徒然日記
2015年4月分

 日記と言うより、自分の行動記録からの抜粋と日々の雑感です。

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4/30(木)快晴 外来 飯川病院
 1:30起床。文献チェックその他いつもの如し。8:00徒歩千秋公園経由病院。ドックの総括仕上げる。8:45-13:30外来+新入院回診他、14:00-19:00飯川病院。19:30夕食、20:30就寝。BR disk視聴「プライムニュース4月22日:A/A会議 安倍演説と日中会談」、「伝記の奇襲作戦:サン・ナゼール強襲」。

イヌ・ネコはペットにあらず?(6) 飼い主の終活 ペツトたちへの配慮
 イヌ?ネコとの同居は、ある人にとっては掛け替えのないものとなっている。たかがペットなどと言おうものなら切れる人もいる。イヌ?ネコは生活のパートナー、さらに家族の一員とまで称されるようになってきた。人それぞれでいいのだが、私はこの傾向を是とするものではない。

 飼い主の終活の一環として、自分亡きあとのペットのことを心配して、飼育・管理を信託銀行などに任せる「信託」の仕組みが注目されている。
 某新聞の記事によると、奈良県の自営業の女性(60)は昨年11月、4歳の飼いネコの世話を信託会社と契約した。ネコの余命を12年とし、約300万円を信託会社などに払った。女性は離婚し、子どもはいない。帰宅すると、すり寄ってくる猫に話しかけると生きがいを感じる。
 女性は喘息等の持病があり、自分にもしものことがあったら・・、と不安になる。ネコは子どもと同じかそれ以上、安くはないけれど、これで安心です、と答えている。
 相続専門の司法書士によると、孤独死への関心が高まった3年ほど前から、ペット、特にネコ関連の相談が増えているという。高齢者にとってイヌは世話しきれないからであろう。

 「信託」の制度は、ペヅトの平均寿命までのエサ代などを支払い、飼い主が死亡や入院した場合、愛大家や獣医師が世話をする。余命1年あたり数十万円準備する必要がある。ペット保険を扱う会社は、「ペットの信託サーピスヘの需要が高まっている。今後数年で3万〜4万人の会員を集めたい」と話す。

 飼い主亡きあと動物を財産と見なし、その世話を条件に相続を上乗せする「負担付き相続」などの方法もある。

 内開府の2010年調査では、60代でペットを飼っているのは36.4%、70代以上は24.1%に上る。ネコを飼いたいと言う独居の高齢者はかなり多いと考えられる。しかし、ネコと自分の寿命を考えて諦めている、のが実態と考えられる。

 ペットの寿命はペットフードの改良などで延び、ペットフード協会の14年度調査では、イヌの平均寿命は14-17歳、ネコはそれより1-2年長いという。これだとやはり二の足を踏む高齢者は多いだろう。

 独居の高齢者が安心してペットを飼える仕組みをがあればいいのだが、信託するという方法はあまりにも高額すぎる。それに、このシステムは本当に信用できるのか?誰が責任を持ってくれるのか??私は現状では勧められない。

 私のオススメはノラネコを手なずけることである。私にとっては2-4台目のネコはノラ出身である。それでも十分に可愛い。ノラなら、飼い主亡き後も自活できると思われるから安心できる。


4/29(水)昭和の日 快晴 飯川病院日直
 1:00起床。新聞・文献・録音データ処理,いつものごとく。早朝BR disk視聴「これでわかった世界のいま」、「日本人の3割しか知らない事実」、「グローバルディベート:EUの現状、将来」、「サイエンスゼロ:恐竜発掘」。7:00検食、BR disk視聴「池上:米国、移民、銃問題」、「戦後の復活:天皇を巡って」、「昭和は輝いて:船村徹」、「探険バクモン:北海の大要塞(下)」。

イヌ・ネコはペットにあらず?(5) 飼い主の死亡で取り残されるペツトたち
 ペットとの同居は、ある人にとっては掛け替えのないものとなっている。イヌ・ネコのレベルからペットへ、ペットからパートナーへ、さらに家族の一員とまで称されるようになってきた。

 数年前のことであるが、80歳代の女性が高熱、咳嗽を訴えて受診した。急性肺炎であった。それほど重症ではなかったが、高齢でもあり、常識的には入院加療の適応である。入院治療をしつこく勧めたが頑として聞き入れない。
 ネコと二人暮しなので入院できないと言う。高齢のネコですが、自分にとっては掛け替えのない娘です。弱ってきているからこれをおいて入院などできません・・・と力説する。
 私は患者の希望を入れて外来で治療することとした。カルテには院長あてに事情を記載し申し送った。一時的な診療応援だったのでその後の消息は知らない。その後どうなったのだろうか。

 昨年、某市で60歳前後の男性が死後約2ヵ月たって見つかった。身寄りのない孤独死であった。某市の福祉課から依頼を受けた遺品整理業者が住宅に入った。別の部屋の押し入れから痩せこけた5匹の猫が出てきた。風呂の浴槽にわずかに残った水で生き延びていたらしい。

 遺品整理業者によると、孤独死や一人暮らしの高齢者の死亡の場合、現場でペツトを見つけるのは珍しくない、という。

 環境省によると、12年度に動物保護センターなどに引き取られた犬と猫は約20万9千匹。引き取り条件を厳しくして10年間で殺処分数は6刳ほど滅ったものの、同年度は約16万1千匹が処分されている。この中には飼い主が亡くなって路用に迷った犬と猫がかなりいると思われる。

 動物愛護相談センターが12年度に飼い主から引き取ったのは550匹で、そのうち、飼い主の死亡が22%、入院など18%であった。センターの担当者は、自分の死後のペットの処理方法を紹介するパンフレットをつくることを検討しているという。

 高齢者の終活が話題になっている。私も所持品を処理し始めかなり進んでいる。我が家のネコのことは今のところは家族がいるから心配はしないで良さそうだ。
 ペットと暮らす高齢の、独居の方々の心情は察して余りある。

 私は小学生のことまで病弱で死を意識しながら過ごしていた。当時、飼っていたネコには自分一人では旅立つのは寂しいから一緒に、と話しかけていた。ある時に「にゃん」と返事があり、私は同意したと解釈した。一層愛おしく思ったが、私とネコとの懐かしい思い出である。


4/28(火)快晴 外来 飯川病院 急遽当直
 1:00起床。新聞・文献・録音データ処理,いつものごとく。6:30-7:40徒歩飯川病院着、8:45-13:30外来、14:00-19:00飯川病院。帰宅予定としたが当直医が来院せず。連絡不足か、急遽当直することに。19:30検食、20:30就眠。Σ6228Km。BR disk視聴「映画:間宮兄弟」乗り切れず中断、「世界一受けたい授業:怖い絵」、「らららクラシック:モーツアルト」、「久米書店:顔を忘れる普通の人」。

放送法とは
 この一ヶ月ほど政権与党とメディアの間で、放送法をめぐる奇妙なもめ事が起きている。
 この件については、新聞やTVで頻回に報じられている。
 私もこの記事が出てから放送法についていろいろ調べてみた。私が得た結論は、この重要な問題に対しメディア側の対応がおとなし過ぎるのではないかということである。

 ことの発端は、去る3月27日、民放のニュース番組で某コメンテーターが「(自分の発言をめぐって)官房長官をはじめ官邸からものすごいバッシングを受けました。今回が最後の出演です」と発言した。
 これを問題視した自民党の情報通信戦略調査会長が4月17日、民放専務と、やらせ疑感ありとされたNHK副会長を党本部に呼び事情聴取した、というもの。
 その際、情報通信戦略調査会長は「このような事実と反する発言が続くようなら、第三者機関の放送倫理・番組向上機構(BPO)に申し立てることも検討する」と告げ、「さらに事実を曲げた放送がなされるなら、法律に基づいて放送停止も考える」とも言ったとされている。
 確かに、その頃NHKの代表的番組の一つであるクローズアップ現代に於いてやらせがあったと指摘されてた。

 このやり取りの報道を読み、与党の方々、情報通信戦略調査会長も放送法を取り違えているのではないか、と思う。

 第二次世界大戦中の軍部によるメディア規制のことが想定されてくる。大本営発表とされて流されたニュースはことごとく国民を欺く内容であった。こんなことがないように、政治とメディアが特立して報道できるように、と作られたのが放送法である。与党では逆に考えているらしく、放送法の名のもとで放送内容を政治的にコントロールできると考えているらしい。

 放送を聴いて、放送法だ、BPOだと、権力側がいきり立つのは何故だろうか。弱みはないか?
 一方、党本部に出掛けて釈明するメディア側にも問題がある。拒否すべきだったし、会長から告げられた内容を承服できない、と拒否すべきであった。その上で、第三者の参加を得て事実関係を調査すればいい。また、発言のあった報道番組で反論の機会を提供し、情報通信戦略調査会の意見を提示し、反論させればいい。

 この問題は、放送の歴史から見ても無視できないとても大きな問題だと思う。にもかかわらず、メディア側の対応は信じ難いほどである。
 メディア側から申し出て公開の討論の場を作っても良い、とさえ思う。


4/27(月)快晴 健康クリニックドッ 飯川病院 上下テニスウエアで徒歩出勤開始
 0:30起床。新聞・文献・録音データ処理,いつものごとく。6:30徒歩、7:30飯川病院着。今朝から千秋公園内の桜祭りの舞台設備、照明、売店の撤去中。9:00-11:00健康クリニックドック、11:20飯川病院、14:00-18:40勤務、19:00車帰宅・夕食、20:20就眠。Σ6218Km。BR disk視聴「そこまで言って委員会」、「キューバ問題」、「プライムニュース4月14日:日中韓問題」、「デブの食生活:密着」、「新渡戸稲造:陰で支えた妻」。

統一地方選2015(2):対若年者政策が少なく、若者の関心を惹けなかった??
 地方選挙が終了した。4月12日には前半選挙が行われ、秋田県議43人の新顔が揃った。

 秋田選挙区で時折耳にした選挙カーは相変わらず候補者名の連呼だけが目立った。
 各候補の主張は私は新聞紙上からしか得られなかったが、各候補の主張が横並びで選べなかった。私は各候補者が県議としてどれくらいの資質や力量があるのか、把握できないまま投票所に向かった。 

 4月26日の後半では大館市長・市議、上小阿仁村長・村議、それに、秋田市議の5選挙の投開票が行われた。

 最も注目されたのが大館市長選で、全国最多の7選を目指した現職(66)を抑え、新人(47)が当選した。大館市は人口減が進み市内は空洞化、商店街はシャッター街になっている。前市長は過去の選挙で3回は無投票で支持基盤は磐石であったが、市の衰退をず見てきた大館市民はあえて変革を望んだと思う。新市長の手腕は如何ばかりだろうか。

 秋田県議選の投票率は56.12%で、前回2011年の61.18%を下回り、過去最低を更新した。秋田市議選の投票率は47.61%で、過去最低だった前回2011年の50.40%をさらに下回った。

 秋田市議選の投票率は県議選よりは10%も低かった。
 
 低投票率の原因については多様だろうが、私は選挙方法にも問題があると思っている。

 秋田県議の場合は43人を選んだが、県内を14の選挙区に分けている。秋田選挙区は定員12人に対して17人が立候補した。これだと選択肢が狭くて候補者を選びやすい。
 秋田市議選は定員39議席を1選挙区として選んだ。立候補者は47人と多く、私はポスターを見ても、新聞記事を見ても個々の候補者の主張を知ることは困難であった。ポスターの面積を顔写真が占めていて主張は少ない。選挙は顔でなく政策である。
 支持候補を持っている有権者は投票に行く確率は大きいが、そうでない有権者は候補者を選びようがないために投票意欲は乏しくなる。こんな選挙方法では投票率改善は期待できない。さらに、新人が入り込む確率は低くなる。

 選挙カーについても問題がある。走行中は候補者名の連呼だけしかできない決まりになっている。こんなの意味がない。メディアをもっと利用してはどうか。

 秋田県も市も衰退が著しい。活性化は若者に対する政策を全面に押し出さなければならない。秋田市はエイジフレンドリーシティ構想などあげて高齢者対策にこだわっているが、私は高齢者対策はひとまず脇に置いて、地域活性化のために対若者対策中心にシフトすべきと考える。

 それに、候補者は若い有権者に注目されるような政策を掲げたのか?? 私の目にはそうは見えなかった。

 こんな選挙では低投票率は改善しない。低い投票率の中で票を集めて当選したとしてもその議席の意義は小さい。
 改善案として、50%以下の投票率だった場合は無効選挙として再選挙にする、その上で、全投票数の20%以上を得られなかった候補者は落選とし、補欠選挙を行う・・などはどうだろうか。


4/26 (日)快晴 秋田市議選挙  
11:30飯川病院起床。新聞・文献・録音データ処理,いつものごとく。入院患者の書類記入代行など。9:00-10:30徒歩で遠回りしながら帰宅。千秋公園の桜はほとんど散っていたが屋台は半分ほど残っていた。書斎のBR diskシステム習熟のためいろいろトライ、かなり便利になった。BR disk視聴「池上:アメリカ移民問題」、「歌謡曲:阿久 悠」。13:45レガシータイヤ交換、除雪機整備収納。ガレージ掃除整頓など。家内は角館の観桜に。19:00家族の誕生日を祝して寿司出前食、アルコールのためにタクシーにて投票に。20:15就眠。Σ6207Km。

イヌ・ネコはペットにあらず?(4) 仲よかった3匹の子猫、一匹が冬を越せなかった
 我が家には何か知らないがネコが集まってくる。
 昨年春、栄養状態の悪い雌のトラネコが庭に出没。家人は見兼ねて時折餌などやっていた。一時不明になっていたが、9月頃3匹の子ネコを伴って戻って来た。子猫は順調に成長した。

 不思議な現象があった。3匹の子ネコが共同して母親を拒否した。
 母ネコを威嚇し、母はその剣幕に恐れをなしたのか最近は全くみる機会はない。母ネコと青年期の子ネコの世代間の確執か。

 11月、子ネコたちが勝手口で互いに身体を密着させ寒さに震えていた。見かねて風雨雪、寒冷を防ぐために防寒シェルターを作った。

 新年になっても、子ネコが3匹家の周りをたむろしていた。仲たがいせずに寄り添って生きている。
 2月下旬頃、そのうちの一匹、トラ猫のクリ坊が元気が無くなって食欲も減退してきた。呼吸系に問題を抱えているようで、時折咳をしていた。他の元気な2匹は、これも私の目では驚くべき行動であったが、弱ってきたクリ坊にぴったり寄り添って体を温めているようであったし、時々顔や体をなめていた。立派な介護行為であった。

 私はクリ坊は冬を越せないだろうと予測していた。そのうち、クリ坊が見えなくなった。

(元気であった頃のクリ坊。仲の良かった三兄弟。並ぶ場所もほぼ決まっていた)

 4月11日、その日の午後は晴れて暖かくなった。春を迎えるためにガレージの2Fを掃除した。私はずっとクリ坊がここで死んでいる可能性が高いと読んでいたが、やはりそうであった。家具の隙間にクリ坊の遺骸があった。いつ死んだかわからないが、気温のせいなのだろう、腐乱状態にはなかった。前例にならって庭先に葬った。これで私のネコに関する懸案事項の一つが解決した。

 私は最近のペット事情は行き過ぎているように思っている。
 私はネコとは距離を置いて付き合っているつもりである。私と共に生きている生命体として慈しみ、最小限の世話をしているだけである。この兄弟ネコの行動にも感心し、学ぶことも少なくない。


4/25(土)快晴 飯川病院午前外来代診 日当直
1:30起床。新聞・文献・録音データ処理。自炊若干。書斎のBR録再機器更新。8:28バス飯川病院。9:00-12:00午前外来担当医不在で代診,そのまま日当直勤務に。医局の再生装置DVDからBR再機器に、モニターも更新。机上のレイアウト変更。その調整に時間取られる。BR視聴:「N響定期数回分、ドイツカンマーフィル講演、神奈川フィル演奏会、NHKバレーの響宴2015、フィルハーモニアSO、アムステルダムCH so演奏会」。18:00検食、19:30就眠。本日Σ6195Km。

四季2015(3)桜散る ついに、私にとって夏が訪れた

 4月8日に通勤路の若い桜に最初の開花を確認してから2週間余、通勤路の桜並木、千秋公園の桜はほぼ散ってしまった。桜の枝は緑の若葉に取って代わられつつある。
 私にとっての夏がもう訪れた。今年は早い!!! 昨年は5月1日であった。

 私にとっての四季は暦上のそれとは異なる。私は勝手に以下のように分類している。
 かんかん照りの夏が大好きで、降雪期には除雪のストレスに苛まれる私にとってこれが合理的な分類である。

■春 除雪が不要になった日(今年は2月3日)から桜が散ったと判断した日(約2か月)
■夏 桜が散った時期から墓参りの8月13日まで(約3か月)
■秋 8月14日から降雪時期まで(約4か月)
■冬 除雪が必要になった時(昨年は12月15日)から不要になるまで(約3か月)

 ついに、私の好きな夏が訪れた。良い季節である。明日から通勤はトレパン上下からテニスウエアに替えよう。

 夏は一番忙しい時期でもある。一台残してあった車のタイヤ交換もやらねばならない。除雪機の整備と収納も必要。チョイ乗りのためのマウンテンバイクとクロスバイクも整備が必要である。電動草刈機も出さねばならない。

 徒歩通勤は平成の伊能忠敬という積算計では現在新潟県長岡付近にあるが、夏の間に頑張って距離を伸ばしたい。畑仕事もそろそろ始まる。今年は何を栽培するか、模索している。
 家内は飯川病院の花壇に大幅に手を入れることを考えているようだし、自宅近所の畑を借用してバラとダリヤを植えようとしているようだ。彼女は口は出すが手は出さないので、私は多忙になりそうである。

 もう庭には雑草が生え始めている。旺盛な増殖力にあきれるが感動もする。本心は苅りたくないのだが、草刈りも始めなければならない。昨秋、仁井田の某患者宅から頂き、我が家に移植した樹木も全て生きていて若葉が出てきた。今年は庭の樹草木にも力を入れなければなるまい。
 私の夏、今年も太陽を十分に浴びて過ごしたいものである。

<img src="http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7c/f8/923938b11699952e7fb0ea3c087d5efd.jpg" border="0">
(通勤路の旭川沿いの見事な桜 これも散ってしまった)

 ところで、市内の桜はほぼ散ってしまったが、秋田市の千秋公園の桜は実に貧弱な咲き具合のままで終わってしまい、寂しい気がした。市の公園課は「今季は野鳥のウソに花芽を食べられた」と説明している(さきがけ新聞)。2013年頃から毎年野鳥のせいとする記事が掲載されるが、私は「野鳥説」に疑問を感じている。
 第一、他のもっと元気で美味しそうな花芽とつけている側の桜は見事な満開であった。
 第二に、私はほぼ毎朝千秋公園を通って通勤しているが、ウソなど一羽も見ていない。だから「ウソでしょう」、と思う。
 第三に、千秋公園の葉桜も他のところにある桜に比べてちゃちである。まさか美味しくない葉芽までウソが食べるとは思えない。

 千秋公園の桜は市民の評判も良くない。老木が多い上に、手入れ不足でないか?


4/24 (金) 快晴 大曲中通病院外来 飯川病院ボランティア  
 0:20起床、新聞・文献自炊。7:40Taxi病院。8:12こまち、9:00-13:15大曲中通病院外来。14:30-16:00飯川病院ボランティア。19:00帰宅、夕食、20:00就眠。DVD:「世界のいま:韓国問題」、「笑点」、「毛髪再生」、「NHKsp:戦後70年」、「猫侍(5)(6)」。

音楽鑑賞2015(2) 一時ビジュアル中心にシフト
 自宅のオーディオは1980年代ビジュアルの方にも発展した。このころはまだ私はオーディオに狂っていた。

 1981年のレーザーディスク(LD)が登場した。私もLDプレーヤーを購入した。LDは30cmのディスクで、ビデオデッキよりも明らかに高画質であったが、いかんせんソフトが限られていて、高額で長時間のオペラの場合は7000円から2.5万円もした。音質も思ったほど良くなかった。古い音楽ソフト、音楽映画からのLDのへの焼き直しが多かったためである。私も10年ほど用いたが、再生機器が故障したのを機会に使いのをやめた。
 LDは2000年ころから斜陽となり、多くのメーカーは2002年にLD機器生産から撤退し、最後まで頑張っていたパイオニアも2009年に生産を中止した。手元にオペラ、協奏曲等のディスクが残っている。欲しい方がいれば差し上げたい。

 1984年、NHKが一般視聴者向けの衛星放送を開始した。当初、衛星放送は不安定で、放送番組も変更が頻回であったが、その後補完衛星が打ち上げられ画質も音質も安定した。音質はCDを凌ぐとまで言われた。これを機会に、一般のVHSよりは画質も音質も遥かに良好といわれたS-VHS機器を購入、深夜帯に放送されるオペラ、管弦楽曲を録画し、楽しんだ。
 しかし、S-VHS機器はメインテナンスが煩雑であったし、テープの巻き込みトラブル等が頻回であり、徐々に使用頻度が減った。多分2000年ころと思うが、LD機器と一緒に数10巻のテープを処分した。

 この後、約10年間映像関連の番組を見ることはなかったが、其の間にTV放送はデジタル化し、録画録音もハードディスクに蓄積するようになり、リムーバブルディスクはDVDに、さらにブルーレイディスク(BR)に発展した。
 2011年第一線を引退し、それまで出来なかった歴史を中心に勉強を始めたが、書籍だけでなく放送されるドキュメンタリー系の映像資料も積極的に利用している。

 同時に、LD、S-VHSで楽しんでいた時に比較してみれば、画質も音質にも隔世の感を感じた。ここまで発展すると無視できない。再度、音楽鑑賞にも利用し始めた。
 自宅の書斎、飯川病院医局にDVDの再生装置を導入して用いてきたが、一週間前に両者ともにBRシステムにした。これでかなりいい音で視聴できるようになった。今の所、ほぼ満足している。


4/23(木)晴れ 外来 飯川病院 AV機器新機種導入
 1:00起床、書類PDF化、文献読みなど数件。天候は申し分なかったが倦怠感あり6:47バスにて飯川病院着。8:45-12:40中通病院外来+ドック判定総括。13:00-18:30飯川病院。19:00帰宅、夕食、20:15就寝。 歩行計6182Km。DVD:「プライムニュース:韓国日経新聞記者訴訟関連、AIIB日本参加問題」、「NHKsp:アレルギー新治療」、「NHK:未解決事件プロジェクト、世田谷一家殺人事件」。

音楽鑑賞2015(1) 音質追求から便利さに変わった 
 私は音楽が好きである。ジャンルはそれほど問わない。ジャズ系の曲はやや苦手で、いわゆるクラシック系が主である。
 小学校期には家にある蓄音機でSPで楽しんだ。
 中学ー高校時にはバス定期をケチって片道15Km自転車通学にし小遣いを貯めては年に数枚LPレコードを買い、ラジオを改造した簡単な装置ですり切れるほど聴いた。
 大学卒業を待って一気にソフト、ハード面に投資した。半ば狂っていた。

 いろいろ周辺の機器も揃えた。レコードプレイヤー、オープンリールテープデッキ、FMテューナー、CDプレーヤーも安くないのを揃えた。スピーカーは1971年にデンマーク製のダイナコ25XS、1980年英国のCelesion Ditton25、1991年にタンノイGRF memoryとアップした。大型のスピーカーの余裕は何とも言えない味がある。後2者はまだ現役であるがCelesion Ditton25は片方のツイーターが故障、タンノイは音が歪むようになってきた。

 アンプは何度か取り替え、プリがヤマハのC1、メインがパイオニアのA級アンプのM4に至った。すべて私にとって身の丈を超えた製品でかなり無理して購入した。

 ある日,プリアンプが故障した。秋田では修理不能でヤマハ本社に送った。その間にC1の1割ほどの値段のテクニクスの廉価なセパレートアンプを借用した。これもなかなかいい音で、私の耳ではC1の優位性を見出すことが出来なかった。私はカタログの性能表、ディーラーの言葉を鵜呑みにしていただけで、「違いが分かっていなかった」。

 オーディオ遍歴約10年、私は考え方を変えた。その後、C1、M4、CDなども故障で代替わりしたが、すべて廉価品に代わった。その後35年、カセット、MDから、iPod、iPhone、iPadになった。音質の追求よりは何時でも何処でも聴ける簡便性が優位になった。
 今もじっくり聴きたい時はレコードも楽しんでいる。

 最近レコードに復活の兆しがみえる、という。ちょっと喜ばしい限りである。パイオニアは14年ぶりに新製品を出した。日本レコード協会の調査では、2009年に10万2千枚に落ち込んだ国内の生産は2013年には26万枚に増えたという。デジタル音源の多くは音源を電気的に圧縮して機能性を高めているが、より自然な音を求め始めているなら歓迎である。
 最近、ハイレゾなる言葉もあって対応機器も発売されている。まだ直接聞いたことはないが、私が求めているのと対極にあるようだ。


4/22(水)晴れ 外来 眼科受診 飯川病院ボランティア 
 1:00起床、新聞・文献読み、徒然。自炊本読み。7:30徒歩飯川病院着。千秋公園の桜もこの二日間の風と降雨ですっかり様相が変わった。8:45-13:00中通総合病院外来+ドック判定総括一部。13:10-15:10眼科定期検査。15:30-18:30飯川病院ボランティア。19:00夕食、20:30就眠。DVD:「映画:永遠のゼロ」見直す。なかなか味のある作品。「ラララクラシック:ます」、「ネコ侍」。歩数計6176Km。

賞味期限など気にしないが、私はくみ置きの水は飲めない
 一週間ほど前、何度を整理していた時に賞味期限11年経過した野菜ジュースが出てきた。わが家では古い品は私が一手に引き受ける。食品を無駄にしたくないからである。これも問題なく、美味しく飲めた。



 10年ほど前のことであるが「賞味期限後24年」のソースが見つかり、全部私が利用した。これが本来のマトモな味だったかは判断できなかったが、体調に影響なし。5年ほど前は「賞味期限後半年から1年」ほどのペットボトルの茶10数本ほど集中的に飲んだが、同じく体調に異変なし。

? 私は賞味期限切れの食品等に関して毛嫌いの気持ちは殆どない。自分で変質していなさそうだと判断すればそれでいい。かなりの経験を重ねてきたが、体調を崩したことは一度もない。だから、賞味期限って一体なんなのだ?とさえ思っている。

 そんな私であるが、こと「水」に関してはそうはいかない。とても神経質である。
 脱水状態などで水が欲しい時は別であろうが、日常生活の中では、ヤカン、ピッチャーなどにくみ置かれた水は飲めない、飲まない。

 自分自身で蛇口からコップ等にくんだ水でそれほど時間が経っていないもの、数分間以内、なら飲める。自分以外の誰かがくみ置いた水は、たとえそれが水道水であっても、ペットボトルからコップに移した水であっても、新しい水だと説明されても飲めない。

 例外はレストランとかで出される、清潔な容器に氷とともに入っている水はコップに注がれても飲める。氷が浮いていないとダメ。未開封のペットボトルのミネラルウォーターは、味は好きではないが、なんとか飲める。

 だから、私が日常飲むのは熱いお茶やコーヒーが中心となる。未開封のペットボトルのお茶は飲めないことはないが、一旦何かの容器に移されたものはダメである。ペットボトルから直接飲むことはできる。

 そんなことで、私は毎朝家内が用意するお茶を持ち歩いている。
 それでも水が欲しい時は、ここ2-3年はソーダ水を用いている。特に今年になって500ml入りのペットボトルの製品をみつけたので大量に購入した。ソーダ水なら生ぬるくても飲める。苦さ、喉越しの刺激感がいい。欠点は振動を与えると開封時に一気に噴き出すということくらい。

 要するに、私は一定時間空気に触れた水を毛嫌いしているということ。何でこうなったのかはわからない。別に変な水を飲んで体調を崩した、という経験もない。思い当たるのは幼少の頃、新鮮な水を井戸からくみ上げて運ぶのが私の役目であったことくらいで、いつも新鮮な水に触れていたからかな?

 あまり不自然なことは好まないが、ペットボトルが普及し助かっている。結構消費しているが、資源を無駄にしないようペットボトル回収には協力している。


4/21(火)小雨午後快晴 外来 飯川病院
1:00起床、新聞・文献読み、徒然・・といつもと同じ。6:47小雨あり、バスにて飯川病院。8:45-13:20外来。13:30-18:30飯川病院、DVD:「そこまで、委員会」、「ドラマ:永遠の0 3回目」。 17:00車帰宅、夕食、20:00就眠。 Σ6168Km。

TVドラマ版「永遠の0」を楽しむ
 ?映画版「永遠の0」は2013年暮れに公開直後に劇場で見た。内容に感心した。百田尚樹原作も読み、さらに映画版をブルーレイディスクで購入、付録の版で映画の撮影、特撮の裏話も堪能した。
 
 あれから1年、今春、TV東京が開局50周年記念として超大作ドラマ「永遠の0」を作成し、先日3夜に渡って放送された。

 映画版作の上映時間は3時間弱という長編であったが、時間の制約があって登場人物たちの心理描写が足りなかったため、あえて、今回再度作成したものと思われる。映画版の3倍もの時間をかけ、より登場人物の内面や心の葛藤を繊細に描いている作品となった。

 映画版では主人公の宮部久蔵に岡田准一が扮し、井上真央、夏八木勲、橋爪功、山本學、田中泯、平幹二朗等のベテラン陣が出演していた。岡田、井上、夏八木、田中はこの映画を通じて初めて知った。岡田、井上はその後画面上で頻回に見る機会がある。

ドラマ版では主人公を向井理、脇役に末広涼子、多部未華子、竜雷太、山本圭、伊東四朗、近藤正臣等のベテラン陣が出演。多部未華子は初めて知ったがなかなか魅力的な女優である。

 主人公の宮部は有能な零戦のパイロットであったが、妻に「たとえ死んでも僕は戻ってくる。生まれ変わっても、必ず君のもとに戻ってくる」という言葉を残した。命を大事にするあまり、特攻にも志願せず宮部は臆病者扱いされていた。後に教官として特攻乗組員を指導していたが、結局自らも志願することとなる。
 特攻として飛び立つ朝に、自分の25型機と、部下の旧式の21型の零戦を無理やり交換し、飛び立つ。宮部は命を落とし、零戦を交換した部下は機が不調で不時着し帰還する。宮部は25型機の不調を読み取り、意図的に部下を不時着させ命を救った。終戦後、零戦を交換した部下は宮部の妻と結ばれる。宮部は約束通り妻の元に生まれ変わって戻ってきた。

 あらすじは上記のごとくであるが、特攻を巡って男たちの命をかけたやりとりの場面が繰り返えされているが、ドラマ版の方が時間に余裕があるため登場人物の心理描写に長けている。なかなか見ごたえのある作品になっていた。

 私は映画版、原作にいたく感心していたのでTVドラマ版が作られた意図を理解できず、二番煎じ的な作品として斜に構えて見始めた。岡田と向井を比較してみても前者の印象は私にとって強烈だったし、特撮部分の差も明らかであった。戦時中の場面は長すぎた印象である。空中戦の様子、繰り返される上官のリンチの場面は見たくもなかった。

 私にとっては元特攻隊員の証言や、宮部の妻を中心とした戦後の場面の方に魅力を感じた。

 今回見たTVドラマ版は決して二番煎じ的な作品ではない。映画版とTVドラマ版とは互いに補完しあう見事な作品、と思う。


4/20(月)終日雨 健康クリニック 飯川病院
0:00起床、新聞・文献読み、自炊など。7:00患者不調で車飯川病院着、9:00-11:00健康クリニック。飯川病院から重症患者救急搬送で院長留守に、代理診療ボランティア。14:00-18:30飯川病院勤務。19:00帰宅、夕食、21:00就眠。Σ6162Km。「サイエンスゼロ:エコな水素社会」、「ドキュメント:美空ひばり」、「コズミックフロント:クレオパトラが残したもの」。

宗教とは何か2015(8) 医療と仏教(2) 「人間とは」、「人生とは?」
 現代の医療は科学的・分析的過ぎるのではないか?

 特に、高齢者医療の分野において、生活習慣病の分野において、がんの医療においてなど、届き得ない世界がある。医療の中で「身体の医療的管理」は出来る様になったかもしれないが、人間はこころ、感情を備えた、不思議な、深遠な生きものである。だから、分析的・科学的手法で届き得ない遠いゴールを持っている。

 だから、いかに発達したからといって現在の医療に満足できるはずはない。患者の多くは不安に苛まれ、多くは悶々としている。その解決には医療だけでは無理がある。何らかの他の力を借りなければならない。

 哲学はこれに解決を与えてくれるか?私は哲学については勉強が足りない。ニーチェ、カントにも名言はたくさんある。しかし、人生の指針としては深すぎて?包容力が乏しくて私にはピンとこない。

 医療と同じ志、四苦を和らげるという面では共通の目標を持つ仏教はその候補の一つである。茫洋としている部分もあるがそれだめに包容力は広い。私はそう思っている。しかしながら日本の医療現場では両者の連携が殆ど出来ていない。特に、医療者側からのアプローチは不十分である。
 
 最近、活動がめざましい緩和ケアの分野ではどうだろうか。

 キリスト教的緩和ケアを行っている施設等ではそのような分野での教育を受けたチャプレンが活躍している。仏教側からのアプローチ、これも今のところほとんど見えてこない。
 秋田の地にも平成4年に「ビハーラ」研究グループが発足し、県北の藤里町を活動の拠点として、宗教・宗派の枠を超えた活動を展開している。宗教者のみでなく、医療・福祉関係者等、関心のある一般の方々を会員とし、「いのち」、「生きる」、「死ぬ」とは何か、について考えている、という。

 葬式仏教も悪くない。日本人の宗教的考え方の支えになっている。しかし、現在生きているわれわれにもっとアプローチしてほしい。
 生きることに迷いを持つ若者達に向き合ったことはあるのだろうか?オウム真理教はそれに応えてくれたのではないか?
 年間100万人以上も死ぬ現代、今の医療は科学的・分析的であり過ぎることから人は救いを求めているのではないか?

 こんなところにも医療と仏教の接点はあるだろう。


4/19(日)快晴 絶好の花見日和 飯川病院日直
 1:00起床、本読み、文献・録音整理。6:00朝食、7:00-8:10徒歩飯川病院へ、途上で見られる桜、千秋公園の桜は満開。千秋公園ハトに餌、桜昨年は2分咲きだったから早い。新聞チェック、入力。DVD:「日本の底力:巨大船建造」、「日本視察団:古民家 地震対策」、「世界の今」、「人口減社会のライフスタイル」。18:00車帰宅、19:00夕食、20:00就眠。Σ6155Km。

宗教とは何か2015(7) 医療と仏教(1) 両者の統合を
 私は新潟大学学生時代に新潟ビハーラの会という講演活動に参加した。「ビハーラ」とは、サンスクリット語で「安らぎ」、「僧院・寺院」を意味している。この会を通じて医療と宗教の関連性について教えられた。私の参加は一時的なものであったが、これをきっかけに、医学と、仏教の学びを並行してしてきた。
 第一線を退く前はもちろん医学・医療が中心であったが、その後は宗教、とりわけ仏教についての学びの時間が増え、今は逆転している。

 生老病死に起因する苦悩を仏教では四苦と言う。
 仏教は二千数百年以上も四苦に取り組んできた歴史と実績がある。医療はこの四苦からの救いという課題に取り絹んでいるが、歴史的にはかなり新しい。医療の発展はたかだか百数十年にしか過ぎない。その手法に科学的合理性が導入されたこの半世紀の間、医療・医学は著しく発達を遂げた。いのちそのものを科学的に操作することも出来る様になってきた。

 こんな科学が発達した時代にありながら、私は、合理的科学的手法のみでは全てを説明したり解決することは不可能だと思っている。「他、我にあらず」だから、他人の本音など分からないが、医学・医療に携わるもの全員がそう思っているのではないか。
 従って、届き得ない世界の解決には何らかの他の力を借りなければならない。同じ四苦を和らげるという課題に取り組んでいるのが仏教であるが、日本の医療現場、宗教の現場では両者の連携が殆ど出来ていない。だから、現代に生きるわれわれはむしろ不幸な時代に生きていると言えるのでないか。

 私は、宗教、特に仏教の教えは決して過去の遺物ではなく、現代でこそその役目は大きくなっているものだ、と思う。特に高齢化を迎えた現代においては一層重要性を増している。私は医療を実践しながら細々と宗教、特に仏教の学びを続け、驚きに近い感動を得たこともある。

 人間の思考には科学的・分析的な思考と統合的な思考がある。
 治療の分野の例としては、分析的と言っていい西洋的医療と、統合的と言っていい和漢医療の違い、に例えれば分かりやすいかもしれない。
 科学的・分析的な考え方と統合的な思考をさらに例えれば、最新の遺伝学的知見で病気のメカニズム、発症のメカニズムが分かったとしても、統合的に考えれば「それでも患者はいずれ最後を迎える」ことになる。科学的・分析的な考え方はあくまでも部分部分の知見であって、結果として遭遇する自然の摂理に逆らうことはできない。

 今の医療は科学的・分析的で有り過ぎるのではないか?特に、高齢者医療の分野において、生活習慣病の分野において、がんの医療においてなど、どうだろうか。

 私は、死期を迎えてもはや医療が主役でない状況に至った患者にすら、医療が主役であり続ける姿勢は見ていて辛い。間もなく死亡すると思われる患者に濃厚な酸素が投与され、1500Kcalの輸液が繋がれていることなどまれではない。


4/18(土)曇り 
0:430飯川病院にて起床。ハードディスク同期とデータ整理等。本読み。DVD視聴:「世界一受けたい授業」、「100分名著:ブッダ最後の言葉(2)(3)」。9:30車で帰宅、故障した書庫ラックを自宅に運び修理、無事再生させた。午後は録音データ整理。DVD視聴:「らららクラシック」32-46回分インデックス作成、「ドキュメンタリーNo17」インデックス作成。本読み、音楽など、19:00夕食、20:00就眠。歩行Σ6147Km。

イヌ・ネコはペットにあらず?(3) ペットロス症候群(2) その治療,私見
 私は初代のネコの後、25年はネコに興味も持たなかったが、その後2代目美ネコ「なんなん」とハスキー犬の「ルー」、3代目トラネコ「ミー」、4代目クロネコ「ユー」と飼い続けている。4代目はまだ現役であるが他は死亡し、すべて我が家の庭先に葬むられている。

 昨年夏、子猫を3匹釣れたメスネコが我が家の庭先、ガレージに居ついてしまった。そのうちに子ネコのみとなった。野良ネコを世話するのは本意ではなかったが、初めての冬を子供たちだけで乗り切るのは困難、と餌と防寒シェルターを与えた。
http://blog.goo.ne.jp/admin/editentry?eid=8843ebfab1cf22e91480d3f22169e9a7&p=1&disp=50#
(左:小さいメスのプチズリー、中央:独立した?オスのミニズリー、右:呼吸器に問題のくり坊)

 厳寒の最中一匹見えなくなり、暖かくなるとともにもう一匹いなくなった。前者は呼吸器系に問題があるらしい雄で呼吸時狭窄音が聞こえていたので肺炎かなにかで死んだと思ったし、後者は元気だから我が家から独立して行ったのだろう、と思う。
 餌をやった以上、責任がある。残ったメスには避妊手術も行い、5代目として受け入れようと思っているが、まだ警戒心は強い。

 私は「ペットロス症候群」の治療は、私の経験から言えば、できるだけ瓜二つの、似た個体をまた飼う事かな・・と思う。
 初代のネコと死別してから20数年、ある厳寒の夜、数日前から居間の外で必死に泣いているネコを追い払おうと思ってカーテンを開けた。一瞬、ネコと目が会った。「似ている・・・!!!」、感動した。その瞬間、私はガラス戸を開けてネコを招き入れていた。うす汚れた雌ネコで、背中に怪我もしていたが、美しい顔立ちであった。汚れを落とし、怪我を治療し、避妊手術をして我が家の一員となった。これが「ナンナン」である。最初、ネコを飼うことに快く思っていなかった長女はすぐに虜になった。

 私自身は「ナンナン」の姿、表情、仕草のすべてに初代のネコを重ね合わせ、至福の時を再び味わうことが出来た。自分に視線を向けながら決して自分を見ていない、と悟ったためなのか、「ナンナン」と私の距離は、死ぬまで、一定以上縮まることはなかった。初代のネコは性格も体も柔らかかったが、「ナンナン」は気位が高く、常に硬いイメージであった。

 私の「ペットロス症候群」は激しい悲嘆を伴うものではなかったが静かに、深く潜行していた。それが、「ナンナン」と共に過ごすことで変容した。決して癒されたのではなく、初代ネコとの生活が戻った、という感じであった。

 「ペットロス症候群」の患者は、友人に話すなど悲しみを外に出し、ペットとの楽しい日々を思い出すことだという。症状が重い場合は精神科医やカウンセラーに相談も勧められている。こんな方の前で「たかがペット・・・」などとは言ってはならない。
 私は自分の経験から、できるだけ早めに、瓜二つの表情を持つ個体をまた飼う事を勧めている。きっと、旅立った友がまた戻って来たような喜びがもたらされるだろう。


4/17(金)小雨 大曲中通病院外来 飯川病院当直 
0:20起床。読書中心。7:40Taxi駅、8:10こまち、9:00-13:15大曲中通病院外来。駅病院は雨のために往復Taxi。15:00-17:00飯川病院ボランティア、17:00そのまま当直業務に。日当直業務は月に4-5回であるがウイークデイの当直は初めて。18:00検食、20:30就眠。DVD視聴:「ドラマ:永遠のゼロ(2回目)」,「映画:貞子(3D−2)」瀧本美織版」、「プライムニュース:地方活性化に何が必要か」、歩数計6142Km。次男一家来秋。

イヌ・ネコはペットにあらず?(2) ペットロス症候群(1) 
 私も家族も動物好きである。私は幼少の時から馬、ネコ、ウサギ、犬、金魚や熱帯魚・・、殆どいつも周辺に動物やペット的生き物がいた。それらと私との関わり合いについてはどうだったのか、どうあるのが良いのか何時も考えている。

 私はペット達とは一定の距離を開けた関係がいいと思う。衛生的にもそうだ。
 だから、最近の動物愛護、ペットブームなるものを見聞する度に私はいくら何でも行き過ぎだと戸惑ってしまう。「この子はペットなどではありません。家族です・・」などという人も少なくない。何故、人は動物に、ペットにこれほどまでに気持を集中するのだろうか? 可愛がっているときはそれで良いのだが、ペットの死は飼い主に深刻な精神的ダメージをきたす。

 1980年頃から「ペットロス症候群」というべき状況の患者が徐々に増えてきている様に思う。私が診ている患者の中にも10人ほどやや重症な「ペットロス症候群」におちいった女性がいる。半数はまだ回復は不十分である。また、本年になってから2名の知人が同様の状態になっていることを人伝に聞いた。なかなか厳しい状況だという。?
 動物を飼うと必ず別れが来る。90年代に飼ったハスキー犬「ルーチェ」の場合は長男が、ネコの「なんなん」の際には長女が中等度のペットロス症候群に陥った。その当時はかなり落ち込んだが比較的短期間に乗り切った。両人の心の中には今でもこの動物たちは生きている。
 
 次男はボーダーコリー犬が3匹同居している。夫婦は3人の子供とともに家族の一員と称して可愛がっている。確かに、自分の子供と犬との間に一見分け隔てはないように見える。私には到底入り込めないヒト・イヌ関係の一家である。いずれ、この犬たちも歳をとる。その時をうまく迎えられるのか??イヌと戯れる次男夫婦の姿を見て今から心配になる。が、その機会に接することは多分ないだろう。

 私自身は、高卒まで13年間共に過ごした初代のネコとの別れは比較的静かに迎えた。4月、私が進学のために家を離れたらみるみる元気が無くなって痩せこけ、2週間後ほどに失踪したと母から連絡があった。もう2度と会うことはなかろうと涙を流し、数日は落ち込んだが、13歳の老猫であり、弱ってきたのを知っていただけに静かに受け入れられた。
 さらに2週間後、用事で帰省した際、痩せた猫が軒下に現れ、30分ほど共に過ごした後再び姿を消した。その後約25年、ネコに一切興味を持つことはなかった。さらに25年ほどは再びネコを飼い続けているが、私の場合は、初代のネコとの別れによる「ペットロス症候群」は、静かに、深く、50年間も続いている。


4/16(木)雨のち晴れ 外来 飯川病院
1:00起床。新聞・文献チェック他。6:47雨のためバス飯川病院に、7:10飯川病院着,8:45-13:50外来+ドック総括。14:00-18:30飯川病院、19:00帰宅、夕食、20:30就眠。DVD視聴:「ドラマ:永遠のゼロ(2回目)」、「ドラマ:猫侍(3)」。歩数計6132Km。

目の輝きとは何か(6) 目元の小道具(4) サングラス
 目は最も美しい臓器の一つと思う。さらに、目は口ほどにものをいう。目は心の状態をあらわす。
 目の表情から多くの情報を得ることができる。私は診療の際、言葉で表現し得ない感情や体調の変化を目の表情から読み取る。「アイコンタクト」は対話の中などでは情報収集にとても重要な技術の一つである。
 
 ところが、サングラスを用いる人がいる。あまりいい印象を持たないが、そう決め付けるわけにはいかない。サングラスにはいろんな効能があるから。さっと機能を上げると、

 (1)強い日差しを遮る、(2)紫外線カット、(3)もの目的の輪郭をくっきり見せる、(4)特定の色を際立たせる、(5)反射やハレーションによるチラツキを抑える、(6)フアッション性、(7)コワモテ演出、(8)自分の表情を隠す、(9)などなど。

 (1)-(5)は光学系の機能である。この中では(2)が重要で、どうせ着用するなら紫外線をカットできるような機能のものを選べばいい。この場合、色調はほとんど関係無いが、濃い色調のメガネは瞳孔が開くために水晶体等が紫外線の影響を受けやすい。黄色系のレンズは青色系の色調をカットし、物の形をくっきり見せるという効果がある。「信号機が見やすい」といった機能をもつもの、反射光を抑制して見やすくする偏光機能付のものもある。

 無着色のメガネですら(5)-(7)の効能があるから、サングラスの場合一層効果は大きい。(8)の効能はフアッションのレベルを超えた効果がある。顔を知られたくない、覚えられたくない、自分を見抜かれないようにしたい、という目的なら変装?の一種ということができる。

 最近、私は面倒くさいし、かけてもそれほど鮮明にならないから運転時以外にはメガネを着用しなくなった。メガネなしのぼやけた視野の中での生活は開放感がとても心地よい。55年も親しんだが、やっと解放された。いい気分である。
 
 最近、春の日差しが目に刺さる様になってきた。朝の徒歩出勤の際、朝日に向かって進むから光を和らげるためにサングラスを着用している。私の場合はファッションでも変装でもない。日差しの強い時に短時間着用するだけである。その範囲でもとてつもなく、心地いい。

 診察室までサングラスをつけたまま入ってくる患者が稀にいる。そんな時ちょっと相手の様子を読めずに緊張することもある。やはり人間関係においてサングラスは礼儀に反すると思うし、表情が読み取りにくいから外す様求める。

 私は髪もヒゲも伸ばし放題にしているし、徒歩通勤時にはヘッドフォンを用いている。市井の喧騒が嫌だからである。さらにサングラス、と言うのはちょっとマズイ。昨秋、マスクをかけて歩いていた時に「変質者」と言われたこともある。だから、サングラスはTPOをわきまえて短時間だけ使っている。


4/15(水)曇り降雨・のち晴れ 外来 飯川病院ボランティア
0:30起床。文献検索、徒然ほか。6:35車飯川病院着、8:45-13:45外来。14:00-18:30飯川病院。新聞チェック、本読み、19:00帰宅、夕食、20:45就眠。DVD視聴:「池上:ニュースそうだったのか」。歩数計6125Km。

少子化対策2015(2) 国、秋田県の人口動体と長期的対策
 総務省が本年2月5日公表した2014年10月時点の人口移動報告によると、東京圈で転入者が転出者上回る「転入超過]が11万人に達した。3年連続の増加となり、東京一極集中が加速している。都道府県別でも40道府県が転出超過となった。

 県の人口流動調査によると県人口の減少率は1.26%で、4年連続で拡大した。少子高齢化に伴い、人口減のぺースが上がっている。調査時の県人口は103万6861人で、今年4月ごろには103万人台を割るとみられる。
 調査では、死亡数が出生数を上回る「自然減」が8785人、転出者が転入者より多い「社会減が4486で合わせて年間1万8271人の減少となった。人口か増えた市町村はゼロだった。
 減少率は藤里町が8.23%で最も大きく、高齢化率が高いほど、域少率も大きくなる傾同が見られた。藤里町の高齢化率は42.9%で、上小阿仁村の48.4%に続き2番目に高い。
 減少率か最も低かったのは県都・秋田市で0.45%。秋田市に隣接する潟上市が2番目に低かった。

 本県の将来人口の見通しは県の試算では2040年には人口が70人を割る。生産年齢人口(15〜64歳)と老年人口(65歳以上)はほぽ同数で、超高齢化社会が到来する。就業者は10年に比べると45%、未就学児童は50%、保育所などの児童も40%減るとしている。
 今年は「地方創生」も動きだす。国も地方対策として1700億円を移住促進など自治体の人口減対策に充てる。「長期ビジョン]は、出生率を2.07に回復させ、2060年の日本の人口1億人維持をうたい、税制上の優遇措置で企業の地方移転も進めるとする。



 合計特殊出生率は15-49歳の女性が産んだ子どもの数や、年齢別の女性人口などを基にした推定値である。戦後第二次ベビーブームの1970年代がほぼ2.1台で推移しているが、1974年に2.08、2013年は1.43である。直近における最低値1.26(2005年)と比べると0.17増加している。しかし、これを2.07に回復させることはほぼ不可能な値である。

 県は人口減対策として、「社会減の歯止め」、「きめ細かい少子化対策」、「持続可能な地域づくり」の三つの視点から、若者の就業・定住促進などあらゆる施策を動員する予定、と言う。


4/14(火)快晴 外来 飯川病院
0:20起床、新聞・文献・本読み他、蓄積データ整理、徒然。5:00可燃ゴミ提出。6:30−7:30徒歩飯川病院。8:45-13:45外来、疲弊。14:00-18:30飯川病院。19:00帰宅、夕食、20:30就眠。歩行計6118Km。DVD視聴:「養老孟司:バカの壁ー自分ー」。

少子化対策2015(1) もう、間に合わない それでも座して看過できない
 地方選挙の前半が終了した。秋田県議43人の新顔が揃った。
 県議の最長老で議長も務めた鹿角選挙区の大里候補(79)は当選できなかった.。大里氏は医師で秋田県医師会、秋田県病院協会の重鎮でもある。県の医療行政に対して大きな足跡を残された。地域では若返りを求めたのであろう。長い間ご苦労様でした、と申し上げたい。

 秋田選挙区で時折耳にした選挙カーは相変わらず候補者名の連呼だけが目立った。
 各候補の主張は新聞紙上からしか得られなかったが、候補者のほとんどが秋田県の人口減問題に触れていた。これだけ各候補が横並びだから選べない。 
 秋田地区のある候補は「人口減対策は今から手をつけないと手遅れになる・・・」と強調していたが、私はもう手遅れだ、と思う。しかし、候補者はそんなことは言えないだろう。じゃ、具体的対策をどうするのか?「雇用創出と、子育て支援を同時に・・」、と総論的であって、目新しい政策を掲げた候補は新聞紙上からは見つからなかった。
 各候補者が県議としてどれくらいの資質や力量があるのか、把握できないまま私は投票所に向かった。

 4月12日新県議が決まった。県政与党の自民党が過半数を確保した。佐竹知事は安定した県政運営が望めるだろうが、そのこと自体が秋田県にとって問題である。
 人口減対策、雇用の創出、農業を含む産業の振興、少子高齢化への対応などは以前からの本県の重要課題であるが、なかなか成果が上がっていない。
 
 勿論、苦しい現状は秋田に限ったものではない。東京を中心とする主要な都市圏以外の地方は総じて活力に陰りが生じている。これは、我が国の構造的な問題に起因している。さらに、日本は国際的経済活動の中での優位性の衰退の結果である。さらに、これは爛熟した資本主義経済の辿る道でもある。

 そんな大きな流れの中にある秋田である。
 佐竹知事がいろいろ努力していることは分かっている積りである。それでも、衰退が続いている。なぜか?佐竹知事を取り巻く政治環境に問題があるのではないだろうか?自民党が議会の過半数を占めていること、佐竹知事の再選時に無投票当選させる様な野党の面々。一体、両陣の方々は何を考えておられるのだろうか。与野党ともに今の秋田に満足しているとしか思えない。

 秋田の現状を危機的とみるなら、県議会は佐竹県政、県当局の施政をチェックし、提言する必要がある。新県議にはその力があるのだろうか。

 少子化対策を始め、人口減問題、高齢化対策などには、他県が驚くようなドラスチックな政策が必要である。


4/13 (月)晴 健康クリニックドック 飯川病院 
 1:30起床。いつものごとく。7:30徒歩千秋公園経由で飯川病院着.9:00-11:00健康クリニックドック業務。11:30飯川病院に。14:00-18:45飯川病院。19:10帰宅・夕食、20:40就眠。DVD視聴:「雪と闘うプロ」、「昭和は輝いていた:ローカル線」、「英国一家:日本を食べる」、「そこまで言って委員会」。

エアラインの話題(3) マレーシア航空777機不明事件から1年
マレーシア航空777機不明事件
 乗客・乗員239人を乗せたクアラルンプール発北京行きのマレーシア航空ボーイング777-200機が消息を絶って、4月8日で1年がたった。機体はまだ見つかっていない。従って真相は依然謎のまま、と言う。実に不思議な事件である。

 マレーシア運輸省は8日、中間調査報告書を発表した。
 ボイスレコーダーの一部の電池が、1年半前に期限切れだったが交換されていなかった。
 墜落場所を推定する手がかりは管制レーダーから機影が消えた後にマレーシア空軍が45分間捉えたレーダー記録と、英衛星通信サービス会社が拾った信号記録しかない。これを元に捜索範囲を絞り込んだが、最大水深6000mもあり、まだ何も見つかっていない。
 豪州とマレーシア両政府が出した捜索費用は約110億円で、捜索終了も検討されている。

 なぜ遭難信号を発しないまま、なんら交信をしないまま消息を絶ったのか? 
 最後に交信したのは機長だったことから、機長が同機を乗っ取った疑いが浮上したがそれを裏付ける手がかりはなかった。しかし、機長・副機長の合意で7時間以上も飛行していたとは思われず、操縦室内で何が生じたのか。私は機長の自殺?と推定出来る様に思われる。

 過去にも操縦士が自殺を図ったと思われる事故は数件ある。
 (1)1994年にモロッコで離陸直後に墜落し44人が死亡したモロッコ航空ボーイング737機墜落事故では、機長が自殺のため故意に墜落させたと結論づけられた。

 (2)1997年に乗客乗員104人が死亡したシンガポール・シルクエア航空ボーイング737-300機がスマトラ島で墜落した事故も、操縦士の自殺説が指摘された。

 (3)1999年に乗客乗員217人が死亡したエジプト航空ボーイング767-300R機墜落事故で米運輸安全委員会は、副操縦士が故意に墜落させたと結論付けた。

 (4)2013年に乗員乗客33名全員が死亡したLAMモザンビーク航空エンブラエルERJ-190機墜落事故は機長が墜落させる明確な意思を持って操縦していた。機長は操縦室のドアをロックして閉じこもった。副操縦士はドアを開けろと叫びながら繰り返しドアを叩いていたされる。

 私は不遜と思うが、マレーシア航空777機不明事件も自殺?と思っている。ジャーマンウイングス機墜落事故はほぼ自殺と考えられているが、この両事故及び(4)にあげたLAMモザンビーク航空墜落事故は共通点がある。おそらく、ジャーマンウイングスの副機長は前者の事故を参考にして計画を練ったのではないだろうか?


4/12(日)快晴 飯川病院日直
 1:00起床。本読み、微睡、音楽、落語など楽しむ。8:27歩行難のためにバス。8:50-17:00飯川病院日直、患者対応2件。19:00京都・横浜から家内帰宅。19:45投票に。20:00帰宅、夕食。20:45就寝。歩行通勤計6097Km。DVD視聴:「鎮魂:両陛下パラオご訪問、今上陛下ご成婚の頃」、「討論:靖国をめぐる論争」、「BS朝日:世界のドキュメンタリー」、「秋田:2040年70万人社会と向き合う」。

エアラインの話題(2) 本年上半期の事故は人為的?
ジャーマンウイングス機墜落:墜落事故は興例の展開
ジャーマンウイングス機墜落:墜落事故は興例の展開
 24日乗客乗員日本人2人を含む150人を乗せてスペインを飛び立った独のジャーマンウィングス機が仏南部の2千m級の山岳地帯に墜落した。機はエアバスA320型。墜落現場周辺は険しい山岳地帯で機の残骸が散乱し、捜索は難航している。

 機は離陸の約25分後に高度約1万1500mで水平飛行に入った。約7分後に突然降下を始め、10分間で約2100mまで下りて記録が途切れた。この間、速度、ルート、姿勢はほぽ一定を保っていたことから機体のコントロールはできていたとみる。     
 仏検察当局は26日、副操縦士が「意図的に墜落たとみられる」と発表した。副操縦士が機長を操縦室から閉め出し、機体を急降下させ自殺を図ったらしい。

 事故原因が操縦士の自殺企図であったと言う、思いがけない展開となった。

 副操縦士は28歳のドイツ人、機長は操縦室のドアを開けるよう求めたが、副操縦士はこれにこたえず、仏の管制塔からの呼びかけにも応答しなかった。残された副操縦士の呼吸音に異常はなく、体調不良などに陥ったわけではない。また、山肌への衝突が近づいても助けを求めるような言葉も発しておらず、操縦室内は完全な静寂に包まれていた、という。激突直前には客室の乗客たちの悲鳴が音声記録の中に残っていたという。悲惨な状況だったろう。
 
 ドイツの捜査当局は副操縦士が精神疾患に罹患しており、自宅から破られた搭乗不可の診断書が見つかったという。親会社であるルフトハンザ航空ではこれを把握していなかったという。
 
 航空機の安全対策は大きく進展しているが、その主なものはヒューマンエラーを未然に防ぐバックアップ体制、ハード面や運行システムの改善であって、操縦室内のトラブル、人間関係、操縦士の精神障害の分野いついてはほとんど想定されていない。

 日本では1982年(昭和57年)2月に乗員乗客174人を乗せた日本航空のDC-8機が羽田沖で着陸直前に機長がエンジンの逆噴射を行い墜落、24人が死亡、150人が重軽傷を負った事故が生じたが、機長の統合失調症が見落とされていた。この事故後、日本では操縦士の健康管理は厳重に行われている。

 ジャーマンウイングス機の事故はロックされた操縦室内に副操縦士が一人になったことも事故を防げなかった原因とされている。2001年(平成13年)の9・11テロ後からアメリカで起きた旅客機用いた9.11同時多発テロ後、操縦室のロックは厳重に行われその解除は操縦席でなければできない。締めだれた機長は斧でドアを破ろうとしたが間に合わなかったようである。

 1999年(平成11年)7月、乗員乗客517人を乗せて羽田発新千歳行きの全日空機ボーイング747-400Dが離陸直後、当時28歳にハイジャックされた。男は操縦室へ侵入し、副操縦士らをコクピットの外へ追い出して扉を閉め、その後機長を包丁で刺殺し自分で操縦桿を握り迷走させた。危険を感じた副操縦士らが操縦室内に押し入り、犯人を取り押さえ、副操縦士が機体のコントロールを奪還した。機体を急ぎ上昇させて高度を確保した。機は高度300mという超低空飛行状態で飛行しており、このまま飛行すれば八王子付近に墜落した可能性が高かったという。
 この事件は犯人の男が操縦室内に入り得たことにも問題があったが、再度乗務員らが操縦室内に押し入ることができたことで悲惨な事故が未然に防げた。

 ジャーマンウイングス機の場合はドアが開けばなんとか墜落を防止できた可能性があっただけに悔やまれる。


4/11(土)午前雨午後晴れ 
1:30起床。本読み、微睡、音楽、落語など楽しむ。データ整理。午前は雨で書斎。DVD視聴:「ラララ・クラシック」視聴しつつインデックス作成の続き。午後はガレージの整頓、不明になっていたノラの「くりボウ」ガレージの2階で発見、丁重に葬った。懸案の一つ解決。「ラララ・クラ」のインデックス作成の続き。19:00夕食、20:30就眠。歩行通勤計6091Km。足低にトゲ?歩行時疼痛。

エアラインの話題(1) 本年上半期の事故は人為的?
 私は飛行機に乗るのは嫌いである。しかし、飛行機は大好きである。
 私は数年前までは頻回に、年間40回近くも、航空機を利用して東京方面に日帰り出張していた。空路移動は嫌でも新幹線移動は時間的に無理であった。あの空を飛んでいるという不自然さ、不安定な感覚は乗り慣れても何ともならなかった。
 だから、飛行機、航空機関連のシステム、飛行機事故などについて興味を持ってかなり勉強していた。今は乗ることもなくなって気が楽になったが、飛行機に対する関心は続いている。

 実は、新幹線にも不自然さ、不安定な感覚が付きまとい、心休まらない。
 
 私の1998年以来、新聞雑誌などから航空関連のニュースや知見を集めている。
 2015年1-4月間の話題は以下のごとくである。

エアアジア機墜落:急上昇はなぜか?
 2015年の年明けは12月28日にインドネシアのジャワ海消息を絶ったマレーシアのエアアジア機の話題から始まった。機はエアバスA320-200型、ブラックボックスは回収されているが1月末の時点で原因の特定には至っていない。
 わかったことは、機長は積乱雲を避けるために飛行高度の上昇を管制塔へ要請したが、他機が上空にいたため許可が出ないまま消息を絶った。失速警報が鳴っていたことや、事故機が通常の3倍を超す分速1800mの急上昇をしたことが判明したが、事故との関連性は分かっていない。
 乗客・乗員162人のうち1月末の時点で収容された遺体は70人。沈んだ旅客機の胴体の回収も断念したので遺体収容は一層厳しくなった。
 その後、事故の解析がどう進展したかは分からない。

 積乱雲の中は低温で嵐が渦巻いており、気圧も不安定で旅客機にとっては極めて危険である。おそらく速度を図るピトー管が氷結するなどして制御不能に陥った可能性がある、と思う。

トランスアジア機墜落:残ったエンジンを人為的に止めた??
 航空の旅客機2月4日午前、台北の松山空港離陸直後失速し高速道に接触、近くを流れる川に墜落し、乗客乗員58人中35人死亡15人が負傷した。不明者は8人。墜落直前に機体と接触したタクシーの乗客と運転手の2人も負傷した。
 機はフランスとイタリアの合弁企業が製造した双発プロペラ機ATR72。
 事故は、故障に人為的ミスが加わり、双発プロペラエンジンが両方とも停止した可能性が出てきた。離陸37秒後にエンジン一つが停止した。だが、その後にもう一つのエンジンを止める操作が行われ、双方が停止、再起動を図ったが間に合わず墜落に至った。
 その後、事故の解析がどう進展したかは分からない。

 機は片方のエンジンのみでも離陸可能であるが、高度も速度も不十分な状態で二つのエンジンが停止し推力を失ったために、時間的に墜落回避操作ができなかった、と思われる。不調なエンジンへをカットする操作を反対のエンジンに加えたのか、と思う。


4/10(金)快晴・夕方から雨 わが家の防災の日 運転免許証高齢者講習 飯川病院ボランティア
 1:30起床、新聞、文献などいつものごとく。徒然、大曲中通病院外来は運転免許証講習受講で欠勤。12:50-15:30運転免許証高齢者講習、15:45-18:30飯川病院ボランティア、院長学会不在。19:10バス帰宅、夕食、20:30就眠。歩行Σ6086Km。 DVD視聴:「ラララ・クラシック」インデックス作成、「日本人の30%にしか知られていないこと」、「ドラマ:ネコ侍スペシャル」。昭和27年郷里で大火、自宅焼失、本日はその記念日。今は私の記憶に残るだけ。

運転免許更新高齢者講習会 予想以上に能力劣化
 私は本日、運転免許証高齢者講習を受けてきた。
 この講習は免許証の更新期間が満了する日の年齢が70歳以上で免許の更新者が対象。75歳以上の高齢者は、高齢者講習の前に痴呆のチェックのための講習予備検査を受ける必要がある。

 自動車学校の予約は本日10日(金)12:50であった。金曜は大曲中通病院内科外来の日である。この時間までに会場に着くには大曲駅を10:50発のこまちで戻らなけれならないから、外来をやっても1時間余だけである。大曲の外来はお休みをいただいた。

 12:50太平自動車学校で講習会が始まった。費用は5400円。参加者は70歳以上の9人、内容は総論的な交通安全、秋田県の高齢者事故に関する座学1時間ほど、その後3名ずつ3班に分かれ、各班ごとに時間をずらしつつ身体機能検査に約1時間余、運転実技技能確認45分ほど、15:35終了証書を頂き終了となった。
 
 終了後各人の結果が提示されたが、私は予想した以上に良くなかった。

視野測定:両眼視野角度188度 70代としては良好。
静止視力:0.9 動体視力測定:0.2(時速30Kmでの視力)夜間視力(暗順応)21秒 70代としては良好。
運転適性検査 
(1)状況の変化に対する反応の速さ2 反応の正確さ4 反応のむら3
(2)複数の作業を同時に行う検査 反応の速さ2 反応の正確さ3 反応のむら3 ハンドル操作4
(3)総合判定2
実車走行:一時停止時に確実に停止すること、の助言。
講評
*前方の障害物、左右の歩行者や自転車、バイク等に気づくのが遅れる時があり、ブレーキを踏む時間がやや遅れる時があります。
*あなたは比較的確実な判断、操作のできる方です。
*あなたの判断・操作は、運転を急ぐと確実性に欠ける場合が考えられます。いつどんな時にも急がず、確実に一時停止や安全確認を励行してください。
*あなたの本検査による機能は、同年代の人達と比較すると、全般的にやや低下しています。運転は慎重に行わねばなりません。特に反応が大きく遅れる時があり、危険に気づくのも遅れ、事故になる可能性があります。
*前方注視を怠らず、車間距離を十分とり、速度を控えた運転を習慣づけて下さい。

 厳しい評価であった。予想以上の能力低下があった。評価と助言は自分で普段感じていることなので驚くものではないが、この簡単な機能検査の指摘が的を得ていて驚いた。
 
 ここまで指摘された以上、自らの衰えを認め運転時一層注意しなければならない。いい指摘を受けた。さいわい、70歳以上の高齢者は、自動車に高齢者マークを表示することができる。早速購入したい。


4/9(木)曇り・雨 日本内科学会総会 外来 飯川病院 
 1:00起床、文献チェック、徒然他いつものごとし。6:45-7:50徒歩病院、桜の開花が一層進んだ。千秋公園の桜はまだ遠い様子である。仙台と新潟で満開となったという。8:45-13:30外来、14:00-18:45飯川病院、午後、院長は京都で行われる日本内科学会総会に出発。19:10車帰宅、夕食、20:30就寝。DVD視聴:「日本視察団:医薬」、「昭和は輝いていた:下半期スペシャル」。

税の勉強を始めた(4)2015(1) 妻は年間110万円までしかヘソクリできない
 いま私は終活中である。残る家族達に迷惑をかけないであの世に行くには、生き様も死に様も大事であるが、税に関する対策を済ましておく必要がある。税についての独習は難しい。用語だけでも難解でなかなか進まない。

 今年は税に関してちょっとした喜びもあった。昨年度の確定申告は自分と家内の分を自宅のパソコン上で行ったのであるが、勉強の甲斐があったようである。本日、秋田県北税務署から私が計算した通りの還付金の振込み連絡があった。問題がなかったということである。申告に対しては毎年政務書とプチ競り合いがあったから、今日はいい気分である。

 税に関する勉強の過程で知らなかった事実を沢山知った。

 その一つが、一般的に内助の功として知られている配偶者の財産の考え方である。これは婚姻中と離婚の際で全く異なる、ということである。
 
 私は、共働きでないサラリーマン家庭の場合、収入のかなりの部分は妻にも相当の所有権があるのだろうと考えていた。しかし、これは税務上では通用しないことを知った。税務上では所得税を支払った後に残った所得はすべて収入源である夫のものとみなすのなのだそうだ。
 夫婦間であっても所有権を正式に移せるのは年間110万円までで、それを超えると生前贈与として贈与税の対象となる。

婚姻関係継続中は共有財産でなく、すべて夫の財産とみなされる。
妻が家計を管理してるといえ、年間110万円以上を自分名義の通帳にヘソクリとして移すと贈与税がかかる。
妻名義で投資信託などに多額投資した場合、貴金属や車などの高額商品を妻の名義で購入した場合なども贈与税がかかる。

 上記の場合などには、妻の方で申告しなければならない。ただ、日常的には厳しく判断されることはないだろう。実際に妻が申告しているケースはほとんどない??と思われる。大体、上記のこともあまり知られていない。
 ただ、収入源である夫が死亡した際に行う相続税の申告時に、不自然なお金の動きが税務署に指摘された場合には、追徴金を含めた課税を受けることもありうる。

 これが離婚のときはちょっと変わってくる。
 離婚時には民法第768条に財産分与として妻に請求権を定めている。婚姻中に得た財産か夫の名義であったとしても,妻の援助の下で得た財産であるとみなされる。離婚にあたっては「内助の功」が十分に評価される。離婚時の財産分与には、離婚に対する慰謝料.離婚後の生活費や子供の扶養のための費用負担なども評価して判断される。

 離婚により財産分与の場合、通常は贈与税がかからない。ただし、以下の場合には贈与税がかかる。
分与財産の額が婚姻中の夫婦の協力によって得た財産として多過ぎる場合、過剰な分には贈与税がかかる。
離婚が贈与税や相続税を免れるために行われた場合、離婚によってもらった財産すべてに贈与税がかかる。

 婚姻中の妻の内助の功は評価がずいぶん小さいように思われる。その分、夫が死亡した際の相続税で評価されるということだろう。
 離婚の際はこれが最後だから、今後の生活に対する諸々の費用が必要になるから、と分与を大きく認める、と考えられる。

 私もいろいろ考えなければならないことがありそうだ。だからあんまり早くは死なれない、と言うことも分かった。


4/8(水)快晴 外来+飯川病院 
 1:15起床,文献検索と本読みetc.徒歩出勤7:40病院着、8:45-13:40外来、ドックデータ整理。14:00飯川病院ボランティア、18:50帰宅、19:00夕食、20:30就眠。 DVD視聴:「赤ちゃんの秘密:驚くべき生命力」、「M・フリーマン:死後の世界はあるか」、「大敗北が家康を天下人とした」、「ヒストリア:日本人と桜の物語」。Σ6068Km。

速報 奥羽本線脇の桜が開花した 香りのさくらゼリー 可愛いさくらちゃん
 今朝は雲ひとつない快晴に恵まれた。
 早朝嬉々として徒歩にて病院に向かった。コースの前半分は奥羽本線に沿っての歩行者道路であるが、ここには比較的若い桜の並木がある。
 見ると中でも若い桜の枝にはチラチラと花が開花していた。

<img src="http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/29/c9/79d34cdf14e2a318e79a5077c4abfd58.jpg" border="0">

 ついに、桜の季節が訪れた。この並木の中でもまだ数本だけの開花である。咲いていない桜の木との違いは若い木であるということ。陽当たりとかには関係ない早咲きである。多分若い木だから「青春期」にあって活力旺盛だからでないのだろうか。沿道の老木はまだ開花に遠い状態にある。
 秋田市内に桜の名所は多い。その一つの千秋公園を毎日通るが、まだ開花ゼロである。ここは老木が中心である。

 本日の外来である患者さんから「桜のゼリー」と「桜花まんじゅう」なるものをいただいた。
<img src="http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/37/60/cc61ef6e9d0f3afbe068d20cc911255d.jpg" border="0">
(左は桜の花が透き通るさくらゼリー。花の香りが素晴らしい。右はまんじゅう。包装が美しい。勿論、味もいい)

 前者は秋田産、後者は青森産のお菓子である。ちょっと見たら近所の桜花がほころび始めたのでつい買ってしまったという。待ちかねた春の到来で、みんな、私も含めて桜の開花を待ちかねている。

 本年2月、4人目の孫が誕生した。まだ2ケ月、目が大きくてよく笑う子である。
<a href="http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/20/d1/28f905c154fc1c64d601a004681bb8ec.jpg"><img src="http://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/20/d1/28f905c154fc1c64d601a004681bb8ec_s.jpg" border="0"></a>
 さくらと命名した。とてもいい名前だと思っている。成長が楽しみである。


4/7(火)曇り後晴れ 外来 飯川病院 
1:00起床、文献、新聞チェック。3月分の録音データ整理。5:10可燃ゴミ提出。5:30飯川病院入院患者不調にて出勤、対応、改善。8:45-13:10外来、14:00-18:45飯川病院、19:10帰宅、夕食、20:30就眠。 DVD視聴:「池上;S・ジョブス」、「ドラマ:永遠のゼロ(前半)」、「ラララ・クラシック:マーラー、アダージエット」。Σ6058Km。

新年度スタート2015(2) 今年度の就労予定 水曜午前外来復活
 4月1日から私の就業契約が改訂になった。本年度も明和会の嘱託として、飯川病院の応援医として働くことになった。

 変わった点は水曜午前外来がなくなったことで、概要は以下のごとくであった。

 ■月曜は健康クリニック、火木は中通総合病院午前外来、金曜日は終日大曲中通病院勤務。月火木は14:00-18:00飯川病院の勤務。

 私が2-3年来望んできたウイークデイの休日がやっと確保できた。4月1日は有意義な休日となったが、このプランには無理があったようで、4月8日、すなわち明日から元に戻すことになった。4月1日は一瞬ながら意味ある休日であった。

 4月1日(水)の予約で来院した患者の方々はさぞや驚かれたと思う。患者の方々、私が外来から抜けるための手続き、準備をすすめていただいた事務系の方々、外来看護師には多大な迷惑をかけた。

 総合病院等の患者はその医療機関の医療を求めているのであって、外来主治医は病院の方針によって診療を担当している。病院の業務変更があれば割り切るしかないし、患者の方々には納得頂くしかない。

 私はもう医師として能力的に急性期病院には相応しくないレベルである。いつ診療契約が切れてもおかしくはない。健康上の問題もある。
 今回、いい機会が得られたので一部の業務から消えることにしたのであるが、無理があった。私がスムーズに外来から抜けるには有無を言えない事情で一気に消え去るのが一番、と思うが、数ケ月かけて次善の策も考えたいと思う。

 新年度初日、新しい気分でいい休日を味わった。貴重な1日であった。


4/6(月)若干降雨・曇り 健康クリニックドック 飯川病院
1:00起床、文献、新聞チェック他。雨のために6:47バスにて飯川病院に。9:00-11:20健康クリニックドック。11:50飯川病院、14:00-18:30勤務。19:10帰宅、夕食、20:30就眠。 DVD視聴:「勉強芸人」、「コズミックフロント:名場面集」、「そこまで言って委員会」。Σ6051Km。

イヌ・ネコはペットにあらず?(1) ペットと人の関係
 私は動物が好きだ。我が家で共に暮らしたことのあるのを思いつくままにあげれば、でかいのはウマ、次いでイヌ・ネコ、ウサギ、ハト、ジュウシマツ、ベニスズメ、熱帯魚、コイ、金魚、小型のはコオロギ、スズムシまでで、常に何かと一緒に暮らしていた。

 ウマの優しい目、ウサギの葉っぱを食べる仕草、初代ネコの目を細めて私を見つめる目、必死の子育て・・などから私は癒され、その生き様からいろんなことを教えられた。

 今は、クロネコが一匹、外猫1-2匹だけである。後者は昨年生まれ、わが家周辺で育った白のネコで冬期間をなんとか乗り切った。メスには避妊手術も行った。まだ警戒心は強いが徐々になついて来た。表情が可愛い。目元が可愛い。いずれは家ネコにしたいと思っている。

 次男の家にはボーダーコリーの犬が3匹同居している。夫婦は家族の一員と称して可愛がっている。私には到底入り込めないヒト・イヌ関係の一家である。
 私は動物が好きだが、私は一定の距離を開けた関係がいい。その意味ではイヌとの付き合い方が難しく、次男の家の3匹は甘えん坊で、休まる暇もない。静かな生活を好む私にはちょっと辛い。

 最近は、ペットと人の関係がやや濃密になりすぎるのではないか?と思っている。背景には核家族化、高齢者単独世帯の増加など、人間関係が希薄になっていく中、愛情の転嫁が生じているためと思う。イヌを室内で飼うようになったことの影響も大きい。
 
 人が何で癒やされようが、他人かあれこれ口出しすべき事柄ではない。何の問題もない。でも、新聞や雑誌にペットを紹介しているコーナーがあるが、ペットだけの写真ならまだ良いが、一緒に写っている飼い主の表情はどっか抜けていて、見るのも辛い。それにしても最近のペット達、飼い主よりも立派な表情をしている。

 犬のフン、ノラネコの対処は社会問題にもなっている。
 秋田市広報2月号には、「地域のみなさんが快適な生活を送るには、飼い主が責任をもってペットのしつけを行うことが大切です。」とあり、以下の助言が掲載されていた。
(1)飼い犬のフンの放置は不衛生です。必ず持ち帰りましょう。
(2)犬の放し飼いは、交通事故にもつながり危険です。絶対にやめましょう。
(3)喘飼い猫が家と外を行き来すると、病気に感染する危険性が高くなります。猫は家の中で飼いましょう。
(4)野良猫への無責任な餌やりは望まない猫を増やすだけでなく、フン害苦情の原因になります。絶対にやめましょう。

 2008年、東京都荒川区は、野良猫やカラス、ハトなど飼い主のいない動物に餌を与えたり、自宅にごみをため込むことを罰金付きで禁止する条例を制定した。
 本年3月、京都市で野良猫などへの不適切なエサやりを禁止する条例が成立した。命令違反をした場合は、5万円以下の過料が適用される。

 自宅周辺のネコ、千秋公園のハト、旭川のコイに餌を与えている私は肩身が狭くなってきた。


4/5(日)降雨 
1:00起床、午前まで文献、新聞チェック、読書他。午前中は録画内容のインデックス作成。BRディスク:N響定期数回分視聴、ベートーヴェンVn協奏曲は名演、東京バレー団第九交響曲は新しい試み。16:00次男一家離。DVD視聴:「映画:スパイ・ゾルゲ」、重要な史実に基づいた映画であるが理解困難。19:00夕食。20:30就眠。Σ6045Km。iPad「沈黙の艦隊」読み始めた。

本当の終戦日は何時なのか:土崎大空襲に関連して考えた
 終戦は、戦争を終えることで、国際法上では当事者同士で戦争状態の終結が成立した状態を指す。正式な文書交換のないままでの休戦・停戦状態に入ることがある。あるいは降伏文を交わした状態を終戦と呼ぶ。
 だから、複数の考え方が成り立つ。今でも時に小競り合いを繰り返している韓国と北朝鮮は停戦に至っていない。

 私は第二次世界大戦の終結について、自分としては以下の如くに考えている。 
停戦日:日本のポツダム宣言の受諾を連合国各国に通告した8月14日。(20年8月12日に外務省が連合国側の承認を傍受していた)
休戦日:ポツダム宣言の履行等を定めた休戦協定に調印した20年9月2日。
終戦日:サンフランシスコ平和条約締結により、連合国各国(ソ連等を除く)と日本間で戦争状態が終結し、主権が戻った1945年月4月28日。

 8月15日正午の玉音放送は国民に向けたもので国際法上は問題にならない、と思う。しかし、この日を終戦日とする法律もあり、国内ではこの日に関連行事が行われ一般的にも終戦の日と認識されている。これは国内問題としてこれでいいと思われる。

 実際、大本営からの戦闘停止命令は玉音放送よりも遅れて発せられた。8月16日に自衛の為の戦闘行動以外の戦闘行動の停止命令を出した。8月19日に8月22日零時以降は全面的に戦闘行動を停止するように命令した。8月22日に外地軍に対しては8月25日以降全面的な戦闘行動停止を命令した。その後も中国大陸や北方戦線では小規模な戦闘は続いたが、8月下旬には概ね終結した。

 土崎空襲は、1945年月8月14日22:00頃、132機のB29がの来襲、12,047発の爆弾を投下、250人以上が死亡,200人以上が負傷した。

 8月10日午前2時、ポツダム宣言受諾の「聖断」があり、3時からの閣議で承認。受諾は直ちにスエーデンとスイスに向けて送信された。アメリカはこの電文を傍受した。連合国としての回答は11日正午にスイスに向けて打電され、12日午後0時45分に日本の外務省が傍受し知る事となる。
 日本の中枢部が終戦の手続きをもっと急いでいれば、土崎空襲を含む12日以降の本土空爆は防げたはずだ、と思う。日本がポツダム宣言の受諾を連合国各国に正式に通告したのは8月14日であった、その夜に空襲、返す返す残念なことであった。

 15日正午の玉音放送の予定に合わせて時間調整がなされたのではないだろうか?


4/4(土)雲ひとつない快晴 飯川病院半日直 
 1:00起床。新聞チェック、本読み、録音データ整理他。午前はネコ、イヌ、孫相手に過ごす。大変である。11:00-12:20徒歩、飯川病院に。半日直勤務。医TV環境改善して視聴可能になった。DVD視聴:「BBC:アポロ11号月面着陸」、TV視聴「桂米朝さんを偲んで」。iPad「ジパング」読了。18:30車帰宅、19:00夕食、次男一家、孫3人、イヌ3匹で大変。20:30就寝。徒歩Σ6041Km。

目の輝きとは何か(5)目元の小道具(3)メガネ着用をやめ、ぼけた景色、視野の中で過ごす 
 私が愛用してきたメガネのレンズが曇り始めてきた。5年ほど前から用いていたこのメガネは矯正力も十分、軽くてとても気に入っていたが、プラスチックレンズだったためか傷もないのに昨年頃からすりガラスように白濁してきた。表面のコーティングが劣化したのであろう。

 老化で水晶体が白濁化するのが「白内障」であるが、目の外のレンズが白濁してきたので「白外障」というべき状態であった。「白内障」は白濁した水晶体を通して見るから視力が低下する。そのほか大きく不便なのは、白濁した水晶体の内部で光が乱反射することで周りが明るく見える羞明状態となる。この羞明は夜間運転中に対向車のライトが点でなく、光が放射状に広がって見えることである。そのために対向車が来ると路上を歩いていた歩行者、自転車などが見え難くなる。この現象は極めて危険である。

 私は「白内障」もあるらしいが、今の所それほど不便していない。しかし、「白外障」メガネを着用した状態では運転が怖くなった。「白外障」に陥ったレンズは交換しなければならないと思っていたが、2月のある日レンズを拭いているときにフレームが離断した。微妙な部位が折れたので勝手に修理不能、再起不能と判断した。

 机の中に古いメガネがあったので代わりに着用してみた。10数年前のメガネなので矯正力は弱いが、レンズが透明なので夜間の羞明は大幅に改善した。

 これを機会に私は運転時以外にはメガネを着用しないことにした。かけてもそれほど鮮明にならない。
 私は強度の近視で老眼も合併している。しかし、裸眼で10-25cmの間は鮮明に見える。だからパソコン上での仕事はほとんど不便しない。それ以上遠くはかすむが、もう鮮明に見なければならない対象はない。知人は姿形、行動でで分かるし、他人の顔は興味がないから認識する必要はない。外来業務にも支障はない。

 15歳でメガネを着用し始めて55年、顔面の付属物からやっと解放された。いい気分である。
 
 メガネなしのぼやけた視野の中での生活、いままでは無用に鮮明な世界を見てきた様な気がする。一体何を見ていたのだろうか。いまは見えないことによる開放感がとても心地よい。
 


4/3(金)雨 大曲中通病院外来 飯川病院ボランティア 次男一家来秋 
 1:00起床。新聞、文献関連、5:30可燃ゴミ出し。7:40Taxiで駅、8;10こまち、徒歩病院、8:45-12:25大曲中通病院外来。こまち、飯川病院ボランティア。DVD視聴:「ダイアナ妃事故死・最後の恋」、「100分名著:ブッダ」、「ヒストリア:Fザビエル 知られざる日本」。18:30車帰宅、19:00夕食、次男一家、孫3人、イヌ3匹来秋。20:30就寝。徒歩Σ6033Km。

統一地方選:無投票当選地区が多いのは民主党の責任である
 4月3日告示された41道府県議選で、総定数の5分の1を超える501人が無投票で議席を得た。道府県議選で無投票での当選率がこれまでで最も高くなったが、なんたる事態なのか??

 県庁所在地など都市部でも無投票当選が相次いでいる。そんなに現状の政治に対して地方の政治家は問題を感じていないのだろうか。それ以上に、深刻な人口減、活力減退があり、消滅の危機さえも叫ばれ、消滅候補にある地方でさえ対立候補が出ないということはどういうことなのか?疑問である。
  
 その背景は民主党の姿勢にある。国政は「自民1強」の中、民主党は存在意義が問われ始めているが、民主党が地方選挙の候補者を擁立出来なかったことが無投票当選者が多くなった主因である。

 岡田民主党代表は3日の記者会見で「立候補者は多い方がいいが、結果につなげるにはやむを得ない」と語った、と言う。現職の当選を最優先した結果であろうが、この考え方は野党第一党としての責任を欠いた発言である。

 せっかくの選挙の機会に対立候補が出なければ、住民は選挙権を行使する機会が奪われる。無投票状態を作ることは政治家にとって住民の権利を無視した重大な行為である。そんな党が党を支持して欲しいと言えるのか?

 しかも、地方が右肩上がりに発展していく過程にあるならばまだ許されようが、地方の活力はどんどん減って消滅さえも話題になっているときに、なんたることだろうか。

 民主は4年前の統一選から約4割も公認候補が減り、345人の擁立にとどまった。民主王国と言われている北海道の道議選も、公認候補が前回の47入から32人に減少している。
 野党の存在意義は現状の政治に対する評価と批判、意思表示、政策論争である。しかも、その責任が最も大きいのは野党第一党の民主党である。国政のことばかりに、いや、党勢の維持ばかりを考えていて、現状の地方政治に問題点を見出せていないのではないか。

 いま、地方創生が力説されている。地方創生の総合的プランは地域自治体で作ることが求められているが、いまの所殆ど見えていない。地方創生のアイデアをぶつけ合うだけでも十分選挙の争点になる。

 岡田民主党代表は「結果につなげるにはやむを得ない」と語ったらしい。ということは、候補者が当選しなければ選挙で戦う意味がないということを言いたいのだろうが、その前に、選挙を通じて党の考え方を住民に浸透させていくという、地道な努力が必要である。
 かつての政権交代劇は民主党の政策が優れていたからなし得たものではなく、時代の趨勢に便乗しただけに過ぎなかった。そこをどう考えているのか?
 民主党の政策など、誰も理解していないし、理解する機会もない。

 その点は共産党の有り様は評価できる。選挙のたびに国の隅々まで多数の候補者を擁立する。当選という成果はそれほど大きくない。しかし、選挙のたびに政策を主張して回る。しかも、公認候補が落選しても票の分析を通じて党勢を計っている。弱小政党ではあるが、私はこの点は評価している。 


4/2(木)快晴 放射冷却で氷点下 外来 飯川病院
1:00起床、本読み中心に過ごす。5:30資源ゴミ集配所に。外に置いた車の窓ガラス氷結。7:40徒歩飯川病院着、8:45-13:00外来、昨日の外来は苦労したらしい。13:40-18:50飯川病院。その間、14:30中通病院院長と面談。19:10車帰宅。20:30就寝。DVD視聴:「池上;戦後70年:キーワードで比べて紐解く日」2回目。

みかんが美味しい 入手困難になって来たのが寂しい
 私はみかんが好きである。しかも、私の場合は2月末−4月と季節外れになってから突然食べ出す。秋口からがみかんの旬であるが、その頃は食卓に並べられても殆ど手を出す事はない。
 2月下旬になると突然みかんを食べ始める。憑かれたように食べる。この頃の蜜柑は水分を失って実は萎縮し、皮との間に広く隙間が出てブヨブヨになってくる。外見もさえなくなるが、皮を剥きやすいし、味も濃縮するのだろうか甘さが増してくる。「ウーン、これこれ」と思う。 実に美味である。
 数個食べたいと思うとき、主食の座をミカンが占拠することもあtる。

 今までは上記のごとくであったが、今冬はちょっと違った。12月から食べ始めた。

 12月は約ひと月、間私は急性気管支炎と思われる状態に陥った。息が止まりそうになる程の咳嗽発作に襲われ、微熱が続いた。外来を休むと休診にせざるを得ないから休むわけにはいかなかった。外来診療はなんとか続けたが、外来の時間以外はほとんど横になって過ごした。食欲も減退した。

 この食欲減退の時期を支えてくれたのは新鮮なみかんであった。普段はこの時期に食べることはないが、何故かみかんだけはスルスルと入った。時にはみかんだけで過ごした日もあった。体調が悪い時にはこのみかんの酸っぱさが口に優しく広がったし、活力が戻るような気がした。年末頃にやっと体調が回復した。12月はみかんに感謝しつつ過ごした。

 年が開けるとともに徐々にみかんはブヨブヨになり始めた。このブヨブヨ感を毎日楽しんでいる。
 4月、この時期になるといつまで手に入るかが私の悩みになり、不安にもなる。果物屋でもスーパーでも品薄になり始めた。もう間もなく入手できなくなる。昨日、スーパーで大量のみかんが積み上げられていたのでというので大量に買ってきてもらった。
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(お皿の料理はネコ用。私のではありません)

 ブヨブヨみかんは腐りやすい。普段使っていないミニ冷蔵庫をみかん専用にした。いかに劣化させないで食べきるか、今の私の課題である。
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 多分これを食べきる頃にはもう手に入らないだろう。寂しい。来季も楽しめるよう願っている。


4/1(水)降雨 就業契約更新日  初休日 飯川病院ボランティア
 1:30起床。新聞、文献チェック、本読み中心に過ごす。本日より水曜日勤務なし。午前は書斎他の整理、書籍等の資源ゴミ廃棄準備。4人目孫の誕生の揮毫書き。11:45車で飯川病院、ボランティア。新調メガネ入手。19:00帰宅、夕食。20:30就寝。徒歩Σ2997Km。DVD視聴:「江戸のすすめ:江戸という時代」、「池上;戦後70年:キーワードで比べて紐解く日」。徒歩Σ6016Km。

新年度スタート 今年度の就労予定  
 新年度スタート日。病院も県内の各企業も若手新入職員を迎える。私はこの時期がとても好きである。
 しかし、もう若い職員とふれあう機会はなくなった。病院の若手職員のほとんどはもう私を知らない。

 本日から私の就業契約も改訂になった。本年度も明和会の嘱託として、飯川病院の応援医として働くことになった。ただ、変化もあった。概要は以下のごとくである。

 ■2015年度:月曜は健康クリニック、火木は中通総合病院午前外来、金曜日は終日大曲中通病院勤務。月火木は14:00-18:00飯川病院の勤務。

 本年度から中通総合病院水曜の外来が無くなった。
 3月中旬に外来担当医師の充足があるとの連絡があり、自分から申し出て急遽水曜外来から外れることにした。

 水曜外来に通院していた患者の方々には、事前に通告していなかったので、本日来院してから突然担当医変更を知ることになり、さぞや驚かれたと思う。多分、外来は混乱したのではないかと思う。
 患者の方々には多大な迷惑をおかけるするが、火曜、木曜の外来の予約には余裕がないために、このまま新しい担当医に通院していただくことになる。

 総合病院等の医療は、担当医が各々の立場で業務を分担して責任を持って診断、治療するが、基本的には患者はその医療機関の医療を求めているのであって、病院の方針によっては業務変更も、担当者変更もありうる。この点がクリニックと異なる点である。病院の業務変更ということで私は割り切るしかないし、患者の方々には納得頂くしかない。

 私は、かねてよりもっと広く勉強する時間、考える時間が欲しい、と考えていた。加えて最近は体力低下を自覚している。そのために隔日程度の勤務にしたいと思っていた。3月上旬までは今年度も昨年と同じ勤務が予定されて止むなしと思っていたが、急に希望の一部が実現した。

 私は生じた時間に一層広い分野の知見に触れたい。いままで疎かった領域に触れるのは実に楽しい。

 新年度初日、新しい気分でのスタートになる。いい季節である。


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   年を通じてワンパターンで淡々とした毎日です。AM2:00-5:00にメールチェック・返事送付、人間ドック(HDD)判定・報告書作成、新聞切り抜き、病院・医師会業務など。
  月〜土曜は6:00頃出勤、HDD報告書印刷、外来書類処理など。病棟回診、HDD受診者とミーティングと診察。8:45-14:00外来とHDD受診者に結果説明。昼食は摂りません。午後は病院業務・医師会業務、各種委員会等に出席など。20:00頃帰宅。
  日曜・祭日もほぼ同様ですが、病院には午後出かけます。時間的に余裕無いのが悩みです。


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