徒然日記

 日記と言うより、自分の行動記録からの抜粋と日々の雑感です。

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8/31(土)快晴  診療情報開示講演会 リハビリ当直

1:30W、HDD判定総括x1. 再検査結果報告、3:00Vn若干、出張復命書等作成.5:20病院着。机上は書類の山、たった一泊二日の留守なのに.HDD資料作成x1、回診他。7;30入院患者家族と面会病状説明.8:10HDD診察x5、9:00HDD説明 x2。10:30-13:00外来。15:30-17:30 診療情報開示講演会+20:00まで中島講師を囲み懇親会。20:15病院へ戻り業務、21:00リハビリ病院に、21:30S。

韓国では「日本海」を「東海」と呼ぶ(2).
 国際水路機関(IHO)が、来年改訂予定の海図「大洋と海の境界」の最終稿から「日本海」の名称を削除した、というが、実際にはIHOはその是非を11/30まで加盟72ヵ国に問う手続きを取っている.調べてみると、日本の外務省は、1992年に韓国がこの問題を初めて持ち出した当時は韓国国内のナショナリズム高揚方策の一つ、ととらえて静観する方針をとったが、(1)日本海の呼称は18世紀以来(2)世界地図の97%が日本海(Japan Sea)としている、・・と根拠を挙げやっと反論を始めている.

 「日本海」の呼称は、17世紀初頭の世界地図に初めて登場、しかし、18世紀までは「中国海」「東洋海」「朝鮮海」との呼称もあったと言う。韓国では「日本海」の表記は用いられることはなく「東海」と呼び、黄海は「西海」、東シナ海は「南海」と呼ぶ.

 IHOは原則的に当事者間の解決を求め解決しないときは併記するとされている.韓国は正式に二国間の話題として取り上げたことがあったのだろうか.国際間の呼称紛争は他にもある.英仏間では「ドーバー海峡」問題があり、「ペルシャ湾」は「アラビア湾」と呼ぶようアラブ諸国は主張している.

 呼称紛争は国内でも生じている.秋田県沖で地震があって多数の死者、被害がでたことは未だ記憶に新しいが、最初に提起された「秋田沖地震」の名称は被害にあった青森県、山形県から強行に反対され「日本海中部地震」の名称で落ち着いた.子供の頃、何で日本国内なのに中国四国地方と呼ぶのか、ずっと疑問に思い続けていた事も思いだした.


 韓国のごり押しで国際的呼称からの正式の削除は許せないが、それで満足するなら併記は良いのではないか、と私は思う.


8/30(金)長野・東京・秋田共に快晴、残暑 日本人間ドック学会二日日

2:00W、昼の軽食以降何も食べていないのでさすがに空腹.されど気分はいい.PB2400に取り込んで整理出来ていなかった新聞スクラップ数日分整理.購入した本を読む.ミニ随想数日分、21プロジェクト関連業務、など記載.7:00朝食。9:00Taxiにて学会場に.(1)公開講演:小林照幸氏「予防は最高の治療ー日本における有害危険生物対策を考える」(2)公開講演:浜美枝氏「これからの食と農をみつめる」(4)公開講演:佐々淳行氏「これからの危機管理」(5)教育講演「性と健康ー中高年者における性の意義」.14:00にて聴講終了し帰路につく。Taxiにて駅に→14:50新幹線あさま520号→16:32東京着→モノレールとJR→18:30羽田発19:30秋田着→20:00自宅着.Vnほか、21:00S .

ケチな話 乾電池(3)、電池へのこだわりのルーツ.
 子供の頃、家に発電式電灯があった.進駐軍の物品だったそうだ.小型の懐中電灯に自転車のブレーキのような握りがついた物である.これを強く握ると発電機が回転して灯りがともった.ヒト握り2-3秒の灯りで、使い続けるにはなかなか大変であったし、それなりの明るさを得るにはかなりの力と持久力が必要であった.それでも当時は電池は高価で寿命も短かかったからコストフリーの電灯として「子供会の火の用心の巡回」「夜の探し物」「ネコとの散歩」の際などで重宝していた.いつぞや紛失してしまったが、この発電式電灯は私のエネルギーに対する感覚を大きく養ってくれた.

 数年前にたまたま発電式のラジオ付き電灯を見つけ、懐かしくて購入した.電池不要と言うことで「災害時のグッツ」の一つだそうだ.自家発電したエネルギーを充電池に蓄える構造でラジオならハンドルを回し続けなくとも暫くは聴けるし、普通の電池でも使えるようになっている.私は敢えて電池を入れないで使っている.ラジオは3-4分発電すると15分ほど聴けるので寝るときには便利である.しかし、ハンドルを3-4分回し続けるのは決して楽ではなく、僅かな時間しか聞けない.一方、回収した使用済み電池を入れれば2-3日は連続して鳴り続けている.
 電池のパワーには改めて驚いている.とても中途半端に捨てられるべき代物ではないと思う.またまた、実にケチな話で恐縮ですが、・・・私は真剣です。



8/29(木)秋田やや曇り、東京・長野超快晴、残暑 日本人間ドック学会初日 


2:00W,HDD判定総括x1、紹介状・返事x1等.出張なので5:00病院着。回診すれど受け持ちの全患者熟睡中、これは当然だね.申し送り事項記載他など記載.6:55病院発→7:50秋田空港→8:55羽田着、モノレールとJR→10:00東京発あさま3号→ノンストップ11:30長野着→Taxiにて11:45学会会場「ホテル国際21」着.12:00から(1)ランチョンセミナー「骨粗鬆症」(2)学会総会(3)人間ドック全国集計成績「閉経後高コレステロール血症予後調査研究進歩状況報告」(4)シンポジウム「21世紀の糖尿病--人間ドック、検診のの果たす役割」を聴講.懇親会は当然出ず.16:30Tax「 Holiday Inn Express 長野」にチェックイン.業務種々,書店、学会場で購入した本数冊+まどろみ.22:00S.気づいたらレストランの終了時間過ぎており夕食食べられなかった.ハラヘッタ.出かけるまで時間的余裕無く間際まで迷い結局前日出発は無理であったが来てみて良かった.

長野、タクシー初乗り320円には驚く.日本一長寿県の理由
長野県を訪れたのは初めてである.長野に対しては「善光寺」、医療福祉上で「長寿県」「ピンピンコロリ運動」「老人医療費が全国一安い」・・・と関心のある話題があるところである.それに加えて「長野五輪」「パラリンピック」、更に「脱ダム宣言の田中知事の誕生、失職」と最近の話題も豊富である.

 長野市は人口は36万人程、駅に降りた印象はどの方向を見ても山が近く緑が綺麗だと言うこと.市全体が山に囲まれている.駅から乗ったタクシーのメーター見て初乗り320円には驚く.10年前の東京並みだ.これで経営が成り立つのだろうか.町並みは清潔、整然としており、長野五輪がもたらした影響かと思った.宿泊したホテルは新築後間もなく新しい.恐らく五輪を機に建造された物であろう.そのためか部屋、ベットなどは広く大きい.洗面台の高さは異様に高い.

 長野が何故長寿県かという点について関心のあるところである.学会長は講演記録の中に(1) 県民の健康への関心度が高い(2)保健予防活動が盛ん(3)独居老人率平均の半分(4)家庭機能が高い(5)各人が生き甲斐を持つ(6)かかりつけ医、在宅医療が身近で在宅死率が高い(7)県内一般病院の在院日数21.6日と全国平均より10日も短く日本最短・・等の項目を挙げていた.学ぶべきところが沢山あるようだ.



8/28(水)快晴 残暑 県医師会常任理事会

2:00W。HDD再検査報告x1、紹介状・返事x1、新聞スクラップ等.5:30病院着、回診、院内紹介状、その他。9:00-13:30外来、13:30HDD説明(−)。17:30-19:50常任理事会、懸案事項多数で思ったより時間がかかった。20:10帰宅。来客あり、21:30S。
明朝7:40発ANAと新幹線で長野に出張予定。

ケチな話 乾電池(2)、分別法、利用法
 回収した乾電池は残量による分別が必要。この際、市販されている電池チェッカーなどはあまり役立たない。一瞬の電圧測定では残量は不明で、ある程度エネルギーの仕事をさせなければ解らない。私はラジカセから外したモーターの回転軸に若干の細工をして回転抵抗を高めたチェッカーを自作して利用している。
 単3電池は心電図の感熱紙の芯を用いれば簡単に直列に繋ぐことが出来、電圧を自由に得ることが出来る。芯を電池の長さに切断してかぶせると単3を単2として用いる事が出来る。実にケチな話で恐縮ですが・・・。



8/27(火)快晴 残暑 総回診 医師会打ち合わせ 医局カンファ


2:00W,HDD判定総括x1、紹介状2部、新聞スクラップほか.5:45病院着、8:05HDD診察x5、9:00-13:00午前外来.14:30-15:30総回診に参加。15:45医師会打ち合わせ。17:30医局カンファレンス担当胸部外科.20:00帰宅21:00S.

●ケチな話 乾電池(1)

 私はまだ利用できる物品が捨てられる現状がとても嫌だ.これは物を大切にした母親、彼女は正常人の限度を超え、明らかに病的な範囲にであったが、私もその影響をしっかり受けたようだ.実際に未だ使えるのに・・と思う物品は枚挙にいとまがない.
 まず、病院各所から出てくる使用済みの乾電池,これは実際にはかなりパワーが残っているのが多い.何故かというと一回目の検査には十分だが、さりとて二回目には完動する保証がない、と言って交換されるからである.大部分、私の印象では約50%程度のパワーが残っており、通常の状態ならまだまだ使える.結構知られてしまって、病棟、外来、医局等で使用済み電池を私用に取っておいてくれるまでになったが、とても我が家のみでは使い切れないほど沢山集まって困っているというのが現状である(続く).



8/26(月)晴れ 管理会議 長副会議

2:00W,HDD判定総括x1。紹介状、総括、秋田医報校正など.医師会に書類届け5:50病院着。8:00管理会議.9:00-13:30外来。16:45-18:30長副会議、懸案事項多数。新入院他対応。20:30帰宅。21:30S。時間的に余裕のない一日であった。

地図から日本海が消える?
 国際水路機関(IHO)が、日本海を「東海」と改称するよう求める韓国の主張に応じて、来年改訂予定の海図「大洋と海の境界」の最終稿から、日本海の掲載ページを削除した、という社説が読売新聞に載っていた。韓国が呼称変更を持ち出したのは、1992年の国連地名標準化会議とのことだが、これに対して日本政府がどのような対応をとったのかを私は知らない。IHOも一国の主張をそのまま取り入れたとすれば大きな問題である。今からでも政府は毅然とした行動を起こすべきであろう。

 「日本海」の呼称は、17世紀初頭の世界地図にもあると言う。韓国の主張には問題点が多いが、韓国で海を論じるときにいつも「日本海」と呼ばなければならないとすれば頭に来る気持ちは理解できる。「日本海」がもし,昔から「韓国海」と呼ばれて来たと仮定しよう。裏日本地域や海を論じる際に、「韓国海地域では・・」では、とか「韓国海は大荒れで・・」等と毎回毎回,一日何十回も呼ばれていたら私は嫌だ逆の立場だったら日本人はどう考えるだろうか.

しかし韓国の呼び名である「東海」が国際的に認められることになれば日本国内でも「日本海」という名前を使うことは不可能になるだろう. (2002FIFAワールドカップのポスターの「日韓大会」を「韓日大会」と改めるように圧力をかけてきたのは記憶に新しい。)

 
韓国は国内で勝手に日本海を「東海」とでも呼べばいいのだ。ただ,韓国が「日本海」という名前が気に入らないから変えろと、韓国の全く理不尽な,感情論的とも言える横やりによって決まるとするならば問題である。国際的協議機関で手続きを踏んで決めるべきだし、その前にその海に接する全ての国々間の事前調整と納得が必要である。両国の真の友好のためには韓国の数々の横暴と見える要求に対して日本人は毅然とした対応をすべきである。 
それに東シナ海の存在を韓国はどう考えているのか?韓国側の主張では一国の名を海に冠するのはおかしいというが、東シナ海に関して韓国が中国に異議を申し立てていると聞いた事は無い。

そういえば以前購入した
1983年版の世界地図(昭文社)には日本海(東海),黄海(西海)と併記されていたっけ.これはどうしたことなのだろうか.


宮城県の河北新報の社説
http://www.kahoku.co.jp/shasetsu/2002/08/20020825s.htm

8/25(日)超快晴 FF tennis 

2:00W、HDD判定総括x1、NP scrap,文書作成など.朝方椅子にもたれて微睡む。雲一つ無い超快晴。この天気一日ずれてくれていれば!!!、と大曲の花火に関連した方々,各々が空を仰いでため息をついていることだろう。10:00-13:00炎天下FF tennis。7-5、7-5.梅林園管理者おらずネットの隙間から進入しプレイした。当番をど忘れしたのか??。熱帯魚水槽エアレーション改善、これで水の劣化は防げるだろう。16:00-19:00病院,事務処理19:30帰宅,20:30S。

自伝:0歳から小学校卒業まで(6) 小学校時代(1952〜58)  先週の続き
新築
 火災の後一ヶ月ほど親戚の歯科医師宅の2階で生活した。5月末には仮住まい用の住宅兼診療所が完成し引っ越した。この住宅で私は小学校3年生の頃から高校2年まで猫と一緒に暮らすことになる。母屋は9月、寒くなりかけていた時期に完成した。
 5月から9月までの数ヶ月、私の主な遊び場は家の新築現場であった。当時は柱とかは全部現場で切断し、削り、穴を開けるなど全行程をその場で行い仕上げていく工法なのでその過程をつぶさに見ることが出来た。廃材をもらって自分も船とか刀とか、いろいろなものを作って遊んだ。若い大工が暇を見ては手伝ってくれたので結構良いものが出来た。私は木工細工が好きだし木を用いていろいろなものを自作もかなりできる。この時の影響である。



 8/24(土)雨 大曲花火大会

2:00W、HDD判定総括x1他、6:00病院着.回診その他、8:10HDD診察x4、9:00HDD説明x2。10:30-12:20外来。午後は病院、医師会館連業務処理。17:00帰宅。医師会業務の他Vn  etc 21:00S。恒例の大曲花火大会は雨に見舞われたが強行したらしい。夕食時NHK-BSにて一部見る。やはり現場で見るのが一番。

雨の中で「大曲の花火」決行。土崎港まつり、竿燈も今年は雨が話題に
 第76回全国花火競技大会(大曲の花火)が8/24雨天をついで決行され、昼と夜の2部門で13000発を打ち上げて技を競った。この日、午前から雨が降り、昼花火が始まったころには稲光も走ったが、本番たけなわのころには雨はすっかり上がり、十分盛り上がったと言う。さきがけ新聞によると大曲の花火は明治43年、同市諏訪神社の祭典として始まり、戦時中の中断を挟み昭和21年から現在のような全国競技大会となった。本年の観客数は58万人と昨年を下回ったらしい。

 私は夕食時にTVで一部を見たが、今年は同僚医師も見に行くと言っていたので天気のことが心配になった。幸い、雷と雨雲は空をつんざく光と音、観客の熱気に驚いて退散したらしい。良かった良かった。その昔、子供達を連れて数回見に行った時の感動,帰りのつらさを思い出した。

 今年は土崎の港まつり、竿燈も天候には恵まれなかった。しかし、幸いにもそのピークの時間帯には雨が止んだり、何とか降ないで済むなど幸運もあった。関係者は薄氷を踏む思いで空と時計とをにらめっこしていたんじゃないかな。


8/23(金)晴 医師会打ち合わせ、法人理事会 

2:00W、HDD判定総括x1他、5:50病院着、回診、事務処理他。9:00HDD説明x4,10:30-12:30新患補助外来。15:30医師会打ち合わせ.17:30-18:45法人理事会.回診、医療用意見書x4など.20:00帰宅21:30S.

人身刷新は何にでも必要だね.日医も、病院も、法人も
 私は日本医師会の医療関係者等対策委員会のメンバーになってから今年で3期満6年、今年から7年目となる。この委員会は現在20種以上もある医療関係職種と医師との間の業務連携等を中心に検討する会であるが、主に准看護師問題を中心に論じてきた.各期にまとめる委員会の報告書作成に関しては文章化を一手に引き受け、いささかなりとも貢献できたと自負している。
 
 同じ顔ぶれで長い間会議を持っていると各委員の発言内容は大体予想出来るようになる.すなわちマンネリ化に陥る.そうなると斬新なアイデアなどは出てこなくなり、わざわざ会議に出かける意義も徐々に乏しくなる.今期から別の委員会、中でも医師会の活性化や勤務医問題を論じる委員会などへの鞍替えを期待していたが、これは東北地区からの代表なので個人の意見が通るものでもなく、残念ながら果たせなかった.
 先日第1回の会議を持ったが今期は委員の大幅な入れ替えがあり、その時の自由討論を聞いた範囲では再び活性化が期待できそうでちょっと楽しみになった。またこの委員会から日医の常任理事が選ばれる頻度も高く,今期役員のうち3名が当委員会出身である。それだけこの委員会の果たしている役割が評価されているのだろうと思う.

 マンネリ化は身近な組織でも起こっている.最近世代交代が急速に進み若い世代が病院や法人の会議に出席するようになったが、どうも発言が少ない.年輩者の発言は聞かなくとも予想できるから若手にもっと積極的になって欲しいものだ.もっとも会議で年余に渡って一言も声を聞いたことのない長老も何人かおられる.この方達には会議に参加して無言でいることが及ぼしている影響はとてつもなく大きいのだという事を自覚して欲しい.


8/22(木)晴れ 県健康対策課打ち合わせ

1:30W、HDD判定・総括x2、紹介状、NPスクラップ等.5:40Taxi病院着。8:00HDD診察x3。9:00-14:00午前外来.午後は大きな予定なし。入院・外来患者病態検討、総括・紹介状・各種書類その他.16:30県健康対策課打ち合わせ、今後のインフルエンザ県医師会・自治体契約について.20:00帰宅21:00S.

人類滅亡路線上をひた走り
 人類の命取りになる可能性として他の天体との衝突、核戦争による放射能汚染やそれに引き続く「核の冬」と言われる現象などが挙げられている。一方、地球環境汚染問題は慢性的であるために切迫感は少ないが、いま確実に人類滅亡に向かうルートの上に乗っているという認識は最近やっと浸透しつつある。しかし、政治的レベルの中で解決を図ろうとすれば経済優先の議論に終始し、世界全体の考え方が変わってきたとは言えない。確かに、環境汚染の問題に関してはまだ今すぐには問題にはならないだろう。しかし、数10年先には具体的な事象として何かが突きつけられる様な気がしてならない.

 地球環境の汚染の多くの原因は先進国にあるのだがその国の在り方は完全に地球の自浄作用のレベルを超えている.だがその反省は大量生産、大量消費を背景に工業を基板として繁栄を勝ち取った米国や日本を中心とした先進国には殆ど見られない.今途上国がものすごい早さで生産消費国になりつつあるが、どこで誰がどのようにして地球を守るのだろうか.ブッシュさん、この大切な時期に戦争のことだけ言ってては無能といわれますよ.

 個人の問題も大きい.ヨーロッパの街、それほど多くを訪れたわけではないが、その時感じるたことは、其処の住民達は敢えて近代化をセーブし、古き良き価値観の中で生活して行こうとしているのではないのだろうか、と言う印象であった.概してゆったりと静かな生活のように思えた.



8/21(水)快晴→雨 県医師会理事会+納涼会 

2:40W、寝坊した。HDD判定・総括x1、NPスクラップ等.5:40病院着、回診、入院患者の総括予稿、紹介状作成。9:00-13:00外来混雑。15:30-17:30医師会理事会、話題豊富。17:30-19:30納涼懇親会。19:45帰宅21:00S。

モラルは法以上の意義があるのに
 雪印,日本ハム,宮城県の牡蠣問題など食品会社関連の事件が相次いでいる.不可抗力と言わざるを得ないような事故は食品関係といえども生じうるが,その後の処理の仕方(隠蔽とか虚偽報告とか・・・)によっては犯罪行為に進展する.そのようなケースは枚挙にいとまがない.

 今回の雪印食品,日本ハムの問題は会社ぐるみの立派な犯罪行為である.一流企業としての社会的責任、特に食品関係という立場でのモラルの問題はどうなっているのだろうか.モラルを守れない企業は生き残る資格はない.日本ハムも信用回復前に体力が尽きる可能性がある.
 一部から全体を軽々しくは論じるべきではないが、政治家の問題も含めてもう国全体が腐敗しきっている感じで憂鬱になる.次に一体何が飛び出てくるのか?

 こうした犯罪行為を防ぐために法の整備求められる.勿論法治国家である以上その方向性は間違いではないが、法律によってモラルは取り締まることが出来ない.法が無くても守るべきものがモラルなのだ.
  問題は個人のレベルと企業のレベルとの格差である.個人として優れた考えを持っていても企業の中ではそれを主張出来ないし、違法と解っていても業務命令ならやってしまう.指示を出した方も自ら手を染めないので問題意識が希薄になる.企業体とは残念ながらこういう環境・状況にあることを認識しておく必要がある.最後の砦はモラルであるが、それを生かすためには航空業界や医療界で行われているヒヤリハット事例の申告の如くの制度を設けて、すべての人が自分の問題として監視し、問題点を申告していく方法をとるしかないだろう.




8/20(火)晴れ 総回診、医師会打ち合わせ 卯月の会:病診連携

2:00W,HDD判定・総括x2、紹介状、退院総括準備.新聞スクラップ、5:40病院着、8:10HDD診察x4。9:00-13:00午前外来、混雑.14:30-15:30総回診に参加、16:00県15:45-16:15医師会打ち合わせ、MC弁当。残務処理.20:00帰宅21:00S.

密着過密状態
 今,刑務所が満杯らしい.日本の刑務所の定員は約6万人であるが全体的には104%の入りで,所によっては120%も越えるらしい.府中刑務所では6人部屋に8人詰め込まれ,女子受刑者専用の和歌山刑務所では,最近独房を二人で使用している.二人というのは雑居よりはストレスがたまるらしく,イライラが高じてちょっとしたことで殴り合いするなどトラブルが絶えなくなり,管理上困っているという(読売新聞8/19より).

 私がこの記事に目をとめたのは,狭い空間に複数,多数のヒトが過ごす劣悪な居住環境に関する記事だからである.私の場合狭い部屋とか空間に複数の人間が長時間いるのに絶えきれないからであり,地獄の苦しみと言っても決してオーバーではない.私の感覚では受刑者が気の毒でならない.
 たとえば,中型,大型であっても4人乗車した乗用車は嫌だし,隣の座席が空いていないJR、航空機も耐え難い.しかし,これらは時間が来れば解放されるのでまだ良い.デパート、ラッシュ、人混み、・・嫌だ.

  新潟大学では6年間学生寮で過ごした.始めは4人または2人部屋で,複数のメンバーで暮らしていたが,4年目ほどからは先輩格としていつぞや2人部屋を一人で占拠するようになり,このころから学生寮が私にとってパラダイスになった.新学期には新入生とか後輩が割り当てられ同室になったこともあるが,何故か1ヶ月足らずで居なくなった.私は居住空間内では同居相手を家具の一部と見なして無視することで耐える術を身につけたが,その雰囲気に相手が絶えられなかったのかもしれない.大学医局も大部屋であったが,ロッカーを盾にして独立した空間を確保していた.

 私自身がまともでないことは自分でも重々承知している.刑務所の記事を読みながら,久々に学生寮や医局での生活を思い出した.(ついでに一昨年訪れたアウシュヴィッツ強制収容所も.)


8/19(月)小雨→晴れ 管理会議 長副会議 県医師会広報委員会

2:00W。HDD判定・総括x1。紹介状、書類2,3処理他。5:50病院着.回診など。8:00管理会議、9:00-13;30午前外来、お盆明けで混雑。懸案事項処理、16:00-17:30拡大長副会議。18:30-19:40県医師会広報委員会。20:00帰宅。21:30S。

アトリオン室内オケ17回定期
 アトリオン室内オケ(ACO )No17定演が本日あった。プログラムは「絹のはしご序曲(ロッシーニ)」「シューマンピアノ協奏曲」「交響曲第6番田園(ベートーヴェン)」。チケット当日券完売だったので招待券は同伴者にあげ、私は病院で人間ドック他の残務整理をした。
 聞くところによれば、実際の入場者は95%程度、内容的にはいつもの如くチェロセクションのトップにN響の主席の藤森亮一氏が参加し、特に管楽器が安定していてとても良い演奏であったと言う.
 近年、入場券の販売も頭打ちでACOの維持が経済的に困難となったというので今年度から私も協賛会員になった.本日は予想に反して当日券は購入できなかったが、とても嬉しくなった。前にオカリナの宗次郎の演奏会に当日券を当てにして出かけたものの売り切れで入れず純クラシック以外のジャンルは良く売れていると感心したことがあるだけに、地元の室内オケのチケットが完売になったことは感無量である。なかなか秋田も捨てたものでない、と思ったが、ちょっと待てよ、これは今回の公演に限った一時的なものかも知れない。本日の独奏ピアニストの佐藤卓史さん(19)は秋田市出身だから同級生など身内の賛助聴衆が大勢だったのかも。マ、それにしても喜ばしいことだ、と納得した。



8/18(日)快晴 FF tennis アトリオン室内オケ17回定期

2:00W、HDD判定・総括x2、紹介状 等.10:00-12:15梅林園FF tennis.   14:00アトリオン室内オケ17回定期No17定演(絹のはしご、シューマンP-con、田園)完売にて入れず。賛助会員の招待券は同伴者にあげた。自分は14:00-18:00病院にて人間ドック、入院患者病態検討など種々処理18:40帰宅、22:30S。

自伝:0歳から小学校卒業まで(5) 小学校時代(1952〜58)
先週の続き

丁度昼食時であり、後で食べようと大きな卵焼きを脇によせておいたが、食べないまま避難したことが心残りであった。祖父から麻薬の入った手提げ金庫を託され、背負って安全なところまで避難し、その金庫の上に座って家が焼け落ちる過程をずっと見ていた。自分で出来る範囲で責を果たしたと言う満足感があった。

 翌日からまだ熱い焼け跡を整理し始めた。数日たってもなかなか冷えないものだ。焼けただれた物品が次々と出てきたが、一月前に仕舞ったばかりの雛の陶器製の頭部を10数個回収したが、年季の入った見事な品であっただけに、変わり果てた姿に涙したことを思い出した。
 
 今でも私は「火事」と「卵焼き」「麻薬」には異常反応を示す。特に「火の始末」には異常に執拗で、時には家族や手伝いのおばさんと意見が合わないこともある。薪や炭と異なり一瞬に消火できる器具の時代でさえ、である。
(来週に続く)

8/17(土) 晴れ 東北医師連合会代表者会議(欠席)

1:00Wやや寝不足感あり。HDD判定・総括x1、入院患者病態検討 等.6;10病院着.HDD資料作成x1.HDD診察は盆で無し、これだけでも開放感あり。9:00HDD説明x1。10:30-12;30午前外来。新入院一人,残務多数処理.本来なら仙台出張予定であったが、秋田県医師会はこの会を急遽欠席としたので通常の外来他の病院業務を処理した。17:30帰宅。Vn等,21:30S.

お盆のお墓参りで初秋を自覚する。やや寂しいこの時期
 昨日は墓参りのために日中留守にするので早めに病院に向かったが、5:15頃は20-30m先が見えないほどの濃霧で、明るいのにもかかわらず車にはライトが必要であった。気温はそれほど低くなく、「何でこんな時期に霧が・・やはり秋??」と不思議な感じがしたがなかなか美しく風情があった。7:00の帰宅時には霧はかなり消えかかり、盛岡に出発する頃には完全に消滅した。この時期にこれほどの霧があったという記憶はほとんどない。
 多くの土地では8/13日の夕方に墓参りするらしいが、私が育った田舎では8/14早朝であった。朝6:00前にいろいろな供物を持って留守番一人を残して家族で30分ほど歩いてお墓に行った。子供であった私はいつも先頭を歩かされたが墓の脇の雑草を踏む毎に半ズボンでむき出しの足が朝露に濡れるのが常であり、このことを通じて初秋の訪れをを意識したものである。
 私の大好きな夏はお墓参りを最後に気持ちの上では終わってしまう。成人になってからは夏自体を楽しむこともぐっと少なくなったが、子供達が巣立ったここ数年は一塩で、お盆を迎えるたびに何もしなかった、出来なかった事を悔やんでいる。ここ2-3年は気持ち、時間共に余裕が無く、ハーレーに乗る機会も作れなかった。

 今年は梅雨が明けた後に降雨の日が多かったため誰しもが夏は短かったというが、私にとっては駆け足で過ぎていったように感じられ日々の記憶が殆ど残っていない。しかし、この日記を改めて見直してみると毎日毎日を結構しっかりと過ごして来ており、秋の訪れを素直に納得せざるを得ない。日記にはそんな役目もあるようだ。
 でも、些か寂しい、ここ数日である。

8/16(金)曇り・晴れ、時々小雨 盛岡へ墓参り

2:00W、HDD判定総括x1。紹介状2部.5:30病院着、HDD資料作成x1。回診、処方など。7:00帰宅。8:00盛岡に。今年は家内、長男は不参加。10:15矢巾町の叔父宅短時間訪問。11:30江岸寺着、1年振りで兄(69)と合流。住職による読経、墓参り.12:30福田本家に挨拶に。13:30盛岡市内に戻りレストランで軽食をとった後、次男は札幌に、長女夫婦は横浜に向けて帰っていった。14:35「こまち」にて帰秋。16:30-19:00病院にて業務、帰宅21:00S.

バイク乗りにとっておぞましい事故
 5/23、バイク愛好者の私にとって、考えるだけでもおぞましい事故が秋田市で起こった。バイクの青年(25)が、国道13号を茨島から河辺町方向に走行していたが、道路右側にある書店の駐車場に入ろうとしてロープに気付かないまま進行、ロープに首が引っ掛かる形で首を切って即死したと言う事故である。駐車場のロープは大抵は低い位置にあるので一体どのような状況下に首との関連が生じたのか全く理解できなかった.その後、新聞記事をみてかなりの部分で理解が出来た.
 ロープは太さ7mm、長さ18mで、高さ約70cm、全体が黄色のビニールで覆われていたという。バイクの前方は、車輪、車輪カバー、ライト、ウインカー、ミラー、ハンドルなどの装備で凹凸が多く、高さ約70cmのロープは常識的に考えるとこれらの装備品のどこかに引っかかり転倒するだろう。だが、この方のバイクは最近流行の大型スクーターであり、車輪は小さく、通常ならむき出しになっている前方の装備品はハンドルまで全て樹脂製のカバー内に収納され、更に風防まで装備されていたタイプである。
その為にロープがカバー、風防に沿って持ち上げられ、物理的に張力が増したロープがかなりの反発力を持って瞬時に首を直撃し、この際、ロープに斜めに進行したからこういう惨事になったものと考えられる。

 彼は近くの工事現場に出勤途中だったとされ、 それほどのスピードで突っ込んでいくような場所でも無い。一瞬先に気付き風防内に身を伏せればかなりの衝撃がヘルメットにいっただろうし結果的には転倒しただろうが、ここまでの大事故にはならなかったかもしれない。

 彼が何のために駐車場に入ろうとしたのか、ロープに気付いた瞬間何を考えたのか、同じバイク愛好者としてとても残念に思う事故であった。
 駐車場の進入禁止用のロープにも事故防止のための配慮が求められるべきだろう。

8/15(木)終戦記念日 終日雨、医局会、県医師会打ち合わせ

1:30W、HDD判定総括x1、退院総括、主治医意見書等。5:50病院着、HDD診察,説明とも無し、9:00-13:00外来。若干混み始めた。13:30医局会、16:10-17:00医師会打ち合わせ。以降は入院患者の病状の再検討に費やす。19:30帰宅、夕食。21:00S.

職業と高血圧 家事労働も一因だという.医師は?私は??
 労働と高血圧の関連は明らかで、高血圧は労働関連疾患と呼ばれる.しかし、労働自体の定量化が困難で、勤務形態等と血圧の関係は明らかにされたとは言えない.最近24時間血圧記録が診療の中で取り入れられ、血圧と労働の関係でいろいろ解ってきた.例えば、高度の緊張が強いられる新幹線運転者の血圧は予想に反して運転中は高くなく、降りてから管理者への業務報告等の対人関係の中で上昇し始めるという面白い現象も解ってきた.主婦を対象とした検討では家事は大きなストレスとなっているらしく、その間血圧が明らかに上がるという.また在宅介護の際にも一般的に上昇するという.

 医師の場合はどうだろうか.血圧に関する明らかな研究はないが、私も新幹線運転者の現象と同じように診療業務そのものより病院内の複雑な人間関係が大きなストレスになっていると考えている.外来中に測定した私の血圧は110-120/70-80程度と決して高くはない。身近な同僚が最近次々と開業していくが、経営状態は良いとは言えない場合でも一般的に病院勤務時より表情が明るく、柔らかになり、楽しい人間に様変わりしている事が多い.院内の人間関係柄の解放も診療所開設の大きな動機になっていることが良く解る。
 私も長時間にわたる人付き合いは苦手である。最近業務量が激増し外来担当時間以外は一人部屋に籠もりきりであるが、それでも、気持ちの上ではむしろ前よりは平穏に過ごし得ている.

8/14(水)終日小雨 
 
2:00W。HDD判定総括x1. 総括・紹介状・委員会書類処理、5:40Taxi病院着.HDD資料印刷.6:30回診その他、中等度の重篤者1名あり。9:00-13:00外来.前半は予約患者中心に混雑したが後半はチリポリ.13:30HDD説明1名。大きな予定無く書類処理多数処理するぞ・・・の予定が15:00頃先日退院された患者さん救急車にて来院にて予定変更.多臓器不全状態への進行過程にあると思われる状態、集中治療室にて人工呼吸器など装着、集中的に手を尽くすも進行止められず.19:00前に永眠された.20:00家族全員で外食.21:00強烈な睡魔で中座し一人車中にて熟睡.22:00帰宅しそのままS。

河の増水 こんな時魚はどこに行く?
 秋田地方気象台は12日朝、秋田中央地域他に大雨・洪水警報を出した。結果的に秋田市では3カ所で道路が冠水し通行止めとなったほか、民家の裏山の崩落、床下浸水など被害が相次ぎ、新幹線「こまち」も上下各1本運休した。前回の降雨時と同様に私の家の近くの地下道がまた一時的に冠水した.

 出勤時には旭川の脇を通る.秋田市内の中心部を流れる川と言うことで護岸工事もしっかり行われ、市民団体他によるボランティア活動もあっていつもは清流がさわやかに流れ、橋の上などからは鯉や鮒の泳ぐ姿が市民の目を楽しませてくれている.それが、今日は水位も1-2mは高くなっており黄色の濁流となっている.そうは言っても自然の河川と違い流れは一切淀むこともなくスムースに下流へと流れている.

 気になるのは魚たちである.自然の川であれば増水しても必ず淀む場所があり、あるいは水流と地形の関係で必ず淀みが出来る.魚たちは増水の際には淀みの場所に集まって水が引くのを待つとされているが、この様に完全に護岸工事された川では集まるべき場所が全く無いように思える.魚たちは下流に流されていったのだろうか? もしそうなら海まで流されて塩から水で困らないだろうか?水が退いた後には元の場所に戻って来れるのだろうか? あるいは、流されないように徹夜して迄も必死に泳ぎ続けているのだろうか??それならさぞや疲れ果てるだろうな?腹はへらないのかな??睡眠不足にならないか?・・・等と色々気がかりになった.今朝は、水のことを考えていたらいつの間にか病院の駐車場に着いていた.ヨーロッパでは水害にみまわれている地域が増え、被害がでているようである.

8/13(火)午前曇り→雨 総回診/医師会打ち合わせ/医局カンファ(−)

1:30W,HDD判定総括x1. 書類処理、5:40病院着.HDD資料作成x1.6:30回診、患者家族と面会他、HDD診察無し.9:00-12:30外来.予約患者20名前後といつもの1/3程度.年に1回だけこの3日間だけは外来患者は少ない.外来連日担当の私にとってはとても嬉しい時期.お盆は医療機関も休み体制と思っている人が多いし、墓参り等で来れない人も多いからである.総回診、医師会打ち合わせ、医局カンファもお盆のために有給休暇の職員も多く休み。極めて快適.事務処理多数処理.20:00帰宅。2本目の「越乃寒梅」次男と長女の夫の3人で一晩で飲みきったという。「完売」だね.21;00S.

あるがまま
   ここ数年、簡単に編集し直された「禅」に関する本を断片的に読むこともある.そのなかでは「自然体で生きよ」という意味の言葉が数多くでてくる。私も好きな言葉の一つでもある。
 
最近「あるがまま」という言葉が流行しているようだ。イチロー、貴乃花らも新年の抱負として答えていた。要するに「自然体で行きたい」のことであるが、日々切磋琢磨している人は実力も自信もつき、雑念を捨て自然体で行動することによって実力が十二分に発揮できるだけに、なかなか良いニュアンスでスッと伝わってくる。しかし、そうでもない人が「あるがまま」・・等と答えると「その日の気分を受け入れ、その範囲で・・・」と、自分に妥協した安易なイメージに聞こえてきて不快な感じを受ける。
 釈迦も「あるがままに現実を認め、行動せよ」と答えたと伝記にあるが、この場合の行動は「努力」と言うことなのであろう。この短い言葉の中に何と多くの意味があるのかと驚かされる。

 誰が言っても正しいことは正しい、謙虚に受け入れなければ・・と思う一方、誰が、どのような人が言ったの??、と問いたくなる所以はここにある。


8/12(月)終日雨 管理会議 長副会議

1:00W、最近睡眠時間やや減少傾向にある。HDD判定総括x2. 書類処理、5:40病院着.6:30回診他、8:00管理会議.9:00-13;00外来。HDD説明x2。1台の2400起動せず OS入れ替え。15:40-17:00長副会議。20:00迎えあり帰宅、総勢11人で夕食、通常は日曜の夕食以外は一人で食べているだけに、これは壮観だ。2本目の越乃寒梅など、21:00S。

自伝:0歳から小学校卒業まで(4) 小学校時代(1952〜58)
入学
 4月1日、乙部小学校に入学した.入学式には母が出席してくれたが、とても寒く、雪が舞っていたことを想い出す.小学校は自宅の隣である.檜葉の生け垣の隙間をくぐると直ぐに校庭に出た.同級生は28人、男女14人ずつ。当時としては最も生徒数の少ないクラスであった。

自宅が火災にあい消失
 小学校に入学して間もなくで、未だ毎日が緊張感で一杯であった4月10日の正午頃、風速10mほどの強風の中、近所の農家のお爺さんが田植えの時に用いる籾殻焼きを強行した.火がついた籾殻が風に飛ばされて自分の家の藁葺き屋根に燃え移り、それがもとで我が家を含めて11軒が全焼した。 

 火事そのもの恐ろしさ、数週後の火元のお爺さんの風呂場での入水自殺、長い間関係者に残る心の傷(PTSD)、悲惨さを身をもって体験する。道路脇に並んで建っていた民家が集中して焼けたが、100m以上も離れてポツンと建っていた一軒家にも類焼が及んだのには今でも驚いている.それだけ強風であり、乾燥していたためであろう.


8/11(日)終日降雨。FF Tennis(中止)

2:30リハビリ当直室にてW、HDD判定総括x1,溜まっていたNP整理など種々.リハ自体は平穏なので資料印刷等あり6:10中通病院へ.7:00回診、オーダー書き、主治医意見書x2、その他残してあった業務処理。11:00帰宅。Vn etcの他、HDD再検査レポートx2,その他外来懸案処理.14:00-16:00秋田卓球会館へダブルスは隣の甥達に2-1で敗けた。書斎のメインアンプPioneer M4故障。修理必要。久々に午後からはゆったりと過ごし得た。21:00S。

「越乃寒梅」がまた1本手に入りました
7/23日に開栓した新潟の銘酒「越乃寒梅」は約2週間ほどで飲みきった。このうち家で食事をとらなかったことも何度かあるので私にとってはかなりのスピードで飲み切ったことになる。実は、銘酒のプレッシャーから早く解放されたかったのでちょっと無理して飲んでいた、と言う事情もある。我が家の家事一切をやってくれている石井さんは娘一家4人が函館から毎夏来秋するのを機会に休暇を取り小旅行するが、今年は佐渡に行ったという。土産に「越乃寒梅」を買ってきてくれたが、別の銘柄の酒との抱き合わせでしか手に入らなかったらしい。折角だからまた飲む事にしようか。それにしても「越乃寒梅」も前に聞いていたほどは入手困難ではなくなったようだ。そういえば、今日の卓球では若干「腰のあんばい」が良くなかったなァ。関係はないけど。


8/10(土)曇り・雨 子供達帰省家族全員揃う リハビリ当直

1:00W、さすがに寝不足感あるもまあいいやと起床。HDD判定総括x1,その他。5:30病院着、HDD資料作成、事務的処理、6:30病棟回診、8:00HDDx5、9:00HDD説明x3 10:30-12:30外来。13:00-14:00入院3患者の家族と面会、病状説明と退院予定設定.14:00から散髪、この間ぐっすり眠りこみ理容師さんには迷惑かけた。16:30帰宅、みんな揃っていた.HDD判定総括x1,その他事務的処理若干.短時間微睡み、20;00病院に.HDD資料作成21:00リハビリ病院に当直に22:00S.

田中真紀子元外相、議員辞職.自浄作用につながって欲しい
 田中氏が昨日電撃的に辞職の意志を表明、受理された.私は驚いたが、歓迎すべき事である.これで最近、加藤紘一氏、辻元氏を始めとして大物の議員辞職が相次いだが、これは議員のモラルの維持の為には良いルートが確立された、と言いうる.その意味ではこれらの議員が果たした役割は逆説的に高く評価しなければなるまい.もう議員は、特に金銭的問題に於いて、例え少額であろうと不明朗な処理は、進退に繋がることになるだけに許されなくなるだろう.

 ある新聞の論調では田中氏の辞職は何も損することのないパフォーマンスに過ぎない、とあったが、そうかもしれない.しかし、国会議員を辞職することの意義はそんなに小さくないし、単なるパフォーマンスに終わらせるか否かも有権者が決めることであろう.
 問題は、辞職によって疑惑の追及がお座なりになることであって、これは何とか防がなければならない.そのためには辞職願いの受け取り方に一考を要する.一定の結論がでるまで辞表を衆議院議長預かりとして資格を保持させたままで真相を明らかにすればいいのではないか.議員を辞職した元議員にたいして国会での追求は迫力を欠く、中途半端なものにならざるを得ないのは、辻元氏の時に経験済みである.


8/9(金)晴れ 秋田県教育委員会講演 法人理事会(欠)大里県議との懇談会

1:20W、HDD判定総括x1.講演準備中心に進めた.5:30病院着、事務処理、HDD資料作成x1、6:30回診他。受け持ち10数名、各病棟1-2名なのでいろいろ不便だ.9:00-10:00HDD説明x2。その他。10:30-12:00外来。14:00-15:30秋田県教育委員会主催の講演、千秋会館.県医師会事務局での打ち合わせは時間無くキャンセル。17:30からの法人理事会は欠席,17:30-20:00View H大里県議会議員と、県医師会、県薬剤師会、県歯科医師会、県看護協会との懇談会。秋田県の医療情勢について情報交換、有意義な会であった。20;30帰宅21:30S.

「アラーの神よ偉大なれ!!  」フセインの対米演説とアメリカ
 一昨日,フセイン大統領はアメリカの対イラク政策,場合によっては攻撃も辞さないというブッシュ大統領の強硬路線に対して,「いつでも侵略者を迎え撃つ用意がある・・アラーの神よ偉大なれ!! ・・・と述べ,更に,「国連の正当な活動と判断のもとに対イラク経済制裁解除を望む・・・」,などと20分ほどラジオを通じて演説したという.この間,「アラーの神よ偉大なれ!! 」という言葉は10数回にも及んだらしい.湾岸戦争後にも国内の支持は下落するどころか相変わらず高い,その求心力一つをとってみてもとても理解出来ない人物であり,世界である.

 一方,アメリカという国も実に不思議な国である.人種問題一つをとても,アメリカにはあらゆる人種が混在し,日常様々なトラブルが生じている.しかし,ひとたび何か、国として動かなければならない様な重大な問題が生じると見事にまとまる.昨年9月の同時多発テロ,湾岸戦争,古くは真珠湾攻撃,キューバ対応などである.・・と列記してみるとみんな戦争と関係している.国内の問題が収集困難になりそうになると敢えて小競り合いを起こし国民の目を外に向けるという政策は何もアメリカに限った問題ではないが、この国は上手に利用しているようにすら見える.

 今、アメリカの経済はやや陰りがでてきているが、そのために戦争を起こそうとしてる様にも見えないことはない.世界がアメリカに大義名分を与えないよう監視しなければならないだろう.その際フセインの言う様に国連が重要な位置づけになる.皮肉なことだが、誰が言っても正しいことは正しいのだ.

8/8(木)快晴   

2:30W。HDD判定総括x1。入院患者不調、早めに出勤。5:00病院着、事務処理,HDD資料作成x1、6:00から回診他。8:10HDD診察x1。9:00-13:30外来。13:30HDD説明x1。入院1名、紹介状返事書きx4、その他、明日の講演準備、何とか間に合いそう。19:30帰宅.21:30S.
坂口厚労大臣と会食.ホント、役得で、良い経験しました.
 
先日,坂口厚労大臣と会食する機会があった.党の行事か何かで来秋したとのことで、公明党県連のご厚意で医師会メンバーと会食・歓談もセットされたものである.県医師会から4人,市医師会から3名参加した.日本医師会の行事では首相他閣僚の挨拶を遠くの席で聴いたり,眺める機会はあるが現役閣僚と身近に歓談できる機会は滅多にある物でない.すごい役得である.和やかな雰囲気で歓談が進められたがこれは厚労相の人柄に負うところも大きい.実に温厚、実直・・そうな雰囲気を備えた方であった.

 歴代の厚生関連大臣の中では評価できる判断力と実行力を持った方だと思うが、小泉首相と医師の立場との間で板挟みになっている様子も良くうかがえた.一方連立政権の中で主流でないところ所属であるからこそ古い体質にとらわれずに歴代の厚生大臣が処理できなかった負の遺産を処理出来ているのだ、とも思う.
 前半は大臣から最近の、近将来の医療情勢についてうかがい、後半は各々が自分の担当関連事項について発言し大臣と話し合ったが、良い会であった.



8/7(水)快晴 県医師会打ち合わせ+常任理事会

2:30W。HDD判定総括x1、 紹介状返事x1.他。5:30病院着.事務処理,HDD資料作成x1、回診。9:00-13:30外来。後半混雑。外来入院患者各種書類他処理。常任理事会議案予習.16:30医師会各種書類チェック+打ち合わせ.17:30-20:00常任理事会,20:30重症患者回診21:30帰宅。22:00S。

日野原氏90歳 驚くバイタリティ!!  しかし,・・・.
 先週の日曜日NHK-FM番組を聞いていたら日野原重明氏(90)が出演していた.現在聖路加国際病院と聖路加看護大学の理事長を兼務.80歳の時から4年間当病院の院長をつとめたというからすごい.私は何度も講演を聴いているので直ぐに日野原氏と解ったが,氏をご存じない方にとっては,声の若さと,よどみのない,論旨明快な話しぶり,話の内容から多分50歳程度の方を連想するのではなかろうか.

 彼はまだ医師としても現役で病院での回診,大学の講義,講演などをこなしながら先日250冊目の著書の出版したばかりである.さらに,ミュージカル「葉っぱのフレディ」の脚本も書いているという.さらに75歳以上の高齢者を集めた「新老人の会」を旗揚げしたりと,いままでやってきたこともすごいが95歳からは本格的にゴルフをやりたい,自動車免許を取りたい(国内の教習所通いでは時間がかかりすぎるからアメリカで一発でとってくる予定だそうだ)・・・と将来の展望が続く.氏の睡眠時間は50年以上一日4時間ほどで,時間を最大限に利用して生きている.8時間睡眠のヒトよりは実質8〜9年長生きしたことと同じ勘定になる。大したものだ.

 しかし,公的,準公的立場でのご活躍をこれほど続けられることは如何なものであろうか.患者は90歳の老医に診てもらって心底満足しているのだろうか.聖路加の機構は今でも本当に彼を必要なのか,それほど人材がいないのか,誰も引退を勧告しないのであろうか,など周辺の評価を聞いてみたい.彼なら,長年続けてきたことを止めて別のことをする方が新しい展望がもっと開けると思うのだが。


8/6(火)曇り,間欠的に雨 総回診 大学訪問 医局会(出)納涼会(欠) 

3:00W,HDD判定総括x1、レセプトはひとまず終了。 紹介状返事x1。入院患者対応のために5:20病院着、回診他。9:00-13:30外来、13:30HDD説明x1.  更に外来数人。新入院2人。14:30-15:00総回診に合流.16:00-17:00大学挨拶周り、臨床講座はこれでひとまず終了。医師会打ち合わせは時間とれずキャンセル.17:00-17:30法人人事課と面談。17:30-18:40初の夕方医局会、結構出席者多く発言も多数意外と良い企画かも。19:00秋田ニューグランドホテル医局納涼会は予定変更して欠席、回診他21:00帰宅。22:30S.

記録的大雨 八森で72mm/1時間 地下道冠水対策に一考要す
 私にとって業務処理上、恵みの雨であったが、県内は4日未明から、県北を中心に集中豪雨に見舞われた。最大は八森町72mm、鷹巣町と西木村が57mmで、昭和54年に観測を始めて以来、最大の1時間降水量を記録し、床上浸水、道路沿いの土砂崩れ、落雷等の被害も報じられている。

 私の住まいから市内に向かうときに奥羽本線を横切るが、そのうち代表的な3ルートは地下道になっている。これが3本とも冠水し一時通行不能となった。数年前迄は結構あったが大改修後は私の記憶では初めてである。改修前までは通行可能になるまで一日費やしたこともあったが今は排水能力が高く数時間で開通したと言う。
 冠水の原因はトンネル前後の緩いアクセス道路からの流水である。道路には勿論側溝がついており排水設備に流れるようになっているが、大雨の際には側溝では構造上機能的に無理がある。アクセス道路に道路を横断するような構造のゆるいV字形の排水溝を数本作れば必ず解決する。

 実は、上記のアイデアは既に私の家の庭と道路を舗装した際に雨水を有効に路上の排水溝に導くために実行し、大きな効果をあげた実績がある。
 今度、市の道路課に申し出ようと思っている。車のフロントにブレーキランプを付けるアイデア同様、無視されるかな?

8/5(月)雨→曇り 管理会議 長副会議 輸血関連者懇談会(酒菜庵)

2:00W。HDD判定総括x1.レセプト、退院総括書き等など。メール返事多数送付.5:20病院着。事務処理,HDD資料作成x1、回診.8:00管理会議.9:00-13:30外来 。HDD結果説明x1、16:30-18:15長副会議。17:00輸血関連者懇談会(酒菜庵)秋田竿灯祭り3日目で交通規制あり移動は渋滞で大変。話題彷彿22:00終了帰宅、函館の吉田さん一家4人が夏休みで来訪。22:30S。

近所のお店.かなり高額につくがきめ細かいサービスが良い
 昨日の続き.私は大型家電店等は品揃えが多くて選べるから消耗品や小物は買うが、値の張る物品は購入しない。例を挙げればせいぜいプリンターのインク程度である。たいていの品は可能な限り町の家電店で購入する。先日扇風機2台、掃除機一台故障して再起不能となりやむなく更新したが、合わせて49000円であった。同じ程度のものを大型家電店で買えば20000円弱で購入できたはず。

この差は確かに大きい.しかし,この値段の後ろにはお店のヒト,サービスが付いている値段である.そう考えると理解不能な値段ではない. 私の家の物品は概して寿命が長いがちょっとした故障時でもお店の方が直ぐに来て見てくれるし細やかな注文にも応じてくれるからである.ただしあまり良い顔しない場合もある.TVとかオーディオ関係などは私が適宜改造しているためにとても扱い難いのだそうだ.居間のストーヴは分解掃除をお願いしたら取り付けるまでの間預かってくれるという.こんな配慮も大きなメリットである.要するに私の関連している仕事上で言えば「かかりつけ医」のようなものですね.


 大型量販店が大繁盛である.街の小売店は概して経営が大変という.何とか支えていきたいものである.大病院もまたしかりで患者が連日押し寄せてくる.しかし,私は,近所の診療所を有効に利用して欲しいと思っている.


8/4(日)集中的雨・快晴 FF tennis中止 仕事上では恵みの雨 

2:00W、HDD判定総括x1. レセプト、退院総括書き等など。最近睡眠時間が短くなってきており眠い。朝方から豪雨と激しい雷鳴。午前に晴れあがったが10:00-13:00予定のFF tennisは中止。これ幸い、私にとっては恵みの雨。その時間帯はレセプト関連、講演準備関連にて過ごす。何とか目処がついた。15:00-19:30病院、重症者回診、事務処理その他。20:00帰宅.日曜恒例の西武デパート総菜中心に夕食+越乃寒梅21:00S 

予定していた自伝:0歳から小学校卒業まで(4) は今週は都合によりお休み

ハイエナの如し。ダイエー売り尽くしセールに群衆殺到。
 ダイエーはこの度9道府県の11店を閉鎖、秋田店の閉鎖は8/31。秋田店は昭和56年6月オープン。57年度の売上高は65億円を計上したが、その後は50億円台で推移。平成10年度は41億に落ち込み、赤字に歯止めがかからなかったのと、消費者の動向から将来展望がないとのことで閉鎖が決まったもの。

 現在ダイエー秋田店では売り尽くしセールが行われ連日盛況であると報道されているが、このようなニュースが出るたびに節操のない我ら消費者の姿に驚くし、情けなさを感じる。「そごう」しかり、「ニューシティ」の閉店セールしかりである。何れもこれだけの客の1〜2割の方々でも日常の買い物の場所として支持してくれれば閉店に至らなかったものを、と思う。最近新規開店は少なくなったがガソリンスタンドの開店セールなどは門前列をなし、何事かと思うだけ人が集まっている、がその盛況も1週間程度で後は閑散としている。リットルあたり数円の安いガソリンとティッシュペーパー,卵等のサービスに群がる.しかも高級車で!!    この節操の無さはいったい何なんだと思う。

 景気が悪くなったからと言っても消費者数は増えているし、生活には物品が必要、しかも年々贅沢になっているのだから需要があるはず。それを引きつけておれない経営者の姿勢の問題はあろう。しかし、私は消費者自身が街の文化や経済を維持するという自覚も必要と思う。少しでも安ければいいと言う買い方、理解は出来るがもの悲しい。
    閉店セールに群がる群衆は私にはハイエナの如くに見える。ハイエナは生存をかけて,命をの行動だから、当然であって、こんな例えにつかうのも申し訳ないのだが、「人間ハイエナ」は生きるために本当に必要なものを求めて群がっているのだろうか。


 8/3(土)晴れ・曇り レセプト書き。講演準備全く出来ず 

2:00W、やや寝不足感あり.HDD判定総括x2. HDD再検査結果返し。紹介患者返事等、結構大変.5:40病院着。HDD資料作成x2、回診他。8:10HDD診察x5、9:00HDD説明 x2。10:30-13:00外来。本日は午後予定無く8月9日の講演準備に当てていたが机上にレセプト多数。そのうち症状経過報告が必要なものが5件もあった!!!。全て退職した医師から受け継いだ患者だけに記述には時間がかかり夕方まで僅か2件のみ。講演準備は一切出来ず。どうなるかな?18:15帰宅、Vn、夕食。レセプト書き21:00S。

病院評価機構セミナー.vs小泉、vs厚労省に矛先を変えてみては? 
 7/24に盛岡市で開催された日本医療評価機能機構が主催する小セミナーに参加した.
 機構側の趣旨は「最近、患者の医療に対する関心や要求が高まった。質の良い医療を提供には、医療機関の自助努力と共に第三者評価を導入するのが望ましい。だから、各病院はわが評価機構の認定を取って欲しい.取れば将来 研修教育指定病院の要件も満たすし、また、診療報酬上でも有利になりますよ」・・と言うものであった。

 確かに、「良質の医療を追求してきた」と自己満足的発言が見られる当院ではその証としてこの機構の評価を受けるべきと思う。ただし、250-300万円の費用と、約1.5年ほどの準備期間が必要と考えられるし、認定されない可能性の方が高い様な気がする。

 評価機構は病院医療はかくあるべし、というノウハウを十分に持っている.また、病院医療の諸問題、特に我が国の医療行政の問題点に関しても十二分に把握している。従って、末端の医療機関の評価や助言のみを対象に活動していては片手落ちであり、日本の医療行政そのものを評価して政府や厚労省に迫ってみてはどうかと思う。この後段について質問と追加発言したが、簡単にいなされ、問題にもされなかった。そんな意識は皆無なようであった

8/2(金)快晴 医師会打ち合わせ Dr Miと会食(ニューグランドホテルl) 
2:00W、寝不足.HDD判定総括x2、紹介状等.5:40病院着。HDD配付資料作成x2、事務処理、回診他。9:00HDD説明x2。10:30-13:00新患補助+再来。入院一名.紹介状返事3通、他各種作文、「すこやかさん」校正など.16:00-17:00医師会に。19-21:30Dr Mi と会食,情報交換.21:50帰宅22:30S.
「望郷の念」とはこのように強いものか!!
 新潟出張の際の会議場はホテル「イタリア軒」。6年間の学生生活で側を通ることはあっても足を踏み入れたこともない高級なレストランであった。昭和51年にホテルも開業したが、やはり高級なイメージである。会議後移動しなくてもいいのでそのまま宿泊した。
 「イタリア軒」の創始者は「ミオラ」と呼ばれるイタリア人で、明治7年、曲馬団員として来日、けがで日本に置き去りにされた不運で気の毒な男であった。周囲の援助もあって開業した牛鍋屋は文明開化の活きに燃える時勢にマッチして大繁盛、改装後は「新潟の鹿鳴館」と迄言われるほどになったという。経済的にも家族にも恵まれた「ミオラ」は、しかしながら、在日30余年、望郷の念止みがたく単身祖国イタリアに帰国、大正9年死去したとされる。

 現在私が愛聴している曲の一つがヴァイオリン小品「望郷のバラード」で、天満敦子が哀愁豊かに奏でている名曲である。作曲者自身も、この曲を日本に伝える機会を作った孤高のヴァイオリニストも祖国を離れ、強く望郷の念を抱きつつ失意の中で生涯を閉じたらしい。そういえばショパンも同様でフランスに居ながら終生祖国ポーランドを思い続けたという。 チェコの作曲家アントニン・ドヴォルザークもアメリカにわたってから激しいホームシックに罹ったらしいが、そのおかげで交響曲第9番「新世界より」(二楽章は「家路」のメロディーとしても有名。) 弦楽四重奏曲「アメリカ」、ドヴォコンの愛称で知られるチェロ協奏曲ロ短調 などがうまれた。 この三曲はアメリカの黒人霊歌とボヘミアの土俗曲が似ていることに感動したドヴォルザークが望郷の思いをこめて作曲したといわれている。この三曲がなければおそらくドヴォルザークは現在名前を残してはいまい。
 
「望郷の念」とはなにゆえこのように強いものか!! 共感出来るような状況を持たない私にはとてもコメントできない不思議な世界である。
 


8/1(木)小雨・晴・小雨、大学臨床医局挨拶回り 

2:00やや早いがW,眠い。HDD再検査報告x2、紹介状・返事x1等.5:30病院着。回診他HDD診察無し.9:00-13:30外来.13:30HDD結果説明x2、14:37大館着.15:40-17:00大学臨床医局挨拶回り、救急部、精神神経科、麻酔科、耳鼻咽喉科各教授に会う。18:00-20:00在院日数21関連施設連絡協議会.医局の机上はカルテ・書類の山.21:20帰宅、22:00S.

不思議なこと。プロのヴァイオリン奏者は調弦をどうしている?
 私が大切にしている老齢化したヴァイオリンの弦が、それも通常は切れ難い低弦が2本自然に切れた。弦自体はそれほど古くはなかったから、最近多忙であまり弾く時間がとれないために『気を引くために切れたのかなぁ?』なんて考えたが、実際には梅雨時の湿気のためだろう。
 一昨日新しい弦に交換したが、本日まで調弦が大変。交換直後は5分おきほど、今でも1時間ほど毎に微妙に狂うために調弦が必要である。新弦が伸びるためと考えられ、はりかえた直後は特に著しい。

 今までヴァイオリン協奏曲演奏中に弦が切れて中断、弦を交換して再開したコンサートに2回遭遇したが、いずれの場合も独奏者は弦を張り替えて舞台上で軽く調弦して演奏を再開、最後まで何事もなかった如くに弾き終えた。その間、神経質に何度も調弦するようなことはなかった。これは何故なのか未だに解らない。別の楽器に張ってある弦を外して取り替えたのかな??などと考えたりしているが。

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   年を通じてワンパターンで淡々とした毎日です。AM2:00-5:00にメールチェック・返事送付、人間ドック(HDD)判定・報告書作成、新聞切り抜き、病院・医師会業務など。
  月〜土曜は6:00頃出勤、HDD報告書印刷、外来書類処理など。病棟回診、HDD受診者とミーティングと診察。8:45-14:00外来とHDD受診者に結果説明。昼食は摂りません。午後は病院業務・医師会業務、各種委員会等に出席など。20:00頃帰宅。
  日曜・祭日もほぼ同様ですが、病院には午後出かけます。時間的に余裕無いのが悩みです。


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