徒然日記
2012年6月分

 日記と言うより、自分の行動記録からの抜粋と日々の雑感です。

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先月の日記          来月の日記


6/30(土)晴れ 畠、家の片付け 書籍など古紙処理業者へ 義父母13回忌法要 
1:00起床、新聞、文献など。食品庫など大幅に整理。家庭菜園のきうりが取れ始めた。サッと水洗いして囓ると最高。15:00-19:30義父母13回忌法要+会食、20:00帰宅、20:30就眠。??

映画(51)「汽車はふたたび故郷へ」 ベルリン交響楽団演奏会(51) 
 (1)映画「汽車はふたたび故郷へ」 理解できなかった作品


 6月24日に見た映画。何だか分からなかった。監督オタール・イオセリアーニ、背景は旧ソ連時代のグルジアでトイレでしか本音を吐けなかったとされる時代である。

 若い映画監督の主人公ニコは、芸術性は認められても検閲や思想統制により上映が禁止される様な環境に耐えかね、フランスに旅立つ。しかし、フランスではその様な統制はないものの商業性を求められ思う映画作りが進まない。やっと完成しても観客にそっぽを向かれる。結局、パリでも相手にされなかったニコは「汽車」で再び故郷に戻る。ある日、釣りに行った際に川面に現れた奇怪な人魚が現れ、思わず飛び込む。共に手を取りつつ深い川の中に泳ぎ出す、水中の場面で終了する。自由な世界への旅立ちを示しているのだろうか。

 イオセリアーニ監督の自伝的な内容と言う。私にとって難解で画面をずっと見ていても今どんな意味のある場面なのか理解できなかった。映画の方に問題があるのか、想像力が乏しい私に問題があるのか疑問に思ったが、それこそ商業ベースで興業化されているのだから私の鑑賞眼に問題があるのだろう。
  参考になったり、楽しめたのは共産圏の時代背景、グルジア、パリの風景である。私にとって映画の内容は理解出来なくとも、面白くなくとも、画面から得られるものは少なくない。

 (2)ベルリン交響楽団演奏会(5) イリヤ・カーラー氏を聴けた喜び
 6月28日夕、秋田県民会館で上記の演奏会があった。
 曲は、メンデルスゾーン交響曲第4番「イタリア」、同「ヴァイオリン協奏曲」、ベートーヴェン「交響曲第6番・田園」。
 ベルリン交響楽団は1966年設立の楽団で指揮は1997年以来主席のリオール・シャンバダール氏。今回の独奏はイリヤ・カーラー氏。??楽団は6回目の来日で秋田にもなじみ深い。私は今回で5回目、来日楽団としては一番多い。来日公演で同じ組み合わせが5回目とは驚きである。指揮者と楽団の日本公演に対する好み、利害が一致していることだろう。

 今回も一階の最後列端席で聞いた。指揮者は姿も相変わらず。どうやって靴下をはくのか、ズボンをはくのか、聞いてみたい。コン・マスは団員の中で最高齢と思われた。いつも名曲を並べ、著名なソリストを同行してくる。前回はブーニン、今回はイリヤ・カーラー氏。超有名曲のオンパレードで、理屈抜きに感謝である。

 一曲目の「イタリア」は曲の所為なのか演奏が乗りきれなかったのか、響きも今ひとつの様な気がした。
 イリヤ・カーラー氏が弾く協奏曲は音色がとてもソフトでそれでもバックに埋没することなく良く聴き取れた。楽器は1735年のグアルネリとのこと。この方は1963年生まれ、チャイコフスキ-、パガニーニ、シベリウス国際コンクールの各々で優勝された方で、その後の演奏活動の評価もすこぶる高い。私はその名は知っていたがまさか秋田の地で聴けるとは思ってもいなかった。協奏曲後彼は拍手に応えて一曲奏でた。バッハの無伴奏パルティータの内の一曲だと思ったが、これがまた素晴らしかった。長身の彼はスタイルも良く颯爽としていた。楽器がとても小さく見えた。
 最後の田園、名曲である。十分楽しめた。

 微睡みつつ名曲の演奏を聴くのは私にとって贅沢な、かつ至福の時である。例によって中座したためアンコールとか、この指揮者の日本語による挨拶は聞かなかった。


6/29(金)快晴 大曲中通病院外来
1:00起床、文献・新聞チェック。コイ、ハト後6:45自転車病院着、回診他、8:01こまち。8:45-15:00大曲外来、17:00帰院。18:00帰宅、家の片付け他。19;30夕食、 20:15就眠。

賄いの石井さん(4) 退職した(2) 毎日がお祭りの様な食卓だ!!・・亡き母の弁 
 わが家の子育て、家事の大部分を担ってくれた石井さんが退職した。

 とにかく料理の技能はすごかった。この点も私の意向には沿わないのであるが、 各家族の好物を適宜サッと作っては食卓に並べた。生前、私の母は時に孫を見に秋田に来たが、食卓に並んだ料理を見て「毎日がお祭りの様な食事だ!!・・」と驚嘆したものである。秋田と岩手では食糧事情や食事に対する考え方が大きく異なる事を示すエピソードである。私も岩手県人である。この点は母の気持ちに近い。

 私どもが住み始めた八幡田地域は集落の周辺は田んぼで人口密度も低く、スーパー等も無かった。育ち盛りの我が家の子供3人、石井さんの娘2人を引きつれ8人で週一回土崎のジャスコに買い出しに行った。やや大型のマツダ・ルーチェを使用していたが、荷物と定員の問題から子供の1-2人はのトランクに乗せて出かけたものである。まとめて大量に買うものだから店員から「何かご商売ですか?」と聞かれたこともあった。私は好みのボロボロのジャンバーを着ていったのであるが、「あんなに若いのに、年上の奥さんと5人の子供をかかえ、生活が苦しそうで気の毒な亭主・・」に見られたな、と感じる事も頻回であった。今となっては楽しい思い出である。石井さんは5人の子供達がそれぞれ大学に進んだり社会に出たりして巣立ったのを機会に、隣家に引っ越し同居は解消し、通勤という形になった。

 石井さんにとって私共との生活は、幼い2人の娘の子育てを含めてそれなりに意味があったのだろうと思う。多忙ではあっただろうが、比較的安全な、暖かい環境の中で生活と子供の教育とを両立させることが出来たのではないだろうか。私の心ない言葉で傷ついたことも決して少なくはなかったと思う。時折、国内の旅行も楽しんだし、ヨーロッパ旅行にも行けたし、それなりに良い人生を提供できた、と私はまとめたい。

 我が家の3人の子供達は接する時間は両親よりも石井さんの方がずっと多かった。「かーさん」「母さん」と慕った。しつけや教育をめぐって親との間で生じたストレスを吸い取ってくれた緩衝地帯としての役目をよく果たしていた、と思う。おかげで各人それなりに育った。3人ともいい思い出を沢山かかえていることだろうと思う。

 家内にとっても有り難い存在であったことは疑いはない。しかし、石井さんは親戚でもあり、年も近い女同士と言う立場であり、私には理解しがたい複雑な気持ちも伴っていたようである。母として、主婦として自分でやってみたかったことをやりきれず、結局は石井さんに頼らざるを得なかったから、何かと割り切れない気持ちでいたようである。さりとて直接言えないらしく、私が狭間に立った事も少なくない。これに関しての私は、「家内が如何に望んでも、本人の時間感覚や懸案の計画的処理能力から見て仕事との両立は無理。しかも改善は望めない。どうしてもと言うなら自分が医師をやめるか、石井さんが退職するしかない。いずれその時期が来るから待て・・」という立場をとってきた。
 本日から台所も家事も家内が主役で思うまま出来るようになった。何かはつらつとしているように見えるが、いつまで続くか、私の生活は一体どうなることかと、戦々恐々として家内を観察中である。

 とにかく、どんなに言葉を労しても感謝の気持ちを表現しきれない。「40年近くも本当にご苦労様でした。北海道でいい余生を・・」。私の気持ちを月並みな言葉で表現しておく。


6/28(木)快晴 外来 ベルリン交響楽団演奏会 賄いの石井さん退職
1:30起床。音声他各種データ整理。コイ、ハト給餌、6:55自転車病院着、回診その他、書類など。8:40-13:00外来、余裕あった。新入院対応など。16:00自転車帰宅。片付け他。17:00-21:00県民会館ベルリン交響楽団演奏会、21:30帰宅、夕食、22:00就寝。

賄いの石井さん(3) 退職(1) 39年間子育て、家事の大部分を担ってくれた 
 わが家の子育て、家事の大部分を39年間の長きにわたって担ってくれた賄いの石井さんが本日をもって退職した。
 私自身にとっては勿論のこと、家族全員にとって、今ある姿は彼女の存在なしにはあり得なかったと言いうる。到底、感謝仕切れない。

 明日から私の生活環境が大きく変わる。家事を分担しながら何とかやっていくことになる。だから、今、ちょっとした料理、掃除・洗濯等のノウハウ、ゴミ処理、物品の購入から支払い、町内会のちょっとした分担など勉強中である。まあ、多少はやっていたが、今までとは勝手が違う。慣れるまで何かと大変そうである。草花、プランタン、鉢植えの草木も多数ある。夕方の水やりだけでも大変である。草はむしらずに十分伸ばしてから刈り取るつもりで、電動の草刈機の購入を予定している。広範囲に上手くやろうとすると混乱するから、身の丈にあったレベルで進めていきたい。

  私は1973年5月、血液学の臨床の勉強と子育てを両立させるために、家内と生まれたばかりの娘3人で家内の出身地である秋田に転居した。かねてから子供は日中親族のどなたかにあずけたいと考えていたが、盛岡に住む私の母は虚弱でほぼ不可能であった。秋田でなら家内の叔母である石井さんが担ってくれると言うことで、家内の勤務と私の勉強、それに子育てに関する懸案が一気に解決できた。

 当初は通いでわが家の掃除とかもやってもらっていたが、私共夫婦は互いに夜間の呼び出しも頻回でその度に娘をあずけなければならず、お互いに不便であった。間もなく石井さんとその二人の娘とわが家で同居することになり、私共は安心して業務につくことが出来る様になった。
 当初、秋田組合総合病院の社宅に住んでいたが我が家の子供も3人となり、手狭になったので今あるところに小屋を建てた。一時、私の父親を引き取ったので9人家族にまでなったこともあるが、よく頑張ってくれたと思う。

 石井さんは家事一般についてそれなりの技能を持っていたが、中でも料理の腕は一流だったと思う。美味いほかに量もたっぷり。この点では私といつも意見が合わなかった。町内に配るのか?等とイヤミを言い続けたが、ついに本日までなおることはなかった。「私には一汁一菜でいいのだ・・」と言う一方で、「食品は絶対無駄にしてはならぬ」と言う気持ちの狭間に立って、私は呻吟し、苦しみながらも、結局は後者の方を優先せざるを得なかった。美味かった。おかげで、私はずっと体重との間でも呻吟しなければならなかった。

 約40年前は若かったが、年をとって70歳を超えた。残った人生にも限りがある。もうこれ以上彼女の人生を私どもが独占すべきでない。
 近々、彼女はかねてから同居を予定していた長女夫婦の住む北海道へ行くことになる。 


6/27(水)晴 外来     
2:00起床。 コイ、ハト給餌、7:00車病院着。7:20回診他病棟業務。8:45-14:00外来、混雑で余裕なし。患者家族面談。17:00北インター経由帰宅。主に歴史探索。夕食、20:00就眠。

東電事故調査最終報告=企業の保身体質報告  情報の強制提出は出来ないのか
 東電力による福島原発事故は炉心溶融、建屋爆発、大量の放射性物質拡散など最悪の事故は、いまも完全に収束しえていない。原子炉内部の状況もよくわかっていないなど相変わらず厳しい状況にある。

 先日、社内の調査報告書が公表された。従来からの対応を通じて予想されていた様に、報告書は自己弁護と責任転嫁に終始している。自ら安全神話をつくり、対策を怠ったことが事故の背景になったのは明白であるが、「事故の原因は想定を超えた津波にある。東電の事後対応に問題はなかったが、官邸の介入が混乱を広げた」としている。原子炉を冷やすための海水注水に関しては、早い時期から準備したが、「首相の了解が得られていない」といわれたからだと責任を政府に転嫁している。

 東電社内でも津波が15m以上になる可能性を挙げて被害や対応を検討していながら、「国の統一見解」が無かったので対策はしていなかった、としている。批判された事項に関しては細かく反論しているが、報告書は都合の良い情報を継ぎ接ぎし、都合の悪いことは隠しているとしか思えない。東電が責任に言及しないのは、今後の賠償、除染、廃炉費用の負担や株主代表訴訟などを考えての保身だろう。

 事故後の対応には最善を尽くした、と主張する。対応の正否を評価できる重要な情報もあるとされるが、東電は職員の「プライバシー」保護を理由に公表拒んでいる。職員の「全面撤退」を当時の清水社長が官邸に申し入れたとされる問題は、官邸側の勘違いとしている。東電のデータをすべて公開させなければ、「考え方の相違」、「立場の違い」、「言った言わない」論議となり、事故の解明は困難である。

 同じことは政府の事故調査委員会の調査にも言える。中間報告も似たような内容になっている。何しろ情報のソースの出所が同じだし、委員会が得ている情報内容にも大差が無いようだからである。「そんなことは言っていない」、「そこは公開できません」、「忘れました」・・、こんな情報から組み立てられる結論はたかが知れている。

 私は、司法介入での強制的情報公開は求められないのだろうか、と思う。
 医療事故などの場合には臨床資料は裁判所の命で情報はすべて提出が求められる。東電は職員の「プライバシー」保護を理由に公表を拒んでいるとされるが、強制提出の方はないものだろうか。プライバシーに関連するところは何らかの方法で保護すればいい。事故調査は原因を突き止め、発生後の対応の問題点を明らかにし、教訓を引き出さないのでは、何のための事故調査なのか、と思う。

 新聞に掲載された部分しか読んでいないが、呆れた事故報告書だと思う。報告書から分ったことは事故の調査結果と言うより、東電の体質で、事故の究明よりも保身である。他の電力会社は東電と一線を画していることを望むだけである。


6/26(火)快晴 外来 LL大学開校記念講演 
0:30起床,講演準備他。コイ、ハト給餌、7:00車病院着。7:30回診他。8:45-12:00外来。13:00-14:35LL大学開校記念講演、15:15帰院、入院患者対応。16:15帰宅、向かい風が結構強い。新聞、畠、微睡。17:30夕食、20:15就寝。??

自由人(7)ヒゲ(8) ヒゲ剃りが日本の男をダメにしている
 およそ地球上にあるあらゆる生物は、その進化の過程で不要な機能は退化し、生きるために必須な特徴はより発達させている。
 生物はその備えた特徴を発揮することによって互いに競合しないように生きる領域を分けている。その辺の素晴らしさはファーブルの昆虫記から詳しくうかがい知ることが出来る。更に、同じ生物同志は縄張りを張ることによって餌場を確保し、安全を確保して生きている。

 自然の中ではあらゆる生物が微妙なバランスを保ちつつ生存し続けている。あの小さな、いろいろな形の昆虫達も無駄な臓器や無駄な身体の部分など無い。絶妙で驚くばかりである。同様に、人間だって無駄なとことはないのだ。

 有性の生きものは雄と雌の間に若干の、あるいは著しい形態的な差がある。その差は種の保存のために不可欠な特徴のはずである。その特徴をオスは100%あるいは200%も目立たせ、発揮させ、子孫を残すために、メスの気を引くために目まぐるしい努力をする。

 われわれ人間にとっても身体に備わっている全ての臓器、器官にも存在の理由があり、無駄なものは一切無いのだ、と私は考える。

 その視点で毛について考えてみる。
 頭髪には頭を護る役目があり、眉毛や睫にも目を護る役目がある。鼻毛にも役目はある。体毛として、腋毛、陰毛や肛門周囲にも毛があるが、これらは擦りあう場所だからすべりを良くするために毛があるのだと思う。この場所の毛には男女差は明快ではない。即ち、体毛には両性にとって共通の意義と価値があるからである。
 ならば、ヒゲにはどんな役目があるのだろう。女性には生毛はあるが髯は無い。ヒゲは男の特徴の一つと言える。この差は顕著である。
 ヒゲに体毛の如くの機能は無い。だから、全く異質の、重要な機能がそこにあるはずである。

 ヒゲが男にだけと言うことは、男だけ必要な機能の一つがあると言うこと。しかも、人間の300万年とも500万年とも言われる進化の歴史の中で、退化することなく維持されて来たと言う事は男だけのヒゲは重要な機能を備えている事を示す。要するに、ヒゲはセックスアピール器官としてとても重要であることを示している・・、と私は思う。

 わが国の大部分の男はヒゲを剃る。だから、日本の男はダメになって行く。回り回って少子高齢化の原因、国力低下の因にもなっている。極論であるが、私はそう思っている。
 ただし、私のヒゲは無精ヒゲで、上記の如くの高邁な目的を果たしていないのが、残念である。


6/25(月)快晴 患者関連書類処理
1:00起床、講演準備ほかいつもの如し。コイ、ハト給餌後7:00自転車病院着。2週間処理できないでいた事務処理の日。患者対応。患者関連書類処理。17:00帰宅、新聞処理、花壇対応。19:00夕食、20:00就眠。

自由人(6)ヒゲ(7) 髭、鬚、髯は何のためにある??
 去年の秋から私はヒゲを生やしている。正式に言うなら、放っておいたら伸びたと言うべきだろう。

 先日、ヒゲという漢字が分からなくて国語辞書を引いたところ、ヒゲには3種類の漢字があった。髭はくちひげ、鬚はあごひげ、髯はほほひげを指すという。 全く知らなかった。日本語というか、漢字というか、繊細な分類と表現に改めて驚いた。

 何故ヒゲを生やしたか。私の場合は、第一の埋由はものぐさである。要するに、面倒だと言うことにかまけてこの8ヶ月間、全く剃刀、ハサミを入れずに放っておいた結果、顔に存在する毛穴から毛が全部伸びて来たということ。鬚は10cmほどになった。

 無精ヒゲは社会生活の中では会う方々へ失礼になる。だから、当初は何かの機会があればそり落とさねば、と思っていたのであるが、徐々に私にとって都合が良い効能を感じ始めたことで、伸ばすことが目的の一つになってしまった。その効能の一つが自ら別人になったような気分を味わうことと、もう一つは他人から無視されるようになった、と言うことである。他人から見れば、まことにむさ苦しい、見苦しい爺に見えるからであろう。自由人を自認する私には好都合である。

 今、私は遅まきながら近代日本史とか宗教を勉強しているが、かつての偉人達は 髭と鬚をのばしていて形良く整えている。流行もあったかも知れないが、恐らく、ある種のエリート意識とか威厳の表現に用いていたと思う。一方、イスラム社会では男達は髭、髯、 鬚 の二者または三者をほぼ全員生やしている。ここでも結構よく手入れされている。この社会では男はヒゲを伸ばさないと一人前に扱われないとか。
 わが家でも、医師であった祖父は極めて厳格であったが、きれいに整えた口髭を生やしていた。私は可愛がられた一方でよく怒られたが、目とヒゲがに威圧と恐怖を感じた。

 私は顔の毛根全てに自由を与えた。自由にさせれば私の顔貌はどうなるのか、興味を持って観察しているところである。私の毛根は60数年経ってやっと途中で刈り取られるという苦痛から解放され、各自嬉々としているように感じられる。
 興味を持つといろいろ疑問がわいてくる。何故ヒゲが生えるのか。何故男だけなのか・・・。ヒゲは顔貌を変えることに、あるいは美容上で利用されている。しかし、それは生えたヒゲの利用であって人間にとってヒゲが生える根本的理由にはなり得ない。何故ヒゲが生えるのか。何故男だけなのか??


6/24(日)曇り 庭と畠仕事若干 千秋美術館 映画「汽車は再び故郷へ」
0:30飯川病院当直室で起床、随想読み、徒然など。講演準備。微睡。7:00朝検食、8:30ハト、コイ餌撒き後帰宅、庭と畠の手入れ若干。15:00千秋美術館へ。陶器展、医家美術展。16:00ー18:30 映画「汽車は再び故郷へ」 。途中秋田際の一部見る。19:00帰宅、夕食。20:00就眠。
 
国皆保険制度(22)不思議な国アメリカ 皆保険制度は憲法違反??
 2010年3月23日にアメリカでは新しい医療保険改革法が成立した。オバマ大統領の功績については、いろいろ評価が難しい面があると思うが、 過去にどの大統領も出来なかった医療改革を成し得た功績はとても大きいと思う。大統領自身もこの医療保険改革を高く評価し、次期大統領選挙の際に一期目の業績として大きく宣伝するものと考えられる。

 しかし、アメリカではこの制度に対する批判の声も根強く、現在、最高裁でこの皆保険制度が憲法違反に当たるのかを検討されており、違憲と判断されるれる可能性も否定できない。間もなく、多分、今月中に判断が下される。

 アメリカは何事に付けても世界でナンバーワンであるとの自負が強い。ただ、私共日本人から見て、医療保険に加入出来ないために病院にもいけない人々が何千万人もいるような国が、どうしてそんなに自信を持てるのか、理解が困難である。
 アメリカにおける医療の実態の厳しさは、映画「しっこ」や「ジョンQ 最後の決断」などの作品を通じて内外にアピールされているが、アメリカ国内ではそれほどの評価を得ていない。わが国ではこの国の医療制度を悪しき医療制度の例としてとらえられている。

 国民のいのちと生活を護るのが先進国国家が歩む姿で、アメリカがモデルにすべき福祉国も沢山ある。にもかかわらずその方向に進んで来なかった。誰もが心配なく医療を受けることができるというメリット、皆保険制度の有難さを何故感じないのだろうか。

 アメリカ人の約半数は国民皆保険制度に賛成しているが、違憲ではないか、と最高裁にまで論議されている皆保険制度反対者の真の理由は何なのか?

 「個人の自由を侵す」、と言うことなのだろう。
 アメリカでは自己責任の下での自由が尊重されている。国民皆保険制度の「皆」こそが自由の侵害と考えられ、皆保険は忌むべき社会主義制度の導入と見なす考え方のようだ。要するに、皆保険制度の有難さよりも自由の有難さの方の尊重である。

 オバマ大統領も昨日、「これほど価値のある重要な法案に対して憲法違反などと言う陳腐な結論を出すことがないことを望んでいる」、と言う意味の談話を発表した。
 原爆投下、ベトナム、9.11以降の対外政策などなど、アメリカの文化、考え方は、私には理解出来ない部分が少なくない。


6/23(土)小雨・曇り 飯川病院日当直
0:10起床、文献・新聞チェック。データ、自宅の片付け整理、7:00-8:00コイとハトに餌撒き。8:00隣地との境界線設定関連。畠仕事他。12:30小雨の中自転車飯川病院日直へ。13:00検食、本読み、講演準備。18:00夕検食、20:00就眠。

野田首相(8) 来週、消費税増税の採決へ 民主は分裂の危機
 消費増税関連法案に関して三党で合意してから、野田総理は紆余曲折を経ながら民主党内での意思統一を行った。しかし、小沢元代表とそのグループは来週に予定されている消費増税関連法案の衆院採決で反対票を投じる構えである。更に、集団で離党し新党を結成する意向も表明している。

 こんな中、既に約50人が離党届に署名し、小沢氏とともに集団離党して新党結成をめざすという。鳩山元総理も野田首相に会い、採決を行わないように提言したという。私は小沢はいざ知らず、鳩山元首相が前面に出るのを不快に思う。

 10日ほどまえに行われた野田・小沢会談では消費税の増税については手続き論、時期の問題であり、いずれは増税が必要であると言う方向では一致したとのことであった。小沢は民主党のマニフェストにないことであったし、増税の前にやるべきことがある、と言うことが論旨である。民主党のマニフェストは最初から経済的バックアップが不明瞭な机上の楼閣であった。また、事業仕分け、節減等で16.8兆円の財源を生むという公約が実現不能なことは、政権を担って間もなく破綻した。あれから3年経つ。いつまでも同じことを繰り返していてもしょうがない。

 菅元首相も野田首相も財務大臣就任以降に消費税増税に方向替えしている。職責を担って、あるいは政権を担って初めて国際的、国内的な現実を理解したと言うことではないだろうか。菅元首相は国内での論議を経ずして消費税増税を行って経済を立て直す旨を国際的に表明した。方法論的には勇み足であった。

 野田首相は増税しないという党のマニフェストの記載を乗り越えて、税と一体改革と言う困難な道を選択し、邁進してきた。十分と言う評価は出来ないが随分説明し、野党に対して妥協もしてきたと思う。党内も何とかまとめた。小沢もグループの議員も党員である。議論の上で決まった党の方針には従うべき、と思う。

 しかし、小沢一派は造反にむけた行動を取った。増税に対し時期と手続き論の問題と言う小沢氏が、この時期にいたってあえて造反の道を選んだのはもう党内の権力闘争としか思えない。もうグループの議員達は地元で反対投票と離党、新党結成の以降を説明開始している。後には退けない状態に至った。

 この3年、小沢氏は政権の足を引っ張る行動ばかりであったように思う。離党者が54人以上出るようであれば民主党は過半数を割り政権維持が困難になる。民主党は政策で政権交代をなしえたのではなく、自民党の失政で浮上してきたに過ぎない。今回の小沢氏の行動は野党を喜ばすだけ。民主も同じ轍の上にある。野党は党の分裂をじっと待っている。

 こんな中、小沢一派との調整は不可能だ。首相は採決に臨むしかない。
 わが国の政治の今後は一層不透明になってきた。


6/22(金)晴れ 大曲外来
0:00起床,新聞文献、徒然。講演準備など。6:45車病院着。7:00回診他。8:05こまち。8:45-15:00大曲中通病院外来。16:45病院着、17:45小雨自転車帰宅、新聞・歴史関連文献読み、19:00夕食、20:00就寝。

食べる事(4) 10日間,豆腐・ところてん・ゼリーで過ごし、体重3Kg減
 6月12日から本日まで10日間、予定どおり朝夕食に「豆腐半丁」と「ところてん半パック」,市販の栄養「ゼリー」 で過ごした.間食には配達される牛乳とコーヒー数杯、カロリーオフのゼリーだけ。
 ただし、16日昼に日直した病院の検食を一食いただいた。また、自転車で通勤したが、秋田道北インターを経由して帰宅した際には走行距離が20数Kmなので水分とカロリー補給のためにコンビニで126円、190Calほどのアイスクリームを食べた。

 摂取カロリーは女子栄養大学出版部発行の「エネルギー早わかり」(2004年)で計算した。
 大体300-600Cal/dayの摂取量であった。この差は飲んだ牛乳とゼリー、アイスクリームによっている。この間、自転車はメーターによれば走行15-31Km/dayで消費カロリーは200-450Cal/dayであった。

 一人で過ごした間、ガスや電熱器は一度も使用せず、台所は豆腐とところてんをざっと水洗いし、食器に移しただけ。気力や体力は落ちず、業務も自転車走行も通常通りこなし、畠の作業や花への散水など、蓄積した各種のデータ、書籍の整理に充てた。ただ、数日後より早朝起床後に強度の倦怠感が生じた。これは減食すると数日続く現象である.これを過ぎると後は急に楽になる。

 結果として、スタート日の12日は68.6Kg、本日が65.7Kgで約3Kg体重が減少した。減量は目的でなく結果である。今回は、一人で過ごした一週間、食事に時間をかけたくない、さりとて外食も嫌ということでやってみただけ。
 明日は飯川病院の日当直で検食が三食出る。これは業務の一つだから回避は出来ない。と言うことで、本日の夕食から通常に戻すことにした。いつものにおにぎり2ヶ追加した。美味であった。この10日間便利でとても良かったが、やはり明日からの食事が楽しみである。

 ところで宇宙食として現在、ご飯、ラーメン、カレー、鯖味噌煮など29品目あると言う。とろみが付いて銀色のパッケージ入り、1年半以上保存可能とのこと。一部は筑波宇宙センター、国立科学博物館等で実際に売られているから、これを用意しておけば家族不在の時などに便利だろうと興味を思えた。


6/21(木)雨のち曇り・小雨 患者家族面談 外来 
1:30 起床,次週の講演準備に着手。文献整理。6:40車病院着。7:00患者家族面談、回診他。8:45-14:00外来。16:00車帰宅、文献検討。新聞PDF化、19:00夕食、19:30就寝。

映画(50)「トテチータ・チキチータ」 良く理解できなかった

 6月17日に観た映画。2011年作、上映時間95分。監督・脚本・編集は古勝 敦。出演は松原智恵子、豊原功補、寿理菜、葉山奨之、他。

 前世で親子であった4人が現世で出会い、ホットなひとときを過ごすが、現実の世界のしがらみの中で再び別離を迎えるという設定。4人とは、戦争の悲しみを抱えたまま認知症になった老婆、倒産で家族が離散した寂しい中年男は零戦に乗って戦死した兄、両親が離婚し転校して来た少女はその母、原発事故の避難のために同級生と離れ離れになった被災高校生は父であった。

 少女には超能力が備わっていて前世の家族を捜し出し、結びつけた。そこでは両親と子供二人の組み合わせになる。私は当初、認知症の老婆の感覚でそう思い込んだのか、何と面白くもない月並みな話ではないか,と先入観を持って観ていた。
 戦争から東日本大震災、原発事故に至る間の時間が飛び交い、家族を守るとされる古い日本の伝説の龍神の話も出てくる。登場人物の状況の説明のシーンなどが短いカットで次々と展開し、私はなかなかストーリーを繋げれないで混迷している間に映画は終ってしまった。
 登場する子供達のセリフが学芸会調で、演技が十分であったとは言い難かった。同級生を演じた大勢の中学生、高校生福島のある学校の子供達のエキストラらしい。

 戸惑いながらも、「家族」として過ごした4人。それぞれ孤独を抱えていた4人にとって、短くも、久々の安らぎの時間であった。
「家族」、「絆」の大事さをテーマに、福島の復興に期待を込めて作られた作品とのことであったが、残念ながら私は作者達の意図を感じ取ることは出来なかった。ただ、東日本大震災とそれに続く原発事故の現場の映像が一切画面上に出てこなかったのが、私にとって救いであった。

 題名の「トテチータ」は家族を守る龍神の名前,「チキチータ」はスペイン語で「小さい女の子」という意味とのことであるが,この意味の分かりがたい二つの単語を並べたネーミングも、私はどうかと思う。


6/20(水)曇り・雨 外来 
 2:00起床,文献読み、整理中心、いつもの如く。コイ・ハト餌撒き後、7:00自転車病院着、回診他、8:45-13:50外来。16:15帰宅。新聞整理、19:00夕食。20:00就寝。摂取550Cal。

東日本大震災(37)忘却にあらがう 流木材のヴァイオリンのリレー演奏
 東日本大震災は世界中が注目している。
 大規模地震、大津波、さらに原発事故が続いた。しかしながら、人は直接的な何らかの負荷や刺激が続かない限り忘れていく。また、忘れると言うことがなければ、人生は辛く、耐え難いものになる。東日本大震災も直接的影響のない人々から忘却されかかっている。皮肉にも、大震災の記憶を維持させているのは原発事故である。
 スリーマイル、チェルノブイリ、東海村JCO臨界事故、東京電力事故と世界的に見ると約10年に一度のペースで同じような過ちを繰り返してきた。その背景にも風化と忘却、軽視がある。この忘却と言う現実に、何らかの手立てが必要である。
 その中で、地道な活動が続いている。ヴァイオリン(Vn)・プロジェクト「千の音色でつなぐ絆」である。
  Vn制作者の中澤氏が被災地木材でVnを製作し、仲間たちと組織「命をつなぐ木魂の会」を作り、その楽器の演奏を通して被災者を励まし、鎮魂の祈りを捧げ、この震災を風化させずに全国の人々が支援続けることを目的としている。
 Vnに使われた木材は、津波で瓦礫化していた流木で、その中から相応しい木材を選んだ、と言う。それを弦楽器として蘇らせ、千人の演奏家がその楽器を奏でその思いを繋げていくのだという。二丁のVnが作られ、裏面には奇跡の一本松の絵が描かれている。これが、プロ、アマの手によって演奏が続けられている。
 最初の演奏はこの運動に賛同した世界的Vn奏者であるイヴリー・ギトリス氏によって行われ、明日からはパリの市庁舎で「日本再生展」が予定されていて仙台出身の演奏家によって演奏されることになっている。
 「千の音色でつなぐ絆」、「千人の演奏家のリレー」の設定は「千羽鶴」、「千手観音」、「千人針」、「千の風」などで用いられるように人々の願いの象徴的数字に由来している。その千という字を冠することで、祈り、希望として託したとのこと。「千年に一度の大震災」であることも偶然なのだろうか。
 このVnは震災の体験が風化しないように永きにわたり演奏され絆のシンボルになろう。現在、ヴィオラ、チェロも作成中というので弦楽四重奏も可能になろう。
 このプロジェクトは「一人だけで、自宅で演奏してもかまわない」としている。参加してみたい気もないわけではないが、楽器のキャリアにとって無駄な時間になるだろうから、私なんぞは遠慮すべきだろう。


6/19(火)曇りのち雨、強風 台風4号近接 早朝患者死去 外来 年休 家内帰国 
1:30 起床,新聞・文献チェック、他.4:00病棟より電話、車で病院へ。5:00Taxi帰宅、豆腐とゼリー朝食、7:00車で病院、7:20回診他。8:45-13:00外来、13:30から年休、秋田空港へで迎え、初めて送迎デッキに登ってみた。家内無事帰宅。家内を病院に送り16:00帰宅。19:00夕食、20:00就寝。摂取450Cal程度。

「女性は産む機械」(3) 発言の裏(2) かつて西洋の著名人は何と言ったか
 ちょっと古い話であるが、2007年1月27日、安倍内閣の柳澤厚労大臣は、自民党島根県議の集会で少子化対策に触れ、「女性を産む機械って言ってごめんなさい。その産む役目の人に頑張ってもらうしかないんです・・」などの発言をした。この発言に関連してマスコミが大きく報道し、辞任、罷免と大騒ぎになった。大臣は結局辞任せず8月の内閣改造で退任した。この発言で政治が停滞し、安倍内閣の支持率は低下した。

 私は発言がどの様な論旨の中で用いられたのか知らないから、その真意をうかがい知ることは出来ない。ただ、大臣は「失礼な例えであるが・・」と前置きしているから不適切な例えと自覚していた、と思いたい。ただ、話の途中で直ぐにふさわしい例えが思いつかなかったためとと思われる。この問題の結論は、大臣が「ウー・アー」とかいって時間を稼ぎ別の言葉を選べば良かっただけ、で紙一重の問題である。

 女性に対してどの様に考えようと思おうとそれは自由である。発言も自由である。ただ、立場とTPOをわきまえないといけない。自らを「産む機械」などと考える女性はいないだろうが、大臣を責めた男性連中に責める資格はあったのだろうか。ただ、ちょっとお利口さんで口に出さなかっただけではないのか?

 「女性は子どもを産む機械」に近い見方は過去にはいくらでもあった。西欧ではレディファーストなどと女性の立場を尊重する生活習慣がある。しかし、過去に遡れば全く逆で、著名人の発言を見れば、女性は蔑視されていたことを知ることが出来る。

■J・J・ルソー:女が男と同じ権利を得ても、損するぱかりで、得になることは何もない。■パウロ:男は神の像、神の栄光であるが、女は男の栄光であるにすぎない。女は男の肋骨からできたもの。男は女のために造られたのではないが、女は男のために造られた。人間が霊的存在であるためには、私のように結婚しないでいるのが最もよい。だが肉の思いを自制できないのなら、結婚するのもやむをえない。
■カント:女は知的天分に乏しい。男は愛している時に嫉妬する。女は愛してもいないのに嫉妬する。女は美しくて愛嬬があればそれでたくさん。ギリシャ語を頭一杯に詰め込んでいる女は、口髭でもつけるがよい。
■ミルトン:女は美しい不具である。
■ラ・ロシュフーコー:若くても美しくなく、美しくても若くない女は何にもならない。
■ショーペンハウエル:子供の世話をするのに女が向いているのは、女自身が子どもじみて、他愛なく、浅はかだからである。女は精神的に近視である。女は劣った性であり、男性に劣る第二の性である。髪ばかり長くて知能が足りない動物である。ずんぐりして尻の大きい、肩幅も狭ければ足も短い女を美しいなどと呼べるのは、男性が性欲に眩んでいるからで、女の美しさは、すべて性欲に潜んでいる。
■二ーチェ:女は神の第二の失敗作である。

 上記に挙げた著名人達は言いたい放題であるが、時代がそれを容認していた。もし、彼らが今の日本の大臣だったら明らかに罷免・問責に発展する。
 なお、上記例は私が集めたものではない。横浜市の開化館クリニック石田春夫先生の記述を参考にした。


6/18(月)小雨のち快晴 外来 
1:30起床,いつものごとし。コイ、ハトに餌撒いて6:55自転車病院着。8:45-13:30外来。無風、晴天になったので雄物川河川敷を東に走り大橋のたもとでターン、ゴルフ場、向浜経由で17:00帰宅、新聞チェック、散水、畠若干。19:00夕食、20:15就眠。725Cal摂取。

自由人(5)共感を強いるマスコミ、特にNHK-TVの報道は不快
 共感についてもう一つ。
 私は協調性を欠く性格である。そんな自分の目から見て、視聴者に共感、協調を強いるNHK-TVの編集方針は不快である。
 と言っても私は19:00NHKニュースを見る範囲からのコメントしかできないのであるが・・。

 ニュースは知り得た事実を淡々と伝えればいいのであって、ニュースの中でドキュメンタリー調に編集したり、視聴者を登場させる必要は無い。勿論、難しいニュースには詳しい専門家を登場させて説明を受ければいい。ずぶの素人、視聴者を登場させても番組の編集趣旨に沿った、だれでも予想がつく様な、当たり前の決まった答えしか出てこない。

 子供に田植えを経験させるイベントがあると、画面には可愛い表情の子供が登場する。それほどでない表情の子供は取り巻き的扱いである。次いでマイクが子供に向けられ、「とても楽しかった・・」、「またやりたい」、「面白かった・・」と続く。こんなの聞きたくない。「楽しくなかった・・」「面白くなかった・・」と答えた子供はいなかったのだろうか。いなかったとしたら洗脳がうまく行ったと言う事であり、そのような意見を採り上げないのは情報操作である。

 爆発事故や交通事故が起きると近所の方が登場、「バーンと大きな音がした・・」「助けてくれ、と叫んでました」と答える。「興味ありません、あんなの本人達だけの問題でしょう・・」等と、非難される様な態度でぶっきらぼうに答えたインタビューアーを見たことがない。

 ニュース報道は色をつけないモノトーンが良い。勿論、白黒映像で放送せよと言うのではない。マスコミ側で勝手に色を塗るな、と言う言。この問題は日本の社会にとってこう考えればより正しい方向性なのだ、と言う、だれが決めたか分からない考え方に則って誘導的前提に立って番組編集が行われ、登場人物がそれに沿った都合の良い返事をする。TVの前の視聴者も「そうだそうだ」と言うことになる。二重、三重に同意を強いている。

 要するに一種のマインドコントロールである。マスコミは本心なんかどうでも良いのであって、趣旨に沿ってそれらしく答えてくれればそれでいい。これで世の中は丸く収まっていく。
 私はこんな番組を見ているだけでホントに辛くなる。


6/17(日)雨天・曇り 重症患者対応 映画「トテチータ・チキチータ」
 2:00起床、新聞・文献チェックほか。小雨の中自転車病院、8:00-9:30患者対応。帰路びしょ濡れ。読書等、データ整理進める。15:00-17:00 映画「トテチータ・チキチータ」。帰路再びびしょ濡れ。新聞処理など。18:30ゼリーと豆腐夕食。20:00就眠。本日は300Cal程度。

自由人(4)協調性を欠いたままで過ごせる嬉しさ
 私は協調性を欠く性格である。私以外の方がどうであろうか知る由はないが、誰だって人は多かれ少なかれそのような性格を備えているのだろう、と思う。
 私の場合はそのためにとても不便し、苦痛に耐えてきた。よその方の感情となかなか共感できない。にもかかわらず、自己防衛のためにそれを外に出さない、あるいは出せない状態で過ごしてきた。共感しているような振りをして。しかし、もう、それからの解放である。

 集団の中で、より前向きと常識的と思われる意見に同調したり共感する態度は子供の時から徹底的に教育されていく。その背景は社会性の獲得と言うことになっている。私は子供の時に厳格な祖父母、特に祖父をとても恐れていた。祖父母達にとって常識的と思っている考え方や、その時代の、その社会の、常識的態度に背くような態度を取ると厳しく諫められた。成長と共に、何か違う、と感じ始めていても共感している振りをすることでいさかいや怒られることを回避出来ることを会得し、そのように行動するようになって行く。その方がその家庭や集団の中でストレス無く、安息に過ごせるからである。種々の事象に対し得体の知れない恐怖感に苛まれ、常にそれから逃れることを考えている私が、怖い、あるいは自分の好みでない環境の中で安息に過ごすための方便である。

 私はどなたかが亡くなったとしても、あるいは結婚したとしてもその他種々の状況になったとしても特に悲しくはないし、嬉しくもない。ただ、人の不幸に触れたとき、人の喜んでいる話題を聞かされた時、たやすく悲しそうな表情をし、嬉しそうな表情を作ることが出来る。そのことは人間関係を良い状態で維持する方便なのであるが、そんな自分に対しとても強い自己嫌悪をいだく。

 私はかつてはあらゆる方の結婚式の出席をお断りしていた。今は各種の祝賀会、送別会、告別式など全てお断りしている。その理由は上記の如くである。加えて言えば、家族以外の慶事に祝福すること、不幸に安易に同情することは相手への蔑視であり、卑下であるように思えてならない。

 勿論この様なことを続けていることによって、自らが何かの状態に陥った場合などに誰からも祝福も同情もされることは無くなるだろうが、それは私にとって望むところでもある


6/16(土)雨のち快晴 片付け大幅に進む 飯川病院日直 デルソル故障
1:30起床。文献新聞チェック、蓄積データ整理、その他。朝食無し。午前は主に書庫と居間の整理、書籍大量に廃棄。12:30車飯川病院着、日直。検食戴く。帰りにホンダ・デルソルのルーフが動かず故障。18:00帰宅、19:00ところてんと豆腐夕食、20:00就寝。 検食と豆腐だけで600Cal程度。

野田首相(7)一体改革修正合意したが、先行き不透明
 社会保障と税の一体改革は、日本の将来と国民生活に深く関わる重要政策であり、野田首相が政治生命をかけると公言した重要案件である。
 政治生命をかけるとは不退転ということ、なしえなければ退陣することも含んでいる。口は禍の元でもある。いろいろ回り道したが、昨日、民自公3党の実務者での修正協議で合意が出来た。一つの土手を越えたが、これから各党内で意思統一を図り、国会での議決に持って行く必要がある。まだ先がある。

 特に民主党の中では小沢・鳩山氏を中心とする反対意見があって先行きが不透明である。小沢氏の言動も問題あるが、二枚舌三枚舌を使い分ける鳩山氏が前面に出てくることは許し難い。今の民主は党分裂の危機もある。そんな中で首相は21日の国会会期末までに衆院で採決できるのか、次の決断が迫られる。首相の決断・・と言うのであるが、党の分裂を回避する努力は民主党議員にこそ必要である。分裂すれば与党の議員の立場を失い、次は全てを失う可能性がある。そこまで覚悟あるならもっとやればいい。

 私は、今回の合意は大きな二歩目を踏み出した、と思う。
 しかし、今回の民主、自公3党の実務者協議での修正合意を、マスコミは盛んに批判している。■社会保障分野で十分な議論を尽くしていない、■今後の方向性や全体像が示されていない、■決まったのは消費税増税だけでないか、■本末転倒だ、などなど。言っていることはすべて正しい。しかし、非現実論である。 確かに、国民の立場、国の方向性はとても重要であるが、修正協議では、この面をそっちのけに各党の思惑が交錯した。野田首相は、衆参ねじれ国会を乗り切るために自民に譲歩を重ねてきた。消費税率を8%、10%と2段階で引き上げ、8%時に低所得者対策を実施することでは合意した。その過程で、マニフェストに掲げた最低保障年金創設、後期高齢者医療制度の廃止を棚上げにした。

 このことに対し、マニフェスト軽視と党内で強い反発が生じている。社会保障分野では自民党の対案に沿って、民主党がマニフェスト放棄した異常な展開となった。それで良い。もともと民主党のマニフェストの内容は経済面のバックアップを軽視して、一部の党員だけで作った机上の楼閣である。
 政治には裏と表がある。益の陰には不益を被る人が必ず生じる。だれもが益を得るような世界には政治は不要である。だから、政治には妥協が必要である。民主的政治の悪しき点であるがやむを得まい。

 1リットルの水から作った氷を一端崩すともはや元の器には入りきれない。角をとり、時には一部を溶し、時には一部を捨てなければ収容できない。その調整が必要である。
 野田首相は民主党三番手の首相である。厳しい決断を迫られている。今迄の足跡を見ると、資質に問題のあった前の二人よりはずっと良い、と思う。


6/15(金)晴れ 大曲中通病院外来 摂取300Cal程度
0:30起床,文献本読み、新聞チェックほか。7:00自転車病院着。回診他。8:01こまち、8:45-15:0大曲中通病院外来、混雑疲弊。16:30帰院、重症者回診。17;30鎌田内科クリに立ち寄り打ち合わせ、自転車ショップでボトルホルダー装着。18:00帰宅、畠・花壇に散水、ところてんと豆腐半丁のみで一応夕食、20:00就寝。

食べる事(4) この食品の賞味期限は平成8年なのか,2008年なのか? 9月とは何年前のか
 部屋の整理や物品の廃棄は誰も居ないときにやるのがコツである。
 今週から家内がに旅行していて不在、賄いのおばさんには私の不在時間に来てネコの世話をする様に命じているから、今は私一人で何でもやりたい放題である。

 2階の書庫には家内と私の医学書とかがまだまだ沢山残っている。家内がいる状態で廃棄すると時々チェックに回ってきては本をどんどん戻してしまう。二度と読むことはないはずであるが、思い出もあって踏ん切りが付かないのだろう。昨日から私の書籍中心に、家内の書籍も大量に廃棄した。帰ってきても多分気が付かないだろう。それでもまだまだ書庫は整理できていない。

 次ぎに目をつけたのは冷蔵庫とその脇にある食料品の棚である。
 二人の台所奉行が不在で、この週は食品の購入はない。だから整理するのにちょうど良い。

 食品棚の奥深くから、埃を被った瓶詰めの栗、山ブドウやブルーベリーなどの原液ジュース、各種の調味料などが出てきた。殆ど数年前の製品である。賞味期限にこだわらない私にとっては未開封であれば何年経っていようと問題ではない。瓶詰めの栗の甘露煮は賞味期限が08.2.2とある。蓋は外側がさび付いてかなりの年代物に見える。ハタと、これは5年前のだろうか、15年前のだろうかと迷ったが判断出来する材料がない。開けて見たが変質している様子はない。年季が入って熟成していてとても美味しかった。

 冷蔵庫の中には5年ほど前のウニとかの珍味の瓶詰めがあった。調理品や開封品の場合、透明なビンに入れ、日にちを記入したテープを貼ることにしている。それは良いのであるが、年号迄は書かないものだからいつのか分からない。6月、8月、11月などと書いてある。恐らくは昨年の貯蔵品であろうが、わが家の場合は必ずしもそう言いきれないから恐い。何ヶかの貯蔵品は廃棄した。これで冷蔵庫内がかなりすっきりした。

 この様な、一般家庭では起こりえない様な食品の貯蔵は、二人の台所奉行が互いに牽制し合って融通しないことと、互いに高齢化して購入したことも、貯蔵したこともすっかり忘れているからである。こんな状況は私から見て歯がゆい。
 今回、私が何で冷蔵庫や食品棚に興味を持ったかというと、長年わが家の台所奉行を務めた叔母さんが退職する事になり、私も来月から台所に立たねばならなくなる、と覚悟しているからで、つい現状を把握したくなったからである。


6/14(木)晴れ 家内不在 重症患者対応 外来 摂取500Cal程度
0:00起床,新聞チェックほかデータ整理。5:10病棟より連絡、5:30自転車病院着。患者対応、家族面談。8:45-14:00外来。15:30広面、太平、添川経由で帰宅。17:30帰宅、新聞チェック。花壇・畠に散水、新聞チェック。19;00ところてんと豆腐半丁、牛乳のみで一応夕食、20:00就寝。

映画(49)『ひまわり』 ソフィア・ローレンに脱帽 
 最近、古い映画がニュープリント&デジタルリマスターでよみがえり、映画館で再上映されている。 映画『ひまわり』も同様の作品。6月9日に観た。観客は20人ほど。

 監督はV・デ・シーカ。主演はM・マストロヤンニとS・ローレン。 日本での公開は1970年9月で戦争映画の傑作と評価されている。音楽はヘンリー・マンシーニが担当、 主題曲も日本でヒットし、今でも時折聞くことがある。

 戦争によって引き裂かれた夫婦の悲哀を描いた作品で、真冬の厳しいシーンは、当時入国が困難であったソ連で行われたとあるが、当時のソ連である、なかなか映画の撮影には許可が下りなかったという。広大で厳しい北方の厳寒期、十分な食料と防寒、移動手段を持たない人間にとっては墓場であることが壮大な映像で示された。一方、場面展開の際にはスペインで撮影されたという、地平線の彼方にまで及ぶひまわり畑が映される。厳冬と真夏の太陽を浴びて満開のひまわり、この対比がこの映画のコンセプトであり、観ている私の胸を打った。

 ストーリー性は私はあまり重視して観ないが、要約すると以下のごとく。
 若く貧しい夫婦。第二次世界大戦が勃発し、夫は戦争へと駆り出される。終戦後、妻は夫を待ち続け、必死に消息を求める。ある帰還兵の話によると夫はソ連の極寒の雪原で倒れた、という情報を得る。妻は夫の生存を確かめるため、ソ連へと足を運ぶ。村民に紹介された家を訪れると、幸せそうな夫婦と子の姿があった。妻は全てを悟り、黙ってイタリアへの帰国する。その駅に夫が駆けつけるが,妻は無言で去っていく。
 1年以上も後、夫は妻に会うためイタリアへと向かうが、そこには子供を抱いた妻がいた。夫は寂しくソ連の妻の元に戻っていく。

 この映画は「別れ」をテーマにしている。第一の別れは出征による夫婦の別離。第二は夫を見つけた妻が何も言わず列車でイタリアへ帰国するシーン、第三は寂しくソ連に戻っていく夫とそれを見送る妻の涙のシーンである。

 私はM・マストロヤンニとS・ローレンの両人と55年振りに再会した。
 中学は盛岡にある私立中高等学校に進学したが視聴覚教育の一環として映画鑑賞会があり、市内の劇場で映画を観せられた。その時の上映の一本が二人が主演した「鍵」という作品であった。内容など覚えていないが、S・ローレンのはち切れんばかりの肢体と顔貌、激しい感情表現に、汚れを知らず清純?であった私は圧倒されショックを受けた。その後、最近まで映画を忌避してきたがその因の一つであった。

 今回は冷静にS・ローレンを観察出来た。表情も感情表現もさることながら、そのスタイルの良さ、足の美しさは見事であった。共演したロシアの女優・バレリーナであるリュドミラ・サベーリエワも可憐であった。
 いろいろな要因もあってこの映画にいたく感動した。


6/13(水)快晴 家内不在 外来 患者家族面談 摂取400Cal程度
0:30起床,新聞、文献等整理と読みなどいつもの如く。コイ・ハト給餌、7:00自転車病院着、回診他、8:45-13:30外来。大学病院から添川、更に上新城への坂登り。17:20帰宅、 畑・花壇に散水。20:00 夕食摂らず就寝。

食べる事(4) 推奨栄養摂取量は私の場合は2.300Cal/dayも!! 多すぎるね
 私は医師ながら食事に関しては適当な考え方をもっている。現在に至るまで自分の食生活は適当そのものである。身長は177cmなのであるが、体重は20代前半まで55Kgでガラガラ。子供の頃は時代柄そう食品は豊かではなかったことも関連し、大学6年間は学生寮で過ごし、食事は必要最小限であった。それでも健康状態は良好であった。

 駆け出し医師の頃は生活が不規則で夜食に出前を取ったりして一日4食の日もあり、一年で5Kgほど増えた。更に家庭を持ったことで食生活は一気に当世風になり、一時71Kgまで達した。さすがに階段を上るのも辛くなりダイエットに勤しみ59Kg迄減量した。方法は一日一食法によった。その後しばらくは三食に戻し、40代から二食、50代以降は一食、最近は一食半程度にしてきたが、それでも体重はじわじわと増えて現在67Kg程度に維持されている。

 私は栄養摂取が総体的に見て正しいか否かの判断基準を体重の変化に置いていて、適正体重を維持出来ている際の食生活は基本的に正しく、適正体重を維持出来ていれば細やかな栄養バランスへの配慮は不要としてきた。今でもそう間違った考えでないと思っている。医師として40年の経験の中で栄養不足の患者には多く遭遇したが、栄養成分の摂取不足患者、例えば蛋白摂取不足患者、などにまだ遭遇したことはない。

 先に厚労省は平成12年度から16年度に使用する第6次改定「日本人の栄養所要量」を発表した。この中で私は生活活動強度はやや低目の群に相当するが、1日1時間程度のサイクリングなどを行っているから2.300Cal摂取が目安ということになる。従来の「栄養所要量」基準は欠乏症の予防を主眼としていたが、今回は過剰摂取への対応もできる限り考慮して策定した、とのことである。私の感覚では基準が甘すぎて多すぎる基準だと思う。私はどう考えてもこんなに摂取していない。

 昨日からしばらくダイエットすることになる。久々本棚から女子栄養大学出版部発行の「エネルギー早わかり」(2004年)を取り出して連日の摂取カロリーの概要を計算している。昨日が500、本日が400Calであった。基本は豆腐とところてん、カロリー表示のある栄養ゼリーだけ、これに牛乳程度だから計算も楽である。
 ひょんなことで始めた非日常的食事であるが、副作用として体重、腹囲が減れば嬉しい。


6/12(火)快晴 家内不在 外来 摂取500Cal程度
1:00起床,いつもの如く。保戸野新橋でコイに、千秋公演でハトに餌撒き 7:00自転車病院着。回診他。8:40-13:00外来、比較的余裕。手形山を秋田高校脇から上り横山金足線、北インター経由で16:30帰宅した。畑・花壇に散水。夕食は豆腐1/2丁のみ。新聞、文献読み、20:00就寝。


記憶がダメなら記録に(4) 古くからこんなに幅広い数の概念があったとは
 自分の電子データの蓄積が「キロ」バイトからスタートし、コンピューターと周辺機器の機能が増すと共に「メガ」、「ギガ」と巨大化し、「テラ」のレベルに至った。これ以上の単位の量は私が使うことはあり得ないが、国際規格の単位では1.000倍毎に「ペタ」、「エクサ」、「ゼタ」、「ヨタ」となっている事を知った。

 漢字圏ではいろいろ変遷があったが、単位は10の4乗毎に、即ち1万倍ごとに、「万」、「億」、「兆」、「京」、「垓(がい)」、「(じょorし)」となっている。東電原発事故で大気中に放出された放射性物質の量は「90京」ベクレルと推計され、「京」が単位に使われたのを私は初めて見た。

 それで、これを機会に単位はどうなっているのか調べてみた。
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 単位は大きい方に向かっては1万倍毎に以下の如くとされている。

 穣(じょう)、溝、 澗 、正、 載、 極、 恒河沙 (こうがしゃ)、阿僧祇 (あそうぎ)、那由多 (なゆた)、不可思議、 無量大数。
 小さい方の漢字の単位も調べた。こちらは1/10で単位が変わる。

 分(ぶ) 厘 毛 絲(し) 忽  微  繊  沙 (しゃ) 塵  埃  渺 (びょう) 漠 (ばく) 模糊  逡巡  須臾 (しゅゆ) 瞬息 (しゅんそく) 弾指  刹那  六徳 (りっとく) 虚空  清浄
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 自分の金銭感覚は「万」単位どまり、国の予算や経済などは「億」と「兆」の範囲であるが、「億」でも実感が湧かない。小さい方の単位は自分で使うことは殆どない。せいぜい 「 毛」までで、これはかつては銀行の預金金利等で接していたが、最近は%表示になって殆ど見ることがない。

 単位は、江戸の数学者、吉田光由が1627年に 「塵劫記(じんこうき)」 に分類しているとのこと。この分類はそれより数世紀も前の中国の数学書 「算法統宗」 を参考にしているという。

 これら、数学に関連した文献を読むと、クレタ文化にまで遡ることが出来るのだ、と言う。コンピューターが無かった古い時代にこれだけの数の概念を持っていたのか、と驚くばかりである。
 数の概念の背景は勿論実用ではないはずである。単位に用いられた漢字はしょっちゅう仏典に出てくる漢字のような気がする。宗教の中では、神仏の能力の及ぶ範囲を考えられる以上に広げる必要があり、その時代の数学者と共に進展させて行ったのではないか、と思われる。仏典にも数に関する記述があり、最大の単位は「不可説不可説転」で、ここに記載することも困難、多分コンピューターでも計算もできないほど大きな数を示している。「悟りの世界」の功徳の大きさを表したものとされている。
 「悟り」とは一体何なのだろう。ただただ、驚くばかりである。


6/11(月)晴れ 事務的処理中心 秋田空港往復 
0:30起床。蓄積データの整理、家内の旅行準備補助、チェックなど。7:00自転車病院着。7:20回診。外来無し。2週間分のやり残し業務、カルテまとめ、総括など。16:00ほぼ最短距離で帰宅。17:00家内を送り空港往復。来秋にかけてしばらく一人となる。19:30夕食、20:30就眠。

食べる事(3) 10日間夕食は「豆腐」と「ところてん」、「栄養ゼリー」だけ 
 口はわざわいの元と言われる。全くその通りで、口で文句を言いすぎたものだから、食べる方の口も封じられてしまった。

 私は日常の食事に関してはかなり淡泊な考え方を持っている。貧しい考え、と言われることもある。しかし、現実はかなり濃厚な食事を出されている。一汁五菜のこともある。 一汁一菜でも良いのだと言っているのに言動不一致である。出された食事は食べるが、だからといって考え方を変えたわけではない。むしろ、後ろめたい。
  食べることに対しては、
■現代人は人は食事の一部で生き、過剰分で医師にかかる、要するに食べ過ぎである(4月26日)、
■私は食事に時間をかけたくない。もっとやりたいことがある(4月27日)
・・等と言ってきたし、書いてきた。

 私にとって食べることは、 勿論、美味しいものを食べる喜び、食欲を満たす楽しみは大きいのであるが、今のところは食事自体を楽しむと言うよりも生きるために食べるのだ,と言う意識の方が大きい。だから、食事にあまり時間をかけたくないし、分不相応な食材は要らない。幼少の頃から、多忙な母親達の仕事ぶりを見て、将来は宇宙食のような簡便で合理的な製品とか、錠剤で簡単に食事が済ませられれば如何に簡素になるだろうか、と思っていた。それは今も変わっていない。
 わが家の飼い猫、飼い犬は専用の食品だけで生きている。だから楽である。それらを与えながら、完全栄養の簡便な人間用の食品は無いのだろうか、と思っている。

 十分に手間暇かけた夕食を前にして、私がいつもこんな事を言うものだから台所奉行はかなり頭に来ていたのだろう。本日から台所奉行が旅行に出かけたが、不在の間、夕食は「豆腐半丁」、「ところてん」 、市販の「栄養ゼリー」のみで過ごしてみなさい、と命じられた。
 「ゼリー」が1ダースほど冷蔵庫にあった。 もとより、一人で夕食の用意することは嫌、さりとて外食も嫌、と言う事で上記の命に喜んで従うことになった。今夕、彼らは秋田空港から発った。早速実行開始したが、とても便利である。

 勿論、三食をどこで何を食べようと私の自由なのであるが、一日一食で十分と思っているからそんな気は一切無い。上記メニューで一日一食とする。私は言ったことは実行するのだ、と常々言っているが、この10日間の試みをとっても楽しみにしている。
 「豆腐」、「ところてん」購入その他の費用として財布を置いていったが、7000円も入っていた。どういう意味なのだろうか。


6/10(日)雨のち晴れ 畠仕事 映画「ひまわり」
0:30起床。本読み、文献チェック。午前新聞、文献チェックなど。畠仕事。鯉のエサ作り大量に処理。午後は映画「ひまわり」。とても良かった。19:00帰宅。夕食、20:30就寝。

秋田のまちを知る(3)住宅地(2)新しい住宅地は丘陵地に多い 
 秋田市および周辺の住宅地を次々と訪れてみた。御所野地区はちょっと距離がありまだ行っていない。
 雄物川河川敷から横山金足線に入り、北に向かって秋田赤十字病院を過ぎると右側の丘陵地に「南ヶ丘ニュータウン」を始めとして「山手台」、「大平台」、「桜ヶ丘」、「桜台」、「松崎団地」等の団地が次々と造成されている。

 「松崎団地」を除くと名前に「丘」、「台」がついているのが特徴であるが、名が示すように共通して丘陵地にある。 個々の住宅地の特徴は覚えていないが、行ってみると、ゆるやかな坂の、長いアクセス道路がついていて、実際の居住区は横山金足線からかなりの距離と高低差がある。車なら何と言うことのない緩い坂であるし、軽い自転車なら登るのもそれほど困難ではない程度であるが、やや長い。

 自転車で登っていたのは私だけ。すれ違ったのは車だけで、歩行者とは殆ど会わなかった。 尤も、これらの住宅地は一部を除きまだ造成後それほど時間が経っておらず、住宅もまだまばらでそれほど人口密度は高くない。見た範囲では住んでいる方に高齢者は殆どおらず、総じて若い家庭であった。

 建っている住宅は概して小型で、縦に細長い箱形が大部分で渋めのツートンカラーで外観上はとても単純である。いわゆる日本的な造りの住宅は殆ど無い。新聞広告でもこの様なデザインの建て売り住宅が多いから、これが最近の住宅建築の流れなのかもしれない。

 各住宅地の中心部にはほぼ例外なく直径3-5mほどで10mほどの高さの塔が見られる。これは各地域の貯水塔で、遠くからでも良く視認できる。ヨーロッパなどを旅行すると遠くから真っ先に見えるのはその町の教会の塔だったが、わが国の新興住宅地では貯水塔がその役目を果たしている。貯水塔が必要と言うことはその地域が高台で通常の水圧では十分給水できないのでポンプで水をタンクにあげて落差を利用して給水しているためである。昨年の東日本大震災、その後の地震で市街地が断水した際に、近隣の高台にある住宅地では断水しなかった様に記憶しているが、この貯水塔のためであろう。

 これらの住宅地は静かだし、見晴らしも良い。環境としてはとても良いところだと思う。ただ、商業域から相当離れており、住宅街には商店は見られないから車があることを前提にして成り立っている様に感じられる。それも通勤用と日中の生活用と一家に複数台は必要になる様に思える。自転車でも不可能ではないだろうが相当困難だと思う。また、冬期間の道路の除雪や凍結対策、車の滑り止めも一段と配慮が必要そうである。良いところだ、と感心する一方で要らざる事を心配してしまった。

 私のところは「ヘソの緒胎盤道路」と自称している様に道路は狭くて長い。特に冬期間の除雪は大変で、つい最近まで心の隅では不便さを嘆いていたのであるが、秋田市内の住宅地や路地をいろいろ走りまわってみると、私のところは良いとは言えないが、決してそれほど悪くはないのだ、と変な自信がついてきた。自分の環境の中で最善の方法を考えて生活するしかない。


6/9(土)晴のち雨 自転車走行積算3.000Km 自宅の整頓など
2:00起床、文献検索など。7:10自転車、旭川の鯉と千秋公演のハトに初エサ。8;20帰宅。資料整理など。11:30市内薬局に、これで自転車走行の積算3.000Km。午後は居間の整理、電気関係整理。18:00新聞処理、夕食、20:00就寝。

秋田のまちを知る(2)市街の住宅地(1)手形山の坂道 
 私は歩くのも嫌いでない。靴には頼っているが自分の足で動くことに大きな満足感を得る。ただ、急いでも時速6Kmで歩ける範囲は狭いし、やはり時間が勿体ない。自転車は歩く速さの4-6倍のスピードも出る。だから短時間で広い領域を走り回ることが出来る。それを良いことに勤務時間が開けた後市内の方々を走って帰る。

 病院から出て東に向かい、明田地下道を通り横山金足線に入り、手形山を登り、北インターに立ち寄ってから帰るルートを標準にしている。昨年は「手形山またはそれ同等の坂道を週に5回以上は登る」ことを自分に課し、クリアしたが、今年は不整脈が悪化したために手形山を登るのは体調が良い時、週に一回ほどにしている。この坂は手形山配水場の脇まで坂が続く。距離としてはホンの1Kmほどであるが、結構きつい。息が切れる。私の自転車は多段のギヤがあるために車道を何とか登りきれるのであるが、やはりヨタヨタ、息も絶え絶えで、辛い。

 ここで気になるのは、買い物を積んだ自転車を押して登っていく中高年の女性の姿である。女子高校生達も自転車を押している。また、両手に荷物を持って歩いて行く高齢の方々もいる。坂の途中の交差点から左に曲がっていくから、恐らくは手形山北町又はその近辺にお住まいなのだと思う。居住区は交差点からまだまだ上の奥の方である。だから、ちょっと見ていてお気の毒である。
 
 良くは覚えていないが、手形山団地は広面に大学病院が出来た1970年代に新住宅地として大々的に宣伝されていたように思う。市営住宅もあった。あれから40年経つ。道路も改良され立派な住宅地となっている。また、大学病院周辺は大きな商業地域に発展した。

 車があって運転できるのであれば、別に特別の場所とは言えない。寧ろ理想的な住宅地の一つと思う。私も車やバイクでこの道を通っていたが、その時はこの方々のことを特に気にもかけていなかった。自転車で坂を登るようになってから急に目について仕方がない存在になった。
 新興住宅地には一般的に比較的若い方々が集まる。若い時にはそれほど苦痛でなかった坂道なのであろうが、40年経って高齢に達した方々で、何らかの事情で車を利用できない方々にとって日常の買い物はさぞや大変だろうと思う。自転車は押して歩く際、平坦地は良いのだが坂道になると急にきつくなる。通常のママチャリは20Kgあり、この重さも加わるからかなりの体力が要る。電動自転車は一つの解決策になるが、押すときにはそのメリットはデメリットに化す。

 秋田でも田畑が次々と住宅地になったが、平坦地の開発は一段落し、最近は丘陵地の開発が目立つ。秋田市の新興住宅地をいろいろ回ってみた。


6/7(木)快晴 外来 
 1:00起床。いつもの如く文献、新聞など。7:00自転車病院着、7:30回診など。8:45-13:30外来。入院患者家族面談。17:00雄物川河川敷、御野場、仁井田遠回りで帰宅。患者の紹介がある整形、泌尿器、内科クリニック等を見る。17:00帰宅、新聞データ化。夕食、20:30就眠。

ひとり暮らし(1)お菓子「お一人さま栗かの子」が「栗かの子・小形」に改名
 6月2日の朝日新聞に、『「お一人さま」寂しき改名』の見だしで何とも甘くほろ苦い話題が掲載された。

 80年以上親しまれてきた長野県の小布施町の銘菓「お一人さま栗かの子」が、「栗かの子小形」に名前を変えた。「お一人さま」の言葉に敏感な客からの訴えがきっかけだ。1983(明治26)年創業の老舗「竹風堂」が、蜜漬けの粟に栗あんをからめた和菓子「栗かの子」(250g)を、1人でも食ぺきれるよう80gにした「お一人さま栗かの子」を1979年に発売した。5年後には「お一人さま栗ようかん」も売り出した。標準タイプをしのぐ人気を誇り、「お一人さま」は93年、登録商標にもなった。だが近年、「寂しい日々を送る寡婦にとって、あまりに心ない商品名だ」などと、特に夫を亡くした女性たちから疑問の声が届くように。贈答先に気を使って買い控える客もいたため、幕引きを決断したという。社長時代に「お一人さま」を考案した竹村猛志相談役(81)は「惜しい気持ちはあるが、30年も愛していただき満足です」。在庫切れとともに今月中に姿を消すことになる。


 なんともはや、大変お気の毒な話題だ。
 「お一人さま」でおられる寡婦の方々、恐らくそのうちのホンの一部の方々なのかも知れないが、この菓子の名前に「心なさ」を感じるとしたらちょっと「甘ったれ」ではないだろうか。寧ろ、お気の毒でさえある。また、その意見を入れて改名した菓子店はそれ以上にお気の毒である。名前を変える必要など全くなかった、と思う。

 人はいつ死ぬか分からない。自分だって明日のことは分からない。ましてや配偶者を得る際には翌日から相手が自分より早く死ぬこともある。子供をもうけた際には死別することもあり得る。「そんな理不尽なことが・・」と思う方がおかしい。 病気だってある、事故だってある。 ただ、わが国においては双方ともその確率が低いと言うだけである。
 
 かつては「あなた100まで、わたしゃ99まで・・」はその可能性が少なかったから平気でウソをついたのだが、最近は冗談でもウソでもなくなっている。とは言えども歳を重ねる毎に配偶者との死別の可能性はどんどん上がってくる。いずれ来る配偶者と死別することを全然念頭に置いていないとしたならば大切なことを忘れた生き方でないのかな。寡婦になることは想定内のことである。一人になってから悲嘆に暮れて暮らすのは勝手であるが、他人の同情を求めてはならない。ましてやお菓子の「お一人さま」が心ない、と思うのも勝手であるが、製菓店まで巻き込むのは如何だろうか。


6/6(水)小雨・曇天・降雨・雷鳴 母命日 快晴 外来 
1:30 起床。新聞・文献読みとデータ化etc。7:05小雨の中自転車病院着、回診他、8:45-12:45外来。患者少なめでかつ進行スムーズ。入院一名あり対応。16:00組合病院経由で帰宅。書斎整理他。19:00夕食、20:30就眠。

映画(48)『いちご白書』 うるさく、暴力的でついて行けず
 

 映画評

 

最近、古い映画がニュープリント&デジタルリマスターでよみがえり、映画館で再上映されている。 映画『いちご白書』も同様の作品。6月2日に観た。観客は10人ほど。

 1968年にコロンビア大学で起きた学生ストに参加した学生の手記を映画化した作品で、1970年の作。カンヌ映画祭で審査員賞を受賞した。

 かなり有名な映画で私も名前だけは知っていた。この映画が作られた当時、1960年前半にはわが国では安保反対闘争があり、樺美智子氏が死亡している。60年代後半、全国の医学部で学生とインターン医師によって、インターン制度廃止、登録医制導入阻止、大学講座制廃止等を掲げて反対運動が生じた。東大では安田講堂を占拠、学生達は角棒、火炎瓶などで武装するなど、次第に暴力的になっていった。学生運動の一部は一層過激になり、1972年には日本赤軍による浅間山山荘事件、集団リンチ事件などが起った。

 私たちも新潟大学でインターン制度反対の運動に加わっていた。私共の運動は中央のそれと異なり静かな闘争であった。当時の学生達は程度の差はあれ、不条理な権力に対して立ち向かっていくパワーがあった。しかし、時代と共に学生や市民たちの闘争意欲は次第に失われていった。

  映画『いちご白書』 は大学当局が、子供の遊び場になっている土地に何かのビルを建てようと計画したのが切っ掛けで始まった学生達のストであったが、この当時ベトナム戦争等の社会不安、政治状況もあって騒ぎは徐々に大きくなった。ついに、大学は武装警官隊の応援を得て、講堂に終結していた数百名の学生を暴力的に排除する。

 本作は時代の雰囲気、若者達のエネルギーを題材にした作品で、鼓舞するようなロックの名曲が次々と流された。青春の最中にある最中にある若者達のドラマ性も少しはあったようであるが、画面は暴力的で音声もうるさく、私には耐え難い映画であった。それでも何かは得られる、と最後まで頑張った。

 そう言えば、ああいう時代もあったな、とほぼ忘れていたことを思い出させてくれた作品である。


6/5(火)快晴 外来 
1:30 起床。新聞・文献入力、医療トラブル関連対応文書読みetc。7:00自転車病院着、回診他、8:45-13:45外来。17:00自転車新屋・工業団地・土崎経由帰宅。新聞データ化他。途中で寒気と違和感、カゼか。19:00夕食、20:30就眠。

秋田のまちを知る(1)県立博物館 もっと利用されて良い  
 自転車は低速だから景色も花もいろいろ見える。駐輪も簡単だからどこに行くのも便利である。今年は神社・仏閣巡り、秋田市の河川を上流に沿って走ってみる。ところどころの文化財にも寄ってみる。

  秋田県立博物館は日本庭園「水心苑」のある明美な県立小泉潟公園内にあって、自宅から北に約10Kmなので、天候がいい休日などはポタリング、即ち自転車散歩にちょうど良い。片道約30分である。
 パンフレットによれば、博物館は考古・歴史・民俗・工芸・生物・地質の6部門と、「菅江真澄資料センター」・「秋田の先覚記念室」からなる総合博物館で、各部門の研究成果の総合と郷土研究の体系化をめざすことを基盤にして、成果を展示しているとのこと。
 昭和50年に開館し、平成14年度に一端閉館、平成16年4月にリニューアルし現在に至っている。平成26年度までを見通した「秋田県立博物館が目指す姿中期ビジョン」を作成し、それに沿って運営されている、とのことである。

 私は閉館前にロビーでのコンサートを含め、3回ほど、再開館後に5回ほど訪問している。建物の脇には小畑知事の銅像がある。彼が知事の時に尽力して開設したと言うことなのだろう。氏の診療に関わったことがあるのでとても懐かしく感じた。

 決して大きな施設と言うわけではない。
 1Fの「自然博物館」には秋田の自然の様子の一部が再現され、秋田に住む鳥獣魚類の展示がある。なかなか自然の姿を見ることが出来難い生き物だけに何度見ても見応えがある。「管江真澄資料センター」の資料も豊かであるが、私はまだ彼の業績を求めるまでは至っていない。今後の楽しみである。
 2Fの「先覚記念館」には明治以降の秋田の先覚者達150名ほどのの写真や肖像画、簡単な略歴が提示されている。盛岡市にある「先人記念館」のミニ版。秋田人の足跡もこれから追いたい。「人文展示室」は有史前からの秋田人の生活や歴史を知るための資料が展示されている。この寒さ厳しい秋田の地で人々が暮らした様子の一部を伺い知ることが出来る。その他、子供達向けの「わくわく体験ルーム」もある。

「企画展示室」では年数回企画展示、特別展示会が開催される。私はこの4月に■「貝をめぐる多彩な世界ー渡辺浩記コレクションより-」を観て多彩な貝類の生態を初めて知った。5月には■「古イイ看板展」で江戸時代から昭和後期頃までの看板を観た。当時の庶民の経済活動をうかがい知った。一部は子供の頃に実際に見て触れた看板であり、当時のことがとても懐かしく思い出された。これは7月初旬まで見ることが出来る。

 定期的に名誉館長の講話、博物環境室なども行われている。興味はあるが、残念ながら私の時間とは折り合わない。
 
 今迄数回訪れたがホントに来訪者が少ない。いつも20人前後しかいない。実に勿体ないと思う。私にとって宝物が沢山転がっている施設である。何度も何度も訪れたい。


6/4(月)快晴 外来 
0:10 起床。新聞チェック他資料整理、バックアップetc、いつもの如し。7:00自転車病院着。回診他、8:45-13:00外来。16:30北インター経由帰宅、本読み、自室整理。夕食、20:30就眠。

映画(47)『マシンガンプリーチャー』 宗教について考えさせる作品 
 

 映画評

 

6月26日に観た映画で、和訳は「銃を持つ牧師」である。
 1962年6月生まれのサム・チルダースの足跡を追った作品。パンフレットの写真だけ見て、また単なるアクション映画か?と思ったが、行きがかり上観た。期待以上の作品であった。

 壮絶な主人公の生き様を通して地球の裏側の、私にとって想像もし得ないほどの苦しみを味わっている住民、子供達の状況が紹介される。人の命はマシンガンの前では全く無力で一瞬に奪われていく。安穏としたわが国での生活の中からは予想できない不条理な状況である。

 サムは酒と麻薬、暴力に漬かった生活であったが、突然キリスト教に目覚める。司祭に促され、内戦の被害にあった住居を修復する派遣団体に参加した。この任務中、サムは偶然地雷によりバラバラになった子どもの死体を発見する。彼はひざまずき、そして南スーダンの人々を救うことを神に誓う。
 
 彼は宗教に対し力と無力さを感じている。祈っている間にすらいのちが奪われていく。神は何も救ってくれない、だから自分で頑張るしかない、という考えに辿り着き、聖書と共にマシンガンを手にして子供達を守る。スーダンで保育所・孤児院を作るが、資金不足になる。ついには、家族を犠牲にして家財道具まで売り、子供達を助けようとする。その熱意は狂気の沙汰、としか言いようがない。

 10数年後、1000人以上の子どもの収容経験を持つ彼の施設は南スーダンで最も大きい孤児院となっていた。今でも200人以上の子どもたちがその孤児院で、より安全な環境で生活している、と言う。
 サムは今はペンシルベニアに戻っている。相変わらずスーダンの子ども達の窮地に手を差し伸べている。その本人の様子が最後の方で実映像として紹介される。これによってこの映画が単なる作り物でなく事実に基づいていることが実感された。

 米国は宗教大国である。紙幣にも「IN GOD WE TRUST」とある。大統領は聖書に手を置き国家への忠誠を誓う。日曜礼拝など米国人の生活の中に宗教が深く入り込んでいる。私は接したことはないが、恐らく、そこでは牧師が有意義な説法をしているのだろう。同時に米国は軍事大国で、暴力的な国でもある。神学、宗教学の学問的追求も盛んらしい。祈るだけでは何も解決できないことは誰でも分かっているはずだ。この矛盾は一体何なのか?と思う。
 「神はどこにいるというのだ、一体何をしてくれるのか」と叫ぶシーンがあったが、今のところ私はこの言葉に共感できる。この映画をそんなことも考えながら観ていた。


6/3(日)快晴 映画『イチゴ白書」
1:30起床、新聞チェックなど。蓄積データ整理、バックアップなど。7:00自転車、旭川鯉に給餌。15:00松尾Vnコンサートは家内にゆずり15:30 映画『イチゴ白書」 観る。18:00帰宅、花壇に散水他、夕食、20:30就寝。

自由人(3)やりたいことはやる 
 2年目は「意志、性格に反したことは出来るだけやらない」で過ごすこととしたが、やりたい項目も挙げてみた。
 新たに何を、として挙げる項目は「家事への参加」くらいでそれほどない。今までやってきたことをやりながら淡々と、楽しく、有意義に過ごしたい。かつ、死に支度としての身辺のスリム化を進めていく。

■生活時間帯をずらす 
■早寝・早起き、惰眠せず 
■一層小食に 
■掃除、炊事、花壇、畠仕事等、家事一般について最小限のノウハウを身につける 
■健康管理として四肢の機能維持も重視、運動として簡単な筋トレ、歩行など 
■自転車 今年は市内の神社探訪、河川を上流側に遡って見る  
■医学・語学・芸術・社会・経済・人間・歴史・宗教などを学ぶ 
■情報収集 新聞と書籍・文献 切り抜き スクラップ化で資料作成 
■ラジヲ深夜便で各界の方々の話を聴く 
■映画、今年もシアタープレイタウンに通う 
■随想を書く 毎日1000字程度 ホームページ、ブログを連日更新する 
■講演会、演奏会、落語、展示会、資料館・博物館など楽しむ
■仕事で得た収入の2割を岩手の復興のために寄付する 
■書籍・紙資料の電子化で軽量化し、原本は処分
■手持ちのレコードを聴き直し、処分開始する・・・

 この様に項目をまとめてみると、「自由人としてやりたいことをやりながら過ごす」のは大変である。時間が足りない。
 だから、手を抜けるところは徹底して抜いている。10月以来一度もヒゲを剃っていない。なかなか良い感触である。更に、床屋さんに行くのも止めてみた。もっと手抜き出来るところはないだろうか。

 まあ、理屈抜きに、この一年無事に過ごせれば最高、と思っている。 


6/2(土)快晴 飯川病院日直   
2:00起床、新聞入力、データ整理。畠仕事、大量の廃棄資料を紙処理業者に届ける。12;30-17:00自転車飯川病院着、日直、散水用ホース修理。花壇に散水。17:30西部特設会場にて画家清水郁男氏の展示会観る。光の陰影が素晴らしかった。18:30帰宅、夕食、20:30就寝。

自由人(2)意志、性格に反したことは出来るだけやらない
 昨日までの一年は「マイペースで」を目標にしてきて、かなり形が整ってきた。
 2年目の目標は一歩進めて「やりたいことはやるが、やりたくないことは出来るだけやらない」にする。

 「出来るだけやらない」は弱い表現の目標であるが、私は、家族と共に、かつ仕事もしながら、社会の中で多くの方々との関わりの中で生きているわけで、そうクリアに割り切れるものではない。これが私の弱いところである。
 要するに、人や組織との距離を大きく広げながら、自由に、 ホンネで、やりたいことだけをやりながら過ごしたい、と言うことなのだが、「やりたいこと」の中には「やらねばならない」ことも含まれる。負うべき社会的義務には必要最小限対応するのは当然であるが、社会に、私の身辺の関係者に迷惑をかけない様にするために、また、楽しく有意義に残り時間を生きるために、健康管理は怠ってはならないと考えている。
 更に加えて、対外的にはもう考える必要は無いが、家族のために死ぬ準備を淡々と進めておくことも重要だと思っている。

 自分はかなり偏屈な人間だと思う。しかし、弱点として自覚していたので相反する行動を取ることによって自分をごまかし、出来るだけ外に出さないようにしてきた。それが結構大変であった。それからの解放である。

 沢山あるが、ザッと挙げれば以下の如くかな。隠しきれない所もあって、時には人からも指摘されてきた事項もある。
■偏屈、小心で他人との協調性を欠く→共同作業が不得意
■自己陶酔・自己満足型→殻にこもり目標達成に勤しむ
■人嫌い、人見知り →社交嫌いで人との接触を避け、一人で過ごすのが良い
■会話で傷つきやすい→話すと不快になるので言いたいことも言わず 
■他人に無関心→人と共感することが少なく、親しい友人がいない
■話しかけ・話しかけられ恐怖症→避ける、逃げる、無口になる
■無精、で身辺に気遣わず
■静寂・ 暗闇を好む

 あまり疑問なく医師として人の間で過ごしてきたが、今から見ればもっと自分にあった他の道があったような気がする。でも今だからこそ言えることである。「孤立死」の候補者になった。それでも良いと割り切って自由に過ごすこととする。


6/1(金)快晴 自由業2年目初日 大曲外来 外来患者入院対応
0:30 起床.書類、文献・新聞チェック。6:50自転車11回目のパンクしていたので車で病院着、回診ほか。8:01こまち。8:45-15:00大曲中通病院外来。16:30外来患者頭蓋内出血で入院、ICU対応。17:30車帰宅、自転車パンク修理。新聞チェック、網戸修理。夕食、20:15就寝。

自由人(1)初日 
 本日は退職2年目初日となる。昨年は表題を「嘱託医生活初日」としたが、今日は「自由人2年目初日」とした。
 退職翌日から、長く勤務した法人の病院で嘱託医として働いているので実質的には何も変わっていない。しかし、この一年で私自身の考え方が大きく変化している。

 私は新しい環境になった時点で、過ぎ去った環境にこだわるのは好まない。
 高卒を機に育った環境のしがらみから離れた。郷里の土地も家も売却したので、形あるものからも解放された。この郷里からの開放で私はかなり自由になった。その後、新潟、宮古と転居した。環境が変わる毎にいだいた私の気持ちを説明するのに相応しい言葉は見つからない。お世話になった方々へ感謝の気持ちは忘れたことはないが、無理矢理当てはめると、「決別」と言うことばが近い。

 秋田に来てから約39年になる。秋田での環境も立場も随分変わった。お世話になった方々には心から感謝している。まだ住み続ける予定なので、今後何が起こるか分からない。だから、そうクリアには行かないだろう。今の気持ちを上手く表現する言葉を探すのは一層困難である。挙げれば「距離」かな。

 私は社会に出てから約40年間、組織の一員として過ごし、その発想で過ごしてきたが、昨年5月末日をに組織人の立場でなくなった。嘱託医という糸でつながっている立場なので契約上の義務は果たさねばならないが、従来の発想から大きく離れてものを考えることが出来る様になった。自由であることの意義はとても大きい。嘱託医としての立場は徐々に小さくなってきている。
 だから、本日から肩書きとして嘱託医とするのを止めることとした。求められたら『自由人フクダ』としよう。
 残された貴重な時間を大事にしていきたい。


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   年を通じてワンパターンで淡々とした毎日です。AM2:00-5:00にメールチェック・返事送付、人間ドック(HDD)判定・報告書作成、新聞切り抜き、病院・医師会業務など。
  月〜土曜は6:00頃出勤、HDD報告書印刷、外来書類処理など。病棟回診、HDD受診者とミーティングと診察。8:45-14:00外来とHDD受診者に結果説明。昼食は摂りません。午後は病院業務・医師会業務、各種委員会等に出席など。20:00頃帰宅。
  日曜・祭日もほぼ同様ですが、病院には午後出かけます。時間的に余裕無いのが悩みです。


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