2009年3月分
日記と言うより、自分の行動記録からの抜粋と日々の雑感です。
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3/31(火)雨 外来 定年退職者感謝状授与・会食 常務会
2:30起床、ドック判定総括。5:20病院着。6:45回診ほか。8:00救急カンファ。8:40-13:20外来。13:30-14:40定年退職者感謝状授与・会食。14:45-16:20常務会。20:55帰宅、夕食、21:50就寝。
応招義務について(3)「正当な理由」に医療費未払い患者は含まれない
患者からの診療要請に対応しなくとも良い「正当な理由」を考える上で参考になるのは「昭和24年通知」と言われる厚生省医務局の「病院診療所の診療に関する件」と言われる通知である。応招義務について厳しい基準が示されている。
一部表現を変え以下に示す。
■ 医療費が不払いの患者であっても、直ちに診療を拒むことはできない。
■ 診療時間外であっても、急を要する患者の診療を拒むことは許されない。
■ 特定の人々の診療に従事する医師または歯科医師であっても、緊急の治療を要する患者があり、その近辺に他の医師または歯科医師が居ない場合には、診療の求めに応じなければならない。
■ 天候の不良等も、事実上往診が不可能な場合を除き「正当事由」には該当しない。
■ 医師が標榜する診療科以外に属する疾病について診療を求められた場合も、患者が了承する場合は一応正当の理由として認めるが、それでも診療を求めるときは、応急の措置その他、出来るだけの範囲のことをしなければならない。
要するに、社会のルールとして医療以外では絶対あり得ない、「代金を支払わない客にも商品を売りなさい」と言うことと同義で、これに反すれば違法と言うことである。
これほどの不公平な条件下でも診療契約を結べ、と言うのだから、如何に医療関係者はコケにされているか分かろうというものである。これが人道的対応?なのかと思う。医療とは直接関係ない事務処理上の負荷を何で医療機関に負わすのか?
厚労省の「医療機関の未収金問題に関する検討会」は昨年6月報告書を取りまとめた。検討会で委員から「悪質な未払い患者に対する応招義務の解釈について見直しを検討すべき」との指摘が出されたが、厚労省は「応招義務の条項を無くするような検討はできない」とし、「解釈の検討自体が難しい」と強調した。結局、両論併記にとどまったが、応招義務の解釈に若干の進展は見られたと言うべきであろう。
医療機関の請求に基づき、保険者である市町村が患者に対して一部負担金の強制徴収を行う「保険者徴収制度」と言うのがあるが、平成18年度実績で請求が僅かに159件で、実際に回収できたのは2件、34万円であったと言う。
本来は医療機関が窓口徴収の代行を返上し、患者は保険者である市町村に医療費を払うようにすれば、医療機関の未収金問題は100%解決する。
ちなみに、私共の病院の未収金の詳細は提示できないが、平成13年以降現在までおおよそ3.000件以上、額にして5.000万円を優に超える。これは病院の運営上でもゆゆしき額である。
3/30(月)曇り、管理会議 外来 療養判定会議 長副会議 療養病棟送別会(欠)
3:30起床、寝不足は心身に堪える。ドック判定総括x1,秋田医報校正に呻吟。5:10病院着、6:15回診ほか、7:45-8:40管理会議、8:45-14:00外来、15:00医師面談。16:00療養判定会議なし。17:00-20:00長副会議、21:30帰宅、夕食。22:00就眠。
応招義務について(2)「新型インフルエンザ」対策への参加義務はあるか?
医師が診療を拒否できる「正当な事由」に関する古い通達は、「事実上診療が不可能な場合のみ」と明言されているのは前述の通りである。
ところが、更に厳しく「症状が重篤である等、直ちに必要な応急の措置を施さねば患者の生命、身体に重大な影響が及ぶ恐れがある場合においては、医師は診療に応ずる義務がある」と絶対的義務を課す考え方もあり、こちらの方がより一般的になっている。なお、病院も医療機関も医師個人と同様に応招義務を負っている。
要するに、医師法19条の理念は患者保護の面にあるため、医師が診療拒否したことで患者に損害が及んだ際には、「正当な事由」の反証・証明がない限り、医師に民事上の責がおわされることとなる。
一方で、旧厚生省の行政解釈では「診療義務違反は医師の品位を損なう行為である」として、これを反復するような場合には医師免許取消し等の理由にもなりうるとしている。
実は、私が今回、医師の応招義務についてまとめ始めたルーツは、「新型インフルエンザの流行期」の対策に国はすべての医師に対策への参加を求めているが、果たして医師は自らも感染する可能性が高い感染症の最前線の対策に参加するのだろうか?と考えるからである。医師には果たしてそれに応じる義務はあるのだろうか?
私自身も県医師会の感染症等の危機管理部門の責任者として、「新型インフルエンザの流行期」には医師会員であろうと無かろうと、医師の多くは対応してくれるはず、と期待してはいるものの、果たしてそれは医師としての義務なのか?好意なのか、倫理観なのか、と言う疑問は常にある。また、それによって医師への要求度も変わってくる。
本日まで私が得た結論は、「新型インフルエンザ」対策への参加については少なくとも応招義務などの法的な縛りや義務はない。国民が困っている状況の最中にその対策に参加しないことは「医師としての品位、品格」が問われる、と言うところに拠り所を見出すしかなさそうである。
勿論、「新型インフルエンザ」患者、疑い患者から直接診療を求められればそこには応招義務が発生する。
この場合、「正当な事由」がなければ拒否できない。
3/29(日)東京・秋田晴れ 日医代議員会 病棟拘束 患者死去
2:00浅草Viewにて起床。持参のドック判定総括、文献検討、本読他持参の業務若干。7:00葉っぱとコーヒー朝食。9:10View発。9:30-16:20日医代議員会。18:00JAL AirBusA300-600R満席病院、19:18秋田着。20:00帰宅、夕食。20:50就寝。22:00病棟呼び出しで出勤。患者死去、見送り他、2:00帰宅、再度就寝。
医師の応招義務(1)医師を窮地に追い込む医師法19条、21条
医師には応招義務が課せられており、医師に対して大きな威嚇効果を発揮している。
医師法19条1項には、「診療に従事する医師は、診察や治療の求めがあった場合には、正当な事由がなければ、これを拒んではならない」と定められている。この定めには罰則規定はないが、さりとて法的な意味がないと言うわけではなく、違反すると行政処分の対象になり、場合によっては民事の損害賠償や刑事の犯罪の成立要素の1つとなりうる。
この医師法19条の最大の問題は「正当な事由」の範囲が狭すぎること、内容に具体性を欠くことにある。「診療を拒める正当な事由」の解釈が示されたのは、50年以上前の行政通知である。それは「医師の不在又は病気等により、事実上診療が不可能な場合に限られる」と厳しく限定するもので、その通知が今も一人歩きしている。
だから、何らかのトラブルがあった際など、拡大解釈されて医師側に応招義務違反と非が加算されることもあり得る。
要するに勤務医が厳しい勤務環境において如何に疲弊していようと、法はお構いなしに医師に診療を強制している。
これは医師法21条の「医師は、死体又は妊娠4月以上の死産児を検案して異状があると認めたときは、24時間以内に所轄警察署に届け出なければならない」と定めた医師法21条と同様である。
ここでは「異状死体の定義」が曖昧模糊としていたことに問題があり、従来は診療関連死は対象外であったが、都立広尾病院事件、福島県立大野病院事件は異状死体の定義が拡大解釈され、院長や執刀した医師が逮捕された事は記憶に新しい。
この医師法21条は福島県立大野病院事件を切っ掛けに改正の気運が高まり、異状死体の届け出も警察でなく調査委員会にした新しい法案が準備されているが、政治の混乱でまだ国会には提出されていない。
医師の応招義務についても一律に縛るのではなく、その内容を明らかにすべきである。診療応招があっても担当医他の受け入れ態勢の状況、患者の疾病め緊急重大度、診療の困難度、その地域での診療の代替機能の程度の相関関係によって、個別具体的に判断されねばなるまい。
医師の応招義務についても医師法21条と同様に現在の医療事情を踏まえた早急な再検討が望まれる。現在の解釈のままだと、疲弊した医師が診療を求められ、患者が思いがけない経過をたどった場合、異状死として24時間以内に警察に届け出を求められ、場合によっては刑事・民事事件の被疑者にされることもあり得る、と言う事になる。
何と厳しい環境であろうか。最近は患者から医師の応招義務についての発言がでることもある。
3/28(土)秋田曇り雪 東京晴れ 病棟拘束 法人管理職会議 東北医連打合会
1:30病棟より連絡あり出勤、患者死去。3:00帰宅、ドック判定総括、文献検討、徒然など。5:50病院。6:30回診他、8:30救急カンファ。紹介状、退院総括患者関連書類処理。出張準備。14:00-16:30法人管理職会議、締めの挨拶担当。17:50ANAにて東京。767-300後席は10%程とガラガラで快適。20:30浅草View着、夕食。21:00就寝
最近の医療情勢など 管理職会議の閉会の挨拶から
本日は第2回の管理職会議にご出席いただき、「21年度の事業計画」を中心にご討議戴きまして有り難う御座いました。
最期に締めの挨拶の指名ですので2-3の話題に絞って述べ、その責を果たすこととします。
さて、平成20年度のうれしい話題は、社会医療法人の認定を受けたことです。私どもの法人は救急医療の分野で中通総合病院の実績をまとめ認定を申請しました。審査自体はとても厳しいものでしたが、各委員は私共の病院の実績を何れも高く評価しておりました。私共の病院の公益性が一層認められたことになりますが、一方では新たな責任も生じた事を自覚しなければなりません。
残念であったのは当院が今回もまた「がん診療連携拠点病院」の認定が受けられなかったことです。今回申請された30医療の中で当院は充分認定条件を満たしているとの評価を受けております。しかし、30病院のうち認定を受けられなかったのは僅か2病院のみで、何とその2病院とは市立秋田総合病院と当院でありました。結局、不認定の理由は30万都市に大学を含め5つの拠点病院は不要であるという事であり、秋田組合総合病院は秋田市の北部にあるので、遅れている北秋田医療圏のがん診療機能を補填する事が期待される、と言う理由でありました。
いずれにせよ、この様な拠点病院の認定は地域単位に認めるのではなく、拠点病院として充分機能出来るか否かで判断されるべきです。間もなく認定病院の見直し時期を迎えますが、私はこの点を今後も主張し続けていきます。
勿論、今後がん診療については認定の有無に関わらず重点的に進めていきます。
医療機関の運営は近年、一層厳し久なってきております。
先週発表されました病院経営実態調査では、今年度前半の病院収支はあのマイナス3.16%の削減の時を上回る悪化傾向が明らかにされております。赤字病院の割合も4%程増加し76%に拡大しております。その原因は医師不足、診療抑制等によります。
全国的に見れば、自治体病院が地方交付税の削減によって運営が困難になっておりますし、県内事情をみれば10日ほど前に県が厚生連に13.5億円の補填を決定したニュースでみても明らかなことです。私は税金を使って補填したことに関してはやむを得なかったと評価していますが、助成を受けた厚生連も県も県民に対して説明責任があります。私はそれを楽しみにしています。
さて、この様な厳しい医療環境の中で私共が発揮出来る強みというのは何なのか、と言う点を振り返って見ます。
まず第一は、明和会に、各院所に、中通総合病院に相談すれば何とかなる、何とかしてくれる、と言う、私共の先輩諸氏が築いて来た地域住民の信頼感はまだまだ生きています。これを大事にしていくことが基本です。
第二は私共の法人には数々の施設があります。これは近隣の同規模病院にはない決定的な特徴であり、強みであります。これからの法人の発展のためには法人内施設の連携強化を高めることによって医療制度の締め付けを乗り切っていく事が重要と考えます。
来週から私共の病院はDPC病院となります。DPCの一つの特徴は効率的、かつ標準化医療の実践にあります。ただ、この医療の生き方は私共の求める、「患者の立場に立つ、暖かい医療の実践」と言うことに相反する一面を持ちます。30万都市である秋田市に於いて大学病院を含む5病院が全てDPC病院になり、効率だけを求めるのであれば秋田市民の健康は到底護れません。
私共はDPC病院として、かつ、設立以来の理念を大事にした医療を展開するために、医療難民を発生させないようにするために、いろいろな医療展開をしていきます。
そのためには、法人外の医療連携を大事にしていくことは当然ですが、法人内の有機的連携の強化による医療展開こそが、DPC病院として私共だけが出来る特徴であり、市民を護り、私共自身を護る鍵であることを強調し、法人各院所の重要な立場にある皆様方に、改めてご協力をお願いいたします。
さて、最期にしますが、4月12日は知事選挙です。
秋田県は年間1万人もの人口が減少し、地価の公示価格はどんどん下がっています。一方、高齢化が進みます。要するに秋田の活力は低下しつつあり、県民が生計を立てて生きることすら困難になっている事が示されています。このままでは秋田は沈没します。この様な環境の中で私共が如何に良い医療を展開しようと計画しても実現は困難です。
私共は県民の一人として秋田県を活性化する事も考えなくてはなりません。さりとて出来ることは限られます。その中では選挙で秋田を活性化するであろう知事を選ぶ事はわれわれ法人の今後にとっても重大です。ぜひその様な立場で投票して頂きたいと思います。さらに、麻生氏の動向、オバマ氏の采配にも注目することが必要です。
本日は30分も進行が遅れましたが、いろいろディスカッション頂き有意義な会であったと思います。本日戴きましたご意見・提言は今後の法人の運営に生かしていきたいと思います。本日は大変ご苦労様でした。
3/27(金)曇り 積雪3cm 県薬事審議会 法人理事会
2:00起床、体調不調で乗らず、だらだらとドック総括x1。4:00-5:00微睡む。これで改善。5:40病院着。6:20回診、病棟業務。8:00救急カンファ(欠)。13:00-14:30県薬事審議会、16:00患者急変、死亡。17:30-18:45法人理事会。21:30帰宅、22:00就寝。
主治医は悩み、安堵し,ガックリ来る 診療報酬支払基金審査会から査定
約一年ほど前になるだろうか、40歳前後の女性が高熱、全身倦怠感、食欲不振、身の置き所のないほどの全身痛を訴えて受診し、入院した。
入院後も41℃にも及ぶ高熱、腹痛、理解不能な肝機能障害を中心とする広範な検査値の異常、原因不明の咳嗽、とかで全身状態が急速に悪化、検査値も悪化の一途をたどり、経過によっては死亡の可能性も頭を過ぎった程の病状であった。
初診時の印象は、一般的感染症の他、何らかの原因による免疫能低下による持続性ウイルス感染症をはじめとする特殊な感染症の急性増悪の可能性も否定できなかった。また、1年以上も前からの体調の変化、脾臓の腫大なども伴い膠原病類縁疾患、造血器系の悪性疾患も否定できなかった。
この様な重症の患者を受け受け持つと主治医は心安らかならずで、患者の状況に併行して自らの体調も落ち込み、他の業務も疎かになり、熟睡できないなど、なかなか辛いものである。
まずは救命である。そのために早急に診断確定を要する状況にあり、私は短期間に種々の感染症、血液疾患、膠原病を指標に検査を施行した。
結果的に膠原病の一種と診断して治療し、幸い小康状態に至り、今は元気で過ごしている。ずいぶん苦労したが、それだけ患者の笑顔は私に大きな満足感をもたらしてくれる。
ところが、数ヶ月前に保険診療の審査会から、クラミディア、亜型HBウイルス肝炎、マイコプラズマ、トキソプラズマ感染症に関する抗体検査が過剰、あるいは重複という項目にチェックされ保険診療として認められないと査定されて戻されてきた。要するに、保険診療では認められないからその費用は医療機関で負担しなさい、ということであった。私は再々度ガックリと落ち込んだ。
これは理解できない査定である。多分、審査会では感染症に関連する検査を総花的に検査し、保険診療の範囲を逸脱している、と問題にしたのだろう。が、主治医は出来るだけ検査は少なくするものであり、総花的に検査することはない。
この様な急速に病状が変化する患者を前にして、上記の如くの感染症を診断、あるいは否定するための検査をすることは誤り、あるいは過剰なのだろうか。だとすれば、主治医は何を手がかりに診断を進め、治療すればいいのだろうか。
この患者は、これらの検査結果を参考にしながら激症型のあるタイプの膠原病と診断し、ステロイドホルモン大量療法で救命できた。
もし、これらの感染症の可能性を考えずに、あるいは否定せずにステロイドホルモン投与をすることは病状をむしろ悪化させる。患者の命をあずかる主治医としては出来難い事である。想定される疾患に関して検査が出来る環境にあるのにそれをやらないで診断と治療を進めることは医療面でも、倫理面から見ても許されない、と思う。
ということで、「この患者にとってこれらの感染症関連検査は必須だったと考えるので再審査をお願い致します」、と柔らかに表現した書状を認めた。
結果が楽しみである。
3/26(木)曇り・降雪 外来 健康福祉部長来訪面談 総合保健事業団理事会 郡市医師会感染症担当理事連絡協議会
2:00起床,ドック総括x1。委員会次第。説明内容検討。5:10病院着。6:30回診他、8:00救急カンファ、8:45-14:00外来、14:15県健康福祉部長来訪面談。16:00-16:45総合保健事業団理事会、医師会館で資料検討、18:30-20:00郡市医師会感染症担当理事連絡協議会。21:00帰宅、21;30就寝。
私の深意は「無関心」、「面倒くさがり」
小説「草枕」は1906年に漱石自身が「美を生命とする俳句的小説」と称したように、豊かなロマンチシズムを漂わせた初期の名作である。私は途中までしか読んでないが、出だしの「智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ」は特に有名で私は好きである。語呂も良いが、人間通しの付き合いの難しさを端的に表している。彼は程々に周囲の意見を受け入れ、ほどほどに対処していくのが無難なパランス感覚なのだ、と言いたいのだろう。
一方、「水は方円の器に随う」という言葉もある。これも私が好きな言葉の一つである。水の如くどんな器にも合わせられ、あまりで目立とうとしない生き方に、何か安らぎと、日本的な風情を感じ取る。周りに合わせるだけでは自分の存在感すらなくしてしまうが、どんなに周りに合わせても水の価値が下がることはない。むしろ、高まって行く。
私は立場上、自ら備える性格や心情とは異なる生き方をしなければならない。常識的、良識的であることが求められている、と思っている。だから、毎日が演技であり、これが多大なストレスのものとなっている。忘年会等では余興を頼まれることもあるが、「毎日が演技で、そのうちの一部は余興でもある。だからもう出し物はありません」と答える事にしている。
一方では自己主張が強過ぎると周囲との軋轢、摩擦が多くなり、自らがストレスを負う事は確かである。
私はかなり自己主張が強い、煩わしい人間の一人と思われているフシがある。自分の言動を顧みれば、そう言われても仕方がないが、実は自分としては全然そう思っていない。あえて言えば、「無関心」、「面倒くさがり」が深意であり、それを自覚しているがために意識的に逆な言動をしているのだ、と思っている。
いろいろな会合の際に意見を述べることはある。求められもしないのに出しゃばることもある。しかし、それに固執しないし、主張し続けることはまず無い。「私はこう思う」、と表現すれば私にとっては一件落着であって、大部分は後はどうなろうと関心外事項となる。
ただ、立場上自分の好みだけでやっていけないところ、発言にはそれなりの責任を伴うから、しゃべりっぱなしに出来ないこともある。その常識的なところも備わっていることが私の更なる悩みとストレス源になっている。
こんな取り留めもない事を、肩をいからさず、徒然と、とろとろと綴りたい朝もある。
3/26(水)降雨 外来 法人評議員会 県医師会理事会+新旧理事引き継ぎ+情報交換会
2:20起床。ドック判定総括x1。徒然など。5:10病院着。6:15回診、8:00救急カンファ。8:45-12:10外来、12:30法人評議員会+昼食会。15:30県医師会理事会+新旧理事引き継ぎ+情報交換会。中座して病院、残業持参19:50帰宅、20:30就眠。
「静養ホームたまゆら」火災(2) 都会の高齢者を秋田に招いては?
本県の置かれている状況は極めて厳しい。
高齢化率、少子化率は全国最速で進行、2010年ごろに30%、2030年には40%近い、日本一の超高齢県となる予定である。逆に労働力人口は減少し、経済活力の一層の減退が懸念される。
人口減にも歯止めがかからず、年間1万人以上の減少が続いている。秋田では生活が成り立たず、若者は生きるためにより活力のある大都市圏に移っているということである。
さらに、先日発表された土地の公示価格は他県以上にどんどんと下落している。このことは、国内における地域としての秋田県や秋田市の評価や価値が低下している、と言うことを示す。
こうした「下落県、下落社会」は今始まったことでない。県も企業誘致の努力等をしてきてはいたが殆ど実を結んでいない。最近はその様な努力も形としては見られず、県の予算の縮小、削減のことばかりである。
今までの発想の延長線ではダメだ。どんどん活力が低下していく。
今、世界同時不況の最中にあり外需には期待出来がたい。さりとて経済を停滞させたままでは日本は沈没する。日本は内需の向上が急務である。しかも経済状態が変わっても不変の分野で、永続性がなくてはならない。県民生活に絶対的に必要なもので、さらに今後さらに需要が拡大する分野であることが望まれる。
ザッと挙げるとエネルギー、食料、医療・福祉分野である。このうちエネルギーに関しては秋田に特徴的利点は見つからないが、後二者については秋田の利点を活かせるのではないだろうか。
食料については自給率全国第二であり、生産力はまだまだ増やせるのではないだろうか。政策的誘導があれば、産業としての再構築できる可能性は高い。
医療・福祉分野は先の「静養ホームたまゆら」火災によって明らかになった如く、都会地における、福祉分野はもう限界を迎えている。ならば、秋田で受け入れてはどうだろうか。勿論、寝たきり患者を秋田にと言うわけでなく、現役を退いた方々の第二の人生を「自然と人情味豊かで、空が広い秋田の地で・・」として一大キャンペーンを行って誘う。その様な方々が移り住んで来る事による経済効果は住宅、医療、福祉の分野、最期の葬儀関連費用までの間のことを考えても十二分である。当然、労働力も必要になって来るから雇用効果も大きい。しかも後30年近くは需要は続く。
明日は秋田県知事の告示日である。
秋田に活力を生み出せる候補者は誰なのか、を見極めて投票しよう。自立可能な地域を築いていくという気概が知事候補者には強く求められる。本県の再建、再生への熱い思いを力強く県民に訴えてほしいものである。
3/24(火) 曇り 外来 常務会 研修修了証書授与式 医局カンファ 県医療審議会法人部会
2:10起床,ドック総括x1、文献検討など。5:10病院着。6:15回診、病棟処置、7:45-8:25症例検討。8:45-14:20外来、14:30-16:00常務会、16:30研修修了書授与式。17:30-18:25秋田県医療審議会医療法人部会。医局MC「癌疼痛の評価」は欠。21:00帰宅、21;30就寝。
オバマ米大統領が差別的発言 健常者は差別視という障害を持つ障害者なのだ
オバマ米大統領は3月19日、NBC-TVのトーク番組に出演し、ボウリングのスコアが思わしくなく「知的障害者のスポーツ大会、スペシャルオリンピックスの様だったよ」と笑いながら述べた。この差別的とも取れる発言について知的障害者の支援団体から一斉に非難の声があがった。
知的障害者支援組織「アーク」は20日、「深く落胆した。知的障害者やその家族は不用意な発言に悲しみ、怒っている」とする声明を発表し、知的障害者のスポーツ大会などを通じて社会参加を促す国際組繊「スペシャルオリンピックス」のシュライバー会長も同日「不用恵な発言は知的障害者に痛みをもたらし、彼らへの不公正な見方を定着させる」、と苦言を呈した。
大統領はシュライバー会長に電話で謝まり、会長は謝罪を受け入れたが、アークは、社会的弱者への配慮を唱える大統領の言行不一致を指摘した。
失言に対してブーイングが生じるのは日本だけではない。オバマ大統領もやってしまった。恐らく、出演したのはいつもの演説とは異なり、本音で語れるような気楽なトーク番組だったのだろうし、悪意など始めから100%なかったハズである。
ただ、私はこの様な状況の中で語られた言葉であることをむしろ重視したい。
私は常々、「健常者の多くは、障害者を差別・蔑視すると言う心的障害を持つ障害者である」と思っているからである。勿論、私も同列の一人である。
要するに、健常者は特有のフィルターを通して障害者を見ている、と言うことである。健常者は成長と共に、知的に、倫理的に、社会的にそのフィルターに蓋をする事が求められ、建て前と本音を使い分けて振る舞うようになっているが、時として本音が飛び出すと言うことである。
多くの場合、差別感は成長の過程で、両親や家族から家庭で植え付けられる。特に日本はその傾向が強い、とされている。時には教育者から植え付けられ、助長される。子供達が持つ差別感というのは正直で、直線的で、容赦がない。その陰に、大人達が持つ差別感を読みとれる。
かつての東大の某精神科教授は「日本の障害者は、障害に加え日本で生まれたという二重の困難を背負っている・・」といった主旨の発言を残しているが、私は日本だけでない、より普遍的な感覚ではないか、と思う。
明日は県障害者施策推進協議会委員会である。心して出席しよう。
3/23(月)曇り・降雪若干 管理会議 医療安全管理者・事務長と打ち合わせ 療養判定会議 長副会議
2:00起床。ドック判定総括、徒然、5:05病院着。6:15回診、7:45-8:25管理会議、10:00-11:20医療安全管理者と打ち合わせ。紹介状・総括など。16:00-16:40療養判定会議、17:00-19:20長副会議。20:50帰宅、夕食、21:30就寝。
「静養ホームたまゆら」火災は、人ごとと思えない
群馬県渋川市の高齢者向け住宅「静養ホームたまゆら」で起きた火災は10人が犠牲になる惨事となった。お亡くなりになった方々の冥福を祈りたい。
次々と明らかにされる施設の状況を見ると、増改築を重ねた狭い廊下、スプリンクラー無し、火災報知機無し、出火当時に施設にいた職員は3棟に僅かに1人だけ、と驚く内容である。これでは障害のある高齢者を避難することは到底出来ない。起こるべくして起こった惨事と言えよう。
しかも、この施設を運営するNPO法人は県に有料老人ホームとしての届けを出していなかった。
さらに、驚いたのは・・、と次々に隠された事実が明らかになるのがこの種のニュースの特徴でもあるのだが、入居者のうち15人が東京都墨田区から回された方々であった、と言うことである。
東京など都市部では高齢者施設は空きがなく、その受け皿に近隣地方の施設が使われていた、と言うことで、このことを私は初めて知ったが、わが国の、首都東京の医療・福祉の貧しさが露呈した感じである。
墨田区は受け入れさえしてくれれば一件落着と言うことなのか、無届け施設に紹介していたことになるし、実際にはその実態も把握していなかったようだ。
このような無届け老人施設は全国で350を超すという。
これがわが国の高齢者福祉の実態の一面である。余りにも貧しい。しかし、このような貧しい施設が果たしている役割は大きい。マスコミは次々とこの施設の問題点をあばき立てる。それを見聞きする度に、私はいたたまれない気持ちになる。
マスコミの論調はNPO法人の経営者には命を預かっている自覚が十分あったのか?などと書き立てているが、一つ一つ明らかになってきたことは、本来なら政府、厚労省が痛みとしてとらえるべき内容である。いつも登場して調子の良いコメントを出す厚労相は何処に行ったのか?
目を病院に移して考えてみればどうだろうか。
当然、今回問題になっている施設よりは安全面で優れているが、絶対的なものでない。夜間や深夜の看護師等の1病棟あたりのスタッフはせいぜい2-3名で、特に高齢者の多い病棟では半数ほどが、あるいはそれ以上が障害を持つ方とか、寝たきり患者の病棟もある。
緊急避難という状況下においては自ずから限界がある。だからこそ、消防署との連携や情報交換、類焼を防ぐ防火対策とか避難訓練とかを日常から怠ることは出来ない。
訓練とか十分行っているとはいえ、災害はどんな状況で発生するか分からない。だから、常に不安を抱えている、と言うのが正直なところである。
介護の必要なお年寄りはこれから増える一方だが、療養病棟は削減される。さりとて在宅ケアのインフラが充足しているわけではない。
今、高齢者向け施設のあり方を社会全体で見直し、体制を整えるべきであろう。今回の事故は、行政がもたらした介護難民の悲劇である、ととらえたい。
3/22(日)雨 病棟拘束 アトリオン室内オケ第30回定期演奏会
2:00起床、新聞チェック。医師会関連文献検討ほか。6:10病院。回診ほか。8:30救急カンファ。雨だが東京他各地で桜の開花が報じられている。11:20帰宅、ドック他患者関連書類。14:00-15:45アトリオン室内オケ第30回定期演奏会、協奏曲の祭典?。16:00-19:45病院、重症患者回診、紹介状他。20:00帰宅、夕食、21:00就眠。
公私混同について 公私は別々でなく互いにリンクしているのだ
公私と言う言葉がある。これの用例としてよく「公私とも多忙・・」とか、「公私混同は困る・・」等と用いられる。
その中で、「公私混同」は絶対にやってはならない、と言う意味の言葉であり、人としての倫理観に関わる領域まで含み、意味するところはとても重い。
仕事や公務において、業務上の立場や業務上で知り得たことを私的な分野に利用したり、金銭を私事に流用することなどは絶対的にあってはならないことである。
上記の面では、私は今までにやましいことは一つもないハズだ、と自賛しているが、他の人から見ればどうなのだろうか。
尤も、私にはいわゆる権力的なものは無いし、金銭を直接動かす事などは全くない。後者に於いては全て提案書を作成、事務的に処理される。だから、やましさゼロである。各種の仲介の申し込みの話はないわけではないが、100%お断りしている。
ただし、堂々と「公私混同」している分野がある。それは、時間と場所である。帰宅しても睡眠時間以外は大部分業務に充てているからかなり「公私混同」している事になるし、それに伴うエネルギーや機材の経費も発生している。逆に、勤務先で私的な文章書き等一切していない、と言えば嘘になる。
先日、ある会で懇談した病院長の一人は、「自分は公私の区別は明快で、業務を持ち帰ることは一切無い」、と話していたが、そう言う世界もあるのだろう。
しかしながら、誰であっても公私を区別出来難い分野がある。「公私混同」を精神面、心理面で考えた場合はどうなのだろうか。この領域になれば、何事も割り切って考えるようにしている私も、途端に自信がなくなる。
今までは私の私的環境は恵まれていて、私的なことで業務を乱した、と言う自覚もそれ程ない。
しかし、それは昨日までのことである。私はストレスには弱い事は承知しているからこそ対策も出来ていた。今までの閾値を超えるレベルの懸案をかかえた場合、集中力を欠いたり、ミスを連発したり、時にはなげやりになったりするだろう、と思われてならない。
「公」と「私」は同一人物のなかでは絶対的に別々ではあり得ない。「公私混同」という言葉とは裏腹に、公私は共に有機的につながっているのだ。最近とみにそう思うようになってきた。
3/21(土)曇天 病棟拘束 当院S医師結婚披露宴 第135回秋田県医師会臨時代議員会
2:00起床、人間ドック総括x1。結婚披露宴挨拶文作成。医療事故関連資料検討、5:20病院着。6:30回診他。8:30救急カンファ、退院総括他。12:30-14:30 S医師結婚披露宴。中座し病院に。15:30-19:00県医師会第135回臨時代議員会+情報交換会、中座し帰宅。20:30就寝。
だらしないボタンをかけない医師の白衣姿
時代が変わったのであろう、今の若い医師は大部分は古いタイプの白衣ではなく欧米風の白衣を着用している。かつてはかなり違和感があったが、今はもう逆である。一部の医師が着用している古いタイプの白衣組の方に違和感を持つくらいである。
医師としてのイメージはまだこちらの方の白衣の方がしっくりするが、問題はその着用方法である。旧式のタイプはしっかり着用するとまとわりついて邪魔であり、苦しいし、暑い季節などは辛い。だから、前ボタンをかけずに着用する医師が少なくないのだと思うが、これが実にだらしない。
若い医師の一部はジーパンにTシャツ、あるいはこれに類似した服装に従来型の白衣を着て、と言うより白衣を引っ掛けて診療をしている。このようなラフなスタイルで患者に接しているのを見ると大変気になる。特に、不特定多数の患者を診る外来ではこれで良いのか、と思う。まず、着用している私服自体気になるし、さらに大部分の医師は白衣のボタンをかけていない。廊下も白衣をひらひら風にたなびかせて歩いている。
私は医学部三年の臨床実習が始まる前に指導の教官から、今までの基礎医学の実験室とは違うのだから、患者の前に出る時はネクタイをつけてきちっとした服装できなさい、と言われたことを思い出す。当然である。もう40年近くも前のことで、その当時は今のような洋風の白衣はなく、白衣と言えば古くからあるタイプだった。私の知る範囲は著しく狭いが、この頃、医師は総じてきちんとした服装をしていたように思うし、白衣のボタンもかけていたように思う。
私もきちんとしてきたと思っているが、そのうちまとわりつくし、暑いし、汚れるし・・イヤになって白衣着用もしなくなった。
ここ1-2週間地元の新聞に医師の講演姿、診察時の姿が写真入りで紹介されていたが、そのうちの何人かはやはりボタンをかけておらず、とてもだらしない印象を受けた。一方、日本医師会ではいま勤務医、女性医師の厳しい勤務状況をTVコマーシャルで紹介し、医師不足を訴えている。2種類あって男女一人ずつ医師が登場するが、幸いなことに白衣のボタンはかけていた。ただ、あの医師室の乱雑さが気になった。
私は若い医師に対するオリエンテーションの際、医師としてはまだまだ未熟なのだから、患者と接する時は服装は清楚にし、ネクタイを締めて欲しいと言うが、最近の医師は殆どが欧米タイプの白衣を着るから、このアドバイスは空振りである。
中堅医師は言っても効果はない。
3/20(金)春分の日 晴れ 病棟拘束 入院患者面談
2:30起床、ドック判定総括 徒然他。6:05病院着。6:35回診ほか。8:30救急カンファ。9:00-9:40患者と家族面談。退院総括。11:00帰宅、ドック判定総括その他。16:00病院、種々業務。19:00帰宅、夕食、20:30就寝。
新型インフルエンザ対策(10)医療機関は悪意で薬品を備蓄するのか(2)
国が2月に公表した関係省庁対策会議の「新イ」対策のガイドライン(GL)の新版の「抗インフルエンザウイルス薬に関するGL」部分に「医療機関等による悪質な買い占めは、公表」という記載がある。この部分はタミフルやリレンザを効率的・効果的に使用するため、都道府県、医療機関、卸業者等による適切な保管・流通・投与を促すためのGLである。
何でこんなところに「悪質な・・」と言う字句が出てこなければならないのだろうか。国は医療機関、医療関係者をどう見ているのか、大いに疑問である。国は「新イ」パンデミックの機会を利用して利益を得ようとする医療機関があるとでも思っているのだろうか。
この国がこういう視点でいるのならば如何に国がGLを発表すれども「新イ」対策に協力する気持ちが萎えてくる。
国はわれわれ医療関係者に積極的な協力を要請していながら、われわれを護る視点での用意は皆無である。僅かにプレパンデミックワクチンの優先投与があるだけで、それで感染症対策の前線に出ろと言う。
去る3月4日の日医の危機対策協議会で厚労省の「新イ」対策を推し進めている責任者の話でも「医療機関や医療関係者への保障は何も考えていない、パンデミックの時は普く感染する可能性があるのだから医療関係者だけを有利にすることは出来ない」、と説明した。
ならば、従業員を護るのは誰だ、と言うことになる。医療機関は従業員の感染予防に用いる薬品を備蓄することが必要になってくるが、それを含めて「悪質な・・」と解釈されたらわれわれはやっていけない。どこまでが「良質な備蓄」でどこからが「悪質な買い占め」と判断するのか明らかにして欲しいものである。
私は県の新興感染症部会の委員長として、医師会の危機管理対策の責任者として、また、病院の管理者として、国に対して、■プレパンデミックワクチン優先投与■感染予防薬配備■感染防御機材配備■パンデミックワクチン優先投与■労災補償■医療機関に対する運営保障、を求めていきたい。そうでなければ会員や職員に「新イ」感染対策の前線に出て欲しい、と要求は出来ない。
繰り返すが、医療機関による薬品の「悪質な買い占め」など無い。国が用意しないから各現場で考えなければならない。それを「悪質な買い占め」と言うのなら「新イ」対策に協力は出来るものではない。
「新イ」対策は応召義務の範囲外であり、あくまでも医療従事者の倫理観だけである。だからといって無防備では最前線に出ては行けない。
3/19(木)曇り 外来 県医療審議会感染症部会 研修管理委員会(欠)
2:30起床。発熱あり不快。ドック等処理.徒然。6:00病院着。回診、机上書類処理。8:00救急カンファ。8:45-13:40外来。途中4-5回ほど特技の睡眠を取り何とかやりきる。16:00-18:00県医療審議会感染症部会。20:30帰宅、夕食、21:15就眠。夕方以降体調改善傾向に。
新型インフルエンザ対策(9)国は医療関係者を何と見ている?(1)
新型インフルエンザ(「新イ」)が発生するとまたたく間に世界的パンデミックとなり、大きな健康被害と社会的影響をもたらすと予想されている。しかし、いかなるタイプの、どのような病原性を持つ「新イ」が発生してくるのかは全く分からない。
だから、現状ではWHOの指針に準じ、H5N1由来で、感染力・病原性がスペインカゼと同程度と想定して対応策を準備しておくのが妥当と考えられる。その準備さえしておけば、例えプレパンデミックワクチン、タミフルが全く無効なタイプの「新イ」であったとしても次善の蔓延防止策が可能となる。
国は本年2月に関係省庁対策会議の「新イ」対策のガイドライン(GL)の新版を発表した。
旧版では「水際対策」、「封じ込め」「蔓延防止対策」を基本としていたが、新版では対策の方向性を大きく転換した。即ち、水際対策が破綻し我が国に「新イ」ウイルスが上陸した際には、日本全土に蔓延することは避けられないが、「公衆衛生対応」「医療対応」「社会対応」などを総合的に講ずることによって、流行のスピード、感染者のピーク数を抑え、医療提供体制、社会経済活動を維持し、被害を最小限に止める方向、の方針に変更した。
「新イ」は「SARS」と異なり発症前から感染力を持つから、水際対策は破綻する可能性が高く、蔓延防止そのものは防止できないと考えられるから、この方向転換は正しいだろう。
結果として医療機関や医療従事者に対する求めが変わった。
則ち、旧版では対策に参加を協力に求められていたのは「感染症指定医療機関」、「感染症協力医療機関」であり、多くの医療関係者は自分には直接関係ない、呼吸器や感染症の専門医とか内科医が対応すればいい、と考えていたフシがある。ところが、新版では国民の健康維持と社会の難局を乗り切るために、「全医療機関」、「全医療従事者」が何らかの働きをすることが求められている。要するに、医療従事者であれば「新イ」パンデミック時には対策に参加することが求められたことになる。
これは大きな方針変更である。
ところが、「抗インフルエンザウイルス薬に関するガイドライン」部分に「医療機関等による悪質な買い占めは、公表」という記載を見て頭に来た。
何でこんなところに「悪質な・・」と言う字句が出てこなければならないのだろうか。
3/18(水)曇り 外来 県救急災害医療検討委員会 院内感染症対策会議
2:00起床。人間ドック等処理.徒然。5:10Taxi病院着、6:20回診、病棟関連業務、8:00救急カンファ。8:45-13:20外来。14:00-16:00県救急災害医療検討委員会。16:30院内感染症対策会議に遅れて参加。20:30帰宅、21:10就眠。何となく体調不良、カゼか?
ひな祭り ケーキ・お好み焼きパーティ
先日15日の日曜夕方から、わが家に私が勤務する病院の看護師4人とその子供達を迎えてのひな祭り、と言うかケーキ・お好み焼きパーティが開かれた。
看護師達は30歳程度?中堅クラスで、勿論私にとっては身近であるが、たまたまの経緯があって家内とも親しい。だから双方それ程緊張することなく迎えることが出来た。確か、連れてきた子供は4人だったような気がするが、あまりちょこまかと動き回るので正確な数は分からなかった。
今、わが家では二組の雛人形がピアノと棚の上に飾られている。雛人形と言ってもフルバージョンではなく内裏雛だけの2セットである。古いセットは長女のために用意されたもの、昨年購入したセットは家内が自分のために京都まで行って仕入れてきたもので、私は共に気に入っている。顔立ちがとても良い。もう3月3日もとっくに過ぎているのだが、旧暦の祭りと称してまだ飾り続けている。
花より団子というわけでないが、雛より団子なのだろう、看護師達もその子供達も意外と雛人形に関心を寄せてくれなかったような気がする。やはり雛人形は5-6段ものフル仕様でなければ関心を寄せないものなのか?と思ってしまった。
育ち盛り、いたずら盛りの年代の子供達である。部屋にあるいろんなものに興味を持つ。関心はネコに向けられ、老衰状態にあるナンナンにちょっかい出して大変であった。当日、最も大変だったのはピアノとネコのナンナンだったと言いうる。良くもマア別な部屋に避難せずに、4時間も子供達のいたずらに耐えたものだと思った。若いユーとミーシャは身の危険を感じてどっかに避難した。
ちょっと目を離した隙に私のオーディオセットのレコードが回転していた。子供達にとっては見たこともない器械だと言うことで、いろいろ弄ったらしい。アンプの電源が入っていなかったから破壊的な音は発しなかったが、アーム先端のDENONカートリッジDL-103の針が抜かれて影も形も無くなっていた。こんなことも20年ぶりである。当時、わが家の子供達にも針をよく抜かれ、レコードプレーヤーに鍵をかけて置いたものであるが、古いカートリッジだったので実害はない。
わが家でもかつては5人の子がいて、隣の子供が来ると8人にもなって大騒ぎしたものであったが、当日はその頃のことが彷彿とされ、実に懐かしかった。子供達とは全くテンポが合わない。当時は子育てが随分大変だったな、と再認識もした。
3/17(火)曇り 入院患者家族面談 外来 常務会 県病院協会臨時総会 医局送別会
2:10起床、ドック総括x1。5:15病院、6:30回診・病棟業務。8:00救急カンファ。8:45-14:00外来、入院患者家族面談。14:45-16:45法人常務会。17:30-19:00県病院協会臨時総会、後援会。19:10-20:40医局送別会に遅れて参加、中座し帰宅。21:20就寝。
県がJA秋田厚生連に13億円補助(5)期末手当に充てた??米国のAIGと同じだ
今、米国ではオバマ大統領が怒っている。別な問題に対してであるが私も同じような気持ちでいる。オバマ氏はAIG問題に対してであり、私は県が厚生連に補助した13億円の使い道に対してである。
米国最大手の保険会社AIGが17兆円の公費補充を受けていながら、幹部400人に総額163億円のボーナスを支給したと言う。これに対し、オバマ大統領は倫理上でも問題、理解できない蛮行であると断じ、何とかして支給を阻止したい、と記者会見で決意を語った。
私のメモが不完全なので事実誤認があるかもしれないが、AIGは今年度6兆円もの赤字が出る見込みであり。会長は自分の報酬は1ドルにまで下げるつもりだ、と年末頃会見で発表した。このことをきっかけに株価が7.000ドルを割り込むなど米国の経済界のみならず、国際的に大きな影響を与えたニュースは未だ新しい。
この経済上の悪影響を食い止めようとオバマ氏は4兆円もの公費補填を決定した。それなのに、会社幹部に多額のボーナスを支給することが判明し、断じて許せない、とわざわざ大統領が記者会見を開いたほどである。
同様の問題はビッグ4の問題でも話題になったことがある。多額の公費による補填を求めながら会長や社長は驚くほどの報酬を受け取っており、自家用機でワシントンに乗り込んできたことがやり玉に挙がったばかりである。ビッグ4のトップ達はその後は民間機で移動するようになったらしい。
米国の経済界の感覚は日本のそれと全く異なっていることに驚くばかりである。だから、今回米国発の経済破綻が生じたのだ。にもかかわらず、である。
ところが、目を身近なところに転じると近くで似たようなことが生じていた。
県が先日JA秋田厚生連に13億円補助することを決めたが、厚生連ではそのうちの4割ほどを職員の期末手当に充てるらしい。このニュースは労組のパンフレットからの情報で、詳細は記載なかったのでよく分からないところもあるが、もし真実なら私は納得できない。大体、期末手当とは何なのだ?期末手当支給理由として、支給しなければ多数の職員が退職するだろうと言うことで、それを防ぐための手だてらしい。
私は厚生連医療を立て直すための補助として税金による補填もやむを得ないと思ったが、その中の一部であれ期末手当の支給に回すのならば絶対に賛同できない。県の財政事情も良くない上に、この経済低迷で県内の企業も総じて影響を受け、リストラや倒産の憂き目にある県民が多い中、県民感情を逆撫でするような決定である。当然私の税金も入っている。
昨日までは私は県の補助に対して好意的にとらえていたが、ここまでされるのであれば、厚生連の経営感覚、経営努力に疑問を持つし、貴重な税金の支出を決めた県の担当部署に対しても改めて疑問を抱く。
厚生連、県は共に県民に対してこれらの点について説明すべきである。
3/16(月)雨曇り 管理会議 外来 療養判定会議 長副会議
2:30起床。新聞・文献チェック。ドック判定総括。6:00病院着。6:35回診、7:45管理会議、8:45-14:10外来。16:00-16:20療養病棟判定会議、17:00-20:25長副会議。21:30帰宅、夕食、22:00就寝。
県がJA秋田厚生連に13億円補助(4)隣の岩手県の医療事情
岩手県医療局、達増知事が病院再編で岐路に立っている。県立27病院の再編問題である。
私は盛岡近郊の田舎育ち、卒後2年間は岩手県医療局の職員として県立宮古病院に勤務した。私は岩手の片田舎で地域医療を担う医師になる積もりで医師になったのだが、時と時代の移り変わり、家庭の事情などから秋田の地で学び、働かせてもらっている。医師会の会合では岩手県医師会の方々とも親しく懇談する機会も少なくない。したがって、岩手県の医療事情にも無関心ではいられない。それに、私が岩手の医療に参加する可能性も、多分ないだろうが、ゼロではない。
岩手県医療局は22病院、5地域医療センターを運営している。総病床数5.551床、県内の一般病床の25.6%、一般+療養病床では34%を占め、全国最大の規模を誇る。いや、誇った時代もあったと言うべきであろう。今は巨大な組織をかかえて県は運営に頭をかかえている。
秋田県では厚生連9病院の一般病床数は約3.800床、県内全体の4割近くを占めるが、これと状況は類似している。
医療局が打ち出した県立病院改革基本プランが作られた第一の理由は巨額赤字である。試算では2002年度末で約100億円だった累積赤字は、何の改善もしないままだと2008年度には172億円余にまで膨れる恐れがあった。
岩手の特殊性は勿論あるのだが、運営困難になった理由は深刻な医師不足もあった。人口10万人あたりの岩手の医師174人は全国平均より27人少ない。秋田県よりも少ない。少ない医師が広い県内に分散しているから、一人ひとりの負担は重くなっている。2006年12月現在の1平方キロあたりの医師数は、全国平均0.74人、東京が13.6人、秋田0.2人、岩手は0.17、北海道は0.15と秋田県よりも医師の状態は厳しい。2003年に県立病院医師は535人であったが2007年には460人に減少したことも運営困難の元になっている。
改革を要する背景や動機は赤字だが、県民や自治体の反発は県の予想を超えていた。また、県議会の反発も強かった。
岩手県医療局が打ち出した再編プランは、一部病床ゼロ化、つまり入院治療無しという診療所をつくるサテライト方式。しかし、反対運動で後退を余儀なくされ最低限の病床を残す方向となった。これで2008年度の累積赤字予測が10億円近くも膨らんだ。
達増知事は県立病院一部無床化を視野にいれ、患者送迎用のマイクロバス5台の購入運用費用を盛り込んだ補正予算を組んだが議会が反対し、知事は先日議会で土下座して懇願する場面もあった。県立病院は一般会計から140億円の繰り入れをしているが、それでも2006-7年は10億円の赤字を計上、現状のままでの維持は困難と見なされている。
県が今回JA秋田厚生連に13億円を補助することを決めたが、隣の岩手県でもほぼ同じ状況が繰り広げられているのだ。
広大な地域をかかえるからなのか、組織の規模が大きすぎるのか、運営上の問題なのか、両県の共通点の中から何かつかむべきヒントはないのか、と思いながら岩手県立病院再編の資料を読んでみた。
3/15(日)晴れ・曇り 病棟拘束 ケーキパーティ
2:30起床。ドック判定総括、新聞・文献チェック、など。7:00病院。8:30救急カンファ。11:00帰宅。ドック判定総括、秋大地域医療関連フォーラムの原稿校正中心。16:00-20:00ケーキパーティ。途中16:45-17:45離秋の長女駅に送り病院へ。21:00就眠。
オバマ氏は米国の大統領なのだ
今、人類全体が直面している問題があまりにも深刻なために、また、時期的に米国の大統領選挙が重なったためにオバマ氏はまるで世界の救世主みたいに扱われている。オバマ大統領就任式は寒空の中200万人も集まったという。
就任式を含めて選挙戦の後半の様相は私には異様な光景に映った。これが選挙か?と思わせるような信じ難いほどで、フィーバーそのものであった。
米国だけでなく全世界が、21世紀の新しい指導者の出現にある種の感動を覚えただろう。今までの政治家のイメージとは大きく異なっている。久々のアメリカンドリームの実現である。黒人と言えどそれほどでなく、肌色はやや濃い有色人種とされるようなレベルに思える。身体も締まり表情も清楚であり、笑顔も良い。47歳の新しいタイプの政治家が国民の心をつかんだ理由がよく分かる様な気がする。
それだけ大きな期待を背負っていると言うことであるが、頼り過ぎは危険である。「オバマは大統領であって救世主ではない。だから、あまり期待を大きく持つとむしろ政権を危うくする」と思う。大統領候補者としていかに「Change!!」と叫んで新しいアメリカを目指していることを叫んでも、大統領になれば古いアメリカの歴史、前政権の遺産を引き継がなければならないし、議会制民主主義であれば政策に反論は常に出て行き詰まることもあり得ることである。
それでも、オバマ候補の演説には希望を感じさせる。聞くところによると5人ほどのライターが彼の演説を支えているのだという。誰の手によって書かれた原稿であろうと、すべて自分のものにしていて、よどむことはないし、訴え方も直線的でクリアである。
最初の大きな決断として自動車業界に公費を拠出した。
環境問題に力を入れることを強調しているが、そこに息の長い需要がと見ていて失業対策をテコにして社会構造を変えようとしているのだろう。
オバマ氏が大統領に就任して2ヶ月経過した。経済対策も進めている。しかし、実際には米国の経済は好転していない。株価は低迷している。
日米欧や新興国が参加した20ヶ国(G20)の財務相・中央銀行総裁会議が開かれた。ここでは米国や先進国だけの改革路線では経済の改革は困難であることが語られ、新興国への期待が強調された。
次の舞台は4月2日に開かれるG20金融サミットである。この時、主役はオバマ大統領である。どのような指導力を発揮するか注目している。
3/14(土)曇り 病棟拘束 面談打ち合わせ ドック診察 市医師会総会
3:00起床、文献検索、徒然。6:10病院。7:30回診他。8:00面談事前打ち合わせ。8:30ドック診察、救急カンファ(欠)。文献整理ほか。9:55再度回診、重症入院患者対応。地域医療関連講演内容原稿作成。県医療マネージメント研究会、勤務医勉強会は共に欠席。16:30秋田市医師会総会に出席、19:00帰宅、夕食、22:15就眠。
「司」と「士」と「師」 何で「医師」は「医士」でないのか?(2)
維新を経て発足した明治新政府は、迫られた富国強兵のために「和」「蘭」医学を廃し、国策としてドイツ医学を導入することにしたが、必要に迫られて「医師」という官職名で医術を用いる技術者を西洋並みの身分まで格上げした。その背景は分からないが、多分、招聘された何人かのドイツ人医師達が、わが国の医療関係者の身分や扱いがあまりにも低いことに驚き、激しく国に圧力をかけたのではないかと思われる。
当時、医学は学問としては国学、国文学などの文系に比較して甚だしく軽視されていたが、国の力でそれと同等の学問に引き上げた、ということになるが、東大文系のある教授は、「医学関連の教授と同列視されるのを屈辱と感じる」と言う記録を残しているそうである。もう一つ、あの森鴎外は身分は高級文官でもあったが、医学関係の論文や投稿記事に「医師」でなく「医士」と書いていたこともあったという。
当時の医師の置かれている立場を類推できるエピソードである。
このような混乱期を経て「医師」と統一された。「医士」にする話題が公的に出たか否かは現時点で私は知らない。「医師」とされたのはこのような歴史、背景があったのだ。
大正・昭和にかけて、医師の地位は向上し、「医師の品格」もそれなりにあったように感じられるが、最近、医師は単なる医療技術者・労働者に零落したような気がする。いや、こんなことを医師が述べること自体が駄目なのかもしれない。
今更呼び名はこだわる必要はない。ただ、「医師の品格」として「日本人の品格」とされる慈愛、誠実、側隠、卑怯を憎む等の情緒と心を併せ持つことが必要である。その上で、医師が患者や他職種や介護スタッフと共に、チーム医療を実践していければいい。
それには、いろんな意味で余裕が欲しいものである。
3/13(金)秋田晴れ・東京曇り・秋田雨 日医医療政策シンポジウム 法人理事会(欠) 長女帰秋
2:30 起床、ドック判定総括、徒然、6:00病院着。6:20回診+関連業務他。8:00救急カンファ(欠)。出張準備。9:30病院発、10;40ANA 767-300、後部は30%程か、快適であったが着陸時かなりの横揺れと共に激しく接地。医療政策シンポジウム。18:00羽田、Pcデスクで持参の業務。20:10ANA、767-300満席!!! 21:20秋田着、21:50帰宅、22:30就寝。
「司」と「士」と「師」 何で「医師」は「医士」でないのか?(1)
私は秋田県のDV(配偶者からの暴力)の防止関連委員会委員でもある。2月末までに議案の改訂作業は終了したが、その過程で「児童心理司」という資格があるのを知った。「児童心理士」のミスプリントではないかと質問したら間違いではないとのことであった。調べたら、確かに間違いではなかった。
私の印象から言えば「児童心理士」にさえ若干違和感を感じるし、ましてや「児童心理司」なるものがあるとは予想だにしていなかった。
「司」は古くは日本の律令制において主に省のもとに置かれた官司の等級の一つで身分を表し、主に役人またはその仕事を指すからである。「司直」「司祭」「国司」「保護司」「行司」「司書」などなどがその例である。
私は医師に関しても何で医師は「医士」ではないのだろうか? と常々疑問に思っていた。「弁護士」「代議士」「博士」「勇士」「名士」にしろ、一定の資格を持ちプロフェショナルと呼ばれる職業、あるいはそれに準じた方には「士」が与えられている。これに対して「師」は専門家を示すのだと言うことで、「教師」「看護師」「理容師」「講談師」などと同格の扱いである。これに「ペテン師」「詐欺師」も含まれてくるから納得できないわけ。
医業は長らく卑賎の職業で、これが一定の資格を持つプロフェショナルと位置づけられたのは明治時代も末朋のことである。
日本史上「医師」の文字が現れたのは、奈艮・平安時代の律令国家誕生と時期を同じにしている。朝廷内に診療組織が誕生したが、「医師」は針師や薬師と同列にに配属された。当時、「医師」は、単なる官職名で、尊敬される様な職業ではなく、技術に優れた人の範囲を出ない卑しい人であり、宮中の身分は極めて低かった。
これらの制度は武家制度の中でも受け継がれ、実際に徳川時代には「士農工商」の揺るぎない身分社会の中で、医術を用いる者は「工」とされて、賎しき階級とされた。
だから、身分の高い方を診察する際に「糸脈・糸診」の範囲に制限され、体に直接触れることなど決して許されなかったことはよく知られている。そのために医術の恩恵を受けられず、命を失った高貴な方々も少なくないだろう。
3/12(木)曇り 外来 県医師会産業医活動促進対策研修会
2:30起床。ドック他、5:20病院着。8:00救急カンファ。8:45-14:10外来。17:09こまちで大曲に。18:30県医師会産業医活動促進対策研修会。21:25こまち、22:30帰宅。23:30就眠。
善魔から善意まで 私はけっして善意の人ではない
麻生氏、中川氏の功績もあって漢字ブームである。今までそれほど使われなかった「未曾有」は真面目な文章にも頻回に登場するようになった。私も自らの手で漢字を書くと言うことが無沙汰になっていることを反省し、四文字単語集など引っ張り出して眺めている。
漢字は他の文字と違って独特なフィーリングがあってとても良い。
その中で「善」であるが、「善」を含む語句は沢山あって枚挙にいとまがない。たまたま先日、古い文献を整理していて「善魔」という言葉があることを知った。「悪魔」の反対語であるが、辞書には載っていない。
1974年の朝日新聞に遠藤周作氏は「善魔について」という記事を載せている。彼の創作単語なのかもしれない。独りよがりの正義感を持ち、独善的でいつも正義の旗印を掲げ、自分に従わない者や自分に組みしない者を悪の協力者とみなす、という人を指しているようだ。
宗教もそうだが、何でも集中・没頭し過ぎると視野が狭くなり、排他的になっていく。遠藤氏は「善魔」に二つの特徴を挙げている。一つは自分以外の世界の存在を認めない。二つめは他人を裁く、こと。
結果的に、目指す「善」から少しずつはなれていき「善魔」になる。この極端な例として、反捕鯨を掲げるグリーンピース、ハイジャッカー、テロリスト等挙げられる。それぞれの実行者は自らを堅く正義と思い行動している。どちらにせよ、視野が狭くなるような状況にならないよう、広い感受性を維持する努力も同時に求めていかなければならないのだが、彼らにはもはや何を言っても通じないだろう。
ちょっと柔らかな「善意」についてであるが、一概には言えないが、私はどちらかというと「善意は是」と取れない方である。ホントに「他人に親切にしなければならない」のだろうか?と思う。特にプライベートな面でそう思う。
これは私の生きる上での悩みの一つである。勿論、いま、具合悪くて困っている方々、緊急に助けが必要である方々に手を伸ばし、援助することは吝かでない。
問題は、それほどでもない場合である。私は親切な医師、と言うことになっているようだが、実際はそうでない。訓練で、あるいは職業柄で最大限の迎合努力をしてその場を乗り切っている、だけである。私がいろんな申し出に一見快く応ずるのは、今の状態の継続を大事にすると言う打算かな?と思う。もう一つの理由は、断るのが面倒だからである。
早くこんな努力を要するような辛い状態から解放されたい、ものである。
3/11(水)風雪 患者家族面談 外来 県医師会理事会 内科病棟歓送迎会
2:30起床。ドック判定総括、文献チェック。5:20Taxi病院着。6:30回診他、7:00患者家族面談。8:00救急カンファ。8:45-14:10外来+人間ドック診察。16:30-18:30県医師会理事会。19:00-21:45内科病棟歓送迎会。22:00帰宅、22:30就眠。
県がJA秋田厚生連に13億円補助(3)次年度からの改善策は?
県内の医療を広く支えている厚生連が経営の危機にあるとのことで、秋田県は今年限りという条件らしいが13億円の補助を出すことになった。
今年はこれで乗り切れることになる、と言う。ただ、厚生連の経営危機には厚生連だからと言うことでの落ち込みも確かにあるだろうが、医療機関が共通にかかえる問題点が基盤になっているから、解決策はそうあるものではない。
どこの病院でも今は、背伸びをして手を伸ばし、それでも不足なので高足駄を履き、さらに踏み台に登るような、無理を重ねて運営している。
ハッキリ言って今後、患者数はさらに減っていくだろう。こんな中で厚生連が来年度に向けて採るべき、緊急的、抜本的な改善案は口には出すのは簡単だが、無きに等しい、あるいは極めて困難な状況と思う。長い歴史がある、実績もある、組織も巨大である。身軽にターンなど出来ないだろう。
だから、今のままでは来年度も同じ程度の欠損が生じる可能性が高い。そうなると秋田の医療はどうなる??
同業者として無関心ではいられない。
他の組織のことなので私は何も言えない。でも、感想位は許されるだろう。
■厚生連の院長クラスは現状の病院運営、医療に対する危機感やビジョンを持っている。それが厚生連の運営にうまく生かされているのだろうか?
■厚生連間のマンパワーの更なる交流などは出来ないのだろうか?
■右肩上がりの構想でなく身の丈にあった運営、機能的、物理的ダウンサイジングや病床の転用なども必要では?
■ 人件費は適正なのだろうか?
■ 県外からの医師の導入、例えば自治医大の後援会組織からなどの組織的な応援などは考えられないか?
■ などなど・・・
3/10(火)晴れ 外来 常務会 医局カンファ(欠)県医師会倫理委員会
2:00起床,ドック判定総括1名、徒然ほか。5:20病院着、6:15回診+病棟業務、8:00救急カンファ。8:45-14:20外来、14:45-16:50常務会、17:30医局カンファ「新型インフ」(欠)、18:00-21:00県医師会倫理委員会。21:30帰宅、22;10就眠。
県がJA秋田厚生連に13億円補助(2)緊急補助は是だが、来年は?
県内で9病院、一般病床3.800床、県内各地区で中核的病院としての役割を担っている厚生連が経営の危機にあるとのことで、秋田県は今回13億円の補助を出すことになった。
県の公費による緊急的補助自体は、今後の秋田県の医療の維持のためには避けて通れない対応と思われ、私は評価する。9病院が県内に広く分布し、各地の医療の中心的役割を担っている。これは否定出来ない事実で、厚生連抜きに県の医療は語れない。
個々の病院という意味では厚生連の有名な病院は全国に幾つもあるが、病院群として厚く地域医療を支えている県は秋田以外に私は2、3の県しか知らない。厚生連が失速したら秋田の医療は大混乱する。
しかし、同業者の一人として、公的補助を殆ど受けられない私的医療機関の一員の立場から、また県民の一人として、いろいろ感じることはある。手をこまねいていると来年も何も改善しないだろう。早急な対応が必要である。
医療の冬の時代は昨年突然始まったわけではない。県はどこまで来年度以降の改善策を提示され、それを了承・納得して支援の意義を認めて了承したのだろうか。まさか、困った事態に陥ったのでとりあえず支援するといったものではなかろう。今回、支援を了承したことで県は厚生連と責任を共有したことになる。
だから、県にも説明責任がある。新聞報道の範囲ではこの辺のことは何も分からない。
今回の厚生連の経営の危機には医療機関が共通にかかえる内憂外患がある。
外患としては、診療報酬が低いこと、ショートステイ、老健施設等の社会資源が増加していること、景気低迷等による受診抑制がある。内憂として、医師不足による機能低下、機能以上の規模の施設建設などがある、と思う。これらが原因である以上、ドラスティックな運営改善策を早急にとらなければ、今年は補助で乗り切ったとしても、毎年慢性的危機状態は続くと考えられる。
貴重な税金の、しかも大金の投入である。厚生連は次年度以降の中長期的運営計画を県民に提示する義務がある。
3/9(月)晴れ・温暖 管理会議 療養病棟入棟判定会議 長副会議 県がん診療連携協議会総会
1:00起床、ドック判定総括x1他、徒然。5:10早めに出勤、6:15回診、7:45-8:20管理会議。10:00安全管理者と打ち合わせなし。16:00療養判定会議は対象者なし、 17:00-18:20長副会議、中座し県がん診療連携協議会総会へ、20:00病院。21:00帰宅、21:45就寝。
県が3年連続赤字見通しのJA秋田厚生連に13億円補助(1)新聞報道から
財政危機の中、支出削減に躍起となっている秋田県が、厚生連に13億円の補助を出す検討が進んでいる、と3週間ほど前に新聞に報道されていた。どうなるか注目していたが、それが決定したことが本日の秋田魁新聞に報じられた。
私共は報道記事からしか実情を知ることが出来ないが、米国の自動車ビッグ3の経営危機関連の記事を見ているようである。若干長いが引用させて頂く(秋田魁新聞 2008/3/9より全文)。
県内で9病院を運営するJA秋田厚生連が経営の危機に立たされている。
2008年度決算が3年連続の赤字となる見込みを受け、県が08年度一般会計補正予算で緊急に約13.5億円を補助することを決めた。
県は抜本的な経営改善を求めているが、厚生連が挙げる赤字の大きな要因は医師不足などによる減収。解決の決定打が見いだせない難問だけに、今後の経営改善の見通しは不透明。
収支改善には、赤字幅の大きな病院の機能縮小や、近接病院間の役割分担なども検討される見通しで、今後の地域医療に影響を及ぼす可能性もある。
厚生連は08年度、2.400万円の黒字を見込んだが、現状で12億円近い赤字となる見通し。06年度決算で24億円の赤字を計上、07年度も13.2億円の赤字となり、いずれも累積剰余金で穴埋めした。しかし、08年度は剰余金も底をつき、累積欠損に転じることが確実となり、県に緊急支援を要請した。
県医務薬事課は「3年連続の赤字となると、新たな借り入れができなくなり、病院業務や、現在進んでいる鹿角組合総合病院の新築工事に影響が出る恐れがあった」と緊急補助の必要性を説明する。
小棚木章JA秋田厚生連理事長は「公費支出は申し訳ないが、経営努力の及ばないところがあった」と話す。累積欠損に陥れば厚生連自体の存続が危うくなり、病院の自治体移管なども検討せざるを得ない状況という。
本年度は延べで入院119.5万人、外来233.5万人の患者を見込んでいたが、入院で5万人、外来で12万人落ち込む見込み。派遣元の大学への引き揚げや開業による退職によって常勤医が減少、病床の一部休止などに追い込まれた。
厚生連総務課は「消化器など必要な診療科で医師を確保できないケースがあった」と説明する。県医務薬事課によると、昨年4月時点の厚生連九病院の一般病床数は約3.800床。県内全体の4割近くを占める規模で、各地の中核病院としての役割を担っている。
老朽化の進む病院改築では、県が建築費の3割を負担するなどして積極的に改築を後押ししてきた。厚生連は過去10年に3病院を新築し、現在、1病院を新築中。借入残高は220億円に上り、返済も大きな負担になっている。
県は救急対応など政策的医療に対する補助を毎年行っているが、今回のような運営費補助は初めて。同課は異例の補助の慢性化を懸念し、「厚生連には抜本的な経営改善を求めている」と言う。厚生連はことし1月末、出資するJA本体や金融機関などを交えた経営対策委員会を設置。診療科など病院機能の再検討を含め、赤字幅の大きい病院の経営改善策や、医師確保に向けた具体策などを検討する。同課は「広域的な医療圏の再編にもつながりかねない話。改善策を出してもらうことが先決だが、県としての支援策も考えていきたい」と話している。
3/8(日)快晴 病棟拘束 元副院長葬儀
2:30起床、ドック判定総括x1。7:00Taxi病院に。8:30救急カンファ。10:30帰宅。11:00-14:15元副院長の葬儀と斎会。14:30帰宅、午睡若干。16:00ドック関連、新型インフ関連、文献チェックなどいつもの如く。20:00夕食、21:10就寝。
元副院長のご葬儀、お斎会に参列して
老人保健施設の理事長、施設長で、私どもの病院で昭和59年から平成9年まで副院長をされた医師の葬儀が本日しめやかに行われた。
昭和37年に病院に赴任され、一時京大に内地留学されたと言うことを知ったが、私の赴任は昭和60年であるから私など足下にも及ばないほどの大先輩で、私どもの病院の基礎作りから発展に大きく寄与された大先生である。
葬儀で弔辞が4名の方々から奉読されたが、私にとっては聞くことのほぼ全てが新しいことであり、驚きであった。臨床医としても、病院、施設の管理者として、卓越された方で、今回も最期まで施設の責任者としての立場をまとうされた、という。プライベートな面でも良き家庭人であり、読書家であった、とも言う。仕事上では随分長いおつきあいではあったが、私はその人となりなどについては一切知らないでいた、と言うことになる。
私はこの先生に限らず、スタッフの方々について余りにも知らなさ過ぎる。管理者としてこれで良いのか、と深く反省した。
また、ご斎会で私の席にまわってこられた奥様から、最期まで施設のスタッフの暖かい見舞いやお手伝いを戴いたことに関しての感謝の気持ちが語られた。これは先生の医療観、人生観などに施設のスタッフ達が心から共感し心酔ていたことの表れであろう。
なお、先の入院もそうであったが、私は今回も一度も病室を訪れてお見舞いを申し上げていなかった。最初の入院の際に、先生には病室へのお見舞いは遠慮させて戴きます、ご理解下さい、と私自身の考えをお話しし予めお願いしていたからである。にもかかわらず私や家内の健康状態まで気遣いされておられたとのことを奥様から聞き、いたく恐縮した。
最近、病院関係者とは限らないがお亡くなりになる方が少なくなく、葬儀に参列する機会が増えてきている。その際、もう私が何時同じ立場になってもおかしくない状態なので、どうしても自分のことに思いを馳せて一層厳粛な気持ちになってしまう。そんなこともあって、昨年11月には遺影用写真も用意するなど、コツコツと準備し始めている。
今朝は家内と自分の葬儀の有り様について、改めてより具体的に意見を交わした。基本のところで意見は一致しており、私が考えている方向でやってもらえそうで、この点は心配せずに旅立てそうである(笑)。
3/7(土)快晴 病棟拘束 患者家族面談 東北医連理事・代表者会議
2:30起床。ドック判定総括、徒然。医報用原稿作成、5:10病院着、6:20回診+病棟業務。8:30救急カンファ、書類処理。11:30重症患者対応、家族面談。14:0こまち仙台に。16:30-18:20東北医連理事・代表者会議+情報交換会。18:38こまちで帰秋、21:30帰宅。22:00就眠。
仙台出張 こまちの普通車、グリーンの違いは
出張の前には不思議と受け持ち患者が不調になる。
本日も血液疾患を持つ高齢の患者に大量の消化管出血が生じ、検査や輸血の手配など対応を急ぎ、患者家族に病状や輸血関連の説明、同意書を作成したり、主治医が不在中に一層具合が悪くなる可能性もあり得る、などと説明、結構短時間で対応が大変であった。
勿論、不在中の代診医の手配するのだが、通常は内科系の当番医の他、二番手として外科の福田医師、これは次男なのだが、にも依頼している。
本日も外科の福田医師を探し出して代診を依頼したところ、自分もこれから研究会とかで仙台出張、と言うことで断られた。私よりも早いこまちで発ち、遅く帰秋するのだという。「こまちは一緒でないから心配なし。それに自分はグリーンだから・・」と私が長時間にわたって知人と同席するのを嫌がることはきちんと理解していた。
こまちは土曜の午後であるのに往復共にガラガラで、シートを回転させて4席を占拠でき足を伸ばせたので本読むにも微睡むにも快適で、ストレス無く往復できた。とても贅沢な望みなのだが、飛行機もこまちも満席近くの場合は圧迫感があってとても大変である。
こまちの席は私は旅行社から購入するがグリーンを自分で購入したことは殆どない。1月下旬の湯沢での講演会の折には秋田・大曲間の乗車券が送られてきた。短距離なのでこんな気遣いは不要であったがグリーン券であった。10年ぶりか?と思うが、やはり快適であった。飲み物のサービスも付いていた。
こまちは普通車でもグリーンでも通路の両側に4列だからシート幅は同じなはずであるが、グリーン席がゆったり感じられるのはシートの質と前後の間隔の差のためなのだろう。それと車両を半分に区切って居てシート数が少ないため乗客の出入り、移動も少ないからなのであろう。
やはり乗った感じはかなり違う。長距離の場合にはその差は大きいだろう、と思う。ただ、それほど混まなければ私は今のところ普通車でも十分である。
3/6(金)雨 入院患者家族面談x2 ドック診察 患者死去
2:00起床、ドック他処理、徒然。6:00病院着、6:30回診と病棟関連業務。8:00救急カンファ。入院患者関連で対応、家族面談。患者関連書類処理。ドック診察。県医師会報用新型インフ関連原稿作成。20:30帰宅、夕食。20:45病棟より連絡、再度病院、21:09患者死去。 22:00見送り。23:00帰宅、就眠。
私共消費者は踊らされていないだろうか(4)高速道路料金
08年度補正予算関連法が成立し、高速道路料金の大幅引き下げが実施されることになった。これに関して具体的に知ったのは昨日の地方紙魁新聞のコラム欄であったのだが、その内容についてはやはり驚いた。
それによると、地方の高速道路は土日、祝日は乗用車が上限1.000円で乗り放題となり、大都市近郊区間も30%引きとなる。ただし、ETC装着車に限定されるのでETC購入費として半額程度にあたる5.250円を助成する方針だ、と言う。
これだとETCが飛ぶように売れるのではないか、と思われる。法成立の背景にETC関連業界の不正献金はないのだろうか(笑)?
その結果、例として青森・鹿児島間をあげれば僅か2.500円で済むという。これは恐らく通常料金の10%以下なのではないだろうか。
秋田を中心に考えると、秋田中央IC・仙台宮城ICは、通常片道料金が5.450円で、これが1.000円に、秋田中央IC・東京ディズニーランド付近のIC間は通常料金は最短で12.300円が1.000円となる、のだという。
私は車での移動が大嫌いで、高速利用はお盆に盛岡往復1回、年20回ほど秋田空港間を往復するだけである。往路の秋田中央IC・空港間が500円、復路の空港・秋田北IC間は700円である。短距離なのにちょっと高すぎるのではないか、と思う一方で、工事費用やメインテナンスのためにはこの程度は必要なのかと理解していた。
それが、この甚だしい額の値下げである。値下げはユーザーにとっては喜ばしい。喜ぶべきだろう。しかしながら、今までの料金体系は何だったのか?と思ってしまう。我が国の公共工事料金は不当に高いのではないかと思っていたが、実態はどうなっていたのだ、と思う。私共は物の値段という意味では踊らされていないのだろうか?
今回の高速道路料金値下げは土日・祝祭日限定、ETC装着乗用車限定とのことであるが、果たしてこれで良いのだろうか。考え様によっては対象を限定した定額給付金と同じ発想に見える。
対象車をもっと広げられなかったのか?内需拡大、経済活性化のためには他の選択肢は無かったのだろうか、と思えてならない。何となれば、高速道路建設も今回の値引き、ETC購入補助費用は全て私共が払った税金から支払われているのだから、あまり利用しない私にとって割り切れない気持ちも伴うからである。
3/5(木)快晴 入院患者家族面談 外来 秋大老年科訪問 県産業保健推進センター協議会
2:00起床。ドック判定総括他、5:10病院着。6:15回診、7:00患者家族面談、8:00救急カンファ、8:40-13:50ドック診察+外来。14:10大学老年化訪問。16:00-17:20県産業保健推進センター協議会。20:40帰宅、夕食、21:10就眠。
小沢氏の対応は疑問 虚勢を張ると自らを追い込むだけ
小沢氏の公設秘書の逮捕が政界を揺さぶっている。
私は詳細が分からない。ただ、企業献金が禁じられている小沢氏個人の資金管理団体が、西松建設会社からの献金を受け取り、政治資金収支報告書に虚偽の記載をした、と言うことらしい。しかも、かなりの額に上るとのこと。
民主党の小沢代表が記者会見し、違法性を強く否定し、検察の捜査に強く反論している。会見で、検察の捜査を「異常な捜査」と断じ、「政治的陰謀を感じる」「民主主義を危うくする」とまで述べた。
ここまで言えば完全に言い過ぎである。次の首相候補にも挙げられている人物としては見識が疑われる。追いつめられた当事者が、虚勢を張ってあがいているという印象がぬぐえない。説明もクリアでなく納得が行かない。かつての辞任劇の時も同様であった。追い込まれるとあらぬ事を言い始める傾向があるようだ。あのときは前言を陳謝し、翻意して地位にとどまった。あの時の不可解さの再現である。
しかし、今回は検察の捜査が入ったと言うことだから、前と状況は明らかに異なる。今は自らしっかりと調査し、自ら判断することだろうと思う。
小沢氏だけでなく、党内にも政治的な意味を込めた特別な捜査ではないかという意見もあるようだ。この考え方もおかしい。次の政権をねらう第2党もこんな程度?と思う。
確かに、この事件は不安定な日本の政治情勢全体に与える影響はとてつもなく大きい。そんなことは検察当局も分からないはずはない。かなり明確な証拠を掴んでいるから今の時点で行動に移したのだろう。
だから、小沢も党の上層部も、党員も虚勢?を張るのではなく、冷静でなければなるまい。対応方法によっては党全体として責任を負わなければならなくなる。
小沢氏は公設秘書が逮捕されたことではなく、それも勿論大変な事態なのだが、自らの発言で退路を断つ道を選んだようである。法を犯していることが明らかになったら、あるいは説明と矛盾する事実が明らかになれば、もう彼は党のリーダーの地位に留まることは許されないし、政治生命も終わりかねない。
言葉の重さを分からない政治家は居ないと思っていたが、小沢氏、党の上層部もちょっと言うべき矛先を取り違えている、と思う。小沢氏のルーツは一応岩手県で、なんとなく同郷の親しみも持っている。残念な結果にならないことを願っている。
3/4(水)秋田快晴。東京雨 日医全国感染症等危機管理担当理事連絡協議会 県医師会理事会(欠)
2:15起床。ドック判定総括x1他。徒然。5:10病院着。6:15回診他、8:00救急カンファ、9:40病院発、10:40ANA、 767-300、後部は10%ほどで快適。14:00-16:00日医全国感染症等危機管理担当理事連絡協議会。麻疹・新型インフ・肝炎について厚労省の方針説明中心。JAL18:10発、A300-600Rで前方は混み合っていたが後部は25%ほどで快適。約20分遅れ。20:15帰宅、夕食、 21:45就寝。
東京出張 ゆっくりし過ぎて秋田空港、羽田空港で呼び出された
本日は日医全国感染症等危機管理担当理事連絡協議会で東京出張であった。
日医の委員会委員を辞してから明らかに東京への出張頻度が減っている。ウイークデイに出張するのは外来の代診をされる医師には申し訳ないが、病院を離れる気分は最高である。
往路は搭乗便の約1時間前に病院を出てゆったりと車を走らせて、空港で本荘ひな人形のセットをじっくり見物、書籍コーナーで選んでいると「フクダ様、間もなく・・・」と呼んでいる。愚図などっかのフクダさんか、と自分とは思っていなかったが、2回目に呼ばれたとき時間を確かめたらもう出発5分前になっていた。ゆっくりし過ぎて愚図したのは私だったのだ。着席後間もなく出発したが、定時出発には影響しなかったようでホッとした。
同じことが復路でもやってしまった。搭乗便のゲート前の待合い席は好まないので別便のゲート前の席で購入した新書「大平正芳」に没頭しすぎた。また「秋田にご出発のフクダ様、間もなく・・・」と呼ばれた。時間はまだ20分もあるのだが、復路の便はバスで搭乗機に向かうために早めに呼ばれてた、ということだろう。搭乗券には出発10分前までに、と書いてある。確かにゲート前にはもう誰もいなかった。バスには3人だけで快適であった。
往路のANAは767-300で搭乗率は20-30%と思われた。復路は昨年11月からDC-9に替わったA300-600Rで30-40%程度であった。この時間帯の帰路はほぼ満席に近くいつも大型機に替わって欲しいと思っていたが、余り利用しなくなってから実現した。
先日たまたま航空運賃の値引きについて考察したが、本日の往復便の搭乗率ならば全員通常料金で乗っていてもペイしないだろうと思う。復路便は40分後ほどに秋田発の最終便として東京に戻るのだが、待合室には未だ10数人ほどしか待っていなかった。殆ど空で戻ったかもしれない。
本日の往復はゆったり出来て実に快適であった。今日だけのことからは何ともいえないが、ANAもJALもなかなか大変ではないかと思う。後で参入したスカイマークやスカイネットアジア航空は主力機を767から737型機に小型化して搭乗率を上げて経営効率を高めている。これからの行き方だろうと思う。
3/3(火)曇り・降雪若干 元副院長死去 外来 常務会 医局会
2:20起床。ドック判定総括など。5:10病院。6:30回診。8:00救急カンファ、8:45-14:30外来+ドック説明x3、14:45-16:00常務会、17:30 -18:10医局会。21:10帰宅。21:30就寝。
還暦後3年の実感 童謡、童話、昔話などへの興味が高まった
数え61歳が還暦と言うことになっている。
私も2005年5月に思いがけず還暦を迎えることが出来て祝福を受けた。あれから間もなく4年近くになる。その会では記念にえんじ色のアスコットタイと同色のベストをいただいたが、一度も使うことなくどっかに仕舞い込んで存在すら忘れてしまった。
還暦の数年ほど前は、「もしも、自分が無事還暦を迎えるなら、その年が勤務医としての定年」と勝手に設定していたことが思い出され、決断不足だったと思えてならない。当時の決断不足が今の境遇のルーツの一つで、お陰で思ってもいなかった体験、幸と不幸の両面を重ねていて「人間万事塞翁が馬」と言う言葉の意味を一部ながら実感として感じている。時間は元に戻れない、二者を採ることは出来なかったから、今は、マア、良いか、次の機会は間もなく来るし、と思っている。
還暦とは人生の折り返し点と考えられている。年を重ねていることの実感もいろいろ感じ取れるが、一方では自分の内的一面は確かに加齢とは逆な方向にターンしたような気がしてならない。
ここ数年、私は自分の興味の範囲がむしろ広がってきているような妙な充実感と、幼児返りなのか、民話や童話、昔話、童謡や唱歌に対する興味、歴史、人間に対する興味などが明らかに深まってきたと言う実感がある。
自分自身にある面で幼児性が残っていて、いろんな面でその感覚を楽しんでいたが、何か最近それも高じて来ている様な、なかなか良い感じである。
最近特に感心するのは童謡や唱歌を創る方々、童話を書く方々の感受性についてである。じっくりと聴き、読むと、本当に真から驚いてしまう。世の中がこんなに変わってしまったのに、それらの方々はずいぶんと感性が豊かなままである。
そんな様に考えた時、童謡や唱歌、童話がどれだけ子供達に受け入れられているのだろうか、と思ってしまう。これらの作品を子供達に提供できるのは身近にいる大人だろうが、その大人が興味や感受性を失ってしまっているように思えてならない。イヤ、存在さえ知っていないのではないかと思ってしまう事象もある。
今はむしろ、これらの童謡や唱歌、童話等は年寄りのために、私のためにあるのだ、とも思っている。
3/2(月)曇り 管理会議 外来 21世紀の医療をまもる会役員会 療養判定会議 長副会議
2:50起床。ドック判定総括1名分、徒然。5:20Taxi病院着。6:15回診、7:45-8:20管理会議、8:45-13:10外来、13:30-14:30 21世紀の医療をまもる会役員会。16:00療養判定会議、対象者4名。17:00-19:30長副会議。20:50帰宅、夕食、21:30就眠。
県医師会の決議文 効果はあるのか??
前の状況は把握していないが、私が県医師会の役員になってから最近まで、県医師会の代議員会に於いて適宜「決議文」を採択し、対外的には政府や厚労省、県選出代議士、全国都道府県医師会等に送付してきた。
私が作成段階で関与しただけで10数編はあると思われる。決議文集としてまとめると恐らく、医療界の流れと県医師会がどんな方針でそれに対峙してきたのかが表現される貴重な資料となるだろう。
全国各地の医師会からも年に数10編の決議文が県医師会に届く。長文から短文のもあり、取り上げている項目もいろいろなタイプがあって面白いが、ほぼ共通しているのは政府の低医療費政策に対する抗議と改善要求である。
ただ、「決議文」に関しては医師会員の中でも考え方にかなりの差がある。「決議文を積極的に出すべきだ」、との意見がある一方で、「決議文など出して何になるのだ、具体的にどんな効果があったのか?」と言う意見、それと「決議文等知らないし関心もない」と言う会員である。
「決議文」とは何だろうか。百科事典によれば、「一般に合議体が多数決により特定の意志を示すために表示する文章」とある。これには法的拘束力を持つ、例えば社団法人の役員会での決議、株式会社の株主総会などの決議、があるが、私どもが採択する決議は意見や希望の表現として提出する文章であり、法的拘束力とかは一切無い。要するに、県医師会の「決議文」は内容的にはそれなりに重いのだが、受け取る側にとっては単なるメモ程度と受け止めても構わないレベルの文章でしかない。
私は「決議文」は積極的に出すべきであるとの立場である。先日の市医師会と市内4病院長の懇談会の席でも会長に市医師会でも出来れば出すべき、と提言した。
私が「決議文」を重視するのは対外的な効果も期待はしているが、それ以上に県医師会員への代議員会の「意志表示」としての意義である。混迷し悪化していく医療行政に対して秋田県医師会がどのような視点でいるのかを端的に示すのに最適なツールである。
3月中旬の代議員会に提出する「決議文」の草案を今考えている。
今回は政治的混迷と世界同時不況の最中に地域医療を預かる立場の者からの要求・提言である。これまでならある程度は許されていた内容であっても、今回は職を失ったり、生活に苦しむ方々を尻目に過剰に我田引水的であってはならないと意識せざるを得ないなど、いつもよりも作成が困難である。
今回の主眼は、こんな時だからこそ、社会を活性化させるためにも、国民の安心のためにも医療福祉の分野を先ず充足させるべし、と言う立場、内容を込めたいと考えている。
3/1(日)快晴・曇り 病棟拘束 中通高等看護学院卒業証書授与式+卒業生謝恩会
2:10起床、ドック総括x1、徒然など。7:10病院着、8:30救急カンファ。10:30-12:00中通高等看護学院卒業証書授与式。病院にて業務。17:30-20:15看護学院卒業謝恩会、中座。20:30帰宅、組合病院看護師と歓談、21;30就寝.
中通高等看護学院卒業証書授与式と謝恩会
本日、1日は県内の各所で卒業式が一斉に行われるという。病院の近くの高校も本日とのことで、病院周辺はいつになく人通りが多い。
法人立中通高等看護学院の卒業証書授与式も本日で来賓として出席した。卒業式への出席は今回で4回目である。
式は学院の体育館で淡々と進められた。今年も久々の快晴であったが、気温は低く、石油ストーブが焚かれていたが寒く、薄い実習着の卒業生達には辛かったのではなかったか、と思う。
卒業生は49名、私は講義を持たないから卒業生の誰一人とも面識はない。
卒業生の表情は緊張と寒さも加わってか、こわばって笑顔も乏しい。ほほえみ、笑顔のない若い世代の方々は見る側にとっては辛い。お祝いの式なのに勿体ない。
学院長の挨拶、法人会長、県看護協会、同窓会、中通総合病院総師長の祝辞、在校生の送辞はいつもながら深い内容であった。答辞は読み始める前から涙、涙で、どうなることかと心配した。
毎年、参列する度にこれらの挨拶、送辞・答辞は聞き流すには勿体ない内容だ、と思っていたので今年は録音させて頂いた。
夜は謝恩会である。4回目ともなると学生達から華やかな女性達へあるいは若者への変身には驚くことはなくなったが、どっちが真の姿なのか、と思ってしまう。緊張感なく成り切っているところを見ると、つい数時間前まで看護学生であったことが信じがたいほどである。
謝恩会の挨拶の中では、友人を大切に、絶対禁忌は頭にたたき込む、同じ間違いは繰り返さない、疑問は口に出して相談、と言うようなことについてつらつらと述べ、卒業と新しい門出を祝い、前途についての期待を述べた。
楽しい会であったが、終了直前に電話連絡があったのを機会に中座させて頂いた。
年を通じてワンパターンで淡々とした毎日です。AM2:00-5:00にメールチェック・返事送付、人間ドック(HDD)判定・報告書作成、新聞切り抜き、病院・医師会業務など。
月〜土曜は6:00頃出勤、HDD報告書印刷、外来書類処理など。病棟回診、HDD受診者とミーティングと診察。8:45-14:00外来とHDD受診者に結果説明。昼食は摂りません。午後は病院業務・医師会業務、各種委員会等に出席など。20:00頃帰宅。 日曜・祭日もほぼ同様ですが、病院には午後出かけます。時間的に余裕無いのが悩みです。 |