徒然日記
2008年1月分

 日記と言うより、自分の行動記録からの抜粋と日々の雑感です。

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1/31(木)曇り 深夜患者死去 外来 秋田県医療審議会医療計画部会 
1:20昨夜の球転がしの影響か、両下肢の激しいこむら返りで起床、歩いたり風呂に入ったりで対応。1:45患者心肺停止の連絡、病院に。2:08患者死亡確認、3:15見送り。そのまま業務。ドック判定総括x1他、6:00回診ほか。入院患者不調者数名、対応。8:00救急カンファ。8:45-14:00外来。15:00-17:30県医療審議会医療計画部会。机上業務。20:50帰宅、夕食、21:20就寝。

メールで医療行為など出来ない(2)医療のコンビニ化は医療崩壊へつながる
 経口避妊薬のピルをインターネットを介して処方していた院長は新聞へのコメントに「時代に応じた対応。来院による処方なら初診料、待ち時間、検査量とかかかる。メールのやり取りはカルテに控えており、正当な医療行為だ。他の医師が患者の利便性を考えないのが不思議」とコメントしている。

 これぞ医療のコンビニ化と言うべき考え方である。患者側からの要求、需要にはその傾向があることは認めるとしても、医療は、医師の一部はもうそこまで落ちてきたのかと驚く。ここまで行かずとも、医療提供側の「医療はサービス業である」、「患者様とお呼びします」・・の考え方にさえ私は納得できない。

 それだけでなく、この医療側の過度にへりくだった考え方、患者に迎合する風潮は医師としての達成感の欠如につながり、過酷な労働が強いられている病院医師の退職につながり、さらには医師不足による医療崩壊に直接的、間接的に関与している、とさえ思っている。こんな事を主張する方々はかなりひどい患者対応をしてきたという過去があるのでないか?とさえ勘ぐりたくなる。

 患者は医療機関でいろいろ不便をしている事は十分に理解している。医療提供者として、より便利にしてあげることは当然であるが、これは「サービス業」だからではない。対等な立場で相手を尊重すれば、病をかかえる立場を考えれば自然とそう言う配慮は出てくるはずである。「患者様」と呼ばねばならない必然性は何もない。対等に「患者さん」で十分である。

 私にも患者から状況報告、相談のメールが頻回に送られてくる。しかし、医療的な返事、判断は一切しない。返事は目を通したことを返信するだけである。メールには何とでも書けるから、逆に何も判断できない。次の受診時に送られてきた情報を参考に対話する程度にしか扱わない。

 医療には不確実性があり、医療行為は何であれ、例えば面談だけでも、薬物治療でも基本的には危険を伴う。だから責任は大きい。その責任をまとうするためにも譲れない一線を主張する事も医師の大事な努めの一つである。


1/30(水)曇り 寒波緩む 外来 県医師会理事会 院内ボーリング大会
 
2:00起床。人間ドック判定総括x1、新聞・資料チェック、徒然。5:10Taxi病院着、6:10回診他。8:00救急カンファ。8:45-13:30外来。16:30-18:45県医師会理事会。19:00-20:15院内ボーリング大会に合流、10年振りでうまく行かず
3ゲームで130-165点と不本意な結果。21:00帰宅、夕食、21:30就寝。

メールで医療行為など出来ない(1)  某医師・保健所・厚労省のバカ三重奏
 愛知県のクリニックの院長が経口避妊薬のピルをインターネットを介して処方していた。
 ピルは処方箋が必要な薬品で、診察と一定の書式による処方箋が必要であるが、ここではメールだけで希望者とやり取りしていた。新聞報道によるとこのクリニックでは低用量ピルのインターネット販売を9年前から行い、1日60-100件のメールがあるとのこと。希望者にはメールで健康状態や大病の経験の有無、服用中の薬の有無や種類、ピルの使用経験などを確認しているといい、院長は「3分だけ診察するような対面診察より効果的だ」と医師法違反を否定している。
 この医師は3分間の対面診療の意義を軽視しているが,その程度の方なのだろう。経験豊かな医師は3分間もあれば診察に必要な情報の大部分をキャッチし対策を考えることが出来る。一方、メールでの虚偽の申告をどうやって見抜くのか?不可能である。だから、メールのやり取りでは医療は出来ない。

 こんなバカ医師にも困ったものであるが、厚労省も保健所も何をしていたのか、私は理解できない。

 無診察の処方箋発行は医師法で禁じられている。だから、この医師の違法性は明らかである。
 地域の保健所は2005年にこの情報をキャッチし、正規の診断に当たるか厚労省に問い合わせたが、これまで回答はないという。保健所はこの3年間も黙って返事を待っていたのか??待っても返事がなければ再度問い合わせればいいじゃないか。保健所も問い合わせたこと自体を忘れていたのだろう。それ以上に、保健所には判断能力はないのか?バカな話だ。
 厚労省医事課の担当者はこの件について「一度も診察せずに処方箋を交付すれば医師法違反の可能性がある」とし、問い合わせに回答しなかったのは「担当者が代わっていて分からない」と解答したという。これもバカな説明である。
 某医師・保健所・厚労省の見事なバカ三重奏である。


1/29(火)曇り 外来 麻疹緊急対策会議 常務会  医務薬事課員来訪打ち合わせ 医局カンファ(欠) 県救急災害医療検討委員会
2:00起床、人間ドック判定総括、医師法21条検討。5:10病院着、 6:30回診、定期処方、紹介状等。8:00救急カンファ。8:45-12:45外来。13:00-14:30麻疹緊急対策会議、中座して帰院。14:45-16:00法人常務会。16:30医務薬事課員来訪、今晩の委員会打ち合わせ。17:30医局カンファは整形の初期治療(欠)。18:00-20:10県救急災害医療検討委員会。20:50帰宅。夕食、21:30就眠。

大阪知事選:当選の秘訣はTVタレント、キャスター出身?
 大阪府知事選挙は予想通りテレビで人気を集めた橋下 徹氏が当選した。私の予想通りというのは、何もマニフェストや政策からではなく「人気あるTVタレント・弁護士」という肩書きからで、それ以外の根拠はない。

 秋田県の4年前、昨年の2回の参議院選挙、宮崎県知事選挙などを見てもTVキャスターとか、タレントの方々が当選している。何れも現役ベテラン政治家を破っての当選であった。秋田では選挙に勝つには地道な政治家としての実績よりもマスコミを通じて顔が知られていることの方が重要らしい、と感じたものであった。確かに、政治家は選挙の時には知名度は一気に上がるが、大臣に就任でもしなければ中央で活躍していている間にだんだんその姿が見えなくなる。だから、これからの選挙運動は如何に地元を大事にして、地元の有権者に評価されるか、知名度を維持できるか、と言うことに尽きる。勿論、「TVタレント・キャスター」が政治家として不適当だ、とは言うつもりはないが、実力以上に集票することは確かである。選挙にはこの様な、人気投票と似通った一面もあるから怖い、と思う。

 当選した橋下氏は38歳で、全国でもっとも若い知事になるのだそうだ。いま大阪府は、借金5兆円も抱えて財政再建団体への転落寸前だと言うが、この様な状況で知事を引き受けようとした彼の真の姿、気概をもっともっと知りたいものである。 

 彼の心配なところは、言葉の軽さだと指摘されている。タレント時代には、核武装を主張したり、いろいろな過激な発言が批判を浴びた事もあり、それを後に簡単に撤回したりしている。テレビ番組などで耳目を引くのは簡単であるが、知事としてはこんなやり方は通用しないばかりか直ちにマイナスの烙印となる。
 知事になって、一体何をやりたいのか分からないという声もあるようだ。どんな知事を目指すのか、今後の彼に注目したい。


1/28(月) 管理会議 安全管理者と打ち合わせ 医師面談 療養病棟判定会議 長副会議 
2:00前に起床。ドック判定総括1名分。5:15病院着,6:30回診.重症者数名。7:45管理会議。病棟対応他。10:00-11:00安全管理者との打ち合わせ。15:00医師面談。16:00-16:40療養病棟判定会議、対象者4名。17:00-19:00長副会議、懸案事項多数。20:30帰宅、夕食、21:15就寝。

北大のクラークさんと医師法21条 共通点は「あいまいさ」
 「Boys be ambitious」で有名な北大のクラークさんはもう一つ、「この学校に規則はいらない、Be Gentlemanの一言で十分」と言ったことでも有名である。これに対して「具体的にはどうすればいいのですか」という問いには「何をして良いのか、何をしてはいけないのかは自分で判断しなさい」と答えたという。先日目を通した随想の中にあった言葉である。これを読んでいて私は「まるで医師法21条そのものではないか、これじゃ困るよ」と思った。

 医師法21条は「医師が死体を検案して、異状があると認めた場合に24時間以内に所轄警察に届け出なければならない」としているが、実は異状がある死体とはどんな死体なのか定義がない。「何が異状で、何が異状でないのかは自分で判断しなさい」、と言うことである。こんなあいまいな法律で、臨機応変に解釈されては困るのだが、それが現実になっている。

 昭和24年の医務局長通知では診療関連死はその届出対象とされていなかった事もあって、つい最近までファジーな状態であっても問題になることはなかった。ところが、平成12年に「医療過誤によって死亡又は傷害が発生した場合には、施設長は速やかに所轄警察署に届出を行う」とその解釈が拡大され、しかも医師は業務上過失致死罪などを問われるようになった。平成16年4月13日の最高裁判決により「明らかな過誤による死亡については診療中の医師の届け出で義務」が認められたが、届け出対象は明示されなかった。

 医療は「大きなリスクを回避するために小さなリスクを与える」ものであり、医師にはそれが許されているだけでなく、義務さえも課している。医療行為と結果の間には不定の要素があり、判断ミスや間違いがなくとも不測の事態も起こりうる。その結果だけで医師が逮捕・起訴されるのであれば、リスクの高い医療行為を行う医師はいなくなり、医療レベルは劣化し、崩壊していく。

 厚労省の「診療行為に関連した死亡に係わる死因救命等の在り方に関する検討会」が平成19年10月にまとめた第2次試案に関して、日本医師会は容認の方向にあるが、この試案を土台にして法体制が構築されれば、日本の医療が崩壊への一途をたどるのは明白と批判する意見もあって、いま医療界は医師法21条から「あいまいさ」を排除するために動いている。

 クラークさんの含蓄のある「あいまいさ」は笑って許せるが、医師法21条は「あいまいさ」を残したままでは困るのだ。


1/27(日)曇り・降雪若干  病棟拘束  
 2:30起床。ドック総括x1、講演記録校正。新聞チェック。9:30漢方セミナー出席の家内を送り病院。回診その他対応。18:30帰宅、新聞チェック、夕食、20:45就寝。

村上もとか著 JIN -仁- 10巻〜 集英社
村上 もとか (著), 酒井 シヅ (著), 富田 泰彦 (著), 大庭 邦彦 (著)
 現役の脳外科医が突然幕末期にワープしてしまうという奇抜な導入部からはじまるマンガである。正月に子供達の誰かが知人から借りてきたものらしい。しばらく枕ものに積まれていたが、たまたま就寝前に第一巻を手に取ってみてぐいぐいと引き込まれ、以降、連日就寝前に10分ほど目を通しているがなかなか面白い。スーパージャンプというマンガ週刊誌に平成12年から連載された作品の単行本化のようである。

 作者の村上もとか氏について私は全く知らないし、他の作品を読んだこともない。本のカバー裏に作者は、「臓器移植、クローン、ゲノムなど、まるで不可能など無いような最先端の医療の進歩であるが、ヒトは誰でも死を迎える。今から百数十年前の江戸時代、今の時代なら何でもない病気や怪我で人々は命を落とした時代に、われわれの先祖はどのように生き、どのように死んだのか。その現場に現代の医師が臨んだときどのような治療が可能なのか。そんな空想に医学的考証加えた命のドラマを描いてゆきたいと思います」と記載している。

 私共は近代医療の成果を当たり前のように享受して外来や病棟で診断や治療にあたっているが、一度環境が替わったときに何が出来るのか、医療機器がない状況下では何が出来るのか、私は自身の能力に心もとなさ、不安すら感じている。だから、この作品に共感できる部分が沢山あって引き込まれたのだろう。

 外傷を中心にいろいろな疾患が登場するが、私が特に引きつけられたのは、疫病と言われる感染症の部分である。特に「麻疹」「コレラ」に関する部分では、「新型インフルエンザ」のパンデミックの時は、近代医学が浸透している現代でもこの記述と何ら変わらない様な厳しい状況を来すのではないか、と思われてならなかった。その時にもっとも異なるのは時代と共に変わってきた人びとの死生観であり、医療への過度の期待、なのではないかと思う。
 私はマンガは絵が好くないと読めないし読まない。このマンガは絵が丁寧に書かれている。更に、目の表情が素晴らしい。主人公他の登場人物の心や体の状態を見事に表現している。病に苦しむ患者、死に至る患者の目の表情も全身状態の表現もリアルである。

 この作品について酒井シズ順天堂大教授、富田幸彦杏林大脳外科医、大場邦彦聖徳大学人文学部教授が監修にあたっているとあるだけ、私から見て記述内容に大きな間違いがなく、安心して読める。加えて、当時の医療面の史実を知ることが出来るのも嬉しい。


1/26(土)降雪 病棟拘束 人間ドック診察 来客2件歓談 
 
2:00起床、ドック判定総括、4:30-5:10除雪、5:35病院着、6:20回診他病棟業務。8:30ドック診察5名、8:30救急カンファ。10:30再度重症者回診、対応など。患者総括、入院証明書ほか記述数件。14:00、15:30来客あり歓談、情報収集。アトリオン、青少年オケ「ネルソンミサ」は行けなかった。19:30帰宅、夕食。20:30就寝。

新型インフルエンザの脅威:感染力、重症度、死亡率全てが別物
 徐々に秋田でもインフルエンザ患者が増加し始めています。毎年今頃になると流行する「いつものインフルエンザ」で、Aソ連型と言うタイプが主です。

 ところで、いま私たち医療関係者が一番心配しているのは「新型インフルエンザ」の発生です。名前に「新型」が付いているだけですが、この「新型インフルエンザ」は感染力、重症度、死亡率などから見て全く別ものです。数年前に世界を震撼させたサーズ (SARS重症急性呼吸器症候群)より遥かに怖いのです。まだ世界で一例も発生はしておりませんが、東南アジアの何処かで近々発生しうる危険な状況にあります。

 この「新型インフルエンザ」に対して人類は全く抵抗力がないので瞬く間に全世界で流行する危険があります。勿論、近代医学の英知を集めて封じ込め対策を行いますが、飛行機等の高速移動手段を利用して多くの人達が往来している現代において、封じ込めは困難です。大流行になった際、おさまっていくまでの8週間に秋田県では30万人ほどが感染し、死者1.400人にも達すると予想されています。

 ワクチンはありません。治療は抗インフルエンザ薬の「タミフル」が効く可能性はありますが、定かではありません。この8週間、職員の罹患や家族の罹患で介護のために半数近くが職場を休む可能性があり、交通、物流を始めとして社会機能はかなり麻痺すると考えられます。企業も業務が出来なくなると考えられます。

 医療関係者は事態を深刻に受け止めて緊張していますが、世の中はあまりにも平穏です。
 みなさんの生活がどうなるか、紙面の関係でお伝えできませんので、本を一冊お勧めします。岡田晴恵著「H5N1型ウイルス襲来---新型インフルエンザから家族を守れ---」角川SSC新書(720円)です。それと、流行は8週間続くとされています。この間、買い物を始め、不要な外出は控えなければなりませんから、じっと家で過ごすための下準備、生活用品・食料品の備蓄、心の準備をしておく必要があります。


1/25(金)風雪・寒波 入院患者家族面談 法人理事会 
2:30起床。人間ドック判定総括他、5:20Taxi病院着、6:20回診他、7:00入院患者家族面談。8:00救急カンファ。11:00来客、書類処理。14:00患者・家族面談、16:00入院患者対応。17:30-18:30法人理事会。20:30帰宅、21:30就眠。

雪関連の話題(3)なんと、自宅の除雪機が直って来た(2)
 故障したとき、この除雪機はもう18年も前の製品なのでもう修理は不可能ではないか、ついに寿命が来たか!!と短絡した。直ぐに、HONDAの除雪機のカタログを調べて見たら同じ規格に近いものから大型のものまで種々の製品がラインナップされていた。同規格品の値段はこの18年間に約2倍近くになっていた。

 ハイブリッドタイプもあった。電池でも作動するので音が静かというのが特徴とのことで食指が動いたが、最小規格品でも50万円以上と高額で対象外である。
 18年前は町内の小さな農機具屋から購入したのであるが、時代の流れなのだろう、その店は今ない。
 Fitを購入し、Delsorの修理を何度か依頼しているHONDAのディーラーに電話して同規格あるいは一ランク上の除雪機を注文したところ、昨春のうちに今年度分の生産を終了し、昨秋中に完売したので入手は困難だろう、との返事で驚いた。除雪機などいつでも入手できるだろうと考えていたのは甘かったようである。

 今冬どうすればいいのか?除雪機求めて農機具販売店回りか?とも思ったが、ダメでもともとである。修理を依頼してみたところ、実物を見ないと判断できないとのこと、それは当然である。結果的に、その日は日曜だというのに3人がかりで引き取りに来てくれ、三日ほどで修理されて戻ってきた。配送費は算定されておらず、修理費用は僅かに3900円で、何と新品購入の1-2%の費用で済んだ。

 今回の除雪機の故障をめぐっては当初はガックリと落ち込んだが、最も良い形で落ち着いた。修理後に動かしてみたら調子は良いようで、大事に使えばもう少し持ちそうである。お陰で、近所の分も含めて今年も除雪するぞ!!と言う気が湧いてきた。
 折しも昨日から降雪が激しい。明朝は4:30amから除雪を予定した。


1/24(木)降雪・寒波曇り 外来  総合内科病棟診療部会(欠) 療養病棟診療部会 マスコミ関係者との懇談会
2:30起床、人間ドック判定総括、5:20病院着、6:30患者不調で対応、回診。8:00救急カンファ。8:45-14:15外来、総合内科病棟診療部会は欠。17:00-17:40療養病棟診療部会。19:00-21:00マスコミ関係者との懇談会、病棟から呼ばれ中座、回診、対応。22:00帰宅、22:30就寝。

雪関連の話題(2)除雪機が故障した(1)
 1月13日(日)は朝から吹雪状態であった。5:30に病院に着いたが途中視界不良でソロソロと走った。積雪も10cmほどとなり、雪かきの必要もあるために業務を早々に片付け11:30帰宅した。雪を飛ばすタイプの除雪機は風が強いと操作している自分が雪まみれになるし、うまく飛ばないからダメである。午後風が若干弱まったのを見計らって除雪に出たが、除雪機のチョークレバーが機能せず、エンジンは始動したがコントロール出来ない状態になっており愕然とした。12月初旬に点検し、試始動してみた際には気付かなかった。その日は手作業で最小限の除雪をした。

 この除雪機は1990年、現在の病院に赴任した年の12月から3ヶ月間、大曲に単身赴任することになったのを機会に、家族のために購入した。だから18年間ほど前の製品である。この間、家族達も若干は利用したらしいが、実際に恩恵を享受したのは私で、大切に使ってきた。HONDA製で5.5馬力、最小の規格である。

 わが家は「臍の緒胎盤道路」と称するのが相応しいほど道路が狭く長い。だから降雪にはすこぶる弱い。道路に接しているご近所の方々も除雪するが、出てくるのは高齢者だけなので、私に時間的余裕があるときには、4:30-5:30頃にかけて50m近い距離をザッと除雪し、それから出勤する。これも除雪機があればこそで、人力では無理である。早朝からうるさくして申し訳ないが、幸いクレームが来たことはない。むしろ結構喜ばれていると密かに思っている。

 せいぜい年に2-3ヶ月間だけ、20数回程度の除雪に用いるだけだから除雪機具としてそう頻用したとは言えないだろうが、さすが18年も用いただけに外観はボロボロ、購入時は真っ赤だったが今は黄土色である。可動部はガタが来始め、いつダメになるかとハラハラしていたが、ついにその日が来たようである。
 私は、体力も減弱し、近年はすっかり除雪機に頼り切っていたので、今後のことを考えてすっかり落ち込んでしまった。


1/23(水)曇り 外来 県医師会医療安全委員会 
3:00起床するも不調,MD録音セットし再度就眠、5:20起床、5:50Taxi病院着、回診他。6:28入院患者死去。8:00救急カンファ。8:45-13:50外来、昨日よりは若干楽。秋大泌尿器科教授来訪、がん関連講座について。17:00若干微睡む。18:30-19:50県医師会医療安全委員会、48時間振りに弁当半分摂取してみたが、問題なし。20:30帰宅、21:00就寝。

雪関連の話題(1)雪下ろし中に高齢者転落死 秋田市の除雪費用枯渇
 23日午前、湯沢市高松の81歳の女性が自宅の玄関前で倒れており、搬送先の医院で死亡が確認された。女性は独居。屋根の雪下ろし中に約2.2m下の圧雪地面に転落したとみられている。
 19日には、平鹿町の71歳女性が自宅2階屋根の雪下ろし中に転落し死亡した。また、大仙市の73歳の男性が知人宅でカーポートの屋根の雪下ろし中に転落し、右大腿骨を折る重傷を負った。

 この様な記事が時折地方紙に報道される。共に痛ましい事故で、今回目にとまったのは共通して高齢者で、死亡されたのは共に女性であった。

 秋田県の特に県南地方は豪雪地帯である。有史以前からそうだったのであろうが、何故雪下ろしが必要になるような住宅なのか?と私はいつも疑問に思っている。かつて5回ほど大曲中通病院に短期赴任し、週一回の外来の診療も担っていたが、天候が回復した休日には方々の住宅で雪下ろし作業を見ることが出来たし、救急室には関連の外傷者も運ばれてきた。大曲地方も豪雪であるが、屋根は概して傾斜が緩やかで、構造も入り組んで複雑である。更に雪の落下防止装置も付いている。これでは屋根に雪がたまるのは当然である。

 屋根をもっと単純な構造にして急傾斜にし、雪が少量のうちから滑り落ちるようにしないのか、私には理解不能である。何人かの住人にこの点を聞いたところ、雪下ろしについてもいつものことだからと余り切実に考えていないようであった。しかし、今、住人は高齢化し、家族構成も変わり高齢者単独所帯も増えてきている。雪対策も様変わりする必要がある。地元の方にとっては遥かに深刻な問題だろう。他の地域の住民が口を出すのもはばかられるが、町内会とかでまとまった行動、対策は出来ないのだろうかと思う。

 一方、本日夕方のラジオニュースによると、秋田市の約4億円の除雪費用が90%ほど費やされ、3億円の補正予算を組むことになったと報じられていた。まだ3回しか出動していないが、2年前の豪雪時によりきめ細やかな除雪をすることにしたために費用がかさんだとのことである。今年の降雪量は例年に比較してそれほど多いと思わないが、わずか3回の出動で年間予算が枯渇しそうとはなんたる事か、と感じてしまった。河辺や雄和との合併もその原因の一つかな?と思ったがどうだろうか。


1/22(火)曇り 入院患者家族面談  外来    法人常務会  医局新年会  
2:00起床、起床時から若干体調不良、ドック判定総括x1など。5:10病院着、6:20回診他、7:00家族面談。8:00救急カンファ。8:45-14:15外来、外来中に発熱、全身違和感急速に悪化、何とか終了出来た。風邪か??14:45-16:10常務会、18:30医局新年会、挨拶15分ほど。20:10中座して帰宅、20:30就寝。

体調不良であった一日  ネコ式絶食療法を始める
 今朝起床時から何となく気分がすぐれない。胃部不快感と左下肢の坐骨神経痛様の疼痛若干を感じる。ドック判定など、早朝の自宅でのルーチンワークをこなし出勤、まず予定のスケジュールに沿って業務をこなした。ところが外来を始めた頃から発熱し始め、全身違和感急速に悪化、30分ごとに5分間ほど微睡みの時間を入れながら14:00過ぎに何とか終了した。風邪か?? 今日の外来患者は全員私より元気であった。

 呼吸困難感があって不調だという呼吸不全の患者の血中酸素飽和度を測定したとき、序でに自分もやってみたら何と94%で呼吸不全の方より低かった。1時間後ほどの測定では97%であったからそう心配はしていない。たまたま測定時何らかの因子で低く出ただけだろうが、患者は私の結果を見て安心したのか元気になって帰って行った。主治医の不調には患者を元気にすると言う思いがけない効用もあるのだ、と感心した。

 私の場合、ウイルス感染と思われる体調不良の時には、全身違和感と共に、大抵左下肢の坐骨神経痛様の疼痛、胃の機能障害に由来すると思われる上腹部の不快感から始まる。昨年夏まではこれに排尿が若干きつくなる現象も伴っていたが、手術後それはなくなった。

 本日夜は医局の新年会があり、その中で10分ほどの挨拶が求められている。これがなければ早めに帰宅して休息を取りたいところであったが何とか出席した。
 テーブルの上には美味しそうな料理が並んだが、ただ見るだけで一切手をつけなかった。私は胃の機能障害に由来すると思われる上腹部不快感が伴うときには絶食療法と決めており、水分だけ摂る。本日は若干のビールだけにした。この対応の仕方はネコから教わった方法で、まず薬品にはたよることはない。もともと一日一食だからそれを抜けば良いだけなので、2-3日程度の範囲なら絶食もそれほど辛くはないし、確実に改善する良い方法である。ただ、この間脱水気味で指先が乾くのか、カルテ等の頁めくりが上手く行かなくなるし、筆記用具を頻繁に落とす様になる。
 まだ症状は軽くなっていない。明日に期待することにする。


1/21(月)曇り 管理会議 外来 秋田地方社会保険医療協議会 療養判定会議  長副会議  
 
2:20起床。文献検討.徒然日記送付。5:15病院、6:15回診等入院患者処置。7:45-8:10管理会議、8:45-13:40外来。15:00-13:50秋田県地方社会保険医療協議会(ふきみ会館)。16:00療養判定会議は欠、6名入院予約。17:00-18:25長副会議。21:00帰宅、夕食、21:30就寝。

音楽の都 ウイーンからの贈り物 第3章「和との協演」
 1月20日(日)13:00から梶野眼科医院外来診察室にて待合室コンサートが行われ、ご招待いただき家内他と共に出席した。この催しは地方紙や秋田のTVでも紹介されたので実名で記載して良いだろう。

 会の名称は「音楽の都ウィーンからの贈り物、第3章、"和との共演'」である。今回で3回目とのことで私も毎回招待されていたが、今回初めての出席である。梶野先生は、私の一世代先輩に当たり、新潟大学、六華寮、秋田市医師会と共通点があり、かつ同じ地域で開業されているなど、身近な方である。
 演奏者はアンドレー・カシヤン(ホルン)、高橋雅抄(箏)、宇野雅之抄(三弦)の三氏。
 ■プログラム第一部:箏とホルンの二重奏(1)六段の調、 (2)平城山。
 ■プログラム第二部:ソロ楽器による演奏、(1)ゆずり木、(2)アメージンググレース、(3)ロンドンデリーの歌、(4)映画「タイタニック」のテーマ、(5)思い出の唄声
 ■プログラム第三部:箏とホルンの二重奏、(1)北国の旅情 、(2)南部牛追い唄によるパラフレーズ、(3)千の風になって
 会の終わりには恒例になっているという「ふるさと」を箏とホルン、三弦の伴奏で歌ってお開きとなった。

 アンドレー・カシヤン氏はウイーン市立歌劇場管弦楽団員で、梶野先生と何らかの機会に意気投合され、来日時に時間を作って来秋されるのだという。合奏された方々はカシヤン氏が希望されたとのことで、15年振りの協演とのことであった。

 診療所としては比較的広い待合室一杯にソファやパイプ椅子が並べられ、130人ほどが出席された。前の席を確保していただいていたとのことであるが恐縮なので丁寧に辞退申し上げ、真ん中ほどの所に座らせていただいた。大部分の曲は日本の名曲であるが、柔らかいホルンの音色と琴,三弦と違和感なく調和した。ホルンを室内合奏で聴く機会は今までもそう多くはなかったが、音量を抑えた心地よい響きは至福の響きでもあり、私はしばし意識が遠のいた。ホント、舞台の真ん前の席をご辞退申し上げてとても良かった。

 最後に梶野先生がご挨拶され、何時の日かまた次の機会を持ちたい・・と述べられ、大きな拍手で締めくくられた。これ以上多くの方が入場するのはちょっと困難だと思われるが、隣の弥高会館のホール等で開催されるよりはずっと暖かい雰囲気、サロンコンサート風でとても良かった。先生のお人柄も分かるというものである。
 看護師さん方を始めとして従業員の方々も総出なのであろう、雪かきやら、会場の設定、案内等忙しく働いていた。大変ご苦労様でした。


1/20(日)曇り  病棟拘束 梶野眼科医院サロンコンサート 来客懇談
2:10起床、ドック判定総括その他、新聞チェック、5:10病院着、6:30病棟回診、重症者2-3名対応、8:30救急カンファ。11:00帰宅、除雪。13:00-14:30梶野眼科医院サロンコンサート
?音楽の都ウイーンからの贈り物 第3章。病院にて業務。ドック判定総括他。15:30医師面談、18:00帰宅、文献検討、19:30夕食、20:30就寝。

「目は口ほどに物を言う」(2) マスクの看護師達の目 
 顔つき、目つきは人を表す。人柄までがよくわかる。だから、濃い色調のサングラスをつけた相手に対しては心を開いて対峙できないから、そこには人間関係は成立しない。
 最近の病院のスタッフ達、特に看護師達は逆である。かなりの頻度でサージカルマスクをしていて目だけ出している。職場によっては半数に近いスタッフがマスクをして仕事をしている。別に自ら咳をしていて、咳エチケットのためにしているわけではなさそうである。もともと感染防御のためにそれほど効果的なマスクではないからその目的ではないだろう。もしかしてマスクの効用を誤解して装着しているのかも知れない。何故だろうかと思う。ただ、スタッフの大多数がマスクをしている院内は結果的に何となく清潔っぽく見せる効能もあるようだ。一昔前はクレゾールの臭いが病院、診療所に漂っていて清潔なイメージを演出していた事を思い出す。

  何れにせよ、マスクをした女性の目は他の部分がマスクで隠されているからか、私の目からは一層清楚で美しく見える。ただ、顔つき全体から瞬時に読みとれる情報が乏しくなるから、その代わりについ目を凝視してしまう傾向があるようで、若干看護師達を驚かしているようだ。
  一日中マスクをつけているなら化粧もそれほど要らないだろう、口紅はどうしているのだろうか?・・などと外簾の勘ぐりもしたくなる。一方、普通に化粧しているのなら勿体なくないか?等々、くだらんことも考える。

 目にはいろいろ表情がある。
 「ぼんやりした目」をしたスタッフに出会うと心配になる。疲労困憊状態にあるのではないか?何か業務とは別な所に心配事や悩みでもあるのではないか?などと思ってしまう。一方、「輝きのある目、きらめく目」と表現したくなる目もあるが、何か良いことありそうだな、と何となくこちらも嬉しくなるが、観察していると単にド近眼だったりするからいろいろ面白い。
 「細めた目」はスタッフ達から私に向けられることはない。この目の表情は私が小学から高校卒業まで一緒に暮らしたネコに見られたが、母親の優しさを漂わせたイメージの目であった。私はその表情でどんなにか救われ、勇気づけられたか、と今でも懐かしむ。
 やはり、目には言葉以上に訴えるものが表現されていると実感する。


1/19(土)曇り・降雪  病棟拘束 来客・歓談 秋田市内研修医ジョイントカンファ+情報交換会
2:00起床。ドック関連x1、ほか.5:20病院、6:20回診+病棟業務、8:30救急カンファ。9:00ドック結果説明。13:00-14:00来客あり歓談。15:00-20:40秋田市内研修医ジョイントカンファ+情報交換会。ゆったりした進行は余裕があって会としてはとても良かったが、約6時間というのはちょっと負担であった。20:30中座し病院へ。21:40帰宅、22:15就眠。

「目は口ほどに物を言う」(1) 目、特に女性の目は美しい 
 顔は人を表す。個々人の識別は通常は顔の個性で判断する。それだけでなく顔つき、目つきで人柄までがよくわかる。顔の表情を通してその人の表から裏まで、すべてではないとしてもかなりの部分が透けて見える。

 私が担当する外来に通院される患者は身体的にはあまり問題なく元気な方々である。だから、聴打診の意義は大きくないから通常は省略する。その代わりとして診察で最も重視しているのは視診、聴診である。聴診と言っても対象は患者の声のトーンであり、会話の内容、話すときの表情である。
 患者が診察室に入ってくる時に私は大概その患者の情報画面を出すためにディスプレイを見ているが、それでも患者は見えるから動作が不自然でないかをチェックする。座った後には「どうですか?調子は・・」等と声をかけながら、あるいは血圧を測りながら顔、特に目の表情の変化をじっくり診る。顔と目から得られる情報は、重要な診断、判断の手がかりになるからである。

 表情の変化から、この間に何かがあったのではないかなど、かなりのことが推定できる。顔の観察で大事なのは、表情筋の動きである。顔がむくむと、表情筋の緊張や力強さが打ち消され、表情の乏しい能面になる。うつ状態とか、神経疾患などでは顔の表情が著しく失われるのは当然であるが、疲労状態でも同じ表情に近くなる。本人が認識していようとしていなくとも、顔が勝手に心にある何かの葛藤を表現し、訴えている、ことも少なくない。

 更に重要なのは目の表情である。目によって、すなわち目つきによって顔の印象だけでなく、人物としての様相ががらりと変わる。両目の輝き、鋭さなどさまざまの要素があり、よく人物の実体を表している。昔から「目は口ほどに物を言う」とされているが、私の日常の業務の中で顔つき、目つきの観察は重要な診療行為の一つとなっている。
 
 私は顔についている部品の一つとして見れば、目、特に女性の目ほど美しいものはない、と思っているからそれを楽しんでいる、と言っていいかもしれない。付け加えて言えば暗い中で散瞳したネコの目も限りなく美しい、と思う。この程度の邪心?を持ちながらの診療は許されていいだろう。


1/18(金)曇り 週刊アキタ投稿 来訪者3件 人間ドック診察  化学療法講演会
2:00起床。ドック判定総括x1、文献検討、徒然など。5:10病院着.6:20回診他。病棟対応、8:00救急カンファ。9:30-11:00来客3件。病棟対応。14:00ドック診察。18:30-20:00化学療法学習会。20:50帰宅、夕食、21:30就寝。

私のは携帯電話  よその方のは携帯端末、ケイタイ 
 私は携帯電話がまだ一般に普及していないとき、もう10年以上も前から所持していた。その理由は週一回楽しみにしていたテニスコート付近に公衆電話がなかったからで、病院から連絡のポケットベルがなったときにとても困ったからである。当時、携帯電話はアナログ方式で、大きく、重く、電池機能も弱く丸一日で電力不足になったし、契約料通話料金も安くはなかった。それ以上に携帯が使える地域が限られていた。だから、出張時などは予備の電池を用意して出かけていた。

 その後、一気に携帯電話は普及した。デジタル方式となってから機能も増え、メール機能、カメラ機能がついた。ドンドン高機能になっていく。贅沢品から一気に小学生までがもつほどまで普及した。これほど大きく発展した分野は無い、と思う。
 機能的にも携帯電話という呼び名は相応しくない。もはや電話ではなく携帯端末と言っていいほどである。だから、ケータイと呼ぶのが相応しいだろう。
 子供達が帰省すると驚くのは、頻繁に携帯が鳴るし、使っている事である。別にいちいち通話するわけでもない。スケジュール管理、アラーム、辞典、メモ帳・・と快挙にいとまがないほどである。

 私は今、自分の携帯電話と医療機関用のPHSの双方を常時持っているが前者は普段は電源を切っている。私用通話の時だけ電源を入れる。いまだに私にとっては携帯電話のレベルで、電話番号を登録できるらしいがその方法を知らない。どうせ自宅と病院だけだから018-833-○○○○と入力してかけている。私に取って便利な機能としてはPHSを時計代わりにも使っているだけで、電波時計らしく狂わないので重宝である。私は自分が所持している携帯電話にどんな機能があるのか、ほとんど知らない。メール機能もカメラ機能も教えて貰ったが使ったこともなく、忘れた。

 使用癧は長いが、私はケイタイの分野ですっかり後れを取ってしまった。
 最高にショックだったのは、先日の出張時に法林岳之著「お父さんのための携帯電話ABC」NHK出版生活人新書800円を購入してケイタイについて少しは勉強しようと取り組んでみたが、記載内容を殆ど理解できなかった事で、私自身と私に買われた携帯電話電が気の毒になった。
 高齢者用の機能を単純化したケイタイはないのか?と思う。


1/17(水)曇り・寒波 被爆者健診+外来 県がん診療推進委員会 
1:45起床。ドック判定総括x1。医師会報原稿他処理。5:10病院着、5-6cmの積雪で道路は圧雪状態。6:30回診+病棟業務、8:00救急カンファ。8:45-14:00被爆者健診+外来。16:00-19:10県がん対策推進計画検討委員会。長丁場の会で司会ですっかり疲弊した。20:40帰宅。夕食、21:30就眠。

リニューアルした男鹿水族館GAOに行ってみた
 私は動物好きである。自宅で飼育する小動物、小魚類のも良いが、大型の動物、魚類を動物園、水族館で見るのも良い。心がとても和む。
 男鹿の水族館は子供達が小さいときには何度か訪れたことがあるが、ここ20年ばかり行っていない。先日12月30日、家族で男鹿に一泊した帰路、ホテルから至近距離だったので久々男鹿水族館に行ってみた。

  旧男鹿水族館は2002年夏に休館し、2004年7月にリニューアル開館した。前は県立であったと思うが、今回は県、市、民間企業5者の出資によって第三セクター方式なのだという。何故か名前がGAOである。Globe(地球)、Aqua(水)、Ocean(大海)の頭文字を採ったものだという。通常説明がないと全く考えられない名称で、ずっと疑問に思っていたが現地でパンフレットをみて初めて理解した。

 年末、荒天、早朝の入館だと言うこともあってか観客は数10人と言うところだろうか。通常はこれの数10倍の観客で大変賑わうとのことであるが、人を気にせずゆったりと見ることが出来たのは初めてである。

 入館すると直ぐに男鹿の海を再現したと言う「男鹿の海大水槽」がある。そこに沢山の魚たちが平和な表情をしてゆったりと泳いでいる。圧巻である。魚もさることながらこの水槽にはかなりの圧力・重量がかかっていると思うが、水槽の壁面は厚さ40cmのアクリル製なのだそうだ。思ったより薄い。

 小型の魚類を間近に見るのも楽しいが、私の目当てはアマゾンの巨大な淡水魚ピラルクー、巨大なナマズ達である。旧水族館の時はもっともっと巨大であったと記憶するが、閉館時に何処に引き取られていったらしい。今は別の個体で、匹数は多くなったがまだサイズは2m前後で小振りである。今も大きくなっている最中とのことで、最大では4mにもなるのだという。この魚たちのゆったりした泳ぎを見ているとホッと気が休まる。

 水族館の建っている場所も景観が良い。当日は寒波来襲、風も強く大荒れの天候で窓から見る豪快な波も見応えがあった。これほど荒れた海を見るのも初めてであった。悪天候の場合、外ではとても見ていれないから、荒れた男鹿の海をゆっくり見るにも相応しい館である。 
 帰りは駐車場まで僅か数10m歩いただけであったが波のしぶきを頭から被り、強風に煽られ、身体が真まで冷えてしまった。

■男鹿水族館 GAO


1/16(水)曇り 外来 県医務薬事課と打ち合わせ2件 院内感染症対策委員会(欠) 県医師会常任理事会 
2:15起床。ドック総括x1。週刊アキタ原稿、他処理。5:10病院着、6:30回診+病棟業務、8:00救急カンファ。8:45-14:00外来。16:00院内感染症対策会議は欠。16:00-17:20県医務薬事課担当者来訪打ち合わせ2件、県がん対策推進計画関連と循環器医療供給体制関連。17:30-20:00県医師会常任理事会、病院にて業務若干。21:30帰宅。22:00就寝。

外来診療のストレス(2)嫌われたいが逆行動をとる性格が悲しい
 私は患者を選べない。私が担当する外来の前身は高血圧外来であったため高血圧の治療目的の方々が多く、殆ど症状はない方々である。1-2ヶ月毎に定期的に受診する。私はザッと状態を観察し、状況を聞き取り、血圧を測る。変わりなければ聴打診はしない。その代わり、愁訴が変わったとき、状況に異変を感じとったときは丁寧に診る。

 こんな程度の診療なのに、何でこれほどの方々が私の外来に通院してくるのか?いつも笑顔で機嫌良さそうで話しやすい、なんでも話を聞いてくれる、相談に乗ってくれる、要望にもかなり応えてくれる、いつも元気そうで自分も元気を貰って帰る・・・等々かな、と思う。これは私の評価でなく、患者から言われることである。しかし、これらが私の外来の良い点だとすれば、私にとっては自ら掘っている墓穴のようなもので、ストレス因である。

 マア、演技力があると言うべきなのか、医師としての接遇のスキルが出来ているのか、いまさら区別は出来ない。

 例えば昨年6月以降、私は頻回に発熱し体調が悪いときもあったし、術後の復帰時は動く度に下腹部の創部痛はかなりあったが、誰も気付かなかった、はずである。聴打診をしないのは元気な患者だから意味が乏しいと言うこともあるが、私は他人の身体を触るのも自分が触られるのも嫌いである。患者のクドクド話、相談事は多くはまたかと言う内容だから、聞いている振りして実は別のことを考えている。適当に相づちを打ちながら終わるのを待っているだけ。患者の要望に応えてあげるのは親切心からではなく、断るのが面倒だから許容範囲で受け入れているだけ・・・。

 30年も医師をやっていると、自分が心身的にかなりまいっているときでも患者の前では何とか乗り切れるようになる。これは自分の弱さを隠すために長い間かけて身に付けてきた技術の一部と言えようが、要するに、患者は私を誤解している、と言うことなのだ。

 夢であるが、意のおもむくままに外来をやれたらどんなに良いだろうかと思う。絶対に言ってはならない言葉が次々と飛び出し、患者は私を忌避する様になるだろう。しかし、医師である以上出来ないし、やらないだろう。従って今後も外来のストレスには耐えねばならない。
 一方、私のやっている様な外来は大規模病院の外来のあるべき姿では100%ないことは確かである。私の個人的思惑とは別に、正しい方向にシフトさせていかなければならない問題でもある。


1/15(火)終日曇-寒波 管理会議 外来  法人常務会 療養判定会議 長副会議医局会
2:00起床。ドック判定総括x1。7-8cmの積雪。隣の若者が除雪してくれた。5:10病院。7:45-8:20管理会議、8:45-13:50外来。14:45-15:50常務会。16:00療養判定会議は欠。17:00-19:00長副会議。20:30帰宅。夕食、21:10就寝。

外来診療のストレス
(1)まず患者に嫌われる事だね
 患者は医師を選ぶことができるが、医師は患者が診療を求めてきた場合には正当な理由がある場合を除いて拒否することは出来ない。医師には法的に応召義務が課せられているからである。しかし、日々の診療は義務だから診療しているわけではない。

 ところが、中にはうろ覚えの応召義務をたてに理不尽な要求をする患者、家族がいる。最近の出来事では、夜中の2時頃の救急外来で熱が出たと言う比較的元気な子供を連れた若い父親が「小児科医に診て貰いたい、ここは小児科があるというから来たのだ」と要求して一悶着を起こした。診療時間でない時に「主治医を呼んでくれ」という患者、家族もいる。お願いのレベルでなく命令口調なので、窓口担当者が困惑する。

 私が担当する外来は週に3-4回、時には新患が混じるが多くは顔なじみのご高齢の方々である。外来担当日、その日一日の時間配分を考えるために早朝予約患者数を画面で確かめてまず人数を見て一度落胆し、更に患者名を見てもう一度落胆する。これが外来担当日の朝の習慣である。これからは何とかしてこのストレスを減らさなければならない、と思う。

 特別な医療、治療をやっているわけでないのに、何でこれほどの方々が私の外来に通院してくるのか? 外来担当医の一人なのか、主治医と見なしているのか、あるいは別な理由なのか、私にはよく解らないが、私の外来に通院する事に何らかのメリットを感じておられるからだろう。
 一方、私の側から考えると私の外来に是非とも受診して欲しいと思う患者は、正直言って一人も居ない。勿論、私が主治医としてずっと責任を負わなければならない、と考えて対応している患者は何人かいるが、私が対応できなくなればそれまでで、他の医師にそれなりに受け継がれていくだろう。

 患者からみて私は都合の良い医師の一人と見なされているのだ、と言うのが結論である。だから、あまり都合の良くない医師に変身すれば、私の外来診療の負担、ストレスはドッと減らせることになる。


1/14(月)成人の日 今期一の寒波で-7℃ 降雪  病棟拘束
2:00起床。ドック判定総括、NHKスペシャル「新型インフルエンザの恐怖:第二夜」録画チェックなど。5:10病院、6:15回診他。8:30救急カンファ。9:00患者死亡。14:30帰宅。ドック判定総括、新聞チェックなど。16:00午睡若干。20:15夕食、21:30就寝。

新型インフルエンザ:NHKスペシャル「最強ウイルスの恐怖 第二夜 調査報告」 (1月17日0:10amから再放送) 
 新型インフルエンザ:NHKスペシャル「最強ウイルス 第二夜 調査報告」はまずインドネシアで撮影された資料映像を元に主に「鳥インフルエンザH5N1」に感染し6人中5人が死亡した家族の状況をレポートしている。その封じ込めのためにWHO、アメリカの保険局CDCの働きを紹介する。その時、現場で働いた担当官の言葉は「この時、新型インフルエンザが発症しなかったのは人類がたまたま運が良かっただけです」、であった。鳥と共に生活している東南アジアでは「新型インフルエンザ」の発症は時間の問題と見なされている事が紹介されている。それにしてもこの様な重篤な状態にいる患者の医療現場における映像は貴重でもある。

 次いで、我が国の準備状況について紹介する。厚労省から発せられる国の行動計画にはいろいろ提起されているが、その具体的準備や実行は地方自治体に任せられている。この件については東京を例に我が国の準備状態を紹介しているが、パンデミックを迎えた時にどのように患者を受け入れるか殆ど未だ決まっていない。また、プレパンデミックワクチンは日本では国民の10%以下の1.000万人分しか用意されていない。

 一方アメリカでは「新型インフルエンザ」対策はテロや大災害時と同じ国の重大な施策と位置づけ、全国民に教育の徹底とプレパンデミックワクチンを接種する事で準備を進めている。それでも数ヶ月間のタイムラグが生じるために接種順が問題になる。それについては感染した際により危険で死亡する可能性の高い高齢者を後回しにし、幼児・若年者からした、とのことである。また、パンデミックが生じた際の医療は「個々の患者にベストの治療をするのではなく、出来るだけ多くの患者に医療を行う」ことを目標とし、平時に行われている通常の医療は行わない。それによって「新型インフルエンザ」対策のためのマンパワーの確保する。歯科医師にも協力を要請する。数に限りある人工呼吸器も装着後48時間で治療効果を判定し、助かる可能性が少ない場合には外して新しい患者に装着するという徹底さであり、病気の際のトリアージについても一定のコンセンサスが国民から得られつつあるのだそうだ。

 秋田県でも健康推進課が中心となり、「新型インフルエンザ」対策を進めており、新興感染症部会がそれをバックアップしながら準備を進めている。秋田県版の行動計画はそれなりものが出来挙がっているが、その実効性を問われれば未だ本当に心許ない。これからは「新型インフルエンザ」のもたらす社会機能の崩壊等の重大な影響について、行政、医療関係者、県民への理解を急いで求めていかなければならない。

 NHKスペシャル「最強ウイルスの恐怖 第二夜 調査報告」も良い番組であった。一人でも多くの危機管理者担当者、医療関係者、県民に見て貰いたい番組である。幸い、1月17日0:10amから再放送が設定されている。


1/13(日)降雪・吹雪・寒波  病棟拘束  除雪機故障
2:00起床、ドック判定総括、新聞チェック。5:30病院着、吹雪で視界不良。書類整理、8:30救急カンファ、回診、重症者対応。退院総括、紹介状など。11:30帰宅、以降はドック判定総括、新聞チェックを進めつつ昨夜録画しておいたNHKスペシャル「新型インフルエンザの恐怖:第一夜ドラマ編」を観る。なかなか良い番組に仕上がっている。16:00除雪に出るが除雪機故障しており落ち込む。19:30夕食、20:30就寝。

新型インフルエンザ:NHKスペシャル「最強ウイルス 感染爆発〜パンデミックフルー」 
 先日11日夜は「秋田県健康づくり審議会感染症部会新興感染症部会」が開催された。国の新型インフルエンザ行動計画と県医師会版行動計画を適宜組み合わせ秋田県版の「新型インフルエンザ対策行動計画第5改訂版」の検討のためである。

 その際に、この様な行動計画を如何に定めても新型インフルエンザについて社会に十分浸透していないことの問題点が話題として論じられた。県民のうち30万人ほどが感染し、入院患者23.000人、死者1.400人程度となると予想されている事態が間もなく生じうる状況というのに世の中はあまりにも平穏である。一般県民のみならず県や市、各自治体のトップ達も十分理解していないのではなかろうか。今後は広報活動にも力を入れていく必要が再確認された。

 折しも、昨夜1月12日21:00からNHKスペシャルで「最強ウイルス 感染爆発〜パンデミックフルー」が放送された。この時間帯は私は充電中なので本日早めに帰宅してその録画を見た。

 番組は二晩続けての放送の構成で、初日はドラマ仕立てで、新型インフルエンザの恐ろしさ、封じ込めの困難さ、強烈な感染力、社会に対する重大な影響、プレパンデミックワクチン、タミフルの奪い合いや病院現場でのトラブル、治療の限界・・・等が話題として取り上げられた。その中で病院の患者受け入れの決定にまつわる苦悩、医師の逃亡も取り上げられていて興味深く見た。ただ、市民生活がどうなるか、医療関係者も次々と犠牲になって医療が出来なくなって行くであろう点などは割愛されて若干毒気が抜かれていた。

 その中で重要なことは、治療を行っても回復困難と思われる患者、救える可能性が高い患者を選別して分けていく「患者トリアージ」について正面から取り上げていたことが挙げられる。この「患者トリアージ」は少ない医療資源を有効に使用するために必須であるが、生命や健康に対する考え方が平等で「いのちは地球よりも重い」と考えるわが国の国民にそう簡単には受け入れられないだろう。「患者トリアージ」をめぐって医療現場は暴動の場にもなりうる事が危惧されるだけに、今回正面から取り上げた意義はとても大きい。

 一人でも多くの危機管理者担当者、医療関係者、県民に見て貰いたい番組である。幸い、1月16日0:10amから再放送が設定されている。

1月12日(土) 午後9時00分〜10時29分 総合テレビ
シリーズ 最強ウイルス 第1夜 ドラマ 感染爆発〜パンデミック・フルー


1/12(土)曇り雪若干、寒波 病棟拘束 ドック説明 歯科受診 DPC関連講演会
2:00起床。ドック判定総括、新聞チェックなど、5:10病院着、新雪3-4cmで凍結。7:00回診。重症者対応。机上業務処理。総括書作成x4、DPC入力。11:00-12:30歯科受診。重症者対応。15:00-17:30「DPC制度の動向と医療制度改革の方向性」。19:30帰宅。夕食、20:30就寝。

病跡学(2) この分野は私にも役立つのではないか
 病跡学の元祖は、19世紀後半に科学としての犯罪学を創始したイタリアのロンブローゾ(1835-1909)で、彼は天才には奇人・変人が多く、精神病者、犯罪者には何らかの共通点があるとの仮説を立てた。天才と狂気をめぐる言説は興味を持たれ、一世を風靡したとのことである。日本では精神医学の一分野として発展し、日本病跡学会も設立され「日本病跡学雑誌」も発行されている。会員はおよそ450人で、主に精神科医であるが、医療関係者以外もいて、結構多彩な顔ぶれだという。私も大いに興味を引かれたので機会があれば参加してみたいものである。

 研究対象人物は古代から現代に至る古今東西の200名あまり、と言うが、意外と少ないのに驚く。研究対象の定番はやはり画家のゴッホと夏目漱石で文献は枚挙にいとまがないらしい。この二人は伝記を読んでも興味が尽きない人物であるが、これらについて、各研究者が独自の視点から「ああでもない、こうでもない」と理屈をこねているのはとても楽しげな印象を受け、一層興味深くなった。

 最近の人物の中ではディズニーも対象者とのことである。ディズニー映画はとても健全なイメージであるが、彼自身は健康とはほど遠い人物で、被虐待経験、飲酒や不眠、強迫神経症に悩み、ビジネスの現場では独裁者で、この作品と本人とのギャップが良い研究対象になるのだという。精神的状況だけでなく、緩徐に進行する身体疾患も創造性と無縁ではないとのことで、この面ではリューマチを患ったルノアールが対象者の一人らしい。

 病跡学は実に面白そうである。
 精神病理などは難しくて私には到底手がつけられないが、病跡学の分野を勉強することで、過去の偉人達の足跡をより理解できるようになるだけでなく、患者や友人、共に働いているスタッフ達の姿、思考や行動様式の背景などがよりクリアになり、私が日常受けているプレッシャー、ストレスが少しは軽減するのではないだろうか。


1/12(金)曇り    新興感染症打ち合わせ  来訪者と歓談 医療関係団体打ち合わせ ドック診察 循環器画像検討 県新興感染症部会  接遇学習会(欠) 
 
2:00起床。ドック判定総括 徒然。5:10病院着、路面は鏡面状態。6:30回診、重症者複数対応。8:00救急カンファ、外来無し、9:00県健康推進課員来訪打ち合わせ。机上書類処理、11:00病棟患者対応。13:00-13:30来訪者と懇談。13:40-14:30県看護協会にて医療関係団体打ち合わせ。15:00ドック診察、16:00-16:30循環器PCI画像検討。17:00SRL浅田氏と面談。17:30-19:25秋田県感染症対策分科会新興感染症部会。17:45からの全体学習会は欠席。19:45帰宅、夕食、20:30就寝。

病跡学」(1)この分野を初めて知る
 つい先日医学雑誌に目を通していて「病跡学」と言う学問の分野があることを知った。30年以上も医師をやっていて結構文献も読んできたはずであるがこの「病跡学」については見たことも聞いたこともなく全く知らなかった。恥ずかしい限りである。

 「病跡学」は「傑出した歴史的人物の精神医学的伝記やその系統的研究、言い換えれば、精神医学や心理学の知見を持って、天才等の傑出した人物の個性と創造性を研究する分野」なのだそうだ。病跡学という用語は、ドイツ語の「Pathographie」の翻訳で、この研究は精神医学が対象とし、築き上げて来た疾病概念の確立や病態把握・治療といった観点ではなく、他の動物には全く備わっていない人間の持つ絶対的特徴である「創造性」のルーツに光を当てる分野と言うことになる。これだけでも興味は尽きなくなる。

 天才の精神病理と創造性を論じるのが狭義の「病跡学」とのことであるが、最近はより対象が広がっており、小説家や画家、音楽家や写真家、さらには科学や政治あるいは哲学の分野の天才も俎上に載せられるようになっているという。

 この「病跡学」について一瞬にして興味を覚えたのは、私も何度か徒然に書いているが、所謂、一見まとで常識的人間は社会にとっては都合の良い構成員の一人として重要ではあるが、結局はそれ以上にもそれ以下にもなり得ないのであって、何らかの分野で傑出した人物は常識的範囲から逸脱した、私から見て異常人間、特殊な人間だと思ってきたからである。

 「病跡学」についてもう少し勉強してからでなければ論じてはならないのだろうが、対象を身近な人間に絞って考えてみても、なかなか面白い結果が得られそうである。


1/10(木)降雪、曇り 外来 医師懇談   
2:00起床。人間ドックx1、徒然。5:15Taxi病院着、6:20回診、重症者対応。8:00救急カンファ。8:40-14:50被爆者健診+外来、混雑。17:00-19:00医師来訪懇談。20:20帰宅。道路は夕方からの雪で圧雪状態。夕食、21:30就寝。

お正月(2)元旦 若水 初日 おせち料理
 元旦は5:00頃に無理矢理起こされ、きちんとした身なりをさせられ、「若水を汲む」と言う風習で、井戸から新鮮な水を汲んで神棚にもあげたものである。これは一家の中でもっとも若い男子が担うと言うことで、ずっと私の役目であった。うんと小さいときはお手伝いさんの介助があった。

 当時、田舎では何処でも外井戸であった。しかも、凍結防止のために夜間には水を下ろしていたから、最初は前夜バケツに汲み置いていた水を呼び水として用いてポンプに水を揚げなければならなかったし、この日はそれを出来るだけ一人でやらなければななかった。辛かったが、イヤイヤやったと言うよりは一家のために何か重大な役目を背負っている様な責任感を感じながら粛々とやっていたような気がする。

 7:00am頃、天候が許せば外で初日の出を待ち、山の峰から初日が顔を出すとパンパンと柏手をうって頭を下げたものである。それが終わると一家揃っての朝食で、この時から作り置いたおせち料理の登壇であった。

 子供心に元旦は何か分からないが「厳か」であった。もう時代が違うから、私は家族に何も求めないが、私は元日の朝も早起きして一人でちょっとだけこの雰囲気を味わっている。

 わが家では正月三が日の食卓の主役はおせち料理である。しかし、そのイメージは昔と100%変わってしまった。家内は私からみておせち料理フリークである。ここ30年以上も前から、毎年年末になると何処のおせちを注文するか一人で悩んでいる。私には一言も相談しない。前向きの返事が貰えないからである。私も何も言わないことにしている。
 彼女は毎年、ホテル、料亭、レストランから各一セット取り寄せる。何れも見事なセットで私からみて言うこと無しであるが、この贅沢で高価なおせちに箸を運びながら、過ぎ去りし時代を思い出しつつ、私の心はいつも若干であるが痛むことになる。私が固定観念として持っているおせち料理との間にわき上がる葛藤のためである。

 幼少の頃は何も変わることなく、ごく自然の風習として、当然のごとく眼前に並べられたおせち料理であったが、今にして思えば、それは母が先代から受け継ぎ、苦労して作りあげた味覚、視覚、嗅覚に訴える苦心の作だった。作る過程に参加したことも今は懐かしい。数段重ねの重の中にごぼう、かまぼこ、黒豆、ごまめ等が並べられ、大根の輪切りを敷いた吸い物椀の雑煮、餅焼き網によるこげ目模様の付いた餅が美味かった。これが正月なのだと知らず知らずのうちに自ら固定観念化されてしまった様な気がする。

 母の技術、考え方は母の死と共に誰にも引き継がれず消滅した。私の記憶の中にかすかに残っているだけである。だからなのか分からないが、私はどんな立派でも出来合いのおせちには満足できない。

 おせち料理に限らず、質素だからこそ生きてくる食卓の母の味、会話や雰囲気を通して、家族の絆も知らず知らずに形成されいたのだ、と思う。それこそが本当の母の味なのだ。


1/9(水)曇り、 降雪若干  外来 秋田メディカルサービス取締役会  郡市医師会長協議会+理事会+新年会  
2:30起床。遅目に起きると余裕無くドック判定以外殆ど何も出来ず。5:10病院、6:30回診、重症者数人対応。7:38患者死去。8:40-2:40午前外来、混雑。回診再度。16:00秋田メディカルサービス取締役会。16:30-19:40郡市医師会長協議会+理事会+新年会。アルコールと睡魔のために若干早めに中座、帰宅。20:30就寝。殆ど何も処理できず。

お正月(1)かつては新年を迎える前後は大変だったのだ
 正月を迎えることがどれほど意味のあることなのか、未だにわかっていないが、幼少の頃には年末にはなんか忙しくなる一方で、楽しい雰囲気を感じたものであり、元日の朝は厳かな雰囲気で迎えたものであった。

 時代は変わったし、世代も替わった。今は、残念ながら暦の上での節目、TV画面で提供される正月風景でしかなくなっている。
 わが家を例に取ってみれば、休暇で子供達が帰省し、私どもも若干業務から開放され時間に余裕が生まれること、それに購入したおせち料理が3セットばかりでんと食卓に載っている程度となった。年賀状の準備と配達は雰囲気に色を添えているが、後は日常と殆ど変わらない。1-2年ほど前までは賄いの石井さんがおせち料理の一部を自作していたが、家内が注文するおせち料理に寄り切られて、今年は何も作らないまま函館の娘宅に行ってしまった。

 かつては年始を迎えるために、一週間ほど前からいろいろの準備があり、大掃除から始まり、おせち料理の準備、餅つき、門松の飾り作りなど等続いたものである。門松は近くの山から松の枝を数本切り取ってきて、ミカンや半紙などで自作したお飾りをつけて作ったが、これは小学生の頃からの私の役目であった。おせち料理作りにもかり出され、栗きんとん作りのための栗の皮むき、蒸かしたての芋を裏ごししたり、雪をかき分け畑から大根を抜いて酢の物を作ったりしたものであった。
 餅つきは12月30日に大体決まっていて物置小屋の土間で一家総出でついたもので、早朝の寒い朝にもかかわらず小屋の中は蒸気と汗と熱気がこもってなかなか良いものであった。つきたての餅もさることながら、蒸かしたての熱い餅米をくすねて頬張った時のおいしさはいまだに忘れられない。

 大晦日はいろいろご馳走が出たが、箸も新しくなり食器も普段とは異なった良い雰囲気のものが使われた。夜はラジオの紅白歌合戦を聴きながら花札などで結構遅くまで遊んだ。ばててこたつで眠っていると無理矢理起こされ、ソバを食べさせられ、眠くてもうろうとした状態でラジオの除夜の鐘を聴かされたものである。
 半ば楽しく、半ば辛い年越しの夜であった、と今は思うが思い出してみるととても懐かしい。


1/8(火)曇  降雪なし 外来   常務会 医局会 (院長新年の挨拶・所信) 秋田市医師会喜寿祝賀会+新年会
1:30起床、ドック総括x1、院長挨拶原稿構成、徒然。5:10病院着、6:30回診、8:00救急カンファ。8:45-14:40外来、混雑、疲弊。14:45-15:30常務会。入院患者不調に。17:30-18:50医局会 院長新年の挨拶。重症者再度対応。19:30-20:50秋田市医師会喜寿祝賀会+新年会に遅れて参加。21:20帰宅。22:00就寝。賄いの石井さん転倒し左上腕骨折。

年賀状(2)元旦配達にこだわらなければいいのだ
 年賀状は12月21日辺りから受け付けるらしいがこんな時に出したことは一度もない。私の場合、かつては20日頃から少しずつ書き始めていたが、ここ10年ほどは元旦配達に拘ると、苦しくも楽しいはずの年賀状書きが一層ストレス源になるだけなので発想を変え、年末年始休暇になってから手をつけ始めている。

 年賀状の効能は別なところにあるのだから、なにも元日配達に拘る必要はないのだ。松の内に届けばいいじゃないか、と割り切った。大体、まだ年末の忙しい最中だ、新年を迎えてもいないのに今のうちから「明けましておめでとう」等言えるか?と言う気持ちもあるし、書き上げてから自分の身に、あるいは身辺に何か起こる可能性も低くない、と言う危機感もある。

 私はこれまで印刷会社にプリントを依頼したことはない。それでもだんだん賀状の内容は様変わりしている。
 10年ころ前までは下手な毛筆で一枚一枚ずつ両面を書いていた。墨をたっぷりつけるものだからなかなか乾かず、部屋一面に広げて乾かしながらの作業であった。書く内容はワンパターンで、もう30年以上になると思うのだが「謹賀新年 平成○年」だけである。それがいつぞやから自宅住所、名前が朱印に替わり、ここ5年ほどはパソコンで作るようにした。自筆のハガキを何枚か作り、比較的良さそうなのをスキャナーで取り込みプリントした。3年ほど前から宛名・住所もパソコン化したので、年末年始の作業としてみればグッと楽になった。

 私がこだわり続けているのは、必ず何か一言を加筆することで、これは一枚も欠かさない。プリントだけの賀状はハッキリ言って貰ってもあまり嬉しくないし、正直寂しい。「オッ、まだ生きてたか・・」程度の確認カードでしかない場合もある。また、返信が無かった際には生死、健康状態などちょっと気になるが、マア、相手にもそれなりの考えがあるだろうから、と割り切りフォローはしない。今年も1人の知己から「諸般の事情で今年限りで年賀状を止めます。あしからず・・」と言う内容の賀状が届いた。時代がらかな?とも思う。

 私は年賀状に、新年を共に迎えられた幸せを互いに感謝しあえるだけに止まらないいろいろな意義があると感じている。


1/7(月)曇り  管理会議   外来   療養病棟判定会議 長副会議
2:00起床、ドック処理x1、原稿校正等。5:10病院に、6:30回診・病棟業務。7:45-8:30管理会議。8::45-14:45外来、随分混雑し疲弊した。16:00療養病棟判定会議、 17:00-20:00長副会議。20:45帰宅、夕食。21:30就寝。

年賀状(1)年間50円の不思議な力  
 年賀状は未だ一日数枚ずつ届くが、そろそろ一段落の時期を迎えた。
 2007年10月1日郵便業務が郵便事業株式会社になったが、私は日常的にはその変化を感じることは無かった。年賀状の配達に関してはどうなるのかと若干心配していたが、1月2日も届くなどサービスの変化、改善をちょっとだけ感じることが出来た。もう一つは元旦配達分にハガキ大の印刷物が一枚の挟まっていたことで、それには吉永小百合の文として「年賀状には不思議な力があります・・」と綴られていた。後半は映画か何かの宣伝文のようなものであったが、良い書き出しで感心し、共感した。

 年賀状は多忙な年末にかなりの時間を割くことになるために私にとってもストレスであるが、年賀状には不思議な力がある、と幼少の頃から思っているので50年以上も止めることはできないでいる。年末に眠い目をこすりつつ準備するが、悪くない日本の文化・風習だと思っているからである。

 年賀状には50円以上の無形の力がある。
 最大の効能は年末に、ホントに年に一回だけの方も少なくないのだが、その人物とのお付き合い、自分との関係を思い出し、懐かしみながら感謝の気持ちを再確認すること、なのだと思う。名刺を並べてみても、交友録等の名簿を見てもこんな気持には絶対になり得ない。昨年戴いた賀状を一年ぶりに出して再整理しながら見直すが、この過程がとてもいい。
 私の今ある姿は自分の努力などではなく、すべて交友関係にあった方々から戴いた刺戟や影響で形成されていると思っているからすべて感謝の気持ちを抱くことが出来る。だから、年末には時間に追われながらもかつての交友を思い出し、今年も感謝の気持ちをこめて賀状を投函した。


1/6(日)雨  病棟拘束
2:10起床,ドック総括x1、新聞チェックなど。5:10病院着、回診。8:30救急カンファ。以降、事務処理、12:30帰宅。自宅で医局会用原稿作成。16:30長女離秋。20:00夕食、21:00就寝。殆ど終日ディスプレイに向かってすごした。

2007-2008の年末年始  今年は開放感を味わった
 本日で年末年始休暇と続く週末の休日が終了した。今期もいつの間にか年末年始休暇に入ったと言う感じである。院内の忘年会に一度も出席できなかったことも一因かもしれない。
 年末年始休暇の中、業務の割り当ては1月3日の日直と連日の療養病棟の拘束のみであった。31日朝以外、今朝まで早朝に病院に行き、早朝の回診は欠かさず、救急カンファレンスにも出席した。この間、病棟は重症者が少なく、始業の4日は金曜日で外来がなかったので比較的余裕をもって週末も過ごし得た。今年は降雪はあるものの自宅では除雪を要するほどでなかった。 

 年末年始休暇と続く週末を利用して、年賀状も投函した。30日は家族全員男鹿で一泊した。その他の時間は充分時間はあったはずであるが予定していた業務の処理は半分くらいしか処理出来なかった。それでも病院の机と床の上に積まれていた未処理書類、カルテ、未処理ドックの袋などはかなり処理できて広くなり歩きやすくなった。

 8日の医局会で年始の院長挨拶が予定されている。2007年のまとめと今年の抱負・所信を述べるが、これがなかなか大変な作業で連日考えているが未だ完成していない。

 私ももう若くはない。体力も落ちているのだろう。今までの生活パターンは無理と感じる機会も増えてきている。だから、新年から若干発想を変えて、あまり欲張らずに少しのんびりと過ごそうと思っている。背伸びせずに出来ないものは出来ないと割り切ろう、と考えを変え少しずつ実行している。だから、今年は追われたと言うよりマイペースで時間を過ごし得た。だから、いつもより時間がゆったりと流れたような気がする。良い年末年始であったが、明日からはどうなるかな?


1/5(土)晴れ→雨  病棟拘束 医師面談
 2:30起床、体調略良。ドック判定総括。5:15病院着。6:30回診+重症患者対応、8:00救急カンファ。10:30病棟対応。その他は終日懸案事項処理、文献整理、書籍廃棄など。16:00医師面談。19:10帰宅。21:30就眠。昨年の今日、記録的積雪で交通機関が殆ど麻痺状態であった。

年末・年始等の救急外来(2)診療所医師が参加できる方法はないか
 県の医務薬事課は今期の年末年始の救急医療体制をまとめている。秋田県内では24時間体制の医療機関が31カ所、診療時間を限定している休日夜間急患センターが5カ所の計36施設である。県内の医療施設は平成17年3月で病院78、一般診療所824である。だから県内の病院の46%が24時間体制で対応していることになる。各地で多数の医療機関が対応している。ご苦労様であり感謝である。

 目を秋田市に転じると、救急告示の7病院を含む8病院が対応している。その他、眼科の在宅当番医として5診療所が挙げられていた。勿論、このほかにも診療をしていた医療機関はあったのだろうがそれほど多くないはずである。

 推論であるが、患者の大部分は市立秋田総合病院、秋田組合総合病院、秋田赤十字病院、中通総合病院に集中していると思われる。
 私どもの病院の場合の救急外来の患者数は平成14年が1500人(240人/日)と特別多かったが、ここ数年は1000人(170人)で推移している。この間入院した重症者は50-60名程度である。他の3病院も似たような数字と思われるが、これは病院にとって、勤務医にとってかなりの負荷になっている。今年はインフルエンザこそ少なかったがノロウイルス胃腸炎(?)と思われる患者が多く、診察の度に石鹸で手洗いするので手ががさがさになった。

 病院勤務医は入院患者のために24時間呼ばれる拘束日がある他に、外来担当として1-2回割り当てられる。これは負担である。秋田市内の診療所の数は正確には分からないが医師会員342名中206名が開業医と言うことになっているからこれに近いだろう。この方々は年末年始はどうなさっているのだろうか?

 ここ2年ばかり医療崩壊が急速に進み社会問題化している。医療崩壊は医療全般のことではなく主として病院医療の崩壊であり、特に地域の基幹病院の機能崩壊である。実際、盆暮れ、大型連休の際の外来だけでなく日常の時間外外来を担当するスタッフには感謝してもしきれない気持ちである。

 この時期は診療所にとっても職員を休ませなければならないから診療継続は困難だと思う。しかし、医師は過剰な負担にならない範囲で、何らかの形で地域の診療に参加できないのだろうか。紙ベースの紹介状による病診連携でなく、診療参加型の病診連携は出来ないのだろうか?
 医師は住民の健康危機管理業だと思う。だからいままで何とかやってきているが、その負荷を勤務医だけに負わせてそれでヨシとしておくべき問題ではない。


1/4(金)曇り、積雪0cm  仕事始め  
2:00起床、ドック総括x1、徒然など。5:10病院着。6:25回診他。8:00救急カンファ。10:00重症患者対応、病棟業務。総括その他書類処理中心。文献整理。来客数件。風邪気味か、朝から体調若干不良で
終日低能率、業務処理量の割に疲弊した。19:30帰宅、夕食、21:00就眠。

年末・年始等の救急外来(1)何で病院医師が担わねばならぬのか
 昨年の元旦の急患外来はとにかく大変で、一年経った今でも鮮明に覚えている。9:00-13:00迄の間、休みなく延べ40人ほどの急患を診た。人数的には通常の外来と変わりない程度だが、殆ど新患で、結構重症者も居たし、その間に救急車搬送患者も何人か混じった。机上はカルテの山になるし、患者は待ち時間が長くイライラし、実に大変であった。手に余る患者は各々消化器、循環器、呼吸器の拘束医にお願いし対応してもらったが、これほど大変だった元旦の急患外来は初めてであった。

 今年は1月3日の日直で、午前外来担当であった。年末年始、私は病院でかなりの時間過ごしたが、外来を通る度に待合室、会計カウンターには患者が溢れていたから私が担当する外来はどうなることかと心配していた。

 9:00-13:00迄の間、診察室を出ることなく連続して診たのは昨年と同じであったが、延べ30人ほどで、机上にカルテが数枚以上重なることはなかった。患者のうち6割程度がノロウイルスまがいの急性胃腸炎、2割程度が上気道炎+αで、インフルエンザの検査を行ったのは1名のみであった。その他は胸痛、不安発作、腹痛程度で対応はほぼワンパーターンで済み、特別対応に困惑したケースはなかった。救急車搬送は一件のみで、これは数日来の便秘であった。通常の外来との大きな違いは高齢者中心でなく、子供、より若い患者が中心であったことか。

 中に、診療所からの紹介状を持って来院した患者もいた。
 紹介状の発行日は12月28日で、内容は「年末年始期間は医院を閉めますので、何かあったら貴院を受診するよう話してあります・・」とあった。患者教育の面でも、病診連携の面でもしっかりしてて、紹介状が無いよりは遥かに良い対応と思ったが、実は、このあたりに医療崩壊、特に病院医師の過重労働のルーツが潜んでいる。
 何とかしなければならない問題である。


1/3(木)(年始休暇最終日)降雪   日直  病棟拘束
2:30起床、ドック処理x1、文献整理その他。5:15病院へ。6:30回診、重症患者対応。8:30救急カンファ。9:00-13:00救急外来診療。混雑と言うほどではなかったが、患者は殆ど切れることはなかった。救急車搬送一名。午後は日直業務。19:00帰宅。19:30夕食、20:30就寝。これで年末年始の休み体制は終了した。予定していた業務の半分程度しか処理出来なかった。

食品業界の不祥事(2)「違いが分からないのに高級品を愛でる人達」が騙される   
 「船場吉兆」は日本料理の超有名店で「吉兆」は日本料理の最高級ブランドなのだそうだ。私には縁のない領域である。3ヶ月ほど前、大阪本店を「競争防止法違反」の疑いで府警が家宅捜索した。商品のシールには「但馬牛」「三田牛」使用と表示していたが、実際には九州産の牛だったと言う。幹部は、「パートが独断で・・」とか、「仕入れ業者にだまされた・・」などと釈明したが、実際には幹部が指示した会社ぐるみの不正だったようだ。

 この事件の基本的な背景は、消費者は原料の違いに一切気づかないことにある。良く言えば材料の違いを乗り越えて美味しく料理する技術を持っていたことであり、うがって言えば本当に産地毎に牛肉に味の差があるのか、という事にもなる。 

 私は味音痴で食材や料理法などについて差が分からない。だから、ブランドなどは気にしない。気にするのは安全面のことだけで、よく知られたブランドの方が若干安全のようなイメージを抱く。

 他の方の判断力など知るよしもないが、本当に違いが分かって最高級ブランドを愛でているのだろうか?といつも疑問に思う。勿論、包装とかレイアウトとか、盛りつけ等には値段によるレベルの差は歴然とある。この違いならば私にも分かる。食材によってこれと同じ程度の差を本当に味わっているのだろうか?

 私の感想は「違いが分からないからこそ最高級ブランドを愛でる」のだ、と思う。だから消費者からクレームが出る事はないのだ。

 食材の問題は納入関係者なら分かっているはずだが、お互い暗黙の了解で沈黙しているのだろう。ここにも問題は潜んでいる。

 「赤福餅」の事件は食材を無駄にしないと言う視点で見れば意義があった。「船場吉兆」の件は料理法が優れていれば、より安く流通している当たり前の食材を用いても消費者は満足する、ということを示唆してくれた。共に我が国の将来の食糧問題を考える上で、食材を有効に用いるべしと言う点で貴重なアイデアを提供した事件であった。
 高級ブランド品か否か、作りたてか否かに執着する様な贅沢な食文化は、もともと自給率の低いわが国にはそぐわないものなのだ。


1/2(火)(年始休暇二日目)降雪→曇り  病棟拘束  
2:00起床、ドック処理x2、徒然ほか。5:30病院に。6:30朝回診、8:30救急カンファ、主治医意見書作成など。12:30帰宅。年賀状追記、ドック判定総括。新年の挨拶文に呻吟した。20:00夕食、21:00就寝。

食品業界の不祥事(1) 「もったいない」の発想を生かす道を  
 昨年後半から原油の高騰、温暖化防止のためのエネルギーバイオ化の影響で世界的にガソリン、灯油等のエネルギーの流通、食料品の流通事情は大きく変化しつつある。これからの世界経済はすべて物価高でリセットされることになるだろう。

 その影響は発展途上国だけでなく、原油、食料品の輸入超大国の我が国でもいろいろ影響が出ると考えられる。エネルギーは脱化石化が一層求められるだろうし、食料品は自給率の向上と有効な利用が求められていく。
 わが国の景気も改善しつつあるといわれていたが、再度失速する可能性がある。そうなると、医療・福祉事情にも影響が及んでくることになる。

 この様な中、昨年次々と生じた食料品を中心とする不祥事は社会から激しくバッシングを受けたが、私の発想は逆であり、各企業で進めてきた無駄を廃するための工夫、利益を上げるための工夫は「勿体ない」と言うことが原点なら決して悪くはなかった。残り物は廃棄すべし、と言うのがマスコミの論調であり、有識者の意見であったが私は違うと思う。

 私は安全性と味覚を社内で評価し、賞味期限を延長し、消費者に公開すれば良かったのだ。製品として問題がないと判明したなら出荷前に一定期間冷凍保存して出荷調整、生産調整していても良いじゃないか。それを公開すれば消費者は離れるのだろうか?いや、これを隠していたことこそが問題なのだ。

 伊勢市の「赤福餅」の場合は、新鮮さを売り物にしていたが、その裏で製造日を偽っていた。工場や配送車内に残った製品を再包装し、製造日を印刷し直して再出荷、さらに店頭で売れ残った製品も一部は餅とあんに分け、原料として再使用し、あるいは子会社に販売していた、という。

 表示の不正、食品衛生上の問題として三重県が無期限の営業禁止処分にしたが、製造日の改竄は34年前ほどから、回収品の再使用は7年前から行われていた、と言う。今年1月、不二家が期限切れの牛乳を用いてシュークリームをつくっていたことが明らかになったが、その直後から赤福は再使用を中止していた。要するに、ずっと悪意を持ちながら裏でこそこそと続けていたと言うことである。これじゃダメだ。

 農水省は菓子業界に、売れ残りや返品の処理方法について点検報告を求めた、と言うが、このことが廃棄処分につながるなら問題である。私は有効な再利用につなげて欲しいと思う。本来、菓子であろうと何だろうと食品は絶対に廃棄してはならない貴重品なのだ。


2008/1/1(火)(年始休暇初日)暴風雪   病棟拘束 
2:00起床、2008年度版ワンパターン生活スタート。徒然2007年の締め記述。ドック処理x2ほか。5:00病院に。昨日以上の暴風雪。重症者対応数件、8:30救急カンファ。退院総括など。11:00家内重症患者で病院へとのことで12:00帰宅、自宅でトロトロとドック処理ほか
業務、賀状整理など。19:00家内帰宅。20:00夕食、VPOニューイヤーコンサート観るも途中で睡魔に負けて21:00就眠。

2008年初春 つれづれ生活スタート 
「謹賀新年」、明けましておめでとうございます。新年のスタートを晴れやかに迎えることが出来ました。有り難いことです。

 1月1日早朝、秋田は一昨日夕方からの暴風雪状態の続きで厳しいスタートとなった。出勤時道路は雪こそ数cmと少なかったが、車も少なく轍もない。はげしい雪でホワイトアウト的状況(?)でそろそろと走った。

 6:00頃から大晦日から勤務しているスタッフの労をねぎらうために「新年の挨拶」をファックスした。3つの病棟から返信が来た。嬉しいものである。
 この新年の晴れやかな気分は数日続く。年に一度のさわやかな気分である。今年は曜日の関係で週末まで期待できるかな、と思う。

 とはいえ、私が病棟で受け持っている患者の方々は正月だからと言って外泊する方はいない。だから30数名ほどいて、病状に盆正月もないから状況報告のファックス、対応を求める電話もいつのも如くである。殆ど欠かさず早朝に病棟回診し、懸案事項を処理するのが習慣になっているので本日元旦も同様とした。家内は10:00前に患者の状態が悪化したとのことで呼ばれ、病院に向かったとのこと、替わりに私が帰宅することとした。家内は結局夕方まで帰ってこなかった。

 我が家では今年の初日も夫婦共々いつもの如くの生活がスタートした。日常と変わっていることは長女と長男が帰省していること、賄いの石井さんが休暇で函館に行っていることくらいか。

 懸案事項も多い。ちょっと気が重くなるが、一つ一つクリアしていくしかない。
 今年一年いい年であるよう、願っている。


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   年を通じてワンパターンで淡々とした毎日です。AM2:00-5:00にメールチェック・返事送付、人間ドック(HDD)判定・報告書作成、新聞切り抜き、病院・医師会業務など。
  月〜土曜は6:00頃出勤、HDD報告書印刷、外来書類処理など。病棟回診、HDD受診者とミーティングと診察。8:45-14:00外来とHDD受診者に結果説明。昼食は摂りません。午後は病院業務・医師会業務、各種委員会等に出席など。20:00頃帰宅。
  日曜・祭日もほぼ同様ですが、病院には午後出かけます。時間的に余裕無いのが悩みです。


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