徒然日記
2009年10月分

 日記と言うより、自分の行動記録からの抜粋と日々の雑感です。

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先月の日記          来月の日記


10/ 31(土)病棟拘束 患者家族面談 中通高等看護学院同窓会創立30周年記念講演会+祝賀会 秋田市医師会No1功労者表彰+医学集談
3:00起床、講演準備若干、徒然。5:10病院着、6:20回診他、7:00患者家族面談。8:30救急カンファ、11:00中通高等看護学院同窓会創 立30周年記念講演会(宮子あづみ氏)+祝賀会、16:30秋田市医師会No1功労者表彰+医学集談会(二木 立氏)。20:30帰宅、21:00就寝。

HPが丸8年を迎えた 
 当ホームページは、本日で開設後8年を迎えた。9年目のスタートである。

 ほぼ連日更新しているが、良くまあここまで続いたものだ。最近は何かと多忙な日が続いている。更新する時間確保に四苦八苦する日も多くなってきた。更新できていることは自分の活力の維持が何とか出来ていると言うことのバロメーターでもある。

 この一年も思いがけない方々からコメントを戴いたり、メールを戴いた。すべての方々に返事できないのが残念であった。

 丸8年継続したこのHPは、何かにそれほど役立っていると言うことはないだろう。ただ、記録していないと自分の昨日の事すら思い出せないこともある。結局は自分の生活記録のため、自己満足のため、という月並みな結論を今年も得た。
 本日は9年目のスタートであるが,今まで通り続けるつもりである。


10/30(金)曇り 午前発熱外来 県地方独立行政法人評価委員会 準夜発熱外来 
2:00起床、昨日から家内不在、夜半に長女帰省。新聞チェック他講演準備少々。5:10病院着、6:10回診他。病棟書類処理業務、重症者対応。9:00-11:30発熱外来、病棟患者対応、13:30-16:20県地方独立行政法人評価委員会。17:00-21:50発熱外来。22:30帰宅。23:00就寝。2回の発熱外来担当は厳しい。疲弊した。

中央社会保険医療協議会人事(2)病院と診療所と機能の区分けこそが必要
 中央社会保険医療協議会(中医協)で診療報酬の配分をすれば、そこでは日医の力が強く、開業医に比較して病院に薄くなる。この状況を見直さなければ、勤務医の待遇の改善に結びつかない、との認識は一つの考え方として浸透している。しかし、私はそんな配分の調整のレベルの発想では全然解決しない、と考えている。

 それと、日医の力で開業医に比べて病院の再診料は低く抑えられてきた、のははたして本当なのか検証が必要であろう。
 国民医療費という絶対的に少ないパイを互いの立場で主張しなければならなかったところに第一義的な問題がある、と考える。

 ここ1-2回の診療報酬の改訂において病院の医師不足や救急患者の受け入れ能力の低下、小児科、産科診療の縮小、書類書き等の診療外業務の増加など、病院勤務医の厳しい実態が明らかにされ、救急医療の報酬を増やすといった病院経営への配慮がなされたが、その配分は微々たるもので、診療報酬の増加分は苦しい病院運営の中に埋没して具体的解決には結びつかないレベルであった。 
 民主党、長妻氏は医療費全体を底上げすると言っている。そうであれば期待したいところであるが、問題は、財源をどうするかである。

 今回の中医協の人事によって病院の勤務医などに手厚く配分することが可能かどうか、が問われるのであるが、私はこんな事では根本的解決にならない、と考えている。日本の医療提供体制を根本的に変える必要がある。
 これを病院医療の面から考えた場合、大規模病院から外来部門を切り捨てて入院医療に特化させるべきである。我が国の病院の外来部門の診療機能はほぼ診療所機能そのものであると言っていい。実に非効率である。

 病院の外来部分は紹介患者の精密検査、救急診療と退院後間もない患者の経過観察、外来化学療法等の範囲に限定すべきである。その上で診療機能に応じた診療報酬を確立していけばいい。機能を分ければ互いに独立した診療機能だから分配という概念もなくなる。

 この病院と診療所の棲み分けは従来から言われてきていることであるが、病院は入院診療だけでは成り立たず外来からの診療報酬がないとやっていけない。

 政権交代を機会に医療行政も変わっていくのは当然であるが、病院機能を明快に区分けしていく良い時期だと考える。病院が入院医療に特化すれば医師不足も一気に改善するし、勤務医のモチベーションも維持される。診療所機能も向上する。
 国民医療費は効率的に使われるべきであろう。


10/29(木)晴れ 外来 インフワクチン接種問診係
2:15起床。日曜日の講演準備着手。準備時間なく焦る。6:00自転車病院。6:30回診等病棟業務。8:45-14:20外来+ドック説明、15:00-16:10インフワクチン接種問診係。入院患者3人対応。書類処理。20:45帰宅、夕食、21:40就寝。

中央社会保険医療協議会(中医協)人事(1)日医推薦枠外しには驚いた
 診療報酬改訂は2年ごとに行われるが、改定率は政府が決定し、実際の医療における配分は中医協で行われている。ここでは限られたワクの中で、初診料、再診料などをはじめ、一つ一つの診療行為の点数や薬品の値段などを決めてきた。とても重要な協議会であり、医師の大部分はこの協議会の動向に一喜一憂させられて来た。その中医協の人事が10月27日に長妻厚労相から発表された。

 ある程度予想されていたことであるが、今回は3人の日本医師会の執行部メンバーが外され、代わりに茨城県と京都府の医師会の幹部と山形大学医学部長1人が入る事になった。これらの方々は勿論医師会員であろうが、いずれも日医の推薦を受けていない。この会から外されたことは日医にとっては大きな打撃である。

 長妻厚労相は診療報酬を見直すことで「医療崩壊を食い止める」とし、その考えと、地域性等を勘案して委員を選んだと会見で述べた,とのことである。
 民主党は政権公約で、医療再生のために「医師の増員」、「医療機関の診療報酬の増額」を掲げている。来春の報酬改定では医療関係者誰しもがこの公約の実行を期待していた。
 民主党は厳しい勤務医の就業環境改善するために病院の方により手厚く診療報酬を配分する方針で、そのためには開業医の利益追求集団である日医からの委員を3人共排除したと言う。これによって医師委員5人のうち病院を代表する医師が3人に、開業医の代表は一人になった。だから、地域の医療を支える病院に厚く上積みすることが期待される、と言うわけである。

 病院関係者としては朗報としてもとらえることが出来るが,私は何かすっきりしない政治的判断を感じる。先日の代議員会で日医のある役員は中医協から日医推薦委員を排除する動きがあるが,それが本当なら報復人事であると述べていたが、私もその感覚は捨て去ることが出来ない。
 政権交代である。しかも、先日の選挙までは日医は自民党を濃厚に支持してきた。民主党とは距離を置いてきた。だから、何らかの動きがあることは十二分に予想されていたが,日医推薦ワクの全員が外されたことは厳しい結果であると言わざるを得ない。

 マスコミはこぞって厚労省の決断に賛同の方向で社説などで採り上げている。
 ただ、その論調は来春の診療報酬改訂の方向性の目に見える転換という評価もしているが,それよりも日医推薦ワクが外されたことの意義の方を高く評価している、と私には読み取れた。


10/28(水)晴れ 患者家族面談 外来 中通病院友の会理事会 県医師会理事会
2:30起床。ドック総括他。6:15半行程徒歩病院着。6:30患者家族面談、回診等病棟業務。8:00救急カンファ、8:45-13:45外来、14:00友の会理事会。。167:30-18:40県医師会理事会。20:45自転車帰宅,夕食、21:30就寝。

自転車(12)旭川の川沿を走る(3)いえ、生ゴミの廃棄ではありません
 最近早朝は寒く、日が明けるのも遅くなった。5:30過ぎにやっと明るくなり始める。だから、徒歩と自転車通勤の際には出発をこの頃まで遅らせる。
 途中からしばらく秋田市の中央を流れる旭川に沿って歩いたり走るのだが、久保田新橋の付近には30-50cmほどの鯉が数10匹いる。9月中旬頃から買い置きの食パンやパンの耳を古い順に細かくきざんで鯉たちにほぼ毎日与えてきた。

 10月12日ミニツアーの際、会津若松の天国茶屋という料理屋(?)で昼食を摂ったのであるが、客室の下の大きな池に鯉が多数いた。旭川のより1-2周り大きな見事なサイズであった。店長さんは枝豆の殻等も食べますからどんどんやって下さいとのことで、半信半疑で窓から投げ入れたところ喜んで食べた。ついでに私どもが食べ残した鮎の頭や骨、内蔵なども適宜与えたらこれらにもガツガツと食らいついた。見事な食べ方であった。店長さんの説明では枝豆の殻も、魚の内臓も立派な食品ですよ、とのこと。私どもに言ったのか、鯉の立場で言ったのか意味深でちょっと考えさせられた。

 このことで私が学んだのは、旭川の鯉にも必ずしもパンでなくて良さそうだ、ということである。残った食品を与えても良さそうだ。そんならパンの工面にも準備にもさほど困らない。

 以来、我が家で出た果物の皮や芯、調理の際に発生した野菜くず、その他の食品の一部などを細かく切ってザルに広げてある程度乾燥してから与えている。これだとカモに横取りされてもあまり苦にならない。確かに、最初の内は鯉たちも何じゃこれは、と戸惑っていたのだろう、食いつきはあまり良くなかったが、以来2週間ほぼ毎日与えている内によく食べるようになってきた。嬉しいことである。

 ただ、パンから切り替えて以来、私はちょっと人の目を気にしている。
 時間的に滅多に通らないから良いのだが、事情の分からない方が見たら初老の男が毎日早朝人目を避けて生ゴミを橋の上から川に捨てている、と言われかねない。確かに端から見たらそれとは区別つくまい。

 誤解されないこつはコソコソと撒かないことなのだろう、と思って堂々と撒いている。


10/27(火)雨のち晴れ 新型インフ対策会議 外来 朝日新聞取材 法人常務会 新型インフワクチン接種 県医務薬事課スタッフ来訪打ち合わせ 車いす贈呈式 県医務薬事課・健康推進課スタッフ来訪打ち合わせ 医局カンファ 県がん対策推進委員会  
2:00起床。ドック総括他。5:20病院着.6:20回診。7:45-8:30新型インフ対策会議、8:45-13:45外来、14:15朝日新聞取材、14:45-15:30法人常務会、15:45新型インフワクチン接種受けた。16:00県医務薬事課スタッフ来訪打ち合わせ、 15:20車いす贈呈式、17:00県医務薬事課・健康推進課スタッフ来訪打ち合わせ、17:30医局カンファ、18:00-20:05県がん対策推進委員会。 21:20帰宅、22:10就眠。座する間もない大変な一日で疲弊した。 

ブタインフ(37)発熱患者急増で救急診療、一般診療に影響 市、市医師会長に要望書提出
 新型インフルエンザ流行で発熱患者が医療機関に殺到し、特に診療所が診療を行っていない土日・祭日の救急診療対応の病院の患者数は急増して医療現場は混乱している。
 患者、家族から医師、病院への必要以上の要求が増し、更に学校や職場から不要と思われる診断書・証明書の発行を求められ、診療現場の業務が増えている。既に、救急診療、一般診療に影響を及ぼし始めており、これ以上の対応は病院としては困難である。

 この状況は今後も続く。更に増加する可能性も秘めている。これを乗り切るには大規模病院への発熱患者受診を少なくする必要があるが、来院した患者をお断りすることは出来ない。そのためには他の施設で発熱患者を診療する必要がある。
 私は9月9日に秋田市救急関連の会議の席上で現状のような状況が十分予測されるので、秋田市保健所、秋田市医師会長に対し発熱外来センターの設置を要望したがまだ開設に至っていない。

 もうこれ以上待てないので先週、秋田市内の病院院長に呼びかけ、4病院の院長名で秋田市保健所、秋田市医師会長に要望書を提出した。

平成21年10月24日
秋田市医師会長
 ○○殿 

秋田赤十字病院  院長○
             私立秋田総合病院 院長○
             秋田組合総合病院 院長○
             中通総合病院  院長 福田光之

  夜間・土日祝祭日の発熱外来センター早期設置についてのお願い

拝啓 貴職におかれましては益々ご清祥のこととお慶び申し上げます。

 さて、秋田市内において新型インフルエンザ感染者が急増しております。

 私ども市内4病院では発熱外来を設置して対応しておりますが、最近発熱患者が急増し連日厳しい対応を迫られております。特に、診療所が診療をしていない夜間、土日祝祭日の患者の増加は顕著で、通常の診療や救急外来診療にも影響が及び始めております。

 このままでは早晩発熱患者への医療供給体制の制限や縮小を行わなければならない事態を迎えます。

 貴医師会では保健所と協議して発熱外来センターの設置を進めておられるとの事ですが、一日でも早く開設して戴きたく、よろしくお願い申し上げます。

 業務ご多忙のところ誠に恐縮に存じますが、なにとぞご理解のうえ、ご協力賜りますようお願い申し上げます。


敬 具


10/26(月)雨 管理会議 外来 療養病棟判定会議 長副会議 
1:30起床、ドック判定ほか文献整理。4:10病院着、6:00回診他、7:45-8:30管理会議、8:45-15:00外来、混雑。16:00療養病棟判定会議。17:00-18:50長副会議。重症患者回診。21:10帰宅、21:45就寝。

久々の京都、東京方面への出張(1)患者、紅葉の秋田道、濃霧の空港
 3月から5月にかけては4回ほど立て続けに東京出張があったが、それ以降の数回は東北圏内のみで東京は今回まで約半年無かった。久々の空路であった。

 出発の前日に重症であった患者3名がほぼ同時に呼吸状態が悪化した。通常ならそう慌てないが出張直前だけはちょっと焦ってしまう。
 私は出張中であっても病棟や外来から電話連絡を受け自分で可能な範囲の対応する。しかし、物理的に困難な事態の場合、代理医師に対応をお願いすることになる。日常はカルテ記載をサボっているため、こんな時は大変である。代理医にまさか真っさらのカルテなど見せられない。だから、今回は3:00amに出勤し急ぎ処理し何とか間に合わせた。出張中はPHSと携帯を身から離さなかったが、患者関連の連絡は一度も来なかった。
 帰ってみると、幸いなことに比較的良い状態で安定して経過した様である。それにしてもいつも何で出張直前になると患者が重症化するのか?
 気持ちよくさらっと出かけられることは先ず、無い。これは私にとって謎である。
 
 病院を出たのは6:20amで、外は雲一つ無い快晴で、秋田道経由で空港に向かったが、途中の山々の紅葉が朝日に映えて実に美しかった。しかし、空港直前の1Kmほどの高台から見えたのは空港をすっぽりと覆っている不思議な形をした濃霧であった。滑走路を含む空港施設部分だけが白いテントを被せたが如くになっており、周囲の爽やかな景観の中でとても幻想的であった。空港近辺では濃霧のために視界が悪く、路上のライト直前のセンターラインしか見えないほどであった。こんな濃霧の中の走行は久々の経験である。道路一つ隔てた駐車場からも空港ビルの灯りがぼんやり見えるだけであった。
 
 実に不思議な光景であったが、恐らく空港の施設周辺だけが遮る者がないために放射冷却現象が著しく、気温が周囲の山々よりかなり低くなったために、湿気が一気に霧になったのであろう。無風状態も関連してこの様な状況が出来上がったと推定した。自然の山々は気温の保持にも大きく関与していることが形として見えたのだと推定した。

 濃霧の中では時間通りの運行が出来ないだろうと危惧したが、定刻前、朝日が昇るにつれて徐々に霧が晴れ、ほぼ定刻の7:22am離陸した。機種は B767-300でほぼ満席で窮屈であった。素晴らしい快晴であったのに気流は不安定だったのだろう、全行程小ないし中等度の揺れが続き客室乗務員もほぼ着席の状態であった。


10/25(日)東京・秋田曇り 日本医師会第121回臨時代議員会
2:00浅草Viewにて起床、持参の新聞チェック、ドック判定総括x1。文献整理、徒然など。7:30葉っぱ中心の朝食。8:30日医会館へ。 9:30-16:10日本医師会第121回臨時代議員会。予定より遅れて進行、中座して帰路に。浜松町書店で新書数冊購入。18:00JAL A300-600R満席。10分遅れで離陸、20:00帰宅、夕食、21:30就寝。

ブタインフ(36)新型用ワクチン(3)10月26日の魁新聞記事
 新型インフルエンザワクチンの投与開始時期であるが、まだ紆余曲折している。10月26日から妊婦や基礎疾患を持つ人を対象に新型インフルエンザワクチン接種の予約が始まる。
 それを前にして出張前に魁新聞の取材を受けたがその記事が今朝の朝刊に掲載された。予め記載内容について連絡があったので、表現のきつい部分や外して欲しい部分を改訂して返送したが、何故か原文のままとなっていた。浅草Viewから送ったのでうまく着かなかったのだろうか?大部分は原文通りだが、以下が改訂した文章である。
  

秋田市を中心に県内でも新型インフルエンザ患者が急増している。そんな中、きょう26日から妊婦や基礎疾患を持つ人を対象とした新型インフルエンザワクチン接種の予約受け付けが県内494の受託医療機関で始まる。本格的な流行を前に、予防接種についての注意事項や予防対策などについて、県医師会副会長で県健康づくり審議会感染症対策分科会・新興感染症部会長を務める福田光之・中通総合病院長に話を聞いた。

  現在の県内のインフルエンザ感染状況は。
 福田 最新の県感染症週報(12〜18日)によると、県内のインフルエンザ報告数は全体的に増加している。中でも秋田市は1定点医療機関当たり 54・82人と前週より倍増した。この数字が30人を上回るということは、予防対策をしっかり行わなければ次から次へと患者が増えていく危険があることを意味する。

  このような状況の中、新型インフルエンザの予防接種が始まった。副作用のリスクがまだ正確に分からない段階でのスタートとなるわけだが…
 福田 まず認識してもらいたいのが、新型インフルエンザワクチンに限らず、すべての医療行為にはある程度のリスクが伴うということ。リスクと効果を比較して、効果が上回るのであれば、その医療行為は行う価値があるといえる。
 ワクチン接種では、個人の防御ばかりが強調されがちだが、多くの人がワクチン接種を受けることで、接種していない人の感染も予防できる「集団免疫」という考え方が重要だ。国民の8割が新型ワクチンの接種を受ければ、国内での新型インフルエンザ患者が劇的に減少することは間違いない。


  優先接種対象者の接種が一段落し、一般の人向けにワクチンが回るのは年明けになりそうだが、それからでもワクチン接種する意味はあるのか
 福田 今季に関しては接種する意味は十分ある。現在は免疫を持たない人が多いので大変な状況を迎えているが、1−2年たてば対応はもっと楽になるはず。それまでは積極的に接種を検討してほしい。

  国産ワクチンと輸入ワクチンによるリスクの違いは。
 福田 当面は国産ワクチンだけの接種となるが、従来の季節性ワクチンと製造方法が同じなので、リスクも同レベルと考えられる。国産ワクチンを接種していけない人は基本的にいないが、当日具合の悪い人、発熱のある人はワクチン接種をしない方がいいだろう。また、卵アレルギーのある人や、過去にワクチン接種で具合が悪くなった経験がある人は、医師と相談してほしい。副作用の程度にもよるが、重大な基礎疾患を持つ方は接種する価値はある。

  輸入ワクチンのリスクはどう考えるべきか。
 福田 製造法によって違いはあるが、水銀、免疫賦活(ふかつ)剤などが含まれている場合がある。それが直ちに問題となるわけではないが、日本での前例がない分、日本人と欧米人の体質の違いによる未知のリスクが起きる可能性は否定できない。ただ、欧米で実績があるワクチンだから、極端なリスクがあるとは考えにくい。

  新型ワクチンと季節性ワクチンは同時に接種してもよいのか。

 福田 本来なら別々の方が良い。やむを得ない場合には国産ワクチン同士なら問題はない。輸入ワクチンの場合、製造法に違いがあるため、大事を取って間隔を置くべきだ。

  新型インフルエンザの流行がピークを迎えようとしている中、県民が注意すべき点は。
 福田 季節性インフルエンザでは高齢者を中心に年間1万人が亡くなっている。新型インフルエンザによる死者は我が国では30人程度と今のところ少ないが、基礎疾患を持たない小児や健常者も急死している。大多数の人にとって、季節性と新型の対処法に大差はない。過剰に心配せず、さりとて侮ることなく、よく勉強して対応してほしい。マスクの装着も大事だが手洗いの方がはるかに重要だし、免疫力を落とさないために食事や睡眠を大切にし、無理をしない生活も大切だ。

(2009.10.26魁新聞朝刊に改訂前記事掲載)


10/24(土)京都曇り・東京雨 日本血液学会総会二日目 東北医連打ち合わせ会議+情報交換会
2:30三井ガーデンホテル京都四条にて起床、ドック判定総括x1. 再検査結果報告。7:30葉っぱとコーヒー中心の朝食、レストランは混雑。9:00-14:20国際会議場。15:02新幹線にて東京、九段下のホテルグランドパレスへ。18:30-20:30東北医連打ち合わせ会議+情報交換会、21:00浅草Viewへ。21:20就寝。

京都の舞妓さんを見てマイケル・ジャクソンを連想
 日本血液学会は二日目の午後中座し、日医代議員会関連の会合に出席するために東京に移動した。荷物を預けていたホテルから駅までタクシーを利用したが、途中歩いていた二人の舞妓さんとすれ違ったのでその姿を間近で見る事が出来た。正装なのだろう、静かにおしとやかに歩いていた。見事な姿であった。タクシードライバーによると、街中では滅多に見られないのだという。

 表情は見る事は出来なかったが、顔はうなじまで白く塗られ、口紅だけが目立っていた。本や写真集にある如くの姿そのものであった。私はいつも不思議に思うのだが、舞妓さんは何であんなに白く厚化粧するのだろうか?個性を隠してあえて人形的に変身しているのだろうか。勿体ないことである。

 私は舞妓さんの姿を見て、はるかに遠い世界のことであるが、今年6月に死去した、Mジャクソンを連想した。何で結びつくのか、と思うほどの違いであるが、顔の白さ、人間らしい表情が見られないことが私にとって異様に感じられることが共通している。
 
 Mジャクソンは1980年代、卓越したダンスとハイトーンの歌声で人気の頂点を極めた世界の大スターと言うべきなのだろうが、私自身は名前しか知らなかった。黒人であったことも知らなかった。90年代には少年に対する性的虐待がスキャンダル化し人気は一気に落ちたとされるが、彼の死は全世界のファンに、黒人達に大きな衝撃を与えた、という。

 彼の死をきっかけにTVで流された映像を垣間見る機会が何度かあったが、実に不思議な世界であった。宇宙人的イメージの衣装をまとい、派手な照明、スポットライトが行き交う中、細身の身体を激しく動かす、セクシーとも言える異様なダンスと歌声で、今まで見たこともないような異質な雰囲気で、私も衝撃を受けた。彼の動きはあたかもロボットやサイボーグを思わせる世界であった。その上、顔面は気味悪く、真っ白く塗られて人間離れしていたのが不思議でもあった。彼は何故に顔面を白く塗っていたのか、彼ほどの大スターでも乗り越えられない葛藤があったのだろうか。

 静と動、京都で舞妓さんを見て、ついMジャクソンを連想した。


10/23(金)秋田・東京・京都超快晴 No71回日本血液学会総会初日
2:00起床、ドック判定総括x1。3:10出張準備と重症患者対応のために出勤、重症患者申し送り事項をカルテ記載、回診他。出張直前にいつも患者が重症化するのは何故だ??6:10病院発、秋田道経由空港へ。7:15発ANA、9:00羽田発ANAで伊丹へ。京都へバスで移動、地下鉄にて国際会議場へ。17:30三井ガーデンホテル京都四条泊。微睡、20:00夕食。ドック判定など持参の業務処理。本読みなど。22:00就寝。

第71回日本血液学会総会 私は認定医・指導医資格を返上すべきだろう
 10月23日から3日間京都国際会議場にて第71回日本血液学会総会が開かれる。「日本血液学会」、「日本臨床血液学会」が統合して2回目の総会になる。最近はもっぱら聴講だけであるが、これらが別々の時には出席の時間確保も困難であった。その意味では統合してとても良かった。

 私は一応この学会の認定医、指導医である。秋田大学で学んでいたときのキャリアで戴いた資格であるが、病院にとっても研修病院として名を連ねるのに必要なので今日まで維持してきたが、そろそろ返上しようか、と考えている。今日の演題を聞いていてもさっぱり理解できなかった。血液学も遙か遠くに去って行ってしまった。もう完全に見放された。こんな感じである。その原因は総て私の不勉強にあるのであるが、こんな私が認定医、指導医の資格を所持していることは学会に対しても患者型に対しても冒涜でもある。返上すべき時が来た。
 しかし、資格を有する医師が私の立場を継いでくれるまでは、とも思う。ダメならばっさりと諦める。今回の出張も名目上は更新手続きのためとの位置づけである。

 京都のホテルの確保はJTBを通じたが、今年も難渋したらしい。昨年はリノホテルというところであったが、今年は三井ガーデンホテル京都四条のツインの一人使用となった。秋田にいると意識することはないが、秋の観光シーズンたけなわだからであろう。静かなホテルである。2007年にリニューアルオープンとのことで280室ほど、550人宿泊可能とのことだから比較的大規模と言うことになる。夕食は20:00にホテル内のレストランで摂ったが、なぜか客は私一人だけで実に快適であった。

 私は今のところ旅行と言えば学会だけであり、その際にはホテルと学会場を往復するだけで観光などは一切しない。まだ知識欲は結構あるからそんな気持ちになれない。
 それでも秋の京都国際会議場周辺の景色、山々の紅葉はいつ見ても美しい。国際会館自体、周辺の造園は縄文時代のイメージであるが周囲の風景にマッチして素晴らしいと思う。未だ若干紅葉には早い様であった。この美、情景は十分脳裏にたたき込んだ。

 来年の第72回日本血液学会はここと対照的により無機的近代都市空間の横浜パシフィコとのことである。


10/22(木)快晴 麻酔科と懇談 外来+ドック結果説明 魁新聞取材 内科病棟診療部会 療養病棟診療部会議 
2:00起床、ドック総括、他、6:10徒歩病院着。6:30回診など。7:45-8;30麻酔科医師と懇談、8:45-14:10外来+ドック結果説明、14:40-15:10内科病棟診療部会15:15-16:県00魁新聞取材。17:00-17:50療養病棟診療部会。出張準備。21:20 帰宅、夕食、21:55就寝。

日中に睡魔 慢性的睡眠不足生活は限界に
 「追われ心」という単語があるのを最近新聞で知った。いつも何かに迫われるように先を急ぐ気分を言うそうだ。まさしく毎日の自分はそれそのものである。尤も、私の場合、外的因子だけでない。私自身が何かに追われている、何かを追っていると言う緊張感が好きだから、でもあろう。

 最近、一層時間に追われている。開放感ゼロである。

 ここ10年以上、毎年、新年の抱負に、今年こそはこんな生活を何とかしなければならぬ、と目標を掲げるのであるが、この件に関しては完全に三日坊主である。
 私は「継続は力である」という言葉が好きで、座右の銘の一つにしている。それに沿ってやっているわけでないが意識的に継続し続けている項目は数種ある。この徒然は一つのサンプルである。

 病院の机上、椅子の後ろの床には未処理の書類やドック関連書類、外来カルテ、書籍などが積もり重なっている。退院総括を、書類を、紹介状を、剖検依頼書を早く、と各部署の担当からの無情な伝言も置かれている。
 かつて私は仕事の処理は早いほうであった。殆ど請求を受けたことはなかったと自負している。医師になってこの方、ここ2-3年前まで未総括カルテ一覧に名前と連ねたことなどはなかった。それが、今や机上には今日の段階で未総括カルテが22冊も総括を待っている。

 木曜午後から月曜朝まではこれらの処理に集中してあたるが、なかなか処理し切れていない。これら処理できないでいる理由は、■私が対応できる時間以上に処理物件が多い、■時間的余裕が一層乏しくなって処理に集中できる環境でない、■オーダリングになって自分のパソコンで総括できなくなった、■DPC時代を迎えて入退院患者数が増えた。9月中の退院数は15名、■入退院時に入力すべき項目が増え、時間をとられる、■患者が持ち込む書類が更に増えた、などがある。加えて、■私自身の体力低下、集中力低下、処理能力低下、が挙げられる。

 最近外来の最中にも眠くなる。夕方にも睡魔が来る。これは体力不足、処理能力低下の証でもある。年々ひどくなっているようである。年齢を感じる。処理に時間がかかるから仕事がたまる。朝早く起きねば処理できないから睡眠不足になる、それと共に不整脈も増える、と言う悪循環に陥っている。

 今の生活様式を何とかしなければなるまい、健康にもすこぶる悪い、と気持ちだけは焦っている。その方法は仕事量を減らすことである。何から手を付けようか、何としようか、と焦っている。


10/21(水)降雨 新型インフ対策会議 外来 AKT収録 県健康推進課・医務薬事課と打ち合わせ 院内感染症対策委員会 法人永年勤続者表彰
2:00起床、ドック総括、他、5:10病院着。6:30回診など。7:45-8:30新型インフ対策会議、8:45-13:20外来+ドック診察他、13:30 AKT収録、16:00県健康推進課・医務薬事課と打ち合わせ。16:40院内感染症対策委員会に。17:30-19:30法人永年勤続者表彰。 21:30Taxi帰宅、21:50就寝。

政権交代(10)「自民党をぶっ壊した」小泉元首相(2)なぜ親米的に?

 小泉首相は就任当初はあれほど親米的だったのか?と思う。あまり記憶がない。気が付いてみたら超親米的であり、日本の歴史や文化を軽視する方向に大きく動いていた。

 政治家は、特にトップに座する政治家は随分広い見識を持っていなければつとまらないのだと思う。それでも歴史的な流れをの影響をもろに受けるようである。

 世に名をなす政治家は数多くいるが、卓越した個人的な技量による業績は勿論あるのであるが、その人物が時代を作るのではなく、時代がその人物を求めて良い仕事をさせているのだ、と思う。オバマ大統領はその相応しい時代背景にぴったりとマッチしたのであって彼が別の時代に生まれたなら別の人生を歩んでいたことだろう。

 長い東西の冷戦状態が終結したがその際に目立った存在はゴルバチョフ大統領であったと思う。任期の最期は必ずしも恵まれていなかったが、最盛期には歴史上に残る卓越した業績を残した。ベルリンの壁は取り払われ、世界は新しい時代の訪れに歓喜した。

 東西の緊張は急速に改善に向かったが、冷戦時代には日米に共通の明らかな目標があったから日米関係はむしろ親密で、米は日本を利用しつつ対ロシア戦略を練っていれば良かったのだが、冷戦解消後は大きな目標を失ったために互いの利害関係が際立って来ることになる。その背景には我が国の経済的急成長もあった。

 それまではそれほど発言しなかった米国が、世界の平和に寄与するために我が国に応分の働きを求めるようになり始めた。しかも、相当に強い調子であり、国連を通じて他国も同様の要求をし始め、湾岸戦争の時期には、当時は海部首相であったと思うが、我が国は100億円以上の規模の経済支援を行ったものの、国際的な評価は極めて低かったことが我が国の厳しい立場が物語っている。
 だから、その後の首相達は国際貢献の重圧から逃れられなくなっていたと言うことになろう。

 その後、我が国の経済は陰りを見せ始めていたが、小泉首相は経済の立て直しを通じて、恐らく、強い日本の再現を目論んだ、と思われる。そのためには我が国特有の雇用制度などにとらわれていては実現性など無いと読み、新自由主義と言われる競争原理の導入による経済の活性化を考えたのであろう。


10/20(火)雨 外来 秋大チーム医療体験学習 常務会(欠)医局カンファ 
2:00 起床。ドック判定総括。5:20病院着、旭川増水,水濁り鯉も餌摂らず。6:10回診他。8:00救急カンファ。8:45-12:45外来。シルバーウイーク4周後で今秋は患者少ない。14:00-15:45秋大チーム医療体験学習講演。17:30-18:20医局カンファ、大動脈瘤。20:40帰宅、 21:10就寝。

ブタインフ(36)軍事評論家江畑謙介氏死去 江畑氏と私の共通点
 あの湾岸戦争、イラク戦争の際に連日の如くTVのニュース番組に登場し軍事面から戦闘状態の解説をしていた、軍事評論家江畑謙介氏が、今月10日呼吸不全のために死去されたという。
 
 前髪を斜めに流し、額の広い細面の特徴的なお顔であったから多くの方の記憶に残っているだろう。千葉県出身で上智大学大学院卒とのこと。 1983-2001年にはイギリスの防衛専門誌の日本特派員を務められたとのことである。軍事戦力や安全保障関係の第一人者として有名であった。
 実際には戦争終結と同時にTV画面に登場することはなかったが、私は3年ほど前に日本医師会の危機管理の講演会で直接、直ぐ目の前の席で江畑氏の講演を聴講したことがある。録音も取ってあるが、なかなか良い講演であった、と言う記憶がある。その後は全くお顔を拝見することはなかったが、次の知らせは驚いたことに先日の突然の訃報であった。享年60才でまだ私より若いのに、と思った次第である。

 ブタインフルエンザ関連の項目になぜ江畑氏か、であるが、私はとの共通点を感じているからである。 
 私は新型インフルエンザ関連の解説のために地方のTVや新聞に登場することが頻回にあるが、この辺のところが何となく江畑氏と共通かな?という親近感を抱いていたからである。新型インフルエンザも大きく話題になるような大事な節目があるが、その際には秋田市内にある4つのTV局からインタビューの申し込みが頻回にあり、新聞記者の取材も受けるが、話題が落ち着いてくるとピタ、とどこからも声がかからなくなる。

 ここ数日新型インフルエンザワクチンの話題がニュースになっている。国産か輸入品か、優先順は?一回なのか二回なのか・・等の話題で持ちきりである。それに伴ってマスコミからの取材が増えてきており明日はTV局が2社、明後日は新聞の取材を受ける予定になっている。

 江畑氏は戦闘のない時期にはどうなさっていたのか、気になるところである。

 外来患者や知り合いから、TVの出演が頻回だからギャラも相当貯まるでしょうという、質問を受けて今更ながら驚いたことがあるが、私の場合は完全にボランティア出演で、今まで1円もいただいていない。今後も同様だろう。多忙の中それなりの時間を取られるのは決して楽ではないが、県の新興感染症部会長として県民に正確な情報を分かりやすく広報するのも私の役割と思って出演している。


10/19(月) 管理会議 安全管理者と打ち合わせ 療養病棟判定会議 長副会議
1:30起床、ドック判定総括x1、医学生実習用資料準備。5:30自転車病院。6:20回診他業務.7:45-8:30管理会議、 10:00-10:40安全管理者と打ち合わせ。16:00-16:45療養病棟判定会議、6名。17:00-18:20長副会議。20:30帰宅、夕食、21:00就寝。

恥ずかしながら大型冷蔵庫を購入、エコポイントいただく
 我が家の10数年使った冷蔵庫がパッキングその他、ドア系統の調子が悪くなったために買い換えることにした・・・と家内がどこかで話していた様な気がしたが、2週間ほど前に帰宅したらドーンと新品が鎮座していた。

 前の機器は500Lタイプであった。ケチな私としては修理しても良いのでは?と思ったのだが流石に10数年使った製品は交換部品など無い。だから、年貢の納め時ではあったのだろう。買い換えはやむを得ないかと承諾したような気がしたがすっかり忘れていた。

 ただ、サイズを聞いてガックリ来た。
 今回のは616Lとのことで、これから私が死んだりして家族が減っていく一方なのに、実に無駄な、勿体ない事である。家内は私に予め相談すれば必ずより小型の機種を選ぶと読んでいて、何となく買い換えをにおわして承諾を取り、相談無しに機種を決めたと言うこと。実に狡猾である。

 私は大型の物品をなかなか購入できない。度胸がないからである。それに、人生そろそろ終焉の方向にあるのに耐久消費財を買うことにかなりの抵抗がある。残された者が困るだろう。だから、本心に反して購入しを承諾したと言うことは私にとっては「恥ずかしながら・・」である。何となく背中が歯がゆい感じである。

 10数年もたつと新機構もいろいろである。何とかチルドとか、私には良く分からない機能もついている。引き出し方式の冷凍庫は、容量が大きいだけに重いから電動式になっていて殆ど力を要さない。何と贅沢な・・である。こんなところまで楽したら将来の人類は手が退化して人差し指しかなくなるのではないかと心配になる。

 気になるのは消費電力である。旧式は500Lのサイズで660Kwh/年、今回のは616Lで400Kwh/年と、サイズが大きくなったにもかかわらず消費電力が減少している。これについては気に入った。そのためかこの機種はエコポイント対象商品と言うことで1万点が付いているとのことである。
 このポイントで何をどの程度もらえるのか私は知らないが、旧政権の置き土産の景気振興策で、我が家も経済復興に初めて協力したことになる。加えて、新政権の25%減にも寄与することになるだろう。

 ただ、値段を聞いて目が飛び出し、次いでガックリ来た。


10/18(日)降雨 病棟拘束 
2:30起床、本日は実に久々予定が入っていない休日。ドック判定総括x2、その他書類処理。文献整理。本日は早朝出勤無しとした。書類処理。居間の書籍文献整理処分。13:00-18:30病院。回診、書類処理ほか。18:30帰宅。夕食、20:00就寝。

自転車(14)早朝の通勤 川反とカラスとネコとタクシーと
 秋田市の夜の繁華街と言えば旭川に沿ってそれなりの店が並んでいる川反である。
 かつては随分賑わったらしく、全国的にも有名である。しかし、日本の経済の低迷は地方、特に秋田にとっては一層大きく影響し、最近はかなり寂れてきているという。川反の隆盛はもう語り草のレベルですよ・・、これは懇意のタクシードライバーの弁である。

 私は酒も人混みもダメ、それに早く寝るから夜の繁華街に繰り出すことは殆ど無い。あっても年に1-2回、忘年会の季節などに訪れるだけである。この時は時節柄結構混雑している。だから、私には最盛だった時のことも、今の様子もよく分からない。

 ただ、7月以降、私は車やバイクを出来るだけ用いずに自転車、あるいは歩行通勤しているので通勤時には早朝に、県庁での会議とかからの帰路は日中に、時として川反を通ることがある。共にまだ営業前だから人通りは少ない。
 特に早朝の川反は寂しい雰囲気が漂う。通る度に、昨夜はどんな状態だったのだろうか?とちょっと考えてみる事になる。
 朝は5:15-6:00頃通るのだが、勿論営業している店はない。少なくとも私にはそう見える。だから、人通りも殆どない。希に朝の散歩の高齢者に会うこともあるが、この道を避けているのか他の道路に比べて少ない。

 今朝、川反の路上に動いていたものと言えば、数羽のカラスと2-3匹のネコと一台のタクシーだけであった。
 カラスはとネコは餌にありつこうとさがしているのであるが、食品を彼らあるいは彼女らが漁れる状態でむき出しのまま外に出しているところはない。だから、
 実際に餌は手に入らなかったのだろう。手持ちぶさたの様子であった。私がそばを通っても悠然としていたのはカラスで、道の傍らには寄るものの飛び去らない。その点、野良と思われるネコはコソコソと物かげに隠れて私が通りすぎるのを待っている。飼い猫と野良は物腰と目の表情が随分違う。その点、家で飼っている黒猫のユーは野良の雰囲気を今でも漂わせ、飼い主とも距離を置いている。

 今朝、川反の一方の端から私の前を一台のタクシーがゆっくりと走っていた。あのスピードから見てフラフラと手を挙げるかもしれない客を当て込んでいる様子であったが、今朝は歩行者は一人もおらず、空振りに終わった様である。もしかすれば営業終了後店の後始末をした従業員が出てくるのを当てにしていたのかもしれない。

 今朝の川反は外気も冷たかったが、寂しい雰囲気が漂っていた。      


10/17(土)快晴 病棟拘束 アキレス切断6周年 ドック結果説明 中通高等看護学院戴帽式 秋大第3内科同窓会
 2:30起床。ドック判定総括、戴帽式祝辞原稿作成。体調何となく不良、ワクチンのせいか? 5:20Taxi病院着、6:30回診、8:30 救急カンファ。9:00ドック結果説明。10:30-11:30中通看護学院戴帽式、挨拶。総括・紹介状など。17:00-20:40秋大第3内科同窓 会、特別講演は有意義、懇親会は和気藹々楽しく過ごし、酔った。21:10帰宅、そのまま就寝。

中通高等看護学院戴帽式?祝辞?
 本日、晴れてナースキャップを受けられましたみなさん、おめでとうございます。

 私は戴帽式なるものに多分4回目の出席です。今回も式の進行を見ながら、暗闇とロウソクの光の意味を考えました。
 恐らく皆さん方は暗闇よりもより明るい環境を好まれると思います。それが通常の,健康な人の感覚です。そして、夜が来て就寝し、目覚める頃には当たり前のこととしてまたさわやかな朝を迎えます。
 ところが、病に悩む患者にとっての夜、あるいは暗闇は、病気や生きることに関する不安が何倍にも高じる恐怖の時間帯であり、このまま朝が来ないのではな いか,病気が治らないのではないか・・などと言う不安にとりつかれ、眠ることが出来なくなり、そのことがまた一層不安をかき立てることになります。
 この戴帽式における暗闇は患者の不安の心を表しており、一筋のロウソクの光は「看護師の心」をあらわしているもの、と私は解釈しております。

 毎年、この時期になりますと、病院の若い看護師さん数人ほどに声をかけて聞いておりますが、「戴帽式の時の感激は忘れられません・・」などと、みんなが話します。ある看護師は「戴帽式の時の感激が私の今の看護の原点です」,と話しておりました。

 今日のこの戴帽式はみなさん方にとって、看護の心の拠り所となる、記念すべき日になることでしょう。

 さて、繰り返しになりますが、人は生まれた以上、時には事故に遭遇したりすることもあります。健康を害することも避けられません。やがて、人は老いて数々の障害を抱え、いずれは死を迎えます。その時、人は不安に苛まれ、とても心細くなって、医療関係者に助けを求めます。
 このような人達に優しく声を掛け、手をさしのべることは如何に大切なことか、言うまでもありません。
 私はこのような、病める方々のお世話をする、そう言う職業を選んだことに誇りを感じています。同じ医療人として、看護の分野で勉強を続けている、若いみなさん方の表情を見て、私はとても嬉しく感じます。

  今日の感激を忘れることなく、心の糧にして、今後一層勉強され、将来は良き「看護技術」と「考える力」と「看護の心」を備えた看護師として社会に貢献されることを願っております。

 最後になりますが、私から一つお願いがあります。
 今、全国的に医師も看護師も不足しています。その中で、みなさん方には、秋田県民の健康は秋田県民である自分たちが守っていくのだという気概を持っていただきたいと思います。
 このような美しく、豊かな自然、優しく素朴な人間性、そんな秋田を支えている、支えてきた秋田県民の健康を私どもと共に一緒に守っていっていただきたい、と願っておりますし、期待もしております。

 以上、お願いと期待の言葉を添えて、お祝いの言葉と致します。


10/16(金)晴れ ドック診察 医務薬事課員来訪打ち合わせ 季節性インフワク接種
2:10起床、ドック判定総括、その他文献チェック。5:40Taxi病院着 6:20回診・病棟業務。8:00救急カンファ。以降机上事務的処理。14:00ドック診察、15:30インフワクチン接種。18:10来客歓談、 19:10会食歓談、22:10帰宅、22:30就寝。

政権交代(9)公約通り「自民党をぶっ壊した」小泉元首相(1)
 7月21日衆議院がついに解散したが、その時点では自民はもう影が薄くなっていた。
 8月30日の総選挙では予想通り自民党が大敗し、国民の選択によって戦後の政治で初めて政権交代となった。

 組織としての自民党は確かに体質的に古くなって、誰が首相になっても大差のないいわゆる自民党的政治の形が出来てしまった。国民生活は経済の低迷を背景に徐々に変化しつつあったのだが、古い体質の自民党はその空気を読めたなかったのであろう。
 それが森首相の時に一気に不満が噴き出した。
 辞職する前の森内閣の閣僚は党の重要なメンバーで占めていたのであるが、首相の不用意な発言や行動によって、更に、国民を半ば馬鹿にしたような雰囲気で 対応し、説明していたから半ば当然でもあった。森政権の時点で国民は自民党政治に疑問を感じ始めていたというべきなのだろう、と思う。

 そこで華々しく登場したのは小泉氏であった。
 2002年「自民党をぶっこわす」と驚くようなキャッチフレーズを掲げて登場し、国民の期待を一気に集め、2005年には、296席の議席を獲得し大き く議席を伸ばし、3年で公約通り郵政民営化を成し遂げた。たいした実行力であった。郵政の他にも北朝鮮の電撃訪問、靖国問題など話題を振りまいた。

 小泉首相の基本姿勢は親自由主義的、親米国的であった、ということで、至上主 義、規制緩和を遮二無二推し進めてしまったことにある。しかも、経済を中心とした政策においては実にクールで合理的内容であったが、国民への説明は短く、 具体的でなく、キャッチフレーズ多用で国民の情念に訴えかけるものであった。

 確かに、2005年の総選挙においては長老の公認を認めず、郵政民営化に反対する選挙区には刺客を送り込み、かなりの変革を成し遂げた。首相の方針に従 わないものは抵抗勢力と称して対峙したが、高い国民の支持率の前には小泉首相にまともに反論すら出来がたい状況になった。
 この過程において古き良き体制で維持されてきた自民党はより若い世代の台頭を迎えたが、足並みを乱し統制が取れ難くなったように思える。政権運営後5.5年で退いたが、カリスマ指導者を欠いた自民党はその後自滅し始めた。

 要するに、「自民党をぶっ壊す」の公約は確実に今年8月の総選挙にむけて着実に効果を上げていった。自民党はその結果自壊した。


10/15(木)晴れ 入院患者家族面談 新型インフ対策委員会 外来 県新興感染症部会 
2:30起床。ドック判定・総括x1、他。5:45病院、6:20入院患者家族面談3件。回診ほか、7:45-8:30新型インフ対策委員会。 8:45-14:00外来。16:00-19:00県新興感染症部会+マスコミへの説明。21:00自転車帰宅、夕食、22:00就寝。

会津若松に小旅行(3)清水寺に似た左下り観音堂
スケールは異なるが京都の清水寺を思わせる造作である。

 駅に降り立っただけで会津若松市が観光にかなり力を入れていることが感じられた。何の準備もなく出かけたので詳細は知るよしもないが、当地には 歴史的に見て重要な神社や仏閣がかなりあるらしい。それを巡るツアーもあるようで仏像好きである私の興味を大いに刺激してくれた。

 「大内宿」見物後,タクシーはしばらく走り、小高い山にあるちょっとした駐車場 に停車した。ここから山道を登ったところに、俗に無頸(くびなし)観音と言われる観音が安置されているという。正式には左下り観音堂と言うらしいが、駐車 地点から2-300mほど足下の良くない坂道があると言うことで,体調に若干不安が残る家内は辞退したが、その判断は正解であった。

 観音堂の前にある説明を見ると、この観音堂は830年に弘法大師(?)により建立されたらしい。異説もある。

 切りたった急峻の岩肌にそって,余り太くもない柱で組まれた骨組みは「三層閣造り」と言われるらしい。スケールは異なるが京都の清水寺を思わせる造作である。

 ここに安置されている無頸観音と言われる石像は寺伝によると、無実の罪でこの観 音堂の脇で首をはねられた某被疑者の身代わりになったとされ,そのために頸を欠いた観音石像が無頸観音と呼ばれるようになったとのこと。実際には石棺に納 められていて外からは見ることは出来ない。

 この観音堂は何時頃に改修されたのか分からないが,骨組みの木材はかなり年季が 入っていて弱っているように見えた。 堂の上に昇ってみると一部は腐食してぐらぐらしている。ここからは、会津の山並みや民家がよく見渡せるため、古くか ら風流人の愛する場所でもあったらしい。

 良いところを案内して戴いたと思う。


10/14(水)快晴 患者家族面談 外来 感染症評価会議 県健康推進課スタッフ来訪打ち合わせ 郡市医師会長協議会+情報交換会
2:20起床。ドック総括。5:10Taxi病院着、6:10回診、8:00救急カンファ。8:45-14:10外来+ドック診察。14:30県医務薬事課員来訪、打ち合わせ。16:00-17:20院内感染症対策委員会。新入院患者他対応、紹介状返事、主治医意見書。20:45帰宅、夕食、 21:30就寝。

政権交代(8)谷垣新総裁は見てくれも整いすぎてかえって影が薄い
 自民党は野党に下ってから誰がリードするのか、紆余曲折の末やっと谷垣氏が立候補、更に若手が二名が出たが、結局は谷垣氏を総裁に選出して再出発を図ることとなった。先に総裁選に出たことのある小池氏、石波氏あたりは何で今回の選挙にでないのか?私は疑問でならない。その点では谷垣氏の決断を支持したい。

 選挙で候補者の中から党員は妥当な選択をした、と思う。谷垣氏が本当に相応しいのかは私は分からないが、そのことは別にしても、対立候補二人の内のより上位の河野氏があまりにも自己主張、押しが強いとされ、始めから総裁として適任ではないとの評価があった、と言う。このことは現役議員から聞いたことである。それにしては結構票が集まったものだと思うが、そこは谷垣氏の方に弱さがあったからではないのか、と思う。

 谷垣氏は穏和な表情をしておられるが、性格もそうなのではなかろうか。全員野球を唱えたところを見ればリーダーとしては創造型と言うよりは調整型の様に思える。
 この点は河野氏は創造型に近いと思う。もしかすれば小泉氏以上の破壊型かもしれない。

 総選挙における議席の差は思った以上に大きく開いたが、これは小選挙のなせる技で真の評価ではないだろう。実際にはあり得ないだろうが、理屈で言えば全国各地の選挙区でフィフティフィフティで1票ずつ差がついて総ての選挙区で民主党が勝ったと仮定すれば、全国的にわずか数100票の差で全議席を獲得できることになる。それを緩衝するのが比例区の存在と言うことになる。

 自民党と民主党は本質的に同質の政党だと思う。だから、国民は自民にカツを入れるような積もりで今回の選挙では民主に投票した方々も多いのだと思うが、当の自民党が選挙に敗れた後、見ていて理解できないほどまで萎み込んでしまったのはどうしてなのだろうか?私は今後自民党が力のある与党としての存在にもなれないのではないか、と心配している。

 こんな時こそ強力なリーダーが必要である。協調型ではなかなか困難だと思う。既に谷垣氏に対して「お飾り総裁」と郁揃する声もあると言う。だとすれば党内の派閥闘争が水面下で生じてくる可能性も否定できない。かつて谷垣氏は森首相下ろしに荷担した事があるし、今回は森氏が所属する町村派から幹事長、総務会長、政調会長の党三役を登用しなかったことが刷新の意味も恐らくはあると思うのだが、このことが今後のしこりにならないとも限らない。ここで派閥争いでもしたら党そのものが消滅しかねない。

 党内人事にもっと若手を起用できなかったのだろうか。
 今までの自民党のあり方を是としてやってきた熟年者はその器の中からしか発想できないだろう事を考えると、野党となった自民を再生するには異なった畠で育った人材の発想こそ求められるのだと思う。 
 予想以上に萎縮した自民党を見ていて実にやるせない感じである。


10/13(火)晴・雨 管理会議 外来 常務会 医局カンファ がん診療打合会
2:00起床、ドック判定総括x1、文献チェック、徒然など。5:20病院、6:30回診、7:45管理会議。8:45-14:00外来。14:45常務会、17:30医局カンファ、18:30-19:20がん診療打合会、長副会議なし。回診。20:50自転車帰宅、途中から降雨。21:30就寝。

自転車(13)突然の降雨で芯までビショ濡れ 46年ぶり
自転車の大敵と言えば人為的なものは道路、車、路上の違法駐車等あるが、自然現象ではやはり第一は降雨、次いで向かい風、寒さなどが挙げられる。

 本日、20:45頃、病院からの帰路、寒かった上に若干風があり、なかなか走るのが大変であったが、半行程ほど進んだ時点で突然、雷鳴と電光と共に激しく雨が降り出した。大粒の雨である、瞬く間に大腿部分を始めとしてビショ濡れとなり、まもなく上半身も同様となった。ディバッグの中には折りたたみ傘も入っていたが傘差し自転車は法に違反するので我慢することとした。5分も走ると全身ビショ濡れで今更何をやっても遅いレベルである。尻のあたりも同様。目にも雨が入ってくる他に頭から流れる落ちる水滴で目も開けておれない状況である。

 もうここまで濡れてしまうとこのまま家まで行くしかない、そう考えると後は気楽なものであった。
 何とか家に着いたが着くとほぼ同時に雨もやんでしまった。運も悪かった。
 気がかりだったのは胸のポケットに入っているPHSと携帯電話、ディバックの中にある録音機、ハードディスク、メモリースティック他のエレクトロニクスの水濡れであったが、バッグの革をミンクオイルで十分手入れしていたことでうまく撥水してくれていてあまり中まで雨が浸みておらず難を逃れた。

 これ程自転車でひどく濡れたのは高校生以来だから46年ぶりであった。バイクでは濡れたことはあるがヘルメットで頭部は濡れることはない。
 中学高校生の時はこの程度の濡れはそう珍しいことでなかった。出発する前から雨でも自転車で通学したものだ。片道16Kmであったから半端な濡れではなかった。雨具は持っていてもそれを着用すれば汗で濡れてしまったものだ。

 今年はまだ自転車で通勤しようと考えているので雨具のことを考えなければならない。ただ、通常の雨具はかさばるので持ち運ぶのは嫌だ。今は大きなゴミ袋に頭と両手を出す穴を開けて被るのが一番良いと考えている。これだと畳めばかさばらない。下肢は濡れるだろうがディバッグなどはまもることが出来る。

 今回は考えただけで携帯していなかったので試行できなかったのが残念であった。それにしても、濡れた身体は冷える。こんな時は風呂で暖まるのが一番である。


10/12(月)体育の日 会津・秋田快晴、夜間降雨 会津若松市見物 病棟拘束後半 
2:50会津若松東山温泉向滝にて起床。入浴、ドック判定総括x1、本読み、微睡みなどゆったり過ごす。旅館は超老舗で文化財とかにも指定されておりLANは無く更新操作など出来ず。8:50幹事のお一人の好意で設定された名所見物に9人で出発。大内宿、左下観音堂ほか見学後美味なる昼食を摂って、15:00次回の再会を約して散会。15:30過ぎのJRで逆コースで帰秋。20:20自宅着。21:30就寝。

会津若松に小旅行(2)不思議なレトロ空間「大内宿」
 

(同行の追手氏提供)

盛り上がった同窓会の翌日もからりと晴れた最高の天候であった。秋の空は高く清み渡り、ここでも太陽の恵みを十分堪能できた。
 本日は会津若松で開業されている同窓生のお一人のご好意で近隣の名所と昼食のミニツアーがセットされ、9名が参加しジャンボタクシーで遊覧した。

 会津若松は私にとっては通過点であって数10回は通っただろうが一度も降りたことはなかった。今回が初めてである。
 駅に降り立っただけで当地が観光にかなり力を入れていることが感じられた。一昔前は富士通があってかなりうるおった時期もあったが、今は観光が中心かな?とタクシードライバーが説明してくれた。

 会津若松と言えば私が知っているのはせいぜい白虎隊、飯森山、鶴ヶ城であり、磐梯高原、猪苗代湖・・・である。当日はこれらを全部スキップして「大内宿」と言うところから見物することになった。家内はTV等でその存在を知っていたようであるが、私は本日まで「大内宿」そのものの存在も名前も全く知らなかった。

 「大内宿」は江戸時代、会津-日光間を結ぶ会津西街道の宿場だったところで今も約30軒のかやぶき屋根の民家が街道に軒を連ね、宿泊、食事、みやげもの店等を営んでいるという、言いようによっては時代にすっかり取り残されたことで今注目を集めているところである。

 この地が宿場として整備されたのは江戸時江代の初期で、街道を通る物資の輸送の手助けで経済が成り立っていたらしいが、明治半ばに近隣を別な道路が開通したことによってすっかり寂れてしまったのだという。昭和56年4月に重要伝統的建造物群保存地区に指定されている。

 約500mほどの街道跡の道の両側には藁葺きの民家が連なっているが、今は殆どの家がそばや餅、団子そのほか民芸品などを販売する店舗となっている。沿道は老若男女、大勢の人で埋め尽くされ、大変な人出である。私どもは混雑を避けて早めに着いたのであるがそれでも大変な賑わいであった。
 こういうレトロ的雰囲気だと確かにそばや餅、団子を頬張りたくなるのであるが、美味い朝食をいただいた後であり、かつ趣向味のある昼食が用意されているとのことだったので見るだけとした。名物のネギそばには丸ごと一本のネギが添えられており、箸の代わりにそのネギを用いて食べるのだそうだ。

 当地は全国的にも知られた名所とのことであるが、そこまで言われればちょっと不思議な気がする。私は盛岡郊外の旧乙部村と言うところで育ったが、家の近辺は乙部街道と呼ばれこれととても良く似た雰囲気で、私にとってはとても懐かしくあった。勿論、乙部はもう昔の雰囲気は100%無くなっている。この大内宿は確かにレトロ的雰囲気十分である。良いところを案内して戴いたと思う。

 ただ、これだけ大勢の観光客を集める求心力は何なのか??そんな古い文化や遺産を愛でる趣味人達が集合しているとは到底思われなかった。そばか、他の食品か?と言う疑問を抱きながらこの地を後にした。近隣にはそば畑が散在していた。今、新そばの季節である。ネギそばは雰囲気もあるのだろうが、実に美味そうで後ろ髪引かれる思いがした。


10/11(日)秋田・会津若松快晴 病棟梗塞 新潟大学46卒同級会 向滝泊
2:00起床。本読み、文献チェック他。6:30病院,回診。8:30救急カンファ。10:45帰宅。12:01こまちで仙台へ。MAXやまびこにて郡山へ。快速にて16:50会津若松着。17:10東山温泉向滝着。18:30新潟大学46卒同級会,約40人出席。20:30酔って中座、そのまま就寝。

会津若松に小旅行(1)38年ぶりに磐越西線に乗る
 本日は年に一回、この時期に開催される新潟大学46卒同級会への出席をかねての小旅行で、夫婦での参加である。

 今回は会津若松で開業されている同窓生お二人が中心になって東山温泉の向滝という古式豊かな温泉宿を会場に開催された。 秋田を正午にこまちで発ち、仙台、郡山で乗り換え、磐越西線にて約5時間で到着した。意外と早い到着で感激した。

 磐越西線は新潟大学学生の時に6年間利用したルートであり、1971年3月の医師国家試験で宮古から新潟に受験に行った時が最後だから、38年ぶりに乗ったと言うことになる。
 当時は仙台-新潟間に磐越西線経由の準急があり、仙台からだけで5時間、盛岡からだと8時間以上かかったものだ。それが今は秋田-盛岡-仙台-郡山-会津若松のルートを合わせてもほぼ5時間だから、この間にいかに高速化したかが分かる。

 学生時代、盛岡-新潟間の年に何回かの移動はとてもストレスであった。
 特に仙台-新潟間の特急列車は重油の臭いもきつく、エンジン音はうるさく、座席は堅く、背もたれは木製、更に冬期間は暖房も弱かった。降雪期には列車は背丈以上に積み上げられた雪の壁の間を走り、降雪があれば走っては止まりの繰り返しで、何時着くか分からないこともしばしばであった。

 救いは十分本を読めたこと、自然豊かな山々や緑を楽しめたことで、磐梯山の雄姿、阿賀野川沿いの新緑や紅葉は何とも言われない景観でこの見事さは忘れられない。

 今回は往路の快速列車、復路の普通列車も新しく立派でシートは柔らかく快適で、殆どストレスは感じられなかった。
 今回は会津若松下車のために阿賀野川沿いの景観、紅葉の始まりを楽しむことが出来なかったのが残念であった。


10/10(土)超快晴 病棟拘束 患者家族面談3件 がんサロン訪問第1回「あきたがんフォーラム」打ち合わせ 新潟大学医学部学士会秋田支部総会
2:30起床。ドック処理、本読み、文献チェック他。6:00自転車病院着、6:30回診,8:10ドック診察,8:30救急カンファ,10:00-11:30入院患者家族面談、13:00-14:30あきたがんサロン訪問、第1回「あきたがんフォーラム」打ち合わせ。 19:30-21:00新潟大学医学部学士会秋田支部総会へ途中から参加,中座。21:20帰宅,22:00就寝。

ノーベル平和賞に米国オバマ大統領  素晴らしい評価
 昨年の今頃、日本人3人と米国国籍の日本人が一気にノーベル賞を受けたことが話題になり盛り上がったが、今年のノーベル平和賞は米国のオバマ大統領を選んだ。
 またまた大きな話題である。通常、ノーベル賞はそれほど大きな話題にならない。新聞でも中等度の??扱いである。

 ノーベル平和賞は恐らく人選が最も困難な分野だと思う。いつも評価が分かれてしまう。私はいまだに日本の佐藤栄作元首相が選ばれた理由がよく分からない。世界中から選ばれた意見を集約して選定されると言うことだから、私の知らない分野で大きな評価があったのだろう。やはり、分からない。

 しかし、今回の授賞は、恐らく人選に意義を挟むのは米国やオバマ大統領と直接利害関係にある人たちだけであろう。ただ、政治の表舞台に出てから1年未満の政治家に贈られるのは極めて異例のことで、授賞時期についてはいろいろな考えが飛び交うだろう。「大きな期待と世界の夢を込めて・・」、ということで良いじゃないか。これ程のことをなしえるのは今のところ彼を除いてはあり得ない、と思う。

 彼の業績は大統領就任後のことだけで評価すべきでない。選挙期間中に彼の発した「チェンジ」というメッセージが米国国内のみならず世界の人々の心を揺さぶったからである。選挙の過程から彼は全世界から注目され、期待されていたのだろう。クリントン女史が歯が立たなかったことは当時不思議と思っていたが、今となれば疑問の余地はない。

 オバマ大統領は米国の大統領であって決して救世主ではないのだが、彼の登場で国際社会は大きく変わりつつある。
 短時間で世界を破壊尽くす核と、じわじわと真綿で首を絞める地球温暖化は同等の扱いが必要であるが、後者に関してもその意義を認め積極的に対応する姿勢を強調してきた事も大きく評価された。

 今回の授賞は実績ではなくて国際社会の夢・展望の実践者としての期待に対して贈られたものであろう。ノーベル平和賞を受賞した事が直接的に効果を上げることはなく、むしろ、授賞したことで困難さを増す分野もあるかもしれない。
 しかし、世界が大統領の姿勢に期待していることの現れであり、必ずや力になるだろう、と思う。

 ただ、拙速は新たなひずみの元となる。
 現に、米国国内では新型核兵器の開発も話題になっているらしいし、一方、ヒロシマ・ナガサキへの原爆投下はまともに教育されていないし、まともに論議することも困難な情勢らしい。
 信じ難いが大統領のお膝元から崩れる可能性も否定できない状況らしい。ノーベル平和賞は世界的バックアップの証である。


10/9(金)降雨後快晴に 来客対応 紹介患者対応 市保健所立ち入り検査 インフワクチン等安定供給対策会議 法人理事会
2:30起床、ドック総括、新聞チェック、本読みなど。5:10車病院に。6:30回診、8:00救急カンファ、10:00来客、10:50紹介患者受診対応。13:00秋田市保健所立入検査。16:00-17:15インフワクチン等安定供給対策会議。17:30-18:20法人理事会。新入院患者対応他。20:50帰宅。21:30就寝。

アンチ・アンチエイジング(3)身近になったこの話題をノーベル賞がだめ押し
 ここ何年か「アンチ・エイジング」の話題は随分身近になってきた。しかし、私はアンチ・エイジングの考え方には否定的な立場で、むしろアンチ・アンチエイジングの立場、「ウイズ・エイジング」が良いと思っている。
「狭い日本、そんなに急いで何所に行く」という標語があるが、「長い人生、更に伸ばして何するの?」の立場である。
 一般の方々はかなり「アンチ・エイジング」に興味があるようで、その筋のサプリメントとにかなりの金額を投資しているようで、健康雑誌はサプリメントの話題や広告がかなりのページを割いている。そんな雑誌は初めから信用できない。

 私の周辺での「アンチ・エイジング」に関する最近の話題としては、
 ■昨年7月に私どもの病院が中心となって開催した「医療連携の集い」。講演は「アンチ・エイジング」に関する漢方治療の話題。
 ■本年1月の秋田市医師会の「医療と健康を考える集い」。メインテーマは「アンチ・エイジング」であった。
 ■9月27日、秋田矢留ライオンズクラブの設立40周年の記念式典で、私に基調講演の依頼が来た。希望の演題は「アンチ・エイジング」であった。当日はアンチ・アンチ・エイジングの視点で話したが結構喜んでいただけた。
 ■10月4日の秋田県医師会設立62周年記念医学大会の記念講演は早稲田大学国際教養部、池田清彦教授による「寿命はなぜあるのか」であった。

 これらを聴いて、あるいは自分でも話してみて今年は随分「アンチ・エイジング」付いているな、と思っていたが、何と、10月5日にスエーデンのカロリンスカ医科大学は今年のノーベル医学生理学賞を「テロメア」の研究者である米国籍の3教授に贈ると発表した。「アンチ・エイジング」のだめ押しとなった。

 このテロメアは染色体の末端部にあり、染色体を安定化させる働きと、細胞が分裂する度に短縮することが分かっており、そのことが細胞の老化や死滅に関わっているとされている。理論的には、テロメアを伸ばす方法があれば細胞の老化を防止できることになるのだが、その働きをする酵素「テロメラーゼ」をも見つけたという。

 老化防止やがんの増殖防止に応用が期待出来るという重大な研究であり、とても興味がある分野であるが、人間一人一人の人生としてはやはり「長い人生、更に伸ばして何するの?」の立場は捨てたくない。


10/8(木)台風18号接近で雨 新型インフ対策会議 外来 ドック診察+説明
2:00起床、ここ数日寝不足状態続く。ドック判定x1。徒然など。5:10車病院着、6:30回診他業務。7:30新型インフルエンザ対策会議、8:45-14:20外来+ドック説明x2。21:00車帰宅、夕食、21:45就眠。2年ぶり台風上陸。しかも大型。全国で被害あり。

自転車(12)寒い 太陽の恵みに改めて感謝
 10月に入ってから日の出も随分遅くなってきている。まあ、当然のことである。私は真夏が好きだから特にそう感じるのだろう。最近は5:30を過ぎないと明るくならない。

 自転車で出勤する場合には家を出る時間が徐々に遅くなってきている。帰りの暗さはそうストレスでないのであるが、朝の暗さの中に灯火を付けて走り出すのはやや気が重い。それに、途中で毎日川の鯉に餌をやるのだが、暗闇だと黒い真鯉が見えず楽しくない。

 太陽も傾きが大きくなり、朝夕はめっきり寒くなってきた。丁度私が出勤する頃が一番気温が低い時間帯である。素足、素手ではやや厳しくなって昨日から革手袋と靴下を着用することとした。ぐっと楽になったがこれからますます寒くなることを考えるとやはり気が重い。雪の季節までは何とか自転車通勤を続けたいと思っている。

 私は最も好きな季節は夏である。ギラギラと陽が照っている時が一番である。確かに暑すぎるのは身体にとって決して心地良いものではないが、いずれは秋が来る。だからギラギラの炎暑が一日でも長く続いて欲しいと思いつつ夏を過ごしている。
 私ども生きるものにとって、総てが太陽の恵みによっていることを考えると太陽に対して感謝の気持ちを怠ってはならないと思う。その太陽がだんだん遠くなっていき日朝時間も短くなる。秋は、だから私にとって寂しい季節である。

 ところが、この太陽は何故か真夏の間は憎しみの対象になっていることが多い。秋田の夏は短い。それなのにこの時期、炎天の下では太陽を憎むような言葉をたまに聞くが、聞いていてとても辛い。別に太陽は私の親でも友達でもなく本当に遠い存在なのだが、太陽を軽んじるような言葉は辛い。

 個人的な責めの言葉ですら太陽に対して恐れ多いと思うのだが、それなのに人間は勝手なものである。不快指数などと言う指標をつくって全国民共通の価値観で暑さに対して、間接的には太陽に対してであるが不快感を表している。ここまでされるとさすがの太陽もいつまでもギラギラしておれない。それが民意というものである。そそくさと南半球に居を移し始める。

 私は去りつつある太陽に向かって心から感謝の気持ちを込めて、気が変わったら一日でも早く帰ってきて欲しい、帰ってきたら今年以上にギラギラと恵みを与えてください、と願っている。
 昨朝の、山から顔を出した朝の太陽の美しさは格別であった。太陽と言うより「おてんとさま」と呼びたいほどであった。


10/7(水)晴れ 医師面談 外来 新型インフ講演 秋大医師会員との懇談会
1:50起床。ドック判定総括x1。文献チェック、自転車6:10病院着.6:30回診他病棟業務、8:00救急カンファ。8:45-12:10 外来中座。13:10-14:30発電関連企業で新型インフルエンザ講演。15:15帰院。17:30-20:00秋大医師会員との懇談会。21:30自転車帰宅、夕食、22:15就寝。

ブタインフ(35)新型用ワクチン(2)医療従事者には公的負担で接種を
 今月2日に全国の自治体から東京に集められた250人の担当者に対し、厚労省から新型インフワクチン接種の基本方向が示された。接種開始時期までわずか2.5週間後という極めてタイトなスケジュール、自治体にも経済的負担、と言うことに驚きと不満の声が上がった、と言う。
 一方、医療従事者について無料接種や補助については全く説明や質疑の遡上にもあがらなかったと言うことで、県の担当者から報告を受けた私も驚き、落胆した。
 
 自治体側の反応は至極当然であるが、一方では今秋以降に新型インフの爆発的流行もあり得るだけに一日でも早いスタートが望まれるのも事実である。秋田県でもこれを承けて本日から全県の医療機関にその準備をお願いする文書を県医師会を通じて発送した。
 
 ワクチン接種の費用の面では、2回接種で6.150円の自己負担を求めている。例外は生活保護世帯や住民税の非課税世帯など低所得者層で、これらについては無料化などの負担軽減策が実施される見通しになっているが、ここでも市町村に負担を求めており、新たな負担の発生に当惑と不満が述べられている。

 一般の国民は、医療関係者を含めて全額自己負担となる。
 季節性インフワクチンは、高齢者に対しては多くの自治体で公費負担があり1.000円程度の自己負担で実施されている。それ以外は3-4.000円である。感染力もより強く死亡例も多い新型インフワクチンでは6.150円を徴収する。
 これは国民にとっては大きな負担となる。両親と子ども2人の標準的家庭では新型インフワクチンだけで3万円の負担、これに季節性インフルエンザのワクチンも接種すれば、更に1.5万円前後の負担が生じることになる。
 これだと費用負担が原因でワクチン接種を断念する人が多数出ることが大いに懸念される。ワクチン接種の目的は個人を感染から守る、と言う他に爆発的流行を未然に防ぐという対策上の目的があるのだが、接種率が低ければ後者の目的を果たせない、と言うことになる。

 それとは別に、地域医療の専門職として発熱患者の診療の第一線で働く医療従事者については、現新型インフが新型であり続ける間は、ワクチン接種は無料にすべきである。
 新型インフ対策は国が責任を持つ国策医療である。国はそれなりの責務は果たしていると思うが、その対策の指示は印刷物、最近はネットで配信されるだけで一方通行である。地域医療を守っている現場、医療機関は経済的にも、人的体制の面でもかなりの負担を強いられている。

 私どもの病院でも発熱患者の導線を分離するためにかなりの費用を支払い、医療機材も大量に購入している。医師不足の中でマンパワーも相当に割いている。ワクチン接種には優先接種対象とされているだけで費用の援助はない事が分かったが、職員に感染防御の手立てを講じること無しに現場に出せない。外来担当者の他に入院を受ける病棟のスタッフを含めると200人以上になる。だから新型インフワクチン接種は大きな負担になる。
 これでは医療機関としてはやっていけない。

 経済的負担を別にしても、国の新型インフ対策の中で医療機関に対する姿勢を問いたい。国の方針に納得できないから登録医療機関を返上したい、と思っていても現実には地域医療を守っているわれわれにはそんなことは出来ない。
 そこを厚労省は分かっていて方針を示してくる。それが分かっているだけに一層悔しい。


10/6(火) 晴れ 外来 常務会 健健康推進課スタッフ来訪 医局会 
2:00起床,ドック判定総括x1。そのほか書類処理、徒然、5:40自転車病院着.6:30回診他。8:00救急カンファ。 8:45-14:00外来、14:45-15:30法人常務会。16:30健健康推進課スタッフ来訪ワクチン打ち合わせ。17:30-18:30医局会。 21:00自転車帰宅、夕食、21;45就寝。

ブタインフ(34)新型用ワクチン(1)医療従事者を優先すれど補助はなしに驚く
 厚労省は10月1日、新型インフルエンザのワクチン接種方法を明らかにした。
 ワクチンは国内生産分のみでは不足で2/3ほどは輸入に頼ることになるが、輸入品は国内で治験を行う事と、入荷が遅れるためにまず用意できた国産分から漸次出荷するようで、今年中は国産ワクチン、1月以降は輸入ワクチンも使用される計画になっている。
 
 最初から潤沢にあるわけでないから、優先接種対象者と後回しになる対象者が出ることになるが、これはやむを得ない。
 
 第一の優先者は医療従事者、次いで妊婦となり、医療従事者は今月下旬から、妊婦は11月初旬から接種できるようになった。
 今、新型インフの診療の診療登録医療機関やワクチン接種受託医療機関に必要数を調査している段階である。

 厚労省は、「医療従事者とは、『直接診療に従事する者』としている。要するに、接種優先者として医師・看護師を対象に考えているだろうが、実際には窓口業務に従事する事務職員も含めなければならない。幸い、厚労省の指針には職種名まで具体的に書かれていないことをいいことに各医療機関で対象者を考えて接種を進めればいいだろう。ただ、量に限りがあるだけに、職員全員へ接種するという事などは許されない。

 今回の新型インフルエンザワクチンは一般の予防接種事業とは異なり、接種は国の事業として行われる。このため国はワクチン接種を行う医療機関と委託契約を締結する事になる。この作業はこれからだから時間的にかなり切羽詰まっている。
輸入ワクチンに関しては賛否両論あったが、最近国はヨーロッパのワクチン製造会社2社と契約を交わしたとのことで、約5.000万人分が確保されたとのことで、全部で7.700万人分が用意されるという。私もワクチンの輸入に関しては否定的立場であった。

 接種対象から外されたのは1歳未満の幼児だけある。この年代ではワクチン接種で免疫を獲得することが難しいためで、代わりにその両親が選定された。
 優先順は、医療関係者>妊婦>最優先的基礎疾患患者>そのほかの基礎疾患患者>幼児(1才〜未就学児)>小学校低学年>1歳未満幼児の保護者>小学校高学年>中高生、高齢者としている。各集団は1-2週間ずつずらして接種が開始される。

 医僚従事者は最優先接種者として見なされたが、これは政策医療、危機管理上で最前線に出て行くのだから当然である。更に、私は医療関係者には国の費用でワクチンを接種してしかるべきと考えてきただけに、優先すれど補助はしないという国の通達を見て大いに驚き落胆した。


10/5(月)晴れ 管理会議 発熱外来 療養病棟判定会議(欠) 長副会議
2:20 起床。ドック判定総括x1。5:10Taxi病院。途中で鯉に余ったご飯を与えたが上手に食べられない。失敗であった。6:30回診、病棟業務、 7:45-8:30管理会議。患者関連書類。14:00-16:00発熱外来。16:00療養病棟判定会議は出られず。17:00-19:45長副会議。 21:20自転車帰宅。冷えた。夕食、22:00就寝。

「食と温泉の国のオーケストラ」山形交響楽団演奏会(2)山響、飯森氏に興味
 山形交響楽団は日本で一番小さなオーケストラだとのことである。しかし、26万人都市の山形市においてこれ以上の規模の楽団は望みがたいことは確かである。現に、あの1.200万人都市の東京都交響楽団ですらご多分に漏れず運営は困難を極めている。

 だから無理せず、こんなサイズで良いのだと思う。
 小編成のオケであると言う事は企画上いろんな制約があることは確かである。小オケなりの特徴を生かす良い企画を続けていけばいいのだが、エキストラを大量に入れて大編成の曲を並べた時期もあったという。そんな状態では良い演奏なんか望みえないことである。そんなことで観客動員数も低迷していたが、 2004年飯森範親氏を指揮者に迎え、新企画を次々と実行に移し、今は定期演奏会に1.000人もの聴衆が集まるようになったという。

 私は山響を聴いたと言う記憶も記録もないから恐らくは初めてだと思う。
 帰りにロビーに誰も居なかったからCDや山響グッズを販売していたコーナーを見てみた。CDは10種類もあっただろうか。ハイドン、モーツアルトには驚かなかったが、R.シュトラウスの交響的幻想曲、ブラームスの「ドイツレクイエム」に加えてブルックナーの交響曲第4番、第5番のCD、もあったのには驚いた。
 エキストラを大勢入れた演奏なら数え切れないほどの種類が販売されているから、いまさら何でなのかと思いきや、基本的には山響そのもの10型編成での演奏だとのこと。途端に小編成のブルックナーはどんな響きがするのか、大いに興味を抱いた。

 今、山響は常任指揮者飯森のもとでモーツアルトの全交響曲を8年間かけて演奏する新企画を進行中だという。
 今回の秋田公演はその一環だと思うが、男性演奏家はタキシードで、女性はカクテルドレスでの演奏で舞台上もとても華やかであった。木管楽器、金管楽器も旧式を用いている。などなどいろいろな試みをしている事が感じられた。そのうち、当時の服装をして出てくるようになるのだろうか。まさか、である。

 今回山響を聴いて山響に大いに興味を持った。「おくりびと」も良かった。キャッチフレーズの「食と温泉の国のオーケストラ」も良い。
 ただ、オケであるからには何と言っても演奏内容が第一である。先ず最も興味を抱いたブルックナーのCDを求めてみようと思う。私の所有するレコードはすべて大編成の録音であるからどんな響きがするか楽しみである。
 山響に関する文献もあれば参照したいものである。


10/4(日)雨 病棟拘束 県医師会設立62周年記念医学大会+記念式典+懇親会 山形交響楽団演奏会   
2;20起床.ドック総括、6:00Taxi病院。6:30回診他。8:30救急カンファ。11:10県医師会館。県医師会設立62周年記念医学大会でパネルディスカッション「検診」、記念講演はお二人の秋大新任教授による「新型インフ」「がん化学療法」2題。15:00記念式典、特別講演は早稲田大学教授による「寿命はなぜあるのか」。17:30,懇親会、18:20中座、アトリオン山形交響楽団演奏会。20:30Taxi帰宅、21:15就眠。

「食と温泉の国のオーケストラ」山形交響楽団演奏会(1)
 山形交響楽団は日本で一番小さなオーケストラだとのことである。
 そのオケの秋田公演が10月4日秋田市アトリオンホールで開催された。県医師会の設立記念祝賀会に続く懇親会があり、聴けないものと諦めていてチケットも用意していなかったが、懇親会自体は結構盛り上がったので、いつもの如く中座である。

 パンフレットによると山響は1972年東北地方で初のプロ・オケとして誕生した。1987年以来、毎年東京公演でも好評を博しており、1991年米国公演も行っている。
 2004年飯森範親氏を指揮者に迎え更に発展、現在定期演奏会を年間15回・18公演を中心に年約150回の演奏会を行っている。2006年には「YSO live」を立ち上げ多くのCD録音を自主レーベルでリリースしている。今回会場で10枚ほど見たが何とブルックナーの交響曲第4番、第5番のCD、ブラームスのドイツレクイエムもある。これらはエキストラを大勢入れたのかと思いきや、基本的には最小の10型編成での演奏だとのこと。帰りを急いでいたので現場で購入してこなかったのを今は悔やんでいる。

 指揮の飯森範親氏は演奏前にプレトークを行うことにしているとのことで、私が入場したときには舞台に一人出て山響についての紹介、演奏曲目の解説、今進めているMozart交響曲全曲演奏シリーズについての説明をしていた。その中でこのシリーズで用いられているフルート、トランペット、ホルンの旧式の楽器を紹介し、数小節ずつであったが近代楽器との差を比較して聴かせてくれた。これは滅多に聴けない良い企画であった。

 コン・マスは実ににこやかな方でどこかで見たことのある方と思ったが、東京交響楽団のコン・マスの高木氏で客演とのことで、月に二回ほど演奏されているとのことであった。

 演奏曲目は全部Mozartで、■交響曲第7番■ピッコロ協奏曲(原曲はフルート協奏曲)■交響曲第40番。アンコールには例の山響が出演した映画「おくりびと」の音楽が用意されていたとロビーで楽団の関係者が教えてくれたが、病棟からの呼び出し電話があったためにこれは聴かずに退席した。

 弦楽器の音がやや固いような印象であったが私個人の感覚なのだろう。
 交響曲7番は12才の時の作品であるが驚くほどの完成度である。楽章の一つは弦楽5重奏で演奏される。ピッコロ協奏曲はソリストに秋田高校出身のN響奏者の菅原潤氏。時折甲高い楽器の音が頭の中に突き刺さってくる。大編成のオケの中でも目立つ楽器である。ソロで聴くのは滅多にないが、そう長くは聴いておれない。本人は大丈夫なのだろうか。交響曲第40番、名曲である。


10/3(土)雨後晴れ 病棟拘束  第20回県病院大会+懇親会
2:00起床、ドック総括他、本読み。6:10半行程徒歩出勤。6:30回診、8:30救急カンファ。患者関連書類処理。11:00-11:40 入院家族面談、13:00-16:10第20回県病院大会,県医師会長挨拶代読。パネルディスカッション「深刻化する医師不足、その対策は?」は有意義な意見が交わされた。16:45-18:40懇親会。19:00帰宅、20:00就寝。

政権交代(7)新政権の政策遂行にスピード感がある
 混迷した日本の政治をどう再建するかが今大きく問われている。有権者による政権交代は明治以来の近代政治史上初めてと言う。特別国会は16日に召集され、鳩山代表が第93代内閣総理大臣に指名された。 
 鳩山首相は自身の政治理念として「友愛」をあげている。これは鳩山家に伝わる言葉という。どこかの教授がラジオの番組の中で言っていたが「友愛」は「 You & I 」で、国際的にも通用する言葉でとても良い。だから大きな声で主張したら良いとも言っていた。確かに、と思う。

 政治そのものは「脱・官僚依存政治」を進めていく考えを強調した。かねてから表明している政治理念を力強く進めてほしいものである。私は経済面で、政策の遂行における財政の面で不安も感じているが期待もしている。

 閣僚人事は直前まで入れ替えもあったと言うが、結果的に各大臣他の担当は新政権発足後早速行動開始である。大臣や副大臣に指名される直前まで直接タッチしていなかった分野の担当になった方もいると思うのだが、各人が矢継ぎ早に意見を表明し、行動に移している。短期間に集中的に勉強し、準備したのであろうから一見大したものだと思う。
 ただ、その多くは既にマニフェストに盛られている内容であり、それを実行に移しているだけだ、と言う見方はあるが、記者団の質問に結構しっかりした説明をしている。前の政権には見られなかったことだと思う。選挙期間を通じ各人がマニフェストを理解していたためであろう。

 内閣が目標として掲げた大きな政策の一つが脱官僚と言うが、これは我が国の政治の中でかなり大きな変革の元になるものと評価されているが、この辺のところは行き過ぎは新政策の今後に国の行く末は混乱するだろうし、大変なことになろう。
 国の政治が官僚中心から政治中心になることは理想であろうが、ただ、今のところ鳩山首相が前面に出て小澤氏の陰が見えてこない。要するに、民主党の政策決定の仕組みがまだ見えてこないから、些か不安でもある。
 亀井氏、福島氏の言動が若干目立つのは気になるところである。


10/2(金)曇りのち雨 発熱外来 ドック診察 北海道・東北民医連地協「秋田リサーチ」+懇親会
2:00起床、ドック判定総括x1。5:50自転車病院着、6:30回診他病棟業務。8:00救急カンファ。9:00-12:00発熱外来。 14:00ドック診察。17:00-21:10北海道・東北民医連地協「秋田リサーチ」。21:30懇親会。22:30中座してTaxi帰宅、23:00 就寝。

政権交代(6)民意による歴史的な政権交代 麻生政権の一年は何だったのか
 去る9月16日の第172回特別国会で鳩山内閣が発足した。
 私どもは8月30日の第45回総選挙において自ら選択した、初の民意による、歴史的政権交代を重く受け止めなければならない。 

 麻生政権は約1年間で閉じた。3代の政権は何れも1年間で全て9月であった。自民党政権も終止符を打った。
 最近の首相は政権交代への布石を打ち続けてきたと言うべきだろう。失態の森首相、自民党のみならず我が国の伝統的社会も破壊した小泉首相、安倍、福田両首相の無責任政権放棄、そして自民党政権に終止符を打った麻生首相、と言うことになろうが、これら人物は何れも日本の政治史上に名を残すだろう。
 一番割を食ったのは麻生氏であった。もとより、選挙での敗退は麻生首相だけの責任ではない。ただ、自らの言動に足下がゆるんでもしょうがないと思われる、軽口、事実誤認、判断力の乏しさ等々もあったことも事実である。
 
 1年弱の麻生政権は、一体何だったのか。
 福田氏が総選挙の顔として麻生氏に政権を託したのだが、結果的に衆議院解散の時期をのがし、任期満了間近までずるずると政権を維持してしまった。
 昨年9月、就任直後に世界的な経済危機に直面したことは麻生首相にとって計算外のことであったが、本当だろうか??今からなら何とも言えるのだが、国は,あるいは有識者達はこのリーマン・ブラザースの破綻を全く関知していなかったのであろうか。国の危機管理は軍事問題とか自然災害だけではない。政治・経済の分野でも当然あってしかるべきだろうし、どう評価していたのであろうか。軽視していたのではないだろうか?
 結果としては選挙よりも経済対策を最優先にしなければならない状況にはあった。その考えは正しかっただろう。
 しかし、その後も迷走した。内開支持率の低迷などから,早期に解散すべきであっただろう事は今となっては言える。ただ、麻生氏は自分が頑張ることで自体は改善すると読んでいたであろうし、総選挙でこれ程大敗を喫するなど思っていなかったフシがある。空気を読めなかったことだろう。

 経済政策は正しかったのだろうか?私は分からないが,税収入が50兆円に満たない状況の中、予算、補正予算は総額130兆円にも達したが、少なくとも将来へ大きなツケを残すことになったのは確かである。
 外交など具体的な成果は乏しい。ただ、日本を離れたときの麻生氏の笑顔は素晴らしかった。屈託のない少年の笑顔であった。
 経済問題では消費税引き上げについて堂々と論じた事は良かったと思う。消費税率を上げることを封印した首相は、小泉首相、現鳩山首相もそうなのだが、私はどちらかというと問題を先送りにする無責任な態度だと思う。

 麻生首相は安倍、福田の後を受けての政権だったから中途半端な辞任だけはして欲しくなかったし、頑張ったことは評価できる。結果として解散、総選挙の時期を誤った事にはなるだろう。それに、ここまでひどい結果になるとは彼自身は露ほども考えていなかったように思えてならない。
 これから党はどう体制を整えていこうとしているのだろうか。新総裁は決まったがなんかパワーが感じられない。


10/1(木)晴れ 新型インフ対策会議 外来 ABSスタッフ来訪 入院患者対応
2:00起床、ここ数日寝不足状態続く。ドック判定x1。徒然など。5:10Taxi病院着、6:30回診他業務。8:00救急カンファ、8:45-13:50外来。14:00 ABS秋田放送制作スタッフ来訪、構成、画像確認。入院患者数名不調で対応。21:00自転車帰宅、夕食、22:00就眠。

秋田聖霊高校ハンドベルクワイアの演奏(2) 3枚目のCDをいただく

 去る27日は秋田矢留ライオンズクラブ設立40周年記念式典が行われ、そこで秋田聖霊高校ハンドベルクワイアの演奏に初めて触れた。素晴らしい演奏であった。消え入るほどのピアニッシモには感心した。大変な技術だと思った。次に聴く機会がそう簡単に訪れると考え難かったので、厚かましくも校長先生になにか録音があればご提供戴きたいと申し出たところ、早速翌日にCDを届けて戴いた。
 いただいたCDはハンドベルクワイアにとって3作目ということになるとのこと。「さくらさくら」「お江戸日本橋」などの日本のメロディーを中心に21曲収録されている。これらの曲をハンドベルで聴くのもなかなか良い。
 前任の指導者の方が書かれたライナーノートには以下のように記載がある。

聖霊高校ハンドベルクワイアは1991年、地域社会との交流を大切にしたボランティア演奏を目的に発足し、小学校の音楽教室、老人保健施設、秋田刑務所、赤十字病院、ホスピス病院等で演奏活動を続けています。
 1992年からは東北ハンドベルフェスティバルに出演。1998年にはロータリークラプ等のご支援で、第8回ハンドペル世界大会に出演しました。

 1999年3月末には、あきしん会等のご支援により被災地神戸での慰間演奏をさせていただき、秋田市文化振興助成事業の助成を得てCD「癒しの音」を出版。   

 2000年には、秋田県内のライオンズクラブ等のご支援で「広島平和祈念ハンドベルコンサート」に出演。広島赤十字原爆病院等で慰問演奏し、文部省特色教育振興モデル事業の助成を得てCD「平和への祈り」を出版。広島市や国連軍縮秋田会議の出席者に贈呈させていただきました。

 2001年今夏、ハンガリーの地方都市である『ヤースベレー二の夏』のサマーフェスティバルに招待され、草の根的な文化交流と、難民キャンプや老人ホームでの慰間演奏、プタベストの聖心の教会では「平和祈念コンサート」を外務省の国際交流基金の助成を得て実現できることになり、今回の『ハンガリ一平和祈念演奏旅行』を記念して、CD「Bridge of Bells」をベルの音が世界平和の架け橋になればとの願いを込めて出版しました。

 創立10周年在迎えるにあたり今日までご支援くださいました全国の皆様に心よ感謝申上げます。
 主なる神がベルの響きを祝福してくださり、私たちが出会う全ての人々に希望・勇気・癒し・平和をお与え下さいますように祈ります。


 私は聖霊高校ハンドベルクワイアの活動は時に新聞等で見てはいたがこれ程幅広い活動を繰り広げていたことはこの文章を読ませて戴くまで知らなかった。特に聖霊高校と私どもの病院は道路一つ隔てて隣通しであるから全く灯台もと暗しというべきで、なおさら感じて入ってしまった。    
 ライオンズクラプとのご縁は10年も前から続いていた、と言うことで、先日の会で演奏があったのも理解が出来た。楽器としてのハンドベルはかなり高額らしく、揃えるのも大変なのであろう。

 CDに収録された曲の演奏は十分に素晴らしい。十分に楽しめた。ベルの余韻が良い。しかし,やはり低音域の響きがバランス的に今ひとつ不足である。演奏を見る限りかなり大型のベルもあり懸命に鳴らしているのだが音としてはなかなか届かない。大きくなればなるほど演奏は難しそうで、楽器の構造や音域からみてやむを得ないだろう。高・中音域の音色が素晴らしいだけに勿体ない感じがした。私はこれを静かなオルガンの通奏低音でカバーすれば良いのではないかと思って聴いた。CDには一部オルガンが用いられていて演奏が一層引き立っている。

 メンバーの方々は卒業して巣立った後も各地で培った技能を発揮しているのだろうか。
 聖霊高校ハンドベルクワイアの今後の活躍を期待している。


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   年を通じてワンパターンで淡々とした毎日です。AM2:00-5:00にメールチェック・返事送付、人間ドック(HDD)判定・報告書作成、新聞切り抜き、病院・医師会業務など。
  月〜土曜は6:00頃出勤、HDD報告書印刷、外来書類処理など。病棟回診、HDD受診者とミーティングと診察。8:45-14:00外来とHDD受診者に結果説明。昼食は摂りません。午後は病院業務・医師会業務、各種委員会等に出席など。20:00頃帰宅。
  日曜・祭日もほぼ同様ですが、病院には午後出かけます。時間的に余裕無いのが悩みです。


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