徒然日記
2008年2月分

 日記と言うより、自分の行動記録からの抜粋と日々の雑感です。

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2/29(金)うるう日 曇り 散髪 人間ドック診察 鮫島有美子リサイタル
2:20起床、ドック総括1名分、日医委員会関連検討、徒然他。5:05病院着、6:20回診他、書類処理、文献に集中。14:30人間ドック診察5名、18:30-20:20秋田市文化会館で鮫島有美子リサイタル。外食、21:30帰宅、22:20就眠。

医療崩壊(5)子育て中の女性医師はなぜ離職するのか
 最近、女性医師が増えてきている。医師の道に進もうとしている女性達の意気込みは実習に来た医学生と懇談しても特別性差を感じることはない。むしろ男性以上の意気込みを感じる事の方が多い。

 医学生に対して行った「女性医師に対するアンケート調査」では、医師が働きやすい職場にするにはどうすればいいと思う?と言う問いに、■医師の仕事は過酷のままでいい■ある程度厳しいのは仕方がないこと・・・と答えている。医師の仕事の過酷さを知っていて、覚悟の上で医療の道に進んでいる意気込みが感じられる。

 昨年に秋田県が診療に携わっている県内の女性医師に対して行ったアンケート調査では、医師という職業を選んだ理由として、■自立できる職業だから■生き甲斐があるから■学問的に興味があったから、が上位を占めていた。とても前向きである。

 ところが、実際に結婚し妊娠・出産を迎える時期になると、直ぐに数々の障害に遭遇し、やむなく方向転換が余儀なくされるようである。
 昨年、秋田市で開かれた第2回女性医師フォーラムで講演された山崎麻美医師は大阪医療センターの小児脳神経外科医で、著書に「小児の脳を守る」があり、女性医師の就労関連の改善運動でも知られている方である。

 山崎氏は講演の中で、「女性医師が離職する理由」として、■3才迄は母親が、と言う「3才児神話の浸透」■良い育児をしなければ、と言う「良い育児症候群」■私でなければと言う「オンリーワン神話」、を挙げていた。また、「働きたくとも働けない現実の環境」として、■妊娠・出産のための制度が欠如している■子供を預ける所がない■休めないことはないが、周囲にかえって迷惑になるから■子供が出来たら医師としての就労は到底無理との決めつけ、を挙げていた。女性医師は子育てという現実を迎えて、厳しい就労環境といだいていた高い理想の狭間で呻吟する様子が窺われる。

 英、仏、独の勤務医の一週間あたりの勤務時間は医師の年齢にかかわらず40-50時間であるのに対し、わが国の医師は60-80時間であり、一般的に若い医師ほど勤務時間は長い。子育ての最中にあると思われる40歳以下の勤務医の勤務時間は70時間を超えている。これほどの時間職場に拘束された状態であれば、子育ては最初から困難、不可能である。

 医学生がアンケートの中で答えた、「医師の仕事は過酷のままでいい」、とか、「ある程度厳しいのは仕方がない」、と言うのは社会一般の考え方であろうし、医師の多くもその様に納得して来ていたのであろうが、これを当たり前の姿と容認してしまうと改善はあり得ない。
 医師の過酷な業務を容認し、声高に改善を求めず放置してきたことが、いまの勤務医の疲弊問題であり、女性医師問題であり、病院からの医師離れであり、地域医療崩壊のルーツである。
 だから、まず、わが国の、特に若手勤務医の負荷になっている劣悪な勤務条件の改善こそが医療崩壊にまつわる問題解決の基本である。


2/28(木)曇り 外来 秋田県産業保健推進センター運営協議会
2:00起床。ドック判定総括x1。メール対応、徒然など記述。5:10病院着。6:10回診他、8:00救急カンファ。8:45-14:20外来、16:00-17:30秋田県産業保健推進センター運営協議会。机上書類処理。21:15帰宅。夕食。22:00就寝

医療崩壊(4)女医の増加も一因だが、諸悪は医師業務の異常性にあり
 最近、女性医師問題がクローズアップされている。医療施設従事医師中の女性比率が年々増えて来ており、平成18年の時点で全国では16.3%、秋田県では13.3%を占めている。これが、国家試験合格者で見ると全国で33.4%(平成19年)を占めるほどになっている。

 女性医師の進出は、男性医師とは異次元の、生活、結婚、出産、子育てという経験者であること、あるいは将来それらを経験するという特質を備えていることから見ても重要である。そんは理屈を挙げず、患者の半数は女性であることを勘案しただけでも大歓迎である。現に各方面で女性医師は大活躍し国民の健康を支えている。今後更に増えて行くであろう。

 女性医師問題は最近急速にクローズアップされているが、その一部には女性蔑視的な、根拠のない印象を根拠に医師としての資質を危惧する考えもなくはない。確かに、過去には主治医が女性であることに不安を訴えた患者も少なくなかったが、もうそんなことを言われる時代ではない。医師としての業務処理能力そのものには全く遜色ないどころか驚くような働きをしている方々も少なくない。

 ところが、女性医師は結婚すると家庭・育児と業務の両立が困難と言うことで早期に離職したり、パート医師として働くケースが少なくなく、このことが医師不足を加速、回りまわって男性医師の業務にも影響を与えている。だから、女性医師問題が取りざたされてくることになる。

 日本でも遅ればせながら、かつては男性中心であった各種の職業や業務に女性がどんどんと進出している。このことは社会からも熱望されていることであり、歓迎されているし、政策的にも後押しされている。しかも、女性の進出が問題として取り上げられたり、ネガティブに取りざたされているのを私は一切知らない。私が知る範囲においては唯一、女性医師問題だけである。

 何故、女性医師問題が生じているのか?それは医師の業務環境自体が劣悪であると言うことの反映であり、個々の女性医師の問題ではない。
 医師の業務環境全体が常識的レベルにまで改善されれば、女性医師問題は自然と消滅していく。女性医師をここまで追い込んでいるのは、実は急速に増えてくる女性医師を迎える労務環境を整えて来なかった厚労省の責任である。それに、医療現場の男性医師も厳しい業務環境の改善を声高に叫ばなかったからでもある。だから女性医師問題が浮上しているのだ。このことも医療崩壊の一因である。


2/27(水)降雪寒波 外来 奨学生面談 県医師会理事会 秋田県医療関係団体協議会+情報交換会
2:00起床。今晩予定の医療関係団体協議会の話題提供「医療崩壊」の原稿、スライド作成。時間が絶対的に不足。5:10病院着。6:20回診、8:00救急カンファ、8:45-14:00外来。15:00医学部の奨学生と面談。16:30-18:30県医師会常任理事会、18:40-19:55県医療関係団体協議会、20:00-21:20情報交換会、21:50帰宅、22:10就眠。

医療崩壊(3)医療崩壊は厚労省のシナリオ通りに進んでいる
 わが国の医療崩壊の責任と解決の鍵は政府・厚労省が握っている。医療現場でやれることは最早姑息的な対応だけである。

 私は今の医療崩壊は厚労省が仕組んだシナリオ通りに進行しているものだと考えている。勿論、厚労省がわが国の医療を崩壊させようとした、と言うつもりはない。

 厚労省はわが国の医療の需要は高齢化、患者数増加、医療レベルなどを勘案して国民医療費は将来大きく高まると言う予測を行い、マスコミを使って警告を発する一方で、医師の需要はまもなく飽和状態になる、と言う矛盾した論理を展開して医師の養成数の抑制を始めた。
 この二つの関係だけから近い将来、医師の労働量が過剰となり、医師は耐えられなくなり、いずれ医療は崩壊していくであろう、と予測することが出来る。

 国民医療費の実績額と予想額、業務に従事している医師数・予想数の関係を見てみると、平成11年が30.9兆円(医師数25万人)、12年が38兆円(25.5万人)、22年が68兆円(推定28万人?)、37年が141兆円(33万人?)というものである。国民医療費は明らかに過剰な推計であるが、これだけ将来の医療費が増えると言う危機感を発信しながら、一方では医師は過剰になると断じているところに大きな矛盾がある。

 上記の二つの推計から、医師一人が担当するべき労働量を医療費に換算して見ると、平成11年が1.24億円、12年が1.49億円、22年が2.15億円、37年が4.3億円と一人の医師が受け持つ医療費は年ごとに増えていく。通常の医師一人あたりの労働量は医療費に換算するとせいぜい1億円程度と考えられるから、医師一人あたりの労働量が年々増えていく事を示している。しかも、ただ事でない、著しい増え方である。平成37年頃の医師は平成11年の医師の3倍以上働くことが期待されている事になる。これではやっていけるはずがない。

 いまの医療崩壊は絶対的医師不足を背景に厚労省が仕組んだシナリオに沿って進んでいる。更に新臨床研修制度、その他の要因が介在してが思いがけないほどの医師偏在、医師労働力の低下が生じたことで一気に進行し、問題が顕在化したのだ。 


2/26(火)雲り・雨 外来   常務会   県難病医療聯絡協議会 No3職種間交流学習会 
2:00起床,ドック判定総括x1他、5:20病院着、6:30回診、定期処方箋他。8:00救急カンファ、8:45-14:10外来。14:45-15:35常務会、16:00-17:30県難病医療連絡協議会、18:00-19:30第3回職種間交流集会。21;00帰宅、21:30就寝。

医療崩壊(2)WHOの「日本の医療は最高」との評価も崩壊の遠因なのだ
 日本の医療制度は国際的に評価が高い。
 旅行者や外国在住者が個別に語る諸外国の受療時の煩わしさ、に関する経験談に事欠かない。それらを読み聴きする度に、国民皆保険制度、医師マインドを背景に成り立っている我が国の医療供給体制のすばらしさを感じている。

 医療評価の客観的指標としてWHOの国際的医療評価結果が参考になる。
 WHOは日本の医療制度を総合評価で第1位に、医療の平等性では第3位に、医療費/GDPは18位と評価した。要するに安い費用で著しい成果を挙げている、ことが評価されている。一方、小泉元首相が目標に掲げていた米国の医療は、WHOは総合評価で第15位、平等性では第32位に、医療費/GDPは1位と評価している。米国は医療費をかけている割りに総合評価は低く、私共の目から見れば医療費をドブに垂れ流しているようなものである。小泉さんは金をかけないで米国化を目論んでいたから、もう狂人というべきである。

 私は、WHOはわが国の医療を評価する際に大きな誤りをおかしたと考えているし、医療崩壊を進めた遠因になっていると思う。医療関係者もこの評価を誇りに思い、自分たちが如何に効率的に仕事をしているか、と言う自己満足に漬っていた。

 WHOは評価項目の中に医療関係者の「業務時間」および「自己犠牲度」も入れるべきだったのだ。そうすれば日本の医療の評価は一気に下がるし、その方が良かったと思う。

 我が国の病院の医師・看護師は一人あたり米国の5倍の入院患者を受け持ち、外来では8倍の患者を診察している。とにかく忙しく余裕がない。常に医療事故を起こしそうで心配な状況にある。病院は常に自転車操業である。にもかかわらず日本の病院の72.8%は収支で赤字を計上している(2006年病院運営実態調査)。こんなバカなことがまかり通っているのが日本の医療の実情なのだ。
 医療機関では法定以上に職員を増員し、配置したくとも経済的余裕が無く、出来ない。そればかりか、欠員があっても医師も看護師もおらず補充できない。運良く面接まで持ち込んでも業務状態や給与を提示した途端に逃げられる。

 日本の患者は恵まれていると思う。なにしろ「患者様」と呼ぶ医療関係者もいるほどだからね。それなのに患者の不満は世界一である。
 日本の医療は医療関係者の犠牲の上に成り立っていることを分かって欲しいものだ、と健康講話などで私はずっと強調してきたが、もうそのような努力をする必要もなくなった。

 わが国の医療崩壊はまだまだ止まるところを知らぬほど進むから、崩壊ならぬ医療砂漠のなかで国民はかつての医療を懐かしみ涙を流すだろう。行く末を分かっていても医療現場ではもう為す術を持たない。その責任と解決のための鍵は政府・厚労省が握っている。


2/25(月)降雪・曇り 管理会議 安全管理者と打ち合わせ 療養判定会議 長副会議 
2:00起床、ドック判定総括x1他、5:15病院着。6:15回診、7:45-8:25管理会議、10:00-11:00安全管理者と打ち合わせ。13:30重症患者対応。16:00-16:40療養判定会議、17:00-19:10長副会議、20:50帰宅、夕食、21:30就眠。

医療崩壊(1)医師数不足だけでない、医師マインドの崩壊なのだ
 今、日本では医師不足から地域医療供給体制が大きく乱れ、医療崩壊が大きな話題、社会問題になっている。わが国の医師は絶対的に不足している。それでも毎年8000人近くが医師免許を取得し、徐々に増加している。

 しかし、ここ2-3年の間にこれほど急速に医療供給体制が悪化したと言うことは、この間に医療界に大きな変化が生じたためである。その因子として挙げられているのは、徐々に医療業務が複雑、煩雑になりマンパワーの需要が増えたことによる絶対的・相対的医師不足、更に新臨床研修制度が医師の偏在に拍車をかけ、大学の医師供給体制が崩壊したため、とされている。これらの因子が主因であることは明らかである。

 しかし、私はそれ以上の重要な因子として、従来から医療界で常識としてまかり通ってきたことが社会的に非常識と次々と指摘され、問題を突きつけられてきたこと、を挙げる必要があると思う。そのこと自体は決して悪いことではなく、進めるべき所もある。
 問題は、それと共に医師としての満足感、達成感すらも剥奪されるようなご時世になってきたこと、が医療崩壊の隠れた、かつ無視できない大きなルーツになっていると思う。さらに、この新しい時代感覚を身につけた世代の医師が増加してきたことも関連している。彼らは「裸の王様」を見て「裸だ!!」と指摘できる資質も備えているから、医療界の古き良き時代の考え方等には一切見向きもしない。だから、大学はもっと改革しなければ若い医師は集まらない。

 この医療崩壊の主因は医師の絶対的不足にある事は明らかである。だから、崩壊を解決するには、医師数を増やし、医師の労務環境を社会人としての標準的な基準に近くまで持って行く必要がある。とりあえず医師数をOECD加盟国平均にする事を目標に置くとすれば、現状で医師数は12万人不足であり、いまの養成数のままなら40数年かかることになる。20年も経てばさらに目標数は増えているだろうからいたちごっこである。

 医師数だけで論じてもこれほど大変なことであるが、これに医師マインドの復活をも併せて期待するなら、医療崩壊の進展を防ぐことは極めて困難な状況にあることが分かる。


2/24(日)強風雪 病棟拘束 患者急変
2:30起床。ドック判定総括x1他、新聞文献処理など。長女帰省中なので早朝病院出勤せず。11:00緊急連絡あり再出勤、入院患者病気再増悪。検査その他対応。家族面談など。15:00帰宅、午睡、長女離秋。ドック判定総括x1他、19:30夕食、21:00就寝。

我が家のネコ同志のニャー・ミス(ニア・ミス)が増え、うるさい
 賄いの石井さんが1月8日に左上腕骨を骨折して入院、手術を受けて2月中旬に無事退院した。まずは一段落、「祝・退院」である。機能障害があってまだ家事は十分には出来ない。さらに独居には何かと不便なので自宅には戻らず、我が家の二階の部屋で暮らしている。その間、家事の分担とかで家族内にも種々の変化があったが、何とか凌いできた。

 しかし、この間、私が帰宅してから翌朝出勤までの間のネコたちの様子を見ているといろいろ変化が生じている。第一にネコ同志のいさかいが増えた。

我が家には20歳?ほどの老病「ナンナン」、2歳半ほどの育ち盛りの「ユウ」の二匹の他に石井さんの飼い猫「ミーシャ」が居る。「ミーシャ」は10歳ほどか?基本的にわが家の飼いネコでなく、石井さんと共に来て共に帰る、通いネコなのであるが、彼女の受傷後は我が家にずっと住み着いている。ネコにも立場が分かるのか、何処か遠慮っぽい雰囲気を漂わせている。それがまた良い。

 ネコ関連の雑誌等を見ると何匹かのネコが寄り添って寝ていたり、じゃれ合って居る写真が掲載されているが、我が家では3匹間で微妙な三角関係が形成され、まずそのような親密な状況にはない。その第一の理由は老猫「ナンナン」が他の二匹を絶対的に受け入れないからである。

 体力的には劣ったが、「ナンナン」は他の二匹に対して時折、フーとかウーとか激しい威嚇の声を上げ、一定程度近接するとネコパンチを見舞わせる。先輩ネコとして威厳を保つために、その表情から見ると本気そうである。しかし、他の二匹はそれほど気に留めているようには見えない。それでも下手にかかわらないように一定の距離を保っている。だから、怪我とかの実害は一度も生じていない。この辺の度合い・間合いの取り方は実に絶妙である。

 「ナンナン」は何度か死にかかったがその度に何故か復活した。その理由の一つに「まだ、死んじゃいられねー」という若手に対する対抗意識があるように思えてならない。
 今朝も寝飽きた3匹が闊歩している間にニアミスを生じたのであろう、私の足下でミニバトルを展開している。


2/24(土)晴れ  病棟拘束 歯科治療   女性医師環境整備院長・管理者講習会
2:00起床。文献整理他、5:25病院着。6:30回診。8:30救急カンファ。事務処理。13:30-15:10歯科医院、難工事か、時間がかかって顎と口が疲れた。15:30-16:50女性医師環境整備院長・管理者講習会。20:30帰宅、夕食、21:10就寝。 

再生紙偽装問題(2)リサイクル品は安かろう、悪かろうで良いのだ

 資源の少ないわが国では資源のリサイクルは絶対的に必要である。しかし、リサイクル製品は環境に優しく、かつ、安いという印象は幻想である。原料から純化し加工する技術はほぼ確立されているが、リサイクル技術の方が遙かに難しく、純化過程で化学薬品やエネルギーを大量に消費するから費用もかかり増しになる。

 だから、そこまで追求すべきものと、そうでないものに分ければいい。前者は貴金属類、後者の代表は紙類と考えればいいだろう。

 最近知った言葉に「都市鉱山」がある。廃棄された電子機器、自動車、家電などの廃棄物の中の金属資源をリサイクルシステムの確立は、原料から発掘する「鉱山」に匹敵する、と言うことである。日本の都市には、世界一の金属資源が埋蔵されていて、例えば、インジウム1700t、銀6万t、金6800t、鉛560万t、鉄12億t、アルミ6000万t、銅3800万tというから、日本も資源大国と言うことになる。これらのリサイクルにはエネルギーなどを費やしても意義があるように思える。

 一方、紙類等の消費財のリサイクルの場合は徐々にレベルダウンしていけばいいのにムリして高級なものにしようとするから問題が生じる事になるのでは? 再生紙はスキの過程で質が落ちることは必定である。なのに「コピー用紙」、「印刷用紙」などまで持って行くからムリが生じるのではないだろうか。

 今はIT時代だから事務用紙の在りようも変わって長期保存用のもの以外は一時的に、一瞬にしてその任務を終えるものが多い。これらに用途には低級品で十分だと思う。
 かつてわら半紙と言うものがあった。はっきり低級であることが分かったものであるが、今はどうなっているのだろうか。
 紙の場合、ちり紙ティッシュペーパー等のへの再生はどうなのだろうか。かつての落とし紙には字が読める、はっきりと再生紙であることが分かったものもあったが、最近はそのレベルの紙を見ることもない。
 最後は、エネルギーを加えて再生紙にするのではなく、逆にエネルギー源として使用すればいい。

 環境問題、リサイクルはよく分からないが、環境に優しく、かつ、安くと言う意味でもっとも重要なのは、「今あるものを大切に使う」事である。


2/22(金)晴れ 職員検診 入院患者家族面談 人間ドック診察 遊心苑 法人理事会 
2:20起床。文献チェック、徒然など。5:15病院着。6:15回診。8:00救急カンファ。9:00職員検診受診。10:00入院患者家族面談。11:00振り込みなど事務処理。13:30人間ドック診察、14:30-6:10遊心苑。17:30-18:20法人理事会。21:20帰宅、21:50就寝。

再生紙偽装問題(1)リサイクル品は割高だよ
 昨年は食品関連の偽装問題が問題となり漢字で世相を表すと「偽」なのだそうだ。今年は新年早々から農薬入り中国産冷凍餃子が問題になっており「毒」になりそうである。

 まだ年賀状がちらほらと届いている時期に製紙業界の偽装が発覚した。
 国内紙生産シェアの8割を占めるわが国の代表的製紙メーカー6社が、再生紙の古紙配合率を偽っていた。「はがき」、「コピー用紙」、「印刷用紙」、「封筒」など、日常使用する製品の殆どにわたっていた。しかも、10年以上も前から偽装が行われていたと言うから驚く。

 優良的な企業としてのイメージがある大手製紙会社がなぜ偽装したのか?基本的理由は古紙の配合率を上げると、白色化が困難で、破れやすく、保存性等の品質を一定以上に保てなかった事にあるらしい。

 一方で、客は高品質のものを求めるし、品質競争、価格競争も激しいから古紙利用と銘打ちながら実際には古紙配合率を下げて品質を維持していた。こんな事は内部のものしか分からない。再生紙にはJIS等の製品規格チェックの仕組みは無いのだろうか?

 環境問題は重要であり、資源の少ないわが国では資源のリサイクルは絶対的に必要であるが、リサイクル技術に簡単なものはなく、純化過程で化学薬品やエネルギーも大量に消費する。従って費用もかかり増しになるのが通常である。

 リサイクル製品は環境に優しく、かつ、安いという印象があるがこれは決して正しくない。一つ一つを検証し、何が問題点なのかを理解して進めるべきである。そのために消費者は高い製品を買わされることもありうる。なぜ製紙会社が通常品、あるいは古紙配合率を大幅に下げた製品を再生紙として出荷したかというと、その方が品質維持の面、コストの面でもメリットがあったからだろう。折りしも、中国が古紙を大量に輸入し、古紙が品薄でコストも高くなっていたから、製紙会社にとっては古紙の在庫も嵩張らずちょうど良かったわけだ。


2/21(木)晴れ 外来 県災害救急医療検討委員会 県医師会保健医療福祉計画プロジェクト委員会
 
2:00起床。ドック判定総括x1他、5:10Taxi病院着。6:15回診、8:00救急カンファ、8:45-14:30外来、15:00-16:45県災害救急医療検討委員会、18:30-20:45県医師会保健医療福祉計画プロジェクト委員会。21:10帰宅、21:45就寝。

海自イージス艦、民間船と衝突(2) 漁船の父子は何故命を守れなかったのか  
 千葉・野島崎沖の海上自衛隊のイージス艦「あたご」と漁船の衝突事故の原因解明は防衛省側が航行のデータを出さないことで壁に突き当たっているようである。一方、懸命の捜索にも関わらず漁船の父子はまだ発見されていない。

 ニュース番組等に評論家が登場しいろいろコメントしているが、建前論に終始している。だから、誰が登場しても大差ない。マスコミの前では立場上本音は語れないのだろう。

 「あたご」の方の衝突回避操作が遅れたという重大なミスはありそうである。高精度のレーダーで当然漁船群をキャッチしていたはずであるが、担当者が危機感を持たなければ単なるディスプレー上の点にしか過ぎない。見張り番を含めて12分間も何していたのか?最終的にはパニックブレーキ、すなわち後退操作をしたとのことであるが、重い大型船だから減速効果が出ないうちに衝突したのだろう。業務交代の時間と重なった不運もあるようだ。詳細はこれから更に明らかにされるだろう。

 一方、私は漁船の方は衝突までの間一体何をしていたのか?と思う。どんな回避操作をしたのか? この点も「あたご」のレーダー記録から明らかになっていくだろう。漁船は「あたご」に気付いていなかったのだろうか?まさか、そんなことはあり得ないと思う。漁船の方が遥かに小回りが利くはずである。何故、自分の船のど真ん中で直角に衝突するする様なルートをとったのか?理解できない。

 海上航行には一定のルールがあるのだろうが、傍に大型船がいる場合には小型漁船にはルール遵守以上に自らの命を守るための細心の配慮、注意が必要なのではないだろうか。

 今回の件をバイクに例えるのは不遜なのかも知れないが、私がバイク通勤の際にいつも考えるのは道路交通法を遵守しているだけでは自分の命は守れない、と言うことである。如何に法的に自分が正しくてもひとたび衝突事故にあったら犠牲になるのは自分である。だから、傍らを走っている車などを100%信用しない事を基本にしている。だから、交差点が青信号でも信号を無視して進入してくる車や自転車もありうると考えて慎重に通過する。

 今回の事故の解明がどの様になるのか分からないが、私は漁船の父子が何故自身の命を守れなかったのか、不思議でならない。


2/20(水)曇り・雪  外来  入院患者家族面談 友の会理事会+情報交換会 院内感染対策委員会 県医師会懇談会
 
2:00起床。ドック判定総括他。5:20病院着、6:15回診、8:00救急カンファ8:40-13:30外来、14:00-15:45友の会理事会+情報交換会、16:00-17:15院内感染対策委員会。18:00-21:00県医師会懇談会。21:30帰宅、22:00就寝。机上は再び書類、カルテの山。処理できず。

海自イージス艦、民間船と衝突(1)マスコミ報道は一方的過ぎないか?  
 千葉・野島崎沖の海上自衛隊のイージス艦「あたご」と漁船の衝突事故が生じた。この事故に関して私は断片的な情報しか無いが、マスコミ報道の大部分は「あたご」の衝突回避操作と衝突後の連絡体制の問題点を強く指摘している。

 起こるべきでない事故が実際に生じたのだから、一方または双方に問題があったことは確かである。しかし、今のところ、一方的に「あたご」が責めたてられている。

 この様な事故が生じる度に、私は1971年7月30日午後雫石上空8500mで札幌発東京行きのANA B727と自衛隊訓練機が衝突、ANA機は空中分解、乗客乗員162名全員が死亡した事故を思い出す。訓練生はきりもみ状態になった機から奇跡的に脱出、落下傘降下し九死に一生を得た。
 当時、この事故は犠牲者数で世界最大の航空機事故であった。
 この事故ではマスコミ・世論は自衛隊機に非難を集中させた。最初から誤った論評が断定的に論じられ、飛び交った。事故後12年、誰しも関心を寄せることが無くなった1983年、刑事裁判で訓練生は無罪、教官は禁固3年、執行猶予3年で結審した。刑が軽かった理由は、ANA機が自衛隊機に追突したものであること、ANA機は全く自衛隊機を視認していなかったこと、訓練生が回避操作をしても衝突は免れなかった、と言う状況が明らかになったからであった。

 この事故を私はずっとフォローしていたが、私が抱いた結論は、事故そのものよりもマスコミの在り方、恐ろしさについての深い印象であった。これは今でも何ら変わっていない。

 次の事故の場合も同様であった。
 1988年7月に神奈川県横須賀沖の自衛隊の潜水艦「なだしお」と大型釣り船「第1富士丸」が衝突し、後者の客に多数の犠牲者が出た。この事故では「なだしお」の救助活動の遅れ、航泊日誌等の改ざんも問題になった。この時もマスコミは一方的に自衛隊バッシングを続けた。誰しも関心を寄せることが無くなった1992年、横浜地裁は「なだしお」の元艦長の過失が事故の1次的原因とし、元艦長に禁固2年半、執行猶予4年を言い渡したが、「第1富士丸」の元船長にも過失を認定、禁固1年半、執行猶予4年を言い渡した。

 我が国では事実のクールな分析の前に、判官贔屓的判断、興味本位のイメージが優先するが、これは当事者にとっては判決以上に恐ろしいことであろう。


2/19(火)曇り 外来 常務会 医局カンファレンス オーダリング追加機能説明会
2:10起床。ドック判定総括他。5:15病院着、6:20回診+定期処方箋発行他。8:00救急カンファ。8:45-14:20外来、混雑し不快。14:45-17:10常務会、17:30医局カンファ、神経内科「脳卒中の初期治療」、18:30オーダリング病理検査部分追加機能説明会。21:15帰宅、21;45就眠。

相撲と医学(2)病院医師は新弟子の検死にどうかかわった?
 昨年6月、17歳の新弟子に暴行を加え、死に至らしめた事が明らかになり時津風部屋の前親方と兄弟子3人が逮捕された。報道によると、親方がビール瓶で殴り、兄弟子らが金属バットで殴り、足蹴にし、その翌日、通常なら5-6分程度しか行わないぶつかりげいこを30分も行った事実が明らかになった。力士は意識を失い救急車で搬送され、病院で死亡したという。病院では異常死を疑い愛知県警に届けたのであろうが、検視した刑事が事件性無しと判断したらしい。死亡診断書は急性心不全であった。

 前親方は「こづいた程度だった」といい、けいこも通常のものだったと強弁し、北の湖理事長は、まるでひとごとのように親方の責任を口にしていた。協会としては殆ど動きがなく、3カ月後、ようやく重い腰を上げたが、理事長は親方から数回事情を聴き邪魔者扱い如く解雇した。この時の協会の動き、その後の動きを見ているとこれに類似した事象は日常的なのでないか?この閉鎖社会の中で死亡までいたらずとも類似の暴力事件は多数葬り去られているのではないか、と疑ってしまった。

 この事件で重要なのは検死である。最初に搬送された救急病院ではどの様な判断したのであろうか?異状を感じたから警察に届けたのだろう。検死の結果、事件性無しとされたとしても死亡診断書を記載した医師の判断はそれで良かったのだろうか?急性心不全とした根拠は何だったのだろうか。

 ある雑誌に、「日本で年間に死亡する1OO万人のうち約15%が変死体で発見されている。その15万人のうち、死因特定のため解剖は僅か9%である」と言う記事が掲載された。ある小文からの引用なので何をもって変死体としているか等の大事な点が分からないから信憑性に欠けるが、傾向を知るには参考になる。死因救命のための解剖はフィンランドでは90%以上、オーストラリアでは70-80%、米英では約50%、と言う数字に比べるとわが国の解剖率はいかにも低い。

 私はどちらかと言えば剖検礼賛者の一人である。日本は他の先進国に比べて死因究明のための機構があまりにも軽視されている。「死んだらお終い。だからどうでもいい」という考え方は、勿論、歴史や文化の背景もあるが、死者の人権をあまりにも軽視した考えだと私は思う。オーバーに言えばディスポ製品と大差ない扱いである。

 この力士の場合、死亡診断書を記載した医師は病理解剖をすべきだった。幸い、遺体が搬送された後、家族の希望で地元で解剖されて死に至る過程が明らかになった。
 医療現場の医師にも数々の教訓を与えてくれた。


2/18(月)晴・曇り 管理会議  外来  療養判定会議 長副会議         
2:20起床、人間ドック判定総括など準備。5:10病院。6:30回診他、7:45管理会議.8:45-14:10外来。16:00-16:40療養入棟判定会議。17:00-19:00長副会議、21:30帰宅。夕食、22:00就寝。

相撲と医学(1) 朝青龍の見事な復帰
 時津風部屋のリンチ事件も含めネガティブな話題の多かった相撲界であったが、初場所は、3場所振りに横綱朝青龍が戻ってきたこともあり、興業としては盛況で、千秋楽は9:10am頃にはで入場券が売り切れたほどであったという。

 私は朝青龍が無様な成績で復帰の土俵をつとめることになるだろう、と予想していたが100%外れてしまった。白鵬と朝青龍の横綱決戦をニュースで見たが、今回すっかり悪役になった朝青龍に病み上がりのイメージは全くなく、表情にふてぶてしさをたたえた存在感はやはりすごいと感じた。勝負の世界には悪役的表情でダントツに強い選手の存在は欠くことが出来ない。その点で白鵬と朝青龍の両横綱は対極にあると思った。今後数年間は両横綱の名勝負が期待できそうである。

 今回、白鵬が優勝、朝青龍は準優勝で終わったが、朝青龍に優勝されたら大変なことになっていたのではないだろうか。勝負の世界では頂点を極めることも至難だと言うが、その地位を維持することの方が遥かに困難だと言われている。私もそう思ってきたが、朝青龍の成績を見てこの数ヶ月のブランク、稽古不足は彼にとって何だったのだろうかと思う。

 今回の病気について私は何も分からないが、それとは別に、彼は強靱な勝負師魂と恵まれた特別な身体を備えているのだ、と驚嘆せざるを得ない。さもなければ、毎日切磋琢磨している他の力士の資質はどうなんだ、と言わざるを得なくなる。

 先日の女子マラソンに初出場した1万mの記録保持者の福士選手は後半に失速した。勝負の駆け引きも勿論あったのだろうが、彼女の走る姿から各人各人にはトレーニングでは乗り越えれない身体の特性、特徴が備わっているのだ、と感じてしまった。

 私は不勉強で知らないが、この辺のことはスポーツ医学的にも何らかの研究成果はあるのではないだろうか。


2/17(日)秋田曇り時々晴れ  病棟拘束   
2:30起床、人間ドック総括x1、新聞チェックなど。7:00Taxi病院。8:30救急カンファ。重症患者対応、患者関連書類処理。15:00帰宅。人間ドック総括x1、文献チェック、18:00来客、19:30夕食。 本読み若干。20:30就寝。

政府がやっと
医師の総数不足を公式に認めた 画期的ニュースだ
 政府は民主党の山井氏の質問に対する答弁書の中に、医師不足について「医師は総数としても充足している状況にない」と記載することを12日の閣議で了承した、と報じられた。

 医師数をめぐっては、ここ一年ほどは厚労省の担当者が不足を認めるような発言を非公式にしてきたが、政府見解としては2006年3月の衆院厚生労働委員会で当時の川崎二郎厚労相が、地域や診療科によって「偏在はあるものの総数は充足している」とし、と答弁するなど「数的不足」を公式には認めていなかった。この見解を今回やっと改めたもので、今後の医療行政にとって大きな意義があると考えられる。

 答弁書では、医師不足問題について「特に産婦人科の医師の確保が難しくなっている」と解説し、さらに2006年の人口10万人当たり医師数は、北海道の根室医療圏や青森県の西北の5医療圏、福島県の南会津医療圏などで医師数が少ない状況であるとしている。
 また、医師不足間題の背景として、■大学医学部の医師派遣機能の低下、■病院勤務医の過重労働、■出産・育児などによる女性医師の離職、■医療紛争増加に対する懸念、といった複合的な要因を挙げた、とのことである。

 その答弁書を直接読んではいないが、報道された内容からうかがい知る範囲では記載内容には不満が残る。
 いま医師不足は産婦人科、小児科等の一部の問題でなく、病院、特に急性期病院にとって内科、外科を始めとして全診療科にわたる問題となっている。また、特定の地域を挙げて論じるべきものでもなく、人口10万人あたりの医師数で論じることも正しくない。また医師不足の原因としてあげた背景因子も不十分である。

 ともあれ、政府がやっと医師の総数不足を公式に認めた。これは画期的なニュースである。





2/16(土)秋田降雪・東京快晴 途中まで病棟拘束 医師面談 No15MM研究会 
2:00起床。ドック他、公的書類処理種々、徒然。5:20病院着、6:30回診・出張準備。総括。8:30救急カンファ、9:00-9:30医師面接、9:50病院発、10:55ANA、25分遅れて離陸。14:00-18:30 No15Meedical Management研究会、20:05ANAにて来秋、22:15帰宅、軽食、21;00就寝。

久々の冬の秋田空港の風景
 本日は久々の東京出張で空港は約2ヶ月振りである。ここ1週間ほど秋田県地方は荒れ模様でJRも、空路も乱れに乱れている。悪天候、寒波のピークは越えたと言うことがまだまだ荒れていて、今朝の天候も激しい降雪があったかと思えば陽が照ったりと目まぐるしい。風が強くないので何とかなるだろうと空港に向かった。

 10:55発ANAに乗るために10:35頃空港に着いたが、ちょうどその時搭乗予定機が逆噴射で雪を四方に巻き揚げながら到着した。見応えのある勇姿であった。機が到着したからには折り返し便は運休にはならないだろう。一方、10:00発JAL機はまだ駐機している。札幌便も遅れているようで、3便分の乗客で待合室は大混雑している。10数名の医療関係者、当院の職員とも何名か会ったが、わが家の次男もいた。セミナーか何かの勉強らしい。

 遅れの理由は滑走路の除雪作業のためという。見ると10台ほどの除雪車がこまめに除雪している。除雪車も雪を寄せるタイプのもの、それを集めるもの、大きなブラシを回転させて路面に残った雪をキレイに飛ばすタイプのものなどいろいろあった。各々の除雪車は市街路の除雪の数倍もの速さでキビキビと動き回り、模型の車を見ているようで心地よい。機には着雪予防のためエチレングリコールが吹き付けられている。

 JAL機は約90分遅れで先に離陸した。ANA機は25分遅れで国際線スポットからの搭乗であった。見ると一番端の6番スポットには今月13日夜に羽田に向かって離離後にエンジントラブルで空港に引き返したJAL MD-90型機が雪まみれで駐機していた。エンジンを取り外しての修理中とのことであるが、通常は地方空港ではやらないレベルの修理らしい。これもめずらしい光景であった。

 東京は終日雲一つない快晴。帰路の20:00発ANAは着陸できない場合は東京に戻るとの予告付きの出発であった。若干遅れたものの21:20にキレイに除雪された滑走路に着陸した。秋田では今日も結構積雪があったらしい。


2/15(金)曇り 来客対応 入院患者家族面談 人間ドック診察 週刊アキタ取材
2:30起床。ドック総括。徒然など。5:15病院着。6:15回診+その他。8:00救急カンファ。重症患者対応、机上書類処理。10:00来客対応。12:00入院患者家族面談。13:30人間ドック診察。14:00-15:00週刊アキタ記者来訪、新循環器センター関連の取材。総括その他書類処理。22:30帰宅、夕食、21:20就寝.

危険防止のため「青年の樹」の葉の先端を切る 
 3年ほど前に二人の知人から「青年の樹」なる鉢ものを戴いた。リューゼツラン科のユッカ族であることからユッカとも呼ばれるらしい。冬季に強く、人気の観葉植物とのことである。

 病院の部屋の窓際に置き平等に水をやっていたつもりであったが、そのうちの一つは僅か一月の間に枯れてしまった。窓際に置いたものの、私は終日カーテンを開けることないので一方の鉢にとって光が不足したのであろう。気の毒なことをした。
 残った一鉢はカーテンの隙間から早朝に若干の光を浴びるだけであるが立派な葉をつけている。この葉は長さ40-50cmにもなり、先端は硬く鋭く尖っている。樹の近くには書棚があるために書類を取り出す度に葉が邪魔で不便しているが、この場所以外は陽が全くあたらないからしようがない。しかし、書類を出し入れする度に顔や頚のあたりを葉の先端で突かれてとても痛い。それ以上に不注意で目でも突いたら大変で危険でもあり緊張する。何とかしなければ、と思っていた。

 自宅には乱暴者の黒ネコがいて、私の手や腕はひっかき傷が頻繁である。生来の性格らしくなかなか改善しない。そのため定期的にネコの爪の先端を切り取って自衛している。先日ネコの爪を切りながらユッカの葉の先端を切り取ることを思いついた。
 翌日、室内側に向いている全部の葉の先端を5-10mmほどハサミで切り取って丸くした。これで突かれても痛くなくなって一安心である。とても気が楽になった。

 人気のある観葉植物と言え、ユッカは不特定の方が利用する待合室などには不適な植物である。どうしても置く必要があるときは葉の先端を切ると安心である。


2/14(木)曇 外来 県障害者施策推進協議会 遊心苑スタッフとの打ち合わせ
2:30起床、ドックx1、徒然。5:10Taxi病院着、6:30回診、8:00救急カンファ。8:45-13:30外来。14:00-16:10県障害者施策推進協議会、県の若手職員から障害者の自立に関して哲学的とも言える見事な説明があった。患者関連業務、机上書類がチョコの箱と袋で置換された。20:30帰宅、夕食、21:15就眠.

賞状、感謝状、挨拶状とかに旬読点がない理由
 私自身、めったに賞状や感謝状を貰うことなどはないが、立場上、賞状や感謝状の文面を作ったり、差し上げたりする機会が増えた。これらの文には句読点をつけないが、このことについて自分はずっと疑問に思っていた。事務局の担当者に聞いても明快な答えは得られなかった。

 確かに、旬読点が無い文章の方が品位のあるようにも感じられる。詩などでは句読点があるとうるさい。その一方で長文では違和感も伴いとても読みづらい。先日ある商業誌のコラム欄に、この疑問を解くためのヒントになりそうな小文があった。

 それによると、日本には文章に旬読点を入れる習慣はなかったが、明治30年以降、西洋から文中にコンマやピリオドを入れる習憤が輸入され、日本でも旬読点として使用されるようになった、という。日本語自体が文章の区切りを示す何かの記号などを求めていたと言うことであろう。それがいつから句読点として公的に認められたのかは私はまだ調べていない。

 一方、賞状や感謝状に旬読点を使わないのは、漢文に使われる「レ点」などの名残だという。かつては漢文を読むのに「レ点」などの記号を必要とする人は学のない人、乏しい人である、と見なされていたらしい。だから、賞状とかに旬読点を入れると結果的に相手を見下すことになるから、なのだという。このあたりの真意はなかなか分からないがフンフンなるほど、とは思える。試しに、手元にある各種の招待状、挨拶状、忌中のお知らせ等を出してみたら、確かに句読点は一切見られない。いままで全く気にもしていなかったが、社会的には常識的なことだったのだ。

 私どもの法人では新年に全職員に対して「新年のあいさつ」を配布するが、それにも句読点をつけない。これも理由が分からなかったが、職員を敬う表現なのだ、ということを本日やっと理解出来て、目が覚めた。


2/13(水)暴風雪・寒波  外来 患者家族面談x2 県感染症評価会議 県脳卒中連携診療検討委員会  医師会常任理事会+大学医学部との懇談会+情報交換会
2:45起床、ドック総括x1、徒然。5:10病院着、暴風雪状態。5:50回診他。8:00救急カンファ。8:45-13:45外来+入院患者家族面談。14:00県感染症評価会議、15:00-16:15県脳卒中連携診療検討委員会、16:30-18:20県医師会常任理事会。18:30-21:30県医師会と秋大医学部との懇談会+情報交換会。22:10帰宅、22:45就寝。寝不足、眠
かった一日。

「先生、画像をいじくるだけの暇がよくありますね」印象派風ナンナン余話

芸術的なんなん
非芸術的なんなん

私的HPの表紙にはわが家の老ネコ、俗称ナンナンが用いられる事が多い。
 いま、多分18歳ほどの老猫であるが、時折ハッとするほど良い表情を見せる美猫である。5年ほど前から時折体調を崩し、痩せたり元気がなくなったりする。もう長くはない、と骨壺迄用意してその日を待ったこともあるが、いまだに何とか頑張っている。外に出なくなったし、室内でも眠っている時間が多くなった。子供達が帰省すると今度こそ会えないだろう、と機会ある毎に写真を撮っている。

 数週間前から表紙の画像が「印象派風ナンナン」となって登場した。なかなか良い作品に仕上がっており、私も気に入っている。数日後に早速、メールがあった。「先生、画像の処理は大変でしょう、それだけの時間がよくありますね」というものであった。

 私のHPは知人が作ってくれている。私はそんな能力も技術も時間も持ち合わせていない。毎朝、文章を知人にメールで送るだけである。なにしろ私は携帯電話の電話帳すら満足に使えないほどのIT音痴である。定期購入しているマック・ファンには画像処理に関する特集も頻回に組まれるていが、私は内容を全く理解できないので読むこともない。私のマックはワープロ+αのレベルである。

 「印象派風ナンナン」はその知人の作である。どの様に処理されたか知るよしもないが、ここまでやるならもっといろいろ処理してみて欲しい。ゴッホ風とかセザンヌ風、フェルメール風にするとどうなるのだろうか。
 毎朝4:00am頃から徒然に取りかかるが、最近長文になる傾向があってちょっとまずい。反省している。



2/12(火)曇り・降雪 管理会議 外来 常務会 療養病棟判定会議 医局カンファレンス 長副会議
1:30起床、ドック他、新聞・文献チェック、徒然、5:15病院着。6:20回診、7:45-8:25管理会議、8:45-14:15外来。14:45-15:40常務会、16:00
-16:40療養病棟判定会議。17:30-18:20医局カンファ、救急外来での外傷処置。18:30-21:30長副会議。22:40帰宅、23:00就寝。実に多忙であった。

秋田大学医学部「地域医療体験学習」(3)学生の感想文を読んで
 学生の感想文に添付された医学部長の前文によると、『学生諸君は「医師不足」や「医師偏在」など地域医療に対して事前に学習してから各病院を訪問しましたが、自分たちで考えていたことと現実との相違に驚き、さまざまな感想をもったようです。これを契機に、一人でも多くの医師が県内の病院で研修するよう、教育してまいる所存です。次年度についてもご協力方よろしくお願い申し上げます。』とあった。

 大学でもこの新たな試みの成果について一定の感触を得たのではないか、学部長の前文にそんな雰囲気が感じられた。医学部の新入生達にどのように説明しようかと私も迷ったが、思った以上に私の話を聴いてくれ、意はかなり伝わったようである。体験学習の前に地域医療に対する学習やグループ討論をしてから臨んだからであろう。

 病院ハードそのものに関して受けた感想は、老朽化し、天井は低く暗いと感じたとのことであるが、働く従業員の前向きな意識、医療機器の充実などに私的医療機関ならではの意欲を感じ取ったらしい。半分近くが女子学生であったが、子育て中の女性医師の労務への配慮も興味を抱いたようである。

 新臨床研修制度については、恐らく大学の立場での考え方を中心に学習し、大学の機能低下や地域医療崩壊、医師偏在の面からネガティブに捉えてきたのではないだろうか。私が制度自体に問題を種々内包しているが評価すべきものと説明したことには総じて驚きの感想を示していた。

 医師としてのやりがい、現状の待遇の話題に対して私は何よりも達成感が重要でそれを感じ取れる事が日々のエネルギーのもとになっている、と説明したが共感を得られたようである。私も同年代の頃、この様な話題に刺激され大きな夢を抱いていた事が思い出された。

 また、他県出身者が半数ほどであったが、秋田県の医師不足やその原因、厳しい医療の現状については親身になって憂えていることが伺われた。その中の一人が「自分は他県出身であるが、必要とされているのであれば秋田で就職したいと改めて思った」と記載しており嬉しく思った。

 今回の「地域医療体験」で医学生と対話できたことの意義は私にとっても大きい。私も昭和40(1965)年頃の自分にタイムスリップし、時代背景は異なるものの少しは学生達と共感できたかな、と感じられた。
 私の説明から感じ取ったことが学生達の勉学意欲を些かでも後押しするとすれば、これまた更なる喜びである。


2/11(月)建国記念日 晴れ  病棟拘束  患者死去
2:00起床、ドック処理x1、各種書類処理.徒然。新聞・文献チェック。6:00病院着、病棟業務他、8:30救急カンファ。10:00帰宅。10:30ミサワ、外壁等チェック。午睡等はさみややのんびり業務、新聞、文献等チェック。17:45病棟より連絡、18:06患者死去、20:00帰宅、夕食、21:00就寝。

秋田大学医学部「地域医療体験学習」(2)学生の質問事項は多岐にわたった
 学生達は「医師不足」や「医師偏在」など地域医療に対して事前に学習し、その過程で感じた事や疑問を予め箇条書きにして届けてきた。項目数としては倍近くあったが、私が以下のように整理し
た。内容的には厳しい質問も並んだが、深い意味を求めてと言うより普段疑問に思っていたことを自由に挙げたのだろうが、決して軽くは扱われない。可能な限り真摯に解説した。

医師不足関連
医師の出身地の割合。医師は足りているか。不足とすれば対策は。
新臨床研修制度と医師の偏在の関連。医学生が秋田に残らない理由。

医師の労働条件関連
給料はどれくらいか
当直・休日などの労働条件
忙しい科は他の診療科より優遇されているか
女性医師は産休を取るのか。女性医師の労働条件は
開業医と勤務医の違い 勤務医の労働の実態
秋田でも医師の専門化が起こっているのか

医療機関として
病院のセールスポイントは
予算など財政的な状況、行政との相性はどうか

医療内容
他病院との連携、セカンドオピニオンは実際に行われているか
チーム医療は成立しているか
救急を受け入れられない場合はどのくらいあるか、降雪の影響は
一日の症例数、高齢患者の割合、高齢者対策について
医療設備はどれくらいの期間で換えるのか
都市と地方とで医療設備の違いはあるのか

その他
何故この病院を職場として選択したか
医師として一番大変なこと、嬉しいこと
新研修医制度をどう思うか
どうして秋田県はガンの死亡率が高く、自殺者が多いのか
今の医学生に望むこと


2/10(日)晴れ  病棟拘束  入院患者家族面談  長女離秋
2:30アルコール覚醒でそのまま起床。新聞・文献チェック、ドック判定総括他を処理。5:10病院着、徒然ほか、病棟業務他、8:30救急カンファ。9:00入院患者家族面談。11:00帰宅。昼のこまちで長女離秋。午睡等ややのんびり過ごす。新聞、文献等チェック。19:30夕食、20:00就寝。

秋田大学医学部「地域医療体験学習」(1)新入生から地域医療に関心を喚起する企画
 秋田大学医学部では、1年次学生を県内病院に派遣し、地域医療の現状を自ら体験し、学ばせる機会を設けた。

 文部科学省が平成18年度に開始した「地域医療と社会的ニーズに対応した質の高い医療人養成プログラム」の一環で, 秋大医学部は「地域拠点病院と大学病院との総合的教育連携」という課題で予算を取得し実行している教育実践の一部だとのことである。その目的は、「医学生に早期から地域医療に関する問題を体験させ、将来一人でも多くの若い医師が秋田県内の病院で研修するよう教育したい」と言う趣旨とのことであった。

 実習当日は1名の教員が16-20名の学生を引率して来院するとのことで、実習内容としては、院長から病院の紹介や地域医療の現状の説明の後、学生が事前に学習し、疑問として挙げた項目について質疑応答し、さらに院内を見学する、という内容であった。

 当院にも打診があり即座に受け入れを決めたが、県内では6病院で実習が行われたという。当院では2007年10月23日14:00から行われ16名の学生が来訪した。この頃は私自身が多忙の最中にあり、この企画が持ち込まれてから実施までの間の時間も短かったために事前に十分な準備時間を確保できず、当日早朝から準備して何とか間に合わせた。

 外来も混雑し焦ったが、14:00に何とか終了し、休む間もなく「病院の沿革、成り立ちの紹介」、「秋田県の地域医療の現状」を中心に講義した。日常的に話題にしている内容なので準備にそれほど苦労したわけではないが、実習生は医学部に合格して未だ1年も経たない学生だという事で説明には気を遣った。

 この時のことはほぼ忘れかけていたが、数日前に学生のレポートが届いた。その内容から、学生達にとってこの実習の時間は有用であった事が伺えた。


2/9(土)曇 病棟拘束 患者死去 歯科治療 秋田県がん医療懇話会 家族夕食会
2:30起床。ドック処理x1、新聞、徒然。4:45病棟よりコール、5:15病院着、患者死去、6:20回診他。8:30救急カンファ。患者関連書類処理、11:30-12:20歯科治療。14:40からの秋田県がん医療懇話会の特別講演は睡魔に負けた。18:30帰宅、19:00-22:00次男他の招待で長女長男共々家族揃っての夕食会。あの末っ子もここまで成長したかと感無量で、つい飲み過ぎて泥酔した。22:20帰宅、就眠。

先日の「ゴミ出し・・」に質問とアドバイスがありました。
 一昨日の記載内容に質問とアドバイスがあった。なぜ見舞いに行かないのか? お手伝いさんに対し「役に立たなくなってきた」などという物言いは不適でしょう、と言う2点で、「医師としてもっと気遣いを持って欲しい」、と有り難いアドバイスが添えてあった。反省すると共に、若干弁明させて頂いた。

 
コメント、アドバイス大変有り難う御座います。以下に私の考えを簡略に述べさせていただきます。

 まず、二点目の「役に立たなくなってきた」との記述ですが、退院後には本人にも読んで貰うつもりで書いていますが、恐らく彼女はにこやかに受容する、と思います。これは35年間の付き合いを背景に、共に初老期にある私との間で共感できる話題として日常的に交わされている会話内容そのものです。私自身、あらゆる分野で加齢による退行を自覚し、今後の身の振り様を真剣に考えていますので共通の立場です。
 活字として読まれた方々に不快な思いをいだかせた事は確かだと思います。表現が不適切であったと反省しています。

 第一点目は私の人付き合いの苦手さ、下手さから来るものです。
 私は多くの方々とのお付き合いがあり、いろいろ助けられております。感謝する一方で、お互いの関係は互いに重なり合う共通部分に限定された範囲で成り立つ付き合い、と割り切っています。例えば、診察室では親しく会話を交わす患者の方々と院外で会っても私は無視します。院外では一個人であり患者ではないからです。
 病院職員の方々とも院外での付き合いは一切ありません。だから、20数年当院で共に働いている同僚職員についても私は私的なことは殆ど知りません。このことは私の問題点の一つとして同僚から何度も指摘されましたし、自分でも問題の一つとして認めていますが、性格ですからどうにもなりません。

 冠婚葬祭、入院などは100%私的なものです。昨年8月に私が入院した際にもお世話になった方々に「見舞いは一切禁止、面会謝絶」と宣言しました。その方が先方のためにも良い、と思っています。院長は病欠していましたが、病室の中に院長はいませんでした。私の名前が掲示されていた病室の中に横たわっていたのは社会的立場をかなぐり捨てた、術後の、さえない格好でだらしなく休んでいる初老の男性患者でした。

 この辺のことは昨年9/17、9/19、9/20のブログにもちょっと触れています。よろしければご参照下さい。
 勿論、私も些かズレているとは言えども社会人の一員ですから、見舞いの気持ちは何らかの方法で伝えています。しかし、直接病室まで面会に行くことはまずありません。

 コメント、アドバイス大変有り難う御座いました


2/8(金)曇り 来客対応 人間ドック診察 秋田県防災会議(欠) 法人理事会
2:30起床、ドック判定総括x1。文献チェック、徒然など、5:15病院着。6:45回診、8:00救急カンファ。10:00-11:40来客対応。14:00人間ドック診察、回診他病棟業務。17:30-18:30法人理事会。21:00帰宅、22:00就寝。

呼び名の持つイメージ  「拘束ベルト」は「安全ベルト」なのだ
 私は入院業務は主に療養病棟を担当している。受け持ち患者数は、一般病棟の混雑度に左右されるが大体25-35人程度で、ここ一週間ほどは35人である。結構入退院数も多いので、このくらいになると毎朝回診していてもなかなか顔と名前が一致しない。短期で退院した場合など退院総括を顔を思い出せないままに仕上げることも少なくない。本当は受け持ち患者全員の顔写真を手元に持っておきたいが、これもなかなか実行は出来ない。

 入院患者は総じて70代後半から90代までの障害を持つ高齢者で、意識レベル、認知症レベルも日常生活動作の範囲も様々で対応は実に大変である。その中で常に心を砕いているのは、「人間としての尊厳の維持」と「不測の事故防止」である。しかし、これの両立は言うはやさしく実行は至難の業である。

 高齢者の人権に配慮し、行動の自由を最大限確保することは介護の鉄則である。だから、病棟では身体拘束ゼロを目標にかかげて努力している。
 不穏状態の患者の危険防止のために身体拘束に用いるものを「拘束具」と称し、この使用を「拘束する」、「縛る」と表現していることに私は違和感を持っている。器具は使用すれば拘束にもなるが、目的は危険防止、安全確保だからである。

 私どもの病棟でも拘束帯を外したためにベットや車椅子から滑り落ち、骨折等の事故を起こした例は少なくない。頭蓋内出血を来した例もある。だから、拘束器具は事故防止のための「安全器具」でもある。
 自動車のシートベルトは「安全ベルト」と呼ばれその使用が法的にも義務づけられている。何で医療現場では「拘束具」と呼ばれるのだろうか。医療事故防止のための担当者の名称も「リスクマネージャー」から「セフティマネージャー」に替わっているところが多い。名前でイメージが異なってくる。

 身体拘束防止については禁止のみを強調するのではなくて、安全確保目的なのだと言うことをもっと普及し、人権擁護のために絶対的禁止のものと安全確保のための相対的禁止事項に分けられるべきである。

 身体拘束の同意書を家族から記載して貰うが「緊急やむを得ない場合」に加え、「安全確保のために使用する」の表現もあればいい。
 事故予測性の高い高齢患者を入棟させるときにわれわれスタッフは気持ちが暗くなる。これでは良い医療・介護は出来ない。
 勿論、患者の人権確保、安全確保にはマンパワーの増員が必要であることは論を待たない。


2/7(木)曇り 外来+ドック結果説明  統括科長面談 県医師会麻疹関連緊急会議
2:30起床、ドック判定総括x1.文献チェック、徒然など、5:15病院着。6:30回診他。8:00救急カンファ。8:45-14:00外来+ドック結果説明。17:30統括科長面談、18:30-20:15麻疹関連で県医師会感染症等危機管理対策委員会と乳幼児保健委員会メンバーによる緊急会議。県内発症者140名ほど。病院、21:30帰宅。22:00就眠。

ゴミ出し日。忘れて通り過ぎ、愕然とすることもある
 新年早々から我が家の生活が一変した。
 1月8日午後に家事一切をやってくれている石井さん(68)が買い物途中に自転車で転倒、左上腕骨を折ったからである。直ぐに家内が勤務する秋田組合病院を受診させた。当日は救急室で応急固定のみ、翌日整形外科を受診し、手術困難な肩関節直下の骨折であったためにギプス固定で治療することになった。

 他の部位の打撲等はそれほど無く頭も打っていなかったが、その日から数日は眩暈や吐き気で不調と言うこと臥せっていた。疼痛、自虐、反省、老化の自覚、将来への不安などなどが原因の自律神経系の嵐のようであった。その後数日間ほどは身体を動かす度に骨折部に激痛が走る様で、椅子から立ち上がるにも難渋していた。

 その後、更に骨折部が変位したことから手術することとなり、15日に入院、22日に骨接合術を受け、まだ入院中である。私は原則的に入院の見舞いはしない主義なので行ってはいないが元気になりつつあるという。

 わが家はロクに家にいない夫婦とネコ3匹なので、家に誰かがいて少しでも家事をしてくれている意義は大きい。歳をとってきて徐々に役立たなくなって来ている賄いの石井さんではあるが、いかに大きな存在であるかを私は今回も実感した。とにかく人手は貴重である。

 隣に住む義理の姉、遠方にいる子供達も時に帰省して手伝ってくれているし、家政婦会からも派遣をお願いして何とかやっている。ネコは日中は寒い家で過ごしているが元気である。

 この間、私は火曜、木曜日はゴミ出しを担当している。生ゴミはコンポスト処理なので捨てるのは主に燃えるゴミであるが、出勤時に車に積んで出かけるが、3回ほど忘れて通り過ぎた。走り始めるともうゴミを積んだことなどそっちのけでその日の過ごし方を考えるからなのだろう。朝5時頃の話なので2-3Km戻るのは時間的にも実害はないが、ハッと気付いたときは自分のバカさ加減に愕然とする。

 ネコの手も欲しいときなのに、肝腎のわが家のネコはまったく我関せずで甘い声で餌など要求してくる。役立たず、実に困ったものである。
 結論、人手は何事につけても貴重である。


2/6(水)曇り・降雪若干 外来 秋田県健康づくり審議会
2:30起床。ドック判定総括x1。分新聞チェック、徒然。5:15病院着、6:20回診、8:00救急カンファ。8:40-14:20外来。15:00-17:10秋田県健康づくり審議会。総括等机上書類処理。21:00帰宅、夕食。21:45就寝。

雪作業中の事故多発(3)建築関係者は何してたのか??
 大仙市の友人のメール内容は全くその通りだと思う。最近になってやっと雪下ろし不要な住宅が普及してきた事はとても良いことだと思うが、私が思うのは有史以前からの豪雪であったはずなのに、なんで最近に至るまで雪を意識した住宅づくりが行われてこなかったのかな、と言うことである。秋田県内何処に行っても、豪雪の横手や大仙市にも似通った家が並んでいて不思議である。恐らく、友人が住宅を建てるときにも家の配置とか設計に豪雪を配慮した提言はなかったのであろう。

  有史以来、ここに至るまで建築関係の方々は何を考えていたのかな??と思う。

  雪の量からしてレベルは違うが、実は私自身も同じ悩みを持っている。だから雪対策は決して人ごとと思えない。
 私の家はプレハブで、若干増築したが基本的設計には手を加えていない。屋根も業者の言うままにした。空間を広く取るために家は敷地の隅に建てたが、その冬、屋根からの落雪が隣家の畠に落ちた。実害はなかったが決して良い気分ではない。秋田市内の雪ならば屋根は主さに十分に絶えられるというので翌年落雪防止装置を付けた。これで落雪の悩みは解決したが、一昨年の豪雪の時にはその装置があだになって屋根に1mほどの雪がたまった。それ自体は問題なかったが、もしその雪が一気に滑り落ちたら1階に増築した風除室を破壊する可能性があった。
 総二階建てなので素人では対応全く不可能、業者は手が回らない状態だったので何とも方法はなく、半ば覚悟し、毎日屋根を眺めていた。幸い、寒波が緩み、雨が降ったことで落雪の危険は去った。

 秋田市は雪が少ないと言えど、家を建てるときなどに雪害に一定の配慮はあるべきだが、当時施行業者からは一切の提言はなかった。不親切、不適切であったと思う。私は、その地域地域の気象条件に相応しい住宅設計があっても良いと思うが、何かプロの配慮が足りないような気がしてならない。

 その後も相変わらず雪下ろし作業中の事故のニュースが続いている。死傷者63人のうち33人が屋根からの転落で死亡4人、重傷23人、軽傷36人。29人が65歳以上で、横手市が14人、大仙市9人、美郷町と北秋田市各7人だという。
 有史以来県内でどれだけの人数が死傷したのかな??


2/5(火)曇り 外来    常務会 医局会    
2:30起床、ドックx1名分。徒然他. 5:20病院着。6:30回診他、定期処方箋発行など。8:45-13:50外来、混雑。14:45-16:20常務会、17:30-18:45医局会。20:50帰宅、21:45就寝。

雪作業中の事故(2)多発し死傷者63人で半数が高齢者
 一昨年の今頃はこの徒然に豪雪の話題を書き、昨年は逆に異常なほど雪が降らず不気味である、と記載している。それから見れば今年は平年並みなのだろうか。

 1月24日に屋根の雪下ろし作業中の転落事故死について記載したが、その後も事故が続いている。県総合防災課のまとめでは、雪下ろし関連の死傷者は1月30日午前現在で63人で、65歳以上の高齢者が半数だという。

 その記載の際、私が常々疑問に難じていた、豪雪地帯で雪は有史以前からのハズなのに何故いまだに雪下ろしが必要な住宅なのか? 例えば屋根をもっと単純な構造にして急傾斜にし、雪が少量のうちから滑り落ちるようにしないのか? 疑問である、などと記載した。

 それに関して大仙市に住む友人からメールが来た。内容は私の体調を労う言葉に続き、
■自分は雪が落ちる屋根にして失敗した。落ちた雪は窓に押し寄せ、隣家の畑まで侵略した。
■一昨年まで、落ちた雪を休日に寄せたが、体力的に限界。
■昨年屋根融雪装置をつけたが、ランニングコストが大変。
■急勾配屋根の条件は、落下側には窓をつけないか高い位置につける、隣家との境界まで十分余裕があること。
■ 最近の屋根の8割ほどは無落雪タイプで、傾斜がないか、ごくわずか。
■このタイプだと雪が積もっても風で飛ばされ、傾斜のある屋根の1/3も積もらず、雪降ろしの要はない。
■大雪の場合は雪下ろしが必要となることもあるが、屋根平らだから比較的安全、

と言うものであった。

 何であれ、記載事項に反応があることは嬉しいことである。豪雪地域に住む方々の苦労がにじみ出ている内容であった。それでも、私の疑問は一部しか解けない。返信には時間の関係で謝辞だけにしておいた。

 その後も相変わらず雪下ろし作業中の事故のニュースが続いている。悲惨である。


2/4(月)曇り  管理会議    外来    療養判定会議   長副会議 
2:00起床、ドック総括x1。新聞チェック、徒然。5:10病院着。6:30回診他、7:45-8:20管理会議、8:45-13:45外来。16:00療養判定会議、17:00-20:00長副会議、懸案多数。21:15帰宅、夕食、22:00就寝。

今年も食品問題で幕開け 冷凍餃子に殺虫剤
 昨年初頭の食品関係のニュースは期限切れの牛乳を用いた不二家のシュークリーム問題であった。その後も秋の船場吉兆まで食品偽装が次々と明らかになった。これらの事件のあと自社製品の誤表示等を自主的に申し出た件数が倍増したという。世相を表すキーワードは「偽」が選ばれた年であったが、これだけ問題化したのだから食品偽装は一段落すると思われた。

 今年は年賀ハガキの再生紙混入率の偽装から幕を開け、「偽」は食品以外に飛び火した。そうこうしているうちに、今度は中国産冷凍餃子に殺虫剤「メタミドホス」混入問題で騒然としている。実に不思議な事件で、故意による事件の様な気がするが解明には時間がかかりそうである。報道写真で見る範囲からは、思った以上に清潔な工場で作られ、しっかりと封印されて流通管理されているという印象を受けた。

 この様な事件を契機にわが国の食問題が厳しい状況下にあることが明らかになってくる。私どもは何処で、誰が、どの様な状況で作った食品であるかを全く知らないでまま口にしていることになり、恐ろしさを感じてしまう。レストラン等で食べる料理は食材の由来は輸入品であったとしても、その場で直前に料理されている、と思ってしまうが、現実には業務用冷凍製品を用いていることも少なくないようである。
 学校給食センターなど、多人数分の料理をするところは恐らく大量に用いられているのではないだろうか。病院、福祉施設などの給食はどうだろうか。今後、輸入食品のチェック体制を厚くする必要もあるようだ。

 カロリーベースでわが国の食糧自給率は38%迄落ち込んでいるが、先進国の中では最低だとのことである。これからはバイオ燃料問題もあり、各国とも自国での消費のために食料輸出が出来なくなる可能性があり、食料の国際的な価格や流れが変わってくると考えられる。

 日本の医療政策、エネルギー政策、農業・水産政策は再検討されなければならない。国会で覇権争いなどしている暇はない、と思う。


2/3(日)曇り・一時晴れ  病棟拘束 がんプロフェッショナル養成講座FDワークショップ 秋田県がん対策推進検討委員会
2:20起床、ドックx1、新聞チェック、徒然など。7:30Taxi病院。降雪なし。8:30救急カンファ。患者不調で9:00
がんプロフェッショナル養成講座FDワークショップには出席できず。書類、総括、レセプトなど処理。16:00-18:30秋田県がん対策推進検討委員会。18:50帰宅、夕食、20:30就寝。

年度末に向けて県の各種委員会が頻回で、時間確保に難渋
 私は県医師会代表の立場で秋田県の医療・福祉関係の各種委員会に委員として参加している。その数は正確には把握していないが15ほどになる。そのうちのいくつかは委員長も兼ねている。新年を迎えてから委員会開催の頻度が著しく増加した。本日夕方までの一ヶ月間に県関連の委員会が10回、その打ち合わせを入れると14回であった。2月中の委員会は今のところ11回予定されている。予め目を通しておかなければならない資料も結構膨大である。

 1- 2ヶ月毎に定期的に開催される委員会、麻疹やインフルエンザ等の感染症等の流行に即応して緊急にセットされる委員会もある。一般的に、年度末を迎えると開催が遅れていた委員会がこの時期に集中する傾向はみられていた。

 今年は特に頻度が多いのは、平成20年度からの「県の医療計画」を策定という大きな事業があり、全体会の他に分科会もあるからである。さすがに今までは日曜日に会議がセットされることはなかったが、本日は日曜にもかかわらず16:00-19:00に秋田県がん対策推進検討委員会がセットされた。各委員、委員長の都合が付かなかったため、と言う。

 県も人件費削減のために各部署の職員数を減らしている、一方で厚労省から次々と懸案事項が降りてくるので現場の対応は実に大変なのだろうと思う。作成する文書も作成指針はあるとはいえ膨大で、県独自の資料も挿入する必要があり、必ずしも医療の関係者でもない一般職員の方々にとっては実に大変なことだろうと思う。更に、委員の都合で日曜出勤もしなければならない状況は実に気の毒でもある。

 私自身も県の委員会のために時間を割くのが困難で本来の業務処理が遅れることもある。そんな立場だからこそなのか、つい県の職員の方々の苦労にも思いを馳せてしまった。


2/2(土)曇、晴れ 病棟拘束 歯科治療 北東北がん治療カンファレンス 
2:00起床、ドック処理x1、新聞チェックなど。5:15病院着。積雪3-4cm。6:15回診など病棟業務。8:30救急カンファ。書類処理など。15:00-15:40歯科治療、麻酔で口の周りに違和感。16:10-18:20北東北がん治療カンファレンス、懇親会に出て20:00帰宅、21:00就寝。

臨床心理士に心配をかけているのか
 現代社会は、こころの問題が増加している。職場でも同様である。
 とりわけ医療・福祉の分野の従業員達は住民の健康を守るために日夜尽力し、社会に大きく貢献している。しかし、その業務環境は人件費削減・人減らしによる過重労働、正当な評価と思えない低報酬などで年ごとに厳しさを増し、もはや個々人の限度を超えつつある。この様な状況下では働く意欲が低下し、何かを切っ掛けに鬱状態に陥ったり、欠勤の頻度が増える様になる。その解決方法として業務環境の改善も必要であるが、その兆しのある職員を早めにキャッチし、臨床心理士等の関与・援助も一方法である。 
 いま問題になっている医師不足による医療崩壊の最も大きな背景因子は、過重労働と達成感の欠如に因るモチベーションの低下による、と考えている。

 先日、私が外来で経過観察している患者が入所している施設から、この患者のケア上の問題から複数の介護職員が鬱状態になり退職希望など生じている、と言うことで相談を受けた。患者に関しては一般の施設でのケアは困難な状態の様なので、精神科のある病院に移すよう助言した。

 職員のケアについては当院の臨床心理士に相談し、施設にはその結果も併せて助言した。
 その際、話題が当院の状況にまで及び、心理士からいろいろな助言があった。いまどこの病院でも従業員のストレスが深刻な状況になりつつある、とのことで当院も決して例外ではなく相談者の数も増えているとの説明があり、私も管理者として認識を一層新たにした。

 彼女は「でも、私が一番心配しているのは院長先生のことですよ」とサラリと口にし部屋を出ていった。ウーン、確かに懸案事項に圧倒されながらの日々でストレスを感じていない、というとウソになる。職員にもそのように見えるのか、心配されてているのか、と改めて自覚した。確かに、最近体力が落ちてきたのか、早朝の起床、ドック処理が徐々に辛くなってきている。それに最近患者から「先生。おだいじに」と言われる頻度が増えてきている。

 だめ押しは本日夕、会合で会った某院長の一言、「ムリすんな。死ぬぞ・・」という暖かい言葉であった。私は元気なつもりなのだが、端から見れば疲労感などを漂わせているのかな、と思った。


2/1(金)寒波・降雪6cm  入院患者死去 医療的ケア関連秋田養護学校訪問
2:10起床、ドック判定総括x1、2:30病棟から電話、病院へ。2:57患者死去、病棟業務。6:30回診、8:00救急カンファ。11:00医療的ケア実施校巡回訪問で秋田養護学校へ、意見交換。13:00帰院。14:00人間ドック診察x4。文献整理他、20:50帰宅、夕食。21:30就寝。

「個の時代」だから、「ちょっとだけ」何かを提供する大切さ
 今は個人の立場が集団の論理より大切にされ「個の時代」と言われている。個人情報保護法など個の立場を守る法律まで出来ている。
 いかに個の時代と言っても、人は一人では生きられない。一人なら人であるが、多くの人々の間の中で生きているから漢字で「人間」と表現されているのだ。

 社会の、個人の経済状態が豊になると人に頼らずとも生きて行けるようになる。多くの方々は恐らく、自分は「立派に自立している」と思っているであろうが、背景には国があり、社会があり、組織があり、コミュニティがあり、人間関係があり、家族もある。これらのネットワークの中で、結局は人に助けられながら、よその方々の努力の成果にただ乗りして生きているのだ、ということを自覚する必要がある。経済的自立というのは真の自立ではない。お金を払って人に頼る、あるいは人を利用しているに過ぎない。私の感覚から言えば「自立」と「孤立」を取り違えている? とさえ思う。

  個の時代と言え、すべての人が自分の都合を優先していたら社会も人間関係も成り立たないが、徐々にそんな風潮になり始めてきているように思える。油の切れた自転車を漕ぐような、何かギスギスした感じがする。
 個の時代だからこそ、個を一層大切にするのであれば、人同士互いにチョットずつ自分の持ち分を提供しながら生きて行けば良い、と思う。この場合、大袈裟に考える必要はなく、提供するのは、時にはお金であり、時間であり、労力・手伝いなどいろいろで良い。この気持ちが人間関係の、社会の潤滑油となる。

 この「ちょっとだけ」が良い。これを「全て」に置き換えて実践したのがマザー・テレサなのかと思う。
 家内の所持品なのだろう、食卓の上に置かれてあったマザー・テレサの伝記をパラパラめくっていだいた感想である。


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   年を通じてワンパターンで淡々とした毎日です。AM2:00-5:00にメールチェック・返事送付、人間ドック(HDD)判定・報告書作成、新聞切り抜き、病院・医師会業務など。
  月〜土曜は6:00頃出勤、HDD報告書印刷、外来書類処理など。病棟回診、HDD受診者とミーティングと診察。8:45-14:00外来とHDD受診者に結果説明。昼食は摂りません。午後は病院業務・医師会業務、各種委員会等に出席など。20:00頃帰宅。
  日曜・祭日もほぼ同様ですが、病院には午後出かけます。時間的に余裕無いのが悩みです。


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