徒然日記
2006年1月分

 日記と言うより、自分の行動記録からの抜粋と日々の雑感です。

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1/31(火)曇り晴れ   外来   常務会    医局カンファレンス 
2:30起床、人間ドック判定総括1名分、複雑で手間どる。退院総括関連若干、徒然日記記載送付。この起床時間だと短くて余裕無し。5:30病院着,まだ寒波厳しい。6:10回診、定期処方、紹介状。9:00-13:00外来。13:30ドック結果説明x1。病棟対応、14:30-16:00法人常務会。17:30-19:45医局カンファレンス。20:50帰宅。夕食、21:30就眠。元旦に味わったフレッシュな気分からもう一月も経った。光陰矢の如しである。

徒然日記・ミニ随想の時間は「日常の中の非日常的な、大切な時間」(3)
 私がほぼ一日も欠かさずにこの徒然日記を続けているルーツ、エネルギーは、「日常の中の非日常的時間」でこれが私のストレス解消に大きく役立っている。
 「日常の中の非日常的時間」は各人各様いろいろあるだろう。読書、音楽鑑賞、スポーツなど枚挙に暇がないだろう。「日常の中の非日常的時間」を持つことは本来かなりの努力と時間、経費もかかるものだ。多忙な方々にとっては、最も身近でその役目を担っているのはTVなのだろうと思う。何ら努力することなく指一本で各人にとって非日常的場面が画面に展開する。特段の集中力も、経費も不要である。確かにニュースやドキュメンタリー番組の一部は私にとっても非日常的なバーチャルな体験出来る貴重な時間にもなるが、私は素直に画面を見つているという立場を好まないし、出来ない。だから殆ど見ない。

 芸術作品で文芸であれ、音楽であれ何でも作品は作者の演出、作為を感じるものだが、その最たるものがTVであると私は思っている。私が判断力を多少持っている医療関連の番組ですら「視点の謝りと勘違い」、内容的には「誇張、大風呂敷」そのものである。尤も「誇張、大風呂敷」が無ければ視聴者の目を引きつけておくことなど出来ないから番組として成り立たない。故に当然でもある。だから、想像力・創造力が豊かであればTVは有用な情報源になるが、これを欠いて無批判に受け入れているとディスプレイの,局の、ディレクターの奴隷と言うべき状態となる。しつこいが、最近のこの面での威力が発揮された好例はNHKの特集番組「日本のがん治療の現状」であり、番組を観た県民を不安に追い込んだ。見事な「視点の謝りと勘違い」、「誇張、大風呂敷」であった。

 つい、TVについて触れると私はつい批判的になり、いくらでも続けられるが本日の主題でないから敢えて止める。言いたいことは、ほんの少しであっても普段自分が考えていることを少しずつ形にしていく、その作業の方が私にとって本当の意味の「日常の中の非日常的時間」なのだ、と言うこと。それが愉しいし、ストレス解消に大きく役立っている。ただし「視点の謝りと勘違い」は私の小さな器からの発想だから当然あるし、内容的にもスケールは小さいが「誇張、大風呂敷」の傾向もある。私も自覚しているし、家族からは時折手厳しい批判のメール、間違いの指摘のメールも届く。


1/30(月)寒波緩む・雨 管理会議 外来 療養病棟入棟判定会議 長副会議 
0:00ちょっと前に起床。ドック判定総括1名分,紹介状、返事。新聞・書類チェック、原稿校正など。5:15病院着,6:30回診.病棟重症者数名。8:00管理会議.9:00-13:30外来。病棟対応他.16:00-16:40療養病棟判定会議、対象者5名。17:00-21:30長副会議、懸案事項多数、これでも時間不足。「会議の上手な持ち方」なんて本は役に立たないよ。22:15帰宅。夕食、22:45就寝.

徒然日記・ミニ随想を書く時間は「日常の中の非日常的な、大切な時間」(2)
 私がほぼ一日も欠かさずにこの徒然日記を続けているルーツ、エネルギーは、「いつまで続くか分からない、画一的で余裕の乏しい、ワンパターン生活の中で、非日常的な事を考える貴重な時間だから」と言うこと。この時間があるから、余裕のない時間の中で、何とか、毎日、リフレッシュが出来ている、と言うことだと思う。

 更に、単に自分のノートやパソコンのディスクに積み重なっていくだけでなく、ホームページに掲載することで何人かの方々に読んでいただき、時には意見を交わす。これも一つの活力源となっている。

 時間的な余裕と言うことを考えると、学生の時も時間を作ってはいろんな事をや?ていたから、今思いだしても暇だと思ったことはあまりなかった。勿論、今から見れば夢のような時間を持っていた事になるだろうが、その当時はそんな自覚はあるはずもない。
 社会に出てからは総体的に見れば、仕事でほぼ雁字搦めの毎日を続けて来たし、振り返ってみれば年をとるに従って余裕が無くなってきた様に思う。こんな生活も慣れてしまえばそれほどストレスではない。

 そうは言ってもリフレッシュの時間は当然必要だ。刺激の乏しいワンパターンの日常生活は人の気持ちを徐々に萎えさせていく。だから、気付いているか否かは別として誰でもそう言う時間を必ず持っているはずである。私の場合にはまとまった時間はとれないので生活の合間合間にその時間を上手く分散させて来ている。その楽しみにもいろいろあるが、その一つにこの徒然日記・ミニ随想があるし、時折秋田を離れられる出張もこれに相当する。
 「日常生活の中の非日常的な時間」と言うのはとても貴重なのだ、と最近とみに実感するようになった。


1/29(日)寒波ゆるみ快晴  病棟拘束   プリウスに戻す
2:00起床。ドック総括x1、新聞各種資料チェック、講演記録校正、10:15朝食。13:00-14:30午睡、14:00アトリオンホール「Mozart広場アンサンブル」は欠とした。15:30-18:30病院、残務。昨日道路事情がかなり改善したので1ヶ月振りに次男の4WDレガシーワゴンと私のFFプリウスと交換した。19:30夕食、20:45就寝。

自伝 秋田大学時代(1973-1985) (2)
仙台上空で富士山が見え、狭い日本を実感
 
国立公園のバンフからカルガリーに戻り、空路バンクーバーに移動、ここでJALに乗り換え、アンカレッジ経由で帰国の途についた。家内には暖かそうな革製の手袋、子供達にはエアカナダのマークの入ったボーイング727のミニテュアを購入したように記憶している。
 海上を飛行していたときは夜間で暗闇の中、かすかに海の上と認識出来るものの、殆ど何も見えない状態で約6時間ほど、カムチャツカ半島脇を通過していると思われる頃に夜が白々と明け始めた。行けども行けども海ばかり、狭い座席にじっと耐えているとさすがに地球は大きいものだと感心した。北海道東端を通過、三陸から仙台上空を通過する頃は丁度朝8時頃で快晴であったが、方向転換のためにバンクしたときに関東地方の景色も朧気に見えたが、その向こうに富士山の頂上がくっきりと見えた。まだ仙台上空である、いくら何でも富士は見えないだろう、富士山に似た山が東京以北にもあるのか?と当初は思ったが、どう考えても富士以外はあり得ない。実際には成田に近づくにつれ本物の富士と分かったがこれはショックであった。

 数時間飛んでも殆ど景色が変わることのなかった広大な海、北米国大陸を始め、カナダの広大雄大な自然、ゆったりとした街作り、低い人口密度など、わずか二週間であったが別世界を味わってきた状態で日本の狭さを目の当たりにし、この瞬間にもとの生活に戻る現実を自覚した。これと似たようなことは秋田-大阪便を利用したときに眼下に能登半島がそっくり見えたときにも味わったことも思いだした。
 成田に降り、昼頃のJRにて秋田に移動、特急の座席で数時間、秋田に着く頃はもうすっかりいつもの自分にもどり、翌日から多忙な通常の生活に戻った。

 私にとってこの時のカナダへの旅は、初めての外国旅行であった。国際血液学会のことは何にも覚えていないが、その後の自分にとって、地球とか自然環境とか、国家についてもいろいろ考えさせられた。とても有意義な体験として今でも確実に活きている。


1/28(土)曇り 病棟拘束 市医師会医療を考える集い(欠) 癌疼痛・麻薬適正使用研究会 
2:00起床、 紹介状他処理 、5:20病院着、6:20回診他。ドック総括、紹介状など。秋田市医師会医療を考える集いは欠席。14:00-17:00癌疼痛・麻薬適正使用推進のための講習会(総保センター)に出席、聴講する。静岡、東京がんセンター、厚労省の役人まで来秋の豪華な講演会であった。19:30帰宅、21:00就寝。

徒然日記・ミニ随想を書く時間は「日常の中の非日常的な大切な時間」(1)
 先日のある会合で、連日更新している私の徒然日記がちょっと話題になった。「何故一日も欠かさずに続けることが出来るているのか?どれだけの時間をかけているのか?続けているエネルギーは何なのか・・・」等、問われた。今まではそんな時には「継続は力なり」という言葉を引用して、それが私の大好きな言葉だし、性格に合っているから実践出来ているのだろう、と説明してきたが、最近は「極めてワンパターンの生活の中で、非日常的な体験が出来る時間だから、続いているのだと思う」と答えている。

 生活記録を具体的な時間を付けて記録し始めたのは、ほぼ30年も前の向浜公園脇での刑事による職務質問であった。私にとって3回目のこの職質は大きなショックで、連日の記録を遺しておくことは保身のためにも重要と自覚したからである。このことは何度か記載した。
 ここ10数年間分の記録は電子媒体への記録だから直ぐに呼び出すことが出来るし、それ以前の記録も自宅の本箱の何処かにあるはずである。幸いにその後職質等を受けていないが、いろいろなところでこの記録は役立っている。

 作製方法は実に簡単。一ヶ月単位で呼び出してある昨年の記録に、エクセルで比較的詳細に作っている予定表のデータを移植し、若干加筆するだけだから数分程度で完成する。この作業は昨年の今日、何をしていたのか、何を考えていたのかを再確認出来るのも愉しい。

 「光陰矢の如し」と言われるが、日常の時間の経過は驚くほどの速さであり、私にとってこの記録がなければ殆ど記憶に残らない、失われた日々となってしまう。昨年一年間のことを想い出そうとしても節目節目のことが若干出てくるだけ。記憶に頼るだけなら昨年の大部分、私が存在しなかったのに等しい。そんな人生なら実につまらないじゃないか。

 大好きな真夏、炎天下で過ごすのが好きな私であるが、殆ど記憶がないまま秋になり、あれよあれよと言ううちに新年を迎え、もう一月も経過した。私の記憶力が乏しくなってきているのだろうが、ハードディスクが代わりにしっかりと記憶してくれているから有り難い。炎天下でテニスを楽しんだし、バイクで走った事もキチンと記録されている。この徒然日記を呼び出すと毎日しっかりと地に足をつけて生きていた事が分かる。そんな効能もある日記だから続けることに意味を感じている。


1/27(金)晴れ・曇  Mozart誕生日 人間ドック診察  秋大教授訪問     県医師会打ち合わせ  県健康対策課員来訪  法人理事会
 2:30起床。人間ドック判定総括1名分.5:20病院着、6:20回診他。総括、紹介状、その他書類処理。13:30人間ドック診察x5、15:00秋大教授訪問面談、県医師会打ち合わせ、県健康対策課員来訪、新型インフルエンザ関連打合せ。17:30法人理事会。紹介状などに追われる。20:30帰宅、21:00就眠。

モーツアルト誕生日  クラクフの協会で聴いた「アヴェ・ヴェルムコルプス」
 本日1月27日はモーツアルトの誕生日である。しかも今年は生誕250周年記念の節目にあたる。先日1月22日(日)、秋田文化会館大ホールで「青少年音楽の家」主催の演奏会が開催されたが、戴冠式ミサ曲が最後の曲だったので、もしアンコールが唱われるとしたらモテット「アヴェ・ヴェルムコルプス」かもしれない、と言う期待を持ちつつ拍手していたが、予想通りこの曲が演奏された。

 「アヴェ・ヴェルムコルプス」というのはアヴェ・マリアと同じで、同じ歌詞に多くの作曲家が作曲している。その中ではモーツァルトの作品がよく知られているが、グノーの作品も割と歌われる機会が多い。

 曲は弦楽4部とオルガン伴奏を持つ四部合唱曲で、46小節からなる小品で僅かに2-3分の曲である。さりげない前奏から静かに歌い出される響きは、楽器も声楽も特別目立つような扱いは一切無いために、終始とても静かで美しい。ゆっくりゆっくりと奏でられるので歌詞は譜面でもないと全く聴き取れず、アカペラ風に聞こえてしまう。モーツァルトの死の半年前に友人のある音楽家のために書かれたもので、若くして彼自身が達した枯淡の境地なのかも知れない。レクイエムの一部やクラリネット協奏曲第二楽章と通じるものがあり、とても安らぎを感じさせる曲である。

 先日の演奏は私のイメージからすれば、やや元気が良く明るい曲想で唱われた。それでも私は十分に堪能した。
 この曲を聴くと思い出されるのは、平成12年9月中旬、ポーランドのクラクフの古い教会の中で、20数名ほどの中年男女の、一見旅行者と思われる方々が、礼拝堂の中で静かに静かに、神に捧げるが如くに、無伴奏で唱った「アヴェ・ヴェルムコルプス」である。歌い終わったときに礼拝堂の各所から静かな拍手があり、その静かな拍手がその場の雰囲気を一層高めた。数100年もの歴史を持つ教会の、暗く高い天井、ステンドグラスを通してのほのかな光が、複雑に彫刻された柱、マリア像を浮かびあがらせる、そんな素晴らしい状況の中にさりげなく聴こえて来たこの曲。私は30数年もこの曲を聴いてきたが、その時の素晴らしいイメージを凌駕する演奏、機会にはまだ出会っていない。おそらく、演奏会やCD等如何に求めても再現されることのない、最初で最後の機会だろうと思う。
 あの日、あの時、偶然にあの場で居合わせたあの旅行者達が唱った「アヴェ・ヴェルムコルプス」、私は忘れることの出来ない素晴らしい一瞬を持つことが出来たこと、この曲を聴く度に思い出すこと、をとても幸せに感じている。


1/26(木)晴れ・曇り寒波   外来 総合内科病棟診療部会(欠)新型インフルエンザ研修会 療養病棟診療部会
 2:30起床、人間ドックx1、紹介状.5:20病院着、降雪4-5cmほど。6:10回診、9:00-13:30外来、14:00-16:30県主催新型インフルエンザ研修会(View )総合内科病棟診療部会は欠。17:00-18:20 療養病棟診療部会。22:40帰宅。22:50就寝。

青少年音楽の家  モーツアルト生誕250年「ニューイヤーコンサート」


平成18年1月22日(日)、午後2時から秋田文化会館大ホールで「青少年音楽の家」主催の演奏会が開催された。秋田青少年オ-ケストラ、秋田室内合奏団、カンパネラ・コールが共催し協演した。明日、1月27日はモーツァルトの誕生日であるが2006年は生誕250年と記念すべき年にあたる。そこで現在東京を中心にプロとして活躍中の「秋田青少年オーケストラ」のOG・OBほかを迎えて豪華なプログラムの演奏会が企画された。

 演奏曲目はスザード「ルネサンス舞曲」、モーツアルト「ヴァイオリン協奏曲第4番」独奏は石亀協子さん、ハイドン「チェロ協奏曲第1番」独奏:羽川真介さん、モーツアルト「戴冠式ミサ曲」でソプラノ独唱は松尾政子氏、アルトは保多由子氏、テノールは鈴木准氏、バスは松本 進氏で合唱はカンパネラ・コール。アンコールとしてモーツアルトの「アヴェ・ヴェルムコルプス」が演奏された。独唱の後三者の方は秋田との縁は解らないが中央で活躍の方々。他はすべて秋田の方々あるいは秋田出身の方々で、チェロの羽川さんは指揮の羽川氏の息子さんでもある。弦、管、合唱団にも知人、患者さんも何人も参加していた。
 独奏の石亀さん、羽川さんとも幼少のことから間接的に知っており共に才能豊かな方であったと記憶している。だから、何となく「氏」をつけて呼ぶ気にはなれず「さん」とさせて頂いた。石亀さんはウイーン国立音大等、羽川さんは東京芸大等で研鑽を重ねられたとの事である。当日はお二人とも楽器を豊に鳴らした見事な演奏を繰り広げた。

 「戴冠式ミサ曲」、「アヴェ・ヴェルムコルプス」を聴き人の声は何と素晴らしい楽器なのかと改めて感嘆させられた。年末の秋田市管弦楽団の「第九演奏会」も素晴らしかったが、今回の独唱、合唱も時々鳥肌が立つような感覚を味わった。
 
 この週末は遠来の室内合奏団、地元の演奏家を中心とした演奏会と、二日間続いて至福の時間を過ごすことが出来た。


1/25(水)曇り-雪  被爆者検診 予約外来 ドック診察 患者面談 県医師会理事会(欠) TheYamamotoBand反省会
2:00起床,人間ドックx1。その他作文。5:20 病院着、主幹道路路面は乾燥。6:20回診他。 8:50被爆者検診 、9:00-13:50外来+人間ドック診察x3、16:30-18:00患者面談。途中から出席予定であった県医師会理事会は欠席。19:00The Ymamoto Band反省会(歓喜天)21:00帰宅、21:30就寝。

秋田県には何故「地域がん診療拠点病院」が無いのか?私見(3)
 若干話が変わりますが、現在、135カ所の医療機関が「地域がん診療拠点病院」と指定されていますが、県内の医療機関レベル以下のところも多数含まれている様に思います。指定過程で見送られたのは僅か3病院だけとされています。訪問調査もなく、書面だけで審査されています。36/135施設が「がん登録」を行っておらず、さらに47/135施設では抗がん剤治療担当医師の専門性や活動実績が不十分、などの問題点が指摘されています。これが「地域がん診療拠点病院」の実態です。

 厚労省は全国に「地域がん診療拠点病院」を指定し、高度なガン治療を目指すとしていますが、指定医療機関に対する年間の補助金は僅かに200万円です。現実に医療機関にとって何が出来るのでしょうか。がん登録のために病歴管理士を一人雇う人件費にもなりません。ですから、私はこの「地域がん診療拠点病院」の構想自体に問題点が包含されていると思います。厚労省のいつものやり方で自治体、医師会、医療機関に努力だけを突きつけています。

  ここ10年間、医療界は安全性の向上、アメニティの改善、情報公開・患者サービスの向上、医療廃棄物の安全処理など多方面にわたって改革・改善が求められてきました。一方、診療報酬は極めて低く抑えられており、4年前からはマイナス改訂が行われ、医療機関の運営は厚労省の紙一枚の通達に沿って対応すればするほど余裕を失い、マンパワー、設備投資を最小限に抑え、青息吐息の状況で運営されております。

 だから、医師不足に悩む県内の医療機関、特に県南や県北の医療機関にとって「地域がん診療拠点病院」どころでない、病院機能の維持の方が遙かに重要で、積極的に考えなかったのだと思います。

 最後に、秋田県の地域医療を守るために秋田県と県医師会は太いパイプを持っていて、常に前向きの討論をしております。地域医療計画の策定などの際には必ず「秋田県のがん診療のレベルアップの必要性」については種々提起し、熱心に論じています。
 しかし、如何に考えようと、他の都道府県で出来ているわけですから、県も医師会も医療機関も「地域がん診療拠点病院」推薦や申請に関して怠慢であった、と言う意見は確かにあると思います。その点に関しては現時点で何を申し上げても通用しない、と思っておりますが、「地域がん診療拠点病院」について、一時担当として動いていた私が初めから消極的にとらえていたことを反省したいと思います。

 以上、「地域がん診療拠点病院」が何故秋田にないのか、について私が理解している内容を私見としてまとめさせていただきました。


1/24(火)曇模様  家族面談    外来       法人常務会      医局会・MC
2:00起床、ドックx1、紹介状、5:10病院着.新雪3-4cm。6:10回診他、7:00家族面談9:00-13:20外来、14:30-16:00常務会、17:30医局会・MC:脳血管障害初期対応。書類処理他。21:00帰宅、軽食、21:30就寝。

秋田県には何故「地域がん診療拠点病院」が無いのか?(2)
医師会が「地域がん診療拠点病院」推薦にどの様に関与して来たのか、は私が知る範囲では概ね以下のようなものです。
 「地域がん診療拠点病院」の件は、県と県医師会が指定について積極的に話し合ったわけではなく、双方ともそれぞれの思惑があり、積極的でなかったことは確かだと思います。
 「地域がん診療拠点病院」の当初の主たる目的は、国立がんセンターで作ったエビデンスを拠点病院を通して各地域の病院に情報伝達し、地域のがん治療のレベルアップさせることであった様に思います。それなりの価値は否定は出来ませんが、ある病院が「地域がん診療拠点病院」に指定されたと聞いた時、県民は指定医療機関はがん専門病院で、別格と誤解する可能性があります。秋田県では地域の中核病院は明らかであり、秋田市内にはガンの診断治療に対して全国水準レベルに達していると思われる医療機関が4施設あります。その様な地域医療上の背景があることから、県医師会は「地域がん診療拠点病院」を積極的に指定する方向では動きませんでした。
 また、当初、指定は大学病院を除かなければなりませんでした。県医師会では県の医療レベルを高めるのに秋田大学医学部附属病院を除外したシステムは必ずしも妥当ではないと言う立場をとっていましたので、「地域がん診療拠点病院」構想自体が秋田県の地域医療にとって必ずしも馴染まないと考えていたことも一因です。
 最近、国の方針が変わり、大学病院も指定してよいとの方向になってきています。県側では秋田大学医学部附属病院をがん治療の中枢にしようと考えていると思いますし、秋田大学自身もその機能を果たす準備も整えつつあるように思われます。この構想はより県内の医療供給体制を考えるとより妥当と考えます。
 私は、秋田には「地域がん診療拠点病院」に相応しい病院が無いのではなく、それに近い機能を備えている病院は複数あると考えております。ただし、指定要件を厳密に考えたときに多少の準備が必要だった、ということだと思います。
 もう一歩条件を整えれば申請出来るのに、何故医療機関が積極的に対応しなかったのか? その理由は「地域がん診療拠点病院」になれない、のではなく、「地域がん診療拠点病院」構想そのものに大きな魅力がなかったこと、県内の医療供給体制がそれなりに良い状態で機能されていたため、と言うことに尽きると思います。
 ただし、この考え方がそのまま一般県民に受け入れられるのかは別の次元の問題です。多分理解は得られがたいでしょう。県も県医師会ももっと県民に秋田県のがん診療体制の現状と将来に関する情報を提供すべきであった、と思います。


1/23(月)曇り-晴れ  管理会議  外来 療養判定会議  長副会議  
1:30起床。紹介状、主治医意見書、訪問看護指示書など種々処理.徒然日記送付。メールへの返事数件。5:15病院、懸案患者回診処置。6:15回診、8:00-8:45管理会議、9:00-13:50外来、重症者対応。16:00-16:40療養判定会議、検討対象5名。17:00-20:25長副会議。21:30帰宅、夕食、22:10就寝。

秋田県には何故「地域がん診療拠点病院」が無いのか?私見(1)
 数週間前にNHK-TVで「わが国のガン治療の地域格差を解消する」という名目で2日間に渡って特集番組が放映された。
 この番組を見た患者さん、医師会役員等からいろいろな感想が届いたが、関東在住の医師である知人から、秋田県には何故「地域がん診療拠点病院」が無いのか?秋田県は随分厳しい扱いを受けていましたね、と言う質問が寄せられた。この方は内科医で日本医師会の委員会等でご一緒している。
 先日以下の如く返事した。

 明けましておめでとうございます。 本年も宜しくお願い申し上げます。 「地域がん診療拠点病院」に関するご質問に対し,私の知っている範囲で、私見としてご説明申し上げます。私が誤解している点があるようでしたらご指摘下さい。

 今回、我が国の癌治療の較差をなくするという名目のNHKの番組にて負のサンプルの代表的地域として秋田が取り上げられたのですが、私はあの番組自体が内容的に我が国の癌治療の実態を示しているものではないと考えています。判断の材料が乏しすぎ、「地域がん診療拠点病院」の有無、特定の医師や患者さんのケースがことさら強調された構成になっておりました。

 番組の中で県医師会の怠慢を指摘する声もありました。そのために後ほど秋田県医師会自ら会員や県民に拠点病院や、秋田県の癌治療の構想について語りかけると思います。それについては発表された時点でお送り致します。

 先日のNHKの報道は私ども医療関係者にとっても一般の視聴者の方々にとってもそれなりにインパクトはあったように思います。が、その印象は置かれている立場によってとても大きな差がある様に思います。
 秋田県には「地域がん診療拠点病院」が無い!!ことが特に大きくクローズアップされてておりました。施設の有無などは確かに解りやすい判断材料であるために、このことによって一般の視聴者の方々にとっては秋田県は特に大きく立ち後れているという印象を持たれた、と言うことです。
 われわれ医療関係者は「地域がん診療拠点病院」はなくとも、秋田県の癌治療は決して立ち遅れてはいない、と考えています。しかし、現状に満足してはおらず、行政との間で常に全癌登録の話を詰めるなどして県の癌治療のレベルアップについて検討してきました。
 しかし、明快なエビデンスを足跡として明らかにしてこなかっただけに、今後は県も医師会も考え方を変えねばならない現実を突きつけられてしまった、とも思っています。


1/22(日)曇り・降雪、寒波  病棟拘束  青少年音楽の家ニューイヤーコンサート
2:00起床、ドックその他、いつもの如く。9:10病院着、回診、重症者2-3名対応.紹介状、総括他書類処理。13:30-16:40秋田市文化会館「青少年音楽の家ニューイヤーコンサート」。病院に戻り重症者対応。回診中に他の患者脳梗塞発症、対応。患者家族との面談2件。20:50帰宅、夕食。21:30就寝。

自伝 秋田大学時代(1973〜85) 
バンフ国立公園観光  ルイーズ湖、 ビクトリア山など
 一度モントリオールに戻ったか否かは想い出さないが、次ぎにカルガリーまで空路移動、バンフ国立公園に立ち寄った。ここはカナディアンロッキーの東側の有名な観光の拠点である。代表的名所は、湖と氷河に被われたビクトリア山との調和の取れた風景が一枚の絵画のようだ、とあまりにも有名なルイーズ湖。この湖はカナディアンロッキーの宝石と讃えられており、絵葉書に取り上げられる風景の代表、と言う。ビクトリア女王の娘、ルイーズ・キャロライン・アルバータ王女にちなんで名付けられたロッキー屈指の湖。そう言えばこの地域全体がアルバータ州でもある。
 
 カナダにいる限りどうしても解けない謎は英国との関係で、至るところにエリザベス女王の肖像が飾られ、地名にも英国王室関連の名称がふんだんに使われている。立派な独立国というのに、といちげんのヨソ者にはよく理解出来ない。英国とカナダとの長い歴史の賜物であろうと無理矢理納得するしかなかった。

 湖は標高 1,731mにあり、夏であるにもかかわらずかなり寒い。その日は日射しが強く助かった。氷上観光ツアーというのがあり、仲間数名と参加した。ジープタイプの4WD車で途中まで上り、雪上車に乗り換えて氷河の上を歩いて観光するコースである。雪上車の運転は乱暴で何たることかと思ったが、プロレスラーの如くの巨体の20歳代後半と思われる、金髪のドライバーは、何と酒を飲みながらの運転で驚いた。公道でないからゆる許されているのか解らないが、それでも手慣れているのだろう、運転の技能は優れており、危険な感じは受けなかった。
 氷河自体は遠くから見ているときは美しいが実際に上ってみると氷の面は薄汚く汚れ、観光客達が捨てたと思われる紙やビニール類がへばりついていた。氷上には時々注意を促す小さな看板が立っており、その傍らには氷の亀裂が見られた。氷河の割れ目で、深さは数10m、時には数100mもあり落ちたらまず助けられないのだそうだ。にもかかわらず危険防止のネットが張ってあるでもなく、訪れる各人の良識に任されている様であった。

 バンフでは2泊したように思うが、覚えていない。このバンフ観光を最後に私どもは帰国の途についた。


1/21(土)寒波・雪  病棟拘束     ST.Petersburg 室内合奏団演奏会  県医師会産業医研修会 
2:00起床。まだ若干アルコール残っている状態。ドック関連x1、紹介状x2他。5:20Taxi病院着、積雪4-5cmほど.6:20回診ほか。病棟業務、紹介状など。9:10ドック結果説明x2。NHK放送内容に対する抗議・質問に対応。14:00-16:00ST.Peterusuburug 室内合奏団演奏会、16:10-17:00産業医研修会、病棟より呼び出しあり、中座し病院に。18:30帰宅、夕食、20:00就寝。

アトリオンニューイヤーコンサート 「ST.Petersburg 室内合奏団」演奏会
 本日、アトリオンホールでニューイヤーコンサート「ST.Petersburg 室内合奏団」演奏会があった。たまたま、県医師会館で産業医研修会もあり、場所的にも時間的にもその途中
だし、と立ち寄って聴いてみることにした。会場の入りは僅か40%程度と遠来の演奏家を迎えるにはやや寂しい状況であった。

 「ST.Petersburg 室内合奏団」は「ムソルグスキー記念レニングラード国立歌劇場オペラ・バレー管弦楽団」という長い名前の楽団のメンバーを中心に結成され、内外での評価も高い室内合奏団だという。本日大活躍だったコンサートマスターのヴァスディラフ・グルツは1964年生まれで、2000年からこのオーケストラ、2003年から室内合奏団のコン・マスとして迎えられた逸材と言う。
 演奏曲目ははヨハン・シュトラウスT・U世、ヨーゼフ・シュトラウス、ワルトトイフェル、レハール、中田 章。アンコールとして日本の春のメドレー、スラブ舞曲、ハンガリー舞曲から各1曲と全部で17曲と盛り沢山であった。中田 章の作品は「早春賦」、アンコールとして「日本の春のメドレー」は作曲者不明だが滝廉太郎等の名曲をアレンジしたもので途中にキャンディーズの「春一番」も挿入されていた。

 合奏団は総勢16名ほどで通常はコンパクトに配置されるのだが、指揮者のための場所をかなり広く開けた配置であったが、演奏が始まるとその意味がよく解った。ヴァスディラフ・グルツ氏はVnを弾きながら指揮もするのだが、実にパフォーマンスが豊かで左右前後に歩き回りながら表情豊かにVnを奏で、時には弓を使って指揮する。だから広い場所が必要であったと言うこと。演奏もさることながら、サービス精神旺盛なコンマスのキビキビとした演奏、表情、指揮の動きを見ているだけでも充分楽しめ、良い2時間を過ごすことが出来、満足した。

 家内も楽しめたらしく、終了後にCDと珍しくプログラムを購入した。私は帰宅後に見たが、前者には今日の演奏曲目が全て入っており、今回の来日に併せて録音されたものだと思われる。プログラムを見て驚いたのは、この合奏団は11月末に来日、12月1日の渋川市民会館での演奏会を皮切りに、12月中にクリスマスコンサートとして関東地方を中心に22回の演奏会を持ち、その内4日間は、何と一日2回の公演をこなしている。新年に入ってからは一日2回の公演のスケジュールは組まれていないが、ニューイヤー名曲セレクション演奏会と称し、ほぼ連日、関東・東北を中心に17回の演奏会を持ち、明日の北上市の演奏会で全行程を終了する予定となっている。
 二年越し、2ヶ月間に渡り39回もの演奏をするというハードな演奏旅行である。演奏内容やメンバーの雰囲気からはとてもこれほどのスケジュールをこなした様な、疲れた雰囲気などは全く感じられず、プログラムを見てから心から驚いた。

 1ヶ月近くの行程を組んで来日する演奏家は時にあるようだが、2ヶ月間、2年越しにもわたる演奏旅行は希であろう。これだけの長期間、かつ、ハードな演奏のスケジュール行程を受諾するルーツは何なのだろうか?  経済問題なのだろうか?と改めて考えてしまった。


1/20(金)曇り  奨学生面談  医局新年会 
1:30起床。ドックx1、紹介状返事、徒然など。5:20病院着.6:20回診他。病棟対応、紹介状など、13:30人間ドック診察x4、16:00奨学生と面談、18:30医局新年会(山蕗)。20:30中座帰宅。21:00就寝。

「にもかかわらず笑え」(2) 全日空の客室乗務員の腹痛など
 「にもかかわらず笑え」と言うのは私も嫌いな言葉ではないし、作り笑いであっても 真の笑顔でも脳波の変化が似ているとか、免疫を司る細胞の一つであるNK細胞が活性化することも、実験的に立証されていると言うから、笑顔はこのストレス社会を生きていくのに大切なものに思える。私は、人と対面する時には笑顔を作るが、これは幼少の時から、いわゆる良い子であることを求め続けられ、それに迎合して成長した私の情けない姿である。でも、それで還暦までやってきのだから仏頂面よりは良いじゃないか、と今は割り切る。

 「にもかかわらず笑え」と言うと、必ず想い出すのが全日空の客室乗務員が腹痛で受診したときのやりとり。悶えるほど痛がっていたのだが声をかけるとニコッと笑顔を一瞬作ってから再び苦しげな表情に戻り症状を訴えた。診察の間、何度か声をかけたがその度毎に一瞬ニコッと笑顔を作ってから答えた。私はもしかして?と思い職業を尋ねたところ予想通り客室乗務員であった。これも訓練のたまもの、「にもかかわらず笑え」がしっかり身に付いている。

 客室乗務員と言えば、エアカナダ機にてモントリオールに向かうとき、ロッキー山脈上空で激しく揺れた。時折、客室乗務員が状況を説明し心配するなと言っているのだが、私にはさっぱり何を言っているのか聞き取れなかったが、この間も絶やすことのない彼女らの笑顔はすごい安心感をもたらしてくれた。笑顔の大きな効能である。
 一方、フランクフルトからワルシャワに向かうポーランド国営ロト航空の客室乗務員は終始真面目な、硬い表情を崩すことはなく、機内にはピンと張りつめたような異様な緊張感が感じられた。客室乗務員がにこやかならばまた雰囲気は変わっていただろうと思う。
 言いたい結論の一つは、医療従事者にも「にもかかわらず笑え」は大事な技術の一つだ、と言うこと。患者さんは医療従事者の笑顔から大きな安心を貰っていくのだ。


1/19(水)曇り-時に降雪 寒波   外来 全職員学習会「メンタルヘルス」 男鹿みなと市民病院院長来訪 研修予定医師と面談  2:00起床、ドック処理X1。紹介状その他。5:20病院着、6:20回診、退院患者紹介状作成。9:00-13:25外来、13:30-14:30メンタルヘルス全職員学習会(千秋会館)、15:00男鹿みなと市民病院院長来訪、15:30心臓血管外科研修予定医師との面接。退院総括、紹介状、20:40帰宅。21:00就眠。我が家の「臍の緒胎盤道路」に市の除雪車が入り一気に除雪・排雪し状況一変した。

「にもかかわらず笑え」(1) アルフォンス・デーケン教授の言葉として
 アルフォンス・デーケン教授はドイツ人で長く上智大学文学部教授を務められており、「死の哲学」を教えている方である。死を如何に迎えるか、死の教育、終末期医療、とかの分野で、ユーモアの意義を取り入れた独特の学説をお持ちであり、ご高名な方である。
 
ところで、上智大学文学部でデーケン教授の「死の哲学」の教育を受けた方々は、果たして良い死に方を意識した良い生き方をしておられるのか、私は大学出身者の方々の評価に接することは殆ど無いが、知りたいものである。
 デーケン教授の妹さんは秋田のある短大でやはり教授をされており、秋田で「生と死を語る会」を主催されて地道な活動ををされている。その例会とかでアルフォンス・デーケン教授が招かれ、時折秋田で講演されているようである。私も死の周辺の話は嫌いでないので今まで2回ほど短期大学構内で開催された講演を聴く機会があった。
 
彼の講演の中ではいつも人生の終末期周辺におけるユーモアの意義について強調される。ただ、私は聴いていても、彼の著書を読んでも、日本人の死、日本人の死生観の中に自然のユーモアを取り入れる事の困難さを感じ取り、違和感を感じることの方が多かった。その原因は文化の違い、宗教の違いなのかなと、思っていた。
 
先日、NHKFMラジオのトーク番組で「にもかかわらず笑え」とアルフォンス・デーケン教授が語ったという事を取り上げていた。ウン、それなら解る。強制的に笑い、ユーモアを取り入れるなら彼の学説はちょっと解る様な気がした。「にもかかわらず笑え」は私も心がけていることだし、職場でもある以上の責任を担っている方々には「それでも笑うのだよ、笑顔だよ」と機会ある毎に強調しているからである。
 ところが、ユーモアに関して有名な定義の一つに、「ユーモアとは『にもかかわらず笑う』ことである」 というのがドイツにあるのだそうだ。だから、デーケン教授にとってはユーモアはどんなときにも応用できるよう、身にしっかりと根付いていることなのだろう。

 笑い、笑顔はどんなの強調しても仕切れないほどの価値があると思う。人生に於いて意識的に求めるべきものの一つ、と言うことで同感である。


1/18(水)曇り 患者死去 外来    県医師会常任理事会 院内緩和ケアチーム勉強会(欠)
0:15患者不調で出勤。3:00見送り。帰宅せずそのまま部屋で業務。ドックx1。総括、医師会報校正、他数編処理。6:30回診。病棟業務、9:00-13:45外来。17:00医師会へ。17:30-20:10県医師会常任理事会。病院にて業務若干。21:30帰宅。22:00就寝。

秋田市「48年豪雪」以上の積雪(8) 死傷者多数  除雪作業でおぞましい事故も
 今年は記録的大雪である。しかし、先週後半に3日間、これも異常気象と言いたくなるほどの温暖な天候が続き、秋田の雪の様相は若干変化した。異常気象で雪が多かったのだから、この暖かい異常気象だってもっと長く続いても良いじゃないか、と思ったが、短かった。今年はロシア全体も寒気に包まれ、-25℃にも達する激しい寒気に被われ死者も出ているというから、温暖な異常気象は夢物語かな、と諦める。ここ数日、秋田も再び-5℃〜-7℃と冷えている。今朝は厳しく冷え込み、出勤時は猛吹雪であった。

 降雪は小康状態にあったために、この間、秋田の大きな道路の雪かき、除雪作業もかなり進んだ。特に道路脇に山と積まれ車道を狭めていた雪の塊は巨大なカッターで道幅に沿って直角に切り取られ、排雪もされ、道幅が元に戻ったのはとてもうれしい。この処理が終わった着後の道は、城壁に囲まれたケベックシティの様な錯覚に陥ってしまう。
 一方、私はこの作業に関しては心穏やかでない、異常なほどの心配と不安を常に感じる。私は概して巨大なパワーには潜在的に恐怖を感じる方であるが、この処理作業にいつか、誰か巻き込まれ、一瞬にずたずたに切り裂かれる雪が真紅に染まる場面をどうしても予想し、身の毛がよだつ様な嫌な感覚を味わってしまう。

 類似の事故が、現実に生じてしまった。1月14日午後、県北部の五城目町で路上の雪をかき集め高速回転羽で雪を飛ばす除雪用の大型ロータリー車に人が巻き込まれた。詳細は解らないがあれほどのパワーである、巻き込まれた人がどうなったか大体の予想は付く。考えただけでゾッとする。除雪車の前には監視員がいて人がいないのを確認しつつ作業し、人影はなかったと言うから、おそらく何かの事故で予め死亡し雪に埋まっていた方が巻き込まれたらしいと言うことであり、そのことだけが、唯一の救いである。
 全国で105人ほど、秋田でも20数人が屋根の雪下ろし等の事故で死亡している。全国では戦後135人という記録があるというが、秋田では最も多い数という。せめて今後増えないことを望みたい。


1/17(火)終日曇-小雪模様・寒波 定期処方日 外来      東北ブロック感染症危機管理会議特別研修会  法人常務会  医局会・MC
2:00起床。ドックx1他種々。5:10病院。6:00回診、定期処方日、病棟業務、9:00-11:40外来。12:30東北ブロック感染症危機管理会議特別研修会(View )。14:30-17:10法人常務会、17:30医局会・MC。急性冠症候群について。病棟回診ほか業務。20:35帰宅。夕食、21:00就寝。0:15電話、患者不調で出勤。結局死去され、3:00見送り。中途半端なのでこのまま部屋で業務。

現金自動支払機の笑える間違い vs 笑えないシステム売買のミス(2)
 現金自動支払機で2000円をおろしたら20000円が出てきたら・・等というのは通常の判断力の範囲で理解出来るし、誰でもちょっぴりは夢想することもあるだろう。フランスの例では当事者はさぞや吃驚し、喜んだかもしれないが、結果的にはホンの短時間の糠喜びでしかなかった、と言うことになるが、当事者だけでなくみんなを喜ばせるような、なかなかいい話だと思う。

 ところが、昨年暮れ、今年早々と私には到底計り知れないレベルの事故が株式や証券取引上で生じた。かつては取引所では「場立ち」と呼ばれる人が手振りで売買注文を取り次いでいたものだが、売買注文の大口化やスピード化が求められ、今はコンピューターがこれに替わっている。ただ、プログラムの不良で時折取引停止状態などとなるために大きな問題となっている。インターネットを通じた売買注文の出来高は毎日20億株程度、取引件数は500万件以上だという。私には全く関係のない、理解の出来ない世界であるが、社会・経済の分野では重要な問題なのだろう。だから、NHKニュースなどで日に何度も何度もTOPICSとか東証指数とかが流されるのだろう。

 昨年暮れの事故の場合、間違って売りを出し、気付いて買い戻そうとしたがコンピューターがうまく機能しなかったために、その間に数100億円もの損失を生じたというもので、指一本の動きの間違いがもたらしたものである。この間、20代の青年実業家が僅か数分間で20数億円の儲けたとかの話が新聞沙汰になっていた。
 今春の事故は間違いに気付いて直ちに買い戻しをしたが、この間ほんの数分だったらしいが約5億円ほどが戻って来なかったという。それだけコンピューター画面を見つめて証券や株式の売買注文をしている人達がいると言うことである。マネーゲームそのものである。

 こんな世界を詳しく知りたいとは思えないが、365日24時間体制で、すなわち8800時間も誠心誠意働いて、手元に残る利益がたった3時間分あるいはそれ以下という厳しい医療の世界で働いているわれわれとは全く別世界だが、こんなニュースに触れるたびに私はとても不快になる。我が国の経済のホントの姿はどうなっているのだろうか?


1/16(月)曇,比較的温暖   管理会議 外来 療養判定会議(なし)長副会議
 1:30起床。ドックx1。紹介状x1、総括x2、など。メール対応。5:15病院、6:15回診他。 8:00-8:50管理会議、9:00-14:00外来、後半突然混雑、15:00人事課長、16:00療養判定会議は対象者無し。17:00-20:15長副会議。重症患者回診、21:30帰宅。夕食、20:00就寝。終日軽度頭痛、また風邪か?

現金自動支払機の精度はすごい  笑える間違いがフランスで
 銀行や郵便局で窓口で預貯金、送金など、私は嫌いだ。どうもあの対面作業は私にはしっくり来ない。窓口の若い女性の笑顔も間にお金が関与しているせいか、何かしっくり来ない。だから、私は特別複雑でないもの以外は全てキャッシュコーナーで済ませる。 

 もう現金自動支払機は30年以上、数100回以上は使っていることになるのだろうか。この間、大した額を下ろしたわけでないのに途中で器械が空になって停まったことが一回、故障して銀行員を呼んだことが二回あるが、紙幣を数え間違って出てきたことは一度もない。すごい精度だと思っていつも感心している。尤も、十二分に精度がなければ現金自動支払機等、始めから成り立たないと言うことになる。現金自動支払機から出てきた金額をそのまま支払いに使っても間違いを指摘されたこともない。だから、私は器械の精度を信用し切って、入金の前にも、出てきた札の枚数も一切確認しない。

 枚数カウンターの精度は十分だが、現金自動支払機に札をセットするのは人手であるから、セットを間違って、例えば2000円をおろしたら20000円が出てきたら下ろした人はさぞや吃驚するだろう。こんな事が希にはあっても良さそうだが、殆ど聞かない。全国的に見れば何100万台器機があるのだろうが、実に不思議だ。さすが銀行員は仕事ぶりもしっかりしているものだと思っていたら、そんなことが昨年北フランスのある広場のキャッシュコーナーで生じたのだそうだ。私はこのニュースを見てやっとホッとした。

 そこの現金自動支払機から20ユーロ札(約2800円)の代わりに50ユーロ札(約7000円)が出てきたとのことで、喜んだ利用者が近くのカフェで話したら店にいた全員がキャッシュコーナーに並び預金を下ろしたのだという。当然だね。誰だって行くだろう。ところが、50ユーロ札の方を下せば100ユーロ?、と期待して下ろした人には、逆に20ユーロ札が出てきたのだそうだ。要するに、銀行員が現金を補充する際に逆にセットしたと言うことらしい。

 その顛末はどうなったかというと、現金自動支払機の支払い記録から銀行は利用者を割り出して窓口での自主精算を求めたというから、結果的に利用者にとってはうまい話にはならなかったようである。


1/15(日)晴れ、比較的暖かい  病棟拘束 
2:30起床、やや眠い。業務処理、紹介状、総括若干、6:30-7:30坐位にて微睡む。以降、業務処理。雨でゆるんだ道路の雪を若干処理。13:30-18:30病院にて書類整理、19:00帰宅、夕食、20:00就寝。

自伝 秋田大学時代(1973〜85) 
国際血液学会終了、美しい城壁の街ケベックシティへ観光
 学会終了後モントリオールからグレイハウンドバスにて約250Km北上し、ケベックシティに小旅行した。
   グレイハウンドバスはアメリカ大陸の長距離輸送をほぼ一手に引き受けている代表的会社だとのことで、ハワイ、アラスカ以外の北米国大陸のほぼ全域に路線を持つという。長距離、時には10数時間もの距離を一気に走るので座席間隔は広く、エアコン・トイレ・リクライニングシートと、今から見てもほぼ完全装備であった。驚いたのは1980年当時、日本ではオートマチック車は一部にしか普及していなかったし、大型車、バスやトラックには全く見ることはなかったが、カナダでは乗った全ての車がオートマチック車であった。日本の大型バス、トラックなど、いつオートマチックになるのかと気を付けてみているが、最近でもまだ大部分が5速-6速のマニュアル車であることからみて実に不思議な気がしている。それだけ乗務員を大事にしていると言うことなのだろうか?

 バスは100Km/h以上の速度でひたすら走る。道は何処までも単純に真っ直ぐでルートは単純。走れど走れど大して景色も変わらない。広大な平野である。最初こそ広大な大陸はさすがすごいと感じ入りながら見ていたがいつまでも変化のない景色も見飽きて、こんな単純な状況で運転手は眠くならんのか、と思いつつ私はひたすら居眠りしていた。そんなことだけ記憶にある。

 ケベック・シティはケベックの州都でもあり、セントローレンス川を見下ろすディアマン岬にある。ユネスコの世界歴史遺産都市にも選ばれた城壁都市として有名である。フランス色の濃いケベック・シティは、歴史の重さを物語る落ち着いたたたずまいで心休まるところであったが、いたるところにフランスの国旗がたなびいているのは不思議でもあった。聞くところによるとカナダからの独立運動があるのだという。

 広大な土地であるが、城壁の場所ではバスの往来が困難なほど道は狭い。一方、個人の住宅は決して大きくはないが、庭が広く、緑と花が豊かであった。隣とか道路との間にブロック塀などの無機的な構築物は一切無く、開放的で、庭先や窓に洗濯物や布団を干している家は一切見られなかった。個々の住宅や庭は、地域の風情に見事に調和していて、私いとっては大きな印象として残っている。


1/14(土)雨 やや温暖 病棟拘束 県医師会会長選挙立候補締め切り
2:30起床。退院総括、紹介状など、新聞チェック。若干ゆっくり出勤、6:20病院着、新雪0m。7:30回診。重症者対応。机上業務処理.
正午に県医師会の会長選挙立候補締め切りとなり、私は次期会長の下で副会長を務める事となった。14:00-14:50患者家族面談。重症者対応。18:30帰宅。夕食、17:30NHK-TVドキュメント「のど自慢、60年」楽しむ。22:50就寝.

発光ダイオード(LED)を用いた玩具(2) LEDは今世紀の注目の光に
 クリスマスツリーだけでなく光を利用する置物は少なくないが、小型のには電源として各サイズの乾電池が用いられる。その場合、多くは一晩程度の寿命でしかない。電池も無駄だし、徐々に発光が弱くなるのは見る側にストレスでもあるから、私はその場合にはちょっと改造し、ACアダプターを取り付けてから楽しむ。

 今回のは光源に赤・青・黄色の3本のLEDで、3-4秒ごとに次々と色が変わる様になっている。電源は単3アルカリ電池が2本で、LEDだから2-3日は持つかな・・、と机上に置いてずっと点灯し続けてみた。今日で一週間であるがまだ点灯し続けている。これは驚きである。
 白熱灯は基本的にはヒーターと同じで、フィラメントで発する高熱の副現象として出てくる光を利用している。だから、エネルギーを無駄にしている部分が多い。しかし、LEDは電気を直接光に変えているので効率がよい。だから、当然と言えばその通りだろう。言うのは簡単だが、研究者にとってはまだまだ満足はされていないレベル、より効率化を求めてしのぎを削っている状態という。

 LEDは21世紀の光として期待されている。
 今、次々とLED方式に置き換わっている信号機の場合、白熱灯方式だと140Wの電球が用いられているというが、標準的な赤色LEDの場合、同じレベルを得るには10本程度で十分で、消費電力は15W程度という。ただし、初期設置費用ははるかに高く、数10倍はするらしい。信号機の場合、省エネ、寿命、メインテナンスの手間等をも含めれば十分に成り立つのだという。
 白色LEDの実用化も進んでいるが、輝度、コスト面ではまだまだで、一般消費者が照明として用いるようになるまでには時間がかかるらしい。

 人工光は照明用だけでなく現在いろいろの分野で利用されているが、光の質によって利用価値も異なるとのことである。例えば、CDよりも高密度なDVDは、青色レーザーの基となる青色LEDの実用化のおかげであり、更に青紫色レーザーを使った高機能光ディスクも開発されているらしい。単なる色調の問題では無い、私の知らない微細な世界が光やLEDの周辺に存在するのも面白いが、知らず知らずのうちにその成果が身近の機器にも実用化されてきていることは驚きである。


1/13(金)曇り、寒波 降雪2-3cm 人間ドック診察      医師会打合せ 健康対策課     法人理事会             
2:30起床。人間ドックx1。主治医意見書、徒然。5:20病院着、重症者複数対応。外来無し、机上書類大量処理。13:30人間ドックx4。15:30-17:10県医師会打合せ+健康対策課と打ち合わせ。往来に時間とられる。17:30-18:50法人理事会。20:40帰宅、21:30就寝。夜半から日中にかけて気温が一気に上昇すると言う。信じられないほど帰宅時は寒かった。

発光ダイオードLight Emitting Diode(LED)を用いた玩具 消費電力の少なさに驚く(1)
 発光ダイオードは導電によって発光する半導体素子のこと。赤色のは結構歴史があり通常の家電にも頻用されてきた。よくTVとかビデオなど待機中に赤く光るあの小さな光のもとが赤色LEDである。
 開発が長い間待ちこがれていた青色LEDは最近実用化されたが、その際は青色LEDの価値はそっちのけに、企業内で開発者への賞与をめぐる訴訟がマスコミを賑わした。開発者である現在カリフォルニア大サンタバーバラ校(UCSB)教授の中村修二氏は一審では賞与が200億円だったと思うが、企業が控訴し、最終的には8億4000万円で和解した、と言うニュースである。    確かにマスコミ受けする話であるが、それだけ青色LEDの価値は大きいと言うことなのだろう。

 青色LEDの登場で光の3原色が揃ったことで遂にLEDでフルカラーを再現できるようになった。青色LEDの実用化で街中の信号機は殆どLED式になったし、ビルの壁に備え付けられている大型ディスプレイはLEDが使用されている。
 今後、われわれの近辺の照明は高輝度の白色LEDが主流になるであろう事は疑いのないこととされ、今企業が実用化にしのぎを削っている。電球や蛍光灯に比べて余分な熱を発せず寿命も圧倒的に長いから、当然である。SPレコードからLPに、更にCDやLD、DVDに進化し置換されてて行った如くに普及し、白色光、蛍光灯に古き良き時代の郷愁を感じ取る時代が来るかも知れない。

 これほど存在価値の高いLEDであるが、最近は値段もかなり安くなって来ているようで玩具とかにも応用されている。
 年末に小さなクリスマスツリーの置物を戴いた。5x5x7cmほどのガラスの塊の中に浮き上がって見えるツリー部分の造作も精巧で素晴らしいが、それに光を当てて雰囲気を高めるものであるが、その光源に3色のLEDが用いられていて,LEDもここまで普及してきたのかと正直驚き、とても興味を覚えた。


1/12(木)降雪なし・寒気若干緩む 外来 医師面談     長副会議        
2:00起床。人間ドックx1、紹介状。徒然。5:15Taxi病院着、6:20回診、重症者対応。9:00-13:30外来、混雑。14:00医師面談    、17:00-20:00長副会議。話題多数、長丁場となる。21:00帰宅。夕食、22:00就寝。

秋田「48年豪雪」以上の積雪(7) 小康状態だが交通は大渋滞
 今年は記録的大雪である。昨年も新年を迎えてからずっと裏日本、東北は寒波に被われていたが、雪は伴っていなかった。突然に降り始めたのは丁度この時期からである。そして昨年は結構降雪量は多かった。一昨年はこの時期に殆どまとまった積雪はなかったから、ざっと見れば年々増えていく傾向のようだ。今年も昨年も長期予報では暖冬だったのだが、見事にはずれてしまった。
 
 秋田もここ1週間ばかり降雪は小康状態になっている。しかし雪の怖さは降雪だけでない。雪がゆるみ始めたときに新たな問題が多発する。

 秋田市の主幹道路はやっと除雪と排雪の一部が行き届いて広くなり、アスファルト面も出て快適に走れるようになったが、それに繋がる支線はまだ除雪不十分で、道幅は狭くなり、路面は大小様々の凹凸、轍が激しい。洗濯板さながら。そのために車のすれ違いが困難でラッシュ時には渋滞・渋滞である。
 予約外来は、いつもなら診療が長引いて時間が遅れ加減で、機嫌が悪くなりつつある患者さんに私の方で謝りしつつ診察するのだが、今週3日間は患者さんの方が遅れて到着し、済みません、済みません、と平謝りで入ってくる。ホントは午後の予定が気になりいらいらしているのだが、ちょっと良い気分も味わう。昨日は10:00予約の患者さんが13:00過ぎに到着するほどで、13:15の終了予定が14:40までかかった。結局14:00からの県の会議に出席出来なかった。

 私どもの病院の周辺の道路も大変な凹凸で、特に救急車が往来するのに大変である。昏睡状態の患者さんも激しい揺れで救急室に着く前に覚醒するのではないかと思うほどである。だから病院近くになるとノロノロ運転、救急として機能不全状態であった。保健所を通じて何とか除雪していただいたが、この様なときにこそ医療機関の機能維持のために行政は周辺の道路環境を優先的に対策して欲しいものである。
 秋田市内の他の救急病院周辺の除雪はどうなっているのだろうか?気になってしまう。医療機関周辺道路の除雪要請は決してエゴ的発想でない。社会的使命を果たすために、公的な立場からの気持ちである。

 大災害時などの時に、医療機関等は優先的にライフラインの復旧が行われると聞いていたが、今期の降雪に関してはその様な配慮を感じ取ることは出来なかったが、保健所の配慮、采配はとても有り難い。まだまだ降雪は続くだろう。今後とも宜しくお願いしたいものである。

 明日から気温が若干上昇するという。そうなれば道路も含め、また新たな問題が発生することが危惧される。


1/11(水)曇り、 降雪0cm  QP籠谷 来訪    感染症評価会議    院内感染対策委員会    郡市医師会長協議会+新年会     
2:00起床,人間ドック判定x1、除雪不要。5:10出勤、6:30回診、重症者数人。9:00-14:40午前外来。予約外受診患者数名あり予想以上の混雑。道路事情から予約時間に到着出来ない患者多数、14:00感染症評価会議には出席出来ず、連絡も出来ず迷惑かけた。QP KK担当者来訪。病棟重症患者対応。16:30-20:00郡市医師会長協議会+新年会 +打合せ。新型インフルエンザ関係とタミフルについて話題提供。20:30帰宅、21:10就寝.

「タミフル」が手に入らない!!!(2)外来はneedsでなくwantsの患者でトラブル
 「インフルエンザの検査して欲しい」、「タミフルを出して欲しい」・・今年はまだ大きな流行はないが昨年の内科外来、救急外来の患者の発言である。特に若い患者、発熱した子供を連れた親にこういう希望を述べる患者も多い。高齢者もいるが、その場合には「孫や家族に移すから、早く病院に行って医者にそういえ、と若い者に言われまして・・」である。ある若者は会社の上司に「早く検査受けてタミフルを貰え。明日からは出てこい」と言われた、等々と言って受診した。

 医療は必要な診断や治療を進める分にはあまり問題なくことが進むが、やっかいなのは医療上の「needs」に大きな「wants」を上乗せしてくる患者である。私から見て若くて特別の病気を持たない患者にはタミフルは必要な治療薬と全然思っていないから、その「wants」を断るのに大変であり、時々患者と延々と嫌なやり取りをしなければならない。無駄な時間もかかる。しかも、ソフトに丁寧に説明しなければトラブルの原因になる。

 私は外来では流行期には検査もあまりしない。通常の対症療法の範囲で治療し、タミフルは出さない。診断はインフルエンザ疑いで良いのだ。正確に診断すべきは流行の始まりの時の疫学調査の時に若干役に立つだけ。ところがこれがなかなか納得していただけない。
 一方、虚弱高齢者が大部分を占める療養病棟では疑わしい患者が居ると即検査、即タミフル、即個室への移動、である。これはインフルエンザが間接的に命にかかわる可能性が高いし、一気に集団感染する可能性が高いからである。この集団ではタミフルの価値は極めて高い。

 今回、当院小児科ではタミフル使用について一定のガイドを出した。◎1歳未満、6歳以上には原則処方しない。◎1-6歳では発病後1日以内、検査を含めインフルエンザと臨床診断され、両親が投与希望された場合には処方する。私はこの方向は正しいと考える。内科的にも一定のガイドが必要となろう。ただし、個人的判断だけでは駄目だから学会レベルででも出して欲しいものだ。


1/10(火)曇寒波 降雪5-6cm 定期処方日 管理会議    外来     常務会 医局会 (院長新年の挨拶)
2:30起床、微熱程度か体調はかなり改善。ドック総括x1、院長挨拶準備、徒然。5:10病院着、6:30回診、定期処方発行、8:00管理会議。9:00-13:50外来、途中で再度発熱、不調。患者さんは私よりみんな元気。14:30-16:30常務会、17:30-18:20医局会で 院長新年の挨拶。20:00帰宅するも路面が溶けて大渋滞、50分もかかった。体調が悪いときの渋滞は眠くもなるし、結構辛い。21:00就寝。

抗インフルエンザ薬「タミフル」が手に入らない!!(1)国内には充分あるから心配なし
「抗インフルエンザ薬タミフルが手に入らない!!!」、「どうなって居るんだ!!」、私は県医師会感染症等危機管理担当なのでこの様な問い合わせが結構ある。中には私に不満をぶっつける医師もいる。確かに、かつては比較的自由に入手出来た薬品だから医師が不安に思うのも解らないわけではない。
 明日1月11日は郡市医師会長協議会であるが、会長からこの周辺のことを説明するよう要請があった。なかなか理解されていないらしい。

 メーカーでは本年の「タミフル」は昨年の大流行時と同量の1500万人分の量を用意している。だから、今期にもし大流行があっても十二分に対応できる量となっている。ただし、今期は供給の仕方を患者数人分のための「初回品揃え出荷」と、流行し始めた地域に重点的に供給する「流行時出荷」の二つの方法で供給準備をしている。だから、まだ流行していない秋田では「初回品揃え分」の数人分しか手に入らないし、追加注文しても断られる状況である。だから、医師の一部が不安に思っている、と言うこと。

 今年は、特に、「新型インフルエンザ」などに対する過剰なマスコミ報道の影響もあって、国立病院機構などを始めとし、職員用などに備蓄する「企業内備蓄」や「先行大量購入」の動きが後を絶たない。各薬品取引店には、各医療機関から従来の購入量を超える受注が発生している。この様な直接治療に備蓄が行われると、薬品が不足して流行時に患者へ供給ができなくなるだろう。この辺のことを説明するのだが、あまりすっきりと納得してくれない。供給体制を信用していないらしい。

 確かに、1972年の一次オイルショックの時など生活用品が市場から一斉に姿を消したが、この時も国内には十分の品揃えがあったにもかかわらず市民の多くが買い占め側に回った結果である。そんな感覚なのかも知れない、と思う。
 買い占めをしない事が一番安定供給に結びつくのだ、と言うことが当の医療関係者が解っていない。
 しかも、タミフルはインフルエンザの治療には必ずしも必須なものではないから尚更である。


1/9(月)成人の日 曇り一時晴れ 降雪2-3cm  病棟拘束  高熱
2:30起床。ドック処理x1、Vn小品等久々練習。13:40病院に。回診、事務処理。途中から体調不良、全身違和感。発熱。18:30帰宅.夕食若干。19:20就寝。寝苦しい。39℃。時々目が覚めるがこんな時はただひたすら寝るに限る。夜半には徐々に楽になってきた。明日の業務は多分大丈夫だろう。昨年の今日の日記には2回目の除雪機使用とある。のどかだった。今年は屋根の雪が一気に落下すれば下のサンルームなど一気に破壊される可能性があるほど積もっているが、屋根が高すぎて何とも出来ない。

電話による伝言は危険(2) 特に医療現場では
 先月末の町内会の電話による連絡網はさながら伝言ゲームのようなものであった。笑って済ませたが電話とは本来そんなものだ。
 医療現場で似たようなことがあれば大変であるが、現に私は何度か間違い伝言を経験している。かつて緊急検査結果は電話で結果が伝達されていたが、受ける方がよく間違ってメモしていたものである。だから、出来るだけ自分が直接電話にでて結果を受けとていたが、いつもその場にいると限らない。

 何度かそんなことがあったので院内にファックスを置くよう提起し、今は殆どの部署にファックスが置かれている。院長室、病棟、外来診察室にもある。 だから院内では私はいろんな伝言にファックスを用いており、直接対話の要がない場合にはまず電話をかけない。
 ファックスの利点は原本が残ること。これは良い。文章を書くのが面倒でないか?と言われるがそんなことはない。私はパターン化した用紙を何種類か予め作っているので、そのまま、あるいはちょっと記載して送ればいい。だから電話より楽。先方に返事するときは要件を上書き追記してそのまま送ればいいからこれまた楽だ。

 ファックスは送るのは簡単であるが、意外と時間がかかるものだ。患者さんへの処置などがあるときに「今から行くので用意を・・・」と病棟に送ってから7階まで上っていくのだが、準備が出来ていないことも時々ある。ファックスより私が先に着く事も希でない。何でこんなに遅いのだ、と思う。
 間もなく当院でも院内にLANが張り巡らされ、伝言もより機能的に、より正確になるだろう。それも進歩ではあるが、互いに肉筆での文章をファックスで送り合うのも味があるものだと思う。


1/8(日)曇り・小雪 ・寒い 病棟拘束
3:00起床、ドック処理x1、原稿校正等。5:30から1時間坐位にて微睡む。9:00-10:30我が家の「胎盤と臍の緒」部分を除雪。11:00-18:00病院。病棟処置その他。作文遅々として進まず。18:45帰宅、夕食、21:00就寝。

モントリオールへ 6日間国際血液学会に皆出席したが全く記憶に残らず
 モントリオールは高層ビルも並ぶ、近代的な巨大都市であった。しかし、東京とかから受ける印象とは全く異なって、高層ビルとかも密集はしていない。道路も十分に広いために空が広いと感じた。宿泊はRitz・Carlton  Hotelで、伝統的というか古式ゆかしい調度類のあるホテルであった。

 肝心の国際血液学会は、確か6日間の予定で開催され、一応、全日出席したが、内容的には全く記憶にない。何しろ、一般演題の口演も特別講演もスライド内容だけは何とか判読、理解出来るものの、native な英語での演者の場合には内容はとても理解出来なかった。従って学会内容は、その雰囲気だけは朧気ながら記憶にあるものの、具体的には記憶に残っていないのはほぼ当然である。いや、忘れてと言うより始めからインプットされなかった、と言うべきであろう。
 この時の1週間の国際学会の経験を最初に、かつ、最後にして私はそれ以降一切国際学会等に参加していない。身の程を知る良い機会であったと言いうる。

 私の英語なんて実際ひどいものである。この旅行の最中だけでも両替の時に「Exchang  to Canadian dollars」と言って2ドル出された事を始め、レストランで「水(water)が欲しい」と言ったらbatterを持ってこられたり、一人で食事して支払いに困ったり、そんな事象を挙げるには事欠かない。

 早朝はよく市内を散歩した。ホテルの近くにはモントリオール大学があり、守衛にちょっと挨拶すると自由に入らせてくれた。広い構内は殆どが芝生で被われ、立木が散在してる。周辺にはリスが10数匹遊んでいて実にのどかなものであった。子連れの親子も居て子供を遊ばせていたが、子供達もリスを追いかけるわけでもなく、虐めるでなし。子育てにも良い環境のように思えた。

 ある夜、モントリオール◎◎合奏団なるものの演奏会が大学にあり聴きに出かけた。バッハ中心の演目であり演奏会自体はそう大きなインパクトとはなかったが開演時間も遅く終了時間は22:00を超えていた。これが夏時間というものであろうか?そんな時間でも月が出ているわけでなくとも夜の空はうっすらと明るかった。秋田より緯度で僅か5度ほどしか北でないが、さらに北方なら、白夜と言われる現象であろうが、その時はそれに近い状況だったと思われる。深夜に目覚めても空がうっすらと明るいのは実に不思議であり、遠い異境の北の地に来ているという実感があった。
 


1/7(土)曇り時々晴れ 新雪なし 病棟拘束  新年会  
2:00起床、紹介状、総括、医報原稿校正等.主治医意見書。5:20病院着、道路は圧雪状態。さっぱり除雪進んでいない。6:20回診。その他.11:00-12:00入院患者対応。カルテ数冊まとめ書き。15:30客人来訪と、帰宅。16:00秋田の親戚が集まり新年会。総勢20名ほど、居間が狭い。18:00酔って二階で休む。20:30病棟より電話あり再出勤、対応、23:30帰宅。24:00就寝。

電話による伝言は危険(1) 伝言の依頼や受け取りは拒否している
 先月末のある土曜日の20:00頃、夕食中に電話があった。
 私は電話恐怖症であり、家族が居れば電話は直接とらない。実は、一人で居るときもとらない。私宛の業務上の電話は院内外ともポケットベルを介して来る様にしているからそれでも事実上問題はない。大体私がそこに居るか否かなど電話をかけた方には解らないはずだ。電話は本来そんなもの。

 家内が出た。内容は「町内会の伝達です」と前置きして、「町内は積雪のために自動車の出入りが困難になってきているので、明日午前中に町内会で除雪車を依頼するのでご協力願いたい」との内容であった。

 もとより異論はない。何の協力かな?経費の負担だろうか? 除雪中車が出せなくなる事への配慮か??それは当然のこと、私は即座に了承して電話で伝えてもらった。家内は次の家庭に上記と同じように伝言の電話をかけさせた。
 しかし、不思議でもある。秋田市では除雪機は総動員して殆ど休み無く稼働させているはずで除雪機も不足し、手が回りきれない状態のハズ。何で町内会で特別に依頼出来るのか?近くの土建会社など何処かに町内会で特別な伝手で依頼するのだろうか??

 翌日、午前中除雪機を待っていてもなかなか来ている雰囲気はない。10時過ぎに町内へ出てみたら数人が除雪している。私もツルハシ持参で遅ればせながら参加したが、その中で昨日の伝言は「午前9:00頃から町内で除雪をするのでご協力いただきたい」が町内会長からのメッセージだったらしい。次々と電話でリレーされているうちに何処からか狂い始めたからである。まるでこれでは宴会の余興の伝達ゲームのようなもの。結果的にその除雪には直接参加出来なかったが、やむを得ない。笑うしかない。

 こんな事があり得るから、私は電話による伝言は、特に業務上は一切認めない様にしている。伝言内容は聞かずに「不在です」と答えるか、「戻る予定時間」あるいは「誰それから電話があった旨」だけ伝えるように、と指示している。自宅にかかってきた電話も賄いの石井さんには内容を聞かないように堅く指示し、病院に電話するか、帰宅予定時間だけ伝言して貰っている。

 顔の見えない電話による伝言ほど宛てにならないものはない。まず正確に伝わることはない、と私は思っていおり、信用していない。危ない。だから、伝言することと受け取る事を頑なに拒否しているが、なかなか理解されない。横暴だ、なんて言われているらしい。


1/6(金)曇り・晴れ 寒波再来 降雪数cm  秋大病理学教授来訪 生命保険会社調査員来訪          
2:10起床,ドック総括x1、メール返事など処理。5:10病院着、昨夜は新雪3cmほど。道路は圧雪状態で凹凸あり、よく滑る。回診、事務処理、患者関連書類処理。13:30人間ドック診察x5。14:10病理学榎本教授来訪、16:00生命保険会社調査員来訪、入院患者対応。20:50帰宅、夕食、21:30就寝。終日体調やや不良で非能率であった。

我が家の2005-2006の年末年始  開放感だけはあったが・・・
 昨年は多忙で、毎日の懸案事項の処理に追われている間に、いつの間にか年末年始休暇に入ったと言う感じ。大好きな夏、ギラギラの太陽が好きなのだが、さっぱり味わうことなくいつの間にか秋になり、積雪と闘っているという感じ。季節感など全くなかった。
 毎日継続している徒然日記が無ければ時間感覚が稀薄な一年であったと思う。徒然日記とミニ随想のタイトルだけでも見直すとそれなりに充実した一年だったのだ、と思う。

 例年は年末年始の休暇の間、日直勤務が2回、リハビリ当直が1回あたるのだが今年はリハビリ当直が1回だけ。ただ、療養病棟の入院患者はほぼ全員外泊しなかったので4日間は病棟拘束であった。

 今年は家内もまだ体調が本格的でないとのことなので私も出来るだけ自宅で仕事をしながら過ごすよう心がけた。この6日間、楽器にも触れられず、メインのオーディオにもスイッチを入れる機会は遂に得られなかった。年が明けてからはドッと届いた年賀状にため息が出た。
  
 以下が私が院内で過ごした時間帯である。
12/29(病棟拘束) 5:20-20:20  22:30-2:00
12/30(病棟拘束) 8:30-16:45  17:00-8:30(リハビリ当直)
12/31(フリー)  8:30-10:30  15:00-18:00
1/1 (病棟拘束)  終日自宅
1/2 (病棟拘束) 5:00-11:30
1/3 (フリー) 9:00-18:15

 これだけ時間かけて、どれだけ業務処理できたか?と問われれば、予定の半分くらい、と情けない結果で終わった。確かに、医局の机周辺に積まれていた総括、紹介状、未処理書類のカルテなどはすっかりなくなった。レセプト関連も随分書いた。しかし、医局会用の「新年の挨拶」、医師会の「医療事故・医事紛争予防の手引き書」分担分が手つかずで残ってしまった。だからなのだろう、さっぱり気が晴れない。大体、今の医療は書類が多すぎて処理しきれない、ホントに馬鹿な話である。

 年末、長女・長男はNYへ、次男はちょっと顔を出して入浴だけ。さすが兄弟、語呂だけは共通。正月にゆったり過ごすための「おせち料理」、人数を勘案していつもよりサイズを落として3セット購入し、大晦日からつついた。決して安くはないが、便利なモンだと、今年も実感した。


1/5(木)曇・晴れ 寒波降雪若干   市医師会喜寿を祝う会+共済会新年会
2:00起床,風雪状態で吹きだまりも激しい。ドック判定総括、レセプト対応。4:30-5:45「へその緒・胎盤」道路除雪。公道は除雪されておらず、4WDもタクシーも無理、7.5Km歩き。5:55→7:45病院着。回診、患者対応、9:00-13:30外来、今週は会議など少なく余裕。懸案事項処理。18:30-22:30View、市医師会喜寿を祝う会+共済会新年会。お世話になった方も喜寿と言うことで家内も出席。20:50タクシーで途中まで。若干歩き帰宅。町内、路地は綺麗に除雪されていた。21:30就眠。

秋田市では「48年豪雪」以上の積雪(6) 歩行中、不思議な満足感を味わう
  病院までどうやって行こうかと悩んだが、こんな時こそ管理者は万難を排して早く行くべきだろう、と考え6:00前に家を出た。全行程歩いたのは秋田に来てから大学、現病院の33年の通勤歴の中で実は初体験。いい季節にはタクシーを途中で降り、ジョッギングしたり、歩いたりしたことは何度かあるが、通常はバイク、自転車で、冬は車を用いてる。

 今日は良い経験になったし、何か災害等が生じたときには自分が五体満足なら時間さえかければ何とか病院に行くことができという現状認識と自信が着いた。
 それにしても、歩いている間の満足感というか充足感は何だろうか、と思う。足下も滑り不安定だし、歩くための努力のかなり無駄にロスされるから積雪がない時よりは遙かに大変なはずなのに、本当に何だろうか、と思う。市内の中心部に来てからは何度か空車のタクシーともすれ違ったが、乗ろうという気にはならなかった。歩き始めの頃なら喜んで乗ったと思うが、昨日は本当に乗らなくて良かった、お陰で気持ちにけじめがついた、と今は思う。ランナーズ・ハイという気持ちの高揚があると言うがこれに近いものなのか?ゴウセツウオーカーズ・ハイとでも呼ぼうか。

 こんな状況の中、狭いコミュニティの中では生活が成り立たない、車を欠いては殆どなりたたない社会なのだ、と言うことがよくわかった。7:00過ぎにもなると除雪に躍起となって居る家々が増えてくる。殆どは車を出すための除雪である。だから、広く除雪を要するから実に大変そうである。歩いている最中にも路地で立ち往生している車が3台、押すのを手伝ったが、2台は車輪が滑って何ともならなかった。脱出用の板とかスコップも積んでいないと言う。こうなればもっと人が集まるまで待つしかない、と私は病院に向かった。気の毒なことだが、大体、判断が甘いのだよ。

 外来の患者さん達、さすがに時間に遅れて到着した方が多かったが、結局予約患者さんは市外の数人を除き大部分が来院、予約外の方も5-6名ほど受診したので私の担当する外来は結局14:00近くまでかかった。今日もまた当てがはずれたね、と苦笑。

 東京からのNHKラジオ放送のキャスター達、あるいはTVのお天気予報士と言われる若いお姉さん方、頻回に登場し裏日本の雪害を報道し、コメントも述べているが、その渦中で聴いているものにとっては白々しい言葉の羅列に聞こえる。一度来てみて除雪してみろ、と言いたくなる。多分、表現にもっと深みがでると思うよ。


1/4(火)降雪、仕事始め 
2:30起床、ドック処理x1、徒然何とか間に合わす。5:00-5;40除雪。6:00病院着。6:25回診。9:00-13:10雪と新年で外来は比較的少ない??。されどいつもの如く予約外来はほぼ全員来院。午後、入院患者不調に。大量の消化管出血。血管確保、輸血、内視鏡的止血等依頼。夜には何とか落ち着く。20:50帰宅、路地はただ事でない積雪。21:00-21;40除雪。夕食、22:10就眠.

秋田市では「48年豪雪」以上の積雪(5) 本日、1時間除雪し、2時間歩いて病院に

昨年の日記を見ると、「除雪機は年末に一回のみ用いたが、その時積もった雪もこの雨で殆ど消失した」と書いてある。実にのどかな記述である。

 県内は1月4日から5日にかけて、強い冬型の気圧配置の影響で激しい降雪があり、秋田市では1月までの積雪としては32年ぶりに70cmを超えるなど大雪となった。
 この影響で、県内は全域で雪に見舞われた。朝の各地の積雪は、阿仁合五城目136cm、角館134cm、横手94cm、秋田74cmなど。秋田市で最大瞬間風速25.3mを記録する強風も吹き荒れた。秋田新幹線「こまち」の上下8本、大館能代空港発着の5便が運休、高速道路の通行止めや雪崩も相次いで交通機関は終日混乱。Uターン客らの足にも大きな影響が出ている(秋田魁新聞)。
 
 今朝、1月5日、私はいつもの如く2:00に起床、外を見たところ風雪状態で吹きだまりも激しくできている。数時間前に停めた次男から借用のレガシーワゴンも殆ど車体が見えず雪山となっている。ムリムリとファイトが湧いてきて本当はこのまま外に出て除雪したかったが除雪機は煩い。この時間では理解は得られないだろうと諦めた。

 4:30迄待ったところ風雪も治まりつつある。もう良いだろうと除雪用のウエアに着替えて外に出てびっくり仰天、何と、膝上までの積雪である。秋田に住んで30数年になるが、一晩、と言うか、昨夜も除雪したから、その後のわずか数時間のうちにこんなに積もる激しい降雪は今まで経験した事がない。除雪機の高さレベルを超えて積もっている部分もあり、除雪機が潜っていくような感じでいろいろと難渋したが、4:30-5:45迄かかって「へその緒・胎盤」道路と自称しているわが家へのアクセスのうち、へその緒部分の路地は何とか除雪した。しかし、それから先の公道はまだ除雪されておらず、これでは4WDと言えども底をついて浮き上がるだろうから無理と諦めた。懇意のタクシー会社に電話したがとても動ける状況に無いと言うのでばっさり諦め、リュックを背負って病院までの7.5Kmほどを歩くことにした。

 5:55に家を出て7:45に、約2時間かかって病院に到着した。雪道、主に車道を2時間も歩くのは大変なことである、と思ったが、何か楽しい雰囲気でもある。それにしてもさすがに足は疲れるねと思って部屋で靴を脱いだら、何と両方のくるぶしに500gのおもりを着けたままであった。これは日常の運動不足を少しでも解消しようと、腰痛が楽になった2-3週前から再装着しているもの。それだけ身体の一部になったと言うこと。これですっかり自信が着いた。これを機会にそろそろ1Kgのに替えようか。


1/3(月)(年始休暇三日目-最終日)曇-午後風雪   
 2:00起床、ドック処理x2、退院総括、その他処理。8:00家内日直出勤、9:00-18:15病院にて業務。回診なし、重症患者のみ対応。18:30-21:00Castleにて友人交え家内共々歓談。21:30帰宅、22:00就寝。
 これで年末年始の休み体制は終了、朝から通常勤務。この間、殆どの時間をパソコンの前で過ごしたが、予定していた仕事の5-6割程度しか処理出来なかった。

2006年 新年のショック、可愛いショック
 今年の元日は病棟拘束であったが、早朝の電話による確認では入院患者さん方はそれなりに落ち着いていると言うことだったので、雪道で往復も大変だし、何かあったら出かけると言うことで自宅で待機しつつ業務を進めることとした。

 午後、何人かの来客があった。その中で子ども連れも何組か来たが、子どもの黄色い声が玄関に聞こえた途端に、ただ事でないパニック状態に陥ったのがわが家の元「黒チビ」こと、黒猫の「ユー」である。いつもわが家の居間の主の如く、傍若無人の表情で闊歩しているのだが、途端に落ち着きが無くなり、恐怖におののいた表情で瞬時にソファーベットの下に潜り込み、呼んでも敲いても出てこない。いつもなら見せればすぐ飛び出てくる好物の鰹節を見せても出てこない。なんとか腕をとらえてひっぱりだしたら、今度は振り切って一目散に二階に駆け上がっていった。
 私の猫歴の中で、猫は概して子どもが嫌いなことは理解していたが、こんな激しい反応するのは見たことがなかった。わが家に来てから幼児に無理矢理オモチャにされたこともないはずだし、・・・何でなんだ???
 子どもが帰ったらすぐに降りてきていつもの顔で過ごしていた。わが家に来る前にイヤな経験がインプリントされていたのかもしれない。どちらにせよ面白い。要経過観察である。

 わが家では正月に親戚の未成年の子どもにはお年玉なるものをあげる。家の子ども達もみんなそうやって育ってきた。子どもの教育上からの配慮があって親戚間で協定値段なるものを作っている。わが家はこれをしっかり守っているのだが、協定は破られているらしい。
 今年は、ある3才児に協定値段に基づくお年玉の受け取りを拒否されてしまった。
 協定では、就学前は500円である。小さな可愛いお年玉袋に100円玉5ヶを入れて「ハイッ、お年玉ですよ」と差し出したら・・あんまり喜ばない。
 しばし無言の後、のたまったお言葉は「ボク、玉のでなくて紙のでなきゃイヤなんだ。どうしてここは紙のお年玉でないの??」であった。「お年玉だから、とし相当のタマをあげるんだよ」と駄洒落で応酬したが何処吹く風、私のおじんギャグは全く通じず。
 お年玉は空しくテーブルの上に置かれたままになってしまった。
 家内とあとで、あの子の言う紙って何円のことなのだろうか?まさか万円札ではないだろうとは意見は一致したが、今のご時世だもの、あり得るかもしれないね、が達した結論。

 もしかして、協定を頑なに守っていたのはわが家だけだったのかも。
 今日は猫共々、可愛いショックを受けてしまった。


1/2(日)(年始休暇二日目)曇で降雪無し  病棟拘束
 2:00起床、何時もと同じ。ドック処理x1、徒然最小限に。5:00病院に。朝回診、以降は退院総括、紹介状3部作成など。院内でもいつもの如くの生活が淡々と始まる。11:30帰宅。以降は自宅で県医師会座談会の校正、年賀状の整理と追加等を進める。朝粥風のシンプルな夕食、20:30就眠。

2006年 つれづれ(2)・医療関係者として黙っていれない・・
 -3.16%の数値は厚労省、財務省間の調整で決着付かず、最終的には官邸に最終決着が持ち込まれ、首相の指示のもと安倍官房長官が裁断したのだ、と報じられている。最も懸念していた、小泉流の決定である。こんな事で医療の内容が決まっていくなんて、医療関係者は一体何なのだ??と思う。求められるものは大きく、社会的統制の中で自由度は極めて狭い。こんな職業は他には類を見ないだろう。

 新年になると中医協で減額の具体的な配分の議論が開始される。これが明らかにならなければ実際の医療現場でのシミュレーションは出来ない。医療機関の機能によって大きな凹凸が生じる。だから、各医療機関の不安、困惑はまだまだ続く。

 医療は尊い職業であると私は思う。
 私どもの病院も全職員一丸となって医療機関として果たすべき社会的使命を充分に果たしていると思う。この点は胸を張って誇りに思い、喜びと感じて良いことである。しかし、私どもが如何に考えていようと、尊い仕事をしているのだと思っていようと、その業務内容、範囲は法と規則で雁字搦めに縛られた一定の枠の中でしか許されておらず、それから逸脱した際には経済的にも、法的にも厳しい判断がなされる。

 これは法事国家としては当然のことではあるが、その医療レベルのセッティングは医療の現場を全く理解していない政治家、経済界の要人が中心となり、米国主導の経済自由化路線に便乗して繰り出してくる経済効率第一主義の考え方で決められている。彼らは医療関係者の考えや理想、患者の苦しみなどを感じる事など無い人達なのだ。自分たちが、あるいは家族が病気になっても困ることなど全くないのだ。そんな人達によって日本の医療レベルが、秋田の医療レベルが決められている。

 我が国の医療のあるべき姿を論じることなくアメリカ型の経済効率第一主義の医療費抑制策に対し、住民の健康をあずかる医療現場のわれわれがこれを黙認しているわけにはいかない。絶えず医療現場から問題点を発信していかなければならない。それには個々の医療機関単独では困難であり、一定の組織的対応が必要である。この発信を欠くとすれば医療人は座して死を待つようなものである。そうなれば住民の健康は誰がどうやって守っていくのか?

 当院からは市医師会、県医師会の執行部にも長年役員を派遣している。病院協会にも参加している。民医連にも加盟している。私どもはこれらの組織を通じて自治体、国に対し絶えず情報を発信していくべきだ、と思う。

 私は時間的には苦しいが、許されることであれば、要するに次の執行部に必要とされるのであれば、次期も県医師会の役員、日本医師会代議員、病院問題検討委員会委員として、医療現場の問題点を自治体や国に発信していきたいと思う。


2006/1/1(日)「謹賀新年」(年始休暇初日)晴れ 降雪無し  病棟拘束  
 2:00起床、2006年度版ワンパターン生活が淡々とスタート。徒然の年末の締め記述。ドック処理x1、退院総括、紹介状作成など。8:00雑煮とお節にて朝食。10:00年賀状がどっさり届く。分類して対応開始。午後も殆ど同じ。第二回「21世紀の医療をまもる県民の集い」校正終了。新年訪問客数名、歓談。次男顔出すもコールにて慌ただしく戻る。お節にて夕食、19:20NHK-TV ヤンソンス指揮NPO・New Year Concert聴く。22:30就眠。

2006年初春 つれづれ・・・・・医療界は厳しい年の幕開けとなる(1)
 まずは、「新年明けましておめでとうございます」と、晴れやかな気持ちをお伝えいたします。1月1日は雪も降らず、久々の良い日和でとても良い1日でした。

 今年はグローバルにはどんな年になるのだろうか? 医療界は恐らく未曾有の厳しい状況に陥ることいなると考えられるが、その中で自分としてどんな年にすることが出来るのだろうか?課題はとてつもなく大きいが、それだけに楽しみもある年になりそうだ。

 新年のスタートは、夢ある内容、楽しい話題で開始したかったが、今年はそれは無理なようだ。立場上、現実問題から始めたい。

 昨年9月11日に選挙が行われた。選挙の主論点は郵政民営化の是非を問うもので、その結果として自由民主党の大勝に終わり、郵政民営化法案はいとも簡単に成立した。
 小泉首相はこの圧勝を自分たちへの、改革推進者達への全面的な信任ととらえてその後の政局を運営している。国民はすべてを信任したのではなく、郵政に関して信任したのだ。しかし、これは議会制民主主義の中ではどうしようもない現実なのだし、勝者の論理は通り、敗者はじっと耐えつつ正論を展開しながら抵抗し続けるしかないのだ。

 小泉改革路線は選挙の余勢を駆って次々と懸案事項を処理し始め、医療改革を加速させ、来年度の診療報酬の改訂は何と-3.16%の驚くべき決断を下した。この数値によってわが国の医療の環境はかなり厳しい状況になるものと予想される。

 ここ10年間ほど、医療界は安全性の向上、アメニティの改善、情報公開、患者サービスの向上、医療廃棄物の安全処理など多方面に渡ってより一層の改革・改善が求められてきた。特に病院、とりわけ大規模病院への要求度は極めて強いものがある。確かに、古い体制の延長線上で改革が遅々としていた事は否めないし、そのために先進的医療機関に於いていろいろの事件や事故が明らかになってきた。だから、医療界の改革・近代化自体は当然の流れである。

 しかし、一方で、この間の診療報酬は極めて低く抑えられており、2002年にはついにマイナス改訂が行われた。医療界に求められるものは大きく、近代化の流れに対応出来ない医療機関は社会から取り残されていく。だから各医療機関は必死である。経済的には殆ど余裕が無いために、マンパワー、設備投資等の予算配分は最小限に抑えられ、青息吐息の状況で運営されてきている。特に、公的補助が得られない私的医療機関にとっては存続すら脅かされている状況に至っていた、と言って良い。これは私どもの病院にとっても全く同じ。

 この状況に加えての今回の-3.16%の診療報酬の削減の決定は医療機関にとって大打撃である。到底容認は出来ないが、これは紛れもない現実で、既定事実なのだ。


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   年を通じてワンパターンで淡々とした毎日です。AM2:00-5:00にメールチェック・返事送付、人間ドック(HDD)判定・報告書作成、新聞切り抜き、病院・医師会業務など。
  月〜土曜は6:00頃出勤、HDD報告書印刷、外来書類処理など。病棟回診、HDD受診者とミーティングと診察。8:45-14:00外来とHDD受診者に結果説明。昼食は摂りません。午後は病院業務・医師会業務、各種委員会等に出席など。20:00頃帰宅。
  日曜・祭日もほぼ同様ですが、病院には午後出かけます。時間的に余裕無いのが悩みです。


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