徒然日記

 日記と言うより、自分の行動記録からの抜粋と日々の雑感です。

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12/31(金)(年始休暇三日目)曇・降雪5-6cm 日直+ICU日直 病棟拘束 
 2:00起床、体調回復しつつある。咳、後鼻痛が多少残るだけ。いつも激しいカゼの後に引き続く口唇ヘルペスも徴候無し、年の締めくくりに小さな喜び!!  ラッキー。ドック処理x1、そのほか淡々と処理。8:00病院へ、回診、事務処理、10:30-13:00午前外来補助20数人診察。発熱・下痢患者が大部分。以降は病棟関連若干と室に籠もりきりで残務処理。19:30帰宅。
 今年の大晦日の夕食は次男と3人だけ。我が家始まって以来の少人数。一時は9人も同じ屋根で暮らしたものだが、と感慨にふける。本来なら明日開けるはず?? のおせち、洋風の分を一式、3人で有り難く戴く。たまたま付けたTVでN響の第九、ポーランドの著明な作曲家ペンデレツキ指揮、これが年末情緒を醸し出す。アルコールも無し、紅白も観ず、明日のために21;00就眠。
 今年も家族一同、元気に過ごした。
 特に私、不整脈発作が頻回、持続も長くなる中、何事も起こさずよく生きたな!!  というのが第二の感慨、しかも、来年は還暦だよ!!が第三の感慨。来年もいい年であることを祈念して、私だけの感慨。

地球にとってヒトの存在とは何なのか?(4) 結論:地球はヒトの欲望の墓場と化す?
 かけがえのない地球。ここに約300年前にヒトなる不気味な生物が誕生したが、たまたま、天敵が居ない、あるいは少ないことや、多少だけ能力が優れていて自分で食料を生産することが出来るようになったこともあって、異常なほど増殖し、この地球上で我が物顔で存在している。その数は、もう地球の収容力はとっくに超えている。
 数多い生物の中でこれほど不気味で問題な生物はいない。何で不気味か、というと、一言で言うと旺盛な「欲望」を備えていることだ。これに尽きる。このヒトなる生物は自らの有能性を誇り、あたかも、最も優れた生物のような顔をしている。そして、欲望丸出しで、自らの欲望を満たすために、他の生物を不必要なほど殺めて不要なほど喰らい、自然を破壊し、自然すらも支配しようとしている。その欲望の前には、地球が完全閉鎖空間であると言う、最も重大なことは完全に忘れ去られているようである。
 あらゆる自然の営みはこの閉鎖系の中で行われていることを考えたとき、特に、たった一握りの先進国、一部の途上国が求めているもの、そこで生活する住民の生活そのものは全て、例えば、「より健康で、長寿でありたいという素朴な願い」すら、実は地球環境にとっては害なのだ。
 地球上のあらゆる生物は食物連鎖の中で一定の貢献をしている。増殖し、繁茂または繁殖した後は静かに死を待つ。それが地球上の生物の姿であり、そうあることが義務でもある。全てがその掟の中で生きて行ければ良かったのだが、ヒトだけはその掟から外れてしまった。
 ヒトは、備わった「欲望」を満たすために不必要なだけ喰らい、贅を求める。他の生き物を犠牲にしていることを忘れている。生物体とすれば寿命はたかだか30数歳であろうが、文明なるものの恩恵のもと、その後も不必要に生きる。2倍も3倍も生きる。生きる限り食べ続けなければならない。もう食糧も不足であり、地球上の人口の1/3は飢えとの闘いを余儀なくされている。しかも、生きている限り排泄もし続ける。一人の成人が排泄する糞便は10年間で約一トン、尿はその5倍以上である。もう、地球の自浄能力のレベルは優に超えている。それ以上に文明が発達すればするほど各人は多大なエネルギーを消費する。
 
 将来的に必要なことは、地球レベルでの環境のコントロールである。今ならまだ間に合うだろうが、先進国に求められることは一言で言えば抑制である。しかし、各国が、各人が自由に欲望を満たすような政策、自由資本主義を取り、常に最大限の成果を求めそれを享受することを楽しむ、喜ぶような状況の中では、考えることすら困難である。
 ヒトはここまで「欲望」があったからこそここまで来た。しかし、その「欲望」によって地球を破滅の道に導いていく。何の罪もない他の生物を道連れにして。

 年末に向けて、来年還暦を迎える立場で、自ら来年以降はどうあるべきかを考えつつ、徒然と考えてしまった。今年の徒然日記はこれで終わり。来年もいい年であることを祈念して。


12/30(木)(年末休暇二日日)降雪4-5cm    曇   病棟拘束 
 2:30起床。まだ体調は不良、喉痛、咳嗽、虚脱感、脱力感あり。何とかドック処理x1、退院総括など進める。4:00-5:00ラジオ深夜便を聴きながら坐位にて微睡む。徒然、医療評価機構の準備作業進める。年賀状若干記載。8:00-9:30改めて就眠した。これで体調は更に改善、10:00病院へ。回診、総括・紹介状など処理。午後は医療評価機構関連業務進めるも能率は低い。20:15帰宅、夕食、21:00就眠。

地球にとってヒトの存在とは何なのか?(3)
 かけがえのない地球、ここは完全閉鎖空間である。あらゆる自然の営みはこの閉鎖系の中でのみ営まれて来た。例外中の例外は、火星、木星などに向けて近年打ち上げられた探査機のみで、総じて何トンあるか解らないが、地球という閉鎖系から外に出された、投棄された物質はこれくらいである。

 大きめの水槽を窓際に置き、水草と少数の金魚を入れて飼育すると、しばらくたつと一定のバランスが成立し、金魚が生きるための酸素は水草の光合成で供給され、排泄物はバクテリアにより分解される。必要最小限の餌を与えればかなり長い間、特に手を加えずとも水はきれいなままで保持される。これが身近で経験できる自浄作用であり、閉鎖系のモデルである。水槽のサイズの割りに多くの金魚を飼育する等バランスを欠くと、閉鎖系の自浄作用では維持できずに、外から空気を送り込む必要が生じ、排泄物を処理するためのフィルター等の装置が必要になってくる。今、地球環境はこれに近い状況に陥りつつある。

 数100億年という長い歴史を経つつ、地球の環境が徐々に変化をとげ、やがて48億年ほど前に命が誕生し、一部の生命体、植物類、とりわけシダ類がアンバランスなほど増殖した時期はあるが、自然淘汰を受け、各静物画が共生しながら、自浄作用のある一定の環境が成立させた。
 約300万年前、ヒトが誕生したが、もし、地球上にヒトが誕生しなかったら、恐らく地球は別の有り様を辿っていたのでは無かろうか、と思う。地球にとってヒトの誕生は、健康人に寄生している寄生虫、いや寄生虫でもそれなりの役目を果たしているとの学説もあるくらいだから例えとして不的確かも知れない。ならば、地球にとってヒトの誕生はガン細胞のようなものかも知れないと、今、つくずく思う。ヒトは誕生してもしばらくは自然の掟の範囲の中で細々と生きていたのであろうが、食料を生産する知恵を得たときから、バランスを欠くほどの人口増加が始まることになり、更に文明の発達がこれに拍車をかけることになる。


12/29(水)(年末休暇一日日)曇 
 2:00起床、風邪気味で体調不良。ドック処理x1、総括、その他原稿など淡々と。8:20家内を送って9:00病院へ。一部回診、病棟業務若干。午前は机上の残務、総括、紹介状他処理。午後は発熱、咳嗽など増悪。ちょっと厳しくなってきた。夕方からの会食はキャンセル。淡々と医療評価機構のQ&A集作成作業。19:00帰宅、夕食。就眠するが、寒気が強く違和感も強度。

地球にとってヒトの存在とは何なのか?(2) 
 ここ数年は特に全世界規模で異常気象が続いている。随分多くの死者も出ている。わが国はそれほどではなかったが、今年は本当に異常気象が続いた。集中豪雨あり、熱暑あり、大型台風もかつて無いほど襲来した。更に新潟中越地震、今回のインドネシア・スリランカ地方の大地震と津波、最終的には何処まで数値が上がるが解らないが、本日の段階で6-7万人以上が死亡したとされている。多大な被害である。ただ、被害と言う発想はヒトから見たエゴ的発想ではないだろうか。地球にとっては当たり前の現象の一つなのだから。

 地震とか、地殻変動とかの大きな地球の営みは人間の存在とは直接的には関連しないだろう。が、この様な地殻変動は、地球自体が極めて重量の高い水と陸地からなり、日本海溝に代表される数千m級の断崖絶壁様の深い海の構造を持ち、一方では8-9千m級の切り立った鋭い山脈を持つ不安定な構造、さらに地層深くの高エネルギーのマグマの存在など、まだまだ地球自体は若く不安定な構造を持つ惑星である事を考えれば当然の営みである。
 長い年月をかけてこれらの存在の歪みは不均衡にエネルギーを蓄積し、地層をめくり上げ、あるいは沈下させる。この様な構造を持つ以上、時折、地球は貯まったエネルギーを放出しなければやっていけないし、小さく頻回に放出しなければ、何時かは日本海溝側に日本の陸地が跡形もなくそっくりと飲み込まれるような、日本が沈没するような事態が生じうるかも知れない。

 母なる地球の、この自然の営みに関してヒトは全く無力である。だから、もっと謙虚にならなければならない、と思う。この様な活動が近々生じうかも知れないと言う発想、準備が必要である。その意味では、限界近くまで機能している最先端の巨大システム、例えば新幹線の構造、安全確保機能などは大地震の際にはほぼ無力で危険であろうと思う。ラッシュ時間帯に東海道新幹線では常に近接して数本が走っている。大惨事が予想されるが、人災と言うことになろう。阪神淡路大震災では新幹線は運転直前であったし、新潟中越地震では奇跡が生じたとしか言いようのない幸運さであった。原発は大丈夫なのか?と思ってしまう。

 ここまで発達したらもう機能は中庸で良い。機能追求よりも安全性の確保。追求で無かろうか。


12/28(火)曇・降雪4-5cm    一応御用納め 医師会打合せ(キャンセル) 医療評価機構受審委員会 療養病棟ご苦労様会 
 2:00起床、ドック処理x1、紹介状、総括、徒然など。5:10病院に。6:10  ICUから順次回診、8:10救急カンファ。9:00-14:10外来、昨日ほど混雑せず。この間体調不良、カゼに罹患したらしく、全身違和感、鼻痛、喉痛、微熱を生じ始めた。残念ながら本年最後の医師会打合せはキャンセル。15:10病棟患者対応、初期研修医一人急性胃腸炎の激しい症状で入院、見舞う。16:00-17:40医療評価機構受審委員会、18:00-19:00療養病棟ご苦労様会。20:30帰宅、夕食、21:30就寝。

御用納め 療養病棟ご苦労様会  
 本日は当院の御用納め、新年の3日まで年末年始休暇である。殆どの職員は出番日が複数があるからまとまった休みにはならないが、みんなの表情には矢張り開放感が感じられる。私にとっては残務山積みの上、受け持ち患者48人全員重症その他の理由で外泊できずに残っているので、病棟業務は軽減はするがそれほど減らないだろう。12/31、1/2と午前・午後の日直があたっているし。しかし、この間は連日プレッシャーになっている外来業務から開放されるので年に一度のゴールデンタイムである。

 夕方、療養病棟ご苦労様会に呼ばれた。それなりの会費もしっかり取られたし、忘年会にも出れなかったので、と、久しぶりに病棟のスタッフルームなるところで歓談したが、20年来この病棟で働いているが、この部屋にはいるのは3回ほどである。狭苦しい部屋をスタッフ20名ほどで使うから何とも乱雑で大変なものであるが、彼女らが気を休める貴重な空間であるから特にコメントはしないで置く。ところで最近男性看護師も働いている病棟もあるが、そこはスタッフルームはどうなっているのだろうか?
 忘年会での話し、看護学校の話し、Fカップの話し・・これはとても理解できなかったが、いろいろ話が弾んだ。普段とは違うスタッフの自由な様子がとても良い。つい私もつられて毎朝ネコのほっぺにブチュしてから出勤するとか、爪を切ってあげるとか、家での服装とかを話して呆れられた。
 
 私は女の居住空間に踏み込むには何時も気後れしてならない。本日も同様であった。苦しい。が、時には我慢も必要。実際は楽しく過ごしたけれど。居室だけでなく女性が入院しても見舞いに行くのも気後れし、大抵は廊下から声をかけて済ませる。ここ数年何人かの知人の見舞いに戸口まで入ったが一度も足を中に踏み入れていない。
 これは他人ばかりでなく、娘の部屋についても同様である。何なんだろうね、この感覚は。私の若い頃の経験と関連するのかもしれない。


12/27(月)終日曇天 管理会議 長副会議 医師面談
 2:00起床、ドック処理x1、総括x2、紹介状他、徒然。5:15病院着。6:15回診、8:00管理会議。9:00-14:15外来、超混雑。これほどだとインフルエンザでも流行すると待合室感染が危険になる。総括、主治医意見書、など。16:30-18:35長副会議。19:00-21:15医師と面談。21:30帰宅、帰路、降雪かなり。一昨年は初めて除雪機を使用した日、明朝の雪はは如何に?21:45就眠。

地球にとってヒトの存在とは何なのか?(1)
 21世紀はより希望に満ちた世紀になるはずであったが、あの忌まわしい9/11の同時多発テロ事件以降、世界は大きく様変わりした。イラク問題を中心に武力衝突、国際的テロは相変わらず本年まで続いた。イラク問題は寧ろますます混迷しつつあり、複雑化しているように見える。
 今年は、春から目を覆いたくなるような惨劇が続いた。イラク情勢やパレスチナ問題、核やテロの脅威など、複雑な世界情勢の中で、児童など300人以上が死亡したとされる北オセチア共和国の学校人質事件など、相変わらず人間社会は揺れに揺れ続けた。わが国でも北朝鮮問題しかりであるが、小学生がカッターナイフで同級生を殺害するなどの衝撃的事件も頻発した。全て人間社会の為せる業・・・と言うのは簡単であるが、先行きは実に不透明なものになっている。
 更に加えて、今年は予想を超える集中豪雨、立て続けに来襲する大型台風などなど異常気象が続く中で、大きな地殻変動まで重なった。新潟中越地方の大地震、更に昨夜からはインドネシア、スマトラ地方のマグニチュード9ほどの超大規模地震、津波の惨状を伝えている。

 地球に今、一体何が起こっているのか?、人間社会はどうなっていくのか?、今後どうなるのか? 現実は実に波乱含み、先が読めない。これから先は何が生じても不思議ではない・・と、私なんざ何か諦観めいたものを感じ始めているこの頃であるが、それではいけない、何とかしなければならない、とも思う。

 1961年4月12日、ボストーク1号で有人宇宙飛行をした当時27歳のガガーリン少佐は、人類で初めて宇宙空間から地球を見たが、そのときの感動、美しさを「地球は青かった」という言葉で表した。その時代、米ソは熾烈な勢力争いをしていたわけだが、16歳だった私はその言葉に地球の大きな包容力を感じたものである。そして、今後は地球上の人間の営みも、社会もこれで良い方向に向かうんだと、何となくそう思って感動した。今だって、丸い地球の遠景を写真で見ればつくづく当時の感動を思い出し、その包容力の大きさに心が安らぐ。

 しかし、あれから40数年、地球はすっかり人間社会の営み、人間のエゴによって毒され、害され、障害を受け、自然の自浄力・回復力を失い、ついに包容力を失ってきた。
 何千億年という長い長い時間、歴史を通じて、多くの生物を安定的に育んできた地球は、この地球上に現れてから僅か300万年程度の歴史しかない人間という、寄生虫が如くの新生物によって、それこそ僅か数100年程度の短い間に、大きく傷つけられて来ている。
 かけがえのないこの地球はこのままでは、厳しい病気になってしまうだろう。人間に例えれば呼吸不全、尿毒症、・・、そして多臓器不全状態に陥っていく。

 そんな事を、最近、徒然と考えている。


12/26(日)曇り 降雪無し  病棟拘束
 1:30リハビリ当直室にて起床、ドック処理x1、退院時総括、持参の業務を淡々とこなす。7:10検食、8:30病院着、8:45救急カンファ。ICU+病棟回診、机上業務。11:30帰宅、そのまま業務継続。13:30-14:30午睡若干、その後はドック処理x1、退院患者総括、賀状加筆作業ほか。20:00就寝。
自伝 1971〜73 (29)
宮古での体験 岩手雫石上空での全日空機と自衛隊機衝突
 1971年7月30日14:02雫石上空8500mで札幌発東京行きの全日空B727と自衛隊訓練機が衝突し、左水平尾翼が破断し操縦機能を失った全日空機は高速の状態で姿勢を崩し、空中分解し乗客乗員162名全員が死亡した。わが国航空史上初の高々度に於ける空中衝突大惨事で、当時としては犠牲者数で世界最大の航空機事故であった。訓練生はきりもみ状態になった機から奇跡的に脱出、落下傘降下し九死に一生を得た。
 この事故を私は宮古病院の医局で遅い昼食を摂っていたときに知り、心底驚いた。雫石は盛岡の西側に隣接した農林業中心ののどかな地域で、小岩井農場が因で牧歌的雰囲気で全国的に知られていたところ。私にとっても子供の時は温泉地として、高校ではクラスの遠足?の場として何度か訪れたことのある処である。
 
 世界一の犠牲者数、かつ8000mもの上空で投げ出された乗客の遺体は相当痛んでおり、その修復に県立病院を始めとして近隣の医療機関に応援要請があるとのこと。場合によっては宮古病院にも要請があるかも知れないとのことであった。その際には外科系ではないし、縫合とかの技術もあるわけではないが私は是非とも行きたい・・と思い意志を伝えていたが、実際には当院までは要請は来なかったらしい。

 私にとってこの事故は、郷里近郊で生じたと言うこともあるが、子供の頃から飛行機には随分関心を持っていろいろ本とかを読んで興味と知識があった、ためである。その当時自衛隊機の主力はロッキードF104Jであったが、訓練機等は超旧式のF86F、一方ボーイング727は後部に3機のエンジンを備えた斬新、かつ美しいスタイルで華々しくデビューした新型機で、歌謡曲にさえ歌われていた。

 この事故ではマスコミ・世論は自衛隊機に避難を集中させた。データが収集されなかった時期から誤った論評がほぼ断定的に論じられ、飛び交った。今から見てマスコミが責められるべきものであったが、真相が判明してからも謝罪の記事など見たこともない。事故後12年経過し、誰しも関心を寄せることが無くなった1983年、刑事裁判は訓練生は無罪、教官は禁固3年、執行猶予3年で結審した。事故の大きさ、犠牲者数の割りに刑が軽かった理由は、判明した資料が示しているが、全日空機側が自衛隊機に後ろから追突したものであること、全日空機の操縦席ではその機会は十分あったはずなのに全く自衛隊機を視認していなかったこと、訓練生にとっては後から迫ってきた全日空機に気づいたとして、既にいかなる回避操作をしても衝突は免れなかった、と言うことであった。

 この事故について私はずっと関心を持ち続け新聞等で追っかけていたが、私が抱いた結論は、事故そのものよりもマスコミの在り方、その恐ろしさについての深い印象であった。これは今でも何ら変わっていない。


12/25(土)晴れ・寒波 降雪無し 病棟拘束 リハビリ当直 
2:00起床、深夜
長女の有紀帰省。ドック処理x1、総括、徒然などいつもと同じ。病院5:20着、道路は若干ながらアイスバーン状態。車が微妙に斜めに滑りながら走る。回診、患者は比較的安定。机上業務、8:10ドック診察5名、8:45救急カンファ、9:00ドック結果説明x2、10:30-13:00外来、土曜にしてはかなり混雑。以降机上業務総括、紹介状他処理。17:00リハビリに移動。夕食・検食、20:30就寝。   

9時間に及ぶ検討 
秋大心外MRSA陽性患者検討委員会(2) 
 この2回の検討会は私にとって二つの点でインパクトがあった。若干の眠気を感じた時間も無いわけではなかったが、全体として討論を楽しめた。

 第一は、細菌学、感染症学、心臓血管学の第一線の、著明な専門家と長時間にわたって意見交換できたことで、私の感染症、特にMRSAへの考え方、院内感染予防に対する考え方、心臓血管外科領域の臨床の現況や考え方について認識を新たに出来たことである。

 MRSAは基本的に常在菌の一種であり、付着・感染は患者側の要因も大きく、防御しきれない部分もある。特に私が担当している患者の如く、慢性疾患を複数持ち、介護度の高い内科領域の高齢者、とりわけ気道系に慢性感染症を持つような患者では予防は困難な場合も少なくない。付着しても必ずしも病因となるわけでもないよ、人間は自然の状態が最も抵抗力が強いのだ、と半ば諦めの境地でもあると言っても必ずしも嘘ではない。

 しかし、特に、外科領域では創部へのMRSAの付着や感染は予後に大きな影響を与えるためにそんな悠長な考え方はしていられない。MRSAの感染・付着予防は可級的に、積極的に防ぐ必要がある。だから、医療関係者の感染防止の配慮は決して生半可なものであってはならないし、入院時の監視培養の意義も大きく、MRSAのDNAパターン分析のデータと共に院内での感染の有無のチェックの判定にも役に立つ。感染の検査体制、治療要否の迅速な判断、適正な抗生剤の選択についても常に鋭く準備しておく必要がある。外科領域の術後の感染症についてはそれなりの専門家を養成する必要があるようだ。
 著明な胸部外科医である群大学長のコメント等を通じて知った、心臓血管の臨床の緊急性、先進性、到達点、手術療法の意義についても大きなインパクトがあった。私の考えの及ばない、激しい医療、許されるぎりぎりの範囲での厳しい治療を展開しているものだと認識を新にした。

 第二には秋大心臓血管外科では、私の感覚からは想像もつかないような厳しい状況下の患者に積極的医療を行っているという現実を知ることが出来たことである。70歳代は当たり前、時には80歳代の患者、必ずしも全身状態の良くない患者にも治療を行っている。どの様な患者であれ拒むことなく受け入れると言うのが科の方針とのことで、私から見て救命困難と思われる患者、私なら外科に送らないであろう患者も治療している。関連病院等からの救急車搬送の患者を直接手術室に迎え入れることも希ではないようである。結果的にベットは150%ほどの稼働率のこともあったという。これは大変な状況である。
 心臓血管外科領域の疾患は、私が扱っている内科的疾患患者とは病態が100%異なる。放っておくとその場で見る見る悪くなる状況で、手術開始の判断は迅速でなければならないし、手術の困難さ、患者への侵襲の大きさから見ても大変なものである。今回取り上げられた症例の経過表から主治医団の苦悩が見て取れる。

 内科医として私は今、高齢の患者に対しては人生の終末を如何に安息に過ごさせ、スムーズに、苦しまないように看取ってあげたいとの発想で仕事をしている。自然に近くの生活の中で、新たな何か重大な疾病が生じた時、それが人生の最後の時期、ととらえているが、その立場からは想像も付かない、対極にあると言うべき様な激しい医療が展開されていた。病態の厳しさから、一部の患者は術後回復しきれず厳しい経過を辿ると言うが、多くの患者は病気を克服し、通常の生活に戻っているとのことであるから驚きである。そのような厳しい患者を多く治療しているだけに術後にいろいろの感染症や合併症が生じ手いる。これらは防ぐのが極めて困難だとのこと。当然である。

 この高齢社会において、患者が高齢であることの重大さが医療分野の壁として大きく立ちはだかって治療を困難にしている現実がマスコミ関係者だけでなく一般の人達にもっと知られなければならないのだ。
 
 これで秋大心外MRSA陽性患者検討委員会の外部委員としての私の仕事は終了した。この検討を通じて、私の医師としての感覚、考え方、能力は果たして大丈夫なのか??自問自答してしまったが、良い機会を与えられたものだと思っている。


12/24(金)曇り・降雪3-4cm 秋大心外MRSA陽性患者検討委員会 県医師会打ち合わせ(欠) 法人理事会
2:00起床、ドック処理x1、総括など、いつもの如く。病院5:20着、本日は終日外の会議なので出張申し送りなど準備。6:20回診、患者は比較的安定。9:00-18:00秋大心外MRSA陽性患者検討委員会。19:00法人理事会に出席。病院で業務。21:40帰宅、22:00就寝。

9時間に及ぶ検討 
秋大心外MRSA陽性患者検討委員会(1) 
 本日は第3回目の秋大MRSA検討委員会。第二回目は10月15日に開催されたが、この日は約6時間もかけて検討したが、予定の症例の1/3ほどしか処理できなかった為に、本日追加的に開催されたもの。
  一昨日からの降雪でアクセスが大変だろうと病院を8:15ほどに発ったが、思いがけずスムーズに移動でき15分ほど前に到着した。外部委員のうち遠方からの3委員は昨日から秋田入りしていたとのことで、ご苦労なことである。

 最初の数分間報道関係者画像収録のあと直ぐに検討に入った。休憩は40分ほどの昼食、10分ほどのコーヒーブレイクのみで検討に集中、予定されていた時間全てを使って予定症例全例の検討を終えた。内容は明日秋大側で記者会見して発表するという。

 昨年暮れ頃から秋大心臓血管外科でMRSA感染患者が多発したが、この件についてマスコミ各社は私から見て異様と思えるほど関心を寄せている。
 既に大学内部での調査は終了しているが、この検討委員会は外部委員を含む委員会でさらに検討するために設けられたもので、5名の外部委員、5名の内部委員からなる。構成は以下の如くである。
 外部委員として荒川国立感染症研究所細菌第二部部長、朝野阪大付属病院感染制御部助教授、森下群馬大付属病院長、伊藤秋田中央保健所長、と私である。
 私は別に感染症の専門家でもなければ、MRSAに特別に詳しいわけでもないが、県医師会感染症等危機管理対策分野の担当をしていることから推薦を受けて出席した。
 内部委員は委員長を務めた溝井附属病院副院長ほか助教授、講師の4名で、溝井委員長のクリアな司会で検討は順調に進行した。

 睡眠不足の中、9時間にも及ぶ検討会は決して楽ではなかったが、この2回の検討会は私にとって二つの点でインパクトがあって、結構緊張感を維持できた。他の会なら恐らく時々寝込んでいたことであろう。


12/23(木)天皇誕生日 降雪5-6cm 病棟拘束 
2:30家内帰宅で覚醒、起床。ドック処理x1、総括。紹介状関連書類等。組合病院看護師さんにあげる古いパソコンのデータ消去、クリーニング・再調整。除雪機用ガソリン購入など、若干の冬支度。12:30-19:50病院、回診その他、文章書き、残務処理など、20:00帰宅、夕食、21:00就寝。

天皇誕生日になんですが・・・、高松宮妃死去は典型的老年症候群
 本日は天皇誕生日、今生天皇は71歳を迎えた。70歳以上まで在位したのは、文武天皇(42代目)以降の文献上、光仁天皇(49代)と昭和天皇(第124代)のお二人のみ(昨年の産経新聞による)。今後は長命化し在位期間中に老年症候群的状況に陥って存命中の在位が問題化していくと思う。

 12/18早朝、天皇陛下のおばの高松宮妃(92)が、敗血症で聖路加国際病院で死去した。妃は1911(明治44)年生まれで、徳川15代将軍徳川慶喜の孫娘。18歳で高松宮と結婚、母を結腸がんで亡くしたことを機に財団法人「高松宮妃癌研究基金」を創設し名誉総裁を務めながら、がん撲滅を強く訴えた。また、87年に高松宮が肺がんで死去以降、ハンセン氏病患者の救済を目指す「藤楓協会総裁」や「恩賜財団済生会総裁」を引き継ぎ名誉総裁となるなど、私も医療面のニュース等で時折触れていたが、その面での功績は大きい方であったらしい。

 新聞によると、妃は1999年転んで左大腿骨骨折で同病院で手術を受けたが、十二指腸潰瘍や肺炎で一時は重症にもなった、と。それ以降、感染症や大腿ヘルニアなどで入退院や手術を繰り返し、本年2月に乳がんの疑いで摘出手術を受け6月に退院。7月には痰を詰まらせて一時入院、8月に呼吸機能、腎機能が低下し再入院、時折血液透析を行っていたらしい。
 私には妃は典型的老年症候群的状況にあり、昭和天皇の場合と同様、医療のやりすぎではないかという感じがしてならないが、治療に当たった医師らの会見ではご本人が生きる気力が旺盛で、治療は自ら希望に沿って行われたのだ、と言う。

 皇族の逝去は2002/11のスポーツの最中に急死された高円宮憲仁氏以来であろう。氏の死去が余りにも若く、突然であったためにインパクトが大きく、結果的に救急医療のあり方、特に電気除細動器の配備に前向きの影響を与えたと思う。現天皇の前立腺癌の罹患、治療は高齢男性にそれなりの影響があって検診受診者が増えた。この様に皇族の健康・病気の状態は社会に一定の影響を与えてくれるから私は良いことだと思っているが、妃の死去は昭和天皇の時の様に、高齢者医療に再び何らかの論議を醸し出さないだろうか。


12/22(水)曇・雪・寒波 県医師会理事会 No1県医師会感染症等危機管理対策委員会 
 2:10起床、ドック処理x1、退院総括、紹介状など。4:00am入院患者不調とTEL、対応.5:15Taxi病院。6:30入院の親戚を見舞い、回診。8:10救急カンファ。9:00-14:30外来、祭日前で混雑。16:30-18:20県医師会理事会、中座して次の委員会に移動。18:30-20:10  No1県医師会感染症等危機管理対策委員会。病院に戻り業務若干、21:40帰宅。22:10就眠.

とても良い「歩行者自動車分離式信号」だが、疑問も不満も
 私の通勤路は自宅→天徳寺前→千秋トンネル→千秋公園脳研脇→市民市場脇→病院のコースであるが、脳研から病院間の五つの信号のうち四カ所が2-3週間ほど前から「歩行者自動車分離式信号(歩車分離信号)」になった。「歩車分離信号」は車両を交差点に入れない時間帯を作ってその間歩行者を渡らせるもので、スクランブル交差点とは若干異なるが、マア似たようなものである。
 四カ所の内の一つ、秋田駅からの道路との交差点は既に春頃から「歩車分離信号」になっていたが、早朝深夜、誰もヒトが通らないときですらしっかと分離型であることに対して疑問・不満を持っていた。それが、更に一気に三カ所も増えたのだから実際頭に来ている。

 私自身は基本的には「歩車分離信号」には賛成である。しっかりと歩行者を守れる歩道がない道路で車がビュンビュン走らせていること自体問題だと思っているほど歩行者の立場重視である。20数年前、先輩医師が青信号で横断歩道を渡っているときに右折車に跳ねられ大腿骨々折の重傷を負ったことがあり、これ以降交差点では横断者があるときには車を通すべきでないと思ってきた。だから、今回の「歩車分離信号」の設置は基本的に大賛成である。
 ところが、主に早朝や深夜帯に移動することが多い私にとって、「歩車分離信号」の不合理さばかりが目に付き、強く疑問を感じてしまう。

 「歩車分離信号」のコンセプトは歩行者の安全を守ることにある。そのために自動車側の停車時間が若干増える。要するに渋滞の悪化因子になる。それでも私はやむを得ないと思う。ただし、歩行者が多いときには、である。現実に、昼に県医師会に行くときなどの所要時間はこの「歩車分離信号」設置後確実に延びている。

 「歩車分離信号」は、時間設定も付けて通行量が極端に少ない深夜早朝には設定を元に戻すべきと思う。こんな事は簡単な操作で出来るはずである。誰も通らない交差点で運転者はただひたすら無為に待たされる。何のため?運転者を「非人間的扱い」している、と「歩車分離信号」支持者の私でさえ、疑問に思う。

 私は模範運転者などではない。むしろ運転マナーに問題がある方だと自認している。さらに、私を人間らしく扱ってくれない規則など知らん。だから、信号で一旦止まり、歩行者も車も一切いないと判断した時には、時には待たないで処罰覚悟で無視してしまう。だから、いつまでゴールド免許を保持できるか・・自信はない。


12/21(火)寒波、降雪 道路初冠雪 県医師会倫理委員会  
2:30起床、ドック処理x2。いつもの如しで病院に5:15着、その後から降雪。6:15回診。定期処方箋発行、その他。8:10救急カンファ。9:00-14:00外来、混雑。病棟処置その他
18:00-20:20View、県医師会の倫理委員会。20:50帰宅、21:10就寝。

DNA鑑定希望が増えてきた
 最近病院や医師会に電話でDNA鑑定の問い合わせが来るようになってきている。この一年間で私だけでも5件の相談を受けた。種々の事件、不明者の身元確認によく用いられて威力を発揮している事がマスコミを通じて一般の方々に知られてきている事を示している。私が相談を受けたのはすべて親子鑑定関連であったが、相談者は祖母あり、母であり、父親なる方からの相談で電話口での口調からも相談者の深刻さが伝わってくる。私が受けた相談が数ある中の一部だろうと思えば、懸案を抱えつつ生活している人達も少なくないものだと思う。

 医療関連分野ではDNA鑑定は個人識別にかなり古くから行われてきている手技・技術であり、当然信憑性はかなり高いが、犯罪捜査の中ではつい最近までは参考的な扱いしかされていなかったはずである。それが、いつの間にかかなりの判断基準に昇格した様であるが、半ば当然のことに思われる。
 DNA鑑定による個人識別は9.11同時多発テロの際の数千人に及ぶの被害者の身元の識別鑑定にも威力を発揮したとのこと。被害にあったと思われる人達の家族はその個人が専用にしていたひげ剃り器やヘアブラシの提供が求められたという。最近では北朝鮮から提供された遺骨の鑑定が話題になっている。

 相談者は病院でDNA鑑定を受けられると思って電話をしてくるが、病院は医療に関連のない業務は公的に認められた一部の例外的業務、例えば健康増進のための施設の運営など、・・・を除けば一切しないし、出来ないし、すべきでない。だから、「DNA鑑定は医療機関では出来ません。どうしてもと言われるなら弁護士に相談してしかるべき手続きの中で受けてはどうですか」とアドバイスしている。実は現在ではDNA鑑定は商業ベースで当たり前の如くに行われており、私のファイルにも数カ所の施設名が入っている。ここでは3-10万円程度で親子鑑定等をしてくれる。しかし、私は電話の相談の中では決してその様な手段が在ることは教えない。DNA鑑定以前の、人間関係にまつわる問題が十分話し合われていなければ検査を受けること自体、結果がどうであれ、人間関係に深い傷を負わせることになり得るからである。結果自体も一人歩きする。

 似た経験を私もした。私は血液型がAB型であるが、私の子供の一人は誕生直後にO型との報告を受けた。この時、「へー、そうなの?」と別に動じることもなく、要らざる方向に思いを馳せることは一切無かった。私は検査の間違い、検体の取り違えだろうと考え、次の採血の機会があるときに血液型の再判定をお願いした。予想通りO型ではなかった。・・・けど、本当にO型だったらどうしていたんでしょうね? 


12/20(月)曇-雨  管理会議  長副会議   院内倫理委員会
2:00起床、いつものごとく淡々と業務。ドック総括他、院内倫理委員会準備報、そのほか処理.5:30病院着。6:30回診他、8:00管理会議。9:00-14:20外来、混雑。16:30-17:45長副会議、懸案事項多数。18:00-20:15中通病院倫理委員会、司会。21:00帰宅。21:30就寝。

忘年会  今年のビンゴゲームの成果はとても良かった
 この12月、忘年会は10カ所ほどから声がかかったが、当直とか、先約があったり、互いに同じ時間帯と重複していた事を良いことに、県医師会役員と事務局の会、秋大の泌尿器、第一内科、心臓血管外科の4カ所にしか出席しなかった。県医師会のは30-40分ほどで院内の会議の為に中座した。

 4カ所で共通していたのはビンゴゲーム。私はこのビンゴなるゲームでは何故かいつも運が悪く最期のグループまで残ってしまうのが常であったが、今年はちょっとだけ異なっていた。
 医師会の忘年会では中座する私に配慮してくれたのか早々にビンゴゲームをやってくれた。結果は、七宝の微細な細工を施した、なかなか良い香水入れが当たった。担当者の話では最も高価な景品の一つとのこと。しかし、家では香水なんて使わないし、それなりの入れ物も既にあるから、醤油さしにでも使うか、などと考えたが一応居間のガラス戸の中に地位を獲得した様で、しっかと鎮座し、容姿を誇っている。
 その他の会では「ハム詰め合わせ」、木製の「キーボックス」、もう一つはちょっとした日用品で、もう何であったか思い出せない?キーボックス」はなかなか細工の良い品で、10数年前に子供の誰かが玄関の備え付けのシューズケースの脇板に蹴りを入れて開けた穴の部分に取り付けた。結構目立つ穴でいつかは補修を・・・と考えていたが時間もなく放置していたが、長い間の懸案の一つが今年のビンゴゲームのお陰で一昨日やっと解決した。

 今年のビンゴは従来から見れば、比較的良い結果であったと言えよう。私にも若干運が向いてきたのかな?来年が楽しみだね、と一人でほくそ笑んでいる。 ゲームは、ここ数年来、電動式のディスプレイを用いてチャラチャラ・チラチラ・ピカピカと番号が決まるタイプが用いられることが多くなった。多分、忘年会の会場側で用意してくれるのだろう。これは、さっぱり面白くない。私はコンピューターは単なる道具であって自分を生かすために使うものと思っているが、何かコンピューターに運が翻弄されているような、嫌な気がしてならない。ビンゴゲームはやはり古典的な網状の球を回転させて落ちてきた小ボールの番号を読み上げるタイプが良い。クルクルと回される球を見つめ、どんな色の小ボールが出てくるか、担当者の手元、口元を見つめる。このときの気分はとても良い。これだと現実に対して素直にならざるを得ない。コンピューターに判断を任せるのだけは嫌だ。今年のビンゴゲーム雑感。


12/19(日)曇天 病棟拘束  
 2:00起床、ドック総括x1。秋田医報原稿構成、倫理委員会準備等、比較的ゆっくりと進める。Vn練習など、玄関先にキーボックス取り付け。ハーレー、ビラーゴ冬支度で小屋の奥に収納。代わりに除雪機を出し冬を迎える準備。居間のミニオーディオセット、最近はFM放送のMD録音の機会も増えたのでFMアンテナを取り着けた。ノイズ若干軽減し安定した。10:00軽く朝昼兼用食、13:30-19:00病院で業務処理。一部回診、紹介状、評価機構関連業務他、19:20帰宅、19:20来客あり数ヶ月前まで外来で予約に活躍していたMac PB180cが貰われていくことになった。20:30夕食、21:00就寝。

自伝 1971〜73 (28)
宮古での体験 第一次オイルショック
 2年間の宮古市での生活の中で、私にとっての大きな生活上の変化は、医師として徐々に臨床力が着いて仕事上で落ち着きや余裕が若干出てきたこと、結婚し、長女が生まれるなどをあげることが出来るが、もう一つの大きな生活上での変化として、第一次オイルショックの体験がある。
 
1973年10月、第4次中東戦争をきっかけに石油危機が世界を襲ぅ事になった。中東の産油国が団結して欧米諸国に牛耳られていた石油生産の主導権を掌握し、石油の輸出を制限し始めた。その結果、原油価格が2ヶ月間で約4倍に値上がりし、わが国の経済も大きな影響を受けた。
 そのころ、マスコミは盛んに首都圏や大都会でのトイレットペーパー買いだめ騒動、家庭用品不足等を報じていたが、田舎町ではしばらくは影響が及ばないのか?と感じていたが、決定的に変化が解ったのは12月初旬、街中が何となく騒然とした様な感じがしたが、この頃から宮古市でも生活用品の買いだめ騒動が始まった様である
 それまで自由に、安く手に入っていた灯油が馴染みのスタンドに注文しても全く在庫が無いとのことで手に入らなくなった時であった。次の入荷すら予定が立たないと言う。ついに宮古まで来たかという感じ。当時、社宅の風呂釜、暖房は灯油式であったために灯油は生活上の必需品であり、更に田舎に行けば何とかなるわいと、土曜の午後、車にポリタンクを数ヶつみ国道をガソリンスタンドに寄りながら北上したが、多くのスタンドでは売り切れとのこと。5つのポリタンクを満杯に出来るまでに60Kmも北上した。このとき得た灯油はそれまでの発想と一変して大事に大事に、部屋の中でも厚着をし、風呂の推移も釜が耐えるギリギリまで下げるなど節約しチョロチョロと用いた。

 この頃から我が国は所謂「狂乱物価」と「マイナス成長」を経験する。ガソリンは1リットルあたり40円前後から100円前後に、灯油は18リットルあたり250-300円前後から600円ほどに高騰したほか、生活用品の全てが高騰したと言って良い。スタンドの休日休業、新聞の減頁、市中の深夜の広告灯の消灯、深夜のTV番組の自粛などが起きた。

 この経験は大局的に見れば我が国にとっては悪くないことであったと思う。私のものの考え方にも大きな影響を与えた。が、その後の国の政策、国民生活に大きな教訓を残したと言えないのが、私から見ても残念である。日本を締め上げるには戦闘用武器は一切不要、エネルギーと食料が最大の武器となる。


12/18(土)寒波  
2:20起床、寝不足状態。ドック総括x1、紹介状他、徒然。5:15Taxi病院着。6:15回診他,8:45救急カンファ。心肺停止状態搬送患者の処置中。10:30-13:30外来、結構混雑.14:30入院患者家族と面談2件、患者へのカテーテル処置など。以降はずっと机上に蓄積した書類処理。来秋の倫理委員会、感染症等危機管理委員会司会準備なども。19:00帰宅。夕食、20:30就寝。

大学医局の忘年会  初期研修必修化の影響は深刻
 今年も、多忙な院長の代理として秋大医学部3医局、泌尿器科、第一内科、心臓血管外科、の忘年会に出席した。
 教授挨拶の中で昨年は必ず語られたキーワードは「大学法人化」と「初期研修必修化問題」で大学にとって未知の世界に踏み出すことで大きな危機感が感じられたが、今年は法人化問題の比率は小さく、初期研修医問題が中心であった。
 「法人化」後も従来とほぼ同一の路線での運営が出来ているとのことで、給与削減に対する不満などの他に、何事も学長決裁によらねばならないことでむしろ困惑しているようなイメージが受け取られ、私は奇異な感じを受けた。従来は文科省決裁でより交渉が困難であったであろうにと考えれば、学長決裁の方がずっと身近なはずである。秋田大学内部の意志の疎通 (特に学長と医学部間の)は上手くいっていないのだろうかと勘ぐりたくなる。

 初期研修必修化の初年度の影響は各医局にとって大きな問題点であった事は共通して窺われた。毎年卒業の時期に大学各医局の最大の関心事は新入医局員が何人入局するかであったわけであるが、それが今春からは最低2年間、全く入らない状況で、各医局にとっても相当の痛手であったとのこと。
 大学病院は大勢の医師をかかえているために一般的にはマンパワーが豊かであるように思われているが、(勿論市中病院のマンパワー不足もはもっと深刻ではあるが・・・、)相当不足である事、この状況は深刻であることは理解できる。
 しかし、その穴埋めのために市中病院への診療応援の派遣を取りやめたり、医師を大学に戻したことにより県内の医療機関も相当なダメージを受けている事や、何のための初期研修必修化なのかを考えたときに、全て医療機関、特に地域の医療を中心的に担っている病院が、わが国の医療の将来のために、共に影響を受けていることは、私の立場では強調しておきたい。

 1-2年後には入局者が出て来るであろうが、「法人化」になった大学が果たして従来と同じ発想で大学に若い医師をおけるのか、私にはまだ解らないことであるが、多分困難になるのではないのかと予想する。人件費をそれだけ割ける状況にあるのであろうか?今後は人件費の面から今年の入局は何名まで、と制限せざるを得なくなるなどの「法人化の影響」が数年後に、予想以上にじわっと重くなりはしないのだろうか。
 忘年会の帰路、タクシーの中で徒然と考えた。


12/17(金)曇 寒波 県医師会打ち合わせ 健康対策課来訪 秋大心臓血管外科忘年会  療養病棟忘年会(欠)
1:30起床、ドック総括x1、退院総括準備。3:00-4:00秋大心臓血管外科忘年会の為にVn練習,伴奏ピアノパートをCDから録音など。主治医意見書、徒然などの後5:20病院着、6:20回診他,8:10救急カンファ、10:30-12:30外来、13:30ドック診察x5。16:00-17:10県医師会に県健康対策課来訪、打ち合わせなど。療養病棟忘年会は欠とし、19:00-22:00秋大心臓血管外科忘年会でViewホテルに。22:20帰宅、22:50就寝。

秋大心臓血管外科忘年会の余興でVnを弾くハメに 
 私自身は内科医で心臓血管外科とは直接的関連は乏しいが、昨年から病院の代表として忘年会に出席している。昨年、教授と四方山話しをしていたときに余暇をどう過ごしているのかなど話題になり、100%ドシロウトですがVnも弾くこともあります、とチラッと答えたことが切っ掛けで若干の音楽談議を交わした。その際、自分も何かやるから来年は是非・・・言うことになった。
 マア、酒の席の話しだし、来年のことはワカランね、と気軽に考えていたが、11月上旬頃外来診療中に教授から確認の電話あり、こりゃマズイ事になりそうだとは思ったが、患者さんの手前、クドクドとお断りするわけにはいかず思い切って引き受けてしまった。練習せねばと思いながら、現実には殆ど準備も出来ないまま本日を迎えてしまった。ここまで来れば失敗してもともとと、心を決めるだけである。

 前半は型のごとくの忘年会で大学関連、各病院のお偉方何人かの挨拶のあと、祝宴でいろいろ歓談、後半は余興の会になった。トーク、三味線、シンセ演奏、私のVn、教授は学生3人を誘ってのギター弾き語り、と5本の余興が出てさながら音楽会の様相。みんな予想以上の出来で、笑いもあり充分楽しめた。
 私は3番手登場で若干のトークと「タイスの瞑想曲(前半のみ)」「北の宿から」。折角の席、参列された方々のお耳汚しをしては悪いと考えて一部端折って弾いた。内容はマア、恐れていた状況には陥らずにホッとした程度。それでも、出席された方々の投票で「銀賞」を戴いて恐縮した。

 今までに療養病棟で2回ほど弾いたことはあるが、酒の席とは言え人前でVn  soloするなど、こんな経験は初めてである。
 私は定年退職後、何時かはアトリオン小ホールあたりで一発演奏会をやりたいと、漫然と思っている。その際、お出で戴いた方にはそれなりの「苦痛我慢料」をばらまかねば・・と思っているが、昨夜は、タダで聴いていただける機会を与えられたほかに、商品券まで戴き恐縮である。

 来年は教授と「神田川」を一緒に、と誘われ行きがかり上また同意してしまったが、私の記憶にない曲である。難しいんだろうか?


12/16(木)雨  医局会(欠) 総合内科病棟診療部会(一部出席) 
2:00リハビリ当直室で起床、ドック総括x1、再検査結果報告他,2:45療養病棟より患者急変の電話で病院に。患者対応、待期時間用いて病棟業務他、回診を済ます。患者は誰も起きていなかった。6:10リハビリ病院に戻り業務継続、7:20検食、8:30i病院着。9:00-14:30外来混雑、新入院一名。医局会時間無く欠。 総合内科病棟診療部会も最期の一部のみ出席、院内倫理委員会準備、感染症等危機管理委員会準備他。両者とも資料の厚さに圧倒される。アトリオンで開催されるウイーンの某アンサンブルの演奏会も欠。20:30帰宅、夕食、21:00就眠。

「賢者は聞き、愚者は語る」  古人の口と手の前に私なんぞなす統べ無いが・・
 「我言わんとするところ既に言えり古人の口」、「我が手の書かんとするところ既に書けり古人の手」という言葉がある。これも私の好きな言葉の一つである。この事実に時折打ちのめされ、呆然とすることもある。

 出張時やたまたま本屋に立ち寄ったときに本を買い込むのも私の趣味?の一つである。大型の書店などに行くと自分の人生の残り少なさを実感し焦ってしまう。今の生活を何とかしなければ、折角の良い時代に生きたことを何も味わえないで終わりそう・・と。現状では本を読む時間が確保できないのが残念であるが、ちょっとした時間を見つけては1-2ページでも読む様に心がけている。自分の心にピッピとショートする言葉や字句を見つけては先人はなかなか良いことを言っている、と感心しメモなど作る。これも気分のいい作業である。「我が手の書かんとするところ既に書けり古人の手」、これは実感である。

 最近、私の生活の中で増えたのはラジオの講演番組、トーク番組を聴く時間と機会。その主たる対象は4:00-5:00amのラジオ深夜便「こころの時代」で、毎日、ほぼ例外なく、業務をこなしつつ、MDに録音しながら聴いている。これを通勤の時や出張時の移動時間等を利用して聴き直す。種々の分野でそれなりの成果を挙げ得たヒトが選ばれているから当然ではあろうが、なかなか良いことを言うモンだ、と感心する事しかり。「我言わんとするところ既に言えり古人の口」もまたしかり。

 この二つの格言??の前には私なんざとても出る幕はないが、これも私だけの趣味と割り切って続けていこう。いろいろな方々の作品やお話しからヒントを得て書き出すことも少なくないが、温故知新と言う言葉もある。何か私らしい一言を付け加えて、私自身のの感覚や言葉で綴っていくのは、自分の存在の小ささを確認する事にもなるのだが、それを含めても、楽しい作業である。


12/15(水)曇時々晴れ 年末大交流集会(欠) リハビリ当直 
2:00起床、ドック総括x1他いつもと同じく淡々と業務、医療評価機構提出書類チェック作業、徒然。5:20Taxi病院着。6:20回診他,8:10救急カンファ、9:00-14:20外来。入院患者不調で対応。本日は法人秋田地区の年末大交流集会、私は欠席し家内のICU当直に合わせてリハビリ当直に、19:00に移動。夕食.20:50就眠。

不親切で解りがたい道路標識 
 昨日のNHKラジオで道路標識の表示が解りがたいとのことで見直しの作業を始めるようなことを報じていた。
 私もそう思う。初めて通過するところは標識が不親切で実に困惑するが、目的地に無事着いてしまうと標識の欠陥など忘れてしまう。次に通る時は標識は不要だから問題にしたことはないが、確かに不親切、不便だ。方向音痴の私は標識があることでむしろ大きく迷ってしまう事など頻繁である。

 先日の出張時にも間違ったが、秋田の唯一の高速道である秋田道で出入り口を間違ったのが4回もある。一度目は湯沢に講演に行った時、天気が良かったのでハーレーで行ったが、出口がよく解らないまま行き過ぎ、Uターンを2回して湯沢インターで降りた。2回目は東京出張時、新しく開通した空港線に入れず通過、次のインターで一端降りてそのまま下り線経由でギリギリに間に合って搭乗した。3回目は一月ほど前、八郎潟に向かう時に行きすぎ、Uターンを2回した。4回目は数日前の東京出張時、病院に急がなければならない事情も関連して空港線から秋田道にはいる時に一瞬勘違いして上り線に進んでしまった。直ぐに気づきUターンし下り線に入り病院に向かった。ここのインターには本荘方面、能代方面として路線を案内しているが秋田方面という看板は無い。多くの通行者は秋田に向かうであろう事を考えると不親切である。それに、距離が短いから判断出来ないうちに直ぐに二叉路が来てしまう。

 秋田道は一応高速道扱いであるが規格上も低ランクの欠陥高速道で低いブロックで分けられた対面交通部分が多いから、時には正面衝突も生じうる欠陥構造で道路としては問題である。でも、私はこの欠陥構造、交通量の少なさを便利に利用して何喰わぬ顔してUターンしたが、通常の高速道路では考えがたいことである。 自身に欠陥があると認めた上で、やはり標識の不備は指摘しておきたい。
 
 そう言えば一年ほど前、羽田で工事中の未使用の滑走路に着陸したJAS機があった。幸い滑走路上に何もなかったから良かったものの、時速250Kmものスピードでアプローチしている時など一瞬の勘違いは取り返しの付かない事態を招いてしまう。道路標識も走りながら、不案内なヒトが見るものだとの認識が必要であろう。その道路を知り尽くしたヒトに作らせてはダメなのだ。


12/13(火)医師会打ち合わせ(キャンセル) 医局カンファ(欠)秋大第一内科忘年会 
2:00起床、寝不足感。ドック総括x1,退院総括、他いつもの如く、徒然、5:20病院着。6:20回診、定期処方箋発行他.8:10救急カンファ、9:00-13:30外来混雑。病棟患者家族と面談2件、退院総括他。医師会打ち合わせと医局カンファは共に時間確保できず。18:30秋大第一内科忘年会に出席、同席の医師、看護師と歓談す。21:20帰宅.21:30就寝。

JALガラガラ  モノレール座れず  昨日の出張雑感
 昨日の出張時の往路、JALは
中型のAirBus A-300-600型、多分定員は300人ほどであろうが、搭乗率20%ほど。ヒトとヒト間の距離、空間を大事にする私にとっては自分の席の周りもパラパラで、座る姿勢も足を投げ出すのも自由、東京付近まで終始揺れ続けたが超快適であった。更に、羽田空港が混雑しているとのことで木更津上空?だと思うが、15分ほど着陸順番待ちの旋回していたために山の景色、自然の森林など十分に楽しめた。ゴルフ場がいかに自然破壊につながっているかもよく解ったね。羽田にはスムーズに着陸したが、窓からは着陸態勢に入っている航空機の機影、前照灯が数機分、旅客機がこんなに近くて良いのかと思うほどの距離、勿論法定以上の距離はあるのだろうが、で並んでいた。10年数年前、千歳空港で自衛隊の輸送機が10機ほど、1分も間隔を置かずに整然と着陸した見事な光景を見たことがあるが、その時のことを想い出した。

 詳細は解らないが、今月からターミナルビルは第一、第二ビルとに別れたがJALは旧ビルを用いているようである。第二ターミナルビルは規模も機能も素晴らしいと言うことだが往復ともJALであったために見る機会はなかった。しかし、ビル内の混雑はかなり緩和された様な気がする。旧ビル前の駐機場も大部分がJALのみで従来のようにANA機は殆ど見えない。降雪期は空路は用いないつもりなので第一ターミナルビルを見ることはしばらくおあずけである。

 モノレールは路線が延びたためにJAL使用の際の乗り場は始発でなくなった。今までは車両のないところで待つことは殆ど無かったが、待っていて実に変な感じがした。乗車できた車両は既に第一ターミナルビルからの乗客で一杯、浜松町まで立って移動。30年以上も利用してきたが初めての経験である。

 復路は小型の
MD-90型機で満席。復路は殆ど揺れなかったが、こんなに混むと、何でこんなに前後左右の座席間距離が狭いんだ?、積めるだけ積もうというヒトを荷物と同様に扱う発想でないか?例え1時間程度と言えども拷問だよ・・・などと次々と文句を言いたくなる。
 もう少し何とかならないのだろうか、等と勝手なことを考えながら移動した。それとも、与えられた便利さを、謙虚に、単純に喜ぶべきなのだんだろうか。徒然、つれづれ・・・。


12/13(月)秋田曇・東京快晴 管理会議 日医第3回病院委員会 
2:00起床、眠い。ドック判定総括x1他,いつもの如く、徒然。5:20病院着。回診+出張時申し送り.8:00-8:45管理会議.9:00病院発空港に、10:05JAL  AirBus A-300-600型。小刻みに揺れ続けたが搭乗率20%ほどで気の毒なほどガラガラで、超快適。13:30-16:10日医病院委員会。3回目にしてやっと討論に形が見えてきた。羽田空港にて入院患者不調との電話あり。18:15JAL  MS-90型満席。秋田空港で私は今年初めて降雪を見た。ハラハラとちょっとだけだが、気温は0度とかなり冷えていた。20:00-21:30病院着、重症患者回診他。22:00帰宅.夕食、22:30就寝。

東京出張 往復でベートーヴェン交響曲1-8番通して聴けたし、智恵子抄も良い
 本日は日本医師会の病院委員会で東京出張。車で病院を発た9:00から病院に戻った20:00まで、ずっとヘッドフォンで先日MDに作ったベートーヴェン交響曲全集を聴きながら移動した。MDを停めたのはJAL離着陸時と会議の最中だけ。ブロムシュテット指揮ドレスデン歌劇場管弦楽団の盤、通常も部屋でBGM的に流しているが小音量のために詳細は聴き取れていない演奏。今日は詳細まで聴けて心から満足した。演奏時間370分ほど。要するに空路で日医に出張すると2.5時間ほどの会議の前後、7時間ほどは移動していることになる。
 出張は多忙な日常業務を離れ無ければならない惜しい時間であるが、割り切って考え方を変えれば滅多に得られない貴重な時間である。実にバカらしい聴き方なのだが、こんな非日常的なことも出来るのだ。
 更に、音楽を聴くだけでは勿体ない。新書版5冊ほど買い込んでうち2冊、斜め読みだが読み切って満足した。次の委員会は1月中旬予定になっている。この時は新幹線を使うつもりなので更に1-2時間は余分にかかる。この時はどう過ごそうか。今から楽しみでもある。

 それにしても、音楽は聴き方によって全く別物と言って良いほどの聴こえ方がするものだと思う。よほど良い条件下で聴かなければ真価は分からないといって良い。ブロムシュテット盤、今日その値を見直した、イヤ、聞き直した?と言うべきか。細部まで聴き取るとなかなか良い演奏だと思う。

 一方、今、二代目コロンビア・ローズの歌う「智恵子抄」を気に入って聴いている。昭和51年頃のヒット曲で、当時あまり大した良い印象を受けなかったし殆どその存在すら忘れていたが、先日たまたまの録音したFM番組に入っていた。じっくりとヘッドフォンを通して聴くと、歌手の声も自体も良いが、歌詞によって繊細な表情を微妙に附けて歌っているのに驚く。これは小さなラジオで聴いてもなかなか気づかないと思う。今昔の歌謡曲を聴いているが、どれも新鮮な気持ちで聴ける。当時はせいぜいラジオとかTVで小耳にはさむ程度しか聴いていなかったから、・・だと思う。


12/12(日)曇・時々晴れ 病棟拘束  トランペットデュオ演奏会(休宝寺)
0:30リハビリ当直室で起床.療養病棟患者不調で4-5回は電話あり睡眠不足解消せず。ドック判定総括x1他、ICUで先週死亡の患者の総括に手こずる。その他紹介状、徒然等多数処理。7:15検食、8:30病院に移動、8:45救急カンファ。回診他病院業務。12:30帰宅。そのまま医療評価機構の自己評価表関連中心に机上仕事進める。17:00休宝寺で山形大学特設音楽科学生によるトランペットデュオ演奏会、18:30懇親会。19:30病棟より電話あり出勤、死亡確認、見送りなど、22:00帰宅、22:30就寝。

自伝 1971〜73 (27)
新生児用の道具は殆ど購入しないで代用
 長女誕生の2ヶ月後には秋田に転居が決まっていたので道具類は増やしたくはない,
と言うことであまり育児道具は購入しないでいた。それでも、お祝いとしてオムツカバーとかの必須なものから、天井から吊すオルゴールメリー?などいろいろ戴いた。

 退院後はしばらくはベビーベット代わりにタンスの最下段の引き出しに寝床を作った。これがなかなか便利で、使わないときにはそのまま収納できたし、寝込んだときには2段上の引き出しをひきバスタオルなどで被う事で遮光も出来た。

 若干外に興味を持ち、親の存在を気にし始めた時期には、「柳こおり」をベビーベット代わり用いた。学生時代の衣類の整理、保存等に用いていた大事な小道具で、はじけている竹の端などを丸くカットし怪我しないようにし、内外側全体をシーツでくるみ、小さな座布団とかをつかってベットを作り上げた。揺すってあやすにも、持ち運ぶのも便利、車で移動する際もそのまま載せたり、なかなか良いアイデアであった。

 オルゴールメリーはいくら赤ん坊でも毎日見ていると飽きるだろうと考え、時々プラスチックの装飾品を外し、洗濯物をつるして回転させたりした。風のない日など洗濯物が回るから良く乾燥した。流石に電池では直ぐにヘタルから、 ACアダプターを自作して長時間使えるように改造するなど、いろいろ新しい家族を迎えるのに生活に変化があって、今思い出しても面白い体験であった。子育ては楽しいものである。

 最近の若い両親の子育てを写真などで見てると、用いている育児用品の殆どが既製品の育児用具をふんだんに使っているように思える。もうオムツなど干している写真にお目にかかることもなくなった。そうなってからもうしばらくになるが、確かに、私の時代とは経済状態も違うし、便利なものも市販されている。私は出来る限り既成の市販品は用いずに手作りを楽しむ方だが、子育ての分野でもいろいろ特技を生かすことが出来たと満足している。ただし、家内や、賄いの石井さんの評価はとても低く、彼女らは新しいのを買いたくてウズウズしていたようである。


12/11(土)晴れ・若干寒波  リハビリ当直 
1:30起床、ドック判定x1他、いつもの如く、しかし、眠く非効率であった。5:20病院着、途中信号待ちで一瞬トロトロした。6:00-7:00いつもなら病棟に上がる時間であるが、座位のまま熟睡した.その後回診他.10:30-12:45 外来。14:00-15:00散髪、ここでも熟睡。16:45リハビリ病院に.新聞数日分処理、他。18:00夕食、19:30早めに就寝。何故か強烈に眠かった一日。疲れが蓄積していたのかもしれない。

病院の医療従事者は発想の転換を いま迎えている危機は本物・深刻だぞ
 今、日本の医療に従来なら考え難いような現象が生じてきている。高齢化が進み、医療費も安くなった。外来での医療費は前回の診療報酬の改訂の結果、病院で4.8%、診療所で2.1%もが安くなった。当たり前に考えれば患者数は増えていくはずの条件なのに、逆に受診者数は減少している。

 これほど著しい変化、患者の減少は一般の消費者の動き、市場の動きに反する、全く予想されていなかったと言っていい状況である。この2年間で、病院外来ではなんと9.2%、診療所で1.2%受診延べ患者数が減少している。入院も2.3%減少した。これでは従来の病院経営の考え方ではやっていけない。特に、経営母体が脆弱な私的医療機関にとっては深刻である。

 その原因として、●保健者本人の窓口3割負担●不況による受診抑制●投薬の長期化解禁●グループホーム等の社会資源の拡充●在院日数の短縮・・・等挙げられる。
 この状況は国全体共通の流れである。患者達は一体何処に行ったのか?基本は受診抑制である。この点では小泉さんの思い通りになっている。悔しいが、さすが、と言うべきか、と思う。

 受診患者数が減少してくる状況であれば、各患者による医療機関の選択行動はますます高まって来るから、患者に選択されない医療機関が受ける影響は上記に挙げた数字以上に甚大なものになっていく。その現象はすでに各私的医療機関で出始めている。

 これまでも医療経営の危機は何度も論じられてきたが、患者数が伸び続けてきた状況の中での議論であったから、本当に危機感を感じた医師、経営者は多くはなかった。今回は患者数が減少している厳しい状況であるから、患者に選ばれない医療機関にとっては問題は本物であり、深刻である。

 患者あっての医療機関である。だから、受診してくれる患者は大事にしなければならない。今すべきは、自院の地域における役割の把握であり、支持されている部分の把握である。一人一人の受診動機を把握しよう。その部分を重点的に特化していく運営方針の確立が、第一に求められる。過去の栄光を追い求めてはダメだ。


12/10(金)快晴、若干寒  21世紀の医療を守る会打合せ、県医打ち合わせ 法人理事会 
1:30起床、ドック総括x1他、紹介状返事、主治医意見書、徒然など。5:20病院着。6:10回診他。患者関連書類作成、8:10救急カンファ。10:30-12:40外来。13:00-14:30  21世紀の医療を守る会打合せ、立ち上げ。14:30-15:15医師会打合せ、16:00ドック診察x5。医療評価機構関連若干。17:30-18:50法人理事会。20:40帰宅、一昨年は30cmの積雪。昨年・今年は0cmで助かる。21:00就寝。

医療従事者の低賃金問題
 フィリピンでは看護師や医師の国外流出が自国の医療の維持の面で深刻な問題となっている。しかし、それでもアロヨ大統領は来日時に自国の看護師の有能性を強調し売り込んで行ったところを見ると、外資獲得がそれだけ逼迫した問題となっていることなのだろう。わが国では現状の法律下では外国の看護師の受け入れは不可能であるが、外国人医療関係者の受け入れ体制が確立している米国、欧州、中近東諸国にはフィリピンから毎年8,OOO人以上もの看護婦が流出している。フィリピンでは看護婦の平均月収が120ドル程度、米国に行けば3,OOO-4,OOOドルとされる。賃金格差がこの様に30倍もの差があれば誰でも行きたくなるだろう。もう愛国心とか自国の医療をどうする云々の問題ではない。
 日本でも国際化の中、外国人労働者を受け入れる方向で規制緩和がなされているが、外国人看護師に関しては厚労省も看護協会も受け入れの必須条件として日本の看護師免許取得をあげているが、これは門戸を狭めるためではなく、安全上からも当然の事と思う。

 医師もフィリピン国内では300-800ドルの月収でとても安い。だから、医師も国外に流出している。ただ、その多くは看護師として働いているのだという。それでも10倍ほどの給与になるのだから流出が後を絶たない。
 しわ寄せは国内の医療機関に及び深刻である。都市部の病院でも医者と看護婦の離職が多いため運営が十分出来ていない。新人看護は海外で働く資格を得るために僅か数ヶ月しか勤務しないというのが多いとのこと。医師も同様で慢性的に研修医程度の医師しかいないという病院も少なくない。フィリピンでは医師の適正数は1/6,OOO人と、わが国の190/10万人に比較すると著しく低く理解しがたいが、現在は1/26,OOO人程度と壊滅的状況らしい。

 我が国でも医療関係者の賃金問題は根が深いものがある。保険診療上での報酬が低く抑えられている上に、医療機関の設立母体が異なることに拠っているから。私的医療機関では何処でも従業員の給与問題を抱えてギリギリの中での運営を余儀なくされている。


12/9(木)超快晴  フィブリノーゲン納入医療機関公表
2:00起床、ドック総括x1他、紹介状返事、入院総括、徒然など。5:20病院着、6:20回診他。8:10救急カンファ。9:00-13:00外来。14:00医局MC一部出席。午後、対外的な予定はなかったがフィブリノーゲン納入医療機関公表関連を始め、予定外の訪問者数人あり時間的には細切れ状態。20:30帰宅、夕食、21:00就寝。

誰も居ない早朝のナースセンター   これで良い??
 最近業務が混んで来ている。最近、朝の回診の開始時間が徐々に早くなって月から土曜日は大体6:00頃から回っている。受け持ち患者の対多数は7階の療養病棟であるが、一般病棟にも数人受け持っているので2階の自室から効率良いルートを選んで下の階から順序に回診していく。所要時間は大体2時間ほど。

 早朝の回診は私にとって一日の時間を大事に使うためには欠かせない。先月、たまたまウイークデイにリハビリテーション病院で当直をした日には8:30に病院に移動、9:00から外来に出たが、受け持ち患者の様子が分からない状態で長時間外来で過ごすのは違和感があり落ち着いて外来をやっていれなかった。14:00過ぎ、外来終了後に回診し、患者の処置等をしたが、それだけでもう夕方、殆ど余裕無く、書類処理など何も出来ない一日となった。これでは患者の不調や急変、院内外の予定外の懸案事項の発生などにはとても対応できない。

 早朝の回診は能率がいい。患者も喜ぶ。熟睡中の患者がいれば起こさずそのままにするから楽で、私も喜ぶ。誰も居ないからカルテ、オーダー簿、ファックス器など、奪い合うこともなく自分専用に使える。これも良い。

 ところで、この時間帯、看護師さん方はモーニングケア、採血その他の業務で多忙な時間でナースセンターには殆どいることはない。ヒト嫌いの私にはそれもとても良い条件であるが・・、が、問題はある。この誰も居ない時間帯、ナースセンターの安全性はどう守られているのだろうか??カルテ、薬品、その他、重要な物品、個人の機密に関する資料が沢山置いてある。実際にスタッフ以外が無断で入って来ることはまず無いし、施錠庫もある。これに関連した事故はないが、これから先もないとは限らない。
 出入り口に光学的、電気的バリアの設置、映像による記録など考慮されてしかるべきで無かろうか。


12/8(水)晴れ若干寒い 県社会福祉審議会専門・審査部会 県医師会常任理事会+忘年会 整形外科医と懇談 
 2:00起床、ドック判定総括x1、紹介状、返事x1。徒然、5:30病院着
.6:15回診他。8:10救急カンファ、9:00-13:30外来、15:00-16:20県社会福祉審議会専門・審査部会で第二庁舎に。16:30県医師会常任理事会、18:10忘年会、主たる料理がでる前に中座、帰院。19:00-20:00整形外科医と懇談、21:10帰宅、夕食、21:50就寝。最近、帰宅時間遅くなっている。それにしても今晩の忘年会の会席料理、一日一食の私がやっと迎えた夕食の時間。お通し程度の前菜を口にしただけ、辛い中座であったよ。

「医師会は患者の利益を軽視 混合診療で医師の技術の向上が期待出来る」 八代規制改革・民間開放推進会議委員の解説に呆れる
 保険診療に自己負担の自由診療を組み合わせる「混合診療」をめぐり、政府の規制改革・民間開放推進会議で中心的な役割を担ってきた八代尚宏委員(日本経済研究センター理事長)は共同通信社との会見で以下のように語った。

●なぜ解禁なのか??
 「患者からの要望だ。ある患者から、保険の対象にならない薬を使ってがん治療をしたいが、そうすれば全額自己負担になるので困っているという声があった。保険のルールから少しでも外れたら、保険を使えないというのは極めて悪質。解禁すれば、医療機関の競争も起きて、技術の向上も期待できる」

●厚生労働省や日本医師会はなぜ反対しているのか??
「厚労省は医療費が膨らむのを恐れている。医師会は必ずしも医療界全体の意見を反映していない。現に日本外科学会や有名病院は規制緩和を要望している。医師会は開業医が牛耳っている。解禁したら患者を奪われるため、必死に反対している。患者の利益など二の次だ」

●なぜ患者を奪われるのか??
「混合診療が認められると、患者は医師に対して診療の詳しい説明を求めるだろう。勉強していないと答えられず、患者も来ない。反対する人は、それを嫌がっているのではないか」

 政府が進めようとしている混合診療の解禁は、患者の選択、求めに応じた良い医療を受けられる、と説明しているが、主たる目的は保険診療の縮小による医療費の抑制にある事は明らか。患者に無用な幻想を与えるだけ。
 そうだとしても、勿論、強力な賛成意見はあって良い。しかし、政府に意見を上申する委員会の先頭に立つ人の、医療に対する意見、医療界に対する意見、意識レベルがこの程度であるというい事は驚きである。彼の発言はこの記事だけでなく方々で語られているが、一貫してこの程度であるから本物だ。小泉首相の混合診療についての生の声は聞いたことはないが、恐らく、似たようなものと推定する。
 
 こんなレベルでの議論は海岸で海を見て海全体を論じるようなもの。表層的で本質の何も語っていない。マスコミはこんな意見を喜んで掲載する。同床異夢仲間??


12/7(火)午前雷雨、午後晴れ 県感染症評価会議 医師会打ち合わせ 科長会議会議
2:30起床、眠い。ドック判定総括x1他、紹介状返事x2、入院総括x1。5:30Tax病院着、6:30回診、定期処方発行他。8:10救急カンファ。私が診ていた血液疾患患者が来院していた。9:00-13:50外来+ドック説明他、その間ずっと雷鳴が轟いていた。14:05県感染症評価会議で衛生検査研究所に。15:30県医師会打ち合わせ。17:30-18:50科長会議。厳しい意見飛び交う。新入院の重症者回診他
21:30帰宅、22:00就寝。患者急変ほかの対応に追われた一日.

「冬のソナタ」って?  美味かった韓国土産のキムチ 
 「冬のソナタ」と言う言葉を時々聞く。はて、こんな作品がショパンとかベートーヴェンにあったかな?程度は考えた。何と、韓国のTV番組の名前。この番組は2002年1〜3月に韓国KBSで放送され、平均視聴率23.1%という異例の快挙を遂げたとのこと。出演者のファッションが流行し、ロケ地が観光スポットになるなど、韓国の若者を中心に圧倒的な支持を得た話題作。日本でも2003年4月NHKBS2にて放送、同年12月再放送している。主演俳優の雰囲気、演技、美しい映像と音楽など、全国的に「冬のソナタ」ブームと呼ばれているらしい。
 昭和20年代の日本にもあった、銭湯がからになったと言われるラジオドラマ、「君の名は」の時のようなものだろう。東京の電車の中では韓国語の会話テキストを開く女性をチラホラ見かけるほどのブームらしい。また、日本から中高年の女性たちが大挙ソウルに訪れ、現地ではホテル不足になっているほどという。私の感覚では「冬にそうなった」と言う程度の単なるラブロマンスに過ぎないが、人は夢を追うものだと思う。良いことだね。

 その一方で、陰りを見せているのが韓国のキムチ生産。韓国での生産高は徐々に落ちこみ中国からの輸入品が増えているとのこと。日本人もキムチは好まれ、需要は1990年には8万トン、2002年には39万ンまで伸び、輸入物も20%を超えたらしい。しかし、今年は国内白菜の収穫減もあって需要は落ち込み、輸入量も減少している。

 こんな中、1-2ヶ月ほど前、「冬のソナタ」ブームとは関係なさそうだが、病院の旅行で家内が2泊3日で韓国を訪れた。詳細はよく聞いていないので不明だが、辛い食品が好きな私に何種類かのキムチを買ってきた。それらは、私が日常口にしてきたスーパーマーケットレベルの安物のキムチとは一線を画する美味なる味で楽しめた。辛さも、強く深いものがある。ハングル語なんて全くワカランから韓国産か否かは解らなかったが、日常食べていたキムチが色あせたことは確かで、良い経験したと思う。


12/6(月)管理会議 長副会議  アストラゼネカ社にて講演
1:30早めに起床.ドック判定総括x1.紹介状、主治医意見書。秋田医報の文献チェック。5:10病院着。6:30から回診。8:00管理会議。9:00-14:00外来+ドック結果説明2名、いつもより外来患者数やや少なめ。16:30-18:45長副会議。19:10-20:40アストラゼネカ社にて講演「一臨床医から見たMR、他」。担当の方と情報交換、22:30帰宅、23:00就寝。これで今年の講演予定はすべて終了、評価機構に集中出来るか?

成人の100人に1人がHIVに感染  アジアでは更に交通事故死も大問題
 間もなく国際エイズ週間になる。国連エイズ計画(UNAI DS)が先ほど発表した「世界のエイズウイルス(HIV)感染成人者数」によると、今年末には4,OOO万人に達すると言う。これは全世界の成人の約100人に1人の割合に相当する。
 これほど国際的に予防策が行われているにもかかわらず、普及は今なお不十分で今年は新たに490万人が感染し、310万人が死亡するものと見られている。感染者の2/3は相変わらずサハラ砂漠以南の「サブ・サハラ」地域に集中している。文化の違いと言えばそれまでだが、わが国でも最近の発表では過去最多の感染者数が見られたと報告している。

 我が国の感染者、発症者の特徴は、以下の如くである。
●AIDS患者・HIV感染者の最新の報告数は過去最多。
●AIDS患者・HIV感染者ともに、日本人男性が8割以上を占める。
●性的接触による感染は、HIV感染者で9割、AIDS患者で7割以上。
●国内での感染が約8割で最も多い。
●年齢別では、HIV感染者は20-30歳代に多く、AIDS患者は30歳代以上に多い 。
●クラミジア抗体検査陽性率は女性が40.8%、男性は22.6%と極めて高い。

 HIV感染は、中国を中心にした東アジア地域で、ここ2年間で50%も増えているのは脅威でもある。更にもう一つ、隠れた驚異がある。それは、アジア地域に於ける交通事故死で、その損失はとてつもなく大きいという。アジア開発銀行の報告では、東南アジアのインドネシア、ベトナム、タイでの交通事故死のリスクが非常に高く、関係国の協調対策がとられなければ、向う5年間で38.5万人の人命が失われ、そのコストが880億ドルに達する可能性がある、と指摘している。アジア太平洋地域の路上を走る車両の割合は、世界の僅か14%を占めるに過ぎないが、実際の死亡者数は年間の全世界の交通事故による死亡者数の44%にも達しているとのこと。
 世界の飢餓の問題も含め、いろいろ考えさせられるものがある。


12/5(日)雨、強風 病棟拘束 
2:30起床。ドック総括x1他、紹介状。主治医意見書、レセプト関連作文。Vnなど。11:40病院へ、机上に溜まった業務処理、回診ほか、評価機構分担分検討。19:30帰宅、夕食。20:50就寝。

自伝 1971〜73 (26)
産湯に用いたタライ 
長女の名前 
 出産翌日、義母が秋田から大きな木のタライを背負って産後の手伝いのために来てくれた。そのたらいはもともとは赤く漆か何かで塗られていたようであるが、もうはげ落ちて無惨な色調であった。家内達の誕生を初めとして親族や近所で新しい命の誕生があるとあちこちに出張して用いられてきた品で、数十人の新生児がこれで産湯をつかったのだと言っていた。
 母子の退院後の受け入れの準備と私の朝夕の食事の世話をしてくれたが、社宅で義母と二人で過ごす時間というのは何かと気詰まりなものであった。そのために夕食を済ますと、失礼を与えない様配慮しつつ夜半まで病院で過ごしていたように思う。数日生後5日目ほどで母子共に問題ない状況で、祝福され退院した。流石に義母の育児の手技、産婦への世話は手慣れたもので私どもにとっては初体験の新生児の世話をてきぱきとやっていく。これを見ていると医者なんて理屈は捏ねることは出来ても、院外や生活の現場では大した能力を持っているものではないな、と感心した。

 長女はその祖母の世話のもと、黄疸期も順調に過ぎとても元気に育った。次は名前を考えなければならなかったが私はあまり真剣に考えた事はない。その方面の本なども全く興味なく読んだこともない。電話帳で適当な名前が無いかと1-2回探した程度であったが、届け出の期限が近くなったのに決まらないのを見かねて外来の看護婦達が5種類ほど用意してくれた中からゴロの良いのを選び、漢字を好みのに替えてその場で決め、そのまま市役所に届けを出した。実に適当な決め方をしたが、との本人共々、今でもなかなか良い名前だと思っている。

 ## なお、ここで用いられたタライは、その後我が家の3人の子供達、賄いの石井さんの二人の孫の産湯に使われたが、その後は時代柄か、もう出張の機会はなく、2-3年前惜しまれつつ私の手によって粉々に破壊され、55年ほど果たしてきたその使命を終えた。


12/4(土)曇り、秋大泌尿器科忘年会 
 23:00起床.研修医と共に受け持っていたICU患者不調にて再度出勤。寝不足で浮球感あり。研修医と交代し治療継続するも効なく朝方死去された。5:30病棟回診、書類書き、8:45救急カンファ、各種書類処理。9:00ドック説明x3他.10:30-13:30外来、この間市内の開業医から何だかワカランが予防注射に関する抗議の電話あり対応に手こずる。14:00患者家族と面談。以後は評価機構の処理。18:15-21:20秋大泌尿器科忘年会。アトラクションも良かったし、種々の情報交換も出来て、まともに眠っていない一日であったが眠気も生じる間もなかった。21:40帰宅.22:00就寝。

若い女医さん方の活用、社会復帰のために  看護師達についても
 私たちが医学生の頃は女性は10%もいなかったが、最近は医学部入学定員の30-40%が女子で、今年の国家試験の合格者も約30%だという。基本的には良いことだが、諸手をあげて良い事とばかりは言っていられない。医師として成長する最も大事なときに女性特有のライフスタイルの急激な変化、即ち結婚・妊娠・出産・育児の問題が生じてくる。勿論、女医さん達と言っても個人差が大きくてまとめて論じることは出来ないし、最近は夫なる人の協力も昔とは全然異なるらしい。が、結果として数年間にわたって医師としてのパワーを十分発揮できない時期がある。甚だしい例は、赴任してきた若い女医さんが、僅か1-2ヶ月後に赤ちゃんが出来たからと言って退職することも希ではない。更に問題は子育てが一段落した時期には、もう医師としてのモチベーションが低下し、開業医の手伝いや病院のパートで働く様になる方も少なくない。これはその女医さん達個人にとっても、社会にとっても、また病院の運営を担っている側にとっても重大な問題で、何とかしなければならない問題である。

 先に、東京都は保育園が不足したために、いわゆる無認可保育園を東京都式の認可方式に変えることで収容人数を拡充した。それは現実的対応としてやむを得ない処置だが、これを機会に、職場に復帰出来た女性が増えて評判はすこぶる良く、都内に保育園をどんどん作ったらどうかと言う意見が増えたという。

 女医さん特有の問題を保護しながら解決するには、この大切な時期限定の新しい研修体系や勤務体系、即ち、勤務時間の短縮、フレックスタイム導入、当直免除、複数主治医制などを医療機関側が作り、かつ、保育所を増やすことだろう。前者は病院運営担当者に是非とも考えて貰おう。

 保育園は女医さん方の意向を汲んで作れば絶対的に需要があるだろう。ならば医師仲間で作ってはどうだろうか。要するに若い医師達のニーズに合った保育所を医師の最大の団体である医師会で作ればいい。各地の医師会は訪問看護ステーションとか検査センター、病院も運営している例があるからこの程度の事業は不可能では無かろう。それに、若い医師達の医師会についての認識も変えることが出来るのではなかろうか。
 ちょっと待てよ、ならば、薬剤師会、看護協会、歯科医師会も同じ悩みがあるはずだ。ならば、医療関係団体で協同で作ってはどうか・・と私の中で話がどんどん大きくなっていく。今日の忘年会の席で、ある大病院の院長の話しをヒントにいろいろ考えてみた。


12/3(金)曇 医師会打ち合わせ 医師会顧問会議 
2:00起床.ドック総括x1他、紹介状など。家内3:00過ぎ帰宅。5:10病院着、6:10 ICUから回診他。総括・紹介状他、8:10救急カンファ、10:30-13:00再来インフルエンザ予防注射でやや混雑。ドック説明1名、診察5名14:40まで。15:30医師会打ち合わせ、18:00Castles Hで顧問会議。20:30帰宅、21:00就寝。療養病棟、ICUから電話数回。23:00患者重症化、Taxiにて病院に再出勤。

ついにナースキャップ廃止(2)  院内パンフレットに一言
 ナースキャップ廃止に関連し注意書きなるものが職場に回っている。 外来で誰かが読み上げているのが聞こえてきた。「フロントヘアは・・」「サイドヘアは・・・・」「リアヘアは・・・」・・と。最初は自動車の宣伝かと思ったが、何か身体のことを指しているらしい。確かに「ヘア」と言っているから「毛髪」のことか。そうか、ナースキャップが廃止になったから髪型のことが問題になっているのだと納得した。参考までに一部貰って読んでみたら看護部が発行した「身だしなみ基準」と言う院内パンフレット。
 「フロントヘア」は「前髪」、「サイドヘア」は「側髪」のことを言っていると言うことがやっと解った。何でこんな和製英語を使うんだ!! 私は多いに疑問である。ちゃんと「前髪」と書いたらいいのに。つい変な連想までしてしまったじゃないか。

 また、読み進んでおくと突然「ヒゲはきちんと剃ること・・・」と書いてある項目に突き当たった。何で看護師がヒゲ??と一瞬思ったが、そうか、今は男性の看護師も結構いるからこういう記載になるのだ、と納得した。ならば、「男性看護師はヒゲを・・」とはっきり書けばいいじゃないか。今後は看護師の発行するパンフレットを読む際には発想を変えなければならないと思った。

 医局の内規には「ヒゲはきちんと剃ること・・・」と書いていないことを良いことに、私は2-3日毎にしか剃っていない。毎朝、剃らねば、と念頭には置くのだが、つい忘れて外来にでてしまい、拙かったと反省する。今度は外来用のシェーバーを用意しようか。


12/2(木)曇 やや寒  患者家族面談3件    No10医療評価受審委員会  
2:00起床.ドック総括x1、徒然他。5:15Taxi病院着、5:15 ICUから回診、患者家族と血漿交換療法について面談、他。8:15救急カンファ。9:00-14:10外来、患者家族と面談、16:00-17:30No10医療評価受審委員会、進行の遅れが目立つが、かなりの部分私にも責任。机上の懸案事項多数処理し周辺が若干すっきり.20:30帰宅、21:00就寝。

ついにナースキャップ廃止(1)  看護師さん方の発想の転換にも期待
 私が勤務している病院は12月からナースキャップ廃止の施行に入った。1ヶ月間の試行期間を経て完全実施と言うことで、着けたい看護師は着けることもできるが、今は看護学校の指導教官と実習生以外誰も着けていない。これはとても機能的で良いことだと思う。むしろ、実習生とのキャップに違和感を感じてしまう。でも彼らはまだ夢多き世代であるから、今は何も言及する気はない。

 私はやっとここまで来たか、と言う感慨も持つ。ただ、試行期間にもかかわらず誰も着けていないと言うことはそれだけすっかり土壌が出来上がっていたこと。逆に、誰しもすんなり受け入れられる様な、一見改革に見える動きは決して改革ではなくて時代の流れに乗ったものでしかない。本当の改革というのは賛否両論、実施した後もいろいろとしこりが残り、指導者はおうおうに厳しい矢面に立たされるものだ。

 だから、今回の取り組みは私からみて遅すぎた、と思う。私は現在の病院に勤務して間もなく、看護師の業務の機能性、衛生性を高めるためにナースキャップの問題点をあげ、廃止を提案したが、古い時代感覚の看護師、師長達には全く通用しなかった。ナースキャップは、のり付けのため細菌が付着しやすいことや、エッジがいろんなところに引っかかったりして、時には患者さんを突くことになるなど、不便な点が多いなど問題があった。しかしながら、今日まで真面目に論議されてこなかった。それは、ナースキャップ姿に看護師の精神性?、など、他の職種には理解できない何かが込められているからなのだろう。帯帽式なるムードたっぷりの儀式が悪しき作用しているのだと思う。あれは良くない。ナイチンゲール精神と呼ばれる崇高な精神性は、ナイチンゲールの業績を裏からみればどう評価されるのだろうか??
 看護師は個人個人は良い人達、愛すべき人達だが、ナースキャップ姿で複数人集まると何か排他的集団、圧力団体、不満分子集団?  の様に私には思えるが、象徴的なナースキャップを着けなくなることで、ちょっとは外面は良くなるかな? 私はこれを機会に大いに期待する。

 付け加えて言うと、私は、白衣は着ない主義である。


12/1(水)晴れ/曇  
2:00起床、ドック総括x1他、5:20病院着、6:20回診他。8:10救急カンファ。9:00-14:00外来他。回診他患者対応、机上仕事、書類処理.患者家族対応、20:50帰宅、21:30就寝。本日は久々対内外の会議や予定無し。机上仕事、書類処理に追われた一日.

医療制度から長期療養の概念が消える!!大問題だよ、これは
 現在、病院では在院日数が大きな意味を持っている。25日、21日だとか、将来は17日、14日だとか・・・、これが、病院運営上でも患者の立場でも大変大きな意味を持っている。

 患者さん方にとっては、在院日数の縛りなどは知りようも無いし、理解していただける分野ではない。しかし、大病院はかつての様にゆっくりと入院していれる環境でなくなったことは何となく理解しているようである。現実に、入院してもちょっと病状が落ち着けば直ぐに退院を勧められるし、半ば追い出される感覚で退院を勧められ、困惑の様子である。「何でこのままこの病院に入院させておいて貰えないんですか??」、これが実際の感覚であり、疑問である。

 一方、在院日数の縛りがない病床に「療養病床」というのがある。ここでは急性期の病気の治療を行うことは出来ないが、比較的ゆったりと入院していれるという特徴がある。 本来なら急性期医療を行おうとする病院には一定の数の療養型の病床が併設されることが望ましいが、秋田市内でこの様な考えで運用しているのは私どもの病院のみである。これで良い高齢者医療など出来るはずないじゃないか、私は常に主張して歩いている。大病院の経営陣は人口動態、高齢者医療について何を考えているのだ!!「急性期医療だけが良い医療だ」という幻想、妄想にとりつかれている。

 この療養型病床には何故か医療型、介護型療養病床の二種類が併存している。これは介護保険制度の成り立ちの立ち後れと財源の問題から、本来ならば介護保険型に一本化すべきものをやむなく併存させてしまったものと考えられる。行きがかり上そうなったものだから役割分担、特に、医療療養型医療施設は役割がはっきりしていない。本来の趣旨から言って介護保険型に一本化が望ましい。しかし、拙速に介護保険に一本化すると、介護保険の実施主体が国ではなく市町村なので、経済基盤の弱い介護保険は破綻していくのではないか?、経済的締め付けが更に厳しくなる、と私は危惧する。

 しかるに、厚労省が進めている医療制度の見直しの計画案を読んでみると、医療の中から「長期療養」の字句が消えており、これは大問題である。実際に、34.6万床の医療保険適用の療養病床への締め付けは厳しくなると推定されてきており、事実、入院180日越えの長期入院者に対する特定療養費制度が新設され、医療型病床から介護保険型への転換の誘導と思われる施策が実施されつつある。

 どちらにせよ、患者にとっても医療機関にとっても厳しい「医療の冬の時代」である。医療人は何時まで黙っているのか!!


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   年を通じてワンパターンで淡々とした毎日です。AM2:00-5:00にメールチェック・返事送付、人間ドック(HDD)判定・報告書作成、新聞切り抜き、病院・医師会業務など。
  月〜土曜は6:00頃出勤、HDD報告書印刷、外来書類処理など。病棟回診、HDD受診者とミーティングと診察。8:45-14:00外来とHDD受診者に結果説明。昼食は摂りません。午後は病院業務・医師会業務、各種委員会等に出席など。20:00頃帰宅。
  日曜・祭日もほぼ同様ですが、病院には午後出かけます。時間的に余裕無いのが悩みです。


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