日記と言うより、自分の行動記録からの抜粋と日々の雑感です。
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2/28(金)曇天、医師会打ち合わせ 法人理事会
2:00起床。人間ドックx2。臨床研修アンケート関連作業中心、事務局に送付.5:40病院着。回診その他、人間ドック関連予定なく比較的余裕出来たので自室の書類整理。10:30-13:00外来。15:30-16:15県医師会打ち合わせ。17:30-19:00法人理事会。Vn21:30就寝.
ちょっとした楽しみが私をささえている(2)
風呂 私は子供の頃から風呂が好き。湯治にいく祖父母に連れられ年に何回か、時には週単位で花巻の温泉に行っていた。温泉では暇だし一日に10数回は入ったものだ。今でもそれに近い。特に夜中、夜明け前に独りで湯船につかるときが最高。昨年風呂を改造したが、広くなり窓も大きくなって閉塞感もなくなった。2:00-5:30までの間、仕事の区切りごとに、多い日には4-5回は入る。と言っても43度に設定しているので長湯はしない。せいぜい数分。自分でステレオもつけた。これがなかなかいい音で鳴る。ヴァイオリン、チェロの小品や室内楽を鳴らしながら入るが、一曲も終わらないうちにのぼせてあがる。「烏の行水みたい」と言われているが、カラスはどんな入り方するのか私は知らない。日曜日は朝からポッチャン、ポッチャンと何回も・・・。とにかく私は風呂が大好き、ストレス解消に良い。
ヴァイオリンなど 自宅の居間は今は仕事場を兼ねているが、机の脇にはヴァイオリンがケースを閉めることなく無造作におかれている。かなり古くて老衰に近い状態の楽器だから、こんな使い方で良いのかと思うが、きちんと大事にしまい込んで弾く頻度が少なくなるよりは良いはずだ、主役は自分だ・・等とへ理屈をつけてほったらかしている。帰宅後のちょっとした時間、夜中も時には弾く。良い音楽を聴くと無性に弾きたくなる。出てくる音の落差に唖然とするが、自分の下手さ加減は今始まったことでないし慣れているから私にはストレスにならない。ネコは側で嫌な顔をする。正直だね,動物は。私は下手ながらヴィオラもチェロも何とか弾ける。
お茶 「コーヒーがぶ飲み人間」の私は、お茶は殆ど自宅以外では飲まない。出されるお茶は何であんなにうすいのか! 私は茶碗の底の見える様な薄いお茶は嫌。ヘドロの様な濃い茶を楽しむ。コーヒーと同様に時には具合悪くなる。月に1Kgほど飲んでいるんじゃないかな。ほぼ中毒に近い。何しろヨチヨチ歩きの頃、お茶ののみながら歩いていて転び、顔に大怪我したくらいだから年季が入っている。
製本 最近、実に書類が多い。早め早めに整理しないと何がなんだか解らなくなる。これを整えて針金で綴じ、古いカレンダーを利用して表紙を作り製本する。これがまた楽しい、時間があれば目録をパソコンに入力し、検索をかけられるようにする。昔、自分の作品、論文集などを毎年業者で製本していたが、内容の割に高額で自分で始めたもの。私は自分で言うのも何だが、意外といい技術を持っていると思う。破損した本の修理、病院のカルテの更新、修理にも役立っている。
2/27(木)晴れ→曇→降雪など、県医師会モニター会議 病棟再編委員会(欠)
2:00W。人間ドックx2。紹介状、返事等書類書き中心.家内も患者急変で同時に出勤。5:40病院着。回診その他、9:00-13:00外来。15:30-19:00県医師会モニター会議+懇親会、話題は「医師会の禁煙運動」、「非雇用者窓口3割負担」と比較的身近な話。病棟診療部会議は欠席。軽く飲んだので病院で人間ドックx1他処理して醒まし20:40帰宅、今夜は冷える。21:00就寝.
なんか変だ ! 県が税金で航空会社に2億5900万円支援
地元紙によると秋田県を始め自治体が02年度に航空会社に22億円を支援したことが共同通信社の調査で分かった。運賃助成やPR活動なども含めると、自治体の支出は37空港で総額約31億円ほどとなる。
支援は宮崎空港に次いで秋田(2億5900万円)、福島の順に多い。02年度の秋田県の支援費は、着陸料軽減6600万円、夜間駐機補助6950万円、家賃補助6081万円、その他6231万円。利用促進策の支援費は1億1100万円。02年度は秋田への団体旅行を企画した韓国旅行会社などに約2000万円を補助。昨年10月末にPRのため約3000万円で花火を打ち上げた。
確かに、秋田空港は最近とみに便利になってきている。その背景には上記のような支援があるため。しかし、何か変だ。すっきりしないものを感じる。交通手段の維持は公的事業だから、と言う論旨なのだろう。宮崎空港は今年に限った特別の支出であるから、秋田県は恒常的支出をしては全国一である。
ここで医療に目を転じてみると県は日赤や厚生連病院に多額の補助を行っているが、地道な医療活動、救急医療とかを行っている一般の私的医療機関には一切の補助を出していない。私的機関に税金を用いないと言う。医療は公共ではないのだろうか。
航空各社と言っても秋田への乗り入れは3社しかない。一方この会社は客の確保のために値下げ合戦が盛んである。本来なら各社が負担しなければならない経費を税金で補助してもらっていながら・・と不快になる。多くの県民はこの実態を知らないし、秋田空港を発着する各会社が順調だからサービスも良くなり、便数も増えていると思っている。しかし、高額の税金が投入された結果であることをどう考えるのだろうか。
便宜を図る必要性を否定するつもりはないが、会社でなく利用する乗客を対象に補助してはどうか
2/26(水)降雪 小寒波
家内当直。2:50W。さすがに寝不足状態。人間ドック等処理.6:00出勤、そのころから降雪。BF MC弁当。9:00-13:00混雑せず。年末年始の影響。13:30人間ドック説明1名。午後に大きな予定はなく若干余裕。机上の未整理書類かなり処理、19:00回診。20:30帰宅、日中かなりの降雪があったのだろう、道路はシャーベット状態 21:00就寝。
医師が看護師資格を得て出稼ぎに。フィリピン医療事情
先にアロヨ大統領が来日した際に、自国の看護師は優秀であり、看護師が不足している日本でもぜひフィリピンの看護師を採用して欲しい旨発言して話題になったが、ちょっとした機会があったので調べてみた。
フィリピンは国民の約一割が海外で働いている出稼ぎ国家である。日本ではどちらかというと夜の遊興街で働いている若い女性が多いので、フィリピンの労働者というとそういったイメージしかないが、フィリピン人は英語への抵抗もなく、まじめな働きぶりが評価されそれぞれの地域、特に欧米で確固たる地位を確立している。
フィリピンの看護師は欧米での需要が非常に高い。最近、医師がわざわざ看護師資格を得て看護師として海外に流出し始めており、国内では将来の医師不足が懸念されている。 わが国の事情からは、あるいは常識的には考え難いが、国内で医師として働くよりも海外で看護師として働く方がはるかに高収入なのがその理由。国内の医師の平均給与が月額約5万ベソ(日本円で11万円)なのに対して、例えば米国で看護師として働く場合7-10万ペソ(15-22万円)になるという。医師は半分の2年の就学で看護学校を終了できるのも理由の一つ。
フィリピンでは医師の給与の引き上げなどで流出に歯止めをかけようとしているらしいが国内の経済の不振から簡単に行きそうにない。因みに2000年現在でフィリピンの医師数は123人/10万人(日本は193人、米国は279人)となっている。
わが国では看護師の仕事は3K,7K・・などとされどちらかというと敬遠されがちであり、しかも若い看護師には大病院志向が強い。最近の経済事情から社会人が準看護師養成校に進学し再出発するケースが増えているが、それでも診療所や地方の医療機関では不足でありアロヨ大統領が目をつけたのもむべなるかなである。日本への看護師売り込みは資格と言葉に大きなハードルがあり、当面は具体化することはないと思うが、話題になり始めた意義は小さくない。
2/25(火)超快晴 総回診(欠) NHK講演「困った頭痛、危ない頭痛」医師会打ち合わせ 医局MC「医療の安全対策について」
2:00起床、人間ドックx2、紹介状2x1.講演準備。5:20Taxi 病院着、8:10人間ドック診察x4、9:00-12:30外来.14:00-15:200NHK講演「困った頭痛、危ない頭痛」。産業医の出番は何故か無く私が3年連続担当している。従って、病棟総回診は欠。帰路県医師会に寄りうち合わせ。ここ数日の大きな懸案は無し。20:00夜の回診後帰宅、呼吸器装着の重症者やや不調。20:45患者心肺停止との連絡、再出勤、死亡確認.23:00見送り後帰宅 23;30S.
ちょっとした楽しみが私をささえている
最近は本当に時間がない。睡眠+αの時間をのぞくと、殆ど何かの業務をしている。我ながらよくまあこんな生活をワンパターンでやっていけるものだ。いつまで続くのか、と、フッと思うこともないわけではない。
本日NHKで頭痛の講演をしてきたが、特に頭痛とストレス、とりわけ職場の業務上のストレス、人間関係のストレスなどが大きな誘因になっていることを強調した構成とした。
構成を進めていく過程で、自分のことを振り返ってみると、何故か肩こり、頭痛とはほぼ無縁であることに改めて気づいた。
そう言いながら自分の生活、仕事ぶりを見ると、その中に結構ちょっとした楽しみを取り入れ、見いだしながら、時にはダラダラと気を抜きつつ、けじめ無く仕事しているから、あまりストレスを感じることなく業務をこなしているからなのかも知れない。
FM、CDなど 医局の自室、自宅の居間にはミニステレオ、ラジカセ、CD etc音楽を聴く道具が複数用意してあり、その時の状況で使い分ける。音楽を聴かずに仕事をすることは珍しい。特に医局では出勤時から帰宅までFM放送は殆どつけっぱなし。歌謡曲あり、民謡あり・・・と楽しみはつきない。自分の蒐集した偏ったジャンルにこだわらないで何でも聴けるのが良い。歌謡曲など、3分間のドラマだと思う。時には25枚のオートチェンジャーでCDのベートーヴェン弦楽四重奏などを鳴らし続ける。退屈であっても中座できない、例えば産業医等の講演会等ではポケットラジオでFMを聴きながら・・と言う不遜なこともやっている。周りの人は補聴器かと思うらしい。
徒然日記 一日数回ちょっとした時間を見つけては書き足していく。好き勝手なことを殆ど遠慮なく書けるのがとても良い。
コーヒー 出勤するとまず医局でコーヒーを淹れて楽しむ。次は外来終了時、18:00頃も淹れることがある。すごく濃厚なのを淹れる。「泥のようなコーヒー」「恐怖のコーヒー」などと評されているらしい。(一度折角淹れた珈琲を捨てられたことも・・・)確かに自分でも飲んで具合が悪くなることもあるが、これがまたやめられない。ほぼ中毒に近い。
2/24(月)曇り-晴れ 長副会議 県医師会と秋田大学医学部との懇談会
2:00起床、人間ドック他、大学との懇談会話題資料準備、各種書類記入処理.5:50医師会に書類届け病院着。回診他、8:00管理会議.9:00-13:30外来。13:30人間ドック説明。16:30-17:30 長副会議、中座し18:00-20:45ViewH医師会と医学部との懇談会+懇親会.21:00帰宅21:30就寝。
県内の卒後研修は秋大が中心に??(2)大学病院における卒後臨床研修の到達点は何か
研修の基本の場として,大学病院を中心に設定した時,果たして,十分な研修が出来るのか疑問を感じる.今回、何故に卒後研修が必修化になったのかを考えてみたときに,従来の卒後研修の多くが大学病院でなされてきたことから派生した問題点が、主たる要因でなかったのか.
また、大学は今ですら卒前教育、臨床、研究の三本の柱を担っており、今ですら余裕はないはずである。従来の如く、直接各診療科への入局であればそれほど研修に対してシステマチックでなくても、先輩医師との持ちつ持たれつの関係の中で徐々に臨床力がついて行くことを研修医本人も周囲もそれなりに容認してきており特に問題はなかったと考えられる。しかし、必修化のたカリキュラムのもとでの臨床研修を十分させるだけの時間的に、人的に,経済的に余裕があるのだろうか.しかも、国立大学法人化の動きも取りざたされ、マンパワーは従来ほどは余裕を持てなくなる事が予想されており、実際には厳しい現実を迎えるのではないかと思われる。
もちろん大学は今回の研修問題に対して十分な検討を続けてきたとは思うが,研修必修化の柱として挙げられている,
に関してどのような方針をもっているのか、まだ詳細は発表されていないが、外から予想するに良いアイデアにあふれているようには見えてこない。
- 医師としての人格の涵養
- プライマイーケアへの理解、全人的診療医としての能力の収得
- アルバイトせずに研修に専念できる環境、
これらの柱のうち前二者は,研修医が自らの眼で,手で,頭で,心で,病み悩める患者,家族の姿を診る事によって,さらに日本の医療の実体を身をもって体験することからしか生まれてこないと思う.その意味では大学病院が担っている臨床分野は初期研修には必ずしも十分とは言えない.第三点については,生活に必要な最小限の収入が補償されなければならない.その人件費は今のところ研修担当医療機関の診療費用から捻出する方向にあるが,大学病院,あるいは厚労省はこれだけの人件費をどう捻出するのだろうか.平成16年度からの制度というのにこの点がまだ不明瞭というのは、国の怠慢である。
2/23(日)晴れ。
1:30リハビリ当直室W、人間ドック総括、再検査報告文、など種々。モニター会議校正終了。大学との懇談会の質問とシンポジウムの準備など.8:15病院への移動間際に病棟より急変患者と連絡あり診察。8:30-10:30病院にて残務消化、人間ドック etc処理。11:00帰宅、Vn etc。家内は患者急変で出勤。12:00-14:00午睡。熱帯魚水槽掃除。プレコの引越し。以降チンタラと人間ドック等の病院業務処理。最近休日は多少の余裕はあるが、暇は全く無いのが悩み。21:00就寝。
自伝 高校・浪人時代(1961〜64)(3)
校歌は今でも歌えないことはないが、些か怪しい。さすがにメロディは絶対に忘れないが、歌詞は極端に難しく意味などおぼろげにしか解らない。下に参考までに校歌を載せたが歌詞をそのままで読める方は殆ど居ないだろう。まして、これを含めて12曲も一日で暗記してこいと言う方が異常である。校歌・応援歌練習の時に何回かはプリント持参でも何ら練習効果には変わりはないはずだ。
●校歌
一部の方々の間では有名な校歌である。歌詞はオリジナルだが,曲はいわゆる「軍艦マーチ」。厳しいGHQの監視を何とかすり抜けたらしい。校名を示す句が一つも入っていないというのも校歌としては珍しいという。
1. 世に謳はれし浩然の 大気をここに鍾めたる
秀麗高き岩手山 清流長き北上や
山河自然の化を享けて 汚れはしらぬ白堊城
2. 明治十三春なかば 礎堅くたたまれて
星霜ここに幾かへり 徽章の松の色映えて
覇者の誉れは日に月に 世に響くこそ嬉しけれ
3. 忠実自彊の旗高く 文武の海にわたる日の
久遠の影を身に浴びて 理想の船路一筋に
雄々しく進む一千の 健児の姿君見ずや
4. 振えや杜陵の健男児 海陸四方幾万里
巉峭峙つ起伏の岨 澎湃寄する激浪の
其処奮闘の活舞台 其処邁進の大天地
昭和43年、私が卒業して4年目頃、久々に甲子園出場を果たした盛岡一高野球部は名門校である津久見高校、簑島高校を破り準々決勝まで進出し校歌が2回演奏された。TVで観ていたが、演奏開始と共に甲子園が一瞬で静まりかえり、アナウンサー、解説者も絶句し、校歌の最後まで不思議な雰囲気になったことが思い出される。観客にとって、TV・ラジオで聴いていた全ての人にとって、この校歌のメロディ、画面に映し出された歌詞はよほどショックであったと思う。今でも、時に甲子園野球大会で校歌が演奏される放送を垣間見ることはあるが、あれだけの静寂の中、校歌が流された事は無いように私には思える。
2/22(土)曇天 リハビリ当直
1:30W.人間ドック他、公的書類処理種々.医報校正続き、徒然、紹介状。6:00病院、臨床研修必修問題検討、徒然のまとめ作成。総括予稿。8;10人間ドック診察4名,9;00人間ドック説明2名,10:30-13:30外来。14:00患者家族と面会、15;00-16;30回診,ICU患者一般病棟へ移動.17:00リハビリ病院に移動当直に就く。医報校正,総括継続・・・.21;00S.
県内の卒後研修は秋大が中心に??本当に実のある研修は可能なのか(1)
明後日夕方から秋田大学医学部との懇談会が開催される.その話題の一つとして卒後臨床研修必修化の問題を県医師会の方から話題を提供する予定である.
卒後臨床研修問題に対して大学から県医師会には一切情報提供もなく情報不足である.秋大は1/10に県内の病院院長を集め「秋田大学医学部と教育関連病院との懇談会」を開催した.また,2月上旬には大学は県内の病院にアンケートを配布した.医師会としてはその資料から情報を得るしかなかった.資料から見る限り,秋大では県医師会には特別の働きを期待していないようであるが,医師会にとっては卒後研修問題のあり方は将来会員になるであろう医師の資質にも影響するのみならず,研修体制のあり方によっては県内の医師体制,すなわち地域医療の供給体制にも大きな影響を持つことから決して無関心ではいられない.
県内の卒後研修事情は,単独で臨床研修をおこなうことが出来る病院も2,3はあるが,総合的に診ても力不足は否めない.資料を見ると秋大が広く責任を持って卒後臨床研修を担うという意気込みと計画を感じられる.秋大での不足分を補うために県内の病院に対して協力型病院として参加を求めている.しかし,研修のローテーション例を見る限り一年目秋大、二年目関連病院というふうに基本的には大学に研修医を多く留めておく計画になっているように見える.協力型病院として参加の求めは,秋大の収容人数の配分の問題でなかろうか.計画の本音は真に良い卒後研修のためなのかという疑問が感じられないわけではない.
2/21(金)晴れ 医師会打ち合わせ
23:10病棟より電話。そのまま起床、人間ドック他開始するも、寝不足にて体調不良。時計見間違い。0:30-2:00仮眠とる。人間ドック、医報校正、徒然、紹介状。5:20病院、6:30患者家族と面会病状説明。臨床研修必修問題検討、紹介状作成。総括予稿。10:30-12:30外来。14:00-15:00生命保険会社、金融関連、老健施設関連の来客数名。16:00-17:00医師会打ち合わせ。19:30レガシーワゴン車検終了、代車返還のため早めに帰宅。21:00就寝。
「月の砂漠をはるばると・・」と「サロメ」の場面
ここ数日は秋田は珍しく快晴であった。昼は部屋に引きこもっていることが多いので天候のことはあまり意識しないが、朝5:30頃、夕の20:00頃の通勤時の空と満月の美しさ、特に、放射冷却の寒気を感じながら観る早朝の満月の美しさは、特筆ものである。勿論、夕の満月も良いが、朝の満月は、更に素晴らしい。
空は全体に紺青、あくまでも澄んで、深く吸い込まれそうな雰囲気。東の空だけが僅かに黄色く色付いている。放射冷却が著しい朝は、雲一つ無く・・というのは希で、大抵は遠くの山並みには黒雲がかかっている。朝の満月は西の空にあるが位置的にはまだ高い。夕の満月と異なり、その色は白く、輝きは強烈である。月に照らされた地面は残雪やうっすらと積もった雪と相まって一層冷たい雰囲気である。山並みの木々、民家の屋根、遠くのビルは全て黒のシルエット。最高の組み合わせだ。出勤は、朝には南に向かい夜は北に向かうから、車であっても窓から十分楽しめる。ここ数日はガラスを通さないで味わいたいと思い窓を全開にして走った。窓からの寒気が身と心をを引き締めてくれる。
こんな朝はいろいろな音楽が頭をよぎる。だから、ラジオ放送の名曲も邪魔、スイッチを切る。大好きな曲の一つであるR・シュトラウスの歌劇「サロメ」の場面、音楽が浮かんでくる。目の前でオペラが、開始の曲が今にも始まるようだ。「月の砂漠」も浮かんでくる。季節も、場所的にも全く異なっているが、浮かんでくる。これは何ともならない。小声で歌いながら、月を観ながらゆっくり走る。オッともう病院に着いてしまった。
2/20(木)快晴、医局会 病棟再編委員会
1:30W,人間ドック,紹介状、徒然.5:30病院着、担当患者2名ほど不調、対応他。9:00-13:30外来、予約外も多く混。13:40-14:00医局会。15:00来客。16:00-17:30病棟再編委員会、案は結構煮詰まり最終案提示まで.20:20帰宅、夕食21:00就眠.
政治家は国民の健康よりは選挙の票が大事
一昨日、長野県の田中知事と鴻池規制緩和特区担当大臣との対話がTVで放送された。直接は見れなかったが理事会の席で何人かの理事者ら内容を聞いた。その際、二人はサラリーマンの医療費の窓口負担が4月から3割に増額になることを話題にし、医師会等が強く反対していることに触れた。その中で「医師会はどんなに反対してもたかだか会員数は15万人に過ぎないから・・・気にすることなどはない」などと話したという。
医師会他は、政府の医療制度改革案が国民の健康を守ると言う視点を欠き、単に経済面からだけ辻褄を合わせようとする改革案だから容認できずに行動を起こしているのだ。
医師会会員数は15万人に過ぎない・・との発言は、日本の医療がこれら会員を中心とする医師、医療関係者のたゆまぬ努力によって支えられ、健康寿命世界一達成にも大きく寄与していることと、そのような関係者、団体が「これ以上改悪されれば、国民の健康を守れない」という視点から反対していると言う意味を全く考慮に入れず、僅か15万人ほどの小さな団体の反対運動と矮小化していることに問題がある。
彼らには医師会等の医療団体は国民の健康や医療を守っている専門家集団という認識ではなく、たかだか15万票程度しか擁していない小集団としか見てないとすれば、彼らには医療や国民の健康を論ずる能力はないし、その資格もないと言わざるを得ない。
だから、われわれは単に診療の現場でベストを尽くすだけではなく、常に政治の行方に注目し、医療行政が誤った方向に進む事がないように関心を持ち続けていかなければならないのだ。
2/19(水)快晴 県共産党訪館+理事会+医療廃棄物処理検討委員会
1:30起床、人間ドック総括1名分、4:00代議員会決議文完成、理事会メーリングリスト通じて送付。徒然、5:10出勤.回診他、9:00-13:30外来。13:30-14:00人間ドック説明2名、15:30-16:15県共産党訪館し会長と面談、同席す。被雇用者3割負担問題中心に。共産党は全国的に医療関係団体との対話を進める方針をとっているらしい。16:30-18:30医師会理事会。決議文も検討された。18:30-19:45医師会医療廃棄物処理検討委員会。20:00回診など、20:45帰宅 21:15就寝。自室で座する時間ほとんど無いほど多忙な一日。
濡れた路面、スタッドレスタイヤは危険
家内が公営駐車場内で車内にキーを忘れJAFの世話になり、そのまま会員登録したので時々に機関誌が送られてくる。今回号の特集の一つにスタッドレスタイヤの機能上の問題点が掲載されていた。
新品タイヤを履かせての雪のない路面での走行テスト結果がデータとしてあげられている。ブレーキ性能、耐コーナリング性能に関してはノーマルタイヤとの間にかなり性能に開きが示されている。特に濡れた道路における制動距離の差は顕著で、オーバーに言えば1:2ほどの差があるようである。これは冬期間に雪のない、濡れた道路での走行時に注意が必要なことを示しており、雪のない道路でスタッドレスは機能的に劣るので要注意と結論していた。
私は車は雨露を防げてそこそこ安全に走れればいいと割り切っているので経費もそれほどかけていない。それでも雪道のスリップにはやや神経質で、比較的性能のいいスタッドレスタイヤを選んで適宜交換しているが、同じ発想は夏タイヤには持っておらず次々とたまっていくものだから古いタイヤをそのまま夏に履かせている。スタッドレスのノーマル代わりの使用の問題は若干認識してはいたが、これほどの差があるものと思っていなかったので正直驚いた。
上記のデータは新品タイヤのテストである。従って、古いスタッドレスを夏タイヤ代わりにしている私はかなり危険な状況下で走っていることになるが、といっても毎年のようにタイヤを買い換えるのも環境を考えても無駄である。パニックブレーキを必要とするような状況を作らないこと、スピードを出さないことを旨として走ることでタイヤの機能を補佐しなければならないようである。ところで、私だけでも交換後のタイヤの処分には気を遣うが、全国的に、世界的に見た場合の古タイヤの処分はどうなっているのだろうか?
2/18(火)晴れ 総回診 医師会打ち合わせ 医局カンファ
1:30起床、人間ドック他、明日理事会に提起する決議文着手。徒然、5:10出勤.回診他、8:00人間ドック診察3名, 9:00-13:30外来。ICU入院あり。13:30-14:00人間ドック説明2名、14:15-15:15総回診に。16:00-17:00医師会打ち合わせ。20:20帰宅、21:00就寝。
インフルエンザ猛威、昨年と異なる医療事情、患者の受診姿勢
昨年に比し今年のインフルエンザは猛威をふるっている。数年前の大流行と同じ程度かと推定される。秋田でも小児、青年層を中心に患者が増加し,休校措置をとる学校も増えている。今年の特徴の一つは感染者数の増加が急峻な立ち上がりを示していること、九州・関西地区などいつもならもう既に終焉に向かうはずの地域でまだだらだらと感染が続いていること、B型の流行も同時に生じている事などがあげられる。
ワクチンは徐々に普及し接種者は確実に増えている。しかし、生産用も確実に増加し畳めに昨年まで話題になったワクチン不足とのニュースはなかった。この点はとても良かった。
しかし、今年は確定診断用の迅速キット、特効薬の一つであるタミフルが全国的に不足し一大ニュースになった。マスコミも取り上げているが、記述に正確さを欠くために患者の一部がパニック状態になっている。
医師が確定診断のために検査する頻度が増えたこと、インフルエンザと診断がついたときにほぼ全例に特効薬を処方していることが原因である。加えて今年の流行が地域ごとに集中せず全国的であることが供給不足の因になっている。患者が迅速診断と特効薬の処方を求めて来院する頻度も増えてきていることも影響しているだろう。
私は新患外来を担当しておらないためにインフルエンザ疑いの患者に接することは少ないが、内科の外来は連日であることから少なくとも成人例で100人以上は診ているであろう。しかし、迅速診断を行ったのは数例に過ぎず、タミフルの処方は重症の糖尿病例と受験を間近にひかえた学生の2例のみである。これだけ流行すると診断にはさほど困らないし、全身状態がそれほど悪くなければ一般的な対症療法で自然に治るからである。
私は、医療において何でもベストであることは必ずしも不要と思っている。特に自然治癒が期待できる感染症、特にウイルス感染症の場合、さらに日常健康に過ごしているは方の場合は尚更である。相対的にベターであればいいと思っている。この辺は多くの医師とはいささか違っているかもしれないが間違った考えだとは思っていない。
2/17(月)曇り 管理会議 長副会議
1:00起床、人間ドック他、医療モニター会議校正に手間取る。約1/2に短縮。各種書類記入処理.徒然、講演準備若干、5:10出勤.回診他、8:00管理会議, 9:00-13:20外来。月曜にしては超混雑、内科200名以上。総括原稿作成。14:00療養病床の薬品の意見交換。16:30-18:20長副会議、予算他懸案事項。モニター会議校正終了、送付。20:20帰宅、21:00就寝。
池田理代子著 「寝てもさめても猫三昧」主婦と生活社
これは実にバカらしい超猫バカのエッセイ集。寝る間もなく一気に読めた。私はそれほど猫が好きではないが猫に世話になった身、恩を感じているから猫に無関心ではない。でも、あまり猫に関したエッセイ等は読まない。内容が自己満足的すぎて生ぬるくて耐え難いからである。これはたまたま書店のレジ脇に積み上げていたのを発作的に購入した。そして、その超バカさかげんに恥ずかしながら引き込まれてしまった。
著者は「ベルサイユの薔薇」の作者。47歳で東京音楽大学声楽科に入学、劇作家、作家、ソプラノ歌手としても活躍している。だから、あの「ベル薔薇」雰囲気の猫エッセイが面々と続く。「ああ、愛しの、愛しのお猫さま・・・」調である。
以下は一部。雰囲気だけは解ると思う。全編この調子で貫かれているから逆に痛快でもある。
『この世であなた様方ほど、私の心を捕らえ和ませ幸福を与えてくれる存在があるでしょうか。
私は、もう随喜の涙を流しつつお食事のお世話をさせていただき、お手洗いのお世話をさせていただき、お風呂にもお入れし、毛を梳かせていただき、噛みつかれようが引っ掻かれようが寛大な心をもってお許し申し上げ、その挙げ句に全然顧みられなくてもそれはそれで仕方ないとつれない仕打ちに甘んじ、たまに一声でも掛けて頂こうものなら身をくねらせて歓喜し、さらに膝にでも乗って来られようものなら仕事のすべて放擲して幸福に酔い痴れてしまうので御座います。締め切りも編集者も、あなたさまの前にはものの数でもございません。』
もうここまで来れば私は何も申せません。ただ、著者に脱帽するのみで御座います。・・・作者の口調が私にうつってしまったよ。茶の間に置いていたら家族や客人も手にとって読んでいたね。
ネコ馬鹿のヒトに、のみならず人生の目標を失って生き方を迷っているヒトは必読である
2/16(日)曇-晴れ
2:00W、ブルックナーNo9交響曲2種、レーグナー、朝比奈盤連続聴きつつ、人間ドック判定1名分、講演用の画像取り込み、医報モニター会議校正作業、昨日の出張の報告書作成など種々。11:30-13:30ちょっと寝のつもりが熟睡.14:30-20:00病院、FMブルックナーNo3交響曲etc聴きつつ人間ドック等の業務.今日もだらだらと残務処理の一日であった。21:00就寝。
自伝 高校・浪人時代(1961〜64)(2)
入学式、応援歌練習に度胆抜かれる。
入学式自体は県立高校として先ず当たり前のものであっただろう。来賓の祝辞が長くて疲れた。クラス別のミーティングの終わり頃、バンカラスタイルの応援団が入ってきて校歌や応援歌が書かれたガリ版刷りの紙を渡された。12曲ほど、ほぼ全部4番まであるので膨大な量である。これを明日までに暗記してこいと言う。私はざっと読んだがとても暗記なんて出来るモンでない。校歌ぐらいでやめといたが、これが超難解な歌詞でとても覚えられる代物でなかった。
翌日から昼休みに新入生は体育館に集められ、厳しい応援歌練習が始まった。プリント持参など認められず、新入生数人ごとに2年3年生が脇に立つ。自信を持って歌えるほどには暗記できていないから当然声が小さくなるが、その度に脇の上級生がわめきちらす。彼らの目は異様な光を帯びていたね、病的な・・。10分歌わせられては10分ほど正座させられ応援団の説教を聴く。体育館の壁際にも大勢の先輩諸氏が居てわめきちらす。怒号の中の練習、そんな練習が10日間ほど続いた。
今思い出すのも嫌な体験であったが、これが数10年も続いた伝統行事とのことで何を言っても通用しない。こういうときには従順に従うに限る、と割り切るしかない。この応援歌練習には嫌悪感を抱き続け、私は2年3年の時には一度も参加しなかった。それがせめてもの意思表示であった。
最近ある情報筋(!?)から応援歌練習が未だに続いているとの噂を聞いた。多分様変わりはしているとは思うが、馬鹿な行事だ。
(次回は風変わりな校歌について書く予定)
2/15(土)秋田曇後晴れ 仙台快晴 東北医連理事・代表者合同会議+日医役員との意見交換会
1:30W、人間ドックx1、徒然、講演準備、5:10出勤、積雪3-4cm、除雪不要.回診他出張前の準備。8:10人間ドック診察5名、9:00人間ドック説明2名, 10:56-13:20こまちで仙台.14:00東北医連理事・代表者合同会議。次年度予算検討中心、15:00-17:00日医役員と東北医連の意見交換会。17:38-20:00こまち、重症者回診に病院へ、21:30帰宅、22:00就寝。
記録をつける理由は?、何時書くか?、何時更新するか?
私がいつも時間的余裕がない、寝不足だ・・と言っている一方でこのページが連日更新されている事に疑問を持つ方もいるようで時に質問を受ける。中にはこの為に時間が無くなっているのでは?と思っている方もおられるようなので質問に答える代わりに簡単にまとめてみました。
「何故記録をつける?」何故か私は過去に警察の職務質問を3回受けた。3回目はアリバイ調査で「10日前の2日間、夕から夜にかけて何処で何をしていた?」と厳しく尋ねられたが十分には答えられず、連行されるかもしれない、との恐怖を味わった。この時から生活記録を付けている.幸いその後は職質はない。
「何時書くか?」は、毎朝4:30頃にド?等の病院の残業、医師会業務等を一段落させ、30分ほどで一気に書き上げ、メールで送り、それから出勤する。勿論ゼロからでは30分では到底無理だが、その素材となる文章は既に10数回分が中途半端な形に出来てパソコンに入っているので、適宜選んで加筆するだけ。その素材は、例えば外来で緊急検査結果待ちのために時間が生じた時、患者さんが途切れたとき、等のように業務の合間にちょっと時間が出来たときにメモをとったり、パソコンで加筆している。今日のように新幹線での移動時間などはそのためにはとても良い時間だ。
「何時更新するのか?」については、私は知識がない。私はデータを送るのみで、お願いしている管理人に100%任せている。管理人の都合で更新が滞ることもある。
私にとって毎日の小文は時間に追われながら無理して書いていると言うより、むしろホッとした息抜きの時間なのだ。
2/14(金)曇りー降雪 寒波再来 県医師会打ち合わせ 法人理事会
1:30W、家内帰宅と一致。人間ドックx1、出張報告書作成。医師会担当の次年度事業計画案など検討、5:30Taxi出勤、積雪5-6cm、除雪はさぼり.回診他。9:00人間ドック説明2名, 広報関連懸案事項種々調整。10:30-13:00外来新患補助+人間ドック説明x1.次年度予算検討、15:00-16:00県医師会打ち合わせ。16:30某医師と面談、17:30-19:20法人理事会、20:30帰宅、21:30就寝。
「死人に口あり」。遺族へのカルテの開示に関して
日本医師会は遺族への開示を認めない従来の指針を改正し、本年1月から一定の手続きのもとに遺族にも情報の開示をすることにした。情報の開示は時代の趨勢であり、開示の範囲を広げた方向性としては悪くない。
しかし、診療情報の開示は基本的に本人への開示である基本は変えるべきではない。死亡した患者の尊厳を守ることは情報の開示以上に重要な意味を持つことを医療者側は深く意識しなければならない。
リスボン宣言では患者の健康状態、病状、診断、予後および治療に関するあらゆる情報、その他の個人情報の秘密事項は患者の死後も守られなければならないと規定している。例外的に、患者の子孫が自らの健康上に関する情報を得る為に一部の権利が認められているに過ぎない。
カルテには、例えば、何回中絶したとか、エイズの検査を受けたとか、ある病気を疑って遺伝子解析を受けたとか、やけどは嘘で刺青の痕だった・・などを始め、闘病中の様子、心情の吐露等、細やかに記載されている。従って、患者とは例え遺族にであってさえ、否、遺族にだからこそ秘密にしておきたいことがあり得る。ヒトは例え家族・親族ですらおかすことの出来ない、独立した人格を持つ存在なのだ。このように死者の尊厳・秘密はあらゆる事から守られていなければならないものなのだ。
遺族にどのような情報を知らせるかは、患者本人のみが決める事の出来る問題である。だから、この件について患者本人の意志を生前に何らかの方法で確認しておく必要が出てきた。しかも、中途半端な方法でなく、しっかりと、遺族に納得させるだけの権威を持つような方法で。
ウーン、これも又難問の一つである。ただ、「死人に口なし・・」と言う状況を作ってはならない。そこまで守ってやるのが医療者側の仕事だと思う。
2/13(木)曇 夜は降雪 東京は超快晴・温暖、情報化システム担当理事連絡協議会
1:30W、人間ドックx2. E-mail多数あり返事、徒然など、5:00出勤、出張前の準備、回診他。8:02-12:10こまち。堤剛「チェロに生きる」一気に読む。13:00-15:00第2回都道府県医師会情報化システム担当理事連絡協議会。内容的には殆ど伝達会。わざわざ一堂に会するまでもない内容。後半の質疑応答は微睡む。東京駅にて新書数冊購入。15:56-20:05こまち。許 光俊「世界最高のクラシック」光文社新書を一気に読む。秋田は降雪、寒い。家に直帰、夕食、21:00就眠.
許 光俊「世界最高のクラシック」光文社新書
本日東京駅で購入した本の一冊。著者をこの本で初めて知ったが、著者の許氏は37歳、慶應義塾大学法学部助教授で音楽関連の著書は過去に5冊ほどあるようだ。
最近、音楽関係の本が新書版で出るとすっと手が行く。今日は「世界最高の」と言う言葉に惹かれて買ってしまった。私は少なくとも芸術の分野、特に音楽の世界には世界最高と言うことはあり得ないし、そう思ってはならないのだ、との立場をとっているから逆にピンと来たのであろう。発作的に買ってしまった。
私はそこに音楽があれば何でも聴いてしまうタイプで、家でも職場の自室でも何かをならしているが、この著者は全く音楽を聴かない日の方が多いという。音楽がなっているだけで嬉しいとは全然思わない、らしい。私は典型的な「違いの解らないタイプ」だが、この著者は私から見て対極にあり、読んでいてそんな私にはとても刺激的、この本で取り上げられている演奏の多くはしばらく聴いていないが、又聴きたくなった。その意欲を刺激してくれた点では良い本だ、と感じ入った。
一読の価値はあると思う。特に私のようにクラシック好きといっても中途半端に、不真面目に聴いているヒトにはお勧めである。
第一章は「ナイ-ヴ時代の指揮者達」。彼が言うナイーヴという意味は無条件にクラシック音楽の価値を信じている人たちを指している。
フルトヴェングラー,トスカニーニ,ワルター,クナッパーツプッシュ,を取り上げている。
第2章は「現代にあってなお幸福な指揮者達」。この人たちはより若い世代で同じ価値観を持っているが思いこんだ命がけ的存在でない。
ベーム,ケンベ、ザンデルリンク,クライバー、ロジェストヴェンスキー、フェドセーエフ
第3章は「普遍化を目指した指揮者達」で合理主義が好きなモダニスト達。
・セル、カラヤン、ヴァント、ブーレーズ
第4章は「エキゾチックな指揮者達」
・バーンスタイン、小澤征爾、ミュンフン
第5章は「懐疑に沈む指揮者達」
・クレンヘラー、チェリビダッケ、ケーゲル、テンシュデット、インバル、アーノンクール、ブリュッヘン、ラトルを取り上げている。
2/12(水)小寒波あり降雪
1:00W。人間ドックx1、NP、徒然等.5:40出勤、降雪5-6cm、この数日でかなり溶けたし今後もあまり降らんだろうから除雪せず.回診他、9:00-13:40外来は後半混雑。数人から(お婆さん方からのみ!)チョコレート戴く。主治医意見書、紹介状への返事数編。2/25のNHK秋田放送局職員向きの講演「頭痛」の準備、2/24の大学医学部との話し合いの具体的準備に入る。協議題は「卒後研修必修化問題」と「大学の法人化」とする予定で準備開始。20:30RDBVn22:00就寝。
移民・難民・外国人労働者問題。アロヨ大統領、介護員売り込む
祖国を離れて外国で暮らす移民の数は、世界中で30年前は7000万人、最近は1億8500万人と急増している。政治的・経済的格差が難民、移民の発生原因であるが、受け入れ国ではその人達の扱いについて政治的緊張や国民感情の悪化等のさまざまな問題を生じるのが常である。
例えば、ニュージーランドでは昨年1-11月までの間に中国、インドを中心に38000人もの移民を受け人れた。結果的に住宅や家具の需要増が生じたために好景気につながったが、最近の選挙では移民受け入れ反対派の政治家が好結果をおさめている。かつては、と言っても戦前の話、アメリカも日本から大勢の移民を受け入れたが、受け入れた現場では徐々に、しかも深刻な反日感情が生まれ、入植者は辛酸をなめたとされる。
一方、外国人労働者の扱いも変わってきている。オイルダラーで一時飛ぶ鳥落とす勢いであったサウジアラビア。ここでは世界各国から労働者を受け入れた。何と、現在全人口の約30%がフィリピン、インド、周辺の諸国からの労働者及びその家族でしめられていると言う。自国民はいわゆる3Kとか言われる職業には殆ど就いていない。3Kどころかバクダット市内のタクシーの運転手ですら自国民はいない。その一方でオイルダラーの減少、景気低迷から国民の失業は増え困窮し始めている。政府は自国民に労働の機会を増やすためにここ1-2年外国人労働者・家族の割合を20%に減らすよう躍起になっているそうだ。でもタクシー運転手を希望する国民はまったく居ないらしい。あの国は今後一体どうなるのだろうか??豊かな資源が労働意欲を枯渇させたか??
日本の政府は移民・難民・外国人労働者問題が無いこと一つとってもとても恵まれているよ。だから、内外の諸問題の対応にもっとしっかりして欲しい。
そうそう、先日来日したアロヨ大統領は日本の高齢化に注目しフィリピン女性を介護人・ヘルパーとして受け入れる様、政府に要請したがにこにこと応対していた首相の脇で坂口厚労大臣は渋い顔をしていたね。
2/11(火)建国記念日 晴天・温暖
1:00起床、人間ドック総括2名分。総括2名分他. 5:30病院着。6:30入院患者家族に病状説明。回診その他。患者重症化しつつある。9:30帰宅、その後病棟から10回ほど連絡あり対応す。14:00来客あり 歓談。甥のBOSEのミニコンポを聴く。夕方までVn、風呂、CDなど挟みつつチンタラと病院業務進める。19:30病棟より呼び出しあり出勤、回診、見送り他、21:30帰宅、22:00就寝。
アトリオン室内合奏団(ACO)第18回定期演奏会(2)
2曲目はオーケストラ伴奏によるF・シューベルトのアルペジオーネソナタ。チェロ独奏は向山佳絵子氏。彼女の演奏を直接聴くのは初めて。柔らかい音質、深い音色、高度の技巧の持ち主である。この曲は本来アルペジオーネ(というフレットつきのチェロのような楽器)とピアノ伴奏の曲である。チェロでこの曲を演奏するのは非常に困難だそうだが、オケをバックに何ら苦もなく・・と見えるほど流暢に弾きあげた。実際には微妙な部分はバックの音に埋没してしまうなどの問題点があるし、全体に受ける曲のイメージはマイルドなものになっており、通常聴くのと曲のイメージが大きく異なっていた。恐らくピアノ伴奏では彼女は更に更に細やかな表現を加えつつ演奏するのではないかと思われ、是非聴いてみたいものである。
今回の演奏会で取り上げられたのはいずれも有名曲であるが、単にそれだけでなく私自身にとっても身近な曲でもある。交響曲40番ト短調は大学のオケで定期演奏会で演奏した。出だしはビオラのきざみから入るのだが、この2小節部分だけでも何10回と繰り返し繰り返し練習させられ、当時ビオラのトップに座っていた私はいたく責任を感じたものである。K136はいまでも人が揃うと合奏する曲の一つである。
指揮者のG・ボッセ氏についても名前は昔から知っていた。私は高校から大学にかけてベートーヴェンの交響曲のレコードを買い重ねていったが、その時の演奏はF・コンビッチュニー指揮、ライプチッヒゲバントハウス管弦楽団の盤であった。それが録音されたのは1958-60年にかけてであったがそのころのコンサートマスターが彼でありジャケットの何カ所かに彼の名前が出ていたように記憶している。また、この組み合わせでの来日公演の一部はNHKで放映されたが、その時のコンマスも彼であった。ここ20年ほどは指揮活動をしているらしいことは音楽雑誌等でも紹介されていたが、2-3年ほど前に私もかつて属していた新潟大学管弦楽団も指揮しているなど、何かと親しみを感じられるヒトである。
演奏会は私にとっては楽しめたか否かが重要。その点では良い演奏会の一つであった。
2/10(月)晴れ-曇り-温暖 管理会議 NHK秋田ニュース用収録 長副会議
1:30起床、人間ドック総括1名分。秋田医報校正終了.NHKニュース用収録の内容検討。家内またも徹夜に近い、一体何時寝てるんだ?5:30病院着。8:00管理会議、9:00-13:30外来、混雑。13:30-14:00人間ドック説明2名、15:00-15:30NHK収録、16:30-18:00長副会議。18:30ころからNHKでインフルエンザ流行に関するコーナーで午後収録文の映像が放映されたが、局の編集によって話した内容がすっかり細切れになり一貫性の乏しいインタビューとなっていた。回診他。19:45帰宅、20:30就寝。時間に追われた日。
サラリーマン医療費窓口負担を本年4月より3割にする法案を首相が押し切ったのは昨年の今日である。今になってやっと反対運動が各所から見えてきた。近くなってやっと身近な問題ととらえられるようになる。わが国の国民の特徴かも。
アトリオン室内合奏団(ACO)第18回定期演奏会(1)
2/9にアトリオンにACO第18回定期演奏会を聴きに出かけた。指揮はゲルハルト・ボッセ。第一Vn以外の弦のセクションのトップと管楽器にはN響他のフリーの演奏家が参加しアンサンブルを補強していた.
プログラムはモーツァルト ディヴェルティメントK136、オーケストラ伴奏によるF・シューベルトのアルペジオーネソナタ(チェロ独奏・向山佳絵子)、モーツァルト交響曲40番ト短調。アンコールにはハイドンの交響曲第一番第一楽章が演奏された。
指揮のゲルハルト・ボッセ氏は1922年生まれで80歳超の方。交響曲40番の演奏前には日本人である奥さんの通訳で10分ほどスピーチした。CD全盛の現代に演奏家と聴衆とが音響、時間を同じ空間で共有することの意義について,またアトリオンホールの音響の良さにも言及し秋田市民はACOと共に素晴らしい文化を持っている、と強調された。ドイツ語による演説は普段そう接することはないが、なかなか響きが良く聞こえる。
K136は終始軽やかに奏でられた。交響曲40番ト短調は早目の速度でスピード感豊かに演奏された。両方とも、恐らく練習を重ねていた時よりは遙かに早いテンポが要求されたらしく、弦の方々は着いていくのに大変そうにみえた。一番後ろの席で聴いていたがコンマスの音は終止際だって聴こえてきた。通常、指揮者は齢を重ねる毎にテンポは遅く表現が濃厚になっていくものと思うが、年齢を感じさせない軽やかな、曲想作りであったと思う。私は最後に演奏されたハイドンの曲が一番楽しめた。演奏者達もリラックスして曲を楽しんでいるような雰囲気が感じ取れた。やはり交響曲40番はメイン曲でもあることなどから緊張していたのであろう。まるでベートーヴェンの交響曲を演奏しているかのような力み様で私には少しあの曲が持っている「何か」が欠けてしまったように思われた。
指揮台をおりた彼の歩行は年齢相応のテンポであった。
2/9(日)晴れ・温暖。アトリオン室内合奏団演奏会
1:00W、人間ドック再検査報告文。退院総括・紹介状、秋田医報校正など種々.降雪(−). 家内またも徹夜、7:00頃担当患者大量吐血で呼ばれていった。熱帯魚水交換+フィルター掃除。12:30外旭川のコミセン田圃脇の道路を強行突破しようとした家内の車がザラメ雪と軟弱地盤で立ち往生したのを掘り出しに行く。何とか脱出出来た。13:20アトリオン室内合奏団演奏会へ。モーツァルト ディヴェルティメントK136、オーケストラ伴奏によるF・シューベルトのアルペジオーネソナタ(チェロ独奏・向山佳絵子)、モーツァルト交響曲40番ト短調。名曲と豊かな音響に包まれてよく寝た。16:00-19:00病院、回診他。20:00就寝。
自伝 高校・浪人時代(1961〜64)(1)
盛岡第一高等学校に入学
入学試験も無事終わり、合格発表は祖母キヌ及びその友人数人の恒例となっていた湯治の荷物運びのお供をして花巻志戸平温泉に送っていった日の夕方、ラジオで聴いた。希望通り盛岡第一高校に合格したが自身としてはちょっとホッとしたが、特別の感慨は生じなかった。
しかし、私にとって盛岡一高の3年間は通学、クラブ活動、成績低迷、進学問題等で数々の壁にあたるミニ試練の時期となる。
当時、盛岡一高は県内では抜きん出た進学校であり、岩手県内ばかりでなく秋田県や青森県からも入学者が来ていた。一学年の定員は400名で、そんなに狭い門とは思わなかったが、ど田舎でもない乙部地区から盛岡一高への進学は5-6年振りのことであったと言う。だから、乙部中学の職員室ではそれなりに喜んでくれたようである。しかし、盛岡一高への進学は別に成績が良かったから久々に進学出来たと言うわけではない。乙部地区は盛岡の中央部からせいぜい20Kmも離れていないが、当時の乙部地域の住民や中学生にとって盛岡一高など殆ど価値が無く、受験者がいなかったからに過ぎない。
理由の第一は当時の進学率である。昭和36年の中学の同級生のうち僅かに16/74名だけ、しかも、進学組の16名中普通科への進学は2-3人のみであった。大学に進学したのもやはり2人のみらしい。私以外の一人は美術系の大学に進学したらしいが、確実な情報ではない。要するに私の育った地域では、その時代、普通科の高校なんて殆ど価値がなかったからである。
入学後は前と同様に自転車で通学した。盛岡一高は自宅から見て岩手中学より更に北に2-3Km 奥まっていたので若干時間がかかり、7:00に家を出ると8:40ギリギリに学校に着いた。
2/8(土)晴れ-曇、温暖 講演:友の会秋田印刷支部
1:30W、人間ドック2人分処理、退院総括、紹介状返事。午後の講演準備。5:30病院着.回診など。8:10人間ドック診察5名、9:00人間ドック説明2名。本日は午前も講演予定を組んでいたので外来なし、その時間利用して講演準備進める。14:00-15:30中通病院友の会秋田印刷KK支部講演「生活習慣病」。社員中心に70%ほどは20-30代と思われる若手。こんな会は滅多にない。生活習慣病について自業自得病としてじっくり話が出来た。回診その他処理後18:10帰宅、20:00就寝。
パソコンによるスケジュール管理の落とし穴
昨日までの「患者の権利」の小文は“本日午前”に予定していた講演の準備の過程で感じたことを徒然に書いたものであるが、その講演は今日ではなく来月8日であった。両方とも大切にしなければならない中通病院友の会関連の講演であり、自分としては無理して同日に二つ引き受けエイズ講演終了後、集中して準備をしてきた。入力の時点でカレンダーの操作を間違った自分の馬鹿さ加減にガックリ来たが、午後の講演の準備時間が確保出来て、ホッとした面もある。
私は日々のスケジュールは表計算のソフトを使って自作しているが、入力した後は安心しきって殆ど検証しないことが失敗の原因であった。そのことで今週は別にも2件の失敗をおかした。火曜日の本荘でのエイズ講演は講演終了後にJRにて急ぎ秋田に戻れば県の難病関連の委員会にギリギリ間に合うと確かめた上で引き受けたが、当日本荘に着いてからその列車がないことに気づいた。実際は本荘に関係のない、新屋発秋田行きの下り列車を見間違えていたためである。もう一つは県医師会常任理事会をすっぽかした件である。これは常任理事会、理事会の年間予定の入力を昨年四月に入れた際に新年以降分入力していなかったことによる。
コンピューターがまだ初期の頃、本の注文、みどりの窓口その他でクレームをつけた際など「コンピューターから・・」などと言い訳を言われたことも何度かあったような気がする。要するにコンピューターがあたかも人間以上の判断力を持っていたかのように扱われる風潮があり、私はそんな考えを真っ向から馬鹿にしていたが、時々こんなポカをやる陰にはすっかりコンピューターに頼りきってしまっている自分を感じてならない。
もう少しで本日午前、誰もいない会場に出かけるところだっだし、さらに午後にいい加減な準備のままで次の講演をしていたかもしれない。反省、反省 !
2/7(金)晴後降雨 中通病院友の会理事会
1:30W、人間ドック2人分、退院総括、紹介状返事。医療宣言の講演準備、リスボン宣言等勉強。5:30出勤.回診など。人間ドック説明が入っておらず比較的余裕。10:30-13:00外来、14:00-16:00中通病院友の会理事会+懇親会。書類を見ていて医療宣言講演は1ヶ月後と気づく。ガックリ+余裕発生、急遽明日午後の講演準備に取りかかる。夜の回診の後20:10帰宅、21:00就寝。
社会生活と権利、医療の中における「患者の権利」(3)
「患者の権利」という言葉に対して抵抗ないし反感等を感じている医師の方を今でも多く見かけます。恥ずかしながらかつては私もそうでした。でも、その様な方には、自らの存在も「権利」によって支えられていること、医療行為も「権利の概念」が及んでいることなどを理解していただきたいと今は思っています。
「権利ばかり主張して・・・」というような文脈で「権利」がネガティブな印象を与えることがあるかも知れません。「権利」という言葉のイメージはとても硬くて私もやはり嫌ですが、「権利」と言う言葉が意味するところの有用性は絶対に否定してはいけないと思っています。
それと、権利というのは時代や文化の流れの中で流動する、相対的なものだと言う認識ですね。その上にたっていわゆる既得権に固執する姿勢、これを捨てること、これが必要だと思います。自らの反省を込めて記しました。
ちょっと堅い話なので表現を柔らかくしてみました。
2/6(木)晴れ-曇、病棟再編検討委員会 県医師会情報化・HP委員会
1:20W。家内2:30帰宅、自由人、ホント驚くネ。60リットルの方の熱帯魚の水槽、ポンプ不調で汚れがひどい。急遽水交換。余裕なしポンプ修理は日曜日に。人間ドック2人分、土曜日の医療宣言の講演準備、リスボン宣言等勉強。5:30出勤.昨日同様、晴天で放射冷却。回診など。仙台在住の同学年で音楽等を通じての知己であるT医師、脳内出血で重体、ICU管理下にあるという知らせが入った。厳しい状況らしい。9:00-13:00外来、NHKからインフルエンザ関連取材申し入れあり準備必要。種々業務。16:00-18:00病棟再編検討委員会18:30-20:10県医師会情報化・HP委員会、書類チェック、22:30帰宅21:00就寝。
社会生活と権利、医療の中における「患者の権利」(2)
考えてみれば、われわれ医師は「義務」も随分果たしていますが、法によってそれ以上に「権利」というべき庇護を濃厚に受けています。簡単に言えば資格と言うことです。日本は確立した法治国家ですから医師のみならず、国民の誰もが多くの権利が擁護された状態に支えられて生活しています。しかし、日常的にはそのことが往々にして忘れ去られ、相手側が何か大きくアクションを起こした場合に自らの立場は忘れて、相手の主張のみが突出して感じられるみたいです。昨年問題になった救急救命士の挿管問題、これは明らかに違法だと思いますが、医師が挿管できなくても別に違法ではありません。実際に挿管の出来ない医師は沢山います。今、ホームヘルパーの医療行為が介護の現場で問題になっていて、資格がないのだから絶対に許すべきでない・・・等と論議されています。これも変な権利の使われ方の例で、それによって不利益が沢山生じています。要するに、権利としていっぱひとからげに総論的にまとめて論じるから矛盾がでます。各論を検討すべきでしょう。
そうは言っても、実際には、権利主体間の平等な契約構成が資本主義の基礎なのでしょう。だから「権利」概念の有用性自体を尊重することこそ必要であり、それを感情的にとらえて否定するのは正当とは言えません。その内容の検討こそが問題なのです。
2/5(水)超寒 晴れ-曇り 県医師会常任理事会(すっぽかした!)
2:00W。家内0:00頃帰宅、徹夜二日目驚くネ。人間ドック一人分、高額医療症状経過報告4人分、これで全時間とられる.5:30出勤.晴天で放射冷却。-10度ほどか。8:10人間ドック診察5人分。9:00-13:00外来、13:30人間ドック説明2名。17:30からの県医師会常任理事会は予定表に入れるのを忘れて土曜日の講演準備、院内業務処理に没頭.18:30県医師会からの電話で気づくも既に遅し。そのまま。22:30帰宅21:00就寝。最近、時間的に全く余裕無く、何かに追いつめられているような気がする。まずい状態だ。
社会生活と権利、医療の中における「患者の権利」
3日後の病院友の会の会合で中通総合病院の医療・福祉宣言について解説するにあたっての準備で、ここ数日、医療を受ける「患者の権利」を明文化した「リスボン宣言」等を勉強している。私自身の変容も自覚できて良い体験をしている。ちょっと熱中しすぎて県医師会常任理事会をすっぽかした!、要反省。
この「リスボン宣言」に触発されて、わが国でも「患者の権利」宣言等が次々と発表されている。それらに触れた際、患者側の一方的権利の主張に正直なところ私は不快な感じがしたものでした。
自由を尊重する民主主義社会での社会的生活の基本は、お互いの「権利」を尊重し、自分の「義務」を果たすことに基づいている事は私にとっても自明の理です。かつて、消費者運動の一つとして、市民の権利獲得運動が激しく展開された事がありましたが、その半ばごり押しとも思える運動のイメージから、一方的な「権利」の主張は単に「利益を追求」に等しいような悪しき印象を持っていました。その当時、私は、われわれ医師は損得抜きの精神で医療を行っているのだ、と、今から見ればおごりに近い感覚を持っていましたから、医療の場に「権利」という言葉を使われる事は不快であり、とても抵抗がありました。今になって考えてみれば、医師会の活動自体、一般市民にとっては依然としてこのレベルの感覚でしかないのではないでしょうか。だから、どんなに「患者のため」「日本の医療のため」と主張しても真意が伝わり難いのでしょう。自ら反省する必要もあるようです。
(続く)
2/4(火)曇り-晴れ エイズ講演 県難病医療対策会議(欠)医師会打ち合わせ(欠)医局会
2:00起床、家内0:00帰宅、その後私の出勤時まで抄読会準備で徹夜している。一体いつ寝てるのか解らないヒトである。人間ドック1名分,職場討議事項対応.本日の講演準備、日記記載送付、5:30病院着,回診、配付資料作成.8:00人間ドック診察5名.9:00-11:30外来、12:10JRにて本荘に。安楽温泉を会場に食品衛生指導員50名ほど対象にエイズ講演。同温泉はかつて宿泊した事があったが完全に新装なって昔の面影は竹を利用した庭園のみに若干感じられただけ。講演会場も立派であった。帰路、予定していた列車なく、県難病医療対策会議と医師会打ち合わせは患者も不調、時間通りの出席難で欠席とした。17:30-19:20医局会議、療養病床・病棟再編成関連で意見続出。どのように収集出来るかまだ見当着かない。20:50帰宅。21:00S.
医師の雑用の軽減を。保険業界、関連業界にIT化を望む
本日、本荘市の講演から自室に戻ったら入院患者さんの生命保険入院給付の診断書が二人分計5枚、生活保護関連の書類が4-5枚机上に乗っていた。特に前者は内容的にかなり時間を要するものであり、多忙な医師にとっては実に煩わしく辛いものである。勿論、生命保険をかけている患者さん方にとって入院時の給付金を受け取ることは大切な権利であり収入である。それに関する手続きの中で担当医が記載する部分は重要な意味を持つだけに対応することはやぶさかではないが、本音はかなり煩雑な作業でガックリ来る。数ヶ月前に退院したある患者さんは退院時に6枚もの書類を持ってきた。
これらの書類は記載内容に大差ないが書類の形式はバラバラである。最も頻度の多い簡易保険に関しては自分で一定のフォーマットをつくり必要事項を記載すれば書類上に印刷が出来るようにして省力化を図っており快適に作業をすることが出来る。しかもその内容は退院時総括書の記載の一部を利用できるから便利である。
ところが通常の保険関連書類はこうはうまくはいかない。書類上に印刷を上手にあわせるのも困難である。やむを得ず手書きをしなければならない。これが内容が同じなだけ馬鹿くさい作業である。
提案だが、(1)各保険会社は記載事項なんて大差ないのだから業界で書式を統一してはどうか。(2)それが不可なら今はたいていの会社がホームーページを持っているのだからそのページ上に会社の保険請求関連の書類のフォーマットを載せて欲しい。我々はその書類上に必要事項を記載してそのままネット上から会社宛に送付しても良いし、印刷して送付するのも良いだろう。是非やって欲しいものである。日本医師会を通じて業界に提案してもらおうか。
こんな便利な世の中なのに旧態依然の方法に終始しているのは実に勿体ないことである。我々医師は患者さんの診断、治療のために、更に安全確保のためにももっと余裕のある時間が必要である。少なくとも一見雑用と思われるこの様な作業にこそIT化、省力化が望まれるのだ。
2/3(月)曇 降雪 管理会議 長副会議
2:00起床、夜間に一名入院、対応する。インフルエンザ+急性肺炎。人間ドック1名分,職場討議事項対応.講演準備、日記記載。5:30出勤,回診,小児科病棟へ入院患者やや改善.8:00管理会議.9:00-12:30外来、13:30人間ドック結果説明1名。新入院対応他.6:30-18:00長副会議、20:00帰宅。湿った雪5 cmほど。21:00S.
異常気象 干ばつと低温で人も動物も受難
昨年から世界的に異常気象が続いている。昨夏の欧州の大洪水などもエルニーニョ現象が原因かと言われている。日本もしかりであるが南半球でもいろいろな現象が生じている。
オーストラリアでは干ばつが原因となった山火事が続いて死者まで出ている。その一方、昨年夏は超高温のために多くの死者が出たインドでは、逆に最近は低温が続いておりウタール・プラデシュ州では一晩で43人もの死者が出たと報じていた。南アジア地域での低温による死者の数は1600人に達したとされる。
オーストラリアでは牛肉価格が下落し農家が打撃を受けている。これも4年続きの干ばつのため。飼料の値上がりに耐えかねて肉牛の出荷を急ぐ農家が続出したため。昨年11月の処理量はそこまで4ヶ月連続して前年比24%増となり結果的に供給過剰となって値段は下ったのだそうだ。
オーストラリアの動物はコアラやカンガルーのような優しそうな動物ばかりと思っていたら大まちがい。野生化した豚が国土の40%もの地域に生息し、その数は実に230万頭。豚とは言っても中には100Kgを越え、キバまで持っているのでイノシシも同然。これらによる動植物の被害は年間6億ドルに近いらしい。欧州諸国はこの野生豚の肉を輸入しているが、干ばつのせいで野生豚たちは身を隠す繁みが少なくなりヘリコプターから発見され易くなっている。ニュー一サウス・ウェールズ州では先月3600頭がプロのハンターにしとめられているが、政府もこれを後押しするキャンペーンを3月まで展開している。野豚やキツネなどの動物にとってはしばらく受難の時が続きそうである。
2/2(日)快晴,朝寒く日中は温暖 病棟拘束
2:30W、実際には0:00頃からコロンビアのニュースをうつうつとしつつ聞いていた。人間ドック2名分、出張復命書、エイズ関連準備などなど種々.8:30-10:00病院.昼頃入院ありと病院から電話あり病棟拘束であったことを思い出した。13:00再度出勤、結局2名入院。拘束業務、回診、・・で、20:00帰宅.21:00就寝。
自伝 中学時代(1958〜61)(8)
大きな音楽体験
それから間もなく、盛岡でのNHK交響楽団演奏会を聴く機会が訪れた。これは私にとって次の大きな音楽体験となった。
中学1年か2年かは忘れたが、盛岡市の市立体育館でNHK盛岡放送曲主催でNHK交響楽団演奏会が開かれた。板張りの体育館にパイプ椅子を並べての会場設定で、30分も早く着いたので開演までの間、ぽつんと席に座りプログラムを隅々まで読んだ。席は前1/3ほど、やや右よりの特等席であった。その頃の事は鮮明に覚えているから不思議だ。演奏は指揮が外山雄三氏、独奏者は深沢(旧姓、大野)亮子氏。N響コンサートマスターは若き海野義雄氏。演奏された曲はウエーバー「魔弾の射手序曲」、モーツアルト「ピアノ協奏曲20番K466」、ドボルザーク「交響曲 第9番(新世界より)」。アンコールは「フィガロの結婚序曲」、外山雄三作曲「管弦楽の為の木挽き歌」。
「魔弾・・」の不安をかき立てるような弦のトレモロによるうねり、「ピアノ協奏曲 K466」の独特な弦の刻み、2楽章の旋律、「新世界交響曲」のダイナミズム・・・。この間、私は全身に、頻繁に鳥肌が立つのを感じながら聴いていた。コンマスの海野氏の音は終始際立ってきこえた。これら全てが私にとって鮮烈な体験であり、その後、弦楽器、特にバイオリン、チェロに興味を持ち、大学ではオーケストラに属し、多くの演奏会に通い、今に至るまで楽しめる趣味の一つとなる。
この体験の後、意を決してついにLP用のレコードプレーヤーを購入した。アンプ等までは購入できなかったので比較的大型のラジオに細工して音を出した。当時レコードはおいそれとは購入できないほど高価であり、ステレオで3200円、同じ演奏がモノラルでも発売になり、それでも2800円ほどした。何しろ2年ほど後の私の3食付きの下宿が5500円だったことから如何にも高価な買い物ではあった。
最初に購入したレコードは、有り触れた選択だが、ベートーヴェンの交響曲第五番ハ短調 「運命」。ヤッシャ・ホーレンシュタイン指揮、ウイーンプロムジカ管弦楽団の演奏。本当にレコードがすり減るほど聴きこんだ。
2/1(土)曇り、比較的温暖 リハビリ当直
2:30W、家内24:00帰宅。人間ドック1名分,院内職場討議質問事項への対応.5:30出勤,回診,小児科病棟へ入院患者重症化.8:10人間ドック診察5名、9:00人間ドック説明2名に.10:30-12:30外来.16:45まで種々業務,回診再度。途中書店で本数冊買い込みリハビリ病院へ当直に,18:30出前にて夕食.読書若干,画像処理若干21:00S.
23:30頃からラジオではスペースシャトルの事故を報じ始めた.7人の帰還わずか数分前の悲劇.飛行士にとって一瞬の出来事であったのだろうか.あと10数分で帰還する幸せのもとにあった家族が受けた衝撃の大きさは他人には到底計り知れない.
この悲劇!スペースシャトル コロンビア,まだ何とも言えないが・・・.
かつて,衛星放送開始の記念すべき初日にはケネディ大統領の暗殺の報道で始まった.TV放送50年の記念すべき日である今日はスペースシャトル・コロンビアの悲劇的ニュースで始まった.脳裏にすぐ浮かんだのは17年前のチャレンジャー事故,その時も7人が犠牲になった.その時,私は中通病院赴任後間もなくであり,大曲へ短期単身赴任しており,早朝に医局で知った.
墜落の原因は現時点では全く不明と言うが,大気圏再突入の最も困難で危険な時間帯に発生しており,高熱か,急激な加圧による機体への衝撃が古い機体を破壊したのかもしれない.
チャレンジャーには脱出装置はなかったとされるが,コロンビアの脱出装置は着陸直前のトラブル時のための装置で役になんて立たない.今回事故が生じたマッハ15-20レベルの環境では安全は機体の構造が保持されていることが絶対条件になる.おそらく一瞬でバラバラになったと推定される.
最近の広胴の大型飛行機は低圧の高度10Kmほどを飛ぶが,その低圧状態では乗客は耐えられないために客室に3000m程度の環境に加圧している.そのために飛行のたびに数cm 機体が広がり,機体疲労の原因となるとされている.マッハ1程度でも場合によっては空中分解することもある.
一方,宇宙飛行船は高度200-300Kmの超真空中を飛ぶが,内部は人間の生存レベルに加圧されているし,出発,帰還の際の速度の変化と同様に圧力の変化も著しい.更に,マッハ25程度の超高速からマッハ0.3ほどの着陸時速300-400Kmへの急速な減速は空気の抵抗を熱に変換することによって行うので機体の表面は時には1000度C以上にもなる.如何に考え抜かれた構造としても,約30回も宇宙との間を往復した20年もの古い機体に予測以上の何かが生じていたのでなかろうか.
宇宙開発の経費の削減が叫ばれる環境の中,20年と古く,30回も宇宙との間を往復した機体の使用は当初からの計画そのものだったのだろうか? 無理して使われ続けていたのではないか十分な検証が必要である.おそらく進入角度調整などの技術的問題ではないと思う.ブラックボックスの部分には宇宙産業業界内の問題,政治的問題,経済的問題などがあると推定されるが,外部からのチェック機能はあるのだろうか.(am3:50記載)
年を通じてワンパターンで淡々とした毎日です。AM2:00-5:00にメールチェック・返事送付、人間ドック(HDD)判定・報告書作成、新聞切り抜き、病院・医師会業務など。
月〜土曜は6:00頃出勤、HDD報告書印刷、外来書類処理など。病棟回診、HDD受診者とミーティングと診察。8:45-14:00外来とHDD受診者に結果説明。昼食は摂りません。午後は病院業務・医師会業務、各種委員会等に出席など。20:00頃帰宅。 日曜・祭日もほぼ同様ですが、病院には午後出かけます。時間的に余裕無いのが悩みです。 |