徒然日記
2007年1月分

 日記と言うより、自分の行動記録からの抜粋と日々の雑感です。

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先月の日記          来月の日記


1/31(水)曇り 外来 来訪者数名 
2:30起床。人間ドック判定総括x1、新聞・資料チェック、徒然。5:10病院着、6:10回診他。7:55救急カンファ。8:45-13:30外来。14:45秋田銀行、15:00日本ユニコム来訪対応。17:00面談2件。21:20帰宅、夕食、22:00就寝。

親身な病状説明(1)医師の努めなのか?
 不安、疑問を抱える患者・家族に対し、病状を聴く側の立場にたって懇切丁寧に説明し、不安を解消するのは医師の努めである、といわれる。確かに、これが不足しているためにいろいろなトラブル等が発生する。
 だから、とても大切であるが、これは医師、医療者の努めなどではなく、医療内容、業務そのもの、強いては医療技術の一つである,と私は思う。
 説明の際、患者の置かれている心理状態によって伝わり方が異なってくる。同じ言葉を使っても同じように理解されるとは限らない。大きく誤解されて受け取られることもしょっちゅうである。だから、一つ一つ理解度を確かめながら次ぎの説明に進んでいく必要がある。

 近代医療の中における診断・検査・治療は、先進的機器などを駆使してより客観的になされるようになってきた。これは患者側にも医療者側双方にとって大きな恩恵になってきているが、患者側にとっては徐々に医療そのものが見え難くなっている。病院に来るには来たが、その後の過程でははほぼつんぼ桟敷に置かれている状態と言っていい。
 要するに、病院を訪れるまでの患者の気持ちと得られた結果の間は大きなブラックボックス状態になっている。だから、病状説明の意義は次第に大きくなってきている。良い医師の代名詞の一つとしてよく引用される赤ひげ診療譚の中の赤ひげ医師は病状の説明などほとんどせずに強引に患者に医療を施している。今なら全く通用しない典型的パターナリズムの医師像である。

 患者への説明は大事であると強調しても仕切れないが、それが「ムンテラ」という言葉で扱われるのを私は容認できない。
 当院だけでなく多くの医師や看護師は患者や家族方への病状説明の事を「ムンテラ」とよく言う。私はこの言葉の意味や薄っぺらな響きに嫌悪感を覚えるため使わない。機会ある毎に「ムンテラ」と言う言葉を止め「説明」にしようと呼びかけているが,一向に減るどころか多くの病棟で若い医師や看護師によって日常的に使われている。それを耳にする度に私の心は傷を負う。

 ムンテラはドイツ語の「くち」と「治療」を表す単語を並べた和製語で、「口先療法」である。この言葉は「患者への説明」という意味を指しているのではなく「言い含める」、さらには「虚偽を交えて説明し心配させないようにする」という言外の意味が込められている。あくまでも医療者が主導権を握っていた時代の遺産であり早く消滅して欲しいと思っている言葉である。
 日本語で「口先療法」と言ってみたらいい。言う方は恥ずかしくなるだろうし、聴く側はきっと怒るだろう。


1/30(火)晴れ   外来   常務会    医局カンファ(放射線科、呼吸器外科) 
2:30起床、人間ドック判定総括、複雑。退院総括関連若干。5:10病院着、 6:10回診、定期処方、紹介状。7:55救急カンファ。8:45-14:15外来。14:30-16:00法人常務会。17:30-18:45医局カンファレンス。20:50帰宅。夕食、21:30就眠。

私の食生活のリズムを乱す怪物がいる
 私は今、原則的に一日一食である。夕食だけである。40歳以前は3食を規則的に摂っていたが、それ以降は昼無しの2食になった。朝食にかなり拘っていた時期である。50歳を過ぎた頃からは徐々に朝食も止め、最近の7-8年は夕食一食が基本になっている。

 起床時から夕食までの間、コーヒーとお茶はガブ飲みである。勿論、時にはあればアメとか菓子を若干つまんだりする。療養病棟で私が用いている机の引き出しには看護師達がアメを入れてくれる。私のためというわけでなく、自分たちのための置き場になのだが、私も時にはつい手が出てしまう。
 私の食事は別に縛られるべき規則があるわけでなし、一食にしなければならない大きな理由もない。3食摂るのは面倒だし、私にとっては過剰だという軽い理由なのでちょっとしたものをつまむことに罪悪感など無いし、そんなに拘わらない。

 いろんな機会に食生活が話題になることがある。その時には自分の習慣を紹介するが、ほぼ例外なく健康に良くないでしょう、と言われる。それは当然である。私の食習慣は非常識であることは自認している。話の範囲ではどんな反応があろうと、助言があろうと私には何ら影響を与えない。今のところ健康上でも全く実害もない。

 しかし、身近に巨大で、かつ、強力な反対者がいる。それは家内である。
 私にいくら言っても効かないから諦めたらしいが、彼女が病気をしてからは健康に関心が高まったせいか直接行動に出るようになってきた。朝食の準備をするという作戦である。
 4:00am頃になると炊飯器がグツグツと音を立て始め、朝食の支度を始める。本心は食べずに出かけたいのだが、家内の機嫌を損なわないよう、用意された朝にはやむなく朝食を最小限摂ることになる。何となく午前中の活力は低下する。救いは、そう毎日続かないと言うことで、週1-2回程度である。

 ちょっと迷惑であるが、私の健康を気遣ってのことであるし、私にとっては怪物的存在だからだまって受け入れているが、私にとっては朝の5時過ぎまでほぼ徹夜状態で起きている家内の健康の方がむしろ心配である。


1/29(月) 管理会議 外来 療養病棟入棟判定会議 苦情対応 長副会議  2:00前に起床。ドック判定総括1名分,紹介状、返事。5:15病院着,6:30回診.病棟重症者数名。7:45管理会議.8:45-13:30外来。病棟対応他.16:00-16:30療養病棟判定会議、対象者4名。中座して急遽16:00-16:30患者家族の苦情に対応。17:30から20:30まで長副会議、懸案事項多数。21:30帰宅。夕食、22:15就寝.

新型インフルエンザ問題(3)パンデミックの真の危機は社会のパニック状態
2003年11月に、タイで鶏を餌としていた虎と豹が鳥インフルエンザ(H5N1)で死亡してから、鳥インフルエンザの流行拡大が南北アメリ力大陸を除く全世界に及び、ヒトヘの感染も年々増加している。2003年からの鳥インフルエンザ感染者総数が300人に達し、致死率は約60%である。

 疫学的事象、ウイルスの変異の軌跡を追っていくと、刻々と、新型インフルエンザの発生、パンデミックの到来が近づいている、と言わざるを得ない。
 近い将来、私たちはサイエンスフィクションに登場した事がないほど恐ろしい未知の病原体を迎えるであろう厳しい状況にいるが、はたして手遅れにならぬよう、十分な対応が出来るであろうか。

 鳥型から新型インフルエンザへの不連続変異が起きた時の対応の中で最も重要なことは「封じ込め対策」で、その方法論としては、抗ウイルス薬やワクチンの優先投与、隔離、検疫、仕会的離隔など、を行うことになるが、これには私権の制限を伴う対応が含まれて来る。
 パンデミックになった際にも同様である。この時は社会全体が機能麻痺に陥るであろう。ウイルスとヒトの免疫能との闘いとなるが、大体大流行は8週間に及ぶと思われ、人口の25-30%、即ち秋田県民ならば30万人ほどが罹患し、1300人ほどの死者が想定されている。この間、ライフラインのうち水と電気の供給は何とかなるであろうが、従業員の20-30%も病欠した状態では交通機関は機能維持が困難となり、ガソリンや灯油、食料品、日用品の流通は大きく影響を受けるだろう。同様に医療機関も機能麻痺に陥るであろう。

 1月中旬、厚労省で開催された第4回新型インフルエンザの専門家会議の資料はパンデミック時の対応指針の概要が提示された。それを参考にしながら秋田県医師会としてどの様な対策をすべきなのか指針の基礎となるものを考えている。さながらノンフィクションの世界に踏み込んでいるような状態であるが私がもっとも危惧しているのは医療上の問題ではなく「社会的パニック」の予防である。

 感染力・死亡率の高い「新型インフルエンザ」が日々刻々と秋田に迫ってくる状況になれば、多分、県民はパニック状態となり社会は騒然とするだろう。蔓延すれば患者のトリアージ(治療要否分別)に納得できない家族によって、病院や医療の現場は暴力沙汰の場、略奪の場になるだろう。
 治安維持のスタッフも同様に罹患すると想定しなければならないのは勿論である。実に、困難な作業に手を染めてしまった。


1/28(日)曇り  病棟拘束  新臨床研修制度・医師養成 
 2:00起床。ドック総括x1、新聞各種資料チェック、講演記録校正。9:00漢方セミナー出席の家内を送り出勤。14:00-16:00秋田県臨床研修プログラム講習会(Castles)聴講。18:30西武。19:30帰宅、夕食、20:45就寝。昨年、道路事情がかなり改善し1ヶ月振りに次男の4WDレガシーワゴンと私のFFプリウスと交換した。今年は最大積雪5cmほどと超異常である。

自伝 中通病院(5) 外来(2)  耐え難い「◎◎先生の患者」と言う表現
 外来を担当して感じた違和感にはいろいろあったが、その中で私にとって最も耐え難かったのは外来診察時の患者の呼び方であった。各診察室前で看護師達は「◎◎先生の患者さんをお呼びします。○○さーん」と各診察室で患者を呼び込んでいた。まるで患者を各医師が私物化している、と思える雰囲気を呈していた。まさにそのような考えを持っている医師も少なくなかったようである。

 私はそれまで医療機関の中での一人の医師として働いてきた。
 常に患者は大事な病院の利用者であり、全てのスタッフにとっての共通の財産であり、各患者に対してその医療機関として英知を集めて診断・治療に当たるもの、その中で主治医が責任者として担当しているもの、と思ってきたし、それは今でも全く変わりない。

 だから、私には「◎◎先生の患者」という考え方は一切無いし、「私の患者」と言う考え方も一切無い。「中通病院を利用している患者で、私が主治医として担当している方」と言うことである。
 私は直ちに外来マネージャーに、外来診察時の呼び方を「一診の患者さん」.「二診の患者さん」・・を変えてもうよう申し出た。私の前の呼び方はその日から変わったが、外来に浸透していくのに数ヶ月を要した。外来診療部会で検討されたと言うが、実際にはかなりの抵抗があったと関係者が後日話していた。その理由の一つが考え方の正否でなく「新参者からの提起であったこと」だったという。充分有り得ることであった。

 病院を選ぶのも、外来で診察医を選ぶのも本来患者の自由である。だから、「◎◎先生の患者」等あり得ないし、逆に患者間で「私は◎◎先生の患者」と言う妙なブランド意識も生じてくる。

 「◎◎先生の患者」と言う考え方に関連して私には過去に苦い思い出がある。かつて上司であったある医師が他の病院に赴任する際、自分の外来に通院していた患者を赴任先の病院に通院するよう紹介状を書いていたのに気付き、それが教授の許可の上であったので医局会の席で教授に異議を申し出た。その際、医局会の場は一時厳しい雰囲気になったが、私には上司に楯突いたと言う気持ちは一切無く、正しいと思ったことを述べただけであったが、結果的にはその様に見なされてしまったようである。

 今でも病棟では「◎◎先生の患者」である。私は拘束の時などに「◎◎先生の患者が具合悪いので・・」、「◎◎先生の患者の処方が切れます・・」と言われた場合「◎◎先生の患者なら◎◎先生に連絡しなさい」と今でも言い続けている。「◎◎先生が担当している患者が・・」と言い直させてからは拘束医として必要な対応している。しかし、看護師達には私の真意は殆ど伝わらないようである。当初は「うるさいことを言うイヤな医者が来た」という扱いであった。言葉上はちょっとした差であるが総合病院の医療の原点に関わる重要な問題だと思っているから、私も譲らない。


1/27(土)曇り 病棟拘束 外来 家族面談 秋田民医連学術集談会 
2:00起床、 紹介状他処理 、5:20病院着、6:20回診他。ドック総括、紹介状など。7:00患者死去。8:30救急カンファ。8:45-12:00外来。12:30患者家族面談。13:00眼鏡店へ。14:00-17:00秋田県民医連学術集談会(総保センター)に出席、聴講。再度重症者回診など。19:30帰宅、夕食。20:30就寝。

オーダリング導入余波(3)外来業務は楽になったが、患者増が悩み
 当院の外来は11月以降オーダリングを導入し、原則完全予約制になった。オーダリングになったとはいえ、外来での診療内容は何ら変わるものはない。とはいえども、患者との対話時間は変わりないものの、患者一人あたりに要する診察時間は確実に短くなっている。

 ディスプレーは私と患者の目の前になるように置き、処方内容、次回予約、当日の至急検査のデータなどを次々と表示させてそれを見ながら対話し、希望すれば必要な部分を印刷して患者に渡している。外来診療がとても機能的になり、診察においても患者の満足度は向上したと思っている。

 オーダーした内容はコンピューターに記録されるから、カルテに記載する必要がなくなり、カルテの記載が簡素で済むようになった。検査や処方などはキーボードでオーダーするようになり、かつ、過去のオーダー内容を呼び出して利用できるから、実際には入力作業はそれほど多くない。カルテに字をそれほど書かなくとも良くなった効果は、字を書くのが苦手な私にとってはとても大きい。だから、11月以降の外来業務はとても快適で疲労感も前よりはずっと軽い。

 ただし、若干の問題も生じている。

 一つは、他科受診の必要がある患者が発生した場合に、受診させて良いのか、キャパシティがあるのかを一々電話で確かめる必要が生じたことである。これは相手が人間だけに結構苦痛な作業である。しかし、考えてみれば、私がしていないはずの患者が枠の隙間に予約されているが、その旨の電話を一度も受けたことはない。これはどういう事なのだ?と思う。

 もう一つは、診察の度に患者数がどんどん増えていくことである。私は週に3-4回午前外来を担当しているが、何れの日も8:45-14:00の52人分の予約枠はほぼ埋まっているが、外来毎に2-5人ほど予約外の患者の診察を求められる。これらの患者を他の医師の予約枠に勝手に入れるわけに行かないから、自分の枠内に入れることになる。だから、だんだん患者が増えていく。週3-4日、外来診療に実質6時間近く、書類等を含めると7-8時間を費やす事になるから残りの時間がどんどん乏しくなっていく。この現実は、そうきつい意味ではないが、私にとっては恐怖でもある。この先どうなるのだろうか。
 ともあれ、オーダリング礼賛である。


1/26(金)晴れ・曇  検診業務  研修医外来指導 人間ドック診察  法人理事会
 2:30起床。人間ドック判定総括他、5:20病院着、6:20回診他。7:55救急カンファ。紹介状、その他書類処理。13:30ドック診察x4、入院患者対応。16:00-17:00研修関連医師面談、県新型インフ関連検討。17:30-18:30法人理事会。21:30帰宅、22:00就眠。

オーダリング導入余波(2)外来予約制で待合室がガラガラになった
 当院の外来は11月以降原則完全予約制になった。その効果は日が経つ毎に明らかになってきている。最近は2ヶ月分以上の長期投薬を受けている患者が少なくないために、不慣れで戸惑う方もまだいて若干の混乱は見られるものの、この間に何度か受診された患者さん達にはシステムの変更に伴う受診の流れの概要は理解されつつあるようだ。私が担当する外来に通院されている方々は、更に良くなりました、と評価してくれている。

 しかし、一部の患者さん方には評判が悪い。

 外来受付は8:00amから始まるが、11:00amに予約してあってもわざわざこの時間に来て一旦受付をしなければならない、と誤解している方々もおられる。これだと予約制のメリットは享受出来ないことになる。何度か説明してもよく解ってくれない。ともあれ、8:00amの受付が混まなくなるのにもう少し時間が必要であろうが、外来の患者の流れは今後更に機能的になっていくだろう。

 予約制の効果はいろんなところに現れている。

 まず、院内で診察を待つ患者数が激減し、かつては椅子も足りなくなるほどであった待合い室が最近はガラガラになった。これで、外来でインフルエンザ等に罹患する患者も減るだろう。恐らく、待ち時間が少なくなって駐車場の負担額もかなり軽減されたはずである。

 更に、早朝4:00前から院外で正面玄関が開く時間を待っていた患者・家族の数が激減した。それでも私の出勤時に、たまに何人かが待っているのが不思議でもある。この方達は早朝から待つことに大きな意義を感じている、特殊な方々としか思えない。今のシステムにビックリされたご高齢の方々からは前のように戻して欲しいという意見や投書が昨年中には何件か見られたが、新年を迎えてからは皆無である。

   正確な数値は聞いていないが、地下の食堂や理髪店の客が減った、らしい。かつては待ち時間を有効に利用して食事をしたり理髪をした方々もおられたようである。

  待ち時間が短くなるといろいろなところに影響が出るものだと思う。


1/25(木)曇り 外来  総合内科病棟診療部会(欠) A Bank来訪  療養病棟診療部会
3:00起床、2時間ほどしか眠れず厳しい一日になりそう。人間ドックx1、5:20Taxi病院着、6:30回診、7:55救急カンファ。8:45-14:00外来、総合内科病棟診療部会は物理的に欠。15:00-15:30秋田銀行員来訪、17:00-18:20療養病棟診療部会。21:00帰宅、夕食。21:30就寝。さすがに眠い一日であった。

オーダリング導入余波(1)院長の言うことは聞かないがコンピューターには従順
 当院では数年前からコンピューターによるオーダリングシステム導入を準備してきたが、昨年5月以降導入し、段階的に医療業務、看護業務、事務処理に機能を拡張してきた。
 当初は戸惑い、反発、心配等もかなりあったが何とか乗り越えて来ている。病棟の看護師はまだ入力にかなりの時間が取られ、超過勤務の原因になっているなどの問題点が残っている。しかし、全体的に見れば病院としての機能は向上したことは確かであり、元の環境に戻ることなど到底考えられない。後は如何にして入力を簡素化するか、機能を有機的に結びつけるか、個人的にもいろいろ工夫して機能を高めていく余地があるし、発展させていく楽しみもある。

 11月から全部の外来診療が原則予約制になった。私は6年前から外来にパソコン持ち込んで再来診療を個人的レベルで予約制にして待ち時間の短縮を図ると共に、予約制を普及させる様に提言して来たが、各診療科の独自性や考え方の障壁は高く、なかなか進展しなかった。それが今回一気に実施されることになった。

 大体、医師は院長や部長などを含め、上司の言うことはなかなか聞いてくれない、組織の構成員としては変な存在である。他の職種ではまず考え難いのではなかろうか。

 しかし、どんなに説明し、導入を求めても殆ど進展しなかった分野がコンピューターの導入によって一発で、整然と、次々と実行されてきている。いろいろな意見のある個性豊かな医師達が、一人の例外もなく、従順にキーボードに向かっている姿は有り難くもあり、見方によっては滑稽でもある。

 コンピューター、オーダリングシステムは実にクールである。私などとても気が小さいから、何か意見を述べたり、提起したりした際には相手の反論が強ければすぐにビビってしまうが、コンピューターはあくまでもクールである。どんなに文句を言おうと異議を唱えようとビビラないし、ビクともしない。最期まで相手が合わせてくれるまで拒否し続ける。だから、百戦錬磨の医師達も相手がコンピューターならどうしようもないから諦めて従順にならざるを得ない。
 私から見てコンピューターは思い通りにならない権力者でもあるが、人を従順にさせるという技能を備えた羨ましい存在でもある。
 


1/24(水)晴れ 外来 ドック診察 県健康推進課員と面談 県医師会理事会マスコミ関係者との懇談会
2:00起床,人間ドックx1。その他作文。5:20 病院着、6:20回診他。7:55救急カンファ、8:45-13:50外来+人間ドック診察x3、16:00県健康推進課員来訪。16:30-18:40県医師会理事会。19:00-21:10マスコミ関係者との懇談会。21:30帰宅、21:45就寝。22:00病院から連絡出勤、患者死亡。1:20帰宅、就眠。

「ウイーン交響楽団」ヨハンシュトラウスアンサンブル・ニューイヤーコンサート
 1月14日、秋田アトリオンホールで「ウイーン交響楽団」のメンバーによるヨハンシュトラウスアンサンブルのニューイヤーコンサートがあった。たまたま、数日業務で机に向かっていた時間が長かったもあり、気分転換にと聴いてみることにした。

 聴衆の入りは僅か70%程度で、昨年の「ST.Petersburg 室内合奏団」の場合は40%程度だったことを考えるとまずまずの状況であった。昨年の今頃は大雪で交通事情も悪かったことも影響していたのだろうと今になって思う。

 今回来日した合奏団は、ヨハン・シュトラウス等のワルツが作曲された当時に近いスタイルで再現しようと1965年にウイーン交響楽団のトップ奏者12人で結成された。内外での評価も高い室内合奏団だという。

 本日指揮とソロとスピーチで大活躍したヴァイオリニストのヨハネス・ヴィルトナーは1956年生まれで、ウイーントーンキュンストラー管弦楽団のコン・マスとして迎えられた逸材でその後指揮も学び、現在ノイエフィルの音楽監督も務めているという。彼は頸にはさんだ楽器が皮下脂肪に埋没しつぶれるのではないかと思わせる肥満体で、一曲終わる毎に流れ落ちる汗を拭きつつ日本語も交えた英語でスピーチし、曲の解説の他いろいろジョークも飛ばし客席をとても良い雰囲気に盛り上げた。

 演奏曲目はヨハン・シュトラウス、ヨーゼフ・シュトラウス、ランナー等とアンコール全部で17曲と盛り沢山であった。

 合奏団は総勢12名でチェロ、バス以外は立ったままの演奏。各パートが一人だから各奏者の見事なテクニック、音色を味わうことが出来た。特にヴァイオリンの二重奏、チェロとの二重奏の部分は私にとって鳥肌が立つ程の見事な音色であった。

 ヴィルトナー氏はヴァイオリンを弾きながら指揮もするのだが、顔の表情も含めて実にパフォーマンス豊かで左右前後に歩き回りながら見事に弾きこなし、弓を使って指揮をした。演奏もさることながら、サービス精神満点な演奏、表情は見ているだけでも充分楽しめた。概して各奏者とも表情豊かであったが、初老のフルート奏者の姿勢の良さには感心した。
 新年のスタートに相応しい、楽しいひとときを過ごすことが出来、満足して病院に戻った。


1/23(火)晴れ 外来      法人常務会      県難病対策連絡協議会  県医師会と秋田大学医学部との話し合い  医局新年会
2:00起床、ドックx1、紹介状など。5:10病院着. 6:20回診他、7:55救急カンファ。8:45-14:15外来、14:30-16:10常務会、16:30-18:15県難病対策連絡協議会、18:30秋田大学医学部との懇談会+懇親会。20:00中座して医局新年会(大昌苑)に参加、22:00中座して帰宅、22:30就寝。

創られるニュース(3)「納豆ダイエット」に疑問を感じなかったとは?
 ここ2週間ほどの間に外来患者10人以上から、「納豆ダイエット」を始めました、と言われた。また「みのもんた」か??と思ったが、私は「食べてやせるダイエット方法は毒入りの食品以外ではあり得ない。全部ウソ。納豆なら社会貢献にもなるから是非長く続ければいい。ただし、肥るよ」と一部逆説的に述べたが、背景については大した関心もなくよく知らなかった。

 一昨日、関西TVはフジテレビ系で全国放送した番組「納豆でダイエットができる」で、研究者のコメントや検査データをねつ造していた、と発表した。内容を見ると完全に虚偽そのもの、ひどいものである。これが真実なら許されまい。
 全国の小売店で一時納豆の売り切れが相次ぎ、大増産体制を敷いた納豆製造業、小売業は突然売れなくなって悲鳴を上げているとの新聞報道もあった。関西TVの社長は「視聴者の信頼を裏切り誠に申し訳ない」と謝罪した、とのこと。言って置くが、私は新聞を含めてマスメディアの社会的使命や意義、技術は認めるが、マスメディアのなかで番組を作る関係者を、それほどは信頼していない。むしろ、自己の立場もわきまえない低レベルの報道を見聴きして呆れている方である。

 我が国では一番罹病率が高い疾患は実は「健康追求病」であって、約一億人が罹患している、と私は思っている。だから、健康をテーマにしたTV番組は特に影響が大きい。今回の不祥事は虚偽番組をわざわざ作成し放送したと言う意味で完全な犯罪行為であり放送倫理の上から厳しく糾弾されるべきである。

 一方、マスメディア、特にTVで取り上げられれば何でも疑いもせずに受け入れる視聴者はもっと情けない。「百聞は一見にしかず」と誤った風潮で、思考が全く不要なTV文明に慣れ親しんだ人々は、物事の判断力を完全に失ってしまっているようだ。

  たかが納豆、されど納豆であった。だが、私がもっとも危惧しているのは「新型インフルエンザ」に関連して生じるであろう「社会的パニック状態」である。納豆でも適正な判断力を欠く国ではこれほどの影響が出るのだから、感染力・死亡率の高い「新型インフルエンザ」が日々刻々と秋田に迫ってくる状況になれば、多分、県民はパニック状態となり社会は騒然とするだろう。蔓延すれば患者のトリアージ(治療要否分別)に納得できない家族によって病院や医療の現場は暴力沙汰の場、略奪の場になるだろう。
 これを防ぐのはマスメディアの適正な報道であるが、出来るかな?


1/22(月)曇り 朝焼け見事  管理会議  外来 21世紀の医療を考える集い打ち合わせ 療養判定会議  長副会議  
 
2:00起床。紹介状、種々処理.徒然日記送付。メールへの返事数件。5:15病院、回診処置。6:15回診、7:45-8:30管理会議、8:45-12:50外来。13:00-13:50 21世紀の医療を守る集いの打ち合わせ。16:00-16:40療養判定会議。17:00-20:25長副会議。21:30帰宅、夕食、22:10就寝。

創られるニュース(2)「果たしてニュースバリューはあったのか」 
 結局、読売に掲載された翌日には朝日、魁新聞にも掲載された。見出しも小さく、記述も単純であった。読売のミニスクープ的記事を追従した記事だから扱いは小さくなるのは当然であった。毎日新聞は取り上げていなかった。

 これで一致段落だろうが、やはり、マスコミの扱いに対しては疑問もある。

 あってはならない事ではあるが、果たしてこの当院のミスはこれほど大きく報道されなければならないほどのニュースバリューがあったのだろうか?ニュースバリューが乏しいものを大きく報道したと言うことは一つの創造であり、マスコミの価値観による、マスコミの機能を用いた一種の社会的制裁でもある。私は病院の責任者であるが、この件をこういう視点で捉えている。

 確かにミスはおかした。かつて当院でご家族のお一人を亡くされたというお宅に請求書が届き不快な思いをさせたし、最初に電話連絡を受けた当直の事務職員が事情を察知できずに適正な対応が出来なかったことで、更に不快な思いをさせたということは事実である。しかし、責任者の立場で事務長が訪問してきちんと謝罪し、先方様のご理解を戴いている。
 この一連の報道の背景に、「医療機関は社会的使命があるから特別なのだ」、と言う前向きの視点からの記事とすれば、それなりに受け止めたい。しかし、この件はマスコミの底流にある医療機関バッシング感情の現れとして取り上げられた、と私は思う。

 医療機関は社会的使命を負っている。無責任なことは出来ない。これは医療人に共通した考えである。

 マスコミは別の意味で社会的責任を負っている。世論形成にも深く関与している。しかも、医療関連の領域に関して言えば、必ずしも正確でない世論の形成に関与して来た。もう一つ最近の恐ろしさはマスコミによる社会的制裁効果である。マスコミの報道によって、裁判以前に社会的制裁が始まる。そんな時代になってきていることへのマスコミ関係者の自覚と認識も欲しいと思う。

 ともあれ、私はこの件について生じてしまった事実を謙虚に認め、反省し、二度と同じような謝りをおかさぬよう、各部署に手順の見直しを徹底した。


1/21(日)晴れ  病棟拘束  
2:00起床、ドックその他、いつもの如く。新聞チェック 7:45病院着、8:30救急カンファ。回診、重症者2-3名対応.紹介状、総括、主治医意見書等の書類処理進めた。16:00再度回診、18:50帰宅、ドック判定総括他。20:30夕食、21:30就寝。

自伝 中通病院  外来での印象(1)
 赴任直後から週3回ほど内科の午前外来と検診、院外の診療所への出張診療がそれぞれ一回ずつ割り当てられていた。

 外来は待合室を含め全体に狭く、診察室はいろいろな小物によって雑然としていた。診察室の作りは所々にパーテーションはあるものの基本的にはカーテンで仕切られており、時代柄もあったとはいえ、プライバシーへの配慮は殆ど無きに等しかった。しかし、隣の医師の診療が全部聞こえるたから、私にとってはすごく勉強になった。

 医師の診察机は古い木製の事務机で大小様々、その上にレントゲン読影用のシャーカステンが置かれ、汚くなった菓子箱に筆記用具、印鑑、舌圧し、懐中電灯等が雑然とおかれ、B5版の外来カルテを開くと机上には全く余裕がなかった。私は机が狭いと思考まで停止するのでこの点は辛いものがあった。診察用ベットも木製で、ビニールのカバーには亀裂が入り、薄汚く汚れ、歴史を感じさせるものであった。

 患者層としては高齢者が多いこと、社会的に種々の困難を抱えている患者が多いこと、自分の病気のためだけではなく、中通病院への期待、結びつきがとても根強いものを感じた。これが、この病院の歴史の積み重ねの結果なのだと言うことを実感し驚きもした。 

 内科外来を担当しているスタッフ達、医師も看護師も患者に対してあたかも知人に接する如くとても親切に接していた。ここでは医療従事者と患者との間の溝、差は無い、とまでいうと嘘になるが他の医療機関でのイメージとは大きく異なるものがあった。医師達は患者に対しよく話しをし、病状をよく説明をすることには感心した。特に生活上のアドバイスをきちんと行うことは私にとっては驚きでもあった。看護師達も患者に対してのとても優しく対応するのには感心した。

 システム上でまず驚いたのは県内ではまだ殆ど普及していなかったが、既に院外処方箋を発行していたこと、医事課の処理が分割方式をとっていたことで、診療終了後近くのカウンターで検査伝票、処方箋、会計伝票を発行し、最終的にはメインホールの会計カウンターで支払いを済ませるもので、事務処理を能率的に行い、患者の待ち時間を減らす仕組みだと言うことであった。また、外来マネージャーと称する外来の庶務担当と言うべき事務職員が配置されていることで、その業務内容は重要ではあるが当時からつい最近までマネージャーと呼ぶことについて私はずっと違和感を感じてきた。最近やっと慣れた。


1/20(土)曇り  病棟拘束   歯科受診 眼鏡店
2:00起床。まだ若干疲労感・倦怠感が残っている状態。ドック関連x1、ほか.5:30病院、6:20回診+病棟業務、8:10ドック診察x5。8:30救急カンファ。9:00ドック結果説明x2。以降はずっと机上業務。体調は完全に改善。15:00-17:00歯科と眼鏡店に。20:00帰宅、夕食、22:45就眠

創られるニュース(1)「死亡元患者に診療費督促 中通総合病院」 
 本日、読売新聞秋田版に「中通総合病院が未収になっていた元入院患者の入院費20万円の督促を、7年以上前に同病院で亡くなった別の患者の家族宛に誤送付していた。受け取った家族が病院に電話連絡して初めて誤送付が解った。同病院はうっかりミスで申し訳ない、と平謝りしている」、と言う内容の記事が4段組の大きなスペースで掲載された。

 私は今朝事務職員から見せられ、さらにNHK、朝日、毎日、魁新聞からも取材の申し込みが来ているというので驚いた。これほどの扱いになる何か大きなミスを当院がやったのか?何故、今朝まで私に知らされなかったのか?私自身も何らかのアクションが必要か?と緊張したが、読んでみて正直なところ若干安堵した。

 内容的には上記の通りであって、請求書は1月16日付けで送付され、18日夜に誤送付された家族の方から当院に連絡があったと言う。翌19日に事務長他が誤送付された患者宅を訪問し謝罪している。私に連絡がなかったのは東京出張中であったことと、事務長レベルで処理可能と判断したためであろう。事務長はこのために一日病院に詰めて対応していた。

 この件については当院の完全なミスである。患者名とID番号を双方確かめるという基本的なプロセスを省いたために、同地区に居住していた同姓同名の患者と誤認したというものである。誤送付された方の驚きや怒りは如何ばかりか、と思う。今後二度と同様のことを生じさせないよう、手順の遵守を徹底させなければならない。

 この件は本日昼のNHK-TVのニュースでも報道されたとのこと、私も歯科医院への移動中にNHKのニュースをカーラジオで聴いた。多分、明日の朝日、毎日、魁新聞にも掲載されるであろう。
 この件に関しての病院の責任に関しては謙虚でありたい。あってはならないミスであり、申し開きするべき点は一つもない。

 ただ、マスコミの扱いにしては疑問もある。ミスは確かにあったが、果たしてこのミスはこれほど大きく報道されなければならないほどのニュースバリューがあるのだろうか?と言う疑問である。

 私の目から見てこの誤送付がニュースバリューがあるとすれば以下の如くに考える。
○ 請求書に他の患者の個人情報が含まれていた。
○ 病院は同様のミスを何度もおかして来た。
○ 同時に多数の誤請求がなされた。
○ 家族が病院に連絡しても誠意ある対応が見られない。

 尤も、この件をどう受け取るかは各人の自由である。院長である私の感覚の鈍さが指摘されるかも知れないし、この意見が悪しき方向に解釈される切っ掛けになるかも知れない、と危惧するところもないわけではないが意見は述べておく。


1/19(金)秋田・曇り 東京・晴れ  日医病院委員会 
2:00起床。ドックx1、紹介状返事、徒然など。5:10病院着.6:20回診他。病棟対応、出張準備。7:55救急カンファ。10:00病院発秋田道経由空港へ。11:10ANA767-300、搭乗率は30%程度とガラガラ。羽田近くで着陸順番待ち10数分。風の中比較的大きな衝撃と共に着陸した。車輪他着陸装置の構造は実に丈夫なものだ。13:30-16:00日医病院委員会、情報種々あり。17:55JAL、MD-90、満席。20:00帰宅、夕食。20:30就寝。

出張雑感 体調不調で若干辛かったが、時間感覚からは快適だった
 冬期間の出張は天候による不安定要素もあるから大抵は新幹線を使う。だが、今年はちょっと事情が異なる。殆ど雪が無く、天候も比較的安定している日が多く、今回は新幹線と空路と両方予約した。実際にはそれほどの差がないのだが、こまちでは4時間同じ席でジッとしているのは本が充分読めて良いのだが、所要時間以上に長く感じるし、空路の往復約2時間の時間の差の魅力は捨てがたい。昨日午後、予報を見ても天候もそう悪くなさそうなので夕方新幹線をキャンセルした。

 早朝から午前前半までは何と言うこともなかったが、10:00頃から何故か強烈な全身倦怠感、脱力感が襲ってきた。そのために空港までの運転はいつもよりは辛かったが、逆に緊張していたためか通常なら襲ってくる睡魔も今日は比較的少なかった。不思議なものである。

 空港待合室でぐっすり寝込んで係員にやんわりと起こされた。機内でもすぐ寝込み、離陸したのも気付かず、目覚めたのは結構大きな着陸の衝撃であった。15分ほど遅れての到着で着陸順番待ちしていたらしい。モノレール、JRでも居眠りしたが、幸い、次第に体調は回復してきた。

 病院委員会には若干送れて到着、協議の中では重要な情報がいろいろ飛び交った。何らかの発言とも思ったが今ひとつ踏ん張りがきかず聞き役に徹した。この委員会は有床診療所から大規模病院、療養病床、精神病床等と多くの関係者によって構成されているので話題が多岐に及び、私はまだついていくのがやっとである。

 帰路も同様、浜松町の書店で何時もの如く本を数冊買い込んだが、数ページ読んだだけで熟睡、夢うつつの中で秋田空港に着陸した。駐車場までの間、寒さが身にしみた。

 今日は移動時間中殆ど寝ていたから一瞬で移動できたに等しい感覚で往復した。身体は若干不調であったが移動自体はむしろ快適であった。両立はあり得ないが、バッグに詰めた本、新聞、MDに手を付けられず、楽しみにしていただけに些か残念でもあった。


1/18(水)曇り 外来 県身体拘束関連事務局員来訪 県と医療評価調査に関する協議会 朝日新聞取材 
 1:45起床。ドックx1。総括、紹介状。医師会報原稿、他処理。5:10Taxi病院着、6:30回診+病棟業務、7:55救急カンファ。8:45-14:45外来。15:00県身体拘束防止委員会関連事務局来訪、打ち合わせ。病棟患者対応。17:30-19:00県の担当部署と医療評価調査に関する協議会、19:30-20:45朝日新聞社記者来訪、秋田県がん治療その他に関して取材を受けた、と言うかレクチャーした、と言うべきか。21:40帰宅。22:00就眠。

生活保護受給者に厳しい締め付けが目立って来た
 病気や失業で自活することが難しくなった時、支えになるのが生活保護であるが、高齢化や不景気によるリストラ、再就職困難な経済状態もあって申請者は増え続けているという。

 私はその保護について詳細は知らないが、「支給の条件が厳しすぎる」「いや、甘すぎる」、と言う両極端な意見が見られている。実際には、福祉事務所で相談し申請がるのは3人に1人といわれている。そこの判断は厳密かつ公正でなければならないが、個人情報保護の観点からその過程を知ることは困難である。県に情報公開を求めたある方の対応には私も関与したが、約一年を要しその一部が本人に開示された。

 国は何でもすぐ削減、縮小と言う方向性を出すが、それだけでは生活保護難民が誕生するだけで片手落ちである。保護から抜けるための方策も同時に提案すべきである。知事会などによる現役世代の支給期間を最大5年とする保護制度も参考になる。支給を受けている間に社会的、経済的自立を支援しようとするもので諸外国では既に導入されている。横浜市の就労支援政策も有用だろう、保護費が5億円近く減ったという。ただ、産業が無い秋田でこの方策が有効に成り立つかは疑問である。

 私が担当している外来には生活保護受給者が結構多く100人近くはおられるだろう。この方々への就労可能か否かの問い合わせが最近とみに増えた。多くに「軽作業なら可能」という判断をしているが、実際に収入を得て離脱できた患者は1-2名しか挙げられない。

 また、増えたのは社会保険事務所からの厳しい訪問指導で、若い職員が辛辣な言葉で強迫に近い状態で締め上げる、と涙と共に訴える患者である。不安神経症、心身症の悪化、鬱状態の悪化を来している患者も居るからあながち嘘ではないと思われる。先週あったある患者からの相談は、「秋田で何もしないで一人で暮らしているのはダメだ。働かないなら兄をたよって栃木県に引っ越せ」と言われ悩んでいるというものであった。要するに受給者を他の県に移してしまえば一件落着、と言う感覚である。しかし、私はその様子が分からないから何とも言えないが、現場では厳しいせめぎ合いがなされているようで、受給者のうち気の弱い方は担当が訪問して来る日は怖いという。私は、面談の時誰かに同席して貰いなさいと提言する事くらいしかできない。

 厚労省と地方団体は昨年、生活保護の補助金の削減をめぐって激論を繰り広げ、決着がつかなかった。
 私は無力であるが、これらの情報は機会ある毎に自治体や県に発信していきたい。


1/17(水)晴れ 外来  県感染症評価会議 県難病対策会議打ち合わせ 院内感染症対策委員会(欠) 院内対策会議   県医師会常任理事会 給与関連委員会
3:15病院椅子で起床。腰痛若干、そのまま業務。ドックx1。総括、紹介状。医師会報原稿、他処理。6:30回診+病棟業務、7:55救急カンファ。8:45-13:45外来。14:00-15:25感染症評価会議+難病対策協議会打ち合わせ。16:00院内感染症対策会議は欠。16:30-17:30院内対策会議。17:45-20:10県医師会常任理事会、遅れて参加、終了後給与改定検討会。病院にて業務若干。21:30帰宅。22:00就寝。寝不足と会議が重なった日。

豆腐を噛んで歯が欠けた(2) 2時間治療受ける 
 私には医科領域には今のところ特にお世話なっている特定の医師はいないが、歯科領域には、勝手に「かかりつけ歯科医」と決めているS医師がいる。尤も、私が今まで、お世話になった歯科医は僅かに3人だけである。岩手、新潟、秋田でそれぞれお一人だけである。

 秋田大学で勉強中に齲歯の治療を担当してくれたのが当時大学の口腔外科教室で研修中のS医師であった。それから約30年、彼は市立病院、歯科医院勤務等を経て開業されたのだが、私は数年に一度くらい自分の都合で追っかけて治療を受けてきた。

 痛くなってから飛び込む悪い患者の一人である。その度毎に私のスケジュールに合わせて集中的に治療して下さった。だから、今まで3回以上続けて通ったことはない。各回の治療時間は長かったが、通院回数では最短で終了していただいており、感謝感謝であった。しかし、今回も含めて迷惑な患者の一人でなのだろうと恐縮している。

 今回は5年振りほどになるだろうか。恐る恐る電話で事情を話したところ快く引き受けて下さり当日午前に予約となった。一昨日の治療時間は何と2時間にも及んだ。11:30-13:30迄である。全体の評価、レントゲン撮影、歯石取り、齲歯部の治療と型どりである。

 昼の休憩時間にもかかわらず、私一人のために数人のスタッフが代わる代わる処置に関わってくれた。終了時には口腔内は全体にスッキリした良い感じになっている。鏡を見ると実に綺麗になっていた。

 全体的に違和感があったために、歯周病とかの厳しい判断をうけるものと覚悟していたが、抜歯もせずに済みそうである。受診前の重苦しい気持ちは帰院時にはすっかり吹き飛んでいた。これからはもっと歯を大事にし、定期的に受診するなどしなければならない、とと心を入れ替えることにしよう。
 歯はスッキリしたが、2時間も大口を開けていたから顔全体は丸二日、違和感が取れなくてぎくしゃくした感じであったが、今朝ほどはもう消えていた。


1/16(火)終日曇-小雪 外来   法人常務会 医局会・MC
2:00起床。ドックx1。研修通信」用原稿作成。5:10病院。6:30回診、病棟業務、7:55救急カンファ。8:45-14:00外来。14:30-16:00法人常務会、17:30医局会・MC。病棟回診ほか業務。21:00帰宅。21:45就寝。0:15電話、患者不調で出勤。何とか持ち直す。2:00部屋の椅子で就寝し経過観察とした。

豆腐を噛んでいる最中に歯が欠けた(1) 歯科受診への誘いだったのか 
 「豆腐の角に頭をぶつけて死んじまえ・・」と言う、何とも人を小馬鹿にした、一方ではユーモラスな諺と言うべきか言い伝え、がある。ところが一昨日、私の歯が夕食の湯ドウフを噛んでいる時に欠けてしまった。驚いたし、あまりのことにガックリ来た。まるで上記の言葉そのもので、似たことは有り得るのか、と感心もした。
 勿論、実際に歯が大きく欠けたのではない。10年ほど前に治療した齲歯に詰めた金属片が外れたのであるが、実際に歯の一部も欠けていた。だから外れたのだろう。これが硬いものを噛んでいたときなら十分に納得できるが、豆腐だったと言うことを俄には納得し難い。何らかの解釈が必要であろう。

 私は歯並びがとても悪い。子供の頃はこれほどではなかったが年齢と共に徐々にひどくなった。これは下顎骨の発達が頭蓋骨の発達に比して十分でないために歯が場所を譲り合って互い違いに並ぶようになるのだ、と言う説明を主治医である歯科医の説明受けた。確かに私の下顎は上顎に比して小さいし、うちの子ども達3人の歯並びも良い方でないから、私の資質を受け継いでいると思われる。でも、機能的には不便していないし、私が例えば飛行機事故等で身元も分からぬほど損傷を受けたとき等、これは空路を利用するときにいつも想定するのだが、には歯科法医学の立場からは識別は極めて簡単と言うことにもなるからマイナスの要素だけではない。  

 私は歯については結構神経質である。よほどひどくならなければ治療に行かないが、気持ちだけは結構気にしている。
 だから、子供の頃から爪楊枝で歯間を掃除することと頻回に歯磨きすると言う生活習慣につながっている。子供の頃からいつも爪楊枝を噛んでいたから、スリッパ姿と共に私のトレードマークにもなっている。爪楊枝に関わるエピソードも少なくない。

 もう5年以上も歯科を受診していなかったが、一昨年あたりから下の前歯中心に全体的に軽く違和感があったし、新しく齲歯も生じていた。いつかは治療に行かねばならぬ、ならぬ、と思いながら忙しさにかまけて先送りにしてきた。今回詰め物が外れた歯は私にとって想定外の、とても調子の良い歯であったこともショックを受けた原因の一つである。

 自ら犠牲になって私を歯科に誘ってくれたのだろうと解釈することにした。同じ事象でもそう考える方が楽しいから。


1/15(月)曇,比較的温暖   管理会議  歯科受診 療養判定会議 長副会議
2:00起床。紹介状x1、など。メール対応。5:10病院、6:15回診他。7:45-8:25管理会議、10:00医療安全管理者と協議、11:30-13:30歯科受診、治療、2時間。16:00療養判定会議。17:00-19:50長副会議。重症患者回診、21:30帰宅。夕食、22:00就寝。

医療制度も県単位の時代に(2)都市部は地域を支援せよ
 長野の県民一人あたりの医療費が少ないことが注目されている。何が原因かははっきりしていない。高齢化率も決して低くない。唯一他の道府県に比較して異なっているのは高齢者の就業率の高さだけだという。

 国は医療費削減のためにいろいろ検討しているが、都道府県毎に大きく医療費が異なっていることには前から注目してきている。高齢者が多くなると、高齢化率が高まると医療費は否応なしに増えてくる。それの軽減対策を国全体で行うのではなく各県の医療費の評価と対応を各県に押しつけようとしている。豊かな医療費を用意して各県で適宜相応しく遣ってください、と言うならそれも良いだろうが、削減目的だと事情は一変する。

 秋田を始め各地方は、青少年を地域の公的資金を投入して育成している。義務教育を行い、高卒年齢、労働年齢になるまでの育成にかかる公的費用は具体的な値は忘れたが1.000万円を優に凌ぐ。それに私的な費用を加えれば更に高額になる。秋田には若い労働力を吸収するほどの産業がないから、若い人達はこぞって都会に出て行く、あるいは出て行かざるを得ない。そして、所得に関連した税金、住民税等は全て東京とか神奈川に納められる。地方は支出だけ強いられ、収入はない。都市部は漁夫の利を得る。だから、これらの都市部は地方から労働力を介して活力、経済力を搾取しているようなものだ。

 子を産み育て、都会に送り出し、残された親たちもやがて歳をとる。そんな老人集団が医療費を使いすぎるからペナルティを考え、更に抑制する。これは不可解な話だ。働き手が多く景気が良いところも地方の親あってのことだから、日本全体で考えて良い、と思う。私はよく言うが、美しく雪をいただいた富士も、広大な裾野があってこそ存在しうるのだ、とここでも強調したい。
 よしんば、もし、都道府県別に考えるならば逆に都市を抱える地域にこそ過疎の地を支援するというペナルティを課すべきである。


1/14(日)曇り、小雪   病棟拘束 ウイーンsoヨハンシュトラウスアンサンブル
2:30起床、紹介状、5:30-6:30坐位にて微睡む。7:00病院にて書類整理、8:00回診、重症者対応。退院総括、紹介状など。14:00-16:30ウイーン交響楽団ヨハンシュトラウス合奏団演奏会。回診再度ほか、19:30帰宅、夕食
。湯豆腐を食べているときに、なんと歯がかけた!!ショックである。20:30就寝。

自伝 中通病院 2 私にとって息苦しかった医局
 私の机は中堅医師10人用の部屋で、かつ机の場所は真ん中であった。徐々に馴れたとは言っても、物理的に狭いこと、かつ同室の医師達の間に殆ど会話らしきものがない、異様な雰囲気があって、私は息苦しさを感じた。好きなようにレイアウトし、ストレス解消のオアシスとして時間があれば自分の机に向かっているのを好む私にとって正直言って大変な環境であった。新人でもあり、朝には私の方から殆どの医師に対して挨拶をしたが、はっきりとした反応さえ示さない医師が10名近くはいた。これは何なんだ、何という雰囲気か、と言うのが赴任直後の私の偽らざる印象であった。

 診療科としては内科で赴任時は私を入れて4名のスタッフで、先輩内科科長、呼吸器科科長、卒後3年目の研修医であったと思う。研修医は6月に大学病院に戻る予定となっていた。私は肩書き不要、内科医で良いと申し出ていたが辞令は内科科長であった。

 着任翌日から診療としては、午前外来は週に3回と診療所への出張診療が1回、入院患者としては7階の内科病棟の患者数人の担当が決まっていた。
 実際に診療内容そのものにそう大きな差があるものではないが、高齢者が多いこと、いわゆる社会的弱者と言われる、いろいろな問題を抱えた患者が多いことは驚きであった。既に十分に人生のターミナルに達っしている、と思われる入院患者に果たしてどんな治療、対応すればいいのか、迷った事も少なくなかった。ここでは疾病の治療だけでは不十分であった。このことなどから今まで殆ど関心のなかった医療・福祉制度への関心が徐々に高まっていった。

 一方、着任当初から、如何にして医局でのストレスを減らすべきかを考え始めたが、当たり前の時間帯とずらして仕事を進めるのが一番と、回診時間その他を調整し、出勤時間、帰宅時間も調整した。仕事が混んでくるようになってからは一旦早めに帰宅し、再出勤することも希でなかった。
 とにかく赴任直後は、得も言われぬ違和感の中で過ごした事のみが思い出されてならない。


1/13(土)曇り雪若干   病棟拘束  
2:00起床。紹介状、新聞チェックなど、5:20病院着、新雪3-4m。7:00回診。重症者対応。机上業務処理。総括書作成。重症者対応。部長面談。19:30帰宅。アイスバーン状態、車はよく滑った。夕食、20:30就寝。

医療制度も県単位の時代に(1)医療費削減目的ならおかしい
 これも小泉さんの置きみやげの一つであるが、今後、国の各制度は都道府県を単位として地方分権化の時代に入っていくと言われている。医療制度も例外でなく、これまで厚労省が進めてきた業務が段階的に県に移行していく、という。 

 これは良い点もあるだろう。何でもかんでも中央の、都会の原理で進められてきていることに問題はあった。地方には地方の文化があり、特質もある。これを緻密に生かすのであれば悪くない方策なのかも知れない。でも、果たしてそうなのだろうか?

 場合によっては、診療報酬の策定も都道府県単位になるかもしれない、とまで言われている。要するに同じ治療をしても、県毎に値段が異なる、と言うことである。これはどういう意味なのだろうか?貴重な医療資源を有効に配分するため、と言うよりも、医療費の更なる削減を目的にしているのではないか?多分こちらの方なのだろう。

 しかしそんなの基本的人権の侵害でないか?まだ詳細は発表されていないから分からないが、これに抵触するなら始めから問題外だ。

 それに、各都道府県の担当部署には診療報酬の策定や医療計画に基づく緻密な政策を組み立てる事が出来るほど能力のある人材はいるのだろうか。新たな疑問が湧いてくる。到底無理な話だと私は思う。厚労省には机上に楼閣を積みあげる能力に長けた、仕掛け人と言うべき役人が大勢いる。視点はずれているがすごい能力である。一方、地方には、と考えてみると国の方針に若干色を付けることが出来るレベルの事務職員がいるだけである。地域がん診療連携拠点病院の件では、私どもはそれで辛酸を舐めさせられた。

 何で国がよりきめ細やかにコントロールしてはダメなのか、と思う。多分、この件に関するルーツは都道府県毎に県民一人あたりの医療費が大きく異なることなどが背景になっており、医療費が高い県を締め上げること、これによって国全体の医療費を削減すること、に目的があるように思える。


1/12(金)曇り、部長面談 金田参議との懇談会 法人理事会  市医師会医療安全・感染症研修会            
 
2:00起床。職員への新年の挨拶校正。徒然。5:10病院着、重症者複数対応。外来無し、7:45部長面談。机上書類大量処理・・予定が患者急変にて果たせず。12:30-14:00金田参議院議員と懇談。病棟対応。17:30-18:10法人理事会。18:30-20:15秋田市医師会医療安全・感染症研修会。病院で若干業務。21:30帰宅、22:00就寝。

さきがけ新聞 社説「誤着陸のミス。影響、計り知れぬ」を読んでの疑問
 秋田空港で1月6日大韓航空機が誘導路に誤着陸した。昭和56年の開港以来初の重大な事態であったが、幸い乗客乗員130人にけがはなく、機体の損傷もなかった。国土交通省調査委員会によると、現段階では韓国人機長のミスらしいことである。
 その後、この件に関して連日関連記事が取り上げられており、12日には社説として掲載された。

 社説の記述内容は連日の掲載記事を並べたような印象で、以下のような厳しい内容の記述である。
● にわかに信じ難いトラブル●こともあろうに、平行する誘導路に着陸した●秋田空港の利用者に安全との安心感が根付いていた●大惨事につながりかねず、県民に与えた衝撃は大きい●秋田ソウル便に関し、安全性に疑問符を投げ掛けた誤着陸が各方面に与えた影響は計り知れない●誘導路の幅は滑走路の60mに対して誘導路は半分しかない。機体の主翼が誘導路からはみ出た状態で着陸した●秋田ソウル便は客の掘り起こしが課題で、大韓航空側が二度とこのようなミスを起こさないよう十分な対策を講じ、県民に説明することが重要だ。

 滑走路・誘導路以外に着陸したのなら信じられない。あってはならないことだが、平行する誘導路に着陸したことは過去にも記録はある。秋田空港の利用者に安心感が根付いていたが、今回のことが県民与えた衝撃は大きいとの部分は、記載者の個人的な感覚でしょう。私も県民で利用者であるが、こんな感覚は一切ない。マスコミの方々は自身の個人的感覚を普遍化して表現する悪癖がある。
 国内便であっても意義は同じであるが、社説の題名は特にソウル便の搭乗率、経済効果に与える影響のことを示すのだろうか。たまに来るボーイング777の主翼幅は秋田空港の滑走路の幅より広いが、問題かな?

 どんな分野にも単純ミスはある。だから今回生じたインシデントレベルで済んだ事態は、ないよりはあって良かった、と私は思う。これで航空側は二度とミスを起こさないよう対策を講じるだろうし、空港側のバックアップ機構も検討されるだろう、と思うからである。結果を安全につなげればいいのだ。


1/11(木)降雪若干  外来  医師面談    研修管理委員会
2:00起床。人間ドックx1、紹介状。徒然。5:15Taxi病院着、6:20回診、重症者対応。7:55救急カンファ。8:00ドック診察x3。8:45-14:50外来、混雑。15:00医師面談数件、16:00-17:00臨床研修管理委員会。途中で患者死去して中座。剖検す。21:20帰宅。道路は少しの雪で鏡面状態。夕食、22:10就寝。

私の行動のルーツ(5)
40-50年前の絵はがき、古い原稿用紙等を今ころ消費
 かつては紙が貴重品であった。習字など新聞紙に書いて練習したものだし、トイレの紙も新聞紙だったり、わが家では医事新報であったりしたものだ。いろんな意味で私は物心つく前から今日まで日本医事新報に親しんできたことになる。  

 その頃迄は書類用の紙と言っても一般的な普及品は質のあまり良くない黄色っぽいワラ半紙であったが、70年代から白い、比較的高級な白い用紙に代わってきて、比較的潤沢に手に入るようになってきている。
 この頃から、各製薬会社では社名の入った原稿用紙とかレポート用紙を折りに付け配っていた。これは当時の普及品よりも上級な紙質であり、ケチな私は勿体ないと殆ど使うこともなく段ボールとっておいた。さらに90年代になると更に上質なワープロ用紙などもこれに加わった。 

 2年ほど前に物置を整理していたときに、20数年も手をつけていなかった箱の中に上級紙が沢山あるのに気付いた。積みあげると50-60cm程になる程の量である。心持ち黄ばんでいて歴史を感じ取ることが出来る。今使わなければゴミになる、とこれらを病院に持ち込んで機会ある事に使っている。人間ドックの説明用紙、紹介状などを受け取った方々の中には、上質ながら明らかに古めかしい用紙が使われていて訝った方も少なくないだろうと思っている。

 とにかく私は最近、買い込んだもの、貯め込んだものを一生懸命消費している。将来、誰かが整理してくれるであろうが全部ゴミ箱行きだろう。それじゃなさけないし勿体ない、と自分でどんどん消費している。間に合うかな?と思うほどいろいろあるから焦っている。

 絵ハガキを集める趣味があったわけではないが、子供の頃から勿体ないと溜め込んでいた。半世紀も前からのが200枚近くあったが、これに古い一円切手から20円切手などを貼って出すとすっかりタイムスリップする。高齢の方々には良い趣味ですね、と随分喜ばれた。やっと数枚にまで減ってきた。

 当時、勿体ないと使えなかったものを今やっと使えるようになった。ホントに母ゆずりの、ケチな性格だと自らと思う。
 今はオーダリングで大量に消費されている紙を見ていて心が痛む。裏紙などとして有効に用いられているのだろうか?怖くて聞けないでいる。これらを勿体ないと回収したら、私は紙で圧死してしまうだろう。


1/10(水)曇り、 降雪2-3cm   外来 「21世紀の医療を守る会」打ち合わせ メディカルサービス取締役会  郡市医師会長協議会+理事会+新年会     
3:00起床、さすがに眠い,医師会関連文書校正。遅く起きると殆ど何も出来ず。5:10病院、6:30回診、重症者数人対応。7:55救急カンファ。8:40-12:40午前外来。中座して13:00-14:00「21世紀の医療を守る会」打ち合わせ。次回開催内容について概略検討。15:00医療安全委員会。16:00秋田メディカルサービス取締役会。16:30-19:00郡市医師会長協議会+理事会+新年会。アルコールと睡魔のために中座し、帰宅。20:10就寝。殆ど何も処理できなかった一日。

朝5:05頃、シルバーカーを押して、黙々と歩くおばあさん
 秋田市の中心街の信号はかなりの部分歩車分離信号となった。私は歩行者の安全を守ると言う意味ではこの信号設置には賛成である。ただし、それは歩行者が多い日中での話。歩行者が殆どいない深夜・早朝はせめて通常の信号に戻して欲しい。簡単なはずだ、セッティングにタイマーでも組み込めば出来る。

 早朝の道路、誰も通らないところで2分半も止まっているなんて非人間的である。私はやむなく防衛する。方法はルート変更である。

 ここ3年ほど、信号のサイクルにうまく合いそうがないときにはサブルートとして秋田ワシントンホテル前を通り竿灯通りに出る。この通りを何度か通っているうちに、朝5:05頃、ほぼ決まった時刻に黒いシルバーカーを押して、毎日毎日、黙々と歩く、腰の曲がった小柄なおばあさんが居るのに気づいた。黒っぽい和服にもんぺ姿、冬は長靴、夏は下駄、頭には頭巾を深々とかぶっている。だから、顔は見えない。昔の田舎のおばあさんの雰囲気そのものである。雨の日も、風の日も、雪の日も、である。雪の日は黒いから分かり易いが、雪がない季節は周辺にすっかり融け込んでいて、運転する立場から見るととても危ない格好である。ホントは家にある反射ステッカー、テープをシルバーカーに貼ってあげたい、と思うが驚くだろうと思うと声も掛けられない。

 姿形から予想するに、多分かなり高齢なのだろうと思う。毎日何のため??と思っていたが、ある朝、シルバーカーのバックからネギが数本見えていた。多分、近所に住む息子か、孫の家に朝食とか弁当を作りに行くのだろう。どんな事情か解らないが、このおばあさんも多分一人暮らしなのだろうと思う。行く先では住人はまだ寝ているのではないか、暖房も乏しい台所で黙々と朝食を作るのだろう。もしかしたら真っ黒なネコも居るのかもしれない・・すれ違う度毎にそんなことを考えてしまう。

 一昔前の、田舎の厳しい環境の中で黙々と働き、日本を支えた強い母達、おばあさん達の姿をつい思い出す。わが家の祖母を想い、母を想う。そうそう、高一の時世話になった下宿のバーさんにも似ているなあ。
 歩車分離信号が私に与えてくれた恵み、だと思っている。


1/9(火)曇  降雪2cmほど  管理会議   外来   常務会  医局会 (院長新年の挨拶) 長副会議
1:30起床、ドック総括x1、徒然。5:10病院着、6:30回診、7:45管理会議。8:45-14:10外来。14:30-16:30常務会、療養病棟判定会議なし。17:30-18:20医局会で 院長新年の挨拶。18:30-21:30長副会議。入院患者対応。22:30帰宅。23:00就寝。

「いざなぎ超えの好景気」って何処の国の話??
 いま、日本は戦後最長の景気拡大を体験しているのだそうだ。政府の月例報告によれば、景気の回復は4年と10カ月続き、40年前の「いざなぎ景気」を超えた、とされている。バブル崩壊、金融不安等によって落ち込んでいた日本の景気は小泉首相が行った強引な構造改革によって金融が正常化し始め、景気は少しずつだが上向き続けてきた、と考えられている。だとすれば、小泉前首相をちょっとは見直さなければならないか。

 私は経済関連には特に疎い方であるが、「新年の挨拶と今年の所信」の原稿を作る際に、医療の今後を語る必要があるから、日本の経済についても勉強せざるを得なかった。どんな資料を見ても景気は確実に回復している、と書かれている。しかし、生活上実感が全然湧かない。秋田にいる限り全く景気回復など何処の世界の話かと思ってしまう。逆に、秋田では不景気が続いているとの実感は十二分である。しかし、たまの出張で東京とかの都市圏に出かけると、不景気の最中にあると言われた時ですら日本は本当に不景気か?と思った状態で、自分としては全く実感すら出来なかった。

 しかし、40数兆円にまで落ち込んだ日本の税収入は前年53兆円まで回復し、その大部分は企業からの税収であるらしい。だとすれば本当なのかと思わざるをえない。
 景気回復が実感を伴っていないのは一般住民の個人消費意欲が一向に盛り上がらないからなのだろう。経済成長には個人消費の回復が欠かせないから、これを欠く景気回復は脆いとも言われる。消費が増えない原因は、将来への不安があるからだ。かつては特有の終身雇用制度があったから、みんなが安心していられたし、お金を使うことも出来た。今は、職場の明日はどうなるか解らない、多くの人達はそんな不安の中にいる。更に、年金や医療保険など社会保障制度が信頼を失っている。だから、将来への不安からお金を使えない。それが、市民感覚というものだ。

 景気が良くなれば給料が増え、ゆとりが出る。そして消費が増える。これが従来の景気拡大の構図だった。だが、労働者の賃金水準はいまだに高まらない。これも当然である。企業は競って雇用や人件費減らしに走った。パートやアルバイト等の非正規雇用者が一気に増えた。これらの方々はおしなべて低賃金であり、身分も不安定である。

 数年前にヴェルサイユ宮殿を訪れた際、人類の文化遺産としてその素晴らしさは認めざるを得なかったが、それよりも、私は当時の民衆の姿が彷彿とされてきて心底から楽しめなかった。あれだけの遺産は格差社会でなければ、それもただ事でないほどの超格差社会で、民衆からの搾取、その日のパンまで持ち去るくらいの搾取が行われなければ出来ない、と思う。

 いま、大企業を中心とした景気は好調だと言われているが、それを思うとき、フッとあの宮殿で味わったイヤな感じが私のこころをよぎるものがある。
 日本の今の景気は労働者からの搾取の結果、数値上だけの好景気になっているのではないか。労働者に分配されていない。だから一般大衆にとってその実感が伴わないのだ、と思う。


1/8(月)成人の日 曇り一時風雪  積雪0cm  病棟拘束
2:00起床。ドック処理x1他、6:40病院に。回診、事務処理。8:30救急カンファ。以降は
夕方まで明日の医局会での「新年の挨拶と所信」の原稿に集中。A4版8ページとした。20:00帰宅、夕食。家内は患者急変で食事途中に病院へ。21:00就寝。

家内の家系は何で男ばっかり生まれる?  孫、ひ孫の14/16が男子
 昨日は我が家で新年宴会があった。家内の両親が健在であったときには両親の家に集まっていたが、共に亡くなってからは家内の発案で我が家で開催している。
 昨日は家内含め同胞4人、その子供達10人のうち6人、孫達6人とその家族達総勢19人が集まった。普段使っていないテーブルなど出したから足の踏み場もないほどであるがそれでも子供達は隙間を見つけては走り回る。ネコ3匹は危険を察知してソファの下やピアノの上に避難している。

 みんな揃ったところで、堰を切ったが如く子供達へのお年玉の交換、乱舞が始まる。我が家の子供達もみんなこんなにして戴いたものだが、今は皆独立しているからあげる立場になっている。小さな袋が次々と飛び交う。ひ孫達は一人あたり10枚近くの小袋をもらう計算になる。協定額も決めているが、あまり守られていないようだ。昨年「僕ね、玉より紙の方が良いんだよ」と言った孫も今年は何も言わなかった。袋の数が多かったためか、コインがなかったためか。

 秋田で人が集まると酒盛りが始まる。ビール、ワイン、日本酒、焼酎と様々である。私は飲めないから、始めから酒盛り集団のメンバーとしてはあてにされていない。端の方で料理や総菜をつまみながらビールをチビチビと舐めるだけ。話題もさまざまで、それが私にとって一番のご馳走になる。なかなか楽しい会である。それでも誰よりも早く深く酔ってしまい、一足先に2階で寝てしまった。これもいつものパターンである。早朝、降りてきたが、殆ど跡形もなく片付いていたのには感心した。

 この集団を見ていて気づくのは、家内の両親から見ると、子どもは女が優位だが、孫とひ孫は男ばっかりだと言うことである。

 家内の両親は一男三女であった。その4人から全部で10人の孫が誕生しているが、そのうち8人が男児である。更にその孫達から今のところ6人のひ孫が生まれているが全員男児である。要するに家内の両親から見ると孫、ひ孫は14/16が男児と言うことになる。これほど揃えば明らかに異常だと思わざるを得ない。だから、わが家の娘と家内の妹宅の娘の存在価値は大きい。が、昨日は残念なことに二人とも来れなかった。

 視点を変えて私の両親から見た場合、子ども、孫の代までは7/8が男性であり並べてみれば似たようなものかとも思う。一方、賄いの石井さんは娘が二人、孫2人は男児と比較的バランスが取れている。

 マア、子どもを含めてこれほどの人数が一堂に会すると場は明るくなるし、心が和んでくる。性別なんてどっちでも良いのだ。大きな集団としてみればバランスが取れて居るはずである。


1/7(日)台風並み低気圧  暴風雨 各地で被害   病棟拘束  私的新年会
2:00起床、ドック処理x1、原稿校正等。6:30病院に、回診と重症者対応。8:30救急カンファ。13:00帰宅、業務処理。17:00家内の発案で恒例化したわが家での新年会。親戚縁者19人集合、夕食兼ねて懇談。居間は足の踏み場もないほどとなった。私は酔って早々に中座し、20:00二階で就寝。

自伝 中通病院 
初出勤日の印象はあまり良いとは言えなかった
 新しく勤務先の病院が変わるときには期待と不安とが入り交じるものである。多少緊張しつつ、遅れてはなるまいと、摂るものもとらず始業の1時間ほど早めに病院に行った。車の置き場は病院の周りを回って見たが置くに相応しいところは無く、とりあえず地下の有料駐車場に入れた。係員は随分ぶっきらぼうな応対であった。暗く、一台あたりのスペースは随分狭いとの印象を受けた。

 医局に行ってみたが医局の秘書らしい人もおらず、当然であるが当面の居場所も全く分からない。紹介もされていないのに医局談話室でポツンと待つのも違和感がある。誰かが入ってきたらどう対応すればいいのだろうか、などと考えつつ5分ほど座っていたが、なんかしっくり来ない。結局、内科の待合室の後ろの席で時間を潰した。
 始業の10分ほど前に医局に行ったところ医局秘書と思われる事務員が出勤しており、ロッカーと医局の机が与えられた。9時過ぎに事務長に紹介しますのでお待ち下さいという。この病院では医局は基本的に大部屋に多人数が机を並べる様になっているらしく私の机は中堅医師10人用の部屋であった。

 医師が次々と出勤してきたが、内科で私の上司となるお一人を除くと面識は全くない方々である。一人ずつ初対面の挨拶をしたが、殆どの方々は対応、返事が駐車場の係員の印象と同様、実にぶっきらぼうである。通り一遍の挨拶の他は何ら言葉を交わすこともなく、それぞれそそくさと白衣に着替えて業務に散っていった。何かしら妙な、あたかも私は歓迎されざる医師なのか?との印象を受けた。何事も先入観は持つと誤解の元になりやすいが、後になって分かったことはそれほど意味があるわけではなく、愛想に欠けるのはこの病院の中堅どころの医師の一般的な姿なのだ、と理解できた。そそくさと出ていったのはぎりぎりの出勤で、時間的な余裕がなかったためだったのだろう。

 事務長は実ににこやかに迎えてくれた。何を話したかは忘れたが、「兎に角、みんなと仲良くやって下さい・・」と二度ばかり繰り返されたが「どういう事?何か変な情報が先行しているのでは?」と訝ったことのみ記憶に残っている。

 医師用駐車場も指定していただいたが、車をそこに移すのを忘れていた。帰宅時に駐車場料金を1550円支払った。


1/6(土)雨 寒波?   病棟拘束         
2:10起床,ドック総括x1、メール返事など処理。5:10病院着、回診。8:30救急カンファ。以降、終日事務処理、主治医意見書、患者関連書類、退院総括作成。入院、重症患者対応。19:30帰宅、夕食、20:30就寝。殆ど声も発することなく終日机に向かっていた。

私の
2006-2007の年末年始  今年も開放感だけはあったが・・・
 昨年秋口から冬にかけても時間に追われ、毎日の懸案事項の処理に追われている間に、いつの間にか年末年始休暇に入ったと言う感じである。今冬は殆ど積雪がないために季節感も乏しい。何だ、もう年末年始休暇??という感じであった。病院ではノロウイルス感染症のために忘年会や集会も自粛したので節目としての年末とか、ご用納めの雰囲気も乏しかった事も一因であろう。

 そう思いつつも、一方ではこの6日間の年末年始休暇を見越して、年賀状も投函したい、あれもやりたい、これもやりたい、聴きたい、読みたい・・といろいろ期待だけは膨らませて楽しみにしていた。
 年末年始の休暇の中、責務としては元旦の日直と2日夜のリハビリ当直だけであった。ただ、療養病棟は連日拘束であったし、月末に入院した患者もあったほか、重症化した高齢患者も数人いたので連日早朝に病院に行き、早朝と夕方の回診は欠かさなかった。お陰で朝の救急カンファレンスには全部出席した。

 出来るだけ自宅で仕事をしながら過ごすよう心がけたが、実際にはこの6日間、早朝から夜にかけて大部分病院で過ごしたことになる。そのため楽器にも触れず、メインのオーディオにもスイッチを入れる機会は遂になかった。

 昨年は雪の処理にかなりの時間を費やしたが、その点では今年は全く不要であった。だから机上仕事に充分時間を回せたが、どれだけ業務処理できたか考えると予定の半分くらい、と昨年以上に情けない結果で終わった。確かに、医局の机周辺に積まれていた総括、紹介状、未処理書類のカルテなどはかなり処理できた。しかし、この休暇の間に慣れようと奮起して退院総括はオーダリングシステムの文書作成ソフトを新しく使い始めたので、不慣れなキーボードと日本語変換の不備との闘いがあって仕事の処理は全体的にとても非能率であった。

 年賀状も年内に投函できたし、仕事もある程度は出来たし、多少の開放感もあってとても良かったが、終わってみればこの年末年始の6日間は何だったのか?もっと有効に使えなかったのか?自分の時間はどれだけあったのか?などと考えるとやはり気が晴れないモヤモヤした部分が多少残っている。1年後にまた迎えることが出来たら、今度こそこの時期をもっと有効に遣いたいものだ、と仕事始めに際して思ったが、それもつかの間、情けないことにもう日常業務に追われている。


1/5(金)晴れ ドック説明+診察 市医師会喜寿を祝う会+共済会新年会
2:00起床ドック判定総括。5:15病院着。6:30回診+重症患者対応、7:55救急カンファ。9:00-9:30ドック説明。10:30病棟対応。懸案事項処理。14:00ドック診察。18:30-22:00市医師会喜寿を祝う会+共済会新年会(View)。20:50タクシー帰宅。21:30就眠。昨年の今日、記録的積雪で交通機関が殆ど麻痺状態であった。

今年の医療界はどうなる?(4)少ないパイを傾斜配分する恐ろしさ 
 今のわが国には経済的余裕は殆ど無い。何しろ、17年度末で774兆円にもの尋常でない長期債務残高を国と地方が抱えている。この状況は先進国で最悪の状況にある。昨年度多少税収入が増加したと言え、来年度予算では更に25兆円の国債を新規に発行するのだから、ひどい状態からの脱却はまだまだ遠い夢でしかない。

 国家財政の再建を今の政府が最大の目標に置いているのは理解できるし、何としてでも立て直さなければならないと政治家が考えるのは当然である。だからといって、対策が拙速すぎて国民の生活が目に見えて悪化していくようではならない。

 数人の国会議員の方々と話しただけの範囲からであるが、議員の方々は医療福祉分野について実情を殆どご存じない、との印象を私は受けた。県会議員の方々との懇談でも同様の印象であった。
 私ども医療関係者は、国民の福祉や健康を守る医療福祉の分野は、いかなる経済的事情があるにせよ、特別なのだ、聖域なのだ、と言う考えを持っているし、そのことが厳しい労働条件の中で頑張れるルーツでもある。医療福祉の分野は誰にとっても例外なく関心事であり、何れは黙っていても光が射してくるはずだ、と言う期待が医療関係者の中にあるような気がするが、他には通用しない甘い考えだと言うべきだ。だから、我々医療人は住民の健康を守るために、我々自身を守るために、黙っていては駄目なのだ。

 政府は次々と医療費抑制策を打ち出してきた。4年前からマイナス改定とし、加えて今回の-3.16%もの診療報酬の削減で医療費のパイを小さくした。この時、小泉首相が救急分野、小児医療分野、周産期分野は対応を厚くするよう指示したが、その財源確保のために老人医療が標的とされ、療養病棟の診療報酬は著しく削減された。

 今回、厚労省はDPC対象病院の拡大と、7:1看護体制導入を行ったが、共に厚い診療報酬が用意されている。要するに、少なくした医療財源の傾斜配分である。DPCと7:1看護体制を採らない医療機関は何れ一層大幅な減額が突きつけられる、と危惧されるし、更に近い将来は厚労省の常套手段であるが、DPCと7:1看護体制の診療報酬も減額されるだろう。医療機関は、だから、否応なしに生き残りをかけた競争の中に誘導されていき、その過程を経て厚労省が言う病床の削減が自然と達成されていく。今、厚労省は、というよりは財務省はそんなシナリオを描いているのではないか、と私は思う。


1/4(木)曇り、積雪0cm 仕事始め  外来
2:00起床、紹介状処理x1、徒然何とか間に合わす。5:10病院着。6:25回診他。7:55救急カンファ。8:40-15:00外来、入院患者不調に。大量の鼻出血あり、耳鼻科医の評価と対応を受ける。夜には何とか落ち着く。20:50帰宅、夕食、22:10就眠.

今年の医療界はどうなる?(3)アメとムチ政策で病院を潰して医療費削減 
 医療界は安全性の向上を始めとして改革し、近代化していかなければならない。しかし、一方で、この10年あまりの間の診療報酬は極めて低く抑えられており、全て自助努力として実施することが求められてきた。2002年にはついにマイナス改訂が行われ、医療機関はあるべき姿すら維持することが困難になった。近代化の流れに対応出来ない医療機関は社会から取り残されていく。だから各医療機関は必死である。 

 このような現状は国民には殆ど知らされていない。日本医師会も広報が下手だったし、マスコミによって隠蔽されてきたと言って良い。だが、医療崩壊もここまで明らかになり、問題点が露わになって来て、マスコミもやっと視点を変えてきている。従来、医療行政の歪みを全て,医師、医療機関、医師会の怠慢であるとねじ曲げて論じてきたが、やっと問題の本質に迫るような報道姿勢も見せ始めてきた。

 医療の現場では、特に地方では、秋田県内では、医師不足、看護師不足のために医療崩壊が生じてきている。しかし、厚労省は医師も看護師も不足している事を認める考えは毛頭ない。不足しているのは医師の偏在と我が国のベット数が過剰のためで、ベット数が諸外国並みに適正になれば、スタッフ数は十分足りてくる。だから養成数は増やす必要がない、ベットを減らすことこそ優先課題、とあくまでも強硬である。

 厚労省は膨らむ医療費はベット過剰と在院日数の長さにあると見ている。だから今後はベット削減に結びつく施策を次々に打ち出してくるだろう。その方法は経済的な締め付けによる医療機関同士の生き残り競争への誘導と、主に慢性期疾患を治療する病院の強硬な削減である。突然の提案と決定がほぼ同時になされ、驚きを持って迎えられた介護保険給付の療養病棟の廃止は後者である。介護難民が生じると医師会も必死に反対している。しかし、厚労省は些かも動じていない。

 今の医療機関は経済的には殆ど余裕が無い。マンパワー、設備投資等の予算配分は最小限に抑えられ、青息吐息の状況で、存続すら脅かされている。加えての今回の-3.16%の診療報酬の削減は全医療機関にとって大打撃となった。疲れ果てている駄馬にムチをあてる様なものである。
 一方では、厚労省はアメに相当する施策も実施してきた。即ち、DPC対応病院、7:1看護体制導入病院への厚い診療報酬である。


1/3(水)(年始休暇三日目-最終日)曇 病棟拘束
 3:00リハビリテーション病院当直室で起床、ドック処理x2、文献整理その他。7:15検食、8:10病院へ。8:30救急カンファ。病棟回診、重症患者対応。12:30帰宅、以降、自宅で卯月たより用原稿、他進めた。明日投函目標に年賀状作成など。19:30夕食、20:30就寝。
 これで年末年始の休み体制は終了した。最終日の本日は午後から自宅で過ごしたが、この間もいつもの如く大部分の時間を病院で過ごした。重症者もいて予定していた業務の半分程度しか処理出来なかった。机上には未総括カルテがたまり、些か焦っている。

今年の医療界はどうなる??(2) 安部政権は大丈夫か
 9月26日、安倍総裁は首相指名選挙で第90代首相に選任された。戦後ではもっとも若い、52歳の首相となった。クレージーであったと表現しても失礼に当たらないであろう小泉前首相はその業績や成果の評価にはまだまだ時間が必要と思うが、自民党や政府の政策決定のプロセスを大きく変えてしまった。これだけはどこから見ても確かな事実である。

 日本医師会も小泉政権に、直接的に間接的に随分アプローチし、数々の提言、注文を行ったにもかかわらず殆ど取り入れて貰えなかった。それどころか日本医師会は完全に無視され、コケにされた。こんな事は小泉時代になって初めてのことで、官邸主導型の意志決定の前にはなすすべもなかったようである。

 だから、安倍政権に変わった事は、結果がどうあれ歓迎すべき事としてとらえられた。安部首相は若さと、小泉前首相とは少なくとも何かは異なるであろうと言う期待感で、発足当初こそ63%程の高支持率を得ていたが、みるみる低下して僅か2ヶ月で47%にまで急降下している。その原因は造反組とされる議員の復党問題であり、本間税制調査会長と佐田玄一郎行政改革担当相が不祥事で辞任に追い込まれた事もある。しかし、私は首相就任前の靖国問題への対応等の処理を通じて何かスッキリしない、歯切れの悪さ、ひ弱さを感じていた。

 安部首相は小泉前首相に習って官邸主導型の政治を行おうとする意思が見えていたが、もう瓦解しかかっている。
 道路財源の一般財政化論議における腰の弱さは閣僚未経験の、エリート政治家のひ弱さの露われである。官邸主導型の政治は、クレージーである一方、まず多くの辛酸をなめてきた小泉前首相だからこそ出来たことであり、これを若い、軟弱な安部さんが真似しようとしても土台無理である。経験不足だから常に先輩政治家の機嫌を伺いながらでしか、業務を進めることが出来ない。衆参両院で圧倒的な支持を得た背景には、安部さんならコントロールしやすいと言う議員、派閥の思惑も働いたのではないかと思う。そんな人達が安部氏を取り巻いたのだ。

 首相は、総裁選で応援してくれた議員を要職に起用した。「論功行賞」的人事と言われるが、安倍首相自身が何で高支持を得られたのか、見直してみる必要がある。総裁選での圧勝がうそのように、党内の視線も冷ややかさを増していると報じられている。

 政権への信頼と求心力を回復できるのか? 就任3カ月にして、安倍首相は早くも剣が峰にさしかかった。
 こんな不安定な政治の状態では、今年の医療界に明るい光が射さすであろうと言う期待感は遠のきつつある。今年も、厳しい医療環境が続いていく。


1/2(火)(年始休暇二日目)晴れ・温暖  病棟拘束 リハビリ病院当直
 2:00起床、ドック処理x1、徒然。5:00病院に。6:30朝回診、8:30救急カンファレンズ、主治医意見書作成など。11:30帰宅。13:00昼食摂りながら知人と医療界の情報交換。車やは結構混雑
していた。16:30当直でリハビリ病院に。19:00-21:00仮眠。ドック判定総括、文献整理など。1:00就寝。

今年の医療界はどうなる??(1) 国家予算案からは展望なし
 来年度の国家予算の大蔵省原案が提示された。総額は80兆超であるが、国債発行額は25兆4000億円と10年ぶりの低水準となった。一時は40兆円に近いレベルまで減少した税収入は、景気の回復で法人税等を中心にして、何とか50兆円を越えるレベルまで回復してきた。その背景の中で、国家財政を立て直し、次世代に法外な借金を回さないために、と言うことで新規国債発行額25兆円に減らし得たことは、一定の評価はしなければならないだろう。それでも25兆円借金は増えていくのだから、国家の危機的経済状況は変わりはない。

 国家財政の再建という大きな目標はあるにせよ、対策が拙速すぎて国民の生活が目に見えて悪化していくようでは困る。医療福祉の分野は特別であり大事にされなければならない分野である、と関係者、国民の誰しもがそう思うだろう。私もそう思う。

 確かにそうであるが、来年度の予算の組み方に照らしてみるとそう甘くはない。医療界は今後も厳しい扱いを受けるだろう。国は2011年度には、借金に頼らずに一般歳出を賄う、と言う方針を掲げ、これを骨太の方針と称した。名が示すようにこれは小泉首相の置きみやげである。そのためは聖域なき歳出削減が必要とし、社会保障費すら年間2200億円も抑制する厳しい条件を設けている。

 医療・福祉を現場で担っている関係者の立場からは「聖域なき」という言葉の中に医療が包含されることすら意外である、との考えがあるが、政治家達にとっては聖域とみなすことなど露程も考えていないだろう。

 医療福祉分野は国民生活の中で最重要課題の一つ、と誰しもが言う。しかし、政党は勿論、政治家達は各々社会の各界からの支援、後援を受けており、各々が重点分野を後ろ楯に持っている。国家予算の削減を求められるとしても、自分の後ろ楯になっている分野の利益を最優先に主張するのは当然であって、それが政治の本質でもあり、政治家の責務でもある。政治の場はエゴを闘わせる場であり、利権の奪い合いの場でもあるのだ。正論が正しくない、とみなされる世界でもある。

 国家予算の削減を実行していく際、年間30兆円近くも占め、今後も増大し増え続けていくとされる医療福祉の分野に削減の矛先が向くのは自明の理である。そのガード役として頼りになる医療・福祉分野に深く造詣を持つ政治家は本当に数えるだけしか居ない。だから、医療・福祉分野は総論の部分では大事と言われながら、各論部分では四面楚歌の状態を迎えている。

 今後の展望はどうか、と言えば、最終調整役の安部総理が大なたを振るわなければ改善は望めない、と言うことになる。昨年のマイナス3.16%は我々にとっては衝撃的であったが、その削減幅を最終的に決めたのは当時の安部官房長官だった、と言うから、現実的には望み薄といわざるを得ない。だから、苦しい。されど、苦しいとばかり言ってても何にも展望は開けない。せば、どうするべきか。縷々考え行動することしかない、ということだ。


2007/1/1(月)「謹賀新年」(年始休暇初日)曇り・積雪無し  日直+病棟拘束 
 1:30起床、2007年度版ワンパターン生活スタート。ほぼ同時に家内は患者急変で急遽病院に。これも大体同じパターンだ。徒然2006年の締め記述。ドック処理x1、紹介状作成など。6:00お節料理を軽くつまみ病院に。途中賀状を投函。6:30回診、重症者対応、8:30救急カンファ。9:00-13:00外来、元旦にしては超混雑。15:00病棟再回診、重症者対応。退院総括、他。19:00帰宅、20:30ワインフラッペで酔って就眠。

2007年初春 つれづれ生活スタート 当てが外れて多忙だった日直

 「謹賀新年」 
 新年のスタートを晴れやかに迎えることが出来たことを感謝します。 

 1月1日朝、秋田では厚い雲のため日の出こそ見ることは出来なかったが、雪も降らず、積雪もなく、「明けましておめでとう」と挨拶を交わすのに相応しい雰囲気で明けた。この晴れやかな気分は終日続くはずであったが、午前の救急外来の診察時間帯には多数の患者に圧倒され、その気持ちはちょっとしぼんでしまった。

 8:30に救急カンファレンスで急患室に居たが、その時点では待合室には誰もいなかった。元旦はやはり患者の出足も遅い、良い日に救急当番を当ててくれたものだね、と思いつつ部屋に戻ったが、8:50には早速診察依頼の電話があった。先ほどまで誰もいなかったのに、救急車でも来るのか、と思いながら急患室に降りていったらもう10数人の患者および家族が待合室に待っていた。僅かの間に一体どこから湧いてきたのか??と言う印象である。

 結局、9:00-13:00迄の間、休みなく延べ40人の患者を診た。1時間10人ほどだから通常の内科の外来と変わらない。しかし、急患室ではほぼ全員が初対面の新患患者であり、年齢的には乳児から90歳超までと広い。勿論、多くは上気道炎とか急性胃腸炎であるが、きちんと病状の評価と対応法を説明しなければ患者や家族は納得しない。だから急患室の診療は結構大変である。その中に救急車で搬送されてきた患者や症状の強い、重症患者も混じるから一層大変であった。重症者は各々消化器、循環器、呼吸器の担当医をコールして対応してもらった。その内の何名かは入院になったようである。このようなフレキシブルな対応がすぐに出来ることは当院の強みの一つである。本当に助かった。今後も大事にしていきたいものである。

 私は通常は救急外来担当は免除になっている。だから、年末年始やゴールデンウイーク等の様に、マンパワーが沢山必要な時期には2-3回割り当てOK,と申し出ている。今回は日直は元旦にあたったので内心喜んでいた。通常はこの日は最も急患の少ない日で、そのために小児科担当もこの日だけは置いていない。
 急患担当の負荷は明けてみないと解らないが、これほど混雑した元旦の急患10回近くの経験の中では初めてであった。

 患者の多くは、病状の説明を受け、処方箋を貰って安堵して帰った様である。地域住民の健康危機管理業だと自認している立場で、元日早々からそれなりに貢献でき、良い一年のスタートを切れた、と私自身も喜ぶべきなのであろう。

 1月2日の夜はリハビリ病院の当直にあたっている。この日はトランクに仕事とMDミニステレオ詰めていく積もりである。だから、静かな夜であって欲しいものだ。

   年を通じてワンパターンで淡々とした毎日です。AM2:00-5:00にメールチェック・返事送付、人間ドック(人間ドック)判定・報告書作成、新聞切り抜き、病院・医師会業務など。
  月〜土曜は6:00頃出勤、人間ドック報告書印刷、外来書類処理など。病棟回診、人間ドック受診者とミーティングと診察。8:45-14:00外来と人間ドック受診者に結果説明。昼食は摂りません。午後は病院業務・医師会業務、各種委員会等に出席など。20:00頃帰宅。
  日曜・祭日もほぼ同様ですが、病院には午後出かけます。時間的に余裕無いのが悩みです。

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