徒然日記
2007年12月分

 日記と言うより、自分の行動記録からの抜粋と日々の雑感です。

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12/31(月)(年始休暇三日目)暴風雨・寒波で降雪5-6cm 午後から病棟拘束 
2:30男鹿のホテル「帝水」にて起床、サロンで持参のドック処理x1、新聞チェックほか処理。身体が冷える度に入浴で暖を取る。8:30朝食、10:00チェックアウトしたが、この間風呂に8回ほど入った事になる。帰路、男鹿水族館「GAO」へ。新築後初入場である。戸賀湾の荒波はすごかった。大吹雪の中帰宅、13:30着。15:00病院に、入院患者不調で対応。19:30帰宅、20:30夕食。TV紅白歌合戦若干観て、若干のビールで酔って21:30就寝。

この一年(3)私的なキーワードは、今年も「感謝」
 2007年も最終日を迎えた。
 国際・国内的にいろいろあった。国際的にみて政治的不安定は止まらない。経済の低迷、とりわけアメリカのサブプライムローンに端を発した経済の混乱は原油高をもたらした。バイオ燃料の影響で食料品が国際的に高騰しており、これからの世界経済のバランスはすべて物価高でリセットされる可能性がある。発展途上国だけでなく食料品の輸入比率が高い我が国もいろいろ影響が出ると考えられる。わが国の景気も若干良いといわれているが、地方にいるか切りその実感は一切無い。

 あまり明るくない話題の中では京都大学の再生医科学研究所チームが「人工多能性幹細胞」を作ることに成功したと言うニュースは朗報である。

 この一年間、私的にもいろいろなことがあった。それでも、我が家を中心にこの一年を概観すれば、8月に私が膀胱頸部硬化症と膀胱憩室の手術を受けたことはあったが、そのことを加えても今年もまた、略安泰であったとまとめる事が出来そうである。
 最期にこの一年間、私どもを支えてくださった皆様方に心から感謝いたします。 
 本当に有り難うございました。


12/30(日)(年始休暇二日目)雨・雪・寒波襲来 午前病棟拘束 
2:30起床、ドック処理x1、新聞チェック2週間分、そのほか淡々と処理。5:20病院へ、6:30回診、事務処理、8:30救急カンファ。重症患者対応、11:30帰宅、自宅でドック処理x2など業務。17:00一泊の家族小旅行として男鹿温泉郷に。18:30ホテル「帝水」着。19:30夕食、21:30就眠。次男はその後に到着したらしい。

この一年(2)医療行政界のキーワードは「今が改革のチャンス」
 2006年秋、小泉政権は国民生活に大きな歪みをもたらして退陣し、9月に安倍政権が誕生した。安倍氏は前政権が残した歪みの一部を矯正しようと若干の修正を試みたものの国民感情から見れば遥かに小さく、国民の支持を失い2007年7月の参議院選挙で与野党が逆転した。結果的に安倍首相は体調を崩して政権を投げだし、福田政権と替わるなど、政治的には激変の年であった。

 医療行政の中に安部首相が提示した肯定面をさがすと、「国民が、地域の医療が確かに改善されたと実感し、もう大丈夫だと安心してもらえるよう全力で取り組む」と述べ、医療費抑制政策の部分的見直しを表明した事は大きかった。一方で2200億円の削減方針には手をつけずそのままとしたが、この辺が矛盾していた。繰り出した具体的改革案は、■リハビリの算定日数制限の見直し、■介護予防事業の「特定高齢者」の選定基準の大幅緩和」、■軽度者への福祉用具貸与禁止の見直し」、■障害者自立支援法での障害者負担増加を緩和」などであった。しかし、こんなレベルでは国民の支持を得ることは困難であり、年金問題、閣僚の不祥事もあって7月の選挙では大敗し、与野党逆転となった。

 福田総理は自ら「背水の陣内閣」と称している如く、内閣の最大の命題は来年夏頃に予定されている総選挙で何が何でも勝利して自民党が政権を死守することである。そのためには票を集めなければならず、笑顔を振りまき、対話を重視し、不本意であっても国民の視点に立った政策を繰り出してくるはずである。特に、「年金」、「医療・福祉」面は国民の不安・不満が集中し、生活に密着した部分であるからここに力を注ぐことになるであろう。C型肝炎問題でも最終的に総理の決断で全面解決に向けた決定を下したのもこのためである。消費税問題も先送りした。各方面にいい顔をした結果が次年度の国家予算に現れている。収入のアテがないのにバラ撒き的で、国の借金はまた増えていく。この解決は後日消費税アップでと考えているに違いない。

 ともあれ、今は国民運動として盛り上げられれば政府を動かすことも不可能ではない状況になっている。
 従って、われわれは医療従事者として今黙っていることは得策ではない。ドンドンと発言し、情報を発信して医療行政のあり方を改善していくべき時期である。
 こんな良い機会は滅多にないのだ。


12/29(土)(年末休暇初日) 雨 寒波 病棟拘束 患者死去 入院患者家族面談 歯科治療 
 2:20起床、ドック判定総括他。5:10病院へ。道路は雪なし。6:30患者死亡、対応、回診。私が担当している患者30数名は一人も外泊なし。従って病棟業務は通常と全く同じ。8:30救急カンファ。徒然、総括。10:00入院患者家族面談。12:00歯科受診、14:00散髪。年賀状作成投函。19:30帰宅、夕食。21:00就眠。

この一年(1)医療界のキーワードは「医療崩壊」
 この2007年の一年は自分の目から見て一体どんな年だったのか?年の暮れを迎えるにあたってザッと思い出してみた。
 2006年秋、5年余続いた小泉政権はマイナス3.16%もの診療報酬削減を置きみやげに退陣し、9月に安倍政権が誕生した。2007年7月の参議院選挙で与野党が逆転し、安倍首相は政権を投げだし、福田政権と替わるなど、政治的には激変の年であった。

  このような中で、医療界について2007年は一体どんな年であったと総括できるのだろうか。
  2007年は1月の柳澤厚労大臣の「女性は子供を産む機械」発言で年が明けたが、医療界は単年度として総括できるような状況にはなかった。敢えて言えば、「長年の国の低医療費政策の歪みが、壊滅的な医療崩壊として開花した年」、と言いうるだろう。

 すなわち、長年にわたる低医療費政策の影響により、全国各地域において地域医療体制が崩壊し、住民の生活の安全や信頼が大きく損なわれる事態となった。とりわけ、小児医療、産科医療、救急医療において顕著に悪化とされているが、決してそれだけではない。専門医療の中核的担い手である病院勤務医は、増大する業務で多大の負担を強いられ、痩弊しきって次々と病院や地域から去っている。いまやわが国の大部分の病院で、全診療科における明日の診療体制の維持を保障できない、と言わなければならないほど壊滅的状態に進みつつある。

 わが国の医療は、医療内容や効率においてWHOや諸外国から大きく評価され、注目されてきたが、医療機関や医療専門職の犠牲の上に成り立ってきたという背景まで考えれば、決して高くなど評価されるべきでなかったのだ。また、WHO等の評価を喜び、犠牲を「献身的な尊い努力とその成果」などと美化して自己満足に漬ってきたわれわれ医療関係者にも甘さがあった。また、勤務医を始めとする医療従事者の物言わずに耐える風潮が状況をここまで悪化させた。

 更に、わが国の医療供給体制は大学医局の旧態依然とした医師派遣システムによって維持されてきていたが、2004年からの新臨床研修制度の施行によって大学がその機能を失ったことが医療崩壊に大きく影響した。

 やっと国も厚労省も医療崩壊に気付いたようで政府・厚労省は緊急的避難策を次々と繰り出してきた。■医師不足地域に対する国レベルの緊急臨時的医師派遣システムの構築■病院勤務医の過重労働を解消するための勤務環境の整備■女性医師等の働きやすい職場環境の整備■研修医の都市への集中の是正のための臨床研修病院の定員の見直し■医療リスクに対する支援体制の整備■医師不足地域や診療科で勤務する医師の養成の推進、などである。

 しかし、これらは無いよりは良い程度の小手先の対策に過ぎない。
 医療崩壊が低医療費政策の歪みの成果であることを認めこの政策を改め、わが国の医師数は偏在などで不足しているのではなく絶対的に不足していること認め、医師を増加させる政策に切り換えるなどの根本的対策を早急に行わないのであれば、地域医療提供体制は一層崩壊するどころか瓦解状態に至る事になる。


12/28(金)曇り 魁記者来訪 入院患者家族面談 法人理事会
 2:40起床、ドック処理x1など、5:15病院着。6:00-7:10魁新報の記者と面談。7:15回診。8:00救急カンファ。主治医意見書、退院総括など。入院患者不調で家族面談x2。17:30-18:15法人理事会。20:45帰宅、21:30就寝。

お医者さんは30年前の患者のこともこんなに詳しく覚えているのですか?
 一昨日の早朝、5時少し過ぎの出勤時、医局に向かう暗い廊下で一人の初老の入院患者が静かに歩行していた。すれ違うときにいつもの如く「おはようございます」と挨拶をしたが、その方は私を見つめて「おはようございます。もしかしたら福田先生ではありませんか? 父が大学病院でお世話になったT.Oの息子です。今はこちらで働いていらっしゃるのですか?・・・」と話しかけてきた。

 T.Oさんは昭和52-3年頃、多発性骨髄腫という病気で私が主治医であった患者である。治療に難渋し、病状が変わる度にご家族と面談して次の治療について説明し慎重に治療した。結果的には一月ほどの経過で腎不全のために死亡されたが、著しい出血傾向があったことで治療に難渋したことで、記憶に残っている患者のお一人である。

 この息子さんについての記憶は殆ど残っていないが、懐かしげな表情をされているので廊下の椅子に腰を下ろし5-6分歓談した。「自分も父と同じ腎不全でこの病院にお世話になっています。今朝は眠られずに起き出して散歩していました・・」とのことであった。しばらくT.Oさんについて当時の記憶をたどりながら思い出話をしたが、最後に、息子さんは「30年近くも前の患者の事をこんなに詳しく覚えているものですか?驚きました・・」と話され、ゆっくりと病棟の方にもどっていった。

 勿論、各患者のことをそんなに記憶に止めているわけではないが、治療に難渋したり、思いがけない経過で亡くなった患者の方々は決して忘れることは出来ない。

 話の中で若干の疑問を感じた。わが家の息子さえ着なくなったボロボロの古コートでスリッパ履き、無精ひげで生彩の上がらない格好を出勤したのに、何故30年も会ったことのない私を息子さんが私を一瞬で認識したのか?と言うことである。

 多分、息子さんは父親と同じ病気で入院したことで、当時の主治医のことも含めていろいろ回想していたのであろう。そう言う状況の所に、たまたま私が通りかかったと言うことだろう。

 それにしても一瞬で気付いたと言うことは、私が30年前とそれほど変わっていない顔つきをしていた、と言うことである。要するに、私はその当時も今のような老けた表情をしていたと言うことである。事実を笑って受け止めるしかない。


12/27(木)曇り 外来 県医師会理事会 外来忘年会(欠)
 2:00起床、ドック処理x1など、5:05病院着。6:30回診。8:00救急カンファ、8:40-15:15外来+ドック結果説明。主治医意見書、退院総括など。17:30-20:15県医師会理事会。外来忘年会は欠とした。20:45帰宅、21:30就寝、長女間もなく到着という。

本日で外来終了 何とかして患者を減らさなければ
 本日15:00過ぎに外来が終了し、開放感に漬った。毎週木曜午後も週の外来の終了日とのことで開放感はあるが、本日は今年一年間の外来が終了したと言うことでより一層深いものがあった。

 私は週3-4日外来に出るが、予約患者数は55人程度でそれほど多くはないが、後半はいろいろ問題を抱えた患者が並び、更に予約外の患者、人間ドックの結果説明もあるので結構時間がかかる。随分急いでいるが、終了は速くて13:30、遅いときは15:00頃になり、終わり頃になると午後のスケジュールに食い込んでいくから次第に焦っていく。一週間単位で診察患者を人数面からだけで言えば、最も多い方の部類に入ると思われる。

 本来、より急性の疾患を扱う病院の医師は入院患者の診療中心で、外来診療は従たるものであるべきであるが、日本の病院の場合、医師としての業務のかなりの部分を外来に取られ、勤務医達は疲弊している。いや、患者達も疲弊している。

 特に、私の外来はハッキリ言って医療をしているという満足感からはほど遠い内容で、中高年の方々のお相手しながら老化による苦痛、愚痴を聞いて慰め、血圧を測り、処方を出しているだけのようなもので、数人の患者を除けば別に私が担当する外来でなくとも良いし、更に言えば当院の外来でなくとも良い方々である。それでも、無理矢理、些かの社会貢献にはなっているはずだと、理屈をこねて何とかやっているが、長時間だし、その後の書類処理のことも考えると結構ストレスである。

 何とかして患者を減らさないと、と思う。そのために新年の外来からは営業用のスマイルを減らして行く積もりである。他に何か参考になるものはないかと思ったが、かつて文献で見た、民俗学で知られている小林 存(ながろう・・と読むらしい)の言う、「人に嫌われる10の秘訣」の一部を思い出したので実践していこうかなと思っている。

 その10項目とは、@威張れ A責任逃れせよ Bケチであれ C自慢せよ D他人の欠点失策を言いふらせ E屁理屈を並べろ F恩は忘れ感謝するな G独り占めせよ H約束は守るな I嘘をつけ、である。ウーン、これは3番目を除くと日頃から接遇は大事だよ、と言っている私にとってなかなか実行は難しそうである。


12/26(水)晴れ  外来 県身体障害福祉専門分科会 年末挨拶訪問数件
2:20起床、ドック処理x1など。5:15病院着。6:10回診。8:00救急カンファ。8:45-14:30外来、混雑し大変。15:00-16:20県身体障害福祉分科会。16:40病棟患者対応。来客数件。21:00帰宅、夕食。21:45就寝。

秋田市の自動車専用地下道路「秋田中央道路」を通ってみた
 秋田市の交通渋滞緩和のために秋田駅を挟んで東西を地下道路で結ぶ自動車専用道路「秋田中央道路」、約2.5Km、総事業費686億円、が去る9月15日に開通した。秋田の地方紙の記事によると、渋滞緩和の面で著明な効果がみられるとのことで、私どもの病院の近くの明田地下道西交差点の渋滞の長さが1/4程度に緩和されたとのことである。患者、職員にとっても、秋田市民、環境にとっても大きなメリットとなっているようである。

 この道路の開通は大きなニュースとなっていたが、私の通勤は南北方向だから特に直接の関連はなく、工事にまつわる諸問題は別であったが、道路そのものとしては関心が薄かった。

 12月12日は16:00から17:30の予定で秋大関連病院協議会が催され出席したが、特別講演が長引き終了したのは18:05分頃であった。予定を30分以上長引かせるような講演や会の運営はとても迷惑である。折しも、その日は18:30秋大第一内科忘年会が催されることになっており、苛つきながらいつ終わるとも知れない講演を聴き、終わると共に遅刻を覚悟しながらタクシー乗り場に急いだ。

 途中でお会いした秋田赤十字病院の院長から、自分も出席するので、と勧められ病院車に同乗させていただいた。車は私がいつも通るコースより遠回りの道に向かっている。決して急いでいる雰囲気がなく不思議に思ったが、これは「秋田中央道路」に向かうコースなのだという。驚いたことに、地下道を経由して5分も経ずに会場のホテル前に到着した。この道を通ることを思い浮かべずにタクシーで30分か、と半ば諦めていただけに本当に驚き、「秋田中央道路」のメリットを感じ取った。

 私はまだ一回しか通っていないが、総事業費686億円に見合う効果が果たしてあるか否かなど、この道路については賛否両論があっただけに何れは検証は必要であろう。

 問題はこの道路の工事に伴う地盤沈下問題で、道路近傍の某高校では亀裂やひびなどが1688カ所も確認され、補償費が7億円余に上ることが明らかになった。県の担当部署が地盤沈下の事実を16年6月に確認しておきながら3年もの間ひた隠しにし、知事も半年間沈黙してきたとのことで、県庁の隠ぺい体質がまたもや浮き彫りとなった。多額の補償費をどうするのだろうか。

 寺田知事は庁内の食料費問題に端を発した庁内の不祥事を改善することを公約にしていたが、その知事の下でなぜ再びこの様なことが生じたのかという検証と、責任の所在を明らかにすべきである。知事も在任が長すぎて鈍くなって来ているのではないか?


12/25(火)曇 管理会議 外来  法人常務会 長副会議
2:00起床、ドック処理x1、総括、紹介状他、徒然。5:10病院着。6:15回診、7:45管理会議。8:40-14:30外来、超混雑。14:45-16:00法人常務会。17:00-19:15長副会議。20:45帰宅、夕食、21:20就寝。

東京交響楽団「第九」演奏会(2)航空機だけでなくコンサートも最後列、通路側の席をとる
 東京交響楽団のコンサートマスターは大谷康子氏高木和弘氏が就任しているが今回席に着いたのは高木氏であった。1972年大阪生れだから30代、ソリストとして、室内楽奏者として活躍し、エリザベート王妃国際音楽コンクール、ジュネーブ国際音楽コンクールなどで入賞している方である。現在、東京交響楽団のコン・マスの他にも多くの交響楽団、室内楽団、弦楽四重奏団等で多彩な活躍をしており、最近CDのカタログとか音楽関係の雑誌で時折名前を見る事があり興味を持っていた。

 小柄で痩身、若さ漲るお兄さんの感じである。彼の演奏スタイルは適度のパフォーマンスもあった。彼がコン・マス以外の席で弾いていたらとても違和感があっただろうと思う。多分、コン・マスの立場だからあの奏法なのだろう。他の機会にも聴いてみたいものである。

 もう一人のコンサートマスターの大谷康子氏も有名な方であるが、3月20日にアトリオン室内オーケストラの定期公演のソリストとして来秋することになっておりこれも楽しみである。

 「第九」の三楽章終了時にステージにはソリストと合唱団が入場してきたが、客席にも約一名が入場してきて私の隣の空席に座った。また、今回もキャンセルか、実に勿体ない、それにしても・・・、と半ば呆れつつ諦めかけていた私の同伴者、すなわち家内である。15時からの開演だというのに16時近くになってやっと到着したらしい。とにかく彼女の時間感覚はこんなものでコンサート、新幹線、会議、その他、私はいつも遅れていないか、とハラハラする。一方、本人は常に悠然としているから実に不思議なヒトである。時間感覚喪失あるいは減弱人間と言うべきレベルかと思う。

 航空機は後方、通路側の席を確保するが、コンサートなどの指定券を取るときにも私は出来るだけ後方で通路脇の席を注文する。理由は5つあって、他人の間に挟まるのが嫌、足を通路側に伸ばしたい、病院からの呼び出しでも中座しやすい、家内が遅れてくる可能性が大きい、終演直前に一足先に会場を出る、ためである。いわゆる、良い席は求めない。
 今回も最後列通路側を確保しておいて正解であった。今回も座席選択理由のうち4/5を満足した。良い演奏会であった。


12/24(月)振り替え休日 曇り 病棟拘束
2:00起床、ドック処理x1、持参の業務淡々とこなす。新聞一週間分チェック。約半年ぶり?楽器取り出し若干音だししてみた。11:10病院、病棟回診、机上業務など。20:00帰宅。夕食、21:10就寝。

東京交響楽団「第九」演奏会(1)秋田の声による「第九」であった
 12月22日午後、秋田市のアトリオンホールで東京交響楽団「第九」演奏会が行われた。曲は「エグモント序曲」と2曲。指揮はこの楽団の正指揮者・飯森範親氏。ソプラノ:長谷川留美子氏、アルト:野尻弘子氏、テノール:秋谷直之氏、バリトン:高橋祐樹氏。長谷川氏と野尻氏は秋田出身の方である。合唱は地元の合唱団からなるアトリオン第九合唱団で、合唱曲ではおなじみの面々で、声の面では秋田ゆかりの「第九」であった。

 プロのオケによる「第九」は20数年ぶりである。夏の頃から楽しみにしていた。ただ、客席数700の中規模のホールでフルオーケストラが合唱を伴って演奏すると果たしてどんな結果になるのか?と若干の興味と心配もあった。

 5分ほど前に着席したが私の横が空いているだけで一見満席であった。飯盛氏がマイク片手に曲とか作曲家等についてスピーチをしていた。演奏前や途中でのスピーチは観客との間を縮めると言う意味であっても良いが、長すぎるのは興を削ぐ。飯森氏のはちょっと長すぎた。

 狭い舞台に大勢の楽団員が並んだ。コントラバスが4本だから会場に合わせて若干メンバーは少なくしているようだ。第一ヴァイオリンと第二ヴァイオリンがステージの前方で左右に向い合い、中央左にチェロ、その後方にコントラバス、中央右にビオラを配していた。打楽器郡は右側後方である。管楽器は中央後方であるが段差をつけずに全員が平面上に並ぶ配置であった。これはステージが狭いからであろう。この配列を私は初めて見るが、19世紀後半から今世紀に入るまで好んで用いられ続けた配置の亜型と見ることが出来る。しかし、この曲の演奏のために何か特別の意味があったのだろうか、は私には分からなかった。

 「エグモント序曲」は私をクラッシック音楽に誘ってくれた曲であり、大学の学生オーケストラで何回か演奏もしたこともあって、特に好きな曲である。最初の和音では今回も一瞬鳥肌が立った。良い演奏であったが、やや軽い印象であった。命を絶たれることになるエグモント公爵の不安、焦燥等の描写がもう少し欲しかった。

 「第九」は通常最初から、あるいは二楽章終了時に合唱団とソリストを舞台に上げるが、今回は三楽章が終わった時点で上げた。これはステージが狭くて団員を座らせる椅子を置けなかったための配慮ではないかと思われる。
 演奏は十二分に楽しめた。が、音量が常に大きすぎる印象を持ったし、強奏部分ではホールの長目の残響が気になった。


12/23(日)天皇誕生日 晴れ 病棟拘束 救急外来補助
2:00起床、ドック処理x1、総括、新聞チェック、徒然などいつもと同じ。6:20病院、重症患者対応。8:30救急カンファ、11:00帰宅、ドック処理x1など。15:45再出勤、業務継続。18:00-19:10救急外来援助。20:00帰宅。夕食、21:00就寝。   

冬至:小豆とかぼちゃを食べ、ゆず湯につかる 
 昨夜の夕食は主食が小豆と共に煮たカボチャであった。また、風呂には4ヶの大きめのゆずが浮いていて、ほのかな良い香りが風呂場に漂った。昨日は冬至だったのだそうだ。

 我が家の食事を含め家事の大部分は、日曜日を除き賄いの石井さんにお願いしているが、彼女は結構年中の、あるいは季節毎の行事を大切にしてくれるので、とても有り難い。我ら夫婦だけの生活であれば、恐らく一切を無視した淡々とした生活になっているだろうと思う。
 この年中の行事を大切にする中で育った我が家の子供達も、多分今は殆ど意識することはないだろうが、将来、時に思い出し、古くからの日本の風習を懐かしむ機会があるだろうと思う。良い教育にもなったものだと思う。そのことも含めて彼女にはいろいろ感謝しなければならない。

 冬至は北半球では太陽の高さが一年中で最も低く、昼が年中で一番短く、夜が長いが、この日を境に日脚は徐々にのびていく事になる。最近私は真っ暗な中を出勤するが、これからは少しずつ明るくなっていく。一週間単位くらいで見れば夜が明けるのが早くなっていくのを実感できる。一方、これから厳しい季節になっていく。

 我が国の風習として、古くからこの日は各家庭で「冬至かぼちゃ」を食べて金運を祈り、「ゆず湯」に入って無病息災を祈願する習慣が伝わってきた。

 この時期に取れる野菜、保存できる野菜は少なく、そのなかで「かぼちゃ」は保存食として貴重な栄養源でもあった。「かぼちゃ」は16世紀中頃ポルトガル船によってカンボジアからもたらされたために「かぼちゃ」と呼ばれた。江戸時代中期から「冬至にかぼちゃを食べると風邪をひかない」とされて冬至に食べる風習が根付いたとされている。栄養についての知識がなかった時代からの言い伝えであるが、確かに「かぼちゃ」はカロチンを多く含み、体内でビタミンAにかわって肌や粘膜を丈夫にする作用があるから、あながちウソでは無いことになる。和漢薬の開発も含めて当時の人達のあるがままにものを観察する視点に驚くばかりである。

 一方、「ゆず湯」は体が温まってカゼをひかなくなる、とも言われている。暖房もなかった時代の風呂のことであり、今はこの辺のことは実感できないが、香りのいい「ゆず湯」には心身のリラックス効果も期待できそうで私も好きである。冬至に「ゆず湯」と言う習慣の背景には「冬至」、「湯治」と言った語呂合わせの意味もあるらしく、これも面白い。私はこの週末、連休は早朝に数回、ちょっとゆっくり目に入浴を楽しんでいる。


12/22(土)快晴 病棟拘束 ドック結果説明 患者家族面談2件 医師来訪面談 東京交響楽団第九演奏会 療養病床再編意見交換会(欠)
2:30起床、ドック処理x1等いつもの如く。5:10病院着、そのまま救急室で急患対応補助。6:30回診他。10:00入院患者家族面、11:30-12:30医師面談、情報交換。15:00-16:30東京交響楽団第九演奏会、16:40医師会館へ急いだが意見交換会は終了していた。20:00帰宅、夕食、21:00就眠。現時点で積雪0cm。

「病院職員のハートはハードより遥かに貴重」なのだ 県は厚生連3病院に計100億円支援決定 
 大学医局関係等の忘年会はすべて終わった。私にとっては各病院のトップクラスと気楽に対話できる貴重な機会でもある。

 この中で「中通総合病院は天井が低くて狭くて暗いが、職員の意識が違う。羨ましい・・」と言った意味の讃辞が秋田市内の同規模病院の院長の他、周辺医療圏の院長からも聞かれた。私自身もそう思っているから、とても嬉しい評価である。最近、厳しい医療情勢の中でひたむきに頑張っている職員達の奮闘に対して感謝を込めて、私は「すべて患者のために、すべて職員のために」と言い続けているが、これに「ハードよりハート」と言う標語も加えることとした。

 ところで、医療は設立母体の異なる医療機関によって行われている。わが国の医療は医療機関の設立母体毎に果たすべき分野に明確な違いがない。どんな母体であろうと公共性が求められている。だから、秋田県の場合、同じ医療の土俵に独立法人立、県立病院、自治体立、厚生連立、法人立等が上がっていることになる。私どもは特定医療法人に認められているとはいえ、私的医療機関である事に変わりはない。私どもにとって今の医療環境はなかなか厳しいものがある。

 去る9月10日、秋田県はJA秋田厚生連病院の整備促進に向けて、鹿角組合総合病院(21年度新築オープン予定)、湖東総合病院(23年度同)、仙北組合総合病院(26年度同)の3病院に対して、現行の病院建築事業費30%助成の支援に加え、新規医療機器の購入や旧施設の解体費用などを対象とした新たな支援を行う方針を提示した。支援額は平成20-26年の7年間で、30-35億円程度を見込んでいるが、病院建築事業費30%助成制度に上乗せする支援なので、3病院に対する7年間の支援総額は100億円規模となる。一病院あたり約30億円超の補助である。

 私どもの法人では今大曲中通病院を新築中である。数年後には中通総合病院の新築も予定されているが、私的であるが故に県からの支援はゼロである。だから、ハード面では私どもは周辺の医療機関に絶対に太刀打ちできない規模で我慢せざるを得ない。勿論、県民の税金を私的企業体に補助することの問題点は十分に分かっているつもりであるが、医療には非営利性、公共性が求められているのだから一般の企業体とは異なって良いはずで、果たしている公共的機能の実績に応じた援助をすべきであって、設立母体で区別すべきでないと思う。

 私どもは今後もずっと「ハードよりハート」の気持ちを持って社会に貢献していくことになるが、医療機関としてはこのことこそ基本であり、とても重要なことなのだ。


12/21(金) ドック診察  秋大第三内科忘年会
5:30起床。ペースくるって寝不足感。6:00病院、徒然他。ドック関連書類等。8:00救急カンファ、入院患者関連書類処理。14:00ドック診察、15:00-16:00病棟患者対応ほか。19:00-21:35秋大第三内科忘年会。22:00帰宅、22:30就寝。

「忘年会」:この名称の初出は漱石の「吾輩は猫である」の文中らしい 
 今年の忘年会シーズンも終わりに近づいた。医師会や大学医局関係等の会は本日の秋大第三内科の忘年会をもって終わった。あとは当院外来の一回を残すだけとなった。

 私どもの法人では忘年会に相当する会は共済会主催で大曲と秋田で行われるが、忘年会と呼ばず「年末大交流会」と称している。私も忘年会という呼び名は好まない。会そのものには一年間ご苦労様という気持ちで楽しく過ごそう、という、開放感も伴った楽しい雰囲気があって好きであるが、「忘年」と言う単語には後ろ向きで、無責任なリセット感覚のイメージが伴っていて嫌である。それに、私には忘れなければならないことは一つもない。

 電子広辞苑で忘年会を引いてみると「その年の苦労を忘れるために年末に催す宴会」とある。日本独特の行事らしく、歴史を遡れば鎌倉時代にまで行き着くのだという。他の百科事典によると、鎌倉時代当時は優雅に厳かに和歌などをつなげて詠う会だったらしい。江戸時代には庶民が一年の労をねぎらい、杯を酌み交わす会を行っていたとされるが、一般的ではなく、現在の如く慣例化されたのは明治以降らしい。「忘年会」が文章上で初めて記載されたのは漱石の「我輩は猫である」とされているのも意外である。

 病院関係の忘年会は「年末大交流会」を含め、5つの会から招待を受けた。院内各部署でどれだけの会が催されているかも知らないが、呼ばれる回数が少ないのは、飲めない私にとっては好都合である一方、数少ない職員との対話の機会と考えればちょっと寂しくもある。これは私の長年の付き合いの悪さの結果でもあろう。

 で、今年は既に4つの会が終了したが院内の会には一度も出ていない。東京出張、対外的行事、県医師会の委員会等と重なったためである。それでも時間的に間に合えば何とか参加したいと考え、参加費は前払いしている。結局、航空機の遅れ、委員会が長引き出席出来なかった。マア、会費は払っているから幹事も困らないだろうから良いか、と半ば諦めムードである。
 最後の外来の忘年会は27日に行われるが、同時刻に臨時の県医師会理事会が開催されることとなり、これへの出席もちょっと無理になりそうである。


12/20(木)曇り 外来         
2:10起床、ドック処理x1他。5:10病院。6:30回診その他業務。8:00救急カンファ、8:40-14:25外来。午後は対外行事無し。主治医意見書、総括、DPCデータ入力など処理。20:30帰宅、夕食、21:20就眠。1:00病棟から患者不調の電話で出勤、4:00帰宅。就寝。

高速化し便利になった東京モノレール 私はあえて快適な「普通」に乗る 
 空路で東京に出た場合、羽田への往復はモノレールを利用することになるが、これが最近「空港快速」「区間快速」も設定され、更に本数も大幅に増え、たまにしか使わない私にも随分便利になったと感じられる。車両も新しくなった。

 モノレールはたまたま乗り遅れても次が直ぐ来るから殆どストレスにはならない。平日の運転本数はなんと520本にもなるのだと言うからすごいものだ。
 最近本数が増えた「空港快速」「区間快速」は上下共に「普通」より8分ほど速く終点に着く。この8分のとらえ方で便利さに大きな差が出る。私はわざわざ遅い方の「普通」を選んでいる。こちらの方が絶対的に空いているから私にとっては快適だから、遅くとも便利ということである。

 空路とか新幹線等の高速交通体系は利用者にとって生活上で時間的余裕を生むはずであるが、現実的にはむしろ逆になっている。多くの方々は地上でも少しでも速く移動しようと、例え座れなくとも「快速」の方を選ぶようである。だから、「快速」の方が「普通」より混雑している。

 たまたま空いている「快速」に乗れる場合は別であるが、私は1-2本やり過ごしても「普通」のほうに乗る。客が少ないから必ず座れるし、ヒトとの距離も遠いし、空間に余裕があるから快適である。途中駅で後発の「快速」に追い越されるのもゆったり感覚で悪くない。ゆっくり本も読める。新幹線は発車間際に乗り込むが、時間的余裕が必要な空路の場合、私にとって8分くらいの遅れはあまり困らない。

 高速化し便利になった東京モノレールは逆の意味で私にとっても快適になった。ただ、これもわずか8分の差だから言えることで、「そんなら秋田まで鈍行を乗り継いで帰るのか?」と言われれば、勿論即座に否定する。

 ただ、10月上旬の上京の際、最終便に乗り遅れそうになったが、その時は運良く8分速い「快速」に乗れて間一髪間に合ったという経験がある。
 便利になったモノレールの速さに感謝した。 


12/19(水)曇 外来 院内感染対策委員会(欠) 県医理事会+委員会 病院年末大交流会(欠) 
2:10家内帰宅の音で起床、ドック処理x1、委員会資料検討、徒然。5:15病院。6:30回診その他入院業務。8:00救急カンファ。8:45-14:30外来+ドック結果説明。16:30-18:20県医理事会。18:30-20:45委員会。難題処理で時間がかかり病院の年末大交流会には間に合わなかった。21:30帰宅、22:00就眠.

僅か0.38%アップ?? 診療報酬改訂 8年ぶりプラス 全体ではマイナス改定 
 政府、与党は17日、来年度の診療報酬改定で医師の技術料などの「本体部分」の改定率について、0.38%アップを決めた。
 長年とり続けてきた国の低医療費政策が医療崩壊の原因になっていることが認められ、8年振りにアップに転じた事は朗報であるが、こんな微々たる値上げで医療崩壊を防げるとでも思っているのか?と愕然とする。
 日本の医療を立ち直らせるのに5.7%アップは必要としていた日医の唐澤会長は、0.38%とはいえ「本体部分」がプラスとなったことにホッとしている、とコメントしている。最後の決着まで随分ねばった様であるから当事者としては安堵したと思う。しかし、要求の10%にも満たないアップである。前回の06年度の改定で、「本体部分」はマイナス1.36%と過去最大の下げ幅で、医療界のモチベーションが低下し、医療崩壊が一気に進んだ事を考えると如何に微々たるアップであるか分かるというものである。離れた立場でこの数値を見ると、本当にがっくり来る。

 国の経済政策の中で、安倍首相の時に今年度も社会保障費約2200億円の削減を行うことがが早々に決められていたが、これが診療報酬改訂作業に大きな壁となっていた。そのために本体をアップする一方で「薬価・医療材料部分」を1.2%引き下げることで、診療報酬全体では0.82%のマイナス改訂とした。従来から、我が国では医師の技術等の無形部分の評価が低く、医療材料等の目に見える部分が不当に高価であることは医療経済の歪みになっていたことから、この方向性は正しい。長い間の歪みが幾分是正されることとなる。

 「本体」のプラス改定は8年振りであるが、政府側は財源不足を理由に直前まで0.1%程度のアップまでと主張していたが、果たして政府は日本の医療をどうしていく気なのか、将来像は全く見えてこない。これに日本医師会が強く抵抗し、最終的に「政治判断」で上積みして決着した形である。

 診療報酬の0.38%の引き上げには約300億円が必要になるが、全体の改定率はマイナスだから、最終的に財源確保のめどを付けたと言うことになる。

  厚労省は来年度予算の概算要求基準で2200億円の抑制を求められていたが、この縛りは達成することになるが、さらに約300億円を削減して計約2500億円の社会保障費を圧縮しなければならない。このうち政府管掌健康保険への国庫負担を約1000億円削減する。この分を健康保険組合と共済組合が「肩代わり」すると言う。支払い側の協力を得て何とかつじつまを合わせた、と言う印象である。

 今後はこの0.38%を如何に分配するか、と言うことになる。危機的状況にある病院医療、勤務医問題は良い方向に向くのだろうか、高齢者医療はどうなるのだろうか。実際には今後も厳しい状況が続くことになるだろう。医療の冬の時代はまだまだ続いて行く。


12/18(火)曇り 外来 法人常務会 県障害福祉課員来訪打ち合わせ 医局カンファ(不整脈関連) 
2:10起床、ドック処理x1。いつもの如し。冠雪5cm路面凍結。病院5:15着、6:15回診その他。8:00救急カンファ、8:45-14:15外来、超混雑。14:45-15:50法人常務会、17:30-18:30医局カンファ、循環器科担当。21:00帰宅、21:30就寝。

私抜きの演奏がとても良かった今年の秋大心臓血管外科忘年会
 師走を迎えてから散発的に忘年会があったが、先週の火曜から土曜までは秋大の医局関連の忘年会が続いた。関連病院の長として招待を受け皆勤したが、あまり飲めない私に取っては結構大変である。しかし、県内の主立った病院の長も出席するので情報交換の場としてもとても重要である。

 本年交わされた話題は、医療崩壊、医師不足、7:1看護体制、DPCの話題で、多くの病院から当院の医師体制や後二者の実施状況を尋ねられた。このうち2病院から何れ外来の看護師体制等を見学に行きたい、との申し出があった。

 秋大関連の忘年会の中では心臓血管外科の忘年会は例年にわか仕込みのバンド演奏がある。
 私もここ3年ほど楽器片手に参加していたが、今年は練習に参加する時間が取れないこともあって聴き役に回った。今年のバンドは心臓血管外科教授、循環器科教授を中心に循環器科医師、それにエキストラに学生3人を加えての6名で、ギター、キーボード、ドラム、ボーカルの組み合わせでいつもより小振りであった。3曲ほど演奏されたが、結構様になっていて楽しめた。私が参加するとここではこの様な旋律を入れる事になるだろうな、と勝手に曲想を膨らませながら聴いたが、もしかして私が入らなかったからこのレベルに達したのでは?とも考えてしまった。

 参加者の何人かから「今年も先生の演奏を楽しみにしてきたのに・・」との声も聞かれたが、マア、酒宴の社交辞令の一つとは思うが、「それほど目立つほどアンサンブルを乱したのか?」とも思ってしまう。土素人の悲しさでもある。

 素人バンドの楽しみは絶対的に演奏する側に大きい。聞く側と楽しみを共有できればかなりのレベルとう事になりこれまた最高である。来年のことは一切分からないが、もし機会があれば三味線を弾く同級の医師を誘って是非とも参加したいものである。
 ここ半年ほど、楽器のケースを明けてみる余裕すらなかった。物理的に両立させることは困難な状況ではあったが、今考えてみると貴重な時間を失ったものだとも思う。年末年始は時間を見つけていくらかでも練習したいものだ。


12/17(月)降雪 寒波 管理会議 安全管理者と巡視 医師面談 療養病棟判定会議 長副会議
2:10起床、ドック総括x2他淡々と処理。2:00過ぎ起床では時間的に余裕が乏しくたいしたことは出来ない。5:20病院着。6:30回診他、7:45-8:25管理会議。9:30-10:30安全管理者と手術室巡視。16:00-16:20療養病棟判定会議。17:00-19:20長副会議、その後総師長と懇談。20:50帰宅、夕食、21:45就寝。

秋田県の「地域がん診療連携拠点病院」の推薦(3)県の決定にもの申す
 秋田県の「地域がん診療連携拠点病院」の推薦問題、特に秋田市周辺医療圏の問題は平成13年から紆余曲折を経たが、今回一応の決着を見た。

 平成13年当時の名称は「地域がん診療拠点病院」であったが、県はこの時県医師会に病院の推薦を丸投げしてきた。当時、県と県医師会が指定を受けることに積極的でなかった。その主たる理由は「地域がん診療拠点病院」構想そのものに大きな魅力がなかったこと、県内のがん医療供給体制がそれなりに良い状態で機能されていたため、との判断であった。結果的に全国で135施設が指定され、秋田は後れを取った。

 平成18年からは名称も「地域がん診療連携拠点病院」に変わり、国も「がん対策基本法」を制定し、県でも積極的に指定を受けるよう方針を変えた。
 県は平成18年度の一次募集で、都道府県拠点病院として秋田大学を、地域拠点病院として12施設を推薦したがすべて不承認であった。実際には12施設のうち、秋田市の「中通総合病院」「秋田組合総合病院」は国の認定要件を満たしていると判定されていた。病院のがん診療のレベルが問われたのではなく、県の推薦姿勢が問われて2病院はその煽りをくらって指定の機会を失した。これで「地域がん診療連携拠点病院」を持たない県は兵庫と秋田の2県だけとなり全国的に注目を浴びた。

 県は10月の二次募集では、秋田大学病院と3病院を再推薦したが、秋田市周辺医療圏からは一つも推薦しなかった。その理由は「指定要件の審査で市内の4病院は、がん診療のレベルに差を認めることが出来なかった」ためとした。この時、県で選定できないのであれば先に国の要件を満たしていたと判定されていた2病院またはそのどちらかを推薦すべきであったと思う。
 本年10月末の募集では秋田周辺医療圏から「秋田赤十字病院」を推薦した。手術件数、化学療法、放射線療法の件数から判断したとのことである。

 この点について一言だけ意見を述べたい。
 市内の4病院共に厚労省の基準はクリアしていることは明らかで、がん診療の内容にも甲乙つけ難いと思う。しかし、各病院のがん医療に対する姿勢、将来構想などはそれぞれ異なっており、それらの評価なしに数の論理で決定されたことについてはとても残念である。秋田赤十字病院の医療内容は高く評価できるが、甲乙つけ難い状態だからこそ、県の県民への医療供給に対するヴィジョン、政治的判断による選択が必要だったと思う。県民への医療は設立母体が異なる医療機関の奮闘によって維持されていると思うのだが、秋田県が関与すると「やはり、また、秋田赤十字病院か」と、無力感を感じたというのが正直なところである。

 県の決定は最もクリアに説明できる理由に基づいているから、説得も納得もしやすい。が、推薦にもれた3病院の関係者の一人として、私はやはり不満である。


12/16(日)曇り・寒波 病棟拘束 
2:20起床、ドック総括x1。新聞整理。10:30-17:00病院。病棟は比較的平穏、書類の山崩しに集中。礼状書きなど。帰宅後年賀状準備開始。19:30夕食、20:30就寝。

秋田県の「地域がん診療連携拠点病院」の推薦(2)県の姿勢はクリアだが・・
 県は推薦発表と共にその決定に至った過程を私どもに関係者に連絡してきた。多分記者発表と同文だと思われる。
 それによると、県のがん診療体制構築の基本的姿勢、推薦の過程は以下の如くとのことであった。なお、一部表現を変え内容を単純化した。

■秋田大学医学部附属病院を県の拠点病院とし、各二次医療圏毎に一カ所の拠点病院を整備し、地域の医療機関と連携を図りながら県民に対して質の高いがん医療を提供する。
■秋田周辺医療圏は、県人口113万人のうち、38%にあたる約43万人が集中し、県内におけるがん手術件数の約半数が行われているなどから、「市立秋田総合病院」、「秋田組合総合病院」、「秋田赤十字病院」、「中通総合病院」の4病院を地域の拠点病院とする。
■秋田周辺医療圏の4病院は拠点病院に相応しい診療機能を備えており、国の指定要件を全て充足している。県は4病院が拠点病院の指定を受け、それぞれの特徴を活かしてがん診療に取り組むことが、県民へのがん診療の均てん化を図っていくために、必要と考えている。
■秋田周辺医療圏は4病院を推薦する原案を提示し国と事前協議を行ったが、国は各医療圏に1ヵ所、県全体の指定数は2次医療圏数の8病院が限度、という原則を強く打ち出し、複数の病院を推薦した場合に指定を受けられる確証を得られず、今回は1病院に絞って推薦するのが得策と判断した。
■平成18年度におけるがんの手術件数、化学療法件数、放射線療法件数などから「秋田赤十字病院」を推薦した。
■今後、秋田周辺医療圏の4病院の機能的役割分担等の明確化を図りながら、引き続き全4病院指定を目指す。
■今回推薦を見送った秋田市内3病院に対し「県単独補助金」を20年度も交付を継続し、秋田県のがん診療体制の一層の強化を図る。

 最終的には「秋田赤十字病院」が推薦されることになったが、上記の内容を含む県の説明文は論旨明確で内容的にもすぐれたものだと思う。ただ、推薦を受けられなかった3医療機関の院長は共に県の決定に唖然とし、落胆すると共に、日夜がん診療の体制整備に勤しんでくれたスタッフ達に申し訳ない、との気持ちと共に大きな不満を感じた事も確かである。しかし、現実的には無理矢理でも納得せざるを得ない。

 ただ、この不満の感覚は「秋田赤十字病院」以外のどの病院が推薦されたとしても変わることはなかっただろうと思われる。そう言う意味では「秋田赤十字病院」が推薦されたたことは「やはり、県は何でもかんでも秋田赤十字病院なのか!!!」、と常日頃から疑問を感じている県の医療行政の姿勢の所為にからめて納得出来ただけ、私どもにとって若干の安息もあったことも一面である。


12/15(土)曇り 病棟拘束 歯科受診 秋大泌尿器科忘年会
2:30起床、ドック総括x1、徒然。5:15病院着。6:15回診他,8:30救急カンファ。9:00ドック結果説明x2。以後は患者関連書類処理。15:00-15:45歯科受診。18:15-20:50秋大泌尿器科忘年会。21:20帰宅。22:00就寝。

秋田県の「地域がん診療連携拠点病院」の推薦(1)一応決着したが・・
 秋田県は去る10月31日、平成19年度の「地域がん診療連携拠点病院」の推薦病院として能代・山本医療圏から「■山本組合総合病院」、秋田周辺医療圏から「■秋田赤十字病院」、湯沢・雄勝医療圏から「■雄勝中央病院」の3病院を厚労省に推薦した。12月末頃に厚労省の審議会を経て新年早々にも指定病院が発表になる予定である。

 既に平成18年度に、由利本荘・にかほ医療圏から「■由利組合総合病院」、大仙・仙北医療圏から「■仙北組合総合病院」、横手医療圏から「■平鹿総合病院」が指定を受けているので、県内6医療圏から6病院が指定を受けることになる。

 これとは別に同年「■秋田大学医学部附属病院」が都道府県拠点病院として指定を受けている。

 残る「大館・鹿角医療圏」、「北秋田医療圏」については、現時点で国の指定要件を満たす病院がないことから、今年度の推薦は見送る事としたとのことである。

 秋田周辺医療圏については「中通総合病院」,「秋田組合総合病院」、「市立秋田総合病院」、「秋田赤十字病院」の4病院は拠点病院として国の指定要件を充分満たしていると評価されていたが、最終的に「秋田赤十字病院」のみが推薦された。この4病院はがん診療に関する種々の資料を県に提供し、秋田県の医療の実情からみて4病院を、あるいは病院間の機能の分担や連携を振り分ける方法で複数の病院を推薦するのも一方法、と働きかけたが、県は行政的配慮から「秋田赤十字病院」のみを推薦した。

 県がどの病院を推薦するかは県の専決事項であり、その最終判断は県民として、県の医療機関として尊重しなければならない。これで、平成13年以降混乱し、二転三転してきた秋田県の「がん診療連携病院」問題、とりわけ秋田市周辺の推薦は一応の決着を迎えたことになる。この県の判断は対外的には妥当な判断の一つとして受け入れるであろうが、推薦を受けられなかった3病院の院長、関係者の目からみればなかなか納得しがたい決定であった。
 


12/14(金)曇 部長面談  新患外来 法人理事会 秋大心臓血管外科忘年会 
2:30起床、ドック総括x1、新聞チェック、徒然など。5:20Taxi病院着、6:20回診他。7:45-8:15部長面談、8:45新患外来担当。13:00入院患者家族面談。14:00ドック診察。17:30法人理事会、19:00-21:00秋大心臓血管外科忘年会。今年はアトラクションに出演出来ず聴き役に。私が抜けたせいなのか、とても良かった。21:15帰宅、21:45就寝。 

ノロウイルスが猛威をふるい始めた 吐いたら「ハイター」処理を
 この12日、由利本荘地区の特別養護老人ホームで職員3名、利用者15名が下痢、嘔吐等の症状を呈している旨、保健所に連絡があり、95歳の方が13日死亡した。検便を行った4名全員からノロウイルスが検出された。

 12月に入ってから県内でノロによると思われる感染性胃腸炎患者が増加しており、福祉施設等6、保育園2、学校1の9施設で計208名の発生が報告されている。
 本年度の発生状況は既に18施設、467名(福祉施設等12、宿泊施設等2、学校2、保育園2)に達した。平成18年度は1989年の定点調査開始以来、全国的にも過去最高の発生率であり、県内では90施設、2076名(福祉施設等68、学校6、保育園・幼稚園6、宿泊施設等4、医療機関6)だったから、それに匹敵する急増である。

 県では、急遽、今月19日(水)14:00から県庁にて「施設におけるノロウイルス対策について」の講演会を行うこととした。講師は当院の菅原感染制御部部長である。

 昨年の今日あたりは、秋田県庁で、仕出し弁当を食べた職員のうち52人がノロによる急性胃腸炎症状を発症し、庁舎を一斉消毒した日でもある。更に一週間後には大館市で給食パンを介した(?)感染が起こっている。疫学的にもこの時期から急増すると言われているが、ここまで時期が一致したのは偶然だろう。

 ノロによる感染性胃腸炎はかつては冬期間の食中毒の代表で、カキなどの二枚貝を加熱調理せずに食べるなどで発生したものである。食中毒も勿論少なくないが、最近の散発的発症例は食品由来と言うよりは生活環境の中にいるノロを介して感染する。多くは感染経路が不明である。
 重要なことは、一度誰かが発生すれば患者の便や吐物などを介して容易に二次感染することであり、家庭内だけでなく、医療機関、保育園や高齢者施設などで病児を介護する母親や家族、福祉施設の従業員、医療機関の従業員の手指を介して次々と感染を起こすから極めて厄介である。

 各保健所などは手洗いなどによる予防を呼びかけている。
 この時期、各家庭でも衣類の漂白剤として流通している次亜塩素酸ソーダ製剤を消毒剤として用意して置くべきである。吐瀉物、便にはウイルスを大量に含むから捨てるものはビニール袋に密閉し、捨てられないものはまず消毒剤に浸すことが必要である。私は、身近な人が「突然吐いたらハイター処理を」、と語呂合わせをして言い続けている。
 ただし、この液を手指の洗浄に用いたり、室内に噴霧してはならない。使用時は手袋が必要である。


12/13(木)曇り 外来 医師面談 秋田県緩和医療研究会員来訪 県がん対策推進計画検討委員会 情報交換会 
2:30起床、ドック総括x1他、がん対策推進計画検討委員会資料検討。5:10病院、6:10回診他。8:00救急カンファ、8:40-14:30外来、混雑。15:00秋田県緩和医療研究会員来訪懇談。16:00-18:20県がん対策推進計画検討委員会。19:30-21:40情報交換会。22:00帰宅、22:30就眠。

インフルエンザ  「うがい」に感染予防効果はあるのか?
 インフルエンザの予防で必ず話題にするのが「うがい」、「手洗い」、「マスク」、「予防接種」である。このうちで「うがい」は幼児期の教育もあって広く普及しているものの、新にそれに価値があるのか、詳細に検討された文献を私はしらない。

 咽頭や扁桃付近の粘膜下にはリンパ組織が発達し、免疫応答細胞が集合している。さらに、咽頭粘膜には感染防御に役立つ粘液が分泌され外から侵入してくる細菌やウイルスが容易に粘膜細胞や体内に侵入してくるのをガードしているハズである。「うがい」、特にヨード製剤等の薬品を用いた場合にこの自然のガード粘液を過度に洗い流したり、粘膜を傷つけたりして逆効果にならないのだろうかと心配している。また、粘膜表面に付着したインフルエンザウイルスは短時間で咽頭粘膜に侵入するとされることから、外出から帰ったらまず「うがい」というのはもう遅いのではなかろうか。また、「うがい」が有効な範囲は狭いだろうし、どれだけの洗浄力があるのかも分からないし、やり方によっても差が大きいと思う。

 だから、私はあまり「うがい」に感染防御への効果を期待しているわけではない。しかし、私も「うがい」は勧めている。
 それは、健康を守るための一般的な衛生思想の一つとしての位置づけが確立していると考えられることで、これを否定する根拠も持っていないからである。

 一方、特に冬期間は空気が乾燥し、咽頭粘膜も容易に乾燥する。この場合、咽頭粘膜の分泌液は不足し、細胞の線毛運動も減弱し、一層感染しやすくなるとも言われている。だから、乾燥を防ぐという意味での「うがい」には一定の感染防御の価値はあると考えられる。だから勧めているが、あまり神経質になってやり過ぎるのは良くない、逆効果だと説明している。また、薬品は不要、水道水で十分だよ、と言っている。

 私自身は「うがい」が下手であり嫌なので滅多にしない。ただ、頻回にお茶を飲む。お茶が通過する範囲は私の下手な「うがい」より広いはずだし、咽頭の乾燥は予防できるし、付着しているであろう病原体などはお茶と共に胃に流される。インフルエンザや風邪の原因となるウイルスは胃の中では不活性化されるはずである。だから、この季節、患者指導や講演では「うがい」を勧めているが、私自身はお茶である。
 お茶や紅茶でうがいを勧めている方々もいるが、実に勿体ない。お茶は美味しい。飲んで楽しむものなのだ。


12/12(水)曇り 外来 祖父耕陽の命日 秋大関連病院協議会総会+講演会  秋大第一内科忘年会
 2:30起床、ドック総括x1、再検査結果報告他,5:15病院着。6:20回診他、8:00救急カンファ、8:45-14:15外来、混雑。16:00-17:15院内感染症対策委員会。16:00-18:00秋大関連病院協議会総会+講演会、あまり役立たず。18:30-20:45秋大第一内科忘年会、DPC、7:1看護体制の情報交換の場であった。中座し21:00帰宅、21:15就眠。

インフルエンザ   一般のマスクの感染防御能は期待薄(2)
 マスクの効用の第一はクシャミや咳の際の体液の飛散を防止することで、この効果は大きい。咳やクシャミが頻回にでるなら「インフルエンザ」の流行とかに関連無くマスクを着用すべきである。

 第二の期待は感染防御の効用であるが、これはマスクの種類によって千差万別である。
 通常の市販品のマスクはウイルス、花粉を99%カットすると製品の説明書には記載されているが、WHOが推奨するフィルター効率検出装置によると、76nmのNaClを20分間吹き付けた実験的捕集効率は30-80%だったという。医療機関で多く用いられている薄い紙3層からなるサージカルマスクは40-50%と共に機能的に今ひとつである(林ほか、臨床と研究83;1807-1812)。この実験はフィルター能力だけを見ているので実際に装着した際に鼻や口の脇から出入りする呼気の量も勘案して考えると、感染防御は殆ど期待できない、と言うことになろう。

 一方、かつてSARSで話題になった防塵用のN95マスクは実験的捕集効率99%以上で満足すべき結果だったという(林ほか、上記)。実際、SARSに関する感染防御の解析の中でマスク、手袋、ガウン、手洗いの効果を多変量解析すると、マスク着用が唯一の有効な感染防御数段であったと抽出された(Seito,W,H et al  N Engl J Med,361:1519-1520,2003)。

 このことから真にマスクで防御を図ろうとすればN95マスクと言うことになるが、このマスクは上手に装着すると密着性が高いために息苦しさを感じるし、顔面に密着させるためにゴムバンドもきつい。だから、長時間つけていると顔面痛、頭痛が生じてくる。私は今この文章を手持ちのN95マスクを着けて記載しているが、30分ほど経った今、痛くて、息苦しくて外したくなっている。

 「インフルエンザ」の場合は成人は多くのウイルス型に若干の免疫を有しているし、ワクチンもある。治療薬もある。しかし、「新型インフルエンザ」の場合、前二者は共に期待できない。患者の隔離も不可能と言っていい。だから、N95レベルのマスクが最後の砦となるので、備蓄すべしと唱えている感染症専門家もいる。ただし、安くはない。備蓄費用は数億円にもなる。


12/11(火)曇・寒 外来   法人常務会  県医務薬事課員来訪打ち合わせ 職種間交流セミナー
2:30起床。ドック総括x1他いつもの如く、徒然。5:10病院着。6:20回診他、8:45-14:15外来、混雑。14:45-16:20法人常務会、16:30県医務薬事課員来訪がん対策推進計画検討委員会打ち合わせ。18:00職種間交流セミナー、整形外科「レミケイド療法」。 21:00帰宅.夕食、21:50就寝。

鳥インフルエンザ(H5N1)新局面か? 人から人への感染疑い例発生!!
 昨年インドネシアにおいて、鳥と接触した後に「鳥インフルエンサ(H5N1)」 を発症した者から、人への感染が疑われる事例かあったが、同事例は家族内感染に留まり、それ以上の感染拡大は確認されなかった。

 WHOはこの度、中華人民共和国(江蘇省)における「鳥インフルエンサ(H5N1)」の感染について以下の情報を発した。
  (1)12月4日付け情報:中華人民共和国政府は、11月24日発症、27日入院、12月2日死亡した江蘇省在住の24歳男性について、「鳥インフルエンザ(H5N1)」の感染と報告した。同男性は発症前に病気の鳥に接触していない。同国政府は男性と接触した者について、感染が拡大しないよう防疫措置を講じ、健康状態の監視を行っている。
 (2)12月9日付け情報:同国政府は、12月2日死亡した上記男性の父(52)も、「鳥インフルエンザ(H5N1)」に感染していると報告した。父親は12月3日に発症し、病院で治療を受けている。

 これは、「鳥インフルエンザ(H5N1)ウイルス」がヒトからヒトに感染する性質を獲得した可能性を示す重大な内容であり、真実なら「新型インフルエンザ」の発生と言うことになる。
 現在のところ、ヒトからヒトへの感染の可能性について、判断に足る詳細な情報を入手していないために決定ではないが、厚労省は検疫対策を強化すると共に、都道府県にも連絡し注意を喚起した。

 検疫の体制を強化内容は以下の如くの手順となっている。
 入国者について、38°C以上の有熱者を確認→10日以内に、鳥または疑いのある患者と接触したか確認→江蘇省南京市に滞在していたか確認→「鳥インフルエンザ(H5)」確認→「鳥インフルエンザ(H5N1)」確認→入院措置し治療。

 もし、「新型インフルエンザ(H5N1)」発生と確認され、フェース4Aが宣言された場合、厚生労働省は「新型インフルエンザ対策行動計画」に基づき対応を行うこととなる。
 秋田県での緊急事態に備える具体的な下準備が必要である。
 私は県医師会の感染症危機管理対策の責任者の立場上、ちょっと緊張して次の情報を待っているところである。


12/10(月)晴れ曇り 管理会議 外来 療養病棟判定会議 長副会議
2:00起床、ドック判定総括x1他,徒然。5:20病院着, 道路は積雪なし。6:30回診。7:45-8:30管理会議。8:40-14:00外来、混雑。16:00療養病棟判定会議。17:00-19:00長副会議。20:40帰宅.夕食、21:30就寝。

インフルエンザ   マスクに効用はあるのか?(1)
 秋田は未だ平穏であるが、全国的にインフルエンザが流行し始めた。過去20年間の中では最も早い流行である。インフルエンザは毎年1000万人ほどが感染し、高齢者や乳幼児を中心に1万人も死亡する病気であるが、その恐ろしさは一般に知られているとは言えない。

 インフルエンザは例年1-3月に流行のピークが来る。厚労省の発生状況では、今年の発生は例年より数週間早く、北海道を中心に、関東、関西などで増えている。患者は5-9歳が圧倒的に多く学級閉鎖もすでに300校とのことである。今期は大部分が「Aソ連型」で、この型はこの数年間国内で流行していないから小さな子供たちは免疫がない。このことと流行状況は一致している。流行が早期に始まると年末年始の国民大移動を機に全国的に一気に蔓延する可能性がある。

 私は毎年この時期になると県医師会の感染症担当の立場から地方のマスコミから取材を受け、新聞やTVに登場するが、私もいい年なのでもう止めにして若手に道を譲らねばと考えている。

 その際、必ず話題にするのが「うがい」、「手洗い」、「マスク」、「予防接種」である。特に最近は「咳エチケット」としてのキャンペーンもありマスクの着用が推奨されている。私もマスク着用を推奨しているが、通常手に入れられるレベルの市販のマスクはウイルスの捕獲率が表示されているよりも低いとのデータもあり、感染防御に対して効果はあまり期待出来ないが、感染を広げない意味では効能は大きいから是非着用を、と説明している。

 インフルエンザは咳やクシャミでウイルスがまき散らされ、それを吸引したり、手に付着したウイルスを鼻や口に運ぶことで感染する。だから、流行期に感染を受けない、広めないためには人混みを避けることが一番であるが、現代社会ではまず不可能なことである。だから、次善の策としてマスク着用が登場する事になる。

 私はインフルエンザと関係なく、咳やクシャミで飛び散る唾液、鼻汁等の飛沫の飛散範囲をいろいろな工夫で狭めることは他人への配慮として常識的なことだと思っている。突発的に出そうになったならば、口を手で覆うのも良い、タオルやハンカチで覆うのも良い、何でも良いが無防備のまま撒き散らさないで欲しい。ゾッとするほど不潔な行為である。咳やクシャミが頻回にでるならマスク着用である。手で覆ったら当然手洗いが必要である。これも常識的なことである。


12/9(日)曇  病棟拘束  
2:00起床、ドック判定総括x1他、徒然等多数処理。古新聞チェック。12:30病院へ。退院総括、紹介状、簡易保険診断書等記載。友の会便り掲載の新年の挨拶に呻吟。16:00病棟患者対応。19:30帰宅、夕食、20:45就寝。

死亡診断書の記載をめぐって(3)こんな時はどうするか
 個々人の死亡に至る過程を出来るだけ医学的に、客観的に表現できる様にするために死亡診断書が現在の様式に改訂されたのは確か平成7年1月のことであった。記入者の判断に任されていた部分が減り、選択項目が増え、より単純化された。
 とはいえ、死亡に関して社会的、法医学的背景が変わったわけではないので記載に際していろいろな迷いが生じる。改訂された当時、異常死、外因死についていろいろな場面を想定して検討したことがあるので内容の一部を以下に示す。

■死亡原因が明確でなく、治療中の疾病との因果関係が明確でない場合の死亡は基本的に異常死として扱う。
■来院時心肺停止例の場合、医師が未だ死亡していないと判断し何らかの治療行為を行った場合には診療継続中の死亡となり、死亡診断書で良いが、来院時既に死亡していたと判断する場合には検案書となり、死亡した場所と推定死亡時間を記入する。
■外因死あるいはそれの疑いがある例、死因が明らかでない例等を扱った場合に警察と連携を取り合うことは医師に求められる社会的責務である。
■死亡への影響度が低くても外因による傷害が病的事象の起因となった場合には外因死の扱いとなる。例えば、自殺目的で薬物を服用し、2-3ヶ月生存しその後死亡した場合は外因死となる。
■死亡の原因として明らかな病態としての心不全、呼吸不全は記載しても良いが、他の疾患の終末期の病態としての心不全、呼吸不全は記載しない。
■死因としての老衰は高齢者の死亡で他に明らかな死亡原因がない自然死の場合のみ使用する。老衰状態に何かが合併して死亡した際には老衰も記載する。また、原因不明死と老衰は異なるものである。
■死亡診断書や検案書の発行は恐喝等の目的に用いられる恐れがあるなどの正当な理由が無い場合は拒否できない。医療費の未払いも理由にならない。

まず、今回はここまで。


12/8(土)東京・秋田曇り 東京女子医大外科出張病院会議
2:30ホテルラングウッドで起床、持参のドック判定x1他、いつもの如く処理。7:10葉っぱとコーヒーで朝食。微睡、10:30-11:45東京女子医大外科出張病院会議。医師不足が話題に。ホテル滞在時間延長し13:00チェックアウト、浜松町書店で5点購入。15:20JAL、AirBusA300-600R、修学旅行2校、他の団体客で満席、30分遅れで離陸。16:45秋田着、17:30病院。19:30帰宅、20:50就寝。

死亡診断書の記載をめぐって(2)異常死にしてもしなくても結果は同じなら!!!
 医師法21条に「医師は、死体又は妊娠4カ月以上の死産児を検案して異状があると認めたときは、24時間以内に所轄警察署に届け出なければならない」とあるがこの異常死の定義が不明瞭である。これに対して大きく二つの見解がある。

 日本法医学会の見解は1994年に作成した指針で「広義説」とも呼ばれる。この指針では「病気が原因の突然死」、「診療 行為に関連した予期しない死亡」、「診療行為の合併症による死亡」、「原因不明の死亡」を含んでいる。

 日本外科学会は2001年に異状死に「診療行為の合併症として予期された死亡は含まれない」とした。また、2002年 には「重大な医療過誤が存在、または強く疑われる場合の医療行為関連死あるいは重大な障害は、異状死と同様に届け出るべき」とした。これは「限定説」と呼ばれる。

 医療の現場で両者の対立する見解部分に触れる事象、すなわち「診療行為に関連した予期しない死亡」、「診療行為の合併症による死亡」が生じた場合、どちらに拠って対応するかは現場判断によって行われなければならず医療現場は混乱している。

 福島県立大野病院産科医師逮捕事件を例にすると、外科学会説では異常死ではない。しかし警察は法医学会の見解を取り異常死と解釈した。そうなると虚偽の記載と届け出しなかったことも問われる事になる。大野病院で法医学会説に従って異常死と届け出れば、その時点で警察沙汰となったと思われる。

 結局、医療従事者は「どちらを選んでも犯罪者扱いされる」という板挟み状態に追い込まれる。

 私はこの様な場合は原則的に外科学会の「重大な医療過誤が存在、または強く疑われる場合は、異状死として届ける」という判断に沿う事にしている。ただ、この場合、24時間以内に適切に判断するのはとても困難である。また、過誤の有無について判断がグレーゾーンの場合もある。この時には家族の意向も参照する。警察に届けない場合には正規の届け出場所ではないが第三者機関として保健所、県の担当部署に届ける。どちらの判断をしたとしても管理者として責任が問われる事になる。


12/7(金)秋田曇り雪・東京超快晴 日医病院委員会+懇親会
2:00起床、ドック総括x1他、徒然他。5:10病院着。6:20回診ほか病棟業務。8:00救急カンファ。10:00病院発。10:55ANA AirBusA321満席なるも最後列通路側確保。14:00-17:00日医病院委員会。17:30-19:50懇親会「つきじ治作」。有名な料亭との事であるが、私には価値分からない。20:40宿泊のホテルラングウッド着、21:20就寝。

 死亡診断書の記載をめぐって(1) 福岡で医師が書類送検、関係職員も書類送検
 共同通信社の配信記事。
 福岡県警は12月5日、特別養護老人ホームでストレッチャーから転落し、脳挫傷で死亡した85歳の女性の死亡診断書に福岡市にある某病院の副院長(57)と医師(39)が自然死と記載し、警察にも届けなかったことで二人の医師を医師法違反などの疑いで書類送検し、特養ホームの職員2人を業務上過失致死の疑いで書類送検した。

 事故は本年8月、特養ホームの介護職員らが入浴に際し、ストレッチャーの転落防止柵を外し、女性を起き上がらせ、目を離した際に床に転落した。女性は病院に運ばれたが、脳挫傷で死亡した。特養、病院側とも遺族に転落事故や死因を説明しており、特養ホームは市当局に対し8月中に事故を報告したが、その際、警察への無届けを指摘され、中央署に届け出た、とのことである。
 医師は、患者は来院時には生存しており、治療中に死亡したので診療中の死亡と判断し、「脳挫傷による外傷性ショック死」と記載し、「病死および自然死」とした。その際、医師は死因の種類について副院長に助言を求めたところ、病死でいい、と指示したということで二人の送検になった。

 この件の詳細は不明であるが、故意性はなかっただろう。しかし、死亡診断書の記載に明らかな誤りがあった。搬送時に死亡していれば自然死と記載することはないであろうが、例え治療後に死亡しても受傷が原因であれば死亡診断書は外因死にしなければならない。ただ、故意性、犯罪性がなかったであろうこのケースは書類送検というような形でなく、指導あるいはこれに近いレベルで処理することが出来なかったのか、と言う疑問は残る。最近、大野病院の例を嚆矢として医師に対しての判断は厳しくなっている様に思えてならない。心すべきであろう。

 実際、搬送時に患者が生存していて治療後に死亡した場合、数ヶ月間病状が安定し、他の合併症で死亡した場合などではどう記載するかなど迷ってしまう。実態は知ることは出来ないが、この様な場合に「病死および自然死」に記載する医師は必ずしも少なくない、のではなかろうか。

 私は直接この様なケースに遭遇することは少ないが、相談された場合には「誘因が外因で、一連の病態で死亡した」のであればどれだけの期間治療したかにかかわらず外因死にするよう指導している。その拠り所は日本法医学会のガイドラインである。このガイドラインは臨床医から見れば「診療関連死」の部分に問題点があるが、異常死の定義の中に「診療の有無にかかわらず、外因による障害の続発症、あるいは後遺障害による死亡」も含めており、例として外傷、中毒、熱傷に続発した敗血症・急性腎不全・多臓器不全・破傷風、骨折に伴う脂肪塞栓症などを上げているので、この点を参考している。


12/6(木)曇り・雨 外来+ドック説明 秋期防災訓練 医師面談 来客面談
2:30起床、ドック総括x1他、徒然など。5:15Taxi病院着、6:20回診他。8:00救急カンファ。8:45-14:40外来、混雑。14:00秋期防災訓練(不参加)。15:00医師面談。16:00来客あり面談。20:20帰宅、夕食、21:00就寝。明日から二日間東京出張。

スペースシャトルは無道力着陸だが、旅客機ならどうなる?
 本日、秋田空港で開いた持参の雑誌の医療安全面の記事にある航空会社のパイロットが小文を載せていた。一年ほど前の某製薬会社の広報雑誌である。

 短い文章だったので詳細は知ることは出来なかったが、通常旅客機が巡航する高度10Kmでエンジンが総て停止する可能性はゼロに近いが当然ゼロではない。その際にどうなるのか、と言うことに言及していた。それによると、機種とか翼の形状、重量等によって差はあるもののいわゆるジャンボクラスの大型機では上昇とか水平飛行は出来ないが、500m/分程度の降下率でほぼ安定した飛行が出来るのだそうだ。要するに20分ほど、この間条件にもよるが100-200Kmほどの距離を飛行できるのでその間にエンジンの再始動などの対策ができる。始動が出来ないときには何処かに無道力着陸を試みることになるとのことである。

 実際、通常の飛行でも着陸のために高度を下げるときはエンジンをアイドリング状態にして滑空状態のはずである。滑走路が近くなると細かな調整のために当然エンジンの推力が必要となる。

 4発のエンジンが停止した例として、1982年に英国航空のジャンボ機がジャワ島上空を飛行していたときに火山から噴き上げた噴煙の中に突っ込み酸素欠乏のためにエンジンが総て停止した例を引いていた。この機は10数分後に噴煙を抜けたところでエンジンの再始動ができ無事生還出来た。これは航空機の安全に関する書籍に時に掲載されている事故である。私は雷雲を避けるなど、周辺の情報をレーダーで蒐集しながら安全なルートを確保していると思っていたが、この機が何で噴煙を避けられなかったのか何度か記録を読み返したが分からない。

 果たして今まで無動力状態で旅客機が無事着陸できた例があるのか否かには言及していなかったが、多分無いのではないのだろうか。例え近くに空港があったとしても小さな飛行場では着陸は無理だろうと予想する。

 無道力着陸と言えばスペースシャトルである。
 信じ難いのであるが宇宙からの帰還時、高度と重力とスピードの持つエネルギーを利用し滑空状態で飛行基地にたどり着き着陸するのだそうだ。パイロットは何度も実体験できないだろうし、小さな翼と重力の関係から接地速度はかなり速いはずだし、やり直しは出来ないはずである。よく今までに着陸時に事故を起こさないものだと感心している。
 スペースシャトルが無道力着陸なのだと知った以降、私は無事帰還したニュースを聞く度に、心からホッとする。

12/5(水)降雪・寒い 部長面談 外来+ドック診察+結果説明 患者家族面談 県医常任理事会+忘年会 
2:00起床、ドック判定総括x1、徒然。5:10病院着.6:15回診他病棟業務。7:45部長面談。8:40-14:45外来+ドック結果説明+診察。外来が混雑し毎回午後の予定に食い込むのが悩みである。15:00入院患者家族面談、病棟患者へワクチン接種。16:30県医常任理事会+17:30忘年会(三四郎)。20:30帰宅。21:10就寝。

第2回中谷名誉院長を偲ぶ会(2)献杯発声時の挨拶「ヒトは二度死ぬ」
 先日、第2回目の「中谷名誉院長を偲ぶ会」が催されたが私は昨年の会に次いで今回も会の始まりに献杯の発声を担当した。中谷先生と苦楽を共にした方々を前に私が壇上に立つのに若干の気後れがあったが、実行委員会の指名を素直に受けることにした。
 その際、「ヒトは二度死ぬ」として、中谷先生は昨年亡くなられたが、彼自身は決して未だ死んではいないのだ、と言う趣旨で感想を述べた。今回は出来るだけ短時間で、と思っていたので内容はかなり端折って述べた。意が上手く通じたかは分からない。

 その際、引用したのが指揮者カール・ベームについて、以下の如くの私の印象である。
 ベームは1981年に没した名指揮者である。晩年何度か来日し、我が国ではとても人気があった。私もモーツアルト、シューベルトの交響曲全集、ワーグナーの「指輪」等、その他にもRシュトラウス、モーツアルトのオペラ数種、その他べートーヴェン、ブラームス等の作品のオーケストラ作品、協奏曲等のレコードを所持している。何れも1960年代の録音で、今でも十二分に素晴らしい。今年8月の自宅療養中には「指輪」全曲を4日間通して聴き直し堪能した。

 1960年代のベームとベルリンフィルの演奏はとても快活で、全体としては、武骨とな感じの演奏であった。1970年代以降は概してテンポが遅くなった。遅くなったのではなく、「のろくなった」、という感じを受ける。彼は来日時には熱狂的に迎えられたし、本拠地のウイーンでは晩年まで尊敬されていたとされるが、必ずしも演奏内容についての評価ではなかったと思われる。無骨に生きた指揮会の長老、としての尊敬だった、のであろう。
 ベームは1981年に没したが、彼はそれと同時に音楽関係の雑誌、CDのカタログ等から一気に消滅してしまった。そのように私には感じられる。音楽番組等で話題になることも殆ど無く、その扱いの変わりようにすごく驚いたものである。

 彼が更に一世代の前の音楽家であったならば、貴重な録音としての価値もあったのだろうが、次から次と出てくる新録音の時代、彼の演奏が商業的な意味で光を放ち続ける事は出来なかったのだろう。彼がこの世を去った時、彼の足跡は客観的価値、商業的価値を同時に喪失した、と言うことである。著名な方々は時間と共に何れは「二度目の死」を迎える、思っていたが、彼は一度で死んでしまった。
 関西の指揮会の長老、朝比奈隆氏にも私は同じ印象を持っている。

 お二人の残した演奏は今後は新規に購入する機会はないだろうが、手持ちの録音を聴く限りにおいては、持てる個性も含めていまだに燦然と輝いている、のだが。


12/4(火)曇り 外来 法人常務会   院内倫理委員会
  
2:00起床、ドック判定総括x1他。5:10病院着、6:30回診、8:00救急カンファ。8:45-14:15外来+ドック結果説明。14:45-15:50法人常務会。16:00-16:フィブリノーゲン関連C型肝炎ウイルス感染について45NHK記者と面談、取材。17:30医局会、中座。18:00-19:20院内倫理委員会。21:00帰宅、21:40就寝。

第2回中谷名誉院長を偲ぶ会(1)出席者の多彩な顔ぶれに驚く
 中谷敏太郎元中通リハビリテーション病院名誉院長は広島県生まれ、昨年5月25日永眠された。享年75歳で、その死は今でも多くの方々から惜しまれている。
 先生は中通病院、中通リハピリテーション病院の発展に大きく貢献されたが、展開された医療活動はそれを知る秋田市市民、秋田県民からは今も半ば伝説的様相で語られている。

 昨年の6月17日の偲ぶ会に次いで、先日、12月1日弥高会館にて第2回目の「中谷名誉院長を偲ぶ会」が催された。今回は医療関係者の他に先生のご親族も広島から出席され、平和運動、社会運動等で共に活動されていた方々が多数出席された。

 中谷先生の業績は法人や病院の発展に貢献されたことに留まらない。兵器廃絶、被爆者援護法制定などの平和運動、労働者の健康問題、各種の社会保障制度改善運動などの方面での活動も挙げねばならない。常に社会をクールに見つめ、弱者に温かい目を注ぎ、社会運動に参加されていた。先生は自らも被爆体験があるとのことで、秋田県内の被爆者検診や健康管理も引き受けられていた。先生の多彩・広範な活動は一つ一つをあげるほど私は知っているわけではなが、偲ぶ会に出席なされた方々の多彩な顔ぶれから知ることが出来る。

 出席者の顔ぶれは、全部を挙げることは出来ないが、ご親族、ご友人、元十文字町長、秋田民医連、弁護士、秋田県生活を健康を守る会、治安維持法国倍県本部、日本科学者会議秋田県支部、原水禁秋田協議会、秋田県被団協、県高等学校教職員組合、安保破棄県実行委員会、県平和委員会、日中友好協会秋田県支部、日本国民救済会県本部、年金者組合県本部、県革新懇、県商工団体連合会,秋田だるまの会、多喜二祭実行委員会、日本民主主義文学界秋田支部、日本共産党秋田県委員会・・・と実に多彩で、会場に行ってみて出席者名簿他の資料を見て本当に驚いた。

 先生の思い出を語るコーナーでは各団体から6-7名の方が壇上にのぼられた。概してお話しが長かったが、それだけ語りたいことがあったのであろう、語られた内容、先生の足跡は私にとっては初めて聞くもので驚きを持ってただひたすら傾聴し、先生の在りし日を思い出し、偲ぶ事が出来た。実に感動的な会であった。

 私は昨年の会に次いで今回も会の始まりに献杯の発声を担当した。


12/4(月)降雪・曇り 管理会議 院内巡回 ドック説明x1 歯科受診 療養病棟判定会議 長副会議 
2:00起床、ドック判定総括x1、秋大第三内科同窓会誌関連+日医病院委員会関連業務。5:10病院着。6:30回診。7:45-8:30管理会議。10:00安全管理者と打ち合わせ。10:30ドック結果説明。13:30-14:30歯科受診。16:00-16:30療養病棟判定会議。17:00-19:45長副会議。21:15帰宅、夕食、22:00就寝。

本の推薦:岡田晴恵著「H5N1型ウイルス襲来?新型インフルエンザから家族を守れ!」

H5N1型ウイルス襲来(角川SSコミュニケーションズ)岡田 晴恵著
税込価格 : \756 (本体 : \720)
出版 : 角川SSコミュニケーションズ
サイズ : 18cm / 173p
ISBN : 978-4-8275-5013-9
発行年月 : 2007.11
利用対象 : 一般

 強毒型の鳥インフルエンザA(H5N1)は本来ヒトへの感染力は強くない。WHOによると本年11月12日までで、感染者は世界で335人、死亡は206人である。まだ鳥インフルエンザウイルスの感染であり、ヒトへの感染力が強い「新型インフルエンザウイルス」への変異はまだ生じていない。しかし、「新型インフルエンザウイルス」に変異する可能性は極めて高く、いつ生じるかの段階に至っている。人はこの変異ウイルスに対して免疫を持っていないために一度生じれば世界中にまたたくまに広がることが予想され、その際の被害は甚大になると考えられる。我が国でも200万人もの死者が出る事態にもなりうるとの予想もある。

 国では、危機管理対策としてワクチンや治療薬のタミフルの備蓄を進めている。秋田県でも新型インフルエンザ対策の行動計画を作成しており、県医師会でも対応ガイドラインを作成した。秋田市でも発熱外来を設置する準備を進めているなど、対策は遅々としているが進めている。ところが、多くの医療関係者、一般市民には未だ「新型インフルエンザ」大流行の危機を迎えつつあることを殆ど認識していない。

  私も県医師会の感染症等危機管理の担当として、機会が与えられた場合には「新型インフルエンザ」について一般市民に対して啓蒙してきているが、与えられるスペース、時間も限られているから、殆ど役だっているとは思えない。
 さらに、今までは人に勧められるような、比較的読みやすい本もなかった。

 この岡田晴恵著の「新型インフルエンザから家族を守れ!」と言う副題の付いた新型インフルエンザの啓蒙書「H5N1型ウイルス襲来」を手に取ってみて、やっと良い本が出版された、と思った。
 如何に国や行政の危機管理がなされたとしても十分とはなり得ない。だから、自分の健康と命を守るのは個人レベルでの知識と行動による防護しかない。この本では個人で出来るこのウイルスへの防御策、感染流行時の日常生活方法などが、具体的にアドバイスされている。さらに、日常の衛生管理から公的サービス機能の停止と言った非常事態に対して、食品・日用品の備蓄など何をどう想定し備え・対処するかなどについても具体的な対策の実例を挙げて紹介している。一部は物語調記述でとても理解しやすい。

「新型インフルエンザ」と言う未知の病気の大流行を迎えるための心の準備、事前準備の方法を知るために、また、流行が生じた際に強く生き抜くにはどうすればいいのか等の知識を得るには最適の本と言いうる。

 この本は一家に一冊是非備えて欲しい本である。廉価の新書版であることも良い。角川SSC新書、720円で、発行は2007/11/30である。


12/2(日)秋田仙台曇り・雨  東北医連各県医師会長拡大会議
2:30起床.ドック総括x1、その他。9:20Taxi病院着、総括など。12:58こまちで仙台に。15:30-17:20仙台メトロポリタンで東北医連各県会長会議。内容の乏しい会であった。17:38こまちで帰秋。20:20帰宅。夕食、21:30就寝。

愛用のボールペン紛失で、気もそぞろだった一週間
 愛用のボールペンが先月22日木曜日あたりに無くなった。何処かに置き忘れたらしい。

 ドイツのファーバー・カステル社製の筆記用具は世界的にも名品の一つとされているが、よもや私が使うことになるとは思ってもいなかった。ところが、我が家の賄いの石井さんが本年3月ヨーロッパ旅行の際の土産に買ってきてくれた。家で欲しいなどと話題にしたこともなかったのに、良いものを選んで来てくれたものである。有り難く押し頂いた。

 短く、胴はズングリムックリして先端は細く絞られているから国産のとはかなり異なるデザインである。当初は使い難かったが今ではすっかり手に馴染んでいる。ボディが弦楽器の弓に用いられるのと同じ木で作られているのもとても良い。ペン先の滑りもなめらかで字を書くストレスも少ない。本来ボールペンは好みでなく、カルテなども万年筆で書いていたがこの製品にしてからすっかり気に入って、それ以来万年筆の出番はグッと少なくなった。

 自宅や病院の机周辺、本や書類に挟まっていないか、外来の診察机、病棟に置き忘れていないか、等この一週間躍起になって探していたが、見つからなかった。

 私は気に入ったものは集中して徹底的に用いる。取りわけ筆記用具にはこだわる。筆記用具は手に馴染んでいるか否かによって、また用具によって字が大きく異なるからでもある。だから、置き忘れたり紛失したりすると躍起になって探す。その度にちょっと諦めるが、しばらく経つとまた探す。一週間探したが、通常の場所にはないから別な場所だ、とスケジュールを参考に22日木曜日午後の全職員学習会のに見込みをつけ、医局秘書室を通して会の責任者に問い合わせたらものの10分ほどで返事が来て解決し、30分後には手元に戻って来た。一週間どんよりとしていた気分は一瞬にして晴れた。

 遺失物として保管してあったそうだ。先方にしてみれば名前もないから連絡の方法も無いわけだ。と言うことで、早速、カートリッジに私の名を書いたシールを貼りつけた。次に紛失した際には戻ってくるか迄は分からないが、恐らく役立つだろう。


12/1(土)曇 国際エイズデイ 病棟拘束  歯科受診 中谷名誉院長を偲ぶ会
2:30起床。ドック総括x1他、勤務医委員会の資料再検討。5:10病院着、6:30回診他。病棟関連書類他。8:30救急カンファ。10:00入院家族面談+病棟患者対応など。日医関連業務、15:00-16:00歯科受診。18:00-20:30中谷名誉院長を偲ぶ会、献杯担当。20:50帰宅、21:30就寝。

国際エイズデイ 日本のHIV/エイズの現況  秋田は
 12月1日は国際エイズデイである。
 最近はマスコミもあまり取り上げなくなったが、わが国におけるHIV感染者・エイズ患者の新規報告数は依然として増加傾向にある。秋田も例外ではない。この状況に歯止めを掛けるため、我が国もUNAIDSが提唱する“World AIDS Day”に賛同し、その趣旨を踏まえ12月1日を中心にエイズに関する正しい知識等についての啓発活動を推進し、まん延防止等を図る事にしている。今年度の主題は「Living Together〜大切な人を守るために〜」である。実際はあまり盛り上がっていない。検査を勧める運動だけのようである。

 今年の日本エイズ学会はいつもこの時期に合わせて開催され、今回で21回目を迎え、先週11月28日(水)-30日(金)広島国際会議場で成功裏に終了した、とのことである。

 3ヶ月毎に発表される感染者・患者報告数は、平成19年7月-9月の新規HIV感染者報告者数は274人(男性254、女性20)で、過去最高、新規AIDS患者報告数は114人(男性101、女性13)で過去2位と厳しい結果が報告されている。
 感染経路は、新規HIV感染者では同性間性的接触によるものが183人(67%)と最も多く、174人が日本国籍男性であった。また、異性間性的接触による新規感染者報告数は47人(17%)である。
 年齢別では、新規HIV感染者は20〜30代が約68%を占め、新規AIDS患者は30〜50 代と広く分布している。
 要するに、感染者・患者とも89%以上を男性が占め、その中でも同性間性的接触による感染が約58%を占めている。
 この間の保健所における抗体検査件数は31,295 件、相談件数は50,776 件で、いずれも前年同時期より大幅に増加した。利用者の利便性に配慮した検査・相談体制の整備が一定の成果をあげたものと評価されている。
 献血の抗体陽性件数は1.981 件/10 万件で前年より増加している。

 秋田の状況はHIV感染者累計は14人、AIDS患者報告数は15人となっており最近増加傾向が大きくなっている。秋田でも同性間性的接触による男性例が多い。実際、他県で治療を受けている感染者、未知の感染者はこの数倍はいると推定される。
 秋田でも今まで以上にHIV感染、AIDS発症者の可能性を念頭に診療を行わなければならなくなってきた。特に医療関係者は針刺し事故等の際の緊急対応方法の確立が必要である。 
 今年県内ではエイズ診療拠点病院として大館市立病院、秋田赤十字病院が指定され、秋大附属病院、平鹿総合病院と併せ4病院となったことは朗報である。


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   年を通じてワンパターンで淡々とした毎日です。AM2:00-5:00にメールチェック・返事送付、人間ドック(HDD)判定・報告書作成、新聞切り抜き、病院・医師会業務など。
  月〜土曜は6:00頃出勤、HDD報告書印刷、外来書類処理など。病棟回診、HDD受診者とミーティングと診察。8:45-14:00外来とHDD受診者に結果説明。昼食は摂りません。午後は病院業務・医師会業務、各種委員会等に出席など。20:00頃帰宅。
  日曜・祭日もほぼ同様ですが、病院には午後出かけます。時間的に余裕無いのが悩みです。


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