徒然日記
2009年11月分

 日記と言うより、自分の行動記録からの抜粋と日々の雑感です。

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先月の日記          来月の日記


11/30(月)晴れ 管理会議 発熱外来代診 安全管理者・事務長との打ち合わせ(中止) 療養病棟判定会議(中止) 長副会議  長女他帰秋
1:30起床。ドック判定総括x2、文献・新聞等処理、徒然。6:40自転車病院、芯まで冷えたが快適。7:00回診。7:45-8:30管理会議。安全管理者・事務長との打ち合わせ(中止)。14:00-15:00発熱外来。16:00療養判定会議は急な脱力感と体調不良にて欠、微睡後改善。 17:00-19:00長副会議。20:45帰宅、夕食、21:15就寝。

医療機関の未収金(1)ラーメン一杯食い逃げでも即逮捕なのに、医療費は・・

 2005年7月に、4つの病院団体(日本病院会、全国日本病院会、医療法人協会、日本精神病院会)が調査した医療費未払いを基に推計したところ、全国5570の会員病院の累積未収金は1年間で約373億円、3年で約853億円に上るであろう、と発表し関係者を驚かせた。私も驚いた。当然これらの未集金は病院の運営に大きく影響している。

 ラーメン一杯食い逃げしても窃盗として即逮捕されるというのに、患者の未払いはその位置づけもなく、病院は警察にも届けず泣き寝入りしている状況である。多分届けても警察は管轄外として対応してくれないだろう。
 勿論、各病院では回収の努力をしているが,患者や家族はなかなか応じてくれないのが現状で、どうしようもない場合には累積未収金は損失金として処理している。

 「医者の常識、社会の非常識」などと医師を小馬鹿にするような言葉は沢山あるが、社会的には逆もあるのだ。治療費の未収金も然り、医師の長時間労働然り,支払う一方で回収できない消費税然り、で枚挙にいとまがない。

 一般社会なら絶対に許されることのない未収金問題,要するに「患者の自己負担分の医療費踏み倒し」は病院運営が厳しくなってきた状況では看過できないと病院関係者が結束を固め始めたと言うことである。しかし、本質は何故長年放置されてきたのか、その原因は何か、と言うことになる。

 一方、厚労省は未収金問題は放置しておけない問題である、としながらも医療機関がクレジットカード支払いなどで未収金を発生しないようにする努力を重ねていくことである、と対応は実に素っ気なく問題認識がかみ合っていない。いつものように責任回避の姿勢で医療機関に何でも押しつけてくる。

 国民皆保険の元、厳しく統制された中で医療を行っているが、何故医療機関が損害をそのまま被らなければならないのであろうか。医療費は国民健康保険、健康保険の運営主体(保険者)から後に医療機関に支払われる仕組みになっているが、その一部負担の徴収を医療機関が代行しているだけに過ぎない。

 医療費の患者からの徴収、医療機関への支払い業務は本来はすべて保険者にある。だから、医療機関の努力も大切であるが、未収金徴収が発生した際はその徴収の義務は本来保険者側の仕事である。
 私はそう考える。


11/29(日)晴・曇り 病棟拘束 バイク、除雪機などの冬支度
2:30起床.ドック総括x1、その他。6:50病院着、回診、総括など。8:30救急カンファ。12:00-12:45家族が増えた次男宅訪問、昼食。業務後15:00自転車帰宅、コイの食いつき良好。バイク、家内の自転車等を仕舞い,除雪機整備など冬支度若干。16:30微睡。19:00夕食、20:20来客あり、21:00就寝。

気象情報(2)NHK第二放送の気象情報が懐かしい
 天気予測はヒトの生活の中できわめて重要であったことは容易に想像がつく。自然と一体となって暮らしていた太古の時代にはとりわけ重要だったと思われる。体系化されていたか否かは分からないが、天候に対する情報はヒトの生死にも関係するだけに無関心ではあり得なかったと思われる。いや、決してヒトだけでなくあらゆる生物が天候の推移や予知能力を駆使して命を守っているに違いない。

 しかし、私が知る範囲では天気予報の事業化という意味ではフランスが最初で、今から150年ほど前で、その設立のきっかけは海難事故の防止目的だったと言われている。海に限らず気象災害防止は高速交通網の機能維持をはじめヒトの社会生活にとって重要課題で、今後もその価値は変わることはないだろう。
 戦争中は天候によって作戦が刻々と変わることから天気情報は軍の機密事項として公表は禁じられていたほどである。

 今日は、殆ど雨が降ることのないサウジで記録的な大雨があり、大洪水が生じ大きな被害が出た、と言うことであるが,雨の多い日本に住んでいる立場からはにわかには信じがたいニュースが流れていた。当地での予報,対策はどうなっていたのだろうか。

 本日、注文していた小学館版「世界大地図」新版が届いた。
 素晴らしい本であるが最初に私が開いたのは、日本に近い大陸や海の部分である。私は小学校の頃から鉱石ラジオやトランジスタラジオを身近に置いていたが、そのころ、NHK第二放送で16:00頃から連日気象情報を放送していた。地名と気圧、風力がセットになっていたような気がする。例えば「アムール川東地区、天候曇りのち晴れ、気圧980ミリバール、風力3。黒竜江省は天候雨、気圧950ミリバール、風力2。富士山頂・・・」等で,日本近隣の各地区の陸上、海上に設置された恐らく数10ヶ所の定点観測ポイントのデータが報じていた。
 漁船など航行中の船舶などはこれを傍受して天候判断の材料にしたものと推定される。かなり前にこの様な放送は終わりを告げた。
 今は殆ど聞くことはない、かつての懐かしい観測地点の地名と場所を地図上で次々と確認出来てとても懐かしい思いがした。

 今は気象衛星の観測データを中心に、航行中の船舶、飛行機からの情報などで情報が集められている。すっかり様変わりしてしまった。
 このうち富士山測候所は昭和11年に開設され、昭和39年にレーダーが完成したがこれによって台風の上陸情報等は数時間も早まったのだという。世界一の高度にあり,世界一の精度を誇り,気象科学に数々の貢献したこの観測所も、昨年だったか少し前に機能を停止した。
 これも時代の流れ,と言うことである。
 今朝の天気情報では3℃冷えているが、当面数時間は降雨はなさそう。ちょっと厳しいが自転車で病院に向かう事にする。


11/28(土)曇・雨 病棟拘束 入院患者家族面談2件 県新興感染症部会
2:00起床。ドック総括x1他、各種の資料再検討。6:30Taxi病院着、回診他。7:00、9:00入院患者家族面談。13:00第8回新興感染症部会、会長なるも病院業務で遅れて参加。14:30対マスコミ会見。県内で新型インフルエンザ初の死亡例あり。15:15帰院。19:30帰宅、夕食。20:00就寝。

気象情報(1) 予報士は独自性がどれだけあるのかな??その際の責任は?
 車で通勤していたときには天候などを殆ど気にもとめていなかったのであるが最近はバイク、自転車、徒歩など、いろいろな方法で通勤している。こうなるとどうしても天候に関する情報が必要になる。

 私が求めたい天気情報は数時間の範囲から長期予報までさまざまであるが、その際、当面の情報にはインターネットが便利である。それ以外の方法と言えば私はラジオニュースの情報を参考にしている。
 かつては新聞が情報源であったこともあるが、意外と情報は刻々変わっているから今は殆ど参考にしない。ラジオでは気象予報士なるものはまず登場しないが、TVニュース関連の天気予報の場合には殆どのTV局が気象予報士なる方を登場させて解説をしてくれる。
 多くは若い女性を採用しているが、中年男性も何人か居られるようである。

 気象予報士なる方が言われることを並べて比較したことはないから分からないが、話す内容に独自の判断はあるのだろうか?と思う。気象情報士は弁護士、代議士、弁護士等で用いられる格式の高い「士」を伴う称号をいただいている名称上では偉そうな方々である。気象情報士って何だろうかと思い若干調べてみた。

 気象予報士の資格試験に合格した後、登録をすると、民間企業や自治体で気象予報の仕事に就く事が出来る、と言う。予報士は気象庁から提供されるデータを分析し、独自に予測する。これまでの合格者は本年3月の時点で7.311人、登録は6.984人、気象庁、民間企業で仕事をしているのは約750人とのことである。ちなみに秋田県では28人登録しているとのこと(魁新聞)。

 TVを観ている範囲では中年男性よりは若い女性の方が良いイメージである。
 ところで、この方達は独自の判断をしていると言うことだから時には間違った判断もあるだろう。その際、責任問題は生じないのであろうか。どこからかクレームが来ることなどないのだろうか。若い女性の担当だとつい心配になってしまう。

 尤も、天気予報が外れたからと言って腹を立てる方は多分おられないだろうと思うのだが、時代が時代である。モンスターペイシャント、モンスターペアレントと並ぶような人が登場し、責任を追及しないとは言い切れない。つい心配になる。


11/27(金)曇り雨  新型インフワクチン接種担当 ドック診察 法人理事会  県議会議員との懇談会
2:30起床.ドック総括x1、徒然他。5:00前に不調に,1時間ほど微睡し改善。6:45病院着、7:00回診、9:30-12:00外来新型インフワクチン接種担当、書類処理が煩雑。13:30ドック診察,14:00-15:00病棟新型インフワクチン接種。17:30-18:15法人理事会。18:20-20:40県医師会・県議会議員懇談会、21:00帰宅、21:30就寝。

ノーベル平和賞(2)オバマ大統領授賞を米国世論は喜んでいない!!   
 ノルウェーのノーベル賞委員会は、2009年のノーベル平和賞を米国のオバマ大統領に授与して全世界を驚かせた。如何にインパクトが強いヴィジョンを示したからと言っても、まだ国際政治の表舞台に出てから1年未満で、何ら具体的実績を上げていない政治家に贈られるのは極めて異例のことだからである。

 これは当然の感覚で、授賞時期についてはいろいろな考えが飛び交うだろうが、今回の授賞はに意義を挟むのは米国やオバマ大統領と直接利害関係にある人たちだけであろう、と私は思っていた。しかし、私は甘かったようである。
 この授賞に対して世界のメディアを中心に賛否両論が渦巻いたが、オバマ氏の膝元である米国では、オバマ大統領の『早すぎる受賞』への懸念や批判が大勢を占めていた、と報じている。これは驚くニュースであった。

 米CNNテレビはオバマ氏の授与についての世論調査の結果を発表し、米国民の56%が不支持だと伝えた。ワシントンポストは「大統領もノーベル賞選考委員会もこの決定を後悔することになるであろう」とか「平和賞は少なくともその4分の3が平和に対する期待だけで決定されたし、ノーベル平和賞は、ほとんど何も変えられないばかりでなく、最悪の場合、ノーベル賞委員会の期待と逆方向に政治を動かしてしまう」と論評した、と言う(石井裕正 MMJ5(11):657.2009を参照した)。

 これはなかなか理解しがたいことである。
 あれほど熱狂的な支持を持って選出した自分たちの大統領が、核のない社会を構築すると宣言した事で授賞したというのに、受賞を批判する声はかなり高いのはどうしたことだろうか。
 米国国民の核に対する感覚は被爆国である我々の感覚とは大きく異なっていることも理解しがたい理由の一つだろう。
 現に、米国国内では新型核兵器の開発も話題になっているし、今でもヒロシマ・ナガサキへの原爆投下は60%以上が正当であったと支持しているとされている。オバマ大統領は先週我が国を訪れたが、その際、我が国の国民からヒロシマ・ナガサキへの訪問が熱望されたのは当然である。時間がなく訪問出来なかったとされたが、私は現時点でヒロシマ・ナガサキへの訪問は米国の世論を逆撫でする可能性があって時期尚早と判断したのではないかと思う。

 チェコでの演説の中で示した大統領の核廃絶論は熱狂的に歓迎されたが、何でチェコでの演説で提起されたのだろうか。はたして米国国内ではどのように受け止められているのだろうか。
 信じ難いことであるが、大統領の核廃絶論は意外と彼のお膝元から崩れる可能性も秘めている様な気がしてならない。

 蛇足ながら、大統領が来日した折、天皇皇后両陛下の前で深く頭を下げてお辞儀をしたことも自国では非難されているという。米国民が我が国に抱いている感情の一端が見える様な気がする。


11/26(木)晴  外来
2:30起床.寝不足感あり。ドック総括x1、徒然他。5:55病院着、水清んで鯉の食いつき若干良好。6:30回診、8:45-14:30外来。入院2名、退院2名で業務煩雑であった。21:00帰宅、夕食、21:30就寝。

秋田大学医学部が変わる(3)来春卒業者のマッチングでは成果が出なかった 
 10月29日、新人医師の臨床研修について、県別の採用内定結果が明らかになった。
 厚労省は研修医の大都市偏在に歯止めをかけるため来春から人口に応じた県別の募集定員を設けるなどの改革を行った。この結果、従来集中的に研修医が集まっていた、東京、神奈川、愛知、京都、大阪、福岡以外で研修を受ける医師は、前年の4030人(51%)から4115人(52%)に若干ながら増加した。研修先を大学病院にした割合も49.1%から49.7%に微々ではあるが増加し、数値上では過去5年で最高になった。

 このうち東北各県の研修予定者は秋田県は65人と前年に比べて8人と大幅に減少した。東北地方を見ると、青森62(+3)人、岩手74(土0)人、宮城109(-13)人、山形82人(+17)、福島72(-1)人であった。特筆すべきは山形県で昨年に比べて17人も増えたため東北全体としては何とか2人減に止まった事になるがその他の各県にとって厳しい状態となった。山形大学は昨年に比べて40人も増加した!!?というが、私はデータを持っていない。本当ならどんな対策を行ったのであろうか。

 厚労省では改革の成果が若干ながら現れたと評価しているようである。
 秋大以外のことは情報が乏しいが、秋大は募集人員37人で15人が内定し、昨年より1人減少した。私は来年度から秋大での研修医が増加する、と期待していただけに残念な結果であったと思う。

 昨年、秋田大学では他大学との連携による後期研修のプロジェクトが発足した。また、秋田県からの寄付で総合地域医療推進学講座が開講した。後者では新任の長谷川教授が、医学生に対するプロジェクト、卒後臨床研修・生涯教育に関するプロジェクト等を熱意を持って進めてこられた。ここ数年、秋田大学は、特に法人化してから目に見えて変わってきていると思うが、その結果は来春の卒業者のマッチングに関してはまだ成果として見えてこなかったのは残念であった。

 秋大以外の県内の研修病院は13病院であるが、定員を満たしたのは3病院だけで全体に低迷し、結果として県内で研修する予定の医師は8人減少した。この結果は医師不足に悩む秋田県にとって重大な結果である。
 秋田大学は大都市出身者の医師養成所になっているという何ともし難い一面もある。しかし、現状のまま手をこまねいているだけでは秋田県の医師不足は改善するどころか悪化の一途をたどることになる。研修病院と秋大の思惑にズレが大きく生じると解決は一層困難になるだろう。


11/25(水) 晴 新型インフ対策委員会 外来 輸血学会東北支部 I & A視察   県医師会理事会 医報座談会新型インフルエンザ
2:30起床、ドック総括x1他、寝不足感。5:45病院着、6:30回診他。7:45新型インフルエンザ対策委員会。8:40-14:30外来、混雑。16:30-18:40県医師会理事会。18:40-20:15県医師会医報座談会。22:00帰宅。22:30就寝。

会津若松に小旅行(7)「ならぬことならぬものです」 
 私は旅行のための旅行は中学の修学旅行以来殆ど経験が無い。学会は各地に行くがホテルと会場の往復のみで時間的にも最短のスケジュールを組む。だから国内のことは殆ど知らない。いや、秋田のことも未だよく知らない。

 今回の会津若松はそのような私にとってもインパクトある小旅行であった。会津は歴史的に見ても興味深そうな処である。しかし、現実には飯森山とか白虎隊とか程度は知っているが殆ど無知に等しい。その中では家訓とか「ならぬことならぬものです」と言う厳しい言葉があるらしいことは知っていたがその関連の事は全く知らなかった。今回、幹事が用意してくれた資料の中に「家訓15ヶ条」「汁(じゅう)の掟」を紹介したプリントが入っていたことで両者を初めて見ることが出来た。

 家訓は「かきん」と読むらしいが、1668年に藩の方針として保科正之公が定めたもので、藩行政の指針となったほか藩の精神的な柱になったものとされる。
 一方、「什の掟」は子供のうちから守らされていた決まりなのだそうで、「ならぬことならぬものです」と言う言葉で結ばれている。ならぬ事に理由なぞないのだと一喝し、そこに説明など無いが、幼い子供の教育の姿勢として私は悪くない、と思う。
 この言葉を直接参考にしたわけではないが子供達を育てる際、私もこの姿勢でやってきた様に思う。


家訓(かきん)十五ヶ条

 一 大君の義、一心大切に忠勤に存ずべく、列国の例をもって自ら処するべ   
   からず。若し二心を懐かば則ち我子孫にあらず、面々決して従うべから 
   ず
 二 武備は怠るべからず、士を選ぶに本とすべし。上下の分を乱すべからず
 三 兄を敬い弟を愛すべし
 四 婦人女子の言、一切聞くべからず
 五 主を重んじ法を畏るべし
 六 家中風儀を励むべし
 七 賄を行い媚を求むべからず
 八 面々依怙贔屓すべからず
 九 士を選ぶに便辟便侫(べんぺきべんねい)の者を取るべからず
 十 賞罰は家老の外これに参知すべからず。若し位を出ずる者あらば、これ
   を厳格にすべし
十一 近侍の者をして人の善悪を告げしむべからず。
十二 政事は利害をもって道理を枉げるべからず。詮議は私意を鋏み人言を拒ぐ
   べからず。思う所を蔵せず、もってこれを争うべし。甚だ相争うといえど
   も、我意をここに介すべからず
十三 法を犯す者ゆるすべからず
十四 社倉は民のためにこれを置く。永利のためのものなり。歳餓、則発出して、
   これをすくうべし。これを他用すべからず
十五 若しその志を失い、遊楽を好み、驕奢を致し、士民をしてその所を失わし
   めば、則ち何の面目あって封印を戴き、土地を領せんや、必ず上表蟄居す     
   べし

   右十五件の旨堅くこれを相守り以往をもって同職の者に申し伝うべきなり


汁(じゅう)の掟

一 年長者の言うことに背いてはなりませぬ。
二 年長者にはお辞儀をせねばなりませぬ。
三 うそを言うてはなりませぬ。
四 卑怯な振る舞いをしてはなりませぬ。
五 弱い者をいじめてはなりませぬ。
六 戸外で物を食べてはなりませぬ。
七 戸外で婦人と言葉を交えてはなりませぬ
「ならぬことはならぬものです。」

 今は、特に女性に関する項目は到底受け入れられないが、いかなる時代においても忘れてはいけない大切な教えが含まれている、と思う。
 幹事がこれらを資料の中に入れて紹介してくれたと言うことは、会津の人々にとってふるさとの山々等と同じようにこころの拠り所として今も決して価値を失っていない、と言うことの表れなのだろう。
 会津の方々、子供達には今も具体的に何らかの影響を与えているのだろうか。


11/24 (火)快晴 管理会議 外来 法人常務会  長副会議 公開カンファ
2:10起床、ドック判定総括x1他。5:45病院着。6:30回診他。7:45-8:15管理会議、8:45-14:35外来。14:45-15:50法人常務会。17:00-18:25長副会議。18:30-19:50公開医局MC。21:30帰宅、22:00就寝。

濃霧の秋田空港(2) 私にとっては幻想的だったが 
 先月末、羽田経由大阪方面に出張した。
 秋田を発つ日は雲一つ無い快晴で、7:00am頃に空港に到着したが、空港ビル、滑走路等の設備、駐車場はすっぽりとテントを被せた如く濃霧で覆われていて、周囲の雲一つ無い青空のもと爽やかな紅葉の景観の中でとても幻想的であった。こんな濃霧の中での車の走行は久々の経験であり、この景観も忘れられないだろう。空港に近づいてから写真を撮ったために霧で見るべき映像は得られなかった。恐らく空港の施設周辺だけが放射冷却現象で湿気が一気に霧になったのであろう。

 それから2週間ほどたって秋田の地方紙である魁新報に「秋田空港 霧に泣く」と題する記事が社会面のトップをかざった。 11月6日から11日の6日間に欠航、遅れが28便にあったと言うことで、中には4-5時間も遅れ、2つの高校の修学旅行の団体が午後早々の広島着で原爆記念館見学の予定であったが夜に到着して行程の変更を余儀なくされた、とのことで、実に気の毒であった。相手は気象のことであるし安全のためにはやむを得ないだろう。高校生達に原爆記念館を見てもらえなかったのは残念なことであった。

 秋田地方気象台秋田空港出張所によると空港近くに雄物川が流れているためにこの季節には霧の発生が多く、気温も上がらないために霧が晴れ難い、としている。今年は特に欠航や遅滞が多いらしい。
 先日の私の出張時には出発時間間際に霧がサッと晴れてほぼ定刻に離陸したから実害はなく「幻想的!!・・」などと無責任に喜べたが実際に影響を受けていればそう優雅には構えておれなかっただろう、と思う。

 私の場合を振り返ってみれば、悪天候で急遽出張を取りやめたり、欠航のために新幹線に変更したりしたことは何度かあるが、空港に着いてから欠航になったことはない。悪天候のために引き返す可能性あり、として出発した場合でも実際羽田や伊丹にもどったことはない。遅れも最大で1時間ほどでしかないから、私は運が良いのだろう、と思う。

 気象とは関係ないが、秋田・羽田間でJALに予約していたにもかかわらず座席のオーバーセールのために乗れなかったことが2回ある。搭乗券があるからと言って空港にはギリギリについてはダメと言うことがよく分かった。今のところ利用頻度の多いANAでは経験がないが、こんな事も今のJALの問題点の一つなのかもしれない、等と考えてしまう。


11/23(月)勤労感謝の日 曇り・晴れ  病棟拘束 
2:30起床、ドック判定総括x2、文献チェック。徒然他。10:00病院。11:30回診。総括処理、文献廃棄、その他。19:50帰宅、夕食、NHK歌謡チャリティ楽しむ。22:40就寝。

勤労感謝の日は、「勤労できることを感謝しつつ勤労」した
 先週末から世の中は3連休で、ラジオなどは秋の行楽、行楽・・と繰り返している。
 私は週末の金曜日は患者家族面談、医療行政懇談会、次いで夜間の発熱外来と多忙で、22:00頃一応解放された。就寝後は再出勤までは不要であったが病棟からの電話が3件ほどあってこれからの三日間は一体どうなるか、と思ったがその後は安定したらしく、熟睡できた。

 土曜は7:00amから患者家族面談を組んだためにゆっくり出来なかった。いつもの如く調子に乗って失敗した。が、そのために時間は十分あり、午後、一時外出し落語公演を聴きに行き、その後はゆっくりと病院でカルテ処理をした。やはり連休という開放感は心地良い。机上、床上に積み重なっていた未総括カルテ、紹介状等の処理、古い文献の廃棄に費やした。

 日曜は家内が急遽横浜に出かけるというので駅に送り、日赤に家族を見舞って後はゆっくり病院で回診や事務処理にあてた。
 勤労感謝の日は午前出勤は止めた。家に誰も居ないこの時期こそ滅多に聴く機会がないレコードを取り出してじっくり聴くチャンスである。やはりレコードの音は私にピッタリである。CDより心地良い。ドックの処理をしつつ至福の午前を過ごし得た。後はいつもと同じ病院の自室で溜まりにたまった退院総括である。

 結局、週末から本日まで早朝の時間を利用してのドック総括を12名分、カルテ総括は数名分こなしたことになる。最高で32名分たまっていた未総括カルテは何とか今月頑張って10冊ほどに減った。良い気分である。

 机上も、床の上もどっと広くなった。更に書棚の古い文献も処分し隙間が空いた。捨てても実害がないものをよくため込んだものだと思う。

 いつもよりは時間的に余裕はあったが、この三日間は随分働いた。私の毎日は自分で言うのも何であるが、馬鹿みたいな生活である。こんな事はもう何時までも続けられないと思うし、いつかは、それも早い内に線引きしなければならないとも思うが、今のところは働けるだけ幸せなのだ、と感じている。勤労感謝の日の戯言である。


11/22(日)雨 病棟拘束 日赤病院に見舞い
2:00起床、ドック総括x3。新聞チェック、文献チェックなど。10:15横浜に出発する家内送り、病院着。以降入院患者対応、退院総括など業務。12:30-13:15秋田赤十字病院に家族を見舞う。再度業務、19:00帰宅,夕食、20:30就寝。

医療はどこまで役に立っているのか?(4)
 私どもは今、昔に比べれば驚くほど安全で便利な日々を送っている。しかし、人々は現状に満足出来ているのだろうか。むしろ、不安とか不満が高じていないだろうか。

 すべての事象は表裏一体面であり、必ずマイナス面も伴ってくる。地球環境の問題、食糧危機、エネルギー不足、巨大事故の発生などなどがある。そのために生活の方向転換が求められている。

 医療面だって同じである。我が国の国民はこんなに発達した医学、医療の恩恵を十分に受けているはずなのに、その不満も健康不安も世界一だ、とさえ言われる。確かに医療倫理上の諸問題は未解決であり、医療事故、医事紛争の増加、患者-医療者間の人間関係の変化、国民医療費高騰の問題、医師不足問題、救急医療体制破綻、等々、医療崩壊との関連などなど枚挙に困らない。

 科学的に、論理的に解明されてきた近代医療の目覚ましい発達の反動として、生老病死に対する、生物体の一つの現象、通過点、ゴールとして謙虚で純粋な感覚を奪ってしまったことを挙げなければならない、と思う。要するに、すべてを医学的に説明出来る、説明しなければならないという方向に向かいすぎているのではないだろうか、と言うことであり、私自身もその資質を身につけていることを時に気が付いてその度毎に反省している。

 患者、家族は病気に対して医学的に、かつ明快に説明されることで安心するようである。確かに、そう説明出来る分野はあるし、病気の時期もある。病態が教科書の記述にピッタリのこともある。しかしながら、そのようなことはむしろ少ないだろう。特に、死に向かっての経過の説明は今の医学知識を持ってしても説明は困難そのものである。それなのに知識を無理矢理あてはめている自分がむなしくもなる。

 秋田と山形にまたがってそびえ立つ鳥海山。私の勤務する病院の最上階にある病棟から毎朝眺めているが、雲に隠されて見える日の方が少ない。私にとっては岩手片富士と言われる岩手山の方がやはり親しみ深いのであるが鳥海山の遠影もまた良い。地元の住民にとっては鳥海山全体がご神体なのだそうだ。それは十分に理解できる。私にとっては故郷の岩手山がそれにあたる。だから近付くのが怖い。だから、私は未だ岩手山に一度も登っていない。
 アルピニスト達が綴った岩手山についての体験記、随想集とかを目にすることも少なくないが、私にとって故郷の山は遠くから眺めるのが良いと思う。

 いのち、命、人生についてもゆったりと距離と余裕を持って考え、自然体で感じ取りたいものである。


11/21(土)曇り・晴れ 病棟拘束 入院患者家族面談 散髪 県健康推進課スタッフ来訪 医師面談 若手落語家競演会 
2:30起床、ドック判定総括x2、新聞チェック、徒然他。6:10病院着、6:30回診他。7:00入院家族面談。8:30救急カンファ、事務処理等。11:30散髪、12:30県健康推進スタッフ来訪打ち合わせ。麻酔科医師面談。14:30-17:00若手落語家競演会。20:00帰宅、夕食。21:00就寝。

医療はどこまで役に立っているのか?(3)医師などは自然の深み、驚異、畏怖を語るべし
 私は病院内の担当分野としては高齢者の方々の,特に病状が安定している慢性期と言われる医療分野を担っている。だから、受け持ち患者がお亡くなりになるのは日常的なことである。
 その際、その患者さんに関する診療面での最期の仕事として死亡診断書を作成することになる。記載にあたっては、死を出来るだけ医学的に説明し、生死の間をクリアに分けようとするのであるが、そこには無理があるし、嘘があると言うことを感じてその度毎に悩んでしまう。

 ヒトの生死の区別、死にいたる要因などは語るに,あるいは判断するにそんなに簡単なことではない。たとえ,その過程を少しでも解明したいと病理解剖をさせていただいたとしても、正直言って何も分からない。
 ヒトの生死を分ける明らかな点は、私どもの用語としてバイタルサインと言われる、循環や呼吸の機能が維持に伴って生じている血圧とか,脈とかの所見が,則ち、肺や心臓の機能が全く感じ取れないと言うことだけであって,その他のことはそれほどクリアに分かっているわけではない。

 そもそも医学,科学、あるいは両者の共通の分野である医科学分野は近年とてつもなく発達したのであるが、この分野の最新の治験を持ってして人の運命,生命、死の現象は到底説明できない。
 高齢にいたって徐々に弱って迎えた死であっても、よく解明されている疾患による死亡であっても、人が死ぬことを自然の摂理と考えることが出来る方々にとって、前者を天寿で運がよかった,幸せ者だったと良い,より若い方々の死は、結局は運に恵まれていなかった、と納得するしかないし、神仏を信じる方々にとってそれは神や仏の意志だ、と考えられるなら諦めもつくかもしれない。
 だが、わが国では人の死を医学で説明しようとする機運が蔓延っている。それには自ずから無理があるし、だからそこには嘘も生じてしまう。

 わが国では病気やケガの際に簡単に医療を求めてくるが、実際には治しているのは医療や医学ではなく、患者の治癒力であり、活力である。心ある医師は、医療の限界、医学の限界をよく知っているし,医師はいかに無力であるかも知っている。にもかかわらず、医療関係者は医療行為の正当性の説明に医学の知見を隠れ蓑的(?)に用いているし、理屈付けのために用いているのではないだろうか,とさえ思ってしまう。私ども医師、医療関係者は生命現象の深み、驚異、畏怖をもっと語るべき、と思う。 

 勿論、他の医師のことは私にとっては分からない。だから、これは自省のための言葉でもある。


11/20(金)曇り・雨 ドック診察 患者家族面談 医療行政懇談会+情報交換会 発熱外来 全体学習会「民医連と医療崩壊」(欠) 市医師会地域別班協議会(欠) 
2:00起床、ドック判定。5:50Taxi病院着、6:30回診、病棟業務。8:00救急カンファ、新入院・重症者対応。 14:45-15:15入院患者家族面談。15:30-18:10医療行政懇談会+情報交換会、中座帰院。18:30-21:40発熱外来。22:30帰宅。23:00就寝。

書評 品川 正治 (著)  「戦争のほんとうの恐ろしさを知る財界人の直言」 新日本出版社 2006年初版 第8刷 1600円
 去る9月19日(日)、秋田県児童会館ホールで、「秋田九条の会」五周年記念憲法講演会が開かれ、国際開発センター会長の品川正治氏の講演「戦争・人間・そして憲法九条」を聴講した。
 氏は損保関連業界の重鎮で今は国際開発センターの会長として現役で活躍されておられる。現在85歳、70歳頃からこの様な、反戦、護憲活動を行っておられるとのことであった。講演会終了時、ロビーで著書が販売されており私はこの本を購入、目の前でサインも戴いた。

 内容は各地での講演等の記録を中心としたもので、難しい内容の割にとても読みやすい。

 構成は
■ はじめに
■ 戦争、人間、そして憲法九条
■ 日本の国家目標と平和憲法
■ 21世紀の経済社会と新しい進路
■ 平和憲法にふさわしい日本経済のシステムを
■ おわりに

 「はじめに」の項で氏は我が国と米国の価値観は全く異なっていて異質のものであることを繰り返し繰り返し強調する。戦争や平和に対する考え方、経済の分野での日米の考え方の差についてはこの本の基調となっているが序論を述べる。「21世紀の経済社会と新しい進路」の項では経済を市場原理に任せた小泉政治に対し、政策はあれど哲学が欠如した政治と厳しく裁断し、その政策は人間の尊厳性を失わせるもので、経済成長の果実をみんなで分け合いつつ社会が一体となった温かみのあった日本特有の産業構造、経済構造は、小泉・竹中経済政策によって崩壊させられた、と批判された。
 「日本の国家目標と平和憲法」の項では二度と戦争を起こさないという誓いに生きる力を与えられ、それが氏の人生の支えになっていること、

「戦争を起こすのも人間、それを止めることが出来るのも人間」ということを白らの確固たる信条として持ち続けていると語られた。戦争の悲慮IL繰り返してはならない戦争への思いが、ひしひしと伝わる講演であった。現在の憲法に対しては、護憲を支持する立場、改憲を訴える立場など様々であるが.氏の語る内容は、そのような論争をはるかに超えた高い次元で平和の曹さを訴えているようであった。

 私も寄付とか,賛同の意思表示とかの小さなアクションしかしていないが、「憲法九条」は世界的にみても絶対的に価値がある条文であり、国民320万人、アジア・太平洋地域で2.000万人も命が失われた、唯一の被爆国であるという二度と繰り返してはならない経験を持つわが国は大事に守るべき条文と思っている。 


11/19(木)曇り・雨 外来 ドック結果説明 秋田産業保険推進センター運営協議会+情報交換会
 3:00起床、ドック総括、文献チェックなど。6:10Taxi病院着、6:30回診他、8:45-14:20外来+ドック診察。16:00秋田産業保険推進センター運営協議会+情報交換会Metro。19:30帰院、机上書類処理。20:50Taxi帰宅、21:30就寝。昨年道路初冠雪。

ブタインフ(39)不精者ひげの年寄りがテレビにばっちり  
 私は新型インフルエンザ関連の解説のために地方のTVや新聞に頻回に登場している。県の新興感染症部会長として県民に正確な情報を分かりやすく説明するのも役割と思っている。4月下旬にメキシコ、米国で新型インフルエンザが発生してから何度TV、新聞に登場したか分からない。

 マスコミはハチと同じで、動きがないものには殆ど注目しないが、動きのあると一斉に追いかける。本当のところは地道な医療活動も取り上げて医療の実像についても報道して欲しいのであるが。
 そうはいってもTVや新聞などは県民への情報の提供という意味で重要な役割を果たしているので、私は取材要請を断ることなく、大事に対応している。

 新型インフルエンザワクチンは、今週月曜日から妊婦や優先者に接種が始まった。それに伴ってマスコミからの取材が増え、今週はTV局が2社、新聞3社の取材を受けた。TV放映当日は家族から、翌日は何人かの看護師から「髪や無精ヒゲまでばっちり映るから何とかした方が良い」、とアドバイスがあった。話した内容には全く触れられなかった。

 私は身の回りのことについてはとても面倒くさがり,不精者で、服装,履き物、見てくれ等にはかなり無頓着である。衛生面では手を抜いていない、と思っているが,髪やヒゲは何かの機会がないと伸ばしっぱなしである。散髪は立場上1.5-2ヶ月毎であるが,本当はもっと間隔を広げたい。その間はもっぱら手櫛である。ヒゲは何も予定がないと月曜朝に電動でザッと剃るだけ。最近、外来はマスクを常用しているから一層気にしなくなった。
 先日の収録は予定外の外来診療の合間に収録した。急いでネクタイをつけ上着をはおったがヒゲまでは気が回らなかった。

 テレビの影響は大きい。一方、出演者にも箔がつくようでとても恥ずかしい思いである。外来で時々「テレビに出ている先生に診てもらいたくて・・」などと言われると逃げ出したくなる。毎日一生懸命こなしている本業は評価されていないのに何だ!!、と言いたくなる。これは本音。
 もう私みたいな無精ヒゲの年寄りがマスコミに登場するまでもなかろう。そろそろ後輩にバトンタッチしたい。


11/18(水)雨・曇り 新型インフ対策会議 外来+ドック診察 院内感染対策委員会 市医師会と4病院院長会議
4:00起床。ドック総括x1、その他。5:30Taxi病院、6:20回診他病棟業務。7:40新型インフ対策会議。8:45-13:45外来+ドック診察x5。16:00院内感染対策委員会、18:30-21:10市医師会と4病院院長会議。64.5歳にして爺となる。21:40帰宅、ダウンし22:00就寝。

会津若松に小旅行(6)圧巻「天国茶屋」での鮎、松茸中心の昼食
 会津ミニツアー最終コースは「天国(てんごく)」という地名にある「天国(あまぐに)茶屋」と言う処での昼食であった。どっちがどっちだか思え難い名前であるが、天国という地名が実に素晴らしい。どんないわれがあるのだろうか。

 首無し観音堂を観た後、ジャンボタクシーは細い田舎道をしばらく走り、小山を登り、やがて平地に若干の手を加えただけの駐車場に停止した。降りても料理店とかレストランとかは見えない。ちょっと離れたところに何かの作業所と思われるような屋根が見えるだけである。「??」が最初の印象であるが、結局そこが目指す昼食会場であった。ホントにちょっとした建物であったが、側まで行くとそれなりの小料理店の雰囲気である。

 「天国茶屋」は深い山々に囲まれた会津、その一角に野趣の味わいを提供する店として結構有名だとのことである。勿論私にとっては初めて聞く地名であり、お店である。摘み立ての山菜、キノコ、店主が自ら焼きあげた木炭を用いた囲炉裏で串焼きにされた川魚、国産の松茸鍋・・・、未だに経験したことのなかった珍味が並んだ。店主は30年以上も松茸をあつかった方で、ここで提供される松茸は香りも味も超一級品との評価である。

 店主は会津本郷のマツタケは十二分に美味しいが、今年は十分量の松茸を確保できずちょっと心苦しい年です、と述べていた。
 私はこれ程の国産松茸を並べた料理を味わったことはない。良い経験であった。そんなに美味しかったかと言われると、もともとあまり好みの食材でないだけに正直なところそれほど深く堪能したというわけではなかったが、鍋、塩焼き、マツタケごはんなど、松茸の旨味を生かした料理を通じて自然の恵みは十分に味わえた。
 更に、奥会津の清流の子持ちの天然アユの塩焼きは、姿もサイズも味も一級品であった。

 窓の下に田んぼ半分ほどの広さの池があり中型から大型の鯉が泳いでいた。何か餌を要求しているような顔つきである。鯉の餌に相応しい食材はあると思えなかったが、店主は「人が食べるものなら何でも食べますから、枝豆のからでも何でもやって下さい」とのこと。試しに与えたらバクバクと喜んで食べた。鮎の頭や骨も同様であった。

 この時の経験後、私が毎朝の通勤途中で旭川の鯉へ与える餌はパンの耳から台所で出る野菜くずや果物類を乾燥したもの、米やモチに替えたが、パンの時のような食いつきは見られない。
 餌が変わった事よりも、折しも低くなり始めた気温、水温のせいかもしれない。


11/17(火)曇り・雨 寒波 患者家族面談 外来 法人常務会 県議会議長就任祝賀会 医局カンファ(欠)
2:10起床。ドック判定総括x2。文献検討、徒然他。5:20Taxi病院着。6:15回診他。7:00入院患者家族と面談。8:00救急カンファ。8:45-14:15外来。14:45-15:30法人常務会、医局カンファ(欠)、18:00県議会議長就任祝賀会。20:00中座し帰宅、 21:00就寝。23:00重症患者対応で病院、2:00帰宅、就寝。

ブタインフ(38)新型インフワクチンの残りは廃棄せよ??そんな馬鹿な
 秋田県内でも昨日からやっと新型インフワクチンの接種が始まったが、厚生省通達がくるくる変わるから現場は大混乱している。しかも、ワクチン製剤は1mlでなく、10ml瓶が多数配布され、しかも当日中に使い切ることが条件になっている。

 昨日、各受託医療機関の長宛に以下の文書が県健康福祉部から届いた(重要部分外を一部改変)。


新型インフルエンザワクチン10ml瓶の使用残液の取扱いについて

 ワクチン(H1N1株)については、添付文書の取扱い上の注意項で「一度針をさしたものは、当日中に使用する」となっておりますが、注文に対する供給量が少ない中で、当県に1.000本をこえる10ml瓶が供給され、現在、使用残液の接種可否についての問い合わせが多数寄せられております。
厚生労働省に照会したところ、以下の回答を得ましたのでお知らせします。

新型インフルエンザワクチン接種は国の事業であり、本県においても厚生労働省の回答に基づき対応いただくようお願いします。
本件は、現状の優先順位に基づいて接種した場合、廃棄が見込まれる分の取扱いであり、原則予約制で実施している本事業において、計画的に優先順位をくずして接種することを認める趣旨のものでないことに留意することとされています。


 照会に対する厚生労働省の回答
・優先接種対象者の範囲(※)内にて、まず同一順位の者に接種し、同一順位の者に接種することが困難である場合は、次順位の者に接種することは可能である。
・上の取扱いは、優先接種対象者の範囲内であれば、契約違反にならない。

※ 優先接種対象者の範囲及び優先順位については、別紙の厚生労働省会議資料のとおりですので御参照願います。

 要するに、一度針を通した容器内のワクチンは当日中に使い切ること、予め廃棄されることを見越しての分配だから余ったら廃棄しなさい、と言うことである。

 つい先日までワクチンが不足するために、と言うことで厳しい配布条件で優先順を決め、さんざん医療機関に手間暇をかけさせたばかりである。しかも、優先接種すべき対象の判断を間違えたことを棚に上げたまま、何ら説明なく小児まで接種対象の前倒しを通告してきた。その際、前倒し分のワクチンの供給を増やしていない。だから、医療機関では予約した方、これから予約する方々に小児の接種を優先したいので待って欲しいとお願いしている状況である。これらの作業は医療機関にとって実に大変である。
 更に、ワクチンがなかなか届かなかったし、届くまで何本来るのか不明であり、届いてみたら大瓶の製剤が中心であった。これでは一日の予約が少ない診療所等ではワクチン残液を廃棄せざるを得なくなるのは当然である。

 県からの通達の中に「上の取扱いは、優先接種対象者の範囲内であれば、契約違反にならない。」とある。要するに、接種を担っている現場でワクチンを無駄なく使おうとしてまだ対象になっていない希望者に接種すると契約違反になり、契約を取り消すこともあります、と言外に脅迫に近い記述までしている。

 こんな馬鹿なことがあって良いのだろうか、と思う。
 残液は捨てることは耐え難い。希望者には、特に若年者には一日も早く接種してあげたい。勿論、優先者から整然と順序よく接種することは社会の混乱を防ぐために必要なことである。しかし、残液が生じた際に限って、特例として医療機関の管理者の判断で希望者に接種しても良いことにすればいい。
 その辺の判断は現場に任せるべきである。私なら、希望者に接種する。


11/16(月)雨 管理会議 神経内科外来代診 NHK・魁・読売取材収録 療養病棟判定会議 長副会議
1:30起床。ドック判定総括x2、文献・新聞等処理、徒然。5:10病院。 6:30回診。重症患者対応。7:45-8:30管理会議、8:45-11:20神経内科科長病欠で急遽代診。11:30 NHK・魁・読売取材収録。新型インフルエンザワクチン接種関連。16:00療養病棟判定会議。17:00-20:15長副会、議懸案多数で久々長時間。予定の講演会は聴講できず。21:30帰宅、夕食、22:15就寝。 

政権交代(15)「自民党をぶっ壊した」小泉元首相(5)米国型競争社会に憧れ
 ブッシュも小泉首相も就任時共に経済の低迷に悩んでいた。経済の低迷は税収の減少に直結するから、政治と切り離しては論じられない。 
 私は経済には疎いが最近は立場上勉強する機会も増えている。その中で自分なりに少しずつ理解できているし、興味もわいてきている。

 日本のバブル崩壊以降の経済の低迷は世界的に「失われた10年」と称されて世界中の経済学者の恰好の研究対象になっていた。なぜなら、格差の存在を必須条件とし、搾取と不均衡分配によって成長し続けなければいつかは成長の低迷や停止を迎えることになる資本主義、商業主義は、いわゆるG7、G8と称される先進国と言われるどの国にとっても迎える可能性を秘めている。その中で唯一と言える画期的モデルが日本であることから注目されているからである。

 資本主義の中における重要な因子を挙げると、「人」「物」「金」なのだろうが、「手厚い福祉は人々を堕落させる」という思想に立つ米国はまさしく「金」>「物」>「人」の即物的資本主義であり、一方、我が国は終身雇用制度等を背景にした「人」>「物」>「金」といった米国とは全く異なる文化を持っていたと言うべきだろう。労働者は遣われる身でありながら、反面では会社と一体関係にあって、忠誠心を持ち、人間関係も和を尊ぶ関係にあった。結果として我が国では格差の少ない助け合いを基本に置いた独特の文化が形成された。

 資源もマンパワーも金も十分あり、激しい競争社会の中で成長を繰り返し世界一になった米国、それに肩を並べるほどまでではないとしても、資源も金もなかった我が国が、厳しい終戦の飢餓と瓦礫の中から世界第二の経済国にまでなった背景は、優秀で勤勉な国民性と独特の雇用制度、仲間意識が作ったと言える。結果として多くの国民が中流家庭だと自認した時期さえもあった。
 
 この独特の文化を軽視し、日本型労使関係はとろい、競争社会にすべし、とぶっ壊してにかかったのが小泉首相であった。従来の自民党政権はいろいろ問題はあったが、日本固有の文化までは破壊しなかった。小泉首相はわずか5年間の中でこれを成し遂げた。競争原理を持ち込んで経済を活性化しようとし目論んだのであろうが、実際は逆効果であった。

 「自民党をぶっ壊した」小泉元首相は「日本の文化をもぶっ壊した」。
 結果として日本もすっかり格差社会になってしまった。しかも、米国は強欲主義のもとで上の方に格差が広がったが、我が国は下の方に格差が広がってしまった。失業率は上昇し、貧困家庭が急増している。人間関係まですっかり変わってしまった。だから、政権交代は当然の帰結である。あの、国民の支持を集め自民党の大躍進を果たしたた小泉首相こそが、自民党零落の立役者となった。ホントに「自民党をぶっ壊した」


11/15(日)雨  病棟拘束  秋大創立60周年記念講演会・式典・祝賀会
2:00起床、ドック判定総括x3。文献チェック他。11:00病院着。患者対応、総括など。14:00秋大創立60周年記念講演会・式典・祝賀会に会長の代理で出席。講演は国立西洋美術館長青柳正規氏「ローマの平和と日本の繁栄」。祝賀会は中座し18:15帰宅。ドック等。20:30就寝。

政権交代(14)「自民党をぶっ壊した」小泉元首相(4)
 ブッシュも小泉首相も就任時共に経済の低迷に悩んでいた。
 経済の低迷は税収の減少に直結するから、政治と切り離しては論じられない。政治家も経済の活性化させなければやりたい政治も不可能となる。だから両者とも経済の活性化を目論んだが、米国では住宅関連証券会社の破綻、自動車ビッグスリーの一つであるGM破綻に結びつき、日本では長年培ってきた日本型雇用形態が破綻し、厳しい競争社会に変化し、重大な社会問題となった。

 我が国が米国型の競争型に近づけることで経済を活性化しようとした小泉首相の目論見は完全に破綻しただけでなく日本独自の和を尊ぶ就労文化も短期間で破綻した。

 かつては強いドル、高い金利の米国に世界中から余剰資金が流入してきており、経済が活性化していた。消費を奨励し、世界中から物品を購入することで世界の経済の活力を維持して来た。

 また、競争社会である米国では経済活動の賦活のために、勝ち組は驚くほどの報酬を受け取る仕組みになっていた。このことの実態として破産した企業ですらリーダー達は信じられない高額のボーナスを受け取って去っていく状況が数多く報じられたが、われわれ日本人の感覚とは完全に異なっており、理解できないレベルであった。この様な状況の中、負け組となっている大多数の国民の士気が萎むのは当然である。結果として生じた自国の産業の低迷は経済に直結した。

 経済活性化のためにブッシュ大統領は本来なら購入が困難な階層の国民にも住宅取得を勧奨した。この政策は多くの国民に支持され、決して豊かでない国民もこぞってローンを組み住宅を購入したが、ここに破綻のルーツがあるようである。結果として、巨大な資金が動く住宅金融が投機の対象になり世界中から資金が流入した。同時に住宅の価格が急上昇した。もともと余裕のない階層を相手に成り立った脆弱な金融である。支払いが滞ったのは当然で、金融会社は資金繰りが出来なくなり破綻することになる。

 これが、私が理解している昨年秋のリーマンブラザースの破綻の背景であるが、この様な米国型の競争社会に日本の文化を強引に変えていったのが小泉首相である。


11/14(土)雨 病棟拘束 港北診療所代診
 2:00 起床、ドック判定総括x3、他何時もと同じ.5:55病院着。6:45回診他、書類処理。港北診療所へ。患者は30人くらいか。待合室本棚にあったマンガ「ビッグウイング」全4巻借用。13:15帰院。患者関連書類処理。19:00帰宅、夕食、20:30就寝。昨年のこの土曜、次男の結婚式であった。

行政刷新会議の事業仕分け 斬新だが大いに違和感がある 医師確保対策費が半減に
 行政刷新会議の事業仕分けという作業が始まっている。
 この作業のルーツは私にはよく分からないが、95兆円にも膨らんだ来年度予算の概算要求から3兆円規模の削減を生み出すこと,則ち、無駄な歳出を洗い出す事を目的にしているようである。スピード感がある鳩山政権の目玉の一つと言える大きな事業なのであろう。しかし政権発足して未だ2ヶ月足らずである。来年度の予算編成作業のために時間が乏しいのであろうが、これの作業計画,人選は十分な時間をかけて用意したのだろうか。

 仕分け方法として民主党議員7人のほか、自治体職員、民間の有識者56人が「仕分け人」となり、公開の場で各省庁、役所の担当者と議論しながら、政府の全事業の約15%にあたる447事業を9日間で必要性を吟味していくのだそうだ。

 従来は密室の中で行われ,利権、既得権、政治献金とかのドロドロした中で進められてきたであろう作業が公開の場で行われることは民主主義の基本だから素晴らしいことと言いうる。政権交代、民主党ならばこそ可能となった。

 仕分け対象は一日に50事業である。これをいくつかの作業部会に分けて検討するのであるが、一つの事業に何分,あるいは何時間かけて検討するのであろうか。今まで行われてきたそれぞれの事業にはそれなりの理由と目的があり、歴史もある。恩恵を受ける国民もいるから事業として成立してきたのではないか。

 仕分けるポイントとしては■費用対効果■重複の有無■財政難下での必要度、緊急度■国家事業として相応しいか、等という。
 昨夜夕食時にTVニュースで仕分け作業の様子を垣間見ただけだから何とも言えないが,仕分け人と説明する側の論点が全くずれているとの印象であった。議論が全然かみ合っていない。仕分け人は聞く耳持たずの印象で,予め結果が決まっていることを手続き上,この会の俎上に乗せて処理しているように思えた。「私たちの話も少し聞いて下さい・・」と必死に訴えていた省庁側の中年女性の担当官と、それを拒否する女性議員の冷ややかな表情がそれ物語っていた。

 今回の仕分けで医師確保関連対策の補助金が半減された。
 仕分け側は診療報酬の格差が医療崩壊の根源であるという視点に立ち、診療報酬の配分見直しで対応すべきと言う考えで,厚労省側が主張した高齢化などの複合的要因との主張は殆ど受け入れられなかったという。仕分け人達は医療崩壊の原因は全てお金で解決できる,医師は報酬を求めて動いているとでも思っているのだろうか。実際にはそんなことはない。
 医療現場に足を踏み入れたことのない政治家や民間の仕分け人によって書類審査で,超短時間に仕分けされてしまうのは情けない。事業仕分け作業の考え方には私も賛同するが,今回作業の過程はよくない,と言う印象である。


11/13(金)快晴で冷えた朝 ドック結果説明 ワクチン接種担当 連携老健施設担当者来訪打ち合わせ ドック診察 NHK収録 法人理事会
2:00起床、ドック総括x2.紹介状、徒然。6:10自転車病院着、髄まで冷えた。6:20回診他。9:30-13:20季節性ワクチン接種担当。11:00連携老健施設担当者来訪、救急患者受け入れ関連の打ち合わせ。14:00ドック診察x5。15:00NHKニュース用インタビュー収録。入院患者対応。17:30-18:30法人理事会。21:00帰宅、21:30就寝。

書評:看護師専用「お悩み外来」 医学書院 1600円(2)宮子 あずさ (著)
 悩めることも才能だ。看護師だったら一度は向き合う24の悩み、と言うことで以下の項目他について看護師から受けた相談をQ&Aスタイルで記述したものである。看護学雑誌2006年1月号から2年間にわたり掲載した内容をまとめた本。

◎ナースは遊び人?天使? ◎ルルドの水 ◎患者様 ◎死にたいという患者 ◎モルヒネを拒否する患者 ◎医療批判報道 ◎食って死ぬなら本望 ◎死を受け入れない患者・家族 ◎心に闇を抱えるナース ◎受容と共感はホントに可能? ◎出来るナース ◎セクハラ ◎生理的に受けつけない患者 ◎サービス業? ◎キレル医師 ◎どうでもいいナースコール ◎大丈夫じゃないのに大丈夫と言ってもいいか?・・・。

 この本は看護師同士の人間関係、患者看護師関係、看護師医師関係、その他を中心にまとめられているが、読んで感じたことをまとめると、
■看護師は日常どんな悩みを持っているのか、同僚として私も40年近くも一緒に働いていながら意外と知らなかった部分もあった。
■看護師は同僚医師に対してどんな感情を抱いているのか。なかなか厳しい目で見ているし、著者の回答がまた的確、厳しい。聞く耳もたぬ医師、キレル医師達などについては特に厳しい。これは、読者が看護師中心の本だから小気味よく書けたのだろう。
■基本的に私が看護師、医師達から相談受けた内容と類似の質問もあり、立場が変わってもほぼ共通の悩みを抱いているものだと実感した。
■私が答えてきたのよりも、著者の回答が何倍も的確で、大いに参考になった。
■看護師、患者と言う言葉をそのまま医師に置き換えてもすべて辻褄があって、十分通用するから面白いし、医師へアドバイスするときなどにも大いに参考になる。例えば、死を受け入れられない医師、どうする? ほめようのない医師、どう褒めればいい? 心に闇を抱える医師、どうする? 生理的に受け付けず、関わりたくない医師、どう対応?・・・等々。 

 看護師が書いた本をそんなに多く読んだわけではないが、10冊ほどのエッセイ集は持っている。総じてあまり面白くないとの印象を抱いていた。今回、ふとしたきっかけで手に入れた宮子氏のこの本は集中して最後まで読んでしまった。まだ2冊手元にある。それらも楽しみである。

 著者の宮子氏は向学心も旺盛、多種多様な方面に興味を持つ方らしい。どの領域に進んでも黙っておられず、親譲りの血が騒ぎ、恐らく著述と両立されただろうと思う。そのなかで看護の領域に進まれ、この様な本を通じて医療や看護の姿を世に紹介して戴いていると言うことを、同じ医療関係者として喜びたいと思う。
 以上は講演と著作を通じて抱いた感想である。


11/12(木)超快晴 新型インフ対策会議 外来 ドック診察 コスミックコーポレーションKK社員来訪 新入院2名対応
2:00起床。若干風邪気味か?ドック判定総括x1。徒然ほか。6:00病院着、6:20回診他。7:40新型インフ対策会議、 8:45-14:20外来、混雑。対外的予定なし。14:30コスミックコーポレーション社員来訪歓談、紹介状他書類作成数件。21:00自転車帰宅、寒冷で髄まで冷え切た。夕食、21:45就寝。

書評:看護師専用「お悩み外来」 医学書院 1600円(1)宮子 あずさ (著)
 2009年10月31日は中通高等看護学院同窓会設立30周年記念大会と講演会、次いで懇親会があった。この時の講師上記書籍の著者の宮子あずさ氏であった。講演会始まる前に若干の時間があったのでロビーで講師の著作を3冊購入し、「ゆっくり、のんびり 宮子あずさ」とサインも戴いてしまった。

 看護の世界では出版物、月刊誌等のコラム欄、講演活動とかでかなり知られた方だと後に知ったのであるが、私は初めて聞くお名前である。だから、本もそれほどの期待を込めて購入したわけではなく、現役看護師の本でもちょっと読んでみるか、程度であった。

 講演は「看護師だから出来ること」の題で、内容は医療界が抱える問題点を看護師の立場から論じていくようなタイプでなく、自分のダメ看護師としてのスタートした事から始まって、回り道をしながらも20年もかけて成長した足跡、仕事上での経験した事象、ご家族の病気の話とかのエピソードを挙げながらそれに看護師としての立場で、あるいは解説を付け加えていく形でとても親しみやすい内容であった。

 私はいつぞやお話の中に引き込まれていた。ちょっとオーバーに言えば感嘆しながら聴いていた。まず、きれいな日本語、きれいな発音に感心した。お話も上手でよどみなく、論理も明快で淡々と進められたが、時に医師に対する厳しい視点の意見、評論も織り込まれた。
 例えば、父が人工呼吸器管理下にあった時、主治医の病状説明の際に危うくキレそうになり、口には出せなかったものの心の中で口汚くののしったエピソードは特に興味深かったが、これに対し看護師だからこそ出来る分析を加え、何故最近の患者や家族がキレやすいのかについても言及した。講演そのものも明るい内容であったが、その後の質疑では氏の人柄のお陰もあって暖かい笑いに包まれた。

 懇親会では席が隣であったことから親しくお話も伺った。その際、宮子氏が文筆家の吉武輝子氏の娘さんであることを話して戴いたが、彼女の向学心を含め、足跡のルーツの一部が理解できた。

 著作に載っていた宮子あずさ氏の経歴は、1963年東京都生まれ。明大文学部中退。東京厚生年金看護専門学校を経て、87年より同病院に勤務。看護師長として働いたとのことで、趣味は大学通信教育で経営情報学、造形学の二つの学士、教育学修士を一つとっているという。今は退職し、09年4月より東京女子医科大学大学院看護学研究科博士後期課程看護職生涯発達学専攻、とても覚えられないながーいながーい名前の専攻科で看護学博士取得を目指しているとのことである。


11/11(水) 雨・曇り 外来 ドック診察 県医師会常任理事会+新型インフ対策会議
2:00起床,ドック判定総括x1その他。6:00病院着、鯉元気がない。6:20回診他病棟業務、8:00救急カンファ、8:45-14:20 外来+ドック診察、混雑。17:30-20:10県医師会常任理事会+新型インフ対策会議。21:20 帰宅、22;00就寝。昨年Olympus Radio Server VJ-10届き深夜便録音関連機能が充実した。

犯罪と医療関係者
 千葉県市川市で2007年3月、英人英会話講師女性の遺体が見つかった事件で、死体遺棄容疑で指名手配されていた市橋容疑者(30)が逮捕された。かなり特徴のある顔立ちなのでもっと早く発見されると思っていたが2年半も潜伏できていたことに驚く。1年ほどは大阪の建設会社で働いていたらしい。

 ここ2週間ほど市橋容疑者が整形手術したことで新聞紙上を賑わしていたから、整形手術がきっかけに逮捕されたことになる。何度か整形手術を受けていたと考えられるから、大阪で働いていたときどのような顔立ちであったか分からないが、もうその時は既に素顔と変わっていたのだろう。だから、一緒に働いていた人たちも分からなかったのだろう。

 よく分からない経過である。何度か整形を繰り返したのであればだんだん素顔から遠ざかっていたのだろうから、後に診た医師が気づかなかったことはあり得るとしても、最初に整形手術した関係者は全く気づかなかったのであろうか?ちょっと疑問に感じる。尤も、気づいていれば何らかのアクションするであろうから本当に気づかなかったのかもしれない。
 美容整形は私には分からない世界であるが、何所でも治療前後の写真など記録していないのだろうか?
 捜査が進むにつれ整形手術の足跡も徐々に明らかになっていくだろう。

 この事件と直接関連はないが、時津風邪部屋で少年力士が暴行を受けて死亡した事件を思い出した。
 診断書はたしか病死とされていたとのことであるが、遺族が亡骸をみて異変を察知し行政解剖されたことから闇に葬られる一歩手前で真相が明らかになった。被害者の父親が会見で語った内容を報じた新聞記事によると、顔は腫れ、耳は裂けて原形をとどめず、全身は打撲と火傷が方々にあったという。
 病死と判断し書類を記載した医師の判断力(?)が理解できず、どうしてこんな経過をとったのか、この点に関しては今でも疑問に思っている。

 両者とも医療関係者が間接的に関与していることで私の関心を引いた事件である。


11/10(火) 曇り 入院患者家族面談 外来 法人常務会 県新興感染症部会 医局カンファレンス(欠)
2:30起床,ドック、書類処理他、文献チェック、徒然。5:55病院着.冷える。6:20回診、7:00入院患者家族面談、88:00救急カンファ、8:45-14:30外来、混雑。14:45-15:40法人常務会、中座。16:00-18:0法人常務会、中座。県新興感染症部会,小児への接種前倒し検討。医局カンファは欠。21:45帰宅。軽食、22;20就寝。 

ブタインフ(37)新型インフ下の日本シリーズ 感染蔓延大丈夫かね
 11月7日は日本シリーズ最終戦となった巨人-日本ハム戦があった。
 久々行事のなかった土曜、若干早めに帰宅、ドック総括など進めながら,また夕食を摂りながらシリーズ6戦を前半戦途中から最期まで観通してしまった。野球観戦など久々のことである。

 結果は2-0だから日本ハムの惜敗、と言うべきだろうが内容的には大差と言うべき状態で巨人の優勝が決まった。今年は巨人が4勝2敗で日ハムを下し、7年ぶりに日本一となったが、たまたまその最終戦となった試合を観ることが出来た、ということ。
 感想として日ハムよりは巨人の方が一枚も二枚も上手で、打線の厚みが違った。それでも2点しか与えなかった日ハムの守備陣は立派であった。一方、日ハムはランナーを毎回のように出しながら重要なポイントで見逃しの三振が目立った。クリーンナップの三振はチームの士気に影響するし、相手投手を奮い立たせる。同じアウトでも小気味よい空振りなら、最後の打者が討ち取られるまで期待感が異なったと思われるが、後半は全体的にシュンとなった感じであった。それだけ日ハムは固くなっていたと言うことだろう。

 観ながら私が一番気がかりだったのはどちらが勝つかではなく、札幌ドームのほぼ満員のこの大歓声の中で新型インフルエンザが蔓延しないかという心配であった。
 締め切って風のないドームの中、互いに大声を上げての応援、観戦で、かつ観客席は階段状の配列である。後ろに座った観客から出た飛沫は前の客の頭を越えて飛んだであろう事を考えながら、心配しながら観ていた。両軍のファンにとってはそれほど多きい問題としてとらえていなかっただろう、マスクなんてやっておれん、との心境であろうが、一医療関係者としては勝負以上に気がかりであった。

 私はプロ野球にそう興味があるわけではない。
 たまたまTVをつけたら日本シリーズ第6戦をやっていたから観た、と言うレベルである。更に、私は「隠れ巨人ファン」として家族たちから総スカンである。特に激しいアンチ巨人の家内の前ではこの試合は見る事は出来なかっただろうと思うが、たまたまこの日、彼女は医師会の業務で青森出張で不在であった。私の「隠れ巨人ファン」は実際には巨人の選手しか知らないからで、とりあえず巨人に興味、と言うことで他の球団にちょっと気がかりな選手がいると関心はそっちへ移る。今の巨人の中では原監督しか知らないから、どちらかというとダルビッシュのいる日ハムを応援していた。

 更に、どちらかというと勝負より新型インフルエンザの方が気がかりであった。いつも家族や看護師達に馬鹿にされている親父ギャク的に言えば、原!!、原!!・・でなくハラハラであった。

 言いたいことは全国民的にもっと新型インフルエンザに関心を持ってもらい、一人一人が感染防止対策をすることである。学校閉鎖、学級閉鎖の基準もいつの間にか感染者複数から10%に緩められていた。これでは蔓延は防ぎがたい。現に学童を中心に蔓延が広がっている。
 この際、いろいろ困難はあるのだろうが、思い切って冬休みを前倒しして10日間ほど休校にしてはどうか、とさえ思っている。今回の新型インフルエンザは学童中心だからかなり効果が期待出来ると思う。


11/9(月)降雨、管理会議 外来 患者家族面談 県健康推進課・医務薬事課スタッフ来訪 療養病棟判定会議 長副会議  秋田県がん診療連携協議会
1:30起床、ドック判定総括x2、文献チェック、徒然、その他。5:40車病院。6:15回診他。書類書き、7:45管理会議。8:45-14:00外来、15:00県健康推進課・医務薬事課スタッフ来訪新型インフワクチン前倒しの件打ち合わせ。16:00療養入棟判定会議、対象者6人。17:00-18:15長副会議。中座。18:30-20:10秋田県がん診療連携協議会、病院、21:50帰宅、22;15就寝。

購入書籍に著者のサインを戴き良い気分
 今秋、講演会で関連書籍を購入した際、著者のサインを戴く機会が続き、なんかほのぼのとした良い感じである。
 演奏会や講演会に行くとよくロビーとかで演奏者のCDや講師の著作が販売されている。家内は時折購入してくるが、私はつい先日までこの様な場での購入は殆どしたことはなく、出入り口が混み合う前にさっと会場から出ていた。興味がわいたときには馴染みのレコード店や書店に注文して手に入れていた。少しでも街の商店を利用すべし、と考えていたからでもある。

 ここ数年は逆で会場はゆっくりと、空いてから出ることにしている。その方がいろいろな機会に触れることが出来るからでもある。そして、会場でCDや本を購入することが多くなってきた。特に、行きつけのレコード店は若干遠方にあるために、時間的に無理で訪れる機会がめっきり減り購入CDが減ったこととも関係しているし、当日の演奏者のCDは在庫が無く取り寄せも不確実なことが多いからである。
 会場での購入は演奏家や講師と時間を共有した、いい演奏や講演に触れた事の記念に、と言う意味合いも強いが、購入して改めて感じ入ることも少なくない。時に購入した品に演奏者や講師が目の前でサインをしてくれる会もある。
 私はつい先日までサインとかを貰ったことは一切なかった。例外は、チェリストの藤原真理氏が大曲で演奏会を開いたとき、CDを購入したら脇の方から氏がサイン入りの色紙を添えてくれた時くらいである。

 それが、今秋になってから立て続けに三つの講演会で秋田を訪れたで3人の講師の方々から直接著作にサインを戴いた。なかなか良いものである。
■ 秋田九条の会 講師 品川正治氏 「戦争のほんとうの恐ろしさを知る財界人の直言 新日本出版社
■ 秋田市医学集談会 講師 二木 立氏 「医療改革と財源選択」勁草書房
■ 中通高等看護学院同窓会創立30周年記念大会 宮子あずさ氏 「看護師専用 お悩み外来」 医学書院
■ 同 「看護師が見つめた人間が病むと言うこと」講談社文庫
■ 同 「看護師が見つめた人間が死ぬと言うこと」講談社文庫

 よく、自費出版等の著作が送られてくることがあるがそれに自筆のサインをして下さる方は少ない。たいていは「著者謹呈」の短冊が添えられているだけであるが、これはちょっと寂しくパラパラ通読後は本箱の片隅行きである。わざわざ送って戴けるのであれば是非自筆のサインをして欲しいものである。そうすれば親しみもグッとわいて来ること必定である。


11/8(日)晴れ 病棟拘束 
3:00起床.ドック判定総括x1。6:35自転車病院。7:40回診。8:30救急カンファ。患者関連書類処理。机上・足下の書類多数処理。9 月中旬の剖検の依頼書もついにし上げた。14:00家内駅に迎えて帰宅。自宅で文献ほか業務。18:30帰宅。夕食、業務若干、20:45就寝。

自転車(13)旭川の川沿を走る(4)最近、鯉たちへの給餌で私の出勤時間が遅くなった
 最近はめっきりと夜明けが遅くなってきている。6:00amでもまだまだ暗い。
 今年の夏までは5:00amが家を出る時間であったが、最近は夜が白々と明けてくるまで家で粘っている。ここ何日かは5:45am頃に家を出る。

 その理由は、初秋以来すっかり友達になった旭川の鯉たちに朝食を振る舞うためである。
 かなり暗くても鯉たちは撒いた餌を結構上手に食べるのであるが、真っ暗闇の中では錦鯉の姿は見えれどもその2-3倍はいる黒い鯉たちは殆ど見えないから、主役である私が全然楽しくない。それに、鯉たちも基本的には餌を目で確認して食らいつくのであろう。明るくなればそれなりに食いつきも良いようだ。雨模様の時は車での通勤になる。ひどい雨の時は私が濡れるから給餌はキャンセルするが、小雨の時は車を止めて餌を撒く。

 鯉がうまく餌を採れない時はどんな時かというと、風で水面がさざ波立っているときと、降り注ぐ雨で水面が乱れているときである。もう一つ、雨で水かさが増して水が濁っているときも採れない様である。恐らく餌が乱反射でよく見えないからだろう。あるいは、こんな時には食欲自体が低下し、節食行動が変化するのかもしれない。

 家を出る時間が遅くなったのは、自転車で通勤を始めたからでもある。
 帰宅時には暗くとも何ともないが、朝に家を出るときに真っ暗だとやはりちょっと気持ちまで暗くなって、ちょっとだけ気後れがする。だから、ペダルにも力が入らない。朝はせめて明るくなりつつある道を、明るい気持ちで爽やかに職場に向かいたいものである。それに、結構寒くなった事もびびる一因である。

 日の出が最も遅いときが冬至と言うことになろうが、それは12月22日頃だからまだ一月以上もある。それまでは今以上に朝が遅くなっていく。日に日にもっと暗く、もっと寒くなり、何れ雪が降る。それにつれて川の水温も下がるだろう。そうなると鯉たちはどうなるのだろうか。恐らく体温も低下し行動が鈍くなり、餌もそれほど摂らなくなるのだろう。

 その辺のことも観察しながらもうしばらくこのペースで頑張ってみる。
 ただ、出勤時間を遅らせると病院に着いてからの時間に余裕が無くなって外来までの時間が若干気ぜわしくなるのが残念である。


11/7(土)晴れ 病棟拘束 家内青森出張
2:30起床、ドック判定総括x1、文献チェック。5:20自転車病院着、6:30回診他、8:30救急カンファ。10:00患者家族面談。12:00家内青森に。19:00自転車帰宅、夕食、21:30日本シリーズ途中から最後まで観る。日ハム敗退、21:40就寝。

首都直下型地震の食料供給 緊急食料備蓄に陰り?
 首都直下型地震が想定されている。
 危機管理対策はいつ来るか分からない、一見無駄に見える壮大な計画を立てなければならない。首都直下型地震に対して具体的対策についてどれだけ準備されているのか私は知らなかったが、二月ほど前に災害時の東京都の食料備蓄について概要を知る機会があった。

 それによると、直下型の大型地震の際、大部分の都民は避難所で暮らすことになり、最初の3日間で4.200万食が必要だと試算されている。4.000万食は都で備蓄しているのであろうが、200万食はどうしても不足しているとのことである。
 昨年12月に決めた直下型地震活動計画によると、全国の24府県が救援物資として東京に168万食を送ることになっており、それ以降は民間から調達する計画になっているらしい。

 しかし、この当てにされている府県の内の5県が景気の悪化等による予算不足で備蓄量を減らしたりしていることがNHKの調査で分かった。そのうちの一県である奈良県は、県の防災計画上で県内の大型災害の際でも食料は県内で調達・供給可能であるとして備蓄を取りやめた、と言う。

 現実に、乾パン等の備蓄は最近計画の20%以下の270万食に減少し、賞味期限が迫っている来年2月にはすべて無くなる予定という。総務省防災課では今のところは供給減があっても民間からの調達は可能であろう、と期待し全体の食料調達計画に変更はないと述べている。

 私は東京に出た際などにいつも疑問に感じていたのは被災者への生活物資の調達についてである。特に、エネルギーなどのライフラインが破綻した際にはどのようにして避難現場まで届けるのか、などつい気になってしまう。防災ヘリなどが多用されることになるだろう。今回知ったのはほんの一部のことだけで、実際には壮大な計画があるのかもしれない。

 同じようなことが秋田で生じた際にはどうなるのか。
 秋田では未だ空間が豊かにあることから問題は遙かに小さいだろうが、厳冬期に大型災害が生じたときはその瞬間から被災者の保温に関しての問題が生じることになろう。十分な機器、燃料、毛布などの備蓄は十分なのだろうか、とつい心配になる。


11/6(金)晴れ曇り 発熱外来担当 永年勤続者院内表彰 生活保護関連診療立ち入り検査 ドック面談診察 魁新聞取材
2:30起床。ドック判定総括x1。徒然。5:50Taxi病院着、6:20回診、患者家族面談他、8:00救急カンファ。9:00-11:30発熱外来。12:30永年勤続者院内表彰、13:30生活保護関連診療立ち入り検査。14:00ドック面談診察x5。重症患者対応。16:00-17:00魁新聞取材。20:30久々自転車帰宅、21:15就寝。

政権交代(11)「自民党をぶっ壊した」小泉元首相(3)当時日米共に相対的不況だった
 第45回衆議院選挙の結果、自公の政権与党が大敗し、民主党中心の政権に交代した。
 半世紀続いた55年体制が崩壊した歴史的な出来事である。先進国、自由主義国において同じ政党が政権を持ち続けることは先ず例がない異様な状況であった、と言える。

 何故こうなっていたのだろうか。
 野党が実力不足で政権担当能力を持たなかったためという考え方もあるだろうが、私は必ずしもそうは思っていない。自民党の保守的政策が日本の文化、国民の心理に良くフィットしていたからである。
 あれほどダメだった森内閣が失脚した後も自民党支持はそれほど落ちていなかった。それが、今回革命的と言っても良いほどの検挙結果になったのは、端的に言えばあの超人気者の小泉元首相が「自民党をぶっ壊した」だけでなく日本が長い間かけて培ってきた「独特の日本的文化、日本的人間関係、日本的就業関係までを徹底して破壊してしまった」事に起因していると考える。

 要するに今回の政権交代は小泉政権がもたらしたもので、安倍、福田、麻生には罪はないと私は思う。

 あきれるほど鈍重で超ダメ首相、内閣であった森政権、あれほどのダメさ加減が小泉首相を誕生させた。キャッチフレーズ「自民党をぶっ壊す」は国民に熱狂的に支持されたが、国民は小泉首相が「自民党をぶっ壊した後に、うまく再構築してくれる・・」と期待したからで、当時の国民はまだ自民党支持であったと思う。

 小泉首相は就任直後にすぐ米国に飛び、ブッシュ大統領と会談を持った。その時、恐らく日米共に相対的不況にあり、国民の不満がつのり始めていた事を互いに危機ととらえ共感し合ったに違いない。

 当時、米国はイラク攻撃で多額の軍事費を使っていて経済的余裕を失いつつあったし、日本は長い不況からなかなか抜け出せないでいた、と言う共通の悩み、困難さを抱えていた。

 ブッシュはあのグリーンスパン氏らの提言もあって、内需拡大のために国民に住宅を購入させることを目論み優遇策を講じ始めていた。住宅の購入が盛んになると言うことは単価が大きいだけに著しい内需拡大になるからである。更に、住宅を購入すれば家具も買う、冷暖房器具も買う、エネルギーも使う、街への通勤や買い物のスタイルも変わる・・等々の経済波及効果は著しいからである。
 しかし、数年後、この政策があだとなり世界的不況に陥ることになるなど、並みいる政治家も経済学者も誰も予想だにしていなかったということだろう。


11/6(木)雨 薬剤部スタッフと打ち合わせ 新型インフ対策会議 外来+ドック説明 
2:20起床。ドック総括、徒然。5:10病院着、6:20回診他。8:00救急カンファ。8:45-14:15外来+ドック結果説明。以降、たまりにたまった書類処理業務。退院患者総括5部ほど仕上げた。まだ20部以上残っていてプレッシャーである。21:00Taxi帰宅.21:30就寝。

会津若松に小旅行(5)みごとな木造建築「向瀧」

追手氏提供


 去る10月11日新潟大学医学部昭和46年卒の同級会が会津若松で開催され出席した。

 学生時代の帰省等は希に東京周りもあったが殆どは磐越西線経由だったから会津若松は何十回通ったか分からない。しかし、降りたのは今回初めてである。 16:50に会津若松駅に到着、会の案内によると会場に17:00集合とあるのでタクシーで「ひがしやま」温泉郷の「むかいたき」と告げ先を急いだ。私は温泉郷も会場名も始めて聞く名前である。

 15分ほどで温泉郷に到着、鬱蒼とした、短い小道を通って会場である宿に到着した。

 聞くところに寄ると、東山温泉郷は西暦740年頃に発見され、東北地方の温泉中、上の山、湯の浜と共に奥羽三楽の一つとして数えられ、とても有名だという。温泉はとても好きなのだが、私は知らなかった。

 さらに、会場となる旅館「向瀧」はこれまた由緒ある木造建築だそうで、確かに感心することしか利であった。明治、大正、昭和と増改築されたというのであるが書院造りの技法を厳格に守って作られており全館統一性が図られているという。建物だけでなく庭園は3千坪もあると言い、部屋からの眺めも一級という。

 この旅館は「登録有形文化財」として登録制度が発足してから全国で第一号として認められたのだとのことである。
 増築増築で山の斜面に這い上がる様に拡張されたのであろう。廊下は複雑に入り組んでおり階段が多い。複雑に組まれた柱は意外と細い感じがした。
 階段は狭く、急峻である。しかも、階段の板はすっかり角が取れて丸くなっており、滑りそうで実に危ない。ここでは手すりが宝である。木製のすり減った手すりの感触がまた良かった。

 私どもが与えられた部屋は3階に相当するのだろうか。数段程度の小階段もあるから良く分からなかったが、私はいつもの如く3:00am前には起き出し風呂に入るために何度か往復したが、足腰の弱った高齢の方々には全く向いていない作りである。バリアフリーの時代、この点だけは何ともならないだろう。
 帰りにはキャリア付きの中型のバッグを降ろすのが大変であった。また、これだけ由緒ある建造物では床に傷つける恐れがあって長い廊下も転がすわけに行かないから一層大変であった。

 会津若松在住の幹事のお陰で歴史を感じ取れる、素晴らしい造作の宿を体験できた。


11/4(水)雨 外来+ドック診察 県労働基準局新型インフ講演 加藤元秋大教授対がん協会賞受賞祝賀会
2:00起床、ドック総括他いつもの如く。5:45病院着。6:10回診他、8:00救急カンファ。8:45-14:00外来+ドック診察。 16:00-17:00県労働基準協会新型インフ講演。18:00-20:00加藤元秋大教授対がん協会賞受賞祝賀会、20:15中座しTaxi帰宅、 21:00就寝。

会津若松に小旅行(4)半日かけて出かけ、1時間も持たず中座した同級会
 去る10月11日は新潟大学医学部昭和46年卒の同級会が会津若松で開催された。
 もう何度目の開催か分からないが、家内はほぼ毎回出席していた。私はつい最近まで一切参加していなかったが、2003年におそるおそる出席し、それ以降は皆勤している。突然、発想が変わって出席するようになった。理由ははっきりしないが、毎年一人で出席する家内の機嫌が悪くなって閉口することと、自身が歳をくって里心がついたからなのかもしれない。

 私どもの同級会は学生時代の古き良き雰囲気をそのまま維持し続けていてとても暖かく楽しい会である。出席していて実に楽しい。まあ、これは個人的感覚であるが、データとしてはっきりしているのは教授を多数、と言っても7-8名であるが、を排出していることで、母校で5名、学外で3名である。これは多い方に属するのではないだろうか。
 それに、もう一つ不思議なことに物故者がなかなか出ないクラスでもあると言うこと。卒後38年も経つというのにわずか1名が、数年前に胃がんで先立たれたに過ぎない。これは希なことで無かろうか。

 今年の同級会は会津若松の老舗の温泉旅館で開催された。建物は年季の入った見事な作りであった。50名近く集まったであろうか。それぞれ年相応に、個性的に老けていた。会は最初に数名が前に立ってミニ広義をしてくれた。「新潟大学の現状と将来」、「レーシック手術」、「ハンガリー・セゲト大学名誉医学博士号授与関連」・・等々である。

 その後、宴会となったが、私は席の周辺の友人から注がれるビールや酒をチョンチョンと飲んでいる内にすっかり酔っぱらってしまい、早々に部屋に引き上げそのまま熟睡してしまった。ものの1時間も持たず、だから会話も数人と交わしたに過ぎない。半日かけて長距離を移動していったのに実に勿体ない結果となった。

 後に送られてきたCDの写真集を見ると、一次会だけでなく二次会も随分盛り上がったらしい。
 翌朝、朝食も出発近くになってから摂ったので殆どの方々は終わっており、数名が同席しただけである。

 この会への出席は、私ども夫婦がまだ元気で生きているよ、と披露するのも一つの目的だからこんな感じでも良い。これでも十二分に至福の時と、出席の目的とを果たせて満足している。


11/3(火)文化の日 寒波・降雪 病棟拘束
1:40起床,何となく開放感か?いつもなら嫌なドック判定総括を一気に4人分処理。文献チェックほか。7:10病院着.重症者回診他。8:30 救急カンファ。10:30帰宅。12:00離秋の長女駅に送る。午睡若干、ドック判定総括x3。その他。19:30夕食。20:30就寝。

中央社会保険医療協議会人事(3)現場の医療関係者の不満は何処に
 中医協委員選定に際して日本医師会推薦者を外した理由について、長妻大臣は、従来は日医の役員が3人、病院団体の代表者が2人だったが、地域医療の再生を重要課題とし、特に病院に対する手当てが緊急の課題だと考えているから今回は医師会関係者、病院関係者を2対3の構成に変えた、のだと説明している。

 人選に関して民主党寄りの人選をしたのではないか、との意見に対して大臣は、中医協は重要な会議で、われわれの考えを理解いただいている方にお願いした、と回答した。これに対し、10月25日に開催された日本医師会臨時代議員会では、中川常任理事は「露骨な報復人事」と強く批判している。

 民主党は今までのいきさつや経過から日医に対して怨念と思われる感情をいだいているとされる。中川常任の言う如く「露骨な報復人事」というのは正しいのかもしれない。日医は長く自民党支持であったし、民主からのアプローチを軽視してきたとされるから、民主党から冷淡に扱われるのはやむを得まい。それが政権交代というものだ。

 ただ、改選された新委員3人は日医の推薦を受けていない。一本釣りで、しかも自分達の支持者から集めたことである。国民の命を守るきわめて大事な会議である中医協をそんな都合の良い発想で構成して良いものか,疑問を感じる。
 同じ事は,鳩山家に伝わる友愛という家訓?が、首相の個人的な政治理念から、いつの間にか民主党の,国政の基本理念になってしまったように、なんか公私混同的、党利中心の考え方の押しつけのように思えてならない。

 従来,中医協での審議内容に対する医療関係者の不満は委員を推薦した日本医師会とか病院会とかが中間で受け止め現場を納得させてきた。現に、診療報酬改訂年の日本医師会の代議員会は中医協における委員の発言とか妥協点とかをめぐって紛糾するのが常であった。また,医療現場は日医の姿勢を責めることで渋々納得してきた。
 今後、現場の不満は何処が受け止めるのか??委員個人を責めてもしょうがあるまい。だから、民主党、厚労大臣が受け止めることになろう。

 大臣は医療を含む社会保障費用を大幅に増額すると言っている。国の低医療費政策はやっと改善される。ありがたい発想である。上手く行って欲しいのだが、財務省は現状維持としているらしいから厚生行政の行く手は決してバラ色ではあるまい。
11/2(月)降雨、底冷え 初雪 管理会議 療養病棟判定会議 長副会議
1:30起床、ドック判定総括x3、文献チェック、その他。5:45病院へ、昨年フロントガラ初氷結。本日夕方から冷える予報。6:15回診他。書類書き、7:45管理会議。退院患者総括数冊。16:00-16:30療養入棟判定会議。17:00-18:50長副会議。21:00帰宅、夕食、 21;50就寝。

ついに初雪 冬の季節になった こころはもう除雪に向かっている
 昨年の今日の早朝、外に駐車した車のフロントガラスががっちりと凍結した日であった。全く冬支度もしていなかったので困惑したが、どうやって溶かしたのか記憶にはない。

 今朝はかなり冷えている。わが国の上空には寒気団が迫っており今晩から秋田地方も雪になる可能性が高いという。昨晩のTVで旭川、札幌の雪景色が報じられていた。例年に比較して今年の初雪は1-2週間も早いと言う。ついに冬がきた。

 早いものである。もう11月。つい先日年賀状から解放されたかと思ったらもう年賀状が発売されたというニュースである。
 初雪は私にとっての4つの節目の一つである。

 私の季節の節目はやはり正月から始まる。何だか分からないが良い意味で心のリセットができる。ただ最近は今頃,11月頃から新年の挨拶文を法人や病院の各部署から求められるからちょっとクリアな節目と言い難い面もでている。この日から次の節目の桜までは良い季節に向けての助走という感じの季節である。

 次は桜の時期でこの日からは大好きな夏の季節に向かう。私にとって全てが高揚する時期で,ギンギラの太陽が最高である。それも盆の8月13日で切り替わる。どんなに暑くとも私にとってはこの日が秋への切り替えの日である。高揚から緩徐な下行期に移る時期である。

 そして、今ついに初雪を迎えた。

 この日からやはり私にとっては耐える時期、と言うことになるのだろうか。それと雪との闘いに向けての心の準備に入る時期でもある。私の家は市の道路からのアクセスがとても悪い。細くて距離もある。だからある程度の積雪になると車の出入りも困難になるからとにかく除雪が必要である。この時期になると何でTOYOTAはPriusに4輪駆動車を出さないのだ,と思う。実際には除雪機を使うので身体的にはそんなに辛いものではないが,踏み固められては遅いから早朝にやらなければならない。また、日中降れば帰宅後にもやらなければならない。手伝ってくれる近所の若者もいるのでとても助かっているが、この除雪が歳と共に心の負担になっている。

 今年の冬は防寒着を準備して、暖かく,出来るだけ歩いて出勤したいと考えている。とにかくより積極的に過ごして次の節目まで乗り切りたいものである。
11/1(日)雨 病棟拘束 入院家族面談 第一回あきたがんフォーラム講演  
2:00起床。新聞チェック、講演準備。4:00Taxi病院着。講演準備。6:30回診ほか。8:30救急カンファ、9:00入院家族面談。 12:00ジョイナスへ。13:00-16:30第一回あきたがんフォーラム、講演「秋田県民ががんについて知っておくべき事」。18:30帰宅、家内も帰宅。微睡み夕食、19:30夕食、20:30就寝。

「秋田九条の会」五周年記念憲法講演会に参加して
 去る9月19日日曜日、秋田県児童会館ホールで、「秋田九条の会」五周年記念憲法講演会が開かれ,参加した。

 講師は国際開発センター会長の品川正治氏で「戦争・人間・そして憲法九条」というテーマで講演した。私はその前の週に福島市で行われた東北医連総会の特別講演で同氏の講演を2/3ほど聴講したが、JRの時間のために後ろ髪引かれる思いで中座したのでお聴きするのを楽しみにしていた。

 会はソプラノの赤木一子氏、ピアノの石黒アヤ子氏で「死んだ少女」、「赤とんぼ」等を歌った。前者は意味深い反戦の曲であった。

 講師の品川氏は損保関連業界の重鎮で今は国際開発センターの会長として現役で活躍されている。1924年生まれの85歳、70歳頃からこの様な運動を行っているという。経済界では異端とされているらしい。
 20歳で招集され、中国の最前線で戦闘体験、今でも身体に焼夷弾の破片が残っているという。復員の船上で日本国憲法草案に出会い歓喜した、とのことである。実際に戦闘の場で闘った立場からも戦争は絶対に認められないし、それを世界に宣言しているのが憲法九条であり、今や世界の宝として守らねばならない、などと淡々と訴えた。

 会の終了時、ロビーで品川氏の著書が販売されており「戦争のほんとうの恐さを知る財界人の直言」を購入、サインも戴いた。先日の京都、東京方面への出張の際に熟読したが、内容は各地での講演の記録が中心で読みやすく、素晴らしい著作である。

 私は最前列に座ったので印象では参加者はそれほど多くない,勿体ないと思われたが、主催者は180人ほどと言っておられた。翌日は湯沢市で同氏の講演会が行われ、220人が参加した(魁新聞)。

 最近、各界の講師による講演会を聴くのが楽しみである,尤も途中必ずと言って良いほど睡魔が襲うので録音を録りながら聴く。
 今回の「秋田九条の会」は2回目の参加であるが,共通にいだいた印象はとても暗い雰囲気、若者の参加が少ない、と言うことである。
 私も寄付とか,賛同の意思表示とかの小さなアクションしかしていないが、「憲法九条」は世界的にみても絶対的に価値がある条文であり、国民320万人、アジア・太平洋地域で2.000万人も命が失われた、唯一の被爆国であるという二度と繰り返してはならない経験を持つわが国は大事に守るべき条文と思っている。この日の氏の講演をお聴きしてその思いを一層深くした。


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   年を通じてワンパターンで淡々とした毎日です。AM2:00-5:00にメールチェック・返事送付、人間ドック(HDD)判定・報告書作成、新聞切り抜き、病院・医師会業務など。
  月〜土曜は6:00頃出勤、HDD報告書印刷、外来書類処理など。病棟回診、HDD受診者とミーティングと診察。8:45-14:00外来とHDD受診者に結果説明。昼食は摂りません。午後は病院業務・医師会業務、各種委員会等に出席など。20:00頃帰宅。
  日曜・祭日もほぼ同様ですが、病院には午後出かけます。時間的に余裕無いのが悩みです。


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