徒然日記
2008年3月分

 日記と言うより、自分の行動記録からの抜粋と日々の雑感です。

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3/31(月)曇り、管理会議 外来 定年退職者感謝状授与式 療養判定会議 長副会議 最終便で東京へ 東北医連打ち合わせ会議(欠)
1:30起床、ドック判定総括x1,秋田医報巻頭言に呻吟。徒然。5:10病院着、6:15回診ほか、7:45管理会議、8:45-13:00外来、13:30定年退職者感謝状授与式。対象者は12名、みなさん方みんな若々しくて元気。16:00療養判定会議、17:00-18:30長副会議、中座して最終便で東京へ。21:20浅草View着。夕食、22:00就眠。(明後日以降、諸般の事情で数日間徒然を更新出来ない可能性があります)

「エイプリルフールでした」、と笑いたい(1)新検案事項発生
 この徒然の日付上では明日であるが、実際アップされるのは4月1日朝、エイプリルフールである。エイプリルフールは例年であれば意識することもなく、笑い飛ばす気楽な風習なのだが、今年はちょっと深刻な(?)懸案をかかえてしまった。結果的に「エイプリルフールでした」、と笑えれば最高にハッピーだから、今朝の記述にはちょうど良い。

 現在、私は「肺ガンを否定できない胸部異常陰影」をかかえて経過観察中の身である。

 2月下旬に職員健診を受けたが、3月18日に庶務課発の封筒が机上に載っていた。「健診で肺レントゲン像に異常影があるので先行してお知らせします」とあり、「肺ガンを否定できない陰影あり」という項目にチェックが入っていた。その時の心境は「何か、血管でも変に写ったのではないか?」とあまり気にもとめなかった。健診は小さなフィルムだし、当該部位に昨年8月に異常陰影など一切なかったからである。

 診療介助の、若くもない看護師が強く勧めるものだから、胸部3方向を再検査してみた。何と!!! 予想に反して炎症性とも腫瘍性ともとれる異常陰影がしっかり写っていた。自己判断は甘くなるので、呼吸器科長にすべて下駄を預けた。科長はCTと採血をオーダーしてくれたが、採血検査項目にはしっかりと3種類の肺ガンの腫瘍マーカーが含まれていた。

 翌日のCTは造影剤使用で行われた。陰影の部位から見て造影剤は必須でないが、あえて使用したと言うことは意味深である。放射線科的のCTの診断結果は「○cm x ○cmの陰影があり、陰影の特徴から肺ガン疑い濃厚」であった。診断医と面談したが、内容は厳しく楽観は出来ない内容であった。

 やはりそうか、肺ガンとすれば手術になるだろうが、この陰影では予後は悪そう、今年一年持つか??と多少ガックリしたが、いつか来るであろうことがたまたま肺に、しかも私の予定よりちょっと早く来ただけ、と事実を淡々と受け入れることである。

 採血結果は異常が無かった。翌日、呼吸器科科長の判断で2週間ほど様子を見ることとなった。

 ・ ・・と言うことで、いま粛々と2回目の判定を待っているところである。
 本日夜から東京出張である。帰秋翌日の4月3日午後、経過観察のCT検査を受けることになっている。「あれはエイプリルフールでした、お騒がせして済みませんでした・・」、と大声で笑い合いたいものである。真実や如何に。


3/30(日)晴れ 病棟拘束 
2:00起床。ドック判定総括、文献検討、本読他持参の業務若干。6:00-8:00再度就寝。救急カンファは欠。新聞チェックなど。11:00リフォーム関連打ち合わせ。文献検索などすすめ、15:00-20:00病院、総括、回診他と出張準備。20:20帰宅、夕食。22:10就寝。

19年の年度末を迎えて  今回の年度末は特に多忙感があった
 まだ一日あるが今日が平成19年度の終了日である。今年の年度末は特に県の医療計画作成関連の委員会が多くて特別忙しかったような気がする。

 私的な意味での今年度のくくりでは幸いにも大きく変わったことはなかった。あえて言えば8月の私の入院かな?お陰で懸案が解消して体調はすこぶる良い。
  
 法人・病院として今年度を総括すると、「多忙の中、全職員が力を合わせ、創業以来の理念である患者の立場に立った医療、安全で良質な医療を提供し、かつ、多くの課題を達成した年度であった」と全職員に感謝の意を込めてまとめたい。特に、「7:1看護体制」の取得と維持は法人を挙げての協力があった。そのこともあって病院運営は比較的順調に推移した。大曲中通病院は建築中、中通総合病院の新病院建設に関してもスタートが切れたのは大きな喜びである。

 医師会関連では時間的に余裕が乏しく十分活動できたかといえば、自分でも不満が残るような内容であった。
 県医師会は副会長としての2年目であったが、委員会委員の協力を得て「県医師会版新型インフルエンザ対応マニュアル」を完成出来た事は一つの成果である。日本医師会の代議員、病院委員会の副委員長でもあったが、特に後者では同様の理由で職務を十分果たしたとは言えない。ただ、この間ずっと地域医療崩壊、病院勤務医問題、私的病院問題を中心にずっと考え続けてきたことではいろいろ勉強になった。これらを何らかの形で生かしていきたい。
 県の委員会等に県医師会代表、あるいは推薦委員として随分多数の会に参加できた。特に本年度は平成20年からの地域医療計画を完成させるために、特に昨秋辺りから委員会が頻回に開かれ、同じ日に県関連の会合を3ヶ所渡り歩くこともあり、時間的配分が大変であった。

 いろいろあったが、まず今日で一段落である。
 明日以降は平成20年度となる。新年度も、今のところであるが、私の立場は大きくは変わらない予定である。良いスタートを切って、良い年度にしたいものである。


3/29(土)曇り・雨  病棟拘束 ドック結果説明 法人管理職会議 医師面談・会食 
2:30起床、ドック判定総括、文献検討、徒然など。5:50病院。6:30回診他、8:30救急カンファ。9:00-9:45ドック結果説明。紹介状、退院総括などの患者関連書類処理。14:00-16:30法人管理職会議、締めの挨拶。18:00医師面談・会食。20:30帰宅、21:00就寝。

死因に無関心な社会(4)死亡時画像診断の導入を
 死因究明のための一助としてCTやMRlを用いて診断するという行為は、世界的に救急救命の分野で施行されている。救命救急医療の施設には、心肺停止状態の患者が唐突に運びこまれる。何の手がかりもない遺体に対し、正しい死亡診断書を作成しろと求める方が酷である。その際、解剖以前に、CTやMRIで検索しようと思うのは自然である。日本でも当院でもやられているが、正規に検討されていない。だから、実態は明確でない。数々の問題点があるからである。

 第一の理由は、国が解剖費用拠出を行わなかったのと同様、死体への画像診断にも費用を一切認めていない、だから、関与した職員の超過勤務分も含めて、すべての費用は病院負担となる。ただ、これは現状では当然でもある。医療は生存中の患者の治療のためにあるのであって、死体には医療行為は成り立たない。

 第二には倫理上の問題、法的問題がある。死体に手を加えることが出来るのは検死、検視の担当者と司法解剖、病理解剖の医師だけである。それ以外の場合には警察の令状が必要だと私は理解している。よく警察の検視の際にくも膜下出血の証明のために腰椎穿刺、薬物検出のために採血を依頼されることがある。大抵応じてあげるが本来はこれらの行為は死体損壊罪に相当する。死体に放射線や磁気をあてることも拡大解釈すれば死体損壊にあたる。まさか、と思われるが医師法21条は官憲側によって拡大解釈され医師が逮捕される時代である。

 第三には医療用の病院の施設、医療器具を死体に用いると言うことの是非である。

 私は救急部の判断で死後の画像検査を求められたときには院長責任で許可をしている。死因不明の状況で推定による死亡診断書を発行するよりはずっと良い。ただし、検視担当者がそのことを口にした際には「費用は警察で持ってくれるか」確認をして貰っている。 
 死因不明社会をこのまま放置していてはならない。死後の画像診断、剖検は費用を含めて是非認めて欲しいものである。

 加えて、死体の画像診断は2000年頃から「Ai(Autopsy imaging)」と呼ばれる新しい概念が導入されてきている。これは単なる死体の画像診断だけでなく、検死・検視、解剖を含めたシステム的なものである。未だその全容は知らないが資料を若干見た範囲では死因不明社会から抜け出るために必須と思えてならない。

 時津風部屋の若手力士の死亡に関して検視・検死のレベルの低さが問題になったが、新しいシステムの導入すること無く外表面からだけの検索にこだわっていては何ともならない。同じ事は繰り返され、犯罪被害者を見落とすことになりかねない。
 日本医師会も「Ai(Autopsy imaging)」の実施に向けて精力的に進めて欲しいものである。


3/28(金)曇り→雨 患者死亡 入院家族面談 県特別支援課員来訪 県薬事審議会 県総合保健事業団理事会 法人理事会
 0:00病棟から電話あり起床、出勤。0:23患者死亡確認。そのままドック総括x1。文献検討、紹介状、総括など。4:10患者見送り。6:00回診、病棟業務。7:00入院患者家族面談。8:00救急カンファ。11:00県特別支援課員来訪、12:30ドック診察。13:00-14:30県薬事審議会、16:00-17:00県総合保健事業団理事会、17:30-20:10法人理事会、懸案事項多数。21:30帰宅、22:00就寝。この歳で2時間余の睡眠はさすがに辛く、午後からの会議は睡魔との闘いであった。

死因に無関心な社会(3)剖検率2.7%。剖検は疲れた医師には辛い
 わが国では、異状死体とされ、検案を受け、剖検されなかった約15万体のうち、90%もの死体の死亡原因の決定は担当医師に任せられている。特に心肺停止状態で搬送されてきた患者の場合には殆ど判断に寄与する情報がない。だから、自分の経験をもとにして推定で直接死因欄を記載することになる。

 だからといって、医師個々人がいい加減な死体検案書を書いている、と一方的に言うべきではない。これは日本人の文化の問題であり、国の医療行政の結果である。諸外国でも低下傾向にあるというが日本の解剖率は著しく低下して先進国の中では最下位に近い。医療費、医師数も先進国の中で著しく低いことは知られつつあることであるが、これに剖検率の低さも加わったことになる。

 最新の平成18年度の人口動態統計保管統計表によればわが国の解剖率は31.022人/108万人=2.87%である。

 犯罪性、事件性が否定された死体を前に担当医は職業柄一応、解剖のことも念頭に浮かべるだろう。
 しかし、剖検は3-4時間がかりの仕事である。剖検に原則として担当医は立ち会わなければならない。身内の死でショックを受け取り乱している家族に懇切丁寧にその必要性を説き、解剖をお願いするのも大変である。しかも、厚労省は解剖に一切の費用を支払わず、すべて医療機関の持ち出しと言うことになる。救急担当医にとってその場を離れるわけに行かないから診療の代理医師を探さなければならない。だから勤務帯が終了してからの剖検となる。帰宅時間は遅くなるし、準夜戴帯、深夜帯の場合には睡眠を削って解剖に立ち会うことになる。

 ・ ・と、いろいろ先のことを考え、解剖しなくても誰からも別にそう責められる問題でもないし、事件性は警察で否定してくれたから直接死因を「急性心不全」にしても何にも問題が残らないだろう、と判断することになる。

 私は自身も病理解剖資格を有しているし、解剖を重視し積極的に勧める立場である。しかし、日常から余裕のない担当医達に剖検は上記の如くの負荷が加わるためにそう大きな声で言えない。それも現実である。

 やっと日本医師会では死亡時画像診断の是非についての検討を開始したと言う。これは勤務医の負荷を軽減する効果は大きいと思う。是非進めて欲しいものである。


3/27(木)晴れ 外来 医師面談 県医療審議会 米田師長送別激励会
2:30起床,何となく乗らず。ドック総括x1。文献検討など。5:10病院着。 6:15回診他、8:00救急カンファ、8:45-14:15外来、医師面談。15:00-17:15秋田県医療審議会、18:00-20:30米田師長送別激励会、弥高会館。21:00帰宅、21;30就寝。0:00病棟から連絡あり再出勤。

死因追求に無関心な社会、医療界(2)異状死体の解剖率も10%以下
 何故わが国では死亡原因の検索がそれほど重要視されていないのだろうか。
 日本の警察の「死体検索」は優秀だったと評価されていたらしいが、いまだに体表観察の「検視」が中心である。医療が最先端の医療機器を駆使して、過剰なまで高度な診断を行う時代に、死体検索は昭和24年に死体解剖保存法が制定されて以来、全く進歩せずに今日に至っている。その理由は、日本特有の死体に傷を付けたくない、何をしても生き返ることはない、という文化、家族の感情もあるが、政府が死因検索を軽視して経費を削減し続けてきたからである。

 体表観察で異状死体か否か判断する、それが科学的捜査を標傍する現代のわが国の警察の初動捜査である。外表からの検視と画像診断を併用した検死を比較すると、検視単独の誤診率は20%ほどだった、というデータもある。

 医師法21条には、医師は異状死体を見た場合には24時間以内に警察に届ける義務がある、とうたわれている。かつては殺人や過失致死の被害者、自殺者、災害による死者、原因不明の急死者、医師の診療を受けていなかった死者などは異状死体と呼ばれていたが、ここ10年ほどは医療に関連した死亡も異状死と拡大解釈され、われわれ臨床医、病院管理者を悩ませている。この、医師法21条の拡大解釈がまかり通ってきたことも医療崩壊の一因になっている。
 医師法21条の条項にはハッキリと「医療関連死は異状死体に含めない」と明記すべきである。

 それはさておき、2005年度の死者101万人のうち、交通事故関係を除く変死者数は約15万体だったとされるが、これらのうちで司法解剖、行政解剖で対応できたのは13.570体のみであった。すなわち、解剖が必須であろう死体ですら解剖率はたったの9%である。犯罪性がないと判断され、剖検されなかった90%以上もの死体のかなりの部分の死亡原因は医師に任せられ、体表からは何も分かるはずがないのに、「心不全」「脳出血」などと推定で、あるいは無理矢理こじつけて記載されているということになる。

 これは恐ろしい現実である。
  体表観察の「検視」が中心である現代の検死のレベルをこのままにしておくと単に犯罪の被害者を見落とす、ということだけではなくわが国の死亡原因の統計が信用出来ないと言うことになる。救急医療を扱っている医師も考えを変えなければならない。


3/26(水)降雨 外来 法人評議員会 県医師会理事会+新旧理事引き継ぎ+情報交換会
2:20起床。ドック判定総括x1。徒然など。5:10病院着。6:15回診、8:00救急カンファ。8:45-12:10外来、12:30法人評議員会+昼食会。15:30県医師会理事会+新旧理事引き継ぎ+情報交換会。中座して病院、残業持参19:50帰宅、20:30就眠。

死因追求に無関心な社会、医療界(1)若手力士の死因判断の誤りは今後も生じうる
 2月に時津風部屋の前親方と兄弟子3人が若手力士に暴行を加え死に至らしめた容疑で逮捕された。報道によると、親方がビール瓶で殴り、兄弟子の何人かが金属バットで殴り、足蹴にし、その翌日、通常なら5-6分程度しか行わないぶつかりげいこを30分も行い、その最中に若い力士は意識を失い搬送先の病院で死亡したという。
 私はこの事件に多くの点で衝撃を受けた。
 第一は閉鎖的相撲界の隠蔽体質の現実と理事長を始めとした上層部の感覚の鈍さ、であり、第二点は力士の死体が検死を素通りして病死とされたこと、である。

 前者は予想の通りで、つい10年ほど前までの医学界の体質そのもので、気恥ずかしい気持を抱きながら事の推移を見ていた。特に理事長を中心とした上層部の鈍さはどうにもならないほど重体である。
 医学界の問題点は横浜市大の患者取り違え事件に引き続く一連の医療事故の中で司法やマスコミを通じて次々と明らかにされ、かなり改善された。その点、今回の死亡事故が相撲界の体質を変える良い機会になりうるが、その後の動きを見ていれば鈍い。角界は井の中の蛙養成所の様なモノだから当然でもある。上層部が時代感覚、バランス感覚を備えていないから、内部からの声は潰される。医学界もそうであったが、まだ問題点を指摘する良識的人物が多数いた。意見を文献に多数残している。

 相撲界は角外から大きくてこ入れして動かすしかなさそうである。先日は何事もなかったかの如く大阪場所が千秋楽を迎え、朝青龍が見事に優勝した。何度か満員御礼も出たという。ホントは、相撲ファンも入場ボイコットするなど角界に対して何らかの抗議のアクションを起こして欲しかった。これで死亡事故、横綱の無責任行動も禊ぎを受けたとすれば問題は先送りになるだけである。

 若い力士が運ばれた病院では異常死として愛知県警に届けたが、ここまでは良かった。検視した刑事が外見からだけ判断して事件性無し、と判断し、医師が急性心不全と死亡診断書を記載した。事件性無しと判断されたとしても、診断書を記載した医師は何を根拠に急性心不全と判断したのか? 何故、病理解剖に回さなかったのか?疑問である。

 私共の病院は救急告示病院で救急車搬送の受入数は救急救命センターに次いで県内で2番目である。従って異常死疑いとして検死を受ける機会も少なくない。これで事件性無しとされれば多くは解剖することなく診断書を交付している。その際、十分考察された病名が直接死因として記載されているが、確証はない。この点の異常性について私は機会ある毎に若手を指導しているが、なかなかうまく浸透していかない。

 若手力士の死亡後の処置に犬山警察署、救急処置を行った病院がおかしたのと同じ誤りがいつでも生じうる状態にある。これは何とかしなければならないと思う。


3/25(火) 雨曇り 外来 常務会 医局カンファ 院内倫理委員会
 
2:30起床,ドック総括x1、文献検討など。5:10病院着。6:15回診、病棟処置、8:00救急カンファ。8:45-14:20外来、14:30-17:00常務会、17:30-17:55医局MC、麻酔科担当ショックの治療、中座し18:00-19:00病院倫理委員会。21:30帰宅、22;00就寝。

医療崩壊(16)民間病院の崩壊(3)診療報酬改訂の評価
 日本病院会・民間病院部会長の加藤氏の解説を続ける。短縮するために一部の表現を変えている。
■ 回復期リハビリテーション病棟の医師要件が専従から専任に緩和は評価。
■ B・C型肝炎、HlV患者の手術時加算が増額になったことは安全管理面から評価。
■ 新設の医師事務作業補助体制加算を算定できるが、医師以外の指示の全てが業務対象外になったのは非現実的。業務を更に広めることが必要。
■ 地域連携クリティカルパスに脳卒中が追加されたことは評価。
■ 後期高齢者の主治医は診療所のみは不可解。中小病院の医師も含めるべき。
■ 妊産婦緊急搬送入院加算が新設されたが、ハイリスク妊婦の評価は困難。
■ 手術に投入したマンパワーの適正評価必要。材料、特にディスポ製品が手術に占める割合が大きいが、これらも適正に評価されるべき。
■ 日本も救急のトリアージと救急車を有料化しないと救急医療は崩壊する。
■ 一般病床が90万床から50万床へ減床されると言うが、その過程で民間病院はどうなるのか見えない。

 上記の如く、項目毎には民間病院の立場からも評価すべき改訂は一部ながら認められた。しかし、最後の項目の如く医療供給体制の根幹の行く末が不透明なために疑問や不安がほとんど解消しない、というのが本音である。
 何れにせよ、この2年間は民間病院にとって厳しい状況は変わらない。だから、地域医療の崩壊に歯止めがかからない。
 医療崩壊の主因は低医療費政策であり、最早、現場の医師、医療機関にとって対策の手段は見つけ得ない状況にまで至っている。それが私の感想である。


3/24(月)曇り 管理会議 医療安全管理者と打ち合わせ 療養判定会議    長副会議
2:00起床。現在服薬中。ドック判定総括、徒然、5:05病院着。6:15回診、7:45-8:25管理会議、10:00-11:00医療安全管理者と次年度の活動等について打ち合わせ。16:00-16:40療養判定会議、17:00-18:45長副会議。20:50帰宅、夕食、21:30就寝。

医療崩壊(15)民間病院の崩壊(2)民間病院事情
 病院は低い診療報酬のもと、人件費その他をぎりぎりまで削減し、常に自転車操業で運営している。にもかかわらず日本の病院の72.8%は収支で赤字を計上している(2006年病院運営実態調査)。このうち自治体病院の90.7%が、その他の公的病院の59.6%が、民間病院47.3%が赤字である。

 自治体病院、公的病院には設立母体からの多額の補助金が回され、何とか経営が成り立っているが、各病院の累積赤字は巨額である。自治体病院、公的病院の経営には親方日の丸的甘さはないわけではないであろうが、これほどの、大部分の病院が赤字であることは、経営の努力の有無と関係なく、制度そのものが悪いことを示している。
 国民の健康を維持している病院が倒産の危機に面しているのに、何が健全な医療行政、何が世界一の医療だと言うのか。WHOの評価は間違っている。

 民間病院の経営はとても厳しい状況にある。補助金がなく大きな赤字を計上すると立ち行かなくなる。20年前の右肩上がりの好景気の時代には民間病院は9%前後の収益があり、増築や新築が相次いだ。10年前には収益が2%前後に、ここ数年は赤字続きとなっている。民間病院はこの10年間で約10%減少している。
 民間病院は経営が成り立つことが存続の絶対条件である。そのため私共の病院もそうであるが、民間の大規模急性期病院のベッド稼働率は90%以上が目標となっている。先の2006年病院運営実態調査によれば、自治体病院のベット稼働率は76.2%、その他公的病院80.1%、民間病院81.9%となっている。

 病院の利潤追求は禁止されている。禁止せずとも利潤が残ることなどあり得ない状況で、倒産しないために四苦八苦している。それでも民間病院は患者の立場を重視した医療を展開している。そのために評判の良い病院ほど、経営的には破綻寸前のところが多い。

 民間病院は設立資金の出所が違うだけで、その役割は公的病院と何ら変わらない。医療は国によって統制化され、設立母体が何であれ公共の役割を担っている。にもかかわらず民間病院には補助金は無く、逆に企業として税金を取られている。 
 民間病院の経営が極めて苦しいが、今回の診療報酬改訂は更に追い打ちをかけた。

 厚労省は民間病院を軽視をしている。日本の病院医療の80%以上を担っている民間病院の崩壊は日本の医療の崩壊を確実に加速する。


3/23(日)快晴 温暖 病棟拘束  自転車・バイクなど整備 
2:00起床、新聞チェック。医師会関連文献検討ほか。8:30救急カンファは欠。快晴で温暖、東京他各地で桜の開花が報じられている。午後、楽器練習若干、自転車、バイクを出す。13:30-18:45病院、重症患者回診、紹介状他。19:15帰宅、夕食、20:30就眠。

医療崩壊(14)民間病院の崩壊(1)今回の診療報酬改訂も厳しい
 平成20年度診療報酬改定が2月13日の中央社会保険医療協議会総会で決まった。産科・小児科などの病院勤務医の負担軽減策の他、年々運営が苦しくなっている民間病院への影響も気になる。今問題になっている医療崩壊は大規模公的病院、急性期病院中心の話題であるが、中小の私的病院は更厳しい運営を余儀なくされている。
 日本病院会・民間病院部会長の加藤氏がこの点について病院会ニュースで解説しているので一部を紹介する。短縮するために適宜表現を変えた。

■改定の第一印象を端的に言えば民間病院にとって不十分、不本意。
■この改定では民間病院の崩壊はくい止められない。
急性期大病院はある程度評価されたが、ケアミックスや療養病床主体の中小病院にとっては展望を持ち得ない厳しい改定。
本体部分が0.38%プラスだが、改定全体では連続3回のマイナス改定で、累計7%余りのマイナスとなっている。
勤務医への評価は不十分。勤務医に直接配分するべき。
診療所の時間外手当を高くすることで勤務医の負担を減らす発想は問題外。
病院の再診料を低くするのは患者が増加するため逆効果。
200床以上の病院の外来診療料は高いと言われるが、検査が包括されており、診療所の再診料と意味は異なる。
併科受診の再診料算定不可間題も残された。
指導料が、病院ではほとんど算定出来ない。
入院基本料10対1がある程度評価されたが、看護師不足対策も不十分。
民間病院の大部分は10対1が多いが、業務内容は7対1とほぼ同じなので、評価が必要。
200床未満の病院の外来管理加算要件となった5分間診療のルールは実態に即していない。診療内容を時間で評価するのは必ずしも妥当とは言えない。


3/22(土)曇天 病棟拘束  県医師会職員採用面接
2:00起床、ほぼ同時に家内帰宅。人間ドック総括x1。医療事故関連資料検討、5:20病院着。6:30回診他。8:30救急カンファ、退院総括他。13:30-19:15県医師会職員採用面接、一人募集に70人超応募、最終的に11人面接。16:00高血圧の講演会に。19:00帰宅、夕食、20:30就寝。

阿久 悠氏(2)大竹しのぶが歌った「みかん」
 ちょっと発想の転換があって先週MDに録りためた歌謡曲等の録音をかなり消去した。その中に作詞家、阿久 悠氏が出演したNHK-FM番組の録音があった。記憶も薄れていたので改めて聴いてみた。

 歌謡曲を聴く度に作詞は「アクユウ」と頻回に紹介され、どんな人か、どんな字なのか、まさか「悪友」ではあるまいと思っていたが「阿久 悠」と知り、かつ顔写真を見たのは僅か数年前に過ぎない。強面の「なまはげ」のイメージの風貌でさぞやきつくて恐い人かなと思っていたが、今回聴いた録音の声はしわがれ声で威圧感は全くなく、話しぶりに優しさを感じ取ってしまった。その風貌と話しぶりから感じられる印象の解離はとても大きい。

 氏の作品に「みかん」と言う曲がある。大竹しのぶが清純に歌い上げるのであるが、歌詞は留守中の男友達の部屋を訪れた若い女性が「部屋がとてもさびしく男臭かったのでテーブルの上にみかんを置いてきました。これは食べないでください・・」とメモを残して置くなどと、初老の私から見ればなかなか意味深長でもある。さらに歌の後半では列車で二人旅の情景となり、「小説みたいにこのみかん、窓から投げたくなりました・・」と歌う。何でここで小説なのかと思っていたが、彼の解説を聞いて奉公に出る女性が踏切で見送る弟たちに、駅で買ったであろうみかんを窓から投げてあげる、という情景を綴った芥川竜之介の短編小説「みかん」が背景になっていることを知った。

 私は40数年ほど前に読んだこの芥川の小品と、これを読んだ当時の学生寮の生活を懐かしく思い出した。
 死去されてから相当経つが、あらためてご冥福を祈りたい。


3/21(金)晴れ 退院患者・入院患者家族面談 県特別支援課員来訪 ドック診察 県医療審議会医療計画部会 消化器科との話し合い
2:30起床、ドック判定総括 徒然他。5:05病院着。6:15回診ほか。8:00救急カンファ。9:20患者家族来訪対応。10:00入院患者家族面談、療養病棟への転入同意書など作成。11:00県特別支援課員来訪。13:45 A Bank来訪、15:00-16:50県医療審議会医療計画部会。17:20-17:50消化器科と懇談。21:00帰宅、夕食、21:30就寝。  

阿久 悠氏(1) 出演したFM番組の録音を聴いて
 私は時折モノを急に整理、廃棄したくなる衝動に駆られる。
 先週あたりから体調がすぐれないことも関連したのであろう、急に思い立って書棚の古い文献を廃棄し、ついでMDに録り置いた古い歌謡曲等の録音も消去し、整理した。

 その途中で作詞家、阿久 悠氏が出演したNHK-FM番組の録音に出会った。録って置いたもののまだ、聴いていなかった。いつ頃の録音かの記憶はない。通常は録ると内容をマックで整理しておくが、それもない。

 私は所謂クラシック好きであるが、それに劣らず歌謡曲も好む。作詞家・阿久氏については前から興味を持っていたが、彼については殆ど知識はなかったから、つい消去するのも忘れて聴き入った。
 その録音は「窓」を話題に取り上げ、窓を直接的、間接的に扱った彼の作品数曲、「カモメという名の酒場」「街の灯り」「下宿屋」などが紹介されている。曲名だけを挙げても何で窓と関連しているのか分からないが、彼の解説で言いたいことの背景がよく解った。何れも名曲揃いなのだが、一層魅力が増したような気がする。その中で最も私の興味を引いたのは大竹しのぶが歌った「みかん」と言う曲である。

 魅力ある言葉を綴って時代をとらえた作詞家、阿久 悠氏(本名・深田公之)は昨年8月1日尿管癌のため死去した。6年前に腎臓癌の手術を受け、再発していたらしい。同日、私は手術を受け、不自由な思いをしながらベットの上で聴いていたラジオの深夜番組で彼の訃報を知った。

 まだそんなトシでなかったはずだ。手元にある資料によると、阿久氏は1937(昭和12)年、兵庫県の淡路島に生まれた。勉強もスポーツもよくできる優等少年だったとのことであるが、中学2年のとき肺結核で野球を断念、高校では映画鑑賞に没頭したらしい。明治大学文学部卒、広告代理店の宣弘社入社、やがてシナリオや詩を書くようになる。67年にザ・モップスの「朝まで待てない」で作詞家デピュー。70年には森山加代子「白い蝶のサンバ」がヒット、71年、尾崎紀世彦の「また蓮う日まで」でレコード大賞を受賞。レコード大賞は5回、作詞賞も8回受賞している。小説としては「瀬戸内少年野球団」が79年度の直木賞候補になり、篠田正浩監督によって映画化されている。

 氏は数え切れないほど、恐らくは5000曲もの作詞を手がけ、売り上げ6800万枚にも達したと言う。私の知っている曲はそれほどないが、それでも「また蓮う日まで」「せんせい」「わたしの青い鳥」「北の宿から」「ペッパー警部」「津軽海峡・冬景色」・・くらいは挙げられる。


3/20(水)春分の日 曇り  病棟拘束  No28ACO定期演奏会
 2:00起床。人間ドック等処理.徒然。疲労感あり救急カンファは欠とした。10:10病院着、回診、机上書類処理。14:00-16:10 No28アトリオン室内オーケストラ定期演奏会「名曲の贈り物」。肺の所見は2週間ほど経過観察に。19:00帰宅、夕食、20:15就眠。

鮫島有美子ソプラノリサイタル とても優美であった舞台姿、表情
 去る2月29日秋田市文化会館大ホールにてウイーン在住のソプラノ歌手鮫島有美子氏のリサイタルが行われた。そう滅多に聴ける歌手でない。これはABS秋田放送局の開局55周年記念事業の第一弾としての企画だとのことである。第二、三弾企画は何だろうか、楽しみである。

 鮫島有美子氏は東京芸術大学声楽科・大学院修了。ベルリン音楽大学に留学。1982年よりウルム歌劇場の専属歌手となった。確か、この歌劇場は若きカラヤンが経験を積み重ねていったことでも知られている。1985年にCD「日本のうた」が発売になり、当時はあまりこの様な企画がなかったので物珍しさもあって私も購入し、今も時に聴いている。1992年以降は、オペラ「夕鶴」のつうを国内外で演じて絶賛を得ているという。最近の活躍については私は殆ど情報はないが、長くCDで親しんで来たことで聴いてみようと思った。

 開演直前に入場したがほぼ満席状態。通路脇を取っていたのでゆったりと聴けた。曲は日本の叙情歌から世界の名曲まで10数曲で、世界的なプロ歌手の歌唱を十二分に楽しめた。私は詳細について判断する能力はないが、声量が今ひとつではないか?とだけは感じた。あえて抑えていたのかも知れない。そのためか名曲の一部は私にとって実に心地よい子守歌となった。これほどの大歌手の歌を聴きながら微睡むことが出来る仕合わせも味わった。「千の風」もなかなか良かった。ピアノ伴奏は洗足学園音楽大学・名古屋芸術大学客員教授の丸山 滋氏。

 歌以上に特筆したいのは舞台で見せた優美な姿、笑顔に満ちたさわやかな良い表情であった。どちらかというと地味な紫がかったロングドレスをまとった、比較的小柄なイメージで痩身、色白の純日本的丸顔の彼女は、舞台への登場から実に洗練された動き、表情を見せた。
 多くのソプラノ歌手の舞台姿も見事でいつも感心するが、どちらかというと過剰なメーク、表情もアピール度が過ぎるような感じを抱くが、鮫島氏の場合はあくまでも地味で、実に優美で感心した。長い経験に裏打ちされた自信がかもし出した余裕なのだろう。


3/19(水)曇り  外来 院内感染症対策会議 県医師会常任理事会
 2:00起床。人間ドック等処理.徒然。5:10Taxi病院着、6:20回診、病棟関連業務、8:00救急カンファ。8:45-14:20外来。CT撮影では望まざる方向のようだ。16:00-17:10院内感染症対策会議。17:30-19:50常任理事会。22:00帰宅、22:30就眠。

iPod shuffleを購入した(3) 音楽を身にまとっていると言う新しい時代感覚 
 

iPod shuffleとクワイアットコンフォート2
のワイヤレスコラボレーション

今回、iPod shuffleを購入した。Shuffleという言葉はあまり身近ではない。辞書で引いてみると、何かを混ぜる,ごちゃまぜにする、あちこちに動かす、わずらわしいものなどを捨てる・・・などの意味のようである。

 マア、確かにその通りである。iPod shuffleは無駄をすべてそぎ落としている。iPodシリーズの他のタイプには液晶ディスプレイを見ながら曲名の検索等が簡単にできるが、iPod shuffleにはこれらの機能はない。入力した曲を順序に再生するか、iPod任せのshuffle順にするかのどちらかしかない。音楽再生機器としては全く新しいコンセプトと言うべきであろう。

 曲の入力はデジタル音源をパソコンやネットを通じて直接メモリーやハードディスクに読み込んで行う。私は入力技術を持っていないから、購入後にクラッシック好きの青年に頼んでフルに入力して貰った。従って何がどんな順序で、どれだけ入っているか分からない。

 聴いてみると次々と曲が変わる。困ると言うよりむしろ面白いのだが交響曲などは一つの楽章が終われば全く別な曲に移ってしまう。従来の聴き方とは異なるが、一つの曲を数10分かけて聴くのとは別の新鮮味があって面白い。時代は変わっている。今回は古典、ロマン派・・とごちゃ混ぜに入れたが、例えば作曲家毎にiPod shuffleを別々に用意するのも面白いのではないか、と思った。

 IPodの上級機種はやや大きく手帳サイズであるが、内蔵されているハードディスク容量は大きく、音楽だけでなく映像も楽しめるようになっている。音楽だけで用いるとすれば数分単位の曲ならば2万曲を収納できるタイプもあるという。これだと私が持っているCDとかのデジタル音源は全て収まってしまう。
 要するに、CDなどを自宅のラックなどに並べて置く時代から、全てを持ち歩きいつでも、どこでも楽しめる時代になったと言うことである。また、曲はインターネットを通じてデータとして購入出来るからCDなどの音源も不要と言うことになる。

 音質を十分に楽しむには勿論不適である。そんな聴き方とは相容れないものであるが、時と場所を選ばずに気軽に音楽を楽しめる、と言うことがApple社の提唱する新しいコンセプトあろう。この、好きな音楽をいつも身にまとっているというイメージ、iPodの無駄を廃したスマートなイメージが若者達に受け入れられ、世界的に大ヒットし、瞬く間に類似のプレーヤーを駆逐した。スゴイものである。


3/18(火)曇り 外来 常務会 臨床研修修了証授与式 県病院協会臨時総会 医局送別会 
2:10起床、ドック総括x1。5:15病院、6:30回診・病棟業務。8:00救急カンファ。8:45-14:20外来、肺異常影精査開始。14:45-16:35法人常務会。16:45-17:20臨床研修修了証授与式。18:10-19:10県病院協会臨時総会に遅れて参加、講演会聴講。19:20-21:30医局送別会に合流。22:00帰宅。22:20就寝。

iPod shuffleを購入した(2) ワイヤレスヘッドフォン再来 
 今回、iPod shuffleを購入した。iPodシリーズの最小のタイプで、サイズはマッチ箱の2/3程度で27.3x41.2mmx10.5mm、重さは僅か15gである。1GB USBメモリーにデータを圧縮保存し、一般的曲なら最大240曲程度を録音・再生可能で、音域は20Hz- 20,000Hzをカバーし、充電式電池は12時間は持つという。

 私は音楽を聴き流すだけなら別であるが、詳細に聴き取ろうとしたとき、楽しもうとしたときなどはヘッドフォンを用いる。緻密な音を聞き取ることが出来るからである。30年来YAMAHA HP-1を用いてきたが最近はもっぱらBOSEのクワイアットコンフォート2を用いている。

 ヘッドフォンは利点も多いが、圧迫感と重量の問題は常に付きまとう。YAMAHA HP-1もBOSEもこの面では合格である。私にとって最大の欠点はコードの存在で、邪魔である。そのため私はHP-1を改造しFM発信器と受信機を用いたワイヤレスヘッドフォンを自作すると共に、ソニー製の赤外線ワイヤレスヘッドフォンも購入してみたが、両者とも受診域に制限があり、FMや赤外線への変換が介在するために音質が劣化し満足できなかった。その後、MDの利用も考えたがヘッドフォンに装着するにはサイズの面でも、重さの面からも不自然で長時間の装着は無理であった。

 iPod shuffleの購入の目的はBOSEのクワイアットコンフォート2のワイヤレスヘッドフォン化のためである。数年振りのワイヤレスヘッドフォンの再来となった。まだ数日しか用いていないために何とも言えないが、電波や赤外線の届く領域を気にしないで何処でも使えるし、音質のロスはないし、と今までの中では最良のレベルで、期待したとおりである。
 毎朝、毎晩の通勤時にとても役に立っている。


3/17(月)曇り 管理会議  外来 療養判定会議 長副会議 
1:30起床。本読み。新聞チェック。メール返事数件。5:10病院着。6:15回診、7:45管理会議、8:45-14:10外来。16:00-16:20療養病棟判定会議、17:00-20:45長副会議。21:30帰宅、夕食、22:30就寝。

iPod shuffleを購入した(1)  
 一昨日、iPod shuffle を購入した。
 iPodは2001年の発売以来、若者を中心に爆発的に売れているデジタル音楽機器で、当初から興味はあったが保守的な私は手を出すまでにいたらなかった。世代の違いは大きい。我が家の3人の子供達はそれぞれがiPodを用いている。借りて聴いてみたが、サイズからは考えがたい音質、容量、高レベルの検索機構には感心したが、それほどの魅力は感じていなかった。
 私には多少の不便さとサイズなどの問題はあるが、MDデッキで充分と考えていた。一昨日までは。

 私の音楽ソースはSpレコードからLPレコードとCDとLDに替わった、録音用としてはオープンリールデッキからカセットデッキ、次いでS-VHSビデオデッキに替わり、数年前からはMDデッキのみになった。LPレコードとCD、MDが今の私の主たる音楽ソースである。

 出張時などの移動の時間は音楽を楽しむ時間でもある。用いる機器は小く軽いほど良い。ポータブルタイプのカセット、CDプレーヤーを経て数年前から再生専用MDデッキをBOSEのノイズキャンセル付きのヘッドフォンで聴いていた。

 先日の仙台出張の際、新幹線の騒音対策としてヘッドフォンは持ったもののMDデッキまではなかなか持つ気にはならなかった。体調が万全でなかったこともあってMDデッキの重量、サイズも、充電とかの準備も面倒で負担だった、ということだったのだろう。

 新幹線の中でウトウトしながらMDを持たずに来たことを反省していたが、その時突然、こんな時はiPodならどうだろうか?と考えたのが購入の引き金となった。


3/16(日)晴れ・曇り 病棟拘束 iPod shuffle購入
1:30起床。ドック判定総括、新聞一週間分チェック、など。救急カンファは休むこととし7:30-9:00再度就寝。9:30-11:00文献整理。秋田医報用の原稿校正、秋田医報巻頭言用の原稿を中心。13:00-14:00楽器久々練習。16:00-19:20病院、19:40帰宅・夕食、21:00就眠。

医療崩壊(14)「医者の不養生」のルーツは医療政策の拙さから
 日経メディカルオンラインの調査結果を続ける。
 アンケートの自由記述欄のには以下の様な意見が見られた(短く改変)。
◆ 医師自身の健康管理やメンタルヘルスは重要視されていない
◆ 患者に指導していることを自分で実行できれば、どんなに良いか
◆ このままでは長生きできない
◆ あまりにしんどい。患者の方がよほど健康だ
◆ 自分はうつ病ではないかと思いながら生活している
◆ 不調だが、他の医師に診られたくない
◆ 自分の病院だと、恥ずかしくて診てもらいにくい
◆ とにかく勤務時間が長く、生活が不規則になる。
◆ 朝食はとるが、昼食は抜き、夕食は早くとも21時以降
◆ 労働基準法を厳格に適用してほしい

 厚労省はどう考えているのか、と言うことで編集部は厚労省医政局医事課課長補佐の井内努氏の意見も載せている。彼は、「男性若年層の医師に関しては確かに労働時間が長いというデータがあり、負担軽減の手立てを講じていきたい。ただ、医療従事者の健康管理は、基本的にはまずそれぞれの医療機関が考えるべきこと」と語っている。

 同じようなことは前の柳澤厚労大臣も述べたと記憶するが、私は大臣や厚労省の職員がこんなことを言っているようでは医療崩壊はとどまらないと思う。
 長年、低医療費政策を進め、医師養成数を制限してきた。しかも、時代の読みも拙かった。結果として医師不足と偏在、過酷な急性期医療の労務環境が生じてきた。この厳しいレベルをもたらしたのは医療政策の誤りであるうにもかかわらず、責任を認めようとせず、医療現場で対応せよという。こんなバカな、もう医療現場で対応できるレベルをとうに越えている。ここに至ってすらも、繰り出してくる医療政策はほぼ全て経済的視点からだけである。

 もう、ここまで至ると医療崩壊は止められない。止めることが出来るのは、抜本的医療政策の改善だけである。


3/15(土)曇り 病棟拘束前半 東北医連理事代表者合同会議
2:00起床、体調殆ど改善。文献検索、徒然。5:10病院。6:30回診他。8:30救急カンファ。文献整理ほか。12:55こまちで仙台へ、16:30-19:00東北医連理事代表者合同会議+情報交換会。19:38こまち、21:55秋田着、22:15帰宅、23:00就眠。

医療崩壊(13)「医者の不養生」は業務環境の劣悪さに由来
 医師は患者の健康を守る仕事なのに、自らの健康管理はお座なりになっている。主客転倒に近いが、現状はその通りである。

 私が外来診療を行っている隣では別の医師が診察しているが、実に熱心に生活習慣の是正の必要性を患者に説いている。その医師本人はどんな生活振りなのか私には知るよしもないが、隣でその指導を聴いていて患者達はホントに恵まれている、と思ってしまう。私の生活はその医師の論理から言えば「健康管理最悪者」、「生活習慣是正必須者」とレッテルを貼られそうである。一方、「そんなことはとうに分かっているけど、止められないのだよ。止めたらどうなる?」、それが現実である。

 私は「典型的不養生医師」であることを自認している。しかも、かなり異常なレベルだと思う。私にも責任があるが、私が置かれている立場の方にも原因がある。だから言いたいことはいくらでもある。ただ、私が個人の立場でいくら主張しても特殊な例として無視され、真意は伝わらない。

 だから、他のデータを参考にする。「医者の不養生」について、日経メディカルオンラインが2007年10月に実施した調査結果を紹介する。これに医師841名が回答している。短くするため若干改変している。Nikkei Medical 2008.1に掲載されているので参照されたい。

<Q1>貴方は不養生ですか? 強く思う22.9% 少し思う54.9%、あまりそう思わない19.0%、全くそう思わない2.6%。

<Q2>身体的健康状態は良好か? 良好と思わない35.2%、全く良好でない 6,2%。

<Q3>どこが不養生ですか? 運動不足69.8%、仕事上ストレス45.8%、働き過ぎ41.3%、食習慣41.1%、睡眠時間が少ない37.7%。

<Q4>精神的には不健康ですか? 強く思う18.4% 少し思う36.5%、あまり思わない36.4%、全く思わない8.4%。

<Q5>不調でも休めないか? 強く思う66.0% 少し思う27.7%、あまり思わない5.0%。

<Q6>自身で診断治療していますか? はい88.3% いいえ11.5%。

<Q7>健康診断を十分に受けているか? 全く不十分15.3%、十分でない34.6%。

<Q8>仕事のストレスが強いか? 強い37.9% 少し思う44.1%。ちなみに厚労省の「労働者健康状況調査」では、ストレスを感じている労働者は61.5%。医師は8割を超える。

<Q9>週の平均労働時間は? 約59時間25分と、労働基準法が定める時間の約1.5倍。週80時間を超える労働をしている医師は17.2%。

<Q10>平均睡眠時間は約5時間55分で、睡眠5時間以下の医師が34,1%

<Q11>食事に関しては? 少し不健康29.3%、とても不健康が10.2%

<Q12>運動不足については? 強く思うが53.7%、少し思う」32,8%

  以上から医師の労務環境、生活環境の厳しさがうかがわれる。
  回答者はこの調査に共感した医師達であろうから、多少のバイアスがあるだろうがこんな結果が出るような労務環境は改善しなければならない。


3/14(金)晴れ 日医病院委員会原稿送付  法人理事会 N響秋田公演(聴けず)
1:30起床、体調かなり改善。ドック判定総括、徒然、5:10病院着。6:20回診+関連業務他。8:00救急カンファ。日本医師会病院委員会原稿校正、送付。17:30-19:10法人理事会。20:30帰宅。21:00就寝。N響秋田公演は私の好みの曲が並んでいる。スケジュール上一部聴けそうになったのは数日前、しかし、チケットが入手できなかった。

医療崩壊(12)「医者の不養生」と「女性医師問題」には共通点
 「医者の不養生」と言う言葉は比較的よく知られている。「藪医者」と同様に医者をバカにする言葉の一つである。
 医者自身は決してバカでもなく不養生ではない。過労とストレスから心身ともに疲弊し、健康不安を抱えながらも多忙のために対策をとる事も出来ず、耐えて仕事をしているだけである。体調が不良になっても、病気になっても、自分でこっそりと検査を受けて,自己診断して薬を選び、我慢してつらさをやり過ごしている。だから、「医者の不養生」等と言って医者をバカにしているとこれから病院に医師はいなくなり、医療は崩壊に向かう。

 医師が時に入院してくる。結構病気が進んだ状態にある。カルテを調べると自分では結構いろいろ検査や服薬をしているが、第三者から見て多くは中途半端で、時に的がずれている。

 医療崩壊の一因として「女性医師問題」がある。しかし、問題のルーツは女性医師にあるのではなく、妊娠中・子育て中の女性医師が医師の過酷な労務環境に入り込めないからである。だから、女性医師問題を解決するには医師の労務環境の改善が必須である。これと同じ論理で「医者の不養生」という言葉の持つ問題点に対して何も対策をしないと、これからは医療崩壊が進んでいくだろう。医師の気質も時代と共に変わっていくからである。

 私は決して丈夫な方ではない。子供の時からひ弱であった。今も年に何回も何回も風邪をひく。毎日風邪の患者とつきあっているのだから半ば当然でもある。体調が悪くとも仕事に穴を開けられない。特に外来は休むと患者や同僚医師に大きな迷惑をかけることになる。医師になってから今まで、昨年夏に手術のために10日間ほど入院したが、この時を除くと医師になって約35年間、外来を休んだのは一回だけである。この日は40℃の発熱で出勤はしたもののダウンし、最小限の病棟業務だけこなし、外来は休ませて貰った。

 ここ数日も不調であったがやっと回復してきた。水曜夜の高熱はなくなっていたが、強烈な咽頭痛でつばを飲み込む度に咽頭に激痛が走り、その痛みは頚、頭、顔面迄放散した。だから、木曜日の外来は厳しかった。私の外来は例えが悪いが「100円ショップ的外来」で患者数は多いが病院の運営にあまり寄与していない。だから、体調が悪いと一層ストレスになる。予約患者が約60名、8;45-14:30までかかった。殆どの患者は私よりも元気ではつらつである。診療介助についた看護師、看護助手は私の異常に気付かなかったらしい。

 医師は使命感があるから自ずから働き過ぎになりやすい。また、周囲はそれを当たり前の如くにとらえていた。日本の医療は医師の我慢と自己犠牲で何とか維持できてきたが、これからの時代はこのままであってはならない。ホントはもっと旱く勤務医が過酷な労務環境に抗議の声を挙げるべきだったのだ。


3/13(木)晴れ 外来 研修管理委員会 
1:00起床。体調悪く直ぐに再就眠。3:00起床、家内帰宅、3:30また呼ばれて病院に。4:45帰宅、入れ替わり私が出勤、5:10病院着。体調不良で回診無しに、ファックス、オーダリングで懸案事項処理他。8:00救急カンファも欠。8:45-14:20外来。不調なときの外来は辛い。16:00-17:00研修管理委員会。17:10病棟回診、患者対応他。19:50帰宅。夕食、20:30就眠。

「後期高齢者医療制度」、75歳以上の高齢者を後期としたのは非人間的だ
 4月から新しい医療制度「後期高齢者医療制度」が始まる。対象は75歳以上の方と一定の障害を持つ65歳以上の方である。従来の「老人保健法」でも、被保険者の年齢や窓口負担等の引き上げ等を行ってきたが、なおも増え続ける高齢者医療費の財政負担を抑制するために設けられた制度である。

 「老人保健法」では家族等の被扶養者であった場合に追加的な保険料負担がなかったが、「後期高齢者医療」では、被保険者ごとに保険料が課せられることになるため、その世帯では新たな負担増となる。一人あたりの保険料の平均額はすごく幅広いが6万円程度で、年金から天引きになる。

 「後期高齢者医療制度」はいろいろ問題点を含んでいるが、私はこの「後期」という枕詞に憤りを感じる。75歳以上の方は確かにかなり高齢であるが、人生の可能性は終わったわけではない。この高齢者の方々を「後期」という言葉を付けてまとめた所に高齢者軽視の風潮を感じ取ってしまう。「後期高齢者」という言葉に先々の展望を読み取ることは出来ない。先のない、先細り、終わりの時期、と言うニュアンスである。要するに、軽視である。現実的に「後期高齢者医療制度」では通院や治療上でもいろいろな制限が行われるはずである。

 この分類はもとを辿っていくと日本独自のものでなく、WHOの分類によっている。WHOでは65-74歳を「前期高齢者」75歳以上を「後期高齢者」と分類しているのでわが国でもこれを踏襲したのであろう。要するにWHOの考え方に問題があるのだ。

 あえて高齢者を分類するのであれば、65歳以上を「前期高齢者」75歳以上を「高齢者」とすれば良かった、と思う。私もあと3年ほどでその域に達するが、急に「高齢者」と言われるより「前期高齢者」と言われる方が何となく受け入れやすい。
 制度の名称に「後期」とつけたのは拙かったと思う。それにしても、呼び方を始め、保険料の高騰、受けられる医療そのものも狭められようとしているが。お金を納め、医療を受ける主役である国民の声、高齢者の声がさっぱり聞こえて来ないのは何故なのであろうか。


3/12(水)快晴  外来 県身体障害福祉専門分科会・審査部会 県医師会委員会 体調不良となる
 
2:00起床。ドック1名、医師会文章校正.5:10病院着。6:30回診他、8:00救急カンファ。8:45-14:10外来+人間ドック診察。県身体障害福祉専門分科会・審査部会。18:30-20:00県医師会委員会。この頃から体調に違和あり。悪寒・発熱
あり、こんな時はひたすら寝るに限る。20:30帰宅、そのまま就眠。

二日続けてJAFの世話に(2) バイクのために家族会員を申し込んだ
 JAFに電話したところ,2回とも20分程度で現場に到着した。JAFでは電話をかけた時点で車の種類や故障の状態などを詳しく聞くが、その理由は故障や車のタイプによって時には軽自動車で来る場合もあるし、バイクで来ることもあるらしい。例えば鍵を閉じ込めたとか、バッテリーあがり等の場合はこれで十分で、無駄を排し、迅速に対応するためという。今回の2件はレッカー車タイプで来た。路上で直らない場合には前輪を持ち上げて牽引して移動するためである。

 JAF車にはいろいろな装置や機能が付いていて故障箇所を手際よくチェックしていく。見ていて楽しい。ホンダはFF、スバルは4WDだからスバルの場合レッカータイプではダメなのではないかと心配したが、げすの勘ぐりと言うことで、プロの手にかかると4WDの機能を外せるのだという。外せないタイプの車の場合は荷台に乗せて移動するタイプで来るらしい。

 で、2台とも牽引して馴染みのディーラーに持ち込んだのであるが、ホンダ、スバルのディーラーは自宅からそれほど遠くない秋田市内の新国道に隣り合わせにあるので、殆ど移動することなく2台の修理の手続が出来たのも有り難かった。
 大体、経年車とはいえ、二日続けて電気系統の重要な部分が相次いで故障するなんてあることなのだろうか??あまりの偶然さに感心してしまった。

 JAFの作業員は作業一式終了後に運転台でパソコンを繰っていた。携帯電話の回線を使って仙台支社にデータをやり取りしているのだという。確かにこのシステムだと各県毎に24時間体制の事務局を置く必要がない事になる。とても合理的でここでも感心した。

 私は春先から秋まではバイクを用いるが、バイクの故障は車よりも手がかかって大変である。最も多いパンク一つででもスペアタイヤはないし、押して移動することも牽引することも出来ない。ガソリンスタンドでも扱ってくれないから途方に暮れることになる。
 
 今回の2件を経験して迅速かつ機能的な対応に感心したので家族会員を申し込んだ。これで今年は心配を少し軽くして走れそうである。


3/11(火)晴れ  外来 常務会 県健康づくり審議会感染症対策分科会 秋田県がん診療連携協議会 医局会・MC(欠)
2:00起床,ドック判定総括1名、徒然ほか。5:10病院着、6:15回診、定期処方箋発行、8:00救急カンファ。8:45-14:20外来、14:30-16:30常務会、17:30-19:10秋田県健康づくり審議会感染症対策分科会(県環境センター)、中座して18:30からの秋田県がん診療連携協議会(View)に出席。医局会・MCは小児外科「急性腹症」、欠席。21:30帰宅、夕食、22;10就眠。

二日続けてJAFの世話になった(1) 経年車には必須だ
 3/8(土)22:00頃、家内が帰宅途中、組合総合病院近くの路上で突然車のライトが暗くなり、ラジオやエンジンが停止、その後スターターを回せどウンともスンとも言わなくなったとの連絡があった。
 要するに走行中にバッテリーがあがってしまったということで、発電機系統の故障である。オルタネーターベルトが切れた?と思われた。私は午後に行われた医師会代議員会の後の情報交換会で若干酔っていたので行くことが出来ずJAFに連絡した。
 車は15年目のスバルレガシーセダンで、最近は故障が頻回である。ベルトは切れていないとのことで、結局その場では直らず、ディーラーまで牽引して貰った。家内は会員なのでJAF経費は無料であった。
 翌朝、ディーラーの検査にてオルタネーター内部の故障で部品交換が必要で数日かかると判明した。

 翌3/9(日)9:00頃、別の車で家内が病院へ向かう途中、2Kmほど走ったときに突然エンジンが停止、その後スターターを回せど再始動しない、バッテリーもあがりそう、との連絡があった。私も病院に積もりであったが、急遽そちらに向かった。道路の真ん中で停止している。結構他の車の迷惑にもなっている。結局、再始動できず何とも出来ず、JAFを呼んだ。家内は私の車で病院に向かった。
 誰かが連絡したのであろう、外旭川の派出所からパトカーが来て警察官が車を路肩まで押してくれた。別に悪いコトしたわけでないと思うが、しっかりと身元調査までされた。JAFが到着し、簡単なチェックでスパークプラグに電気が来ていないためと判明した。これも路上では直らず、ディーラーまで牽引して貰った。このクルマは15年目のホンダのデルソルである。同じく、JAFの経費は無料であった。
 ディーラーの検査にて点火装置のイグナイター内部の故障で部品の交換が必要と判明した。

 私は40年ほど車を使っているが、路上で何とも出来なくなったという経験はなく、JAFにも入っていない。家内は10数年来の会員で鍵を閉じ込めたりしてしょっちゅうお世話になっているようである。
 今回、二日連続で世話になり、私もJAFの能力・機能に感心した。わが家では原則的に走らなくなるまで、20年近くも同じ車を使う。私のバイクも20歳近くになっているのでいつ路上で止まるか分からなくなっている。
 私も発想を変えて家族会員としてJAFに入会することとした。


3/10(月)晴れ・温暖   管理会議  安全管理者と巡視    療養病棟入棟判定会議 長副会議
2:00起床、ドック判定総括x1他、徒然 。4:10早めに出勤、6:15回診、7:45-8:20管理会議。10:00-11:00安全管理者と血液浄化部門巡視。16:00-16:30療養判定会議、17:00-19:40長副会議。21:00帰宅、夕食、21:45就寝。

 医療崩壊(11)看護師不足(2)県内看護師の退職、就職状況
 秋田県内の医療関係4団体、県医師会、県歯科医師会、県薬剤師会、県看護協会は年に一回懇談会を開催している。今年は各界の「崩壊」の現状について意見交換した。その際、県看護協会が配付した資料を眺めてみると県内の看護職種をめぐる事情の一部が見えてくる。資料は分かり難いがその中から適宜抽出した。

 まず、年間に実に多数の看護師が退職・離職している実態に驚かされた。県内78病院における平成18年度看護職員の退職者調査は以下の如くという。 

■18年度病院の退職者数は570名。
■退職者は、看護師408名(72%)、准看護師132名(23%)。
■退職看護師は20代が210名(38%)、50代が132名(23%)、40代は71名(12%)。
■退職理由は、他分野への興味93件(16%)、健康上の理由74人(13%)、結婚71名(12%)、その他であった。
■ その他として挙げられた理由:進学、他の施設に就職、大学教員に、所属部署の廃止、臨時採用の満期、死亡、夜勤業務が会わない、実家に帰る、人間関係、自分に合わない、自信喪失・・・

 退職のピークは20歳代が最多だから、恐らくは結婚・妊娠・出産が主と思っていたが、意外と他の分野への興味が生じたための転職も多いのに驚いた。国家資格まで取ってもそれが生かされないのは残念な事でもある。

 退職者がでれば当然補充することになるが、平成19年度に71病院に行った 医療従事者採用調べでは以下の状況を知ることが出来た。

■ 求人は21職種で、929人と昨年度に比し231人の増加。
■ 最多は看護師516人(57病院)で、准看護師74人(28病院)、看護助手57人(11病院)、介護福祉士49人(9病院)。
■ 採用人数は看護師405人で昨年の321人より84人も増加。准看護師34人、看護助手39人。
■ 私的病院では採用者総数中の看護師の占める割合は公立や公的病院に比し低い。採用された准看護師、看護助手は全て29の私立病院の採用。
■ 今年度は看護師が111人不足した(公立5人、公的18人、私的88人)。准看護師40人、介護福祉士32人、看護助手と薬剤師の18人が不足した。

 採用人数は看護師405人で昨年より84人も増加しているが、これは「7:1看護」及び「72時間以内2人体制夜勤」などの影響と考えられる。その煽りを私的病院がモロに受けている。いずれの職種においても私的病院の採用不足が目立った。私的病院は公立や公的医療機関ほど注目されないが、経済的にも、マンパワー確保の面でも厳しい運営を余儀なくされている。

 病院で看護師を募集しても111人も不足しているのだから売り手市場である。その面でナースセンター登録者に注目してみる。秋田県ナースセンター登録者120名に対して行った調査は以下の結果であった、と言う。

■ 未就業者の希望施設は、「診療所」15%「病院」11%。
■ 雇用形態の希望は、「臨時」63%、「日勤のみ」が77%、「月-金」が70%以上。

 病院勤務を望む看護師は少なく、ウイークデイ、日勤帯だけの臨時採用の希望者が多い。従って、現状のナースセンター登録者の希望と、病院の希望との間には大きな解離があり、センターからは殆ど看護師は紹介されない、と言う現実が読み取れる。
 この調査結果からも秋田県の医療機関の状態、特に病院の看護師不足の現状が見て取れる。特に私的医療機関は厳しい状況にある事が分かる。


3/9(日)晴れ、曇り 病棟拘束 
2:30起床、ドック判定総括x1。9:00病院に向かった家内の車が路上で故障、JAFを呼びディーラーに牽引搬送。スパークプラグに電気が来ていないと言うことで部品交換となる。15:30-19:30病院、20:00-20:45外食、21:10就寝。本日は穏やかな一日であったが昨年も含め3年連続寒波が来た日。特に昨年は夜半から暴風雪状態。今期最長、最高の荒れ模様であった。

医療崩壊(10)看護師不足(1)熾烈な獲得競争
 平成18年度の日本病院会の調査によると解答した666医療機関の喫緊の課題は(1)看護師の充足が72.2%、(2)医師の充足が71.5%(3)病床利用率の向上が49.4%・・と続いた。医師不足問題と同様に看護師不足が著しく、医療崩壊の一因となっている事が伺われる。

 平成18年度診療報酬改定は医師不足・看護師不足の現状でのマイナス改定であり、「医療の崩壊スパイラル」に一層の拍車をかけた。看護師問題について言えば、「夜勤72時間問題」、「正看比率問題」、および「各病棟2名の有資格者当直問題」へ対応を迫られた。
 最も深刻なのは「7:1入院基本料問題」で、医療・福祉の現場に多大な混乱を起こした。この、より厚い看護体制は一歩看護の理想に近づいた体制であるが、看護師の不足の状態では超高度医療機関に限定して施行されてしかるべきであった。しかしながら、「7:1入院基本料」は生き残りをかけた病院にとって魅力であり、結果的に理念なき看護師獲得競争の源となった。

 平成18年度の適応病床が55,000床、平成19年度は187,000床と僅か一年で3倍に激増した。このために中小病院、診療所、更に福祉現場において看護師が引き抜かれ、補充が困難になるなどの多くの問題が生じた。そのために病床閉鎖を余儀なくされた医療機関も少なくないと聞く。

 医師不足に対して厚労省は昨年「緊急医師派遣システム」を作った。わが国において看護力を安定的に維持するためには、■養成数増加、■離職防止対策、■看護師の届け出制、■復職再研修、■院内保育所の整備、等が求められるが、看護師不足に対してはこの間何一つ目に見える改善策は行っていない。
 現在、免許を持ちながら働いていない潜在看護師が約55万人もいるとされるが、そのうちの10%の5万人が医療の現場に戻ってくれば当面の看護問題は解決することから政策として緊急に取り組んで欲しいものである。

 本年度は昨年ほどの派手な看護師獲得の動きは目立たなかったが、秋田県の看護師養成機関を今春卒業する予定者への求人は従来の2倍に増加し、首都圏のみならず各県の代表的病院の募集があり、看護部長、病院長の訪問は頻回であったという。平成18年度の新卒看護師の県内定着率は、今のところ従来と大差は見られていないという。
 しかし、秋田でも看護師不足は医療崩壊の重要な因子である事に変わりはない。


3/8(土)快晴 病棟拘束 歯科治療 県医師会No133定例代議員会     
 
2:00起床。ドック判定総括、徒然。5:10病院着、6:20回診+病棟業務。8:30救急カンファ、10:45-11:30歯科治療、15:00県医師会。15:30-17:00秋田県医師会常任理事会。17:20情報交換会。18:00中座し、帰宅。22:00就眠。

医療崩壊(9)薬剤師も供給過剰から機能的崩壊に向かっている
 医師は絶対的不足、歯科医は養成過剰で崩壊状態にある事が分かったが、秋田県薬剤師会の情報提供で薬剤師も供給過剰状態にあり、それでも今なお養成機関が増加している状況が理解できた。結果的に大学の一部は定員割れ状態にあり、薬剤師のレベルは急速に低下し、機能的に崩壊が危惧されているという。

 薬剤師の養成状況を見ると、2003年4月に約20年振りに岡山県の就実大学と九州保健福祉大学の2校が薬学部を開設した。続く04度には日本薬科大学と千葉理科大学の2大学が新設、青森大学など既存の5大学が薬学部を増設した。以降、07年までに26大学が設立されている。
 その結果、07年の薬学部の入学定員は71大学72学部で入学定員は13.274人(6年制12.010人、4年制1.264人)となっている。

 厚生労働省は、2002年に薬剤師問題検討会が報告書をとりまとめた。それによれば、早ければ2006年にも需要は頭打ちとなり、2037年には薬剤師は36万人となるが、需要は23万で、13万人もの余剰が出ると予測した。その後、医薬分業の進展や6年制教育開始などを受け、若干事情が変わってきたようであるが、供給過剰状態が続くと結論つけた。にもかかわらず、本年、08年度には慶應義塾大薬学部が認可され、鈴鹿医療科学大学薬学部、立命館大学薬学部、千葉科学大学薬学部が認可申請中である。

 これまで20年間もなかった薬学部の新設が一気に進んだ背景には、政府の規制緩和方針がある。学校教育法等の一部が改正され、大学や学部の設置認可が受けやすくなった影響が大きい。文科省は養成機関をコントロールすることは困難で、基準に達した申請は認可せざるを得ないとしているので、まずは厚労省が需給計画を立てて、国として養成計画を作成すべきである。

 秋田県医療関係団体の今回の相互の情報提供によって、医師、歯科医師、薬剤師の養成問題には各々重大な問題があることが理解できた。ただ、秋田県の薬剤師の需要と供給状況、現状の問題点についての詳細は知ることは出来なかった。

 歯科医師と薬剤師は養成過剰で、医師と看護師は明らかに養成数不足で四師会共に機能的に崩壊状況に向かっている、と言えよう。
 この問題に関して、もっとも問われるべきは国、厚労省の医療の将来像に対するヴィジョンの欠如、場当たり的な対応である。


3/7(金)曇・晴れ 外来   ドック診察 特養ホーム職員面談
2:00起床、ドック他処理、徒然。5:10Taxi病院着、6:30回診と病棟関連業務。8:00救急カンファ。8:45-14:00呼吸器科長担当の外来代診+ドック診察。入院患者関連で特養ホーム職員面談。患者関連書類処理。法人理事会なし。20:30帰宅、夕食。21:15就眠。

東京と秋田の天候の違い(2)一見ハンディなのだが
 降雪の中で出発したが、東京は雲一つない快晴で暖かであった。日常着ているコートのままで出かけたが、都内の移動中は暑く若干辛い。日本医師会館での会議中は上着も不要であった。ただ、帰路は日も陰っており、吹く風はかなり冷たく感じた。寒暖差は結構あるようだ。

 感染症等危機管理連絡協議会自体は厚労省の感染症担当者からの感染症関連法の改正、麻疹・風疹対策、肝炎総合対策の説明が主で、それほど大きなインパクトはなかった。

 日医への出張の際、浜松町の駅構内にある大規模書店に寄るのが楽しみである。新聞などで新刊書の紹介欄はこまめにチェックしているが、棚に所狭しと並べられた本がある書店は別世界で、見ているだけで楽しく飽きない。ここに来る度に私に与えられている時間の残りが本当に少ない、と意識する。早く、少しでも元気なうちに道を変えねば、といつも焦ってしまう。とりあえず気に入った新書5冊を購入したが、実際いつ読めるか分からない。

 18:00発のJALは秋田空港が降雪で、着陸不能の場合東京に引き返すとの条件下での搭乗であった。何度かこのような条件下で利用したが幸い一度も引き返したことはない。一種のインフォームド・コンセントであろう。搭乗機は通常のMD-90でなく、より大型のA300-600R型であった。そのためか座席には随分余裕があり快適であった。秋田空港で故障し修理したMD-90はまだ運行に復帰していないのだろうか。 

 関東を出る頃に機長からの飛行状態に関する状況説明があったが、声も言葉も綺麗で説明も淀みなく、アナウンサーにしても十分通用するような良い声であった。山形上空にさしかかった頃再度放送があり「空港付近の天候は着陸可能な状態に戻っているが、滑走路の除雪作業が間に合わず、15分ほど上空で待機する。当機は東京に戻る分の他待機時間も考慮して燃料を積んでいるのでご心配なく・・・」と付け加えた。実に懇切丁寧な説明で感心した。機は説明のなめらかさに勝るとも劣らないほどソフトに着地した。

 駐車場は白一色である7-8cmの積雪が加わり白一色である。秋田道は市内に近づくにつれて雪はなくなったが、所々鏡面状に凍結しており、時に斜めに走るなど、緊張を余儀なくされた。

 狭い日本であるが、国土が南北に長く所によって気候はかなり異なる。東京に比較すれば秋田の生活は一見不便であり、快適さから見ればハンディである。しかし、ハンディ以上に何か良いものををもたらしているのではないか、と考えたい。秋田以上に厳しい環境に住んでいる人達はもっともっと何か良いものを得ているかも知れない。


3/7(木)降雪 入院患者家族面談 外来 ミサワ来訪 救急告示医療機関設備基金運用委員会
2:00起床。ドック判定総括他、5:10病院着。6:15回診、7:00患者家族面談、8:00救急カンファ、8:40-14:30外来+ドック結果説明。15:00ミサワ来訪。18:00救急告示医療機関設備基金運用委員会。20:40帰宅、21:10就眠。

東京と秋田の天候の違い(1)
 昨日は日医感染症等危機管理担当理事連絡協議会に出席のために東京に出張した。

 いつもの如く出勤、回診等、済ませたが前日から不調の高齢の入院患者2名ほど一見して不調そうである。検査、レントゲン等の指示を出し、出張の間業務代行をお願いする医師に簡単な申し送りを準備した。9:10am過ぎより更に苦痛が強まったと連絡あり再度回診等で対応した。出発の時間が迫って来てはいたが、看ている看護師達の不安を考えると、対応せざるを得ない。朝よりも若干悪化しているならば出張は中止か、とも考えたが、何とかなりそうだ、と判断、対応のルートを再度指示し予定より10分ほど遅れて秋田道経由で空港に向かった。
 何故か、出張直前にこの様に不調になる患者が発生するようなきがする。不思議である。因果関係は勿論あるはずもないが、このために重要な会議を出発直前にキャンセルしたことも数回に上る。

 途中、かなり飛ばして空港には10:35am到着したが、その時10:00発JAL機、A300-600型機が轟音と共に離陸していった。本日も雪のため遅れたのであろう。

 空港付近はかなりの降雪である。駐車場も混雑しており、第二駐車場の端に駐車、300mほども歩いたが、東京の天候に合わせて底が平らな靴を履いて来たものだから足下が滑って冷や汗ものであった。

 航空券は最近JTBの知人を通じて購入しているが、ANA、JAL共チケットレスと言うことで手元に届くのはA4版の簡単なプリントだけである。ANAはそのままで搭乗可能、JALは空港とかでチケットに交換するのだが、こんなプリントならコピーでも代用できそうだし、机上の書類に紛れそうで要注意ものである。

 10:55発ANAの後方座席はガラガラで快適であったが、羽田が混雑と言うことで10分ほど上空で旋回した後静かに着陸した。機は沖止めでバスで空港ビルまで移動した。モノレールを待っている間に病院から連絡あり、二人の患者はそれぞれ適宜専門分野の医師によって対応されているとのことで安堵し、駒込の日本医師会館に向かった。

 東京は雲一つない快晴で暖かかであった。僅か1持間の移動でこの差である、北国のハンディを感じてしまう。


3/6(水)曇り 日医感染症等危機管理担当理事連絡協議会 
1:45起床。ドック判定総括x1他。徒然。5:10病院着。6:15回診他、8:00救急カンファ、9:00患者2名不調で対応、9:55病院発、10:55ANA、767-300、後部は40%ほどで快適。14:00-16:00日医感染症等危機管理担当理事連絡協議会。厚労省の方針説明中心。JAL18:00発、めずらしくA300-600、後部は25%ほどで快適。秋田空港の除雪の関係で15分ほど上空待機し、約30分遅れで到着。20:15帰宅、夕食、21:45就寝。

医療崩壊(8)歯科の医療崩壊(2)歯科の厳しい現状  
 医療界では「医師不足による医療崩壊」が、歯科医界では「歯科医過剰による崩壊」と言うが、昭和59年と平成18年の 2点間で比較をしてみると、双方の医師数の増加程度は殆ど一緒である。
 何故、この様な違いが生じるのだろうか。両界にはいろいろな条件の差があるので単純な比較は出来ないが、医療界も歯科医界から学ぶべき事は少なくない。

 医師の場合、絶対的不足に更に偏在が加わった。更に医療政策上の業務の締め付け、医師側の業務内容、業務形態も変化した。その上に、高齢化、疾病構造の変化、患者医師関係の変化などの因子も関連して医師不足が一層顕著になっている。

 私は歯科医療界のことはよく分からないが、歯科医の場合にも医療情勢・状況は基本的には同じだろうと考えられる。
 異なると思われるのは、
■ 歯科医療の対象領域はより狭い。医療分野の2-3の診療科に相当する範囲ではなかろうか。とすれば、医師の1/3ほどの歯科医師数は過剰と言うことになる。
■ 業務形態として多くは診療所を開設している。病院歯科医師は極めて少ない。
■ 過剰のために歯科医師の偏在は解消されかかっているどころか、地域によっては明らかに過剰となっている。
■ 平成18年の歯科医師は76.1人/10万人であるが、50人が妥当とされている。このままの供給状況では平成37年(2025年)には2万4千人の過剰となる。
■ 子供、若者の齲歯の有病率は低下している。一方、高齢者の口腔疾患、歯科医療の重要性は充分認識されていない。
■ 景気や経済状況の影響を受けやすい分野である。
■ 医療との連携や在宅医療の分野が遅れている。
■ 混合診療が可能である
■・・・・まだまだあるだろう、

 結果として、厳しい医療費削減政策のもとで歯科医院経営は悪化し、崩壊寸前となってきている。良質な歯科医療の提供には経営の安定化が必要不可欠であるが、将来的にもなかなか展望を持ちがたい。健康を守るという義務感と歯科医師としてのプライドが歯科医療を支えている状況、とのことであった。
 現に、歯科医師の自殺は増加傾向にあり、日本歯科医師会会員の平成18年度の自殺者数は33人で、ここ数年で倍増している。経済的問題・健康問題のほかに、診療報酬の過酷な指導・監査をめぐる苦悩が原因と考えられていると言う。

 今後、医療費削減のため補綴治療の給付制限・給付割合の低下が予想され、歯科診療所の運営はより困難になり、一層混合診療化に向かっていくと考えられる。このことは国民にとって必ずしも良いこととは言えない。
 歯科医師過剰による弊害が具体的に生じているが、それを承知で国・厚労省は引き続き歯科医師の養成を続けていくらしい。医療費削減のため治療の給付制限をしてくる一方で、歯科医養成に国民の税金を投入し続けるのは無駄遣いであろう。
 歯科医師を元気にするために、絶対的医師不足を解消するために、養成の費用を医師養成の方に回して貰えないものだろうか。医師不足は深刻である。国力のかなりと投入して医師の養成を大幅に増やしても数十年は決して医師過剰とはならない。厚労省の試算、委員会の試算は誤っている。


3/4(火)晴れ 外来  常務会  医局会  医師面談
2:20起床。ドック判定総括などいつもの如く。5:10出勤、駐車場占拠されて入れず。6:30回診。8:00救急カンファ、8:45-14:20外来、14:45-16:20常務会、17:30医局会、中座し18:10整形外科医と懇談。21:10帰院。22:10就寝。

医療崩壊(7) 歯科の医療崩壊@ 歯科は養成過剰で崩壊、医師は養成不足で崩壊  
 秋田県内の医療4団体、県医師会、県歯科医師会、県薬剤師会、県看護協会は年に一回懇談会を開催している。今年は各会の「崩壊」の現状について意見交換した。

 歯科医師は過剰状態にあることは歯科診療所の林立状態からも推定できるが、今回歯科医師会からの情報提供によって医療界とは逆の「歯科医師養成過剰による崩壊の危機」に面している事が理解できた。

 歯学部・歯科大学は昭和40年以降、それまで7校であったが13校になり、昭和50年代後半までに29校に増えた。わずか10数年の間に4倍に増えたことになる。昭和61年に入学者数の20%削減がなされたが、歯科医師はなおも増え続けているとのことであった。

 日本の歯科医師数は、昭和57年は58,362人で49.2人/人口10万人であったものが、平成18年には97,198人、76.1人/10万人である。その増加率は絶対数で1.67倍、人口比では1.65倍である。
 秋田県の歯科医師数を見ると、昭和57年は386人で30.6人/人口10万人であったものが、平成18年には650人、57.3人/10万人である。増加率は絶対数で1.68倍、人口比で1.87倍である。このデータから歯科医師は全国に比し歯科医師数の増加は全国並みであるが、人口あたりで見ると増加率が大きい。だから、県内の歯科医師は急増しており、県内の歯科医師の迎えている状況は厳しいだろうと推定できる。

 日本の医師数を上記と同じ年度で見てみると、昭和57年が167,952人、141.5人/10万人、平成18年は277,927人、217人/10万人である。だから、同期間における増加率は絶対数で1.55倍、人口10万人あたりでは1.53倍である。

  歯科医師過剰と言うことであるが、この2点間で医師と歯科医師の絶対数の比較をしてみると、医師数は1.55倍、歯科医師数は1.67倍と若干歯科医の増加が多いが、殆ど一緒である事に気付く。ところが医療界では「医師不足による医療崩壊」が著しく、歯科医界では「歯科医過剰による崩壊」が顕著になっている。

 これはどうしたことか、両界にはいろいろな条件の差があるので単純な比較は出来ないが、医療界も歯科医界から学ぶべき事は少なくない。


3/3(月)曇り  管理会議 外来   療養判定会議 長副会議     
 2:50起床。ドック判定総括1名分、徒然。5:10病院着。6:15回診、7:45管理会議8:45-14:30外来、16:00療養判定会議、対象者8名。17:00-18:45長副会議。21:30帰宅、夕食、22:15就眠。

医療崩壊(6)医療崩壊はくい止める事が出来るのか
 秋田県内の医療4団体、県医師会、県歯科医師会、県薬剤師会、県看護協会は年に一回懇談会を開催している。各会共に事情は異なるものの「崩壊」に直面していると言うことであったので、今年はこれをテーマに各会の現状を提示していただき、意見交換した。

 県医師会からは私が「医療崩壊はくい止められるのか」として最初に話題を提供した。内容は常々記載していることを取りまとめた内容である。
 医療崩壊に至った原因として

(1)国の低医療費政策と医師養成削減が絶対的医師不足を招いた
 日本では著しい医師不足状態にあり、現状のOECD並にするのに12万人不足で、現状の養成数では40年かかっても追い付けない。秋田県の医師は昨年の病院への調査で多くの診療科にわたり約300人不足している。

(2)医師の絶対的不足に更に偏在による相対的不足の因子が加わった。偏在は単なる医師数だけでなく業務内容、業務形態など種々の因子によっても生じている。

■医師の業務の変化----病院では在院日数短縮を背景に仕事量が増大し、書類処理、院内の委員会への出席など、医療外の雑務が増えた。
■医師の業務形態上の偏在----開業医指向、フリーター医師の増加、勤務医の減少、病院勤務医の過重労働・医療労働環境劣化など。
■ 新臨床研修制度-----医学界の封建的慣習が崩壊し、大学の医師派遣機能の低下は医師偏在の大きな因子となり、秋田県内の医師不足の原因となり、秋田県内の地域医療の崩壊の一因となった。
■ 医師の診療科の偏在----小児科、産婦人科だけでなく全科。特に外科系医師の減少傾向は厳しい。
■ 医師の業務上の偏在-----専門医指向。
■医師の構成(女性医師の増加)の偏在------出産育児などによる離職。
■医師の満足感・達成感の欠如など---若者気質の変化、医師・患者関係の変化、患者対応の複雑化。医療観、倫理観、責任感の喪失。医療はサービス業、患者様、不公正医療報道、医事紛争の増加、医療裁判判断の低さ、WHOの誤った評価など。

(3) 医療崩壊の解決への道
 以下の項目を挙げたが、結論として現状の国の低医療費政策が続き、県の医療費適正化計画が実施される限り、医療崩壊はまだまだ進行するであろう、と述べた。 

■医学部の定員増---医学部の定員を増やせば解決すると言う問題ではない状況に至ってしまった。されど、医師絶対数を増やさずには解決は無い。
■外国人医師の輸入も一方法。
■医師の気質の変化、喪失しつつある医師マインドはもう二度と戻らないだろう。
■8時から18時頃程度で終了できる業務環境の確立が必須である。
■ 新臨床研修制度の見直し。
■管理者要件等で地域医療参加キャリアの評価。
■紹介状の病診連携から参加型医療連携。
■患者教育や指導による受診行動の適正化。 


3/2(日)晴・初春の兆し 病棟拘束 患者面談    電気引き込み線でショート
2:20起床、ドック判定総括x1,医師会書類検討。新聞一週間分チェック、徒然。6:10病院、8:30救急カンファ、9:30-10:30入院患者面談、11:00帰宅。11:05-12:20ミサワKK、リフォーム関連検討、14:00午睡、残務処理。18:00-20:00病院、20:00帰宅、夕食、21:30就眠。我が家の電気、数分ごとに一瞬電圧低下する。原因は引き込み線のある電柱上でショートしているらしく間歇的に異音と火花あり。東北電力の修理を受けた。23:30終了、再度就眠。

なぜ女性達はこうも泣くのか、泣けるのか  学院卒業証式 謝恩会で考えた  
 昨日、法人立中通高等看護学院の卒業証書授与式に来賓として出席した。

 証書授与式では答辞やお別れの歌の斉唱時にはいつもの如く涙涙であった。後者では涙で声が出ず、洟をすする音にかき消されて、歌声は殆ど聞き取れないほどか細かった。
 夜の謝恩会、綺麗に着飾った卒業生達には最早午前の固く蒼白くブスッとした表情は跡形もない。私は毎年の事ながらこれが同じ卒業生かとその変身振りに驚き、明るい笑顔、黄色い笑い声が飛び交う活発な会の進行はさすが現代っ子と感心もした。

 宴もやがて締めのセレモニーとなる。卒業生から教師達へ花束贈呈などあり、続いて担任教務、副学院長の言葉と続いたが、ここでも語る方も涙、聴く卒業生達も涙涙で会場は再び涙、と洟をすする音が充満した。別れの挨拶をする担任であった教務達、副学院長すらも涙の場面を予想してなのだろう、用意してきた原稿を涙と洟と共に読み上げた。卒業生達も涙涙で午前の式後半の再現である。

 私は今回で3回目の出席となり、この涙の場面にも驚かなくなった。むしろ居たたまれない気持でひたすらこの時間が過ぎ去るのを待ったのであるが、その間、何で女達はこうも泣けるのか?若い卒業生達ならいざ知らず、若くもなく、いい年した教務達もこぞって泣けるのか、そんなことを考えていた。

 私から言えば、別に死別するわけでもない、学校は社会人として門出するための一過程に過ぎない。より開けた、可能性の高い明日があるのだから現在に、過去に拘る事はない、と思う。教師達もなぜ笑って送り出せないのか?この間、数名の男子卒業生はどうだったのか興味あったが確認のためにキョロキョロ出来る雰囲気でないために確認できなかったが、恐らく私と似たような気持ちだったのではなかろうか。

 結局、感情的分野においては男女は二次性徴と同じほど、あるいはそれ以上に異なっている、としか私には言いようがない。
 この分野の研究について私は多くは知らないが、カナダのS.ウイトルソンの脳の研究によれば、男の感情をつかさどる部分は右大脳の2ヶ所に集中しているのに対し、女の場合には左右に広く分布しているとのことである。だから、男の場合は感情中枢は他の脳の機能と区別されてある程度独立して作動するが、女の場合は他の機能と連動して比較的簡単にスイッチが入るのだ、だから感情的になりやすいのだ、という研究結果があるのだという。

 私は還暦を迎えたが、人口の半数を占める女性について知っていることはあまりにも少ない。家内のことも娘のこともいまだに分からないことだらけである。最近、女性医師問題について考察しているが、女医さん方の気持も、本当のところわからない。


3/1(土)曇り 病棟拘束 入院患者家族面談 中通高等看護学院卒業式 歯科治療 看護学院卒業生謝恩会 
 
2:10起床、ドック総括x1、徒然など。5:10病院着、6:30回診、7:00入院患者家族面談。10;30-11:45中通高等看護学院卒業証書授与式。13:30-14:40歯科治療。病院にて業務。17:30-20:30看護学院卒業謝恩会。21:00帰宅、21;30就寝.

中通高等看護学院卒業証書授与式 質素で高い格調だったが
 本日、法人立中通高等看護学院の卒業証書授与式に来賓として出席した。
 学院の卒業式への出席は今回で3回目である。式はいつもの如く壁面に紅白の幕をあしらった学院の体育館で淡々と進められた。久々に青空がのぞく良い天候であったが、気温は低かった。会場には10ヶほどだろうか、石油ストーブが焚かれていたがかなり寒く、半袖の卒業生達には辛かったのではないかと心配した。

 卒業生は48名、私は講義の機会を持たないから卒業生の誰一人とも面識はない。
 成人して間もない年代の卒業生達、全員ブルー系の実習着着用で、ナースキャップもなく質素な雰囲気である。式に着用する服装として私は必ずしも相応しいと思わないが、学生達が決めたことなのだとのこと。

 卒業生の表情は式への緊張か、寒さも加わってか、こわばって笑顔もなく、あまり冴えない。ほほえみ、笑顔のない若い世代の方々の表情は見る側にとっては辛い。折角のお祝いの式なのに、実に勿体ない。

 まず、校歌斉唱。斉唱が始まると、それまで正面をきちんと向いていた学生達の視線の大部分が右上を向く。壁の校歌の歌詞パネルを見ているのだが、厳かな式の中、ハタから見ておかしな雰囲気である。長くもない歌詞のだからせめて覚えてきてはどうか。
 学院長の挨拶、法人会長、県看護協会、同窓会、中通総合病院総師長の祝辞はいつもながら深い内容の挨拶であったが、寒い最中、ちょっと長すぎた。

 在校生代表による送辞は今年も淡々と読み上げられた。 
 答辞は読み始める前から涙、涙で、どうなることかと今年も心配した。学生達の大部分も代表と共に涙した。内容はいつものパターンに沿っていて目新しくはなかったが、借り物でない自分の言葉で綴っていたのが良かった。

 当法人の行事は一般に堅苦しいと思う。もっとリラックスした、楽しげな雰囲気が欲しいものである。一方、女達は何故こうも卒業式で泣くのか、とあらためて疑問に思ってしまった。


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   年を通じてワンパターンで淡々とした毎日です。AM2:00-5:00にメールチェック・返事送付、人間ドック(HDD)判定・報告書作成、新聞切り抜き、病院・医師会業務など。
  月〜土曜は6:00頃出勤、HDD報告書印刷、外来書類処理など。病棟回診、HDD受診者とミーティングと診察。8:45-14:00外来とHDD受診者に結果説明。昼食は摂りません。午後は病院業務・医師会業務、各種委員会等に出席など。20:00頃帰宅。
  日曜・祭日もほぼ同様ですが、病院には午後出かけます。時間的に余裕無いのが悩みです。


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