徒然日記
2008年11月分

 日記と言うより、自分の行動記録からの抜粋と日々の雑感です。

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11/30(日)雨後晴  病棟拘束
2:30起床.ドック総括x1、その他。6:10病院着、6:30回診ほか総括など。8:30救急カンファ。11:00帰宅。業務、うたた寝、楽器練習など。16:30-18:20病院。19:00帰宅。夕食、21:30就寝。

名曲「神田川」の成り立ち  詩、曲、伴奏共に即興的作品だったとは
 2005年以来、秋大心臓血管外科の忘年会では参加者が楽器を持ち寄って結成した楽団が20分ほど、数曲演奏するのが恒例になっている。恥ずかしながら私もそのメンバーの一人である。昨年は練習に参加する時間が取れなくて外れたが、毎年参加させて頂いている。

 今年も参加予定であるが、この楽団の定番の一つになっている「神田川」を今回もやらせて頂くこととなった。
 先日28日に練習に初めて参加したが、今年は学生アンサンブルのメンバーも弦楽四重奏として一緒に演奏してくれるという。私より上手なのだろうが、私をソロとして立ててくれるらしいから責任も大きい。今密かに練習中である。今年は譜面を簡素化せず、オリジナル楽譜に沿って弾いてみたいと思っている。

 05年のこの機会に至るまで、私はこの「神田川」という名曲を知らなかった。フォークは苦手の分野であったからである。作詞は喜多條忠氏、作曲は南こうせつ氏、1973年の"かぐや姫"の大ヒット曲である。急遽CDを購入したが、驚くほど素晴らしい曲で、それまで知らずにいたことを悔やんだほどである。

 朝日新聞に「うたの旅人」という連載記事が掲載されている。先週はこの「神田川」が取り上げられ、その成り立ちが紹介されていた。

 それによると、ラジオ局で徹夜で仕事をこなしていた喜多條氏に南氏が、「今日締め切りなんだが・・」と言って作詞を依頼した。一旦は断ったが、帰宅途中に神田川脇でタクシーを降りた喜多條氏の脳裏に5年ほど前に同級生と同棲していた時のことが突然浮かんできて、猛然と歌詞を書き上げ、南氏に電話した、と言う。
 一方、南氏はスーパーの折り込み広告の裏に歌詞を書き留めたが、その段階から既にメロディが浮かんでいた、という。作曲には1時間も要さなかったとのことで、彼はその時のことを「憑依あるいはトランス状態だった」と回想している。
 次に、南氏はヴァイオリン奏者の武川雅寛氏に、「自由に曲をつけて欲しい」として目の前で4回演奏した。「やります」と立ちあがった武川さんは即興で、あの夢のようなイントロを奏で、曲は完成した。

 プロデューサーは「変な歌だね」と酷評し、世論は南氏に「軟弱な4畳半フォーク」と冷水を浴びせたが、曲は大ヒットし息の長い曲として今でも歌い続けられている。
 朝日の記事は最後に、款弱どころか「神田川」が実は闘う男の歌だったことを南氏が知ったのは、それから約20年後のことである、と結んでいるが、この部分の意味を私は理解できていない。

 ヴァイオリンパートは美しいが結構複雑で私のレベルでは上手く弾くのは困難であるが、この名曲のソロを弾く機会を与えられていることだけでもう至福の境地である。


11/29(土)曇 病棟拘束 大曲中央公民館「医療と健康を考える集い」
2:00起床。ドック総括x1他、各種の資料再検討。5:10Taxi病院着、6:30回診他。病棟関連書類他。8:30救急カンファ。患者関連業務、21:00こまちで大曲に、中通病院初見学。14:00-16:00大曲中央公民館第4回「医療と健康を考える集い?寝たきりを防ぐ」、会長挨拶代読。16:30-18:10懇親会。18:29こまち。19:30帰宅、20:00就寝。

医療費は不足だが介護保険料が余っている!!(2)在宅の代替?秋田でショートステイが激増 
 地域ケア政策ネットワークの調査では約6割の自治体が介護保険料を使い切れていないとのことである。その理由は療養病棟削減によって130億円介護保険費用が軽減したが、一方では在宅の利用が伸びていないために消費されていない、からと考えられている。

 療養病床が減少した分、在宅療養が増える予定であったが実際には在宅ケアは増えていない。その理由は、以下の因子が考えられる。
■ 深夜の訪間介護が少ない、
■ 家族同居でヘルパー利用が認められない、
■ ケアマネジャーの力量不足、
■ 介讃報酬が低くマンパワーが確保できない、

 要するに利用者にとって在宅介護は不十分で不便だ、家族も大変だ、と言うことで希望者が少ない。在宅ケアは施設介護に比べてスタッフが移動する分など能率が悪く、かえって人手がかかる。だからこそ在宅を重視するのであれば予算とマンパワーの確保が重要である。

 統計上では上記後の如く、療養病棟から退院した患者はかなりの数に上るはずであるが、一方で在宅が伸びていないとすればこれらの患者は一体何処に行っているのか?何らかの福祉施設だろうか?
 しばらく疑問に思っていたが、先日開催された秋田県高齢者対策協議会の配付資料を見て了解した。

 秋田県ではショートステイが乱立している!!

 平成20年度のショートステイの設置目標は1.912床であるのに対して19年度には既に2.714床で、何と142%で過剰状態になっている。
 一方、と療養型医療施設は全国で見ると、平成15年に13万4千床であったのに19年には10万8千床と2万6千床ほど減少している。秋田県の場合は、この間597床から487床に約100床減少したのみである。ところが、この間ショートステイは1.300床増加している。だから、ザッと計算して1.200名の患者が在宅に戻らずともショートステイ収容されることになる。

 ショートステイはデイサービスと同様に居宅サービス分野に分類される。ここ2-3年500床規模で増加している。これだけ増加する理由は経営にうま味があるからなのだろう。法的に何もなく、設立認可に歯止めをかけることは出来ないらしい。だから、秋田の高齢化を睨んで今後も更に増える可能性もある。

 不勉強にしてショートステイの経済学などについて知識が乏しくてコメントできないが、秋田の場合にはこれだけ増えているのだから介護保険からの支出がかなりの額になるのではないだろうか。また、運営上患者の奪い合いが激しくなってショートでなくロングステイの状況も生まれているという。これも問題になるだろう。

 全国の自治体は介護保険料やサービス内容をどうするか検討中らしいが、施設介護型、居宅型、在宅型サービスの実態をよく把握し、コントロールして行かなければ、介護保険自体も成り立たなくなる可能性が大きい。


11/28(金)小雨 患者家族面談2件 ドック診察 法人理事会 CVS練習 ゲバントハウス弦楽四重奏団(欠) 
2:00起床.ドック総括x1、徒然他。5:15病院着、6:30回診、7:00-8:00患者家族面談2件、8:00救急カンファ。10:00A Bank来訪振り込み等処理。14:00ドック診察など。17:30-19:00法人理事会、19:45 CVS練習に遅れて参加。21:30帰宅、22:15就寝。楽しみにしていたゲバントハウス弦楽四重奏団は聴けず、残念。

医療費は不足だが介護保険料が余っている!!(1)不思議な実態を厚労省はどう見る? 

 「団塊の世代」が75歳以上の後期高齢者となる2025年にわが国の高齢化がピークを迎えるが、その時、医療と介護にかかる費用がどれだけになるのか、政府試算が社会保障国民会議分科会に提示された。
 それによると、2007年度の医療と介護費用は約41兆であるが、「現状レベルの踏襲型プラン」で行くと85兆円に、「改善・改革型プラン」だと90-94兆円になるのだと言う。その際の公費負担は前者で約11兆円、後者の場合は14-15兆円で、消費税の約3-4%に相当する、と言う数字まで付いている。

 財政削減を優先させた「結論ありき」の発想でなく「医療と介護のあるべき姿を」を想定して試算したことは大きく評価・注目しなければならないが、消費税増税を前提にした国民へ情報提供が目的の一つの様に見受けられる。

 医療と介護費用の高騰を防ぐために「医療から介護へ」「施設から在宅へ」の流れを作っている。この病院や施設から在宅へという方向性は確かに大事な方法であるが、家族構成の問題、地域性の問題などからなかなか簡単でない。

 第一、在宅医療の前提となるヘルパーなどの介護職員数をどうするかを先に解決する必要がある。現在の約117万人から250-255万人と2倍以上が必要であるが、あまりの低賃金のためなり手がないし、どんどんと辞めていく現状にある。在宅医療、介護は費用を安上がりにするためでなく、本来あるべき姿に近付けるためなのだ、と言うのであればそれなりの投資は必要である。

 厚労省の役人は殆ど医療や介護の実態を見ていない。東京のど真ん中で空想たくましく構想を練っている。秋田の高齢者がかかえている実態を理解した上での在宅医療・介護の立案とは到底思えない。
 立法であるから最後の頼みは国会議員と言うことになるが、秋田出身の方々は医療や福祉問題に関心が乏しい。票にならないからなのだろう。

 現場の声が届かない。これが日本の医療福祉政策の実態である。


11/27(木)晴 外来 秋田周辺地区新型インフルエンザ対応打ち合わせ会議
2:30起床.ドック総括x1、徒然他。5:15病院着、6:30回診、8:00救急カンファ。8:45-14:00外来。15:00-17:00秋田周辺地区新型インフルエンザ対応打ち合わせ会議で発熱外来設置と医療体制構築打ち合わせ。20:45帰宅、夕食、21:30就寝。

元厚生次官ら連続殺傷事件(2)現代の孤立はかつての村八分と同じ
 今月17日、18日にさいたま市と東京都で、元厚生事務次官らが連続して刃物で殺傷された。犯人が自首し、調査段階で判明した内容は実に不可解である。

 しかし、このような凶悪事件の容疑者像には、秋葉原無差別殺傷事件の場合も含めてほぼ共通の像が認められ、性格等の個人の問題に矮小化すべきでないと思われる。現代社会が作り出した犯罪、と言えば言い過ぎだろうか。

 始まりには様々な因子があろうが、まず何かの原因で孤立状態に陥ることから始まり、疎外感に進展、さらに不安定な身分と低収入の因子が加わることで、当面の生活の困窮と将来への不安感が加わり、徐々に焦燥状態に陥って行く、と言うのがほぼ共通のコースのように思える。ここまでは誰しもほぼ共通して通過しうるコースと考えられる。

 これから先は本人の性格等によって悲嘆するのか、怒るのか、である。後者の場合は内向的に自らを責めるのか、外向きに怒りを社会や個人に向けるのか、であろう。その際、怒りの増幅を緩衝してくれるのが社会の包容力なのだが、焦燥と焦り、差別感の形成には、遊興的TV文化やIT化も一役買っているように私は思う。

 「人」と言う漢字は生きるにあたって支え合いの重要性を形で示しているのだそうだ。また、「人間」とは社会的生物であることを示すのだと言われている。本当にそこまで意味づけして「人」とか「人間」とかの字句、単語が作られたのならすごいことであるが、現実にはそう言う存在である。

 いわゆる「村八分」と称する、かつての社会的制裁が如何に非人間的なもので、一家離散、心中や猟銃乱射事件などの悲惨な結果をもたらしたのかは多くの過去の事件簿、文学作品や文献から知ることが出来る。
 私はかつての「村八分」と現代社会に共通点を感じる。
 現代社会には恣意的な要素は無いとは思うが、負け組的立場に追い込まれた人に対しては機能的にはそれに近い状況になっている、と思う。
 この世相である、誰でもこの様な状況に追い込まれる可能性を秘めている。その際の砦一つ、緩衝地帯の一つが、家族である。普段から家族を大事にせねばならないのだ。


11/26(水) 晴 外来 インフルエンザワクチン接種  県医師会理事会
1:00起床、ドック総括x1他、寝不足感、途中で30分ほどまどろむ。5:15病院着、6:30回診他。8:00救急カンファ。8:40-14:30外来。16:30-19:45県医師会理事会。21:00帰宅。21:30就寝。

元厚生次官ら連続殺傷事件(1)疎外・孤立の中で人はここまで凶悪になるのか
 今月17日、18日とさいたま市と東京都中野区で、元厚生事務次官らが連続して刃物で殺傷される残忍な事件が起きた。当初は政治的テロリストに依るのではないかと疑われ、厚労省の関係者、特に年金関連職種員を震撼させていた。

 小泉毅容疑者(46)の出頭によって、事件は一応解決に向かった。
 新聞報道の写真で見る限り容疑者は報道陣、カメラ、TVカメラの前でも実に堂々とした様子である。他の凶悪事件の容疑者とは一線を画す表情である。出頭の際は警視庁本部の正面玄関に証拠品を積み込んだ車で乗り付けた、と言う。衝動的に、とかではなく周到に準備された行為で、自らの行為に絶対的確信を持っている者の表情であり行動であるように思える。この様な表情は政治犯・思想犯に見られるような気がする。

 マイナーなトラブルで容易に興奮し、しつこく迫るなど、もともと異常な人物として住民とかからマークされていたらしい。

 独特の異常性を帯びた性格はあるとしても、なぜこんな凶行が起きたのか、私には予想すら出来ないが、30年以上も前に愛犬が保健所に処分されたことが一因と述べているという。不思議ではあるが、憎悪は突然に出現し、ある種の心理状況では限りなく増幅していくものらしい。いろんなレベルはあるが、私の周辺でもそんな事例を何度も見た。

 また、小泉毅容疑者は別の厚労省元幹部ら10人ほどの自宅住所等を調べ上げていたとのことであるが、その際、国会図書館を利用したとのことで、自首が交番とかでなく警視庁の本庁だったことを併せて考えるとちょっと理解しがたい人物である。

 通常は、側にいる人間が何の理由もなく無差別に突然襲って来るなど想定してないし、自分として全く心当たりない相手に逆恨み等で狙われているとすれば、護る術はない。
 恐ろしいことである。


11/25 (火)晴れ 管理会議 外来 法人常務会 医局カンファ 長副会議 秋田市医師会班協議会
2:10起床、ドック判定総括x1他。5:10Taxi病院着。6:30回診他。7:45-8:15管理会議、8:45-14:35外来。14:45-15:50法人常務会。17:30-18:30医局MC、長副18:40-20:25長副会議。秋田市医師会班協議会は終了したとのことで欠席。20:50帰宅、21:40就寝。

秋田大学医学部が変わる(2)県からの寄付で総合地域医療推進学講座が開講
  大学の教育研究の豊富化、活性化を図ることを目的として、企業等からの寄附金で「講座」もしくは「研究部門」を設置、運営する制度が設けられている。寄附講座は、教授または准教授相当者1人と、准教授または助手相当者1人の計2人以上の教員で教育研究活動を行うものだ、という。

 秋田県はこの制度を用いて地域医療の充実を目的に5年間の期間で秋田大学に講座を寄付した。都道府県レベルでは珍しいことなのではないだろうか。かなりの英断だと思う。

 教授として従来から学生や研修医教育、女性医師問題に熱意を持って取り組んできた、第2内科の長谷川准教授が就任することとなった。私も研修関連の会には比較的出席する方であるが、長谷川先生のご意見を聞く機会は少なくなかった。実に相応しい方が選任されたものと思っている。
 24日夕方から就任記念の講演会、その後に就任祝賀会が盛大に行われた。

 長谷川教授は特別講演の中で、熱意を持って抱負を語られた。
 先ず、講座の運営方針として「学生・研修医の皆さんの将来のはばたきを心から願う熱意と愛情に満ちた親身の指導の輸を秋田県全体で」と掲げた。

 具体的活動としては以下の4項目を挙げられた。
1. 秋田県内、東北、全国の小・中・高校生に対するプロジェクト
2. 医学生に対するプロジェクト
3. 卒後臨床研修・生涯教育に関するプロジェクト
4. 総合能力開発・プライマリケア教育のための教育システム・教材の開発プロジェクト

 講演の中で教授は、若い医師を育てる立場にある医育機関の関係者、病院関係者、医師会関係者と緊密に連携者ながら、秋田県の医療を使命感を持って担ってくれる人材の育成を通じて、秋田県の地域医療充実に貢献したい、と述べられた。
 
 ここ数年、秋田大学は目に見えて変わってきていると思う。特に、法人化以降、秋田県と秋田大学との連携も確実に深まっている。大学は対外的にもいろいろなプロジェクト等の発案もしているようである。私がこの様な動きを実感とし始めたのは、ガン連携拠点病院の選定や、秋田県の医療福祉計画の作成を通じての範囲からなので情報量は少ない。が、確実に良い方向にあると思っている。

 従来から秋田大学と地域の医療機関の連携は、特に研修とか医師派遣に於いては必ずしもうまく行っているわけではないと思ってきたが、この面に於いては今回の寄付講座の開講、長谷川教授の就任で大きく様変わりすることが期待される。
 秋田大学医学部は変容しつつある。


11/24(月)勤労感謝の日振り替え休日 曇り・晴れ  病棟拘束 冬支度 秋田県地域医療充実と臨床研修を考える会 長谷川教授就任記念祝賀会
2:00起床、ドック判定総括x1、徒然他。6:00病院。6:30回診。8:30救急カンファ。11:00バイクにて帰宅。冬支度。16:00再度病院。17:00-18:20「秋田県の地域医療充実と卒後臨床研修のこれからを考える2008」。19:00-21:00秋大総合地域医療推進学講座長谷川教授就任記念祝賀会。21:20帰宅、22:00就寝。

秋田大学医学部が変わる(1)2つの後期臨床研修プロジェクト
  本日夕方、秋田大学医学部附属病院卒後臨床研修センター、医師キャリア形成支援センター、総合地域医療推進学講座主催で「秋田県の地域医療充実と卒後臨床研修のこれからの展開を考える2008」と称した講演会が開催された。

 講演内容は(1)秋大医師キャリア形成支援センター特任講師野堀潔氏による「大学病院連携型高度医療人養成推進事業による専門医研修の新展開」(2)特別講演として秋田大学医学部総合地域医療推進学講座(寄附講座)長谷川仁志教授による「秋田県地域医療充実をめざした総合地域医療推進学講座のプロジェクト」であった。

 私は本日の2題の講演内容を聴講して秋田大学医学部が医育機関として、秋田県の中心的医療機関として大きな変革を遂げつつあると言う実感を持った。
 国立大学は2年ほど前に独立法人化し、明暗双方の課題を負った。秋大以外のことは情報が乏しいが、秋大医学部に関して言えば他大学との連携による種々のプロジェクトの発足とかを通じて大きな変革、進展を迎えつつあるように思われる。かつて抱いていたイメージとは大きく異なってきた。

 本日の講演(1)では、将来の医療を担う、広い視野を持った専門医、総合医、医学博士の養成のために「大学病院連携型高度医療人養成推進事業」を立ち上げたとのことで、その内容の説明があった。
 これは文科省が平成20年度から立ち上げた事業で、大学病院や関連医療施設が得意分野による相互補完を通じて緊密に連携、協力し、より高度な資質を持つ臨床医を育成することを目的とする、というものである。
 全国の国公立私立大学病院から申請された28件のうち19件が採択されたとのことであるが、秋大から申請した「都会と地方の協調連携による高度医療人養成プログラム」「NAR大学・地域連携+α専門医の養成プログラム」の2件が共に認められたのだという。

 本日の説明では卒後3-8年間程度の後期臨床研修について各々に3つのコースを設け、システマティックなに専門医、総合医、医学博士を養成するとのことである。
 本日初めて聴いたばかりなので具体的なことは分からないし、学内の調整とか、まだまだ困難な壁は内在しているだろうが、秋田大学が新しい発想で医師養成を始めるという動きを感じ取った。
 
 新臨床研修を終了した若い医師が一人でも多く秋田大学に帰学し、臨床医として高度な資質を身につけると共に秋田の地域医療に貢献してくれるよう願いたい。


11/23(日)晴れ 病棟拘束 菊谷医師結婚披露宴
2:00起床、ドック総括x2。披露宴挨拶文作成、他書簡など。6:00病院着。8:30救急カンファ。入院患者対応、老健施設申込書、紹介状返事など業務。11:00帰宅、15:00Viewに、15:30-18:50菊谷医師結婚披露宴。19:00帰宅,20:30就寝。21:30入院一名あったが外来医師にオーダーを依頼、早朝診ることとした。

「プレイボーイ低気圧」って何だ? 今季もついに冷え込みが始まった
  11月10日、早朝出勤時、庭先に駐車しておいたプリウスのフロントガラスが今期初めてしっかりと凍結しており掻き落とさねばならなかった。その後3日間、日中は比較的暖かかったが、早朝は放射冷却で同様に氷結が続いた。
 朝夕の冷気で体が締まって気持ちが良いから、と続けてきた半袖Yシャツ姿、素足での通勤はこの辺で終わりとしジャケット、ウインドブレーカー、靴下を着用することとした。

 中旬の後半、低気圧が去ったあと強い冬型の気圧配置の影響で、日本全体が18日から寒気に覆われ、19日には秋田市でも初雪が観測された。初雪は昨年よりは4日遅く、平年より7日遅いという。積雪としては秋田市では0cmであったが、北秋田市地方で12cm、湯沢、由利地方でもほぼ同様であったとのことで除雪車も出動したという。県道の基準では積雪10cm以上で出動なのだそうだ。秋田市の道路の初冠雪は20日で昨年より4日ほど遅かった。

 ところで「プレイボーイ低気圧」と呼ばれる低気圧があるのだそうだ。この季節の低気圧の呼び名で、「迫り来る時は情熱的で暖かく、去りゆく時はすこぶる冷たい」からなのだそうだ。先日の秋田の気温はちょうどこれに合致していた。なかなかのおつなネーミングである。

 今年もついに本格的に冬の季節を迎えた。死者24人、227人の重軽傷者を出した2005年度豪雪の翌年は記録的な少雪、2007年は平年並みであった。今年は一体どうなるのだろうか。「平年並みまたは若干多い」との長期予想がでているのだそうだ。

 この連休の間にわが家でも急いで冬支度をしなければならない。
 老衰状態で弱った飼い猫のナンナンが過ごす場所の確保と保温、車の修理とタイヤ交換、ハーレーを病院の駐輪場から移動し自宅の車庫に仕舞い込み、代わりに除雪機を引っ張り出して整備・・・等、やらねばならないことは多い。1ヶ月以上放置したハーレーのエンジンがかからなければ300Kgの鉄の塊に過ぎず、対応は大変になる。

 私は寒がりなので冬は苦手である。
 かつては積極的に雪と対峙してきたが、年と共にだんだん苦手意識が強くなってきて自宅への細いアクセス道路の雪かきを考えると気持ちが滅入ってくる。
 昨年は除雪機のチョークのワイヤが切れて慌てたが、何とか修理できた。20年以上も使った経年機であるので今期無事持つのか不安もある。雪のシーズン中はホンダの除雪機は購入しようとしても品薄で手に入らないと言われている。だからといってまだ何とか動くので夏の間に購入する決断は出来なかった。さて、何となるのだろうか。


11/22(土)雨・曇り 病棟拘束 第51回県院内感染対策協議会研究会 家内同胞のフグ会食会 
2:00起床、ドック判定総括x1、新聞チェック、徒然他。5:10病院着、6:30回診他。8:10ドック診察。8:30救急カンファ、9:00-9:30ドック結果説明。以降は事務処理等。14:00-17:00第51回県院内感染対策協議会研究会に出席。帰宅、18:00-21:00家内同胞のフグ食会。21:30帰宅、22:00就寝。

積算アクセス数が10万回になった
 このHPは2001年11月1日開設以来、満7年を経過し8年目に入ったばかりであるが、先日積算アクセス数が10万を超えた。

 一日一つ、懸案事項や時々の話題、時には自分の憂さ晴らしのために何かのテーマを取り上げて、自分の考えなどを文章化している。
 10万のアクセスと言っても、そのうちの1万以上は恐らく私自身と管理者なのだろう。私は自分の文章を一つのデータベースとして用いているから、病院業務でも医師会関連の業務でも、あるいは私的な文章の場合でもこのHP内の記載を参考資料として用いる、だから、日によっては数回アクセスすることがある。

 また、一日の数件程度はわが家の子供達と考えられる。具体的に記載していないが、行間等から私や家内の状況を読みとっているようだ。このHPは第一は自分のために作っているが、もう一つの目的は子供達へのメッセージや連絡帳的役割である。私自身にとって最も身近である両親や祖父母が一体何を考えながら生きていたのか、興味を持っているがそれを知る術は残っていない。自分の考えを次の世代に押しつける気持ちはゼロであるが、知ってもらう分には問題なかろう。そんな積もりでもあるが、その役割は適当に果たしている様である。

 謝辞:小さな小さな私的HPですが、結構読んで下さっている方もおられまして、有り難いことだと思っております。つい先日、ちょうど10万回目にあたった方、多分保健師とかの医療関係の職種の方だと思いますが、お祝いと励ましのメールを戴きました。ありがとうございました。この間、アクセスして下さった方々に心から感謝いたします。


11/21(金) 曇り 患者家族面談 県新型インフ机上訓練
2:00起床、ドック判定・本日の県の机上訓練資料検討。5:15病院着、6:30回診、病棟業務。8:00救急カンファ、9:00ドック結果説明,9:15-10:00入院患者家族面談。11:00-11:45県庁へ打ち合わせ。パスポート受け取り。13:00-17:00県新型インフ机上訓練、助言者。20:30帰宅、夕食。21:30就寝。

麻生首相の暴言(2)「ものすごく価値判断が違う」医師だからこそ
 首相の発言は第一線の現場で医療を守るために献身している医師への侮辱である。
 確かに医師は30万人もいるのだから問題ある医師もいることは否定できない。しかし、そのような医師は少数である。

 麻生氏も病院を経営しているらしい。自分の周囲にいる少数の医師達から受けた印象は余り良くなかったと想像するが、だからといってそれを一般論として述べることは問題である。彼の発言のルーツが見えてくる。情報源の多くはマンガか?とさえ思ってしまう。
 
 医師は社会常識からかけ離れた存在と言われてきた。「医師の常識、社会の非常識」などとバカにした言葉もある。しかし、日本の医療はそんな医師達によって支えられているのだ。医師数が少なく過酷な就労環境に耐え、献身的に患者の命に向き合い、これだけの実績を挙げてきたのは、苦しくとも文句も言わず、「社会の常識」を求めることなく頑張ってきた「ものすごく価値判断が違う」医師達の働きの成果である。

 例えば、労務の規範の一つである労働基準法を過酷な医師の労務に当てはめたら日本の医療はどうなるのだろうか。崩壊どころか一気に瓦解する。「社会の常識」を求めず、物言わずにここまで来た医師達の異常性を説明する時に、私は「医師の常識、社会の非常識」と言う言葉を使っている。
 ここまで頑張ってきた医師は「ものすごく価値判断が違う」異常な集団で「在日日本人」である、と私自身も思っている。

 しかし、首相の発言は意味が全然違う。許し難い。
 首相は先に「医師不足を真摯に受け止めなければならない」と発言した。立派な言葉であるが、今となってみれば如何に薄っぺらな政治家用語であるのか分かる。
 医療崩壊の責任は医師にあるのではなく、医療費抑制のため医師数を20数年前から抑制してきた政府・与党の医療政策にこそ原因があるのだ。


11/20(木)降雪・寒波 道路初冠雪 外来 旭化成面談 
2:00起床、文献チェックなど。5:10病院着、初冠雪で夏タイヤでは滑る。6:30回診他、8:00救急カンファ、8:45-14:20外来。15:00旭化成学術員来訪懇談。机上書類処理。20:50帰宅、21:30就寝。

麻生首相の暴言(1)日医に陳謝しただけでは済まない根深さ
 麻生首相は11月19日、全国知事会議において「社会的常識がかなり欠落している医師が多い。ものすごく価値判断が違う」と述べた。
 先には、二階経産相が救急患者受け入れ困難の要因に「医師のモラル欠如が原因」と批判した。経産相は後に発言を撤回し謝罪の意向を示したが、発言を撤回し謝罪することは表面的つじつま合わせに過ぎない。

 問題にすべきはその発言が出てくる素地であり、これは何としても撤回出来ない。
 首相や閣僚からのこのような現実を無視した発言、及び、無知に起因する相次ぐ発言は、大問題となっている医師不足による医療崩壊は、約30年にわたる誤った医療行政がもたらした構造的欠陥に起因する、という常識的認識が全く欠如し、医師側の要因として歪曲して理解していることを示している。

 要するに、かれらは医療崩壊を本意で、根本的に、行政的に解決しようとする姿勢が乏しいことを表しているだけでなく、彼らには検討する資格、素地すらないことを示している。

 麻生総理の発言はその立場を考えれば二階経産相以上の許し難い暴言である。 
 これに対し、日本医師会や民医連は早速「首相としてあまりにも不見識な発言で、断じて容認できない」とコメントを発表した。当然である。

 これに対し、麻生首相は20日午後、日本医師会の唐沢会長と官邸で会い、発言を撤回し謝罪した、と言う。唐沢会長は「現場の医師は厳しい状況の中で精いっぱい努力している」と常識的に抗議したのに対し、首相は「不適切だった」と陳謝した、と報道された。それに対して会長は何と答えたのだろうか。

 これで首相サイドは一件落着、とする気なのだろうか?? だとしたら、首相も唐澤会長も大きく誤解していることになる。

 首相が唐沢会長に陳謝したとしても組織率50%程度の医師の私的団体である日本医師会に陳謝したに過ぎない。首相の発言は医師全体を侮辱したのであって、医師会を侮辱したのではない。医師会長にもこれで良し、とする権限などないのだ。


11/19(水)雨・降雪 寒波 外来+ドック診察+結果説明 院内感染対策委員会 新型インフ企業対策産業医研修会
2:00起床。ドック総括x1、その他。5:10病院、6:20回診他病棟業務。8:00救急カンファ。8:45-14:20外来+ドック診察x4。16:00院内感染対策委員会、18:30-19:50新型インフ企業対策産業医研修会、21:15帰宅、夕食、22:00就寝。

ノロウイルスが猛威をふるい始めた(2) 検査の意義は大きいが・・
 毎年12月になるとノロウイルスによる急性胃腸炎が急増する。
 ノロウイルス感染性急性胃腸炎の症状は多くは1-2日間の胃腸症状が主であり、多くは脱水に陥らないように配慮していれば自然に治癒し、特別の治療法もない。

 当院の救急外来にノロウイルスによると思われる急性胃腸炎が来院するが、流行が始まり、それが疑われる時は基本的にウイルス検査を行わない。ノロウイルス感染症という前提で病状の説明と感染蔓延防止対策の説明とパンフレットを差し上げる。たいていはそれで治まるのだが、家族内伝播で全員が罹患することも少なくない。

 患者が小児や高齢者の場合、脱水症状とかを生じて入院治療を余儀なくされる。この場合は、この患者が院内で感染源になる場合もあり、入院の場合には患者を選んでウイルス検査を行う。
 ノロウイルスの感染力はとても強い。しかもノロウイルスは一般的なアルコール系の消毒剤に抵抗性である。嘔吐物や便に大量のウイルスが含まれるから、看護・介護行為やトイレで感染が広まることとなる。診察医も高頻度に感染する。 
 伝播を防ぐには、患者への教育と清潔保持への理解と協力、介護や看護する側の知識と標準予防策に則った感染防御対策が必要である。防水ガウン、マスク、手袋の着用と徹底した手洗いが基本となり、消毒は加熱または次亜塩素酸ソーダを用いる。

 ノロウイルスに医療関係者も高頻度に罹患する。その際、典型的症状を持つ場合は自から納得するが、多くは「多分、ノロではないと思う」となかなか認めようとしない。医療関係者が感染すると自身が伝播者となるので直ちに職務から離すと共に検査する。
 また、入院中に症状が出た患者の主治医は「ノロの疑い濃厚」という感染制御部の判断をなかなか認めようとしない。そんな場合も検査である。その結果は本人達にとっては「予想外の結果」すなわち陽性の場合が多い。消化器系の症状が主ではあるが臨床像は結構多彩である。

 入院設備を持つ病院にとって入院患者がノロウイルス感染であるか否かは看護・介護上で大きな意味を持つ。現状では疑い患者はノロ感染に準じた対応を行い感染伝播を防いでいる。
 出来ることであれば疑い例は全例に検査をしたいところであるが、保険適応でないために出来ない。これは病院運営にとって大きな悩みである。


11/18(火)曇り 寒波  患者家族面談  被爆者健診+外来 法人常務会 県情報公開課員来訪 医局公開カンファ
3:10起床。ドック判定総括x1。文献検討、徒然他。5:10病院着。6:15回診他。7:00入院患者家族と面談。8:00救急カンファ。8:45-14:25外来+ドック結果説明x3。14:45-16:30法人常務会、17:00県情報公開課員来訪。17:30-19:50公開カンファレンス。21:00帰宅、21:30就寝。

ノロウイルスが猛威をふるい始めた(1) 今年はちょっと早い
 毎年12月になるとノロウイルスによる急性胃腸炎が急増する。
 当院の救急外来にノロウイルスによると思われる急性胃腸炎症状の患者が増加ししている。まだ散発状態と思われるので新聞等では取り上げられていないが、当院の状況から見ると今年は若干流行の始まりが早いようである。

 当院ではここ数週間、流行期を迎えるにあたって感染制御部を中心にノロ対策拡大診療部会議や院内学習会を開催して職員に注意を喚起し、かつ、院内感染防止の具体的対策を再確認してきた。折りしも、先週末から嘔吐や下痢症状を持つ患者が院内に散発し始めたので、今週初頭から院内感染防止対策を強化している。外来患者の一部、入院患者の一部からノロウイルスが検出され、危惧が現実のものとなった。

 本日、当院の「公開メディカルカンファレンス」が開催され、市内に開業されているからも数人参加していただいた。2演題のうち一題は当院の感染制御部長による「県内および当院のノロウイルス検査の現状」であった。これも機を得た企画となった。
 県内2カ所の検査センターから提供された資料によると、平成19年度の県内の検体提出件数は約3.000件で、そのうち陽性率が約40%であることが示された。診療所や病院を含む多くの医療機関や老人保健施設から検体が提出されていたが、若干の差はあったが提出機関の別による差は明らかでなく、ほぼ同じような陽性率であった。

 この検査は健康保険対象外であり、検査は医療機関負担で行われる。1件あたり一昨年頃は12.000円前後、昨年から8.000円もすることからそう簡単には提出できない。だから、確定診断のために嘔吐や下痢など、それなりの激しい症状がある患者を選んで提出しているはずである。にもかかわらず、陽性率が40%というのは極めて低いと言わざるを得ない。

 何故、陽性率が低いのだろうか?と思う。
 陽性であった場合は診断に問題はないだろうが、検査で陰性の患者はノロウイルスを感染を否定できるのか? 流行期であってもノロウイルス胃腸炎は本当に半数以下なのか、検査提出時期の問題はありそうないし、検体採取もそう困難ではない。検査の感度と特異度は一体どの程度なのだろうか?などの疑問がわいてくる。
 不勉強にして知らないので調べてみなければならない、と思う。


11/17(月)雨 患者死去 患者家族面談 管理会議 安全管理者・事務長打ち合わせ 療養病棟判定会議 長副会議 患者死去
 昨年は風雪で初冠雪の日。1:30起床。ドック判定総括x1、文献・新聞等処理、徒然。3:50病院より連絡、出勤。4:32患者死去。5:30見送り。6:30回診。7:45-8:30管理会議、10:00-10:40安全管理者と面談。16:00療養病棟判定会議。17:00-18:30長副会議。22:30帰宅、夕食、21:30就寝。22:00病棟よりコールあり病院。22:32患者死去、見送り他、0:30帰宅、就寝。早朝から夜半まで厳しい一日であった。

 ジャパンタイムズ記者よりインタビュー依頼があった(2)
A.M氏から提示された質問内容は以下の如くあった(原文)。
1:「医療崩壊」とマスコミが騒いでいますが、福田様の視点から見て、話題にされている問題(医師の不足、偏在、過労、など)の中で、何が最も深刻だと思われますか(全て相互に関連してしまうため、限定するのは難しいと思いますが)。

2:都市部と地方の医師の偏在についてです。福田様は秋田県で活動をなさっていると認識していますが、地元の医療体勢を見た時、何が際立って現在の医療制度の摩耗による打撃を受けていると思いますか。

3:政府が医師不足打開案として、医学生の定員を増員すると発表しましたが、これは果たして効果的だと思いますか。

4:日本の医療制度は(騒がれている中においても)世界でもトップを誇ると言われていますが、これを維持するためには、医師達の多大な犠牲があると聞いています(低報酬、超過労働など)。これは福田様の眼からみて確かにそうでしょうか?

5:福田様は現在のシステムを改善するためには、どのような策を練る必要があると思いますか?

 これらの質問は内容的に今の医療界が迎えている問題点の核心を突いていると思う。日本の医療問題についてかなり関心を持たれていると思われた。用いられた用語、語句からも読みとることが出来る。
 回答は電話でもよかったが充分に意が伝わりきれない可能性があるためにメールによって回答した。回答そのものは私が日頃積み重ねてきた記述を集めて編集することで作成した。

 私の記述がどのように扱われ、どのように英訳され、何時ジャパンタイムズ紙に登場するのか分からないが楽しみである。


11/16(日)雨  病棟拘束  
3:00起床、ドック判定総括x2。6:00病院着。6:30回診、重症患者対応。救急カンファ、9:15帰宅。来客その他対応。15:30-18:00横浜に帰る長女夫婦を駅に送り病院にて業務。18:30帰宅、夕食、ドック等の業務など。20:30就寝。

ジャパンタイムズ記者よりインタビュー依頼があった(1)
 11月7日県医師会より以下の連絡が転送されてきた。英字新聞のジャパンタイムズ記者からの取材申し込みであった。ご本人の許可を得たので以下に紹介する。
  「英字新聞ジャパンタイムズ記者のA.Mと申します。現在最近の妊婦搬送たらい回しを発端に再びマスコミに注目されている日本の医療制度への見直し、医師不足問題などに関しての記事を執筆中なのですが、インターネット上で福田様の「これからの医療の在り方」というサイトを拝見しまして、先生のお話を伺えたらな、と思い連絡した次第です。メール、電話、どちらでも構いませんが、福田様の医師不足問題に対しての意見、今後の打開策などについての考えなど、聞かせていただくことは可能でしょうか?ご検討願えましたら幸いです。」

 普段考えていることをより明確にさせるために、自分自身のために徒然と綴っているのが「これからの医療の在り方」であるが、時には驚くような反応がある。さすがに海外からの対応は1件だけであるが、国内からはいろいろな問い合わせ、質問などが来る。匿名でない真面目な内容については出来るだけ返事を書く。それを通じて更に考える機会が増えるので自身のためにも良い。
 気軽な話題であれ、それを文章化し投稿や何かに発表すると言うことは責任が伴うことであり、厳しいことである。何らかの反応があるとそれを大きく自覚する。
 
 新聞記者の方々からも時々アクセスがあり、面談やメールでやり取りをすることがある。それにしても英字新聞であるジャパンタイムズからまで申し出があったのには正直驚いた。
 
 私は英会話はからきしダメであるが、これほどの日本語で申し出があったことから流暢な日本語を話すだろうから電話でも良いと思ったが、先ずメールで具体的質問内容を確認した。


11/15(土)快晴 病棟拘束 次男結婚式・披露宴 
2:00起床、ドック判定総括x1、他何時もと同じ.5:15病院着。6:10回診他、書類処理。8:30県健康推進課員来訪、来週の県の「新型イ机上演習」打ち合わせ。披露宴謝辞作成。13:15View Hotelへ。14:30挙式。写真撮影。序でに私の遺影用も。16:30-20:00披露宴。長かったね。21:30帰宅、22:30就寝。

結婚、結婚式、披露宴雑感(5)結婚露宴謝辞  若い二人に送ることば
 ご紹介頂きました新郎の父の福田でございます。両家を代表しまして一言御礼のご挨拶を申し上げます。

 本日は、この様に多数の皆様方にご出席頂き、若いカップルの人生のスタートを華やかに祝って頂きまして大変有り難う御座いました。皆様方のおかげで挙式、披露宴も盛会のうちにフィナーレを迎えることが出来そうです。身に余るお言葉を下さいました方々、式の進行を楽しい演出で支えて下さった方々、花束や祝電をお送り下さいました方々も含め、本当に暖かいご配慮を戴きましたことに、心から感謝申し上げます。

 私自身は出来るだけ目立たぬようにひっそりとしていることを好みますが、次男は
3人の兄弟の中で一人だけ「お祭り男」の性格を備えて生まれてまいりました。子供の頃から、明るくて、シンプル、ひょうきんな性格と、でっかい声と大笑い、等で、わが家をとても明るくしてくれました。また、じっとしているよりは体を動かす方を好み、札幌医大ではテニス部、ラグビー部、野球部とも関係を持っていたとのことで、何時勉強していたのか、国家試験は大丈夫か,はたまた研修医として果たして通用するのかと心配する一方で、当時から人脈の広さには本当に驚かされたものです。
 新婦も大のスポーツ好き、アウトドア派だと言うことで、お互いに熱く、強く惹かれるものがあったのでしょう。

 本日のこの結婚式、披露宴は
100%若い二人の発想でデザインされております。
 私は端から見ていただけで何も注文しませんでしたが、随所随所に二人のこだわりも見えるような気がいたします。その中で、私が驚いたのは、皆様方に差し上げた招待状が双方の親の名前で発送されていたことでした。ここまで二人で準備したのなら、「慣習にとらわれず二人の名前で発送すべきだった」、と当初は思いましたが、今は、二人がこの華やかな門出に際して、自分たちは決して一人でここまで来たのではない、今までお世話になった方々の分を含め、両親に感謝の気持ちを表現したいという心と、これからも宜しく、と言う気持ちを表現したかったのだ、と解釈し、むしろ二人の気遣いに感謝しなければならない、と思っております。
 このことなども含め、皆様方にも何かと失礼なこともあったかと思いますが、二人の門出の日であると言うことに免じて、何卒、ご容赦いただきたい、と思っております。

 最後に、せっかくの機会ですので、結婚生活をうまく、楽しく持続させるコツを親の立場から一つだけ言っておきたいと思います。
 お互いに気に入ったパーツを「目」と書いておりましたので、「目」に関連した月並みの内容ですが、「もうしばらくの間は両目を開けてお互いをよく見なさい。あと何年かたったら、片目を閉じてお互いの良いところだけを見なさい。そして、長い人生だから、時には両目を閉じて、心で見つめ合わねばならない時もあるのだよ」と言うことです。これは主に新婦に送ります。
 新郎には「おまえは親に似ずとても良い性格をもっているが、自分で気付かないうちに言葉の上で勇み足をして相手を傷つけていることもある。おまえの勇み足で、悲しい思いをするのはこれからは奥さんなのだ、と言うことを肝に、命じて明日から一層活躍して欲しい・・」と言いたいと思います。

 さて、締めの言葉としては些か長くなりました。
 若い二人は、今日の感激を、皆様方から戴きましたご厚情を、生涯にわたって決して忘れることはないでしょう。
 もう一度、皆様方に心から感謝申し上げて両家代表としてのご挨拶と致します。
 本日はどうも有り難うございました。


11/14(金)曇り 健診セレモニーホール平安  県個人情報保護委員会 ドック診察  法人理事会
2:00起床、ドック総括x1.紹介状、徒然。5:15病院着、6:20回診他。8:00病院発「セレモニーホール平安」、8:30-11:20健診。11:30-12:30秋田県個人情報保護委員会。14:00ドック診察x5。入院患者対応。17:30-19:20法人理事会。21:45帰宅、21:30就寝。

結婚、結婚式、披露宴雑感(4) 次男の場合の驚き(2)
 11月15日、明日、次男が結婚する。
 披露宴は私の期待に反してとても大きくなり、いわゆる「派手婚」のレベルである。これにも正直驚いたし、私の立場ではご参列頂く方々に申し訳ない気持ちもある。

 私は出来るだけ目立たぬようにひっそりと暮らしていくことを旨として来たが、何がどのように間違ったのか、次男は3人の兄弟の中で一人だけ「お祭り男」の性格を身につけて生まれて来た。
 子供の頃から、明るく、シンプルでひょうきんな性格、でっかい声、大笑い、等で、末っ子としてわが家をとても明るくしてくれた。札医ではテニス部、ラグビー部、野球部とも関係を持っていたとのことで、当時から人脈の広さには本当に驚かされ、父親である私が息子の爪のあかを煎じて飲まなければならない、と感じ入ったほどであった。
 嫁も大のスポーツ好き、アウトドア派だと言うことで、この面でも互いに惹かれたであろうし、考え方の一部は似ているかもしれない。この辺のことは聞くのも気恥ずかしいから未確認である。

 結婚式、披露宴のプランは100%若い二人の発想に任せた。「お祭り男」の発想で随分多数の方々をご招待したらしく、結果的にとても大きな披露宴となってしまった。これほどでかくなるとあまり個性的なことは出来ないだろうが、式場の選択、披露宴の食事や記念品には二人の「こだわり」も少し感じ取ることが出来る。 
 気掛かりなのは当日の宴の進行、余興など、何が飛び出すか分からないことであるが、私も若い方々の発想を楽しみたい。

 明日は最後に締めの謝辞をすることになっている。
 まだ何を話すか具体的に決めていない。せっかくの機会なので、型にはまった謝辞だけでなく、結婚生活をうまく持続させるコツを親の立場から一つくらいは述べたい、と考えている。


11/13(木)快晴 外来 ドック診察 アズワンKK社員来訪 腰痛に悩む
1:30起床。ドック判定総括x1。購入したラジオの受信設定で若干腰を痛めた。徒然ほか。6:00病院着、6:20回診他。8:00救急カンファ、8:45-14:30外来、混雑。対外的予定なし。紹介状他書類作成数件。14:30アズワンKK社員来訪、18:00某診療所院長来訪、情報交換。21:00帰宅、夕食、21:45就寝。

結婚、結婚式、披露宴雑感(3) 次男の場合の驚き(1)
 11月15日、次男が結婚する。
 私と同じ病院で外科医として働いている次男に結婚を前提に付き合っている方がいるらしいことは噂では聞こえていた。機が熟したのか、2月のある夜に家族で夕食に招待され、初めて相手の方を紹介された。同じ病院のスタッフと聞いていたが私にとっては初対面に等しかった。この夜の印象は一言で言えば「安堵」であった。

 次は6月頃に、私の11月の予定を確認さ、15日と決定した。私が関与したのはここだけで、その後のプロセスは99%若い二人のペースで進められた。時折、会場となるView Hotelの担当係から状況報告の印刷物、パンフレットなどが送られてきて概要を知ることが出来たが、見るもの聞くものすべてが「!!」で驚きであった。8月下旬に所謂結納に相当する席が設けられ先方のご両親もお会いした。

 式はView Hotel近くの教会風の式場とのこと。これも「!!」であるが、花嫁のたっての希望とのことで面白そうである。披露宴の料理は和、洋、中華の中からの選択出来る方式、記念品は家内とその友人を介して進めたらしく、何種類かが用意されるらしい。何とマア、非効率な・・「??」と私は思う。

 私が些か驚いたのは招待状が私と先方のお父上殿の名で発送されていたことである。この点だけは従来からの慣例に則ったのかもしれないが、本音を言えばちょっと落胆した。「!!」、の感じである。ここまで二人のペースで進めてきたのだから、私は当然二人の名でご招待するものと思っていた。本音を言えば、息子の結婚は全く私的なことだから、と考えていたので、私の立場で招待したい方は、実は、お一人もいなかったのだ。100%若いカップルの発想で招待して欲しかった、と思う。ただ、先方のご意見もあるだろうからそうこだわらない。


11/12(水) 快晴 外来 ドック診察 県医師会常任理事会+対策会議
2:00起床,ドック判定総括x1その他。5:10病院着、今朝もフロントガラス氷結。6:20回診他病棟業務、8:00救急カンファ、8:45-14:20外来+ドック診察、混雑。。17:30-19:30県医師会常任理事会。19:30-20:30紛争対策会議。21:30 帰宅、Olympus Radio Server VJ-10届く。22;00就寝。

結婚、結婚式、披露宴雑感(2) 帰属意識の希薄化を反映
 院長になると冠婚葬祭への対応が頻回になって大変だろう、と思い覚悟したが、この件に関しては嬉しいことに100%杞憂であった。有り難いことに、この院長職3年間のうち、結婚式の招待は本年9月の当院の女性医師の方の1件だけであった。
 同日は東北医連総会が秋田県医師会の担当でView Hotelを中心に開催されており、ほぼ同時刻に特別講演のコメンテーターを務めなければならなかった。しかし、私は今回のご招待には躊躇することなく出席を決めた。
 当日は披露宴の式次第を変更し、私の挨拶を最初にして頂き、30分ほどで辞し医師会の業務に戻った。ホンのわずかな時間であったが暖かい雰囲気の清楚なイメージの披露宴で、心が暖まった。

 私は職員のプライバシーは殆ど知らない。病院の管理者として決して良いことではないだろうが、私の意識はそちらの方向に全く向いていない。更に、診察以外の殆どは部屋に籠っているので情報も届かない。
 私が院長になってからも何人かの医師が結婚したようであるが、全て事後に知った。後日、院長名の祝電に対する礼を述べられ、その時初めて知った例もある。

 私が職員の、医師の結婚式に全く呼ばれなくなったのは、一つには上記の如くの私自身の性格や資質の問題、通常のコミュニケーションの拙さにも一因があるが、それ以上に時代の流れの結果だと思う。だから拙いと知りつつあまり反省もしていない。

 時代と共に組織等に対する帰属意識の希薄化は著しい。縁者間ですらその方向にある様である。このことに関しては私は人ごとのようには言えない。私自身もその方向にあり、私の人間関係は極めて希薄と自分では思っているからである。

 宴会関連業の方から聞いた話では、最近の結婚式はほぼ全てが若い二人が中心になってデザインされている、という。そこに集うのは友人関係という気心の知れた仲間同士であり、堅苦しくなく、明るく楽しく演出が計画され、二つと同じような披露宴は無い、とのことであった。職場の上司は姿が消え、親類縁者は離れ小島の如くに会場の隅に追いやられて,内輪でヒソヒソと話しながらひたすら飲食している、というのが最近の披露宴の風潮とのことであった。彼はいろいろ感じるところもあるのだが、ビジネスだから、と割り切って可能な限り対応しているのだ、と言っていた。

 11月15日、次男が結婚する。私にとって何もかも驚きの材料である。


11/11(火) 曇り 外来 ドック結果説明 法人常務会 医局カンファレンス
2:00起床,書類処理他、文献チェック、徒然。5:15病院着.冷える。6:20回診、8:00救急カンファ、8:45-14:30外来、混雑。14:45-16:00法人常務会、18:30医局カンファレンス、CPC。21:20帰宅。軽食、22;00就寝. 

結婚、結婚式、披露宴雑感(1) うれしい誤算
 人の一生の間に、生物学的には連続的な緩やかな変化であるが、文化や社会が作り上げた節目がいろいろある。そのうちの一部は生老病死と言う言葉に集約されている。
 人生の節目の中で最も大きな出来事は勿論、誕生と死であろうが、本人にしてみれば前者は無意識の世界だからあまり重要ではない。後者は一人一人の人生が個性豊かな一つの完成品であり、千差万別、百人百様で二つとして同じものはないから一括りに論じることは出来ない。

 節目は、例えば、入学、就職、成人、定年、還暦・・等々挙げればきりがないほどである。その中で祝い事もいろいろあるが、特に慶事とされるものの代表はやはり結婚と言うことになるだろう。

 他の祝い事は基本的には個人の問題であるが、結婚も無理矢理こじつければ、個人的なものと見なすことも出来る。しかし、これだけは一人では出来ないし、だまって生きていれば自動的に節目が来て結婚できる、と言うものでもない。そこに至るまでの努力も、幸運も必要であり、第一に結婚相手が必要である。さらに、個人のレベルと言い難いしがらみもついてまわる。双方に親・親族があり、更に様々な社会的な人間関係が連なっている。それ以上に、その先どうなるか分からない、と言う不定の要素もある。

 私は、独自の捻くれた考え方も背景にあるのだが、他人の結婚というのは100%個人的なもの、と割り切って、例え招待があっても殆どをお断りしてきた。しがらみ上、頼まれ仲人は2回したが、結婚披露宴への出席はまだ10回数回、招待されたうちの1-2割程、したに過ぎない。だから、親戚の一部には私は家の代表者なのにつきあいが極めて悪いと評判がとても悪かった。もう両親もいないからこの点はどうでもいい、と割り切ってきた。
 
 院長になって確実に増えた辛い仕事の一つは、種々の会合に個人的資格でなく社会的立場から招待される機会が増えたことである。その多くには日本的慣習から懇親会、最近は情報交換会に名称が変わった、がセットされている。私は多人数での懇親は好きでない。酒は飲めない、話題に乏しく、よほど気が乗らないと積極的に語らない、だから周りの方々に気まずい思いさせるようでとても居心地が悪い。気疲れもする。だから、私は懇親会は最後まで居ることは稀で、中座して病院に戻る。

 こんな私である。院長になると困だろう、と予想したことの一つは冠婚葬祭への対応であった。葬祭関係はやむない部分もあるが、特に結婚式はどうしようかと迷っていたが、この件に関しては何と100%取り越し苦労、うれしい誤算であった。


11/10(月)快晴、放射冷却で底冷え 管理会議 外来 患者家族面談 療養病棟判定会議 長副会議
1:30起床、ドック判定総括x1、文献チェック、徒然、その他。5:05病院へ向かう、フロントガラ初氷結。6:15回診他。書類書き、7:45管理会議。8:45-11:00外来、1:00-12:00入院患者家族面談。11:00-14:00再度外来+ドック。16:00療養入棟判定会議。17:00-18:20長副会議。21:00帰宅、長男帰国、夕食、21;40就寝。

オバマ新大統領誕生(2)当選直後からもう難問が 
 11月5日、米国で4年ごとに開かれる祭典が終わった。
 オバマ氏が大統領選への立候補を表明したのは昨年2月、民主、共和両党の予備選が始まったのは今年1月だったとのことであった。大統領選の長丁場に耐えたばかりでなく、その間に徐々に自信をつけていった様に見える。勝利を宣言するオバマ氏も聴衆も熱かった。その姿には希望を持ち、困難に立ち向かおうとする強い意志がにじみ出ていた。

 オバマ氏は来年1月大統領に就任する。選挙勝利後、しばらく経って報道された彼の映像は選挙に向けて突き進んでいたときの表情、勝利宣言時のそれともう大きく異なっていた。攻め続けて来たときの明るさ、エネルギッシュな雰囲気は影を潜めていた様に私には見えた。勝利の瞬間から厳しい現実が突きつけられているからであろう。彼はもう今までと違って夢を語っているだけではダメで、一言一言に責任がついて回る。
 
 折しも、GM・クライスラーの販売不振に伴う資金繰りが綱渡り状態にまで落ち込み、両社は政府の支援を訴えた。この対応は本来ならブッシュの仕事であるが、イラク戦争の泥沼化、米国発の金融危機は世界同時不況の恐れ、など、内政、外交の失政のために、もうブッシュは期待されていない。彼は完全に無視され、影が薄い。もう、オバマ氏に期待が向けられている。

 彼は当選早々、まだ就任前というのに難題を突きつけられている。かつて、クリントン氏は就任前から優柔不断を指摘され、熱狂的に支えた支持者を落胆させた、と言われている。オバマ氏は同じ轍を踏むことはないだろうが、就任前から意見が求められ、評価が問われそうである。

 自動車産業に対し米国政府は支援に踏み切るだろうか?他の業界も困窮し始めている。だから、一旦始めると次々に要求が出て来るだろう。さりとて、自動車業界の資金繰り破綻は米国の企業の連鎖反応的破綻をもたらすだろう。しかも、それは世界に伝播していくことになる。米国は徹底した市場主義の国でもある。支援は本来の筋ではない。しかし、世界に対しての責任も大きい。だから、どう判断するのだろうか。

 ところで、オバマ氏は弁護士だと言うが、政治家として各論的に見れば得意な領域、不得意分野は何だろうか?経済問題はどうなのだろうか? 今後の彼の動向から目が離せない。


11/9(日)曇り 病棟拘束 昼食会
2:00起床.ドック判定総括x1。5:35病院。6:40回診。8:30救急カンファ。患者関連書類処理。10:00帰宅。12:30新しい家族を迎える昼食会に出る家内をViewに送り再度病院へ、文献ほか業務。机上・足下の書類多数処理できた。9月中旬の剖検の依頼書もついに書き上げた。病棟患者対応数件。18:30帰宅。夕食、業務若干、20:45就寝。

オバマ新大統領誕生(1)語ることの価値、言葉の価値は大きい  
 11月5日、米国で4年ごとに開かれる祭典が終わった。
 これは本当に選挙なのだろうか。政治は「まつりごと」と言われるが、政ではなく祭りなのではないかとも思ってしまう。米国の大統領選挙は「陽」のフィーバーであり、日本の首相選は「陰」のイメージである。

 今回の選挙がいつから始まったのかは定かではないが、民主党内の大統領候補選出がヒラリー・クリントンvsオバマと言う形で半年も続いた。以前からの下馬評もあり、私は次期は初の女性大統領が生まれるのかと安易な予想をしていたが、徐々にオバマ上院議員が優勢となり、ついに党内の候補者の地位を獲得した。

 国民は「変革 Chenge」を求め、初の黒人大統領(47)を選出した。黒人大統領の誕生、これは米国の歴史の中ではただごとでない大事件、変革である。オバマ氏が民主党の大統領候補に選出された時点で実質的大統領選出が決まった、と言えた。それだけ8年間に及んだブッシュ共和党政権への失望が大きかったことを示している。勿論現場では最後まで熾烈な闘いを繰り広げていたのだろうが、共和党のマケイン候補との最終選挙は消化試合にすぎなかったように思われる。歴史上最年長候補として頑張ったマケイン氏にもエールを送りたい。

 米国は不思議な国である。多民族で貧富の差が大きい。個人の権利も大きい。州の独自性も強い。しかし、国としての統一は不思議なほどとれている。これは長期間に及ぶ大統領選挙を通じて、共通の支持候補を通じて、国民の間に深い連帯感が形成されるからではないのだろうか。

 米国の選挙は日本とは異なり、口でする、言葉でするものだと言うことがよく分かった。
 オバマ氏は演説の中で「祖国、米国」と言う言葉を頻回に用いている。米国の民衆は将来大統領になりうる政治家に「心酔できる言葉」を求め、それを何度も何度も聞かされることを楽しみ、その言葉によって連帯できる仲間を知り、互いに連帯し将来を確かめ合う、と言うことだろう。それほど政治の世界、人間の世界、社会にとって言葉というのは大事なのだと思う。

 私にとって易しいことではないが、米国の選挙を通じて「語ることを絶対に忌避してはならないのだ」と言うことを再度学んだ。

 日本の選挙とは随分異なるが、かつての小泉候補は「自民党をぶっ壊す」と驚くようなスローガンを掲げて当選したのもこれと共通である。彼は自民党を十分にぶっ壊すことは出来なかったが、代わりに日本をぶっ壊した。我々はその後遺症の中で呻吟している。にもかかわらず、引退表明後ですら、小泉氏の人気は今も絶大である。それはわかりやすい言葉を通じてその存在感が国民の心の中に浸透し、「小泉氏なら何か期待できそうだ」と夢を抱かせた、歴代の首相と異なった姿が鮮烈だったからなのだろう。


11/8(土)曇り 病棟拘束 散髪
2:30起床、ドック判定総括x1、文献チェック。5:20Taxi病院着、6:30回診他、8:30救急カンファ。10:00患者家族面談。12:50散髪。19:15帰宅、20:30就寝。

医師不足対策(24) 医師と書類(2)一人の患者にこれだけの書類
 約2ヶ月前に82歳の女性が、市内の開業医から肺炎の疑いで紹介され、救急車で搬送された。胸部レントゲン上、両側の肺に肺炎像があり、誤嚥性肺炎の診断で入院した。前に何度か外来で診たこともあり、私宛の紹介状であったので私が主治医として担当した。

 脳梗塞の既往があり、自宅では家族の介助で車いすに移乗することが出来、食事は用意するとスプーンで何とか食べられていたと言う。

 重症肺炎で、命は何とか取り留めたが、この間酸素吸入も必要で10日間ほど臥床状態が続いた。リハビリ訓練も併用したが結果的に四肢の筋力は衰えベット上寝たきり状態になり、嚥下も出来なくなった。栄養は当初は静脈内にカテーテルを挿入して行い、次いで鼻腔栄養に切り替え、最終的には内視鏡的に胃瘻を造設して療養病棟に転入、リハビリを続けた。在宅での治療は困難と言うことで老健施設に入所となり、10月末に退院した。

 本日、2時間ほどかけて退院時総括を作成し、入退院の一連の手続きを終えたが、この患者に私が書いた書類は以下のごとくであった。

●入院診療計画書●栄養管理計画書●紹介元開業医への来院と状態報告●中心静脈栄養施行の同意書●リハビリ訓練申込書●紹介元開業医への病状中間報告●内視鏡的胃瘻造設同意書●療養病棟転入同意書●療養病棟転入判定会議用申込書●介護保険主治医意見書●家族への病状説明書2回分●老健施設入所申込書2部●療養型病院への紹介状3部●廃用症候群に関するリハビリ経過報告書2枚●退院総括書●DPC入力●入所先老健施設への転院時の紹介状●紹介開業医への退院報告●簡易保険入院証明書。

 本日の総括を含めると、何と、19種24枚であった。この方の経過は脳血管疾患等の既往のある高齢の方の肺炎例としてはほぼ定型的なコースをたどっている。書類数は通常の方よりは若干は多い。

 この間の書類作成に費やした時間は記録していないが数時間に及んだだろう。またこの間、来院時から退院までに家族への病状説明、同意書作成時の面談の時間も数回にわたり優に2時間を超える。

 私は最近、療養病棟中心に類似の病状の患者を30名ほど受け持っている。急性期の治療を終え病状は一応安定したとされている患者であるが、高齢の方々で何が起こるか分からないから結構大変である。病状報告の電話やファックスもひっきりなしである。
 それに加えて、一人の患者でこの程度の書類である。診療以外の時間の殆どを、土日・祝祭日を含めて書類処理に追われている所以である。

 医師をもっと診療に集中できるようにすること、それが医師不足、勤務医の過重労働を軽減する即効性のある対策である。医師以外に診療は絶対に出来ないが、事務的処理は代行が可能である。


11/7(金)曇り 患者家族面談 ドック面談診察 職員全体学習会「郡山氏が語るイラク」 秋大佐藤滋教授就任祝賀会
2:00起床。ドック判定総括x1。徒然。5:10Taxi病院着、6:20回診、患者家族面談他、8:00救急カンファ。10:00-11:30病棟患者対応。14:00ドック面談診察x5。18:00職員全体学習会「郡山氏が語るイラク」、中座。19:00佐藤滋教授就任祝賀会。21:30中座、帰宅、22:00就寝。

「食べて直ぐ寝ると牛に・・・」(2)これは正しい習慣なのだ
 食べて直ぐ寝ると牛になる・・・」と言って昔から食後直ぐ横になることは諫められていた。果たして悪しきことなのだろうか?

 私はここ20数年来、食事の回数を減らし、50歳代からは一日一食にしている。しかも、夜は食直後に寝る生活を続けている。一種の挑戦でもある。
 この様な生活様式は時に笑い話として披露しているが、聞く方々は例外なく、「不健康だ、むしろ肥るのでは?・・等々」と疑問を投げかけてくる。私に深い理論的背景はあるわけでないが、20年以上もこんなことをやっていて今も生きているのだからそんなに問題はあるはずがない、と確信を持っている。

 私は現代の栄養学が間違っていると思っている。医療崩壊は20数年前の医政に依ってもたらされたのと同じように、国民の健康を蝕んでいる糖尿病等の生活習慣病は、栄養に関連する学者とか栄養士とか保健師とかの方々や、厚労省の誤った生活指導にあると思っている。メタボ健診などいくらやってもダメ。一次予防は大切だが、そのスタートから誤っているから、どうしようもない。ヒトは減食が必要である。

 ヒトは何で一日3食が基本なのか?これは身体が求めているのではなく文化が押しつけた悪しき習慣である。食事は定時的よりは空腹に耐えられなくなった時点に摂れるだけ摂るのがより自然の姿なのだ。
 ヒトは300万年の歴史のかなりの部分を飢餓と闘ってきた。だから、満腹より飢餓に強くできている。3食化と過剰摂取、運動不足等の作られた習慣によって人の身体は慢性的に負荷過剰状態にある。 
 更に、食後は身体は消化吸収に勤しむのだから、それに集中させるためには他のことに身体を使うより横になるのが良いだろうし、眠れるならそれも良い。

 よくヒトは目眩や他の疾患に陥った際によく嘔吐し、時に便意をもよおし下痢もする。そのために本人も周囲の方々も慌てふためく。嘔吐や下痢はかなりの自律神経系の不調和を来していることの証でもあるが、私は不調から脱して体調を改善させるためには、大量のエネルギーを要する消化吸収作用は邪魔であり、そのために胃を空にする必要があるから吐く、と思っている。現に一般的に嘔吐した後に症状がかなり改善する。

 私の「空腹の時にたらふく食べて、すぐ寝る」はより自然の生活習慣なのだ、と自負している。

 ただし、食べて直ぐ寝ると悪心嘔吐とかの消化器症状を来たし体調不良になる「上腸管膜動脈症候群」という病気もある。とても稀だが私は食直後に各種の症状が出る患者を診た場合には一旦はこれを疑う。しかし、まだこの様な例に巡り会ったことはない。


11/6(木)雨 外来+ドック説明 秋田産業保険推進センター運営協議会+懇親会
2:20起床。ドック総括、徒然。5:10病院着、6:20回診他。8:00救急カンファ。8:45-14:15外来+ドック結果説明。16:00-19:00秋田産業保険推進センター運営協議会+懇親会。病院業務。21:00Taxi帰宅.21:30就寝。

医師不足対策(23) 医師に書類を書かせるのは大きな損失
 地域によって事情は異なるが、医師不足は勤務医不足と同義である。最近の勤務医が疲弊している理由は多岐に及ぶが、その一つに患者への病状説明、各種の書類作成がある。

 厚労省は医師の技術料への評価と称して一定の書類の記載を求めている。形式的と思われる書類もあり、無視したいところであるが、少額ながら診療報酬を認めているから病院では運営上無視できない。

 他の医師の仕事ぶりの詳細は分からないが、私は診療と患者関連の書類の処理に終日追われる日々を過ごしている。特に、木曜午後の外来終了以降、月曜朝の管理会議までの間の時間を病棟患者への対応と、その週の診療で発生した書類、やり残していた書類の処理に充てている。

 例として、先月10月末の木曜から11月上旬の連休の4日半に処理した書類を挙げてみた。休日で若干は余裕はあったが、大部分パソコンに向かって過ごした。なお、月末で病院の診療報酬請求の時期でもあったために書類はいつもより若干多い。

● 外来紹介患者への来院報告3件。病状経過報告2件。逆紹介の紹介状2件。
● 外来患者介護保険主治医意見書3件。
● 生活保護要意見書、入院分4件、外来分8件。
● 退院患者総括4件とDPCデータ入力。退院時紹介医療機関への退院報告と返事2件。
● 入院患者のレセプト点検24件。重症患者症状詳記1件。廃用症候群に関わるリハビリテーション経過報告18件。簡易保険、生命保険関連書類3件。
● 人間ドック判定総括5件。

 これらの書類はサラサラと出来上がるものではない。退院総括はDPC入力まで一式整えると2-3時間かかるのも稀ではない。かつては大部分の書類は自分のパソコンで記載していたので、資料さえあれば自宅でも出先でも出来たが、今は大部分オーダリングシステム上での記載なので病院外では出来ない。だから、休日もかなりの時間を病院自室のオーダリング用パソコンに向かって過ごす。

 この書類は医師である私が直接記載しなければならないのもあるが、大部分は一定の訓練を受けた他職種員でも可能である。書類を医師がチェックしサインする仕組みにすれば、医師は空いた時間を診療に向けることが出来る。私の場合、金・土曜日の外来担当も不可ではないし、書類が発生しなければ負荷ではなくなる。病棟診療に割く時間も増え医療内容も向上する。

 要するに、医師を雑用から解放し診療に集中させれば勤務医の激務は一気に改善する。医師の増員と同じ効果が得られる。
 国レベルとして小策は提示されているが実効は生じていない。早急に対応して欲しい分野である。


11/5(水)曇り 外来+ドック診察・説明 県医療関係者新型インフ研修会
2:30起床、ドック総括他いつもの如く。5:10病院着、受け持ち患者が増えた。6:10回診他、8:00救急カンファ。8:45-14:30外来+ドック診察・説明。疲弊した。16:30-18:45県医療関係者新型インフ研修会。21:00帰宅。夕食、21:30就寝。

医師不足対策(22) 文科省が医学部定員増を発表したが、・・
 11月4日、昨日であるが、文科省が来年度の大学医学部の定員を今年度より約700人増やし、これまでで最も多い8486人にすると発表した。良いタイミングであった。

 これは朗報である。しかし、定員増だけではザルで水をすくう様なもので地域医療崩壊の阻止が出来ないと思う。増員もこの程度では不足である。今のうちから定員増を生かすような施策を進めなければ意味がない。

 医学部定員は、1981-84年度が8280人と最多であったが、中曽根政権時代に閣議決定で医師養成数抑制策が決定され、段階的に減らされ、2007年度は7625人まで減少した。しかし、その効果はじわじわと現れ、25年も経ってから医師不足が一気に社会間題となり、地方の医療のみならず大都会の医療も崩壊状態にある。
 政府は昨年「緊急医師確保対策」を決め、今年度は168人増員した。さらに、今年6月の政府の「骨太の方針08」の中で、定員を過去最大の養成数程度まで増やす方針が決まった。
 文科省は8月、将来、医師不足の地域や産科、小児科で働くことを条件とした特例措置として養成の増員を認める通知を79の国公私立大学に送ったところ73大学が計画を提出した。その結果、国立199人、公立49人、私立256人の計504人の定員増が認められ、緊急対策による人数と合わせて693人分が次年度より増えることになった。

 地域医療への貢献策として、47大学が県内出身者や地元に残る意思を示す学生を募る「地域枠」を設け、62大学が卒業後の一定期間に地域で働くことを条件に奨学金を出す様である。このほか、地域医療を学ぶ機会を増やす、地域で実習する、産科・小児科の教育を強化する、などの対策も挙げられている。

 しかし、医学部の新入生が一線に出るには、臨床研修の2年と併せ、8年かかる。産科や小児科などの教育を強化しても、就業環境を変えなければ卒業後に特定の診療科に進む保証はない。さらに、地域枠にしても、卒業生が指定する地域にとどまる保証はない。 だから、定員増だけでは思惑通りに医師が地域に定着するか、特定の診療科医師の増員につながるかは不透明である。

 定員増を生かすような施策を早急に進めなければ意味がない、と言う所以である。


11/4(火)曇り 管理会議 外来+ドック説明 法人常務会 医局会 長副会議
2:10起床,ドック判定x1ほか。5:10病院着.6:10回診他。7:45管理会議。8:45-13:30外来+ドック説明。14:45-16:20法人常務会。17:30医局会。18:20-19:30長副会議。21:00帰宅。21:30就寝。

「食べて直ぐ寝ると牛に・・・」(1) 動物との差別化はヒトのごう慢なのさ
 昔からの言い伝えは、生活の機微が感じられて面白いし、それなりの意味もある。人間味、生活感が溢れていてなかなか良い。最近の知識を動員して、この諺は何の意味なのだろうか、とあまり真面目に考えても何も解決にならない。

 「夜爪」は夜に爪を切ることであるが、「親の死に目にあえない」と言われていた。「世詰め」と語呂合わせで「早死に」ということで親より先に死ぬということ、すなわち親を看取ることが出来なくなるよ、ということらしい。私は何十年も夜爪をして来ているが、まだ死んでいない。親を看取ったし、もう良いよ、と言う感じである。

 「食べて直ぐ寝ると牛になる・・」「夜爪は病気の元・・」等々、いろいろ母親から口煩く言われながら育った私は、ここ30年来、夜は食事直後に数時間寝る生活をほぼ欠かすことなく続けている。ただし、「食べて直ぐ寝ると齲歯になる」から寝る前の歯磨きは欠かさない。まだ牛にはなっていないが、体型は徐々に別の動物に近くなってきている。

 私は一日一食、夕食のみである。間食もしない。お茶やコーヒー、最近は宅配の牛乳だけは出来るだけ飲むようにしている。 
 20:00過ぎには、さすがに一日の業務の疲労と空腹でくたくたとなる。帰宅すると玄関から食卓に直行、用意された夕食をものも言わず食べる。この間30分程度、後は歯磨きして布団に入るだけ。枕元には読みたい本が10数冊積まれているが、手にとっても数行しか読めない。至福の数10分である。

 「食べて直ぐ寝ると牛になる・・」とされるが、何で牛で、犬や豚や馬ではないのか。疑問である。食事に関連してだからいつも涎を流しながら反芻して口をモグモグさせているあの姿が「行儀が悪い」という非難の対象になったのだろうと思う。牛も勝手に解釈されて迷惑しているだろう。

 「食べて直ぐ寝ると牛・・」「犬畜生・・」「猫ばば・・」など動物を引き合いに出した言葉や諺は沢山ある。これは動物を引き合いにして「ヒト」との間に距離を置く、差別化するなどと言った「人間のごう慢さ」の現れである。むしろ私は厳しい自然界の中に欲するがままに生きている動物の姿に「あるべき姿」を感じ取っている。彼らの生き様に避難すべき点など見つからない。ただし,ペットは別。

 だから私の「空腹の時にたらふく食べて、すぐ寝る」は間違った生活習慣だと思っていない。より自然なのだ、と自負している。


11/3(月)文化の日 雨・嵐 病棟拘束  
12:00起床、ドック判定総括x2、徒然、文献チェックなど。5:30病院着。6:30回診、病棟業務。8:30救急カンファ。10:30帰宅。業務処理、14:30再度病院へ。診、病棟業務。18:30帰宅。数ヶ月振りに楽器出して小一時間ほど練習。夕食、21:30就寝。

医師不足対策(21) 絶対的不足に多要因の偏在が絡む

 我が国の医師不足問題は絶対的不足に加えて多要因による偏在があり地域医療の維持が困難になっている。

 絶対的不足に関しては人口10万人あたりの医師数、OECD加盟国間における平均300人に対して200人というのは各国の医療事情を勘案しても少ない値といえる。我が国には病床数が多いという特徴があるが、病床数あたりの数でなく人口比だから比較には問題ない。
 私は、医師の雑用があまりにも多い我が国の現状から見て200対300以上にOECDの平均値から差が開いていると思っている。
 我が国には欠落しているのは医師の適数は何人なのかという数値がないことである。尤も、こんな指標が作られていたとすれば今の医師不足はあり得なかったわけだからやむを得まい。今から早急に作るべきである。
 逆に、1980年代に何を指標に将来医師が過剰になると判断し、抑制に転じたのか、この点についても知りたいものである。
 最近、舛添厚労大臣も医師数を増やす増やすと盛んに言っている。とりあえず過去の最大養成数までは早急に増員するとしているが、医師を増やせば解決する問題ではない。国民に対してどんな医療を提供するのか、勤務医の過重労働に対してどう対処するのか、そのビジョンが先になければならないのだ。

 絶対的不足は明らかである。それに加えての偏在である。だから事態は深刻なのだ。偏在に関しては多数の要因がある。

 まず、我が国の医師は西高東低に分布している。概して、東京以南はの都府県は10万人あたりの医師数が日本の平均値より多い。東北・北海道は平均値に近い宮城県を除くと全て平均値より大幅に少ない。なぜ、西高東低なのかについては詳細な考察を必要とするが、地域の経済力が関連している可能性がある。

 宮城県をのぞく東北5県は人口減少県である。人口減少の主因は若い年代の雇用があるか否か、すなわち地域の経済活力に関連している。地域の活力の影響は当然患者の受診行動にも影響するし、医療機関の活力にも影響する。医師を含めた住民の志気にも関連する。活力の乏しい地域に定着して医療を担おうとする若い医師は少なく、どうしても都会に目が向く。若い医師の定着率は地域の医師数に大きく関連している。従って、地域の経済力と医師不足は深くリンクしている、と私は思う。


11/2(日)晴れ  病棟拘束  
2:30起床.ドック判定総括x2. HP関連作文、英文校正など多数処理。5:10病院着。6:30回診ほか。8:30救急カンファ、連休はずっと書類処理に費やすことになりそう。11:00帰宅、自宅でドック判定総括など。16:00再度病院、19:00帰宅、夕食若干、20:30就寝。

医師不足対策(20) 事態は深刻 しかし増員だけでは解決しない
 医師不足問題を受けて将来の医療のあり方を検討していた厚労省は、今更ながら何だと言いたいところであるが、本年6月、「安心と希望の医師確保ビジョン」をまとめた。

 1982年中曽根内閣の時代に将来医師過剰になるとして養成数の抑制策をとってきたが、厚労省は医師は不足しているとの現場の声を無視して、一貫して医師は不足していないと言い続けてきた。やっと今年、突然医師不足を認め、中長期的に医師を増やす方針を打ち出した。

 医療現場が痩弊していることは、今回の東京の妊産婦の死亡事故で駄目押し的に証明された。2004年以来、全国各所で指摘されて来た類似の間題が日本の首都圏で、しかも、もっとも医療内容が充実しているはずの都立病院で、しかも都立病院群として表面化した。

 25年以上も医師養成を抑制してきた結果、2004年に新臨床研修制度が実施されたことにより、日本の医師不足問題が一気に顕在化、地域住民に実害が明らかになりだした。新臨床研修制度に医師不足の原因を求める意見は、大学関係者に相変わらず多いが、実際には医師不足が表面化しするきっかけになっただけであって、制度自体は私は決して悪くないと思っている。

 医学部定員は1984年がピークで8280人であったが、2007年は7625人まで減っていた。新臨床研修制度以前から、病院動勤務医の労働加重状態は指摘されていた。小児科などの医師不足も、関係者の間では1990年代から認識されていて、勤務医の過労死が社会問題化した。これらを厚労省はすべて認識していたはずである。

 それでも現場の努力で必要な医療が支えられていたが、勤務医の我慢も、新臨床研修による大学への医師引き上げ等による一層の労務負担の増、2008年の福島県大野病院での妊婦死亡事件が地域の病院で医療を担う医師らの不安に拍車をかけ、独立開業する医師らが目立ち、病院に残る医師らの負担が一層増した。

 この厚労省の方針転換は評価できるが、あまりにも遅すぎた。もっと早く認識を改める機会が何度も何度もあったはずである。このような政策上の誤りによって死者も生じている。これに対して、政治家や官僚達は、誰が、どのように責任をとるのだろうか。少なくとも医療機関が、関与した医師が責められる現状は何とかしなければならない。


11/ 1(土)患者家族面談 秋田国際フェスティバル 県医師会女性医師委員会発足記念講演会 
2:00起床、ドック総括、徒然。5:10病院着、6:20回診他、7:00患者家族面談。8:00帰宅、9:00Alveに秋田国際フェスティバル用バザー用品運搬。9:30病院。退院総括、患者関連書類記述。14:00秋大へ、県医師会女性医師委員会発足記念講演会に出席。17:15病院、18:00帰宅、夕食、20:00仮眠。23:00-1:00業務、就寝。

HPが丸7年を迎えた 
 当ホームページは、本日で開設後7年を迎えた。8年目のスタートである。
 毎年この日は似たようなことを記述している。今年も同様となりそう。
 ほぼ連日更新しているが、良くまあここまで続いたものだ。

 私は中高校生の頃からちょっとした生活メモをとっていて高校生の頃は勉強の合間にミニ随想も書いていた。ノートが5-6冊程になっていたが高校卒業して家を離れる時に焼却した。今から見ればちょっとだけ惜しい。

 しばらく中断していたが、1978年頃に秋田市の向浜公園で受けた県警の職務質問、これは私にとって3回目の職質であったが、その時の不快感、恐怖感が契機になって生活記録メモを再開したのがルーツである。何かの事件に関連しての捜査だったのであろうが、過去数日間の行動を詳細に聞かれたが、私の記憶はしどろもどろで充分答えられなかった。それ以降、毎日何時頃何所で何をしていたのかを記録しておくこととした。

 最初は筆記、1986年にワープロに移行、1994年からはパソコンで記録するようになり、2001年11月からHPとして蓄積している。今日で7年続けた。この間、内容的には随分変化した。当初のアリバイ証明用の記録の意味は全く薄れ、今は自分の楽しみで続けている。

 私はまだ過去を懐かしむ趣味など無いが、自分が一体何をして過ごして来たのか、連日の記録がなければ思い出すことも出来ず無に等しい日々となる。何時頃何をして過ごしたのか、何に興味を持って考えていたのか、など自分の歩みを実感できないまま今日の自分があるなら、ただひたすら仕事をこなし、飲食し、呼吸して過ごし齢を重ねただけに等しく、実に空しい。

 連日何かを書き留めることはストレス解消にも役だっている。好きな言葉の一つである「継続は力なり」を自ら実践していると言う小さな自己満足もある。
 これだけ続けて蓄積した内容は自分にとってのデータベースにもなる。週一回、月一回時間外勤務の記録を事務に提出するが、その時も重宝する。ミニ随想は何かをまとめるときなどに資料としても役立つ。私は各種行事の挨拶要員でもあるから過去の挨拶文を引用して用意する。

 信じてもらえないが、私は会話やスピーチは不得手で、気疲れする。ホントは黙っている方を好む。話す場合、緊張して半分程度しか表現できないからいつも不満足に終わる。文章化する過程でそれまで何となく考えていたことがクリアになっていくのを実感出来るのは快感でもある。
 しかし、文章化して外に出すことは恐ろしいことでもある。間違った内容についてはメールで叱責が届き愕然とする。語句の使用に間違いが多いらしく時折指摘される。これは自己研鑽にもなる。

 丸7年継続したこのHPは、結局は自己満足のためなのだ、という月並みな結論を今年も得た


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   年を通じてワンパターンで淡々とした毎日です。AM2:00-5:00にメールチェック・返事送付、人間ドック(HDD)判定・報告書作成、新聞切り抜き、病院・医師会業務など。
  月〜土曜は6:00頃出勤、HDD報告書印刷、外来書類処理など。病棟回診、HDD受診者とミーティングと診察。8:45-14:00外来とHDD受診者に結果説明。昼食は摂りません。午後は病院業務・医師会業務、各種委員会等に出席など。20:00頃帰宅。
  日曜・祭日もほぼ同様ですが、病院には午後出かけます。時間的に余裕無いのが悩みです。


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