徒然日記
2006年2月分

 日記と言うより、自分の行動記録からの抜粋と日々の雑感です。

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先月の日記          来月の日記


2/28(火)やや寒 曇天    医師面談x2  外来    常務会    医局会・MC Senescent Band練習 
2:30起床,ドックx1。紹介状、総括予稿、5:15病院着、回診、定期処方箋他。7:30-8:50医師面談、9:00-13:45外来。14:00-15:30常務会、病棟重症患者対応    17:30-18:40医局会、救急観察病床の運用。18:40-19:20医局カンファレンス、CPK-MB高値の肺ガン例。20:00-21:40Senescent Band練習、22;00帰宅、22:30就寝。

不満を問題提起に変えるカンファレンスの意義(2) 
 未消化のまま、次々にいろいろな情報が与えられ、問題が提起され続けていくと各人のなかで不満が増え溢れてくる。この不満のルーツは、事の本質を求める姿勢が少なかったり、自分で情報を積極的に集めようとしない人に多い。このような方々は、それでいて、さっぱり情報を与えてくれないと上に向かって文句を言う。さらに、不満はそれなりにセットされた意見交換の場で発言の機会が少ない人達に多い傾向がある。
 親しい間柄の同僚、友人との間だけで話あっているだけでは愚痴の交換であり、情報は決して豊になるわけでないから、不満の解決には殆ど結びつかない。もっとも、ストレス解消、心の安息のためにはかなりなっているだろう。

 それなりの立場での不満は各人には当然あるはずで無い方がおかしい。ただ、会議やカンファレンスで意見をきちんと述べるスタッフには、愚痴と紙一枚程度の差としか思えないような低レベルの不満は少ない。同じ不満でも論理的である。
 それなりの場所で発言する際、それなりの立場で意見をそれなりにまとめて話すので、その課程で問題点がかなり整理されるからである。発言している間に解決策がフッと頭に浮かぶことさえある。文章化すればもっと良いのだと私は思う。

 医療機関では20種もの職種員が業務に当たっている。互いの専門性が尊重されるから職種員間の情報は意外と共有できていない。だから、情報交換を通じての価値観の平均化のために、各部署毎に開かれるカンファレンスの場は重要である。

 医師の場合は更に深刻である。一人一人が専門性が異なる。同じ診療科の中ですら得意分野が異なる。個々人の医療観、価値観が無批判に尊重されてきた環境が長かったから、実にいろいろなタイプの方々が存在する。「在日日本人的」医師も少なくない。医師の情報交換の場としての医局会、医師集会などはとても重要な場であるが、それにも参加者は少ない。今は、未だ誰かが火の粉を被ってくれている。だからそれで居れるという、そんな現実にすら気付かない医師もいる。しかし、厳しい医療情勢の中、今後は各医師に直接火の粉が降りかかる時代になっていくだろうから、無関心ではいられなくなるだろう、恐らくは。


2/27(月)曇り 管理会議 外来 療養判定会議 長副会議
2:00起床、ドックx1、5:10病院着。6:15回診、8:00管理会議、9:00-13:30外来、 16:00-16:40療養判定会議、17:00-19:45長副会議、20:50帰宅、夕食、21:30就眠。

価値観の違い、不満を問題提起に変えるカンファレンスの意義 
 医療機関の労働環境、とりわけ勤務医の労働環境はマンパワー不足を背景にとても劣悪だ。そのあおりは患者の医療にも現れている。勤務医も看護師は疲れ果て、次々と希望を失い道を変えていく。
 マンパワー不足に関しては、厚労省は日本では諸外国に比較して病床数が多すぎるから、医療機関の医師・看護師等のスタッフは相対的に少なくなるのはやむを得ないのだ、という視点である。だから、マンパワー育成よりも医療機関の削減に躍起となっている。医療従事者は国の低医療費政策の煽りをまともに喰い、犠牲的に働かされている労働集団だ、と思っている私の認識とはかなり異なる。

 医療現場の実情そっちのけに厚労省はいろいろの施策を紙一枚で提起し、後は現場でお好きなようにどうぞ、対応をするか否かは現場の問題ですよ、ただし、対応しなくてはやっていけませんよ、との立場である。
 我が国の医療環境は更に厳しくなっていく。こんな厚労省に対して私は不満を感じている。それでも私の場合はその不満を医師会活動とかを通じて表現できるから、まだ幾分は恵まれている。

 今、医療機関は次々に出てくる医療制度の改訂や診療報酬の引き下げ等に対応するために四苦八苦している。私どもの病院も今変革の最中にある。
 管理会議とか運営会議でいろいろな方策を提起しているが、これがなかなか意のようには伝わらないし、受け入れられない。勿論、立場の違いによって受ける影響は異なるから当然でもある。しかし、問題はその場でなかなか意見が出てこない事である。出てくる多くは提起に対する不満であって、前向きは意見は実際には少ない。良い意味での討論・討論にならないうちに時間の関係で、不消化の状態で、心の隅に痼りを残しつつ終了する。これは、提起する側、される側共にストレスとなって蓄積していく。
 このストレスの解消には話し合いしかない。だからカンファレンスの意義はとても大きい。


2/26(日)降雨強風 病棟拘束
2:00起床。ドック処理x1、紹介状x1など。6:30-8:00微睡み。比較的患者は落ち着いているとのことで自宅で残務進めることとした。10:00軽く朝食、自宅のMac  OS変更に伴う調整、ソフトインストールなど。Vn練習久々、約2ヶ月振り。紹介状、総括など処理継続。19:30夕食、20:30就寝。

自伝 秋田大学時代(1973-1985) 二本目のチェロ(Vc)購入
 一本目のチェロを購入後約2年経過した頃、この楽器は安価な工業製品なのであろう、指板は通常用いられている黒檀ではなく、何かの木に黒く塗装されているものであった。購入時には弦の走行に沿って若干のこすれた後があったが、私に来てからの3年間の間に第一、第三ポジション部分は塗装がかなり落ちて白く変色してしまっている。それだけ私が真面目に練習した事を示している。

 しかし、肝腎の腕の方はさっぱり上達しなかった。その理由の一つは左手にあって基本的にチェロの運指法でなく、ヴァイオリンの運指の指、腕、手首の形そのもので弾いていたから、と言うことも挙げられる。それでもゆったりした曲調の日本の歌曲、チェロの名曲を中心に楽しんでいた。更に、バッハの組曲第一番などを出来る範囲で練習していた。

 そんなある時、京都出張のおり、マツオ楽器店という店に立ち寄った。そこには4-5本のチェロが置いてあり、そのうちの2本ばかりを勇気をふるって試奏させてもらった。1本はイタリア製の古い楽器、もう1本は同じくイタリア製で2-3年前に作られた新しい楽器であったが、弾かせて貰った段階で音質、音量共に2本とも驚くような良い音色であった。2本とも楽器自体の重さは軽く、弓の動きに対する反応がとても軽く、いとも簡単に鋭い音が音量も豊に出る感じであった。私の弾いていた楽器は音色から言うとこれらの楽器に弱音器を複数取り付けた状態に近い音で、反応は鈍く、音量も小さかったと言うことであった。この時点で私は楽器をグレードアップする決心をした。

 この楽器は古い方が300万円ほど、新しい方が180万円とあり、どちらも私が弾くには不適なレベルの楽器であり、こんな楽器を私が弾くことは犯罪行為に近い。初老の店長は私がスズキ製のチェロで100%自己流で楽しんでいることを理解し、それを勘案して、私に相応しい値段と音色の楽器をさがしてくれるというのでお願いすることにした。


2/25(土)晴れ  人間ドック説明    医療経営(盛岡)    医療経営セミナー 産業医研修会    
 2:30起床。ドックx1、紹介状他、5:25病院着。6:30回診その他書類処理。9:00-9:30ドック説明x2。以降はずっと紹介状・総括そのほか事務処理。MD録音データ整理。午後出席予定の医療経営セミナー(盛岡)、県医師会産業医研修会はキャンセルし業務進める。18:00重症患者回診再度、19:30帰宅、夕食、20:30就寝.
 昨年の本日、積雪10数cmで一晩の降雪量としては今期最高か?などと記載ある。今年の方が遙かに春は早い。 

荒川静香選手快挙(2)  練習などどこでするのか?経費などは?  
 フィギュアの金メダルは欧米選手以外では初めてなのだそうだ。このことも含めてすごいことだ。彼女の演技は昨日今日と何度も何度も再放送されたらしいが、私はまだ見る機会はない。今回のオリンピックには3人が出場したが、これは日本のフィギュアのレベルが上がってきたからである。昨夜一週間分の新聞をチェックしたが、随分女子フィギュアについての記事が載っていた。要するに荒川選手の金メダルの結果が出るまで私が興味も持たずに知らなかった。

     新聞によると、五輪前の国際スケート連盟ランキングで安藤が2位、荒川3位、村主5位、恩田10位であり、中野友加里選手も含め世界のトップレベルの選手が集中している。このことが互いの競争心を刺激していい結果をもたらしたのだろう。
 秋田の地方新聞には社会面にまで荒川選手のことが詳しく取り上げられていた。父親が男鹿市船越の出身ということで荒川選手は秋田ゆかりの選手と言うことになるようだ。船越商店会では「荒川静香選手 めざせ金メダル」という垂れ幕をJR船越駅前に飾ったと言う。いい話ではあるが秋田駅前に作っても良かったのではないか?

 これらの若い選手たち、頂点に立つ人たちは果たして何時どこで練習を重ねているのだろうか?  細かい部分部分の練習は狭いところでも可能であろうが、リンク一面を用いての練習は貸し切りでなくてはなるまい。商業ベースのリンクを早朝に借り切るにしても実際には大変な経費がかかることではないだろうか。今、荒川選手はアメリカを本拠に練習をしているというし、世界的コーチにもついている。これの費用はとてつもないほどなのではなかろうか。スポンサーは付いているのか、国の育成の支援などはあるのか、疑問はつきない。また、このような才能を備えた子供を育てた親たちはどんな気持ちでいるのか、自分の人生をすべて子供の才能の育成のために変更せざるを得ないせこともあるだろう。

 何でも栄光の裏には筆舌に尽くせない本人の努力があるのは当然であるが、陰になり表になりそれを支えるその周辺の方々の努力についても、ほぼ同様なのであろう。私にとって全く予想も出来ない未知の世界である。 荒川静香選手が表彰式で見せたクールな笑顔を見ながら、いろいろ考えてしまった。


2/24(金)晴れ 職員検診受診 人間ドック診察 法人理事会 由利療養フォーラム(欠)
2:30起床。紹介状他、退院総括、徒然など。5:25病院着。6:15回診+その他。11:00職員検診受診。13:30人間ドック診察、17:30-20:10法人理事会、由利療養フォーラムは理事会で重要な協議事項があるために欠席とし、師長と主任が出席した。21:00帰宅、21:50就寝.

荒川静香選手快挙(1)  最高の舞台で見せた最高の芸術  
  朝、5:00am少し前、出勤支度中のNHKラジオはトリノ冬季五輪のフィギュアスケート女子の実況中継では安藤美姫選手が転倒したことを伝えていた。カーラジオで2回目の転倒を聞いた。残念な結果になりそうで、今回のトリノオリンピックでは遂にメダルは無しか、と考えていた。

 6:45am、3カ所の病棟を回って療養病棟に着いたとたんに、ある看護師が「金ですよ!!」「金メダルですよ!!」と満面笑みを浮かべていう。私は最初何のことかわからなかったが、その雰囲気から日本人の誰かが金メダルに輝いたらしいことは分かったが、はて、誰が?そういえばフィギアにはもう二人出場選手が出場していたな、とは解ったが私には名前が出てこなかった。
 療養病棟のナースセンターにはいつもこの時間高齢の患者が数人居て朝食の前の時間を過ごしているが、そのテーブルの前にやや大きめのTVがある。ちょうど主だった選手の演技の見せ場をダイジェスト的に次々に映している。荒川静香選手が「金メダル」を取ったことは途中の解説で解ったが、その時点ではどんな選手だったか、まだ見当がつかない。
 最後に彼女の演技の一部が流され、私は初めて彼女の動く姿、演技、技術を観た。私には詳細は判断できないがその滑りは見事なもので、私には彼女の滑りはスポーツではなく芸術だ、と感じられた。本来競技の場であるスケートリンクは、彼女の演技によって、一瞬に芸術の舞台に化した、そういう印象であった。演技終了の間際から観客の拍手が次第に切れ目が無くなり、大きくなり、最後はスタンディングオベーションで迎えられた様であった。

 7:00am表彰式の模様が実況中継された。彼女の表情はやはりスポーツ選手と言うよりカーテンコールを受けるプリマドンナの表情である。そういえば彼女が用いた曲はプッチーニの歌劇「トーランドット」で、しかもイタリアの舞台でである。最高の組み合わせである。彼女は表彰台の上で控えめな笑顔を四方に振りまいた。いつか涙を流すのではないかと思いつつ観ていたがそんな様子はない。2位、3位のコーエン、スルツカヤの方の表情に複雑な心境が現れており、観ていた私の方の目に涙が溢れてきた。荒川静香、この24歳のうら若い女性の心境など私なんかに分かるわけはないが、この表情を見ていていろいろ興味が湧いてくる。彼女にとって本日の滑りは勝負を意識した滑りの域ではなかったのではないか、とさえ感じられた。自分の世界に没頭していただけでないのか?

 私は今回、女子フィギュアに何人がエントリーして何という選手が出ていたかは殆ど知らなかったし、関心もそれほどあったわけではない。唯一、安藤美姫選手だけは「美姫」という名前の見事さから新聞等で若干知っていたに過ぎない。生まれた赤ちゃんに「美姫」と名前を付けられる親はどんな人なんだろうか?本人もその名前をどんな気持ちで受け止めてきたのか??スケートよりも私はそちらの方の興味が遙かに大きかった。静香選手のことは何度か新聞で見た事がある程度、村主章枝選手に関しては今朝初めて知った名前で、未だ村主という名字の読み方が解らない。


2/23(木)晴れ 外来    患者家族面談 療養病棟診療部会 記者来訪     
   
2:30起床。ドック判定総括x1。紹介状、返事等書類書き中心。5:10病院着。6:15回診、  9:00-13:30外来、15:00入院患者処置と家族面談、17:00-18:00療養病棟診療部会、18:30記者来訪、歓談。21:20帰宅、夕食。22:00就寝。今宵は冷える。外気-5度。

秋田市「48年豪雪」以上の積雪(10)通勤が大変だった
 豪雪に見舞われ、生活に大きな影響が出た今冬の秋田県、秋田市であるが、生活上で種々の影響を残した。私にとって雪の影響を若干振り返ってみる。

●1月4日から5日にかけての豪雪の日、就寝前に除雪を1時間やってその出来映えに満足して寝た。目覚めてみればなんと50cm以上の新たな積雪でたまげた。朝も1時間以上除雪したが、車を出すのは困難と判断、徒歩で病院に向かった。2時間かかって到着したが、疲れるどころか逆にエネルギーが漲ってくるような妙な満足感があった。こんな時には歩くのが一番、との判断は正しかった。他の方法をじっと考えていても解決はしなかっただろう。
 翌日以降も降雪は続いたが、雪と格闘しながら何とか車を出す事が出来た。

●私は車の基本は四駆だと思ってるし、わが家へのアクセス道路は雪の影響を受けやすいから、20数年間スバルの四駆を中心に乗り継いできた。ここ10数年の積雪と道路の状況から、降雪量が減ってきているし、必ずしも四駆でなくとも大丈夫だと甘く考え、ボロ・レガシーワゴンを知人にあげて、私は前輪駆動のプリウスを購入した。
 この発想の一部は良かったと思うが、降雪に関しては完全に読みがはずれ、苦労した。

●昨秋、横浜在住の長女のレガシーワゴンを使用頻度も少ないし、とか何とか言って次男が安く引き取り、次男が使用していたレガシーセダンが家内に戻って来た。私は次男を拝み倒してレガシーと私のプリウスを交換してもらい、何とか乗り切る事が出来た。

●来年同じような降雪がある状況なら私はまた四輪駆動車にせざるを得ないだろう。来期は次男が近くにいるとは限らない。その際、プリウスを長女にあげて私か家内が四駆車を購入するか、長男の四駆のフィットと交換しようか、などといろいろ考えている。家族間での車のやりとりも楽しいものである。

●私が停めている病院の駐車場は急遽病院の雪溜め場となった。私の駐車スペースは正面玄関に確保されたが、早朝、患者の車で占拠されていて、置き場に困ることもままあった。最近は駐車禁止のポールを立てているが、その効果は抜群である。溜め込まれた雪の量はただ事でなく多い。もう1-2週間はこの場所かな?と思っている。


2/22(水)快晴  外来 中通病院友の会理事会 県医師会理事会 報道関係者との懇談会              
2:20起床。OS10.4   G4に。今朝の時間はほとんどそれで終了した。何とか機能できている。5:20病院着、6:15回診、9:00-13:30外来、14:00-16:00中通病院友の会+情報交換会(千秋会館)。16:30-18:20県医師会理事会。19:00-21:20報道関係者との話し合い+情報交換会(View  Hotel)21:55帰宅、22:30就寝。最近会議etcでかなり時間が取られ、机上は書類の山。

秋田市「48年豪雪」以上の積雪(9)私もやっと轍から解放された
 豪雪に見舞われ、生活に大きな影響が出た今冬の秋田市近郊であるが、1月の後半から小康状態になったために、1月全体の同市の総降雪量は平年値を35cmも下回る107cmであったことが2月1日に秋田地方気象台から発表された。実際の生活感覚からはかけ離れた数値が発表され、聞いたときは半信半疑であった。

 1月上旬の県内は寒気が断続的に南下して冬型の気圧配置が強まり、気温は平年より低く降雪量は記録的に多かったが、中旬以降は逆に暖かい日が多くなり、気温は平年並みとなり、3-4日ほど降雨もあったために積雪は大幅に溶けた。

 1月中旬以降は、例年であれば40-50cmと降雪が本格化する時期であるが、同気象台の発表によると、中旬が15cm、下旬は22cmであったというから記録上ではそうなるのであろう。生活感覚とは大幅に異なる結果であるが、それだけ1月上旬の降雪量は多く、その影響をずっと引きずって生活が影響を受け続けてきたと言うことが示されている。
 2月上旬にも寒気団が南下して一時厳しい冬型の天候が続いたが、中旬以降は急速に暖かさが増してきている。私の通勤路もやっと溶け、最後まで残っていた町内の路地の轍からも解放され、100%舗装面を走れるようになった。道路面も広くなり、交差点付近にうず高く積まれた雪も徐々に低くなり左右確認もやっと出来やすくなった。

 ここ一週間ほどの秋田の天候は春そのものである。1月上旬から約一ヶ月半、雪のために公私共々何かと不便な生活であったがために、いつもより一層春の息吹を強く感じるのかもしれない。通院してくる患者さん方の表情も明るく良くなった。雪の話題は相変わらず語られるが、「今年はすごかったですね」と過去形となった。
 


2/21(火)快晴 定期処方日    職員検診 外来 常務会 県難病医療連絡協議会 医局カンファレンス 県医師会医事紛争委員会                               
 2:00起床。ドック判定総括、紹介状x1、退院時総括、決議文検討他。5:15病院着、6:20回診+定期処方箋、そのほか、9:00-13:30外来+ドック説明x1、入院患者2-3名不調。14:00-15:30常務会、16:00-18:00県難病医療連絡協議会医局会(ルポールみずほ)、18:15医局カンファレンス、婦人科救急対応、に途中から出席。19:00-20:00県医師会医事紛争委員会、これも途中から。21:30帰宅、22;00就眠。自室の机に向かう間もなかった一日。

小澤征爾氏、体調不良でウィーン国立歌劇場音楽監督の活動を1年間キャンセル
 ウィーン国立歌劇場は2005年6月、音楽監督の小澤氏(70)の任期を2010年夏まで延長したと発表した。これは私にとっても心が明るくなる朗報であった。
  小澤氏が1月27日からウィーンの劇場で予定されているオペラ「イドメネオ」の指揮を「体調不良」を理由に辞退したことは何かのニュースで伝えられていた。その後のことはしばらく情報はなかったが、最近の新聞報道によると、彼は昨年10月から急性気管支炎を繰り返しており、12月には白内障で右目を手術し、1月にウィーン市内の劇場で予定されていた指揮を辞退して帰国し、都内の病院に入院していた、とのことである。
 主治医は小澤の病状を角膜炎を伴った帯状疱疹、急性気管支炎、慢性上顎洞炎とし、「過密なスケジュールと膨大な仕事量が原因なので、長期の休養が必要」と診断したという。
 1月末に退院した小澤は「主治医の指示に従い、治療に専念することを決めた。皆さまにご迷惑を掛けるが、できるだけ早く演奏活動を再開するつもりでいる」と談話を発表している。

 これらの乏しい情報をどう組み合わせても、これだけのことから音楽監督としての活動を1年間すべてキャンセルする理由になり難いと思われ、いろいろな状況が推測される。70歳の年齢は決して若くないだけに、彼にとっての1年はとてつもなく重要な時間のハズである。伏魔殿とされるウィーン国立歌劇場の魔に取り憑かれてしまったのかもしれない、と考えることにした。そう考えれば、設定された長すぎるこの一年間という期間の意味は少しは納得がいくような気もする

 今は療養に専念されることを望むしかない。中途半端は良くない。彼の棒振り人生に残されている貴重な時間を棒に振っては欲しくないからである。これは彼を知るすべての人達の共通の願いだと思う。


2/20(月)快晴  管理会議  外来     秋大訪問     療養判定会議 長副会議           
 2:00起床、人間ドック、総括、紹介状など各種書類記入処理。5:10病院。回診他、8:00管理会議.9:00-10:00外来、中座し秋大に。12:00-13:00外来若干。15:30-16:10来客、16:10-16:40療養入棟判定会議。17:00-20:10長副会議、20:50帰宅。夕食、21:30就寝。

全日空最終便、何とクールな対応  一方ではホットな対応も
 2/12(土)は東京出張であった。降雪の中出発し、快晴の東京で過ごしての帰路、20:00発の最終便は秋田地方は降雪吹雪状態で着陸できない可能性があること、その際には羽田に戻る事、公共交通機関の最終に間に合わない可能性があること、宿泊の手配など一切致しません、との条件下で出発した。要するに、羽田に戻った場合、その後のことには全日空は一切関知しないので、宿泊場所は自分で探し、タクシーとかで移動下さいとのこと。

 実際、このような条件設定のもとで秋田に向かったのは5-6回はあるが、一度着陸直前で再上昇し、上空で待機してから着陸となったことはあるが、一度も出発地や近隣の空港に着陸したと言う経験はまだない。着陸の可能性がとても低いのなら始めから欠航にするだろうし、このような条件設定は医療で言えばインフォームド・コンセントに、航空会社にとってはトラブル回避の保険のようなもの、と私は解釈している。

 着陸態勢で高度を下げつつある状態では一時激しい降雪もあり、ちょっと心配したが空港付近はそれほどでなく、21:05に無事着陸した。
 しかし、降雪の中を飛んでいるときには、実際に羽田に戻ったらどうすればいいのか、ホテル等を案内するインフォメーションセンターは開いているだろうか?翌日秋田に向かう便は確保できるだろうか?早朝に東京を発つこまちはどうか?最悪の場合は空港のベンチで一夜明かすことになるのだろうか・・等と思いを馳せてしまう。この辺についての情報がまったくない。若干のガイドくらいあっても良いじゃないか、実にクールな対応だ、と思ってしまった。

 一方、その数日前に秋田で行われたある講演会の講師の場合、昼の便だったと言うが秋田に着陸できずに一端羽田に戻ったが、着陸できる状況になったためにそのまま再び秋田に向い、なんとか講演にも間に合った、とのこと。「秋田には1.5往復の旅でした」、と前置きして講演を始めたという。この話は講演会に出席した家内からの又聞き情報なので詳細は解らないが、これはホットな話題である。この辺のことは切符を購入した時点で発生する乗客・航空会社間の契約関係の中に記載されているのかもしれないが、この場合、その後の機材繰りにはかなり支障が生じたのではないかと、感心しつつも航空会社の方も心配してしまった。



2/19(日)秋田・仙台晴れ 病棟拘束    東北医連理事代表者会議           
 2:30起床、ドック総括x1、紹介状など種々。メール対応多数。10:30病院へ、病棟拘束で回診等。12:58こまち18号仙台に、16:00東北医連理事代表者会議、プラザホテル。日本医師会の会長選挙に関する情報交換若干。新書数冊購入、 18:38こまち27号、21:30帰宅。夕食若干。22:30就寝。

自伝 秋田大学時代(1973-1985) 一本目のチェロ(Vc)購入(2)
 日本内科学会か何かで上京し、帰秋する日の19:00ころ、東京駅の構内の約束の場所で構内外を分けるフェンス越しに楽器と現金を交換した。現れたのは25歳くらいの若い女性で、簡単な挨拶と一言二言の言葉を交わしたような気がするが、今は何も覚えていない。
 このやりとりに要したのは僅か1-2分だけ。打合せのハガキ2-3枚と10万円なにがしで、いとも簡単に私の長年の夢の一部はかなえられることになる。実際担いでみると思ったよりも大きく、重い楽器であった。
 当時は東京出張の大部分は通常は寝台車で、いまは「あけぼの」しか残っていないが、1日5-6本は寝台列車があった。通常は寝台の下段を確保するのであるが、その日は楽器の置き場に困らぬよう「あけぼの」の最上段を確保していた。当時の寝台列車は三段式で狭く、やや大きめの荷物は置き場に困る状況であった。最上段だとベットと同じ平面に枕元にひろく荷物置き場があるから取りあえず置き場に困らないからである。いつもなら東京文化会館や鈴本で落語や漫才を楽しみつつ時間を過ごしてギリギリに飛び乗るのであるが、その日は楽器の置き場を確保するためにしばらく前からホームに並んだ。

 それからの2週間ほどは、勤務の前にまず1時間、帰っては2時間ほどと毎朝毎夜、休日は更に多くの時間、楽器と格闘した。チェロは大きいだけになかなか音が出ない。2週間目ほどたつと左の手首の疼痛のために殆ど弾けなくなった。右手首の腱鞘炎を生じたらしく、改善するまで約2週間は楽器を手にせず湿布を巻いて過ごしたが断腸の思いであった。家族にとっては幸せな2週間であった、と言うことである。この間はレーザーディスクでロストロポーヴィチの弾く姿を見つめて過ごした。実際に私にとっては全く参考にはならなかったが、どなたにチェロを習ったのかという問いには、私は臆面もなく彼の名を挙げることにしている。


2/18(土)曇天 病棟拘束 ドック結果説明    散髪    市医師会定時総会
2:00起床.ドック他、公的書類処理種々、徒然、紹介状。5:30病院着、6:30回診・紹介状・総括予稿作成。 9:00ドック結果説明x2、紹介状、総括等一週間分処理大体終了。    
13:30-14:20散髪、15:00からの市医師会総会に敢えて1時間ほど遅れて出席。福島新会長誕生、就任挨拶は爽やかで良い内容であった。17:15-19:00病院。19:20帰宅、夕食、読書若干。20;30就寝。

教師は「知識」を教え、教育者は「心に灯をともす」(2)指導医は研修医に「知識・技術」だけを教えていないか
 2月11日に行われたMedical Management研究会はメインテーマは「医療人の育成」であった。基調講演を始め各演者は医療界に於いて教育者としても高名な方々であったが、共通に語られた内容は、研修医を初めとして中堅の医師に対してすら、入職してきた時点からまず社会人としてのマナー、医師としてのマナーの教育から始めなければならない現実について語られた。

 近年、医学は遺伝子レベルの深いところまで理解が進んで来た。ところが、人間社会に於いて物事の筋道を決めているのは、知識ではなく寧ろ「人間的感覚」や「気持・感情」なのだろうと思う。特に医療の現場では一層そうなのだと思う。今の医学教育は私どもが受けた時代よりは更に知識の教育がより一層先行している。知識の肥大化、先行は大事な感性の習熟の必要性を感じ取る機会、感受性さえもを失わせてしまう危険がある。だから、本来医学教育の順序が逆なのでないかと思う。知識はいつでも身につけることが出来るのだ。
 大学教育の中で学生は医学知識だけが教えられ、医療の本質である患者の不安の背景や対応法、医療の本質と安全性に関する教育、患者やチーム医療の仲間である同僚に対する接遇の問題などについて全く教育を受けて来ていない。大学で学生教育のカリキュラムを作成する方々は、この様な教育体制にはたして問題点を感じていないのだろうか。

 私どもの病院でも研修医が指導医と病棟や医局でよくディスカッションしているのを見聞きすることがあるが、大部分は狭い分野の医学的知識や技術に関することだけに限られ、またその伝達が断片的過ぎないだろうかとさえ思えてならない。
 本当はちょっと話題を広げて、患者への接遇の方法や、今置かれている患者の社会的な問題点、これから先、この患者がどの様に生きていけばいいのか、その様な範囲にまで話題を展開させて指導して欲しい。さらに、研修医がこの患者から何を学んだのか、その学び、評価に満足しているのか否かにまで言及して貰いたいものだと思う。

 知識を教える事、医療技術を教えることは指導医にとって比較的簡単だと思うが、一人の医師を育てるために指導医として自分が如何に関わっていくべきか、これは難問である。国が作った「新臨床研修制度」は3年目を迎えようとしており、過半数の研修医達が市中病院で研修を受けている。だから、この研修制度のレベルを上げるためには指導医のレベルを上げる必要がある。そのために、願わくば「新指導医研修制度」も並行して作って欲しいものである。


2/17(金)曇り  プリウス点検 人間ドック診察 卒後研修説明会 
2:00起床、人間ドック他、紹介状、簡易保険診断書x3、徒然。5:20病院着、6:15回診、重症患者対応。紹介状、総括他。プリウス点検:左後輪から時折発する異音の原因は不明と。13:30ドック診察x5。18:00-21:10北海道東北民医連・卒後研修説明会(View Hotel)+情報交換会。21:30帰宅、22:00就寝。

教師は「知識」を教え、教育者は「心に灯をともす」(1)
 本日、たまたま仕事中にかけていたラジオ放送の中で語られた言葉である。どなたの言葉なのかは私は全く知らないが、教育の本質をついていると思うので早速引用させて頂いた。私は教育者でも何でもないし、このような整った言葉で語ったこともないが、同じ趣旨は若手の方々に接するときは人生の先輩として私もいつも心がけている。
折しも本日は北海道東北民医連・卒後研修説明会が当院が担当して秋田のホテルで開催された。 各地の民医連加盟の医療機関から研修担当者が来秋し、主に秋田大学の学生を対象に開いた研修説明会である。秋田大学の学生も10数名参加し、当院で研修中の医師も7-8名参加し、結構盛会だったと思う。私も研修病院の代表者としての立場もあるが、医師の育成には少なからず関心を持っているので参加した。

 各医療機関の研修担当者から病院の概要、臨床研修のカリキュラム等の説明があった。何れもそれぞれ工夫され、特色を持った研修が出来るよう配慮されており感心した。
  私どもの病院はインターン制度のころから若手医師の研修、育成に関しては一貫して力を注いで来ており、当院で研修した医師は10年ほど前の古いデータで350名以上とあったから、今では400名はゆうに超えていると思われる。医師会等の会を通じて全国の医療関係者と歓談する機会は少なくないが、かつて中通病院で研修しました、と懐かしく語られることも少なくない。現に、今厚労省から秋田県庁に出向している健康福祉部次長も当院で研修したことがある、とのことであった。

 2年前から新臨床研修制度が発足した。特に今春は制度の修了者がでる時期で研修医の動向が社会的にも大きな関心を集めている。この制度は地域医療への思わしくない影響なども無いわけではない。影響を大きく受けたのは大学で、国立大学病院協議会などでは厚労省に対して直ちに元の制度に戻して欲しい、と有名大学学長達が要望したとか、いろいろな話題に事欠かない。が、私は決して悪い制度ではないと思っている。
 新臨床研修制度で研修医のことは良く語られるが、指導医については話題が乏しいことは問題である。私どもの病院の研修についてもまだまだ改善すべき点は多々ある。だから、本日のような会には本来ならば地元の研修病院の指導医層にある医師が出席して話を聴くべきだと思う。その面では実に勿体ないことであった。
 表題にある如く、知識を教える事、医療技術を教えることは比較的簡単だと思うが、一人の医師を育てるために自分が如何に関わっていくべきか、これにはなかなか答えを出すことが出来ない。難問である。


2/16(木)曇ー晴、  外来 新型インフルエンザ行動計画勉強会
2:30起床、ドックx1、紹介状、徒然.5:30病院着、6:30回診、不調患者への対応、9:00-13:30外来、病棟検査、処置他。久々外での行事なく、書類処理数件、机上若干片づく。17:30新型インフ行動計画勉強会(千秋会館)に遅れて参加。小林 新、菅原医師の講演。締めの挨拶担当。20:30帰宅、夕食、21:15就眠.

観つつ出勤、観つつ帰った冬の満月  見事な冬景色を演出
 厳しい寒気、厳しい降雪も2月になってから若干緩んできた。時折見える太陽はもう春の日射しで、私の心にも若干の余裕がでてきた。特に、ここ数日は比較的温暖で、雪ならぬ雨がかなり降った。お陰で雪が溶け、ブーツ、オーバーも着ずに、スリッパとセーターの身軽な姿で通勤している。

 秋田の真冬は日照時間が少なく、すっきりと快晴になることは希である。私はこんな天候もそう嫌いではない。そうは言ってもやはりサンサンと照る太陽はもっと良い。
 2月11日は東京出張で、降雪の中秋田空港を発ったが、東京は雲一つ無い快晴で、本当に久々快晴の空、快晴の太陽を味わった。帰路の最終便は山形上空を過ぎ、高度を下げ始めた頃からはしばらく雲の中、激しい降雪の中のフライトで着陸も危ぶまれたが、空港の灯が見え始めた頃から雪は止み、視界も良く定刻に、なめらかに着陸した。空港から自宅までの間の道路は両側に積み上げられた雪の壁がまだまだ厚く、高く、路地にはまだ雪面が残っている。狭い日本であるが、地域によって随分大きな違いがあるものだ。雪のない地域からの帰秋の時は雪国のハンディキャップをどうしても大げさに感じてしまう。

 3日ほど前の早朝5:00頃、丁度出勤途中の時に、僅かに数分間であったが、西の雲の切れ間に見事な満月を見ることが出来た。一面の厚い雲の中、この満月のために、私のために数分間だけ、わざわざ隙間を作ってくれた様な不思議な感覚であった。一面の雪景色の中の満月、実にクールな澄み切った淡青色の満月、その光のもとで一面の雪面の淡青色がこれまた見事である。冬場の、特に早朝の月の光は澄み切った空気と、厳しく冷え切った雰囲気を良く醸し出す。満月のお陰で幻想的な景観を、私は十二分に味わった。

 その夜の帰路、今度は東の空に満月である。薄曇りの中ややオレンジ色がかって観え、早朝の淡青食の月とはちょっと違う。が、これも良い。山々の雪も朝とは違って見える。 法然和尚の「月影の 至らぬ郷は無けれども ながめる人の心にぞすむ」をまた思い起こした。月の光と人の心の間を見事に繋いだ名歌である。


2/15(水)曇 外来 感染症評価会議 +医師会打ち合わせ
2:00起床、ドック総括x1、紹介状、徒然。5:10出勤.積雪なし。路面は2日間の雨でかなりとけた。路地に若干残るだけ。6:20回診他、9:00-13:50外来、14:00感染症評価会議(県衛生科学研究所) +医師会打ち合わせ。16:30病棟処置。紹介状。総括。20:00帰宅、夕食、 21:15就寝。

「医見書Ver2.5」具体的にどうする??(3)代議員会で要求するか?
 「医見書Ver2.5」は全く使えなくなる。困った。どうするか。ホント悩んでいる。 私
とれる対策は

●日医に掛け合って旧OS動作版「医見書Ver2.5」を作ってもらう→これはもう伝えた
●全部手書きにする→これは考えたくもない。地獄である
●OS10.4の新型マックを購入する→今マックは過渡期だから購入時期ではない。しかも、「医見書Ver2.5」はIntel製の新型CPUでは動作ない !。だから、無駄。大体何も困っていないのに「医見書Ver2.5」のためだけにマックを買えるか!!
●OS10.4をiBookG3(OS10.28)とPowerMacG3(OS10.28)自宅のPowerMacG4(OS9.2)にOS10.4をインストールする→実は、やってみたがインストール出来なかった→iBookG4附属のOS10.4では他機種には駄目か??→製品版のOSなら大丈夫か?→ならば購入する
●家内の自宅用のウインドウズXPパソコンを用いるか?→私はマックが続いていく限りマック派でありたいと思っているからラストチョイス。

 「医見書」は私にとっては高度の機能など要らない。レイアウトが書類の様式に合致し、入力、呼び出し、上書き?印刷さえ出来ればいい。不調であったとはいえ「医見書Ver1.0」はこの機能だけは確保できたから、自分なりにカスタマイズして重宝していた。
 今回、開発部門に確認したところ、「Java言語・云々」「OSに依存しない稼働環境・・云々」「PDFを使った高品位な印刷、保存が可能」「TCP/IPネットワークによるクライアント・サーバ型のデータ共有が可能」だとか何とか、私には全く理解の出来ない専門用語でどうしたのこうしたの・・・と説明してくれるが、私にとってはそんなことはどうでも良いのだ。高度機能なんて不要。OS9環境、OS10.3以前の環境で動く、簡素な「医見書」が欲しいだけ、なのだ。

 日医総研の「医見書」プロジェクト、日医執行部に私の考え方、希望は伝えたが、多分無視されることになるだろう。
 次に私が出来ることは代議員会で要求することであるが、医療制度改革、診療報酬問題、日医会長選挙問題等でもめるであろう今回の代議員会の話題としては何とも低レベルでそぐわない。これも悩みである。どうしようか。やはり、製品版「OS10.4Tiger]を買ってみよう。


2/14(火)曇・降雨 外来 常務会 医局カンファレンス 県医師会医事紛争委員会
2:00起床、ドック他、徒然、5:15Taxi 病院着.6:20回診、定期処方箋発行他、  9:00-13:45外来,13:50北都銀行、14:30-17:00常務会、17:30医局会・MC、中座。師長面談。18:30-19:30県医師会医事紛争委員会。重症患者回診、20:40帰宅、21:20就寝。
 日記には5:00-5:30除雪し、だんだん積み上げる場所がなくなってきた、と記載ある。昨年は今頃になって降雪が多くなってきていた。

「医見書Ver2.5」 旧マックユーザーの私は怒っている(2)
 今までは所持しているマックの全ての機種で「医見書」が動作したから、いつでも、何処にいても意見書作成が可能であったが、「医見書Ver2.5」は全く使えなくなる。秋田市の場合、あと2ヶ月ほどは旧意見書様式でも受け付けてくれるというので何とかなるが、他の市町村の場合には受け取りを拒否されることもあるらしく、困った。実際は困った、と言うレベルを超えて怒りさえもを感じている。

 日医総研の「医見書」担当部署に電話したが、対応OSに関しては執行部の了解のもとなので・・と逃げる。やむなく日医の事務局長に電話し、担当常任理事に問題点を伝えて貰うこととした。事務局、執行部では全然問題を感じてはいないらしいことがうかがわれた。
 これが一般の市販ソフト会社なら、ソフトの経済的メリットが無くなればユーザーへのサービスを断念することもあるだろうし、止むを得ないこともあるだろう。
 例えば、今、マックはIBM製CPUからIntel製のCPUに変更する過渡期にあり、IBM製CPU搭載機とIntel製のCPU搭載機とが併売されている。両者とも同じOS10.4であるが、IBM製CPU搭載機種にはOS9.2の動作環境も併用できるが、発売が開始されたIntel製のCPU搭載機ではOS9.2の動作環境は捨てられている。
 これは時代の流れの中で容認できる。マックOS9.2とOS10.0は全く別物であったが、移行するときに旧マックユーザーのためにOS9.2動作環境を保証してきた。それだけ、OS9.0以前の動作環境のマックを用いているユーザーが多いと言うことでもある。これが企業の倫理観であり、サービスなのだと思うし、評価できる。しかし、もう数年経過したから十分であり、両者の共存は不要だろうと私は思っている。

 しかし、「医見書」ソフトの場合は同一には考えられない。「医見書」ソフトユーザーの大部分は日本医師会の会員である。マックのユーザーはそれほど多くないし、その中では旧マックを用いている会員が多く、OS10.3以降の新OSユーザーはまだ一握りでしかない。そんな状態でこの「医見書」ソフトのあり方は正しいとは言えない。
 会員に対する裏切り行為だ、とも言いたくなる。正直、そんな気持ちである。今回、日医会長選挙が行われようとしているが、「医見書」ソフト関連だけで考えれば、現執行部は会員のことを十分考えてくれていたのかな?、選挙もやむを得ないのかな?、とさえ思ってしまう。


2/13(月)曇り・晴れ    管理会議  外来  療養判定会議  長副会議  市内四病院院長連絡協議会
1:00起床、ドック処理x1、各種書類処理.徒然。5:10病院.6:10回診他、8:00管理会議。9:00-14:00外来+ドック結果説明。月曜にしては混雑。医師面談他。16:00-16:40療養判定会議。17:00-18:45長副会議は中座。19:00-20:50市内四病院院長連絡協議会、メトロポリタンホテルにて。21:15帰宅、21:430就寝。

主治医意見書ソフト「医見書Ver2.5」 旧マックユーザーは途方に暮れている(1)
 
「医見書」は平成12年に日本医師会が発行した初のソフトウェアで、介護保険制度の「主治医意見書」を作成するのにとても便利であった。今回、敢えて過去形として表現した。「主治医医見書」と「訪問看護指示書」間でデータが共用されており、各々別々に入力する必要もない。定型文の作成も選択も出来るために自分にカスタマイズした意見書の作成が比較的簡単に出来ると言う特徴などもあった。
 特に更新や2回目以降の主治医意見書の作成の際には前回入力したデータを呼び出し、必要事項を加筆するだけですぐに書類が完成出来ることから重宝で、私は全ての介護保険意見書をこの「医見書Ver1.0」で記載していた。データが入力されている患者数は300人を超えている。もうこのソフト無しの状態で意見書を記入する気にはならない、とまで思っていた。
 「医見書Ver1.0/Ver 1.5」は累計約2万5千本を提供したとのことである。

 平成18年度の介護保険制度改正に際し主治医意見書も新様式となった。これに対応した「医見書Ver2.5」が最近発売された。
 「医見書Ver1.0」はがいろいろな不具合はあったが、それなりに工夫して今まで使い続けてきた。そのために「医見書Ver2.5」の到着を心待ちにしていたが、実際に手に取り動作環境を確かめて愕然とした。「医見書Ver2.5」はOSが予想外に限定されていたからである。

 「医見書Ver2.5」の動作環境はWindowsの場合では2000(SP2以降)又はXPが必要で、Macintoshの場合はMac OS X v10.3.4以上、PowerPC G4以上でPowerPC G5推奨、と言うことになっている。
 私は今、Macintoshを8台用いており、OSは8.6-10.29までである。今までは全ての機種で意見書作成が可能であったが、「医見書Ver25」ではOS10.3.4以上となり、私の現状のOS、機種では全く使えない。これは困った。いろいろ考えているうちに怒りも沸いてきた。


2/12(日)病棟拘束    アトリオン室内合奏団バレンタインコンサート
2:30起床、新聞などチェック、ややのんびり過ごす。ドック総括、退院総括、県医師会文書校正など他処理。12:00-13:00微睡む。14:00-16:00アトリオン室内合奏団バレンタインコンサート。16:30-19:00病院で業務。19:30夕食、20:00就寝。

自伝 一本目のチェロ(Vc)購入(1)
 私は今まで自分用に2本のチェロ(Vc)購入した。
 大学入学時にオーケストラ部に入部しヴァイオリン(Vn)をやることになり、間もなく「鈴木の特3」という量産型の、半機械半手作りとされるレベルのVnも購入したが、その当時から本心では低音のVcの方をやってみたい、という気持もあった。しかし、あの楽器のサイズは休暇等の際に列車で岩手まで帰省する際には運搬が困難であるし、楽器自体も初心者用セットであっても最低10数万円はしたから私の立場では高額過ぎた。
 次善の選択としてVnを選択した訳だが、この時のVcに対する思いは心の中ではずっと途絶えることなくくすぶり続けていた。

 35歳の頃にチェロをやってみたいという気持が高まっていたが、Vcを所持している知人もおらず、秋田では楽器屋に行っても実物はなく注文販売というので決めかね、東京出張等の時に神田の楽器店等を訪れては眺めて物色していた。実際には手にとってちょっとでも弾いてみたかったのであるが、友人のを若干さわった程度なのでその勇気もなくひたすら見るだけであった。

 この頃、パイオニアのレーザーディスクでロストロポーヴィチの演奏するドヴォルザークのVc協奏曲が発売になったが、レーザーディスクプレーヤーも持っていないのにとりあえずディスクだけ購入した。それから数ヶ月後にプレーヤーを購入し食い入るように観ながら、いつか自分もVcを手に入れ弾いてみたいとの夢を膨らませていた。

 ある日、雑誌「音楽の友」をつらつら眺めていたところ、読者の投稿欄に「Vc売ります。転居により住宅事情が変わり、練習不可となったため。スズキ製、5年ほど使用、購入時セット価格25万円を半額で。東京在住○○」と投稿記事があった。この時何を考えたのか忘れてしまったが、5年も練習に用いたのなら程度も悪くは無かろう、値段も悪くはないし、東京なら何とか取りに行く機会もありそうだし、とりあえず買ってみようかと、ハガキで連絡をとってみた。結果として商談は成立し、数週後に学会か何かで東京出張を控えていたのでその時に東京駅で受け取ることとした。
 この時のVcが今所持している2本のうちの1本目の楽器である。


2/12(土)秋田曇降雪 東京快晴 MedicalManagement研究会(MM研究会)    緩和医療冬季集会        
2:00起床。ドック処理x1、徒然。5:20病院着、6:20回診、出張時申し送り他の手続き。10:00病院発、11:10ANA、AirBusA320,満席。こまちは本日も不通だった事も影響か。久々に昼食摂る。14:00-18:30MM研究会、20:00ANA767-300。70%他。降雪吹雪等で着陸不可時には羽田に戻る事、その際交通機関最終に間に合わない可能性があること、宿泊の世話など一切無し、との条件下での出発。21:05無事着陸、Taxiにて22:00帰宅、夕食、22:30就眠。

日中も暗い室内でスポットライトの下で過ごす(4)豊かな照明で失ったもの 
 食の文化の変化は先進国に於いてはあまりにも急激、大幅な変化であって、現代人の身体、特に代謝系の処理能は運動不足と相俟って完全にパニック状態にある。現代人は必要以上の栄養を摂り過ぎている。わが国の国民6人に一人が糖尿病またはその予備軍であることは我が国自体の食・生活文化が病的だからだ。
 更に最近、血圧・代謝系の軽度の異常の組み合わせは心筋・脳梗塞など動脈硬化性疾患の危険性を高めるため、日本内科学会を含む8学会が「メタボリックシンドローム」という概念で統一し、2005年4月に診断基準をまとた。ウエスト周囲径過大が必須項目で、加えて 血清脂質高値、血圧高値 、高血糖の3項目のうち2つ以上を有する場合に診断する、と規定している。要するに腹が出ている人の大部分はこれに相当する。

 食文化の異常は上記の如く目に見える形に出てくるからまだ論じやすいが、環境の中における照明や光の意義、暗闇の時間が減少したことの意義は計り難い。照明の効果に関してのエビデンスに関して私の知識は乏しいので食文化のことを引き出して対比せざるを得ない。ヒトが長い歴史をかけて習慣として身につけてきた生活リズム、その乱れは、知らず知らずのうちにヒトの心の形成の過程にも影響しているように思う。

 夕方、陽が沈むと共に夜の静寂が訪れ、それからの時間帯は、家族のふれあいの時間、読書、思索、空想の時間など、自分の心を主体的に遊ばせる時間があったが,今はこの時間は過剰な照明の下、TVを中心とする歪曲、誇張、すり替え、虚偽、ねつ造などの情報を無批判にほぼ当たり前のこととして受け入れる消極的な時間になり、睡眠のリズムは完全に変わってしまった。このことは、特に子供達の成長過程にいろいろ影響を与えていると思われてならない。勿論、大人にだって同様であろう、と思っている。

 想像力・創造力・自分自身を養ってくれるのは自然そのものだと思う。コンピューターやTVなどの情報機器は目的を持って求めて使う分には素晴らしいが、そうでなければ何も教えてくれない。一方、月や、空や、雲や、花や、鳥が・・・飼い猫までも、多くのことを教えてくれる。当然、夜の静寂、暗闇もしかりである。

 過度の照明、視覚刺激のために現代人は目と心はパニック状態にあるのでは??と私は思っている。ヒトは自ら作り出した文明の奴隷になり、想像力・創造力・自分自身を失いつつあるのではなかろうか。
 現代は必要以上に明るい。私は今後も暗い室内で、スポットライトの下で過ごしていく。


2/11(金)曇・降雪 人間ドック説明 師長会議(病棟再編) 秋田県薬事審議会 法人理事会
2:30起床、ドックx1.紹介状、徒然など、5:25i病院着。6:30回診他。9:00人間ドック結果説明x3、13:00-13:45師長会議(病棟再編)、14:00-16:30秋田県薬事審議会、17:30-20:30法人理事会。外来はなかったが、午後は移動を含め8時間近く会議が続いた一日であった。21:00帰宅、21:30就寝。

日中も暗い室内でスポットライトの下で過ごす(3)暗さは心に安息をもたらす 
 ヒトが地球上に現れてこのかた、つい最近までは100%自然の中で、自然の営み、恵み,に包まれて生きてきた。自然が持つ四季や毎日の昼夜のリズム、サウンドは私どもの身体や心の中に深く入り込んでいるとはずだ。文明の発達と共にこれらの恵みに身を委ねる事の意味を忘れ、ともすれば人工的な環境の方が当たり前ととらえるようになってきている。そんな気がしてならない。
「道に迷ったときには、空に聴け、星に聴け、雲に聴け、花に聴け・・・」と何処までも並べることが出来て、いつまでも続けられるこの言葉は、私のよりどころの一つになっている好きな言葉である。

 いま、CDとかでリラクゼーションミュージックとかが提供されている。それなりに考えられているのだろうが、それらは私には全く効果が無い。何でこんなのがあるのか疑問でもある。中身よりタイトルに価値があるのであろう。私にとっては、むしろ自然の風や雷鳴、小川のせせらぎ、小鳥の声などの音をそのままCD化した、音楽抜きのものの方が良い。その時、室内は暗い方が良い。いろいろなイメージが次々と湧いてくるから。自然の音のは私にとって音楽以上の価値がある。イメージを遊ばせるときには視覚からの刺激は無用どころか、邪魔である。

 私どもの環境がこんなに明るくなったのは何時頃なのだろうか。食生活が充足し始めたよりは遅かった様な気がする。裸電球から蛍光灯への急激な変化がその切っ掛けであったように思う。更に輪をかけたのがTV、TVゲーム等の登場である。著しい光刺激は神経生理学的にも心理学的にもいろいろな影響をヒト、特に子どもに与えていると言う。数年前、TVゲームに集中していた子ども達が痙攣発作を起こしたニュースが在ったし、脳波検査の時に閃光が刺激として用いられている事からも多分本当なのであろう。

 視覚を介して入ってくる情報は随分増えてきていると思うが、私は長時間、明るい環境の下にいるのはとても苦痛である。だから、一人の時は室内は暗くしている。


2/9(木)再び寒波、降雪 外来 県医師会電話相談者と対応 入院患者家族面談
2:30起床、ドックx1.紹介状、徒然など、5:25i病院着。6:30回診他。9:00-13:15外来ほか。正午過ぎ97歳女性患者不調に。病棟入院患者対応、家族と面談など。14:00-14:30県医師会電話相談者と対応。病院・医師会書類処理等。20:30帰宅、夕食。21:30就眠.外部委員会等はなかったが、時間に追われた一日。20:00からNHK秋田で「がん緩和療法」について放映していた。県医師会長、当院の看護師も出演。一部を見たが1月上旬NHK全国放送による県民の誤解、不安の一部は解けたと思われる。

日中も暗い室内でスポットライトの下で過ごす(2)暗さは目にも安息 
 終日薄暗い中で過ごしている私の様子を見て部屋を訪れる多くの方々は「目を悪くしませんか?目が疲れませんか?」と労ってくれる。有り難いことである。それに対して私は「暗い方が目にとって安息なんです」と答えるが、全然信じてもらえていない。薄暗いところでは目が悪くなるのだという誤解?が隅々まで浸透し切っている。

 この誤解は何故か、と言うと簡単である。小中学生の頃の授業で、室内環境は最低○○ルックス、読書などでは最低200ルックスは必要、などと習うことから由来しているのだろう。そう言えば最近はルックスという単位でなく、カンデラと言う単位で呼ばれている。カンデラはラテン語で、もともとの意味は獣の油の蝋燭のこと。1979年に光度の国際単位として採用され、記号はcdである。昔使った単位、習った単位のいくつかがリニューアルされ聞くことが無くなった。気圧はミリバールからヘクトパスカルに変わった。当時は随分違和感を感じたものだが、毎日毎日聞かされると自然に受け入れられる様になるから不思議だ。

 暗闇、薄暗い環境は目を休めると私は思う。明るいところでは縮瞳し瞳は小さくなるが、縮瞳には虹彩筋の強い緊張が強いられているハズだ。私は眼科的知識は乏しいが、人も動物も死ぬと多くの場合に瞳は大きく開大する。緊張から解き放されたからである。死亡に際して虹彩筋だけが逆に緊張するとは考えられないから、このことから多分、散瞳しているときの方が目は楽なはずである。その様に思い込んでいるし、現に私は明るいところより目が疲れない。だから正しいのだと思っている。これは私のご誤解なんだろうか?どなたか詳しい方がおられご教示いただきたいものである。散瞳する環境の方が目には楽、と賛同して頂けないかなあ。

 暗闇の中での読書などは目に疲れをもたらす。これには異議はない。暗い環境では対象物のコントラストは弱くなるから、細かい字とかを目で追う時は明るい時よりは過剰に注視を要するし、焦点を合わせるために縮瞳を余儀なくされるからである。
 だから、暗い中で必要なのはスポットライトで、相応しい光があれば目に対する問題は解消、かつ気分も落ち着く。良いことづくめである。しかも、最近の机上仕事の大部分はパソコンのディスプレイ上で処理される。ディスプレイ自身が発光しているし、コントラストも調整できるからスポットライトもそれほどのパワーは必要なくなった。
 私の部屋はますます暗くなっていく。


2/9(水)曇り・降雪 外来 人間ドック診察 QP- KK担当者来訪面談 院内感染対策委員会 県医師会常任理事会
 2:00起床。ドックx1、徒然.5:15病院着、6:20回診、9:00-14:10外来。14:30 QP -KK担当者来訪面談。16:00院内感染対策委員会、17:30-19:40県医師会常任理事会、決議文検討。21:15帰宅、21:40就寝。

日中も暗い室内でスポットライトの下で過ごす(1)明るさは私にはストレス 
 院長室は私が帰宅するとき以外はいつも扉を10cmほど開けている。だから、開いていると言うことは私が在室、あるいは院内、あるいは外出中であるが後に戻ってくる、と言うことを示している。半開きにしている主たる目的は用事がある職員が逡巡せずに気軽に訪室してくれることを願ってのこと、と問われるたびに説明はをしているものの、本音の一つは部屋を出入りするときにいちいちノブを回す手間も省けて楽だと言う、私の超ものぐさ的発想も大きな理由である。

 一方、廊下からは扉の隙間から中央のテーブルの上の花瓶や鉢植えの花が蛍光灯スタンドの光でほのかに見えるものの、日中であろうと夜であろうと部屋はカーテンが閉められ、天井の照明は点けられておらずいつも暗くしているから、訪れる職員や廊下を通る来訪者はかなり違和感を感じるらしい。テーブルに光を置いている理由は自身のためではなく、花達が光を必要とするから、である。
 私が在室であることを隣の秘書室員から告げられても、信じられんと言った訝しげな様子でノックする方が多いようだ。
 終日薄暗い中で過ごしている私の様子を見て多くの方々は「何でいつも暗くしてるのですか?目を悪くしませんか?疲れませんか?」と問うてくるが、私は逆に、不必要に明るい環境の中にいる方が私の目にとっても、心にとってもとてもストレスなのです、と答えるが、全然信じてもらえていない。

 私は朝日が昇ると共に明るくなり、日が沈むと共に夜は暗くなる、それが当然で、当たり前だと思っている。夜は暗い部屋の中、スポットライトの下で読書などで過ごすのは私の幼少の頃からの好みである。私が小学校のことからそれに用いてきた白熱灯の電気スタンドは自宅の居間で健在で活躍中であり、私は愛おしい気持ちで使っている。
 私はとにかく暗闇の環境が好きで、家でも病院でも一人の時は暗くして過ごしている。
 世の中が何時でも不必要に明るいこと、寝るとき以外は明るくしていることが当たり前という現代社会の方が異常なのだ、と私は思う。

 暗闇にも重要な価値がある。私は人間の心理、感情にも暗闇は大きな意義があるものと思っている。


2/7(火)降雪   外来     常務会  医局会    第2回医療安全講演会(欠)    
2:00起床、ドックx1名分。主治医意見書他検討、徒然他. 5:20病院着。 6:30回診他、定期処方箋発行他。9:00-13:30外来 14:30-16:20常務会、17:30-19:00医局会、病棟再編問題等討議。第2回医療安全講演会はインフルエンザ対応で出席したかったが時間とれず欠。20:30帰宅、21:00就寝。

シュレッダーの紙くずはガサばる  水を入れれば10倍以上は処理出来る
 個人情報の漏洩は特に医療機関では注意が肝要である。昨年4月の法の施行に併せて病棟、外来等に中型のシュレッダーが置かれるようになり頻用されている。これは良いことである。安心して書類を破棄出来る。私も自宅と病院の自室に各一台用意している。

 しかし、シュレッダー処理は裁断された紙くずは容積が増える。処理前の紙の数10倍にまで膨れあがる。だから、直ぐにストッカーが一杯となり、警報が鳴ったり機能が停止する。これは結構煩わしい。押しつけても紙の弾力で徐々に戻るからあまり効果はない。これをゴミ袋に詰めて廃棄する作業は裁断された紙くずが散らばって大変である。

 自宅ではシュレッダーの機械部分をゴミ箱の上にセットして使っている。これは良いアイデアである。自宅だともともと処理枚数それほど多くはないから満杯になって機能が停止することは少ないが、一杯になった時に捨てる作業は同じで結構面倒であった。ゴミ箱の上にセットする何ら手を加えることなく毎日のゴミ捨ての時に一緒に捨てられるから、とても便利である。

 病院自室に備え付けたシュレッダーは処理数が極端に多い。だから直ぐに満杯になる。連日満杯になったこともあり廃棄が煩わしく何とかしたかった。シュレッダーのストッカー部分に予めゴミ袋をセットする方法は院内の大多数のところで行われているが、廃棄が楽なだけでガサばる事や頻回に捨てなければならない事情には何ら寄与しない。だから、たいした効果は期待出来ない。第一、格好も良くない。

 何とすれば解決出来るか。要するに裁断された紙片を上手にプレス出来るように紙の弾力を無くすればいい。私はそんな考えでストッカー部分に水を入れ、水の上に裁断された紙が落ちる様にした。紙くずは裁断されているから直ぐに水を吸い弾力を失い、沈んでいく。だから処理しても処理してもなかなか一杯にならない。ガサばる様になったら押しつければ更に入れられる。紙が水を吸って水が足りなくなるから、時々紙くずの上から水を追加して押しつけるが、水は室内の観葉植物に水をやる時に一緒にやっているからそう手間はかからない。
 もう10日以上も捨てていないがまだ数日は大丈夫なようである。自称超ものぐさ人間の私にとってはとても良いアイデアである。
 欠点は二つ。裁断された紙くずが湿って一塊となっているために再生ゴミにならないこと、シュレッダーが湿気で錆びてダメにならないかな、と言う心配だけ。


2/6(月)曇り  管理会議    外来    県健康福祉部部長来訪   療養判定会議   長副会議
 2:00起床、ドック総括x1。紹介状返事、総括、徒然。5:20病院着。回診他、8:00管理会議、9:00-12:45外来、16:00-17:00県健康福祉部部長来訪、16:00療養判定会議は欠、17:00-18:50長副会議。19:00-20:00ICU打合会。20:30帰宅、夕食、21:00就寝。

「トリノオリンピック」関連ニュースは一瞬「トリインフルエンザ」のニュースか??と身構える
  イタリア・トリノで2月10日〜26日までの17日間に開催される第20回オリンピック冬季競技大会は7競技84種目で行われるのだそうだ。
 私のイメージではイタリアは地中海に面した温暖な土地と思っていて冬季オリンピックが開催される聞いてもピンと来なかったが、地図を見るとイタリアの北部はヨーロッパの山岳地帯アルプス山脈の麓にある。確かにフランスのシャモニーからロープウエーで3840mのエギュイユ・デュ・ミディ(Aiguille du midi)山頂に上ったことがあるがそこでは観覧場所から数10mでイタリアなんだと説明を受けたことを想い出す。

 トリノは北緯45度で日本で言えば稚内レベル。ローマですら秋田レベルである。私のイタリアに対するイメージは今日変わってしまった。2/5 日本代表選手団、入村式に参加、記者会見をトリノで開催するなどだんだんに盛り上がってきている様で、NHKラジオに頻繁に登場する様になったが、これがまた私には苦痛である。

 「トリ・・」と語られ始めると私は「トリインフルエンザ」関連で何かあったあのか??と一瞬緊張する。直ぐに「トリノオリンピック」関連であることは分かるからホントに一瞬なのだが、一日に何度も緊張するから結構大変である。
 私の心の中で「トリインフルエンザ」「新型インフルエンザ」がかなりのプレッシャーになっているためである。 県医師会の感染症担当理事であることと病院管理者として「新型インフルエンザ」発生時や蔓延時にどう対応すればいいのか、行動すればいいのかを常に考えていることと、多忙のために医師会員への情報提供が不十分であること、まだ関連会議を充分開いていないなど責任を充分果たしていない事を自覚し、負い目を感じているためである。

 「新型インフルエンザ」はまだ何処でも発生していないから、日本で発生する可能性は極めて低いから、よしんば世界の何処かで発生してもWHOが動いて対策するハズだし、検疫レベルでも防御するし、秋田で一気に蔓延する事はないはずだ・・・等と自分に語りかけて平静を装うようにしているが、NHKがそれを頻繁に邪魔してくれる。 いやいや、自覚を促してくれているのだ、と考えよう。


2/5(日)曇、降雪、寒波 病棟拘束 アキタパートナーシップNo5回患者塾「患者の権利を一層伸ばすには」

 2:00起床、やや眠い。ドックx1、退院総括・紹介状、医報校正、徒然など。7:00-8:15除雪、降雪10cmほど。臍の緒胎盤道路を十分にやり尽くす。出来上がりに満足。久々朝食軽く摂り、10:30病院に。病棟関連他の残務処理、回診。13:30-16:30NPOアキタパートナーシップ患者塾、30分ほど話題提供し討論に参加。19:00長女は明日離秋とのことでCastlesに5人集合、夕食、20:30帰宅。21:00就寝。

自伝 秋田大学時代(1973-1985) 
「官舎を又貸ししている悪徳女医を糾弾する」との投書を貰う 
 秋田に来てしばらくは秋田組合総合病院の官舎に住まわせて頂いた。
 最初は土崎港一丁目にある官舎で、街中にあり買い物等にも便利でそれなりに良かった。私にとっては「Hレコード店」が200mほどのところにあったことが良くて時間を見つけては訪れていた。私が現在所持しているレコード、LD、CDの80%以上はおそらくこの時期を中心にこの店から購入したものである。一方、交差点の近くなので大型トラックの音には悩まされていた。3-4年は住んだだろうか、隣に「M電気店」が開業し、音楽やコマーシャルのテープ等の音がわが家にも飛び込んでくる状況になったのを機会に将軍野にある官舎に転居した。

 ここは前の官舎に比べれば自動車の通行量も少なくより静かで良い環境であったが、同居することになった賄いの石井さん家族を入れての7人家族には狭いのが悩みであった。
 住んで一年ほどした頃であったであろうか、分厚い封書がわが家に届いた。差出人の名前はない。不審に思いつつ開封してみると大きな字で便せん5-6枚にわたっていろんな事が書いてある。大部分は忘れたが、その要旨は「そこは、組合病院の官舎であるにもかかわらず、内科医の福田はこの住宅を何処かの母子家庭に又貸ししている様である。このようなことは社会的にも許されるものではない。医者ともあろうものが・・、クドクド・・」と言う内容である。

 内容的には、勿論100%間違いで、我ら夫婦は通常と何ら変わらずほぼ毎日帰宅して居たのであるが、早朝に出かけ、夜も遅く帰っていたし、土日も殆ど家にいる時間より病院です過ごす時間の方が多かったことは確かである。住んでから一年以上もたつし、少なくとも近所の方々、町内の方々には会えば挨拶程度は交わしていたから解っているはずであるから何処か遠方の方だったのであろう。
 内容的にはただ笑うだけのレベルでしかない投書であるが、そんな風に見ているヒトも居るんだと感心する一方、二人とも子育ての大部分を賄いの石井さんに任せきりにし、共にじっくり家庭で過ごす時間が少なかったことを反省する良い機会となった事は確かである。


2/4(土)晴れ曇、降雪  病棟拘束  家内還暦快気祝い
 2:00起床、長男・長女が家内還暦快気祝いのため深夜に帰省。ドック処理x1、紹介状返事など。5:15Taxi病院着.6:15回診など。紹介状3部作成。院内配布用原稿に集中。16:00帰宅、次男も久々帰宅。17:30家内還暦兼快気祝い、土崎港、ホテル大和。19:50帰宅、夕食、21:00就寝。

家内還暦 私は昨年だったが双方ともこの一年で生活環境一変
  今年は家内の還暦で、昨年は私であった。その際、還暦とは何ぞやと思い若干調べたことがある。要するに、「年祝いの一つ。本卦がえりとも言う。満60歳の誕生日を祝う長寿の賀。古くから60歳を社会人としての生活からの引退を意味した。お祝いに赤い袖無しの羽織、赤い頭巾などが贈られるが、生まれ変わりを意味するもの」とあった。

 実は、私は後者の方に近いことを考えていてもう還暦だから、現役をいったんリタイヤして肩書きをすべてリセットし、モーツアルトイヤー前年のザルツブルグ、ウイーンで数ヶ月かなァ? 帰ってきたら、やはり医師として患者への責任を果たすために嘱託医として外来だけは続けるべきだろうな、などと今から見れば別世界の、夢の如くのことを考えていた。それが、ひょんな事からタイミングが遅れて果たし得ず、そのうちに院長の辞令を戴くことになった。
 その前後から原因不明の腰痛、坐骨神経痛に悩むこととなり、後に激しい痛みを経験しただけに、私にとっては本当に予想外の一年となってしまった。私の院長職の実績なんて、当院の歴史から見ればまだ1%に過ぎない微々たるものであるが、毎日毎日が茨のムシロで、厳しい毎日である。よく先人は頑張っていれたものと心底から思う。されど、失うもの以上に充実感もある。だからやっていけるのだろう。

 家内の変調は今年のテニスの不調から始まった。だんだん下手にはなっていたが特に今年の落ち込みは激しい。体力も落ちて続けることも困難となり、結局9月でテニスは中止とした。医者の不養生そのもの、病気が見つかり、手術を受け、今はシオらしく反省の日々でダイエットにも励んでいる。
 彼女は今年還暦を迎え、本日が親戚一同によるお祝いの日であったが、今は新しい行き方を模索しているようで、退職なども考えているようだ。結論はまだ出していないが、成果は別としても十分働いたと認めているし、今更、還暦離婚でもあるまいから、どんな結論が出ても私は支持したいと思う。
 以上、われら夫婦の還暦の年の出来事である。願わくば、今後しばらくは平穏であって欲しいものである。


2/3(金)寒波降雪  秋大外科教授訪問・面談 奨学生候補面談    医学部との懇談会+情報交換会 療養病棟歓送迎会(欠)    
2:10起床、ドック判定総括x1、退院総括、紹介状返事。5:20病院.6:20回診、13:30人間ドック診察x5。15:00秋大訪問、外科教授面談。16:00奨学生候補学生と面接、18:00-20:45秋大医学部と県医師会との懇談会と情報交換会。癌治療と後期研修について意見交換。秋大の病棟増改築計画の概要について説明があった。療養病棟歓送迎会は出席出来ず。21:20帰宅、22:00就寝。

ここまで来ている新型インフルエンザ対策---疑わしい場合には必ず保健所に連絡を(週刊アキタ2月3日号掲載)
 秋田県には週刊アキタという新聞があり、その健康欄を県医師会が担当している。年に2回ほど執筆が回ってくる。私が担当した内容が本日掲載された。800字という制約があるので充分な記述は出来ないが今回は「新型インフルエンザ」を取り上げた。

「新型インフルエンザ」とは?
 病原性の高い鳥インフルエンザと人インフルエンザが、豚や人に同時に感染すると体内でウイルスの遺伝子が混じり、強い感染力を持つ「新型インフルエンザ」ウイルスが発生する可能性があります。これに類似した現象は、20世紀に入ってからスペインかぜ、アジアかぜ、香港かぜとして大きな流行が起きました。しかし、「新型インフルエンザ」はまだ発見されておりませんのでご安心下さい。また、よしんば発生したとしても当時とは時代が異なります。各国で徹底した蔓延予防策、防疫策を行うことになっています。鳥インフルエンザが見つかった場合、残酷なほど徹底して鶏を処分しているのは「新型インフルエンザ」を生じさせないためなのです。

新型インフルエンザ」の症状は?診断は?
 「新型インフルエンザ」の症状は通常のインフルエンザと大差ないと考えられます。 即ち、38℃以上の急な発熱、せきなどの呼吸器症状、食欲不振、関節痛などの全身症状です。
 病状からは区別が困難ですので「新型インフルエンザ」が流行している地域に旅行したか、「新型インフルエンザ」患者・感染者と濃厚な接触があった方が、インフルエンザの症状を呈した場合に疑います。この場合、ウイルスの遺伝子検査を行い、診断を確定し、治療すると共に、強力な感染予防対策をとります。
 この辺の対策は県の健康対策課、県医師会等が中心になって秋田県版の指針を作りましたので、県民の皆様方はご安心下さい。

「新型インフルエンザ」の可能性がある場合とは?
 「新型インフルエンザ」が発生している地域からの帰国した方で、感染が疑われる方は、必ず保健所に連絡し、マスクを着けて、指定された医療機関を速やかに受診すべきです。 決して勝手に医療機関に受診してはいけません。

「新型インフルエンザ」
予防法は?
 「新型インフルエンザ」が発症した地域には安易には行かないこと、感染者との接触を避けること、です。


2/2(木)降雪 曇り、寒波ややゆるむ   外来 県DV防止基本計画策定委員会
   
2:20起床。ドック判定総括x1その他、5:30病院.6:10回診ほか。9:00-13:30外来、療養病棟入院患者不調数名、対応など。そのために15:00県DV防止基本計画策定委員会は欠席。20:30帰宅、夕食21:20就寝。

腰痛体験記(5) 整形外科医のアドバイスにガックリ されど的確だった(2)
 
振り返ってみれば、あの日の整形外科医の助言、実に素っ気なかったが、今となってみればすごい助言だったのだと感じ入っている。以下は私が「先月民医連医療」という雑誌に書いたエッセイである。その中の
 <ケース3>として登場した患者の立場そのものを自ら味わった事になるが、私の場合は逆にいくら払っても良いと思うほどの素晴らしい助言を受けたことになる。
 若干改変して以下に掲載する。

<<
ある患者の弁、「先生、これでも診察代を払うんですか??」>>
<ケース1>
 2005年11月のある朝、翌日開腹手術を受ける家内の見舞いと世話のために、娘が
横浜から夜通し運転して帰省した。かなり疲れ切った表情である。
 長女の弁「数日前からアフタ性口内炎が一気に7つも出て痛いのよ」と。「気の毒にね。母親の件も含めていろいろストレスがあるためなのだろうからね。まず、早く休んだら」と私。しばし無言の後、娘は不満気に「私はね、別に優しい言葉をかけて欲しくて言ったのではないのよ」と言った。

<ケース2>
 わが家のお手伝いさん、65歳くらいの女性。10月末のある日、脚立から落ちて腰を強打しかなり辛そう。私の帰宅をずっと待ちかまえていたらしく、激しい腰痛を一生懸命に訴える。彼女の話は一般的に長くて結論がなかなか出ない。私は言葉を遮って「足でもしびれるのかい?早く帰って寝たら?」と答えた。しばし無言の後「受診しなくて良いかしら」と言う。「早く帰って寝たら?」と答えた。これで会話はつながらず終了。彼女は不満気な表情で帰って行った。
 
<ケース3>
 ある救急時間帯での診療の時、高齢の男性患者が隣の外科系診察室を訪れた。診察医は若手の外科医。患者「腰が急に痛くなって辛くて来ました」。外科医はざっと病歴を聴き取り、患者を診察し「湿布あげますから家で安静にして明日整形外科を受診してください。お大事に」。この間3-4分。
 患者は「そうですか。湿布は家にありますから要りません。出がけに家内が先生とまったく同じことを言ってました。先生、こんな程度でも診察代金を支払うんでしょうか??」
 高齢の方はガッカリしたような口調で、静かに淡々と述べた。かなり冷静な方のようであったが、医療機関に治療を求めてわざわざ遠方からタクシーで来たのに何も治療をしてくれないのか、この若い医師は患者の気持ちが分からないのか?と言うきつい抗議であった。

 家族や知人が具合悪くなった時の対応は難しい。私の返事はいつも素っ気ない。互いの思惑が完全にずれている。だから、言った方はガックリくるらしい。娘は子どもの時から具合が悪い時に親に甘えたくても、いつも聞き流されて辛い思いをしてきたのだそうだ。
 時間が解決する病状は放置が一番と思っているからだが、言う方は医師としての何らかの対策を求めての発言である。
 一方、診察室では患者と医師は基本的には治療が目的の場所だから思惑のズレは比較的少ない。そうはいえどもいろいろのズレや歪みが発生し、時には紛争にまでも発展することがある。医師と患者は短時間では互いに思っていることなど理解など出来ないと割り切るべきである。だからこそ医師は診察の際「何かご希望はありますか?」というような言葉を掛けてズレを調整する配慮が必要がある。

 一方的に自分の判断を述べるだけでは、どんな正しいことを言っても相手は満足しない。
(民医連医療No  402/2006年2月号掲載)


2/1(水)曇り 外来 ドック診察 整形外科医面談
2:30起床。人間ドック判定総括x1、新聞・資料チェック、徒然。5:40病院着、6:10回診他。 9:00-14:00外来+人間ドック診察x3。19:00-20:30整形外科と病棟再編をテーマに面談。21:20帰宅、夕食、22:00就寝。

腰痛体験記(5) 整形外科医のアドバイスにガックリ されど的確だった 
 腰椎ヘルニアとそれに由来する坐骨神経痛は急性の増悪時の疼痛は実に辛いものである。
 12月上旬の徒然に何度か記載したが、私は11月下旬の土曜夕方から、二晩激しい疼痛に襲われた。就寝すれど、どんな体位をとっても軽減せず、寝返りも困難、深呼吸するだけでも痛い。ましてや咳、クシャミは耐え難い痛みの原因となる。ベットから起き出して歩くときには身の毛もよだつほどの疼痛であった。
 このまま手術室に運んで貰いヘルニアを切除して欲しいとまで思ったが、麻痺が出たわけでも無し、週末だし現実には耐えるしかなかった。
 翌々日、若干軽減、Taxiで出勤した。なんとか歩ける状態である。管理会議、外来、病棟回診、療養病棟判定会議、長副会議等、消炎鎮痛剤の座薬の世話になりながら、冷や汗をかきながらも何とか通常にこなすことが出来た。

 早朝、出勤してきたある整形外科医にアドバイスを求めた。彼はここ二日間の様子を聞きとり、私の歩く姿と表情を見て「・・そうですか。大変ですね。でも、どんなに症状ひどくても、安静と鎮痛剤で出来る限り引っ張ることですよ・・、その後のことはその後で・・」と藁にも縋りたい私の思惑とは大きくかけ離れた、信じられないような答え。この間2分ほど。正直、私はガックリ来た。

 早朝まではどんな宣告を受けても甘んじて受けざるを得まい、職務の続行も無理かもしれない、とすっかり覚悟していた身にしてみれば予想外の対応であった。もっと今後のことなどについての助言を受けたかったがそれ以上は対話も進まず、相談は終了した。私は半信半疑の状態であったが、一度声を掛けた以上、悪くなれば何とかしてくれるだろうと、まずしばらくそれに従ってみることとした。

 それまで消炎鎮痛剤を鎮痛目的で使用していたが、その日からヘルニア局所に伴って居るであろうむくみや炎症をとる消炎作用に期待し、日に二回、定期的に使用した。
 結果は、約2週間で消炎剤を中止出来たが殆ど問題ない状況におさまった。坐位での仕事が長時間にわたったときなどに時々、腰部に違和感はあるが、日常動作が普通に出来る状態を毎日感激しながら味わっている。

 振り返ってみればあの日の整形外科医の助言、実に素っ気なかったが如何に的確であったか。今となってみればすごい助言だったのだと感じ入っている。
 私は先月求められて民医連医療という雑誌に「先生、これでも診察代を払うんですか??」というエッセイを書いたがその中に登場した患者の立場そのものを自ら味わった事になるが、私の場合は逆にいくら診察代を払っても良いと思うほどの素晴らしい助言を受けたことになる。感謝感謝!!である。


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   年を通じてワンパターンで淡々とした毎日です。AM2:00-5:00にメールチェック・返事送付、人間ドック(HDD)判定・報告書作成、新聞切り抜き、病院・医師会業務など。
  月〜土曜は6:00頃出勤、HDD報告書印刷、外来書類処理など。病棟回診、HDD受診者とミーティングと診察。8:45-14:00外来とHDD受診者に結果説明。昼食は摂りません。午後は病院業務・医師会業務、各種委員会等に出席など。20:00頃帰宅。
  日曜・祭日もほぼ同様ですが、病院には午後出かけます。時間的に余裕無いのが悩みです。


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