅力があった。この方達の素顔はどうなっているんだろう。

 漫才コンビの「ウエストランド」の片方のメンバーの前歯は前後に4枚並んでいるという。髭剃りの二枚刃の様なものらしい。大きく口を開け、客席を回って見せてくれたが、双眼鏡を覗いている私を目ざとく見つけ「あっちに双眼鏡で覗いているお客さんもいます・・・」と笑いを取っていた。軽妙な、スピード感あふれる漫才を披露した。

 漫才コンビの「響」は相方の一人は低い身長の超デブの女学生姿が売り物らしい。容貌も迫力があった。その特徴を生かした軽妙なギャクで沸かせた。超デブの方は九州地方でラーメン屋2店舗を持つ社長だという。しかし、彼の健康状態については気がかりである。

 「コウメ太夫」は前半は白塗りの中デブ調のおいらん?姿で笑いを取り、後半はその衣装を取り、M・ジャクソンを模した姿で激しい動きのダンスとムーンウオークを披露した。なかなかの技術を持っている芸人だと思った。

 私にとってお笑いの舞台は、2013年6月7日のABS秋田放送開局50周年記念の笑点収録以来であるが、今回も十分に楽しめた。


6/7(日)快晴 爆笑お笑い祭り in 能代 
1:30起床。本読み、文献チェック。5:00畠に、今年も枝豆失敗か、芽がでない。花壇の鉢植えレイアウト変更、散水など。9:30能代に。11:30-13:30文化会館で「爆笑お笑い祭り in 能代」へ。エレキテルから指名され舞台に上がる。次男一家離秋。畠と庭に散水後、庭掃除。NHKスペシャル「恐竜絶滅 哺乳類の戦い―後編」観る。20:00軽い夕食、21:00就寝。Σ6535Km。BR disk視聴:「NHKのど自慢」、「題名のない音楽会」、「らららクラシック:モーツアルト」観る。

財政再建2015(2) 我が国の借金体制は明治政府から
 今年6月8日の時点で、国の借金は約1053兆円に増えた。単純割りすると、国民一人あたり約817万円になる。諸外国の借金と構造が異なるとは言え、これでは国際的な日本の評価も低下しかねない。これはなんとかしなければならない。しかし、私はわが国では政治家も国民も借金に対しての危機意識が乏しいのではないかと感じている

 赤字国債の歴史を見ると、1973年の第1次石油ショック後の不況で大幅な歳入欠陥が発生した。その穴埋に三木内閣の蔵相だった大平は10年ぶりに赤字国債2兆円余の発行を決断した。大平は自らこの決断を責め続け、赤字解消のために一般消費税導入に向かった。大平は首相在任中、消費税を導入しようとしたが、反対にあって断念。初の衆参同時選挙の最中に急死。大平はその慎重ぶりから「鈍牛」と鄭楡されたが、主義主張には筋の通っていた政治家であった、との評価は高い。
 大平亡き後、赤字国債の発行はタガが外れた。足元の景気にこだわるあまり、不況になると国債の増発を繰り返した。社会保障費も借金頼みで、気がつけぱ、借金残高が孫・子の時代まで覆いかぶさるほどになっている。
 
 我が国の借金依存は、いまに始まった話ではない。
 近代日本の歩みを始めた明治政府も借金まみれだった。維新の2年後に100万ポンドの日本国債をロンドン市場で発行して鉄道建設資金を調達したのを皮切りに、3年後には公債条例を発布し、課税のための国会審議を経ないままの資金調達が無尽蔵にできた。そのために勝ち目のない戦も始められた。
 東郷提督がロシア・バルチック艦隊を破り、乃木希典大将が203高地で辛勝した日露戦争も、高橋是清蔵相がユダヤ人資本家らから借金できなければ国を維持できなかった。

 借りたカネで国を維持しても、戦争に勝てば正論となる。そのため悪弊は改まらず、むしろ借金依存は強まっていった。日中戦争、米英との戦いも借金で賄われた。結果として敗戦時、日本の信用は底をつき、悪性インフレにより国債はほぽ紙切れ同然になってしまった。

 戦後財政は、借金を繰り返すという悪弊への反省から始まった。財政法に日本銀行による国債直接引き受けを禁じる条項があるのもこのためだが、1973年の第1次石油ショックの時期まで、こうした規律は守られたが、その後の政権は前政権に習えとばかり、赤字国債を発行し続けている。

 ここまで至ってしまった今では、財政健全化が必須であり、さりとて実質的に減らしていくのは困難で、借金の伸を抑制していくことなのだと思う。そのためには国民に我慢を求めることも必要であろう。


6/6(土)快晴・風 歯の治療 庭の草刈り
1:00起床、文献検索整理など何時ものごとし。夜間に網戸開き5匹の子ネコ失踪。5:00畠に出る。この数日風が強くて苗が心配。散水。10:30-11:15歯科治療。午前午後とも庭草刈り。腰痛・頚痛。BR disk視聴:「NHKのど自慢」3回分、「題名のない音楽:ブラームス、ヴィオラの音楽、大竹しのぶ魂の熱唱」観る。19:00夕食、庭で。20:00早々に就寝。Σ6525Km。

財政再建2015(1) 経済成長と財政債権は両立するのか
 今年6月8日の時点で、国の借金は約1053兆円に増えた。単純割りすると、国民一人あたり約817万円になる。国は税収だけでは毎年の予算を賄えないため、国際を発行してお金を集めたり、金融機関から借てなんとか国を運営している。

 国債も色々な種類がある。予算の財源が足りない分を補充するのが「普通国債」で、借金の約7割を占める。ほかに為替介入などの資金として活用する「政府短期証券」、「財政投融資特別会計国債」も100兆円ほどある。

 何で我が国の財政運営がこんなことになったのか?
 国の借金は、バプル経済が崩壊した1990年代から、急激に増えた。国内の景気が悪くなって税収が減る一方だったので、公共事業などの支出を増やし景気を下支えしようとしたから、と言えよう。

 この政策は極めて重要な課題である。現実は、今後も高齢化等で年金や医療・介護にかかる予算が増えて行く。困難であるが支出抑制と景気の維持を両立させなければならない。
 国は、国債に利子を払い、満期には返さねばならない。利払いは決して少なくない。今年の予算約96.3兆円のうち利払い費などが約10.1兆円も占める。
 我が国の借金の多くは国内の資金から借金していることから、ほかの国の財政問題とは大きく異なっている。だから、それほど心配ない、という見方がある。そのためか、財政健全化の議論は二の次になっている様な気がしてならない。もし、金融機関などが「国は借金を返せないのでは??」とみなしたら、新たな国債の買い手がいなくなり、日本の財政は成り立たなくなる。

 ここまで至ってしまった今では、財政健全化が必須であり、そのためには、支出を減らす一方で税収を増やすと言う二面操作が欠かせない。車の安定な走りのためにアクセルとブレーキを同時に踏む様な操作である。
 
 その中で、今できることは消費税を8%に上げたばかりなので、歳出改革を考えていかなければならない。社会保障、年金医療介護の面は、現在50兆円であるが、2025年には70兆円に増える。団塊の世代が一気に高齢者になるからである。
 
 さりとて実質的に減らしていくのは困難で、伸び率を抑制していくことなのだと思う。 
 日本の最近の税収7.2兆円ほどの伸びのうち、消費性増税が4.2兆円で、経済成長による増税は2.8兆は少ない。我が国の景気の向上は資本主義の爛熟による限界を抱えているほか、景気は国際経済との兼ね合いで決まってくる。言ってみれば水物と言える。

 こんな状況においてはさらなる増税、消費税10%も視野にあるが、経済に及ぼす影響、現政権に及ぼす影響が大きいために俄かにはできない。だから、歳出削減が重要である。

 私は歳出削減に関する議論がとても少ないと思う。


6/5(金)曇り後晴 大曲中通病院外来 飯川病院ボランティア 次男一家来秋  
1:00起床。文献、新聞など読む。5:00ゴミ出し、7:40Taxi、8:10こまち。大曲は晴れ、往復徒歩。9:10-13:10大曲外来。13:37こまち。14:15-18:30飯川病院ボランティア。秋田銀行、生命保険スタッフ来訪。19:10帰宅・夕食、次男一家来秋。20:00早々に就眠、Σ6520Km。BR disk視聴:「BSドキュメント:偉大なるEU連合 未来からの警告(後半)」、「歴史列伝:フジヤマのトビウオ」、「タイ日本ブーム」、「知恵泉:長宗我部元親」。

運転免許更新(3) 問診と診断書提出(2) 更新免許証の有効期限
 私は今年運転免許の更新をした。

 私は運転免許センターで自分の病状を聞かれ、診断書提出を求められたが俄かには納得がいかなかった。しかし、調べてみれば、私が無知だった。

 平成26年6月から交通法の改正の中に「一定の病気に係る運転者対策」という項目があった。公安委員会は、免許の取得・免許証の更新をしようとする者に対して、一定の病気の症状に関する必要な質問ができる、とある。この背景はアルコール症、高齢者や睡眠時無呼吸症候群、シンナーや危険薬物の吸引者による重大な交通事故の話題が急増していることから理解はできる。

 ただし、関連する病名であっても、運転に支障を及ぼすおそれがなければ、免許更新や取得には対象とはならない。それは個別に判断されることになるがそのための診断書提出が求められる。私は少なくとも私は「再発性の失神」者ではないが、そんなことを現場で係員に主張しても通らない。

 現場での説明の中で、交通法規の改正によって、という説明があればより納得しやすかったと思う。
 一歩進めて、私はできることであれば免許更新の現場での確認ではなく「一定の病気の罹患の既往や状況」にあって通院中の患者は、運転免許取得や更新に際してあらかじめ主治医の証明書や診断書を提出するようにしてはどうだろうか、と思った。

 もう一つ、高齢者講習の際に70歳以上の高齢者の運転免許はゴールド免許であっても有効期限が3年と聞いていたが、私が渡された新免許証は5年のゴールド免許であった。講習会ではブルー色の免許証を基本に説明したのかもしれない。

 ゴールド免許は1994年の5月に道路交通法改正で導入された。ゴールド免許は、免許経歴が5年以上で、更新前の5年間に点数の付く事故・違反がなかった運転者に交付される。ゴールド免許証であっても失効した場合は対象外となる。優良運転者であれば更新時の講習が30分、一般講習の場合は1時間の講習であるが、高齢者講習を受けている70歳以上の更新者は講習が免除される。
 そのため私は診断書の件で多少の時間を要したが、視力検査、写真撮影の後は15分ほどで新免許証を受け取ることができた。

 今回の運転免許症の更新は高齢者講習会受講、診断書提出などと思いがけないことが続いたが、お陰でいろんなことを学び得た。


6/4(木)早朝降雨午後快晴 外来 人間ドック判定総括 飯川病院 
 0:40起床。いつもの如く文献、新聞など。6:45降雨プリウス飯川病院着、8:45-13:10外来、人間ドック判定総括。14:00-18:30飯川病院、花壇に散水。19:00車帰宅、19:10夕食、20:30就眠、6512Km。BR disk視聴:「BSドキュメント:偉大なるEU連合 未来からの警告(前半)」、「NHKsp廃炉への道 燃料デブリの取り出し」。

運転免許更新(2) 問診と診断書提出(1) 
 私は今年運転免許の更新をした。

 70歳以上の免許の更新者は自動車学校で高齢者講習受講することが必須で、私は4月10日に終了、立派な終了証書を頂いた。
 どうせ更新時に召し上げられる修了証である、こんな立派なのは不要である。免許証に添付するシール程度のものでいいのではないか。
 
 5月20日午後、県の運転免許センターで更新手続きした。

 その際、問診コーナーに案内されて疾患の既往歴や身体状況についてチェックを受けた。私は脳梗塞の既往があったためにその部分にチェックを入れたが、そのために運転に関して支障がないことを証明する診断書の提出を求められた。

 私はその場では俄かには納得がいかなかった。私は多数の高齢者の診療に携わっているが、今まで運転免許証更新に関して診断書を求められたのは「てんかん」、「認知症」のみだったからである。私はこのどちらでもないから診断書提出の求めの意味が理解できなかった。係員からも、少なくとも法的な背景の有無についての説明はなかった。その説明があれば納得しやすかったと思う。

 調べてみれば、私が無知だった。

 平成26年6月から施行された運転免許に関する道路交通法の改正の中に「一定の病気に係る運転者対策」という項目があった。それによると、公安委員会は、免許の取得・免許証の更新をしようとする者に対して、一定の病気の症状に関する必要な質問ができる、とある。

 自動車等の運転に支障を及ぼすおそれのある一定の病気として、以下が挙げられている。
 ??統合失調症
 ??てんかん
 ??再発性の失神
 ??無自覚性の低血糖症
 ??そううつ病
 ??重度の眠気の症状を呈する睡眠障害
 ??認知症
 ??その他自動車等の安全な運転に必要な認知、予測、判断又は操作のいずれかに係る能力を欠くこととなるおそれがある症状を呈する病気
 ??アルコール、麻薬、大麻、あへん又は覚醒剤の中毒

 ただし、上記に掲げる病気にかかっていても、自動車等の運転に支障を及ぼすおそれのある一定の症状を呈するものでなければ、免許取得の可否又は行政処分の対象とはならず、病気の症状や程度により個別に判断されることになる。

 だから、私は無知だった、ということになるが、私が上記項目のどの項に相当するのだろうか。敢えて言えば「再発性の失神」??と言うことだろうか。少なくとも私は「再発性」ではない。


6/3(水)曇り・午後より降雨 外来 人間ドック判定総括 飯川病院ボランティア
 0:10起床。新聞・文献読みとデータ化etc。5:00畠・花壇散水、プランターに朝顔植えた。7:30徒歩飯川病院着。8:45-13:30中通病院外来。人間ドック書類処理一部のみ。14:30-18:40飯川病院ボランティア。BR disk視聴:「Cool Japan:日本の木」、「バクモン:漫画雑誌出版の現場」、「オイコノミア:子育ての経済学」、「世界発見:ラーメン」、「経済成長と財政再建」。19:00帰宅、夕食、20:30就眠、Σ6508Km。関西以南は梅雨入りとなる。

千秋公園のハト2015(2) 仲間の死のショックか
 数日前、千秋公園のハトに餌を与えようとしたが、樹木や電柱、電線に20羽ほどのハトがとまっていながらいつものようには私の周りに集まってこない。こんなことは初めてである。

 見ると車道を挟んで反対側の歩道上、いつもならここにもハトがたむろしている場所であるが、ハトの死骸と思われる物体があった。おそらく車にでも跳ねられた、あるいは轢かれたものらしい。周辺には羽毛が散在し、ほとんどハトの原形を保っていなかった。比較的新しい死体と思われた。

 私はこの仲間の死のためにいつもと行動が違ったのだろうと理解した。自分たちの目の前で起こったことでハトたちはショックを受けていたのではないだろうか?

 鳥類の中でもハトは知能程度が高いと考えられている。そうは言っても本当にそんな現象が起こるのだろうか?
 仲間の死体が転がっているその場所に降りることを嫌がったのかもしれない。
 
 翌日、すでに死骸は跡形もなかった。が、それでもハトは寄ってこなかった。だから、単純に死体があるということだけではなさそうである。
 三日目、本日の朝であるが、やっとハトが餌をついばみに来た。

 私が育った田舎は農村地帯であった。農作物が、果物がカラスによって被害を受けた。追った直後こそ姿が見えなくなるが、人がいなくなるとすぐに戻ってくる。そんな繰り返しであった。
 しかし、四六時中カラスを見張っているわけにいかない。 
 そんな時に農家の人たちはカラスの死骸を畑の目立つように吊るしてカラス除けにしていた。実際にどんな方法でカラスを捕獲していたのかはわからないが、畑の所々に吊るしてあったからかなりの数を捕獲していた、と思われる。確証はないが空気銃だったのかもしれない。
 死体を吊るしておくことでカラス除けの効果はどれだけあったかは具体的には知らないが、昔からやられていた方法だから効果はあったのだろう。現に、日曜大工の道具などを扱う大型店で本物そっくりのカラス死体人形が売られているのを見たことがある。こんなのが売られるほど、カラスの害は深刻である。

 仲間の死体が、あるいは死そのものがハトの行動に影響しているらしいことを見て、昔のカラスの逆さ吊りのことを思い出した。


6/2(火)快晴 外来 飯川病院
1:00起床。新聞・文献入力、データ整理etc。5:00可燃ゴミ提出。7:25徒歩飯川病院着、8:45-12:30中通外来、14:00-18:30飯川病院。花壇にヒマワリ植える。19:00帰宅、夕食、20:30就眠、BR disk視聴:「哲子の部屋:哲学」、「未来世紀:トルコの現状と日本」、「アメリカ群を率いた将軍たち(前)」、「世界発見:ラーメン」。19:00帰宅、夕食、20:30就眠。歩行計Σ6499Km。

千秋公園のハト2015(1) 餌やりは私の楽しい日課
 2012年春、その頃はドロップハンドルの自転車で通勤していたが、たまたま近道をした時に千秋公園、旧県立美術館前に腹を空かしている様子のハトが20羽ほどいた。コイ用のエサを残してあったのでそれをハトに与えた。嬉々としてついばんだが、その様子を見ていて、伝書鳩を飼育していた頃のことを懐かしく思い出した。あまり喜ぶものだから、病み付きになって出勤ルートを変え降雪期を除きほぼ毎日餌を与えていた。

 餌は病院の給食から貰った残りご飯をストーブの上で乾燥して作った乾燥米である。

 2013年3月から徒歩通勤にした。コースは千秋公園のお隅櫓脇を通って公園を横切るコースが標準である。ハトは私を認識してサッと周囲に集まってくる。歩いて近づくもの、電線や木々の枝からも、上空を飛んでいたハトも寄ってくる。ハトの着地は以外と下手である。集まってくるハトは毎朝異なるが20−30羽。姿はやさしげで2割ほどは日本伝書鳩協会の登録足環をはめた個体である。明らかに私を認識し四方から寄って来る。いまの私にとっては友人と言っていい。時にはカモメ、カラス、スズメも集まってくる。


(たまにカモメも寄ってくる)

 とても楽しいひと時なのだが、これも徒歩通勤スローライフの一つである。
 私は小学4年から高校3年まで伝書鳩を飼った。活発で、優雅な身のこなし、飼い主に親しみの表情で近寄ってくるハト達に心を動かされた。ハトを飼っている人は「鳩バカ」と呼ばれるほど熱中する。私も自称その一人で、私はハトを介していろいろな経験が出来た。

 ウイークデイの4日間、週末の日直出勤の時のこの餌やりは2年以上も続き半ば習慣となっているが,ハトたちにとっても同様である。時に、急いで家を出たために餌を忘れることがある。こんな時にはハトたちの前を気の毒で通れない。「朝顔に つるべとられてもらい水」と言う句があるが、こんな時は私は「ハトポッポ エサを忘れて遠回り」、である。餌を忘れた朝はこのコースは通過出来ない。ハトの期待は裏切れないからである。遠回りになるが秋田脳血管研究所側におりて病院に向かう。


6/1(月)快晴  健康クリニック 飯川病院
0:10 起床。新聞チェック他資料整理、バックアップetc、いつもの如し。5:00畑、庭に散水等。7:30徒歩飯川病院着。9:00-11:30健康クリニック。13:00飯川病院、入院患者対応と外来レセプトチェック。嫌な業務だが月に一度のこと止むなし。BR disk視聴:「独裁者スターリン」、「サイエンスゼロ:新ガン治療、免疫療法」、「池上彰:ドローンほか」、「事件の裏側の偉人:浅間山荘事件」。19:00帰宅、夕食、20:30就眠。歩行計Σ6490Km。

退職5年目初日:「とらわれず、自由に」生きる ボランティアも続けている
 本日は退職5年目初日となる。
 今も中通総合病院で嘱託医として働いている。

 本年度は外来は火、水、木曜のみとなり、入院は原則的に担当しない。月曜午前は法人の健康クリニックで外来ドック、金曜日は午前午後とも大曲中通病院内科外来を担当している。

 午後は近隣の飯川病院で月、火、木の午後18:00まで勤務。実際には院長の補助の為に水、金曜の午後もボランティアで診療を手伝っている。帰宅は当直医の来院を待って19:00前後になる。朝は7:45前後から飯川病院の医局で過ごしてから中通総合病院、健康クリニックに出勤している。

 法人・病院、スタッフ達とも徐々に疎遠になっている。
 「組織に年寄りは不要」は私の持論でもあり、「私の社会的使命は終わっている」と自認しているからこれで良い。自ら線引きすべき時期も近い。それは私が望むところでもある。
 本年4月1日から私の代わりを担う医師が赴任している。だから水曜の外来から抜ける準備を進めている。外来患者を減らし、半年から1年かけて徐々に患者を新しい担当医に移していく。

 午後、飯川病院の勤務とボランティアはあるが、業務は院長と分担しているのできつくはない。この時間帯、週末の休日は素晴らしい時間である。やりたい事がいっぱいあって,学びたい事もあって、無為には過ごせない。

 兄が死去し、岩手の郷里とのつながりはほぼ切れた。私の祖父母、父母の墓が残っているだけである。
 私は宮古に2年間暮らした。だから、東日本大震災には今でも心を痛めている。震災直後、秋田の地に居て何も出来なかったのが歯がゆかった。その年に退職したが、これ以降なんらかの形で復興に参加しようと考えた。しかし、私が現場に出かけても殆ど役に立てない。さいわい退職後も嘱託医として診療を続けることができたので、毎月その報酬の一部を岩手県の復興資金に送り続けている。それも5年目を迎えた。私の中では東日本大震災は少しも風化していない。

 診療以外では誰かと会話を交わすようなことはほとんどない。ほぼ引きこもり状態であるが、とても楽しい日々を過ごしている。
 まあ、この調子で本年度を無事過ごせれば最高、である。 


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   年を通じてワンパターンで淡々とした毎日です。AM2:00-5:00にメールチェック・返事送付、人間ドック(HDD)判定・報告書作成、新聞切り抜き、病院・医師会業務など。
  月〜土曜は6:00頃出勤、HDD報告書印刷、外来書類処理など。病棟回診、HDD受診者とミーティングと診察。8:45-14:00外来とHDD受診者に結果説明。昼食は摂りません。午後は病院業務・医師会業務、各種委員会等に出席など。20:00頃帰宅。
  日曜・祭日もほぼ同様ですが、病院には午後出かけます。時間的に余裕無いのが悩みです。


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