徒然日記

 日記と言うより、自分の行動記録からの抜粋と日々の雑感です。

徒然日記バックナンバーへ戻る       徒然日記へ戻る   トップページへ戻る

先月の日記          来月の日記


3/31(木) 曇-快晴   公的予定(-)
2:00起床,ドック総括x1。退院総括・紹介状など。5:10病院着。6:10回診、8:10救急カンファ、9:00-13:50外来+ドック説明x1。14:30-16:30病棟患者治療処置関連。17:30病棟種々業務処理、22:30帰宅、夕食、21;00就寝。院内外公的予定無かったが、書類処理とかに追われ懸案事項処理はさほど進まず。

たまたま出会って感心 「沈魚落雁閉月羞花」と言う言葉 
 最近であった中で感心した言葉の一つに「沈魚落雁閉月羞花」と言うのがある。
 私はこの言葉を今まで全く知らなかった。調べてみると美人を最大級に形容する言葉と言うことであるが、最初は意味が全く解らなかったが、予想外に「美人の形容・・・」らしいと解った瞬間、これはすごい言葉なのだと感動した。
 「美人を前にして、魚は泳ぎを忘れて深い淵に沈み、雁は見とれて列を乱して落ち、月は雲間に姿を隠し、花は恥ずかし気に凋んでしまう」という意味の荘子の言葉だと言う。

 仙人がこけた話とか、世に美人を表現した言葉は数多くあるが、殆どが全て女性に対する表現であって、素晴らしい男性を美人と表現したものは私が知る範囲では見あたらない。何故なのか?と思う。「美しいヒト」という意味なら男もヒトだから美人と証されても良いはずである。丸山明宏氏あたりはそう称されているのを聞いたことがあるようなきがするが、ちょっと不自然過ぎる。

 美人とは何だろうか??美人と言う言葉は差別用語となりうるので具体的な人物を指しては安易に使うべきでは無いようにも思える。しかし、女性の容姿そのものには性差を超越した別の美的な美しさがあるような気がしてならない。週刊誌とかにはよく女性の姿がピンナップとして掲載されているし、巷にはポスターなどにも若い女性の姿が用いられているが、少しでもエロチックな雰囲気を伴った作品には私は殆ど美しさを感じることは無いし、被写体となった女性が美人だとも到底思えない。

 絶世の美人とはどんなものなのか解らないが、私は仏像にも絶世の美の様なもの、美女と共通する様な美しさを感じ取る事が出来る。薄暗いところで十分に瞳が開いた我が家の飼い猫も実に美しい。夜な夜な、就寝前、私は側に寄ってきたネコに対して「お前はどうしてそんなに美しいのか・・・」と感嘆の声をかけるのが日課ならぬ夜課になっている。
 荘子は一体どんな美形を見たのであろうか。
 「オッ、沈魚落雁閉月羞花!!」とつぶやくような機会が私にも来るのだろうか。楽しみである。


3/30(水)曇り・まだ寒い 県健康づくり審議会 入院患者家族と面談 整形外科医との懇談
 1:30起床。ドック処理x1。退院患者関連書類作成、徒然など.5:10病院着。6:30回診病棟業務。8:10
救急カンファ。9:00-13:20外来。14:00-16:00県健康づくり審議会。医師国家試験発表あり当院研修予定医師7/10合格。昨日発表の看護師国家試験は入職予定者全員合格。19:00-20:15整形外科医と懇談。21:15帰宅、夕食。22:00就眠。

「卯月便り」に投稿             
 当院の病診連携部門では年数回「卯月便り」というリーフレットを発行し、院内のニュース等を掲載している。今回のトピックスは医療評価機構受診とのことで、求められて以下の一文を寄稿した。4月1日に発行され、連携医療機関に送付される予定である。
 特に後2段の部分は私が主張したい点である。

●ご報告:当院は医療評価機構の審査を受けました---受審委員会委員長の独り言
 当院には患者の立場に立った医療を進めてきたという50年の歴史と実績があるのだから、この機会にそれらを整理し、欠けた部分を補えば、例えハード面で問題を抱えていても必ず認定される、と確信し、公言し続け私は受審委員会を運営してきた。
 思えば、受審を決めた昨年春頃には、受審の意義は殆ど理解されず、受審にアンチな意見、認定されることなどあり得ない、とのクールな意見の方が遙かに多かった。7月に病院集会を開催し、11月中旬からは職員が一人専従になった。その頃から加速度的に準備状態が進展した。マニュアルも作った。ハード面も改良した。この間、なしえた業務の整理、改善は平時にはまず不可能なものばかりである。これが3月の受審日に向け次々と完成した。
 やるべき事はやったという大きな満足感と一抹の不安と共に受審した。厳しいやり取りもあったが、最終日の講評は私が予想していた以上に遙かに高かった。
 私どもはこの受審に全病院あげて取り組んだ。50年の当院の歴史の中でこれだけの職員のパワーを集中したことがあったのだろうか。これは何物にも代え難い、最高に評価すべき受審の成果である。
 受審終了した今、私は大きな満足感と共に認定結果を心待ちにしている。(3ヶ月は長いね!!)

 この受審を通じて感じたのは情報不足である。われわれも最後まで右往左往した。県内外の多くの病院から貴重な情報をいただきとても助かった。県内の医療機関も今後次々と受審するだろう。その際、不用な回り道は無駄である。そのために、私どもが蓄積したノウハウ、資料は積極的に提供したい。

 各医療機関毎に病院機能評価の認定結果に一喜一憂しているようでは何にもならない。この受審を介して県内の医療機関のレベルが一層向上し、互いの連携がより一層深まること、県民へよりよい医療を提供出来るようになること、それが病院機能評価受審の目的と成果の一つであるべきだ、と私は思う。


3/29(火) 曇-快晴 定期処方日 法人評議員会 県医師会打合せ 麻酔科医との懇談 医局カンファ(欠)
2:00起床,ドック総括x1。退院総括・紹介状など。5:10病院着。6:10回診、定期処方40数枚発行。8:10救急カンファ、ベテラン医師の患者対応、申し送り不備など話題に。9:00-11:30外来、12:00-13:30法人評議員会View H。13:30県医師会へ。17:30麻酔科医と懇談。医局カンファは欠席。病棟種々業務処理21:00帰宅、夕食、21;30就寝。

県医師会の医報の巻頭言に
「県の私的病院軽視政策」について書く気になった 
 本日の評議員会終了後の昼食会で法人外の評議員から県の医学生奨学金制度について若干話題になったが、法人上層部は奨学生が公的医療機関に勤務した場合にのみ奨学金の返還免除になる事に対してそれほど大きな義憤を感じていない様子でサラサラと話していた。
 私は感じ方にかなりの温度差があるものだと些か驚きつつ聞いていた。私はこの件に関しては怒りと疑問
でいっぱいである。で、今回、私は県医師会機関誌の秋田医報の巻頭言の当番に当たっており、既に「個人情報保護法案」について半ば書き上げていたが、折角の機会だから「県の私的病院軽視政策」について書いてみようと言う気になった。
 私的医療機関は県の医療を支えている。高額の税金も納入している。医師だってそうだ。なのに軽視されている。これでは飼い犬に噛まれる様なものじゃないか。

 奨学金の目的が医師の秋田県への定着率を上げる事にあるのなら、私的医療機関に勤務するか、診療所に勤務するか、等は問題でなかろう。本日、県の医務薬事課に問い合わせてみたところ、県北の公的病院の医師の充足数が低いからの施策だ、と言う。ならば、奨学生の人事権は県にあるのかと聞けばそうではないらしい。
 県北の医療事情が悪いのは魅力ある病院になっていないからだ。そこに奨学生だだからと言って若手医師を送り込むことは果たして地域の医療レベルを上げることなのか?医師の充足って頭数なのか??逆に不完全な研修のもとでの配属で、奨学生の将来に傷にならないのか??私はむしろこの施策を危惧している。

 尤も、私が入手できた情報は新聞記事だけであり、深く論じるのには情報不足である。近々私は県の医務薬事課に詳細を問い合わせをしたいと考えている。

 秋田県の医療は公私の医療機関が渾然一体となって、互いに協力しあって地域医療を担ってきていると思う。通常は公私の別など意識することはそれほど無いが、国や県の政策が発表される度に私的医療機関勤務医の立場からはカチンと来ることだらけだ。今回の奨学生の問題でも同様である。
 
 私的医療機関側が強くアクションしないからだとも思う。公的医療機関の関係者からは顰蹙を買うかもしれないが、私はやってみる。


3/28(月)晴れ 管理会議 療養病棟判定会議 長副会議
12:30起床。寝不足だが昨日マック不調で出来なかった今朝締め切りの「卯月便り」原稿に集中、一気に仕上げた。ドックx1名。徒然、5:20病院着。6:00回診、不在中患者2名死去。予め家族に説明済みで問題なく経過したと。8:00管理会議。9:00-13:30外来、混雑。14:00医師会電話相談に対応。15:00来客対応。16:00療養病棟判定会議。16:30-18:30長副会議。20;45帰宅、夕食、21:10就寝。3.5時間睡眠で終日眠かった。

複雑怪奇な個人情報保護法案(1)  個人情報とは「生存中の個人を識別することができる情報」なのだが・・??
 4月1日から個人情報保護法が施行される。
 医師は刑法で守秘義務が課せられている一方で、紹介状等を日常的にやり取りしているし、カルテ開示もしなければならない。学会発表や疫学調査にも参加しければならないから、この法の規定を最も受けやすい職種と言える。
 情報が5000件以下の場合は規定外とされているが、現状で規定数以下であっても医療機関の場合何れは5000件に達するであろうことを考えると全医療機関は「個人情報取扱事業者」と見なされる。だがら、医療機関は法に見合った院内整備をする必要がある。
 いま医療機関では対応に四苦八苦している。

 「個人情報」に該当しない情報は、対象外だから、まず「個人情報」とは何かと言うことを知ることが大事。個人情報とは「生存する個人に関する情報であって、特定の個人を識別することができるもの」と定義されている。

 そうは言っても分かりがたく、いろんな可能性に分けて考えなければならない。

 ●「個人に関する情報」だから、法人や病院そのものに関する情報は該当しない。しかし、内容に特定の医師などの情報が含まれている場合、個人情報に該当する。紹介状へ記載された医師名は個人情報に該当する。だから、安易に前医のことなど記載出来ない。よく保険の診断書には既往症と医療機関・医師名を書く欄があるが、どうするか。
 ●文字情報のみでなく、カメラやヴィデオ映像、音声等の情報も含まれる。この辺、マスコミ報道はどうなるのか?出演は納得済みだろうが、たまたま収録された場合など、放送や掲載するな、と言えるのだろうか。
 ●「生存する個人」に関する情報だから、死者の情報は対象外となる。しかし、その中に遺族に関する個人情報が含まれている場合などは個人情報に該当するから複雑である。
 ●「特定の個人の識別性」には氏名、生年月日、その他は当然該当するが、それらが無くとも他の情報と照合すれば特定の個人を識別することができる場合は個人情報となる。例えば、患者に関するデータを、実名ではなく番号により管理している場合、番号と照合すれば個人が分かる環境の人達にとっては個人情報になり、照合出来ない方々にとっては個人情報ではなくなる。

 ウーン、なかなか苦しい。しかし、そんなことは言っていられない。


3/27(日)東京快晴 秋田濃霧降雨 日本医師会定例代議員会 
2:30浅草ビューホテルにて起床、持参のマックのPB2400c起動せず、1時間ほどいろいろ試みるもついに不能。ドック処理、病院の「卯月便り」原稿、秋田医報巻頭言、徒然ミニ随想数日分作成予定で資料種々持参していたが結局諦めた。ついでに体調も不良。無理せず本読みに集中、おかげで読みかけの新書2冊読みきった。7;00葉っぱとコーヒーで朝食。8:45日本医師会へ、9:30-16:30日医定例代議員会。18:15JAL秋田に、MD-90満席。霧のために上空で待機、着陸大幅に遅れる。20:45秋田道経由で帰宅。夕食、21:30就眠。


自伝 秋田大学時代(1973-1985) (9)
   秋田での生活 いわゆるアルバイトでの生活費稼ぎ
 秋田大学入職時から第三内科発足時迄の2年間は私の身分は「医員」ということで日雇いの身。月額4-5万円ほどの給与であった。血液班はスタッフは10数名にまで増えたが助手以上の公務員扱いは5名のみ、その他は身分不安定な日雇いの「医員」である。
 国は人件費をさほどかけずに大学病院の労働力を得ていたことになる。助手と医員の間には給与で3倍ほどの差があり、医員には当然賞与などは一切無い。給与日や賞与日には実に不快な思い、悲哀を味わったものである。つい先日までは慶応大学とかの私立大学の医員は矢張り給与5万円ほどでこき使われていた、とのことである。こんな現状は何とかしなければならない、と何時も言われてきたが私が大学で学んでいた期間には全く改善は見られなかった。ただし、私は大学を去ってから既に20年にもなるので秋田の最近のことはわからない。

 いずれにせよ、医員だけでなく助手もこの程度の収入では生活出来ないためにウイークデイに終日または半日許可を得てアルバイトに行き、土曜午後から日曜夜にかけては県内の各病院の時間外外来を手伝うことで副収入を得ていた。強者の何人かは土曜午後から月曜朝まで県南の公的病院に寝泊まりし手伝いをしたものである。

 私はウイークデイは秋田市の鉄道病院の午前外来を鉄道病院が廃止になるまで担当し、その後は市立秋田総合病院の午前外来を中心に担当していた。私は共稼ぎの身であったために最も安いところしか割り当てられなかったが、納得済みで引き受けていたから止む得ない。
 
 その他、一部は定期的であったが大部分はエキストラとして、週末は昭和町の精神病院、大曲市の整形外科病院、大館市の労災病院、県南の公立病院等の当直を担っていた。その他、秋田市内の大規模病院のいくつか、鳥海村や刈和野の診療所、酒田市、能代市、横手市、本荘市の病院の外来、男鹿市の休日診療所など等、今思いだしてみると実に懐かしいし、県内外のいろんな病院、診療所の医療の現状を見ることが出来たことは今の自分にも有形無形に役に立っている。また、これだけ地域の病院のマンパワーが不足していたことの現れでもある。
 


3/26(土)秋田曇天低気温、東京快晴温暖  東北医連理事代表者打合会+代議員打合会+情報交換会 
 1:30起床、人間ドック総括x1、出張時申し送り準備。5:20病院着。5:50から回診、他。8:45救急カンファ、9:00ドック説明2名。10:30-12:30外来。13:00病院発、秋田道経由にて空港。14:10ANA東京へ。B767-600がほぼ満席。揺れず快適。6:50グランドパレスホテル着。近隣の女子大??卒業式か。袴姿多数。桜は未。17:30-19:50東北医連理事代表者打合会+代議員打合会+情報交換会。20:30浅草ビュー着、21:00就寝。

「Nihombashi 」   「Shimbashi」は果たして正しい表記なのか?
 本日、羽田から会議場に向かうときに京急線にて日本橋乗り換えで地下鉄東西線に乗った。列車が来る間何となくホームの壁を見ていたら、駅の英語名の「ん」に相当する表示が「n」でなく「m」となっており、日本橋が「Nihombashi 」,新橋が「Shimbashi」となっていた。何で「Ni honbashi 」あるいは「Ni honnbashi 」でないのかな??・・と疑問に思った次第。

 私は英語に詳しくないので良く分からないが、これに似た書き方するのが「トンボ鉛筆」KKの製品で鉛筆一本一本に「Tombow  Pencils」と記載してある。これは中学生の頃からか??何故なのか、どういう事なのか、と不思議に思っていたまま解決もせずに放置してあったことであるが、それを思い出した。いま思い出しても別に解決するわけではないけれど・・・。

 何かこの様な、一般的に認められた一定の表記法があるのだろうか。
    確か、JRの表記では「Ni honbashi 」、「Shinbashi 」であったように記憶している。


3/25(金)晴れ後曇、ミニ嵐   友の会合同研修会  秋田県個人情報法保護検討委員会  法人理事会
 1:30家内帰宅で起床、本日のミニ講演準備。紹介状、医師会関連作文、徒然他。5:20病院着。6:00回診他入院患者関連書類処理等。8:10救急カンファ、10:00-13:30千秋会館、友の会合同研修会+情報交換会。その中で45分間のミニ講演「医療評価機構を受けて変わった点、変えた点」。13:45ドック診察x4。15:30-17:30
秋田県個人情報法保護検討委員会。17:30-19:00法人理事会。21:00帰宅、21:20就寝。

これでも日本は不景気か??池袋での感想
 先週末、医療評価機構受審終了後、私は民医連関連の会議のために最終便で上京した。

 宿泊先は池袋サンシャインシティプリンスホテルと言う、何か口に出すのももの恥ずかしい様な、舌を噛みそうな名前である。22:00頃池袋に降りたが、こんな時間なのに駅前は若者達でいっぱい。駅前の道路沿いには遊興関連の店が建ち並び、若者達が列を作っている。これがホントに不景気な日本の風景かいな、不況とは国の経済の問題でなく地方の、田舎の経済の問題なのかな?と思ってしまう。

 地図を片手に宿泊先を探したがなかなかよう分からない。都会でのもの探しは見通しが悪いだけに全く見当もつかない。方向は間違っていなかったらしくやっと池袋サンシャインシティへの地下道入り口と言うところにたどり着いた。降りてみたら、又これが迷路の様でよう分からないところ。あっちに行っては行き止まり、こっちに行っても、と迷いながら何とかホテルにたどり着いた。池袋サンシャインシティプリンスホテルで割り当てられた部屋は何と普通のビジネスホテル並み、狭く調度も決して良くない。プリンスホテル系は比較的利用頻度は高いがこんなに狭いのは初めてか、と思った次第。若者中心の遊興街だから、贅をこらさない宿泊施設にしているのかな?とも思ったが、これが一泊18000円だから決して安くはない。不思議であった。

 翌日は13:00に会議が終了し、池袋サンシャインシティ文化会館なるところから池袋駅まで、昨夜と逆方向に歩いたわけだが、人混みでとてもまともに歩けたモンでない。流に逆らって小川を上る小魚の如く、怒濤の様に押し寄せる人混みを避けながら右に左に向きを変えて歩く。こんな歩行は嫌だ。とても疲れる。
 ホントに日本は不景気なのかな??昨日よりも一層強く思ってしまった。

 秋田の経済は厳しい状況にある。県民の活力も乏しい。休日の日中ですら市の中心街に歩行者なんて殆ど居ない。チラホラである。首都圏のど真ん中で、ぬくぬくとした環境の中で国の経済など論じている小泉さん方に、本当に真の不況の状況なんて分かるんだか??三位一体の改革なんて・・疑問である。今、介護保険が危ない、医療保険も危ない状況にある。都会と田舎と違うんだ。同じ論旨で一律に論じて欲しくない。
 東京池袋を歩きながらつらつら考えてしまった。


3/24(木)晴れ-曇 総合内科診療部会(欠) 療養病棟診療部会 医療評価受審「ごくろうさん会」
2:00起床。人間ドック等処理。友の会講演資料検討。医師会医報報告校正。5:20病院、6:10回診、病棟業務。8:10救急カンファ。9:00-14:00と外来混雑で総合内科診療部会は欠。病棟業務、16:00-16:35療養病棟診療部会。18:00-20:30医療評価受審「ごくろうさん会」、弥高会館。21:30帰宅。22:00就寝。

今度は九州で大地震  ライフラインの確保まで貴重であった七輪、木炭
 新潟中部地震の被害の状況は激しい降雪によって静かに拡大しているようであるが、最近はあまり大きな報道にはなっていない。本日の早朝のNHKラジオは仮設住宅で一人暮らしの男性が死亡していることが判明したことや、音信不通の家族もかなりの数にのぼることを伝えている。
 一方、先週は新たな九州地方で大地震が生じた。活断層の存在が知られておらず、地震の少ない地域だったとのことで予想外の出来事であり、度重なる余震で被災者の方々は眠れぬ夜を過ごしているらしい。新潟の場合と異なり、崩壊する可能性がある住宅に戻れず、外で過ごされている方々は少ないようである。
 新潟中部地震の際にはライフラインが分断され機能しなくなったときに役だったのは、井戸、ランプ、七輪だったという。

 井戸やランプの有り難さ良くわかるが、七輪を上げた人が多いとは意外である。
 考えてみればそうかもしれない。ライフラインのうち最も早く復旧するのは電気とのことであるが、折角復旧しても家に入れなければ、下手な配線はむしろ危険なだけに、役立てることはそう簡単ではない、と言う。
 七輪と木炭は、暖をとる、湯を沸かす、簡単な煮炊きする等いろいろ使い道があるんだそうだ。確かにそうであろう。

 秋田は活断層の近くにあり、近々何らかの規模の地震が生じるであろう候補地の一つである。冬場に生じたらより悲惨なことになる。その瞬間から暖を取る対策が必要となる。こんな場合電気を必要とする様な暖房機器、ファンヒーター、オイルヒーターなどは役立たない。電気の要らない器具を用意すべきである。県は県民に対して大規模災害時の当面の生活を維持するための基礎知識、備えておくべき備品等もっとガイドすべきである。

 私の家には七輪と木炭、電気不要のヒーター、手動発電式のランプやラジオは一応用意してあるが、役立てる様な機会は、望むらくは来なければいい。あるいは、これらを役立てる事が出来る状況で無事生き残れるかな??、と思う。
 なんて事、いくら考えても、起こってみなければ実際のこと何も分からないのだ。それが防災の難しさなのだ。


3/23(水)快晴  病棟患者家族面談2件   県医師会理事会     第3回急性脳炎原因究明プロジェクト検討委員会                    
2:00起床。人間ドック等処理.友の会講演関連若干。5:20i病院着、6:20回診+病棟関連業務、8:10救急カンファ、9:00-14:00外来+人間ドック説明2名。外来は混雑。16:30-18:20医師会理事会.18:00から開催の第3回急性脳炎原因究明プロジェクト検討委員会に遅れて参加、20:30終了。病院へ。21:30帰宅。夕食、22:00就眠。

婆さん方を元気にする畠の効用(2)
 通院困難な患者さんを対象に当院では訪問診療をやっていて私も担当していた。その時のこと、いつもの如く訪問しても家に誰も居ない。遠くから「オーい、こっちに居るがね」と呼ぶ声がする。こじんまりとした裏山の中腹にある小さな畠でもんぺ姿、手ぬぐいを頭に巻いた婆さんが私どもに手を振って呼んでいた。

 腰も曲がり、膝痛で家の中を動くこともままならない婆さん、座敷では元気が無くヨタヨタと動き、「痛い、痛い・・・。センセのクスリさっぱり効がねーな」と愚痴っているその婆さんがシルバーカー、私はこれをババカー(婆カー)と呼んでいるが、を押して畠に行き、草むしりをしている。畠にいる時のバーさん、表情もとても明るい。家にいるときとは全然違う。その場で血圧を測り、世間話を若干して、いつものクスリをババカーに入れて辞したが、新聞紙にくるんだ採ったばかりのホウレン草をドッサリ戴いて帰ってきた。こんな診療風景も雪が消えると晩秋までしょっちゅうであった。
 
 畠を守る婆さん方の熱意には正直驚かされるが、そのルーツは何だろうか??
 私の結論は、畠こそは彼女らの生きている証であり、彼女らのアイデンティティの発現の場、生涯の職場なのだと、思う。爺さんが死んで家督を若夫婦に譲ったあとも畑仕事だけは何としてでも手放さない。最後までこだわる、その気持ちはとても強固である。手塩にかけた野菜が毎日生長する、それを見る楽しみ、上手に出来た新鮮な野菜を食卓にのせる、楽しむ、隣近所に配る、これでみんなとコミュニケーションも図れる、リハビリにもなるから健康にもいい。畠に来ると嫌なことも忘れてスカッとするんだそうだ。だから、精神衛生的にも良い。

 年老いた男性が畠にこだわる、そんな方も居ないわけではないが、私の知る範囲では絶対的に少ない。何故なんだろうね。もしかしたら備わっている母性とも関係しているのかも知れない。そうそう、前屈みで畠仕事している婆さんは、6本足である。

 田舎の婆さん方は、畠で見る範囲では、実に幸せそうである。


3/22(火)快晴 温暖 管理会議 県医師会打合せ 療養病棟判定会議 長副会議
2:00起床,ドック総括x1、 紹介状返事等。5:15病院、回診、病棟業務。8:00管理会議。9:00-13:30外来。14:30県医師会打合せ。16:00-16:30療養病棟入棟判定会議、16:30-19:30長副会議+関連の打合せ。20:30帰宅。夕食、21:00就寝。相変わらず時間不足の毎日。

婆さん方を元気にする畠の効用(1)
 今年は雪が多かったが、ここ一週間ほどの温暖な気候の中道路沿いに積まれた雪もほぼ姿を消した。畠や水田にはまだところどころに20-30cmほど残雪がある。消雪のために雪の塊を砕いている農家の方々の姿もチラホラ見える。秋田にも遅まきながらやっと春がやってきた。
 私が担当する高血圧症中心の予約外来、ここは高齢の患者さん方が多いのだが、この方々は厳しい天候、積雪に耐えて来ただけにやっと表情に安堵のこころが読みとれる。
 特に、郊外や近隣町村からから通院して来ている女性の患者さん方は急に元気が出てきている。あたかも冬眠中の熊が起きだす様な雰囲気そのもので、表情は明るく、シワシワの顔にこぼれる笑顔も明るく良くなってきている。この点は、明らかに、市内の患者さん方とは異なっている。

 これは何でだろうか。毎年考えてきたが、これは、畠の効用なのだ、と思っている。
 普段外来に来ては「頭が・・・、腰が、膝が・・、痛い、痛い」そのついでに「嫁が・・・」などと、私に言ったってどうにもならない事を愚痴っていく方々が、この時期ややシャンとして来る。これは畠に出る楽しみが間近になってきたからだ。

 農家の仕事のうち水田関連は機械化が進み、若い人達、どちらかというと男性中心に作業が進められているようだ。大規模に畑作を営む農家も同様である。家屋敷の裏、山の斜面、丘の上などに小規模に畠も持っているような農家の場合、その作業は婆さん方にまかされていることが多いようだ。否、任されていると言うより、婆さん達が、自己の人生をかけて守るべき砦の如く、最後まで絶対に離そうとしない、生きる証を具現する場所なのだと思う。その畠を守る熱意には正直驚かされるほどである。


3/21(月)振り替え休日 快晴 病棟拘束  
2:00起床。総括他。出張復命書、医師会関連若干、本読み。7:30病院着。8:45救急カンファ、指導医誰も来ず。回診等入院患者関連業務。11:30帰宅、医療評価受審作業のために触ることも出来なかったVnを2ヶ月ぶりに取り出す。弦を押さえる指尖なまっており疼痛生じ長時間出来ない。業務などと交互に20:00頃まで。16:30長女・長男離秋。20:30夕食。21:00就寝。

航空券持っていても搭乗出来るとは限らない  2度目の経験
 3/19医療評価機構受審最終日、とある会議出席のために最終便にて上京した。

 搭乗30分ほど前に秋田空港に着いたが最終便ともなるとさすがに空港は閑散としている。カウンターで搭乗チェックインの手続きをしたが、何故かいつものようにはスムーズに処理出来ない。若い窓口係員が脇のベテランと思われる職員に何やらヒソヒソと相談している。それでも上手く行かないらしい。奥から男性職員が呼ばれてキーボードをいろいろ操作している。
 結論は「この往復分のチケットは、販売した旅行社によって数日前にキャンセルされているために無効です。新たに購入いただかねば搭乗出来ません・・・」とのこと。幸い空席はあるらしい。キャッシュコーナーはもう閉まっている。どうする?? ディバック、ポケットなどをいろいろさがしたら何とか4万円ほど見つかり新たに往復分購入し搭乗出来た。いつもは現金を殆ど持たないが、たまたま何カ所かに分けて持っていて良かった。
 私が最後の搭乗者であったが何とか遅らせないで滑り込めた。
 MD-90型、実際には搭乗率50%ほど、特に後部はガラガラで、揺れもなく空路は終始快適であった。

 復路、15:15発JAL。搭乗ゲート24番前の座席で15分ほど微睡み、目覚めたら先ほどまでの乗客は周囲にもう誰も居ない。寝過ごした??搭乗ゲート24はまだ15:00なのに既に「17:00発三沢行き」と表示が変わっていた。もう秋田便は出発した??まさか!!!   慌てて係員に聞いてみたら「秋田便は機材が不調のために別な機となり、搭乗口は急遽41番に変わりました。遅れているので未だ間に合います。お急ぎ下さい」と言う。
 結果的にこの便も私が最後の搭乗者となり、すぐに扉が閉められ15分ほど遅れて出発した。機種はA300-600型、搭乗率20%??後部はガラガラ。私のために飛んでくれているような錯覚に陥った。快適であった。

 昨年はJALのチケットを所持していたが、オーバーセールのために既に空席がないとのことで搭乗出来なかったことがある。係員が平謝りしてくれたが、この時は満席であったので如何に食い下がっても埒が明かず次便のANAで上京したことがある。

 今回の経験も併せて得た教訓は、●チケットを購入したからといって100%乗れるとは限らない、●空港にはなるべく早く着け、●搭乗前には寝るな!!!  と言う3点である。


3/20(日)春分の日 東京・秋田曇 第36期第2回全国民医連病院長会議(二日目)
3:00池袋サンシャインシティプリンスホテルにて起床。ブランド名の割りに狭く通常のビジネスホテル並みで大したホテルでない。持参の総括、紹介状x1処理。本読みなどで過ごす。7:30葉っぱとコーヒーのみの朝食、8:45-13:00サンシャインシティ文化会館にて全国民医連病院長会議(二日目)。講演2題「経営に活かすすコーチング」「21世紀のわが国の医療と病院経営の行方」聴講。共に得るものが大。浜松町書店にて購入数冊。15:15予定のJAL、機材不調で大幅に遅れて離陸。搭乗率20%程度とガラガラであったのが救い。18:00帰宅。次男は私と入れ違いに東京に。昨日が33回目の結婚記念日で帰省中の長男長女と共に外食、祝福を受ける。21:30就眠。

自伝 秋田大学時代(1973-1985) (8) 
 秋田大学医学部は 
次々と講座、診療科が充実 第三内科学講座新設し、晴れて移籍
 私が赴任した前後の数年間は第一期生の卒業に向けて秋田大学医学部、附属病院は次々と新築が進み内容的にも拡充されていた時期である。1974年( 昭和49年)には皮膚科学及び泌尿器科学講座が開設され、秋田大学医学部は予定されていた全講座の開設が終了し、基礎医学が13講座,臨床医学が14講座 となった。
 翌1975 年(昭和50年)4月には医学部に内科学第三講座の増設が認可された。 まず確実と言われていたが実際に認可されるまでは第一内科血液班のメンバー達は一抹の不安をかかえながら待ち望んでいた決定であった。これで私どもは第一内科を離れ、晴れて第三内科員として独立し、私は医院から助手に採用された。

 1976年( 昭和51年)3月には医学科第1期生が75名卒業し、第三内科には6名が入局し、若い医師を迎えて一気に活気を帯びた。同年 8月には新病院(鉄筋コンクリート8階建,地下1階)が竣工し、9月には新病院移転し、広面地区にて診療が開始された。 この移転の日は自衛隊の援助も得て早朝から夕方までの一日で、極めて能率的に整然と行われた。重症者は救急車で、軽症患者はバスでピストン搬送したが、移転に伴う事故などは皆無だったように思う。私は患者搬送係を担当し、旧附属病院の玄関先で病棟から次々と降りてくる患者を振り分けてバスに乗せる役目であったと思う。当日は快晴、無風状態と天候に恵まれた他、当時は広面地区は田園地帯で交通量も少なかったためにこの様な大がかりな移転が丸一日で可能であった、と言いうる。勿論、診療にすぐに必要でない機器の移転は後回しにされ、一週間ほどかかって到着したモノもあった。回想すれば、古き良き時代であった、の一言になってしまう。
 10月に附属病院の診療科として第三内科(16床)が認可され、病床数の少ないことは不満ではあったが、これでひとまず予定の陣容が整ったことになる。


3/19(土) 病棟拘束 日本医療評価機構の審査三日目(最終日) 県医師会代議員会(欠)全国民医連病院長会議(欠)
2:00起床、長女長男帰省。退院総括x2、徒然。5:30病院。6:00回診他。8:10ドック診察x3。9:00本日の打ち合わせ、9:00-10:20療養病棟ケアプロセス審査2回目。その後主治医意見書他作成。12:40-13:15療養病棟審査追加の3回目。厳しいチェックが続く。14:00迄残りの2病棟のケアプロセスで審査終了。講評は30分繰り上がり16:00から。総論的に良い点、改善して欲しい点が簡単に述べられ、具体的な問題点指摘は1件。極めて高い評価と感じた。サーべーヤーの方々を見送り全過程終了。17:40帰宅、入浴、夕食。18:50秋田道経由空港に、19:55JAL最終便にて上京。22:30池袋サンシャインシティプリンスホテル泊
23:30就眠。

日本医療評価機構審査(8)三日目     講評、良い感触を得たが・・
 本日もルーティン業務は早めに処理し評価機構受審に集中。
 前日残した療養病棟のケアプロセス2回目は9:00過ぎから1時間半で終了、これで一段落と思ったら病棟医の部分を12:40過ぎからもう一度追加審査するとの連絡がありガックリ来た。実際は簡単に終了したのだが、この療養病棟部分は学術的に見ればサーべーヤーの方の専門分野であり、私はそれほど詳しいとは言えないだけに私が感じたプレッシャーは半端ではなかった。よもや療養病棟(領域8)関連で保留なんてあるまいにと思いつつも若干の不安が過ぎったことは確かである。
 いずれにせよ午後のケアプロセスで一連の受審は終了。講評は何故か30分繰り上がって会議室に入りきれないほどの職員の出席のもと、16:00から行われ、主たる領域別に総論的に良い点、改善して欲しい点が簡単に述べられたが、全体的に見て評価は私が予想していた以上に高かった。具体的な問題点指摘は1件のみであったが、この点はあとで些か問題にはなるかも知れない。

 これで、まず全行程終了した。受審が終了したとしても総括があるし残務処理もある。この蓄積した資料、職員のエネルギーを今後に生かさなければならない。しかし、一時的に解放である。その点、終了直後に東京出張があるので、良い機会ととらえて秋田を離れて半日程度だけどノンビリしたい。

 この受審を通じて感じたのは情報不足である。私どもも外来のプライバシー確保の件、医師の治療指示書の転記の件、等々多くの点で右往左往した。
 改装等はコストもかかるし、指示簿等はシステムの変更しなければならない。出来るだけ軽い対策で済ませたい、と言う心理が働くのは当たり前であって、私共も最後まで迷い続けた点である。
 恐らく、県内の医療機関も今後次々と受審するだろうと思う。その際、苦労すればするほど掴むものも大きいだろうが、われわれが経験した様な周り道は無駄である。そのために、私どもが蓄積したノウハウ、資料は受審委員会や長副会議の了承を得て、積極的に提供したい、と思う。

 医療評価機構の受審の過程や認定の結果を各医療機関毎に満足しているようでは何ににもならない。少なくとも今まではこの様な動きを感じることは出来なかった。
 この受審、認定を介して県内の医療機関のレベルが一層向上し、互いの連携がより一層深まること、県民へよりよい医療を提供出来るようになること、それこそが医療評価機構受審の成果の一つであるべきだ、と私は思う
 この項に関しては、全職員の協力、奮闘に心から感謝して一端終了。ご苦労様。


3/18(金)晴れ 医療評価機構受審二日目
2:00起床、受審準備 、総括、徒然、5:30病院着。6:20回診、関連業務他。午前は
合同面接調査(領域1・2・3・4)、午後はケアプロセス訪問(療養病棟)と領域別部署訪問、無事終了。18:00 院内関係者打合せ。 20:15帰宅、夕食、20:45就寝.

日本医療評価機構審査(7)二日目     細かな指摘を受ける
 本日はルーティン業務は早めに処理し終日評価機構受審で過ごした。

 9:05-11:10合同面接調査(領域1・2・3),11:10-12:00合同面接調査(領域4),14:30-15:40療養病棟ケアプロセス訪問(領域8),15:40-17:30領域別部署訪問、とハードな一日であった。それ以上に、決してお若く見えないサーべーヤーの方々は審査終了後に、夜遅くまで検討をし続けると言うことであるから、私などより更に更にハードであっただろう、と思う。サーベイヤーの方々の熱意には頭が下がる思いである。

 予想もしなかったひねった質問も時にはあったが、私の立場から見て領域1-4は思ったよりもスムーズに対応出来たと思った。サーべーヤーの方々はよく詳細に書類を見ていると感心させられる場面も何度かあった。
 思いがけなかったのは、私の主たる業務場所である療養病棟での厳しい指摘であった。サーベイヤーの医師、看護師のお二人はそれぞれリハビリテーションや身体拘束関連でそれなりの業績がある方の様で、病棟では特にリハビリテーション、栄養関連、拘束関連の方面で厳しい指摘があった。
 指摘されたことは全て私にとって納得出来る事柄であった。何故に厳しい指摘を受けたのか、の答えは簡単である。要するに主治医である私の高齢者医療に対する取り組みの在り方や姿勢に起因している。私は高齢者の方々には多くを求めず、基本的にはあるがままの延長線上で静かな余生を送って欲しいと願っているのであるが、サーべーヤーの方々はこの道のプロだけにかなり違う姿勢で臨むべきだとのお考えの様である。ある面では脱帽である。

 まさか、療養病棟の件で保留にはならないとはおもうが・・・最終日の講評が楽しみである。


3/17(木)晴れ 外来なし  医療評価受審初日(書類審査)
2:00起床。流石に眠い。ドックx1。評価機構領域2の入力終了送付。これで資料準備終了。徒然記載。5:10病院着。6:00回診他病棟業務を早めにこなす。その後は昨日に続いてのカルテ書き。この3日間は外来が無しで時間が豊富。6階会議室で資料再確認。カルテ総括、紹介状処理。14:30サーベイヤー病院着。簡単な挨拶後は自室で事務処理しつつ待期。17:30呼ばれ10分ほど療養関係部分面談。18:00院内関係者打ち合わせ。20:40帰宅,,夕食、21:00就眠。

院はまもなく日本医療評価機構の審査を受ける(6) 準備万端 楽しみな二日目の面接
 本日午後からいよいよサーベイヤーを迎えて受審が始まった。
 私は殆ど緊張感ゼロ、寧ろ心ワクワク何か心が踊るものがある。靴下、テニスシューズを履き、白衣を着て、ついでに髭も剃って一応格好も付けた。
 勿論、細かいことを言えば穴は沢山ある。自分としても欠損はあるが、やることはまず全てやった、と言う満足感がある。いや、それ以上に全職員上げてやり尽くした、職員はこの受審を通じて一体化した、と言う実感、満足感、そちらの方がはるかに、はるかに大きい。

 この受審の作業を通じて、普段は対話も少ない部署の職員とも面談した。若干オーバーなことを言えば、私は初めて院内の仕組み、職員の業務などを理解したと言っていい。副院長になってから2年以上にもなるが、普段は管理者ではなく雑務係庶務係としての業務が中心で、それなりに院長を補佐出来ているとは思ってきたが、全体を見回して考える機会など殆ど持つことが出来なかった。本来ならこんな管理者なんて、私自身の定義から言えば失格なのであるが、受審を通じて一歩副院長らしくなったと、自賛する。誰もそう言ってくれないのが寂しいね。

 今回の受審を通じていろいろなマニュアル、資料を作成したが、受審を機会に従来からやってきたこと、本来やるべきであったが機会が無くて、あるいはコンセンサスが得られずにいたことを一歩進め、集大成したに過ぎない。だからこそ、こんなに素晴らしい資料集、マニュアル類が短期間に用意出来たのだ。これぞ中通総合病院の底力である。職員はこれを機会に自信を取り戻して欲しい、自信を持って欲しい。もっと自賛して欲しい。
 評価機構の判定基準に未だ届かないところもあるだろうが、それは今後改善していけばいいのだ。それを知るために、その改善をするために受審したのだという、本来の目的を忘れてはいけない。認定は、その結果として必ず得られるはずだ。

 本日の面談で最大の懸案となりうる箇所はやはり組織図であろう。多分厳しい応酬があろう。しかし、私に機会が回ってきたならば、問題点もないわけではないが、患者中心の良い医療を行うのに最良の組織図であることを主張する積もりでいる。むしろ、他の機構図の方ががおかしいのだ、とまで主張したい。

 本日、私は朝から夕方まで広いセクションに渡ってずっと面接、説明を担うことになっている。全項目、上手く答えることなんて始めから考えてもいない。些か不安要素無いわけではない。それでも楽しみである。3月18日朝9時、いよいよである。


3/16(水)晴れ 夜半降雨   
2:00起床。2:30帰宅したばかりの家内、呼び出しにて病院に戻る。大丈夫かね。ドック1名、紹介状2名、転院患者の退院時総括、徒然など.5:20病院着。回診他、8:10救急カンファ。9:00-14:15外来。大きな行事なく受審に向けての資料最終準備、資料完成19:00送付。19:00-21:20記述に欠損のある診療録を病棟で集中記述。22:00帰宅、22:30就眠。

院はまもなく日本医療評価機構の審査を受ける(4) いよいよだね、受審を楽しもう
 3月17日午後からいよいよサーベイヤーを迎えての受審開始である。
 各部署で準備・作成した書面審査用の資料が本日夕方に面接の主たる会場となる6階の会議室に集められた。壁面3面に置かれたテーブルの上に所狭しと、かつ整然とファイル化されて並べられた。実に壮観である。この一年、全職員を上げて取り組んできた成果である。

 昨日、われわれの受審を指導してくださった方から励ましのメールも届いた。読むものを、特に、受審準備に勤しんできた者を感動させるに足る名文である。この最終段階ギリギリまで、力強く励ましていただき、私どもが心豊かな気持ちで受審出来るようになるよう事細かくご指導戴いたことを、どんな言葉を並べても到底感謝しきれない。
 総師長は看護師達の集まりで今朝このメールを読み上げたが、途中で感きわまって涙声に変わったとのことである。このエピソードに私どもの気持ちの全てが集約されていると思う。
 受審委員会の長として、関係した全ての方々に、全職員に対して、陰日向無く感謝の気持ちを伝えたいから、特定の部署を上げることは出来ないが、私は総師長の、その感涙の背景を充分とは言えないまでもまず理解出来るつもりでいる。

 3月17日午後14:00過ぎに7人のサーベイヤーが病院に到着される。どの様な方々が当院を担当されるのだろうか、当然一面識もないし、情報もない。だからこそ、楽しみである。サーベイヤーの方々は鬼でもなければ蛇でもない。患者の立場に立つ、安全で良い医療を求めたい、日本の病院医療のレベルを上げたい、・・・と思っておられるはずである。その方々のお話を今日から3日間じっくりとお聞きしたい。多分、「この部分はこうすればもっと良くなりますよ」と、そう言う視点で評価していただけると思う。

 われわれの方でサーベイヤーの質問に上手く真意を短時間で伝えることが出来るのか、自分の分担する分野も含めて些か自信を欠くが、もうここまで来ればジタバタしても始まらない。背伸びせず堂々と受けよう。

 蛇足ながら、この受審が終了した後、われわれの方にサーベイヤーを評価し機構に報告する機会が与えられている。これはサーベイヤーにとっても大変なことである。機構の方でこの様な機会まで用意して評価を行っている。この在り方は、侮れない、評価すべき姿である。


3/15(火)快晴 医師会打合せ 県病院協会講演会「医療評価機構の今後」 医局カンファ(欠) 
2:00起床,機内で仮眠とったが眠い。ドック1名、紹介状2部、徒然ほかこなす。5:20病院着、6:10回診+定期処方箋40数枚発行、他。救急カンファ出れず。9:15-13;20外来。14:30-15:40医師会打ち合わせ。病棟処置他。18:00-19:30Castle Hotel  県病院協会の講演会、日本医療評価機構理事・評価委員長で日大教授大道 久氏の「医療評価機構の今後」。昨日は東京で、本日は秋田でご高説をうかがう機会なんて実に偶然。医局カンファは久々のCPC、残念ながら欠。21:20帰宅。22;00就眠。

院はまもなく日本医療評価機構の審査を受ける(4) サーべーヤーは良い医療を求めるボランティア達だ
 私自身、初期には医療評価機構自体に納得し難いものを感じていた。

 その一つは第三者機関と言っても純正な中立機関ではではなく、1995年に厚生省や医師会、病院会、医療関係団体等の肝いりだと言うこと。機構の立ち上げ時には厚労省から数億円という多額の金が提供されているし、当初は診療報酬にはリンクさせない等言いながら実際には、緩和医療の面などでは認定必須項目の一つとなっているではないか。

 第二には日本医師会の前会長である坪井氏が理事長におさまるなど実に不透明な組織である。従って、この機構に属し、訪問診査で医療機関をチェックして回るサーベイヤーと言われる方々にも芋蔓式に必ずしも良い印象を持っていなかった。それが、昨春まで抱いていた正直な感想である。

 それでも、当院は将来の為にも、対社会的な意味でも、共に働く職員達のアイデンティティ確立のためにも避けるべきでない、早急に受審すべきとの方針を固めてから機構について少しずつ学んで行ったが、次第に私の考え方は変わっていった。500余に及ぶ設問を読み、自分が受け持った領域を中心にQA式に検討していく過程で、機構が真に求めているのは何なのか、が徐々に見えてきた。

 得た結論として、機構は決して大上段に構えた立場から医療機関の問題点をあげつらうのではなく、学術的な立場を基本にした視点で、より、中立的にその医療を評価し、その結果で問題になった箇所の改善指導をする。そのことこそ主たる仕事であり、受審した医療機関の医療の質を向上させ、住民や患者からの信頼の確立を得るように手伝ってくれる組織なのだ、と言うことである。
 要するに、日常われわれが診療を通じて求めていることと同じ事を、別な立場から見てくれ、評価してくれる、有り難い組織なのだ。だから、考えようによっては中通総合病院と機構の視点は同じ、と思う。従って、サーベイヤーの方々も、患者の立場に立った良い医療を求めていこうという方々で、時間や労力を惜しまずに行動してくれる貴重なボランティアで、極言すればわれわれと同じ医療仲間なのだ、と思えるようになった。それが昨年の夏頃からである。

 そう考えるに至ってからは肩の荷がスーッと下りた。だから、若干の紆余曲折はあったが、苦しい時間のやりくりの中、そうストレスに感じずに今日まで私は準備を進められて来たのだと思う。


3/14(月)秋田降雪 東京晴れ 管理会議 日医病院問題検討委員会 長副会議(欠) 
2:00起床,ドックx1、介護保険意見書、紹介状2枚、総括他各種書類記入処理.5:10病院着。6:10回診、重症者数名対応。8:00管理会議.9:00病院発、秋田道経由空港に。10:05JAL AirBus A300-600、搭乗率40%ほど、最後部席でゆったり。機内で呼び出しあり驚いたが、秋田空港JALカウンターに帰りのANAチケットがあったとのこと。浜松町で本数冊購入。13:30-18:00日医病院問題検討委員会+情報交換会。空港でチケット受け取り、19:55ANA   B767-600、搭乗70%ほど、最後部席でゆったり。21:10秋田着、激しい降雪で秋田道よく滑った。22:00帰宅、22:30就寝。

院はまもなく日本医療評価機構の審査を受ける(3) 受審の過程で掴んだ確信は大きい
 当院が50年かけてやってきた医療、最近こそ相対的に目立たなくなったが、われわれにはこれほど誇れる力、歴史があるのだから、受審を機会に、これらを整理し直し、再度軌道に乗せることができれば、例えハード面で大きな問題を抱えてはいても、当院は必ず認定されるだろう、との都合よく解釈し、都合良く確信して私は一発認定を夢みて委員会を運営してきた。

 受審委員会では各委員が分担して一年間かけて着々と準備を進めてきた。受審に関する病院集会も開催した。しかし、受審準備のための専従者もいない状況で、関係者全てが多忙な日常業務のなかでの作業であったから、進捗状態は計画よりも大幅に遅れていた。秋口には準備状況の遅れを憂慮する、心配とも非難ともとれるような有り難い声が方々から上がり、その結果専従の事務職員を一人付き、その頃から加速度的に準備状態が進展した。

 この進み具合の変化は驚くばかりであった。特に年が明けてからはの進捗は、私自身が目を見張った各方面のマニュアル類も次々とでき、受審準備室にあふれんばかり揃ってきた。院内の掲示も変わってきた。業務内容も変わってきた。ハード面も可能な範囲で改善した。懸案のオーダー簿関連すらも出来上がった・・・。
 このような整理、改善、改革、改良は平時には先ず不可能なものばかりである。これが3月に向け次々と出来てきた。

 秋口以降は、私の委員長としての存在など無きに等しいほど、全病院あげての取り組み状況である。50年の歴史の中でこれだけのパワーを集中したことがあるのだろうか!!    私どもはこの受審を通じて再び大きな財産を獲得した。これは認定の有無と関連させずとも何物にも代え難い、最高に評価すべき成果である。

 蛇足ながら、本日、日本医師会で開催された病院問題検討委員会の委員長は昨年のいま頃まで日本医療評価機構の理事長であった大道氏である。情報交換会では隣席だったこともあり受審についても若干話題にしたが、いまエントリーが2600病院ほどでどんどん増えているとのこと。今月の訪問診査は特に集中しており80病院もあり、機構の方もやりくりが大変とのこと。これほど審査が多数であることが吉と出るか、凶と出るか、私は吉と読んだ。われわれには追い風が吹いている。自信を持って受審しよう。

 本日、3月15日18:00からCastles Hotelで大道氏による「日本医療評価」についての講演会がある。ゆったりとした気持ちで聴きに行くつもりである。楽しみでもある。


3/14(日)降雪・吹雪 病棟拘束 医療評価機構受審最終検討会(二日目)
1:30起床、ドック判定総括X1、紹介状X1、医療評価QA再検討入力。8:10病院着。吹雪状態、積雪5-7cm。8:45救急カンファ、10:30-16:30医療評価機構受審最終検討会(二日目)。準備と成果により自信をもった。医療評価QA再検討入力続行。20:00帰宅、夕食、20:30就寝。昨年は午後、陽気に誘われてガレージの奥からヤマハ250ccのバイクを出し点検、試乗したのに今年の天候はときたら、とため息、ウー寒!!

院はまもなく日本医療評価機構の審査を受ける(3) 本当に患者の立場の医療を展開してきたのか?
 私は日本医療評価機構のコンセプト全てを是とするものではないが、「患者の立場に立つ視点で医療がなされ、その視点で病院が運営されるべし・・・」は評価機構が求める主たる視点である。この点に対する徹底した姿勢に対しては感動すら覚えてしまう。

 古い話であるが、私がこの病院に就職した年の秋、5月に就職して数ヶ月が経過して私はなかなかなじめない環境で自己のアイデンティティを喪失しかかっていた時期でもあるが、この際何でも見ておこうという気持で他に予定していた重要な会をキャンセルし「秋田県民医連学術集談会」に出席した。詳細は忘れたが「秋田県の今後の医療のために明和会の医療活動は如何にあるべきか」と言う名のようなパネルディスカッションが行われた。私は一番後ろの離れた席でポツンと聴いていたが、そこで展開された熱気ある発表、フロアからの活発な意見を交えての討論は私に大きなショックを与えた。

 この集団の異様な熱気は何なのだ??秋田県の医療を自分たちがリードして良い医療をうち立てようと言う、この気概は何なのだ??宗教団体なのか?とさえ思ったほどである。秋田に住んで13年、別の医療機関で過ごしてきた私にとって中通病院は何か他とは違った視点で医療を行っているらしいと言う噂はあったが、よくストをやる病院だとの印象をもっている位で詳細は知らなかったし、私の周辺の医師仲間では中通病院自体も医療もそれほど高い評価ではなかった、からである。

 確かに働いてみて分かったことではあるが、当時の中通病院は、より患者の立場に立つ医療をやっていたと思う。特に看護、福祉関連では感心させられることも多くあった。しかし、他から何の知識も先入観も無しにポット入ってきた私の立場から見ると排他的で、自己満足陶酔型集団に感じられた、というのが正直な感想であった。これは批判ではなく、私の抱いた正直な感想である。時代や医療環境も職員の考え方も変わって、いつぞや私自身も環境に埋没してしまったから、私も同じ穴の狢である。
 
 2年ほど前、医療評価機構についての検討を開始した。初めて資料を手にしたとき、私が思いだしたのはかつての熱気を感じたあの場面である。病院は、われわれは何かを忘れてしまっていたのではないか?それに気づかされ、受審を真剣に考えるべきと決心した時でもある。


3/12(土)曇天 医療評価機構受審最終検討会(初日)  
2:00起床、ドック、主治医意見書、紹介状・総括、徒然。5:10病院着.6:20回診、紹介状、入院カルテ整理他。10:30-14:00外来、土曜にしては超混雑。療養病棟発熱、肺炎多発で病棟の対応も大変。医療評価関連業務。17:00-20:00医療評価機構受審最終検討会。 21:00帰宅、軽く夕食、21:30就眠。

院はまもなく日本医療評価機構の審査を受ける(2) 職員の反応の変化
 思えば、受審を具体的に決めた昨年春頃は、受審の意義は委員会委員はそれなりに理解していたものの、病院全体としては「笛ふけど踊らず」どころか、受審そのものにアンチな意見の方がより多かったと言い得る。

 早朝、病棟回診に行くと疲れ果てた深夜勤務の看護師さん方からは「何でそんなもの受けるのか?」「何故こんなに人手が足りなくて多忙なこんな時期に受審なのか・・」との苦情が多数聞かれた。こんな時の表情はいつもより一層ふくれて険悪に見える。徹夜明けの看護師さんの気持はよく理解出来るし、私にとっては看護師さんは恐い存在であるから大事に大事に、ソフトに説明し、対応した。医局では暇そうに見える医師ほど「どうせ受けたってウチの病院はハード面で問題があるから認定なんて無理ですよ・・・」と実にクールな反応であった。そんなとき「先生方が取得した認定医資格と同じようなものですよ。この時代、当たり前の資格の一つなのです」と答えてきた。アンチであってもクールな意見であっても無いよりはずっと良い。「そんなこと私にとってどうでも良いこと」との無関心層が一番困る。だから、意見を言ってくれた人達には感謝している。

 しかし、恐らく、今は全職員のうち誰しももうその様な考えは持っていないだろうと思う。なぜならば、この受審準備過程での環境の改善、システム変更の影響は全員に及んでおり、自分がどんな考えを持っていようと、例え無関心であってもこの変化に対応していかなければ業務が出来ないからである。しかし、表現はしてくれなくとも、この受審の過程のなかで病院自体が確実に良い方向に変わりつつあることを全職員が実感してくれているだろう、と思うのは委員長としての身贔屓な考えであろうか。
 外注の清掃関係の方々からも、製薬会社の方々からすらも「何か、最近、とても病院が変わりましたね・・・」などとの言われることもある。こんな時は実に嬉しくなるが、これは受審に伴う大きな成果である。


3/11(金)曇・雨   医師会打ち合わせ(欠)  法人理事会
2:00起床、ドック他処理、紹介状、総括、徒然。5:20病院着、裏口未だ閉まっていた。5:20回診、事務処理他。救急カンファは欠席。高熱者新たに数名。10:30-13:30外来10数人。13:45ドック診察4名。医師会打ち合わせは午後の業務多忙でキャンセル。主治医意見書など対応多数。医療評価関連も若干。17:30-19:30法人理事会。年度末で来期の事業計画など話題多数。21:15帰宅。21:45就眠.

院はまもなく日本医療評価機構の審査を受ける(1)あと数日!!!
 日本医療評価機構受審の是非を検討する準備委員会の時から今日までの約2年間、私は受審委員会委員長として関わってきたが、その受審がついに来週の17-19日(木-土)に迫っている。長い道のりであったが遂にここまで来てしまったという感じで、昨日あたりから焦りは消え、今は淡々とした気持でいる。
    実際には、受審当日に私が主に対応する領域は2・4・8領域ととてつもなく広く、病院の広範な機能部分に及ぶだけに私自身の準備も未だ不十分である。時間が如何にあっても足りないほどであるが、その間に東京出張もあるし、いつもの如く厳しい状況であるが何故か今の気持ちは不思議なほど淡々としている。

 昨日の領域4・5に関して関係職員による読み合わせの会があった。出席者の発言の中に後ろ向きの発言は一切きかれず、病院をより良くしていこうという前向きの姿勢が強く読みとれたことは大きい。この医療評価機構の受審の意義が現場の各スタッフに理解され、当院にとって欠くことの出来ない過程の一つと認識されたためだと思う。委員長として私が取ってきた運営過程、マネージメントに対する叱責等の厳しい発言も飛び出す事も十分に有り得ることと半ば覚悟していただけに心底ホッとした。正直言って、いまそんな心境である。

 自分たちの出来ることはまず出来た、と言うのが実感。勿論、客観的にみればまだまだ準備不足、対策不足は明らかであろうが、そんな事なんてすべて相対的なものだし、完璧になんて出来ないことは始めから分かっていること。与えられた時間の中でやるべき事はやったという満足感がある。
 数ヶ月前までは思うように事が進行せず、自らも一日の業務終了間際、パソコンの電源を落とす直前に、空腹状態と闘いながらも気を奮い立たせ5-10分ほどでも、と資料を準備し、Q&Aを細切れ状態に作ってきた。何日間も手を一切つけられなかったことも希でなかったし、委員会としての進捗状態も決してはかばかしくない時期があった。
 その頃は、日が一日暮れる毎に、言いようのない無力感と焦りを感じていた。


3/10(木)温暖 医療関係団体打合せ 県感染症部会(欠) 医療評価機構受審QA読み合わせ 
 1:30起床。ドック総括x1他。5:20病院着。5:20回診他、8:10救急カンファ。9:00-12:30外来、午後の会議の為急ぎ進行。13:00-13:40医療関係団体打合せ「21世紀の医療を守る会の会計」。病棟は高齢者の高熱続く。「秋田県健康づくり審議会感染症対策文科会」は欠席とした。17:00-20:00「医療評価機構受審QA読み合わせ--ケアプロセス部分」。21:00帰宅、夕食、21:30就眠。

ディーゼル車排ガス粒子物質を「ゼロに」  中央環境審議会・大気環境部会中間答申案
 環境省の諮問機関である中央環境審議会・大気環境部会は2009年から販売するディーゼル車を対象に、世界で最も厳しい排ガス規制の導入を求める答申案をまとめた。具体的には、今年10月から施行される規制値より一層厳しい規制になっており、粒子状物質と窒素酸化物の排出量をガソリン車並に抑え、公害の元凶になる粒子状物質は実質ゼロにすべしとしている。この規制では今年10月からの次期規制値に比べて粒子状物質は53-63%、酸化窒素物は40-65%も減少するため、住民にとっては大歓迎である。
 しかし、規制強化は自動車業界とトラック業界にとっては大問題で、自動車業界は新型エンジンの開発費用をトラックの値段に上乗せする必要が出てきた。車の値段が上がればトラック輸送業界は収益に影響がでるだろうし、トラックの買い控えが起こるのは目に見えている。

 欧米諸国はもともとディーゼル車排ガス規制が厳しいが、この中間答申の規制はそれより厳しく、実施されれば世界で最も厳しいものとなる。粒子状物質と酸化窒素物は大気汚染の原因物質であるとして、東京都は2003年10月からディーゼル車規制を行っているが、未対応の車両は特定地域を走れず、輸送業界では、トラックの早期の買い替えや有害物質除去装置の装着などの負担を強いられた。しかし、その効果は著しく、東京都の大気汚染はかなり改善したらしい。
 私も大気汚染に対してかなり関心があるが、それ以上にバイクで走行中にディーゼル車の後を走るハメになったときなどは、臭いもひどいほかに顔が煤だらけになるなど大変な思いをするから、この規制については多いに賛成である。尤も、この規制が実施される頃はバイクに乗れているか分からないが。


3/9(水)快晴 県医師会常任理事会
1:30起床。ドック総括x1、退院総括、紹介状他。医師会文章最終校正、徒然。5:20病院着。車検から戻った金食い虫の16歳のレガシーワゴン、最近とみに調子が良い。今回車検の経費はジャスト14万円。6:20回診他、8:10救急カンファ。9:00-14:00外来、混雑。机上と病棟の業務処理。17:30-18:50県医師会常任理事会。私の作成した決議文が承認された。病院回診他.20:50帰宅、21:15就眠。

偽札 偽硬化
 今、急速に1000円、5000円、10000円札が新券に置換されている。銀行のキャッシュコーナーで旧券を預け入れ、その場で引き出すと綺麗な新券になって戻ってくる。初めて新券を見た日の気持、特に樋口一葉の肖像部分はコントラストが乏しくて驚いた事などはもう薄れてしまって、すっかり日常に浸透した。

 偽札に関するニュースが時折報じられている。
 警視庁によると、昨年1年間に全国の警察に届け出があった偽札は2万5.858枚と過去最多で、一昨年より52.9%も増加した。最も多かったのは千円札で1万6,012枚、1万円札は8、828枚、5,OOO円札が1,O07枚で、あの2.OOO円札は僅か11枚だけだったとのこと。かつては偽札づくりと言えばプロの印刷業者が関与して大がかりな犯罪行為であったが、最近のは精巧なスキャナーやカラー印刷が出来るプリンターなどのハード面の発達が背景になってスケールは小さくなっている。また、自動販売機や両替機をすり抜ける偽札の作り方が、雑誌やインターネット上に掲載されたことも関連していると考えられているようだ。こちらの場合はちょっとしたいたずら行為に近いと思われる。

 しかし、紙幣の価値はもともと国家体制に対する信用が支えで、このような安易な事件が起こると権威は失墜する。だから、国としても必死に対応しなければならないし、摘発されたときの罪は大きい。新券の作成に関わる費用、自動販売機、キャッシュシステムなどの変更費用はとてつもなく大きいが、結構社会を経済的に活性化させる効果もあるようだ。
 一般的に偽札づくりはペイしないのだそうだ。特に千円札などはペイしているとは思えない。そう言えば、500円硬化も随分発見されているようだが、これは工場で大量に造っているだろう。これも恐らく、ペイしないだろうにご苦労なことだ。技術を生かす別の仕事はないのかな。


3/8(火)快晴 感染症評価委員会 ABS収録 健康対策課打合せ 医師会打ち合わせ 看護部門医療評価機構指導 医局会
1:30起床,ドック総括x1、紹介状2部.徒然。5:20病院着、6:15回診+定期処方他。8:10救急カンファ、9:00-13:45外来、14:00県感染症評価会議。そのままABS収録、健康対策課打合せ、医師会打ち合わせ。16:00-17:30医療評価機構看護部門指導に途中出席。17:30-18:30医局会「整形の救急」。20:40帰宅。21:10就寝。机に座することもなかった一日。

サザエさんの視聴率は景気指標の一つになる??
 サザエさんの視聴率が高いと株価が下がると言う研究があるそうだ。大和証券の研究所で「国民的人気アニメ番組、サザエさんと株価の連動性」をレポートにまとめた。
 それによると、今ライブドア関連の話題で連日ニュースに登場しているあのフジTV系で日曜午後6時30分から放送されている「サザエさん」の261週間の平均視聴率と東証株価指数(TOPIX)の関係には逆相関があることが判明した。
 TOPlXの意味なんぞ私など全く知らない世界であるが、その説明は以下の如く解りやすい。互いが逆相関として連動する理由は「サザエさん」の視聴率の上昇は外食とか外出をしないでTVを見ながら自宅で夕食を摂る家庭が増えていると言うことを表し、このことが不景気を示すということらしい。
 大企業の企画室がこんな事まで研究??しているのかと思うと笑ってしまうが、それだけ種々のデータを経済指標の一部として用いているのだろう。こんなのもその業界の学会とかで真面目に発表されているのだろうか。

 「サザエさん」の視聴率が上がることが自宅での夕食の状況を示しているとしたら良いことだと思う。子供達を囲みながら、おしゃべりしながら暖かい家庭料理を食べる、こんな状況ならとても良いじゃないか。ただ、TVを観ながら夕食を摂るのはいかなるものかとは思うけど。
 「サザエさん」の視聴率が家庭での夕食の状況を間接的に表す理由は「サザエさん」があらゆる年代の人達に支持されていると言うこと。だから指標になるのだろう。私はTVとしてみる機会は殆どないが、文庫本化した「サザエさん」を全巻持っていて、たまに、たまに手に取ることもある。当時の世相を知ることが出来るから現代風にアレンジされたTVよりは好きである。


3/7(月)晴れ、寒波緩む 管理会議 療養病棟判定会議 長副会議
1:30起床。ドック総括1名分、主治医意見書x3他、徒然。5:20車間代車の軽自動車SUZUKI  の「Kei 」というので病院着。結構良く走る車だ。6:10回診、重症患者若干良いか?安堵。8:00管理会議.9:00-14:00 外来+ドック関連。病棟患者治療処置など。机上業務。16:00療養病棟判定会議4例検討。16:30-19:00長副会議、その間に患者死去。机上に懸案事項また山積み。患者見送り後21:30帰宅、夕食、22:00就眠。

現代のヒトにはお天道様では通用しない だから他人の目も必要か
 最近、若い両親、特に母親からは虐待、父親からは折檻を受けている子供が随分増えているとのこと。親から虐待されている子供達の気持に想いをはせると耐え難い心境になる。

 今は子供の養育は密室で行われていると言っていい。他人ばかりか、血縁縁者の目さえも届かない環境である。今日の外来でも二人の若いおばあちゃんが、娘は来なくても良いから孫を抱きたいと、嘆いていった。共にスープの冷めない距離に住んでいるのだそうだがさっぱり来ない、子育てはどうなっているのかさっぱり解りません・・と寂しげに笑う。
 かつては子育ては地域の中で行われたものだが、核家族、近隣とのつき合いも乏しく、隣のことは関知しない世相の中、密室の中でひっそりと行われる。
 本日もラジオで若い母親が子供を湯船に浸けて殺害した事件、3人の子供が虐待を受けて死亡し、母親が逮捕された事件を報じている。
 呆れた世相であるとは思うが、基本的にヒトとしての弱さの表現さなのだろう。ヒトはヒトと交わってこそ人間なのだ。ヒトはヒトとの間で学びとり、その中から自らの行動の規制を学び取る。周囲から守られていると言う感覚こそが大事なのだが、見られているという感覚でも良い、これらが行動を規制している部分は大きい。

 ヒトの子育ての本能はその部分だけを見れば、もしかしてイヌネコにも劣るのかも知れないと思うことも希ではない。
 ヒトとの関係で、人生豊かなお年寄りの静かな言葉、生老病死を通じてヒトとしての資質が育成されていく。そこで育まれるのが倫理観なのだと思う。親自身も子供の養育を通じて学び取るものは大きいはずなのに、子育ての苦労を学びの機会ととらえられないのだろう。
 お天道様から学ばず、自然から学ばず、ヒトからも子供からも学ばない。そんな大人が増えている。そんな親に密室で育てられた子供もそうなってしまう。その結果、虚偽に満ちた、編集し尽くしたTV画面の事象、インターネットの掲載記事の方を頑なに信じる、そんなヒト達で構成された社会、これは恐ろしい世なんだと思う。


3/6(日)晴天 寒波緩む 病棟拘束
1:00リハビリ病院当直室にて起床、病棟より数回電話連絡あり。ドック総括x1,紹介状、総括、医師会書類チェック、など種々処理進む.徒然記載。7:10検食、8:30キャスター付き中型トランクを牽き車道を歩いて病院に。歩道はまだ雪で歩行難。8:45救急カンファ。9:00-14:00病院にて回診、残務処理。14:30-19:30自宅にてそのまま業務。BOSEヘッドフォン修理終了し届く。車検は代車が届いていた。20:00夕食、20:30就眠。

自伝 秋田大学時代(1973-1985) (7) 
厳しかった当初の研究環境 冬場には遭難しかかったことも
 秋田大学医学部は
1970年( 昭和45年)4月 に設置 され、県立中央病院は代用附属病院となり第一期生80名 が入学した。代用附属病院とされた県立中央病院は翌年国に移管され正式に医学部附属病院として発足 した。
 一方、中央病院から約3Kmほど北東側の広面地区には、医学部、附属病院として広大な敷地が用意され、学生の3年次からの基礎医学授業、実習に間に合わせるために基礎医学研究棟,実習棟,講義棟,附属図書館医学部分館などが1972年( 昭和47年)に完成している。

 県立中央病院から移管した附属病院は病院機能だけでも手狭な状況になっており、血液班用の基礎研究用のスペースは地下室の一室に確保されていたが、無菌操作が中心となる私どもの研究はここでは無理であった。
 早朝出勤し、当日に午後に必要な機器を取りそろえて滅菌しておき、午前の診療が終わればそれらの機器を汚染しないように配慮しながら広面の基礎研究棟に運び、与えられた器機センターの一室で細胞培養を中心に研究を進めた。当時は器機センターを利用する研究者は少なく、広い研究室をほぼ自由に使うことが出来た。

 雑然とした病棟や病院医局から離れ、連日基礎医学棟に出かけ、誰も居ない実験室で時間を過ごすのは実に快適であったが、今から考えると実に不便な環境であった。病棟に受け持ち患者がいて重症な場合には何度も基礎棟から病院に戻る事も希ではなかったし、第一、無菌操作の最中に電話が来ればその度に無菌操作を中断して無菌室から出なければならなかったために、呼ぶ方も呼ばれる方も実に大変であった。

 夏場はそれでもどちらかと言えば快適であったが、降雪期には事情が一変した。広面地区はもともと広大な水田があった地区でそこに医学部が設置されたために、当初は道路事情も良いと言えず、道路の指標さえなく、住宅は殆どなかったから当然除雪は不十分であった。ひどい吹雪の時には自分がはたして道路上を走っているのかさえよく解らない状況に陥り、吹きだまりに突っ込んだり、脱輪したりで、時には車を放棄して途中から荷物を両脇にかかえ徒歩で実験室に向かったこともあった。強烈な吹雪の際には呼吸することも困難であることも経験出来た。


3/5(土)曇り後晴れ  病棟拘束 リハビリ当直
 2:30起床、さすがに眠い。ドック総括x1、紹介状、退院総括、徒然。15年目のレガシーワゴン、2月20日に車検切れしていたことが判明、Taxiにて5:30病院着、6:30回診,紹介状など。8:45救急カンファ、対象者無し。10:30-12:30外来。病棟は発熱者多数、業務処理。17;00リハビリ当直に。18:30検食,20;00就眠.

お天道(おてんと)様が見てるのだ  不快な「だれかが見てるぞ!!!」のポスター
 
秋田の市街地を歩くことは滅多にないが、東京出張時などにはかなりの距離を歩く。道すがら商店のガラス窓などに「だれかが見てるぞ!!!」のポスターが貼られている。地味な色調なので目立たないが、防犯関係の意味で貼られているのだろうが、ハッキリ言って見る度に不快になる。
 確かに、ヒトの関心が向いているところ、衆目のある場面ではまず犯罪は起こらないとされる。だから、「誰かが見ている」と言うことは現実的に犯罪の抑止力が働く事は明らかだろう。でも、何かコセコセして嫌な印象を持つ。「ヒトが見ていなければいいのか??」とさえ言いたくなる。

 私が幼い時、悪戯したり悪いことをした時など、母はよく「おてんとさまが見ている・・」と言ったものだった。「良いことをしている時も、悪いことをしている時も、おてんとさまがぜーんぶ見ていて、お前の心も、やった事もみんな知っているんだよ」と、諭すように、静かに言ったものだ。
 この言葉を聞かされる度に、太陽や、自然の営みに対し絶対的な、何かすごく大きなものを感じ、言われる度に、尻を叩かれる以上にシュンとなったものだった。これは私だけでなく、当時の子供達はみんなそう言われて育ったのではないだろうか。

 これは私に対しての、理屈抜きの倫理教育だったのだと思う。朝日が昇る時、夕陽が沈む時、私自身今でもとても敬虔な気持ちになる。「おてんとさま」は自分にとって大きな抑止力になっていた。母の言葉にそのルーツがあるからなのだ。最近まで、この言葉を想い出すこともなかったが、街で「だれかが見ている」のポスターを見て思いだした。やはり不快だ。

 今、倫理問題が喧しい。我が国は法治国家だから、法に抵触するか否かは極めて重要な判断基準である。しかし、倫理観は法よりも優位にあるもので、自己の倫理観に照らしてどうなのかの方が、遵法であるか否かよりも遙かに重要なことだ。

 そういえば「そんなことをするとお医者さんに注射して貰いますよ・・」これは良く聞いたものだ。これも親の責任を放棄した不快な言葉だった。(そう言われて育った世代が親になっているが、最近は外来で注射することもなくなったのでこれもすっかり死語になった。)
 
 最近の親は子育ての際に何といって倫理教育をしているんだろうか。その時「だれかが見ている・・」とは絶対に言って欲しくない。


3/4(金)曇り 寒波 県医師会打ち合わせ(欠)療養病棟歓送迎会(欠)医療評価機構QA読み合わせ(3日目)
2:20起床、ドック総括1名分、主治医意見書、紹介状返事、徒然他。5:20病院着、夜間底冷えし道路は鏡面、面白いほどよく滑る。6:20回診他、書類処理に集中。10:30-12:45新患補助外来。13:45ドック説明1名、診察5名.医師面談後再度書類処理に集中、県医師会打ち合わせは取りやめた。17:00-21:15医療評価機構QA読み合わせ、領域4と5。療養病棟歓送迎会出席は中止した。22:10帰宅、22:50就眠。自室床上に書類・カルテかなり増加、部屋が手狭になった。

ペットのクローン作成、州議員が禁止法案提出へ
 この度、飼い主からの注文でクローンペットを作る米カリフォルニア州のベンチャー企業事業に対し州の議員が禁止法案を提出する方針を明らかにした。この会社は昨年末、初商品として、クローン猫を約500万円でテキサス州の女性に販売し一気に注目された。女性は飼猫の保存DNAをでクローン作りを依頼し、死んだ飼い猫にそっくりのクローンネコにいたく満足していたという。科学的検索では同じ遺伝子を持つクローンであることは証明されたが、姿形、模様などは異なっていたのだそうだ。二匹目は技術があがったとして340万円ほどで販売され、近々新に3匹が製品として依頼主に届けられる見通しという。将来的には150万円前後でも引き受けるらしい記事がどっかの新聞に掲載されていたと思う。これくらいなら希望者が殺到するかもしれない。 イヌのクローン技術も完成間近だとのことで同社のDNA貯蔵室には 1000人近くがペットのネコやイヌの細胞を冷凍保存しているという。これからは獣医師が「重病ですが、もしもの時のためにDNA採取用のサンプルを採取しましょうか?」と訪ねられる時代が来るかもしれない。

 同社の事業に対しては生命倫理や動物愛護などの観点から強い批判があり、クローンペットの販売を禁じる法案提出の動きも出ている。これは当然である。
 
 私は一匹のネコに育てられたのだ、と思っているほどであるが、そのネコのクローンなど欲しいとは一切思わない。私の中ではずっと生き続けているのと同じである。しかも私と共に成長し続けている。
 生物は死ぬべき時は死ぬべきだ、そう思いたい。ヒトは自然の摂理に対しても何処まで介入して行くつもりなのか、よく分からないが、実に勝手なものだ。大体、飼い猫、飼い犬は本当に幸せなのだろうか??それすら私はいまだに疑問を持ち続けている。


3/3(木)曇り、寒波 医療評価機構QA読み合わせ
2:00起床。ドックx1。メール対応、退院時総括、徒然など記述。積雪5-8cmほど、5:00-5:00除雪機にて除雪。5:50病院着。誰もまだ通らない新雪の路地を通るのはいい気分だ。6:10回診他、8:10救急カンファ。9:00-15:00外来。予約・予約外患者共に多かったことに加えセカンドオピニオン1件。午後は書類処理中心。17:00-21:00医療評価機構QA読み合わせ2回目、領域3、4(一部)。22:00帰宅。22:30就寝。

納税(2) 過剰申告は自身の申告だからと黙認する?
 数年前の話。
 いつもその道の準専門家(?)に確定申告の計算を依頼していたが、家内が何を思ったか突然今年は自分でやって見る、と言い出した。多少の心配はあったが北海道医師会の作成した確定申告の手引き書など含め、源泉徴収等の資料を全部委ねた。計算結果は約98万円の追加納税が必要と出た。いつもの倍以上あるとは思ったものの、どうせ計算結果を私が見直しても解らないからそのまま郵送で申告した。1-2週後税務署から払い込みの通知書が届き、内容を見たところ家内の計算通りであった。大したモンだ、と感心し銀行振り込みの手続きをしたがやはりちょっと引っかかるものがある。思い切って振り込み直前に税務署に電話をしてみた。
 電話は中年(?)の女性。結構丁寧な対応で若干印象を良くした。若干高額すぎないのか、と問い合わせた結果は計算間違いがありそうだ、振り込みせずに待つ様に、との指示を受けた。2時間ほど後電話があり再計算の結果38万円とのこと。

 何でこんな事が生じるのかとの問い合わせたところ、詳細は忘れたが「自分で申告した額で、不足の額ではないから・・・」と言う意味の答えであった様な気がする。税金を多く支払うのは納税者の自己申告だから自由であるとのことらしい。私はその電話を受けた時点でそう理解した。本当はもっと詳細を確かめ、文句を言いたいところであったが、こちらの間違いでもあり、私がもっとも不得意な分野でもある。それと、納税額が半額になったのを聞いた瞬間、世の中が一瞬バラ色に見えたせいか、フムフム・・と簡単に了解して感謝の意を述べて電話を切った。

 このまま放って置いたら果たしてどうなったのだろうか?申告漏れの様に年末頃に通知があって、利息を多額に付けて返金してくれたのだろうか??この辺は良く分からないし、裏も取っていない。だから良く分からないが、納税の時期には必ず思い出す。
 今日、いつもの準専門家(?)に本年度分の計算を依頼した。今年はどう計算が出るか、不安であり、楽しみでもある。


3/2(水)曇り雪 寒波  院内対策委員会  医療評価受審QA打ち合わせ 
 2:00起床。ドック1名分、そのほか、いつもの如く処理。しかし、時間が絶対的に足りない。新雪5cmほど、除雪せず。5:20病院着。回診他、本日から新指示簿に移行。発想の転換が大変だが変化は良い。何となく嬉しくなる。8:10救急カンファ。9:00-14:00外来後半混雑。病棟患者処理と重症者対応等。15:45-5:20医師と面談。16:30-17:10対策委員会。17:15-21:45医療評価機構QA読み合わせ。実に大変な作業だ、これが今後受審に向けて何度か行われる。22:15帰宅、22:40就眠。

納税(1) 申告漏れ 犯罪者扱い さらに延滞税とは
 また嫌な確定申告の時期が来た。私は脱税をする気持など毛頭なく、納めるべき税金は納める、と30数年きちんと申告してきた。ところが今まで2回、申告を失念していた項目があって秋頃に北税務署から呼び出しをくらった。
 一度目は10数年前だろうか、盛岡市の古い自宅を親戚に提供し、家賃として1万円/月程度を受け取っていたが、これについては安いし、個人的関連のなかでの処理で良いだろうと考え申告していなかったが、貸借関係が生じてから数年目に申告漏れの通告が来た。親戚が自営する商店の経費として盛岡税務署に申告したからであろう。
 出頭するようにとのことで指定されたように税務署に行ったが、30歳ほどの若手職員に犯罪者まがいの扱いを受けた。さんざんイヤミを言われて追徴金は6万円ほどとのこと。イヤミ料として半額にしてくれても良いものを・・・と思ったほどで、極めて不快であったが、税金納入自体には文句はない。直ぐに銀行振り込みをした。
 要するに出頭してもしなくても処理内容には変わりはないのだ。

 2回目は生命保険解約関連の利息についての申告漏れで昨年秋に通告と出頭通知が来た。昨年3月の申告時に失念していたものである。出頭については今回は額も大きいしかなりなことを言われるだろう、しかし、行ってもどうせ安くならんだろう、と電話にて処理するよう交渉した。交渉はスムーズでなかったが何とか押し切った。申告漏れと追徴金を含め50万円ほど、これに加えて更に延滞金として2万円ほどが追加された。
 通告があってから間髪をいれず即座に対応したのに延滞税とは何事かと思ったが,彼らの論旨では春に払うべきものを秋まで遅滞していたからとの解釈だろう。ならば、税務署の方で何で12月になってから請求するのだ!!!と思う。職務怠慢でないのか?申告終了後から作業を始め、12月頃に一斉に申告漏れの手続きし、延滞金をどさっと稼ぎ出しているのではないか??と勘ぐりたくなる。これについては私自身の感想であって裏は取っていない。

 数日前、岩手から不動産税が未納になってます、との連絡があった。11月に納入すべき3000円が未納とのこと。延滞通知手数料として100円が上乗せになっていた。こっちの方は気分良く3100円送金した。


3/1(火)寒波襲来 曇天 県医師会打合(欠) 県個人情報対策課来訪  医局会
2:00起床,ドックx1。紹介状、総括予稿、機能評価QA集.5:05病院着、回診、採血、鼻胃管挿入、定期処方箋他。本日から治療薬指示書変更となり大変。8:10救急カンファ、9:00-14:00外来。院内業務のため県医師会打合は欠、16:00県個人情報対策課来訪、17:30-19:00医局会。医療評価機構医局関連部分検討。21;00帰宅、21:30就寝。

音楽のないラジオ放送があればいい
 私にとってNHK第一放送は情報収集のために欠かせない。そのために身辺には大型のラジカセから、発電式のラジオ、カードタイプのものまでいろんなタイプのが10数ヶ置いている。私にとってはカーステレオなども基本的には不要、AMが入るカーラジオがあれば良いし、カード型の一つは殆ど24時間持ち歩いているほどである。一方、好きな音楽を聴き込む時間は殆ど無く、通勤時、出張時等に移動しながらヘッドフォンで聴く程度なので、自宅や医局ではBGM的に音楽を流しながら欲求不満を解消している。
 業務と音楽だけでは時間が勿体ないし、情報も欲しいので適宜NHK第一放送もかける。自宅では何か事件があったときなどはさらに音声なしで小型のTVでニュース専用チャンネルをつけていることもある。これだけ一緒につけていても、ながら勉強、ながら仕事は小学校以来だし、業務に集中すると殆どきこえないと同然な状況になるので能率はそれほど落ちていない。

 ところが、どうにもならないのがNHK第一、第二放送で間奏的に流される音楽。放送を作る立場では番組切り替えの時などに音楽を流すのは当然の発想だろうが、私にとってはこれがとても耐え難く邪魔である。聴きたい音楽がBGM的にきれいに鳴っている、そんな状況下にラジオから歌謡曲などが流れるとガックリ来る。歌謡曲も好きだけれども、私には2系統の音楽を同時に楽しむことはまったく不可能である。

 TVに文字放送がある様に、音楽なしの音声だけの番組があって良い。そんな番組を作ってくれないか??
 あれもこれも同時に楽しみたい、還暦で持ち時間がぐっと短くなったある中年の戯言


徒然日記バックナンバーへ戻る       徒然日記へ戻る   トップページへ戻る

   年を通じてワンパターンで淡々とした毎日です。AM2:00-5:00にメールチェック・返事送付、人間ドック(HDD)判定・報告書作成、新聞切り抜き、病院・医師会業務など。
  月〜土曜は6:00頃出勤、HDD報告書印刷、外来書類処理など。病棟回診、HDD受診者とミーティングと診察。8:45-14:00外来とHDD受診者に結果説明。昼食は摂りません。午後は病院業務・医師会業務、各種委員会等に出席など。20:00頃帰宅。
  日曜・祭日もほぼ同様ですが、病院には午後出かけます。時間的に余裕無いのが悩みです。


ご意見・ご感想などをお聞かせください

これからの医療の在り方:Send Mail