徒然日記
2011年11月分

 日記と言うより、自分の行動記録からの抜粋と日々の雑感です。

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11/30(水)曇り・雨 外来
1:00 起床、新聞・文献読みとPDF化、他諸々。7:00車病院着。回診、8:45ー14:00外来。16:55自転車修帰宅、教育関連、日本語関連文献読む、夕食、20:30就寝。?

旭川の鯉に餌(9)スズメが消えた(2) 「少子化」傾向も指摘されている
 スズメは色合いは地味であるが、しぐさがとても可愛い。私は子供の頃は朝はスズメの鳴き声で目をさましたし、雪が積もる冬にはザルと落ち穂でワナを作り捕獲を試みたり知恵比べもした。子供の遊び相手でもあった。大人もにとっても同様で、一茶も巣立った幼鳥に「一緒に遊ぼう・・」呼びかけているし,昔話として舌切りスズメの話しがあり、落語で酒を浸した落花生を播いて寝込ませる話などなどがある。
 春から秋にかけて巣立った幼鳥が窓ガラスに激突して死ぬのもマレでなかった。そんな音がすると飼い猫がいさんで走っていったものである。スズメは稲作地域では嫌われものであったが、私共にとって元も身近な小鳥であった。

 スズメは2008年現在、日本での生息数は1.800万羽と推定されている。1960年代から見て80%も減っているという調査成績もあるし、私も随分減っていると実感しており、とても心配である。

 スズメの寿命は一体何年くらいだろうか。1953年に英国で出版された「ある小さなスズメの記録」では、身体に障害があって拾われ「クラレンス」と名付けられたスズメは飼い主と12年間生活を共にした。この本はスズメの生活記録である。一方、自然界のスズメは、どうやって調べたのか分からないが、8年ほど生きたという長寿記録もあるらしい。都市鳥研究会代表の唐沢氏によると折角巣立っても、タカやカラスに襲われたり、餌不足で餓死し平均寿命は1年程度とされる。随分短いが、一度越冬出来ればサバイバルの知恵が付くのか強く生きながらえるとのことである。

 実際,最近はスズメの数がとても少ない。かつては一家と思われる集団が電線にとまっていたが,最近は見ることはない。スズメは人との関係が強く,都会や山里などで生活し、人のいない環境では殆ど生息しないという。私共の生活様式が急速に変化したこととスズメが減少していることとの関連は深いようである。
 その中でも、昔ながらの、スズメにとってもぐり込む隙間が多くて子育てに都合が良かった瓦屋根の住宅が減少したことは大きいらしい。岩手医科大学三上助教授が今年の日本鳥学会で報告した研究によると、埼玉・富士見市での調査では巣の9割は人家にあったのに対して、池袋では95%は電柱上のトランスやガイシ、それらを固定する金具の隙間等に営巣していたという。田舎ではそんなスズメを見ることはないので好んでそんなところに営巣していると思われない。彼らも生きるために必死で適応しているのであろう。

 しかも、都会のスズメは農村部に比較して「少子化」傾向にあるとも言う。エサ不足のためか,住宅事情悪化のためか?
 スズメの減少は、人間の生活様式の変化が主因と思われるだけに、とても気の毒に思う。
 文中引用した本には「人を慰め、愛し、叱った,誇り高きクラレンスの生涯」という副題が付いている。クレア・キップス著、梨木香歩訳,文藝春秋社、1500円である。


11/29(火)曇り・雨 外来
1:00 起床、新聞・文献読みとPDF化、他諸々。6:20病院に向かうも4回目のパンク!!!,何で、と呆れる。タクシーで帰宅、車で自転車乗せて7:00病院着。回診、8:45ー14:00外来。16:55車帰宅、教育関連、日本語関連文献読む、夕食、20:30就寝。??

旭川の鯉に餌(9)スズメとが消えた(1)? 
 まもなく12月になろうとしている。時間の推移は早い。私はまだ自転車通勤している。さすがに朝夕は冷えて決して快適とは言えないが、路面に雪がないうちは何とか続ける積もりである。

 今もほぼ毎日、旭川にかかる久保田新橋から乾燥したご飯や野菜くずを鯉に与えている。
 鯉は水温が下がると活動性が乏しくなり、餌もあまり食べなくなる。昨年のこの時期はまだ元気で食欲は旺盛であったが、今年は30-50匹がいるが,実際に川面に顔を出す鯉は半数近くと、徐々に摂食行動が鈍くなってきている。より暖かかった頃は餌を求めて互いに重なり合うほど旺盛な食欲であった。この頃は流れていく野菜くずを追いながら,あるいは沈んだ乾燥米をゆったりと食べている。鯉が取らず下流に流れた餌はカルガモが食べてくれる。そろそろ今年も餌やりを終わりにする時期を迎えたようである。

 今年は例年と異なって夏以降カラスとスズメが殆ど姿を見せなかった。昨年の秋口にはカラスの数が増え、水面に浮いたパンくずなどを水面すれすれに飛びながら上手に採ったり、私が投げた餌をフライングキャッチしたカラスもいたが今年は全く来ていない。ただ、私が餌をやる時間帯に集まって来ないといえども、カラスは日常的に飛び交っているから,カラスに関しては心配していない。

 心配なのはスズメである。春先から夏にかけては毎朝数羽欄干に寄ってきた。橋の上に米粒を撒くと喜んでついばんでいたが、秋口から殆ど姿を見せなくなった。多分、稲穂など秋の味覚が成熟し、餌に困らない季節になったからだろうと予想していたが、未だに姿を見せない。
 これはどうしたことかと思う。しかも、自転車で稲作地域を走っていてもスズメを見ることは少なくなった。

 2008年現在、日本のスズメの生息数は1.800万羽とされているが、1960年代から見て半減どころか80%も減っているという調査成績がある。特に都会地では減少が著しいと言うが秋田でも大幅に減ってきているのだろうか。スズメは子供の頃から最も身近で親しんできただけに無関心ではいられない。スズメに関しては多いに心配である。


11/28(月) 雨時々止む 書類処理日 午前急遽飯川病院代診
2:00起床。文献・新聞等処理、徒然といつもの如く。7:00自転車病院、回診。10:00以降間歇的に飯川病院外来手伝い、13:00帰院。16:00横山金足線上で3回目のパンク。修理、17:30帰宅、文献読み、夕食、20:30就寝。

国民皆保険制度(17)受診時定額負担 たかが100円ではない 理念が間違っている
 今わが国の社会保障は主に経済的問題から壁に突き当たっている。わが国には世界に冠たる,と多くの人が言う、国民皆保険制度がある。しかし、この皆保険も右肩下がりのわが国の経済の中、高齢化や医療の高度化で確実に右肩上がりに出費が嵩み、運営が困難になりつつある。

 わが国の医療では、月々の自己負担に上限を設定している。一定以上の収入がある方は12万円、200ー800万円の中程度の所得だと8万円余りであるが、そうは言っても長いあいだ高額の治療を受ける患者にとって負担はきつい。一方、公的医療保険の支払い側が負担する額もとてつもなく大きい。
 政府は高額な医療費がかかる患者の負担を軽減するために・・・と言う名目で、患者が受診時に窓口で支払う自己負担分に100円を上乗せして、それから得た収入を充てようとした案を提起しようとしている。重い病気で医療費が高額の人の負担を減らす、と言っているが,私が理解している範囲ではこれで患者の自己負担分を軽減するという具体的な考えではまだないようである。

 国民皆保険を堅持していくためには種々の改革が必要である。特に,高齢者医療、高額医療については姑息的な方法でなく何らかの改革が必要である。

 しかし、今回の定額負担は理念上も間違っていると思う。何か事をなそうとした時に論理的にかつ経済的に成り立つことは重要であるが、人間としてのあるべき姿に抵触するような案は論外である。
■一般患者の医療費に一定額を上乗せして高額医療患者を援助するのは、患者が患者を,即ち、弱者が弱者を援助することになり、公的医療保険の理念にそぐわない。
■高齢者、慢性疾患患者、生活困窮者は受診頻度が高く窓口負担が増加する。病気は社会が作ると言って良い。個人の責任ではない。患者に負担増を求めるのは社会保障にそぐわない。
■100円は現時点の案であるが、歯止めが無いようである。窓口負担の如くにズルズルと引き上げられる可能性がある。
■窓口負担3割が限界で、2002年に将来にわたって7割給付を維持するとした健康保険法の付則に反する。
■窓口負担を増すことで受診抑制を想定している。経済的締め付けによる受診抑制は医療倫理に反する。

 良い知らせがあった。野田政権はどんな協議がしたか不明であるが、この受診時定額負担の考えを断念するらしい。私も国民皆保険制度の維持のために何らかの対応策が必要と思っているが、この案は上記の如く不自然な案であったことから賛成できなかった。


11/27 (日)終日雨  第4世代iPod shaffle届く
?0:30起床.新聞チェック、医学論文読み,整理、PDF化。午前、故障した第二世代 iPod shaffleの代替品として注文した第4世代のが届く。一層小型化し,出力や作動時間が延びている。午後、 医学論文PDF化、居間の防寒対策施行。16:00来客あり歓談、17:00食材仕入れに久々スーパーに。一人で入るのは久々。19:40夕食、20:30就寝。

秋田市斎場見学会 候補者は多いのに見学者が少なかった
 私の家は秋田市斎場の近くにある。実際には数100m離れているのであるが,最も知られている場所の一つだから、私はランドマークとして用いている。「どこにお住まいで?」と問われた際には「秋田市の火葬場の近く・・・」と答える。秋田に来た頃、宴会の帰路のタクシーで「斎場の近く・・」と言って寝込んでしまい,夜中に誰もいない真っ暗な斎場の玄関先まで連れて行かれたこともある。私も酔っていたためか何も考えないで降りてしまった。気がついたときはもう遅かった。寒い中、自宅まで歩いて帰った。当時は今と違って周辺に住宅もなく、田んぼと森の中にポツンと建っていたから,常識的に考えて夜中に斎場に用事などあり得ない,と思うのだが、客の言う通り降ろす方も降ろす方である。私が悪かったのだから仕方がない。

 私の両親、家内の両親を始め,多くの親戚、知人の方々と最後の別れをしたのもこの斎場であった。その施設が老朽化したために、ほぼ同じ場所に新斎場が建設され、10月29、30日に見学会があり、私も家内を誘って出かけてみた。いずれは世話になる場所だから予めしっかり見ておこうと思ったからである。

 秋田市周辺地区は高齢化が進んでいる。雄和にある斎場は新斎場の完成をもって廃止されるので市民の大部分の方々は、それほど遠くない将来、ここで焼かれることになる。だから、自分を焼く施設に対して興味津々、間もなく利用することになる高齢者が大勢訪れているだろう,と予想しながら30日日曜日の14:00頃に行ったのであるが,予想に反して見学者は数人しかいなかった。しかも、高齢者は誰もおられなかった。

 斎場は生きた姿から骨となる場所である。秋田市の火葬件数は年々増加し、旧態勢では対応できなくなるため、平成19年度から総事業費約29億円を投じて新斎場の建築を進めていた。
 建物は近隣の宅地や自然環境を考慮し、火葬施設をイメージできないデザインとしている。駐車場も広くてゆったりしているが,ここに落ち着いた庭園でもあればよかったな,と思った。炉設備は12基で最新の機能を備え、こんがり焼き上がるのに45分とのことであった。信じ難いほ度である。今回は通常見ることの出来ない操作側にも入ることが出来て炉も直接見ることが出来た。大変な火力のバーナーが用いられているが、排気を再度炉に導き再燃焼をさせるなど、環境には十分配慮されている。
 館内,調度はベージュ色に近い木質系の落ち着いた雰囲気で統一され、遺族毎に個別利用できるよう配置されている。

 使用料は市民は無料、市民以外は13歳以上が61,000円、13歳未満が41,000円,その他となっている。値段などの仕組みを今回初めて知ったのであるが,私の両親の場合、岩手県民だったから火葬費用がかかったハズであるが記憶にはない。

 とても落ち着いた良い施設になった。実際にお別れに来られた場合には十分施設の良さを体感できないだろう。この様な公的施設が日常的に、もっと市民に親しまれても良いような気がする。


11/26(土)曇りのち晴  散髪 飯川病院日直 映画「悲しみのミルク」
1:00 起床。新聞・文献PDF化。4:11孫誕生。各種の録音資料再検討。6:50自転車病院着、検査オーダーなど。1:00帰宅。11:30再度病院、散髪。12:30-17:00不調の家内に代わり飯川病院日直。17:10−18:40 映画「悲しみのミルク」。18:30帰宅、夕食。19:30就寝。??異境の地ブータン王国の国王夫妻来日(2) 内憂外患の中、高い「幸福度」文化をどう維持?

ブータン王国のワンチェク国王がペマ王妃を伴い初来日した。

【歓迎式典を終えた皇太子さまと合掌するブータン国王夫妻
=16日午前、宮殿・東庭(産経)】


 私は国王夫妻の姿や新聞等の紹介記事などを見て、経済大国、文明国としてひたすら高能率、高度の成長路線を追求してきた過程で、わが国の国民がとっくに失った「人間としてとても大切な何か・・」「自然との共生生活」を豊かに残している、静かで、ゆったりした時間が流れる、羨ましい国という印象を持った。

 しかし,この国に関する資料を読む毎に、ブータンも内憂外患は決して少ないわけでない。今後どのような変遷を遂げていくのだろうか,とも思った。

 外患としては中国・インドの2大国との関係であろう。両国に挟まれた位置にある小国であることから、両国から何度も問題を起こされ、翻弄されてきたし、今後も続くかもしれない。あるいは両国にとって欠くことの出来ない緩衝地帯として重要な位置づけの国にも成り得ると思う。

 内憂としても宗教問題を始め、いろいろあるだろう。無いはずはない。その中で私は、特に「幸福感」という感覚に対してとても羨ましい、と思うのであるが、今後どの様に維持されていくのか? この感覚は人間としての本来の,あるいは真の姿として長く維持されていくものなのか? 本当にそれは可能なのか?と言う点で疑問と興味を感じている。

 ブータンは他国が求める「国民総生産」のアップでなく、「国民総幸福度」の方を重視するという行き方を選択していて、少ない富をうまく国民に配分し、現段階では成功しているようである。
 しかし、今後どう変わっていくのだろうか。これは,国としてと言うよりも人間個人の在り方の問題でもある。
 人には欲があり,どんどんと膨らむ欲望もある。人類は欲求、欲望を背景に発展を遂げてきた。その結果行き着いた極端な一例がわが国の今である。高能率、高GDPを求める姿は成長期は良いのであるが、爛熟期を迎えると、途上国の追い上げのために右肩上がりの成長は影を潜め,衰退と格差社会が生じてくる。わが国は僅か50年で,超高速でこの過程を通過してしまった。私はいま、人間の営み、人間の歴史を学びなおしているが、わが国がたどった過程は、人間がたどる避けがたい過程だったし、勤勉な日本人だったから出来たのだ、と思う。

 ブータンであっても国民が人間である限り,国民の欲望を満たす方向を完全にはコントロールできないだろう。それを現状では情報の統制、国際交流の制限などで変化のスピードを良好に抑制している状況に見える。ブータンのみんなが望むのであれば、高「幸福度」文化はゆっくりと変化を遂げつつ、何時までも続いていくだろう。そうであれば、ブータンは私共にアンチテーゼを示して行くと思う。情報を求めてフォローして行きたい。
 私どもに大きなインパクトを与えて下さった国王夫妻に,またブータン国民に幸あります様に。

 ブータンを知る資料として私が購入したのは、小杉泰京大教授著、「ブータンに魅せられて」岩波新書777円である。数年前に読んだがもう一度読み直してみたい。


11/25(金)曇り雨 道路初冠雪
0:30起床.新聞、文献PDF化、徒然他何時もの如く。7:00車病院、回診他。終日カルテ書き、書類処理に集中。それでも処理量はそれほどでない。16:00帰宅、PDF書類、MP3録音データ書整理、新聞読み。夕食、20:00就寝。

異境の地ブータン王国の国王夫妻来日(1) 好印象を受けた

【歓迎行事で儀仗隊の栄誉礼を受けるブータンのワンチュク国王=16日、宮殿・東庭(ロイター)】

ブータン王国のワンチェク国王がペマ王妃を伴い初来日した。私もTVで国王の穏やかで柔らかな表情と物腰の国王、清楚な王妃の姿を見て別世界から来られた方だ、と感心した。国は一般的にブータンと呼ばれるが,日本語のニュアンスを生かすとすれば「ブータン国」と呼ぶのが相応しい。

 国賓として国会で演説し、福島県を訪れ大震災の犠牲者を弔って静かに手を含わせ、地域の方々や小学生達と親しく交わり、京都の金闇寺では雨の中、傘を持たない僧侶に夫妻が同時に、そっと傘を差し掛けた。その姿は実に自然であった。各国の元首が来日してもこの様にホット人々と交流することも、報道されることも希で、今回のお二人はとても好印象な方々であった。マスコミがこれだけ取りあげたのは単にお二人の資質だけでなく,桃源郷とも称される夢のような、未知の文化を持つお国から来られた方々、という興味本位の立場、という見方もあろう。それでもブータンブームと言える状況は両国の関係のためにもとても良かったと思う。

 ブータンは標高2.300mほどの高地にあり、九州程度の国土に人口70万人ほどの小国である。6年前の自国の国勢調査でブータンの国民の97%が「幸せ」と答えたという(朝日新聞)。信じ難いことである。
 報道から拾った断片的知識であるが、国民の幸福の維持には過度の情報は無い方が良い、と10年ほど前までテレビ放送もなかったと言うし、今もインターネットは許可制とのことである。30年前まで鎖国していたし、今も出入国の管理は厳しく制限されている。王制から立憲君主制に移行したのは3年前で民主化は途上にある。外交面では国交は20数ヶ国だけで、中国、米国などの大国とは国交はない。小水力発電を最大の産業とし、仏教的伝統文化の維持を国策としている。

 私はブータンについては今回まで殆ど知らなかった。ただ、英国レスター大学のホワイト教授が 2006年に発表した「世界幸福ランキング」の中で高い位置にランクされていたことで知り、ブータンは一体どんな国なのかいつかは調べてみたいと本を一冊購入し、ザッと読んだ程度である。 
 
 その「ランキング」は、デンマーク1位、スイス2位・・・、米23位、英41位、独35位、仏62位、中国82位で。アジア各国は総じて低かったがブータンが8位に入っていたからである。日本は何と90位であった。調査項目は、(1)健康管理、(2)国内総生産(GDP)、(3)教育、(4)景観、(5)国民の同一性など、約100項目と言う。日本は、健康、GDP、教育度ともに上位クラスのハズであるが、総合的に90位と判断されたことはその他の項目の評価がとても低かったと言うことだろう。だからブータンはわが国と対極にある国,との印象を抱いていた。
 その一部は国王夫妻の様子を見させていただき,若干は理解できたような気がする。


11/24(木) 終日ミゾレ混じりの雨 外来 
2:00起床、新聞、文献PDF化。7:00車病院着、回診他。8:40-14:30外来、混雑。20:30自転車16:00帰宅。 新聞、文献PDF化進めた。夕食、20:10就寝。??

クロスバイク(9) 積算走行1.721Kmで、新幹線なら福岡近辺
 最近、自転車にとって天候が厳しくなってきた。乗れない日が多くなった。
 9月にクロスバイクを購入、連日遠回りして帰宅して来ている。本日で3ヶ月弱となったが、サイクルコンピューターの積算計は1.729Kmを示している。走れなかった日も10日間ほどあったが、平均20余Km/dayであった。

 積算距離は数値だけでは実感できない。前回に則って秋田から新幹線で南に向かったとしてプロットしてみた。秋田ー博多間は1731.7Kmだから,ちょうど九州新幹線に乗り換えるあたりになる。あと256.8Kmで終点の長崎中央駅ということになる。

 オフの時間は新聞や本読み、過去に集めた文献の整理とPDF化などなど、大部分をパソコンに向かって過ごすから運動不足を自覚する。その解消のために始めた自転車だから、短距離であっても毎日走る事が第一の目標で距離は目標でなく結果である。しかし、ここまで来たので長崎まで到達する距離を今年の小さな目標においてみた。
 ただ、16:00過ぎには暗くなるし、寒く,雨天・降雪の日が増えるからこれからはそう走れなくなる。今期到達はちょっと無理かもしれない。


11/23 (水)勤労感謝の日 曇り タイヤ交換2台
2:30起床、文献チェック。徒然他。7:00自転車病院、紹介状その他処理。9:50帰宅、新聞、文献PDF化と整理。14:00プリウス・レガシータイヤ交換。15:00−16:15草生津川上流・セリオン経由で書籍購入へ。17:00紹介状作成に病院、18:45帰宅、夕食、20:30就寝。

AKB48のショーをTVで見て驚き、「会いたかった」に共感した
先週、AKB48の西武球場でのショーの録画を観た。
 AKB48については各所で随分取り上げられているから、どんなものだろうかと興味を抱いたから録画して貰った。歌う曲が50曲近くで3時間以上にわたる番組だったが,最初と最後の部分を合わせて30分ほどだけ観た。AKB48についてはこの程度でまず十分であった。

 AKB48のメンバーに加えて研修生というのもいるらしく,多いときには100人近くの少女が所狭しと舞台に登った。舞台の設定が学校生活と言うことらしく,高校の校舎らしき建物がセットされ、広い舞台を校庭に見立てて自転車で走るなど,派手な演出で行われた。若い女の子達が大勢出演して歌い踊るのはザッと観て楽しいのだが、じっくり見続ける必要は感じなかった。世代の違いだろうか。

 私がこのショーで感心したのは、■よくもまあ,これほどの美少女、準美少女を集めたものだ■西武球場が満員になるほどの客動員■これほどの人数が3時間、大きく破綻することなく歌って踊った。どれだけ練習したのだろう■演出について感嘆した■全体を、人気者を的確に映し出すTV画面構成■最後の曲「会いたかった」に共感・・・であった。

 特に、演出に関してであるが、これだけの数の出演者を個別に配置し、多少の独自性とかアドリブ的自由度は与えてあると思われるが、各人に多彩な動きを振り付けていたのには驚いた。壮大な交響曲とか管弦楽曲のスコアを見ると,各楽器の楽譜が何段にも,曲によっては20段以上にもわたって書かれており,指揮者はそれをまとめる役目を負っているのであるが、AKB48の演出を楽譜に表すと仮定すれば数十段のスコアになるのでは無いだろうか。それを50曲以上分にわたって作りあげたのだろうからこれはもごいことである。それに、指揮者的なまとめ役が指示しているとも思えないが,結構、整然と進行していたのも驚きである。

 加えてTV画面の設定である。恐らく10台以上のカメラが画像をとらえているのだろうが,次々と切り替わる画面は、対象の選択と言い,切り替えのタイミングと言い、実に的確だったと思う。カメラ担当者が、全体、部分、時間配分、何時どこで誰がソロとして登場するのか・・等々、十二分に進行表を,曲を,メンバーを理解出来ていなければ出来ないことである。しかも50曲分もである。

 最後の曲は「会いたかった」であった。特別な曲ではないのだが、AKB48にとって代表的ヒット曲らしい。私はこの曲に感じた。共感できた。何となれば、2週間ほど前に私は階段でこけて怪我をし、救急処置を受けたが、その時は「アー、痛かった!!!」。彼女らと同じだった。?


11/22(火)午前雨・夕方曇り 外来 
1:45 起床。文献・新聞等処理、徒然。7:00車病院。8:45-13:55外来。16:00帰宅。新聞、医学論文チェック、夕食、 20:15就寝。

クロスバイク(8) 街中,路地のポタリングが楽しい 
 最近、自転車に乗るには天候がやや厳しくなってきた。寒くなって来たし、ミゾレ混じりの雨の日が多くなった。それでも時間があれば、空模様を見て短時間でも、と飛び出す。ポタリングとは、自転車で気楽にぶらつくことで「散歩」的なサイクリングのことである。

 私は秋田に来て40年近くになったが,殆ど職場と自宅の往復だけであった。出不精でもあったからである。秋田市の市街については最近まで殆ど知らなかった。
 2年前から通勤を主に自転車にした。時間に若干余裕がある土日など、時折遠回りし、入ったことのない路地などを経由して帰宅していた。思いがけないところによく知っている医師のクリニックを見つけて納得したり、よそのお宅の花々など楽しんでいた。ただ、マウンテンバイクまがいの自転車だったから走れる距離が限られ、ポタリングの領域は限られていた。

 6月から嘱託となり,勤務時間が15:30までとなったので事情は一変、走ろうと思えば毎日でも走れるようになった。それで、9月に走りの良いクロスバイクを購入、連日遠回りして帰宅している。

 路地裏の探訪は楽しい。路地に限ったことではなく、地域の公園や広場も楽しい。走る度に発見がいろいろある。幹線道路は通り過ぎるための利用が多いから、車を運転しているドライバーは能面のように無表情である。これに対して、路地は住民の生活の道だから、子供も遊んでいるし、行き交う人たちの表情は笑顔だし、生きている。そんな状況にふれるのも楽しい。

 私の家は市の中心から5−6Km離れている。農家の集落の一角で、周辺は田んぼで未舗装の道路もあったが、もう家が密集し一変してしまった。実際に足を踏む入れたことはなかったが、小路に入るといろんな住宅がある。各家とも庭作りが盛んで花々が綺麗である。

 この2ヶ月半で随分走った。ハンドルにつけてあるサイクルコンピューターの積算計は1.700Kmに達した。毎日、「通ったことのない小径」が選択の優先順位にしている。行き止まりになっているのに気付かず,余所のお宅の庭先に入ってしまうことも多々あった。
 まだまだ行っていないところも多いが,住宅地として名が通っているところでも住宅が過度に密集していたり,アクセス道路が細かったり,丘陵地だったり,本当にいろいろな環境の中に多くの方々生活しているものだと感心してしまう。私の家もアクセス道路が狭く長く条件は良いとは言えないが、まだまだ良い方だと,これも納得した。

 通った道は忘れないように地図に赤鉛筆で記入している。まだまだら模様だがかなり真っ赤になった。


11/21(月)終日ミゾレ混じり雨 外来
 1:45 起床。文献・新聞等処理、徒然。7:00車病院。8:45-13:55外来。16:00帰宅。新聞、医学論文チェック、夕食、 20:15就寝。

■映画「光のほうへ」 社会の底辺で成長する若者達を描く
 11月13日に見た。T・ヴィンターベア監督の作で、5部門でデンマーク・アカデミー賞を受賞した作品。
 舞台は デンマークのコペンハーゲン。酒浸りで育児放棄した母親に代わり、10歳前後の2人の兄弟は生まれたばかりの小さな弟の世話をする。劇貧でミルクを買うお金もなく盗んで与えている。しかし、ある日突然、弟は死んでしまう。

 両親に愛された記憶もなく、愛情を注いだはずの幼い弟の命を守り切れなかった経験が、少年だった兄弟に深い心理的傷を負わせた。兄弟は別々に暴力と貧困にあえぐ日々の中で成長し、互いに何年も音信不通だったが、母の葬儀で顔を合わせ、再び心を通わせ、どん底の人生から光を見出そうともがく姿が描かれている。

 ストーリーとしてはそれほど興味がある内容ではなかったが、舞台になったコペンハーゲンの街並み、暴力と貧困にあえぐ底辺の生活の描写,刑務所、麻薬売買など,私にとって見知らぬ世界を垣間見ることができた。登場人物の演技力、子役の名演技には今回も感心させられた。

■映画「さすらいの女神たち」 若さ、美貌、美形へのアンチテーゼか
 11月20日に見た。2010年第63回カンヌ国際映画祭において最優秀監督賞した作品。M・アマルリックが監督・主演している。
 米国の旅芸人の一座が、フランス国内をツアーで回っている際の悲喜こもごものドタバタ劇。一見、喜劇風であるが、繊細かつ丹念である。メンバーはふくよかな女性たち数人とマネージャー。派手に化粧して、舞台上で、豪華な装飾品を身に纏い、刺激的で独創的なショーを行う彼女たちは、若いわけでもないが、とにかく豊満なバスト&ヒップで破天荒なステージを繰り広げる。

 この様なショーを見せる現場に私は立ち入ったことはないが、この映画に登場したダンサーたちのショーは素晴らしい,と思った。ダンサーたちは実際に世界各地で活躍している本物のショーダンサーだと言う。中年で肥満傾向著しい肉体を画面上で惜しみなくさらけ出す。見る者を喜ばせるテクニックは芸術的で大したものである。この映画のコンセプトに、若くて素晴らしいスタイルの女性,あるいは可愛いだけの美少女をもてはやす現代社会に対するアンチテーゼの意図を感じ取る。その考えに私も同調したい。勿論、程度はあるが女性は脂っぽい方が魅力的である。

 映画の中で発せられた台詞にも記憶に残しておきたいのが沢山あったが、共感を得たのはマネージャーがガソリンスタンド、クラブで発した「ラジオを小さくしてくれ」「BGMを止めてくれ」「TVを消して欲しい・・」であった。騒々しいショービジネスを取り仕切っているマネージャーが、仕事から離れた際には音に異常なほど敏感な男であり、わざわざ3度もその言葉を発するシーンが用意されていた。嫌音権を主張している私にとって嬉しい限りであった。


11/21(日)曇り・夕方ミゾレ 映画「さすらいのディーバたち」 
?1:00起床、新聞、文献チェック,7:00ー8:30病院、点滴オーダーなど。旭川を上流に向けポタリング。方々でタイヤ交換の姿。医学雑誌のPDF化、録音データ整理など。15:15−18:00 映画「さすらいのディーバたち」。帰宅,夕食、20:30就寝。??

階段でつまずき、右拇指裏に裂創(2) スリッパのすり足が原因
 11月7日、非常階段でつまずき、右拇指裏の皮膚を9針縫うほど裂いた。過去にも、考え事をしながら昇降していて、足を踏み外したり、蹴躓くこともあったが実際に怪我をしたのは今回が初めてである。

 つま先を階段に引っかけたのだから、足の上げ方が不十分だったと言うことだが、どうしてなのだろうか。 やはり、年齢因子が第一なのだろうか。ちょっと自覚が足りなかった。よく人は足から弱るといわれる。確かに高齢者の歩き方を見ると、背中を丸め、歩幅が狭く、すり足歩行になっている。だから、速さも遅くなり、かつ転びやすくなる。

 私も今まではあまり自覚したことはなかったが、考えて見るとその傾向があるようだ。病院の廊下を歩いているときに後ろにスタッフの気配を感じたときには,脇にそれてやり過ごす。私は廊下などで前を歩いている知人を追い越すのは気が引けるし、それ以上に人に近づかれるのが嫌である。

 すり足になる原因は腰部、大腿、前脛の前の筋が後ろ側の筋に比較して萎縮し易く、下肢の挙上が不足するからとされている。これは、特に階段を上る時に問題となるが、平地では数mm程度の段差でもつまずくことになる。下肢の挙上が不足するとバランスを崩したときの対応が出来ずに転倒することになる。このつまずき、転倒は、日常的に,無意識に歩いているときに生じやすい。だから、歩く時、階段を上るときなどにきはやや大股に、しっかりと地面を蹴ることを意識することが必要になる。こうすることによってつま先、下肢共によ高く挙上し、つまづきや転倒事故が少なくなる。

 私の場合は別な要因がある。
 マメに動く人、よく働く人は足腰が丈夫とされる。私もエレベーターなど用いずによく歩くし、自転車中心で車に乗ることは少ない。自転車は9月以降、この80日間で1.600Km走行している。だから、マメな方で、私の腸腰筋,大腿四頭筋などはそれほど弱っていないはずである。歩くのが遅くなってきているのはやはり年齢因子で動作が緩慢になってきているためであろう。

 もう一つ、決定的な要因は素足にスリッパ履きにあると思う。私は靴が嫌いで子供の頃はゴム草履で、その後は大部分素足にスリッパ履きである。学会の演題発表にスリッパ履きで上がったこともあるし、今持っている革靴は20年前のであるが全然劣化していない。スリッパ履きだと歩行時の蹴りが弱いほか、脱げないように意識しどうしてもすり足歩行になる。それがすっかり私の身についてしまっていた、と言うことである。加えて,素足だったことの要因も小さくない。

 で、今回たまたま転倒はしなかったが次はどうなるか分からない。今回の反省として、意識して早足で歩く癖をつけること、日常スリッパ履きを出来るだけ少なくし、テニスシューズを用いること,を実践し始めた。?


11/19(土)終日雨 家内暦購入で上京 カゼなのか体調不良  
2:00起床、新聞チェック、徒然他いつもの如し。6:55丸善本店にカレンダー購入に行く家内を駅に送り病院に。回診無し、事務処理若干、10:00帰宅。体調不良、カゼか?微睡、PDFデータ整理、午睡、夕方は体調若干改善。居間冬支度、模様替え若干、夕食、20:00就寝。

階段で蹴躓き右拇指裏に裂創(1)実に丁寧に9針も縫ってくれた
 11月7日8:00am頃、回診で移動中に非常階段で蹴つまずき、右拇指裏の皮膚が裂けた。2002年10月のアキレス腱断裂以来の久々の怪我である。

 5階病棟から7階病棟に移動する際、いつも利用している南側の非常階段を快調に上っていたが、階段の縁に右足を引っかけて前につんのめった。その際、右拇指に激痛が走った。顔面を打ちそうになったが上の方の階段の縁を両手でつかめたので何とか転倒、顔面打撲は避けられた。

 右拇指の激痛は突き指かと思い、いずれ軽減するだろうとそのまま回診のために7階まで上がり、廊下を歩いているうちに右の足下がぬるぬるしてきた。見ると足とスリッパが真っ赤、かなりの出血である。振り向くと廊下床にも点々と血が付いていた。急ぎナースセンターに入りティッシュペーパーで足の出血を拭き取ったが創は裏側で,かつ出血のために見えない。

 病棟は朝食時間で誰もいない。廊下の血の跡はスタッフや患者が見ると驚くだろうと、傷口に大量のティッシュをあててとりあえず廊下を掃除した。その間も何度か傷口のティッシュを取り替えた。動脈性の出血ではなさそうなので自室に戻り体重を利用して圧迫止血を試み,出血は徐々に軽減した。外来も通常に始め、1時間ほどこなしている間に出血は止まったようである。代診を頼み救急外来受診、部長から治療を受けた。歩行時に伸ばされる場所の裂創だから緻密に縫います、と言うことであったが,後で聞いてみると9針もかけてくれていた。麻酔時に激痛が走ったが、その後の処置はほぼ無痛であった。その後の外来診療、残していた回診も無事終了し,自転車でいつもの如く遠回りして帰宅した。

 以降、1週間ほど多少不自由したが、創は順調のように思われ,10日も経ったから良かろうと昨日18日に抜糸した。これで一段落かと思ったが,年齢のせいなのか,歩く度に引っ張られる場所の創だったからなのか、私が安静にしなかったからなのか、創の一部が開いてしまい、しばらくテープ固定をすることになった。完治にはもう少し時間が必要な様である。

 私は職場ではエレベーターとかは殆ど用いずに階段を利用している。エレベーターを待つことに耐え難く、閉鎖空間も嫌である。一人なら良いが他人が乗っていると更に嫌である。エスカレーターはじっと立っているのが苦痛だからである。それ以上に階段は自分の足で上り下りするの出来分が良い。運動にもなる。その際、出来るだけ誰もいない非常階段を用いている。

 階段昇降時に足を踏み外しそうになったり、蹴躓くことも年に一回ほどはあったが怪我をしたのは今回が初めてである。


11/18(金)雲一つ無い快晴 冷えた 内科代診 ドック診察 外傷抜糸 
2:30起床、MP3録音、PDFデータ整理。新聞処理。7:00病院着、8:45-14:00外来+ドック診察5名。15:40旭川に沿って下り秋田運河脇を経て、草生津川の上流に向けポタリング。16:40帰宅。文献チェック、夕食。20:00就寝。??

看護学院講義(4)内科学などは通過儀礼 or アリバイ作りか
 今回、久々法人立の看護学院の教壇に立った。そしてもう終わった。看護学院の講義は私にとって最も忌避したい業務の一つなのだが、講師の方が産休に入ったから急遽代理を引き受けた。講義の範囲は血液・免疫学である。この広く、深い分野をたった3回の講義、270分でやらなければならないと分かり、唖然とした。

 かつてはこの分野の講義を担当していたが,その時は2年生を対象に、倍以上の時間が割り当てられた様に記憶している。それでも講義内容の設定には苦労した。どう工夫しても責任を果たせるような講義には出来なかった。その過程では自らの不徳とも考え、いろいろ反省し、工夫もした。最終的に得た結論は、講師の私に問題があるわけでなく,学生に問題あるわけでなく,原因はカリキュラム自体にあるとの結論に達した。教務とも掛け合ったが改善策はなかった。それでも10年以上は続けたが、機会を得て私は降りた。

 私は人に教えることは嫌いではない。ただ、学習意欲のある方々への場合である。講義にあたっては聴く方々の知識を確認しレベルを合わせながら進めるが、今回は学生はホヤホヤの一年生、それに加えて上記の時間配分である。学生は入学後どのような講義を受けたか分からないが、血液や免疫に関して殆ど知識がない状態であった。これは当然でもある。問題はそのような学生に十分な時間を割けなかったことである。

 はっきり言って今回の3回の講義は実につらいものであった。私以上に学生達はつらかったと思う。今年もよく寝られた。ボーッと緊張感を欠いた表情の学生に対して声を張り上げている自分は一体何なのだ,と思う。ただ私は学生を責める気持ちはない。 私も学生の立場なら,嫌であっても逃げるわけに行かないから講義には出ただろうが、90分も何だか分からない講義なんか聴いていられない、と寝たであろう。

 教科書のはしがきにある看護教育の理念は非現実的なほど,実に立派である。高邁な看護学を学生に教えようとカリキュラムを膨らませるなら、何かを削らなければならない。詰め込みすぎのミニ医学部的、難解な教科書を用いる一方で講義時間を削ったから、そのあおりで入学間際の学生が内科学を学ぶ羽目になった。

 私は看護師教育のカリキュラムの問題を考えてしまう。どう考えても非現実的で、学ぶ側,教える側のキャパシティ、限界が考慮されていない。これでは通過儀礼 or アリバイ作りでしかない。私の話した内容は学生達に殆ど理解出来なかったと思うが、対外的には学生達は血液・免疫学の分野を履修した,と言うことになる。そう思っていないのは私だけ,と言うことになる。

 私が従来から看護師養成課程の問題点を提起してきたが、関係者から取り上げられることはなかった。久々に触れた現実は前よりも一層悪くなっていて驚いた。それ以上に不思議なことは、看護教育に携わっている誰からも、講師からもカリキュラムに対して苦言や意見が聞かれないことである。だから、上記の意見は私だけの感覚でしかないのかもしれない。

 多分、講師としては最後の機会になると思うが、今回もいろいろと感じるところがあった。その一部を記載した。


11/17(木)曇り時々雨 外来
1:30起床、文献・新聞チェックなど。7:00自転車病院着、回診他、8:45-13:50外来。15:45-16:30広面・手形方面遠回りして帰宅。学術論文若干読む,夕食、20:20就寝。2年前は道路初冠雪した日。


二日連続ヴァイオリンリサイタルを聴く(2)篠崎史紀・佐藤卓史デュオリサイタル 
 11月12日、15:00からアトリオンホールにて篠崎史紀・佐藤卓史デュオリサイタルがあり当日券にて聴くことが出来た。
 アトリオンの案内にてこのコンサートのことを知っていたが,ほぼ失念しかけていた。前日のコンサートを聴いて是非聴いてみたいと思いたった。秋田で著明な演奏家の演奏会を連続で聴けるなど,今後もそんなに無いことだろう。

 篠崎氏はN響の演奏会の中継を通じて演奏する姿を頻繁に見ることが出来るが、ソロで聴いたのは初めてである。氏は1963年福岡県北九州市生まれ。3歳から両親からヴァイオリンを習った。高1で第32回全日本学生音楽コンクール全国大会ー高校生部第1位、高卒後はウイーン市立音楽院に留学。帰国後、1988年群馬交響楽団の、1991年読売日本交響楽団の、1997年N響のコンサートマスターに就任。現在N響第1コンサートマスターを務める他、N響メンバーによる室内合奏,全国各地でのリサイタルなどで活躍、桐朋学園非常勤講師、昭和音楽大学客員教授も務めている。

 佐藤卓史氏は秋田市出身と言うこともあってアトリオンホールで演奏する機会も多い。私も今回が5回目ほどである。1983年秋田市生まれ。4歳よりピアノを始め、2001年第70回日本音楽コンクール第1位。秋田市文化選奨、日本ショパン協会賞を受賞。2006年、東京藝大を卒業。ドイツ・ハノーファー音楽演劇大学を経て現在ウイーン在住。この間、第55回ミュンヘンARD国際コンクール特別賞。第11回シューベルト国際コンクールで第1位と特別賞受賞。第9回シドニー国際コンクールにおいて第4位ならびに最優秀ショパン作品演奏賞などなど評価は高い。お二人のプロフィルは配布されたパンフによった。 

 演奏曲として以下が奏された。時間的に半分ほどが前日と共通していて、こんなこともあるのかと驚いた。演奏の前後にウイーンでの生活を中心に篠崎・佐藤間で軽妙なトークがあった。
 ■モーツアルト ソナタK304  ■ベートーヴェンソナタ第5番「春」 ■サラサーテ「チゴイネルワイゼン」 ■ジーツンスキー「ウイーン我が夢の街」■ドヴォルザーク「ユーモレスク」,その他にゴセックの「ガボット」など。

 演奏についてはコメントできない。今回も氏だけしか聴くことが出来ない,個性のある演奏が展開された。前日は唖然として聴いたが,今回は聴き慣れた,自分もちょっとかじったことのある身近な名曲も含め、音楽に,音色に快く漬ることが出来た。至福の120分であった。


11/16 (水)曇り雨 若干寒波 外来
1:30起床。新聞・文献・録音データ編集他。7:00自転車病院、かなり寒い。回診他病棟業務。8:45-14:00外来。15:35-16:30遠回りポタリングして帰宅、医学論文PDF化進める。夕食、20:20就寝。

二日連続ヴァイオリンリサイタルを聴く(1)渡辺玲子氏「音楽における愛のかたち」 
 11月11日、14:00からアトリオンホールにて渡辺玲子氏の青少年のためのレクチャーコンサート「音楽における愛のかたち」と銘うったコンサートが開かれ,聴くことが出来た。たまたま前日にこのコンサートのことを知ったのであるが、対象は中高生向けで800名ほどが無料招待されたとのこと。そのために広く広告されていなかったらしい。空席がある場合には一般の方も招待しますとあり、早速申し込んだ。
 
 金曜の午後で勤務時間中であるが、外来が無い日だったので午前中に業務をこなし午後年休を取った。嘱託医だから出来たことでもある。この演奏会は日本音楽楽財団の主催で,私も無料の招待客であった。

 渡辺氏は世界的に著名なヴァイオリニストである。実に幸いなことに、秋田で毎年氏の演奏を聴くことが出来る。それは氏が秋田国際教養大学の特任教授としてこの時期に毎年講義に来秋してしているからである。ちなみに学長の中嶋嶺雄氏も趣味はヴァイオリン演奏とのことで渡辺氏と共演したこともある。

 会場に着くとほぼ満席、9割以上が高校生であった。開演前は黄色い声でうるさくどうなることがと危惧されたが開演と共に静寂で包まれた。静かにしていなければならないからではなく、恐らく渡辺氏のレクチャー、演奏、生きる姿に驚き、何かを感じ取れたからではないだろうか。これこそが教育の真髄だろう。 

 演奏曲として以下が奏されたが,その前に曲の生まれた背景や作曲家が何を表現したいのか,どう演奏するのか等について短いスピーチがあった。氏の教育者としての姿も垣間見ることが出来た。

 ■母への愛として、モーツアルト ソナタ28番第一楽章  ■自然への愛として ベートーヴェンソナタ第5番「春」第一楽章  ■妻への愛として バッハ「シャコンヌ」■祖国への愛として ヤナーチェクソナタ2楽章とチャイコフスキー「メロディー」、クライスラー「ウイーン奇想曲」■ヴァイオリンが奏でる愛の世界として クライスラー「愛の喜び」「愛の悲しみ」 サラサーテ「チゴイネルワイゼン」

 渡辺氏が演奏する楽器は日本音楽財団から貸与されている1736年製のグァルネリ・デル・ジェス「ムンツ」。ピアノは江口 玲氏、偶然か同じ漢字が用いられている。

 演奏についてはコメントできない。氏だけから聴くことが出来る演奏が展開された。だから、聴き慣れた名曲に快く漬るというのではなく、ただただ唖然として、目を話すことも出来ず,全てを味わうために緊張して耳を,目を凝らしていた。至宝のような90分であった。


11/15(火)曇り・雨 ミゾレ若干 寒波 外来
 1:30起床。文献、新聞・徒然。7:00自転車病院着。回診他。8:45-14:00外来。15:45ミゾレ混じり雨で走れず自転車を車に積み帰宅。16:00自宅で文献PDF化、夕食、 20:30就寝。

実りの秋 農家の方々の自然観に触れる(2)自然の摂理には従うが良い
 現代社会は自然の摂理に従わないこと、自然に抗することが科学的、先進的、進歩と考える。その一部,例えば先進的生化学、物理学、医学の領域などは神の世界にまで近づいていると言って良い様に思える。多くの人々は自らは参画しているわけでもないのに都合の良いところだけを利用し、享受する。利を享受しているときは良いのであるが、何か事が起こった際には、理由を追及し、誰かの所為にする傾向があるように思える。
 これらのことは、現代人の多くが日常生活で天候や自然の営みに左右されることが少なくなり、人工的、人為的に操作した環境の中に身を任せ、それが当たり前と考えるようになってきた事と関係しているように見える。

 私は他の分野についてはよく分からないが、農業、漁業等の自然と共存しなければならない職種の方々と、医療関係者は共通の環境にあるのではないかと思う。
 今では農業にしろ、医学にしろ、共にかなり科学的に進化し、極めて先進的手法も導入されている。しかし、如何にいかに理屈をこねても自然の摂理の前にはまだまだ力不足であり、自分の思い通りに行かない問題が生じてくる。私は、外来とかで接することが出来る農家の方々はこの辺の感覚を体得し、諦観も備わっているように思える。

 医療面でも、如何に医療が発達したといえども治癒力が減退し、生命力を失った患者を救うことは出来ない。寿命は延びてきたといえども、人が最後を迎える時が必ず来る。そのような時に静かに運命を静かに受け入れる患者や家族は農家の方々が多いような気がする。一方、先進的な環境で暮らしている方々はなかなか分かっていただけない。

 私自身、医療人としていかに無力であるかを知らされる場面の連続である。ただ私は自然に対する畏敬の念は忘れたくないし、自然に抗わない医療を行うことが患者の尊厳を護る事につながっていく、と考えている。


11/14(月)晴れ 看護学院講義3回目 病棟カンファレンス 居間ストーブ初点火
1:45 起床。文献・新聞等処理、講義準備。7:00自転車病院。回診他、 8:50-10:20看護学院講義、患者対応。13:30病棟患者カンファレンス。15:30ー16:45新屋・セリオン経由で帰宅、文献チェック。居間のストーブ、今期初点火。夕食。20:00就寝。??

実りの秋 農家の方々の自然観に触れる(1)農業と医療には共通点が多い?
 先月末頃から外来を受診する農家の方々の表情がかなり変わってきている。
 稲刈りの時期に雨天が続き作業が若干遅れたりしたが、収穫の忙しさが一段落したようで、表情がいたく満足げで晴れ晴れしている。 私の家に収穫したばかりの農産物を送って下さる方もおられる。感謝,感謝である。

 外来に来られる方々に一年間の労を労いながら、今年の農作物の出来を尋ねる。すると、決まって『天候に恵まれて」とか『今年は台風が来なくて・・』などと、枕言葉に天候・自然に対する感謝の気持ちを具体的に表現して話し始める。例え、天候が思わしくなく作業が遅れたり、作柄が悪くても不満や理屈をこねることなく,まずは天候のことを口に出す。その時ですらも自然に対する感謝の気持ちが伝わって来る。

 日常的に天候に左右される日々を送っておられる農家の方々は、自分の思う通りに行かない事がある事を十二分に理解し、受け入れ、順応し、畏敬の念を込めながら自然への感謝を述べる。これはとても素晴らしいことだ,と私は思う。

 一方、農業でない方々は、移動に車を使って雨で濡れることもなく、風に当たることもなく,仕事もエアコンの効いた環境で、それほど天候に左右されない状況にあると思われる。そのような方々は、熱暑時は太陽を苦々しく眺め、寒ければ陽が差さないことをのろう。天候がしばらく崩れれば文句タラタラであり、自然に対しては殆どネガティブの評価をならびたてる。そこには感謝の気持ちは殆ど伴わない。自分の都合に合わせて天候の良きことを願い、願いが叶った時に喜び,かなわなかった時には憂える。一喜一憂である。

 私は仕事を通じていろいろな環境の方々と接するが,何とも成らない自然現象に対する感じ方、反応は上記の如く、農業の方と非農の方との間には大きな隔たりを感じとる。そして、私は医療人の一人であるのだが、医療の中にはいろいろ理屈をこねることが出来ても、最終的には自分の思い通りに行かない生命の途絶の問題が生じてくる。

 そのような意味で、私は農業と医療は共通の環境にあると思うし、農業の方々とは自然観を介して広く共感できる分野がある様な気がしてならない


11/13(日)曇り 映画「光のほうへ」
1:00起床、新聞・文献チェック,その他。12:00病院、13:45-15:00 映画「光の方に」。帰宅。明日の講義準備。夕食、20:15就寝。??

大仙市、旧池田氏庭園の特別公開
      
 11月12日、家内が大仙市にある旧池田氏庭園の特別公開に行きたいとのことでドライバーとして同行した。私も庭園には若干関心がある。かつて、大曲中通病院に3回ほど短期間単身赴任したし、10年以上にわたって週一回外来診療を手伝っていたが、こんな名園があることなどいままで一度も聞いたこともなかった。

 購入した「池田氏庭園ガイドブック」によると「旧池田氏本家庭園は、平成16年に国の名勝に指定されれている。秋田県内では庭園として初めての国指定名勝となったとのこと。近代庭園の祖とされ、秋田市の千秋公園を設計した長岡安平による築堤とのこと で鑑賞上・学術上の価値が極めて高いと評価されているらしい。

 「旧池田氏庭園」は大仙市東部の田園地帯に位置し, 敷地はおよそ4.2千m2で1万2千坪あまり、 山形県の本間氏、宮城県の斉藤氏と並ぶ東北三大地主として知られているとのことである。??
 敷地には、図書館として建築された洋館、武道館、家畜小屋・馬小屋・果樹園・菜園などが設けられていたが主屋が昭和27年は焼失している。庭園は紅葉の名所としても知られており、紅葉の季節には多くのカメラマンが訪れるとのことであったが,丁度良い時期に特別公開しているのだろう,当日は雲一つ無い青空に,紅葉の赤、銀杏の黄色が見事に栄えた。

 これだけのスケールの庭園を維持することは如何に名家といえども困難であろう。現在は大仙市が管理団体となり、公園として年2回ほど一般に開放しているという。
 門は総ケヤキづくりの見事な作りであり、庭にある雪見灯籠の笠の直径、高さはともに約4mもあった。また洋館である図書館は県内初の鉄筋コンクリート造りで、壁面には金唐紙が張られている。これは西洋では皮革で作られるのであるが,わが国では和紙によって代用されたとのこと。現在では作られておらず,文化的に貴重な資料となっている。

 私が育った岩手の田舎の家は約1.000坪の規模であった。スケールは大きいとは言えなかったが、築山があり、池には鯉が泳ぎ、松とかケヤキではヤマバトが営巣した。秋にはクリ、柿、リンゴなどの果物も収穫できた。ただ維持はとても大変で,子供の頃から天気のいい日にはいつも手伝った。私が進学のために郷里を去ってからは年老いた両親二人では到底維持出来ず,経済的に破綻したこともあって私が大学生の時に手放した。そんな経験もあって,私は日本庭園に関しては幾分か関心がある。今回,旧池田氏庭園を初めて訪れ、歩きながら昔を想い出し懐かしんだ。
 庭園の一角に売店があり納豆や豆腐なども売っていた.何で?と思ったが今のご当主の仕事の一部らしい。夕食にそれらを味わいながら見事な庭園の風情を反芻した。


11/12(土)超快晴 大仙市池田氏庭園見学 篠崎・佐藤デュオリサイタル 
2:00起床、何時もと同じ.読書中心。6:55自転車鯉に餌に給餌後保戸野泉地区ポタ。10:00-14:30大仙市池田亭特別公開に。15:00-17:00アトリオン、N響コンマス篠崎史紀、佐藤卓史デュオリサイタル。その後病院、処方その他対応。19:00帰宅、夕食、20:30就寝。??

東日本大震災(28)8ヶ月  死者15.835名 行方不明3.664人? 昨日、東日本大震災から8ヶ月を迎えた。
 警察庁の集計では未だに行方不明者が3.664人もいるとのことで、被災地では潜水夫による捜索が続いている。しかし、発見出来る遺体は少ないようである。岩手県では県警・釜石宮古海上保安署が合同で行っていた行方不明者の集中捜索は昨日で終了した。延べ約1.300人で陸海双方を捜索したが遺体は発見できなかった。

 被災地では復興へ向けて制度設計が進められている。仮設住宅の数は岩手で13.983戸、宮城で22.042戸完成した。両県では予定の仮設住宅は全て完成たという。福島は15.545戸だというがまだ未完とのことである。全部で5万戸を上回る数であるがよく用意出来たものだと思う。全てを失った方々に対してのとりあえず住む場所が確保されることは最低限必要であるが、それで決して事足りる問題ではない。仮設住宅に関しての最近の話題は住宅の防寒対策、日常生活上の不便さ、住民の人間関係の維持の問題、特に高齢者のコミュニケーションの不足・孤立が問題になっている。しかし、解決困難な問題である。

 被災地へのボランティア活動への参加者は延べ80万人にも達したという。延べ1.660人が利用した秋田県のボランティアバスの運行も終了する。

 被災地の市町村に開設された災害ボランティアセンターは復興ボランティアセンターに改称した。被災地も刻々と復興に向けて動き出している。しかし、いろいろなトラブルも生じている。私が新聞、文献などから集めているファイルも多岐に及んでいるが、その一部を挙げてみる。

 津波による被害が大きかった地域では、■がれき処理の受け入れ体制進まず■高台への移転の困難さ■防波堤防潮堤の新設問題■緊急避難に関する紛争・訴訟発生■二重ローン問題■被災家屋の修理進まず■家庭内暴力増加■精神的ケア不足■うつ・高血圧症子頻度発症■アルコール依存症増加■医師不足と医療機関の復旧の遅れ■医療供給体制の諸問題■支援物質廃棄問題・・

 一方、東電原発事故の福島県では上記に加えて、■原発の冷温停止過程、作業への不安■東電・国の情報公開不十分■廃炉まで30年■子供達の放射能汚染に対する不安■甲状腺全県検査開始■汚染稲わらの保管と除染■地域の汚染と除染対策■除染後の廃棄物の保管問題■米や食品、観光地などの風評被害■漁業再生困難■警戒地域の空き巣の急増■人口減■企業の撤退■東電補償請求の困難さ■警戒区域の窃盗盗難増加、麻薬や玄米盗難・・

 被災地ではがれきが復興の妨げになっている。被災県だけで処理することは不可能であり国を挙げて協力が必要と思うが,近隣県である秋田県の受け入れが事実上ゼロとなっていることは残念に思う。放射能汚染の拡散,それに伴う風評被害を心配する住民の理解が得られないためだという。岩手県の調査ではがれきの木材、プラスチック繊維など8品目について調査し、セシウムは検出基準以下であったと発表している。それでもまだ受け入れる動きが見られないのはとても残念に思う。


11/11 (金)快晴 書類処理 年休とりアトリオンへ
 2:00起床、新聞・文献・教育関連図書読み。7:00自転車パンクしており車に積み病院着、回診他。書類処理等。13:30年休取り、パンク修理後アトリオンへ。国際教養大特任教授によるレクチャー演奏会。16:00ー17:00千秋北の丸付近ポタリング。文献検討、夕食。 20:30就寝。

TPPへの拙速な参加(3)発表一日延期し、表現を変えたが,小手先手法だ
 昨日11月10日、野田首相はTPP関連の記者会見の予定を一日延期した。これに何の意味があるのか,理解不能である。「もう一晩考えたい・・」とのことであったが 政治の世界はよく分からない。むかし、国会で牛歩戦術と言う戦術があったが、TPPへの対応表明会見を出発前日に迄引き延ばしてしまった。

 そして本日11日、「TPP交渉への参加に向けて、関係国との協議に入る」という考えを表明した。一日おいて変わったのは「TPP交渉への参加」からクッションを置いた表現である。これで党内の反対派の元農水相は「一応、ホッとした」と言い,賛成派は「重大な決断を自ら表明された」と表明した。賛否論者双方から評価され得る玉虫色の表現を用いたことにも驚く。クッションを置くなら、「条件がかみ合わないときは参加を見合わせる」という撤退条件も提示すべきであった。
 それ以上に、反対派のコメントを聴いて、私は耳を疑った。こんな言葉で安心できる者なのか? 反対派は真剣に反対していたのだろうか?

 首相は明日12日、アジア太平洋経済協力会議(APEC)首脳会議へ出席のためにハワイに向けて旅立つ。ぎりぎりの表明である。これにも政治的な思惑を感じ取る。首相はもっと早く自身の考えを示し、反対派の説得にあたるべきだったし、そのことを通じて国民に考えを浸透させるべきだった。国民の理解がほとんど得られないままの見切り決断だ。
 だいたい、一晩考えて方針が180度大きく変わることはあり得ない。変えたら、それこそEU諸国の援助を受け入れるか否かを「国民投票に委ねたい」と表明し,撤回し辞任に追い込まれたギリシャの首相の二の舞になり得るからである。
 一日置いたのは、表現を変えるための政治手法の一つだった。首相の考え自体には何ら変化は無いはずである。

 国の政策を決めるにあたって、今回ほど首相の一存で決められたことは無いように思える。思い当たらない。更に、野田首相は一応党内の選挙で選出されて座に着いた方であるが、国民の信任を得たとは言えない。首相の職務権限上問題はないのであるが、TPP問題は東日本大震災や原発事故の如く突発的,重大な緊急事態ではない。十分時間をかけられたはずだ。菅首相がTPP参加の意向を示し、まもなく大震災が生じて棚上げにしていた事項であるが、野田首相が,オバマとの会見の後に唐突に持ち出し,党内、国会内、関係団体、国民を二分したままの見切り決断を下し、APECで参加を表明するに至ったことは納得し難い。今回も民主党の与党としての拙さをまた露呈したことになろう。

 首相が帰国した後に、またこの点をめぐって攻防が始まる。不毛な議論に終わらせないで欲しい。


11/10(木)超快晴・曇り 外来 創処置 自転車走行1.500Km到達 
2:00起床。文献・新聞チェック。徒然ほか。7:00自転車病院着、回診他、 8:45-13:45外来。15:40-16:45手形山・北インターへポタリング。TPP勉強す。夕食、20:15就寝。??

映画『あぜ道のダンディ』 人間関係のつらさを不機嫌で表現(2)

 真面目に配送業をこなす宮田の楽しみは仕事帰りに友と居酒屋でひっかけるビール。宮田はヒステリックに友にひどいことも口走り怒鳴り散らす。私なら一発で絶好する。そんな言葉が次々と出てくる。友はそれに対してソフトに対応する。こんな人間関係があるなんて私には信じられない。その点では見応えもあった。

 ある日、主人公の宮田はストレスで上腹部通に悩み、亡き妻がそうであったように、妻と同じ胃ガンなのだと思いこむ。実はがんでないのだが、診察を担当し、検査結果を説明する医師の態度は無愛想、不機嫌で良くない。同業がこんな風に描かれると不快になる。

 この映画は主人公の不機嫌、ヒステリックな怒鳴りのシーンが多い。二人の子供も不機嫌な様子ばかり。確かに,今の中高校生は対大人との関係では不機嫌だ、と私も診療等を通じて思う。無関心なのか,潜在的対人恐怖に由来しているのかは分からない。

 基本はコメディに分類される映画であるが、笑いのシーンが少ない。不機嫌は公害に値する。その中で唯一笑いのシーンが多いのが友人・真田で、 田口トモロヲと言う不思議な名前の役者、Tomorrowをもじったのだろうか、が味わい深く演じた。これがこの作品のもう一つの狙いであり、救いになっているかな?と思った。

 決して面白い映画とはいえないが、人間関係で教えられることも少なからずあり,私には有用であった。


11/9(水) 曇り 外来 創処置 
2:00起床,新聞・文献。教育関連文献その他、7:00病院着。8:45-14:20 外来。創処置。15:30-16:45雄物川沿いポタリング。新聞チェック。本読み。夕食。20:20就寝。?

映画『あぜ道のダンディ』 人間関係のつらさを不機嫌で表現(1)


  石井裕也監督の最新作。国内のみならず世界的にも注目されている監督と言う。主演は光石 研氏で映画出演本数が140本もあるというが私はこちらも初耳である。

 男らしく弱音を吐かずに格好良くしていたい一人の哀れな男,宮田の姿を通じて、「生きにくくなった現代の50歳の男」を描くことがテーマの作品らしい。中卒であるというハンディを背負って、ダンディを貫こうとする男の姿は不器用で馬鹿げていて,かつ涙ぐましい。何がダンディなのか分からない。虚勢を張ることか?あるいは心に秘めた何ものか、なのか。

 あらすじは単純である。主人公・ 宮田と幼い頃からの友人・真田。真面目だがサエない二人は共に50歳になった。宮田は妻を胃がんで亡くし、長男長女と三人の父子家庭。子どもたちは父親とはほとんど口をきかない。子どもたちも父親の気持ちは分かっていても、うまく表現できない。
 コミュニケーションをとれずに悩んでいるのは親も子どもも同じ。ここもこの映画のポイントの一つだろう。やがて宮田の二人の子供は大学に進学するために東京に出る。互いに分かれて暮らすことになるこの時期に親子のコミュニケーションが若干生まれるが互いにぎこちない。孤独だった父親は一人暮らしとなり一層寂しくなる。


11/8(火)曇り・雨 入院患者家族面談 外来 創部再処置
1:30 起床,新聞・文献。徒然。教育関連文献読む。6:55自転車病院着。7:20回診、8:45-14:00外来、混雑。足底創部再処置若干,実に痛かった。15:30-16:00下肢痛にて最短コースで帰宅。 新聞・文献チェック、教育関連文献続き読む。夕食、20;20就寝。 ??

TPPへの拙速な参加(2)国民皆保険制度を守るためにも、今は時期でない 
 TPPに加盟すれば、わが国の農林漁業は大きな影響を受けることは頻回に論じられているが、TPPの影響は多方面に及ぶ。例えば、公共事業は入札に参加国も参入できるようにしなくてはならない。わが国の技術、ノウハウは高い水準にあるが、人件費,物価がすこぶる高い。従って、物価の安い、人件費の安い国から大量の物資、労働者が大量に送り込まれてくる可能性がある。このことは一見良さそうだが、裏もある。日本の経済にとって良いことなのだろうか?私は疑問に思う。

 これは米国にとっても同様である。オバマ政権の言うTPPは「輸出力の増大」「雇用対策」に重要であるという方向性に逆行しないだろうか。確かに、高度の技術、先進的分野について言えばわが国も,米国もメリットがあろう。しかし、日米共に国力・経済力が低迷しているから、安いものが求められるだろう。両国とも国民の労働の機会はむしろ乏しくなるのではないか。

 医療・福祉分野も深刻である。これについて日本医師会は既に見解を発表している。
 原中日医会長は「 TPPへの参加を否定する訳ではないが、国民皆保険を守ることが危うくなる。国民の医療の安全と安心を約束しない限りTPP交渉への参加は認められない」と述べ、その上で「日本の公的医療保険制度を交渉対象から除外」「混合診療の全面解禁を認めず、日本の医療保険制度を堅持する」「これを文書をもって国民に約束する」ことを政府に求めている。
 TPPと国民皆保険危機の関連は、米国が先々から混合診療の全面解禁や株式会社の参入などで日本医療への市場解放を求めて来ていたこと、公的医療保険制度が自由価格での医療市場の拡大を妨げている、とTPP違反と提訴される恐れがあることも指摘している。

 事実、TPPは医療分野を除外する、とか、政府はTPPの交渉において混合診療の解禁も視野に入れるつもり等の報道も見られる。要するに、TPPに参加するか否かの判断の前に詰めるべき内容がまだ不明瞭である。もっと明確な情報が欲しい。でなければ議論すら出来ない。 混合診療を全面解禁すれば、保険外診療が拡大され、患者が窓口で医療費の一部を負担するだけで受診できた公的医療保険の文字通りの縮小、解体で経済力の違いで「医療といのちの格差」が広がることになる。

 今年は「国民皆保険」が確立してから50年の節目である。私は今わが国の保険診療の歴史、本質、諸問題、将来について学んでいるが、日本の公的医療保険は、行政・医療関係者・国民の苦悩の結晶で、世界に類を見ない素晴らしい制度である。勿論、制度そのものが疲弊していて、抜本的改革は必要であるが、その改革は私ども国民が進めなくてはならない。それを、TPPに参加することで外圧で崩壊させられる可能性が出てきた。

 いま拙速にTPP参加することは医療分野においても将来に大きな禍根を残すことになるだろう。


11/7(月)降雨・曇り 自転車パンク 階段踏み外し右拇指裏裂傷 外来 
 1:00 起床、新聞・文献チェック、徒然、その他。7:00自転車パンクしていたがエアを多量に入れ病院へ。回診、8:00移動時非常階段を踏み外す。右拇指裏裂傷でかなりの出血で7F廊下汚す。開いた傷口にティッシュを詰め止血試みつつ掃除。8:45-9:30外来、何とか止血。外来代診を願って救急外来で9針縫合、10:30-13:00外来再度。15:30パンク修理へ、16:45帰宅。静かにモーツアルトK583 Cl-quintet聴きつつ痛みに耐えた。夕食、20;30就寝。

TPPへの拙速な参加(1)わが国の歴史、文化、国民性を無視する暴挙
 日本の将来、国民の生活、に直結する重要な意味を持つTPP(環太平洋連携協定)は,何故かその詳細が語られていないまま話が進んでいるようだ。私にはまだ全体像のイメージすらよく分からない。
 永田町も2分、国内の世論も2分しているようだ。野田総理は10日にでも交渉参加を最終決定するという。なのに詳細を説明せずに政治判断だとも言っている。しかし、それはとても危険なように思える。何か国民に説明できない理由があるのだろう。自身がよく分かっていないのではないか?いや、多分、米国との間に既に参加合意が出来ているからだろう。

 TPPは加盟国間の関税を一切廃止し、農産品や工業製品をはじめ、公共事業、金融、知的財産権、医療サービスなどにおいて 、基本的には例外を認めず あらゆる非関税障壁を撤廃し、自由化すると言うものである。TPPに参加すると日本はどうなるのだろう。
 よく分からない状態なのに、近日中に白黒を決断しなければならないのか?参加した際のシミュレーション等を広範に行って、それから参加を考えるような、他の選択肢は無いのだろうか。

 TPPは当初はシンガポール、チリ、ブルネイ、ニュージーランドなど小国が提携し、市場での競争力を上げようという試みだった。考え方として理解は可能である。ただ、何かEUの通貨統合にも発想が似ているような気がしてならないし。しかし、昨年10月以降、アメリカも入ることになってTPPの性格は一変した。

 何で米国が参加してくるかというと、低迷している自国の経済、失業率の改善の手段としてオバマが仕掛けて来たものである。何故強力に推し進めて来ているかというと、それだけ米国にメリットが大きい仕組みだからである。全ての参加国に共通してメリットが普くあるということなど、二国間協議ならいざ知らず、多国間の国際関係ではあり得ないことである。米国にメリットが大きいと言うことは割を食う国が必ず出てくる、と言うことである。私はわが国が大きく影響を受けると危惧している。

 日本は多くの点で諸外国にない風習、歴史、文化、国民性がある。農業、漁業のあり方、医療のあり方は独特である。それらが尊重されないようなTPPが一気に進められればどうなるのだろうか。

 単に損得だけの問題ではない。拙速は避けるべきであろう。



11/6(日)雨・曇り 放送大学「橋本五郎講演会」 映画「あぜ道のダンディ」 
2:00起床.新聞、文献チェック。PDF書類整理などゆっくり過ごす。11:00雨の隙間に自転車ポタリング,手形山登る。14:00-15:30放送大学学習センター主催の「橋本五郎講演会」聴講、 15:45-19:45 映画「あぜ道のダンディ」、帰宅。夕食、業務若干、20:45就寝。

聞き応えあった「橋本五郎講演会」 同時に放送大学を知り、興味
 本日は14:00-15:30生涯学習センターにて読売新聞東京本社特別編集委員の橋本五郎氏の講演会「ふるさと秋田と私」を聴いた。主催は放送大学秋田学習センター。

 氏は三種町出身、家内と高校で同級生でありそのツテで本日の企画を知った。私は氏の講演は4回目である。
 氏は政界を中心に人脈も広く、話題も豊富である。私にとって最大の魅力は氏が自ら直接触れ、会話し、議論した事のある政治家について新聞や書籍では到底知り得ない生の評価・感想,裏話を聞くことが出来る点である。本日も角栄、中曽根を始めとする首相論から始まり、野田首相までの多くの首相の人となりについて語られた。

 歴代の首相の政策面の評価では、東日本大震災時の菅首相の対応を紹介しつつ、危機管理を中心に政治家としての資質などについて、土地なまりの残る言葉で時には笑いを誘いつつ、熱気十分に講演された。特に、阪神淡路大震災における村山首相の危機管理の話は圧巻であった。

 私も新聞からずいぶん情報を集めているが、初めて聴く話題が多く、引き込まれた。大部分の時間を日本の政治論で時間を費やし,なかなか演題である「ふるさと秋田と私」については言及されなかった。時間的に15分ほど残っていたが、病棟から患者不調の連絡があり、後ろ髪引かれる思いで会場を後にし病院に向かった。

 橋本氏の講演も良かったが、私はパンフレットで放送大学について知ることが出来て、いたく興味を引かれた。
 退職が決まった時点でどこかの大学の聴講生になって勉強して見たいと考え県立大学、ノースアジア大学、秋田大学の講座を探したが、私の勤務態勢と両立させるすべが無く諦めたと言う経緯がある。その時は放送大学は想定していなかったので調べもしなかった。
 放送大学に向けて、来年度から聴講出来る講座がないか、講義内容、教授陣そのほかについて検討し始めている。


11/5(土)晴れ 畠仕事 県立博物館見学 
1:30起床、新聞文献チェック。7:00自転車鯉に給餌、病院経由で帰宅、11:00-13:00新装なった県立博物館へ。一部見学で帰宅。また見に来たい。疲れて午睡、文献その他整理,廃棄。夕食、20:00就寝。

映画「ペーパーバード」幸せは翼にのって?  『ゴダール・ソシアリスム』


10月23日に「ペーパーバード」幸せは翼にのって、を観た。
 1930〜40年代の激動のスペイン、マドリードを舞台にしたドラマ。 フランコ独裁政権への時代、内戦によって家族を失った喜劇役者とその相方、同じ境遇の子どもの3人が家族のような絆を育んでいく様を描いたドラマ。
 筋書きは、マドリードの喜劇役者のホルヘは二人組でのコントが得意な役者で、ペアはエンリケ。当時、内戦が激化し、マドリードでも爆撃が生じていた。ある日、帰宅途中で避難勧告のサイレンと共に爆撃が始まった。彼が必死にアパートへたどり着くと、妻と息子が瓦礫に埋もれ死んでいた。

 ホルヘは家族を失った後、行き先を告げず1年間行方をくらます。 その間、反フランコの地下活動に身を投じていた。 エンリケのもとに両親を亡くしてた幼い少年ミゲルが訪ねて来るが、芸は出来ない。しつけ、練習にいそしむ。
 そこにホルヘが戻り、3人の生活、芸人生活が始まる。肉親同士ではないけれど、お互いをかけがえのないものとして深い絆を育む3人の姿に暖かさを感じとることが出来る。

 その時代、 厳しい言語統制と思想統制が敷かれた軍事独裁政権下、 映画や文学は検閲を受け、自由な表現が制限された。 芸人の生活の厳しさは大変なものであり、実生活の中でも軍人が強権を振り回し自由は殆どない様子が強烈に描かれている。 

 私は映画において今のところあまりドラマそのものを楽しんではいない。どれだけ真実に近いかの判断も出来ないが,私が興味を感じているのは、知らない時代,国,土地、文化、人間の生活の様子などで,毎回新しい刺激を受けて帰路につく。

 この映画に描かれた、スペイン、マドリード。 フランコ独裁政権の時代、内戦状態に着いて認識を新たに出来た。



 『ゴダール・ソシアリスム』
  


 10月23日に観たフランス映画。
 80歳のジャン=リュック・ゴダール監督の6年ぶりの新作なのだそうだが、いつもの如く何の下準備もせずに観に行った。結果として、私の感受性、知識、その他,積極的にを何かを得たいという意欲を動員しても、全く何が何だか理解出来ない作品であった。
 従って,コメントも出来ない。時間を費やした、観た、「??」と言うレベルで終わってしまった。


11/4(金)快晴 患者家族面談2件 書類処理紹介状x3 退院総括x2 
1:20起床。文献、新聞チェック、徒然。7:10車病院着、今朝は秋田市内は深い霧に覆われ、幻想的な中を走った。寒かった。回診他。患者家族面談2件、外来無く書類処理日。昨年の今頃は未総括20部以上残っていたが本日の時点では1部のみ。15:40-17:00桜台団地、手形山崎方面自転車ポタリング。労基法勉強す。夕食、20:30就寝。

クロスバイク(8)自転車取り締まり強化(3) 安全確保へ社会全体で意識改革を
 先月末に警察庁が歩道を走る自転車のルール順守を徹底させ、指導・取り締まりを強化する自転車総合対策ををまとめてからメディアで自転車に関する話題が頻繁に取り上げられている。歩道上でスピードを出したり、イヤフォンで音楽を聴いたり、携帯電話を操作しながら走る自転車が後を絶たず、歩道で事故が多発しているためである。
 私はとても良いことだと歓迎している。
 私は前から自転車で走る際に原則的に車道を走ってきたが、9月からヘッドフォンを使用しながらの走行をやめた。私は音楽を聴いて走ったりしていない。市井の騒音を軽減するためにノイズキャンセリングヘッドフォンを用いて来たのであるが、見る人は誰もそうは思わないだろう。よりスピードの出るクロスバイクにした以上、誤解を生むような行動は控えねばならない。
 便利な交通手段である自転車を「走る凶器・走る犠牲者」にしないため、是非とも社会全体で事故防止を図ってほしい。
 自転車は「軽車両」だから、特例としての高齢者や児童、子どもを乗せた母親などを除き、走行困難なとき以外は車道の左側を走るのが原則である。私もそうしており、自ら優良自転車乗りだと思っている。車道走行はそれほど危険とは思っていない。今日迄の段階ではまだ怪我したことはない。
 危険な思いをしたのは「自転車は歩道を走るものだ・・」と誤解していると思われる欠陥ドライバーが、嫌みたっぷりに、すれすれに脇を追い越していくことと、「大人が作った交通ルールなど守る必要がない・・」と思っているバカな高校生による走行妨害だけ、である。

 魁新聞によると、昨年自転車が関連した交通事故は全国で15万件を超え、その8割以上が自動車との事故だった。県内で自転車乗車中の事故で4人死亡、436人が負傷。ほとんどが自動車との事故だった。また、自転車同士または自転車と歩行者が衝突した事故で6人が重軽傷を負っている。この事実は大きい。

  だから、自転車を歩道から車道に戻すだけでは危険である。
 自転車が安全に車道を走るには、独立した,目立つ塗装施した自転車レーンの設置などのハード面の整備は欠かせない。車道と自転車レーンの間には細かな刻みを入れ、タイヤが鳴るようにすれば良い。それと共にドライバーにも、自転車に配慮した運転への意識改革が求められる。
 それと,特に高校での安全マナー教育を是非やって欲しい。


11/3(木)文化の日 快晴 飯川病院日直
1:40起床,新聞・文献チェックほか。8:20自転車飯川病院に.日直業務。17:00病院、18:00帰宅、マック関連書籍読む。夕食、20:00就寝。

国民皆保険制度(16)「日本の医療制度の良さ」をもっと知って欲しい
 日本の医療制度は国際的に高い評価を得ている。この世界的に希有な制度をろくに知らず、費用面、待ち時間と患者扱いの悪しき面など、表面的なところから評価し,不満が強いのは日本人である。日本人は国民皆保険のフリーアクセスが補償されていることの真の意義を知ることなく大病院に頻回に受診している。それでいて医療に対して最も不満が強い国民であるとも言われている。
 その不満が、国の医療制度そのものの問題点、医療行政でなく,医師や医療関係者、医療機関のバッシングに矛先を変える。結果として患者・医療従事者、特に勤務医との関係は大きく変わってしまい、勤務医は報われることの少ない業務でモチベーションを失っている。これが医療崩壊の主因である。

 国民に医療の実態をよく知っていただかなければならない。特にこれから医療や福祉は徐々に厳しさを増してくる。医師会、医療関係者は常に心がけておく必要がある。

 去る10月20日,11月1日の朝日新聞の投書欄に興味深い記事が掲載された。前者は「大学病院の予約、もっと早く」、11月1日は「すぐ医師に診てもらえる良さ」というもので、後者は48歳の国際結婚されている方のようである。的を得た,とても参考になる意見なので引用させていただく。


 10月20日の「大学病院の予約、もっと早く」を読み、以前スイスに住んでいた時のことを思い出した。夏に体中に発疹ができ、かゆくて夜も眠れなかった。すぐに皮膚科医を受診したかったが、とれた予約は2ヵ月先。そんなに待てないので州立病院の救急で長い列に並んだが、皮膚科医はおらす、診てくれたの専門外の内科医だった。9月には英国で母がひどい咳に苦しんだが、医院の予約がとれず10日ほど市販薬を服用した。しかし症状は悪化。何とかならないかと医院へ行ったが、「予約がいっはいで医師はこの先何日も診寮できない」と言われ、薬を処方できる看護師の面会予約をやっと取り付けた。保険制度の違いもあるが、先進国でも日本のようにすぐ医師の診療を受けられる国は多くない。紹介状なしでいきなり高度医療のための大学病院の予約をとるのが難しいくらいは、仕方がないのではないか。私は「いつでも予約無しでも医師に診てもらえる」安心感がある点では、日本は大変良い国だと思っている。


 この実態は医師にはよく知られているが、何でこんなことが生じるかというと、多くの先進国の医師はそれほど多数の患者は診ないからである。これに対して,わが国の外来診療においては報酬は低く抑えられているために多くの患者を診なければ成り立たないし、実際、多くの患者が受診してくる。私は40年の医師業務の中で予約外の当日受診であっても診療をお断りした経験はない。私はわが国の医師の平均的な姿,姿勢だと思っているが、疲弊しきった状態で、患者に不安を与えないよう笑顔で対応するのは実に苦痛である。私自身もそうであるが,医師はいつでも心身共に快調な状態にあるわけではない。実際、午後にまで及ぶ外来は辛い。これが連日なので診療への意欲も減退する。実際、朝に予約患者のリストを見たとき,このまま消えてしまいたい,と思うことも希ではない。

 わが国の患者は、上記投書にあるようにとても恵まれていると思う。
 この良さを将来的に維持するには皆保険制度、医療提供体制を良い意味でシステム化していくしかない。その際医療従事者への負荷を軽減する方向への改善が必要である。


11/2(水)晴 外来 
1:40 起床,文献チェックほかいつものごとし。7:00自転車病院着.回診他。8:45-14:15外来,休日前で混雑、疲弊。15:35-17:10自転車ポタリング、桜団地付近。帰宅後文献チェック。夕食、20:00就寝。

なんか変だが,まあいいか(2)勤務医の休憩時間
 私が働いている病院は勤務時間が8:30-17:00であるが,私は時間を有効に使いたいので嘱託になったのを機に7:00-15:30とした。この時間帯の中に1時間の休憩時間が含まれる。これは労働基準法に定められている時問である。

 しかし,現実には外来終了後には休憩を取ることもなく次の仕事に入ってしまう。私は昼食を摂らないから全く不便を感じる事はない。だから、それで良いのであるが、このような状況を一般的にどう考え、どう解決していくべきなのだろうか。結論は「なんか変だが,まあいいか」で良いのであるが、一応は考えてみる。

 労働基準法では、「労働時間が6時問を超える場合においては少なくとも45分、8時間を超える場合においては1時間の休憩時間を労働時間の途中に与えなければならない」、と規定されている。休憩時間とは「権利として労働から離れることを保障されている時間」とされている。この様な休憩の定義に沿う時間が得られていない場合には通常の労働の継続と見なされる。

 休憩時問は原則的に一斉に取るように決められているが、病院や診療所では診療機能維持のためにこの原則の適用が除外されている。だから,休憩時間は終業時刻までの間に取れば良いことになっている。外来で共に働いている看護師、助手の方々、事務系の職員もお昼前頃から適宜時間をずらして休憩に入っている。見事な連携でやりくりしている。これが本来の労働者の姿である。

 医師はこの様なことは一切無い。少なくとも私はないし、なかった。外来終了時間は早くて13:00、混雑したときは14:30頃まででかかるが、終了まで連続である。私は自分のことしか分からないが、恐らく、何処の病院でも医師は同じだろう、と思う。勤務医は労働者として特別扱いである。バッサリ割り切れば不可能ではないだろうが、患者・医師の関係をからみて日常的に時間で交代するなど今のところは考え難い。

 この様に、病院の勤務医は全員がそうだというわけではないが、勤務時間内に休憩時間が確保出来ない医師もいる。しかし、特別問題にもされていない。しかし、そのような状況で就労した場合には休憩に相当する時間は時間外労働となり、割増賃金算定の対象となる。役職者には休憩時間の付与は対象にならないが、一般論として私のような嘱託医はこの辺のことはどう扱われているのだろうか。

 私に関しては「なんか変だが,まあいいか」で良い。が、一応考えてみた。


11/1(火)晴 外来 
 1:40 起床,文献チェックほかいつものごとし。7:00車病院着.回診他。8:45-14:00外来,混雑し疲弊した。 15:35-16:45山手台団地周辺を自転車ポタリングし帰宅。途中、城東交差点の車道を通り過ぎようとして警官に警笛ならされた。一目散に逃げた。やはりここは地下を通らねばならないのか。文献整理他、夕食後20:30就寝。

HP「これからの医療の在り方--徒然日記」 おかげさまで満10年
 当ホームページ、「これからの医療の在り方----徒然日記」は、昨日で開設後満10年を迎えました。本日は11年目のスタートです。見て下さった方々,コメントを下さった方々に心から感謝致します。匿名の方からの貴重な御意見は参考にさせて戴いていますが、原則として返事をしないことにしていますのでご了承下さい。
 今まで通り続けるつもりです。今後ともよろしくお願いします。



 この10年間、更新できなかったのは僅か数日だけでほぼ連日更新した。よくまあここまで続いたものだ、と自身で勝手に悦に浸っている。私の好きな言葉で座右の銘にしている一つに「継続は力なり」がある。私はこの言葉が単に好きだ、と言うわけでなくいろんな意味で実行出来ていることに喜びを感じている。本日まで何とか更新できていることは、自分の気力が何とか維持されていることのバロメーターになっている。?

 当然なことであるが、歳と共に私の心身の機能は低下しつつある。自分の残り時間が少なくなって来たことを意識し、迎える節目を生かして生活環境を変える事とし、昨年3月末に県医師会の役員を辞し、本年5月末日には法人を退職した。今は嘱託医として週5日間働いている。多分、時間的の余裕が大幅に増えるだろうから,10年分の「これからの医療の在り方----徒然日記」の見直しと整理を含む、やりたい項目をリストアップして実行に移しているが、実際はやりたいことの方が多くて時間が不足、HPには未だ手が付いていない。

 このHPを始めた頃は病院業務も医師会業務も多忙で,日々の仕事を通じて医療関係の話題で自分の感想をまとめる機会が多く「これからの医療の在り方」などと言う尊大な名称にしたのであるが、最近は第一線から離れたために医療・福祉関係の話題が減ってきている。今となっては相応しい名前と言えなくなってきており、内心では焦りを感じている。「今までの医療の在り方」などと名前を変更すべきかな、等と思ったりしている。
 ただ、国民皆保険、年金等を中心に勉強し直してみたいと思っているので時折医療・福祉関係について話題を展開したいと考えている。

 月並みな日々だから、記録をつけていないと自分自身についてすら記憶に残らない。呼吸し、食べて、寝て・・だけではない、良い人生だと思って満足しているが、忘れてしまえばそう言う過去になってしまう。だから、毎年同じ結論なのであるが、この「徒然日記」は自身の記録のために、それも自己満足のために続けて行く。

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   年を通じてワンパターンで淡々とした毎日です。AM2:00-5:00にメールチェック・返事送付、人間ドック(HDD)判定・報告書作成、新聞切り抜き、病院・医師会業務など。
  月〜土曜は6:00頃出勤、HDD報告書印刷、外来書類処理など。病棟回診、HDD受診者とミーティングと診察。8:45-14:00外来とHDD受診者に結果説明。昼食は摂りません。午後は病院業務・医師会業務、各種委員会等に出席など。20:00頃帰宅。
  日曜・祭日もほぼ同様ですが、病院には午後出かけます。時間的に余裕無いのが悩みです。


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