徒然日記
2011年12月分

 日記と言うより、自分の行動記録からの抜粋と日々の雑感です。

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12/31(土)(年末休暇3日目)晴 飯川病院日直
 1:30 起床、徒然、年賀状ほか。6:30病院に。重症患者回診、他。8:30-17:00飯川病院日直。18:30帰宅。19:00夕食摂りつつNHK紅白観た。多くの出演者、曲はなじみが乏しい。出演者過多、人海戦術で演出過剰。KARA,少女時代なかなか良かった。22:30まで頑張ったが睡魔でダウン。これで私の今年一年は静かに終了した。??

この一年 いつもと同じく「感謝」 で締めたい
 時間の経過は実に早い。2011年もついに最終日を迎え、大晦日である。

 私にとっての一年、を振り返ればやはり大震災が一番である。人生観も変わった。大きな揺れの後、経験したことのない長い停電があり病院機能は著しく低下した。冷えた部屋でイスに座して二晩過ごした。患者の方々にも迷惑をかけた。しかし、大津波、原発の被害を直接受けられた方々のことを考えれば秋田県民,秋田市民,私が受けた被害は些少と言うべきだろう。だからこそ、県として被災隣県に対して,瓦礫の受け入れ等を含め復興にもっと力を貸して欲しいと思う。私は何も出来ない自分が歯がゆい。だから、収入の20%超を出身県である岩手に復興資金を送り続けているが、これを続けている間は被災地と共にある,と思っている。自己満足?それでも良い。

 我が家の家族が一人増えた。次男に娘が誕生した。未だじっくり会ったことはないが新年早々一家揃って来ると言うので楽しみである。

 私は5月末日を持って勤務医を終えた。それによって立場が大きく変わったが、すべて織り込み済みの道である。1971年に医師として働き始めて以来、主に40年にわたって宮古病院、秋大病院、中通総合病院で勤務した。この間、徐々に多忙になり、ここ数年は体力ギリギリの生活であったが、目の前に年齢による就労契約満了日がぶら下がっていたのでその日を目標にして何とか持ちこたえる事が出来た。

 退職後は嘱託内科医として同じ病院で働いている。従来は仕事の進み具合を優先していたので私的時間は殆ど無かったが、6月以降は嘱託時の契約にある就労時間を最優先してオン・オフを明快に切り替えている。ただ、患者が多くて勤務時間の8時間内に業務が終わり切れないのが悩みである。院内で過ごす時間が少なくなった分、業務の密度はむしろ増加して息を抜く暇もない。

 病院の外で過ごす時間は全て自分の時間として使っている。待ちに待ったマイペースで過ごせる環境であるが、やりたいことが多くて時間が足りない。無為に過ごさぬよう気を張っている。何をやっても全て自己満足の世界であるが、私はかなり満足している。

 私の身辺は、ザッと言えば今年一年大きな事故も無く過ごし得た,とまとめることができる。私は徐々に本来のネコ的性格にもどりつつあり、社会性を失いつつある。にもかかわらずこうして無事年末を迎え得たのは、やはり多くの方々のお陰である。
 この一年 いつもと同じく「感謝」 で締めたい。


12/30(金)(年末休暇2日目)降雪・曇り 除雪 餅つきパーティ
1:30 起床、徒然、年賀状ほか。11:00-13:00病院に。重症患者回診、退院カルテ総括他。15:00−21:00恒例の餅つきパーティ。 疲れて就寝。

2011年 私の総括
 2011年私の総括?。嘱託医生活で半年。改めて現状を整理してみた。
 感想を一言で言えば「6月に長い間待ちに待った環境」を得た。やっと自分の時間が多くなったが、それ以上にやりたいことがあって時間が足りない。無為に時間を過ごさぬよう気を張って過している。

■退職は私の意に反して、規定より2ヶ月延びた。法人の都合であったが、感謝の気持ちで受け入れた。
■退職から嘱託医に静かにひっそりと移行出来た。
■職員と嘱託のけじめを明快にする。この間にグレーゾーンを作らず----ほぼ10割達成。
■雇用契約上の業務内容と時間のけじめを明快にする。実際には入院患者を受け持っている以上、休日にも患者対応している。その際はゴースト医になる ----ほぼ10割達成。
■雇用契約上の勤務時間以外は出来るだけ職場にいない、行かない------9割方達成。
■自転車走行12月末日までに新幹線で秋田から鹿児島1980Km------97.5%達成。
■9-11月は、自転車で手形山、あるいは類する坂を週5回以上登る-----10割達成。
■簡単な筋トレ。時に腰痛で中断---------8割方達成。
■英語、医療・医学、歴史、特に近代日本史を学ぶ------時間なく3割程度達成。
■年金・国民皆保険制度について学ぶ-----時間なく3割程度達成。
■シアタープレイタウンで上映される映画を全部観る-----10割達成。
■新聞6紙に目を通し興味ある記事はファイリング-----10割達成。
■所持しているLPレコード1.000枚ほど全てに針を通す----1割達成。
■月収の2割以上を岩手県の復興基金に送る-----10割継続。
■徒然日記の更新連日 ----10割継続。ただし、医療関連の既述は少なくなってタイトル名に恥じる状態にある。


12/29(木)年末休暇初日 除雪・除雪
1:00起床、新聞、文献自炊、徒然ほか。10:00−11:00除雪。今年は大変多い。雪を寄せる場所がもう乏しくなった。12:30病院、重症者対応。15:00帰宅。除雪2回目。家の中の整理整頓。文献書籍整理、廃棄。19:30夕食、20:30就寝。

映画(32)今年後半、集中的に映画を観た(2) 
来年も続けたい 22本観終わった感想としては、
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◎わざわざ都合をつけて映画館に出かけるという事に意味があった。家でTVを介して気楽に映画を垣間見るのとは根本的に異なる。
◎暗闇、大画面、身動きの出来ない環境、他にやることのない状況で一定時間拘束されるから,自然と寝るか集中するかのどちらかだけ。家なら家族も居るし、本や新聞、パソコン、茶などあって集中出来ない。
◎作品をドラマとして、ストーリーを中心に考えると殆ど楽しみを見いだせなかった。監督のイメージを具現化した映像と言うことになろうが、私は共感できない。ストーリー中心で楽しむなら本を介する方が自分の発想で浸ることが出来る。
◎作品の多くは国際的にも高く評価されているが、私にとって何でその様な評価が得られるのか、その価値、意味は殆ど理解できなかった。事前準備無しだからなのかも知れない。
◎邦画のセットはどうしても作り物感覚抜けない。制作費用の問題なのだろうか。
◎未知の自然、知らない国や地方、知らない時代、知らない社会、知らない生活様式を見ることができるのは魅力的である。
◎出演者の演技力には感嘆した。アクションもの,障害者など,演技力で不足であった作品はない。
◎主張のある,問題提起が強烈な作品は観るものに訴えかけるものがある。背景と演技、音楽の組み合わせは時として多大な効果を持つ。
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◎ 関係者には申し訳ないけれども、200席ほどの映画館の中、最少で2人,最高で20人程度とガラガラで、人混みストレスを感じないで済んだ。
◎数々の割引がある.基本は1700円であるが60歳以上は割引料金があり、1000円で観ることができた。安すぎる。更に駐車場の割引も受けられる。
◎私も含めて高齢者の方々に娯楽の一つとして映画鑑賞をお勧めしたい。刺激的な作品を 安く楽しむことが出来る。一人暮らしの方、高齢夫婦の方々には特にお勧めである。恐らく生活に張りが出るのでないかと思う。
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◎結論:3月以降は作品を選択して観ようと思う。


12/28(水)暴風降雪 外来 一応御用納め 
 2:00起床、徒然ほか。7:00病院。回診、重症者対応。8:45−14:30外来。16:00帰宅。「賄いのおばあさん」冬期休暇、函館へ。私も一応御用納め。新聞、文献チェック。19:30夕食、20:30就寝。

映画(31)今年後半、集中的に映画を観た(1) 22本のまとめ 
 2011年8月21日にたまたま映画「マーラー 君に捧げるアダージョ」が上映されていることを知り観に行った。結果的にそれまで疎遠だったマーラーの作品がグッと身近になった。マーラーの作品を頻回に聴いても,人物に関する文献を読んでもどうしても身近にならなかったのが、この映画を通じて距離が縮まった。映画の持てる影響力、価値を改めて認識した。

 私は一線から退いた後は,特にルネッサンス以降の歴史、文化や芸術など、人間の営みにいろいろ触れてみたいと思っていた。それらは書籍を介して少しずつ進めている。
 この中で今まで自分にとって身近でなかったのはTVや映画の分野で、TVは積極的に求めて見ることは少なく、映画に関しては常設の映画館で観た映画はまだ10本足らずであった。

 で、私は映画については経験・知識とも不足で何とも評価できないから、「マーラー 君に捧げるアダージョ」を観たことで受けた好印象から、シアタープレイタウンで上映される作品を全部観て見ようと思った。自分のイメージで選択すると全体像を知ることは出来ないからである。

 年末まで観た映画は、■マーラー・君に捧げるアダージョ■ ダンシングチャップリン■プッチーニの愛人■ルートイッヒ■四つの命■海洋天堂■蜂蜜■バビロンの陽光■ペーパーバード■ゴダール■あぜ道のダンディ■光の方へ■さすらいの女神■悲しみのミルク■エッセンシャルキリング■一枚のハガキ■ゴーストライター■人生ここにあり、の20本で、その他に非商業的な鑑賞会で、■いのちの山河」■ 里湖〜八郎潟物語、の2本を観た。

 上記の作品の多くは国際的な映画祭とかで各賞を受賞したり,あるいはその候補に挙がった作品でいずれも高く評価されている様である。

 毎週一作品ずつ観るのは時間の確保が結構困難であったが,当初に計画したとおり何とか観きることができた。最後の「人生ここにあり」を見終わったときには正直なところ、しばらくこれで時間に追われる因子が一つ少なくなっるとほっとした。

 シアタープレイタウンは観客動員の関係からであろう,1月、2月は休館となる。私にとっても丁度良い一区切りとなった。

 全22本見た感想は以下のごとくである。


12/27(火) 曇り 外来
2:00起床、ドック処理、文献チェックなど。7:00病院着、回診。8:20医師面談。8:45-14:20外来、本年最後の外来だか混雑し大変。患者も大変。重症患者2名緊急入院。16:00帰宅、本読み他、夕食。呼び出しに備え20:00就寝。

なんか変だが,まあいいか(4)「お風呂をわかしておきました」等に違和感
 「賄いのおばあさん」と話していると「お風呂を沸かしておきました」とか「ご飯炊きます」「洗濯しますよ」と言うような日常的な主婦的な言葉がよく発せられる。

 実にくだらないことであるが,神経質な私はこんな言葉に対しても反応してしまう。「お風呂を沸かしておきました」はダメで「お風呂が沸いています」ならスッと入ってくる。

 その理由は子供の頃、私が背負ってきた重圧の関係だと思う.いつ頃からやったのか分からないが、風呂の掃除は母親がやってくれたが、沸かすのは小学校低学年のころから私の仕事であった。今思い出しても風呂の用意は自分にとってかなりの重圧になっていたからであろう。

 そのころ水くみポンプは母屋の台所に一カ所あっただけで風呂場は別棟になっていた。さすがにバケツに汲んで運ぶ方法ではなくブリキで作ったトイをつないで台所の窓から水路を作り風呂桶に水を汲んだ。ポンプは約500回ガッチャンガッチャンとやってやっと風呂桶が満杯になった。これを週2回程度やった。

 次は焚き付けである。我が家の燃料源はマキでその用意も年間を通しての私の仕事であった。1.2m程に切られた直径5-20cmほどのナラ材を2tトラックで3台分ほど毎年春に購入していたが、それをノコギリで3等分し、最初はマサカリで,次いでナタで割ってマキを作っていた。最初のネコが初めて私のもとに遊びに来たのは小学1年の秋、薪割りの最中であった。手伝い程度だったかも知れないがもう立派にやっていたことは確かである。

 風呂のわき上がりまで2-3時間で、この間私は本とか教科書を持ち込んで風呂場で過ごした。

 風呂を沸かす作業は 私にとって大変な作業であったがもう時代は完全に違う。風呂掃除は別にして今は全自動で全行程20分、スイッチを押すだけ。燃料の継ぎ足しも不要・・。まあ、一気にこうなったわけではないが,私にとって風呂を沸かすのは全身を使って時間をかけたもの。負荷が大きかっただけに思い出も多い.それが、人差し指1本1秒ほどの作業の「賄いのおばあさん」に「風呂を沸かしときました・・」と言われるのは受け入れがたいのである。「沸いたと言うけど誰が沸かしたのか」と一言言いたくなる。主役はいったい誰なのか,それをはっきりしたい。

 最近、我が家では「炊飯のスイッチを入れた」「洗濯機のスイッチ入れた」,最近はこう表現するようになった。家にいる時間が長くなって分かったことは家事が如何に自動化され便利になったのか,と驚くことばかりである。
 昔の苦労に比べればとても良いことと思うのだが、脇役が主役のような表現するのにはいささか違和がある。


12/26 (月)寒波続く 除雪機出動朝夕 午前年休 将軍野中学校講演
0:30起床、講演準備。7:00積雪5-6cm除雪。天候不順で移動困難なので午前年休取り直接将軍野中学校へ。10:00−12:00講演、12:30病院、患者家族面談、回診、書類処理。16:00帰宅、2回目除雪。17:00新聞チェックなど。夕食、20:30就寝。本日の講演で今年の講演は全部終了、開放感味わう。

なんか変だが,まあいいか(3)わが家の「定年退職亭主在宅症候群」
 嘱託医として契約上の勤務時間は15:30迄だから帰路いろいろな所を見て回って帰っている。それでも今までよりも帰宅時間が3時間ほど早い。

 帰宅後は一服したあと早めに書斎に籠もり、歴史本や医学文献等を読むようにはしているが、どうしても留守をしている「賄いのおばあさん」と接する時間が長くなった。最近まで「賄いのおばさん」と称していたのであるが、じっと見るとかなり老けた。今回から変えることにした。「賄いのおばあさん」は私が帰るとコーヒーですか、果物ですか・・といろいろサービスしてくれる。有り難いのであるが、ダイエット中の身でいつも空腹状態にある私は具体的に勧められると弱い。だから、計画通りになかなかやせられない。まあ、感謝すべきだろう、と自らを慰めている。今日もおかげでダイエット計画は頓挫した。「賄いのおばあさん」はダイエットの敵である。

 正式な言葉か否かは分からないが、私が「定年退職亭主在宅症候群」と呼んでいる状態がある。定年退職を迎えた奥さん方が春から夏にかけて落ち込む状況で,結構頻回に経験する。要するに今まで居なかった亭主が終日家にいて,何かと文句を言い、まとわりついて煩くなった事が原因で,奥さん方の方が、いらつき、不眠、食欲不振、落ち込み等に陥る現象である。多くの方は諦めがつくか、そのうちに自然と改善していく。

 私の場合は,実は逆である。私は傍らに誰かが居ると、それが例えネコ一匹であろうと、その存在を無視出来ないからとても気疲れする。それも甚だしくである。だから、本当のところは無視して欲しいとも思うが,それも若干寂しい。
 今まで家の細かなことは「賄いのおばあさん」にほぼ任せきりにしてきた。それで問題はそう無かったのであるが,私が家にいる時間が長くなってから,私にとって気にかかること、気に入らないことがいろいろ生じてきている。長い歴史があるし、出来るだけ尊重、あるいは無視しておこうと思うのであるが,表面的には何とかバランスをとっているが,深層ではなかなか、である。

 わが家の場合は「賄いのおばあさん」を相手に「定年退職亭主在宅症候群」に自分自身が陥っているように思える。
 一方的に私はそんなことを思いつつ過ごしているのであるが,「賄いのおばあさん」にとっては、恐らくもっとひどい状態になっているのかもしれない。そう考えると気の毒でもあるし聞けば確定してしまう。「なんか変だが,まあいいか・・」としておくのが一番であろう。

 私はペットとして左甚五郎の作になると言われる小猿3匹を心の中で飼うこととした。気の弱い私の「定年退職亭主在宅症候群」対策である。
 家内と私は生活パターンがほぼ逆なので一緒にいても接点は意外と少ない。家内にとっては「定年退職亭主在宅症候群」等、どこ吹く風で,常にマイペース、好き勝手にやっている。それが私にとっては気楽で良い。


12/25(日)曇り降雪 除雪機2.3回目 本年最終映画鑑賞「人生、ここにあり」
1:30起床、講演準備、新聞チェック、そのほか淡々と処理。PDF化書類、ラジオ深夜便のMP3データを整理。14:30病院、事務処理など、15:45映画「人生ここにあり」。18:10病院、重症患者回診他対応、19:30帰宅。文献検索など。夕食、20:30就眠。

映画「ゴーストライター」 映画「人生、ここにあり」 今年最後の2本 

 

■映画「ゴーストライター」
「ゴーストライター」は12月18日に観た米国映画。ロマン・ポランスキー監督は「チャイナタウン」「戦場のピアニスト」など、私も題名だけ知っている作品を手がけた有名な方。この作品は第60回ベルリン国際映画祭で最優秀監督賞を受賞している。

 ストーリーは元英国首相A・ラングの自伝執筆を依頼された一人のゴーストライターが取材をしながら進めていく。そんな中でいろいろな事件が起こってくる。
 元首相ラングは実在のイギリス前首相ブレアのことだろう。実際にブレアはわが国の小泉首相と共に「テロとの戦い」を前面に出して米国の完全追従を打ち出し、「ブッシュの飼い犬」とまで言われていたからラング自身が「ゴースト」である。結局、「ゴーストライター」は「ゴースト」首相を調査執筆し、「ゴーストライター」として自動車にはねられ消えてしまう。最後は風に飛び散る原稿の乱舞で終了する。

 鉛色の重たい空、波高く荒れる海、そして風雨が厳しい天候ばかりのシーンが素晴らしかった。それにフェリー、高級車、ヘリコプター、小型ジェット機を駆使し,危険と紙一重のハラハラさせる構成がいわゆるサスペンス的というのだろうか。
 ストーリーも全体的な意味も,観客に伝えたいことが何なのかも理解出来なかったが、それなりに楽しめた。

 
■映画「人生、ここにあり」
 映画「人生、ここにあり」は12月25日に観たイタリア映画。ジュリオ・マンフレドニア監督の1作で、約30年前の実話に基づいている。
 イタリアではバザリア精神保健法により、精神科病院を廃絶した医療先進国として知られる。精神病院の患者たちを地域に戻し、一般の社会で暮らせるようにするという革新的な法律だったが、当然様々な社会的葛藤を生み出した。

 映画に登場する9人の元患者達は、生きていくあてもなく病院付属の施設に集められている。実質的に病院に縛り付けられた薬漬けの生活は以前と変わらず、法の趣旨である自由による治癒には程遠い状況におかれていた。社会人としてやることが無く、彼らを診ている医師が労働組合を作って切手貼りなどの軽作業を行い、法的援助を得て細々と生活している。

 ここに精神疾患についての知識もキャリアもない一人の担当者が赴任してくる。その担当者を中心に徐々に患者どおしの対話が進み、何とか床貼り仕事をすることになる。いろいろ失敗し、苦労する。そんなストーリーをコミカルに描いた。

 映画では9人の元患者達のことだけで、社会の全体的受け入れ状況などを知ることは出来なかったが 、この映画を通して,イタリアとわが国の精神疾患患者に対する社会的な受け入れ、開放度の違いに唖然とさせられた。精神障害者を様々な状況に応じて演じ切った出演者の演技力に感心した。

 東大精神科呉秀三教授が『精神病者私宅監置の実況及び其統計的観察』(1918年)のなかで述べた「わが国十何万の精神病者はこの病を受けたるの不幸のほかに、この国に生まれたるの不幸を重ぬるものというべし」という、医師のなりたての頃に知り、私の指針の一つとなっている貴重な言葉を想いながら観た。

 (参考)バザリア精神保健法とは:1978年に公布された世界初の精神科病院廃絶法。精神科病院の新設、既存精神科病院への新規入院、再入院を禁止した。精神疾患の予防・医療・福祉は原則として地域精神保健サービス機関で行う。治療は患者の自由意志のもとで行われる。緊急事態に備え一般総合病院に15床を限度にベットを設置する。ベッドは地域精神保健サービス機関の管理下に置かれ,一定の条件下で強制治療できる。その場合、市長あるいは市長の任命する保健担当長の承諾が必要で、市長は48時間以内に裁判所への通報が義務づけられている。強制期間は7日間。延長が必要なときは再度手続きを踏む。


12/24(土)暴風雪 除雪機初稼働 重症者対応 飯川病院午後日直
1:40起床、講演準備、7:05病院着。路面上に冠雪凍結。7:30病棟業務、回診。9:00ドック結果説明、意見書、退院総括など。16:00防火防災管理委員会。17:30-18:30法人理事会、20:45帰宅、21:30就寝。??


まずい!! マスクが無精ヒゲで浮き上がる 
 10月22日の出身医局の同窓会に,私は礼を失しない様にヒゲを剃って出席したが、それ以降、大嫌いだったひげ剃りをすっぱりと止めた。今月26日に将軍野中学校で職員向けの講演が予定されているが、その時は無精ヒゲのままで許して戴こうと思い、担当の先生には既に連絡済みである。

 意識的に伸ばしたわけではないが2ヶ月で2cmほど伸び、私は貧相でひどい顔つきになった。こんなひげ面は初体験で、どこまで,どの様に伸びるのか興味を持ってつねったり引っ張ったりして感触を楽しんでいる。50年以上前、飼い猫のヒゲをいじって遊んだが,自分のヒゲを介してその時のことを懐かしんでいる。

 私は2009年のインフルエンザのシーズンまでは病院内で日常的にマスクを着用する習慣はなかったが、それ以降は院内ではほぼ常にマスクを着用するようにした。
 マスクの効用として多々挙げる事が出来る。

 ウイルス等に対するフィルター効果も期待されている。材質にもよるがそれなりの効果があるのだが、実際に装着した際には鼻や口の脇から出入りする空気の流れが多くて感染防御目的では過度の期待はできない。特に私共が用いているサージカルマスクは一部の市販品よりも劣っているようだ。感染防御の目的では、私は着用しないよりは良いだろう,と言う程度と思っている。
 一方、社会生活の中では咳やクシャミで飛び散る唾液、鼻汁等の飛散範囲をマスクで狭めることは他人への配慮として常識的なことだと思っている。これが咳エチケットと言われるものだが、この点から咳やクシャミがある方には着用を勧めている。

 もう一つ、外来では私は高齢患者を多く診察しているが、会話する際にどうしても接近しなければならない。会話の途中でつばが飛んでくることも希ではなく、実に不快である。私が飛ばしているかもしれない。臭いも気になることがある。これも多分お互い様である。これの予防にフルフェイスのヘルメット、と言うわけにはいかない。で、このことから私はマスクを着用するようになった。

 その他、無精ヒゲ隠し、喜怒哀楽の表情隠しの効能も否定は出きない。現に、前者に関してはかなり役立った。しかし、最近のヒゲはマスクの範囲を超えてボウボウだから隠すという意味は無くなった。しかし,業務の中で私のひげ面をすべて露出することは患者のためにも良くない。病院の品格が問われかねない。だから、かえって手放せなくなった。

 で、今もマスクを着用し続けているのだが、徐々にヒゲでマスクが浮き上がってしまい、顔にピッタリと付けることが出来なくなった。真面目に感染防御のことを考えるとこれはまずい事であるが、上記の理由から私は実害はないだろう、と考えている。
 ということで、マスクが浮き上がろうとかまわず、今しばらく無精ヒゲをこのまま延ばし放題にしておく積もりである。


12/23(火)天皇誕生日 寒波降雪続く 除雪機他用意、冬ごもり準備 書庫整理
 1:00起床、徒然。今年の文献・録音データの整理・処理など開始。午睡若干とった後15:00病院に、回診、書類処理。19:30帰宅、業務、20:00夕食、小豆とカボチャの煮物味わう,風呂はゆず湯。21:00就寝。

映画「一枚のハガキ」 平和な今、いのちを大切にしているのか
 

 

新藤兼人監督(99歳)の「最後の作品」となった前評判の高い作品。新藤監督の作品は優に230本を超えるらしい。私は今回初めて観た。

 出演は豊川悦司、大竹しのぶ、六平直政、柄本明、倍賞美津子ら。私が知っていた男優は津川雅彦だけ,女優の大竹、倍賞は知っていたが動く表情は初めて見た。
 太平洋戦争末期に徴集された兵士100人のうち6人だけが生きて帰った。その生死を分けたのは赴任先の振り分ける上官のくじ引きだったのだという。兵士一人一人の命がくじ引きで決まり、家族の人生をも変えてしまう。そんな戦争の愚かさ、翻弄される国民の悲哀を強烈に描かれている。

 赴任地が決まった日、主人公はフィリピンへ赴任が決まり、死を覚悟した同僚の一人から、「今日はお祭りですがあなたがいらっしゃらないので何の風情もありません。」と書かれた 一枚のハガキを手渡される。もし生き残ったらそのハガキを読んだことを伝えてくれと依頼された。戦争が終わり主人公はハガキの主を訪ねるが,そこに住んでいたのは二人の夫を出征で亡くし、水も電気もない家で、爪に火をともすような貧しい生活をしていた未亡人がいた。
 ラストシーンでは、生き残った罪悪感から逃れきれない主人公と、戦争ですべてを失ってしまった未亡人が人生をリセットして歩み始める。

 二等兵として出兵し、自身が100人のうちの6人の生き残りという監督は、亡くなった94人の魂を伝えることをテーマにその生涯をかけてきた,とのこと。この作品で新藤監督だからこそ伝えられる戦争の悲惨さ、反戦への強い思いを受け取める事が出来たが、他の作品はどのように構成されているのだろうか。機会があったら見てみたい。

 この映画で無名の人々の無念を通じて戦争の愚かさ批判を強烈に浮き彫りにし、生き残るのは単に運なのかと問いかける。 確かに、戦争は苛酷な運命を多くの人々にもたらす。あってはならないのだが、そのなかで上官のくじ引きで決められた事を大きなテーマにしていのちの価値を論じている。 
 しかし、この平和な時代、ほぼくじ引きに等しいような,納得しがたい理不尽な理由で人生が変えられている方々も少なくない。この時代に生きているからこそ、いのちは一層大切にしなければならないし、大切にされなければならないのだが、それほど大切に扱われているのだろうか。自らいのちを大事にしているか?軽視していないか?されていないか?戦争中だからいのちが特別に大事なのではなく、常に一度しかない,かけがえのない大切なもの。勿論、いのちは長短の時間を言うのではなく,自分で決める人生の質のことである。視点を変えれば、戦争時代よりよい時代に生きていながら、生きていることが当たり前になって、もっと大切にすればいいと思うのだが、自らのいのちを大切にしない状況で生きている方々も少なくない様な気がしてならない。

 戦争がもたらした一つの側面を知りえたという満足感を得たが、私にとっては映像としてはセット的,人工的な感覚から逃れられず、真から楽しめたとは言えなかった。


12/22(木)寒波、風雪で寒い 患者家族面談 外来 
2:10 起床、講演準備、新聞文献読み。7:00病院着、回診。入院患者家族面談。8:40-14:30外来、混雑。16:00帰宅、新聞文献読み、19:00夕食、20:30就寝。

超短編小説:コンビニ医師フジタ先生大繁盛記(2)
 N病院のフジタ医師は間もなく70歳を迎える高齢の嘱託医で,内科医である。

 フジタ医師はカゼで声が出なくなった時に,苦肉の策として診察室の前に「声が出ません」旨の張り紙をして、診療は筆談代わりの指さしカードを用いたが、その週は思いの外、外来がとても楽だったので声が出るようになってからも待合室の張り紙と机上の番号カードをそのままにしておいた。声が出るようになってからは勿論無言では診療は出来ない。何時のも如く患者には「如何ですか?」と声をかけて診療をしてたが、何となく患者の流れがとても良いような気がした。

 要するに、患者の大部分を占める無症状の生活習慣病患者の場合、血圧を測り、処方して、次の予約を入れるスッと席を立つ様になった。いつも多少世間話を交わしていく患者も「どうも・・」といつもより早く席を立つ。待合室の張り紙の効果なのだろう。

 フジタ医師は1時間に12人の予約を入れている。だから診察は時間に追われてとても窮屈であったが,余計な対話が少なくなったために時間的に余裕が生じるようになった。そのために症状が悪化した患者や、フジタ医師を希望した新患患者や紹介患者にじっくり時間をかけて診察することが出来るようになった。

? 3ヶ月ほど経つと再来患者の大部分は2回目、3回目の受診となるが、この傾向は変わらなかった。患者達も喜んでいるような印象さえ受けた。大部分を占める無症状の患者は待ち時間がとても少なくなったと喜び、時間を要する有症状の患者、悩みを抱えた患者はよりゆっくりと時間をとってもらえる事を喜んでいるようである。

 それ以上にフジタ医師自身が外来診療の様子が変わってきた事を自覚した。更に、変わったのは無症状の患者達は受診の頻度を減らすために処方日数を増やす事を望むようになった。それに対して、フジタ医師は,自分で血圧を毎日測定すること,不調な際には予約外であっても遠慮無く受診するように指導して許せる範囲で対応することにした。

 要するに、今までは多くの患者は医師としての自分を必要として通院してくるのだろうから、真摯に,親身に対応せねばならないと思っていたのであるが、実際には受診の主目的は自分の診察を受けることではなく、将来的に自分の身に何かが生じた際の安全弁としてN病院に受診し、自分の外来の待ち時間に耐えていただけなのだ。だとすれば、自分はいわゆる「コンビニ医師」と言われていいようなものだね、確かに自分の外来は検査や特殊な治療が少ないために病院の運営には殆ど寄与していないからなァ、・・・と割り切って考えることにした。そう考えると事は簡単である。

 フジタ医師は無症状で落ち着いている患者を整理すること,すなわち、積極的に地域のクリニックに紹介することとした。その方が本来の医療の在り方に近いからである。


12/20(火)寒波降雪 患者家族面談 外来 
1:20 起床、文献チェックなど。7:00病院着、入院患者家族面談、回診。8:45-14:30外来、大混雑し診療中に吐き気などあり大変。事務処理若干、16:00帰宅、16:00−17:30午睡、これで気分若干改善。本読み、夕食、20:45就寝。??

インフルエンザ 今年はワクチンをあえて受けず
 例年の如く冬から春にかけてのインフルエンザシーズンを迎えた。インフルエンザの報告数は徐々に増加してきていて全国的に流行し始める時期になってきた。

 国立感染症研究所のデータによると12.5−12.11の調査定点医療機関当たりの報告数は1.11、患者数は5,447人となり、全国的な流行開始の指標である1.00を初めて上回った。流行状態を都道府県別で見ると秋田はまだ報告はないようであるが、宮城(10.33)>愛知(5.33)>三重>岡山>山口>沖縄・・・の順となり、39都道府県で増加しつつある。中でも宮城県、愛知県などでは比較的大きな増加となっている。今のところウイルスは A香港型 のAH3亜型が多い。
 秋田の住民としては近隣県である宮城県の流行状態が気になるところである。

 インフルエンザの予防は第一にワクチン、次いで手洗い、人混みを避けるなどが重要である。その中でワクチンの意義は大きい。私もこれまで毎年接種していたが,今年は立場が変わったこともあり、ワクチンをあえて受けなかった。
 今年春まで県の新興感染症部会の部会長であったし、医療機関の長でもあった。その立場で予防対策としてのワクチン接種を積極的に勧めてきたし,自ら広報活動に参加してきた。

 ただ、私は従来からずっと、小児期は別として中高年者がインフルエンザワクチンの接種を毎年受けなければならないのか?と言う点で疑問を持っていた。10月からワクチン接種を始める理由としては,免疫獲得に2-4週間かかる,効果は3-4ヶ月で減弱する、ということが挙げられるが、一度獲得した抗体は免疫細胞に長く保持されていると思うので、抗体価が下がったとしても接種は必ずしも必須ではないはずである。勿論、接種後時間が経って抗体価が低下した状態に,流行前に予め刺激を与えて置くという意味ではやらないよりは良いと言う理由は正しいと思う。
 昨年大流行した新型インフルエンザは高齢者の罹患が比較的少なかったが、その背景は長い人生を通じてウイルスの一構成部分でも免疫機能が記憶していたからではないか,と思う。

 勝手な考えで接種を受けないのは医療従事者として無責任では?と言われれば言葉に窮すが、逆に考えれば、私は診療を通じてウイルスに暴露しやすいから、ワクチン接種と同等の刺激を受けるはず、だから大丈夫と思う。
 で、受けなかった。もし、激しく罹患したら早期に休暇を取り他の方々に移さないようにする。その時点で深く反省したい。

 (なお、これは私の考えに基づいたことであり、ワクチン接種勧奨の考え方を否定するものではありません。)


12/19 (月)降雪曇り・寒波 外来 金正日氏死去の報 
2:00 起床、文献・新聞チェック、読書。7:00病院着。回診ほか、8:45-14:00外来、年末に向かって混雑,疲弊。昼に金正日氏死去の報。16:00帰宅、自転車こぎ,読書、夕食、20:30就寝。

金正日氏死去の報 金正恩氏はダイエットを
 金正日総書記が死去した。人はいつかは死ぬ。一人の人間としてみれば予測された一つの良い最期だったのかもしれない。

 今後、金正恩氏を中心とした新たな体制となると考えられるが、金氏は若すぎることから今後の長期的なことはまだ分からない。今後、日朝関係などアジア情勢に影響を与えていく可能性が高い。

 金正日総書記が死去されたことは正午のTVで放送された、と言うがその前に重大な発表があるとの予告放送が成されたらしい。
 野田総理は、それにもかかわらず都内の街頭演説のために官邸を離れつつあったとされ、情報収集、危機管理対策について甘いのではないかとの指摘を受けている。確かに、何の重大発表なのか,彼の国のことだから常識的な推測も困難で,場合によっては核実験、長距離ミサイル発射その他の可能性もあり得ることから軽視すべきでなかったと思う。それが総書記の訃報であった。国の危機管理として思いもよらなかったことなのか、あるいは一般論として既にその可能性に向けて準備されていたのだろうか。

 国際政治論の専門家、北朝鮮問題に詳しい専門家は最高指導者の死亡により国内の混乱も懸念される,との意見であるが,私は多分大きな変化はないだろうと考える。しばらくの間は金正恩氏を中心として故総書記の方針が踏襲されていくのだろう。その理由は、取り巻き高官達の保身もある、後継者がハッキリしている以上高官と言えども前に目立つことは出来ない。更に、対国民的に国の運営方針の急変更は過去の否定につながるから絶対的に出来ないし、民主化を望んでいる国民の声は無いわけではないだろうが組織化できていないから動けない,等々である。

金正恩氏は後継者としては確定しているが、能力は未知数である。彼が自分らしさを発揮し始めるには相当の時間が必要であろうが、私はその時に国民の支持を得られるか,と言う点を心配している。深い意味ではない。

 その理由はあの肥満、はち切れんばかりの脂っぽい表情である。北朝鮮の民衆は食糧難に喘いでやせこけていると言うのに、彼だけが異様である。相当に贅沢な環境の中にいるのではないか。腹を空かせている国民は口には出せないだろうが、そう思ってはいないだろうか。肥満体の指導者と飢餓状態に近い国民が共感して「同志」と言い合えるのだろうか。

 こので交代がアジアの安全に寄与する結果になって欲しいし、北朝鮮の国民が飢えや寒さから身を守れる様な生活環境の改善につながって欲しいと願っている。そのために,まず、若い金正恩氏にはやせて欲しい,と願っている。


12/18(日)降雪・寒波 一人留守番 映画「ゴーストライター」
1:30 起床、新聞チェック、徒然などいつもと同じ。12:00病院、13:20-16:00映画「ゴーストライター」、16:20重症者回診、17:45帰宅、家内他帰秋、夕食、20:30就寝。

クロスバイク(9)走行あきらめ室内トレーナー装着 実走より辛い
 防寒対策をしつつ、12月に入ってからも自転車で順調に距離を伸ばしていたが、秋田地方は12月7日以降は寒波降雪風雨などで道路事情が悪化して走れない日が続いた。この天候はしばらく続くだろうと言うので外での走行を諦め、室内用のトレーナーを装着して16日以降使用し始めている。

 自転車型の室内運動機器としてフレームとペダルからなるエアロバイクと呼ばれる道具は各種売られているが、形が不自然だし,こぐ姿勢もフィーリングも実車とは全く異なる。私はあまり用いる気にならない。だから、私は自分の自転車を装着用出来るタイプのトレーナーを用いている。

 購入したのはMINOURA社のハイエンドとされるGYRO V270-2である。写真は社のHPからの引用であるが、重いフライホイールとがっちりしたのフレームのモデルで、自転車の脱着は実に簡単である。私が最も重視した点は使用時の静粛性であるが、社の宣伝文句には世界的に見てベストワンの静粛性を実現したと記載あった。試用して比較する機会など無く、社の記述を信用するしかないが、届いた製品にはとても満足している。

 踏み込みに対する負荷は手元のレバーで7段階に切り換える事が出来る。要するに平地走行から坂道登坂走行をシミュレート出来ると言うことである。ただ、ピストとかの固定ギヤ自転車を装着する分には大いに有用だと思うが、私の場合には自転車自体のギヤチェンジで負荷を変えられるからそれほど重要ではない。
 現実にこのトレーナーを使ってみると,実走に比較してはるかに辛い。だから、今のところせいぜい一日10ー15Km分程度しか回せない。

 理由は実走の場合にはこぐのを止めても惰性で、あるいは下り坂などでかなりの距離を走るが、トレーナーの場合にはこれが無い。だから、トレーナーの10Kmは本当に10Km分車輪を回したと言うことである。実走時は惰性で走るときにも出来るだけペダルは回し続けるようにしているが力を抜いているから実際には7Km分くらいしか力を加えていない、と思う。それに、空気の流れがないので汗まみれにり易い。いずれ扇風機が必要となる。

 負荷を変えられるといっても単純であり、人工的で面白くない。臨機応変に走っているという満足感、距離的に移動したという実感が伴わず、空気を脚で攪拌しているだけなので、前輪につけていたサイクルコンピューターを後輪に移して走行距離等を積算して記録している。
 一方、メリットも無いわけではない。天候や時間に関係なくヒョイといつでも短時間でも回すことが出来ること、音楽を聴きながら、本や文献を読みながらでも可能だと言うことで、私が読む本の量は外を走っているときよりかなり増えた。

 雪が消える3月までこれを用いることになるだろう。



12/17(土)降雪・寒波 飯川病院午後日直 
1:00起床、何時もと同じ。文献検索、徒然他。12:00車飯川病院へ。降雪で渋滞。12:40-17:00日直勤務。17:30中通病院,重症者のみ回診。18:30家族不在で外食。20:30就眠。現時点で積雪5cmほど。これは昨年と同じ程度。

今年の漢字に選ばれた「絆」の揮毫はこれで良いのかな
 

2011年「今年の漢字」に決まった「絆」の文字を揮毫(きごう)する清水寺の森清範貫主
=12日午後、京都市東山区 【時事通信社】


その年の世相を一字の漢字で表す「今年の漢字」が「絆」に決まった。

 12月12日に日本漢字能力検定協会が例年の如く京都市の清水寺で発表した。森清範貫主が縦1.5m、横1.3mの和紙に特大の筆で揮毫した。この、例 年年末に行われる行事はかなり歴史あるのだろうと思っていたが、それほど古くなく阪神大震災、オウム地下鉄サリン事件などがあった1995年から始められ ている。だから僅か17回目である。
 
候補の漢字は公募され、検定協会が選ぶらしい。協会によると、応募数は過去最多の49万6997票で、トッブの「絆」は6万1453票だったとのこと。2位は「災」(2万8648票〕、3位は「震」(2万6972票〕。4位は「波」だった(秋田魁新聞)。

 日本では漢字は古代中国から輸入した。北朝鮮やベトナムでは漢字使用を公式に止めたとされる。現在も中国・台湾・韓国・シンガポールなどでは用いられているとされているがその辺の詳細は知らない。
 漢字を含む日本語はとても素晴らしい言語だと思う。私にはちょっと難解であるが、漢字の研究で名高い白川静氏の著書を読む度に感心してしまう。一つ一つ の漢字の成り立ちに歴史があり,人々の生活があった。だから、一つ一つの漢字に深遠な意味が込められている。だから,「今年の漢字」などが成り立つ。それ に、漢字そのものもバランスがとれていて実に美しい。私にとって漢字、日本語ももっと学んでみたい分野である。

 で、「今年の漢字」の「絆」であるがとても良い選択だったと思う。毎年の揮毫も今年のも見事である。ただ、今回、貫主が書かれた「絆」は旁の部分をハネているが,これは正しいのであろうか。私には答えはないが若干疑問に思った。


12/16(金)降雪 患者関連書類処理 飯川病院応援
1:30 起床。何時もと同じ。文献検索、徒然他。7:00車病院。回診、患者家族面談など。 退院関連書類・総括2人分。重症患者対応、15:30-17:10院長盛岡に行くために早退したので飯川病院応援。本格的降雪で5-6cm。大渋滞。帰宅、20:30就寝。

映画「いのちの山河」 レトロの時代の情景が懐かしかった 価値ある一本
 
 12月7日に秋田文化会館小ホールで上映された映画「いのちの山河」を観た。
 この映画の存在と上映については私が勤務する病院の労働組合のパンフレットで知った。二日間のうちの初日、4回目の19:00からの上映の部に行ったが、観客は50人ほどで驚くほどの盛況であった。観客は多くが顔見知りの方々であった。

 私は退職後、映画という世界を知らなかったために一念奮起して秋田市内の、ある映画館の上演作品を選択せずに全部観ることにして現在進行中である。私の 狭い了見で選択すること自体が誤解の素になるだろうと考えたからであった。観客が10名以上の日にまだ遭遇したことはない。さすがに一人のことはなかった が二人だけと言うことが2−3度あった。この閑散さが私にとって魅力で未だに続いている。

 映画「いのちの山河」は一昨年に作られた作品。私の郷里である岩手県の中部、内陸部で秋田県と接している旧沢内村を舞台にしている。和賀郡沢内村と言え ば医療福祉に少しでも関連している方ならピンと来る有名な村である。人口6.000人の小村は昭和30年代に、60歳以上の老人と乳幼児の医療無料化を実 施し、昭和37年(1962)には全国の自治体で初めて乳児死亡ゼロを達成した。小村だから出来たとも言えるが、ここがその後の医療費無料の時代を誘導し た 、驚くべき先進的な事業であった。その困難な過程を映像化した作品である。

 沢内村は米作地であるが,耕作地は狭くとても貧しかった。しかも、冬期間は雪に閉ざされ、交通は途絶え、病人は医者にかかることもできず、医者の世話になるのは死亡診断書を書いて貰うときだけという状態で、中でも悲惨なのが老人と乳幼児であった。
 村長は村を少しでも住みやすくしたい、村人を幸せにしたいと尽力する。その信念は村人を動かしやがて偉大なレベルに到達する。村長は以後も村民の生活改善、医療福祉に尽力したがその最中,60歳にして食道がんのために亡くなった。

 村長としての在任期間は8年足らずであったが、この足跡についてはよく知られている。この映画のクライマックスは,政治的なやりとりにもあるが、冬の最 中、深い積雪の中、村長の遺体が仙台から村に戻ってくるシーンにあった。厳しい吹雪の中、大勢の老弱男女が道路脇にならび、涙で迎えるもの、感謝の念で手 を合わすものなど,このシーンはセリフも殆どなかったが、圧倒的な迫力があった。

 私の子供の頃、岩手県は「日本のチベット」と称されて半ばバカにされていた。私もその様な地で育った。そうはいっても盛岡から10数Kmだから恵まれて いた方である。映画の画面は懐かしい昭和30年代の,貧しい田舎である。しかも、厳冬の積雪期のシーンが大半を占める。撮影は相当に困難だったはずだ。

 登場する住宅、ボロボロのボンネットバス、さび付いたトラクター、貧しい村民達・子供達、良くこれだけの時代物を集めることが出来たものだ,と感心し,同時に懐かしさを深く味わった。

 このような映画があまり知られていないのは惜しい。いま日本の国民皆保険は国民にとってはあまりにも当たり前すぎて有難味が乏しい様である。この価値あ る国民皆保険制度は崩壊しつつある。この映画は皆保険制度の創明期を扱っている。だからこそ、存在価値が大きい。もっともっと多くの方々に観て頂きたい。


12/15(木)降雪寒波 外来 
1:10起床、新聞。文献新聞チェック。医療文献読み。7:00車病院着,回診他。8:45-14:00外来、混雑。14:30新入院あり、16:30帰宅。注文した自転車トレーナー届き組み立て。これがなかなか難しい。夕食、20:20就眠。

超短編小説:コンビニ医師フジタ先生大繁盛記(1)
 N病院のフジタ医師は間もなく70歳を迎える高齢の嘱託医で,内科医である。
 歳には勝てない。本人は耳の聞こえが悪くなり,発語も不明瞭となった。高齢の患者は話し好きである。それは分かるが、患者との会話もなかなかうまく行か ない。時には見当違いの話をしているのではないかと不安になり、外来業務がストレスになってきた。足腰も弱ってきた。先日は階段を踏み外して右の足底を9 針も縫う怪我をした。

 フジタ医師は急性期の大規模病院では自分のような高齢の医師などはウロウロすべきでないと考えており、そろそろ引退しようと思っているのだが,A県は 500人近くも医師が不足していると言うし、何も趣味もなく、いまさら道を変えるのはもっとストレスになるだろう、とウジウジ悩んでいる。今年は出身地の 岩手県に「復興資金を送る」ため,と割り切って考えて老体にむち打って外来診療をやっていた。
 フジタ医師はキャリアも長いために昔からの高齢の患者が多く受診する。だから自ら「老老外来さ・・」と称して自身をなぐさめ、患者をなぐさめている。こ んな外来は急性期病院として相応しくない、と自覚している。だから,院内でも目立たないよう気配りし、他の医師との会話もなく、ひっそりと業務をこなして いる。

 ある週末、フジタ医師はひどい風邪に罹患し高熱を発した。一層耳が遠くなり、声も出なくなった。月曜にはかなり解熱し、ちょっと辛かったが、何とか外来 は出来そうである。若手医師達は「フジタ医師はどうなっても良いのだが,あの外来だけはやりたくない・・」と言っている。直接言われたこともある。だから 代診も頼みがたい。

 フジタ医師は待合室に張り紙をした。
 「・・で耳も聞こえず,声も出ません。本日は指で会話の代わりをします。 診察机に番号をうった紙がおいてあります。 @は,具合は如何ですか? Aは、何ともありません。Bは,前回と同じくお薬を出し予約しておきます。お大事に。Cは、他の医師に回します。DEF・・で す。なお、血圧は前に置いてある自動血圧計で測っておいて下さい」

 その週は4日間外来があった。そのうちに体調もよくなり、耳も聞こえるようになり,会話も可能になった。しかし,診療がとても楽だったので張り紙はその ままにした。何しろ、連日50−60人、時には14時を超えるのもマレでなかったが、この週は驚くほど楽だった。何しろ、全患者が@ABで,一言も会話せ ずに済んだからである。カルテ記載も簡素にした。しかも、患者達から不満の声もなかった。むしろ、喜んでいるような印象さえ受けた。

 フジタ医師はこれに乗じて翌週も翌翌週も、張り紙をそのままにした。


12/14(水)晴れ 外来 映画「一枚のハガキ」
 2:10 起床、医療文献PDF化、書類整理淡々と処理。文献・新聞などPDF化。7:00車病院。不調患者対応。回診その他入院業務。8:45-13:30外来。15:55 映画「一枚のハガキ」、見応えがあった。18:30帰宅、夕食,20:15就眠。

「社会保障と税の一体改革」を保身のために反対? 
「社会保障と税の一体改革」は、野田首相が「不退転の決意」で臨む、とした最重要課題である。私も喫緊の課題だと思う。

 従来から姑息的対策の繰り返してきた結果、年金、医療、介護などの分野でゆがみが蓄積している。これらを正し、低所得者への年金加算や保険料軽減、社会 保険適用拡大などで生活弱者への支援策は手厚くする、などなど、将来にわたって 安心して生活出来る社会を築くための政策である。

 ただ、相変わらずばらまき政策だ、これで良いのかな?と思う。6月の一体改革の原案を見ると、新たに約3.8兆円が必要になる。高齢者への給付抑制に よって約1.2兆円を浮かせ、残りの約2.7兆円を消費税で賄おうとしていた。そのために消費税率を2010年代半ばまでに10%に引き上げる、としてい た。

 だが、最近論議されている項目は、
 ■70-74歳の医療費の窓口負担は、暫定1割から2割に戻す案は見送られそう。
 ■高所得の高齢者の年金は減額する。
 ■パート労働者を厚生年金に加入させ、国民年金より受給額を増やす。
 ■物価下落時に年金額を下げずにいたが、規定にある水準まで減額する。

 政府・与党の社会保障改革本部は、改革大綱の素案の年内策定を目指しているが、高齢者の医療費負担等、負担増が含まれる案,消費税増額に党内から反対意見が噴出している。

 しかし、巨額の財政赤字を抱えているわが国で、財政再建を後回しにするなどとなれば、円や国債の信用度は失墜していく。財源論議を反対する方々は,国民 負担を強いる案で闘えば選挙で敗退するから、と考えているようであるが、自分たちの保身をわが国の命運に優先させようと言うのだろうか。

 確かに、消費税論議は景気の維持とも濃厚に関連している。安易な税率の増は景気を悪化させる可能性は否定できない。消費税問題は国の景気対策にも水を差 すから、景気対策がを優先すべきと言う意見も聞かれる。しかし、私は右肩上がりの活力のある経済と活気のある社会、若者が夢を持てる社会の構築は、今後の わが国にとっては極めて困難な目標、と思う。
 一体どんな妙案があるのか,教えて戴きたい。


12/13(火)降雪 外来 
2:00起床、録音・PDF化書類整理淡々と処理。文献・新聞などPDF化。病院車7:00着、路上に数cm積雪あり。テニスシューズは滑り危険。ブーツ とする。7:15重症患者対応、8:45-14:00外来。15:55帰宅、自宅のマックのネットが不安定でWo-Fi化した。速度・安定感とも改善。文 献・新聞などPDF化、読書。 20:00就寝。

国民皆保険制度(18)国として見れば少ない医療費 国民の負担は先進国でもダントツ
 WHOはわが国の医療制度は世界一と評価している。

 医療の評価の指標は項目を整理すれば、■医療費、■医療の受けやすさ、■医療の質、で判断される。この項目を繋げてしまうと「日本の国民医療費はG7主 要先進国の中で最も低く、国民は皆保険制度なので誰でも、自らの判断で自由に医療機関を選択でき,受診も自由である。しかも、日本の医療の水準は中の上以 上であり,結果として平均寿命も世界一である・・・」と総括できる。だから、世界一良い医療制度だ,と判断されている。

 ここで医療費については,国民総医療費は低く抑制され,国の医療費負担も低い。にもかかわらず素晴らしい成果を上げている。しかし、国民の医療費負担は 極めて高い,とまとめることが出来る。わが国は国民皆保険制度をとっており国民の誰もが医療費を負担することになる。医療費の負担は社会的立場,すなわち 生計によって,家族単位である。保険の種類は大別すれば、協会けんぽ、健保組合、共済、国民健康保険に分けられる。

 例として夫婦二人と子供一人,年収400万円の家庭をあげて年間の負担額をみると、協会けんぽが18万程度、健保組合が10−16万程度、共済が 14−20万程度であるのに対して国民健康保険が20−50万円程度である。額に開きがあるのは加入している保険によるし、国保の場合には居住地の人口構 成や財力によって異なっているからである。

 国保以外は給与から天引きされている。だから、未納者は居ないし、負担額の多寡についての自覚も乏しい。これに対して、健康国民保険の場合は、各家庭単 位で市町村から送られて来る負担額を支払わなければならない。従って,未納問題が生じてくる。ここで考えなければならないのは、国民健康保険は年収の 5−10数%にもあたる負担額だと言うことである。400万円ほどの収入では経済的に余裕があるとは言えないだろうが,そんな状態でも20−50万円も保 険料として負担しなければならない。

 なお、国保加入者の27%が「所得なし」である。2010年の厚労省のデータでは国保の未納は対象の21%にも及んでいる。皆保険制度は危機に瀕している。
 更に、医療機関を受診した際には窓口で自己負担が必要である。かつては無料だったこともあるが,現在は原則的に3割負担であり、先進諸国の中では類がないほど高額である。要するに、わが国の医療費は国民負担、患者負担を高額にして公費投入を低く抑えてきた。

 こんな状態なのに,日本の医療費は安い・・と宣伝され,徐々に窓口負担が限界とされる3割にまで増やされてきた。なのに、今回、それに100円を上乗せするという案が考えられ驚くこと然りである。それだけ危機的状態にあることは確かであり、改革が急がれる所以である。


12/12(月)降雪寒波 書類処理
2:10 起床、録音・PDF化書類整理淡々と処理。文献・新聞などPDF化。6:50車病院着。回診他業務後書類処理に集中。16:00帰宅、文献読み,読書。夕食、20:15就寝。

書評「これで分かる医療の仕組み」読売新聞大阪本社 中公新書ラクレ2011年 1.400円
 読売新聞社は医療関連記事を長期間にわたって連載している。私のスクラップブックには、現在はPDF化しているが,1.000枚を超える記事が蓄積されている。読売新聞社はそれらを集めて2008年には「数字でみるニッポンの医療」 (講談社現代新書) を発刊している。広範な分野にわたり広くデータを集めており、私は資料集の一冊として重宝してきた。

 今回は読売新聞大阪本社が担当し2006年から148回にわたって連載した「くらし健康・医療」欄の「医療のことば」をまとめて「これで分かる医療の仕 組み」として発刊した。医療関連の139のテーマについて2−3ページ程度の長さで、厚労省を中心としたより客観性のあると思われるデータもあげて、分か りやすく解説している。この本も前作同様、資料集としてとても役にたつ。

 ただし、この本を有用と言うにはかなりの医療に関する基礎知識と,新聞社の報道姿勢、マスコミの問題点を理解してからかからなければならない。
 文章を一つ一つ見ると医療関係者に対する批判的な表現が目に付くし、医療現場で働く私共を愚弄する様な表現も多数見られる。例えば、診療報酬の仕組みの 解説に唐突に「不正請求」の話が出てくる。薬物療法で適応外使用の項目では「日常的に虚偽の診断名でごまかしが行われている」など。また、副作用の項目に は「医師の勉強不足のために繰り返されている・・」との表現が見られる。これらが前後の脈絡とそれほど関係なく出てくるから、恣意的な,正しからざる意図 を感じ取る。新聞記事の連載に関係した方々は医療に対して,医師に対してかなり反感がある事が読み取れる。自分たちの都合のいい方に論旨をすすめている部 分も散見される。いたずらに医療不信を煽るようにも思える。医療崩壊が進んでから若干視点が変わったのではと言う期待で見たが、新聞記者というのは相変わ らず医療をたたくのが好きなようだ。

 日本最大の購読者を持つ読売新聞社の医療に対する基本姿勢が、こんな視点なのか,こんな程度なのか、と空しい気持ちにもなる。
 その視点でこの本の不適切表現、問題点を探し出す作業をしてみるのも面白いが、そんな暇もない。

 で、資料集として活用するのであれば、この本は医療問題に関心のある方々にはお薦め出来る一冊である。


12/11(日)降雪 飯川病棟日直
2:00起床、新聞文献チェック、PDF化。講演準備。8:15院長体調不良で急遽飯川病院日直へ。17:30帰宅。19:00夕食、20:30就寝。祖父の命日。

エッセンシャル・キリング ひたすら逃げるサバイバル映画

 


 12月3日に観た映画。
 ポーランドのE・スコリモフスキ監督によるサバイバル・アクションで、第67回ヴェネチア国際映画祭で審査員特別賞と最優秀男優賞を受賞している。
 ストーリーは殆どない。アフガニスタンでアメリカ兵を殺害し、アメリカ軍に追われる一人のアラブ兵の逃亡劇。主人公は、アメリカ軍に捕らえられ拷問を受 ける。移送中の車の事故に乗じて逃げ出す。途中、軍関係の車を奪い、材木運搬の民間人を殺し、空腹を癒すために蟻や樹皮や木の実で飢えをしのぎ、道ばたで 授乳中の女を襲い乳房に激しく食らいつく。脂っぽい女性の丸く白い豊かな乳房が印象的であった。その後、逃走の過程で自らも負傷、雪に閉ざされた深い森を やみくもに逃げ続けたが、森の中に一軒の家を見つけ、そこに住む女の手当を受ける。

 森の中の一軒家、女に助けられ,白馬を与えられて再度逃走する、白馬の背は彼の血で赤く染まっていく。なかなか刺激的で良い画面が続いたが、この一軒家の部分の設定は私から見て実に不自然な感じがした。別に無くても全体の価値は変わらないだろう。

 絶叫や、叫び声をあげたりはするが、説明やセリフが一切無く、追いかけられ、逃げたり殺戮したりというシーンの連続だけで何のための映画か?とも思う が、米軍関係のキャンプの施設、設備、捕虜に対する非人間的な拷問、捜索用のヘリの自由な飛行の技術などなど,初めて見るシーンもふんだんにあって楽しめ た。

 米軍キャンプ、ヘリなどの設備、技術者、操縦士などをどうやって調達したのかも不思議である。また、雪が積もる厳寒のアフガンの森林地帯、どうやって生 き抜くのか,展望が殆ど見えない中でどう生きる気力を維持するのか・・等々,観る者への問題提起と受け取れた。逃げる兵士の心は最後まで決して折れること はなかった。しかし、最終的に、彼が生き抜いたのかそれとも力尽きたのかは分からないが、後者であろう。全編にわたって人間の意志の強さが示された映画で あったが,実に壮絶,悲惨でもあった。

 ただ、感じたのは自然林の中での逃走だから出来たこと。もし、これが近代都市の中での逃走であれば破壊や殺戮などがこの何倍も生じ,多大な被害が生じた事だろうと思う。自然の包容力はやはり偉大だ。
 
 結局、この映画は観た,と言うことしか記述できない。極寒の中で数々のシーン、木の皮,アリ、生魚を食べたり、氷のはった川に落下するシーンなど多くを演じきったヴィンセント・ギャロという男優の存在感は大きかった。


12/10(土)雪寒波 秋田県出身者による名曲の調べ
1:00起床、新聞文献チェック、PDF化。講演準備。14:00アトリオンホール「秋田県出身者による名曲の調べ」。またブラボー男がいた.早々に脱出。16:30病院。重症患者回診。月曜の検査オーダー、総括他事務処理。17:00帰宅、夕食、20:15就寝。

マイペースで(2)剃るの止めたら髭がのびた
 私はひげ剃りが大嫌いである。今迄は業務を進めるにあたって身ぎれいにしておくのは最小限のエチケットだろうと思い、簡便な方法で間に合わせ程度に剃っていた。
 簡便な方法というのはシェーバーと安全カミソリであるが、後者ではクリームや石鹸等を用いて剃ったことは一度もなく、直接剃るのでとても痛く、出血も頻回であった。それもものぐさの私には大した問題ではない。まともに剃るのは2ヶ月毎の理髪の時だけであった。

 ところで、最近、安全カミソリは2枚刃、3枚刃となり、いろいろ改良された様であるが切れ味はむしろ悪くなった。より高級なものを求めてみたが同様で あった。メーカーに問い合わせたところ何も付けずに使うことは想定しておらず、使用時に水分を吸って刃の周辺に塗ってあるクリームが溶出して切れ味が増す 構造とのことであった。ちなみに、私は学生の頃から最近まで5ヶで100円ほどの、最も簡素なカミソリを愛用していた。これが今でも一番良い。

 10月に出身医局の同窓会があり、その際,同窓会の方々に退職の報告と,今迄のサポートに対して感謝の意を伝えるつもりでいたので、その際に無精ヒゲで は失礼と思い,その時まで剃っていた。これで院外での行事は年末の講演を一つ残すだけとなったのでこれを機会にイヤなひげ剃りを止めた。診療は続けている が、院内ではほぼいつもマスクを付けているし、長年通ってきている患者が主だからそう問題にはならないだろう。

 今、約1.5cmほどにのびた。剃らないから当然であるが、2ヶ月でこの程度とは意外とのびるのは遅いものだ。私のひげ面は実に貧相であり、人相も悪く なった。それでも家族は誰も剃るべきとは言わない。無関心か?本日のコンサートで数人の知人に会ったが気が付かないようであった。あるいは無視されたか。 こんな事も含めて初めての体験だから何かと楽しい。

 むかし、共に過ごした猫のひげは私にとって恰好のいたずらの対象であったが、今はもっぱら自分のヒゲを引っ張って感触を楽しんでいる。


12/9(金)曇り・氷雨 患者家族面談2件 飯川病院診療応援
2:00起床、新聞文献チェック、PDF化。7:00車病院、夏タイヤのままにしてある一台、路上のベト雪でよく滑った。回診他。7:30、10:00と 入院患者面談,後者は1時間。12:00ー17:00飯川病院院長が体調不良とのことで診療応援。書店3軒めぐり18:30帰宅、雪でかなり渋滞。夕食、 20:20就眠。

マイペースで(1)退職を機に猫的生活になった
 私は性格的にはかなり内気、引っ込み思案、根暗である。面倒くさがりで人付き合いも苦手,相当に自己中心的である。家内からは「山の中に一人で住んだら・・・」としょっちゅう言われてきた。退職したら、言われる頻度が増えた。

 私はとても臆病で常に周囲に恐怖感を懐いている。特に対人恐怖というのか、人との関わりについてはとりわけひどい。幼少の頃から大人達の中で人の顔色を うかがって自分を抑えて過ごしてきた。この間、私を癒してくれたのは一匹の猫とハトであった。私は小学校から高卒まで、一匹の猫と共に離れに引っ越しして 過ごしたが、私はその猫の生き様から多くの影響を受け、いろいろなことを教わった。

 高校の時は下宿生活を2回経験した。他人の家庭で,他人と共に過ごした。更に、大学6年間は経済的事情から学生寮で過ごした。とてもストレスであったが、この間に人付き合いのコツ,表面的にうまくこなすこと、狡さも身に付いた様な気がする。

 この後40数年、社会人として、医師として,勤務医として、 医師会の役員として、自分を「あるべき姿」に合わせながら過ごしてきた。この間、人間関係は常に恐ろしく、ストレスであったが、実際にはそれ以上に自分に とって有益であったから何とかやって来れた。特に、10年以上の医師会役員の経験は私を鍛えてくれた。役員の方々から多くを学び、業務を通じてもいろいろ 学んだ。これらの経験がなかったら,私は社会に溶け込めずに逃避し、本当に「山の中に一人で」住むことに,あるいはそれに類した状態になったかも知れな い。だからなのだろう、私は昨今、社会で問題になっている落ちこぼれ、孤立、孤独、孤独死などの話題に無関心で居られない。いままでお世話になった方々に は心から感謝を申し上げたい。

 私は動物が好きである。やはり身近なのは犬と猫である。両者の習性は面白いほど異なる.私から見て犬はどちらかというと陽気で社交的で、猫は陰気でマイ ペース、孤立を好むようである。変な例えに持ち出して犬と猫には悪いと思うが、この両者の習性に自分を当てはめてみると,猫的性格の私は、保身のために自 らに犬的対応を強いてきた,と言えるのかな,と思う。

 私は還暦の頃から一日も早く本来の猫的生活に戻りたいと願望し下準備をしてきたが、今年の5月末日にやっと実現した。

 その日を境に「こうあるべき・・」という呪縛から解放され、本来の猫的な生活になりつつある。いま、私はとても静かな気分を味わっている。


12/8(木)曇り・氷雨 外来
1:00起床、新聞文献チェック、PDF化。7:00車病院、路上に若干雪あり。回診他。8:45−14:00外来、混雑し疲弊。16:00帰宅、読書他、夕食、20:20就眠。

消費税(3)10%に増額すれば医療崩壊が一層進む
 消費税は払う側からは一見相手側の収入のように思えるが、税金として一時的に預かっているお金であって収入にはならない。物流に伴って製造元、問屋、小 売店と商品が渉っていく度に新たに消費税がかかる事になるが,既に算定された分の消費税を控除した額になるから、物流毎に税額がどんどんと増えることはな い。
 
 この、前の業者が支払った消費税等を差し引くことを「仕入税額控除」という。更に,その先のことを簡単に言えば、消費税は最終消費者が負担することで最終的に額が決まっていく。

 あまり知られていないことだと思うが、1989年の消費税3%導入に際し、政府は医療には消費税をかけないことを国民に約束した。だから、医療機関は窓 口で患者から医療費をいただく際に消費税を預かっていない。一方、医療機関が診療や運営に必要な機材、器機、薬品、消耗品などを購入する際には消費税を支 払っている。要するに、医療関連業界ににおいては最終消費者は患者ではなく医療機関である。政府はそれに見合う分と称して診療報酬の一部を引き上げた。僅 かに0.76%であったが、考えようによっては微々たる程度であるが内税化されたと言える。
 
 医療機関にとってはこの程度の診療報酬引き上げでは「仕入税額控除」があるといえども消費税の負担を補うことは到底不可能で、収益上マイナス状態にな る。医療機関は消費税で損をしている。このことを消費税の損税と呼んでいる。消費税は例えいただいても預かっているだけで収入になるわけではないが,この 負担するだけの奇妙な税制度によって医療機関の負担が増えるのは問題である。こんな異常な状態がまかり通っているのは私が知る限りにおいては医療機関だけ である。

 その後、消費税は1997年に5%に増額となったが,診療報酬は逆に2年ごとに減額され、減額の%を合計すると10%以上にもなった。こんな厳しい状況 の中で医療機関は自助努力で何とか消費税を支払ってきた。 古いデータであるが2002年の日本病院協会の調査では一病院あたり年間7482万円にもなり、経営上ゆゆしき問題になってきている。私が勤務している大 規模な病院では2-3億円にも達する額である。


 診療報酬が低く、ギリギリ切り詰めた状態で運営している医療機関にとっては、消費税の仕組みが変わることがない状態で10%に増額されることは運営上で 極めて大きい意味がある。従って、「社会保障・税一体改革」で消費税率を上げること社会保障を良くしようという試みは、逆に一層の医療崩壊を招きかねな い。

 解決策は医療関連部門に関しては軽減税率またはゼロ税率を設ける事だと思う。実際、西欧では多くの国が20%前後までの消費税を課しているが、単一税率 ではなく生活に必要不可欠の部分の税率を低く抑えて庶民の生活に配慮している。このような諸外国の例を手本に税の軽減策を是非導入して欲しい。


12/7(水)終日雨 外来 映画「いのちの山河」
2:00起床、文献新聞チェックPDF化。7:00車病院着。回診,入院家族面談他、8:45-14:10外来,混雑、疲弊。16:00帰宅、蓄積データ 整理、19:00-21:00映画「いのちの山河」,文化会館小ホール。某イタリア料理店で外食、 22:30帰宅、就眠。

消費税(2)要するに、上げないでやっていけるのか?いけないのか?
 私が不思議なのは,わが国を維持して行くのに、国民の生活を守って行くために、経済を早急に建て直す事の意義についてそんなに「正解がない」問題なのだろうか,と言うことである。
 多くの政治的懸案事項については正解が無いこともある。その様な時はリーダーの方針、政党としての考え方、政治力が決めていくこともある。

 現状の国の方向性がこのままで良いのか悪いのか,消費税を上げないでいけると言う考え方が成り立つのか、検証が必要である。大多数の国民、世論は内容と は別に、増税と言う言葉に対して嫌悪感を持つ。菅氏はそこの読みが甘かった。市民運動からたたき上げて首相にまでなった彼が市民、国民感情を忘れてしまっ ていた。これが政治家が徐々に初心を忘れていく通常の姿でもある。

 現状では政府方針に対する国民の反発は強い。共同通信の世論調査では、消費税率の引き上げ幅や実施時期について7割強が「年内に取りまとめずともよい」 とし、6割近くが消費税増税を「公約違反」と回答している。こうした混沌とした状況下で野田首相が指導力・政治力と称して増税路線を突き進んでも、国民の 理解は得られない。

 事を単純に整理し「要するに、上げないでやっていけるのか?いけないのか?」についてはっきりと考え方を提示して欲しい。あいまいなままではダメだ。

 私は消費税増税が不可欠という立場である。ここまで至った現在、増税なしではやっていけないだろう。ただ、問題は、その手法である。導入に関して国民に十分に説明すること,その際には増税によるマイナスの効果についてもはっきり提示して欲しい。

 同時に、増税反対の立場の方々には増税なしでどう日本を運営していくのか,そのビジョンを示して欲しい。「選挙」?そんな問題ではないだろう。


12/6(火)曇・寒  外来 
1:30起床、文献新聞チェックPDF化。7:00自転車病院着、患者対応、家族面談。8:45-14:00外来、混雑し、疲弊した。 15:40-16:30北インター経由で帰宅。データ整理、夕食、20:30就寝。昨年、病院近くの中通小学校でインフルエンザ様感染で学級閉鎖。今年は まだ皆無?

消費税(1) 社会保障にからめて問題を矮小化している
 「税と社会保障の一体改革」が論議されている。その過程で本年6月末に、「2010年代半ばまでに消費税を10%に引き上げる」という政策判断が閣議決 定された。私には「一体改革」=「増税論議」のように見えたが、子育てや介護などの社会保障をどう充実させるのか、と言うことも議論された上でのことらし い。
   
 この決定を背景に野田総理は国内への説明も不十分、論議も不十分なままで11月3日にカンヌで開かれたG20で消費税増税のことを国際公約してした。 TPP問題もオバマとの間で事前の約束があったのだろう、国内の世論が不十分なままで事前協議に入る事を決めてしまっている。こんな,外堀から既成事実を 作っていくという政治手法はまともなのだろうか,と思う。

 緊縮財政がもたらすであろう危険性はある程度理解しているつもりであるが、 政府は相変わらずのばらまき行政を続けており、国債発行額は国の税収入よりも多い異常な状況にある。更に、東日本大震災も生じ、その復興も含め、何をする にしても財源に問題があることは明らかである。この方向は正しいのだろうか。
 こんな中で私どもが知りたいのは、我が国の将来ビジョンの総論的な提示である。各論的には社会保障を含め、景気対策など,全ての分野におけるビジョンで ある。私は平時であれば各論部分からの積み上げを重視した手法で良いと思うが,日本の国債発行高が1.000兆円に達するほどの状態では、もうそんなこと は言っていられない。まず財政再建を主眼としての舵取りが必要である。

 一年前に菅首相が唐突に消費税問題を持ち出し選挙で大敗した。私は菅首相の方針は正しかったと思うのだが、表明するための下準備、根回し等があまりにも少なかった。

 TPP問題も決着はまだまだ不透明であるがそれなりの方向は提示された。最近、政府、与党の「社会保障と税の一体改革」に関する議論が本格化してきた。 野田佳彦首相は消費税率10%への段階的な引き上げ時期や幅を明記した一体改革大綱の素案を年内にまとめ、来年3月末までに関連法案を国会に提出する方針 を示した。 しかし、野党のみならず、与党内にも相変わらず増税反対論者は多い。


12/5(月)曇り小雨 外来 
2:00 起床、文献・新聞など。7:00車病院着。回診他対応、8:45-14:00外来,比較的余裕。16:00帰宅、新聞チェックPDF化、蓄積データ整理。夕食、20:15就寝。

東日本大震災(29)福島県外への避難者6万人超 今後どうなるのか分からないことだらけ
 購読紙の一つの福島民報によると東電原発事故に伴う福島県外への避難者は11月16日現在60.251人となった。7月の時点で46.295人だった。4カ月で14.000人近くが県を離れたことになる。住民票を避難先に移した県民はの移籍先は46都道府県に及ぶ。
 当然、放射線への不安があり、中通りの都市部などからの自主避難が多いとみられる。

 原発避難者特例法が8月に施行され、住民が避難先で医療・福祉や教育などの行政サービスをより簡単に受けられるよう定めたが、徹底されていない。恐らく、避難先地では福島県民は不便な生活を余儀なくされている,と思われる。 
 発生から8カ月以上たっても避難者が続くのは、わが国の従来の災害にはなかった、放射能汚染の異常な事態だが、被災者がいつまで避難を続けていけばいい のか,いろいろ取りざたされているが、全く分からない。だいたい、低線量の慢性被爆による健康障害については,人類は残念なことにそれほど知見を持ってい るわけではない。国が提示して来る基準も確固たる証拠やデータに基づいたものではない。

 私は不勉強でまだ理解していないのであるが,ヒロシマ、ナガサキでは放射能の減衰がどのようになっていたのだろうか。放射能汚染のために被害を受けた地 区に居住するのが制限されたようなことは聞いていないが、どの様な判断で居住が許され、復興が成されたのだろうか。半世紀以上も前のことだから放射能汚染 のことがよく分かっていなかったからなのかもしれないし、汚染の種類や程度が福島原発事故とは本質的に異なっているから問題にならなかったのかもしれな い。

 原爆で直接死亡されなかった被爆者の方々の健康状態の推移は資料で知ることは出来るし、今でも被爆者、被曝2世の方々、及び、早期に被爆地に立ち入った 方々への健康診断は法的に定められており,私も数人担当している。ただ、その総括は聞いていない。ヒロシマ、ナガサキは比較的早く復興の途についた、と理 解しているが、被爆地で除染作業が成された、という事も聞いたこともない。不要だったのだろうか?後に、被曝地域あるいはその周辺に住み始めた方々の健康 状態にどのような影響があったのだろうか。

 チェルノブイリ原発事故被爆地周辺、米国が頻回に原水爆事件を行ったビキニ環礁は未だに放射線量が高く立ち入り禁止となっており、当然居住禁止措置がと られている。これらの地区では除染作業など行われていない。汚染がひどく不可能とのこと。ビキニ環礁は人類が踏み込むことが出来ない地区であるが,人類の 負の遺産として世界遺産に指定された。これ程のひどい被害に対して、米国はどんな補償をしたのだろうか?第五福竜丸にはどうだったのか?チェルノブイリ は?・・まだまだ知らないことだらけである。


12/4(日)秋田小雨風雨 盛岡晴れ 盛岡往復
2:00起床、新聞文献チェックPDF化。録音文献データ整理。9:30病院、検査オーダーなど。13:00-16:00盛岡の次男宅に孫を見に向かう。16:50一昨日から来ていた家内と共に秋田に向かう。19:30外食、帰宅、疲弊し20:15就寝。

沖縄防衛局長更迭(2) マスコミの横暴 
 田中聡沖縄防衛局長が私的なオフレコの飲み会で話した内容が「女性と沖縄県民を侮辱」の大スクープとして報道され、更迭された。   

 琉球新聞が報じたのであるが、当日からマスコミ各社は大きく取り上げ、沖縄では抗議の声が相次ぎ、防衛省、内閣までも巻き込み野田首相も批判されひたすら低姿勢である。
 発言自体に問題はあるが、それ以上に報道した琉球新聞に問題がある。他のマスコミ関係者も遅れを取り戻そうと言う意識があるためかこぞって問題にした。足元,すなわち、報道の是非を問題にすることなく,大騒ぎである。

 医療人は医療倫理がある。常にこの規範に照らして評価され批判され,時に断罪される。マスコミにはマスコミの倫理があるはず。一方では国民が知りたい内容は報道すべき、というマスコミ魂もある,と聞く。このバランスが大事なのだろうが、今回はどうだろうか。

 私は、オフレコとの約束を反故にして特ダネとして報道した事は重大な意味を持つと思う。琉球新聞の記者は約束などしていない,との言い分はあるかもしれ ないが、そう言う提案に異議を唱えなかったのなら互いの了解が成立した,と考える。第一、記事に載せるような意味のある懇談は居酒屋にそぐわない。居酒屋 談義が新聞の一面を飾るなど、考えがたい。

 この様なことが生じると誰も口を開かなくなる。 昭和初期の軍部による言論統制と逆であるが、本質的に変わらないことを現代ではメディアが代行している。

 ここで、鉢呂経産相問題の「死の町」と表現し,辞任に追い込まれた事を思い出す。「死の町」を用いたことは事の本質にをうまく表現しており、私は全く問 題ないと思うが、「死」は被災者感情を無視した表現と大げさに報道された。更に、この発言の前日に非公式な場で「オフレコだよ」と言って、記者に向かって 「放射能をうつす」の発言をした事まで掘り出され,合わせて騒がれた。「放射能をうつす」の発言はその時点で報道されておらず,記者達はその時点では問題 にしていなかったのに,蒸し返しである。

 野党,沖縄の知事まで防衛局長の発言に対し異常な対応している。一川防衛相を迎えた知事の態度もよくない。県民感情を代表しての態度、ととれないわけではないが、礼を失している。
 福島は国のエネルギー政策の、沖縄は同様に国防と日米関係の歪みに起因している。鉢呂氏の場合も,今回の問題も深刻な事態を論じることなく,それに触れた「相応しくない表現」の言葉尻を捕まえて騒ぐ、その標的に利用された。こんな下らん論争は止めて欲しい。

 マスコミは「権力の監視人」と自認している。ならば,報道関係者の倫理観が重要である。今回の報道の有りようについて、内部ではどう評価されるのだろう。

 家での私の発言は、家族からは「不適切発言」として責められ、高齢の同居人からは「ババハラ」「セクハラ」と嘆かれている。


12/3(土)天候不良雨強風 飯川病院午後日直 映画「エッセンシャルキリング」
1:45起床。いつもの如く資料整理中心。11:30車病院。12:30ー17:00飯川病院日直。17:20ー18:50映画「エッセンシャルキリング」。19:15帰宅、夕食20:30就寝。

沖縄防衛局長更迭(1) 局長も問題、されど琉球新聞のスクープは間違い 
 米軍普天間基地移設先の環境影響評価書の提出時期に絡み「犯す時にこれから犯す、と言うか」と発言したことについて、防衛相は29日、田中聡沖縄防衛局長を更迭した。   
 女性と沖縄県民を侮辱した重大な発言として、当日からマスコミは大きく取り上げ、沖縄県内では抗議の声が相次いでいる。

 田中氏は28日夜、一部記者団と那覇市内の居酒屋で非公式に懇談したが、その席での発言で、上記のほかにも「400年前の薩摩侵攻の時は軍がいなかった から攻められた。基地のない平和な島はあり得ない」「来年夏までに普天間移設が進展しなければ辺野古移設はなく、普天間はそのまま残る」などと述べた,と のこと。

 沖縄県議会は環境影響評価書の提出の断念を求める決議を全会一致で可決するなど、国の方針に反対しているが、今回の暴言で反発はさらに強まっている。野 田首相は次官、次いで防衛相を沖縄に派遣し陳謝させたが,自ら対応したのは一日遅れで,このこともいろいろ批判されている。
 局長の罷免を申し入れたのは、民主、自民、社民、国民新党、日本共産党、 無所属の衆参員8人だったという。

 私はこの問題は、田中聡沖縄防衛局長の発言自体におおいに問題はあり、良識を疑うが、それ以上にマスコミに問題があると思う。
 オフレコ取材に関して日本新聞協会は1996年に「相互に納得した上で,外部に漏らさないなどの一定の条件下で情報提供を受ける取材手法」と定義してい る。私はこの様なオフレコの非公式の場の発言を報じた琉球新聞の方に問題が大きいと思う。しかし、この点を責める論調は殆どない。

 購読している新聞6紙の報道から得た情報では、この懇談会は田中氏の発案で「率直な意見交換をしたい」という趣旨で、会費3.000円で28日夜に那覇 市の居酒屋で行われたざっくばらんな会であった。記者が10人ほど参加していて、局長は前置きとして「発言を直接引用しない,オフレコで・・・」と告げて いる。ここで上記の如くの発言が飛び出した。ある記者は「悪ふざけをしている・・」との印象であったという。

 ところが、地元の琉球新聞は翌29日の朝刊トップでこの発言を報じ、防衛省、内閣までも巻き込む大問題となった。
 内容的に、一端、外に出たら当然問題になる内容である。マスコミは大きく取り上げ、地元は怒り、防衛庁、政府関係者はひたすら低姿勢で問題収集にあたっ ている。論点は「女性蔑視」「沖縄住民感情無視」である。確かに、発言内容を文章で見る限り、言うべき言葉ではなかった事は確かである。

 ただ、琉球新聞記者がこの発言におおいに問題を感じたのならスクープするよりも、その場で局長を地元の立場として到底容認できない、と責めるべきだっ た。そのようなざっくばらんな会だったはずだ。それもせず,急いで社に帰り記事を作りあげ,翌日朝刊の大スクープとしたもの。こんなやり方は卑怯である。
 同じ地元の沖縄タイムスの記者も同席していたが記事にはしていない。この違いは重要である。


12/2(金)風雨雪若干 患者家族面談2件 書類処理文献廃棄
1:30起床、新聞文献チェックPDF化、徒然他。7:00自転車病院着。回診ほか病棟業務。患者家族面談2件。患者関連書類処理他。16:30北インター経由で帰宅、19:00盛岡に向かう家内を駅に送る。夕食、 20:15就寝。

映画:「悲しみのミルク」 恐怖感、不安感と共に生きる貧しい娘
 11月27日に観た映画は「悲しみのミルク」。ベルリン映画祭で金熊賞を受賞したペルー映画である。監督は女性でC・リョサ。

 ペルーでは1964年に革命集団「センデロ・ルミノソ」が結成され、80年代に武装闘争を開始、93年にA・フジモリが鎮圧するまで、ペルーの農村を拠点に激しいテロ活動を行い国内は混乱した。
 その苦悩の時代を背景にした貧しい田舎に住む母娘の姿を女性監督の視点で描いている。この地ではインディオの伝統、文化、信仰が残っており、その中に、母乳を通して母親の経験が伝わる「恐乳病」というのがあると言う。

 テロの時代の恐怖と不安のトラウマに苦悩しながら生きた母親と,母乳から母の感情や不安を受け継ぎ、男に対する異常な恐怖、警戒心を抱いている一人の娘 の日常を見つめる内容となっている。娘はひとりで外を歩くことが出来ず、道を歩くときは壁沿いを伝うようにして歩く。にこりともしない。娘は過緊張なのか 頻繁に鼻血を出して倒れるが、彼女も彼女のおじも、それが「恐乳病」のためだと信じて疑わない。

 全編を通じて■テロと生死の恐怖、■主人公の抑えこまれた感情、■ささやかに咲く白い花、■アカペラで歌われる悲しい歌、■ジャガイモ、■花、■真珠・・等が見るべきポイントだったように思う。

 主演の女優、マガリ・ソリエルは、センデロ・ルミノソの被害が深刻だった地区で生まれ、売り子をしていたところを、エキストラを探していたに監督にスカ ウトされ、ヒロインに抜擢された。彼女の表情を見事にとらえた監督の技能も大きいとは思うが、新人とは思えない大きな存在感を示した。幼少の頃からのつら かった経験が身についているからであろう。

 私にとってのこの映画は、ストーリーとして楽しめたわけではなかったが、ペルーの歴史の一端を知り得たこと、壮大な風景、途上国の住民達の厳しい生活、 村での結婚式の様子など,異国の自然や文化を垣間見れたことだろうか。パンフレットには何人かの著明な方々の作品を讃えるコメントが掲載されていた。殆ど の作品がそうなのであるが、今回も私には参考にならなかった。


12/1(木)曇り小雪・寒波 外来 
1:00 起床、文献処理、徒然。鯉餌手形経由7:00自転車病院着。7:15回診、病棟業務。8:45-13:50外来、予約患者少なく余裕あるも時間かかった。寒くて大変だったがポタリングしつつ16:30帰宅、外食、 21:00就寝。

不快、迷惑な演奏終了直後の「ブラボー」の大声 
 今年もアトリオンホールでの演奏会に随分出かけた。12月もまだ何度か足を運ぶ予定になっている。
 アトリオンホールに対する不満などそれほどない。大抵の音楽会は楽しめている。が,敢えていうなら、やや過剰な残響、ホールを出てから降りるまでの混雑がある。
 前者は室内楽とかの小編成の音楽会ではよいが、オーケストラ、ピアノソロでは音がかぶって時に不快である。だから、一概には言えない。演奏間のトークや講演等は低域が過剰でとても聞き取り難い。ノイズキャンセリングヘッドフォンで余分な音をカットすると聞きやすくなる。
 後者は問題を感じるほど排客能力が低い。3.11以降、アトリオンビルは耐震構造になっているのでご安心下さいとアナウンスがあるが、リスクは地震だけ ではない。緊急時に客を早く逃す別のルートはあるのだろうか。心配になる。進まない列の中にはまってノロノロと進むのは不快である。特に超満員の演奏会後 はひどい。

 更に言えば、客席のイスが小さく,更に、前後、横のスペースが狭い事である。臨席の方と近すぎることと足のやり場に困るからで、私はいつも後ろの、通路 に接した席に座る。最もこれは若干の差はあるが文化会館、県民会館でも同様である。後ろに座るのは空席が目立つこと、通路脇に座るのは足が伸ばせること、 後ろに他人が居るのを不快に思うからでもあるが、目的はもう一つある。

 私にとって演奏会の最大の不快は,時折聞かれる演奏直後の「ブラボー」「ブラボー」,と繰り返す大声である。
 私は演奏前に拍手をしないが、演奏直後も拍手をしない。静かに演奏者をねぎらう。何度かのコールでやっと拍手である。基本的には演奏終了後は静かであっ て欲しい。ここ数年、何人かが後部座席から「ブラボー」コールを、何度も何度も発する様になった。しかも、とても良い声で 、すごくでかい。声楽を学んだ方??と思うほどである。 私はこの「ブラボー」が不快である。発せられた瞬間、余韻も冷めて気分は一気に地獄に堕ちる。演奏家を讃えて拍手をしたり叫ぶのは自由であるが、ならば、 演奏家の近くの席でやればいいのだ。

 で、私は最近は演奏が終了すると即座に席を立ち、会場を離れる。いつも一番である。そのために後ろの通路脇の席に座る。私のささやかな防御である。


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   年を通じてワンパターンで淡々とした毎日です。AM2:00-5:00にメールチェック・返事送付、人間ドック(HDD)判定・報告書作成、新聞切り抜き、病院・医師会業務など。
  月〜土曜は6:00頃出勤、HDD報告書印刷、外来書類処理など。病棟回診、HDD受診者とミーティングと診察。8:45-14:00外来とHDD受診者に結果説明。昼食は摂りません。午後は病院業務・医師会業務、各種委員会等に出席など。20:00頃帰宅。
  日曜・祭日もほぼ同様ですが、病院には午後出かけます。時間的に余裕無いのが悩みです。


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