徒然日記

 日記と言うより、自分の行動記録からの抜粋と日々の雑感です。

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先月の日記          来月の日記



10/31(日)雨→曇→晴れ 病棟拘束 FF tennis(中止) 漢方ステップアップ講座   
2:30起床、ドック判定総括x1. 退院総括、紹介状処理。徒然など。漢方ステップアップ講座出席の家内送ってから病院へ。空は晴れたがコート面は濡れていて滑って駄目だろうと中止の申し出。10:00-19:00音楽を聴きつつゆったりと業務こなす。机上の懸案事項かなり消化。MDソフト20枚購入して20:00帰宅、夕食、20:30就寝。16時間ほど坐位にて過ごして尻が痛い。褥創かな?

自伝  宮古病院時代 1971〜73 (22) 
第一回福田式ダイエット2 1週間目から10日目頃が辛い

 私は対外的には「中庸を持って是となす」と日常から言っているが、私自身はどちらかと言えば極端なのが好きであり、自分でもそう行動してきた。ただ、何事に付けても結果が良い方向に極端にでることは少なく、中庸にとどまる事の方が多い。これは私自身にとっては心傷の一つとなり、心は晴れない。その点、第一回目の福田式ダイエットは成功したことの一つであり、成就感十分、今でも自らを評価する際に大きな自信になっている。

 私が何かに手を付ける際には、まず周辺に決意を熱く語ることから始める。親しい同僚、外来・病棟の看護師たちに極端なダイエット計画について語ったが、当然大反対された。この大反対を実は欲しかったのだ。私はある程度の意志力は備えていると思ってはいるが、そう強靱なものとは自己評価していない。自分では不満で何でこんなにひ弱なのだ、と思ぅ事も多々ある。だから、何らかの支えが欲しい、それが多くの人達の反対意見であり、そんなことは無理だよ、と言う突っ放したような意見、それに、話したこと、宣言したことで生じるみんなの監視の目が必要だったのだ。

 朝食はコーヒーと緑黄野菜若干程度、昼はやはりコーヒー程度に。夜は普通に食べたが、高カロリーのものは控えるようにした。日常生活で制限するものは何も無く、むしろ運動量は増やす方向で、時間を見つけてはボーリングとかゴルフの練習場にも通った。
 ダイエットし始めた数日後から生じてきた現象は倦怠感、精神的な落ち込み傾向。昼食時など医局で昼食を摂っている同僚への羨望感、時には嫌悪感さえ感じるようになった。誰も居ないときには医局のテーブル上の菓子に手を付けそうになったり、冷蔵庫を探したり、罪悪感と共にコソコソと口に入れてみたり、最初の一週間目から10日間ほどはなかなか大変で何度か挫折しそうになった。


10/30(土)曇り-雨 病棟拘束
 
2:30起床、ドック判定総括x1. 再検査結果報告.医師会関連文章校正、徒然。5:20病院着、6:20回診他。8:10ドック診察x5。8:45救急カンファ。9:00-9:30ドック結果説明x1。10:30-12:50外来。入院一名、急遽輸血2名に施行。院内業務、回診、その他処理。19:30帰宅。Vnなど、20:00夕食、20:30就寝。

「月影の 至らぬ郷は無けれども ながめる人の心にぞすむ」 法然和尚の心境
 最近、出勤が徐々に早くなって5:00-5:10頃である。この季節はもう朝は真っ暗闇である。この時間帯の空は天候の影響をもろに受けるが、快晴の日の紺青の空、かすかに橙色を帯びつつある東側の雲などで特に素晴らしい、しかも短時間で移ろいゆく幻想的な景観をも楽しめる。早起きの三文得の一つである。

 一昨日、10/29は東京出張であった。朝は超快晴で、無風。放射冷却現象でかなり冷え切っており息のたびに鼻に痛みを感じる。空気は限りなく澄み、東の空は間もなく朝日を迎える準備でかすかに橙色に変わりつつあったが、満天の空は一面深い深い紺青色で、無数の星がいつもより遙かに大きく、明るくみえた。西側の空には満月がまばゆく、青白く明るくとても美しい。建物、公園その他の木々、山並みのシルエットは紺青の空と調和し実に美しい。朝、自然の恵みを十分に堪能した。
 往路の飛行機は大きくは揺れることなく実に静かであった。

 復路、18:15発。超快晴で雲一つないが、もう真っ暗である。今朝と同じ満月が東側にある。登りつつある満月は朝の色より暖かく優しい。羽田空港の無数のイルミネーションで、田舎で見る満月の印象とは随分異なる。先発の航空機が満月に向かって力強く飛び立っていく。実に幻想的。
 秋田まで、上空でもずっと満月が付き添ってくれた。MD-90の小さな窓から見る満月なかなか良い。
 秋田空港から一路病院に車を走らす。右手後方にやや小さくなった満月が見える。それから家まで、車窓の右に左に、前にも美しい姿で現れる。

 今日一日、満月のお陰で幻想的な景観を、私は十二分に味わった。今ここで生きている自分をとても幸せ者だと思う。
法然和尚の「月影の 至らぬ郷は無けれども ながめる人の心にぞすむ」は私の好きな詩でもある。


10/29(金)超快晴 日医病院問題検討委員会
1:40起床、ドック判定総括x1.紹介状、総括。5:20病院着。6:10回診ほか。8:10救急カンファ。8:45長副会議。9:00病院発、高速経由9:30空港着。10:05JAL Air-Bus300-600。往復機内で久々に医療評価機構の業務をこなした。13:00日医会館着。13:30ー16:00日医病院問題検討委員会、散漫な討論。浜松町の書店で新書数冊購入。くじ引きで時計貰う。4針式の100円ショップレベルの品だが下手なデジタルよりは良い、大事にしよう。18:10JAL MD-90、19:40高速経由病院着、机上の残務若干、他は持参して20:50帰宅。夕食、21:15就寝 。

私にとってのヘッドフォンの効用 音楽を聴くだけでない(2)
 子供の頃から鉱石ラジオなどでながら勉強していたが、今でも殆どラジオや音楽を流しがら仕事をしている。ラジオは私にとっては重要な情報源である。ながら業務とは言っても、集中すると殆ど聴いていない状況になるので大きく能率が落ちるわけではない。

 かつて私がヘッドフォンを用いるのは話しかけられることを予防することにもあったが、勿論、真面目に音楽を聴くときにも愛用してきた。レコードを始めとして、オーディオには随分散財したが、はっきり言って満足はしたことはないし、10数年前からは音質の追求自体を止めた。ヘッドフォンはある程度のレベルのものであれば音質は悪くないし、低いボリュームでも細部まで聴こえるから、特にスコアを見ながら聴くときなどとても良い。ただし、ヘッドフォン音楽を楽しみながら業務は出来ない。集中出来なくなるからである?から、ながら業務の時は多くは適当な音量でスピーカーで鳴らしている。

 最近はそれが様変わりした。ノイズキャンセラー付きのBOSEヘッドフォンを手に入れてから突然ヘッドフォン多用することになったからである。通常は室内で業務をやっているときにはノイズキャンセラー機能だけを用いて何も聴いていないが、出かけるときにはFMチュ-ナー、MDプレーヤーをつなぎ、音楽や早朝に録音しておいたラジオ深夜便「心の時代」を聴く。MDプレーヤーは昨年購入したがやっと使い方が解ってその便利さに驚いているほど。 

 気付いたのは、録音した講演や講話もヘッドフォンで聴くとラジオ等で直接聴いているときよりもしっかりと論旨が入ってくること。4:06amからのNHK第一放送またはFM放送のラジオ深夜便「心の時代」の講話を私は毎朝楽しみにして聴いているが、同時にMDに4倍速で録音しておく。これを出張時や通勤時にヘッドフォンで聴き直すと初めて出演者の意図を理解出来たりする。何しろ耳の側で語りかけられるのだから、染み入るように入ってくるのは当然。

 最近はMDを講演会や会議等にも持っていく。それを選び選びじっくりと聞き直す。なかなかみんな良いことを言うモンだ、と感心し、新しい楽しみに浸っている。


10/28(木)雨→曇り NHK記者来訪 総合内科病棟・療養病棟診療部会 臨時長副打合せ  
2:00起床、ドック判定総括x1、紹介状・返事x1等.5:20病院着。5:40-6:30NHK記者来訪、スギヒラタケ事件?についての2回目の基礎的取材。私の都合でこんな時間に来ていただいて大変ですね・・とねぎらう。6:40回診など。8:10救急カンファ。9:00-14:00外来。混雑。総合内科病棟診療部会は物理的に出席不可。16:00-17:00療養病棟診療部会。17:00-18:10臨時長副打合せ.新入院患者対応、書類処理、20:20帰宅、夕食、21:00就寝。

私にとってのヘッドフォンの効用 音楽を聴くだけでない(1)
 従来から、私は医局周辺や自室の中でヘッドフォンを耳にあてていたことが多かった。勿論、時にはカセットで音楽を流していたが、大部分は何にも繋がず何も聴かず、ただ頭に乗せていただけ。その目的は話しかけられ難くすること、にあり、まず十分に効果はあった。
 ヘッドフォンは20数年来愛用してきたYAMAHAのHP-1と言う製品で、音質的には今でも不満はなく、真面目に聴きたい音楽は最近までこれを用いていた。が、若干重いしソフトな装着感だったから遮音効果は全くなかった。その意味では満足度は必ずしも高くなかった。第一、当時の私の外出用の音楽のソースは主にカセットだ?から、質的な面でも限界もあった。

 今年、5月連休ころノイズキャンセラー付きのBOSEヘッドフォンを購入した。私には珍しい事で、ほぼ飛びついたという感じで購入。それだけ音に悩んでいたと言うこと。ノイズキャンセル効果は騒音公害に悩む私にとっては十分とは言えず、もっと静寂が欲しいが、それでも今の私にとって宝物の様な位置づけである。軽量で装着していてストレスが殆どない。
 以来、自宅にいるときと診療時間帯を除くと殆どの時間帯頭に乗せている。職場では当然何も聴いておらずノイズキャンセル効果だけを利用している。院内を歩くとき、外出するとき、通勤時間帯、離すことはない。初老の私がヘッドフォンをかけて歩いている姿は異様らしく変な視線を感じるがそんなことなんて気にしていられないほど私にとって世の中は騒さ過ぎるのだ。

 明日は東京出張である。空路だから離着陸時は許されないが、会議時間帯を除くと、病院の自室を出るときから自宅に着くまでの移動時間、ずっとこのヘッドフォンを利用する事になろう。


10/27(水)曇 県医師会理事会+医師連盟執行委員会    
 2:00起床。ドック判定総括x1、紹介状・返事x1等処理.5:20病院着、6:10回診、処置種々他。8:10救急カンファ。入院患者2名不調に、対応。9:00-13:30外来。ドック診察x5。16:00-17:45県医師会理事会、この間にも病棟各所から電話連絡、急遽病院に戻り、対応。重症の血液疾患患者死亡。宣告後30分間ほど心電図波形が復活、判断に悩む。20:30見送り、21:20帰宅、夕食、歯磨きのみにて21:40就寝。机上処理もままならなかった一日。

医療評価機構が遠くなる(2) 不明の嘔気の原因??
 昨日、「医療評価機構が遠くなる」と記載したが、早速反響があった。「いつもHPを楽しませて貰っています・・・」、と言う前置きに続いて「医療評価機構受審が近くなった」と書くべきではないでしょうか、というアドバイスと、私を元気づけてくれるような言葉が続いていた。どんな方か皆目見当はつかないが、なんであれ反響があるのは嬉しいものである。自分が書いたものを当日のうちにどなたかに読んでいただいている、更に加えて即座にご意見を頂ける、これはネットの時代でなければあり得ないことでもある。私はとても良い時代に生きている、と実感し、一部満足している。本音ではこのエキサイティングな良い時代に生きている優位性を自分なりにもっと求めてみたいと思っているが、そのためには今の環境を変えなければ出来ない。それも悩みの一つである。

 確かに、受審を期日として物理的にとらえれば「医療評価機構の受審時期」は刻々と迫ってきている。その通りであって「近くなる」の表現が正しいと思う。が、「遠くなる」と言うのは私の責任者としての気持ちの表現である。私自身の中でのタイムスケジュールでは、今頃は現状の2倍も3倍も進んで、もう詰めの段階に入っている時期である。それから見ればかなり遅れ、かつ離れていることになる。だから「遠くなる」と表現したということ。

 ところで、最近、私のズボンのポケットに薄手でありながら水漏れのしないビニール袋が一枚小さくたたまれて入っている。不明の吐き気に対する準備である。ここ2-3週間ほど前から原因不明の嘔気が一日2-3回、数分間、襲って来るようになった。食事と関連無く、外来中の時もあれば会議中、自室でのこともある。一度は熟睡中で吐き気で覚醒した。程度はかすかな雰囲気だけの場合もあるし、時には「これは拙い」とポケットに手をやることもある。現在一日一食だから殆ど空腹時である。コーヒーやお茶、夕食を摂ったから生じるわけでもない。
 私はここ数年間、週の半分くらいは不整脈に悩んでいるが、精査も治療もしていない。嘔気を感じたことは私にとっては珍しいことで、はっきりと記憶にあるのは未だ秋大第三内科に在籍中の時であるから少なくとも20数年も前のことである。

 これは何だろうか??少なくとも消化管の異常では無さそうだ。医療評価機構受審準備の遅れに関連した心因性??あるいは胆膵系?後者ならマズ駄目なんだろうね、別に今のところ嘔気以外何ともないからもう少し様子を見ようと思うが、何だか面白くなりそうだ、とも思っているこの頃である。


10/26(火)曇→雨 県医師会打ち合わせ 医局カンファ
2:00起床,ドック判定総括x1.紹介状x2、5:20病院着、6:20回診。定期処方45枚。書類。8:10救急カンファ。9:00-13:20外来.13:30ドック説明x1。14:00入院患者の保護者との面会。文章校正他。15:20-16:00県医師会打ち合わせ.17:30-18:30医局カンファ「虫垂炎と腸閉塞の画像診断」.入院患者不調で対応。紹介状返事。20:50帰宅。歯磨きだけして21:15布団にもぐる。

医療評価機構が遠くなる 大きなプレッシャーになっている
 来年早々私の勤務する病院は医療評価機構を受審する。私がその受審委員会の委員長である。が、この準備に殆ど時間を割けない現状が続いている。心理的に大きなプレッシャーになっていて、過ぎていく一日一日が、一週間が、一月が恐いほどである。

 外来、入院、ドック、その他の院内業務に取られる時間だけでも大体10時間分は優に超える。この部分は殆ど調整出来ない、スケジュール化され、ほぼ拘束される時間帯である。さらに、外来で診ている患者が不調の際、紹介患者が来院した際、入院受け持ち患者が不調の際にはこれ以上となる。それに加えて連日机上に届く圧倒的な書類の数。
 
 私はウイークデイは対外的な会議とかがなければ大体院内で15時間ほど、自宅で早朝2時間半ほど業務に宛てているが、この時間の中で書類の期限を守って完成する事はほぼ不可能である。土日祭日のうち、晴れの日曜のFF テニスの4時間は万難を排して確保しているが、それ以外の時間は殆ど期限に遅れそうな書類の処理に充てる。これで何とか間に合わせ、辻褄を合わせることが出来ている。・・・と言うか、小さなミスも多くなっている。それでも医療評価機構の部分には手が付けられない。

 先の、10月10日前後に予定していた旅行が大型の台風によってに突然中止になった。そのために思いもしなかった時間が生まれた。国中、秋田でも台風が吹き荒れたが、そんなことはわれ関せず、と、この三日間、私は嬉々として医療評価機構の処理に集中した。かなり進んだ。しかし、この三日間だけであった。その後、本日まで全く手が付ける事が出来ないまま2週間が経過した。そんな現状である。
 これから先、受審のために重要な時期を迎える。幸い各担当部署が準備を進めてくれているが、委員長がこんな状態では先が思いやられる。私は、自分の担当部分の再チェック、改訂だけでなく、全体を統括しなければならないが、どうやって時間を確保するか。 思案していても時間は生まれてこない。実際何をこれ以上削れるのか、思い悩む毎日である。

 書類を途中まででも処理してくれるゴーストライター、秘書が欲しい・・のも一つの希望だが、私にはもう残された時間は長くないから、こんな状態から早く逃れたい、自分のための時間が欲しい、と言うのが本音で、その思いが受審のプレッシャーと共に徐々に強まってきている。


10/25(月)晴 管理会議 五城目特養施設長来訪 長副会議  NHK記者来訪
 1:30起床、ドック判定総括x1、退院総括、主治医意見書その他処理。5:20病院着。回診他業務.8:00管理会議.9:00-13:30 外来、結構混雑。15:00記念講演を依頼されている五城目町やまゆり会の施設長来訪、11/26の講演打合せ。16:30-18:30長副会議.懸案事項多数。19:00NHK記者来訪、東北地方に頻発している原因不明の脳症関連の基礎的取材。20:30帰宅、夕食、21:00就寝。

営業運転初の新幹線脱線 犠牲者が無かったのは奇跡的
 新潟中越地震では新幹線が脱線した。
「とき325号」で私が昨年東京から長岡まで乗車した列車である。長岡まで5Kmの地点で、減速していたと言うがそれでも時速200Kmでの走行中であったという。犠牲者が出なかったのは奇跡的ではないかと思う。JR東日本が調査では、現場付近の4本のトンネルや高架の橋脚45本に深刻な被害が出ているとのこと。詳細は解らないが兎に角良かった。ただし、上越新幹線は1ヶ月以上は復旧出来ないだろう。今回の事故は人間社会にとって大な教訓になると思う。しかし、起こって良かった。

 私は超高層ビル、大型建造物、飛行機、新幹線、高速道路、高機能の自動車・・・・などなど、人の英知によって作られ運用されている大型、高機能のシステムは潜在的に恐い。いやそれだけでなく、東京、大阪等の大都市自体にも言いようのない恐怖感を覚える。勿論、だからといって利用していないわけではないが、本心は怖い。だから、それなりの覚悟をして利用する。

 新幹線で言えば、新横浜駅通過の超特急「のぞみ」に対して大きな恐怖感を感じたことがある。ある用事で横浜に行った帰り、新横浜から東京駅に移動したが、ホームで待つ間に上下線各1本の「のぞみ」が通過した。すさまじい轟音と共に過ぎ去ったが、1本の列車の通過はホントに一瞬の出来事である。恐らく250Kmほどは出ていると予想される速さ。私は恐怖感を感じてしまった。ホームの人達は我関せずと悠然としていた。私はその事自体を怖いと思ってしまう。

 20数年前に羽越線遊佐駅で私が乗った特急列車が脱線し駅のホームに激突したことがあったが、数10Km程度とそう速く走行しているわけでもなかったのに座席から放り出されるほどのすごい衝撃であった。その時のことを合わせて考えてみた場合、新幹線の場合には大変なことになると思う。想像すら出来ない。

 現実には滅多にないことなのだろうが、車輪にトラブルは生じないのだろうか、地震の場合にはどうなるんだ??と考えればきりがない。新幹線だってシートベルトが必要でないか??と思っているくらいだ。

 阪神淡路大震災の際には新幹線の橋桁自体が倒壊落下した。早朝で新幹線自体運行されていなかったから良かったものの、一時間も地震が遅かったらあの地域に何本もの新幹線が走り出しているであろうから大変なことになっていただろうと思う。偶然の賜であった。それが今回現実に生じてしまったのだ。
 私は犠牲者がでなかったことを最大の幸い、と評価した上で今回の事故は起こってとっても良かった、と思っている。なぜなら、新幹線の地震対策なんて疾走するあの物理的エネルギーを勘案した場合、大した機能を持っていないと思うからである。少なくとも脱線するほどの地震には無力である。しかも、最近の新幹線車体は軽量化が図られているから上越新幹線の脱線車体よりは脱線しやすい構造のはず。
 新幹線の弱点が、今回如実に示された意義は大きい。


10/24(日)やや曇のち晴 病棟拘束 FF tennis 
1:00リハビリにて起床、ラジオは新潟中部地震の状況を伝えている。ドック判定総括x2、総括その他かなりの書類処理。7:15検食、8:45救急カンファ、回診、経鼻チューブ挿入、書類処理他、11:30帰宅,TV映像で初めて災害状況を見る。夜明けと共にかなりの被害と判明。隣地区、隣県同士での救援活動が重要だが始動してるのだろうか。13:00-16:30FF tennis。F vs Fペア間では6-4、2-6と引き分け。次男 チームvs FFは2勝4敗。17:00-19:00 病院、回診、書類処理。19:30帰宅、夕食、22:30就眠。テニス以外は書類と格闘した一日。

自伝  宮古病院時代 1971〜73 (21)
第一回福田式ダイエット                            
 ひ弱で虚弱、超やせ形であった私も年齢と共に徐々に体重が増加していた。大学入学時は50Kg、卒業時に55Kgであったのが、宮古病院勤務1年後には一日3-4食摂りながら頑張っていたこともあって約63Kgと、ややバランスがとれてきていた。それが2年目の夏頃には宮古の豊かで新鮮な食材と家内の大量につくる手料理の結果、74Kgにまで肥ってしまった。若干は意識していたが、それほど具体的に悩んでいたわけではない。 
 ある時、4階の入院患者が具合が悪いとの呼び出しを受け階段をいつもの如く一気に駆け上がったが、異様な体の重さ、動悸、息切れを自覚し、急速な肥満化のためと危機感を感じた。
 私は身長175cmなので、標準体中は69Kgである。だから最大体重の74Kgの時ですら比体重(Kg/m2)は24.16で標準体重を大きくは超過したわけではない。実はそれでも、私の考えで判断すれば超肥満体である。何故か。私の身体はやせ形の状態で出来上がったのであり,増えたのは骨や筋肉ではなく,体脂肪だけ。だから,超肥満体と言うことになる。恐らく60Kg程度、多く見積もっても65Kg以下が良い状態なのかなと思っている。

 だいたい,体重や健康法に関して常識的に言われていること,指導されていることは間違いが多いと思ってきた。標準体重とは何だろうか??公衆衛生学的に見れば,疫学的に見れば,確かに一定の値は出るだろうが,本当は個々人によって異なるのだろうと思う。
   
 翌日から減量を開始した。方法は減食である。
方法は単純で,一日一食にするだけであとは何もしない。それだけである。摂取量を減らせば物理的に必ず痩せてくるはず、と言うナンの理論もない単純なものであった。


10/23(土)曇り リハビリ当直  中越地方で震度6+
2:30起床、ドック判定総括x1、総括・紹介状、主治医意見書、徒然他。5:20病院着.6:20回診ほか書類.8:45救急カンファ、9:00-9:40ドック説明x2、10:20-13:00外来、各種書類処理。15:30新入院x1、患者家族と面会、病状説明。17:00リハビリに当直に、18:00夕食+検食、この時に地震数回在り、その後ラジオは地震情報のみに。中越地方デカなりの被害が生じている。業務処理。20:30就寝。

新潟地震の悪夢再来?? 中越地方で震度6+
   被害甚大
 「自分も今晩ICU当直だから、どうせなら当直したら?」と言う家内の命にて急遽リハビリ当直に。本日当直の科長に交代を申し出たらすごく喜んでくれた。そう言えば彼は新婚ホヤホヤなはず。これだけ喜んでもらえると嬉しくなるね。
 リハビリ当直の楽しみの一つは出前の「ワンタン麺」を食べること。もう3年以上の習慣となっている。一度も欠かしたことはない。本日も同様に脇の新聞を読みつつ夕食を楽しんでいたらドンブリの液面が揺れている。地震のようである。ゆったりした30秒間ほどの横揺れが3回ほど来た。このまま大きくなることはあるまい。時間は
17;56である。

 早速持参のラジオをつける。震源は新潟県中越地方。同地方で震度6強を記録。震源の深さは約20Km、マグニチュード6.8とのこと。以降はラジオはAM、FM共に深夜に至るまで地震の被害関連の放送。通常の放送番組は全くなし。それだけ被害が大きいらしい。停電、ガス漏れ、断水、交通機関等のライフラインが厳しい状況と言う。
 3;00amの時点で家屋倒壊関連、人工呼吸器が外れて死亡した方も含め9人死亡、500人以上が怪我をしているという。未だ行方不明者もいるから犠牲者は更に増えるだろう。

 上越新幹線の一本が8両にわたって脱線したという。これは昭和39年の新幹線開設以来営業走行中に脱線したのは初めてであろう。大事故に至らなくて良かった。長岡駅の近くで減速状態であったためと推定する。私はかねてから東海地震などの際、走行中の列車、特に限界ぎりぎりの超高速で走行している新幹線は、走行中の本数も多いだけに、場合によっては航空機事故以上の悲惨な状態になる可能性があるのではないかと恐れており、乗る時はちょっとは覚悟している。

 新潟県の地震というとやはり昭和39年の新潟地震を想い出す。その時私は仙台にて浪人生活をしていた。昼頃だったと思うが下宿の二階の部屋から外を眺めていたら突然の揺れ、この時は隣の邸宅の池の水が大揺れに揺れてあふれ出したのが印象的であった。今回は新潟市内の被害は殆ど報じられていない。新潟を昭和46年に去ってから殆ど聞くことの無かった懐かしい県内の地名が次々と出てくる。

 被災された方々の心情を思いつつ、心からお見舞いしたい、と思いながら書いている

※研修医諸君へ更新しました※


10/22(金)曇り・一時激しく降雨 医師会打ち合わせ 法人理事会  
1:30起床、ドック判定総括x1。退院総括x1.介護保険主治医意見書、徒然、その他。5:20Taxi病院着、6:20回診、8:10救急カンファ他。9:30-13:00外来。市基本健診中心に20数名。この間バケツをひっくり返した如くの激しい降雨。13:30-14:00ドック診察+関連業務。病棟業務、15:00-16:00医師会打ち合わせ.17:30-18:30法人理事会。20:40帰宅。21:00就眠。

鳥インフルエンザの動向は目が離せない(2) また、奇病発生!! スギヒラタケが原因か?
 鳥インフルエンザウイルスは今回低頻度であるが人にも感染することが明らかになったが、ヒトインフルエンザウイルスとたまたま混合感染をした場合に互いの遺伝子が交じり合うこともあり得る。その結果、人へより感染し易くなる遺伝子、人から人へ感染出来る能力を獲得した「新型インフルエンザウイルス」が出現する可能性が出てくる。ブタの体内で交じり合うこともある。実際はこちらの方が多いかもしれないとされ、現在のヒトインフルエンザも、初めはこのようにして生まれたとされている。 1968年に出現した香港風邪(H3N2)は、カモによってウイルスが運ばれ。中国南部でアヒルに感染、次にブタへ感染し、ブタの体内で人のウイルスと交じり合って誕生した、と考えられている。

 爆発的に流行し多大な犠牲者を出しうる「新型インフルエンザウイルス」は10-40年毎に発生している。20世紀は3種、1918年のスペイン風邪(H1N1)、1957年のアジア風邪(H2N2)、1968年の香港風邪(H3N2)である。WHOが注目し警戒しているのが(H5N1)
で、1997年香港で6人の死者を出した。厚労省の資料によると、新型インフルエンザが流行すれば、世界で30億人感染、6000万人が死亡すると予測している。最悪の場合、死者は5億人??という数字もある。
 この様な厳しい状況も、背景は自然の摂理を無視した人間社会の経済活動が背景になっているのだ。

 ところで、ここ数日、新潟県等で原因不明の急性脳炎の発生が報告され、関係者は慌ただしく動き始めている。厚労省は急性脳炎の感染者を診察した場合は直ちに保健所長を経由して 届け出るよう医師に緊急要請した。その結果秋田県でも4例の疑い患者が報告されている。そのうち3名はスギヒラタケを摂食していることが解っているが、今のところ因果関係ははっきりしていない。
 また奇病の発生である。本体はナンなのか。


10/21(木)晴れ  法人永年勤続者表彰式・懇談会 
1:30起床。ドック判定・総括x1、紹介状返事、徒然等.5:20病院、6:20回診ほか。8:10救急カンファ。9:00-13:30外来。14:15病棟患者家族と面談、患者処置。主治医意見書x2他、17:30-19:30法人永年勤続者表彰式・懇談会。若干業務、20:40港交通呼んで帰宅、21:00就寝。

フリーズしたコンピューターをそのままにしておくとあぶない 火を噴く可能性も
 先週土曜午後、県医師会のいじめ問題の講演会に出席予定にし、引き続きリハビリ当直に行くために業務資料等の整理・準備を急いでいた。こんな時というのはむしろいろんな事が生じる。そのまま仕事を継続出来るようにマックPB2400にメインのマックからデータをコピーしていたが、データサイズが意外と大きくPB2400が途中でフリーズした。もう再起動して最初からやり直すには時間がない。フリーズ状態なら大丈夫だろう、とそのままコンピューター用のバッグに詰め、更にキャスター付きのミニトランクに詰め、車のトランクに入れて医師会に。
 2時間ほど後、リハビリテーション病院当直室でトランクを開けたら内部が異様に暖かい。少し焦げ臭い。原因はコンピューター用のバッグにあり、開けてみたらマック全体が熱い。特に底の部分が手を付けがたいほど熱くなっている。ナンだ、これは! フリーズしていたはずのマックが勝手に異常動作していたためなのだろうと思う。

 再起動してもウンともスンとも反応しない。もしかしたら駄目になった!!、ならば、これを機会に新型のPB G4でも買うか、何インチのにしようか、12か15か17インチか??と半分諦めた。それにしても今晩の業務は何としようか。と、半ば心が決まったところで、まず冷やしてみようと電池を外して本体を冷蔵庫に1時間ほど冷却してみた。結果的には再起動に成功。新機種購入はまた流れたし、予定の業務は9割り方出来た。めでたし、めでたし・・である。

 フリーズは画面上こそ動いていないがCPUとかは実際には休んでいないのだろう。正常な働きが出来ない痙攣状態なのかもしれない、ということが今回の経験で解った。更に今回バックに入れ、トランクに詰めたことで放熱出来ない状態になっていたからなのであろう。電源をつないだままの放置ならもしかしたら危なかったのかもしれない、と肝を冷やした。

 マニュアルの何処にも書いていないが、フリーズしたコンピューターは直ちに再起動し、必要なら電源を正規のプロセスで落としておくべきなのだろう。


10/20(水)台風23号近接 曇のち雨  講演:県定年退職者準備講座 
 1:30起床、ドック判定・総括x1、紹介状等。5:20Taxi病院着、6:20回診、8:10救急カンファ、8:45-14:10外来+ドック説明+ドック診察。15:00-16:10みずほ苑にて県定年退職者準備講座で定年退職後の健康管理について講演。主治医意見書、総括等作成。20:30帰宅。夕食、21:10就寝。

鳥インフルエンザの動向は目が離せない
 アジア各国の鳥インフルエンザの影響で、羽毛製品の小売価格高騰の恐れが出てきていると言う。日本は羽毛製品の半分ほどを中国から輸入しているが、羽毛価格が前年に比べ50%以上も上昇し、関係者を悩ましている。9億羽の飼育数のうち処分されたのは900万羽で全体の1%に過ぎないのに、値上がりが顕著なのは、東欧では年に3度羽毛を採取するのに対して中国では食用鳥から羽毛を一度しか採らず非効率だから、との声もあるが、一方では国を挙げての価格操作という見方も捨て切れない。
 最近、原油価格も大きく変動しているが、需給関係以外の、取引上の人為的因子の方が大きいという印象を持つ。これと同じかな?・・と思う。

 鳥インフルエンザの怖さは昨年一昨年のSARSに比較すればまだ衝撃的ではない。しかし、昨年タイとベトナムで感染者は43人を数え、そのうち31人が死亡している。ヒトにも感染することが明らかになったが、その正体がはっきりしないから不気味さは解消されていない。

 最近の調査によると、鳥に限らず猫や豚、鼠などの動物にも幅広く感染することがわかった。本日のニュースによると飼育しているトラが大量に感染死したという。
 また、通常のインフルエンザは呼吸器への影響がほとんどであるのに対して、鳥インフルエンザの場合は、腎臓や肝臓へまで病変が及ぶことが、タイでの感染事例からわかっている。一方では、子供への感染が多く、これもSARSと大きく異なる。

 鶏の卵や肉を食べて、人が鳥インフルエンザに感染した例は、世界でも報告されていない。アジアで鶏インフルエンザが人に感染したのは、鶏やアヒル、鴨などを生きたままカゴに入れて売っている市場が大きく関与していると考えられる。しかし、感染した鳥あるいは疑いのある鳥を処理した数万に及ぶ人たちの中から感染者が出ていないのは、感染経路が気道だとすれば、実に不思議でもある。


10/19(火)晴 療養病棟お楽しみ会 医療的ケア連絡協議会 医師会打ち合わせ(キャンセル) 法人病院中期計画検討会
1:30起床。ドックx1、紹介状、主治医意見書x2、徒然など。5:20病院へ。6:15回診、定期処方発行。8:10救急カンファ。9:00-13:00外来、13:30ドック説明x1、13:45-14:15療養病棟お楽しみ会でスタッフの看護師とのVn Vc duo。「愛の挨拶」「北の宿」他。無料で私の下手なVnを聴いて貰える良い機会であったが練習不足がモロに出た。15:00-16:40県庁総合庁舎にて県医療的ケア連絡協議会。医師会打ち合わせは時間とれずキャンセル17:30-19:00法人中期計画検討会20:30帰宅、夕食、21:00就寝。土曜にあれだけ処理したのに机上は再び書類の山。

新札発行の話題
 11月に新札が発行される。お札の話題なんてそうあるものではないが、お札と言えばあの2000円札、一体何処に行ったのか??私は数回使っただけでついぞ馴染み無し。
 今回の新札は男女共同参画社会の象徴として女性を初めて登用した。とても良いことだが、第一号として樋口一葉を取りあげた。良い写真がなかっただけにそのデザインの処理過程では随分苦労したらしい。また、試し刷りした新札の一部がその道の間で高値で取り引きされていたなどの話題を提供している。

 お札の製造単価は一体いくらなのだろうか?ちょっと切っ掛けがあって調べてみた。製造元の独立行政法人国立印刷局で直接的に公表しているわけではないが、法人化する前の予算から推定されるとのこと。それによると札の値段は、1万円札は27円80銭、5000円札は25円90銭、1000円札は18円20銭とのこと。27円80銭の紙片が360倍の1万円の価値に化けるわけだ。国家的には景気との関連で簡単には増刷・発行はしないが、偽札をつくりたくなるのも当然である。しかし、偽札づくりは逮捕される危険を除いても大量生産出来ないし、大量に遣えないから全然割には合わないらしい。特に今回の新札は偽造予防の技術が各所に応用されているので偽造は困難乃至不可能なレベルとのこと。

 いわゆる蒐集家というのも不思議な人達だ。個性が全くない札だから注目は製造番号だけ。当然「AOO0001A」を狙っているのだそうだ。現行の1万円札の「AOO0001A」相当の札は、マニアや貨幣商間で26万円で取り引きされているという。ナンだたったの26倍か、以外と安いものじゃないか、と言うのが私の印象。27円80銭の紙片が一万円に遣える普通のお札の方が価値が高いじゃないか。印刷局は若い番号を欠番にして途中から発行すればいいじゃないか、と私は思うが、マニアを喜ばせるのも新札の御利益の一つか。


10/18(月)快晴 アキレス腱断裂一周年 管理会議 長副会議   
1:30起床。ドック判定・総括x1。紹介状。5:30ハーレーにて病院着 .熱めの風呂に入り長袖セーター、革ジャン着用で出たが寒くて冷え切った。この季節この時間は厳しい。6:30回診、8:00管理会議、9:00-13;30外来。書類処理他、16:30-18:45長副会議。20:00帰宅。夕食。Vn若干、21:00就寝。

アキレス腱断裂一周年    殆ど障害は無いが不明の色素沈着など・・・・・・
 筋力もない私がアキレス腱断裂を経験するなど全く想定外のことであったが、昨年の10/18(日)、テニスで「ブツッ」っと切れてしまった。あれから丁度一年である。昨日のテニスは風邪気味であった事も一因で後半不調であったが、ずっとあの瞬間のことを想い出しつつプレイしていた。あの日も劣勢で何とかしなければと意気込んでいた。昨日は無理しない範囲で動き、引き分けで無事終了し、ホッとした。

 回復までの期間が短縮出来るなら・・・と手術を予約し、添え木と包帯で固定して、慣れない松葉杖をつかってよろよろと帰宅、若干の痛みをこらえつつ来客と1時間程度Vnでアンサンブルを楽しんだのは今から見ればかなりノー天気状態であったナ、と思う。 

 翌日午後手術を受け一週間のギプス固定、その後は装具着用となった。車椅子と松葉杖生活6週間、契約車とタクシーのどちらかで通勤、実に不便した。この間、自らの不注意の受傷だけに周囲には迷惑はかけられないと考え、院内業務、医師会業務のほぼ全て、秋田市内、比内町、大館、大曲の講演をキャンセルしないで何とかやれたことは良かったと思っている。
 あれから約半年、創部の腫れ、不明の浮腫、蜂窩織炎様の皮疹、熱感に悩み、何となるのかと不安にもなった事もあるが遅々とは言え、徐々に改善傾向にあった事は救いであった。4月以降は恐る恐るテニスも再開して見たが意外と出来るのに逆に驚き、それと共にずっと抱いていた懸念は薄らいでいった。今は右足の若干の違和感、踝付近の皮膚の5x7cmほどの原因不明の黒い色素沈着があるものの機能的には殆ど問題ない状態にある。

 一年目の今日、無事迎えた今の現状に対し、支えてくれた方々に対し感謝をしつつ、過ぎし日、不便した日々のことを想い出しつつ、若干の感慨に浸った。
 そうそう、途中で投げ出している小文の後半を完成させなければ・・・とちょっとやる気も沸いてきた。


10/17(日)超快晴 療養病棟お楽しみ会リハーサル FF tennis 
2:00リハビリにて起床、昨夜から風邪気味で不調、ドック判定・総括x1、紹介状返事5通等、と細かい作業随分進めた.検食、8:30病院、8:45救急カンファ。10:00久々ハーレーにて帰宅。10:00-12:20療養病棟お楽しみ会リハーサル。13:00-16:20梅林園 FF tennis、4-6、6-1,6-4、8-6と引き分けた。19:20-20:20夕食ル・シャトレ、ピアノ演奏つき。帰路玄米20Kg精米。21:00就眠。

自伝  宮古病院時代 1971〜73 (20)

豊かな海産物 体重増加、第一回福田式ダイエット
 岩手県宮古市近辺は豊かな漁場であり、沿岸あるいは近海で採れる海産物は実に豊か。また、遠洋漁業の基地としても日本有数であり、その季節になると全国から漁船が集結してきていた。だから、宮古市は観光だけでなく漁業の街としても栄えており、比較的豊かな地域であったように思う。しかし、住民の多くはどちらかというと木訥で言葉少なく、貧しく、貧富の差は大きい様に感じられた。その中でも網元と言われるところの経済力、豊かさ、知名度は地域でも群を抜いており、私の理解の範囲を超えていた。網元の娘達を始めとして親族達が入院でもすれば院内でたちまち噂で持ちきりになるほどであった。 

 三陸や宮古のことを語るときに避けて通れないのが元内閣総理大臣、鈴木善幸氏の事である。氏は隣町の三陸山田町の漁家に生まれ、極貧の三陸漁村の情況や、昭和8年三陸大津波の経験などから、漁協運動等を指導、次いで青年政治家となった方で、漁港法の成立に大きく貢献したことで地元の評価は極めて高かった。しかし、中央では木訥な性格から目立たず、首相就任時には当時のマンスフィールド駐日大使に「政治家は権力を求めるが、希に、権力のほうが政治家を求めることがある。鈴木総理は正にその様な人」と後世に残る名論評を残した。

 宮古ではやはり新鮮な海産物を豊かに味わうことが出来た。住民の方々は実に親切で、朝、沢山採れたからと言っては患者さん方は新鮮な魚介類を外来や受付に持って来てくれた。せっかく戴いても独身の時には何ともしようがなくて、看護婦さん方に適当に分けていた。ところが、1mほどもあるカツオ1匹、近海マグロの半身など戴いたこともあって、この時にはどうしようもなく、給食の食材として使って貰ったこともある。
 アワビやウニも随分頂いた。アワビはバケツに一杯詰めてドンと置いていく。ウニは牛乳びんに詰めて数本持ってきてくれた。とても食べきれず、どうやって消費しようかと家内と悩んだものである。アワビは食べられる分は冷凍し、残りは茹でて干しアワビにした。今ではとても考えられない豊かな食卓であったが、この時期私は肥に肥え遂に73Kgに迄達した。

 第一回目のダイエットを決心したのはこの頃である。


10/16(土)曇り後晴、県医師会いじめ・薬物乱用問題研究会 リハビリ当直
2:00起床。ドック判定x1.紹介状返事、総括、徒然。5:15病院着、低く雲がたれ込めほぼ真っ暗。6:4回診他、8:10ドック診察x5。8:45救急カンファ、病棟関連事務処理。10:30-12;30外来。残務処理、15:30-16:50県医師会いじめ・薬物乱用問題研究会。17:00リハビリ病院に当直に。紹介状返事残務処理ほか、夕食・検食。20:30就眠。

異文化を受け入れ、あくまでもフェアな大リーグ 汚い日本野球(2)
 私は我が家では隠れ巨人ファンとして顰蹙を買っているが、プロ野球、巨人のことも殆ど興味ない。スポーツは基本的にプロのを観るより自分でやるモンだ。これはテニスも音楽も同じ。例え低レベルであっても何かを自分でやれば、全体的に観る目が、聴く耳がちがってくる。

 江川は、桑田はいい選手だったと思う。後者は未だ現役??ここ数年の彼のことはよく知らない。二人共に入団時とか入団後の金銭的な面でダーティなイメージが付きまとっている。ダダをこねて自分の思い通りにすることの意味で「江川る」という言葉も創られたほど。しかし、私はこの二人を高くかう。二人にプロ根性を垣間見ることが出来たから。
 江川は現役バリバリの時の姿も良かったが、選手としての晩年に、もう1本出れば王のホームラン記録が破られるという大事な試合に登板、阪神のバースに対し堂々と勝負を挑んだ。結果として王の記録は破られなかった。
 桑田は甲子園の高校野球を彷彿させるような、野球に集中している姿が良かった。二人とも悪しき人間ではなく取り巻き、報道するマスコミが悪いのだという風に私はとらえている。

 イチローの打撃・守備は大リーグの歴史から見れば異文化的変則野球のはず。だからこそ達成された大記録なのだと思う。彼はそれまで培って来た彼自身の野球をやり続けたからこそ出来た記録。彼自身も大リーグに合わせて多少のフォームの変更や、いろいろな試行錯誤を繰り返しつつ変身したとされるが、実際に大きなショックを受け、変身を余儀なくされたのは大リーグの方であったのだと思う。異文化的変則野球に真っ向から勝負した大リーガー達は凄いと思う。
 記録を更新されたシスラーの偉業はイチローによって再確認された。イチローがシスラー氏の娘に歩みより敬意を表したのは、あの瞬間に、彼にしか出来な最高に価値ある行為であった。


10/15(金)晴れ 患者家族と面談 秋田大学MRSA感染症検討委員会        
    1:30起床、ドック判定総括x1。紹介状2部.本日の大学の会議の下調べ、資料検討。5:10病院着、6:10回診、紹介状+主治医意見書、その他。9:20-12:20外来、基本検診中心に。13:00-18:40秋田大学MRSA感染症検討委員会。県医師会打ち合わせは時間とれず.回診等、20:00家内の友人のレストランで会食、21:20代行呼んで帰宅、21:40就眠.家内は23:30帰宅。

異文化を受け入れ、あくまでもフェアな大リーグ 汚い日本野球(1)
 私はプロ野球のことなど殆ど興味ない。対岸の出来事程度にしかとらえていないからよく解らない。応援している球団などもないが、巨人車については何かと話題になりやすく触れるチャンスが多いから他に比べれば若干関心はある程度。

    熱狂のなかでイチローが素晴らしい記録を更新してから約2週間経った。静かになりつつある今、私は寧ろ記録達成の場面で真っ向から投げていた投手のこともすごいと思っている。何故かというと過去に嫌な思い出があるからだ。
 王監督は55本のホームラン記録保持者であるが、かつて外人選手(名前は忘れたが)の二人が数試合を残して55本打っていたことがあるが、共に敬遠とかでついに記録は更新されなかった。彼らはまともに勝負されていれば恐らく1-2本は更に打てたはずだ。多分、日本人選手ならまともな勝負をされたのだろうが、外人選手に破られる事には耐えられなかったのであろう。それだけ日本人は未だに島国根性が抜けきれず、妙な民族主義のもと、いじけている国民と言えるのではないか。
 こんな形で延命されていく王監督の持つ記録に一体どれだけの価値があるのだろうか。果たして、大記録の瞬間を、イチローの姿を、王監督はどんな心境で見ていただろうか、と私は思いを馳せる。所詮、大リーグを連日観れるようになった今、日本のプロ野球は実は2、3流なのだと知られてしまったのだと思う。今後、日本の野球は手をこまねいていると更に衰退していくだろう。

 シスラーの記録は今回更新されることによって一段と光彩を放った。それはフェアな勝負だったからだ。王の記録もいずれ更新されるだろうが、将来どんなにフェアな勝負の結果で、誰か名打者にに破られるとしても、過去にフェアでない歴史があって保持されて来た記録だけに、決してフェアな記録とは言えないだろう。常に黒いイメージが付きまとう、嫌な歴史を日本球界は残したものだと思う。


10/14(木)晴、曇  県庁職員来訪    長副打合せ    医療評価会議受審委員会  
  1:30起床、ドック判定x1。紹介状・総括等、徒然。5:30病院着、6:30回診他。8:10救急カンファ。9:00-14:00外来。14:00県庁職員講演打合せに来訪。14:30長副打合せ。16:00-17:20医療評価会議受審委員会。新入院3名、その他に依頼患者あり対応。20:00帰宅、家内と義妹が用意した夕食を摂る。20:40就眠.

石井さんが四国遍路に 我らは夕食を求めてウロウロする
 1-2ヶ月前に賄いの石井さんから四国遍路の1/2コースを回りたいと相談があったが、先のことだし、と聞き流し、すっかり失念していた。昨朝、一週間の予定で突然旅立っていったが心の準備が出来ていない我ら夫婦と二匹のネコ、花壇の花は突然路頭に迷う事になる。特に私の夕食に関して、である。実際には食事を採れる処はいくらでもあり、困ることはあまりないのだが、心の安定感が違う。私は基本的の外食を好まないからである。

 四国遍路、実は私も興味がないわけではない。何時か私も宗教に深く関連したとされる山河を訪れてみたいと考えているが、少なくとも今の環境でが我慢である。

 1200年程前に弘法大師(空海)が、修行して周った道を遍路と呼ぶのだそうだ。空海が修行した札所は八十八箇所あり、それぞれの札所となった寺には順序よく番号がついている。1400Kmにも及ぶ八十八箇所を全部回る事によって、一般の人達もご利益を得る事が出来るとされている。最近でも年間約40万人が遍路しているとのこと。本来であれば遍路は、白装束を着て菅笠をかぶり金剛杖をついてお経を唱えながら遍路を周るのだが、最近は旅行社が全てセットしてくれ、回るのも大部分はバスである。だから、膝が痛い方々、多少不自由な方々も参加可能である。宿泊は寺の庫裏の場合もホテルのこともあるそうだ。そんな遍路なんて意味ないよ、と言うのは勝手。若干の信心のある人達が取りあえず行ってみるには悪くなかろう。その上で本当に意義を感じたら死を覚悟してでも真の遍路をすればいい。

 私どもはこの一週間、何かと不自由である。家の中のことは食事から掃除から、対外的折衝までも全てお願いしているから突然に居なくなると路頭に迷う。
 われわれ夫婦と石井さん、もう若くないから何時か突然誰かが居なくなる可能性は日毎に増えていく。その中で最年長の石井さんがそうなる確率がちょっとだけ高いから我ら夫婦にとっては一つの練習にもなる。だから彼女の今回の遍路ハーフコースはそれなりの意義はあろう。願わくば御利益を得て、何時までもピンピンとマメに家事をこなして欲しいものである。いつか残りのハーフにも出してあげたいものだ。


10/13(水)曇 被爆者二世検診 医療関係協議会団体協議会打合せ 医師会常任理事会+情報交換会
1:10起床。予定がびっしりで早めに起床。ドック判定総括x1.総括・紹介状用意。徒然。5:20病院着.6:30回診他、9:00-14:00外来+被爆者検診+ドック診察、超混雑。15:00病棟処置。16:00-17:10医療関係協議会団体協議会打合せ。17:30-19:00県医師会常任理事会、続いて情報交換会20:30病院に。21:00帰宅、21:30就寝。

コンピューター マックは商売下手でないか??(2)
 マックは最近アップル直営店を東京、大阪等の大都市で新規に開店している。かなりの規模のようである。マックのコンセプトに応じた店内の展示やエベントなどあって、それなりに盛況らしい。一方、インターネット上ではアップルストアなるものを開設して直売も行っている。これは一企業の戦略としては多分正しい在り方なのであろう。
 日本におけるアップルコンピューターはシェアを徐々に減少してきており、なかなか苦戦していることは感じてきた。だからこそ、一定のイメージを誇示することが出来、計画的利潤が保証される直営店やアップルストアによる販売戦略は正しいかも知れない。

 しかし、それではマック扱い店はどうなるのか??   事実、病院近くのマック販売店が最近、恐らく経営不振だろうが規模を縮小した。薄利多売で成り立っているパソコン販売店は大都会ならまだしも、秋田では経営は困難であっただろう。マックの戦略は地方の小売店を窮地に追い込めていることは確実だろう。

 私は基本的に物品は大型店からでなく街の小売店で購入する。大型店は見に行く場所である。
インターネット上ではアップルストアからの購入は実に便利だが、好まない。街の小売店からの購入ははるかに高額だし、品揃えも少なく現物を見ることは出来ないなどの問題点はあるが、購入するときの店の人との対話、その後のフォローやサービスを考えるとずっと得である。

 今回、23インチのシネマディスプレイの購入を決心したのに、すっかり気持が萎えてしまった。シェアが少なければそれなりに汎用の製品にしなければ成り立たないだろう、と言うのが私の考えであり。G3、G4ユーザーにも利用出来ないようなG5専用ディスプレイは疑問である。それでも、私は今後もマックに拘っていきたい。街の小売店にも頑張って欲しい。

アップル - ディスプレイ
Apple Cinema Displays. ...
www.apple.com/jp/displays/ - 22k -


10/12(火)曇り 管理会議 医師会打ち合わせ 長副会議 医局カンファ
1:30起床,ドック判定総括x1. 書類処理、徒然、5:20病院着.6:30回診他、定期処方箋発行。8:00管理会議。9:00-13:50外来、15:00-15:40医師会打ち合わせ,16:30-18:30長副会議。医局カンファは精神科救急(欠).紹介状、総括など処理。20:45帰宅、 21;00就寝。

コンピューター マックは商売下手でないか??(1)
 私が医局で主に用いているパソコンはMac  G3とソニー製19インチのCRTで、これにZip等の外部装置をやたらに付けている。Mac本体とCRTは共に元一緒に働いていた同僚から戴いた逸品である。連日10時間以上も使っているが、最近一瞬画面が消えてしまう現象がここ数ヶ月時折生じていたが、短時間で元に戻るからそれほど実害がなかった。この現象はCRT内部のオーバーヒートにるのかも知れない。ところが、2-3日前集中的に仕事を進めているときには特にひどく、これではとても仕事にならん、と病棟で用いていた17インチCRTを脇に置いて切り替えて使った。画面は安定しているが、やはり画面が大きいと能率が違うから、冷えたところを見計らってまた元に戻して使っている。

 この際、液晶ディスプレイを購入しようと考えた。ならば、かなり贅沢だが、必需品だし、純正のマックの23インチシネマディスプレイと決め、懇意の店に注文しようとしたが、何と!!、G3では利用出来ないのだという。ならば家のG4では??これも駄目だという。このディスプレイは基本的に新機種のG5専用と考えるべき製品と言う。

 汎用品とは異なり、機構的にメリットがあるから敢えてそうしているのであろうが、これでは売れるはずが無いじゃないか・・・と思う。けちな私が多大な出費(20数万円?)をしようかと決心したのに、この意気込みはすっかり萎えてしまった。
 こんな製品なら購入するヒトは限られるだろう。Macのコンピューターとしてのシェアはそこそこ10%程度、その中でG5を購入するようなお方(尊敬の念を込めて)は、もともとそれなりのCRT、液晶ディスプレイを使っているだろうから、シネマディスプレイとセットで購入するなんてそうあることでは無かろう。

 今、店から勧められた三菱製の液晶ディスプレイを検討中であるが、三菱??、である。車とは関係無かろうがちょっと乗らないブランド。汎用品は別メーカーからも沢山出ているので迷ってしまう。それとも、ごまかしごまかし今のCRTをそのまま使おうか、なとも思い始めている。

 Macは商売下手でないのか??・・・と思う。


10/11(月)体育の日 曇り時々雨  
2:30起床、人間ドック判定総括x1。総括他書類処理。徒然、8:30軽く朝食,Vnなど。10:30病院にて業務。医療評価機構中心に方法論を再検討、19:30帰宅、夕食、20;30就寝。褥創が出来そう!!

熊がJR線路に寝そべっていて跳ねられた!!
 昨日ラジオニュースで、何処かで熊が鉄道に跳ねられ、列車が1時間以上も遅れたと報じていた。ヒトが跳ねられた際などにはかなり多額の損害賠償金が要求されるだろうが,熊ではどうしようもあるまい。その熊は列車の直前を急に渡り始めたのではなく、線路上に寝そべっていたという。何で?飢えに耐えられなくて自殺?? 結果的に死体除去のために1時間遅れ、後続の列車にも影響が出たと言う。

 数前に私が乗った「こまち」が秋田を発って間もなく「カモシカ」と接触した 。勿論、特急「かもしか」と衝突したのではなく、天然記念物の「カモシカ」である。その時は線路外に跳ばされ、運行には支障がなかったのだが、相手が「天然記念物様」であったためにしかるべき手続きが必要という事で30分ほど現場で立ち往生したことがある。数百人が時間的に影響を受けたが、かなりの損害である。「こまち」は盛岡で「やまびこ」と連結せず単独で東京に向かった。

 岩手県内で発生した動物と列車の衝突事故は2002年度に94件、03年度に136件と増えて関係者は頭を痛めているそうだ。そこで、岩手県JR釜石線で鹿の衝突除けのために試みにライオンの糞を散布した。今回散布した場所は山間部の沿線で、動物園で入手した糞を水に溶き線路などに如雨露などで散布したという。これまで、散布した場所では事故が無くなったとの報告があるが、問題は刺激臭が強いのと、ライオンの頭数が少なく糞が手に入り難い。動物は慣れるから持続的な効果ということになれば疑問が残る・・と言うことで類似品を合成して製品化するのも困難らしい。

 動物にとっては人間が作る高速道路、鉄道などは生活圏を侵す邪魔者であることには変わりはない。何とか共存を図りたいと、安全性を考慮してガードでも造ると彼らの生活圏を完全に分断することになるために寧ろ駄目なのだそうだ。難しいものである。


10/10(日)小雨のち曇り 新潟46同級会(台風22号で中止)   
2;00起床.台風22号の影響か夜半はずっと雨。しかし、風は殆ど無い。三陸地方を北上、勢力も弱まったらしい。思いがけない天災で私はたっぷりと時間を得ることが出来た。ドック判定総括x1,医報用原稿書き。徒然他、種々。8:00-11:00病院で業務、主に医療評価。帰宅、Vn若干。テニスコートは確保出来ず、午後から夜にかけて再度医療評価関連業務こなす。20:00夕食、20:30就寝。早朝から夜まで間欠的にVnとかもしたが評価機構関連中心に13-14時間CRTを見続けた。尻と左肘に褥創出来そう。この間、FM、CDなどかけ続け、ふんだんに聴けて満足した。

自伝  宮古病院時代 1971〜73 (19)
同じ病院の勤務はかなり気疲れした
 4月上旬から家内も宮古病院の内科医師の一員となった。内科外来のスタッフを中心に「蛇の目寿司」で歓迎会を開いていただいた。家内は、一年間は秋田組合総合病院小児科に勤務していてそれなりの経験はしていたが、やはり成人の診療はかなり勝手が違って大変だったようである。私も内科医師としては1年先輩という立場で、重症者や救急患者に対してはいろいろ応援、同期の医師達にも随分助けられた。
 同じ病院に夫婦で勤務するのは公私の別をクリアにしていなければならず、これは当然の事であるが、何かと気疲れするものであった。単に公私の別と言うだけでなく、若手医師二人が家庭をもった事で収入が多かったことも、実際には周辺に対する気疲れ、ストレスの元の一つであった。
 当時、岩手県医療局の医師の給与は医師不足もあって結構高いものであり、宮古病院の場合には盛岡市から約100Km離れており、交通の便も不便と言うことで月額6万円ほどの研修費が付いていた。勉強のために盛岡や仙台に出るときの交通費としてとのことである。
 車を購入する際、本音ではグランドファミリアより上位車種のマツダルーチェREが欲しかったが、あえて隣の先輩医師の車種と同クラスのを選択した。隣の社宅の産婦人科科長は、長女の妊娠、出産では大変にお世話になったわけだが、何かの事情・・、よく解らなかったが酒??・・・で経済的には余裕が乏しかった様で、かつ酒癖もちょっとよろしくなくて、酒を呑むと人柄が変わり突然グチっぽくなる方で、私は給与面の話題では時々愚痴られていた。これ以上愚痴られてはカナワンと言う、配慮もあったし、経験豊かな先輩医師への配慮でもあった。
 この様な考え方は現在ではまず考慮されることはないのだろうが、我が家の墓をつくる際には、隣の本家の墓石のサイズを超えないよう配慮したことも一例であるが、古い価値観の家庭で育った私には幼少の頃から自然と備わっていた抑制心である。

 収入と言えば、家内の入籍が何かの事情、多分面倒くさかったからなのであろうが、勤務開始時期と合い前後し、結局、手続き上勤務してから受理されたが、共済会から結婚祝い金として二人分、20万円戴いたときは恐縮してしまった。私には作意など一切無く、タダひたすら感謝・恐縮し頭を下げるだけであった。全て古き、よき時代の思い出である。


10/9(土)雨 入院患者家族と面談
 2:00起床、ドック判定総括x 1、徒然その他、5:30病院着、事務処理、6:30病棟回診他、8:45救急カンファ。9:00ドック説明x 1。10:30-12:35外来。14:00病棟患者家族と面談。その後は遅れていた医療評価機構のチェック。19:30帰宅、夕食、22:30就寝。

「パンがなければ、ケーキを食べれば??」 Mアントワネット=日本の子供達
 フランス革命時に断頭台の露と消えた、かの有名なマリー・アントワネット女帝が貧困に苦しみ食べるパンもない庶民に向かって「パンがなければ、ケーキを食べれば??」 と言ったという。 生活感覚が完全にずれていたことを示す言葉である。
 間もなく彼女の命日が来る。あまりにも国民の憎悪が強かったために、通常ならうつぶせで行われるが
仰向けに固定されて断頭された。1793年10月16日12時15分である。 そんな時代から何百年もたった今、日本人は充分すぎるほどの食生活を満喫している。むしろ過食による健康被害が問題になっているが、それでも「別腹・・・」と言って食べる、そして、飲む。このことが、世界の食の状況を一層駄目にしているという罪の意識をまったく感じることなく。

 NGO沖縄チャイルドサポートの池間哲郎代表は貧困に喘ぐアジアの子供達にいろいろ援助されている方である。彼はモンゴルで貧困にあえぐ子ども達は、厳しい寒気をさけるために、風もなく、少しは暖かいマンホールの中で飢えと闘いながら暮らしているという状況を紹介しつつ、特に、小学生に対して食べ物の大切さを伝えている。
 彼は本職はカメラマンである。食べ物が無くて苦しんでいる子供達の姿が講演の映像の中に多数出てくる。それを見た子供達は、「食べ物が無いの? お父さん、お母さんが持ってこないの? 冷蔵庫を開ければ飲み物も食べるのも有るでしょう、コンビニに行けば売っているでしょう??」と口々に聞いてくる。そのことが講演録の中で紹介されている。
 今の子供達の感覚は歴史上の誰かに似ている。恐ろしさを感じてしまう。
 
 私も機会があれば、エネルギー浪費や食べ物の大切さ、過食の問題点を強調しているが、今の子供達に対して、そのことを伝えようとしても困難である。何故なら、子供を取り巻く大人達の大部分がエネルギーや食べ物を大切にしているとは言えないから。
 厳しい戦時中、戦後の飢餓状態、貧しかった戦後の10数年を経験した世代の大人達は、今の日本の贅沢な生活ぶりに心安良かでないものを持っているだろう。しかし、彼ら自身、子育て、教育、食品やものを大事にする文化の構築に失敗した。その結果が、今の若者、子供達のマリー・アントワネット化に繋がっている。苦しかった時代を知っている年代層は、やがて時と共に消えていく。


10/8(金)晴れ-曇 長副打ち合わせ 法人理事会 送別夕食会
1:00起床、寝不足感あり。ドック判定総括x1.徒然。家内もほぼ徹夜。5:10病院着、6:30回診他。8:10救急カンファ他。8:30長副打合せ。9:00ドック説明x2他。9:30-13:00市基本検診+インフルエンザワクチン接種係+再来+新患。13:30ドック結果説明x1.14:00ドック診察x5.15:30-16:30長副打合せ.17:30-18:30法人理事会。17:00帰宅、行きつけのル・シャトレにて離秋する客人と夕食会。21:00帰宅、22:00就寝。

台風22号襲来 名古屋・犬山方面への旅行中止に
 16:00長副院長打ち合わせ中に大学の同級の、今回のクラス会幹事のY医師より電話が入り、10/10犬山市で予定の同級会を中止にしたとのこと。大型の台風22号が関西・中部地方を直撃する可能性が高まってきたためである。秋田はその時点では無風、晴れ状態、直ぐにはピンと来なかったが彼地では大変なことになりつつあるようである。

 今回の出席は春に決めていたが、時間的余裕が無く10月に入ってから慌てて動き始めたので、交通機関、追加の宿泊施設の確保等には関係者に随分迷惑をかけた。台風接近は予想されており些かの不安があったが東京まで出れば何とかなるだろうと考えて準備を進めていた。確かに、考えてみると無事犬山に着けるかどうか解らないし、予定通り帰秋出来るかも予想出来ない厳しい状況にあるのだ、と改めて実感した。急遽、往路のJAL、浜松、犬山市のホテル、復路のJRこまちのキャンセル手続きをした。若干の損金は出たが仕方がない。不在時の業務の申し送りも書きつつあったがそれも不要になった。

 久々の私的旅行、関東在住の子供達も合流する計画を立てた。春の立案時には楽しみにしてエントリーしたが、近づくにつれて次々と飛び込んでくる業務で時間の確保が困難になり、むしろストレスにもなりつつあったが、こんな贅沢な時間はそうあるモンでない、と割り切って行くことに決めていた。だから、落胆半分、時間が出来てホッとした、すっきりしたという気持ちも半分と複雑である。
 後はこの3日間の時間を如何に有効に使うか、を考えればいい。秋田も殆ど雨の予想が出ている。やり残しの懸案事項の処理、何処まで処理出来るか、音楽も沢山聴こう、本も読みたい・・・。この3日間、新たな楽しみが増えた。


10/7(木)晴 
1:00起床。ドック判定総括x1。紹介状への返事。徒然。夜半帰宅の家内朝まで付き合ってくれたが、健康管理は大丈夫かね。5:30病院着、6:30回診他。8:10救急カンファ。9:00-13:20外来。14:00病棟患者死亡、対応。院内諸業務、病棟患者対応他。久々機能評価に着手。20:30帰宅.21:00就寝。

ストーブを焚いた10/1朝   今年の異常気象の影響はキノコにも、熊にも・・
 今年は異常気象なんだろうね。台風が8個も上陸。平均は2.6個だから異常に多い。また南方海上には次の台風が発生、この連休わが国を縦断しそうな雰囲気である。この期間私用で名古屋周辺に出かける予定なので些か気になるところ。
 今夏はかなり暑かった。その影響か山には舞茸が豊作だとのこと。一週間で数10Kgも採った人もいるとか。昔から夏の猛暑が作柄に関連していることは言われていたが、その道の人達は大いに期待していたらしい。今年はそう言う噂話しだけでは済まなかった。先日、ある高齢の患者さんから1-2Kgほどの舞茸のブロックを戴き驚いた。早速鍋や天ぷらで秋の味覚を味わい、自然の恵みと患者さん家族の好意に感謝した。

 最近熊の話題が盛んである。人家の近く、時には家の中まで現れ、時に家の中まで入り込んでいると言う。山歩きが趣味の患者さんの、今日の話によると今年はドングリやクリなど、熊が好む餌が殆ど無いからなのだろうと言う。いつもならこの時期は熊が食べ歩いた後が方々に残っているのだそうだが、枝にも殆ど実も生っていないらしい。先日の台風の風害、塩害も関連しているとのこと。冬眠を前に餌を求め歩いている熊は気の毒であるが、農耕が始まる前の人間も、飢えに苦しんだ旧日本軍兵士も同様であっただろう事を思うと他人ごとではない。人間の住居であるいは近くで餌を喰った熊は味をしめて頻繁に現れるようになるために危険で駆除せざるを得ないと言う事。気の毒だがやむを得ないだろう。

 10/1朝は放射冷却の為にストーブを焚いた。もう早朝のバイク通勤は寒さのために無理。日曜の昼出勤の時などに限られる。寒くて何か寂しい。そう言いながら私はまだ短パン、半袖姿で机に向かい、通勤している。足が冷えていると気持ちがいい


10/6(水)晴 療養病棟医療評価受審検討  法人院所長会議  
0:30起床。ドック判定総括x1、他。家内2:00帰宅。重症患者のためとのこと。週刊アキタ原稿脱稿送付。5:20病院着.6:20回診等。患者不調数名。8:10救急カンファ、やはり喘息患者多数。9:00-14:00外来、15:00-16:00療養病棟医療評価受審検討、17:45-19:40法人院所長会議。20:40帰宅、21:00就寝。

エネルギーは有効利用を 浪費を見るのは辛い 
 今週月曜朝5:20、私は久しぶりに感動した。無人の医局の各室、図書室を含め、電灯が全て消えていたから。この時間帯、病院の医局は殆どが無人。これは当然のこと。ところが、無人であるならば当然消えているべきはずの医局各室の電灯、図書室・閲覧室の電灯が全部消えていたことは殆どない。殆ど付けっぱなしで帰宅している。誰にも利用されないエネルギーの浪費ははっきり言って異常である。
 病院の経費云々の問題とかではなく、エネルギーに対しての考え方、強いてはモラルの問題として、自然環境のことも含めて、私は心穏やかでない。

 私は日祭日を除き、雪かきをしないで済む朝は殆どこの時間帯に出勤する。医局ではまず各室の電気を消して歩くことから始める。これは10年以上も続けてきた日課である。この間、全部が消灯されていた事は数回しかないと言っても良い。特に、当然であるが多人数の医局が問題である。誰かがまた戻ってくるだろう、とそのまま帰るのだろう。私の一見取るに足らないようなこんな小さな行動も、これだけ長期になると省エネ効果もかなりになっているはず。

 水も含め、エネルギーは有効利用するものだが、随分浪費されている。それを見るに付け心が痛む。あまりにも簡単に手に入るから感謝の念、畏怖の念が乏しいのではないかと思う。コンセントにプラグを差し込みスイッチを入れる、ただそれだけで電気が自由に使える。蛇口をひねる。ただそれだけできれいな水、湯が出る。これは、実はすごいことなのだ、恐れ多いことなのだ、と思う。私の方が異常なのだろうか。

 私のこの考え方は、呆れるほど不必要に、いや、今から見れば病的と言うべき程にまでケチで倹約家であった母の影響をモロに受けている。本音ではエネルギーの安易な使われ方にも文句はあるのだが、使われている分には何も言わないことにしている。ムダになっている分にだけ一言。


10/5(火)雨 県感染症評価会議 県医師会打ち合わせ 医局会 県医師会委員会  
1:00起床。3:00家内帰宅、重症患者のためという。ドック判定総括x1、週刊アキタ原稿、他いつもと同じパターン。5:15病院着.6:15回診、定期処方箋発行等。書類に追われてこの曜日の救急カンファは初欠席。9:00-13:50外来+ドック説明x1。14:00-15:15県感染症評価会議.15:30-16:00県医師会打ち合わせ。17:30-18:15医局会、中座.18:30-19:20県医師会委員会。19:40帰宅。20:20就寝。終日寝不足感あった。

稲ワラスモッグ 稲ワラ焼きは禁止されているはずだが
 今朝、出勤時庭に出たところ稲ワラを消却した時に発する独特の臭いが鼻を突いた。暗闇で煙やスモッグ状態は解らないが、かなりの臭いである。私が住んでいる地域は徐々に市街化しているとはいえ近くにもまだ水田が残っているし、数100mも離れると水田地帯である。そう言えば昨夜帰宅時に遠くの方でチラチラと火が見えたような気がする。

 直ぐに、救急外来に受診する喘息患者のことが頭に浮かんだ。この季節、喘息の患者の救急外来受診は確実に増える。しかも、通常より重症化して来院し、治療への反応も悪い。喘息の方々は私どもが臭いや煙を感じ取るよりも遙かに以前から身体が敏感に反応するらしい。患者にとっても大変であるが、時間外診療担当者、当直医にとってもストレスの時期でもある。
 たしか、秋田県では罰則を伴う稲ワラ焼却禁止条例があるはずだ。前回か、前々回の県医師会と秋田県の健康福祉部の定例の医
療行政懇談会の場でも県医師会側から患者の健康管理上の面から話題を提供し、より強い対策を県に求めた様に思う。それに対し県側からその方向で対策するとの説明があったように記憶する。

    確かに一昔前に比べると稲ワラスモッグは少なくなっているとはいえ、こんなに臭う状態では具合が悪くなる患者が頻発する。やはり医療関係者としては黙っているべきではないと考え、本日、県医師会事務局を通じて県の担当課に意見を具申した。保健所にもJAにもそれなりの担当者がいるとのことで意見は伝達していただけるという。

 私が子供の頃は稲ワラ、もみがらは貴重な資源であった。堆肥となり、ウマの食料になり、縄やムシロ、畳の材料として、時には燃料として役だったから殆ど焼却されなかった様に記憶する。しかし近年この様な需要は全て化学製品に取って代わられてしまった。ならば基本的には土に返せばいいのだが、稲ワラは分解が遅く、翌年の作業にも悪影響があるらしい。さらに肥効調整が難しいらしく、多くの農家は邪魔者扱いし、廃棄物として燃やしている。この時に出る煙が大気汚染を引き起こし、特に呼吸器系疾患を持った患者には辛い季節となる。
 何かの産業に使えないのだろうか。例えばおがくずは固められて棒状の燃料になって売られている。これに混入し冬の暖房用のエネルギーとして用いることなど出来ないものなのだろうか


10/4(月)曇 管理会議 長副会議 
1:00起床。ドック判定総括x1、総括、紹介状、その他。5:20病院着。ここ一週間ほどで朝方はかなり冷える。この時間帯のバイク通勤はもう厳しい。事務処理,6:30回診.8:00-8:40管理会議.9:00-13:50外来 。出張復命書他書類準備、16:30-18:30長副会議,懸案事項多数。本荘第一病院訪問の報告をした。20:40帰宅、21:10就寝。

プラスチック製品が多い中、我が家のゴミ箱だけは段ボール
 私はプラスチック製品が好きでない。一番好むのは木製で、合板製品は嫌。しっかりしたものなら紙製のも良い。金属も良い。とは言っても私の生活用品のほぼ全てのところにプラスチック製品が溢れている。自宅の居間の食卓は食事時以外は私の事務机になるが、見回してみると、木製の食卓、椅子、金属製の電気スタンドを除くとほぼすべてがプラスチック製品と言っても良いほど。好き嫌いのレベルで調整出来るレベルを超えて生活の中に浸透している。
 プラスチックは可塑性の、と言う意味で、可塑性の有機高分子化合物の総称だから実際にはいろいろな種類のがある。軽さ、着色自由、工作の容易さ、高強度、安価・・・と紙や木工製品には到底及びもつかない特徴があるからこれも仕方がない。特に小さな製品はプラスチックの独壇場で木や紙の及ばない世界。やむなし。

 我が家でプラスチック製品が入り込んでいないものを探してみたら、ありました!ゴミ箱である。10数ヶのゴミ箱全部が段ボール箱。それもキッコーマン、何とか酒造KKなどのスーパーで貰ってきた箱そのまま。
 私は学生の時からゴミ箱は段ボール箱を用いて一杯になったらガムテープでシールしてため込み週末に自分で焼却してていた時のが今まで定着している。とても合理的でいい方法だと思っていたが、最近は焼却不可、収拾も透明な袋でなければ受け付けないと言うのでわざわざ袋詰めしなければならない。それでも相変わらず段ボール製ゴミ箱が鎮座している。汚れたら適当な箱に取り替えればいいしとても便利である。

 昔、日本の住宅は木と紙で出来ていて火災などに弱い、危険とされてきた。今は木造住宅であろうと無かろうとプラスチック製品、化学製材などに囲まれて生活している。火災などの際、強い火勢、有毒ガス発生などで昔より遥かに危険な状態で生活していると思う。最近火災自体は減っているが、犠牲者は逆に増えているような気がする。要注意である。


10/5(日)曇り 病棟拘束 FF tennis  
2:00リハビリ当直室にて起床、ドック判定総括x1。 医師会関連作文、新聞チェック、医療評価機構資料作成ほか種々。検食後8:30病院に。8:45救急カンファ、回診その他。11:00帰宅。Vn、13:00-16:30FF tennis いつものペアでは6-2、6-1。次男と家内  or F夫人のペアに対してF医師と組んで対戦、1-6、2-6,1-6と歯が立たず。今日は運動量たっぷり。すり減って底に穴があいたので帰路テニスシューズ購入、次回から私の動きが変わるかも。17:30帰宅、業務若干、夕食など、20:00就寝。


10/2(土)雨 病棟拘束 リハビリ当直
2:00起床、ドック判定総括x1、医療評価受審関連他.5:30病院着、6;30回診他。8:45救急カンフ
ァ、9:00ドック説明 x1。病棟書類処理、10:30-12:30外来。13:30病棟入院患者家族と面談、14:30-15:20散髪、その他。16:50リハビリ病院。業務若干、新聞チェック。20:00就寝。

イチロー快挙 最高の一日
 本日11頃かな、外来が一段落し自室に戻った時、医局談話室から歓声が聞こえた。イチローのシーズン最多安打259安打記録達成だと予想が付いた。これと同じ歓声はサッカーのワールドカップでの勝利の際聞こえたが、それ以来である。医師の一人がわざわざ
部屋に顔を出し、イチローが第一打席でヒットを打った事を教えてくれた。
 午後のラジオニュース、散髪の際に側のTVの報道から、彼は3安打を放ち新記録を更に更新し、彼の快挙は日米だけでなく各国で反響を呼んでいるとのこと。野球の盛んな中南米やアジアのメディアも大記録誕生を伝える国際的な大ニュースの扱いとなったと言っていた。

 この大記録はシスラー、(彼も元投手で打者に転向したとされる)が84年前に達成した偉業を塗り替えたたもので、すごい記録の達成である。世界のイチローは試合後「自分の野球人生の中で最高の瞬間でした」と喜びを語った、と言うが、やっと彼の本音が聞けたかなと思った。彼は偉大な業績を次々と打ち立てたがその度のインタビューの彼の言葉は、野武士的朴訥とした感じであまりにも淡々していて聞いていて、読んでみてさっぱり面白くなかった。

 1試合平均1.6本のペースで打ったことになるとのこと。前記録保持者のシスラーと異なり足で稼いだ内野安打の多さが絶対的に多いとのこと。見事なバットさばき、早いスタートと俊足で他の選手なら当然アウトのケースでも悠々とセーフになると言う総合力でなし得た快挙。 01年、大きなプレッシャーの中で渡米し、1年目で242安打を放ち、相手チームに研究され尽くされてもほぼ同程度の安打を打ち続けたことは、今でも確実に彼自身と技術が共に進化し続けていることを示している。 これは信じがたい事だと思う。

 今日はイチローのニュースでいっぱい。私にとってもとても良い日だった。


10/1(金)快晴 医師会打ち合わせ 療養病棟診療部会 魁記者来訪
2:00起床、台風一過の晴天、満月が見事だが放射冷却で冷える。家内の要請で小さなストーブを引っ張り出し、今期初使用。ドック判定総括x1、ドック再検査返事x1等.5:20病院着。6:20回診.8:10救急カンファ、9:30-13:20基本検診+外来。13:30ドック診察x5、15:30-16:30医師会打ち合わせ。17:00-18:00療養病棟診療部会、19:00-20:10魁記者取材に来訪.20:50帰宅。夕食、21:30就寝。

秋田の「こまちスタジアム」 何故かプロ野球の話題に参加!!
 プロ野球の混迷状態は、オーナー達に半ば無視されて一時下火になっていた新規チーム参入の再検討、2リーグ制維持の方向を認めたことで一応落ち着きを取り戻した。今日は中日の優勝が決まったとのこと。
  
 球団新規参入としてIT関連の「ライブドア」「楽天」が名乗りを上げているが、本当に、真剣なのだろうか ?  IT関連の大企業の資金面はそんなに安定的に潤沢なのか? 会社の長期計画上も大丈夫なのか?逆に、大きく流動し不安定な企業だからこそ安定化のために球団のオーナーになろうとしているのだろうか?・・・などと感じつつも、良く分からない世界のことであり、私にとっては遠い世界の話しとして気楽に眺めていた。

 ところが何と、秋田の「こまちスタジアム」が両者から2軍の本拠地の候補の一つとして注目されているらしく、昨日から両者の社長が相次いで来県、球場を視察に来ている、と言う。
 両者は共に仙台市を本拠地に新規参入を申請しているが、ライブドアの堀江社長は30日、楽天の三木谷社長が1日来県し、共に寺田知事と会談し、県立「こまちスタジアム」を視察し、両者共に2軍のホーム球場としての可能性はある、と明言したと言う。

 経済的にも低迷し、明るい話題の少ない秋田に降って湧いたようないい話であるが、天候、選手達の移動への不便さ、観客動員等の面からも太平洋側の地域に比較して劣る点が多いだけに実現にはほど遠いような気がする。もし、実現すれば経済効果だけでなく県民の精神面にも良い影響があるだろう。「こまちスタジアム」は向浜に出来上がったばかりであるが、2軍といえどもフランチャイス球場にするには外野席も全部を座席にするなどの大改造が必要だろうし、多大な県費の投入も必要になる。
 いい話だが、大王製紙問題のような結果にもなりうるのではないか、とも考えている。情報不足の中での無責任な感想であるが・・・


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   年を通じてワンパターンで淡々とした毎日です。AM2:00-5:00にメールチェック・返事送付、人間ドック(HDD)判定・報告書作成、新聞切り抜き、病院・医師会業務など。
  月〜土曜は6:00頃出勤、HDD報告書印刷、外来書類処理など。病棟回診、HDD受診者とミーティングと診察。8:45-14:00外来とHDD受診者に結果説明。昼食は摂りません。午後は病院業務・医師会業務、各種委員会等に出席など。20:00頃帰宅。
  日曜・祭日もほぼ同様ですが、病院には午後出かけます。時間的に余裕無いのが悩みです。


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