徒然日記

 日記と言うより、自分の行動記録からの抜粋と日々の雑感です。

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先月の日記          来月の日記


1/31(金)小雪-曇り 厚生連由利組合総合病院療養病床訪問   県医師会打ち合わせ(欠)
2:00起床、家内23:00帰宅。人間ドック1名分、院内職場討議質問事項への対応. 紹介状他処理 etc .夜間の積雪5cmほど、5:20病院着、回診他。9:00人間ドック説明1名。10:00-11:30外来新患補助、実際は殆ど再来患者.11:45師長の車で由利へ。13:30-15:30由利組合総合病院療養病床訪問。院長、担当医、事務長、総婦長より歓待され説明受ける。感謝。当院の方向は間違っていないことが確認できた。県医打ち合わせは連絡しないままキャンセルに.20:15帰宅、除雪9回目。21:30就寝

点滴信仰、注射療法信仰は今でもつくられている。患者に正しく説明を
 今インフルエンザが猛威をふるっている。県内で流行しているのはA香港型とB型。今月中ほどから患者数が急速に伸びている。インフルエンザは1-2年おきに流行。県内の55医療機関の集計では、中旬の患者数は579人だったが、下旬に入り1052人と倍増した。

 外来、救急外来には老若男女が高熱、関節痛、倦怠感、食欲不振等の症状を訴えてくる。その際、インフルエンザの検査と特効薬を求める。これはマスコミの影響もあろう。悪いことではないが、すっかりそのつもりで来院しているから断るのに苦労する。流行期には検査するまでもない場合が多いし、状況から見て必ずしもタミフルなどの特効薬を要するとは思えない患者も多い。
 それに加えて更に点滴をして欲しいという患者および家族が多くて対応に閉口する。勿論その適応の方もおられるので一概には言えないが、私は9割方の患者には点滴や注射の意味を説明しお断りしているが、多くは納得がいかない表情をする。

 患者には一般的に点滴信仰がある。食欲もあり、栄養状態も悪くないのに、「身体がだるい」などの理由で、輸液剤の点滴静注を希望する患者が意外に多い。しかも、ある地域、ある医療機関に通院している患者にその集中する傾向もみられる。恐らく、その医療機関は地域の患者には点滴や注射で治療してくれる良い医療機関であると思われる。また、何も薬液を入れない20%グルコースの静脈注射を受けているとしか思われない患者も居た。今、私の担当する外来に通院している肺気腫の高齢のご夫婦は「食欲もないし、疲れるから輸血をして欲しい」と言って初診した方である。

 患者教育のためには医師全体の協力と努力とが必要であるが、医師向きの教育もまだまだ不足しているようである。


1/30(木)大雪続く、 大学内科医局訪問  外来・病棟診療部会議
2:00起床、家内23:00帰宅。人間ドック1名分、等.5:25-6;10除雪7回目、道路分+自宅分フルコース。20cm近くの積雪、やりがいがあった。昨年同期は除雪機4回目だから今年は多い。6:25病院着、回診他。8:10人間ドック3名診察。9:00-13:00外来、13:45-14:20外来学習会に参加、療養病棟問題。14:00-15:00秋大に、第3内科医局訪問、大学退職後17年間で昨年7月に続き2回目。17:00-18:00病棟診療部会、療養病棟について討議。入院患者不調、対応。20:00帰宅、新雪と吹きだまりで20:00-20:40除雪機8回目、21:00就眠。

今期最高の降雪・積雪。今年は雪が多いぞ 
 今日は本年度一番の積雪、結局朝晩2回の除雪となる。幸い明朝はやらずに済みそう。除雪作業は除雪機使用といえどもかなり大変な作業。終わる頃には汗びっしょりになる.きれいに除雪された道を、車のライトを上向きにして、自分の労働の成果を味わいつつ、誰よりも早く通過するのは実に気分爽快である。新雪によって美しく様変わりした景色と共に最高のプレゼントでもある。早起き、早出勤の三文の得かな?
今年は早めに出勤したいので開始時間を30分以上早めた。近所の家に灯りが灯ることはほとんど無い。だから、除雪機の音が迷惑かな?と思っているが、余所の分までやるんだからこの点だけは我慢してもらいましょう。

 28日以降の県内は終日激しい降雪に見舞われ、今冬1番の積雪。高速道の通行止めや列車の運休、飛行機の遅れが相次ぎ、交通機関は大きく乱れた。荒れ模様の天候は、1日まで続く見込みだと言う。積雪は角館(114cm)で同気象台が観測する5/13地点で1mを超えたそうだ。
 湯沢横手自動車道、日本海東北自動車道のいずれも全線通行止めが続いている。一方、空の便は秋田空港上空の天候不良のため、秋田発東京行きJAL便と、大韓航空便が各約1時間遅れたと言うが、欠航便が出ていないのはすごい事だと思う。
 こんな天候でも予約外来の患者さんはほぼ全員受診した。僅か1-2分の診察に2-3時間かけてくる。ゆっくり対応してあげられないのが悩みである。

 明日は本荘市にある由利組合総合病院に見学に行くが道路事情どうなる事やら・・・・・



1/29(水)今期最高の寒波・降雪 秋田県保険福祉部会歯科保健部会 県医師会理事会
 2:30起床、ウーン寝不足。人間ドック、紹介状等.5:30Tax 出勤、降雪6cmほど。全体にウエット。除雪せず.終日降雪寒波。9:00-12:30外来、患者は比較的少ない。13:00ABS-TVインフルエンザ関連の取材依頼あり。今晩のニュースで使用とのことで人選の余裕なく自分で対応。14-16:00秋田県保険福祉部会歯科保健部会、部会長は県歯科医師会長、副部会長に任命された。個人の資質と関係ない人選。16:30県医師会理事会、18:00病院からの電話で対応、中座し戻る。20:30帰宅。車の排雪難儀。21:00就寝明朝は雪かきするぞ。
 
インフルエンザ(?)で高齢者が死亡。ABSニュース用のインタビューを受ける
 今年は例年よりもインフルエンザは激しく流行している。特別養護老人ホーム(特養)で高齢者のインフルエンザによる死亡が新聞紙上にも時折登場している。「人生の終末」を迎え抵抗力が弱くなった高齢者はいかに予防注射をしていたとしても罹患するし、特効薬を用いても一部の方に合併症を生じる。が、やむを得ないことでもある。これは自然の摂理なのだ。ましてや社会的事情からそのような方々を集めているのだから、特養などはウイルスにとっては美味しいカモでもある。ところが、マスコミの取り上げは施設バッシングである。だから、入所者がインフルエンザに罹患した施設の長は多方面への対策で実に大変そうである。

 今、秋田地方でもインフルエンザが猛威をふるい始め、学級閉鎖のニュースも届き始めた。県内でも特効薬の「タミフル」の在庫が底をつき始めている。
 外来中ABS秋田放送から突然にインフルエンザ予防策についてのTVニュース用のインタビューを申し込まれた。本日のスケジュール上余裕がなくお断りしたかったが、夕方の放送で使うので・・・と担当者も必死である。県医師会の広報担当という立場もあるので引き受けた。県の会議に出かける直前、玄関前の診察室で収録し、そのまま出かけた。
 ニュースの中での使用なので時間は数十秒で限られている。話した内容は、

●インフルエンザの予防の基本はワクチン。だが、効果発現までに2-3週間かかるので今は意義は小さくなった
●流行期間中人混みをさける
●可能であれば学校閉鎖、工場の時間短縮、時差出勤等、集団としての対応が必要
●発症した人との接触を出来るだけ避ける
●過労・睡眠不足、不摂生等感染を容易にする状況を作らない
●手洗いの励行。一方、うがいは効果が少
●居住空間の空気を過度に乾燥させない工夫

・・・と当たり前のことのみ述べた。


1/28(火)曇り-雪 総回診、県医師会打ち合わせ AKT TV収録 三内科出身者有志で勉強会+α
1:30W,人間ドック。すこやかさん in  Akita 誌「ミニミニ解説 医師会」作文開始。6:20 病院着、積雪なし.?回診他、8:10人間ドック診察5名 午前予約外来9:00-13:00終了、年末年始後4週間目と言うことで今週の予約はやや少ない.若美の農場経営の方から見事なテューリップ戴く。昼頃から降雪、ミニ寒波か.14:30総回診一部参加、16:15-17:00県医師会へ.18:00-18:30AKT TV収録、病院ロビーにて。行き倒れ(雪の中で倒れていたので雪倒れ?)低体温の90歳独居男性入院。「ミニミニ解説 医師会」作文脱稿送付。19:30-22:30三内科出身有志の会。抗喘息薬について学び、歓談。22:50帰宅、23:00就寝

折角良い時代に生きているのだから時間をもっと有効に使いたい
 私はとても良い時代に住んでいる、と心から思うし、毎日が実に楽しい。「アマデウス」再体験もそうであったが、どんな分野でも、何でも味わおうと思えば、体験しようとする意欲さえあれば、それらのうちの大部分を比較的容易に手に入れる事が出来る。

 私の場合、好きな音楽に限らず、絵画、文学・・・、興味を持ち何時かは味わいたいと楽しみに思っている「人類の遺産」は私にとっては無限にあり楽しみである。例えば、新聞に紹介された本の書評欄のうち、気に入ったジャンルの記事はパソコンでスクラップし何時でも購入できる様にリストアップしているが、貯まる一方で1500冊分にまで達している。蒐集したレコード、約1000枚、今は殆ど聴く機会はないがせめてもう一度は全部聞き返してみたい。

 しかし、そのために用いることの出来る時間が日々の生活の中でも、私に残されているであろう時間として考えてみても、余りにも少な過ぎる。これが今の悩みの一つである。齢重ねて生きていても、意欲の方が失われるであろうし。
 更に、愚痴れば、何か一つに集中すると別のものを捨てざるを得ないのも実に勿体ないことである。卑近の例では、最近家の仕事場件の居間では簡単にCDを聴くことが出来るようになったが、それまで楽しんでいた「NHKラジオ深夜便」を聴く機会がどっと減った。この番組はどちらかと言うと高齢者向きの番組であるが、実に人間的な番組であり、特に4 :00-5:00amの「心の時代」は多くの分野の方々の生の声を聴ける貴重な時間である。さりとて、音楽も良いし・・
  ここ1-2週間はそれも一緒に聴くことにしている。その際、ラジオに挿入される時折の音楽が邪魔になる。

 今、CDではショパンの小品集聴いている。傍らでは「ラジオ深夜便・心の時代」がとてもいい話をしている。右のパソコンでは人間ドックの結果返し入力を進め、左側のパソコンでは医師会関連の書類がスキャナーで次々と取り込まれている。それでも、今朝は若干起床時間が遅かったために余裕が乏しく、一日のスタートとしては満足感は今ひとつである。

 私は、老化を今以上に進めない方法は知っているし患者にはそれに基づいて指導している。しかし、もっと時間を有効に使う方法はないのだろうか。これについては私にはまだ名案がない。


1/27(月)雨模様 温暖 管理会議 長副会議
1:30起床、人間ドックx2、紹介状、昨日に引き続きTV出演準備、何とか一段落。5:30病院着.資料作成、回診、他。8:00管理会議。9:00-13:30外来。年末年始から4週目で患者は少な目なるもインフルエンザ他、風邪症状、発熱患者多い。16:30-19:30長副会議、年度末迎え懸案事項多数。夜の回診、20:30帰宅21:00S.

Mozartの誕生日にちなんで.映画「アマデウス」のことなど
 いつも日常的に聴いているが、今日は特にモーツァルトの誕生日にちなんで、改めて「ピアノ協奏曲 (戴冠式)」「弦楽五重奏K515」「ディベルティメントK563」その他味わいながらの仕事を進める。実にいい響きである。

 ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトは1756年、父レオポルド、母アンナ・マリアの第7子としてザルツブルグで生まれた。成人したのは姉のナンネルと二人だけであったことから当時は生まれても生きるだけで大変な時代であった事が推察される。恐らく当時の平均寿命は10数歳程度だったのではないだろうか。本人にとっても、親にとっても喜びよりも悲しみの体験の方が多かったのだろう。その中で作曲された名曲の数々、その素晴らしさは言葉では何とも言い表せないし、言葉で置き換えたとき、むしろ真の価値が失われていくと感じざるを得ない。

 正月前後の休暇中、たまたま私のパソコンがDVDも見れることに気づいた。映画「アマデウス」のDVDが我が家にあったのを思い出し軽い気持でちょっとかけてみた。パソコンは通常から凝視して見る画面であるし、USB回路を通してステレオからとてもいい音が鳴り、パソコン画面上で眼前間近に見る映画はひと味もふた味も違った新鮮な印象を受けた。すっかり引き込まれ、二回に分けて見終わった。

 この映画は我が家にとって記念すべき映画でもある。というのは家族で映画館で観た最初にして最後になるであろう映画だからである。20年ほど前に秋田の映画館で観たが、当時やっと物心付いた次男が字幕スーパーが出る度に「何て書いてあるの?読んで。読んで・・・」と騒ぐためにまんじりともしないまま観終わってしまった作品である。それが、約20年後、同じメンバーが揃ったところで、今度はじっくりと静かに、良い音楽に浸りながら観ることが出来た。


(ストーリーやキャストなどは下記URLを参照してください)

http://www.cinemabox.com/amadeus/


1/26(日)曇り-晴れ 温暖 終日TV出演準備でCRTに向かう 
2:00起床、人間ドック、紹介状、主治医意見書、訪問看護指示書など多数、種々処理.日中は明後日のTV出演の準備する.今回は日本医師会広報の代弁が主なのでなかなか興が乗らず、だらだらと終日机上、マックに向かう。16:00-19:30病院へ.回診、資料作成他。帰路スピーカーケーブル新調、居間のミニステレオが一層聴きやすくなった。20:30就寝

自伝 中学時代(1958〜61)(8)
クラシック音楽の魅力に目覚める
 我が家の祖父は自分でも謡曲を楽しむなどの他、大量のSPレコードを所持しているなど、音楽関係の分野もかなり好きだったらしい。蓄音機も数台あったが、祖父がそれらを楽しんでいたという記憶はない。しかし、これらの装置は子供の頃の私の格好なおもちゃになった。クラシックの小品を中心ではあったが子供用のレコードも20-30枚はあり童謡を中心によく聴いていた。
 自然と「G線上のアリア」「タイスの瞑想曲」等、SP向きの小品には親しんでいたが、別に曲を求めて聴いていたわけではない。たまたま耳に心地よかったからなのであろう。

 そんな私を音楽にのめり込ませる決定的機会は中学1年頃に訪れた。
 ある夕方、たまたまNHK-TVで初来日したオイゲン・ヨッフム指揮アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団の初来日の演奏会が中継された。誰もいなかったのを良いことに
TVの前に寝ころんで音量を上げて開始を待った。最初の曲はベートーヴェンの「エグモント序曲」であり、題名すら聴いたこともなかったが、最初の強奏和音を聴いた途端に全身に鳥肌が立つような不思議な気分を味わった。当時は当然白黒であり、音質もそれほど良いものではなかったが、感じるものがあったのだろうと思う。その後、ベートーヴェンの何番かの交響曲が演奏された。食い入るように見た事は覚えているが、今は何の曲であったか思い出さない。しかし、私の脳裏には「エグモント序曲」の曲名と最初の和音がしっかりと刻まれた。

 このことを機会に突然クラシック音楽にとりつかれた。とは言えども、当時は既にSPからLPレコードに変わっていたので家の装置では何ともならない、主としてラジオ放送でしか楽しめなかった。文化放送、日本放送などの深夜番組のクラシックの時間、毎週日曜日11:00amからのNHK第1第2放送を利用しての「NHK立体音楽堂」等は私の愛聴番組になった。深夜放送は雑音が多くピアニッシモは殆ど聞こえない。「未完成交響曲」などは低弦の導入部などきこえず突然強奏部から聞こえるような状態であったが、当時は貪るように聴いていたものである。
 それから間もなく、盛岡でのNHK交響楽団演奏会を聴く機会が訪れた。これは私にとって次の大きな音楽体験となった。

(写真:オイゲン・ヨッフム 音楽の友社 クラシック不滅の巨匠たち P100より)


1/25(土)晴、やや温暖
2:00起床、家内帰宅1:00am。新幹線で若干寝たがやはり寝不足感。出張復命書、講演準備他。5:30-6:20積雪昨日からの分で10cmほど。6回目除雪機にて。量と湿った雪のため時間かかる。6:30 Taxi出勤、回診、重症者2名.8:10人間ドック診察5名、9:00説明3名。10:30-13:00外来、上気道炎中心に新患多数。以降18:00まで残務処理し帰宅。明後日収録の原稿進まず。20:30就寝

「月の輪」の娘が文藝春秋に紹介されていた。
 冬期間の飛行機は時間的にも不安定、揺れもひどいし、アクセスも大変である。晴天の東京を発ち、一時間後には秋田空港駐車場で雪と格闘、秋田道が速度制限と言うことは良くある。この点、新幹線に乗り入れしている在来線「こまち」は飛行機と違いゆっくり本が読めて冬の期間はとても良い。往復の8時間は決して楽でないが、結局は過ごし方次第である。いつも本を数冊持ち込み、東京駅の書店でまた買い込む。これが無上の楽しみである。

 今回持ち込んだ文藝春秋2月号のグラビアに女性の酒造の跡取り数名が紹介されていた。パラパラと見ていたが、何と!岩手の銘酒「月の輪」の跡取りとして「横沢裕子」さんが紹介されていた。「月の輪」酒造店は実は私の祖母「福田キヌ」の生家でありほぼ同じ歳の子供もいたこともあって幼少の頃しょっちゅう祖母に連れられ出入りしていた酒蔵である。当然我が家では「月の輪」を飲み「月の輪」の酒粕が日常的に料理に使われていた。私は酒の味など全くわからないが「月の輪」は甘口で子供の時から口にし、酒ってこんなものかと思っていた。大学進学のために郷里を離れてからは昨日まで懐かしく「月の輪」を想うことはあっても具体的に酒や宣伝などに接したことはなく、このご時世、とっくに消滅、あるいは大手に合併吸収でもされたものと勝手に思いこんでいた。今、同年代の大造氏が社長で、酒造の技術的大家として東北地方では知らぬ人はないとされるほどとされ、現在娘が跡を継ぐために修行中と紹介されていた。

とても懐かしく想った。何かの機会に盛岡に行く時、「月の輪」を是非手に入れて飲んでみようと想う。

月の輪酒造HPへ



1/24(金)風雪 東京は超快晴、風冷たし 病院評価機構支援セミナー
2:00またも家内の帰宅で覚醒。講演準備の資料整理、研修病院レポート用作文etc 。5:20病院着、積雪5cmほど、湿雪で除雪機では不可とやらず.回診ほか。重症、その他あり申し送り記載。8:02こまち、12:05東京着、超快晴、今日もまた雪国のハンディ大いに感じたね。13:00-17:00日医会館にて病院評価機構支援セミナー、ブームなのだろう満席.駅で新書5冊ほど買い込む。17:57こまち、途中とろ寝。22:00秋田着、帰宅23:30就寝
 
昨年秋田で正式に2名のインフルエンザ患者が確認された。今年はそれから見れば早い。抗インフ用の特効薬国内で不足気味と問題になっている。対象をかなり選んで投与しなければならない。

性感染症の大流行を憂える(2)。学校教育とは何か??とまで考える
 (昨日の続き)
我々も医師会活動、県の医療行政部門などいろいろな機会をとらえて、問題点を警告をし続けているが"笛吹けど踊らず"の情況が続いている。STD/HIV流行対策の第一歩はなんと言っても感染予防であり、そのためには予防策、すなわち正しいコンドームの使用の啓発を中学・高校教育の中で強力に推進することである。エイズに関する講演依頼もここ2-3年めっきり減少してきた。来月初旬久しぶりの講演が予定されている。

 週休二日制にしてから学力低下が叫ばれ、マスコミのニュースに取り上げられている。しかし、そのたびに学校教育とは何だろうか??と疑問がわく。ヒトとして如何に生きるか、人間として如何に生きるか、如何にして命を守るか、・・・教えるべき事は実に多いはず。教育とは算数、国語、理科などの教科だけであってはならない。
 柔軟な感受性がある子供達への教育はとても重要。だから、教育者に求められるべき資質は真の意味で医療人よりも大きいのではないか、と思うことも多々ある。教育が充実すれば社会全体が変わっていく。医療面へも良い影響が期待される。命を、健康を守るための生活習慣に関する教育、禁煙教育も重要なのに、このための時間など全くとれないらしい。教育関係者はこのことを何と考えているのだろうか。私には教師は人間型の教育マシーンなのか??、とさえ感じられることもある。


1/23(木)曇り一時晴れ、夕方小雪  石井さん無事帰秋
2:00根っからの自由人・家内の帰宅で目覚める。人間ドックx1、人間ドック結果記入用紙再検討.臨床内科医会誌投稿原稿最終校正終了。Vnなど5:20H.回診他。8:10人間ドック診察X5、9:00-13:00外来。人間ドック結果説明x2。対外的予定無く業務処理。講演スライド組み替え、論旨整理。外部医師数名の訪問あり歓談。重点患者回診後20:00帰宅、石井さん無事帰宅しネコたち嬉しそう、私の生活も通常に戻るかな。21:30就寝。

性感染症の大流行を憂う
 性感染症(STD)は今若い人々の間に大流行している。現在最も流行の著しいクラミジア感染症などは生殖年齢層を中心に少なくとも100万人は感染例がいることが疫学的に推計される。若い人々の間にこれほどの罹患数を持つ疾患は他に類がない。
 その原因は
にある。
 クラミディア等のSTDの蔓延は無防備な性交渉の結果を示している。見方を変えればHIV感染に対しても無防備であることを示し、実に深刻な問題である。HIV感染がアジアで急増し、タイ、インドばかりでなく、中国は現在でも50万人、10年後には爆発的に増えて1000万人もの感染者が出ると予想されている。そこまでではないとしてもわが国も似たような状態にある。何時爆発的に増え始めるか、だけの問題になっている。にもかかわらずわが国では相変わらず暢気である。情報メディアはSTD/HIV流行を重大なこととして取り上げておらず、また、厚生行政もさして深刻に受け止めていない。そればかりか、HIV感染症を「慢性感染症化した」などと宣伝し「致死的感染症」というイメージを打ち消そうとさえしている。私はキリンの「たいよう」どころの話ではないよ、と言いたいのだ。
(続く)
 


1/22(水)終日曇り-時に降雪 院内医療の安全委員会
1:00起床、Vnなど多少。秋田医報用別原稿2種類着手、原稿資料OCR取り込み入力他。家内3:00帰宅。5:20-6:00 積雪5-6cmで除雪機5回目。Taxiにて6:20病院着、事務処理、回診。8:30被爆者検診3名。9:00-13:30外来。人間ドック説明x1、14:45-16:30病棟検査、患者家族に病状説明。医報用原稿送付。17:00-18:00院内医療の安全委員会.夕食は出前で済ます。人間ドックx1他、20:30帰宅。冷え切った家で今日もまたネコが待つ。暖房、風呂用意し21:30S。

携帯電話は人格を破壊しないのだろうか?(3) 
 携帯電話の音声・画像送信機能を良い面に注目すれば、目の前で進行している事故、災害、犯罪などの様子を一瞬のうちに地球上のすべての人々に向けて送信することが可能となる。また、電話機ユーザーの位置検出機能を用いて行方不明者を探したりすることも可能であり、その有用性は計り知れない。位置データの商業利用はユーザーの承諾を得た場合に限られるべきだが、この情報収集機能の存在そのものが、論理的にはすべてのユーザーの行動を追跡するデータベース構築が可能であることを示唆している。この位置データ検出機能は便利であることから悪用される危険性は明らかで、一部の人間の反社会的行動を一層容易にする。

 このような先進の機能が社会にどんな影響を与えるかについては、ほとんど考慮されていない。現に、携帯電話を介在しての犯罪行為が増えてきている。一例として7月末の学期末試験の際に一橋大で学生26人が携帯電話のメールを使い集団でカンニングをしていたことを挙げておく。大学側では学生の人数も多く、携帯電話を時計代わりに机上に置いている学生もいて、このようなことが生じるとは思ってもいなかった。二度と起こらないよう学内に注意し、学生の自覚を促したい、とコメントした。
 これは一つの小さな例だが、先進機器を用いた犯罪の場合、各人の犯意が乏しい特徴があるように私には思えてならない。このことは個人の考え方、社会の在りように微妙に影響を与えて行くのだろう。


1/21(火)曇り降雪 寒波 秋田県献血事業推進協議会 医師会打ち合わせ 医局新年会+歓送迎会 
2:00起床。人間ドックx2。秋田医報用原稿送付、HIV講演画像取り込み他。5:20病院着、新雪なし。事務処理、回診。8:10人間ドック診察中に病棟に呼ばれる。8:45人間ドック診察,9:00-13:30外来。14:00-16:15秋田県献血事業推進協議会、引き続き今期も会長に。個人の資質でなし。司会進行。16:30-17:10県医師会打ち合わせ.18:00-20:00医局新年宴会兼歓送迎会。20:00多少酔い中座し帰宅。真っ暗、冷えた家で今日もまた留守役のネコが布団の上で丸くなっていた。暖房、風呂用意し20:30就寝

献血とキリンの「たいよう」
 昨年の秋田県の10大ニュースのトップは秋田市大森山動物園で生まれた子供のキリンの「たいよう」の死が選ばれた。畜舎の中で右前足を骨折し、骨折部位で切断された足に竹製の義足がはめられた。そのけなげに生きる姿は新聞、TV等で頻回に報道され、多くの人々の感動を呼び、全国から励ましの声が寄せられていた。しかし、「たいよう」は再手術の後二度と立ち上がることなく6月18日死亡した。

 私は、この手術に対して疑問を持っている。本来このような長い足を持った動物が骨折した場合には、自活することは出来ず死を迎えるのが常であり、それは十分に保護されている動物園と言えども同様である。切断し義足をつけた判断は、その場面では良かれとされたのであろうが必ずしも長期的展望があってのこととは思われない。私は安楽な死を迎えさせるべきだったと思う。

 「たいよう」の生きる姿は、暗い世相の中で明るい話題として報道され、最近写真集まで発行された。この話は私から見れば「本質抜きの、マスコミによって作られた、操作された美談」である。マスコミの持つ問題点の一つの具現だと思う。国内で年間1万人近くも交通事故で死亡しているが、報道は小さく、交通事故は当たり前の現象として日常の中に埋もれ、当事者以外無関心になっている事を私は嘆いている。

 ただ、年末のニュースの中でこの「たいよう」の事が秋田県の10大ニュースのトップになって、私は秋田県人は優しい心を持ち続けていることにはいたく感心した。
 私は本日の秋田県献血事業推進協議会の会長挨拶としてこの話を引用した。最近、献血者がいっそう減少傾向にあるが決して県民のこころが変わったわけではない。ただ時代がら旧来の献血の方法では二の足を踏む何かがあるのではないか、献血の呼びかけや方法に一層の検討が必要である、と言う趣旨としてである。

1/20(月)終日曇雪模様 管理会議 長副会議 
2:00起床。人間ドックx1。秋田医報用原稿着手、HIV講演画像取り込み他。6:00病院着、新雪なし。事務処理、回診。8:00管理会議。9:00-13:30外来。業務処理。14:30県医務薬事課員来訪、明日の献血関連委員会打ち合わせ。16:30-18:00長副会議.夕食自室出前にて。業務,20:345帰宅.道路は鏡面仕上げでツルツル。真っ暗、すっかり冷え切った家に帰る。終日留守役のネコが布団の上で丸くなっていた。暖房、風呂用意21:30就寝

携帯電話は人格を破壊しないのだろうか?(2) 
 携帯電話には考えるべきことが沢山ある。取扱説明書の難解さ、電磁波、通話しながら車の運転・・もあるが、別の次元の問題もある。否、むしろそっちの方が問題で人間関係、社会、個人の性格・人格まで影響が及ぶことになるだろう。便利でかつ恐ろしい時代が今そこまで迫っていると言うべきなのかもしれない。

 携帯電話の普及はもう横ばいであり、ユーザーも現行モデルの全機能を有効に使いこなしているとは思えないのに新世代機種の売り込みが盛んで、これが結構売れているというのだからすごい。最新のはマルチメディア対応カラー画面、ムービー録画、精度の高い位置検索機構などで今年のヒット商品になると予想されている。

 携帯のCMはどれも優等生的傾向がある。通勤中に勉強にも使える、小説も読める、ゲームも楽める・・・。どれも十分に楽しそう、役立ちそうな使用例だが、このような使い方で電話会社や関連企業が大儲けできるとは思えない。広告できない裏わざがユーザーによって次次と考えられていくはずである。人間としての別種の欲求を携帯電話が簡単に満たすことが出来るようになっていく。だから、新機種が売れ、通話時間が延び、彼らの収入は大きく成長するであろう。人間の野次馬根性には視覚的な情報が瞬時に得られる機能はうってつけなのだ。

 新たな携帯電話はいま以上に多岐にわたる問題を提供するようになるだろう。携帯電話は通話料金さえ気にしなければそのまま高精度の盗聴器になるし、映像を扱う機種はさらにワイヤレスの盗撮カメラになる。不正告発者、覗き趣味を持つ人達には堪えられなくなるはずである。その対象になった人はストーカーの餌食になったようなものである。これからは、誰でも容易にストーカー行為の被害者に成りうるかもしれない。


1/19(日)晴のち曇,比較的温暖
リハビリ当直室にて2:00起床。人間ドックx2。紹介状x3、総括x2?見書と訪問看護指示書x1仕上げる。その他メールへの返事数編送付。よう働いたね。深夜のラジオニュースにて天皇の前立腺摘出手術が無事済んだことを知り安堵。陛下の疾患は国民に良い影響を与えるだろう。検食、8:40中通病院に移動、事務処理、回診。11:30帰宅。先日看取った近所の方のご霊前に線香あげに行く。深夜に送ったメール着いていないらしい、再送付。以降はCD radio聴きながら、また時々Vnなどしつつ淡々と業務と次回の講演の準備。家内は午後から患者急変で出勤、20:00帰宅。19:00から熱帯魚の水交換、フィルター掃除。21:00就寝

自伝 中学時代(1958〜61)(7)

想いでの一つは県中学校陸上競技大会の紫波郡予選に出場し3位になったことである。体育の授業を利用しで何種類かの種目に全員が分けられたが、私は走り高跳びで比較的良い記録がでたことから出場することとなった。たまたま背が高かったし、自転車通学で下肢の筋力がいい状態にあった事で少しみんなより勝った結果が出ただけだったと思う。大会までの3週間ほどは熱心に練習した。技術も格好も求めることなく、1cmでも高く跳べる事だけを求めた自己流でむしゃらな練習であった。紫波郡予選では30名ほどの出場者がいたが上位のグループに残り、もしかすれば1位も夢ではない状態で競技が進んでいった。しかし、練習中にバーに強打したことのある右足の脹ら脛の筋肉痛が生じ始め、途中から体育教師がテーピングをしてくれ若干楽になったが、記録は伸びずに結果的に3位に終わり県大会への出場は出来なかった。今から見ればちゃちな記録であったが、虚弱であった私が個人的にもらった唯一のタイトルである。
 もう一つは土曜日の放課後に教室で、高校進学予定者と勉強会をしたことで、最初は誰かに数学の問題の解き方を質問され、居残って一緒に四苦八苦したことがきっかけで始まったような気がする。徐々に参加者が増え、クラブ活動が一段落した夏休み以降はほぼ全員が集まった。とは言っても当時高校進学率は低く進学予定者は16人ほどで、その大部分は商業高校、工業高校への進学希望であった。夕方4時頃までみんなで過ごしたような記憶がある。高校入試の結果は15/16が公立高校に合格、不合格であった一人も無事職業訓練校に進学できた。乙部中学から盛岡一高には数年振りの進学であり、ほぼ全員の合格は過去にはなかった成果だったらしい。特に私が指導したという感じでないが、受験勉強のペースをうまく維持し、不安をあまり感じないでこの時期を明るく過ごすことに若干役だった程度のことと思っていたが、みんなからはとても感謝された。卒業式の朝、式が始まる直前、職員室に呼ばれて教師全員から拍手でむかえられ、学級担任と校長から暖かい言葉を戴き恐縮したが、自分のためにも乙部中学でのこの1年間はとても思い出深い時間だったような気がする。



1/18(土)曇り時々晴れ、比較的暖かい リハビリ当直

2:00起床。人間ドックx2。5:40病院着、事務処理、回診。8:10人間ドック診察x5、9:00人間ドック診察x5,10:30-13:00外来。たまっていた業務処理。患者に病状説明じっくり.医師会電話相談に対応.16:58CD radio,PB2400,Keyboadそのほか持参でリハビリに移動.途中ヤマハにて楽譜購入,業務処理,20:00就寝.積雪0cm。不整脈なく体調良、時間もたっぷりあって、快適な週末。

携帯電話は人格を破壊しないのだろうか?(1) 私は電話不耐症
 携帯電話の普及はもう小学生にまで及んでおり、手放すことの出来ない必需品になってしまった。2001年の段階で中学生30.2%、高校生85%、大学生の男子97%、女子92%、20歳代女性の90%以上が保有していたとされ、今や所持していない人を捜す方が困難になってきた。私はこの超便利な道具に対して実は嫌悪感の方が強い。否、私は携帯電話が悪いと思っているのではない。それを用いる人,用い方にいささか嫌悪を感じているのである。

 昨年の東京出張時、21;00 頃たまたま空いたJRに乗り合わせた時のこと。私を含め20人ほどが乗車していたが、本から目を離し周りを見渡したところ、何と高齢の二人連れ以外の全員が携帯電話を用いて何かを必死に眺めていた。私にとっては異様な光景であった.これが最近の我が国の文化なのだ,と認めざるを得ないが,私はすっかり遅れているのだろう.それ以上に何故こんなに嫌悪するんだろうね,私は.

 第一に私自身が電話が大嫌いだからである。出来るだけかけない。かける必要がないからという方が正しいのかな?何でそんなに電話で話さなければならない急用,用事を抱えているのか、不思議でならない。
 第二に、私はシンプルな連絡事項を除き,電話による対話は不快になる。事実、電話は傍若無人であり,こちらの意向を無視してお構いなしに進入してくる。長電話は話していて怒りがわく.同室人とかの長電話はもっと不快である.
 第三に、電話は対話の道具としては完全に欠陥品。私は人との対話は五感全部を使ってするものだと思っている。私がちゃちな英語で診療したり、旅行したり、買い物したり出来ているのも五感を総動員しているから。電話の弱点をカバーするために私は可能な限り丁寧に、誠実に対応するよう努める。だから、つらいのだ。



1/17(金)小雪-曇り  東京は超快晴  第4回医療関係者対策委員会

2:00起床。人間ドックx1。新雪なし。5:20病院着、事務処理、出張準備回診。8:10-12:10こまち、全席指定になって整然。横の座席のみ空席、キャンセルでも??気分良し。新幹線電話にて病院委員会書類校正結果伝えようとしたがカードの減り方実に早くて不可、東京駅公衆電話から送る。12:30-16:00日医会館にて第4回医療関係者対策委員会、わざわざ行くこともなかったような散漫な会であった。新書「倫理の探求」「心に遺したい季節の言葉」「「癒しの楽器パイプオルガンと政治」購入。16:58-21:00こまち.脇にかなり肥満体の方、圧力感じて終始窮屈であった。半分ほど微睡む。本日から一週間賄いの石井さん休暇にて不在。近所で外食後帰宅。22:00就寝.

雪かき(2) 空しいが、好きな作業の一つ 
 本日の東京は超快晴、温暖でスーツ姿で歩いている男性が多い中、アラスカにでも行けそうな格好の私が混じる。でも気楽だね、東京は。雑多な人がいるから。ただ、今朝寒い中雪で滑らないように歩いて来たことが嘘のよう。やはり北国はハンディだ。特にお年寄りには辛いだろうし、人間性にも影響する。

 昭和48年から秋田に住んでいるが、育った岩手や、大学生活送った新潟に比べ雪は多い。昭和54年頃現地に居を構えたが「臍の緒」みたいな長い路地の奥に「胎盤」みたいな250坪弱ほどの敷地がありそこに家が3軒建ち親戚が3家族住んでいる。細い「臍の緒道路」の通行確保は我が家にとって生活上必須である。最初は人力でやっていたが労力も時間も馬鹿にならないので除雪機を購入した。
 「臍の緒道路」の脇には数件の民家がありおのおの除雪はするが、いつも年寄りしかでてこない。「足腰の弱った年寄りにばかり除雪させて!若い人たちは一体何やっているのだ!」と思う。本当に気の毒でならない。だから、時間がある時はその分、要するに「臍の緒道路」全部を私が除雪することもある。道路の分だけで30分、敷地は積雪があってもあまり困らないのでざっとやるだけだが、まじめにやるとこれも30分ほどかかる。

 考えてみると物心ついてから今まで、除雪から解放されたのは仙台、新潟、宮古在住の9年間だけ。本来私は除雪は嫌いではないし特に、医師になってからはより一層好きになった様な気がする。新雪は美しく、普段見慣れた光景と一変している。しかも毎日異なる自然との対話も良い。労力が形の上でしっかと表現されるし自分で早朝仕上げた道路を自分が最初に通行するときの気分の良さは最高だ。それに、除雪に出てきた近所のお年寄りと交わす一言、これも実に良いが、徐々に亡くなったりして、弱ったりして最近は顔を合わせることも少なくなった。一昨日私が看取った方はその中のお一人である。

 最近、実は、正直な話、若干億劫になり始めてきた。ただ、私がやらなければ誰もやらないだろうから何としようか・・・等と考える様になってきた。秋田はマンションブームらしく新しいのが数カ所で建築中。セールスポイントの一つが雪かきからの解放とのことで、高齢者が結構購入しているそうだ。何となく気持が理解できるようになってきた。



1/16(木)曇り、雨 温暖 第2回病棟再編委員会 

2:00起床。人間ドックx2、臨床内科医会の投稿文章改訂一段落。新雪なし。昨夜の除雪部分実に見事。形に現れる作業は気分良し。5:20病院着、重症者複数対応。9:00-13:30外来、混雑さほどなし。途中で患者さん一人死亡。新入院あり対応。16:00-18:00第2回病棟再編委員会。20:00帰宅、21:00就寝.本日は昼から温暖に。更に降雨あり。路上の雪は路地も含めて大部分消えていた。

雪かき(1) 空しいが、好きな作業の一つ
 昨日は寒波襲来、早朝と帰宅後に雪かきを必要とするほどの状況だったが、何と、今日は温暖で降雨があり、帰宅時には路地にシャーベット状に僅かに残っているだけ。昨日、雪まみれになりながら、見事に、美しく積み上げた私の努力は一体何だったのか、とがっくりした。が、雪が消えることはどっちにせよ良いことである、と喜びも半分ある。

 私は岩手の片田舎出身であり、開業医で厳格な祖父の方針で降雪時には家事担当者以外の家族は5:00頃からは雪かきをさせられたものである。患者さん達を迎える準備である。当時、早朝から患者達は来院したが車など無く、具合悪い患者は夏はリヤカーで、降雪時には大小様々なソリに乗せられて連れて来られたものである。そのために広く除雪しておく必要があった。お手伝いさん、住み込みの看護婦さん達も入れると10名近くいた頃は楽だったが、看護婦もお嫁にいったりしてと人数が減っていき、徐々に私の担当部分が増えていった。門から診療所までは30mほどもあり、当時は全て人力だったので実に大変であった。しかし、この、早朝の雪かき作業は事実上小学校5年で終わった。祖父が死亡し診療所が閉鎖になったからである。その後は幅や形にこだわらず、家族の生活に合わせて、小道を確保する程度で良くなった。
 とは言っても離れ、外トイレ3箇所、小屋、風呂等は離れた別棟になっていたので結構な距離であった。また、燃料の薪の保存場所へのルートも確保しておく必要があったので、それなりに大変であった。思い出すと、降雪量、積雪量も当時は今よりずっと多かったような気がする。


1/15(水)この冬一番の降雪 県医師会理事会+打ち合わせ

2:00起床。人間ドック、臨床内科医会の投稿文章改訂に手間取る。5:30-6:10第3回目の除雪機出動。細い路地40mほど中心に除雪。昨年は6:00迄待って始めたが今年は出勤の都合上そうは言っていられない。音がうるさく若干気が咎めるもやむ得ない。6:25病院着、重症者複数、対応。9:00-14:30外来、混雑。17:30-19:30県医常任理事会、その後、今週出来なかった書類チェックなど。20:00帰宅、積雪新たに9-10cmあり、そのまま4回目の除雪機出動。路地40mほどと自宅の庭を除雪。21:30就寝.もう今夜は降って欲しくないね。

スタイル優先の車。極寒の日はカギが回らず、ドアが凍り付き開かない!!
 私が冬期間使用しているのはホンダデルソルという名の1500ccの小型車。特徴はスイッチ一つでハードトップが自動的にトランクルームに収納される機構を持つ。そのために車室は狭く、2シーターである。この機構の市販車としては世界初らしい。少数生産されただけで市場から消えたが、そのメカはベンツ、トヨタ等が取り入れ現在も2-3の車種が市販されている。
 家内が気に入って中古で購入したもので、当初オープンカーなど恥ずかしくて乗れるか・・・等と言っていた私も得られる開放感、軽快な走りですっかり気に入ってしまった。ところが、気分が良いのは春から秋にかけてであって冬はそのメリットは発揮できないばかりか、デメリットだらけになり、家内にはとても使わせられない。第一に自動着脱ルーフ関連の付随的メカが全て凍り付き作動しなくなる。冬期間はさすがにオープンにする必要はないのだが、電動トランクも開けられないのは狭い車だけに辛い。第二に窓にサッシが無く広いガラス面を車体側のゴムシールで受けるタイプなのでドアがしっかりと凍り付く。ドアノブがとれそうなまで引っ張ってもまず開けられない。駐車時にはドアの内側に固定した革バンドの端を車外に出して置き、それを引っ張って開ける。第三に鍵穴がやや下向きに付いているので水が入り凍り付く。ここ数日ロックしていない。第四にワイドタイヤを履かせているためにシャーベット状の雪では車が浮き上がり実に良く滑る。一昨年、近所のブロック塀に突っ込んだのはそのせいである。

 ある面での利点は、状況が変わると欠点に変貌するのは物事の原理である。と、自分に言い聞かせながら諦めてはいるが、冷えた早朝、夜間は相当しんどい思いと作業で過ごしている。


1/14(火)曇り→夕方から寒波降雪。第2回医療訴訟ガイダンス 医師会打ち合わせ(欠)AKT preview+広報委員会 

1:30起床,長谷川陽子のVc小品、Valery Afanassiefが演奏するChopin Nocturns、この時間帯にはとても良い。人間ドックx2、NP、医報用原稿校正、臨床内科用原稿校正等いつもと同じ.今日は予定びっしりで5:10出勤、人間ドック印刷、回診、FAX送付。9:00-13:40午前外来、予想以上の混雑。13:30-17:00秋田地方裁判所での第2回医療訴訟ガイダンスへ若干遅れて出席。17:30病院に戻り重症患者回診。18:30-20:00AKT放送局にて医師会作成番組の preview+広報委員会。20:30帰宅、21:10就寝.

第2回医療訴訟ガイダンス 初めて裁判所に。良い経験した
 上記の会があり県医師会からの出席と言うことで総務担当の私が出席した。第1回医療訴訟ガイダンスは裁判所の方の一本釣りという形で大学病院中心に医師が選ばれ、大学病院の見学をしたらしい。今回は一本釣りそのものに抗議し、医師会も若干人選に関与することになった。大学病院中心に医師が30名弱、弁護士が15名ほど、裁判所15名ほどの大勢の会。
 私自身は今日まで秋田の裁判所の場所や建物など一切知らず、当然中に入ったこともない。意外にも、いつも通っている官庁街にあった。先ず建物の中、実に清潔であった。法廷を2,3見学し、模擬裁判も見せていただいた。次いで1時間ほど裁判、鑑定人に関する講義があり、更に1時間ほどの意見交換があった。この中で若い弁護士から「医療の水準は医師の経験年数等勘案すべきでない」「秋田県内の医療訴訟に秋田大学等の県内からの鑑定人選出は不適」「・・」などの厳しい意見があった。
 この会に出席できたのも役得であった。裁判所はもっといかめしいところと思っていたが、裁判官の雰囲気もとても暖かく、当然のことであるが、より当たり前の人間達であった。ぞろぞろと見学していたときには全く感じなかったが、医師、弁護士、裁判官と別々に分かれて所定の席に着くとそれなりの雰囲気に差を感じた。そのうちで裁判所の事務官達に対しては身なりも動作も無駄が無く洗練されている感じを受けたが、一方では表情はクールでやや融通性を欠くかな?と感じられた。
  人は社会的な生き物と言われるが、人が自分に合った職業を選べるか否かは別にしても、職業そのものが逆に人間性に影響を与えていくものなのだろう、と改めて感じた次第である。



1/13(月)成人の日休日
   晴れ・雷鳴・降雨   珍しく温暖な一日

1:30起床、Vc,Pf のCD等聴きつつ人間ドック処理x2、紹介状.5:40病院着。資料印刷他、事務処理。回診、治療指示簿記入。10:30帰宅、3週間後のHIV関連講演の準備開始.久しぶりにマーラー交響曲5番全曲聴く。12:00家内義理の叔母死去にて火葬、関係者送迎す。火葬場は霊柩車、マイクロバスも3-4台と混雑の様子。秋田県もついに高齢化率25%に達したから今後この状況は数10年続くかも。16:00買い物送迎兼ね病院へ。夕の回診、徐々に重症化2-3名。20:00就寝.
 昨年あたりから成人式は比較的平穏に行われているらしい。気温から言えば珍しいほど温暖な一日。道路は脇に寄せられた雪のみ。3月上旬の雰囲気。

県成人病医療センターのがん告知訴訟最高裁判決に異議あり
 同センターに長年通院していた高齢の患者さんが肺癌と判明した際、主治医が積極的に患者家族に病状を伝えなかったのは問題、と判断された。平成2年の話に昨年9月に最高裁で判決が出た。この判断にこれほどの時間を要したのも理解に苦しむ。
 私は医療は医療側と患者側との共同の営みと思うが、この判決は医師側にだけ義務を押しつけ過ぎている。医師は家族関係迄を調べて適正と判断した家族に告知すべきだったと言うが、家族関係の詳細を客観的に知るには戸籍謄本で調べることが必要であり、第一にプライバシーの保護上でも問題だし、医療上必要があると言えども他人が謄本は見ること自体不可能。その上、家族というのはいろいろ利害関係にがあるもの。親子が実際どんな関係にあるのかは書面などでは知ることなど出来ない。だから、家族に医師側から一方的に何でも告げて良いということにはならない。患者のプライバシーは家族に対してすら守られなければならないのだ。それなのに医師に新たに調査義務、情報収集義務を課した、理解できない判決である。
  この最高裁の判断はかなり問題がある。これは本来、患者本人が家族に相談すべき問題だし、家族が患者の状態を心配して主治医に確かめるべき状態であったが、全然そういうアプローチがされなかった、と言う。このような医療の根幹に関わるような判決に対しては日医も反論すべきである。私は最高裁の判決は最終判断だからどしどし批判して良いと思う。昨年暮れに日医で行われた全国診療情報提供担当理事連絡協議会の席上でも発言したが、日医の顧問弁護士が及び腰で、私の真意は伝わらなかった。


1/12(日)曇り一時晴れ 

1:30起床、今朝はBach 無伴奏Vn Vcの作品聴く。人間ドック処理x2、紹介状、医報原稿校正等.6:40病院着。資料印刷他、事務処理。回診。9:30帰宅、医報原稿校正等続ける.14:00頃やっと終了、Vn小品等練習。15:00-18:00来客。病棟より連絡
5-6回、新入院患者もあり。夕食、若干のBeer泥酔?20:00就寝

 
自伝 中学時代(1958〜61)(6)

地元の中学校に戻る
 中学2年をもってN君と私は岩手中学を中退し、私は乙部中学校に、彼は見前中学校に転校した。彼とは1年後に約束した通り盛岡一高で会った。乙部中学校は自宅から3Kmほど盛岡よりにあり乙部、手代森、大ヶ生の3つの小学校の卒業生が集まり1学年は2クラス構成で74名ほど、そのうち50名ほどが新たに友となった。
 僅か一年間だけだったので大きな思い出はないが、通学時間も少なくなり、校風ものびのびしていて変なしがらみもない環境でのんびりと生活できたのがとても嬉しかった。毎日一緒に寝ているネコが、たまたま私の左腕を枕にいびきをかいて熟睡していて起こすのがとても忍びなくて2時間ほど遅刻した事も何度かあった様な気もする。それでも別に担任の
S先生から叱られるようなこともなかった。



1/11(土)曇りー小雪

2:00起床、今朝もBach  6 Branndenburg concerts聴く。人間ドック処理x2、紹介状、医報原稿校正等.5:40病院着。資料印刷他、事務処理。回診。8:10人間ドック診察x5。9:00人間ドック説明x3.10:35-12:30外来。人間ドック処理x2紹介状、医報用校正。患者家族との面会など。17:00帰宅、Vn小品。20:00就寝淡々と過ごし得た週末の一日。

多くの面で、医療も含めて対立の構造になりやすくなってきた日本
 5日朝に本県沖で故障のため7時間漂流し、応急修理の後自力で秋田港に到着した新日本海フェリーの船内で456人の乗客たちは不安におののいた。当時の現場海域は今冬一番の寒気で風速20m、波は4mを超え船内は手すりに頼らなければ、真っすぐ歩くこともできない状態だった。同社の対応や運賃の払い戻しをめぐり、一部の乗客と乗組員らの押し問答が続き、怒りを爆発させる乗客も少なくなかったらしい。運送約款に基づく払い戻しに納得しない乗客70人余りの乗客が秋田の支店長にかみつき、言い争いにエスカレートし、結局、運賃がかからない小学生未満を除く435人全員に運賃全額を払い戻した、と言う(魁新聞より)。

 私がラジオで漂流のニュースを聞いたとき、県医師会の危機管理担当の立場で何か対応が求められるのかと緊張した。が、先ず船が沖合50Km航行中だったとのことで若干はホッとした。船が強風で流されたとしても座礁とかの危険には10数時間は余裕があるから修理や救助などの時間が持てるからである。結果として応急処置がうまくいって無事秋田港に到着出来たとのことで心から安堵した。しかし、私は直接
現場にいなかったために船長や乗組員の対応等についての実際が解らないので安易に言えないが、何でこのように安易に対立の構造になるのか、実に不思議に思う。しかも、対応のあり方自体を問うのであれば別だが、運賃を全額払い戻すことが主たる論点であり、全額払い戻しで騒ぎが治まったと聞いてがっくり来た。安易な対立構造は教育界、医療界でも見られる風潮である。このようなことは日本で何時から始まったのだろうか。

 今、学校では教師と父兄は対立構造にいる、と表現する関係者が増えてきた。そうなのかもしれない。医療の現場でもわれわれ医療側と患者さんとが一緒になって治療しようという横の関係が、いつの間にか対立構造になって患者さんは向かい側にいるだけでなく、さらに後ろに弁護士の影、慰謝料、賠償金の雰囲気がちらちら見える事もある。

 医療の分野では本来、大きな危険を回避するためには、より小さいと考えられる危険を患者に加えざるを得ない。だから、医師免許がない人が医療行為をやればそれだけで傷害罪に問われる分野である。医療においては不明の要素も大きく、如何に注意していても思いがけない何かが生じる事は希ではないが、そのたびに直ぐにあらぬ方向から声が上がって来る様になってきた。また、そのことが次の判断に影響を及ぼさないとは言えない。実に嘆かわしいと思うこともある。



1/10(金)曇りー小雪 県医師会打ち合わせ  法人理事会 

2:00起床、何年か振りBach  6 Branndenburg concerts聴く。人間ドックx2、紹介状、医報原稿校正等.積雪殆どなし.5:20病院着。資料印刷他、事務処理。回診。9:00人間ドック説明x1.10:35-12:30外来。13:30机上にて多少微睡む。紹介状、医報用校正。16:00-17:00打ち合わせ県医師会、17:30-19:00法人理事会。20:30帰宅.21:00寝.

さあ、みなさん、朝一番は挨拶から始めましょう。挨拶は自身を救い、組織を活性化する
 人はヒトである限り、感情を持つし、好き嫌いもある。落ち込むこともある。どうしようもない閉塞感があることもある。寒くとも暑くともじっと立っている電信柱と我々は違うのだ。特に私も感情的には不安定な方なのだと思う。対人関係の維持に関しても良い方だとは思っていない。むしろ常に逃げの姿勢が自分に自覚することが残念でならないし、人間関係は私のストレスの大部分を占めている。だから交友関係も極めて少ない。病院にで外来、病棟業務を除くとカーテンを閉め、照明を1/2に落とした部屋で黙々と事務処理をこなしている私を「職場の引きこもり人」と称した人もいた。言われてがっくり来るよりそうかなと納得する。

 その自分にとって、病院や医師会、地域の人たちとの関係を何とか維持できているのは挨拶なのだと思う。特に一日ごとに最初にあったときのちょっとした挨拶、あるいはそれに類似したちょっとした仕草の存在は対人関係の維持に必須だと思っており大切にしている。
 我が家では子育ての過程では口酸っぱく朝の挨拶は強要してきた。我が家の家族、関係者達も、どちらかというと対人関係を明るく楽しく維持出来る方の人間とは言えないが、挨拶だけは何とか出来る最小限のマナーを備えているので安心している。

 ことさら丁寧な挨拶は儀礼的なもので不要であるが、職場の中でのちょっとした挨拶は職場の人間関係を維持していく上で、細いけれども重要な価値のあるパイプであり、人間同士のネットワークの基礎なのだ。
 小学生にものを教えるのと同じ事を考えなければならないのは実に残念であるが、互いの挨拶が成り立たない関係が、ここ数年、私の周りに増えてきたように感じる。



1/9(木)終日曇り  療養病床運営小委員会  県医師会委員会   

1:30起床。人間ドックx2、紹介状、総括、医報原稿校正等.5:40Taxi病院着。資料印刷他、事務処理。回診。8:10人間ドック診察x4.昨日以上の混雑が予想で8:35から外来。14:10終了。16:00-17:00療養病床運営小委員会、運用の方向性が見えてきた。18:30秋田県医師会委員会。19:30帰宅、20:30就寝.

秋田県は生活習慣病死者数全国一。この際「成人病医療センター」の名称を変えませんか
 「生活習慣病」は平成8年「生活習慣に着目した疾病対策の基本的方向性について」が厚生省の成人病対策諮問委員会から当時の小泉厚生大臣に意見具申されたことを機に名称として徐々に定着した。加齢に注目した「成人病」に代わって「生活習慣に着目した「生活習慣病」という概念」を導入しようというのが狙いで、当時は臨床医を中心に名称の変更に抵抗もあったと記憶する。「成人病」関連の講演・講話を多数こなし、その都度生活習慣の重要性を強調してきていた私にとっては拠り所が出来て大歓迎であった。

 「生活習慣病」の定義は「食習慣、運動習慣、休養、喫煙、飲酒等の生活習慣が、その発症・進行に関与する疾患群」と規定され、疾患としては成人型糖尿病、肥満、高脂血症、高尿酸血症、循環器疾患、大腸癌、高血圧症、肺扁平上皮癌、慢性気管支炎、肺気腫、アルコール性肝障害、歯周病などである。
 で、秋田県一方秋田県には「成人病医療センター」という名称の医療機関がある。昭和59年登録医制を持つ紹介型病院として開設され、病床数127床(内CCU8床)の病院で、上記の「生活習慣病」その他の疾患に対し先進的医療が行われ、平成12年には地域医療支援病院の名称使用認可も得ている。
 私は、当時から「成人病医療センター」の名称は今後どうなるのかなと興味を持っていたが 、生活習慣病の名称が定着した今も病院の名称変更が論じられたという話題は一切聞こえてこない。

 一方、秋田県は「生活習慣病」による死亡者数全国一である。確かに塩分の摂取量、アルコールの摂取量など、問題の生活習慣がなかなか改善していない現実が存在する。ここで、全国一の汚名返上のために、否、そんな順番なんてどうでも良いのだが、県民の健康を守るために「秋田県生活習慣病医療センター」という名称に変更してはどうだろうか。この名称変更は県民にとってもかなりインパクトが大きく、確実に生活習慣の改善に効果がある、と私は考える。
 全国的にも「◎◎成人病医療センター」の名称の医療機関はたくさんあるが「◎◎生活習慣病医療センター」という名称の医療機関はまだ無い様である。



1/8(水)曇り 寒波ゆるむ 郡市医師会長連絡協議会・新年会

1:30起床。人間ドック再検査報告、紹介状、総括、医報原稿校正等いつもと同じ.4:00頃から担当患者の不調で病棟から電話何度かあり、5:00出勤し回診対応する。混雑が予想されるので8:35から外来に。14:00終了。16:00-17:30第4回郡市医師会長協議会+県医師会理事会、17:30新年宴会「秋田倶楽部」。20:00帰宅、20:30就寝.
    病院では多忙な一日。こんなときは苦手な宴会といえども若干リラックスできていい。が、飲めない私にとっては時間的には長
過ぎる。また、昼抜きなので膳の上の料理が持たない。

政治的ごり押しは犠牲をうむ。 健康食品等への評価や指導も
 台湾では本年1月からスーパーやコンビニェンスストアで使用されるプラステック製バッグや使い捨て容器を有料化する法律が施行される。ゴミの量を30%減らす目標のためだが、これらを生産している業者にとっては死活問題で約5万人の職が失われることになる。先々週首都の台北では関係者による大規模なデモが行なわれた、とミニコミ誌にあった。

 自然の流れを待たず、政治的に社会に新しいルールを急いで敷こうとしたときに必ずあおりを受ける人々がいることも念頭に置かなければならない。難しいものである。

 最近、患者さん達はサプリメントや健康栄養飲料等を持参してこんなものを飲んでいます、食べています。これを用いてから体調がとても良いです・・・と、半ば誇らしげに告げる。それが高額なものほど声が大きい。いま入院中のある患者さんは先日同室の患者さん方となにやら話していたが、見ると手には「カニの甲羅抽出物」「キノコ由来の何とか」「ローヤルゼリー」「・・」「・・」と数種類の瓶が握られていた。それだけで4万円分もあった。この方は年間数10万円の出費らしい。その他良く話題になるのは健康布団、イオンリストバンドなどの大小様々な健康器具である。で、これはどんなものでしょうか・・と聞かれる機会も多い。
 私は全く有用とは思っていないが、害も無いものなら立場上駄目とは言えない。「健康、病気そのものに直接効いているか解らないけど、こころを介しては効いているんじゃないですか。だから・・・」と答えている。非合法的なものでなければ、厳しい競争の中で必死に生きている関連業の方々の生活などのことを考えると、また、患者さん方の、藁にもすがる気持も解らないわけでないだけに、歯切れの悪い返事しかできない。

 医療や健康関係の公告や広報の難しさの由縁でもある。耳障りの良いことはいくらでも言えるが、犠牲になるのは患者さん方である。



1/7(火)曇り  総回診(中止) 医師会打ち合わせ  医局会 市医師会新年宴会(欠)

2:00起床,今朝からまたドック(人間ドック)に追われる毎日。今朝は2名分処理.秋田医報用の原稿一部完成送付。年末年始で3偏仕上げた。ここで中休みし後の2編は次号に回す。その他メール返事など処理。5:40病院着、人間ドック印刷そのほか、回診。8:10ドック3名診察。8:35から午前予約外来開始、大混雑し14:20終了.総回診中止に。あまりにも新入院患者が多くて各主治医が対応に追われているため。16:00-17:00県医師会打ち合わせ。17:30-18:30医局会。院長の年頭の挨拶あり。20:00帰宅、21:10就寝.寒波若干緩む。

私は英会話などからきし駄目
 昨日の話題は言ってみれば語学力のなさの問題でもある。実際、私は英会話などからきし駄目なのに、外来では外国人の患者さんや難しい留学用の診断書の作成のために受診した方を何故か私に回してくる。私は会話は徹底して駄目なんです、実は。・・・と、いくら主任看護師に言っても通用しないのは、日本語も拙いせいなのかなぁ。

 ●大学生の頃、町中で外人に話しかけられたが、市の中心部はどちらの方向ですか??Center of the city・・のCenterがうまく聞き取れず答えられなかった。
 ●20年ほど前カナダのレストランで「水をお願いします」と頼んだら「Oh,yes !!」とクリアに返事したウエイターは山盛りのバターを持ってきた。それを断るのにまた一苦労。
 ●2年前の欧州旅行の際、ウイーンでウイーン国立歌劇場の当日夜のチケットを購入するために私がホテルマンと英語で交渉したが、側でやりとりを聴いていた息子の、親を見る目がその日から確実に変わったような気がする。「買えたから良いじゃないか、ならばお前がやって見ろ」と私は言いたい!!
 ●昨年の今日、外来にオーストラリア人が受診、診療自体は私の片言英語で何とか終了したが、旅行者保険の手続きに関してGive-up、留学経験のある医師に応援を得て何とか解決した・・・とこの日記にも書いていた。

 その他、失敗談はいろいろある。要するに語学力はないけど何とか必要最小限にやってきただけである。ただ2-3日外国にいると、急に話しかけられてもパッと英語で返事が出る様になるから不思議だ。その後は続かないけれど・・。
 最近、留学用の診断書は実に記入が難しくなっている。秋になると何故か私を名指しで希望して受診、おもむろに診断書を差し出す高校生が増えてきた。「中通総合病院の◎◎という先生は断らないで書いてくれるそうだ」・・・と噂がされているらしい。昨年秋のある学生の場合は母子手帳から何から資料を見ながら、母親に確認しながら記入したが、結局2時間もかかった。このような診断書を出されるとその日のスケジュールが狂うのでがっくり来る。(本音では、私も断りたいのだが・・・・・



1/6(月)曇・雪 管理会議(なし) 長副会議

2:00W,院内の委員会の準備,レセプト対応、高額請求患者の症状経過報告書作成。医報掲載原稿の準備など.5:50病院着、積雪は数cmのみで除雪せず。朝のバロックでミサ曲「ノートルダム」聴けた。管理会議は年末年始休暇後なので開催せず。9:00-13:30外来。年末年始休暇中の病棟関連入院20名以上。4人ほど割り当てあり受け持つ。更に2名入院。午後はその対応。16:30-18:15長副会議、懸案事項多数。入院患者対応続き。20:30帰宅、21:00就眠。実に多忙な一日。

マショー作曲:ミサ曲「ノートルダム」。フランスで怒鳴られた話
 今朝出勤時、病院の駐車場に入る直前から車のFMでマショー作曲のミサ曲「ノートルダム」が静かに流れ始めた。この曲は一人でミサ曲全曲を作曲したと言う、従来の慣習を破った最初の曲として知られる名曲である。題名の「ノートルダム」と言うのは「聖母マリア」のことである。高貴(Noble)な女性(Dam)と言う言葉と関係あるのかな??などと考えながら自室でしばらく聴いていたが、そのときに2年前の「ノートルダム」寺院(これも素晴らしかったが)の近くでのレストランでの失敗を思い出した。

 パリの「ノートルダム」寺院の近くにある瀟洒なレストランで、ちょっとワインなどを楽しみながらパリで初日の昼食を摂ったが、出発時間も間近になってきたのでトイレに行った。初老のでっぷり太った女性がトイレ番をしていた。習慣に従い何がしかの小銭をチップとして小皿に乗せてトイレに入ろうとしてノブを握ったら、後ろからそのおばさんが大声で「ダメダメ!!」と言う。ほろ酔い加減であった事もあって最初は何を言われたか理解できなかったが、日本語で「駄目駄目!!」と聞こえたので多分私に言ったのだろうと思って振り返ると、右手の方を指さして「入れ!はいれ!」と言う。「へー、仏蘭西のおばさんは最近は日本語も話すのか、たいしたもんだ」と半ば感心しながら入ったらそこが男性用のトイレであり、無事用を足し、すっきりした。その後ロビーに出て様子を伺っていたが仲間達が出てきても彼女は一切日本語は言わない。先ほど私が間違って入りそうになった部屋からは何人かの女性達が、それこそすっきりした様子で出てきた。要するにそっちは女性のトイレであった。見るとドアの上の方に、実に小さな字で「Damen」と書いてあり、男子用には「Herren」と書いてあった。と言うことは、おばさんは「駄目、駄目!!あっちに入れ!!」と言ったのでなく単に「女用」「男用」とやや大声で私に注意したに過ぎなかったのだ。


1/5(日)一時晴れるも大寒波再来・吹雪 病棟拘束 

 リハビリ当直室にて2:30起床、ため込んだ講演そのほかの画像を処理、総括など。レセプトなど.7:00am青森経由で次男北海道へ無事出発したという。リハ病棟からは全くコール無かったが8:30病院へ戻ろうとしたときに5Fからコール.誤嚥にて呼吸苦の高齢者、日直医来棟まで対応.中通病院に移動し回診、途中で本日病棟拘束に当たっていることを知る。拘束業務。医師会委員会用の原稿完成、医報用の作文に着手。こんな天候の中、急患・急変で呼ばれないことを念じつつ14:00帰宅。パソコン部品修理他しながら脇のCRTとパソコンのUSB出力を用いてDVD「アマデウス」後半楽しむ。なかなかいい音で鳴る。堪能した。16:00吹雪の中長男が盛岡に発つ。病棟から何度か電話連絡あり。家内と娘は街に買い物に出かけた。女とはかくも行動力があるものかと感心する。21:00就寝

  自伝 中学時代(1958〜61)(5)
中学2年の時父親退職。私立中学中退の具体的準備に入る
 中学2年の夏頃、村役場の職員であった父が村長と意見があわずに突然退職した。前の晩、酒の席で何かがあったらしい。過去には乙部村で収入役を勤め、その後合併で都南村となり、一時は都南村役場乙部支所のトップに居たこともあったらしいが、退職時には勤務交代で本所に配置換えになっていた。実際にはそのころには責任あるポストではなく、いろいろ不満が貯まっていたらしい事は酔って帰ってきた時の言動から推定できていた。元来、父はかなり自尊心の強い性格であったために傷つくことも多かったのではないかと思う。さらに、都南村役場本所は自宅から7-8Kmほどのる距離で、一時はバイクも使用していたが何故か再び自転車通勤していたために体力的にしんどかったのであろう。
 理由はさておき、私は将来的には医師になる進路を選んでいただけに父の退職は大きなショックであった。私は我が家の経済状態など殆ど知らなかったが、父は退職金や恩給、さらには先代の祖父耕陽が残した蓄え等で私を進学させても十分に生活できる目論見はそれなりにあったと思われるが、日本が徐々に経済的ゆとりを得ていく一方で、我が家は徐々に経済的基盤が弱まっていくことになった。父は、数年後相場取引に手を出し、結果的に全てを失うことになるが、81歳の死亡時まで悠々自適の生活を送った幸せな男である。
 私は父が退職したころ、岩手中学の生ぬるい学習環境に嫌気がさす一方、そのまま在籍していては医学部への進学は困難ではないかと感じ始めていたことや、前述の環境因子、友人の薦めもあって、心の中では中退し盛岡一高に進学する気持を固めていた。しかし、私を過剰に評価し、期待してくれている担任のS教諭にどう話を切り出すべきか理由が無く困っていた。私は早速父の退職を主たる理由に作り上げ、S教諭に話を切り出した。何度かのやり取りがあったが、経済的事情を前面に出されては為す術はなかったのだろう、秋口には中退が決定したが、この時、S教諭の目から大粒の涙がこぼれ落ち、私は後ろめたさからいたく傷ついた。中学を去ってから一度も会うことはなく、消息もないが、私にとって忘れ得ない教師の一人である。


1/4(土)曇りー雪 午後から寒波再来 仕事始め リハビリ当直

2:00起床、二階の青年たちは4:00頃やっと寝たらしい.年賀状返礼の寒中見舞い若干記載、切り抜き等で比較的のんびり過ごす。6:00出勤、昨日から比較的暖かく大きな道路の圧雪は消失,小路はシャーベットで走行難.回診、レセプト、外来は10:30-13:30と多忙。16:30迄紹介状,講演記録のまとめなど残務処理、17:00にラジカセ,CD,パソコン,業務上の資料等トランクに大量に詰めてリハビリに移動。懸案事項山積み。夜間にかけて大寒波にて新幹線他乱れ始めているらしい.22:30就眠.

仕事始めにあたって
---病院は困難な道を選択した---
 小泉内閣は各方面において機構改革・構造改革を掲げている.言葉だけで実体がないと言われているが,確かに全体的に見たら遅々としていてスローガンだけの政治家にも見えるかもしれない.しかし,この遅々さが良いのだ.彼が掲げた目標が総て現実の物になっていたら日本中はパニック状態になるだろうし,遅々さを批判している勢力は拙速を批判するだろう.反対勢力なんて直接責任を負っていないから夢を語れるのであって,本来勝手なのだ.
  ところが決して遅々としていない分野があるのだ.それは医療や福祉の面での改革である.

 医療に関する改革は,次々と目まぐるしく方策が打ち出され,それらへの対応だけで医療界は戸惑い,希望を失い,働く意欲を喪失しつつある.行き場のない患者,特に高齢者は路頭に迷っている.

 今年は医療機関、特に病院にとっては病床区分の決定を決断するときであり,患者はサラリーマンの窓口での自己負担額は30%になる.国民の健康を維持する視点でも、医療界にとってその影響は計り知れない.
 中通総合病院では療養病床を導入するなど機構上でも大きな変革の年を迎える年である.おそらく当病院の創業以来初めての方向転換である.この転換は決して後退ではない。さらなる発展を期した,寧ろ今よりも苦労を背負う,より困難な道の選択である.しかし,今ひとつその意味が浸透していないように思える.療養病床導入の論議の過程が論じられ,導入後の対応に職員一丸となって立ち向かうという息吹が伝わってこない.上位下達の意識構造は何ら変わっていない.誰かがやってくれるだろうと手を拱いているだけでは何も変わらないし、今以上に事態は悪化していく。
 今,私たちが考えるべきは,導入する療養病床をどう運営するのかではないのだ.それは従たることだ.重要なのは一般病床をどう機能的に運営していくのか,この点が病院としての存続・発展のキーポイントであり,守りから攻めに転じるような発想の転換,実行こそが必要なのである.この点に全職員が目覚めなければ・・・医療内容の後退を余儀なくされる重大な事態になる。



1/3(金)(年始休暇三日目-最終日)晴れ、寒波緩む 

  1:30起床、CDにて種々聴きつつ人間ドック処理x2、新聞スクラップなど。6:30病院へ、回診、人間ドック処理、レセプトほか処理。10:00帰宅。昨夜からの積雪数cmあり除雪機にて2回目の除雪。昨日購入のCDRW動作進めるも理解不能の部分あり頓挫、G4も頻繁にフリーズ。結局本日の物にならず。病院・医師会用の作文少々。年賀状への返礼として用いる寒中見舞いハガキ作成。以降は自室にてVn、CDなど。夕食後NHK-TV New Year Opera Con数曲観る。次男の友人数人来訪、二階で酒盛り。これも恒例化してきた。21;00就眠。

 今日で年末年始休暇修了.この間、受け持ち患者のうち重症の4人は幸い何とか落ち着いている。12/31と1/1が日直、それ以外に病院で過ごした時間も少なくなかったが、日直の二日間は外来応援の時間も長く懸案事項の処理は思ったほど出来ず、新年早々先が思いやられる。明日から通常に戻る。早速リハビリ当直があたっている。

電話は嫌い、されど自ら反省しよう
 私は電話嫌いである。身の毛がよだつほど嫌いである。自宅の電話が鳴っても自分で率先して受話器を取ることはない。業務上では仕方がないと諦めているが、私には直接電話でなく可能な限り院内外のポケットベルで連絡を受けている。携帯は持っているが通常電源は入れていない。そんな事情は私個人だけの問題だから、電話応対の際にはかけて下さった方にこんな気持が伝わらないように心がけているもののまだ不十分なようである。この点は新年を機に更に一層気をつけたい。

 中通総合病院は24時間交換手が対応している。こんな医療機関は滅多にない。多くの医療機関は17時過ぎになると当直事務とが代行するために急用であってもなかなか先方に繋がらない。その点24時間主治医として患者の状態の変化に対応しなければならない医師の立場からみてもとても良い。夜勤帯の交換手の方々の、特に深夜の丁寧な応対には感謝仕切れない。特に、それほど若くもない方々が従事されているだけに心から「ご苦労さま」と言いたい。
 しかし、だからこそ、注文もある。外線を取り継ぐ際にどこからの電話かを告げないで接続の手続きを進め、先方が出る直前に「○○様から電話です」と言う。一方、院内からの呼び出しの際にも何処からの用件であるのか言わないまま接続に入る。病棟の場合は電話を申し込んだ看護師が多忙で電話の側にいないこともあるため相手が出るまで結構時間がかかることもある。さんざん待ってから初めて◎◎病棟からとわかる事も少なくない。これらは拙い対応である。どちらの場合も何処からの連絡であるか最初に言って欲しい。それによって事前に断ることも出来るし、多くの場合は相手先名だけで用件が予想つくために心の準備も出来るからである。

 電話は便利なだけに配慮しなければならない事が多い。私は出来るだけかけないようにしている。そのことが配慮の第一である。受話器の向こう側の対応次第では実に気分が悪くなる。誰も出ない方が遙かに益しであったと思う様なことも少なくない。だから私は嫌いなのだが、第二の配慮としてまず受話器のこちら側の、私自身の対応から改めようと思う。



1/2(木)(年始休暇二日目)曇・降雪・寒波 

  1:30起床、今年の初夢は
人間ドックから解放されるという内容であった。正夢になりそうな予感もしてきた。とはいえ現実は厳しい。 CDにてBach,Beethoven聴きつつ、いつものごとく人間ドック処理x2、つれづれ日記、新聞スクラップなど。6:30病院へ、回診、人間ドック配布文書処理等。9:00帰宅。このころから体調不調、全身倦怠、原因不明の左腕の神経痛様疼痛あり。小さいながら口唇ヘルペスもで始めた。積雪数cm あるも除雪のファイトも沸いてこない。こんな時は寝るに限ると9:00-12:30就寝違和感若干残るもかなり改善。腕の痛みもかなり改善。左肩口に水疱若干。帯状疱疹??腕の痛みはこれで納得。この程度ならそう大事にはならないだろう。
 昨年分の最後の人間ドック3人分処理しすっきりした。病院・医師会用の作文少々。以降は自室にこもりVn、CDなどで休日らしく過ごす。大音量で聴くとこれがまたいい。ミニコンポとは全然違う。夕食後居間のパソコンで初めてDVD再生してみた。映画「アマデウス」、これがなかなか、音まで良い。引き込まれた。しかし、映像に見入ると時間が乏しくなる。惜しみつつ途中で止める。将来的にパソコンで映像や音楽を楽しむ時代が来るのでは??との予感がした。21;00就眠。

過剰包装、発泡スチロールからやっと脱却??
 私のパソコンにはすべて補助補助メディア、バックアップメディアとしてZipが装着されている。現在8台ほど稼働しているが、最初の一台を除き中古品である。そのうち数台が頻用によってか調子が今ひとつとなった。もうこの旧式Zipは手に入らない。最近はデータが一瞬で消失する恐怖感がつきまとっており、バックアップのバックアップをとるなどの工夫で乗り切っている。磁気メディアはその点では不安定な存在である。
 で、買い物に行くという子供達に託してCDR/CDWを購入した。箱を開けて驚いたことは、発泡スチロールが一切用いられておらず、上手に折り曲げられた段ボールによって機器が支えられ、箱の中の大部分は空間であったことである。外箱を含め全部引きちぎったらホンの少量になった。発泡スチロールの場合処理に後々まで処理に困るが、これは良いアイデアである。2週間ほど前に産業廃棄物処理場を見学に行ってから特に過剰包装が気になっていただけにこれには感心した。
 ソニーの場合には2年ほど前から新聞紙由来の緩衝材で機器を守っている。動物好きの娘は社宅暮らしと勤務で実際には何も飼えないので最近犬型ロボットのAIBOを購入したが、超精密機器なのにやはり新聞紙由来の緩衝材が用いられていたという。最近は自動車、家電製品等もリサイクルできる部品の構成比率が上がってきており、やっと廃棄物関連の文化にも変化の兆しが身近になってきている。そうは言っても、贈答品の包装は相変わらず過剰であったし、能代の産廃業者倒産問題とその後の県による処理、岩手・青森の県境に不法投棄された史上最大級の産廃物など、ゴミに関する話題は尽きることはない。廃棄物を出さない文化を早急に育てあげていかなければならない。
 今日はお陰でちょっと良い気分がした。


2003/1/1(水)(年始休暇初日)寒波・曇  午前午後日直二日目

  1:00起床、NHKみんなの歌、ヘンデルVn sonatasなど聴きつつ人間ドック処理x2、一年間の総括。正月も暮れもさほど影響が無いワンパターン生活、7:30迄いつもの如し。7:30日直のために出勤、人間ドック、紹介状、総括、回診等。午前は救急車中心に外来補助20名ほど。まだインフルエンザは少なく、一名のみ確定。午後は応援要請なし。机上を片づけその上で一時午睡。18:00帰宅。忌中のために少ないが年賀状50枚ほどか。20:00アーノンクール指揮・New Year Concert。Weberのワルツから開始された。このコンサートも徐々に様変わりしている。21:00就寝

2003年初日 つれづれ・・
 国際的には、実際には困難かもしれないが、とにかく懸案事項の平和的解決を望みたい。「正しい戦争は無く、まちがった平和もない」と言う言葉は、為政者にとっては苦しい選択でも一般大衆のことを考えると正しい。経済的側面からわが国の経済を概観すれば、自由競争の経済原理のもとでは爛熟した国から停滞し始めるのは当然である。一番生き生き出来るのは発展途上の国々である。だから,わが国も過去の高度成長をなしえた時代の夢を追い求めるでなく、長い将来に向けての発想の転換が必要になる。

 政治家の場合にはどんな偉大な政策を掲げたとしても結果が良くなければ評価されない.ビジネスの世界でも,それが選ばれた最先端の立場のヒトであればあるほど厳しい判断がなされる。しかし,一方、この世の矛盾や不合理はその時々の限られた時間の中での努力の結果だけでは解決されない、息の長い努力を要する事象の方が多い。今、わが国はそんな困難な時代なのだと思う。どんな小さな組織であってもトップは常に緊張を強いられている大変な時代である。しかも解決のための判断や対応に十分な時間さえも与えられていないことも多い。結果的に、承伏できない義憤を胸に抱きながら、第二の人生を歩まされている方達も私の周囲に増えてきた。また、そのことに起因して体調を崩してくる患者さんも確実に増えてきた。そのような方に接したとき、その時の結果だけではなく、その人がその立場が大きく変化したとしても、考えさせられること、学ばされる事が多い。
 我が国では結果をうまく出せなかった人々に対して、まだ周囲の目は欧米に比較すれば優しいといえる.事の成功は単なる才能やひらめきや努力だけでは無い、との視点でそのことまでも含めて評価してくれているからである.この感覚は徐々に希薄になりつつあるが、大事にしていきたいものだ。
 そういう目でヒトを見て行きたい、・・ふと思った正月のつれづれの感想である。


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   年を通じてワンパターンで淡々とした毎日です。AM2:00-5:00にメールチェック・返事送付、人間ドック(人間ドック)判定・報告書作成、新聞切り抜き、病院・医師会業務など。
  月〜土曜は6:00頃出勤、人間ドック報告書印刷、外来書類処理など。病棟回診、人間ドック受診者とミーティングと診察。8:45-14:00外来と人間ドック受診者に結果説明。昼食は摂りません。午後は病院業務・医師会業務、各種委員会等に出席など。20:00頃帰宅。
  日曜・祭日もほぼ同様ですが、病院には午後出かけます。時間的に余裕無いのが悩みです。


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