徒然日記
2005年11月分

 日記と言うより、自分の行動記録からの抜粋と日々の雑感です。

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11/30(水)曇・みぞれ・寒波   県医師会打合せ+理事会  院内エイズ委員会
2:30起床、さすがに寝不足感あり、眠い。ドック総括x1他、5:20病院着、6:20回診他。病棟関連。9:00-14:00外来他。回診他患者対応、机上仕事、書類処理.16:00県医師会打合せ、16:30-18:00理事会、終了前に中座し、18:00-19:00院内エイズ委員会に合流。20:50帰宅、夕食、21:30就寝。

身を護るハズの道具・モノは寧ろ危険
 銃を使った殺人事件が話題になる国と言えば誰でも米国を連想するだろうが、実際にはブラジルも銃社会で、銃による事故の頻度は世界のトップだという。ブラジルの人口は米国より約1億人少ないが、銃により死者は米国を25%も上回る年間約4万人もいるという。
 ブラジルで銃の売買を禁止すべきかどうかをかつて国民投票で問うたところ、64%が売買禁止反対であった時もあったというが、今年初めの調査では逆に禁止を求める声が80%を占めたという。徐々に社会の在りようも変わって来ているようである。

 我が国では護身用として銃を持つヒトはまず居ないだろうが、数ヶ月前には護身用ナイフを持ち歩いていた男に警官が刺し殺されるという痛ましい事件が起こったし、護身用スプレーなどを々誤って人にかけて傷害罪にとわれたと言う報道もあった。
 一体そんなものが護身のために役立つものだろうか。実際にそれらに関して報じられるのは、それで助かったと言うより、逆に人を攻撃し、時に命まで奪っている方のニュースだけである。

 護身用の道具があるためにむしろリスクを高めることのほうが多いのではないかと思う。本当に護身を考えるのであれば予め危険を避ける生き方、方法を考えるほうがず一っと安全だろうし、自ら殺傷事件の当事者として人生を誤ることもないだろう。

 ただ、私はアメリカとかブラジルの如くの銃社会の中での生活経験はないから護身についての切実な気持ちは理解出来ていない。
 ただ、私が勝手に師の一人と仰ぎ、日記の題名を拝借までしているあの吉田兼好は徒然草の中で、筆を執れば物書かれ、楽器を取れば音をたてんと思う。杯を取れば酒を思う・・と記載し「ものは必ず心まで触れて来る。仮にも不善の戯れをなすべからず」と戒めている。
 護身用の道具も持っているだけで心理状況に変化を与える。本当に身を護るのは道具よりもむしろ知恵だ、と言っているのだろう。これは古くからの人間社会の共通の知恵なのだ。


11/29 (火)曇 寒波  法人常務会     医局MC  The Yamamoto Band練習
1:30起床、ドック判定総括x1他、紹介状、入院総括。5:20病院着、車の乗降はちょっと苦しい。定期処方箋発行他。9:00-13:30外来.14:30-16:00法人常務会、17:30-18:30医局カンファ、くも膜下出血関連。医師面談。19:15-22:30The Yamamoto Band練習、23:00帰宅、23:15就寝。

秋大心臓血管外科忘年会のために「The Yamamoto Band」結成 
 心臓血管外科忘年会で一昨年、教授と四方山話しをしていたときに若干の音楽談議を交わした。その際、来年はお互いに一発何かやるかと言うことになった。今年は二年目。 昨年の忘年会では三味線、シンセ演奏、私のVn、教授は学生3人を誘ってのギター弾き語り、と5本の余興が出てさながら音楽会の様相。みんな予想以上の出来で、笑いもあり充分楽しめた。私は3番手登場で若干のトークと「タイスの瞑想曲(一部)」「北の宿から」を弾き銀賞(商品券3000円)をいただいた。Vnで金銭を稼いだのは人生初めてである。

 昨年の出し物は基本的に個人プレイのレベルであったが、来年は是非合奏で「神田川」等を一緒に、ということになり秋口から時に集まって練習していた。本日が最終練習日で最初の出番は12月2日が予定となっている。
 主たるメンバーは8人。 曲目は「夢のカリフォルニア」「悲しい色やね」「神田川」。アンコール予定曲は「津軽海峡冬景色」。
「悲しい色やね」「神田川」は初めて聴く曲であり、密かにCDを購入して準備していたが、メンバーの一人が上手に、かつ私のレベルに編曲してくれ、何とか弾けるようにまでなった。

 私も結構重要な部分をソロとかユニゾンで付けるので責任は重い。 一昨日、激しい坐骨神経痛で伏せっていたとき、業務、講演とこのバンドのことがとても気になったが、何とか出席出来そうだ。あとはソロ部分でこけないようにするだけ。本番は間もなくである。楽しみである。


11/28(月)曇 管理会議 在住外国人支援ネットワーク会議(欠)療養病棟判定会議 長副会議
2:30起床、何となく坐骨神経痛軽減の様子。ドック判定総括x1、主治医意見書、徒然他。6:10Taxi病院。朝の回診無しに。8:00管理会議、喫煙室関連まとまらず。9:00-13:30外来何とか済ませた。14:00在住外国人支援ネットワーク会議は下肢痛を理由に欠席。病棟回診他。16:00療養病棟判定会議、17:00-19:10長副会議、20:50i帰宅、夕食、21:20就寝。

フランス人のワイン離れが私にも影響している
 2005年のボジョレヌーボーの解禁日は11月17日であった。コンビニで予約を取るほどまで日本でもボジョレはポピュラーになってきており、アルコールに全く感心がない私ですら「ボジョレ」という単語や日取り程度は知っている。しかし、ワインは古いものほど珍重される・・と私は今でも思い込んでいるが、何で新酒もこんなに話題になるのか??その点については全く解らない。

 最近では、"ボジョレ"の最大の得意先は日本、と相場が決まっており、大量の新酒が輸入されていると言う。その最大の理由はフランス人のワイン離れと日本で浸透しているワインブームの結びつきにあるらしい。しかし、本当の「ワイン通」は"ボジョレ"を好むのだろうか?これまた、私は知らない。

 ワイン王国の本家本元であるフランスの全国ワイン業者組合の調査は厳しいワイン離れを示している。それによると、2005年のフランスのワイン人口は約3200万人で、2000年に比べて100万人減、国民1人当たりのワイン消費量も1965年は160リットルであったと言うが、2005年には67リットルと大きく落ち込んだ。ワインを飲む人のうち、「毎日、ほぼ毎日飲む」は2005年には21%で、うち35歳以下の若年層は殆どいない状態で、「ワイン王国フランス」の称号は実質的に瓦解しつつあるとも言われている。
 
 フランスでは一体どんなアルコールが好まれているのか?と思ってしまうが、少なくともビールではあるまい。先に訪れたときのフランスビールの拙さは私でも解った位だから。
 そう言う私は最近、ワインなんてちっとも好きでもないのに、自宅で夕食を摂る際に食前酒としてワインを少しだけ飲んでいる。この前確認したら10数本が棚の上に放置されていた。すべて何かの折りに各方面の方々から押し戴いたもの。中にはそれなりの名品もあるらしい。せっかく戴いたのに、勿体ない、・・・が動機である。ただしマズイから葡萄ジュース、ファンタグレープとか、昨夜は蜂蜜を入れて飲んだ。小さなワイングラスに半分ほど飲んで、頻脈と動悸を感じつつ就眠、この動悸はきっとフランスのワイン離れの影響なんだよね・・・。


11/28(日) 雨・曇り 病棟拘束  左下肢激痛にて終日臥床
 就寝すれど左下肢痛軽減無く座薬も使用、しかし、明らかな改善なく熟睡出来ず。5:00起きだしドック総括x1他を何とかこなす。8:00以降は入浴・トイレ以外は終日安静と決め、大部分ベット上で微睡みながら過ごす。東海林さだおの新刊文庫本楽しむ。病棟は幸い落ち着いているらしい。電話連絡1件のみ。14:00次男も揃い私を残し外食へ。16:00長男長女離秋。19:00軽く夕食,20:00就寝。0:00起きだし入浴、机上業務処理等。3:30再度就寝。朝に整形外科医にコンサルトする。

中通総合病院創立50周年記念「健康フェスティバル」(3) 
 公開シンポジウム「患者さんと医療機関・行政との良い関係」(2)
コ・オーディネーターから私に振られた論点について私は次のように答えた。
(1)患者さんと医療機関との良い関係を築くためにやっていること、
●個人的には私は白衣を着ません。白衣はTV出演時のみ。
●病院の理念として「いつでも、どこでも、だれでも」を背景に24時間対応。
●患者の視点に立つ対応として患者さんが話しやすい雰囲気作りを指導。挨拶、笑顔、対話を基本に、「どうなさいましたか?」で診療を始め「他に何かご希望は?」と結ぶよう指導している。
●3時間待ちの3分間診療は悪の根元と言われているほど悪いものではないが、患者さん医療者側とも苦痛であることは確か。
●外来担当医を増やすことは不可能。待ち時間への配慮は予約制拡大と他の医療機関との連携で対応する。安定した患者さんは居住区近くの診療所、病院に紹介。

(2)在宅の患者さんをどの様に支えているのか?
●秋田県・秋田市の高齢化の現状から見て秋田の医療が良いバランスを保っているとは言えない。
●その中では中通総合病院を中心とする法人組織はリハビリテーション病院、訪問看護ステーション、ヘルパーステーションなどを持ち、よりよいバランスを保っていると考える。更に関連法人のネットワークもある。
●中通総合病院には急性期医療終了後、在宅復帰のためのリハビリテーションを受け持つ療養病棟もあるが、病院は在宅医療への直接的対応は出来ない。
●日常的には法人内組織、地域の医療機関と共同して在宅医療を支援するが、急性増悪の際の医療は病院で担当する。
●一医療機関、一法人の対応には限界がある。行政には種々発言していきたい。

(3)
セカンドオピニオン、医療情報の提供などについてやっていること。
●個人的には重大な病気で受診した患者には病状が判明した際に治療医療機関の選択の機会を与える。
●患者さん本人との対話を重視し、患者さんの選択を尊重する。その際のお手伝いをする。
セカンドオピニオンの申し出については喜んで対応する。患者・医療者側共により満足出来る状況となる。デメリットはない。
●セカンドオピニオンの申し出は遠慮無く。その対応によって医師としての考え方を知ることが出来る。

(4)フロアから質問。中通総合病院の有料駐車場は何とかならないか?
●病院が患者さん方に提供している駐車場の殆どは借地であってその経費は膨大であり、大変な負担となっている。
●病院の運営上無料化は不可能であるが、患者さん方の負担を軽減する努力は今後も続けていく。
●駐車料金を負担いただいた患者さんから満足・納得いただける良い医療を提供していきたい。


11/26(土)曇、 研修医と面談  創立50周年記念シンポ+記念式典+祝賀パーティ+激しい腰痛発来   長女・長男車陸送 
1:30起床、ドック判定総括x1。退院総括予稿x1.何時もと同じパターン。5:20病院着、6:20回診。入院事務処理、10:00研修医一名と面談。11:00本日の祝賀会出席の元神経内科科長訪室あり。祝賀会挨拶原稿検討。15:30-17:10シンポジウム「私たちの医療の課題と進むべき方向」。17:30-18:20記念式典。18:30-20:30記念式典    。終了間際から激しい左座骨神経痛様疼痛あり。Taxiにて21:30何とか帰宅、立位坐位とも保持苦痛。21:45就寝す.

中通総合病院創立50周年記念「健康フェスティバル」(2) 
 公開シンポジウム「患者さんと医療機関・行政との良い関係」(1)
 昭和30年、中通診療所として発足した中通総合病院は、今年創立50周年を迎えた。11月26日が記念式典などの諸行事日であるが、11月25日秋田拠点センター「アルヴェ」2F多目的ホールにて市民、患者さんを対象に「健康フェスティバル」が催した。

 「健康フェスティバル」午後の部は14:00-15:50までは公開シンポジウム「患者さんと医療機関・行政との良い関係」の企画である。会場に入りきれないほどの参加者があり、急遽椅子を搬入したが、それでも立ち見の方も数10名はおられた。私の予想の数倍もの参加者で大盛況・大成功であった。患者さん、市民はこういう対話集会を望んでいるのだろう。

 出席者はコ・オーディネーターとして丸野内胡桃氏(秋田パートナ?ップ理事長)、高杉静子氏(患者さん代表)、松葉谷温子氏(秋田市助役)寺田俊夫氏(秋田県医師会長)と私(中通総合病院院長)。
 先ず患者さん代表から提起された論点は以下の如くであった。
(1)患者として受診したときすでに気後れして怯んでしまい、言いたいことも言えない状況になる。その結果、コミュニケーションが不十分なまま終わる。この気持を医療機関は察して欲しい。
(2)行政は社会資源の存在、利用の仕方について、充分に後方やアピールを行い、制度や問題点を市民と共通のものにして欲しい。
(3)医療機関や医師会には患者側の思いを医師養成、日常診療の段階からバックアップして欲しいし、行政には具体的施策や助成制度等でバックアップ願いたい。

 それを受けて、コ・オーディネーターから私に振られた論点は
(1)患者さんと医療機関との良い関係を築くためにやっていること、
(2)在宅の患者さんをどの様に支えているのか、
(3)セカンドオピニオン、医療情報の提供などについてやっていること。
 会場から私宛に中通総合病院の有料駐車場は何とかならないか、と言う質問があった。(続く)


11/24(木)曇  県個人情報保護審査会  療養病棟診療部会  
0:00起床、ドック判定・総括、紹介状等.総括、退院関連書類処理など多数処理。5:20病院着、6:20回診、不調患者増加傾向あり。9:00-13:50外来、混雑。15:00-17:20県個人情報保護審査会、17:30-18:00療養病棟診療部会に遅れて参加。20:50帰宅。21:30就寝。早起きして時間は豊かだったが、会議の間は睡魔との闘いが辛かった。

倫理観を喪失したプロほど恐ろしいものはない  
姉歯一級建築士問題
 建築関係の分野で驚くべき犯罪行為が明らかになり社会を驚かせている。千葉県市川市の姉歯秀次1級建築士(48)はこの数年間、建築物の耐震強度を偽造し続けていたもの。マンションやホテルなど、正規の強度の30-50%しかない建物もあり、自然倒壊こそ無いものの震度5-6の地震では倒壊の恐れがあるという。彼は大型建築物21棟に偽造を認め、完成済みの14棟のうち13棟は強度の点から危険で、建て替えが必要だとのこと。
 偽造件数については彼は21棟以外については記憶にないと言うが、調べれば解ること。彼の建築事務所が関与した物件は22都道府県で194件だというから現在発覚しているのは氷山の一角なのかも知れない。
 基本は建築依頼主からの無理なコストダウン要求にあるだろうが、これは彼の建築事務所だけでは成り立ち得ない組織的犯罪行為なのだろうと思う。何れ、それほどの時間を要さずにこれらの関係は明らかになっていく。

 建築会社からの発注から始まり、設計士、設計図、強度計算書、建築認可業務担当者、建築現場関係者、建造物使用許可認定者と、多くのプロが関連し各段階で異常の発見が出来ているハズなのに、どこからもチェックされていなかったなんて、とても信じがたいことである。しかも、数%程度ならいざ知らず、30-50%の強度しかない設計はその道のプロが見たら一見して解るのでは無かろうか。建築の現場の技術者、技師達は何も感じなかったのであろうか?

 建築の分野については私は何も知らないが、黒いものが渦巻く業界、との評価を耳にすることは少なくない。それにしても、何でこんな事が生じ得るのか、と疑問符ばかりである。
 国交省は姉歯建築士の免許取り消しを前提に聴聞会も開くとしているが、一番の問題、発端は姉歯建築士にあるとしても、彼の不正を一切見抜けなかったと言う重大な過程を見ると、その温床は国交省自身の甘さにあるのではないか?私の印象である。
 何れの分野でも同じであるが、
倫理観を喪失したプロほど恐ろしいものはない。プロには大きな権利が与えられていると共に義務も当然多いはずである。それ以上にプロに期待されるのは強固な倫理観なのだ。

 医療の分野でも同じである。建築業界のこと、他山の石なのだ、と言ってはいられないのだ。


11/23(水)勤労感謝の日 曇り 病棟拘束
3:00起床。ドック総括x1、入院患者カルテ書き。50周年記念祝賀会関連準備、その他Vnなど。13:30病院、回診。紹介状など。16:30鎌田内科循環器科クリニックへ。津軽三味線とのduo練習。18:00帰宅、19:00夕食。20:00就寝。勤労感謝の日は若干の余裕はあったものの何時もと同じく勤労に励む日であった。

いのちの日記 神の前に、神とともに、神なしに生きる 柳澤 桂子 (著)

いのちの日記 神の前に、神とともに、神なしに生きる

小学館  2005年10月発行    1,200円(税込)

 家内が入院したことを徒然で知ったある患者さんから、家内に、といただいた本。
 著者の柳沢氏に関しては1年ほど前にNHKラジオ深夜便、4:00am「こころの時代」にて「病気になって考えたこと」と題するインタビュー番組を聴き、興味を覚えていた私は家内に渡す前に、一気に読み切った。

 生命科学者柳澤桂子氏は30年余に及ぶ原因不明の疼痛を伴う病苦と孤独のなかで、3回の開腹手術を受け、それでも改善せずについには尊厳死さえも決意した方。最終的には信仰にすがるまで追いつめられたが、彼女は既存の宗教には満足出来ず、独学で般若心経の新解釈をうち立て、救済される。これはベストセラーとなった「生きて死ぬ智慧」として出版されている。

 この「いのちの日記」は日記形式による36年間の記録。ひとは人生の苦からどの様に救われるのか?その命題について絶望の淵をさまよいつつ、いのちの意味を究めつづけ、一人の科学者が到達しえた過程を綴ったもの。迷える人にとって、恐らく魂の救済の道標となりうる書の一つと言えるだろう。
 
 私は先ず、「はじめに」の章の最初の言葉に衝撃を受けた。ここには「思えば35年以上に及ぶ病の歳月になる。その間の苦しみは、絶え間のない病そのものとの闘いのためもあったが、それ以上に医師や周囲の人々の言葉によってもたらされた印象が強い。私は頼るものもなく、孤独であった。」と、ある。

 原因不明の、症状の強い患者の治療に当たる医師は、真摯に対応すればするほど患者と同じような厳しい心理状況に追いつめられる。とりわけ、患者が科学者である場合などは主治医は実に大変だったのだろうと思う。そういう状況では患者との対話の中に医師の人間性がモロにでてくるものである。著者は患者の立場でそれを敏感に読みとる。病そのもの以上に医師の言葉によって傷を負う。その繰り返しである。その過程が随所に鋭く記述され、私自身読みながらいたく傷を負った。彼女は医師だけでなく家族の言葉からも小さいながら傷を負う。家族と言葉と医師の言葉は、しかしながら、質的には異なる。当然であるが、医師に対する評価は厳しい。

 今回、この本を読み切ってから録音して置いた彼女の番組を再度聞き直してみた。その中には医師に対する厳しい評価、批判は聴くことが出来なかった。放送というメディアを介した話とこの著作との間の乖離は何なのだ?これがNHK的編集の結果でなければ良いのだが、とも思った。


11/22(火)曇・雨  法人常務会本部  県医師会顧問会議  The Yamamoto Band練習     医局MC(欠)療養病棟送別会(欠)  2:00起床。ドック判定総括x1。紹介状、徒然。その他。5:20病院着。6:15回診他。書類書き。9:00-14:10外来、混雑+ドック結果説明x2。14:30-16:30法人常務会、18:00-19:45県医師会顧問会議、20:00-22:00The Yamamoto Band練習、ジョイナスで。22:30帰宅、22:45就寝。種々の会合で時間に追われる。医局MC、療養病棟送別会は出席出来ず残念。

秋田市管弦楽団第39回定期演奏会「第九」(2)
 夢うつつの中の「魔笛序曲」、この曲は結構難しいのだと思う。弦も細かい動きが必要だし、珍しくトロンボーンも入っている管は全休奏の後でフォルテで入るソロを頻回に受け持たなければならない。心理描写のためか、せわしない音の動きをずっと続ける弦は演奏がハード。矢張り、「第九」の方中心になっただろうから練習不足だね・・と、私はずっと夢の中。

 「第九」、始める前まで随分時間がかかったようだ。やがて一楽章、二楽章と演奏が続く。魔笛と同じく夢うつつの中で聴く。なかなか良い。時々管は音を外すし、弦も苦労している。この曲はどちらかと言えば単純な主旋律の陰で複雑な動きがあって演奏は困難なのだ。でもそんなことはどうでも良い。この名曲を聴きながら微睡んで入れる幸せ、最高だ。オーディオとかでは絶対に得られない至福の時である。

 やがて、二楽章終了、拍手と共に4人のソリストの登場であろう。ここで私はやっと目を開けた。初めて今日のオケを見た。Vcのトップ、Vnの席に数人見知った方が座っている。合唱団は既に着席している。矢張り何人かの知人の顔が見えた。指揮者は痩身で姿よし。

 三楽章は混沌・混迷の曲。指揮者の指示は身振り美しく明確であって、これなら演奏しやすいだろうと思った。なかなか良い演奏。四楽章、最初のティンパニーの強演奏部分で鳥肌が立った。何度も何度も、である。何度か繰り返される回想の旋律を聴きつつ、私はこの一年間を回想していた。公私共々随分いろんな事があった。やがてバリトン、合唱、二重唱、四重唱、合唱・・・鳥肌が忙しい。4人のソリスト達の声、合唱団の声、人の声は何と素晴らしい楽器なのだろうか、心に直接響き、しみ通ってくる。最後の四重唱、ソプラノは見事に締めくくった。その後のオケの部分、シンバル、トライアングル、大太鼓の音がかすかにブレンドされ、絶妙のバランスであった。 壮大な盛り上がり出迎えたフィナーレ、わが国で何故年末に第九なのか?今回も納得、「歓喜」が骨身にしみた。

 トライアングルを受け持った高校生?実際に演奏に参加するのは僅か5分程度だろうが、それ以外の時間、姿勢良く微動だにせず椅子に座っていたのが印象的であった。 秋田版「第九」、次ぎに聴けるのは何時なのか、と思いつつ会場を後にしたが、みぞれの中、半袖のサマーセーターだけで病院まで歩いた私に「寒気」も同様に骨身にしみたね。


11/21(月)快晴  管理会議  医師面談  長副会議    医師会医事紛争委員会(欠)     
1:30起床。ドック判定総括x1、紹介状返事等処理。徒然。5:15病院着、6:30回診。8:00管理会議、9:00-14:50外来。療養病棟患者不調。16:00麻酔科医と面談、療養病棟判定会議対象患者無し。17:00-19:30長副会議。20:50帰宅、夕食、21:30就寝。

秋田市管弦楽団第39回定期演奏会「第九」(1)
 10年数年以上、20年近くも続けてきた梅林園でのFF tennis、我が家夫婦揃って体調不良で継続不能となり今年は9月下旬で終了とした。唯一貴重な運動の機会が無くなりとても残念であるが、日曜日は若干時間配分に余裕が出来た。
 たまたま11月20日午後に県民会館で秋田市管弦楽団第39回定期演奏会が開催されることを知った。曲は何と「第九」。
 開演ギリギリに当日券で入場したが、ほぼ満席。最前列近くに一端座ったがこの曲では辛い。後方の最も左手の席を何とか見つける事が出来、移動した。

 秋田市管弦楽団は1968年に結成されたアマテュアオケ。私も今まで10回ほどは聴いている。記録を見ると今まで7回「第九」を演奏しているようだ。私は多分、その内2回は聴いた様な気がするが、記憶がごっちゃになっていて良く覚えていない。

 今回の演奏者は、指揮は江上孝則氏、合唱指揮は川口洋一郎氏、ソプラノは長谷川留美子氏、アルト野尻弘子氏、テノール中鉢 聡氏、バスは山本 亮氏。合唱は15団体及び個人参加の130名。江上氏は中央で活躍するプロ指揮者であるが最近は秋田市管弦楽団との協演が頻回になっている。ソリストの方々、合唱指揮者は何れも秋田県出身とか、教育関係者だったりと秋田県と縁の深い方々。
 オケのメンバーは、特に弦は随分若返ったように思う。一方、合唱団は三世代ほど平均年齢が上か。

 着席と共に私は椅子にもたれて直ぐに微睡み始めた。拍手があって演奏はモーツアルト「魔笛序曲」から始まった。薄れた意識の中で名曲が快く奏でられる。私はいつものごとく夢うつつの中、しばらくの間至福の時間を過ごす事が出来た。 


11/20(日)曇・霙・寒波  病棟拘束 秋田市管弦楽団「第九」演奏会
2:00起床、眠い。ドック判定総括x1。再検査結果報告、紹介状。5:20-6:20坐位で微睡む、午前中もトロトロと書類整理、新聞チェック、多少Vc等。14:00-15:45秋田市管弦楽団定期演奏会「第九」を聴き堪能。16:00-19:30病院で書類処理。20:00夕食、21:00就寝.

自伝 次男の誕生と住宅の購入
 住宅の購入を真面目に検討しつつあった頃、昭和54年1月に次男が誕生し、我が家は5人家族となり、賄いの石井さん母娘を併せると8人家族となった。さすがに一般的サイズの組合病院の社宅はさすがに手狭になったために急ぎ決断した。
 土地は既に知人を介した紹介があって、古い住宅込みで昭和48年頃に購入してあったので住宅を撤去してそこを利用することとした。250坪程度の広さがあったが、農家の旧村落内で道路が細く長い。更に行き止まりの場所であって宅地としては必ずしも良い条件ではなかったが、私は新興住宅地の様な区画の場所は好まず、一定以上の広さは欲しいと考えていたのでそう深くは考えずに購入して置いた。

 昭和50年ほど前に家内の姉がその土地の一角に住宅を建てて既に住み始めていたが、そのために私どもが別の一角に住宅を建てるには問題点が多少 存在した。この土地への2軒目の新築は、改正された?消防法上の問題から認められない可能性があること、水道管が2軒の家をまかなうのには細すぎたと言うことであった。前者は担当してくれたミサワホームの営業マンが何とか解決してくれ、後者は数10mの式設工事を行うことで解決するなどで乗り切ったが、水道工事に250万円ほど余分な経費がかかった上、市の検査を通る迄は違法建築としてチェックされるのではないかと心安らかではなかった。
 法とかに疎いと言うことはいろいろ問題を抱える可能性があることを体験しただけでも無いよりは良かったと言うべきであろう。


11/19(土)晴れ 県医師会電話相談
2:00起床、ドック判定総括x1。紹介状2部.5:30Taxi病院着。6:10回診他、書類処理。10:00-13:30県医師会館にて電話相談。10名担当、 対応。14:00-18:00病院、主治医意見書他。18:30帰宅、夕食、Vn、20:30就寝。

兼好法師が友達にしたくない、と言って挙げた七タイプの人
 コラムニストの秋庭道博氏が秋田さきがけ新聞に連載している「今日の言葉」というコラムがある。一昨日は鎌倉時代末期の歌人・随筆家の吉田兼好が「徒然草」の中で友達にしたくない七つのタイプの人をあげている、と紹介していた。とても参考になるが、何かちょっと変でもある。

 兼好法師は以下の順に列挙している、と言う。
(1)「身分高く、おそれ多き人」(2)「若き人」(3)「病気などしない頑強な人」(4)「酒好き」(5)「剛勇で勢いこんでいる武士」(6)「嘘つき」(7)「欲が深い人」。
 法師は、嘘つきや強欲な人は論外だし、勇まし過ぎたり、すべてに直線的で、もののあわれなどを解さない様な人は嫌いだ、と言っているのだろう。友人としては確かに選びたくないが、ここに挙げたような人を果たして友人として持つだろうか?こんな人達とは始めから友人として付き合う必要などない。まさか、自由人兼行がつき合いを強制されていたわけではあるまいに。何故わざわざこんなに挙げなければならなかったのか、と思ってしまう。単なる随筆上の作文か?
 ただ、知人としては持つ方が良いのではないかと私は思う。反面教師として、知人の範囲ではその存在は貴重で、居ないよりは良い。嫌なら会わなければ良い。

 ところが、職場の同僚としては、そう極端な人はいないが、大なり小なりどのタイプかに分類されるような人間ばかり、と言い得る。自分の好みとはかけ離れた人物でも業務上では連日付き合わなければならないし、顔を合わせなければならない。これは辛いことでもあるが何とか納得しながら付き合う必要がある。私は自分にない資質を持った同僚の存在は寧ろ貴重、と考えたいが。


11/18(金)雨  患者面談 QP食品籠谷氏来訪 市町村職員互助会講演県健康対策課員来訪 市医師会地域別斑協議会
2:00起床、ドック総括x1.総括、紹介状、徒然。5:15病院着。6:20回診他、講演準備、11:00クレーム患者急遽面談希望で来訪、対応する。13:00QP食品籠谷氏来訪面談、14:30-16:00Viewにて市町村職員互助会関連講演、16:30新型インフルエンザウイルス関連で秋田県健康福祉部健康対策課員来訪、18:30市医師会地域別斑協議会へ出席。秋田印刷新工場落成記念・パーティは招待あったが欠席とした。21:00帰宅。21:30就寝.面談、講演、会議など細切れ時間に追われた一日。

また、ものを捨て始めた(3)パソコン4台、CRT3台を廃棄
 私は古いパソコンを数多く、10台ほど使用して各々の機能に併せて業務を分担させ、上手く組み合わせて能率的に利用していたが、環境が変わったためにこの数ヶ月間にデスクトップ型パソコン2台、パワーブック2台、大型ブラウン管タイプのCRTを3台廃棄処分にした。
    環境の変化というのは第一はマックのOSが10.0Xになったこと、もう一つは部屋が寧ろ狭くなったこと、更に挙げれば電力消費への配慮である。

 マックのOSは9.2以前と10.0以降とは全く別物と言っていい。限られた環境の中では前者でも充分であるが、最近のソフトをスピーディに処理するには後者のOSが必要であり、それを動かすためにはより高機能のハードも必要である。だから、まだ動かないわけではないが機能的に後れをとったパソコン4台を廃棄した。パワーブックはいつもの如く自分の手でパーツにまで分解した上で処分した。これでOS9.2以前機種が7台、10.0以降機種が2台となった。

 9月に院長室に引っ越ししたが、6割り程度を会議のスペース用にしたので自分のスペースはとても狭くなった。それまでは19インチ1台、17インチのCRTを2台用いていたがどう積み上げてもセッティング不可であり、危険なので、残念ながら廃棄処分とし、代わりに19、17、15インチのTFT液晶ディスプレイを購入した。これでスペースが確保できただけでなく、今までは自分がCRTの前に動いて仕事をする必要があったが今ではディスプレイを都合良く引き寄せてそのままの位置で3台並べて仕事が出来る様になった。
 更に、消費電力を計算してみるとCRT3台で600WからTFT3台120Wへ減少した。

 まだ機能が遺っている機種を処分するには大きな決断と出費が必要であったが、スペース、機能、消費電力の3つが揃った今、止むなしと納得している。


11/17(木)晴 県医師会選挙管理委員会     秋田市医師会立訪看10周年祝賀会
   1:30起床。ドック判定総括x1。徒然ほか.5:15出勤、監査用カルテ整理ほか。6:20回診他。9:00-14:00外来.主治医意見書、総括他作成。17:30-19:00県医師会選挙管理委員会。会長直接選挙関連の準備作業はほぼ終了。19:20-20:30三井アーバンホテルでの秋田市医師会立訪看10周年祝賀会に出席、途中退席。病院にて業務、21:50帰宅、22:30就寝。

また、ものを捨て始めた(2)ヤマハXV-250ビラーゴ(1990年式)
 幼少の時は見るだけ触るだけであったが、小学高学年頃からは敷地内でバイクに乗るなど125-250ccのバイクに親しんでいた。大学の頃は90ccのホンダスーパーカブを使用。

 子供達も高学年になり、家族同士で車で移動する機会が減ってきたのでバイクの方が合理的で利便性も高い。中年ライダーとして再出発した私にとっての最初のバイクがこのヤマハビラーゴXV-250。アメリカンタイプでエンジンはV-ツインとミニハーレー的。軽快な操縦性能と、とても楽な乗車姿勢は街乗り用としてはまずまずのバイク。大曲中通病院への3ヶ月間の短期赴任時には秋田-大曲間の片道60Kmの通勤にも活躍してくれたが、一年半後には本物のハーレーに主座を譲った。ハーレーはとり回しにも苦労するので乗る気にもならない時もある。そんなときはビラーゴ。セカンドバイクとして5-6年は利用していたが、その後は長男が主に使用していた。

 今回、60歳を迎えて再度始めた身辺整理の一環として、15年間乗ったバイクも思い切って手放す決意をした。その理由は、息子も車中心になってバイクに乗らなくなったこと、今夏キャブレターの不調を生じ修理が必要になっていたこと、バイクとはいえ2台では結構場所をとる、などが主な理由である。 故障は何度かあったが、今まで幸いにも事故も転倒も無かった。買ったその日、20年ぶりにハンドルを握った時の怖さと感激は今でも鮮明である。

 トラックに積み込まれて我が家から消えたとき、何故かすっきりした。最も危険な乗り物の一つであると認識しているバイク、私はとても好きであるが、どうしても割り切れないものが心の中にある。それが一台我が家から姿が消えたことで、私の気持ちに一区切りになった。院長を引き受けてからは責任上バイクには乗り難くなり、今は全く乗っていない。次ぎは、ハーレーを処分することになろうが、その時にはたしてどんな気持ちになるだろうか。


11/16(水)晴 療養病棟お楽しみ会     朝日新聞記者来訪取材     県医常任理事会        
2:00起床,朝はめっきり寒くなった。半袖通勤は止め、ウインドブレーカー着用。ドック判定総括x1. 書類処理、5:15病院着。6:20回診他病棟業務、9:00-13:30外来。13:45-14:10療養病棟お楽しみ会。16:00-17:00朝日新聞記者来訪、新型インフルエンザ関係。17:30-20:00県医師会常任理事会。22:30帰宅。21;00就寝.

また、ものを捨て始めた(1)先ず、スクーター
 基本的には、モノを捨てれない性格で何でもとっておく。私は古いものを修理して使う、あるいは目的外のモノに転用することが好きだ。古いものは良い。自分で改良・改悪したのは更に良い。それに纏わるエピソード、思い出などがいろいろ付随しているから。
 私の周辺の物品のうち、大部分は私以外にとって無用の長物になると解っているだけ、捨てることが私にとって課題の一つになっている。小型の道具類、物品は自分でばらしてパーツ化してから処分するが、大型のものになると業者にお願いするしかないが、これはちょっと寂しい。
 今回、ついにバイクの廃棄に手をつけた。50ccのミニスクーター、250ccのヤマハビラーゴを購入した販売店を通じて先日の日曜日に処分した。店では検討の上商品価値があれば再生して販売します、と言って運んでいったが昨日?全く駄目で廃棄処分にしますと連絡が来た。これは予想の範囲。だから後ほど運搬費用、廃棄処分費用がかなり請求されることになるだろう。
 これらバイクにまつわる思い出はやはり風を受けながら体験した気分の良さ、風景などであるが、一方ではゾッとするような忘れられないような体験である。

 ミニスクーターは15年ほど前のホンダタクトという製品で、10年ほど前同僚から譲り受けたもの。病院に置いて医師会など市内のチョイ乗りに使用していたが、数年前から自転車を用いるようになってからは自転車置き場にずっと鎮座し、私の通勤を毎日見守っていてくれていた。 ミニスクーターは町中をスイスイと走っているが、より大型のバイクを好む私にとってはむしろ取り扱いが難しく、走るにも何か不自由さを感じていた。結局あまり上手には扱えないままに終わってしまった。

 本当は自分でバラシてバイクとしての終焉を迎えさせたいのだけれども今はその余裕が無く諦めた。運ばれていった後、ちょっと気分的に落ちこんだが、数日たった今はむしろすっきりしている。


11/15(火)晴 車椅子贈呈式 法人常務会 医局カンファ:麻酔科「術前検査」     
   
1:30起床,ドック判定総括x1. 書類処理、5:15病院着.6:20回診、定期処方他、9:00-14:00外来。秋田印刷から車椅子贈呈あり。法人常務会、17:30-18:45医局カンファ「術前検査」。秋田市内科の会「皮膚病」は出席できず。22:50帰宅。21;30就寝.

「後期研修医が戻ってくる」という大学の発想(2)感想
 果たして初期研修医は大学を戻る場所として認識しているであろうか。私には疑問に思える。ただ、私はそんなに広く判断材料をもっているわけではない。私の推論である。
 医師を目指して大学に入学した頃、また、卒業の頃まで、学生達の多くは良い臨床医になろうと夢を持っている。多くは漠然と、特に専門分野をイメージせずとも、目標は良き臨床医である。このことは、まず第一に自分がそうであったこと、多くの同僚もそう語っていたし、現に多くの同僚はそんな道に進んでいる。
 その後、一時期、若い医師達に専門医志向が異様に高まった、と感じられた時期、10年ほど前頃であろうか、もあるが、最近は再度良き臨床医志向になってきているように思う。

 私の当時と今は時代が違うことは認識している。最近の学生達にふれる機会は私にとってそう多いものではないが、病院に夏期・冬季・春期休暇を利用して1-2週実習に来る各大学の学生達、地域包括医療学習の時間で当院に2週間ほど実習に来る秋田大学の学生達、マッチングの際に提出される自由記載文などが判断材料であり、当院で学んでいる研修医達の考え方を聞いても多くがそうである。
 殆どの若手医師は何れは何らかの分野を決めて、認定医、専門医をとって地域の病院や診療所の臨床医として働く道を志向しているようである。彼らの近将来の勉学の場のイメージはガンセンターとかの先進的な医療機関であり、そこでの機能的な研修コースである。彼らには大学の医局にどっぷり浸かるような旧態依然の姿の中での研究・勉学は殆ど考えていない。

 秋田大学にせよ新潟大学にせよ、若手医師にとって「勉学の場としての機能」は充分なのだと思う。それでありながら何の要因で研修・勉学の場の選択肢の末端にしか位置づけされていないのか、大学では分析し、自ら変容しなければならないのだ、と思う。これは若手医師に対する迎合とは違う、時代が求める変容なのだと思う。
 
 大学が変容することなく「卒業生が初期研修を終えればいずれ戻ってくる」と言う発想でじっと待っているだけでは、恐らく厳しい結果になるのではなかろうか。初期研修医に積極的に秋田大学の魅力をアピールするという攻めの姿勢、対策はとっているのであろうか。この前の関連病因協議会で、私は感じ取ることは出来なかった。
 秋田においては秋田大学のもっている能力・機能は大変なものである。秋田の医療は秋田大学の発展を抜きには語れない。だから、秋田大学に有能な人材が沢山集まることは秋田県の医療にとってとても大事なこと。だからこそ、である。


11/14(月)曇り 管理会議     療養入棟判定会議    長副会議        
1:30起床、ドック判定総括x1、徒然、その他。5:20病院着。6:15回診他。書類書き、8:00管理会議。9:00-14:30外来、何故か混雑。11:00県立看護学院学院長来訪、あと数日で当院が実習病院としての使命を終えることになったことについて挨拶に見えられた。14:00秋大病診連携担当の諸先生方来訪、外来終了せず同席できず残念。16:00療養入棟判定会議、17:00-19:30長副会議、懸案事項多数。21:15i帰宅、夕食、22;00就寝。

「後期研修医が戻ってくる」という大学の発想は疑問(1)
 東北大学、新潟大学の関連病院会議に私は3年ほど前から、秋田大学関連病院会議には今年から参加している。
 新臨床研修発足は3年目を迎えようとしているが、当初の各大学の困惑はそれなりに落ち着き、初期研修に関しては一種の諦めムードが漂っている様に見える。
 まもなく初期臨床研修医が2年間の義務期間を終える時期を迎えていることから、最近はいわゆる後期臨床研修を大学で、と言う話題が中心になってきている。

 東北大学はもともと卒直後の研修は大学以外で行うシステムをとっていたからこの制度が発足してもそれほど大きな影響を受けておらず、比較的静かに受け止めていたようであったが、卒直後の入局が当たり前であった新潟大学、秋田大学では期待していた何分の一かの研修医しか集まらず大きな打撃を受けた。

 大学にとっては初期臨床研修制度は「正しくない制度」ととらえているようである。昨年までの関連病院協議会では、医師のライフサイクルの中で大学での初期研修が如何に有用であり大事であるかをあの手この手で宣伝し、強調していた。大学人の立場では当然そう言わなければならないだろうが、地域医療にとって如何に良い医師を育てるのかという視点では、私は必ずしも大学での研究、研修活動がベストとは思っていない。それ以上に、初期臨床研修に関しては大学のシステムは殆ど価値がない、寧ろ大学は初期臨床研修医を引き受けるべきでない、とすら思っている方である。

 先般の秋田、新潟大学の会では代表者からは「より多くの卒業生が大学に戻ってきて欲しい」と強調されていたが、「戻ってくる」という言葉を頻回に用いるその発想の陰には、旧態依然とした医師育成の考え方が見え隠れする。

 大学人の一部からは初期臨床研修制度は良くない制度だからやめるべきだという意見が聞こえてくる。私は初期臨床研修制度の修了者が出てくる様になったら大学は初期臨床研修から手を引き、後期研修制度に特化すべきだ、と考えている。実際それでも退学の立場は厳しいだろうと思っている。


11/13(日)雨 病棟拘束 バイク・レガしーワゴンなど処分 Duo練習  
2:45起床.ドック判定総括x1。総括、病棟から連絡は数件。10:00-11:30病院にて業務。50ccミニスクーター、250ccバイク、レガしーワゴンが本日引き取られていった。13:00-14:00午睡、14:30-16:30病院で業務。17:00-18:30病棟お楽しみ会飛び入り用練習。夕食、20:45就寝。

自伝 膀胱尿管逆流現象体験と母の死を機会に住宅を購入する決心
 ちょうどこの頃母が死去した。母は肝・腎に嚢胞性疾患があることは諸検査にて予め知ってはいたが、病理解剖にて諸臓器に及ぶ、予想以上の激しい嚢胞性変化を見て私は衝撃を受けた。濃厚に遺伝するタイプの様に思えたからである。更にこの時期、我が身に生じた膀胱尿管逆流現象である。これも同様に自分にとって衝撃的な出来事であった。

 それまでは先のことなどもロクに考えず比較的自由に、気ままな考えで過ごしていたが、この先自分がどうなるか解らないから家族達のために生活の基盤を固めなければなるまいと心を変えた。その時決心したのが住宅の購入である。
 この背景には賄いの石井さん家族3人との同居で住居が手狭になっていたこと、我が家の4人にまもなく更に子供が一人増える予定にあったこと、盛岡で母の死後頑なに独り暮らししている老父を何れは私が引きとらなければならくなるだろう、と言う事情なども背景になっている。

 家内を始め、家族達は私の急な心変わりを何と感じたか解らないが、もともと悪くはない選択であり、賛同してくれた。いろいろ理由は説明したが、自身の体調の変化についは誰にも話さなかった。このことはこの徒然に記載する今日に至るまで誰にも話していなかった。

 何故、自宅の建設でなく、購入を考えたかのかというといろいろ理由はあるが、第一の理由は考えるのが面倒だったと言うことに尽きる。だから私は既製品、すなわちプレバブ住宅の購入の方向で検討を進めた。住宅はある程度以上の広さがあれば、あとは機能的に住めればいい、と割り切った。当時プレハブ住宅は大型のもないわけではなかったが概して小作りで、坪当たりの単価も注文住宅よりはずっと高額であった。その中では49坪タイプの製品が見つかり、サイズ的には過不足無いだろうと考えて購入を決めた。実際には台所の一部、居室の一部を増築したので54坪ほどになった。


11/12(土)曇 病棟拘束 看護師研修会(欠)
2:00起床、ドック判定総括x1、総括・紹介状x1。5:40病院着、事務的処理、6:30回診他、9:00ドック結果説明x2。病棟患者不調で看護師研修会は欠席。机上のカルテの山、書類の山崩しにかかる。18:30までかなり処理。19:00帰宅、夕食、Vn等若干、
20:30就寝.

書評    日本とドイツ 二つの戦後思想    光文社新書
仲正 昌樹 (著)

日本とドイツ 二つの戦後思想

ここ20年ほど、中国、韓国から、最近では北朝鮮からも機会ある事に日本は過去の諸問題について謝罪していない、謝罪せよ、と迫られている。国と国との関係に於いては既にキチンと処理されているはずなのに、いつまでもこの様なことを要求されるのは何故かと思う。少なくとも政府間同士で話題にすべきことでは無いレベルで解決されていたはずである。
 私には、各国の政府が、自国の内政のために対国民対策として民族意識高揚のために利用しているように見える。対日政策として常にこの立場を維持していく必要があるのだろう。一方、同じ敗戦国であるドイツの場合、周辺国との間でその様な感情的もつれが続いていると言うような動きは新聞等から得る範囲では殆ど伝わってこない。
 この違いは何なのか?と常に考えていたが、それに関する読みやすい新書版の文献が見つかった。記述も簡素であり文体も読みやすい。出張の往復の間に集中して読み切る事が出来た。読み進んでみてもそれほど大きな発見があるわけではなかったが、一つの考え方の集大成としての意義は大きい本だと思う。基本的に私は著者の意見に賛成である。私は、わが国では教育の現場にもっと歴史観の育成のための機会を作るべきだと思っている。

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 「ドイツは十分に対応したが日本は不十分だ」と言う意見、「ドイツはナチスに戦争責任を押し付けただけ」などと言う意見に対し著者はどちらも一方的だと言う。著者は同じ敗戦国でありながら、異なった戦後を歩み、異なった思想を持つ両国を比較しながら論旨を展開する。大きな違いは、ドイツはフランスをはじめ周辺国との関係改善を直ちに迫られたが、日本は中国、韓国と約20年間国交が断絶していたために、直接的に問題になる事はなかった、と言うことを挙げている。
 さらに、日本は1952年に連合国と講和条約を結び、各国との間の個別条約で賠償あるいは経済協力を始める。1965年の日韓基本条約、1971年の日中平和条約でそれが終了し、個人補償は相手国政府の責任となり、法的には日本は各国と対等の関係を回復したハズである。だから、今、中国、韓国から日本は謝罪していないと迫られるのは、感情レベルの問題である、言う。さらに、それが常に問題となり、根強く残っているのは、日本ではドイツのように、国にどの程度の責任があるのか、真剣に議論してこなかったからだとも論じている。
 1985年の戦後40周年における西ドイツ・ヴァイツゼッカー大統領の有名な演説は「過去に目を閉ざす者は現在にも盲目となる」と述べている。著者はそれを引用しながら、近隣との関係において、日本には歴史を「心に刻む」努力が求められている、と結んでいる。

光文社新書、2005年7月20日発行 税込777円


11/12(金)雨  秋田大学関連病院協議会   選挙規定最終チェック    法人理事会(欠)     
2:00起床。ドック判定総括x1。紹介状返事、徒然、主治医意見書処理。5:10病院着、6:20回診他.机上処理、10:00療養病棟患者家族面談2件+病棟処置、ジブラルタ時田氏来訪、17:00秋田大学関連病院協議会、17:30法人理事会(欠)18:30県医師会選挙規定最終チェック。病院へ、21:15帰宅、21:45就寝.

蘭州市医療友好交流団来訪(2)私的病院についての話題で盛り上がる・・・
 医療友好交流団に同行した謝教授は約10年ほど前秋田大学や当院で心臓外科を学んだ事があり、日本語は自由に話すことが出来るだけでなく、秋田について知り尽くしているし、当院職員にも知己者が少なくない。今回は通訳もかねての参加である。彼がいることで今回の来訪は始めからうち解けた雰囲気の中で進められた。こんな恵まれた状況で交流出来る機会というのは滅多になかろう。

団長の挨拶は概略以下の如く。
●中通総合病院が蘭州市の医療の発展に寄与して来たことは今でも大きく評価されている。そのために秋田での訪問計画に入れさせていただいた。
●秋田に向かう前に瀬戸名誉院長(中通総合病院在職中に5回訪中、蘭州市では手術も披露)を鎌倉に表敬訪問してきた。
●本日の温かい歓迎を心から感謝する。
●蘭州市の医療は発展しつつあるとは言えどもまだ十分なものとは言えない。機会を得て是非、蘭州市にお出でいただき御指導願いたい。

歓談の中では以下の話題が話された。
●和漢薬と西洋薬は近代的病院では大体半々である。一方、和漢薬専門医療機関も存在している。
●かつては和漢薬は自宅で煎じて服用していたが、最近は製剤になったものも少なくない。
●64列のCT画像には驚いた。是非サンプル画像を戴きたい。
●大規規模病院には大抵はCTはある。謝教授の病院のは東芝製とのこと。
●まだMRIは殆ど普及していない。
●中国では医師は病床数比1:0.6人、看護婦は略2.5;1人である。医師数が多いのに驚くが、業務内容は我が国のとはかなり異なり、若い医師は上級医の補助的業務を担いながら修行している。
●病室は近代的病院では個室か二人部屋である。古いところは8-10人部屋もある。
●中国では大部分が公立病院であるが最近私的病院も出来はじめているが、概して小規模である。
●私的病院と公的病院では医療費は同一なのか?考えられない。それで成り立っていることは驚きである。職員の待遇などはどうなっているのか?
●私的病院で働く意欲や喜びは何なのか?
●・・・・

 約1.5時間、院内を回りながらとテーブルを囲んで、殆ど切れ目なく、種々の話題で歓談出来、時間があっという間に過ぎた。
 私が今回の歓談を通じて驚いたのは、彼らの私的医療機関に対する興味がただ事でなく大きいと言うことであった。私自身があえて私的病院についての話題を出したのは、中国でも私的医療機関が出来はじめたと聞いたことと、このような秋田市とかが介在する視察などでは私的病院などは通常無視されるので、ちょっとわれわれの立場を主張したかったからである。現に、その夜の歓迎レセプションにはわれわれは出席の機会が与えられていない。彼らもそれは残念、と述べていた。

 文化の異なる方々との交流は素晴らしいことではあるが、言葉を選んで話すのは決して楽なことではなかった。短時間ではあったが、十二分に国際交流の役目を果たした、と自己評価している。


11/10(木)雨  3A診療部長・薬剤部長と面談  蘭州市医療友好交流団来訪 NHK「日本のがん医療」取材打ち合わせ        
2:00起床。やや寝不足状態。紹介状2通、徒然。5:10病院着、6:20回診他。9:00-13:50外来、超混雑。15:30-17:00蘭州市医療友好交流団来訪。17:30-19:00NHK「日本のがん医療」打ち合わせ。秋田県造血幹細胞研究会と感染症クライシス講演会は聴講できず。病院にて業務。21:00帰宅.21:30就寝.

蘭州市医療友好交流団来訪(1)院長歓迎挨拶 「熱烈歓迎!!」なんてとても言えないが・・・
 中国甘粛省の中心都市蘭州市と秋田市は20数年前から友好都市関係にある。私は詳細な活動の歴史、実態は殆ど知らないが、この度、蘭州市から医療友好交流団が秋田市を訪れている。本日午後、一行の医師5名が当院を訪れた。
 歓談の際、最初に私が歓迎の挨拶を行った。「熱烈歓迎!!」なんてとても言えなかったが、軟らかい表現で心を込めて挨拶した。
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  ご紹介戴きました院長の福田です。
 中国甘粛省の中心都市である蘭州市から、遠路はるばるやってこられました医療友好使節団の諸先生方を心から歓迎申し上げます。 また、お忙しいスケジュールを割いて、私どもの病院にまで足を運んでいただきましたことに改めて心から感謝申し上げます。
  一昨年のSARS発生を機会に中国の医療事情の一部を知ることは出来ましたが、実際には何も知らないと言うのが正直なところです。 中国ではかつては国立の医療機関が中心であったとのことですが、最近では私的な医療機関も診療しているとも聞いております。日本でも歴史的にみれば、大規模の医療機関は国や県の指導のもとで作られてきており、大部分が公的医療機関です。秋田市には500床規模の病院が大学病院を含めて5病院ありますが、その内の4病院が公的病院です。

 私どもの病院は私的な病院で、設立されてから今年でちょうど50年経過しましたが、秋田県、秋田市における代表的病院の一つとして住民の健康維持、病気の治療のために24時間体制で診療にあたっております。
 私立の医療機関には国立などにはない苦労も在りますが、その一方では患者さん方から暖かく支持されている事を直接実感出来るという大きな喜びもあります。 本日は時間的余裕もそれほどないとは思いますが、私どもの病院のポイントと思われる部門、設備を2、3見ていただきます。後ほどご感想など伺えれば大きな気な喜びです。
 本日の皆様方のご訪問が蘭州市-秋田市の友好を深める事になることは勿論ですが、両国の友好のためにも大きな意義があるものと信じております。 その意味で 改めて、歓迎の気持ちを表したいと思います。
 今日は大変ごくろうさまでした。


11/9(水)秋田雨・東京快晴 日医感染症等危機管理対策担当理事連絡協議会
2:30起床、2:20病院着。退院総括、出張準備。5:20病院、6:00回診他、9:00病院発、10:05JAL A300-600 型機、満席 。羽田混雑で霞ヶ浦上空で15分旋回待機。浜松町書店で新書数冊購入。13:00日医会館着。13:30-16:15日医感染症等危機管理対策担当理事連絡協議会。主にスリランカ津波視察団報告+予防接種法改正に伴う諸問題。18:00JAL MD-90 型機、満席 。21:30帰宅。夕食若干、22:15就寝.

MD-90主翼先端から前方に向けてレーザービームが?
 本日の出張は帰路18:00羽田発、JAL MD-90 型機でいつもの如く満席 。秋田空港でチェックインを済ましたために久々後方の窓際に座った。東京からしばらくは快晴で星や三日月が綺麗であったが、山形上空を過ぎた頃から急に雲が多くなり小刻みの揺れがあった。雲に入るたびに主翼先端から前後方を照らしている光が雲に反射して外が明るくなる。雲の状況に応じて一瞬一瞬光が変化するのでとても綺麗である。

 一方、私は初めて見たのであるが、雲に入るたびに主翼先端から前方に向け細いビームが数本発射されている。完全に平行ではなく各方向に若干角度が付いている。これもとても美しい。これは何だろうかと考えつつしばらく見ていたが、これは前方に向けて視認性を高めるためのレーザービームなのだろう。

 時速900Kmほどで飛ぶ旅客機には当然高性能のレーダーが付いているが、相手機に視認されることも安全確保上重要であることは当然で、より遠方まで光が届くような装備なのだろうと思う。私の推論で正しいか否かは全く解らないが、年間数10回も乗っていて今日初めて気づいた光であるが、いろいろな装備があるものだと感心しているうちに秋田空港に静かに着陸した。
 駐車場に歩く間、寒気が身にしみた。路上の温度計は4度Cであった。


11/8(火)風雨で嵐 城東中学校1年生来訪 法人常務会    医局MC(欠)    医事紛争委員会    21:00The Yamamoto Band                 
1:30起床,ドック判定x1、 紹介状返事x1。5:10病院着.6:10回診他定期処方。9:00-13:15外来、13:15城東中学校1年生5名来訪、臓器移植医療について.14:30-16:00法人常務会。17:30医局MCは欠、18:30-20:15県医師会医事紛争委員会。21:00-22:45The Yamamoto Band。22:50帰宅。23:15就寝.

城東中学校1年生来訪、約一時間対話
 今中学では校外学習として一定の時間を割り当てて自由研究の時間にしているようだ。とても良いことだと思う。しかし、聞くところによるとカリキュラム構成上ではきついために関係者の中では賛否両論だ、という。
 本日、午後、城東中学校1年生の女子生徒5名が来訪し、約一時間院長室は元気の良い女子中学生の黄色い声で満たされた。2週間ほど前、中学から県医師会に臓器移植に関して勉強したいので、協力願いたいとの申し出があり、会長が私を指名した。 このような学習への強力はこれで3回目の経験である。これまでは県医師会の応接室で面談したが、今回は私のスケジュールが詰まっていて移動の時間も惜しいので病院に来ていただいたものである。

 5人はみんなラフな体育着である。引率の担任教師の話では途中で大雨に遭って急遽着替えたためと説明し恐縮していたが、かえって良いじゃないか、と私は思う。挨拶の後、担任は子ども達を残してすぐに学校に戻られた。その方が自発的学習のためには良いのだろう。子ども達は最初は若干緊張気味であったが、すぐうち解けた。みな元気である。

 子ども達からの質問は、以下の如くである。
●諸外国では15歳以下の移植も行われているが、日本では出来ないのはどうしてか?
●日本でも将来15歳以下の子どもも移植を受けることが出来るようになりますか?
●何故アメリカで心臓移植を受けると数千万円もかかるのですか?日本で行われた場合、費用はどうなるのですか?
●臓器移植の祭に必要になる血液はどのようにして集めるのですか?
●脳死と心臓死はどう違うのですか?
●秋田県では移植医療はどの程度行われているのか?
●中通総合病院では臓器移植はやっていますか?

 この質問を並べるてみると、今、秋田県のある子ども、ちょうど今日訪問した中学生と同程度の年齢だろうか、が重い心臓病のためにアメリカで心臓移植を受ける準備をしながら東京で入院生活を送っており、県内を中心に広く募金活動がされているが、このことと濃厚に関連している事は明らかである。
 これらの質問を中心にいろいろ話し合ったが、聞くと、この子達は同年齢の心臓病の子どもが移植を受けようとしていることに深く感じるところがあって、募金活動もしているという。
 だから、移植医療として心臓や肝臓、腎臓だけではなく、角膜、皮膚、骨髄の移植についても話をしたが、後者の方は初耳だと喜んで聞いていた。

 校外学習はいろんな人と会い、会話をするだけでも価値があるのだろうと思う。
 帰る際に私の家族が集めたプルタブ2Lほどと、募金への若干の協力金を持っていってもらった。
 5人のお別れの挨拶はとても素敵であった。
 会議から戻ったら机上に担任からのお礼の伝言が届いていた。


11/7(月)雨 管理会議 患者面談 療養入棟判定会議 長副会議  
1:30起床。ドック判定総括x1、メール返事多数送付.5:15病院着。私の半袖・半ズボン姿にヘッドフォンの通勤姿はさすがに限界。前二者は本日で終了とした。事務処理,6:30回診.8:00-8:50管理会議.9:00-13:30外来、13:30-14:30外来クレーム患者に対応、もの別れで終了。16:00-16:40療養病棟判定会議。17:00-19:20長副会議,20:00帰宅、夕食、20:40就寝。

役にも立たない表彰の記念品、何とかなりませんでしょうか
 一昨年から今年にかけて、私は4回ほど表彰される機会があった。特に何したわけではなくただ組織に長く参加してきたと言うことが理由で頂くという表彰であり、私にとっては意義も興味もあまり感じられない内容である。 

 (1)県医師会勤務会員歴25年の表彰、(2)秋田県環境・保険事業功労者:医療功労者表彰、(3)秋田県医師会功労者表彰、(4)明和会勤続20年表彰、(5)日本医師会優功賞、である。
 このうち(1)(4)(5)は単に、勤務会員として25年、勤続が20年、日本医師会委員会員を10年続けたと言うことで、自動的に表彰規定に合致したもの。(2)は私の何かが秋田県の表彰規定の何らかの項目に合致しただけ、(3)は(2)に伴って県医師会の表彰規定に自動的に合致しただけで受けることになったもの。
 
 表彰状は邪魔にもならないから、まあ良いとして、表彰の記念品は基本的にろくなものがない。県のは記念品は無かったと思う。県医師会のは小型の楯、明和会のは旅行券3万円分だった。このうちでは旅行券3万円がとてもうれしい。病院の出張、学会出張は往々にして赤字になるからその補填に使おう。医師会からの楯はくり抜いて何か別なものに流用した。明和会からの額縁は患者さんが描いた絵を入れて院長室に吊した。

 日本医師会の表彰式には当然欠席したが、一昨日、直径10cmほどの純銀製?の、本当か否か見る目のない私には解らないが目録にはそう書いてある、ずっしり重い三段重ねの杯が厚手の桐の箱に納まっているが送られてきた。私はガックリ来た。私はこんなものを愛でる気は一切無い。多分、日医のやることだもの決して安くは無かろう。何万円相当かな、何と無駄な・・・と思う。どう処分するか、新しい悩みが増えてしまった。

 詳細は省くとして、表彰は表彰する側の論理で進められ、被表彰者の関与する余地がないのが一般的であるが、これはおかしい。あくまでも被表彰者が主役であるべきである。送る側の自己満足では困る。せめて、記念品は被表彰者から選んでもらってはいかがだろうか。私なら迷わず、形に残らない使い切ってしまうもの、旅行券は良いね、を選ぶだろう。
 ちょっと考えていただきたい事項である。


11/6(日)曇→雨 病棟拘束   
2:30起床.昨日からいつものペースに戻る。ドック判定総括x1. HP関連作文、メール返事など多数処理。7:30-10:00病院残務。その後は自宅にてVn、業務、午睡など適宜交互に、かつノンビリ過ごす。17:30離秋の長女を送り病院にて、残務多少、19:30帰宅、夕食、20:30就寝。

自伝  札幌での学会の帰路、機内で膀胱尿管逆流現象を体験(2)
 この時の全身倦怠感はかつて経験したことんが無いほどであって忘れられない。座席に座っていることも辛い感じであった。両側の尿管・腎盂が尿をためる状況になったお陰で、何とか尿意が軽減したために着陸まで尿意を無事耐えることが出来た。秋田空港に着陸し、トイレに飛び込み、排尿した際の開放感、幸せな感じは何とも言えないものがあった。この際にも両側に強烈な腰痛が走ったがこれは排尿のために加圧されたため尿管・腎盂が一時的に更に拡張したためであろう。

 これで緊急の問題としては一段落したのであるが、その後数日間は尿意を我慢していると軽度ながら同様の状態が再現され、同様に倦怠感も生じていた。恐らく機能的に逆流しやすい状況になってしまっていたのであろう。
 泌尿器科を受診すべきか迷ったが徐々に状況は軽減しつつあったので、しばらくは膀胱を過伸展させないよう配慮し、尿意を感じる前に排尿するようにして様子を見ることにした。幸いなことに、それによって逆流を疑わせる腰痛、倦怠感は一週間後頃には軽減し、いつぞや消失し、体調は完全に回復した。

 何でこの様な状況になったのかを考えると、私は幼少の頃から友人達に比較すると尿線が細いようで、排尿時間が長かった様に記憶するし、何故か解らなかったが気にしてはいた。そのために排尿に関しては劣等感があり、いわゆる連れションはとても嫌であった。
  大学の講義の中で排尿に関する部分は関心がひときわ高かった領域であり、熱心に聴き、自分でも求めて勉強したがが、恐らく膀胱頚部硬化症とか、これに近い状況が備わっていたのではないかと自分では考え、納得していた。そのために膀胱尿管逆流現象が生じやすい状況になっていたのではないかと推定している。排尿に関する状況は基本的に現在まで改善も悪化もせずに続いているが、今後加齢と共に変化して行くことであろう。


11/5(土)快晴   病棟拘束  家内退院 
 2:30起床、多少頭痛あり。ドック判定総括x1、退院総括、紹介状作成.徒然、5:30長女と共に病院着。長男帰省、次男は札幌に。9:00ドック説明 x1。総括x2、その他。家内昼頃退院。業務処理、17:00帰宅。Vn、夕食、20:30就寝。

秋田放送TV収録(2) 「新型インフルエンザの対策」は
●今、世界的に鳥インフルエンザが流行しているので、豚の体内等でヒトインフルエンザとの混合ウイルス、すなわち新型インフルエンザウイルスが生じる可能性が高くなっている。
●鳥インフルエンザに感染した鳥は可能な限り処分することは重要である。しかし、東南アジア等では鶏と豚、人が同居したりしている文化があり、徹底は困難。
●新型インフルエンザウイルスの発生の大流行は、過去の3回の流行の時には流行するまで解らなかったが、現在ではウイルスの解析から確実に予測が可能である。
●しかし、人に新型インフルエンザウイルスに対する免疫が無い以上残念ながら大流行を阻止したり、予防することは困難である。
●新型インフルエンザが流行すれば、大体国民の30%くらいが罹患する可能性がある。
●その際の生命予後は新型インフルエンザの病原性の強さに依っているが,発症するまで予測は困難である。
●新型インフルエンザワクチンは流行阻止のためには間に合わない。
●抗ウイルス薬の備蓄は国家レベルで重要で、日本では500万人分備蓄されている。国際的にも備蓄が始まっている。
●学校等の集団の場は蔓延の場になる。休校などの対策が必要になる。---これは公衆衛生の専門家、感染症の専門家等が判断する。
●大流行を防ぐために個人で出来ることは殆どない。ただし、規則正しい生活、手洗い、人混みを避けるなどの基本は重要であることは論を待たない。


11/4(金)曇り→雨、秋田放送収録 医師会打ち合わせ 第三内科によるお祝いの会  
1:30起床、入浴他、2:30病院着。ドック判定総括x1等種々書類、患者関連申請書など。6;15回診、カルテ総括、紹介状など作成。13:00-13:30秋田放送収録「新型インフルエンザとは」。14:00ドック診察x5。病棟患者処置。15:00医師会打ち合わせは。18:30-22:15Castles秋大第三内科によるお祝い会+二次会。22:30帰宅、20:30就寝。

秋田放送TV収録(1) 「新型インフルエンザ」とは何か
 11/4夕方の秋田放送のニュース番組で「新型インフルエンザ」について取り上げると言うことで昼に収録した。内容的には「新型インフルエンザとは何か?」「新型インフルエンザ対策は?」と言う2点であったが、以下の如く述べた。

●まず、風邪などを始めとする感染症に滅多にかからず、かかっても回復して健康を回復出来るのは、私たちの身体にはウイルスなどの病原体に対する抵抗力、免疫力が備わっているからである。
●その抵抗力は予防接種やその病気にかかることで得られる。例えば麻疹、おたふくかぜなどは昔から一度かかればもう二度とかからない、と言われている。これは例外は少なくないが一般的には誤りではない。
●ワクチンの予防効果は一般的に罹患より効果は乏しい。特に不活性化ワクチンは安全性は高いが効果は生ワクチンよりは乏しいこともある。
●毎年冬場に流行するインフルエンザに対しては多くの成人は過去の感染の結果、少しながら免疫力を備えている。だから大流行にならない。今我が国で行われているワクチンはこの免疫力を高めておくために行われる。だから、高齢者では1回法で十分である。
●小児ではインフルエンザワクチンの効果はやや乏しい。だから複数回投与する。

●新型インフルエンザウイルスに対しては、世界中で誰も免疫を持っていない。だからひとたび発生すると大流行が生じうる。
●今まで新型インフルエンザによる世界的規模の大流行は3回生じている。
●1918年スペイン風邪、1957年アジア風邪、1968年ホンコン風邪として大流行した。日本での犠牲者は各々38万人、7700人、2000人とされている。
●これらのうち、アジア風邪、ホンコン風邪のウイルスはヒトインフルエンザウイルスと鳥インフルエンザウイルスの混合ウイルスであった事が判明している。だから、鳥インフルエンザ対策は新型インフルエンザウイルス発生阻止に重要な意味を持つ。


11/ 3(木)文化の日休日 晴れのち雨  病棟拘束  
 2:30起床,入浴、3:20病院。鳥インフルエンザ関連書籍に集中、明日秋田放送収録予定。6;30回診.書類処理、11:00帰宅。長女を美容院、千秋亭に送り、14;00-18:00病院にて再度業務。19:30帰宅、夕食、20:30就寝。終日殆ど机上処理に費やし、かなり消化出来た。

清掃関係者のプロ意識に触れる(2)
 「部屋がゴミだらけになって、汚れていることはそれだけ先生方が忙しく働いているからでしょう。私たちは綺麗にするのが仕事だから、汚れていないと活気がないようで、むしろ寂しくなります」、と言う答えが返ってきた。これは脱帽である。
 誰が汚したのか、不注意で汚したか、そこの利用者がずぼらだから、とかなんて全く考えずに、ただひたすら綺麗にするだけ、と言う。これは予想外の見事な返事であった。

「仕事が大変だから、もっと汚さないような配慮が欲しい、気配りが欲しい・・・」などと言う、不満の言葉が出てくることを半ば予想していただけに、私は小さなショックを受け、かつ感心した。

 これは立派なプロ意識である。多分、清掃会社も事業所との契約上では厳しい条件を提示されていることだと思うし、結果的にそこの従業員達の身分は不安定であり、報酬も恐らくはかなり安いのだと思う。しかし、清掃業者達は廊下で会うと明るく挨拶するし、働く姿は生き生きしている、と私は思う。

 翻って私ども医療関係者のことを考えた場合、職業倫理、医療倫理に反するような言動、行動が少なからず見られ、管理者を悩ましている。働いている間の表情も決して良いとは言えない従業員も、廊下で挨拶もしない、出来ない従業員も少なくない。
 雇用条件は時代柄パートの方々も含め多様であるが、資格に応じた、職能に応じた業務範囲も保証されている、にもかかわらずである。特に国家資格等の有資格者は業務上、当然義務もあるが大きな権利も与えられて働いているのだが、何かにつけて不平不満が聞こえてくる。勿論、有資格者だからこそ、ということ、気分よく働くための就労条件が満たされていないという事情も理解出来る。
 しかし、一般的に、よく働く人はより不満も少ない様な気がしてならない。これは何なのだと思うが、その答えの一端が先日の清掃の方と交わした短い対話のなかにも在る、と私は思う。


11/2(水) 曇・雨     医療の安全に関する委員会  郡市医師会長協議会  小児科病棟スタッフとの話し合い         
2:30起床。入浴、3:15病院。ドック総括x1、紹介状・退院総括他。6:00回診等病棟業務。9:00-14:00外来、混雑。16:00-16:30県医師会医療の安全に関する委員会。16:30郡市医師会長協議会、17:15中座し病院に。17:30-19:00小児科病棟スタッフとの話し合い。病棟再編問題。21:15帰宅、夕食、22:00就寝。夜半に長女帰宅の予定。

清掃関係者のプロ意識にふれる(1)
 毎朝、まず医局秘書の女性が院長室のテーブルを清掃に来る。毎日でなくても良いのだが会議用のテーブル、公務用の机上、棚などをきれいに拭いていってくれる。お陰でいつも綺麗である。

 清掃会社の方が部屋の掃除に来てくれる時間帯の多くは私は外来に出ているので滅多に遭わないが、時には在室中に来ることがある。その際には彼女らが仕事がしやすいようにと考え部屋を空けるのだが、時には業務を続けざるを得ないこともある。その時、仕事ぶりを見ていると実に徹底したものである。
 まず、二つあるゴミ箱からゴミを回収していく。そこにはもう何一つ残していない。次いで床を掃除するのだが丹念に掃除機で綺麗にした後、あるいはその途中で、ホチキスの針、書類の切れ端等が絨毯に食い込んでいるのを見つけては丹念に取り除いていく。これが結構大変そうに見える。次いで、部屋にある観葉植物、テーブルの上の花などに水までやってくれる。
 その間の表情を見ていると、何か楽しげ?である。

 ホチキスの針はなるべく飛ばさないようにしてはいるものの、私は書類は分類し整理して綴じ直すために、書類に付いてきたホチキスの針は一端全部外す。その度に何10本かの針はつい飛ばしてしまう。さらに製本したりカルテの修理をする際には細かい紙の切れ端が大量に床に落ちる。自分でかなり拾うが、ついそのままにしてしまう事も少なくない。

 医局の中で私のところだけ絨毯敷きだから特に大変だろうと思う。私がもっと細かく配慮すればいいのだろうが、基本的にずぼらでゴミは綿ゴミにしてからでも遅くない、と考えているし、時間のことなど考えると出来ない。その面ではいつも申し訳ないと思っているから、ある時、「いつも不用意に部屋を汚して申し訳ないと思っているけど・・・、毎日どんな気持ちでこの部屋を綺麗にしてくれているのです??」、と最近ほぼ固定して担当してくれる清掃員の中年女性に声をかけてみた。ちょっとした気配りの気持ちからである。が、予想外の良い返事が返ってきた。


11/1(火)晴れ,法人常務会 長副会議
2:30起床。入浴他、3:20i病院着.ドック総括他。6:20回診。定期処方先週済み。9:00-13:30外来+ドック結果説明x1。14:00-16:00常務会。17:00-19:00長副会議。家内見舞う、順調とのこと。21:10帰宅。夕食、21:45就寝.

HP開設4周年を迎えて
 当ホームページは、本日で開設4周年を迎えました。カウンターがリセットされたため正確ではありませんが約6万ほどにまで至っています。読んで下さる方がおられるだけでもありがたいと思います。ときには感想とかが送られてきますので、いろいろと励みになります。

 4年前、強力に、かつ、しぶとく勧められ、渋々、恐る恐る始めた試みでしたが、しばらく続けてみますと私の方で興が乗ってきました。ストレス解消に思いの外大きく役立っている事を自覚したからです。
 また、景色を見ても本を読んでも、誰かと対話していてもミニ随想のヒントになりそうなことに気づけばメモしておき、折を見て取り上げます。小さなアンテナを方々に向けながら過ごしているからか、いろんな事に興味が湧いてきて日常の事象が面白く感じられるようになったのも予想外の効果でした。

 開設当初から今に至るまで、院内での立場が次々と変わって相変わらず時間に追われています。時間が乏しくなればなるほど続ける意欲が湧いてくるのも不思議です。このページの更新は管理者が担ってくれるのですが、6:00迄にデータを送ることが要求されていますので、出勤前の30-40分間ほど前から大あわてで作り上げます。推敲の時間もなく、見苦しい文しか書けません。つい長くなりますし、誤字もそのままになっている場合もあり、時々指摘されます。

 小さな話題も文章化することによって私の中で一区切りになり、整理が出来ます。一日の生活記録を書きながら一日を振り返ることが出来るのも、良い習慣になっています。ここ2ヶ月ほどは集中的に亡き母の人生に思いをはせる時間が持てて良かったと思っています。

 よく言われるように、「継続は力」なのでしょう。私も実感しています。
 ミニ随想も1000を越えています。似たような話題は何れ少しずつまとめてみたい、とも思っています。

 背伸びしすぎず、地味に継続して行きます。今後ともよろしくお願いいたします。


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   年を通じてワンパターンで淡々とした毎日です。AM2:00-5:00にメールチェック・返事送付、人間ドック(HDD)判定・報告書作成、新聞切り抜き、病院・医師会業務など。
  月〜土曜は6:00頃出勤、HDD報告書印刷、外来書類処理など。病棟回診、HDD受診者とミーティングと診察。8:45-14:00外来とHDD受診者に結果説明。昼食は摂りません。午後は病院業務・医師会業務、各種委員会等に出席など。20:00頃帰宅。
  日曜・祭日もほぼ同様ですが、病院には午後出かけます。時間的に余裕無いのが悩みです。


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