徒然日記
2007年2月分

 日記と言うより、自分の行動記録からの抜粋と日々の雑感です。

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2/28(水)晴れ 外来  ドック診察  適正輸血視察「 I &A」 医療安全推進担当者会議(欠) 県医師会常任理事会   今朝体重66.6Kg
2:00起床。ドック1名分、そのほか、いつもの如く処理。時間が絶対的に不足。5:10病院着。6:20回診、8:00救急カンファ、8:45-14:00外来+人間ドック診察。10:30適正輸血視察「 I &A」の挨拶、15:15-15:50講評、詳細かつ適正な指摘を受けた。17:30-19:30県医師会常任理事会、21:15帰宅、22:00就眠。

「ヘルスチャレンジ2007」二ヶ月で3Kgの減量、他にエントリー
 法人共済会では3月から2ヶ月間「ヘルスチャレンジ2007」と称するキャンペーンを展開するという。全部で13項目挙げられている。「ジョギング100Km」、「完全禁煙」、「ウオーキング60万歩」・・・と身近な項目が上がっている。私はこのうち「スリム3Kg作戦」、「エレベーター・エスカレーターを使わない」の2項目にエントリーした。自主設定もあるから「一日一食」も挙げたいが、これは「アンヘルス」として却下されるだろうから申請しなかった。達成者全員に図書券2000円分と抽選で更にギフト券をくれるという。全体で200名超エントリーしたらしい。

 今日から始めることになるが、私は図書券をもう頂いたようなものである。

 エントリーにあたって普段から体重を気にしている看護師さん10人ほどに声かけたが全員に断られた。「愚痴っているだけでは体重は減らんよ、折角の機会を生かさなければ減量なんて出来んよ」、と誘って歩いたが結局ダメであった。目的を達して図書券を貰えるなら一石二鳥で良い機会なのに、実に勿体ない。

 私は昨日の段階で175,5cm、今朝66,6Kgである。別に肥りすぎているわけでもない。かつては一度70Kg超になったことはあるが、ここ20数年間の検診の記録を見直すと肥満度102%が一回あるだけで常にマイナスの標準範囲にある。 

 何で体重を減らすのか?と聞かれるが、答えは「特に理由はない」である。ただ、最近忙しさの中で生活にメリハリ、緊張感を欠いている気がするのでちょっとこのキャンペーンに乗ってみようか、と言う程度の軽い気持ちである。別に減量が目的ではないが、3Kg減量は達成できるだろう。少しは腹がへこむかな? 一日一食だから食事量の調整も一回で済む。スタッフ何人かの苦しむところを見たかったが、その試みは残念ながら失敗した。一人じゃ何となく寂しい。家内や賄いの石井さんに何倍もの額の私的賞金をちらつかせて誘ったが一瞥されただけであった。まるでネコを誘った程度の反応でしかなかった。何で肥ってしまった女は、減量に関しては口先だけなのか!。

 「エレベーター・エスカレーターを使わない」の項目は、私は荷物を持ったとき以外には年間を通じてエレベーターは利用しないから、もう達成したようなものである。二項目だから図書券は4000円分貰えるのだろうか?

 スタート日を迎えて、ちょっと安易な項目を選びすぎた、と反省している。もっと何か厳しい項目を課したいが今回はもう手遅れのようだ。次回の楽しみにしよう。


2/27(火)晴れ 外来    常務会    医局会・MC 
 
2:00起床,ドックx1。紹介状、4:30病院着、6:30回診、定期処方箋他。8:00救急カンファ、8:45-14:10外来。14:30-16:00常務会、病棟重症患者対応    17:30-18:30医局カンファレンス、CPC。21;00帰宅、21:30就寝。

MD-90が関空に緊急着陸、MD-87で上空待機 
 先週空路大阪に向かった。関空行きのJAL便で機種はMD-87であった。後方座席はまばらでその意味では快適であった。秋田・山形は快晴であったが北陸以南は暑く雲が立ちこめ、楽しみにしていた日本アルプスの景観などを見ることは出来なかった。高度を下げるにつれ雲中・雨中飛行となり機は終止小刻みに、時に大きく揺れた。

 しかし、着陸予定時刻が近くなっても同じ方向への方向転換は何度もしているが、高度が下がっているとの実感はなく着陸順番待ちの旋回をしているのではないか、と思っていた。そのうちに「関空に緊急着陸機があって滑走路閉鎖になっているので四国上空で待機中」、との機内放送があった。

 関空は一月ほど前に第二滑走路が出来たばかりだし、伊丹か神戸空港も近いから何とかなるだろうと思っていたら、放送後10数分後には無事着陸した。25分ほどの遅れであった。滑走路上に立ち往生しているような機はなかったが、JALスポット付近は回転灯を点けた救急車が数台あり、若干いつもと違う雰囲気であった。詳細は分からず、機内で急病人でも出たのでは?と思いつつ会議場に急いだ。

 25日の新聞によると、この時の緊急着陸は花巻発伊丹行きのJAL MD-90型機で、貨物室の火災報知灯が点灯したために緊急着陸したとのことであった。主翼を暖める配管に生じた亀裂から高温の空気が貨物室に漏れたため、という。JALはMD-81、MD-87、MD-90のMDシリーズを40機近く運行しており、他のMD-90では15機中7機に、MD-80シリーズのうち1/18機におなじ部位に亀裂が入っているのが発見され、全機修理し終わったという。私どもの乗った機も当然検査を受けただろうがどうだったのだろうか。

 私が持っている資料集によると、MDシリーズは1979年以降、全部で1199機が生産され、世界の空を飛んでいる名機なのだそうだ。当初はダグラスDCシリーズ機、合併にてマクドネル-ダグラスMDシリーズ機となり、現在は更に統合されてボーイング機となったが、同社には同じようなサイズの737があるためにMDシリーズは生産が中止された。日本では主にJASが導入していたが、今は会社が統合してJAL機となっている。いろいろ変遷をたどっている機である。

 2002年までのMD80、90シリーズの全損事故は12件、737シリーズは16件で、他の新世代の航空機は0-8件であるのに比較して多いが、運行期間、機数は共にダントツに多いから特に問題とはされていない。200機で生産を終えた3発のMD-11の全損は5件なのだそうだ。

 花巻空港は私の郷里にも近く親しみもある。数年前に強風下で着陸したMD-81が火災を起こしたが、幸い犠牲者はいなかった。


2/26(月)晴れ→曇り 管理会議 安全管理者と打ち合わせ 療養判定会議 拡大科長会議 家内京都
2:00起床、ドックx1他、家内京都、早めに出勤、4:45病院着。6:15回診、7:45管理会議、10:00-11:00安全管理者と打ち合わせ。13:30ドック結果説明x2。16:00-16:20療養判定会議、17:30-19:00拡大科長会議、20:50帰宅、夕食、21:30就眠。

お酒をかけたかき氷を食べ、冷えた身体を「湯たんぽ」で温める 
 私は一日一食である。馴れてくると朝食摂るのも、昼食も面倒になる。食事の回数は本当に習慣なのだと思う。

 その夕食の後にはかき氷を食べる。昨夏から始めたが、殆ど欠かすことはない。外食などでも帰宅後に食べる。かき氷には若干のシロップと各種のアルコールをかける。ビール、ワイン、日本酒、ウイスキー・・・何でも良い。これが、結構美味しい。私は本来アルコールが苦手であるが、20年くらい前から練習と称して夕食時には120mlの缶ビールを飲んでいた。決して美味いものではない。当初はこれで泥酔したが、最近は何とか250ml位までなら飲めるようになった。

 夏に市販の日本酒シャーベットを食べたのが切掛けとなって、夕食後にかき氷を作っている。無理してビールを飲んでいたのが何だったのかと思えるほど抵抗無く、楽しんで食べることが出来る。ところが、やはり、冬場には食後身体がかなり冷える。酔い始めているし、不整脈も出るから好きな風呂は危険である。歯を磨き早々に布団にもぐる。それでも冷える。時に布団の中で震えることもあった。

  数週間前に家内が懐かしい姿の陶器製の「湯たんぽ」を買ってくれた。それで毎晩快適に眠る事が出来るようになった。
 「湯たんぽ」について最近の医事新報の質疑応答欄にも出ていたが、元々は、中国で、唐の時代から使われていたようで、陶器製で「湯婆子」や「湯婆」と呼ばれていた。私の思い出から言えばさながら「湯ネコ」である。日本に伝えられたのは室町時代とされている。よく知られているブリキ製の波形の金属製のものは意外と比較的新しく、昭和初期以降に造られたもので、軽量・丈夫なことから普及したという。

 子育ての頃はキャラクター入りのプラスチック製のものを使っていた。3人分の「湯たんぽ」を用意するのは私の役目であった。残っていないか探したが、誰かにもらわれていったらしい。今度の購入したのは陶器製で子供の頃に家にあったのにそっくりでとても懐かしい。値段は2,000円だった。

 それにしても身体は丈夫にできているものだと思う。温かい夕食で身体が暖まった後に氷を食べて冷やす。冷えた身体を今度は「湯たんぽ」で温める。踏んだり蹴ったり温熱ストレスを毎晩与えているが、よく耐えてくれている。ゆっくり楽しんでいると食べ終わらないうちに酔ってしまうから、若干急いで食べると背中が痛くなることがある。腹痛ではなく背部痛であることが不思議であり面白い。胃が冷えた事による何らかの反射痛なのかもしれない。
 家内には、食道がん、胃がんになるよ、と脅迫されている。呆れられているが、まだ飽きられてはいないようだ。


2/25(日)快晴 病棟拘束 入院患者家族面談 
2:00起床。ドック処理x1、紹介状x1など。6:00病院。8:30救急カンファ。10:30回診。11:00入院患者家族と面談。紹介状、総括など処理継続。20:00帰宅、夕食、21:00就寝。終日机とディスプレイに向かって過ごしてしまった。

自伝・中通病院(8) 民医連って何だ?
 中通病院を選んだのは卒後研修から戻ってきた第3内科の若手医師の話などから,自分の医療観に近い医療もやっている活動性の高い病院、との感触を得たからで、自分の臨床医としての感覚、技術の再構築のためにも良いと考えたからである。全く個人の立場と判断で院長室を直接訪れ、雇って欲しい,とお願いした。今から思えば、何も知らずに飛び込んでしまったものである。いや、何も知らなかったから選べたし、結果的に自分にとってはすごく良かったのかも知れない。

 当院が民医連に加盟している病院であることなどは全く知らなかった。

 病院医療は持っている技量を集約して行う医療である。病院や医局にはどんな人がいるのか、それを知らずに病院医療は出来ない。だから、医局会などの集会には可能な限り出席し、話を聞き、理解しようと努めた。一般的な病院や医療に関する話に関しては理解できたが、理解できない話題も少なくなかった.特に、民医連関連の話題になると、「全国民医連」、「北海道東北ブロック」「地協」、「秋田民医連」、「県連」、「共同組織」、「患者会」、「友の会」・・・・何のことを言っているのか赴任当初は全く解らなかった。
 内科外来の戸棚、図書室の一角には民医連に関する書籍や資料が何冊かあったのでそれを借りだし、診療の合間に読み漁り、徐々に理解することが出来,いろいろな刺激を受けた。

 特に、診察室の医療の展開は医療の基本ではあるが、それだけでは不足であって、社会的視野に立って、医療、健康、疾病を考え、更に、労働環境や住民生活、社会保障などを考えた予防から治療、社会復帰までを考えた医療を展開しなければならないという考え方と実践は、私にとって目から鱗が落ちるほどの強烈なインパクトがあった。勿論、全てが是というわけではなく、これ以上深くは入りこめないイデオロギー的な分野もあったが、自分にとっては学ぶべきところは随分多かったと思う。この辺のところは機会があれば記述しておきたいと考えている。

 更に、赴任した年の秋、秋田県民医連学術集談会は私にとって更に大きなインパクトがあった。
 私はそのしばらく後、院長から秋田市医師会の役員になることを命じられたが、医師会の仕事に意義を感じとることが出来たのは、この時に学んだ民医連的医療の視点がルーツとなっていたと思う。


2/24(土)晴れ  病棟拘束 H18年度新型インフルエンザ対策関係研修会+情報交換会    女性医師を支える会(欠) 家内京都に出発
2:30起床。ドックx1、紹介状他、5:25病院着。6:30回診。8:00救急カンファ。以降、紹介状・総括そのほか事務処理。14:30総合保健センターへ。15:00-17:40 H18年度新型インフルエンザ対策関係研修会、18:00-20:00情報交換会、20:30帰宅、21:00就寝。本日同時刻に「女性医師を支える会」が催されたが、残念ながら参加できなかった。  

病院周辺道路を歩行喫煙禁止地域に指定を申請し、市の解答に一喜一憂した  
 
当院は本年1月1日から敷地内を全面禁煙とした。これに至るまでには一定の時間が必要であったが、健康を損なう喫煙に対して医療機関として当然のことである。これを行うにあたっては、喫煙者に対して理解を求め、納得の上で入院または受診を呼びかけているほか、禁煙の指導についても案内し、患者の立場に配慮している。

 敷地内を禁煙にしても周辺の道路で喫煙するのであれば何にもならないために、年末に道路を管理する秋田市に対して「病院周辺道路における歩行喫煙禁止区域指定のお願い」を提出した。10日ほど前に以下の解答があった。私どもはこの解答を見て一喜一憂した。
 以下に解答文を示すが、宛先や問い合わせ先のみ省略した。

   医療機関周辺道路における歩行喫煙禁止区域指定のお願い(回答)

 平成18年12月28日付けで送付のありました標記の件について、下記のとおり回答いたします。
                     記

○中通総合病院周辺道路を歩行喫煙禁止地域に指定する。

○その旨を市民に周知徹底させる。

 道路管理者として、道路上における喫煙行為を道路の構造または交通に支障を及ぽすおそれがある行為として禁止することは現在考えておりませんが、道路を著しく汚損するような悪質な行為者に対しては、現状復帰を命じています。
 また、吸殻の投げ捨てについては、県で空き缶等のポイ捨てを禁止する「秋田県空き缶等の散乱の防止に関する条例(通称=ポイ捨て禁止条例)」を平成13年4月から施行しており、この条例は本市にも適用されることから、あらためて本市が当該地域を吸い殻の投げ捨て防止のために歩行喫煙の禁止区域とすることは考えておりません。
 なお、喫煙は、喫煙習慣を持たない住民にとって不快なだけでなく、喫煙者やその周囲の人の健康に悪影響を及ぽす可能性があることから、今後とも「タバコの害」についての正しい知識の普及に努めてまいります。
 貴院におかれましても、周辺道路等の環境への影響について、病院を利用する方々へPRを行っていただくなど、ご配慮をお願いいたします。
                                              平成19年2月14日(後略)

 この解答を見て、誰も指定申請却下の文章とは思わなかった。むしろ市の前向きの裁断に関して驚いたほどであった。

 しかし、後日、真相が分かった。結論は本文の中段にある「あらためて本市が当該地域を吸い殻の投げ捨て防止のために歩行喫煙の禁止区域とすることは考えておりません。」部分にあり、実際には申請却下の返事であった。
確かに、じっくり読むとそうもとれないことはないが、「以下の如く解答します。記  O中通総合病院周辺道路を歩行喫煙禁止地域に指定する。Oその旨を市民に周知徹底させる。・・・・・」とあれば、申請が受理されたと思うのが当然だと思う。結論の前後に無用な一般論を付け加えているのも誤解の基になっている。却下するのであればクドクドと喫煙の害など述べなくとも良いのだ。一種の責任逃れである。

 私であれば、「記 O中通・・。Oその旨・・。上記2点の申請について道路管理者として当該地域を吸い殻の投げ捨て防止のために歩行喫煙の禁止区域とすることは考えておりません」とだけ書く。
 文書も、会議等の発言もそうであるが、結論を先に簡潔に述べてから、後段でその理由を簡潔に説明すべきであると思う。その際、一般論など不要なのだ。市からの解答はこの点では落第である。結論を再確認してから読み直してやっと意味が分かった。結論を知らずに読んでどれだけの方が却下の文章と分かるのだろうか?それとも、市発の文書類はいつでもこうなっていて、それなりの方が読めばすぐに通じるのだろうか?


2/23(金)晴れ 職員検診受診 人間ドック診察 法人理事会 
2:30起床。ドック判定総括。紹介状他、徒然など。5:25病院着。6:15回診。8:00救急カンファ。11:00職員検診受診。13:30人間ドック診察、17:30-19:10法人理事会。21:00帰宅、21:50就寝。

日銀の金利0.25%アップの波紋と、医療費マイナス3.16%の静けさ 
 私は経済問題にはすごく疎い。
 それでも、今回の日銀が決めた0.25%の金利引き上げに対して各界に賛否両論あることを報道で知って、異様な感想を持った。
 こんな微々たる金利の変化によって世の中が敏感に変わるらしく、各界の方々がいろいろ発言しているのを見ると、昨年度の医療費がマイナス3.16%という大幅な値下げは実に大変なものなのだ、と改めて思ったからである。なのに、医療界以外からの反応はあまりにも乏しかった。勿論、金利と医療費の違いは分かった上でのことである。

 日銀は景気拡大が持続している、と判断して政策金利を現行の0.25%を0.5%に引き上げた。しかし、新聞報道によると平成10年に新日銀法が施行されて以来、初めて執行部の意見が割れたとされる。それだけ難しい決断だったのだろう。政策委員は、正副総裁3人と審議委員6人の計9人なのだそうだが、副総裁のうちの一人が物価見通しの不確実性を理由に利上げに反対した、とされている。これを不協和音と取る向きもあるようだが、金利の増減は一人の国民から中小企業、大企業、国際金融市場にもいろいろな影響を与えるから、立場によって異なる意見があるのは当然である。むしろそれを堂々と主張できたことの価値は大きい。

 ところで、バブル崩壊後に日本は迫り来る不景気のコントロールに低金利政策で対応してきた。それが次々と進められてもうほとんどゼロ金利状態にまでなってきた。本当に、低金利政策が景気を高めるのか、実は、それは良く分かっていないことらしい。確かに、金利が低ければ積極的に戦略をクリ出してくる企業にとっては投資の安全性が高まるから活動性を増す作用に働くはずである。一方、低金利は市民生活にも影響が出る。収入減が無く貯蓄や年金にたよる高齢の方々には預貯金の目減りに繋がりかねないために、大きな脅威となって財布の紐を締め、消費生活低迷の一因、物価低迷の原因となってきた。

 要するに低金利政策は、弱者に忍耐を迫り、銀行他の金融業界や企業等を優遇する処置と言うこととなる。しかしながら、「異常な景気状態では異常な低金利は異常でなく正常なのだ」という何が何だか分からない意見もあるほどだから、不景気を乗り切りつつあるという判断であれば、徐々に金利を上げていくのは経済の機能回復のために当然とも言いうる。

 ただ、景気回復の足取りが鈍い地方の経済界や住民は、時期尚早だ、投資意欲をそがれる、という声が大きいが秋田の地にいる私も実際そう思う。日本の政策決定が中央の、都会の論理だけで進められていく、これでは地方はいつまで経っても浮かび上がることなど出来ないのだ。
 日銀は金融政策に独自性を保障されており、政府の介入は許されない。しかし、政府の要人が日銀の利上げ決定に冷ややかなコメントを発しているのは解せない。国の成長路線に逆風と成りうる決定だからなのだろうが、ちょっと軽はずみで視野が狭くないか?日銀も政府も目的は一つではないのだろうか? 私はずっとそう思ってきた。だから解せないのだ。


2/22(木)晴れ 外来   16:00地域産業保健センター運営協議会   療養病棟歓送迎会 
2:30起床。ドック判定総括x1。紹介状。5:10病院着。6:15回診、8:00救急カンファ、  8:45-14:30外来、16:00-17:00地域産業保健センター運営協議会、18:30-20:45療養病棟歓送迎会。21:10Taxi帰宅、19613721:30就寝。川口医師の葬儀には業務の代理が見つからず出席できなかった。

17年度の検診受診者1127万人で51万人の減 秋田の検診低受診率は驚くべき状況
 日本対がん協会の最新の機関誌によると、平成17年度の検診の集計では、全国で1,100万人の受信者数で前年比で51万人減少した。秋田県の検診受信者数は195,137人で全国の1,7%程度となっている。

 秋田県のがん死亡率は8年間もワーストワンであり、昨年まで地域がん診療連携病院がなかった事と併せ、日本で最もがん診療レベルの低い県と誤解を与える材料となっている。ちなみに、10万人あたりのがん死亡率は全国が258.2、秋田県は337.2と数字上ではかなり高い。この数字に与える因子は多数あるが、私どもの理解では、◎秋田県民は高塩分食や喫煙等の生活習慣と関連してがんへの罹患率そのものが多い、◎がん検診受診率が低い、と言うことに帰結すると思っている。決して秋田県の医療レベルが低いからではない。

 秋田県の検診受診率は極めて低いことは認識していたが、具体的数値を目の当たりにすると改めて驚かされる。
 東北6県で検診受診者数を比較してみると、秋田県は195,137人で6番目、5番目の岩手は約32万人だからその間に大きな開きがある。部位別では胃、子宮、乳房、大腸において6番目、肺が4番目、前立腺は1番目である。

 勿論人口差があるから受診者数で単純に比較することの意味は大きくないが、人口は宮城が235万、福島211万、青森148万、岩手140万、山形122万で秋田県は117万と最も少ない。しかし、秋田県の検診受診者数の低さは人口が少ないからではない。
 受診者数を人口で割った値を仮に県民の検診受診率、と単純に見なして計算してみると、山形県が35.2%、福島県31.3%、岩手23.0%、青森22.0%、宮城20.4%、秋田県は17.8%と最低である。だから、秋田県は受診率がダントツに低いと言う特徴がある。これが、胃がん罹患率が最も高いとされる秋田県の現状とすると実にお寒い状況と言うことになる。

 県民の健康を守るのは県行政の責任である。今後、医療行政のかなりの部分が県や自治体に移されていくが、検診受診率の向上も医療行政上で重要なポイントとなる。


2/21(水)晴  外来  県医師会理事会 
2:20起床。ドック判定総括。5:20病院着、6:15回診、8:00救急カンファ8:40-14:00外来、16:30-19:00県医師会理事会。20:55帰宅、21:30就寝。最近、机上は書類、カルテの山。処理できず。

最近の航空券は座席が指定されていて不便だ
 飛行機は座席が狭く、人と人との間隔が近すぎて、私にとっては大きなストレスである。だから、座席としては後部の通路側が良い。満席の時ほどメリットは大きいが、空席が目立つときは更に良い。ところが、新幹線こまちの場合は絶対的に窓側が良いし、学会場や講演会場では出来るだけ前、特に最前列を好む。

 後部を好む理由は、後部の方がより乗客が少なく疎らなので、隣の席が空いている可能性が高い事、降りる時にゆっくりできる、が主たる理由である。通路側を好むのは足を投げ出すことが出来るから、と隣の席に誰かがいても圧迫感が少なく自由度が高い、と言うこと。この点では三列の中央の座席など拷問である。私は窓側が空いているときでも通路側に座る。

 それが、最近、航空券を予約すると予め座席が指定されてくる事が多くて困る。最後列に近くと指定して注文するが、通路側はとれるが後部座席が確保できることは滅多にない。だから、空港に着くとまず座席変更から開始する。しかし、変更できる確率は1/2以下である。満席の時は変更不可なのは当然であるが、それでも次の手がある。理由は分からないが、コンピューターの座席表と実際との間はかなりの確率で異なっているらしい事がだんだん分かってきた。

 搭乗するとき私は最後に乗り込む。まもなくドアが閉められるが、この状態ならもう客は来ないから空席があればそこに座る。カウンターで座席変更が出来なかったときでも何故か後部座席は空いていることが多い。

 数日前の大阪往復の場合には中央の席の指定で、担当者は何度か変更を試みてくれたらしいが、団体で占拠?らしく出来なかった、とのことであった。実際には往路は30-40%の搭乗率で後部はガラガラであったし、復路は70%位で、私は後部座席を三席占拠してゆったりと、快適に移動できた。
 あのプレミアムシートというちょっと広めの座席、あれがもし後部にあったら私は利用したいが、何故か最前列だけなのでその気にならない。


2/20(火)快晴 外来 常務会 医局カンファレンス
2:30起床。ドック判定総括、紹介状x1、他。5:15病院着、6:20回診+定期処方箋、そのほか、8:00救急カンファ。8:45-14:20外来、14:30-17:10常務会、医局カンファレンス、神経内科「目眩」、心臓血管外科「大血管病変」。21:15帰宅、21;45就眠。共済会主催の2ヶ月間で3Kg減量の会に参加することとした。

「こんなに雪がない冬は初めて・・・」という若い女性達
 まだ寒波は何度か来るのだろうが、時折見られる日差しはもうすっかり春の息吹である。本当に今期は雪が降らない。朝方に5cmほど積もっていたことが2回ほどあったきりで、通勤はずっとスリッパで通している。ここ数年は靴下を着用しているが、雪で冷たい思いしたのは一度だけである。NHKラジオの朝の番組では梅が咲いた、寒桜が満開などの方々の春の便りを連日流している。何れも2-3週間早いのだそうだ。今朝はモンシロチョウが飛んだという便りであった。

 こんな冬は私にとって初めてである。こんな事で良いのだろうか、どっかでリバウンドが来るのではないか?春の農業用水は大丈夫か?夏には冷夏や渇水にならないか?と思いつつも、私には通勤も楽で、除雪のための時間が全く不要なのはとても有り難い。

 降雪時には、最小限で済まそうと思えば条件の悪くなりやすい路地10数mほどの除雪で良いのだが、ご近所では高齢化が進んでいるので、いつもついでに路地を40mほど先までやってしまう。除雪機で雪を飛ばすので労力的にはそれほど大変ではないが、1時間ほどの時間が惜しい。出勤も遅れ、早朝の予定が狂う。されど自然の営みだから身を任すしかない、と割り切るしかない。だからこそ実に有り難い。

 先日、大阪出張の帰路、私の前には20歳前後の女性数人のグループが乗っていて、秋田の上空から山並みの雪を見つつ今年の積雪の話をしていた。それぞれが「こんなことは初めての体験」、「私もよ」などなどと話し合っていた。私が担当する外来は高齢者が多く、70歳以上の方々が7-8割り占める。この方々も同じ事を同じように話す。そんなに詳しく覚えていないのでは?とは思うが、確かに気象観測史上でも初めてだと言うから、本当だろう。各年代の方々が同じことを言うのは当然であるが、若い方々がこぞって「生まれて初めて」と言い合っているのを聞いて何となく違和感があった。

 「自分の人生を通して経験はありません。全く初めてです」などという感想は、ご高齢の方が人生を振り返りつつしんみり語る時の言葉なのかと思っていたが今はそうではなくなったらしい。この嚆矢は、水泳の岩崎選手、当時中学生だった。オリンピックで金メダルを獲得したときのインタビューで「私が生きてきた人生で最高の喜びです・・・」とか言って、当時流行語にもなった、あのときからでないかなと思う。
 私が年取ったセイなのかも知れないが、若い世代の方々の価値判断は次第に狭くなってきていて、自分の範囲だけからの判断になりつつあるように思えてならない。
 雪のこと程度なら笑って聞き流せるが、社会の判断、常識、良識等というほぼ共通の認識、価値判断もあることを分かって欲しいものである。そのための勉強が社会勉強なのだが、それが不足しているように思う。


2/19(月)晴・曇り 管理会議  外来   療養判定会議 長副会議         
 
2:20起床、人間ドック、紹介状など準備。5:10病院。6:30回診他、7:45管理会議.8:45-14:10外来。16:00-16:40療養入棟判定会議。17:00-20:30長副会議、21:30帰宅。夕食、22:15就寝。

CRXデルソルのウインドウが閉まらない(2)確かにメカは複雑だが・・
 私は最近修理工場の判断能力が低下したのではないかと思っている。特に今の車は電子部品の組み合わせで出来ていると言って良く、その部品はほとんどがブラックボックス仕様になっていて工場では手をつけられないのだそうだ。だから、電気系統の場合には故障箇所を特定し、その部分の府品を交換するのが主たる修理となっているとのことである。だから、その判断が正しければ機能は完全に戻ることになる。

 ディーラーの方が説明のために置いていったCRXデルソルのウインドウ開閉の機構図を見ると実に複雑で感心した。ルーフをトランクに収納する場合にもウインドウは自動的に開閉する様に出来ているから当然のことであろう。しかし、故障は手元のスイッチからヒューズ、ウインドウの開閉機構までの間の、どこにでも生じうるのだ。時には単純な故障も有り得る。

 修理を受け付ける際、ユーザーの感覚を聞くことは重要である。メカに少しでも関心のあるユーザーは感覚的に問題の箇所をかなりの確率で特定しているものなのだ。修理を受けつける際にユーザーの意見をしっかり聞いて欲しいものであるが、あまり真面目に聞いて貰えない。この点は町工場の方が良いような気がする。大手のディーラーの修理工場では受け付ける人と修理する人が別であることもざらである。いろいろ言っても修理依頼用紙には「ウインドウが閉まらず」としか書かない様だ。今回の修理修了書はそうであった。

 尤も、今回は自分で修理に持ち込んだのではなく人に頼んだことも裏目に出たのかも知れない。故障に至った過程を簡単には伝言したつもりであったが、キチンと記載して届ければ参考にして貰えたのかも知れない。

 ハリソンの内科学所の表紙をめくると「Listen to the patient・・」という書き出しの言葉が書いてある。「患者の話をじっくり聞けば、患者が診断を教えてくれる」、と言うことである。これは偉大な言葉だし、どんな時代になっても医師としての基本中の基本なのだと私も思う。最近の医療も患者の話を聞いたり、手を当てて診断することの意義が小さくなり、検査データ、画像診断の意義が過大評価されてきているが、患者が与えてくれる情報をまず大事にすることを心しなければならない、と車の修理を介して改めて感じとって、私も反省した。


2/18(日)大阪雨・秋田晴れ  病棟拘束    秋田県医師連盟執行委員会
 1:30大阪リーガロイヤルホテルで起床、持参のドック総括x1、本読みなど。7:00朝粥。8:00ホテル発伊丹に、9:10JAL、搭乗率70%前後。10:30秋田着、雪に覆われた鳥海山が見事であった。11:00病院着。病棟拘束。15:00秋田県医師連盟執行委員会。19:30帰宅。夕食。20:30就寝。

自伝・中通病院(7) 院外診療・業務に活路を見いだす
 外来、入院と業務を通じて徐々に職員の方々とは親しくなってきたが、特に医局の中の立場は私の感覚では何となく入りこめないような違和感がずっと続いていた。これは確認したこともなかったから、私自身のみが勝手に感じてきたことなのかもしれないが、要するに外から迷入してきた異分子的な感覚である。この感覚は徐々に薄れてきてはいたし、今でも完全に払拭されたわけではないが、3-4年前まではかなり意識していた。
 院長に働かせて欲しいとお願いした以上、最小限3年は頑張らねばなるまいと自分で決めていたから、数ヶ月後にはもう居直るしか方法はないのだ、と納得した。

 中通病院では院外の業務として、検診、出張診療、港北診療所、不定期なものとしては農村調査、看護学校の講義、友の会の行事などがあったが、当時の記録を見れば、私は外来がないときにはこれらの業務にも頻回に割り当てられ、帰院後は更に午後外来などが割り当てられていた。かなり便利な駒的な存在だったのだ、と今は懐かしむ。業務配分は私から見てかなり不公平であり、疑問・不満がなかったわけではないが新人でもあるし、と割り切って従事した。弘前での野球大会があったある土曜日のこと、医局の若手が多数参加したために人手が足りないと言うことで、午前外来、午後外来、夜間外来と9:00-22:00迄外来を担当したこともあったが、これは忘れられないサンプルの一つである。

 院外の業務は医師の多くからはどちらかとして忌避される業務であったためか、私は担当の職員からは比較的大切に迎えられて、私にとっても院内とは別な気分の良い環境であった。最初は不定期であったが診療所の業務にも定期的に就くことになった。何でも続ければそれなりの成果は出てくるもので、地域の住民や患者、友の会のメンバーの方々から重宝されるようになってきた。

 職員からは病院について情報収集に努め、徐々に病院や法人についての概要が理解出来るようになってきた。今から見れば、何も知らない状態で飛び込んだものだ。

2/16(金)曇り後晴れ 病棟拘束  人間ドック診察 
2:30起床。ドック総括。紹介状他、徒然など。5:15病院着。6:15回診+その他。8:00救急カンファ。机上に貯まった書類処理。13:30人間ドック診察。秋田医報用原稿に集中。18:00エコー下静脈穿刺実演見学。重症患者対応。21:00帰宅、夕食、21:50就寝.

新型インフルエンザ問題(5)危機から避難方法は14世紀のペストに学べ
 新型インフルエンザはあらゆるヒトに平等に襲いかかるとしたが、特別な手段で逃れる方法は皆無と言うわけではない。その際、基本は経済力である。貴賎貧富の差は歴然と発揮される。やはり、人間社会は不平等、格差社会なのだ。

 新型インフルエンザのパンデミック時にはヒトや鳥が感染源であるから、ヒトもおらず、トリも居ない地域に逃れればいい。

 究極的には地球から逃れ出ること。これは、流石に如何にお金を積んでも出来ないだろう。
 残るは社会生活から完全に逃れ、過疎地で人的交流無しに自活する方法も一つ。また、太平洋のど真ん中あたりで流行が去る迄の数ヶ月、船を浮かべてその中で少人数で過ごすのも良いだろう。もしかして、豪華客船を用いる、目が飛び出る経費の「新型インフルエンザ避難ツアー」が組まれるかもしれないから、その場合、それも選択肢の一つとなる。

 14世紀の作家ボッカッチョは短編小説集デカメロンを書いた。ペス卜の流行から逃れて避難した3人の紳士と7人の貴婦人が10日間にわたって1つずつ語るという形式で、近代風刺小説の元祖とされて今でも読まれている。有名な第8話など今読んでも素晴らしい。

 また、私が子供の頃、人が一人も乗って居ない「幽霊船」や、乗組員が全員白骨化した「髑髏船」が大西洋を漂流している物語を読んで、大いに興味をそそられたものであるが、これは史実に基づいている。ヨーロッパを圧巻したペスト等の感染症、当時は感染症とは思われておらず「悪い空気」が原因とみなされ、逃れる唯一の方法は空気の良い諸外国に逃れることであり、裕福な人達はこぞって船を雇って海路外国に向かった。しかし、時既に遅く、船の上で誰かが発病、次々と全員が発病し、死体は次々と海に捨てられ、結果的に少人数の「屍船」と化して洋上を漂流していたものであろう。運良く目的地に着く事が出来た人はその地に感染源として上陸し病気を広げることになった、と記録に残っている。

 歴史は繰り返すと言うが、14世紀と同じ事が21世紀にも生じる可能性が出てきた。これで、また新しいデカメロン風の文学作品も出来てくるかも知れない。

 ただ、新型インフルエンザは一度パンデミックを生じると、第二波、第三波として流行すると予想されているから、例え上手く避難出来ても戻ってきたときが感染の危険を負う時でもある。だから、避難などせずにあるがままに任せ、早めに罹患し、免疫力を頼りに生き残るのが唯一の方法かも知れない。何とか一年生き残れば次はワクチンと言う防御方法が開発されるはずである。


2/17(土)秋田快晴・大阪雨 途中まで病棟拘束 No9地域医療ネットワーク研究会 
2:20起床.ドック他、公的書類処理種々、徒然、紹介状。5:30病院着、6:30回診・紹介状・総括予稿作成。紹介状。10:10病院発、11:10JAL、関空で直前に緊急着陸機があって滑走路閉鎖とのことで上空待機、25分遅れて到着。14:00-18:30 No9地域医療ネットワーク研究会、情報交換会は1時間も持たず酔って退席、読書若干。20;00就寝。

CRXデルソルのウインドウが閉まらない(1)二度の修理で治ったが・・
 家内のHONDA-CRXデルソルの助手席のパワーウインドウが二ヶ月程前に閉まらなくなった。スイッチを何度か押すと閉まることもあったから、多分故障箇所は手元のスイッチの不具合と考えていたが、ある日とうとう動かなくなり修理に出した。

 交換部品がないとのことで一旦持ち帰り、約10日後に連絡あって再度預けて翌日出来上がってきた。ウインドウを開閉するコンピューターシステムの一部分を交換したのだそうだ。費用は約2万円であった。私はその報告を聞いて何か違うのではないか?と疑問持ったが、修理後開閉できるようになった、というのでまず納得した。ところが、1-2回は確かに開閉したがその後また同じ状態になった。接触不良がたまたま生じなかったに過ぎなかったのだ。

 今度は手元のスイッチの接触不良と言うことになり、これを交換するために車をまた預けた。一月も経ってからディーラーから一度説明にうかがいたいと言う電話があって家内がその説明を受けた。要するに手元スイッチにも問題があったが先に交換した開閉システムにも問題があった、と言うことを言いたかったらしい。私は帰宅後に間接的に聞いたが、どう言おうと先の修理は不要だったと思った。こんな時に先の修理代金は請求できないはずだとも思ったが、わざわざ自宅まで説明に来たという事に若干の作為を感じたが、担当者が困るだろうと思い不問にした。手元のスイッチ交換も約2万円と決して安くはなかった。

 同じような事は前もあった。

 レガシーワゴンの場合、ドアロックが故障したが、この場合もロックシステムを交換された。この時も手元スイッチの不良であった。

 マツダルーチェの場合にはエアコンを入れた際に、ハンドルの手元で部品がこすれるような軽い異音がすると言うことで修理に出したら、ハンドルのパワーアシストポンプの部品を交換された。原因はハンドルのプラスチック部品が冷気で収縮して擦れていただけであった。

 私は修理工場の判断能力が劣っている、と思う。突然機能を失った場合は別であるが、徐々に悪化した場合などはユーザーの感覚は重要である。ユーザーは感覚的に問題の箇所を特定しているものなのだ。修理を受けつける際にユーザーの意見をしっかり聞いて欲しいものである。


2/16(金)曇り後晴れ 病棟拘束  人間ドック診察 
2:30起床。ドック総括。紹介状他、徒然など。5:15病院着。6:15回診+その他。8:00救急カンファ。机上に貯まった書類処理。13:30人間ドック診察。秋田医報用原稿に集中。18:00エコー下静脈穿刺実演見学。重症患者対応。21:00帰宅、夕食、21:50就寝.

新型インフルエンザ問題(5)危機から避難方法は14世紀のペストに学べ
 新型インフルエンザはあらゆるヒトに平等に襲いかかるとしたが、特別な手段で逃れる方法は皆無と言うわけではない。その際、基本は経済力である。貴賎貧富の差は歴然と発揮される。やはり、人間社会は不平等、格差社会なのだ。

 新型インフルエンザのパンデミック時にはヒトや鳥が感染源であるから、ヒトもおらず、トリも居ない地域に逃れればいい。

 究極的には地球から逃れ出ること。これは、流石に如何にお金を積んでも出来ないだろう。
 残るは社会生活から完全に逃れ、過疎地で人的交流無しに自活する方法も一つ。また、太平洋のど真ん中あたりで流行が去る迄の数ヶ月、船を浮かべてその中で少人数で過ごすのも良いだろう。もしかして、豪華客船を用いる、目が飛び出る経費の「新型インフルエンザ避難ツアー」が組まれるかもしれないから、その場合、それも選択肢の一つとなる。

 14世紀の作家ボッカッチョは短編小説集デカメロンを書いた。ペス卜の流行から逃れて避難した3人の紳士と7人の貴婦人が10日間にわたって1つずつ語るという形式で、近代風刺小説の元祖とされて今でも読まれている。有名な第8話など今読んでも素晴らしい。

 また、私が子供の頃、人が一人も乗って居ない「幽霊船」や、乗組員が全員白骨化した「髑髏船」が大西洋を漂流している物語を読んで、大いに興味をそそられたものであるが、これは史実に基づいている。ヨーロッパを圧巻したペスト等の感染症、当時は感染症とは思われておらず「悪い空気」が原因とみなされ、逃れる唯一の方法は空気の良い諸外国に逃れることであり、裕福な人達はこぞって船を雇って海路外国に向かった。しかし、時既に遅く、船の上で誰かが発病、次々と全員が発病し、死体は次々と海に捨てられ、結果的に少人数の「屍船」と化して洋上を漂流していたものであろう。運良く目的地に着く事が出来た人はその地に感染源として上陸し病気を広げることになった、と記録に残っている。

 歴史は繰り返すと言うが、14世紀と同じ事が21世紀にも生じる可能性が出てきた。これで、また新しいデカメロン風の文学作品も出来てくるかも知れない。

 ただ、新型インフルエンザは一度パンデミックを生じると、第二波、第三波として流行すると予想されているから、例え上手く避難出来ても戻ってきたときが感染の危険を負う時でもある。だから、避難などせずにあるがままに任せ、早めに罹患し、免疫力を頼りに生き残るのが唯一の方法かも知れない。何とか一年生き残れば次はワクチンと言う防御方法が開発されるはずである。


2/15(木)曇ー風雪、  外来 入院患者家族面談
2:00起床、ドックx1、紹介状、徒然.5:10病院着、6:30回診、8:00救急カンファ。8:45-14:30外来、病棟入院患者家族と面談。久々対外的行事なく、書類処理数件、机上かなり片づく。20:30帰宅、夕食、21:15就眠.

新型インフルエンザ問題(4)これほど万人に平等なリスクはない
「新型インフルエンザ」はまだ発生していない。しかし、事態は刻々と深刻になってきており、既に、いつ発生するかのレベルに達した、というのが大方のインフルエンザ感染症、ウイルス研究者の見解である。

 なのに、世の中は平穏である。

 例えば、地震などの自然災害の場合,気候上の災害などは、日本の国土全体が一気に日本海溝に崩れ落ち、海に沈むと言うようなSF的災害を除けば、一般に局所的である。だから、災害に遭わないという可能性も残るし、直接の被害はせいぜい数日単位である。だから、被災しなかったところからの援助も期待できるし、避難も出来る。しかし、「新型インフルエンザ」に関しては激しい流行は2ヶ月以上に渡るから、全国どこに住んでいようとも、誰一人としてその危険から逃れられることはできない。老若男女、貴賎貧富に全く関係なく罹患の危険にさらされる。これほど平等なリスクはない、と言える。これに関しては医療関係者も、一般住民と何ら変わりがないリスクを平等に負う。イヤ、むしろ業務上では大きなリスクを負う。

 かつて、ヨーロッパの封建社会はペスト等の疫病の流行によってヒトとしての平等意識、人権意識が台頭し、封建的機構が瓦解し始めた。「新型インフルエンザ」に関してはそのことが思い出される。日本の格差社会は「新型インフルエンザ」によって歪みが是正されるかもしてないし、労働者の立場も変わっていくかも知れない。

 いたずらに住民に不安を与える必要はないが、医療その他の各部門の責任者に不安を抱かせるような、準備不足の状況にこれ以上おいてはならない。秋田県の総合防災対策関連部署ではどの程度の準備状態にあるのか? 情報はないし、未だに医療面での対策に関する打ち合わせの打診もないから、特に準備はしていないのかも知れない。県民に、最小限の食糧の備蓄などを呼びかけなくて良いのだろうか?

 今後、私どもが医療面において準備すべき項目だけをザッと挙げてみた。

●初期の封じ込め対策と、封じ込めが出来なかった場合の対応。
●行政側の一応のマニュアルはあるが、が医療面からみてパンデミック時の対応マニュアルがない。作成が必要。
●医療側のマニュアルはフェーズ3迄は危機管理担当でまとめる。
●フェーズ4以降は県医師会の危機管理対策委員会で土台をつくる。
●医療上のマニュアルは各保健所を中心とした郡市医師会の対応が中心になるだろう。マニュアル作成には郡市医師会の感染症対策委員の関与が必要。
●秋田医報を通じ医療関係者の行動計画を広報する。
●患者のトリアージ、診療の場所、ドクターの集め方・配備に関しどうするか。
●病院スタッフの勤務態勢・シフトをどうするか。泊まり込みの交代制シフト、医療関係者が自宅に戻るまでの待機場所の確保。
●災害と異なりライフライン問題なさそうだが、食料不足になる可能性大。病院の食材の確保問題は深刻。
●パンデミック時、医療法にこだわらない対策、院内過剰ベットの扱いなどはどうなるのか。
●学校、公民館等公共設備をいかにして準医療施設として利用するか。
●虚弱老人とかに対する町内会機能の見直しが必要。
●県民に不安を与えない、パニックを起こさない情報の提供をどうする。メディアの有効利用。
●県民に対し、特に、トリアージについての啓蒙活動が必要。
●社会の治安の維持、医療機関、医療関係者の安全確保は重要要因となる。
 
 うーん、実に大変である。


2/14(水)曇・雨 外来 友の会理事会  医師会常任理事会 医師会対策委員会
2:30起床、ドック総括x1、紹介状、徒然。5:10病院着.積雪なし。5:50回診他、重症患者病態検討。8:00救急カンファ。8:45-13:30外来、14:00-16:00中通総合病院友の会理事会(ニューたけや)。17:30-20:00県医師会常任理事会+対策会議。21:30帰宅、22:15就寝。寝不足で眠い一日であった。

新型インフルエンザ問題(3)迫りつつある危機
「新型インフルエンザ」が恐れられているが、世界的に見てもまだ発生していない。しかし、事態は以下の如く刻々と深刻になってきている。
 鳥インフルエンザウイルス(H5N1)は人に直接は感染しないと考えられていたが、世界各地で感染症例が続き、死者も100名を超えている。加えてヒトからヒトへの感染例も見られている。昨年のトルコでの感染例のH5N1ウイルスはヒトのレセプターを認識する機能を備えていたと言うし、ヒトの体温である37℃でも増殖できるように変異していた。最近、ヒトの肺などの細胞は鳥型のウイルスのレセプターを有していることも判明した。
 これらのウイルスの変異に危機感を持ったWHOの勧告を受け、日本政府は鳥インフルエンザウイルス(H5N1)感染症を指定感染症や検疫感染症に指定した。

 既に、「新型インフルエンザ」は発生するか否か?の問題ではなく、いつ起こるかのレベルまで可能性が高まった、というのが大方のインフルエンザ感染症、ウイルス研究者の見解である。

 先にSARSの蔓延が全世界で恐れられた。少なからぬ犠牲者を出したが何とか封じ込めに成功し、その後は発生していない。新型インフルエンザでも初期段階での封じ込めが重要であることは論を待たない。その際、SARSと異なりタミフルもある。しかし、「新型インフルエンザ」の場合の封じ込めはSARSより遙かに困難と考えられる。それは、発症までの潜伏期間が短いこと、病気の首座が上気道なので発熱とかを来す前に既に感染力を有する可能性が挙げられる。それに、タミフルはあると言えども新型インフルエンザに効果があるとの確証はない。

 初期の封じ込めに失敗した際には全世界的パンデミックを生じ、わが国で最大で60万人超の死者が出ると予想されている。このため、国、県では行動計画を策定している。県の行動計画作成には私も種々助言した。パンデミックの際、秋田県の感染者数は 流行のピーク期を流行の始まりから8週間と仮定すると、県内の感染者数は16万人近くに上り、その大部分は症状の激しさと死への恐怖から医療機関を受診すると考えられ、入院適応患者は12,000人前後、死者は1300人ほどになると推定されている。

 一方、現状の秋田県の医療供給体制をみると診療所は820余で、病院数は78機関、病床数17,380床で、うち一般病床9,883床である。一般病院では何れも通常から重症な患者をかかえている上に、マンパワー不足でこのようなパンデミックに対応する余力は既にない。だから、新型インフルエンザのパンデミックに対しては、医療法によって自由度が大幅に制限されている現状の医療供給体制の延長線上で対策を行う事は不可能である。
 パンデミック時には、知事を本部長とする県の危機管理対策本部の指示を受けつつ、次元を変えた超法規的発想を導入して乗り切っていかなければならないが、その対策の下地はまだほとんど出来ていない。早急に作り上げなければならない。


2/13(火)晴れ 管理会議 外来 常務会 県がん診療推進会議 長副会議医局カンファレンス(欠)
2:30起床、ドック他、徒然、5:15病院着.6:20回診、7:45管理会議、8:45-14:15外来。14:30-16:00常務会、17:30-19:00秋田県がん診療推進協議会。従って医局会は欠。19:30-22:00長副会議。22:40帰宅、夕食、23:00就寝。実に多忙であった。

このブレザー、ポケットが無い。未完成品だ!! ・・・無知に恥じ入る
 3週ほど前、私にとって2着目のスーツが若干くたびれたために上着だけ購入することとした。デパートで家内の後に素直に付いていったら、数ヶ月前に3着めのスーツを購入し目が飛び出た店に連れて行かれた。家内はその店が気に入ったらしい。そこでいわゆるブレザー??と言われる上着を購入した。

 今回も私は支払いに関与しなかったが、一人で買いに行ったなら絶対に購入しないような値段であったことを後で知り、目が中等度飛び出た。私は全く金銭感覚がずれているから着るものの値段なんか分からない。どうでも良いものは安物で十分なのに・・とホントは愚痴りたいのだが、私の性格上、面と向かっては言えないのが悔しい。今回も素直に受け入れるだけしかなかった。

 金銭感覚のずれという意味では、先日羽田空港のコンビニでポケットティッシュを買った時のこと、サンプルには150円、180円と書いてある。たったティッシュ1ヶがこの値段??コンビニは便利だが値段が高いと聞いていたし、特に羽田ならあり得るか、時間もないし、大した差でないからこの際高い方を買ってみるか、とレジに持って行くために手にとってみたら、何と6ヶセットであった。1ヶ30円である。今度はあまりの安さに驚いた。これで店が成り立つのか、と思ってしまった。同時に、6倍の値段の差を大きな疑問を持たずに受け入れる私の金銭感覚は何なのだ、と思ってしまった。

 で、そのブレザーである。翌日届けられていたが、試着後初めて着たのは4日ほど前の県の会議に出かける時である。その時、必需品の名刺と爪楊枝を胸のポケットに入れようとしたら、何とポケットがない!! 両脇のポケットもさぐってみたが手が入っていかない!!  見ると全部のポケットに糸がかけられている。私はとっさにこれはイージーオーダー品でまだ未完成状態の品なのだと思った。

 早速、店に電話した。出てきたオーナーは私の話を聞くなり呆れたように、「先生、今回お買いいただいたブレザーのポケットはみんなダミーですよ。最近はファッション重視で・・・」と言う。その後の電話のやり取りの中で私が話したことは恥ずかしいから書けないが、私が完全に時代に遅れていると言うことは理解出来た。
 その時、私は納得できず???のまま電話を切ることになった。今でも納得がいかない。ポケットがデザインだけのダミーだなんて。私はそんなに形には拘らない。私にとってファッションなんて言葉は無縁で良い。ポケットは沢山ある方が良いと思うのが当たり前じゃないか。始めからそうと分かっていたら私は多分別のを選んだのにとウジウジと思っている。

 それでも、一方では、これは時代なのだ、時代の流れを素直に受け入れて見るのも良いじゃないかと数日経った今、そんな気持ちも少しながら出てきた。


2/12(月)振り替え休日 曇り   病棟拘束 アトリオン室内合奏団バレンタインコンサート 長女離秋
2:00起床、ドック処理x1、各種書類処理.徒然。10:10病院.14:00-16:30外来+ドック結果説明。月曜にしては混雑。医師面談他。16:00-16:40アトリオン室内合奏団バレンタインコンサート。17:00-19:45病院。長女こまちにて離秋。20:00帰宅、夕食。21:00就寝。

自分の考えが通用しない壁に突き当たった時こそ、一歩脱皮できるのかも
 昨年の今頃、日本医師会の介護保険主治医意見書作成ソフト「医見書」がVer2.5 になって、マックの場合、事もあろうに一気に最新のOS10.4以降でなければ動作しなくなった。

 正確なデータではなく自分の印象からだけの判断だったが、マックユーザーの大部分はOS8.0あたりからOS10.3迄の間で用いているはずだから、日本医師会の姿勢は会員無視だ!!、と旧マックユーザーの私は怒り心頭に発した。そして、日本医師会の担当部署に掛け合ったり、県医師会のメーリングリストに投稿したが、結局は全く通用しなかった。前者は担当者にのらりくらりと逃げられた。後者では逆に、古いOSユーザーのことも大事にすべきという、一見当たり前と思われる私の考え方自体に問題があることをやんわりと諭された。いろいろな助言も頂いた。
 結果として、私はやむなくOS10.4とATOK2005を購入して2台のG3と1台のG4にインストールして「医見書Ver2.5」を使用し始めた。ハードはOS9.0時代のものだから若干動作が遅い様な気がするが、実害無く動作している。最新のマックはCPUがIntel製に変わってかなり機能が向上したらしい。興味はあるが「医見書Ver2.5」はこれには対応していないから様子見である。
 頭に来たが、お陰で私の日常の業務は大部分はOS10.4のハードとソフトを用いて行っている。その恩恵は大きい。もう元には戻せない、と言っていい。「医見書Ver2.5」が登場しなかったら、私はまだOS8.6とOS9.1、OS10.3にこだわり続けていたはず。

 同様のことは前にもあった。
 パソコンに背を向け、私はEpsonのワープロを数台用いて仕事をしていたが、突然Epsonはワープロを作らなくなった。この時もユーザー無視と怒ったがどうしようもなく、心を入れ替えしぶしぶパソコンに乗り換えた。結果としてパソコンの機能、発展性等の魅力を認識、享受することになり、それ以降パソコンのない生活は考えられなくなったし、私自身パソコンで随分視野が広がった。ワープロを作らなくなったEpsonに対する怒りは消失、手のひらを返す如く感謝、感謝であった。

 自分の立場を全く無視されるような事態に陥ること、あるいは扱いを受けることは私の日常でも頻回である。その中には本当にどうしようもない、耐え難いのもある。そんな時に、気が小さく傷つきやすい私は一時的にはガックリ来るが、考えようによってはこれらのことは自分をワンランク高める良い機会になっている。上記に挙げた例はたまたまパソコン関係に関してであるが、誰かの痛烈な一言、叱責、批判等もそうだし、新しい制度なども同じである。

 何でも同じ発想の中で延長線上で考えられれば、改善できれば楽であり、安泰かも知れないが、大幅な発想の転換は出来ない。自分の考えが全く通用しない様な壁、事象にあたったときこそ脱皮する一つのチャンスが与えられたことでもある。
 最近、何でも目まぐるしく変わってとてもまともについて行けないが、それではダメなのだ。
 一方では、3世紀もの間全くコンセプトの変わらないヴァイオリンなどの存在、こちらの方にも相変わらず大きな魅力を感じている。


2/11(日)曇り・降雪若干  病棟拘束     がん医療県民セミナー 
2:30起床、新聞などチェック、ややのんびり過ごす。ドック総括、県医師会文書、など他処理。11:00-12:00微睡む。13:00-15:30県庁第二庁舎でがん医療県民セミナー聴講。16:00-19:00病院で業務。19:30外食、20:30帰宅、21:00就寝。

自伝・中通病院(6) 病棟(2)手抜き医療!!、と主任より抗議
 患者層の違いと、私から見て既に人生のターミナル期にある患者達に対して、何故看護師達の看護介護はこれほど直向き、積極的なのか関心もしたし、驚かされた。医師の治療も同様に最後まで積極的であった。
 私はそれまでの約15年の医師としての経験から、疾患の治療、患者の治療において手を尽くすべき時は患者が治療に反応して改善する余力があるとき、と思ってきたし、この時期に十二分の診断と治療を行っても改善させられず、進行性に状況が悪化して行くときは次第に治療方針を対症的治療に移して行くべし、と考えていた。

 特に、13年間学んだ秋田大学での医療はその前2年経験した一般病院の医療からみればより先進的であり高度であり、当然のことながらそれで救命できた患者、延命できた患者も少なくない。死を迎える事になる患者、救命できない疾患をも持った患者に対しても、考えられる最善と思われる治療方針をとっていたし、自分もそのような医療を行ってきた。しかし、次第にこれらの最善の治療、それが先進的で高度であるほど、一体誰のために行われているのかを考える様にもなってきた。家族の満足は得られたが、自分たちの自己満足のためではなかったのか、一番辛い思いをし苦しんだのは誰なのか、患者自身なのだ、と考えるようになり、次第に私自身を迷わせた。

 中通病院赴任の頃にはほぼその考えに固まっており、急性疾患の患者は当然別であるが、長い経過の慢性疾患を持つ、特に高齢の患者については、ある時期から治療方針を治癒または寛解を目的とした治療から患者の苦痛をとる対症療法中心に切り替えた。最終的に死を迎える場面でも昇圧剤の使用とか蘇生は原則として行わなかった。点滴、注射、投薬を一切行わずに看取った患者もいた。死の場面、死に方をアレンジしてあげるのも医師の重要なつとめなのだ、と思っていたからである。勿論、この治療方針は家族の了解の基に行ったが、当時はなかなか了解を得ることは出来ず、やむなく気管内挿管、人工呼吸器装着も行った事も少なくはない。

 両極端な例を挙げたが、私のこの様な治療方針は病棟の看護師たちには異様だったらしい。ある時、カンファレンスの際に一人の主任から「先生の医療は手抜きで納得できません!!」と厳しい抗議を受けた。

 今、私は療養病棟を担当している。ここには人生のターミナルを迎えた患者も少なくない。その方々が生を終わるときに私は静かに送ってあげている。逝く患者にとってもこれで良いのだと思っているし、その様に送ってあげられるから、私にとって療養病棟は満足できる場となっている。


2/10(土)曇 病棟拘束 ドック説明  歯科治療  家内東京出張・長女帰省
2:00起床。ドック処理x1、徒然。5:00本日東京出張の家内を組合病院に届け、5:30病院着、6:20回診、他。8:00救急カンファ。9:00ドック結果説明。新型インフルエンザ関連原稿、15:50-17:00歯科治療。20:00帰宅、夕食、22:30就眠。家内と共に長女帰省した。

私にとってのマスコミ報道(3)コメンテーターは被害者でもある
 家族間の殺害と遣体をバラバラにした事に対して新聞5誌に見られた識者達のコメントは以下の如くである。
「身元を不明にして発覚を遅らせる」「被害者への強い恨みがあって、殺害だけでは済まない」「一刻も早く目の前から取り去り、被害者との結付きを断ちたい」「被害者への恨みが根深く、殺害だけでは不足」「愛憎の入り交じった複雑な感情・・」など。
 社会的に名の知れた方々のコメントであるが、これを見ただけでは何を言いたいのか解らない。中には記事の文脈にそぐわないコメントもある。

 多くの新聞ではコメントを求めてくる時点で記事がほぼ出来上がっている。これだけでは迫力がないから識者の意見をはめ込む事になる。記事には何10字分かの余裕をとってあり、記事の方向性に沿った適当な発言が飛び出すまで記者はコメンテーターに誘導尋問を繰り返し、目的の言葉が出てくると話が途中でも電話を切ったりそそくさと帰っていく。

 TVのインタビューはわざわざ取材に来たときには一部は必ず取り上げてくれるが、あくまでも断片的である。街頭インタビューでは番組の意向にそぐわない話をすれば無視される。こんなものである。私など新聞が出た朝、ある病院長から「何でうちの病院の名前を出さないのだ!!」と抗議を受けたことがある。それは先方の都合なのだが、なかなか理解されず不快な一日を過ごしたこともある。コメンテーターは、引用のされようによっては被害者になりうるのだ。

 ところで、家族間の殺人においてなぜ遣体をバラバラにするのだろうか。時間もかかるし、大変な作業であるが、何故、最後までやり抜けるのだろうか?私は先に挙げた有識者のコメントは違うと思う。そんなに格好の良い理屈などではあるまい。
 血縁者間に生じる殺人事件は、長い怨念があったとしても実行そのものは計画的ではなく発作的に行われる。だから、事件の場はたいがい自宅である。目的を達したあと、直ちに自首でもするなら別だが、次の問題は大きく重い物体と化した身体をどうするかである。そのままにしてはおけないし、都会では一人では密かに運び出すことは不可能である。どこかに捨てるにしても埋めるにしてもそのままでは不可能である。だから、分断するしか方法はないのだ。

 詳細は表現できないが、都合の良い場所まで引きずっていくだけでも大変だろうし、身体の構造を知らない人が、流れる血液、刃物や手にまとわりつく脂や肉片、繊維類を処理し、力を入れる毎に不安定に動く状態で、怪我もしないで作業を成し遂げた事、更にその後も平然としていたらしいことにはただただ驚くしかない。

 何故、別居するとか独立するとかの方法をとらなかったのか、私には理解出来ない。ただ、家族間においても自我とプライドの衣を脱ぎ去ることが出来ない間柄に人間関係が変わってしまったのか。結局、4人とも現代社会がもたらした被害者だった。    
事情など関心もないし知りたくもないが、本音では良い選択をしたのではないか、とむしろ祝福している。勿論、このことは、口に出すことはない。


2/9(金)秋田・盛岡快晴 岩手医大訪問 Medical Tribune社員来訪 人間ドック診察 法人理事会
2:00起床、ドックx1.紹介状、徒然など、5:25病院着。回診なし。先方の予定変更あって1時間遅らせて6:45病院発、7:00こまちにて盛岡へ。10:00岩手医科大学循環器病センター、循環器外科教室訪問、教授、医局長と面談。11:00こまちにて帰秋。13:00 Medical Tribune社員来訪、講演会の打ち合わせ。13:45人間ドック診察、回診他病棟業務。17:30-19:00法人理事会。21:00帰宅、21:30就寝。

車の前に駐車されるのはとても迷惑(3) 初実害、タクシーで帰宅した
 昨日、2月8日20:30頃、帰宅しようとしたところ、私の車の前にバッチリと乗用車が駐車していた。鍵はしっかりかけてある。救急外来の患者かな?と声をかけたがそうではなかったので院内放送を一度お願いして運転者が来るのを待った。 

 20分ほど待つもついに戻らず、私は諦めてタクシーで帰宅した。過去に同様に駐車され、飛行機に遅れそうになったことが3回あったが、何れも車の持ち主が現れ、ぎりぎり間に合って実害はなかった。今回は無駄な出費が強いられた形になったから、初実害となった。

 更に待つことも出来ないわけではなかったが、昨夕から食べておらず空腹状態であったこと、睡眠不足でかなり眠かったこと、明朝6:00発のこまちにて盛岡往復することになり、その前に処理しておくべき懸案事項が数件あって時間的余裕がなかったために、自宅と病院間の往復4000円のタクシー代はやむなしと考えた。ドアに苦情の伝言を書いて挟めておこうとも思ったが、それも面倒、どうせ書き置きしても連絡はよこさないだろうし、もしかすると、家族の様態が急変したとかで心の余裕がなかった人かも知れないな、等と考え、その伝言もしなかった。こんな中途半端なところ、良いように解釈してしまうのが私の問題点の一つである。
 だから、車の主はこんな事になっているだろうと知ることもなく、なにも感じずに帰宅したことであろう。

 私に割り当てられている駐車スペースは、昨年の大雪の時に雪捨て場として召し上げられ、臨時に正面玄関脇の場所を利用させて貰っている。先の駐車スペースはウナギの寝床の如く、細長かったために工事業者や出入りの業者が私の車の後にぴったりとくっつけて駐車しているのを時々みることはあったが、帰宅時まで置かれていることはなく、実害はなかった。

 今のスペースは正面玄関のピロティであり、私の車の前であることを除いてもどう考えても迷惑駐車になる場所である。そんな場所への駐車の場合、いろいろな事情はあったかもしれないが、せめて鍵を付けておくか、携帯の番号とかの連絡先を書いておくべきで、これ常識と思う。私なら最低限そうするし、私はその旨記載したパネルを常備している。やむなく駐車せざるを得ないこともないわけではなかろう。その際にはこのパネルを運転席に提示しておくつもりでいるが、実際にはまだ用いたことはない。


2/8(木)曇り  外来  医師面談  統括科長面談  院内対策委員会 
2:30起床、ドックx1.紹介状、徒然など、5:15病院着。6:30回診他。8:00救急カンファ。8:45-14:30外来ほか。15:30統括科長面談、16:00医師面談、17:00-18:20院内対策委員会。19:00統括科長面談。20:30帰宅、夕食。21:30就眠.外部の委員会等はなかったが、時間に追われた一日。

私にとってのマスコミ報道(2) 「バラバラ事件」のコメントに思う

 先月はいわゆる「バラバラ事件」が3件相次いだ。東京で予備校生が自宅で妹を殺害して切断、同じ東京で妻が会社員の夫を殺し、遺体を分けて都内3カ所に遺棄した。茨城県では男性の切断遺体が見つかり、現在身元を捜査中となっている。

 何とも大変な時代になってきた。
 秋田での母親による子殺し2件は異常なほどセンセーショナルに報道されたが、それに続きこの様な事件が集中して起こると、犯罪そのものと、死体遺棄なども増えているような印象をうける。
 ところが、警視庁の調べによると、死体損壊や死体遺棄の件数は1996-2005年までの10年間は年間80-110件と増えていない。一方、家族間のトラブルは確実に増えていて、殺人事件は40%増の218件、傷害事件は4倍増の1342件だと言う。

 社会生活において人間関係のありようが変わってきたことは実感できるが、家庭内の人間関係も大幅に変わりつつあるようだ。

 家庭は他人が安易には踏み込めない最小の単位であり、密室的とも言える閉鎖環境で、家族が生活を共にしている、という特殊な状況にある。体面もあるから対外的には暖かい家庭を演じたり取り繕わなければならない。何故、家族の間でこんな悲惨な事件が起こるのか?ではなく、家族だからこそ、愛憎が内に秘められた状態で時と共に成長していくからこそ、起こるのだと思う。家庭の中で生じる暴力沙汰、傷害事件などは一般社会のそれよりも一層陰鬱で凄惨である。その被害者が子どもである場合には逃げ場がないだけにその報道に接する度に辛い思いがしてならない。

 しかし、一体なぜ家族の遣体をバラバラにするのだろうか。
 殺人を犯す時には遺体を切断して処分することまでは考えてないだろう。それでもそうしなければならない何かがあるのだ。更に、やり抜くには大変な決心と作業が必要なはずだし、随分時間がかかるはずである。その間、心も動揺していくだろうし、ふとわれに返ることもありうるだろう。それでも、途中までで心変わりして止めて自首したという話、バラバラにされる途中の遺体が発見された、などと言うのはあまり聞いたこともない。

 何故やり抜くのだろうか。

 有識者達はこれらの事件に対していろんなコメントを出している。取材に対していろいろ説明しただろうが、ホンの一部が断片的にしか扱われていない。文脈にそぐわないコメントになっているのもある。コメントを出した側は真意は全く伝わらず読んでみて、観てみて忸怩たる思いをしているのではないか。マスコミにコメントを求められることは私も時にある。実際には断る事はまずないが、ホントは迷惑な話と思っている。


2/7(水)晴れ 外来 感染症評価会議 秋田銀行来訪
 3:00起床。新聞チェック、徒然。5:15Taxi病院着、6:20回診、8:00救急カンファ。8:40-13:45外来。14:00-15:00県感染症評価会議。15:30秋田銀行員来訪、その後は総括等机上書類処理。21:15帰宅、夕食。21:40就寝。

私にとってのマスコミ報道(1) まず反省
 殺人をはじめとした凶悪事件が一向に後を絶たない。大変な世相になってきたものだ、と私も感じている。
 ところが、2006年版の犯罪白書の記述によれば2004-5年は10%ほどずつ減少していると言うし、2006年も同様の傾向というから抱いたイメージと現実の統計との間に乖離があることになる。これは驚きであるが、反省材料にもしなければならない。

 この原因は私自身がマスコミ報道から情報を得ている事に起因している。だから、自分が感覚的に作り上げたイメージは、手に入るものであればしっかりした統計資料とかを参照にして是正していかなければならない。

 このことは常に心すべき、と考え、私は統計資料を得る目的で年鑑を毎年3種買い込んでいる。「ブリタニカ国際年鑑」と「さきがけ年鑑」である。前者は創刊の頃から続いているから30年近くになる。後者はここ3年ほどである。また10年、前から「国民医療年鑑」も入手している。

 情報が正しく伝わっていないことは医療問題も同様である。

 マスコミは医療界、医療政策の真の問題点を正しく伝えていない。医療機関、医師バッシングは興味本位の記事のネタになっている。ところが、取材を受ければ解るが、殆どの記者の方々は医療行政、医療機関、医療関係者が置かれている厳しい状況を解っていない。だから、医療関連の記事は私の立場では是と受け入れ難い。マスコミからしか情報を得られない一般の方々は、自然とマスコミとほぼ同じ様な視点から医療界を見ることになる。
 医師会は広報活動を通じてこれらを是正する努力をしているがなかなか思うような成果を上げられない。

 最近、例外的に扱いが変わってきたのが医師不足、看護師不足に関連した論評である。比較的正確に実態の一部を報道し始めている。ここまで問題が大きくなってきてやっと解っていただいたか、というのが実感である。

 要するに、私は医療界の分野ではより正しく判断、評価が出来るが、別分野においては、例えば犯罪の報道などを通じては知らず知らずのうちにマスコミ報道のペースにはまってしまっている、ということを自覚した、と言うこと。要反省である。


2/6(火)曇り  外来    常務会 医局会    医療法21条勉強会  The Yamamoto Band練習
2:00起床、ドックx1名分。主治医意見書他検討、徒然他. 5:20病院着。 6:30回診他、定期処方箋発行他。9:00-13:30外来、14:30-16:20常務会、17:30-18:30医局会。18:30-20:00医療法21条勉強会。20:10 The Yamamoto Band練習に合流、若干合奏に参加。その後食事会。初めてAlveの最上階のレストランに入った。秋田の夜景もとても美しい。23:00帰宅、23:15就寝。

雪のない冬、こんなでホントに良いの? 不気味である
 昨年は異常な降雪、積雪に悩んだ。今年は一変して異常なほど、ホントに異常なほど雪が降らない。とても嬉しいが、こんな事で良いのか心配でもあり、不気味である。

 今期、今日までの最高の積雪は私のスリッパ通勤で得た感覚からの判断であるが、一晩に僅かに5cm 程度である。早朝、轍のない新雪の中を通って出勤する気分の良さはまだ2-3回しか味わっていない。私の記録を読み返してみると昨年の今頃は連日、あるいは2-3日ごとに4;30am頃から45-60分ほど除雪してから出勤しているし、帰宅してからも夕食前に除雪が必要な日も少なくなかった。土日祭日には1-2時間かけて除雪が不十分な場所や寄せた雪を隅の方に移動していたから、除雪のために費やした時間もかなりのものであった。
 そんな毎日であったが、今年は除雪のために費やした時間はゼロである。除雪機の登場はまだ一度もないばかりか、雪かき用のスコップも一度も握っていない。通勤は未だにスリッパであるが、特に不便を感じていない。車には積もった雪を排除したりガラス面から雪や氷を削りとるための棒状の道具は冬の必需品で、勿論、積んではいるが一度も使われていない。第一、一台は未だに夏タイヤのままである。出勤とかで時間を要するときはダメだが、買い物とかの場合には全く問題ない。

 とにかく今年は異常である。それが都合の良い方に異常だから本心はとても有り難い。これほど徹底して降らないと、シベリア付近から日本海には寒気団が南下し、予報では秋田も20-50cm程の積雪が予想されると予報があっても、全然その気にならない。多分降らないだろう、と心配していないし、現実にその予想が外れたこともない。

 きちんとした統計ではどうなっているか定かではないが、ご高齢の患者達もみんなこんな冬は初めてです、と例外がない。雪国特有の、雪を楽しみながら春を待つ小正月行事もほとんどが影響を受けているようで山からダンプで雪を運んだりして何とか行ったとか、中止したとかの話題がニュースになっている。

 こんなでホントに良いのか?春の農業用水は大丈夫か?リバウンドで冷夏にならないか、などなど、嬉しい気持ちと裏腹な心配もあり、通勤の朝夕毎に空をながめている。
 ここ数日の日差し、月影、雲の動きにはもう春の息吹が感じられる様になってきた。


2/5(月)曇り  管理会議    外来    県医療審議会   療養判定会議   長副会議 
2:00起床、ドック総括x1。新聞チェック、徒然。5:20病院着。回診他、7:45管理会議、8:45-12:45外来、15:00-16:30県医療審議会、中座して帰院。16:00療養判定会議は欠、17:00-19:40長副会議。20:45帰宅、夕食、21:30就寝。

不二家よ、お前もか  問われる企業モラル
 日常から賞味期限など意に介さない私は、期限切れの牛乳を用いた不二家のシュークリームが16,000ヶも出荷されていた、という記事を見たとき、不二家ほどのところがどうしたことか?何か行程に判断ミスか間違いでもあったのか?内部告発でもあったのか?というレベルの気楽な印象でとらえていた。

 正直なところ、こんな風に発展してくるとは予想もしなかった。
 国で定めた許容基準の約10倍もの細菌を検出していた洋菓子を出荷したとか、賞味期限の切れた材料を使ったアップルパイを出荷した、ある工場ではネズミが月に50匹も捕れていた、などなど次々と悪しき結果が出てきた。

 報道を見る限り、安全を軽視する体質は、長年続いてきたと思われても仕方ない状況である。いまのところ、食中毒を起こしたなど健康被害の訴えはないというから幸いではあるが、そうは言えども許される問題ではない。

 戦時中に産まれろくに母乳も与えられないで栄養不良で死線をさまよったと言われ続けて育った私は、不二家のミルキーに子供の頃から郷愁の様な妙な、特別の雰囲気を抱いてきた。私が最近自分で購入した唯一の菓子(とは言っても1年以上も前のことだが)はこれだった。

 消費期限切れの牛乳を使っていた事実を会社が知ったのは昨年11月とのことであるが、公表も回収もしなかったと言う。マスコミに発覚すれば2000年に集団食中毒事件を起こした雪印乳業の二の舞いとなると考えたのであろうが、今はホントにそうなりそうな雰囲気である。判明したその時に発表していればここまでは至らなかったのではないか、と思われる。

 今や企業の社会的責任は非常に大きい。企業にはモラルが求められている。今回の不二家問題は実害はどこにも出ていないから傷害罪などは問われる事はないが、使うべきでない原料を使い、売るぺきでない商品を販売したという行為そのものは食品企業のモラルという面では許されない。しかも、その情報を隠蔽し続けたことは尚更重大である。三菱も同じだった。

 「愛とまごころと感謝で、愛される不二家になりましょう」、と社是にあるという。不二家は少子化や競争激化による業績不振に悩んでいた、とのことであるが、そんなときにこそ基本を大事にしなければならない。不二家の不祥事から学ぶべきは点は少なくはない。
 ミルキーはどうなるのかな、私は心配している。


2/4(日)早朝、午前は暴風、寒波  病棟拘束 
 2:00起床、ドックx1、紹介状、徒然など。7:30病院。降雪5cmほど、スリッパでは冷たい。8:30救急カンファレンス。9:00回診。それ以降、病棟外来関連等の残務処理。総括、紹介状、主治医意見書、訪問看護指示書、レセプト、21世紀の医療を守る会の記録集校正。これほど時間かけてこの程度しか処理できないのかとガックリする。医師を診療の現場でもっと有効に使わなければ勿体ない。19:30帰宅、夕食、20:30就寝。

自伝・中通病院(6) 病棟(1)患者層の違いで視野が開けた
 着任当日から病棟業務としては、7階の内科病棟の患者数人の担当が決まっていた。何れも高齢の患者であった。病棟のスタッフは基本的に私を含め4人で、これに卒後1-2年の研修医が1-2名、数ヶ月間ローテートして来るという体制であった。4人のスタッフのうちの一人は6月に大学医局に戻る予定となっていた。内科病棟、担当医師達の主たる守備範囲は血液、免疫疾患、呼吸器疾患、及び、領域不明の内科的疾患であった。

 内科分野の、疾患を抱えた患者への診療内容そのものは何処の医療機関であってもそう大差があるものではない。その面ではあまり困惑することはなかった。赴任直後から、私が従来あまり受け持ってこなかった呼吸器疾患領域の患者も受け持つ事になった。この分野は私自身の経験不足、力不足もあったが、新しい分野への興味も沸き、それなりに意欲も持って勉強出来たし、私の手に負えなくなりそうなときは呼吸器内科科長にコンサルトし助けてもらった。
 中通病院内科病棟には高齢者が多いこと、疾患に対する治療が終了しても帰る場所が無い患者、ベット上で寝たきりの患者、コミュニケーションがとれない患者、重度の痴呆患者、食事も全くとれず鼻から胃に流動食を流して生命を維持している患者、大きな褥瘡を形成している患者、その他、いわゆる社会的弱者と言われる、いろいろな問題を抱えた患者が多いことは驚きであった。この点ではホントにカルチャーショックを受けた。

 この様な患者の多くは、抱えている原疾患に対する治療は既に終了していたり、あるいは治療することがそれほど意味を持たない状況であり、医師として何をしてあげればいいのか、ただ生命を維持してあげることなのか、毎朝回診しながら困惑させられたものである。
 実際、このような患者に対しても看護師達の看護介護は直向きであり、医師達も積極的であって、この点でも驚かされた。また、当院のケースワーカーの働き、役割についても初めて知り、感心させられた。

 このような人生のターミナル期にあるような患者を多数見て、診て、担当したことは、結果的に医療と社会、経済との関係、人権との関係など、私が従来全く考えてこなかった分野への興味を沸き立たせられることとなり、後の医師会活動への参加にも繋がっていった。良い機会が与えられたものである。


2/3(土)曇、降雪  病棟拘束 来客対応 歯科治療
 2:00起床、ドック処理x1、紹介状返事など。5:15病院着。積雪3-4cm。6:15回診など。医療法21条関連の資料再検討、その他。14:00-15:00来客あり対応。15:30-17:00歯科治療を受ける。20:00帰宅、夕食、21:00就寝。

「女性は産む機械」(2)人口減に悩む秋田県は抗議せよ 男は何なんだ?
 本県の人口減少が止まらない。2005/10/1の国勢調査によると県人口は115万人を割っている。県の人口は昭和31年の135万人をピークに減少が続いているが、10年後には県人口は100万人を割るかもしれない。

 人口減の原因はかつて若者達の県外流出が主因だったが、近年これに出生数の低下が加わった。私は昭和20年生まれであるが、この頃、県内で年間45,000人も生まれていた。それが最近僅か8000人程度である。平成5年以降は更に、出生数と死亡者数が逆転し、減少ぺースは加速の一途をたどっている。

  人口減少の直接の原因は出生数が少ないことは明らかであるが、その背景には、晩婚化、非婚化、非出産化、安心して産めない社会構造などがあるとされる。しかし、何と言っても最大の要因は若者の県外流出である。不況で雇用がままならないから若者は県外に出て行かざるを得ない。15-24歳の県外流出は年間9000人前後にも及ぶ。再生産人口とされる若者がこれだけ少なくなると出生数が減るのは当たり前である。更に、高齢県として死亡者数も多いから輪をかけて減少するのは当然である。

 人口減は地域活力の低下を招く。県行政は勿論、県民が真剣に考えなければならない間題である。多方面の対策が必要だろうが、行政には何としてでも若者を県内に定着する仕組みを真剣に考えて欲しい。それがなければ何をやっても根本的な解決にならない。更に、若い夫婦が子供を安心して産めない要因があるならば、それを取り払う必要がある。子育ての経済的負担軽減、家庭と仕事を両立しやすい環境づくりなどの施策も必要である。

 こんな中で「女性は子どもを産む機械」論争である。秋田県はそんな女性をバカにするような考えを絶対に容認してはならない。秋田県は柳澤氏に抗議すべきである。その時、「女性が機械なら、男性は何ですか?一本のネジですかい?」と必ず聞いて欲しい。

 しかし、もう手をこまねいている暇はない。本県の場合、高齢化を抱えている。これをネガティブにとらえるから問題が大きくなっていく。お年寄りの医療・介護のために若い労働力が必要であるが、県内は看護師、介護福祉士等が不足し医療・福祉の現場は機能不全に陥っている。働く場はあるのだ。

 秋田県は看護師養成校への補助金を減らしてきたが、平成20年にはそれをゼロにしようとしている。そうなれば運営基盤の弱い看護師養成校は閉校せざるを得ない事になる。そうなれば、働く場があるのに、更に若者が秋田を去っていく事になる。
 県医師会は看護師養成校への補助金削減の方針を再考して欲しいと要望書を出しており、県議会では支持された。後は、県知事がどう裁断するかにかかっている。


2/2(金)寒波降雪  県医務薬事課長来訪  大学病院医療連携スタッフ来訪 院内対策委員会  朝日新聞記者来訪     
2:10起床、ドック判定総括x1、紹介状返事。5:20病院.6:20回診、8:00救急カンファ。13:00県医務薬事科長来訪、県主催のがんフォーラムについて意見交換。15:00秋大医療連携スタッフ来訪、歓談。15:30人間ドック診察x5。17:00-18:20院内医療対策会議。18:30-19:20朝日新聞記者来訪。20:50帰宅、21:30就寝。

親身な病状説明(2)セカンドオピニオンを医師から勧めよう
 不安、疑問を抱える患者・家族に対し、病状を聴く側の立場にたって懇切丁寧に説明することは医師の大事な仕事の一つである。これは診断、治療と同義の医療内容、業務そのものである。

 更にもうひとつ強調しておきたいのは、セカンドオピニオンを医師側から積極的に提起すべきである、ということである。
 セカンドオピニオンは従来保険で認められていなかったが、今回は情報を提供する方の医療機関に500点の点数を付けた。一方、受け入れ側に対して保険は給付されていない。その費用は各医療機関の判断による自費と言うことになっている。受け入れる側は相談業務であって診療行為ではない、との厚労省、中医協の判断からそうなっている。相談を受けた側の医療的判断が医療行為でないとの評価には大いに疑問を感じるが、セカンドオピニオンの意義が認知されてきた、と評価できる。

 折角このセカンドオピニオンと言う道が開かれたのに、まだ医療者側が消極的であり問題だ。医師は患者の人生に重大な影響を与え得る疾患を診断治療する際には積極的に他の医師の意見を求めるべきである。総合病院の一員として医療を行っている場合に、本当に院内の叡知を集合した診断、治療行為をしているのか?主治医として、狭い自分だけの技量の範囲だけで判断を下していないか?十分な判断をしているのか?を自省してみる必要がある。総合病院を受診する患者は病院の叡知を集めた医療がなされていると思っているし期待もしているのだ。

 さらに、最近、多少の誤解はあるもののセカンドオピニオンと言う言葉は患者にもかなり知られてきている。自分の病気、家族の病気についてセカンドオピニオンを求めたいと考えている患者は少なくない、と思われる。ただ、患者は主治医になかなかそのことを言い出せない、と言うのが現実であろう。だから、病状の説明の際に、主治医の側からセカンドオピニオンを求める事も可能です、と声をかけて道を開いて挙げるのが良い。

 私は血液・免疫分野を学んできたが最近は些か勉強不足である。治療について今の水準に照らしてそれほど劣っているとは思っていないが、血液の悪性疾患を診断した際には、本当に私のもとでの診断・治療で良いのか、セカンドオピニオンを求めなくても良いのか、転院の希望はないのか、を必ず確かめる。それが患者のためであり、自分のためだと思っている。
 昨年一年間で、市内の総合病院、虎ノ門病院、国立がんセンターに4名の患者がセカンドオピニオンを求めに行き、うち、3名が私の元で治療を続けている。私は総合病院の一医師として、多くの医師の意見を参考にしながら医療を行っていることに満足しているし、さらにセカンドオピニオンを患者に勧め、利用することで一層私自身の視野が広がった、と思っている。


2/1(木)降雪 曇り、寒波来襲?   外来 
  
2:20起床。ドック判定総括x1その他、5:10病院.6:10回診ほか。7:55救急カンファ。8:45-14:00外来、療養病棟入院患者不調数名、対応など。対外予定無し。机上業務。20:30帰宅、夕食、21:20就寝。

「女性は産む機械」の発言の裏 政治家は国民をこの程度に見ている
 柳澤厚労大臣が何かの機会に「女性は子どもを産む機械」だと発言したことで、野党のみならず、与党内部からも辞任要求まで出て、安倍内閣はまたしても危機的状況を迎えている。今ここで厚労相が辞任でもすれば内閣は崩壊する、あるいは求心力を完全に失う。内閣としては辞任させないとの姿勢をとらざるを得ないから、厚相、首相ともひたすら頭を下げ陳謝陳謝の連日である。一方、野党は弱腰内閣に対し言いたい放題、徐々に辞任要求をエスカレートし、予算の審議をボイコットしている。

 私は「女性は子どもを産む機械」と言う発言がどの様な論旨の中で用いられたのか知らないから、その真意をうかがい知ることは出来ないが、不適切きわまりない発言であることは確かである。

 一方、過去に「女性は子どもを産む機械」に近く扱われてきたことは歴史を振り返れば分かることで、私も高校生への性教育の機会、エイズ教育の中では女性の性、人格がそれに近いように軽く考えられた悪しき時代があった、と何度も発言をしてきた。人類が食料を蓄め込むことが出来るようになった事が嚆矢となって蓄財そのものが権力の高まりとなっていった。この段階から家族の意識、民族単位の意識の高揚が始まり、冨の継承、血筋の継承が社会の構造維持に欠くべからざる意義を持って行ったが、この時に絶対的に必要なのは権力者の子供を産む女の存在であった。

 封建社会では血の継承が絶対的に重要であったが、近代社会においても富国のためにも、国力維持のためにも子供を産むと言うことの意義は変わっていない。私自身、「産めよ、増やせよ」の国策に添って頑張られた結果でこの世に生を受けた、と思っている。切っ掛けは何であれ、産んでくれた両親には心から感謝している。今は少子化対策の最中である。戦前の発想と共通するものが政治家の中にあるのだろう。

 政治家は国民を何と考えているのだろうか。今まで政治家の言動に見え隠れする発言から私が感じていたのは、「一人一人は有権者だが、個人はたったの一票だけ」「教師はテーチングマシーンだ」「高齢者は医療費の金食い虫だ」「医者は黙ってもっと働け」・・などなどいくらでも挙げられるが、問題は国民の感覚と政治家の感覚はかなりずれていると言うことである。

 そんな中での「女性は子どもを産む機械」と言う発言は何ら特別のものではない感覚なのだ、。ただ、それを口にした柳澤厚相がバカだったと言うことだけである。
 私はよくぞ言ってくれたと思っている。言わなくても彼らはそう考えていると言うことだから。ただ、言ったバカは去るべし、と私は思う。首相の過剰な擁護は首相自身をおとしめる結果となりかねない。安倍さんの決断力とその後の再生への実力が問われている。


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   年を通じてワンパターンで淡々とした毎日です。AM2:00-5:00にメールチェック・返事送付、人間ドック(HDD)判定・報告書作成、新聞切り抜き、病院・医師会業務など。
  月〜土曜は6:00頃出勤、HDD報告書印刷、外来書類処理など。病棟回診、HDD受診者とミーティングと診察。8:45-14:00外来とHDD受診者に結果説明。昼食は摂りません。午後は病院業務・医師会業務、各種委員会等に出席など。20:00頃帰宅。
  日曜・祭日もほぼ同様ですが、病院には午後出かけます。時間的に余裕無いのが悩みです。


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