徒然日記

 日記と言うより、自分の行動記録からの抜粋と日々の雑感です。

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先月の日記          来月の日記


9/30(木)雨 台風21号接近 本荘第一病院訪問
2:00起床、ドック判定総括x1、紹介状・返事x1等。5:10病院着、雨で真っ暗闇。6:20回診ほか.8:10救急カンファ。9:00-13:20外来。13:30ドック説明x1、14:00病院発本荘に、15:20-17:20本荘第一病院訪問、いろいろご教示いただく.18:30病院着、業務処理、20:30帰宅。21:10就寝。

「まつわ」「つぐない」「ノクターン」「クラリネット協奏曲第二楽章」・・  
 今朝出がけにFMラジオからピアノ編曲の「まつわ!」が静かに鳴り始めた。これは古い曲であるが私の好みの曲の一つである。アミンという女子大生のデュエットでヒットした曲。
 しかし、私がこの曲を気に入ったのは賄いの石井さんの二人の娘(当時は中学生か高校生で可愛かったね・・)が、何かの時に我が家の居間で歌ったのを聴いた時。良いハーモニーだったし、その時の二人の笑顔が良かった。アミンの歌ではそんなに心に染みていなかったのに。

 同じ経験はテレサ・テンのヒット曲「つぐない」、これは10数年も前かな?今の病院の外来看護師長がカラオケで歌ったの時、見事な感情の表現であった。歌詞と一体になっていた。ショパンの「ノクターン」はある女医さんが我が家でさりげなく弾き始めた時、じーんとしみた。モーツアルト「クラリネット協奏曲第二楽章」は新潟大学管弦楽団の定期演奏会の夜、あの夜の県民会館の暗く高い空間に静かに静かに吸い込まれてたピアニッシシモ、これは感動ものだった・・・とまだまだ続く。これらは本当に私の心にしみていて忘れることは出来ない。
 その後も前二者はオリジナル歌手によるCD、後二者は名演奏家のCDとか演奏会を随分聴いているが、いずれも素晴らしいが、何故かその時以上の感動は得られていない。これらの曲を聴くと必ずその時のシーンが浮かんでくる。私が体験したこのときの感動は技術とかを論じる事が出来る高いレベルであったとは全く思っていない。共通していることは、目の前で、身近な人達が歌ったり、演奏している、と言うこと。音楽の真髄は、決して電気的に記録された名演奏、一流のものなのではなく、身近にもあるのだ、・・と思う。
 だから私は、時間があればアマチュアの演奏会にも出かけて行くし、楽しむし、自分でも下手なヴァイオリンを弾く。いつか自分の弾く音、曲に感動することもあるんでないかな、と思いつつ。今日も一寸音を出してみたが、上手くいかなかったネ、やっぱり。


9/28(水)曇り 病床回転打ち合わせ 病棟患者処置  患者家族と面談
2:00起床。ドック判定総括x1、他。夜半帰宅の家内、眠らず。5:20病院着.6:20回診、他。8:10救急カンファ。9:00-14:00外来+ドック結果説明x1。14:30病棟患者処置、15:20-16:00病床回転打ち合わせ、16:00-17:00病棟患者処置、17:00患者家族と面談、その他。一人の患者の鼻から胃に通す管が入らず。一時間以上も頑張って午後から夜の予定が大幅に狂った。やむないが・・。20:35帰宅。21:00就寝。

パラリンピック閉幕 個人の限界に挑む姿から学ぶ
 史上最多の136カ国・地域から3700選手が参加し12日間にわたって熱戦を繰り返したアテネ・パラリンピックが28日閉幕した・・と言う。1シーンすら目にする機会はなかったのでTVでどれだけ取りあげられたか解らないが、ラジオでのニュースを聴く限り、今回の大会をNHKを始めマスコミは随分熱っぽく取りあげたと思う。長野パラリンピックの注目度は高かったが、その後のソルトレークシティ大会など、何度かあったはずである大会はこれほどまで取りあげられなかったとの印象を私は持っていた。  

 日本は過去最多となる金17、総数52のメダルを獲得したと言う。試合内容も高度で種々の障害のある選手達の不屈の意志、逞しさを世界に訴えた・・・、と言う意味でとても意義ある大会と思う。首相が「障害のある人にもない人にも勇気を与える」と言っていたし、障害者スポーツをリハビリの延長と考える時代は終わったし、引きこもりがちな障害者の社会進出を促し、偏見を打ち消す意義はとても大きい・・とマスコミも論調を展開している。それは確かに一面では正しい。ハイライト部分だけ見れば、ね!

 競技のクラス分けは果たしてどの様にされているのだろうか。障害には幅広い個人差がある。選手間で一定の平等をどうやって保つのだろうか。容易ではないどころか、不可能ではないのか?医師の立場からそう思う。
 
 オリンピック競技ではダントツの選手はいない。決勝戦など紙一重である。これは人間としての限界に挑むから。パラリンピックは個人の限界に挑むのだから、かなりの差が出る。金と銀との間で10数秒も開いた水泳もあったらしい。一方では一人で7ヶの金メダルを取った選手もいるという。果たして平等なのだろうか?更に、ドーピング問題も。信じがたいが、今大会では7件が摘発されたという。

 パラリンピックも新しい時代を迎えている。結果だけを重視すると必ず選別の公平不公平がでてくる。将来ワールドカップ大会も行われるようになると言う。と、なれば尚更である。この困難な問題をどの様にさばくのか、注目していきたい。


9/28(火)晴れ 県医師会定款改定委員会+医事紛争委員会
1:30起床,眠い。ドック判定総括x1、 紹介状返事x1他.5:10病院着.6:10回診、定期処方箋発行、その他。8:10救急カンファ.9:00-14:00外来+ドック結果説明x1. 14:30病棟処置その他.主治医意見書、紹介状、総括。17:30-20:00定款改定委員会+医事紛争委員会。医師会打ち合わせと病院MedConfは物理的に無理.20:10病院、21:20帰宅。21:40就寝。

生活習慣病予防指導の本音  「好きに暮して○ね」と言いたいが・・・  
 私は月から土曜日まで連日外来に出るが、新患外来は担当はしない。定期的通院の再診患者数が多いから。紹介患者とか、新患は適宜再来の中で診療している。月〜金の5日間は午後のスケジュールのため外来は出来るだけ早く終わりたい。こんな機械的処理の如くの外来は、私にとっては、辛く、ストレス一杯の時間で、寝不足等で体調があまり良くないときには、苛つき、発汗や不整脈が発来することも少なくない。自律神経を介して身体が勝手に反応するのであろう。その際、隙間を見て10分間ほど椅子に座ったままで睡眠をとるが、かなり改善する。土曜だけは午後の時間に余裕があり患者数もあまり多くないためにゆったりと外来が出来る唯一の日である。

 最近の再来患者の大部分は無症状の、生活習慣病と言われる範疇の慢性疾患が多い。だから聴診とか触診よりも対話による生活習慣の指導が中心である。私の場合、タバコや酒に関しての指導は自分もやらないだけに楽に出来るが、睡眠、食事、ストレス、運動等の項目に関しては、はっきり言って患者に指導をしながら、実は自分に言い聞かせているようなもの。
 患者の方が、私より健康体でまともな生活をしている。それを更にたてまえ上、良い方向になる様に指導するのだが、言っている本人の方がまともでないのだから、本当の所何をかイワンや、である。自身が不調な時は、自分よりも軽症の患者の言うことをじっと耐えて聞いているのは正直、辛く、バカらしく、空しく、ストレス一杯である。ホントは、本音は「好きに暮らして、結果として自爆してもイインじゃないの」と言いたいのだが、立場上耐える。
 こんな生活にそろそろ疲れがでてきているのだろう、最近、些かノリが悪くなってきた様に感じる。


9/27(月)曇り 管理会議 長副会議 
2:00起床。ドック判定総括x1、診断書、産業医関連業務。メール返事多数.5:20病院着。事務処理,6:20回診.患者重症化。8:00管理会議.9:00-14:10超混雑外来。午後は紹介状、総括。16:15-17:00外科病棟患者対応。17:00-19:00長副会議。懸案多数発生。途中で患者死去。見送り後、20:50帰宅。ハードな一日であった。何もせず、何も出来ず処理業務中心。21:30就眠。

産業医としての時間外労働に関する指導文書作成と私のジレンマ
 先週私が産業医をしているある会社の総務部長から依頼文書が来た。
時間外労働が月45時間以上の従業員の業務内容、残業時間、過去の健康診断に関する資料を産業医の立場で点検して指導して欲しいという。これは労働基準局からの通達に沿ったもので、企業体としては当然求められるし、やるべき労務管理のプロセスである。
 私はこれについて以下のように記載して先日返送した。
■月間45時間以上の時間外労働・休日労働は21名とのことですが、全従業員の中の割合はどの様なものでしょうか。次回はそれに関する資料も添付して下さい。
■従業員の健康管理上、時間外労働は必要最小限にとどめられるべきものですので、今後は時間外労働を減らす配慮が必要でしょう。
■時間外労働・休日労働が月間45時間以上であった21名について健康状態の個人記録を検討したところ、総合判定で6名の方に問題が認められますが、過重労働に直結する異常とは判断出来ません。
■ただし提供を受けた健康管理上の資料は昨年11月ものですので本年度の健康診断の結果で再度判断する必要があります。健康診断の期日が未定でしたら早急な実施が望まれます。
■従業員の健康状態は身体的検査結果のみで判断出来ません。職場内のメンタルヘルスの維持については職場の管理者は十分に注意する必要があります

 これは産業医として重要な仕事である。ところが文章を練っていて実に空しい気持になった。月間45時間前後の時間外労働をしている労務過剰の従業員の健康管理のための指導内容を書いている私にとって、45時間という時間外労働時間は一週間分にも満たないのだ。しかも、この産業医の業務処理には資料集め、個人票の検討、作文を含め4-5時間はかかったし、更にこれに費やした時間は全て通常の勤務時間外であるから、私にとっては矛盾を積み重ねる業務である。考えてみれば、非健康的な、バカな作業をしているモンだ。

 一般の業界では結構労働者の権利や健康は法によって良く守られている。とても良いことだ。一方、日本の医療は、それこそ医療に携わる者の犠牲的なサービス精神で成り立っている。特に、医師の労務環境は殆ど何処からも守られていない。この厳しい医療環境は小泉内閣の医療改革で更に厳しくなって行く。
 しかし、私のような考えのもとで文句ばかり言っているだけでは日本の医療は守れないし、厳しい環境にある医療機関は成り立って行かなくなるだろう。
 
 個人としての自分と、職務上での自分との間にある現実的ジレンマである。こんな矛盾に満ちた生活は自分自身のためにもう止めるべき時が来ている。まず、実行あるのみ。手始めに産業医の資格更新手続きはもう止める事とした。昨夜、産業医必携の手帳をゴミ箱に捨てた。資格取得も、更新も大変だったから、ちょっと寂しい気もした。


9/26(日)超快晴 第71回秋田県医学会総会・秋田県医師会設立57周年記念医学大会+懇親会
2:00起床、ドック判定総括x1、総括、紹介状ほか。Vn若干。9:30バイク病院へ、回診その他書類処理。14:00総合保健センターへ。第71回秋田県医学会総会+秋田県医師会設立57周年記念医学大会+懇親会。記念講演は田中正博氏「医療機関、医療従事者の危機管理とマスコミ対策」。例年になく出席者多数で盛会で安堵。20:15帰宅。21:00就眠。


自伝  宮古病院時代 1971〜73 (18)
ファミリア1300を駄目にした(2)

スカイラインはその年の新しい型のようである。私の方はひどいが相手方の方は必ずしも修理は要さない状況、だから警察を呼んだりしなくても良いだろう、と安堵した。運転者は20代の若者で、自分の方が無傷であることもあってだろう、気の毒なほど恐縮していたが、私も迷惑をかけたことを詫び、修理するのかを問うたところ、彼は、必ずしも必要なさそうなので後で考えたい、と言う。私は、これを機会に本日車を買うつもり、だから、当方のことは考えなくて良い旨を伝え、警察とかを呼ばずこのままにしましょう、それではお気を付けて、と言う意味のことを伝えた。そう言ったときの彼の驚きと喜びとが入り交じった表情は衝突直前のパニックブレーキをかけている時の表情と共に、未だに忘れずに記憶の隅に残っている。

 その日、宮古への帰路、盛岡のマツダのディーラーに寄り、グランドファミリア1500を購入した。納車は1週間後と言うことで、親になると言う、嬉しいような、何とも気恥ずかしいような複雑な気持ちと共に、大きくつぶれたファミリアでノロノロと宮古に戻った。車をつぶしても特に面倒なことにもならずに済んだし、新車も買ったし、と実に爽やかな一日であった.


9/25(土)晴れ  
2:00起床、ドック判定総括x1. 再検査結果報告.5:20病院着。6:20から回診他。8:45救急カンファ、10:30-12:30外来、外国留学用診断書等各種の書類、院内紹介患者対応で16:00過ぎまでかかる。予定の散髪諦める。本日は午後公的予定無くゆっくり残務処理。各種の書類多数処理出来たが、まだまだ山積み状態。19:00 帰宅、夕食、Vn、21:00就眠。

JR東日本の広報誌「Train Vert トランヴェール」の浅田氏
 「Train Vert トランヴェール」は秋田新幹線の座席ポケットに入っている。JR東日本の広報誌である。東北地方の名所、駅弁、特産品等がビジュアルに紹介されていてなかなか良い。広告も洗練されている。私がボーズのノイズキャンセリングヘッドフォンの購入を決めたのもこの広報誌を読んでからである。

 巻頭エッセイは浅田次郎氏が担当している。これも楽しみの一つ。彼は東京人だが東北には造詣が深い。彼の代表作の一つ「壬生義士伝」もこのエッセイが切っ掛けで読むことになった。

 9月号は「プラットホームにて」という小文である。
19歳の時の冬に新宿駅のプラットホームで愛する人と別れた時の状況を回想し、列車が遠くに去った後、ぼんやりとベンチにしばらく座っていた。そんなに長い間いったい何を考えていたのだろうと、今も新宿駅のホームに立つ度に過ぎし青春を懐かしむ、と言う。
 一人娘を北国に送り出したのは、東京駅のプラットホーム。一年浪人して医学生となった娘に、せめて大宮まで一緒に新幹線に乗って行こうと言っては叱られ、列車の後を追ってプラットホームの端まで歩き、いつまでも手を振り続け、次いで顔を被って泣いた、とのこと。かつて恋人とはあれほど潔く別れることができたのに、娘に対してはくどくどと、思いつく限りの言葉を並べてしまった、自分もどうやら齢を食って錆びついてしまったらしい、齢はとりたくないものである、と結んでいる。

 なかなか良い。やはり、文筆家は感受性が違う。この、娘の見送りは何時頃の話なのだろうか。新幹線とは書いてあるが、最近のことでは無かろう。私も関東に越していく娘を見送ったが、こんな感傷には至らなかった。
 蒸気機関車の時代の
「プラットホーム」での別れは、ホントの、これきりの別離を想定させ、実にウエットであった。新幹線時代の「プラットホーム」の別れはドライである。別れても携帯はあるし、メールもある・・。
 だから、真の別れには、「プラットホーム」はさほど役に立たなくなった。時代の流れ、失ったものも大きい。感傷に浸るのもヒトにとっては人生にとっても貴重なのだ


9/24(金)晴→曇→雨  医師会打合せ 法人理事会   
1:20起床、ドック判定総括x1、紹介状・返事x1等.5:20病院着。最近は真っ暗の中を出勤、6:00過ぎから回診、入院関連書類処理。8:10救急カンファ。9:30から基本検診中心の外来+ドック説明+ドック診察4名。14:30県医師会打合せ。15:30対策委員会。17:30-18:45法人理事会.残務20:30帰宅.21:00就寝。

プロ野球選手達、ガンバレ でも、なんかおかしい(2)
 ハタから見ていても、確かにオーナー達の姿勢には問題があるようだ。「たかが選手、たかがファン」という態度が明らかである。それがストによって若干ながら姿勢に変化が見られる。巨人の元「老」オーナー、名前なんか忘れたが、の交代は確実に良い結果をもたらしている。選手達のスト権の行使は大リーグの影響もあるだろうから、ここまで来たら一歩進めて野球の内容も大リーグ並になって欲しい・・・これは無理か。
 一方、親会社が赤字を引き受けているから球団が存在できている、と言うのは真実で、経営の原則から言えばはるか昔に複数の球団が消滅し、とうに1リーグ制になっていたと思う。球団自体が赤字続きなのに、選手に高い契約金、高給と大盤振る舞いしているのは、また、たいした稼ぎもしていないのに選手がそれを求めるのは日本的経営風土、親方日の丸的発想があるからだ。
 今回のプロ野球界の騒動は、企業倒産、企業合併と同様、新時代への対応、経営の変革と考えれば理解しやすい。「ファン第一」なんて言葉は聞こえは良いがこれは立て前。プ□野球は誰のものか、と言えば株を保有している人達、即ち株主、さらには結局は親会社のもの。いくら熱烈なファンと言っても球団株を持っているファンは殆ど居ないだろう。選手も持っていないだろう。だから渡辺オーナーの、オッ、名前が出てきたヨ、の「たかが選手、たかがファン」という態度は客商売の経営者としては間違っているだろうが、本質的には正しい。
 球団の株を選手やファンが持てば事態が変わってくる。赤字を広げるような年俸は要求しなかっただろうし、会社のためにもっと良い試合をするようになるかもしれない。ファンが株を持てば、もっともっと球場に行くだろう。経営が変わるかも知れない。

 プロ野球は広告効果は確実にあるだろうが、多くの球団はソロバンを弾けば維持困難とのこと。結局は超金持ちのオーナー達の道楽的発想で存在出来ていたのではないか? その道楽が維持困難になったと言うのが、この騒ぎのルーツ。そんなあやふやな有り様の中で選手達は働いているのだ。この機会に普通のビジネスに立ち戻れば良い。そうは言っても、もうしばらくは泥沼をのたうち回るだろう。どんな形に落ち着くのか、楽しみでもある。が、結局は、良い試合を見せる、と言うスポーツビジネスの基本に立ち返る事が先決。


9/23(木)秋分の日 超快晴 FF tennis NPO「秋田パートナーシップ」講演
 
2:00リハビリ当直起床,ドック判定総括x1、蓄積画像処理、本日の講演準備等.7:20検食、8:30病院着。8:45救急カンファ。9:30帰宅。10:00-12:20FF tennis、時間切れ1セットのみ、8:7で辛勝、次男と交代中座して病院に、講演準備。次男と家内のペアは6:3,6:2だったという。13:30-16:50講演90分+質疑応答+討論若干。17:10病院に回診ほか。19:30帰宅。夕食、Vn少々、21:00就寝。

プロ野球選手達、ガンバレ でも、なんかおかしい(1)
 私はプロ野球にはほんの少ししか興味がない。むしろ、夜のAM放送がプロ野球の実況中継で占拠され不快である。TV観戦など年間1試合もない。それでも大リーグの野茂、イチロ一や松井などには注目し、その日の活躍を新聞で確認している。3人ともすごい、と思っている程度だから、選手名も5人ほどしか知らないし、日本の野球が何リーグ制になろうが、感心は殆どないが、この問題がNHKラジオニュースで頻繁に、しかも第一番目に報道されるのは不快である。もっと大事なことはないのか?報道すべき事はいっぱいある。

 プロ野球の問題は球団経営の論理と、リーグ数、新規参入希望の会社が名乗り出たことなどなどが混在していて事をややこしくしている。選手会もついに史上初のストを決行した。ハタから見ればこの混迷はだんだん面白くなってきた。何しろ、どんな決着になろうと、例え、プロ野球が消滅しようとも私にとっては何の意味がないから。
 経営陣も選手会もファン第一と□にするが、実際には保身が優先するのは当然。ファンが選手達に対して好意的な姿勢を持っているのは球団経営人の年寄り連中のファン不在、選手不在の傲慢・横柄な姿勢に憤りを感じているからなのだろう。私も労使関係の面では興味はある。

 問題は今回の騒動が落ち着いたあと、日本のブ□野球が魅力が増すのか、凋落に歯止めがかかるのだろうか、と言うことだが、実際何が期待出来るのだろうか。プロ野球問題のルーツは、試合が低レベルだからなのだ。それに、巨人の前オーナーに代表される経営陣の不遜な態度。大企業は趣味で球団を経営している? ならば、労働者の立場で選手会がストライキをやるのは大いに結構。ただし、自らはどう変革していくのか。みんなの注目をひくような緊張感の高い、高度な技の鬩ぎ合い、魅力ある試合が出来る様になるのか、常ににそれが問われているのだと言うことを忘れないで欲しい。


9/22(水)雨 県医師会理事会 リハビリ病院当直
0:00病院より連絡、出勤。90歳女性患者死去。3;30見送り後カルテ整理など若干、帰宅。ドック判定総括x1。5:20再度病院着。6;30回診他。8;10救急カンファ他。9:00-14:00外来.病棟処置他。16:30-18:30県医師会理事会。中途退席、19:00リハビリ病院に,20:30就寝。時間に追っかけられ、終日眠かった一日。

どうしてこの病院に置いてもらえないんですか??」日本の医療・保険制度について
 NPO法人「秋田パートナーシップ」からの依頼で2ヶ月に一度ほどの頻度でシリーズ講演を行っている。今まで「医師と患者の良い関係」、「生老病死に医療はどれほど役立っているか」「尊厳死・安楽死」を取り上げた。
 明日の9月23日、第4回目であるが、13;30-15;00、元「スーパーダイエー」であったビル、名前は忘れたが、そこの音楽室で行われる。今回は「日本の医療・保険制度」を取り上げる。

 この表題だけではあまりにも無味乾燥、あまり魅力もないだろうから、副題を「どうしてこの病院に置いてもらえないんですか?」、とした。患者にとっての医療・保険制度、医療者側にとっての医療・保険制度の双面から優れた点を強調しながら、分かり易く工夫して問題点を論じていきたいと考えている。

 いつものことであるが、次回はこれこれについて話そうと発案当初は思うのだが、現実には準備の時間がなかなか確保できない。今、9/23の5;00amであるが、最終的準備を続けている。もう何ともしようがないから何とかなるだろう、と割り切るしかない。実際、私にとってもこの話題は荷が重い。

 国民の医療に関する意識と誤解、現状は、殆ど知られていない。何しろ、実際に病気等で医療機関にかかっている方は国民の数%であり、大多数は健康人で、上気道炎や腹痛とかで一時的に通院することはあっても短期間であり、問題を感じてもその場限りで長続きしない。多くの国民は医療・保険制度等には無関心であるが、マスコミの興味本位の扱いによって誤解の元がばらまかれている。

 国民の医療に関する不満・誤解は端的に示すと以下の如くである。
 ●日本の医療は値段がとても高い医療レベルは世界的には低水準医師は権威主義,金権主義生命に関わる医療費はタダで良いはず国民は健康に関心が高く,医師や最新医療に過度の期待をもつ医師・医療機関は信用できない、何かあったら訴訟も考える。
 この中から主要な項目を取り上げ解説する予定である。


9/21(火)雨 管理会議  医局プライマリーセミナー「女性の下腹部痛」
 
2:00起床,ドック判定総括x1、講演準備ほか.5:10病院着、6:10回診、定期処方発行、8:00-8:45管理会議。9:00-14:00外来、結構混雑。机上業務処理、主治医意見書、総括、紹介状、基本健診総括、病棟対応、と暇なし。17:30-18:10医局プライマリーセミナー「女性の下腹部痛」。業務若干、21:00帰宅。21:30就寝。

深夜から早朝の信号機、もっと機能的に用いてしかるべき
 私は日曜以外家を出るのが5:00、帰宅が20:00-20:30頃であるが、いつも早朝の不合理な信号機の設定に疑問を抱いている。
 特にここ数日の間に3回、受け持ち患者が具合が悪くなって0:00-3:30の深夜帯にも病院を往復した。この時間帯に走るとその不合理さに更に強く疑問を感じてしまう。

 車の通行量が極端に少ない状況でもラッシュ時と同じ設定でしっかりと機能させているのは何故なのか?特に住宅地の道路と交わる交差点、ここは深夜帯には殆ど人も車も通らない。だから運転者はただひたすら無為に待たされるだけ。何のため?是非赤黄の点滅信号にして欲しい。

  秋田駅西側の2番目の交差点、ここは千秋公園、アトリオン、県脳血管研究所の近くでもあり人も車も通行量はとても多い。数ヶ月前にここが人車分離型信号になった。スクランブル交差点とは異なり斜め横断は出来ないがヒトだけが横断出来る様な工夫がされている。これはいい方法で通行量が多いときには安全だし、利点が大きい。しかし、車にとっては待ち時間が延び、より渋滞する事になる。現に、県医師会に移動する際など車の流れが悪くなったことが実感される。それでも歩行者の安全のためには運転者は耐えるべきだろう。ところが、ヒトが殆ど通らない深夜、早朝時もしっかりとこの方法で運用されている。だから、片方の路線が一方通行だから、3方向からの車が一定時間、ただひたすら無為に待たされる。何のため?せめてヒトの通らない深夜帯だけでも是非通常の信号方法にして欲しい。

 この交差点につながる県脳血管研究所の脇の道路は3車線であるが、朝のラッシュ時間には上りの車線が、ラッシュがおさまる時間帯以降には郊外に向かう下りの車線が2車線になる可変式センターライン方式を採用している。とても機能的で渋滞解消に大きく役立っているが、何で信号機にはこの様なフレキシブルな考え方を導入出来ないのか。


9/20(月)敬老の日 快晴 義母3回忌法要 Vodafone V601T購入
0:00病棟より連絡あり起床,病院へ。患者死去。その間事務処理、見送りし3:00帰宅。主治医意見書、退院総括。その他業務処理。4:00-6:00仮眠、講演準備。長男・長女との会話の中で急遽写メール用Vodafone V601T購入決まり早速購入。パソコンよりも難しい!! ドック、紹介状、講演準備。15:00-19:20義母3回忌法要+墓参り+ホテル大和にて会食。20:00帰宅、20:30就寝。

義母3回忌法要  義母の力で久々家族5人が集う
 2年前の9/23義母が死去した。早いものであれから満2年が経過した。義母の在宅療養のために私の居室を空け、迎え入れるためのあらゆる準備が整い、退院する予定だったはずの早朝、あっという間に急逝してしまった。
 本日午後3回忌法要+墓参り+会食が行われた。2年振り、結構高齢の方々も多いのだが、一人も欠けることなく、都合のつかない若者達数人を除いていつものメンバーが昌東院とホテル大和に集合した。

 ヒトが死ぬと言うことは本人にとっては大した問題ではない。フッと消滅するのに基本的には同じ。本当はそうあれば最高の幸せであり、そうあるべきなのだが余りにも今は不自然に修飾され過ぎている。そう言う意味では義母はもう少しだけ早く死んでもよかったのではないか、あれだけ苦労して生きた何週間は彼女にとっては一体何だったのか?

   ただ、人の死は、家族にとってはそう小さな問題ではない。そう言う面から考えると、彼女は周りの人達に闘病を通じていろいろなメッセージを残していったのだ、と思う。彼女が発病してからの死亡までの間の時間は、周りの人達にとっては有意義な時間だったのかもしれない。私にとっては在宅療養を我が家で行うのだという決断、私の居室を提供するという事で畳をフローリングに替え準備万端までやったこと、結局は一日も入居することなく逝ってしまったのだが、私自身には大きな誇りとして残っている。
 家族各人にそれなりの思いはあろう、だからこそこうやって節目毎に集まるのだが、故人の思い出などは死去して49日も経って霊から仏に変わるあたりからは、出来れば止めにしたい、あるいは最小限にしたいものだ。故人の生前の働きがあってこそ今みんなが集うのだから、過去のことをグチグチ言っても始まらない。これから先、今のことを語ろう。
 我が家では今回の3回忌を機会に家族5人が集合して数日良い時間を過ごした。これぞ、義母の残した生前の業績そのものである。合掌。


9/19(日)雨 FF tennis中止  
2:30起床、ドック判定総括x1、新聞チェック、医療評価機構関連処理、総括その他。明日の法要のために札幌より来客あり。Vn等。12:30-19:00病院、問題患者の回診ほか種々処理、帰宅後Vn等。夕食後、20:30就寝。

自伝  宮古病院時代 1971〜73 (17)
ファミリア1300を駄目にした
 診察その他まだ時間がかかるというので本屋にでも行って時間を過ごそうかと考え日赤から道路にでた。私が優先的にでることが出来る状況でゆっくりと道路に出たが、何故か左側から来たブルーのスカイラインが止まれずに私のファミリアの左側面に衝突した。衝突直前までの運転者の表情がよく見えたが、よそ見か何かして私の車に気付くのが遅れた様である。直前に強烈にブレーキをかけたようでブレーキ音と衝突音とはほぼ同時であった。もともとそうスピードが出ていたわけではないので衝突の瞬間にはかなり速度は減じていてそれほどの衝撃はなかったがバリバリと音だけは強烈であった。
 
双方の車はそのまま動いたので道路脇に寄せて状況を見たら、相手の車はバンパーに若干の凹みはあったものの殆ど無傷。一方前輪の後部から前扉にかけて結構凹みがひどい状態であった。前部と側面の構造の違いによる差がこんなに大きいものだと感心した。また、これだけ私のファミリア方がひどく凹んだことが互いの衝撃を軽くしたのだろう。この凹みを見た瞬間、私は、修理するよりも車を購入しようと決めてしまった。


9/18(土)快晴 日本血液学会+日本臨床血液学会二日目(京都国際会議場)
2:20京都国際ホテルで起床、ドック判定x1、講演準備他、
7:00朝食、野菜とコーヒー中心に.8:30-13;30京都国際会議場、14:09新幹線京都→東京→羽田.パソコンデスクで若干.18:10JALMD90満席で10Dで3人掛けの真ん中→19:10秋田空港、高速を中央で降りて20:00病院着。回診.21:00帰宅、22:00就寝.

何度目かの京都国際ホテル  せめてLAN設備が欲しい
 
今回の学会出張の交通機関、宿泊の手配を医師会事務局にお願いしたところ、特に指定はしなかったが宿泊は京都国際ホテルであった.このホテルは開業1961 年で、私も70-80年代は時折学会などで、今よりは頻繁に京都に出かけていた。その際、2-3回ほど宿泊している。 前回の宿泊は平成元年、日本内科学会総会を機会に、長女とその友人を連れて家族一緒の宿泊であったように思う。
 収容人数509名、部屋数274室と最近のホテルの規模から見て決して大きくはないが、京都の中心地、二条城の目前にあり、建物のデザインも内装も日本的ムードを備え、ロビーから眺める日本庭園は、銀閣寺の庭園のイメージを持つが、二羽の白鳥が遊ぶ池を中心に、四季折々の美しさを写し出している。夜はロビーに舞妓さんが来て宿泊客と記念写真に収まったりで、京情緒を味わうことが出来る様にいろいろな趣向もこらしている。

 部屋の雰囲気は良く、あくまでも静かで満足。早朝窓から見える山々の景観も良かった。残念だったのは部屋にインターネットの設備がなかったこと。これは国際ホテルという名称を用いている以上、今の時代、必須な機能でなかろうか。1年ほど前、青森出張時にこれ以上小さな規格がないと思われるほど小規模のビジネスホテルに泊まったが、思いがけず室内にLAN設備があり、最高に満足した。やはり国際ホテルという名称ならば是非とも備えて欲しい機能である。実際には電話回線を使って通信は出来たが、今のブロードバンドの機能に慣れている身ではどうしても雨露を集めて舐めているような辛さを感じてしまう。


9/17(金)雨 日本血液学会・臨床血液学会総会初日 京都国際ホテル泊
2:00起床、就寝直後より病棟から連絡数回、寝不足.ドック判定総括x1。退院総括x1.3:00病院着、問題患者回診ほか、事務処理他。8:10救急カンファ。9:00病院発空港に
10:05JAL秋田→羽田、AirBus A300-600.70%ほどか.13;13-15;00新幹線にて京都.国際会議場学会参加.19:00京都国際ホテルに.夕食後20:00-22:00NGO講演準備。22:15就寝.

久々の京都出張 出張前には何故か患者が不調になる
 本日から3日間日本血液学会+日本臨床血液学会が京都国際会議場で行われる.しばらく出席すべきか迷っていたが、病院が学会認定教育指定病院としての資格を保持しておくことは臨床研修必修化となった今こそ、むしろ必要だろうとと考えて1週間ほど前に最終的に出席を決めた.そのためには私が認定指導医としての資格を保持しておくことが必須だからである.

 私自身の個人的立場から言えばもう年齢的に老医であり認定医とか、指導医とかの資格は必要がない.専門分野としての興味も従来に比し薄れているし、第一、その分野を最近は殆ど勉強していない.本当のところは辞退したいほどである.10数年前には一定の人数の資格を私が保持し続ける事に問題を感じ、日本臨床血液学会の評議員は辞退している.

 出席を逡巡したもう一つの理由は入院患者さん方の病状.高齢の方々40数人を担当しているがそのうちの数人が不調になりかかっており、現実に腎不全の方二人が厳しい状態に陥った.更に一般病棟に一昨日入院した不明熱の方が昨晩から状況が悪化し、病棟から頻繁に連絡が入る様になった.出張はやはり駄目か、諦めるか、先ずこの目で確認必要と考え3;00amに出勤、回診した.結果的に1泊2日の短期間であれば何とか大丈夫かもしれないとの感触を得たので留守中の代理医師宛の文章等を用意し、関係部署に連絡方法等をファックスし飛び出してきた.患者さん方に著変無きことを祈るだけである.今のところ携帯には一度も連絡は入っていない.

 出張時には必ずと言っていいほど受け持ち患者さん達が不調になる.あるいは気になる患者が発生する.これは主治医としては大きなストレスである.留守中に代理で診てくれる医師が居るので現実には問題はないが、それでも心が晴れることはない.必ず後ろ髪引かれる思いが残ってすっきりしない.今は携帯とかでいつでも連絡が付くのでかなり気が楽になったが、物理的にはどうしようもないから最終的には割り切らざるを得ない.
 実際に患者さんが具合が悪くなる頻度が高くなるわけではないと思う.出張前には通常より詳細に病状を検討すること、他の医師に留守をお願いしなければならない状態、問題が生じても駆けつけられない後ろめたさ等、が私の感じ方を変えるからだろう.そう割り切ることにしている.


9/16(木)晴れ 秋田県身体拘束廃止協議会 県医師会打ち合わせ 
1:40起床。ドック判定総括x1、紹介状返事等.5:20病院着、6:20回診ほか。8:10救急カンファ。9:00-14:00午前外来+ドック説明.15:00-16:30秋田県身体拘束廃止協議会.16:30-17:10県医師会打ち合わせ.以降机上、病棟業務、懸案の書類等数件処理.20:30帰宅、夕食、21:00就寝。

車の後ろに駐車するのは迷惑だよ
 病院の私に割り当てられている駐車場はウナギの寝床様で両脇は狭いが奥行きがあって工夫次第では何とか縦に2台駐車出来ないわけではない。時折私も車のやりくり上2台縦列に置くこともある。とても便利ではあるが、これを誰だか解らない、連絡も付けようがない余所の方にやられると大変迷惑する。

 先月末、東京出張の際、ドタバタと仕事を片づけ大急ぎで駐車場に走ったところ見慣れない小型車が私の車の後ろに置かれている。ドアもしっかり施錠されている。急ぎ院内放送で車の移動を放送してもらったがなかなか現れない。もう時間もない。やむなくタクシーにしようか、無駄な出費1万円か、しかし、やむなし、後で車の持ち主に請求してやろうか、などと考えていたところ、病院の裏口から20数歳の女性が現れ、無表情に車を動かし、去っていった。私は運転席から一部始終を見ていたが、彼女は私が運転席にいるのを承知していながら迷惑をかけた事に対して一言かける様なそぶりも全くなく、見事な無関心さであった。ほとほと呆れたね、私は。ホントは降りて抗議しようかと思ったが、逆上されても困るし、とにかく時間がないためにそのまま空港に急ぎ、滑り込みギリギリセーフで一応全てが上手くいった。

 駐車場の車の後ろには例えスペースがあろうと不用意に駐車してはならない。もしどうしても・・と言うならせめて鍵を付けておくべき。これ常識と思う。私なら最低限そうするが、如何なものだろうか。 昨日のバイクのことを書きながら、先月のことも思い出してしまった。たまたまどちらもも女性であったと言うこと。

 本日は羽田経由で京都出張である。前回の経験に懲りて車を駐車場には浅く頭を突っ込んだ状況に停め、後ろには軽自動車でも置けない様にした。だから、今朝は前回のようなことにはなるまい。


9/15(水)晴 県長寿社会課員来訪 院内対策会議 
 1:30起床、ドック判定・総括x1、紹介状等。5:15病院着、6:15回診ほか。8:10救急カンファ。9:00-13:30外来。16: 00県社会福祉協議会来訪、明日の打合せ。16:30-18:30院内対策会議.20:30帰宅、夕食、21:00就寝。

「熊に注意!、女性ドライバーにも注意!」 バイク乗りの鉄則
 初秋のやや冷え始めた早朝、バイクでの通勤するのは実に気分が良い。手足,頚のあたりやひんやりと冷えて実に爽やかである。
 ところが今朝は、更に全身が冷えるような体験をした。病院の近くの対向2車線の道路、対向車がない状態で私の左側を軽自動車が追い抜いていった。ホントに、間一髪と言うべきほどの間隔、左ハンドルと軽自動車間はスレスレ。一瞬運転者の表情が見えたが、やはり今回も女性ドライバー、30歳代かな?余裕の無さそうな無表情、左側追い抜きに対して何も感じていない様子。
 私を追い越した場所は間もなく交差点もあり、右左折道路もあり、スピード出すのは危険でわざわざ追い越す意味もないような所。だから追い越しても私の前を走っているだけ。よほど注意をしようかと思ったが、逆上でもされたら困るし・・と我慢。何と、私の行く方向へ曲がっていく。最終的には病院の正面玄関に入って行った!!!  私はそのまま裏口に。未だ5時半にもならないこの時間、何でそう急ぐのか、家族でも具合悪いとの連絡で急いでいたのか??あるいは自分が具合でも悪くて急いでいたのか?判断力が欠けていたのか?と妙に納得した。

 どちらにせよ、左側を追い抜いていく運転は危険極まりない。今まで3-4回同様の経験があるが一人を除いて女性ドライバーであった。確かに私はバイクでも車でもより中央線寄りを走るから物理的には不可能ではないだろう。左側を抜かれるなんて常識的には考えられないから心の準備が出来ていない。対向車もないのだから右側を通常に追い越せばいいのだ。私が車を運転していれば、当然右側を抜いていったであろう。

 女性ドライバー達にとってバイクに対する感覚は特別なんだといろいろな場面から学んでいる。田舎道を走っていて熊の親子とすれ違ったこともあるが、「熊に注意!!!、女性ドライバーにも注意!!!」。バイク乗りとして鉄則・・と思っている。いつもは後ろから車が迫ってくれば左に寄ったりして追い抜かせるのだが、今日は追い抜かれるまで全く気がついていなかったから、特に吃驚した。


9/14(火)曇 県感染症評価関連システム開発評価会議  医師会打合せ(欠) 院内対策会議 医局カンファ
2:00起床,ドック判定総括x1.5:10病院着、6:30回診、病棟定期処方。8:10救急カンファ、9:00-13:20午前外来.15:00-17:00県感染症評価システム関連ソフト評価、選択会議、正式には「秋田県感染症発生動向調査システム開発コンペ」。県医師会打ち合わせは時間無し。17:10-17:50対策打ち合わせ.17:50-18:40医局カンファ途中から参加。病診連携関連。病棟患者家族と面会2件。21:00帰宅、21:30就寝。

最近鳩に関する相談メールが増えた
 このホームページを介していろいろな方々とメール交換することがある。中学卒業以来一度も会ったことのない同級生からの連絡であったり、郷里の幼なじみであったり、思いがけない方からの連絡があり、なかなか良いものである。中には重ーい重ーい話題の問いかけなどもあって、時間がなく、対応し切れていないのもある。その場合でも最低限一度は返信している。

 その中でここ数ヶ月、怪我した伝書鳩や野生の鳩を保護した方々から立て続けに数件のメールがあった。怪我した鳩、弱った鳩を保護したものの、その後の対応が解らずにネットで検索、私のエッセイの「ある鳩の思い出」にたどり着き、読んでいただいた方からの最初のやり取りが次の方の検索に・・と言うことで増えているらしい。今朝、試みに「鳩 怪我」と入力しYahooで検索してみたら確かに第一番に私のホームページが出てきた。

 私が鳩を飼っていたのは小学校4年頃から高校卒業の頃までなのでもう40数年も前のこと、100%現役ではない。その辺の所は相談される方も承知のこととは思うが、他に依りどころが見つからなかったためだろうと思う。私の返事、対応がそれほど役立っているとは思えないが少しは安堵されたとすればそれで良い。
 それにしても、怪我した鳩、弱った鳩を保護される方々の優しい心には感心するどころか感動してしまう。それに付けて自らの考え方を自省すれば、私は安易に自然の摂理、摂理・・と言いすぎる、のかもしれない。
 最も尊厳のあるべき、されるべきはずの人間の命を扱う者の一人として、多くの患者さんの主治医として現役で働いている立場、看取る機会の多い立場の者として、もう一度考えてみる必要がありそうだ、とここ数週間考え続けている。


9/13(月) 曇り→雨 管理会議 長副会議 対策委員会 医師会委員会(欠)
2:30起床。ドック判定・総括x1。メール送付、書類処理数件,5:10Taxiにて病院へ、6:30回診他病棟業務、8:00-8:45管理会議、9:00-13:25外来、15:00病棟業務。16:30-18:00長副会議、18:05-19:45対策委員会、20:30帰宅、21:00就寝。

進歩の尺度の一つがスピード だが、これで私は苛まれている(2)
 航空機、新幹線、高速道移動も高速になり、通信も高速化している。机上にはパソコン数台が並び、入力、印刷、スキャン、情報収集・・と数機種が同時に作動し、耐え難いほどの作動音を発していることもある。プリンター、インターネット、スキャナーなども高速化し、一見便利になった.これらは全て時間の短縮に貢献していると言っていいはずである。

 東京出張、新幹線がなかった頃には年に数回程度。多くは寝台特急「あけぼの」による往復であった。オーバーに言えば2泊3日の行程であった。これでも、夜間の眠っている時間を移動に使うという合理的な考えではあったが、東京では余った時間は、早朝は赤坂東急ホテルで朝食をゆっくり摂り会議場とか学会に。午後から夜にかけて余った時間は丸善書店に行ったり、秋葉原に行ったり、知人と会食したり・・・、ベストコースは東京文化会館のコンサート、次いで鈴本演芸場。いろいろなことが出来た。
 今の東京出張、年間20回ほど、多くは日本医師会関連の出張。時計とにらめっこしつつ9:00迄医局で仕事、慌ててパソコンを落として車で高速道経由で空港に、10:00JAL、モノレール、JRで駒込に。足早に日医会館に向かいすべり込みセーフ。帰りは16:30がギリギリの線だが、逆ルートを急ぎ、18:10JALで戻り、19:30医局着、残務若干、帰宅のコース。若干余裕があると浜松町の書店に寄り適当な新書版数冊買い込む程度。実に忙しない。他の用事のときも大体発想は似たよったもの。これでも移動時間は読書時間になるから無いよりはずっと良いが・・・。

 これら、時間セーブのための便利なシステムを利用することによって生み出されているはずの時間は実際にどこに消えているのだろうか?それを実感できない生活は本来おかしい。空いた時間に仕事を割り込ませるから、自分のための時間が乏しくなっている。本当にパソコンによる仕事は能率がいいのだろうか、意外と時間がかかっている。検証してみる必要があろう。
 如何に周辺が便利、効率的になっても短縮出来ないのは読書、勉強のための時間である。これが確実に少なくなっている。これは自分にとって実に不幸なことである。私には残り時間がそうあるとは思えない。そろそろこんな時間に追われる生活は終わりにしたいものだ。


9/12(日)晴れ 東北医連総会(2日目)
2:30ホテルメトロポリタン山形にて起床、ドック判定・総括x1、病院関連作文、医療評価機構関連処理若干等.7:00朝食、本読み。9:30-15:30東北医連総会(2日目)、植松日医会長講演「今医師会のなすべき事」、石川牧子氏講演「医療と言葉」、「緩和ケア分科会」。16:05高速バス→仙台、夕食。美術関係の新書3冊購入、18:38こまち→21:00秋田、帰宅、21:30家内患者急変で出勤、22:00就眠。

自伝  宮古病院時代 1971〜73 (16)
妊娠の兆し全くなかったが・・・。ファミリア1300を駄目にした
 8月末ころ、つわりとかの妊娠の兆し全くなかったが、家内の下腹部が膨らんできた。妊娠か腫瘍か??なんてバカな心配をしながら、用事があって盛岡に行く機会があったので盛岡日赤で診察を受けた。検査途上であったが、結果は妊娠、予定日は12月末から1月末頃という。拠り所となるデータが不足して正確な判断は出来ないとのこと。私はいつかは来るべき機会と思っていたが、それが現実となって心配半分、うれしさ半分の複雑な気持ちを味わった。

 具体的な状況は既に忘れてしまったが、当時の私は自分の命をそう大切に考えていたわけでもなく、虚弱であった私がここまで生きれば、一定の責任を果たしたようなもので、後は老父母さえ看取ればまあそれで良い、家内はその場合でもそれなりに何とかやっていけるだろう、と斜に構えたところがあったが、自分が生きていくことの大切さ、自分の命を大事にして責任をまとうすることの大切さ、について考え方が一変した瞬間でもあった。


9/11(土)秋田・山形共に快晴  東北医連総会初日
2:00起床、流石に眠い。ドック総括x1他。紹介状二通。夜半帰宅の家内、出勤まで付き合ってくれた。5:30病院着、6:30病棟業務。8:45救急カンファ、9:10ドック説明x2.主治医意見書、退院時総括、紹介状。10:30-12;50外来。外来のマック、PB180Cついに起動せず、寿命.病棟処置後14:00こまち仙台→高速バス18:00山形着.懇親会10分ほどで中座.一人静かにレストランで夕食摂る。19:30-21:00持参の業務、本読み若干。21:30就寝.

進歩の尺度の一つがスピード だが、これで私は苛まれている(1)
 本日マックPB180Cが起動困難になった.ついに寿命を迎えたらしい.実際には内部電池交換で改善するであろうが、電池交換は不可能で内部のメカをそっくり交換しなければならない.第一、もうボード自体手に入らない.来週から代替品として出番を待っていたPB1400と交代させる.一つの世代の終わりである.
 PB180Cは1993年の作.
待望のTFTカラー液晶搭載機種の逸品.中枢は68030/33の処理能力、HDは160MBであったが故障し東芝製900MBに交換、OSを7.55にして本日まで内科外来にて高血圧外来予約等にここ数年間大活躍してきた。

 
中枢の68030/33の処理能力は今の時代から見るとウサギとカメで言えば後者である.33という数値は処理速度を示すと考えて良い.その後尺度は変わったが現在販売されているパソコンは1500-2000のレベルである.家内や子供達のパソコンはより新しい機種で全部このレベルであるが、私が現在用いている7機種は33(Colour Classic「)-450(G4)鈍い製品だけである.さすがにColour Classic「は滅多に使わないが、繁用しているのは180(PB2400、PF6450)-450(G4)であるが、現実には速さの点では不便は殆ど感じていない.PB180Cでさえ、液晶画面が小さいことで若干不便していたが、処理能力と言う点では私の能力を遙かに超えていると思っていたほどである.

 航空機、新幹線、バイクや自動車、高速道路、電話、ファックス、パソコン、高速プリンター、インターネット、CD/MDなど、これらはずいぶん発達し、便利になった.質的に便利になった部分も大きいが、多くは時間の短縮に貢献していると言っていい.日常私も眠っているとき以外はこれらのどれかを用いている.

 しかし、これらを利用することによって生み出されているはずの時間は実際にどこに消えているのか??それを実感できないのは本来おかしいことであり、不幸なことなのではないか??と、最近とみに思うようになって来た.


9/10(金)小雨→快晴 初期研修マッチング 対策委員会+α 法人理事会(欠)
2:00起床、ドック判定総括x1。紹介状2部。5:20病院着、5:20回診その他病棟業務.8:10救急カンファ、9:20-13:20基本検診診察+外来。16:20初期研修マッチング。17:30法人理事会は各種検討のために出席出来ず。21:50帰宅,夕食22:30就寝.土日は東北医師連総会で山形出張予定。

フリーズして噴出したビール浴びて家内フリーズ、時間も一瞬フリーズ、ついでに私もフリーズ
 何週か前の日曜の夜の夕食時、何を思ったのか急に家内がビールを飲みたくなったと冷蔵庫にしばらく頭を突っ込み、奥の方からかなり長期間たったと思われた缶ビールを取り出した。テーブルに置いたときになんか音が通常の缶ビールと異なる。外観上は何も変哲は無い。凍っているのかな?、と、私は一瞬感じたが、家内もそう思ったらしく軽く耳元で振る。しっかりと音がするから大丈夫だと判断したらしい。

 おもむろに座り、缶をテーブルに置き、栓を抜いた途端に30-40cmほどビールが泡と共に座っている家内の胸や腹部に向かって勢いよく飛び出した。通常、この様な思いがけない現象が生じた際には一瞬回避動作をとるものだが、何故か全く動かず、なすがままにしてビールを浴びたままでいる。そのために衣服、テーブルの上がビールの泡だらけとなった。 この間、ホンの数秒だろうが、噴出が止まってからも家内は直ぐには行動に移らない。傍らでパソコンに入力しつつ見ていた私は、ビールがこちらに飛んでこなかったことに安堵したが、周辺の時間が一瞬凍結したような不思議な情景を見た気がした。

 全く同じような経験もなく、思いもしない現象に、一瞬何が起こったのか理解出来なかったらしく、頭の中が白紙状態だった、と後に言っていた。私は何度かこれに近い経験があるからビールやコーラ等の発泡系の飲み物の栓を抜く時には心の準備があるのだが、家内にとってはこの年まで全くの未体験だったらしい。 周辺を綺麗にしてから見ると缶の底に若干のビールが残っている。コップに注いでみるとやはり一部凍結している。それを一気に飲み込んで、予想外の味に今度は私がフリーズした。凍結融解したビールが如何に不味いものか、私はこの年で初めて体験した。

 何事も、目の前に生じた一瞬の変化には、それが全く未経験の事象であった場合、ヒトはなかなか事態を理解出来ず、うまく対応出来ないものだ。医療面でも滅多に経験しない希有な場面についても、日常から模擬訓練を受けておくことが必要である。


9/9(木)台風一過秋晴、   生保関連者来訪   No8医療評価機構受審委員会
1:30起床、ドック判定総括x1、医師会関連校正等。5:15バイク病院着、主治医意見書等作成。6:30回診+病棟業務、8:10救急カンファ、9:00-13:30外来。14:00-14:45生保関係者と面談書類処理。看護学生健康診断書10数部作成。16:00-17:00  No8医療評価機構受審委員会、やや遅れ加減だが進んでいる。総括、紹介状。20:30帰宅、夕食、21:00就眠.

明暗、アップルコンピューター新i-Mac G5 とCEOスティーブ・ジョブスの膵癌(2)
 アップルコンピューターはデザインが良い、と言うより奇抜である。常に遊び感覚があり、眺めていても楽しい。デスクトップのColour Classic、PF5225、PM G3、PM G4は私の現役機種であるが、何れもなかなか良い。一寸手が出ないが新型PM G5も良い。
 旧i-Mac は卵形?で半透明のキャビネット、出たときはびっくりした。これでは仕事は出来ンと私はあえて旧型マックMac のPF5225を探し求めた。現i-Mac は半球上の本体に液晶を乗せたもの。これもにもびっくり。頭に乗せてヘルメット代わりにしたら面白いだろう。
 今回の「新i-Mac 」は中枢に最新のG5のプロセッサーを採用、本体が無い!、のだ。要するに液晶ディスプレイの後に全てのメカを詰め込んだもの。これに無線のマウス、キーボードを組み合わせれば、机上はすっきりするはず。

 今回の「新i-Mac 」は、しかしながら、私にとっては予想していた通りの品で斬新さはない。やっと出たか、と言う程度。かつても「創立20年記念モデル」という奇抜なものがあったがその流れである。私はパワーブックを机上で用いる際には180度進展して自作の台に斜めに置いてキーボードをつけて使っているから、内容的には「新i-Mac 」とほぼ同じ。「新i-Mac 」は多分ヒットするだろう。こういう時期に間に合わずに行きつけの店が消滅したことは不運である。

 アップルコンピュータのCEOティーブ・ジョブスは1955年生まれ。 大学は中退、コンピュータゲームのアタリ社に入社してから頭角を現した。彼は技術家ではなかったようだが、夢を見る人間だった。 用意万全で発売した APPLE-IIはパソコン時代の幕開けを告げるように大ヒットした。何故か一度アップルを追われたが、不振にあえぐアップルの救世主としてCEOに返り咲いたと言う経歴の、まったく不思議な人である。 稀代の大ほら吹きのように言う人もいるが、彼の周りにはお金が集まり、人が集うと言う。その彼が先日自ら膵臓癌で手術したことを公表した。膵癌の中では予後の良い群に属する癌だと言うから一寸安心だが、今のアップルコンピュータににとって、全世界のMacユーザーにとって、彼は未だに必須の人間なのだ。


9/8(水)台風通過 強風・曇り→晴  県障害福祉課専門分科会 県医師会常任理事会
2:00起床。夜半には時折強風あり。ドック判定総括x1.総括・紹介状等処理、5:10病院着.6:10回診その他。8:10救急カンファ。9:00-13:00外来、ドック結果説明x1.ドック診察x5.15:00県障害福祉課専門分科会+判定会議。17:30-20:00県医師会常任理事会。病棟回診へ.21:00帰宅,21:30就寝。

明暗:アップルコンピューター新i-Mac G5 発表vs行きつけマックの販売店閉店(1)
 病院近くのマック販売店が数週間前から連絡とろうとしてもとれない状態が続いていた。急用でもないので放置していたが、10日ほど前に閉店の連絡が来た。経営に行き詰まったのであろう。
 私のマック、最初のColour Classicのみは別の販売店から購入したが、以降の大部分の機種はその後に病院近くに開業したMacGarageと言う店から購入した。本体は少なくとも5台以上、外付けHD、Zip、Scanner 、プリンター等の周辺機器、Softs、消耗品等は、一部は通販も利用したが、その殆どこの店から購入した。どちらかと言えば安価のものしか購入しなかったから良い客とは言えなかったであろう。一番助かったのは、ハード面、ソフト面の操作で壁にあたった際にいろいろ相談に乗って貰ったことで、一本の電話で懸案が解決したことは数多かった。私は親しみを感じつつ利用していただけに、今回の閉店は実に残念である。

 日本におけるアップルコンピューターはシェアを徐々に減少してきており、12%とか8%とか取りざたされてきている。実際のことは解らないが、なかなか苦戦していることは感じてきた。医療関係者、芸術関係者には比較的多く用いられてきたと言うが、私の周辺でもWindowsに乗り換える医師が増えている。我が家でも最近購入した3機種はWindowsで家内、長男が使用している。長女もVaio。次男と私がマックにこだわっている。
 パソコン関連販売店はどちらかというと薄利多売である。販売競争で値引きが当たり前の世界、これでは運営が困難であろう。予定した数量を販売しても利潤が不安定では先が読めない。しかも、今の製品はユーザーの能力を遙かに超えたスペックだし、故障も少なく安定している。だから、数量を捌けないことになる。大都会ならまだしも、秋田では経営は困難であっただろう。何時かはその時は来る、と漫然とした不安を感じながら利用してきたことがついに現実になってしまった。私の身辺で生じた暗いニュースの一つである。


9/7(火)晴れ→台風17号接近   医師会打ち合わせ     医局会
2:00起床,ドック判定総括x1. 書類処理、5:20病院着. 6:30回診、定期処方他、 8:10救急カンファ。9:00-14:00外来.15:00-16:00病棟処置、検査。 16:30医師会打ち合わせ。17:30医局会.看護学生の検診総括、これは重要だが時間が無駄にとられる。もっと良い処理方法はないか。20:30帰宅、Vn 、21;30就寝.

オリンピックが終わった  「Take it easy!!」が良いよ
 いつの間にかアテネオリンピックが始まり、終わった。
   私は偏見を持っているからかもしれないが、折角の早朝のAM/FM放送が競技の中継で占拠されるのは気分が悪い。結局、今回のオリンピックも一試合すらも観ることはなかった。夕食時の30分ほどニュースの中で垣間見た程度。今回は何時にもなく日本はメダルラッシュだったらしい。
 ホンのホンの一部しか観ていないから私は何も言うべき資格はないが、若い選手達の表情に国を背負ってのプレッシャー、悲壮感が感じられなかった、と思う。このことが良い結果に繋がったのではないか?と感じている。彼らはオリンピックという舞台を楽しんだから、実力が発揮出来たのではなかったのか?と感じている。つまり、自分自身が楽しんだということなんじゃないか?時代だし、新世代なのだ、と思った。  私が知った例外はただ一つ、野球。野球に関しては長島監督が絡んでいるだけ選手や監督のインタビューには悲壮感が漂っていたね。旧世代の発想、これじゃ自ら負けるようなものだ。

 大体、わが国では大衆も、マスコミも「ガンバレ!!」「ガンバレ!!」が多すぎる。下馬評も盛ん過ぎる。これじゃ選手達は辛いだろう。私の好きな英語の言葉に「Proceed at your  own  risk」というのがあるが、もう一つ
「Take it easy!!」も良い言葉で好きである。前者は意訳すれば「やってみろ」、後者は「気楽に、気楽に!!!」だ。

 私は性格上、何事に附けても詰めが甘い。瞬発力もない。だから、不十分な準備のまま講演やTV出演を迎えることが多いし、多かった。学会発表も同様であった。その私を救ってくれた言葉、それが
「Take it easy!!」である。


9/6(月)曇り→雨  管理会議  長副会議
 2:00起床、ドック判定総括x1、その他。5:20病院に.6:30回診他、8:00管理会議.9:00-14;00外来。入院1名。書類処理、作成業務他。16:30-17:50長副会議。懸案多数。20:30帰宅、夕食、21:00就寝。

「十五でねえやは嫁に行き」(3) 私も似たような経験「藤原ハツさんは十五で嫁に行った」
 名曲「赤とんぼ」の歌詞で「十五でねえやは嫁に行き」は娘が十五歳で嫁に行ったものだと長い間思っていた 。真相は「ねえや」が嫁に行ったのは、作詩者の露風 が十五歳のときだった、と露風本人が後に証言している。私はこの逸話を知って何となく感じるものがあった。
 私が育った家は田舎で診療所を開設し、結構盛業していた。見習い看護婦やら、住み込みのお手伝いさんやらいつも5-8人ほど雇っていたから大人数であった。母も看護婦の補助みたいなこともやっていたし、家中の切り盛りや診療所の手伝いなどで常に忙しく、私をあまり構ってくれる余裕など無かった。私の小学校の頃の思い出には母は主役としては登場しない。私はもっぱらお手伝いさんの「藤原ハツ」さんに育てられた。彼女は母と同年代の女性で、近所の農家の娘。最小限の教育を受けた後10数歳から我が家で住み込みのお手伝いさんとして働き婚期を逸した「婦負や」と「ばあや」の中間的存在。私を心底可愛がってくれ、当時の私にとっては最も身近な人であった。
 詳細は不明であるが、丁度私が15歳の時、突然盛岡近郊のある農家から後妻に・・と言う話がもたらされ、数ヶ月後に嫁いでいった。私は大きなショックを受けた。恐らく、老後の身の振り方を真剣に考えての決断であったのだろう。

 その後、何度か私の家にも来たし、私も1-2回は彼女の婚家を訪れたこともあった。私の祖母、母、父の葬儀の際には駆けつけてくれ、数日泊まり込みでテキパキと事を進めてくれた。何しろ我が家の親戚関係、風習、人脈等については残された私ども家族よりも遙かに良く知っており、とても助かった。ひたすら感謝、感謝であった。ただ、それ以降、私も多忙であったりしてそれなりの礼を欠いたためか、世代の交代のためか、以後の消息はまったく無い。もうこの世を去ったのであろう。
 私の子供の頃の生活、思い出を語るときに一匹の「ネコ」と共に必ず登場する人、それが「十五で嫁に行った」藤原ハツさんのことである。我が家の子供達三人が「かあさん」と呼ぶのは、賄いの石井さんのことである。同じような環境で育っている。石井さんは、多分嫁には行かないだろうけど。


9/5(日)曇-晴れ、FF Tennis 秋大泌尿器科教室主催「大山 力弘前大学教授就任祝賀会」 Zip750購入
2:00当直室にて起床.後は何時ものパターン、ドック判定総括x1,溜まっていた新聞チェック,医師会書類処理,作文,校正など種々.検食後8:00重症患者がいるので中通病院へ移動.回診その他、患者は循環器科に転科した。8:45救急カンファ。9:35帰宅。10:00-12:30FF Tennis. 6-1,6-1、5-6と何時にもなく快調、最期は時間切れ。13:30-6:30秋大泌尿器科教室主催「大山 力弘前大学教授就任祝賀会」アーバンホテル、院長の代理出席。16:30-19:30病院で業務、帰宅。20:00夕食、Vn、21:00就眠。

自伝  宮古病院時代 1971〜73 (15)
結婚後間もなく、秋田大学第一内科血液グループでの勉強の機会が訪れた
 昭和47年3月初旬、原因不明の高熱が持続する20数歳男性患者を受け持った。肝臓や脾臓が大きく腫大し、血液検査で白血球は健常人の数分の一程度の1000/mmm前後、血色素も1/3と減少、血小板は1万前後と著減、何とか「血球貪食性細網症」と言う疾患の疑いまでたどり着いたが文献上、治療法などどれにも書いていない。文献にある著者に直接聞くしかないと考え、思い切って電話をかけたのが当時新設されたばかりの秋田大学の第一内科の柴田昭助教授で種々の指導をいただいた。
 
 その相談・対話の過程でいろいろ私の身辺の話まで進展し、岩手県医療局の義務年限終了時に、秋田大学第一内科血液グループに所属して勉強することを強く勧められた。私も学生時代から血液疾患に興味を覚えていたし、宮古病院でも血液学を独習し、その方面の患者を受け持ち、診断後間もなく治療の間もなく死亡した若い患者達も少なくなく、知識や能力に限界を感じていたこともあって、実にトントン拍子に話が進展た。この電話によるやり取りの中で、医師としての私の生き方がほぼ決まってしまったと言っていい。

 私の立場からは、血液学に興味があると言えども出身校である新潟迄は行きたくなかったし、家内が秋田出身であること、将来の子育てなども考えると秋田大学での勉強は何かと都合が良かったと言いうる。その他にもいろいろ考え、家内とも相談し慎重に判断したが、秋田大学第一内科血液グループの柴田助教授の立場から見れば、発足間もなくでスタッフが喉から手が出るほど欲しかった時期で、私の素性なんて実はどうでも良かったのではないかと、今から見れば勘ぐってしまうが、マアそんなモンだったろうと思う。要するに、飛行機の格好に似ていればトンボでも良かったのかもしれない。
 誰かが言った「お前が医者ならトンボも飛行機・・・」という言葉は何故か私の胸に染みこんでいて忘れられないし、たまに私も言いたくなる言葉でもある。


9/4(土)曇り後晴れ テニス合宿(欠) リハビリ当直
2:00起床、寝不足感。ドック判定総括x 1,その他、5:30バイク病院着、6:30回診その他、8:45救急カンファ、9:30-12:30外来。看護学生健康診断に20名ほどどっと来院.午前に予定していた業務に大きく影響。午後化学療法の患者、心筋障害?発症.午後の予定も大幅に狂う.テニス合宿参加出来ず.18:00リハビリ病院当直へ. 1時間日直医に延長をお願いした.20:30就寝.

院内感染対策講習会(千秋会館)(2)  感想若干
 中通総合病院感染症対策チーム主催の院内感染対策講習会では多くのことを学んだ。 感想を若干.

 ●感染防止の考え方、手技はすでに特別なものでは無くなった.医療関係者は勿論、清掃関係者まで常識として身に付いていなければならないレベルである.
 ●ひとたび院内感染が生じた際には蔓延防止、早期終焉のためにベット移動を含め、全病院的対策が必要. 
 ●この様な実践的な講習会は著明な教授達が招聘されてくる講演会などより遙かに実践的で役に立つ.欠けていた知識など、スッと染み込んでくる.
 ●ビデオで提示された即乾式手洗いの手技、私も大いに反省させられた.ガウン着用も含め手技一つ一つは実際にデモして見せると言うことが重要である.
 ●デスポのエプロンやガウンが当院にあるとは知らなかった.病棟の喀痰が飛んでくるような患者の処置の際、私は白衣を後ろ前に着用し、顔や頭はビニール袋を頭からすっぽりかぶって対応してきた.
 ●感染対策にしても何でも改善するには相当の費用が必要である.診療報酬に上乗せするよう私も医師会を通じて主張しているが、病院会等を通じてもっと強く要求して行くべきだ.
 ●感染症対策チームのチームワーク、熱意が感じられた.危機管理分野も早急にチーム化する必要があるようだ.
 ●うなぎの寝床のような細長い会場を横に用いるのは親しみが持てて良いかもしれないがスクリーンが2ヶでは足りない.次の機会からもう一台増やして欲しい.演者はやはり中央が良いだろう.
 ●前宣伝が足りないように感じられ、どれだけ集まるのか、心配していたが、思った以上に参加者が多く、盛会であった.
 ●感染症対策でも要となるべき医師の参加が少ないのは残念である.
 ●感染症対策の面からも看護師の服装は再検討すべき.とりわけナースキャップは害はあれど利はない.20年近くも前から主張して来たが今回も改めて感じた.


9/3(金)曇り→晴れ 院内感染対策講習会(千秋会館) 
1:30起床、ドック判定総括x1.評価機構用意.紹介状返事など。自由人家内、ここ2-3週は0:00前には帰宅していたが、今朝は医局送別会とのことで2:30のご帰宅。さらに眠らずに朝まで付き合ってくれた。5:20バイク病院着、6:30回診他、各種処理。9:30-14:30基本検診+外来補助+ドック診察x5名。各種書類処理、主治医意見書x2など.回診、18:00-20:00中通病院院内感染対策講習会(千秋会館)。21:50帰宅21:30就寝。

院内感染対策講習会(千秋会館)(1)  遠のく意識の中で・・・考えた
 今夕、中通総合病院感染症対策チーム主催の院内感染対策講習会が千秋会館で開催された。危惧していたが、盛会であった。関係者の努力に感謝したい。私はいつもの如く最前列を占拠しながら、半分程度は意識を失っていた。
 
 最近は感染症、とりわけ院内感染に対する社会の、マスコミの目は厳しい。昨年から今年にかけて当院でノロウイルスの院内感染が発症し対策に苦慮したことは忘れられないし、今春は秋大病院のMRSA感染症が、つい最近は京都での多剤耐性緑膿菌が話題になている。
 われわれの経験したノロウイルス感染症は発見当初に保健所に連絡するなどの、とるべき対応をとっていたが、後日、私に対し非公式にではあるが社会に公表すべきではなかったかとの疑問・意見がマスコミ関係から投げかけられた。私は即座に否定した。決して隠蔽するつもりはなかったが、あの範囲では当方から積極的に公表する必要はない。実際には、いつ新聞・TV等で取りあげられるのか、その際どの様に発表すべきか、シナリオを頭に描きつつ、毎日、感染症が終焉してからもしばらくはハラハラしていたことは事実である。

 約一ヶ月に渡るノロウイルスの院内感染で、罹患した多数の患者、及び家族の皆さん方に対してはお詫びの言葉をいくら並べても言い尽くすことは出来ないが、多くの方々が状況を納得していただいたことは幸いであった。各病棟で誠心誠意対策に専念したことが評価されたのではないかと思っている。
 一方、実際にこの事件で生じた病院としての損失は約5000万円にものぼったことも驚きの一つである。

 院内感染が生じる背景は単一ではなく、短文の中では到底列挙しきれないほどの多因子が原因となっている。それらの詳細な分析、対応は重要であることは論を待たない。その中の大多数の因子は、例えば、高齢化で虚弱高齢者が増加していることも含めて改善の対策が困難な内容であるが、一番にあげるべき因子は実は職員、特に医師、看護師、コ・ワーカー等の感染症、院内感染に対する安易な考え方、意識と知識の欠如、行動の欠如である。


9/2(木) 曇り、 家内ICU当直  3A病棟カンファ    療養病棟診療部会議
1:30起床。家内ICU当直で不在。ラフマニノフの協奏曲を大きめにならしながら、ドック判定総括x1、紹介状返事など.5:10病院着、職員口未だ閉まっているも5人裏口で煙草を吸っていた。6:20回診その他、8:10救急カンファ。9:00-14:30外来、予約外患者多数。入院一名。16:30病棟(3A)カンファ、17:00-18:00療養病棟診療部会.紹介状、主治医意見書他20:30帰宅.21:30就寝.

名曲「赤とんぼ」(2)「負われて」「十五でねえやは嫁に行き」の意味を知り、いろいろ考えた
 私は長い間「負われて」は「追われて」だと思っていた。 子供達に追っかけまわされた赤とんぼが見た夕陽というふうに思っていた。が、これはねえやの背中に負んぶされてのことだという。最近までそれほど考えもしなかったが、確かにその方が考えやすい。
 だとすれば、この頃露風の年は??と考える。無理矢理5歳くらいかな??と予想した。夕方遅くまで外で遊んでいた露風は迎えに来たねえやに多分甘えて負んぶして貰い、その時見事な夕陽を立ち止まって二人で見たのだろう。その時何を話したのか?多分露風の心に深く刻まれる何かがあったのかも知れない。負んぶされた子供を1-2歳の時と解釈すれば、その目で見た夕陽と赤とんぼの詩にまとめあげるのは不自然である。

 「十五でねえやは嫁に行き」に関しては「ねえや」は露風を背負っていた子守娘のことであることについては私もその様に思っていた。実際、最近知ったのであるが、露風の母は、露風の幼いときに死ぬか、別居したために、露風は雇われた「ねえや」が中心になって育ててくれたらしい 。その娘が十五歳で嫁に行ったものだと長い間考えていた 。当時は随分若くして嫁に行ったものだ、と思っていたが、真相は「ねえや」が嫁に行ったのは、露風 が十五歳のときだったのだ。 その解釈で正しい、と露風本人が後に証言している。だとすれば、15年間近くも育ててくれたねえやは露風が15歳の時だから少なくとも二十歳にはなっていただろうと思われる。その方が自然である。何となくホッとした。

 一方、露風の証言を無視し、 やはり「ねえや」が嫁に行った年齢を「十五」と解釈し、さらに、 本当は十五歳で売笑として売られていった、とし、生きること自体が苦しかった時代背景を詠ったのだ、と言う悲劇的な解釈も広く潜行しているらしい。


9/1(水)曇  血液センター所長来訪  入院医療検討打ち合わせ 
2:00起床。ドック判定総括x1、他。5:20病院着.6:20回診等。8:10救急カンファ。9:00-14:15外来。15:05血液センター所長他3名来訪、11月下旬の血液センター創立記念大会での打ち合わせ。16:50入院マネ-ジャー、ベットコントロールマネージャーと病床回転について打ち合わせ。病棟回診。20:20帰宅。疲弊した、そのまま21:00就寝。

名曲「赤とんぼ」(1) 私のイメージ
 最近の子供達は知っているか解らないが、この曲を知らない大人はいないだろう。名曲「あかとんぼ」、詞は三木露風、1921(T.10)年、童謡集「真珠島」に発表、1927(S.2)年に山田耕筰が曲をつけた。

 夕焼け小焼けの赤とんぼ 負われて見たのは 何時の日か
 山の畑の桑の実を 小篭に摘んだは幻か
 十五でねえやは嫁に行き お里の便りも絶え果てた
 夕焼け小焼けの赤とんぼ 止まっているよ竿の先

 たったこれだけの詩。露風は夕焼け空に飛ぶ赤とんぼを眺めて、子供の頃を思い出して作ったと言う。私も子供の頃、夕焼けの空を眺めながら、あるいは夕陽を背負って急いで家に帰ったものだ。子供だけの遊びの世界から、後ろ髪を引かれながら、明日また同じに遊ぼうとみんなに誓いながら、家族との食事、団欒に戻って行ったもの。

 私は「夕焼け小焼け」の空が大好きだ。激しく燃える太陽が山に、水平線に沈んでいくとき、私はいつもこの世を去る時、即ち「死」の瞬間の情景を想う。沈みゆく赤い夕陽は「死」への誘いにもつながる景色でもある。荘厳な赤の情景、紅の状況が私の心を静めてくれる。死は救済、休息、安息なのだ。
 「赤とんぼ」は、アキアカネと言うトンボの一種。短い生涯の最後の一時を過ごすアキアカネが空をおおう情景と、赤い夕陽との組み合わせはとても良い。生から死へ、赤みを徐々に増して、最後の光を何時までも、何時までも私の記憶に残して、静かに、静かに消えて暗闇の世界、静寂のとばりが訪れる。これは私のイメージ、死に際の情景と一致する。

 私にとっては、名曲「赤とんぼ」は、寂しくものの哀れを感じさせる曲。 7階の療養病棟でたまに見る夕陽。私は病室の窓際で、今日も、しばし、佇んだ。

※研修医諸君へ更新しました※



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   年を通じてワンパターンで淡々とした毎日です。AM2:00-5:00にメールチェック・返事送付、人間ドック(HDD)判定・報告書作成、新聞切り抜き、病院・医師会業務など。
  月〜土曜は6:00頃出勤、HDD報告書印刷、外来書類処理など。病棟回診、HDD受診者とミーティングと診察。8:45-14:00外来とHDD受診者に結果説明。昼食は摂りません。午後は病院業務・医師会業務、各種委員会等に出席など。20:00頃帰宅。
  日曜・祭日もほぼ同様ですが、病院には午後出かけます。時間的に余裕無いのが悩みです。


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