徒然日記
2007年3月分

 日記と言うより、自分の行動記録からの抜粋と日々の雑感です。

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先月の日記          来月の日記


3/31(土)秋田曇り雨・東京曇り   病棟拘束 法人管理職会議   東北医連打ち合わせ会議(欠) 
2:00起床、医師会文章校正、管理職会議準備、徒然など。5:10病院。6:30回診他、7:00入院家族面談。8:10ドック診察、8:30救急カンファ。14:00-16:20法人管理職会議、締めの挨拶。時間が無くて焦った。16:50病院発、17:50ANA 、767-300型30%ほど。低気圧のために終始激しい揺れ。浜松町で本数冊購入、東北医連打ち合わせ会議は欠。外食、21:00浅草ビューホテルにチェックイン、22:00就寝。

私達の病院という表現(1)  定年退職者感謝状授与式と会食
  3/30(金)13:30からレストラン「ルピナス」にて定年退職者への感謝状授与式と会食があった。昨年は時間の関係で会食までは参加できなかったので定年を迎えられた方々との懇談は初めてである。短い時間であったが私にとってもいろいろ有意義であった。何しろ各メンバーは皆私と同年代である。法人内でのキャリアは全員私より長い。看護師、事務職、放射線技師として30-40年間も働いた方々である。表情を見る限り、まだまだ若く素晴らしい。これで退職時期を迎えているのが俄には信じがたいほどである。再雇用制度によってこの中の数人は今後も嘱託として残る方もいるとのことである。

 昨年と同じ簡素な形式で感謝状と記念品が授与された後、会食に移ったが、私は以下のように乾杯の挨拶をした。

定年退職者感謝状授与式挨拶(2007.3.30)


3/30(金)雲リー晴れ 来訪者と歓談    定年退職者感謝状授与式・会食  患者家族面談    療養病棟診療部会議
2:15起床、ドック総括x1。紹介状など。5:10病院着。5:45回診、6:45-7:30来訪者あり、病院医療の今後について歓談。8:00救急カンファ。書類処理他出張準備。13:30からの定年退職者感謝状授与式+会食で歓談。15:00入院患者家と面談、17:00-18:00療養病棟診療部会議、出前にて夕食、21:30帰宅、22:00就寝。

ドコモがサービス終了  財布代わりのポケベルとの別れが来た
 NTTドコモは、「ポケベルサービス」を明日3月31日で終了する。
 「ポケベルサービス」はNTTの前身である日本電信電話公社が1968年に始めたもので、1996年のピーク時にはドコモだけで契約数は650万件、業界全体では1078万件にも達した。しかし、その後、携帯電話やPHSの普及で、ポケベルは契約数が著減し2004年からは新規契約を停止、今年2月末の契約は約13万件にまで減少していた。一方、携帯電話やPHSの契約は今年1月末に1億件を突破したとのことである。世代交代の激しさにただただ驚くばかりである。

 当院では医師の緊急呼び出しに院内用には松下製のベル、院外用にはNTTドコモの「ポケベル」の2種を併用してきたが、前者も修理が利かなくなってきていたので4月からPHSに一本化する事となった。
 10年ほど前から先進的な医療機関ではPHSが用いられてきており、さぞや便利だろうと半分羨ましく思っていた。そのPHSが今手元に届けられた。まだ操作法もよく解らないが、携帯とほぼ同様の多機能で驚かされる。うまく使えるか不安が出てきた。

 私は約30年間ポケベルを愛好してきた。これは機能が単純明快でとても良かった。ただ、ポケベルが鳴ったときに電話機を探すのが大変だったので、あまり普及していなかった時代から携帯電話も持っていた。実際のところ特に不便なところはなく今までほぼ満足していたが、また新しい時代の機器に適応していかなければならない。期待感半分、面倒くささ半分の心境である。

  実は、私のポケベルは他にも重要な任務を一つ持っていた。
 この30年間、私のポケベルはずっとキーホルダー代わりと財布代わりを兼ねていた。紙幣を4つに折りたたみ輪ゴムでポケベルの背面に固定していた。普段、あまり現金を持ち歩かない私はこれで何ら不便さを感じていなかっただけに、今後どうしようか困惑している。
 とりあえず4つ折りの紙幣をPHSの背面に取り付けてみた。何か雰囲気が変で、PHSに輪ゴムなんてダサイ感じである。それに、ポケベルだとポケットの中だったから良かったが、頚から下げたPHSだと輪ゴムが切れると紙幣がなくなってしまう恐れもある。
 小さな悩みが増えるばかりである。時代に即応していくことは年寄りには大変なことである。


3/29(木)晴れ 外来 県総合保健事業団理事会+中央検診センター落成祝賀会 
2:30起床,何となく乗らず。ドック総括x1。紹介状など。5:10病院着。 6:15回診他、8:00救急カンファ、8:45-13:45外来、14:00県総合保健事業団理事会+中央検診センター見学。17:00検診センター落成祝賀会。19:00病院で業務。21:30帰宅、22;00就寝。

人は時に
自分の立場を忘れる   パスポート申請に何でこんなに人が!!
 今、我が家の賄いの石井さんはヨーロッパ旅行中である。英、仏、独、スイスの4カ国を14日間でめぐるツアーへの参加である。今頃はちょうどパリにいるはずである。ノートルダム寺院あたりをウロウロしているのかな。

 2ヶ月ほど前に旅行に参加したいが、と打診があった。2週間ものまとまった休暇は、飢餓状態で帰宅する私と老、中、若のネコ3匹、花や観葉植物も少なくない状況にあっては決していい話ではないが、従業員として働いて貰っている以上、彼女にとっては恐らく今生の見納めになろうから、従業員の福祉対策の一環として、私は休暇をあげることにした。顔は笑顔で、心中は渋顔であった。私の空腹はどうにかなるだろうが、特にネコ対策が問題である。それに、いつかは急にこうなる事態もあり得るのだから、その面では予行練習にもなる。

 許可が出たので早速、彼女はルンルン気分でパスポート申請に行ったみたいだが、かなり待たされ、何でこんなに申請者が多いのか、と驚いて帰ってきた。心から驚いたようである。「貴方の様な立場の人も気軽に外国旅行する様な時代だから、当たり前・・・」と憮然と、嫌みを若干込めたニュアンスで答えたら、何かを悟ったか、サッと納得したようだ。

 この時、20数年前に子供達を連れて、当時の特急「たざわ」で盛岡に向かっていたとき、下りの「たざわ」が向かいのプラットホームに停車していたのをみて、長女が「パパ、ママ、私も特急に乗りたい・・!!」としんみりと言った時のことを思い出した。子育ての最中、子供の誰かがふと漏らした言葉に親として感動したことも少なくないし、名言クラスと言っていいような、貴重な言葉も数多く記憶に残っている。この時は列車の情景と共にこの言葉を思い出した。人は自分の置かれている立場をふと忘れることがあるのだ、と言う一つの例である。

 我が家では夫婦共に家にいる時間は極端に少ない。だから、ネコの世話など出来ない。
 対策はどうしたか、というと、この間、一日3-4時間、家政婦さんを雇うと言う、一番安易な方法で対応している。家政婦さんはとてもきれい好きの方らしく、おかげで家の中は奇麗に維持されているし、ネコたちの毛並みも良い。ネコトイレも奇麗である。私はとても満足している。


3/28(水)曇り・降雨 外来 県医師会理事会+委員会
2:10起床。ドック判定総括x1。徒然など。5:10病院着。6:15回診、8:00救急カンファ。8:45-14:50外来+ドック説明、15:00来訪者あり歓談。16:30-20:50県医師会理事会+委員会。看護師国試は入職者の2名不合格。21:30帰宅、22:00就眠。

雪の名残2題:(ァ)雪が下から上に流れた(イ)雪面が宝石の如くに見えた朝
 3月に入って居座っていた冬型の寒波もやっと緩んできた。つい数日前まで雪が降っていたが、本日は雨。もう降雪はないだろう。やっと春か!!と心
ち嬉しくなる。昨年は豪雪であったが今年は一度も雪かきの必要がなかった。

 例年であれば11月末から3月頃の東京出張はJRのこまちを用いる。片道1時間以上所要時間が短く、その分仕事が出来るから空路の方がやはり便利である。しかし、積雪期の空路は、空港への往復、駐車場と空港ビル間の移動が滑って危ない、駐車中の積雪の処理も面倒、かつ飛行機の運行も不安定になるからこまちにするのもやむを得ない。

 今年は雪が無く、この間の数回の往復を全部空路とした。若干の遅れはあったが、欠航は一度もなかった。3月に入ってからの2回の往復は降雪の中での往復であった。離陸時に窓から見える雪は横に激しく流れるが、日常的印象と大差ない。しかし、夜間の復路は降雪がある場合、翼からの発せられる光で雪が映えてとても美しい。

 特に羽田18:00発JALのMD-87またはMD-90は、着陸に際し機内を暗くすることと、翼の先端から前後方にレーザービームが発せられるから降雪があるととりわけ奇麗である。高度、スピードによっても様子が変わって面白い。3月上旬、秋田空港に向かって降下し、地上の光が見え始めたことから激しい降雪に遭遇した。窓から見える雪をしばらく眺めていたが、雪が下方から上方に流れて行くのに気づき、とても不思議な気がした。恐らく機の降下速度が雪の速度と近似、あるいはそれを上回っていたからではないかと予想した。こんなに降っていて着陸できるかな?とも思ったが、空港に近づくにつれ雪は徐々に少なくなり静かに着陸した。風は殆どなく、比較的大きめの雪がゆっくりとフワりフワりと降っていた。

 一週間ほど前の朝の事、前夜は天候が実に不安定でまず数cmの積雪があり、夜半には一時的に雨も降った様に思う。早朝には厳しく冷え始めた。5:00amはまだ暗い。出勤時、路地の雪はまだ誰も通っておらず、ヘッドライトの光にやや蒼白く映えた。更に、私は初めての経験であるが、あたかも小粒のガラス玉を新雪の上に蒔いたが如くに黄色く、青く光が反射し、実に見事、美しかった。恐らく、新雪の一部が雨で不規則に融け、更に表面が凍ったために光を乱反射したのであろう、と思われた。早起きは三文の得だね、良い経験した、と感動したが、その雪の、つぶつぶの反射光の美しさを文章で表せないのがとても悔しい。

 昨年は雪の塊に圧倒されたが、今年は雪と光の織りなす美に感じ入った年となった。


3/27(火) 曇り 外来 常務会 秋田県救急・災害医療検討委員会 医局カンファ(欠) The YAMAMOTO Band練習
2:30起床,ドック総括x1。紹介状など。5:10病院着。6:15回診+定期処方箋発行、8:00救急カンファ。8:45-14:00外来、14:30-15:30常務会、16:30-17:45秋田県救急・災害医療検討委員会、医局MCは欠。20:00-21:00Alve音楽交流室でのThe YAMAMOTO Bandの練習に合流。21:30帰宅、22;00就寝。

何で地方紙は県や市の人事異動を大きく報道するのか?? 
 
毎年この時期になると秋田県の県警、教職員、県庁の各部署の他、秋田市の職員の移動がさみだれ式に発表になり、地方新聞の1-3面ほどを何度も何度も占拠する。私は前から何でこれを新聞が取り上げるのか?と常に思ってきた。これほど末端までの人事異動が報道されるべきか?県民が本当に求めているデータなのだろうか?

 税で運営されている公務員の人事異動などを行政が納税者である県民に提示するのは当然のことである。しかし、これは本来行政自身が発表すべきもので、新聞がそれを代行する、あるいは新聞に代行させるのはおかしい。新聞社にとって報道すべきニュースバリューがあるなら掲載するのは自由だが、だからといって県が正式に発表しないのは片手落ちである。

 秋田県に根付いている地方紙といえども県民が全て購読しているわけではない。一方、県や市には全戸配布の広報誌がある。だから本来であればこれを使って全県民に広報すべきだろう。また、何時でもスタッフ名を確認できるように県や市はホームページに公開しておくべきであろう。

 ちなみに、2006年度版秋田さきがけ年鑑は970ページ中、役立つ記録データは前の300ページほどで、残りの600ページは殆ど名簿から成っており,そのうち270ページを用いて県、市関連の職員名簿が占拠している。だから、毎年購入しても参考になる部分は少ない。県内の各機関、会社等の名簿を購入しているようなものである。データ編と名簿編との上下二冊に分けて販売すればいいと思う。


3/26(月)晴れ 管理会議 医療安全管理者と打ち合わせ 療養判定会議     長副会議
 2:00起床。ドックx1名。主治医意見書、訪問看護指示書、徒然、5:20病院着。6:15回診、8:00-8:50管理会議、10:00-11:00医療安全管理者と次年度の活動等について打ち合わせ。県の医療審議会は欠席とした。16:00-16:40療養判定会議、17:00-20:10長副会議。20:15-21;15救急搬送患者についての打ち合わせ。21:50帰宅、夕食、22:45就寝。

初期臨床医を送る(2) 中医になることを願って

初期臨床医に送る言葉(2007.3.23)その2


3/25(日)曇天 病棟拘束 
2:00起床、紹介状。新聞一週間分チェック。6:00病院に。退院患者の紹介状、処方など関連書類他。8:30救急カンファ。10:30帰宅、業務続行、若干午睡。16:00家内病院に呼ばれたので再度病院、重症患者回診、紹介状他。20:15帰宅。Vn若干、夕食、21:30就眠。

自伝・中通病院(11) 初回の大曲赴任
 特にオリエンテーションを受けたわけではないが、大曲中通病院の医師体制は、研修医、一部の内科系科長、外科長による短期ローテートで診療体制が何とか維持されている厳しい状況のもとでは、私も近々赴任せざるを得ないことは理解した。過去の赴任医師の名簿を見ると実に不公平な配分で俄に納得しがたいこともあったが、自ら望んで就職したこともあり、院内ではそれほど重要な仕事を与えられているわけでもなく、居なくてもそれほど影響もなさそうな立場であろうから、赴任はまず絶対的に回避出来そうもなかった。

 どうせ赴任するなら早い方が良かろうと、初年度は自分から申し出てローテートに組んでもらい85年12月から3ヶ月間単身赴任した。しかし、心中は決して穏やかではなかった。当時子育ての最中であり、子供達と接する時間も必要であったし、第一単身赴任なんて実に不自然である。それにわが家の道路事情に関連して除雪の問題もあった、からである。
 赴任が本決まりになった頃、まず除雪対策にホンダの除雪機を購入した。大曲秋田間の往復は基本的にJRを用いる積もりであったが不測の往復が必要になった際に備えて四駆のスバル・レオーネも購入した。当時用いていたロータリーのマツダ・ルーチェはFR駆動で雪道には弱く危険だったからである。

  結果的に、その後3年間は3ヶ月ほど単身赴任をせざるを得ない立場となった。赴任医師・科長の割り当ては実に不公平であり、結局はごね得が通用しているように見えた。私は納得出来ないようなときにはかなり異議を唱える方であるが、だからといって何時までもそれに拘らず、今自分は何をすべきか、何が求められているかを考えて最終的に判断する。これは私の押しの弱さであり、弱点の一つでもあるが、性格の一部であり何ともしようがない。ただし、その中にいても問題提起はし続ける。黙って他の価値判断に添って流され続けることはしない。

 私にとって大曲は仙北組合総合病院の外来、某整形外科病院の当直、大森町立病院の外来や当直を通じて数10回は訪れていたが、街を歩いたこともなく、単なる通過点でしかなかった。花火は有名らしいが興味も感じたことはなかった。
 中通病院の研修から戻ってきた医局の若手医師から大曲にも中通病院があり、研修には結構役だったことを聞いていたし、彼らの一部は医局に戻ってきた後も一時大曲中通病院の外来を手伝っていたこともあったようであるが、私は具体的には何もしらなかった、と言っていい状態であった。


3/24(土) 曇天  病棟拘束  県医師会No131定例代議員会+情報交換会
 2:30起床、人間ドック総括x1、代議員会資料検討。5:20病院着。6:30回診他。8:30救急カンファ、退院総括他。15:30-19:15県医師会定例代議員会+情報交換会。会務報告と決議文を担当。酔って中座、19:40帰宅、20:30就寝。

初期臨床医に送る(1) 患者には誠実に、弛み無い研鑽を自分に賦課して
 3/23は当院の初期臨床研修医2回生の研修修了証書授与式であった。修了者7名中2名が当院で引き続き研修するが、5名はそれぞれ次の研修先を求めて去っていく。昨年同時期の1回生の研修終了時には全員が後期研修のために残ることになったが、この一年間に研修医達の評価に何か大きな変化があったのだろうか。

 証書授与の後、院長の挨拶として以下の如くの内容の挨拶をした。

初期臨床医に送る言葉(2007.3.23)


3/23(金)晴れ ドック結果説明 ABank来訪 QP KK員来訪 県医務薬事課員来訪 ドック診察 県障害福祉専門分科会・審査部会 初期研修修了証授与式  法人理事会
2:30起床、ドック判定総括 徒然他。5:20病院着。6:15回診ほか。8:00救急カンファ。9:00ドック結果説明。10:00ABank来訪、11:00 QP KK来訪。メルク社員来訪歓談。13:00県医務薬事課員来訪、会議の打ち合わせ。14:00ドック診察。15:00-16:30県障害福祉専門分科会・審査部会。16:30-17:00初期研修修了証授与式。17:30-19:10法人理事会。21:30帰宅、21:00就寝。 机上の書類の山、崩せず。  

 日本タミフル関連(2) 医原性の社会現象ではないか
 厚労省 は20日、10代の患者にはタミフルを「原則的に差し控える」と発表した。本日の地方新聞、中央紙は何れも各所で混乱が生じているとの見出しで報道していた。

 厚労省はタミフルと異常行動の間に因果関係は不明だと言い続けていたが、わずかに4例の死亡例を調査しただけ、という。これでは因果関係など分からないのが当然である。各例について身体的に脳神経系を中心に詳細に調べたわけでは無く、状況を聞き取り調査程度だろう。一般的に、数万、数10万人の投薬例で1例程度生じる希な現象については因果関係の調査をしても明らかに出来ないのは当然である。厚労省は今後振り出しに戻って異常行動例を生じた11件についても関連を調べる、としているが、これも大同小異でしかない。この程度の検討で因果関係の有無を論じられてはたまったものではない。タミフルの副作用報告総数は01年の発売以降、同日まで1763件というのでこれらをつぶさに分析すれば、異常行動に結びつくような連続性のある現象が見つかるかも知れない。

 各臨床医はタミフルの投与の有無とは別にインフルエンザ罹患患者が高熱時にいろいろなレベルの異常行動が生じた例を少なからず経験しているのではないだろうか。私もタミフルを投与しなかった高齢者で2例ほどの経験がある。ある神経内科医は軽いインフルエンザ脳症が生じているのではないか、タミフルの影響ではない、との印象を持っていると話していた。

 「タミフル」の製造元のロシュKKは20日、タミフルと異常行動には因果関係がないとする声明を発表している。その背景は、同社が米国の健康保険記録を調べたところ、1999年から2006年までにタミフルを服用した約10万人のインフルエンザ患者と、服用しなかった約225,000人の患者の比較では、タミフルを服用していた患者の方が異常行動の発生の比率が低かった、との結果に基づいている。

 どちらにせよまだ真偽の程は分からない。タミフル投与は禁じられたわけでないが、投与する際には慎重を期し、十二分に説明した上でなければならない。
 こんな事で医療現場が混乱するようではホントは困る。新型インフルエンザが発生し、流行の兆しが明らかになると通常のインフルエンザにはタミフルを用いることが出来なくなる。そんな状況では今と比較にならないほど大混乱するだろうし、備蓄したタミフルの放出をめぐって大混乱する可能性もあり、医療現場では暴動騒ぎにも発展しうるかもしれない。
 タミフルをめぐる混乱は、日本の医療界がつくった医原性の社会現象なのだと思っている。


3/22(木)曇り・雨 入院患者家族面談 外来 法人評議員会 県健康推進課員来訪 研修管理委員会 魁新聞記者来訪取材 県医師会感染症等危機管理対策委員会
2:00起床。人間ドック処理ほか。5:20病院、6:10回診、入院患者家族面談と病棟業務。8:00救急カンファ。8:45外来、12:00途中退席。12:30-1345法人評議委員会(Castles)14:30県健康推進課員来訪、打ち合わせ。16:00-17:00研修管理委員会。17:00魁新聞記者来訪取材、タミフル関連。18:30-19:40県医師会感染症等危機管理対策委員会。21:30帰宅。22:00就寝。多忙で机上処理が殆ど出来なかった。机は書類置き場と化した。週末が思いやられる。

タミフル関連(1)マスコミの取材申し込みが3件
 厚労省 は20日、10代の患者にはタミフルを「原則的に差し控える」と発表した。それを受け、私は早朝に当院の救急外来に手書きの注意文を掲示した。当院では小児科医の判断で小児には原則タミフル投与は控えるようにしていたが、この指針でタミフル問題が整理されていくだろう。私は遅きに失したがこの通達が出て良かったと感じている。

 厚労省はタミフルを使用した10代患者が起こした異常行動は、04年度以降で計15件報告されていた、と発表した。同省はこのうち死亡例4件を調査したが、残る11件についても関連を調べる、としている。また、タミフルの副作用報告総数は01年の発売以降、同日まで1763件という。 
 「タミフル」の製造元のロシュKKは20日、タミフルと異常行動には因果関係がないとする声明を発表している。今朝のラジオニュースでは注意文書を出す様にしたとか論じていた。

 本日、外来の最中に新聞社から一件、TV放送局から 2件の取材申し込みがあった。本日はスケジュールがタイトであったためにTVは他の方に振らざるを得なかった。
 私は通常からタミフルは無用に、異常に使われ過ぎていると感じている。更に言えば、薬物療法が一般的に気楽に行われ過ぎている、と思っている。

 私は救急外来を担当していないためタミフルを処方に関与することは少ない。通常の外来の中でも時にインフルエンザを診療することがあるが、感染に弱い慢性的な病気を持っていない患者には原則的に迅速検査も、タミフルも投与しない様にしている。どうしても欲しいという患者・家族にはいろいろ説明してから出すこともあるが、個人的には消極的である。
 一方では、担当している療養病棟で患者が発生した際には早期に検査し早期に投与する。患者が虚弱な高齢者であり、危険である上に院内感染の危険が高いからである。

 わが国はタミフルの使用量が世界一で、何と生産量の70%を消費している。治療薬がこれほど異常に消費されている、と言うことは科学性を欠く異常状態としか思えない。医師も国民も適正な判断力を欠いている、と思う。
 インフルエンザは通常の健康人がかかっても、高熱とかで数日は悩むが、時間が解決する自然治癒する疾患である。それに対して何で治療薬が必要なのだろうか?


3/21(水)春分の日 秋田曇り・仙台快晴 病棟拘束 東北医連理・代表者合同会議  
 2:00起床。人間ドック等処理.徒然。5:10Taxi病院着、6:20回診、昨日対応できなかった紹介患者回診。病棟関連業務、8:30救急カンファ。机上書類処理。11:00帰宅。12:59こまちにて仙台。15:30-18:10東北医連理事・代表者合同会議+情報交換会。18:38こまち、21:30帰宅。車内では微睡んだので業務一部進め、23:15就眠。

絶対的医師不足を日医は主張を(2)東北医連の合同会議でも話題に 
 本日は仙台で東北医連の会議があった。東北医連は東北6県の医師会で構成されている連合会で、総会や学術大会、学校保健・学校医大会などを主催している。医連の理事・代表者会議は年に数回会議を持っている。

 本日は日医から石井常任理事も出席し、次年度の事業計画、予算等が審議された。また、鳥取にいた武見厚労副大臣からTV電話を介した5分間ほどの挨拶と医政の現況につての説明があった。映像はちゃちであったが音声は明瞭で、ある意味では便利なツールだと思う。

 予定された話題が終了した後、日医の代議員会議長でもある岩手県医師会長が特に発言を求めた。
 議長は2月末の日医の定例理事会において、日医の医師政策の中に医師の絶対数の不足であるという考え方が殆ど表現されていない、と一昨日私が県の病院協会の会合で発言し、昨日記載した内容とほぼ同じ意見を述べた、とのことであった。医師が過剰になれば、開業医の収入が減少していくために日医自身も医師過剰論を持っていた、という過去の姿勢も含めて内容がほぼ同じだった、と言うことにも驚いたが、日医の医師政策に疑問を抱いていた方がおられた、と言うことは重要である。

 議長の発言の後、私も同様の意見を述べて議長を援護した。
 石井常任理事は日医が今準備中の「医療のグランドデザイン」の中には医師の絶対数不足に関して明解に主張している、と述べた。ならば、日医はその点をもう主張し始めても良いのではないか、と思ったし、日医の病院委員会で私の発言が否定された際にも日医の担当常任理事から何らかの発言があってしかるべきと思った。

 会議の後の情報交換会では、私が座ったテーブルでは各地の銘酒についての情報が飛び交ったが、私には何の事やら、ちんぷんかんぷんであった。いつかは私の祖母の生家である月輪酒造の名前が出てこないかと聞き耳を立てていたが、最後まで出てなかったのは残念であった。


3/20(火)曇り・寒波 調剤薬局員来訪 外来 常務会 県感染症部会エイズ部会 県病院協会臨時総会 医局送別会 
 2:00起床、ドック総括x1、紹介状等。5:15病院、病棟業務。7:45調剤薬局薬剤師来訪、患者投薬について。8:00救急カンファ。8:45-14:20外来、14:30-15:40法人常務会、15:50-16:40県感染症部会エイズ部会に遅れて出席。病院に戻り机上書類処理。17:30-19:10県病院協会臨時総会+講演会。再度病院に戻り机上書類処理。20:00-21:10医局送別会に合流。21:30帰宅。22:00就寝。

日本医師会も病院協会も絶対的医師不足、医療費不足を最前面に出して継続的に主張を 
 日本は今、医師不足状態にある。新臨床研修制度が発足してから大学への医師の引き上げとかが問題になってから特に顕著になってきたために、その不足は医師の偏在問題として取り上げられているが、それは違う。偏在などと言う生やさしいものでなく絶対的な不足である。

 3/16は日本医師会の病院委員会であった。
 席上、私は日医の医師政策の中に医師の絶対数の不足に対する基本的な考え方が十分に表現されていない、中途半端である、との意見を述べたが、委員であり論客のお一人から「それは認識不足である・・」との意見が出されてそれ以上の話にはならなかった。先の委員会の中で絶対的医師不足について確認した、との趣旨であったが、その件については私もそれは納得している。しかし、日医の会内外への広報活動の中には明確には提示されてきていない。わざわざ探しても出てこないような状況においてはダメだ、医師不足を絶対的に認めようとしない厚労省に明快に対峙出来る論点だから、もっと前面に明らかすべきである、と私は言いたかったのであるが残念であった。

 最近、日医でも医師不足を取り上げているが、医療費抑制策の結果であるなどとしているが、私の目から見て生ぬるいと思う。かつて日医でも医師過剰論が取りざたされたこともある。医師が過剰になれば、開業医の既得権、利権??が薄まっていくと言ったような論旨だったと思う。私はそう記憶している。だから、その過去を明確に否定し、新しい考え方で、誰にでも分かるような明快な論旨で主張し続けなければならないと思う。

 昨日、秋田県病院協会の臨時総会が開かれた。
 来年度の活動の基本方針の文章の中でも、医師不足の原因は医師偏在に起因するが如くのニュアンスで取り上げられており、やや落胆した。私は絶対的医師不足と絶対的医療費不足を強調して欲しい、可能であれば修文を、と発言した。
 絶対的医師不足と医療費不足が医療崩壊の二大要因であることを国民の大部分が認識した時点で初めて医療が良い方向に再転換できると思う。それまでは日本の医療は、悪化、崩壊、転落のコースをたどり続けるだろう。


3/19(月)寒波・降雪  管理会議  外来 療養判定会議 長副会議 
2:00起床。紹介状準備他。体調は略改善。本読み。5:10Taxi病院着。6:15回診、7:45管理会議、8:45-14:00外来。重症の入院患者家族面談。患者に対応。16:00-16:40療養病棟判定会議、17:00-20:10長副会議。21:30帰宅、夕食。22:10就寝。

省エネ(2)大型TVを購入したが、私自身はケチで省エネ派なのだ  
 昨夏、32インチの液晶TV購入し、若干関心が高まったためか、年末年始のTV商戦のチラシなどに目が行った。大規模家電量販店などでは一斉に大型TVフェア等やっていて、新聞などで見ると今年の目玉は40インチ以上の大型TVで、結構売れているとのことであった。私どもが購入したのと同じ製品もわずか3ヶ月ほどの差であったがほぼ半額近く、20万円ほどの値段で売られていた。

 生活は豊かになるのかも知れないが、TVを始めとして、多くの家電製品がこのように大型化していって良いのだろうかと心が痛む。本当の豊かさはとは何か違う方向に進んでいるのではないか。豊かさを享受しながら人類は地獄への道を自ら歩んでいるのではないだろうか。エネルギーだけでなく、食生活の面でも同様である。また、家電製品の高機能化は間接的には身体的・心理的健康問題にも結びついている。

 私が環境問題に最初に目覚めたのは昭和27年4月、わが家も一緒に消失した乙部村の大火であった。数100m離れた場所で麻薬の入った金庫の上に座ってわが家が焼け落ちるのをつぶさに観ていたが、舞い上がる黒煙と白煙が空一面を覆い太陽の光がとぎれたときに、これ程の煙は一体これからどうなるのか??またもとのように明るくなるのか??と言った得体の知れない恐怖感が切っ掛けであった。

 煙についての不安は間もなく消えたが、小中学の頃はわが家で発生する大量の枯れ葉や枝、ゴミを焼却するのは私の役目であり、とても楽しかったのだが、人間が生きるのに大事だとされる酸素をこんな事にわが家でゴミ焼きのために消費して良いのだろうか?地球はそのうちに酸素欠乏状態にならないのか??と疑問に思いながら燃やし続けていた。

 今回、やや大きめのTVを購入してしまったから大きな事は言えなくなったが、私自身は基本的には子供の頃から環境問題には関心があったことと、母親の影響もあって自分はケチであり、省エネ生活派なのだと自認している。

 京都議定書の頃からCO2排出量が問題になって、わが国も大幅な削減が求められている。わが国ではCO2排出量のうち家庭の電力消費に伴うのは全体の15%程で、エアコン>冷蔵・冷凍庫>照明>TV>電気カーペットなのだそうだ。
 CO2排出に関しては私が負うべき罪は比較的小さい、と思う。電気による冷暖房は用いてないし、照明はスポットライトが主である。家庭用冷凍庫は購入希望を頑なに拒否している。TVも通常は私のパソコンのTFTのディスプレイで観るよう指示している。

 しかし、殆どわが家で過ごしている賄いの石井さんは炭坑の町、昭和石油の従業員の家族として育ったためか省エネ感覚はただ事でなく乏しい。この点に関しては私は大いに不満に思っている。


3/18(日)曇り・寒い 病棟拘束 体調不良
 
2:30起床。ドック総括、新聞一週間分チェック、など。若干体調不良で気力が萎えた。5:00-7:30再度就寝。若干改善、9:30-11:00病院へ。仕事の資料を持って早々に帰宅。以降、自宅で週刊アキタの医療欄用の原稿、地域産業保健センター機関誌の巻頭言、秋田医報巻頭言用の原稿を中心に進める。夕方には体調改善した。長女から貰ったCDプレーヤー、MDプレーヤーの調整など。20:00夕食、21:00就眠。

自伝・中通病院(10) 赴任時にオリエンテーションを受けなかった
 85年春に、縁あって明和会に就職した。途中採用だったためか法人や病院、医局の内規などに対するオリエンテーションは一切なかった。赴任当日、当時の医局秘書にその日の予定2、3について話があっただけでしばらくの間暗中模索の状態にあった。
 後に東葛病院に2週間診療応援に行ったが、到着した朝から午後3時過ぎまで私一人を対象に入念にオリエンテーションがあった。内容は系統的で、薬局長、事務系職員、医局係、外来病棟部長、院長と次々と入れ代わり立ち代わり説明してくれたが、その時に著しい差を感じたものである。

  私がオリエンテーションを受けなかったことで、後にガックリ来た気楽な話題を四つ挙げておく。今となれば笑い話である。私自身の性格もあって院内でやや孤立し、同僚医師や職員達との対話不足、それに起因する情報不足も原因だった。だから、事はズルズルと長引いた。自業自得の面もある。

●赴任当時、月に3-4回夜勤をやっていた。夜勤時に夜勤食が支給されることを約2年間知らず、知らされず、気づかず、ずっと自分で注文していた。医局内に何か小汚いノートがあり、出前の方が来る度に何やら記入していることは分かっていたが、夜勤食支給に関連した記入簿とは全く思っていなかった。自分の腹に入ったのだからやむを得ないだろう、と過ぎ去った分については納得した。

● 初回の大曲中通病院赴任後定期的に大曲中通病院の外来を手伝うことになったのだが、JRの交通費と共に支給される「おやしきタクシー」と書いてあるタクシーチケットが大曲市内の各社共通チケットであることを知ったのも2年ほどたってからである。他社の車に乗った際には自腹で乗車していた。机の中には未使用のチケットが多数残っていた。

● 大曲中通病院の医師体制は研修医、内科系科長の一部、一般外科科長の一部による短期ローテートで何とか維持されており、私も近々赴任せざるを得ない状況にあることは次第に理解出来た。この様な重要なことは事前に知らされてしかるべきと思った。私の後に赴任したある医師は、予め知らされていなかったとして赴任を拒否した。情報を与えられなかったのは私だけではなかったようだ。

●大曲への通勤手当を不当に受け取ったとして返還を求められた。赴任するまでの手続きは担当が代行してくれたが、中通病院帰院後の手続きは本人に任されているのだという。私はてっきり事後の手続きも担当者によってなされていると思っていたが、約一年後に約一ヶ月分の給与に相当する額の返還請求を受けた。明細書に見方も知らなかった私にも落ち度はあったが、支給し続けた側に責任は無かったのだろうか。


3/17(土)曇り・寒波続く 病棟拘束 患者・家族面談 秋田市医師会定時総会 秋大小児科高田教授退官記念祝賀会 64.5Kg
2:30起床、ドック判定総括、徒然。5:10Taxi病院。6:00回診他。9:00ドック結果説明、10:30-11:00セカンドオピニオンについて患者・家族面談。文献整理、主治医意見書など。16:00秋田医師会定時総会(View)、中途退席、17:00-19:00秋大医小児科高田教授退官記念祝賀会。終了間際に中座、病院へ。20:50帰宅、21:30就眠。

省エネ(1) 大型TVを購入 選択のポイントは消費電力  
 

黒猫の「ゆう」も大型テレビに夢中

昨夏、10数年居間で用いていた14インチのTVの音声が出なくなったので買い替えることにした。私は典型的ラジオ派で、TVには殆ど興味が無く、居間のTVが点いているだけで不快に思う方だし、私のパソコンのTFTはTVも観ることが出来るから別に無くとも良かったが、家内と賄いの石井さんは典型的なTV人間で、起きているときはTVが点いていなければ耐え難いようである。

 その前のは14インチであった。この大型TVの時代に、彼女らにとっては、古い、色調も悪い、半ばぼけかかった14インチの小さなTVはかなり不満だったらしい。この古いTVの機種選定の時には液晶の製品など全くなかったが、判断基準は消費電力であった。それだけ私はケチである。

 私も今回は観念して二人のために新規購入に納得した。いつもの店からカタログを取り寄せ検討した。この店の扱い品は日立製である。他社のも取り寄せは不可能でもないがそんなにこだわるほどの価値もない。候補は32インチの液晶、37,40インチのプラズマの3種である。私は各人が通常座る位置からの距離と設置場所を勘案すると32型で十分と判断した。それ以上のサイズになるとガラス戸の開閉に多少影響する。40インチなら庭に置いてガラス戸を通して観ることになりそうである。さらに、液晶とプラズマの消費電力の差は小さくない。前者は170W、後者は300-400Wであった。だから選択にはあまり迷うことはなかった。有り難いことに家内も同意した。

 届いてみると、特にハイビジョンの映像の情報量はスゴイものである。14インチとは比較にならない。一方、先のTVではあまり不満に思えなかった通常画質の番組は大型TVで見るとよりひどい状態となり、むしろ耐え難い。深夜というか早朝には家内が観ている脇から私もチラチラと画面を見ながら大型画面を享受している。

 TVを替えたお陰で私のTV嫌いは若干緩和された。しかし、購入して半年以上も経ったのにスイッチのオン・オフ、音量の調節以外は満足に出来ない。機能が多く、実に複雑である。一人でいるときはまず無理である。ハードディスクへの録画など思いもつかない。いつになるかは分からないが、操作方法を身につけたいと思っている。


3/16(金)秋田曇りで小雪 東京晴れ   日医病院委員会+情報交換会
2:00起床、ドック総括、徒然、5:10病院着。6:20回診+関連業務他。8:00救急カンファ。10:20医師会公用車にて空港へ。11:10ANA、767-300型、後方座席は搭乗50%ほど。14:00-16:30日本医師会第5回病院委員会。いろいろ参考になった。17:00-18:30築地にて情報交換会。中座して羽田に。20:00ANA、30分遅れで離陸。767-300型機、驚くことに満席であった。久々リムジン利用、22:30帰宅。23:00就寝.

病院が潰れていく!!!   自治体病院ついに1000病院切る
 2005年度決算をまとめた2007年版の地方財政白書によると、2005年度の全国の自治体病院数は前年に比べて18病院減の982病院で、01年度が1006病院、04年度が1000病院であったが、ついに1000病院を切った。

 これで、病床数は23万5232床で約1.4%の減となり、民間を含めた全病院数に占める自治体病院の割合は10.8%、病床数は14.4%となった。
 自治体病院の設立母体の内訳は、都道府県立が217病院、政令市立が37病院、市立が418病院、町村立が202病院、一部事務組合立などが108病院になった。
 一般病院で病床数300床以上の大規模病院の割合は、都道府県立では50.O%、攻令市立では66.7%と自治体立が半数以上を占めていた。入院、外来の延べ患者数は3.5%滅の1億8847万人で4年達続の滅、病床利用率もO.8ポイント減の80.3%と落ち込んだ.
 自治体病院の経営状況は、純収益4兆1544億円に対し、総費用は4兆3021億円で、収支でみると1476億円の赤字となる。2002年度から2006年11月までに民営化・民同譲渡された病院事業は11事業に上った。

  この白書によって自治体病院の厳しい運営状況があらためて浮き彫りになっている。全国の病院の運営状況はこれとは別に日本病院協会他が調査している。2006年は総収支差額で赤字病院は調査に協力した病院の実に73%である事が判明した。赤字病院を開設者別にみると、自治体病院の90.7%であった。

 どちらにせよ、病院運営は厳しい。7割以上の病院、9割以上の自治体病院が赤字であると言うこと自体、わが国の医療政策が健全でないことを示している。もう、各病院の自助努力による解決はこれ以上困難であるばかりではなく、病院に経営責任を押しつけると医療の質の低下、安全性の低下、院内感染蔓延等に直結する。

 要するに、地域医療は崩壊しつつあると言える。 日本の医療を良くするには●国の低医療費政策を改め、●医師看護師等の医療関係者の絶対的不足を解消、の2点を改めなければ到底なし得ない。日本医師会はこの2点を前面に押し出し、国と交渉を続けるべきである。医師会員も、勤務医も黙っていてはどんどん悪くなっていく。
 黙っていることは悪政を支持していることになるのだ。


3/15(木)寒波・晴れ 消化器科医と懇談 外来 県医療審議会医療計画部会
2:00起床。ドックx1。退院総括。徒然。5:10病院着。6:00回診他。7:45-8:30 外来CF体制他について消化器科医師と懇談。8:45-14:00外来。15:00-17:00秋田県医療審議会医療計画部会。20:50帰宅。夕食、21:30就眠。

ノロウイルスの猛威(7)ウイルスの感染力は4℃で60日間も保持される
 ノロウイルス感染症の潜伏期間は平均36時間程度で、吐き気、嘔吐、下痢、腹痛、発熱、まれに頭痛、悪寒、筋肉痛、咽頭痛などの症状がある。健康成人の症状は一過性で、2日間程度で改善するが、高齢者や乳児は長引いたり死亡することもある。

 発症は急激で、特に嘔吐はコントロールできないほど激しい。救急外来では急性胃腸炎の症状を訴えて来院した患者には予めビニール袋を配るが、それでも間に合わず床などに嘔吐する患者もいる。先日は救急担当の医師が吐物を浴び、ズボンや靴を廃棄していた。幸い、スタッフは感染しなかったようだ。トイレも間一髪間に合わなかった患者も時にいる。
 高齢者の診療施設、福祉施設等では身動きが不自由な患者が多いために特に大変で、嘔吐や失禁した患者の身の回りの世話をしたスタッフ、清掃をしたスタッフも高頻度に感染する。

  ノロウイルスと一般の細菌性食中毒と異なり、次々と伝播するのは、以下の理由によると考えられる。
● 便や吐瀉物にはウイルスが無数に含まれ、感染力が強い。乾燥した場合、塵埃を通じて感染する。
● ウイルスは消毒剤に抵抗性で、アルコールも1/100程しか効果がない
● 20%近くが不顕性感染者で、この場合も発症者と同じ程度のウイルスを排出している。だから、知らず知らず感染源になっている可能性がある。
● 物体の表面に付着したウイルスの感染力は4℃で60日間、20℃で21-28日間、37℃では1日維持される。

  感染予防は石ケンでの手洗いが基本中の基本である。当然手袋は必要で、一処置毎の交換が基本となる。また、吐物の取扱いは特に厳重にする必要がある。汚染された衣類とかはキッチンハイターなどの塩素系の殺菌剤に浸けて処理するか、熱湯、スチームアイロン、スチームクリーナーなどでの熱処理が有効である。また、通常の掃除機はウイルスを空中に撒き散らす恐れがある。

 今期の大流行によって莫大な量のウイルスが自然界にばらまかれたと思われる。これからはノロウイルス感染症は通年型の、感染経路不明の感染症として続いていく可能性があるし、病院・施設等では集団感染する可能性が高い。だから、特に医療関係者は医療技術と同様に感染症に対する知識と感染防御への行動様式を身につける事が求められる。


3/14(水)降雪→降雨  外来 県障害福祉課員来訪 院内感染症対策委員会 県医師会常任理事会 療養病棟歓送迎会
 
2:00起床。ドック1名、紹介状2名、徒然など.5:10病院着。6:30回診他、8:00救急カンファ。8:45-14:10外来+人間ドック診察。15:00県障害福祉課課長他来訪。打ち合わせ。16:00-17:10院内感染症対策委員会、17:30-18:40県医師会常任理事会、19:00療養病棟歓送迎会に合流。21:00帰宅、21:30就眠。

ノロウイルスの猛威(6)不特定多数の人が触る場所にはウイルスが
 
昨年11月から12月にかけて県内ではノロウイルスの食中毒・感染症が大流行した。
 そのためホテルや飲食店、給食関連などの食品関係業界、保育園や老人ホームなどの福祉施設や、病院や老健施設、学校などの施設では対応に苦慮している。

 当院も例外ではなかった。院内感染対策室の活躍もあって感染者数は新年になって急速に減少したが、未だに少数ながら感染者の報告を受ける。また、救急外来には急性胃腸炎症状を訴える患者が未だに多数受診している。 

 ノロウイルスは一般的には人の腸で大量に増殖し、人の手指を介して人から人へと感染し、食品が汚染されて感染する。シジミやカキは河川に流れ出たウイルスを腸内に溜め込んでいるため、これらを不十分な加熱処理状態で食べると感染し発症する。しかし、今期の大流行に貝類の関与は殆どみられなかった。しかし、風評被害は顕著であったようだ。私は年末年始に賭けて何度かカキ料理を作ってもらった。

 なぜ今期大発生したのか、まだ明快な説明はないようであるが、従来のウイルスは感染発症にホスト側の要因が大きいのでは?とされていた。これに血液型が関与しているとの説もあるが、真偽の程は分からない。しかし、今期流行しているGH4とされる遺伝子型ウイルスはより広範な人に感染するタイプらしい。要するにより広い感染力をもったウイルスであることも一因らしい。

 調理者を介しての感染も少なくなかったが、GH4型は不顕性感染が多く、ウイルスを排出しながら調理従事したことによるのではないか?とも考えられている。

 不顕性感染者が20%もいると言うことは、もうトイレとかドアノブとか万人が触る場所にはウイルスが付着している可能性があると言うことである。だから日常の手洗いが如何に大事か、と言うことになる。そう考えれば、もう従来のマイルドな衛生思想だけでは対応できない、と言うことになる。


3/13(火)寒波・降雪    定期処方日 外来 常務会 県新興感染症部会 医局会・MC(欠)
2:00起床,ドック1名、紹介状、徒然ほか。5:10病院着、 6:15回診、定期処方箋発行、8:00救急カンファ。8:45-14:00外来、医師面談1件。14:30-16:10常務会、17:00-19:00秋田県健康づくり審議会感染症対策分科会新興感染症部会。医局会・MCは欠席。17:30病院に戻り夕食、21:40帰宅。22;10就眠。

全日空ボンバルディアDHC8-400型機、前脚出ず胴体着陸
 本日の外来に9:30-10:30頃の予約した患者の3-4人が来ていない。何れも若い方で通常はきちんと通院してくる方々である。外来に出てくるときに後ろ姿をみたのに不思議だな、と思いつつ外来に集中していた。

 その方々が11:00過ぎに揃ってきた。若い女性に何かあったのか?と尋ねたところ飛行機のTV中継をみていたのだ、と言う。瞬間、何か大事故でも?と思ったが、話す表情は明るい。聴いたところプロペラの旅客機が前輪が出ない状況で無事高知空港に着陸したのだという。それをロビーのTVでずっとみていたのだとのこと。怪我人はいないらしいとのことで安堵した。私は大いに関心を持ったがその後は外来、会議とかが続き調べる間もなかった。

 20:00頃、病院で地方紙の夕刊を見て、伊丹発高知行きの全日空ボンバルディアDHC8-400型機が11時ころ、前輪が出ないまま無事に着陸した事を知った。
 紙面には大きく写真も掲載されていたが、機種から火花を出しながら滑走する機はさることながら、滑走路と民家の近さに驚いた。フェンスを隔てて殆ど接している。22:00自宅でTVニュースを見た。スムーズな着陸で機を水平に維持しながら減速、機体前方が滑走路に接地すると、火花が上がったが、機体は滑走路を逸脱することなく、オーバーランもせず無事滑走路上に停止した。乗員乗客に怪我人もなかったという。機体の損傷もそれほどなさそうに見えた。本当に丈夫に出来ているものと今日も感心した。プロペラ機であったことも幸いした。

 手持ちの資料によると、今回トラブルを起こしたボンバルディアDHC8-400型機は74人乗りで740機ほどが生産され、YS-11の後継機としてANA、JALが導入し、地方空港間で運行されている。確か、羽田-大館間にも運行されていたし、数ヶ月前、秋田空港に駐機していたのをみた。この事故機は05年納入、総飛行時間は約3000時間だとのことでまだ新しい機である。同型機ではこれまで2件、前脚や主脚が出ないトラブルが発生したが、いずれも別系統の手動システムの操作で脚を出し着陸していた。今回はこれも作動しなかったという。

 バックアップシステムが働かなかったという事実は大問題である。
 2時間分も燃料があったのに大阪に引き返さず、高知空港に着陸させたことも私のイメージではちょっと不思議である。胴体着陸だけでも大変なことだが、民家も近い地方空港である、もし火災とか生じて大惨事になっていたら、と思うが、高次の判断があったのだろう。後で知りたいものだ。


3/12(月)降雪・寒波   管理会議  安全管理者と巡視    療養病棟入棟判定会議 長副会議
2:00起床、ドック判定総括x1、紹介状x1他、徒然 。5:15病院、 6:15回診、7:45-8:30管理会議、外来再編に関し消化器からきついクレームあり。10:00-11:10安全管理者と院内巡視。血液浄化部部長と面談、これも同様。14:00名誉県民の会は欠席。16:00-16:30療養判定会議、17:00-19:20長副会議。入院患者腸閉塞発症。21:30帰宅、夕食、22:30就寝。昨年も一昨年も激しい風雪、と記載あり。

森 進一の「おふくろさん」がもめている(2)レコードとライブ
 森進一が代表曲「おふくろさん」に勝手に語りを入れた。美川憲一が清楚な「柳瀬ブルース」をグロテスクに変えた、・・・等話題は尽きないが、私は歌謡曲や演歌の場合には、それがベストな出来とは思わないが、ソースとしてはオリジナルレコードの方が好きだ。実際にコンサートで聴けば違うと思うが、ライブ録音の放送を聴く範囲では、会場が乗りに乗っているときの歌唱、演奏ほど崩しが大きい。共に乗れる状況にあれば共感も出来るだろうが、放送を聴いているときは大抵仕事中だから乗れるはずもない。逸脱か?と思うほど豊かな表情を歌手達が付ければ付けるほど空しく響く。加齢で声も出ず、気の毒なほど下手になっている歌手もいるが、老けた表情の映像がないと聴くに耐え難い放送になる。
 これとは直接関係ないが、歌謡曲や演歌も音質を重視した装置で聴くと印象がだいぶ異なってくる。多くの場合、ちょっとしたラジオやTVで聴かれているだろうから、作曲・作詞家、演奏家、歌手にとって気の毒な点でもある。

 いわゆるクラシック音楽は逆の印象を持つ。ライブ録音の方が遥かに良い。同じ組み合わせの録音と実演を聴く機会は滅多にないが、最初の経験はカラヤンのモーツアルトの第39番の交響曲の東京公演であった。レコードで何度も繰り返し聴いていた曲と、実際に演奏された曲は随分違っていた。会場では勿論十分楽しめたが、後日、その時の録音がNHK-FMで流されたので録音してレコードとじっくり比較してみると、大差とは言えないまでもライブ録音の方がより表情豊かであった。
 恐らく、スタジオ録音は繰り返し聴かれる事を念頭に作られるから表現を抑制しているのではないだろうか。オペラなどでは更にその差は顕著である。ウイーン国立歌劇場で聴いたシノポリ指揮の歌劇マクベスは彼のCDとは印象が大きく異なっていた。しかし、表現が濃厚であってもいわゆるクラシック音楽の場合には一定の枠の範囲に留まった範囲の表情の差だから、ハッとすることはあっても不快なレベルまではまず行く事はない。

 最近、ライブの音も遜色を感じないほど良くなったし、音楽ソースも豊になったので一枚のレコードやCDの演奏を繰り返し聴く事は少なくなった。だから、ライブ録音を好んで聴いている。その方が新しい発見もあって、より楽しめるからである。


3/11(日)降雪・吹雪 寒波来襲 病棟拘束 第4回21世紀の医療を守る県民の集い
1:30起床、ドック判定総括x1。3:00病院に。外は
雪、積雪3-5cm。本日の基調講演の最終準備中心に過ごす。12:00県医師会に。12:30-13:10総会。決議も採択。13:30-16:50「21世紀の医療を守る県民の集い」。ちょっと散漫な会となった。会の構成の問題と登場者間の打ち合わせ不備もあった。17:00-20:00患者関連書類処理。20:30帰宅、夕食、21:10就寝。昨年も、一昨年も寒波が来た日。夜半から暴風雪状態。今期最長、最高の荒れ模様。

自伝・中通病院(9) 民医連秋田県連学術集談会、その2
 学術集談会は、「今なぜ民医連か--秋田県の医療の今後にどう関わっていくか」のような題名であった様な気がする。私は保存していた当時の資料を2年ほど前に廃棄したが、後に図書室とか県連で資料を見直して再確認したい。 
 私はこのパネルディスカッションではどんな内容が語られるのか、半ば興味を、半ば疑心暗鬼の気持ちもって聴いていた。

 特別講演,パネラー4人ほどの講演、発言は民医連の理念に基づいた患者中心の医療と民主的な組織運営を熱意をもって展開し発展させていかねばならぬ、各人がこれに誇りと希望を託し、困難に耐えて進めていこう、と言う趣旨であった様に記憶している。その論旨には自分たちはあたかも秋田県の医療のリーダー的存在なのだ、という自負心も読み取れた。
 討論に移ってからはフロアからシンポジスト以上に熱意のある発言が次々と続き,私はただただ唖然として聴いていた。何がこの集団のエネルギーのルーツになっているのか??これではまるで医療関係者の団体の場と言うよりは、ある種の宗教団体なのではないか?とさえ思うような強烈な印象を得た。これが当日の正直な感想で今でも鮮明である。

 確かに当時、中通病院は患者の立場に立つ医療を展開していたと思うし、秋田市民からも救急医療などを通じて大きな信頼を得ていた。ちょっと大げさに言えば「中通病院に行けば何とかなる」という評価であった。しかし、それについては中に入ってやっと分かったことであった。大学にいたとき、後半は学内の委員会とか医局の役職の点から県内や市内の病院の状況や情報に接することはあったが、その範囲での印象では中通病院はどちらかというと影の薄い私的医療機関の一つであった。私が秋田に来た当初の数年間で持っていたのはいつも労組がストライキをする病院だと言うことぐらいであった。第三内科から多数の若手医師が中通病院で研修をさせていただいたが、研修を終えて戻ってきた彼らを通して少しずつ医療活動の概要を知ることが出来た。正直、その程度の認識しかなかった。

 そんな状態の中で私は学術集談会に出席してみて心底驚いた事は確かである。会の終わりに司会者から「一心に聴いておられた先生から、何か一言コメントをお願いします」と発言を求められた。壇上からみても呆然として聴いていた私の姿が目についていたのだろう。私は「ただひたすら驚きを持って聴いていました。内容についてはこの場ではとてもコメントできません・・・」と答えた様に記憶している。突然の指名でもあり、外部から入ったばかりの私は、どうでも良いような場当たり的な感想しか述べられなかった。


3/10(土)快晴 病棟拘束 ドック結果説明 入院患者家族面談 散髪 講演会座長      
 
2:00起床。ドック、紹介状・総括、徒然。5:10病院着.6:00外出患者点滴ルート処置。6:20回診+病棟業務。8:00救急カンファ、9:00ドック総括説明。10:30-11:15外科病棟入院患者家族面談、治療方針について。11:30散髪。14:00Alveにて講演会打ち合わせ。15:00-18:30Medical Tribuneプライマリーセミナー「不眠症の治療」講演1の座長をつとめる。20:00帰宅、夕食、21:00就眠。

森 進一の「おふくろさん」がもめている(1) ベテラン歌手の曲の崩しは不快
 森進一が代表曲「おふくろさん」に勝手に語りを入れた、と言うことで曲を作詞した川内康範氏から厳重な抗議があり、これをめぐっていろいろもめているらしい。勝手な改竄に対しての川内氏の主張は至極当然だと思う。日本音楽著作権協会も改変バージョンの利用は許諾できない、と見解を発表した。と言う。

 私はこの問題について深くは知らない。しかし、ベテラン歌手達がショーやコンサートで歌う際、時に極端に崩しを入れて歌うことに対し、不快な気持ちを抱いていたのは事実である。これが極端になってここまで至ったのだ・・ととらえている。

 極端な一例は、ちょうど10日ほど前だろうか、帰宅時にカーラジオでNHK第一放送を流していたらちょうど美川憲一が大ヒットした名曲と言っていいだろう「柳瀬ブルース」を歌っていた。私は美川もこの曲も大好きであるが、ここで聴こえて来たのはオリジナルのイメージとは大きく異なる歌であった。歌詞やバックがそれほど変わってはいなかったが、美川はかなり伴奏に先行して歌い始め、緩急自在、最期まで伴奏と一致することはなかった。加えて雰囲気も大きく崩していた。現代風というよりは、今の美川風に、である。もはや、名曲とは言えない、何ともグロテスクな「柳瀬ブルース」に変えられていた。

 歌謡曲や演歌等は曲の出来に加えて歌手の個性がセットになって完成している。そこで作り出されるイメージは強烈でもある。だから、別な歌手によるカバーソングとして歌われた場合にも聴くべきものはあるがオリジナルとは別物になっている。私は如何にベテランになっても、例え数千回歌った曲であろうと、当初のヒットの時の曲のイメージを守るべきだと思うし、出来るだけ尊重すべきだろう、と思う。それで彼らは歌手として生きて来れたのだ。この曲の作者はこの放送を耳にしたら何と思うだろうか。

 ただ、今回のは録音の放送であった。同じ録音でも映像が伴うときはそれほどでないが、ラジオ放送の場合には実演の場面よりもネガティブな面は強調される傾向がある。もしかすれば、その場面ではそれほどの違和感はなかったのかも知れない。そう考えて、その面を差し引いても、その日の歌は聴いていた私にとってとても不快であった。

 森が作詞家に無断で改竄したことは考えがたいことであるが、当初、森側では軽く考えていて問題をこじらせたようだ。ベテランが陥り易いおごりなのだろう。


3/9(金)曇・晴れ 長女帰秋  健康推進課員来訪    法人理事会   
2:00起床、ドック他処理、徒然。5:10病院着、6:30回診と病棟関連業務。午前は新入院、病棟患者対応、患者関連書類処理に追われる。13:00健康推進課員来訪、新型インフルエンザ関係の打ち合わせ。13:30人間ドック診察、机上処理。17:30-19:30法人理事会。21:30帰宅、新国道で給油。22:00就眠。

アトリオン室内オーケストラ第26回定期演奏会
 アトリオン室内オーケストラ(略称ACO)の第26回定期演奏会が2月12日に行われ、家内と長女と共に聴いた。
 ACOはアトリオン音楽ホール開館5周年目の 1994年に誕生した。県内の企業・団体・個人からの支援も受けて運営されている。私も賛助会員として年に3万円とわずかであるが寄付しており、年2回の定期公演を楽しみにしている。
 ACO定期公演のうち偶数回はいつもこの時期に行われ、「バレンタインコンサート」と称し弦楽器中心のプログラムで構成される。

 今回は指揮に梅田俊明氏、ヴァイオリンに渡辺玲子氏を迎え、以下の曲が演奏された。渡辺氏は国際的評価を受けているヴァイオリニストで本拠地は米国と言うことであるが、秋田の国際教養大学で特任助教授として講義も受け持っており、秋田にとって身近な存在となっている。一昨年の第23回定期演奏会にはメンデルスゾーンの協奏曲を演奏した。使用楽器はストラディバリウスの「ムンツ」とのことである。
●ヴィヴァルディ:ヴァイオリン協奏曲「四季」より「春」「冬」
●シベリウス:ヴァイオリンと弦楽のための組曲ニ短調 作品117
●ディーリアス(フェンビー編曲):「二枚の水彩画」
● チャイコフスキー:弦楽セレナーデ ハ長調 作品48
● アンコール:ラフマニノフ 「ヴォカリーズ」

 まず音楽監督・四反田氏から曲目について簡単な解説があり、次いでビバルディの四季から「春」と「冬」が指揮者無しで演奏された。ソリストの音も表現も見事で、楽しめたが、春の第二楽章ではソロとバックが微妙にずれていた。やはり、指揮者無しの演奏は厳しいのかもしれない。
 二曲目のシベリウスの組曲、三曲目のディーリアスの「二枚の水彩画」は共に私は初めて聴く曲で、前者はソロの技巧の点で、後者はアンサンブルの面で結構難曲のように感じられたが、指揮者がついて整然と演奏された。
 最後の「弦楽セレナーデ」は曲自体私はあまり好きではない。更に今回の演奏は全体に強奏部分が多過ぎたような気がした。終始圧迫感を感じたし、演奏にも余裕が感じられず、音も決して美しかったとは言えなかった。
 アンコールに「ヴォカリーズ」が演奏された。私もたまには楽譜をなぞってみることもある曲であるが、この曲と演奏が当日の中では最もリラックス出来て、集中して楽しめた。

 このコンサートではよく指揮者やゲストが演奏の合間に対談するが、この企画はとても良い。

 後日、地方紙である秋田さきがけ新聞にこの演奏会の感想が掲載された。多分、依頼に応じて投稿された評と思われるが、讃辞、賞賛の言葉の羅列で、個人的感覚を会場の聴衆全体がそう感じたかの如くに勝手に拡大解釈して記述していた。その場にいた私は読んでいて実に不快であった。こんな賛美ばかりで誇大妄想的な文章は例え投稿文とはいえ、掲載には不適だと思う。誌の選択眼が問われよう。


3/8(木)秋田は降雪 東京快晴 日医感染症危機管理対策協議会
2:00起床。ドック総括他、5:10病院着。6:15回診、8:00救急カンファ、10:10病院発、11:10ANA 787-300。後方はガラガラ、20%ほど?で快適。14:00-16:10日本医師会感染症危機管理対策協議会。つまらない会であった。17:55JAL MD-90ほぼ満席なるも2座席確保し快適。往復ともそれほどは揺れず。20:20帰宅、夕食、21:10就眠。

2回目の出席 中通高等看護学院25期生卒業証書授与式、謝恩会(2)
 昨年の答辞は涙、涙で、卒業生の多くも涙、涙で、こんなにも泣くものなのか?と思った。今年は何度か読み上げに中断があったが言葉も明瞭、総じてスムーズで、昨年に比し涙は少なかった。

 夕方からメトロポリタンホテルで謝恩会が開催された。卒業生達の表情には、卒業式で見せた堅くて青白い学生の雰囲気は全くなく、華やかで屈託無く、自由で伸び伸びとしている。和服あり、袴姿、洋装あり、その表情、姿を見ていて楽しい。
 来賓の方々が次々と紹介されたが、そのうち10人ほど私は面識がない。学外からの講師の方々である。大学の教官や、主に精神科の看護師の方々であった。随分いろいろの方々のお世話を受けているものだと思う。私は10数年学院の講義から離れているが、今はどのような方々が講義されているのだろうか。

 卒業式の後の会議が予想外に長引き、祝辞の話題を考える時間はなかったので思いつくことを適当に並べて、主に以下について話した。看護師の社会的地位が向上した。とても良いことだと思う。看護婦から看護師に名称が変わったことの意義は大きい。今年は特に需要が高まってきたが、いままでの看護師配置数が異常であった。厳しい医療情勢は私が子供頃から言われてきた。いかなる時代になっても医療がなくなるわけはないから、心配なし。小さな事でも何か信条を見つけて継続してみればいい。私の場合は睡眠や食事、楽器などを始めとしいろいろなことを自己設定し、継続することに楽しみと意義を見いだしている。中通高等看護学院で学んだことを誇りに思って良い。ここには他に見られない看護観がある。自分の臨床力の再構築のために3年ほどと思って中通病院に赴任した私が、結果的に20数年もの長い間この病院で働くことになったのは、ここの優れた看護観、医療観も因子の一つである・・などなど。

 余興あり、ビンゴゲーム、来賓方のスピーチあり、楽しく盛り上がった。最後は担任であった教員の挨拶で締めた。昨年と感想は同じであるが、とても良い会であった。


3/8(水)風雪・寒波、今期最高か? 外来 県感染症評価会議 県身体拘束防止対策協議会 県医師会理事会
2:00起床。ドック総括x1他。徒然。5:20Taxi病院着。 6:15回診他、8:00救急カンファ、8:45-13:50外来。14:00-14:45県感染症評価会議。15:00-16:05県県身体拘束防止対策協議会。16:30県医師会理事会、18:30病院、事務長と打ち合わせ。21:00帰宅、夕食、21:45就寝。

療養施設から介護施設への転換予定は僅か9%!!  政府・厚労省はこの実態を見よ
 小泉政権は医療改革と称して全国で38万床ある療養病床の内、介護保険適応病床を廃止して2012年には15万床にする事が決めた。この決定の発表は唐突であり医療・福祉関係者に驚きを持って迎えられた。当然、反対意見も、反対運動も行われてきた。政府・厚労省の論理は、そこに入院している患者の大部分はいわゆる社会的入院と称される医療が必要でない患者であり、その入院経費が医療費を高騰させている、という論旨を勝手に作り出したものである。

 厚労省は病床の転換の方向性を知るために、昨年10月全国の療養病床施設を対象にアンケート調査を行った。その結果の概要が今朝早朝のNHKラジオのニュースで紹介された。それによると調査への協力は約90%の施設からあったと言うが、療養病床を介護施設に転換する方向にあるのは僅かに9%に過ぎなかったという。 

 これは、医療が必要な患者を多くかかえている実情を考えたときに安易には施設に転換出来ない、と言う実態の表れであると私は思う。医療が必要のない患者が大部分として、61%もの大量の病床の削減を目指した厚労省の削減計画が如何に現実を無視した机上の計画による暴挙であるか分かるものである。

 問題は、第一に療養病床に入院している患者の大部分は医療が必要ないと断じたことの誤り、である。何をもって医療が必要のない患者と断じたのか、そのこと自体から再度検証しなければならない。私自身の感覚でも療養病棟に入院している患者の医療レベルは決して低くなく、日常的に医療的処置が必要である。このような患者は在宅や介護施設では過ごさせるわけにはいかない。

 第二の問題は、診療報酬の削減によって療養施設の運営は経済的に、マンパワーの点で困難を極めているが、厚労省の言うとおりに各種の施設に転換を考えたとしても、その選択肢は8種類もあるが、どの道を選択してもその後の運営が今よりも順調になる保障は一つもないと言うことである。だから、現実的には新たな投資をしてまで転換することは経営上出来ない。現時点ではそう考えるのが当然である。

 この調査結果にショックを受けた厚労省は、何らかの新たな措置を導入して施設への転換を更に推し進める計画である、とコメントしているが、目的が医療費削減に主眼を置く限り医療の現場はそう簡単には動かないし、動けない。

 政府は国民の健康面の安全を保障すべきであり、そのためには一定の経費が必要である。高齢者を標的にした低医療費政策は誤りであり、改めるべきである。国は国民にどの様な医療を受けたいのかを調査すべきであり、それに則って医療政策を再構築すべきである。


3/6(火)風雪・寒波 外来 高等看護学院卒業式 常務会 謝恩会 医局会(欠) 65.8Kg
2:10起床。ドック判定総括などいつもの如く。4:50出勤、5:00本日高校入試を受ける患者へ対応。6:00来客あり、打ち合わせ。6:30回診、定期処方箋発行。8:00救急カンファ、8:45-13:10外来、13:30-14:50高等看護学院卒業式、15:15-17:20常務会、18:10-21:10メトロポリタンホテルにて卒業謝恩会。21:30帰院。22:10就寝。早朝から座す間もなかった一日。

2回目の出席 中通高等看護学院25期生卒業証書授与式、謝恩会(1)
 本日午後は法人立の中通高等看護学院の卒業式、夕方からは謝恩会が催された。何れも招待があり出席した。昨年に続く2回目の出席である。
 昨年は初めてであったこともありいろいろ感じることもあったが、今年は2回目で形式的には何も変わることはないだろうから、と3つの事を楽しみにして出席した。第一に学院長、来賓の挨拶の内容、第二に送辞、答辞の内容、第三に今年の学生達はどれだけ泣くか、第三には謝恩会における卒業生達の変身の程度である。

 本日の秋田の天候は予想以上の荒れ模様、風雪で寒かった。式は学院の体育館で、壁面に紅白の幕をあしらっただけの質素な雰囲気の中で行われた。ストーブは何個か焚かれていたが、寒がりの私も感じたが、半袖、薄青のストライプの入った薄手の実習着の卒業生達はかなり寒かったのではないだろうか。学院のスタッフ達の服装はフォーマルなもので寒さなど殆ど感じなかったであろう、平然としていたのが対照的であった。

 卒業生は47名と聞いている。各人の表情は式への緊張か、こわばって笑顔もなく、顔色も冴えない。寒さに加え実習着のブルー系の色調がかもし出す雰囲気も関連していたと思われた。その点はスーツを着用した在校生達の方が顔色も良く、表情も豊かであった。

 楽しみの一つであった学院長の挨拶、法人会長、県看護協会、中通総合病院総師長、同窓会代表の祝辞は何れも素晴らしい内容であった。私はこういう格調の高い挨拶は出来ないと思う。何れも巣立つ学生達の前途に対する祝福と期待について述べられ、さらに共通して厳しい医療情勢のことにも触れられたが、この年代の若者達にはどれだけ通じたかな?と思いつつも共感を持って拝聴した。
 送辞、答辞には、ちょっと文章の流れにそぐわない借り物と思われる語句や表現もなかったわけではないが、総じて文章力、構成力には感嘆した。昨年は、実行はしなかったが、可能であれば原稿を手に入れたいとも思いつつ聞いていたが、今年も同様であった。
 来年からは録音機を携えて出席しようか、と思っている。


3/5(月)曇り・雨  管理会議 外来     療養判定会議 長副会議       
1:50起床。ドック総括1名分、徒然。5:10病院着。6:15回診、7:45管理会議8:45-14:30外来、16:00療養判定会議。17:00-20:45長副会議。重点課題多数あり。医師面談。21:30帰宅、夕食、22:15就眠。

第4回「21世紀の医療を守る県民の集い」が3月11日に開催されます(2)
 秋田県内の医療4団体、県医師会、県歯科医師会、県薬剤師会、県看護協会はかねてより年に一回懇談会を開催、情報交換を行っていたが、この懇談会を核にして医療や福祉に何らかの関わりのある秋田県内の45団体に呼びかけて「21世紀の医療を守る会」を立ち上げた。

 この回は年に1-2回の対話集会、「21世紀の医療を守る県民の集い」を行っている。第1回目は著明な李 啓充先生を迎えての「市場原理が医療を滅ぼす」、第2回目は「国民皆保険制度をみんなで守ろう」、第3回目は「秋田県のがん医療は誤解されている」として開催した。

 今回は「どうして、もっと長くこの病院に置いていただけないのですか?」という、患者・家族を、また医療関係者をも最も悩ましている問題の一つである急性期病院の在院日数の問題を取り上げた。国民の医療と健康を守るためには国の低医療費政策を改めさせること以外にはあり得ない、しかもそれを成し遂げるには国民的運動が必要という趣旨で、知られざる医療機関の実態、医療従事者の実情を知っていただくことを通じて県民の理解を求めたい、と考えている。

 その病院の運営状況であるが、全国公私病院連盟と日本病院会が例年行っている病院運営実態分析調査によると、2006年は総収支差額で赤字となる病院が占める割合は、解答した病院の実に72.8%である事が判明した。
 調査に協力した病院は加盟3406病院のうち1172病院で回答率は34.5%と決して高くはない。従ってかなりのバイアスはあると思わなければならないし、データは詳細に検討しなければならない。それでも7割以上の病院が赤字であると言うこと自体、医療政策が健全でないことを示している。
 赤字病院を開設者別にみると、自治体病院の90.7%、その他公的病院の59.6%、私立病院の47.3%がそれぞれ赤字となっている。総費用対総収益比率は108.4%となっている。
 平均在院日数は、全病院では19.7日と前年20.4日に比較して更に短縮している。これを開設者別にみると自治体病院が18.7日、その他公的病院が18.4日、私的病院が27.2日となっている。
 病床利用率は全病院では78.2%。開設者別にみると自治体病院が76.2%、その他公的病院が80.1%、私的病院が81.9%となっている。

 各病院とも私の感覚では病床利用率が驚くほど低いが、そのための赤字ではなく、大部分の病院は在院日数の短縮による機能的増床効果による利用率の低下と考えるべきであろ。一方、急性化に特化できないでいる病院は病床利用率90%以上でも赤字になりうる、と言うことでもある。どちらにせよ、病院運営は厳しいが、各病院の自助努力による解決はこれ以上困難であるばかりではなく、医療の質の低下、安全性の低下に直結する。
 日本の医療を良くするには医療政策そのものを変えなければ、低医療費政策を改めなければ到底なし得ない、と考える。そのことを私のイントロの講演では強調する予定である。


3/4(日)晴 緩む 病棟拘束
2:20起床、ドック総括x1,医師会書類検討。新聞一週間分チェック、など.徒然記載。7:10家内帰宅。8:00病院に、8:30救急カンファ、11:30帰宅。15:00再度病院へ。残務処理。20:00帰宅、夕食、21:00就眠。

自伝・中通病院(9) 民医連秋田県連学術集談会、その1
 中通病院赴任して10月初旬の土曜日は二つの行事が重なった。一つは秋大第三内科の同窓会であり、もう一つは民医連秋田県連の学術集談会であった。第三内科の諸先生方、スタッフ達には随分長い間お世話になったから、散々迷ったが、今後の自分のためにはまず今の環境を知り、理解することの意義はより重要だろうと考え、後者の方を選択した。

 この判断の背景には与えられた新しい環境に同化するためには古い環境に決別する線引きが必要だ、というのは私の考え方の基本の一つでもあったから、と言うことも関連している。その考えのもとに、小中学、高校、大学の仲間達、郷里の親戚との付き合い等、可能な範囲で距離を置いてきたし、その後も環境が変わる度に勝手に線引きしてきた。だから、私が持っている人脈は極めて狭い。しかしながら、最近徐々に考えが変わってきている。やはり歳と共に考えは変わっていくものだと自覚し、過ぎ去った自分の行動を反省することもある。

 最初の同窓会を欠席したことで、私の第三内科との関係の持ち方は決まったようなものでその後それほど迷うことはなかった。結果的に、それ以来約21年間、昨年の夏に催された講師の教授就任祝賀会に院長代理として出席するまで第三内科のあらゆる会合に一度も出席しなかった。よくまあここまで徹底したものだ、と自分でも呆れているし、今は謙虚に反省している。

 その土曜の午後、法人の看護学院の体育館で行われた学術集談会のパネルディスカッションの題名は忘れたが、「秋田県の医療の今後にどう関わっていくか」のような壮大な題名であった様な気がする。何でこのような大げさな題名の会を一法人が催すのか理解できなかったが、その前数年間の集談会の記録を見ても類似の演題であった様に記憶している。
 当時、徐々に分かりつつあったが、法人や民医連の県連との関係、更に病院との関係などまだまだ理解できていないこともあったから興味半分で、まずは出席してみようと気楽に出かけ、フロアの最後列に陣取り聴講することとした。


3/3(土)晴れ 病棟拘束 雛人形お披露目会 歯科治療 
 2:10起床、ドック総括x1、紹介状、徒然。5:10病院着、回診せず机上カルテ紹介状など処理。15:00歯科医院に向かう途中自宅に寄る。組合総合病院の看護師さん4名来訪していた。15:30-16:40歯科治療。病院にて業務。19:30帰宅、チラシ寿司等の雛祭りの料理中心に夕食、20;30就寝.

新しい雛人形が届き、本日、わが家でお披露目会を催した
 先日家内は妹と長女の3人で京都近辺へ旅行に出かけた。土産などもいろいろあったが、一昨日巨大な段ボール箱が届いた。新しい男雛、女雛の一対の雛人形のセットである。もともとわが家には長女のために同じ様な一対の雛セットがあり、今年も2月中旬からピアノの上に鎮座している。これとは別に家内は元々から自分用にも欲しかったらしいが、今回の京都旅行の間に、ついに買う決心をしたらしい。

 届いた雛は、男雛は私から見てそう大差はないが、女雛の衣装は、何と表現して良いか分からないが、末広がりに長く後方に伸びているタイプである。顔の表情も良く、衣装の作も見事と言うしかない。サイズ的にも一回り大きくピアノの上はムリなようである。これはむしろ低いところに置いて、上から衣装の作りを見て楽しむ方が良いようである。京都で購入してきたと言うことも雰囲気作りには一役買っている。かなり手が込んでいるから高そうに見えるが、コスト意識が乏しい私には、10万円程度とも、50万円程度にも見える。怖くてまだ値段を聞けないでいる。

 本日午後、家内は懇意にしている看護師さんを呼んでお披露目会を開くと言って居たので、歯科医院に行く途中家に寄ってみた。4人が来てくれたとのことでテーブル一杯に広げられた色とりどりのちらし寿司、海苔巻き、その他を楽しんでいた。10数分だけ同席したが、雛の話は一切でなかった。「花より団子」ならぬ「雛よりお寿司」で、更に、会話が最大のごちそうの雰囲気であった。

 これで家内も長い間の願いの一つが実現できて少しは満足しただろうと思う。末永く楽しんで貰いたいものである。日本人形協会では「雛人形は女子の幸せや健康を願って飾るもので、一人に一つの雛人形を用意したいもの」、と統一見解を持っているという。

 雛と言えば、私にも思い出がある。私が幼少の頃、わが家では私のために毎年この季節にはひな壇が飾られた。祖父母が自分たちの3人の娘のために購入した品だった、という。7段のフルセットで付属品も並べると座敷の半分ほど占拠するサイズで、見事なものであったが、衣装は若干セピア色に変色しかかっていた事を思い出す。昭和27年4月10日にわが家は火災に遇って全てを消失した。数日後、まだ熱かった焼け跡を片付けていたときに陶器製の雛の頭部を10数個回収したが、変わり果てたその姿に涙を流した。
 今でも節句の季節になり、雛が飾られると、その時のことを鮮明に思い出し、私はちょっとだけ感傷に浸るのが常である。


3/2(金)晴れ 人間ドック診察 来訪者数名歓談 ベットの安全についての学習会
2:20起床、ドック総括1名分、紹介状返事、徒然他。5:10病院着、6:20回診他、書類処理、医療保険・制度関連の文献に集中。13:30人間ドック診察5名、17:30-19:20ベットの安全についての学習会。21:10帰宅、夕食、22:00就眠。

第4回「21世紀の医療を守る県民の集い」が3月11日に開催されます(1)
 
医療や福祉に何らかの関わりのある秋田県内の45団体によって「21世紀の医療を守る会」が結成され、地道な活動をしている。その会主催による県民対話集会が「 21世紀の医療を守る県民の集い」である。今回がその4回目で、「どうしてもっと良くなるまでこの病院にいられないの?」と言うテーマで3月11日13:30から秋田県総合保健センターで開催される。

 私もこの会の理事として裏方の仕事を行っている。今回もパンフレットのアピール文を担当した。また、当日には「患者がゆっくりと同じ医療機関で療養出来ないのは何故なのか」についてのイントロ部分の講演を担当する。
 以下はパンフレット用に用意した参加のお誘い文である。保険診療の仕組みは複雑怪奇で小文の中で説明するのは困難なので、秋田新幹線こまちの座席に例えて説明してみた。多分、分かっていただけるのではないか、と思っている。

 
「どうして、もっと長くこの病院に置いていただけないのですか?」
---------医療側の「転院」の説明を「追い出される」と受け止める患者・家族の心理の溝を埋めるために--------

 医療者側として患者さんに「そろそろ退院していただきたい。○○病院へ転院を」と切り出すのがとても重荷です。転院や退院を切り出すと、患者さんやご家族は十中八九困った顔をします。「追い出される」、「小さな病院に行くなんて不安」、「とても家では看られません」などなど反応は様々です。
 病院の事情をご存じない患者さんにとっては当然の反応ですが、それがわかっていながら言わなければならない医師や医療側の憂欝さと言ったらありません。

 政府や厚労省は日本の台所事情が悪化しているので、医療費を削減しようとしています。そのために入院患者さんの入院期間を短縮し、病院の数を減らす様にいろいろ算段しています。

 例えて言えば、定員300席の「こまち」の乗客がみんな東京まで行くなら300人しか乗せられませんが、盛岡や仙台で降りる乗客であれば、それ以遠、更に300人が利用できます。そうすると「こまち」は有効に利用されたと評価されますが、いずれ「こまち」の本数が減らされる事になります。また、長距離の運賃は短距離に比較してとても安いので運転が成り立ちません。だから、東京までの方は途中で降りて東北本線の列車で向かって欲しい、と「こまち」側も求めざるを得ません。今の入院医療の実情はこんな感じです。
 患者さん方は「もっと良くなってから帰りたい。むかしはもっとゆっくり療養が出来たのに!!」と言います。全くその通りです。私たちも真実そう思っています。しかし、出来ない事情があるのです。

 更に、国の方では医療費を削減するためにいろいろな仕掛けを考えてきています。

 今年度第2回目の「21世紀の医療を守る集い」ではこの辺の仕組みを各方面から分かりやすくご説明いたします。その後、ご出席の皆様方と十分にディスカッションしたいと考えています。一人でも多くの県民の皆様が討論に参加していただきますよう、お願い申し上げます。


3/1(木)晴れ 外来   21世紀の医療を守る集い打ち合わせ 秋大耳鼻科訪問 DPC学習会
2:00起床。ドックx1。メール対応、徒然など記述。5:10病院着。6:10回診他、8:00救急カンファ。8:45-13:00外来、13:00-14:30 21世紀の医療を守る集い打ち合わせ。16:00秋大耳鼻科訪問医局長と面談。17:30-18:50DPC学習会。21:15帰宅。夕食。22:00就寝

豆腐を噛んで歯が欠けた(3)治療時に疼痛表示装置があればいい
 最近、歯科治療に通っている。数年間、全体にガタが来ている感じがして、そのうちに受診しなければ、と思い続けてきたが、実際には何も不都合なこともなく、その機会が得られなかった。イヤ、「もう、全て手遅れですね。総入れ歯にしましょう」、と宣告されるのが恐ろしくて行けなかったという方が正しい。何でも時機を失するとズルズルと先延ばしにし、墓穴を掘ってしまった事も少なくない。

 1月中旬に豆腐を食べている最中に歯が欠けたのはとてもショックであったが、それを機会に覚悟を決めた。詳しい評価を聞くのも怖いが、抜歯の話題は出てこない状態で治療が続けられているから私の歯はまだ末期状態ではなさそうだ。

 業務状況から土曜午後にしか通院できない。主治医も私の状況を知っていてくれて、次いつ治療に来れるか分からんでしょう、とのことで行くと集中的に治療してくれる。有り難い話であるが、1時間どころか2時間近くになることもある。その間、歯科衛生士、医師が入れ代わり立ち代わり対応、治療してくれる。
 歯科治療は恐怖である。イヤ、歯科だけでなく医科の方だって結構痛いのかも知れないが、歯科治療の時の疼痛は直接神経に触るのか、格別である。ところが、今回の治療は意外と痛くない。数年前と段違いのような気がする。決定的に削っていないのかも知れないが、今回は若干ツンツンと感じる程度である。大量の水を吹き付けながら削るためなのだろうか?

 治療スタッフの方々は削ったり力を加える度に、「痛かったらどうぞ遠慮無くおっしゃって下さい・・」と優しく声をかけてくれる。これも有り難い事で、ホッと安心する。声かけは重要だと再認識した。

 ところが、である。実際には口には1-2本の吸引器のテューブを入れられ、治療の手が入り、舌は脇に寄せられ、さらに治療器具が入る。こんな状態で「遠慮無くおっしゃって下さい・・」と言われても、実際には「アー」とか「ウー・・」とかしか言えない。痛かったら足とか手をばたつかせて表現しようと思っているが、今のところそこまでの機会はない。

 最近の歯科治療のユニットは実に立派、機能も多彩である。ここまでいろいろ機能を高めたのなら、ついでに疼痛表現器なるものを付けてはどうだろうか、と思う。患者にグリップでも握らせ、感じた痛みの程度に応じた強さで握って貰う。それが何処かにグラフのように表現される様にすれば便利だし、痛みのフェイススケールとして漫画的に表現できるようにするのも面白いのではないだろうか、と思う。関係者に一考いただきたいものである。


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   年を通じてワンパターンで淡々とした毎日です。AM2:00-5:00にメールチェック・返事送付、人間ドック(HDD)判定・報告書作成、新聞切り抜き、病院・医師会業務など。
  月〜土曜は6:00頃出勤、HDD報告書印刷、外来書類処理など。病棟回診、HDD受診者とミーティングと診察。8:45-14:00外来とHDD受診者に結果説明。昼食は摂りません。午後は病院業務・医師会業務、各種委員会等に出席など。20:00頃帰宅。
  日曜・祭日もほぼ同様ですが、病院には午後出かけます。時間的に余裕無いのが悩みです。


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