徒然日記
2011年3月分

 日記と言うより、自分の行動記録からの抜粋と日々の雑感です。

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3/31(木)曇り 年度最終日 外来 定年退職者感謝状授与+懇談会 
1:00起床、ドック判定関連ほか。6:30病院着。7:00回診ほか、8:45-13:20外来、地震の影響で混雑。13:30−14:45定年退職者感謝状授与+懇談会、退院総括他。20:20帰宅。夕食、21:00就眠。

葛藤による苦しみからの開放(1)大切な死亡直前の安息期
 本日、私が療養病棟で半年近く主治医として診てきた高齢の患者の一人がお亡くなりになった。

 患者はその前からいろいろな病気に罹患し当院に通院されていたのであるが、平成16年から慢性呼吸不全となり、在宅で酸素療法を受けてこられた。半世紀 以上も喫煙しており、慢性肺気腫となった方である。昨年6月重症の肺炎に罹患し救急搬送され、集中治療室で人工呼吸器下で治療され何とか小康を得たものの 長期間の臥床の結果、四肢体幹の筋力が低下し、ベット上でなんとか自力で食事摂取は出来るが、他のことは全介助状態となった。病状の不安定さ、家庭内事情 などから転院や在宅復帰の機会はなく長期入院となり、結果的に私が担当して療養病棟で治療、経過観察をしてきた。

 私共の病棟に移ってきてからも2週間ほどは小康状態にあった。痩せ形で多少認知症もあったがとても礼儀正しく、理知的な方であった。
 その後時折高熱を発し、その度毎に食事摂取不能となり全身的にも衰弱されたが何とか乗り切ってきた。本年2月下旬から複合的な要因が重なって体内に炭酸ガスがたまり、あるいは不適切な抗利尿ホルモン分泌による意識状態の低下も来した。

 この時点で私は主治医として慢性疾患を患った高齢者の人生の終末期にあると判断し、ご家族と相談しつつ治療レベルを絞りつつ経過を見た。結果として徐々に衰弱が進み、意識も朦朧状態、血圧も低下し、酸素飽和度も測定不能、今日か明日かという状況になった。
 今朝の回診時には苦痛様表情も一切なく、静かに呼吸されておられた。昨日よりははるかに安定した印象であった。ついに最後の時、本日だろうと判断した。 15:00頃死亡されたが、ご家族は「今日、午前中はとても状態が良くて、いろいろ話しました。しばらく振りでした。午後になったらまた意識がなくなっ て・・」と涙しつつ感想を述べられた。

 この方が亡くなる前に一見良い状態になったのは死亡直前によく見られる一過性の安息期である。人を死に誘う病の勢いとそれに逆らおうとする生命の維持の ための力が織りなす葛藤が死戦期の苦しみの因となっていると思うのだが、後者が限界を迎えた時点からしばらくの時間、ホンの1-2時間ほどであるが葛藤の ない安息の時間が訪れる。
 患者本人にとっては80数年間続けてきた生きるための葛藤からの真の開放である。この時間は最高に貴重である。この時間は患者本人と家族のものである。 もはや医療者が入り込む必要は無いし、その必要もない。私はご家族に、ホンの短い時間であったが、家族か患者と良い時間を共有できたことにひかえめに祝福 の言葉をかけてお別れした。


3/30(水)曇り 外来 ドック結果説明 秋田市医師会総会
2:00起床、ドック判定関連ほか。6:30病院着。7:00回診ほか、8:45-14:20外来、地震の影響で混雑。 退院総括他。18:30秋田市医師会総会。20:00帰宅。夕食、21:00就眠。

医療事故、医事紛争は何故減らないか?(11)科学至上の考え方がもたらした期待と誤解
 蓮如上人の「白骨の章」の一節、『されば、未だ万歳人身を受けたりと言うことを聞かず。されば、朝には紅顔ありて、夕には白骨となれる身なり。・・・』 は私の好きな文章の一つである。 上人の時代に、「朝の紅顔、夕の白骨」はあまりにも時間経過が早すぎる。火災で焼け死ぬ以外には無かろうが、人が火災で白骨になる事はあるまい。
 私は講演などでこの言葉からスタートする事が多いが、その際には「朝の紅顔、夕の屍」、と置き換えている。命のはかなさを示すこれ程の良い言葉はない。 今回の東北沿岸部を襲った未曾有の津波による犠牲者の方々は水に呑まれる数分前までは紅顔であっただろう事を考えると言葉が出ない。

  医療が救命・延命を至上の目的とし、「病気を治すこと」「命を長らえさせること」が大きな目的になったのは、いつ頃からだろうか。私は不勉強にして古いこ とをまだあまり知らないので何とも言えないが、大きなエポックは第二次世界大戦直後の抗性物質の発見、普及でなかったかと思う。抗生物質の劇的な効果は、 従来なら到底助からない様な重症患者が次々と助かるようになり、驚きをもって迎えられた、と思われる。

 もともと医学研究はより科学的であることを志向してきたが、近代科学の方法論を実際に手に入れたのは20世紀の初頭からと思われる。それ以降、医療を語 る際に科学とか技術といった言葉を多用するようになり、医学・医療界は科学至上主義へと向かって行った。そして、20世紀後半には、それまでならば死亡し たであろう状況にある患者の救命、延命すら可能になってきた。医学研究、医療は共に細分化の一途を辿ったが、この頃から医師は「病気を診て人を診ない」と か「臓器を診て人を診ない」と一般社会から批判を受けるようになった。更に、臓器移植、人工授精、体外受精など等を通じ医科学は生命倫理の領域にまで踏み 込むようになった。

 ただ、この動きを通じ、医師だけでなく、医師の姿勢を批判する社会も国民も、医療を病気を「治す」学問、技術としか見ていなかった。進歩、発展、成長は 善なのだという、右肩上がりが人に幸せをもたらすと言う価値観と、科学技術への信仰が、人には生老病死があるということすら忘れさせてしまった様である。 しかし、人は誰もが老い、そして死ぬ。時には齢若くして病で死ぬ。いかに医科学が発達したといえども、今まで老い死ななかった人は一人もいない。しかも、 人の人生はすべてが個別であり、死に向かう姿も個別である。

 この辺の理解は医療関係者であっても一致していない。ましてや、医療関係者と患者家族の間には大きな溝がある。患者側の医療にかける期待は往々にして大きく膨らみ現実からかけ離れつつある。この乖離が、医療事故、医事紛争に発展する素地となる。


3/29(火)降雪若干、曇り 外来 法人常務会 建築計画説明会
1:30起床、ドック判定関連。6:30病院着、路面に数cm積雪。今年はいつまでも雪が降るし、寒い。7:00回診ほか、8:45-14:30外来、先々週の薬品流通障害の関連で処方日数が短い患者が受診しているので大混雑。14:45-16:00法人常務会。17:30-20:00医局に対する新築計画説明会。意見が交錯し、予定より1時間もオーバーした。21:00帰宅、21:30就眠。

医療事故、医事紛争は何故減らないか?(10)安心・期待・納得は情緒的言葉だが、規範とみなされつつある
  最近も患者や家族野方からの苦情や投書が多い。小泉首相の骨太の方針の後顕著に進んだ医療崩壊でマスコミの医療不信報道もやっと沈静化して来たので、苦情の方にも何らかの影響があるのかと思っているが、なかなかどうして軽減してこないし、内容は相変わらず鮮烈である。

 投書や苦情の中では「安心出来ませんでした」「期待と異なった結果になりました」「納得いきません」と言った言葉が使われる傾向にある。この様な言葉が意味するところは、気持ちは分かるもののあまりにも主観的・情緒的であり、私共医療者側としては相手方の言いたいことの真意が理解出来ず対応に困窮する。少なくとも苦情としてあるいは責任追及としての意向であるならばもう少し客観的な内容であって欲しいと思う。そうは言えども、「火のないところに煙は立たない」と言われる如く、患者・家族が実際に感じ取った事実、その時の感情に起因しているだろう、と思うと、そう無碍には扱えない。ただ一方、医療の現場ではいろいろな方がおられるから、往々にして「火のないところにも煙は立つ」が実際である。

 それに、私共の病院の「基本方針」にも一つの項目として「納得と安心、安全な医療の提供」とうたっているから「安心」「納得」は主観だと言いたい私の気持ちはやや迷いが生じてしまう。「安心」「期待」「納得」は意味する所は用いる人によっては際限がなく大きく深い。医療の中で使われる「安心」「期待」「納得」と言う言葉には理想が含まれるのだ、と言う意味で考えれば、医療の理想郷であり、医療者側と患者家族の共通の到達目標点である。ただ、実際の医療には明らかな限界があり、医療者側と患者側の感じ方には大きな乖離がある。ここから問題が生じてくる。

 にもかかわず、最近の裁判の判例とかを見ていれば患者の心情の満足度に一つの規範が置かれ、「期待権」などとして用いられている。このことは裁判や第三者的な意見が患者よりにあると言うことであり医療者側にしてみればかなり辛いものがある。医療の持つ不確実性、現在の医療レベルに即した期待であれば理解できるが、患者家族側の感情を大きく含んだ期待に関しては客観性という意味からも分けて考えるべきである。

 この様な考え方、思考の整理をすれば「期待に反した」とか「納得がいかない」という言葉に惑わされることは少なくなるだろう。


3/28(月)夜間に降雪10cm 曇り、管理会議 外来 第2回評議員会 患者死去 療養判定会議なし 長副会議 
1:30起床、ドック判定関連。7:00病院着、7:45-8:30管理会議、8:45-12:00外来、12:30-14:00第2回評議員会、その最中に病棟より連絡、帰院、患者死亡。16:00からの療養判定会議対象者なし。17:00-18:00長副会議。19:45帰宅、夕食、 22:30就眠。

書籍・本・文献の電子化(3)10年間ほど、殆ど開くことがなかった「音楽の友」を読み返す
 私が書店から定期購読している雑誌は「日本医事新報」「音楽の友」「文藝春秋」「MacFun」の4誌である。「音楽の友」は昭和48年秋田に来て直ぐとり始めた。だから間もなく40年にならんとしている。私の中では「日本医事新報」に次ぐ長さである。

 ただ、定期購読はしていたもののここ約10年は「音楽の友」が届いてから殆ど開いたことはなく、多くは付録の演奏会スケジュールの小冊子が挟まれたまま書棚に鎮座していた。また、同時に音楽そのものを楽しむ時間が極端に少なくなっていた。やはり、余裕のないスケジュールで過ごしていたからである。
 そんな中、年に1-2度書棚を整理し、新しい方から5年間分を残して旧い順に廃棄して来た。その際に特集によってはパラパラとめくるのだが、一旦見始めると未練がでて廃棄できなくなるので大部分は見もしないで廃棄した。

 それが、先月から、雑誌も含め書籍のPDF化を始めたので若干様相が変わった。残してあった「音楽の友」を旧い順に自分の興味の分野だけ切り取り、ザッと目を通した後スキャナーで取り込みハードディスクに収めている。実際まだ2年間分しか処理していないが、これだけでも本棚にかなり空間が生じた。私自身も持ち物も、大幅にスリム化が必要である。

 「音楽の友」は旬の演奏会とかの予定、演奏会評、アーティスト紹介、インタビュー記事などが主であって数年経過した段階で身を入れて読むべき、あるいは保存しておきたい特集記事はそう多くはない。だから、その作業の大部分は本をバラス作業で、1冊のうちで取り込むのは1-2割程度である。改めて検索でいつでも取り出せる音楽関係のライブラリーが出来上がりつつあり、若干豊かな気持ちを味わっている。もう少し時間が取れるようになったらメインのセットにスイッチを入れて種々の曲を楽しみたいものだと考えている。

 殆ど捨ててしまったが、作業の過程でかつて旬であった話題部分を見なおすのも楽しい。この5年間の間に音楽界も新旧交代が進み、私が親しんだ年代の多くのアーティストが亡くなっていた。寂しい限りであるが、この移ろいこそに価値があるのだ、と思える年代になった、と自ら自覚した。


3/27(日)晴れのち降雪 病棟拘束  
1:30起床。ドック判定総括、文献検討、本読他持参の業務若干。昼前に嫁・孫・犬は男鹿に、昼過ぎ長女離秋。13:00−16:00病院、重症者回診、家族面談他。17:00−18:30 義兄宅、義妹宅訪問。19:00夕食、20:00就寝。

KAMPO MEDICAL SYMPOSIUM2011(2)若手医師と漢方、熟年医師と漢方
 臨床研修病院から2題報告があったが、いずれも十分うまくいっているとの印象はなかった。指導スタッフ不足があるほかに研修医の漢方に対する関心度が希 薄であることが挙げられよう。研修医のアンケートではそれなりの関心度があることが示されているが、調査自体にかなりバイアスがかかっているように思われ た。
 現実問題としては臨床研修病院はほとんど急性期病院である。この中においての漢方医療の対象は慢性疾患を有する患者であることから、相容れない面もある。この辺のバランスを如何に取るかが必要であるが、病診連携、クリニカルパスが解決方法の一つであろう。

 漢方に不案内な私がこの会に出席しようと思ったのは研修病院の長としての立場で医学教育に無関連でいられないからである。日常的にこの様な演題を聴く機 会はそれほど無いから意義は大きい。特に今回は卒前卒後の教育の中における漢方の位置づけが内容であるので特に興味を覚えた。

 大学でも臨床で、研究で、教育で、研修で広く漢方が取り入れられており、薬理学的なエビデンスも徐々に学術的に証明されつつある。しかし、他の学会は若 手研究者が中心であるが、この会の出席者は熟年の医師、医育機関の長である。私が属する血液関連の学会に比較すると出席者の年齢は平均して10数歳は年長 の方々と思われる。

 医師にもライフサイクルがあり、分析、細分化、実験的エビデンス尾重視する医療の問題点に気付き、その考え方だけでは患者を十二分に治療し得ないことを 実感するまでにはかなりの経験を擁するように思われる。そこに日本の医学のあり方の問題点があると指摘するのは簡単であるが、これが現実の姿でもある。今 回、若い医師の教育の中にどれだけ漢方を取り入れることが出来るのか興味を持ったが、現実的に教育、研修の現場では苦労していることがよく理解出来た。
3/26(土)曇り午後降雪  病棟拘束 
0:30起床、孫が寝ている時間は貴重だから早めに起床。ドック判定総括、文献検討、徒然など、この頃起きると時間が豊富である。6:30病院へ、回診他、紹介状、退院総括患者関連書類処理。16:20帰宅。孫と遊ぶ、またバテた。19:30夕食。20:30就寝。

KAMPO MEDICAL SYMPOSIUM2011(1) 卒前卒後の漢方教育のあり方は?
 2月5日KAMPO MEDICAL SYMPOSIUM 2011 「大学卒前教育から初期研修までの一貫性のある漢方医学教育を目指して」を聴講した。

 昨年のこの会に初めて出席して感銘を受けた事で若干変わりつつあると言え、私にとって漢方はあくまでも補助的な使用のレベルでしかない。ただ、その後はツムラKKの学術的リーフレットをしっかり読むようになっている。

 今年もこの会に出席した理由は、漢方薬への興味と言うより話題の中心が医学教育システムについて論じられるからである。
 最初に、ツムラの代表社長が挨拶に立ち、ほぼ全ての大学病院で漢方の授業、漢方外来を開設していること、その上で、目標は医師国家試験に漢方が取りあげられること、漢方の国際化であると述べられた。

 シンポジウムは、■2001年「医学教育モデル・コア・カリキュラム」から10年■北海道大学における漢方医学卒然教育の方向性ー位置づけと学生サーク ルー■漢方医学教育教材の共有化を目指してー南九州5大学間ネットワークの試み■研修医への地域連携型漢方教育の導入■地域連携型研修医への漢方教育の導 入ー広島県内の臨床研修病院の取り組みー■日本医科大学での「卒前から初期研修」までの東洋医学教育の現況と展望。
 特別講演は滋賀医科大学学長■「卒前卒後の医学教育のあり方」。
 「医学教育モデル・コア・カリキュラム」の目的と成り立ちの概要を知った。基本教育内容の標準化が第一であるが、薬物治療の基本として「漢方薬を概説で きる」が取り上げられた。何で漢方が特に取り上げられたのかと思っていたが、細分化した近代医学の欠陥を補うのに東洋医学の考え方が寄与するという位置づ けであった。漢方医学の思考過程の重要性が認識されたと考えれば理解出来たし重要なことと思った。
 それを受けて3大学からの報告があったが、北海道、南九州大学の報告は漢方の教育への導入は人材不足のために近隣の大学間で互いに補完し合う必要がある など問題点が示された。報告は上手くまとめられ形をなしていたが、現場ではまだまだ混迷状態ではないだろうかとの印象で聴いた。日本医科大学の取り組みは 一朝の進歩が感じられたが、その背景にはコ・オーディネーターとして一人の教授の存在が大きいとの印象であった。大学の教育の中における漢方はコアになる 人材が居るか否かに負っていると言えよう。


3/25(金)寒波降雪4cm 法人理事会 
2:30起床、ドック総括x1。6:40病院着。7:20回診、病棟業務。17:30-18:45法人理事会。私を含む来年度の評議員会等承認された。19:45帰宅。午後から長女、孫が来ていて孫を風呂で遊ばせて私の方がバテた。20:30就寝。

東日本大震災(15) 本県への避難が少ないのは何故?
 東日本大震災に関しては住民が県外の各所に避難している。当県にも避難して来る方がが増えている。県の県民生活・被災地支援本部によれば22日現在、福島、宮城、岩手の3県から公共施設などに身を寄せている避難者は1.121人だと言う。

 各地に避難した人たちに関しては時折報道されているが、やや遠方にある新潟県は7.500人も引き受けているのに秋田県は受け入れ者がとても少ない。何 故か?と思う。知事は地震数日後に県や市町村、民間の施設で合わせて2.4万人の被災者を受け入れると公表したが、その後10日近く経ってまだこの程度の 受け入れ数でしかない。
 岩手・宮城県の津波の被害者は隣県である秋田がもっと強力に受け入れるべきだし、原発事故に伴う放射線被害者の救援についてももっと積極的であっても良 いのではないか。移動するならせめて遠方でなく同じ県の内陸部に・・、と希望する被災者は多いだろうが、被災県は復興のための作業が必要であることから作 業をスリム化させる必要がある。だから、被害が少なかった県が積極的に受け入れるべきで、県は被災地と連携、調整を進め、バスを仕立てて迎えに行くほどの 努力も必要でないか。
 
 県内への避難者は本荘とか仙北が多いらしい。秋田市ではそのような動きが感じられない。実際には公的施設の提供など進んでいるだろうが、よく見えない。

 秋田市には2009年初春に経営をやめたホテルハワイが取り壊されず残っている。これも活用できないだろうか?ホテルハワイは1.000室を擁する大き なビジネスホテルであったが、恐らく内部の機能は残されているのではないだろうか。被災者を受け入れる際には長期化するのだからプライバシーは守らなけれ ばならない。だから、体育館形式は考えられない。ホテルハワイを県とか市が借り上げて再活用できないものだろうか、と思う。

 ただ、超緊急時は別としてこれからの避難者の受け入れは場所だけではない。生活、教育、保健医療など多岐にわたるバックアップが必要であり、県民・市民一体としてサポートする覚悟と体制の構築が必要である。


3/24(木)寒波、降雪朝に5cm、午後10cm 外来 療養病棟診療部会 
1:30起床,ドック総括関連。文献検討。6:10病院着。自転車は無理。6:30回診他、8:45-14:00外来、17:00-17:45療養病棟診療部会、19:00帰宅、夕食、 20;30就寝。

東日本大震災(14) プロ野球 災害復興寄付金付きチケットを販売しては?
 東日本大震災に関しては社会が大混乱状態にある。少なくとも東北沿岸部、福島原発周辺はゴーストタウン化した。そこに残る多くの方々は先々に一層の困難が待ち受けている。

 こんな中、私が関連する各種の会議や行事も軒並みに中止、延期されている。エントリーしていた日医のシンポジウムも日本内科学会総会も延期である。
 今、プロ野球、特にセリーグの開催の在り方が問題化している。パが開幕を4月12日に延期したが、セは3月中の開幕、ナイターも組むなどとし、各界から 批判を浴びている。それを受けて検討し、4日間遅らせる案を出してきた。地震や津波による被害原発事故による被害は復興の兆しもあるが、実質的にはこれか ら拡大していく。ゴール点など全く見えない。こんな時に、「懸命なプレーを通じて被災者たちを元気づけたい」、とする首脳部の意見は一見恰好良いが全く現 実に即していない。しかも、興業としての業績を追い求める姿勢がありありで、大いに問題である。

 被災された方々にとっては、家族、財産、生活の術を失っただけでなく、今後を如何に生きるか、これから先の生活をどう維持していくかが大問題である。福 島原発近辺に住み、地震そのもので被害を受けなかった方々も原発事故のために、住み慣れた土地を離れなければならない事態になっている。地震、津波、原発 事故の被災地域の方々が大きな不安の最中にあるだけでなく、今、国民の多くの視点はこの地域に向いている。少なくともプロ野球とは隔絶された環境にある。 勿論、多様な考えがあってしかるべきでプロ野球の開幕を心待ちにしている方もおられるだろう。

 直接被害を受けなかった地域の方々も今後計画停電のあおりで不便な状態を強いられていく。東北電力も計画停電に何時踏み切るか分からない。実施するとす れば私共医療機関とて特別扱いを受けることは出来ず、患者にも不便を強いることになる。遠く離れた九州電力ですら計画停電を計画している、と言う。
 社会がこんな状態にあるというのに予定通り開幕し、しかもナイターもやると言う発想は到底理解出来ない。巨人の渡辺会長は時に世間離れした発言を繰り返 すが、今回も開催延期の意見に対して「俗説」と述べたとされているが、完全に感覚がずれている。 東京ドームでのナイター戦の場合、試合ごとに約6.000世帯相当分の電力を消費するという。実際には昼でもドーム球場の消費電力は若干少ないだけであま り変わらないという。大変なエネルギー浪費施設である。全国のドーム球場はどうなっているのだろうか。

 日本のプロ野球離れが言われ始めてから久しい。そうは言っても大相撲と並んで国民的スポーツである。今こんな事でもめている場合ではない。非常識な発言 を繰り返していると一層野球離れが進むだろう。被災地の復興のために「懸命なプレーを通じて被災者たちを元気づけたい」等と形に現れない効果を求める等と わず、具体的に目に見える形で行動を起こして欲しい。

 私は大相撲もプロ野球も、例えば入場料の一部に復興資金分を若干上乗せした寄付金付きチケットを販売し、球団側もその売り上げに見合った額の復興資金を 供出するのはどうだろうか、と思う。これなら選手も球団も、観客も復興への参加意識を持つ事が出来るし、具体的な貢献にもなる。経済復興にも寄与するから 一石二鳥ならず、一石多鳥である。


3/23(水)曇り 外来 新築関連打ち合わせ会議 院内感染症対策委員会
2:20起床。ドック判定総括x1。徒然など。6:40自転車病院着。6:15回診、8:45-13:10外来、13:15-15:00新築関連打ち合わせ会議。16:00-17:00院内感染症対策委員会。19:50帰宅、夕食、20:30就眠。

東日本大震災(13) まとめ買いに走らねばならない生活のもろさもある
 東日本大震災に関してはマスコミを通じて買い占め、物資不足に関してもいろいろ報道されている。
 東京とかの大都市では買い占めがかなり発生したらしい。横浜在住の長女も出遅れた、と焦っていた。災害の直接的被害が殆ど無かった、しかも、物品が豊かにある東京、横浜で、何で??と疑問に思う。

 この背景を考えてみると、第一には、大型の東海地震の発生が予告されてはいるものの、起こりうる災害が実感としてとらえられていない、第二に、いつでも 潤沢に手に入るという安心感から家庭内に生活物資を殆ど備蓄していない、第三には大都市で流通が途絶したときに都市機能が麻痺状態になりやすく、かつ、そ れから逃れる術が個人的には乏しい、と言う潜在的恐怖感がある、第四に他人の行動を信じる、あるいは知り難い希薄な人間関係の中で、繰り返される『冷静に 行動を・・』という呼びかけの反作用心理である。人は決して自分がどう考えるかと言うことに基づいて行動するのではなく、他人ならどう動くのか??と言う 推測の結果に基づいて行動に移す、非合理的な思考過程があるようだ。結果として自分だけ取り残されないように大同に合わせてしまう。こんなところか。

 だから、災害のニュースを機会に大勢の住民が買い占め行動に走ることになるが、これはそれほど非難すべきとは言えない。高度に合理化された環境にいる住民にとっては半ば、当然の行動である。

 ガソリンスタンドに並ぶ車の列であるが、これにもいろいろな意見があるようだ。ガソリン不足は公共交通手段の乏しい地域の住民にとっては実に深刻であ る。決して買いだめとか買い占めの為に並んでいるわけではない。今の、特に地方都市の居住者は市街地に少なく、郊外型になった。ドーナツ現象である。これ は車を用いる事を前提に成り立っている。しかも、最近はバスが次々と撤退している地域が多く、買い物、通勤、通学の送迎、通院などに必須で代替手段がな い。だから、飲料水、食料と同等である。特に足腰が弱り始めた高齢者にとって深刻である。
 だから今回の震災でガソリン不足が起こり始めたときにスタンドに一斉に並んだことは十分理解出来た。それにガソリンは車のタンク以上に買い溜めできな い。法定の20Lの専用容器もあり私も除雪機用のガソリンを購入するために所持しているが、一般的にこれが限度だし、十分に安全とは言えない。

 私は職場まで幸い片道6Kmだから、歩いても自転車でも何とかなる。車にはガソリンが1/3ほど残っていたから、10日も待てば何とかなるだろうと考 え、ちょっと体調の優れない家内の通勤だけに用いて本日まで何とか間に合わせた。飲用水、食料、燃料も10日分ほどは何とかなる量は確保していたから焦り はなかった。遠方から通院してくる患者は並んで買いましたが、「10L迄でした」、「2.000円迄でした」、「帰りにまた並びます・・」などと大変そう であった。

 災害時に買い占めなどに走らない様にするには各家庭で一週間分ほどの生活物資を備蓄しておくこと、発電機能付きラジオ等災害用の小物を取り揃えておくこ とである。私もこれを機会に、不要物を廃棄しスリム化すること、家具の転倒防止対策を始めとして防災対策を再検討しようと思っている。今回はその必要性を 実感した。


3/22(火)晴天 管理会議 外来 常務会 療養病棟判定会議(欠)長副会議
1:30起床,ドック総括関連、文献検討など。6:20自転車病院着。6:45回診、病棟処置、7:45-8:25管理会議。8:45-14:00外来、 14:45-15:45常務会、16:00判定会議(欠)。17:00-18:40長副会議。20:00帰宅、夕食、21;00就寝。

東日本大震災(12) 高能率、高度な流通機能をがもたらした生活基盤のもろさ
 東日本大震災に関してはマスコミを通じて買い占め、物資不足に関してもいろいろ報道されている。福島原発の放射能漏れで都内の水道からも放射能が検出されたことで、政府の関係者も「冷静に対応を・・、買い占めを控えましょう・・」など盛んに呼びかけている。

 今回、全国で買い占めが問題になっている。ペットボトル入れの水、乳製品、生活用品ではトイレットペーパー、電池などが店舗から姿を消したとされる。そ れに、ガソリンが枯渇した。秋田は被害が少なかったからであるが、概して冷静だったとの印象はある。にもかかわらず物品が枯渇したのは物品自体の枯渇では なく、流通システムの途絶による品不足が主たる原因であった。
 今回の地震被害によって明らかになったのは、いかに物流システムが高効率であり、緻密なネットワークが敷かれ、在庫管理が効率的に行われていたか、と言うことである。
  
 メーカーや中央の卸業界は各地に拠点を作り、集荷し配送している。各地方の卸業、商店向けにはトラック中心の配送システムが張り巡らされており、ほとん ど途切れることなく供給されている。これらは通常は目に見えないが、道路網の切断によって初めて顕わになったと言うことである。
 末端の小売店、商店など、医療機関も含めてであるが在庫管理はとても効率的に行われており、消費した分の発注で確実に物品がされる。死蔵される物品を出 来るだけ少なくすることで倉庫などの施設を小さく出来るし、マンパワーを削減でき、経済効果も大きい。だから、どこの企業でも在庫管理には力を注ぎスリム 化している。今回はこの機能の弱点が表面化した。秋田県内の医療機関でも地震後わずか3日ほどで薬品、医療材料が乏しくなり処方日数、手術の制限をせざる を得なかった。一方、被災地からは患者受け入れの打診が来たが、十分な対応が出来るか分からずジレンマである。

 遠方の貯蔵施設には十分な物品があるのだが配送するためのガソリンが途絶えた。今回の地震の教訓の一つは各地方にバランス良く物品の貯蔵施設を持たなけ ればならない、と言うことである。どこかに集中させている場合にはそこが機能障害に陥ったら大変なことになる。各地の空港や港湾の近くに分散させれば良 い。
 陸前高田市、大槌町とかは市役所機能、役場機能が失われたが、住民の戸籍等の記録はどうなったのであろうか。これらは大部分電子化されバックアップも取ってあっただろうが果たして分散させてあったのだろうか。気になるところである。

 本日、私が担当している外来に、仙台から避難してこられた高齢の女性が受診した。家は流されたとのことであるが、幸いに保険証、お薬手帳を身につけてい たとのことで仙台で受けていた治療が分かり継続できたが、通院している診療所も壊滅状態だという。この様な方々の個人としての存在の証明、権利の再構築は どのようになされるのだろうか。大いに心配した。


3/21(月)春分の日 晴れのち曇り、寒い 病棟拘束 自転車通勤開始
2:00 起床、新聞・文献チェック。8:00今季初、自転車で病院に、寒い。回診、患者関連書類整理他。11:30帰宅。帰路は向かい風で辛かった。資料、文献整 理。16:00-19:00再度病院。途中旭川の鯉に餌を蒔くもまだ反応不良。重症者対応、紹介状他。夕食、20:30就眠。

東日本大震災(11) 冷静に・・の呼びかけの反作用
 東日本大震災に関してはマスコミを通じて買い占め、物資不足に関してもいろいろ報道されている。
 政府の関係者も「冷静に対応を・・、買い占めを控えましょう・・」などと呼びかけている。この、「冷静に・・」の呼びかけは、しかしながら、自分はより冷静な行動をとっている、と思っている人に不安をかき立てる作用も持っているから、人の心理は複雑微妙である。

 もしかすれば自分だけ特別な状態にあるのではないか?他の方々はわざわざ何度もそう呼びかけなければならないほど冷静でないのか?それは何故か?何か自 分の知らないような情報があるのか?自分も何か動かなければならないのか?・・・とも思わせる。そのことで一層買い占めに走る事にもなる。

 だから、「冷静に・・」の呼びかけの際には逆作用を押さえるためにきちんとした論理的説明が同時になされることが重要である。それを欠くと、政府は何か 重大な事を隠しているのではないか、と言う疑心暗鬼に陥ることになる。今回の福島原発の放射能漏れは酪農家や農家に多大な被害をもたらしそうであるが、一 方では頻用される「直ちに、健康に害を及ぼす量ではない・・」の呼びかけは、現地に近い人々にはほとんど信用されていないように思われる。それを説明する には、過去の重大な原子力発電所の事故が及ぼした住民の健康被害を正しく引用する必要があろう。あるいは、今回の事故にマッチさせて語れる類似例が無いか もしれない。それであれば、放射線医学の蓄積から類推するしかない。この「直ちに」の意味するところは重要である。

 原子力発電所は安全である、と多くの専門家は太鼓判を押し、反対の意見を持っている方は少数派であった。政府もエネルギー政策は原子力を中心に進める、 と閣議決定したばかりである。かつて『そんなに安全ならば、東京都の電力をまかなう東電が何故発電所を福島に作るのか?なぜ都内に作らないのか』という意 見もあったと聞く。これが、最も的確な疑問を代表する素朴な意見のように思われる。

 「冷静に・・」の呼びかけは重要であるが、そこには冷静にしていても良い、と説明出来る事実、あるいは論理が一緒になければ逆効果である。


3/20(日)晴れのち曇り・寒波緩む 病棟拘束 
6:00 起床、新聞チェック。関連文献検討ほか。午前天候良く、雪かきしゃべる、スノーダンプ、除雪機等を仕舞い、自転車を引っ張り出した。午後はドック判定総括他、録音データを大量に処理し、室内の電気の配線等を整理した。病棟は比較的安定しているので電話指示で済ませた。片付け、本読みなど。夕食なし、 20:00就眠。

東日本大震災(10) 被災者同士を勇気づけているのは共感なのだが、・・
 東日本大震災に関してはマスコミを通じて多くの情報が飛び交っている。

 本日時点での人的被害は死亡8.199人、安否不明が18.245人、避難者が34.3603人となっている。大災害は数字で語られる。お亡くなりになられた方は阪神淡路大震災の犠牲者を超えたとされるが、数字化することで大切な、かけがえのない個々人の感情や生活が消え去り、単なる比較の資料としての数字になってしまう。これらの数字の背景のにある、個々の人々の人生、感情があったのだと思うと言葉が出ない。

 第二次大戦に次ぐ最悪の、未曽有の犠牲者である。地震と津波の被害そのものは恐らく直ぐに再来はしないだろう。既に、復興の兆しが見え始めている。一方、制御不能に陥った東京電力福島第一原子力発電所では必死の対策が続いている。論理的なことは分からないが、被害を最小限に食い止めようと危険に果敢に立ち向かっている関係者には頭が下がる。しかし、今後のことはまだ予断を許さない状況にあり、更に被害が拡大していくこともあり得るし、解決にはまだまだ時間がかかる。

 昨日夕方帰宅してから自宅で普段できなかった生活用品、道具類、書籍や文献等を整理している。今回の震災を見て、持ち物があまりにも増えてしまった、と反省した。時間をかけてスリム化したい。また、今期大活躍した除雪機を整備してしまい込み、自転車を出し春に備えている。その間、時折TVを見たが廃墟になった町並みが次々と映し出されているが、もうあまり見たい光景ではない。恐ろしい威力を持って襲った津波の影像ももう見たくはない。

 避難所には難を逃れた多くの方々が不自由な生活を送っている。この方々の影像にも心が痛む。その恵まれない中で気丈に頑張っておられる様に見える。一人一人はみんな家族を失ったり、家屋敷を失った方々で、各々背景が異なっているだろうが、それにもかかわらず、である。恐らく、急に襲った、予想外の災害であまりにも大きな被害を一瞬にして受けたことで混乱し、今生き抜くこと背精一杯、今後のことはまだ何も考えられない状況なのだろう。その中で、天災によっていると言うこと、全ての方々がほぼ同じ境遇だと言うことが、互いの共感を生み、心の支え、生き抜く力になっているのだろうと思う。やがて、復興と共に徐々に個別性が浮き出てくるとき、本当の心の葛藤が生まれてくるのではないかと思う。

 福島原発事故の影響で屋内待機や遠方への避難を求められている方々、農業、酪農家の方々も多数に及ぶ。これらの方々の困惑や心情も思えば辛いが、こちらの方々の場合は、事故の切っ掛けは天災であるにせよ、二次災害、人災であり、その怒りは東京電力、国に対して向っていく。津波の被害の方々とは気持ちの上で大きく異なるコースを辿るのでないだろうか。


3/19(土)曇天 病棟拘束 患者家族面談
2:00起床、人間ドック関連。新聞・文献・資料検討、6:50病院着。7:30回診他。退院総括他。入院患者対応。16:20帰宅、録音データ文献等整理、18:00-20:30熟睡。21:00夕食、ドック処理、音声データ整理、文献など。4:00就寝。

東日本大震災(9) 情報が不足(2)情報不足の情報を情報として流せば瞬時に解決
 東日本大震災に関してはマスコミを通じて多くの情報が飛び交っている。

 特に福島原発に関しては新聞、TV、ネット情報とが多数行き交っている。TVの多くは解説者、学術経験者をゲストとして招いている。その度々毎にはそれなりに完結した内容になり分かりやすいが、毎回あるいは連日登場人物が変わり、言うことが微妙に異なっていて一貫性が無い。だから、聞く方が混乱してしまいかえって分かり難い。その点では枝野氏の説明は、あまりにも慎重に言葉を選びすぎているから若干物足りないが、その時点時点での公式見解と言うべきだし、流れも理解しやすいから評価できる。ただ、国の見解を、したり顔で否定したり疑問を口にする解説者、学識経験者も居て困る。

 国は刻々と分かった内容を国の公式掲示板で提示すればいい。それに情報が必要な人がアクセス方法をとればいい。そうすればTVを追っかけなくともいつでも最新の公式見解が確認できる。

 一昨年、新型インフルエンザが流行した際、県では私がスポークスマンの役目を担った。会議の後マスコミに説明するのは結構大変であったが、情報提供の窓口を一本化した事はとても良かったと考えている。

 危機管理上最も重要なのは情報である。
 責任者は積極的に情報提供を行うのは当然で、各担当にそのことを含めて指示するのであるが、その結果は必ずしも確認できない。情報伝達と意見交換のために臨機応変に連絡会議など開催するが、その場で情報提供不備に関する意見が必ず出て、驚き恐縮するのが常である。

 真に情報が不足と感じたら、あるいは情報が欲しいときには対策チームに直接求めればいい。方法ならいくらでもある。電話でもFaxでも、メールでも良い。数日あるいは数週間経ってから情報提供が不十分だ、と言われても失われた時間はもうどうしようもない。情報が十分伝達されていない、との情報が対策チームにとって不足である事が多い。だから、情報不足との認識を持ったのなら、その情報を情報として担当者達に流せばその場で情報は与えられる。リアルタイムの解決になるし、情報提供のルートが途絶している部署も判明するから以後の情報提供も改善する。

 情報提供の不備は危機管理上最大の問題点である。ただ、黙っていて情報を待っているようでは情報提供の不備に自ら荷担している事でもある。


3/18(金)曇り  3.11大震災から一週間
1:30起床。ドック総括、文献、徒然他情報収集。6:55病院着、回診ほか。本日は院内および対外的行事は特に予定されていない。患者関連書類の処理に集中。19:40帰宅、夕食、21:00就寝。

東日本大震災(8) 大震災から1週間たった 
 3月11日14:46にM9.0の地震が起こった。本日で一週間となる。

 人的被害はまだはっきりしていないが、阪神淡路大震災を超え、戦後最大の惨事となっている。まだ復興が始まったばかりで犠牲になった方々はこれからどんどん増えていく。今回の地震の特徴は震度7強と揺れは大きかったがそれによる建物の倒壊などは思いの外少なかった。被害の大部分は襲ってきた大津波と言って良いようだ。

 地震による被害は北は青森県六ヶ所村の核燃料処理施設から南は市原市の石油コンビナートの爆発まで実に広域である。その中で最大なのは福島原発である。
 津波の被害は仙台を中心に南北にある沿岸の都市、漁港を壊滅的状況にした。津波による多数の死者は宮古市からいわき市に及んでいる。17日までの人的被害状況は死亡が5.522人以上、安否不明が16.992人以上、避難者が42万486人となっている。避難所は広域に及び2.000カ所以上に及ぶ。だから詳細は不明であるが、暖房用の燃料や食料などが不足して大変な状況にある。

 地震に次いで起きた福島原発の事故は現在必死の対策がなされている。現在、制御困難状態で半径30Km内の住民に避難勧告、屋内待機指示が出ている。まだ展望は乏しく、極めて危険な状態にある。最悪の時はどうなるのか、チェリノブイリと同じように廃墟になるのか予想さえできない。その辺はまだ国も専門家も言及していないようだ。だが、そうなれば住民の大移動が必要となる。何とか制御して欲しいが、その作業も放射能漏れで命がけである。

 避難所にいる方々は着の身着のままで逃げてきた。ここ数日、寒波の襲来で冷え込みが厳しく、暖房器具や燃料、毛布が十分に行き渡っていない。被災地への救援、物資を送る活動、医療班の派遣などが全国的に広まりつつある。しかし、道路の寸断とガソリン不足で救援物資を被災地に運ぶ物流が停滞している。避難所生活でストレスも蓄積する中、高齢者を中心に死者もでている。インフルエンザの流行が心配される。また持病のある人たちの医療は不十分で医薬品不足も深刻である。

 秋田は被災地に近く、大きな被害を受けなかったから自治体と住民、医療機関が果たすべき役割は大きい。被災者の集団受け入れも含めて救援の主役をかって出ても良いくらいである。これは県知事が考えるべき問題だ。医療機関は薬品、医療材料が乏しく機能が低下している。患者の受け入れについては県医師会が窓口になってまとめている。県内の医療機関は患者を受け入れ体制ギリギリまで受け入れるはずであるが、明日は県医師会の代議員会だというので県医師会として支援についての宣言と各会員、医療機関への協力要請が形として出ることを期待している。

 秋田でも生活用品、ガソリンなどの買い占めも話題になっている。今回は物資が不足しているわけでないのだから供給ルートの復旧によって回復する。買い占めは物資を必要とする被災地域を間接的に苦しめることになる。だから、今は生活を自分の身の丈にあう最小限に抑制することも必要である。これは県民の努めであろう。

 私共の病院の冷蔵庫はいつも牛乳とか副食品が入っているのであるが、一昨日あたりから全く空になっている。
 わが家はエネルギー消費を大幅に抑制している。ここ数日はかなり寒いが、早朝起き出す私は厚着して小さな足温器一つで頑張っている。明日はしまい込んだ自転車を整備する。靴は徒歩通勤用にした。


3/17(木)曇り寒波・積雪7cm 外来 防災関連連絡会議
1:20起床。文献新聞など、徒然。寒波の中灯油他セーブしているので寒い。ドック総括数名分。6:20病院着。回診、机上書類処理。8:45-13:00外来。16:00防災関連連絡会議。19;30帰宅、夕食、20:30就眠。

東日本大震災(7) 情報が不足(1)求めれば良い それが情報提供のルートを開く
 東日本大震災に関してはマスコミを通じて多くの情報が飛び交っている。TVは動きのある画像をリアルタイムに、あるいは録画で提供しており有り難いが、 事実を淡々と伝える番組は少なく、多くはドキュメント調に編集し演出するから内容的にはピンからキリまであって、本当か?と思われる内容もある。それに、 その場限りで継続性がない。

 新聞各社の紙面や大手の情報提供企業のネット上の情報はとても有り難い。重要である。医療面の情報は厚労省,日本医師会などからも絶え間なく情報が送ら れてくる。今回の大震災に関しては菅首相、枝野官房長官が頻回に登場し国民の前に国としての見解を提供している。彼らは科学者でないから説明内容に限界が あるのは当然であるが、情報を自ら説明する姿勢は大きく評価する必要がある。枝野氏は顔がむくんでいて質問への回答に瞬時に対応できていない。恐らく寝不 足で疲労困憊状態なのだろうと思われる。

 危機管理上最も重要なのは情報であるが、欲しい情報は各人で異なる。だから、漫然と待っていても来るものではない。だから積極的に探しに行かねばならな い。自分に合っている情報源を予め決めておいて定期的にアクセスすると大部分収集することが出来る。目的の情報に辿り着くまでには結構時間がかかるが、こ れはやむを得ない。

 昨年度まで私は秋田県医師会で感染症等危機管理対策の担当であった。一昨年から昨年初頭まで新型インフルエンザが猛威をふるったが、その間、県の健康福 祉部、健康対策課と頻回に協議し対策を練ってきたが、時折開催した連絡会議などで必ず話題になったことは「情報が少なくて判断出来ない。現場ではどう対応 したらいいのか解らない・・」「公的情報よりマスコミの情報が早いのは納得できない」「・・」という情報提供不備に関する意見であった。私はいつもこれを 聞いて正直がっくりきていた。一般の人ならいざ知らず,これが行政や医療機関、福祉領域の責任を負うべき立場の人間の言葉なのか、と呆れるしかなかった。

 これを日本人的と評すのだろうが、日本人は、秋田県民もそうであるが、普段グチをグチグチと言っていながらきちんとした意見をなかなか出さない。そし て、何かの会があると上記のような発言し担当者を非難する。それでも、だんまりを囲って何も言わず、何を考えているか分からない人よりは遙かに高く評価し なければならない、大切にしなければならない、と私は思っている。ただ、そのような発言をされる方は自分の論理性を正当化するために、今更どうにもならな い過去の同様の体験や感覚を一緒に述べたり、他人が言った意見を絡めつつ、自分が多くの出席者の意見を代表して述べているが如くに話すのが常である。居並 ぶ出席者も聞きながらこれに首を振ったりして同調する。

 こんな場合には、場の雰囲気に逆らわず、私共はひたすら低姿勢にならざるを得ない。私共は立場上、頭を下げ、弁明し、改善を約してきたのであるが、私は、「そんな考えだから現場は混乱するのだ・・・」と正直思っている。ホンネである。


3/16(水)曇り降雪・寒波 外来 北秋田市すこやか健康講座講演 法人理事会
1:30 起床、文献など。6:00病院、6:30回診・病棟業務。8:45-10:30外来、11:10JRで鷹巣に。13:30-14:45北秋田市すこやか健康講座講演「 がんと向き合う医療現場から」、JR15:10で帰院。17:45-18:30法人理事会。17:50帰宅、夕食、21:10就眠。

東日本大震災(6)催し物が次々中止 甲子園高校野球大会はやるの??
 3月11日14:46にM9.0の地震が起こった。まだ余震は続いている。福島原発は制御困難状態で住民に避難勧告、屋内待機指示が出ている。
 南相馬市では数万人の住民を全て県外に避難させようという壮大な計画を検討中である。未曾有の惨状である。

 この様な中、私が関連している3−4月に秋田や東京で予定されていた学術関連の催し物の中止の連絡が次々と入ってきている。当然であろう。確保していた空路の予約も取り消さなければならない。日本内科学会総会はどうなるのだろうか。

 本日、私は北秋田市すこやか健康講座で講演したが、計画停電もありJRの運行も不明、ガソリンも少なく車での移動も困難である。どうなることかと本日まで心配していたが、今朝になって実施するとの確認の連絡が入った。地震後、時間の隙間を見つけて準備は進めていたから何とかなった。往路の電車が鷹巣近辺で止まり「計画停電の影響の可能性があります」とアナウンスされた。実際は10分ほどの遅れで済んだ。

 こんな中、23日開幕の第83回選抜高校野球大会は15日に対戦抽選会が行われたとのことでスポーツ欄を賑わしている。仙台の東北高校は抽選会を欠席したという。選抜大会を開催するか中止するかは18日の臨時運営委員会で決定すると言う。
 地震の甚大な被害が日を追って判明し、福島原発の大事故も危機的状況が続いてまだ先のことは分からない。被害は北関東、東北沿岸に集中しているとは言え、わが国全体が危機的状況にある。秋田の大館鳳鳴高校は創立113年目でつかんだ初出場である。折角の機会で関係者のことを考えるとお気の毒であるが、私は物理的に開催が可能であっても、今回の大会は中止してしかるべき状況にあると考える。


3/15(火)雨 流通関連緊急連絡会議 外来 常務会 計画停電対策緊急会議 研修修了証授与式 県病院協会臨時総会(欠) 医局送別会(中止) 
2:00起床、文献・新聞・ドック関連など。6:20Taxi病院、回診・病棟業務。8:00流通関連緊急連絡会議。8:45-14:15外来+ドック診察+結果説明。14:45-15:20法人常務会。 15:30-16:20計画停電対策会議。16:30-17:10研修修了証授与式。医局送別会は時勢柄中止。19:30帰宅、夕食21:20就寝。

東日本大震災(5) 今度は計画停電対策!! 病院機能維持困難続く 
 3月11日14:46にM9.0の地震が起こった。未曾有の惨状である。
 昨日はホッと安堵した気持ちがたちまち冷えた。物流の停滞による薬品、治療用の医療材料、検査用試薬、エネルギー、食料等の供給不安であった。即急の入手は不可と言うことで消費をセーブする事で乗り切るしかない。今朝、緊急の対策連絡会議を開き病院の方針を周知した。

 本日午後、突然舞い込んできたのは東北電力の計画停電のニュースであった。私共はエリア6と言うことで3月17日9:00−12:00までの3時間が対象である。この時間帯は医療機関にとって最も高い機能が発揮されている時間帯であり、停電は痛い。突然の停電であればいつ何時でもやむを得ないが、計画停電でのこの時間帯の設定は・・何とかならないか、と言うのが本音であるが、やむを得ない。
 今後の対応については組織的に求めていくと共に、今回は実施を前提に対策が必須である。

 地震直後から約20時間停電しいろいろ混乱した。が、その経験は大きかった。本日午後、緊急の対策会議を開き、対応の大枠を決めることが出来た。それでも、実際には外来等混乱が予想されるが、患者さん方の理解と協力も必要である。

 問題は今後である。恐らく計画停電は長期化するだろう。発表された三日間だけなら意味がない。ならば、実施計画を早く表明して欲しい。計画停電が無計画に突発的になされるならば本末転倒である。
 今、わが国には諸外国から支援チームが多数駆けつけている。有り難い話である。しかし、関東以南や北陸地方の動きが見えない。電力の供給支援はサイクル数が異なるために困難だとしても、食材、エネルギー、医薬品、マンパワーの供給は可能だろう。大型輸送機を用いて東北の空港に輸送すればいいと思うのだが、見えない。私が知らないだけなのかもしれないが。

 被災地の苦悩、混乱、悲しみは計り知れない。無事だった地域は 、だからこそ、分かち合い、支援、協力を惜しんではならない。政府の打ち出す方針への協力も必要である。無事だったからこそ、いま、私共がやるべき事がある。


3/14(月)曇り 管理会議  外来 緊急打ち合わせ 療養判定会議 長副会議 市内病院長懇談会 
2:30起床。新聞・文献チェック。ドック判定総括。7:00Taxi病院着、回診、7:45-8:15管理会議、8:45-14:10外来。市保健所長来訪。16:00療養病棟判定会議、17:00-18:10長副会議。18:30市内病院長懇談会、21:00帰宅、21:30就寝。

東日本大震災(4) ガソリン不足で物流機能低下 病院機能維持困難 
 3月11日14:46にM9.0の地震が起こった。未曾有の惨状である。

 被災地の方々には申し訳ないけれども、秋田県では死に至るような人身被害なく、建物の被害も些少であり、翌日夜半には停電も殆どが解消し、生活はほぼ元に戻った。
 一段落してホッとして迎えた月曜であったが、早朝から薬品や医療材料が入手困難になりつつあると言う厳しい状況を目の当たりにすることになった。被災地にある工場や配送センターが直接ダメージを受けた他に、物品があってもルートの途絶やガソリン不足のため配送できないからだ、という。

 秋田市でも昨日帰宅時にGSに車が並んでいたのを見て不思議に思ったのであるが、私も甘かった。ガソリン不足はニュースで流され、市民が急いで給油を受けていた、と言うこと。実際には並んでも一台10リットルまでとか千円までとかの制限販売であったらしい。本日になってかなりのGSがガソリンが枯渇して閉店したらしくかなりの方々がパニック状態にある様だ。本日の患者の話ではスーパーでも生活用品のが飛ぶように売れているらしく品物が無いらしい。

 折しも中近東の情勢が不安定であるが、今回の流通途絶は輸送ルートの問題だろう。国全体として備蓄はあるはずだ。道路網の修復で間もなく改善してくると思うがまだその予想が具体的に立たないだけであろう。

 被災地の医療機関では薬品や医療材料の入手に困難しているであろうが、現状のガソリン不足状態が続くと遠く離れた私共でも備蓄が1週間程度しかないから、病院機能維持は厳しい状況に陥る事になる。
 これを受けて私共は今朝情報収集に努め、正午前に対策会議を開催した。「薬品や材料はあるがガソリンがない」、が結論であった。即急の入手は不可と言うことで兎に角大事に使う、消費をセーブする事になった。結果として、見える変化としては医局の廊下が相当暗くなった。

 今回の物流機能不全はガソリンの入手困難が主因であるが、私はそれほど長く続かないと思っている。道路網は張り巡らされているから、今回被災しなかった地域を通る迂回路とかの利用で間もなくタンクローリーも走り始めるだろう。
 また、流通を確保する方策を積極的にとらないとすれば国の防災対策は問題である。国会で上手く行かなかった分、菅首相は危機管理の分野で実績を上げればいい。


3/13(日)晴れ 病棟拘束 大震災三日目
1:30 起床、腰痛。ドック判定総括、新聞・文献チェック、患者関連書類処理。何度か揺れはあったが平穏であった。6:30回診。8:30防災関連打ち合わせ。 9:30手術室関連打ち合わせ。10:30帰宅、途中数ヶ所のGSに車の列で何だ?と思った。理由は後にガソリン不足と分かった。我が家では花瓶が落ちた程度で被害なし。以降、本日は自宅で身辺整理、主に書籍、文献など廃棄。19:30夕食。20:30就眠。

東日本大震災(3) 帰宅し、TV、新聞で被災地の状況を見る
 3月11日14:46に発生した大地震は当初M8.8とされていたがM9.0に修正された。わが国史上初、千年に一度経験するか否かとされる程度の大地震であり、地球規模で見ても3−4番目の巨大地震と言うことになった。
 TV、新聞で被災地の状況を見ると別世界の出来事のように見える。

 秋田でも揺れが大きく停電が続き、通信の大部分が途絶えた。これだけでも大変な状況であったが映し出される映像をみると、秋田在住の私共は幸運と言うべきであり、被災された地域の方々には申し訳ない気がする。
 気になるのは前に住んでいた宮古市の状況であるが、意外と報道されていない。複雑に入り組んだ湾があり、海岸近くは広く丘陵地帯になっている、この辺は大丈夫だろうが、低く狭い間口から続く市街地はかなりの距離まで海水に呑まれてしまった可能性がある。県立宮古病院は市内から港外の高台に移転したので直撃はまぬがれたはずだが、機能しているか心配である。お世話になった宮古市在住の方々は今どうしているのだろうか。確かめようがない。私共の病院で研修しこの地に赴任したF医師は無事であったとの連絡が入り安堵した。

 ただ、秋田沖にも震源地となり得るプレートがあり近々M7程度の地震が起こる可能性が言われているだけに人ごとではない。
 余震はまだまだ続いている。秋田でも時折体感する。しかし、徐々に頻度は減少しているようだ。余震による被害は明らかにされていないがこのまま終息して欲しい。

 一方、東京電力福島原子力発電所の事故は、設計段階では想定されていなかったレベルの事故となり、対策上で想定されていなかった減圧のためのガス抜き、海水注入による炉心冷却まで実施しているが、これも手探り状態でまだ危機的状況は脱していない。対応が効を奏するのを願うだけである。
 これから電力事情はかなり逼迫していくことも考えられ計画停電を実施するとのこと。首都圏や近隣の機能が一変する可能性があり住民の生活はかなり影響を受けるだろう。そうなれば二次的、三次的に全国にその影響が及ぶ事になる。
 今は余震の終息、福島原発の暴走の抑制を願うしかない。


3/12(土)曇り 病棟拘束 東日本大震災二日目 市医師会臨時総会(中止?)
2:30 起床、座位寝で腰痛あり。4:45病院内巡回。6:00回診他。6:30防災関連打ち合わせ。6:50東北電力の医療機関優先対応のため通電再開となる。市内はまだ停電。通信機能なし。8:00、12:00、16:00院内院内防災対策会議。9:30より救急外来、外来はほぼ通常に再開。午後になり検査含めほぼ全ての機能復帰。しかし、市内は夜間まで停電で電話、携帯電話共に殆ど不通。午後重症であった患者死亡。9:00,11:00,12:00とマスコミの取材。通信状態未復帰のために今夜も病院泊とする。家族、消息不明。退院総括など処理。21:00自室で昨日同様座位にて寝る。

東日本大震災(2) 秋田市にある当院の機能はほぼ復帰
 3月11日14:46大地震発生。
 3月12日4時頃に2回中規模の地震発生。新潟沖、秋田県沖を震源とのこと。同時多発地震。8:30には長野中心の揺れが来ているとのこと。朝の段階で公式には1.000人以上死亡となっているが、陸前高田市など壊滅状態にあるとのことで死者数万人レベルになり得る状況と思われる。

 病院は6:50に通電が再開され、各大型機器、コンピューターシステムが徐々に復帰。9:30から外来、救急体制はほぼ通常に復帰した。市内はまだ停電中で自宅の安否はまだ確認出来ていないが、多分大丈夫と思う。 9:00,11:00,12:00とマスコミの取材を受けた。
 通電後TVで見た東日本沿岸部の被災状況は想像を絶する内容。かつて宮古市に住んでいたことがあり、近隣の地形を知っているだけに心配。
 NHKラジオを付けっぱなしにしているが、被災情報は断片的で全体像がなかなかつかめない。
 15:00以降はニュースの首座は東京電力福島原発の事故であった。私が担当している、現在入院中の患者の娘も近くに住んでいて避難対象者のはず。全く連絡取れない、と患者はパニック状態。原発は海水で冷却する初めての試みを実施している、とのこと。枝野官房長官の説明内容はよく分からず、肝心の原子力安全委員会関係者の記者会見も歯切れ悪く何言っているか分からない。
 何とか炉心融解、暴発は抑制して欲しいものだ。


3/11(金)降雪・寒波 患者対応 大地震発生 法人理事会(中止)療養病棟歓送迎会(中止)
2:00 起床、ドック判定総括、新聞、徒然。7:00病院着、降雪7-8cm。回診+関連業務他。14:46大地震、震度5強発生、病棟対応他、停電で病院機能著しく低下。災害センターに詰め院内防災対策会議。法人理事会、療養病棟歓送迎会は中止。21:30毛布にくるまり就寝。

東日本大震災(1) わが国観測史上最大、かつ秋田沖震源を含む同時多発地震
 3月11日14:46大地震発生、秋田県震度5強。7階病棟患者対応他。患者職員共に人的被害はないようだ。建物も大きな被害はない。停電で病院機能著しく低下。災害センターに詰め院内防災対策会議で今後の対応。家族達への連絡出来ず。自宅も電話連絡不可で安否、その他の情報無し。

 情報は少ないが関東以北大変な状況の様だ。法人理事会、療養病棟歓送迎会は中止。
 幸い厨房は無事で患者給食可能で助かった。院内に残っている職員用に炊き出しもあり。市内は信号が無く、交通麻痺状態、通信手段もないことから帰宅出来ず。院内は停電で非常灯のみ。暖房は切れてかなり寒い。21:30毛布にくるまり院長室の椅子にて就寝。

 宮城県沖、茨城県沖の他、12日早朝には新潟沖、秋田県沖を震源とする中程度の地震あり。これ程の同時多発地震は聞いたことがない。NHKラジオの早朝のニュースでは国内史上最大級の大災害になっている。


3/10(木)曇り降雪・寒波 外来 産婦人科医師面談 県社会福祉審議会身体障害者福祉専門分科会・審査部会 呼吸器外科医師面談
2:00起床。ドック他、文献チェック。7:00病院着、回診。8:45-13:45外来。家内薬物アナフィラキシー発症したが大事に至らず。14:00 産婦人科医師面談、15:00−16:15県社会福祉審議会身体障害者福祉専門分科会・審査部会。18:00呼吸器外科医師面談。総括他対応、20:30 帰宅。21:30就眠。

初めてわが国が謝罪を受ける側に?? 米国政府が謝罪
 米国政府の対日政策の責任者が実にひどい偏見の持ち主で驚いた。米国務省のケビン・メア日本部長のこと。

 大学生への講義で、沖縄の人々を「ゆすり名人」「怠惰」「 米軍普天間飛行場は特に危険ではない」 などと発言した、という。
 この講演はオフレコであったために聴衆のメモから明らかにされたのであるが、沖縄県民は大いに怒った。当然である。沖縄県議会と那覇市議会は発言の撤回と謝罪を求める決議を可決した。菅内閣も対応はちょっと回り道したが比較的速かった。
 米国政府は、対米不信をぬぐい去るため9日東アジア・太平洋担当のキャンベル次官補を急遽派遣した。次官補は成田空港で、マスコミ自ら歩み寄りを前に「米国を代表して心からの謝罪を改めて表明する」と語った。10日に松本外相に陳謝したという。

 米国の対応、謝罪は当然であるが、私は少し驚いた。私の記憶ではわが国が謝罪を勝ち取ったのは初めてのような気がする。
 わが国は中国、韓国を始めとして東南アジア、ヨーロッパの国々に対して歴代の首相、外相は謝罪を繰り返してきた。天皇もソフトに表現している。日本の外 交は弱腰とされ、突発的国家間の出来事に即座に強く反応することは少ない。今回もちょっと回り道した。謝罪外交はいつまで続くのかと思っていた。
 これからの外交の中では、今回の対応を一つの指標として欲しいと思う。


3/9(水)曇り・寒波再来  患者家族面談 外来+ 某院院長来訪歓談 新築関連全体学習会 
2:00 起床。文献・新聞チェック。7:00病院着。若干の降雪後急速に冷えたためか道路はアイスバーン状態でカーブは危険であった。7:15回診他。 8:45-14:00外来+ドック説明。14:00藤原記念病院院長来訪、救急関連打ち合わせ。15:00重症患者家族面談。17:30-18:40新築 関連全体学習会。20:30帰宅、夕食、21:10就眠。

本日、秋田で深度4ほどの地震 あれが長周期振動なのか?
  9日午前11時45分ごろ、秋田で深度4ほどの地震があった。三陸沖を震源とし、宮城県北部で震度5弱だったという。JRは一時徐行運転を行い、上り 秋田新幹線こまち24号も徐行運転を行った。揺れはガタガタではなく、ユーサユサ・・という感じで時間も長かった。1分以上はあったのではないだろうか。

 地震の揺れはその時時にいろいろである。多くはタガがタッと、短い揺れもあれば、「ぐーら、ぐーら」と、ゆっくりした震動もある。
 このゆっくりした揺れの地震を「長周期地震勤」というのだそうだ。今回のNZ地震を機会に私も多少勉強した。この長周期地震は結構大規模構造物には大き な影響を持つらしい。しかし、日本では超高眉ビルが立ち並ぷ近代都市が、大きな長周期地震動に襲われた経験はまだないからその被害想定はなかなか出来てい ないらしい。超高暦ピルは倒壊することはないだろうと言われているが大きく揺れて、重い家財道具や家具などが部屋中を走り回り、人がつぶされる事態もあり 得るとのことである。

 今回の地震の時私は外来診療に疲れて5分間だけ・・と断って椅子にもたれたまま仮眠していた。だから比較的早いうちから地震が生じたことに気づいていた が、今まで経験した揺れとはちょっと異なっていて何となく心地よかった。徐々に揺れが大きくなって周辺の人達が騒ぎ始めたが、マア大事に至らないだろうと 私はそのまま気持ちよく寝入っていた。看護師の一人が見かねたのか起こしに来てくれたが私は「揺れが心地いいからこのままにしといて・・」と答えて呆れら れた。
 私自身が身辺に何らかの被害を受けた大きな地震は、仙台で経験した昭和39年の新潟地震、昭和58年の日本海中部地震があるが、この時は小刻みな揺れか ら始まり揺れがひどくなり、次第に振幅の大きな横揺れとなった。前者では部屋の本箱が倒れ、棚から者が落ち、池の水がはん濫した。後者では秋大の医局、実 験室がひどい状態になり、自宅ではは金魚や熱帯魚の水槽の水があふれて室内に流れ、床に置いてあった書籍などダメにした。

 今回の地震は小刻みな揺れを殆ど伴っていなかった。いつもなら直ぐに緊張し大きくなるのか、何としようかと慌てるのであるが、今回は何時もとは異なっていた。この程度なら被害は出ないだろうと思いつつそのまま身を任せていた。一方、それだけ揺れをじっくり体感できた。
 今回のが長周期振動なのだろう。幸い、人的な被害は無かったらしい。


3/8(火)晴れ・夕降雪4cm 外来 ドック結果説明 常務会 新築事務局会議 医局カンファ 重症患者対応
2:20 起床,文献読み、新聞チェック、徒然ほか。6:20病院着、6:50回診+病棟業務、8:45-14:15外来、14:45-16:20常務会、 16:30ー17:20新築事務局会議。17:30ー18:30医局カンファ、うっ血性心不全。中座し重症患者対応。21:00帰宅、21;45就眠。

入試最中に問題の一部がインターネットに流出(3)真相はアレレ!!と思うほど稚拙な方法であった
 今回、京大他4大学の入試の最中に問題の一部が携帯電話からインターネットに流出した。その後マスコミは大騒ぎである。私もいたく興味を抱いた。

 宮城県警は早々と身柄を拘束し、京都府警は予備校生(19)を逮捕した。 入試間題が投稿された4大学の受験生は延ぺ3万人ほどと言うが、携帯電話が用いられたために個人の特定の動きは迅速であった。ネット上に記録されているは IPアドレスから、発信が同一の携帯からであることが分かり、所有者が簡単に特定された。

 私は通信関連に高度の技術と自信を持つハイクラスのオタク・グループによる愉快犯と考え、一体どの様な技術と道具が使われたのかと興味を持っていたが すっかり裏切られた。予備校生が口にした動機は「合格したかった」と単純明快だったし、用いられたのは一台の携帯のみであった。それにしても、不自由な体 制の中で、周りの眼を気にしながらの打ち込んだ速さは驚嘆に値する。この技術をもっと良いことに用いればいいのに、と思う。私は携帯のプチプチ入力はとて も出来ない。だから、携帯メールを用いたことは殆ど無い。iPhoneはパソコンと同じようなキーボードなので今は不自由なく入力出来るが、それでも遅 い。今の若人とは世界が違うのだと思う。

 要するに、従来型の試験監督官の監視では不十分だった、と言うこと。受験生はそんなことをするはずがない、との性善説について改めて考えなければならな くなった。ポールペンや眼鏡、腕時計型など一見しただけでは分からない超小型カメラやスキャナーなどが売られているが、この様なものを一切持ち込ませない ような工夫が必要となろう。

 この事件後、多くの大学が試験監督を増やすなどの累急対策を強いられたり、2万枚もの答案を突合するなどの作業を行わなければならなかった様に、今回の事件がもたらした影響は大きい。
 一方、こんな稚拙な方法でカンニングしようとした受験生は、多分、これ程大きな社会問題化するとも思っていなかったであろうし、こんなに簡単に特定される事も知らず、自分の行為が犯罪に相当するとも思わなかったであろう。
 この受験生を一体どう扱えばいいのか、とも思ってしまう。
 価値ある一石を投じてくれた、と言う見方もしたいが、法治国家である以上、やはり法を犯した責任は不問には出来ない。私はIT機能について、「やれるこ とと、やって良いこととは全く別である」と言っているが、この便利な機種を簡単に手に入れられる時代、道義観や倫理観の重要性が改めて求められる。


3/7(月)晴れ  管理会議 安全管理者との打ち合わせ 療養病棟入棟判定会議 長副会議 
2:00 起床、ドック他、文献、徒然。7:00病院着。7:45-8:30管理会議。患者関連書類処理、10:00-10:30安全管理者、事務長との打ち合わせ。重症者対応。16:00-16:40療養判定会議。17:00-17:45長副会議。20:40帰宅、夕食、21:30就寝。

「おいこら!! そこ通っちゃダメだ!!」 道路工事の監督(?)から激しい口調で注意された
 春先になると秋田市は道路を中心に補修工事が始まる。ここ一週間ほど前、ちょうど路上から雪が消えた頃から、方々で補修工事がされている。病院近傍でも何カ所か工事している。

 3月5日、15:00過ぎに県医師会主催の『女子医学生、研修医をサポートする会」に出席するために徒歩にて県医師会館に急いだ。通り道も3-4ヶ所かで工事されていたが最初の2ヶ所では歩行者用の迂回路がよく分かり,そこを回り道した。

 3ヶ所目は市民市場の脇であった。工事は殆ど終了しかかっているように見えたし、迂回路もよく分からない状態になっていたから、工事は終了し、そのまま通れる状態かな?と感じた。歩道上に誘導員もいたが、特に私に注意も指示もしないのでそのまま通り過ぎようとしたら、脇に立っていた監督(?)らしい男が私に対して「おいこら!! そこ通っちゃダメじゃないか!!」と、大きな声で怒鳴った。次いで誘導員に向かって同じ口調で「お前!! 何ボヤッとしてんだ、ちゃんと注意しないとダメじゃないか!!」と怒鳴った。

 実際に足を踏み入れたわけではないので実害は生じなかったが、私は驚き、次いで頭に来た。その口調、言い方に対してである。工事仲間に激しく指示を与えるのはそれなりに必要だろう。しかし、事の事情が分からずに通り過ぎようとした通行人に対してかけるべき言葉ではない。
 私は浴びせられた言葉に納得出来ず抗議しようと立ち止まり監督の顔を見たら、彼は一瞬戸惑いの表情を見せた後直ぐに視線を外し横を向いた。その瞬間、私は声をかけるのもバカらしくなってそのまま歩き始めた。不思議と怒りの気持ちは消えていた。多分、監督らしい男は私の表情から何かを感じ取ったのかもしれない。あるいはこんな年寄りに拘わりたくないと思ったのか、それは分からない。

 それにしても、一通行人に対して監督らしい男は不適切な言葉をかけたものだと思う。
 昔の警官は「おい、こら!!」と威嚇的に声をかけたそうだが、何かで見たドラマのそんなシーンを思い出した。あの時、声をかけなかったが、今となってみればそれで良かった様な気がする。


3/6(日)曇り・寒い 病棟拘束  書籍、文献その他自宅の片付け
1:30 起床、文献関連、新聞チェック。録音データ、雑誌や本の整理。興に乗ってアトリオンのコンサート、トリオファンタスティックは欠とした。午睡若干など、比較的ゆっくり過ごしたためか一日が長く感じられた。19:30夕食、20:30就寝、その後病棟より何度か電話あり。

秋田県がん対策推進条例(案)を見て(2)県庁特有の言い回しで少しがっかり
 秋田県議会はがん対策推進条例を採択した。全国12番目の快挙である。恐らくこの病気で悩んでおられる方、ご家族の方々にとっても力になることだろうと思う。
 ただ、私は案の段階の文面を見ていささかがっかりした。個々の具体的な条例は後に県のホームページにも掲載されるであろうから触れないが、言い回しが回りくどくて分かり難い。また、この条例に示されている内容を実行するに当たっての予算措置が不明瞭である。

 配布資料によると、条例案の提出理由は以下の如くであった。
 『理由:がんが県民の生命及ぴ健康にとって重大な問題になっている状況にかんがみ、がん対策について、基本的な方針を定め、並びに県、県民、医療機関、保健医療関係者および事業者の責務等を明らかにすると共に、がん対策に関する施策の基本的事項を定めることにより、がん対策基本法(平成18年法律第98 号)第11条1項の規定により策定する計画の実効性を確保しながら、県民その他の関係者とともにがん対策を総合的かつ計画的に推進し、もって県民の健康で安らかな生活の実現に寄与する必要がある。これが、この条例案を提出する理由である。』.

 この全文は若干表現を変えて条例の第1条として生かされているが、何か良いことを言っていることは分かるが、はっきり言って何を言いたいのかスッと入ってこない。

 気になる第二点は各条例の言い回しで、条文の終わりが「・・・することとする。」と言う点である。例えば、第9条(年次報告)は「知事は毎年、県が講じたがん対策の施策を明らかにする報告書を作成し、県議会に提出し、公表することとする」であるが、「・・・公表する。」の方がすっきりするし、県の方針がはっきりする。

 第三点は予算措置に関してであるが、「・・必要な予算措置を講じることとする。」ではなく、「・・予算措置を講じる。」の方がずっと良い。それ以上に、条例内容を実行するにはお金がかかるのは当然であって予算が必要になってから考えるのではなく予め一定の予算化をしておくべきだろう。

 この「・・・することとする。」と言う表現は県庁が作る条文等にほぼ共通である。私が委員として関与している感染症、新興感染症部会ではこの表現を使わないよう、何度か提言した。今回もこのがん条例に関して健康福祉部長に言い回しについて何とかならないか、と申し入れた。本日、朝日新聞に掲載された条文例は語尾が「・・・する。」となっているが、その後議会で訂正されたのだろうか?あるいは朝日新聞の感覚なのか?今のところ不明である。

 この条例の可決に関して本日付の朝日新聞の秋田版で大きく取りあげられたが、この条例の提出まで多くの方々の関与があった事が報じられている。この条文の可決はゴールでなくスタートなのだと思う。そう言う視点でフォローしていきたい。


3/5(土)曇り 病棟拘束 初徒歩出勤 患者家族面談 秋田県連学術集談会(欠) 県医師会勤務医勉強会 県医師会「女子医学生・研修医をサポートするための会」  
1:30起床。ドック関連、徒然。6:10−7:15徒歩にて病院へ、回診+病棟業務、書類処理。10:00-11:00患者家族面談+重症患者対応。これで県連学術集談会を失念。15:00県医師会間へ歩く。15:30-17:20県医師会「女子医学生・研修医をサポートするための会」に出席。18:00帰宅。19:00夕食、20:00就眠。

書籍・本・文献の電子化(2)文藝春秋を一気に切るカッターの威力
 書籍の電子化にとってのキーポイントの第一はカッターである。カット面が直線で美しいことがその後の操作に大きな影響を持つ。薄い本とかであれば通常の文房具としてのハンディなカッターで可能であるが、定規と下敷きをあてて一気に切るのはなかなか大変である。私は今回、橋本商会なるところが扱っている「コピー用紙400枚らくらくカット」なるキャッチフレーズで売っている中型のカッターを購入した。確かに、文藝春秋レベルの雑誌なら一気に綺麗に切れる。だから大抵の漫画の単行本、新書なら比較的簡単にカットする事が可能である。私は職場では刃の先が固定され,一方に取っ手が付いている一般的に普及しているタイプのカッターを用いているが、これだと厚さが5mm以上になるとそう上手く切れない。だから「400枚らくらくカット」を広告で見た時には俄には信じられなかったが、その能力は本物であった。
 
 ドキュメントスキャナーは富士通のScanSnap S1300を用いている。両面スキャンタイプで新書一冊分を10分ほどでPDF化出来る。更に高機能,高速のタイプもあるようだが、現状では私はほぼ満足している。

 ところで、私が始めた本の電子化はそう新しいことではない。既に秋葉原とかでは代行業者や電子化店舗が現れている。この動きに出版界が反発し、著作権をめぐり問題化している。著作権法では「個人的な利用では著作物のコピーは許される」となっているから代行業は問題であろう。だから、電子化店舗では機材を貸して自分で処理させる形式をとっているようだ。本の電子化は需要が多くてある代行業は4ヶ月待ち,とも言われている。その背景はiPadなどの書籍リーダーで本を読みたいというユーザーが一気に増えたことにある,とのことである。

 私が自分で本の電子化に踏み切ったのは積極的に読むためではない。あくまでもスペースの節約にある。iPadには今のところ興味を感じないし、電子化した書籍をこれで読む気は無い。iPhoneでも読めるが小さな画面でチマチマと読む気にはならない。21−24インチのパソコン画面では十分楽しめるが、これでは読む機会と姿勢が限られており、仕事と大差ないから楽しめない。

 読書はあくまでも本そのもので楽しみたい。60年も親しんできた本の感触は捨てきれない。だから私は本棚で死蔵されつつある、古い本から処理している。電子化し、インデックスや索引を付けて置くと一瞬で検索できるからとても便利である。電子化によって死蔵化が防げることにもなる。これは私にとって実に有り難い。
 それにしてもすごい時代になったものである。


3/4(金)寒波降雪曇り 医師面談 福祉施設スタッフ来訪打ち合わせ
2:10 起床。ドック処理、文献映像データ整理。4:30-5:30体調不良で微睡、若干改善、7:00病院着、回診と病棟関連業務。8:30外科医師面談。 10:00小規模多機能施設関連スタッフ来訪、連携について打ち合わせ。書類処理他、20:00帰宅。夕食、21:15就寝。

書籍・本・文献の電子化(1)ついに我が家でもやり始めた
 私はいま、4年間に渡ってミニディスクに録りためてきた録音データをMP3化する作業を進めている。
 アナログデータのデジタル化、スペース削減の目的のほか、使い勝手を良くしデータを死蔵させないという目的もある。まだ進行中であるが、机の引き出し3ヶほどを占めていたミニディスクが手帳サイズの外付けハードディスクにすべて入れられる。

 で、今度は書籍の電子化に取り組み始めた。
 私は購入した本、雑誌ですらなかなか捨てられない。価値の高い本は一切所持していないから売ることも出来ないしその気もない。私にとっては糧となった大事な資料である。背表紙を見るだけで自分の足跡をたどれる気がする。子ども達が残していったマンガ本もバカにならない量がある。だから、家の各部屋、廊下の壁面には書棚が並び、入りきれない分はガレージの二階に段ボールに入れて積んでいる。更に近々本棚数ヶ分の書籍が増える予定にもなっている。もう置くところがない。何とかしなければならない、と焦っていた。

 2年ほど前に、新聞記事だったと思うが、ある評論家は購入した本は直ちに裁断してスキャナーで取り込みパソコンで読んでいる、と言う記事を見て感心し、いたく興味を覚えていた。そんなにして読んで頭に入るのか、と思ったし、その時は自分も実行し始めるとは思っていなかったのであるが、新年を迎えて私もムラムラとその気になった。

 ドキュメントスキャナーは新聞の切り抜きの電子化で既に用いているから中型の裁断機さえあれば実行可能である。裁断機を購入し早速2月から始めている。当面はマンガから電子化を始めた。文庫本サイズのマンガ「サザエさん」は全35巻で書棚の一角を占めていたのであるが、小指サイズの1Gのフラッシュメモリーに全部収まってしまった。この調子では時間は多少かかるが、本箱一つ分の書籍が手帳サイズのハードディスクに収まってしまう。

 それにしてもすごい時代になったものである。


3/3(木)寒波降雪 外来 ドック結果説明 保険会社来訪調査 秋田県地域医療対策協議会
2:00 起床。徒然送付、7:45病院着。回診、8:40-13:50外来+ドック診察。15:00保険会社スタッフ来訪、転院患者への調査。カルテ総括他。 16:00-17:30秋田県地域医療対策協議会。20:40帰宅、夕食はひな祭りでちらし寿司であった。21:30就眠。

秋田県がん対策推進条例(案)を見て(1)全国12番目の快挙
 3月2日秋田県がん診療連携協議会が開催され、私も委員の一人なので出席した。
 会の次第は、特別講演、秋田県統一5大がん地域連携パスの進捗状況、院内がん登録2008年腫瘍データの公開および2009年腫瘍データの解析について、等で構成されており有意義な会であった。

 この席上、秋田県の担当者より「秋田県がん対策推進条例(案)」が配布され提示された。今回の議会で採択される予定だとのことである。この条例は県議会の「がん対策推進議員連盟」から開会中の定例県議会に議員提案で提出されたものである。 秋田県地域医療対策協議会と同じ本日の県議会本会議に提出となり、議決する見通しであったとのことだったので説明を受けた時点でもう「(案)」が取れていたのかもしれない。

 配布された資料では条例は17項目で構成されている。第一条は県、県民、医療機関、保健医療関係者および事業者の連携等を求めているほか、市町村が実施するがん対策への県からの支援をすることや、県の対がん施策の年次報告書を作成する条項などが盛り込まれた。
このほかには、「県民は生活習慣の改善などを通じてがん予防を図り、積極的に検診を受ける」、「医療機関などは精度の高い検診を実施し、適切で質の高い医療を提供する」などと明記されている。

 県の担当者の説明では、同様の条例は全国では島根県など11県で策定されており、12番目となり、東北では初めて、とのことである。近隣県としては新潟県がこれを定めている。
 2010年11月1日「第1回あきたがんフォーラム」が開催され、私が基調講演として「秋田県民ががんに付いて知っておくべきこと」と題して講演を行った。この場に「がん対策推進条例」策定の先進県である愛媛県、高知県からもNPOのメンバーが参加されミニ講演された。また、秋田県議員連盟のお二人の議員も参加され、会の終了後に「がん対策推進条例」の提出について意見を交わした。その時、連盟から議員提案として条例案を提出する予定であることを聞き、心待ちにし、期待していたものである。
 それが今回突然条例として成立する、あるいは、したと言うことで驚いた。施行は4月1日らしい。


3/2(水)曇り降雪若干 外来 ドック診察 秋田県がん診療連携協議会
2:00起床。文献チェック他。徒然。7:00Taxi病院着。回診他、8:40-14:00外来。18:30ー20:10秋田県がん診療連携協議会。20:45帰宅、21:45就寝。

入試最中に問題の一部がインターネットに流出(2)電子機器には底知れない機能が隠されている
 今回、京大他4大学の入試の最中に問題の一部が携帯電話からインターネットに流出した。その後マスコミは大騒ぎである。

 宮城県警は投稿に使用された携帯電話を日常使っていたとみられる仙台市の予備校生(19)を特定し仙台市内で保護した、とのことである。京都府警は偽計業務妨害容疑で逮捕状を請求する準備を進めていると言うから、逮捕はもう時間の問題で事の真相と手口は間もなく解明されるだろう。

 今回の行為には驚いたが、私は起こるべきことが起こったという感じで捉えているし、携帯とかの先進的電子機器はユーザーが理解している以上に多くの裏機能を持っていて、電話会社やプロバイダーは安全確保のために個人情報も同時に発信させている事をユーザーは知るべきだと思う。 
 例えて言えば、海面だけを見て海を語ることは到底出来ないが、多くの人は海面だけを見て海を語っている。ひとたび潜れば海面から予想出来ない世界が展開する。電話とかパソコンなどはこんな感覚に近い。文字データとか写真などの便利な電子データは海面のようなものであって、実際には見えないところに複雑な仕組みが隠されており、それらもそっくり送られる。その一部はユーザーの個人情報である。だから、携帯やパソコンからの通信は、例え偽名や匿名で出したとしても陰ではでしっかりとばらまかれ、各所に記録されている。だから、携帯やパソコンからのメールや情報は匿名でも送れると考えると危険である。例え正規の方法で消去したデータでさえ、その道のエキスパートの手にかかれば復元可能される。

 今回関与した仙台市の予備校生と、多分いるであろう仲間は電子情報にかなりの知識を持っているだろうと予測されるが、データと共に個人情報まで送られているとは考えなかったのだろうか。

 目黒の殺人犯は、これ程沢山の監視カメラに写されているなどとは全く考えもしなかった、とコメントしているそうである。私共は知らない間にいろいろなところで情報が記録されているものだ。だから悪いことは出来ない、と思うべきであろう。昔なら、「お天道様が見てるよ・・」がそれなりに抑止力になっていたと思うが、今後は「電子情報としてばらまかれ、記録されているのだ・・」と言うこと知らさしめることだろうか。
  まず、事の真相と手口を知りたいものである。



3/1(火)雨・寒い  外来 中通高等看護学院卒業証書授与式+謝恩会  法人常務会 医局会(欠) 
1:20 起床。ドック判定総括、文献など。7:00病院。8:45-13:00外来、13:30-14:50中通高等看護学院卒業証書授与式.15:00 -15:45常務会、15:50 -17:30新築関連打ち合わせ。医局会は欠。19:15-21:45 中通高看謝恩会。22:10帰宅。就寝。

中通高等看護学院卒業証書授与式と謝恩会 ビンゴで腰を振る猫の縫いぐるみをゲット
 3月1日は県内の高校とかの卒業式が集中している。法人立の中通高等看護学院の卒業証書授与式も13時半から行われ来賓の一人として出席した。 卒業式への出席は今回で6回目である。
 本日も寒い日で昨夜から雨が続いており、会場も冷えていた。約90分、いままでより若干長い印象を受けた。各来賓の挨拶が些か長かったからで、半袖の実習着で式に臨んだ卒業生は大変だったと思う。昨年同様比較的涙の少ない式であった。

 卒業生は47名、私は講義を持たないし、実習にも付き合うことはない。入学式には出席するが鎮座しているだけ、戴帽式では祝辞を述べるが、最後の機会が卒業式である。だから卒業生の誰一人とも面識はない。
 卒業生の表情は緊張と寒さも加わってか、こわばって笑顔も乏しい。ほほえみ、笑顔のない若い世代の方々は見る側にとって辛い。お祝いの式なのに勿体ない。法人立の学院だというのに結構格式張った式の形式にある。式を取り仕切る教員達の動き、表情も硬く、動きはさながらシンクロナイズドスイミング調である。もう少し柔らかく笑顔で対応するよう改善しては如何だろうか。

 学院長の挨拶、法人会長、県看護協会長、同窓会、中通総合病院総師長の祝辞、在校生の送辞、答辞と続いたが、いつもながら深い内容で心が洗われた。
 夜は謝恩会である。初めての頃は卒業生の変身ぶりに驚愕したが、6回目ともなると変身振りに驚くことはなくなった。むしろどの様に変身を遂げるかが楽しみにさえなっている。今年も卒業式の間、全学生の表情を観察していたが、やはり謝恩会で着飾った女性達 の満面の笑顔と式の時の学生とを線で繋ぐことは出来なかった。楽しい会であった。ビンゴゲームでは10数番目だっただろうが、ネコの縫いぐるみが当たった。電池式で音楽に合わせて腰をひねり踊る姿が可愛い。ただ音量が大きく閉口である。私の地はネコタイプなので身近に長く残ることだろう。

 謝恩会の挨拶を求められた。今日は全く準備時間がなく、会場に行ってから構成を考え、普段考えていることの一部を述べた。私は実習病院の院長という立場であるが、謝恩されるようなことは何一つとしてしていない。そんな私はもうこんな若い人達に向けて役立つ話などなかなか出来ない。
 ここで提案だが、学生の時に同じ学舎でいろいろ世話になった1-2年先輩の代表も招待して改めて謝恩してはどうだろうか。私などからよりももっともっと良い話しが聞けると思うよ。


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   年を通じてワンパターンで淡々とした毎日です。AM2:00-5:00にメールチェック・返事送付、人間ドック(HDD)判定・報告書作成、新聞切り抜き、病院・医師会業務など。
  月〜土曜は6:00頃出勤、HDD報告書印刷、外来書類処理など。病棟回診、HDD受診者とミーティングと診察。8:45-14:00外来とHDD受診者に結果説明。昼食は摂りません。午後は病院業務・医師会業務、各種委員会等に出席など。20:00頃帰宅。
  日曜・祭日もほぼ同様ですが、病院には午後出かけます。時間的に余裕無いのが悩みです。


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