徒然日記
2008年12月分

 日記と言うより、自分の行動記録からの抜粋と日々の雑感です。

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12/31(水)(年末休暇3日目)降雪→曇り  日直 午前外来担当 病棟拘束  
3:00起床、ドック処理、徒然ほか。6:00病院に。6:30朝回診、8:30救急カンファ。8:30-14:00、15:30-17:00救急外来、超混雑。18:30帰宅。年賀状追記、ドック判定総括。19:30夕食、ドック処理しながら紅白一部楽しむ。22:00ばてて就寝。

この一年(3)私の周辺 今年も「感謝」 で締めたい
 光陰矢のごとしである。時間の経過は実に早い。
 2008年も最終日を迎えた。

 国際的に・国内的にもいろいろあった。あまり明るくない話題で終始した一年、昨年は京都大学の再生医科学研究所チームが「人工多能性幹細胞」を作ることに成功したという朗報があったが、今年の明るい話題は何と言っても4人のノーベル賞の授賞であった。受賞理由など入門的解説記事を読んでも全く理解できないが、うれしい話題であった。

 この一年間、私的にもいろいろなことがありました。
 我が家のこの一年を概観すれば、秋から家族が一人増え、かつ全員無事今日の日を迎えることが出来た、とまとめます。項目としては次男の結婚と家内の退職を挙げさせていただきます。共に多くの方々のご支援をいただきました。

 年末、長女・長男も帰省し、ダベリ疲れ、呑み疲れて居間で雑魚寝をしています。その傍らでこれを書いています。これがわが家の大晦日のいつもの様子です。こんなあたりまえの日常が今後も続きますよう、願っています。

 この一年間、私どもを支えてくださった方々に心から感謝いたします。本当に有り難うございました。
 来年がより良い年になりますことを祈念して、この徒然の一年を締め、と致します。


2008/12/30(火)(年末休暇2日目)風雪若干緩む  病棟拘束 iPhone3Gに 
2:00起床、ドック処理ほか。6:00病院に。重症者対応数件、8:30救急カンファ、退院総括など。12:00帰宅、自宅でトロトロとドック処理ほかの業務、賀状準備など。15:00私の前世代携帯電話使用不能になるためiPhone3Gに変更した。16:30病院、19:00-21:30遠来の知人と情報交換、車や。iPhone3G使い方理解できない。22:00帰宅。22:30就眠。

この一年(2)医療界の動きをキーワード的に見ると
 光陰矢のごとしである。時間の経過は実に早い。
 08年の医療界は一体どんな年だったのか?自分のメモや記録を見直しながらザッと並べてみた。

■ 大野病院事件で担当医が無罪に(8月)。杏林大割り箸事件も無罪(11月)。
■ 医療事故調査委員会問題、厚労省第三次試案提示されるも結論でず(通年)。

■ 社会保障費2.200億円の削減議論。結局継続となったが、堅持するから維持するに表現が若干変わった(通年、12月)。
■ 来年度予算で社会保障費2.200億円の削減方針は実質230億円抑制となる(12月)

■ 医師不足、地方交付税減額で地方の公立病院を中心に閉鎖、診療縮小が続いた(通年)。
■ 産科医不足で分娩を中止する医療機関が相次いだ(通年)。東京都で8病院が受け入れ困難(10月)。

■ コンビニ受診、クレーマー、勤務医激務問題(通年)。
■ 参加型病診連携、柏原病院小児科母の会などの動き(通年)。
■ 医師抑制策を転換、医学部定員増に(6月)。

■ 後期高齢者制度、メタボリック症候群を指標とした健診スタート(4月)。
■ 臨床研修制度の見直し着手(9月)。
■ 血糖測定用採血器具使い回し問題(5月)。

■ 生活保護受給患者には後発品を(4月)。舛添厚労大臣、国民から乖離した医師会などの利益団体は存続できないなどと発言(5月)。麻生総理の医師は社会常識に欠けるなどの非常識発言(11月)。
■ 全国医師連盟発足(6月)。

■ 秋田大学に総合地域医療推進講座開設(10月)。
■ 厚労省新型インフルエンザ専門家会議が医療関係者にプレパンデミックワクチン接種決定(4月)。

 まだまだ挙げきれないが、一応ここまで。

 医療・福祉の世界は生命や健康を扱うと言えども別格ではあり得ない。むしろ社会情勢の影響を受けやすい。
 次年度は景気の落ち込みの影響がじわりと医療界に及日厳しい運営が迫られてくるだろうと思う。
 医療・福祉を欠いては人は生きられない。だからこそ、厳しい状況だからこそ、砦としての医療・福祉を私共医療人は強固に護って住民に提供して行かねばならぬのだ。

 そう言うミッションの中で仕事を続けている私共は、例え厳しくとも、幸せなのだ、と思いつつ今年を終えたい。あと一日である。


12/29(月)(年始休暇初日)寒波緩み晴れ 病棟拘束 
2:30起床、ドック処理x1、新聞チェックほか処理。6:00病院着、道路は圧雪状態。JR東日本新幹線はシステムトラブルで全線始発から運行不能という。6:30回診、病棟業務。8:30救急カンファ、以降は書類処理に。12:00帰宅、自宅で業務。新聞チェック。ラジオ録音データバックアップなど試みる。年賀状準備開始。19:30夕食、21:00就寝。

この一年(1)社会の動きをキーワード的に見ると
 光陰矢のごとしである。時間の経過は実に早い。

 この2008年は自分の目から見て一体どんな年だったのか?年の暮れを迎えるにあたって自分の記録を見直しながらザッと思い出してみた。かなりの項目を忘れてしまっている。記録を付けることは重要なことと再確認できた。

 今年は例年以上に、国内外共に国民生活に直接・間接的影響をもつ重大な出来事が続いた。

 地球レベルでは「自然破壊」、「温暖化」が、医療面では「医療崩壊」が継続的問題であった。共にこの一年で何が良い方向に変わったのかよく見えなかった。
 2007年夏以降、原油や穀物が投機の対象になり、国際価格が高騰、企業の経済活動はもとより家計を直撃した。原油自体には余裕があったのだが、NY原油は一時最高値160ドル近辺まで高騰し、最近は32ドルまで落ち込んでいる。マネーゲームで世界が翻弄され続けた。9月に安倍首相は政権を放棄、福田政権が誕生した。その後も政局は不安定のまま2008年の年明けを迎えた。
 こんなことで果たして良いのだろうか、と危惧された年明けであったが、マネーゲーム、国内政治共に同じ轍に嵌った年となった。

 この一年を経時的に追って代表的な項目を挙げて見た。

■ 1月:中国製餃子に毒物。食の安全に関する衝撃的ニュースで年明け
■ 2月:イージス艦漁船と衝突。
■ 3月:揮発油税、日銀総裁人事で国会空転。
■ 4月:後期高齢者医療制度発足。 
■ 5月:中国四川大地震、ミャンマーサイクロン大災害 共に未曾有の大惨事。
■ 6月:秋葉原で無差別大量殺人。14日には宮城内陸地震で多くの方々が死亡。ガソリン180円台。
■ 7月:地球環境保全と経済の安定をテーマに洞爺湖サミット。
■ 8月:北京オリンピック。ロシアとグルジア間で大規模な武力衝突。
■ 9月:福田首相も政権放棄、麻生政権が誕生。米国発の金融危機が全世界的に急拡大、株価大暴落、円高で大手企業も業績悪化、倒産企業、失業者が急増。遠藤氏ラスカー賞受賞。
■ 10月:4人の日本人がノーベル賞を受賞
■ 11月:次期アメリカ大統頷にオパマ氏。ムンバイでテロ。元厚生次官殺傷事件。
■ 12月:景気後退 トヨタ等自動車業界未曾有の減収 失業者急増。史上最大規模で大盤振る舞いの09年度国家予算が閣議決定。

 新春丑年は、恐らく、苦しく厳しい年になるだろう。座して死を待つ様であってはならない。みんなでよく考えて、スクラムを組んで、力を尽くして苦境を乗り切りたいものである。


12/28(日)雪・寒波 病棟拘束 
2:30起床、ドック処理x1、新聞チェック、そのほか淡々と処理。6:10病院着、6:30回診、事務処理、8:30救急カンファ。重症患者対応、12:10帰宅。以降ずっと自宅でドック処理等の業務。NHKのど自慢、篤姫総集編等観る。午睡若干も。19:30夕食、20:30就眠。

経済失速(3)  09年度社会保障費予算をどう見る? 単年度限りの不安定財源

 政府は24日の閣議で前年比6.6%増の88.5兆円と膨らんだ2009年度の政府予算案を決定した。
 私共にとって無関心でいられない社会保障関係費に注目すると、一般歳出51.7兆円の中に占める社会保障関係費の割合は、前年比1.9%増の48%となっている。

 厚労省医政局全体の予算案は前年比8.4%増の2.132.億6千万円となった。社会保障関係費配分の中では、重点項目として、特に深刻な医師不足が指摘されている産科・救急分野へ重点的に配分している。また、問題化している福祉・介護人材確保には前年比125億円増の169億円を、また、難病対策費は前年度4倍の100億円配分する等、ところどころに評価できる重点配分を見ることが出来る。

 発表された予算の配分項目を見ると、印象としては悪くない予算に見える。
 しかし、社会保障費2.200億円削減問題については、たばこ税が見送られた段階では後発医薬品の使用促進で約230億円抑制するほかは、殆ど財源の目処が立っていない。そのために今年は一般財源化される道路特定財源の一部、霞が関埋蔵金の一つとされる「特別保健福祉事業資金」を活用して何とか穴埋めすることにしている。しかし、これらの財源は単年度分しかないために再来年以降の計画は全く立たない。

 2009年度予算の政府案に対して日本医師会は、社会保障費の年2.200億円の抑制が継続されたことについては残念なこととしながらも、実質的な削減額は後発医薬品の使用促進による230億円にとどまる見通しとなったことを評価した。また、重要課題推進枠の中から、775億円を社会保障等に充当することになった点も高く評価したい、とした。

 確かに日医は立場上こういわざるを得ないだろうが、実際には来年度以降の目処は立っていない等、実に厳しい内容である。

 今、世界的経済不況の中、我が国の社会は騒然とした状況にある。
 身分不安定なパートや派遣労働者は職や住まいを失っている。そんなニュースしか聞こえてこない。病院や医療関連業には大きな直接的影響は現れてきていないが、医療は経済の影響を大きく受ける。だから、来年以降にジワーっと影響が出てくることが予想される。医療の冬の時代はまだまだ続いていく。


12/27(土)寒波・降雪 病棟拘束 文献・書籍等大量処分 
2:20起床、ドック判定総括他。5:10病院着。今季初の本格的冠雪。5-6cmだが、強風で吹きだまりあり。6:30回診その他。8:30救急カンファ。徒然、退院総括。14:00入院患者対応。一年間出番の少なかった文献や書類等を処分。19:00帰宅、夕食。20:30就眠。長女帰省予定。

経済失速(2) 景気対策で2009年度国家予算は最大規模の88.5兆円に膨らんだ!!
 世界的経済不況の中、2009年度の国家予算案が提示された。
 景気高揚対策を何よりも最優先し、一般支出を大幅に増し、地方交付税も増やしたために2008年度の当初予算比では6.6%も増えている。これはすごいことである。

 一般的に予算は使う側から支出計画の方を中心に考えるのであるが、当然収入予算でもある。国の収入は税金であるが、来年度は不景気で税収が大幅に減少する見込みであるから、何とかして収入を確保しなければならない。だからといって国が営業活動できるわけでもない。
 今回は「霞ヶ関埋蔵金」と称される何だか分からない資金、要するに国家の「へそくり?」から6兆円を、更に33.3兆円の国債新規発行、すなわち「借金」でまかなう計画であるから、本来は大変な予算案と言わねばなるまい。

 私は経済関係に疎い。だから基本的考え方は正しいかどうかは分からないが、少なくとも国の大きな目標であった国家財政健全化は大幅に遠のくことになる。それでも国民の生活擁護、一刻も早い景気浮上を目論んでのことと言うので正しいのかもしれない。一方では日本の借金残高は先進国中で最悪状態にあり余裕は全くない。この中でこの様な借金を中心にした予算設定は明暗双方の意味がある。

 問題は支出を増やすだけでは効果が乏しいと言うことである。税収が今後も予想以上に落ち込む可能性もある。だから、同時に景気浮上策をどう提示出来るのか、にかかっている。

 長年に渡る医療費削減政策が医療崩壊をもたらした。そのことがやっと認識され改善の兆しが見え始めた時に、食料品や原油価格の高騰による社会不安、福田内閣の突然の辞任による政治不安、更に、サブプライムに端を発した金融不安が追い打ちをかけ、今社会は騒然としている。特に会社の倒産や、パート労働者の大量解雇など連日伝えられている。

 その中で支持率低迷に喘ぎながら、麻生内閣は大盤振る舞いに近い予算を提示したが、この予算の中で私ども医療関係者が一番心配していた社会保障費の抑制策を小さくしたことは評価すべきだろうし、注目すべきだろうと思う。


12/26(金)降雪・寒波 外来 ドック関連業務 法人理事会
2:40起床、ドック処理x2など、5:15Taxi病院着。3-4cmで路面凍結。6:30病棟業務、回診。8:00救急カンファ。8:45-13:30外来代診、数は少なかったが時間だけかかった。意見書、退院総括など。14:00ドック面談診察。17:30-18:30法人理事会。20:45帰宅、21:30就寝。帰宅時積雪6-7cmほど、風強くスリッパから防寒靴にした。

経済失速(1) 自動車不況は何故なのか 消費者が二極化し必須でない車
 世界的経済不況の中、特に自動車産業の不振が大きい。自動車がダメになれば金属、ガラス、繊維、電子など広範な産業に影響を与える。自動車生産が基幹産業になっている国にとって大変な問題である。

 米国のビッグ3は何をやっているのか?判断が甘いのではないか?
世界の市場が燃費や維持費の安い小型車にシフトしているというのに、大幅な利益を得ることの出来る贅沢な中・大型車にこだわり続け、売りさばいてきた。
企業戦略が誤っていたのに、なんら改善策を提示することなく国の支援を求めている。国も自動車産業を潰せないはず、見殺しに出来ないはずだ、とタカを括っているようなイメージにみえる。
 
 ビッグ3車の販売対象はローンが不要な、あるいは余裕を持ってローンを組めた米国国内及び世界の富裕層であった。こんな人たちは既に高級車を何台か持っているだろうし、このサブプライムローン破綻の影響で大きな欠損を生じたはずである。こんな状況の中で急いで買い換えたりする必要がない。だから、購入を控えているのだろう。

 何で地道な運営経営の企業として世界的に評価の高かったトヨタがビッグ3並の影響を受けているのか?は、トヨタも高級化、大型化の道をたどり始めたから、とされている。
 今まではビッグ3が作らない車を作ってきた。確かに、国内でもLexasブランドで富裕層をターゲットにした戦略を始めていたが、そんなに売れていない。今テキサスに作っている大型車の工場は大きな足かせになっている。

 同じことは発展途上国への売り込みにも言える。中国やロシアの市場をターゲットにした新需要は企業にとって魅力である。世界の車メーカーが注目するのも当然であるが、この経済事情では生きるのに精一杯となり、もう車どころではない。もともと持っていなかった人たちにとって車など焦って買う必要のない、贅沢品である。ここでもトヨタを始め日本のメーカーは大打撃を食らっている。

 車はあればいい。今は、現代社会は車は必需品であるが、この様な時勢では高額な付加価値の付いたものを急ぎ購入する必要はない。それに、大事に乗れば20年近くは使用できる程丈夫である。

 この様な厳しいご時世の中で分かったことは、車の買い換えや新車購入は消費者の要求から発したのではなく、メーカーの購買戦略に踊らされていたと言う現実である。


12/25(木)曇り・寒波 患者家族面談 外来 療養病棟診療部会 県医療関係4団体協議会+情報交換会
2:10起床、ドック処理x1など、5:25病院着。6:30回診。7:00-7:45入院患者家族面談。8:00救急カンファ、8:40-14:15外来。意見書、退院総括など。県医療関係4団体協議会+情報交換会。21:45帰宅、22:30就寝

医師不足(26)我が国に医師過剰時代もあった
 我が国の医師の絶対的不足は疑問の余地はないが、公的に不足と認識されたのは、本当に信じ難いが、ここ1-2年のことである。それは、国は医療費抑制の面から、日本医師会は会員の利権擁護のため、と言う全く関連のない別の視点から利害と意見が一致し、双方共に我が国は医師不足状態はなく、将来はむしろ医師過剰時代になる、と主張してきた。
 現場の医師達が何も情報を発信してこなかったのも医師不足に対する認識が遅れた一因である。

 医師過剰時代とはどんな状態なのか予想もつかないが、我が国に一時的ながら実際に医師過剰時代があったことは意外と知られていない。

 1943年、戦線拡大に伴う国内の医師不足に対応するために医師養成増の方針が閣議で決定され、医学専門学校(医専)の設立が許可された。要するにこの時点で国内で医師が大幅に不足したほかに、この大戦がまだまだ長期化することを念頭に置いて、軍医の速成養成を必要としていたと言うことである。
 結果的に全国に官公私の51医専が設立された。この時設立された学校のかなりの部分が女子医専であった。要するに男子が徴兵で不足し、やむなく女医を養成せざるを得なかった、と言うことである。

 秋田女子医専は1945年2月に設置され、定員は120名であった。当時の秋田県は医師数が全国最低レベルで,脳卒中,結核,乳児死亡等が多かった。県議会は満場一致で設立を可決。校舎は楢山中町の旧秋田商業を使用し、小泉病院と県厚生連掘反病院を附属病院に充てた、と言う。1947年4月、原因は知らないが医専の校舎が火災で焼失してしまった。

 敗戦により外地から軍医や医師が帰国したことで、逆に一挙に医師過剰を来した。我が国に実際に医師過剰状態があったのはこの一時期のみである。この後数年して我が国の医療供給体制は国力の復興と共に一気に増加に転じたために、医師は過剰から不足時代に向かっていく。

 戦後、GHQは医育機関を一本化した。そのため、医専は大学昇格か廃止かに追いやられた。1947年5月全国の51医専を大学昇格あるいは存続させるA級校と廃校とするB級校に分別した。廃止に決まつたのは、このうち、■山梨県立医専、■福岡県立医歯専、■山梨県立女子医専、■高知県立女子医専、■秋田県立女子医専、である。

 秋田女子医専は校舎が焼失したために廃止になった、と思われる。学生達は方々の医専に転校したが、この時に火災に遭わなければ秋田の医療は大きく変わっていた可能性がある。
 私は秋田女子医専を始め医専出身の女医、医師数名を知っているが全員小児科か産婦人科医である。当時の医療情勢を間接的にうかがえる様な気がする。


12/24(水)曇り・雪  外来 法人常務会 県医師会理事会
1:20起床、ドック処理、文献チェックなど。5:15病院着。6:20回診。8:00救急カンファ。8:45-14:20外来、混雑し大変。14:30-16:10法人常務会。16:30-19:00県医師会理事会。21:00帰宅、夕食。21:45就寝。

秋田ゾンタクラブ「新春チャリティコンサート」の紹介
 社会奉仕活動を謳っている団体としてロータリークラブ、ライオンズクラブ等がよく知られている。前者の国内会員は10万人程度、後者の会員数は全世界で140万人、国内で15万人とされ、共に巨大な団体である。

 一方、あまり知られていないが、これに近い、女性だけによる奉仕団体として国際ゾンタがある。秋田には秋田ゾンタクラブがある。

 国際ゾンタは1919年ニューヨーク州バッファロー市において専門職分野にある女性達によって設立され、奉仕(Service)と支援(Advocacy)を通して、世界中の女性の地位(Status)を高めるための活動をする団体で、会員数は約33.000人、国連認定のNGOである。

「ゾンタ(ZONTA)」という名称はアメリカ先住民スー族の言葉に由来し“正直で信頼できる”という意味とのこと。いかなる党派や宗派にも属さない、女性の地位向上を目的とし、「女性の平等の権利」、「政治的な均等」、「教育と健康の教授」、「女性と子供に対する暴力の根絶」などのプロジェクトへの参加、支援協力のための奉仕活動をしている。

 秋田ゾンタクラブは現在10数人の会員で和気藹々と、時間と体力を使って奉仕活動をしている。種々の団体への寄付、災害時の寄付、記念植樹、健康セミナーなどを行い、バザーやチャリティコンサートなどを開催している。収益の殆どはユニセフやその他を通して世界の女性と子供のために寄付している。昨年の「新春チャリティコンサート」では22万円ほど寄付することが出来た、とのこと。
 
 今年の「新春チャリティコンサート」は1月14日(水曜日)18時から、秋田ビューホテルにて開催する。今回は、ベトナムの民族楽器トルン(竹琴)の紹介と演奏とのことで、ベトナムから秋田大学に留学している学生さん達も招いて、ベトナムの一夜を過ごしたいとのことである。

 「秋田ゾンタクラブでは会員も募集中です。ご賛同頂ける方が、いらっしゃいましたら会員に声をお掛け下さい」とのこと。これは会員の一人である家内からの伝言である。


12/23(火)天皇誕生日 小雪・曇 病棟拘束
2:30起床、ドック処理x2、文献他、徒然。6:10病院着。6:25回診、病棟業務。11:00帰宅。以降は自宅でドック処理x2、DPC検討他。16:00-19:30病院。帰宅、夕食、20:20就寝。

人は何で身体を締め付けるのか?(4)ハイヒール、その他
 女性用のフォーマルな靴はファッション性が何よりも優先されて作られていると思うが、それの代表の一つがハイヒールだと思う。実に美しい、見事な造形である。だから、これを象った置物やジョッキなどもある。

 ただ、こんなのを履くことは拷問なのではないか?と私は自分の経験からも思う。
 断らずとも誤解はされないだろうが、私は女性用の靴を履く趣味など露程も無い。しかし、ハイヒールを履いた様な状態で下肢を固定された経験がある。その時の感覚が残っている。

 2003年10月にテニス中に右のアキレス腱を切断し、翌日縫合手術を受け、その後6週間ギプスで固定した。その際、アキレス腱に負荷をかけないように右の足首を伸ばした状態でギプス固定された。要するに高目のハイヒ−ルを履いた様な状態である。そのとき右足に若干の負荷がかかってもアキレスにはかからないように装具としてハイヒ−ル調にかかとを8cmほど持ち上げた長靴風の装具が作られた。1週間毎に6-7mm程度ずつ低くして順応させていく仕組みであった。

 片方ではあったがこの間は実に辛い日々であった。体重を加減して右足を着くのであるが、その負荷が全て爪先にかかるからとても痛い。さらに下腿の筋が収縮した状態にしてあるので力も十分に入らない。それに、歩行時には爪先から先に着くように配慮しなければならない。要するにいつもつま先立ち歩き状態を維持しなければならなかった。

 直接聞いたわけではないが、ハイヒールは女性達にとってもかなり辛い履き物なのではないだろうか?
 女性は足下をよりより小さく、より美しく見せたいから、ファッション性を重視して靴を選ぶのだろう。その効果は確かに出ているだろうが、その結果、若い女性達の足は外反母趾であったり、陥入爪だったり、魚の目があったりで相当にダメージを受けている。それを見て時に驚く。

 大変ですね、としか私は言えないが、細いロングブーツやハイヒールを脱いだ時はかなりホッとするのではないだろうか。だとすれば、それだけ身体的、心理的にストレスになっているということだ。
 何故か、小太りの方々、大太りはロングブーツやハイヒールを履いていない、細身のヒトより何倍も辛いことになるだろうからその方が良い、無理する必要はないし、無理しても効果は乏しい。諦めは健康に繋がる。

 その他、女性の身体を締め上げているのにブラジャー、パンスト、ボディスーツ等があり、男性用にはパンツやブリーフがある。書きたいことも多々あるが、立場上差し障りもあろうから止めておく。
 ユサユサ揺れるのは揺らしておけばいいし、ブラブラしているものはさせておけばいい。身体を締め上げず、より自然体にしておくことは健康の維持に重要だよ、と言っておきたい。


12/22(月)降雪 寒波 管理会議 療養病棟判定会議 長副会議 療養病棟忘年会
2:10起床、まだ酔っている感じ。ドック総括x1他淡々と処理。文献・新聞チェック。5:20病院着。路面は2-3cmでシャーベット状。6:30回診他、7:45-8:15管理会議。8:45-15:00外来、休日前で超混雑。16:00-16:40療養病棟判定会議。17:00-19:10長副会議。19:30-21:10療養病棟忘年会。実に静かな会であった。21:30帰宅、22:00就寝。

人は何で身体を締め付けるのか?(3)革靴と靴下
 私は靴下と靴は嫌いであるが、TPOを見て仕方なく履く。
 私にとって頭寒足熱は不快である。足下が暖かくなると何となく体調が悪くなる。原因を考えても良くは分からない。就寝後足がほてって入眠できないと訴える高齢者は少なくないがそれに似たようなものだろうか。
 だから靴下は結構辛い。とりわけ夏期には辛い。外来や事務処理の時はひんやりした床に素足の感触がとても良い。ただ、素足が礼に反する場合もあるし、不快な気分になる人もいるらしいのでそれなりの時は履く。ある冬のこと、始業前の管理会議に半袖と素足姿で出て行ったら「その姿を見ていると寒々としていて寒気がする」と言われた。その後は寒くなった季節には靴下を履いている。それでも自室では脱ぐ。
 
 靴はもっと辛い。
 別に荒れ地を歩くわけでもないのに何で人は靴を履かねばならぬのか、と思う。フォーマルなスリッパは何故無いのだろうか、等と言っても始まらない。社会の習慣、常識だからやむを得ない。
 私は履く機会が少ないので一足の靴を10年以上用いる。私にとって靴が如何に不自然なものであるかは靴擦れや歩行時の痛みで感じる。日常履いていないから出張などで履き続けると毎回靴すれを生じ、歩くときに痛い。

 ところで靴売り場に行くと、多くの革靴は機能性よりファッション性が優先されて作られていることがよく分かる。紳士靴もそうであるが、特に女性の靴売り場に行くと、これが人間の女性が、足に、履くものか、と思うものばかりで見事な造形である。要するに、足の形と靴の形に大きな差がある。

 こんなのを履くことはファッションどころでない、拷問なのではないか?と私は思う。昔、軍隊では配給された靴に文句を言うことは許されず「靴に足を合わせろ」などとひどいことを言われたものらしいが、同じことが今でも行われている世界だ。履かれる方の靴も足に適応して行くにはかなり丈夫でなければなるまい。双方が耐えている、何か不思議な世界である。

 こんなのを履いて女性は具合悪くならないのだろうか?


12/21(日)曇り・雨 病棟拘束 義妹夫婦還暦祝い
2:30起床、ドック処理x1、総括、新聞チェック、徒然などいつもと同じ。6:20病院、書類対応。8:30救急カンファ、11:00帰宅、ドック処理x1など夕方まで自宅で進める。15:45還暦祝い会場の休宝寺に人と荷物搬送。18:00-21:30還暦祝い。20数人集まって大盛会。少量の酒で泥酔した。帰宅22:00、そのまま就寝。   

BOSE QuietComfort2が新品になって戻ってきた 2回目である
 BOSE QuietComfort2が戻ってきた。何と、新品が送られてきた。予想外のことであった。
 
 2004年5月購入、購入直後にヘッドバンドのプラスチック部品の一部が左右とも折れたが機能に変わりはなく自分で修理・補強して用いていた。しかし,その内にスイッチ部分が不調となり、異音を発する状況にまでなったので、2005年2月にサービスセンターに送り修理した。
 そのときは無料で新品が送られてきた。驚いたが、まだ保証期間中であったからそれでも納得しやすかった。
 
 ヘッドバンドの問題の箇所であるプラスチック部品はその後もそれ程間を置かず左右とも再度破損した。前回同様、自分で修理・補強して使用していたが、ついに12月中旬に本体が折れて自分での修理は困難となった。
 
 BOSEサービスセンターとのやり取りの中で、修理は2-3週間かかる、本年中は無理かも、見積もりは8.000円、とのことであった。前回修理時には代替品としてソニーの「MDR-NC50」を、今回は「MDR-NC500D」を用意したので急ぐ必要はない。その条件で送付した。その際、当該部分は構造的に欠陥と思われること等を意見として添付した。
 
 3日後ほどに電話があり、修理費は6.000円であるが、再度新品と取り替えたい。その際、カラーがゴールドからシルバーになるが良いか?とのことであった。修理費用でくたびれた品を新品と交換してくれるとすればむしろ申し訳ない、と思った程である。
 届いた製品に添付された説明書には旧製品よりも構造的に丈夫にし、ノイズキャンセル能も向上させた改良型製品なのだのだという。センターとのやり取りの段階では新品に替える話は出てこなかったので添付したメモ書きが効いたのかもしれない。
 
 旧型は送ってしまったので詳細は比較できないが、確かに構造的に改良されたようである。機能的には大差ないように思えた。
 本日、改めてソニーの「MDR-NC500D」と比較試聴してみた。やはりノイズキャンセル能はソニー製に長があった。今後、私は「MDR-NC500D」を中心に使用すると思うのでBOSE QuietComfort2は欲しがっていたが買えずに我慢していた長男に進呈しようと考えている。


12/20(土)曇り 病棟拘束 ドック結果説明 患者家族面談 散髪
2:30起床、ドック処理x1等いつもの如く。5:10病院着、6:30回診他。8:30救急カンファ。9:00ドック結果説明x2。再度回診他。10:00入院患者家族面、。14:00-16:散髪、18:00帰宅、夕食、20:00就眠。現時点で積雪0cm。

「忘年会」「フグ料理」「麻生総理」「テトロドトキシン」「福田得志」「治療学10則」(2)
 フグ毒、テトロドトキシンの研究者の一人、九州大学の福田得志名誉教授の「薬理学講本総論」中の第18章に「治療学10則」がある。
 昭和20年の著作であるが、今読み返してみても有意義であった。適宜表現を変えて短縮して記述する。
 
(4) 臨床:薬効は疾病と患者によって同じでない普遍的薬理学と処方学を個別化して応用するのが臨床家の使命。臨床家は病者をもって師となせ。これが治療の妙技に達する道である。
(5) 実験:経験は偶然の実験であり、実験は意図された経験である。治療を単なる経験とせず貴重な実験として生かすのが臨床家の学問的責務であり、つきない興味がその中にある。
(6) 信念:経験、実験によって得た治療の事実は尊い。事実を直視し集積して自己の治療学体系を組織せよ。空虚な理論のために歪められたり閑居されてはならぬ。
(7) 作用:初学者は単味の作用を会得せよ。その後に大家の処方を試みると薬物配合の妙用を理解できる。
(8) 治効:治癒効果の判定は、2-3回でも効果が顕著にでたら疑う要なし。僅かに有効が4-5/10なら疑わしく、7-8/10ならほぼ信用できる。1回でも治効あるものは捨て去るべからず。
(9) 薬籠:効果を確認し用法に精通した数種の良薬を自家薬籠中として重用せよ。新薬については保守的であってはならぬが、必要のないものもある。
(10) 経済:薬価を安くして患者の負担を軽減するのは良医の責務である。生命に関わるときはこの限りに非ず。自己の収益のために無用の薬剤を投与するのは公私二重の罪を犯すもの。
 
 エジプトのピラミッドの壁には「今時の若者は軟弱で・・」とあり、紀元前79年にヴェスピオ火山の噴火で壊滅したポンペイの遺跡の壁には今でも通用する熱い恋文が書かれているという。人間にとって普遍的なことは世の中が変わっても何ら変わらないものだ、と実感する。医師にとっても上記は各項目共に普遍的内容である。
 私も時々似たようなことを散発的に言うが、先人の福田得志九州大学名誉教授が見事にまとめておられた。仕事上参考になる名言である。
 フグ毒に興味を持った時点から存じていたお名前であったが「治療学10則」は今回初めて知った。同じ福田でも私とは関連のない、遙かかなたの方である。


12/19(金) ドック結果説明 平安閣インフルエンザワクチン接種 県独立法人評価会議 ドック診察
 2:30起床。何時もと同じ。文献検索、徒然他。5:15病院、ドック関連書類等。6:30病棟業務、8:00救急カンファ、8:45ドック結果説明、9:30-10:30産業医としてインフルエンザワクチン接種約80名。13:00-14:30県独立法人評価会議。15:30ドック診察、患者関連書類処理。21:00帰宅、夕食、21:30就寝。

「忘年会」「フグ料理」「麻生総理」「テトロドトキシン」「福田得志」「治療学10則」(1)
 忘年会のシーズンである。ホテル等の場合には出ないが料亭での会ではフグ料理が出される。今が旬なのだろう。私はフグを好むわけではないが出されれば素直にいただく。淡泊である。通の方や料理して下さった方には申し訳ないが、あまり美味しいと思ったことはない。

 フグにまつわる話題と言えば、朝日新聞12月4日の天声人語に麻生総理が登場、「麻生首相はフグ刺しのようなもの」と評された。毒を抜かれた美味しい料理という意味ではなく、薄っぺらで賞味期限が短い、と言う意味なのだそうだ。フグ刺しに例えられるなど同じ毒でもテトロドトキシンではなく、「気の毒」であった。

 フグといえば私の興味はむしろ料理でなく、テトロドトキシンの方である。これについては日本の研究者の業績が大きい。1902年田原良純により精製され、テトロドトキシンと命名された。ふぐ毒の薬理学的作用は主として九州大学の福田得志ら日本の薬理学者により解明され、催吐作用、知覚・呼吸・筋まひ作用、血圧降下作用、抗不整脈作用、胃分泌抑制作用、抗利尿作用などが認められている。

 フグ毒を研究で業績を残した福田得志九大名誉教授は「薬理学講本総論」を著したが、その中の第18章に「治療学10則」がある。コピーして置いた文献の中に混じっていたのを最近見つけた。すっかり忘れていたが読み返してみても意味深であり、有意義である。コピーした原本は不明である。著書は昭和21年4月に発行された。東京大学図書館のリストに認められる。表現は適宜変えて短めに記述する。

(1) 立志:医師たるものはその職が済生恵人にあることを心すべきである。この志と誠をもって業に従って、初めて医学の心髄に触れることが出来る。

(2) 思索:治療学の習得に関して学理の勉強の他に思索を練らねばならない。薬理学を学んでも臨床的に検討し思索しなければ用をなさない。治療法を工夫しても学理を基礎としないものは危険である。

(3)薬理:薬理は治療の指針である。しかし、治療そのものには薬理書以外の薬理もある。薬理書にとらわれていては真の治療は出来ない。


12/18(木)曇り 外来   
2:10起床、ドック処理x1他。5:10Taxi病院。6:30回診その他業務。8:00救急カンファ、8:40-14:25外来。午後は対外行事無し。主治医意見書、総括、DPCデータ入力など処理。20:30帰宅、夕食、21:20就眠。

人は何で身体を締め付けるのか?(2)ネクタイとワイシャツは苦しい
 私は、ネクタイ、時計、バンド、靴下、靴などは嫌であるが、TPOを見て仕方なく付ける。靴下は外来時、ネクタイと靴はある程度フォーマルな会に出る時につける。まともな腕時計は持っていない。

 ネクタイを締め上着を着て、特に靴下と靴を履いた状態では私は長時間持たない。体調が悪くなる。得も言われない倦怠感、疲労感が生じてきて判断力等が大幅に減弱する。ネクタイや靴が何故こんな不快感の元になるのか、原因を考えても良くは分からない。恐らく締め付けが慢性的な刺激になって自律神経に緊張を来すからでないか。
 
 通勤時は人と会うことも少ないからラフな格好である。それでも帰宅して第一にやることは、ホントは空腹状態で一刻も早く食事に手を付けたいのだが、それを我慢して先ず着ているものを脱ぎすて、今の季節なら上は緩めのセーターを、下は薄手の毛布を腰に巻き付ける。下着はさすがに残すが、これで締め付けからは開放され心底ホッとする。帰宅時に客人とかがおられると、当てが外れて相当落胆する。

 女性はいろいろ締め上げているらしいが、男の場合の身体を締め付けている代表はYシャツとネクタイということになろう。確かにサイズにあった襟周りの清潔なシャツにネクタイを形良く締めている姿はなかなか良いものである。何処でどの様に発明されたか分からないが、全世界的に普及しているからすごい発明と言うことになる。

 確かにネクタイなしの姿はどこか抜けている雰囲気がある。私は抜けてても良いと割り切って締めない。Yシャツは首周りを緩めに仕立た半袖シャツで通し、上のボタンはかけずに開襟にしている。ネクタイの代わりに院内用のPHSの赤いストライプで代用である。これで気分良く過ごしている。

 首はデリケートな神経や血管の通り道であり、首を支える筋肉も発達している。空気の通り道でもある。だから、この部分の締め付けは身体にいろいろ影響を及ぼすであろうことは容易に推測できる。私の場合には直ぐのぼせてくる。ネクタイとワイシャツは苦しくて辛い。


12/17(水)曇 外来 入院患者家族面談x2 院内感染対策委員会  病院年末大交流会 
2:10起床、ドック処理x1、委員会資料検討、徒然。5:15病院。6:00患者不調で対応。回診その他入院業務。8:00救急カンファ。8:45-14:30外来+入院家族面談。16:00院内感染対策委員会。18:00年末大交流会View、盛会。19:30中座、帰宅、20:00就眠.

人は何で身体を締め付けるのか?(1)
 本来「締めつける」という単語は物理的な意味であるはずなのに、現代社会は何かとストレスが大きく、「精神的な締めつけ」の方の意味が先行するほどである。
 精神的とまで言わずとも、処理しきれないほどの業務で時間に追われる生活、開放感のない閉塞感も一種の「締め付け」である。この意味では私もかなり締め上げられている。私は時間を気にして日に何度時計を見るのだろうか。数え切れない。

 最近は忘年会のシーズンである。この時期ばかりは例外的に病院職員の方々と院外で何度か、少しばかり時間を過ごす。この時、制服から着替えた女性方の姿を見ると、各々それなりの個性的スタイルをしていて素敵であるが、私から見るととても痛々しく見える。見えない部分をどうしているのかは勿論分からないが、細いスラックス、細いロングブーツなどなど、身体を締め付けるのをとても嫌う私から見ると驚くような服装である。ちなみに私は、ネクタイ、時計、バンド、靴下、靴などはイヤなのだが仕方なく付けている。

 これほど物理的に身体を締め過ぎていたら体調がくずれないのだろうか?座ったり立ったりするのに大丈夫か?湯をこぼしたり、何かで火がついたりした時などなど危険でないだろうか?などなど、他の人のことなどどうでも良いことと思う一方でとても心配している。

 私は3人の子供のことしか分からないが、風呂あがりの赤ん坊が、笑み満々でおしめや衣服を付けられるのを嫌って、逃げ回る光景を思い出す。実に可愛いものであった。

 私は動物たちの生活からいろいろ学ぶ。一日三食定期的に食べることが、如何に非健康的なことかも教えられた。その面からは人も本来一糸まとわず、裸で生活することが恐らく体にとっては理想的なのだろうと思っている。
 しかし、人の場合には、気候への適応能力が狭いし、社会を形成し共同で生活するという特質から、保温、保護、社会習慣、外見・容姿を整える必要などがあるために、ある一定の条件下を除くと、常に衣服を身につけなければならないことになっている。法的にもそうなっている。
 これだけでもう立派な「締め付け」である。


12/16(火)曇り晴れ 外来 法人常務会 医局カンファ 
2:10起床、ドック処理x1。いつもの如し。病院5:15着、6:15回診その他。8:00救急カンファ、8:45-14:35外来、超混雑。14:45-15:50法人常務会、17:30-18:30医局カンファ。21:00帰宅、21:30就寝。

人と人の間(2)ことばの重要性  
 人と人の関係を上手くこなせないと、様々な困難が生まれてくる。しかし、時代の移り変わりと共に人間関係も変化しつつあり、「距離と間」のコントロールが難しくなっている。「距離と間」の調整に関してはコミュニケーションを維持出来る最小限度のルートが維持されていることが重要である。糸の様に細い絆であっても良い、それが完全に切れていると修復不可能になる。

 細くても絆があれば、軽度のすれ違いのレベルなら時間が解決してくれることがある。誰かが取り持ってくれることもあろう。夫婦の場合では子供がその役目を果たすこともあろうし、近隣ならやはり地域の会や、子供達の行事等を介して修復されることもある。一言かけられることで一瞬に間が戻ることもある。

 顔の表情、視線等のボディランゲージの果たす役目も大きな価値があるとされるが、人同士のギャップを埋める橋渡しの道貝は、やはり言葉なのだろう。適切な口調で語られた言葉は相互理解に役立つし、互いに交わすことで、心の架け橋になるし、自分と他人、自分の内と外、個人と社会、人と人の間に橋をかけてくれる。

 取り留めのない会話の過程ではっと気付かされることも多い。しかし、私は日常あまり人とコミュニケーションを取る機会は多くない。だから、言葉のキャッチボールは少ない。
 その代わりに壁に当たった時にも言葉を連ねて小文を書くことにしている。こんな時には思いつく単語や文章を思いつくままに列挙し、しばらく眺めた後でそれらを並べ換えし、適当な文章を間に挿入して文章化していく。その過程で相応しい方法、言葉が見つかることがある。考えて、模索することも大事であるが、文章化することで、筆先で、あるいはパソコンの画面で具現化された単語や言葉を目で確かめながら、考える道具にする意義は大きい。

 本年発生した不可解な動機による残虐な事件、例えば秋葉原の事件、厚労省の元次官や家族の殺傷事件、少女の殺害等、が続き、余りのことにたびたび言葉を失うほどであった。これらの事件の背景に、杜会不安の増大、閉塞感が少なからぬ影響を及ぼしていると思わざるを得ない。暗くなる。
 こんな時、家族や職場の誰かが話し合っているのを小耳に挟むだけでもホッとすることがある。ひとしきり会話が続くだけで、その中に何ら重要な発言とか、意見が述べられるわけでは無いのに、聞いていて心休まるきっかけがしばしば得られる。それなりに納得できる言葉を探していたからなのだろう。

 言葉というのは人間関係に於いてとても重要である。同じ言葉でも口調によって時には鋭い刃となって人の生きる意欲すら一瞬にして削ぎ取ることもある。一方ではこよなく柔らかな感触のベルベットともなる。
 特に、持てる感情を文章で表現する時は、過度に感情が込められた文章が増殖を繰り返しながら一人歩きする可能性が高いだけに注意が必要である。メール文に時につけられてくる顔絵文字はくだらんと思うが、それが付けられていることで送り主の気持ちを理解出来たことも少なくない。
 自分で使うことはないが、決してバカには出来ないコミュニケーションの小道具である。


12/15(月)降雪 寒波 管理会議 神経内科外来後半 療養病棟判定会議 長副会議
0:10起床、ドック総括x1他淡々と処理。この時間の起床は時間的に余裕があるが。文献・新聞チェック。5:20病院着。6:30回診他、7:45-8:15管理会議。11:00担当医体調不調とのことで急遽神経内科代診。16:00-16:40療養病棟判定会議。17:00-19:10長副会議。20:50帰宅、夕食、21:45就寝。

人と人の「あいだ」(1)
 人は一人では生きられない社会的な生物である。一人なら「人」と表現され、社会性を語られるときは「人間」と表現される所以である。「人」でも、結局は支えられているのだ、と言うことが漢字の「人」に表現されているという。本当にそこまで考えて漢字とか人間という言葉が作られたとすれば本当に驚きである。先人はいろいろなことを考えていたものだ。

 とあれ、私たちは日常全てのことにおいて「距離」、「間(あいだ)」を適宜取りながら生きている。この「距離」、「間(あいだ)」のバランスが崩れると時に危険である。一方が巨大なエネルギーを伴うものの場合には不用意に接近すると命を失いかねない関係となる。最近は人間関係においてすら、時に危険でもある。

 生活に最も基本なのは「衣食住」とされて来た。現代ではそれが「医食住」となり、更に最近の経済破綻、企業のリストラと共に「医職住」と変化しつつあるようだ。
 同じように人と人の闘係を上手くこなせないと、様々な困難が生まれてくる。人間関係も時代と共に変化しつつあり、「距離と間」のコントロールが難しくなっている。衣食足りれば「礼節」が生まれるハズであったが、逆なようだ。礼節は若干オーバーだが他人を思いやる気持ちは衣食足りて自立でなく孤立が進んでむしろ希薄になっている。人と人の闘係は難しくなっている。

 例えば、私の場合にその傾向が大きいのであるが、論争や衝突を嫌うばかりに自分と他人との間にあって、相手の意見に必要以上に妥協していくと芯から消耗する。自分の内面から沸き上がる不満な気持ちとの間に生じている軋蝶から逃げるには現実からの逃避しかなくなる。「引きこもり」はその一つの形であろう。
 また、こんな時に妥協せずに踏ん張るのは別の意味で苦しい選択となるが、時にやむを得ない。
 人と人の間には、矛盾、摩擦、衝突、すれ遣いなどが絶えないが、そこをどうやってこなしていくのか、これは誰にとっても同じだろうが、私にとっても毎日毎日の重要な課題になっている。


12/14(日)快晴 病棟拘束 患者家族面談 秋田大学関連病院協議会 秋大総合地域医療推進学講座開設記念フォーラム+情報交換会
1:45起床、ドック総括x1。新聞整理。フォーラム原稿準備。5:00病院。6:30回診、7:00患者家族面談。8:30救急カンファ。病棟は比較的平穏、フォーラム準備に集中。14:30秋田大学関連病院協議会、15:00-17:10秋大総合地域医療推進学講座開設記念フォーラム、久々パネリストに。17:30情報交換会、ここでも祝辞。19:00中座し帰宅。疲れ果て19:30早々就寝。

ヘッドフォン(2) BOSEまた故障しソニーNDR-NC500D購入
 昨日12月13日は久々東京出張であった。
 いつもの如くBOSE QuietComfort2を使いながら出かけたのであるが、帰路、日暮里から羽田に向かうJR内で頭に乗せた途端左側のイヤーカップの付け根からポッキリと折れた。他のところの破損は自分で何とか修理して来たが、ここまで来ればプロの修理が必要である。
 
 この時、過ぎったのは最近ソニーからデジタル方式のノイズ低減を図った製品が発売され、結構評判も良いようである。ANAのファーストクラスに採用されたと言う。どうしようか、騒音の中今日から何としようかと考えていたらJRは間もなく秋葉原である。帰りのANA迄時間はある。ここで故障するのも何かの縁、ならば、と秋葉原で下車、製品NDR-NC500Dを試聴した。
 
 BOSEよりノイズ低減能は1-2ランク上と感じられた。このレベルの機能なら迷うことなく買いである。決して安くはなかったが、購入した。箱、キャリングケースとかは全て店で処分、本体と付属品のみとした。帰路はこれのお陰で静かな環境の中で過ごし得た。
 
 病院に着いてからヘッドフォンとしての音質を試してみた。BOSEのQuietComfort2は爽やかな音であったが、NDR-NC500Dは低域がより豊で力強い音である。その点でも気に入った。まだ購入したばかりなので雑音の発生とか丈夫さとかまで含めた評価は出来ない。4年間酷使したBOSE QuietComfort2は当然修理に出すが、果たして使い続けることになるのか、今のところ何とも言えない。
 NDR-NC500Dは優れた製品だと思う。


12/15(土)秋田曇り 病棟拘束 東京女子医大出張病院院長会議 秋大泌尿器科忘年会
2:30起床、ドック総括x1、徒然。5:15病院着。5:30回診他,6:30病院発空港へ。7:20ANA 767-300満席。10:30-11:50東京女子医大出張病院院長会議。秋葉原で買い物若干。空港のパソコンデスクで業務処理。15:55ANA 767-300、後席は10%ほどとガラガラ。18:45-20:55秋大泌尿器科忘年会。21:20帰宅。21:40就寝。

ヘッドフォン(1) ヤマハHP-1、BOSE QuietComfort2、ソニーNDR-NC50
 私はスピーカーを鳴らすよりはよりはヘッドフォンリスニングが好きである。
 繊細な音までしっかりと聞き取れるのが良い。私の録音関連機器は随分様変わりしたが、ヘッドフォンは殆ど変わっていない。ただ、最近は遮音機能が付いたものを愛用するようになったのが大きな変化である。
 
 1970年代中頃に思い切ってStax製のコンデンサー型ヘッドフォンを購入しようかと考えたこともあるが、ダイナミック型でありながら類似のメカを持つ新発売のYAMAHAのHP-1にした。かなり気に入って2ヶ購入、それから30数年いまだに使用している。とても繊細でいい音がする。音質的には不満はない。ただ、ヘッドパッド、イヤーパッド共にすり切れたが補充品は既に手に入らず、自作して取り付けて自宅と病院で使用している。
 
 2004年5月今度は音楽を聴くと言うよりは遮音の目的でヘッドフォンを購入した。それがBOSE QuietComfort2で遮音性能は私が期待したほどではなかった。それでも新しい発想の機器であり、当時は他の製品がなかったから音ノイローゼの私はとても重宝し、手放せない小道具として毎日持ち歩いている。ヘッドフォンとしての音質も優れていた。ただ惜しむらくは構造的に弱いことで、長さ調節部分のプラスチック部品が割れやすい。
 
 2005年2月BOSE社に修理に出したが、この頃は各社から同機能の製品が発売されていたので代わりに、とソニーNDR-NC50を購入した。これは残念ながらノイズ低減性能は弱く、BOSEが修理終了して戻ってきたときに次男に進呈した。
 
 BOSE はまもなく同じところが壊れたが自分で修理して用いていた。この製品は機能的にはまずまずであるが、プラスチック部分が薄くて割れやすい。これはこの製品の根本的欠陥である。
 ソニーNDR-NC50はまもなく改良されソニーNDR-NC60として現行品となっている。


12/12(金)曇 入院患者家族面談 循環器科医師と面談  ドック診察 法人理事会 
2:10起床、ドック総括x1、新聞チェック、徒然など。5:20病院着、6:20入院患者家族面談、回診他。7:45-8:25循環器科科長面談、11:00新入院患者対応。13:00平安閣担当者来訪、打ち合わせ。14:00ドック診察。15:30再度新入院患者対応。17:30-18:45法人理事会。21:15帰宅、21:45就寝。

私の録音の変遷 オープンリール→カセット→MD→MP3でハードディスクへ
 私は映像よりは音が好きである。時代と共に随分機器もソフトも変化した。

 1965年、高校生であったが、目が飛び出る思いでテープレコーダーを手に入れ、NHKのAM放送や深夜の文化放送の音楽番組などを録音して楽しんだ。当然モノラルで音は当然のことながら決して良くなかった。

 1972年、FMエアチェックの時代にはAKAIの38cm4トラックのオープンテープデッキで楽しんだ。オープンは意外と使用期間が短く、1970年後半頃のカセットデッキ全盛の頃には音質的には後退したものの操作性、便宜性からオープンは取って代わられた。この頃、カセットデンスケも購入、この時から生録もするようになった。
 しばらくカセットにこだわり続けていたが世は徐々にミニディスクの時代になっており、私も2003年にポータブルMDデッキを購入、カセットに取って代わった。蓄積した数100本のカセットテープは廃棄した。

 現在までMDをそれほど不満なく使い続けていたが、鳥の声を録音したいという家内がRoland製のWAVE/MP3レコーダーR-09HRを購入し私も借用してからまた考えが変わった。MDより遙かに高性能で利便性も良い。この後徐々にMDの使用頻度は減少している。SDカードに蓄積された録音データは適宜外付けハードディスクに移し替えて保存している。

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 つい2ヶ月ほどOlympus製のラジオサーバーVJ-10を購入した。これはハードディスクを内蔵したラジオでMP3モードで録音できる。これでFM・AM放送の録音もすべてデジタル化した。これも適宜外付けハードディスクにバックアップを取っている。

 40年近くエアチェックや生録を楽しんできたが、徐々に性能は高くなり、利便性は向上、ハードやソフトも機能以上に小型軽量化され、ソフトの占拠スペースも極小になってきている。オープン、カセット、MDを並べていたラックにはもう何もない。本棚と化している。数100時間分の最近の録音データは弁当箱サイズのハードディスク一つに全て入っている。検索で簡単に聞き返すことが出来る。
 大変な進歩だと思う。私はこの進歩を享受し、かなり満足しているが、ハード、ソフトを廃棄するときとても後ろめたい気持ちを味わう。


12/11(木)曇り 外来 県障害者福祉専門分科会 秋大心臓血管外科忘年会 
2:00起床、ドック総括x1他、文献チェック。5:10Taxi病院、6:10回診他。8:00救急カンファ、8:40-14:30外来、混雑。15:00-16:10県障害者福祉専門分科会。18:00-21:20秋大心臓血管外科忘年会。21:40帰宅、22:10就眠。

ドレスデン聖十字架合唱団,森 麻紀氏の演奏会
 去る、12月7日、秋田市のアトリオン音楽ホールで聖十字架合唱団の演奏会があり、最近注目されている森 麻紀氏が共演するというので聴きに出かけた。森氏の名がなかったら出かけなかったと思う。
 森氏も良かったが、今回はそれ以上に合唱団の歌声に聴き入った。森氏が私に少年合唱団の魅力を教えてくれたようなものである。

 ドレスデンの聖十字架教会の少年聖歌隊である合唱団は、700年を超える歴史の古い少年合唱団ということである。ドレスデンで最も古い歴史を誇るこの音楽団体が出演する教会の日曜礼拝や数々のコンサートは、この地域の宗教的・文化的行事に欠かせない存在となっている。9-19才までの男子150人で構成され、国内外に迎えられ、国内からヨーロッパ及びアメリカ、日本、イスラエルなどでも親しまれている。今回は30名ほどの編成であった。レパートリーは、17世紀のドレスデンで宮廷楽長を務めたシュッッによる初期パロックから、バッハは勿論、現代曲まで及び、当地のドレスデン国立歌劇場管弦楽団、ドレスデン・フィルとも定期的に共演している。

 共演した森 麻紀氏はミラノのヴェルディ国立音楽院、ミュンヘン国立音楽大学大学院へ留学、P・ドミンゴ世界オペラコンクール優勝を始め、多数の国際コンクールに上位入賞を果たしている逸材だとのことで、本来はオペラ向きなのかもしれない。容姿も良くて日本を代表する国際的な歌手として注目を集めている。細めの美声で合唱団をバックに5曲歌った。

 指揮のR・クライレ氏は56年生まれでミュンヘン音楽大学教授。97年1月から聖十字架合唱団第28代音楽監督を努めている。とても背の高い方で指揮の動きは静かで洗練されており、宗教的というか、キリスト教的な、と言うか、敬虔な気持ちを自らの動きで表現しつつ、合唱団から引き出している様に感じられた。

 プログラムは二部構成で、第一部はクリスマスモテット、第一部はクリスマスキャロルで、17曲で構成されていた。作曲家としてフランク、プラームス等お馴染みからハンマーシュミット、アダン、ヴォルターズ、エッカルト等聞いたこともない名前まで並んだ。殆どが初耳の曲で似たようなイメージであったがいずれも見事なハーモニーであった。アンコールで「からたちの花」が歌われた。

 半分ほどはうたた寝しつつ聴いたが、最良の休息時間でもあった。


12/10(水)曇り 外来  県医師会常任理事会+忘年会  秋大第一内科忘年会
2:00起床、ドック総括x1、再検査結果報告他,5:15病院着。6:20回診他、8:00救急カンファ、8:45-14:30外来、混雑。16:00-17:30県医師会常任理事会、18:00-19:15忘年会、中座。19:30-21:00秋大第一内科忘年会、終了少し前に中座、21:00帰宅、21:30就眠。

医師不足は医師が動いてこそ(2)「請願署名」の医師比率で秋田がトップ
 医療再生のためには地域医療の実情をよく知っている医師自身が情報を発信すべきである。それが医療改革にとって一番力になりうるし、医師自身が医療崩壊を阻止するために立ち上がったというメッセージは、医療崩壊に不安をもつ国民を励まし、今の地域に安心して住み続けられると言う希望の源にもなる。

 秋田県医師会でも秋田県の医師不足の状態などは折につけて県民にも訴えかけ、日本医師会の各種委員会や都道府県会長会議等を通じて情報を中央に発信してきた。
 時丁度良く「医療崩壊阻止 医師・医学生署名をすすめる会」が発足した。これには医学生も含まれているが、将来の日本の医療を担う医学生が現状と近未来の医療提供体制の問題点、若手医師の置かれている厳しい就業状況の問題点を学び、現役医師と一緒になって行動することの価値はとても大きい。

 県医師会では会としての参加は出来ないが、この様な運動が行われていることを全会員に知って戴き、個人として署名に参加する機会を作ることとし会員に署名用紙を送付した。

 その結果、200筆に近い署名が事務局に送られてきた。10数%の会員が賛同してくれた、と言うことになる。有り難いことである。ただ、私としてはこの医師不足の中、毎日毎日苦労しているのだから、その最中にある勤務医を中心にもっと多くの署名が集まるだろうと期待していたので些か不満である。ただ、全国の署名数を見ると、絶対数として似たようなものであるからこの様な運動としてはまずまずの結果と評価すべきなのかもしれない。

 11月28日時点での署名数は、医師10.736筆、医学生1.460筆の計12.198筆だとのことである。その中で秋田県は医師・医学生併せて361筆で、都道府県別では8番目である。ただ、医師数が少ない県だから、全医師の中における医師署名の比率で見ると15.8%で今のところトップである。
 医師会員に送付したことで高い比率で署名が集まったと言うことは、まだまだこの運動が知られていないか、署名用紙が手元にないことが原因なのかもしれない。

 国が医療費抑制策を続け、このまま医師不足を放置するならば医療崩壊は止まらない。われわれ現場の医師は目の前の患者の治療にベストを尽くすことは勿論であるが、この危機を訴えつづけることも社会的責任と考えるべきと思う。 


12/9(火)曇・寒 外来 法人常務会 医局カンファ
2:30起床。さすがに眠い。ドック総括x1他、徒然等いつもの如く。5:10病院着。6:20回診他、8:45-14:15外来、混雑。14:45-16:00法人常務会。17:30医局カンファ「妊婦と薬物」。21:00帰宅、21:30就寝。

医師不足は医師が動いてこそ 「医師・医学生の請願署名」活動に参加を(1)
 地域医療崩壊の根源は医師の絶対的不足であることが明確になってからも、厚労省は80年代の医師養成削減方針が97年の閣議で再確認されたことを楯にして医師不足を認めようとせず、医師養成数の削減を医療行政の要として来た。医師不足に対してはその方針を変えることなく「医師養成の前倒し」などと言う小手先の技で少数の医師養成増を計画してきた。

 しかし、本年6月27日の閣議で決定された「骨太方針2008」に「医師養成数増へ方針転換し、早急に過去最大程度まで増員する。さらに今後の必要な医師養成について検討する」ことが盛り込まれた。急速に悪化した地域医療供給体制の諸問題がここまで至ってやっと政府にまで届き、認識された、と言うことである。

 これで日本の医療供給体制はやっと改革の方向に歩み始めた様に見える。
 しかし、実効するのは10年以上も先の話である。更に、まだ決して楽観できない状況にある。医師増員分に見合う公的医療費、社会保障費の増額につながる政策転換には至っていないし、その後の米国に端を発した世界金融危機は日本にも多大な影響を与え、円高や株価暴落をもたらし、雇用状況は一期に悪化し社会不安高じてきている。この様な中、先の閣議決定はどこまで実施され得るのか不透明である。景気浮上、雇用対策等が優先される可能性が大きくなってきた。

 今こそ日本の医師と医学生が団結し、医師増員と医療再生に必要な財政措置をとるよう、国会請願署名をすべきと「医療崩壊阻止 医師・医学生署名をすすめる会」が発足した。
 代表呼びかけ人は埼玉県済生会栗橋病院副院長の本田宏氏、日本福祉大近藤克則教授、佐久総合病院院長夏川周介氏、全国自治体病院協議会会長・全国公立病院連盟会長邉見公雄氏、全日本医学生自治会連合委員長宇敷萌氏が名を連ねている。

 私もこれに賛同し、呼びかけ人の一人になっている。秋田県の署名状況は全国的に見てトップクラスであるが、まだまだ不足である。


12/8(月)曇り雨 管理会議 外来 療養病棟判定会議 長副会議 CVS練習
2:00起床、ドック判定総括x1他,徒然。5:20病院着, 道路は積雪なし。6:30回診。7:45-8:20管理会議。8:40-14:00外来、混雑。16:00療養病棟判定会議。17:00-19:00長副会議。20:00-21-50CVS練習Alve。22:15帰宅.夕食、23:00就寝。

師走の雰囲気(2)賀状は元日にこだわらず
 師走と言えば、多忙さに更に負荷になるのが年賀状の準備である。
 2-3年ほど前から、私は年賀状を年末年始の休暇に入ってからゆっくり書くことにしている。元旦に配達されなくても良い、そんなことには拘らないことにした。新年の喜びを共有するのは新年を迎えてからで良い。それが本来のあるべき姿である。冊子などの年始のご挨拶文と同じで、自分としてはまだ新年を迎える気持ちに全くなっていないのに、習慣的に、形式的に用意することに空しさを感じ始めたからである。

 数年前までは無理して、筆、万年筆、住所印を適宜組み合わせて全部手書きで書いていたが、ついに時間的問題からやむなくプリントにした。手書きでゆっくり認めることが出来る環境が早く欲しいものである。
 
 プリントにしたがデザインは手書きの時と何も変えておらず、単純に「謹賀新年」だけで、10数年ワンパターンの賀状である。ただ、必ず一言添え書きをする。そんな作業中、相手方との交友を一瞬ではあるが懐かしく思い出す。だから、年賀状の準備は面倒な一方で、なかなか貴重な時間ともなる。私にとっての年賀状の主たる価値はそのことだと思う。

 最近はパソコン、テジカメを駆使した見事な作品が届く。ホント、一種の作品である。しかし、そのような場合、多くは一言も添え書きがないから、年々、ダイレクトメールと変わらない風情の、味気ないものになっていく。単に私の住所が先方のパソコンに登録されていて、自動的に作成されて名簿に「済み」とチェックが入るに過ぎないのだろう。

 こんな賀状なら不要であるが、この年になると無事を確かめ合うカードとしての価値もある。今までずっと続いてきたのだし、年に一枚のハガキだけのお付き合いの範囲で別に損得もないから、もう少しこのまま維持しておこうか、という思いが頭をよぎる。そんなことで、マ、良いか、例年割り切っている。
 
 この年賀状にまつわる思いは、人と人とのつながりが希薄になっている咋今、逆に無意識に抱く危機感のあらわれでもあるかもしれない。この様に捻って考えると気持ちの整理にもなる。

 私と年賀状を交わしている方々は新しく知り合った方はとても少ない。何10年も前からの旧知の方々が大部分である。だから、高齢の方が多い。だから、相手方の事情で自然消滅していくか、私の事情で一気に消滅するか、全て運である。
 賀状の交換はクールに考えれば無くてもそれほど困らない習慣だが、積極的に止めるまでもない。途切れそうな極細の糸の様なものだ。
 今年も一応、例年通りに準備する積もりでいる。


12/7(日)曇  病棟拘束  森麻季&ドレスデン聖十字架合唱団演奏会
2:00起床、ドック判定総括x1他、徒然等多数処理。新聞チェック。6:00病院。道路は初氷結で良く滑った。6:30回診、8:30救急カンファ。11:00帰宅、ドック総括など。15:00-17:20アトリオン、森麻季&ドレスデン聖十字架合唱団演奏会。森氏のネームバリューで聴きに行ったが合唱の方が魅力的だった。病院、20:00帰宅、夕食、21:00就寝。

師走の雰囲気はあるが、乗らない新年の挨拶文 
 あれよれよと言っているうちにもう12月である。時の流れが実に速いがこれは私自身が年をとり時間感覚が鈍くなってきたからである。

 街路のイルミネーションからクリスマスや師走としての雰囲気は感じられる。帰宅の度に少しずつ街路樹とかアーケードに色とりどりの小電球が増えていく。今年は大部分がLEDなのだそうだ。
 新聞やラジオなどでは景気の落ち込み、リストラなどに関して連日報道されているが、にもかかわらず、あるいはだからこそと言うべきか、商店街のクリスマスや年末商戦の雰囲気は結構旺盛である。

 もう一つ年末の雰囲気を感じさせるのは「喪中につき年末年始の・・」というモノトーンなハガキである。今年はもう20枚も来ただろう。殆ど80代後半から100歳ほどの親御さんが亡くなられている。私の年代で亡くなった方は殆どおられない。高齢化社会である。

 忘年会のシーズンでもある。もう3回ほど出席した。しかし、私にとってはまだまだ年末年始に遠い感覚なのでフツウの宴会と大差ない。歓談し食べて飲めればそれなりに楽しい。
 お歳暮の季節でもある。私はあまり良い習慣だと思っていないが、戴いた場合にはハガキで礼状をこつこつと書く。これもあえていえば季節感の一つと言うことになる。

 この時期になると院内誌をはじめとして2-3の「新年のご挨拶」なる文章を求められる。まもなく締め切り日が来るが、これを今の時期に書くのは気分が乗らず辛い作業である。時々追記していくのだが全然進まない。
 11月や12月初旬に書いた文章が年末には新年号としてもう届けられる。新年を迎えたわけでないのに「新年あけまして・・・」の巻頭言を読まされるのもおかしな感覚である。私は新年の挨拶等の巻頭言は2月号で良い、と思っている。

 どう考えようと、間もなく締め切りである。師走である。患者が多くて多忙で、取り組む時間が取れそうもない。

 日本では、旧暦12月を師走と呼ぶが、その由来は師が走り回るほど忙しくなるからと、言われている。師には僧侶の意味もあるとされるが、師という字がついているのだから、その意味に医師、特に勤務医も含めて欲しいものである。


12/6(土)曇り 患者家族面談2件 病棟拘束
2:00起床、ドック判定x1他、いつもの如く処理。5:10病院着。6:00回診他、6:30-7:30入院患者家族面談2件。8:30救急カンファ。9:00ドック結果説明他。以降は退院患者総括、DPCデータ入力、各種の臨床書類処理。18:30帰宅、夕食20:50就寝。

時代の流れ、Iomega Jaz ハード4ヶ、ソフト20枚処分した
 Iomega社は米国のエレクトロニクスの会社で、外付けの記憶装置で知られている。
 代表的製品はZipとJaz、その他がある。ZipもJazも磁気記録方式で、前者はフロッピーディスクの技術を発展させたもので、ディスクはフロッピーより若干大きく、より頑丈に出来ており、100、250,750MBの三種類がある。一方のJazはハードディスクの技術を発展させたものだという。JazディスクはZipディスクの2倍ほど厚く、さらに頑丈なの記憶容量は1GBと2GBがある。

 私は10年以上両者を愛用していた。日常的にデータのバックアップを取り、持ち運ぶためには十分な転送速度があり、さらに私にとって決定的に都合が良かったのはソフト的にロックをかけることが出来ることであった。これは個人情報を含むデータを持ち運ぶのに必須な機能だったからである。パスワードがなければフォーマットするしかない。
 Jazは1GBハード4ヶを購入、病院と自宅に2つずつ置き、互いにデータをバックアップし、時折データを整理するのに繁用していた。
 しかし、決定的な問題点はZipはUSBあるいはFirewire接続にも改良されたが、JazはSCSI接続の製品のままであり、他の製品との互換性はなかった。他の記憶装置に押されて需要が減ったのであろう、Jazは2003年12月をもって出荷も終了した。

 最近発展しつつある新しい記憶装置の便利さとかから見ればJazは明らかに不便であったが、私はつい数ヶ月前まで利用していた。そのために古い世代のMacを残していた。しかし、私の古いOS9.0までのMacも機能的にそろそろ終焉を迎えつつある。それに今春購入したポータブルのハードディスクの使い勝手がとても良い。また、オーダリングになってから自分のパソコンで患者関連の仕事をこなすことは少なくなり自分で個人情報を保持しておく必要もなくなった。

 先週ついにJazの廃棄することにしハード4ヶ、ソフト20枚を処分した。実に勿体ない廃棄であったが、時代の流れには逆らえない。
 特にエレクトロニクスの分野では何かを気に入ってもやがては機能的に遅れてしまうのでそれに集中すると無駄になる。この分野では一番汎用されているソフトとハードを用いるのが一番確実なようである。

 そう思いつつも、私はZipにはまだこだわり続けている。


12/5(金)雨 ドック診察 秋田市救急隊との合同カンファレンス+情報交換会
1:30起床、ドック総括x1他、文献チェック、徒然他。5:10Taxi病院着。6:20回診ほか病棟業務。8:00救急カンファ。14:00ドック診察、新入院対応。18:00-21:15秋田市救急隊との合同カンファ+情報交換会。21:30帰宅、22:10就寝。

がん闘病の方にタオル帽子を寄贈(2)がん患者を悩みを受け止める困難さ
 がんを患い、不安と苦痛をかかえる患者のほぼすべては医療スタッフの対応に満足することはないだろうと思う。どのレベルで折り合いをつけるのか、相対的な判断になる。残念なことであるが、私は溝を縮めることは出来ても埋めることは不可能、と割り切って考えねばならない、と考えている。

 いろいろ理由はある。第一、医療人と患者は立場が全然違う。これは何としても縮めるが出来ない差である。仮にこの差がなくなったら私などは不要となる。第二に患者は100%患者であるが、我々にとって患者個々人は多数の中のお一人でしかない。第三に、やはり他人であると言うこと。よく自分の身内のように考えて対応せよ、と言われるがそれは根っから無理。
 だから、本来から医療は医師と患者、医療関係者だけでやるものではなく、家族や友人、ボランティア等の参加の意味は大きい。

 さらに、それ以上にがん患者を支える社会の仕組みとか心が整ってくれば患者の不安は大きく解消していくだろうと思う。その意味では、国のがん対策基本法、4疾患5事業を重視した医療政策を背景に、各地域のがん診療のレベルは大きく底上げされてきている。秋田県のがんの診療レベルは緩和医療を含めてここ数年大きく進展している。

 今回はがん化学療法によって頭髪の脱毛に悩む方にお役に立てれば、と言うことで二つの患者団体からタオル生地で作った防止を寄贈して頂いた。
 実際には、患者は個人個人でいろいろ工夫されているので、どれだけの方がこれを利用していただけるのか全く未知数であるが、その気持ち、心は喜んでいただいていると思う。

 振り返って私の場合、血液領域の悪性疾患の患者に強力な化学療法を行ってきたが、多くの方が脱毛に悩まれた。中には完全に抜け落ちた20代の女性も何人もおられた。
 予め十二分に説明した上の治療なので私に直接苦情を述べた患者はいなかったが、回診の度に「今日はこんなに抜けました・・」と集めた頭髪を見せてくれたものである。「生きるために、通らねばならない道なのだ」と分かっていても患者の心は如何ばかりであったのか、どんなに辛かったのであろうか、私の配慮は十分だったの
だろうか。いや、不十分だっただろう。

 帽子の寄贈を受けながら、私は改めて深く反省させられた。


12/4(木)曇り 外来 安全対策会議 医師面談 病棟忘年会 
1:45起床、ドック総括x1他、徒然など。5:15Taxi病院着、6:20回診他。8:00救急カンファ。8:45-14:10外来、混雑。15:00-16:00取り違え防止等安全対策会議。16:10医師面談。19:30 5B病棟忘年会、Metro。22:20帰宅、22:45就寝。

がん闘病の方にタオル帽子を寄贈(1) がん患者を社会が支える時代になってきた
 11月18日には乳がん患者で作る「あけぼの秋田」から、12月2日には「秋田県がん患者団体連絡協議会」の方々から、抗がん剤治療による脱毛が起きた患者に活用してもらおうとタオル生地で縫い上げた帽子数10ヶ寄贈があった。

 同協議会は先月2日に製作講習会を開催した。その後、参加した方々などから色とりどり帽子やタオルが続々と寄せられている、とのことであった。会では県内の各病院へも問い合わせており、現時点で当院のほかに6病院に寄贈を予定しているとのことである。

 私共は有り難く戴き、感謝状を差し上げた。
 この寄贈の様子は地元の新聞やTVでも取り上げられた。その後、私のところに自分はがん患者ではないがボランティアとして制作に参加したい、どうすればいいのか、という電話が3件寄せられた。

 私はこの寄贈を受けながら、化学療法を行ってきた医師としての自分を振り返りいろいろ考えさせられた。
 従来はがんの治療は医療者と患者や家族の中で行われてきていた。がんを患っているとか、治療中であること等は、今の個人情報法保護とは異なる立場で、偏見の対象にもなることなどの理由から秘密にされていた時期でもある。古い話であるが、私も死亡した患者の家族から死亡診断書にはがんであることを書かないで欲しいと懇願されたこともある。そんな中で患者達は如何に不安で寂しい日々を過ごしたことであろう。私はどこまで患者を支え得たのか、今更ながら反省しなければならない点は少なくない。

 徐々にがんの患者会が作られるようになってきた。
 がんの治療は如何に医師や看護師等の医療関係者が努力しても、患者や家族に100%満足してもらえるものではない。だから、患者同士が積極的に情報交換したり、勉強会を開いたり、主治医との懇談会を開いたりすることの意義はとても大きい。この様な動きが更に共感を呼び、今では患者ではない方々も参加して一緒に活動している会もある。

 徐々にがん患者を社会が支える新しい時代が来た、と感じることが出来る。
 このことは患者本人にとっても如何に大きな心身の支えになるか、想像に難くない。


12/3(水)曇り 外来+ドック診察 県知事公室員来訪打ち合わせ 瀬田クリニック岩瀬氏来訪面談 県医師会と県議会議員との懇談会 学術講演会
2:00起床、ドック判定総括x1、文献処理、徒然。5:10病院着.6:15回診他病棟業務。8:00救急カンファ。8:40-14:30外来+ドック診察。15:00県知事公室員来訪打ち合わせ+瀬田クリニック岩瀬氏来訪面談。17:00県医師会と県議会議員の懇談会、中座。18:30-21:30学術講演会、座長。21:45帰宅。22:20就寝。

私の遺影用写真が出来た
 私の遺影用写真が出来た
 先月15日は次男の結婚式であった。披露宴の開始前には親類等の集合写真を含めた写真撮影がセットされていたので、これに便乗して別枠で夫婦で記念写真を撮った。

 私は滅多に写真を撮らない。私の携帯は2-3年ほど用いているが写真は10枚ほどしか撮っていない。撮り方も忘れた。3年以上、常に持ち歩いているデジカメもせいぜい100枚程度だろうか。未だにマニュアルを見ながら、である。

 だから、二人揃って一応服装を整えて収まったような写真がない。
 共に還暦を過ぎたので何時何があってもおかしくないので遺影用に機会があれば撮ろうと考えていたが、ついに実現した。
 昨日、出来上がってきたが、私自身は遺影写真なんてこの程度で良いと充分満足できたが、家内はかなり不満らしい。私の目から見れば実物の特徴がそれなりに表現されており、なかなか良く撮れていると思っていたが、本人にしてみればふくよかさが強調されてイヤだという。別に、ちっとも強調されているとは思わないが、本人の前では下手に口に出して言うと面倒なことになるので黙っていた。
 女心はよう分からないものである。空想、ロマン、イメージの世界で生きているのだろうか。

 私は超虚弱であったこともあって、自身の人生のエンディングについてはどちらかというとあっさりと考えていた。にもかかわらず還暦も通過してしまった。先のことは分からないが、もう家族への責務は果たしたと言って良いだろう。

 還暦以降は少しずつ身辺を整理し始めている。自分自身の葬式のプランも立てている。「一切何もやらない、やって欲しくない」、が私の基本であるが、死んだ後は指図できないのでどうなるか分からない。
 多分、用いられることは無いと思うが、遺影用写真が出来たことでまた一つ肩の荷が下りた。


12/2(火)曇り 外来 法人常務会 がん患者の会より帽子寄贈式 県難病医療連絡協議会 CVS練習
2:00起床、ドック判定総括x1他。5:10病院着、6:30回診、8:00救急カンファ。8:45-14:15外来。14:45-16:00法人常務会。16:00がん患者の会より帽子寄贈式、取材など。17:00-18:30県難病医療連絡協議会。20:00-21:00 CVS練習、遅れて参加。21:30帰宅、夕食、22:00就寝。居間の石油ストーブがICの故障で、TVが従業員福祉のために引っ越ししてリニューアルした。何か空しい思いである。

麻生政権迷走中(2) 定額交付金の愚
 麻生政権が迷走状態にある。選挙用内閣であったが機を失した。
 次いで、追加経済対策に盛り込んだ定額給付金問題がむしろネガティブの効果をもたらしている。アイデア自体にも問題があるが、給付の所得制限とかの判断を市区町村とかに任せるとしたことも反発を食らっている要因である。

 結果的に、「安倍では闘えない」→「福田では闘えない」→「麻生では闘えない」と言った小泉以降の3首相が似たコースをたどりつつある。これは自民にとって大変な事態である。「麻生では闘えない」として再々再度引き下ろしや辞任劇などあったら、もう自民は瓦解である。何としてでも持ちこたえなければならない事態に至っている。

 肝心の給付金であるが、夫婦と子供の標準的所帯では支給額は6万4千円となる。これはご時世ではかなりの額である。実際は振り込みとなるらしいが、目の前に置かれてどうぞと言われたら、よほどの高額所得者か篤志家でなければ、喜んで頂くであろう。この際の所得制限はサラリーマンなら、年収2.074万円以上の給与収入のある個人となっているので、当然私も支給対象者である。サラリーマンは大部分該当するだろう。

 私はこの政策に賛同しない。新聞によると世論調査でも評価していない人の方が過半数を占めている。給付金が結局は自分が納めた税金のホンの少しの還付に過ぎず、結局は国の財政を圧迫することになることを国民は懸念してである。国民は総理が考えているより利口だ。バカにしてはいけない。軽口を叩いていると危ないのだ。

 日本は国と地方を合わせた長期債務額残高が国内総生産の1.5倍近くあり、先進国で最悪の財政状態にある。 こんな時に、定額給付金は愚策と言わざるを得ない。

 これにかかる2兆円は国民に配布すれば霧の如くに霧散し、行方不明になるだけである。経済活性化効果は微々たるものである。それよりも、小石程度にまとめて何かに用いる、あるいは岩石程度にして重点的に改善を図る方がずっと良い。
 国の経済の舵取りについてはよく分からない。立場上からは、一部でも社会保障費に注ぎ込んではどうか、とも思う。

 今朝のニュースで救急を中心とした地域医療の立て直しのために何らかのプロジェクトを作るらしいが、そのトップに麻生首相が就くという。地域医療のことを知らず、医師を小馬鹿にした本人が何をまとめるというのだろうか。
 委員長は単なる会議の司会者であってはならない。取り上げる協議事項一つ一つに自分なりの結論を持った上で会議をリードしなければならないのだ。


12/1(月)曇り 管理会議 安全管理者・事務長と打ち合わせ 療養病棟判定会議 長副会議 
2:00起床、ドック判定総括x1、文献チェック。5:10病院着。6:30回診。7:45-8:30管理会議。10:00安全管理者と打ち合わせ。16:00-16:30療養病棟判定会議。17:00-19:45長副会議。21:00帰宅、夕食、21:45就寝。

麻生政権迷走中(1) 医療人から見てもおかしいよ
 麻生政権が迷走状態にある。元々麻生内閣は選挙用の内閣であった。
 そういえば福田政権もそうであったが、総選挙せずにずるずると引き延ばししている間に政権自体が頓挫した。政権に実力、魅力があれば別であるが、時間と共に国民に限界を悟られ、飽きられ、支持率が下がる。麻生氏も急いだ方が良かったのだが、引き延ばしたことで今その歪みと低支持率に苛まれている。

 当初、麻生首相は温和しい福田首相とは異なるキャラクターを売りに、就任直後のご祝儀支持率をも目論んで(?)早期解散を口にしていたが、実際には決断は鈍かった。10月末、米国発の金融危機が世界的に波及したことで、政局に空白を作るのは危険、経済立て直しを優先する、として年内の解敏・総選挙を先送りする方針を打ち出した。
 緊急経済対策を何よりも優先すると言ったが、何にも出てこない。同じく昨年夏頃からの原油高騰が国際的に大問題になっていた時にも、国民生活に支障が出始めた時にも、時の福田政権はなすすべ無し、と何ら手を打たなかった。
 小泉総理は別格だが、その後の総理は経済に強いのだろうか?疑問である。

 麻生氏は経済対策を優先するとして国会を延長したのだから緊急対策を盛り込んだ補正予算案を出さないのはおかしくないか??

 医療界では社会保障関連の経費を5年間、毎年2.200億円削減するという骨太の方針2006以降辛酸をなめてきている。その結果として医療崩壊が顕著になった。崩壊の引き金は新臨床研修制度だけではないのだ。国の経済を立て直すために来年度も同様に2.200億円削減を続ける、という。

 医療や福祉関連の従事者を、経済的にさんざん締め上げ、犠牲を強い、医療崩壊を招いて来たが、その責任を取ろうともせず、挙げ句の果てに「医師は社会的常識が欠如した人が多い」などとのたまわった。モチベーションがガックリと下がってしまった。だが、その単語をそっくり置き換えれば、「首相、政治家は社会的常識が欠如した人が多い」「医師不足の原因は政治家にある」・・ともっと辻褄が合う。これは笑えるが、ジョークではない。

 さらに、2兆円もの財源を用いて国民に金をばらまく定額給付金を持ち出してきた。何だ、バラマキ用の資金はあったのか?ならば我々医療人が長年置かれて来た立場は何だったのだ!!、と、改めて怒りが沸いて来た。


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   年を通じてワンパターンで淡々とした毎日です。AM2:00-5:00にメールチェック・返事送付、人間ドック(HDD)判定・報告書作成、新聞切り抜き、病院・医師会業務など。
  月〜土曜は6:00頃出勤、HDD報告書印刷、外来書類処理など。病棟回診、HDD受診者とミーティングと診察。8:45-14:00外来とHDD受診者に結果説明。昼食は摂りません。午後は病院業務・医師会業務、各種委員会等に出席など。20:00頃帰宅。
  日曜・祭日もほぼ同様ですが、病院には午後出かけます。時間的に余裕無いのが悩みです。


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