徒然日記
2014年6月分

 日記と言うより、自分の行動記録からの抜粋と日々の雑感です。

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6/30(月)曇り 健康クリニックドック業務 飯川病院
 1:00起床、新聞・文献チェック。読書中心。7:50徒歩病院着。9:00-11;00健康クリニックドック業務14名+結果説明一名。12:00飯川病院へ。14;00-18:00業務。ドキュメンタリー「いのちの輝き」後半観賞。帰宅。庭木の剪定と焼却。19:10夕食、20:30就眠。歩数計3948Km。

永山則夫著 「無知の涙」(2) 著者の性格が分かる作品
 永山則夫著「無知の涙」は「ノート1」から「10」まで10章で構成されている。さらに散文調の記述と詩で記述される。

 「ノート1」で、永山則夫は文章を書くことで「自分の世界を確立する積もりだ」と書いている。何か書きたい大きな欲望が湧いてきていると言うことを示唆する記述である。
 読み進めると、「囚人と言えど私は人間である」、「人間失格者が人間であることを忘却したら一体全体どう成るのだ」などなどと人間の権利の要求などが畳み込む様に、頻回に記述されている。普通の環境にいる人以上に社会に向けて問題提起している面がある。獄中生活と言う,自業自得でありながら国家権力で自由を奪われていると言う特殊な環境の中で、国家や社会に対する恨みを連ねた気持ちは、分からない訳ではない。

 「ノート4」になると、自ら犯した犯罪をふり返りながらも、「自分は決して狂っているのではない」、「あまりにも騙されすぎた自分であった」、「このまま沈黙を守ったまま死ぬのだとしたら情けない」、「法廷で怒鳴ってやりたい衝動にかられ、やり切れなくって筆を取る」、などの記述が見られる。 
 永山は自分を客観視しようとする理性と、邪悪なるものへ怒りを覚える人間としての尊厳を兼ね備えている事を言いたかったのだろう。すごい自己顕示欲である。

 いま「ノート5」にさしかかったところであるが、この時点で私は「無知の涙」から一時離れる事とした。

 永山の文章ははっきり言って読み難い。私が知らない様な難解な言葉,言い回しが次々と出てくる。彼は獄中で「資本論」を始めとする各種の書籍、哲学書、罪と罰等の文学書を読破したとされるが、覚えたてと思われる難解な言葉を各所に散りばめていてとても読み難い。参考にした本からの長文の引用も見られる。難解な言葉,意味深い引用文を並べている自分に陶酔しているような感じがしてならない。
 勾留されて初めてまとまった時間を読書に費やし、次々と頭に入って来る知識を吐露したかったのかもしれない。この事からも永山の性格や心理状態がうかがえる。

 永山の「無知の涙」記述からだけでは彼の人生がどんなものだったのか、どんな過程をへて4人も殺害する事件を起こしたのか、その動機は何だったのか・・・を十分読み取る事は出来ない。
 永山を知るには永山以外の人物による評価が必要がある。それで、佐木隆三著「死刑囚永山則夫」と永山の詳細な精神鑑定を行いながら裁判では取り上げられなかった鑑定医・石井義博氏の手記を記録した、堀川 惠子著「封印された鑑定記録」に乗り換えて読んでいる。

 「無知の涙」の存在には驚き、圧倒された。
 私は永山の解読力、文筆力は一般的にいわれているほどは低くなかった、と思う。逮捕後に如何に努力したからと言って僅か2年余で「無知の涙」を上梓し、後に文学賞を受けるに至った作品を書き上げるなど、私の理解を超えた人物である。永山は1990年に死刑が確定、1997年に死刑が執行されたが、この間、毎朝、刑の執行におののきながらも執筆し続けた事も驚異である。彼は本当に「死ぬために書き続けた」と思う。

 刑が執行された時にかなり暴れ、抵抗したとの事である。その事は周囲のものに予告していたとされる。心に思っている何かの,最後の表現だったのではないか。
 それだけに、永山をもっと知りたいと思っている。


6/29(日)降雨 飯川病院日直
 1:00起床、新聞、文献など。蓄積データ大幅に整理。8:00徒歩とバス飯川病院へ。8:45-17:00飯川病院日直。ドキュメンタリー「いのちの輝き」前半見る。生殖医療の現状について学ぶものが多かった。18:00帰宅、畠作業、19:30夕食、20:30就眠。

永山則夫著 「無知の涙」(1) 増補新版 河出文庫 1990年初版2005年14刷
 いま「無知の涙」を読みかけている。
 著者の永山則夫は1968年に4人を殺害した死刑囚である。永山則夫自身についてもその事件の背景や影響についても、私はおぼろげながら記憶にあるだけで殆ど知らなかった。永山則夫には10册ほどの著作があるが、彼の作品を読んだのも初めてで、内容について、正直驚いた。

 永山は貧しい環境で荒れた生活を送りまともな学校教育を受けていない。1969年に19歳で逮捕されたが、読み書きも困難な状態だった、とされる。しかし、獄中で独学によって識字能力を獲得し、哲学・文学書などを読みあさり、同時に執筆活動を開始した,と言う。

 1971年に手記「無知の涙」を上梓し、その後も多くの作品を発表している。1983年には小説「木橋」で第19回新日本文学賞を受賞、創作活動を通して自己を振り返るという、死刑囚としては稀有な存在であった。

 彼は逮捕後に猛勉強した・・と言われているが、最初の手記「無知の涙」を出版するのに僅か2年余である。文庫本にして500ページもある大作である。獄中で猛勉強して書いた??それは本当だろうが、私は信じられない。

 拘留中、日々の時間は多分豊かにあっただろうが、逮捕された時点から死刑を意識し,自分に先がない,と分かっていた中での向学心,向上心のルーツは何だったのか? 私は旺盛な自己顕示欲だったのではないか?と思った。

 私はかつて徒然日記を何のために書いているのか、と考えた時に、私の学習記録であり、ノートである。そして私は死を迎えるために書いている、と書いたことがある。「死ぬために書く」、なかなか格好いいじゃないか、とちょっと悦に入っていた。
 その後に気づいたのは、かつて、「死ぬために書く」と表現された誰かの言葉があるのを思い出した。誰だったのか、なかなか思い出せずに数日呻吟したが、死刑囚永山則夫でなかったのかと気づいた。

 永山に関す資料の中に永山は逮捕時には読み書きも困難な状態だった、とあった。当たり前に教育を受けて来てもろくな文章をまともに書けないでいる私とはあまりにもかけ離れた人物のようである。
 突然、私は永山に、特にその旺盛な向上心、勉学、創作活動に、興味を持った。

 彼は1979年に死刑判決、1981年無期懲役、1990年に死刑が確定、1997年に死刑が執行されたが、その間も執筆し続けた。

 「無知の涙」を早速購入した。小冊子程度の本か?と思ったが、分厚い文庫本であった。


6/27(金)快晴 大曲中通病院外来 飯川病院ボランティア
1:00起床、文献・新聞チェック。何時ものごとく、7:45Taxi駅に、8:10こまち。8:45-13:15大曲外来,飯川病院ボランティア。録画「日本の先端技術」を観る。ダイジェスト的であったが思いのよらない分野の先端技術に触れることが出来た。19:15帰宅、夕食、 20:30就眠。歩数計3926Km。

いわゆる「医療否定」の考え方(6)さんぽあきた メルマガへの投稿文
 最小限の診療以外の対外的活動すべてを断って来たが、本年度は秋田県産業保健総合センターの相談員一つだけ引き受けた。かつてお世話になった先輩のたっての願いで断りきれなかった。センターのメールマガジンに掲載するための小文の原稿依頼があった。事務局からいわゆる医療否定本について・・と言うことで以下の小文を投稿した。

いわゆる医療否定本について
 あの有名な近藤誠氏の「医者に殺されない47の心得」が日販の昨年暮れの集計で総合2位に入った。近藤氏はがんには「本物」、「がんもどき」があって前者は治療しても効果は殆どなく、後者は治療不要だから双方とも治療の要なし、と言う考え方で、「がん放置療法」を一般の方々向きに提唱している。

 「医者に殺されない47の心得」と言う題名の本は目を引きやすい。私が担当する外来でも約10人ほどからこの本や、近藤氏のかつての著書、近藤氏以外の医師たちによるいわゆる「医療否定」本についての質問を受けている。その際の私の説明は「近藤氏をはじめ、一部の医師達の偏った意見で、関連学会の討論を受けていない。参考にするのはいいが、信じてはいけない・・・」と答えている。近藤氏ら本は、患者の選択をあやまらせる可能性もある「危険な本」と考えている。

 近藤氏の、がんには「本物」と「もどき」があるとの考え方そのものは間違っていないと思う。ただ簡単に白黒を決めることは出来ない。 それと、治療をしてもしなくとも結果が同じと明快に言えるのだろうか。それこそ一定の先入観で解釈した個人的感覚、と思う。

 がんそのものはかなり多様である。
 悪性度が高い群と低い群の間には広いグレーゾーンがある。診断時に転移を伴っていれば判断に迷うことはないが、転移を伴わない初期の腫瘍の場合には、多面的に検査しても良性腫瘍と悪性腫瘍の区別すら、明快に決めるのは困難である。

 私の診療領域は主に血液疾患であった。もう歳だから血液学会の専門医、指導医は昨年返上した。近藤氏も睾丸のがん、血液領域の悪性疾患は抗がん剤で治る可能性があるので「がん放置療法」の対象外、としている。この区別も納得出来ない。
 血液領域の悪性疾患の代表的なのは白血病、悪性リンパ腫、多発性骨髄腫等がある。私は診断がついたからと言ってすぐに治療を開始する事はない。年齢を始めとする患者の背景、疾患の性格、考えられる経過、本人の希望などを勘案して他の専門医を紹介する。強い希望があって、私のもとで治療する際にも即抗がん剤だ、放射線だ、手術だなどと進める事はない。一部の患者については病気との共存の方がベターと判断して「放置療法」を選択することもある。

 私は他の領域の固形がんについてコメント出来ないが、近藤氏の考えは受け入れ難く、一般論としての「がんは早期発見・早期治療がベスト」との考えに立っている。

 近藤氏は検診の是非にも言及している。確かに検診の過剰診断を示すデータはあるが、検診で発見された「がん」の治療成果は良好である。検診は問題点はあるものの現時点で検診を全否定することは出来ない。
 「がん」の治療は個別性が大きい。がんの性質、進展度、患者自身の状態も千差万別である。治療をする側の専門性の違いによっても選択肢に違いも生じる。病院ではより広い視点で治療を選択できるようカンファレンスを入念に行っている。
 放置療法により助かる命も肋からないこともありうる。私は放置療法の方が良かったとするのは、一部の患者に当てはまることもあろうが、広く「がん」患者に適応するのは危険だと思う。


6/26(木)快晴 外来 飯川病院
1:30起床。音声他各種データ整理。7:55ハト給餌、徒歩飯川病院着、中通病院整形病棟見舞いなど。8:40-13:45外来。大変な外来であった。14:00-19:00飯川病院。映画「お引越し」に挑戦するもよう分からんで中座。19:20帰宅。夕食、21:00就寝。歩数計3916Km。

都議会のヤジ騒動(2):ドラマ化またもや メディアは騒ぎ過ぎだよ
 6月18日、東京都議会の本会議で独身の女性議員が、東京の晩婚晩産を指摘し、妊娠・出産・育児に悩む女性への支援の充実を訴えていた。そこへ、「早く結婚した方がいいんじゃないか」などと数人の男性議員からヤジが飛び、議員がたじろぎ、議場に冷笑が広がった,と言う。

 ヤジそのものもは「セクハラ発言」であり、「いじめ」に繋がる悪意に満ちたもの。さらに「都議会の場」で発せられたことも併せ、許し難い内容である。私もその判断に異議はない。しかし騒ぎ過ぎである。

 野次を飛ばした自民党の某議員は5日後に名乗り出た。某議員はそれまではメディアに「関与を否定」し、そればかりか「ヤジを飛ばした議員は辞職すべきでしょう」などと発言していただけに実に見苦しい。某議員は名乗り出た後、女性議員に陳謝し、責任を取って自民党会派を離脱したが「議員は辞職しない」と二枚舌である。

 こんなことも関与してか、メディアはまたまた騒ぎ過ぎである。
 今年はメディアが作り上げたドキュメントが、騒ぎ過ぎの話題が、多い。「佐村河内問題」、「STAP細胞問題」、「美味しんぼ問題」、「金目発言問題」・・・然りである。今回の都議会ヤジ問題はこれと同等である。

 この問題を担当したメディア関係者は全員女性なのか??と思わせる内容である。しかしそんなことはないだろう。

 今回のヤジに関する画像を見たが、質問した独身の女性議員はヤジを受けたとき、若干たじろいた様に見えたが、質問を続けている。私はこの画像を見て、質問した某女性議員にとっても、ヤジを飛ばした某議員にとっても、その後の経過は考えもしなかったほどの大きく、めまぐるしい展開になってしまった、と思う。最も困惑しているのは当のお二人だと思う。メディアによって報道がエスカレートし、二人ともモルモット化されてしまった。

 感想をちょっと。
■質問者は、それほどのショックを受けたのなら、なぜ質問を中断し、議長に対して意義を申しでてヤジに対して抗議しなかったのか?質問終了後でも良かった。それがベストの対応であった。
■質問者は、議会内の規律委員会または倫理委員会などにヤジに対する抗議と善処を申し出なかったのか?? そんな組織があるか否か私には分からないが、そんな機構があればそれを利用するのがベターであった。
■質問者は、当日自身のツイッターで「心ないヤジの連続」と投稿した。おそらく時間の経過とともに自身の中で憤りが増幅したのであろう。その日のうちに2万回もの転載があったと言う。上記の過程を経てからの投稿の方が良かった、と私は思った。

 その後のメディアの取り上げ方は凄まじかった。ヤジを飛ばした議員が名乗り出る前は犯人探しの論調、メディアによっては「犯人」と記載していた。これは、犯罪なのか??疑問である。
 名乗り出た後は彼一人の問題として矮小化した論調になり、「非常識」、「辞職せよ」などと非難の声が続いている。

 これは日本社会の後進性が表に出たのであって、ヤジ議員個人の問題ではない。だいたい、関与したメディア関係者は自分を顧みて恥じるところはないのか? 私は、ヤジ議員の言動を自分自身に投影して「近似性」を感じてしまう。私は少子化については関心が高く、講演や講話を通じて若い方々にはもっと子供を産んで欲しいと述べてきた。
 まさか、まともでないのはヤジ議員と私だけであろうか。


6/25(水)午前曇り、午後快晴 外来 飯川病院ボランティア   
 1:00起床。データ整理、本読み。徒歩、ハト餌撒き、7:50飯川病院着。不注意で牛乳瓶落とし当直室汚す。8:45-14:50病棟に見舞い+外来+健康クリニックドック総括15名分。14:00-18:45飯川病院ボランティア。TVドラマ『遺品の声を聞く男」5作目を観る。女優の佐藤めぐみ目的。複雑なミステリー系。探索。夕食、20:00就眠。

うわっ アメシロが我が家の木々に発生した とりあえず寄生した枝葉を取り除いた
 庭に木を植えるのは楽しい。緑はこころを和ませてくれる。我が家は当地に住み始めてから40年近くになる。引っ越し直後には家の周辺に次々と植樹した。今は電柱の高さを超えて大きく生長した木も少なくない。

 庭木が隣家との間にトラブルになりかねない。日当りの問題も、虫害なども発生する。緑を楽しむならいろいろトラブルを防ぐような気配りも必要である。

 今朝、何故か早く起床した家内が、柿の木、ウメモドキの枝葉にアメリカシロヒトリの巣があると言われた。昨年あれほど苦労したのに私は気がつかなかった。

 発見したら早期段階の駆除が一番効果的。一日も待てない。幼虫が分散する前に枝葉を切り取り、焼くか踏みつぶしすしかない。出勤前だからと言って後回しに出来ない。6:00amから高所用枝切りバサミを用いて切断した。直径1cmほどの枝を20本ほど切り取った。
 昨年は、6月と8月に自宅の樹木の消毒をしなければならない、と思ったのに注意不足であった。枝をかなり切りとらなければならない事態になったことで私のこころに傷がついた。

 アメリカシロヒトリとは小型の蛾で、幼虫が桜、プラタナス等の樹木の葉を食害し、枯らしてしまう。6月上旬からと、8月上旬からの年2回発生、旺盛な繁殖力で幼虫は集団で植物を食い荒らす。そのまま放置すると周囲の樹木まで丸坊主になる。駆除後の剪定枝はガスバーナーで燃やすのが一番である。そのレベルを超えてしまったら動力噴霧器を利用して薬剤散布を利用した駆除が必要となる。これ以降の処置は私には出来ない。本日、昨年依頼した園芸業者に依頼し、プロの判断を委ねた。

 昨年は8月上旬頃にはアメリカシロヒトリが大発生した。私の家の樹木も隣家の樹木も枝枯れが目立っていた。家庭菜園の枝豆の葉にもアメシロがついていて、葉がかなり食べられ収穫量も落ちた。作業の度に衣服や手にも虫がついたり、靴の中にまで虫体が入っていることもあった。

 隣家では庭木のほとんどをかなり太い所から切り取ってしまった。アメシロ対策だと言う。かなり積極的な対応で参考になった。私は業者にお願いし、虫体がついた枝葉を剪定し、薬剤散布で対応した。
 昨年は後手に回った。今年は昨年の二の舞を踏まない様に観察と対策を続けていく。


6/24(火)快晴 外来 飯川病院  
0:30起床,いつもと同じ、畠の散水、ハト餌撒きし、7:50徒歩飯川病院着。8:45-13:00外来。賄いの石井さん自転車で転倒、救急外来受診、入院となる。しばらく不便な生活となる。14:00-18:45飯川病院。録画でドキュメンタリー「白瀬中尉」、「ナポレオン」を観る。前者では日露戦争直後の日本の情勢、後者からはフランス革命後のヨーロッパ情勢を学んだ。19:00帰宅、夕食、20:15就寝。歩数計3894Km。

社会保障2014(4) 国民負担率過去最高に
 経済財政運営の指針「骨太方針」は一段と進行する少子高齢化に対応しながら、社会保障費の抑制と福祉の過不足ない提供をどう両立させるのか。小手先の微調整だけでは何ともならない事態を迎えている。

■わが国の社会保障の国民負担率の状況
 国民負担率とは、国民全体の所得に企業の収入の合計と、医療・保険などの社会保障に税金の負担がどれだけあるかを示す。一般的に国民負担率が高くて、社会保障が手厚い場合には「高福祉・高負担」型福祉,国民負担率が低くて、社会保障が手薄であれば、「低福祉・低負担」と言うことになる。

 日本の水準は数値上は「中福祉・中負担」と言って良い。国民負担率について諸外国との比較が出来る2011年度は39.8%であった。スウェーデンの58.2%やフランスの61.9%よりは低く、米国の30.8%や韓国の34.5%よは高い。

 国民負担率の年次経過を見ると、2004年度は36.2%、2008年度に初めて40%を突破、一時減少したこともあるが、2012年度からは3年連続で40%を上回っている。
 これが2014年度は過去最高の41.6%になると思われている。その理由は、4月の消費税増税で社会保障に対する個人が支払う税金や企業負担金が増えるからである。社会保障の充実のために消費税を増税したのに国民負担金が増えるのは皮肉な現象である。

 高齢化が進んで医療費だけでなく年金関連の支出が増えている。自己負担分を除いた医療や年金などの費用は、2013年度の見込み額が2000年度の約1.4倍の111兆円でこのうち保険料の負担は62兆円で、残りは税金や借金などで賄っている。
 今の日本は現在の世代が将来の世代から前借りして、運用している状況である。将来の税金で返さなければならない財政赤字を加えた「潜在的国民負担率」は51.9%になる。4年連続で50%を超えている。

 国民負担率か高くなるのは少子高齢化、医療水準の発達などに原因がある。どんな社会を国民が望んでいるのかにもよるが、経済活動の活力をそぐ一因ともなる。安倍政権は社会保障を抑制し、法人税軽減などで経済活動を重視している。

■これからの社会保障には人口維持のための膨大な費用も含む
 従来、社会保障は主に高齢者対策を中心であったが、高齢化は少子化と表裏一体であるから高齢者対策だけでは片手落ちであった。国も遅まきながら人口減少を防ぐための若者対策、子供対策にも力を入れると言う。その内容はまだ不明であるが相当の費用をも見込まなければ人口減は防ぎ難い。人口維持は社会の維持に必須である。

 どのような形になるのだろうか。注目を要する。



6/23(月)早朝降雨午後快晴 健康クリックドック 患者関連書類処理 飯川病院
1:00起床、いつもの如し。徒歩にて千秋公園ハトに給餌後7:50飯川病院着。9:00-11:00健康クリニックドック、14名。その後は事務処理。12:00飯川病院へ、新聞等処理、14:00から業務、録画でドキュメンタリー『父のヴァイオリン修復」観る。19:00帰宅、畠・花壇散水。19:00夕食、20:00就眠。 歩数計3883Km。

社会保障2014(3) 経済財政運営の指針「骨太方針」 小泉時代の悪夢の再来か
 安倍政権が間もなく閣議決定しようとしている経済財政運営の指針「骨太方針」は、財政健全化に向けて「社会保障を聖域なく見直す」としている。このうち、年間約40兆円となる国民医療費の抑制が第一の目標となっている。
 「聖域なく見直す」といういう言葉は小泉政権時代以降では初めて使われているとおもうが、日本の医療の崩壊を来したの悪夢の再来か,と思ってしまう。
 日本の経済状況は小泉時代よりも一層悪化している。どのような形で指針「骨太方針」が具体化されるのか、目が離せない。

 安倍政権の社会保障抑制指針「骨太方針」の骨子は以下のごとくである。

■都道府県ごとの医療費支出目標の新設。
 電子化で得られる大量の診療報酬明細書のデータを活用し、人口や年齢構成、病気の傾向などの分析を踏まえ、都道府県ごとに合理的な目標をつくる。財務省は達成できない場合のペナルティの導入を視野に入れる。居住している自治体によって医療給付に差が出るかもしれない。国民皆保険制度の理念に反しないだろうか。

■高齢者の自己負担に「能力に応じた負担の検討」。
 75歳以上の窓口負担割合を現在の1割から引き上げることや、70歳以上の外来での支払いに月間上限額を設けている特例の廃止を示唆している。

■75歳以上が加入する後期高齢者医療制度で、一部の加入者に対する保険料軽減を見直す。

■混合診療の解禁検討。

 これらは今後の目標であってまだ具体的に決まったものではない。一段と進行する少子高齢化に対応しながら、社会保障費の抑制と医療の過不足ない提供をどう両立させるのか。具体化は、今後の制度改革の検討、来年度の予算編成に向けて進められていくが、小手先の微調整だけでは何ともならない事態を迎えている。
 どのような形になるのだろうか。注目を要する。


6/22(日)快晴 飯川病院日直
0:30起床、随想読み、徒然など。メインのハードディスクのデータの整理。微睡。8:45バスと徒歩飯川病院着、9:00日直業務に。映画「NANA2」見る。17:10帰宅、バラ植え付け、アジサイ植え付け、撒水。新聞等チェック。19:00夕食。20:30就寝、歩数計3873Km。

捨てる2014(4)家族間の要(かなめ) これからはマシュ―に学び「そうさのう」で行こう
 最近は身辺をいろいろ整理している。最近は無形のものもどんどん捨て始めた。

 対社会的には「私の役目は終わった」と自認し、殆どすべての活動から引退した。

 前々から感じていたのであるが、家族間でも私の立場に変化が生じている。すなわち、徐々に家族の要(かなめ)としての立場も影を失いつつあることである。言ってみれば、家内は相変わらずマイペースであり、子供達はそれぞれ自分の家庭を持ち、孫達も成長しているし、当然の流れである。

 今回の次男宅の仔犬を見に、一泊のミニ家族旅行をした。車移動であったからそれほどよろこんで参加したわけではなかったが、この二日間を通じて主役的役割は何もなく、邪魔と言うものではなかろうが、殆ど添え物的存在であった。まあ、居ないよりはいい程度か。
 尤も、いまの時点で家族内では,ゼロではないがそれほどの懸案事項があるわけでなし、意味ある会話が必要なわけではない。終止「フンフン」と話を合わせているだけで済んでしまった。
 立場上、いままでは曲がりなりにも要(かなめ)の立場を果たして来たと思っているが、もう次世代に任せてもいいようである。

 私はもともと自己主張することが嫌いである。ディスカッションは嫌,ちょっとした会話もどちらかと言えば嫌いである。それらが必要な状況なら始めから自分を押し殺して相手の意見に従ってしまう。それが私の性格であり生き方であった。

 私は医師としての能力は別にして、患者からの受けはいい方の医者であろう。「よく話を聞いてくれる」、「いろいろ親身に対応してくれる・・」など等の評価が聞こえてくるが、そんなことはない。相手が話を始めたら止めるのも面倒だから一定程度機械的に相づちを打ちながら聞いているだけ、どうでもいい事は断るのも面倒だから応じているだけで,ともに本心ではない。

 「他、我にあらず」は私の人間関係の基本的立場であり、「他」に対しては自分の考えを主張はしないが、「我」に対しては結構、主張、要求は強くて自らを苛んでいる。

 今後、家族達の中でどう振る舞っていこうか。もう決めている。「赤毛のアン」に登場する働き者の老人、マシュー・カスバートに学び「そうさのう・・」これ一本でいこうと思う。

 これでまた一つ肩の荷が下りた。


6/21(土)快晴 晴
0:30起床、文献・新聞チェック。データ、本読み。7:00-11:00畠・庭の仕事。うっそうとなった玄関までの通路の椿、モミジ,ツツジ等剪定、草刈り、植木の下刈りなど。本読み、データ整理など。13:00-16:00畠の他、植木用はさみの修理。以降は、自宅の片付け整理。文献読み、録画「山田和樹・パリ管弦楽団演奏会」観る。疲れて午睡。19:00「すし友」へ、30年ぶり。20:45帰宅、就眠。歩数計3864Km。

都議会のヤジ騒動(1):あまりにも稚拙!!! 議会に小中学生を傍聴させては??
 6月18日、東京都議会の本会議で独身の女性議員が、東京の晩婚晩産を指摘し、妊娠・出産・育児に悩む女性への支援の充実を訴えていた。そこへ、「早く結婚した方がいいんじゃないか」などと数人の男性議員からヤジが飛び、議員がたじろぎ、議場に冷笑が広がった,と言う。

 今回のヤジそのものもは「セクハラ発言」であり、「いじめ」に繋がる悪意に満ちたもので許し難い内容である。これが品位と良識が求められるであろう都議会の席でのことと聴いて驚くばかりである。最も、好色選挙法で選ばれた議員,性治家? だから腹黒、ピンク、金権などの色に染まっているのは仕方がないか?

 国会でも同様であるが、議場で汚いヤジを飛ばすのはよく見られるが、ラジオ・TV中継等で聴いていて不快である。ただ、ヤジを飛ばす事は一つの意思表示,パフォーマンスとしての意義はあると思う。演説あるいは質問する者の言うことを声も出さずにじっと聞いているだけの議会はあり得ない。それに、議会では発言のスケジュールは予め決まっていて発言したくとも予定外の議員には自由に発言する機会は与えられていない。そんなこともあってか、ヤジそのものは禁止はされていないようである。それでも内容は問われなければならない。

 今回のヤジでは当該の女性議員から発言者を特定して欲しいとの要望が出されているが、自ら名乗り出るべきである。名乗り出なくともどうせ分かってしまう。議場で席が近い議員同士は誰がヤジを飛ばしたのか分かっているはずである。名乗り出ないと集団隠蔽が問われるだけ、恥の上塗りである。

 強姦,強制猥褻,痴漢行為などは明らかな犯罪行為であるが、セクハラ的行為、セクハラ発言は日本では最近まで比較的軽く扱われてきた。この点、諸外国は異なる。そのため、今回の都議会の話題は欧米でも大きく報道されている。慰安婦問題まで絡めて解釈される。

此の様な騒動を教育的見地から考えれば、が子供達に与える影響は決して小さくない。子供は大人の言動をよく観察している。国会や議会の品位を欠くヤジ、いじめにもにたセクハラ発言、暴言・失言などなど、さらに今回の件では発言者が名乗り出ないなど、子供達の前で提示するのに、最高に恥ずかしいことばかりである。

 子供の世界は大人の世界を映す鏡でもある。学校に於けるいじめ問題、授業中の乱れた態度など、どんなに改善しようとしても今回の例の様なことが大人の世界に日常的に起こっていれば、教育的指導などは絵に描いた餅である。

 私は、ちょっとイタズラ心が生じた時に、子供達の目にどう映るのか? 私が子供だったらどう感じるのだろうか?と考えて自制することもある。
 ヤジを飛ばした議員も家では多分いいパパなのだろう。子供の前で同じことを言えるか?このまま隠したままにするのか?子供のためにも潔くしては?そろそろ名乗り出てはどうか?

 私は、教育的見地から、都議会、国会に小中学生を傍聴させてその感想を聞いてみてはどうか?と思う。勿論、その目的は議員に対する教育的立場から、と言う意味である。
 好色選挙法は正しくは公職選挙法,性治家は政治家であるが、時にはあえて前者のような漢字に置き換えたいこともある。


6/20(金)早朝・午前小雨・午後晴れ 大曲外来 飯川病院ボランティア
1:00起床,新聞文献、徒然など。7:40Taxi駅に、8:10こまち。9:05-13:10大曲中通病院外来。駅病院間は多少濡れながら徒歩。14:30−18:45飯川病院ボランティア、19:00帰宅、夕食、20:00就寝。Σ3857Km。

「木久蔵ラーメン」 思った通り、美味いじゃないか
 私は落語が好きである。最近はラジオ深夜便で月2−3回放送される「深夜便落語特選100」、NHK-TVの「日本の話芸」と「演芸図鑑」シリーズを録音・録画して好んで聴いている。
 落語の秋田公演がある際には可能な限り聴きに行きたいと考えている。実現は8割か?

 落語のバラエティ番組「笑点」はもう45周年も迎えた人気番組である。これも録画して夕食時流し見している。一つの演出であろうが、互いに相手をけなしあうのはあまり良い気がしない。中でも木久扇氏はアホ扱い、「木久蔵ラーメン」はさんざんコケにされている。昨年は秋田での収録があり私も見る機会があった。600人もいるとされる噺家の中には優れた技量を持つ落語家は多数いるが、人気度と言う点では「笑点」のメンバーは抜群だと思う。

 このメンバーの独演会などは何度か聴いた。何れのメンバーも聴きごたえのある実力者である。惜しいのは、彼らの導入部の話題はどうしても「笑点」になる。番組から離れた公演の際には、「笑点」には触れずに、純粋の持ち芸を披露すべきだと思う。
 今年の3月の時点で「笑点」メンバーの実演に触れていないのは「林家木久扇」氏のみとなった。氏は現在77歳、出来るだけ早くその機会を持ちたいものである。

 今回、間接的に「林家木久扇」氏にふれる機会があった。本当に間接的である。
 
 先週土曜,6月14日は息子宅の仔犬を見に行ったが、家族で岩手の鶯宿温泉のホテル「森の風」に宿泊した。見ると20:00に開く館内のラーメン店で「木久蔵ラーメン」が食べられると言う。前から『絶対美味いハズ・・」と確信していたので良い機会、是非食べてみたいと思っていたので若干夕食をセーブして時を待ったが・・・、悲しいことに熟睡してしまった。いつもの早寝の習慣と運転してきた疲れもあっただろう。

 期待していただけにガックリ来た。が、ネット通販でも買えることが分かった。早速注文した。6食セットで1,800円、安いか高いかの判断は出来ない。
 数日前、食べてみた。スープは醤油味のあっさり系、麺は細い。かつての「支那そば」、と言われた様な「いにしえのラーメン」風味であった。とても美味かった。私の好みである。

 ラーメン好きの私は「笑点」の中ではあれほどバカにされ、コケにされる「木久蔵ラーメン」は絶対に不味いはずはない、と確信していた。その通りであった。

 本来は「林家木久扇」氏の芸そのものに接したいのであるが、未だ果たしていない。今回は間接的に氏に触れることが出来た。ちょっぴり氏との距離が縮まった。


6/19(木)曇り 枝豆第二段播種 外来 飯川病院
1:00起床,文献整理。4;00枝豆第二段播種、散水。7:50徒歩飯川病院着。8:45-13:00中通病院外来。文献検討。新聞PDF化、撒水。松本清張スペシャル『Dの複合』見る。19:15バスと徒歩帰宅、夕食、20:30就寝。歩数計3846Km。昨年右膝痛で整形受診、歩き過ぎ滑膜炎。今年は問題なし。歩行通勤を片道にしたためだろう。

家庭菜園2014(1) ナス・キウリ今期初収穫
 数年前から近所の方から借りた畠で野菜を作っている。
 今まではトマト、ナス、キウリ,枝豆であったが、今年はそれに加えて2種のハーブ、枝豆、人参、カブを植えた。
 昨年は遅くスタートしたために7月中旬からナス、キウリの収穫が始まったが、今年は昨日が初収穫の日となった。3週間ほど早い。


<<今年の特徴、反省点>>
■昨年はいつもより3週間ほど植え付けが遅れたが、今年はまず標準的時期に植えた。
■トマト、キウリは病虫害に強く、連作にも強い「接ぎ木苗」を購入した。
■連作を意識してムネを変えたが、苗と苗の間隔が狭すぎた。「接ぎ木苗」のためか育ち過ぎ。光が十分なのか心配である。
■同様に、「接ぎ木苗」のためか成長が早く、枝葉を落とす時期が遅れた。今も連日落としているが、農家の畠に比較しても立派過ぎる育ちである。肥料が足りるか心配である。

<<接ぎ木苗について>>
 通常の苗は「自根苗」と言うらしい。私は今年初めて「接ぎ木苗」の存在を知った。カボチャ等の苗にキウリ、ナス、トマトなどを接ぐのだと言う。数cmから10cmの小さなひ弱な苗に接ぎ木操作されているのが信じ難い。
 接ぎ木には種々のメリットが強調されていた。病害虫に強くなり、農薬に頼ることが軽減され、連作にも強くなる、と言う。デメリットは「接ぎ木苗」の生育が旺盛になり過ぎるので、追肥が必要になるらしい。私のところのトマトがこんな状態にある。
 「接ぎ木苗」は自作も可能であるが、家庭菜園程度では購入する方が無難の様である。値段は「自根苗」より50-100円高い。

<<家庭菜園のメリットについて>>
 小さな苗が日々生長していくのを見るのは楽しい。倒れないように添え木、棚を作る、こんな世話も楽しい。トマトが赤くなり始めるといい匂いがして来る。
 土が持つ「いのち」を育てる能力もすごいと思う。

 数値化できないこうした喜びが「食卓の味」を決めるのだろう。
 ただし、経済的にはスーパーで買う方が絶対に得である。釣りを楽しんでいたとき、よく小鯛が1万円にもなったこともある。それでも釣りの楽しみは捨て難いのと同じである。

 今年は「接ぎ木苗」の存在を知り、農家の方々の改良や工夫を知ることが出来た。


6/18(水)快晴暖かい 外来 飯川病院ボランティア 
1:00起床,文献読み、整理中心、いつもの如く。7:50徒歩飯川病院着、8:45-13:00外来、人間ドック総括17名分。14:00-18:20飯川病院ボランティア。DVD映画「陰陽師」観る。ドラマ部分以外の歴史文化観は良かった。18:50帰宅。ナス・キウリ初収穫,散水。19:10夕食、20:30就寝。 

石原環境相の「金目」発言:発言は修正すべきだが、撤回させてはならない
 石原環境相は昨日、6月17日、東京電力福島第一原発事故の除染で出た汚染土などを保管する中間貯蔵施設の建設をめぐって「最後は金目でしょ」と発言した。それに佐藤福島県知事、福島県議会、渡辺大熊町町長、伊沢双葉町町長を始め、地元から反発の声が上がっている。

 地元では双葉大熊両町に中間貯蔵施設を作るのは一つの選択肢であるとの考えの住民もいる。しかし、それを受け入れれば同時に故郷を失ないかねない選択になることでもある。今、微妙な時期でもある。

 これに対して石原氏は、「発言をおわびを申し上げたい」と謝罪したが、発言を撤回する考えは否定した。これに対して地元では撤回を求めている。

 私は発言を撤回させるべきではないと思う。やるなら修正で、長く残すべきである。撤回すれば消えてしまう。

 住民が本当に欲しいのはお金じゃない、と言うのは理解出来る。しかし、原発事故前の環境、住民の生活は何としても取り戻せない。住民の方々は金目の他に何が欲しいのか、はっきりさせなければ解決には結びつかない。金目で早急にこと済ませたいのは、環境相でなく国なのだ。

 「30年以内の県外処分」も当てになるまい。膨大な量の汚染土を、一体県外のどこが引き取るというのか?あてもないまま「約束します」と繰り返す軽さが、環境相と重なる。
 原子力船むつの寄港問題も「当てのない約束」の繰り返しであり昏迷に繋がったことを忘れたのだろうか。

 こんな形で断ち切ってしまった交渉を修復するのは、容易ではないだろう。地元は過去にも政治家の心ない発言で傷を負ってきた。
●原発事故については2名の閣僚が失言で辞任している。
●2012年には、石原氏は自民党幹事長であったが、福島第一原発を宗教団体の施設になぞらえて「サティアン」と発言した。
●約2週間にわたった中間施設に対する住民説明会に石原氏は一度も出席しなかった。

 こんな背景が今度の発言への反応に関連しているようだ。加えて、私は、メディアを通じて感じたことは、
●石原氏の会見や発言は、二世議員によく見られる様に、表情、発言内容も相手に対する配慮を欠いている様に感じられる。

 話した内容は何れ撤回することになろうが、撤回させてはならない。修正がいい。


6/17(火)曇りのち快晴 外来 飯川病院
1:30起床,新聞・文献チェック、他。7:50徒歩飯川病院、8:45-12:45中通外来。書類作成。14:00-18:40飯川病院。録画ドキュメンタリー「指揮者・山田和樹」観る。データ整理・新聞チェック。19:00夕食、20:00就寝。Σ3820Km。

日本人間ドック学会・健保連が示した健診の検査新基準(2) 医療界は風通しが悪い
 「日本人間ドック学会と健康保険組合連合会(健保連)」が本年4月に「新たな健診の基本検査の基準範囲」を発表したが、従来の基準値と異なっており、物議を醸している。 

 人間ドック学会はこのような批判に対して、学会理事の渡辺慶応大名誉教授は「新基準案は.健康の目安であり、この範囲内でも病気のリスクがある人が含まれる可能性がある。治療が必要か否かは、かかりつけ医に相談してほしい」と話している(朝日新聞)。

 要するに、人間ドック等で男性の場合、LDLコレステロールが178mg/dl以下なら健康であるが、病気のリスクがないわけでない。不安なら医師に相談を、と言う事。これでは受診者は何と考えればいいのか分からない。

 ドックや検診の基準値はより信頼出来るものであれば一律である必要がある。それ以降の判断は医療の範囲である。 

 基準値とされる値に大きな差があるのは、基準値を求める方法論、母集団に違いがあるためである。簡単に示すと以下のようになる。
●人間ドック学会の基準値作成の母集団は、2011年に人間ドックを受けた150万人の中から、たばこを吸わず持病がない34万人を「健康な人」として基準を作った。
●動脈硬化学会は、日本人1万人を約20年間追跡した調査をもとに基準値を作成。
●高血圧学会は、国内外の疫学調査を参考に心筋梗塞や脳卒中のリスクを検討し診断基準を作成した。

 私は数値で示されるデータは一人歩きしていて、患者もその値にとらわれ過ぎ、不安を感じている、と思うが、基準値は従来の値をとる。患者の不安は診療を通じて解きほぐして行く。

 日本医師会の見解にもあるが、このような基準値等は多方面からの評価と擦り合わせをへて公表されるべきである。その上で、一致出来ない点があれば誤解されないよう十分な説明が必要である。 

 医学医療の分野では各領域の風通しはすこぶる悪い。自分のところの論旨だけで定義付け等がなされた事例は事欠かない。かつて「異状死」の定義が1992年に日本法医学会から独自に発表され、医師が逮捕される事例にまで生じるなど、今に至るまで医療界を混乱させている例もその一つである。


6/16(月)朝小雨、曇り 健康クリニックドック 書類処理 飯川病院
1:30起床,いつものごとし。データ整理ほか。7:45徒歩飯川病院着。9:00-11:00健康クリニックドック15名。紹介状、診断書等処理。 14:00-18:45飯川病院。帰宅。19:10夕食、20:15就眠。歩数計3808Km。

日本人間ドック学会・健保連が示した健診の検査新基準(1) 誤解を生む報道
 「日本人間ドック学会と健康保険組合連合会(健保連)」は本年4月に「新たな健診の基本検査の基準範囲─日本人間ドック学会と健保連による150万人のメガスタディー」を発表した。人間ドックを受けた150万人のデーターをもとに27の項目について「異常なし」とする数値を定める基準案を作った。従来に比べて肥満度や血圧などの値が緩和。脂質関連の値は大幅に緩められ、「生活の質の向上と医療費適正化に資する」としている。

 これに対して他の専門学会との間で反発や懸念をかもしている。

上記案の概要(一部)
 異常なしの範囲を他の学会の基準と比較して示せば、
●血圧(mmHg) 収縮期88-147 拡張期51-94(日本高血圧学会140以上、90以上高血圧)
●中性脂肪(mg/dl) 男性198以下、女性134以下(日本動脈硬化学会 150以上が異常症)
●LDLコレステロール(mg/dl) 男性178 女性44歳まで152 64歳まで183 80歳まで190(日本動脈硬化学会 140以上が異常症)
●・・・・他の項目は省略
 
何故懸念があるのか? 各団体の見解の概要
■「日本動脈硬化学会」は「誤解を生じる。治療が必要な人が放置される恐れがある」。
■「日本高血圧学会」は「140以上を高血圧とするのは世界共通。『正常』という値が複数存在すると混乱する」。
■「日本医師会」は「関係専門学会と事前の十分な検討・協議もないままに唐突に新たな値を公表したことは拙速である。予防医学的観点からもエビデンスを確定してから公表すべき。検診は適切な医療等の早期介入により,個々人の健康の維持・増進を図ることが重要である」。
■日本医学会高久会長は,関係する「日本高血圧学会」、「日本動脈硬化学会」、「日本糖尿病学会」、「日本脳卒中学会」から意見を求めた。いずれの学会からも,「今回の報告書のデータは健康な人のその瞬時のデータを基にしていて問題。本来は,前向き追跡研究でフォローしてから決めるべき」との意見であった、と述べた。

 人間ドック学会の案はメディアを通じて大々的に報道された。新聞記事から受けた印象は未消化な報道で、まだ確立した基準でない事も明らかにしていないし、新基準が持つ意義についても説明や解説がなかった。
 患者は自分にとって都合のいいところだけを読み取って勝手に解釈する傾向にある。そのために、患者のかなりの部分が健康と自己判断し、治療をやめたりする恐れが生じ得る。 
 私が担当する外来でも数人の方からこの報道,新基準案について質問を受けた。 


6/15(日)岩手、秋田曇天時に晴 仔犬と面会 バラ園 
 2:00鶯宿温泉「ホテル森の風」で一旦起床するも通常の作業を進める状況でなく4:00までごろ寝、読書、5:00入浴、ロビーで新聞・文献チェックほか。1時間ほど散策する。7:00朝食、読書等読書等。10:00鶯宿温泉発、ジーコ・フクダ宅経由、12:30紫波町のバラ園サンテミリオンへ、14:00仔犬と面会す、5匹、ボーダーコリーの純系、2か月目でネコより若干大きい。16:00F杉一家横浜に、19:00帰宅、19:30夕食。20:30就眠。Σ3798Km。

捨てる2014(4) 車の運転に対する自信・過信を捨てた
 最近は身辺をいろいろ整理している。無形のものもどんどん捨て始めた。

 昨日、6月15日から本日にかけて、4月に生まれた仔犬を見に盛岡のジーコ・フクダ宅に行った。親から離す時期が来ているので、まだ5匹が揃っているうちに、横浜から長女が一家で見に来ると言う。月に一度のフリー週末だったので私も見に行く事にした。わが家では、私以外は何度か見に行っているし、仔犬を見るだけならそんなに時間を要しない。私だけ新幹線で往復しようと思ったのであるが、長女達が鶯宿温泉に宿をとると言うので、わが家も一家で相伴する事となった。

 仔犬は5匹、ボーダーコリーの純系、ネコより若干大きいほどまで成長していた。抱き上げると毛の感触がフワフワ、スベスベで匂いもよく、実に素晴らしかった。このうちの何匹かは行き先が決まっていない、と言う。私にとっては気がかりである。

 私は車での長距離移動は嫌である。公共交通機関での移動を好む。それでも家族で移動する際には車を用いる。しかも、自分以外が運転する車に同乗するのはもっと嫌なので、たいてい私が運転する。いままではずっとそうして来たが、最近、私が運転することを嫌がっている様な雰囲気を家族の表情から感じ取れるようになっていた。

 今回も往路は私が運転した。別に問題なし。
 二日目は長女一家を乗せて盛岡に移動する予定であったが、長女から私の運転では嫌だ、と拒否された。ここで落ち込んだ。
 秋田までの帰路も私が運転した。私にも意地がある。雫石付近で横道から割り込み、加速が不十分なワゴン車を、「安全に問題なく」追い越したのであるが、これについて同乗者から激しくクレームがついた。私には乱暴な運転との自覚はなかったので反論したが、家族達は「最近、運転が乱暴になってきている」といろんな例を挙げて言う。いつか言おうと溜め込んでいたらしい。同乗者がその様に感じていたとすれば「私の運転感覚がズレ始めている・・」と認めざるを得ない。

 かつてジーコ・フクダからも私の運転が「下手になった、注意が散漫になった・・」と指摘されたことがある。だから、家族全員の一致した見解である。ここで私は折れた。

 私は車の運転について自分でも「なかなかいい技量である」と50年間思って来たが、今回その考えを捨ることとした。
 これからは謙虚に運転しようと思う。
 ここでも肩の荷がまた一つ下りた。


6/14(土)秋田、岩手ともに雨、盛岡に仔犬を見にミニツアーで鶯宿温泉泊 
1:30起床。文献新聞チェック、蓄積データ整理、その他。6:00畠、キウリとトマトのツルを支柱に固定、台風や風対策。枝豆第一弾発芽する。書庫と居間の整理、12:00車で盛岡に向かう。13:00大曲昼食→角館経由→岩手手づくり村→鶯宿温泉「ホテル森の風」泊。 19:00横浜のF杉一家着,入浴、19:30夕食、21:00就寝。

捨てる2014(3)書籍を捨てる辛さ(3)医師会等加入団体機関誌、私家版寄贈書も廃棄
 最近は身辺をいろいろ整理している。3年ごとに突然所持品を捨てたくなる。最近は無形のものもどんどん捨て始めた。

 私は1971年に新潟大学卒業し学士会に加入、その後、専門領域の学会を始めとして各種の組織、団体に参加して来た。1973年秋田大学の第一内科,後に第三内科で血液学をおさめ、1985年から中通病院に勤務、1991年から秋田市医師会理事、1996−2010年県医師会常任理事+アルファを努めた。
 これらの組織からは機関誌が次々と届く。2011年退職したのを機会に生きる発想を変えた。

 退職後は更新時期が来たものから徐々に脱会した。立場上脱会出来ないのもあるが、すべて距離を置き脱会に近い休会状況にした。これらの関連団体の資料は軽重さまざまで、軽い物から適宜処分して来たが、年鑑や記念誌、教授や教室の業績集など重要な資料は適宜残してあった。
 今月、上記の関連資料をすべて廃棄した。

 これらの組織、団体に関連した業務は今からみれがすべて私自分のためだったと思う。人生の大部分の時間をこれに充てた。いま振り返ってみても貴重な体験であった。そこから離れるのに未練は一切ないが、これらの機関誌が書棚にあるとつい思い出す。それでばっさり廃棄である。すっきりした。

 自費出版等の私家版書籍を、医師会関連、秋田大学、新潟大学の諸先輩方から多数頂いた。多分50冊はあったと思う。
 いずれも立派な装丁本である。この様な書籍をまとめられた方はいずれも高名な方々で、何で私などに、と頂いたことには恐縮し感謝申し上げたが、正直言って読むことは稀で書棚に鎮座と言うことになっていた。

 これらの私家版図書は個人的つながりがあるだけに後ろ髪ひかれる思いであったが、今月これらもすべて廃棄した。この作業を通じて物故された方々、ご存命の方々も含めて、私の記憶から徐々に消え去っていく。改めて感謝申し上げたい。 


6/13(金)雨 大曲中通病院外来 飯川病院ボランティア 歯科治療 
0:30起床,文献本読み、新聞チェックほか。3:00頃から虚脱感、4:00-5:30微睡、5:45カ年ゴミ提出、6:00-7:00再度微睡、7:30Taxi駅に。8:10こまち、9:10-13:10大曲中通病院外来、病院・駅間は小雨の中濡れながら歩く。14:45-16:00飯川病院ボランティア16:00歯科治療。17:00帰宅、データ入力等、19:00夕食、20:00就寝。歩行Σ3777Km。

徒歩通勤2014(10) 歩行計の積算3777Kmで道南の十勝付近を歩行中
 昨年4月7日から伊能忠敬が測量しながら歩いたと言う海岸線のルートを東京を起点に私もバーチャル上で北上している。
 Σ2932Kmの時点で青森県を終了し、北海道に渡った。東京から秋田県境までほぼ一年かかった。

 北海道の海岸線一周は2750Kmとのことで、東京から秋田県境までとほぼ同じ距離である。多分一年以上かかるだろう。ちょっと気が遠くなる。

 本日の時点で積算計は3777Kmを示している。北海道の南端福島町を皮切りに函館を通り、襟裳岬を経て十勝平野の真ん中ほどの十勝川河口付近を歩いている。下図はグーグルマップの図を借用した。

 秋田に到達するのにまだ1800Kmもある。

 東京以北、東北地方を通過中はマメに地図を開き通過地点を中心にその地域の特徴、産業などについて学んできたが、北海道に渡ってからはその作業は頓挫している。やはり関東以北、特に東北地方への愛着と北海道のそれとは大きな隔たりがあるようだ。だから、地図を開く機会は殆どなかった。なのにいつの間にか襟裳岬を過ぎていた。

 私は北海道に7回行っている。東北6県と新潟、東京を除けば頻回に訪問した方であろう。
 最初は中学校3年の時の修学旅行であった。細かいことは忘れたがもっとも印象深かった。
 二度目は札幌医科大学の受験のため。この時は受験初日に新潟大学の合格が分かり受験せずに岩手に戻った。
 三度目は親戚の娘の結婚式で函館に、他の3回は札幌で、内科学会総会、血液学会、臨床血液学会への出席であった。その初回にYS-11機上で膀胱尿管逆流現象を体感し、健康に関する私の考え方は一変した。臨床血液学会総会ではシンポジストを務めた。そんなことをつらつら思い出した。

 まだまだ北海道の旅は続く。今後は地図を開きながら地域について勉強をしながら進んでいくつもりである。


6/12(木)終日小雨 外来+ドック総括+飯川病院
 0:30起床,新聞チェックほかデータ整理。いつものごとく。降雨のためPriusで出勤、2か月半ぶり。7:30飯川病院着。8:45-13:00中通病院外来、健康クリニックドックデータ処理。13:00- 18:30飯川病院、19:10帰宅、夕食、20:30就寝。 歩数計3766Km。

捨てる2014(2)書籍を捨てる辛さ(2)医学・医療関連専門書をほぼ廃棄、未練もない
 最近は身辺をいろいろ整理している。3年ごとに突然所持品を捨てたくなる。最近は無形のものもどんどん捨て始めた。

 自称、私設図書室のなかで30%くらいを占めていたのが、医学書あるいは関連の書籍、雑誌類であった。
 10年ほど前には学生の時からの古い教科書、参考書を廃棄した。この時の廃棄がいまから見れば最も辛かった様な気がする。恐らく二度と開く事がない書籍と分かっていても各々の書籍に強い愛着があったからである。
 私を導いてくれた本であるということの他に、学生の時に生活費を削って購入した本、休日をパチンコに費やしフラフラになって購入した本もある。当時は医学生の数も限られており、日本語の教科書は随分高価であった。例えば「沖中内科学書」は3巻セットで4万円もした。当時の私は学生寮で1万円/月ほどでほそぼそと生きていた。だから、こんな本は買えなかった。大部分の教科書は米国の出版された、アジア版と言われる廉価の教科書で済ました。「セシル内科学」、「アンダーソン病理学」を始め20冊ほどはこのアジア版であった。随分勉強したが、この間に私は「英語に堪能になった」、と言えれば良いのであるが、実際は逆で『すっかり英語を嫌いになった」。今でも英文の論文は「読めないわけではない」が「読みたくない」。

 3年ほど前は「これからの自分にとって実用性があるか否か」を念頭に判断し、医学書を大量に廃棄した。この時は単なる廃棄作業で何ら寂寥を感じることはなかった。これらは給与を頂いてから購入した本で、価格も相対的に安くなっていた。実用面で役には立ったがそれほど愛着はなかった。必要な書籍は残したからである。この時点で床上の書籍の収納は解消した。

 今年、つい先日のことであるが、前回廃棄出来なかった比較的新しい医学・医療関連書籍の大部分を廃棄した。一般的医学書、一応専門領域として学んできた血液・免疫学関連教科書、参考書もほぼ廃棄した。残ったのは最近購入した内科学の教科書を中心に必要最小限の10数冊のみである。
 月刊の医学雑誌、週刊の医学雑誌も届くが、その時点でざっと目を通し必要なページを電子化してファイリングし、書籍としては残していない。

 私はもう引退すべきレベルの医師である。自分でそう自覚している。間もなくそういう時期は来るだろう。だからもう医学関連書籍は不要なので先行して廃棄している。

 肩の荷が下りつつある。同時に蔵書もなくなって私設図書室も縮小出来てとてもすっきりした。


6/11(水)時々小雨曇り 外来+健康クリドック処理+飯川病院ボランティア
1:00起床,新聞チェックほかデータ整理。小雨あり、7:30バスと徒歩飯川病院着、8:45-13:30中通病院外来+健康クリニックドックデータ処理。14:00-17:50飯川病院ボランティア、18:02小雨、一部バス帰宅。19:00夕食、20:30就寝。歩数Σ3758Km。

捨てる2014(1)書籍を捨てる辛さ(1)専門外の雑誌など
 最近は身辺をいろいろ整理している。3年ごとに突然所持品を捨てたくなる。こんな周期で私の気持ちが循環しているようである。
 私は物品を大切にする方である。だから、次々とたまってくる。だから、いつかは廃棄しなければならない。10数年前から廃棄を進めている。捨てる時は惜しいが、捨ててしまうと思った以上に身辺が軽くなってすっきりする。捨てた後の空間を見ると意外と残しておくべきものはないものだと思う。また、捨てたものを惜しいとも思わなくなる。不思議である。
 また、私は無形のものもどんどん捨て始めた。
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 私は本が好きだ。自分が購入した本に囲まれているとそれだけで幸せになる。ただ、図書館や丸善などの大型書店に行って大量の本に囲まれれば、幸せな気持ちと同時に恐怖感に襲われる。有限の時間にこれらの本の0.001%も読むことは不可能である。自分が如何に小さい人間か、そんなことを自覚することが怖い。だから、私は丸善や図書館は興味があるが、嫌いである。

 私は読みたい本を借用しては殆ど読まない。購入してそれから読む。自分なりの図書室が出来ている。そこにある本ですら,もう私の残り時間の中では到底読みきれない。
 勿論自分が購入した本は自分の好みに応じた狭い分野の物である。それを防ぐために30年も前から新聞、雑誌などに掲載された書評をほぼすべて蓄積し分類してある。15年ほど前からは電子化して分類してある。数千冊分の資料となっており、必要に応じて検索して購入する。書評の収集は自分の好みで選択せず、目についたもの全部、と言うところに価値がある。

 私は自室で本の背表紙を見ているだけで一種の恍惚感に陥る。
 そんな私であったが、自宅の各部屋に分散してある書棚は本で溢れ、床面が収容場所と化してしまった。そんな状況を見ているとやはり一種の恐怖感に教われる。居間の私の居場所の上は書庫である。大型の地震の時に2階が落ちてこないか、と不安になった。
 もう廃棄しかない。

 まず第一に廃棄し始めたのは一般的な雑誌類からである。読む暇もないのに興味に任せて購入してきたの雑誌類も山とたまっていた。音楽や絵画、コンピューター関係、自然科学などが多い。それらはばっさりと廃棄した。捨てる時のこつは中を確認しないで一気に捨てることである。隔週、市の資源ゴミの日に車に積んで廃棄するのだが時に載りきれない。そんな状態でプリウスのバックドアを強く閉めたら歪んでしまった。

 コンピューター関係の『MacFan』は2年間分並べてあるが、音楽系の雑誌は読んだら捨てている。文芸春秋も同様であるが、興味深い記事は電子化してファイリングしておく。その他の雑誌類は、いまは購入後一月くらいで資源ゴミに回る。

 これらの雑誌から得るところは大きい。次いで資源ゴミとして活用されるなら嬉しい。
 そんなことで床面はかなり広くなった。気持ちも軽くなった。


6/10(火)晴 暑い30℃らしい 外来 飯川病院
1:00起床,いつもの如く。徒然など。5:00畠散水他。近状の農家の方からトマトの剪定を勧められた。止むなし、やるか。7:40バスと徒歩病院着。8:40-12:30外来、14:00-18:30飯川病院。19:00夕食。新聞、文献読み、20:30就寝。歩数計3748Km。

マンガ「美昧しんぼ」問題(5) 相馬郡医師会の調査結果を見て
 「週刊ビッグコミックスピリッツ」の4月末号で人気漫画「美味しんぼ」で原発事故と鼻血を結び付ける描写が波紋を広げた。
 私自身は根拠の無いフィクションでとるに足らない内容だと思ったが、閣僚や政治家もコメントする等、予想以上に反響が大きかった。
 自民党環境部会でもこの問題が取り上げられ、同部会は福島県相馬郡医師会に「鼻血」について調査を依頼した。福島県相馬郡医師会は5月下旬に相馬市、南相馬市、新地町、飯舘村の4市町村の66医療機関を対象に、東京電力福島第1原発事故後に鼻血の症状を訴える患者が増えたか否かを尋ねるアンケート調査を行った。

 同医師会はその結果を30日の自民党環境部会に報告した。

 ■回答は調査対象66医療機関のうち52医療機関から得られた。
 ■52医療機関のうち、49医療機関は「増えていない」と回答。
 ■52医療機関のうち、3医療機関は、「増えた」あるいは「鼻血の回数が増えた、と訴える患者がいた」と回答した。
 ■血小板が減るなどの放射線被ばくとの因果関係が疑われる診断結果はなかった。

 また、4市町によると、2011-13年度に実施した健康診断の受診者延べ32.110人の中に、事故前と比べ鼻血が出るようになったと訴える受診者はいなかったという(毎日新聞5月30日の電子版の記事を参照した)。

 上記の調査と回答内容の詳細は不明であるが、まず一定の結論は示されていると思う。

 私は、今回の「美味しんぼ」問題の反響は過剰だと思っているが、これが現代の世相なのであろう。メディアを通じていろいろな方々の意見を知る事が出来たが、とても参考になった。


6/9(月)晴れ 健康クリニックドック 飯川病院
 1:30飯川病院で起床。蓄積データの整理。本読み。9:00-11:00 健康クリニックドック。書類処理等。14:00-18:45飯川病院。病院花壇に散水他。録画で清帳「草の印刻」観る。19:30夕食、20:30就眠。Σ3736Km。

STAP細胞(6) 文章を書く際に、参考資料は側に置くべきでない
 現在はコピー&ペ−ストの時代と言われる。私もやっている。コピー&ペ−ストしない迄も参考資料として一部を引用することは少なくない。

 しかし、私が心がけていることは、真面目な文章を書いているとき、あるいは小文を書く際にも参考にすべき資料があってもそれを座右に置かない様にしている。何となれば、参照したい内容のことに言及したくとも資料を見ながら記載するとどうしてもその資料にとらわれるからである。
 自分で書く時には、参考資料はあらかじめ十分読み込んで,自分の知識の一部になっているようにしてから書かねばならない。その上で、先人の独自の考え方であるとか具体的データ,数値を引用した際には必ず引用元を記載する。
 公的なデータ、新聞等で見る一般的なデータなどは必ずしも引用先を示さない事もあるが、ウソを並べているわけではない事を示す必要があるから必要に応じて出所を明らかにする。

 コピー&ペ−ストによる寄せ集め文章は一貫性がなく、文の流れががギクシャクしているから,たとえ引用のマークがなくとも引用文であることが推定出来る。ただし、日本語の場合であって、英文の場合は私に判断出来ない。私は英語力はない。そんな私も英文で論文を若干書いたが、数ヶ月前から「参考になるであろう言い回しやセンテンス」を英文の論文から多数メモしておき、それを利用しながら書き上げた。これはコピー&ペ−ストにはあたらない。

 理化学研究所の小保方氏のSTAP細胞の論文には他人の論文をコピーした文章がほぼそっくり,引用元も明示せずに記載されていた。この点でも氏には科学者、研究者の資質として救い難い問題点があったが、14人もいるとされる共同執筆者の誰も氏の資質や論文の問題点を指摘出来なかったのはどうしてなのだろうか。私は、共同執筆者の誰も論文の評価やデータの検証をしていなかった,のではないかと思った。

 論文の査読は批判的な目で見る必要がある。私も過去に先輩の学会発表に他の論文の図表が流用されているのに気づいた事がある。同じ研究をしていなければ不正な引用等は指摘出来ない。せいぜい「てにおは」を直す程度である。研究の深い意義や論文の位置づけなどを理解しているのは共同研修者、共著者だけと思う。

 さらに、小保方氏はチームリーダーとであるから共同の作業を進めていた研究者や助手も少なくないだろう。その方達こそがSTAP細胞研究の問題点を直接感じている筈であるが、その方々の声は一切報じられない。箝口令のためだろうか。
 理科研のお偉方の話は組織擁護の立場から発していて真実を語っていない。


6/8(日)早朝小雨のち晴れ 枝豆植える 飯川病院当直
1:30起床。本読み、文献チェック。5:00畠に、枝豆の早稲を植え付け、花壇の散水など。午前午後とも書籍、文献類廃棄準備。若干の午睡後、畠と庭に散水後、買い物の家内に便乗して16:45飯川病院へ、当直に。17:00某診療所医師来訪歓談す。検食、NHKスペシャル「恐竜絶滅 哺乳類の戦い―後編」観る。21:00就寝。Σ3727Km。

小さなフレームの中に没頭(10)Steve Jobsの夢が花開いたが・・
 私の電子製品の殆どはAppleの製品である。コンピューターはMac series、音楽ソースはiPod series、携帯書棚としてiPad mini 、通信機器としてのiPhone等であり、これらはつねに座右にあり、私の生活を豊かにしてくれている。

 私がApple製品を好むのは、個人的な感覚かもしれないが、人間の生活中心の姿勢に貫かれているからである。マックのコマーシャルを見ていても、Appleの製品は決して主役として扱われていない。製品はユーザーに役立つ脇役として謙虚に扱われている。アップル製品は、その創業時から、アイコンひとつクリックするだけで、難しいコマンド入力を必要としないGUI(Graphical User Interface)を採用した。要するに、ユーザーが感覚的に操作が出来る製品となっていた。今でもユーザーの健全な生活を支える脇役に徹している姿勢がいい。

 iPhoneに関しても、Steve Jobsはユーザーを中心に据えて、ユーザーがどんな機能を欲しがっているかを念頭に開発したと言っている。iPhoneは高機能であり、拡張性が高い。App Storeを介して入手出来るアプリケーションは優に1万5000本を超えており、アプリによってユーザーの好みのiPhoneに作り上げることが出来る。そのために、年齢的には小学生から高齢者まで、私のごとく殆ど使わないユーザーから超ヘビーユーザーにまで広く対応できるフレキシブルな機能を持った。

 従って各ユーザーの持つスマホは独自の仕様になっていると言って良い。だから、ユーザーによっては朝起きてから寝るまで手放せない場合もある。中には睡眠中にさえも一定の機能を自動的に果た様にしているスマホもある。
 だから、他人のスマホの使い方をとやかく批判は出来難い。

 Steve Jobsが考えた様に、主役が人であればスマホは便利な道具である。しかし、スマホは「21世紀のアヘン」でもあった。Jobsはこの辺を何と考えているのだろうか。

 これからのスマホはいっそう発展を遂げる。もっと便利になる。今検討されているのは常時身につけて用いるウエラブルタイプである。眼鏡型のものは試作されている。アップル社はiPhoneに次ぐ次世代のデバイスとして腕に装着する「iWatch」を準備しているとされる。本来の、五感を駆使した外界との接点とのバランスを自分自身でコントロールしていかなければならない。


6/7(土)晴 風強い 書籍の廃棄
1:00起床、文献検索整理など何時ものごとし。5:00畠に出る。この数日風が強くてトマト、キウリの苗が心配。支柱に括り付けた。散水。9:30-11:00飯川病院の花壇の散水と肥料散布。午前午後とも書籍の廃棄準備。夕方以降は文献整理、電子化など。NHKスペシャル「恐竜絶滅 哺乳類の戦い―前半」観る。19:00夕食、20:30就寝。Σ3720Km。

小さなフレームの中に没頭(9)スマホは「21世紀のアヘン」か
 今や世界中で10数億人がスマホを利用していると推定されている。そのうちのかなりの人々がスマホの画面に張り付く様に暮らしているらしい。
 最近の身近な話題を2,3。

 ■先日、14:00頃病院の近隣に開いたと言うサンドウイッチを中心とした小さなレストランに入った。空腹と言うより若い夫婦が開いたと言う店そのものに興味があったからである。
 その時間帯、誰も客がいなかったので快適であったが、15分ほど経ってから20代と思われる3人の女性が入ってきた。うるさくなるな、と思ったのであるがそうはならなかった。彼女達は終始無言、メニューを見て店長と2,3言葉を交わし各人別のランチ食事を注文した。その後も終止無言。3人ともスマホを見ていたからである。お陰で、静かでよかったのであるが・・・。これでいいのかな?と感じた。

 ■3日ほど前、通勤途中でスマホ使用しながら歩いていた20代後半と思われる女性とすれ違いざまに彼女が手にしていた荷物が私の腕に接触した。私が道路脇に寄ったのであるが、相手は私に気づかなかったのであろう、避けなかった。実害はなかった。先方は私をちょっと見ただけ。言葉もなくそのままたち去った。スマホから目を離したのは一瞬だった。これでいいのかな?と感じた。

 ■自転車に乗りながらスマホを見ている高校生が少なくない。私自身が自転車に乗らなくなったので実害はないが、危ない。これでいいのかな?と感じた。

 このような情景は日本だけではない様だ。洋の東西を問わず間題なっているらしく、そのことを皮肉ったシーンが映画やドラマ、CMなどでも頻回に見られるようになった。問題視されているだけでもいいと思う。

 人には五感がある。せっかくの景色などを見逃したり、人生の貴重な瞬間、友人達との語らいのひととき、団らんはそっちのけ、小さなフレームの向こう側に繋がっている。何よりもまずスマホ、という感じである。

 コピューターは、使う人の生活を前向きに援助する道具である。目的を持って利用する人には応援してくれるが、たわいのないやりとりにハマると、無限の不毛地帯にユーザーを誘って行く。スマホを「21世紀のアヘン」(志村史夫)と表現している人もいる。なかなかいい表現である。

 より便利で豊かな人生を過ごLたい人はデジタルを必要に応じて利用すればいい。本来の五感による他との接点のバランス感説を自分自身で養っていかなければならない。

 私にとってもデジタル機器は私の人生を彩るためのいい脇役になっている。もはやデジタル機器なしでの生活は考え難い。いい時代に住んでいるものだ、と思う。
 「人、我にあらず」と割り切って考えればいいのだが、それでもスマホの現状には少しばかりちょっかいを入れたくなる。


6/6(金)降雨のち晴 大曲中通病院外来 飯川病院ボランティア 歯科治療  
1:00起床。文献、新聞など読む。5:00ゴミ出し、小雨の中トマト、キウリの風対策。7:30Taxiで駅に、8:10こまち。大曲は晴れ、往復徒歩。9:10-13:10大曲外来。13:37こまちで秋田に。14:15-16:00飯川病院ボランティア。16:30歯科治療、18:00家内徒歩帰宅、16Km歩いた。どっと疲労。19:10夕食、20:30就眠、Σ3710Km。

STAP細胞(4) 誰だってコピー&ペ−ストしてるじゃないか 私もやっている
 現在はコピー&ペ−ストの時代と言われる。
 もともと学問・研究・勉強・修行と言うのは、先人の業績を模倣しながら身につけてる、ことである。過去には直接コピー&ペ−ストが出来なかったから目立たなかっただけで、基本は変わらない。

 どんな人間も「私は、先人・他人・親も含め、多くの人の知識、感情などから学んだモザイク人間です」言うべきである。少なくとも私はそう思っている。
 ただ、他人から得られた「知識」を「知恵」に変換していなければ意味がない。

 私は4年ほど前まで臨床研修医のマッチングの個人面談を行ったが、「何で私どもの病院に申し込んだのか」と言う質問に対して、学生のほぼすべてが「貴院は地域に密着した第一線の病院であり、数多くの『症例』を経験出来るから・・・」と、ほぼワンパターンの答えが返ってきた。私はそれに対し「患者と症例は同一ではない」と指導した。後に、病院面接のガイドブックに模範の答えとして例文がでていた。研修病院として有名な関西圏の院長のアドバイスであった。私は「患者」と「症例」と同一視するなど、考え難い。

 5つほどの題名の中でから自由選択で小論文も課した。「地域医療の将来について」を選んだ学生が多かったが、医療が未経験な彼らの、彼女らの文に、深い経験がなければ表現出来ない様な名文が列挙されていた。段落ごとに一貫性がない表現が並び、文の流れががギクシャクしているから寄せ集め文であることが分かる。知り合いの大学教授は「リポートをコピー&ペ−ストでまとめる学生が多くて見る気も萎える」と話していた。

 理化学研究所の小保方晴子氏が執筆したSTAP細胞の論文や博士論文に他者の論文と同一の文章があった、とされる。博士論文は約108ページのうち35枚が米国立衛生研究所のサイト上にあった論文とほぽ同じ内容で、STAP細胞の論文にも、他人の論文をコピーした文章が記載されていた。STAP細胞の論文には画像の流用や切り貼り画像も見つかっている(朝日新聞3月13日)。
 このことの問題点は論をまたないが、小保方氏にはこの点で良識を欠いていた。おそらく、研究者にとって欠いては成らない常識を身につける機会が無かったのであろう。引用元を明示することのない引用を繰り返していても誰からも指摘も受けなかったであろう。彼女の会見を聞いていて私はそう思った。指導陣の問題でもある。

 私はコピー&ペ−ストをすべて否定するものではない。私自身もこのミニ随想の中で読んだ参考文献の中から一部コピー&ペ−ストを行っている。その際の心がけとして。私は、■引用は可及的に少なくする、■引用元を明示する、■引用部分は不用意に改変しない、■・・・、が必要と考えている。
 さらに進めて言えば、論文を書く際には、■集めた資料は机上に置くべきでない、とさえ思う。


6/5(木)快晴やや風強し 31℃ほど 外来 飯川病院 
 0:00起床。いつもの如く文献、新聞など。5:00畠、花壇など。6:00資源ゴミ中等量集積所に。7:45徒歩飯川病院着、8:45-14:10外来、混雑、疲弊。14:30-18:30飯川病院、入院患者対応と定期処方箋記載。病院の花壇に散水。19:00車帰宅、19:10夕食、20:30就眠、3694Km。

STAP細胞(4) 多方面に影響を与える、貴重すぎる事件
 STAP細胞騒動.、この1月以降次から次と報道されてきた。最初から今まで異様な取り上げ方が続いている。もう食傷気味である。

 私も今まで3回STAP細胞に関して記載した。

■1月30日 STAP細胞(1)発見はすごい 
 ただしネズミ、すごい発見だが未だ未知数。それ以上に小保方氏のマスコミの取り上げ方に嫌な雰囲気を感じた。

■3月6日 STAP細胞(2) 異様な報道合戦の末に
 STAP細胞はその後論文中の写真の信憑性、実験の再現性の低さから疑問が多く投げかけられ、ちょっと厳しい状況におかれている。

■3月23日 STAP細胞(3) 理化学研究所の体質に問題があるのでは? 
 14日に理化学研究所が中間調査発表会を開き「重大な過誤があった」として謝罪し、論文の杜撰さ認めた。私はリーダーの個人的な問題はあったとしても、理化学研究所そのものにも問題があったと思う。


 その後も報道は相変わらず過熱ぶりし、最近まで続いてきた。呆れるばかりであった。私は1月以降、新聞や論文の記事を収集しているがSTAP細胞に関しては500件を超えている。

 小保方氏の記者会見をニュースで一部を見た。
 私が感じたのは、会見の時点でも科学者、研究者としやって良いこと、悪いことの区別がついていないようであった。表情等からは、今まで自分を支えてきたと思い込んでいた理化学研究所、指導者、同僚等、すべての人達の豹変ぶりを理解出来ない状況で、ほぼパニック状態にあったと感じた。200回以上も実験が成功していたこと、STAP細胞の存在を確信していることなどについての発言が新たな批判の対象になるなど気の毒な会見となった。会見の全体像は分からないが、小保方氏は興味本位の追求、半ば見せ物的会見に気丈に耐えたと思う。

 理化学研究所は小保方氏を「不勉強、未熟さ」と断じた。研究者としての資質に関しては、科学者の良識、倫理に照らして不正の積み重ねが行われたとの判定がもう覆ることはないだろう。これまでの論文捏造事件を見ると、殆どのケースで複数の捏造や改竄が明らかになっている。捏造はひとたび行うと繰り返す様になることは私も理解出来る。小保方氏もさほど罪悪感を持たず、繰り返してきたのであろう。

 理化学研究所の体質は小保方氏一人の問題として片付けようと言う姿勢が見え見えである。氏を身近でサポートしてきたスタッフ達の声も殆ど見られない。箝口令が敷かれている様に思われる。氏は組織不信、人間不信に陥るのは当然である。

 今後は、STAP細胞が本当にあるのかの一点に集約されていく。この結論が出ないうちはSTAP細胞問題は決着しない。

 今回のSTAP細胞問題が各界に及ぼす影響は計り知れないものがある様に思う。私も自省しなければならないことは少なくない。


6/4(水)晴天熱い 外来 飯川病院ボランティア
 11:30起床。新聞・文献読みとデータ化etc。5:00畠、花壇とか。7:40疲労と熱さの為に歩くファイトでずバス利用で飯川病院着。8:45-12:45中通病院外来。人間ドック書類処理。13:30-18:40飯川病院。ドキュメンタリー「カラーで見る第一次世界大戦」見る。19:00帰宅、畠花壇散水他。19:15夕食、20:30就眠、Σ3680Km。

レクイエムを聴く日々(2) 誰のために作曲され、誰のために聴かれるのか
 レクイエムとは何だろうか。日本語訳は「鎮魂曲」と言われる。
 
 音楽の題名にはいい日本語訳が時折見られる。ヴェルディの歌劇「椿姫」は最も知られている作品であるが、原題は「ラ・トラヴィアータ=堕落した女」である。主人公が椿の花で身を飾っていることで,日本では「椿姫」のタイトルが用いられている。どなたが命名したのか知らないが、もしこの作品が「堕落した女」のタイトルであったならこの作品は日本ではここまでは知られる事はなかっただろうと思う。

 「レクイエム=鎮魂曲」は名訳である。3つの漢字が内容をズバリを言い当てている。手元の国語辞典では「死者のためのミサ曲。鎮魂曲。鎮魂ミサ曲」とあり、「カトリック教会で、死者の霊を慰めるために捧げるミサ曲」と書かれている。

 レクイエムには名曲が多い。優劣つけ難い作品が並んでいる。私が手元に持っているのは20曲くらいである。
 私が聴く回数を多い順に数曲上げると、チマローザ、ケルビーニ、フォーレ,モーツァルト、ペルゴレージ、デュリフレ、ヴェルディ、ドヴォルザーク,ベルリオーズ・・・の作品である。前4曲が断然多い。いずれも私の心に落ち着きをもたらしてくれる名曲である。

 レクイエムは「死者の霊を慰めるために捧げるミサ曲」と言われている。チマローザは有力な後援者であった某公爵夫人が没したとき、ケルビーニはルイ16世の追悼式典のために、モーツァルトは若くして亡くなった夫人の追悼のために某伯爵から依頼を受けて書いている。いずれも、「有限のいのち」を「無限のいのち」に転換するために作曲されている。当時はパトロンがいなければが音楽家は生活出来なかったから「・・・のためのレクイエム」と云う名称にならざるを得ないし、故人を知るものはレクイエムを通じて消えて行った魂に呼びかけ,その返ってくる言葉を各人が心で聴く。

 作曲家は作曲と言う作業を通じながら何度も何度も「故人との対話」、「死者と対話」を重ねるに違いない。その時は「自分の死」を意識しての対話であり、「有限のいのちの中で何れ消え去る自分自身との対話」であろう。その事がレクイエムを深い作品にしている。モーツァルトは35歳、ペルゴレージは26歳で世を去った。両者の作品とも最晩年にかかれ、しかも、前者は未完である。

 レクイエムは聴くものに安息を与えてくれる。同じ様な気持ちを私は仏像にも感じるし、宗派を問わず宗教画からも感じ取る。このような作品群を、求めれば知る事が出来、得る事が出来るこの素晴らしい時代に生を受けている幸運を、もっと味わいたいものである。


6/3(火)快晴 暑い30℃超 外来 飯川病院
1:00起床。新聞・文献入力、データ整理etc。7:45徒歩飯川病院着、8:45-13:00中通外来、14:00-18:30飯川病院。映画「邪馬台国」後半観る。19:00帰宅、夕食、20:30就眠、伊能歩数計3664Km。賄いのおばさん2週ほど不在、忙しくなる。

レクイエムを聴く日々(1) 自分のために 
 昭和53年6月、母ハナが64歳で死去した。間もなく36回目の命日である。今から見れば若い死であった。病状としてはやむを得なかったが、最後は生きる意欲を喪失した。彼女は精神的にやや不安定で、私に対しての依頼心が強かった。この面について十分対応出来たか、私には反省すべき点が多い。死去した直後は母にとっても苦痛から解放だろうとと納得し私も安堵したが、半年ほど経ってからは母の生涯は一体なんだったのか,と深い悲しみが襲って来た。

 この以降の約10年ほど、私自身を落ち着かせるために宗教音楽のレコードを買い集め集中的に聴いた。恐らく50枚近くある筈である。こんな過程を経ながら私の心も落ち着いた。いまは母を思うとき、感謝の一言で私の気持ちは言い尽くせる様な気がする。私は一応両親の葬儀は行ったが、その後の回忌の行事は一切行っていない。祖父母の回忌も同様である。両親・祖父母は私の中で、私の一部として生きている。それで十分である。

 昨年4月に棚の奥に仕舞い込んであった宗教音楽のレコードを取り出してまた聴き始めた。この1年余時間があればそれらを聴き続けている。今回聴き始めた切っ掛けは、私自身の過ぎ去った日々とレコードに対する慈しみの気持ちである。
 私にとって貴重なレコードは針をおろした瞬間から壮麗に鳴り響く。これらは私が死ねばゴミとして廃棄される運命にある。この黒い、中には赤いのもあるが、細い溝が刻まれた塩化ビニールの円盤はモノとしてみればそれほど価値はないが、音楽をリアルに再生する機能は私にとって未だに宝である。

 宗教曲の中でいま集中的に聴いているのはレクイエムである。これまで作られたレクイエムはオケゲム(1410頃ー97)の作品が最古とされ、現代まで二千曲近いと思われるが、実際にCDとかで聴けるのは150曲くらいらしい(井上太郎1998)。私が手元に持っているのは20曲くらいである。

 人間の人世なんてモロくもあり、短いもので、その死亡率は100%である。いままで死ななかった人は居ない。「生は限りある時間の中でのみ存在するから、生きている間にその意味が問う」のであるが、死は異質な「無限」への出発点である。「各人の生の意味、死の意味」は残された人々に評価がゆだねられる。多くは死者の追憶を何かに刻み込んで残そうとする。

 そのような営みは古来から綿々と続いてきた。それらは遺跡としてみる事が出来る。ルネサンス以降、それらは現在でも味わう事が出来る形として残されて来た。それが芸術として花開いたが、あらゆるジャンルの芸術作品に死の影を読み取る事が出来る,と私は思う。

 私はいまは自分のために聴いている。


6/2(月)快晴 暑い30℃超 健康クリニックドック 飯川病院
0:10 起床。新聞チェック他資料整理、バックアップetc、いつもの如し。5:00散水等、ゴーヤ今年はプランターに植えた。7:45徒歩飯川病院着。花壇へ散水。9:00-11:30健康クリニックドック13人+結果説明5人。ややハード。13:00飯川病院、入院患者対応と外来レセプト190枚チェック。嫌な業務だが月に一度のこと止むなし。映画「邪馬台国」前半。19:00帰宅、夕食、20:30就眠。

体毛考(2):体毛の機能 人と動物の差
 何で人間を含め陸上の哺乳類の身体には毛が生えているのだろうか。
 体毛は体温の保持と体表面の保護の役割を担うものとされている。おそらく人間以外の動物ではそうだろう。哺乳類は体温を保つために特に寒冷地で生活するものは長い毛を密に持つものが多い。体毛による保温機能、それは疑いはない。

 人間の体毛に保温機能はゼロではないが殆どない。この機能を捨てた。だから、寒冷地に住む人間も熱帯地方に住む人間も体毛にあまり大差ない。ただ、散髪して顔を剃ってもらうと急に寒く感じる。動物の毛の保温機能はすごいだろう。わが家で飼っていたハスキー犬はほぼ全身雪に埋まっても平気で寝ていた。私なら死んでいる。
 逆の例として、ネコの場合、寒冷地のネコ、熱帯地方のネコにもそれほど見てくれに著しい差がないようである。少なくとも熱帯地方のネコに毛がなく裸と言う話は聞いたことがない。体毛の保温機能は重要ではあろうが体毛には別の意味がある。

 毛が持つ第2の機能は外表面の保護である。毛が密集していればかなりの保護になる。
 野生動物は生きる為に野山を走り回る。体表が密な毛に覆われていなければ皮膚はたちまち外傷を受けるだろう。その面でも人間は大きく劣っている。狩猟文化の時代には獲物を追う中で外傷死をする頻度は著しく高かったと思われる。

 体毛にはこんな大事な機能があるのに人間は体毛がとても少ない。何故だろうか?
 人間の祖先はかつては全身毛に覆われていたとされ、人間の発達過程でかなり早いうちに体毛の大部分が退縮してしまった、とされているが、本当だろうか。こんなに重要な機能を持つ体毛が人間だけに退縮したことは不自然でないか?祖先が毛むくじゃらであったとする根拠や事実は本当にあるのだろうか?

 体毛が少ない種として、新人類が発生したのではないだろうか?私にはそう思えてならない。
 この辺のことは未だ不勉強である。進化の段階で体毛が失われた理由として「体温調整説」、「脂肪説」、「アクア説」などがあるのは知っているが、私には不自然な説にしか見えない。

 理由はさておき、人間には全身を覆う体毛がなく、部分的に毛を持つ事となった。知能のある人間はこれらに、頭髪、耳毛、鼻毛、脇毛、胸毛、陰毛、脛毛、ヒゲ、眉毛、睫毛、指毛・・などの名前を付けた。
 個々人の毛には生え方に個性がある。その事が個々人の人世に悲喜交々,彩りを与えている。

 体毛の第三の機能は、殆ど人間だけのことだと思うが、個性の表現だと思う。性徴の表現の意味もある。


6/1(日)快晴 飯川病院日直
 1:00起床、本読み、新聞チェックなど。蓄積データ整理、バックアップなど。昨日の庭仕事で腰痛若干、右手首痛。8:00バスと徒歩飯川病院、8:30日直に、NHK特集「廃炉への道」後半、「イプシロンロケット開発者」観る。花壇に散水ほか。17:30買い物の家内に便乗して帰宅。ゴーヤーの苗、枝豆の種等購入。自宅の花壇・畠に散水他、19:00夕食、20:45就寝。

退職4年目初日:「とらわれず、自由に」 
 本日は退職4年目初日となる。
 今も中通総合病院で嘱託医として働いている。

 本年度から外来のコマ数が0.5単位減少し、外来は火、水、木曜のみとなり、入院患者は原則的に担当しないことになった。月曜午前は法人の健康クリニックで外来ドック担当。金曜日は午前午後とも大曲中通病院内科外来を担当しているが、診療終了すれば新幹線で秋田に戻る。

 1月からは近隣の飯川病院で月、火、木の午後18:00まで勤務となった。実際には院長の補助の為に水、金曜の午後も時間があればボランティアで行っている。帰宅は当直医の来院を待って19:00前後になることもある。朝は7:45前後から飯川病院の医局で過ごしてから中通総合病院に出勤している。

 法人・病院、スタッフ達とも徐々に疎遠になって行く。「組織に年寄りは不要」は私の持論でもあり、「私の社会的使命は終わっている」と自認しているからこれで良い。自ら線引きすべき時期も近い。それは私が望むところでもある。

 まず、本年度は上記のごとくの就業契約が結ばれたので淡々と業務はこなすつもりである。

 郷里とのしがらみも一層薄くなった。
 秋田でも「対話を伴う様な会合」にも3年ほど一切出ていない。今後も出ない。ほぼ引きこもり状態である。

 午後の勤務はあるものの業務はきつくない。これらの時間と、週末は素晴らしい時間である。やりたい事がいっぱいあって,学びたい事もあって無為には過ごせない。

 まあ、この調子で本年度を過ごせれば最高、である。 


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   年を通じてワンパターンで淡々とした毎日です。AM2:00-5:00にメールチェック・返事送付、人間ドック(HDD)判定・報告書作成、新聞切り抜き、病院・医師会業務など。
  月〜土曜は6:00頃出勤、HDD報告書印刷、外来書類処理など。病棟回診、HDD受診者とミーティングと診察。8:45-14:00外来とHDD受診者に結果説明。昼食は摂りません。午後は病院業務・医師会業務、各種委員会等に出席など。20:00頃帰宅。
  日曜・祭日もほぼ同様ですが、病院には午後出かけます。時間的に余裕無いのが悩みです。


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