徒然日記

 日記と言うより、自分の行動記録からの抜粋と日々の雑感です。

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先月の日記          来月の日記


1/31(月)寒波 風雪 管理会議 療養病棟入棟判定会議 長副会議 県医師会委員会(欠)
2:00起床。ドック1名分,紹介状、返事。医報用原稿校正など。5:30病院着,寒波にて外は厳しい。6:30回診.病棟重症者数名。8:00管理会議.9:00-13:30外来。病棟対応他.16:00-16:30療養病棟判定会議。16:30-19:10長副会議、懸案事項多数、時間が足りない。18:30からの県医師会委員会はやむなく欠席。回診、21:00帰宅。一日一食の夕食を摂り21:30就寝.

「あなた100まで、わたしゃ99まで」 言葉が残酷な現実に
 結婚式のお祝いとして良く引用される、いわゆるお目出度い言葉には、例えば「あなた100まで、わたしゃ99まで・・」「鶴は千年亀は万年・・」「末永く幸せに・・」「永久に誓います・・」等と、長命を基本にした言葉が多い。私は、決して使わないが、一般的には今でも使われているんだろうか?確かに、人生を語るには一定程度の時間がある方が、無いよりはずっと良い。私なんざ「人生の定年は60歳さ。それ以降は余生。長さではない、中身なのだよ」と講演や講話で話しているし、「どっちが先に(生活習慣病で)こけるのかね、そろそろかね、未だちょっと早いが・・・」、これが最近のわれわれ夫婦の会話。もうその年代に足してしまった。だからこそ、毎日毎日の時間を大事にしたい、と思っている。

 短命な昔であったなら、上記の祝いの言葉は夢を語る言葉として最高に相応しい言葉であったことは、よう理解できる。互いにこんな言葉を言い合ったとしても、どうせどちらか、あるいは両方とも途中で欠ける確率が高かっただけに、情にまかせて、無責任に口走ったとしても、現実味が乏しかったからご愛敬である。また、核家族ではなかったし超高齢者はそれなりに社会で尊敬されていたから未だ良かったのだ。
 しかし、現在、例外的にしか若死にしないこの日本の社会では、「あなた100まで、わたしゃ99まで」は恐ろしい言葉となってしまった。
 老化で体力が衰え、障害を抱えた二人がひっそり老老介護しながら生きている。ひっそりは実は外面だけ。実際には、加齢と共に偏屈になった二人が、長い人生の恨みを互いに思いながら、あるいは口にしながらバトル状態で生きている。そんな夫婦を沢山診ているし、見ている。食事、排泄、清潔保持すら十分に出来ない悲惨な生活環境の夫婦もいる。子供達は口は出すが見に来るわけではないし、金も手も出さない。手をさしのべるのは医療福祉関係者だけ。
 社会を良くするために働いた世代、必死に子供を育て上げた世代が、良くした社会に、偉くなった子供達に捨てられている。
 今日、90歳の男性が、もうこんな不自由な入院生活は耐えられない・・と退院していく。残り少ない人生、あなたの好きなようにするのが一番、と無力な私は思うだけ。いろいろ受け入れ態勢を整えてあげたけれど、勿論十分ではない。89歳の妻は夫の退院を決して歓迎していない。入院していてくれたこの2週間、極楽だった、と涙をこぼす。多分、一週間くらいで戻ってくるかもしれない。
 若い時期、このお二人、こんな現実を少しでも予想したことはあるのだろうか?


1/30(日)寒波来襲 降雪、風雪  病棟拘束  NPO講演「医療事故を防ぐ」
1:30リハビリ当直室にて起床。ドックx1、本日の講演
準備急ぐ。7:15検食。8:30病院に移動。療養病棟患者重症化、対応。8:45救急カンファには出席できず。病棟患者対応。11:30何とか準備完了。回診他対応、13:30-16:30サンパル秋田で講演「医療事故を防ぐ」+意見交換会。これで一年間にわたる6回シリーズの講演は満足感と共に無事終了した。時間的には実に大変で十二分に準備できたとは言えないが、各回共に私自身の考えをまとめるのに有用であった。17:00病院へ、残務、20:00帰宅.夕食、20:45就寝。

自伝 秋田大学時代(1973-1985) (2)
秋田大学第一内科教室に入局2
 私が入局した秋田大学医学部は、戦後に国立大学に医学部が新設されて誕生したことから最も新しい、歴史もない、若い医学部であった。まだ卒業生もおらず、附属病院は秋田県立中央病院をそのまま用いているなど、体勢も十分に固まっていない状況であった。
 だから、私の如くの医師ですら必要とされていたという事情もあった様に思う。多分、医師免許さえあれば誰でも迎え入れる状況にあったから、私も運良く入局できた、と、今から見れば思える状況である。医師免許さえあれば「トンボも飛行機とみなす」と言うことかな??結果的に、私は歴史の長い医学部の医局にあるが如くの、古い慣習等にもそれほどとらわれることなく、のびのびと、驚くことに13年間も学ぶことが出来たという幸運に恵まれた。
 その様な、運のよかった状況、環境を理解するためには秋田県の医療事情を若干紐解いてみる必要があった。

 昭和12年以降の支那事変以降、将来の軍備に備えて大量の軍医が必要になり、医師の急造が国策の一つとなった。昭和14年には各地の医学部に医学専門学校が併設され、東北地方では、昭和19年に青森(国立)、福島(県立)医学専門学校が誕生した。当時無医地区とかを多くかかえ、厳しい医療事情下にあった秋田県でも時流に遅れるまいと設立を急ぎ、昭和20年4月に「秋田県立女子医学専門学校」を開設し、一期生を募集した。昭和21年5月には「秋田医学専門学校」と改称、男子も受け入れる予定であったという。しかし、戦後、GHQから、十分な準備が整った専門学校のみを大学に昇格する、との方針が出され、県でも種々準備を始めたが、当時秋田県の財政は困窮しており、充分運動を盛り上がらなかったらし。結局、マッカーサーの裁断で昭和22年3月に廃校になった。それに伴い、付属医院が秋田県立病院となった。
 この廃校は関係者にとって耐え難いショックであり、それ以降、県の関係者、医療関係者の中には秋田大学に医学部を設置したいという意欲が途切れることなく、脈々と引き継がれていったらしい。

 結果として、私はその歴史の積み重ねの恩恵を享受できた、と言うことになる。有り難いことである。


1/29(土)曇り、比較的温暖   病棟拘束   リハビリ当直
 2:00起床、夕べは若干遅く寝たのでさすがに眠い。ドックもやらず大幅に準備遅れの講演準備中心.5:30病院着,6:20回診,一般病棟の患者増加で時間不足を感じる。そのため回診時間を繰り上げているが多くの患者は未だ起きていない。臨床書類多数処理。10:30-13:00外来.本日から外来改修工事。種々業務,17:00リハビリに移動、夕食+検食。読書若干。22:30就寝.

NHK不祥事、上層部は何も解っていない

昨年7月に元チーフプロデューサーによる番組制作費着服事件が発端。紅白歌合戦などに関して4800万円余りを不正に支出させていたとして懲戒免職処分に、そして12月に詐欺容疑で逮捕された。他にも元幹部によるカラ出張、着服、不適切な経理処理、不正支出が次々と表面化、視聴料の不払いが大幅に増加した。 

 このNHK騒動は、会長の辞任とかのトップの人事一新で一応終息に向かうが如くの印象であったが、責任をとった形で辞任した会長を翌日顧問にしたことが再び火種になり、世の激しい批判を浴びて前会長は顧問を辞任した。当然である。一連の不祥事に加え、今回の経営陣のドタバタ劇は視聴者にさらにNHK不信を植え付けた。橋本新体制が信頼を回復するには相当な時間がかかるだろう。
  橋本新会長は28日、「クレームがこれほど大きな波になるとは思わなかった」「顧問を委嘱した判断自体は間違っていなかった」と会見で述べたが、この様な発言自体が信用をなくすことに気付いていない。ただただ呆れるだけである。上層部は呆けているんではないか??
 一連の流れの中で「信頼回復」の機会は何度もあったが、NHKは全ての機会をつかみ損ねてきたが、全て上層部の問題意識の欠除である。雪印乳業、三菱自動車、国土など、問題の本質を解っていないトップの過った対応が巨大な穴につながっていったことを何ら解っていない。海老沢会長の不遜な態度に私はかねてから不快感を抱いていたが、中身も同様であったと言うことか。

 続出している受信料の支払い拒否・保留問題は50万件に達するとの見通しで、受信料が命のNHKにとって厳しい現象である。この50万件というのは巨大化したNHKにとってはまだ小さな針穴の如くかも知れない。これは視聴者の気持ちを反映する重要なバロメーターなのだと言うことを忘れては困る。不払いに関しては今月以降が正念場となろう。受信料の集金人達は身に覚えのない不祥事の説明に追われて、歩合制部分の収入が減り、心の痛手を負って働く意欲が萎えた人もいるという。上層部は何も解っていないのだ。


1/28(金)曇り 県医師会打ち合わせ 県医務薬事課来訪 法人理事会
2:00起床、 紹介状他処理 、講演準備etc 、5:20病院着、6:20回診他。8:10救急カンファ、10:30-12:30外来新患補助、13:20ドック診察X5。県医打ち合わせ。15:45-17:00県医務薬事課来訪と県医師会打ち合わせ。17:30-19:00法人理事会。新入院、重症者対応。 21:30帰宅、22:00就寝。

比較広告
 最近、米国のコマーシャルに関する記述を見る機会があった。話には聞いていたが、この国で「比較広告」が許されている事は知っていたが、その実態の一部に触れて若干驚いた。実に広告がリアルなのだ。たとえば自分の社の製品がライバル会社のよりどれだけ優れているかを解りやすいグラフやイラスト、数字で説明したり、比較している。
 当然、激しいコマーシャル合戦となるし、場合によっては比較の相手先から名誉毀損で訴訟されることもあるという。比較のコツは相手先についてコメントをしないこと、少しでも誹謗や中傷の雰囲気を出さないことだ、という。これは当然である。

 医薬品業界の宣伝広告費は特に多く、年間38億ドルも投じられており、自社の薬品が如何に優れているかを強調する。そのためには消費者の心理に微妙な影響を与えるいろいろな手法も開発され、実際に用いられている。消費者は無駄な薬を買わされていると問題になっている。各社の製品間で効果はそれほど変わるはずがないのに、消費者はどうしても盛んに宣伝される、製薬会社が新しく開発した、より高い薬を使いがちになるらしいのだ。
 ただ、比較広告には良い点もあるのではないか、と私は思う。自社の製品の優れた点をはっきりと消費者に訴えることはその違いを明らかに示さなければならない。購入した消費者が、フムフムと納得出来るものでなければならない事になる。嘘のデータを示せばアトで返品とか訴訟とかのトラブルが生じることになるから、提示する内容は厳選されたものでなければならない。より良いものは確実に売れる。

 わが国の広告はそれに比較すると実におとなしい。はっきりと他社のとの優劣の比較は出来ないからどちらかと言えばイメージ合戦である。各社ともわが社のがベストだ、と主張する。何処には明らかな、万人を納得させるデータはない。だから、購入して後から内容的に大同小異だと解っても、それは購入した消費者の方が悪い・・・と言う論旨になる。
 どちらが良いのだろうか。一長一短があって決めがたいね・・という結論にならざるを得ない。「比較広告」が許されるには矢張りそう言う手法が通用するような文化的土壌が背景になっていなければならないだろう。


1/27(木激しい降雪 医療評価模擬受審二日目  療養病棟診療部会議
2:30起床。人間ドック1名分、講演準備等いつものごとし.5:20病院着、5:20回診他。紹介状などに追われる。9:00-16:30医療評価模擬受審、17:00-18:00療養病棟診療部会。入院患者不調、対応。20:30帰宅、夕食、21:00就眠。

謎。鼻穴はなんで二つなのか?? 
 まど・みちお作詞、山口保治作曲の童謡「ふたあつ」は名曲である。音羽ゆりかご会の録音などがとても良い。心がなごまる。

 ふたあつ ふたあつ なんでしょね    
 お目々がいちに ふたつでしょ
 お耳もほらね ふたつでしょ

 ふたあつ ふたあつ まだあって
 お手々がいちに ふたつでしょ
 あんよもほらね ふたつでしょ

 まだまだいいもの なんでしょか
 まあるいあれよ かあさんの
 おっぱいほらね ふたつでしょ

 特に3番の一節はとても良い。乳房の事を歌った唄は他にもかなりあるが、私にはこれが最高だ。「ふたあつ ふたあつ まだあって・・・」と次々に続けることも出来るが、そこまで詠わずに、「おっぱい」までで止めているところが奥床しい。肺だって、腎臓、副腎、卵巣、睾丸だって二つだよ。

 ところで、この歌を聴くといつも決まって思うのは、何で鼻孔(鼻の穴)は二つのなのか??と言うことである。確かに人の鼻は顔にとって美的に見ても見事なもので、何処のパーツにも優劣はないとはいうものの、容貌にかなり重要である。左右ほぼ対象に見事な造形である。これが鼻孔がもし一つだったらどんな形になるのか、想像だに出来ない。しかし、容貌は二の次だ、他の動物でもみんな鼻孔は二つである。だから、二つである意義は必ずあるのだろうが、未だ私には解らない謎である。
 人工呼吸器につなぐ管を鼻孔から入れているとき、鼻孔を用いて栄養テューブを胃に入れるとき、二つあって良かったな、とは思う。風邪をひいて鼻づまりになったとき鼻孔が一つだとさぞや苦しいだろうな・・・と思う程度しか考えつかない。

 「おっぱい」も何で「ふたつ」なんでしょうね。でも、いろんな意味で「ふたつ」で良かったと思う。


1/26(水)寒波若干緩む 医療評価模擬受審 県医師会理事会+報道関係者との懇談会(欠)
 2:00起床、人間ドックx1、紹介状、30日の講演準備着手.5:20病院着、降雪2-3cmほど。6:10回診、療養病棟重症者発生、対応で8:10救急カンファは欠。9:00-13:10外来。15:30-18:00医療評価模擬受審合同面接。18:50-22:20情報交換会。22:40帰宅。22:50就寝。

比内町なのに、道路標識の「比内市街方向」は正しいのか?? 
 昨日は県北の北秋田郡比内町の社会福祉協議会の行事に招待され、高齢の方々を対象に基調講演を行った。
   比内町は日本海に注ぐ米代川の中流、大館盆地の南東部に位置した農業の町。私はJR普通列車にて110分ほど北上、大館にて降り、車で会場まで送迎していただいた。車で大体20分くらいの距離である。この地は、稲作、ホップ、トンブリ(ほうき草の実)、しいたけ、花卉(かき)などの栽培が盛んである他、日本三大美味鶏「比内地鶏」の生産地としても知られている。この鶏肉はキリタンポとよく合う味で有名である。「比内」の語源はアイヌ語の「ピルナイ」(良き沢)と言われ、大館盆地一帯の歴史的呼称を町名に採用したものとのこと(駅の観光看板から)。本年6月、大館市に吸収合併されることに決定している。地名は「大館市比内・・・と残ることで、他の地域の合併で問題になっている新市名を何とするかでもめることも無かったとのこと。だから、昨日は比内町の社会福祉協議会としては記念すべき最後の行事だったのだそうだ。聴衆の方々も大変喜んでくれ、いい気分で会場を後にした。

 帰路、比内町から大館駅に戻る行程で、比内を出て間もなくの国道の標識に、↑「大館市街」、←「比内市街」とあった。比内は町なのではたしてこの記載方法は正しいのか??と疑問を持った。運転している方は2-30年もここを通っているがこの記載に違和感を感じたことは一度もないとのことである。

 「市街地」を身近にある3つばかり国語辞典でひいてみたところ、「人家や商店が密集したにぎやかな土地やところ」とあり、そこが「市」であるか否かはどれにも書いておらず、全く関係がなさそうである。今まで「市街地」と書かれた道路標識を見て「市の中心地に向かう方向」を示しているものだと思いこんでいた。小さなうろこが目から落ちた。昨日はお陰でちょっとだけ良い経験をしたね。


1/25(火)曇り-雪 Mozart誕生日 比内町社協講演 県医師会委員会 医局新年会(欠)  
2:00起床,人間ドックx1。評価機構関連業務、その他。本日の講演準備若干。5:20 病院着、道路面には雪無し、乾燥。6:20回診他、定期・臨時処方箋50枚送付。7:40療養病棟師長と医療評価打合せ。午前予約外来9:00-10:30、11:11JRにて大館、迎えにて比内町に。14:10比内町社会福祉協講会講演。15:50-17:55JRにて秋田。病院にて若干業務、19:00-20:30県医師会委員会。21:00帰宅、21:30就寝。

自然の音、雨の音、遠雷、しんしんと降る雪は私の心を癒してくれる(2)
 昨年12月末までは、さすがに時々寒さはあったものの、概して暖冬であった。私は寒がりであるが、今年は院内では未だに半袖のYシャツで過ごしている。いつもなら10月初頭には長袖のに替えていたのに、こんなことは初めてである。新年になってからはさすがに冬、寒波が襲来、雪も結構多い。それでもまだ続いているのは、長袖を出すのが面倒、半袖の気軽さ、やせ我慢、間もなく春だからこれで通そう、と言う気持からである。実際にはケーシースタイルの白衣の医師や看護師達の服装も半袖だから院内ではかなりの人数のスタッフが半袖なのだが、白衣を着ない私の半袖のYシャツ姿は目立つようである。患者が時々聞いて来る「先生寒くないですか?」、私は素直に「寒いです!!」と、答える。本当に寒いこともある。
 
 今朝、講演のために11:00前に病院を出た。朝の天気とは一変、かなりの降雪。風もそれほど無く、タクシーで駅に向かう間にも見る見る積もってくる。これが市街地でなく田舎道なら最高の情景なのに、と思った次第。
 私は静かな環境、特に早朝とか夜間に、無風状態の時に音もなく降る雪がとても好きである。心がとても安まる。しんしんと降る雪はとてもいい。数cmも新雪が積もると自然界が急に静寂に包まれるような気がしてくる。この静けさがとても良い。実際に雪には吸音効果もあるようだ。だから、私は雪の情景が好きだ。

 無風の降雪の中で早朝の出勤、行き交う車も少ない中、車をゆっくりゆっくり走らせる。こんな中で、いつも中田喜直作曲の名曲「雪の降る街を」が私の心の中で静かに鳴り続けている。この名曲、難10種類もの録音がある。何れも良いのは曲が良いからなのだが、私にとってはダークダックスか倍賞千枝子の歌声が心にしみる。雪の雰囲気、いろいろな曲に歌われる。一方、必ず一緒に想い出される「マッチ売りの少女」の情景は厳しく、もの悲しい。

 雪も、しかしながら溶け出すと、いろいろ大変である。今日はあえてそこまでは考えないことにした。


1/24(月)曇模様  管理会議  長副会議  県急性脳症検討委員会
1:30起床、人間ドックx1、紹介状、医療評価機構第2、第8領域QA集作成。5:10病院着.新雪無し。信号5カ所ほどちょっとだけ無視した。昨日家内は講演会出席時に信号無視で8000円ほどの切符を切られと言うが、25年の運転歴で初体験。6:10回診、他。8:00管理会議。9:00-14:00外来+ドック説明。16:00療養入棟判定会議、16:00-18:40長副会議。18:00からの県急性脳症検討委員会に遅れて出席、20:30まで。重症者に夜の回診、22:00帰宅、夕食、22:30就寝。

自然の音、雨の音、遠雷、しんしんと降る雪は音楽よりも遥かに心を癒してくれる(1)
 私は病的なほどの音ノイローゼである、と自認している。人工的な、とりわけ持続音、身体から発する音には耐え難い嫌悪感さえ感じる。
 しかし、自然界の音は良い。今、午前4:30 、徒然の時間である。外では小雨が降っている様だ。傍らの屋根がパラパラと音を立てている。しばしキーボードを叩くのを止め、ラジオ深夜便の音量を下げて聴き入る。もしかすればミゾレかな??、と言う気もする。
なかなかいい音だ。心が安まる。
 自宅の居間の東と南側に築後しばらくしてから結構広い風除室を作り、ここに観葉植物などを置いている。風除室の屋根は厚手とは言え合成樹脂製なのでちょっとした 雨でも敏感に音を立てる。作って初めて迎えた雨の日、それまで静かであった我が家の降雨の風景、突然雨の音が目立つようになり驚いた。私にとっては計算外のことであった。雨の程度によってはうるさいが、この時はガラス戸を閉めれば解決する。外が広々と見える空間、視覚的にも良い。

 外の様子が音を伴う風景として、より身近に感じられる様になったのは、考えようによってはとても良くなったと言いうる。特に小雨の音、これは私の心をとても癒してくれる。これに遠雷の音、稲妻が伴えば最高である。快晴の青空、時には目に痛いこともあるが、小雨の音はしっとりと全身を包んでくれる。ちょっとした小雨なら、傘をささずに濡れながら歩くのも悪くない。
 ただ、これに風が加わるとちょっと状況が変わってくる。
 
 ヒトが地球上に現れてこのかた、つい最近までは100%自然の中で、自然の恵みに包まれて生きてきた。多分、自然が持つ季節や毎日のリズム、サウンドは私どもの心の中に深く入り込んでいると思われる。文明と共にこれらを忘れかけていたようだ。
 いま、CDとかでリラクゼーションミュージックとかが提供されているが、意外と私には効果が乏しい。


1/23(日)曇り-晴れ やや温暖 病棟拘束 21世紀の医療を良くする会  
1:30起床。人間ドック、紹介状、主治医意見書、訪問看護指示書など種々処理.徒然日記送付。メールへの返事数件。家内も徹夜でパソコン叩いている。7:00病院、懸案患者回診処置。9:55公用車、空港に。11:30Viewにて本日の講師、李先生迎え、四師会会長と会食。13:30-16:00「21世紀の医療を良くする会」、李先生の基調講演内容も良く、盛会。総合保健センターのあの会場にこれだけヒトが入ったのを初めて経験した。17:00公用車、秋田空港まで李先生を送る。18:10帰院、業務若干、19:50帰宅、夕食、20:30就寝。


1/22(土)晴-曇り、やや寒気ゆるむ 病棟拘束
2:00起床、ドックその他、いつもの如く。5:10病院着、6:10回診、重症者2-3名対応.紹介状、総括他書類処理。8:45救急カンファ、9:10-9:40ドック説明。10:30-13:00外来、患者家族との面会2件。病棟重症者対応他。残務処理+評価機構関連。講演準備の時間がない。20:00帰宅、夕食。疲弊状態で20:30就寝。

TV・新聞・健康雑誌等の影響(2) 私は夢を与えることにしている
 「健康器具」、サプリメント(栄養補助食品)など、結構TVや雑誌なんかにも取り上げられている。広告にはいかにも利きそうな工夫されているだけ、私が見るといい加減に思えてならない。これだと不安や焦燥のある方達は飛びつくのも無理はない。

 サプリメントはアメリカが最も早い。1975年に「不健康の源は栄養不足」という内容の報告書が上院議会に提出された事が嚆矢となっているとのこと。この報告書は3000名以上の医師、科学者、生化学者の協力を得て集大成した5000頁にも及ぶ膨大なものだった。1994年に栄養補助食品健康教育法が成立し、サプリメント(栄養補助食品)が食品と医薬品の中間的存在として定義され、以降、ビタミン剤や栄養補助食品市場が急速に成長した。
 飽食の米国で栄養不足が問題になる事なんて信じられないが・・。
 日本のサプリメントはアメリカより20年以上は遅れていると言われており、アメリカは成長市場として栄養補助食品に対する規制緩和を大幅に求め、厚労省は慌てて対応している。

 健康の基本は食生活と運動でであることは論を待たない。「きちんと食事をとっている方でも多くの人が不足しているのがビタミン、ミネラル、繊維質で、食事だけで必要な栄養素をすべて摂るのは難しい」と栄養士達は強調する。私は本当かな??と思えてならない。

 ほんの一部ではあるが、サプリメントに相当入れ込んでいる患者がいる。米国が好きなんでしょうね。小泉さんみたいに。
 その人達にはもう宗教的?なレベルまで昇華しているから私の意見なんか二の次である。それでも受診してくるから面白い。本当はそんなのにお金を使うより美味しいものを食べる方が良いのにと思うが、言っても無駄、放置する。
 そのレベルはまだ良いが「サプリメントで治療するからお薬は要りません」という患者も増えている。生活習慣病の治療は医薬品の価値もそう大きくないから私はそれでも良いと許してしまう。ただ、効果確認のための受診だけは勧めている。だから、仕事が楽になってきている。


1/21(金)寒波で雪、風冷たし 県医師会打合せ 
2:00起床。ドック関連x1、紹介状x2他。5:20病院着、積雪2-3cmほど.6:20回診ほか。8:10救急カンファ。10:30-14:10外来+ドック説明+ドック診察x5。14:30入院患者家族と面談。15:00-16:00県医師会打合せ。評価機構関連業務。20:30帰宅、21:00就寝。

TV・新聞・健康雑誌等の影響(1) 夢を奪う立場を演ずることもある
 「毎日コーヒーを飲むと糖尿病予防に効果」、ある新聞の健康欄の記事。九州大学の研究グループが、福岡と熊本県で退職自衛官に協力してもらって調査し、そのような画期的な発表をした。それによると、日頃コーヒーを飲む人は糖尿病やその一歩手前の『境界型』になるリスクは10-40%程度も低下!!、というもので、英国の糖尿病専門誌に近く発表されるとある。糖尿病が発生する『相対危険度』は、飲まない人を1とすると、一日に1-2杯飲む人はO.6、3-4杯ではO.7、3-5杯では0.8だから、1-2杯飲むのが効果的と言える、と紹介している。

 もう一つ。米国と韓国の協同研究チームは、「毎日1個のリンゴを食べるとアルツハイマー病など予防に役立つ」ことを明らかにした。効果を高めるには、リンゴを皮のまま食べると良く、リンゴには高い抗酸化作用を持つケルセチンが多く含まれるからだ、という。抗酸化作用物質はアルツハイマー病の進行や、脳細胞の老化などから細胞を守る効果があるとされ、ケルセチンが注目されている。マウスの実験では、抗酸化作用が高い、と言われるビタミンCより明確に高い効果が見られた。だから、1日1個のリンゴは欠かせない、と記事を結んでいる。

 上記は外来で高齢の患者から見せて貰った雑誌の切り抜きの一部である。通常は別の医師の外来に通院している方。たまたま何かの事情で私が担当する外来に受診した。切り抜きを大切に折って財布に入れている。何度も何度も見たり人に見せたりしたのだろう、折れ目のあたりの活字はすり減って判読困難である。「コーヒーを飲みリンゴを毎日食べています」と胸を張る。オヤオヤ、この人もそうか・・・と思う。人の常、世の常と言えども、何か寂しく、哀れ。
 何時か話の種にしよう、とコピーさせていただいた。
 魅力的単語が並ぶ。「九州大学」「自衛官」「英国の糖尿病専門誌」「10-40%程度も低下」「米国と韓国の協同チーム」「抗酸化作用」「ケルセルチン」・・・。これじゃ信じてしまう。最後のネズミの部分は目に入っていない。

 その人曰く、「動脈硬化が恐い、進行を防ぐ方法は??」、私の答え、「今日死ぬことですね。生きている限り何しても老化は進むンですよ」。その患者とはその後一度も会っていない。多分二度と会うことはなかろう。


1/20(木)曇り サービス改善委員会 
1:30家内の帰宅で目覚める。ドックx1、紹介状返事、徒然など。5:20病院着.6:20回診他。8:10救急カンファ。9:00-13:25外来。医局会は出席出来ず。病棟対応、16:00-17:00患者サービス改善委員会。院内での携帯電話解禁関連を中心に処理。20:30帰宅。21:00就寝。

「ラミネートテューブ入り歯磨き」は頸を切って使い切る
 私のケチさ加減は母親譲り、と言うか教育の賜物か。モノは最後まで大切に使うのがしっかりと身に付いている。乾電池などまだ残っているのに捨てられているのは耐え難く医局や病棟から拾って使っている。
 二昔前は歯磨きはアルミのテューブであったが、最近は殆どラミネートテューブ入りとなっている。デザインもプリント絵柄も良く、最後まで清潔感があってなかなか良いが、それだけに最後まできれいに使い切るのが結構大変である。私は絞り出せなくなると頸を切って使い切る。切り口を書類ばさみで閉じて乾燥しないで置くと大体10回分位は使える。実にケチな話、と私も認識している。賄いの石井さん等は頸を切られたテューブを大切に扱っている私を見て完全にバカにしていて、白々しい目で私を見る。持てる価値を完全に使って廃棄する、その時の満足感はとても良い。白い目なんて何のそのだ。

 実は、私にとってはそれだけでない。
 私が、テューブの頸を切るとき、何時も王妃マリ・アントワネットのことを思う。
 1793年10月16日、1年2ヶ月に及ぶ幽閉で見る影もなくやつれた表情の彼女は、彼女の悪行をのろう数万とも言われる群衆の前でギロチンの露と消えた。通常ならうつ伏せにされるところを、彼女の場合は落ちてくる三角刃が見えるよう仰向けに寝かされ断頭されたと言われている。数分の後に迎えるだろう最期の瞬間を恐れる様子もなく、毅然とした態度で、しっかりとした足取りで、自ら断頭台に登り、死に臨んだ彼女の気高い様子、表情は、歴史上で最大の悪女の最期を見ようと集まった群衆に、逆に、忘れがたい感動を残したとされる。
 彼女は「全ての敵に、私に加えた危害を許します。神よ・・・」と遺書に残している。軽薄で遊び好き、奔放であった彼女は、最期に味わった予想だにしなかったであろう不幸のもと、一年間で威厳と気品を備えた王妃に変貌した、とされる。
 歴史に翻弄された薄幸の美女、マリー・アントワネット。私は彼女に魅了されており、一人の人間としての生涯に興味を感じている。彼女についての文献をもっともっと読みたい。ヴェルサイユ宮殿で受けた感慨、ここでは寧ろ貧者の苦しい立場の方に心をはせたが・・・、も共に忘れられない想い出である。


1/19(水)曇り-時に降雨 施設に於けるノロウイルス研修会 県医師会常任理事会
2:00起床、ドック処理X1。紹介状その他。5:20病院着、6:20回診、退院患者紹介状作成。8:10救急カンファ、9:00-13:30外来。14:00患者家族と面談。14:00-17:00View H「施設に於けるノロウイルス研修会」。17:30-20:15県医師会常任理事会。代議員会準備にて時間がかかった。20:40帰宅。21:00就眠。

私は一般病棟では「その他の医師」の扱い
 私の入院患者の本拠地は療養病棟で、40名ほどの患者を受け持っている。業務量も多く、看護師達の人使い、いや医師使いはとても荒いが、互いに本拠地という意識があるからそれなりに納得しつつ、私もここではまずマイペースで業務の遂行が出来る。
 一般病棟にも今のところ患者を5-6名受け持っているが、私にとっての本拠地はなく一つの病棟に殆ど一人ずつである。だからとても効率が悪く、早朝の回診の時には出来るだけ導線を短く回るためにいろいろ順序立てて工夫している。そのことはどうでも良いのだが、各病棟にとっては私はたった一人の患者の主治医でしかない、よそ者扱い、に近いから疎外感を感じてしまう。「この病棟のベットを特別貸している」、と言う雰囲気がありありで、特に師長、主任あたりの目はクール。「早く患者を何処かに引き取って欲しい」、と言う目で私を見る。私に相談もなく総合内科病棟に移されていることもあった。確かに、必ずしもその病棟の分野に即した患者でないからやむを得ないところもあるが、私の心は安まらない。大体、一般病棟に私の本拠地はないから、そう言われても困るのだ。

 病棟の処方箋は一カ所に集められ、各医師毎に分類されているが、そこには私の名はない。「その他」「その他の医師」という処に分類されて置かれている。作ったスタッフに悪気はないことは解っているが、処方箋を手にする度にちょっと嫌な感じだ。ある一つの病棟だけ「福田先生」というファイルに入れられている。ここではちょっとだけ気分が良い。フーン、その他扱いでしかないのか、と思う。私は「おだてりゃブタも木に登る」式に雰囲気に乗せられる方だが、ここではアイデンティティが喪失し、乗り切れない。
 しかし、患者に迷惑はかけられない。今朝もそろそろ出勤の時間だ。いつもの如く、ひっそりと、静かに、目立たぬように回診しよう。


1/18(火)曇り  医師会打合わせ  定款改定委員会 
 2:00起床。ドックx1。他。5:20病院着。6:00患者家族と面会、6:30回診+定期処方箋発行。8:10救急カンファ、9:00-13:00外来。13:30ドック説明x2。17:00-17:30医師会打合わせ。17:30-19:30県医師会定款改定委員会。病院にて業務。21:00帰宅。21:20就寝。

 書評 「豆腐の如く--融通無我のすすめ」 著者:斎藤 茂太著 出版社:筑摩書房:600円 (2)
 豆腐好きの著者はこのストレス時代を幸せに生きるために「豆腐ほど好く出来た漢(おとこ)はあるまい。」で始まる萩原井泉水の随筆を全文紹介し、この随筆を縦横に料理しつつ豆腐的人生論を展開する。
 著者の言う豆腐的人生論は、「豆腐を多方面から褒めちぎった」井泉水の随想本文を読まずして理解することは出来ない。以下がその全文。実に短く、凝集された名文だ。なお、数文字はやむなく現代漢字に置き換えた(原本を参照)。

                 豆腐             萩原井泉水

 豆腐ほど好く出来た漢はあるまい。
 彼は一見、佛頂面をしてゐるけれども決してカンカン頭の木念人ではなく、軟かさの点では申し分がない。しかも、身を崩さぬだけのしまりはもってゐる。煮ても焼いても食えぬ奴と云ふ言葉とは反対に、煮てもよろしく、焼いてもよろしく、汁にしても、あんをかけても、又は沸きたぎる油で揚げても、寒天の空に凍らしても、それぞれの味を出すのだから面白い。
 又、豆腐ほど相手を嫌ばぬ者はない。チリの鍋に入っては鯛と同座して恥ぢない。スキの鍋に入っては鶏と相交って相和する。ノッペイ汁としては大根や芋と好き友人であり、更におでんにおいては蒟蒻や竹輪と強調を保つ。されば正月の重詰めの中にも顔を出すし、佛事のお皿にも一役を承らずには居ない。
 彼は実に融通がきく、自然に凡てに順応する。蓋し、彼が偏執的なる小我を持たずして、いはば無我の境地に到り得て居るからである。金剛経に「應無所住而生其心」とある。これが自分の境地だと腰を据ゑておさまる心がなくして、与えられたる所に従って生き、しかあるがままの時に即して振舞ふ。
 此の自然にして自由なるものの姿、これが豆腐なのである。

 私は著者の論旨もさることながら、
俳人・荻原井泉水のこの随筆に魅了されてしまった。井泉水は、豆腐に人生を見出したと言っても過言ではないかもしれない。「彼は実に融通がきく、自然に凡てに順応する。蓋し、彼が偏執的なる小我を持たずして、いはば無我の境地に到り得て居るからである。」、ここまで賞賛されれば豆腐冥利に尽きるだろう。

 私自身、人間関係の恐怖心からどちらかというと八方美人的に振る舞う。そんな自分には嫌悪感を持っているから、井泉水の如くには「豆腐」を賞賛はしたくないし、著者の言う「豆腐的人生」をもそんなに高くは賞賛したくはない。この随想は「豆腐の弱さ」の表現でもあると思うから、である。
 ただ、豆腐の姿を医師の姿に置き換えると、多くのことが見えてくる。あらゆる方面に70点ほどで良いから臨床能力を備えた、専門バカでない、豆腐の如くの医師、これは理想だ。 「豆腐」という随筆に出会っただけでもこの本の価値は十二分にある。


1/17(月)終日曇-小雪模様 管理会議 療養病棟判定会議 長副会議 
2:00起床。ドックx1他種々。4:00予想の如く重症患者で病棟より呼び出し、対応、見送りほか。6:00回診、8:00管理会議。9:00-13:30外来。病棟業務、入院受け持ち患者,徐々に増えてきている。手が周りきれない危機的状況。
16:00療養病棟判定会議。16:30-18:30長副会議.20:35帰宅.幹線道路は殆ど雪無し、支線はザラメ状で厳しい。夕食、21:00就寝。

阪神大震災10年目  再びあることを予測して
 6433人の犠牲者を出し、国内で戦後最大の自然災害となった阪神大震災は1月17日、10年目の節目を迎えた。神戸の中心地とかの復興はかなり進んだが、個人の生活のレベルではまだ十分とは言えないらしいし、被災者達の高齢化施策など、まだ多くの課題が残っている。特に、心理的トラウマはまだまだ尾を引いていると報じられている。

 震災後10年目の節目の今日の日を、恐らく誰しもが従来にない、新たな感慨で迎えたものと思う。それは昨年10月の新潟中越地震、年末のスマトラ沖地震の記憶が阪神淡路大震災の記憶を新たにしたからである。都市直下型、非都市型、発展途上国の被災とタイプはいろいろであったが、それぞれに自然の驚異を徹底的に見せつけられた。

 この阪神淡路大震災後の10年間に起きた地震は、1999年トルコ北西部地震M7.4、1999年台湾中部地震M7.6、2001年インド西部地震M8.0、2003年イラン南東部地震M6.3、2004年新潟中越地震M6.8、2004年スマトラ島沖地震M9.0、と6回を数える。ここで日本の登場は必ずしも多い印象ではないが、この10年間に世界で発生したM6.0以上の地震は960回で、驚くことにその23%の220回は日本で生じているとのこと(産経新聞による)。

 地震の予知は困難である。しかも、日本に住んでいる限り何時かは自分もこの様な大地震に合うかも知れない高い確率の中で暮らしている。ともすれば忘れがちであるが、「防災は不可能」であるが「減災は可能」との視点が必要となる。あらゆる生活面でその観点は必要であるが、自らと家族の住まう生活環境の中に於ける対策は重要であろう。

 まず、最小限、命を守ることを第一の視点とした対策は考えておきたい。ピアノが跳ね上がるような激震の中、どうすればいいのか、私も生活の周辺のことをこの機会にもう一度考えてみることにしたい。 更に、医療関係者としての立場もある。今何を、どちらの立場を重視、優先すべきか、選択に迷う立場に置かれる可能性についても、予め考えて置かなければならないと改めて感じた次第である。


1/16(日)曇,比較的温暖 病棟拘束
 1:30リハビリ当直室にて起床。ドックx1。紹介状x1、総括x2、訪問看護指示書x1など仕上げる。メールへの返事数編送付。療養病棟より電話数回、重症化。7:45病院に移動、回診他。以降治療のため帰宅できず、院内で医療評価等の業務処理進める。19:30帰宅。夕食、タタール産のタッダン蕎麦なる、不思議なもの食す。夜間呼び出しに備え20:30就寝。

自伝 秋田大学時代(1973-1985) (1)
秋田大学第一内科教室に入局
 1973年6月私は秋田大学第一内科に入局、家内は秋田組合総合病院に再就職で外科に属することになった。第一内科の主たる研究・診療領域は消化器病領域であり、東北大学を中心とした20数名のスタッフからなっていた。当時血液領域部門は第一内科Bグループと呼ばれ、数名のスタッフ多分血液のドイツ語Blutから由来していると思われるが、由来の詳細は不明である。やはり東北大学から赴任した4名のスタッフを中心に組織され、私は9番目の着任であった。


1/15(土)曇り、比較的暖かい  病棟拘束 リハビリ当直
2:30起床、こまちで眠ったと言え、さすがに眠い。業務処理、紹介状、総括若干、5:30Taxi病院着、事務処理、6:30回診。8:10ドック診察x5、9:00ドック説明x2,10:30-13:30外来、ニュージーランド留学用診断書作成に手こずる。以降、業務処理。紹介状、総括。17:00リハビリ病院に移動、検食、書類整理、20:00就寝。

書評 「豆腐の如く--融通無我のすすめ」 著者:斎藤 茂太著 出版社:筑摩書房:600円 (1)
 
一般的に精神科医はエッセイが好きなようである。しかし、難解であるものが多い。その点、精神科医・斎藤茂太氏の著作はそう難解ではない。身近な話題を取り上げ、それを精神科医師の立場から種々解説してくれる、軽いエッセイが多い。そんなことから私も10数冊はこの著者の作品は読んでいると思う。この「豆腐の如く--融通無我のすすめ」と題したエッセイ集は1994年の作品で、1998年に文庫本として発行された。どちらかというと古い本である。

 彼は現代の社会・文明が如何に人にストレスを与えているか、それによって如何に現代人が影響を受けているか、心理的に追い込まれているか、の観点から論点を展開することが多い。そして、受容を説き、それらを受け入れつつより安息に過ごすにはどうすればいいのか、更に、前向きに生きるにはどう考えればいいのか、についてよく諭してくれる。

 このエッセイ集を書くに至ったルーツは彼自身が無頼の豆腐が好きであることと、豆腐を擬人化し、人間の在り方を論じた萩原井泉水(せいせんすい)の随筆に出会い、共感した事から発しているようである。

 萩原井泉水は東京に生まれ、東京大学言語学科卒。明治44年句誌「層雲」を創刊した。季題にかかわらない自由律俳句を提唱し俳壇に新風を送った方、とされている。放浪の詩人・種田山頭火、尾崎放哉の師でもある。この随筆「豆腐」は「層雲」に発表されたが、後に「豆腐哲学」という別な随筆にも彼自身がそっくり挿入たとのことで、作者自身にとっても気に入った作のようである。

 私はひょんな所からこの随筆「豆腐」を知って、なかなかの面白い視点で人の生き方を豆腐の姿に込め、風刺していると、いたく関心していたが斎藤 茂太氏はこの随筆「豆腐」の内容を引用しつつ持論を展開していく。だから尚更面白いエッセイ集に仕上がっている。

 随筆「豆腐」の全文が掲載されているが、この随筆を読めるだけでもこの本の価値は充分あると思う。


1/14(金)秋田曇り・雨  東京超快晴  日医第4回病院委員会
1:30起床。人間ドックx1。家内0:00帰宅し就寝、3:00起きて院内での講演準備している。やや早めに出勤、4:55病院着、新雪3-4cm。出張準備、回診。7:30病院発、8:00-12:10こまち、混雑。盛岡まで熟睡、東京駅にて新書3冊ほど購入。13:30-16:00日医会館第4回病院委員会。中間報告書案中心に論議。この委員会、最初は乗れなかったが、だんだん面白くなってきた。駅にて新書更に2冊購入。17:58-20:58こまち。21:30帰宅。夕食22:30就寝.

久々のこまちで開放感を楽しむ 微睡み・読書・音楽三昧の往復9時間余 
 本日は東京出張。この季節、飛行機だと乗り換えが頻繁、悪天候でどうなるか解らないし、空港で車を堀出すのに苦労することも多く、今後しばらくはJRとする。東北地方、降雪寒波にもかかわらず往復とも時間通りに運行。JRは乗り換えもなく単純で空路との所要時間の差は実質1時間程度であるが、その間ずっと走っているだけに、実際には随分長く感じてしまう。

 この時間を有効に使う、それが私の出張時の楽しみの一つ。時にはドックの処理、原稿校正など持ち込むこともあるが、今回は仕事のことはホッポリ投げることにした。斜め読みだが、文庫「豆腐の如く」新書「まれに見るバカ」「人間はどこまで残酷になれるのか」「すごい言葉」の4冊読み終えた。さらに会議時間以外はずっとBOSEのヘッドフォンを使用してMDに入れてあるラジオ深夜便の音楽、講話を聴き直した。ノイズキャンセリング効果で騒音が軽減して快適なだけでなく、耳をすっぽり覆うので耳の防寒にもなってとても良い。ただ、読書と講話は両立しない。読書時には耳は音楽に限る。

 秋田、岩手は積雪があったが岩手県水沢付近からは雪は山々のみ。東京は超快晴、これが同じ国かと思うほどの差。しかし風は冷たい。東京の人達は寒そうな雰囲気で歩いている。その点オーバー、襟巻きの私は多少かっこうわるいが余裕しゃくしゃく。やはりこの季節防寒は重要だね。

 秋田は昼は降雨があったらいが、夜は放射冷却のためか冷えている。道路はザラメ雪状で轍があって、更に凍結し、タクシーが走るにも困難している。半日前に、カラカラ天気を味わって来たばかりの私が、今度は秋田の冬景色の素晴らしさ、不便さの双方を感じている。便利すぎる時代、気持の切り替えにもある種のテクニックが必要なようだ。


1/13(木)曇り、寒波続く降雪5-6cm 「21世紀の医療を良くする会」打ち合わせ 医師会打ち合わせ 
2:30起床。人間ドックx1、複雑でまとめに手間取り1時間以上もかかった。5:20病院着、重症者複数対応。8:10救急カンファ。8:30人間ドック診察x3、8:45-12:45外来。13:00-14:10県医師会にて「21世紀の医療を良くする会」打ち合わせ、続いて15:30まで医師会の打ち合わせ。15:30-16:00慣れない昼食を取り、不整脈もあって不快で微睡む。業務再度溜まる。20:40帰宅、21:30就寝.

先生は健康保険証がないとにこやかに対応してくれないんですか!!
 何人かの患者に「先生はTVに出演しているときは何であんなに優しい表情なのですか??。私どもには結構きついのに・・・」と言われた。その時は「あれは県民相手の商売上の表情ですよ。個々の患者さんにはそう甘いことばかり言ってられないのです」と答えている。患者の立場で落差を感じるのだろう。
 数週間前にもっと良いことを言われてしまった。この言葉には感心した。ある看護師に、多分冗談半分だろうが、「先生は、健康保険証がないと笑わないんですか??・・」と言われた。要するに、外来とか病棟とかでの患者への対応と自分たちに対するときの様子に落差を感じていることだろう。

 これらの話は私にとっては完全に思い当たることで、当を得ている言葉だと思う。
 私は自分で必ずしも人当たりの良い人間だと思っていない。どちらかというと人嫌いである。「逃げたい」と思う関係が本当のところ大部分であると言っていい。それだけ人間関係に対して潜在的恐怖感があって、如何に歪みを来さない様に行動するか、に腐心している。小さいときから良い外面(そとづら)を作ることにすごく注意を払ってきた様に思う。今でも商売上の顔、人付き合い維持のための顔、一人でいるときの顔・・・等など、その場その場で使い分けている。この様な自分を嫌悪しているが、どうしようもない。
 今、私は社会的責任を負わなければならない立場の一翼を担っているから、ますます辛い時間が多くなっている。早くこんな立場からも「逃げたい」と思う。
 だから、私は、長時間一人になれない環境は耐えられない。外来中でも少しでも時間があると、例え数分でも、自室に戻る。

 そう言う表情を無理して作らない人達が私の目から見て周囲にも大勢いる。結構トラブルメーカーなのだが、本人達はそれを認識していない。常に恐怖感の中で人付き合いを維持している私から見れば、付き合うのは困難だが、本当に羨ましい人達である。

 上の私に対する二つの言葉は、自身が感じている問題点を別な面から指摘した良い言葉だと思う。特に「保険証がないと・・・」は本当に良い言葉を貰った。私が努力し続けてきたことに対する勲章に例えられる様な良い言葉だと思う。


1/12(水)降雪・寒気 感染症評価会議 県医師会理事会+郡市医師会長協議会+新年懇親会
2:00起床。人間ドックx1、紹介状。徒然。5:25病院着、6:20回診、重症者対応。8:10救急カンファ、9:00-13:30外来、混雑。14:00-15:00感染症評価会議、ノロウイルス話題。16:00-19:50県医師会理事会+郡市医師会長協議会+新年懇親会。天然痘テロ、ノロ、インフルエンザ話題に。20:20帰宅。21:00就寝。今年は記録的大雪のようだ。連日除雪必要除雪機4回目。昨年は一度も動かしていなかったから大差だ。

5 way (場合によっては6 wayにも)に用いることの出来る自作の首巻き
昨年までの暖冬の傾向、予測は何処にいったのか、新年を迎えてからずっと裏日本、東北は寒波にすっぽり被われている。だからといって外へ出るのが億劫に思っていては考え方まで消極的になりそうで面白くない。充分防寒して外に出よう。
 冬場、特に重要なのは頚周りの防寒で、ハイネックセーターやマフラーは欠かせない。肌触り良く、とても暖かいカシミヤのマフラーなど、心まで温かくなり、心まで安らぐ
。しかし、私は基本的にはマフラーを好まない。無駄に長くて、邪魔だし、どうしても隙間が出来るし、安定しないことがその理由である。
 
 私は
5  way に用いることの出来る便利な首巻きを利用している5 way首巻きはどんな首巻きかというと、要するに筒状のマフラーである。
 通常のマフラーを筒状に縫って作る、これも良い。しかし、私はそんな勿体ないことはしない。私は古くなったり虫に喰われて廃棄処分にするセーターがあれば、その袖を切り取る。その中間部分を使う。だから、一枚のセーターから一度に2つの筒状マフラーが出来てしまう。切断面をほつれないようにするのに若干の工夫も必要だが、最小限のことはホチキスで上手に処理出来るから全て自作も可能。私はこれを5-6枚使用している。
 
 頭に浅くかぶれば帽子に、深くかぶって耳あてに、目に当ててアイマスク、ガーゼをはさんでマスクに、そして首に巻いてマフラーに、と言う使い方が自在。何枚かを同時に用いれば完璧だ。子供達に依れば市販品もあるとのことだが見たことはない。市販品はあってもそれなりに完成されているだろうから5  way に用いることなんて出来ないだろう。さらに、伸びきってしまったら最後は腹巻きだね。ここまで使えば6 wayだ。セーターもここまで使われてさぞや喜んでいるだろう。

 良いアイデアだとひとりで悦に入っている。そのルーツはバイクの防寒の工夫から生まれた。寒い季節のバイクは冷えて辛い。特に手と頚。マフラーは長すぎて危ないのでこんな方法を考えた。バイク乗車時以上に、実際には日常生活に便利で重宝している。


1/11(火)曇り、寒波  降雪7-8cm 管理会議 ABS収録   医師会打ち合わせ(欠)療養病棟入棟判定会議  長副会議
   
2:00起床,人間ドック判定x1、県医報様原稿校正.今日は予定びっしり。除雪なしで5:00出勤、回診、定期処方。8:00今春初の管理会議。9:00-14:20午前外来、予想以上の混雑。予約外受診患者多数。病棟重症患者対応。15:00ABS収録、インフルエンザ関係。16:00-16:30療養病棟入棟判定会議。16:30-19:00長副会議。重要案件多数。20:30帰宅、21:10就寝.

顔の見える関係(3) 実は、忌避したい「顔の見える関係」もある
 私は人間社会の基本はやはり顔の見える関係だと思う。本当にそう思うから、それなりに努力している。しかし、そう言っている私ですら顔の見える関係が絶対的にイヤなものがある。それは官権に対してである。

 私は警察官の職質を3回受けた。学生時代、夜、実習が終わって寮に帰るために歩いていた路上で2回、これはそれほどのことがなく直ぐに解放されたが、3回目は秋田市の遊園地で、就学前の子供達を遊園地で遊ばせていて車の中で本を読んでいたとき、前後を覆面パトカーと思われる車に挟まれ、しつこく職質を受けた。このときの刑事と思われる人のすごみのきいた顔つきと雰囲気、これは二度と忘れられない。その時、私は10日ほど前の行動を聞かれて答えられず、一時は完全に犯罪者扱いの雰囲気。実際には私から取り上げた免許証を片手に車無線で何やら通信していたもう一人の方の一声で解放されたのだが、この時の恐怖感がルーツで以降、時間毎に記入するアリバイ日記を書いている。あの威圧感に満ちた顔、もう二度と見たくもない。

 もう一つは税務署私は秋田市の北税務署の管轄下なので秋田に来て以来ずっと税務署に出かけて申告をやってきた。しかし、ここ6-7年は郵送にしている。その切っ掛けは私の失念による微々たる額の申告漏れが見つかって税務署に出頭??したとき、20代と思われる若い担当者であったがこの時も完全に脱税者扱いを受けた。さんざん嫌みを言われて追徴金を納めることになった。この時の相手の人を食ったような顔、想い出すのも嫌である。結果としては出頭したか否かと何ら関係なく、一定の処理が行われた。バカにされに行ったようなもの。その後、私は二度と北税務署には訪れていない。全て郵送である。昨年度も申告漏れがあって追徴金、延滞金を含めてたっぷり取られた。一切疑義は挟まず、電話、ファックス、振り込みで全て済ませた。

 多分、医療の分野でも患者と医療機関側との関係に於いては顔も見たくない関係が生じうるものだと思う。われわれは常に心して置かなければならない、と言うことを教えてくれただけ、彼らには感謝すべきであったのかなぁ、今はそう思う。


1/10(月)成人の日休日 曇寒波 降雪7-8cm 病棟拘束
2:30起床、Vn界の逸材 M Vengerovのブルッフ・メンコンその他CD等聴きつつ年賀状追加分30枚ほど完成。官製ハガキも足りず、集めていた各地の絵葉書も使用した。これで今年は大体終了かと思う。県医師会委員会報告書案作成。医療評価QA集関連作業を時折Vnなど挟みつつ進める
。正午から病院で業務。病棟は重症化2-3名。19:30帰宅、夕食。21:00就寝。

全国的にノロウイルス感染症増加!!     昨年は中国でSARS、山口県で鳥インフルエンザ発生
 昨年の今頃、中国で35歳男性がSARSの疑い3例目として入院したが、国を挙げての対策の結果が幸いして蔓延しないで終息した。一方、
山口県の養鶏場で約6000羽の鶏が死に「トリインフルエンザ」ウイルスが検出された。わが国では70年振りで、京都での隠蔽事件につながっていった事は記憶に新しい。

 広島県福山市の特養「福山福寿園」で入所者7人が年末から年始にかけて急性胃腸炎状態で死亡したが、ノロウイルスであった。同園は発症者が出た昨年末から1月6日までの間、病状や介護の度合いに応じて部屋を頻繁に移動したと言うが、この移動も感染が広がった一因になったと考えられる。同園の理事長は行政への通報が遅れたことについて「治療に没頭してパニック状態だった」などと釈明しているが、そうであればこそ通報が必要だったのだ。

 このほか、各地の高齢者社会福祉施設で同様の症状を訴える入所者が相次いでおり、全国で700人を超える症例が報告されている。 1月9日現在、施設での感染症とみられる患者数は、北海道62、秋田54 、神奈川46 、大阪226、和歌山35、広島156、山口75 、福岡14 、宮崎52 となっている(朝日新聞調べ)。

 今、秋田県でも老人福祉施設何カ所かでノロウイルス感染が生じていることから急遽今月19日午後ビューホテルで研修会を行うこととなり、私に基調講演の打診が来た。物理的に引き受けることが困難であったので、自信を持って当院の感染制御医を推薦し、快く引き受けていただいた。私が勤務する病院でも一昨年、数10名の院内感染を含むノロウイルス感染者を出したが、その際、チーフとして保健所への迅速な連絡を始めとして重要な役割を担い、得られたノウハウをまとめ上げた実績を持つ。
 恐らく、他では聴けない貴重な講演になるものと期待できる。この研修会は一般方々も参加可能である。

 一方、いつもならピークを迎えているはずのインフルエンザは関西で若干あるが県内ではまだ発生の報告は殆どない。暖冬の影響が多きかったと思う。これから問題になってくるだろう。


1/9(日)寒波襲来 曇り一時晴れ 降雪7-8cm。除雪機2回目  病棟拘束
2:30起床。ドック処理x1、医報原稿校正.Vn小品等久々に練習、数週間ぶり。除雪機2使用、年末に続き2回目。13:40病院に。回診、事務処理。評価機構QA集作成作業。19:30帰宅.ニュースは7人もの死者を出した老人福祉施設の集団胃腸炎を報じているが、恐らくノロウイルスだろう。通常はこんなに重症化しないものだが、スタッフ達の対応には問題ありそう。20:00夕食、21:00就寝。

自伝 1971〜73 (30)
 1973年春、宮古を去る
 長女は特に病気もすることなくすくすくと育った。
 5月末には私は2年間の奨学金義務年限を終え、家内は1年間の宮古病院での勤務を終え、私はかねてから予定されていたごとく、秋田大学第一内科に入局、家内は秋田組合総合病院に復職するために秋田に転居することになった。5月連休後から少しずつ引っ越しの準備を始めた。宮古病院着任時は学生寮からの引っ越しで、道具、小道具類は後輩に置いてきたので布団と本箱、本、簡素なオーディオセットだけと言っていいほど軽装であったが、この2年間の生活の変化、特に2年目からの生活の変化、子供を連れての引っ越し作業は宮古に着任したときとは雲泥の差であった。特に、オーディオ機器は機会ある毎にグレードアップ、レコードも買い漁っていたのでこの分野の荷物は格段に増えた。

 5月下旬、院長室で2年間の就業の慰労と謝辞の言葉を受けたが、私にとっては身に余る言葉であったような気がするが、記録を残して置かなかったことが今となってみれば悔やまれた。宮古を去る日は実によい天気であった。最期に残った身近な荷物、レコードなどを車の後部座席、トランクにびっしり詰め込み、病院の中庭から大勢の職員に見送られて出発した。病院の窓窓からも大勢の患者達が手を振って見送ってくれた。良い区切りが出来たと思っている。

 が、盛岡に近くに区界峠という車にとってはちょっと厳しい峠があるが、当時は舗装もされて居らず道路の整備状態も悪く、下手をすると車の底を擦る可能性があるなど結構大変なところであったが、運悪く右の後輪がパンクした。積載量も超えていたのかも知れない。車のトランクから荷物を全部出さなければ工具やスペアタイヤを出せない。道路脇に荷物を並べてタイヤ交換作業したが、広げてみて随分積み込んだものだと改めて感心した。晴天であるだけに通過する車が舞い上げる砂埃がひどく、かつドライバーの好奇のまなざしが目に沁みて痛かった。
 荷物を再度きちんと詰め込むのも大変であった。盛岡の自宅までの20数Km、再度パンクしないように祈るような気持でそろそろと、大事に大事に走ったが、今となれば古き良き思い出の一つである。


1/8(土)曇りー小雪 やや寒い サンビームで会食・情報交換
2:10起床、ドック処理x1、原稿校正等。5:30病院着。アイスバーン状態。6:30回診。カルテまとめ書き、7:00整形病棟入院患者家族との面談、今後の方針。8:45救急カンファ、主治医意見書等。10:30-12:30外来。医報用校正、回診など。評価機構関連。18:30サンビームで会食、医療関連その他の情報交換。20:45帰宅、21:00就寝。

顔の見える関係(2)
「オレオレ詐欺」についても考えた
 本日の秋田魁新聞に、いわゆる「オレオレ詐欺」や架空請求詐欺などの昨年一年間の被害は、132件/総額2億円にも上ると掲載されていた。県警によると、被害の内訳は、「融資保証金詐欺」が56件/5800万円、肉親や警察官などを装う「オレオレ詐欺」が48件/8700万円、有料サイトなど「架空請求詐欺(恐喝)」が28件/6000万円だった、と言う。被害額の最高は、有料サイト料金の架空請求ハガキを送り付けられた40代の女性が何回かにわたって1200万円をだまし取られたケースとのこと。
 で、今更ながら、何で??、何でそんなにお金を即座に用立てられるの??と驚いてしまう。

 私の身近でも「オレオレ詐欺」と思われる電話を親族や親が受けているという。実害はなかったそうだが、病院の院長とか事務長という複数のヒトが電話口で演技力豊かに演出するなど、徐々に手が混んで来ているようだ。一般的には交通事故、医療関係者相手には医療事故を話題にするらしい。ある一件は、孫の医療事故の報告を受けて祖母が「今お金がないから、定期を解約するまで病院で一時立て替えてて下さいよ。2-3日中に病院に持っていきます」と電話口で言ったら「ガチャン」と切れた。もう一件は「息子が交通事故??息子は今日帰省して今ここで飯を食ってますが・・」と言ったら「ガチャン」。その他、2-3件耳にした。

 これらの事件に用いられた手段は全て郵便とかメールあるいは電話で、お金のやり取りは「即座に振り込む」こととのことらしく、そこに当事者間、あるいは介在者間との間で顔の見える関係はないようだ。即座に、一定の額のお金を用意する被害者の方の金銭状況、金銭感覚はどうなっているのか??私の立場ではとても理解できない。恐らく被害者の方々にはそれなりの心の準備状態が備わっていたとしか思えない。寂しさか?孤立感か?はたまた優越感か??

 これらの詐欺にかからないためには、いろいろな対策はあるが、先の例の祖母の返事は結果的に●時間稼ぎ、●相手側への協力要請、●顔の見える関係要求、の三者が揃っており、最高に的を得ていると言い得る。

 当たり前の事ではあるが、顔の見える関係が如何に重要か分かる事例である。


1/7(金)曇りー晴れ 新雪なし 療養病棟師長と打合せ  県医師会打ち合わせ  
2:00起床、紹介状、総括、医報原稿校正等.主治医意見書。5:20病院着、道路はアイスバーン状態。事務処理。6:20回診。8:10救急カンファ、要意見書x3、その他.10:30-13:30外来。13:30ドック診察x5。県健康対策課からノロウイルス関連の基調講演依頼、スケジュール調整難で当院の感染制御医にお願いし解決。AKTABSからインフルエンザ関連取材の申し出あり。14:30療養病棟師長と評価機構関連の面談。16:00-17:10県医師会打ち合わせ。20:30帰宅.夕食。21:00就寝.

顔の見える関係は人間社会の基本(1)
 先月、私が担当している外来に2年ほど通院している中年女性の患者から、市内のある病院宛ての紹介状を書いて欲しいとの申し出があった。友人から勧められその病院の循環器系診療科を受診したが、紹介状がないからと至極簡単に済まされたのでもう一度行きたい、と言う。治療困難な疾患を複数持っている方で、病気に対する理解力も高いとは言えず、精密検査の勧めにもなかなか乗ってこない方であるが、だからこそいろいろ迷うのは当たり前、と理解できる。主治医の勧めにはなかなか同意しないが、友人の勧めにはすぐ乗る、これも患者の一般的心理である。ご本人の闘病への発想や意欲転換の機会にもなるだろうと快諾し、数時間かけて紹介状をしたためて自宅に送付した。

 10日ほど後、簡単な返事が届いた。「複雑な病態なので、折角ご紹介いただいたが対応できない、今まで同様貴院でお願いしたい」、と言う実に簡素、事務的なものであった。患者の気持ちに何ら解決を与えていない対応に私はガックリし、頭に来たが、担当医師は大学からの派遣医のようで、長期間腰を据えた診療、経過観察が出来ないからなのかも知れない、と一応納得した。

 年末、医師会関連の忘年会で若手のある医師の挨拶を受けた。例の患者を診療してくれた医師であった。詳細な紹介状に対する礼とその患者の病状についての自分の考え方を述べてくれたが、その内容は論理的であり、十分納得できるものであった。それ以上に重要であったのは、わざわざ話に来てくれたこと自体にも十分表現されている様に、彼の表情、話の中からにじみ出てくる真摯な姿勢であり、私はその時点で、紹介状の返事の拙さについての不快感は残ったが、まず全て了解・納得した。恐らく、多忙な業務の合間に急いで返事を書いたのだろう、こんな返事しか書けないほど多忙で気の毒、と善意に解釈した。
 忘年会で彼に会わなければ、恐らく、その医療機関、診療科、担当医に対して不快な気持ちを持ち続けていたかもしれない。顔の見える関係は重要であることを日常から主張しているが、この件を機会に再確認した。


1/6(木)曇り 寒波 降雪数cm   
2:00起床,ドック総括x1、秋田医報用の原稿校正、メール返事など処理。5:20病院着、道路はアイスバーン状態に降った雪でよく滑る。回診、8:10救急カンファ、9:00-15:30午前外来、いろいろ不調患者あり対応。時間がかかった。さらに入院あり。体調不良の職員対策を感染グループと検討。機能評価関連若干、20:00帰宅、21:10就寝。

「官製ハガキ」で代用の今年の年賀状を、何も書かないまま投函してしまった!!!
 昨夕、若干の時間が空いたので年賀状を5-6枚でも書こうかと、置いてあった場所をいくら探しても何処にもない。官製郵便ハガキに宛先と「謹賀新年」だけプリントしておいた約100枚、これを毎日数枚ずつ、一筆加筆し、「年賀」と朱書、住所氏名のスタンプを押して投函しようと予定していたもの。これを今朝、完成した5枚を投函する際に誤って一緒に投函してしまったらしい。宛先だけはきちんと書いたから先方には確実に届くだろうが、イヤー困った困った。

 受け取られた方は誰からの年賀ハガキなのか解らないかもしれない。迷惑をかけてしまった。差出人が私であることを解って戴く拠り所は、10数年も変えないでワンパターンに書いている、毛筆の、上手とは言えない「謹賀新年」の文字だけ。マア、間違って100枚以上まとめて出した私が落ち込むのは当然だが、受け取る側は各人僅か一枚だし、マア良いか、お陰で手間が省けたわい、と割り切ることにした。

 もし、官製ハガキの変な年賀状をお受け取りになられた方、ご容赦下さい。

 ここ10数年来、年賀状は印刷のものが極端に増えたような気がする。特に最近の数年はパソコン普及で自家製のプリントによる賀状が増えた。クールなのもあるし、中には芸術的出来映えのもある。ただ、一筆も肉筆による加筆がない賀状はどんなに良い出来映えでもちょっと寂しい。貰っても決して嬉しいものではない。
 私は3年ほど前まではワンパターンながら全部肉筆で下手な毛筆などで書き、さらに一筆加筆してきた。昨年頃から時間の関係で合理化して自分の字を取り込んだプリントを用いているが、一筆加筆は一枚の例外もなく欠かしたことはなかった。それを自分のポリシーの一つと何とか維持してきた。それが、ついに今年は自らの不注意でやってしまった。いろいろ書きたいこともあったけど・・と至極残念なき持ちと、楽出来て良かったわいな、と悲喜こもごもの気分である。


1/5(水)曇 寒波来襲  積雪3-4cm
2:00起床,レセプト対応。年賀状など10数枚、医報掲載原稿の校正など.5:10病院着、昨日までの雨で殆ど消えたが新に積雪3-4cm。回診、9:00-13:30外来、今週だけは対外的会議など予定なく比較的余裕。懸案事項多数処理。21:00帰宅、夕食、22:00就眠。


※研修医諸君へ更新しました※


1/4(火)降雨→曇り、医局会(含 院長新年初頭の挨拶) 
4:30起床、風呂など済まして5:25病院着。ドック処理x1、徒然何とか間に合わす。医療評価機構作文完成、送付。6:25回診、定期処方、臨時処方55枚ほど発行。8:10救急カンファレンス。除雪機は年末に一回のみ用いたがこの雨で殆ど消失。9:00-13:10外来は比較的少ない。予約外来は全員来院。机上処理。17:30-18:30医局会。医療評価機構関連と院長新年初頭の挨拶。本日はMC弁当無し、20:30帰宅、夕食、21:00就眠.

我が家の今年の年末年始風景  開放感だけはあったが・・・
 昨年は多忙で、身辺に積まれた懸案事項の処理に追われている間に、いつの間にか年末年始休暇に入ったと言う感じ。前半の3日間は結構強烈な風邪症状のために、後半の3日間は深夜に患者さんが不調で呼ばれために早朝の起床のスケジュールはが狂ったが、まずいつもの如くのワンパターン生活であった。
 以下は私が病院で過ごした時間である。家で過ごした時間帯も徒然日記などに費やした時間以外は殆ど院内業務に充てていた。この6日間、楽器にも触れられず、ドッと届いた年賀状は眺めてため息をつくだけで、一枚も書けなかった。
   12/29(フリー)        9:00-19:00
       12/30(病棟拘束)  10:00-20:15
       12/31(日直勤務)     8:00-19:30
       1/1  (病棟拘束)   10:30-19:00       22:00-2:30
       1/2   (日直勤務)    7:00-19:50       21:00-23:30
       1/3   (フリー)     14:00-19:00       23:00-4:00

 じゃあ、それだけ時間かけて、どれだけ業務処理できたか?と問われれば具体的にはなかなか答えられない。確かに、医局の机周辺に積まれていた未処理のカルテなどはすっかりなくなった。レセプト関連も随分書いた。しかし、若干の開放感の中で過ごし得たが、何か充足感に乏しい。ずっしりと私の前にはだかっている機能評価分の処理に充分時間をかけられなかったことが満足感を乏しいものにした。

 年末、長男は都合着かないとのことで帰省せず。長女は骨休めに帰省し、直ぐに高熱を発した。短い滞在で戻って行ったが、次男はその後激しい消化器症状で一晩入院、私も休暇に入った途端に発熱などカゼ症状でペースダウンした。年を越したら家内と賄いの石井さんが発熱等で不調を来たし伏せっている。一家総なめだが家族とは本来そう言うものだ。多少、健康を害することは決して悪いことではない。
 正月にゆったり過ごすための日本の伝統料理の「おせち料理」、いつもの如く今年も3セットほど購入したが、確かに便利なモンだと、ここ数日実感した。


1/3(月)(年始休暇三日目-最終日)曇-雨   
 3:00起床、やはり寝不足感あり。ドック処理x1、退院総括、レセプト症状経過報告その他処理。10:00-12:30午睡とる。年始の訪問何人かあり。病棟より緊急連絡、対応。14:00-17:00病院、回診、重症患者対応。18:00-20:00親戚宅で新年会。20:30帰宅、21:00就寝。23:45入院患者不調で急遽出勤、患者死去。見送りその他、4:00帰宅。坐位にてラジオ深夜便聴きながら若干微睡む。昼に若干眠って置いたので助かった。今朝から通常勤務、予定が詰まった厳しい日々が待っている。家内は私からうつったのか高熱を発して休んでいる。

初夢(2) アトリオンで一度コンサートをやりたい
 新春なので夢を語ることとする。
    私が最近胸に抱いている小さな計画の一つに、一度アトリオンを借り切って自分のヴァイオリンとチェロのソロ、及び今までやってきたアンサンブル仲間の出演協力を得て室内楽何曲かを含むコンサートをやってみたいという事。
 実際は夢の中の夢であるが、夢は大きく抱いておきたい。そのためには準備時間が充分必要で、最低5年間はかなりの時間をかけつつ準備をしなければなるまい。そのためにも自由になる時間が欲しい。還暦を定年に設定しているのはこれも理由の一つである。やるなら何とか60歳代の真ん中までにはやってみたい。それ以降では不可能だろうと思う。今から準備すれば、きっと何とかなると思っている。

 如何に激しく練習を積んだとしても私がそう上手くなると思えないので、内容的にはひどい演奏会になるだろう。したがって、聴衆は私の方からお願いしてきていただく方々に限定せざるを得まい。当然だね、プロなんかではないから。多分親戚を中心に、一部は友人達かな??頭を下げてお願いして来ていただくつもりである。
 そして、来ていただいた方々には、一定の時間我慢を強いるわけだから「我慢代」として薄謝をさし上げ労をねぎらいたい。私は1万円ほどを頭に描いたが、家内は3000円くらいにしとけとケチなことを言っている。
 演奏曲目はVnのソロではベートーヴェンVnソナタ第5番「春」を中心に数曲、室内楽はベートーヴェンP三重奏曲「大公トリオ」をメインに据えてモーツアルトのP四重奏曲第1番、シュトラウス「青きドナウ」など。Vcのソロは「鳥の歌」はやりたいな・・・などなど、イメージだけは次々と膨らんでいく。
 2005年度版、私の新春放言である。アンサンブル仲間の皆さん方、5年後よろしく。


2005/1/2(日)(年始休暇二日目)曇・雨  病棟拘束+日直
 5:00起床、何時もと若干ずれた為かよく寝た様な感じ。ドック処理x1、徒然最小限に。7:00日直のため病院に。朝回診、8:45救急カンファ、以降は退院総括、紹介状3部作成など。院内でもいつもの如くの生活が淡々と始まった。外来からの応援連絡は無く、病棟の重症者に頻回に対応出来たが、意外と残務処理進まず。19:50帰宅、おせち中心の夕食、20:30就眠。熟睡一瞬、20:50患者不調の電話、病院へ。23:30帰宅。0:00就眠。

初夢(1) 今年は還暦、自ら設定した定年の年 さて、どうするか?
 今年は多忙で年賀状の用意不十分、賀状の購入も不十分。予定の1/3ほどは何とか年末に慌てて投函した。こんな事は私にとって初めてである。1/1には300枚ほど届き圧倒され、200枚ほど何とかしなければならない状態に陥っている。こんなに多くの方々に支えれているのか、と改めて有り難いと思った。今日以降、時間の許す範囲で記載していく積もりだが、今年は「年賀はがき」でなく、手元に数100枚ある「郵便はがき」を消費することにした。
 既に投函した分で親しい方には「今年は還暦と、定年を迎えます。どうするか模索しています」と記載した。これは実はホンネであるが、早速何名かの方から「??」のメールをいただいた。

 自分が還暦を迎えるなんて思ってもいなかったが、数年ほど前から、「もし還暦を迎えるなら、その年が勤務医としての定年」と勝手に設定していた。就業規則上は定年退職まで5年は残っているし、その後も希望すれば嘱託として働くことも可能とのこと。そう言った意味ではまだまだ定年ではないし、体調もそう悪くないので殆ど問題はないが、それとは別で、いろいろ勉強したい?ことがあって、その時間を得るために退職しようか、と夢を見続けて来た。
 パワーが落ちた医師がリタイヤする事は若手にとても組織にとっても良いことであるが、実際は医師のマンパワーに不足があって、私みたいなものでも勝手に行動出来そうもないから夢に終わるのかもしれないが、今は自由時間が欲しいと言うのがホンネ。いろんな事をやりたい意欲はあるが、余りにも時間がない。意欲が旺盛なうちにこそ道を変えなければ何にもならない、と焦っているこの頃である。

 時間を得て何をするか、と問われた。人間、社会、歴史、芸術、文学、自然などを学びたい。学ぶところまで行かなくても最小限、味わいたい。私は自称文学青年だったはず。自称文学老人、良いじゃないですか。更に、臨床医学ももう少し学び直し、自分がやってきたことを客観視してみたい。こんなに資料・文献が手に入りやすい良い時代に生き、恵まれた環境にあるのに、何も出来ないで、いや、しないで枯れて行くには余りにも勿体ない、と思う。Vnももっと弾きたい。

 ただし、臨床医として多くの患者さんをお世話して来たので、その方々に対する責任は放棄するつもりはない。週4日間だけは嘱託として働くことを希望し、3日間は自分の勉強時間として確保したい。もう一つ定時出勤定時帰宅というやつ、医師になって以来殆ど経験無し。これもちょっと味わってみたいものだ。

 医師会に関しては、私的病院は基盤はどうしても弱いので、病院のスタッフが医師会の役員として働いているいる意義はとても大きいから何とかすべき、と考えている。

 法人・病院、全てのスタッフには感謝あるのみ。希望を叶えていただけるなら条件は一切出しません。家内の了解は得たし、医局長にもチラッとほのめかすなど少しずつ根回しを始めているが、今日は初夢の範囲で止めておきます。


2005/1/1(土)「謹賀新年」(年始休暇初日)曇  病棟拘束  家内日直
 大晦日、よく寝た。2:00起床、私にとっては暮れも正月も殆ど関係ないワンパターン生活が淡々と始まった。徒然の年末の締め記述。ドック処理x1、退院総括、紹介状3部作成など。8:00深夜にのんびり過ごして寝不足状態の家内、日直勤務とのことで病院に届ける。家内のいつもの如くの生活が淡々と始まった。
 10:00年賀状がどっさり届く。うーん困った。今年は時間が無くて未だ一部しか書いていない。年賀状も足りない。どうしようか悩む。10:30病院、回診、机上の残務、その他処理。19:00家内迎えつつ帰宅。おせちにて夕食、20:00NHK-TV マゼール指揮NPO・New Year Concert聴きつつ就寝。22:00患者不調の電話にて病院へ。急性腹症にて対応、2:30帰宅。明日日直なので睡眠を取ることとする。

2004年初日 つれづれ・・の予定だったが・・・
 今年はどんな年になるのだろうか??イヤ、そんな態度ではイカン。自分としてどんな年にすることが出来るのだろうか、と言うべきだろう。
 正月を迎えて、徒然と考えていた今年の身の振り方について書こうかと思ったが、上記の如く不測の事態で本日の徒然は綴られず。

 まずは、「明けましておめでとうございます」の気持ちだけお伝えいたします。

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   年を通じてワンパターンで淡々とした毎日です。AM2:00-5:00にメールチェック・返事送付、人間ドック(HDD)判定・報告書作成、新聞切り抜き、病院・医師会業務など。
  月〜土曜は6:00頃出勤、HDD報告書印刷、外来書類処理など。病棟回診、HDD受診者とミーティングと診察。8:45-14:00外来とHDD受診者に結果説明。昼食は摂りません。午後は病院業務・医師会業務、各種委員会等に出席など。20:00頃帰宅。
  日曜・祭日もほぼ同様ですが、病院には午後出かけます。時間的に余裕無いのが悩みです。


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